☆ 新年、あけましておめでとう存じます。 司
年々、暖かい元日となるようですが、今年も関東は穏やかに元日を迎え、嬉しく存じます。
どうぞ今年も、それなりにお健やかな一年でございますようにと、お祈り申し上げます。
年末から今日まで留守にいたしましたので、ご挨拶が少し遅くなりました。
いよいよ、電子書籍時代の到来ですが、好みのジャンルが搭載されるのはいつのこととなりましょうか。
お目にかかる機会があり、お話が伺えますようにと念じております。
わたくしも、自由な時間を制約されることは辛いのですが、人が求めてくださる間はボランチィアも、県の仕事も今年も続けることにいたします。
体は弱いのですが、薬に助けられながら、精一杯後悔のないように今年を送りたいと思います。
どうぞこの年がいい良いお年でありますように心からお祈り申し上げます。1月2日。
* 電子メールで、新春初の賀状をいただいた。去年までは年が変わるとアドレスの分かる数百人に一斉に電子の賀状を発送していた。その返信が津波のように押し寄せたものだが、今年からは、それをやめにした。少しずつ少しずつ世間の儀礼から遠のいてゆく。ほんとうに大事と思う人づきあいなら、自然にのこる。そう思っている。
* 賀状のなかで群をぬいてみごとなは、城景都氏の兎。さすが。
城景都画・2011賀正
もう一枚ある。松本幸四郎丈の、四把、線で描いた兎。目に紅を点じてある。高麗屋の一句が欲しいところ。
松立てて卯の春の憂はおもはざれ 遠
2011 1・2 112
* 年頭に、心励まして頂いた各界先達、知己の賀状など。感謝申し上げます。
☆ 謹賀新年 作家
いつもご本を頂き、頁をめくっているうちに心をつかまれる文章に出会い、
そのことにお礼を申上げたいと存じます。
☆ 迎春 作家
いつも御本をありがとうございます。脱帽です。
ますますの御健筆をお祈りします。
☆ 賀春 詩人 評論家
いつも御高著ありがとうございます。
旺盛な執筆力 ただただ感心して拝読させていただいています。
☆ あけましておめでとうございます。 国文学者
いつも「湖の本」のご恵贈、ありがとうございます。
珠玉の文章として拝読させていただいています。
☆ 明けましておめでとうございます。 文藝編集者
いつも御高著をお送りいただきありがとうございます。
その質に毎回感嘆いたしております。
☆ 新春のお慶びを申し上げます 作家
湖の本、読み続けています。
* 読者の皆さんにも心より御礼申し上げます。
2011 1・3 112
☆ 謹賀新年
秦先生へ 明けましておめでとうございます。
今年の新年はいつになく寒いですが、風邪などひいてられませんか。
さて、年末には長谷寺、室生寺に行きました。昨日は初詣に岐阜の小京都、郡上八幡に。
年末の長谷寺、室生寺は思いもかけない雪景色となり、二人で感動しました。
初めて見た雪の室生寺ですが、川の瀬の音しか聞こえない静謐な空間と、山の中に調和して建てられたお寺には深く感動しました。本当に美しい景色でした。また平安時代の木の仏像にも暖かい雰囲気を感じました。
写真一枚をお送りいたします。先生にはおなじみの景色だと思います。
本年もよろしくお願い致します。
秦先生ご夫妻にとっても良い年となりますことを祈っております。 松
* 卒業生のこのメール。いちばんの朗報を含んでいた。幸あれ、と、心より祈る。
* さ、三ヶ日も過ぎて行く。この先、日は、月は、年はますます早く流れるだろう、わたしの上を。
2011 1・3 112
* 玄関の蓬莱山の松が佳い。妻の買ってきた盆栽花も梅が咲いて薫る。茶の間に、いましも病と闘っている人の花の繪をかけて励ましている。がんばれよ。僕もがんばるからなと。
2011 1・4 112
☆ あけましておめでとうございます。 花
お元気ですか、風。
今日の富士山は穏やかに、とてもよく晴れています。
年末は、風邪をおして夫との小旅行を予定通り敢行しました。
熱や悪寒は治まっていましたので、咳もだんだんよくなるだろうと思っていましたが、日を追うごとに酷くなりました。
関西への帰省を一日遅らせ、近所のお医者で診てもらい、咳をおさえる薬を五日分処方してもらいました。
夜寝るときが一番ひどく、うとうとすると咳が出て眼が覚める、の繰り返しで、満足に眠れない夜がつづき、息詰まるほどの咳が出て、つらかったです。
義母も風邪を引き、同じような症状、義弟も酷い咳が治ったばかり、という具合で、散々なお正月でしたよ。
大寒波が来ていましたし、夫の生家でおとなしくしていました。
まだ咳が出ますが、夜は眠れています。
ほんとに、この冬の風邪は咳がひどくなりますから、風、ぜったいに引いてはいけませんよ。
この元旦、「私語」に再掲なさったところ(2006.10.06)、読みました。
とてもとても共感しました。
ひょっとすると、ご自身ののことを念頭に発言なさったのかも知れませんが、この姿勢を、さまざまな場合に敷衍して、花は考えます。
沈黙が金のこともあるけれど、言うべきときもある。
自分が当事者でない場合でも、黙っていると、「声無き声」な」どといわれ、いいように利用されかねません。
意見があるなら、小さな声であろうと、発するべきだと思います。
小さな声でも、集まれば大きな声になるかも知れませんしね。
ではでは。正月休暇は明日まで。まだまだ花は落ち着きませんが、元気早く取り戻します。
2011 1・4 112
☆ みづうみ
新年のご挨拶出遅れてしまいましたが、謹んで初春のお慶びを申し上げます。
お元気ですか、みづうみ。
年明けても、どういう状況にあっても、みづうみは全身文学者のみづうみです。創作を妨げようとする怨念のような力をがんと跳ね飛ばして、益々の豊饒の日々をお過ごしくださいますように。そのためにも、ご体調を整え、きちんとした診察と治療をお受けください。新年にあたり、切なる願いでございます。ドクターの診察なら、是非腹痛について申告なさいますように。最近の検査は痛いことはありませんし、七十代どころか八十代の手術だって当たり前の時代です。(もちろんそんなことにならないのが一番ですからそうならないために)。
今年は日本国の波乱激動の一年、困難な転換期の一年となりそうですが、覚悟を決めて立ち向かい自分のやり方で活動していきたいと願っています。建日子さんの言い方ですと、ピンチはチャンスということでしょうか。
一介の主婦が身の程知らずにもなんだかエラそうでお恥ずかしいのですが、個人個人が自分の場所で奮い立たないと日本はどうしようもないところまできていると感じています。能力云々の問題ではなく、滅ぼしてはならないものを絶対に守る、世界をより良いものとするために一人一人が懸命に闘うという気概をもって生きたいのです。正念場と思っています。
今日はずいぶん冷えています。ぬくぬくと暖かくお過ごしくださいませ。 羽根
* 北海道のmaokatさんに、上海で手に入れてきた特上の花彫酒を頂いた。これは、 堪らなく美味い。礼のメールを送ったら、すぐ返辞が来た。
☆ 謹賀新年 maokat
hatak さん
メールを差し上げようと思っているうちに、品が先に届いてしまいました。昨日上海から帰国し、今日札幌に帰り、夕方職場を見に来て、山のような書類に呆然としているところです。
友人夫婦が、いよいよ上海で腰を落ち着けて仕事を始めることになりました。いろいろな仕事を始めるようですが、その一つに、茶道、華道、着付けの教室があり、既に二三十人のお弟子さんをとっています。
正月休みを兼ねて上海の様子を見聞してきましたが、ここで事業を興して成功するためには、日本人であろうが地元中国人であろうが、渦巻く人の流れに押し流されない強い個性が必要だと感じました。さてそういう人々が、お茶の稽古を通じて、何を感じ取られるか、私には興味があります。またある意味では、今の上海は、かつての堺にも雰囲気が似ていると思いますので、事業をしながらお茶をしてみたいという人の、感性に触れる部分があるのかも知れません。
堺といえば、関空からの帰路、堺の大鳥大社へ初詣に行ってきました。日本武尊の魂が白鳥となって最後に舞い降りた地を祀ったと由緒書きにはありましたが、もともとはこの地を本貫とした大鳥連の祖神であったようです。大鳥造りという古い様式の社殿にお詣りし、今年はちゃんとおみくじを引いて吉をあてました。学問はいつも「努力すればよろし」です。
関空から行きはJRで鳳下車、帰りは少し歩いて浜寺公園という駅から南海電車に乗って戻ってきました。この駅舎が辰野金吾設計の雰囲気のある良いもので、古びた駅で夕日を浴びて各駅の電車を待ち、のんびりと関空へ戻ってきました。
今年は出歩くことの多い年になりそうです。お茶の関連では、初夏に上海でお茶会をします。これまで色々な国でお茶をしましたが、特に濃茶を美味しいといって飲めた国は、アルゼンチンと台湾だけでした。おそらく上海人も濃茶の美味しさを理解できるのではないかと思います。自分の稽古はさっぱりですが、外にはやはり興味を覚えます。
仕事では、韓国と北朝鮮の国境付近の研究所に行く機会があるかも知れません。また、3年に1回開かれる小さなワークショップが今年はベルギーでありますので、これも夏に行くことになりそうです。体の調子さえ良ければ、外国へ出かけていくのは楽しいのですが、はたして今年はどうなることでしょう。
書く方もこのところ、報告書、論文にばかり時間を割かれていますが、やめてはいません。恋の方は無期限の宿題として承っておきます。
hatak さん、なによりお元気でお過ごしください。**さんもいつか言ってましたが、長湯や長距離の自転車漕ぎは、体には負荷がかかりすぎます。どうぞなによりご自愛くださいますよう。 maokat
* 生き生きしたメールが嬉しい。日本の茶の湯や生け花が、どう上海で根付くか、これは楽しみ。
☆ ありがとうございます 孝
コーヒー豆は明日1/6 こちらを発送させていただきます
建日子さんの 新しいTVドラマ『スクール!!』 も愉しみにしております
新しい春を迎えられ
いいふうに過ごされる日々でありますように
☆ どんなお正月でしたか。 辰
元旦を迎える度に考えること、それは、あと、何回新年の挨拶が出来るか、ということです。私の体内測定器では 24 回になっているのですがそれもご挨拶の出来る相手あってのこと、独り言では余りにもさびしいではありませんか。だから一分、否、一秒でも長く皆さんと現世でのお付合いがしたいと思います。
秒と言えば恒例の 1/ 2-3 の箱根駅伝、今年も2 台のTVを前に (ラグビー早明戦と) 真に心臓に悪いレースを観戦しました。 200,000m余を走ってわずか100m, 時間にして20秒一寸の差での栄光と屈辱。たった一人に2 秒ずつの違いで天国と地獄の大差が現実にあることを改めて思い知らされた鳥肌の立つ真にエクサイティングな正月でした。
わが身に置き換えて時間の浪費が今更のように恐ろしく感じられて仕方がありません。片方ではあと何回新年を迎えられるか、と杞憂している反面、自分だけは不死鳥の如く湯水のように時間を無駄使いしているのですから・・
あれこれ考えた末、後悔のない余生はやはりこれ以外はないと、日夜音楽と酒の明け暮れです。底抜けのバカ野郎に今年もどうか宜しくご厚誼のほどお願いいたします。
* 高校から、たしか早稲田へ。そして大の音楽好き。彼が編集したなつかしのメロディや、ラテンや、ノスタルジックな極の数々を貰って、ときどきむしょうに懐かしく聴いている。
さて「どんなお正月でしたか」と聞かれている。察して欲しい。 2011 1・5 112
☆ 0:19 エジプトのからすは胸が灰色です。夕方畑から家に帰る驢馬や牛で道が渋滞しています。
今日はピラミッドを巡っていました。元気です。
よい年でありますように。 エジプト鳶
* よい年でありたいが。自分で自分を孤独へ孤独へ誘導している。討死したいと心に願って出陣して行く侍達がいた。たとえば実盛も。わたしは彼のように白い髪を染めてとは願わないし、かぶる兜も持たない。組討ちもしない。ひたすら「書き」残して行く、地球の手以外には、誰の手でも消されない文章を書いておく。ダウンロードして置いてくれる身内がどこかにあるだろう。
* 地球の生まれたときを零時とすると人間の登場は23:59:59秒ぐらい。やっと一秒か二秒足らず。そして確実に十万年もすると猛烈な氷河期がまた訪れて生物は悉くといえるほど死絶するとテレビは元日か二日から美しい映像と共に、物凄い、しかも当たり前の話をしてくれていた。
* わたしがどんなにばからしい企みをしているか、思わず吹き出しそうになる。人生などはそういう滑稽な夢だとつくづく知っていて、察知していて、わたしは夢に狂い遊んでいるにひとしい。悟りを待つとことはしない、待てば来るものではない。徹底的に狂い遊んで一瞬の好機にすべて委ねたい。
* 初詣で振り仰いだ元日の空を、おそらくそれだけを、胸に抱いている。
2011 1・6 112
* わたしの嶮しい日々は、「述懐」することで救われているようなもの。だれにともなく「胸懐を打ち明けて打ち明けて」すり抜けて行っている。
* アメリカから、「生活と意見」の「112」ファイルはどうしたら開けるかと問い合わせが来ていた。申し訳ないことです。すぐお返事した。
2011 1・7 112
☆ 湖様
新年早々、ますます厳しい状況になっていらっしゃること、改めて拝見いたしました。
ともかく、不条理につきます。
この件は、むしろ湖が原告になって、名誉棄損や虚偽の申し立てに対して訴えるべき状況なのではないでしょうか。また、このことによって実の親に対して精神的苦痛を与えていることに対する補償を求めることはできないのでしょうか?
セクハラの件については、ご家族の証言こそ第一ではないでしょうか? 奥様、建日子様が最も明瞭に反論し否定できるお立場にあるのではないかと思います。
法的なことについてはあまり詳しくありませんので、あくまでも私の思いです。
(厚生省の)村木さんの事件を通じて、検察側がストーリーを捏造するということを知りました。(同窓の= )彼女も今、この不条理に対する訴訟を起こしています。
湖の場合も法律の専門家たちが真実を見極めることを信じたいと思います。
ご心労でお体にさし障りが出ないように祈っております。
心から応援させていただきます。 波
* おおよそわたしの思ってきたことを云って下さっている。わたしからは訴えたりしたくない。しかし、法廷の証言席で、瑕疵に類する間違い記憶違いは仕方ないとして、いまや訴因の最たる位置に置いて「改名」までしている「虐待」「ハラスメント」の訴えに関しては百が百まで虚偽であることが明白になっている。偽証は罰しますと宣誓させた法廷に、厳格な対応をわたしは、家族も、求める。七月法廷の証言のあまりに多くが証明などとても出来ないウソであったことは、当日傍聴した妻や息子の即座に一致した確認であった。そういう裁判になってきたのである。
わたしの読者で、ホームページに、父の配慮で「 e-文藝館= 湖(umi)」に掲載された朝日子の詩やエッセイや小説の試作を読んでくださった大勢の方で、あれが父の娘の著作権侵害だ、損害賠償に値すると思われた人など、只一人もおられないだろう。
2011 1・9 112
☆ とても冷え込んだ朝でした。お元気ですか、みづうみ。
三連休の上に、家族に病人続出でした。
私語からは、想像しているより、ずっと晴れやかなご様子に察しています。お心のうちには嵐吹き荒れていらっしゃるとしてもです。今の状況の中でそのように出来ますことは、奇跡のようなことです。みづうみの日々の生彩が、ご体調や裁判諸々、なにものにも浸食され得ないことの証明にも感じられます。
メールを書くのはみづうみにとっては迷惑でしかないと思い込んでいましたが。遠慮しつつも時々お邪魔させていただきます。お返事いただければ一番なのですが、貴重なお時間を奪いたくありません。
いつの日か、散文詩かエッセイか、掌説など何かの作品の、……一番最初の読者になれたら……と夢想します、と書いて、呆れるほど厚かましい、図々しいお願いをしているなあと、反省しています。
お力になれることがございましたら、是非お手伝いさせていただけますように。
手がけておいでの小説、楽しみを通り越して、生きる目的のようになりそうです。
駆け足で一月が過ぎていきます。どうぞいつもお健やかにいらしてください。インフルエンザも風邪もとても流行っていますから、充分に予防なさってください。 初鏡
2011 1・11 112
☆ お元気で何より 泉
ここ二、三年、寒中は首筋や肩に痛みが出て、少々冬眠状態です。幸い食欲もあり歩行も達者ですが…お節準備疲れと分かっています。
鯨は子供の頃に食べて、美味しいと思った事がなく、渋谷のお店は無視して歩きます。
副都心線新宿三丁目駅辺りのビルが最近リニューアルして手頃な飲食店が沢山ありますよ。
籠もると録画の映画を観ていますが、何度目かなのに「ショコラ」や「マルタの優しい刺繍」は時間を忘れる程の佳い映画です。
ほな又
2011 1・12 112
☆ 花は元気です。
今、トルストイが読みたい気分です。
心が寒いときって、ありますね。そんなときは、いろんなものに元気づけてもらいましょう。
風。お元気ですかー。
英語のあと洗車して図書館へ行き、アンナカレニナを借りて、買い物して帰ってきました。
今日の富士山は暖かい感じです。
* この人は以前に「戦争と平和」も「復活」も読み終えていた。わたしも、久々に「アンナ・カレーニナ」を読んでみたくなった。 2011 1・12 112
☆ お元気ですか、風。
「一遍聖繪」は、網野さんの本でも資料として言及されていましたね。
そして、『中世の民衆と芸能』は、風の挙げてくださった「目次」を見ますと、とてもわかりやすく各種芸能を分類し解説されているようで、興味が湧きます。
海老蔵の事件のとき、風が「テレビ以前」「テレビ後」という視点を提起なさっていましたよね。
コ・サンジュンさんとおっしゃいましたか、日曜美術館の司会の方、あの方も報道番組で海老蔵事件について「メディア」に言及し、風と似た意見を発言していました。
先日、「アンナ・カレーニナ」と一緒に、「スマップ ウォッチング」という本を借りてみました。精神分析家の人が、スマップというエンターテイメントグループの各方面への影響を、フロイトやマックス・ウェーバーなども引きながら分析した本でした。2003年出版なので、今と状況は違いますが、スマップの好きな花は、当時を思い出し、共感するところがありました。
そして、このような本に、藝能史の視点をも持ち込んだらどうだろう、と考えました。
花は藝能史をまだろくに学んでいないので漠然としていますが、古代の芸能が「神」を介在させたものだったとすれば、performing artと呼べるのではないか、現在の藝能は、「神」を介在させず、直接観衆を楽しませる、entertainment の要素の方が強くなっているのではないかなあと思いました。
アメリカでは、映画や音楽のスターを社会学的に研究することが学問として確立されているというようなことを、「スマップ ウォッチング」の著者が書いていました。アメリカはショウビジネスがとても盛んですし、映画や音楽といったものをプロパガンダ的に統制するくらい、ショウビズの影響力を社会が認知していますね。
日本には日本の藝能史があり、図書館では「スマップ ウォッチング」と同じ棚に、ぶ暑い「日本藝能史」がドーンと七巻くらい並んでい、迫力がありました。
キリスト教の「神」と、日本の「カミ」の違いは、それぞれの社会の違いを形成していますが、藝能の上にも例外ではないと思われます。
日本人の「カミ」の思想についても、学ばなければ。
藝能とはどんなものであろうか・・いろいろと、考えさせられます。
ではでは。週末は冷え込むとか。風、お体、お大切になさってください。
元気な花は、いつも風に学んで勉強しています。
* 芸能の起源を「カミ」と掴もうとすると、宗教や信仰の儀礼や典礼や荘厳や祭式に引っ張られて行き、上澄みを掬ってしまう。「カミ」でも「神」でもなく、それ以前に「死」「死者」「死骸」を直視し手を触れるところから芸能は観なくては。おそらくこれは日本だけでなくグローバルな第一義だとわたしは考えている。とうぜん、それには誰が関わったかということになり、
人間社会の根源に存在し潜在した差別・被差別そしてケガレとキヨメとを直視しなければ、何も分からないだろう。
2011 1・14 112
☆ 秦様 晴
万三郎師の「翁」をご覧になり満たされてきたとのHPを読ませていただきました。
以前から、「翁」については『清まはる』と書かれています文を読ませていただいています。
私は謡いの稽古をするようになり、師匠方の「翁」を年頭に観させていただく様になりました。
始めのころはその儀式性に付いていかれないような気分で観たこともありますが、重ねていくうち、新年の恒例のようでも、お囃子の調子にも気持ちが重ねられるようになり、新年を寿ぐ気持ちで観ることが出来るようになりました。
今年は「翁」を観ています間、ずーと「清められる」気持ちがあり、秦さんの詞を思い浮かべながら観ていました。
1月3日付けのMixiで「野宮」と「清経」の観能記の再記を読みました。野宮や清経の良さを分からせていただきました。
「清経」の恋の音取りは先月末、藤田大五郎師を偲ぶ会で野村四郎師と若い藤田貴寛師の笛で観せていただいたところです。以前浅見真州師で初めて観ましたときにも、身体に震えが来た様な覚えがあります。
やはり、能を観た時には自分の気持ちを記しておきたいと強く思ったのでした。
それで、今年の新春の「翁」に清まったと自分のMixiに書きました。
秦さんの詞を勝手に借用してしまったことになってしまいました。作家の方の詞を使ってしまって申し訳ありません。
ひとにそっと教えられました。
自分の言葉で書くことを大切にしていかねばなりませんでした。日も経ってしまいましたがお許しを願います。
* これは恐縮。「清まはる」はなにもわたしの発明した詞ではありません。「清まる」よりなにか一包み大きめに想えて愛用してきただけのこと。共感されたなら、自在に用いられて誰に遠慮の必要な物言いでもありません。
もっとも、「晴」さんは女性なので、一つ注を加えて置きますが、「清まはる」には潔斎してけがれをはらい心身共に清らかになった意味や、邪のないあかしをたてた意味のほかに、月のものの終わる、終えたの意味のあること。「そっと教えた」人はそれもご存じであったのでは。
清いは、ほぼ今日の美しいに重なることばだった。「清ら」は最上、「清げ」はそれに次いだ。源氏物語では「清ら」「清げ」の使い分けは厳格と見受けている。
2011 1・15 112
☆ 湖 お元気ですか。 珠です。
新年、良き年となりますようお祈りしています。
今年は、初めて私の住いに母が泊まって新年を迎えました。
そしてすぐに初出勤、慌しい毎日が動き始めています。まだ半月過ぎたところですが、どうも今年は別れの多い年になりそうで、寂しさや不安を感じるものの、出逢いも多いはず、、と言い聞かせています。
お茶では、先日、初釜に社中一同揃って新年を寿ぎ、師匠宅での茶を締めくくりました。
師は高齢で老人保健施設に入所中、茶室のあるお宅は売却されることになります。稽古場の路地や床、柱や水屋、そして皆様と名残りを惜しんでの一時を過ごし、初めて伺った日からのいろいろを懐かしく想い返しました。
今後、稽古は先輩宅に寄合っての研究会が主になりそうです。
そろそろ自分で何かしないといけないか、とは思っており、興味は茶事に向いています。「自分の茶を見つけなさい」と言われた廿数年前を胸に、どこへ辿り着くか、転がってみようと想います。
数日前は遠州流の初釜にも伺って参りました。卯槌の飾りつけで邪気を祓って頂き、甘くとろける濃茶をたっぷり頂戴致しました。
本席床には春屋大師の「桃唇日向開」、室町の大釜は肌に鯉が泳ぐもので、その数四十一匹とのこと、湯のたぎる音に聴き惚れました。
遠州蔵帳にある唐物茶入「若菜」には、そのたっぷりとした大きさと気品に目を見張り、この現代まで残って在ることに、手を合わせたくなりました。
薄茶席には、松花堂と遠州公が手紙で交わした和歌四種が床にかけられ、遠州公の下の句「ひとのこと葉に花咲ける宿」には、まるで今年詠まれた感じがして、驚きました。あらたまることの嬉しさは、繋がることのありがたさです。
こうして春を過ごしています。
寒さ厳しく、インフルエンザも流行っています。くれぐれもご注意を。
今年も、湖で。今、此処を。お大事に。
* 珠さん
日本中にあって人の使って活かせる茶室の数は知れたものです。
「茶室の茶・茶事」に拘泥していると、なかなか茶が茶として自在に活かせない懼れがあります、また道具に拘泥しても。
嬉しい茶の湯、楽しくて身に沁みる茶の湯。人間関係に本質的に関わりうる茶の湯を創って欲しいです。そのための稽古です。稽古や研究が目的になると本末が立たなくなるのが、心配です。
おいしいお茶を、窮屈すぎずにいつかご馳走して下さい。 遠
2011 1・16 112
☆ 戻ってきました。
日本は寒波で冷え冷えと、雪。
新しい年も早や半月過ぎてしまいました。
今日は阪神淡路大震災から十六年。関西に暮らす者には重い意味ある今日です。
旅したエジプトがじんわり発酵するだろうと感じています。
旅の途中で聞いたチュニジアの政変も、以前の旅の体験から納得できました。
移り変わる世界を静かに見ています。
思い屈すること多い日々であっても跳ね返す力を信じて、鴉にエールを送ります!!
風邪ひきませんよう!元気に! 鳶
* チュニジアの暴動と銃撃を報道の映像で観ていると、これが現代だとも、これで現代かとも、驚く。政治悪というものだろうか。力づくの人間の根の腐りかとも。
アメリカの野放図なライフル利権がもたらす政治悪にもおののく。一方にハートのあるオバマがいて、他方に魂を悪魔に売ったかと訝しむ女知事がいる。アメリカの崩れも深刻だ。
中国は、いずれ軍が暴走しそうな危険な時限爆弾を抱いている。
* 日本はますます危ない。
2011 1・17 112
* 直哉戦後まもなくの「科学の進歩」に関する発言を、今月の十四日前後に紹介し、批判や共感の声が届かないかなと期待していた。発表当時には黙殺ないし笑殺された直哉の意見であったけれど、あれから六十余年、あるいは直哉の先見の鋭さと本質的でもあるのを汲み取ることは、今日なればこそ有っていいのではとわたしは思っていた。 反響が一つ届いた。
☆ 風、お元気ですか。
直哉の言、理解できますし、共感します。
的を得ていると思いますし、誰かがこのような声を発してゆかなければならないと思います。
ですが、残念ながら、こういった言は、世間では一笑に付されてしまうでしょう。
民主党の事業仕分けで、蓮舫さんに「一番じゃなくてはダメなんですか」と訊かれた人たちの、話にならない、といった態度。苦笑。象徴的でした。
科学技術の世界には、「技術は進歩しなければならない」という大前提があるようです。
その大前提に疑問を投げかける直哉のような問いかけは、現実的でないと解釈されてしまいそうです。
二十一世紀の科学技術発展は、ITの分野に顕著ですね。
二十世紀の原爆や水爆といった、破壊につながる技術とは異なり、ITには何かを生み出す方向性は見られますが、目に見えない大きなものを破壊してゆきそうな技術ではあります。
もちろん、一番を目指す過程で生まれる新技術や発見が、思いがけず吾々の生活の利便性を向上させてきたことは、花も理解しています。
競争することで経済活動が活発になり、給料の得られることもわかっています。
が、近年のリーマンショックのように、行き過ぎた人間の欲望を目の当たりにすると、「どうして人間の欲望は底なしなのか」と悲しくなります。
人間は本能の壊れた動物だ、と謂う人がいますが、その通りかも知れません。
IT技術の発達によってワールドワイドに被害のひろまったリーマンショックを経て尚、同種類の金融商品を開発するウォール街を見ると、狂ってるとしか思えませんでした。
少し前にはやった「ロハス」や「スローライフ」は、競争原理の下に歯止めのきかない人間の上昇志向へのささやかな抵抗だったと思います。
花には、投機や資金運用などがギャンブルめいて見え、ゲームが全般的に苦手なので拒否感があります。
行き過ぎた資本主義経済に不平不満を漏らしたとき、「自分だってそういうしくみの中で恩恵を受けて生活できてるんじゃないの」と言われ、暗澹としたことがあります。
好むと好まざるに関わらず、こうしてネットを使って情報を収集したりメールしたり買い物したりしている花は、現代の資本主義経済の一部に組み込まれてしまっているんですよね。
目先のことで精一杯の吾々に、巨視的な思想を提示し、導いてくれる人が、今、必要なのかも知れません。
* コンピューターに触り始めた時から、わたしはこの利便性を、「毒性」という言葉で裏打ちしながら監視しているという気持ちだった。電子の杖は老人の非力を労るのがいい、若い世代に瀰漫的に蔓延すればするほど、この機械環境は人間の精神を毒してやまないという懼れを持っていた。いち早くペンクラブに電子メディア委員会の必要を説いて創設に漕ぎ着けたときも、過剰な毒性の行方を案じていた。
利便と云うことを花さんも云うている。「便利」は文明開化の象徴だと早くに漱石は指摘し、しかし「あぶない、あぶない」とも三四郎の廣田先生に言わせていた。漱石の人間が好きで敬愛したという直哉の健康な神経は、科学の進歩という無謬神話への「あぶない、あぶない」を言わずにおれなかった、わたしもそうである。「イトカワ」を飛ばし帰還させた科学技術に感嘆し感動するとともに、そういう技術の大方が、戦争兵器の開発ともいつも帯同している現実に気分を害してしまう。中国とアメリカとの、このところのつばぜり合いにそれが露出してきている。
直哉は、そうは嗤われたり無視されたりしていい妄語=たわことを口走っていたのでは無いだろう。
できたら、もっと声があがらないものか。
2011 1・17 112
☆ お元気ですか、みづうみ。
髪を切りまして、見た感じ五歳くらい若返っています。エヘン。でも、所詮見た目だけのことで……。
これから、もし何かの形でみづうみのお手伝いをさせていただけるとしたら、お世辞でも社交辞令でもなく、ほんとうに身に余る光栄なことと思っています。少しでもみづうみのお役に立てましたら幸せなのです。但し、わたくしが有能な人間でないのが問題です。今まで生きてきて、自分で自分を褒めたくなるようなことは一度もありませんでした。どうしてこう不甲斐ないのでしょうね。微力でしかないことどうぞお許しください。
宮澤明子さんを聴いてられると読みました。わたくしも大好きなひとです。ベートーベンやショパンの大曲を素晴らしく演奏するピアニストはたくさんいますが、ガルッピやスカルラッティなどの小品を高い藝術性で弾けるピアニストは世界でもめったにいないのでは。
早いもので、もう節分のお豆、売っています。みづうみは腹痛をきちんと診察していただいて、大流行しているインフルエンザに注意なさって、益々の創作パワーでお過ごしくださいますように。時々わたくしに活をいれてくださいますと嬉しいです。 松過
2011 1・18 112
* 久しい知り合いで、元某社のベテラン編集者だった人から、小説を書いたがどこも出してくれない、どこか出版社を紹介して欲しいと手紙をもらった。なんとか出来ることならしてあげたいが、頼み先としてわたしは最悪。出版への反逆者といわれてきた。叛逆とは凄まじいが、湖の本四半世紀は、出版社内のある人達にはそう映じていよう。
2011 1・18 112
☆ お元気ですかみづうみ。
昨夜はメールを前にして頭を抱えて、何を申し上げてよいか言葉がみつかりませんでした。
深いお悲しみや疲労感をお察しして、涙しました。
もうこの状況はなるようにしかならないようですから、みづうみのお考えのように、今後のことが大事です。赤毛のアンの中に「人間、馴れれば首をしめられることだって平気だ」という諺が出てきましたが、馴れてお過ごしになる以外にございません。
娘さん夫妻が執拗にご自分たちの記事の削除にこだわるのは、みづうみが大きな文学者であり、その作が歳月の流れに耐える古典となり得ることを信じている証拠でもあるのです。
本来の生きる場所に戻ってこられました。作品があればあるほど、勝利なのです。裁判に関係なく、一つ一つの優れた作が、結果として他のすべてのみづうみの文章を守り抜くことになるでしょう。
この時期に『リア王』を観劇なさることには、天のはからいのような意味があると思います。
今こそ『ロミオとジュリエット』ではなく、娘難からご自身の根源に迫る『リア王』の悲劇を書かなくてはならないのだと思います。
どうぞお元気な毎日を。 菘
2011 1・19 112
* もと、本郷三丁目で「トップ」という昼は昼食店、夜はバアをやっていた三姉妹の店があり、太宰賞をもらう直前から直後の時期ずいぶん応援して貰った。もうむかしに閉店し転居していたが、一人は結婚して関西に。その人には湖の本もながく応援して貰っていたが、この十六日に急に亡くなって密葬も関西で終えてきましたと、のこされた姉妹連名の報せが来た。ご冥福を祈る。
2011 1・23 112
☆ 湖様
日々、心静かに、力強くお過ごしくださいますようお祈りいたします。
心から応援しています。 波
2011 1・23 112
* 問い合わせに、たくさん、お詫びをしている。これまで交信の全くなかった方々からも。ありがたい。申し訳ない。
☆ いつも拝見しています。
少し心配していましたが 暫定的に配信していないとの事 残念です。
お体の具合も悪かったりすると 心配ですし 更新されていないと 本当に心配致しております。
私も主人もHP 更新しています。更新されていないと 心配になりますね。
先生は茶道もなさっておられた事もあり、本で拝見する機会も多く 何時の頃からでしょうか毎日お邪魔しておりました。
もう3年以上でしょうか。お考えや思いに共感する事が多くて お勉強になっています。 幡
☆ 今日もとても冷え込んでいます。お元気ですか。
振り返れば、パソコンを始めたのは、ただただ湖の本が欲しかったからです。ホームページを読みたかったからです。そうでなければパソコンと縁が出来るのはずっと後だったでしょう。
今、私語の刻が読めなくなって、あらためて思い知るのは、自分がパソコンをネットに繋ぐ理由はみづうみを読むためであったということです。
無惨に消えてしまった「生活と意見」の頁を見ながら、呆然としています。もはやパソコンは実用情報を得るもの、気晴らしのネットサーフィンか買い物をするだけの安っぽいツールに成り下がってしまったことにため息をついています。
闇の中には無数のサイトがありますが、みづうみのホームページは圧倒的な存在でした。変なたとえかもしれませんが、日々呼吸し、熱い血の流れている命ある生きものでした。みづうみを感じました。命がけの、他に類を見ない傑出したお仕事でした。その存在の大きさははかりしれません。以前からこのホームページを失う日が来たらと思う度、慄然としていました。今、喪失感の大きさにうちのめされています。
このような不幸な状況になっていることは、大きな文学者が命がけでなさっていた仕事の招いた、一つの避けがたい宿命と言えるのかもしれませんが、悲しいし悔しいし憤りを感じます。
一日も早く事態の打開されますことを切に切にお祈りいたします。そしてこの状況すら、創作の豊かな糧となっていますことを信じています。
2011 1・24 112
* 「村上天皇」ともちだすと、なんとなくオヤと思う人がいるだろう。桓武天皇、明治天皇、昭和天皇といった諡(おくりな)と様子が違うから。村上さんという知人はこれまで何人かいた。高校の女友達にもいた。ご近所の誰かさんという感じになる。
村上天皇はしかし、父醍醐天皇とならんで聖帝とうたわれた。源氏物語の冷泉の帝のモデルでもある。穏やかな色好みの、惚れっぽい天皇さんであった。おぞましいほど猟色の天皇もいたなかで、村上さんの後宮は平和であった。学も藝もあった。ちょっとニクいいたずらで後宮の女人達を閉口させたりした。穏和ないじわるサンであった。ある日も、大勢のお妃達にもれなく一首の歌をやった。ふつうに書けば、こういう歌です。逢坂の関に関守はいないよ、尋ねておいで、来たら帰さないから。
あふ坂もはては往来(ゆきき)の関もゐず尋ねて訪ひ来(こ)来なば帰さじ
ただ一人、広幡の御息所は、美事に合わせた薫き物を帝に参らせた。「合はせ薫き物すこし」所望と天皇の頼みをこの和歌に読み取ったのである。なかには、仰山に着飾って、この時とばかりおそばへ伺候した人もいたのだが。 だが、こういう心見をされては、ふつうの人は叶わないよなあ。
栄花物語にも大鏡にも出ている王朝一景である。「私語には窓を明けて」など、なにも難しくはないのだが。
2011 1・25 112
* いま、この「私語」を聴いてくれている人は、極度に限られている(はずだ)。
妻も息子も、夫が、父が、日記などネットで書いてくれない方が気楽で安心なのだ。裁判沙汰がイヤなのだ。わたしは、だが、イヤでは済まない。「被告」という「当事者」は、わたし独り。どんなに孤独でも「ひとり」闘わねばならぬ。娘達の思うツボであろう。大いに笑える。
笑えることは、ありがたいことだ、次から次へ、 有る。
* 鳶の遠方からのメールは、いつも嬉しい。すこし鈍感で雑だけれど、本人は至極繊細の気でもあろうけれど、本質は健康で熱くて聡明。羨ましいほど。
☆ 鴉へ 鳶
お元気ですか? HPを読めなくなってから日々気落ちして過ごしています。昨年の春までのHPは自分コンピューターに取り込んでありますが、それ以降のものは残念ながらありません。
が、わたしの嘆きなど比べようなく鴉は厳しい日々を過ごされているはず。人の眼に触れないところでHPの形ではなくても信念のもとに行動されていると思います。
寒さが堪えます。インフルエンザが、今年は成人の間に特に流行しているとか、くれぐれも風邪引かず、元気に元気に過ごされますように。
メモから少し送ります。
17日
阪神大震災16年前の今日の朝 この一年が既に半月過ぎて、初めて記し始める。
外は昨晩以来の雪がまだ積もって、車の音も静か。庭のレモンの黄色が雪の白と競い合って眩しい。
エジプトの現実が日本の日常の目の前の現実と微妙に溶け合って、しかし容易には馴染めないものだと痛感する。
旅行の間に聞いたチュニジアの政変に、以前わたしが感じたことは正しかったと納得。そして旅の始めに出会ったカイロの大通りに立ち並んでいた軍人と私服刑事? たちの異様な光景・・それは大統領直轄の私兵だった。私兵三万人! 巨大な権力武力をもち、ここでも民主主義などとは程遠いものが横行している・・。大統領の二十三年に及ぶ政治体制がいつしか重なって姿を増し、影を増し、そうなのだそうなのだとわたしの中の声が確かになる。
21日
関西一日切符で京都に行く。初弘法の日だが、時間がなかった。昼に駅に到着、奈良線に乗って「用事」をし、近代美術館の「麻生三郎展」、高島屋の「小泉淳作展」を見て帰途に着く。
麻生三郎展は予測の通り混雑はなくゆっくり堪能できた。彼の画風は、画風こそ違っても麻田浩のように、やはり容易にカワイイ、キレイ、と言わせない近寄らせない重さをもっているのだから。
彼の「ひとり」というタイトルの男女が抱き合って嘆いている絵、何故「ひとり」とあるのか、既に十分その意味が感覚として受け止められる精神状態になっていたのだろうか・・あの頃のわたしは? 思い返すまでもなく、中川幸夫や長谷川利行、麻生三郎、ゴッホらに共感を覚えていた高校生だった。麻生との関連で靉光や松本俊介も早い時期に根ざした。
今回がわたしにとっての初めて彼の絵との本格的な出会い。「ひとり」はまだ彼が三十代後半、三十八歳の作品。画面処理にいくらか問題が残っているようにも思われた。六十年代、六十年安保闘争のあたりからの彼の「後期」の作品から晩年のいくらか白さが
現れる作品まで・・それは白イコール明るさとは即断できない何かだが・・一貫して感じられるのは、彼の絵への問いかけ、存在への問いかけ・・次第に形は線を失い、境界を失い、融けていく。
おい、どうしたらいいんだよ、と画家自身が「不甲斐なさ」に描く腕をだらんと下げて肩を落とす・・そんな彼の姿さえ思われてくる。同時にどんな状況であれ、彼はしたたかで頑丈にも思われる。
最晩年の二年間、家族に介護されて生きたという。
黒、グレー、褐色、あまりに僅かな朱赤と黄色、その絵の具の中で彼は葛藤した。
24日
斎藤さんと電話で一時間半ほどもおしゃべり。何も話していない前から親しさを感じたのよと言われる。ありがとう。わたしの方から寄っていくことはなかったが、お茶碗の話をした時にわたしも何かを感じた気がする。もう十五年くらいになるのか・・いつからとはっきりした記憶がない。生まれも育ちも現状もかなり違うのに、不思議なご縁。
25日
初天神の日。気温は依然冷え込んだまま、日中でも冷えが這い上がってくる。体を冷やさないよう本を読んだりテレビを見るのはひたすら布団の中で過ごす。温まるまで暫らく時間がかかるが自分の体温が程よい、他のものを持ち込まないので集注できる、エコ。コンピューターも持ち込みそうになる・・。
カナダから手紙。年初の恒例の家族通信と彼女の短い手紙。昨年秋、一日中 話したことを思い出す。メールで返事すればたちどころに届くが、敢えてエアメールにしようか、まだ迷っている。
E はパーチの教室、そしてジュエリー・ショーで彼が来日、その後台湾に行くという。
明日まで家でひたすら篭もり、木曜日は姫路、加古川まで。金曜日は王さん、日曜日は神戸。
エジプトから戻って・・あっという間に一月も終わる勢い、家の整理など今月は何も捗っていない。恐ろしい。
2011 1・26 112
☆ 湖の本103『私─随筆で書いた私小説』を昨年末に頂戴し誠にありがとうございます。何とか卒読し「序」に戻ってきました。年輪の根幹をよく追求し、「いま・ここ」をよく顧みた「私小説」でありました。この一冊で表現の鬼となられたことに敬意を表します。読了後、ふうっと息をつきました。少し疲れました。
本日は私用として次の一冊をお送り願います──『東工大「作家」教授の幸福』。江藤淳さんも幸福だったと思うのですが、それを表題とするところに秦さんの真髄があります。本日郵便振替にて二千六百円を送金しました。105巻! 画期的と思いました。ご栄硯をお祈りします。 11.01.24 蔵 ペン会員
* 小さなグループになっての三人誌や歌誌が届く。
* 群れてもいいが、小山の大将に甘んじない寒孤の呻きの爆発を期待します。光を放つ歌を。 秦恒平
* 「書きたいことを書きたいように書く、お互い作品の批判はしない、誉め合いもしない。 下手にだらだら書いていけたらと思います」と、予防線も。自慰行為ならひとりでひそひそやれば、いかがか。
* 長篇小説の原稿も送られてきたが。
* お作のプリント落手
大作ですね。
とてもすぐに読めませんが、お預かりしておきます。
むしろ不特定の読者たちにどう受け取られるかをみたいところですね。作品の未公開ということを大切にされるならおすすめは出来ませんが。
原稿の最初をざっと眺めて先ず気付いたのは、「死力を尽くした戦い」「心血を注いだ」「(記者を)それぞれ別個にしていた」「破顔一笑」「賛意を表する言葉は一言も発しなかった」また「**は上機嫌になって」「**は上機嫌で」といったような、常套句の頻発や語彙のまぢかな個所でのダブリなどは、さらに推敲された方が、作のリアリティのためにもクウォリティのためにも大切な気がしました、ま、私のこだわりでありますが。 とりあえず。風邪などひかれませんように。 秦恒平
2011 1・26 112
☆ 本が届きました。 幡
思いがけない表紙に圧倒されました。ありがとうございました。
楽しみな本ですのでしっかり読ませていただきます。
「窓」を開けると 読むことが出来ました。
最初は理解できなかったのですが 2度目で解かりました。
* お茶の先生からの初メールは珍しかった。『茶を語る』をさしあげた。
どうもわたしの「窓」指定は行き届かないらしい。
2011 1・27 112
☆ しばらく私語の刻へアクセスできずに心配しておりましたが、相変わらずお元気そうで安心しました。
当方も不況にめげずひとり忙しくしています。
現在、3月に開催する企画展の図録準備にかかっています。国画創作協会の画家、要樹平です。
これまで国展や帝展の出品作品のほとんどが戦災などで焼失したり行方不明となっていたりで、国展関連作家の中で評価作業が全くされていなかった画家です。
当方では、要樹平の国展以後、特に戦後の活動(日本画家、篆刻家、書家)の一部を収集品で紹介する予定です。
3月から4月に京都国立近代美術館で開催予定のクレー展に合わせます。これまでクレー風だとか、ミロ風だとかいわれていた要の作品が、そのどちらでもない「ジュヘイ風」であることを紹介します。
またご案内します。 星
☆ 秦先生 楽しみにしています。 紀
お元気なご様子うれしく存じます。
私は、定年前の忙しさの中にいます。
春からゆっくり先生のホームページを拝見するのを楽しみにしています。
私のホームページもよろしくお願いします。 ペン会員 大学教授
☆ 秦先生 都
ここ数日、なにやら落ち着かない気持ちでしたが、
ひさしぶりに、「私語の刻」を拝読できて、安心いたしました。
ありがとうございました。
おりおりに、コピ-をとらせていただいたものが、4センチほどの厚さになりました。
不安になったり迷ったりするたび、頁を繰って、お声をきけるようにと。
寒さがつのります。どうぞお体大切に、奥様も、どうか。 ペン会員
☆ こちら北海道は大雪。 麗
お元気でお過ごしでしょうか。
来週仕事で上京するのですが,そちらの「異常乾燥」に気が重いです。静電気大嫌い…。
ネット上での御作,ご意見いつも楽しみにしております。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
☆ 「古典を味わう」も拝見いたしました。
大学がヘンになっていますね。尊敬すべきものを尊敬できない者が、いったいどのような大学教育をするのでしょうか。常識が常識として通用しない世の中になってしまったかと。
寒さ厳しさを増しております。ご健勝と、ますますのご健筆お祈りいたします。敬具 作家
* 原子爆弾のような烈しいメールももらう。あぶなくてここには取り上げない。今日ももう一台の機械が終日音楽を聴かせてくれていた。いまはジャズの、しかしとてもとても静かなピアノが美しく鳴っている。わたしはジャズ風の演奏もとても好き。
* 朝松健さんとは「 mixi」 出あった。一休を書かれた作品を読んで力のある人だと思った。時代小説を書く人と思っていたら、ホラーの仕事もあると。今日、リン・カーターという人の『クトゥルー神話全書』と題した本を監訳されたのを贈られた。クトゥルー神話を全然知らないが、ラヴクラフトという人のいわば創作世界であるらしい。沼正三の『家畜人ヤフー』が一種の神話世界であり、そういえば独特のそういう世界を創造した作家はほかにも何人も実在する。それなら、いきなり研究書よりはラヴクラフトの代表的な原作を幾つか先に読んでみたいものだ。やはり作品が先だろうナ。
2011 1・29 112
☆ やっと息を吹き返しましたよ。
こうでなくては、と、すこし興奮しています。やれやれ。 松
☆ 窓を明けて 晴
日記を読むことができるようになりました。ありがとうございました。
私語の刻を読まない日々は落ち着かず、不安でした。
「古典を味わう」も読ませていただいています。
また古典は以前ご紹介されていた「とはずがたり」を読み進めています。道を照らしていただいて感謝しています。
☆ 京都 のばらです。
こんばんは! 窓を明けてすぐ拝見できました。
私語の刻がしばらく見られなくなって、気にかかりながらお尋ねもせず、ご無沙汰ばかりで申し訳ありません。
相変わらずお忙しくお過ごしでも、お元気そうで安心しました。
私の方は年末から年始にかけて体調不良で散々なお正月でした。食欲不振が一番堪えました。
早々から胃カメラなど検査しましたが、慢性胃炎とのことで、やっと体調も回復しました。
気持ちは若いつもりでも、身体は正直です。
東京にいる孫娘も大学受験を控えて、お正月にも帰らず頑張っています。
さぁ~わたしも家の片付けなど頑張らなくっちや。
なんだかつまらないメールでお許しください。
厳寒の折から、どうぞ、お元気でお過ごしくださいますよう。 従妹
☆ お相撲の 竹蔵です
厳寒の候、いかがお過ごしでしょうか。
秦さんの日記を読む限り、今場所のご観戦はお楽しみいただけたようで、大変うれしく思っております。
私は例年ですとこの時期、沖縄でクジラと戯れているのですが、あいにく今年は地元千葉で雑務に追われる日々を送っております。
それなりに楽しんではおりますが。
添付画像は、今年の夏、アラスカで撮影してきた鯨の写真です。
お気に召していただければ幸いです。それでは。
2011 1・29 112
* 平成十八年に次いで十九年の「全・日録私語」を35セクトに分類して、また送り込んで頂いた。厖大な年々わたしの全日録記事を、おおよそ35ー38程に分類するという、当の私ですら二の足をふんで手も出せなかった仕事を、一人の篤志の読者が、私の記事と文章への愛情ひとつでひたむきに進めてきて下さった。
いま、それらの全部約五万枚分が、裁判沙汰で、更新をストップされていて、その方の作業も余儀なくストップしてしまっている。
いま、わたしは、「 mixi」 に、ただただアトランダムに昔の日録から抜粋しては送り込んでいるが、いわば随筆雑纂の体で、相当な「足あと」を集めている。それも、この有り難いご厚意が在ればこそも思う様にスイスイと出来ている。
いま厖大なそれらの分類から、その人が「家族血縁」として括って纏めているファイルを開けば、わたしの電子日記の中で、例えば娘や婿や孫に触れて、何年の何月何日に何を書いていたかが一目瞭然に分かる。裁判沙汰が起きた平成十八年八月以前に限ってみれば、婿に関しては退会の一滴ほどの言及、娘に触れてはひたすらに健康を祈り、往年を懐かしんでいるだけ。孫達にはひたすら逢いたがっている。
わたしの気持ち、この血縁家族の記事だけで本にし、広く読んで頂きたいとさえ思う。わたしは「書く」だけである。実の娘や婿に訴えられねばならないほどの何をわたしは「書いた」というのか。
* それはそれ。わたしは今は、親切な読者にこころより御礼申し上げる。
2011 1・29 112
☆ ほっと一安心。
このところ「能の平家物語」を読んでいるところでした。
私の生まれて初めて観たお能が、大学に入り、一人の下宿暮らしも、京都の町にも馴れぬ五月、観世能楽堂での「熊野」でした。解りやすい内容でしたし、ただただ、能面の美しさ、優雅さに驚くばかり。「熊野、松風に米の飯」とゼミ(なにもわからぬまま中世文学研究会というのに入って「平家」を読み始めたところでした)の先輩に笑われたのですが、それが私にはよかった。下宿の家主のおばあちゃんから頂いた切符で、上立売にあった能楽堂へ毎週のように通ったこともありました。ゼミでは一年生というので「倶利伽羅落」を読むように言われ、「源氏」を読む、中古文学を選考するのだったと悔やんだことも45年前の懐かしい思い出。
先生の平家を読みながら、様々なことを思い出しています。
また雪が降りそうな気配。くれぐれも御身大切になさってくださいませ。 野宮
2011 1・30 112
☆ ご教示ありがとうございます。
沼津の同級生と数人で、伊豆長岡温泉で一晩過ごしてきました。
サッカーのテレビ観戦も幸運でした。あのシュートでの優勝は世界中の人が納得するだろうと思いました。
梅は咲いているのですが、伊豆も千葉も寒いです。
秦さんも ご機嫌よくお大切にしてください。 e-OLD 千葉
* サッカーのアジアカップはよく観た方だ。昨夜も前半後半の0:0で延長に入る前まで観てから、床につき、本を読んだ。このところ三試合ほど、勝つんじゃないかと思ってテレビの前から離れると、全部勝ったと翌日には知れていた。 昨夜はオーストラリアの安定と圧倒を終始感じていたが、しかもゴールを許さないこと、ゴールキーパーの奇跡的なほどのガードを観ていて、ひょっとしたら今夜も勝ちそうだと思いながら寝床へ移動したのだった。勝っていた。李のナイスなゴールだった。 李へ送ったパスのみごとさも称讃しなくては。ドーハの悲劇の瞬間を私も眼に焼き付けている。日本のサッカーも強くなった。今度の監督の用兵の正しさにも感嘆だ。
* 勝田さんのお元気なお便りが嬉しい。温泉というのも羨ましい。もう何年、温泉に焦がれていることか。 どこが近いだろう。 2011 1・30 112
☆ すんなり開いて 翠
こちらは昨日に引き続き氷点下の冷え込みで、今朝は雪景色でした。
「人間の運命」年末に読み終え、今週は「大伽藍」を再読中です。
今年の<シリーズもの読書>は「世界の歴史」「続日本紀」「今昔物語」に決めましたが、図書館で借りる本を優先して読むので、なかなか進みません進みません。
先週は初めてのヴァイオリンおさらい会でした。音程がしっかりしていると、思いがけず嬉しい先生の評をもらいました。
明日から二月、少しは暖かくなるようですが、どうぞお大事に。
☆ 今年の寒さは格別で岡山市でも雪こそ降りませんが、近年にない厳寒です。
この前と重なりますが竜王鮒寿司を近くお届けしますので召し上がってください。
お二人の御健勝を祈っています。 吉備ひと
* おそれいります。有難う存じます。 秦恒平
2011 1・31 112
* 「 mixi」 に、日記を寄せておいたら、コメントが寄せられていた。
☆ こんにちは。
寒い日が続きますね
我が家のセキセイインコどもも12歳になりました
>政治は政局、経済は萎縮
そういう状況の昨今、私にとって希望の言葉は、アイザック・ニュートンの言葉です。
“I was like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
– Isaac Newton ”
「私は浜辺で遊ぶ少年のように思われる。私は、時々なめらかな小石や普通より美しい貝殻を見つけては喜んでいるに過ぎない。しかし、真理の大洋は、すべて未発見のまま私の前に横たわっている―アイザック・ニュートン」
心の瞳を閉じなければ精神は枯渇せず。
巷ではインフルエンザが流行っています、どうぞご自愛を
* 励まして頂いたか。 ここにキイワードとして、「心の瞳」とある。まさしく「からだ言葉」でありかつ「こころ言葉」であるが、そして幾度となく耳にも眼にもしてきたと思うが、読み取るのが難しい。「心眼」という熟語の現代的な翻訳であろうか。そして心にそういう観る働きを確かに認めている、認めてきた、という実感はあるけれど、読み取るのはなかなか難しいなと思う。
☆ re:ラヴクラフトという人の
昨晩メールをわたしが確認した直後に、鴉からのメールが届いていたようです。
今日、関西は久しぶりに10度を越す陽気になるとの予報、なんとなし暖か。
東京は今日は寒いようですね。風邪引かれぬよう。
先日来エジプトのニュースが気に懸かり、逐一海外ニュースやらgoogleなどを検索したりしています。考古学博物館のあたりの現在の緊迫した光景が実に身近に感じられるのも不思議です。そしてコプト美術館に出かける前に歩いた狭い道筋の中の庶民の暖かく
、またあまりにささやかで不潔な光景も強くインパクトを失っていません。
蝿が飛び交う茶店の隣のテーブルではおじさんがマージャンのようなゲームに興じていました。蝿が気になって頼んだ一杯15円ほどのチャイを飲みたいのか拒絶したいのか、自分でも分からなく、所在なげに周囲を小路を見ていると、いつしか眺められ観察されているのはわたしだと気づかされ・・それでも暖かな光の中で安穏でした。
歩道橋を渡る時、街を歩く時、捨てられたゴミの多さに圧倒されました。ゴミ問題と交通渋滞、というより信号機もない道での車と人との無秩序な「戦闘」は、先にも書きましたが専制的な体制と裏打ちされた問題とも思われました。
さて、ラヴクラフト、クトゥルー神話についてですが。名前だけは知っているのですが本を読んだことはありません。(SF 的なものはどちらかというと苦手なので)
昨年十月アメリカ東部に行きましたが、その滞在先が何と彼の生まれ生きた町、アメリカで一番小さな州ロードアイランド州の州都プロヴィデンスなのです。旅行の前にその土地の情報を探しているときに作家のことを知りました。ブラウン大学に入学できなかったと・・確かにあの街の丘にある広い大学を思うと彼の無念さが分かります。他の遠い世界が彼にはなかったのですから。ゴシック的、やや怪奇的な建物が一,二目に付きましたが、建てられた年号のプレートが埋め込まれた古い建物も多く堅固なアメリカ東部の伝統が生きる街でした。そのような環境それゆえに幻想の世界に雄飛できたのかもしれません。
クトゥルー神話に関してはあまりに多くのキャラクターがあって・・若い人たちの方がよく知っているのではないでしょうか。
HP読めていますよ。
家人に聞いてみたのですが、( わたし自身も十分身にしみて分かっているのですけれど) 粗忽・・これは要領のよさに繋がる・・ただしある部分に関してはあまりに神経質だということでした。繊細な人間だとは思えず、聡明とも異なり、ただただ愚直を恥じるのみ。
繰り返し 風邪引かれぬよう、元気でありますよう、寒さの折ゆえ自分を甘やかして春を待ちますように。 鳶
* ここでも、励ましてもらってる。「寒さの折ゆえ自分を甘やかして春を待ちますように。」ありがとう。
朝松健さんに二冊いただいた本が二冊とも「クトゥルー」あるいは「ラヴクラフト」関係の著で、少し好奇心を刺激されていたので、尋ねてみた。尋ねて、たいてい答えてもらえるのも、とても有り難い人なので。
* 有元毅さん、近江のうまい鮒寿司を下さった。感謝。母の曾孫娘と逢ったせいか、近江の景色が目に見えて仕方ない。
故山夢に入る。
☆ とりあえず。 井 e-OLD 石川
29日夜、七尾で清造忌がありまして、北国新聞の記者(教え子)がどうしても来てくれというので、雪のなかいって来ました。
主催の西村健太が芥川賞をもらったということもあって、いつもは静かな清造忌も報道陣でいっぱいでした。
前記の記者が私になにか書かせたいようで、今ちょっと混乱し、困っています。
おちつきましたら改めてメールします。
* これは朗報。この久しい心の友に、気の晴れだつ機会も、執筆の機会も、わがことのように嬉しい。この友の教え子には、あのゴジラ君の松井選手もいるのだあ。
☆ 寒中お見舞い 天
秦先生
年賀のご挨拶を失念しておりました。
申し訳ありません。
私は一昨年、大阪へ長期出張を命じられたプロジェクトに今でも関わっております。
2009年6 月に着工し、今月やっと竣工を迎えます。
また、お顔を拝見に伺いたいですので、ご連絡差し上げます。
では。
* 元気そうな夫人や二人の子らとの元気そうな写真も、貼付されていた。
☆ お元気ですか、みづうみ。
インフルエンザの季節、家族に病人続出でナースに忙しい日々です。
先日のメール、「ブンブンしています」とありましたが、何かひとり相撲なさっているようで苦笑しています。ひとり相撲はわたくしの専売特許なのに……それとも遊んでいらっしゃるのですか。
機械バカはあけぼののほうです。送稿ですが、とりあえず先日のようにメールにファイル76、2008年の1月分をお送りいただけますか。一と月分ならそれほど大変ではないと思います。お手空きの時にお願いできればと存じます。お待ちしています。
湖の本の新刊も楽しみですが、どうか作業でご無理なさいませんように。 猫柳
* ムリはしたくない。が、胸の内の火山灰は掃きのけ続けないと息も焼けてくるだろう。新燃岳の大噴火。これこそ、凄い。現地の困惑と不安、察して余りある。
2011 2・2 113
* 吉備の人に頂戴した近江の鮒寿司、目をみはる大きな鮒が金無垢の卵を目いっぱいに孕んでいて、綺麗にうすくスライスしてあり、食べやすいよりも何よりもその美味、食べかさねまた頂戴し重ねてきたなかで、とびきり美味しく、舌を巻いた。日本酒が切れていたので白い佳いワインと一緒にもう夜遅くに舌鼓を打って飽きなかった。
あの魚卵とワインだぞ、血糖値に来ているかなあと真夜中に寝覚めて計ってみておどろいた、200はよほど越したかと思っていたのに108と正常値、そして今朝また計ったら97という優良値。これには二度ビックリした。
じつはそれだけでない、珍しくというか、久しくも久しぶりというか、あけがた鬱勃たる雄気を覚えて、思わず、笑んだ次第。
有元さん。ありがう存じます。
☆ 「私語の刻」を読ませていただいています。ルーペを重ねて、時間はかかりますが、日々の楽しみです。
明31日から、予約入院です。眼内注射と、レーザー治療です。少しでも視力が良くなってくれるようにと願っています。クルマは息子に渡しました。田舎ぐらしには甚だ不便ですが、慣れるしかないと頑張っています。飲食は何の制限もありませんので楽しんでいます。
風邪などお気をつけられますよう、お大切になさってください。 紀の川市
* 飲食に制限無く楽しんでいるというのに、愁眉を開いて三宅さんのご健勝を、わがことのように祈っている。のんびりと一夜二夜、談笑の折りをえたいもの。
2011 2・3 113
* 谷崎の卒論を書きました、と、ある公立大学の四年生が手紙を呉れて、わたしの谷崎論が役に立ったのを感謝しています、一言の御礼を申しますと。それはそれは。嬉しいこと。
2011 2・5 113
☆ 風、お元気ですか。
土曜、ラーメンを食べにはは行きませんでした。
日曜の地元国際交流のボランティアへは行きました。
同じ時間に英会話を練習している人が主になっている日蘭交流グループが、年に一度のイベントにブースを出しているので、それの手伝いです(英会話の先生はオランダ人)。
英会話を教わることと、交流グループの活動は、「別よね」という生徒さんもいますが、花は「?」です。
自分の労力や時間を割かず、途上国に金銭の援助だけしている日本政府みたいなのは「?」という意味で。
面倒でないわけではないのですが、英語を学んでいるだけでいいのだろうか? と、だんだん思うようになってきたんです。言語を学ぶことは、文化や歴史を知ることと切り離せません。
ま、年に一回だけのボランティアですけどね。
風、新刊の校正に追い立てられていらっしゃるのですか。
お元気にしていらして。
花も。ではでは。
2011 2・7 113
* あからさまでないメッセージというのは、出せばきっと受け取られるというモノでない。概してむしろ素通りしてしまう。とはいえ、ハッキリ言えば済むと限らない微妙な、ときにかすかなメッセージも、人は、余儀なく云わず語らず送り出している。「闇に言い置く私語」の如きも、それとなくそれとはない相手にメッセージを送り続けているが、現在のように甚だ不自由しているときは、届く先が限局される。あらわに相談もならないことが、有る。妻や息子に向かっても有る、が、存外ツーカーと行かないことが有る。メッセージの送り方が下手なのであるが。
2011 2・8 113
☆ 乱歩 二銭銅貨
秦先生、「古典を味わう」がどんどん充実していくのに、目を見張り、どきどきしています。
江戸川乱歩の「二銭銅貨」、探偵小説には特別興味がなかったので、以前さらっと読んだだけ。でも私が所属する「ねんげ句会」という俳句の会の祖が、小酒井不木なので、不木と乱歩について調べたことがありました。
東北大学医学部教授だった不木は、また一方では、アメリカ留学中、エドガー・アランポーに傾倒した探偵小説の草分けのような存在。
大正十二年、『新青年』の編集長・森下雨村から一篇の探偵小説の原稿を見せられ「これが純粋な国産の探偵小説か否か」の判断を求められた。
不木は、これが外国作品からヒントを得たものでなく、模倣でもなく、我が国で初めて生まれた探偵小説だだと、雨村に返答したと聞いています。不木の絶大なる推薦で探偵小説家として出発した乱歩は、不木を生涯師と仰いでいたと。不木は「闘病術」という実用書が爆発的に売れた後、持病の結核が悪化、三十九歳で亡くなっています。
平成八年に、ねんげ句会の発祥の地である小酒井不木旧居趾(名古屋市内)に記念碑を小酒井家の方々と建てた時も、乱歩の息子さんである、平井隆太郎元立教大学教授も列席され、親しくお話しする機会がありました。
乱歩という人はとても情の深い人だったと、乱歩の推薦で上京して不木全集の編集に携わった古い同人が書き残しています。
三月六日には、不木の出生地、愛知県海部郡蟹江で「不木と乱歩」について研究家のお話があると、蟹江の民俗資料館からお誘いを受けたばかりでしたので、「二銭銅貨」楽しみに再読いたします。 野宮
* ありがたい反響で。感謝。
ま、付け加えかたがた少し訂正すると、昨日も『D坂の殺人事件』で触れておいたように、 日本の探偵小説の真の、つまり質的な高さも伴ったという意味でであるが、乱歩自身が何度も切に繰り返していたように、意外にも本格の文学作家であった谷崎潤一郎が優れた日本産の探偵小説を創始していて、その秀作として乱歩が驚愕し讃嘆し追随したのが、『途上』であった。上の『D坂』では今では有名な探偵明智小五郎と語り手の私とが、作中、こもごも熱を籠めて、谷崎の『途上』を絶賛している。
* ちなみに谷崎作『途上』は「改造」の大正九年一月号に発表、乱歩があの『二銭銅貨』を「新青年」に発表したのが大正十二年五月号であった。まさしく大谷崎とすでに云われていた潤一郎『途上』に出逢って奮発研鑽のごく初期一成果が漸く『二銭銅貨』であった。さらにさらに乱歩は勉強して、大正十四年に相次いで明智小五郎登場の『D坂の殺人事件』や『心理試験』のような佳作を書いた。上の小酒井不木の推薦は、新作家たるべき乱歩への友情に出ていたと云えようか。
ついでながら私の「 e-文藝館= 湖(umi)」には、江戸川乱歩昭和四年必読の名作『押絵と旅する男』を夙に掲載している。作家の略紹介をわたしはこう書いている。
☆ えどがわらんぽ 小説家 1894 – 1965 三重県に生まれる。 海外の推理小説の研究や紹介につとめ、また谷崎潤一郎の推理作「途上」等に刺激されて、我が国にいわゆる「探偵小説」という推理の新ジャンルを確立。『江戸川乱歩推理文庫』は全六十五巻に及ぶ。筆名がエドガー・アラン・ポーに依るように、乱歩の作にはどこか耽美の憂愁がつきまとい、大正から昭和初年の時代の雰囲気をも微妙に写し取っている。 掲載作は、「新青年」昭和四年(1929)六月号初出、探偵物でも推理作でもない文学作品として、乱歩の一名作たるに恥じない代表作である。 ( 秦恒平)
* D 坂の殺人事件
江戸川乱歩作を「 e-文藝館= 湖(umi)」の「小説」室に入れた。探偵小説と呼ばれた昔の人気作家の好評作である。昨今のミステリーからすれば穏和な穏和すぎるほどの作だが作風は見受けられる。
☆ 風よい。
こんにちわ。お元気ですか。
西欧では、神話はひろく浸透していますね。
キリスト教、特にカソリックがダーウィンなど科学を受け容れないのとは違い、神話や民話は西欧の日常に生きている感じが、『ハリー・ポッター』や『指輪物語』をみてもわかります。神話や民話が政治と結びついていないからでしょうかね。
『ハリー・ポッター』は、魔法使いの学校が舞台の子供向け物語ながら、かつてはお城だった学校・寄宿舎には幽霊や怪物が棲みついていて、殺人が起こったり、かなり凄惨でグロテスクな内容です。小泉八雲は、恐い怪談を聞かされる日本の子供をはじめ気の毒に思ったそうですが、どうして、西欧の幽霊も恐いです。
イギリスの、たとえば『指輪物語』のような、ドワーフや魔法使いの出てくる物語の類を、「妖性物語」と称するのだと、ずばり「妖性物語」を研究しているという友人に聞いたことがあります。でも、ネットで「妖性物語」もしくは「妖性」で検索しても、該当する記事が出てこないんですよね。
花の聞き間違いかしらん。
こちらはドイツですが、ノヴァーリスの『青い花』は、神秘的なものと、科学的なものとが溶け合って世界を構築していたなあと思い出します。
それらにキリスト教が無関係ではないと思っていますが。
確かに、かつてはカソリックによる科学弾圧はあったのでしょう。
今でも、欧米諸国では、キリスト教原理主義者によるゲイ攻撃、堕胎を施す産婦人科医攻撃など、ローマ法王庁の見解に左右される社会問題はありますが、一方で、キリスト教すらも神話として扱う創作物も多々見られます。
法政大学出版局の『もののけ』、こちらの図書館にもあるみたいです。借りてみようかな。
浦島伝説のことは、よく知らないのです。
かぐや姫は、風の読み方に感銘を受けています。娘を亡くした人の話ではないか、というの。
ではでは。 花
* 「浦島伝説のことは、よく知らないのです。」とあるのにビックリした。三十代半ばの人か。
なるほど、もうこんなお伽噺に興がる子供達はいないのかもしれない。亀の命を救った若い漁師の浦島は亀の恩返しで竜宮へ伴われて乙姫とともに睦まじく暮らしていたが、故国へ一度帰ってきたいと云い、引き留められてもたって帰りたがった。仕方なく乙姫は玉手箱を浦島に持たせて故郷へ送り届けたが、故郷ではすでに夥しい年が経っていて親も親族も誰一人無かった。さて竜宮へ帰る術も知らなかった浦島は、明けてはならぬと禁じられていた玉手箱をあけると、箱の中からたつ煙とともに、年老いてしまった。
骨子はこうだが、「水江浦島子」の書記・万葉の昔から、いつしか「浦島太郎」となり、さまざまに語り替えられ読み継がれて明治に到り、唱歌に唱われて普及し、お伽噺の中でも古典の古典としてひろく知られた。露伴も鴎外も浦島を書いている。浄瑠璃にも歌舞伎にもなった。「浦島次郎」まで登場した。
だが現代、「かぐやひめ」ほどの大衆人気も無くなっているのかも知れぬ。
* しかししかし、かぐや姫が「月世界」という故郷へ帰って以後の、身のさだめを、わたしたちは知らないし、竜宮から陸の故郷へ帰ってきた浦島は故郷も故人もみな喪っていた。「故郷喪失」は現代人にも遠い主題ではない。同時に「老い」の問題も大きく深い。わたし自身、かなり切実に浦島の運命に動揺していないでなく、一瞬に老死したともいわれる浦島の物語が、「めでたしめでたし」という言葉で祝われさえするようになっていた成り行きにも、不思議の感慨が湧く。
「かぐやひめ」にもわたしは執拗に月に帰ってからの姫の運命を危ぶみ思いながら好奇心の絶えないところが有る。彼女も月世界に帰った瞬間に老いたであろうと想ったりしている。老いた浦島と老いたかぐや姫が宙ぶらりんに出逢ったりしないのだろうか。
* 「もののけ」の話は簡単ではない。
文明先進国よりももっと原始性を保存した森林や山岳や湖沼や海の人達の抱え込んだ魔や鬼や神の問題が、存外に文明の命脈を芯のところで生かしたり腐らせたり弾ませたりしているからだ。そしてこれが差別の根に絡む。
相撲は神事の文化だなどと聞いたようなことを口走ってみるだけでは、手に余る。神事とは、どこかでばけものやもののけと取っ組み合っているのだ。八百長などチョロイ話でしかない。皇帝ではない「天皇」をいまだに形ばかり奉っている日本の国技が、技倆の審判というとき、それはつまりは「おおまかに<観た>てい」にするということだ。
茶の手前で器を拭く、拭うということを再三するが、本気で拭いたり拭ったりすればかえって穢く見える。いかにも拭いたてい、拭ったていに拭いたり拭ったりする。神事とはそういうものだ。相撲はそれでやってきた。それを承知で公益法人が認可されてきた。天覧相撲などというのは何だと想っているか。それでも白鵬の連勝にも敗戦にも熱狂し、魁皇の八勝七敗にも喝采しつづけてきた。
スポーツにしたくなかったのは、力士だけでなく国民もそうだったではないか。だからこそ、力士達の土俵入りをつまらぬやめろとも云わず、三役揃い踏みも観賞してきた。あまり露骨な今度のような勝ち負けの売り買いがバレた以上は解雇が当然だが、他の連中にはいい相撲を率先取らせたいと声を上げなくて、何のための理事会かとわたしは怒るのだ。
2011 2・8 113
* 「 mixi」 に送った今日の日記は、清水九兵衛さんの亡くなられたあと、2007年の今時分のこと。ああ、いい時代であったなとしみじみ思う。清水坂をしきりと探訪した旅を書いているのは、久々に平家物語に取材の小説を書き始めたからであった。無残や、その作がいまなおとぎれとぎれにそれでもしりじりと書き進められているが、寸断されている。
☆ みちのくから
hatak さん 学会で青森に来ています。札幌から函館、函館から青函トンネルを通って青森まで特急で。トンネルから本州に出ると、同じ雪景色でもどこか北海道とは違う雰囲気です。
昨日デパートの地下へ土地の野菜や果物を見に行き、みちのくらしい素朴な干菓子を見つけました。
が、隣に銘酒のコーナーがあり、こちらの方が喜んで頂けそうな気がして、店員さんおすすめの六花酒造’じょっぱり’と桃川酒造’杉玉’をお送りしました。明日着くはずです。美味しいといいのですが。 maokat
* それはそれはそれは。「じょっぱり」って目で読んだ覚えがあるが。剛情って意味なら共食いならぬ共呑みかな。これが楽しみ。 2011 2・9 113
☆ 途上
秦先生、ご指摘ありがとうございます。谷崎潤一郎の『途上』は未読。一度探して読んでみたいと思います。谷崎潤一郎というとどうしても、『谷崎源氏』や『細雪』の印象が深いのですが。探偵小説もそんな雰囲気があるのでしょうね。楽しみです。
また寒さが戻ってきたようですね。三寒四温のこの頃、御身大切に。 野宮
* 『途上』について述べ立てると、読まれる前に予見を与えてしまうので、控える。
谷崎の探偵小説、推理小説は、そういう方面専門の読み物作家達の作とは大分執筆動機が違う。谷崎先生の最初の結婚は大正四年ごろで、お嬢さんが翌年には生まれ、たしか『父となりて』という刺激的なエッセイが書かれて、それ以降の大正期の谷崎には悪魔派というような呼称が付きまとう。その傾向の中で谷崎は小説以外に、推理モノ、そして映画論や映画製作という事業にも手をだし、小田原事件も起きる。そして『痴人の愛』でそんな大正期をしめくくり、『蓼喰ふ蟲』で昭和期へ飛躍して行く。『途上』は比喩的に言うと、エッセイ「父となりて」から『蓼喰ふ蟲』への途上の作になる。
短く纏めて書いたが、これだけの骨子に肉を付ければ、学部の学生さんなら卒業のための一つの谷崎論が立派に書けるはず。『途上』のような作こそ、凄いよ、と云うてよい。恵美子夫人にも、亡くなった観世栄夫さんにも、「 e-文藝館= 湖(umi)」にせよ秦さんのなさることならどうぞご自由に、存分になさって下さいと言って頂いている。この問題の秀作も「 e-文藝館= 湖(umi)」に戴きますよと、いまも目の前の谷崎先生のいい写真に頭をさげたところ。
2011 2・9 113
* 帰ったら。maokatさん心入れの青森の名酒二升、 ありがたく頂戴した。やっぱりジョッパリへ先に手が出ました。ひわひわした気持ちではとても生きていられない。なにもムリに生きていなくて構わないが、家族のためにできることはしておいてから。
2011 2・10 113
☆ 『東工大「作家」教授の幸福』たしかに頂きました。
併せて『青春短歌大学』上下をご恵与下さりありがとう存じます。前出の本の時代と関わるのですね。
学生たちに対して自身のお好きな内容(短歌や谷崎、井上靖など。これがまたいいのです。)を伝え、質問(人生全般に亘わたる)し、受取るという楽しいキャッチボールのなかには、長い人生からすくい上げた貴重品のような時間があったのですね。
秦さんの行動や文章でいつも思うのは、形式にとらわれないこと、発見があること、時分の納得した道だけを行くことなどです。方法がユニークとならざるを得ません。これが得がたいのです。
ご清硯をお祈りします。 蔵 日本ペンクラブ会員
* お恥ずかしいことですが。有難う存じます。
2011 2・12 113
☆ 雨もよい 11.02.14 16:47
うちの周りに雪の降ることは滅多にないのですが、東京はひょっとして雨かな、と想っています。
お元気ですか、風。
富士山麓の平地はほんとうに気候が温暖で、夏も暑くなりすぎません。
連日ニュースで伝えられるプロ野球キャンプ情報を見ますと、九州にも雪の降るこの冬、静岡にキャンプに来ればいいのに、と思いますよ。
花の子供の頃、乱歩原作の「怪人二十面相」シリーズをよく二時間ドラマでやっていまして、好きで見ていました。天知茂が明智小五郎でした。
小説は『押絵と旅する男』くらいしか読んだことがないんです。
探偵小説なら、横溝正史の金田一耕介ものをいくつか読んだことがあります。
花の小学生のとき、角川春樹事務所が映画と文庫を連動させ、大々的に売り出していまして、市川昆の映画のタッチをイメージしながら『三つ首塔』ですとか『病院坂の首縊りの家』などを読みました。特に『三つ首塔』は、ドキドキする展開の中に色っぽい感じもあり、楽しみました。
映画はおどろおどろしい雰囲気が出ていて、『犬神家の一族』のスケキヨだかの川面から突き出た青白い脚の不気味さですとか、『獄門島』での、不自然に置かれた釣鐘の中の死体に驚きパッと手を放してしまい、釣鐘が死体の首をちょん切ってしまうシーンなどが印象的です。『八つ墓村』の、額の鉢巻に懐中電灯を差し、銃と日本刀を持って闇を走る山崎努の恐い映画は、野村芳太郎版ですね。
横溝正史の初期の短篇には、ドイルのホームズシリーズとよく似たトリックのものがあり、剽窃まがいですが、当時は海外の探偵小説は日本語に翻訳されているものがほとんどなかったようなので、バレなかったのかも知れません。
アガサ・クリスティーは『ABC 殺人事件』、レイモンド・チャンドラーは『かわいい女』を読みましたが、どちらもそんなに楽しめませんでした。
花は、推理やトリックものに関心がないのです。そこにドラマがあれば別ですが。
アニメの「名探偵コナン」も、トリックが興味深いのではなく、コナンすなわち工藤新一と幼馴染の蘭ちゃんの遠回りな恋のゆくえが、そこに絡む怪盗キッドとのラブ・トライアングルが気になるのですよ。
推理ものを見たり読んだりすると、「よくトリックを考えるなあ」と感心します。そういうのに興味の薄い花には、とてもムリ。
探偵もの推理ものジャンルにはマニアがたくさんいるようですが、そういったものも、「こだわり」のひとつだな、と思います。
乱歩で思い出したことをつらつら書きました。 ではでは。
* 読むだけは乱歩も横溝も、ポアロもマープルも、ペリー・メイスンも、処分に困ったほどダンボールに幾箱も読んできたが、暇つぶし以上の何でもなかった。大正時代の谷崎が探偵もの推理ものを書いたのは、妻の妹と深くなっていた谷崎自身の「妻殺し」という動機を徹底「演戯」していたからだ、それが小田原事件になり、『痴人の愛』になり『蓼喰ふ蟲』になり「細君譲渡」にまで到った。もう彼は戯曲を書く必要も推理探偵小説を書く必要も、妻の妹を女優に仕立てて自ら映画を製作する必要もなかった。それが「昭和初年の谷崎潤一郎」だった。
花さんは若いが、わたしは、とにかくもあくどいムダ事を強いられている分、ムダに暇つぶしはしていられない。大衆読み物は要らない。
2011 2・13 113
☆ 鳶ぞーい。元気 よお。
鴉やい、作業のために腰やら痛いと・・如何、如何。気張って、そして大事に。はよ、元気に元気に。
保谷の雪は積もりましたか? こちら播州は昨日午後に雪が降りつみました。寒く冷え冷えしますけれど、二月半ばですもの、山々は少しずつ明るい色になり春の気配が感じられます。春を待ちましょう。( 花粉症対策は怠りなく!)
今日は母の祥月命日で先ほど墓参に行った姉から「現地報告」の電話がありました。
鳶は目下現実的な問題や計画に徐々に頭が占められながら、実際にしなければいけないことは何も進められない、ややジレンマに陥りつつあります。夢ばかり食べて生きていけたらと、この年になっても思います。
HPの泰西詩、ゲラン、レニェエ、いずれも滲み込む言葉。ほんに人はいとおしい存在。
エジプトの大統領辞任、議会解散のあとのこれから、周辺の国々のことも注視していきたい。注視していてもなかなか理解に至りません。
2011 2・15 113
☆ 途上
秦先生、谷崎潤一郎の「途上」読みました。こんな作品群があったのですね。私の読書量の貧しさ、改めて反省。「プロパビリティの小説」という言葉も初めて知りました。「蓼食う虫」「痴人の愛」ももう一度読んでみたいと思います。
一昨日長浜に泊まり、湖北を回りました。まだ寒い折から、ほとんど人気が無く、ゆっくりした時間を過ごせました。昨秋尋ねた近江京、義仲寺、安土そして長浜、今浜・・・琵琶湖は様々な歴史の顔を持っていると改めて、しみじみ感じました。一度行ってみたかった竹生島も、三日前の雪が残り、静寂に包まれていました。あの急な階段を上り、きらきらと輝く湖面をみつめ、経正のこと、琵琶のことなど、思い浮かべ、良い時間を過ごせました。
水鳥も堪能しました。香道の遊びに「水鳥香」という、鴨・鳰・鴛の3種の香りを聞き分けるゲームがありますが、昔の人は、冬の琵琶湖の水鳥と遊んで、千載集、後千載集、続千載集の中から、3首の水鳥の歌を捜して、このゲームを作ったのではないかと思ったり。残念ながら、「鳰の浮巣」は見つけることができませんでした。
先生の御本のおかげで、琵琶湖がますます好きになりそうです。
どうぞ、御身を大切に。 野宮
* わたしも、こういう行楽がしてみたい。『みごもりの湖』を久々に、実にじつに久々に読み返してみたくなる。「みごもり」の一語にわたしはあの頃、「神隠り」「水隠り」「身隠り」そして「身籠り」つまり「妊り」を意味させていた。「身隠り」そして「水隠り」たい気持ちがいまはひたひたと濃い。深い。
☆ 佳い日々
> 過ごされているように想われ嬉しくなつかしく思います。
> 森さん お元気が なによりです。
> わたしはぼちぼちやってます、が。 秦恒平
秦さま
お訪ね、
お言葉、
うれしく
ありがたく
春動く
一番にはまだ早いような
日脚伸び
昼間の眠気がだんだん増してきたような
どうぞ
なを お達者にお過ごしを
ご連載に 重ね合わせ ときどき なつかしく 回顧しております 秀
☆ 谷崎潤一郎の文章讀本
先生の何時ものメッセージから 余り本も読まないのですが へミングウェイの『老人と海』を 読み返して見ました。
気持ちの動きが細やかで 思いや 後悔 実力や 殺生の考え 同じ様な事をここまで書くと言う作業に 今までとは違う見方が出来ました。
たまたま我が家にあった 谷崎潤一郎の『文章読本』を手に出来たので ゆっくりでも文章を書くことのお勉強が出来るのではないかと期待しています。
昭和9年11月5日の発行 1円50銭。
多分伯父さんが古本屋さんで購入されたものと思われます。
先生ご推薦のものならと 遅ればせながら 刺激を受けています。
お体を大切に お元気でいらしてください。
茶道の本 読ませて頂いています。
気付く事 解かること多くて 嬉しいですね。
茶道を長く楽しまれている方々との交流は かけがえの無いもので 何時までも出来る事に感謝をしています。
4月のお茶会のお手伝いをしてくださる方々に差し上げたいと思いますので
湖の本 102 宗遠 茶を語る を 10冊 お願いいたします。 ー宗由ー
* 『文章読本』の、なつかしい本の「顔」も写真でみせてもらった。わたしの生まれるより一年一ヶ月前の出版。
谷崎先生の全集は全巻旧正字使用だから、校正するのがそれはそれは大変。しかし『検閲官』も『途上』ぜひぜひ今の読者達に出逢って欲しい作だ。わたしの背後で、谷崎先生ご自慢の、六代目河内山に似た怖いような写真が、一瞬笑まれているようで。
2011 2・18 113
☆ みづうみ、お元気ですか。
色々おありのことと気に病んで心配しておりますが、お役に立てることなどあるはずもなく、ただお祈りする日々を過ごしています。腹痛、精神的なものばかりではないかもしれませんから、どうか病院にいらしてください。(百回は申し上げましたが)
今日はお願いがございます。
① わたくしは湖の本全巻を、少なくとも二冊ずつ欲しいと(理想は三冊です)思っています。一冊はもちろん読むために。もう一冊はきちんと保存するため。(そして三冊目は誰かにプレゼントするために)
でも全巻一度に購入するのはちょっと大変なので、何冊ずつか分けて、費用も無理のない分割で購入させていただけないでしょうか。この前も申し上げたのですが憶えていてくださいましたでしょうか。無くなりそうな巻があると伺い、それは困る! と思っています。勝手なお願いですが、もしご迷惑でなく可能なら、どうぞよろしくお願い申し上げます。
二月も駆け足で過ぎていきそうですが、発送等くれぐれもご無理なさいませんように。 鶯
* 鈍いアタマでふと思いついた、いまある湖の本の読者が一人で一人ずつ新しい読者を紹介して下さると、発行部数は「倍」になる。なかなかの笑い話である。
* とてもとても疲れた。全ては明日にして、やすもう。熟睡したい。
2011 2・23 113
☆ お元気ですか。 鳶
頭痛は治りましたか? いかがですか。作業に今日はお忙しいことと思います。体調を確かめながら無理せず、順調に進めますように。
「静かな心で小説を書き継ぎたい。」と、先日書いていらっしゃいました。「書ききれないまま、死ぬのかなあ」などゆめゆめ思わず、ひたすら書き継ぐことです。書いてください。静かな心でなく、心荒れ狂う日にも書けばいいのだと思います。荒れ狂うのもまた人の心の必然自然ですから、書いた後に再考推敲あるいは放棄すればいいのです。僭越ながら、これは書いて欲しい故のエールです。
先週は友人と芦屋に出かけました。久しぶりの外出で高浜虚子記念館と谷崎潤一郎記念館へ。両館とも芦屋の海岸に近く昔は保養地の趣もあったことでしょう。立派な家々が並んでいました。倚松庵は此処とは別で東灘区の住吉にありますが、土日だけ開館しているとか。
三月下旬並みの暖かな陽気。昨日昼前後、近所の田舎の縁日にふらっと歩きに行って、買うこともない植木市ですが眺めて楽しみ、護摩法要の煙を浴びて帰ってきました。
チュニジア、エジプトに続いてリビアなど急展開の情勢。独裁者の裸の王様ぶり、判断の甘さ、権力の最後の残虐さと脆さなど見せつけられます。
最近、やや停滞していたわたしの日々。やはり春は嬉しい。活動開始したいものです。
お体大切にお過ごしください。
* ムバラクもカダフイも倒さねばならなぬ。わたしのこんな荒んだ日々だが、事変に注意を怠ったことはない。中國の情報がもっともっと欲しい。私民を食い物にし、底なしの貪欲で私腹をこやす独裁者たちの何ものも断乎撃つべし。むざむざと生存させるべきでない。
2011 2・24 113
* 音信不通になっていたカナダの田中勉君久々のメールが、大病と大手術からの生還を伝えてきた。ホッとしている。返事を書いている内に、やはり田中君と同じ中学一年の同級生だった高橋成子さんから電話で、新刊の本を受け取ったことなどを含め、京都のいろいろをたっぷり話してくれた。「湖の本」が届き始めたようだ。
お嬢さんの結婚に、『愛と友情の歌』をお祝いに上げた、その人の子息がもう大学を卒業して就職が決まったとも。おめでたい。しかし、まあ光陰の箭のごときことは。
☆ 昨日のポカポカ陽気で、
花粉の症状がかなりあらわれました。薬を飲んでいるので、ラクではありますが。いよいよ来たか、という感じです。
昨日は二回目の英語教室(=先生)でした。
内心では、まだちょっとドギマギしながら、それを顔には出さず(多分)やっています。ふふ。
まだ二回目なので、コミュニケーション、と思い、堅苦しいレッスン以外の話題に時間を使いました。
花が「どんな子かしらん」と思う以上に、生徒は花のことを「どんな人かしらん」と思っているはずですし。
一対一なので、相手の感情の動きはまあ見やすいけれど、大勢相手だと大変だろうな、と、風の大学の先生だった頃を想像してみたりしました。
花も、高校で教育実習しましたが、クラスの四十人くらいが無表情で聴いているだけだと、こちらの言うことがどれくらい伝わっているのかわからず、困惑したおぼえがあります。
一生徒だったときには、先生の気持ちがわかっていなかったなあ、と、反省しましたよ。
* 英語の先生か。わたしには出来ないなあ。
* 明らかに花粉が来ている。
2011 2・26 113
* 読者である小金井のご老人、一回りも年長の方と、朝、電話口でひとしきり話し合う。「七十五、まだお若い」と言われた。生きて、長生きして、生き続けて行く、行かねばならぬということの厳しさと有り難さとを思った。
☆ 今日、届きました。 白川
ありがとうございました。
早速読ませて頂いております。
忘れていた京都のくらし・・・
特に、京言葉。
そう言えばと、思い当たることばかり。
広島弁の主人に聞かせながら、楽しく読み進ませて頂いています。
本当に、ありがとうございました。
☆ 昨日、御本届きました。
ありがとうございました。
昨日、今日外出しておりましたので、さきほど、インターネットから入金させて頂きました。(自分では、やれませんが、家から入金できるとは便利ですね。)
そして谷崎潤一郎の『検閲官』今、プリントアウトしました。まだ読んでおりませんが、
昔読んだ随筆に、戦時下、東京と鎌倉の往復の電車の中や灯火管制下で『源氏物語』を読んだと書いてあったのは、谷崎潤一郎だったのか、川端康成だったのか、記憶が曖昧ですが・・・雅にはんなりした作品の多い作家の中の、時局におもねることなく、自分の書きたいことを書く、読みたい物を読む、という、一見当たり前に見えて、命がけのようなものを感じた、そんな昔の記憶が蘇りました。
ご示教ありがとうございます。 野宮
2011 2・27 113
* どうッと流れ込むように、中西進さん、清水英夫さんら、新刊落手の声が、郵便でメールでたくさん届き始めた。暫くぶりの懐かしい便りも幾つも混じっていた。
* 中には数十年の友、萬田務さんの訃報もまじっていた。わたしの『廬山』を最初に紹介し称讃し、その後もいろいろに引き立ててくれた文藝批評家。「 ペン電子文藝館」 を創設し開館したときにも関西の人ではあるが委員に加わって頂き、いろいろと助力を仰ぎ続け、近年も湖の本を介した文通は絶えなかった。
どうか、やすらかに。有難うございました。
☆ 雨が土にしみこんでいます。
おはようございます。
いつもお心遣いいただきありがとうございます。
ひさびさにたびたびの雪で、なつかしい風景を何度も味わいました。
お怪我などございませんでしたでしょうか。
花粉の季節となり、それに加えて気温差が大きい毎日です。
おんみくれぐれもおいといのほど。
メールをいただいたとき驚きました。
ほんの3 日前に香具波志神社に詣でていたからです。
加島駅から香具波志神社に参り、そのあと、橋を渡って椋橋神社を目指しましたが、思いの外距離があって断念。駅に戻りました。
あとから、椋橋は倉橋で、白拍子亀菊をまつった天満宮があると知り、くやしかったです。
毛馬や尼崎1 丁目との距離が近いのにはっとしました。
高津の圓珠庵が契沖忌の1 月25日に限り墓所を一般開放してくださるというので、今里の妙法寺とあわせてお墓参りに出かけての加島行きでした。
圓珠庵には下河辺長流のお墓もあるのですね。
以前のような長距離ドライウ゛は体力気力ともに主人に負担が強くなりましたので、平日に一羽で“乗り鉄”やレイル&ウォークを楽しんでいます。
運休や運行中止に巻き込まれてはなにもなりませんから、徐行にならない程度の気候に限りますが、悪天候の日は“乗り鉄”。
ケータイマグに熱いお茶をつくり、文庫本を1 冊、それに地図と筆記用具をバッグに入れて、千円札数枚と1000円分の小銭をもって、留守電をセットして戸締まりを確かめたら駅へ。
14日などは、別のどこかにいるような飛鳥を車窓に眺め、雪の吉野山をぼんやり見上げて過ごしました。
レイル&ウォークはたとえば、帯解駅から奈良市八島の崇徳天皇御陵に詣で、御霊神社をいくつかめぐり歩きました。
この冬の特別公開で、光雲寺のなかに初めて入り、山村御殿の初代である沢宮文智女王のことをふたたびみたび思うきっかけが見つかったからです。
レイル&ウォークが気に入って続けている理由は、
①“鉄子”の旅が楽しめる
②車中で読書がはかどる
③ウォーキングで心身ともに軽くなる
④歴史上の人物や史蹟、知らずにいた社寺に出会える
⑤地元の小さなお店で出会いと買いものをたのしむ。
お赤飯やバラ売りの和菓子をちょこっとおみやに買って帰るのが通例に
なっています。 囀雀
* これが「湖の本」の「いい読者」のメールである。このまま読まれても意味合いのとりにくい人が多いだろうが、それはそれで宜しく、こういうメールは、この人とわたしとの、個と個とのラヴレターに等しいのだから。たとえばこのメールには、関心を分かち合った「上田秋成」の姿や仕事や人生が影絵のようにまつわっている。書かれている一つ一つのこの人らしい関心のありようには、だれかが「女西行」とでも評していたような行脚のうまみが味を添えている。
☆ 「京と、はんなり」有難うございます。
先週の日曜日、日吉ケ丘有志会の一泊旅行でお会いできるかと楽しみに出掛けたのですが、名簿にお名前がなく残念でした。有志会登録94名のうち参加者は36名で関東からは**君夫妻ほか2 名でした。
網膜剥離で片目になって外出の機会が減り、専ら音楽三昧の日々で近頃は主にクラシック音楽を聴いています。
貴兄はジャズもお聴きとか、例えばどんな演奏者、曲目が特にお好みなのでしょうか。
少子化で弥栄中学校もなくなる ? とか、となればOB会が一層意義深いものになりますね。開催が待たれます。
再会の日の早やからんことを、その日までお健やかに。 龍
* あなたにこれまで四枚、CDを頂いています。それらを繰り返し聴いています。わたしはラテンもジャズもちがいのよく分かっていない男ですが、クラシックも唱歌も、ジャズもラテンも、聴くのは大好きで、苦しい日々を癒やされ励まされます。
知識は無く、アレとかコレとか指さしては何も謂えませんが。いつのまにか増えている百枚ほどのCDをそのときどきに聴いています。この頃は機械に覚えさせたのを呼び出しています。
お元気で。 秦恒平
* 送本は簡単
勉さん 代金のことなど気にしないで下さい。大企業の大将格の西村でも団でも、退職したらもう買えないという時節です。
勉さんとは共有できる京都や日本がたくさん有る。人生の果て近くへ来て、ちいさなこと想い煩うより、よきもの、なつかしいものを分かち持ちたい。こっち (= カナダから日本) へ帰ってきてからなどと。もうわたしたちに、夢のような余命は無いと覚悟して「いま・ここ」を懸命に生きなければ。
送り先アドレスのみ、正確に、お知らせ下さい。
前便で読んだエッセイは、大勢がいろいろに言及してきた、何度も聴いてきた「ありきたり」の話題なのが残念でした。勉さんならではの、生活と意見の具体感に溢れたエッセイを読ませて下さい。エッセイは、「論」じては窮屈、概念的観念的になり強張って面白みが落ちます。エッセイはその書き手ならではの「描写」「表現」の魅力です。志賀直哉の言うように、場面や声音が目に見え耳に聞こえるように書いて読ませて下さい。論攷や論説には他の書き方があります。
勉さんならではの視野と視線とがとらえた具体的な世界や場面を読ませてほしい。
訃報のみあいついで賑かなあの世かな
風ゴトゴトと娑婆を揺る間に 恒平
二年ほどまえの作です。
2011 2・28 113
* 弥生とは優しい。
☆ 月はおぼろに
hatak さん
『京と、はんなり』届きました。折り返し振り込みましたのでご確認ください。
「月はおぼろに東山」の中にこういうくだりをみつけ、しばし物思い。
私ひとりの今の好みでいえばホテルフジタの五階あたり、むろん二人部屋、東向きの窓べがよい。暖雪紅雲の春は夢見心地に鞍馬、比叡から遠霞む稲荷山まで、「やうやう白くなりゆく山ぎはすこし明かりて、紫立ちたる、雲の、ほそくたなび」いたさまが、しみじみと、残りなく見渡せる。『枕草子』褒美の「をかし」とは、これか・・・・・・と、息をのむ。
茶会だったか学会だったか失念しましたが、一昔前にホテルフジタの五階から、春爛漫の「やうやう白くなりゆく山ぎはすこし明かり」ゆく様子を夢見心地でみたことがあります。
そのホテルフジタも、一月に営業を終えましたね。
夷川通りの家具屋の並びに「賀茂川会館」といいましたか、こぢんまりした省の宿泊施設があって気に入っていたのですが、ここもずっと前に廃止。
哲学の道の「若王子」も大分前に閉店しています。
旅行者の私でさえ、年々寂しさを覚えるのに、生まれ育ったhatak さんの胸中はいかばかりか。
札幌はまだまだ真冬日です。 maokat
* まことに、まことに。
☆ 秦先生
この度は「湖の本」106 『京と、はんなりと』をご恵贈くださいまして誠にありがとうございます。
深くお礼申しあげます。
ここ何日か、口に糊するための仕事に追われてお礼が遅れました。お許しください。
昨夜のことですが、DVD で久し振りの傑作に巡り合えました。
マッカーシーの赤狩りでハリウッドを逐われそうになった脚本家が自動車事故で記憶喪失となり、田舎町の老人に「戦死した息子」と間違われて、つぶれた映画館を再建する物語です。
コメディアンのジム・キャリーが押さえた演技を見せ、『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』のダラポン監督があくまでも明るく、美しく、ヒューマニスティックに暗い時代を描ききってました。
DVD のレンタルもしている作品です。もし機会を持たれましたら、是非ともご覧ください。
近頃、私は出版界の先が見えないせいでしょうか、DVD で1970~90年くらいの映画を見続けています。
気候が激しく変わる季節となりましたが、風邪などひかれませんようご自愛ください。
まずはお礼のみにて失礼します。 虔 作家
* 『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』ともに感銘を受けた秀作だった。はて、これは題は。「戦死した息子」というのだろうか、機会有れば観たい。
テレビのチャンネルがやたら増えて、逆にテレビへの厭悪感が増し、選局している内に、やーめたと席を立っていることが多い。よさそうな映画を録画することは妻任せに頼んである。映画はいつでも観たいが、まるまる一度に観て席を立たせないほどの作に出逢いたい。「 遺恨あり」はよかった。たくさん録画してあるがあまり観る気も時間もない。
2011 3・1 114
☆ メールをありがとうございました。
「 e-文藝館= 湖(umi)」の中に やっと「古典を味わう」に たどりつけました。前々より探していたのですが 行けなかったのです。
先日は『京と、はんなり』を送って頂きましてありがとうございました。
今回は他のものの 注文と一緒に お支払いが出来る様に用意をしておりました。明日にでも 振込みをさせていただきます。
注文は 清経入水 慈子 茶ノ道廃ルベシ の3冊です。よろしくお願いいたします。
30年位前になりますが 青年部(=淡交会のか。) ではじめてのお茶会を持たせていただいた事があるのですが 竹取物語 の中の歌を 短冊に書いていただいたり 自分でもはじめて購入した 黄交趾の竹の絵の水指 幼稚園のお部屋に 竹とたけのこの坪庭を作って 御園棚の立礼席 で致しました。
その時は席主のお勉強や準備なども大体自分でしたのです。
お琴も置いたり 琴の音を流したり 香合は 貝合わせの 翁 おうなでした。
大変さも あるのですが あれこれとお道具相談 楽しめました。
お花も十二単や花かんざしなど 思い入れのものを使いました。
かぐやひめと言うことばを聴くと思い出されます。
「古典」の部屋が見つかったので ゆっくり拝見いたします。 ー由ー
* 出逢いが、こうして、新たに生まれることの有り難さ。ネット社会の嬉しい一面。
* 新刊へ、大久保房男さん、寺田英視さん、河野仁昭さん、小沢正義さんらたくさんの郵便を戴く。払込票にもいい読者の数え切れないお便りが書き込まれてくる。ちょうど四半世紀、わたしはこういう声や言葉に包まれ励まされ続けてきた。感謝あるのみ。
2011 3・2 114
* 京都は京都で、上平貢さん、島津忠彦さん、小島喜久江さん、 伊吹和子さんら、学者からも文藝編集者からも、読者からも、京都らしい反響が、はんなりとたくさん届く。「小説とちがって、食卓の脇などに置いて、 気の向くままに少し読む。バカ笑いしているテレビも気にならず、また少し先まで読む、というのには絶好の『京と、はんなり』です」(越谷市)などと聞くと、そうそうそういう風に観て読んで下さればと、喜ぶ。
「梅枝が飾られた嵐電で北野の梅見をし、ぶらぶらと小路を南下し、東へ歩き、最後は仏光寺へ出て京都駅まで4時間近く歩いて、名張まで帰ると、ご本がポストに入っていました。 湖雀」とも。
自然と春来たるお便りも多い。
「庭の蕗のとうは、一面に若緑色の花やガクを広げて伸び切り、毎日お使いに通う電車沿いの植木屋さんのしだれ櫻は甘い香りを漂わせて満開です。色鮮やかに春の訪れを告げているかのようです。
建日子さんのTV「スクール」楽しみになっています。」(静岡市)
「雪のために『きんさい市』へのやさいの出荷が少なかったのですか、やっと、ふきのとうなど店にでるようになりました。」(広島庄原市)
など、曇りがちな胸の内をふと明るくして下さる。みな「湖の本」四半世紀の親族のようである。
☆ 拝復
このたびの『京と、はんなり』の、講演「京と京ことばの凄み」とくにおもしろく読ませていただきました。和泉書院のホームページに連載している『老のくりごと 八十以後国文学講義』に、読後感を書かせてもらいました。 名誉教授
* 既刊の『京のわる口』とともに、「京ことば」について語ろう、考えようとする人の基本文献の一つに成るようにと、講演を拡充して纏めたもの。
☆ 秦恒平先生
『湖の本…京と、はんなり』、ありがとうございました。
京都とは相変わらず細い糸で繋がれておりまして、隔月で出張しております。
日本の中で、北海道と京都は対極の文化をなしているように感じ、その落差を多いに楽しんでおります。
京都の文化について書かれている御書、興味深く拝読しております。
また、パラパラと……ですが。
どうぞお元気で、お礼まで。 山
* 象嵌工藝家というのだろうか、むかし京都で、象嵌企業の経営に加わっていた親友松下圭介君の紹介で、博物館まえのパークホテルで「対談」したことがある。東京にいた人だが、いまは、北海道にアトリエを。
2011 3・3 114
* アメリカからも、航空便が届きましたと、電話が来た。二三十分も歓談、ただし日本語で。「ちがうのとちがうやろか」を英語で言うとどうなるのと、双方で絶句。いまや大騒ぎの大学受験ケイタイメールでの援助回答者氏に尋ねようか、それって「ちがうのとちがうやろか」と。
2011 3・3 114
* 今日もとても寒々と感じた、日射しは明るかったのに。 気持ちを落ち着けるために、HPと向き合っている時間が長かった。
☆ 拝復「 湖(うみ)の本」 106ありがとうございます。
「 京都びとと京ことばの凄み」( 京都女子大百年記念講演) おもわず吹き出すほど楽しく拝読いたしました。
「そやろか。違うのと違うのやろか」
いまも日常的に使うことばですね。拙著を書いたときに先生の文章、洞察にたいへんお世話になりました。 大学教授
* 京のお人である。
☆ 『京と、はんなり』頂戴致しました。恐縮です。
ふと「つきはおぼろに東山」に目を通し、引退するまで毎年二、三度おもむいていた「祇園」を懐かしく想い起こしながら、私は、何とつまらぬ「京通い」をしていたのかと今さらながら口惜しく思いました。死ぬまでにもう一度京を散策するなら、 今度はこの名文とその内容に従い、ゆっくり楽しもうと思いました。 ご健康に。御礼まで。 大学教授
* 東京のお人である。
☆ 鴉へ
「故山入夢。 京都を歩きたいなあ。カアカアカア」
鴉は京都を歩きたい、と。暖かくなったら京都を歩いてください。トンボ帰りなどではなく、さらに一日二日の旅でもなく、少しの期間だけでもゆったり春のふるさとを楽しんでください。
持ち時間の残りを考えるまでもなく、してみようと思ったことは即実行して今此処を生きたいと、わたしとてそう思うのです。鴉は元気があったら自転車で学生の頃のように京都の街を走り回ってみたいなど思いませんか? 私の学生時代にも思いがけない路地やらに入り込んで楽しかった思い出があります。
メールを戴いてすぐいくらか書き出して・・数日後コンピューターがクラッシュ! ほぼ一週間、業者の操作で回復。バックアップは三ヶ月ほど前にしてあったのですが、それでも画面を開いて安堵しました。
『京と、はんなり』創知社1985年はわたしの大事な一冊ですが、それと微妙に重なり合う今回の「 湖(うみ)の本」 は、それ以後の考察も多く楽しく読みました。
思い立って今年のうちに、詩集を纏めるよう努めています。
今日は霙が降るような寒い日でしたが、もう春です。鴉がさまざまなことに楽しく過ごせますように。 取り急ぎ。 播磨の鳶
2011 3・4 114
☆ 風、お元気ですか。
『もののけ』は、風がおもしろいとおっしゃるので読んでみたいのですが、少し先になると思います。
今は、風の新刊、『アンナ・カレーニナ』、それから、『フェイスブック 若き天才の野望』を読みはじめました。フェイスブックには興味ないのですが、マーク・ザッカーバーグにはちょっと関心があります。
『京と、はんなり』に、こうありますね。
> 「京都」の人を分かりにくい、腹が知れないと譏って来た他の「日本」人が、「世界」へ出て行くと、まるで同じことを見事にそっくり言われて帰って来ます。つまり、日本人の発想や態度のなかに、無意識に身につけてきた「京言葉」の久しい「感化」というのが生きているのを、「世界」から、正確に「指摘され」て来るんですね。
私は、それを「是」とも「非」とも言うのではない。「日本の言葉」が、西欧の常識とは「逆の方へ」本来向いていた、その「長と短と」を、正しく生かし鍛えて行くのが、ものを「書く」「書いて表す」者達の勤めだろうかと、ともあれ、思うばかりです。>
随分前にこの文章に触れ、共感したのを思い出します。
現在は、「曖昧日本」を痛切に感じます。
花も、それを是とも非とも言いません。
イエスなのかノーなのか、グレーに塗り込める日本が、西欧の常識とは違うのだと思います。
そして、中国、韓国といった隣国のセンスとは、西欧以上にかけ離れていると思います。
互いの違いを客観し掌握し、グローバルな現場で「強み」として、ある意味したたかに発揮できないものだろうかと、この頃、外交ニュースを見たり聞いたりするにつけ、考えます。
それはやはり、ものを「書く」者の勤めでもあるだろうと思います。
ではでは。 花
2011 3・4 114
☆ 秦先生
「京と、はんなり」、花粉症に難儀しながら、少しずつ頁を繰っています。
フム、フム、ウ~ン、と唸りながら。
ペンの理事は、もう、お辞めになるおつもりなのでしょうか・・・?
辞めないでいただきたいのですが、ぜひ。
不順な毎日です。どうぞ、お体大切に、奥様も。 詩人 ペン会員
* さっきもこんなことを言うてくる人がいた。
☆ 秦さんへ 『京と、はんなり』
ホッとしました。ありがとうございます。
「後期高齢者」「いま・ここ」「無心」「用心」・・はい。まだまだ寒いです。お大事にしてください。 e-OLD 千葉
☆ 木曜日の朝、甲賀ではわずか数㌢ですが積雪にびっくり。今夜の帰りも、甲賀から鈴鹿は、積雪こそないものの、雪が舞っておりました。さすがに伊賀甲賀は忍者の里、寂しくて、寒いところです。先生の文学世界にひたれます。 野宮
☆ 7日に東大寺の修二会に、前日は大阪の四天王寺へ。石の鳥居を触ってこようと。実父を少しは偲べるでしょうか。
夜は京都に泊まります。
今度のご本にでていましたフジタホテルは廃業していました。残念です。
午前中に近くのお寺にお寄りできればと欲張っています。
おかげさまで元気に、あせり半分欲張って過ごしています。
寒暖の差が激しい日々ですが、お元気でお過ごし下さい。 晴
* すこし肩の力をぬいて「京都」を編んだのだったが、同じように気がほぐれてか、大勢の方がいろんな声を掛けてきて下さる。
福田恆存先生の奥さんから、いつものように一冊追加のご註文が来ていた。有難う存じます。
2011 3・4 114
* わたしのHPを、「ストーカーのように、追いかけていますよ。」というこわいメールも今朝届いていた。
「はんなりと」京都特選という名酒も頂戴している。
☆ 京都の本音
これ程とは存じませんでした。歴史の重みを感じます。文学・文藝の広く深い素地が築かれていて大きな業績だと思います。いつもありがたく感謝しています。 作家 ペン会員
☆ ありがとうございます。
今日は移動図書館の日、近くの公民館に巡回車が来ます。
ネット予約ができるので「もののけ」を借りました。
残念ながら「浦島伝説の研究」は蔵書にありません。
午後から気温は上がってストーブなしでも過ごせそうです。こんな日に歩かないと肩こりや正月太り(いまだに!)は解消しませんね。
行ってきます。 碧 下関市
* 山内昶さんの『もののけ』上下二巻は、下巻の西洋篇から先に読み出されるのが予備知識が生かされて早く入れるだろうと思う。そのあとから上巻冒頭の「モノ=マナ」説を納得されると、一段と理解が深まりやすいかも。上巻の前半は精緻な探求と展開になっている。
2011 3・5 114
* 中学の恩師、給田みどり先生の歌集『夕明かり』を機械の傍で、ちょっとした合間合間に心して読んでいる。
中学では給田先生、高校では上島史朗先生がわたしの短歌を観て下さった。お二人とも亡くなる日までわたしの文学を応援して下さった。去年に亡くなられた橋田二朗先生も、担任だった西池季昭先生も、亡くなる日まで私を購読というかたちででも支えて下さった。
いま給田先生の歌集をみると、口絵に橋田二朗先生扇面の「富貴草」が艶に描かれて在る。先生方がほんとうに仲良しであられた。そんなことが、今もしみじみと嬉しくて仕方ない。
高校一年の夏だった、ある日、まだ弥栄中学におられた給田緑先生は、わたしを誘われ、南都の薬師寺と唐招提寺へ連れて行って下さった。ああ、これがどんなにわたしにとって深く刻まれた体験になったかは想像してもらえるだろう。先生はほとんど解説めいたなにも仰らなかった、二人での静かな遠足を楽しまれているかと思い起こされるほどだった。わたしはだが薬師寺の佛達にも、唐招提寺の伽藍にも、のけぞる思いで打たれていた。いまも、こころよりこころより御礼申し上げる。
給田先生のおもかげは、太宰賞をうけた『清経入水』のなかに描かれてある。
2011 3・6 114
* 日中文化交流協会が創立五十五年の祝賀会をするのでと招待状が来ている。団長の井上靖夫妻、秘書長白土吾夫さんら作家代表団に加わって最初に中国に招かれたのは、三十五年前、あの四人組が逮捕された直後だった。あのとき一行の大方がもう亡くなり、健在なのは伊藤桂一さん、大岡信さん、秘書の佐藤純子さんだけ。
もう一度、画家の松尾敏男さん、バイオリンの千住真理子さんらとも後年に訪中したときも、文化交流協会のお世話であった。必ずしも中国に向かう理性も感情も、 今は安定していないのだが、久しい協会とのご縁ではあるのだ。なによりもこの協会では宮川寅雄先生に出会えている。いまの会長の辻井喬さんもわたしは信頼している。この人こそ日本ペンクラブの会長であって欲しいと願ってきたのだが。
2011 3・7 114
☆ 冠省 御本拝受 作家
いつもご配慮頂きありがとうございます。礼状が遅くなりどうかご海容下さい。
大兄の湖シリーズを見ていると、筆力にほとほと感じ入るのみです。
聞き及ぶところ PEN の国際大会の内情( 会計報告作成のために二名がホテルに泊まりこんで一ヶ月、まだ終了しないとか) には言葉もありません。井上靖、梅原猛両氏は立派でした。不一
☆ いつも「 湖(うみ)の本」 を贈っていただき恐縮しております。ありがとうございます。
『京と、はんなり』を拝読しつつ、あらためて京都の奥の深さに驚いております。自分は関東の田舎者だなあとつくづく感じ入りました。京言葉、京風、京の風景などなど、一つひとつ考え込まされながら拝読しております。いつか京都論を直接お聞かせ下さい。
ところでPEN は国際大会で五千万円もの赤字を出したとか。どうなっておりますのやら、心配しております。 作家 ペン前理事
☆ 前略 元岩波書店
京都とは距離を保っておられる著者の京都論ですから説得力がある、と思いながら拝読いたしております。
* 橋田二朗先生の奥様から「鶴」の繪にふれて、長いお手紙を頂戴した。
* また閉校になる京都市立弥栄中学の野里基次校長からも鄭重なご挨拶があった。
思いがけず、わが人生の一面をしめくくる、いわば校長先生からの「卒業証書」のようなお手紙となった。
☆ 拝啓 春寒の候.初めてお手紙を書かせていただきます。
「湖の本」 京と,はんなり 送っていただきありがとうございました。
大変興味深く読ませていただきました。特に先生が.京都のご出身であられること。まして.東山.さらに祇園と。もっと驚いたのは.先生の御自筆で書かれた「弥栄中三回生 事実上創立一年生」という文字です。
何と不思議なタイミングでこの本を送って頂いたことか。
明治二年に下京第三十三番組小学校から数えて百四十二年.昭和二十三年に弥栄中学校から数えて六十三年の誉れの伝統と歴史を持つ弥栄中学校が今年.七小中の統合による閉校となります。
私は.今年度 第十五代 弥栄中学校に校長として赴任して参りました。
今,閉校記念お別れ会や.卒業式.閉校式の準備と.引っ越しの準備でバタバタしております。そんな時.一冊の本が届きました。それが先生の「湖の本」京と.はんなりでした。
先生の一言のメッセージに釘付けになり.一気に読ませていただきました。感動いたしました。心が花に包まれるように豊かになりました。
「はんなり=花あり」.目の前がばあッと明るく華やかになりました。私の孫の名前が「百花」(もか)といいます。改めて.息子達は.良い名を付けてくれたものだと思いました。
祇園育ちの中で弥栄中学校の一期生として.生徒会の組織作りや.学校新聞の創刊も沢山のクラブ活動の基礎づくりも全部作っていただいたんですね。大変感動いたしております。その当時の祇園の生徒たちのエピソード等納得しました。当時の写真を持っておられると言うことも素晴らしいなと思っております。
閉校記念のお別れ会は見学会と.写真撮影程度と考えています。差し支えがなければ,私の挨拶の中で是非.先生のことも少し紹介させていただきたいと思います。
三月といえども.寒の戻りのような寒い日が続きます。お身体ご自愛下さいませ。また.京都にお越しになる機会がございましたら是非お立ち寄り下さい。卒業式や.閉校式の後.三月二十五日の離任式が最後の集いとなり.その後.全教職員も新しい勤務校に赴任いたします。弥栄中学校そのものは.管理主事も入り.教育施設として.そのまましばらくの期間は残る予定です。
本当にありがとうございました。 敬具
平成二十三年三月四日
京都市立弥栄中学校
校長 野里基次
弥栄中学校一期生
秦 恒平 様
☆ 先日 注文の本が届きました。
有難うございました。
『慈子』は「各」という字が書かれていませんでしたのでお支払い不足になっていました。
今日にでも追加注文と一緒にお支払いいたします。
『宗遠、茶を語る』を友人にお勧めして 買っていただきました。4冊、又お願いいたします。
『茶の道廃ルベシ』は前に図書館でお借りした事がありましたので、少し読み易かった感じでした。
『宗遠、茶を語る』は 読んで見ると 本当に皆様に ご覧頂きたい本ですね。気持ちが 本当に 同じと 思うのです。
ーー宗由ーー
* 感謝。
☆ さてさて、お元気ですか、風。
ネットの使われ方、影響は、悪八割、良二割、といったところです、花の実感としては。
「メディア・リテラシー」という言葉がさかんに説かれたのは、もう二十年近く前のことでしょうか。
「パーソナルコンピュータ」が流通しはじめ、コンピュータが専門家だけのものではなくなった頃と、同じくらいの時期だったと思いますが、今、「メディア・リテラシー」のもっとも必要な分野は、ネット社会だと思います。
情報の伝達速度が、どんどん速くなる中で、受け手の判断も迅速さを求められます。
そこで、受け手は、それぞれの情報の信憑性を見極めることからはじめ、享受するに足る情報であると判断したなら、さらにそれについて考えられるだけの「基準」を、常に備えていなければなりません。
ネットに限らず、あらゆる情報に対し、見極める力は、いつの時代も必要不可欠でした。
マスコミと国民と共に、情報に踊り踊らされ戦争に突入していった、あの過ちから学び、同じことを繰り返さないのは、戦後生まれの我々の義務と、花は思っています。
従来の紙媒体や地上波テレビ局から発信される情報でさえ、加工され、色味を変えられているでしょうから、「初期報道は疑え」なんて言葉が、いつも念頭にあります。
ネットに溢れている、編集作業を通らない個人発信の情報が、人づてに伝わるうち、まことしやかになったりしていますが、そんなものでも、信じてしまう人の多さに、びっくりさせられる毎日です。
歪みを見抜き、よりインターナショナルな感覚を持って日々の情報と接することが、ネットを容易に使える今日の社会では、これ以上はないというくらい、一個人に求められています。
「メディア・リテラシー」は市民が自らの身を守るための武器であり、我々は、それにますます磨きをかけなければならないと感じます。
フェイスブックの創始者、マーク・ザッカーバッグについてのノンフィクション本は、まだはじめのところを読んでいる段階ですが、ハーバードの一学生の創った「フェイスブック」というものが、あっという間にハーバード大学内、そして、アイビーリーグに広まった経緯に、アメリカ社会のある一面が特徴的に表われていて、興味深いです。
雨もよいの富士山麓です。ではでは。
お健やかに。 花
* ちょっと、大上段で、わたしには難しくもあるが。
2011 3・7 114
* 九十翁の三浦景生さんに逢うつど、銀箔の蓬髪に呆れ気味に驚嘆したものだが、このごろはわたしがそうだから笑っていられない。九時に散髪に行ったら生憎の月火曜連休。やれやれ。機械の前へ舞い戻る。
2011 3・8 114
☆ 前略
現代作家のなかで京について最も含蓄のある方のこの本文を何より最初から拝読致したくてなりません。「私語の刻」 同世代者として、様々な御感慨が身に沁み入りました。殊に志賀直哉七十四歳の時の『八手の花』の御引用から「ぜひにと願うまとまった仕事を二つ三つも書き継いでいて、しかも裁判沙汰に寸断されてかけないでいる」という 御心中は拝察してあまりあるものがありました。
どうぞ呉々も御体調には留意され、剛情に御健筆をお祈りいたしてやみません。 元文藝誌編集長
* どうか奮い立ち、剛情に立ち向かいたい、創作に。まだまだ、まだまだ裁判沙汰は已むまいと思われるが。
☆ 冬の名残がなかなか去らず
今日も真冬のような寒さになりました。咲き始めた春の草花や小鳥たちも、烈しい寒暖の差に戸惑っているようにみえます。
過日は「 湖(うみ)の本」 誠に有難度うございました。京都のいろいろな見方について、大変興味深く読ませて頂くと同時に、もっともっと知りたくなる古都の魅力を感じております。
銀閣寺の改修工事にまつわるエピソードのテレビ番組があり、建立当時は明礬を塗り籠められた壁が、この世のものと思えぬ程に月光を浴びて輝いたと報じておりました。月を愛でるために、池や植木の配置、庇や窓、壁の色などに、いかに様々な工夫をしたかが分かりました。私の知らない京都が沢山あることを知りました。
話はかわりますが、最近、ご子息様の脚本になる「スクール」というドラマを拝見し、日頃から学校のあり方に疑問を持っておりました折、胸のすく思いを致しました。学校だけでなく父兄に対しても、もっとねっと苦言を呈するような作品を書いて下さったらと思いました。
気候不順の折、くれぐれもご自愛下さいますように。 まずは御礼まで申し上げます。 元日経BP編集者
* 「秦建日子脚本」と明瞭に出ている連続ドラマ「スクール」が一般受けしていて、朝の理髪店でも家族中で誉めあげてくれた。「殺し」「犯罪」ものに飽いて嫌気の人たちにも歓迎されているのだろう、どの材料、どの話題も、これまでに何かの形で一度も二度も報道されていたのは確かだが、建日子らしい優しさと真面目さでソツなく毎回取り纏めながら、シリーズをゆっくり盛り上げてきている。しっかりした仕上がりへ近づいている。評判など気にしないで、心ゆく仕事として一つまた積み上げて欲しい。
『CO命を手渡す者』は臓器移植にいろんな立場からかかわる人達の厳しい場面が展開されて行きそうだ。文学的な感興とはどれほどの距離かモノが言いにくいけれど、創られて行く「画面」の為に「言葉」が奉仕しているのは事実のようだ、画面のノベライズでは無いだろうと想っているが、内情は知らない。いずれにしても「言葉」はかなり適切に的確に運ばれていて才能を感じさせる。文学としての魅惑とは、重なりにくいかも知れぬ、もう少し読み進まねば。 2011 3・9 114
☆ 過日ご恵贈本のお礼代わりに、 昔のクラスメート
例によって独断と偏見のCDをお届けします。
1 枚は仲間との記念行事のためのものですが、好評だったのでコピーをしたものです。クラシックから歌謡曲までてんでバラバラな好みを1 枚に纏めて面倒をみようと手抜きをすると、毎回このような五目飯的CDになるのですが、変化に富んでいる所が結構受けているようです。
「**さんて顔に似合わずロマンチックな曲を聴かれるのねと女房が言ってたぞ」と書いてくる奴もいますが、「お前の奥方は器用にも音楽を顔でお聴きになるのか。森下はオイドで音楽を聴いてよる、と言っとけ」「関西弁ではオイドは尻、スペイン語では耳をOidoと言うのじや」と切り返しています。
1 は布施明の知られざる名唱、 2 はハンガリー製、 4 はオペレッタ作曲家の秘曲、7 は騒々しいキューバものですが日曜日ごと花束を母の墓前に供えて親不孝を詫びる男のうたで、身につまされる曲、8 はガキの頃の一番印象に残っているなつかしい曲、15は14と違ってこんなファドもありの見本。
クラシックも演歌もすべての音楽は{ムード音楽」が私の持論でその時々の気分で音楽を愉しんでいます。きのうは騒々しいと拒否反応を起こした曲も今日はくつろいで聴けるから不思議です。いつでも聴きたい曲を身近にと若い頃から浅くても広くかき集めてきた音源を、読書の楽しみが失せた今は正に寝食を惜しんで手当たり次第に聴いていますが時間が足りません。
住み辛いご時世ですが、百歳までは音楽と酒を愉しみたいものだと真剣に思っている次第です。そのためにはまず健康が第一。首から上はともかく右肺がないのを除けば所謂生活習慣病とは無縁で内科医には30年近くもご無沙汰していることだけが自慢のタネです。と法螺を吹いていますが、片目で遠近感がとれず僅かの段差に躓いたり転んだりしては周囲の人達をハラハラさせているのが実情です・・・
奈良のお水取りが始まり、26日の比良八荒が終われば春の到来ですが、寒暖差のはげしい昨今、充分ご自愛のうえお元気にお過ごしください。
追伸、 奈良旅行記念盤の16の曲途中に針とび箇所があり、折角のムードを壊しますがお許しのほど。
* 残念、この晩は二十曲の十三曲までに針きずあり。ファド二曲からは聴ける。いま松尾和子とフランク永井の「昭和枯れススキ」を聴いているが、イマイチ。あと四曲、いろいろ聴けそうだ。
他に、ちあきなおみの盤が二枚、そしてジャズ盤一枚。ありがとう。
いま、ジャズ十五曲を賑やかに聴きながら機械に向いている。聴いたような曲も混じっているようだ。
2011 3・9 114
* 小松の井口哲郎さんの嬉しいお手紙を読んだ。何度も、ほろ、ほろと涙ぐんだ。たからもののような私信であるが、「日乗」にこそ保存し、また同じ気持ちの方々とも分かちもちたい。
☆ 前略 妻の胃の恢復も、ゆっくりはしていますが、ま、順調でほっとしています。笑うことが良薬といってくれる人がいますが、二人でいては、そんなに大声で笑うこともありませんし、作れません。時々金澤で催される寄席にでも連れ出そうとは思いますが、果して──。
身辺の整理をしていましたら、同封の新聞が出てきました。発行当時お目にかけたかも知れませんが、私自身なつかしく───。
今でも私の後で校長になった村井勉さんや、教育長(小松市)になった矢原珠美子さんは、会うと必ず秦さんのお名前が話に出ます。当時PTA 会員だった「お母さん」方の中でも私の顔を見れば、秦さんの話をする人が何人かいます。
「身辺整理」───捨てるものが多いのですが、なかなか。
お大切に。 奥様によしなにお伝え下さい。
秦恒平様 井口哲郎
* ふっくらと胸が暖かくなる。 そして、こんな一文を書いて貰っていた。懐かしい。
☆ 秦恒平と、二日間 校長 井口哲郎
平成五年三月六日 石川県立小松高校新聞 第180 号
その日は、二日間だけカレンダーから切り取ったように、晴れて暖かだった。
二月四日午前九時三十分、秦さんから電話があった。「夕べ金沢に泊りました。金沢発十二時二十五分の電車に乗ります」と。
私は、小松駅に出迎えた。秦さんは改札口を出て、「やあ」と手を挙げ、「あまりに白山がきれいなので、電車の中でずっと眺めてきました」といって振り返り、駅舎のかなたを透し見た。
今から十数年前、私は、秦さんの小説『みごもりの湖』を読んで感動し、生れて初めてファンレターを書いた。作者から、折返し丁寧な返事が来た。そこで作者と読者の関係が生じた。
そして今日、親切な作者は、一読者の無理な招きに応じてくれたのである。
秦さんの住んでいる保谷市を少し早く立てば、約束の時間に小松に着ける。しかし、秦さんは、万全を期するために一日早く金沢ま
で来ていたのだ。事前に何の案内もなかったが、私は、彼の行勤を予測していた。
牛後一時三十分、生徒対象の講演会を開く。寒い時期なので、会場は公会堂に取ってあった。
演題は『水口木耳』で、「工学部(文学)教授のエンマ帳から」という副題がついていた。秦さんは、本年度から江藤淳に代り、東京工大の教授になっていた。その授業のエピソードを取り入れながら、秦さんは、青春を、愛を、人生を語った。
講演を終え、公会堂から芦城公園を通って、学校まで歩いた。途中、帰宅する生徒に出合った。生徒たちは、てんでに私たち、いや
秦さんに挨拶をして行く、まるで中学生のように。中には、立ち止まって、「ありがとうございました」と頭を下げる者もいた。私は、講演会が成功だったという確信を持った。
二月五日午前九時三十分、PTA 母親委員会主催の読書会が始まる。テキストは秦恒平作『閨秀』である。
本年度第三回目のテキストに『閨秀』を選んだのは、作者の来校をあてこんでのことであった。事はうまく運んで、秦さんに滞在を一日延ばしてもらい、講師として出席を願ったのである。
読書会は、講師の話を中心に展開された。『閨秀』は、上村松園を主人公にした小説である。講師は、まるで手品師が種明かしをするように、創作の手の内を披露した。
参加者は七十人あまり、母親委員の前宣伝もあって、今回に限って、会長はじめ何人かの父親や、他の高校の母親委員の姿も見えた。
松園の絵の系譜、伝記ではなく小説であること──内容はかなり高度であったが、講師は、自作を説きながら、ここでも人生と愛とを語った。る
秦さんの帰りの電車の発車まで、小一時間の余裕ができた。私は、秦さんを多太神社に誘った。宮司は、私の中学時代のクラス担任である。閉館日にもかかわらず、先生は、私たちを宝物館に客として迎え入れて、『実盛の兜』の来歴を脱明してくれた。
秦さんには、平家物語に材を取った作品がいくつかある。秦さんは、兜の前に手を合わせて、しばらくは身じろぎもせず立っていた。それは、何年か前、卯辰山の寺で、摩耶夫人像の前に立った時と同じ姿勢であった。
神社を辞して駅へ向う。駅前で秦さんを車から降ろすと、そこで私は「じゃ、また今度」といった。私たちの別れは、いつも「じゃ、また今度」である.そしてお互いに、見送り見。送られることも、いやなのである。秦さんは、振り向きるせず、駅舎の中へ消えて行った。
ニ日後の夜、私は、秦さんに電話した。秦さんは、もう何人かの人から手紙を貰った、ありがたいことです、といった。私は、読書会も成功したと感じ取った。
翌日、秦さんから手紙が来た。「口々に声をかけて行ってくれた若い人たちの表情、忘れません。話している時も、あとへあとへよく光る視線が目ざめて私の方へ集まってくることに感動しました」とあって、最後に「少年少女の為」として『しら山の峰越えて吹け春の風』と、一句の俳句がつけ加えてあった。
* 不徳のかたまりのような私の、得難い勲章のような玉文である。有難うございます。日々、奥様と御共々お大切に。
* 講演の演題に『水口木耳』とある二字めは虫食いなのである。「読むときは自然に読めど書くときは考へさせられる水( )・木耳」という吉野昌夫さんの短歌。東工大では、こういう虫食いの詩歌に漢字を補わせて学生諸君を苦しめ、楽しみながら、みなでたくさんのことを考え合った。
さて、あなた。虫食いに漢字一字をどうぞ補ってみて下さい。
☆ 前略( 『京と、はんなり』に) 収録された作品の原著年月をびっくりしながらみてしまいます。20年30年前とは思えない今なお歴史の先端ですね。語り口も内容にも全く古びていません。 世田谷区
* こういう読者にいつも畏怖と感謝を覚える。
☆ いつもありがとうございます。
連絡はなかなかできませんが、元気にやっております。
毎日、公私ともに自転車操業ですが。
時々、先生とお話をしたくなります。4月過ぎたら 少し落ち着いたら ご連絡させていただくかも知れません。 司 卒業生
* この人達が修士を卒業して世に出ていった年にわたしはHPを開いている。あれから十数年、みな今は職場の大事な責任を担ってとびきり忙しい。その中からこうして「 湖(うみ)の本」 に送金して、懐かしい声を聞かせてくれる人達もいる。幸せではないか。
2011 3・10 114
☆ 湖の本 京と、はんなり 2011年03月11日10:26
マイミク「 秦 恒平氏」から頂いた「湖の本」を今、読んでいます。
秦氏は、小説家 (「清経入水」により1969年第五回太宰治賞) その他いろんな経歴を持つ中学校の大先輩です。
京都の気質を色々な角度からするどく衝かれた随筆集ですが、とても興味深い本です。
京都で生まれ育った私ですが、なるほど、うんうんとうなづかざるを得ない個所がいっぱい出てきます。
たとえば、「一緒にせんといて」という言い回し、子供の頃から使いなれた言葉ですが、気随な自己中心的と解説されています。そう、気がつかないうちに他人とは別やと隔たりをつけているんですよね。
知らず知らず使っていた京都の日常語から、京都人の気質をバッサバッサと切り込んでおられます。
さすが、京都で生まれ育ち、東京へ出られた氏でないと気がつかれない観点です。
他の県の方が読まれると、京都人の本音が良くわかる本であり、京都の方が読まれると、自分では気がついていない京都人特有の気質が分かる本だと思います。
機会が有れば、ぜひ読んでみてほしい一冊です。 和
* お役に立てば何よりです。
2011 3・11 114
* 午后二時過ぎに凄まじい地震、かつて体験したことがないほど強く、長い。階下へとび降りてガスストーブを消し、主な扉を開けた。生憎妻が市役所へ出ていた。息子から安否を問う電話の後は、どの電話も繋がらず。幸いやがて妻帰宅。
* 東北地方の津波の凄さを如実にテレビで見た。これこそ、凄い。
幸いわが家は、あちこちのドアが勝手に開いたり、抽斗があいたり、少しモノの位置がずれたり落ちたりした程度で済んでいるが、都内には崩壊家屋も火事も出ている。
パソコン一時動かなかったが、いましがた復旧。やれやれ。このパソコンそばの小物はかなりばらばらと落ちている。
何にしても巨大地震。大津波の怖さをまざまざと実見。
* 報道や映像で見ると、想像を絶した震源域の広さ、大津波をともなう超巨大地震であったと驚く。東京での揺れも物凄かった。ついに来たかと思ったが、「東北地方太平洋沖大地震」の、関東へも、いや全国へも波及した途方もないもので、千葉でも仙台でもガスや石油の爆発火災があり、死傷者は刻々と数増して行く。
☆ 地震に驚いています。 播磨の鳶
大丈夫ですか? 怪我などしてませんよう。ご無事を祈ります。
追伸 安心しました。まだ余震もあるかと思いますが気をつけて。テレビで被害の様子を見ています、津波の怖さを感じます。東南海沖地震が話題になってきましたが、神戸の地震、そして東日本の地震が実際に起きて、人知図り難いことを痛感させられます。
東京の娘は今日は会社で仕事だったので、その方に連絡して早々に確認しました。徒歩で家に帰って、鏡が壊れ、本などが落ちて散乱していたと電話がありました。携帯はずっと繋がりません。
☆ Earthquake!!!
The TV show there was a big earthquake in Japan. How nare you ? I hope all of you are okay. Ikemiya
☆ 花 ちょっとびっくりしました。
ひょっとして停電しているのではないか、とおそれながら、メール送ります。
富士山麓は震度4 でした。
横揺れはありましたが、物が倒れるほどではなく。
東京は揺れましたでしょう。
風のところには、各地から心配するメールが届いているのではないでしょうか。
花も心配していますので、無事かどうかだけ、連絡いただけると安心します。
都心では電車もなにも止まっているようですね。
想像するとぞっとします。
花はこれから英語教室へ先生しに行ってきます。
ではでは。
☆ 今晩は. 紀 卒業生
今日の地震は大変なことになっていますね.ご無事でいらっしゃいますか?
こちら福井縣は幸い震度が2程度で息子ともども無事でおります.
TVなどから大変な状況が次々,伝えられてきて唖然としています.
東京に”単身”でいる夫は会社の同僚の車に乗せてもらい自宅に向かっているようですが,まだ到着していないようです.
息子はのびのび暮らしています.2 月は北国の大雪を思いっきり遊び相手にしていました.
自然とご当地のイントネーションで話していることがあります.
口達者でいたずら大好き.毎日,周りの大人を振り回してくれます.
まだまだ,余震もあるようです.どうぞご自愛ください.
☆ 湖雀です。
たいへんな被害のようですが地震はだいじょうぶですか。
こちらはちっともなんとも起こらず、しずかに雨が降り始めました。 伊勢名張
☆ 地震
おじいさま、おばあさま、
先程( パリの) ニュースで地震のことを知りました。
皆様ご無事でしょうか?
本をたくさんお持ちです。
それが倒れてお怪我などしていらっしゃらないかと、不安です。
マーゴちゃんも大丈夫でしょうか?
皆様がご無事でありますように。 やす香のお友達
* ありがとう。
* よく見回してみると、かなりあちこちでモノが顛落したり滑落したり歪んだりずれたりしている。押し入れを開けてみてビックリということも。地震からものの一分もかからず津波が来ている地域があったり、海岸から10キロも津波が押し寄せていたり、引き波の早さは言語道断だと。あの土石流のような津波も見た。家屋が行列して流されるのも見た。自動車など小石のように。津波が引いたアトの残骸のすさまじさ。
2011 3・11 114
* 地震と津波災害のあまりに広範囲、破天荒のひどさに戦くようにテレビに見入っていたが、その間にかすかながら体感可能の余震を繰り返し感じ続けていた。「用心」して、遅くに床に就いた。
朝一番にアメリカから見舞いの電話が来た。
心身の疲労でか、わたしはその後も熟睡して、午になった。一時半過ぎていまなお相馬地方に大津波が来る、急いで非難せよと警報している。
なにより、「原子力発電所の故障と事故とが大事に破綻せぬよう、最善最速の対応」が欲しい。また食料と飲料水、煖房、寝具等の対策を急いで欲しい。何かわれわれにも出来ること、ないかと思う。
* 新聞の、二面見開きの大編集など、過去に記憶がない。菅政府の国内外に的確な視野と行動力のある「広大な対策の迅速であること」を期待する。
* 夜前より今朝へ、お見舞いいただく。
☆ お元気ですか。
老母を抱え右往左往していたのでご連絡遅くなりました。さきほど「私語」を拝見して大きな被害ではなかったごようすで一安心しています。こちらも全員無事ですが会社に足止めが一名。しばらく余震が続くので怖いです。地震はほんとうに嫌いです。どうぞご無事に、安全に、お元気にお過ごしくださいませ。 蓬 都内
☆ ひとまず、よかった。 花
東北の太平洋沿岸では被害が大きいですね。
天災です。一瞬の運、不運ですね。
余震に気を配りながら、今夜はやすみます。おやすみなさい、風。 静岡県
☆ ご無事で良かったです。
大津波の恐ろしさと、被害の拡大に胸が苦しくなりそうです。本が飛び交うほどでなくても、本棚の本が、本震や、余震で、前にせりだしていることがあります。チェックをどうぞ。 杏 大阪府
☆ ご無事を
秦先生 HPで、ご無事を確認し、安堵いたしました。
まだ、余震が続いているようですから、くれぐれも、お気をつけくださいませ。
井口哲郎様のエッセイに、目頭が熱くなりました。 都
☆ 湖
ご無事な様子、何より安堵しました。
私は仕事中の地震に、その後から急患対応に切り替えて動いています。
今夜はこのまま職場で過ごしますが、停電なく温かいなかで対応できるので助かります。
東北にいる友人が気がかりですが、今は祈りながら目の前のことに向かだけです。
余震はまだまだ続くようです。
くれぐれもご本に埋もれないように、お気をつけ下さい。
どうぞ、どうぞ、湖、お大事に。 珠 都内
☆ 地震、 お見舞い。 辰 京都市
御地は被害ありませんでしたか。
お見舞い申し上げます。
☆ 地震は 信 山口県
いかがございましたか?
いつも湖の本をありがとうございます。
* 有難う存じます。ご返事など、行き届きませんが。
☆ 大地震で静岡県も大変! 松
昨日の大地震、本当に驚きました。
昨日は3時にフレックスで帰るつもりでいそいそと片づけをしていたところ、突然の地震が。今までに体験したことのない長い揺れだった。会社は沿岸部にあるので津波を避けるため2F以上に避難。社内は停電で非常用電源で辛うじて非常灯がついているだけ。2時間以上の避難の後、渋滞の中を帰宅した。
家の周辺は信号がついておらず、家にも電気がきていない。仕方がないので営業しているネットカフェを探して退避。テレビを見ると東北地方は大変なことになっている。津波の映像など何度みても恐ろしい.....
夜中に家に帰って真っ暗な中布団をひいて寝ました。
朝になり電気が復旧。電気、ガス、水道のありがたみが分かりました。
☆ こちら(=北陸)、それほど揺れなかったので安堵していたのですが,
夫がめずらしく職場から電話かけてきました.そこでようやく首都圏が大変な状況にあることに気付かされました.TVからは次々と悲惨な状況が.首都圏の交通網はマヒしていることも分かり,”帰宅困難者”が現実に発生することに愕然としました.
息子に”地震の時どうしたの?”と聞くと,お昼寝がそろそろ終わるころだったそうで”せんせーがおふとんかぶってっていったからおふとんのなかにいたの”とのこと.よかったね.
夫は同僚の車に乗せてもらい何とか帰宅したとのこと.よかったよかった.夫が近所のスーパーによったところ,お惣菜などすぐに食べられるものは売り切れだったとのこと.電話での会話を寝ながら聞いていた息子,寝ぼけながら「やきとりはあったはずだよー!」と叫んでいました.食べたかった?? 紀
* 「電気、ガス、水道のありがたみが分かりました。」「お惣菜などすぐに食べられるものは売り切れだった」が、身に沁みる。一方、これら電気、水道、ガス、また食糧備蓄の緊急に対する弱さやもろさにも愕然とする。
☆ ご無事ですか。
地震、たいへんなことになっています。
そちらはお変わりなかったことをお祈りします。
つくば市にいる娘からの慌てた様子の電話で初めて知りました。
関東地方も被害が続出しているようです。
逃げられない自然災害とはいえ、ここまで、壊滅状態なのを見て、ほんとうに、夢であったくれたらどんなにいいかと思いました。幸い、娘の家は、テレビが倒れて見られなくなったのと、食器が割れた程度であったようで、ほっとしました。一時は、電話が通じず、とても不安にでした。
今後も、まだ油断できないそうです。南海、東南海地震が引き続き起こらないという保証もないので、こちらのほうも心配です。
「気をつけて」といっても対処の方法がありませんが、せめて、やおよろずの神様に無事をお願いしたいと思いました。
どうぞお大事に。 洋 四国
* 相馬地方、いま90センチの引波と。これが上げてきたときの大津波がこわい。
「福島原発の一部にメルトダウン」と。原発の場合、常に最悪の事態を出発点にして対策しないといけないのに、今はまだ人体に被害は及ばないだのという「お為ごかし」の中で対応していると、悪くなる一方になる。「原発は最悪に危険な施設」という覚悟の上で設営され運営されていなければならないのだが。地震規模が古今未曾有だったからなどという言い訳には何の意味もない。絶対的な最善を最速対応してくれているだろうか。「日本の国土にチエルノブイリを再現してはならない」、國が本当に滅びてしまう。
いま最悪の憂慮は、原発の安全対策だ、が。
* ほんとうは被災地の大勢の方にお見舞いを差し上げるべき所だが、電話も郵便もこのさい役に立たない。昨日の僅かな体験だけでも、携帯電話も電話も役に立たなかった。電源や回線を要する機器のもろさ、実感した。
* 房総沖に震源地の地震まで始まっている。日本列島容易ならぬ太平洋岸の不穏、なんとか無事でありたい。
* なにもなにも、「臨時」のような按配に浮き足立っているのは、よくない。いま、ホームページを現時点分までバックアップを二つ採った。
2011 3・11 114
* 五十二回目の結婚記念日、新橋演舞場昼の部を観る予定でいたが、東北激甚災害を想い、また計画停電と西武線不通予告なども考慮して、とりやめた。五十二年前の朝にも、東京新宿区河田町の新居に地震があった。
華燭を自祝しこんな歌で、知友に新出発を報せた。
朝地震( あさなゐ) のしづまりはてて草芳ふ
くつぬぎ石に光とどけり 恒平
夕すぎて君を待つまの雨なりき
灯をにじませて都電せまり来(く) 迪子
* 藤間様 みなさま。
どうぞお気遣いなく。それよりも舞台お大切に。
大変な惨害ですね、胸が痛みます。
舞台にお怪我がないようにとそれを心より願います。
かつがつ街へ出られても帰宅難民になるのも病弱の二人こころもとなく、むしろはっきりと心に決めて失礼したことでした。
七十五年、五十二年のうちにはこういうことも有る、これが人の世、と思い静かに家で、叶うだけの赤飯やご馳走で自祝しました。お舞台、どうかご無事でと祈りながら。
何のお気遣いにも及びません、どうぞ、心ばかり高麗屋さんへのお見舞いに代えて下されば幸いです。
みなさま、お大切に。 秦恒平
* 余震はやまず、福島原発は予測通りまたの爆発を繰り返し、なんら安心の状況に無い。
2011 3・14 114
☆ あらゆる災害に備えていても、
自然は人間の想像力を軽く超えてきますね。
地球にとっては、痒いところを掻いた、くらいのものかもしれませんが、M9.0のエネルギーの前では、人間は無力だと感じました。
テレビの映像をずっと見ていても、ふと、「これは現実に起こったことだろうか」と、信じられない思いがよぎります。
見るにしのびない映像に、胸がつまります。
三陸沖の被害は、わたしにとっても他人事ではありません。
東北での惨状に心を痛めながら、いつ起こってもおかしくない東南海地震に備え、学ぶべきことがたくさんあるという気持ちがあります。
リアス式海岸ではありません。海の中の構造も、三陸沖とは異なるでしょう。
我が家から1 キロもないところにある富士川は、河川敷を含め、幅1 キロはあろうかという大きな川で、もし津波が来たら、海水はまずここを遡上すると思われます。
地震の性質、規模、地形によって、揺れや津波の性質はそれぞれ異なると思いますが、阪神淡路の震災も、今回の地震も、人間の想像を遥か超える規模で起こっています。
そのような謙虚な気持ちで、備えられるところは備えようと思いました。
母も妹も無事でした。
ですが、まだ余震が心配です。
風、お宅の高いところに物があったら、とりあえず下ろしておいた方がいいです。
花の家は富士川以東の東京電力管轄で、停電があります。
地震による直接被害のない地域でも、停電で操業がストップするでしょう。
円高株安になり、輸送に支障が出、日本経済全体への被害は避けられないでしょう。
痛みを分け合い、辛抱し、乗り切るしかありません。
海外の各国の関心と支援がありがたいですね。
ではでは。またメールします。
お元気ですjか、風。 花
☆ 地震のことなど
お元気ですか、みづうみ。
余震がくるたび、びくびく過ごしています。今度は長野か茨城かと、この程度の揺れであたふたしているのは被災地の方々に申しわけないと思いつつ、一日中バスにでも揺られている感じがします。
わたくしの住む地域は今日の停電予定はありませんが、せめて節電に協力しようと思っています。
みづうみの私語にも書かれている非常に憂慮されている原発のことについて、マスコミで当然明らかにされてよい基本の情報が出て検討されていないのはふしぎです。
日本の原発はたしかに安全性においては世界一と言われていたかもしれませんが、そもそも「震度5」までに耐えられるようにしか建てられていないものです。正しい言い方をすれば、「震度5までの地震であれば世界一安全」であったのです。なぜ震度5の設定かというと、「それ以上の耐震構造にすると採算が合わない」のです。
(このことは、私が三十年ほど前に当時の東大の原子力工学科教授から何度も聞いていました。)その先生も当然望ましい震度想定とは思っていらっしゃいませんでしたが、まだ小娘だった私は採算と安全とどちらが大事なのかと大いに憤慨しました。電力会社に国民の税金を投入してでも最強のものをつくらなくてよいのかと、言い知れぬ不安を抱きました。
それ以来、原発の耐震強度を高める必要があるという世論を喚起したいと願い、色々な人に、タクシーの運転手さんなどにまで、原発は震度5以上の地震には耐えないと言い続けてきました。
今回の深刻な事故は、起るべくして起ったことと言えます。
原子力発電を推進するという国策のもとに、経済性に合わせた、経済優先の安全基準が広く国民に公開も議論もされることもなく設定されてきたのです。経済の急成長、豊かさという多大な恩恵を認めても尚、国民の安全を後回しにしてきた歴代の政権の責任は途方もなく重いものです。
私の不勉強かもしれませんが、原発建設の際に周辺住民に原発の耐震強度について知らされていたとは聞いたことがありません。原発が盛んに建てられていた時期は、日本列島は今ほど地震活動が活発ではなかったことも、不運なことでした。
今回の千年に一度というような激甚な地震に原発が壊れるのは当然でした。むしろ原子炉が想定どおりに停止だけはしてくれて、原子炉も建物もきちんと建っているだけでも低すぎた耐震構造以上に頑張ったといえるくらいです。
最初に一号機の爆発があった時、その映像に思わず泣きました。今あの原発で死に物狂いで原子炉の暴走を阻止しようとしている方々のことを思うと涙を抑えることができませんでした。あの中では公表されていないけが人も命を落とす人もいるに違いないのです。
素人の私の無知な憶測と笑われるかもしれませんが、あの場所にいる人間の被爆量はおそろしい量ではないかと思われてなりません。それを承知でなお踏みとどまって、崇高な使命感で闘う方々に申しわけない気持でいっぱいです。私ならとうに職場を放り出して逃げ出しているでしょう。電気を使うことを当たり前のようにしていたこの私には、彼らの命を危険にさらしている責任があると思うと、いたたまれません。
せめて、東京電力の社長があの場所にいてほしいと願うことはいけないことでしょうか。社長がいても何の役にも立たないでしょうけれど、司令官は戦闘の現場にいるべきではないかと思います。兵士と共に最後まで希望をもって闘って勝ってほしい。リーダーはそうあるべきではないか。絶対に彼らを生かして家族のもとに返してほしい。そうでなければ、日本という国はあの戦争で散った若者たちの死から何も学んでいないことになる。特攻隊は犬死にになってしまう。それともこんな考えは、すべて無知蒙昧のおばさんの妄想で笑止の沙汰なのでしょうか。
私は今、真剣に祈っています。どうか原発がこれ以上の惨事になりませんように。あの場所で闘うひとたちが、絶対に、無事に、家族の元に戻れますように、と。みづうみにも、他の多くの方々にも祈ってほしいと思います。人間の必死の祈りが天に届くこともあると信じているのです。
みづうみ、お元気ですか。お元気でいらしてくださいね。わたくしは歴史の泡ですが、みづうみはその作品を未来に届けて永く生きる方です。どうぞ、このような事態を招いた日本という国についても、日本の世にも稀な美しさとともに書き残してください。そのための苦しい苦しい七十五年でいらしたのですから。
話しかわって、猫を飼っている友人が多いのですが、地震後に猫が怯えていたと言います。わが家の猫も餌をねだらず妙におとなしかった。そして雄猫と雌猫を飼っているひとは、みなさん雌猫のほうが立ち直りが早いといいます。猫でも女のほうがしぶといんだなあと笑えます。
今回の未曽有の災難、原発事故ですが、歴史の泡の凡女、しぶとく生き抜いていきましょう。負けません。広島と長崎の原爆に生き延びてきた日本人です。今回も闘います。そして、これからはあなたまかせの平和でなく、自分の手で平和をつくる時期なのだと肝に銘じていきたいと思います。 猫柳
* まだ壮年と謂えた昔、原発建設の「絶対安全」が盛んに主張されていたとき、新聞に、そのような「無謬説」の根拠無い危険さを書いて、安全に絶対などあるわけがないと言い返した記憶がある。「悪政」という言葉も用いた記憶がある。不幸にもその後の経緯はおおかたわたしの不安を如実に裏書きする椿事ばかりが起きて、今回の福島原発の奇妙に愚かしくすらある成り行きには、寒心禁じがたい。
一つに事故が起きたとき、同じ事は傍のモノにもきっと起こるから、一括対策を講ずべきなのにと、テレビの前で言い続けていたが、一つに起きて、また一つに起きて、また一つに起きて右往左往しているありさまに、いつたい科学の力はここでどう働いているのかと驚いている。住民や国民の危難危険を原点に考慮対策しているのでなく、この期に及んでまだ「企業の営業」を念頭に事態を糊塗しては失敗しているように見える。その事態説明の責任者の「言葉」もいかにも迂愚に聞こえて成らない。何よりの心配は、上の読者も案じられているように、現場で悪戦苦闘している従業員の命のことだ。以前に東海村であったか、でも、悲惨な犠牲者の尽力が報告され暗澹とした。
* まだ重大な危険は何一つ回避されていない。
2011 3・14 114
* お見舞いするのも怖いほど、被災地区にも「 湖(うみ)の本」 の読者がおられる。郵便にせよ電信にせよお見舞いのすべすら立たないでいる。
☆ お見舞いありがとう。無事です、被害はあるものの、怪我もないので、始末はゆっくりします。
電気がとうり大変楽になりました。 司 茨城
☆ こんなとき
そうですね。特に必要のない外出は、花も控えます。
こんなとき、ガソリンを無駄に消費するわけにもいきません。
町では、避難用具やガソリン、食料を買いだめに走り行列しているらしく、軒並み品切れのようですね。
物流の滞っている今、そうでなくても品薄で、ほんとうに必要なところに行き渡らないのではないかと心配します。
花も防災グッズを見直し、リストにしていますが、購買ラッシュが落ち着いたら買い揃えるつもりです。
今回の地震による津波で大きな被害を受けている地域は、ほとんどがリアス式海岸です。リアス式海岸では、波が増幅されますでしょう。丘陵が迫り、波をより一層高く押し上げる地形のところも少なくありませんでした。
また、陸地深くまで津波の浸食のあった場所は、標高が2 メートルから4 メートルくらいの低い場所です。津波の遡上した川は、例えば宮城県の名取川は、河口が400 メーター足らずでした。勢いのついた津波を受け止めることは不可能だったでしょう。
そのような地形の東北太平洋側と、東南海地方の海岸線は、条件が異なります。
もし今回と同様の規模・位置関係で東南海に地震が起きたなら、津波被害はもう少し小さなものになると考えられます。
が、同規模で地震が起こるとは、予想しない方がいいと思っています。より大きな規模で来ると、普段から想定し、家にいる場合、外出先の場合、共に、どう避難するか、考えておこうと思いました。
今日は、あと一時間ほどで停電が予定されています。昨日も停電がありました。
読みたい本がたくさんあるので、集中して読書しますよ。
充電したウォークマンで音楽も聴けますし。
気持ちにゆとりを持って、冷静に過ごしたいです。
風、お元気ですか。 花
* 夜中、間近い余震もあり、睡眠が分断されていた。
* (前略=)目次を拝見すると、色々のところに目が届いています。
まずは平安神宮についてお書きになった「櫻・谷崎・京の春」をなつかしく再読しました。併せて書棚からこのご文が収められた『探訪・日本の庭 京都 一』をひっぱり出し、ご文の間に収められている平安神宮以外の庭、法然院の谷崎の墓所、成就院の石庭などなつかしく眺めました。
( およそ「三十年余り前の思い出」にたくさん触れられて、)
それだけで終れば、御著は、私の京都観光の思い出のよすがなのですが、巻末の私語の刻に到り、(志賀)直哉の、「俺は小説を書くために生れて来たんじやない」という激しい言葉にぶつかり、更に秦さんの志賀直哉に対する強い愛着にふれたとき、私の心に秦さんへの共鳴が起こるのを感じました。
志賀直哉が、昭和10年ごろに夢殿の救世観音の作者がだれであるかわからないが、自分もあのような作品を書きたいといい、そして最晩年に 自分の人生はナイルの水の一滴のようなものだと言った、ここにある無名への執着、これが志賀直哉だと私は考えています。
「只一度の生涯をよく生きる事が第一で、その間に自分が小説を書いたといふ事は第二」という言葉は、そのとおりなので、自分は子供のめんどうをみるために生きてゐねわけではない」と云いながら、子供への執着をあらわに示す、 私もそういう直哉が好きなのです。
一度、小説などはどうでもいい、という悟達したお気持ちで、お書きになったらいかがでしょうか。
私は「無名」ということに激しくこだわっています。
西行には何よりも無名への願いがあった。芭蕉はそれに感応した。その隠者の系譜をたどってゆくと、そこに直哉がいる、島木健作もいるかもしれない。あの小林秀雄の「社会化された私」という、わかりにくい命題も、ここをたどってゆけば、比較的明解に解けるのではないか、と考えています。
乱筆乱文 失礼します。
今後ともご健筆のことお祈り申し上げます。 敬具
三月十四日 大地震の余震の大地震におびえる日に
* 『京と、はんなり』を編んでいて、今回は息抜きとぐらい自身にいいわけをしながら送りだした一巻であったが、予想外に反響が集まっている。いろいろではあるが、跋文は、だからそれなりに気を入れて選んだのだった。
直哉への尊敬と共感によせて現下の思いを書きおくことにわたしは、かなり心していた。それらはそのまま毎日書いている「私語の刻」に闇に言い置いたそのままであったけれど、そういう執筆行為そのものが、いわば「私」の私を或る程度は捨てた私の行為に他ならない。何をしているから貴いのだ無意味なのだという評価にたゆたうのでなく、「いま・ここ」を生きているそれに集中する気でわたしは、いる。
2011 3・15 114
☆ 慰めには成りませんが。
お元気ですか。
原子力関係の友人から聞いたことを一つ。もし福島の原発四基全部爆発しても、広島に落とされた爆弾よりうんと小さいそうです。周囲は放射能汚染でたぶん住めなくなると思いますが、避難していれば、広島のような死者はでないはず。最悪の事態に腹を括れば、乗り切れると信じています。現在の広島長崎の復興を思うと、少しばかり希望がもてます。
今は、国民がパニックにならず、今までのように仕事をして毎日を過ごすことだと思っています。怯えるあまり、国の経済が沈滞すれば、復興が遠のきます。地震に負けたくありません。出来る限りの自衛をしながら、びくびくせず、今此処を大切に生きていこうと思います。
外出をとりやめたのはほんとうによいことでした。今後は必要最小限の外出にし、お出かけの時は花粉防御スタイルの帽子、マスク、眼鏡、そしてコートで。玄関入る前にぱっぱと払って大体とれるはずです。花粉と同じです。皮膚に付着したものはシャワーなどでとれるそうです。口から入らないようにだけお気をつけください。とくに若い方。
雨の日はとにかく外出なさらないでください。雨水で水源地が汚染され水道水が問題になる場合があるかもしれませんので、たっぷりミネラルウォーターをご準備していらしたほうがよいと思います。産地にはご注意を。
とり急ぎ気づいたことをご連絡しました。
一日一日がこんなに大切なものかと今さらながら痛感しています。 松毟鳥
* 科学技術庁という官庁があり機能は文科省に吸収されたにしても、科学技術の専門家達を動員する力は持っているのではないか。凄いほどの智慧や技術の持ち主が居ないのか。じつにじれったい凡庸な繰り返しのまま、冷却水の注入と徹底に手こずっている。いったいどうしてどうなるのが「目的」で、どんな有効な手が効こうとしているのか、まるでお手上げのママ効果のない手を打ち続けているのか、それが分からない。
2011 3・15 114
* 昨夜遅く富士山方面できわめて局地的な強震度地震があり、びっくりした。知人達に幸い事故無く。
震源が東北だけでなく、東京湾だの富士山麓だの信越だの、あまりに広域に分布しているのが憂慮される。
☆ 静岡で最大震度6の地震が!! 2011年03月15日23:14
夕食後くつろいでいたところ、突然大きな揺れが。
積んである本やCDが崩れ、夕食で使った食器が大きな音を立てて割れた。
富士市では震度5でしたが、本当に立っていられませんでした。
数度の余震も収まってTVのニュースを見ています。被害はお皿1枚と、持っていた湯のみをこぼしたためによる軽いやけどぐらい。
これからまず愛用のザックにありったけ物を詰めて逃げる準備です。そのごゆっくりと片づけをしようと思います。今日は寝られない夜になりそう、です。 松
2011 3・16 114
☆ ご無沙汰いたしております。 大黒です。
3/11から断続的に続いております地震 大丈夫ですか?
今月送っていただいた本のメッセージを見て 春めいた頃に、是非お会いしたいと思い ご連絡ししようとしていたところ、今回の地震でした。
いつか ご都合の良い時に お会いできる機会をいただければと思います。
私の方は、息子共々大丈夫です。
3/11は帰宅難民で会社泊
3/14はJR運休で休み
昨日から出社、通勤の電車がやはり混んでいます。
計画停電は、長期戦になりそうな気配なので まだまだ、これからが通勤は大変だと思っています。
まだまだ 落ち着かない状況ですが くれぐれも ご自愛ください。
お見舞いまで。。。
* 二十年近くなるだろう、ちいさいボクをつれて単身四国から東京へ転勤してきた読者だ、そのボクももう大学も出て就職しているはず。読者というのは、親類のようなモノである。
2011 3・16 114
☆ 秦先生へ 松
ご心配ありがとうございました。
こちらの被害はお皿1枚ですみました。元気に過ごしております。
それでも震度5の地震に対処している間は、相当な恐怖を感じました。
さらに余震も多く、生きた心地がしなかったです。
切羽詰った状況でも少しでも冷静にいるように努めていきたいです。
幸い私の周辺では大きな被害も無く、会社の後片付けが大変なぐらいですみました。
静岡でも電気が足りなく、会社の操業も大変な状態です。せっかく最近業績が回復してきたのに、後戻りになってしまいそうで残念です。
千葉でも地震があったと聞いています。秦先生も緊急の時の備えを万全にしてください。
また落ち着いたらご連絡いたします。
追伸
昨日自宅近くの田子の浦の山部赤人の碑を見てきました。
歌の情景が思い浮かぶような雪の富士山が印象的でした。
この碑に書いてある歌を読みますと下記のように書いてあります。
田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にぞ
富士の高嶺に 雪は降りける
田子の浦ゆ の『ゆ』とはどういう意味なのでしょうか?
古い言葉ではこういう言葉遣いをするのでしょうか。
また『ま白にぞ』は百人一首では『白妙の』になっていたと思います。
碑に書いてあるのが原文で、百人一首の方は分かりやすく変えているのでしょうか。
教えて頂けるとうれしいです。 松
* 松君
田子の浦ゆ の「ゆ」は、今云う、「より」「から」と動作起点や経由の意を示す奈良時代によく用いられた助詞です。
「白妙の」は後世、平安末ごろの改作で、「ま白にぞ」が万葉の昔の原作の表現です。
怪我が少なくてほんとうによかった。未曾有の大変ですね、いまなお経過中といわざるを得ない。激甚の天変地異に加えて原発災害が容易に収まらないのも不安です。震源域が実に広範囲にひろがっているのも怖いですね。
十分気をつけて大切に機敏的確に対処されますよう。また、音楽や美術の話がおだやかに楽しみ合えますように。 秦恒平
2011 3・17 114
☆ お変わり有りませんか 吉備の人
東北関東大震災により下保谷あたりも可成り揺れたそうですね。外出の控えていらっしゃるとかお大事にお過ごしください。
渋谷にいる孫息子がトイレットペーパーが買えないので送って欲しいとメールしてきました。
大変なことになっているようですが岡山にいると実態が掴めません。何かお届けしたいと思っていたのですが届くまでに日数がかかるようなのでもう少し落ち着いてからにします。
* 未曾有の天変地異に加えて原発災害も収まらず余震は頻々と続いています。
幸い私方は大事に至っておりませんが、交通事情は難儀となり計画停電は続けられ、老夫妻、じっと改善を待つばかりで居ます。お心遣い忝のう存じます。そちら様、どうかお変わりなく日々ご健勝を切望するばかりです。お大事にお大事に。 秦恒平
☆ その後静岡県
ときどき揺れましたが、今日は落ち着いています。風、お元気ですか。
市図書館書架の壁が崩落したらしく、立ち入りはできません。
借りたい本を予約しておけば、ロビーで貸し出し手続きをしてくれるそうですが。
さてさて。日中暖かいので、暖房は使いません。これ以上どこを、というくらい、もともと節電生活でした。
原発の状況、深刻ですね。
オイルが近い将来尽きたら、原発に頼るしかないのが現状なのだとしたら、その原発を必要最小限しか建てないようにするのなら、エネルギー使用の考えそのものを変えなければならないのか、と思います。
電気をなるべく使わない生活をするには、便利な暮らしを捨て、また、国内の経済活動の縮小するのを受け容れなくてはならず、ひいては国際社会での競争から自ら退く決意が必要なのではないかと思われ、そんなことが日本にできるのか、甚だ疑問です。
刻々と伝えられるニュースを見るにつけ、いろんなことを考えさせられます。
なんだか、気もそぞろになりがちで。
仕事に集中することにします。
ではでは。 花
* 思い出すが、志賀直哉は敗戦後のおりおりに、国力をかけて大げさな事業に無用に手を出すなと云い、科学の振興に血眼になりすぎるよりも、自然に、生活や思想や姿勢の基点をもとめて、自然の要請に背馳しない生き方を大切にしてはと再三警告していた。
上の「花」さんの思いには、少なくも耳を傾け一度ならず考慮したいことが含まれてある。
2011 3・17 114
* 十一日以来の緊張で、固いからだが一層強張っている。せめて春暖が待たれる。
* どっと疲れたか、家猫が二匹になっている余波で夜中に起こされ起こされしたのが響いたか、宵から睡くて溜まらない。このところ機械の処理用事が多かったのと、花粉で目がやらているのもあり。こういうときは休んでいたい。
2011 3・18 114
* ああまだ寝ているなと思いながら、ぐっすり寝ていた。
☆ 白い手紙が届いて
明日は春となる
うすいがらすも磨いて待たう (昭和七年)
斎藤史さんのはじめての歌集「魚歌」を持っています。棟方志功氏装丁の古~い本。でも、とてもだいじな本。これを古本屋の隅っこで500円でみつけたときはうれしかった!! ときどきページをめくっては、自分の心の窓も開いてみます。
世の中は大変なことになっていますけれど、今年は私にとっても激動の年です。昨年12月初旬、出雲の母が脳梗塞で倒れ、意識がもどらないまま2 月中旬に永眠いたしました。明治生まれで96歳、酒屋の娘に生まれ、松江の女学校時代には水着を着て宍道湖で泳いだというひとで、歌や折り紙が大好き。とても活発で愉快なひとでした。 15 年ほどまえに上京したときには、歌舞伎座観劇と吉兆のお弁当をご一緒し、なにか記念にと金一封をいただいたので、電波掛時計(電波をキャッチして自動で時刻を合わせる)と新しい「広辞苑」を買いました。
それにつづいて義妹の父も他界。
この1 週間ほどの間に職場の同僚二人もそれぞれ忌引きでお休み。急遽代出勤になるなどあわただしい日々を送っています。
職場のほうも「計画停電」のために当初、16日から18日まで臨時休館になり、それに続いて3 月いっぱい休館措置に。事務所は問い合わせや中止、変更などてんやわんやの忙しさです。
昨年秋はじめて企画した「朗読フェスティバル」については、今年は参加者による「実行委員会形式」をとり、参加団体の力をあわせて2 回目を充実させたいと思っています。
学校を出てから早や40年、今年はいよいよ職業生活最後の年になりました。 ゆ
* ひとみな、じっと一隅を照らして、堪え堪え生き続けている。 2011 3・19 114
* 封書に毛筆の、お手紙を戴いた。初めての方で、「停年」前の男性。「 湖(うみ)の本」 を献呈している大学の先生である。
☆ 拝啓
春とは名のみ 心晴れることのない日々でございます。
しかし
先生におかれましては増々御健筆のことゝお慶び申上げます
さて、この度は 思いがけなく「湖の本」 御恵送賜りましてまことに有難うぞんじます 早速「洛東巷談」から拝読させていただきました
まさに目が吸い寄せられるとはこのこと、一気に拝読いたしました 私たちの日本の文化の根底にあるものがはっきり見えてまいりました 私の目に巨大なうろこがはりついていたことを自覚させられました
思えば、はじめて高等学校の教壇に立った四十年前、明治書院の国語教科書で先生の「いけ花と永生」に出会ったのが最初でした
教材研究に格闘するうちに 花というもの、文化というもの、 生命というもの、そして人間の生き方にまで、一気に、ある高みへと導いていただいた文章でした。 以来、「花と風」は何冊も入手して友人に配り、その奥深さを吹聴して廻ったものです
「秘色」 「閨秀」「月皓く」「罪はわが前に」「神と玩具との間」など当時むさぼり読ませていただいた本が今も書棚に並んでおります
その後、大学に移ってからは 「青春短歌大学」の手法をそっくりまねさせていたゞきもしました
明年停年退職となりますが まず先生の御著作を、もう一度、ゆっくり拝読したいものと考えておりました。 その先生に「湖の本」 を賜りまして感激いたしました
大震災で日本のこれからがいやでも問い直されます。教え子たち、孫たちの為にも たしかな語感に裏付けされた言葉で 日本文化のあり方を考えてみたいと思っております。
まずは右、御礼までにて失礼いたします
折柄 ご自愛の程 心より祈り上げます。 敬具
三月十八日 ****
秦恒平 先生
* いまの日本で、こういうお手紙を頂戴する身の幸せを、しみじみ思う。冥加とはこうであろう。わたくしこそ、御礼申し上げます。
2011 3・20 114
☆ 地震の後の状態が不安で、関東で一人暮らしの娘をこちらに呼び一週間が過ぎました。わたくしもいろいろ予定が決まらずさまざま落ちつきません。地震津波被害の凄まじさを歎き,せめてと募金しましたが、復興の道は大変。でも克服していく人々の強さも信じています。どうぞくれぐれもお体大切に, 播磨の鳶
☆ 秦 先生
お見舞いありがとうございます。やさしいお言葉、身に沁みます。
人間も建物も無事でしたが、危うく、倒れた家具の下敷きになるところでした。二晩、避難所に過し、そのあと、六階の自宅に戻りました。けれど、頻発する余震,ライフラインがすべて断たれた状態、それに放射能のことを杞憂かも知れないがと言いつつ案じてくれた弟が迎えに來てくれましたので、とりあえず、都内に住む弟の家に、弟夫婦にその娘,それに柴犬の姉妹たちに、いたわられて寝起きしています。他事ながらご放念くださいませ。 香
☆ せめて暖かい春にと。
風、お元気ですか。
今日は停電はないそうです。
英語の先生しているのは、**という町でです。中部電力の管轄なので、計画停電がありません。大きな道路は、停電時も信号がついていました。ですので、今後計画停電がつづいても、車での往復の際、だいぶ気が楽です。
『アンナ・カレーニナ』は、二巻目を読み終え、次を図書館に予約してあります。
光文社文庫の二巻目の解説には、「リョービンの農業にまつわる部分が、アンナたちのアフェアに比し退屈だという評」があると書いてありましたが、花はリョービンに興味深々です。どちらかというと、『リョービン』を読んでいる心地です。『復活』のネフリュードフもリョービンと似た悩みを持っていましたね。
さてさて、風。花はいつもとても元気に、風のことも想い、好きな音楽を聴いたりして、気持ちを落ち着けて生活しています。
ほんとうに、元気でいます。ではでは。
* みんな誰も誰も元気でいて欲しい。連絡の付かない方々が多い。
☆ 投稿 砂
秦先生、悲しいですね。この現実は、みんなで引き受けなければなりません。それにしても被災者の方々、あまりにお気の毒です。
昨日から何かに集中しなければと急かれるように書きかけだった原稿にとりかかりました。なかなか集中はできませんが。
小説ではありません。エッセーでしょうか。
先生、原発のことがあります。どうかどうかくれぐれもお気をつけて。大事に。空気や食物やとても心配です。先生の大好きなお魚類も。
2011 3・21 114
☆ 今夜は
また停電だそうです。花の住むエリアは。
今、雨が降っていて、ちょっと寒いです。
停電したら、毛布にでもくるまろうかと考えています。
今日は『アンナ・カレーニナ』の三巻を図書館で借りてきましたよ。
花の、今いちばんの楽しみですよ。
どんどん引き込まれます。
神戸の震災に遭った方たちの中には、余震への恐怖で、睡眠障害になってしまった例が少なくないと聞きました。
今回の大震災も、副次的な被害が甚大だと想像しています。被災者の方たちのことを思い、涙しない日はありません。
我々日本人は、自然災害のリスクの高い、厳しい地形条件の上に暮らしている、という意識が、今回の震災以降、花の頭に警告のように強く差しこみます。エネルギーについての考え方を見直すのに、今はいい機会だと思いますが、提言を真剣に受け止めてくれる日本人がどれくらいいるか、心許ないです。
日本人は気付いているはずですけどね、物質の豊かさが真の幸せとは結びつかないことを。
世界一でなくとも、ひとりひとりが幸せを感じられる社会にしたいですね。
風、ペンや京都でのお仕事を引退なさるのね。花が思うより、簡単なことではなさそうですね、辞任は。
風、元気にしていてください。花はこんなに元気です。ではでは。
2011 3・23 114
☆ このまえは最新刊の「湖の本」106、「京と、はんなり/京味津々(二)」を賜りました。心より御礼申し上げます。
本書を読んだあとでは京都のことは書けないな、と思いました。京都に向かうときの奏さんの呼吸が違うのです。また京都の重たい面も知らされ、まさに 「叶わんもんやなあ」です。
なお「私語の刻」を読み、ちょっと心配です。何があったのでしょう。秦さんらしく快活に、独自な思考でどんどん書いていただきたい。そう願っています。
雑用でまごまごしているうちに大地震発生で、御礼が遅れました。ご容赦ください。
友人三人に「湖の本」を各一冊贈りたいと思います。三冊それぞれに同封の栞を入れていただきたく。 蔵 ペン会員
* 有難う存じます。
2011 3・25 114
☆ 先生 奥様
お見舞いのメールとおはがきありがとうございました。
幸い私どものところは内陸ですので、津波の被害にはあわず、家族も親戚もみな無事でした。
家も亀裂は入りましたが、大丈夫でした。
家財道具はこれまでの地震では一番の被害、食器などは8割ほど落ちて割れました。
震災以来毎日後片付けをしておりますが、まだまだです。
同じ**市でも地盤の関係か家の中の被害は私どもの地域はひどいようです。
けれど、災い転じて、、、の気持ちでこの際長い間捨てられずにいたものなども整理して、シンプルに暮らすために身辺を整えようと娘たちとも話しています。
ご心配いただきありがとうございました。
原発の問題など東京でも心配なことがたくさんあると思いますが、どうぞお身体お大切に。 萬
* 事務室はこわれましたが工場は助かりましたと、取引の紙屋さんからも電話で、ま、無事に近いとお見舞いへの電話があった。
☆ 「バグワン 途上の独白」を見ました。
読んで理解するというものではないので、折に触れ読んで感じていきたいと願っています。
お元気ですか、みづうみ。病院でしっかりメンテナンスなさいませ。サバイバル時代も楽しむために。 海雲
☆ 停電のいい加減さ
今は何より原発の危機をどうかして回避することに専念してほしいですね。
そして、千葉の液状化などで被災している地域には、計画停電を実施しないでほしいと思います。
日本経済の先を考えれば、娯楽の過度な自粛は、自分で自分の首を絞めることになるでしょう。普通に外食するくらいの愉しみは、止めるべきではないです。
海外旅行やぼったくり韓流に膨大なお金を落としてきた人たちへ、被災地復興と日本のために、今からは国内経済にお金を使ってほしいと言いたいです。
暗澹とすることは多いけれど、ジタバタしてもはじまりませんよね。花も、創作世界に入り込みます。
何度でも言います、お元気ですか、風。
2011 3・15 114
☆ 秦先生、
「古典を味わう」のお部屋に、「角田文衛」「松尾芭蕉」「内藤鳴雪」というお名前にはさまれて・・・なんという夢みたいなことでしょう。
いずれ、多くのお名前、作品が並ぶでしょうが、その前に、これほどのチャンスはありませんので、記念にプリントアウトしました。我ながらミーハーな、と思うのですが。
ありがとうございます。 砂
* 「 e-文藝館= 湖(umi)」では、投稿者の作も寄稿者の作も招待席の作も、何の差別もなく筆者の五十音順に対等に「目次」にならぶ。試みに「 e-文藝館= 湖(umi)」の著者別・ジャンル別の索引を御覧あれ。幕末以来、平成に到る著名な作者達の名前と力作とが並び、投稿の人達の作も甲乙無く展示されている。投稿・寄稿、感謝してお待ちしている。
* いろんなことをして。また一日が過ぎた。
2011 3・15 114
* わたしは昨夜 海外にいる若い友人にメールを書いた。その一部にこう書いた。
「激甚災害、後遺症は深刻で、原発災害は想像や報道以上に危険が進行していそうに想われ、憂慮しています。千年に一度の地震という以上の、千年に一度の国難のように総合的に集中的に科学的に渾身のちからで立ち向かわねばならないようにわたしは心配しています。プルトニウム汚染や臨界に及ばぬよう、必死に対策してほしい。遠くにいるあなたをむやみと心配させるのは心ないことですが、『油断大敵』は今の今のための四字のようです。若いあなたには、放射能被曝の懸念される間は、むしろそちらにいて欲しいとわたしは本気で考えています。
場当たりの(無)計画停電にもふりまわされ、この二日後に予定されている家内の心臓手術も、停電のおそれで延期されるかも知れません。電気系統が安全に確保されていないと、高度の新機械に頼った手術手技は逆に危険になります。不要ではないのですが、不急であるのなら秋まで、せめて電力事情が安定するまで延期してはどうかと迷っています。
被災地の人々の苦境は想像を絶しています。しかし、悪性のパニックも起きず、優れた国民性がにじみ出て、日本人が本当の先進文化と精神を身に帯びてきていたのだと実感できます。嬉しいことの一つです。」
2011 3・27 114
* 恩師給田みどり先生、平成元年十一月刊の歌集『夕明かり』より、最初の撰歌を終えた。この年の夏のあとがきに、岡本大無さんに入門されて、四十年とある。数えれば昭和二十四年ごろから本式に歌を始められたことになり、それは私の新制中学二年生の年に当たる。先生はこの年、わたしの学級の担任だった。一年生の時英語をならい、二年生から国語を習った。その当時、わたしは鞄に詩と作文と俳句と短歌のための四冊のノートをしのばせていて、短歌のノートだけが、ずうっと長続きしたのである。
先生には、これより前にもう一冊歌集があった。『むらさき草』と謂わなかったろうか。その一冊も書庫に在るだろう。
2011 3・27 114
* 「野宮」さんから「三千盛」などの名酒を二本頂戴した。アメリカから、チョコレートとゴディヴァのコーヒーを頂戴した。
2011 3・31 114
☆ お元気ですか。
三月が過ぎていきましたが春を感じられない大変な日々でした。
東京では余震や節電,水道水や野菜のことなど直接暮らしに影響があり,いかがお過ごしかと思います。
播磨の鳶は今尾張の姑の家にいます。娘は一人で引越しを済ませ、来週には再び海外へ。
いろいろと東北の知人から様子も聞いたりします。
ホームページを見られませんので,いかがお過ごしかと気に懸かります。元気に過ごされますように。 鳶
2011 3・31 114
☆ 風信入花
お元気ですか、風。
アンナ・カレニナを読んでいますと、どうしても睡魔に襲われて、閉口します。
おもしろくないのではなく。ちょっと暖かくなってきて、いい陽気ですし、花粉の抗アレルギー薬の副作用とで、困っています。
さっき英語の先生してきました。
オランダに住んだことのあるフランス人のコラムを一緒に読んだりしました。
オランダではごみあさりが日常的なのだとか。
他人のごみは我が宝、なのだそうです。
花の大学生のとき、ちょうど今頃、新生活のはじまる季節には、引越しで出たごみが、アパートのごみ集積所に山積みになったものです。
夜な夜な、リヤカーを引き、使えそうなモノを拾い集める人の出没する季節でもありました。
花も、テレビを拾ったことがあります。
当時でも古いダイヤル式のテレビで、映ることは映りましたが、手を触れていないのに、チャンネルが自然に変わってしまうものでした。
それでもしばらく見ていたのですが、とうとうほとんど映らなくなったので、ごみに出しました。
一ヶ月以上経った頃でしょうか、そのテレビが、また集積所に出されていました。
花のあとに、誰かが拾ったのでしょう。
花の前にも、何人が拾ったのか・・・。
そんなことを思い出し、生徒に話しました。
お金がなくても楽しかった、というより、お金がないから楽しかった学生時代でした。
財産権がどうのこうの、などと誰も言い出さない場所と時間でした。
ではでは。風、花粉お大事に。 花
* この、テレビを拾う話、楽しい。こういうメールだと、よく知らないでいる人の暮らしむきも生き方も飾り気なく、はんなり見えてきて、「お金がなくても楽しかった、というより、お金がないから楽しかった時代でした」と、わたしも昔々の「オールウエイズ」を思い出す。こういうメールがわたしは好き。こういうふうに、小説を書けばいい。
2011 4・1 115
☆ さてさて。
好天がつづいています。お元気ですか。
昨日は、香港で日本の震災援助のチャリティーイベントが催されたそうです。
ジャッキー・チェンさん、アンディ・ラウさんといった人を中心に、ジュディ・オングさん、アグネス・チャンさんといった日本に縁の深い方たちの顔も見えました。
ニュース写真の中央あたりに貫禄のあるおじさんがいまして、香港の歌手かな、と思い、記事を読んでそれが千昌夫さんだとわかりました。千さんは青森の人でしたでしょうか。
あと日本からは中村雅俊さんが参加していました。(AKB48 の名も記事にありましたが、顔の判別ができなくて。)中村雅俊さんは仙台出身でしたよね。
日本ほど豊かでないかも知れない国々からの援助、ほんとうにありがたいです。
特に、台湾。この円高のご時勢に、民官合わせ、百億円の義援金が集まったとか。台湾へ行ってお礼を申し上げたい気持ちです。
昨夜の風のメールにも、ありがとう。
花は元気ですよ。ではでは。
2011 4・2 115
* 生理的な健康ははかりしれないが、気分は今高潮し、したい仕事が小説以外にも次ぎ次ぎ見つかる。軽い興奮で夜中の睡眠も妨げられる。親切な読者のおかげで、仕事の見取り図が刺激的に容易に手に入る。感謝に堪えない。
☆ お元気ですか。
震災と原発の影響で、とても元気になれそうにない状況ですが、みづうみお元気ですか。お元気ですかとお訊ねせずにはいられません。
原発は最終的にはチェルノブイリ級の汚染になりそうですし、水や食材に気をつける生活にも疲れていますし、頼りのパソコンは時々電源が切れてしまうあやしい雲行き。
自分の人生だけならあきらめもつきますが、娘を含めた若い世代の今後を考えると、相当落ち込んで、わたくしはすっかり鬱状態です。子を持つことはある意味、地獄のような執着に苦しむことだと思い知りました。子どもの健康や命や幸福だけはあきらめられませんから。
どうにか平安を取り戻したいと願いますが、ストレスに弱い自分を発見しています。戦争を経験した世代はなんのこれしきと肝が据わっていますが、戦後生まれは平和ぼけで生きてきたツケがまわっております。
みづうみのようにいつも他界を胸に抱いていけたらどんなによいでしょう。みづうみにメールを書くことで、なんとか落ち着きを取り戻したいと願っています。
こんな状況の中で思うことの一つは、求められる文学の質が変わってくるという予感です。売れる本が売れなくなるのではと思います。どんなに面白いミステリーも、今日本に進行している悪夢を忘れさせてはくれないでしょう。生ぬるい人情時代小説も同じです。ほんものしか、読者を癒したり奮い立たせたり出来ないことに人々が気づきはじめるのではないかと思います。魂の血を流して書かれたものだけが、読者の人生の同伴者となれるのだと思います。これからは真実を語るもの、ほんとうに価値あるものだけが生き残るでしょう。
藝術にとっても、教育にとっても、この逆境はプラスになる、プラスにしなければと、願ってやみません。
それから、重要なことは日本人はもっと政治活動に積極的にならなければいけないということ。これからは自分が主張して、強い世論をつくる実行力が必要だと痛感しています。今まで政府まかせにしていた結果が、今回の原発の惨事です。警告していた学者は少なからずいたのに、一人一人の市民が無関心で甘すぎた。目を閉じ耳を塞いで、お上の言う「安全」を信じようとした。メディアの正体を見抜けなかった。
短期間の経済的利益のために、取り返しのつかない巨大な損失を招いたことを猛省し、心底学ばなければ、汚染された美しい国土や海が泣きます。今も命の危険をかえりみず原発の中で働いている方々にも、故郷も住まいも職業も失う福島の方々にも申しわけない。たとえば、今すぐ手をうたなければ、日本の食糧危機も早まってしまう。
そう考えているうち、十日に都知事選があることに気づきました。震災のニュースで影の薄い扱いになっていましたが、投票したい候補者がいないことに愕然とします。
石原慎太郎氏は以前「もう新旧交代の時期じゃありませんか、美濃部さんのように前頭葉の退化した六十、七十の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか」と発言していたことをお忘れのよう。仮に、どんな善政をしいていたとしても一人の知事が三期は長過ぎます。宮崎県知事さえまともにつとまらなかったタレントさんも、黒い噂の社長さんもダメ。長く都民をしてきて真剣にドクター中松に投票しようかと考えたのは初めてですが、政権放送を聞いてがっくり。こちらもあきまへん。日本のことなんかどうでもよくて、ただもうひたすら自分の党のことしか考えていない共産党には頭に来ているし……。都知事選に憤る人は多いらしくネットでも色々に書かれています。
亡くなった父親が自民党の代議士で、自身も自民党員の他府県在住の男性でさえ、「ドクター中松が普通に見えて、共産党候補が一番まともに見える」「大丈夫か都民」「全部ジョーカーばかりのババ抜きみたいだ」と書いていました。他にも「ロシアンルーレットだ」「都民は呪われている」「天罰か」「都民が気の毒だ」「再募集したら」「消去法でえらぶにしてもひどすぎる」「もうどうすればいいのか」「泣けた」 あげく「こんな楽しい人気投票の出来る都民であることを嬉しく思います」とまで。
都知事候補の一人もあげられなかった民主党の無能ぶりは言うに及ばず。こんな場合は都民の中からの声で誰かを推す動きのなかったことが何よりなさけない。これは自分を含めての反省です。ノンポリで生きてきた私ですが、これからは国民一人一人が政治的パワーを振り絞っていかなければ、この国は立ち行かなくなると危機感を感じます。
今まで棄権はしない方針できましたので、歯を食いしばって誰かに決めますが、困っているんです。いくら健康に影響ないレベルでも被爆覚悟の投票しにいくのに、このメンバーでは……ため息つくしか。
どの占い師も、今年は世界も日本も散々な、荒れる年になると占っていましたが、日本については最悪の事態はもう済んで、これ以上悪いことは起きないと思います。(何がなんでもそう信じます)あとは這い上がるのみ。今度こそ付焼刃でない真の復興が成りますように。おそろしい政治勢力による全体主義国家になりませんように、一人一人が目覚めていかなくてはなりません。
みづうみは震災後の日々を如何お過ごしでしょう。お強い方ですから、わたくしのように落ち込んではいらっしゃらないはず。すっかり鬱状態のわたくしに、何か励ましのお言葉いただけましたら幸いです。 芽柳
* 「芽柳」さんに、いちいち同感を禁じ得ないのが、いま、日本の、東京の不幸である。どうしようもない。しかし、どうにかしなくてはいけない。一人一人が活気を抱いて自身の本当にしたいことを一心にするというのが、案外に大切な早道だろう。わたしはそう思い、そうして堪えている。
「つぶやいて」いる人が多いようだが、そんな消費的な姿勢でどうなるだろう。これが自分の「仕事」だと思うことをすべし。わたしは直哉に聴いて、直哉と同じに「文学」そして「書く」のを「仕事」と思い、他は単に「用事」と思うようにしている。用事の中から文学や書くことが生まれてくることも有る、用事も疎かにはしないように。まして楽しいことは。
2011 4・4 115
* 給田みどり先生の歌集『夕明かり』は、往年の先生の顔や声が聞こえまた見えてきて、気を入れて選んだ心優しい歌のいろいろを「 e-文藝館= 湖 (umi)」 のために書き上げてゆく仕事に、励まされも、癒やされもする。惜しんで愛しんでゆっくり味わい書き抜いている。もう数日も手をかけたい。
* さ、今晩は、すこし休息しよう、今朝は早くから仕事にかかり切っていたから。
2011 4・4 115
☆ お元気ですか。
みづうみからのメールを読みまして、今わたくしの陥っている憂鬱とまるで無縁の、良くいえばゆとり、意地悪に見ればノーテンキを感じて、少し和み、そして少し笑ってしまいました。
放射能の影響が一番少ないのが高齢の男性と書いてありました。みづうみは今までと同じ生活をお続けになれますし、あちこち出歩いて外食も大丈夫。お小さいお子さまがいらっしゃるわけでもない(たぶん)わけで、心配することはありません。それは何よりのことです。
今回の原発事故は、わたくしがもし長生きして老耄の百歳くらいになったとしても収拾出来ているかどうか不明です。東日本の人間は、今後放射線と共存していくしかないと、腹を括るしかありませんね。
大変なことになりましたが、今までもこれからも、人間の生きる場所が大変でないはずはないわけで。昨夜映画の「二十四の瞳」を放映していました。あの時代の厳しさを思うと、今の状況はそれでもずっと恵まれています。
映画で思い出しましたが、お写真で拝見すると、みづうみの奥さまは主演の高峰秀子さんと目元や雰囲気がよく似ていらっしゃいます。可愛らしい美人です。お二人仲良く並んだお誕生日の写真に添えられた「モーリーとヘンリー」の意味が教養不足でさっぱりわからず気になっていますので、もしよろしかったら出典をお教えくださいませ。
>衰え行く女を手遅れにならぬまに、しっかり楽しんでつやつやと研かれよ。
ワハハ…です。手遅れもなにも、もともとみづうみ好みの魅惑の「女」になれるなんて分不相応のことを思ったことはございません。わたくしには、最初から衰えるべき「女」がないのです。でも、相変わらずひどいことお書きになりますネ。奥さまにはこわくってとてもこんなこと仰れないでしょう。
あくまでわたくしの私見ですが、今の年齢が一般的な意味の、女の一番美しい時期だと思っています。先日も舞の発表会で、今までで一番佳い着物姿だと思いました。欠点は、どうしても野に咲くすみれの美しさにはなれないこと。
内面がみづうみのいう「女」ではなくても、外側がきれいでいる(もちろん自分の容姿の限界の中での話です)という点ではこの五年くらいが盛りでありましょう。それ以後は、だんだんに見苦しくはないカワイイおばあさん、つまり女にならずに少女の干物を目指します。
以上、みづうみに負けず劣らずノーテンキなメールを書かせていただきました。気が晴れました。 花莚
* なにの店か知らない、「プログラム」という企業がナプキンようのものを配っていた繪が、犬のヘンリーと猫のモーリーで。わたしは気に入っている。
マゴは、愛しておかない尾の長い眼の黄金色した黒いマゴ。もう十一歳になっていると妻はいう。
2011 4・6 115
* 案じていた久しい友・堤 子さんのご主人から、病状の大変を伝えるハガキが妻宛に来た。祈るのみ。奇蹟を願う。
2011 4・8 115
☆ さてさて
隣町で英語の先生してきました。
お元気ですか、風。
昨夜は相当揺れたのではないですか。富士山も揺れたくらいですから。
まだまだ揺れますねえ。
就寝前に、アンナ・カレーニナを読みすすめました。
オペラへ行ったアンナが、公衆の好奇と蔑みの視線を浴びて帰ってくるところ、その感じを見事に描写していて、うまいなあと思いました。
身重のキティとリョーヴィンの仲睦まじさ、素敵ですねえ。
リョーヴィンの兄が、キティの友人にプロポーズしようとする場面も、ぐっと引き込まれました。で、プロポーズし損ねたときには、「いやー、そうきたか」と、唸ってしまいましたよ。
読めば読むほど、力作、大作です。
大きくて、且つ、細部がすばらしく瑞々しい。
ではでは。風。お元気で。 花
* トルストイにゾッコンそうなのが愉快。ほんとうに、『アンナ・カレーニナ』の文学藝術としての完成度は、富士山よりも高い。美事な大場面が必然の力学で、いわばとりどりの美味い団子の串刺しのように一貫しつつ変幻自在に展開して。一つ一つの団子の美味いこと、巧いこと。
2011 4・8 115
☆ 引きこもっている間に、すっかり春なのですね。
きのうはお昼から句会で、彦根に行って参りました。マイクロバスの運転手さんが彦根の桜はまだ二分咲きということで、途中、養老公園に立ち寄ってもらいました。一面の桜、山の緑の中もあちこち、濃淡の紅。花万朶の中、風が吹き抜ければ一片、二片、美しく舞初めておりました。
彦根城も、日陰こそ二分咲き、三分咲きでしたが、お濠の桜と青柳のコントラストが実に見事。まさに、古今集の「見渡せば柳桜をこきまぜて京ぞ春の錦なりける」の世界。句宿の窓の向こうに夕桜のまた妖艶なこと。日がとっぷり暮れると空には三日月。句の出来はともかく、ひと月ぶりののどかな時を過ごせました。
捨て扶持三〇〇石の部屋住み時代の井伊直弼の住まい、埋木舎(うものれぎのや)では、ふと、ここの主は「国難の折り、その信念で国を統べ」、反対派によって志半ばで散ったのだと、つい今、平成の国難に重ねてしまいました。国民は、強い信念と勇気の人を、明晰な指導者を今こそ欲しているのですが。
くれぐれも御身大切に 野宮
* 危急に請われて出て、するだけのことはしっかりし終えると、すっと身を退いてその余の栄達を顧みなかった人も稀にいた。この後段を今は問わない、前段の達人を今心から期待したい。
不出来な政党が大連合などして国難のどさくさに国をさらなる不幸不運に突き落とすような小細工は絶対にやめてほしい。
2011 4・10 115
☆ やすらい祭
の今宮さんに来ています。京都の桜は満開,都の春たけなわです。
以前からやすらい祭には一度来てみたいと思っていました。
元気にお過ごしください。姑宅より帰り、再び、しばらくわたくしは、播磨の鳶です。
2011 4・10 115
☆ 昨日は
選挙でしたね。
花の住むところでは、県議会選がありました。
一番年若の人に投票しましたが、その人は落選してしまいました。残念。
今日はずいぶん暖かいようで、着るものを春物に替えつつあります。
毛布やシーツを一気に洗濯してしまいたいところですが、ヒノキ花粉が飛散しているようなので、落ち着くまではできません。
ここ二三日は、夜中、鼻のムズ痒さで目が覚めます。
それと、咽喉の痛痒い感じ。
来た来た、これがヒノキの症状だわ、と思っています。外に出るのが億劫になります。
風、お大切に。 花
* 「咽喉の痛痒い感じ」は「ヒノキ花粉」とは知らなかった。この暫く前から、その不快感に悩んでいた。「スギ花粉」だけではないのか、やれやれ。
2011 4・11 115
☆ 久しぶりのお便り、なつかしく拝見いたしました。
昨年は入院などをし、体調もいまひとつでございまして、ご無沙汰をお詫び申しあげます。
原発については、あまり考えたことはありませんでしたが、やはり鮮明に反対の意思を表明していかなければならないと、今回の事故で痛感させられました。
「悪政と藝術」ペンの電子文藝館にも掲載されてしかるべきだと存じます。
ただ、残念ながら、現在文藝館の委員ではございません。
いまの委員長と文学的感性が合わず、2~3年前に首を切られてしまいました。
春だ、桜だといっても、十分に味わえない日々、先生も、くれぐれもご自愛くださいませ。 作家 ペン会員
☆ お元気ですか、みづうみ。 甘菜
昨日からまたよく揺れています。被災地の方々を思うと弱音は吐けませんが、地震はもういやです。
モーリーとヘンリーは。教養の問題ではなかったようでホっと。わたくしもあのイラスト好きです
それにしても、わたくしは日々憂鬱です。以下の文章、お忙しいみづうみはお読みにならなくてよいのです。ただ、自分の気持を少し静かにしたくて、みづうみに向けて書きます。
小田実さんの『終らない旅』の帯に「だから愛するきみに告げよう。私たち小さな人間は、けっして殺されてはならないのだと──」という作中の文章が印刷されています。わたくしは今しみじみこの言葉を思い、身を震わせます。
今起きている原発事故は天災をきっかけにした深刻な人災です。一にも二にも安全性を重要視してこなかった結果です。この地震国で震度5までの耐震建築では、素人が考えても甘すぎました。小さな得をするために、なんと大きなものを失ったことか。目先の経済的利益のために、結局美しい土地と海を失いました。日本国土に立ち入れない危険な場所をつくってしまいました。
先日の震度6強の津波のない余震でさえ、女川原発や東通の原子力施設の電源回線が切れました。非常用が一つだけやっと動くということは、家庭用のブレーカーが落ちて蝋燭を使っているレベルの話です。専門家によれば、想定震度を超えた地震、震度6で原子力発電所はものの見事に壊れるという何よりの証明だそうです。ですから、明日にでも他の原子力発電所が福島の二の舞になる可能性があります。
経済性を優先して全国の原子力発電所の耐震基準を甘くしてきたこと、万が一の最悪事態に住民の命を守る避難対策が何もなかったこと、こんな今までの人命軽視のお粗末な原子力行政の責任は絶対に追求されるべきです。住民避難マニュアルがないなんて信じがたい愚かしさでした。
ある人口二十万ほどの地方自治体で、十月十日の地域運動会の準備のための会合に出た都会人の某企業の社員が、「雨のときにはどうしますか」と何気なく訊ねたところ、他の委員がびっくりした顔で「晴れるに決まってるからそんなことは考えていない」と言ったというほんとうの話がありました。原子力発電所が地方の運動会開催と同じレベルなんて、いうべき言葉もありません。
今後二度とこのような人災を起こさないよう一刻も早い対策をたてるべきですが、今一体何がなされているでしょうか。責任をうやむやにしようとする動きと、モグラ叩きのような対処しているだけではありませんか。東京電力の賠償免責をという経団連会長談話に驚愕します。最悪のA級戦犯は、もともと原子力潜水艦用で二十年程度の寿命しかない福島の原子炉を、懸念の声を押し切って、イケイケドンドン大丈夫だと四十年も使い続けた現東電会長K氏ではないですか。
国民が政権交代を望んだのは今までの政権と違って「小さな人間」を守ってほしいと願ったからだと思います。少なくとも私はそう願いました。
ところが今の政府のしていることは、旧政権と同じです。小さな人間を守ることより、パニックを避けたい、経済のダメージを避けたい意図ばかりが目につくのです。
どうしてもっと広範囲の地域の人間を迅速に避難させなかったのか、とくに放射能の影響を受けやすい子どもを守るためには、一刻も早く避難させなければならないんです。いらいらしてしかたありません。こういうことは何よりスピードが大事なのです。
水や野菜、卵、肉、乳製品、魚類等々が汚染されたのは動かしようのない事実で、風評被害なんかではありません。誤魔化して出荷させるのは間違えです。きちんとありのままを説明して対処するしかないではありませんか。あれだけの放射性物質が拡散しているのですから、当然の結果です。国民の健康を守るために汚染された水や食糧はけっして流通させてはならず、東京電力と国の責任で買い上げるべきものです。
起きてしまった事故も、事故後の数々の不手際のあったことも、もうあきらめるしかない。しかし、これ以上の被害を防ぐことと二度と同じ失敗をしないための対策は、今ならまだ出来るのです。なぜ、すぐ日本中の原発について対策をこうじられないのか。この期に及んでケチっているとしか思えず、ここでケチることがあとになってとてつもない人的、経済的損失になるのにと無性に腹が立ちます。
今も福島の原発内で働いてくださっている何百人もの方々の被曝量を思うと、私はあの「特攻隊」を思い出します。
誰かが収束させなければならないという崇高な使命感で動いている方々に対して、国は最高の感謝と敬意をもって生涯にわたり遇してほしいと切望します。小さな人間でもある気高い彼らの命を、国をあげてあらゆる医療で守ってほしいと熱望します。私たちは、今彼らの献身と犠牲の上に、なんとか日常生活を続けているのです。申しわけなくて心が痛み続けています。
私の深い憂鬱の原因は小さな命を守らない国にだけあるのではありません。メディアと御用学者には憎悪さえ感じます。なぜ国民の立場で闘わないのですか。彼らの悪魔に魂を売り渡してかくも無惨なことに絶望します。「直ちに健康に影響はない」という逃げ道のある言い方は、卑怯千万。
テレビに出ては放射線の量も食べ物も安全としか言わない御用学者はほんとうに罪深い。何のために学問研究をしてきたのですかと言いたい。パニックを防ぐのは政治の仕事で、学者は政府に対しても、大衆に対しても学問的真実のみを語るべきです。遠回りでも真実こそ国民を安心させる一番の近道なんです。国民はあなたたちが思っているほどバカではありません。ドイツやノルウェーのサイトをみている人がどれだけいることか。
或る九州の方の大学教授は『放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます』と言ったそうですが、学位を返上なさって教祖さまになったら如何か。
被曝量はその場所の放射線の量×被曝する時間、掛け算であることはたくさんの人が知っています。ですのに、NHKは胃カメラより少ない量などと、浴びる量についてしか言いませんでした。こんなトリックは許しがたいものがあります。最近はさすがに批判が強かったのかやっと量と時間についても小声で言及するようになりましたが、国民の受信料で運営している国営放送なのに不誠実きわまりない姿勢です。誰のための公共放送かとあきれます。
また、被爆量は空中からの外部被曝と食物などによる内部被曝の足し算もしなくてはならないのに、それも伝えない。大学教授でも足し算の出来ない人がいるなんて、今まで知りませんでした。複合的に考えなければならないことに対して、たった一つのことをとりあげて、微量で安全というのは詐欺に等しいです。学者は塵も積もれば山にならないための警告を、危険地域の人々に衆知させるべきなのです。それでこそ心配しないでよい地域の人が風評に惑わされなくなるのです。
そもそもあれだけ安全キャンペーンをしながら、NHKも朝日新聞も南相馬市から撤退したと市長さんが怒っていました。取材クルーを退避させながら、安全なレベルと報道するのは国民をバカにしています。メディアの責任として、政府に政府のお金で市民をすぐ避難させろと訴えるのがジャーナリズムの仕事でしょう。
高円寺で一万人規模の原発反対の大きなデモもあったのに、ニュースはほとんど取り上げません。スポンサーの電力会社への遠慮ですか。御用学者とメディアの腐っていることは政治よりもっと許せない。
さらに、風評被害を受けていると被害者であることばかり嘆く農業、漁業関係者などにも、責任の一端のあることを考えていただきたいものです。地元に原発を受け入れる、推進派に投票したということはこういう結果も受け入れるということでした。自分たちの生活の安全をお上に任せていた責任があります。人間のすることに絶対安全ということはないのですから、最悪を考えての投票であるべきでした。狡猾な勢力に騙されたとしても、騙された、無知であった責任の結果を引き受けるしか道はないのです。汚染されてしまった地域ではもう農業も漁業も出来ません。どうしようもありません。彼らが闘うべき相手は風評ではなく、今までと今後の原子力行政に対してではありませんか。
避難地域の、飼い主を失った犬や猫や牛の映像を見ていて、人間の作り出したもので病気になっていく、何も知らない無垢なこの動物たちに申し訳ないと涙が出ます。
今後、日本は世界中から海を汚したことを批判され責められるでしょう。天災の被害者としての同情から、環境破壊の加害者であると追及されるのに時間はかからない。一刻も早く世界に謝罪して、今後は日本の国土以外は汚さないと発信してほしいです。こんなこと一介の主婦の私が言わなくても頭のいい官僚でも大学教授でも政治家でもわかっていることでしょうに、なぜ迅速に出来ないのでしょう。
原発の事故に対して、神経質すぎると言われるかもしれません。どうしてこうなのかと考えると、原点は二十二歳のときだと気づきます。仕事をしていて、東大の原子力の教授ってこんなもんか、この程度かと私は思っていました。もちろん、アホな私には研究の優劣はわかりません。ただ、小娘にも人間の程度、頭の程度はわかるものです。たしかに、素晴らしい人間性も頭の切れる優秀な学者もいましたが、それは二割くらい。あと八割は人脈と世渡りで得た虚名のポジション。ほんとうに優秀な学生は大学を出て行きましたし、優秀でも(優秀すぎて)教授になれない人もいました。だから、東大教授というたいそうな肩書に支えられているだけの人間の言うことなど、私は信じないのです。原子力安全委員会に推進派の先生しかいないのは愚かしいことでした。反対派がいてこそ安全性が強められるのです。そもそも安全が最優先という発想があったのかも疑わしい。そんな基本的なことも軽視してきた政治の愚劣。
憤りと鬱の振り子の中で、私は自分のリズムを取り戻せない日々です。
最後に、一つ心励まされる言葉があったので、自分のために書いておきます。
あなたのおこなう行動が、
ほとんど無意味だとしても、
それでもあなたは、
それをやらなければなりません。
それは世界を変えるためにではなく、
あなたが世界によって変えられないようにするためにです。(マハトマ・ガンジー)
私になにが出来るのでしょうか。考えています。
バグワンは、このような時に私には逃げに思えてしまいます。つまりわたくしが何もよくわかってもいないということなんですけれど。
* ああ、これは。
この国難は、言い替えるまでもなく負けられない、勝ちにくい「戦争」のようなものだ。勝ち負けに拘わらず、このような戦争へ国運をひきずりこんだ浅慮で傲慢であった「戦犯」とも謂うに当たる人達を、せめて、はっきりさせておくこと。学者・研究者、企業家、政治家。
* わたしも、二十二年前、一九八九年六月十九日「朝日新聞」文化欄に書いた古証文で、もう一度現在の気を引き締めよう。初出時点で、わたしは今年2011年3月11日の東日本大震災にともなう「福島原発事故」ないし「原発行政」の地球規模に及ぶ国難を「悪政」として予見し指摘していた。
それはさて、いままた別に、文化諸団体の「公益法人」化を政権は使嗾し急いでいる。在野の意見団体である日本ペンクラブも相撲協会並みの公益法人になるらしい。「甘んじて政治に金も口も出させるのだろうか」と、不可解・不安に感じている。敢えて今書き添えておく。
☆ 悪政と藝術 秦恒平
いま私の時代もののワープロは、「悪政」の二字ならすらりと出して来るが、善政は「ぜんせい」から手間をかけて打ち直さねばならない。この機械に漢字辞書を内蔵させた一人ないし何人かの「日本人」は、政治に「悪政」はあっても、善政など無いも同然と把握していたらしい。いわば「政治性悪説」を表現する機械を、相当な高価で十年も前に私は買ってしまったことになる。だが愛機の示すこの認識に、私自身もほぼ異存がない。
政治社会に「偽」の体系を据えた人
戦後日本の政治を、ひどい悪政だったとは、思わない。日本のと限っていえば、大化改新このかた一千四百年ほどの政治で、多分水準は図抜けて高い方であったろう。図抜けた政治家など不在不要で、事実、そうであった。いったいあの大戦後の首相たちよりすぐれた政治家は過去にいくらもいたけれど、その政治があまねく善政であった実例は皆無に等しい。あまねく善政などいうものの、あると思う方が、歴史を見あやまっている。どう飾りたてようと政治は権力による権利・権益の行使と取得であり、王道も即ち覇道である。政治とは文字通り「偽」つまり「人為」の最たるもので、神の領分に接した眞や善や美にはなじまない。いずれかといえば、「悪」に身を寄せながら「悪らしからず」機能するのが、政権のせめてもの作法なのであり、名君賢君といえども、結果として自分が先に楽しみ、民百姓に先に憂えさせて来た「悪しき」事実は、史実としても動くものでない。
例えば聖徳太子という立派な人がいたではないかと、言われるかも知れない。しかしそんな「徳」などという名乗りも、彼や彼の子孫を悲惨へ追い込んだ背後の「悪」と表裏していたことを知らねばならない。いったい崇徳や安徳や順徳や顕徳(後鳥羽)院らにも顕著なように、そんな「徳」の名を死後に奉られる背後には、いつも「悪徳」ないし「悪政」に揺れた時代の苦渋を察しなければならぬのが、日本の歴史であった。世間虚仮(こけ)というすぐれた理解を体験しつつ、しかも有名無実の憲法をお添えものに、位階や位色(いしき)の差別をたて、政治社会に「偽」の体系を据えてしまった例えば聖徳太子を、文句なしに善政の人などと言おうなら舌がしびれてしまう。
安全神話は原子炉爆発を防げるか
しかし悪なりに、「ひどい悪」と「そこそこの悪」とが、ある。そこそこの悪政に馴らされながら、人は歴史を生きて来た。しかしひどい悪のひどさの度が過ぎれば、民族の生きて行けない危険が迫る。それほどの危険に、たしかに日本中が見舞われた体験が、先の大戦争を筆頭に、歴史的に両三度はあった。
そしてそんな両三度を掛け算したほどのもっと物騒な危険は、いまが今も、日本列島を脅かしている。チェルノブイリ級の原子炉爆発が連鎖して起きれば、風吹き雨も多くて逃げ場のない日本列島の生き物は、決定的に被害を蒙りその回復は保証されないだろう。この悪しき危険には、「そこそこ」という歯留めは、無い。
分かっているのにやめられない。そういう段階へ昨今の政治がトボケ顔で踏み込んで来た以上は、もう戦後政治と並べて均しなみに物は言えない。ひとつ間違えば文化も経済も社会も、自然も、根こそぎ腐れ果てて無に帰するだろう、それで構わぬという立場も選択も、無いはずである。
たしか藤原道長の時代と元禄時代とを例にあげて、悪政の時代には文化藝術が栄えたと金田一春彦氏が時の首相をにこやかに横目に見ながら、どこやらでスピーチをされた。評判になった。そして、それも、もう忘れられかけている。忘れてべつだん差し支えのない、一場の興言利口ではあった。
苦笑しつつも「タッチ」という微妙な一語でかわしていた首相も、うまかった。「タッチ」にはアウトもセーフもあって、判定は不明だと首相は言い返したかったのかも知れぬ。ともあれ私はご両人の尻馬には乗らないで、しかも、いま少しく悪政と藝術の問題、できれば今日の悪政と今日の藝術の問題に「タッチ」してみようと思う。
悪政と藝術の腐れ縁
金田一氏が、たぶん軽い気持ちで例に上げられた道長時代も元禄時代も、もとより悪政の時代ではあった。が、日本史を通じてみれば、ま、そこそこの悪政であり、言いかえれば特別にひどい悪政期であったわけでは、ない。大混乱という意味でなら、源平が相争った十二世紀や、南北朝がこんがらかった十四世紀や、応仁文明の大乱がだらだら続いた十五世紀の方がよほど難儀であったろうことは、むしろ常識に類している。
そしてこれらの世紀もまた、物語・日記・随筆・和歌・女手・女繪・造寺・造仏・造園・荘厳・仏画・製紙・染織・演奏・香・繪巻・写本・説話説経・記録等々の藤原時代や、西鶴・近松・芭蕉らの文藝、光琳・乾山・師宣らの造形、蕃山・白石・契沖らの学藝、団十郎・藤十郎・千宗旦らの藝能等々の元禄時代にくらべて、おさおさ劣らぬ、むしろ充実した藝術文化の今様を深くも多彩にも達成していたのである。その意味で半ばは金田一氏のいわれる通りであり、また半ばは金田一氏の引例も見当を失していると言わねばならない。
いやいや氏は、たんにユーモラスに時の首相の醜態をヤユされたに過ぎまい。それとも世界史的に眺めて、極め付きの悪政が、金も、しかし口も手も出しながら、大藝術家を庇護しまた頤使(いし)して来たイタリア・ルネサンスのような例を、せめて金持ち日本の最高権力者に暗に焚き付けようとでもされたのか、まさか。そんなことならば、固く、願い下げに致したい。
折しも俳句とハモニカの「藝術家」総理が、突如の登場である。前宰相はやはり敢えない「アウト」であった。
笑止や、金田一氏のヤユに随うなら、政治に成果をあげれば新宰相の藝術は下落し、それを快しとしないなら悪政に走らねば済まぬ。幸か不幸か就任早々の境涯一句を請われ、新総理は「そんな暇はない」とにべもなかった。つまり絶句した。借りものでもとっさに「夢幻や 南無三宝」くらい言えば、カッコよかったのに。
金出せば口も出す政治
ともあれ斯くもあれ金だけ出して口も手も出さない、そんな政治など在る道理がない。文化や藝術が、政治に背を向けて己れのみ高しとするのもコッケイであるが、悪政に対し背いて立つ覚悟は大切、なによりも大切、である。その大切を、なし崩しに切り崩して来る政治-悪政-へ、勲章や表彰や位階や報奨をちらつかされながら、釣狐の釣られ狐のように政権利益のおこぼれへ擦り寄って行く文化人や藝術家の、何故だか増えて行く、それこそ悪政と藝術との腐れ縁だと、ここは問題意識を慎重に切り替えた方がよろしかろう。
藝術は、もっとも勝れた意味での「私」の所産であり、「公」とは一定の距離に、覚めかつ冷めて在るべきものである。ことに政治・政権に対しては、甘い期待を持たずまた持たせないよう表現するのが本筋であろう。
2011 4・12 115
☆ 風、お元気ですか。
昨日今日、揺れのあと、大事ありませんでしたか。阪神淡路のときも、余震が長くつづいたと聞きました。そのせいで不眠症になってしまう方もいたそうです。
我々は、自然災害の厳しい国に生まれたんだなあ、と、運命を実感します。
昼間の大きな揺れを確かめようとつけたテレビで、放射能汚染について解説していました。ベクレルだとかシーベルトだとか、国の基準値が引き上げられましたが、即人体に影響のある数値ではないと、言っていました。東電と国は、包み隠さず正確な値を公表し、風評被害の拡大しないよう、努めてほしいですね。
そして、風もおっしゃっていたけれど、こんなとき、小沢一郎氏は何をしているのでしょう。得意の草の根政治で、地元岩手を駆け回らなければならないときでしょうに。
それにしても文系と理系の考えることには、大きな溝がありますよ。
「科学技術は、いつどんな画期的、実用的な発見があるやもしれないのだから、発展しつづけなければならない」というのが、理系の分野の信念ですよ。志賀直哉の言ったことなど、苦笑いされて受け流されるでしょう。悲しいけれど。
ではでは。 花
* 理系の若い友人達に、いま、寂として声の無いのがさびしい。 2011 4・12 115
☆ 大変興味深く拝読しました。
大変ご無沙汰いたしております。このたび「悪政と藝術」をお送りくださりありがとうございました。
いろいろと考えさせられるところ多く、当時の首相など思い出せませんが、本質を射抜いた評論のすごさをあらためて感じ入りました。
同じようなレベルものを日々書き続けておられるのは本当にすごいことだと思います。必ず評価される日が来ると信じています。
秦さんが希望されるなら、当然「電子文藝館」に掲載されべきるものと思いますが、ここ三、四年委員会には出ておらず、校正の仕事も回ってこないので幽霊委員と化しています。委員長は文藝に関心がないのかなと思っています。そういうわけで最近の掲載ルートがどうなっているか分からず、秦さんが送られた委員もみな距離を置いている感じです。
目下、電子的なリニューアルにかかりきりという感じですが、誰も掲載に動かなければ、聞いてみるつもりでおります。
奥様が心臓の手術をされてうまくいかれた由漏れ聞いております。先生ともどもおからだをお大事になさってください。一度お目にかかれたら嬉しいと願っております。 「 ペン電子文藝館」 委員
* 案じてきたが、「 ペン電子文藝館」 の実状と行方とに懸念を憶える。
とかく「機械」に関心と興味のある人は、機械的設営の変更に興味を持つだろうが、「 ペン電子文藝館」 の基本は、展示する文藝作の「質・量両面の充実」で在りたい。一作でも多く質の高い作をいれ、国内外に誤植少なく発信することが「本来の責任」では無かろうか。最近わたしは中を見ていないので何も謂えないが、文藝・文学への実力を持った委員ほど、委員会運営への不満から「距離を置いている感じ」が、なにより憂慮される。文学や創作行為そのものと近代文学史とにくわしく、文壇とも、人間的に経歴・実績的に信頼在る人により、「館」外部からの期待や安心が得られるようであって欲しい。創設責任者として、また前館長としても、新執行部の的確な委員長人事を希望する。
どういうことになっているのか、以前日本ペンクラブは、何かしら「偽・ペン電子文藝館」 とやらに対し訴訟を行う手続きをしたと、弁護士の名もあげて理事会の議事録に記載していたが、あの「ペンが原告の裁判沙汰」はどういう経緯を現在辿っているのだろう。
☆ 貴重な御作を拝読させていただきました。1字1句、うなずきながら、2度、3度と読みました。
ぜひ評論室に加え、一人でも多くの方の目にふれることを心から望みます。
私自身はかなり以前に「ペン電子文藝館」委員会から抜けておりますので、ご推薦することはできませんが、必ず委員のどなたかが実行してくださるものと思います。
出だしの軽妙なことーー思わず笑みを浮かべてしまい、それだけにつづく言葉の鋭さに気持ちが引き締まりました。「虚仮」というすばらしい言葉が日本語にはあったなあ、としばし物思いにふけりました。
ありがとうございました。
(私事ーー現在は「言論表現委員会」に所属はしておりますが、なぜか「電子文藝館」との合同委員会などが多く、検討すべきは電子の世界だけではないはずだと思い戸惑いを覚えています。こちらも遠からず自然脱会になることと思います。)
もうひとつ個人的なご報告を付け加えさせていただくと、ほとんど病気知らずだった身に思いがけない敵がひそんでいまして、昨年そして今年は2週間後に外科手術で入院いたします。骨が弱くなっていて、補強しなくては歩行も困難という状態です。なんの本を持っていこうかと思案中です。
どうぞ日々、お元気でいらっしゃいますよう。 ペン会員
* 深く信頼していた元「 ペン電子文藝館」 委員達がみなまさに距離を置いて委員会から遠くまた離れてしまっていることが、次々分かってきて驚愕している。
2011 4・13 115
☆ さてさて、きのうの強風のせいか、今日はすこぶる調子の悪い花です。でも、とっても元気ですよ。風、お元気ですか。
>オブロンスキーの連れてきた客を追い出すまで、くすくす笑いながら楽しみました。しぎ撃ちの猟もよく書けていてたのしみました。ドリーがいまアンナをたずねて行くところです。
あー、花は、ドリーがアンナをたずねて行き、世間的にはアンナ・カレーニナは不幸なはずなのに、ドリーには瑞々しい女ざかりに見えているところを読んでいますよ。だいたいいつも同じ辺りを読んでいますね、風と花は。
「トロイ」はおもしろかったでしょう。
殺し合いは壮絶ですが、映画ぜんたいに迫力があって。ロマンスもよかった。キャストもはまっていたと思います。
つづく余震で、きっと、風の精神が、無意識のところで疲れてしまっているのでは、と心配します。そうでなくても、難題を抱えていらっしゃるのに。
ときどき、神経をゆるめてあげることが大事だと思います。
花は、今日の外出で、富士山の櫻を(車窓から)堪能してきましたよ。花のたっぷり味わった景色を、風におすそわけします。
ではでは。風、お元気で。 花
* 仰天の広範囲で、いま、日本人は字義通り大震災の「余震」を味わっている。生活の分母が「震災と原発被害」に成りきっている。こんなことは、あの「大戦争」以来である。
* 広島の理史君が九州島原産の美味い麦焼酎を一升瓶で送ってきてくれました。ありがとう。堪えておれず栓をあけ、二合も美味しく戴いた。こころよい酔いにうっとりした。
さて、この昔の少年、いまの社会人の春の陣は健康に帆いっぱいに風をはらんでいるだろうか。ボン ボヤージュと祈る。
2011 4・13 115
* 「理系の若い友人達に、いま、寂として声の無いのがさびしい」と一昨日に書いた
のへ、反響が一つ届いた。さぞや心労とともに昼夜無く忙しく過ごしているだろうなと想って案じてい
た此の若い友に感謝する。
☆ 理系の若い友人より
この1ヶ月の時計を巻き戻したくて仕方ありません。
でも、今、自分にできることをやるしか無いと思っています。
何か尻切れとんぼのお手紙で申し訳ありませんが、私が言いたいことは、だいたい書けている様な気がしたので送ります。
理系の若い友人より秦先生へ
原子力は明らかに人間の力の及ぶ範囲を超えています。でも、既に原子力に頼らなければ生活をしていけない現実もまたあります。たとえ、ある個人が「原発など要らない。電気など沢山使わなくても生活していける」と言っても、既に、日本に生活している時点で、日本のこの経済社会の中で生活している時点で、その発言の信頼性を失うのではないでしょうか。
地球上に生活している限り、絶対の安全などありません。私も、つい先日、一定の想定のもとでのある用途の建物の安全基準の指針を出しました。
想定の範囲外におかれたケースの1 つに「航空機の墜落」があります。でも、飛行機は墜落します。1000年に一度におこる地震の確率とは比べものにならないくらい大きい確率で、落ちるでしょう。もし、その建物に航空機が墜落したら、周辺は甚大な被害が及ぶことは明らかです。でも、私は「この基準を守れば安全です」と言います。
一方、とある役人は「この基準を守れば、通常の安全性は確保できます」と言います。
私はウソを言っているのでしょうか。とある役人はウソを言っていないのでしょうか。結局、航空機の墜落にも耐えうる建物を造らないことに変わりはないのですが。
この1ヶ月、“想定外”という言葉が繰り返されるのを聞くたびに自問自答しますが、何がベストなのか、答えは未だに出ていません。
電車にも乗り、飛行機にも乗り、自家用車を持ち、冬は暖かく、夏は涼しくできる安全な建物に住みながら、そして、病気になったら直ぐに病院に行き、おおかたの病気であれば直して貰える生活をしていながら、「経済合理性を優先した」との批判は私にはできません。
先人の方々の色々な選択、判断を経て今の私たちの生活が成り立っていることを考えると、私自身も、今現在置かれている状況とそれに対応するため、今自分にできる最大限の努力をすることが最も重要だと考え、この1ヶ月過ごしてきました。
今後、脱原発をし、電力に頼らない質素、場合によっては不便な生活を選択するということは、今を生きている私たち自身が自分たちの責任において選択すれば良いでしょう。もちろん、その選択は、自分たちの子供世代、孫世代への責任を負うことに繋がることを自覚しなければいけません。
批判は簡単です。でも時計は戻りません。じゃぁこれからどうすれば良いのか、は私たち自らが選択し、責任を負わなければいけません。その選択と責任を、政治家に負って貰おうなどとは、私はこれっぽっちも思っていません。
* ありがとう。ありがとう。
* ここでわたしは、明確に、しておきたい。
日本列島で暮らしているわたし自身は、「原発何が何でも絶対反対論者」ではないこと。そんな発言は、したくても、(電気を補うに足る安全で有効なエネルギー源が開拓ないし発明・発見されるならいいが、という意味。)一度もしていない。
イージイで、タメにするところの強引に見え透いた、過去の「原発絶対安全主張者」たちを、学者・企業人・政治家それぞれ、徹底批判し責任をぜひ問いたいという考えでいる。
オール電化といった過剰な宣伝で、ただ商売のために都合のいい政策を推し進めながら、その電気をかなりの率で「原発」に依存し、その原発の安全対策に万全を期するよりも企業効率をつねに優先させていた「安全神話」の妄想者たちを非難してきた。
日本の電気エネルギーに、所詮は原発を頼まざるを得ない事情は百も承知していればこそ、「安全」を「神話」に託し、厳格と誠実を欠いてきた政策に、政策の便乗者に、わたしは許しがたいものを感じてきたし、今まさにその「最悪の結果」を国民は頭上に浴びせかけられている。
観念論や抽象論や精神論で済まない、科学的・政策的万全が具体的に常に最優先されねば「原発」がいかに危険な怪物と化するかは、なにも福島の現在だけでなく、かつては東海村でのあわや「臨界」という大危機も現に実在したのだ。
遺憾かつ残念にも、日本の現代文明は「電気」に頼り切っている。それが「余儀ない現実」と分かっていて、無理解な原発絶対反対を言うのでは、あまりに落ち着きが悪すぎる。だからこそ断乎言うべきは、「神話」へ逃げ込まない「安全」の、科学的な、徹底的に科学的な幾重もの「対応・対策」の確立と、その誠実な「実現」以外に何もあり得ない気がしている。
その点、福島原発に露呈しているものは、「原発建設時点」での悪質な、戦争犯罪に匹敵する「不誠実」と「無責任」と「経済効率主義」だったと言わざるをえない。或る九州の方の大学教授は『放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます』と言ったそうだが、ヒロシマ、ナガサキ級の原子爆弾が深刻に原爆病をもたらし日本人は苦しんできた。ニコニコ、クヨクヨといった心理や感情の問題にすり替えて済むことではない。それは科学者として卑怯卑劣な態度ではないか。
* 理系の独りの若い友人の「声」に、どんな谺が帰ってくるか、より多く「理系の若い友人たち」の便りを待ちたい。「文系」でもむろん有り難い。
2011 4・14 115
* 昼過ぎから、青山の妻の両親や兄の墓参に出掛けた。墓地は櫻吹雪、青空にはヘリコプターの爆音が轟いていた。
墓参への途中、銀座和光の並木店と本店とで、亡き江里佐代子の截金を忍ぶ遺作展と、康慧・佐代子夫妻の仏荘厳展とを観てきた。江里康慧君とも話してきた。
この夫妻、日吉ヶ丘高校の後輩に当たっている。夫妻を招いて「美術京都」で鼎談したこともあり、それも契機となり佐代子さんに京都美術文化賞を授賞した。その後に人間国宝とも成って広く注目されながら、惜しくもフランスで客死。康慧君もいうように、まこと疾風のようにこの世で完全燃焼し、あの世へ駆け抜けていった。
池袋西武の「伊勢定」で精進落としの鰻重とビールを。まだ日のあるうちに家に帰ってきた。
2011 4・14 115
☆ 「理系の若い友人」さんの文章を読み、 一女性読者 文系
目に留まったところがありました。
> ある個人が「原発など要らない。電気など沢山使わなくても生活していける」と言っても、
既に、日本に生活している時点で、日本のこの経済社会の中で生活している時点で、
その発言の信頼性を失うのではないでしょうか。
同じことを、理系の人に言われたことがあります。
日本に生まれ暮らしているわたしは、日本の経済に(世界経済に、ともいえましょう)、否応なしに組み込まれています。
そのような者の批判に信頼性が欠けると言われますと、黙るしかないのですが、これって、イギリスで反権力の活動をしている文化人に、王室が勲章を与え、体制側に引き込んでしまう構図に似ているなあ、と、感じます。
例えば南米の未開の村に暮らしてはじめて(極端な例ですが)、日本の経済社会を批判できるのでしょうか。
いいえ、遠くに暮らしていたら、日本のことなど意に介さないでしょう。
わたしは日本に暮らしているから、本気で日本のことを考え、批判もします。
「日本の経済社会に組み込まれ、その利益を享受している時点で、批判する資格がない」としてしまうと、よりよき社会を維持してゆくための切磋琢磨の、片方の砥石を失うことになるのではないでしょうか。
「批判」は「否定」ではありません。
よりよきものを目指し、多方面から意見を出し合い、議論することが大事だと思うのです。
(でもこれって、日本人がもっとも苦手なことのひとつですね。)
今回の原発事故に関して言えば、日本が「世界一」を標榜するなら、事故後の処理までひっくるめた安全対策を完璧にしき、文字通り「世界一」の技術と智慧で、原発を運営してほしかったです。
まとまりませんが、思ったことを書きました。
2011 4・14 115
* 理史君、新天地を大阪府に求めた由、便りがあった。歩み健やかにありますように。
* 吉備びとの有元さんから、「白菊」という純米大吟醸一升頂戴した。有難う存じます。
2011 4・15 115
☆ ご機嫌いかがですか。 玄
奥様が手術を無事に終わられたそうで本当によろしゅうございました。何か果物でもお見舞いにと思っていたのですが未だにデパートが生ものの配送を受け付けてくれません。とりあえずは秦さんあてに岡山の清酒をお届けすることにしました。
昨日の岡山のローカル紙山陽新聞朝刊のコラム「滴一滴」に次の感想がありました。
=戦場で味方に向けて背後から矢を放つことを「後ろ矢」という。銃なら「後ろ弾」である。身内の言動に不満を抱き、裏切る行為の例えに用いられる
▼菅直人首相にとって民主党の小沢一郎元代表の動きは、まさに後ろ矢、後ろ弾だろう。東日本大震災や原発事故をめぐり、小沢氏は菅政権の対応を「無責任」と糾弾する見解をまとめ、支持派議員に配った。近く首相と会談し、退陣を迫るとの情報もある
▼野党の自民党が反発を強めるのは分からなくもない。国民の間でも、首相の手腕を不安視する空気が広がっている。しかし、この非常時に与党の小沢氏が弓を引くようなまねをするとは
▼「人は『怒っている』ほうが状況に対して危機感を強く持っているように見えるが、決してそうとは限らない」。震災関連で本紙に掲載された脚本家渡辺あやさんの意見を思い出す
▼阪神大震災を題材にした作品がある渡辺さんは、事態の対応に追われている人を安易に責めないことが大切だと指摘。傍観者が怒りをぶつけるのは非常に配慮に欠けた振る舞い、と批判する
▼小沢氏は自らの「政治とカネ」問題で首相と対立する。後ろ矢まがいの言動は「個利個略」か。真の実力者なら、国難に際し陰で力を貸す「後ろ盾」となる態度があってしかるべきだが。=
不安と苛立ちのつのる日々です。一日も早く見通しがつくことを願っています。どうぞお大事に。 吉備びと
* この広域に及んでとめどない余震、せめて新被害を広げないで治まって欲しい。
☆ みづうみへ 虻
春の虻サンサーンスは胸突きに 及川一行
本来ならばうららかな春を楽しむ頃ですか、胸のなかに鉛の塊があるような気持で過ごしています。でも、こういう時なればこそ、人間がよく見えることもあり。
今までさんざん日本人に売りまくっていたのに、銀座の目抜き通りの路面店を閉鎖してしまったおフランスのあんな店、こんな店がありました。スポーツ選手のあんな人こんな人も帰国しました。たしかに商売だけの相手に命をかける必要はなし。揺れるし放射能まで心配とあれば外国人の出国ラッシュも当然のことで、自分が外国で同じ立場だったら同じことしていたと思います。
イスラエルからの医師団の一人は「放射能のリスクは承知の上で志願した」と語っていました。
指揮者のズービン・メーターはあえてこの時期にこそと、日本のために演奏会を開きに来日。N響と第九の素晴らしい演奏をしました。さすがに修羅場をくぐってきた民族は違うと、わたくしはすっかりイスラエルを見直しました。来日中止のアーティストが多いなかで、ドミンゴは先日の演奏会でアンコールに「ふるさと」を歌ってくれたそうです。会場中が涙を流しながら一緒に歌い感激の一夜となったと読みました。
そんな中でも、一番感動したのは、ドナルド・キーンさんが日本国籍をとってくださるというニュースでした。多くの外国人が日本を離れる中、今こそ日本の力になりたい、私の日本への信念、そんな言葉を聞いて思わず涙ぐんでしまいました。ドナルド・キーンさんありがとうございます。
みづうみは京大の小出裕章さんの福島原発事故今後の悪夢のようなシュミレーションは、お読みになりましたか。理系の若い方がこのシュミレーションを読んでどう考えるのか、是非伺いたいものです。それでも若い彼は原発を容認するのかと聞いてみたいのです。
わたくしは、最悪の展開が万が一当たっていたとしても、絶対に道はあるし、日本は破綻しない、何とかなると信じていますが、今のままの状態での、地震で壊れる設計の日本の原発は、絶対にいけないと思っています。
お元気ですか、みづうみ。
2011 4・16 115
☆ みづうみへ 虻
春の虻サンサーンスは胸突きに 及川一行
本来ならばうららかな春を楽しむ頃ですか、胸のなかに鉛の塊があるような気持で過ごしています。でも、こういう時なればこそ、人間がよく見えることもあり。
今までさんざん日本人に売りまくっていたのに、銀座の目抜き通りの路面店を閉鎖してしまったおフランスのあんな店、こんな店がありました。スポーツ選手のあんな人こんな人も帰国しました。たしかに商売だけの相手に命をかける必要はなし。揺れるし放射能まで心配とあれば外国人の出国ラッシュも当然のことで、自分が外国で同じ立場だったら同じことしていたと思います。
イスラエルからの医師団の一人は「放射能のリスクは承知の上で志願した」と語っていました。
指揮者のズービン・メーターはあえてこの時期にこそと、日本のために演奏会を開きに来日。N響と第九の素晴らしい演奏をしました。さすがに修羅場をくぐってきた民族は違うと、わたくしはすっかりイスラエルを見直しました。来日中止のアーティストが多いなかで、ドミンゴは先日の演奏会でアンコールに「ふるさと」を歌ってくれたそうです。会場中が涙を流しながら一緒に歌い感激の一夜となったと読みました。
そんな中でも、一番感動したのは、ドナルド・キーンさんが日本国籍をとってくださるというニュースでした。多くの外国人が日本を離れる中、今こそ日本の力になりたい、私の日本への信念、そんな言葉を聞いて思わず涙ぐんでしまいました。ドナルド・キーンさんありがとうございます。
みづうみは京大の小出裕章さんの福島原発事故今後の悪夢のようなシュミレーションは、お読みになりましたか。理系の若い方がこのシュミレーションを読んでどう考えるのか、是非伺いたいものです。それでも若い彼は原発を容認するのかと聞いてみたいのです。
わたくしは、最悪の展開が万が一当たっていたとしても、絶対に道はあるし、日本は破綻しない、何とかなると信じていますが、今のままの状態での、地震で壊れる設計の日本の原発は、絶対にいけないと思っています。
お元気ですか、みづうみ。
2011 4・16 115
* 高校生のとき、茶道部で手前作法など教えた美術コースの日本画専攻だった人が、京の、いわば小粒の半生菓子を三箱も送ってきてくれた。一箱にびっしり実質的に入っていて、上品で美味くて色美しく、ついついアトをひいて妻と口へ運んでいた。ピュッと血糖値があがった。インシュリン注射で即、中和した。
このところ睡くなるのは季節のせいでもあろうが、計ってみると血圧が上で107と低すぎた。低血圧になると睡くなると聞いている。浴槽で本を読み始めると暫くして睡くなるのが一時的な血圧低下のせいだと聞いている。顔に湯を十回ほどたっぷり当ててやると眠気が去る。
2011 4・16 115
* ①地震と津波との被害を受けた人たちと、②これに加えて、更に原発爆発による被害を受けている人たち、③地震津波被害は受けないか軽微で済んだものの、農業・牧畜・漁業において原発爆発の被害を受けている人たち、の、少なくも此の三つは、区別して政策的に対応して貰わねばならない。いずれの補償にも政府が対策せねばならぬのは当然として、ことに②と③とには、東電の補償責任が明瞭であることを棚上げになどしてはならない。
☆ たしかに
> 電通という大スポンサーの圧力で、
その通りです。
メディアの情報には、制約があったり、彼らの都合のもとになされるものです。
インターネットの普及している今、さまざまな発信源による情報を、いろんな角度から見て、どれが取るべき情報であるか、真実であるか、判断するため、メディア・リテラシーを高める必要が、市民にはあります。 花
* このまま推移して福島がもしチェルノブイリなみの放射能汚染源と化したとしたならば、 問題なく首都圏どころの騒ぎでなくなる。地形と風向きとを考慮すれば、東向き太平洋は別としても、放射能は東北新幹線に乗った勢いで南下また北上するだう。東海道新幹線に添って西下のおそれはある。そして住民が大避動できる余地は日本列島に実在していない。せいぜい北海道の北側。
そういうことを予測する限り、懸命に渾身の叡智と対策とで現況の危険きわまりない原発不調を、なんとか安全にコントロールしてもらうしか無い。そしてそのアトヘ確実に続くのが日本の未来エネルギー確保の方策であろう。そのとき、かなりの確度で日本はやはり原発に依存せねば済まないであろう。依存せざるを得ない文明を日本の現代は手にしてしまっている。
だからこそ、いま耳を傾けねばならないのは、原発反対ないしその危険危害をほぼ正確に知って発言している良心的な学者・研究者達の声を、絶対に排除してはならないということである。原発の推進を安易に主張しておいて、いまになり「予想できなかった」「想定しえなかった」「企業効率が大事だった」「万全を尽くしたつもりだった」などと片言でも無責任に発言してきた、今も発言している連中は、厳格に原子力行政の諮問機関から追放しておくべきである。
2011 4・17 115
☆ 播磨の鳶
昨晩メールをいただいていました。ありがとう存じます。
花粉症に苦しまれているご様子、いくらか改善されているでしょうか。
静かに雨が降り始めましたが、桜は今しばらくは散らないだろうと、これは希望的観測です。
東京の日々はいかがでしょうか。まだまだ余震が続き落ち着かないと思います。震災と原発のこと・・さまざまなあまりに膨大な困難に直面しています。その現実に四月初めからの日常の変化など私的な事柄を改めて述べても、それさえ何か白々しいようにも思えます。
詩集のことに関して。何処でもいい、小さなところでも、自費出版のかたちで・・と既に鴉は書かれていますが・・。
一つの具体例を書きますと知人から貰った*社のパンフレットが手元にあり、割引の特典付きで150ページの本300部、あるいは500部でほぼ100万円の費用とあります。神戸の知人の出版では70万円くらい、ただし雑誌などでの広告がなされることはありません。
その某社に一度電話したのですが、電話口の人の応対に何となく距離を感じて臆しています。
知人や詩を通じてのつてを辿って読んでくださいと配るあたりが現実なのですが、何回も出版することなど考えられませんから納得して出版社に委ねられたらと思うのです。
どの出版社に依頼したらよいか、助言いただけたら嬉しいです。
4,19
前のメールを書きさしのまま数日、長い時間だった気がします。久方ぶりの歯痛に見舞われ、たいしたことないなと思っていたら耳の奥まで変調をきたして・・週末にかかってしまい医者にも行けず苦しい時間を過ごしました。痛み止めの薬を飲んでからはかなり?眠りました。今はほぼ落ち着いています。
あえて地震に関係ない話を書くことにします。
菊五郎の番組はわたしも見ました。自分の立場、役者としての強い覚悟を感じられ、創意工夫も興味深く楽しく頼もしく感じました。同時に歌舞伎を支える多くの人の気概も緊張も受け取りました。
土曜日、毎朝ラジオのバロック音楽を聴くのが習慣なのですが、皆川達夫さんの解説紹介された曲に驚きました。グレゴリオ聖歌が日本のキリシタンに伝わっており、それが琴の曲、六段の調べにそのままなっているというのです。
六段はあまりに有名、ポピュラーで琴を嗜む人は誰でも知っているもの。二つの演奏が同時に流され、それがほぼ完璧に合っているのがとても不思議に感じられました。
今インターネットで六段の調べについて調べたら、早速そのことに関する記事がありました。二つを送ります。
六段発祥の地
「六段の調」(六段調、六段)は近世箏曲の祖といわれる江戸時代初期の演奏家で作曲家の八橋(やつはし)検校(けんぎょう)(1614~85)が作った。諫早市の慶巌(けいがん)寺を訪れて第4代住職の玄恕(げんにょ)上人から琴を学び、諫早での修行時代に親しんだ本明川のせせらぎの音を思い起こしながら京都で作曲したとされている。寺には「六段発祥地」と書いた大きな石碑が立つ。現代でもBGMや学校教育の教材として広く使われている。
もう一つの記事
「グレゴリオ聖歌と箏曲“六段との出会い”」音楽の泉でのことです。
なんと、日本の筝曲だと思っていた六段の調べは、400年前のグレゴリオ聖歌と一致するというもので、九州のお琴の先生が発見したとのことです。
・六段(初段) (2分40秒)
(箏)野坂操壽
・クレド第一番 (1分30秒)
(演奏)中世音楽合唱団
(指揮)皆川達夫
・六段とクレド第一番 (12分19秒)
(箏)野坂操壽
(演奏)中世音楽合唱団
(指揮)皆川達夫
・六段(全段) (7分18秒)
(箏)野坂操壽
<ビクター VZCG-743>
なんということでしょう。これは覚えていたいので記しました。
400年ぶりに発見したお琴の先生は自分でもびっくりしたのではないでしょうか。
別々に聴くとこれが一致するとは思えないのですが、一緒に演奏されるとぴったりなのはほんとに驚きました。」
もし僅かでも歌詞が残っていたらキリシタンの音楽だと即座に排斥弾圧されたでしょう。どのように耐えて伝えたいものを残していくか、それを後世の人間が見出し受け止めていくか、これもまた大切なことと鳶は思いました。
今週末は再び岡崎( 姑の家) 、です。
どうぞ元気にお過ごしください。
* まず詩集のことだが、詩歌の本はまず九割がた以上も自費出版ふつうと聞いている。わたしの歌集『少年』は何種類も本になったが幸いに印税を貰っている。短歌新聞社の文庫本の場合は印税分にちかい買い上げを望まれたけれど、持ち出しはしていない。そういうわけには、だが、行かぬ例が一般に多いらしい。
この場合、二つの意思選択がある。まず、いわゆる出版社からの「単行本」らしい体裁を望むかどうか。それとも、とにかく本の形で人様に手にとって読んでもらいやすい形なら、版元の如何を問わないか。
わたしは文学史的には「私家版作家」と総括されるかも知れないほど、作家としての出発点で、四巻の私家版を造っていた。これは一冊も売れるものではなかった。500円をお一人だけから祝って頂いた。
次いでは現役作家のママ後年に、「 秦恒平・湖(うみ)の本」 というシリーズの私家版を、すでに四半世紀106巻まで出しつづけ、いましも第107、108巻刊行の用意も出来ている。これは数多くはないけれど製作費を回収できる程度に読者の皆さんに助けられている。それに、幸い作家として各社から出版した本も、100巻をとうに越している。非常に恵まれた幸運な文士の一人であった。
* で、駆け出しというより、それよりまだずいぶん以前の、四巻の私家版には、「星野書店」という版元の名が奥付に入れてあったが、これは正規の出版社ではない、暮らしていた社宅のお隣の貸本屋さんの名前を、ただ体裁として借りたに過ぎない。装幀などみな、わたしと妻との手作りであった。100せいぜい多くて300冊しか造らなかった。それでも送り先が無くて、かなり手元に余ったものだ、今も幾らか残っている。
だが、今としてはそういう私家版だったのが良かったか、珍しかったか、一時古書市場で四冊合わせて50万円もしていたと人に聞いたことがある。素人の手作りが珍しかったのだと思う。
しかし、そういう造り方で自費出版する人をわたしはほとんど知らない。業者に高額を支払っても「単行本」らしい見映えと製作の実務とを委せたいらしい。「鳶」さんもそうらしい。そして詩には詩の、短歌には短歌の、俳句には俳句の自費出版扱が専門の会
社は、いろいろありそうである、よくは知らないが。歌集『少年』を出版してくれたのは不識書院だった。ここは歌集や歌論の出版が専門だろうと思う。
実は、わたしも、そろそろもう一度歌集を作ってもいいなと思いかけている。少年そして結婚より以降、くちずさみのように書き散らしていた短歌や俳句が、「 湖(うみ)の本」 の一冊になりそうなほど書き溜まって在ると気が付いている。それはもう谷崎先生流にいうと日々の汗とも排泄物ともいえるものたちで、いささかも歌史の玉でなく、私史の雑記に過ぎないが、それでも「 湖(うみ)の本」 の読者にはそれも秦恒平のモノと愛して下さる人があるかも知れぬ。すでに『少年』は復刊してあり、たとえば『老境』とか戯れて『不老』または「不良老年」とか、在りうるだろう。それは幸いにわたし自身の営みなのである。が、……
* 数年前から、別巻「 湖(うみ)の本」 をもつというのはどうかと、ときどき考えることがある。わたしの「 湖(うみ)の本」 別巻として、同じ装幀だけれどまた別の趣味のいい装画で、誰もが手に取りやすい150頁限度の本を、実費でつくってあげたら、何等か文学への寄与とならないだろうかと。
各ジャンルにプロではないがプロに遜色ない在野の創作者たちのおいでなことを、幸いわたしは知っている。しかしそういう人達も、生涯に只一冊の創作本も遺されない例の多いことも知っている。
むろん問題も多くて実現はじつはなかなか難しい。たちどころに難儀な問題点の七つや八つはすぐ思い浮かぶ。それより、秦恒平の作を一つでも書き残せと、「鳶」さんでも拳固を振り上げるだろう。当然であり、ま、わるくない夢に過ぎない。ただそのようにしてでも手伝って上げたいという気は有るのだ、「鳶」さんの詩作はそれだけの質のよさを十分備えている。
* さてまあ、箏曲の「六段」がグレゴリオ聖歌の曲そのものだという発見に、ビックリ。
このまえ、高校の友人から、瀧廉太郎曲の『荒城の月』が、西洋の著名作曲家の作曲から一部を導入していると教えられて驚いたが、この六段の例では完璧に曲譜が一致すると云うから驚きはもっと大きい。
2011 4・19 115
☆ 春の水 ゆめ
あまりよいお天気なので、バスに乗り井の頭池まで。弁天さま近くの林の中にひっそりと「ヒトリシズカ」の花が咲いていました!山吹の黄色、シャガの花の白、すっかり春ですね。お変わりなくお過ごしでしょか?
* 今日は水曜日
お仕事は休みですか、それとも、もう退職?
ことし満開の櫻は、地元を自転車で走って観たていどです。青山へ墓参に出掛けた日はもう花吹雪でした。ときどき隅田川の橋を独りで歩いて渡りに出掛けています。主流の橋はもう三つほど残しているだけです。歩いて渡るというのがめあてです。支流や運河の小橋まで含めればたいへんです。
本は源氏物語を今、須磨へ来ています。あわせて栄花物語も。若きヴェルテルを読み終えて、アンナ・カレーニナを楽しんでいます。ジャン・クリストフも。カポーティの「冷血」も。
志賀直哉の全集全二十二巻を読み終えようとしています。谷崎は、痴人の愛。蓼食ふ虫。盲目物語。蘆刈を読み、今、春琴抄を楽しんでいます。先日まで山本健吉の芭蕉に没頭していました。
ほかにも沢山相変わらず読みつづけ、そして繰り返し繰り返しバグワンも、毎夜。
日記では地震津波にも、ことに原発の方へ多く言葉を用いています。
外へ出るとうまいものを探して食べています。お酒もあれこれよく飲んでいます。薬も山のように呑まされていますし、注射も欠かしませんが、体調は不可ほどでもなしに、可ともいえませんが。
土日等の人様の休日には家にいます。ま、そうは出掛けていません、校正の必要なときなど、ゲラをもって外へ行きます。空いた電車に長時間乗っているのも好きです。 湖
☆ 明日からまた仕事です。 ゆめ
今日はのんびり、休日です。明日からまた仕事頑張ります! さっき吉祥寺の佐藤精肉店で美味しいチャ―シュ―を買いました。メンチカツを買うのに長い行列ができるので有名な店。何でも美味しいです!
先生いつも大変な読書魔ですね!!
☆ さてさて 花
今日は英語と、帰りに図書館、書店、食料の買い物して帰宅です。
お元気ですか、風。
『アンナ・カレーニナ』の第四巻を借りてきました。
三巻目までに比べ、本が薄いです。
早く読み終えてしまいそうで、ちょっと寂しいです。
書架には、『戦争と平和』もずらりと並んでいましたが、ちっとも長い感じのしなかったのを思い出しました。
『アンナ』も、長いといえば長いのですが、ダレるところがないので、長さを感じません。
ここ二三日、花粉症の具合がマシになってきたので、今日はいい気になってマスクをせずに出歩いていたら、今、クシャミ連発です。
やはり、もう少しの我慢ですかねえ。
英会話でも、原発の話で持ちきりです。
オランダ人の先生は、家庭でできる代替エネルギーの本を見せてくれました。
ヨーロッパも、原発についてはさんざん議論してきた国が多いです。いろんな先例があるので、参考にしたいです。
風、お元気ですかー。ではでは。
* 昨日遅くになり
かなり怖じ気づく強い揺れが来ました。震度3でしたが、ドキッとし、揺れるディスプレイを支え持っていました。
まだまだ何があるか分からない。地盤沈下で家の前が海面になったり、高地でも山津波で家が傾いていたり。行政がキメこまかに働いて欲しいと願う一方、我が事に有らずとは言えぬ地震国の日本に、みな一様に暮らしていて、瞬時に何が襲ってくるかも知れないのを恐れます。風のところは、海からはるかに遠く、大きな多摩川や荒川からは自転車で一時間半はかかるほど離れていますが、地下に断層はあるらしく。
トルストイは、あとが少なくなるに連れ惜しむ気持ちの出る人です。
風は、源氏物語にも相変わらず魅了されています、今は須磨の巻です。源氏は物語、同じ時代の現実を書いている栄花物語は歴史物語。表裏を成していておもしろいです。
それとやはり谷崎世界にも心豊かに惹きこまれています。春琴抄が済むと、いきなり鍵へ行くのかな。少将滋幹の母も久しぶりに読みたいけれど。
しばらくメールがなかったので、具合が悪いのかなと心配しました。花粉には、まッこと困ります。 風
2011 4・20 115
* 小説を投稿して下さっている方から、門玲子さんの講演を聴いてきたというメールをもらった。
* 門さんの「江馬細香」はとびぬけて静かな名品です。伝記とも小説とも批評ともわりきれない、しかし文学・文藝の落ち着きを湛え、佳い音楽を奏でています。
あなたも、伝記とも小説とも批評ともいえる要素を抱き込んで書いていますので、つい比較してしまうと、やはり読み物に妥協している物足りなさが、何より文章に露われます。文章が美しい流れを奏で切れず、ギクシャクと余分な形容を混ぜモノのように孕んで雑音をつくります。たぶん形容だけでなく、表現ならぬ説明が多いのですね。
わたしの太宰賞作は、私家版本『清経入水』の巻頭作がそのまま、わたしの知らぬまにどこかを回り回って最終選考にさしこまれ、そのまま授賞したものですが、じつは、雑誌「展望」に掲載直前、校正かたがた、一晩推敲して良いと言われ、すでに授賞の決まっていた原作を、徹夜して徹底的に推敲したのです。その「校異」が、湖の本の創刊第一冊『清経入水』に出ています。宜しければ参考にして下さい。「受賞作」として雑誌に公表されたのはその推敲作でして、選者のみなさんも推敲を「是」と読んで下さったと聞いています。
『慈子』も『畜生塚』も、私家版の原作からみますと別作と見えるほど徹底的に解体し推敲し、削除すべきは惜しまず削除して公表したのでした。文藝としての音楽が作者の耳にも聞こえてくるまで、我慢したのです。
忘れられぬことですが、受賞以前にわたしに「作」を見せよと、やはり突然に連絡してくれた雑誌「新潮」の編集長は、あるときこう話してくれました、「読んで下さいましたか」とわたしが催促したときです、笑いながら、「ぼくは著者の持ち込んだ作は、いきなり見ないで仕舞っておくんだよ。二三ヶ月もして抽出をあけるとね、プーンといい匂いがすればしめたものさ。匂わなければダメなんだ」と。
何を彼は言おうとし、何が言われていたか。人により答えは違うでしょうが、新人の小説の鍛え方は実にいろいろでした。しかし要するに、懸命に推敲出来ていない作からは、佳い匂いがしない。作が「作品」にならない、ということでしょう。
さらにさらに推敲し、自作から「作品」という品位を匂わせて下さい。 「 e-文藝館= 湖(umi)」編輯者
2011 4・20 115
* FACEBOOKというところから、ときどき知人のメッセージや何かが届いていますと知らせてくる。利用されていませんねとも言ってくる。利用も何も、どうログインするのか、どうすれば何が読めて何に使えるのか、皆目分からない。わたしが鈍なのだろうが、どう連絡をもらっても、誰かがどう声を掛けていて下さっても、わたしにはそれが何方であるかすら確かめようがない。
2011 4・20 115
* 夫君泰彦氏の電話で、日吉ヶ丘高校いらい永く良き友なりし画家堤 子の訃に接す。「秦恒平・湖(うみ)の本」 を装幀。肺癌で昨年夏入院し一度退院し、再入院して三十日余、四月十九日午後に逝けりと。嗚呼。
平成十年 一水会展 堤 子・画
2011 4・22 115
* 早稲田の文藝科に請われて小説のゼミを二年引き受けたのは、息子建日子が早稲田法科に入学した春だ、東工大教授に就任したよりだいぶ前で、その二年のあいだ学生の書いて提出する小説を、編集長然として読んでいた。当時の学生が、今も二人、男性が一人、女性が一人「 湖(うみ)の本」 を支えてくれている。学生たちの中に、いま人気作家の角田光代がいて、提出作を褒めて背中を押してやった。
昨日夜、久しぶりにその男子学生だった一人、いまは或る大学の先生、が竹取物語についてメールで質問してきた。懐かしかった。夜から今朝へメールを二度往復。
2011 4・22 115
* 堤 子の霊前に生花をおくる。
2011 4・23 115
* このところ騒ぎがちな気持ちを静めたいとき、黙々と給田みどり先生の歌集『夕明かり』を書き写している。先生の気息のひそけさ、視線の静かさ、想いの懐かしさをわたしもまた追体験させて頂いている。ああこんなふうに、またこんなふうに眺め詠めていらしたんだと歌の一首一首に入り込んで、わたし自身の思いをそこに置いている。歌史の玉でないにしても、ここに生涯を学校の先生として努められまた老いて静かに余生を翫味された女先生のお人が「私史の玉」として光っている。慕わしう。
2011 4・24 115
* 給田みどり歌集『夕明かり』 の過半を選んで、「 e-文藝館= 湖(umi)」から発信した。なにかしら、ほっとしている。弥栄中学で同僚の先生でいらした橋田二朗先生の、この歌集に寄せられた「富貴草」扇面画も、いずれ添えたい。
2011 4・24 115
* 医学書院時代のわたしに、新潮社新鋭書き下ろしシリーズを依頼し『みごもりの湖』を書かせてくれた、大先輩の編集者宮脇修さんが、なんと、亡くなっていたことを夫人の鄭重なお手紙で初めて知った。知らずに「 湖(うみ)の本」 も送り続けていた。感慨ひとしお。ウーンと呻いてしまった。京都の宮脇売扇庵がご実家と聞いていた。
この人に『みごもりの湖』を書かせて貰ったわたしと、書かずに終わっていたわたしとを比較して想えば、これこそは運命の岐路であったろう。どんなに晴れ晴れと筆一本の道へ進んで行けたか。深く深く感謝し、ご冥福を祈る。
2011 4・25 115
☆ 風、お元気ですか。
週末に、「ポチたま」という動物番組があり、とある美容室の飼い猫たちが、お客さんに出したお水ばかりを飲むので、「困ったちゃん」だとやっていました。
猫用のお水を用意してあげても、飲まないんですって。
で、思い出したのが、風のマゴさん。
お供えのお水をたっぷり飲むのでしたよね。
おもしろいですね。
さてさて、お元気ですか、風。
一昨日昨日につづき、今日も強風です。
こんな日は、いつにも増して風、お元気でと想います。
ではでは。 花
* ありがとう。
2011 4・25 115
☆ 秦先生 山梨に藝術家の村がありました。
こんにちは、作日は久々に寒さを感じました。いかがお過ごしでしょうか。
先日、山梨県北杜市というところに花見に行ってきました。南アルプスを背景に満開の桜を楽しむことができました。
その後、清春藝術村というところへ行って来ました。ここは『白樺』に関連する藝術家の作品、図書が集まっているところで、武者小路実篤さんの自画像や、梅原龍三郎さん、ロダンの作品が集まっていました。中でもルオーの絵画、版画、ステンドグラスが多くありました。ルオー礼拝堂という小さな教会もありました。
ルオーを見て、以前先生が褒められていたのを思い出しました。暖かい人物画もあるのですが、不気味な雰囲気のものが多いですね。人間の奥底に潜むドス黒さを感じる作品だと思います。個人的にはあまりに好きになれない作品でした。
北杜市は山梨の奥の方ですが、立派な美術館やアトリエがあって驚きました。自然の中ですがすがしく藝術を楽しめる場所でした。
そして、一人ではなく、一緒に楽しく歩ける人と行けたのが良かったです。
またご連絡いたします。
寒さの戻りもありますので、お体を大事にされて下さい。 松 卒業生
* 朗報と読んだ。
武者小路や志賀直哉ら白樺派の文学者たちは、ロダン、ゴッホ、セザンヌ、そしてルオーも熱心に日本に輸入し紹介して近代西欧絵画への道を拓いてくれた。向こうの美術家たちとも直に交渉をもち、ロダンやルオーから作品を貰ったりもしている。直哉はルオーを敬愛していた。同じように村上華岳も敬愛していた。梅原龍三郎との生涯の親交と互いの敬愛はすばらしく、榊原紫峰や小林古徑や安井曾太郎らとも親交が厚かった。中国や日本の古典造形美術への審美眼は個性的で揺るぎなかった。
2011 4・26 115
* 「 e-文藝館= 湖 (umi)」 の詞華集に給田みどり歌集『夕明かり』を掲載し、弥栄中学時代同僚教諭であられた創画会会員橋田二朗画伯の美しい扇面画「富貴草」を添えた。原歌集の巻頭を飾っていた繪である。
なにとも言えず、よろこばしい。お二人とも亡くなりはしたが、忘れることはない、決して。
2011 4・27 115
* きつい風とつよい雨とが来ている。
☆ お元気ですか、風。
外は真っ暗で、雨が激しく降っています。
明日の昼くらいまで降るそうです。
明日からGW、夫と伊豆のシャボテン公園へカピバラを見に行く予定なのですが。ちょっと心配です。
カピバラ、ご存知ですか。世界最大の鼠だそうです。大きいせいか、動きがまったりしています。
さっき、マグネティックバイクを漕ぎました。
年末にひどい咳の出る風邪を引き、バイク漕ぎからずっと遠ざかっていたのですが、再開しています。
一回二十五分くらい。週に三~五日やっています。日が暮れる頃エンジンがかかるんですよね。
なにごとも「毎日早い時間にとりかかる」、これが花の課題です。
それにしても、『アンナ・カレーニナ』はうまいですね。あれほど聡明なのにヴロンスキーとはうまく関係を築けない、果ては悲劇に身を投じるアンナがよく描けているのに感嘆します。
ではでは。花はいつも元気いっぱいですよ。
* ゴールデンウイークの実感からは千里も遠のいてきた。むろん昔は嬉しかった。いま、サラリーマンや家族たち、無条件に永い会社の休みが嬉しいのか、有り難いのか。それも分からないほど世離れて過ごしているということか。
2011 4・27 115
☆ 平安
秦先生、所用のない時は、鉛筆を10本ほど削り『清経入水』を写しております。鉛筆を持つのも久しぶりです。
今、作品の半分まで写しました。写すことにより気持ちがとても平安になって参りました。
昔、少々辛いことがあって、分けも解らず、般若心経を写経したことがありました。何枚(巻?)くらいだったか、忘れましたが、いつしか心が解き放たれていったことを思い出しました。
そして昔は乾いた砂が、みるみる水を吸い込むようだったのに、本の読解力が落ちてる、読み落とした部分もたくさん見つけました。
ひたすら『清経入水』を写しているうちに気分が落ち着いてきたのです。友人夫妻にも平安が訪れるように祈っています。
一方で、いろんな事を考えています。秦恒平という人はなんと数奇な運命を持った人かと思えるほどに、先生の作品はすべて自分の自伝のよう。いえいえ、そう語りながら、綿密に構成された創作。そんな思いも行ったり来たり。ことをあれこれ考えながら、いつしか清経の、鬼の世界に入り込んでいる自分。ぞくぞくしたり、どきどきしたり。紀子のかっきり刳り抜いたような眸が浮かびます。
ありがとうございます。やはり文学はいろんな形を変えて、救いです。自分の小説の文体を磨きたいという事で始めましたが、それは当分お預け。今しばらくは心の平安を求めていきます。
さあ、後半を写します。 谷
* 暑いほど。
2011 4・28 115
☆ お早うございます。 泉
ゴールデンウィークですが例年と変わらず何もなく過ぎて行きそうです。娘家族は早朝出発でドライブ等を楽しんでいますが、最近は若さに付いていけず、たまに同行します。
私は年明けから五十肩( 二十歳もサバをよんでアツカマシイ) の症状で、何時までも回復しないので、最近は整骨院でのマッサージや電気治療を初体験しています。
日常生活には支障はなく、あい変わらずよく歩きます。願わくばその後美味しい食事にありつきたいなんて、食欲旺盛の婆さんです。
京都へは何度も旅行する歴史好きな友人御夫婦に、メジャーでない粟田神社、合鎚稲荷神社、養源院、今熊野観音、戒光寺の大仏などなど沢山伝授し、教えた箇所を全部行って来たヨとメールがありました。自分が行ったように嬉しいです。
* 手の届くところに自分で撮った写真を六、七枚貼り繋いだ東山三十六峯が見える。遠く鞍馬からはるか稲荷まで。これだけを一望にわたしの写真機で撮れるわけはない、北半は二条のホテル・フジタで撮り、南半は四条南のからすま京都ホテルで撮った。それでも六七枚を繋がねばならない。 そのちょうど真ん中で緑の色濃い粟田山がくっきりと山影を町並みへ下げていて、足もとに、上の、もう後期高齢「食欲旺盛」の「婆さん」が書いている粟田神社が祀られ、「婆さん」自身の通った小学校や育った家がある。家がいまも在るのか無いのかは知らない。わたしもそんな東山のなかの華頂山知恩院の門前町で育った。
戦後の新制中学、新制高校をともにわたしが上の一学齢ちがいで卒業し、何が縁であるのかもう半世紀の余も、同じ東京の比較的近い保谷と花小金井とで暮らしてきた。この人も、仲間の友達といっしょに叔母の稽古場に通ってきて、わたしから茶の湯の手前作法など習っていたのだった。この人、なかなか美しい作法でお茶を点てた。
東京で思いがけず再会してからは、わたしは『北の時代 最上徳内』の「世界」連載のために、早大図書館に勤めていたこの人のご主人にいろいろ文献探索の便宜をはからってもらったりしてきた。今は、いわば余儀ない老老介護の家庭をどうしてもわれわれは気を張って維持して行かねばならない。
最近に、高校の茶道部でやはりわたしに初めて茶の湯を習い始めたそんな一人の久しい友人に肺ガンで死なれてみると、ひとしお、昔の友人たち、だれもだれもに「食欲旺盛」で元気で過ごして欲しいなと願う。
2011 4・30 115
☆ なんだか 花
ぐったりしていますよ。
一昨日は強風の中、予定どおり伊豆シャボテン公園へ。
天気予報では気温は二十六度と出ていたのですが、強風のせいか、体感温度は低く、砂つぶてを避けながら、かわいい動物たちと会ってきました。
カピバラに会えるのを楽しみにしていたのですが、意外にアルマジロがヒットでした。せわしなく、右から左へ、左から右へと動いていました。ときどき、ボチャンと水に浸かってみたり。お腹が空いていると、落ち着きがなくなるのだそうです。
プレーリードッグの鳴き声の聞けるのは「運がいい」と、看板にありまして、花は運がよかったようです。
フラミンゴに道を通せんぼされたりしながら、ぐるっと一周し、箱根園近くのフレンチレストランで食事して帰宅しました。妹の結婚祝いの引き出物のお食事券で。
選び抜いた素材のお料理は、目にも美しく、堪能しました。
飲み物は、珍しい、バラのドリンクと、ぶどうジュース。どちらもおいしく、銘柄を調べ、家でも楽しみたいと思いました。
夜の箱根は、寒かったですよ。八度、と表示がありました。
櫻がまだ咲いていました。
楽しみましたが、強風と、この上なく美味でありながら量の多い食事(前菜とデザートが二品ずつ、メインは魚と肉。とはいえ花は完食した上に、チーズの盛り合わせを追加)とで、ぐったりしてしまいました。
二日経った今日は、もうすっかり回復していますけれど。
遊ぶのも、疲れますよ。そして、美食の道には強靭な臓腑が求められるなあと感じました。
ではでは。
* 永い休みの満喫も、御苦労さんである。
それでも勤めていた頃のわたしには、汽車の切符などに黒牛ながら帰って行く「京都」が、光り輝いていた。おさない朝日子を諸方へ連れ歩いたり、妻と歩いては食べて。親孝行もして。半世紀が流れた。
この連休のわれわれの楽しみは、「こどもの日」の、高麗屋・播磨屋一門で演じる「敵討天下茶屋聚」三幕八場の復活通し狂言。夜は「籠釣瓶」だが遠慮して、はねたあとの買い物や食事を妻と楽しむ。それまで、そのあとは、家でのんびり、しかし気も入れて「仕事」する。
2011 4・30 115