* 喜びありや喜びありや
秦先生、あけましておめでとうございます。いつもお心にかけていただき、ありがとうございます。今年は勉強の年と思っております。大学院(東京藝大)にもう一年、残ります。
伝統芸能・文化、わからない、できないことばかりです。少しずつですが、積み重ね、努力してまいります。先生、これからもご指導よろしくお願いいたします。 望月太左衛
* 「喜びありや喜びありや」 高らかな神代このかたの祝言が鳴り響く。三番叟の舞いが眼に立つ。
太左衛さんほど精力的な指導力をもった鳴り物の「先生」は少ない、のに、この勉強だ、敬服する。
* 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
遅くなりましたが、昨年末には秦さんの古希の記念歌集、お祝いもさせて頂くこともなく頂戴し、本当にありがとうございました。
これからも益々瑞々しい生き方をなさいますよう心よりお祝い申し上げます。
私の方は「偉い人より良い人に」と言う家訓を守り精進し、メリハリのある一年にしたく思っております。
Jan. 1st., 2006 京都宇治 隆
* 賀正 秦恒平さま。
明けましておめでとうございます。早々と電子賀詞を勿体無く頂戴しました。よき年でありますよう、お健やかでありますよう。
お導きいただきました電子の杖には、すっかり世話になり、欠かせぬ三本目の脚となりました。
年酒よりまずはお神酒のおらが春 (元旦のカミまうづ)。 秀
* 謹賀新年 秦恒平様
あけましておめでとうございます。旧年中は何かとお心遣い下さりありがとうございました。
実家から望む丹沢大山に似て、心のどこかに、いつもどっしりと秦さんのいらっしゃるのを感じます。それがとても心強い。私のラッキーのひとつです。
昨年は大波小波にもまれた一年でした。
先般秦さんがHPに書いてくださったメッセージ、そうかもしれないと身にしみたこともあれば、そうじゃないんですと声を上げたいこともありました。ただ間違いなく、私はしぶとく生きています。
それから、ご連絡、ご報告を。
三年前、一人暮しに戻ったとき心の吹き溜まりに風を通すような気持ちで細々書きとめていたもの、少しですが、お目通しください。
ふんぎりがつかず、なかなかお伝えする気持ちになれませんでした。ちょうど二年前で終わっています。その後も少しずつ書いてはいたのですが、モバイルの不備で大量にデータを紛失してしまいました。
また書くエナジーが湧いてきたら、更新したいと思います。
仕事についてですが、縁あって三月から**新聞社で編集をすることになりました。フリーランス契約なので、その他の仕事も並行します。やりたい仕事とは少しずれるのですが、大きな組織での経験を積んでみたいと決めました。
湖の本 これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。
新年早々なんだか無粋なお便り、すみません。
秦さんそしてご家族の皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申しあげます。
そして世界が平和に向かいますように。 笛
* 賀正 早速に新年のメール賜りました。有り難く、御礼申し上げます。
今年もまた、さまざま惑わしき予兆、思いは高潮のごとく響きますものの、表現技法に限りある身は、身悶えするばかり。
ご助言、ご指導、よろしくお願い致します。 2006-1-1 多摩河畔 甲子
* 風 あけましておめでとうございます。
ダストを吸い込んで、目・鼻・喉、体ぜんたいがほてるような、ぞくぞくするような、しんどい元旦です。
歳末転居で運んだ荷物が、埃まみれというわけではないのですが、花が過敏なのかな。
決定した新住所お知らせします。
姓の変更もお願いします。
新居からJRの駅へは、歩くと三十分くらいかかりそうです。行くなら、自転車か、車か、といったところです。
でも今年こそ風に逢えますようにと願っています。 花
2006 1・1 52
* 秦恒平さま 明けましておめでとうございます。
現在、大阪の堺にあるプール学院大学というところに単身赴任しています。忙しいところで、なかなか東京に戻ってくることができません。そんなわけで、年末年始は秋からの郵便物の整理に追われています。
ただいまもその最中ですが、頂いた「湖の本」の「花鳥風月」を読み出したら面白く、そのまま百人一首に入っています。事務的な仕事のはずの正月が、俄かに色づき出しました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。 修
* 早々に新年のご挨拶をいただき、ありがとうございました。
今年もまたご無沙汰のお詫びを申し上げなければなりません。正月休みになって、やっと少しゆっくりできる時間ができ、たいへん遅ればせながら、御高著を拝読いたしております。
ことに「好き嫌い百人一首」、あまた出ている百人一首本の中でも異色、家内ともども楽しませていただいております。御健康と御健筆をお祈り申し上げます。 比古
* おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
暮れも押し詰まって26日に人権委員会がありましたが、結局何をするのも大変だという感じで、何も決めずに終わりました。風邪を押していったのですが……… 嵐
* あけましておめでとうございます。いつもお心にかけていただき恐縮です。
それにしても七十を過ぎられたとは! 若々しい文面なので、つゆ思わず、びっくりいたしました。
幸い多い一年でありますように。 翠
* 明けましておめでとうございます。秦さんから年賀のメールを戴ける時代なんですね。誠に恭賀に堪えません。有難うございます。
今年も私なりに自分の道を歩いて行きます。
くれぐれもお体にお気をつけて、お過ごし下さい。またメールします。 宝生流シテ方
* 早々にメール賀状を頂戴し、ありがとうございました。お体にご自愛のうえ、ますますよいお仕事を……と祈念いたします。
小生のランニングコースの半ばに、歌人・三ヶ島葭子ゆかりの中氷川神社があります。小さな村の神社という趣で、境内には葭子の歌碑があり、次のような一歌が刻まれております。
はるのあめけふるけやきのこすゑより
をりをりつゆのかゝやきておつ
元旦の朝はいつものように6時に起き、初走りをかねて、ふだんは立ち寄らない中氷川神社に寄り道して初詣りです。蝋燭の灯りにほの明るく照らされた細い参道を息を切らせながら一気に駈けると本殿があります。帽子と手袋を脱いで、まずはお詣りです。
参拝が終わると氏子の役員さんに勧められるまま、かわらけの御神酒を一杯いただき、しばし村の古老たちと焚き火にあたって小休止です。
帰りはおみやげに蜜柑一個をいただき、また走り始めるのですが、走るたびに買い求めた絵馬の鈴がシャンシャンと肩口で鳴っております。今年も当地に移り住んでいらいの、かわらぬ元旦でした。
先日、日本ペンクラブのサイトにある「電子文藝館」を拝見しました。パーソナル・コンピュータがモノを書くツールとなって久しいものがありますが、そのわりに自立したパソコンのユーザーが意外に少ないのに驚かされます。たとえばビジネスマンでさえ、そんなありさまですから、モノ書きとなるとなおさら……。それゆえ館長としてのお仕事が、どれほど大変なものであるか、拝察いたします。
今年もどうかよろしく、お願いいたします。 作家
* 秦様 おめでとうございます。年賀状を有難うございました。
2006年はあなたにとって記念すべき良い年でありますように!
2005年は不思議な年でした。雑誌「ランナーズ」の「フルマラソン1歳刻みランキング」で、2004年4月から2005年3月までのフルマラソン(42.195km)完走者71歳の部の第70位に私の記録がランクされたのです。「競走よりも共走」を信条としている私の記録は公表するようなタイムではありませんが、そんなタイムでも表彰されたということは、これからも走り続けてゆく大きな支えとなります。友よ、元気で共に走りましょう。妻とは一緒にウオーキングしています。 韋駄天翁
* 賀正 石垣島からおめでとう。 畝
* ゆっくりした元日だった。一つには年賀状の返信を余儀なく欠礼しているから。プリンタが葉書を印刷してくれない、下三㎝ほどを重ね刷りしてしまうのである。もう手書きでは、あまりにシンドイので、いっそみなさん欠礼させていただく。先には「少年」で、新年には「湖の本」の跋で、代行させていただく。
さ、十一時半、やすもう。
2006 1・1 52
* 秦さん、新年明けましておめでとうございます。 敬・在英卒業生
初めて海外で迎える年越しでしたが、ところ変われば様子も違うものですね。
日本では26日になると、街中が一転して新年を迎える雰囲気になりますが、こちらではクリスマス飾りもそのままで、年が変わる瞬間だけ花火などでパーッと盛り上がって、Happy Newyear!という感じです。
12月に入った頃から段々と時間をかけて、旧年を送り新年を迎える気持ちを熟成させてゆくという事を、これまで意識しないうちにしていたのだなあと、今更ながらに気づきました。
周りの雰囲気にも影響されて、今年はイギリス式に、かどうかは定かでないですが、少し淡々と年の境を踏み越えたような心持です。
とはいえ元旦の今日は、日本から送って頂いたお餅と、少しですがおせち料理とで、ささやかながら正月料理を夫婦で楽しみ、初詣には行けませんが、平和な一年を祈る事ができました。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
* 迎春
あらたまの年の初めのことほぎを めでたくおさめ申候
しばらくでございました 暮れには「少年」をお送りいただきましてありがとうございました お礼遅くなりましたこと お詫び申し上げます
私事 多々繁忙のため あちら様 こちら様に言い訳がましく 上目使いで頭を下げているこの頃です 三月には定年を迎え 少しは私の時間があるはずです 何事も それからゆっくりと考えることにしておりますが .... さて
ほんとうに好い年になりますよう この世情の中に 私を如何に対峙させるかこれも これから考えましょう 限りある時間の使い方もあわせて
秦様のますますの ご清祥と ご健康を祈ります 女子大教授
* さっき起きました。
体調の悪さは、(引っ越し)ダストのせいばかりでなく、クリスマス頃にひいた風邪を、まだグズグズひきずっているようで、きのうは一日横になっていました。
荷物の片付けは一段落したので、早くよくなるよう、ゆっくりやすもうと思います。
こんな寝正月ですが、ゆったりと佳い新年です。
花は、風の声(メール)が聴けると元気になります。
* 謹んで新春のお慶びを申し上げます
何時も劇場にお越しいただき恐縮です。その三百人劇場も今年で閉鎖、感無量です。
今後も、何卒よろしくお願い申し上げます。
平成十八年 元旦 福田 逸
* 劇団昴に素晴らしい新たな根拠が出来ますように。
* あけましておめでとうございます、広島大学の***です。
昨年、梁塵秘抄の曲を現代風に蘇らせた桃山晴衣さんを紹介して頂きました。その節は詳しく御教示下さいまして、誠にありがとうございました。御蔭様で、しばし、古の曲風に思いを馳せて非日常的な時を過ごすことができました。
これが私の仕事にどれだけ刺激的・有意義であったことか。その成果を出すのが今年だと思い、「楽に楽しく」頑張ろうと思います。引き続きの御厚誼のほど、どうぞ宜しくお願いいたします。
寒さ厳しい今冬、お体を大事になさって下さいますよう、先生の御健康をお祈りいたします。 毅
* お正月に、先生の「少年」を拝読させていただいております さわやかな、清潔な、命のいきぶきに触れた思いの中におります。 俳人
2006 1・2 52
* 中学・高校の同窓福盛勉君から、年賀メールに添えて優れた自画像(2004)が届いた。
(写真割愛)
昔から繪がうまかった。だが美術の学校へ進んだ人でなく、その方面の職業を選んだ人てもない。どんな繪の勉強をしてきたか、なにも知らない。が、電子化された画像で見ても、六十年七十年を真摯に描き続けてきた人の、行き届いて立派な自画像であり、感銘を受けている。わたしの記憶にある昔の福盛君からすると、表情に格別の深みと柔らかみとがあらわれており、人生の滋味と痛切、掬すべき味わいがある。敬愛を覚える。
去年秋の古稀の同窓会で本当に久しぶりに顔を見合った。この絵にこう触れ合うために参会したかと思うと、行って良かった。
この「闇」には、繪を描かれる人、数多い。批評してあげて下さい。
* 秦先生 新年と古稀をお迎え戴きおめでとう存じます。
先生はまだまだ良きお仕事をなさって下さいますようにお願い申し上げます。
『湖の本』を拝読、理解させて頂けるよう努力中でございます。ありがとうございます。 玲・芹沢光治良先生ご遺族
* 芹沢作『死者との対話』について、心籠めて原稿を書き始めねばならない。
* 年賀状を欠礼と心決めてしまうと、こんなにお正月が悠々と楽しめるとは。
やっと、日付が三日に動いた。
2006 1・2 52
* 「本年もどうかご高教下さい」と、三好徹氏。恐れ入ります。
* 愛犬の指紋(?)入り「慶春」猪瀬直樹氏、「道路公団民営化」という「作品を仕上げた感じです。」と。意気を壮とし、奮闘努力に敬意を送ります。
* 石牟礼道子さん、「寒波きて なにか大切なもの 持ち去らる」と。
* 「遠く 吠えるか 足元を 見ずに」と、小松の井口哲郎さん。これは、考えもの。井口さんの例年の賀詞箴を、わたしはひそかにいつも我が課題としてきた。
* 「少年の文庫版ありがとうございました。いまさらながら、これが歌、と思います。」と、歌人の来島靖生氏。
* 「嬉しい読初めとなりました。
生命(いのち)ある朱(あけ)の実ひとつ
ゆびさきを こぼれて尾根の道天に至る
御厚情深謝致します。」と歌人の藤原龍一郎氏。
* 「御歌集『少年』拝受。多謝。
「なるほどね…」と、しばし沈思いたしました。
電子メディアの時代にも日本文藝の灯を消したくないものであります。」と東京大学教授・作家の西垣通さん。
*「旧臘は『歌集少年』を御恵贈下さいましてまことに有難うございました。
小泉首相の所為で日本が壊れつつあるのを感じます。日本社会の大事なもの、例えば”生活”とか”平和””アジア””民主主義”を、ノー天気に壊しているのです。」と元岩波書店の高本邦彦さん。この人が、提案一発でわたしに『最上徳内』連載を決めてくれたのだった。
2006 1・3 52
* 『少年』ありがとうございました。
青い時と云うのは素的ですね。
私が、始めて御目にかかった時には、もうこんなことしてらっしたんだと思ったら、涙が出そうです。
古希だから、私は年が明けるとすぐ、子供にかへろうかなあと、髪をオカッパにしたところでした。
私の場合は、形だけかも知れません。
私達も見事にとしをとりましたね。
幕を閉める芝居は、私、結構上手いと思っていましたが、人生の幕は上手にひけますかどうか?
ま、生きている間、身体が動けば、役者と云う仕事、續けてみたいと思っています。
「ラストシーン」見て下さったお礼もまだでした。
良いお年でありますように。 原 知佐子・女優
* 大学へはいる進学適性検査の日、まぢかに、「美学」志望の原(田原)知佐子がいて、わたしの面接教授がたまたま「美学」の主任教授であって、何を勉強するかと聞かれ、「歴史」のつもりであったのに、「美学」をと呆気なく路線を切り替えた。あれでよかったのかしらん。家に帰って「美学」にしたよと報告すると、父も母も「ヘッ」と絶句した。しかしまあそれほど田原さんの美貌は光っていた。だから、あれれというまに日活のニューフェースとして銀幕のかなたに飛んでいってしまったのも、致し方は無かったのである。ハハハ
* 謹んで初春のお慶びを申し上げます。元気に新年を迎えています。
日本語では、ウツ「空」という言葉とウツツ「現」という言葉がひとつながりの言葉であると読んだことがあります。「何もない状態をあらわすウツから何かが実在していることを示すウツツという言葉が親類のように派生して」いったというのは面白いと思いました。このウツとウツツの間を行き来して、「をかし」とも「あはれ」とも、生き生きと楽しんでください。
益々お幸せな一年でありますように。 初春
* このウツツ説はかなりあやしい。
空穂(うつぼ) 空洞(うつろ) 空蝉(うつせみ) のように、「うつ」が空虚・からっぽを含意した接頭語であるのは確かであるが、「うつつ」が、「何かが実在していることを示す」かどうか、実はそのように思われがちな「現実」もまた「うつ(の)幻」に過ぎないと認識していった経緯が、「語」の歴史的な展開に認められている。
うつが夢で、うつつが実在を意味したのでなく、そのように思いたいけれども、実は、現実もまた「うつろの夢」にひとしいと、時代を追って日本人は分かって行き、「夢うつつ幻」と、複雑な表情の「一語化」が進んでいったことは、中世に編まれた事典・字典などに指摘されている。
「うつつ」とは「実在(リアリティ)」どころか、「ゆめまぼろし」のごとくなる単なる仮象、それを認め損なって「確かな寄る辺」と誤解すると、とんでもなく「浮き漂って」しまうと、例えば閑吟集の小歌などは、端的に鋭敏に自覚している。この場合の「うつ=空」はブッダのいわく「空=くう・無」とは似て遠く非なる、ただのカラッポの意味。その意味では「うつつ」もまた「からっぽ(の)」状態を示唆している。
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
くすむ人 というのが、「うつつとは実在性のこと」と軽信する、「似て非な真面目屋」のこと。むしろ「一期は夢」と言い切るときに、人は真の「覚性」に手をかけている。
「うつつ」とは、今日の冒頭にわたしの謂う、「夢の通ひ路」に過ぎない。実在(リアリティ)とは何の関わりもない。
くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して
とは、「うつつ」と「夢」とを無意味に分別してみせる「真面目屋さんの誤解」を鋭く批評している。閑吟集の時代には、鎌倉以降の禅風がかなり民間にまで浸透していたし、戦国戦乱の無常からも彼等は多くを受け取っていた。「うつつ顔」は明らかに此処で嗤われており、しかもそれは「夢とうつつとが分かちがたい」ことを知らない迂闊さを嗤っていたのである。事情は平成の世にも変わりはしない。「夢うつつ幻」に何かの真実を求めても、「有るワケが無」いのである。わたしはそう感じている。
2006 1・3 52
* お年玉届きました。 ~昴
明けましておめでとうございます。
『少年』届きました。ありがとうございます。出版社に直接注文すれば良かったのですが、そのことに気づいたのは住所をお知らせした後でした。お手数、おかけして申し訳ありませんでした。
まだ数首しか読んでいませんが、本当に少年が詠んだの? と思うような言葉ばかりです。
山頂はかぜすずやかに吹きにけり幼児と町の広きをかたる
の歌は、なぜ幼児と一緒にいたのだろうと思いながら、高校生のころ、図書館で知り合いの子と一緒にいたことがあるのを思い出しました。
『最上徳内』は、江戸時代も、小林多喜二の時代も、今も大して違いがないなと思いながら、ゆっくり読んでいます。終わったら、別の湖の本を注文するかもしれません。
五日からのご旅行、天気に恵まれるといいですね。お気をつけて。
* 謹賀新年 二00六年 元旦 ロスアンゼルス
お揃ひで元気にお正月をお迎へになって何よりと お喜び致 します。
二日朝六時に起きて「翁」を観ました、始めてです。 美しい舞と言ふのでせうか、見終つた後 気持が良くなりました。
古稀 お目出度うございます。
ED は十二月八十歳になり この辺りに居る友達 20人程来てもらい その中には Kyoto からの50年来の友達も 元気で来ました。産まれた時手伝つた baby が52歳のおばさん。全く色々な事がありました。
今も横の棚に置いてある写真は、恒平ちゃんの可愛い学生さんです。
又 春頃にそちらへ行く積りです。歌舞伎は何をして居るかしら。藤十郎は今度は何月ですか?
まだまだ一杯見たいものや行きたい所があります。 どうぞお元気でーー又 会ひませうう。 千代
2006 1・3 52
* 謹賀新年 (渡部芳紀)
今年もよろしくお願いします。
今年は、NHKで四月から9月まで「太宰治」を講ずることになり、教科書執筆中です。なかなか進まず、電子文藝館の仕事も出来ず申し訳ありません。
お元気に良い年をお送りください。
正月は岩手に行ってきました。
* ホームページで先生のお写真を拝見し、お会いしたくなってしまいました。娘も大きくなり、歌を歌ったりしています。
寒い冬になりましたので、どうぞお大切に。 百合・卒業生
* 休みが殆どない状態ですが、楽しくやっております。また、秦先生とお会いしたいです。 昂・卒業生
* 日本外史読む国民学校生に乾杯。 元NHKプロデューサー
*「湖の本」の続く限り私の人生に終りはありません!! 四国・E-OLD
*「わが無明抄」の中で「一枚起請文」を見てなつかしうございました。実家浄土宗(知恩院派)で小学一、二年ころから暗記していて大人にほめてもらいました。発願文は高学年に暗記しました! 靖・京都
* 歌集「少年」惜しむように味わっております。 同志社大学名誉教授
* 楽しい京の集りでした。今年も頑張って下さい。
また会いましょう。 同窓・元昭和石油副社長
* 百人一首の御解説 私にはとても有難く拝読しました。 父方従兄
* 歌壇も混迷を深めているようです。 歌人 山形市
* 電話して、この高橋光義さんの『哀草果秀歌二百首』を「ペン電子文藝館」にもらう。いま校正しているが、館でもピカ一級の選歌である。
* 今春は早くから寒いですね。冬らしくていい、などと言っては周りに嫌われています。良いお年でありますように。 元同僚
* 今年は、第二子誕生や転勤も予想され、バタバタとした生活になりそうですが、しっかり腰を据えて頑張っていきたいと思います。 卒業生・国交省
* 歌集「少年」 驚嘆するばかりです。 佛教学者 新潟
* 歌集読むたびに世界がひろがります。ありがとう。 同窓・京都
* いつもよい本をありがとうございます。楽しみます。 崇・作家
* 年賀状の殆どが印字になって久しく、肉筆で書き添えられた文面に出会うと懐かしい気がする。それが出来ないくらいなら仕方がないと思い、年賀状を思い切ってやめた。わたしの場合には「湖の本」の跋や、また元旦を迎えて即刻送るメール同報の賀詞が、数百人もあり、かなり足りている。
2006 1・3 52
* ようやく起きて、買い物などしてきました。
ちょっと出かけただけでグッタリしてしまいましたが、体に力の入らなかったきのうまでにくらべれば、よくなっています。引っ越しで張っていた気が弛んで、治りきっていなかった風邪がぶりかえしたのだと思います。
喉が腫れて痛かったし、鼻はかみすぎてボロボロ。シーズンに一度は風邪を引いてしまうんですよ。
でも、うんと酷くならずに済んでよかったです。
あとは皮膚。アトピー性皮膚炎みたいに赤くなっているところは、マメに保湿して、気長にみていきます。
富士山、この二三日で、すっかり雪の冠をかぶりました。
山の見える風景は落ち着きます。山に囲まれて育ったので。
赤城、妙義、榛名、浅間、そして富士。山もそれぞれ、顔が違いますね。今度、家から見える富士の写真を送ります。おっきいですよ。
あさって、後便の荷物が来たら、落ち着けるでしょう。もうひと頑張りです。
風は旅行ですね。
あまり歩き回らずに済みますように。気をつけて行ってらしてくださいね。
風の声の聞けないのは寂しいけれど、おとなしく待っています。 花
* 富士の裾野といってもいわば三百六十度ある。名古屋近郊よりよほどむしろ遠くなったようであるが、富士山があまりに常平生から「おっきい」新居らしい。三百六十五日「富士」の表情を短くスケッチして日記のかわりにするよう薦めている、藤村の小諸での文章でのスケッチのように。
* 新年あけましておめでとうございます。毎年、先生のご丁寧な年賀メールを楽しみにしております。
> 京都で、坂田藤十郎襲名の顔見世狂言を楽しんできました。
顔見世は高くて手が出せないので、今日は、井上ひさしさんの「太鼓どんどん」を同じく南座で観劇してまいりました。久しぶりに、楽しく分かりやすい芝居を見せていただきました。
青空文庫倶楽部「みんなの輪」と称して、拙いコミュニティサイトを開設いたしましたので、もし、ご興味がありましたら、ご訪問ください。
http://aozora.nishinari.or.jp/
先生のご健勝と、日本ペンクラブと電子文藝館のご隆盛を願いまして、年賀メールのお礼とさせていただきます。
2006 1・3 52
* 明けましておめでとうございます 本年もどうぞよろしくお願いいたします.
昨年は8月に結婚し,新しい生活をどうにか確立させようと奮闘しておりました.一人暮らしが二人一緒に暮らしているだけの生活という面が多々あり,まだまだ精進が必要です.今年は仕事とのバランスもとって,腰をすえて頑張りたいと思います.
もしよろしければ,「湖の本」を継続してお送り頂きたく思います.
新しい住所は以下です. よろしくお願いいたします.
素敵な一年になりますようお祈り申し上げます. 博士課程卒 東大勤務
* この女性は四年生をとばして大学院に推薦された。力を大学が認めた。(他にも例があった。)
あのとき、この人は意見を求めにきた。わたしは即座に言った、喜ばしいことだ、だが、まちがっても「一年分トク」すると思ってはいけない。学部四年生という「一年間の体験をソン」するけれども、その分も頑張ろうと覚悟して進むようにと。そして拍手を贈った。いまは東京大学の先生をしている。この人達を連れて歌舞伎座で勘九郎の弁天小僧の通し狂言を大いに楽しんだ日を忘れない。真ん中の、前から四五列めの佳い席であった。わたしに「先生、歌舞伎を観せてください」と率直に頼んできた学生は、この子達だけであった。
率直というのが、なにより、いい。思わせぶりにほのめかすのは、源氏物語の連中ならば似合うか知らず、ことにメールの往来ではかえって誤解の種になりやすい。
* あけましておめでとうございます。
遅ればせにパソコンでメールを送れるようになりました。
以前は家庭の電話にメール機能が付属されたもので、今ひとつ使い勝手が悪かったのですが、これからは少し気軽に先生にもメールを差し上げられると思うと、新しい世界が広がりそうな気持ちがいたします。
今後ともよろしくお願いいたします。 2006年 正月 岩手県一関市 萬
* もっとも早くにわたしに「小説」を送ってきた読者であるが、その後に永い空白がおかれた。しかし地元でときどき書いているらしいエッセイよりも、この人、小説に期待が持てた。子育てや家庭のことがあったのか。メールで、少しずつ何かが見えてくるかも知れない。
* 年頭には、自然、こういう新たな展開で人間関係がひろがる。年賀状でもそうであったが、ああよかったと思う人の久しぶりの声や言葉も聴かれた。
* 仕事始めです。
おめでとうございます。
本(少年など)、届きました。
ありがとうございます。
私も「贋作・罪と罰」は観ました。昨年観た演劇の舞台はこれ1本だけ。
今年はもう少し観たいものです。 雪 卒業生
* 或る意味でメールでの「名文」サンプル。ベテランの新聞記者なみ。忙しい仕事をしながらのメールの基本は、まさしくコレだと思う。もう少し書いてくれよとも思うのは、こっちの勝手である。あの芝居好きが、年に一作とは、よくよく気忙しかったのだろう。九日がお休みなら、渋谷で、梅若の能「翁」を一緒に観ますか。
* 旧年中は大変お世話になりました。復職し、仕事も子育ても楽しく、忙しいながら幸せにしています。幸い、体調も大きく崩すことなくいますので、ほっとしています。
もう少し余裕を作って、ぜひお会いしたいです。 麻・卒業生
* 嬉しい朗報。元気でいて欲しいといつも願ってきた。どうかうまく体調をととのえととのえ、大事に生活してください。弓の三人組いっしょに歓談できるといいですね。頑張ってください。
* いつも「湖の本」大事にしています。ありがとうございます。大学時代からもう10年。先生も少し白髪がふえたりしているかな…。 芽・卒業生
* 正門を入ってしばらくして、うしろーの方から駆け寄ってきて、腕を組んだ。「先生の匂い、したんだもーん」と。心うれしくもまたフクザツ。ま、匂宮か薫君かのようなんだと思うことにした。
妻は、東工大の学生さんでそんなこと言ってくれるのは、「めぐちゃん一人でしょう」と宣った。ほかの学生たちには「クサイ」先生なのか。そうであったろう、とにかくあの通勤にも授業にもたくさん汗をかいた。
* ぼちぼち社会復帰しております。
今年は、お茶用に着物も着られるようになりたいと考えているところです。 菜
* そういえばウチの「建築」諸兄姉たち、例の強度偽装事件で発言がないなあ。
* 古希の茶事を始めます。 亭主がどこまで楽しめるかの挑戦です。 同窓・割烹「梅の井」主人
* 客に十分たのしんでもらうのが亭主の楽しみ、であるように。「挑戦」という茶では、なく。
* いつもたくさんの御作ありがとうございます。
底深さ幅広さに感嘆しています。 作家・大阪
* 冬至に古希を迎えられた由、お慶び申しあげます。
歌集「少年」、大晦日に拝受いたしました。年譜を眺めながら感慨ひとしおです。
医学書院以来の長い道のりを私も今日までただひたすら、一途に歩き通してきました。
いまは家内と二人暮し。私も八月に古希を迎えます。 ハードボイルド翻訳家
* 職場の後輩に、早稲田を出てきて、学生自分からのミステリーやハードボイルドの翻訳仕事を盛んにやっている人がいた。書き仕事という点ではわたしの先輩であったし、わたしがひそかに小説など書こうとしているのを知ると、雑文を書いてみないかなどと薦めてくれた。そういう真似はわたしにはムリだった。この人は、多分わたしが太宰賞をもらうより前に退社した。筆名での翻訳本の広告をときどき見かけた。
社内に机を並べていたころ、奥さんの妊娠を容易にすべく専門医を紹介してくれないかと頼まれ、築地産院の竹内繁樹院長のところへ奥さんを連れて行ったことがある。その診察の結果はよく、無事に赤ちゃんが出来たというような噂も聞いた。日本ペンクラブにも名前を連ねていた時期があったが退会したらしい。何十年一度も会わなかったが「少年」を送った。
* あふれ出る思いを一気に書きあげた歌を読ませていただき、感動しました。
朝地震(あさなゐ)のしづまりはてて草芳ふくつぬぎ石に光とどけり 恒平
夕すぎて君を待つまの雨なりき灯をにじませて都電せまり来(く) 迪子
どれもこれも素晴しく、何度も読ませていただきました。 俶・大阪市
* ほんのかぎられた知友に、この二首で、結婚を通知にした。新宿区河田町のアパート「みすず荘」に六畳一間を借り、新婚の新居にした。近くの若松町から都電に乗り、飯田橋、お茶の水も経て万世橋のちかくで乗り換え、本郷五丁目の医学書院へ通勤した。慣れると順天堂前で都電を乗り捨て、会社まで歩いた。その方が遅刻の心配が少なかった。
当時わたしは定期券以外に、長い間財布を持ってなかった。余分の一円も使えなかった。会社では、食券十五円の白い丼飯と味噌汁の昼飯。汁を飯にぶっかけ、ときどき、備えてあるソースか醤油の味を汁かけ飯にくわえて、それで一年も二年も過ごした。
小遣いができるようになると、少し背の高い岩波文庫古典の古本を見つけては買った。その中に『梁塵秘抄』があり白石の『西洋事情』があり『耳袋』の上巻だけがあった。
そんなビンボー暮らしの中から、三年して小説を書き始め、五年目には私家版をつくりはじめた。
結局わたしは四冊もの私家版で、百五十、二百部と、小説やシナリオ本を作ったが、妻はひと言も苦情を言わなかった。表紙の繪をいくつも描いてくれた。かかった制作費用は、四冊とも足すと、信じられないほど莫大であった。
後に、古書の市場で「四冊」五十万円以上していたときは、思わず唸った。すでにわたしの懐とは無縁な、よその売り物でしかなかった。しかし、一度も手持ちの私家版をその手の古本屋になど持ち込まなかった。
* 今年もどうぞよろしくお願い致します。
何となくのんびりしていましたら、あっという間に三が日は終わり、『北の時代』を読み終えるつもりでしたけれど、2頁読んだのみで果たせずでした。
2月の始めに北へ発つまでには読みたいと思います! 今年は山陰地方はごうぎな雪(母談)だそうで、大晦日になっても出雲からお餅が届かず、少しはらはら…。紅白も始まった8時過ぎに無事到着、めでたしめでたしとなりました。 ゆめ
* 御歌集「少年」のご恵授に与りありがとうございました。早熟な歌才に驚きつつ拝読しております。森秀樹君(=同僚委員)から時折、お噂を伺っております。機会あればお目にかかりたく存じております。 歌人
* 御高著「少年」 韻文のちからについて改めて考えさせられております。 多謝 近代文学研究者
2006 1・4 52
* 六時、わたしだけ起床。遠足前のこどもみたい。九時過ぎに出かけ、長野の美ヶ原へ。無事な、いい小旅行になりますよう。
黒いマゴも、どうか、元気に無事ですように。すぐ帰ってくる。
* お帰り、お待ちしています。 春
* おめでとうございます。
古稀の寿ぎ・初春のお喜びを重ねて申しあげます。
『少年』 ありがとうございました。
私は、故郷へ本格的に帰り、工房だけの日々との違いにとまどっております。魚だけは新鮮ですが。
冬の美ヶ原へお出掛けになるのでしょうか。扉峠をはさんだ鉢伏山へ絵を描きに行き、20年ほど通いました。
とてもなつかしい。
信州が好きです。 蜂・千葉県
* 建日子さんたちとご一緒の旅なのですね。冬枯れの野を前に野天風呂も一興のことでしょう。どうぞお気をつけて行ってらして下さい。
マゴ君はひとりでお留守番かな? ゆめ
2006 1・5 52
* 年末には記念のご本をありがとうございました。何種類かの『少年』の中でも今回のものはひときわ小ぶりに愛らしく初々しく、ただただなつかしい、そんな思いでありがたく拝受いたしました。 上北沢
*「看護学雑誌」編集の頃の看護婦さん筆者の一人。わたしより少し年輩。数十年の懐かしい仲良かった友でもある。この人ものちのちエライ看護学研究者として大学の教壇に立っていた。朝日子が、わたしの注意を尻目に弓を引いたりバドミントンをやりすぎ、右の肱を傷めたとき、日赤へ入院の世話をしてもらったのが、この人。滑り台から落ちて腕を折り東大に入院したり。盲腸炎の術後をこじらせたり、朝日子もあれでけっこう吾々を心配させた。たくさん喜ばせて呉れもした。
*「少年」ありがとうございました。京都に住んでいてこそわかる趣きに少しだけ触れさせていただけたように感じたのですが、歌と京都が持つ奧の深さをおもうと私などにはとてもとてもという気もいたしました。 美術研究家 京都
* 保谷まで、京都からわざわざインタビューに来て下さったことがある。美大の先生。大学の恩師の追悼会だったか、すてきに感じの佳い人がいるなあと心惹かれたまま何も知らず東京に帰り、その当の人が保谷の田舎町へ突如現れたときはビックリした。いい記事に纏めて頂き、それも湖の本に入れてある。ずうっと湖の本も講読し感想も下さる。恐縮。
* 先生の早熟ぶりの伺える、瑞々しいお歌ばかり、若さとは素晴らしいことだということを如実に明かしてくれる好歌集と存じます。 紅書房主人 俳人
* 歌集「少年」 透明で凛として、さわるとはじけそうなナイーヴな少年の心がなつかしく、読み返しています。母上のことも感動しました。 北沢
* 歌集「少年」 透明で凛として、さわるとはじけそうなナイーヴな少年の心がなつかしく、読み返しています。母上のことも感動しました。 北沢
* 「はぁーい秦さん」
謹賀新年 お年賀のメールもこのメールもありがとうございます。つながってよかったです。
年の初めもお元気で、「美ヶ原」へも行かれるとは!! ご同慶にたえません。息子さんに「連れられて…」って最高にうれしいですね。
マシンもすっきりしませんがこっちも呆けました。もう少し頑張ってみますが。
この寒さは危険です。くれぐれもお大事にしてください。 千葉E-OLD
* ご無事でお戻りでしょうか。
松本の天気はいかがでしたか。楽しまれましたか。
こちらは5、6日と雪がちらつきました。
今日、隣の市まで行く途中、車窓から見える茶畑が雪をかぶっていて、パウダーシュガーのかかったお菓子みたいで、おいしそうでしたよ。
体調はすっかりよくなりました。 花
2006 1・7 52
* 拝啓 先般は歌集『少年』をご恵送頂きまして、こころから感謝いたします。自分もこのタイプで句集を出してみたくなるような瀟洒なつくりを、先ずワイフ共々目を細めて拝見しました。寺山修二の歌集が好きですが、初々しくも透明な心で詠まれた、「故旧を食べながら生産しつづける」(竹西氏)秦さんの本書の歌には魅了され、自分の少年の頃をつい思い浮かべてしまいました-戦争で殺伐とした時代でしたが。
秦さんの四冊のノートには含まれていない 「川柳」を勉強している自分も、ご同様に師はなく、同人もー社に限定しています。
『昭和万葉集』の歌については忘れていましたので、今度読んでみます。因みに、『昭和万葉集』の編者の一人・高崎隆治さんも群れるのを好まず、戟時中のマスメディアの犯罪を書き続ける反骨の士で (奥さんが朝日カルチャーの私の受講生でした)、よくご著書を頂戴しました。
本書の解説はそれぞれ参考になりましたが、私と似た道を歩いたらしい田井氏のものが率直で、一番面白く読めました。
何度も朗読しながら鑑賞し、少しでも少年の心に接近してみたいと思います。貴重な機会を与えて頂きまして有り難うございました。
実は十二月後半に背中の真ん中に瘤(粉瘤)が出来、手術して連日ガーゼ交換と点滴で随分痛い目をみました。今年は生活の上でも庶民(特に老人)は痛い目をみると予想します。
ご健筆のほどをお祈りいたします。 敬具 川柳作家
2006 1・8 52
* やっと電話問い合わせに出てくれた。「今日」 十二時開場、一時開演 と。そしてよく観ると研能会インタネットトップ記事の「一月初会予定」は、なんと昨年 2005年の分が据え置き。更新していない。怠慢。
* 七十の賀をお迎えになりました由、心よりお祝いを申し上げます。記念の貴重な御歌集を頂き、ありがとう存じます。
栴檀は双葉より馨し、十六、七歳のみづみづしい感性におどろきつつ、読ませていただきました。あの閑吟集の名解説は、すでに十六歳の秦さんに内在していたのですね。
尚 一層の御健勝をお祈り申し上げます。 小旅行をしていまして拝受の御礼がおくれました。お許し下さい。
一月五日 讀賣文学賞の女性エッセイスト 父方親戚
2006 1・9 52
* 矢来へお出かけありがとうございました。
「翁」の真摯なご感想ありがとうございました。特に今日の梅若先生たちの「翁」のよさを読ませていただいて、能の見どころを教えていただいた気がします。自分で矢来に行きましたより、良い見方ができた気がします。ありがとうございました。
月例の会ともなれば、見慣れた先生方の謡、能となると身内気分で見ているようで、真剣に見ていなくて、本当のところが分からなくなっているのかもしれません。
月例の会は社中の弟子たちへの教えの会と思うのですが、毎月伺っていると私にも、先生方の疲れが見えるようなときもあり、ちょっと残念なような悔しい気がするときがあります。
寒い中お出かけいただいて申し訳ありませんでした。
秋に梅若万三郎・(野村?)万作(梅若万佐晴?)師の「石橋」二人での舞囃子を見ました。扇も何も持たずに二人で舞われたのですが、その時の身の引き締まる感動を今思い出しています。鏡花の「夜叉が池」の能楽劇で梅若六郎師の舞台だったのですが、その劇の前に舞われたのですが、私は二人の舞の美しさに身の引き締まる思いがしました。
今年も、矢来の月例会のほかになるべく別の能舞台を月に一度は見に出かけたいと思っています。
このごろは都民劇場で、歌舞伎が毎月決まって見られるので、それも楽しみです。先日隣の席の方が90歳で一人で来られていることをお聞きし、20年の楽しみの未来を見せていただいた気がしました。感受性も失わないようにしたいなと欲張ったりして。
HPでの舞台の感想を楽しみにしております。 晴
* すばらしくいい座席を貰っていた。能はあいにくであったけれど、こう言っていただき、安堵した。
もう日付が変わっている。今夜は「八犬伝」を心行くまで読んで寝よう。
2006 1・9 52
* 福盛(勉)氏の自画像、HPから画面を取り込んだら大きな画像になって、それで顔半分だけのそのかわり細部までよく見えます。もともとのサイズはおそらくこの位かと思われます。
絵に対する評は、「表情に格別の深みと柔らかみとがあらわれており、人生の滋味と痛切、掬すべき味わいがある。敬愛を覚える。」と書かれて、それに尽きているかと思われます。
蛇足で付け加えますと、最初に見た瞬間の一種の違和感は、おそらく服のやや緑がかった青とバックの紅色でしょうか。補色関係にある、一般的にいえば強いコントラストを感じさせる色合いの真ん中に穏やかなお顔が現れています。が、穏やかと言い切ってしまうには惜しい。目には力があり物事を見定めて、多くを見てきたことでしょう。
もっと奔放な連想を誘うものもあります。七十年を生きて誰しも単純に人生を括れない、そういうお顔です。バックの紅、唇の紅から発散されるもの・・これはわたしの考えすぎ、か? ただし誤解されないように。画面からある爽やかさ清潔感が紛れもなく漂っています。
わたしのこの一年は漠然としたままですが、二月にヴェネチアに行きます。一人で行くはずだったのがいつの間にか娘二人と一緒にいくことになりました。長女はまとめて休暇がとれる仕事の環境にいますし、次女は二年間頑張った会社を一月末で辞めて、ほとんど休めなかったこの二年間の、埋め合わせの旅を楽しみにしています。東京で仕事を新たに捜して暮らしていきたいそうです。「住めば都」と言いますが彼女にとってはその通りで、母であるわたしは「住めば都」とならぬ日々を暮しています。愚かなことですが、住む場所は人に大きな、あまりに大きな影響を及ぼします。
10日午後。今しがた葉書きが届いて、市展に出したもの、今年は「奨励賞」とか。昨年のような喜びはなく淡々と受け取った感があります。入選は応募の約三分の一なので、落ちなかっただけで十分なのですが。 鳶
* 同年代、藤江夫人の福盛君自画像への批評も知りたい。
* 昨日の「夢の美術館」に江里佐代子さんがずーと出演されて、いいお話をされておられましたね。全部で5時間 めずらしく私はみ通しました。
アジアの仏像をたくさん紹介されている番組でしたが なかなか見ごたえのあるものでした。さすが江里さんは詳しいですね。仏像と接して今までですものね。伊藤ほうじ氏の十二神将なども。私には興味のあるものばかりでした。京都や奈良のお寺なども沢山でてきましたし 恒平先生でしたら・・・? とか思いながら見入っていました。
美しい真冬の高原や歌舞伎やお能などなど、お楽しみでよろしゅうございますね。
やっと私は開放されて、いよいよ制作を考えねばという心境です。
まず水彩から始めねばと今は思っておりますが。まったくの白紙です。モチーフからです。仰せをまもりながら考えてゆきます。ではごきげんよう 郁
* ご旅行プランは三十代向きなので少し心配していましたが、楽しく、ご無事にお帰りで嬉しく思いました。なんてやさしい息子さんをおもちでしょう。しあわせな方! 今日から話題のドラマ「アンフェア」(原作が建日子作河出文庫『推理小説』)が始まるそうですね。期待しています。
毎日冷えていますので、どうぞお風邪など召されませんように。 春
2006 1・10 52
* 秦恒平様 あけましておめでとうございます。
そこまで降るか—-という大雪の新春。美ヶ原より無事ご帰還でなによりでした。
パソコンを置いている部屋が寒いのと、正月は何かと忙しくゆっくりと秦様のHPも拝見していなかったのですが、突然私の名前が出てきて—!!!
急いで福盛様の自画像を拝見しました。(前にこの辺りをさっと読んだときには、絵はなかった気がする?)
感想(など申すもおこがましいのですが)の前に、まず新春早々の私の絵にまつわる話を聞いて下さいませ。
正月四日の朝、突然、今は亡き叔父の連れ合いY子さんから電話が掛かってきました。
丹波園部にある母の実家が区画整理区域に入っていて、近々家を取り壊すとの話は聞いていたのですが、
「片づけてたら、もと子さんの子どものときの油絵が出てきましたん、捨てて良いですか? それとも東京へ送りましょか?」
(京都の家をたたむとき、なんぼかの荷物を母が実家に預けていたのを思い出した。)
「それ—-どんな絵ですかしらん?」
「人形さんの絵ですわ」
初めて私学展に出し、池田遙邨画伯が講評してくださった、あの絵に違いない、
「それやったら—すみません、是非送って下さい」
六日の昼過ぎ、大きな段ボール箱が宅急便で届きました。
見覚えのある12号のその絵の他に、もう忘れてしまっていた絵が三枚。触るのもちょっとためらうくらい薄汚く埃りにまみれて出てきました。
しかし油絵の具で描かれた色彩は驚くほど鮮明でした。
ところがこれらの絵が、その前日から私が一念発起して窓辺の花鉢を描き始めた絵とびっくりするほど似ているのです。
同じ人間が描いたのだから似ていてもおかしくはないと言うものの、50年以上も経っていて、どうしてこんなふうに同じように感じて、同じような色を塗っているのか。
良く言えば、50年前と今と感性が変わっていない?
悪く言えば、50年経っても進歩がない?
そのどちらも正しいように思えるのですが、中学生のときの感性がもし、今も私の中に残っているのであればなんと嬉しいことか。
しかし、50年余の人生を経て、今の絵にもそれなりの何かが出なければやはり困るなあ—とか。
秦様の歌集『少年』がしっかりとその後の秦文学に繋がり発展するように、私の昔の絵を今に繋ぐことができればどれほど素晴らしいか—-とか、いろいろと、この数日考え続けていたのです。
さて福盛様の自画像に戻ると、
このような「現在」の福盛様のお顔にも、きっと少年の頃と変わらぬものが描かれているにちがいない。(秦様には見えても、私には見えない。)
70年の人生へのご自身の万感も加わっているにちがいない。
でもそれに比べて、ブルーのシャツがあまりに簡単に処理されていはしないか、シャツのなかには、昔通りの骨格と、もう若くはない皮膚や肉が入っている。シャツは何色でもよいのですが、私はそれも感じさせて欲しいです。
バックの赤は、私には赤不動尊の背景のように見えて、福盛様の覚悟をみる思いです。
なまいきな事を書きました。
今日ふとしたご縁で知り合った方とそのご友人の、「二人展」を拝見してきました。
かつては大企業で国際的に活躍された方なのですが、熱心なクリスチャンで世界平和のために非常にメッセージ性のある作品を描いて居られました。
同志社へも来られたことがあるそうで、アーモスト(英語式にアマスト)館の話など出て驚き、懐かしいでした。 2006/1/10 藤
* 「藤」さん夫君と福盛君とは同じ(元)粟田小学校の同期・同窓。
* 旧友のためにお節介をしているつもりではない。夫人に死なれた苦痛を抱いている人を、少しでも励ましたいのである。自画像であるところに、わたしは君の毅い意志と健康とを感じている。またまたまた新しい繪を見せて欲しい。
年賀状にメールアドレスを添えて来て。どうか力づけて欲しいと苦境をうったえている高校の友人もいた。さ、どうすればお役に立つかと考え考えしいる昨日今日ではある。
2006 1・10 52
* 書き忘れていましたが、「のようというのだ」の謎がとけて嬉しいです。エッセイを読んで、猛省しています。すぐにノートに書き写しました。
自分の文章を読み直してみると、想像以上に「(の)ような(ように)」「という(といった)」「のだ」と使っていることが多いのに気づき、恥じています。一行たりとも安易に書いてはいけないのに。
小説においても、文章を「説明するツール」にしてしまってはいけないのは当然で、書く心構えとして、益々苦心、集注して推敲する大切さを噛みしめていきたいと思いました。
ベートーベンはどんな長大な交響曲でも一小節を平均七回だか九回だか(たしかな数字は忘れてしまいましたが)書き直していると読んだことがあります。「推敲」の意志(ちから)こそ天才を創るのだということでしょう。「のようというのだ」はとてもわかりやすいご指導で、お礼申しあげたくなりました。
これから夕食の支度です。料理も細かいところを手抜きすると絶対においしくできませんね。 春
* 今日は車で市内をうろうろしてきました。
まずガソリンスタンドに寄ってから、図書館へ。貸し出しカードを作り、本を見たり、「のようというのだ」に気をつけて推敲したり、三時間くらいいて、次はホームセンター。最後に、スーパーで食品を買って、おしまい。
郵便ポストを探して、近所をぐるぐる回った以外は、迷わず走れました。
日が落ちると、景色がぼやけてきます。眼鏡を忘れたので、ちょっとこわかったです。視力が落ちたのかなあ。
風にいつか自然にお逢いできる日を楽しみにしながら、当市のいろんなことを覚えてゆきます。
花は元気に待ちます。風、お大切に。 花
* 富士山とずいぶん仲良くなったろうか、花は。太宰治は月見草がよく似合うといったけれど、やはり月並みでも、櫻ではないのかな、富士には。
* 冬の乾燥と呼吸器のこと ホテルはエアコンなどで異常に乾燥します。ヨーロッパの乾いた空気でさんざん喉を傷め風邪に苦しんだ経験から、冬のホテルに泊まる時には、浴室に半分くらい湯をはって扉を開け放して寝るか、バスタオルを(ハンドタオルでなく)ぐしゅぐしゅに濡らしてベッドの近くにかけておきます。それでも朝にはバリバリに乾いているのは驚き。
京都にお泊まりの時には、是非実行してください。インフルエンザの予防になります。 真冬
2006 1・11 52
* 移ってきた、富士山の見える市は、小さな街、という印象です。
わたしは田舎で育ちましたから、こういう街がいとおしい。東京、大阪、名古屋など、大都市はあるけれど、日本の国土を成しているのは、おそらくほとんど田舎でしょう。創作のとき、わたしの念頭にはいつも名もなき街があります。
週末にかけて、少し暖かくなるようです。暖かい風でいてくださいね。 花
2006 1・12 52
* 念願の来迎院へ
年が明けてからもう半月を過ぎてしまいました。遅ればせながら
☆ 秦先生のご健康をお祈り申し上げます ☆
暮から元日は主人とふたりだけの静かな時間を過ごしました。全員集合のイベントは海外にいる息子たちの都合で十二月半ばに済ませたのです。
明けて二日から一週間ほど父(92才)の世話・母の話し相手・弟夫婦への感謝をかねての里帰りをしてきました。
年毎に時間の流れの加速を感じます。いつの頃からか、《出来るときにしておこう!》と思うようになりました。
先日 念願かなって、御著『慈子』の《来迎院》を尋ねることが出来ました♪
この日、《桂離宮》の拝観を朝一番の予約とあって、拝観者は三人だけの贅沢な時間でした。
昼食をゆっくり街中で済ませ 東福寺まで南下。お正月明けのこの時季は、殆ど人気(ひとけ)なし。通天橋も私たちだけの静けさ。東福寺へは二度目。今回は、湖の本にある《京 五六日》を道案内にさせていただきました。
”泉涌寺参道へ出たら土地の人に道筋を聞くといい”と仰せの通りそれらしい方に道を聞きながら参りました。
東福寺を出たのがもう午後三時近く 即成院で那須与一の塚も忘れずにお参りし、戒光寺へ。ご本に ”本堂へ上がってみるとよい。” とのこと。本当に素晴らしくやさしい《釈迦如来立像》でした。首を曲げて・・・深~く覗き込んで拝みました。
時間を気しながら泉涌寺へ着いたのが午後四時で閉門でした。覚悟はしていたものの少し気落ちしながら、泉涌寺を後に。
諦めながら《来迎院》へ・・・誰一人いない。受付も閉まっている。『ご用の方はボタンを押してください。』とある。
《静かなしずかな来迎院を拝見できたのです♪》
”慈子”の家の縁側・下座床のある小間、その前に小さな池・庭伝いに歩きながら、一つふたつ思い出していました。(独鈷水の井戸は水面が下がってしまったとかで閉まっていました。)
いつかまたゆっくり出かけることにいたします。今度は朝一番に泉涌寺一帯をを訪れてみたいと。。。そして帰宅してからまた”慈子”を読み始めています。
嬉しさのあまり長いこと書き込んでしまいました。感謝いたします。
いつにない厳冬ゆえ くれぐれもご自愛下さいますように。 愛知 一枝
* 嬉しいお便り。戒光寺の丈六釈迦立像、来迎院の静謐、通天橋の清寂。こう書き写すだけで生気が奔ってくる。
「いつの頃からか、《出来るときにしておこう!》と思うようになりました」という述懐に耳がとまる。
2006 1・13 52
* 昼ね 「ごあん」をいっぱいたべて、じゅくすいしています。真っ赤なホッペの幼児の寝顔は天使のよう。ところが、起きるや一刻も目が離せないやんちゃ坊主の孫に変身です。
**ちゃんに是非、と誘われて、銀座松屋の古九谷展を観てきました。出会って、おしゃべりするのも楽しみに。
派手な彩りが好きでなかった九谷焼、混雑に揉まれながらじっくりと観ていくと、惹き寄せられる何点かの古九谷に出会い、ちょっと幸せでした。源氏物語を題材の陶器や屏風、お茶道具を観る、と自然にお茶のお稽古に通った頃が話題となり、「更級日記」の講義を受けたね、と。
彼女は一に「親指のマリア」をいたく誉めていました。私の一の「みごもりの湖」、これは二だそうですが、まだ購入していないとか。
テレビの中でオイシソウな旬の生牡蠣を食べていました。的矢の生牡蠣が食べたいよ! やれやれ、やんちゃが起きました。 泉
* 京都、のばらです。
本降りの雨です。
賑やかなお正月も過ぎて、我が家は一週間前から日常の生活に戻りました。 明日は、もう小正月。子供の頃の、お鏡さんを割った少しカビ臭いお餅の入った小豆粥が懐かしいです。
歌舞伎、お楽しみでよかったですね。奥様のお風邪はいかがですか。くれぐれもお大事になさってください。
お陰さまで私は元気です。
冬の京都で、ほんのひとときでも、廻り合えないかな、なんて思ったりしています。お大切にお過ごしください。 従妹
* むかし七十なんて途方もない、殆ど人間卒業の年寄りだと想っていた。ところが自分が七十になり、またこうして七十にごくまぢかい、孫の何人もいる女性のメールをもらって、しかし孫ともそれとももし注していなかったら、そんな年の人のメールとは読まないであろう。二十代でも三十代と読んでも何の不審もない。
メールの問題ではない、人は生理年齢こそ加えていっても、言葉も思いもその連動も、かように若いときのままである。但し健康であればと言葉を添えねばウソになる。健康でありたい。
* 駅までは、自転車で十五分くらいです。実際に走ってみると、たいした距離ではありません。
車だと、赤信号や混み具合によりますが、早ければ五分くらい、十分十五分みておけば大丈夫。田舎では、公共交通機関が網羅されていないので、みんな車を持ちます。運転できない若い人やお年寄りが遠くへ行きたいときは、誰かの車に乗せてもらうしかありません。お母さんが子供を、お嫁さんがお姑さんを送る、など。運転できない人にとっては、公共交通機関が近くを通ってくれるととても便利ですが、みんなが車を持つゆえに発達しない悪循環に陥っています。
地方都市の主要駅の周囲には、たいてい大規模な駐車場があり、「一日いくら」で停められるんです。みんな駅まで車で行って、至近の大きな都市へ出張や買い物に行くんですよ。地方都市とは、こういうものです。
大雨と強風がやんだみたいです。お元気で。 花
* そういえば戦時中の丹波へ疎開以外、わたしは京都と東京都でしか暮らしたことが無く、だから車の運転を覚えようという気にもならなかった。
2006 1・14 52
* 暖かな佳い日曜日でしたね。随分暖かいので、いつもは窓辺のシクラメンの鉢を、ベランダに並べたっぷりと陽の光をあててやりました。
北へは、実地を踏むより一足先に、先生と徳内さんについて(背後霊のように)北海道を旅している最中です。今日は襟裳岬を通りました。 ゆめ
* 寒中お見舞い申し上げます。お久しぶりです。川崎の歩です。。。
随分ご無沙汰してしまったように思いますが、いかがお過ごしでしょうか?
私の近況は、どこまでご報告したか定かではないのですが、、、今は新横浜にある専門学校で学校事務の仕事をしています。昨年4月~なので、そろそろ1年というところです。
また、一昨年より実家を出てひとり暮らしを始めました。こちらは無事1年を経過し、2年目に入っております。
と言っても、実家から徒歩10分程の所で、妹一家も**家の面々(いとこ達)も近くに居るので特に不自由もなく、というより、やっと自分の居場所ができたという感じです。
仕事も生活も順調で、やっと安定してきました。が、寒い日が続くと、”鬱”の芽がムクムクしてくるので、それだけがほんの少し気がかりなところです。まあ、今年は大丈夫のような感じはしているのですが。。。
本当にこの冬は寒さが厳しいですが、お体を大事に。 姪
* 川崎に、異腹の妹たちが二人暮らしている。両家をあわせると七、八人も姪や甥がいるが、実父の亡くなったとき以来、(二た昔も前か。)妹たちとも家族ともほとんど会っていない。いちばん年嵩の歩がひとりだけ、ときたまメールをくれる。一度デートしようと言いながら、実現したことがない。街で出会ってもわからない。
2006 1・15 52
* バイオリンの千住真理子さんから「すばらしいご本を。いつも感動しています!」と、中国へも持参の愛器ストラディバリウスを手に、にこやかな写真の年賀状。
作家の李恢成氏から「短歌『少年』。早熟な人だったんですね。」と年賀状。
東大教授上野千鶴子さんからも、「歌集『少年』 これが秦さんの原点でいらっしゃいますね。瑞々しい感性です。」そして「笑って読んでいただける近刊一冊お届けします」と、『べてるに学ぶ – <おりていく>生き方』を戴いた。
* 御歌集「少年」 正月三日じっくりと読ませていただきました。十代でこのように完成された御歌を詠まれていたことを改めて詠ませていただき、敬服申し上げています。十七歳の時の歌「拝跪聖陵」の一連、そして好きな歌でも
生き死にのおもひせつなく山かげの蝶を追ひつつ日なかに出でぬ
うつつあらぬ何の想ひに耳の底の鳥はここだも鳴きしきるらむ
など、こころにしみて読ませていただきました。
お礼申し上げます。 歌人・結社主宰
2006 1・15 52
* 秦先生へ 近況など。
こんにちは、***です。寒さもゆるみ、久しぶりに穏やかな週末でした。最近忙しかったので、のんびりと骨休めなどしていました。先生はいかがお過ごしですか?
最近101歳スキーヤーの三浦敬三さんが亡くなられたというニュースが、テレビ、新聞でとりあげられています。最後まで現役でいらした、立派だと思います。
実は二年前、99歳の時に苗場スキー場で滑っておられる姿を見かけたことがあります。そのときはお孫さんの三浦豪太さん(元オリンピック選手)と不世出の天才スラローマー、インゲマル・ステンマルクと一緒に滑っていました。
何でもそのときのステンマルクのアドバイスを自分のスキーに反映させようと、滑りに工夫を重ねていたそうです。また、100歳で賞をもらったときのコメントで、『まだまだスキーがうまくなりたい』と言っておられました。
いくつになっても絶えず自分の技に磨きをかけ、好奇心を忘れない、本当に見習いたいと思います。
私はそろそろ33歳になり、怠け心が出てくるときも少なくないのですが、絶えず前に進んで行こうと思いました。
秦先生とお話をしていても、全然お年を感じることはありません。充実した生活を送られているからではないでしょうか。
いつまでもお元気でいらしてください。100歳まであと30年もあります!!
それでは、失礼します。 卒業生・名古屋
* ありがとう。
2006 1・16 52
* 百のメールよりも、一遍逢う方が、ずっと風を感じて安らぐでしょうね。(メールがなくていいって意味じゃありませんよ。)
目を閉じれば風がいるけれど、もっと近くに風を感じたい。 花
* 新婚の新生活をはじめた人であるから、恋文そのもののようなこのメールがどう書かれているのかは想像に余るとしても、電子メールとは、つづまるところこういう気持ちを、よく謂えば純化して行くとも、エスカレートさせるとも、わるく謂えば演じさせるとも謂えるのであろう。が、七十郎の気持ちでは、花の、風に寄せたことばには手ひどいウソも、ばかげたタカブリもないと想像している。
* 石蔵で hatakさん
ご無沙汰しております。今年もよろしくお願いします。
クリスマスあたりから締め切りに追われ、大晦日元旦と実験、二日は研究室で夜を明かす新年になりました。まだ日程は楽になりません。
1pmまでやっている石蔵を改造した喫茶店にいます。今日は星が出て外は張りつめる寒さですが、札幌軟石でできた蔵の中は暖かです。まわりはカップルばかりで、「世の中」のいろいろな話が漏れ聞こえてきます。
私はといえば、研究資金獲得のための予算書などを作っています。
百人一首から、『月の定家』を読み始めました。またお便りします。 maokat
2006 1・16 52
* 昭和13年1月30日
秦恒平様 HPを拝読し、昭和13年1月30日の「京都日日新聞」をいただかれたこと、(たぶん南座での)「鴈治郎追慕興業」の記事があるとの項を読んで。
秦さんが満2才と40日ならば、私は生後30日!
私が産まれたのは建仁寺の向かい側、四条へ寄ったところの**病院といったら、秦さんならすぐに「ああ、あそこ—」とおわかりでしょう。
五条の父の実家とは古い付き合いで、今風にいえばホームドクターでした。
造り酒屋としては最も忙しいシーズンに、家での出産どころではなく、暮れから母は**病院に預けられ、31日、私を出産したあと、年が明けてからも病院でゆっくりとさせてもらっていたようです。
病院食が近くの仕出し屋から届くので、誠に美味しかったそうで。
並びの恵比寿神社の「十日戎」の賑わいを母はつかのまのんびり病院の窓から眺めていたと、後々まで懐かしがっていました。
私を取り上げてくださったこの**病院の院長先生(当時50才前後?)は、評判の華のある美男子で(新生児の私が顔を覚えているわけはないが)、
「なんせ、あのセンセは、ガンジロはんがお父さんやさかい……」と、家の者はいつも言っていました。
「ほんまやろか?」と今でも私は思っているものの、当時の祇園界隈ならばありそうな話でもあって……。
それもあってかこの院長先生は大人気、病院も大繁盛でしたが終戦後間なしに亡くなり、後を継がれた京大出のご長男は、学究肌。病院は前ほどにははやっていないと、近所の噂でした。
多分私の生家にもその1月30日付けの「京都日日新聞」は配達され、あの部屋で、あのあたりで、夫が出征中の若い母親は、お昼も過ぎてから遠慮がちに読んだのではないか……(そばで私はスヤスヤ)
ひとときタイムスリップさせていただきました。 2006/1/17 藤
2006 1・17 52
* 昨日はこちらも、時折風が強く吹きました。
お昼頃、自転車で駅前留学(NOVA)し、午後は図書館にいました。
証人喚問はニュース番組で見ましたが、内容が乏しかったようですね。ニュース番組も扱いかねるようで、トップニュースにはなっていませんでした。
皮膚は、先週お医者で薬をもらってよくなりました。
「環境的要因」もあり、今回の引っ越しかなあ、と思います。 落ち着けば、気持ちもゆったりしてくるでしょうから、焦らず土地に慣れていけば、よくなると思っています。暖かくなったら、ひょっこり誰か訪れてくれるかも知れません。ひょっとして風が吹いてくれるかしらん、なーんて。 花
* 庭づたいに隣の家へもなかなか動こうとしないわたし、京都へだけは腰を上げるのだけれど。新幹線を逸れてわれから動いたというためしがめったにないとは、よほど不精者。
* 昔は汽車といった。今は列車とか新幹線といっている。列車でも電車でも、今一つピンとこない。汽車に乗るのは昔は特別のことだった。その物言いがまだ身内に生きている。
汽車に乗って、隣り合った人と話すことから小説世界をひらいていったことは何度か有る。「秘色(ひそく)」がそうだったし、「秋萩帖」もそうだ。しかし現実にはわたしは隣客に口を利いたことはほとんど記憶もないほど、無い。今日など京都までゆく若い女性と隣り合ったけれどひと言も口などきかず、校正し、眠り、八犬伝を読んでいるうち京都についた。
2006 1・18 52
* 昨日今日と、筑波颪を聞きながら家で仕事をしてゐました。
歌集にして欲しいと、二十五年間に詠んだうた千数百首を託され、とても、お引き受けできることではないのですが、お断りし兼ねて、今、四苦八苦してゐます。
息をつきたくなつて、今、文庫版の『少年』を拝見してゐます。ああ、何とうつくしいことば、きよらかなたましひ――。何度、拝見しても、溜息が出、折々あるいた京の道、み寺が浮かび、そこをゆく『少年』の作者の少年が、また、のちにその少年の手になつた小説の場面場面、ヒロインたちが浮かんでまゐります。
鳥辺野の笹原の霰聴きゐれば鳴り初むわれの喉笛のいふ笛
「喉笛」がナマで何とかしたいとおもひつつ、どうにもならないでゐます。
抽斗をあくれば霧の真葛原逢ひたくはなき死者が振り向く
どうして、こんなゴチゴチしたうたしか詠めないのか。
湖のお部屋の表紙に、
うつつあらぬ何の想ひに耳の底の鳥はここだも鳴きしきるらむ
を、置かれたお心をおもうてをります。
去年の秋、「鳥辺野」でなく「鳥戸野」の定子の宮の御陵にお詣りしましたとき、このおうたが浮かびました。うつつの鳥のこゑに重なつて、「耳の底の鳥」のこゑを感じてゐました。 香
* この七十郎のうちにいまも生きている少年が、顔をあげて嬉しくあかい顔をしている。なかなか、きよらかなたましひどころでない、頑迷な少年であったが。
生きながらえてきた歳月が少年をどこへ導くのか、さきの道は混沌としている。
* お正月休みの間に、『北の時代-最上徳内』を読み終えました。こういう歴史小説の書き方があるんだと思い、ぐんぐん作品に引き込まれながら、拝読しました。『北の時代』には尾岱沼のこと、自分の出身地のことが書かれていたので、とても嬉しかったです。でも、「私」が、「部屋」と現実の世界を行き来しているところは、世界が変わるのでなんとなく不安になりました。でも、おもしろかったです。
読了して、作品の中に出てきた『冬祭り』が読みたくなりました。
もうそろそろ、湖の本の新刊も発行される雰囲気ですので、新刊の湖の本と共に、『冬祭り』上巻をご注文したいと思います。発送される時は2冊同時にお送り下さい。よろしくお願いいたします。
さて、「のようというのだ」の文章を読んで、ずっとどういうことなのか、考えています。ここでいう悪文は横光利一の「機械」の悪文とは違うんだろうなと思ったり、「という」っていうのは自分のことではなく、一般的なことをいっているのかな、と思ったりしていますが、どういうことなのか全く理解できません。難しいです。 昴
* 『北の時代』の「部屋」は、あの作品の発明だった。というより、わたしはああいう「部屋」へいつでも入って行ける。この現実の一枚地下に降りて行くと、「遠山に日のあたりたる」広漠とした「枯野」をもっているのと同じ、わが心術か。なまぐさい現世を振り払いたいときは「部屋」に入り談笑したり「枯野」におりて遠山を長め日光を振り仰いでいる。
「のようというのだ」のことは、あらためて少し具体的にかいてみよう、今日はこれから俳優座公演を見に行く。「歌麿」だという。いい芝居だといいが。
2006 1・20 52
* 北陸小松の心友井口さんからメールが来ていた。e-OLDの仲間入りされて、まだ月日はすくない。小松の高校校長先生を退かれ、また石川文学館の館長さんを退かれて、さ、これからも先は長いですよと嗾しているところ。
* 今日は家内と俳優座の芝居をみてきました。昨日まで京都に二日いました。京都はちらちら小雪が舞いましたが、むしろ風情でした。
ボランティアですか。この言葉、広範囲に使われるようになり、見当がつきませんが、何をなさいますか。
わたしは、もうもう、自分のしたいことをするだけです。自分のしたくないことはもうしなくていいだろうと見捨てています。分別はなるべく用いず、喜怒哀楽にすなおになろうとしています。政治にも藝術にも人間にも、分別というマインドトリップに陥らず、感情を解き放とう放とうとしています。それがラクだからでもありますが。
正月早々この二十日間はあれこれしていましたが、明日から十日ほどは出歩く予定なく、ラクチンです。本が読めます。いま、日本書紀とバグワンの「ボーディダルマ」を音読し、他に旧約聖書、千夜一夜物語、英国史、世界の歴史、そして南総里見八犬伝と鏡花全集とを必ず寝る前に読んで、その外にもいろいろ読んでいます。どれもみな面白く。テレビの映画もいいのがあると観ています。今夜は「ペリカン文書」をもう何度目になるでしょうかね、それでも楽しんでいました、昼間の芝居よりずっと立派で。
糖尿病は良くなりはしません、インシュリンを朝昼晩夜と注射しながら、摂生もせず、好きに喰って呑んでいます。ま、元気にしているほうだと思っています。超音波で上腹部を検査したら「脂肪肝」だそうで。運動しないのだから当然でしょうと思っています。
井口さんが自在にインターネットがつかえて、いろいろ話し合えるようになるのを楽しみに待っています。 お元気で。 湖
* 鴉が、東京への新幹線に乗ってらした昨日午後、たまたま、鳶は、近江五個荘の、金堂や石馬寺の寒風吹きすさぶあたりを歩いていました。お寺への石段は苔むしすさまじい気配、亡者の辻という立て札に思わず絶句、冬雲の動きあるも、きぬがさ山は押し静まっていました。
今は舅らのある、岡崎。 元気です。
*「みごもりの湖」の故地石馬寺境内は、すっかりきれいに様子が変わっていますと聞いているが、あの御山の凄みは変わるまい。ま、よりによって寒い石馬寺へとは恐れ入る。
*「みごもりの湖」の故地石馬寺境内は、すっかりきれいに様子が変わっていますと聞いているが、あの御山の凄みは変わるまい。ま、よりによって寒い石馬寺へとは恐れ入る。
* そういえば、名張の囀雀さんのメールが、旧臘からふつと絶えていて、心配している。決して丈夫な人ではないらしいので、また北陸の故郷ではあまりの豪雪のようなので、二重に心配している。お見舞いのメールにもいまのところ返辞がなく、雀さんのメールありませんねと問い合わせてくるメールもあるのだが。
2006 1・20 52
* 京都ののばらです、こんばんは。東京は大雪ですね。
孫が、でっかい雪だるまを作ったと、メールに写真を送ってきました。
雪道は滑って歩きにくいので、お出かけの時はお気をつけてください。
明日は四條の高島屋グランドホールで開催中の、「モーリス・ユトリロ展」を見に行ってきます。好きな画家ですので楽しみです。
それでは、又、お大切にお過ごしください。 従妹
* 去年の暮れからいつも天候に恵まれてきた。動いているうちは好天、その前後には悪天候。今日は終日雪降り、だが、大雪ほどではなく、京都からの帰りにすこし感じた程度のひらひら、ちらちらと舞うほどの小雪。
2006 1・21 52
* 同僚委員の一人から、おかしいサイトの紹介があった。
* 雪の静けさと寒さが、大寒の訪れを実感させます。
先生には、その後お変わりございませんか?
さて、昨日、歌舞伎座で藤十郎の襲名披露公演を観てまいりました。さすが人間国宝という思いでした。
ところで、本題に入りますが、お疲れの時に、是非、下記のサイトをご覧いただければと思います。(くだらないメールで恐縮です。)
http://www.steel2.com/flash/nakamura.html
(「スタート」を押して、勘三郎のスピーチをお聴きください。)
友人に教えられ、私は久しぶりに大笑いしました。
では、くれぐれもお風邪にはご用心くださいませ。
(ご多忙中、お邪魔いたしました・・・!!)
* 開いてみると、「中村屋」の結婚披露宴のスピーチだったが、実の中村勘三郎ではなく、アテコンで創作されたコミック。それが可笑しかった、「大笑いしました」とあるのに惹かれ、二度観て聴いて、二度大笑いした。階下から妻までひっぱりあげて大笑いした。たわいないものだ。
むしろ警戒したのは、この辺を入り口に、リンクしたあちこちからどんな勧誘広告や、からみサイトが入り込むか知れないこと。押し広げては観ずに、退散した。
それにしても、インターネットには何でもあり。猥雑を百倍千倍して繪に描いたようなもの。それを怖れてばかりも能がない。人間社会にピンからキリまであるように、その機械への如実な反映にも、スゲー猥雑や悪意や犯罪があり、すばらしい価値情報もある。願わくは「政治」がこれを悪く勝手に操作してくれないこと、だ。
2006 1・21 52
* 息をのむメールが届いていた。あっさり消去しかけ、あ、題名に「もらひ子」を読んでとわたしの作品の名が出てあるのに声をあげた。
* 「もらひ子」を読んで。
(琵琶)湖南にもふたたび雪がちらついて参りました。
先生のホームページは昨年の夏頃から、ふとしたきっかけで毎日読ませて頂くようになりました。「私語の刻」は欠かさず拝読しています。ながく(滋賀県) 大津におりますが、大学が立命(館)だったのと、なによりも母の実家が上賀茂でしたので、京都には愛着があり、先生のお作のなかや、私語の刻のなかに京都や近江のことが出てくると、とくに熱心に読みこんでしまいます。
数年前から年に二回ほど蓼科のカナールというペンションに通うようになり、ご主人は大学のいわば先輩にあたることもあって、遊びにいくたびに、昔の京都のことや大津あたりのことを話して下さるので楽しみにしているのですが、あるとき先生のホームページに接し、作品のなかに先生の同級生として登場する「松下さん」が、そのペンションのご主人松下さんご本人であることに気がついて、吃驚しました。
ところが今夜「もらひ子」を読んでいてまたまた吃驚することとなりました。それは文中に登場する「安井修身」が近江水口宿の本陣鵜飼氏の出であり、水口藩出身の書家巖谷一六に書のてほどきを受けたとあることです。私は水口町(現在は合併で甲賀市となりましたが)の資料館に勤務しておりました折、巖谷一六と子の小波の記念室をつくったことがあり、一六や小波の事績を色々と調べ、作品も集めておりました。小波は墨を磨らせるのにそれを子どもにやらせたことは、子息大四氏からもお聞きしたことがありますが、一六居士もそうだったのかと、それと、鵜飼本陣は維新後早くに没落したということで、その子孫のことがわからなかったのですが、それが作品にあるような活躍があったこと、しかも先生に有縁であったことを知ったわけでございます。
それぞれのことには本来脈絡はないのかもしれませんが、今夜はなにやら不思議な縁に心が騒いだことでございます。 大津 鳰
* わたしの知らぬところで、知らぬお人が、こうしてつづけてホームページの「私語」などを読んでいて下さる。そういう大方はずうっとお互い連絡もないママに過ぎているのがふつうだが、ときにこういう御縁を生じて、闇の彼方の有難い存在に気が付く。北海道もオホーツク海に面した佐呂間からは、この前「昴」さんが便りをくださり、『最上徳内』のような特殊な感じの長い小説を愛読して下さった。
このたびは、京都といい大津といい、まして水口といい、わたし自身の根にふれた御縁であり、そのうえ国民学校、中学、高校の親友松下圭介君まで関わっていたのだもの、ビックリした。
ここに「安井修身(おさみ)」としてあるのは仮名で、わたしの母方の祖父「阿部周吉」のことである。周吉は水口宿本陣鵜飼家の子であったが、のちに能登川の阿部家に婿入りし、女子三人の父となった。その三女がわたしの生母ふくである。生母ははやくに隣家深田家に嫁いだが、一女三男をのこして夫に死なれ、寡婦となった。
のちにわたしの実父と彦根で恋におち、兄北澤恒彦を彦根で、私を京都西院の産院で産んだが、父と母とは添い遂げられる運命になく、兄もわたしも、「もらひ子」として父方吉岡家のはからいで、北沢家や秦家にさばかれたのである。「鳰」さんの読まれたのはその『もらひ子』一件のわたし一人の記録である。
阿部周吉の原戸籍はついに追跡できなかった。水口の脇本陣であった小島家や朏(みかづき)家、また京都山科に転居の、もとの水口宿本陣鵜飼家等を尋ね歩いて聴いた話では、祖父周吉は水口本陣で生まれた、実はさる九州の大名の落としだねであり、明治半ばまで九州から何かしら扶持が届いていたらしいとか、奇妙な話であった。
周吉はのちに東洋紡績や近江鉄道の創業にかかわったり、実業界の人として半生をすごし、能登川に退隠して晴耕雨読、自適の生活をしたと聞いている。一度だけ訪れた生母の実家阿部家には、一六の書や周吉の書蹟がたくさん遺っていた。
* こういうことを小説になどしてみても仕方がないと、わたしは、みーんな投げ出してしまったが、調査した草稿は千枚近くに及んでいる。
* 読者は有難いなあとつくづく思う。こんなことを、お返事の代わりにしておこうか。水口のことなどお教え願いたいことが幾らもある。
* 無関係なことではあるが、わたしの「もらは」れた秦家も、養父長治郎の祖父の代に滋賀県の水口宿から京都に移転してきたと聴いている。その方の調べも出来ていないが、水口に秦姓の何軒かあることは分かっている。ただし本陣の鵜飼家とはたぶん無縁で、わたしが秦家へ預けられたのにも何の連絡もないことである。
滋賀県からは大勢が永い期間に京都へ流入し、おおかた川東に定住したであろう事は、史実としても推察できる。それに秦家へわたしを預けたのは、南山城当尾村の大庄屋であった父方吉岡家であり、吉岡家と、母の実家能登川の阿部家とは、当時から険悪に没交渉であった。父方が、水口本陣鵜飼家出の(阿部) 周吉に何の連絡も関心ももっていなかったことは察しが付く。
2006 1・22 52
* 昨日、突然電話が来た。それは二十年来の知人、今は四国に住んで湖の本の購読者でもあるが、もともとは学生の昔の娘の友人だった。その人が突然家の近くから電話で。
いまの我が家はとてものことに来客をあげる場所すらない。妻はこのところ体調さだまらず用心に床が敷いてある。せめて前日か数時間もまえに連絡してくれればいいのに、いきなり家の近くですが、「書庫をみせてほしい」などというのには困惑し、お断りするしかなかった。
何かの研修のために一時上京している学校の先生で、遠からず海外へ家族で赴任するというのであるが、気の毒に雪の残った路上での短い立ち話で帰ってもらった。
十年に一度ずつぐらい、いきなり玄関への来客があり辟易する。きのうは、寒さも寒し、気の毒でもあったけれど、ほんとうに困惑した。
* しかしまた夜前滋賀県大津からの突然のメールは嬉しかった。そして、また次の親しい詩人のメールもある。
* 御歌集『少年』をいただき、ありがとうございました。お礼が大変遅くなって申し訳ありません。
短歌はまったくの門外漢ですが、それでも15歳の少年が書いた作品とは思えない歌であることぐらいは判りました。
鑑賞にもなりませんが、私でも読み取れると思った歌について、拙HPで紹介させていただきました。その概略を書いてお礼とさせてください。
うす雪を肩にはらはずくれがたの師走の街にすてばちに立つ
雪も払わず「すてばちに立つ」ところに若さを感じます。ああ、オレもそうだったな、という思いは一回り以上も年下の私にもあります。
瞬間のわがうつし身と覚えたり青空へちさき虫しみてゆく
小さな虫が青空に滲みて行くのが自分の映し身のようだと捉える感性は、その後の秦さんの小説を読むと良く判ります。
秦文学の核心のような歌と思いました。
閉(た)てし部屋に朝寝(あさい)してをり針のごと日はするどくて枕にとどく
今ではあまり見られませんが、雨戸の節穴から差し込む「針のごと日はするどくて」に想像力を掻き立てられました。ここでは美的なセンスを感じました。ことによったら秦文学の美意識の解明に必要な歌かもしれないと思います。
偽りて死にゐる虫のつきつめた虚偽が蛍光灯にしらじらしい
生きんとてかくて死にゐる虫をみつつ殺さないから早くうごけと念じ
二首とも死んだフリをする虫をうたったものですが、小さなものに対する基本的な姿勢が読み取れます。
いずれも17歳時の短歌ばかりを拙HPで紹介してしまいましたが、その早熟ぶりに驚きました。中学生の頃からこんな文学的なセンスを持っていたのでは、とても私などが太刀打ちできるものではないということがよく判りました。これからも勉強させていただきます。 神奈川 詩人
2006 1・23 52
* 大津の「鳰」さんから、あらためてまた有難いメールを、いましも頂戴した。これはもうわたし自身の根に触れてくる、渇望しながら容易に得難くて手に入らなかった類の示教であり、早々に読むのも勿体なく、わくわくとからだの動き出すような文面であった。
* 東海道水口(みなくち)本陣のことなど(ご返事)
秦恒平先生
年頭以来の冷え込みでございます。
「私語の刻」拝読いたしました。突然のメールに丁重な「ご返事」を頂戴し、たいへん恐縮致しております。
さて、「鵜飼」「朏(みかづき」「秦」いずれも水口辺の者であれば、どの辺りの家なのか、おおよそ見当がつく名字でございます。
「鵜飼」は甲賀の著姓で、遠く戦国時代に活躍した甲賀衆の雄、その流れの一つが水口に定着し、宿(しゅく)の東、作坂町に広大な敷地を占めてやがて本陣を営むようになったと聞いております。
幕末維新期の当主はたしか鵜飼喜苗と名乗り、「甲賀古士隊」を編成していわゆる「東征」戦争に参加した人々ともいくらか関わりがあったように記憶しています。
旦那寺は水口一の大寺で、朱印寺であった浄土宗大徳寺でしたか。
近江東海道では、建物の大半を残す「草津」本陣、玉座などを伝える「土山」本陣、宿帳などが残る「石部」本陣に対して、建物も史料も残らない「水口」本陣と、残念の思いをしておりました。
「小島家」はその本陣と脇本陣の間にあった大きな旅籠で、脇本陣とともに現在もその母屋部分を残し、街道を歩く人々が、写真に納めたり、壁に掛け並べられた講札などを覗いています。
そして「秦」と「朏」は水口宿の東、新城村あたりに多い姓で、秦にはつい20年ほど前まで造り酒屋を営む家もあり、一帯では比較的有力な一族であったと記憶します。
朏(みかづき)はまことに珍しい名字ですが、ほかに「三ケ月」「三日月」と書く家もありました。このうち水口本陣のあった作坂町の西に接する旅籠町に住んだ朏重五郎は代々の宮大工で、今も水口神社の祭礼にでる曳山の多くはその手になるものであったと記憶しています。
余談ですが現在京都府総合資料館に収蔵される、郷土玩具の一大コレクション「朏コレクション」は、その子孫で水口から京都に移られた朏健之助氏の収集したものでした。
一体、維新後の宿場町の衰退は、大店や旅籠で毎週のように「売り立て」があったと伝えるようにひどいもので、本陣鵜飼家をはじめ、屋号だけは今も伝わる多くの分限者の退転も多く、その上に小さいながらも城下町でもあったことが、町をさびれさす一因となったようです。
大名を客とした本陣をはじめ、東海道の旅人を相手にした大小の旅籠や、それにぶら下がって生きていた商人たちが、遭遇した「ご一新」は、たいへん過酷なもので、とくに鵜飼本陣のあった宿場の東部は、問屋場を含め本陣や脇本陣など宿の主要な施設、規模の大きな旅籠や有力商人が軒を連ねた「分限者」の町だっただけに、数多くの「物語」もあったことと想像いたします。
巖谷一六が「徴士」として東京に移ったのを「筆頭」として、多くの有能な人材の水口から「流出」したのもこの時でした。しかし、これはむしろ水口藩のような狭い世間から解き放たれ、活躍の場を得たわけですから、むしろ喜ぶべきかもしれません。幸い一六も巌谷小波も「近江水口」を「故郷」と呼んで、終生愛着を持っておりましたし、水口人も格別の思いをこの二人には抱いて参りました。町の郷土資料館の一角に小さな小さな二人の記念室をつくられたたのも、先人顕彰の意図ももちろんありましたろうが、そんな浮き沈みの多かったこの町の近世から近代への歩みを、記録しておきたいという気持ちがあったからで。
しかしこのようなことは、先生にはまさに釈迦に説法であろうかと存じます。千枚というご草稿の数字だけで、私はすでに色を失っております。
しかし、また、あるいはお役にたてることがあるかもしれません。近世の絵図など水口宿に関する資料もございます。
本日は改めて、心より感謝申し上げます。 大津 鳰
* 京都山科の鵜飼家とは、生母ふく(筆名=阿部鏡)やその父阿部周三の遺跡を尋ね歩いたころから、幸いに今も淡い誼みに恵まれているし、郷土玩具蒐集で著名な朏(みかづき)健之助の京都市内の旧居に遺族を訪ねたこともある。しかし「鵜飼家」がどういう歴史を経てきた家かなど、こうして教わるまで、どうしてもわたしには分からなかった。「小島」家を訪れて、ものの隈々にいかにも時代を畳み込んだ家屋の様子も見せて貰ったし、宮大工の朏家、ではなかったか、すぐ近くの家屋へも連れて行ってもらった。
この探索行は、つらいものでもあった。それまでのわたしは、頑強に実の父や母にちかづくことを拒絶仕切っていた。それを一転して探索に歩き出したとき、父方も南山城の豪家で枝葉の拡がりは大きく、母方もまた大きくてわたしは途方にくれて、しばしば音をあげたのである。いやいや結局音をあげっぱなしに厖大な草稿はそのまま埃をかぶってしまっている。
天涯孤独とおもってきた「もらひ子」のわたしは、この探索行の結果、両親をともにする実兄一人と母方に父の異なる姉兄四人、父方に母を異にした妹二人、大勢の伯父伯母や従兄姉を一気にみつけだしてしまい、その体験は、若い日のオオクニヌシが、山坂をころげ落とされた火に焼かれた大石を、獲物と思って抱きとめ大やけどしたのと似ていた。わたしは、あのとき、一度死んでしまった。そして、息を吹き返すとそれからは、それまでとは少しちがう自分をまた生き始めたのだと思う。
* ああもう日付が変わって一時半を過ぎている。「鳰」さんに心からお礼申し上げながら、今夜は階下へ降り、また本を何冊も読もうと思う。
2006 1・23 52
* 最近東京を引き払って郷里の秋田に戻った友人は、雪かきに明け暮れる毎日だ、と聴きました。豪雪の地方の方はお気の毒です。
天候、地理。東京を首都にしたのは大正解だけれど、あまりに良い立地条件で、政治、経済が一極集中の人口増。何か手段を講じないといざ災害には、エライ事になりそう、と常に話題になります。
一昨日天寿を全うした叔父の通夜に出向きましたが、人口過密、そして季節柄もあり、新宿幡ケ谷の斎場を五日間も待たされる状態。異常です。
なんとなく慌しく過ごしていますが、しばしば預かる孫のやんちゃ坊主の、増えつつあるチョイ意味不明の言葉言葉を、謎解きのように面白がって解き明しながら、楽しんでいます。 泉
2006 1・24 52
* サーフィンしていたら、こんな記事に遭遇した。ビックリした。「昨日」とあるのが何年何月何日のことか、分からない。引いてあるわたしの自己紹介の内容や文章からして数年前に思われるが。エディット・ピラフという名乗りのサイトのように読めた。
* 昨日、ネットで調べものをしているときに、校正途中の、ある作品と出逢った。
なんとなく読みすすめていくと、流麗な文体でこれはアマチュアのものではないなと思い、著者名を確認すると「秦 恒平」とある。どこかで聞いた名のような気がして調べてみると、1969年に太宰治文学賞を受賞して文壇デビューをしたベテラン作家とわかる。
サイトのURLをたどってTOPページを探してみた。
■作家 秦 恒平の文学と生活
この美しい扉をクリックして、ぼくは驚いた。
四十年近くになる作家活動の全記録が、そこに整理され、格納されているのだ。著書だけで百冊を越える。それ以外のエッセイ、書評、講演記録、など等……。
一人の作家の電子アーカイブとして、これほど充実したものは寡聞にして知らない。
どういうきっかけでこうしたことを始めたのか、と気になってサイトの序を読むとこうあった。
(これはこのホームペジの「窓」でそのまま読めるので、此処には割愛する。 秦)
現在の出版社、出版業界への疑問から、先ずは自分ひとりで出来ることから始め、さらにパソコンやインターネットという新しい技術も活用して、ご自分の創作記録を誰もが読め、そして欲しい人へは美しい装丁で復刻した私家本を購入できるように整えている。
今ぼくらが、マチともの語りで試み、あれこれと試行錯誤を重ねていることを、十数年前から実践されている。これには参った。脱帽である。
Webの「本とコンピュータ」にもこの電子出版の先駆けとしての意見を載せられているので、是非読んでみてほしい。
■ネットの時代へ、作家として編集者として
* 偶然がないと目にふれてこないこういう「評価」を、わたしのホームページは得つつあるかと、感慨に打たれた。わたしのように歴然と出版社会で不利に孤立している存在は、ひとりで立って姿勢を正しているだけのためにも、余儀ない「自己主張」をいつも必要とする。それがホームページといういわば「孤城」であり、わたしははじめから赤坂城ないし千早城のようなものと自覚して立ってきた。とてものこと、あまり賢い生き方でも仕方でもないけれど、「闇」のはるかかなたで見守って下さる視線があり視野がある。不徳なれども孤ではないと息をつく瞬間である。
2006 1・24 52
* 四月なかなか遠くもあるかな…
二月半ばから、今年一回目の議会も始まりますし、退職に当たっての引継ぎもあり、何かと気ぜわしくなってきました。
『北の時代』は今日感動のうちに読み終え、さあいよいよ私も北へ出発です。
徳内さんの極めて積極的にして筋の通った生き方、魅力的でした。岳父平秩東作を初めとしたさまざまな人々との出会いが、彼の運命をどんどん広げていくあたりも興味深く、先生ならではの人間観察もあって、とても楽しかった!
またアイヌの人々のリアルな息吹を肌に感じました。
一人の通訳の言葉「アイヌは神さんと一緒に暮らしている。カムイ…ね。だけどね。日本人は同じ人間かも知らんけど、ちがうよ。日本人は、金と一緒に暮らしている」この言葉は本当に耳に痛い。
北への一日目は、紋別空港からです。白鳥も飛来しているか? トーフツ湖岸を走り、網走へ。北方民族資料館を見学して、夕日の美しい網走湖畔に泊まります。
二日目は期待の流氷船クルーズ。凍れる摩周湖や、鶴居村で丹頂鶴、と、たくさん楽しんでくるつもり。果たして私は流氷の音を聞くことが出来るでしょうか? ゆめ
* 徳内さんとていねいにつき合って下さり、頼もしく、感謝。しかし、いくらなんでもこの厳寒にオホーツク海までは、誘ってくれても遠慮します。ひっくり返りそう。いきなり北へ向かうのですね。わたしのかわりに美味い蟹を食べてきて下さい。あの旅では、よく「北の誉」という酒をのみました。
佐呂間の昴は、いま「冬祭り」を読み始めました。
北辺で徳内さんやキム・ヤンジァに出逢ったら、よろしく言ってください。何日に発ちますか。何日に帰りますか。 湖
2006 1・25 52
* 小松の井口哲郎さんの作、昭和三十六年また三十九年に放送されていたラジオドラマの脚本二作「能登の火祭り」と「ホトケの後裔(すえ)」を戴いて、おもしろく読んだ。
能登島の火祭りに、もう亡くなった、井口館長の前の新保千代子館長(石川近代文学館)に、わたしはわざわざ連れて行ってもらったことがあり、ドラマの、声と言葉と音響で表現されている場面が、なつかしく浮かび上がった。昭和三十六年八月の放送なら、わたしたちは娘朝日子を育てながら、新宿区市谷河田町の「みすず荘」から北多摩郡保谷町の医学書院社宅に移ったころであろうか、わたしが処女短編「少女」や中編「或る折臂翁」を書きだすまでに、もう一年ほど間があった。
三十九年の「ホトケの後裔」は好評作であったらしく、ムベなるかなと想う取材と表現である。平家物語に名高い「仏御前」は加賀の出だといわれ、謡曲にも謡われている。井口さんは「ホトケ」にまつわる地元の伝承や記憶に足場をかためながら、現代の男女を介して人間の「こころもとなさ」をさらりと批評されていた。さらりと、は、井口さんのお人柄であり持ち味であり、だがそれだけで井口さんを語り終えてしまうのも軽率であるだろう。
* 井口さんの脚本から、またお手紙から、耳にとまった二つを書いておく。一つは火祭りの能登島の人たちが、対岸の北陸本土を「大陸」と呼んでいて、ビックリした。多くのことを想像させられた。
もう一つは、学校の先生であったろう井口さんは、その当時気が進むと懸賞のラジオ劇を書いたそうだが、懸賞稼ぎの書き手がいつもいて懸賞をさらっていった、それはたいてい「井上やすし」か「藤本義一」だったとお手紙に打ち明けておられる。井上靖が、小説であれドラマであれ「懸賞」をかせぎまくった猛者だったことは知られていて、その動かぬ一証言を聞いたことになる。藤本さんもそうだったのかと、興ふかく聴いた。
井口さんは秦さんに読ませるだけだといわれるが、日本ペンクラブの会員であり、「ペン電子文藝館」にどちらかをちゃんと保存保管しておきたい。
* 井口さんとは、もう何十年になるか、もっともお付き合いの永い読者であり知己である。どれほどお世話になってきたか知れない。そしていま退隠のときを迎え、インターネットにやっと眼を向けられて。
わが有力なE-OLD党がまた一人増えたと言っていい。わたしより幾つかの長者である。
2006 1・26 52
* (オホーツクへは)2泊3日の短い旅です… 勤め人の哀しさで少々急ぎ足の短い旅です。朝羽田空港を発ち、夕刻釧路から帰ります。
退職記念に韓国に旅をしようと友人達に誘われていまして(ダシにされているだけ)、5月下旬に仮面劇や焼きものを見学に行く予定でいます。
それはそうと、丹頂鶴は、ハングル語で「トゥル・ミ―」と啼くのだそうで、川崎「鶴見」の地名はそこに由来している、と聞きました。 ゆめ
*「小耳に挟む」というのは、表現力ゆたかで使いでのある「からだ言葉」だが、「ゆめ」さんのメールには小耳に挟んでふと記憶に残るものが、よく有る。一つ話としても「トゥル・ミー」にはフーンと耳に残る。
2006 1・26 52
* 奥歯の痛みは少しよくなりましたか。
今日はお稽古でした。相変わらず扇遣いに苦労しています。着物は赤紫の江戸小紋通し柄に黒地に花の刺繍の帯。(みんなお古です。)舞いの時はやわらかい着物のほうが躰の線がよく出るので、紬などの織の着物は着ないようにしているのです。
校正はお済みですか。新しい湖の本が待ち遠しいことです。 春
* この私のことを「幸せにして差し上げたいのにその力がなくて」というほどの意味のメールで歎いてくる人があると、わたしは当惑する。こういう思想は理解し切れない。
わたしは人に幸せにしてもらうのではない。自分が自分で幸せになったり不幸せになったりする。ひとを「幸せにしたい」という思想は、なんだか尊くてえらそうであるが、通常の世間的な人間関係では逆立ちしている。大切なのは、人と人はお互いを介して「自分が幸せになる」のでなければ無意味。「幸せにして上げたい」なんて思いようは、思い上がり。自分の幸せを考えた方がいい。
2006 1・26 52
* 京都、のばらです。
ここ二、三日昼間は風もなく過ごし易いです。
歯の痛みはいかがですか、早く治まりますように。
あまりに運動不足なので買い物の足を伸ばして、天神さんまで歩いています。梅の蕾はまだ固いですが、蝋梅が良い香りを漂わせています。
平野神社を下がって行く道は静かで、この辺りに「慈子さん」が住んでおられたのかななどと、想像しながら歩いています。
機会がありましたら、お邪魔でなければ「宏」さんの京都をご一緒に歩いてみたいです。
ご無理されませんように、お大切にお過ごしください。 従妹
* 嗜眠症かのように眠い。
2006 1・27 52
* 体調が悪くなるとかならず歯が痛むので(私も)苦労しています。とにかくおさまるまで我慢しかありません。つらいものです、痛み止めなどきちんと使って、うまくやり過ごしてください。早く治りますように。
上野の博物館・平成館に行って参りました。色々観てきました。「書の至宝展」は猫に小判と思っていましたが、猫並みのわたくしのみならず、本物の猫が見ても毛を逆立てて興奮して喜ぶと思いました。丸一日いらしても出てこられないかもしれません。
麗しいこと、美しいこと。お見事、恐れ入りました等々。筆先から蜜の滴るような筆跡でありました。スバラシイ。文字とは、墨とは、かくも官能的な陶酔を感じさせるものでしょうか。
でも、とてもとても混んでいます。人の頭を見ている時間のほうが長かった。長蛇の列に相当疲労します。こういう時だけはVIPが羨ましい。
お出かけは、雪や雨が降って、外に出かけたくないと切実に感じる平日に、開館と同時にお入りになることをお薦めします。
長谷川等伯について考えたことは、また後日書きましょう。
どうぞよく休養なさいますように。
早めにおやすみなさいのご挨拶送ります。 春
* 優れた書のちからが、常は疎遠な人をすら魅了する機微を、適切に表現されていて、こっちまで嬉しくなる。墨の色に官能にも響いてくる陶酔感を見てとるのは、そう易しいことではない。心優しくないと難しい。じつはわたしも今日上野へ行こうと昨日から言っていた。だが、歯の疼きと肩凝りの痛みが、出かけるべく着替えるだけのことも億劫にした。本当は出た方がからだにイイと分かっていたが、ほんとうは良くないに決まっている機械の前で、わたしは「読みたいと思う小説」に没頭し、そして発送のための作業にますます肩を凝らし歯を痛めていたのである。
2006 1・27 52
* 堀武昭様
『「アメリカ抜き」で世界を考える』を賜りました。時宜に必中の佳い御本だなあと、その日の私のサイトで紹介し、そして読み始めて、かなりブルブル興奮しながら読み終えました。いつもながら、たくさん教わりましたし、受け売りでも人にぜひ吹聴したい誘惑にかられます、おゆるし下さい。
七十になり、また新たに思いましたのは、「逃げ腰では、とても」ということでした。この地球上、いまや逃げ込める場所もなく、逃げ込んでどうなることかと、どんなにイヤなことがあろうとそれとも向き合って生きようとまた思い返しました。母の亡くなりました年齢までですと、私はもう二十六年生きねばならず、三十歳から五十六歳のようにはムリと知れていても、「逃げ腰では、とても」やってゆけるワケがありません。ことに、この現代です。これからの未来です。それだけにいい人や、美しい楽しいモノ・ゴトと、ひとしおよく付き合って行きたいと。
そういうときに指針の一つとなる、示唆にあふれた御本の、平静で透徹した論旨と筆致とに、感心いたしました。ありがとう御座いました。
お大切にお過ごし下さい。 秦 恒平
* 田中励義様
(岩波版)新編・鏡花集 完結を心から頌えます。すばらしいことです。私は、おもわず「谷崎全集」はどうなってるんだぁと歎いてしまいました。私流の最大の称讃と羨望だと受け入れて下さいまし。
別巻二冊頂戴し、特製特大の佳いピリオドが打てたなあと、美しい仕立て本を、箱から出しては入れ出しては入れして、頂戴した日からさわりまくり、手当たり次第に読みふけっています。紅葉先生に関わる鏡花と風葉とのインタビューなど、嬉しくてなりません。そして新出の作品群もその気で観ていますと気付くことなどあり、有難い。
なにより年譜、これは作家研究・作品研究の到達点を示すものと思い、また言ってきましたが、その思いを新たにしました。有難いことです、これあってその上に個別研究が生気を得るのですから。ありがとう御座いました。
心より御礼申し上げます。そして、ますますご活躍なさいますように。
私は、春陽堂版の全集を第三巻まで読み進めました。
夜、仕事を終えますと、まずバグワン・シュリ・ラジニーシの本(今は「達磨」)と、「日本書記」(今は「欽明紀」)とを音読し、寝床にもぐってからは、「旧約聖書」(今は「申命記」)と「世界の歴史」(今は「唐」)と「英国史」(今は「獅子心王リチャード」の没)と「アラビアンナイト」(今は全体の四分の一ほど)と「南総里見八犬伝」(今は半ばを少し超えて)を、それから鏡花全集(今は「三枚続」)とを、必ず、少しずつ読み進めまして、そのほかに読みたいものを読んで、そして、寝ます。そういうことの心おきなくできるのが古稀の功徳なんでしょうね。呵々 秦生
* 花。 風邪、お大事に。風は歯の根が浮き肩が凝り、脚は冷え、縮こまっています。
新しい本が二月十日頃に届いて発送開始という段取りになります。その前の二三日は用意も満了し、リラックスできる直前休暇です。高麗屋や播磨屋や音羽屋や大和屋の歌舞伎をみます。玉三郎と菊之助との「京鹿子二人娘道成寺」が「鐘入」まで。わくわくします。
花の日常生活はなかなか目に浮かびませんが、花楕円が二つの焦点を求心的に結ぶよう、風は祈っています。一つはピカピカの主婦であること、これは当然として。もう一つの焦点が「創作」ならば、そこへ求心的に意欲と勉強を注ぐように。なにより無心に、「毎日確実に少しずつ」でいい、書き続けるように。それが出来てこそ「望み」も膨らみます。風
2006 1・28 52
* 歯や肩の疼きは治ったでしょうか?
先日『冬祭り』が届きました。ありがとうございます。
本を手に取った瞬間、赤いっ!? と思いました。まだ数ページしか読んでいませんが、「わたし」と書かれていることにどう読めばいいのか不安になったり、京都の様子を想像できなくて淋しくなったりしています。おもしろくなるかどうかはまだ分かりませんが、どんどん読んでいきたいと思っています。自由な時間がもう少しあればなぁ。
今日、『少年』の方も読み終わりました。電子辞書を引き引き、ゆっくり読みました。古典の勉強もっとしっかり受けていればな、と後悔しています。
歌の中で気になったのは、蝶の歌数首です。古典の時間に「胡蝶の夢」の話を聞いて、今ここにいる自分は何なのだろうと、ひどくこわくなったのを思い出しました。
それ以外の歌は、京都のことがわかればなあ~と悔しい思いをしながら、でも、どこかさみしくてきれいだな
と思って読みました。
『冬祭り』『少年』のお礼のメールが遅れてしまって申し訳ありません。
着々と準備が進んでいる新しい「湖の本」楽しみにしています。
それではお体、お大事に。無理をし過ぎないようにしてください。 昴
* 赤い!? とはどんな感じなんだろう、と。いつか聞かせてください。
2006 1・28 52
* ベートーベンのオペラ
一月二十七日、モーツアルト生誕二百五十年という記事を、そこここで目にしました。
業界は、便乗でお仕事をしようとする、と、冷静に批判するアマチュア音楽愛好家の声が耳に届きます。
月末の土曜日、いつもの手作りコンサートの年初めは、もう何年もその生誕に因んで、モーツアルトの曲から始まります。昨日午後も、大量にある曲の内、初めて聴く何曲かを堪能しました。
そして夕刻からは、更に近い公民館で、毎土曜日十回の「オペラの魅力」の講義の三回目です。
以前、ベートーベンが交響曲「英雄」をナポレオンに捧げるつもりで作曲したのに、無類の独裁者と知り、怒り、筆でなぐって破棄した楽譜がウイーンに保存されている、とメールで送ったことがありますね。
今夜は、ベートーベンの唯一のオペラ「フイデリオ」を、説明を聴きながら、レーザーデスクやDVDで鑑賞しました。
モーツアルトが活躍したのは封建時代。
しっかりと存在した上下関係、さまざまなその人間模様、人格を、旋律で表現するのに長けた数多くのオペラであった、と聴きます。
べート―ベンは二十台でフランス革命に遭遇し、自由、平等、博愛の精神がしっかりと根付き、多数の作品に影響したと。
バステイーユ襲撃、フランス革命後、「救出劇」が流行。
何度も改作、改定された現行版のオペラ「フイデリオ」は、あのウイーン会議の幕開けに初演されて、タイミングもよく、好評を得たと。政治犯の夫を、男装した妻が救出をする夫婦愛の雅歌といわれるが、もう一つの面、暴君と恣意的暴政に対する戦いを描いていると。
これが一人楽聖と呼ばれるベートーベンの資質か、と改めてインプット。
ドイツ語のこのオペラは、日本での公演は少ないそうですが、名曲と云われる序曲、合唱曲、そしてアリアの何曲かを聴き、交響曲に匹敵するその重厚さに、込み上げる程の感動を覚えました。
心弾む知らない何かに、まだまだ出会えると思う、と命がいとおしくなります。
因みに女性大学講師は、数あるオペラの内、これが一に好きだ、と、熱が籠もっていました。
ホリエモンに翻弄されている世の中、マスコミ、笑えてきます。
ところで、お元気ですか。 泉
*「心弾む知らない何かに、まだまだ出会えると思う、と命がいとおしくなります。」「ホリエモンに翻弄されている世の中、マスコミ、笑えてきます」という、もう古稀に手の掛かる人の思い、まっすぐ伝わってくる。「ところで、お元気ですか」という端的な反転も、メールならではの気合い。手紙では、こうは書けない。
* もうお一人戴いたメールは、漱石の「草枕」のように書き出されているけれど、なぜか途中に大量の化けた行が挟まっていて、意味不明。この人のメールに、まま、これが有る。
2006 1・29 52
* 湖様 湖の面に氷の張るように寒い毎日ですが、いかがお過ごしですか?
今週の週末も老母二人と娘、孫と過ごし、快い疲れが残っています。
仕事のほうもまずまず順調に伸びています。あるときは社長 あるときは施設長 あるときは先生・・・・ そのほかに業界の仕事やNPOの仕事も・・・・めまぐるしい毎日です。
元気に、湖の面に思いをはせながら。 波
2006 1・29 52
* おはようございます 風
今日は曇りです。東京も曇っていますか。
愛知は東京と天気が違いましたが、静岡県は似ていて、風に近づいたなあと実感します。
肩凝りの具合はいかがですか。お大事になさってくださいね。わたしもかなり凝ります。しっかり眠るのが特効薬と思っています。
中村光夫の『風俗小説論』を、市図書館で見つけ、やっと読むことができました。
「創作しながら私小説について書くなんて、二つのことを同時にできないわたしには向かないんじゃないか」、と思っていたのですが、私小説について考える過程で、自分の創作を見直すことになりました。
二つのことを同時にしていると、こんなことがあるのですね。
自分では「私小説」を書こうと思っていなくても、日本で生まれ育って日本の近代小説を多く読んでいると、創作態度のどこかに「私小説」的なものがあるのかも知れない、と思いました。そして、それが純粋な「私小説」でないなら、「風俗小説」になってしまっているのではないか、と。
外国人が、川端の「山の音」や「雪国」を読み、「何も起こらない。退屈」と感想を漏らしていました。「告白」をつきつめることによって心境描写の発達した日本の近代小説を考えると、この外国人の感想がよくわかります。
いろいろ反省しながら、推敲しています。赤ペンがびっしり。愚鈍でのろまながらも、前へ進みたいです。 花
* この人にわたしは、こう言ってある、「花の日常生活はなかなか目に浮かびませんが、花楕円が二つの焦点を求心的に結ぶように風は祈っています。一つは主婦であること、これは当然として。もう一つの焦点が「創作」ならば、そこへ求心的に意欲と勉強を注ぐように。なにより毎日確実に少しずつでいい、書き続けるように。それが出来てこそ「望み」も膨らみます」と。
* 最近に読んだ人の四百枚ほどの作品は、ブログの一日に原稿用紙一枚半せいぜい600字ずつ程度、その代わり大晦日にも元日にも一日も休まず書いていた。フログの制約でもあり、その程度の書き時間しか日々になかったのだろう。そのかわり誤字誤植がない。なによりも大きな構想や展開に、書きとばしたために起こる厄介な齟齬や破綻をがっちり食い止めていた。
急がば堪えて、これが結果として作品にまっすぐな骨身を徹す。書き飛ばしてしまうと、あとの推敲がにっちもさっちも行かなくなり、なかなか完成してくれない。ブログに三百日、少しずつ書く。アドレスを公開していなければ、孤独な書斎になる。孤独に書くこと、それもお日様の上がっている時間帯で書くこと、が大切だ。読んで欲しい人が決まれば、その時サイトのアドレスを伝えればいい。
2006 1・31 52
* 名張の雀さんのメールが、とり纏めて入った。
モノに向き合うだけは誰にも出来るが、向き合ったモノから受け取れるものの真贋や豊かさは、その人により当然ながら厳しく異なる。ものの見えない眼、感じ取れない魂には、佳いモノも語りかけたり息吹を吹き込んでこない。
囀雀は、長い時間と夥しい体験と、蓄えた感性と自分の言葉で、向き合っている。わたしの初め頃の印象では、ひどいことを言うが、フーテンの渋谷ギャルのような人かと。
メールで、根気よく向き合い、向き合いしているうちに、この囀り雀さん、須田国太郎についても日本の風景・自然・神仏についても、こう無心に対面し表現する人になってきた。
* 賀正 囀雀
ご機嫌よく新春をお迎えのご様子、誠におめでたく、心よりお慶び申しあげます。
いつに変わらぬ深いお心遣いに、あつくお礼と感謝を申しあげます。
ご歌集をお送りいただき、またお年賀も頂戴いたしておりながら、久しく無音のほど、ひらにおゆるしください。
たくさんにお気持ちを頂戴しておりながら、歌集のお礼も古希のお祝いも、新春のご挨拶も申しあげないままごぶさた、大変失礼いたしました。
春節も過ぎ春立つ日も間近。いつにない厳寒の冬でございますが、その後、お変わりございませんでしょうか。
古希おめでとうございます! 心よりお祝い申しあげます。
どうか今後ともおからだお大切に。ファンとしてはエゴイスティックな欲が次から次と果てもなく起こります。できる限り新作をいただきたく、またそれと同時に、今まで通り、入手不可のないよう、どうかして全てを拝読いたしたく存じ、念じております。
とは申せ、なにより、ご本人がお心の行く毎日をお過ごしいただくことがなにより。ご平安とお幸せをお祈りいたしております。
雪折れも遠く聞こえて夜ぞふけぬ(蕪村)
お詫びと近況は次のメールにて。
* おわび 囀雀
先月初めからやまない北陸の大雪大風寒波。
最初のうちはときどき実家に電話していたのですが、そのうち、ただもうぼんやりとテレビに映し出される雪の有り様を眺める毎日。実家はあんなに大変ではないのですけれど、羽越線の事故や雪に埋まる生活、雪下ろしの事故、屋根の崩落など、よくわかる話ばかりで、気もふさぎ、心も気持ちも凍り付いていくように動かなくなって、意欲もなく。これを欝というなら欝なのでしょう。
それでも、この機を逸すると次の保証がないと思い、鞭打って京へ出かけ、須田国太郎展に行き、良弁忌の東大寺に寄ってまいりました。
展覧会期間中の12月16日が国太郎のご命日でしたのね。メールしようと思っておりましたの。大分古い話になりますけれど、送信いたします。
* (昨年)12月16日 囀雀
ガラスケースでの展示はなく、ガラスを填めていない繪が多いので、ニュアンスを直に感じられて良かったです。でも慣れていないのでどきどきしました。
日本の風景がスペインの風景に見えたり、日本画と西洋画が居心地よく融け合った、不思議な、感じ。
油絵は、絵の善し悪しより先に、その質感そのものが立ちはだかって苦手なのですが、彼のは、カンバスの繊維がすうすうと穏やかな寝息をたてているようで疲れませんでした。
ところが図録や絵ハガキではそのニュアンスが出ないのですね。
好きな人は所有するしかない、実に“儲からない”作品。しかも、わぁっと言わせたり、あらステキ、という一般受けのしない絵でしょう?
時間を気にせず、作品に囲まれていたから、じんわり身に染みてくる空気を感じられ、何十年部屋にかけておいても飽きないだろうなぁ、こういう油絵もあるんだァと思いました。
謡はうまくなったが、絵は一向にうまくならんとおっしゃったそうですが、手に入るというのはこういうことかと、能の繪に衝撃を受けました。ほかと全く違う魅力。
物珍し気、派手な場面、通ぶったもの、してやった、そのどれでもなく、淡々としているけれど、あ、と気付く場面を空気ごと、わたしひとりに占めさせてくださる。
駅からタクシーで行ったのですが、何やってるんですかと聞かれました。
京都出身の画家だそうですよと言ったら、今まで誰もお客を乗せたことがない、ルーブルとか大観は行列もできてたし、ずいぶん乗せたンやけどって。そのどちらも行かなかった雀です。
「日曜美術館」みました。
この文はその前に綴った囀りです。
* 社寺めぐり 囀雀
須田さんの繪を見て、お昼を食べて、社寺の地図で、「なんだろ?」と思ってたお寺と、門前をいつも通り過ぎていた神社を尋ねました。
まずは、西賀茂の神光寺。“京都三大弘法”とありました。そこから東へ、山肌の「妙」を見て「法」のふもと、妙円寺、涌泉寺に行ってみました。京の七福神めぐりの最初のお寺と知りました。高台からの眺め、参道の石段と山門も、いい雰囲気です。
門の向こうに紅葉のまだ綺麗に残っている木が一本あって、すらりと背の高い男の人がうっとり立って眺めてたのに見とれました。
寺の隣の白雲稲荷神社、鳥居前に物語が書かれていました。集落のいわれとか、参道が馬場だったこととか。
それから大田神社へ。かきつばたは通りすがりに見ることができ、お社は道からは全然見えず、いつも、大したことないですよっていわれて、通り過ぎてしまっていました。賀茂地域の最古の神社って、うっかりして失礼しておりました。
〆縄がちょっと三つ編みみたいですのね。それから、鳥居の前を横切る細い流れに見える、焙烙を伏せたような石が、雨乞いの“蛇の枕石”とうかがいました。どれだけ埋まっているかわからない巨石だそうですね。
参道に一本だけ、まだ紅葉がきれいに残っている木があり、奥まった古風な神社に届かない日ざしも、この木までは射して、葉が透けて、ため息を誘う美しさでした。
アマノウヅメ、サルタヒコ、オオクニヌシ+スクナヒコ…百大夫のお社には船玉さまと書いてありました。
それから護王神社へ。狛イノシシはじめ、境内いっぱいのイノシシに目を丸くしました。狭い境内に茶屋もあって、展示を見るのに時間も要り、なかなかおもしろかったです。
近くで香木店を見つけました。
山田松香木店って、雑誌で見てチェックしていたお店で、思ったよりずっと品揃えがよくて、香の薫かれる店内にお客はほとんどなく、鳩居堂など宣伝の大きな店にいささか飽きてきておりました雀は、たのしいひとときを過ごしました。
* 12月16日の東大寺 囀雀
四月堂と小径を隔て、いつもは門扉を堅く閉じている開山堂。
受け付けを済ませて中に入りますと、庭の止め石代わりに、使いふるしのお水取りのお松明が使われていました。
二月堂の休憩所に見本が展示してありましたが、端が黒く焼けているのを目の前に見たのは初めてで、おッ、と半歩引きました。
六角の厨子の中に良弁、反対側に実忠の坐像。実忠はふつうの日本のおじいさんにつくられているのですね。
いつもは入れない三月堂正堂をぐるりと巡り、諸仏を脇から眺められたのも趣深く、執金剛神像を見上げました。
タイミングが悪いと団体と一緒になってしまって大変ですが、外に出ない限りはいくらだって中に居ていいおおらかさ。また、あれっという間にガラ空きになるのが奈良。
二月堂に上がったときは、きりきり締まった雪気の景色を独り占めでした。
またあちこちから入れるので、気に入りの径ができたり、新しい発見をしたり、探険家気分になるのも奈良のよさ。そしていつも空はたっぷりと頭上に広がり、なだらかな山が近くに見えます。訪れる人は京に比べ少ない上に、ばらけてしまうので、ひとりと人中とのどちらも楽しめるのが東大寺のいいところです。
鐘楼まわりのお堂も公開していましたわ。
俊乗堂で重源上人坐像と快慶の阿弥陀如来立像を見てまいりました。
鐘楼でぼんやり鐘を見上げておりましたら、中年女性のグループが、知恩院の鐘の話をしながら見てらして、お一人が「今まで、鐘ばかり見てたけど、この梁や柱! 屋根のきゅぅっとなった線も佳いわねぇ」と昂奮しておっしゃいました。つられて雀も鐘の下から外へ出て眺めました。
さて、快慶の阿弥陀ですが、地蔵が同じ美しさでも妖しげなのに対して、阿弥陀如来は文句なしに美しく整い、その隙のなさが、冷たいとりつく島のない感じとなって、雀は苦手ですわねぇ。それに、博物館にある地蔵ほど截金は判別できませんでしたし。
お寺の方のお話に、重源坐像は、ほかに三ヶ所、山口、兵庫、三重にあるとのこと。三重の寺名を聞いて、あ、あそこぉと思い出しました。名張から近いのです。“試みの大仏”といわれる仏像があって、収蔵庫に仏像と並んでいた坐像がそれでしたの。
一昨日、花粉が飛ぶには早いけどと思いながら、潤んだ山を眺めておりましたら、夕方少しおしめりがありました。昨日から冷たい雨が止みません。乾燥が続いていたので一息ついた感じでよいのですが、そちらはいかがですか。
くれぐれもご自愛のほど、お願い申しあげます。 囀雀
2006 1・31 52
* 須田国太郎展 藤
秦様 日陰の雪も殆ど消えたようです。我が家は一同風邪とは縁がなく元気に、夫はスキーを楽しんでおります。
先程、秦さんのHPを拝見して須田国太郎展の話が出てきて、その前に見た同展の感動が急に蘇りました。
京都展はお人が少なかったようですが、東京展は直前にNHKで放送したからかもしれませんが、平日午前中にもかかわらず適当な数の観客で、それも初老の紳士(つまり私と同年輩くらいの男性)が大半だったのが印象的。
日本の絵画の伝統や、京都の風土と西洋の知性が、なんとも心地よく解け合っていて、須田画伯ご自身は最後まで「これでよい」と満足はしてはおられなかったと解説にはありましたが、私が明確にはわからぬままに求めていたものが、そこに具現されていて、嬉しかったです。
須田さんとか須田先生と私の絵の師は呼んで居られましたが、こどもの私にはそのお考えや苦悩はわからず、ただ独特の色調だけはしっかりと焼きつけられていて、いつも竹橋の近代美術館常設展でその色に出会えるのが楽しみでした。そして須田先生というと何故かピンクのダチョウが目に浮かぶ謎も今回解けました。「走鳥」というその作品に再会したのです。
初めてヨーロッパへ行き彼の地の景色、建物、人々を見たとき、西洋絵画・油絵がその中から生まれ育ったことを強烈に感じました。日本人の京都育ちの自分が油絵を描くこと自体に、無理があるのではないか、もし自分が呑気な旅人としてでなく、絵の勉強に来ていたとしたら、ショックを受けて絵が描けなくなるのではないか—と思いました。
最近また絵を描き始めて、いまだにその思いはどこかにあってグジグジとしていたのですが、須田先生の作品に接して、ああそうか今の自分のままで油絵を描いて良いのだとすっきりと納得できて、晴れ晴れと、工藝館から北の丸公園を抜けて家路につくことが出来たのでした。
明日から2月、どうかお身お大切にお過ごし下さいませ。 2006/1/31
* 須田さんの繪は、なまやさしいものでない。無駄な抵抗なくその深い深い色彩の魅惑にすなおに吸い取られたほうがいいと想ってきた。色彩も華麗なのではない。地軸からしみ出てきた地球の体液のように濃い。そして原形が原料の豊かさで掴まれている。
2006 1・31 52
* 万両のひそかに赤し大原陵(青邨)
(京都大原)三千院が舟形天井を原寸大に復元する収蔵庫を建設中で、秋に完成する予定ときき、今のお堂で仏さまに逢いに、早いうち行ってこなくてはと思っていたところに、琵琶湖大橋際の交差点にあった「京都近道」案内に興味を持った主人が、「大原か。寂光院側しか行ったことないんだよなぁ」と言うので、これさいわいとだしにつかい、雪晴れの日曜に、三千院までいってまいりました。
県境は圧雪でひやひやでしたが、(三重の)名張から三時間かからず着いたのには、びっくり。
雪の積もった細い坂道や石段。真っ白い雪の帽子をかぶった川中の石。つらら。しずくの音のアンサンブル。すべり落ちそうな庇の雪。
雪景色の大原を、(故郷)新潟仕様の靴で、とっとっとっと歩き回りました。観光地化しているとはいえ、ずる賢いところがまだそれほど大原にはなく、気持ち良かったです。
道の具合に、不本意でしたが、音無の滝はあきらめました。ですが、滞在時間三時間という割には、充実した「他界旅」感覚を得ましたし、清まはりました。 雀
* 国会の、何の解決改善の見通しももてない談義と、雪しずくの音もきこえそうな大原三千院あたりの浄境。このコントラストが、バランスが、かろうじてわたしの日々を支えている。
自身をきれいだとも高尚だとも正直だとも善良だとも、ゆめ、思っていない。そんな誤解は、他人はしても自分で自分に出来ることではない。逃げ腰では、どうも…という自覚も、とても逃げられないのを自分で知っているから言うことで、たいした覚悟でもきれいな覚悟でもない。なさけないが、そういうわたし自身の日々の「生き」である。今日死ねと突きつけ言われれば、さぞうろたえるであろうが、存外、もう残されてある大きな天与は、それしか無いのかもしれぬと思うことがある。
* ここ数日、中古屋さんに持って行けそうな本とCDを検分しています。引っ越しのとき、積み上げた段ボールを見て、「多いなあ」と思ったものですから。「まだ聴くわ」「まだ読むわ」と、なかなか選びだせないのですが、少しでも。
だいたい選びましたけれど、雨があんまりバシャバシャ降っているので、出かけるのは明日にします。
先週、富士山の新五合目まで行ってみようとしたのですが、冬期閉鎖中でした。三合目過ぎた辺りから、完全なアイスバーンでしたから、無理もありません。ノーマルタイヤで来ている車が数台あり、びっくり。スタックして大変そうでした。
スキー場までの有料道路は、除雪がいき届いていました。賑わっていましたよ。
わたしはスキーはしません。ウェアや板や靴や何やら揃えるのが面倒で。スケート派です。フィギアを持っていますが、子供の頃のように滑るには、かなり練習しないと無理みたいです。
そちらも雨でしょう。
発送準備が進みますでしょうか。どうか、お体を休めて、お元気で。 花
2006 2・1 53
* こんな寒くて暗い日は「書の至宝展」の行列も少ないのではないかしら。時間を見つけて、気の滅入るくらいの寒い日にもう一度行きたいと思っています。
どこにも出かけず、雨音を聴きながら昼間の書き仕事をしていました。ただいま一服。コーヒーを淹れてブラームスチェロソナタ一番、二番と流しています。渋いでしょ。ブラームスやベートーベンの後期の四重奏を好んでいます。一回聴くたびに手痛く深い人生経験を一つ積み重ねるようで、ため息もでます。
御作の中で、手に負えない難しい作品「秋萩帖」などに似て、豊かに美しい味わいがあります。凡人には永遠に作品の謎はとけない。
チェリストはジャクリーヌ・デュプレ。若さと才能の輝きの絶頂で多発生硬化症という悲惨な病気の為に道を断たれたデュプレ。競演しているピアニストのバレンボイムは夫です。この演奏を録音しているとき、二人は幸福な夫婦でした。将来の不運も不幸も知らない。ただブラームスの憂愁の音楽と、藝術の至福が、希望が、人生にはすべてありだと語るように流れていきます。
雨脚が強くなってきています。 春
* たっぷりの湯に顎までつかって、なにも思わず温まっていた。眠くなった。いま、なにもしたくない。
2006 2・1 53
* 斜里岳を望んで… 網走にまだ流氷は接岸していず、想定外でしたが、ヘリコプタ―で海上から流氷見学となりました。
徳内さん、ヤンジァにまだ邂逅できてません。ゆめ
2006 2・2 53
* 琴線に触れるという実感を、いつも大切に思う。
東工大で、こんなコトを尋ねた。大学以前に出会った学校の先生方から戴いた、「感銘のひと言」を教えて欲しいと。さまざまななかで、一番数の多かったのが「がんばれ」であったのは、東工大らしくて思わず笑った。なかには「十七にして親をゆるせ」「男は風邪をひくな」など印象も感銘もじつに深いのがあったが、しかし「がんばれ」に笑ったのは、バカにしたのではない。なんと平凡なと嗤った学生もいなかったではないが、こういう場合の「ひと言」は、「先生と生徒との一対一」ぬきさしならぬ状況での「ひと言」であり、他人がその言葉の重みを、ひと言だからふた言だからと計ることは出来ない。琴線にびりびり触れたから彼は、彼女は、先生のその「ひと言」を嬉しい、有難いと忘れがたいのであり、取り違えてはいけない。
* 美辞麗句の好きな人もいる、てんで興味のない人もいる。
井上靖は、「夕方・夕刻」という物言いが好きだ、「薄暮・黄昏」よりは、と書いていた。箴言とも聞こえるが、井上さんが前者に偏していたとはいえない。これぞというときは「薄暮・黄昏」ふうにもちゃんと書かれていた。言葉の値打ちは字面にあるのでなく、聴く人、読む人の琴線にとどくかどうかで測られる。原点は、当然、ことばを発信する人の実感の深みにある。ものから引き写したような知識だけの言葉は、すぐ分かる。実感以上に、巧者に書こう書こうという気が臭く目立つからだ。学生達のいわゆるレポートがなかなか光ってこないのはそのセイである。学生には、しかし、それも勉強のうち。大人は、自身の言葉を大事にしないと、得意なつもりのところで恥をかく。
2006 2・2 53
* 晴れていますが、強風。窓から見える煤煙が、真横に走っています。
> 三保の松原
車だったら、四五十分かな、そんなにかからないかな、と地図を見て想像しています。中学のとき、修学旅行で行ったことがあるんですよ。ひらけた砂浜とおおきな松と、打ち上げられたブヨブヨのくらげを憶えています。
暖かくなったら、行ってみたいです。
田子の浦もあります。出光などの重油貯蔵タンクがあり、民家もある、小さな港町でした。
このあたり、焼津港、清水港が近いせいか、魚介がおいしいんです! スーパーでお刺身を買ってみては、味わっています。
きのうは、「カレイのえんがわ」をはじめて食してみました。筋があって歯ごたえがあるのですが、それでいて溶ける、不思議な食感でした。
週末、寒くなるようですから、暖かくしてお過ごしください。
花の新居は壁に断熱材が入っているのか、なかなか暖かいです。前の家は、古い鉄筋コンクリート作りで、おそらく断熱材など使っておらず、冷え込むと、家の中で息が白くなるほどでした。寝床に入っても、体が冷えていて、なかなか寝つけませんでしたが、今度はそういうことがまったくありません。
これが、新居のいちばん気に入っているところです。
近所は、お休み中の田んぼがあるくらいで、これといって野花は見られません。でも、どこかに、蕾をふくらませている木がありますかも。
花は、暖風が吹いたら、元気いっぱいに咲きます。
風、お元気で。 花
* 田子の浦、三保の松原、そのうえ魚がうまいとは、なかなかの誘惑!
* 雪のひま 先日は碧梧桐忌だったそうですね。
初雷のごろ/\と二度鳴りしかな
鰤(ぶり)起しの雷に始まり、虫出しの雷で終わる雪。あとふた月、待ち遠しい雷です。
夜には名張も雪になりそう。もうずいぶんと前のことですが、雪のちらつく日が続いたあとの奇跡のようにぬくい一日を、飛鳥へ、御陵を尋ねにでかけました。
朝の冷え込みが嘘のような冬日和。風もなく、晴れ渡った大空を、飛行機がゆったり横切ってゆきます。尾翼の赤い模様がよく見えました。
甘樫の丘には何台も車が停まり、散策する人が幾組も見えます。レンタサイクルがちょうどよいくらい穏やかに晴れ、飛鳥の盆地は、世の喧騒など遠い山の彼方と、日だまりに丸まる猫のふわふわの毛が、ゆっくり上下するのに似て、のどかにしずまっていました。
皇極天皇陵が越智丘陵にあるというのですが、手持ちの道路地図になく、前から気になっていまして、まず、手がかりに越智一族の菩提寺とあるのを尋ねてみました。“南朝忠臣の墓”とあります。参道前にそびえる杉の木に、茫然。樹齢千年という樹の、太さ、肌、神木の風格があたりを圧します。
石段を上り鐘楼門を潜ると右手に修理中のお堂があり、本堂では若いご住職が拭き掃除をしていらっしゃいました。
阿弥陀三尊の祭られた本堂。お参りしていると、ご住職が手を止めて説明してくださり、「パンフレットあります」と、走ってゆかれました。
本堂は小ぶりながら、座禅する場が作られていて、定期的に座禅会が行なわれているとのこと。高台にあるので風雪は厳しそうですが、向かいの山を眺めながらの座禅はきっと気持ちいいことでしょう。
敷妙の袖かへし君 玉垂の越野過ぎゆく 亦も逢はめやも
この越智一族の墓地から山越えに道があるとおっしゃってから「お車ですか? そうしたら集落の中を抜けて行く方が良いでしょう」と、改めてまた丁寧にお教えくださいました。
山の中腹に大田皇女、石段を上ると、斉明天皇、間人皇女、建王の合陵がありました。
そのあと草壁皇子の墓を訪ねました。こちらは地図に載っています。岡宮天皇陵、束明神古墳と。
スサノオを祀る神社と春日神社がそれぞれに添って、狛犬や灯籠も含め、すべてに丁寧な注連縄が張られていた古墳脇の神社に胸を打たれました。
道をゆくと、兵庫、吉備、薩摩、土佐といった地名が次々と現われます。どれも海に面した土地の名。越智氏が伊予水軍と大和南部の二派あると辞書にありましたが、海の民なのですね。
次に訪ねたのは欽明天皇と皇后の檜隈合陵とお隣の吉備姫王墓。猿、男、女、法師とする説もあるそうですが、4体の猿石を実際に見て、日本猿ではなく ape といった顔立ちで、人は南洋系、また伎楽面を思わせました。
そこから“鬼の俎板” “鬼の雪隠” 石を見に行きました。古墳の石室ですね。棺の台と蓋。猿石、亀石、二面石、酒船石、益田岩船、亀型石…飛鳥の石は写真以上に “もの” 驚き。忘れられない造形ばかりです。
近江の石は、石積み、石仏、石塔と、もっと生々しく実質的。これはこれでうなされるくらいパワーを持っているンですけど、飛鳥の石は、同じ渡来人文明でもその異形さが、どうしても気分をSFタッチにします。
軽自でもやっとという、細く曲がりくねった道の両脇にびっしり家が建つ古い集落がとにかく多く、運転者はタイヘン。けれど、盆地の中のさらに盆地といった小さな集落の一軒一軒に冬の日が照り降っている中にいると、のんびりと落ち着きます。
飛鳥駅前の物産館に立ち寄りましたら、お土産だけでなく本もいっぱい売られていて、入江泰吉さんの写真のよさもあって¥600の薄っぺらい歴史本を買いました。小学生の副読本のようですが、これがおもしろいンです。分かりやすくて楽しめる。ってことは、このレベルからステップを踏んでいかないとダメってことですわね…あ~ぁ。 囀雀
* 臨場感も申し分ないレポートで、すべて自身の実感で語られており、あれこれ斟酌の必要なく雀さんの鼓動に誘われて行けば、「空気」の匂いも、温度も、ちゃんと伝わってくる。花や雀の声を聴いている方が、アメリカやブッシュや追随者のことで頭痛がするより、よほど佳い。とは言え、背いてだけもおれない。
2006 2・3 53
* 節分 例年の事、声を張り上げるには、この歳、気恥ずかしくて、こそっと豆を撒きました。
テレビや新聞紙上での封切映画のPRを見ている、と直感的にこれは観たいと思っても、旅行(京都行きを除いて)と映画は一人では行きません。行けません、が正しいかも。
一年に2回のグループ旅行でだけ会う淡交ながら、映画等の好みが合って、話の弾む六歳若い友人に、今「プライドと偏見」を観たいの、と始めたばかりの携帯に、メールを送りましたら、心の中を覗いたの、偶然、明日、所用を兼ねてそれを一人で観に行くの、とブーメランのように返信が届いて。
原作「高慢と偏見」、18世紀のイギリス、セットでなく現存の豪華屋敷で撮影されているラヴロマンス、と知識はこの程度。
サスペンスも冒険もなく、美しいイギリスの田園風景をバックに、紆余曲折の末、何組かの男女のハッピーエンドを描いただけなのに、辺りが明るくなると顔を見合わせて、よかったね。
ウイノナ・ライダーに酷似のヒロイン役、キーラー・ナイトレーは女優演技賞にノミネートされ、あと三部門も、と後で知り、オマケは、大好きなジュデイ・デンチが貫禄を見せてちょこっと出演していた事。
友人は、学生時代に丸善で購入した原作がある、と翌日、レシートを挟んだままの星三つ(一つが五十円)の上下の岩波文庫を、黒猫便で送ってくれました。作者ジェーン・オーステイン、二十一歳の作品。
映画でも描かれている五人姉妹の違った性格を、原作では尚詳細に描いている十八世紀の二十一歳の感性を感じながら、今、読書中です。 泉
*「高慢と偏見」を初めて読んだとき、感銘を受けた。文学として最良の成果の一つだと敬服し感嘆したのを、昨日のことのように覚えている。今度の映画はしらないが、やはりこの原作の映画化作品を見た記憶があり、映画はも一つ感心しなかった。文学として味わうだけでいい気がしたほど。
この泉さんのメール、巧まずに世間が展開していて、幸せそう。ね、聞いて聞いてという感じ、わたしのような「聴き上手」にはそれでいい。
2006 2・3 53
* 奈良の百済寺
雪女郎の眉を貰いし程の月 (山田弘子)
気温差が大きくなると、いよいよ春。春立つけふの風やとくらむ‥かと楽しみにしておりましたが、昨日から冴え渡った空に時折雪が舞う、春は名のみの…といったあんばい。
くれぐれもご自愛をお願いいたします。
さて、冬の初めのこと、奈良の百済寺に行ってまいりました。
建築物の高さ制限がされているのでしょうか、遠くから見える三重塔に場所はすぐにわかりましたが、行ってみると周囲は住宅に囲まれ、敷地のほとんどを駐車場や公園にされ、痛々しい感じでした。
観音の里といってもいい程、十一面観音があちこちにあり、パンフをいただきに役所の観光課を訪ねていくうち、斑鳩から飛鳥に至る道の、斑鳩寄り半分の町を尋ねる格好になりました。
奈良国博で見た十一面観音にあった“奈良 与楽寺”が、ずっとどこにあるか分からず気に掛かっていたのが、ようやく見つかり、地名だけ分かっている十一面観音を持つ寺にはたどり着けて、思いがけないことに、2㍍近くあるきれいな十一面に出会い、お参りすることができました。
河合町川合にある広瀬神社をはじめ、水に関わる社寺が多く、雨乞いの社寺や仏像、洪水で流されてきたという地蔵がいくつもあります。そして蛇(竜)まつりも。頭と尻尾が分かるように綯ったわら縄を、少年たちが担いで練り歩くのだそうですね。立ち寄った神社の境内の大木に、10㍍位もある縄が巻き付けてありました。
多、秦庄、十市町、額田部町。“跡”になっていたり、本堂が失われていたりするのは仕方のないことですが、地元の人が守っているところは、寂寞感とともにやわらかなあたたかい空気が漂っていて、佇んでいても淋しくなりません。
結崎にもいってみました。立派な鳥居と扁額の糸井神社があり、鏡作神社は5社もあるそうですね。
観世、金春、田原本町の桃太郎、広陵町のかぐや姫。
百済寺ひとつから始まったのが、さまざまに嬉しく楽しい旅になりました。
鍵・唐古にミュージアムができたというので、復元した楼閣を見がてら訪ねてみようかと思っています。纏向に集落ができて消滅した都市なのだそうですね。宮を桜井市金屋に遷したあたりのことなのでしょうか。 囀雀
2006 2・4 53
* わたしの機械史では、メールで遡れる古いところが「1998年7月」ごろ。その直前に機械がクラッシュして、田中孝介君が魔法を駆使してホームページをはじめかなり甦生させてくれた。それで、此の機械にはホームページの最初1998年3月から保存されているが、メールはもっと早くから使っていたけれど回復できなかった。現存最古は田中君との通信で、ついで「鳶」さんとのの交信が八月に入って「復活」している。
いつごろから交信していたか、わたしの手許では分からない。「雀」さんとは1999年からの頻繁な受信記録が残っている。此の二人からの受信は、質的にも量的にも頭抜けて充実している。「花」は 2000年の秋からメールをくれた。あんまり几帳面なので、一昨年の春さきから双方で替え名をつかうことにし、おかげでスムーズになった。前例は「雀」さんに「囀雀」のあだ名を上げたときに始まっている。はじめは、ヘキエキの囀り体であったのが、まるでサマがわりの落ち着いたメールへ成長していった。
それよりも以前の、郵便の昔から、四国の「花籠」さんは自らそう名乗って、こちらを「月」様と書いてきた。作家に手紙を書く照れを戯れに消したつもりだろうと受け止めて、わたしも照れくさかったけれど、メールの今もそのままに書くことが多い。
むろん東工大の卒業生諸君との交信は、わたしのパソコンが稼働し始めた昔にさかのぼる。誰かが手伝ってくれて、メールを始められたと思う、誰であったやら。
一つ言えることは、メールとは、いわば「余儀なくてメール」なのである。メールが人間関係の「十分条件」であるわけがない、現実に出会えない・逢えないからの「メール」だと思っている。「メール交信」そのものを「目的」にしている人は、極めて稀な例外をのぞいて無いはずである。「メール」にとらわれてしまうのは、どこか精神の衰弱のようにわたしは感じている。「メール」さえかわしていれば満たされている、なんてことは、どこか健常でない。ファジーな代替行為に陥ってしまう。
* 「メール」や「ケイタイ」は、いずれ社会学や倫理学や精神病理学の研究対象になるであろうが、また一方、新しい文学の土壌に成りうるかどうか、わたしは早くから関心を持ち続けている。人様のメールにかなり無遠慮に関わっているのもその関心からの探索行為かと問われて、否定はしない。「けいたい文学」を商売として嗾しつつある出版社もすでに幾つも現れているが、現実問題としてはまだ十分サマを成していない。しかし、「鳶」さんのメールや「雀」さんのメールは、優秀な編集者のてにかかれば、質も内容も高い出版が可能なはず。
* 夕暮れて、晩になり、だんだんと、なんだか知らないがなにもかもバカらしくて、此処にこう存在しているさえムダなことに思われてくる。このディスプレイで「マトリックス」完結編の「レボリューションズ」でも見ようか、三谷幸喜の「ラジオの時間」で泣き笑いでもするか。
2006 2・4 53
* 今日は寒かったですね。風花が舞いました。
こういう日に散髪すると、風邪を引いてしまうおそれがありますから、お気をつけて。
今日はペールビールというのを飲みました。ほんのり香りがあり、炭酸の強いラガービールより飲みやすかったです。 花
* ちょっと人の声が聴きたいときに、何でもないこんなメールが届いていると、誰のであっても、心からホッとする。電話は叶わないし、郵便は、たとえハガキでもこうは行かない。負担になる註文も用事もない。つっかかられてもいないし、おおげさな挨拶もない。
「ペールビール」か、美味いのかなと、今までテレビの前で三谷幸喜の映画をみながら缶ビールをのんできたわたしは、知らない味を想像する。それだけのことだ。が、戸外には風花がまだ寒々と舞っているかも知れない。メールはあたたかい。
日本中で、いいや世界中で、ビジネスや打ち合わせのほかにも、こういう、ナーンの意味もないが心嬉しいメール交換のW.W.W.が渦巻いているだろう。e-ヤングも、e-オールドも。十年前には、まだ無かったことである。
ただし好いことずくめではない、こんな温かいメールのほかに、今日もまたひっきりなし何十本もの「あべです」「たなかです」「あみ」「みよこ」「hey!」「ナイショです」「直メール交換希望」「re」「特別承認されました」「長年の歴史を誇る異性紹介サイトです」などいう不正勧誘メールは機械をわんわん襲ってくる。アタマへ来るが、けっして開かない。即、削除。
2006 2・4 53
* 京都の何必館(京都現代美術館)の梶川君がわたしにした話で、一つだけ耳に残っているのは、いまどきの若い画家達は、いつもほんの身の回りのどんくりの背くらべ程度の先輩や仲間を目標にしている。あれでは、頭抜けた境地へはほど遠いですよ、と。現場で仕事している者は、だが、得てして自分のすぐ前を歩いている人の踵を見つめながら前進している。それがいいのか、わるいのか、繪と文学ではちがうだろうが、わたしは梶川君の慨嘆に聴くべきものを感じた。
告白すると、わたしは月々の文藝誌を各社から贈られながら、ほとんど読まなかった。それは読者のものだ。隣り合っているだれが何を雑誌に書いているか、知ってプラスする本質的な何が有ろうかと思っていた。それなら古典や外国のものを、また美術や演劇や歴史や思想にふれていたかった。
* 比良の銀嶺 雀
冷え込みました。ちらついていた雪が融けず、今朝、あたりがうっすら白くなっていました。暖かさのあとだけに寒さが一層堪えます。くれぐれもおん身お大事に。
琵琶湖がどう移動したのかを知りたくて、そして、ビワコオオナマズに会ってみたくて、また、比良比叡が一望のレストランに、ビワマス、ナマズ、ブラックバスなどを使ったメニューがあるときいて、興味しんしん。
先月のよく晴れたたいそう寒い朝。予定もなく、時間だけはたっぷりあるからと琵琶湖博物館に行ってみることにしました。
甲賀を抜けて石部に出たとたん、比良山系の銀嶺が稜線もくっきり輝いて見え、思わず歓声をあげました。
博物館の入り口まで、湖水に触れそうに広大な庭があって、そこを歩くだけでも気持ちが健やかになり、学ぼうと思えばあちこちに情報が提供されています。水族館と博物館以外にも知的刺激に満ちた企画空間があふれていて、年間パスポートがあることに大いに納得しました。
地層と古代生物から始まった博物館展示の広範囲なこと。いちばん衝撃を受けたのは壬申の乱のときの瀬田の唐橋橋脚を復元したもの。木と石の知恵ある使い方に感心し、橋の幅の広さにめまいがしました。両国の江戸博物館に日本橋の復元がありますが、そのはるか昔にこんなに勝れた建設技術があったのですね。
また、“湖とひとびとの暮らし”という展示も益の多いもので、そのさいごに、ガリラヤ湖との類似が紹介され、展示してあった写真に、こういう景色のところだったのかと感慨深く、イエスがペテロを弟子にしたくだりや、五つのパンと二匹の魚、海上を歩いた話を思い出しました。
レストランだけでなく、館内を移動している最中も、湖水と銀嶺を大きなガラス窓から一望のもとに見渡せます。庭に出ると、湖面を渡ってくるきんと締まった空気に、体も頭もすっきりしゃんとした感じになって、汗をたっぷりかいて運動したように、気持ちのよいアタマの疲れでした。すっかり使わなくなったアタマのあちこちをみっちりもみ療治されたみたいです。
* こういう記事を此処へこう置くことで、わたしの、閉じこめられた重苦しい談義や述懐に、得難い「窓と景観」をもらうことが出来る。同時に、この「闇」へ訪れる人たちの間にも、自然と交感のときの得られている、らしいのも嬉しいこと。
* 奈良へ 晴
囀雀さんの 百済寺近辺 散策のメールを読ませていただいていると、奈良へ奈良へと気持ちが惹かれていきます。
折りしも昨日国立能楽堂で「野守」を見ました。後シテの鬼の持つ鏡が大きく立派で、宇宙の象徴でありますとか。猿沢の池の神秘を思いました。次の日曜日には、矢来の能楽堂で「采女」見る予定ですので、また猿沢の池に想い馳せることができます。こちらは悲しさ、愛おしさ。二月堂のお水取りもあり、「早春は奈良へ」が魅力なのでしょうか。
JRが、奈良へ京都へとホテル提携でお安く呼びかけてくれますが、いずれも二人セットです。史跡を訪ねたり、謡蹟を歩いたりする旅は一人気ままが好きです。陽射しの恋しい間に囀雀さんのメールに沿って歩きに行きたいものです。馬酔木の花が咲いているでしょうか。
いつも囀雀さんのメールを楽しみに読ませていただいています。プログでは無いので、無神経に反応し、申し訳ありません。
迪子様ピアノを弾かれる日常に戻られた様子。風邪の具合も良くなられた様で一安心です。
二月の歌舞伎は、私も一日後を追って観に出かけます。偶然一緒だったら嬉しかったのに。
* たなごころをさすように、すうっと妻の親友のこんなメールが届く。この「闇」の奧で、花の咲くようにこういう交感が成り立っている。この「闇」へ、わたしは誰にでも入ってきてもらって構わない、いやらしい勧誘メールはお断りだが。
2006 2・5 53
* 阿寒湖早朝 ゆめ
無事に(オホーツク海の見える)北から戻りました。冬の3白「流氷」「白鳥」「丹頂鶴」が有名ですけれど、あと、是非加えたいのが北の山々。写真中央は阿寒岳です。斜里岳やこの阿寒岳の早朝の美しさには本当にカムイが宿っているのでは、と想像されます。
オホーツク海岸を走るバスの窓から、古い駅舎「藻琴」駅が見えた瞬間、そのすぐ後ろを通り過ぎたひとりの男の人影。あっという間だったので、「徳内さん」と声をかけることもかないませんでしたけれど。
まだまだお話したいことがたくさんあります。追ってメールします。
* キム・ヤンジァはいま、どこにどうしているだろう。忘れたことはない。
* 雪かき 雀
ご近所の梅の花芽が赤走ってまいりました。
六日はや睦月(むつき)は古りぬ雨と風 (内藤鳴雪)
といいたいところですが、さきほどから雪が降り始めました。そちらもよほど寒いと予報で聞きました。風邪や怪我などどうかお気をつけて。
湖北の友人が「雪どけで筋肉痛」というので、一瞬、何かしらんと思いましたら、雪を「どける」ンですね。うちは「雪下ろし」。そして、下ろした雪が窓や戸を押しつぶすのを防ぐため、隙間をつくる「雪堀り」をします。
雪のあとにどういう動詞がくるかで、その地の雪質がわかるのですね。
さて、すいている大晦日に大きな神社にお詣りするのが、ここ何年もの楽しみになっておりまして、この年越しは多賀大社にいってまいりました。
伊賀や信楽は凍るタイプで、さほど雪は積らないのですが、日野から北に向かうにつれて、山はもちろん、田畑を覆う雪の量が増し、(北陸の)田舎に帰っていくような錯覚に陥りました。
多賀大社のあと、胡宮神社に寄り、大蛇の淵の滝ノ宮、大瀧神社を訊ね、犬上郡のいくつかの古社を訪ね、最後に甲賀市の山伏の郷といわれる集落の村社、岩附神社に寄って、伊賀焼の煙漂う阿山を通ってまいりました。
(近江)観音正寺への道は雪で交通止めと掲示があり、石馬寺に寄ってみました。
驚いたことに、苔むしたあの長い石段が雪掻きはおろかよく乾かされていて、本堂まで難なく辿り着けたのですよ。おじいさんがお一人で本堂から奥へ雪をかいてらっしゃいました。
庭園も見所という社寺が多く、それらはすべてこんもりと白い、雪の下。衾雪というのかしら。足元を気にしつつ、氏子さんが二年まいりの準備をしている地主の神社の景気を味わいました。
大瀧神社は、谷を覗くように水神龍神を祀るお社があり、お参りする道だけが細く雪を除けてあり、おばあさんが一人、お参りしているようでした。わたしたちが近づくと、ようこそとお辞儀なさって場所を譲り、あたりを掃除してまわっていらっしゃいました。
淵の方へ下りてみましたら、雪に埋もれていますが、手摺りをつけた立派な遊歩道ができています。まさに景勝。冴えた寒気、雪の降り積もる岩淵、流れる水。神が降りる気配が濃厚に満ちていて、昂揚と沈静の入り交じった不思議な清まり感覚をもちました。
多賀大社からの帰り道、一帯の観光案内看板を見て、月読神社があることを知りました。イザナギ、イザナミを祀っている神社ですものね。うかつでした。
* 「みごもりの湖」がそのそこに覗き込める。わが魂の幾部分かはこの世界を浮游している。
* 北海道旅行記その二 ゆめ
今度の旅で特筆すべきは観光バスのガイドさん達。どのガイドさんも観光トークの他に北海道の農政や漁業、北の歴史について熱心に語ってくれて、耳を傾ける価値がありました。初日のガイドさんは50代前半か、ベテランの風格。北海道も最近はすっかり保守化の波に取り込まれてしまった、と嘆いていました。
また昴さんの住む街、サロマ湖でのホタテ漁は好調で、一軒平均の年間所得は2千万円近くあるため、後継者不足はまったくないそう。けれど昔、ホタテの環境を整えるのに1億円もかかった時、「町」はその保証人になったのだそうです。(当時「町」の年間総予算は3億円ほどだったにもかかわらず)そういう血の通った行政もあるのだなあ、とちょっと感動してしまいました。堂々と話すガイドさんがとても頼もしく見え、「おばちゃんは一日にしてならず」だなあ、つくづく感じた一日でした。
* 今日は歌舞伎にいらしたのですね。
昨晩(葬儀をすませた舅の家から)遅くわが家に一端戻りました。疲れはそのままに、まず洗濯をしましたが生憎小雨が振り出してきました。暗い室内です。
義父は一月二十一日にはお医者様から、「来週退院ですね」と言わた数日後に発熱。腎盂炎、敗血症から多臓器不全で、二月一日朝亡くなりました。満九十歳ですから天寿と思いますが・・。病院で死ぬということは延命治療は基本的にはしないといっても、やはりチューブに繋がれての死でした。植物学者として好きな仕事に専心し、カナダには新種の発見を記念して彼の名前を冠した湖もある、幸せな生涯だったろうと思います。
冬の水一枝の影も欺かず 草田男
一筋の道などあらず寒の星 湖
己が闇どうやら二人の我棲めり 遠
二人の我とは如何なる我か・・妻、嫁の立場で一定の姿勢と役割を演じ、果たしている我の存在か、そしてエゴに満ちみちているおのが本心のままの我か、などさまざまにわたしは考えていました・・。
「疲れている我と、それを傍観している我」 そう答えていただいて、改めて思いを致し、そして、「状況を傍観するとしくじります。」という言葉が痛いです。今現在の傍観は脇に置いて、振り返ればそのようなしくじりや妥協が点在していますから。
ずっと昔、自分というものは単純に、「自分に見えている自分」だけではないということを人と話したことがあります。「自分に見えていない自分」「他人に見えている自分」「他人にも見えない自分」・・なんだか数学初歩に出てくる座標の四象限のようだと思ったものです。
書いていただいた「己が闇」の二人の我は、どのようにも意味深長になりました。
「一筋の道などあらず」には強い断定と決意を感じました。いっそ背中を押されて、元気出しなさい、一筋の道なんてなくても、迷っても歩けばいいのですよと言われているようでした。
草田男の「冬の水一枝の影も欺かず」の句も厳しい問いかけの言葉になりました。
今日は半ばぼんやりとして、頭は働きません。友人からいくつも電話がかかり、互いに近況報告したり。十日以上も本も読んでいませんが・・少しだけぬくぬくと過ごしたい。書き留めたいことが多くあります。
どうぞお体くれぐれも大切に。そればかりです。 鳶
2006 2・6 53
* 歌集『少年』 「みずみずしい」の一言につきます。漢字ではありません、平かなです。お若い頃から難しい語彙を使いこなしておられるのに驚いております。すばらしい才能ですね。とても及びません。多才なことはエッセイから想像しておりましたが、今回は別な驚きでした。ますますの御活躍をおいのりいたします。
節分の日 春を待ちつつ 名古屋大学名誉教授
* 春を待ちつつ か。もうすぐ梅の、桃の、櫻の、花が咲く。花を待とう。
春愁に似て非なるもの老愁は 登四郎
2006 2・7 53
* 五里のさとの十三里 雀
こちらは暮れるにつれて雨へかわり、昼間の雪はすっかり溶けてしまいましたが、そちらはおもいのほか積もったようで、おからだ案じております。どうかお大切に。
伊賀から木津川岸の道をたどり、八幡市の月読神社に行ってまいりました。
水分(みくまり)に加え、水度、水主と名の神社があるのが気にかかり、城陽市をうろうろしているうち、八幡へ渡る橋が見当たらず困っておりましたら、 “八幡のながれ橋”と案内があります。名張の近くに小さな潜水橋やながれ橋がありますが、この川幅でどんな橋か想像がつかず、矢印の示すまま進みます。このあたりは洪水後の疫病を防ぐため、牛頭(ごず)天王を祀った神社が多いですね。
地域振興のためのハコものに到着。そこの駐車場にクルマを停め、強風にとばされそうになりながら、堤防をえっちらおっちら登っていく雀の耳に演歌が聞こえてきました。
近くに工場があり、鉄工所の文字が見えます。時計を見ると、ちょうどお昼。“お腹空いてきたなァ、よいしょっ”と最後の一歩を踏んで立ち上がり、感嘆符。
テレビによく出て来るあれって、これでしたのね。こんな長い橋だとは。感嘆符。
ハコものに戻ると、朝市が売り切れおひらきというていで、常設の物産売場で手作りのサンドイッチを買って、貼ってある案内やパンフを眺めながら一休みしました。
“京から五里、奈良から五里、五里のふるさと”とキャッチフレーズの城陽市。特産のひとつに“九里四里うまい”あれがあるとのこと。
青木昆陽より十数年も早く、琉球から苗を持ってきて栽培したとあります。初耳。
腹ごしらえも済み、いよいよ月読神社へ。
門のところに、隼人舞発祥の地、宝生座発祥の地といった碑があり、境内には宮中神楽発祥の地の碑がありました。
月読命を祀っている神社は、壱岐島、月山神社を含め、全国で十社ほどしかないそうで、雀が知っているのは、伊勢神宮、松尾大社、多賀大社、そしてこの八幡市大住。おおすみ、さつまいも、川‥あ、そっか。
風かよふ綴喜の里の梅が香を空にへだつる中垣ぞなし
今年の梅見は青谷にしようかなぁ。
井出の玉水、井出の玉川というのが不勉強でわかりません。
梅見までの宿題だわ。 囀雀
* 片雲の風に誘われる気儘も容易にならない我が日常。少しも構わないけれど、やはり雀のこんな囀りには、思いを誘われる。この人は、ここにも「クルマを停め」と書いているように、運転手役のご主人を、あたう限り頼んで諸方へ出向いている、電車でないときは。それはわたしから勧めたことだ。楽しむならお二人でと。それの可能な家庭らしいからだ。今日のメールのこの辺りも、言うに言われない「日本」のおもしろい「巣」の一つだ。
2006 2・7 53
* 平成館の「書の至宝」展 なんと一時間待ちと。
驚嘆して退散するしかあるまい。しかし本館は空いていて、佳いものが揃っている。
西洋美術館はロダンとカリエール。素晴らしい好天で、日なかは温かいが、じつはひどい冷え込み。
上野の夕暮れもだいぶ日が長くなり、鈴本を通り越して横丁の「壽々亭」の天麩羅がうまかった。蕗の薹のほのかな苦みが佳い春だった。この店が気に入っている。
2006 2・9 53
* いと長き神の御名や紀元節
人生僅か五十年、下天のうちをくらぶれば夢まぼろしのごとくなり
朝の教育テレビで子供たちが口にしていました。
“我が世の春”はいけすかないけど、光の春、また、水の春ですわ。どうかお元気で。
明日は吉野で国栖奏、伊賀では島ケ原でお水取りの元になった修正会が行なわれます。
皇室典範改正の争論沸騰に、びっくり水みたいな報でした。仏滅にご懐妊発表という宮内庁らしからぬうろたえぶり。小泉さんの猛進ぶりもどこやらに、法案を引っ込めるなど、すっかり男子とわかっているかのような。
早いうちはワイドショーにも「今まで女帝は8人いた」などとお堅い話も出ておりましたが、日毎お祝いムード一色に変わっていくマスコミに、薄気味が悪いです。
一昨日でしたわ、湯上がりに水を飲みながらテレビを見ていた主人が、「名張の駅がでてるぞー」と言うので、見てみましたら、「そのとき歴史が動いた‐壬申の乱‐」。
中高年に古代史がブームだそうですが、そうではなくて、初めて「天皇」を用いたのは大海人皇子(天武天皇)、伊勢神宮と天皇が強く結び付いたのはここからといっています。「NHKって最近よそより速報早いじゃないですか」と民放で言っていたのも相まって、気味が悪いわ。
さて、女帝八人のうち、先の四人は未亡人、後の四人は不婚。四人、第二皇女がいますわね。後桜町天皇を知らなくて、広辞苑をひきましたら、前日読んでいた「十八世紀後半の五十年間」に時代ぴったりだったのでびっくり。このあたりも「要・学び」です。
ところで四月木挽町にまた「孤城落月」が出ます。雀が見ておりました頃はたいてい我當さんがご出演で、玉太郎さんの裸武者が注目を浴びてらっしゃいました。松江を襲名なさるのですってね。
明正女帝のことから、後水尾天皇と知恵伊豆が同い年と知り、昨日、1586年から1643年までの、天皇・豊臣・徳川の簡単な年表を作ってみました。
江戸時代最後の天皇はよく取り上げられますが、江戸に幕府がひらかれたときの天皇のことは存じませんでした。
年明けに、奈良のバスツアーに、興福院、円照寺、正暦寺をまわるコースを見つけまして(予約制で、円照寺はそのツアーの5日間だけ公開してくださるそうです)すぐ申し込みました。それが来週。後水尾天皇と第一皇女に思いを馳せてまいります。 囀雀
* 推古天皇、皇極(斉明)天皇、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙(称徳)天皇の重祚を含む六人八代が奈良時代までの女帝。
以降、ずうっと時代を隔てて江戸時代初めの明正天皇、中頃以降の後桜町天皇が女帝。
その昔には応神天皇の母といわれた神功皇后を歴代に数えたがる人もいたのは、倭建尊を天皇に数え、また聖徳太子も天皇に数えようとするような動きに似ているが、聖徳太子は実在、しかし倭建尊も神功皇后も歴史学的にはたんに伝説・伝承上の虚像に過ぎない。歴史的に実在の認められている天皇は、固いところ四、五世紀へかけての第十五代応神天皇。それ以前の天皇は神武以下多くの証跡や論証によりすべて架空。紀元は二千六百五十年など問題にならない。
応神以降も、清寧・顕宗天皇のところで相当アイマイになり、現皇室のたどりうるぎりぎりのご先祖、越前から艱難辛苦多年をかけて大和へ入った継体天皇は、その皇統を確証すること難しく、伝承では、大和にいた皇統の女性を妃としたとされている。事実上「女性」の血統に中継ぎされた皇統と想われなく無いのである。
* 皇室の伝統を「文化」の名において大尊重する言説をこのところちらほら、それも皇族・元皇族をはじめとして漏れ聞くが、伝統文化に拘るなら、三種神器を欠いたまま即位した後鳥羽天皇という例外天皇もおられた。北朝天皇を、三種神器を欠いていたために歴代から外した「明治の判定」に準じれば、あの名高い後鳥羽天皇の玉座がかなりに揺れてくる。
また廃帝といわれるか、それに近い扱いを受け、あわや歴代から漏れかけた天皇さんも、壬申の乱に破れた弘文天皇、承久の変後に煽りを食った仲恭天皇、また南北朝時代の南朝でかげのうすい長慶天皇などがおられる。
貧窮のあまり室町時代にはまともな即位式のなかなか挙げられなかった天皇さんもおられたし、必ずしも男子にひどく拘泥していたとも想いにくい、登極の候補にあがった内親王が確実にゼロであったわけではない。すべては、その時々の大勢に流されてよしとされていた程度。神武天皇のY染色体がどうのなどというハナシは「文化」でも「伝統」でもありゃしないし、失笑をまねくだけ。
* それよりももう二度と起きまいと思っていた「皇統争い」めく暗闘を、よつてたかってマスコミが煽っているのではと猜される事態は、不快きわまりない。
* 谷崎作「吉野葛」を読み耽って、ずくし(熟柿)の描写に、懐かしい味を思い出しました。
富有柿の“ずくし”を、居間から遠い、暗く冷たい部屋に並べておいて、おこたで食べるのが冬のおやつでした。ゼリーみたいでおいしいのですよ。雪の中に埋めておいてシャーベット状にして食べるのもおいしかったわ。調子に乗って食べ過ぎるとお腹をこわすのが難点。お酒を飲んだ父のデザートでもありました。
川上村の丹生川上神社上社まで行って、時間切れで帰ってきたことを思い返しながら、地図で今はすっかり道もよくなっている小説の舞台の地名をなぞり、地図上の旅と、物語の中の旅をしている最中に、友人から、明日、用があって橿原市へ行くが、昼過ぎには終わるので会わないかと連絡があり、吉野行きは中止となりました。
あさっての島ケ原の達陀(だったん)を見にいこうかしら。
新幹線が立往生した秋田の雪の映像に、せッつないねェ、とか、もぅらしィねェ(気の毒な、可哀そうな、の意)といった、田舎の言葉を、祖母や義母の口の脇に片手を当てるしぐさもそのまま、繰り返しています。 囀雀
* 今日もまた新幹線と温泉とで雪の事故。
* 秋篠宮妃殿下ご懐妊の祝福と讃美一色のニュースの報道を観ながら、皇太子ご夫妻への微塵の配慮もないことに驚き呆れて過ごしていました。「日本の良識はどうなっているのか」という今朝の小説家内田康夫さんの新聞の投書に同感です。
雅子妃殿下の今のご病状は、もともと世継ぎ男子を産めないことの重圧が大きな原因でしたのに、あまりの残酷な報道に憤りを感じていました。無神経にもほどがあります。
ああいう心の病は、甘えと誤解されがちですが、責任感の強い真面目で心やさしい人のなる、本当に治りにくい病気です。今回の報道はその病気の妃殿下に烈しく鞭打つ非情なものでした。もし精神的にまいっている雅子妃殿下に万一何か不祥事が生じたら、大喜びの議員さんや宮内庁やメディアは、一体どういう責任をとるつもりかと思います。皇后陛下が強い目眩で葉山の御用邸行きを中止なさったという小さなニュースの時に、今度はどんなストレスかと(目眩は、ストレスが原因のことが多いので)不思議でしたが、このことだったのがよくわかります。
秋篠宮家に男の子を期待するとか、男の子と決めつけたような報道も、失礼で言語道断です。ご懐妊は心からお祝い申し上げますが、そもそも少しでも謙遜な思いが有れば、今国会での皇室典範改正後にご懐妊が発表されてよかつたのではと思いました。まだ六週間の早さでご懐妊の発表とは皇室典範改正阻止を狙ったとしか思えない異例の早さで、これではドラマの大奥のお世継ぎ争いです。せめて報道は静かにさらりと流すのが、男子に恵まれない皇太子ご夫妻への思いやり、最低限の礼儀ではないかと、そう考えます。もし、親王さまがご誕生の暁には日本あげて提灯行列で盛大にお祝いなのでしょうか。もしそうなら、私は世界に対して日本人が恥ずかしい。誰かの涙の上に成り立つ慶事であるならば、浮かれることなんてできないはずです。
そもそも国民は、皇太子ご夫妻が不幸になってまで男系天皇がいいなどと、考えていないのでは? 私の周囲は女帝、女系容認の皇室典範改正に賛成の人ばかりです。血液型もDNA鑑定もなかった頃の、科学的に真実と立証もできない男系の伝統などというものより、私は「今・此処」の天皇ご一家、皇太子ご夫妻の幸せが大切です。民主主義の恩恵は、皇室にもあってしかるべきです。だから今とても怒っています。 都内一読者
* こういうふうに言えることは、昔と違い有難いが、およそこの読者の言われるところ、大方の良識有る人の思いに重なっていよう。いちばんいけないのはマスコミ週刊誌等の毒虫たちである。話題を煽って儲けよう受けようとし、配慮の「は」の字もない。そして喚く、人は知る権利がある、などと。
人には「知らない権利」もあるし、知るにも知らすにも品位や節度があるべきはず。少しもじって歎息する、愚や愚や汝をいかんせん。
2006 2・10 53
* 私語にて、朝日子(建日子)さんへのお手紙を読ませていただき、感銘を受けました。父親が娘に贈る手紙の最高の一つでした。お嬢さまへの愛のしみじみ溢れる手紙でした。胸に迫って、私は読んでいて涙がこぼれました。
朝日子さんがブログを閉じられたことなど、お父様には痛ましいことかもしれません。ですが、失礼を承知で、書きます。
お手紙の真情は、お力落とす必要もなく、かならず朝日子さんに伝わると思います。朝日子さんは一時的に反発し拒絶しても、最終的には強く強く励まされるはずです。私の確信です。
父をつよく避けた娘の一人だからこそ言えることですが、父の愛の娘にかならず届くことは、早いか遅いかの違いだけです。私の場合は父が死んでからわかりました。遅すぎたかもしれませんが、それが私にとっての「時」でした。愛はその「時」がくれば必ず見えてくるものでした。
朝日子さんが、父の愛を知らないはずはありません。これからのお二人の関係に希望は、ある、にきまっています。また、
「小説」に関して父親の指導を受けたくないという朝日子さんの拒絶の理由は、私にも、ある程度同感できます。お父上は並みの物書きではないのです。空海が他人のお習字に手を入れたらどうなりますか。本気のアドバイスでも同じことです。あっという間に本人のものでない名作になってしまうのです。幼稚でも下手でも、作品はかならず自分のものでなければ書く意味がありません。お父様の力を借りるという誘惑をきっぱり撥ねつけるだけの性根のすわった朝日子さんのことを、むしろ喜ぶべきだと思います。
推察しますに、そもそもお二人の今の状態は、父と娘との問題なんかでないのはもとより、秦さんと★★さんとの関係でもない。父にも娘にも「想定外」の、「まったく別」のところに在ろうと思います。しかし、私はこれ以上のことを申し上げる資格はありませんね。
色々失礼を書きましたが、朝日子さんへのお手紙について書いたのには、もう一つ理由があります。
私はこの手紙に胸打たれましたが、この手紙は朝日子さんに宛てられたものにもかかわらず、私の人生を変えてしまうようなものであったことも申し上げたいのです。朝日子さんへの手紙(メール)を読んで、真実愛しているものに書く手紙とは、このようであるのだと、私は目が覚めたようでした。
朝日子さんへの手紙は、今までお書きになったあらゆる文より強くて、烈しく内に溢れる愛が感じられました。秦文学中のヒロイン達への愛すら、「慈子」への愛すら、この愛に比べたらなにほどのものでもないと思わせるほどです。『聖家族』を読んでうなされた時の感じと似ていると言えるかもしれません。(『聖家族』の凄まじい迫力は、秦さんほどの作家が全身全霊で憎しみを描いたからというより、骨肉の愛を描いたからなのだと思います。)
以前に、自分は愛を知らないとお書きになっていたことがあります。ちがいます、朝日子さんへのそれは、無比の愛。娘を愛するのは父親として当然ですが、それを考慮にいれてもなお、朝日子さんに(建日子さんにも)真実の愛の花を咲かせているお父上なのだと痛感しています。
愛とは、まさにあのように励ますものです。祝福するものです。幸あれと祈るものです。期待するものです。相手に大きな可能性があると喜ぶものです。花咲かせようとするものです。相手に、痛むまで与えて与え尽くし、求めないものです。
こんなことを書いて、バカ正直もここまでくると犯罪かもしれません。許してください。
ご本の発送でご無理なさいませんように。湖の本の到着を楽しみにしています。 藍
* 恐縮。
* 波 朝日子さんのこと
雨戸を開けるとパンジーの花が寒さに縮み上がっていました。このたびの朝日子さんのことに少し触れてみてよろしいでしょうか?
よけいなことだと・・・ 思われるかもしれませんけれども・・・。
> 朝日子は、それを予想しなかったろうか。わたしに伝わることを期待していなかったろうか。朝日子は、以前からわたしのホームページは見ているのである、それは分かっていた。わたしが、今度の朝日子三作品を珍しくたいそう褒めている、評価していることも知っている。
⇒ 朝日子さんは、湖の熱い期待を 親心を、もちろん誰よりも知っていました。そしてブログというかたちで、ひっそりとお父様に作品を読んでいただくことも望んでいらしたに違いありません。
> が、建日子は、姉弟の関係がわるくなるので、おやじたちはあくまで知らないことにしておいて欲しいと繰り返した。親心として、なかなか理解しにくいことだった。
⇒ 湖も 建日子さん 朝日子さんも、並みの方ではありません。建日子さんの「推理小説」も拝見しましたが、その構成は、表現こそ異なるにしても、湖ゆずりの非凡であっと息を呑むようなものでした。「あくまでも知らないこと」としながら、「実は知っている」という小説の世界をお子様たちは期待していらしたのではないでしょうか。すべてを直接伝える必要はない、直接伝えないけれども強く伝わっているというような関係を望んでいらしたのではないでしょうか。
それは、おそらくお父様の一言が特に娘である朝日子さんには、お父様が想像する以上に強烈に響き あるいは呪縛のように束縛するからではないかと思うからです。建日子さんにはお姉さまの気持ちがよくわかるので、賞賛のメールでさえ「これは伝えないほうがよい」と湖に伝えていらしたのだと思います。
> 朝日子の作品にふれて褒めるにせよ貶すにせよ、ホームページに、すべてああいうことは、書かない方がよかった、と。父親の「独善」だと。朝日子は、「少なくとも父である秦恒平からだけはアドバイスされたくないと思っているのは明白です」、と。
それで足りている。
嬉しさの余り、こと「小説・創作」でもあることから、わたしが出過ぎた、と。そういう咎めである。「独善」だと。
分かった。
わたしはそういう「独善」が好きだ。自分の熱いいい性格だと、独善的に肯定している。朝日子も建日子もそういう「独善」に愛されてきた。育ってきた。よかったではないか。これまでもそうだったように、この先も、その場その場で「おやじのせい」に出来る。親は「壁」という、それがその悪い方の意味である。良い方の意味があるのかないのかは、銘々に考えたらいい。
⇒ 朝日子さんは湖さんに似た熱い性格の持ち主だと思います。「並みの親子」でしたら、ブログをそっと読み、ホームぺージにのせることもなく直接メールのやり取りをすることもなく、遠くから可能性を信じて見守っていると思います。
私の娘も、私が絵の批評をすることを何よりも嫌がります。もう一歩で絶縁状態になりそうなこともありました。私は並の親ですからそこで口をつぐみました。朝日子さんほどの才能はなく、多くの辛らつなアドバイスを必要としている娘に批評をしないことは、ある意味で親としての「逃げ」かもしれません。芸術家としての娘に厳しい批判をして絶縁状態になるよりも、親子としてメールをやり取りし、いっしょに食事をしたり おしゃべりしたりできる関係を望んでいる寂しい 並みの親です。そう、「親だけにはアドバイスされたくない」のが「娘」なのかもしれません。
私は実の父を知りません。厳しい批判やアドバイスを受けずに育ちました。ただし義父は私を信じ、肯定して、至上の愛を注ぎ、私を育ててくれました。実の母もそういうタイプです。どちらがよかったかわかりません。どちらがよい ということもないでしょう。今の私はそうして存在しているだけです。
お子様たちは非凡な才能の持ち主で熱い性格、鋭い頭脳を備えた立派な大人に育たれたのです。「おやじのせい」にするほど子どもではありません。信じて差し上げてください。交流の持てる才能豊かで活躍中の建日子さんも、直接交流が持てずとも湖の育てた芸術作品である朝日子さんも、元気に同じ時代に生きていることを・・・
大きな喜びで感じ取っていただけたらと思います。寂しくはない・・・ 幸せなのだ と。 並の波
* 恐縮。
* こういう感想を、忠告を、よびさますことになっているのを、苦笑もしつつ、予期していた。「闇」のむこうでの「自問自答のよすが」を呈したようなモノである。愛知県の方が「想定外」の「まったく別」の何かと暗に示唆されている、そこに娘のうらみも葛藤もあり、娘はそのうらみと葛藤に「殉」じている。そこに何らか朝日子の愛や聡明が関わっているかと人さまの思われるのは常識的だし有難いことだが、父娘の間の問題でも葛藤でも実は「ない」ところにややこしい根がある。ま、親が子離れしないのが良くない、ことにしておこう、と今は思っている。
しかし、こと文学と表現の問題とするならば、初心のうちほど厳しい眼に謙遜に作を曝されていなければ独善に陥り、(在るとも無いともともかく才能は)腐り出す。わたしの危惧は一にそこに在る。わたしは編輯者でこそあるが必ずしも父親ではないから。メールを楽しんだり、会って飯を喰ったり、世間話をしたりという類のフツーのことは望んでいない、まったく、と言えるほど。苦笑しながら、わたしはいつも、「山の音」の「父親」を思い出している。わたしはむしろ、優しい心遣いのお嫁さんの方が欲しい。呵々 2006 2・11 53
* 魂を研ぐ はじめまして、**と申します。
ググっていてこのページを見付けてメールさせて頂いてます。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~hatak/denshi1.htm
ページ内の「* たましいを研ぐ 1.8.9」のセクションを読んで、いたく共感いたしました。
私も、半年かけて作って半年かけて仕上げたセミスキナーナイフを、自称「プロの料理人」が研いでやるというので研いでもらって、ボロボロにされたことがあります。その辛さたるや人生の一部分を失ったような気がしたものです。
私事で恐縮ですが、私の祖父は大工で鍛冶や佐官や彫り物もするような人でした。子どもの頃から、生の職人気質を見つづけていたためか、私が今風な電子回路設計のプロとなっても心意気は職人のつもりです。
ITの時代、効率や手早さばかりを求める軽薄短小な、名ばかりのプロが増えてしまったのには、寂しい思いをするのですが、それと共に後進を育てなければならない私達の責任を感じて、思いを新たに致しました。
素敵な「雁信」に思いもかけず巡り合えて幸せでした。ありがとうございました。
* 私語に「雁信」を含むよう心掛けて、そのため今は「雁信」欄に纏め書きしていないが、よくそんなところがお目にとまったと感謝している。
* 秦先生 ご無沙汰しております。(卒業生の)**です。
本日、湖の本が届きました。
『からだ言葉の日本』というタイトルに、とても惹かれました。
最初のところを少々拝見したところ、旧約聖書のアダムとイブや、カトリックの教義など、西欧の根底に流れる思想なども絡めてのお話のご様子。ゆっくりと読ませていただきたいと思います。
ちょうど、私も現在、旧約、新約の聖書の物語を今一度振り返っております。と、言いますのも、来る三月末より上野の東京都美術館にて、スペインのプラド美術館展が開催されるのに伴い、私の団体でも、そのプラド美術館展で来日する作品を中心に、それらの歴史背景や画家の生涯などを絡めて紹介するイベントを、今月末に企画しているため、その勉強のためです。
プラド美術館に所蔵されている絵画は、ご存知の通り、16~18世紀が中心で、スペインの絵画はもちろん、北方系やイタリアの絵画も宗教画が中心となっております。
そこで、カトリックの勉強となる訳ですが、子供の頃から慣れ親しんだ訳でもなく、根底に流れるものが異なっているためか、日本での生活と照らし合わせると、やはり難しく感じます。
ただ、幸いなことに、カトリックの国スペインで暮らした経験は大きく、今になってスペインでの文化習慣と思っていたものが、元々はカトリックから来ているのであろうと思われる部分があり、理解に役立っています。
かくも宗教というものは、人々の生活に深く関わっているものなのだということを感じる次第です。
とは言え、限られたイベントの時間の中では、上っ面だけの絵画の紹介になってしまいそうで、悩んでいるところでもあります。
今回は、私の好きなベラスケスも5点来日するということもあり、そちらの紹介にも気合の入るところでもあります。
イベントの前までに『からだ言葉の日本』の方も読ませていただき、イベント内容をより充実したものにしようと思います。
もし、ご都合があうようでしたら、2月26日(日)の13時30分より、新宿区牛込箪笥地域センター4階にて開催しますので、お越し下さい。詳細は、ホームページに掲載しております。
http://www3.to/salamanca/
ただ、先生にご満足いただけるような内容にできるかどうか、ちょっと心配でもあります。
暦の上では春となりましたが、寒い日々が続きます。お身体お大切に。 河
* 名作絵画の背景や基盤を読み取るのは容易な仕業ではない。とくに宗教画の約束事、仏教美術でいえば儀軌など、なかなか門外漢には読み取れないように、キリスト教絵画や彫塑にもそれがあり、また国と地域と藝術家の個性が必然絡み合ってくる。慎重にやって欲しい。
2006 2・12 53
* 身知らず 雀
美ケ原(うつくしがはら)においでになった由、空の青いところでしたでしょう? 雪眼など、目にお障りはございませんでしたか。
池があって、ほとりにホテルがあって、美術館があった記憶がございます。二十歳頃行ったきりですから、怪しいものですが。
昨日、名張に帰ってきた頃降り始めた雨が、夜半の冷えに徐々に雪へとかわり、今朝目覚めたときには山が白く白くかわってゆくところでした。そのうちに白く霞んで見えなくなって、粉雪になったり綿雪になったり。止む気配は微塵もありません。
昼前、たんと着込んで島ケ原へと出掛けました。
綿雪でしたのね。粉砂糖をふったような景色は伊賀に入るとからりとなくなり、道はてんで乾いてましたわ。
冴へかへり山風荒るる常盤木に降りもたまらぬ春のあは雪
粉雪舞う中、二時間にわたる達陀を拝見してまいりました。二月堂のお水取りが大歌舞伎としたら、金丸座での農村歌舞伎といったところ。愉しんだとともに、心を絞り染めするものがありました。
伊賀にある、「正座」の脇侍仏を持つ寺を訪ねてみましたら、残念なことに無住寺で、お参りできませんでしたの。境内は地域の墓地になっていて、お堂に貼ってあった掃除当番表に、3㌢角くらいのイラストが刷られていました。よく見ると、その正座仏。まァるいお膝がそれはもう可愛いのですよ。
久方はきさきの膝の出でしより、 でしたかしら、まったく満月ですわ。
ところで、しもやけにはこれが一番効くと、もぐさを買って帰った主人に柿の昔話をいたしましたら、「熟柿でなくてさわし柿でしょ、うちは“アイヅミシラズ”だった」といわれました。
アイズミ? 違うよ、会津・身知らず。身知らず、ですか―。“米原柏原宿”と、昔のままのもぐさ包みには、「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」と刷られています。
友人の知識を力添えに、チョコレートをいくつか選んでお贈りいたしました。
お口に合いましたら何よりの幸せ。ご笑納くださいませ。
* 枕詞は識ったひとも多いが、序詞は、習っていても、ま、忘れている。たっぷり序詞の巧みなラブレター、恐れ入ります。
* 栃木からは、甘い大粒の苺を、八パックも頂戴した。
* ロサンゼルスから、わが息子の文庫本『推理小説』を読みながら、いましも脚色されて放映中の連続ドラマ「アンフェア」を観てるのえと、京言葉の電話。ウワオ…。
2006 2・12 53
* 京都、のばらです。
こんばんは。
新しいご本受け取りました。いつもありがとうございます。
開花の遅れている梅の蕾も、少し膨らんできました。
今日も時折粉雪のちらつく中、祇園の辺りを歩いてきました。
いつも「何必館」の前を通る度に入って見たいと思うのですが、まだ機会がありません。
お疲れになりませんよう、お大切にお過ごしください。 従妹
* 何必館とは京都現代美術館のこと。この館の開館時、ビルの一番上階の茶室で、もう亡くなった山口華楊さんと、梅原猛氏と私とが招かれ、記念の一座を組んだ。豪華本の『墨牡丹』を出して間もなかったか、床の間には、館長梶川芳友が、何ぞ必ずしも不可能ならんやと、ついについに手に入れたばかりの村上華岳「太子樹下禅那図」が掛かっていた。華岳を心行くまで静かに、たくさん観られることでは、天下一の美術館である。魯山人、富本憲吉も揃っている。
2006 2・12 53
* 湖の本『からだ言葉の日本』届きました。「”ことば”と”こころ”とは、”からだ”を根に養分を吸い上げた葉や花だ」という一節に会えて、今日は幸せな気分です。時代が秦さんのご本を追っかけているようですね。
益々のご健筆を念じています。 元講談社出版部長
* 小山内美江子さんからも。
* 陽に当てて 雀
島ケ原正月堂の日当たりに水仙が一輪咲いていました。
字ってものを、見るだけでアタマ痛くなるワという人もありますが、まさか自分がそうなるなンて思ってもみませんでした。この二ヵ月、活字を受け付けない状態に陥っていて、吐き気を催す自分がどういう状態か理解できず、はがゆくもどかしく、いらついたり落ち込んだりしておりました。
身にはなんの障りもなく、時間はたっぷり。不具合などなにもない、書物に耽溺するのに最適という状態でありながら、活字をみる、読み下す、読み進むことがまるきりできないのです。かといってらくちんでジャンキーなものは目にするのも胸がむかむかします。読みたい本はたくさん積んであって、広げるのにアタマが受け付けない。そういう調子の自分を受け入れることが困難でした。
テレビをぼんやり見ていたある日、高野豆腐の製作過程を紹介しているのが目に留まりました。凍らせて、溶かして、乾かして、それであんなにたっぷり煮汁を吸うンだと思ったら、いまの自分のアタマは凍ってる状態じゃないかっ、溶ければ入る場所ができるゾと少しやわらぐ思いになり、焦らずいこうと考え直しました。
それで、恢復の手がかりになればと、主人の蔵書にあった松岡正剛『花鳥風月の科学』を読み始めました。
2~3行に1度は辞書をひく有様ですが、知らないことば、知らなかった世界に出会うことも含め、楽しんでいます。
辞書を引いているうち、
時ものを解決するや春を待つ という句にも出会いました。
そして、新しいご本が届きました。
昨夜は月を見て寝床に入り、今朝は山に沈む月を見つめながら洗濯をしました。干すさきから凍ってゆきます。熱いお茶を喫みながら、今日も活字に親しむ時間を、深くおだやかにすすめていこうと思います。
* 久しく人に逢わない。そんな気がする。相変わらず活字に親しんでいる。時々思い出すが、こんなわたしも、本をまるで読まなかった時期が会社勤めのころにあった。会社のせいでなく、おそらく「書く」のにせわしなかったのであろう。充電中ということを言う人がある。なんだか最近もだれかから聞いた気もする、忘れた。わたしはいま充電中か。いや、そんな気は全くない。今そうありたい、それがいい、というふうにわたしは暮らしている。逢いたい人はいつでもいる。逢う逢わないは、べつごとである。楽しみに待っているのは三月十日の先代仁左追善の歌舞伎、十四日染五郎たちの三谷幸喜芝居。そしてあわよくば、再びの総選挙。
* 著者さま、同「湖の本」版元さま、昨日、新しいご本『からだ言葉の日本』落掌。早速に楽しく読み始めております。お代は今朝送金しました。これはやはり、それぞれの、時代時代・来し方に思いはせ、当世を見渡す、行く末を想う<からだ言葉の日本>ですね――<日本のからだ言葉> というより。分厚いご本。
小輩も日常的に――ほまち仕事の方で――冊子類の発送を手がけておりますが、今度の丈夫で長持ち分厚いご本は、冊子小包なら風袋290円。毎々、送金手数料は受取人持ち、封筒もしっかりしているし…….いらぬ節介、下世話なことですみません。体を惜しまず長寿本の健康管理を続けるおこころ充分に有難く頂戴しております。…….
「親モナシ妻ナシ子ナシ版木ナシ金モナケレド死ニタクハナシ」。『海国兵談』の林子平ではなく、版元○○弾正の発禁、版木没収への嘆き歌、と憶えています。ま、いまは有り難い時代ですが気持ちはよーく分かります。 この夕べ新本一冊送られて貧しき書屋輝きてをり。
ひさびさに二夜酒抜き何おもふ霜置く頭(カシラ)そこはかとなし 秀
* 新刊届きました。まず「私語の刻」を読みました。後は毎日ゆっくり先生と対話したい…。 ゆめ
* 四函ものいろんなチョコレートが一包みに遠くから届いた。賞味期限もなにも、もう二箱食べてしまった。ありがとう。血糖値は確実にあがる。
* 配本 終了しましたか。お疲れ様でした。
三寒四温、出よう出ようと隙を覗う喘息が、この暖かさに引っ込んでくれています。
息子と娘と私とが、それぞれにプラド美術館へ行っていて、同じように図録を購入していました。時間の制限のあるツアーで、不慣れな館内をあちこちと歩き、なるべく多くの作品を観ようとして、図録を買ったのは集合時間ギリギリで、オッチョコチョイは間違えて英語版を買っていました。
手元に息子の日本語版がありますが、この英語版、いつか贈りたいと思っていましたが、昨日のクロネコ便のパッケージに入れてみたら、ドンピシャと収まり、明日届きますから。
明日はバレンタインデイとか、まあ、それは偶然の事、ご笑納ください。「私語」の記事に、日本で開催のプラド美術館展に携わるという元学生さんのメールを眼にしたことも加味して。
どれと絞れないほど多い絵画の中で、まず突進したのは、ボッスの「快楽の園」や「乾燥の車」。想像していたよりも大きい祭壇画で、美しいとは程遠い、一見グロテスクでありながら、生き難かった中世、諺に託した、今でも通じる世の習い等をよく映し出して、異色の絵だと思いました。
ベラスケスの「ラス メニナス」、ムリーリョ、エル・グレコ、ゴヤ etc
楽しみにしていた「裸のマハ」「着衣のマハ」は貸し出し中で、気落ちしたのを思い出します。 泉
* 追加分を少し送本し、もう一度明日同じように発送して、今回はそれで終えたい。
2006 2・13 53
* お元気でしょうか? 湖の本 エッセイ37を拝受いたしました。有難うございました。むずかしくなさそうな興味をそそられるようなご本です。楽しみに読ませていただきます。今日入金もいたしました。よろしくお願いいたします。
いかがお過ごしでしょうか? 日日有意義な時間を持たれておられることでございましょう。
さて私はいつもながら忙しく過ごしております。出かけることも多いですし。
絵のほうも追われている状態です。つぎつぎと展覧会の出品作を描かねばならず、こんなのではなかなかいい作品は描けないんじゃ、と、思っています。恒平先生に叱られそう!
明日からは2日間のみですが、二人の裸婦を描きに藤沢までまいります。大きいのをもっていきます。どんなモデルさんか? 描きたくなる方か? 期待をこめてまる二日間頑張ろうと思っています。昨日は**さんのお宅へ伺い、院展出品者たちの研究会に参加させていただきました。意欲のあるお若い方々がおおくて、なにかと刺激をうけました。私は毎日絵の日記をワードへいれてますが、先生に公開できるようなものではありません。自分の悩みなどなど、です。
このところ寒さも加わり、すぐ疲れてしまいます。予定どうりには進みません。
またどうぞハッパをかけて下さいませ。 ごきげんよろしく。 郁
* 湖の本、ありがとうございます。
新刊本、届きました。ありがとうございます。封を開けてすぐ、エッセイの赤い(というよりも朱色でしょうか?)
表紙に出会いました。まだ中をパラパラとしか見ていませんので感想は言えませんが、早く読みたいなと思っています。
ただ、今は『冬祭り』と古事記(現代語訳ですが)をゆっくり読んでいるので、もうちょっと先になりそうです。蛇の意味のかけらがようやく掴めてきました。難しいですが、おもしろいです。
仕事でスキーに行っていると、春はまだまだだなと思います。流氷が居座っていて、風もとても冷たいです。この冬が過ぎれば春が来ます。その時が楽しみです。春になれば、一通の手紙でも元気にしてくれる、そんな逢いたい人にも逢えるかもしれないです。とりあえず、今日はご本ありがとうございました。 昴
* さすがに作業の連続で、ほっこりと疲れを感じながら、くつろいでいる。
2006 2・13 53
* 春掛けて
さっそくに(チョコ)お召し上がりいただき恐悦に存じます。噛み砕いてらっしゃらないか、心配。歯もどうかお大事に。
さきほど山鳩の初声を聞きました。
積もり固まっていた雪の先が、かそっと落ち、小流(せせらぎ)に増す水の音。とっくりのスウェーターから首を出すように土をもち上げ、ふきのとうが息をつきます。
佐保川に凍り渡れる薄氷の薄き心をわが思はなくに
月ケ瀬の梅まつりがはじまりました。水音の嬉しい時節です。蕾の開く音、冬芽が裂ける音。音に耳立て過ごす浅春。
器械の負担になりませんよう、メールは一服の煙と消去してくださいませ。 雀
* ホームページから訪れてもらった人から、なにか大きなインターネットの「仲間内」へ「招待」したいと連絡があり、試みてみたが最終段階でログイン出来なかった。ま、むりすることもないかと、改善のテクニクももたないのでそのままに。
* あれこれまた試みにいじっているうち、ログインした。まだ何が何やら分からないが、ブログふうに使えるらしい。
* 暖かい一日でした。
新橋の美術倶楽部で「美術商の百年」のチケットが二枚あり、誰を誘おうかと思案して、淡交ながら会えば話題の弾む友人(先日「プライドと偏見」を一緒に観た人)に携帯メールを送った処(わざわざ電話を掛けて誘うよりも、メールでは、相手方も断り易いから)、行きます、と二つ返事のメールがきました。
もともと千駄ケ谷でバドミントンを通じて知り合ったこの人は、もう永く、今も書道を学び、教室で教える立場でもあります。
国宝 藤原佐理 書 『離洛帖』
めったにお目にかかれない、これが観たかったというのです。
博物館の「書の至宝展」など、話が弾み、お稽古では、「離洛帖」も「秋萩帖」もお手本に模倣すると聴いては、もう湖の本を教えないワケにはいきません。
そんなオハナシをすると、とても興味を持ち、是非読んでみたい、というわけで、残本がありますでしょうか。
あれば、私からのプレゼントという形で贈りたく、料金などもお知らせください。送り先などは、お返事を戴いてから、ということで。
京都が好きで、私より回数多く訪れる京都通ですが、「観光ルートから外れた京都へ私を連れテッテ」と軽いのりがメールの最後に入る、生粋の東京っ子です。 泉
* 佳い美術展だろうなと、広告を見て懐かしく感じていた。佐理の「離洛帖」は古今無双の名筆。
『秋萩帖』か。わたしの難しい難しいといわれる小説の中で、これはもっとも夢うつつただならぬ作品になっている。あのなかに、わたしは、小さな、しかし秘蔵のパン種を仕込んでいる。いつ発酵するやら。
* 良弁、実忠、多紀皇女
一に、一俵踏んまえて
二に、にっこり笑うて
三にゃ、酒造って
四に、世の中よいように
五つ、いつものやうに
六つ、無病息災で
七つ、何事ないように
八つ、屋敷広めて
九つ、米倉建て並べ
十で、どんと納った
島ケ原正月堂の修正会(しゅしょうえ9でうたわれる、かぞえうたです。びっしりと小さな活字で刷られたパンフレットに目をしばたたきながら、先日の祭りについて学んでいます。
751年、良弁の高弟実忠がこの地に植民し、新穀で修正会を行った翌年、東大寺観音堂で修二会(しゅにえ)を始めたらしいですね。寺の前身は天武天皇の多紀皇女が父母の菩提を弔うために建てた観音堂とのこと。彼女は大来皇女(おおくのひめみこ)の次の斎王。彼女についての断片の知識もつないでみたいですわ。
「もちろん本当のところは解らない。考えても、解らない。だが、なぜだろうかと疑問が湧いて、ああだろうかこうだろうかと、考えるのは楽しい。」
倭姫命についての三回の連載のしめくくりにこう萩尾望都さんは書いています。
雀もそう思います。 囀雀
2006 2・14 53
* 早春の光が嬉しい昼さがり・・・ ゆめ
先生おげんきそうですね。
私の肩痛は温湿布をしたり(電子レンジで2~3分暖めて肩にのせる便利なもの)、ストレッチをしたり・・の甲斐あってだいぶ良くなりました。
昨日からちょっと風邪気味で今朝は頭痛がするので、今日は臨時休業にすることに。平日、うちでのんびりするのって、とても嬉しいですね。子供のころ、風邪をひくと母をはじめ家族が不思議と優しくて、お布団のなかで、つい、にんまりしてしまったのを思いだします。
さて、韓国旅行は5月なかばから3泊4日ででかけます。「好食五人女」のにぎやかな旅になりそうですけれど、せっかく行くのだから、この際お隣の国について少し勉強してみよう、ということになりました。
五人それぞれが自分の興味あるテーマについて簡単なレポートを提出することになり、「韓国の歴史と平和」「韓国の生活習慣と言葉」「「韓国の焼き物・陶器」「韓国の宗教とキリスト教」そしてわたくしめは「韓国の演劇と仮面劇について」と決めました。
約一ヶ月の付け焼き刃の学習ですけれど、「大人の修学旅行」よろしく楽しんでこようと思います。ソウル郊外のやきものの町「利川」にいったり、町中の劇場で仮面劇やナンタ(いま、人気なのです。包丁や鍋といった台所用品を打ち鳴らしてリズムにするミュージカル)をみたりします。
今晩は風邪で休んだくせにまた夜遊び(?) します。高円寺の民家を改装したアートスペースで「百鬼どんどろ」という劇団の「人とひとがたによるパフォーマンス」というのがありまして、友人がここのファンなのです。暖かくしていってきます。(こういうのをズル休み、というのですね、嗚呼)
* 春時雨というのでしょうか。艶めいてあたたかく、こそばゆい雨。
こんな雨に凍て解けて、雪の下に黒い土が見えたときの嬉しさったら。
雨上がりの日光はそれまでの倍に増えて感じられ、手編みのミトンのまァるく絞った先と先が触れるように、春の子どもがかたわらにやってきます。
靴は泥まみれ、服もランドセルも泥はねをたくさんつけての道草は母を嘆かせましたわ。
融雪を促すため土を撒いた田畑は、銀地に吹き墨したような美しさで、農家は雪消を待ちながら、歯車を噛ますようにひとつずつ農事を進めてゆきます。黒のはなばなしい明るさは大雪の年は一入です。
岨(そわ)の道くづれて多羅の芽ふきけり(茅舎)
今年は雪解けに崩れたり、雪が消えて初めて被害がわかる崖や土手や田畑などが多く
ありそうなのが気がかりです。
さて、名張川を遡ったところに太郎生という地区があります。先だって津市に合併されましたが、間際までかなり長いこと名張市に編入をと強く訴えていました。
いつもながらのおマヌケで、信楽の多羅尾を、タラオバンナイからの聯想でタラオと疑わなかった雀。先日のお寺のパンフレットに「信楽宮は、現在の堂の裏、多羅尾峠(タロウトウゲ)を越せばすぐ近く」とあって、多羅尾、タロウ、太郎生―たらの木が生えてるところの意とようやくわかりました。 雀
2006 2・15 53
* 「湖の本」落手しました。豊富な知識を自分のものにして、そこからいろんな言葉を繰り出してゆく面白さを再体験しています。
建日子さんの「推理小説」、「アンフェア」も見ましたが、断然私には、原作のほうが面白かった。小説とテレビとは、別のものかも知れませんが、面白さで比べても問題にならなかったようです。
(URLアドレス中の)「~」は、ご指示のとおりで出たようですが、とんでもないところから出たという感じです。
とりあえずメールしました。お話できる材料がたくさんたまればよいがと願っています。 哲
* 私このたび3月末日で福井県立大学を定年退職することになりました。
本学での一般的な定年は65歳ですが、4年制県立大学発足時メンバーとして、例外的に70歳までの勤務でした。これまでは遺伝研、放育場、ウイーンの IAEAと農作物の突然変異関連の実験・研究・普及に取り組んで参りましたが、専門分野以外にも最後の数年は一般教育の「生物科学」で生態学的な考察もいたしました。その実行を兼ねて、これからは琵琶湖の外来魚を考えて行こうと思っております。
平成17年から18年にかけての福井県は記録的な大雪に見舞われましたが、幸い通勤も老人用「エキスパートマーク」を付けて安全に過ごすことができました。4月からは滋賀県大津市に移ります。400歩で(外来魚ブルーギル)の釣り場です。 悦
2006 2・15 53
* きのうは暖かかったですね。来ましたよ、花粉が。風は、感じませんでしたか。
今年は少ないとの予報だったので、お医者へ行かないで済めばいいなと思っていたのですが、ダメそうです。
日々の時間割ができてきました。
条件に合うものがあれば、アルバイトしようかな、と考えています。
もうじき昼食です。スパゲッティにしようかな。 花
* かわうその祭り 子規と、「獺の祭見て来よ瀬田のおく」 の芭蕉句を聯想します。
2/20頃がちょうどその頃とか。見たことないからわかりませんけど。
伊賀から峠をひとつ越え、朝宮や宮尻といった信楽宮ゆかりを思わせる集落を通って、川に沿ぅて難なく瀬田の奥に行けますの。
瀬田にいた弟子を訪ねて行ったとなにかで読んだのですが、カレンダーの隅に「旧1/20義仲忌」とあって、芭蕉さんは義仲さんのお墓参りに行ったンねと思いましたわ。 囀雀 2006 2・16 53
* 秦先生 本日、プラド美術館の図録を受け取りました。早速送っていただきまして、有難うございます。
この図録は、私は初めて見るものです。
収録絵画数も多く、ボッティチェリの3枚や、ボッシュやブリューゲルなどのそれほど有名ではない(けれども私が好きな)作品まで入っており、思わず見とれてしまいました。
今月末のイベントまで、勉強させていただきたく、申し訳ございませんが、貸していただけたらと思います。イベントが終わりましたら、お返しいたします。
改めてこの図録を見ていると、プラドに行きたいと思ってしまいます。
最近は、イベントの準備で、わりと有名な作品ばかりを紹介しようと思って、準備を進めておりましたが、私の個人的に好きな、ブリューゲル(花の)なども、今回来日はしませんが、紹介しても良いのではないかと感じました。
プラドと言うと、どうしても、ベラスケス、ゴヤ、グレコ、ムリーリョ、ティツィアーノ、ボッシュなどが有名で、そういったところにどうしても偏り勝ちな気がしますが、折角の機会なので、違ったところにも、私ならではの視点を少し入れてみようと思います。
有難うございました。 Mr.スペイン 卒業生
2006 2・17 53
* 昨日の「静かな心のために」感銘を受ける文章でした。光を放っています。続きが読みたいと思いました。一生得られないにしても、今わたくしに必要なのが「静かな心」です。 春
2006 2・17 53
* 外は寒いけれど二月ですから寒いのが自然と・・。
明日午後2時のフライト、ローマ経由で夜遅くピサ着なので、宿を予約していました。4年ぶりのイタリアです。3月7日戻ります。
今現在を、一会、一会、大事に、もっと率直に素直に自然にと思う。行ってきます。お元気で。 鳶
* 鳶 旅の最大目的は、無事に飛んで帰ること。 カアカアカア
* おやすみ。
2006 2・17 53
* 秋萩帖届き、明日送金します。有難うございました。「秋萩帖」は臨書しているので、楽しみです、とメールがありましたので、お伝えしておきます。
寒暖の差が激しいですが、お元気ですか。
寒い日は、家に篭って録画の映画を沢山観られます。昨夜のラッセル・クロウの「ビューティフルマインド」観たいと思っていた映画、いかにもアカデミー賞好みの作品ですが、よかった。凡人には計り知れない天才の波乱の人生に驚き、ラストで、喝采。やっぱり映画は面白い!
ほな また 泉
2006 2・18 53
* 春告 花粉の病はいかがですか。いろいろと進んできているようですが、少しでもラクな春でありますようお祈りいたします。
ふきのとうの出そうなお天気と、郷里の友人からメールがきました。
暦は雨水。
信州の留守宅を託かっていただいている主人の叔母からは除雪費用の連絡がありました。
20万円を超えたそうです。…まいッた! 囀雀
* tobi Pisa ni tsukimashita. tabino mokuhyouga bujini kaerukoto to kimoni meijimasu.
* ”sha” ni kamaete kega suruna. nasu nuki no umai pisa(piza) araba tabetashi. kaa kaa
* 明日から二泊三日で京都に行きます。二十日昼過ぎに着いて、二十三日の夜遅めの帰宅です。「京で、五六日」を読んで計画しました。
母と一緒に旅行したいと願いながら、ついに一度も実現しないまま、母は電車に乗れなくなってしまいました。出来るときに娘と旅行しておかなくてはと、母娘の女旅です。 春
* 母娘でイタリアへ。母娘で京都へ。よろしおす。
2006 2・19 53
* またきっと面白い話が聞けると、きっといいことが書いてあると、炬燵にからだ半分入れて遊んでいます。たのしみたのしみ、ゆっくり、ゆっくり。いつもありがとうございます。
ホームページの写真もきれいに載ってうれしいことです。マゴ殿は、あの(動く黒)ねこと似てますね。でしょ。
春を待っていますが、まだまだ寒いと思います。
みなさんくれぐれもお大切にしてください。 千葉E-OLD
2006 2・19 53
* おはようございます 風
ゆうべはmacの方のメーラーが壊れてしまいました。致命的な故障ではなかったので、メッセージは消えませんでしたが、もう使えません。
今後はwinのメーラーを使用します。
平日の午前は、洗い物や掃除をしながら、4チャンネルの「なるトモ!」を見ます。関西の番組らしく、出演者も関西の芸人さんが中心なので、どんなニュースにもツッコミが入り、楽しいです。
きのうは久しぶりに映画をレンタルしてきました。何と、一本50円!
間に合うものは図書館で間に合わせています。節約、節約。
風は今、何をなさっているかしらん。花は、元気元気。
* 富士山にいつも向き合う花というと、木花開耶姫を思い出す。あの花は、梅にも歌われ櫻にも描かれている。わたしの書庫の上でまた今年も小柄な梅が花をつけはじめる。
* メールをテキスト形式に設定し、「返信に元のメッセージを含める」のチェックを外しました。winのメーラーは、あまり使っていなかったので、デフォルト設定のままになっていました。お気づきの点ありましたら、またお教えください。
田子の浦は、見晴らしのよいところです。「田子の浦に 打ち出でて見れば・・・」のとおりです。富士の眺めのいいのはもちろん、製紙工場の排煙もたなびいてますけどね。
花粉はすでに感じています。薬を飲み始めましたが、眠くて、眠くて・・・。風の夢を見ましょう。 花
2006 2・20 53
* 湖の本に小説もエッセイも数多くあることを、宣伝しておきましたよ。電話を切るタイミングを失う程、話が続くのです。
クリントン・イーストウッド監督、主演、モーガン・フリーマン、ヒラリー・スワンク「ミリオン ダラー ベビー」を、一人で観てました。
アメリカ映画らしくない悲劇のクラーイ作品でしたが、此の世での人と人との出会い、人と人との絆を強く感じさせ、女ボクサーを演じる女優ヒラリースワンク(テレビドラマ出身の人で、これで二度目のアカデミー主演女優賞を取ったまだ若い演技派)並でない体当たりの努力が見えて、敬服です。 泉
2006 2・20 53
* 昨日浴槽で滑り落ち、背骨を打った。息がつまった。幸いあとあとの苦痛はない。
朝一番に「悪いNews」とある高校のともだちのメールが来て、これにも息がつまった。
* ご無沙汰していますのに 悪いお知らせですみません。
12/2 に*子さん くも膜下出血で 入院 治療中。発見が遅かったので 2ケ月余り 意識不明だったのが
2/6に 3度目の手術後 少し右指が動き リハビリを始められ 今は詳しくは分かりませんが ご自分の名前と 生年月日を表現されたようです。
暮れから 他の妹さんたちとも 連絡が取れず(皆さんのお家へ順々に電話しても 留守電ばかり)お母様がお悪いのかと 案じていまして。
私も1-2月 30日間ほど風邪を長持ちしていて(治ったと思いお風呂へ入るとまた熱を出しを繰り返して、)**子さんのことやっと知り まだお見舞いも許されていません。
ショックです。暖かくなったら ゆっくりと泊まりがけで温泉にでも行ってお話しようと(11/下旬)電話で言っていたところです。
今は祈るだけです。どうぞ祈ってください。 *子
* ことばなく、祈る。
東京へでてくるとき、茶道部の仲間達と、南日吉町の高台、眺めのひろやかな家で夢のように送別会をしてくれた。大学の頃、叔母の稽古場へ通ってきて、まねごとのようなへたくそな小説を読んでくれた。師について、大きな展覧会に書を出す人だった。メールをくれたのは御神酒徳利の友。もしわたしにほんとに茶の湯の弟子がいたというなら、この二人がそうであった。
2006 2・21 53
* 薬を飲まないで済むのが、いちばんいいのですが。数日前の風の強かった日、苦しくて、もらってあった薬を飲んだら落ち着きました。
薬を飲むと、はじめのうち眠くなりますが、日に日に体が慣れてきて、さほど眠気を感じなくなっていきます。それでも、単調な作業をしていると、強い眠気が襲ってきます。花粉症の長距離トラックの運転手さんはどうしてるのだろう、と想います。
さっき、自転車で走ってきましたが、花粉を感じませんでした。今年は少ないといわれていますが、どうなのでしょう。
三月、四月になって、ドンと来るのかも。軽めの薬をお医者でもらっておこうかしらん。 雨が上がったので、今日の風は「東京美術倶楽部展」にお出かけになったかなあ、と想っています。
花粉にお気をつけて、風。 花
* 冴えない天候です、もぐらのように 軽い喘息症状が頭をもたげます。が、薬は偉大。 泉
2006 2・21 53
* ある声 ご無沙汰にうち過ぎております。今年は風邪にやられて数週間を湯たんぽ入りの床でうとうとしたり目につく本を読んだりで過ごしましたが、気付くと春の兆しはあたり一面にただよっております。
おりしも『からだ言葉の日本』を拝受いたしました。有り難うございました。ぱらぱら頁をめくっていると「中仕切りにかえて」が目に飛び込んできました。森 鴎外を思いだしました。「智恵袋」と題のついた鴎外の文庫本もありましたが。
川端康成のように風呂場で転んではなりませぬ。バグワンの声です。 川崎 e-OLD
2006 2・21 53
* 検査をすると「…だんだん悪くて、脅されて…」ご同様です。(医者に)脅かしているつもりはないのが多いようなので、尚困ります。「…年寄りが『動脈硬化が相当進んでます』と言われても、どうしようもないだろう」と親しい後輩にはつい悪態をついて帰って来ることがあります。
若い頃、あるご老人に『あんたもとしとりゃわかるよ』と言われたのが身に沁みます。
どうも、べらべら喋り出してしまいました。秦さん。このメールはボツにしましよう。
上野鈴本・天麩羅…いいですねぇ。字を見ただけで嬉しく、懐かしくなります。
三月三日は、おっくうでしょうが、(病院に)行ってきてください。脅かしているくらいならひどくはないと思いますが。出来ましたら今度、数値を聞いておいてください。
脚はやはり暖かくされた方がいいとおもいます。秦さんは長時間でしょうから。
「デジカメの写真」せっかくですので、お時間のあるときにお送りいただければ幸甚です。容量が大きいのは大丈夫だと思います。
それから、フジテレビで秦建日子さん(原作)の刑事ドラマを見ました。見終わって字幕が流れていて気が付きました。かっこいいですね。
日本のことを別にすれば、やはりオリンピックはすごいですね。ついおそくなってしまっています。
いろいろお気を付けて、お大切にしてください。 千葉 E-OLD
2006 2・22 53
* 雀がしっかり囀ってきた。読んでみると、やはり「闇」の彼方へ此のも声は送りたい。
* 風 興福院
きのうきょうとこちらは濃霧の朝になりました。明け方の冷え込みはもうよほど緩ん
でまいりましたが、霧の日は気温がいっこう上がりません。
藍甕に白い和紙をちぎってそっと浮かべたような半月が、遅くまで天に残っていました。
(滋賀県の)秦荘(はたじょう)町と愛知川(えちがわ)町が13日に合併していたのですね。大晦日に通ったときそれらしい看板も幟も見かけなかったのですけれど―<愛荘町>って― 急な話でもあったのでしょうか。
さて、先日のバスツアーの報告を少しずつ囀ってまいります。
お寺の精進料理込みでも安い、日帰りツアーだったのですが、バスガイドさんが喋り通しの普通の観光ツアーでしたのよ。奈良は基本的に安いようですわ。お寺サンも正直なとこばかりで、権威や歴史や格など言い立てたりせず(言わんでも分かるテ。漂う空気がちゃうがな)「お金かかりますねン」てさっぱりとおっしゃるから笑ってしまいます。
興福院(こんぶいん)に着いたのはちょうど雨上がり。参道の木々のふくらんだ花芽のひとつひとつに水滴が輝き、門を潜ると石段がまっすぐ本堂に向かって延びており、それがちょうど水を撒いて石に溜まった水を拭き取ったすぐ後かのような、サイコーの状態でしたの。
左手に書院、右手には生け垣越しに茶室が見えています。誰かが、「あそこが寄付きで、こう通って入るのよ、きっと」と指差していましたが、まったくお茶事にお呼ばれした気分でしたわ。遠州設計の建物も、手入れの行き届いたお庭も、眺めも、天候が味方し、興福院のよさがなお増しておりましたから、自然、石段を歩む足が止まりがちになります。
あちらこちら眺めつつ人に遅れて本堂の段を上がったとき、庭をはさんだ向こうの建物の濡れ縁に、法衣の女性が現われました。会釈をしたその方が88才の尼ご住持さんでらっしゃいましたの。直々に説明に出てこられ、「こんなこと滅多にないんですよ」ってガイドさんがびっくりなさってました。
以前に拝観のことでお電話を差し上げました折、受話器をおとりになったおばあさんがこの方とわかり、お声の感じから想像していた以上の方で、有り難い出会いを喜びました。
お話の後、本堂をひと通り見学させてくださり、廊下伝いに別の建物に案内されました。一間に入ったとたん、雀の膝の下を風がびゅうっと通り抜けた気がいたしました。
我に返って目の焦点を合わせて見つめると、山水画の襖繪、と気付くのと「ひゃあッ」と畳に座り込むのとが同時。
ご住持さんは振り向かれ、「ここが春で、こう、夏、秋。隣の部屋が冬になってるんですわ」と静かにおっしゃいました。戻って冬を見ました。渡辺始興の繪があると聞いておりましたが、そのまま動きたくなくなるお部屋です。お寺のすぐれたハードもさることながら、空気の清浄さなどソフトもすっかり気に入りまして、一人の世界に入り込み、どんどん人より遅れてゆきますの。マラソンの最終ランナーよろしくガイドさんが待って後ろにつく有様。
門を額縁に見るとまたひとしお景色が綺麗で、景気がよくて、名残惜しくて。葛の葉の狐みたく、振り向き振り向き道へ出ました。 囀雀
* ただ行ってみるだけの人と、この雀のように、溶け込んでそこに入ってしまえる人との違い、こういう場所では歴然と見える。「葛の葉の狐みたく」という物言いが笑える。
* 菩提山の清流 正暦寺
正暦寺は普段も拝観を受け付けていて、雀は季節をかえ、三度度訪れておりますが、バスが着いた時、山全体に霧たちのぼり、清流のせせらぎには、はらはらと雨音が加わって、銀の細い雨が南天の実を揺らす、まるで山水の絵のような幽谷の趣に満ちていました。
ここも、ご住職自ら出てみえました。
ご本尊が薬師如来なので薬草を植え、瑠璃光浄土を再現するため、楓など、若葉の透過光の美しい木を植えた結果、山特有の冷え込みも手助けして、紅葉が美しい山になったそうです。30年前は燃えるような紅葉の中で世話役の人とふたり、「きれいだねぇ」「きれいだねぇ」「誰もこないねぇ」「きませんねぇ」「みんなどこに行ってるんだろうねぇ」と話していたとのこと。
もともとうねうねとした道が何本も山を縫って走っていて、僧が簡単に里に行けないように、また知らない外部の人間が辿り着けないように作ったと思われること、人を匿(かくま)うこともあり、一時は何百人も僧がいたので山城のように剣呑な寺としてしばしば権力者から火をかけられたこと、檀家寺でないため、明治の頃にはすっかり寂れ、建物も仏像もあまり残ってなくて、とおっしゃって、普段は入れない収蔵庫と不動堂も見せてくださいました。
収蔵庫に入ったとたん、ひたいに、“がぁーん”ときましたの。
正面に「瑠璃光殿 文秀」と豪胆な扁額がかかっています。
「これからおいでになる円照寺のご門跡です。近くて気楽なもンやからよぅ遊びにきてはったらしいンですわ。むこうさんは気軽にきはるンですが、こっちはタイヘンやったテ、うちのお祖母さんがよぅ話ししてました」と、ご住職。
女手と思えない手跡に不思議な気がしましたが、あとで円照寺にかかっていたお写真を拝見して納得。まさに書は人…。
文楽の酒呑童子のかしらを思わせるかんばせで、床の間にかかっていた掛軸の手跡は、収蔵庫の、艶艶と墨たっぷりのまンまるの球みたいな書とおンなし。笑い声が聞こえてくるような手跡でしたわ。
ご住職は、「大きな仏像は焼けてしまって」とおっしゃって、「その大きいのは “おおみわでら”にあった脇侍です」と…。
「おおみわでら…って、あの、聖林寺の十一面観音があった…」
「そう、あの脇侍ですよ」。
なんて出会い! 他の人が見終わるのを待ち、床にへたって見上げました。聖林寺でするのと同じように。
この二仏を従えて、あの十一面は今は若宮社になっている三輪の神宮寺に立っていたのかと、幻灯機でスライドを重ねるように思い浮かべておりました。
こういうことをしているからまた人に遅れますのよ。笑顔のバスガイドさん、恐いぃ。 囀雀
* 奈良国博
円照寺のことはまたのちほど。
バスツアーは近鉄奈良駅で下車となりまして、雀は雨のなかを国博へと急ぎました。半券をもいでいただきながら、閉館まで一時間半あること、再入場できることを確かめ、前回、良弁忌に立ち寄ってのちに入れ替えられた仏像を中心に各部屋を見て回り、「お水取り」の展示を見に行きました。
島ケ原で見聞きしたこと、遠敷へ旅したときのこと、「達陀(だったん)」…あれやこれやに照応する展示品に見入り、実際に使われた、また使われている品々や、焼けたお経、光背の、ちからに迫られました。
椿の造花の注釈に、「タロまたタラの木を芯に云々」とあったことに膝を打ち、杉本健吉さんの水墨画「修二会(しゅにえ)画帖」に、お芝居をみているようなたのしみを味わいました。
若狭の海はインドへとつながっているという文を読んだとき、裸形上人が故郷の波の音に似ているといって那智の滝で修業していたことと、島ケ原修二会で見た南洋の、置物か仮面かのようなお供えと、を思い出し、若狭から熊野の海までつながる水のながれがインドを含む大きな円になりました。
新館と旧館をつなぐ地下の売店で関連の本を求め、自販機のコーヒーでやっと息を入れましたが、体も頭もエネルギーを消耗し、とても絵画書跡の展示室には足が向きません。
気になった仏像、気に入りの仏像にゆっくり会いに行こうと、さきほどの展示室に戻りました。興福院でご住持さんが、「下品中生(げぼんちゅうしょう)」の印は珍しいのですよとおっしゃったのです。雀は珍しいかどうかよく分からないままおりましたが、外国人女性が指を曲げてまねながら見てらした法隆寺の三尊像の仏像が、その印。覚えましたわ、下品中生の印。
ねじり鉢巻きでなく、こんな吸い取り紙のように覚えてしまう潮時が、ときどきございます。また、久しぶりに、見上げるべく造られた仏像に会い、嬉しくなりました。三井の園城寺蔵、もとは東山如意が岳にあったという千手観音だそうで、上半身の確かな彫りと造形とに見とれていると、下半身の短さに膝が抜けそうになりますの。うふふ。すぐ前
に座り込むか、寝そべってお話しする仏さまです。
本堂でなしに博物館のガラスケースにあるのを見るのが、そもそもあかんのですが、靴用の床のなんて野暮なこと。
雨はさして小降りになった様子もなく、荷物を整理していると閉館のアナウンスが聞こえてまいりました。外へ出ると目の前に、「お疲れサン。お前さんのオツムは今こんなンやでぇ」とでも言いたげに、若草山と高円山(たかまどやま)とが蒸気を上げ姿を現しています。
あらぁ、おッそーい。
朝から真っ白な靄に隠れてちっとも見えず、バスが奈良公園の道を行き来するたび、ガイド嬢が、「お天気がよければあちら側に見えるのですが」と残念がってましたのよ。
山焼きからひと月、うす緑に芽吹いて、山はほよほよと湯気を上げておりました。 囀雀
* 松
「だったん人の踊り」をBGMに、JRが、奈良へ誘うコマーシャルを流しています。
「お水取り」展に、あの「達陀」が、敬意をもってどれほどたくみに編集され創られたものかを思い知らされ、松緑さん(先代)の人間性と、並々でない人物にあらためて感嘆いたしました。
熱い昂奮と私心のない群舞に清まはるのは、火と水の祭りの形を写すだけでなく真を写してもいたのですね。木挽町で、雀右衛門、時蔵の「青衣女人」二種を観た記憶がございます。大好きな舞踊で、最後の群舞になると大きな目を光らせた松緑さんのお写真が目に浮かびますの。
特に松助さんと亀蔵さんが、松緑さんへ “答案を提出する” 感じがいつも印象に残りますわ。こちらに越してから、松竹座二月公演とその数年後の京の顔見世で観ましたが、松也くんがすっかり大きくなっていたのに驚きました。そして、松助さんが松也くんと一緒に踊りながら、ご自身の答案とともに、松也くんのことを報告するような、また一方で松也くんに対して松緑さんのことを教えるような、二分された熱を感じたことを思い出し、鼻の奥がつんとつらくなりました。 囀雀
* 過不足無くこういう話題をこう背伸び無く柔らかに静かに書ききれる人は多くはあるまい。菊五郎・松緑(当代)・菊之助らの「達陀」の踊りを観たとき、わたしも妻も興奮したが。あの興奮は今も去っていない。あの群舞だけは、今が今にも何度でも観たい。
2006 2・22 53
* 冬も峠を越したような・・・暖かな一日でした。春はすぐそこへきているのですね。少し前は、四月なかなか遠く「に」あるかな、といった感じでしたけど、やはり作者(前田夕暮)も先生もいわれるように、ここはどうしたって、遠く「も」あるかな、だと思いました。
この議会が三月なかばで終われば、あとは年度末仕事と整理のみ。退職に向かってカウントダウンです。後を濁さず、振り返らず、先の希望に向かってゆっくり歩いていきます。
今日、昼休みに紀伊国屋書店にいきましたら、「キャサリン・ジェンキンス」という英国ウエールズ出身歌手のレコードがかかっており、あまりの素敵さに思わず、ひと耳ぼれ(一目惚れでなく?)して、CDを買いました。25歳のメゾソプラノの新星で、9ヶ月間UKクラシックチャート第一位を独占したそうです。コピーには「グラマラス・ヴォイス グラマラス・デイーバ」とありますが、「メゾ」ソプラノというのがミソ、まことに清潔で、のびやか。押しつけがましさや媚びもなく、それでこちらの心にすっと入り込んでくる気がします。「恋のアランフェス」や「タイム・トウ・セイ・グッパイ」、オペラのアリアや賛美歌などもたくさん歌っています。
先日、法隆寺の宮大工、西岡常一さんの『木のいのち 木のこころ』を読みました。「伽藍の造営には四神相応の地を選べ」とか。法隆寺のある斑鳩は口伝通り、青竜、朱雀、白虎、玄武の地だそうです。感銘を受けました。
マゴくんはやはり先生に似ていますね。だんだん飼い主に似てくるとよくいいますけど、どこが? って、もちろん「目もと」が、です!
寒い間はときどきさぼっていたウオーキングを再開しました。足腰をきたえ、ますますげんきになって先生にお会いしたいです。 ゆめ
* いま、此処に写真で出ている黒い猫クンは、わたくしの好きな「絵」でありますよ。呵々
2006 2・22 53
* 寒さがやっと収まったようです。
このところ、友人に勧められて頚椎の治療に毎週のように新宿まで出かけています。理論的にはとても納得して、治療を受けていますが、とっても痛いものです。
これで少し、前進できればいいと思っています。
梅祭りも始まるようですが、梅はさっぱりです。今年は遅れるのでしょう。 水戸
* “伊賀の奇祭”修正会
実忠(じっちゅう)は東大寺のために島ケ原に植民を行い、多紀皇女が建てた観音堂を寺として整備、正月に修正会(しゅしょうえ)を行います。
翌年、大仏開眼。そして東大寺で初めてのお水取りが行なわれました。
修正会は、新穀でこしらえた鏡餅や農作物を供えて防災招福・感謝・豊作を祈る開拓地らしい民俗的な祭りと、実忠の古密教、神仏習合の仏教儀礼、追儺(ついな)や春の女神を目覚めさせる大きな音、だだ押しや裸押し合いに類するものなど、さまざま入り交じっていまして、珍しいのはそのお供えとうかがい、楽しみにしておりましたの。祭りが終わると持ちかえってしまうので、その場で見ないとわからないのです。
餅花や枝にからみついた白蛇の造形のお供えはほかにもございますが、棕櫚でくるまれた西瓜くらいの球状のものに野菜で鬼の顔をこしらえた、まるきり南洋の置物か仮面のような造形の “鬼頭(おにかしら)” を臼型の餅を五つ重ねにした胴に乗せたものは、雪の中で見るとなおのことエキゾチックで、ご本尊の山岳的でスパイシィなお顔立ちに相似していると感じました。
以前は元旦の十日前に付属の神社に参籠し、元旦から十日間勤修、達陀(だったん)の舞で終わるものだったそうですが、今は勤修も参籠もなくなって、達陀だけ。それも火天水天一人ずつに減って、深夜の行を午後一時にかえました。
参籠の日は神社の秋季大祭として村で一度の秋祭りとなり、現在は師走の二十日と決め、「一番遅い秋祭り」といわれています。今回は、「雪の降る秋祭り」になりましたのよ。 囀雀
* 山村御殿円照寺
雨は次第に本降りとなり、砂に落ちる雨音と、人々の傘に落ちる雨粒の音とが蕭蕭と和すのを耳に、門まで続く長い道を歩みました。
門内に入ると、白い玉砂利と四角い敷石も艶めいて、尼院の豊かにぬくまる境内に、降る雨までがやわらかくなったかのようです。
臥龍松が玄関前を守り、右に折れてお庭に入りました。すぐ右に神社があって、左手には萱葺きの仏間、その後ろに、さらさらと華やかな書院が建っています。
目の前に広がる白砂の庭。端に、細身ながら手入れの年月を思わせる古木が二本たたずみ、向こうに池、そして小山。蓮池がザリガニの被害に遭い、今は小さな滝をこしらえて、ポンプで水を循環させ鯉を放しているそうです。
もう十年経ちましょうか、倒木に室生寺の三重塔が壊れた颱風に、こちらも害を被ったそうで、仏間から見える小山の檜が半分切り株になっています。そこに桜を植え、「樽の茶室」を設け、池に石橋を渡して山に上っていけるように階を整えてありました。
御本尊は如意輪観音。蓮が咲き、欅がそよぐ山はどんなに美しかったことでしょう。文智女王の肖像画の前に、自ら作られたという春日明神像が供えられておりました。細かく可愛らしく作られているように見えましたし、ご遺愛のお人形もどれも御所らしい優しいものでした。一方、後水尾天皇崩御ののち眉や髭を埋め込んでお作りになった塑像は、愛や哀しみや恨みなどがつまったかと、目をそらしてしまう気を持ち、うかがったエピソードのなかにはさむざむとした激しいものもございました。
肖像画も男かと見紛うような厳しいご容貌です。夢に三神が現われて、その中の一番近い春日明神の近くにと、修学院を出られて崇道天皇御陵の裏に住まいを定められたのも、なんだか勘繰ってしまいそうです。
仏間を拝観したあと、雨で足元が良くないからと廊下からご門跡のご座所へ入れていただきました。ガイドさん曰く“雨の恩恵”。いつもは庭から回るそうで、こんな風に内を見せてご案内いただくことなど、まずないそうです。
物や建具などに触らないよう注意を受けましたが、上段の間もそのまま歩いて入れていただいたのには驚きました。
理屈でなくひしひし身に圧してくるものがあります。
お庭を眺めたり、床の間や生け花を拝見したり、いいのかしらと思うような贅沢をさせていただきました。統一された精神性のもと、蒐められ高度に編集された物であり、また、それは意識の集約でもあります。建築、しつらい、書画、生け花、仏像、仏間、作庭、苔、庭木…何冊もの解説本、何時間分の講義、それらを一遍に吸いあげたよう
な、貴重な総合学習をさせていただきました。
中宮寺、法華寺と並ぶ奈良の三門跡だそうですが、雀は、奈良より京の感じを受けました。第一印象から帰り道まで、変わらず泉涌寺との聯想が頭の中を去りませんでした。 囀雀
2006 2・23 53
* さきほど大阪産経に送った連載エッセイ、民主党の永田議員が辞職にまで及ぶべきとは思われぬひとつの論調を示しておいた。この線で頑張れば、問題提起はメール「内容」に在り、メールの「真贋」はさまで問題にならないことがハッキリする。メールの真贋にだけ拘泥した自民の「ガセ」論は、いろんな問題も含めて野党追及を力づくかわすニゲの論理。「メール」の機械的性質と「告発内容」の審査とを同じ一つのことのように水掛け論をしていても、お話しにならない。
それにしても、この、サイバーポリス時代に、公党たるもの、電子メディアに精通した要員を常置しているのかと、それにも怒りたい。
* 秦先生 おかげさまで無事に産休に入りました。
怒濤のように降りかかって来ていた仕事をどうにか片付けて、ようやく一週間ほど前から産休に入りました。
とは言え、自宅でできる仕事は持ち帰って来ているので、子どもが幼稚園に行っている隙やわずかな時間を見つけて、論文の手直しをしたり仕事の原稿に手を入れたりしており、心理的にはまだまだ落ち着かない気ぶっせいな日が続いています。
mixiのブログ、書き込みありがとうございます。私のあのプロフィールでは、決してお分かりになられないだろう、と安心して先生のブログを覗いていたのですが、あっさり見破られてしまい、悪いことをしているのを見つかった小学
生のような気分です。先生のお目に触れるのは忸怩たるものがあります。
mixiの中では「仕事の話はしない」という自己規制をしています。普通にママさん生活を書いているmixiブログですが、ブログを書くようになって、しみじみと自分の精神形成に仕事が大きな役割を果たしていることを痛感するようになりました。そこを封じられ、そして自分の精神の深いところに繋がる部分も書かないようにすると、手足をもがれたような状態になるものですね。
仕事の中でも当然ながら「当たり障り」は山ほどありますし、特に行政的なやり取りの中では「当たり障り」だらけですが、それでも一科学者として、客観的なデータというものが語る事実の前に、謙虚に本音を語らざるを得ない場面は出てきます。そしてそのようなバックグラウンドを持った人たちとは、同じ目線で話ができるのです。もちろん、科学者を標榜していても目線の違う人もいますが。それでも、そのような精神の風通しのよさを知ってしまうと、もはや後戻りはできない、との思いは大きいのです。
今週いっぱいくらいで、家に持ち帰った仕事にけりを付けるつもりです。その後、先生から頂いたお話について、ゆっくり練り上げて書いていきたいと楽しみにしています。
三月末の予定日よりあまり早く産まれないことを祈りつつ。こういう形で自分の精神を解放する手段を頂いていることを本当に感謝しております。「心」を静かにさせておくために、カラダや実生活はある程度の慌ただしさが必要なのかもしれません。
今日はあたたかで、花粉がよく飛んでいたようです。どうぞお体、大切になさって下さい。 典
* 言っていること、かなりよく分かる。わたしは、MIXIの中で、韜晦して隠れている気はなかった。それでは誰よりも自分に対し、気遣ったり或る程度心にもなくいろいろに自己修正を強いられる。それは御免。家にいてもペンにいても東工大にいても、京都でも東京でも、誰とでも、ほかならぬ「自分」のあるがままでいたい、その自由は捨てないのである。
「かなふはよし。かなひたがるはあしし」と利休は言った。利休の言葉の中で最も推服するのはこの「かなふはよし、かなひたがるは悪しし」である。かなひようがなければ、わたしはさっさと撤退する。
2006 2・23 53
* 娘づれで京都を三日歩いてきた主婦さんのレポートを読んだ。娘づれでイタリアを経巡っている主婦さんもいる。男性の旅は、みな忙しい。
2006 2・24 53
* 昨年の読書・鑑賞
hatakさん 十日間ほど出張しておりまして、今日札幌に戻りました。留守中に『からだ言葉の日本』届いておりました。ありがとうございます。
出張の半ばに、茶友と東博の「書の至宝展」に行きましたが、楽しみにしていた蘭亭序も秋萩帖も混雑でとてもじっくりみることなどできませんでした。大晦日のアメ横のような騒ぎでした。
お正月にとりまとめようと思って延び延びになっていた、去年一年間に読んだ本、観た映画、聴いた公演を集計しましたところ、本26冊、映画43作品、音楽会等9公演でした。一昨年は、64冊、28作品、8公演でしたから、去年は本を読まなかった年でした。読書は睡眠時間と競合しており、昨年は睡眠時間さえ確保できず、体調を崩すことが多くありました。映画鑑賞は、ストレスの量と正比例して増加しました。前回お送りした分の後、4月以降の分をお送りしてみます。頭の数字は日付で、050504は2005年5月4日を表します。各ジャンルごとに通し番号を付して、簡単なコメントを書いてあります。
月曜からまた出張です。 maokat
(こういう整理は、忙しければ忙しいほど、頭脳をラクに軽くする。始末がつく。始末が付くとはうまい表現だ。 湖)
050504
映13 『Shall we Dance? シャル・ウィ・ダンス?』リチャード・ギア、ジェニファー・ロペス
ハリウッドテイストだと、やっぱり家族愛になる。あーあ。
映14 『コンスタンティン』 キアヌ・リーブス, フランシス・ローレンス
ちょっとコミカルに神と悪魔との闘争を描く。コンスタンティンが自殺未遂する場面が現在になっていてそこからストーリーが始まる。悪魔がこの世を支配してしまえば、これまでの神が悪魔になって立場逆転、神と悪魔なんてそんなものさ、という視点がいい。天使ガブリエルを演じたティルダ・スウィントンが面白い存在。
050521
映15 『デンジャラスビューティー』 サンドラ・ブロック
今回も女の友情がテーマ。恋<友情なのがこのシリーズの面白いところ。冒頭、主人公が電話で彼に振られる場面がある。気まずい電話を切ろうと「I have to go(用事あるから)」と二度、三度呟く。英語的に良い場面。
050527
映16 『バタフライエフェクト』
過去に戻れる男が、愛する女の幸福のために、過去に戻って人生のシナリオを書き換えてゆく物語。観客は、過去の契機となる出来事を変えることで主人公と彼の友人たちがたどって行くいくつかの人生のシナリオを見ることができる。しかし、ただ一つ変えられないのは、彼と彼女が同時に幸福にはなれないということ。これを運命という。あるいは相性というのだろう。ラブストーリーとして見るよりも、人生運命的な相性ってあるんだな、それは変えられないんだな、と観念的に見る。
050528
映17 『ブレイド3』
客層悪ろし。鑑賞に支障きたし、身の安全も不安という状況で観る。内容は、全くのTVゲーム。バンパイアを殺すと、死体は残らず、燃え尽きて消える。この手軽さ、軽さ。
仲間を殺され怒る脇役に、ブレイドは「Use it!(その悲しさをバネにしろ)」と繰り返し言い放つ。この簡潔な表現はどうだ!英語の語感のもつ強さである。
050604
映18 『キングダム・オブ・ヘブン』
12世紀の十字軍。エルサレム王に仕えたフランスの青年。王の妹ヘレン美し。結局エルサレムはサラディンの手に渡り、主人公は女王ヘレンを連れて故郷フランスへ帰る。市民のために異教徒に無血開城したキリスト教徒の物語。イラクやベトナムのアメリカ人を髣髴とさせる。
050607
映19 『ミリオンダラー・ベビー』クリントイーストウッド監督
ハリウッド映画には珍しくハッピーエンドではない。家族愛もない。神の救いもない。主人公は自殺する。しかし、彼女らのひたむきな姿は感動を与えてくれる。『バタフライエフェクト』『キングダム・オブ・ヘブン』『ミリオンダラー・ベビー』、すべて自殺が絡む映画だ。自殺が許されないカトリックへの抵抗か。
050613
『戦争と平和1』トルストイ著 読み始める。
050618
映20 『戦国自衛隊1549』
福井晴敏原作。一度鎧武者とヘリコプターが一緒に並んでいる画面を見てみたかった。ただそれだけ。
050702
映21 『バットマン ビギンズ』
渡辺謙あはは。ハリウッド映画にぽつぽつ出ることはよい。アメリカのダークヒーローの暗さは興味あるもの。ヒロインの造形も面白い。なぜかジャガイモっぽい。『スパイダーマン2』のキルスティン・ダンストしかり。本作のケイティ・ホームズしかり。
050709
ホール3 札幌コンサートホールKitara PMFオープニング札響コンサート
ブラームス1番。夏の札幌ならでは。東京では暑苦しかろう。
050714
映22 『HINOKIO』本郷奏多・多部未華子
これは、ネット・ゲームのバーチャル世界に逃げ込んでしまった少年を、生身の、少女の感情が、リアルな現実世界に呼び戻すというストーリー。ラストシーンがよかったー。
050724
映23 『スターウォーズ3 シスの復讐』
やっぱり映像がみごと。この絵をみながらジョン・ウィリアムズのあのテーマ音楽を聴けたから、いうことなし。
050725
23 『戦争と平和4』トルストイ著 読了。
最後の「歴史論」をおいて、ピエールやナターシャやマリアやニコールシカ小公爵のことをもっと語って欲しかった。作中人物に「お別れの挨拶」をしないまま読み終わってしまった。しかし、名著。
050803
映24 『電車男』山田孝之、中谷美紀
秋葉オタク君もやっぱりバーチャル世界でしか生きていけない。彼の場合は小さな勇気とバーチャル世界の仲間の応援で、現実世界で生身の人間とのやりとり(これを社会生活という)ができるようになっていく。しかしなぁ、ヲタク君は彼女にあそこまでしてもらわんと、なにもできないのですかぁ? あれじゃ彼女じゃなくて、おかあさんでしょ。
050808
映25 『ダンシング・ハバナ』ディエゴ・ルナ、ロモーラ・ガライ
ダンス・音楽を素材にした映画は楽しい。ストーリーはともかく、ダンスや音楽シーンを見たり聞いたりしているだけで満足できるからだ。ディエゴ・ルナ、『ターミナル』で入管職員に片思いの空港職員を演じた。陰影のある顔がいい。ラテンアメリカに行ったことがある人なら、サルサのこの感覚はわかるはず。完全なハッピーエンドではなく、最後に別れをちゃんとおいたところで、この映画の魅力がぐっと高まった。
050813
映26 『亡国のイージス』真田広之、勝地 涼、寺尾 聰、佐藤浩市、中井貴一、チェ・ミンソ
福井晴敏原作。ぬるい。『ローレライ』『戦国自衛隊1549』そして本作と、一貫して面白くない。変にマジメなのだ。娯楽映画で憂国の情を訴えるのは野暮。「後生」のネーミングは最悪のセンス。福井は、ハリウッド意識しすぎ。家族愛をストーリーにからめても、映画の格を小さくするだけだ。
050820
24 『日本を読む-一文字日本史-上』秦恒平著 読了。
客:茶の中での主客の対等を見つめなおすいいきっかけをもらった。 筋:語源が種子とは面白い。作物学的にはどう探求できるのだろうか? いつか挑戦しよう。 縁:錦と仕入れもとの他国とを繋ぐ地図。社会学でも栄養学でも歴史学でも農業経済学でもいけそう。どなたか、卒論のテーマにいかがですか? 祝:源氏物語の「千尋」。女色いろいろの源氏君だがここだけは清廉な印象をもってよく憶えている。 私:全く違和感なく公職と考えていた私。最近になって公(権力者)がしろという仕事と、私が公としてしなければならないと感じる仕事とが、異なってきた。こういう名もない公務員の矜持が大切。「私民」、宿題としよう。
『日本を読む-一文字日本史-下』秦恒平著 読み始める。
映27 スガイ・ディノス苫小牧 『宇宙戦争』スティーブン・スピルバーグ監督。トム・クルーズ、ダコタ・ファニング
原題はWAR OF THE WORLDS、「世界戦争」。荒唐無稽の一言でした。世界で一番初めに反撃が始まった大阪は世界で一番汚いところかい? 微生物屋としては、はじめのシーンがミトコンドリアに似ているなぁと感じたけど、人類と微生物の共生が「落ち」で、侵入種が淘汰されるという話だったとは! 進化生物学者さんのコメントを聞きたいもの。
050827
映28 『奥様は魔女』 ニコール・キッドマン
ラブコメディに、あれこれ真面目な注釈をしてはいけない。はなから、何も考えず、笑う気持ちにならなければ。そういう意味では、良い映画だ。TVを見て育った世代は特に楽しめる。母親役のシャーリー・マクレーン、父親役のマイケル・ケイン(バットマンビギンズの執事)がいい。TV版サマンサのエリザベス・モンゴメリーは62歳で亡くなっていたのか。合掌。ダーリン役ウィル・フェレル、特に言うこと無し。
050903
観戦1 横浜ベイスターズvs阪神タイガース (札幌ドーム)
生まれて初めて野球を見た。職場の隣の野球場で。4対3で阪神の勝ち。審判の誤審でフォアボールからヒットが出た。
050909
映29 『釣りバカ日誌16浜崎は今』 西田敏行、伊東美咲
生まれて初めて映画館で釣りバカ日誌を見た。1000円。もとは取れた。力強いオープニング(歌は信田かずお:さだまさしのバックバンドをしていた人か?)、単純なストーリー。美しい長崎の街。佐世保の独特の雰囲気。久々の尾
崎紀世彦。イラクでの米軍を揶揄したくすぐりが効く。伊東美咲は今が旬だ。
050915
25 『日本を読む-一文字日本史-下・わが無明抄ー思惟すてかねつー』秦恒平著 読了。
「一文字日本史 下」、 身:「「からだ」という根幹との関わり如何が、色や匂い、形もさまざまな言の葉を繁らせ、心の花を咲かせた。」からだと心を植物の構造にたとえている。このような「生物ことば」は『戦争と平和』などにも。
暦:医学書院で「週に一度の企画会議に一度も欠かさず、毎回一本ないし数本の企画を一年中提出して企画を通し続けた」記録。その間秒単位の時間を使って『懸想猿』や『或る折臂翁』を書いていたことになる。こういう人の前で「私は忙しい」など口が裂けてもいえない。さらに「「平成」の新天皇が、第一声に「みなさん」と共に「日本国憲法を守る」と国民の前に誓ったことを、まさに憲法改正の委員会が国会に設置されようとしている今、もう一度思い出したい。 女:「天照大神はもともとは男神であったという古伝もある」。えぇー! ホンマデスカ。 風:物理的な風は嫌い。圃場で病徴写真を撮りづらいから。冷たい一吹きで風邪を引くから。よって「風」は深い畏れなしに親しめない。」同意。 「花」は愛し易い。」そうかなぁ、花もあんまり。私が好きなのは、きっと物質ではなくて、それを浮き上がらせる光、そして影。物質をはなれて漂う香り、かな。といいつつ、旅が好きなのは、やはり「風」を求めてのことか。
「わが無明抄ー思惟すてかねつー」 なまなましい述懐。「静かな心」、ないない。まだ闘争的体力が充分だった二十代のころ、禅寺に四五年通ったことがある。暁天も臘八も皆勤したが、ついぞ一度たりとも「静かな心」になり得たことはなかった。「門」の前からすごすごの口だ。東工大の学生は核心を突いている。「死後は、無い。在るように思って生きることが大切です」。「死後を在るように思って生きる」は、「一人しか立てない島に二人立てると思って生きる」に通じるか。 「美しい仏」、美しい仏。気づかせてくれたこと、ありがたい。 「所詮「安心」は得られまいかと、心細かった。」と結ばれた「わが無明抄」 闇の深さに悲しくなる。冷たくとも明るく照らす月が恋しい。
050916
ホール4 小林研一郎指揮 日本フィルハーモニー交響楽団 ピアノ:舘野泉
リムスキーコルサコフ:シェエラザード ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲 ラヴェル:ボレロ
小林研一郎、ボレロ冒頭に長い挨拶あり。東北弁の唸りと能面「俊寛」の顔で、オーラ出る。日本のクラシック公演にスタンディングオーベーションが定着するのはいつのことやら。(スタンディングオーベーションについては後日北海道新聞「読者の声」に投稿掲載)
050917
ホール5 小林研一郎指揮 日本フィルハーモニー交響楽団 ピアノ:小山実稚恵
ブラームス:ハンガリー舞曲第1、5、6番 ショパン:ピアノ協奏曲第1番 スメタナ:連作交響詩《わが祖国》より「モルダウ」 チャイコフスキー:祝典序曲《1812年》
祝典序曲《1812年》座席のすぐ後ろでバンダ(東海大四高校吹奏楽部)のファンファーレが鳴り響く。東海大四高は野球部員の不祥事から秋の大会に出られなかった。彼らも応援がキャンセルされて、へこんでいたことだろう。そんな時にこの演奏。みな顔が光り輝いていた。小林研一郎氏のカリスマが何かを引き出していた。しかし、日フィルの演奏会は私にとって難しい。楽団員が家族のように思えてしまって、平常心で聴けないのだ。見ず知らずのオーケストラを、客観的に聴くほうが、楽だ。
050918
映30 『ファンタスティック・フォー』
内容・質共劇画をそのまま映画にしたもの。宇宙線を浴びて獲得した超能力、岩、ゴム、透明、火。これは、レインボーマンの剽窃か?
051001
映31 『鳶がクルリと』薗田賢次監督。観月ありさ、哀川翔、宇津井健
内容は二時間ドラマ。ツミ役の通山愛里が元気でよい。一世風靡セピアの哀川翔も中年の魅力があります。どうかなぁとも思うが、こういう映画は日本でしか作れない。それを良しとする。
映32 『セブン・ソード』 ツイ・ハーク監督。
中国・香港・台湾のキャストが混合。首領フー・チンジュ(傅青主)役のラウ・カーリョン(劉家良)多くの映画で見る。リュイジュ(緑珠)役キム・ソヨン(金素妍)秀逸。内容はまあ平凡。グリーンディスティにーは水、今回は「火」の扱いが美しい。
051005
ホール6 神奈川県民ホール
blast 冒頭のボレロ。先月コバケン・日本フィルを聴いてしまったので分が悪い。本来は比べるべきものではないがあえて両者を比較すると、オケは材料の皮をむき、鍋に入れ、じっくり煮込んであくを取り、味付けして、ァーっと火を通した熱々を食べさせる料理。材料の下ごしらえから見ているので、フィナーレの感動も深い。
blastはいきなり大音響になり、いわばレトルトの味。それなりに美味しいのだが、手間暇かけた手作りの同じ料理をすぐ前に食べたのがいけなかった。アメリカ生まれのブラスと踊りが融合したエンターテイメントショー。NYやラスベガスではでは夜毎こういうものが上演されているのだろう。舞台は肉体の表現に負うところ大。これはこれでよい。興味深かったのは、青、緑、黄色、オレンジ、赤のテーマにもとづきパフォーマンスがあったこと。それぞれ、神秘、
大地、お祭り騒ぎ、遊び、血といったところか。
051006
映34 ワーナー・マイカルみなとみらい 『忍』下山天監督。仲間由紀恵、オダギリジョー、沢尻エリカ
映画と歌舞伎。見る前に頭を整理しないと、スクリーン一杯に歌舞伎の所作をみせられると、しばらく困惑する。その点『髑髏城の瞳』は巧かった。内容はともかく、この映画は仲間由紀恵の目の力、目の魅力があってはじめてつくることができたものだ。仲間は独特のキャラクターとなりつつある。
051007
映35 109シネマズMM横浜 『蝉しぐれ』黒土三男監督、市川染五郎、木村佳乃
冒頭蛇の大写しには困った。日本情緒映画として泣かせるキーワードはちゃんとおさえている。文四郎とふくとの水辺の幼恋、蛇の毒を吸ってくれた痛甘い想い出。夏祭りに見た花火、暗がりで人知れずそっと?んだ袖。道半ばに力尽きる時、坂の向こうから駆け寄るふく。世間体も体面も捨て強い想いがふくを走らせた。そして別れ、そして再会。想いを言葉にしない美徳というものがある。この映画の中ではそれを表現しようと、半ば成功、半ば失敗した。切腹する父の最後の息遣い、対面後の文四郎の後悔などは成功。終盤のふくと文四郎のやりとりは失敗。いずれにせよ、幼くして別れ、成長して別れ、双方別の子の親となってまた別れる。日本の時代劇のストーリーは暗く、ウエットだ。
051027
映36 『ステルス』ジェイミー・フォックス、ジェシカ・ビール
もともとなんの気負いも期待もなく見ているので、かえって満足できる内容だった。「たった一人の正義」と「愛は勝つ」。ハリウッド映画の定石。無人攻撃機エディが機体を消火してくれた隊長に恩義? を感じ、後半は共同戦線を張るところは、まあ面白いかな。コロンビア=ソニーピクチャーなので、PCはすべてVAIOでした。
051106
映37 『カスタムメイド10.30』監督:ANIKI(伊志嶺一)、木村カエラ、西門えりか
映画には美しいものを美しく、完成度高く表現するものと、監督の頭の中の混沌を、そのままぶちまけたようなものがあり、そのどちらもが許される表現手段だろう。下手な脚本、せりふ、カメラアングル、それも混沌のうち。小林マナモ(木村)の頭に渦巻いて噴出しようとしているメロディーは、幼い頃父が唄っていた民謡だった。そのメロディーと、奥田民生の不思議な声に惹きこまれて終盤のライブを楽しんだ。
051111
映38 『花都大戦 ツインズ★エフェクトⅡ BLADE of ROSE』Twinsその他
ツインズ・エフェクトとはいかなる意味や! と思い、見てみたが、香港のアイドルユニット、ツインズの映画第二作とのこと。最終日、客四人。娯楽映画で楽しい。気分転換、気分転換。
051105
ホール7 札幌コンサートホールKitara 札幌交響楽団第483回定期演奏会 高関健指揮 バイオリン:ジョセフ・リン
ムソルグスキー 交響詩「はげ山の一夜」(原典版)
チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調
バーンスタイン シンフォニックダンス
バーンスタイン 管弦楽のためのディヴェルティメント
はげ山の一夜、空間に広がる音響を楽しみながら、気持ちよく寝入る。
ジョセフ・リン、早弾き技巧派と思いきや、一番聴かせたのが一楽章のソロ。弱音が美しく。なぜか、いいヴァイオリンを聴くと猫の声を連想する。馬+羊=猫。謎だ。定期でバーンスタインをメインに据えるのは、PMFの地元ならでは。
051118
映39 シネマフロンティア札幌 『春の雪』行定 勲監督、妻夫木 聡、竹内結子
映像は美しかった。冒頭の孔雀の屏風など、映像的に秀逸。続くボートに乗って下から橋上のヒロインと出会うシーンも良い。それから、ツマブキ君のフンドシ姿を見たい方、どうぞ。竹内結子は目力の感じられない女優なので、目に膜がかかったような表情がかえって運命に翻弄されていく役柄に合っていた。及川光博扮する春宮との縁組が破談になり剃髪して寺に入る時だけは、打って変わって凛とした目、良い顔をしていた。聡子は剃髪後一度も画面に姿を現さず、襖越しに声だけの出演だったのは好い効果。私はスクリーンに向かって「お願いだから出てこないで!」と願っていた。最後に、東京国立博物館のエントランスが舞踏会場面に使われていて、重厚な画面作りに成功していたが、国立から独立行政法人になった国営事業の影響をこんなところでも感じてしまった。
26 『閑吟集』秦恒平著 読了。
会議続きで、このところ全く読書をしていなかった。映画を見てばかり。先日の会議でストレスが遂に胃に来て、ホメオスタシスを全体に崩す。体も心も、冷えかじけてしまった。仕事を休み、布団の中から手を伸ばしたのがこの一冊。性と生をケレン味なく歌い上げた数々を読み進むうち、体に血の巡りが戻ってきた。
今回再読して気づいた点の、一つ目。中世室町時代へのイメージを再構築できたこと。茶の湯流行前の16世紀初頭についてや、一休を精神的背景にした宗祇(正字は示偏)、珠光、雪舟についてはあまり考えたことがなかった。茶の湯以前の時代についていろいろ想像を働かせてみたことから、利休以降の茶の湯が得たものと失ったものを整理できた。肩書を取り払った個(孤)の客が寄り合って、一座を建立できるか、現代の茶事(茶会ではない)でもう一度考えてみたい。
二つ目。閑吟集の編纂様式と編者への興味が湧いたこと。四季の巡りにならった配列の後に、恋の歌をもう一度並べる。これはどうしてか。「侠客」「桑門(よすてびと)」への興味が俄然増してきた。なぜ彼は、この歌謡集を編纂し
たのか、なぜ冒頭に面影の歌を置き、挙句に籠の歌を据えたのか。どういう想いに衝き動かされて、彼がこの歌集を孤独のうちに編んでいったのか、繰り返し考えてみるうちに人物像が浮かんでくればいいのだが。
三点目は非常に重要。この本は、表面閑吟集の解説とはいいながら、実は、著者秦恒平の歴史、人生、人間、文学に対する真摯な意見表明、文学的宣言に他ならない。初読時には、閑吟集の歌自体に注意が逸れて、このことに気づかなかった。秦文学の「女」「この世」「身内」観が、歌々にことよせて語られていた。繰り返し読むということ
の、大切さを実感した。
051118
映40 『エリザベスタウン』
最初に喪失あり。喪失から鎮魂、再生への道筋。ヒロインがその道筋をつけてゆく。あとは、アメリカ国民の意識せざるをえない、カントリーホームの原型。これはいろいろな映画に顔を出す。『カスタムメイド10.30』とともに今年一番印象に残った映画。
051204
映41 ユナイテッドシネマキャナルシティー(博多) 『ALWAYS 三丁目の夕日』
懐古趣味。ちょっといいところ描きすぎだが、いいたいところは良くわかる。東京タワーは戦後復興の希望を積み上げていったものだ。
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映42 『七人のマッハ』
カンフー映画と思いきや、タイの映画でした。たまたま競技会で村へやってきたテコンドー、スパクロー、器械体操、サッカーの選手たちが、村を占拠した麻薬組織のテロリストと戦うというストーリー。つまりタイ版「七人の侍」です。タイで生活した身には、あの時報と共に流れる、タイ国歌は懐かしかった。サッカーボールを蹴り上げて、監視塔の射手を倒したり、竹ざおで大車輪、平行棒、台の上であん馬、壁の上で平均台をしながらテロリストと戦うという趣向は、けっこう笑えた。タイ人はスポーツ娯楽映画好きだ。同系に『アタックナンバーハーフ』がある。
051212
ホール8 サントリーホール 東京交響楽団第NNN3回定期演奏会 大友直人指揮
ヘンデル オラトリオ 「メサイア」
年末恒例。高らかなトランペットと、時折聴こえてくるヘンデル節ともいえる軽快なアンサンブルが、重い楽曲のアクセントになっていた。19時に始まり 21時半に終わる。長大な音楽物語を堪能。
051214
ホール9 歌舞伎座 十二月大歌舞伎 当日券。二階最後部座席と扉の間の臨時席。
勘太郎、七之助兄弟の器械体操のような「三社祭」も面白く、「盲目物語」では玉三郎の妖艶な舞に言葉を失う。
「弁慶上使」は、なんとも凄惨な話。舞台上で純な若い娘と乳人の二人の首が刎ねられ、弁慶は血滴る生首を花道で取っ替え持ち替えしてから下がる。しかし観客はたいしたもので、そんな芝居の幕が下りて一分としないうちに、幕の内弁当を開けて舌鼓。場内の食堂もあっという間に満席。お江戸の庶民はしたたか。谷崎の「盲目物語」は、お市の方という絶世の美女、その美ゆえに翻弄された、長政、勝家、秀吉、淀君、弥市、そしてお市自身を見事に描いている。人間に潜む魔性を鋭利な刃物で抉り出したよう。
051216
映43 『ハリーポッター 炎のゴブレット』
シリーズ第三作。CGは完璧。一作二作を見ているので、ストーリーも映像もだんだん刺激的でなくなる。次作ががんばりどころか。
* MAOKATさんは前の年にもレポートしてくれた。読みながら、此処にも一人の優れた一私民、一知識人の生活がある、と、嬉しくなる。わたしの本を読んでくれるから言うのではない。
所感も落ち着いてツボをおさえ、少しも堅苦しくなく気取ってもいない。MIXIでも、こういう仲間を見つけたいが。
* 尋ね入る 雀
写真機が魂を抜くといわれたのは、あながち嘘ではないと最近とみに思います。観光で賑わう社寺に行って案外魅力を感じないのは、テレビやグラビアで見てしまったこと、上手に映すため抱く期待が大きいこともあるでしょうけれど、何百年霊地としてパワーを持っていたのが、カメラや人に力を吸われ、観光や物見遊山の手垢がついて霊気を失うのではないかしら。宣伝していないところ、観光を受け入れない寺社に漂う、かきまぜた濁りの少ない空気や、澄んでつよい景気に接しますと、拭われた気がしますし、じいっと、ひたっていたいと思います。踏み込む愚かさ、勝手を恥じつつ。
さて、バスツアーを申し込んだとき、人数の都合によっては相席になることもございますのでと言われました。
当日、集合場所に行くと、2台の大型バスが満席近いという盛況で、雀は60代後半かしら、リタイアから数年といった感じの男性と隣り合わせになりましたの。その方は、何度も境内を散策している興福院と「豊饒の海」の円照寺の拝観が叶うこと、また、隣の弘仁寺には行ったことがあるが、正暦寺は知らなかったので、このツアーに魅力を感じて申し込まれたそうです。お住まいの最寄りの駅が、雀が昨秋、社寺めぐりと見仏に行ったところでしたので、そんなところから雀の自己紹介とあいなりました。
ガイドさんの説明のなかで、興福院創建に和気清麻呂と藤原百川の名が出てきたこと、バスが崇道天皇御陵の近くを通ることから、京の護王神社と御霊神社、奈良市井上町の話になりまして、「御霊神社といえば、五條、ご存じですか? あそこはやたらあちこち御霊神社がありましてね」とおっしゃったので、ええ、ええと相づちを打ちましたら、井上内親王と他部(おさべ)親王の御陵を尋ねてかの地にいらしたことがおありというので、雀は身を乗り出しました。
「つくづく疎まれ厭われた母子だったンだなぁと…いや今も…です。あれは最近のですよ、仕方なし形だけ整えたいう感じで、たまらない気がしましたワ」とおっしゃいます。地元の人に尋ねてもいっこうに分からず、探しあぐねたとか。雀があきらめてしまった、町外れの二人の御陵。
やっと辿り着いた次第や、御陵の様子をうかがうにつけ、さてもそれほどまでと、深く身にこたえる思いでした。
* この御霊社へは、あつい気持ちを抱いてわたしも、かなり昔に出向いている。井上皇后と他部皇太子の暗殺が、ながくつづく平安京の根の怨みになっている。「生成(なまなり)」という、角のぷくっと半ば出た凄い面をみると、わたしは反射的にこの二人の怨霊を想う。雀は、そういうわたしの書いたものも頭に入れてこれを書いている。
* 春浅し 昨日、買物があり、暖かさに誘われ名張川を渡った少し遠いS.Cまで歩いてみました。途中、クロッカスが一輪花開いているのを見つけたり、道中を楽しんでいたのですが、そのうち鼻がグズグズし始めました。山がぼやんとしています。花粉ですね。
今日はみぞれにでもなりそうな寒さ。そちらも冷えたようですが、くれぐれもおからだおいといください。 囀雀
* MAOKATさんも雀さんも、楽しませて下さる。インテリジェンスのいちばん嬉しい感触を、この人達はいつも送り届けてくださる。わたしが、くちゃくちやと未熟な話をしているより、よっぽど懐かしい。
* 薄曇りでもいい風の声がすると、花は機嫌よくなります。
今、雨が降っています。ちょっと寒いけれど、湿度が上がるので、乾燥肌にはやさしい雨です。
風は、あったかいところで丸くなっていらっしゃいますか。原稿のお仕事、はかどりますか。
テキストデータを添付しました。新しい創作です。お時間のありますとき、お目を通していただき、ご意見をいただければ幸いです。少し長いので、プリントアウトしたものが必要でしたらおっしゃってください。
題名はもうちょっとなんとかしたいと思っています。道の先ははるか遠くで見えませんが、ちょっとずつでも足を前に出せば進むと信じて、こつこつ書いています。 花
* 一気にたくさん書かなくていい、たくさんでない方がいい、毎日書き継ぎやすく書きどまりどまり書けばいい。MIXIのごく若い男性の作品も読もうとしている。電子メディアの中から鑑賞に堪える花が咲いて欲しい。大人に読まれる、読んでもらうということは、願ってもないだいじなこと。わたしなどは、そう渇望していたものだ。よほど大才でない限り、自己満足で作家志望しても気取っても、大切な何かが足りない。しょせん文章が出来ていない、それは書き継いで継いで自分で見つけてゆかねばならない。
2006 2・24 53
* 今日携帯のほうに二通メールを見つけました。京都にいただいていたのも、今日まで知らなくてがっかりです。とても嬉しく読みました。
女子フィギュアの金メダルは久々のグッドニュースでした。勝因の一つに選曲があったと思います。「誰も寝てはならぬ」はオペラのアリアの中でも名曲。イタリアでは八百屋さんでも愛唱する国民歌。求婚者を何人殺しても平然としていた冷酷なトゥーランドット姫の氷の心を、王子カラフが自分の命をかけて溶かして、熱い血の通った女に変えてしまう歌ですもの。全盛期のパバロッティがこの曲を歌うのを聴いた時は、感動で身震いしました。
今夜の気分は愛の歌。「誰も寝てはならぬ」を歌いましょう。だから寝てはダメ。 春
* モーレツ、眠い。
2006 2・24 53
* フイギュアスケート。番外の演舞に金メダルスト荒川静香と四位村主章枝の出場で、心ウキウキ。
夜中は弱いので、翌朝の録画で観ているのですが、開会式の終盤で、トリノと同じ北イタリア出身のルチアーノ・パバロッテイが、トウーランドット「誰も寝てはならない」を朗々と歌い上げるのを聴き、喫驚、即刻娘にメール。
あら、残念、見なかった、声、出てたの、とRe。
まわりの雰囲気も選曲もよくて、感動で涙出たわよ。
体調を崩して、声量に自信がなく、公演をドタキャンしたのを聞いたのは、そう遠くの話でなく。つまりは、2005年に七十歳(古稀)を迎えて、例え、トイレの中での鼻歌も歌わない、との伝説も聞いていたから。
金メダルの荒川静香は、その同じ「誰も寝てはならない」の旋律で、しなやかなフイギュアスケートを見せました。
同時期に、国会で延々云々されていた、メール問答、ナンとせんや! と、余談。
朝日子さんのブログの小説、「こすも(のハイニ氏)」をゆっくりと読んでいます。宮沢賢治の銀河鉄道が脳裡をチラッとかすめました。余計な言葉を排した端的で適切な言葉(熟語)の使い方がよく、脱帽の感があります。
一言で云えば「センスとテンポのいい文章」と感じました。好きな文体です。 泉
2006 2・25 53
* 秦先生へ こんばんは、***です。
昨日からこちらも暖かくなりました。今冬は大雪の日もあり、本当に寒い日が多かったです。名古屋は寒くて暑いので、関東出身者には厳しいところです。
メールありがとうございました。
12月に名古屋の音楽仲間に会いまして、みんな、『よく名古屋に戻ってきたね』と言ってくれました。私からしますと
名古屋に来たという感じなのですが、歓迎してもらえるのはうれしいです。
ただ、最近はとみに忙しくなりまして、今日(土曜)も会社に行っていました。明日も出社しなければ仕事が間に合わないと思います。
この年齢で仕事で忙しいのは当たり前だと思うのですが、ただ、最近は、研究者という立場からすると強引な内容の仕事が多いです。技術的に難しいものでも、計画通りやって当たり前のような雰囲気になって、本当に仕事の内容が評価されているのか、疑問に思っています。今の仕事が本当に人生をかける価値があるものかどうか、最近は悩んでいます。
今の会社でも優秀で楽しい仲間にめぐまれ、成果が評価された時期もあったので、にわかには捨てがたいのですが、最近はプレッシャーがきつく、へとへとになっています。
急に仕事を変えようと思っても、あてがあるわけではないのですが、本当に自分の人生にとって何が大事なのかを最近は考えています。仕事にやりがいがあって、そこそこ趣味もできる時間があれば一番よいのですが、そんな都合の良い生活は難しいですね。
せめて忙しくてもやりがいのある仕事が良いと思っています。
2月に行きました新潟の新井というスキー場の写真をお送りします。リフトの無いところをスキー板を担いで登り、滑り降りてきた時の写真です。
ふかふかした新雪の上を滑ると、気持ちよくて何もかも忘れてしまいました。
また東京に行ったときなど、お会いしたいと思っています。先生も是非お元気でいらしてください。 卒業生
> 元気にしていますか。名古屋の冬は冷え込んでいませんか。
> 正月に息子に連れられ、美ヶ原に登り二泊してきました。天気に恵まれて山々がよく見晴らせましたよ。
> いい友達、できましたか。また顔をお見せなさい。 湖
* 今夜のこのメールでわたしが目を剥くのは、「本当に自分の人生にとって何が大事なのかを最近は考えています。仕事にやりがいがあって、そこそこ趣味もできる時間があれば一番よいのですが、」とあるところ。
一番か二番かは言わないが、「家庭を持つこと」が、抜けているではないか。
2006 2・25 53
* 雨が強くなってきました。いかがお過ごしですか、風。
さっき、米映画「ニューオーリンズ・トライアル」を見ていました。
銃撃事件で夫を失った妻が銃器メーカーを相手どり裁判を起こす中、被告側は陪審員の弱みを握り、評決を自分たちの都合のいいものにしようと裏工作するのですが、陪審員に紛れ込んだ主人公が、裁判の行方を被告の思いどうりにはさせず・・・・・・というサスペンスでした。
名古屋のときは、バレーや広東語など、いろいろありましたが、こっちに来て、まだそれが見つからないのです。
風に逢いに行きたい花です。
* 雨の一日ですね 。春に近付くと、やはり雨の日増えてきますね。先生は診察まで食事制限の我慢とか、可哀想!
お裾分けにと、「日向夏」をふたつ戴きました。普通の夏みかんより、ふたまわりほど小ぶりのレモン色の綺麗な実。しばらく机の上に置いて姿と香りを楽しみ、食べてみると、グレープフルーツに似た、さっばりと清潔な味でした。
夜、明るい山の斜面に木が一本。たわわにレモン色の実がさがっています。その木の下に座って本を読んで居ると、鳥が一羽飛んできて、さわさわとこの実をついばみはじめました。ふと見上げると、この鳥、体は確かに鳥なのですけれど、顔は人間。それも、ちょっとすぐには思い出せないけれど、何処かで会ったような…。ははあ、これが天竺にいるという、カリョウビンガとかいう鳥? すると、私は何処にいるのだろう? 考えていると、フェイド・アウト。 早春の ゆめ
* どしゃぶり。一日、外へは出ず、何もかも端折って、ボーっと。
パソコンを使うせいか、最近は、こんな字が書けないの、と常用の書字を忘れて焦ります。例えば、オペラの講義を聴きながらのメモなどで。興味深く夢中で見聞きしていますが。
毎日、いくつかの細胞が壊れていくのね。やれやれ
その教室での年齢に幅があり、九十歳位の女性の姿も。男性も半数。いつかのイタリア語教室でもそんな先輩女性がいましたし、まだまだOKと、わが身を励まして!
思いは、いつもいつも…途切れた日はありません。 泉
* わたしには昨夜遅く届いた卒業生クンのメールが、まだ気になっている。
揉まれる企業の中で神経面では最もタフと思ってきた人にも、予測に倍する圧力が襲っている。就職してもう昨日や今日ではない、いちばんツブシの利く世代に入って会社も容赦はない。何人もの卒業生が、疲れ、病み、休息もしてきた、転向もしてきた。意気を保って勤(いそし)しめている人は、さあ、十人の何人か。実社会は険しい。
とくに案じるのは、昨夜の彼の人生プランに「家庭を持つこと」の入っていないこと。日々が重くのしかかるにつけて、家庭は彼を支える。支えないかもしれないが、期待はして欲しい。たかをくくっていては、シンドイことに成り増さるやもしれぬ。
妻の親戚にも、定年まぢかく独身孤独の日々に肩を叩かれて退職し、ほどなく自裁した人がいる。男結婚難の世紀。きりぎりすの暮らしは、老境へかけて楽しめばと言ってやりたい。
* 静かな休日 湖様 雨が細く降る静かな休日でした。
仕事のほうは難問続出で、明日からがまた試練の日々になります。雇われる人は簡単に辞職届を出しますが、経営者は歯を食いしばって仕事を続けるしかありません。順風満帆に見えた仕事が一つの壁にさえぎられています。これを超えて初めてその先の穏やかな日々がくることと、がんばりたいと思います。研究や大学などでの講義が本業でないことを心していかなければなりません。
目はいかがですか? とても気がかりです。どうかおつかれが出ませんように。
「からだ言葉の日本」楽しんでいます。「目」のところを拝見しました。囲碁はコンピュータの新しいソフトと対戦して負けてばかりいます。
孫と娘が遊びに来ていました。こんな平凡なときが幸せです。やはり並みの波ですね。 波
* 沓の音は聞けなかったけれど、
参籠の一夜は明けぬ花馬酔木 (森定南楽)
大仏殿から鐘楼に上がる道に、馬酔木の花が咲いておりました。二月堂の参籠所には松明用に寄進された根付きの青竹が何十本も立て掛けられ、あちらこちらに注連縄や輪注連(わじめ)を見かけました。
樒と紙垂を挿した独特の注連だそうで、春日おん祭では榊と紙垂を挿した注連縄が使われるとか。本日26日は、連行衆が試別火から総別火に入るとパンフレットにあります。
「聖なるものも俗なるものも伝播するので火を分ける」とあるのを読んで、おべっか=お別火と書いてらしたのを思い出しました。
国博の「一遍聖絵」第一巻展示が今日までなので、見にでかけましたの。感心と驚きでみるみるうちに膨らんでいく風船を、愉快で楽しい空が引き上げてくれる、そんな印象です。情報を整理してぼつぼつ囀りますね。
尾鷲など雨警報が発令されたほどでしたの。名張も大いに降りました。春の雨で寒くはないのですが、昨日があまりに温暖でしたので、けつまずいたみたいに感じます。
お変わりございませんか。お風邪召しませんように。 雀
* 来るメール、来るメールを「闇」に書き置いているのではない。わたしも楽しみ、「闇」の向こうでも楽しまれそうな生彩あるメールを、それとなく選んでいる。あたりまえ。
MIXIに見られる日記やコメントは、中には口調はともあれ、共感できるものも稀にあるものの、静かに考えさせてくれる文章には出会わない。吐きけのしそうな露悪の弁が、二十歳前の少女のあくどい表現で書かれてあるのに行き当たったりすると、よほど世馴れているはずのわたしの方が、恥かしくなってしまう。このMXI世間で、『「静かな心」のために』考え、書いて行くなんて、なんと滑稽なことだろう。だが「雑踏の孤心」は一つの境涯でもある。愚痴をいわず右顧左眄せず、書き継いで行く。今夜、第十二回。
2006 2・26 53
* Venice kara Sicilia ni tonde kimashita. Palermo wa soudaina sabireta machi desu. Venice de wa Carnival de nigiwau machi wo aruki…mainichi aruite aruite tsukarete imasu. Palermo wa bishoku no machi da soude kyouno yuushoku wo tanoshimimashita. Tobi
* シチリアの、パレルモか。彼の地には何度も旅して好きだという彫刻家、いっしょに京都美術文化賞の選者を務める清水九兵衛さんは、わたしの作では『親指のマリア』が一等お好きで、あのシチリアがうまく書けてるんだものなあとよく言われる。行ったことが、ない。あのころパリに住んでいた朝日子が大きな英語版写真集を二冊送ってきてくれ、それを参照したのだった。朝日子だと思うが、あれも鳶が旅先から送ってきてくれたのだろうか。鳶には、暮らしていたボストンの美しい写真集も、また著名な小説『大聖堂』ももらっている。そういえば二種類の文庫本『ファウスト』も十巻本『南総里見八犬伝』も鳶に贈られた本だった。有難い知的刺戟者である。
2006 2・27 53
* あしし? hatakさん 風邪薬を飲んで、土日も研究室で書類書きをしています。外は暴風で、窓ガラスが膨らんだり縮んだりして、そのたびに、ガラスに映っている自分の姿も伸び縮みしています。
ところで、「家庭を持つこと」に限っては、「かなひたがる」がんばりが必要なのでしょうか? 私などとうに「かなひたがる」のをやめてしまい、「かなふはよし」を、ボーと待っているのですが。
生物学的には、分裂、出芽、胞子生殖、栄養生殖などの無性生殖があり、有性生殖にも接合があったりして、受精という有性生殖はその中のひとつにしか過ぎません。カビや昆虫のなかには、無性生殖と有性生殖の両方を行うものもあります。
しかし哺乳類綱霊長目ヒト科ヒト属ホモ・サピエンス種が、進化の過程で獲得してきた性の分化とペアリングによる受精こそ、多くの文学の根本的なテーマでもあるのです。
こんなことを書くとお叱りを受けそうですが。。。
目をおいたわりください。 maokat
* この秀れた若き科学者文人に逢ってみたい人、北海道まで飛んで行く人、いないかなあ。どんな男性かは、この「闇」のなかでも、「e-文庫・湖 (umi)」でも、よく分かるんだし。
この人はどうかなあと空想する候補者はあるのだが、うっかりは口出しできないこと。
* 手を入れる 秦さんに次いで、雀がファンでいる期間の長いのが、許可さんです。15年近くなるかしら。
コンサートで、毎回、①二胡のコンサートが初めての人 ②二胡を習っている人 ③中国語を習っている人、それぞれ手を挙げるようにと許可さんが訊くとき、毎回①②が増えているのには、許可さんと一緒にびっくりします。一昨年の大阪での演奏会もキタで、どちらも音響の評価の高いホールでしたが、前回は 335席が埋まらず、今回は1700席の大ホールに半分以上入っていたのです。驚きました。
「手の文明」をあらためて読み直し、熱量・力量・質量が充満して、詰まっていることに舌を巻いております。そして、先日、許可さんがコンサートで話されたことを思い返しました。
ポピュラーな曲を続けて、客席の空気をほぐしてから楽器の解説をなさいます。そして、「こうやって、少し手を休めて、次の曲に備えてるンです」と笑いを誘い、「…嘘です」と笑顔で、「でも、本当、難しいンです(笑)」と、「ツィゴイネルワイゼン」を弾き始めるのです。
この曲は彼の独擅場ですの。
二胡では演奏不可能と言われてきた「ツィゴイネルワイゼン」に挑戦して、どうしてもできなくて、楽器に手を加えてようやく楽器を取りかえずに、全曲演奏が可能になったといい、それまで技術の向上・工夫に費やした努力は、できなかったことができるようになった喜びだけでなく、他の曲の演奏にも役立ち、「手の先」が広がったというようなことをおっしゃいました。
超絶技巧の二胡専用曲の演奏も拝見したことがございますが、この曲の方が他の演奏家との違いが―たとえ技術しか目がいかないとしても―分かりやすく、客席からは「4本あるバイオリンでもタイヘンなのに、2本でやっちゃうなんてスゴイわねぇ」「三味線もスゴイと思ったけど、これもスゴイ」といった声が聞こえます。
多弦楽器もそれはそれでタイヘンだと思うのですが、確かにどこまで減らしてできるかという「はかり」もありますものね。見ていても難しいことが分かります。でも緊張せずに聞いていられて心地好いのです。
ラクな心地好さではなく、もっと次元の違う心地好さです。
ラクもしないけどムリもしない。たやすくやっているという見栄ははらず、難しいことを隠さない。完璧ではないところも、現われるなら素直にそのまま、自然な呼吸で演奏なさいます。
難しいことをやってみせるのが眼目ではなく、優れた藝術であることが大事という信念が伝わって気持ち好く、こちらも背筋を伸ばし、くつろいで聞けます。キリキリ練習して、舞台でそれを少し弛め、そうしておいて瞬間瞬間磨きをかけていくので、こちらの気持ちが澄んでくるのです。すぐれた「手」であることももちろん、それにつながっている頭と心が、高みを向き続けているのがなにより魅力になっています。
第一稿が読めないくらいに手を入れ、清書してまたそれにもねつく手を入れることを繰り返す。刷る都度また確かめて手直しをする。そうして届けられたお作に接し、ひたっていること、それを20年近くしてこられたことは、希有で、幸せで、誇れる大きな財産です。 囀雀
* わたしとのことはともあれ、許可の二胡にふれた「優れた藝術」観は大切。
* 秦先生 ご無沙汰いたしております。**(*)***です。大変遅くなりまして申し訳ございませんが、御本をお送りくださいましてありがとうございました。
ちょうど主人の両親が家に泊まりに来る直前で用意に追われており、パソコンに電源さえ入れられない日々が続いていました。何とか無事に滞在も終わり、落ち着いたところです。先生には御礼が遅くなり、大変失礼なことを致しました。
また、最近しばらくご連絡をしておらず、ご心配もなさっていたと思います。
幸い、私は元気にしております。毎日結構無理をしながら仕事と育児と頑張っています。でも、今のところ気持ちが充実しているせいか、体のほうには不調は現われていません。
血液検査で病気の活動状態を観察しているのですが、そちらのほうは実はあまり芳しくなく、なかなか良くなっていかないというのが現状ですが・・。それは毎日忙しくしすぎているせいなのか、病気の活動性が高いせいなのかは分かりません。
先日の検査結果では実は少しショックを受けました。私はたくさん子供が欲しいと昔から思っていたのですが、この病気は出産で悪化するので、医者の許可が下りないと子供が産めないのです。今の状態だと、妊娠は許可できないということで、もし子供がもう一人欲しければ、いったん薬を増やして病気を再度抑えることをしてから、徐々に薬を減らして今よりも服用の量を半分ほどに減らさないとだめなようです。薬を減らすのにかなり時間がかかるのと、服用はお腹の子供に影響があることから、少なくとも一年は望めなさそうです。私や主人の年齢のこともありますし、今の子供と年齢が離れすぎないほうがいいとも思っているので、少し残念です。
ここにきて初めて、”どうして病気にかかってしまったのかなあ”という気持ちになりました。
もしかすると、子供は一人だけかもしれない、そう思うと、息子がより愛しく思え、毎日をもっともっと大事に過ごさないといけないと思うようになりました。今が一番可愛い時期だと言いますが、本当に可愛らしい仕草と片言で、また、吸収力もすばらしいので、私にとってももちろんのこと、子供にとっても大事な時期なのだと思います。
人生はいろいろで、いろんなことを考えさせられます。
秦先生ともいろいろなお話をしたいと思いながら、日にちばかりがあっというまに過ぎていってしまいます。お礼のメールでさえ随分と遅くなってしまいましたし・・・大変申し訳ございませんでした。こんなことではいけないと反省しています。
またメールします。改めて、ありがとうございました。そして、申し訳ございませんでした。 紀 卒業生
追伸: 息子さんも活躍されていらっしゃいますね!
* 職場復帰は出来ないだろうと憂慮していたので、それだけでも朗報なのだが、なまやさしい病気でないのは識っている。立派によく生きてくれると心から称讃しながら、平安と、少しでも豊かに心行く日々を過ごして欲しい。優秀な知性から一人でも多いお子さんのほしい日本だが、と、痛ましい。だが、だが、どうか元気でいて欲しい。この人の結婚披露宴はそれは楽しいそれは愉快なものだった。よく思い出している。そのずうっと向こうには、教授室へきて専攻する面白い話をしてくれる笑顔が、手に取るように見えている。どうか、幸あれ。
* 早春、 のばらです。
お雛さん(「私語」の頁で)見せていただきました。
娘の初節句に買った我が家のお雛さん、今年はまだ箱の中。
「飾ってあげな、血の涙出して泣かはる」
子供の頃母のこの言葉を聞く度に、お雛さんのあの白い顔を想い浮かべていたものです。
二階の窓から、前方に大きな楠が繁っていて、永年、ヒヨドリの声が賑やかでした。それが先日から枝が払われ惜しい気持ちで眺めていましたが、なんと、向こうに比叡山がくっきり。
家(うち)の窓から比叡山が見えるやなんて。ここに住んで何十年も経つのに新発見です。
暇ができると気ままにウオーキング、CDを聞きながらのキルト、落ち着いた毎日です。
お大切にお過ごしください。 従妹
* 比叡山が見える窓とは。うらやましい。山の見えるのは落ち着いて佳い。東山三十六の翠巒にどんなに日々親しんでいただろう。西東京には山がない。川すらない。
2006 2・27 53
* 九州から、広島へ 理
ごぶさたしています。(九州大学)卒業が決まりました!
今年度は法学部のカリキュラムが大きく改変期され、講義の計画が今の二年生に合わせられた結果、四年生の受講できる科目が大幅に減ってしまいました。後期試験まで卒業要件が残り、実はひやひやものでした。
先週の月、火、水と卒業旅行に行ったのですが、僕の卒業が決まった=後期試験の成績の出たのが旅行中の火曜日で、同行の友人たちは大笑いでした。
荒川選手の金メダル、いちばん応援していました、よかった。正直ほかの種目は期待していなくて、とはいえフィギュアも新しい採点方式がどう出るか、銅がとれればいいところかと思っていました。
もともと荒川選手の演技は好きでした。ジャンプの回転数や過剰な演出に頼らない、きれいで力強い滑り。たくましさを感じました。昨年は採点方式にとらわれて苦労したようですが、トリノは今までの苦労を笑い飛ばすようなのびのびとした演技で、これは文句なしだと思いました。
トリノの日本選手、負けてなお強しと思わせたのはカーリングと岡崎さんくらいで、ほとんどの人は印象に残りませんでした。世界の壁だといえばそれまでですが、荒川選手の気取らない言葉づかいや表情を見ると、その壁は選手個人の問題ではないかという気がします。
卒業旅行は鹿児島、宮崎、大分と九州の右半分を北上する旅でした。
初日の鹿児島は午後から晴れる予報が、霧島のホテルに着くまでひねもす雨でした。降水確率10%をひきあてるとは、よほどくじ運がよかったのでしょうね。
霧島はまさに文字通りで、降っても晴れても唐突に霧が出ます。また、霧とともにたちこめる硫黄のにおい。温泉は肌にぴりりと熱い刺激がありました。そして鋭くたちならぶ霧島連山。朝の霧にかすむ山の連なりは、晴れていくごとに輪郭をあらわし稜線を強め、淡い雲と美しさを競っていました。
二日目は霧島を下りて、太平洋沿いに大分別府の宿を目指しました。これはそもそも計画ミスで、別府のホテルに着いたのは夜八時。夕食の出してもらえるぎりぎりでした。
北九州、大分、宮崎の九州東部をつなぐのは国道10号とJRローカル線。高速道路と新幹線がありません。われら車二台の二日目は、峠、市街地、海岸線… 250kmの一般道をひたすら北に走る強行軍でした。朝九時半に霧島をチェックアウトして、寄り道は霧島神宮、宮崎の鶏肉料理店、あとはトイレ休憩を数回。実質九時間ほど車中で過ごしました。
東に瀬戸内海と接する別府は、内陸の湯布院、さらに山深い日田とならぶ温泉街として有名ですが、沿岸部は大分市と隣り合い、市街地の規模も大きいところです。市街地を抜けて山に続く幹線道路をのぼっていくと、温泉街に入ります。
まえに湯布院に行ったときもそうでしたが、このあたりの温泉は岩肌のちょっと滑るくらい、ぬるぬるした感触があります。大分の山々から湧く水には、何か不思議が隠れていそうです。
帰りの朝、窓を開けると、鶴見岳のなだらかな稜線に出会いました。温泉街を見守る顔つきは、朝日を受けてのんびり二度寝しているようでした。
昨日は広島に行き、新居を決めました。人口110万都市ということで、福岡と近いイメージを持っていましたが、行ってみると福岡よりのどかです。秋に面接で行ったときは、会場のホテルが目抜き通りにあって、周辺はかなりひらけた印象でしたが、ごく一部のようです。
福岡市は徐々に人口が増え、140万人を超えました。博多駅は再開発の構想が進み、郊外のベッドタウン化、それにともなった商業施設の増加など、九州の中核都市として街づくりに積極的な投資がなされています。それに慣れていたせいか、昨日見た広島駅、物件を見にいった住宅街など、ずいぶんおとなしく感じました。
産業基盤も大きく違います。福岡市はまさに東京、関西のさまざまな機関が九州支所を設け、市の経済はほとんどサービス業です。製造業は北九州を中心に県東部に拠点を置きますが、地元に根づく八幡製鉄所は整理・統合が進み、トヨタや日産の九州工場は「出先機関」の域を出ません。
九州北部の景気はぐんぐん上向いていますが、極端な人口の流出入は明らかで、福岡市周辺と「それ以外」の景況格差はひろがっています。その福岡市もいわばサービス業の一本足打法です。そこに勢いもこわさもあると感じます。
広島県は、西の広島市にマツダがあり、南区の宇品工場で世界販売台数の三分の一を生産しています。県東端の福山市は岡山倉敷とほぼ隣り合い、製造業が多く集まります。特に旧NKK(今のJFEスチール)福山製鉄所は世界最大規模といわれています。大型の製造業に依存してきたぶん、円高や構造不況に長く悩まされてきましたが、近年は製造業の盛り返しで活力を戻しつつあります。
広島市はサービス業と製造業のバランスがとれているという評価もあります。ただ、製造業が大型な上、輸出主体で業績の振れ幅の大きいぶん、否応なくその影響に左右されるところが大きいようです。
長らく福岡に親しんだ気持ちはやはり強く、昨日も新幹線から夜の博多駅に降りると、福岡を離れる寂しさを感じました。流行にあわてすぎず、でも活気あふれる街です。居心地のよい四年間でした。
そのいっぽう、広島で働くことへの引き締まる思い、そして楽しみも強くあります。よくも悪くも広島経済をひっぱる製造業で、国際的な競争に挑みます。東京の流行意識や愛知三河の巧みな商売には負けても、広島の風土に根づいたものづくりへの熱意があります。
熱意をかたちにする技術、技術を伝える表現力、表現力を裏づけする品質管理。僕はこの品質管理に、資材・部品の調達という分野で携わります。街中を走るマツダ車を見送りながら、待ってろよ、とつぶやいています。
建日子さんのご活躍ぶり、また朝日子さんも小説を書かれているとのこと、よかったと思えば、すぐ手のひらを返されるようなことがあり…複雑な気持ちです。
親不孝という言葉があります。僕のいとこには、親の援助を平気で求めるフリーターもいれば、病気の親を見捨ててほとんど絶縁している人もいます。僕は、国立大学に進み、業績のよい大企業に入り、親戚の中では「親孝行」になっているようです。
一人息子を遠い九州に住まわせることは、心配だったろうと思います。法学部を出るからには、(父と同じように)地元に帰って公務員になってくれれば、という思いのあったことを、知っていました。知っていながら、公務員の試験に目を向けず、広島の製造業という、決して新潟に帰ることのない道を選びました。
広島を選んだとき、父も母も、「おまえが考えて選んだことなら、それでいい。それがいちばんいい」と言ってくれました。ああ俺はこんなにも愛されているのだ、今まで俺は親の気持ちをどう思ってきたか、真実思いやったことがあるか!
就職を通して、親とどう向き合うか、深く考えるようになりました。建日子さんの考え、朝日子さんの気持ち…自分ならどうするだろう。自分は親を傷つけないと、今まで傷つけてこなかったと、胸を張って言えるか。
十七にして親をゆるせとは、なんと厳しい言葉だと感じます。二十三にして親にゆるされるばかり、という気がします。
湖の本、今回はまだ「おあずけ」しています。年末から小説を読み継ぎ、昨日今日で「華厳」を読みました。「華厳」は昔から大好きです。一言一句、まろやかに美味い芋焼酎のように、酔わされます。
以前は少しでも長く続けてほしい、書き下ろしなど出してほしいと思っていました。今は秦さんのつくりたいものを、思うまま、ご健康の許すまま、つくっていいただければいちばんと思います。秦さんの作品が手元にある、いつでも読める。それが何よりの幸せです。
次回から広島の住所になりますね。来月半ばにはお知らせできると思います。あと少し、福岡をせいいっぱい楽しみます。
秦さん、迪子さん、黒猫のマゴくん、みなさまどうかご健康でありますように。それでは、また!
* わたしが自慢のいちばん年若かった友達が、大学を卒業する!! この長文のメールに、一個所の渋滞も間延びもない。小学校・中学のころから、この友はこういうふうに明瞭に書いた。健康で濃やかに呼吸する感性。一度も顔をあわしたことが無いのに、すぽっとわたしの内がわに珠のように生きている。いまの希望と意欲とを長く遠くまで運んでいってほしい。
2006 2・27 53
* 届いていた小説の、決して短くはない一作を、読んだ。書くことを重ねていくと、うまくなる、まちがいなく。気になることは幾つあっても、全体の動きで「読ませ」る。運びに、ギクシャクした渋滞が出なくなっている。おはなしはかなり驚かせもするが、私小説ふうの筆触に仮構の体温もかなりよくリアルに保たれ、三十そこそこか独身女性の性的な内面生活や「つきあい」の機微や情意が、しっかり書き込まれている。露骨でもなく、わるく隠してもいない表情の平静には、つよいものが感じられる。しかも意表に出て、性的な恋愛の主な相手が初老の男に書いてあり、若いいくつかの「つきあい」も、併走するようにワキを締めている。「書けて」きたなという気がした。
ただし、まだ、少し遠心的にちらばるところが残り、語りの絞られて行く、いい意味の速度をあえて停滞させている。その気味がある。身動きや気合いや温度差などディテールに、さらに精確に微妙な想像力が届いてくれると、推敲での磨きは、まだ十分かけられる。まだ作品の肌に小刻みなザラつきがのこっている。
しかし、腰のすわった、風変わりともみえる恋愛感情は、ほぼ読み手に伝え得ていて、わるくない読書であった。もっと良くすることが出来る。
2006 2・27 53
* Re: 参考までに。 目のさめるお直し、ありがとうございました。
リズムに気を配って書いたのですが、手を入れていただくと、見違えます。
テンポの悪さは克服課題だと自覚しています。
「こなから(二合半)」って、知りませんでした。おもしろいですね。小さい半分てことでしょうか。
> 一升瓶なら四日はもたせるように。
ものすごいペースですよ! お好きなんですねえ。
市内のサークル情報でお店や施設も、ぼちぼち開拓しています。市民講座は新年度に募集がかかりますので、応募してみます。人を知れば、情報も増えると思っています。
風に近くなったとみえて、なんだか引っ越してもっと遠く遠くなった感じです。市内に出歩くだけでも簡単に行かなくなりました。これも人生、余儀ないこととですね。
また一からですが、軌道に乗るまでのしんぼうです。 花
2006 2・27 53
* yoku aruki masita. yoku tabe masita. parerumono oryouri wa oisikatta!
haru no raiuni tatararete imasu. kyou wa simano minami ni mukaimasu. girisia no isekini ikimasu. Tobi
* 写真添付 車窓から見える富士山と、夕暮れの田子の浦です。
雨だれが聞こえます。
ごきげんよう、風。 花
2006 2・28 53
* 二月堂 先だって購った雑誌の、「修二会(しゅにえ)にまつわる神事」という記事を興味深く読みました。また、二月堂が達陀(だったん)の残り火で焼失したとき、大仏は野ざらしになって100年経っていたことを識りました。
その時参籠2回目、20才だった公慶上人は、東大寺再興の許可が下りた翌年1685年、38才で参籠した修二会で初めて咒師を勤めています。最高の役まで勤め上げたいと誰しも思うそうですが、公慶はその後参籠することなく再建の勧進に専念し、大仏殿が再建された数年後、58才で亡くなったそうですね。ひとから識ると、ペンキで一刷けしただけのような年表が、陰影や輪郭を恵んでくれる感じがします。
大仏殿が焼けて一世紀、仏は野ざらしのまま、さらに二月堂が焼失し大観音は焼けてしまった…青年僧はどんなに惨めで寂しい気持ちで、煙のくすぶるこの山を眺めていたのでしょう。
いつものように二月堂参道を進み、門を閉ざしている開山堂を覗いて、若狭井、興成社、良弁杉と巡って石段を上り、飯道社、二月堂、遠敷社、そこからさらに石段を上って山手の観音堂と、変わらない順でお参りしました。
山の観音堂まで来る人は滅多にないのですが、雀は、ここからの展望が一帯で一番のお気に入り。当初はもっとこの山の奥で修業していたんだわと実感できる清浄感があるのです。
休憩所に寄って、展示されている品々を見、説明を読み、上ってきたのとは別の、お松明が登ってくる回廊を下りました。月の1~14日という行は、月が満ちていく時間の流れでもあるのですね。全てを終えた僧たちは、晧晧と輝く月のもとを降りてくるのでしょうか。
四月堂に行くと、普賢菩薩に祈っておられる方がいらしたので中には入らずに、千手観音を見仏しておりましたが、にぎやかな人の声に振り向くと、ガイドさんが三月堂の説明をしながら、グループを引きつれやってきます。主人が「あの団体とぶつからないうちに」と、小走りに三月堂へ行きましたが、堂内には 3~4人いるだけ。一向誰も堂内
に来ません。ま、たいていこんなものです。
鐘楼、俊乗堂、行基堂を見て、道を下りながら辛国神社に寄り、鏡池のほとりにくると、いつに変わらぬぎょうさんな人出。
東大寺の西塔・東塔が100㍍を超す七重塔だったというのが、博物館の「東大寺縁起」「東大寺曼陀羅」で見ても、まだ想像力不足で解りませんの。大仏殿も今より大きかったのでしょう? 実地に立ってもぽかんとするばかりで歯が立ちません。 囀雀
* 奈良散策 氷った朝でした。実家に天気を訊ねると、もこもこと雪が降ってるわと言います。梅雨ならぬいわば「梅冷え」と気象予報士が言いましたが、どうか日々お大切に。
「お水取り展」見ない? と主人に勧め、春日宮天皇陵を通る、県道“奈良名張線”の終点まで初めて行ってみました。奈良公園に着いたのは11時過ぎ。久しぶりの奈良なンだから少し歩きたいという主人と、二月堂近辺をおおまかに歩いてから博物館へ行くことで折り合いをつけました。
さっそく「お昼なに食べる~?」と言うので、国博のレストランなら薄味の中華麺か地鶏丼、そばなら志賀直哉旧居近くのそば「吟松」、東大寺西大門跡近くに葛うどんの「天極堂」、戒壇院近くにも凝っていそうなそば店があったわねぇ、和食の「ときわ」、依水園にうなとろの「三秀亭」があるわ…なんにしようかなぁと歩いていると、その三秀亭がちょうど暖簾を出しているところに行き逢いました。
「いらっしゃいませ。どうぞ」とふくよかな中年女性の笑顔に誘われ、つい中へ。“麦とろ”と“うなとろ”のふたつしか食事メニューはなく、昔ながらの建物と、庭に床几を出しての喫茶もしています。水拭きの似合う調度品や建具、懐かしい型のガスストーウ゛、いびつな玻璃戸越しに広がる名庭。
一番乗りの特権、英一蝶の猿曳きの繪が掛かる床の間の前に座り、しゅうしゅう燃えるストーウ゛の音だけが聞こえるなか、食事を堪能しました。とろろをかけるのを忘れるくらい、麦ご飯そのものもがおいしいのですよ。
「素敵なお店ですね。季節の好い時はさぞかし」と言うと「『正倉院展』のときはもぅどうなるかというあんばいで」と小さくなっておっしゃいます。
別の素敵なイタリアンレストランでも、そう、うかがいました。ともかく奈良市内がどうにもてんやわんやになるのがあの時期で、町が毛を逆立ててさぁいよいよ来るぞという感じになります。
「せっかく来てくださるお客さまに申し訳なくて」と、どこも恐縮なさるのが雀が奈良に好感を持つひとつでもあります。
ゴキゲンで店を出た主人が、案内板に戒壇院の文字を見つけました。以前、テレビの旅番組で宝塚スターが雨の中、傘をさして優雅にあの石段を降りてくる映像を見て以来、戒壇院の下に着くとそんな美女が現れるような錯覚を起こします。
仏像、ととっさに思いましたが、先日買ったパンフに、この時期、練行衆が参籠しているとあったのを思い出し、大仏殿とある案内の先へと歩を運びました。 囀雀
* 博物館へ あきらめて、般若寺や大宇陀の大蔵寺の十三塔と同じ石工の作ときいた、南大門の狛犬を左右何回か往復して見て、参道の店先を見たり、行き交う人の外国語に耳を立てたりしているうち、信号が青に変わりました。
博物館のコインロッカーにコートを入れ、時計を見ると1時半。
第一次待ち合わせは3時、地下連絡通路の喫茶でと、雀。次は4時半と、主人。名残惜しくともこの時刻には出発と念を押され別れました。
新館と旧館を行ったり来たり。そうやって炉の炭の上下を返すようにしていると、目をおこすことに、いくつかめぐりあいます。
十一面観音檀像の2体が斜め後ろまで見える展示がされ、表情までは見えませんが、暴悪大笑面が見えること。気に入りの菩薩半跏像が、朝ここへ来る途中通った山添村神野山にあるお寺のご本尊だったこと。これは、火をかぶった銅造仏で、お顔やポーズも好く、パルメットの冠にはるばる遠い波の向こうから船に乗っていらした感じが強くして、ひきつけられますの。
旅をして遊山をしているうち、「展示」してある「物体」の仏像を、一体一体、あの山の、あのお寺の、あの風が吹いてた、あの空の下の、あの木漏れ日の中の、と風景に置いて想うことができるようになって、ひそかな独り極めの悦び。
ほかに印象に残ったものを挙げてみます。
戦国~唐の、また楽浪など半島の、軒瓦。火葬墓と墓誌コーナーの南宋龍泉窯の青磁碗。東寺の牛皮華鬘。中尊寺経。善光朱印経。東福寺「前後」張則之筆。
興味深く眺めたのは、東大寺建長本「四聖御影」、恵美押勝の乱後に作らせた百万塔、銅鏡。それから、古代、舌のない鐸があったと識って、その神秘性、精神性を銅鐸に探すことができたのは心弾むことでした。
一遍聖絵のなかに善光寺がございました。雀は修学旅行も含めて何度か訪ねており、あの時代の善光寺はこういう景色だったのと思うのも楽しいことでしたが、記憶の実物より、『修羅』のなかで小説にお書きになってらっしゃるそれが、今は雀の善光寺になっておりますわ。
帰路は博物館から和爾、櫟本、黒塚古墳、崇神と景行の御陵、箸墓と南下しまして、金屋で初瀬街道に入りました。“吉隠(よなばり)の表示に、あと少しといつもほっと眠くなるのですが、今回はその先の「宇陀市」の表示にパチンとなりました。
1月1日から、榛原や室生が、宇陀市に変わりましたの。 囀雀
* 二、三、枝 お参りしていて、二月堂、三月堂、四月堂のそれぞれの名の由来を書いた紙が貼ってあるのに目が留まりました。二月堂、三月堂、四月堂とあるので、十二ヵ月あるのか、一月はないのかと聞く人があるそうです。
先日はキタで二胡を、今日はミナミで三味線を聞いてまいりました。
毎年この時期恒例の長唄の会で、東京からプロが何人も出演なさいますの。いつも素足に下駄で土道を駆け上がって隅田川の川風に吹かれるような心もちを得ますのよ。
今年は春の雨に合わせるかのような艶っぽい曲が多い気がしました。
最後は「廓丹前」を男性プロ50人余りの大合奏。文枝さんの出囃子…。もう一年になりますのね。
雨はいかがですか。お仕事はかどりますように。 囀雀
2006 3・1 54
* どんよりと曇り空 桜の開花予報を聴くと春が来たかな、と勘違いをしてしまいますが、お水取りが終わっても、ヒラノハッコウアレジマイ(比良八荒の荒れ仕舞い)までは「寒の戻り」があって、今日もまた寒いですね。
明日の診察に備えて、節制していますか。どうもその方面は優等生ではなさそう。泉
* きのうは、雨の中、一日中用事であちこち出かけていました。
今日はゆっくりしています。
また50円で映画を借りちゃった!
風は「心」の原稿を書きながらウンウン唸ってらっしゃるのかしらん。
春風にはやく逢いたい、花。
* 娘の京雛は七段飾りで、出せば四畳半程を占めるので、いつ時の間にやら内裏様だけを飾り、そして、いつの間にやら可哀想に天袋に置き去りとなっています。近くの孫が男の子ではね。
せめて明日は五目寿司と蛤のおすましでも用意しましょう。 京姥
2006 3・2 54
* 久世光彦さん(何度かおあいしました)、佐々木守さん(幼馴染)が相次いでなくなり、おどろいています。
先日、友人の葬式で、***さんに会いまいた。「湖の本」の読者です。秦さんのメッセージを本に貼り付けて大切にしているということでした。パソコンも手がけていらっしゃるようなので、秦さんにメールでお便りをなさるように話しておきましたが、ご迷惑でなければよいがと思っています。
その後、なんどかメールしたつもりですが、やはりだめだったみたいです。
建日子さん、お作拝見しています。出るはたから映像化されるなど、イマ的な作家ですね。しかし原作のほうが、私にはおもしろいようです。
朝日子さんのも、「探して」読んでみます。
文学館のボランテァは、し残した資料の整理(私でなければわからないものがまだすこしあるようです)と、入館者のお相手程度です。友の会の人が何人か手伝いに来ているようです。
今、地元の図書館で、年度末の整理をしています。ここ二三日、半日ずつ手伝いに行っています。この図書館の建設時にかかわったこと、館長が昔の生徒だったこともありましてーー。
ワードの稽古を始めています、急がずに。 それでは、お大切に。 能美 E-OLD
2006 3・3 54
* 朝一番の宅急便で、べつべつに、極上直詰の生酒一升と、奈良の木の葉に巻いた各種の鮓折とが届いた。取って置きの日本酒が数本のこっている。一気にはやく退治せずばなるまい。昨日新処方の薬はいま薬局にファックスした。
* mixiの若い人からメッセージが来ていた。若い人達の中で、落ち着いた物言いで時局への感想や意見が出ていると、ほっと嬉しくなる。ためぐちでしか、ものの言えないというのには、少しヘキエキする。
2006 3・4 54
* mixiの若い人からメッセージが来ていた。若い人達の中で、落ち着いた物言いで時局への感想や意見が出ていると、ほっと嬉しくなる。ためぐちでしか、ものの言えないというのには、少しヘキエキする。
2006 3・4 54
* 晴れやかによいお天気です。
病院の診察はあまりよろしくなかったようで、わたくしも落ち込んでいます。最小限にしか節制する気のない患者さんですから、こういう結果の時もあるでしょう。でも、入院にならなくて本当によかった。猛烈に勤勉な方なのに、ご自身の健康管理については無関心で怠惰ですもの……。一喜一憂なさらず一進一退をさらりとやり過ごして、いつもお元気にお幸せにお過ごしください。
一升を四日であけるなどということはなさらず節酒なさり、次回には改善していますように。ただ実行なさるだけで、かならずよくなるのですから、簡単なことですね。食い気しか残っていないなんて情けないことは仰言らないで。
さて、気分転換。甚だ格落ちですが、少し変わった話題を。
最近の丸の内は再開発されて、青山よりおしゃれな街になっているのをご存じですか。ファッションとおいしいお店があり、若くておしゃれな働く美女達も目の保養。
今丸ビルではアカデミー賞作品の衣裳が無料で展示されています。これが意外に面白いので、もしお近くを通られたらどうぞ。
あの映画の衣裳の実物を知る興味が充たされ、役柄に合わせた色彩やデザイン。焼け焦げやしみ、継ぎ接ぎ、あるいは気の遠くなるように細かい革細工、刺繍など、衣裳製作のプロの、最高細心の仕事ぶりに感動します。そして何よりスターの体型がよくわかる。
マトリックスのキアヌ・リーブスの黒い長い服を見ると、彼が見上げるように背が高く、細身で顔が小さいのがよくわかる。美男のダニエル・デイ・ルイスも背が高く足が大きい。三十センチはある。ターミネーターのアーノルド・シュワルツェネッガーはそれほど長身ではないけれど胸板がとても厚い。岩盤のよう。トム・ハンクスも胸板厚い。リチャード・ギアはただのジャケット姿の服だけでやさしい感じのかっこいい人と思う。ハリウッドの男優たちが概してみごとに鍛えられた体格であることが衣裳から見てとれます。
反対に異様に細いのが女優たち。日夜のダイエットの苦労いかに。美しくあるのはらくじゃない。素敵なドレスの数々を見て、ウエストの細さにはびっくり。ジュリア・ロバーツやミッシェル・ファイファーはあの長身で五十センチ台でしょう。キャサリン・ゼタ・ジョーンズは胸が大きく立派。三十分ほどで見られる楽しい展示でした。
それでは明日から(暫く夫の実家で)よいお嫁さんしてきます。 春
* 浅春 朝の氷が融け、糠雨が降り、日が照り、雪が舞い狂い、翌日は昼の陽気に暮れがたの風の寒さと、猫の目のように天候が変わる日が続きます。
近所の白梅が咲き始めているのに気がつきました。
日の当たる枝に雀が十羽以上止まって、羽を膨らませ目を細めてひなたぼこ。近づいても全く逃げる気配がありません。警戒心がすっかりぬけてしまうほど気持ちよかったのでしょうね。
さて、何年か前、テレビで女の人のセクシィポイントに、膝の裏のくぼみをあげた作家があって、雀は肝心のその個所の名称を忘れ、見聞きに気に留めていたのですが、今日、ちょっとしたことで辞書を引いていて、「よほろ」「ひかがみ」と分かり、すっきりしました。 雀
2006 3・4 54
* こんばんは。 先日のメールには少し驚きましたが、もうそんな年なんだなとも、少しくすぐったく感じました。今は、仕事を頑張らなければ。
(『冬祭り』分の支払いなどで)郵便局に行くついでに、髪を切りに美容室に行きました。いつもはジャージで生活しているのですが、スカートをはいて、おしゃれして行きました。めずらしく女らしいことしているじゃないの、とウキウキしながら街を歩いたり、だれにも見せないのに何でおしゃれしているのかな~と沈んだ気持ちになって立ち止まったりした一日でした。
スカート姿を見せたい人は、いろんな意味で遠いところにいるんですけどね。 昴
* 駒とめてなほ水かはむ山吹の花の露そふ井手の玉川 (俊成)
今なら、さしづめマイカー停めてといったところでしょうか。せせらぎ、桜、山吹、かわず、蛍、夕焼け、冬の星空…想像するのも愉しい綴喜(つづき)井出は、心にぜいたくな食事をいただく里風情でしたわ。
地蔵禅院で、円山公園のそれと親戚の「しだれ桜」の肌が元気なのに、とりまきの善し悪しを想いました。
鶯の初音。しっかりとした囀りに、いま一度一度と耳を澄ませました、続けて何度も鳴きました。おしまいに、山鳩が追うように啼きました。
多賀、青谷、宇治田原へと回り、御栗栖神社に参って、和束(わつか)から笠置経由で帰ってまいりました。山が笑っていましたわ。 雀
2006 3・5 54
* tobi ciao. ogenkidesuka? Agrigento kara Sicilia no higashi kaigann ni iki
Siracusa, Catania, Taormina, nado o mawatte Palermo ni modorimashita.
Sicilia wa haru demo hareruto hizashi ga tsuyoi desu.
* 娘二人をひきつれて。大いに羨ましい。
* 天久のテラスで hatakさん
沖縄本島宜野座(ぎのざ)村というところで、一週間ジャガイモの調査をしてきました。村には歌の文句そのまま「ざわわ」と鳴るサトウキビ畑の間に「琉球紅じゃが」という紅いジャガイモの畑が散在していました。
沖縄は晴れれば暑く降れば寒く、難しい季節でしたが、昔の師弟と出かけた天久(あめく)の高台で、個人宅を改装した天麩羅屋さんの、はるかに那覇市内を見下ろすテラスから夜の海や三日月を眺め、短い一夜を楽しみました。あめく、天久しく、と願ったのは、琉球王の御世だったのか、想う人との仲だったのか、「真澄」という酒を酌み交わし、心地よい海風にあたっておぼろに考えていました。
みぞれの札幌に戻り、寒さに身が縮みました。明日から三日間、また会議が続きます。 (追伸)
私の日々は充足していますが、無理に今の日々を続けようとも、逆に無理して生活を変えようとも、どちらとも思っているわけでなく、「不審花開かない今日の春」を楽しんでいます。 maokat
2006 3・6 54
* 関西からたまたま大学母校のことで上京する人が、湯島(天神)の白梅を観てみたいと。梅は白梅も紅梅も大好き。
湯島へ行けば、方角は逆だが、ついでに神田明神か、根津八幡へも。この界隈が、わたしはなぜか好き。いまでは宏大な神社ではないが、江戸の名残。
2006 3・6 54
* 秦先生 ***です。お元気ですか。新年の挨拶もし損ねて失礼しました。
最近創作欲求が減っていて、刺激になればと先月アメリカに美術館めぐりに行きました。NYの美術館の物量には圧倒されました。
西海岸の作家で好きな作家がいるので(といっても1950年代の人ですが、)西海岸でも本物が見られて良かったです。
旅行自体は楽しかったのですが、帰国してから反動なのか疲れなのか憂鬱な日々をすごしています。自分は本当に表現に向いているのか、疑問なのです。沸いて出るように作品が描ける方ではありません。そういう同級生もいますが。
私の絵はクラスの中でもっとも下手といっていいでしょう。絵を表現の主体に選ぶべきなのかも迷います。私は絵が好きですが、私の経歴から、物理学を研究するように美術を研究したらと意見頂いたりもします。
つまりとても、悩んでいます。
一度秦先生に見てもらいたいくらいです。
四月から(通学)は上野です。茨城よりはだいぶ近くなります。
春が近いのに、ちっとも心浮きません。
須田国太郎展を見逃しました。
昨日オラファー・エリアソン展に行ったら原美術館はとても混んでいました。その足で洗足池に行き、東工大に何年ぶりかで足を踏み入れました。だいぶ変わっていて。でも昔のままのところに、とても懐かしさを感じました。人生やり直せたらいいなあと、つくづく思ってしまいました。
つれづれなるままに書いてしまいました。とりあえずここまで。
* 東工大の院を出て、好い会社に就職したあと、俄然志して今度は上野の東京藝大を受験し合格したという女性画家の卵さんである。本人はしこたま悩んで病気までしたけれど、人によってはこの人の経歴に目をむいて羨望するだろう。ま、なにごとも、思うまますらすら行くものではない、悩むから前へ前へ出られる。船のローリングのようなもの、真っ直ぐには前へ進まない。思いきりローリングすればいい。ポツンと思い出してメールを呉れる。この人も、東工大時代、わたしの教室にはたぶん半季顔を見せていただけではないか。一昔以上も前だが、こうして気は通っている。
一度この人の繪を観たい。
2006 3・6 54
* 長い時間新幹線に乗って帰宅しました。飛行機よりはらくですが、それでも同じ姿勢を続けていたので肩が凝ってしまいました。
東京は春一番だったそうですが、西の西は冷たい雨。車中であちこちの山に湯気のような白い靄がかかっているのを眺めていました。外国から日本に戻ってくると雀までさびていると言う人がいましたが、灰色と土色の濁った暗さがどこまでも続く光景でした。心象風景かもしれません。
お酒を飲んでしばらく酔ってから休みます。おやすみなさい。 春
* 無事に(シチリアから)飛んで帰ってきました。 今は眠い、鳶
* 井手の玉川 手作りのお座布が並んだ囲炉裏端で、あつあつのほうじ茶をいただきました。木がたっぷり使われたまちづくりセンターの磨きこまれたガラス戸からは春の日が射し込み、畳にうつる影が際々と、気温はまだ追い付きませんが、めっきりと光が強くなったことを感じさせます。
先週大きなイベントがあったそうで、その反動なのか、のどかで穏やかな行楽日和りというのに、お客さんは誰もいません。ぴかぴかの建物で、近くでまだ工事が進められています。
平城京の瓦を焼いた窯跡が見つかって、予定されていた道を、窯跡をまたぐ橋に変更したとのこと。この辺りが“井手の下帯”の舞台となった椿坂ということ、昭和28年に大水害があり、その50年後にこの建物ができたらしいことを知りました。
鷲にさらわれた良弁さんが井手の多賀に落とされ、のちに奈良へ修業に行ったという話は初耳でした。六玉川、山吹とかわず、玉の井の頓宮、王之山に造られた山背大兄王の御所と彼が発願し建立した井手寺…。東大寺絵所法橋俊秀作「井堤郷旧地全図」(1143年)の模写という、きれいなプリントを眺めながら、いただいたパンフを整理して
おります。
蘇我氏と初期の藤原氏に手いっぱいで、橘氏はさすった程度でした。諸兄が山背国班田司に任命されたのと長屋王が自害させられた年が同じで、二人が同い年ということ、ほかにも橘氏の系図や主だった人の経歴を知って、飛鳥~奈良時代がまた一筆濃くなりました。
それから楠木氏は、橘諸兄の後裔といっていたのですね。井手でも後醍醐天皇に行きあいましたの。
いかにせんたのむ影とて立ち寄ればなほ袖ぬらす松の下露 (藤房)
笠置山から有王山に逃れ、ここで捕らえられたと知りました。松は誰かを指しているのでしょうか。
畑の片隅また庭木の中に柑橘類の実が日に輝いている里を、木津川のきらめきと流域にひろがる盛んな人の営み、今は同志社大になっている対岸の筒木の宮、生駒・二上・葛城・金剛の山並み、それらを一望する、甘樫丘や葛城の地を聯想する気宇の大きな景勝を思い出していると、まだまだオツムの整理に時間がかかりそうです。
関東は昨日春一番が吹いたそうですね。こちらは静かに細い雨の降り続いた啓蟄のひと日でした。
今日は朝のうちはまだ道がしっとり濡れていましたが、ふわふわと温度が上がって、どうやら花粉だけでなく黄砂も飛んでいるようです。
紫外線も強くなってまいりました。眼をどうかお大事に。 雀
* 花粉の眼薬のせいだろうか、ねむい。明日の臨時の委員会はまったく気が乗らないが。せめて…いや、書くまい。昨日は薫る花を目に愛でながら、床几に腰かけ、うまいお握り二つと出汁巻卵を食べてきた。明日は…いや、食べてばかりだと言われる。それにしても、黄色瑞華さん(僧籍にある方か)に頂戴した「白扇」木桶仕込純米原酒のうまさよ。酒菜に「きのしょ」がぴったり来る。
2006 3・7 54
* ミクシイ わたしはもっぱら友人たちとの連絡に使っています。といいましても、頻繁にやりとりしているわけではありません。友人が日記やレビューを書けば、「元気にしてるな」と思い、「風邪ひいた」なんて書いてあれば、「お大事に」とコメントしたり。自分では書きません。参加したての頃は少し書きましたが、今はすっかりリード・オンリーになっています。
コミュニティ内に「イベント」を立てることのできるのは便利ですね。例えば、「飲み会を開催します」って誰かが音頭をとってくれれば、参加したい人は「参加する」ボタンをポチッと押し、コメントを残せばいいのですから。
わたしの加入しているコミュニティは、全員顔見知りの、ごく少人数のものです。
風をミクシイに招待した方は、ひょっとして、コミュニティに入ってほしかったのかも。
さて、会議の帰り、風は何かおいしいもの召し上がったかしらん。 花
* 百万人も加入しているというのも、ひょっとして過剰なデマゴーグではないのかも知れない。しかし、この人がどういう名乗りで加入しているのか、検索しても見つからない。そんな「忍術」をわたしはつかわず生真面目に名乗って出た。
小説が書きたい、書いている、作家になって食べて行きたい、という人たちの声が、ほの聞こえてくる。だがたいてい書いている作品は、MIXI上では読めない。
こういう場所で、お互いに仲良く空気抜きをし合っているのが、或る意味「創作にはいちばん危険な誘惑」で、一過性の風邪のように創作熱が褪めて行きかねない。
わたしは、前々から幾らかは意識して電子メディア上に「いい若い書き手」がいないか、MIXI以前にも、インターネットを少し経巡ったけれど、思わしい出会いはなかった。めったになかった。おおかたが、何も文学・文藝について腹の括れていない、自己満足だけであった。
直接、わたしの所へ作品を寄越し、きついことを言われ言われながら、根気よく推敲し、また何作も書いて書いて書き溜めてきた人は、さすがに、確実にモノが見えてきている。早稲田文藝科ゼミでわたしの教室にいた角田光代がそうであった。
本気で書くなら孤独に負けず、いわゆる編輯者(わたしのような)とも出会い、毎日少しずつ年中欠かさず書き続けてたゆまない気力が、根気が、必要である。昔の、険悪なほど厳しい同人雑誌でもなく、ふわっとしたお仲間感覚で傷口を甘く舐めあっていても、「作者」への閾値はとうてい超えられない。まして「幸運」とも出会えない。そのことを、わたしは若い真面目な書き手志望の人たちのために懼れる。
MIXIが、自己満足だけの擬似作家を十万人つくってみても、文学・文藝の庭に華は咲かない。華には華の咲かせ方も咲き方もあるのだから。
* 暖かな一日でしたね。
議会と、3月10日締め切りの仮面劇のレポートに追われているうちに、季節はすっかり本格的な春になってしまいました。報告書や企画書ならともかく、学校を卒業してからレポートなど書いたことなく、楽しくはあったのですけど、ちょっと苦労しました。それに仮面劇の資料というのが、思ったよりたくさんあって、最初面白くなってどんどん読み始めましたら、どんな風にまとめたらいいのかわからなくなって困りました。
(実はこの韓国旅行、日程が他の友人たちと合わず、私ひとりだけ居残り、ということになってしまいましたが。)
でも、先発の友人たちにぜひ楽しく仮面劇をみてきてもらおうと、案内者になった気で面白くまとめたつもりです。日本の翁面との関連箇所も少しあり、先生はきっとよくご存じかとは思ったのですけれども、添付してみます。(写真やイラストがはいればもっと読みやすいと思いますけど。)
読んでいただけるとうれしいです。(少し品の悪い箇所もあり・・)
先生の『からだ言葉の日本』のなかに「若者よ 体を鍛えておけ・・・」の歌が出てきて、おや、となつかしく思い出しました。この歌が歌われた60年安保の年は、私はまだ小学生でした。その後
学生時代に大島渚監督の映画「日本の夜と霧」をみたとき、その「若者よ・・・」が何度も何度も画面に流れ、あの不気味な暗さとともにじつに印象的でした。(あの映画は封切り後4日で打ち切られたそうですね。浅沼委員長の暗殺事件もそのときだったとか。)
今日、伊勢丹に用事で行きましたら、京都食品展をやっていて、「くみあげ湯葉」を買いました。これにわさびをつけて食べるのが大好きなのです、私。ペンネームを「湯葉」としていますので、ともぐいかも。湯葉、こんにゃく、おとうふなどは低カロリーでいくら食べても大丈夫。お豆腐ご一緒できるといいですね。 ゆば
* ゆばなら、新宿の「やまと」が湯葉の店。ただしこの店では「にごり酒」に酔うのが好き。わさびで「くみあげ湯葉」は一口で十分。凝った懐石ふうの風情の店で、昼がいい。
仮面劇の「案内」 ファイルを開いて、読みます。
* おかえりなさい
春風や帆はうたかたの淡路殿
春風のさす手ひく手や浮人形
すっかり春の風となってお楽しみのこの頃でしょう。一昨日の湯島のお握りつき梅見に続いて、今日のお出かけいかがでしたか。会議のあとに一杯また一杯……の可能性のほうが高いようですね。
昨日からの頭痛がすっきりしません。
曙のむらさきの幕や春の風
春風のつまかへしたり春曙抄
こういう春風が吹いてくると、気分も晴れやかに。明日のお稽古はむらさきの濃淡の着物にしようかしら。ほんものの春風ではないけれど、つまかへしてくれる春風を期待して。 春
* この人、なにで引いたやら、惹句の 帆はうたかたの淡路殿 分かっておいでなのかしらん。
* 鳶 播磨も寒かったり暖かかったり、梅が盛りに近いでしょう。シチリアもいいが、日本もいいでしょう。
娘孝行できましたね。母孝行もしてもらいましたか。わたしの三月は、二月とサマ変わりし、けっこう忙しい。
鴉は、カアーとは啼いていないのに気付きました。耳を傾けていると、アアーです。烏も鴉も読みは ア だったと気付きました。 アア
* > 最初の句何から引きましたか、分かってて引きましたか。
こう書かれるからには、とんでもない誤読をしているようです。ゴメンナサイ。
あわてて蕪村の解説を読むと、「春風に帆をはためかせて舟が走っていたが、いつの間にか泡のごとく消え見えなくなっていた。あれは淡路殿の家紋入りの帆だった」とあります。
春風の気紛れのように気楽に読みたかったのですが、分かっていませんでした。深刻に読むものでしたか? それとも……教えてください。大失敗。ああ、また恥かいた。
薬を飲んで頭痛は治りましたが、眠れなくなる副作用があります。今夜はたっぷり泉鏡花を読むことになりそう。「草迷宮」を読了したので「沼夫人」の予定です。おやすみなさい。 春
2006 3・8 54
* 蕪村句 春風や帆はうたかたの淡路殿
お堅い学者センセイが鑑賞すると、「春風に帆をはためかせて舟が走っていたが、いつの間にか泡のごとく消え見えなくなっていた。あれは淡路殿の家紋入りの帆だった」なんてぇことになる。おもしろくも何ともない。
逢う約束も何のその、女め、逢いませんよ(逢はじ)の捨て台詞で尻に帆掛けて春風にうかれ、泡のように消え失せおった…というのが隠れた句意。わたしが「淡路殿」ではない。
但しこの際、かなづかいは、淡路は、あはぢ。あはじ、でないこと、承知の上でなければならないが。
2006 3・9 54
* 春めいてきました。昨日の陽気で、桜の蕾が気持ちほころび初めたと。
少しのんびりと体調を調整していたので、落ち着いています。それでも、娘に付き合って車で大渋滞の中、満開の川津桜を一泊で観てきました。
変わらずお酒と大の仲良しをしていますか。
四月初旬に京都へ、観桜旅行の予定を立てています。なんと東京へ出て以来、四十五年間、故郷の桜に出会っていません。今生の別れかも。なーんて。そういう人ほど世にハバケルんや、と、京都からの返信を受けましたけれど。 泉
* 川 雀
今日は貴船神社の雨乞祭、あさってはびわ湖びらきのようです。
春めきし水を渡りて向島 (虚子)
いかがお過ごしでしょうか。
丹生神社と十一面観音にひかれて旅を重ねるうち、丹生、十一面観音、地蔵、牛頭天王、環濠集落と、川の流域それぞれがもつ特徴に気がついてまいりました。
南山城は天井川が多く、高倉や棚倉といった神社の名がみえます。
昭和28年に集中豪雨で玉川上流の2つの人工池が決壊、川も決壊して大水害になったそうですね。山の中腹にあった雨吹龍王社も流され、そこに奉納されていた馬の浮き彫りをほどこした大岩と、仏が線刻された岩が落ち、今もそのままのこっています。
また、今の玉津岡神社と高神社は、540年に下照比売が降りたことが元になっていて、高神社のある多賀地区にある龍王の滝には明治なかばまで祈雨神社が添って、雨乞いのときは神事のあと灯明の火を松明に移し山を登ったそうです。
玉津岡神社には橘諸兄が赴任してすぐに神社を創建していて、今は諸兄と楠木正成を祭る橘神社があります。300年前の本殿がのこり、鳥居が重なりながら上へ延びる参道が一本、境内に並ぶ摂社が、八幡社のほかは水や海に関する神社が多かったのが印象に残っています。下照比売は高比売ともいう、大国主命と宗像沖津宮との子でしたわね。
町のパンフに、「奈良以前からこの地の人たちは木津川や玉川の氾濫を恐れ山間部や微高地を中心に暮らし、人々は山際にふみわけ道を作ってきました。」また、太鼓製造の技術者集団がいたとあって、ひょっとして…と思いました。
* 山 雀
井手町の北境は、木津川に流れ込む青谷川という川です。青も谷も、葬地を意味しますでしょう。地図で“青谷梅林”の文字を見つけたとき、奥城(おくつき)ひしめくなだらかな丘いっぱいに梅の古木が花を咲かせ、馥郁と香り漂うさまを想像しましたが、そんな伝奇的気分は、はためく「梅まつり」の幟とあちこちに貼られた臨時駐車場の案内、平らに造成された住宅地の騒々しさと立て込んだ家々の庭や小さく残った畑に弱々しく咲いている梅にげっそりとなり、遁走を決めました。
西は木津川、東は宇治田原へ出る青谷道。その道で“市辺”とある地名表記に目がとまりました。
市辺之忍歯皇子(いちべのおしはのみこ)の遺児二人が逃げる途中、山城の苅羽井で面黥ける老人が猪を飼うもの「猪飼」と名乗りましたわ。苅羽井は、山城町綺田か城陽市水主とか。前者は綺原神社かしら。大蛇に差出される娘を蟹が助けた伝説がある蟹満寺の隣ですわ。一方、後者は隼人が祭る月読神社の近く。目に入れ墨をするのは、南方系習俗、俳優、刑罰と説があるそうですわね。また、猪を飼うのは必然皮革加工業を聯想させ、橘氏のもとの、県“犬飼”をも想わせます。畜産、狩猟、狩場の管理。高地や山間部に強い人々ですわ。やはりここも山の民―。
山背、山代、山城の説明が井出町のふるさとセンターに貼ってありまして、平城山のうしろ=山背(やましろ)の名づけが、のちに都が京に遷されたのち「山城」となったとまでは憶えているのですが、山代は…えーと。声に出して読んだのに思い出せませんの。だめですねぇ。
今度、山城資料館と宇治田原資料館に行ってまいります。
* 私はずっとライトノベルというジャンルの作家を目指して書いていました。同人誌の方も似たようなもので、十代から二十代の女性が読者層の話ばかりです。
ところが最近、率直な意見をくれる人に読んでもらったところ、「ライトノベル向けではない」と言われました。エンターテイメントを目指すのなら、特に文章の綺麗さは必要ないとも。
それで良くわからなくなってしまったのです。
上手く表現できているかわかりませんが…ずっと「あっちが前だ」と思っていた方向が、全然違う方向だったことに気付かされたというのか。
今の私はどこに向かって何を書けば良いのかわかりません。
ライトノベルで某出版社の編集さんから声をかけていただいたこともあります。けれども、「やった! とにかくデビュー!」という気にはなれなかった。あんなに作家になりたいと思っていたのに。
文章を書くプロになるということは、イコール、自分が書きたいものだけを書く、ということではないともわかっていたつもりでした。でも、だからこそ、どうせ無理をするのなら自分が選んだ場所で無理をしたい。自分が納得してその道に進みたいのです。
私は馬鹿みたいなことを言っているのかもしれません…ただ、秦先生を見つけた時に、「こっちが前かもしれない」と思ったのです。だから何でも良いからコンタクトを取ってみたくて緊張しながら話しかけさせてもらいました。もっとたくさん…秦先生の文章を読んでから感想を交えてメールしたいと思ったのに。
今回は、実はお願いがあってメールを書きました。勝手なお願いです、私の書いた小説を読んでいただきたいのです。ご迷惑でなければ──本当はご迷惑でもお願いしたいのです。けちょんけちょんに貶してくださってかまいません。一言だけでもお返事ください。よろしくお願いします。勝手な独白に付き合ってもらって恥ずかしいですが…私にとっては希望でもあります。重ねてよろしくお願いします。 濤 筑紫
* おそらく今日の作家志望のほとんどが、この方と似た足場で、「ライトノベル」での飛躍を夢みて「書いて」いるのだろう。
出版がますます自縄自縛の隘路にはまってきたとき、オニャンコ・クラブでも足りなくて、プチ・オニャンコを芸能界が発明したのと似て、通俗読み物の矮小軽薄版として「ライトノベル」を開発し商品化して行った状況を、わたしは、身を以てよく記憶している。この傾向は、パソコンの普及で、「読む人」なしの「書き手」ばっかり世間に嵌め込むには、恰好の商法だったし、今では「けいたいノベル」へさらに移行しつつある。
文学・文藝の内的な要請からではなく、IT社会での「斜陽出版」のたくみな読者と書き手への誘惑行為であった。質的にも、かつて「中間小説」という「オール読物」が盛行したのの、あれよりももっと低俗な狙いであった。文学史はそこで溶解し、残滓のように見捨てられた。
質的に成功をおさめえたライト・ノベリストが、いないのではない、めったにはいないし、出ない、だけの話である。
では、世に出た人は、なぜ出たか。皮肉を言えばクダラナイから出られた人もある。しかし良いから出られた人のことを言わねばウソだろう。やはり、良かったから出られたのである。結果として「ライトノベル向きでない」文藝の磨かれたものが、幸いに文藝作品の埒内へ入ってきたのである。どんな通俗のものにも、そういう優れた佳いものが出て来るのは間違いないが、「ライトノベル」で行きますという無意味な自覚だけでは、たぶんお話にもならないだろう。
くだらないテレビドラマを、何の表現意欲もなく註文に任せ書き散らして数をこなしているプロもいる、が、少しでも心行く表現や批評やより良い面白さの開発を意欲している人は、仕事自体に発展と洗練とが自然に出て来て、個性が突出してくる。身贔屓を言うのではない。『推理小説』(河出書房)や新刊『チェケラッチョ!』(講談社) で、小説家としても「売って」きた秦建日子も、ライトどころか「フライ=蠅」のような吹けば飛びそうな軽い脚本の仕事からはじめ、或る程度まで、独特のセリフや場面やト書きの世界がもてるようになってきた。フライ・ワークに到底満足していなかったから、早い遅いは別にして、出来てきたことだ。
おやじは最近オレに点が甘いと心配しているそうだが、どんなに、むちゃくちゃ「ばかか、おまえ」を言われ続けてきたか。少しでも「心行く仕事」へ這い寄り近づいて欲しい、と子離れのしないオヤジは望み続けて、ほとんど褒めてやったことはなかった、何年も何年も。よくつづけた。
「物書き・創作」は、ジャンルは何であれ「文藝」なのであり、文藝の結果は、良いか良くないか、しかない。逃げ口上は無い。ジャンルや世間に媚びて言い訳ばかり用意していては、ますます、ダメのままである。
問題は、それで売れるか、であろう。いま売れるとことは「異例」に属している。建日子の本の売れているのも異例の一つで、実力以上の「幸運」なのである。幸運はしかし気楽につかめるものでない。リッチでゆくか、フェイマスを願うか。覚悟はそれしかなく、どっちの道も、九割九分九厘、難しいのである。
書いたものを、ともあれカタチに出来るパソコンというツールは、売れない書き手志望には、悪魔の甘い誘惑に違いない。
* だが文章を書くからえらいわけでは、何にもない。すばらしい人はどこにもいる。世間的にすばらしくなくても、そこでそうして生きている、存在しているだけで、快い、心地よい、嬉しくなるような人がいる。逆に、実のない、だんだんにツマラナイ人もいる。そういう人には、この年になってもなりたくない。
2006 3・9 54
* 柿、人、猿 雨が上がり、わずかの間、部屋に日が射し込みましたが、また靄ってまいりました。
春雨や小磯の小貝ぬるるほど
お風邪召しませんように。
平日の日が落ちる頃から一時間ほど、三重県内の話題を集めた生放送のテレビ番組を家事をしながら楽しんでおりますが、高校の競技かるたで全国上位の学校を取材した日は、番組の最中から百人一首で遊んだ思い出をつづったメールやFAXが相次ぎ、大きな反響となったようです。
40代の女性アナがまるでわからないという顔つきだったのが意外でしたが、「ぼうずめくりしかしたことがありません。姫が出ると嬉しくてねぇ」と60代の男性アナが言ったときは驚きました。入り込む人と全くよそ向いたままの人と、なんだかオタク文化みたい。
雀も<最初は「わぁ、また坊主ぅ!」と騒いでいたクチですが、ながながし、これやこのの覚えやすさもさることながら、描かれた人の風体と、猿や蝉のついた名の札に、子供ながら暗部を感じて印象的な札でした。
天智、持統のあとが、人、人、猿と、意味シンな並び方をしていることは、ご本で読むまで気づきませんでした。そしてときが経つにつれ、なぎさで、波がしらはさして変わらぬように見えていながら、長く寄せる波に足を濡らしてしまうように、ぼんやりにぴしゃッとくることがございます。
白洲正子さんが、「蝉は音楽を受持ち、猿は物真似を業としたのではあるまいか」とお書きになってらして、「月の定歌」を読みかえして、と、考えております。
「柿本朝臣さる」という人があったそうですね。柿、山、猿と並ぶのも山人を思わせ、大和富士といわれる額井岳のふもとの山部赤人の墓も、地名が山辺なので、猿丸や蝉丸、小野小町ようの名乗りかと考えておりましたら、今日、ワイドショーの皇室モノで「皇室と動物ふれあいのナントカ」って最後が、毛松の「猿図」の逸話でしたわ。
ところで、宇治田原町から観光パンフを送っていただきましたら、田原天皇社、信西入道塚、蕪村句碑、家康伊賀越え道、そして猿丸神社と、みるからに襞が多くてしかも深そうです。
恵美押勝を橋で待ち構えていたくだりも、彼が醍醐から石山を目指す間に田原から大石、石山へと回っていたと、雀のオツムにビュッフェの黒のように線が重ねられました。 囀雀
* いい読み手で、わたしは自慢して良い。
2006 3・10 54
* 春景 明日香村で発掘現地説明会が行なわれたとニュースで見ました。昨日の天候なら、さぞ気分よく明日香を逍遥できたろうと羨ましく思いました。
以前に芋ヶ峠まで行ってみました折、稲渕の男綱を見ましたが、伊賀でも立派な勧請縄を見つけました。いつもは通らない旧い道を行ってみてわかりましたの。地名は古山界外。停車できるところもなく、トラックなど通りますので車窓から見ただけでしたが、縄から下がっている個々のアイテムがどれも大きく、それはもうパワフルに結界をつくっていますの。
出がけにそんな縄に出会ったからか、石を第一のテーマにした今回の旅は、縄の旅にもなりました。
びわ湖びらきの昨日、晴れて気温も上がるというので、津田の細江、琵琶湖八景の「春色・安土八幡の水郷」に行ってまいりました。なンちゃって、社寺をめぐったり旧い町並みを訪ねたり道草をしておりまして、湖水に達する前に時間切れになってしまいましたの。
柳は芽吹き、葭のまにカイツブリが浮かび、時折水面から鳥の群れが飛び立ったかと見る間に、カーウ゛を描いて彼方に消えてゆきます。春風が石仏の頭上を過ぎ、鐘の音を連れて去ってゆきました。
板塀と紅殻格子の家がのこる町。屋根を鳩が歩み、猫が小道を横切る画家のふるさと。宿場町。商人の町。門前町。城下町。出会った人はみなさっぱりとしてあたたかく、陽の気を漂わせてらして、雀は風にそよぐ麦若葉のような心持ちになりました。
めぐった先は、石塔寺、太郎坊宮、瓦屋寺、市辺忍歯皇子墓ときいた八日市市辺町の若宮神社、置目の森といわれた綿向神社など。おいおいまたメールいたします。
ご近所の丹精の白梅が、一週間のあいだに、夜目にも婉に咲き揃いました。
わたしゃ真室川の梅のォ花ァ♪ どうか日々ご自愛のほど。
明日は春日祭だそうですわ。
春日野の雪間をわけて生ひ出でくる 草のはつかに見えし君はも (忠岑) 囀雀
* 興趣に満ちた小旅行のようで、うらやましい。市辺忍歯皇子や置目刀自のことは、つい最近に日本書紀で読んだばかり。「古山界外(かいと)」の大勧請縄のものすごさ。目に浮かんでくる。「真室川の梅の花」にはまいりました。「鶯」参上と行きたいけれども。忠岑としてあるこの和歌も、なかなかどうしてセクシイなので。もののすきからちらと覗いたというどころではない。
* 最近話題の水曜夜のテレビ番組「オーラの泉」などご覧にならないでしょう。美輪明宏さんと江原啓之さんという二人の霊能者がゲストの守護霊や前世について語るものです。
くだらないとかうさんくさいと思われるかもしれませんが、佐藤愛子さんの著書などを読んでも霊の話は妙に説得力があって、まったくの荒唐無稽な話とは思っていません。三島由紀夫も美輪明宏の霊視を信じていました。
絶対ではありませんが、わたくしには霊的なことを信じる部分も、なるほどと思うことも、多いのです。ものの捉えかたとしても新鮮でした。
「人間は魂を磨くために、それぞれの人生で学ぶべき課題をもって生まれてくる。人の出逢いに一つも偶然はなくすべて必然である。前世の影響を今世でもひきずることがある。」 春
* わたしは不思議をうけいれるタチだが、上のようなことは喋らない。「 」の中などバカげている。こういうおしゃべりは無益で、有害。
2006 3・12 54
* 風を感じながら作品の推敲をしていると、時間を忘れます。 花
* 兄 梅が枝に鳴きて移ろふ鴬のはねしろたへに沫雪(あはゆき)ぞ降る
万葉集にもある風雅な忘れ雪と思いきや、花もなにも、名残の雪にうづもれし。
明日も同じような気象というので泡を食っています。
さて、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊(マサカ・アカツ・カチハヤビ・アメノオシホミミノミコト)を祭る太郎坊宮の本殿は、屋根の修理中とあってテントですっぽり被われておりました。
樹々から見える白い山肌と中腹の建築群は遠くからも目に立ち、吸い寄せられるようにつけられた道の効果だけではなく、近づくにつれて嵒山独特の咒術的な威容にひきつけられてゆきます。
クルマで建物のすぐ下まで行けますので気持ちの準備がないうちに着いてしまいますが、それでも、背に巨石や析(さ)かれた岩の磐石の力と石析の力を得ながら、眼下に広がる蒲生野に、瀬戸内の海にちらばる島かのように、船岡山、雪野山、布施山などの山が座している眺望を、春の陽を浴びながら暖かくいる心地よさは、まさに現世利益、神験即現。
行事一覧には“参拝者減少防止のため日程変更の行事”と赤丸がつけられ、祭神の名をわかりやすく説明した案内図の気取りや飾りけのなさ、手水所でいただく龍の湧泉や出会う神官さん巫女さんから漂う陽気に、ほんわかした気分になりました。
鞍馬山の兄。赤神山。天照大神長子。そう知ったのはのちのこと。
磐境(いわさか)信仰の地ですが、金太郎人形のように、勇敢で堂々として健康的な霊場と感じます。
瓦屋寺へのドライウ゛ウェイと案内がある矢印に、クルマを発進させました。ずる参りばかりの雀に、太陽は他のひとと変わらない光を注いでくれます。 囀雀
* 弟 ほんの数日前に地主神の村井御前社の祭礼が行なわれた馬見岡綿向神社は、鳥居手前の建物の門に太い注連縄が張られ、鳥居の注連縄は、中央に輪注連、片側に6本ずつ縄が垂れるものでした。
境内の広いこと。建物の立派なこと。祭りの写真を拝見してさらに日野の豊かさに圧倒されます。祭神は太郎坊宮祭神の弟、天穂日命。
説明の立て札には日野商人の話が多いのですが、“置目の森”の字を見たときは足が止まりましたわ。神社のすぐ裏を国道が通っておりまして、何度か通ってはいるのですが、入り口がな
く、森は見えているのに接近できませんでしたの。
案内もなくて、当世風からすると“サーウ゛ィスしない”神社ですわね。ところが日野駅から簡単にたどりつけますの。駅前の道を進むと日野ギンザになり、左右のお店や紅殻格子の家をみながら歩いているうち、右手に蒲生氏菩提寺の信楽寺が、左手に綿向神社への参道が見えてまいりますの。考えてみたら当たり前の道筋ですわね。また日野商人の寄進で保たれてきた神社ですから、宣伝も観光の必要も要りませんでしょう。新幹線や高速道路に明かりが当たる分、ものの隈はますます闇くなり、旧道ははかりしれない容子が増すばかり。地図に落神神社の文字を見つけ、奈良の長谷に、天から神様が落ちてきた落神権現がございますから、似通った由緒かしらと立ち寄ってみました。祭神はコノハナサクヤヒメ。祭礼に当屋が濁り酒を醸すそうで、御乳神とも呼ばれているとのこと。
小さな村社ですが、熊手の掃き跡も角立って清々しく、大きな敷石の苔はまだ水を含んでおりました。苔むして幹が洞になった古木、古井戸、しだれ桜、時代の石灯籠…鳥が驚いて羽音高く飛び立ちました。こういった佳い社に思いがけず出会えますのも道草の魅力ですわね。
さて、綿向の神は里に遷されましたが、綿向山を中央に、竜王山、水無山の三山がございまして、竜王山には十一面観音を祭る寺、水無山には大蛇を退治した修験僧と村の若者を讃える弓取り神事が行なわれる熊野神社がございます。 囀雀
* 興味深い。活字と写真の案内を読むよりも、雀さん。臨場感を伝えてくれる。この人の興味の置き所とわたしの関心とは、かなり親密に平仄があっていて面白い。
* 秦恒平様 四国・丸亀の****です。
ご無沙汰しています。「私語の刻」を拝読していますと、少し体調がよろしくない様子で心配しています。私も同年者として健康には配慮していますが、2月に流感らしきもので5日ほど高熱がつづき、参りました。
前置きはさておき、友人(私よりずっと若年ですが)榛原六郎氏の私小説『石火のごとく』を「e-文庫・湖(umi)」に採用していただけるとのこと。応募を推奨した私としても嬉しい限りです。ありがとうございました。
今日、彼から連絡がありメール添付で再度テキストファイルで再送するとのことですが、彼のメールアドレスがヤフーサーバーから拒否される様子でしたので、別アドレスで試すよう勧めました。結果、連絡がついてとのことで、ホッとしました。
明日、自宅にあるフロッピーからテキスト化してメール添付での送信を試みるそうですが、うまくゆくようにと祈っています。
彼のお父上は地方では知られていた歌人でした。そのお父上の七回忌への「供花」として書かれた作品を読ませてもらった私は、これが近親者やお弟子さん等、わずかな人の目にしか触れないのはもったいないと感じ、「e-文庫・湖(umi)」への投稿を進言した次第です。
玉井清弘氏は作者の高校時代の恩師です。また、門脇照男氏も香川の方ですね。
「展望」誌上で第五回太宰治文学賞作品『清経入水』を拝読して以後、36年もの時間が経過していますが、今こうして友人の原稿をご紹介できることを心から喜んでいます。受け入れて下さった秦様とは一方的ですが、本当に長いお付き合いです。今後ともどうぞ、お元気でいいお仕事をと祈念しています。明日、織田氏から又、技術的なことで連絡があるかも知れません。私にできることがあれば何でも協力するつもりです。とりあえず、お礼まで。
* 望月太左衛さんのお嬢ちゃん、真結ちゃんが、東京藝大の邦楽科邦楽囃子専攻へ合格。おめでとう!!
「いつもお心にかけていただきまして、励ましのおことば、ありがとうございました。」太左衛さん自身も同じ藝大の大学院博士課程修了が決まった。「これからも論文本提出めざしてがんばります」と。おめでとう。
2006 3・13 54
* 秦 先生 ごぶさたしております。
ご不調の由、お案じ申しております。花粉症など、お身体に障ることもさりながら、お心をいためられることのありましたことも。
プランターのクロッカスが咲きました。待つていましたとばかり、ひよどりに啄まれてしまいました。かくてはならじと、鳥除けの網――農業用品店で売っているのです。ごくほそいビニールの糸で粗く編んだのが――をかぶせました。無粋なことですが、しかたありません。
とりとめがなくなるのでカタカナの花は植えないようにしているのですが、クロッカスだけはべつ、うれしい便りがもたらされるような気がして。
去年の秋から心身ともに痛めつけられるようなことが続きました。ぱっちり、みひらいたような黄の花、春のひかりにあたたかくやわらかになっているプランターの土に、ほうっと、悲しくはない吐息をついています。
わが家の黒いねこ五郎――残念ながらぬいぐるみ、フルネームは曾我五郎時致です――に、ブラシをかけてやりました。
来週は歌舞伎座です。初めて観た「道明寺」は先代仁左衛門の菅丞相、延若の覚寿、秀太郎の立田の前、鶏を鳴かす悪役二人が、小伝次と冨十郎でした。
先代仁左衛門も延若も小伝次も、大好きな大好きな役者でした。 香
* うわッと声のとび出る、嬉しい顔ぶれ。先代仁左衛門も延若も、京者として自慢も自慢の、花のある役者風情で、ああいう時代をもう永遠に取りこぼしていることをしんそこ歎く気持ちがある。
2006 3・14 54
* 私も怒っています。
秦様 庭の梅が満開、杏と白木蓮が咲き始め、今日は寒いけれどようやく春になりました。
> 今日は、或る、記憶さるべきイヤな一日となった。
私も不愉快な一日を過ごしました。
九時には出かけねばと仕度しながらテレビを止めるついでにNHKからふと、他へチャンネルを移したら、その瞬間があのタッチアップ! やったー! もちろん、私は大喜びしたのです。
が、それからが次々と不思議な展開。横柄で大柄な審判、アメリカチームの監督の(いやらしい)ガッツポーズ。誠実そのものな王監督の必死の抗議。でもそれは通訳を経てへなへなと、エネルギーを減じて相手に伝わらない。ああ、もどかしい、口惜しい、にくらしい。
その時忽然と私の体内に蘇った感覚、そうこれは初めてではない感覚。終戦後いろいろな場面で私たちはこんな思いをどれほどしたことだろう。
あれから60年余も経ったのに「あんたらちっとも変わってへんのねっ」と私の中で、もう怒る気にもならない虚しさがわき上がって来ました。
昔は悔しい思いをしても記録も証人もないのが普通だったけれど、今回は世界中で(少人数かも知れないが)リアルタイムでみんなが見た、ちゃんと記録も残っていて、誰でも検証できる、それだけが救い。全く偶然にそのシーンをリアルタイムで見た自分にも運命を感じました。
しかし、やっぱり勝負事は何があっても勝たねば。次からの試合に期待しましょう。
敗戦の悔しさをバネに頑張った日本国民のように、イチロウはじめチームのみんが頑張ってくれることでしょう。応援しましょう。
それから将来は英語で抗議の出来る監督を育てよう! 2006/3/14 小学校の時から野球ファン 藤
* 野球の試合としては、あれだけリードしていたのを追い込まれたのだから、それにはそれの限界がある。わたしの怒りは、アメリカという国の姿勢へ向かう。グローバリゼーションの名の下に、どれだけの他国へアメリカは経済と外交との圧力をかけて自国利益を圧倒的にはかり続けてきたか。その覇権主義の狡猾で強引で容赦ないことは、どうであったか。わたしはそれに怒り、それを阻む世界の世論が「アアメリカ抜き」の非覇権主義、アンチ・グローバリゼーションへ着実に結集されることを願わずにおれない。
2006 3・14 54
* お具合、いかがですか。どこが悪いのですか。
心配しています。可能でしたら、ごようすをおしらせください。世間では、そろそろ桜が咲くなんて言ってます。花の夢を見てどうか、どうか、ゆっくりおやすみになり、よくなってください。 風に元気がないと、花も元気になれませんから。
はやくよくなりますように。 花
* 十日ほど前から湯につかっても躰の芯に寒いものがあり、熱いものを求めて食べても、やはり体芯に、ぞおっと冷えて来るものがあり、しかし風邪には必ず感じる髪の毛の不快な痛さはない。すこし汗ばむときがあり、平均すると血糖値が高くて辛いのかも知れない、しかし朝に測るとむしろ低いほどのことがある。
おとといのワインがうまかったので、今日も家でうまい白ワインをのみ、そのセイでちょっと元気だというと調子が良すぎるので、黙っている。
とくにシンドイほどでなく、気になる書き物もえいえいと乗り切ってきた。めったになく、委員会と理事会をやすむことで乗り切ったのかも知れない。あした、もう一日やすめば、土曜には目白へ芝居を観に、また都心へピアノを聴きに出かける。
幸い花粉はたしかに今年はラク。花粉がラクなら、どこへでも花見に行ける。
* 冬眠ならぬ春眠に幾日かを過ごして、ようやく旅の疲れを癒しました。今日は春の嵐。雲の動きにシチリアを思いました。 鳶
2006 3・16 54
* ブリストルより 秦さん、こんにちは。
ご連絡遅くなってしまいましたが、『からだ言葉の日本』無事にブリストルまで届いています。どうも有り難うございました。『百人一首』もそうでしたが、楽しみつつ、また日本の事を考えつつ、読み進めています。
日本人の気質は現状本位、世間本位、情緒本位との箇所、とても興味深く読みました。
自分自身をちょっと覗いてみても、そうした性向を見つけることは、いとも容易です。対立より宥和、我々という意識、最後の一歩を追い詰めない。意識しないでいるといつの間にかそちらへ流れてゆくような引力を、確かに感じます。
しかし、それが必ずしも「人間」一般の普遍的な性質でない事は、イギリスに来て生活を始めるまで、意外にきちんと認識出来ていなかったように思います。もちろん人間としての共通の素地はあるものの、生まれ育った地域や国によって、いわゆる「気質」は、驚くほど違ってくる。当たり前といえば当たり前のことなのですが。
最近これまでになく、自分は「日本人」なのだなあと強く感じています。たとえ住んでいる世界や世代が全然違っても、日本人であるが故に共有しているものの存在。「気質」もそうですが、もっと言葉にならない雰囲気のようなものも、そこには確かにあると感じます。そしてそれは一般に人間なら誰もが共有している訳ではないという事実。今それがとても不思議です。
先日ケンブリッジ大学を訪問し、その一つ一つのカレッジの立派な事に驚きました。それぞれのカレッジが、学生が寝泊りする建物に加えて、チャペルや大広間や広々とした庭などを備えていて、いずれも数百年の歴史を持っているとの事でした。そして、そうした時間の流れの蓄積が、その場所を「旧跡」にしてしまうのではなく、ちゃんと現在へと繋がっていることに、とても魅力を感じました。
日本ではまず出会えない空間と雰囲気がそこにはありました。ニュートンを初めとする秀才を生み出し続けてきたのも、ごく自然な事と感じるような。そして自分に問い返さずに居られませんでした。では日本や日本人が積み重ねてきた時間は、どこに繋がっているのだろうかと。
地震や台風に度々襲われる上、高温多湿な気候も影響して、日本ではどうしても、時間と共に物を風化させる自然の力が、強烈に働いている気がします。それが恐らくは太古の昔から、日本人を悩ませ続けてきたであろうことは、想像に難くありません。
造っては雨に流され、また造っては地震で崩れ去る。運よく天災を免れたとしても夏の気温や湿度から、建物や書画などをいつまでも守り続けることはそうそう出来ず、一つまた一つと歴史の中に埋もれてゆく。そもそも我々の先祖は、何かを後々に残す事に、いつからかそれほど重きを置いてはこなかったのかもしれません。一期における一会を求め、その時その場でしか有り得ない調和や響き合い、そこから生まれる色彩、空間を楽しみ、そうした形にして残せない、言葉として表現される以前の、空と色との狭間にあるような存在のありようを愛し、感覚を研ぎ澄ます。
厳しい自然条件のために、具体的な形で残す事の難しいことが身に染みていたゆえ、形になる以前のものに対する感性を伸ばしてきた。そして、咲いては散ってしまう花を、また新たに咲かせることを、果てしなく繰り返して来た、と考えては想像が過ぎますでしょうか。
日本人の積み重ねてきた時間は、他ならぬ我々自身の有り様へこそ繋がっているものなのかも知れません。そうすると、冒頭の日本人の諸性質も、何となく納得できるように思われてきます。
圧倒的な自然に対抗するより調和を目指し、我と我との間に生まれる場の色彩を大切にする。そして言葉で表せないようなものに対する鋭い感性は、論理でとことん突き詰めることを避ける感性と、紙一重です。
そして、西欧の、明確で具体的でぶれにくい石の文化文明との違いを認識しうつ、常に繰り返し咲こうとするエネルギーを持ち続ける時、初めて日本人はこれまでの歴史との繋がりを持って、さらに新たな時間を積み重ねてゆける気がします。
HPを拝見しますと、このところ調子がお悪いようで心配しております。どうぞお大事になさってお過ごし下さい。また元気な秦さんにお会いできる日を楽しみにしています。
それではまたご連絡いたします。
ps1.先日珍しくかなり雪が降った際の写真を一枚添付します。ブリストルの家から歩いて10分ほどのところにある吊り橋です。150年前くらいに完成したそうですが、今でも普通に自動車が通っています。
ps2.モロワの「英国史」を、日本から送ってもらい読み進めています。今はちょうどエリザベスの治世が終わり、スコットランドからジェームズ1世を迎えたあたりですが、イングランド国内のみならず、大陸の諸勢力との関係などもダイナミックに描かれていて、あまり知見のなかった内容だけに、とても新鮮です。 敬
* この人の、深い呼吸から一瞬満を持して吐き出されるこういう「挨拶」が、わたしは好き。メールで話題にしてきたモロワの『英国史』も、ちゃんと読んでいる。わたしはまだ十四世紀、百年戦争の辺をゆっくり読んでいるのに、もうエリザベス時代へ進んでいると。この本は、おそらく彼の英国体験に、また一つの骨格を有効に与えるだろう。
「一期の一会」観のあたりは、少しわたしに異説もあるが、英国の空気に具体的に触れ、「日本人」としての「日本」の見え方に検討を加えて行く彼の思索の道筋は面白く、そう遠くない将来、顔を見ながら話し合える日々を楽しみに待ちたい。
教室で、教授室で、卒業してからは我が家や都内での、またメールでの親密な触れ合いが、そのまま彼の思想形成や体験の充実にいくらかでも役立っているかと想えるのは、わたしの嬉しい実感。
どうか奥さんともどもお元気に。
* たのしみ 雀
強い風でしたが春一番って感じではなかったですわ。空は暗くまだ冬の尻尾がのたうっております。
荒れる春場所と併行して春の嵐といった日がかならず一日はあるのですが、昨夜は台風のような風が一晩中吹き荒び、まんじりともせず夜明けを迎えました。
こんな嵐は初めて。そちらは大丈夫ですか。お怪我なさいませんように。
さて、いただいてきた東近江や安土の観光案内パンフを連日広げております。ビジュアル中心の世の中ですが、活字が多くなかなかムズカシイー。
名張の郷土の味「ひのな漬け」が日野の菜だとわかった小さなことから、特産品や近江商人の説明文に産業やノウハウの伝播を識らされ、なんとなくメソポタミアを聯想して、日本の舞台裏、バックヤードだという実感をもちました。
それにしても、次から次と、いっておきたいってことがたくさんあるとこなのねぇ……そう思って、はっとしました。岡崎と名古屋のタクシー運転手の話。それと岐阜、大垣、谷汲の観光パンフレットを取り寄せたとき。同じ感想を持ちましたの。
雀の印象では、奈良は言い立てるということがなく、聞き出さないと情報が出てこなくて、お勉強して得るような知識は却って「さぁ?」と言われます。滋賀、岐阜、愛知は自分からは言わないけれど、たっぷり抱え込んでて、聞くと山ほど返ってくる。京都は見ないうちから聞かない先から、「あの○○さんが」「何年前から」と書きつけたり言ったり、うわてに出て言い募ります(ゴメンナサイ)。
そして謙信も信玄も他の誰についても、地元では「生まれるのが早すぎた」「もう少し早く生まれていれば」「長生きしていたら」―この人が天下を取ったのに!―と言いますでしょう。雀はいつもホントかなぁ? と思っておりましたの。
家康、秀吉、信長すべて名古屋人と思い込んでいた雀は、名古屋の人から、「アレは三河もンだから」言われたのがずっとひっかかっておりまして、蒲生、浅井、佐々木などを調べるついでに戦国時代の有名な武将を抜き書きしまして、1500年から1615年までの簡単な年表を作って、ひとりひとり生まれから死去を線で書き入れてみました。
それと、畿内から伊豆まで、旧国名を簡単に位置した図を書いて、それぞれ出身地のところに名を書き入れてみましたの。三河もンて家康のことでしたのね。
旧国名で、そして山路・陸路と海路・川路を考えるだけでも、奈良や京がどう支えられていたか、近江を制するものは天下を制すといわれたわけ、美濃のこわさなど分かってまいりました。父が熱中するようには戦国時代に入り込めませんが、こういう機会があって、ご本で教わったことがだんだん染み込んでくるのは、いろいろ識ることができる以上におもしろい、たのしいことですわ。 囀雀
* 知識をなまのまま知識にしておかず、この人は得た知識を思うさま搗き砕き、自分の味にして嚥下し消化している。そうするのがいかにも楽しそうであり、真似出来ないこの人の特技に成りつつある。質実の徳。
人の気をひこうなどというのでなく、自分で自分の気をひいては未知の方面へ、前へ前へ出て行く。悪くない境涯だ。
* 四月、花の季節に。風に逢いたいナ。
創作の推敲しています。うんうん唸りながら。
野球は気になります。
昨日の韓国戦、手に汗しました。小さなミス(今江のエラー)が命とりになりましたね。
ところが、アメリカがメキシコに負け、日本が準決勝進出だとか。韓国戦に負けて、もうおしまいだと思ったのに。
棚からぼたもちの感じです。
具合はいかがですか。よくなってくださいね。花は風がとてもしんぱい。
* 孫娘に、優しくしてもらっている感じ。ま、なにということなく体調推移している。身熱がときどき頭痛を運んでくる。
2006 3・17 54
* 佐呂間は穏やかな天気が続いています。
さすがに春一番は吹いていませんが、すずめたちがかわいらしくさえずっています。冬ももうすぐ終わるのかもしれません。
冬の、冷たく激しい風も好きですが、春の温かい風も好きなので、もうそろそろ春がきてほしいです。でも、吹雪マークが出てもいるようなので、どうなるかな。 まだ、春は来ないようです。 昴
2006 3・18 54
* 焼酎に出逢いました。 理
こんにちは! 近ごろ少しお疲れのようですね。どうかお大事になさってください。
さっきまで大相撲を見ていました。見るほうは楽しんでいますが、栃東はたいへんだろうなあと思います。
子どものころ、大関だった小錦が好きで、なかなか横綱になれなくて、何度もがっかりしたものでした(千代の富士があんまり強くて、恨みました)。二場所続けて優勝だなんて、厳しすぎると思いました。
今、栃東が優勝するにはもう負けてはならず、だから開き直っていけるとはいうものの、さすがにこの重圧は気の毒です。もちろん横綱になればすばらしいけれど、なれなくてもそれはそれでいい、最後まで立派に大関の相撲をとってほしいという気持ちです。
琴欧州が大関になって、若手力士も追いかけて、そこに強い栃東が帰ってきた。もう朝青龍の一人舞台に終わらせない。その日その都度いい相撲を見せてくれれば、それで十分おもしろいじゃないかと感じています。
野球のほうは、つくづくアメリカという国のことを考えさせられました。この野球大会では罰が当たったようですが、もし神が罰を与えるなら、ブッシュ政権も厳しく裁断するべきでしょう。
国際社会でのアメリカの横暴は目にあまりますが、特にイランの核問題は、日本の原油輸入取引を深刻に揺さぶるもので、アメリカに振り回されてはとんでもないことになります。メディアはこういう問題にこそ国民の関心を向けさせてほしいものです。日本政府はどうするつもりなのか、野党も特に議論をもちこむ様子がなく、不安です。
それはそうと、秦さん、お酒をたまに(ただし、ぐいっと)召されるのは、どうなのでしょうかね。ときどきお叱りを受けておられますが・・・。ひとついえるのは、お酒はおいしいということです。
新潟から九州と暮らしてきましたが、僕はながいことお酒が飲めませんでした(今でも清酒は慣れません、もったいないことです)。最近になってやっと(!) 焼酎のおいしさに出逢いました。これまでたくさん機会はあったはずなのに・・・惜しいことです。
大分の麦、鹿児島・宮崎の芋、ブームのおかげですっかり有名になりました。さすがに福岡では九州地場の銘酒がたくさん手に入ります。昨日まで鹿児島の芋を飲んでいて、今日はちょうど宮崎の芋に買い換えました。
芋は麦や米にくらべて「くせ」が強く、焼酎に慣れない人には向かないと言われます。といっても、よく売れて名高い「黒霧」や「海童」は、芋のくさみや辛い飲み口をなるべく消して、飲みやすく仕上げているようです。
昨日までの鹿児島産「蔵の宿六(くらのやどろく)」は、くさみはないものの辛さはしっかり、こくのある後味でした。甕でしこみ、木樽の蒸留器を使って蒸留したもので、これは昔ながらの製法を保っているのだそうです。
今日の宮崎産「天孫降臨」は、飲み口をすっきりまとめていますが、芋のくさみがかなり強く、まさしく芋焼酎です。土地の違いによるのかもしれませんが、銘柄によってこんなにも違うものかと、少し戸惑い、おおいに楽しんでいます。
秦さんも、こんなふうにお酒を楽しんでこられたのかなと、思うようになりました。だから、秦さんがおいしいものを食べ、おいしいお酒を飲むこと、僕はひそかに賛成です。
さて、新しい住所が決まりました。
次回からの「湖の本」は、新住所にお願いします。
来週末に引っ越します。一度福岡に戻って、二十七日の月曜日が卒業式です。四月三日から入社します。これまでで一番引き締まる四月を迎えます。
迪子さんともども、お身体お大切に、お元気でいてください。次は広島から通信をお届けします!
* 卒業、そして新出発。心の底から祝します。健康で、逞しい門出でありますように。幻滅の暗雲をおしはらいおしはらい、青雲のおもいにいつも立ち返る魔法を、きみはもう手に入れている。
「天孫降臨」なんて焼酎があるのかあ、おもしろい。酒は、なーんでもウマイですよ。広島は、清酒どころです、やがて洗礼されそうであるなあ。度は、しかし過ぎない方がいい。酒の楽しみは、うまい間だけ、にとどめること。
* 『湖の本』の新刊を贈っていただき、ありがとうございました。お礼が遅くなって申し訳ありません。
先日、たまたま古本屋で雑誌『太陽』の本阿弥光悦の特集号を購入したところ、秦さんの文章が載っていて、その博識ぶりに改めて感心いたしました。 伏見
* 博識はどうでもいい。センスである、問題は。
* 二上、三輪にはさまれて どれほど久方ぶりのことでしょう。今朝、鮮やかな虹を見ましたわ。
唐古・鍵遺跡の復元楼閣に今日昼間5時間だけ登れる、ただし雨天の場合は順延というので、昨日からお天気がなにより気にかかっておりましたの。はりきっておむすびを握ってでかけました。
屋根の葺きかえ工事の足場を上らせてくださいましたの。12メートル余の屋根の上までぐるりと眺めてまいりました。
雲雀揚がり、梅は盛りと咲き、蒲生野同様肥沃で富んだ平野を眼下に見下ろして、
“オレのものだァー!” と、かつて叫んだ人がいたのではと想像しながら、三輪山と二上山を前後にして、なんともいえない超俗的、霊的な気持ちになりましたわ。
オープンして間もない唐古・鍵考古学ミュージアムに立ち寄ったのち、和爾坂伝承地にまいりまして、いくつか神社をめぐりました。
村社の集会所には賑やかな人声。小さな和菓子店の店先におはぎを見つけて買いました。神社前の茶店で野菜たっぷりの粕汁をいただいてあったまっておりますうち、雪になりました。
そちらも寒いことでしょうね。どうかお風邪召しませんようお大切に。 雀
* なんて羨ましい雀の囀りであることか。佳いセンスだ。
2006 3・19 54
* 月やあらぬ春や昔の春ならぬ…お彼岸です。
お江戸がずいぶんな春疾風だったようで案じております。お庭など被害はございませんでしたか。お疲れの出ませんようご自愛お願いいたします。
伊賀は霜注意報が出ておりまして、明朝も氷点下の予報ですが、夜明けの青白い月映えの街は異界のよう。地上の霜、月の霜という言葉を今頃知った雀です。
さて、昨日訪ねた唐古・鍵考古学ミュージアムで、正倉院の「撥鏤」を復元されたのが田原本町の方と判り、昔、銀座金春通りの平野屋で同じ技法の作品を見せていただいたことを思い出しました。
二年ほど前に亡くなられたそうですが、あのペンダントヘッドが聖武天皇遺愛の碁石の写しだったことにやっと気がつきました。 雀
* 強風の中…桜の花は大丈夫 でしたか? 奈良は後ー週間程すれば開花する様です。
ところで、湖の本のエッセイ 2『花と風』 と 32『死なれることと生きること』 とは、まだお手元にございますか?大分以前のご本ですので 如何かと存じますが…
折にふれ 湖の本を読んで 下さっていた友人が、「九州にいる お花の事を勉強 している若者に 贈りたいので」と言ってまいりましたので、 もし在庫がございましたら、私宛にお送り 頂けませんか? どうぞよろしくお願いいたします。ようやく暖かくなりそうですね。お元気でお過ごし下さいませ。 絹
* あちこちへ旅行に行くでもなく、家で淡々と、静かに過ごしています。
「私語」で、記念日の楽しそうなお芝居見物の話や、あれこれは読んでいました。
建日子さんの文庫本、沢山売れてよかったですね。父上とは全く違う分野、あのテンポの速さは若い人の特権、若い読者を多く掴んでいるのでしょう。
まあ、四十歳に近いから、世間的には若いとは云えないけれど、古稀の親世代からみれば、体力的にも、羨ましい程まだまだ若く。
ハードカヴァーの「推理小説」を購入しましたが、矢張りあれは若い人が読む小説、読了出来ていません。いよいよテレビ放映も最終回、またどんでん返しがありそう、今度は本を読むから貸して、と娘が言ってきました。
休日を避けて、今日は娘ら親子を伴い、下谷へお墓参りに行きました。それが大当りで、いつもなら混雑の参拝人が、一人二人の姿をみるだけ。駐車場も当然、がらがら。
いたずらっ子はお寺の同い歳のお孫さんと意気投合して大はしゃぎで駆け回り、お住職さん夫婦までが忙中閑ありの体で出て来られ、満開の白木蓮の木の下で孫談義なんて、めーったに見られない長閑なお彼岸風景でした。
ついでに、上野の桜はまだかいな、と覗いてきましたが、まだ一分の色付きと、見ました。
京都のお仕事ついでに、早目の桜に出会ってこれれば、ラッキーですね。
ほんに桜の開花は気紛れで、おまけに咲いたとおもたら、すっぐに散るもんやから。 泉
* お墓のお守りをきちんきちんとする人で、感心する。そういう人がいる。家庭に「文化」を持って育った人ほど、自然そういう行事に気が入る。
ゆーっくりと季節がめぐっている。陽気はヘンであるけれども、春で、花で、団子もほしい。団子より、クラブで、よほど通らしい美人ホステスお奨めで買い置いた、「とびっきりのおいしさ」というブランデーを早く呑みに行きたい。
あのクラブの難点は、わたしたちには極くファミリアで、お客を連れていっても、かえって窮屈で落ち着かないだろうという点。老人仲間をお誘いするか、何事にもちっとも動じない東工大卒業生を連れて行くのが、こっちも気楽。
2006 3・20 54
* お体、いかがですか。心配していました。
四十九日の法要を終えて昨晩遅く家に着きました。この数か月、落ち着かない慌ただしい日々の連続で、(シチリア遊歴もあり)さすがにいささか神経が疲れた感があります。
が、問題はいっそこれからが険しくなっていくみたいです。「嫁」とか、「家族」って、何でしょうね。
器械オンチがたたって、まだホームページを読めません、一か月ほども!イタリアでは日本語が文字化けして読めなかったし・・。もう我慢できないからインターネット・カフェに行きますね。
納骨に、九州にも行かねばなりません。 鳶
* 「嫁」とか「家族」って何でしょうね、か。わたしに聞かれても困るなあ。わりきっていえば、自己責任かなあ。
2006 3・20 54
* 朝いちばんに、こういうメールを読むと、わたしの胸も生彩を得てふくらむ。意識的で、気迫にみちた、優れた大学生だった。東工大には、こういう学生たちが大勢いて、打てばよく響いてくれた。教授は幸福であった。
もっとも他の教授達は学生の幼稚をあざけり言うのを常としていたが、それを言うなら一つには先生方も幼稚だった。東工大の教授会では、「文学・藝術」など本学学生に必要だろうか、という疑念がかなり流布されていて、人文社会系や語学系の先生達はへんに卑屈に縮かんでいたように思う。西欧の、古典教育を真っ先に重んじる学術伝統からすれば、井の中の蛙たちの、まさに幼稚で偏頗な専攻バカというものであった。「理」の基盤が「文」であることを忘れた先生達というしかなかった。
むしろ学生達のなかに、落ち着いた姿勢や考え方がうかがえて、頼もしかった。この卒業生もその一人だった。たしか一、二年ともわたしの教室に出ていて、書いて提出してくれる筆致・筆触も記憶にある。いまでは、わたしから依頼の原稿も書いてくれる。京都で、梅原猛さんらと出している「美術京都」に、「糊」の研究に関して長い論説を寄稿してくれた。東洋、日本の美術で精製された「糊」の役割は素人の想像がきかないぐらい深い、大きい、が、そんな糊の生産には、さらに輪をかけて気の遠くなりそうな歳月のはたらきを必要とする。この人はその「糊」生産の画期的な手法を発明したと聞いている。今度の京都での会議でそれを読むことができる。(たぶん)大きいお腹をかかえたまま書いてくれた。有り難う。
* 秦先生 春ですね。 典
子どもと毎日幼稚園の送迎で歩いていると、朝な夕なに木蓮の蕾がふくらんでいくのがよくわかります。
沈丁花が香る中、つくしやたんぽぽを摘んだり、自分も娘と一緒に心をほぐしています。そのついでに、ついつい花の構成要素や植物の分類について教え込んでしまうのが、理科系の悲しきサガですが、まだやわらかい五歳児の中で湧く、「水仙は、白い花びらがちゃんとあるのに、どうして内側にもう一つオレンジの花びらもあるの?」などという疑問に真面目に答えると、行き着く先は理系的回答になってしまうのです。
花を愛でるという感受性と、そこから一緒に湧く「なんでやろ」の気持ち、これが人間の基本なのだろうな、と思ったりもします。
先生が(「本の少々」の連載中に)問題提起していらした、海外(へ、一作家の自分が出向いて)、もしユビキタスや半導体について知らなくてもバカにされないだろうが、理系人間が日本文化について(まるで)話せないと<
「じろっと見られる」という点についての、一つの答えになりませんか。
昔、数学者の岡潔氏が情緒の上に知識が成り立つ、と書いていらっしゃいましたが、まさにその通りで、ユビキタスや半導体については「知識」です。でも、花が美しいという感情、母国の言葉で作る藝術(和歌など)を心地よいと
思う感情は、「知識」以前の「情緒」に関わる問題だからではないでしょうか。
エリート教育が今でもラテン語とギリシア神話から始まる欧米圏では、その部分の欠如している知識層は、やはり相手にされにくいのでしょう。
ところで、ようやく先週、すべての仕事が終わりました。「糊」の原稿も書かせて頂きました。
こんなに長く書ききれるだろうかと思いつつ書き始めたのですが、意外にもあっという間に終わる長さでした。人間、いつも胸の中にころころと転がしているものを表出するチャンスを頂くと、一気に噴出するものですね。
ただ、内容的には美術系の方にどこまで説明するべきか、釈迦に説法の部分もあるだろうし、分析などの部分は説明不足のところもあるだろうし、といろいろ思い悩んだので、とりあえずお送りしてみたものの、編集の方のご意見を頂ければ直していきたいと思っております。
二人目は予定日より早く産まれる、と聞きますが、どうもそういう体質ではないようで、バタバタと論文を書き終え、EMSで送り出したのがちょうど一週間前。その後、もっと寒い時期にしておきたかった味噌の仕込みや、私の入院中のパンや食べ物の冷凍食の作り溜めを終えると、臨月という機動力のない中で、少し手持ち無沙汰になりました。
普段ならば、この時期自由な時間をもらえれば、お弁当を持って子どもと裏山に登ったり、自転車で海に出かけたりするのですが…。大好きな庭仕事も、お腹がつかえて苦しいやら。海だけは先日出かけて、この季節に多く打ち上げられる桜貝をたくさん拾ってきましたが。
冬中、娘と二人の時は裁縫を教えたり料理を一緒にしたり、と、家でやることを随分やってきたので、少し外に出たいなぁと思っているのですが、いまここでこぼれる春の日差しの中、あまり身軽に動けないとせっかくの自由時間、もったいないような。
思わず、うちに実験室があったらなぁ、と思ってしまったり。
どうも私は受動的な作業ばかりだと、手すさびがほしくなるようです。読書も、純粋に楽しむのも人並み以上に大好きですが、自分の研究のために文献を探すという「攻め」の姿勢の読み込みだと、また脳みその使用部分が違うような感触がします。
手元に送られてきた学術雑誌の中に、自分の研究と関連の深いものが載っていたりすると、吸い寄せられるような心持ちです。
話は変わりますが、「いい日旅立ち」という歌をご存知ですか。山口百恵が歌っていた谷村新司の曲です。
その中の、「日本のどこかに私を待ってる人がいる」というフレーズがあるのですが、産休に入る直前、いろいろな人が挨拶してくれる中で、この部分が私の頭の中でぐるぐるとまわっていました。実は歌詞の本当の意味は私の状況とは逆で、そういう人がいるから旅立つ、という意味なのですが、私のほうは、仕事の関係で知り合った実にたくさんの方達が、口々に「早く帰ってきて下さいね」とおっしゃって下さり、つくづく自分は幸せ者だと痛感していました。
特に京都のある会社の社長さんが、「あんた、ようやってくれはったのに…。待ってますわ」とおっしゃって下さった時は、ぐっときました。京ことばって、本当に胸にしみいる力がありますね。
数日前、職場から転送されてきた郵便物の中に、見知らぬ海外の方からのものがあり、私の研究を読んだので四月に日本に行く時に是非訪問したいと書かれており、上司を紹介して、残念ながらお断りのeメールを出しました。すぐに、今回は残念だけれどまたの機会に、と書いてきて下さり、「待ってくれている人がいる」という思いがまたしても湧きました。
子どもに365日、24時間のほとんどを割いている他のお母さん達を見ていると、本当に娘に申し訳ない、と思いつつ、それでも自分を待ってくれている人がいるという思いは、私のようにあまり強くない精神力の人間には生きていく 大きな支えになります。
またしても長くなりました。
あまりご体調がすぐれないご様子。くれぐれもご自愛くださいませ。
* はい、有り難う。
* 「エリート教育が今でもラテン語とギリシア神話から始まる欧米圏では、その部分の欠如している知識層は、やはり相手にされにくいのでしょう」という個所に、目がとまる。「ペン電子文藝館」の「評論・研究」室に展示した、田中美知太郎先生の「古典教育雑感」を読んだ感銘をわたしは忘れない。
この卒業生が指摘している欧米の教育の基本姿勢が日本の上級教育に根から欠けている貧しさ、これが人間の魅力へもおよんで、まだまだ日本を本当に豊かにしていない。よい国、よい政治、よい選挙。その鍵になるのは国民の「国語」が豊かであるか確かであるか、それだけだと碩学柳田国男は言うていたのである。わたしは、称讃し賛同する。
2006 3・21 54
* (或る作者に。) 読者からすると、この、経営者側の一員めく世間通の大人と、他社の平社員の独身女性との、通りすがり一過性の情事とも見にくい「深い仲」、その仲を保たせているお互いの「動機」のかみ合い、を、より緊密に納得させて欲しい要望があると思いますね。
とくに「男」の側に。
とくべつ取り柄もなさそうに書かれている「女」を、どんな魅惑を覚えて「男」は抱き寄せているのか、それが読者の何より「読みたい」理由になるでしょう。女の、或る意味類のない特別なアイデンティティが、小説として要求されているのと、表裏・同義です。
単に「出会いありき」でなく、出会いは気まぐれでもいい、が、それが「続いて」いる、続けさせている「二人」の必然、「小説」としての強いバネ、を、作者は説得力豊かに、巧みに面白く、作品に仕掛けなければなりません。SMめいてくるエンディングに疑義を示したのは、いま言う「作の本質」とよく関わらせないと、そういう異様な場面づくり自体が中途半端になるか、余計なはみ出しになる、と見たから。
二人、互いに、他社の役員と平社員、折島さんと毬子、家庭のある大人と独身の若い女。そういうかなりの「距離」を埋めるに足る切なる接着剤は、男にはナニで、女にはナニか。そのアンバランスがバランスされて行く、必然の「過程」。それがこの「あくまで小説」の、ぜひ書き取るべき題材で、主題で、動機になる。読者はそれを要求してやまないでしょう。そして十分に書き切れれば、『あなたのそばへ』という題は、たいへん魅力的な題になるでしょう。
* この点を、当然、乗り越えないといけませんね。ウーン、がんばって推敲します。
周囲からしたら何の変哲もない同士が、互いに特別なものを感じ合うのが「恋」・・・、そんなふうに「折島さん」と「毬子」の関係を書きたいなあと考えています。
強風の日がつづきますね。花粉、お大事に。今朝は、洗濯してスッキリ、です。
でかける日は、こわくて洗濯物を外に干せません。にわかに強風になり、洗濯物が飛んでいってしまう恐れがありますので(以前、隣の家のベランダに入り込んでしまい大変でした)。
というわけで、今日は家にいます。WBCもありますし。
日本がピンチになると、見ていられなくてチャンネルを変えてしまいます。今日の中継は、ご覧になるかしらん。
凄まじい強風のおかげで遠山なみが大きく澄んで見えています。 花
* (作者に) 折島さんと毬とのことは、折島さんには彼なりの、毬には彼女なりの、成熟して行くいわばフィロソフィーとフィロソフィーとが、(観念的にでなく)「一つ」の焔に溶けあう「強さ」として「表現」できるかどうか。
あまり異様な設定を試みると、むしろそこへ視線や関心を逸らしてしまうかもしれない。表面はあたりまえに普通でも、或る揺るぎの少ない諦念や確信、それを「読者」という気むずかしい存在に対し「説得」できるかどうか。
性ぬきでありえないにかかわらず、それは時間の問題で確実に前面からは退潮せざるを得ないでしょう。その切なさとのもみ合いの中で、何が、二人の「一つ」を守りうると信じられるか。それが作者のかかえこんだ創作上の課題です。さらりとさりげない「かい撫で」だけで逃げこむには、逃げ切れない、また把握しきれない、手強い課題です。踏み込んでつよく書かないと、力不足で作品が崩れてしまいます。小手先はだめ。
作者ははじめて「思想」「哲学」の課題を抱き込んだわけです。観念や理窟でなく、「表現」「描写」で書ききること。それはもう「恋」を超えてゆく「人間」ないしは女(男)を書くということです。気取ってもいけない。避けても飾ってもいけない。作の品位も大切です。
そのためにはあくまで「真情」を瞬間風速のように随処に迸らせること、リアルで、しかも新鮮なことばと、表現で。ムリに気負わないこと。「思い」をみつめて。想像力を行き渡らせて。しかも氷山の一角を、印象的にクリアに書くように。場面場面からニゲないように。
キューバ戦、観ます。はらはらすると、逃げ出すのでしょう。わたしも、わたしが応援していると負けるんじゃないかなんてリクツつけてね。好ゲームを期待しています。
* 野球、勝ちましたね。
長丁場、見ている方も力が入り、グッタリ。終始リードで進みましたが、いつひっくり返されるかわからないと、ハラハラ。怖い怖いキューバでしたね。結果は点差がひらいたものの、力の差はないように見えました。
いい試合を見せてもらい、野球のおもしろさを改めて感じました。
> 作者ははじめて「思想」「哲学」の課題を抱き込んだわけです。
「思想」を表現する、それが今回の挑戦です。とても困難ですが、「作者ははじめて『思想』『哲学』の課題を抱き込んだ」と目をとめていただき、やる気がモリモリ湧いてきました。この山、ぜひ越えなくてはなりません。
> 助言、頭に入れて下さい。
もちろんです。前回と今日だけでなく、創作に向かうご自身の姿勢からも、大切なことをたくさん学んでいます。 花
2006 3・21 54
* 春分の雪 hatakさん maokat
年度末の研究報告書を作るために、今日も一日研究室で過ごしました。今日一日ではとても終わらないので、そろそろ帰ろうかというところです。
春分の日も札幌は雪でした。デスクの窓から外を眺め「雪は雪でも、真冬に降る雪とは風情がちがうなぁ」と感じました。なんといいますか、降り方に「性根が据わってない」ような感じがするのです。かといってふわふわ降っているのかというと、そうでもなく結構ふりしきり積もってもいるのですが、やはりどこかに「なごり」の風情を感じました。
高校生の頃、「北越雪譜」を読んで、雪一つにこれほどまで細かい神経が行き届くものだと感心しましたが、札幌羊ヶ丘に六年暮らして、ようやく北国の感性が身に付いてきたようです。
東京はもう桜の開花とか、いいですね。お大事にどうぞ。
* 「性根の据わってない」雪の降りよう。かすかにわたしも理会できる。雪であれ気温・気候であれ、多年の体験のうちに明らかにそう感じてきた覚えが、何度もある。本当の二字が示すように、雪でも気温気候でも、びしっと音がしそうに身に食い込んでくるときと、見た目も実際も変わりないのに、胸に届いてくる来かたに微妙な差があり、「ほんとじやない」と感じさせるときがある。春がきているとか、季節がかわるとか、感じる。「なごり」とは、MAOKATサンの謂う以上は「茶の湯」の季節感に相違なく、まさにソレである。「なごり」の息づかいが雪にも気温・気候にもあらわれる。
高校生で『北越雪譜』というと、今では目をむく人もあろうが、そういう高校生は昔よりは極めて極めて稀であろうと、そういう高校生もいるに違いない。信じられないと叫ぶ子供も大人も今は多かろう、が、逆に、いっぱし大学生になりながら、中学少女や少年なみの、ぺちゃぺちゃした物言いや文章を書き流し、自分で自分の「可愛らしさ」「優しさ」「カッコよさ」を信じて酔っぱらっている実例を多々眺めていると、それが現実である以上自分が浦島になったほど、驚かされる。 2006 3・22 54
* ためいきのでるような NHKの昼の番組が変わって、若い女性4人が生演奏していたテーマ曲があんまり宮川泰さんらしくて、手を拍ちながらも、「センセやりすぎッ」と笑ってしまったのですが、昨秋に癒し系テーマ曲に換わって、やっぱりと思っておりましたの。
悲しいこともないのになぜか涙がにじむ、ウナセラディ東京あぁ♪
「『宮川先生いらっしゃいますか』といわれて仕事の依頼かと出ていくと倅なんだよ」とずっこけてみせながら嬉しそうで、アキラさんはアキラさんで「オーケストレイションは勝てるけど短い曲は親父にかなわない」と首をひねってらした。
音楽パスティーシュの腕は一流で、そのくせ売れるよりウケるほうが嬉しい、ダジャレがウケた時にいちばんいい顔になる方でした。
ヤマトが人気沸騰の頃でしたから羽田健太郎さんがまだ30才くらいかしら、「世界の羽田」と紹介なさって、「日本の羽田(空港)といえば知らない人はいない」って―。
続く続く今日も続く 銀色の遥かな道♪ 囀雀
* 昨日の野球、ほんとうにいいゲームでしたね。
松坂くんがMVPでしたが、韓国戦での上原くんも、ほれぼれする好投でした。
メキシコがアメリカに勝利し、日本の準決勝進出が決まったとき、「棚からぼたもち」なんて思ってしまったけれど、ピッチャーたちが頑張って抑えたから、「0.1」の失点率の差が生じたのですよね。奇跡なんかでなく、りっぱな成績差だったのです。
ミクシイは、友人が「招待」してくれるというので、せっかくだから、と、参加しました。でも、以前からパソコンで書いていた日記を、あの独特の空気の中に移行しようとは思いませんでした。今では、ちょっと距離をおいて眺めつつ、友人と連絡を取り合う場として使用しています。
膨大なミクシイ参加者の記事より、風とのメール・出逢いの方が、断然魅力的で楽しいんですもの。
「ゲド戦記」、きっと読みます。今、ホフマンの短編集を借りています。ヘルダーリンとノヴァーリスも、そのうちに。楽しみ。
明日、お気をつけて、行ってらしてください。 花
* 泣いて親に従わせようとする子もあれば、愛らしいしぐさで親を降参させる子も、ある。寒風と暖風。
2006 3・22 54
* 桜のつぼみも ほんのり色づいて、桜花爛漫まであと一歩ですね。京都の春は如何でしたでしょうか?
昨年、祇園東山一帯に、夕暮から灯をともして春を迎える「花灯路」にいったことを懐かしく思い出しています。産寧坂あたりで、おもいがけず雪もふわりふわりと降ってきて、京の春は寒いものと知りました。
今年は花の下でお会いすることができれば嬉しいなあ。 ゆめ
* 風が少し冷たく。 お帰えりなさい。と云っても、まだ新幹線の座席でお茶代わりのビールで喉を潤している頃かも。
東京の桜が早いので、慌てている関連業者の様子をニュースで流していました。
シチリア旅行で花見に間に合わないと諦めていたお花見が、幸いに開花が遅れて堪能出来た昨春、楽しい事ばかりでなく、友人の娘さんの訃報がメールに入っていて鳴咽した事など、連鎖して脳裏を掠めます。まあ 、人の命もさる事ながら、一年の何と早い事でしょう。
動作が緩慢になったせいか一日も同様に。ほら、もう夕刻のお豆腐やさんのラッパの音が聞こえてきました 。
* 詞 花を誘うかのようIそぼ降る雨がいつしか止んで、朝霧に籠もり鳥の鳴き交わす朝を迎えました。気温が日毎にかなり上下しまして感覚を調えるのに気をつかいます。今朝は、かじっていたチョコレートがゆるんできたことに春を感じましたわ。
さて、大人になって判る楽しみを豊かに授かった子供時代だったと、感謝することがしばしばあります。
しばらく前に、昼のNHK-FMで、「今日は春の唱歌や抒情歌を一時間お送りいたします。どうぞ口ずさみながらおつきあいください」と言うので聞いておりましたら、アレンジも今風ならことばも直されていて、ノレませんでしたの。雀も「春の小川」は“さらさらいくよ”と教わった世代ですけれど、“さくらさくら”は、匂いぞ出づる いざやいざや 見に行かん。
今朝、教育テレビの日本語番組で高野辰之の「春の小川」を紹介しておりまして、この曲も“匂い”を消されていたと知りました。教科書から消された曲も、歌詞を変えて残された曲もどちらも不幸せですわね。 雀
* 先、咲、幸 窓の下を小川の流れる豆腐店で、おくさんが、まばゆい川波の照り返しを受けながらまめまめしく豆腐を薄く切って並べてらっしゃいます。生揚げと春キャベツの炊いたのなど、好い時節ですわね。
川の流れもとうとうと雪解水を思わせるうねりを見せ、軒に吊り下げられた残り少なな玉葱はきっぱりとした緑の芽を伸ばしています。
角を曲がろうとした雀の脇を自転車の女性が追越しざま、あッと言うていで片足をつきました。雀も足を止めました。絵のような花…すももだそうです。ガラス張りのお店は薬局で、店先に植えられた木の一本一本に名前と効能を書いた札がついておりました。
“さく”ちからが泡のようにあちこちでぱちんと弾ける気配がして、道を歩いていると、サイダーの中に落っこちたみたい。
わが園の李の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも (家持)
今朝は肩先に流れ込む冷気に目が覚めました。遠くにバイクを乗り回す音が聞こえ、近所でたて続けに5回ほど大きなくしゃみをするのが聞こえました。来週もう一度雪になるような予報です。比良八講が終わらないとしんからあたたかくならないのですね。
くれぐれもお大切に。 囀雀
* さ、もう一夜ゆっくりやすもう。三月がかけあしで過ぎて行く。連休前に湖の本の発送はちっときついだろう。
2006 3・24 54
* 今日は花粉が舞い、痒みでつい眼をとじてしまう。すると、すぐ昏々と寝入りそうになりあわてて目覚めるが、なにも慌てなくていけないこともない。
* 早速に…ご本をお送り頂き有難うございました。 今日の午後に友人の所へ お届けいたします。色々お手数おかけいたしました。 お振込みの方は 彼女の方からされますのでよろしくお願いいたします。
ところで京都の春は如何でしたか? 私も昨日 大宮の 綾小路のお寺の両親のお墓まいりに行って来ました。良いお天気でしたがまだ桜は少し早い様でしたね。午後から山科へ行きましたが、近くの毘沙門さんの桜もまだ蕾が多い 様でした。
どうぞ お元気で お過ごし下さいませ! 有難うございました。 絹
* 午後を、おおかた寝つくした。むりに起きていようと思わなかった。朝起き抜けの血糖値は 88 と低かったが、昼間に値があがる。睡魔は、しかし、たぶん花粉のように思う。もし疲労してからだの欲している眠りならば、逆らわず、今夜ははやめに寝よう。
2006 3・25 54
* 京都からもどりまして、作品のとどいているのを知りました。まだ読んでいません。しばらくお預かりします。
序詞ふうの六行ですが、
人は連なっている
時の狭間で
くりかえす世代交代にも
喜びは受け継がれず
わけあえぬ
苦しみのみが伝播する
うしろの四行で足りているか、とも。
第二行は、字面でも意味でも観念的に浮いているか、と。
第一行の提言と下四行とは、整合するとも、じつは整合しないとも読めるように思います。提言を「だから」と下四行が肯定しているというより、ある種の悲哀を思い観れば、第一行は、下の四行によりむしろ深い歎きで否認されているとも謂えるのでは。つまり第一行が観念的に揺らいでいるとも。
こういう序詞は 揺れていない方がいい。四行だけで足りていると感じた理由です。
今一つさあっと見て気づいたのですが、「すいません」という音便での物言いは、口語では普通なのでしょうか、東京でもよく耳にします。会話ではともあれ、そう文面に書いてくる手紙もおおいのです(文筆の人ですら。)が。わたしは、むかしから「すみません」でした。東京だけかと思いかけていました。
では、また。 湖
2006 3・25 54
* 遊山 一遍聖繪第二巻を見てまいりました。三輪神社にお参りしてから。友人がツレでしたの。
彼女はテレビの「アンフェア」を気に入って見ていまして、先日ようやく字幕にあッとなって原作『推理小説』を買って読み、それとは別に、松伯美術館に行ってみたいと雀に言ってきた人です。来月2日から松園さんほかの展示になるというので、雀も気にしておりますの。
来月10日過ぎに瀬田の滋賀県立近代美術館に川端龍子展が巡ってまいります。小倉遊亀さんの展示室も楽しみ。 雀
* 盛り沢山の佳い旅 桜に逢えなかったのは残念ですね。
やはり桜は四月が似合います。
それでも、来週の東京のソコココは、お花見で賑わうでしょう。
今回は桜が観たいから、四月初旬に行きます、と友人達に連絡しましたら、いつもモミジ、モミジと秋にやって来るけど、なんやサクラも観たかったんかいな! と待ってくれています。グッドタイミングかな。
青蓮院の向かいのロージ、そのレストランは当然知りませんが、そこは、昔は赤松(松田)さんの地所で、お祖父さんが住んでおられ、同じクラスで仲良くなった中一の時、一緒に遊びに行って、子供心に静かでいい処だな、と思ったのを思い出します。
大抵は好きな白川筋か古川町を歩くので、久しくあの道を散策していません。今度、歩いてきましょう。
だだっ広い東京からみると、狭くそして地理に不安のない京都は、何処を歩いても、時間的余裕があるのが、うれしいですね。
三条大橋あたりで昼食、鞍馬寺詣でをして、又振り出しに戻って、四時頃なんて・・・いいな。 泉
* 古稀女もすぐこどもに帰れる、故郷。
2006 3・25 54
* 今日は横浜でコンサートを。新井英一という渋いシンガーです。何回か来ていますけど、今夜も熱くしっとりと素敵でした。ラストはいつもの通り、「清河への道」。
コンサートは夕刻からなので、少し早めに家を出て元町、山手を散策、春の海は穏やかでした。外人墓地の桜は三分咲きくらいでしたけど。 ゆめ
* 横浜での催しに気軽に出かけてゆける根気も身軽さもない。羨ましい。すこし情けなくもある。
* 京都からおかえりなさいませ。 先月京都に行きましたので、どのあたりを歩いていらしたのか、以前よりイメージ出来るのが嬉しいことです。
エルンスト・バルラハ展は先月も京都で開かれていました。私はハンブルグでの感動を再びと思い、東京で行く予定にしています。
今日は発表会無事に終わりました。初めて母に上達したと褒められました。苦手な扇遣いは道遠しですけれど、続けていると少しずつでも進歩するのかもしれません。
演目にあわせておめでたい鶴づくしの着物と帯はよく似合いきれいだったと思います。(自画自賛) 舞には美貌が大切という谷崎のエッセイを思い、顔はどうにもなりませんが、髪型や着物の着付け、何より全体のすらりとした印象に気を配っているのです。観ていただけなくて残念でした。
急に桜が咲いてきました。花粉がなければ四谷の土手のお花見はさぞ美しいことでしょう。 春
2006 3・25 54
* 東山低し春雨傘のうち (年尾)
京へお運びの節は、お帰りにご都合がつきましたらたまには近鉄で回り道も嬉しうございますと申しあげようとしております矢先でした。
春休みの好天とあって、山辺の道も春日野もぎょうさんな人出。京はなおさらでしたでしょう。
おすこやかにご無事に京の時間をお過ごしになられたご様子に心よりおよろこびを申しあげます。
昨日は偶然に大神(おおみわ)神社の信者さんの大まつりにぶつかりまして、参道の露店や境内に設けられたさまざまなテントを覗いて縁日気分を味わい、にゅうめんを食べ、三輪駅に飼われている三毛猫に挨拶して、奈良への車窓に三輪山を眺めながら、背中をぬくめる春の陽と道中をたのしみましたわ。
一遍聖繪の、白鷺が群れなして田へ舞い降りるさまに涙が出そうでした。 雀
2006 3・26 54
* 午前、英語サークルに行って来ました。「一緒に楽しく英語を勉強しませんか」という張り紙を図書館で見つけ、連絡しました。
ハリー・ポッターのペーパーバックと朝日ウィークリーを、少しずつ精読しています。みなさんスラスラ訳されます。頑張ってついていかなくちゃ。市立病院の院長の奥さんや、自作のビーズアクセサリーを身につけておられる方や、英語のカリグラフィの得意な方など、みなさん個性的。
公民館のそばには、満開の木蓮が。桜も半分くらい咲いています。
車の中は暑いほどでした。
ウーン、洗濯したかった! 明日は曇りのち雨だそうですし。でも、出かける日は干せないのです。突然強風になる恐れがありますから。
こちらの風は、やさしくいらしてくださいね。 花
* ハリーポッターの大冊をテキストにしているのですか。新幹線で、修学旅行の引率の若い先生が読んでいました。重そうな本でした。
風は、できるだけ気持ちをのびやかに、ゆっくり過ごしています。これで湖の本の校正が出て来ると、また追われますが。
タバコを吸いませんから、一服の時は音楽か、テレビで映画を少しずつか、四季の花の写真をスライドショウして観ています。
「e-文庫・湖(umi)」に榛原六郎という人の書き下ろし長編が入っています。まさに私小説です。風に近い年輩の四国の人です。二作目も届きました。堅実な私小説。二つとも「悲哀の仕事」です。
毬の哲学は、進展深化していますか。結果的にマトモに主題に向き合い、ぶつかって行ける正直な書き方を勧めます。私小説として書くのがイイという意味ではありませんが。太い根幹に、想像力の花を咲かせるようにという意味です。 風
* 懶春。ともすると、眠い。からだの芯に、堪え性がうすれているのだろうか。からだが寒い。煖房しているのに、かすかに寒く、むかむかもすると、からだが泣いている。十一時にならないが、寝に行こう。
2006 3・27 54
* 花もよいに 明日からきつい寒の戻りになるそうですから、どうかおんみなにより大事にお願いいたします。
昨年師走に見にまいりました僧形八幡坐像と重源上人坐像が来月奈良国博の「御遠忌800年 重源展」に出展されますの。興味のわくまま、今日は重源や重衡のあたりや、一条天皇のあたり、また、俊成、定家のあたりをちょっと調べておりましたが、ニンテンドーの器械どころではない、脳の鍛練ですわ。談山神社でいただいた藤原氏略系図がよく役に立ちます。
そのあと、『百人一首』のご本と「湖の本」を並べて、「月の定家」を読みました。いままでまったく別のときに読んでおりまして、つきあわせたのは初めてです。
一冊の本をどうつくるか、配置によってずいぶんと印象が違ってまいりますのね。また、手直しなさってらっしゃる箇所に感心したり、はっとしたり合点がいったり、いろいろ思うことの多い大変に楽しい時間を過ごしました。 雀
* 暖かくなりましたね。千鳥ヶ淵の桜も咲き始めたようです。朝、車窓から関公園の池や桜並木がみえて、一瞬のうちに通り過ぎてしまうのですけれど、花盛りがとても楽しみ。
ベランダの山椒の木に小さな若芽がたくさんついたので、日曜日にはちらしを作り、木の芽寿司にしました。
折から友人に、「いかなごの釘煮」をお裾分けにと戴き、嬉しい一日でした。メモがついていて、
「春告魚といえば鰊のことですが、関西、ことに瀬戸内海沿岸ではいかなごの釘煮が街に出回る頃になると、春を実感します。海に近い兵庫県の高砂・加古川・姫路・相生・赤穂などでは、主婦が手作りの釘煮を何キロも作り親戚や知り合いに送ります。(中略)今朝加古川に住む妹から届いたばかりの釘煮です。朝ご飯にまた晩酌のつまみに召し上がってみてください。いかなごの釘煮や春のうつうつと」
とあり、初めての西海の味は、淡く甘く、少しほろにがいようでもありました。 ゆめ
* おはようございます 風
一昨日くらいから「おかしいなー」と感じていたのですが、昨日、風にメールしたあと、ぞくぞくするので体温計で測ったら、発熱していました。
今日も寝床で安静にしているつもりです。
風邪などひいてませんか? お元気で 風。 花
2006 3・28 54
* もう(風邪気味は)すっかりいいです。
小説「あなたのそばへ」に、こつこつ手を入れていました。
でも、家の中にいるのに、花粉に喉をやられているみたいです。今日も降るような強風でしたから。「からっ風」に慣れているはずのわたしも音を上げたくなる、「富士おろし」です。
風もお大事になさってください。今日の休息の効き目、あるといいですね。花
2006 3・29 54
* 北海道は大雪です。佐呂間は車が何台も側溝に落ちてしまうほどの大雪です。雪が湿っているのでよく滑ります。桜は…まだまだ先です。内地は暖かいですね。
さて、春が遠いこの時期なのですが、別れと出会いの季節はもう来ています。実は、私の住所が変わります。勤務先が変わるのに伴って、車で4時間ほどかかる場所に引っ越します。
4月1日以降、湖の本の新刊は新しい住所に送って下さい。お願いします。
最近、体調がすぐれないようですが大丈夫でしょうか。ご無理をなさらないように。お気をつけ下さい。 昴
* いまここへ来て昨日の各地の雪、吹雪、猛吹雪のニユースには驚いた。東京も風つよく冷たく、幸い上野の、咲きそめ花満開はまだもちこたえていたけれど。青陽の春の袖をひかえて、冬将軍がまだいばっている。
* 桜まだ咲かぬ清水寺に来ています。清閑寺、子安塔、みな懐かしい。元気に過ごしてください。 鳶
* ゆうべ、上野の夜桜はもう満開でした。風つよく冷たくて。今日は好天。散髪しました。
四月早々に家内も古稀に。昨日は勘三郎の「四谷怪談」と石本正の展覧会と、上野の夜桜を楽しみました。
明日は劇団昴の新劇の後、六義園で夜桜をと。四月一日は能「湯谷」で、清水寺の花に出会います。三日は遠来の人と会い、五日は歌舞伎座にこもります。六日は中央公論社の百二十年、日中文化交流協会の五十年、記念パーティ。とても賑々しいのですが、わたしのからだは、まるでエンジンが停止した感じです。どうしたことやら。 鴉
2006 3・30 54
* 六時に目覚め、六時半に起床。六時五十分、血糖値は 98。寒いと聞いていたが、さほどでもなく、お天気も良いか、外は日射しに明るい。
* しばらくぶりにバルセロナから、読みでのある、好いメール。
元気そうなのと、五月にまた帰ってくるというのが、ことに好い。書きたくて、書かずにおれなくて送られてくるメールがいい。習慣か日課か義務のように書いていると、メールの力は落ちてしまう。メールが抱き柱になってしまう。それでも好いメールは、嬉しく懐かしい便りであり、日々生き生きとあるための頼り=手依りでもある。そんな便りをまた毎日のように交わせることも、幸せの一つに数えていい。
一期一会。繰り返しの一度一度が一生に一度かのように繰り返せるなら、好い。
しげしげと送ってきてた人のメールが、ぱたっととまることもある。なにか事情があるのかも知れないが、それもこれも人の世の「常」にちがいない。そのようにして、この旅上、人は人に出会い人と別れる。「行き交う人もまた旅人なり。」狭い国土では、必ずしも永の別れと限らない。またひょこっと出会うこともある。それも楽しみの一つに数えるに足るだろう、若い人達には当たり前に。
ただ、わたしのように、なんだか生きるエンジンがはたと停まったかも知れない老境には、逢いたいと思う誰彼とのまた逢う日は、あまり残されていない。それも「常」の一つと数えていた方が良い。
* 恒平さん バルセロナの京より
もしや、とポストを覗く日が一月近く続きました。
届いたはずの湖の本が、ほんの一、二時間の間に郵便受けの狭い口から巧みに引っ張り出されたようなのです。いざ蓋を開けたところで、「なんだ」と思ったことでしょう。それなら戻しに来てくれるかな、と多分に期待もしましたが、盗人にそこまで望むのは、所詮無理な話だったようです。どうかして、日本人の手に渡ってくれたらいいなと思います。『からだ言葉の日本』、もう一度送って頂けるでしょうか。その分のお代は、これからの三冊分と合わせて振り込んであります。
恒平さん、またひとつ楽になりました。
学部四年で所属した研究室の教授が退任されるとか、よくある記念行事の案内が、メールで転送されてきました。数少ない、ご恩を感じる先生のひとりですが、専門を離れ日本を離れた私にとって、記念行事は他人事です。適当に視線を泳がせたところで、愕然としました。私の名前があるのです。
「以下の卒業生の方々の連絡先をご存じでしたら、恐れ入りますがご一報して・・・」
つづく14列の漢字、当然のように私の名が並んでいました。東工大の、**研の一員に、私は数えられていたのでした。
- 事務連絡だから、当たり前かァ。-
そう割り切ってみせたとき、その「当たり前」にこそ私は愕然としたのだと思い至りました。嫌悪の臭気にまみれた東工大は、それゆえ私には「特別」だったのに、当の東工大からは、まるで(仇)相手にされていなかった。凝り固まったモノが拠り所を失って、芯から緩んでくるようでした。ああ、これで私もひとつ「抱き柱」から離れられます。
教授にご挨拶状をしたためながら、先生に逃げ腰でなく向き合ったのもこれが初めてだったと実感しています。玉手箱に後生大事に仕舞い込んできた私の負い目と羞恥心は、ここにきてやっと箱から開放されました。
五月にはまた日本に戻ります。
裏磐梯に行くつもり、と父に電話で話したら、一週間後の日曜に意外な反応が返ってきました。
「磐梯て聞いたら懐かしくてねぇ。お父さんも一緒に行きたいんだけど。」
一瞬自分を疑いました。私はとても嬉しかったのです。
「あの旅行はね、お母さんが計画したのよ。お父さんは何もしなかった。」
磐梯を夫に懐かしむ権利などない、と言わんばかりに母は奥歯を噛み締めました。娘の邪魔になるまいと(自分も一緒にと)は呑み込んだ一言を、夫にあっさり奪われた上、嫌がるはずの娘まで当てが外れて乗り気です。
「どうする、お母さんも行く?」
訊けば母は返答に詰まり、訊かなければ打ちひしがれるのが分かっていました。
「あんたが、お母さんに来て欲しいなら。」
重い腰をのろのろと持ち上げる言い様です。
「お母さんは、行きたいの?」
「だから、あんたが、お母さんに来て欲しいって言うなら。」
「でも、お母さんは、どうなの? お母さんは、行きたい?」
「あなたが来て欲しいなら、行ってもいいけれど。」
「だから、お母さんは行きたいの? 行きたくないの?」
「あんたが来て欲しいのかと思ったのよ! お母さんが行けば、煩いお父さんの引止め役になるから、あんたたち二人で好きな所に少しは行けるかと思って。」
「いいのよ、一緒に回ればいいんだから。それに、そうしたければはっきり言うって。」
「そう言ったって、しつこくくっ付いて来るわよ。」
「それならそれで構わないから。私は、お母さんが本当は行きたいのか行きたくないのか、知りたいの。」
あなたのため、あなたのため、とそれしか言えない母親に、三十四年の苛立ちを覚えながら、去年夫と交わした問答を、ようやく理解した気がしました。
昨年の五月です。母と夫の三人で長谷寺の駅に着いたのは、ちょうどお昼時でした。まずは御飯にしようかときょろきょろしながら歩いていると、柿の葉寿司を売っている小さな間口を見つけました。
「別にここでもいいわよ」と気のなさそうな母の言い様に、夫の顔を伺います。柿の葉寿司が好物の母の鼓動が聞こえてきそうです。夫は腰を落ち着けてしっかり食べるのが好きですから、店の片隅の長椅子では何だか申し訳ない気がしました。
迷って、周りのお食事処も覘いてみますが、どこも今ひとつぱっとしません。母を想うとお食事処に入れず、夫を想うと寿司屋に向えず、決断できない苛立ちに私は道端で爆発しました。しつこく声を掛けてきた店先の女将さんたちが、ゼンマイが切れた人形のようにぱたりと止まっています。小さくなった母親と呆れた夫に背を向けて、私は柿の葉寿司屋を目指してすたすた歩き出しました。
鯖と鮭を三個ずつ、お味噌汁も頼みました。湯気の立ったほうじ茶に、気まずいその場が和みます。青々とした柿の葉の、びっくりするほど大きて柔らかいこと! 鯖を六つ追加して、あがりは吉野の葛湯にしました。もったりと不透明に透き通った得体の知れぬ液体の美味しかったこと。
「私はね、あなたのことを想ったから、あんなに迷ったの!」
「僕のため? 僕はどこでもいいって言ったよ。」
「あなたは、ゆっくり腰掛けられるところが好きだから。」
「僕はあそこでいいって言ったんだよ。」
「でも、あなたには気に入らないかと思ったの。」
「僕に? 僕は、ほ・ん・と・う、にどこでもよかったんだよ。」
「でも、あなたが喜ぶところにしたかったから!」
「初めから、『お母さんが柿の葉寿司が好きだから、ここにしよう。』って言われていたら、僕は喜んで入ってたよ。」
どんなに悔しかったことでしょう。母と夫のことを考えたから、あれだけ迷いに迷ったのに、その言い草はないでしょう。
でも「その通り」だと思いました。「(寿司屋に)入ろうか」と言う夫に「あなたはここが好きじゃない。」と言い張ったのは私です。
「どこでもいいから入ろう」と目の前のお食事処を指された時、頷けなかったのも私です。
どれもこれも、私が母と夫を「こんなにも」想った結果でした。その挙げ句は、ただ母を萎縮させ、夫を困らせ、私自身を憤慨させ、せっかくの雰囲気をぶち壊した、だけでした。
恒平さん、 「あなたによかれと思って」したことが、「あなた」を、そして「私」をも「幸せ」にする力は、私たちが願っているほどきっと強くはないのでしょうね。
それに、人が他人を「分かっている」など、どれほど当てになりましょうか。
五月、母とは京都へ行きます。修学院と桂を案内するわ、と電話の向こうの声が弾んでいました。母親と京都を一緒に歩いた後、父とは裏磐梯でハイキング。驚くかな。どちらも結構楽しみなんです。最後まで、怒らず苛立たず過ごせるかしら・・・ 京
* この卒業生は、自分の身内の闇の重さをもてあますように、ああもこうもと攪拌しながら、家庭から、大学院から、日本から脱出し、良い伴侶を異国に得て、ながい時間を丹念に篩に掛けて濾すようにしながら、重いものを一つまた一つと落としてきた。
二年生の文学概論でわたしの教室に来ていなかったら、わたしと出逢ってなかったら、おそらく途中退学していたかと思われる学生が、院まで卒業して後に母校を敢然振り切り、父とも母とも敢然別れてドイツへ、そしてスペイン国に自身を置いて生活してきた。
その中でこの人は深い意味で自己を省み続けながら、避け通していた父と親しむようになり、難しい母を、ときに爆発しつつよくいたわってきた。そしてなによりも自身を、あるバランスを保ちつつ、少しずつ「表現」さえしはじめた。自分の言葉を、あの教室以来、やっと汲み出しはじめた。
おそらくそれは創作の喜び以前に、ぜひ必要な自身による治癒行為かのようであった。わたしは黙って彼女の言葉を聴くだけであるが、それでいい。
おそらくはじめは、なにもかも「外」へ批判をむけていただろう。だが根は「内」にあるかもしれないと、そこから目を背けたりしないところが優れた個性であった。たいした辛抱であった。
このまえは帝国ホテルのクラブで歓談した。こんども、そんな時間の余裕があるかどうか。日本列島を心行くまで楽しんでバルセロナへ帰ってゆくだろう。
2006 3・31 54
* 九大を卒業して広島の有名な自動車産業に就職・転居した藤田理史君が、さながら自祝の芋焼酎「豪放磊落」を一升贈ってきてくれた。
間髪をいれず小山富士夫「花」刻のグイ呑みで、迪子と、その前途壮図を祝って乾杯した。
うまい! おめでとう。ありがとう。
* 年が明けるやいなや名張には「いちご狩り」の幟がはためきます。2月は月ケ瀬から梅、3月には津や松阪から潮干狩の宣伝が届きます。
観光農園に鶏のイラストをそえて“たまごがり”と看板が出ておりました。梅は探梅、桜は桜狩り。狩りっていったいなにかしらと、ちょこっと辞書をひいてみましたの。
芋掘り、竹の子掘りと穴を掘って採るモノ。
落穂拾い、栗拾いなど落ちているのを拾うモノ。
ちぎって取る、ねじって取るもぐモノ。
いちご、ぶどう、梨、りんご、柿、みかん、いまは「もぐ」がなくなってみな「狩り」になってきていますのね。
草木は「刈る」。ぶつかりしだいに「猟る」。魚や貝を「漁る」。周りを囲いこんで「狩る」。さがし求める「狩」。これが、きのこ狩り、蛍狩り、桜狩り、紅葉狩り。
竹の子は狩りでもありますわ。また、放し飼いの鶏の卵はここに当たりますわね。
また、冬は「狩り」、春は「蒐り」ということも識りました。
桜のつぼみはやわらいできたものの、ほんまもんの雪が舞う昨日狂。“花の雪散る春のあけぼの”はまだまだ先になりそうです。こんな真冬のような風にも花粉がたくさん飛ぶというのが不思議です。天気予報で花粉がスギからヒノキに替わってきていますと聞いてから、雀は毎朝グズグズクシュン…花粉症かしら。
今日は旧三月三日。潮干に遊ぶにはキビシイ天候です。そちらも雪風の残り風でさぞ寒いことでしょう。お仕事ご無理なさいませんように。
荒津の海 潮干潮満ち時はあれどいづれの時かわが恋ひざらむ
潮の満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふはやわが 雀
2006 3・31 54
* 林丈雄くんが電話をくれ、いろいろ話した。明日家にきてパソコンを調整しましょうという話は、わたしが昭世の能「湯谷(ゆや)」を楽しみにしているので、延期にして貰った。
2006 3・31 54
* 林丈雄くんが電話をくれ、いろいろ話した。明日家にきてパソコンを調整しましょうという話は、わたしが昭世の能「湯谷(ゆや)」を楽しみにしているので、延期にして貰った。
* 先のメール、郵便番号を書いていなくて、申し訳ありません。上3けたが実家の郵便番号と同じなので、
ホームグラウンドに戻ったような安心感があります。
秦先生の返信で「e-文庫・湖」へということが書かれていましたが、たとえ書いたとしても、漫画やアニメや映画のような映像が先に出てきて言葉が出てこない人間なので、秦先生にお見せできるような佳いものにはならないと思います。ちょっと、いや、だいぶ考えさせて下さい。
今日はちょっと用があって佐呂間の山奥に行ってきました。車で細い山道を通ったのですが、根釧台地で育った私にとって、ワクワクすることでした。
佐呂間は、田中正造で有名な足尾銅山鉱毒問題で闘った人の一部が入植してきた地です。なぜ佐呂間だったのか、行って少し理解できました。木々が鬱蒼と茂る、地平線の見えない山の景色は、北海道らしくない景色のように思いまし
た。離れざるをえなかった地に少しでも似ている佐呂間に、闘った人たちは入植したようです。
(転勤で)明日引っ越すのですが、最後の日にこのような山をふるさとにする人達の想いに触れることができて、よかったです。新しい地でも、人に出会い、様々な想いに触れていきたいです。この次は、知床、国後。楽しみです。 昴
* めずらしく、風の穏やかな日です。
花粉症の具合もいいです。ここ数日の目の痒み、くしゃみなどは、やはり強風のせいだったのかなあと思うほど。
このぶんなら大丈夫そうですが、念のため、薬をもらってきました。強風の日の方が多いでしょうから。
「字で書く漫画のように (小説を)書きます」の「漫画」って、そのミクシイの方は、どんなのを指しているのでしょう。簡易な文体のことでしょうか。だとしたら、漫画の譬えは、適切ではないのでは。
いい漫画は、緻密なものです。
構成とコマ割りの巧みさ、背景や小物のリアルさ、年齢や性別・性質などによる、人物の容姿の精確な描き分けなど、すぐれた漫画は、しっかりした描画の基礎を持っています。その上に、「表現」の効果を高めるための、漫画的誇張があります。
また、よい漫画家は、苦しみながら、新しい表現方法を生み出しているものです。ま、「ヘタウマ」なんてものありますが、どの世界も、一流は一流だなあと思います。
字が書ければ、あるいは、ワープロが打てれば、とりあえず、文章は書けます。「漫画を描く」より、とっつきやすいかもしれません。でも、それですぐさま小説が「書ける」ものではありません、ね。
ちょっと偉そうだったかな。でも、ほんとにそう思っているのです。
「あなたのそばへ」の推敲、九割くらい済んだかなというところですが、悩んでいる部分もあります。二稿を、風に一度見ていただこうかとも思っていますが。もう少し考えてみます。
東京はこちらほど強風でないようなので、安心。 花
* 花冷えですね
年度末の忙しい時期をようやく乗り越えました。来週はもう新年度、なかなか遠かった4月もすぐ目の前にきました。最後まできちんと仕事をしたら、今年いっぱいは少しのんびりできそうです。(ここのところ、議会の人件費もいろいろ取りざたされてきたため、「人員整理」ということで雇用主都合の退職扱いにしてもらいました)。4月20日に退職したら、もっとたくさん本を読み、縫いものなどもしたいと思います。
あっという間に花盛りになってしまって、今年もまた桜の付下げを着る機会を失いました。さくらのきものはお正月から桜が咲きだす前までしか着ることができないので、(花が咲いてからでは野暮だという)ある意味とても贅沢なのです。数年前、清水の舞台から飛び降りるつもりで購入。(つい散財してしまったとき、この平凡なたとえほどぴったりくるものはないような? 笑)童子が桜の枝を持って走ってくる、その桜の花びらが胸元やそでにたくさん散っている、美しいきものです。(支払いに一年かかりましたけど)まだしつけ糸がかかったまま、祖母が昔、私の誕生祝いにおくってくれた箪笥に眠っています。時々、あの引き出しにあのきものが入っているなあと思って、少し幸せな気分になります。来年こそ、そのきものをきて、きっとひとに逢いにいきたい、そう思います。(来年のことをいうと鬼が笑う?)
4月14,15と一晩泊まりのバス旅行で高山祭りと伊那の高遠のコヒガン桜を見にいってきます。また写メールしますね。 ゆめ
* 眼をあいてられないほど眠い。明日の能を楽しく観たいために、早く寝る。
2006 3・31 54