ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2009年7月まで

☆ お元気ですか。 柑
お元気ですか、みづうみ。
大変な三月を乗り越えて、ご無事に四月をお迎えのことお慶び申し上げます。花も満開間近でこの季節は毎年気持が浮き立ちます。
>年譜もあれ以上つくる必要は無いのです。
でも、秦恒平文学の研究者のためには年譜は完成されていなくてはなりません。
四月の述懐「肌のよき石にねむらん花のやま」ですが、「肌のよき石」を墓石と読めばよいのでしょうか。教えてください。

* 芭蕉門、斎部路通の句についてのお尋ねは大切なところへ強い視線が奔っている。風狂の放浪者で人と相容れがたいものをもっていた。師の芭蕉もヘキエキした時があった。石を枕の旅寝も重ねた人であったろうから、文字通りに情を汲んでいいと思うが、いたるところ青山ありの境涯から、墓石が路通のあたまに無かった段ではない。そうも想って読めば読むほどこの句は独りの詩人の胸懐に生きた情味も読み取らせ、懐かしい。
2009 4・2 91

* 奈良の阿部さんに戴いた41度強、ノルウェー産のスピリッツで、焼売の昼食。ウオツカなどと同じ。そして睡魔に襲われている。

* 夕食もしないで、七時半まで寝ていた。
2009 4・2 91

☆ 昨夜は  花
風の声に幾度も目覚めました。
徐々に暖かくなり、桜はよほど咲いていたと思われますが、昨夜の風に散らされたかしらん。
花も、いろいろ読んでいますよ。
先日風の挙げていた猪瀬直樹氏の三島の評伝、『ペルソナ』を、(アレルギー薬による)睡魔と闘いながら読んでいます。
まだはじめの、三島の祖父を重用した原敬暗殺事件についてのところだけれど、とてもよく調べられてい、松本清張の『昭和史発掘』を髣髴とさせます。テクストを読み込む文藝評論とは違うけれど、違うからこそ、別の面白さがあります。
さてさて、もうそろそろ上着がいらなくなるのでしょうかね。
お元気ですか、風。いろいろおありのようですが、がんばってくださいね。
花は元気に咲いています。
2009 4・2 91

☆ 大岡山の櫻  直@神戸です。
秦先生  蔵前ネットで一緒にお手伝いした方から大岡山のサクラの便りです。
今年は6日の入学式までサクラが残りそうですね。
↓をクリックしてください。
http://mrfujii.jp/topic/2009/sakura.htm

* 満開の写真。割愛

☆ ウィーンより帰国   鷹
御本が届いておりました.ありがとうございました.
その学会では,ハイドン没後200年に当地で講演できて嬉しい,というお話をしました.
「けい子」では,秋成と秦さんとを二つ焦点にゆっくりと楕円を描いていかれるのを追いながら,次第に、秋に生まれる予定の子供についていろいろ考えはじめたのですが,何はともあれ,生まれるということは善いことなのだという気持ちがわき起こってきました.父親ほどの先生に対して失礼な,と思いつつも,今号では特にご自身がヴィヴィッドなのであるから,などと思いました.
今後とも奥様とのご健勝をお祈りいたします.
2009 4・3 91

☆ 冠省  僊  作家
御礼の遅れた無躾をますお詫び致します。
それにしても、もうすぐ百冊、他には例のない偉業です、また、自筆年譜を拝読して想ったことですが、文学に対する大兄の性根の座り方が、実にすばらしいと感銘を受けた次第です。それに、中村光夫さんらの世代の人は、後輩や新人に対して、実にやさしいですね。むろん中村さんのような人は多くはなくて、むしろ志の低い人の方が多いかもしれません。イエスマンばかり身辺に配置し、筋を通す論をいう人をケムたがる傾向は情けない限りです。
高村光太郎の一件も、お説の通りですね。
もし彼に、戦争中だからといえども、あれは良くないよ、といえる文筆家がいるとすれば、あの詩や文の十年前に築地警察で拷問死した小林多喜二か、その遺体を清めた宮本百合子と佐多稲子くらいでしょう。
小生は築地署の署長だった男が退職してから開業した築地のSというすき焼きの店では絶体に食事をしませんが、そういうのはいまどき、不思議がられる感じです。
それと大兄が碁を打つことを知りました。もっと早くに知っていたら、お手合せをお願いしたところです。
以上、略儀ながら御礼まで。また、健康にどうかご留意下さい。 不備

☆ 省啓  邁  出版社役員
御健勝大慶に存じます。「湖の本」52頂戴しました。
いよいよ百巻が近づいて来ましたね。その持続する志に感服してをります。
ますますの御壮健を念じをります。 不備

☆ 拝啓  嘉  紀伊
「湖の本」記念号嬉しく拝受いたしました。有難うございます。いよいよ100号、大変な道のりを歩んできたものだと驚きを禁じえません。この20余年、振り返ると読者としましても感慨も一入です。ご苦労をただただ感謝申し上げます。
それにしましても、時代の変化というものにはすさまじいものがありますね。書店には色鮮やかな装丁を施した多くの新刊書が次々に並び、いつの間にか消えていってしまい、それらの新刊書の背中を眺めているだけで目がくらんできます。多くの文学賞がこれまた次々に新人の作品を送り出し、読まれているのかいないのか、売らんかなの商業精神には絢爛たるものがあります。しかし、自分を振り返ってみますと、この数年、いいえこの一年、何冊文学書を購入したかを考えると、まったくといってよいほど購入していないこと
に気がつきます。値段の問題もありますが、昨今の小説そのものに食指が動いていないのです。無論もうすぐ60歳という年齢もあるでしょうが、本当はこの年齢ぐらいになると小説が読みたくなるものだと思います。ところが、現実派はその反対。次から次へと出版される新刊の小説にいささか辟易してしまっています。
なるほど読んで見ればそれなりに読ませてくれるのですが、なんら響いてきません。かろうじて何人かの寡作な作家がいるだけで、その他の作家の作品を追いかけるなどということはほとんどありません。単に年齢のせいだけであればよいのですが、そうとばかり
は言っていられないような感じがします。
──ま、それはそれでよいのですが、この空洞化のようなものは何なのだろうと思います。
そんな中で、積み上げられてきた「湖の本」、ただただ感動です。けしてよい読者ではありませんでしたが、多くの良い読者の驥尾に連なれたこと、幸せに思います。心から御礼を申し上げます。
今年は私にとりましても一つの節目。新たなステップヘの年でもあります。頭の中はいまだに20代のまま止まってしまっていますが、いわゆる人生の仕上げにかからないと間に合いません。もう一度はじめて「秘色」に出合ったときの感動、「慈子」「みごもりの湖」に出合った時の心の震えを思い出したいと思います。
神戸の古書店で「慈子」の旧版を見つけながらその値段の高さに手が出せなかったときのせつなさ、忘れられません。その後「秘色」も旧版を入手しましたが、好きな作家の好きな作品に囲まれて暮らせる幸せは最高の喜びです。やっぱり本でなければその実感、満足感は味わえないように思ったりします。どんなに簡素なつくりであろうとやっぱり私には本なのです。「湖の本」はまさにそのような本です。
言葉足らずの変な手紙になってしまいましたが、記念の「湖の本」ご送付の御礼とさせていただきたく思いパソコンに向かわせていただきました。本来ならペンを執るべきところですが、下手な字は読みづらいし、何より疲れます。事務的な手紙になってしまいました
が、どうぞお許しください。本当に有難うございました。読者冥利に尽きる記念の年譜、書誌です。
これからもますますお元気で、ご活躍いただけますようお祈りいたします。 敬具
平成21年4月1日
家内の55歳の誕生日に。   (ペン署名)
秦 恒平 様   (ペン書き)
追伸
和歌山では山桜が満開です。あの道成寺のしだれ桜も満開で、連日観光バスが押し寄せています。多くの歌舞伎役者もこられたようです。
梅原猛さんの「海人と天皇」以来、御坊市ではひたすら宮子姫を売ろうと懸命です。田辺市の弁慶と同じで早いもの勝ちなのでしょうが、藤原宮子を郷土の誇りにでも思っているのでしょうか。よく分からない感覚です。もっとも観光というのはそのようなものかもしれませんが。時間ができましたら少し藤原宮子や有馬皇子を調べてみたいとも思ったりもしています。近くに有馬皇子の古墳があるのです。多分海南の藤白ではなく、岩代で亡くなったのではないかとかんがえているからです。切目(きりめ)という地名が岩代の隣りにありますが、殺部(きりべ)が本来の呼び名とか。あのあたり、が熊野との結界であったようなことも聞きます。暖かくなってきましたので、休日にでも愛車の原付で熊野古道を走ってみたいと思います。
お体ご自愛ください。
お嬢様の件、胸痛む思いです。
黒川創さん、建日子様のご活躍、嬉しいですね。
2009 4・4 91

☆ 御礼  仁
秦 恒平 先生 金婚おめでとうございます。こころよりお祝い申しあげます。
また過日は『湖の本52 自筆年譜』をご恵贈賜りありがとうございました。
1986年、広島の単身赴任先で湖の本の発刊を知り購読申し込みをさせていただきました。
『清経入水』に今まで読んだどの小説にもない鮮烈な印象を受けたことを、23年経過後もはっきりと覚えております。
その後埼玉、大阪、東京と転勤の行く先々に送本いただき楽しませていただきました。
間もなく百巻、これは偉業ですね。
引っ越し続きで分散して本棚に並んでいた『湖の本』をこの度全巻並べ直しました。
壮観です。
これからまだ積ん読のままだった本たちを頑張って読むことにします。
ところが、改めて見直すとエッセイ21巻『日本語にっぽん事情』が欠けています。納戸の奥に積み重ねた箱の中に有るだろうと考えておりますが、これを取り出すのは大仕事です。
ということで、エッセイ21巻『日本語にっぽん事情』をあらためて講読させていただきたいと存じますが、代金は2,000円でよろしいでしょうか。
気候の変わり目、お身体おいといくださいますようお祈り申しあげます。

☆ お慶び申し上げます。 啓
とりわけ今回は、ご結婚50年、ご上京から50年、という区切りの年とのことで、こころからお祝い申し上げます。加えて「湖の本」も通巻100冊に近づいておられ、詳細な自筆年譜はたいへんな楽しみになってまいりました。
先生は、すべて自己完結されようとされているように見受けられます。その一途なエネルギーは比類のないもので、ただ感服するばかりです。
どうかお元気でますますご活躍されますようお祈り申し上げます。
2009 4・5 91

* 最初の藤村夫人の縁者で久しく湖の本の読者である北海道の方から、おいしいチョコレートの箱を二つ頂戴した。毛筆の美しい長い手紙が添うていた。
2009 4・8 91

☆ 御礼 仁
湖の本エッセイ21『日本語にっぽん事情』を早速にご送付いただきありがとうございました。
これで全98冊が見事に一堂に会しました。
こころを入れかえて一冊ずつ読み進むことにします。
『日本語にっぽん事情』の私語の刻の「思えばわたしは幸せに今日まで過ごしてきた。」の言葉を感動を持って読みました。
この言葉はなかなか出てこない言葉であると思います。
私もためらいなくこう言えるように改めてつとめなければと考えております。
アリストテレスの『ニコマコス倫理学』エウダイモニアの読み方をこの観点から考察する方法もあるかと示唆を得ました。

☆ 初夏の季候とか  泉
春休み、孫三人のつかの間の再会に、先ずは存分に戯れる場所として、上野で待ち合わせ、公園を選んだのは正解でした。花見客に紛れて運動会の如く駆け廻り、咎める人もなく楽しめたようです。
阿修羅展の初日、仏像拝観も趣味の一つである中学生に、平成館に入ってきたらと勧めましたら、此処では魂が入っていないから、何時か興福寺で観るよ、との返事。
成る程、帰京の機会が多かった昔、魂とまでは云わないけれど、本来そのお寺にあっての仏様だ、と友人に東博の仏像展に誘われても行かなかったなあ、と思い出していました。今もその思いは変わらないけれど…
昨日、四時頃なら入場行列はないと読んだのがアタリで、すんなりと。ケース越しでない阿修羅像廻りの拝観だけは時間制限をしていました。何度でも逢いたい佳いお顔の大好きな仏像です。
同伴の幼稚園坊主の、この人何で顔が三つもあるの、の憚らない声に慌てて口を押さえるハプニングもありました。
染井吉野は花吹雪、紅枝垂れは満開でした。
2009 4・9 91

* 兵庫県の田中荘介さんは、勤続五十年の学園を退職。記念に、エッセイ等の限定本を編まれた。戴いた。
2009 4・10 91

* アメリカから帰っている池宮千代子さんを、妻と新橋ちかいホテルに訪ねる。お土産に、淡海お庭窯、膳所焼の水指を用意した。裏千家十四代、わたしたちの年齢にはいちばん親身な淡々斎家元の箱書がある。古門前の美術商林から裏千家へ箱書依頼の付記がある。
膳所焼は遠州七窯のうち最高の格を誇った丁寧な仕事のお庭焼で、ハデではないがしっとりしている。持参のこれは、瓢耳の細水指。結び文につくった蓋のつまみは華奢に美しい。胸高に一部、さまよく碧みの華麗な色釉が流れ、美景を成している。陽炎園造。
ロサンゼルスで多年熱心にお茶を続け、地元淡交会でも付き合いの広いらしい池宮さんに使ってもらえば、道具がよろこぶ。なにか 軸も添えてあげたいが、と、手近に巻いてあった荻原井泉水八十八歳の朱印のある『一陽来復』の色紙形軸装を掴んで行った。昭和四十五年十二月二十三日の日付が書き入れてあり、今なら天長節いや天皇誕生日。
「一陽来復」とは目出度くて、使いやすい。色紙形は、井泉水さんからわたしへ「フアンレター」代わりに「花・風」の二大字を揮毫して送ってきて下さったのに添えてあった。これは佳いと家で表具に出し軸装しておいたもの。わたしは気に入り気軽に愛用してきた。

* 結婚しようという頃、この池宮さんと姉の大谷良子さんにずいぶん力づけられた。そんなことも「年譜」を校正していて思い出した。二人ともわたしより四つから六っつほど年上で、良子さんの方が茶の湯、生け花の叔母の弟子だった。わたしと仲良しだった。この人もアメリカに渡って結婚し、惜しくももう亡くなっている。
お互いにもう少し長生きしなくてはならぬ、お大事にお元気でと、祈りながら池宮さんと別れてきた。

* 歌舞伎座前から三井ガーデンホテルまで歩いた。昨日ほどではないが汗ばんだ。三人で一時間半ほど歓談して別れてきた。お土産にブランデー「ヘネシー」や「ゴディバ」のチョコレート、それにティシャツを貰ってきた。
六本木まで車を拾い、どこへも寄らず地下鉄一本で練馬へ。駅構内のなじみの店ですこし早い夕食にし、その足で保谷へ帰宅。

* 茶道具は建日子にのこしても仕方がない。繪は建日子にも好みがあり、もう何点も、望まれては遣ってある。どう飾っているのか仕舞いこんでいるのか知らない。上村松篁の『雪』をいつも欲しがるが、これはまだ当分わたしのそばに掛けておきたい。
本は荷造りすれば送れるが、茶道具や額物はこわくて郵送しづらい。持ち歩くのもしんどい。茶の友は関西には何人かいて、東京ではめったに付き合いがない。売り買いしない。が、さてさし上げるとなると、茶の湯のほんとうに好きで分かっている人にと願う。かなり気がかりな「お荷物」になっている。
2009 4・12 91

☆ どういたしまして。  郁
あのようなささやかなお祝いで失礼いたしております。
頂戴いたしましたご本の年譜を拝見しておりますと、なぜか不思議な感覚におそわれます。タイムスリップなどとはちがいまして、自分でも不思議な時間がすぎます。 どうしてでしょうか? 折にふれ拝見いたしております。有難うございます。
私の個展もとうとう今年秋になりました。3年前に申し込みをいたしましたのに、あれよあれよというまに今秋となりました。はやーいです。 毎日追われることばかりでほっとする間もなくすぎています。
水彩画と油絵画とを平行しながら そしてストレスをためながらの毎日です。
まだまだ個展の準備や制作などはできません。ご案内はさせていただくつもりですが期待などなさらないでくいださいませ。お願いもうします。
ごきげんよろしく。
2009 4・12 91

* 福田恆存先生の奥さんの、ありがたいお手紙を戴いていた。藤田理史君の「元気」横溢の嬉しい手紙も貰っていた。あの『迷走』のような小説がいま理史君をいくらかでも励ましているとは、書いて置いて良かったなと嬉しい。願わくはよき恋をして、いちだんと基盤を厚く大きくしてくだい。
創刊以来の読者のお一人からも封書の忝ないお手紙を戴いた。

☆ 拝啓  周
この度は「湖の本」52を御恵投賜りありか゜たく拝受致しました。(中略)
間もなく百巻に到達の「湖の本」、出来ます事なら専門の方にルリユールをお願いして美しくまとめたいと何度か考へたものでした。
しかし年金生活の身でありますればそれも叶いませず、狭い我家ではあちこち分散して置かざるを得ない状態で、家の中を見廻しては、ルリユールされた「湖の本」が並ぶ書棚を思い描く事も度々です。
この度頂戴致しました「自筆年譜」(一)の中で特に昭和四十一年後半に興味を持ちました。何故ならば先生の御昨の中で私は「蝶の皿」に最も惹かれるのです。例へば谷崎的とか、鏡花的とか、そう思へばそうかも知れませんが、物語の筋立て趣向などのみならず、京都が秘めて持つ不思議な力を感じるのです。特に生れも育ちも東国の私にとりましては。その所為でしょうか、年に一、二度ですが京都に参ります時には、殆ど欠かさず法然院界隈を歩きますのも、「蝶の皿」の舞台をつきとめ様とする訳ではありませんが、せめて雰囲気なりと感じたいと思うからかも知れません。
私の散策の道は、時には疏水に沿い、時には一端バス通りに出て南に向い右手の小さい階段を辿り真如堂にお参りし、再びバス通りを南にとり、永観堂から二条通り岡崎の突き当り辺迄足をのばします。その辺りには通り過ぎる事の出来ない、ふと立ち寄ってみたくなる様な、置くには何かありそうな引き込まれる様な不思議な感じの小路や門構えがあるのです。この家にはどんな人が住んでいるのだろうと思います。
疏水の櫻もそろそろ過ぎましょう。疏水の花筏が眼に浮びます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。  敬具

* 索漠とした低俗世間から甦る心地で、このような声や言葉に立ち返れるのを身の幸と感謝せずにおれない。

☆ 雨が  花
ときどき激しく降っています。
いま、湖の本エッセイと、
『出生の秘密』
『若い読者のための短編小説案内』
『母性社会日本の病理』
『<盗作>の文学史』
『売買春と日本文学』
などを読んでいます。
『若い読者のための短編小説案内』は村上春樹著で、三浦雅士の評論集『出生の秘密』に、江藤淳の『成熟と喪失─”母”の崩壊』と比較してとり上げられていたので興味を持ちました。
海外の小説を主に読んで育ち、日本の小説はあまり知らないと言う村上春樹は、『若い読者のための短編小説案内』で、第三の新人たちの短編を語り、江藤淳も、『成熟と喪失─”母”の崩壊』で、第三の新人たちを批評してい、共に北米体験を持っているところが似ています。
河合隼雄著の『母性社会日本の病理』も、『出生の秘密』で触れられていました。臨床心理の観点から、とてもわかりやすく述べられてい、おもしろいです。
『<盗作>の文学史』は、主に明治以来の文壇と出版における著作権認識、剽窃と引用と転載の違いの認識と変遷を、事件・出来事別に順を追って解説してあるものです。よく調べてあり、別の角度からの文学史として、興味深いです。
最後の『売買春と日本文学』は、これまで話しましたかどうか、ずっと、日本の性風俗・性産業の起源やあり方に関心があり、読んでいます。
売買春は、世界最古の職業である、というのは、全世界の共通認識かと思われます。
売買春の問題は、女性を下に見る考え方と人権問題に関わってくるのみならず、明治以降の日本の公娼制は、軍隊との関わりを考慮に入れるべきであるし、すると、第二次大戦で日本軍の犯した大きな過ちである従軍慰安婦まで行き着きます。
買う人がいるから売る人がいる、と、単純に説明するだけでなく、今日、自ら進んで性風俗を仕事として選ぼうという女性もいる中、「NO」と言うには、どんな理論を打ち立てればいいのか、ずっと考えています。
とても複雑な問題で、いろんな人の意見を読みましたが、眼から鱗が落ちるように納得できたものはまだありません。
一葉の「にごりえ」「たけくらべ」「十三夜」「やみ夜」を読みました。
明治二十年代の、苦界の女性のありのままの苦悩、また、女性として生きる困難さが、「女性の手で」書かれたことの大切さを想いました。青踏の人たちでさえ、娼妓たちは堕落した女だと見做していた時代に。
一葉の作品は、荷風ら男の視点で書いたものとも違う、すぐれて先駆的で希少だと思います。
長々と書いてしまいました。
お元気ですか、風。

* 課題や問題意識を持って、見せかけでない勉強をし思索している人は、いつか酬われるだろう。

* いちばん文学を勉強せず思索もせず、しかも文学のプロかのような顔をして安易に世渡りしているのは、自称「作家」人種かも知れない。「作家」という名乗りにしても、だれが評価し試験しているわけでなく、だれが名乗っても詐称ではないのだから。安直なモンだ。

* 繪で、よく言った。
繪になってない繪
繪につくった繪
繪になった繪
なった繪に瞬間風速の吹いている繪
瞬間風速という言葉でわたしは感動を、魂の戦ぎを謂うのである。
文学でも同じ。容易に瞬間風速は飛ばせないのである。
事実問題、それは飛ばす・飛ばせるものでなく、つまり飛ぶのである。神の息吹をもらうのである。いくらおもしろ可笑しくても、エンターテイメントにそんなものは無い。
2009 4・14 91

☆ 秦 恒平 様   大学教授
ようよう待たれた桜も散り収めとなり、代わって新緑の季節となりました。
このたびは 『湖の本  自筆年譜(一) 全書誌・他』をご恵贈いただきこころから感謝申し上げます。
秦恒平自筆年譜(一)は、秦文学のルーツをたどる上で我々研究者には誠にありがたいものでした。それに、『花がたみ』で犀星の「女ひと』にまつわるような川端の『住吉』三部作がひらけるようなせ界に、 ご父母の御事が形象化されているとは。
ゆくりなく太宰治文学賞『清経入水』を読んだ折の不思議な陶酔を思いおこしました次第です。その後の『みごもりの湖』 『冬まつ り』……
全書誌もありがたく、「湖の本」を購読してきた巡り合わせを思い出しました。故長谷川泉先生がうれしそうに秦恒平を語ってくれた面影も。
新学期に紛れて、ご返事遅くなってしまいましたことお詫び申し上げます。 草々

* おかげでこの記念本もおさまるところへ無事におさまってくれた。読者の大勢のあつい応援と過分のご好意とで、出版も援けて頂いた。心よりお礼申し上げます。

* 「湖の本」創刊この方、無数のお手紙に加え、いわゆる払込票に書き込まれたいわば「お便り」「感想」「ご声援」また「お叱り」等が残っている。それらはもう私と妻とのたんなる所有でなく、四半世紀、百巻もの一作家の「出版事業」の精神的経済的基盤を保証してきた根幹の文学資料、文学史資料である。生半可に勝手に処分してはならないであろうと思っている。いずれは信頼できる研究者なり研究施設に一括委託したいが。
2009 4・16 91

☆ 「迷走」「少年」届きました。 理
秦さん 昨日、「湖の本」受け取りました。ありがとうございました。
中をあけて、驚きました、「少年」も入っている!
「少年」・・・学生の頃から、読むたびに、どれほど励まされ、教わったことでしょう。贈られた人も、むしろ「少年」のほうに先に親しんでくれるかもしれません。
濯鱗清流、とご署名も添えていただいて。まっすぐな、すがすがしい人です。この言葉、似合うなあと、嬉しくなりました。
購買の仕事を選んで入ってきて、(私たちの会社は部門を選んで採用試験を受けます)自分は何をしたいだろう、何をできるようになりたいだろう。「迷走」を読み返して、自分に問い直しました。
「したかったこと」「できるようになりたかったこと」を、成果として、実感しています。
ゴールデン・ウィークは長い休みになります。
連休のはじめに高知を旅してみます。四国ははじめてです。
父母の顔も見てきます。
父にとって、勤める「最後の一年」になりました。無事に、元気に、それだけを願っています。
この度は、お忙しい中、ありがとうございました。
迪子さんともども、どうぞお体お大切になさってください。

☆ お元気ですか。
色々パソコンの不具合が続いていて。今は、本体ではなくモニターの故障と思っていますが、何しろ画面がちらついたと思ったら半分赤く染まって目がおかしくなりそうです。
修理か買い換えかわかりませんが、音沙汰ないのはパソコンのせいでありまして、ご心配くださいませんように。
いつも、みづうみのためにお祈りしています。 スワン
2009 4・19 91

* 書庫へ入っていて、ふと『女人春秋』と外書きのある紙包みに目が留まった。何かなと紙包みを解いてみると、原田憲雄さんが中国の閨秀詩を選し、森田曠平画伯が繪を描かれた特製本で、二十五万円とある。森田さんに戴いたのであろう、こんな「お宝」がほとんど手つかずに棚の上で眠っていた。忘れていた。
また箱入りの美装、安田靱彦、小倉遊亀ほかの装画がみごとな新書版『谷崎潤一郎訳源氏物語全巻』が目についた。箱から出してみた第一巻の見返しには、見覚えの麗筆で谷崎松子夫人の署名があり、「秦朝日子様」と娘の宛名書きをして贈って下さっている。
書庫にはいろんな、わたしも忘れている佳い物が隠れているが、なかなかそこでゆっくりしていられない。。
2009 4・19 91

☆ お元気ですか。  閑
パソコンの画面がついに真っ黒になってしまいディスプレイを交換しておりました。本体の故障ではなかったので助かりましたが、みづうみからの貴重なメールも読めなくなっておりました。
さぞお疲れもでたことと案じています。
人間関係も物事も未解決の「曖昧」な領域がじつは大部分で、その曖昧さは、ある時は救いで大切なのかもしれません。解決のつかないまま生きるのが人生とも。充分休養なさって、楽しいことを存分に楽しんでくださいますように。
でも、みづうみの一番のお幸せは、書いていらっしゃる時でしょう。そこはみづうみの真実生きている場所です。長いものも、「花がたみ」の続きも凄まじいかもしれなくて、こわくもあり楽しみでもあります。

☆ 麗 「mixi」
今年は金婚式でいらっしゃいますか。お祝い申し上げます。陛下にお呼ばれなさいましたか。
白状しますと当方は銀婚式。まだまだ修行が足りませんね。

* あなたのアドレスを見ますと、メールアドレスだけがあり、ご住所は記載がなく。
それで、今回記念の湖の本をさし上げられなかったのだと思い当たりました。よろしければ、贈り先をお教え願います。
東京はじっとり暑くなってきました。
お大切にお過ごし在りますように。
銀婚があって金婚も可能です。あと少なくも二十五年。とほうもない財産ですね。豊かに生かしてください。 湖
2009 4・22 91

☆ 前略   文藝誌元編集長
先日は又御鄭重にも「湖の本52」を御恵贈にあずかりましたのに、御礼が甚だしく遅くなりまして誠に申訳ありません。このところ集中的に頼まれ事が殺到し、本日やっと一段落致しましたところで「小説二題」を拝読致しました。
「花がたみ  けい子」は御出生にまつわる係累を綿密に辿られつつ「けい子」叔母を浮き彫りされていて練達の手法で「正確さ」をめざされていく、揺るぎない姿勢に、一方「ひばり」の方は柔かいタッチで「色の黒い雀」の歌声のみを聞かれつづけていく陶酔感の描出に、衰えを見せられない作家魂に感銘致しました。『自筆年譜一』の実に綿密な記述にも驚嘆致しました。読書体験などに共通したものがあるのには同世代を意識しましたが、この前人未踏の「年譜」の御完成も心から期待致しております。不一

☆ 爽やかな若葉のなか  作家
「湖の本52 自筆年譜(一)・他」を拝受いたしました。「自筆年譜」は「自伝小説」の趣あるものとして興味不覚拝読いたしました。豊かな年月が感じられるものでした。「全書誌」の厖大な業績に驚嘆するばかりです。さらにたゆまずに先へ先へと歩まれる意欲と情熱に敬意を表します。

* お尻をぴしゃぴしゃ叩いてくださる有り難さをいつも痛感している。
有り難い読者のみなさまのおかげである。なぜかなら、わたしの「湖の本」はただ読者の皆様にお買いあげ頂いているだけではない。それに「助けて」頂いて、わたしは「湖の本」を、これぞと思う北海道から沖縄まで全国の大学や研究室や、また各界の優れた読み手の方々に寄贈出来ている。それがそのまま作家・秦恒平の「文学活動」ともなっている。「湖の本」の刊行そのものは、この時世あたりまえであろうが赤字である、が、まだ続けていられる。読者の皆様の手厚い支援があればこそで、わたしはそれ自体を稀有の文学史的事実だと感謝している。

☆ 秦先生、新茶の季節となりました。  瑠
私は今、「伊藤園」という御茶屋でパートをしております。元気です。
金婚、おめでとうございます。
メールアドレスが変わりましたので、お知らせいたします。

* 有り難い読者のお一人である。

☆ 武蔵境  泉 E-OLD
ワオーと驚きました。
今日バドミントンで遊んだ後、娘と孫と待ち合わせて、(あなたの通過したと=)ほぼ同じ頃に、武蔵境にいました。同時刻にバスで通過する脇道を自転車で走っていたのかもね。
以前、トルコ旅行で、あの小山に木だけが見える処がペルガモン王国の跡です。その遺跡の大祭壇が観たければ、今はドイツに持ち運ばれ、ペルガモン博物館にあります、と説明を受け乍ら、遠望しました。
それから七、八年にもなりますか、未だ観る機会に恵まれず、観てきた友人達からは素晴らしい大理石の彫刻だ、と聞きます。
「ヘレニズムの華、ペルガモンとシルクロード」に気を惹かれて、武蔵境の「中近東文化センター付属博物館」へ行ったのです。

* あすは、安全に「歩いて」一日を過ごしたい。今日橋を渡った稲城市内をもう少し観てみたいが、JR南部線で稲城長沼か矢野口へ行くにはまず立川へ行かねばならん。それなら日を変えて自転車の方が現地の小廻りは利くが、四時間を超えるのは疲労がきつい。疲労すると、注意力が落ちる。
もうすこし気楽に、重金さんの本をもって食べに歩くか。
2009 4・22 91

☆ お元気ですか。 檜
今朝の「私語」を拝見して思わず苦笑していました。
伯父は小宮豊隆の講義を受けたせいで夏目漱石までいやになってしまった、気の毒な経験をしたそうです。
本日湖の本『自筆年譜』に寄せて送金させていただきました。
以前の「私語」でこんなものを見つけました。
* 逢いたい人がいつでもいる、というのは豊かな糧である。大切にフォロウしていないと、時間の算術に翻弄されて、永遠にすれ違いもせず、別れて行く。時間は誰にもたっぷりあるようで、ちがう。二人で三人での組み合わせとなると、時間とは貴重な薬剤のように手に入りにくくなる。 2003 4・11
たしかに。

* 連休で東京がすいているうちに、ちょっと御無沙汰している千葉のE-0LD勝田さんや、東工大卒業生のだれかに逢いたくなったなあ。
2009 4・23 91

☆ お元気ですか、風。 花
明日から連休がはじまります。楽しみに出かけます。
明日は雨だというので、気になっていた鉢植え植物の植え替えを、今日のうちに、と思い、夕方から取り掛かりました。
ポツポツ雨が来ましたが、植え替えは手早く終了し、本降りは来ていません。
昨日も永い休暇のための諸用意に全力投球でしたので、済ませてソファにゴロンとなったら、強い睡魔に見舞われまして、そのまま爆睡。
深夜にムックリ起き、入浴して寝ました。
風、ひどい睡眠欠如でしたって、もう! いけませんね。お出かけも無事にご帰宅だったようで、安心しましたが、昼夜逆転もほどほどにね。
> ゆっくり自転車で走り、じっくり本を読み、作品に手を入れます。
花も、風を見習い、一日も怠らず本を読み、「あ」でも「か」だけでもいいから連休中も書きます。がんばります。
ではでは。
2009 4・24 91

* 陰気に雨の降る土曜であった。冷え冷えして戸外へ踏み出す気もしない。いいしおに、終日「湖の本」新刊の原稿作りに勤しんでいた。
昨日の朝、起きがけに、もう少し寝ていようかなと想った尻から、そんなに時間は残されていないよと内心の声に励まされた。やれることはやっておく。

* いまだに祝って下さる人があり、恐縮する。資金的に「湖の本」を助けて下さる人も多い。京の南座横、松葉屋の見るからうまそうな鰊蕎麦のセットも京都の友人たちから届いた。鳥取の図書館長さんから「日置櫻」という純米吟醸も戴いた。これがじつに旨い。
みなさんに、心より感謝。
2009 4・25 91

* 松たか子の登場する賑やかな夢を観ていた。なんでも十四五人が細長い座卓をかこんで座談の客に招かれていたが、招いた主人公も他の客たちも一二顔に覚えのある人もいたが、みな名も知らぬ面子で。さて、何が特別の話題というでない、歓談というよりわたしには手持ちぶさたな場所だった、女の人たちが茶菓やのみものを出してくれる中に松たか子もいて、わたしは今日齋ちゃんご祝儀の品を戴きましたよ、おめでとうと小声で挨拶すると、小声で礼を言われた。
やがて大方の客が帰って、ワケ分からず数人が居残り、わたしも帰りそびれて残っていた。接待していた若い女の人たちがかわりに席について賑やかすぎるほど賑やかになり、これまたワケ分からず江戸時代の絵入りの読み本が一冊持ち出され、一人の若い女性に読んで聴かせてくれとせがまれたが、実によみにくい版面と書字にヘキエキした。その席にも松たか子はいた。
そこまで思い出せ、それ以上は忘れている。奇妙なものです、夢は。

* メールボックスに、高麗屋の奥さんのと、卒業生の林君のメールが来ていた。
高麗屋は大阪で『ラ・マンチャの男』の初日だそうで。三度観た舞台のそれぞれが目に甦る。やす香の一のお友達とも一緒に観たのだった。
林君と、明日池袋で会うことに。
妻が、海外青年協力隊に参加した布谷智君はどうしたかしら、もう三年たったかしらと、噂を。上尾クンはもう海外へ出張していったろうか。柳君の国内出張は六月頃までと聞いていた。丸山君はどうしているかな。編集者の白澤さんは活躍しているか知らん、堂免さんも新しい本の企画などに張り切っているだろうか。バルセロナの京も元気かな。みんな元気かな。元気でいてくれればいい。

* さてさて、このわたしは。大丈夫。元気にしています。
2009 5・3 92

* 林丈雄君と十一時半に逢い、三時に池袋で別れてきた。天麩羅で昼食し、喫茶室で話し、「さくらや」で今売り出しのネットブックを物色した。あわや買おうと思ったが、いま一抹の思いに、踏みとどまった。
いろいろ話してきたが、さて、一段変化のある結論には至らず、林君の現状について多く聴いてきた。わたしもかなり話した。
2009 5・4 92

* 天気はちっともよくならない。冷える。

☆ 母の里から、予定どおり帰宅しました。
行きはスイスイ、帰りは、高速を降りてからの一般道で少々渋滞に巻き込まれましたが、まあまあ首尾よく帰れました。
友人の実家の庭にあります亡き飼い犬のお墓にお線香を供えてきました。
そのままみんなで大宴会。花は運転手でしたけれども、みんな沢山お酒を呑んで、楽しく過ごせました。
こっちにに戻りましてから、妹が来まして。
あいにくの雨と風、数日前とはうってかわった気温差で、冷えます。
さてさて、みんな明日からまた仕事です。
芥川は、たくさんは読んでいませんが、鋭い批評のある作品だな、と感じています。
花の体調は、完全に戻っています。インフルエンザでもありませんでした、ご心配なく。
ではでは。 花
2009 5・6 92

* 京都の知己、松本章男さんに頂戴した評伝の大作『歌帝 後鳥羽院』を読んで行く。もう久しいお人である。「『けい子』身にあたる涙をおぼえました」と。感謝。ご自身も、あのなかの「闇に言い置く」で洩らしていたと「同じ道をたどっています」とも。感慨深い。
2009 5・7 92

☆ 鴉へ  鳶
三月、四月、そして現在もフル回転でお仕事をされている御様子。大変だろうなと遠くから察するばかりです。不調の怠け鳶はただただ感心し、同時にわが身の拙さを恥じるしかありません。やっとメールを書いています。
連休の後半は雨が続き、七日に日が変わる頃家に戻りました。(交通渋滞には遭いませんでした。)
今日もまだ曇り空。洗濯したのですが、なかなか乾きません。今しがた気づいたのですが、ハンガーに小さな青蛙がちょこんと座ってじっと動きません。蛙はピョンピョン跳ねるのは稀、むしろじっとしているのが常態ですね。蜂が花に群れ、早や蚊も出始めています。
さまざまに心引き締めて生きなければ。
「さまよわないで・・」の述懐詩 胸に沁みました。

☆ お元気ですか  菖
連休疲れを脱し、やっと平常の生活に戻っています。
京都は予想していたほどの混雑もなく、絶好の日和。醍醐寺の三宝院、随心院はほぼ独占状態で、水音だけが響く庭の新緑に溺れるようでした。
智積院の長谷川等伯と建仁寺の俵屋宗達の国宝を観て、しみじみ世界にはあちら側のごく少数の人間とこちら側のその他大勢の人間の在ることを感じました。
朝方の激しい雨は止み、どんより曇りつつも穏やかな午後でした。小猫が膝の上で寝入っているということは、少し人肌の温もりが恋しいということでしょう。
冷えませんように。
2009 5・8 92

☆ お元気ですか、風。
よく晴れましたので、洗濯、掃除、蒲団干し、落ち葉拾いをササッと済ませました。
明日も晴れるそうなので、掛け布団カバーなどを洗濯します。洗濯ものが溜まっているのです。
洗濯は好きです、といっても、洗濯機がしてくれるのですが。積まれた洗濯物を洗濯機に放り込み、干し終えると、清々します。
畳むのは、ちょっと面倒かな。
さてさて、花は、河合隼雄さんの『母性社会日本の病理』を、興味深く読み終えました。
三十年以上前の本ですが、現在の世界に十分通用する論・分析だと思いました。
インターネットなどの発達はめまぐるしいものがありますが、それはあくまで表層の変化であり、何も変わっていないんだ世の中は、と感じました。
暑くなるそうです。
風は大汗をかいてお過ごしかしらん。
ではでは。花

* みなそれぞれの連休明け、後始末なのであろう。

☆ お蕎麦屋   光琳
ご無沙汰致しております。お変わりございませんか。
5月になりました。
あっ! と言う間に、入学してから1か月が経ってしまいました。
毎日慣れない授業に付いて行くのがやっとの1か月でした。
それに加え自分の研究も少しずつ始め、校外での特別の勉強も始まり、アルバイトも隔週で始め、健康の為にウォーキングも始め・・・
通学の電車を一本にしぼり、最寄りから歩いて行く事にしました。所要時間は、電車通学時プラス10分位です。
4月という月に後押しされ、新しい事を沢山始め、慌ただしく動いていたら、もう5月。
しかし、ひとつ問題があります。校外での新授業の始まる時間に間に合わないのです! 紙の上の計算ではピッタリ着くハズなのですが、上手く行くはずなく、毎回遅刻してしまいます。少しでも取り返そうと、毎週走って移動しています。なのでその授業の*曜日は“スニーカーを履く日”と決めています。走る走る「光琳」です。

5月1日は、“カナダ研修”でお世話になったカナダ人の女の子マリーが日本に来ました。日本語を習い始めて今年で4年目。大学ではコミュニケーション学を専攻しているそうです。
そんな彼女の関心事は日本の漫画という事なので、先日は一緒に私も初めてのアキハバラへ行ってきました。
アキハバラは不思議な所です。あれほど多くの人が居るのに、みんなの関心事は人ではなく、機械と漫画。若い人たちが多いのに、エネルギッシュさが感じられない、そんな場所でした。
これが日本の全てと思われるのは悲しいので、その後はおじい様・おばあ様とご一緒した浅草を案内してきました。
屋台が出ている事もあって、すごい人の数でした。
前におじい様に教えて頂いた事を、受け売りの様にマリーに教えました。とても喜んでいましたが、マリーは漫画の方が好きな様でした。
そうそう先日、大学の図書館でおじい様にバッタリ出会いました。
授業で谷崎潤一郎について少し触れたので、図書館で本を検索したところ、なんと! おじい様の本を発見!! 他の課題があった為じっくり読む時間が取れませんでしたが、嬉しくて一日その本を持ち歩いていました。
大学受験の頃のおじい様のエピソードが書かれていました。
若い頃のおじい様に遭遇。
頑張ってね、と応援されている気がしてあたたかくて嬉しかったです。
そしてお蕎麦好きの私は、とうとう蕎麦打ちに手を染めました。
友人の父上が師匠です。始めてのお蕎麦、携帯で撮りました。板に付いている名前は、私の師匠が弟子入りしたお蕎麦道場の名前です。
私は、友人宅のリビングが道場になりました。お味見していただけなかったのですが、映像だけお送り致します。
その内、腕が上がったら出前に参ります。
明日また、スニーカーで走ります。走る日です。
お天気がぱっと致しませんが、憂鬱を吹き飛ばしてお身体ご自愛下さいませ。

* また逢いたくなったなあ。
2009 5・9 92

* 大阪から、耳を傾けたい声が届いていた。どうかこの場所を通じて、活溌な声と意見の交換が欲しい。
不徳なわたし一人の声や言葉では、わたしが会員であり一人の理事であろうと、もうとうてい平和と反戦との筈の「日本ペンクラブ」すら硬い態度を変えない。まして政府をや。声が声に、言葉が言葉に、もっと呼応し連鎖し増えに増えて「風」を起こさないと。無力感ばかりが黴のようにからだにこびりつく。

☆ ペン電子文藝館の「高村光太郎作品・抄」に関連して  大阪・松尾より
今朝(9日)の毎日新聞の「余禄」には、日本が台湾を植民地化していた時代に、当時東洋一の烏山頭ダム建設の指揮をとった総督府の技師、八田与一氏が、このダムによって恩恵を受けた嘉南の人びとから、今も功績を称えられ、敬愛されているという話が採り上げられていました。ダム造りを描いたアニメ映画「バッテンライ!!(八田が来た)」封切りにあわせて紹介されたものです。
「植民地は台湾の人たちに過酷な運命をもたらした。親日派の統治時代経験者でも、差別があり嫌な思いもしたと言う。それでも懐かしむ人が多いのは、続く国民党政権との比較もあるが、八田氏が築いたような人と人とのつながりが脈々と生きてきたからだろう」。
「(アニメ上映という)この機会に先人の足跡を知るのも悪くない。台湾では民主化に伴い、日本統治を、是は是、非は非として論じるようになった。私たちも冷静に日本と台湾の過去と現在を見つめたい。」と「余禄」筆者は書いています。
いかにも「是は是、非は非」と公正な立場を装いながら、その下心は、日本人にとって快い「是は是」の話はそろそろ解禁してもいいのではという誘いのようにも感じられます。
「余禄」の短い文章のなかには「非は非」部分は上の引用部分以外には何も出て来ませんし、紹介されたアニメ映画にも「非は非」部分がきちんと描かれているとは思い難いのです。
田母神論文-高村光太郎「招待」-「バッテンライ!!」+「余禄」とならべてみると、日本の過去を美化(ないし復権)しようとする強い力が働いているのでは、と思わされます。

「ペン自体が<戦争讃美を容認>しているものと観なければならない。」とは、鋭いご指摘だと思いました。
気持ちの悪い、気味の悪い動きが蔓延しています。まず「文化面での制圧(大衆操作)」が目指されているのではないかと考えるのは勘繰りすぎでしょうか。

* 光太郎の「戦争讃美」を電子文藝館ないし日本ペンクラブが批判し否認したのなら、そういう「批評」が明示されているなら、まだ分かる。
それでさえ、遙かに先だって生前の光太郎自身が痛苦とともに悔い自己否定しているものを、わざわざ「招待」しておいて晒し者にするのは、義も情も理もあまりに欠いているのだが、「ペン電子文藝館」(阿刀田高館長・大原雄委員長)の現にやっていることは、むきだしの「戦争肯定詩」の脇にむきだしの「戦争讃美文」を「わざわざ置き添える」という露骨な強行姿勢で掲載し、国内外に発信している「愚」なのである。
指摘されても反省も改善も無い。
2009 5・10 92

* むかし「新潮」におられ、手を取るようにまだ作家以前からの私を導いて下さった、文壇でも知らぬ人のなかった編集者・小島喜久江さんから、「湖の本」新刊へ祝いと激励の葉書を頂戴した。
「百巻に到達とは驚きで、大変な御努力と思いますが、昨今、出版社がすぐ絶版にする時代ですから、全部、あとに残るというのは、たいした事と存じます。年譜もくわしく、書誌も、一冊も洩らさず、ということで、その綿密さにびっくりです。まだまだお仕事を続けられ、業績を積み上げられる事と存じますが、御健康面でも、どうぞ盤石の構えでいらっしゃれますよう、お祈り申上げます。御礼のみにて、かしこ」
饒舌な「弁慶」さんではなかった。未熟な「牛若丸」を追いかけ回すのにもいとも静かで、提出した作の原稿用紙に、あるかないかほどの鉛筆ですーぅ、すーぅと傍線がひかれているだけ。その説明も無かった、もう一度手入れをと。わたしは、ただただその傍線の前後をにらんで沈思し黙考して改稿にこれつとめた。
「蝶の皿」「畜生塚」「青井戸」は、何の問題なくすいと通してもらえた。

☆ お元気ですか、風。
夕方になり、いくらか気温が下がりましたが、昼間は暑かったです。
まだ、外気に触れると、鼻がむずむずしますので、窓は開放しません。
嘉村礒多のこと。
いろいろな人の小説や論文を読んできた中で、「私小説」に対する思いも変わってきました。
ごくはじめ、「私小説」は、不完全なものとして、わたしの目に映りました。確かに、中村光夫の説のように、フランス自然主義の誤解を伴った輸入によって、自分が主人公になりおおせた「私小説」は、日本独自の、文藝作品としては奇形児だったかも知れないけれど、西欧にはない独特の境地を極めたのではないかと、今では思っています。
わたしはまだ「極北」と呼ばれた作品をあまり読んでいないので、早速『七月二十二日の夜』を見てみようと思います。
ではでは、風、お元気で。
お天気がつづきますように。 花

* フランス自然主義文学の「輸入」「翻訳」だけで論じ覆えないだろう、西欧文明史の層の厚さ咀嚼の確かさが海の彼方の近代文学にはあり、それに追いつくよりもなにも、江戸時代直か継ぎの「明治」という日本と、西欧模倣をてんてこまいで急ぐ日本との、混乱の極のような「東京」で、日本の近代文学は、手の舞い足の踏みようもこんぐらかって、途方もない、せいぜいよい云い方でいえば「試行錯誤のトンネル」へ突入した。
漱石の謂うように、それは「文学の」と言うより先に「文明開化」の問題で、文学はその一部の応用問題に過ぎなかった。鴎外流に眺めれば、「東京」という名の「日本」は、慌ただしい「普請中」の時代に好んで雪崩れ込んでいた。
わるいことに、日本は相応に広いのに、だれもかも「東京」で旗をあげようと、作家志望者もみな東京へ出てきた。それでは、根が東京育ちの者になにもかも「分」があり、なにかにつけアドバンテージが与えられた。典型的な例で志賀直哉は東京に育って、しかも近代を呼吸しやすい環境・条件に恵まれていたが、自然主義の連中は誰も彼もが地方から東京へ這い出てきていた。そのハンデキャップの中で、直哉ら白樺の人たちの把握できた「自我」と、藤村や花袋や白鳥や秋声や、また善蔵や礒多らの藝術がらみの奮励でやっと捉えた自我とでは、えらい落差が有った。「私」の意味がずれた。逸れた。その私小説にも落差が出来た。

* 漱石は、鴎外は、また荷風も、そういうことを西欧を自身で体験して承知していた。ことに「電車以前の東京」という日本の生活をこよなく知っていて「電車以後の東京」へ帰朝した永井荷風は、電車以前の生活にあった「ある失ってはならない暮らしの価値」、つまり生活様式がにじみ出させていた情緒や習慣や哀情の美が<すべて東京から失せていることに愕然とした。失われたのは「古くさい何か」ではないのだった。パリでもロンドンででも同じそういう価値が時空に畳み込まれていて、それあってこその西欧文明であると知ってきた荷風には、どうしようもない壊滅が東京で進行していた。
もう東京はまともな人間の暮らす場所に見えなかったのだろう、荷風には。大なり小なり、漱石にも鴎外にもそうであった。三人は三様の自分の世界へ、文学・美の、立て直しを図って成功した。
2009 5・11 92

☆ (吾亦紅)いつまでも見ていただいて、ありがとうございます。 讃岐
ワレモコウはドライフラワーになるくらい、花がかさかさになってもその特徴をよく留めています。これで、「バラ科」というのは驚きです。
私のほうは、先日、黒くかさかさになったナンバンギセルをミョウガとタカノハススキの根本にほぐして蒔きました。秋、にょきにょきと煙管が出てきてくれたらいいのですが・・・。
パソコンを変えたのと、機械音痴とが重なって、もう、歯がゆいことだらけです。ごぶさたをしまして申し訳ございません。
『平家物語』やっと巻三まできました。岩波の文庫本で一冊ぶんです。約3年かかっています。月一回の講読会では、こんなもので、全部読み終えるまで命がもつだろうかと冗談でなく、みんな思っています。でも、1字もとばさず、原典を読むのは、一種快感でもあります。
先日、みんなで岡山に校外学習に行きました。
行き先は、治承のクーデターで藤原基房が流された、備中湯迫(いばさま)の関白屋敷跡・那須与一が恩賞で与えられた井原庄(岡山県井原市)の永祥寺・袖神稲荷・・ここにはなんと、与一が的を射るとき破り捨てたという右袖が祀られているのです。もちろん見られませんでしたが、子孫が建てたという曹洞宗のお寺は、それは見事なものでした。
もう一つおまけに、ここで生まれたのを記念して作られた平櫛田中美術館も行ってきました。
国立劇場にある「鏡獅子」の制作に関係した習作がたくさんありました。
中でも、六代目菊五郎が快くモデルになったという裸像はすばらしかったです。顔は隈取りし、手足にもおしろいを塗っていますが、衣装を着けたのと全く同じポーズを裸でとっています。力のみなぎった彫刻に見とれてしまいました。
先日八百屋にソラマメ(私のほうではなぜか、「新豆しんまめ」と言います)が出ていました。
季節感のある色と香りを味わっていただきたく、宅配便を頼みました。まもなくそちらに着くと存じます。
莢ごと、グリルで焼いて、蒸し焼きにする食べ方もあると聞きました。おためしくださいませ。

* 袖神稲荷ですか。八百年の時空がすうっと縮まって想われる。
新豆、色美しい内においしく頂きます。
2009 5・14 92

☆ 二階は暑いです。
建て込んでいる地域の都市住宅は、建物の陰になることが多く、日照不足を回避するため、二階にリビングダイニングを持ってくるのが、最近多いようですが、夏の冷房費がかさむのではないか、と、こんな日は想像してしまいます。
さてさて、風、お元気ですか。
カラッと晴れているけれど、ベランダの手すりを拭くと、タオルが緑色になります。花粉。
中公文庫『作家の態度』は、古書でしか入手できないようです。
講談社文芸文庫に、福田恒存文芸論集というのがあり、こちらは新刊があるようで、『作家の態度』と内容が重なっていないかなあ、と、希望を持っています。
恐れ入りますが、お時間のありますときに、『作家の態度』の目次を教えていただけますか。
ではでは。 花
2009 5・14 92

* 千載和歌集 冬歌  わたしの心に適った歌
冬きては一夜ふた夜をたまざゝの葉わけの霜のところせきかな   藤原定家
ねざめしてたれか聞くらんこのごろの木の葉にかゝるよはの時雨を   馬内侍
うたゝねは夢やうつゝにかよふらんさめてもおなじ時雨をぞ聞く   藤原隆信朝臣
あさぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬ゞの網代木   中納言定頼
ふる雪に行方も見えずはし鷹の尾ぶさの鈴の音ばかりして   隆源法師
夕まぐれ山かたつきてたつ鳥の羽おとに鷹をあはせつるかな   源俊頼朝臣
霜さえてさ夜もなが井の浦さむみあけやらずとや千鳥なくらん   法印静賢
霜がれの難波のあしのほのぼのとあくるみなとに千鳥なくなり   賀茂成保
水鳥を水のうへとやよそに見むわれもうきたる世をすぐしつゝ   紫式部
難波潟いり江をめぐるあしがものたまもの舟に浮き寝すらしも   左京大夫顕輔
朝戸あけて見るぞさびしき片岡の楢のひろ葉にふれるしらゆき   大納言経信
雪ふれば谷のかけはしうづもれてこずゑぞ冬の山路なりける   源俊頼朝臣
雪つもる峰にふゞきやわたるらん越(こし)のみそらにまよふしら雲   二条院御製
ひとゝせははかなきゆめの心ちして暮れぬるけふぞおどろかれぬる   前律師俊宗

わたし自身の目に映じ耳に聞こえ肌に触れてくるもののたしかな歌を採った。類型の多くなる春や秋の歌よりも、わたしの好きな「冬」の歌に親しめる実感が豊かであった。
これで四季を選び終えた。筑波の「香」さんらは、どんな批評であろうかなあ。
2009 5・15 92

☆ 湖様
ご無沙汰しています。「私語」はときどきお邪魔しています。
いろいろ大変な状況ですが、ますますご自分の襟をしっかりと正し、胸を張って日々「今・ここ」を過ごしていらっしゃるご様子を想像しています。
私は心身ともに元気というわけではありませんが、小さな庭を見るのが好きです。今、テッセンと真紅のシャクナゲが美しく咲き、あじさいのつぼみが膨らんできました。草に手を触れるとやさしい気持ちになれます。植物セラピーでしょうか・・・。
おかげさまで仕事はまずまず。社員を十数名抱えてやめるわけにもいきません。あと5年 あと5年 と思いながらまだ少しは続けそうです。
母も年取ってきましたが、名古屋で今個展をしていますので、日曜日には一緒に行きます。母も生涯仕事が生きがいなのかもしれません。
娘たちも元気です。3人目のベビーが6月に生まれる予定ですので、海外に手伝いに行ってきます。
おいしいものをご一緒したいですね。 波

* まずまず元気そうで、なにより。身は年齢のために静かに衰え行くにしても、心を病み始めると生き甲斐を失いかねぬ。だれもだれも大事にと願う。
2009 5・15 92

* 昨日、岐阜県の山中以都子さんの詩集『水奏』を戴いた。「湖の本」よりもながいお付き合いで、最も早く詩人として目をとめた一人、ペンクラブにも早くに推薦した。「e-文藝館=湖(umi)」にもはやくに作品をもらった。
この詩集は過去の三冊の詩集から自編のアンソロジーで、よく選ばれている。この選集とかぎらず山中さんの詩世界は、死なれ・死なせた人への呼びかけでおおかた成っているとすら謂える。いつも手をのべている。その優しさが弱さでも強さでもある。冒しがたい秘蔵の玉を掌に握っているような詩を、美しく書ける人である。

桐の花    山中以都子

山すその火葬場に
ひっそりと いま
霊柩車が入ってゆく

柩によりそうのは
とおい日の
わたしか

はす池のほとり
しんと空をさす
桐の花

父よ
そちらからも
みえますか

いまほしいのは    山中以都子

なぐさめとか
いたわりとか
しったとか
げきれいとか
──じゃなく

そんな
とりすましたものなんかじゃなく

たったひとつ
いまわたしがほしいのは
てばなしのらいさん
みもよもないほめことば
かおあからめずにはきいておれない
とてもしらふじゃいたたまれない
むきだしのまっかなこころ
ちぶさからほとばしる
ひのことば

かあさん
あんなにわらったのに
かあさん
あんなににげまわったのに

あんなにわたし
めしいたあなたを
べたべたのあなたのあいを
あのころわたし
あんなに あなたを
あなたを
かあさん……
2009 5・17 92

* 久しい読者の浅井敏郎さんの『菊を作る人 私の文章修行』を読んだ。若い頃味の素に入られ、新日本コンマースの社長を経てJTインターナショナルの常務、常勤監査役を経て一九九七年に退社、わたしより一回りお年上で、矍鑠とされており、時折、武蔵境駅近くのすてきなフレンチをご馳走になった。お嬢さんは国際的に経歴豊かなピアニスト浅井奈穂子さん。リサイタルにも何度もお招き戴いている。

* 拝復
御労著『菊を作る人 私の文章修行』 頂戴以来 日かずを経ましたが、少しずつ拝読の日を重ねて、読み終えました。静かに頷いて、感銘を噛みしめています。
よくなさいましたね、奥様へのいわば mourningwork=悲哀の仕事として、久しく行を倶にされてきた人生の回顧を、幽明境を異にしながら心ゆくまで共有なさったものとも感じ入り、寂しさのなかに、ご心境の清明また平静を読み取らせて頂きました。有難う存じます。ことに奥様の句集を共に成されましたこと、有り難く、懐かしく拝読・再読いたしました。
文章への御思い入れの深くまた久しいことにも敬意を覚えます。熟達かつ簡古の筆致に失礼ながら新鮮な驚きを加えました。有難う存じます。
わたくしは、時折、半ば冗談でない本気で、「のようというのだ」をぜひ文中多用しないこと、また改行段落のアタマに無用の接続(つなぎ)の言葉をおかず、端的に新段落の文章をはじめること、一人称をむやみに多用しないこと、句読点を適切的確にうつこと、推敲をけっして怠らないこと、など心がけております。それでもなかなか文章上手にはならず、なさけないことです。
但し文章に拘泥する以上に 自身の体臭ないし指紋のような独特の「文体」の発見と精練を望んでいます。文章に拘泥し、型どおりの推敲に拘泥し過ぎますと、没個性の乾いた作文に陥る危険を覚えます。そんなことを、いつも感じつつ自身の文章文体創作に勤しんでおります。
おかげさまで、桜桃忌の頃にも「湖の本」通算「第九九・百巻」を相次いでお届けできる段取りでおります。
題して『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』上下巻となります。一つの中仕切りとして、漸く此処へたどり着くかと、日頃のお力添えに、心より感謝申し上げます。
ますますご健勝に、清やかにご長命あられますよう祈ります。
お嬢様もお変わりなく御活躍と存じます。お揃いにて、お大切に、お大切に。    秦 恒平
平成二十一年五月十八日
私、自転車でよくご近所までも駆け回っています。多摩川から稲城市までも、荒川からさいたま市までも、所沢の向こうまでも、運動代わりに。以前はただの自転車でしたが、今は電動自転車を買って貰い、坂もらくらく。長いときは四時間も駆け回っています。
2009 5・18 92

☆ お元気ですか。
あれよあれよと新型インフルエンザの流行がやってまいりました。弱毒性ということですが、糖尿病のある人は重症化しやすいという報告もございます。病院や校正などで外出なさいます折には、なるべく人ごみを避け、マスクを着用の上充分お気をつけてくださいませ。(入浴中の読書は危ない等、何一つ、何一つ、一度たりとも真剣に聞き入れてくださったことのない方ですが、こちらも意地ですから、念押ししておきます。)
もう一つ、食糧の備蓄を心がけてください。ライフラインを守る電力会社の基準では備蓄の理想は二カ月分だそうです。パンデミックの終息にはそのくらいかかるのです。二カ月というと、一部屋ぎっしり一杯になるくらいの量とのことですから難しいでしょうが、せめて二週間は確保したいものです。とりあえずこちらはお米を蓄えましょうか。
来週にも、新型インフルエンザが東京に猛威をふるいだしているかもしれません。ウィルスの弱まる入梅後に期待をもちます。
湖の本の百巻を心よりお祝い申し上げたいと願っています。本棚にぎっしり並んだ湖の本の前に立ち、胸に迫る思いかあります。 梨花

* インフルエンザは困るなあ。
これからちょこちょこと外出がある。ペンの旧理事会最期の役に三人の入会希望者の推薦をしてこなくてはならない。総会・新理事会・懇親会は失礼する。
京都では美術文化賞の授賞式もある。とにかく新聞も雑誌も人の噂でも、あっちでもこっちでも二言目には「糖尿病の人はアブナイ」とやられる。
家で読書三昧の方がいいかな。そりゃその方がいい。この頃は浴槽のなかで荷風を読んでいる。さっきも『つゆのあとさき』のアタマを読み出していた。
寝る前に、旧約のエゼキエル書、法華経、バグワン、ゲーテとの対話、ジャン・クリストフ、蜻蛉日記、今昔物語、千載和歌集、漱石の行人、道草、講演録、三島の禁色、沼正三の自叙伝、そして荷風語録。そうそうハイデッガーの存在と時間にも体当たりしている。
どうしても二時間近くはかかる。
2009 5・19 92

☆ 「湖の本」百巻達成おめでとうございます。
読ませていただくのを楽しみにしております。
第一巻が送られてまいりましたときの興奮・ドキドキを思い出します。
それ以前に読ませていただいていた「清経入水」でしたのに逸り立つ気持ちを抑えられない気分でした。
以降、難しい小説に難渋したり、思わず感涙したりもしながら、九十八巻まで読み続けさせていただけた事、幸せに感じております。
おっしゃるとおりの「中仕切り以降」のご本の発刊を楽しみにしております。数十巻の本の誕生のためにも御健康にご留意くださいますように。   ウキフネ

* 深く、感謝。
2009 5・20 92

☆ インフルエンザ
今日知人から得た情報によりますと、新型インフルエンザが弱毒性、季節インフルエンザと同じというのは信頼できないというのです。病状はひどく苦しいもののようです。
どちらを信じるかといえば、一般人の流言蜚語のほうが政府発表よりまだましかもと思われます。何しろ、今まで国民の生命を最優先に尊重するという哲学を一度ももったことのない政府でありますから。
この国では、万事個人で自衛するしかないわけで、流行の推移をみて、事態をもう少し認識したいと思います。大切なお仕事を控えていらっしゃいます。インフルエンザは絶対にいけません。

* さようわたしにも思われる。東京でもアメリカ帰りの高校生感染者が出た。蔓延の勢い、避けがたいか。

* 明日の午後は、それでも、楽しみに出る。
2009 5・20 92

☆ 夏河を越すうれしさよ手に草履   ゆめ
あのア―トで意味深な蕪村にして、この手放し無邪気な喜びよう!
西舞鶴で北近畿丹後鉄道に乗換え、たった今、由良川にかかる鉄橋を渡りました。もうすぐ「丹後由良」に到着します。山椒太夫や蕪村、そして『あやつり春風馬堤曲』の足跡を尋ねて、とうとうきました! ヒロイン浦島朋子さんに成り代わって…。
あの作品、先生らしくユニークで大胆な仮説、少しミステリアスで、好きでした。
蕪村の生母の里とされる、与謝・加悦谷までは今回のニ泊三日の旅ではちょっと無理? 蕪村の母の出身は、加悦谷の散所(門付けの藝能集団?)という説、私も納得・同意です。東京に戻りましたら、またご報告しようと思います。

☆ 元気で旅を続けています。由良の海を臨む絶好のロケーションの丘の上で、ひとけのないのを幸い、「山椒太夫」のひとふし朗読してみました。
2009 5・21 92

☆ 祝百巻:
“「秦 恒平・湖(うみ)の本」全100巻”おめでとうございます。
これは、すごい! です。凄いことです。ホームページの「桜の中の秦さん」とずらーっと並んだ「湖の本」たちを眺めながら、重ねて心よりお祝い申し上げます。
田んぼの苗がぐんぐん育っています。益々のお元気をお祈りします。
e-OLD千葉 勝田

* つつがなく進めば、桜桃忌ごろにまず九九巻めをお届けできるでしょう、百巻めも併せ進行しています。お便りを戴いていながら勝田さんにはつい甘えて、まともにご返事もさしあげず失礼を重ねています。御宥恕を。ゆっくり勝田さんと会って話せる日をいつも胸のうちに待ち望んでいます。これも甘えですね。
2009 5・23 92

☆ 初蛍   馨
蒸し暑かった月曜日、帰宅したダンナさんが
「車の上にホタルがとまってるよ」
もうパジャマを着ていた子どもたち全員、ぞろぞろと庭に行くと、車のボンネットで静かに一つだけほわ~んと薄黄緑の光。
とても暑い日だったので、間違えて出てきちゃったのかな。
普段より一ヶ月早いよね。

3歳の息子はすごく感動。
「あ、あっちいった! ぴかーってまた光ったねぇ。あ、木の方へ行ったよ。」と、ずっと追っていました。ベッドに戻っても「ホタル、いたねえ。また見よーね」と名残惜しそう。
そうだね。シーズンはまだまだこれからだからたくさん見られるよ。
この息子、お月様は大好きだし、お花や鳥も好き。虫愛ずる姫君ならぬ「花鳥風月愛するムスコ」と、ハハはちょっぴり揶揄を込めて呼んでます。
ピンクが好きと言いつつ、選ぶものは青いきかんしゃトーマスだったりする妙なギャップ。3歳児、アンバランスさが面白いです。

月と言えば、ムスメの方はようやく見上げた月を見てこれからふくらむか小さくなるかをあてられるようになりました。
この前は突然「宇宙の外側には何があるの?」
この手の話の大好きなダンナがワイン飲みつつ、たっぷりと説明していました。(専門用語多すぎだったけど←これだから酔っぱらいは…)
地球の自転や太陽系の話や、いろいろ世の中にはまだまだ面白い話があるから少しずつしていこうね。
ちょっとずつ大人の会話ができる人数を増やしていきたい母親です。普段はカタコト語の3歳児に、全く言葉の通じない0歳児って、 ちょっと疲れるのよね。

話は変わりますが、首都圏に新型インフル、出ましたね。
高校生ばかりがクローズアップされますが、私が思うに、これって高校生が感染しやすいわけじゃなく、単に高校生が一番発覚しやすいだけなんじゃぁ…。
高校は欠席の連絡をしなくてはならないし、アヤしければちゃんと検査もさせて、その上に発表もする。
でも、社会人で感染していて普通に売薬か町医者ですませてしまって終わっている人って絶対にいるような気がするんだけど…。
と、思うのは私だけかなぁ。
ちなみに、ウィルスの小ささを考えると、マスクってどれだけの意味があるんだろう、とか思ってしまう私です。いま、マスク売り切れでネットオークションですごい値段になってしまっているらしいですが、石油ショックのときのトイレットペーパーみたいな感じなのかな。

* 久しぶりに「mixi」でこの家族と逢った。
2009 5・24 92

☆ 黒いマゴくん、具合はいかがでしょうか。  梓
お水を飲めるようになった由、HPで拝見したので一安心。猫は風邪などで、鼻をやられると、においが嗅げなくなって、水も食物も受け付けなくなり、その結果腎臓をやられて死に至るので、要注意ですね。でも、とりあえず良かった!
今インフルエンザが大流行なので、先日丹後に向かう際、新幹線にのっていましたら、名古屋から乗車してきた高校生集団、教師・添乗員ともども全員白いマスク姿で、ものものしさに驚きました。関西に近付くにつれ、その非常時的雰囲気はますます増して重苦しいほどの様子。
まあ、確かにインフルエンザはなめてはいけない病で、手洗いとうがいは励行する必要はあるでしょうけど、個人的にはなんだか、ちょっと大げさな感じがしてます。
鉄道では、洗面所等々、時間決めで消毒している様子なので、これは安心でした。
さて、この度の「ひとり修学旅行」、とても良い旅になりました。ひとりだと、さまざまなものに思う存分、目をこらし、耳をすますことができますから。
一両きりのワンマンカー・北近畿タンゴ鉄道。「丹後由良」駅を降りたった乗客は、私ひとり。無人駅で、「山椒太夫」の屋敷跡の場所を訪ねようにも、人ひとりいません。駅の隅の案内板に1・5キロとあったので、荷物を持ったまま歩くのはちょっと・・・と思い、駅前の電話ボックスからタクシーを呼ぶことに。すると「その電話は現在使われておりません」状態でした。
やむなく駅から真っ直ぐに続く緑の並木道をすすみ、標識通りに左におれてまず、山椒太夫の首塚、そして逃げようとして見つかった安寿・厨子王に与えられた仕置き、焼け火箸を身代わりに受けたとされる「お地蔵さま」が安置された「如意寺」へ。案外小さなお寺さんで、目の前には靄がかかりはじめた、由良ヶ岳。軽く手をあわせ昔昔をしのびました。
それにしても静かすぎるほど静かな町。10分ほど歩くと潮風の香りがただよって来て、由良川の河口に到着。そこから長く旅してきた水が日本海へ流れこんでゆく様をみることができました。
そこからまた15分ほど、海を見下ろす丘へとゆるゆる登ります。「安寿と厨子王」の石像、「柴勧進の碑」などがひっそりと建っていました。
由良の扉を
押し開き入る

夢のまくらにわすれ草
波音高く しのぶ草
山椒太夫のおおいえのあと

帰り道、古い造り酒屋さん「ハクレイ酒造」の前を通りかかり、「試飲できます」の木札につられのれんをくぐると、若奥さんがでてらして、「酒呑童子」をすすめて下さいました。あの大江山の湧き水でつくられているということで、純米・辛口。おみやげに小瓶を何本か宅配しました。
地元では「三荘太夫」と言い習わしており、かの山椒太夫は都の貴族の荘園の管理人、といった立場だったということで、説教節に記されたような「悪人」ということでは、もともとはなかったんですよ、とお話しくださいました。
(まだまだあるのですけれども、本日はこれくらいで失礼します)  ゆめ

* あの由良川の、河口に近づくにつれ漫々と盛り上がるほどの水勢ゆたかなことにおどろいた記憶がある。
山椒大夫は、たぶん柳田国男らの謂うように「散所大夫」であるだろうと想う。酒屋の若奥さんの曰くもその意味であろう。「さんしょ」には「産所」「算所」の字を宛てる例もあり、呪術的な人や背景が関わってくるのも「散所」という地域の意義と、矛盾はしていない。酒呑童子のような鬼ではなく、もともと悪人ではないが、かなり容赦のない地域管理者ではあったろうし、労力としての奴隷売買と無縁であったと、日本海沿岸では、言い切ることは出来ない。

* もう一度行ってみたい、みたいと思っていた。大岡山の大学にいた頃に掌説二十編を書いた最初の作にも、その執念を書いている。
2009 5・24 92

☆ 宇治五月   藤
秦恒平様 いつもホームページを拝見しています。
先週(関西のインフルエンザ騒動直前に)京都に行って参りました。新緑の京都に惹かれて、名目はお墓参りにと次男を伴って出かけました。いつものような日帰りでなく、たまにはゆっくりしよう、宿は宇治の「はなやしき」と決めて。
京都に着くとまず東大谷墓地へ直行するのはいつもどおり、墓参りの後は祇園社には参らず、はしっこを通り抜けるのは祖母の言いつけどおりに、四条通りに出て四条京阪(最近は祇園四条駅というらしい)から電車に。
宇治線は中書島での折り返しなので、まずは立派な特急電車に乗りました。五条も東福寺も稲荷も深草も墨染も飛び越し、小学校に通った丹波橋には止まったけれど、あっという間に中書島。
そこで乗り換え、観月橋はまるで地形が変わったかのように道路が宇治川の上に交錯し、六地蔵は「ええ、ここがあの六地蔵?」という繁華な街に変貌、黄檗、木幡と、ぐんと減ってしまったが茶畑などあって終点の近代的な宇治駅着。
でも宇治橋からの眺めは変わらず川水はたっぷりと流れていて満足。
川沿いを平等院の正門前を通り過ぎて、とにかく宿に入りました。この宿は大学の一泊クラス会に何度か使ったので馴染みがあり、
とりわけ私は部屋から遮る物なく川と対岸の朝日山が見えるのが気に入っています。小さな発電所からの排水が元気良く合流する地点の、脇に立つ楠大木の、たっぷりとした黄緑色に
「ああ、私はこれが見たかったのだわ」と。
夕方の平等院や宇治上神社も、宿のお料理も全て大満足の楽しい旅でした。

それにしても何故五月の宇治に私はこだわったのか。
やっぱり大学最初の一年を宇治黄檗の校舎で過ごしたから—-とりわけ入学して直ぐの五月の宇治は、鬱陶しい受験から解放されて、合格した成就感、開放感、明るい新緑、自分に注がれる沢山の若い男の子の眼差し、どれもこれも新鮮で、わくわくと楽しかった、人生最高の五月だったから。
帰途もガラガラの宇治電(京阪宇治線をそう言っていた)から、黄檗の粗末な校舎のあったあたり(今は立派な研究施設に建て変わっている)を首をねじって眺めるのでした。

帰ってから本屋で、ご子息秦建日子さんの文庫新著『SOKKI!』を購入しました。
私の手伝っている親の会の事務所が数年前早稲田に引越したので、以来月に2、3度は地下鉄早稲田で降り、穴八幡のある交差点から文学部の前を入試に始まり卒業式、入学式、新学年、早慶戦と大学の暦を感じながら通っています。
そんなわけで少しは土地勘もあるので、楽しく読ませていただいています。
誰にもある若かった日々の甘くてほろ苦い思い出、人生に役にたたないものは果たして本当に役にたたないのか? というテーマ
いいですねえ—–私は役に立たないものって大好きです。
建日子さんにもよろしくお伝え下さいませ。  2009/5/25

* わたしは、この前、宇治を割愛し、日野から黄檗へ、普茶料理を食べに行ってきた。同じ世代に、同じ京都を観ていた。京都は懐かしいが、足下に竪掘りしているような「深い闇の静寂」はもうすこし別の心から、懐かしい。
息子の『SOKKI!』は、彼の小説本のなかで、いまぶん、わたしが一等買っている一冊で。ありがとう。

* お変わりなく、なにより。
私は相変わらず屈託の多い、なにやら温と冷とのごった煮のような日々を、とにかく舵取りをしくじり顛倒しないようにとだけ気をつけ、暮らしています。
よしあし半々なら有り難く、四分六で気の晴れが買えるなら、上等と思っています。
雨が降らず、からだがもつときは、電動自転車で、多摩川の向こう側まで渡ってみたりしています。転んだら一巻の終わりだなあと気をつけていますが、ほどほど身辺が片づいてきたら、一瞬の好機に任せても好いがナアと思ったりするのです。
正直、ちょっと「生きすぎ」てきたんじゃないでしょうかと。
しかし、書きたい作品からの呼び声を聞いている間は、およそな真似はできません。相応の奮励あれよと自身を呵っています。
お大事に。夫君にもどうぞご機嫌ようとお伝え下さい。  湖

☆ ほんとうに!  ゆめ
丹後の寺社は歴史を彷彿とさせる由緒あるものばかり、丹後一の宮・籠神社は、一目みて出雲の「佐太神社」に雰囲気似ているなあ、と思いました。石づくりの狛犬もそれぞれ風格個性、満点。楽しくなってデジカメでたくさん写真をとりました。
伊根町では舟屋を海から見学、そして実際に舟屋の中もみせていただきました。近くの水之江浦嶋子をお祀りした「浦嶋神社」、そして京都の北端・経ヶ岬までいってきました。
帰りは、かつてから乗ってみたかった「小浜線」に東舞鶴より乗車。
日本海の絶景を左にみながら小浜で途中下車し、「八百比丘尼」の入定洞をみにいきました。かつてこの女性を一人語り台本にしたことがあったので、もっと深めてみたかったのです。
レンタサイクルで古い町並みをうろうろ走っていますと、「小浜市町並み保存資料館」という所にいきあたり、入ってみました。ここで受付番をしていた年配のかたに、いろいろ質問していた所、なんと自転車の先にたって八百比丘尼の入定洞のある「空印寺」まで案内していただけることに。
昔はもっと鬱蒼とした森の中にあり、子ども時代「肝だめし」をするような怖い場所であったこと、このほこらのあたりは昔は海で、このほこらはその波の浸食によって自然にできたものであること、そして日本海側沿いにはこの八百比丘尼伝説が何カ所か残っているねえ・・という話になり、大いに盛りあがりました。また、少し、このお話に挑戦してみたくなりました。

* 小浜の海は海岸線に変化豊かで、電車に乗り甲斐がある。一人旅がとても楽しそう。羨ましい。

☆  おはようございます、風。
今朝は、英語へ行かないので、ゆっくりしています。
土曜は、念願の「石焼ビビンバ」を食べに、近くの韓国料理店へ行きました。おこげのところが香ばしくって、とってもおいしかったです。
冷麺を味見させてもらいましたところ、ほのかに梅風味で、さっぱりしてい、気に入りました。
お相撲、盛り上がりましたね。
花はスポーツニュースで見ましたが、フンッと、力が入りましたよ。ときどき、客席の風が映り込んでいないかな、と、探したりして。
花は物知りではありません。
知らないことばっかり。
十代の頃は、軽音楽が好きで、熱心に聴いていました。大学生のときは、軽音楽サークルに入っていました。
近頃は、クラッシック音楽もいいなあと思います。
中学生のときは、ブラスバンド部だったので、管楽器が懐かしいです。
純邦楽も、ジャズも、シャンソンも好きです。
音楽については、素人だと開き直り、節操なく「音」を「楽」しんでいます。
カラオケは、数えられるくらいしか行ったことがありません。誘われて、お付き合いで行く程度で、自分からすすんでは行きませんねえ。下手なので、苦手意識があるのです。
会社に入ったときは、一番に歌って場を温めるのが新入社員の役目でしたから、「これは社会人としての試練」と思いながら、仕方なく歌いました。
ひとつ思うのは、本を読んでいても、音楽を聴いても、映画を見ても、それだけでポツンと存在しているものはない、ということです。
どんなものも、前に存在したものへのアンサーとして現われ、次に繋がっている。その中で、現在において古臭く感じられてしまうものと、まったく古臭くないものはどう違うのか、などと考えています。
ではでは。お元気ですか、風。

* この若奥さんは能ある鷹で、一つ様子が変わると、敢然とした「批評」をいろいろ書いてくる。自分のブログに、人知れず、さまざまな分野への個々の批評を書き連ねていて、読ませる、要領よく。公開しないのは惜しいと思うが、いつか何かに役立てる気なのであろうか。

* 世代を異にした三人からかたまってメールが来るなど、このごろでは珍しいこと。わたしがテンとメールを書かなくなっていて、一時はしののめのようであったメールが覿面に減っている。それでいいのである。
トントンと足を踏むと、マンホールのように足下が丸く開いて、簡略なはしご段が目に見えてくる。底は、真っ暗闇。
こわくはない。うまいついでに、入って行ってみようと思う。
2009 5・25 92

* いい季節で、日々とても美しいんですよ、気晴らしにいらっしゃればいい、と、遠くから誘って下さる読者もある。金澤、京都、奈良、水戸、仙台、山形。いいだろうな、と想っているだけ。
2009 5・26 92

☆ こちらでは  鳶
御存知のように新型インフルエンザ騒動で大変でした。今日は発生はゼロとニュースに。すべて・・でしたと過去形で書き終えられたら、これは喜ぶことでしょうが。
十日近く、もともとあまり外出する機会もないのですが、いっそう「蟄居」生活でした。近くの子供たちは、夕方になると家の中にいるのに耐えられないで道路で大きな声をあげ、キャッチボールなどしていました。マスクが売り切れの現象に石油ショックの時のトイレットペーパー騒ぎを思い起こしました。押入れいっぱい分も買いだめした人などありました。わたしはまったく浮世離れしたどうしようもない不器用な人間だと思い知りました。
この春のわたしの不調をどう説明したらよいやら、確かに体調も問題あり仕方なく。
頑張らなくても自然に本も読み、纏める作業も僅かながらも進め、日常の仕事もしているのですが・・。

高村光太郎のこと、久しぶりに今日のHPに、ペンでのことに触れられていましたね。
条理を尽くされた主張が(委員会でも理事会でも)理解されないこと、とても残念です。
手元に資料がないので正確に述べられるか分かりませんが・・。日本が戦争に突入していったのは、智恵子が亡くなって数年後でした。その大いに動揺した状況の中で、彼・光太郎は世情に流されていったとしかいいようがなく、また戦後の変化に、たとえば原爆以後の人類の未来についても、確かなものが得られないままあの世へ去っていったように思えます。
その悲劇は避けがたいものです、が、彼は真摯に向き合っています。
彼(光太郎)の詩を、いびつな形で安易に紹介されるのは、まことに忌々しいことだと思います。多くのことを考えさせられます。

智恵子については・・詩の世界の智恵子と現実の智恵子との距離云々はまた別なことです。
詩人に愛された智恵子に、そして永遠の女性としての智恵子になりたいか、と問われれば、わたしの答えはやはりノーです。あまりに説明不足ですが、つい書き足してしまいました。
あらためてメールを書きます。
どうぞお体大切に。自転車で転倒などしませんように。

* 文学と文学者の魂に真摯に深切に触れうる人なら、この際で言えば「高村光太郎」のために敬愛と礼儀とで、心美しく向き合うはずである。本人が平然としていたなら別であるが、生前に日本と日本人の前に痛悔していた「恥部」暴露に意義があるなどと、決して思わない。
それを「日本ペンクラブ」という文学者の団体が敢えてするとは、ガンとして強行し続けているとは、恥ずかしいというよりない。

* 笑止なことに、同僚理事で副会長であったかも知れぬ学者の中西進氏は、「作品」は一度世に出てしまったら、どのような仕向けも防ぐことは出来ないものですなどと言い、専務理事の浅田次郎氏も、それそれとばかり同じことを言い募った。
そんな初歩的なことは、言われなくても百も千も承知している。
問題は、そんな手薄な常識論ではない。
この際は、特定された「高村光太郎」という詩人の作と文業に対し、「招待席」と謂うにふさわしい礼遇をしているか、せずに晒し者にしているではないかというのが、問題なのである。
問われているのは、問うているのは、子どもだましの常識論ではない。学者であり小説家であり日本ペンクラブの代表者でもある一人一人として、あなた自身、こういう無道で不当な「仕向け」を、この大先輩詩人に向かってするのですか、出来るのですかということ。あくまで、まともな「ペン」マンとしての、礼儀や敬愛の姿勢なのである。

* 世の無数の人たちが、公表されている作品に対し、唾を吐くほどに、足蹴にするほどに辱めて立ち向かったにしても、それを止める手立てはないし、また止めるべきであるということでもない。
だが、「日本ペンクラブ」ないしその運営責任者にも、そういう無礼(光太郎自身が、生前、痛切に悔いて否認していた作が、わざわざ取り挙げられ公開されていること。)が出来る・許されている、だから「ペン電子文藝館」の阿刀田館長、大原委員長以下、同委員会が高村光太郎作品をどう扱おうと「勝手で自由」と、本当に、阿刀田さん、大原さんら、また中西さん、浅田さん、あなた方自身は言ってのけて、敢えてそうするのですか、と、わたしは、高村と同じ創作者の一人として「抗議」しているのである。
上の中西さんも浅田氏も、まるで話の本題をすりかえ、「槇雑木(まきざっぽう)」のように束になって、誤魔化したに過ぎない。似た適例がある。総理の麻生太郎が、このあいだ、病院へ逃げ込んだ仲良し副長官のあるまじき逸脱をかばって、「入院にまで任命責任があるのか」と誤魔化したのと、少しも違わない。
わたしに言わせれば、この高村事件では、阿刀田会長には、自身館長であることにも、委員長任命にも、任命責任があると言わねばならないだろう。光太郎に批判があるなら、一人の文学者として、自身の文責を明らかにし、一つ立派な「光太郎論」を書かれればよい。それが優れていれば敬意を払うに吝かではない。「ペン電子文藝館」は、同業の文学者に対しどんな勝手も許されているわけでは、決してない。
「招待席」の目的は、本当に優れた仕事と作者とを、読書子に手渡し喜んで貰うことにある。「現会員」の自己責任による作品公開こそは、言論表現の自由であり、「会員」である権利に属している。

* 委員会、理事会の皆さん、また読者の皆さん、反論やご意見があれば、此処へご寄稿あれ。礼儀正しく(しかし実名で)掲載します。討論しましょう。
2009 5・26 92

☆ こんばんわ!  京の 従妹
常林寺の前ご住職さまご逝去とのこと、陰ながらご冥福をお祈りいたします。
恒平さんとインターネットで巡り合ったこと、ペンクラブでご活躍のことなど、お話Dさせて頂いたことを思いだしまして、寂しい気持ちになっています。
今、京都は新型インフルエンザの影響で、どこも、がらがらです。
修学旅行のほとんどがキャンセルされ、制服姿を見かけなくなりました。
緑が爽やかな季節、京都も綺麗です。
なにもかも、早く終息しますよう願っています。
「湖の本」99巻、100巻順調に進まれているご様子で、おめでとうございます。届きますのを楽しみにお待ちしています。
くれぐれもご自愛くださいますよう。 みち

* ありがとう。
2009 5・26 92

☆ 気鬱は  花
無理に押し込めようとせず、解放してやるのがよいと思います。ラクにして、楽しいことして、お過ごしください。
これからはますます暑くなるでしょうか。風、毎日汗だくかな。
今日は、図書館のすぐ傍にあるカフェに、一人で入ってみました。二年近く前にそのお店ができたときから、ずっと気になっていたのです。
花は壁に面したカウンター席に案内され、借りたばかりの本を読みながら、料理の来るのを待っていました。
注文しましたのは、今週のランチメニューで、さっぱりした梅味ソースのとんかつ定食。
さつまいものほんの少し甘く煮たのと、きゅうりの胡麻和えと、野菜たっぷりのおみおつけがついて、ヘルシーでした。ピンクグレープフルーツジュースもつきました。
そう広くない店内で、八割くらいのお客さんの入りでした。
カウンター席は、他のお客さんに背を向けているので、視線が気にならず、一人で入りやすいお店だな、と思いました。次回は、トマトスパゲティを頼んでみようかな。
風は、お元気ですか。花はとっても元気です。

* わたしは、高校生頃から憂鬱になることがあり、最後には読書へはまり込んで躱してきた。長ーいおもしろい小説を読み始めて、読み終えるまではイヤなことは忘れていようと。長いといっても読み煩うドストエフスキーのようなのは、ダメ。源氏物語、戦争と平和、モンテクリスト伯が一等手頃で、読みに夢中になれた。悲劇的なのはいけない、三国志はあわれへ流れて行き、気が滅入った。源氏は宇治十帖で持ち直せるのでよかった。南総里見八犬伝を今なら加えてもいい。

* 睡眠前の読書を組み替え、量を減らして睡眠をもっと規則的に取ることにしよう。また水分をもっと意識して大量に採ろう。

* 途方もないことが起きている。
2009 5・27 92

* いましがた、光太郎読者のこんなメールが届けられた。掲示の許可がついて。むろん署名もある、が、事実上公開しても実効はないので控える。感謝。

☆ 高村光太郎を敬愛して   東京都練馬区
先日から気がかりな事に対して、高村光太郎の一愛読者として、義憤を述べることも責務かと及ばずながら、一言感想を述べさせていただきます。
ペン電子文藝館の作品を読みますときには、以前は秦様の眼を通して選ばれた作品として、信頼して読ませていただいていました。
秦様のご退任の後も、文藝館の委員の方々の見識の下で選ばれていると信じています。
今回の高村光太郎氏の作品のように「戦争讃美、加担」を、ご本人が生前痛切に悔いて否認しておられた作を無用意に公開された事に対して、驚きと共に、文藝館の委員の方の高村氏に対しての尊敬、愛情の無さを哀しく思います。
その上、批判の意見が出ても、委員会が現状を変える必要が無いとされたことに対しても、痛恨の限りです。
高村氏への冒涜のみならず、読者に対して無責任だとはお考えにならないのでしょうか。

* 通信の端々に同趣旨の「不同意」を伝えてくる読者は次々にある。実はペンの会員にも委員にもある。わたしの許へわたしの抗議を無意味としはっきり反対してきた人は、大原雄委員長とかかる光太郎掲載を発起したといわれる村山精二副委員長のほか、一人もいない。多年にわたり心親しいわたしの「読者」を委員長に推挙したのも私だったのであるから、責任は、わたしにもある。だからこそ言うのである。
2009 5・28 92

☆ 高村光太郎と、ペンクラブの認識  東京都品川区
信じがたいの一言です。文学史に輝かしい名を刻んだ詩人への「お前だって大したことないんだぞ」というまるでヤキモチのようにすら感じられます。

* 意表に出た読者の批判だが、なぜこう見られるのか。それをよく考えてみると、いい。
「ペン電子文藝館」「招待席」とは、「招待」という字義が表しているように、作品を論って批評批判する場でなく、その詩人や作家の優れた作をひろく読書子のために伝達する場なのである。そんな分かりいい根本義・第一義が委員会に読めていないから、上のように、まるでペンクラブまでが嗤われてしまう。会員は迷惑だ。阿刀田館長の認識が問われている。
2009 5・29 92

☆  お元気ですか  鳶
今日の鳶は「しあわせ鳶」です。理由はきわめて単純。体調に懸念があり、病院で検査を受けていました。今日は結果を聞きに行き、深刻な病気の疑いはなく放免されました! 失くすと途端にしみじみ大切と思うものの最たるは健康ですが、改めて静かに噛み締
めます。検査も治療も・・すべてできることならその類は一切知らずに暮らしたいけれど、そしてそれが本音ですけれど、生きて年取ればそんなに甘いわけにもいきませんね。
家に戻ってから疲れて眠ってしまいました。夕方に近い。こんな一日もあるなんて。
さて今から活動開始? です。

* 安心しました、鴉も。カアカアカア。
2009 6・2 93

☆ 秦先生へ  富士の松
昨日、今日とこちらでは涼しく過ごしやすい日が続いております。東京はいかがでしょうか。
「私語の刻」を読んでいましたら、ピレシュの素晴らしい演奏のことが書かれていました。私も聞いていましたが、ピレシュの深い想いに満ちた音、息づかいが聞こえるような自然なメロディーの歌わせ方は、聞いていて心安らぐものでした。
ピレシュはちょうど先月来日しておりまして、私も一日聞きに行きましたが、夢に引き込まれるような素晴らしい演奏会でした。
演奏会後少しお話をしましたが、あの音のそのものの優しい人でした。
ピレシュがテレビ放送で弾いていた、ベートーヴェンのピアノソナタ31番は、私も先生の前で一度弾いたことがあります。私には手に余る大曲で、当時は魅力が伝えられなかったと思っています。
湖の本の第百巻の発刊、おめでとうございます。お送りいただけるのをお待ちしております。
いつまでもお元気でいらして下さい。

* 離れて暮らしていても、同じピアノの演奏を同時に楽しめている。慣れきっているが、こんなことも百年昔には想像もされなかった。そしてこうして双方向のインターネットを介して言葉も思いも届けあえる。

* メールありがとう。ピレシュに、あたまを垂れて聴き惚れました。話したって。優れた藝術家の声を言葉を聴いたという、それだけでも好い体験です。よかった。
わたしの日々は、御覧の通り。相変わらず、かな。 湖
2009 6・3 93

* 朝一番に、嬉しいメールが来ていた。わたしのメールはたんなる用向きのことは甚だすくない。こういう読者たちとの「対話」のために在る。

☆ いのちあらば  松 大阪
千載集を読むことは、とてもとてもですが、お心に適った歌を通して楽しませていただいています。
大好きな和泉式部の歌に出会いました。
いのちあらばいかさまにせん世をしらぬ蟲だに秋はなきにこそなけ
体から突き上げてくるものをそのまま投げ出したような歌だと思います。いのちあるものの哀しさ。
最近、よく心に浮かぶ歌は、
寝る人をおこすともなきうづみ火を見つつはかなくあかすよなよな
かぞふれば年ののこりもなかりけり老いぬるばかりかなしきはなし
優美な言葉を連ねただけの歌より、和泉式部の体を感じさせる歌が好きです。
でも、さすが、俊成卿の歌はいいですね。
春の夜は軒端の梅をもる月のひかりもかをる心ちこそすれ
夜の空気の冷たさまで感じられるようです。

* いまどき千載和歌集だの和泉式部・俊成卿だの、世離れ過ぎていると目もくれない「今日」であるにはあるが、そう思いこむのも迂闊なことで。
東大の安田講堂に学生達がたてこもった大紛争があった。群衆の浪にまじり催涙ガスは本郷通りにも流れ出て、勤め先から一歩路上に出ると、歩道と車道との区別も付かぬほどの人波。わたしは、赤門や正門に背いて地下鉄でお茶の水へ脱出し、その足で水道橋寄り高台のハズレにある、ビルの上の小さな美術館へ入った。一枚の宋の赤繪と向き合った。わたしの世界はもう色を変えていた。

いのちあらばいかさまにせん世をしらぬ蟲だに秋はなきにこそなけ
いのちあるものの哀しさ。
寝る人をおこすともなきうづみ火を見つつはかなくあかすよなよな
かぞふれば年ののこりもなかりけり老いぬるばかりかなしきはなし
和泉式部の体を感じさせる歌が好き。
さすが、俊成卿。
春の夜は軒端の梅をもる月のひかりもかをる心ちこそすれ
夜の空気の冷たさまで感じられるようです。

このメールの人は世離れて暮らしているただの古典趣味の人ではない。
世の底辺ちかく日々に苦しみ生きている人たちへのボランティアに身を挺しながら、西洋や日本の詩や古典とともに著述している紛れない「現代人」である。ただ趣味的な「現在人」ではない。
そういう人の感じている和泉式部の「いのちあるものの哀し」みであり、俊成歌の「夜の空気の冷たさ」である。現代を呼吸しているから古典が身内に光る。
ありがとう。励まされました。

☆ 風
オハヨー。
と、言いたくて。
> 毎日が一新一新の顔で訪れ来ます。年々死去、年々新生。
無欲であること、ですね。
さてさて、これから、雨の中、買い物に出かけます。
元気です。 花

* 嫌われ放題のわたくしめには、優しいプレゼント。富士山をふり仰ぎながら、いまは、何を書いていますか。

☆ 秦先生  創
ご無沙汰しており申し訳ありません。
出張は実は3月一杯まで大阪十三におり、
4月からは藤沢の作業所**室に毎日通っております。
また去る5/31に第2子の女の子が生まれました。
6/6を予定しておりましたが、約1週間早い出産でした。
体重は2430gと小さ目でしたが、
母子共に健康で昨日(6/4)無事退院しました。
(本日より私も勤めに戻りました。)
顔は兄に良く似ていますが、
お兄ちゃんと違ってよく寝る子です。
名前はまだ決めきれておりません。

* 祝 お嬢ちゃん誕生
おめでとう ご夫妻 お兄ちゃん

慈雨の季(とき)うれしさまさる生きてこそ  湖

* この朗報を待っていた。お父さんは嬉しくて堪らないだろう。おめでとう。
2009 6・5 93

☆ 秦さんへ  勝 e-OLD千葉
メールありがとうございます。メールでもお元気そうで何よりです。「自宅近辺ウロウロ」「発送準備」「私語」‥いつも楽しみにしております。ご無理が溜まりませんように。
わたくしは「いいことばっかり手紙に書いて」、何とか元気を出そうともがいております。
鶯谷の蕎麦や辺りがいいかなあと思いますが‥? どうも料理屋とかレストランよりも、食堂やうどんそばやがいいのです。それに生来主体性がほとんどありませんで、誰かがこれと注文すると、わたしもそれという按配です。どうもさえない話でごめんなさい。
秦さんが「ここ!」と言えば、そこが最高です。
7年経った「機械」がどうにも不調なので、安いのを買い、つないだり設定したりしていました。やっとメーラーが稼動したら、秦さんのメールが受信出来ました。うれしかったです。また遊びましょう。
梅雨です。梅雨は梅雨で楽しみたいと思います。
不順な陽気に、どうかお気をつけてください。

* 車を雇って、向島とか荒川放水路とか、荷風がよく歩いた方面を見てみたい。荷風はおそるべき健脚の持ち主だったようだが、わたしたちは、とても歩けない。
手近な何処かで蕎麦を手繰ってから、車に乗り、気の利いた運転手なら行く先をまかせて、大きな河のみえるところへ行ってみたい。自転車では、橋の向こうはさいたま市という荒川や、同じく稲城市を望んだ多摩川までも走るわたしだが、東京湾の匂いのする大きな河の河口付近など知らない。
あ、そうか。国技館前から妻と舟に乗ったことがあるし、うまいものを喰うミラクル会で屋形船にのったこともある。舟を雇うという手もあるのかな。
何にしても、目先の用をきっちり捗らせて。
荷風の散策をとにかく日々楽しんで読んでいるところです。もっと現代なら、川本三郎さんに東京の本を何冊も貰っている。
遠方へは動けないし、とくべつ遠くへ行きたいとも思わない。東京近郊で電車とタクシーの使える範囲で、まだ知らない景色を見歩きたい。
去年は妻と足利へ藤を観に行った。柴又や堀切の菖蒲園へも行ったことがある。数年前には松嶋・仙台までも行った。四度の瀧も見てきた。
2009 6・5 93

* 親しい卒業生の近況が続いて届く。
次はモロッコへと聞いていたが、わたし自身の私事などあり、赴任前に会おう会おうと言い合いながら果たせなかった。外交官ではない、理工系の研究職にある国家公務員。どんな仕事ぶりでこの新天地で頑張って帰ってくるかと、楽しみ。ただし三年、わたしの方で元気にしていなければ果たせない。自戒。
ちっちゃいお子さんも連れて行ったのかな。みんな揃って平安にと祈ります。

☆ re なかなか会えないままに  モロッコで 慧
秦さん ご連絡くださりありがとうございます。
大変ご無沙汰してしまい申し訳ありません。
4月初頭からアフリカ大陸の北の端、モロッコへ赴任しています。
こちらへ来てからいつの間にか2ヶ月たってしまいました。
とはいえ、別途船便で送っていた大量の荷物(段ボール80箱)は最近着いたばかりですので、家の中はまだまだ片付いていませんが。それでも家族共々、大きく体調を崩すことなく元気に暮らしています。

こちらは今が一番良い季節と言うことで、気持ちよく晴れる日がほとんどで、暑すぎず寒すぎず過ごしやすい毎日です。散歩にちょうど良いとは思うのですが、自由気ままにあちこち歩き回れる程は治安が良くないらしいので、移動するときにはもっぱら車ばかりで、少々もったいない感じですが、安全には代えられないので仕方ないですね。
モロッコ人にはあまり英語が通じず、大半の場合、フランス語でコミュニケーションを図るしかないのですが、これには出発前から心配していたとおり、かなり難航しています。ちょっとしたことを頼んだり伝えたりするのにも、身振り手振りを駆使しながら、双方想像力を最大限に活用して行うしかなく、いちいち一苦労という感じです。
しかも、場合によってはアラビア語を使った方がスムーズなところも多いようで、そうなると完璧にお手上げなので、現地の人の力を全面的に借りることになります。公私ともに、日本にいるとき以上に、周りの人たちの協力がないと、何かとままならない状況です。幸いにも周りに親切な人たちが多いので、色々と助けて頂いていますが。

仕事の面でも、当然ながら外交の経験などない私にはすべてが手探りで、量的にも想像以上で、かつ言葉の問題もあいまって、毎日まったく気が抜けず、かなり張り詰めた状態でここまで来ています。感覚的には、出口の見えないトンネルの中を、何とか前へ前へと走っているような感じです。
せっかくこれまで来たことがない文化圏の国に来ているのですから、もっと周りを見渡して、楽しむくらいの余裕を持てると良いのですが、その域に達するにはまだまだ長い道のりかも知れません。

3年はいることになりそうですので、あまり焦らない方が良いとは思いつつ、全く新しい世界での立ち上がり時の、何とも地に足が着かないような、落ち着きどころのないような感じは、過渡期には避けがたいものなのでしょうが、少しでも早く脱したいものです。
次はもっと前向きなご報告が出来るようにしたいです。
日本ではそろそろ梅雨時なのでしょうか。
お体にはお気をつけてお過ごしください。
2009 6・7 93

☆ お元気ですか。  花
『蜻蛉日記』と森さんの『情事』を読み終えました。
『蜻蛉日記』の作者は、男性に対して拗ねてばかりいて、ちょっとかわいくないかも、というのが第一印象です。当時の女性は待つことしかできなかったのだから仕方ないけれど。
『情事』は、確かに読ませますね。
今は、福田恒存の嘉村磯多論を読んでいます。
ではでは、頑張る風を感じて、花も。

* 花の蜻蛉日記読みは、実は大きくまちがっているようです。教室でぼんやり教わり、耳学問で思いこんできた先入主が働きすぎています。
摂関時代に、貴族社会でおよそ知らぬ人もないほど読まれ書き写されていた日記です。受領の女の、妻として泣きの涙で拗ねた愚痴本が、どうしてそんな評判を得られるでしょう。夫は藤原兼家、摂政太政大臣になり権勢並びない大物、あの道長らの父親です。その夫への恨みの暴露本?  そんなことはあり得ない。やれば縁戚が潰されてしまうでしょう。

まさしく私小説そのものの日記体ですが、こういう日記が流布も読者も可能になったのには、別の成立意図・目的が在ったはず。なかには、ことに上巻には、中下巻にも、兼家側からの資料提供や支援や諒解や要請がなければ、或いは合意がなければ、とても書けない性質の記事も混じっています。
上巻には和歌がとくに多い。その中で、道綱母の作の多いのは当然として、第二位に他を断然引き離して兼家の和歌が多いことに気が付けば、上巻成立に兼家が協力していたという以上に、兼家側の或る大事な意図や願望に添って、優れた歌人として当時世評を確立していた道綱母の方が協力していたのではとすら読める、「夫妻合作の事情」が読み取れてきます。

この時代は「摂関家集の時代」といわれるほど摂関家一の人たちの家集が編まれていました。それは彼等の文化的な箔と実力の誇示ですらありました。
蜻蛉日記の上巻には、そうした摂関家の他の者の家集に含まれたどの主人公の歌数よりも、一段と数多い「兼家の和歌」が収録されている。他にそんな文献は無いのです。
道綱母のこの面での管理能力や評価力が、夫兼家の強い大きな信頼を得ていたから可能であった日記の編纂でした。
日記は一見、傷心と失意との泣きの涙日記のようであり、事実その面のあったことは否めない。しかし、それは一人の妻の、制度的に我が家で夫来訪を待ちわびた日々の正直な反映でした。道綱母はけっしてあの末摘花のようではなかった。年をとり床離れはしていっても、兼家の胤の幼い余所の娘を養女にもし、一粒胤の息子道綱は将来の上達部を優に保証されています。
一方兼家が、道綱母への情味を失い尽くした無道な夫とはとても読めない事実と状況を、日記はけっこう的確に書き起こしています。道綱母にはそれが誇らしい嬉しいことですらあったとも、十分読み取れます。そこに「私小説作家の機微と創意としたたかな知性」も見受けられる。

「作者は、男性に対して拗ねてばかりいて、ちょっとかわいくないかも、というのが第一印象です。当時の女性は待つことしかできなかったのだから仕方ないけれど。」は、全面否定しないけれど、当たっていない。
なかなかどうして、したたかな現代味をもった道綱母です、「かわいくない」かもしれないが、豊かな感情と、自身を主張できる知性をもち、なにより好い意味で、誇り高い。いまの学界にも、これは傷心日記ではない、満足の吹聴日記だという評価も現れてきています。後者だからこそ、摂関家のそれとない庇護と容認とのもとに、流布が可能だった、そして古典の地位を得たと言えるでしょう。わたしはそう読んでいます。

わたしが、繰り返し四度目を飽きずに読んでいるのは、まさしくこの作品から、源氏物語・寝覚や、枕草子や、更級日記や和泉式部日記やとはずかたりが出来、さらにさらに一葉や直哉や善蔵が、堀辰雄や円地文子も、生まれ出たと思うからです。芥川はここから外れています。
森瑶子は、器量の分厚いホンモノでしたね、少なくも『情事』等では。
2009 6・8 93

☆ お元気ですか。  鳶
昨日のHPを、とても興味深く読みました。
ゆたゆたと一日を過ごされていると、勿論「仕事」以外のことで、そのように過ごされていると・・。
親類に関することには、わが身を振り返っても身につまされるものを確認しました。
「自分たちの力と努力とだけで生きることが出来る。」と書かれています。
そのように自立し、かなり「やせ我慢」もして頑張ったとわたしも振り返って思います。同時に結婚によって否応なく多くの「足枷」も感じてきました。二人の合意によってのみ成り立つ婚姻、それはさまざまな要素によって振り回されているのが現実です。
自分の力と努力とだけでしか生きられないのだと、複数でない、「単数」の自分をわたし自身は強く強く意識して生きてきました。

蜻蛉日記に関することには、ある部分で目から鱗、ああそうなんだと大いに納得しました。女文化の視点ですぞ、とお叱りを受けそうな感もありますが。いくつになっても目から鱗の場面に出会います、それも稀どころか、いつもいつも日常で。
千載和歌集は毎日記載されるごとにコピーして楽しんでいました。並行してわたしも手元の本で勝手に好きなものを抜き出して読んでいました。
俊成に共感されているのも面白く読みました。
俊成女・・彼女は血縁の娘ではありませんが・・彼女は晩年京都を離れて所領のある越部の里に暮らしました。越部のあたりには行く機会がありますので、いつしか彼女に興味を抱いています。越部は今も長閑な里です。

昨日、折口信夫に関する本を読んでいました。彼の『死者の書』の表紙はエジプトのミイラの棺と人頭をもつ鳥が描かれたもので、大津皇子と藤原南家の郎女を描いた小説の内容を思うと違和感がありました。が、死と再生に関するエジプトのオシリスとイシス
の神話、さらにキリスト教と仏教の「融合」に到るまで探求していた彼の唯一の小説の表紙として、それも意味あるのだと知りました。奈良時代、ペルシア人が奈良にいたことは周知のことですが、秦氏は韓国からの帰化人ではなく、遠い西方からやって来たユダヤ人だったと・・古くから、既に明治の終わりに論じられていたことも再確認。ただしこの本、『霊獣』安藤礼二に記されたことの多くは、わたしにはまだまだ未消化の事柄です。

まもなく梅雨、くれぐれもお体御自愛ください。憂鬱は雨に流してください。
ps、これまでに書いたものの推敲、再構成にかなりの時間が過ぎてしまいました。今もって迷っています。

* こういう読み手がいてくれる。書き甲斐がある。

* 俊成女は少なくも俊成の娘ではない。孫娘ではあり得るかも知れない。
それよりもこの人を懐かしく思うのは、我が国最初の文藝評論書『無名草子』の著者であるかも知れぬこと。
この本、すこぶる、すこぶる面白い。いま書棚から抜いてきて、拾い読みし始めるとキリがない。述懐も論調も厳しく圭角に富んでいて、さながら俊成卿のボキボキの手蹟を見る心地もする。著者は俊成で、老い尼に仮託したか、とも想われるが、結着は付いていないようだ。祖父と孫娘二人の共著という趣向かも知れぬなどとわたしは面白がっている。なにしろ俊成はしたたかな批評家でもあったから。

* 二階の廊下、外向きの窓の下に、文庫本専用の低い本棚が三つほど並んでいて、その前に座り込むと、宝物を見ているように、とりこまれてしまう。これは貴重と目をつけると、「ド古本」でも、今すぐ読まなくても、昔からの文庫本を多年買い溜めてきた。ウワッと呻くほど珍しいモノも有る。但しどの本も傷んでボロボロにちかい。行きがかり、黒いマゴが爪を磨いたり、ときにはオシッコをひっかけている気配もあり。
ま、いいか、と。それも我が家よ。
2009 6・9 93

☆ 暑い日に   泉
義父の十七回忌を菩提寺で無事に終え、次ぎの二十三回忌もまだ元気に執り行なえるかな、と思うこの頃です。
最近は暑さを避けて、自転車でなくバスでの遠出を楽しんでいます。何しろ都バス協会からフリーパスが出ているのですから。
都営地下鉄もよく使います。
変わらずよく行く東博本館で,先日は松園の「焔」をまたじっくりと観みました。必ず佳いものに出会える楽しみがあります。
今日は駅前の医院へ定期診断に行ったついでに田無へバスで出て、娘を呼び出し昼食、散策。幼稚園のお迎えで帰った後、一人で田無からバスに乗り武蔵境へ。散策。
ヘルメット姿の爺さんがいるかなと時々道に眼をやってますよ。
一時間に一本だけある花小駅行きのバスに時間を合わせて乗り、駅からまたバスに乗り継ぎ帰宅、と、こんな具合に古稀過ぎ婆さんは時間だけはタップリあるので、フリーパスの配布はボケ防止の意味もあるのだろう、と、出歩きます。
因みに本日歩行は、10000歩でした。
明日は機敏(?)な羽ツキ運動を楽しんできます。

* あまり元気さに、すこし言葉を喪う。
2009 6・9 93

* 「e-文藝館=湖(umi)」に寄稿して戴いた作が、こう書き出されていた。

夕食の後片付けが終わり、寝室に入ると、また母がいた。私の夫のベッドの端に浅
く腰をかけ、私の顔を見て力のない表情で薄く笑う。母は七十六歳、最近とみに表情
も乏しくなり言葉もほとんど出なくなった。
すでにベッドに横たわりテレビを観ていた夫は、目顔で何も言うなと、私に合図し
た。私はその注意を無視し、眉間に皺を寄せながらいつもの言葉を口にする。

こういう「手の入れ方」も有りそうに思いますがと返辞した。

夕食の後片付けが終わり、寝室に入ると、また母がいた。夫のベッドに浅く腰をか
け、私を見て力のない表情でわらう。母は七十六、とみに表情も乏しくなり言葉も出
なくなった。
ベッドでテレビを観ていた夫は、目顔で何も言うなと制した。無視して、私は眉間
に皺を寄せ、いつもの言葉を口にした。

* 推敲も過ぎれば痩せる、が、すべきはして欲しい。
2009 6・9 93

☆ お元気ですか。  月下美人
相変わらず、トイレで同じカレンダーを見ているお仲間らしいわたくしです。最近は人間より動物(=アラスカひぐま)に癒されることが多くなりました。お元気ですか、みづうみ。
こちらは病人が退院してほっとしたところです。それにしても、病院の付き添いとはなんでこんなに疲れるものなのでしょうね。消耗しました。
そんなことを思いながら、私語を拝見しますと、こんな一文が。

> 遠慮会釈なく酒を、たん熊北店であつらえてきた「熊彦」を呑んでいた。

病人が増えるのはこりごりです。こんなことなさるのは断じてイケマセン。まさかとは思いますけれど、一瞬の好機を狙って好きなだけ呑んでいるのかと疑いたくなります。お身体は大切に大切になさってくださいませ。お願いです。
最近記述を読みませんが、聖路加にはきちんといらしてますか。
すべて善かれと念を送らせていただきます。
みづうみに励まされている方々がとても羨ましいこの頃、たまにはわたくしのことも思い出してくださいますと幸せです。あまり夜更かしなさいませんように。

* はいはい。
2009 6・9 93

☆ 花菖蒲   泉
例の羽根突きの後、後楽園の満開の花菖蒲を愛でてきました。
私が誘った婆ちゃん五人で、まあ、口八丁足(?)八丁で元気なもんです。
お芝居もいいでしょうが、たまにはパソコンも何も忘れて、こんなごく近場で、青紅葉の中を鷺などの鳥も観察しながら、平日なら空いていてごくのんびりしています、散策や森林浴をしませんか。気が晴れますよ。

* 気が澄むのに、人はいろいろな好みや傾向をもっている。公園なら、比較的いろんなところを自転車で訪れ、見知っている。善宝寺公園、石神井公園、三宝寺公園、井の頭公園、武蔵野公園、野川公園、小金井公園、深大寺公園等々、近くには東大の農場もある。都内では六義園になじみがあるが、たいがいのところが騒がしい。隅田川の向こうの方に古い公園はないだろうか。
2009 6・10 93

☆ 命名しました。 創
秦先生
2人目の名前をようやく決める事が出来ました。
珠乃(たまの)
としました。
結婚式にて、先生にいただいた言葉をつけることとしました。
今後とも、ともどもよろしくお願いします。

* 佳き命名なり。  秦 恒平
壽  天地(あめつち)のいのち耀(かがよ)ふ珠乃とぞふたりの親は掌(て)に受けつらむ   湖
2009 6・10 93

* 徳力冨吉郎という画家、版画家と生前親しかった。国画創作協会の昔の人だから、大先輩であるが、一度お出まし頂いて「美術京都」で対談した。その以降、ひとしお親しいお付き合いがあった。あるとき突如荷が届いた。大きく軸装された徳力さん描く精妙な「鮎」新作の墨絵で。嬉しかった。それは、徳力さんがよほど良い墨を手に入れられ、それに惹かれて「画之」かれた繪であるらしい、「乾隆甲子年程君房製墨」と画中にある。
なにしろ中国画のすばらしい「あの繪」が観たいとなると老躯をいとわず即座に立って大英博物館へ飛んで行くようなお人であった。気に入れば即座に墨をおろして季節の鮎を描き、描けば美しく表具して私にまで呉れるようなお人であった。
いま、五月の堂本印象「晴日 菖蒲」の軸に替えてその徳力さんの「鮎」を居間に掛けている。繪の清潔にせめてふさわしく部屋を片づけておきたいと恐縮しながらも。

* 美術館や博物館や画廊でガラス越しに絵画などを観るのも嬉しい時間だが、くつろいだ時間に、のびのびした思いで、或いは屈託を胸に抱いたまま、まぢかに自愛の繪など、やきものなどに観入ったり手にしたりする安らぎは譬えようがない。
よく創られたカレンダーの写真ですら、まぢかに観ている繪は懐かしい。煙草を吸わないわたしは、ときどきボーゼンとした姿勢で、好きな栖鳳の「蛙」や「斑猫」を眺めている。カレンダーのその月が通り過ぎてもわたしは繪だけきりとって部屋の壁におさえたり、漫然とその辺に置いておく。
東工大での教授室もそうだった、カレンダーから切り取られた美しい繪が無造作にその辺に何枚も置かれていて、部屋にやってくる、話に来る学生君たちが坐るソフアのまぢかに、ご馳走のようにはんなり散らばっていた。時には、それが話題になることもあった。
あの頃から仲良かった学生の一人は、当時は登山とクラシックに熱中していたが、十数年、いまではなかなかの美術愛好家にもなっていて、その伝えてくる話題がすこしずつ深まっている。ひょっとして今では、彼の目や思いにかなった繪など「買って」愛蔵し楽しんでいるかもしれない。
2009 6・11 93

☆ 風、お元気ですか。
梅雨入りしましたね。
サイクリングは、お天気予報を睨みながら、でしょうか。
さてさて、「e-文藝館 =湖(umi)」の「初恋」論を読みました。
14ページの14行目
「実家にあずられた」
は、
「実家にあずけられた」
だと思われます。
午後七時過ぎましたが、まだ少し明るさが残っています。
ではでは。 花
2009 6・11 93

☆ 春過ぎて   湖雀
いたみいります。ちょっとしたクルイがありましたが、雨が降ればもう大丈夫。
梅雨秘仏朱唇最も匂ひける  (秋櫻子)。
この一日から秋彼岸まで、室生寺金堂にあがらせていただけるそうで、雨に行こうか晴れに行こうか考えています。このあいだまで、宗因の上洛と茂睡の江戸下り、長流と契冲の放浪にアタマをつっこんでいました。
さて、これまで幾度安曇川町をたずねたでしょう。今回、藤樹ともうひとり雀を誘った人物がいます。
万里集九です。
江戸から鵜沼に戻る道程に越後国府があったこと、近江安曇郡の人とあるのを目にして、親しくなれたら嬉しいなと思い、安曇川で、“郷土の誇り”のような冊子に表彰されていないかしらと、藤樹記念館でそのたぐいを見せていただきましたが、残念ながら載ってなくて、藤樹のお宅やお墓を訪ねるうち、時間にもオツムにも余裕がなくなり、藤樹さんひとりで心をいっぱいにして安曇の地をあとにしました。
しばらく経って、図書館が近くにあったのだから、そこで当たってみたらよかったと、あいかわらずのうかりひょん。
集九の時代を調べていると、頭が痛くなります。
西行と俊成、西行から前九年・後三年の役(「保建大記」時代ですよね)に手をつけたとき、また、常照皇寺から番場の蓮華寺にまつわる物語をたずねていたときと同じです。朝廷に天皇と摂政・関白の二つの中心があって、朝廷と幕府という二つの中心ができて、幕府に将軍と執権・管領の二つの中心ができて、室町にいる将軍と鎌倉公方と堀越公方がいて、鎌倉公方が古河公方になって。
よっこらしょ、っと。
執事上杉家があって、上杉には4家あって、それぞれに家宰家があって。
どっこい、しょ、の、せ。
そこに小田原北条氏でしょう。
足利義政、足利政知、足利成氏、上杉顕定、太田道灌、細川勝元、北条早雲。同世代の彼らがそれぞれどこに属し誰にくみしていたか、家系図をつくり、色分けをしたり、飲み込むのにへとへと。
それはそれで太田道灌から水戸藩また春日局につながり、片桐且元、小堀遠州、脇坂安治、増田長盛、石田三成のような武士になれなかった小谷城下出身の海北友松から春日局へつながり、長谷川等伯もこちらがわから登場しました。
興味をもったところからつながってつながって、知りたいとも思わなかった歴史上の有名人に妙に詳しくなってしまうとき、なぜかくやしくなります。
さて、集九が速水氏とわかり、それなら湖北町、また小谷城下だわと思ってすぐ、浅井三代の百年前ではないのと苦笑い。
GWの一日を、孤篷庵など小谷山と伊吹山の裾野に遊んでまいりました。物部守屋が須賀谷あたりに隠棲して、小谷山の東の岩屋が彼の墓だという言い伝えと、ひこにゃんと違い地元で生まれた〈いしだみつにゃん〉〈おおたににゃんぶ〉〈しまさこにゃん〉に肩入れする人心と、どちらも湖北らしい気がします。
ときに雪舟がかぶさってくることも、集九への興味をそそられた一因です。
小栗宗湛が幕府御用絵師となり、雪舟は周防に、さらに明へ渡りますね。そのとき集九は近江に戦乱を逃れさらに美濃へ移り、日本ラインを眺めて暮らしたようですね。帰朝した雪舟は京へ戻らなかったのかしら。周防と豊前で画業に活躍していて宗湛が没し、狩野正信が幕府御用絵師となった年、鵜沼に集九を訪ねたとか。雪舟は集九の八才年上。美濃で還俗した集九は、この年九才の長男を亡くしているのですね。雪舟は美濃から駿河、越後、能登、加賀と旅して、二年後に京に戻り、東山山荘の仕事を断ったのち、丹後などに遊んで、数年ぶりに庵に帰ったとのこと。
一方の集九は、尾張や三河にさすらい鵜沼に戻りました。のちに道灌に招かれ江戸へ下るのですが、大歓迎からわずか七ヵ月で道灌が殺され、江戸に抑留されてしまうのですね。解放されたのかしら、二年後、十八才になった道灌の遺児資康を見舞い、武蔵、上野、越後に遊び、能生に越年したというのですから、雀はおもしろくなりました。
義尚陣没、義政死去、富子死去。土佐光信むすめと狩野正信むすこの結婚。そして不思議に「天橋立図」の完成と「梅花無尽蔵」の成立がほぼ同時期で、ふたりとも、こののちの消息が不明なんですってねぇ…。
義持が日明貿易をやめさせたからでしょうか、周文が朝鮮へ渡った理由は。
1419年、定宗崩御。1422年、太宗崩御。太祖の孫である世宗大王は五年間で三人の皇子に恵まれ、そこに安堅がいました。雪舟は安平大君と同世代ですのね。その雪舟が朝鮮へ渡っていたら…。
あら、韓国時代劇の悪女、仁粹大妃の時代ですわ。明はというと、土木の変と奪門の変、皇帝復位、崩御、幼帝即位と、日中韓みな乱世だったのですね。   湖雀

* 夏来にけらし  雀の囀り、大本領。

☆ 梅と桜   湖雀
この春はどうしたかげんか、花見気分にうかされ、彼方此方へお気楽遊山をいたしました。
きっかけは奈良に用があって出掛けた際に、駅で「ともかく今日は氷室神社へおでかけください。枝垂れ桜が満開です」と言われたこと。飛鳥園も目的のひとつでしたからちょうどいいついでと、寄ったのです。その花が、雀のオツムに泡を弾けさせたのかもしれません。
クルイですね。
東大寺知足院の山桜もずいぶんひさしいと思いついて、後日、近鉄とJRを乗り分けて〈若葉風ひとゆれで発つ小海線(土生重次)〉さながら、往復とも各駅停車の“鉄子”の桜狩。
眼前に迫る三輪山と、夕影の二上山とをオードブルとデザートに、ならのみやこの八重桜を東大寺境内や新芽の三笠山の景色とあわせ楽しみました。
また、すぐ近くから出発という誘いに、日帰りバスツアーにものりました。
根尾の淡墨桜と美濃町の小倉山、さらに谷汲山華厳寺の桜をはしごした一日。
大津から湖岸を北へ走り、海津大崎さらにつづらおドライブウェイを走った一日。
MIHO MUSEUMで枝垂れ桜と「新羅展」を見たあと、信楽町畑の枝垂れ桜を見に寄って、ほどなく茶つみという畑と窯が連なる町を、伊賀阿山へ走りぬけた日。高遠城跡だけの一日。
ご成婚50年記念特別公開という御所と、嵐山、真葛原散策をしたのが4月の末。季節は青葉若葉の日の光へうつろっていました。
近くでは木津川土手の桜並木が掘り出し物でした。伊賀国府址があったあたりで、地元の集いの場という感じでした。またあるとき、週末しかも快晴というのに誘いだされ、甲賀の新宮神社へ寄ってみたところが参道の数百メートルの両脇がすべて桜で、しかも散りかかり。地元のおばあさんが、ちご、おさなごと樹下にいて、若い中国美女が三人、萱葺きの神社表門を背景に写真を撮りあっているほか誰もいません。ときにはらはら散るはなびらが映画の一場面のようでした。
桜はついでという旅ばかりで、時と眺めのうつりかわる道行きを趣に、東へ西へひと月以上遊び回りました。天候や地形はもちろん、二分咲、満開、散りがた、散り残りとさまざまな桜をよろこび、さすがの人出も、まさかの独占も、さっぱりと気のよいものでした。
また、花と松、花と銀嶺、花と湖、桜と山桃といった取り合わせも味わい深いことでした。
さんざん遊んだ挙げ句、湖北へのみちみち、山桜がいちばんきれいだわと何度も余花をほめ、そのたび「そうだろう」と主人が答えました。
さらには、先日、ふるい風景写真集を見に都祁の山が大きなガラス窓に映える、写真ギャラリー兼カフェへ行った折に、その話を
したところ、マスターにずいぶん出掛けられましたねーと苦笑され、「そうですよ。山桜が一番いいでしょう?」と、銀のお盆をお腹に当ててマスターは窓の外に視線を投げかけました。
高遠城跡花見ツアーに参加したのは、中村不折がお目当てです。
教員と生徒として菱田春草と出会ったこと、パリで萩原碌山と知り合ったこと、島崎藤村の「若草」の挿画を描いたこと、〈新宿中村屋〉の揮毫。すべて初耳で、上京して最初に借りた馬丁部屋の主、高橋是清が江戸絵師の子というのにびっくり。
碌山と春草が相次いで早世し、66年前の6月6日に不折が亡くなって、その二た月後に藤村が世を去っていたことも知りました。
高遠町でつくられた出版物が書家編と画家編にわかれていることに驚き、彼の書と画を初めて目のあたりにいたしました。京東京の近代洋画を直に見る機会をおかげさまでたびたび得ましたし、東京に限らずあちこち美術展を見てまわっておりましたのに、なぜ
一点も不折を見ずにきたのでしょう。
忍ケ岡へ何度も足を運んでいながら、根岸は別のところにあるという思い込みで一度も出向いたことがなかったことを残念でもったいないとくやんでいます。
NHKアーカイウ゛ス番組で、里見とんさんのお姿を初めて拝見し、お作を朗読なさったお声と発声法にシビレマシタ。醜、など気にしてちゃダメ、生きなきゃ、とのおはなしでしたね―。  湖雀

* しばらくぶりに、タンノーしました。夫婦相和して翔び歩いているらしい囀りの楽しさ、とてもケッコウ。

☆ お疲れさま  泉
暑い中を用事で走り周ったとか、お元気で何より。
戴きチケットで春日の「礫川浮世絵美術館」へ行きました。
初めての美術館を観るのが先ずの目的、展示は、広重でした。
学藝員のお勉強をした娘ちゃんは、機会があればどんな美術館にも足を運びたがります。
見過ごしそう(現に見過ごしました)に小さい箱庭のような美術館ですが、人は途絶えず来ています。
初刷りの近江八景、 比良の暮雪、三井の晩鐘、堅田の落雁、石山の秋月、瀬田の夕照、矢橋の帰帆、粟津の晴嵐、唐崎の夜雨、 馴染の場所が目に浮かび、懐かしい。
白山神社の紫陽花祭は、時間の都合で失礼しました。

* こういう風情の人たちを片方に感じながら、鳩山邦夫総務大臣が辞表を書かされたというニュースに、うんざり。蹴って出て、あえて罷免されてくればよかった。
麻生総理という人間の腐り加減がよく見えた。鳩山の孫が吉田の孫にコケにされたのは、歴史の繰り返しか、いやいや勝負はまだつかない。
選挙は否応なしに迫ってくる。満期やれば、その厚かましい屁っぴり腰に鉄槌が来るだろう、この軽薄なだけの総理、野垂れ死ぬだろう。
ま、こういうことがあっても、党派の間でテロなど起きない「日本には拍手」したいわけである。
2009 6・12 93

* 和歌山の三宅さんが、いま、大阪の病院からお電話、眼科の難しい手術とか。目が宜しくないと以前に聞いたが、そうまでもとは。驚いている。
電話の声しっかりと元気そうで、その余の故障はないというだけでも何より。お大切にお大切にと祈る。

* いつも大相撲本場所の桟敷など面倒を見てくれる相撲茶屋の「タケちゃん」が、いま、南海の島でウミガメ産卵の保護や保育のボランティアをしていますが、島に珍しい果物が生っているので送りますと、たっぷりの贈り物。枇杷の実を幾回りも大きくしたような、或いは無花果大のような、みたこともない、名前も知らない不思議色の果実で、上の方を輪切りにすると中に種混じりのどろりとした水分が。それをスプーンで掬って食べる。柑橘類に似たサッパリした味で美味しいと、妻は大喜び。感謝。
2009 6・13 93

* 甲州の美味しい、美しい桜桃をたくさん頂戴した。口に含んでいとおしいようなサクランボ、びっくりするほど美味しい。「惇さん」さん、嬉しく戴いています。
2009 6・14 93

☆ ご無沙汰しております。  惇
3月に金婚のお祝いの御出版をされてから、もうずいぶん経ってしまいました。
お祝いも申し上げず、また、御代も差し上げず、失礼を働いておりまして申し訳ありません。
本当は、ささやかでも何かお祝いを、と思っていたのですが、なかなかよいものも思いつかず、ずるずる日を重ねてしまいました。
今、こちらはちょうどさくらんぼのシーズンを迎えています。
あまり珍しくも、おめでたいものでもないのですが、赤くて小さくてかわいらしいものですから、目を愉しませるくらいにはなるかと思います。季節を感じていたたければ、と少しお送りしました。
農協から直接送ってもらったので、あまりオシャレなパッケージではないと思うのですが、召し上がって下さい。
では。
どうぞお体をお厭い下さいませね。

* 明日には桜桃忌を期した『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』上巻が出来てくるという機に「美しい桜桃」を下さるとは、なんという嬉しいことか。
この時季の桜桃は、私にも妻にも、この上ない嬉しい季の恵み。感謝します。

☆ 風。
こんばんわ。
お元気ですか。
降りそで降らないムッとどんよりした一日でした。
今日が最終日の日本画展を、静岡で見てきました。
何やら「文化勲章をもらった画家」という括りがいやらしかったのですが、大観、松園、竹喬、土牛、清方、魁夷ら、多くの画家の佳い絵が、それぞれ二点くらいずつ、時代順にありました。
眼の保養をたっぷりしましたあとは、静岡駅前のデパートなどで、あれこれ小物を買い、昨夏から欲しいと思っていた、タワー型の扇風機も買えまして、ほくほくして帰宅しました。
帰りしなに食べた遅い昼食のとんかつで、お夕飯いらずです。
ではでは、風は明日から発送の大仕事ですね。くれぐれもお怪我ないよう、がんばってください。  花
2009 6・14 93

* 戴いたサクランボの美味さに、もう、降参した一日だった、食べた食べた、夫婦で。感謝。
2009 6・15 93

☆ モゥ,あんたたちみんな,死ンじゃッて,いいからッ!  麗 札幌
先月,遠来の客人を迎えた。
米寿になりなんとしているそのご婦人は,病床にある弟を見舞いに,還暦過ぎの息子に付き添われてきた。息子は,母を迎えに新幹線で実家まで出向き,二人ではるばる来道したのだった。
対面はつつがなく終わり,その後の会食に付き合った。婦人のほうはいたって元気で,牛肉のポアレがメインのフルコースを,難なく平らげていた。
久々の対面に話は尽きず,いつしか,彼女の亡き夫のことに話題が移った。
「酒で死んじゃったような人」と,彼女が語るその夫は,職業がらなのか癇癪持ちで,そのときの家族の対応は,
妻:無視
娘:背を向け壁に向かってひたすら読書
息子:ふらりと表へ
だったそうだ。
聞くままに,壇ふみや阿川佐和子を思い出した。あの二人も,似たような父の性癖に悩まされ,「同病相哀れむ」で,初対面から意気投合したという。
また,これも職業がらか,「無頼の徒」めいた人々も,よく出入りしていた,という。
鯨飲や高歌放吟というお定まりの騒ぎの中で,彼女は密かに願っていたそうな。
「モゥ,あんたたちみんな,死ンじゃッて,いいからッ!」
次のセリフがふるっていた。
「そうしたらね,思った通りの順番で,みーんな死んじゃったの。」
これを,あくまでも穏やかに,莞爾として語るのである。
ところで,全くの偶然だが,私のマイミクさんの一人が,その夫の「後輩」に当たる。別れ際に,彼女に確かめてみたところ,
「お会いしたことはないかもしれないが,夫とお付き合いがあったことは知っている。」
という答えが返ってきた。ついでに,
「貴方には何も言うことはないが,強いて言えば,もっと銀座へ出ていらっしゃい。」なることばをかけてもらった,ということも,よせばいいのに言ってしまった。
「まッたく,下らないことを言って・・・。」
と,苦笑していた。おまけのつもりで,
「では,ご生前はさぞかし・・・。」
と尋ねると,
「えェ,まァ,ねェ・・・。」
と,苦り切っていた。
翌日,彼女と息子は帰京した。息子の方は,地方の任地にとんぼ返り。今度会えるのはいつか,などと野暮なことは,考えないことに,しよう。

* 懐かしいお人の笑顔が、目の前によみがえる。この人、和田芳恵と連名で、わたしを文藝家協会会員に推薦してくれた。巌谷大四さんと仲良しで、京都で何か会のあったときこの二人に京都の案内を頼まれ、泉涌寺や東福寺や智積院、法住寺界隈を歩いた。
東京へ帰ってから、お礼にと二人に招かれ銀座松屋裏の「はち巻岡田」でご馳走になった。
この人は、中国に招かれても、中国の批判さるべきはキチンと批判し非難すらされていた。井上靖さんらは閉口されていたようだが、そういうシマリのよさに魅力横溢の逸人だった。
この人とご縁の深かった出版社で、いまわたしの息子がお世話になりベストセラーを出している。
2009 6・16 93

☆ 秦さん  モリアオガエル
ご無沙汰しております。お元気、お達者のご様子は「闇に言い置く」で時々うかがっております。何よりと存じます。
あくせく、おおわらわではなく、マメに小忙しい毎日です。外の勤め(1月より、往復4キロの徒歩通勤でマンションの管理人を週三日ほど)で健康増進。65歳で日々学ぶことも多く、労働の喜びを取り戻しました。
家にあっては、発掘古史料古典籍の整理と調査(及び売り立て)、あとは、ときおりこまかい翻訳など。習作の短編をため込んだり。独り暮らしも板につき、マイペースでほどほどやっております。
交際、社会活動はだいぶ減りましたが、孤独ではなし。近くに住む二人の娘やその友人らとの交流もあり、前のカミさんからは色々相談事を受けるなど、若い世代と付き合うのは楽しゅうございます。
一隅にあっても社会の変化などウヲチングは続けております。
今の住まいの周りは閑静で緑が多く、おりおりの自然にこころ和み、身の丈の吾が歳事とぶらり付き合っております。
モリ返しまでもう少しですか、来春あたりには、、、、。どうぞお元気にお過ごし下さい。
2009 6・16 93

☆ ハーイ  光琳
アジサイの色も濃くなり、あっと言う間に梅雨になってしまいました。
お二人からメールを頂戴し、とても嬉しいです。
たった今、映画学校の課題を終え、パソコンから送信したばかりです。
怪談デートのお誘い、ありがとうございます。
またお目にかかれる事、しかも一度は行ってみたかった歌舞伎座なんて…素敵です!
喜んでまた駆けつけます。
ちなみに、夏休みの予定は真白です。
海外には行けません。貯金を学校につぎ込みました。
先週、時間を見つけて北鎌倉へ行ってきました。
アジサイ…もちろん! でも、メインは大好きな小津安二郎を訪ねるプチ遠足でした。
まず初めは円覚寺の小津のお墓にご挨拶。
行ってビックリ! 木下恵介のお墓が一つ置いて隣に座っていました!
まるで元気だった頃の二人の様です。
松竹の監督会の際には、小津はいつも木下恵介を隣に座らせていたそうです。
やっぱり!と思いました。
次は浄智寺、生前の小津安二郎宅探しです。
浄智寺脇の山道を少し登り、手掛かりが見つからず諦めて降り始めた時、“小倉”という表札の門を発見!
小津宅隣の小倉遊亀宅だ!と興奮!!!
有名な入口になるトンネルは私有地の為、そこまで。
小津安二郎が亡くなり棺が帰宅した際、冠婚葬祭が嫌いだった里見とんが一人たたずんでいたあのトンネル。
目の前にしながら、やっぱり私有地を犯すのは無礼と、諦めました。
しかし、小津が通った道、坂からの景色は小津の構図でした。
その後、坂を下りた所に古い円柱型の郵便ポストを発見!
絶対小津も触ったであろうと思い、すかさずなでなでなでなで。
締めくくりはアジサイ寺で有名な明月院。
まだその日は色が浅く、明月院ブルーには早過ぎましたが、圧倒的な数でアジサイに埋もれてきました。
あとは毎日学校です。
ざっとこんな日々です。
まーごちゃん、少し回復なさったようで安心致しました。
ご無理せず、優しく優しく。
課題提出の後なのでエネルギーが切れてきたようです。
お伝えしたい事一杯イッパイあります!
お目に掛った時に沢山お話聞いて下さいませ!
お目に掛れるの、楽しみにしております。
これからパッとしないお天気が続きますが、どうぞお身体ご自愛下さいませ。
では、お休みなさい☆

* グンと、筆致に成人ぶりがにじんで来て。勉強が生き生きしてきたのだなと嬉しい。頼もしい。

☆ お元気ですか、風
さてさて、今頃、ご本が届き、早速発送に取り掛かっていらっしゃるのかな。今日は暑くなるそうだから、きっと、汗だくね。
昨日、東京はゲリラ豪雨だったとか。こちら富士山麓も雷雨で警報が出るほどでした。これからの季節、突然の雷雨が心配ですね。
吉行淳之介は、『闇のなかの祝祭』あたりをターニングポイントとして、以後、彼のジャーナリズム上の成功とはうらはらに、文学は縮小の一途を辿ったと、わたしは思っています。
『暗室』の主人公は、「子生み」を望まず、なぜ自分は子を望まないのか、という問いを自分自身に投げかけ、原因を、自身の過去に求めようとしています。
結局、主人公は答えを導き出せず、問いそのものをうやむやにしてしまっています。
子を望まない主人公は、吉行の他の小説にも登場し、エッセイでも同様の発言をしているところから、吉行自身の地の部分があらわれていると思われ、七転八倒しながらでも、そこを突き詰めれば、彼の小説は違ったものになったかも知れませんが、結局彼はそうしなかった。
男性である吉行が子を望まない、というとき、自分がお腹を痛めて産むわけでなし、仕事を理由に家を空け、意図的に子育てに参加しない道を選ぶことも可能かもしれず、やはり、彼にはそれほど切実なテーマではなかったのかなあ、という気もします。
つまり、『暗室』にみられる一貫したテーマである「子生み拒否」は、意匠に留まるのではないか、ということです。『砂の上の植物群』にある、亡くなった父への劣等感も、意匠じみています。
吉行の後期の小説が、やせて見え、ぬるまったい読後感を残すのは、吉行が自身への批評眼を失ったせいなのは明らかで、なぜ失ったかといえば、彼が、成功した小説家として、世俗に居場所を見出してしまったからだと、わたしは思っています。
ではでは。今日の英会話は、先生の都合で、午後になりました。 花

* 吉行通の人に、読みかけて少し落胆気味の『暗室』について意見を徴したのに、こう答えてもらった。
2009 6・17 93

☆ 毎日のご様子、  瀧 埼玉
時々ではありますが、ホームページを開いて、拝読しております。お仕事、御健康のこと等、懸念、心配、共感等々、いろいろ心を動かされております。
また、過日は、「湖の本」NO,52(自筆年譜一)をお送りいただき、感動、恐縮いたしました。かねてより予告がありましたので心待ちにしておりましたが、現実に手にいたしますと、想像以上のものがありました。
年譜は好きで、その人のところどころの年齢と、自分の年齢を重ねて、追想や後悔に惹き入れられますが、作家ご自身が、詳細に作成された年譜を拝読させていただくのは、今回が初めての経験ではないかと思います。
作品から知らず知らずのうちに組み立てていた作家像と、年譜の重なりは、さらに濃密な想像へと誘われるものがありました。御作が、虚構性の高い作品でありながら、しっかり人生に根差した着想であったことが、理解され、人生を多層的に、輪廻的に、時空の外にいて、全ったき新しい時間と空間に生きる、そのような独自の世界観が、より一層深く、確かなものと感じられました。
また、自筆ならではなのでしょうが、ところどころに挿入された、多くの謎のような、感想や嘆息は、これから作家論をものしたいと思
う論者には、必要な論拠として、また資料として、決して無視し得ない言葉になるのではないかと思いました。私も、何度も立ち止まりました。そして、自筆年譜が、まるで『モンテクリスト伯』を読むようにも惹き入れられ、動揺させられる、この好奇心を刺激するホルモンの攪拌は、いかなる人間機械の構造なのかと、反省をこめて追想するところでした。
この、自筆年譜により、より本格的な作家論が、必ずや書かれるであろうことを、確信し、期待しております。本当に、ありがとうございました。
年譜を読み終えてから、今、改めて『清経入水』『畜生塚・初恋』『秘色・三輪山』『蝶の皿・青井戸・隠沼』を読み返しております。今まで読み切れていなかったところが多々あり、新しい発見に楽しませていただいております。
梅雨に入り、湿潤な天候が続きます。秦先生、奥様お二人の、いついつまでものご憲章をお祈り申し上げます。それでは「湖の本」の良い御作品をさらに期待し、お待ち申し上げております。
2009 6・18 93

* 朝一番に、山形の「あらき蕎麦」さんから、毎年の、紅滴る美しい桜桃が大きな筺で贈られてきた。うまい。おいしい。有難う存じます。
2009 6・19 93

* ドラマの人で、太田静子さんとは逢っている。娘の治子さんに誘われ、日曜美術館に出演したあとお宅へ行き、しばらく話した。太田さんはわたしの『みごもりの湖』を読んでとても気に入って下さっていた。
長女の園子さんとも、太宰賞のパーティで二三度会って立ち話している。
晩年の太宰に寄り添って口述筆記などしていた野原一夫さんは筑摩書房にいて、桜桃忌などで何度もいろいろお付き合いがあった。労作の『太宰治』も戴いた。
2009 6・20 93

☆ 桜桃忌、湖の本「濯鱗清流」頂戴しました。  瀧
ありがとうございました。
さきほど、教育テレビで「走れメロスの津軽版」を「視点、論点」でやっておりました。メロスが賊に襲われた後、自らを鼓舞して、再び走ろうと決意する、その心理描写を津軽弁に翻訳して語っておりましたが、無駄のない、迫真の表現が、津軽弁により一層深いリアリティとなって、胸に迫りました。良い文章には、芯にゆるぎないもの(思惟)がある、と思いました。
末尾ですが、ご自愛、ご健勝のほど、お祈り申し上げます。 敬具

☆ 風、お元気ですか。
よい天気です。今日は外出の用事があるのですが、うう、暑くなりそう。
花のところには、風の新刊はまだ届いていません。
はてさて、いつごろ届くのでしょうか。
横光利一論について、思うところありました。評論と併行して、小説の方も読んでみます。
ではでは。
風は今日も肉体労働かしらん。お元気で。花

☆ お礼
ご恵贈の新刊、有り難く頂戴しました。ちょうど我が身に重ね、旬年ひとむかしを振り返るに、此はしめたと。読みたいときが旨いとき、読みたいように読むのも旨いとき。
日ごろのご高配有難うございます。
お体おいとい下さい。梅雨晴れ薄暑夏至まぢか。 優 e-OLD

☆ 新しい湖の本、「濯鱗清流」(上)届きました。 京ののばら
いつもありがとうございます。
「第九十九巻・第百巻」達成おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。これからも益々ご活躍くださいますよう、願っています。
京都は梅雨入りの発表から後、晴れの暑い毎日です。
「eー文藝館=湖umi」の毎日の「推奨・紹介」をメモしておいて、読ませて頂いています。当てずっぽうに読むより、わかりやすくて、いろいろと参考になり、楽しみにしています。
いつもの倍もの発送作業でお疲れのことでしょう。
くれぐれもご自愛くださいますよう。

☆ 新刊の御本本日受け取りました。 光
有難うございます。
身辺些事
七月十二日に大濠能楽堂で「**流普及公演」があり、公演に先立って私に「源氏物語と能」というテーマで話をせよ、という注文が来まして… 何十年かぶりで源氏を読んでいます。昔は何か義務のように感じてとりあえず読んでおこうか、という取り組みだったので、今はひたすらというか、単純に源氏物語の面白さを堪能しています。
五月の連休に家族で久しぶりに奈良へ行きました。
秋篠寺の帰りに、初めて松伯美術館へ寄りましたら「能と松園」ということで、金剛さんからの装束や面などが一緒に展示してあり、珍しい写真、「序ノ舞」の下絵など貴重な物を見る事が出来ました。

* そろそろ届いているようで、本当の一息をついている。
2009 6・20 93

☆ 湖の本
湖の本エッセイ47を拝受いたしました。有難うございました。なかなか面白い編集で、つぎつぎと読めそうです。私でも。
よくもよくもこれだけのお仕事をされますお力に敬意をお伝えいたします。立派なことです。中々出来ないことです。
ますますお元気でいらしてくださいませ。
明日から母の見舞いもかねて温泉旅行へいきますので、送金、すこし遅れること申し訳ございません。ご容赦くださいませ。
お身体のほうはいかがでございますか? 先日**さんと電話でながながとお話いたしました。秦恒平さまのことが話題となりました。
彼女も体調が余りよくないらしく、もうすこし元気になったらお会いしたいと話されていました。
私もしかりで最近は体調不良なときもあり無理ができないのです。絵のほうも休みやすみ無理のないようにやっています。
年齢には勝てません。致し方ないのでしょうね。いつかまた作品をみてくださいませ。
神奈川一水会展に出品しました60号の作品はすこし変化がでてきていい方向ではないですか! と評価していただきました。
これから真夏にむかって大きな制作をせねばなりません。だんだんきびしくなってきました。
ではこのへんで失礼いたします。ごきげんよろしく。  彧
2009 6・21 93

☆ 十九日に届いていながら  湖雀
お祝いとお礼と感謝とよろこびをお伝えするのがおそくなりましたことお詫びいたします。
落ち着いてあらためて後日メールします。
あじさい、くちなし、栗の花。ところが雨は夕立みたい。いまも轟く雷鳴と稲光がして大粒の雨が降ってきました。車軸を下すたとえを口にする雨も、しょっちゅうです。
調整の要る時節でもあり、お疲れの残りませんようどうか一層お大切に。 雀

* 大雨の降りしきるのを譬えて「車軸のごとし」と謂い、また車軸を「くだす」「流す」「ふらす」とも謂う。たんに「車軸す」で大雨が降る意味につかう。

☆ 秦 恒平先生  秀
この度は御高著『湖の本 エッセイ47 濯鱗清流』(上)』をお送りいただき、誠にありがとうございました。毎回ご丁寧にお送りいただきながら、なかなか御礼も申し上げられず、恐縮するばかりです。
それにしても『湖の本』は創刊満23年、次巻で通算100巻を迎えられるとのこと、この間のご努力と絶え間ない思索の深さを思うと、いささか呆然とし、心より敬意を表するばかりです。
今回のご労作は “「思い」「批評」「交際」「文学との日々」とでも読み取るべき「文学作法」” とのことですが、拝読したところ、「文学作法」などという
枠ははるかに飛び越え、貴重な文壇史、文学批評となっていることに深い感銘を受けました。次巻を今から楽しみにいたしております。
6月も下旬となり、鬱陶しい天候が続いております。夏風邪などお召しにならぬよう、くれぐれもご自愛ください。
またお目にかかる日を心より楽しみにいたしております。
取り急ぎ御礼まで。

☆ お元気ですか、みづうみ。
色々疲れていたせいか、風邪をひいて(幸いインフルエンザではなく)寝込んでいました。先週末に湖の本頂戴していましたのに、ご連絡遅れましたことお許しください。まだ激しく咳き込むこともありますが、やっと外出できるようになりましたので、本日振込も済ませました。
『濯鱗清流』を手にして、まったく新鮮なご本を読む気持です。
まだ頁をめくっているだけですが、おそろしく重たい作品であることにぞくっとします。畏怖、畏敬の念のようなものに鳥肌が立ちます。文学者の孤独と渾身の歳月の重さが頁をめくる指先から伝わってまいります。
覚悟を決めて、重さと格闘しつつ読む作品ですから、軽々に感想は申し上げられませんが、少し読み始めただけで「太字」の多用に目を瞠ります。太字の部分、怖いくらい効果的な表現になっています。 あぢさい
2009 6・22 93

☆ 南京新唱  瑛 e-OLD川崎
唐招提寺の句碑の歌が聞こえてきます。青春の心に学規四ヶ条が沁み入ります。あいあうことこの世でなかりしも、「師」に巡り合って平成を生きていることのうれしさを思います。
お寺の鑑真和上にも会いたい。梅雨の中のコメントであります。

☆ 湖へ  珠
お元気ですか。ご無沙汰しました。
心身共にきつい春を過ごし、ようやく一息ついています。
澱のように積もった疲れもゆっくりですが日々に流し、我が身の感覚を取り戻しています。文字を読むゆとりの戻り始めた頃に、記念なる「湖の本」第九九巻をお送り頂き、大変嬉しくページをめくり始めました。
七月最初、施餓鬼供養で帰郷して、あとは、三年前と同じように、泉鏡花の二作品を愉しみに、鏡花を読んで過ごす月になる予定です。
この縁の糸、爪弾いてみたい。
雨に風、めまぐるしく変わる天候にはくれぐれも気をつけて。お大事に。
ご本の御礼まで。

* 雨中郭公といへる心をよみ侍りける  按察使資賢 (千載集)
をちかへり濡るとも来なけほとゝぎすいまいくかかはさみだれの空

☆ 秦先生   森
おはようございます。
99巻目をお送りいただきありがとうございました。
ついに100巻も姿を現してきたようで、おめでとうございます。
自筆年譜の続きはさらにその向こうなのですね。楽しみにしております。
うっとうしい長雨ですが、ちょうど紫陽花も見ごろですね。
外歩きなどなさりお元気でお過ごしください。(我が家では日に日に蝸牛が増えていきます。)
では。
2009 6・23 93

* 下北澤へ出かける直前に初めての人から「e-文藝館=湖(umi)」へ「投稿」があった。少し時間を貰ったが、こんな返信をすぐにした。

* 秦 恒平です。 朝食して、いまから所用で出ます。作は、帰宅後に読みます。
いまちょうど「秦恒平・湖の本」通算九九巻の発送中なので、さらにひきつづき記念の第百巻も送り始めますので、しばらく時間をもらいます。
ひとつだけ。
わたしがまだ「菅原万佐」という筆名で私家版を作っていたころ、その一冊が誰の手を経てか新潮社の編輯重役に、さらに「新潮」編集長に廻されていて、突如としてある日、その酒井健次郎編集長から呼び出しが来ました。どんなに仰天し興奮したか、お分かりになるでしょう。
酒井さんはわたしを観るなり、「本名で書きなさい」と断定しました。わたしも即座に覚悟をきめました。何一つ他に言葉の交換はありませんでした。
あなたにも同じことを言います。では。後日。
わたしの新刊『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』上巻を送ります。送り先を知らせて置いて下さい。

* 筆名というペルソナ(仮面)の、いくらか利点もあるだろうが利点に甘えたとき、「書く」覚悟は不徹底になる。
2009 6・23 93

☆ 『濯鱗清流』上巻有難うございます。  弘
私語の刻からひらき、丁度古巣から先日持ってきた資料に新井白石のこと、『親指のマリア』とのかかわり、川口市の長徳寺ほかキリシタンの墓を訪ね歩いた日々のことなつかしく思い返しています。岩槻もさいたま市に合併されましたが、+(クルス)マークの刻まれた浄国寺ほかかくれ切支丹研究をかなりノートした日も遠くなりました。
今日は六月十九日、県立青森高校(旧制中学と女学校合併)の大先輩の命日。安らかにと。三鷹(禅林寺)には、そっと一人で行き、先ず、森鴎外の墓を拝みます。

* 大島渚夫人、青山学院大清水名誉教授、静岡大学小和田教授ほか各大学より懇篤の来書あり。

☆ 秦先生   駿
音沙汰なしで誠に申し訳ございません。
**新聞(大阪)の***です。
「湖の本 エッセイ47」拝受。ありがとうございます。
創刊23年。「文学作法」の下巻で「湖の本」が百巻を迎えられるとのこと。
これはもうニュースですね。
小生が文化部に在籍中でしたら、取材させていただくのですが、今は編集局から異動しておりまして、隔靴掻痒の感(という言葉が正しいような正しくないような)。
何か、考えます。
それにしても、出版社にお勤めになっていた時代や東工大で教壇に立ってらっしゃったときの、年収のことなどは、いい意味で生々しくて、「文字」を書いて生きていくことの苦労や矜持が慮られ、感じ入りました。
一応、新聞記者の端くれのさらに端くれとして、背筋を伸ばしました。
また、
泉鏡花の「五百人」の固定読者と、「ホームページ」が“リンク”する現在性に、眼から鱗の思いです。
そんな感慨につられるように先に頂戴しておりました「湖の本」の「自筆年譜(一)」のことを思い出しました。
昭和29年(小生が生まれる*年前です!)に先生が同志社に入学されたくだり…。
「金田民夫助教授」「中川勝正助手」先輩の「郡定也」先生のお名前が出てきますが、お三方とも小生が入学した時は「教授」でいらっしゃいました。
中川先生は小生のゼミの指導教授でして、先だって直木賞を受けた山本兼一さん、アウトドアライターの天野礼子さん、劇作家のマキノノゾミさんは、
「中川ゼミ」の先輩です。
ちなみに、
小生は現在、デジタルメディア担当として、新聞社の新しいビジネスモデルを探っております。
新聞記者のような仕事や、広告マンのような動き、営業マンのような思考が必要で、なかなか楽しいです。
というか、
新聞社は構造不況業種としてかなり厳しい局面に向っておりますが、小生としては、かなり充実した日々を送っております。入社してから最も自分に合った “場所”を見つけた思いですので、なかなか大変ですが、カラ元気ではなく正真正銘、元気です。
先生のお知恵も拝借できれば、と思っております。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
ちなみに、
病気(重症筋無力症)で入院したこときっかけに始めたトロンボーンはまだ続いています。
もう初めて3年目になるのに、さっぱり上達しないのは、哀しいのですけど。
きょうは先日土曜日に出勤した代休でして、トロンボーンが入ったジャズを聴きながら、エリック・ホッファーの「自伝」を読みました。

* ありがとう。働きがいのある日々を過ごしている若い友の心はずんだ言辞に触れる嬉しさは、格別。とても頼りに感じている。
2009 6・23 93

☆ 『濯鱗清流』に御礼  maokat
hatakさん  札幌のmaokatです。
先週から昨日まで所用で上海へ行っておりました。留守中に湖の本が届いておりました。手にずっしりと重みを感じます。継続している十年の歳の重みでもあります。
何故か帰る前の日にお腹をこわし、帰国後二日目の今日も下ったままです(発熱はありませんのでインフルエンザではないようです)。三年前のシリア、去年のイタリア・ドイツ、どちらも体調を崩して帰国しました。同じようなことが三度続くと、さすがに海外の水に身体がついていけなくなってしまったのかと悲しくなります。そういえば、昨年ごっそり体重を落として帰国した後から、健康のために週に二回はプールへ行って泳ごうと思っていたのですが、いつしかそれも忘れていました。またプール通いを復活させようと思っています。
十年以上前のことですが、レンタカーを借り、一人で沖縄本島南部の田舎を調査に廻ったことがありました。静かな村の今は人が住んでいない廃屋、崩れかけた赤瓦とサンゴ石垣の小さな家でしたが、草ぼうぼうの庭に白い月桃の花が揺れていて、真夏の青空に映えとても美しかったことを今でも憶えています。
海勢頭豊(うみせどゆたか)という人の『月桃』という歌を知ったのがいったいいつだったのか思い出せませんが、この歌は絵空事ではなく現実を歌ったものだと、あの時の体験が教えてくれました。今日はそういう事を一人静かに思う日でした。

月桃 白い花のかんざし
村のはずれの 石垣に
手にとる人も 今はいない ふるさとの夏

六月二十三日待たず
月桃の花 散りました
長い長い 煙たなびく ふるさとの夏

香れよ香れ 月桃の花
永遠に咲く身の 花ごころ
変わらぬ命 変わらぬ心 ふるさとの夏
2009 6・23 93

☆ 「湖の本」百冊記念企画は 嬉しい贈物でした。
秦さんのぶれない倫理観・美意識・そして文学者としての覚悟が、折々の思いのうちに「文藝」として表現されていて、まとめて拝見すると一層感銘深く感じます。まずは中仕切りへの到達をお祝い申し上げます。百冊目も待たれます。  元出版部長

☆ 前略   頁を繰っておりまして 江藤(淳)さんの自殺の翌日の御述懐には深く感銘致しました。「『ちがう人』という気持」を率直に記されながら、「涙が流れて困った」一日の様々な御感懐は私の心の最深部に届きました。(今年は歿後十年に当りますね。)改めて最初から通読させていただきますが、同世代者として多彩な感想が浮かぶことと存じます。
本日は取急ぎの勝手な御礼をしたためてしまいましたが、どうぞ呉々も御体調に留意され、さらなる御健筆御多幸を心からお祈り申し上げます。草々不一   元編集長

☆ 「濯鱗清流」ありがとうございました。
身辺ミクロと周辺、いえ、日本、世界のマクロがせめぎ流れるグローバル、様々な意味で勉強になります。
この上巻をあと一冊、下巻を二冊、お送り下さいませんでしょうか。
ますますのご活躍を祈念しおります。  作家

☆ 前略  次から次へと創作なさっている秦様のパワーにたじたじです。 梅雨の入りも近く、御自愛のほどを。 脚本家

* 画家の松尾敏男さんからも懇篤のお手紙があり。有り難く、皆さんに励まして頂く。

☆ お元気ですか  鳶
届いた『濯鱗清流』上巻の記述は1998年から2000年にかけて二年間のもの。あれからほぼ十年、歳月を感慨深く振り返りました。二千年から現在に至るまでの文学作法を編めば、それもまたさらに膨大なものになります。改めて凝縮した形に纏めるとしても、それも大変な作業になる・・。
覚悟して、健康に留意されて、頑張ってと、切に思います。
先日の俊成女の話から『無名草子』を取り出して,やっと読み終えました。久しぶりの古典でした。
少し梅雨らしい空模様になり、一昨日など夕方強い雨が降ったとき折悪しく自転車で走っていて、ずぶ濡れになりました。濡れ鴉ならぬ濡れ鳶。目を開けていられない降りでしたが雨宿りするような軒先もなく、周囲は田畑で、ずぶ濡れになるのが気持ちよかったとはやせ我慢も半分ですが、潔かったです。
夏になるといっそう行動は鈍りそうで、今から暑さを嘆きます。
イラン、アフガニスタン、パキスタン、いずれもいずれも現在不穏な情勢にあります。イラクも再び自爆テロが起きています。思い入れ深く、日々重大な関心をもって過ごしています。
以前少し書いたことがありますが、紹介されて神戸の詩の集まりに数回出かけました。
真正面から詩作に向き合ってこなかった、と痛感させられることもありました。現在の詩人たちの作品も動向もほとんど知らなかったことも、思い知らされました。長い時間、文学にまともに関わってきた人たちの博学も自信も尊敬します。同時に不遜に近いかもしれませんが、わたしはわたし以上にはなれないのだとも打ちのめされました。真率向かい合う気持ちはあります。が、詩に命を賭ける覚悟如何、と問われれば、弱いわたしには答えようがありません。また、わたしが書くものが果たして詩の形なのかどうかも疑問だとも指摘されました。
改めて書いたものを読み直して、この二日ほど、全否定したいほどの気持ちに襲われています。
どうしたらよいものやら。わたし以外にはなれない思いと全否定したいほどの痛さとの相反したものを抱えて無力感に陥っている鳶です。

* 鳶は、どこかで甘えていますね。決めるべきは自分で決めるのです。
詩のために仲間で集まっている人たちの共同幻想に怯えることも気にすることもありません。一人で沈潜すればいいものを、仲間で浮かれて詩境を平均化させてしまうか、わるく興奮して脱線してしまうか、いわゆる「詩誌」で読む詩にたいしたたモノの無いのが相場です。わたしはたくさん詩誌を貰いますし目を通していますが。
むしろ孤独に詩と向きあって、うまずたゆまず沈潜し鍛錬している人の詩語の美しさに打たれることが、ママあります。短歌も俳句も同じですね。
鳶は、自分を全否定どころか、自信を持って一度自分の詩を「全肯定」したところから敢然と立ち、そこで厳しく孤独に自己批評の刃を磨くべきなのです。全詩集のようなコトを考えるならなおさらです。
しかし、美意識に磨き抜かれた美しく凝縮された「主題のある詩集」を何冊かつくるのが、出来れば同時につくるのが、いい気がしますけれど。
しかしそれは自分で血を流すほど考えて決めて下さい。誰にも口を出させないという覚悟で、悔いなく爆発を。噴火を。 鴉
2009 6・24 93

☆ お元気ですか、風。
昨日のうちに、あちこちのおつかいを済ませましたので、今日は、英会話の帰りに、一箇所だけ買い物して帰宅しました。
雨が激しく降っていましたが、午後にはやみました。
花は、二葉亭四迷の「浮雲」を読んでいます。
あと、『モンテ・クリスト伯』も。『モンテ・クリスト伯』は、おもしろいですね。以前、ジュニア版を読んだことがあり、筋はわかっているのですが。
岩波文庫版と同じ訳者によるジュニア版は、うまくまとめられていたのがわかります。
ではでは。 花
2009 6・24 93

☆ 拝啓 「湖の本」エッセイ47 誠に有難く拝受、御説に首肯を続けながら、たのしく読了いたしました。たゞ少数の人物についてだけは、あの方はそんな方ではありませんと思ふこともありました。
編集者は文士の裏も表も知つてしまふ因果な商売ですが、それを絶対口外しないといふ掟もあつて、それを破ると、文士は、いつ寝首をかかれるかもしれんと、編集者を信頼しなくなるからです。
しかし政界、官界、財界と比べたら、こんな清潔な社会は地球上にあるまいと思ひます。御著書を拝読してゐて、自分はいい社会で仕事をして来て幸だつたといふ思ひを深めました。
葉書で略儀ながら取急ぎ御礼ま迄、不一  元編集長

* 「たのしく読了」というのが嬉しい、有り難い。
「あの方はそんな方ではありませんと思ふことも」とあるのに、頷きながら、わたしが称賛し感謝した「方」なのか、わたしが強く批判した「方」であるのか、は一応分からない、が、たぶん前者であろうなあと幾分見当もつく。
それにしても、この方の活躍された、開拓されたころの文壇は、はるかな昔。
わたしはその「幸」を若造ながら少し自ら実感が出来ていたからこそ「濯鱗清流」とけれんもなしに謂えた。今日も読み返していて、素晴らしい「方々」のいた文壇だったと自然にあたまがさがる。
今は、とてもそうは行かない、なによりも表へ出て大手を振っている人たちに「文学者」としての気稟の清質が欠けている。
その一端が、故人高村光太郎の詩と文学とを公然貶めて平気の平左、みずから責任者の立場にいて「好ましいことではないと思った」と言いながら、批判を真っ向に浴びてなお「うやむや」に臭い物に蓋しているような所に、露呈されている。

* ひとことでいえば、上の元編集長氏の頃の先導的な「文士」たちは、「リッチ」でなかったが、みな、真に「フェイマス」だった。譬えて謂えば、島崎藤村、正宗白鳥、志賀直哉、川端康成、芹沢光治良、中村光夫などと並んだ日本ペンクラブの歴代会長の時代、ホンモノの文士たちはみな「フェイマス」であった。鏡花、秋声、潤一郎も、伊藤整も高見順も太宰治も、みな「フェイマス」な作家であり文士であった。
いまでは、「リッチ」志向が大勢をなし、若い人も文学を真剣に志すよりも、かつては文学の数に数えられなかった読み物の書き手をめざして「リッチ」の夢を追おうとしている。気稟の清流はかなり汚れてしまっている。「いい社会で仕事をして来て幸だつた」というこの歴然の「過去形」を見落としては、「幸」の有り難さがアイマイになる。
2009 6・25 93

☆ 秦兄、
日夜(「e-文藝館=湖(umi)」推奨作)の連載、なかなか追い着きかねますが、かろうじて堪能。
今宵は特に好みの(長谷川)時雨・上品のご紹介に接し一言感謝。
毎度の紹介・寸評、うなるばかり。感謝。  後輩
2009 6・25 93

☆ 秦 恒平様
『濯鱗清流』を拝読しました。「湖の本」の歴史もよく分かりました。妙な話と思われるかもしれませんが、元気が出ました。
頂いた元気の勢いで、小著(=『論集・中野重治』龍書房)を送らせて頂きます。あまりご興味がないかと遠慮しておりました。
本格的な梅雨となりました。ご自愛下さい。  誠

* 興味が無いどころか。中野重治はもっとも大事な、尊敬する「フェイマス」な作家の一人です。唐木順三先生のご葬儀の日、わたしは中野重治さんの雄偉の後頭をみながらまうしろの席で唐木先生を悼んでいた。中野さんと唐木先生とは肝胆照らす仲であった。

* 歌人の大島史洋氏からは新刊の歌集『センサーの影』を頂いた。甲府の山梨県立文学館からは「太宰治展」の完備した図録を貰った。
2009 6・25 93

* 帰宅すると折りもよし、東大名誉教授久保田淳さんから、ちょうど荷風散策を読んでいまもっとも渇望していたような、岩波新書『隅田川の文学』を頂戴していた。嬉しい。目次を観ただけで、ふるいつきそう。川端、芥川、谷崎、荷風、鏡花、黙阿弥、南北、近松、芭蕉などの名が、ずらり。古典が、ずらり。

* 二○○三年の分の「私語分類」が、沢山の項目に分かって、どうっと送られてきた。分類して頂いて、なお気の遠くなるほどの量がある。
今度の上下巻は、一九九八年から二○○○年末までを編輯した。三年分全量の半分ほどを用いたのではなかろうか。
アトヘ行くほど量的に増えこそすれ減りはしないから、分類の済んだ二○○一年から三年までの三年分で、今回程の本なら五巻分はすぐ編輯出来るだろう。
2009 6・25 93

* 出張してきた関西からの人と東京駅で会い、簡単なイタリアンとワインとで四方山、歓談。いろいろと現下の政情世情を歎きあうことと、不如意がちの健康問題とが、つい双方の愚痴になるのはなさけないが、それでも、人語をかわし、耀く目の色やはずむ思いをかわし合えるのはいいことだ。話題を懐旧にながさず、互いに今の仕事に絞られて行くのもいい。限られた時間で目一杯を話し、楽しんだ。この先に、今度の新刊のことなどでいい話題が生まれてくるといいが。ま、とりとめないといえば、とりとめないのだが。
2009 6・26 93

☆  冠省 湖の本100巻  作家
真に偉大な文業だと思います。絶後かどうかはわかりませんが、空前です。100以上の本を出版した人は小生を含めて沢山おります。でも、そのうち何冊がいつでも入手できる状態かといえば、むろん否です。小生の作品で、初版を出してから今でも書店で手にはいるのは『****』だけです。文庫本になっている本も、10年先のことはわかりません。それを考えると、貴兄の「文業」には驚嘆かつ羨望の念を禁じ得ません。
余談ですが、江藤淳についての感想に同感するところがありました。(略)
PENも含めて、最近は政府から勲章をもらって喜んでいる人が出てきて呆れています。最初から、その種の褒美を目標だといっていた人が貰うことに、小生は何も不快な思いはありませんが、その逆のことを公言していたのに喜んで貰うコメントには、もはや軽蔑しかありません。
PENも、どうやら、トップのいうことに何一つ疑問を呈さず反対もしない人を揃えたようで、議論のぶつかり合いのない羊の集団では、存在の価値なしですね。
お礼のつもりが、どうも憤懣調にになってきて恐縮です。
どうか貴兄も健康にはご留意ください。「原稿も健康も大切にしましょう」。乱筆ご容赦。

* 「湖の本」のことはともかく、ペンのことなど、ほぼ、云われているとおりに思われ、頷かざるを得ないのが情け無い。

☆ 梅雨時らしく   元出版部長
雨空やら旱の強い時やらです。
御著『湖の本47・濯鱗清流』を御恵贈賜り、有難うございました。文壇には荷風や吉行淳之介のような作家が「地を払った」ことへの寂しさを訴えていますが、同感です。
一九九八ーー二千年は、小生、現場を離れていましたが、江藤淳のことやら、様々な「文壇」の一つの姿と、真正直な秦さんの対応姿勢がうかがえて、改めて、自分を顧みました。第百巻が待たれますが、いつも深謝いたします。

* 青山学院大学からも、他の全国の大学からも続々礼状が届いている。

☆ 湖の本  波
昨日イタリアから帰ってきました。上の娘が元気な女児を出産、手伝いに行ってきました。
帰りましたら湖の本が届いていました。ありがとうございます。
10年前の「私語の刻」ひときわ感慨深く拝読しています。
日々お元気にお過ごしくださいますよう。
2009 6・29 93

* この日録と一日遅れぐらいで、このところ「mixi」へ、「e-文藝館=湖(umi)」の推奨作を連載している。昨日の田畑修一郎『鳥羽家の子どもたち』にコメントが入っていた。こういう反響が嬉しい。先日は、未知の人から「e-文藝館=湖(umi)」へ「投稿」があった。まだ読み切らないが、手応えは感じられる。もう少し待って貰う。

☆ 湖さん    tamae.
出雲大社へ小学校五年生の時に山陰本線を下関から岩に生える松で美しいリアス式海岸線の景色を見ながら汽車で行きましたがその時に駅名「益田」を知りました。益田駅で山口線へ乗り換えると鴎外生誕の津和野はすぐでもあります。こんなことを思い出しながら作家田畑修一郎に興味を持ち、作品「鳥羽家の子どもたち」を初めて読ませていただきました。僕の郷里の作家火野葦平氏と文学活動もされたと知りましたが作家田畑修一郎に親近感を持ちました。
作品は「私小説中の私小説」といえばよいのでしょうか。中島敦の世界を感じました。
主題が平成の超高齢化する現代そっくりの問題を扱っているように思いました。
舗装道路などない土の道に石ころがごろごろ転がっている描写が、「河沿ひの小路を、幾と軍治は何が何やら解らずに突走つた。路に小石が沢山出てゐて、下駄をとられさうになつた」と書かれておりますが、昭和初期の時代の自然も豊富に残っている文章はなにか懐かしい。
作品の紹介をありがとうございました。

* パブリック ドメインをわたしは、公共権というより、公共財とうけとっています。過ぎし昔の優れた文学は、わたくしたちのための公共財として生かしたい。「読んで触れる」ということの意味を思うのです。 湖
2009 6・29 93

* 九十一歳の染色家三浦景生さんの、表具したいようなお手紙を頂戴した。茄子の浅漬けの繪入り、長文の毛筆。
2009 6・30 93

* 由起しげ子の『本の話』は「名作です」と「mixi」での推奨に一声掛かっていた。「e-文藝館=湖(umi)」へ、愛読者達の濃い渦が幾重にも及んでくると嬉しい。これも「仕事」と思っている。

☆ 『湖の本エッセイ47』 ご恵贈賜りまして、  評論家
こう申し上げるのはどうかと思いながらですが、痛快なほど面白くて他のことを放って拝読いたしております。沢山のことを教えられてもいます。感謝に堪えません。ご健勝をお祈り申し上げます。有難うございました。

* 「一気に拝読致しました」と、新たに三冊注文して下さった歌人も。感謝。
2009 7・1 94

☆ 三日から  花
また発送ですね。
本だけでなく、レコードや映画の世界でも、インディペンデントで製作する試みはありますが、長くつづいたものは、そうは思い当たりません。
明日からが涼しいといいけれど。がんばってください。
湖の本エッセイ14『谷崎潤一郎を読む』の「夢の浮橋」を読みました。
ああ、ここにすべて書いてあった、と、括弧つきの「母」が腑に落ちるまで頭をひねってきた長い時間がうらめしくなりました。以前に読んでいるのですが、自分に問題意識のないときは、ひっかからないのでしょう。
自分でもいろいろと考えたあとで、読み直してみると、細かいところまでよく理解できます。
それにしても、谷崎のように、藝術的理想を追い求めることが創作そのものであった小説家ばかりではないように見えます。
小説家は、カタルシスに流れるばかりではなく、確固とした形而上のモチーフを持っているべきである、と、これは自分に言っているのです。
ではでは、風、お元気に。花も元気に勉強します。
2009 7・2 94

* 勲三等の勲章をもらわれた小児科医馬場一雄先生の新著を戴いた。多年に亘り、公私ともに数え切れないほどわたしも家族もお世話になってきた。馬場先生の紹介状をいただいて東大国文学の書庫へ入れてもらい、そこでの勉強で『慈子(=斎王譜)が書けた。馬場先生のお力を借りて東大小児科と産科との共同総合の『新生児研究』が成り、これを契機に「日本新生児学会」が生まれた。馬場先生を主幹に名古屋の鈴木榮教授、札幌の中尾享教授、鹿児島の寺脇保教授を編集委員に綜説雑誌『小児医学』を創刊した。馬場先生とのコンビで刊行した研究書は叢書もふくめて何十冊にも及んだ。建日子の誕生に当たっても終始お世話になった。
馬場先生とも鈴木先生とも、いまもこのように懇意にしていただき、鈴木榮教授の日本語に翻訳された女性ノーベル賞作家ラーゲルレーブの短編小説『軽気球』も「e-文藝館=湖(umi)」に頂戴し、むろん「ペン電子文藝館」にも「招待」した。
2009 7・2 94

* 今日から「秦恒平・湖(うみ)の本」の通算して第百巻を送り出す。創刊満二十三年を過ぎて、この日がくるとはあの昔は予想だにしなかった。感無量というしかない。『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』下巻、つつがなくお手元に届きますように。読者の皆さん、励まし続けて下さった大勢の方々、そして妻に、感謝します。

☆ 梅雨の空のもとで、  京大名誉教授
スカッとさわやかな玉稿『湖の本エッセイ47 濯鱗清流 秦恒平の文学作法 上』が届きました。毎回戴いてよいものかと恥ずかしさがこみ上げます。清純な文藝作家の生き方がどんな身近かな話題にも周辺の様々な題材にもキラリと耀いて、短い文体の中で感じ入って拝読しています。先日の授賞式の席でお目に掛かりませんでしたが、何卒御自愛の程念じ上げます。

* 京都美術文化賞の母体財団理事會等でよくご一緒するだけでなく、想えば学生時代にもときたまお目に掛かっていた。

☆  お元気ですか、みづうみ  夕立
今日からいよいよ「百巻」の発送作業をお始めでしょうか。「百巻」という大きな区切り、偉大な達成に、私でさえ胸に迫るような感動をおぼえてしまいます。みづうみご自身の目に映る、百巻という頂上からの眺めはどのような晴れやかさでしょう。心よりお慶び申し上げます。
一つお訊ねしたいことができました。みづうみは以前に「長女論」というものをお書きになったことがおありですか。もしそのご本がおありなら、是非読ませていただきたいと思います。強い関心があります。それとも何かの誤解かしら。みづうみのお書きになったものなら全部、日記から手紙から、裁判所への陳述書すら読みたいと思っているあきれた「みづうみ中毒」なので、お教えいただければ幸いです。
湿度の高い時期は消耗いたしますので、どうぞ発送にご無理なさらずお元気にお過ごしくださいますように。ご本、楽しみにしています。
2009 7・3 94

* 絵本作家の田島征彦さん、湖の本表紙の城景都さんらの個展案内が届いていて 心そそられるが、京都や刈谷での開催で。
2009 7・3 94

☆ こんにちわ、風。  花
毎晩たくさん読んでいますねえ。なかなか眠れそうにありませんねえ。
お元気ですか、風。
今日のところは、なんとかお天気が持ちまして、ご近所さんと約束していた住宅展示場見物を果たしてきました。半年前に建て替えたばかりで、新築のにおいのする、きれいでセンスのいい建物を堪能してきました。テンション上がりましたよ。楽しかった!
さてさて、そんなあいだに、風はお仕事なさっているのですよね。
頑張ってくださいね。楽しみにしていますから。あ、でも、慌てずにね。
今日は、花の勉強部屋も、エアコン解禁です。機械が熱を持って、暖房かけているみたいになりますからね。
ではでは。
2009 7・3 94

* 浅草の見番で、鳴り物の会を「明日」するが、いかがと望月太左衛さんのお誘い。江戸の芝居小屋の風情をのこした空間ですよと聞くと、そそられる。済めばその足で「高勢」の鮨もあるし。さ、どうしようと。作業半ばだが、べつに誰に急かれているわけでも、ない。これはという先へは、みな、もう送りだせている。

* 久保田淳さんに頂いた『隅田川の文学』を、とても懐かしい気分で読み進んでいる。だいたいが情緒的に隅田川を歌いあげている中で、高村光太郎の、口語で、きっぱりと冬をうたう高い調子が佳い。いいものを正確に選び出すことを知らずに大詩人や大作家の作を「抄」したりしては恥ずかしい。
2009 7・4 94

* 福田恆存先生とのご縁は、『墨牡丹』を書いたとき、村上華岳にふれて親切なお手紙を戴いたのが最初だった。のちに三百人劇場で「ハムレット」を訳・演出なさったときに、劇場で初めておめにかかった。ご挨拶すると、「ああ、想っていたとおりのお人でした」とにこやかに云われた。おりにふれ、たいへん印象的な言葉をもちいては、いろいろに激励して下さった。五十歳記念に『四度の瀧』を創ったときも、ひっこまずに頑張るように、まだ若いんだからと励まされ、「湖の本」を始めると、ずうっとお買いあげ頂いたばかりか、何人もの読者をご紹介いただいた。文春からの全集、翻訳全集が出始めると買った。第八巻の全戯曲集は頂戴した。
亡くなったとき寂しい思いをした。その後も夫人はずうっと湖の本を今も買って下さるばかりか、出るつど、二冊三冊と買い足してさえ下さるのである。
福田先生の戯曲は、早くに新潮文庫で他の劇作家達のと一緒に一作読んでいて、とてつもなく面白く、印象に焼き付いていた。『龍を撫でた男』だった。目を開かれた。
「e-文藝館=湖(umi)」に頂戴できた『堅塁奪取』は劇団「昴」の舞台を観て感嘆した。『億萬長者夫人』にも舌を巻いた。
2009 7・5 94

☆ この十年、  敦
など思ひながら、拝読し、ふと 蘇我殿幻想に手を伸ばし遠い昔歩きました市経、藤白、牟婁の湯など 思ひ出して居りましたところでございます。
御本 その都度 何かと考へたり楽しんだりさせて頂いて居ります 有難う存じます。
お暑さきびしくなつて参りました
御二方 呉々も御身御大切に。 御礼まで

☆ 祝百巻  泉
偉業を達成されて心より感服のメールを送ります。
昔々、出版社から百冊の刊本を出したいと聴いたのを思い出しますが、それも達成され、加えてこの「湖の本」はあらゆる作業をご夫婦でこなしての百巻です。
関西に比べれば、気温も低めで過ごしよい梅雨半ばです。
子供達や孫達絡みで、日々多用に過ごしています。変わらず程ほどに運動も楽しみ、元気にしています。
今日は止むを得ない所用で、十年振りに吉祥寺へ行き、噂通りの大人波に呑まれて、慄きました。
お元気でお過ごしください。

* 予定の発送を終え、これからは、追加寄贈先を選んで上下巻とも送り出して行くのと、上巻分未納読者へ入金次第下巻も発送して行く作業だけが残って、一段落している。
2009 7・5 94

* 余裕で浅草まで行きたかったし行けたのに、なにかしら朝の起き抜けから軽いフラツキがあり、軽微とはいえ肌寒い悪寒のようなものが抜けず、昼前に、太左衛さんにメールで謝って、家で休憩した。大方回復していると思うけれど、大事を取っている。
久保田淳さんの『隅田川の文学』にはまっている。橋という橋をみな渡ってみたくなっている。
2009 7・5 94

☆ 秦先生、メールをありがとうございます。  太左衛
久しぶり、5年ぶりの自主公演で、行き届かないことばかりで、先生へのお知らせも大変遅くなりまして、申し訳ございません。
おかげさまで無事終えることができました。
今月の浅草は、朝顔市、ほうずき市、そしてみちびきまつり、また花火もあります。
ぜひお出かけください。
お目にかかれる日を楽しみに、お待ちいたしております。
2009 7・6 94

* 中元と重なる時期で、本の届きがやや遅れ気味かと案じたが、そろそろ届いているらしい。

☆ 届きました。  鳶
百巻に達した画期的な本が届きました。
発送が一段落はまずまず。本当に長い長い道のりでした。本に差し挟まれている「しおり」にはいつも必ず、読者の名前と、季節の言葉、そしてお元気ですかと書かれて。これだけでも延べにしたら気が遠くなる膨大な作業です。
とにかく此処まで文字通り頑張られた、頑張ったのです。そしてこれからも淡々と着実に続けられるでしょう!
HPでは浅草へのお誘いを断ったことが書かれてあり体調が心配です。いかがですか。梅雨で本格的な夏の到来はまだこれから、無理しませんよう願っています。

☆ 湖の本   梔
昨日『濯鱗清流』が、本日『花と風』が届きました。お忙しい中、お仕事の早いみづうみらしいことで、ほんとうにありがとうございます。「長女論」面白く読み、長女ながらコワイ女になりそこなったと思いました。
下巻の「私語の刻」も読ませていただきました。
あらためて申し上げる必要もないことですが、湖の本の百巻は、稀有の藝術的達成です。心からの感謝と賛嘆の気持をお伝えしたいと思います。溢れるように幸福です。

☆ 湖のご本「濯鱗清流」下巻届きました。  のばら
いつもありがとうございます。
百巻達成おめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。
上巻は読み終えました。
幅広く何事に対しても、真摯な態度で向き合われていて、教えられることばかりです。
下巻も楽しみに読ませていただきます。
お疲れが早く癒えますよう願っています。
奥様共々、くれぐれもお大切に。  京の従妹

☆ 雨がしとしと  花
お元気ですか、風。
ご本、届きました。ありがとうございました。
そして、おめでとうございます。
そして、きのうは静岡県知事選でした。
ウインブルドン・テニスと並べて開票速報を見ていましたが、ずっと自公推薦の人がトップを走っていたので、ハラハラしました。
なんとか最後で民主推薦の人が巻き返し、ほっとしましたが、僅差での勝利でした。
さてさて、もうすぐ東京都議会選もあるのですよね。大勢の人が投票するといいですね。
ではでは、風、つつがなくお過ごしください。

☆ おめでとうございます。 郁
湖の本 100巻ご出版誠におめでとうございます。 拝受いたしました。 こんなにも早く完成され驚いております。 敬意をお伝えする言葉も見つかりません。
しっかりと読ませていただきます。 重ね重ね おめでとうございます。
日吉が丘の同窓会のお知らせが届いていますね。
京都は懐かしいかぎりなのですが欠席いたします。会場、なにか三十三間堂のちかくですね。
どうぞご機嫌よろしく。

* 小金井の浅井さんから電話で、八月末に海外の優れた歌手を招いて歌劇「トスカ」を歌ってもらうので、おいでをとお誘い頂いた。感謝。
2009 7・6 94

☆ おめでとうございます。 秀  編集者
秦恒平先生
『湖の本』百巻のご刊行、おめでとうございます。長い年月をかけての思索とご執筆に心より敬意を表します。
『濯鱗清流 秦恒平の文学作法上』と同様、「下巻」も、これは貴重な文壇史だなあと感嘆しつつ、また随所に描かれている編集者についての記述に我が身を反省しながら、拝読いたしております。今後もお変わりなくご健筆を揮われますよう、心よりお祈り致しております。
暑さが本格的になって参りました。どうぞご自愛下さい。

☆ 湖の本百巻、おめでとうございます。  藤
秦 恒平様  湖の本第百巻、うれしく拝受致しました。
思えば私と秦様の縁をつないでくれたのは「湖の本」であり、「闇に言い置く」であります。
同窓のよしみで夫のところに湖の本の発刊をお知らせいらだきその輪に加わって、送られてきたご本を夫が読まないので(ごめんなさい)私がせっせと読むようになり、受け取りや簡単な感想を私が秦様に直接送り始めた頃から、ペンフレンドとなり、それが進化してメル友になり、「闇に言い置く」にも加えていただき、果ては拙い私の文章を読んでいただくまでに発展いたしました。
その経過を通して、理系学生でレポート以外文章を書かなかった私が、身辺のこと大切な思い出を書き留めることに目覚め、秦様の「闇に言い置く」の中の言葉から少しずつ文章を書く術も学ばせて頂いたのでした。
そのお陰で書き置いたものに、ありがたいご批評までも賜り、それを「e-Literary magazine e-文藝館=湖(umi)」に加えていただくまでの展開となったことは、私の人生後半の”予想もしなかった事件”であり、喜びでございます。
本当にいろいろありがとうございました。
こんなに長く文を交わし、電車に乗ればすぐの近くのところに住んでいて、私は未だ秦様にお目にかかっておりません。
秦様のお姿はテレビで拝見しているので、公平ではないのですが、ここまでくると、こういう関係がいっそ素敵に思えます。
この上は奥様ともどもお身お大切に、「湖の本」を更に更にお続け下さいませ。
私たち夫婦もまだまだ元気に暮らしたいものと願っています。
去年の朝顔の種を播いた鉢に、このところ馴染みのブルーの花が咲き始めました。
小学生が絵日記を描くように毎朝写生をするのですが、これがむつかしい。
毎年、毎朝、苦心すれどもみずみずしい花の色がどうにも思うように写せません。
「なんと美しい青(紫)か」と改めて感嘆!これもまた大きな楽しみなのですが。
2009年7月7日

* 夫君は原子力発電等の重職にあり、夫人とともに京大で学んだ。夫人も京都の人、「e-文藝館=湖(umi)」の「自分史のスケッチ」室に掲示の五作は、云われているとおりのご縁で生まれた秀作力作たちである。強靱な自律の精神と、絵を描く懐かしい術を大切にもち、素晴らしいお母さんでありボランティアとしての活動も力強い。「いい読者」であり、有り難い。

* 「月刊京都」を取り仕切っている山岡祐子さんからも「お祝い」を戴いた。岩波書店時代に「世界」に最上徳内を連載させて下さった高本邦彦さんからも「御発言の一言一句を重く受けとめつつ」と激励頂いた。青山学院大学清水英夫名誉教授からも「心からご健筆をお祝い申し上げます」と。やがて『表現の自由と第三者機関』(小学館新書)を下さるとも。

* 久しいお付き合いの歌人からは、上の述懐歌「『天の川を越えて』に立ち止つてをります。お辛い文月……」と。この葉書の写真で「團十郎」と名づけられた新種の朝顔をみせてもらった。
2009 7・7 94

☆ きぬがさの丘   湖雀
インターネット、新聞、ラジオ、雑誌、スカパー…エトセトラ。視聴購読していない雀にときたま主人が会社から新聞の切り抜きを持って帰ります。
春日局と海北友松と妙心寺麟祥院のかかわりを知ったのは恒例の京都文化財特別公開の記事。乾隆帝、ルイ15世、ピット首相、7代徳川家継、9代徳川家重が同世代で、乾隆帝が1799に90才で崩御し、1800に李朝の正祖が暗殺され、ヨーロッパにはナポレオン戦
争が勃発して小ピットが敗戦により病没、日本は文化・文政時代と「時代合わせ」をしたのは、京都の書店が「平定西域戦図」を複製刊行するという記事。
紅葉シーズンに石庭をライトアップしている教林坊のご住職を存じ違いしていたことを知ったのもそんな小さなコラムからでした。
白洲正子さんが「芸術新潮」1969.5月号の「かくれ里―〈石の寺〉」でお書きになって満40年。ゆきしな八日市市から五個荘町まで愛知川沿いの社寺に立ち寄り、五個荘の旧い道を通って老蘇の森に向かう経路で、晋山されて14年という教林坊を訪ねました。
案内板を辿ってゆくと駐車場に軽トラが1台停まっています。
庫裏に高級外車が3台並んでいるお寺を奈良で一度見ましたが、年来、雀の行動範囲には軽自1台もしくは軽トラというお寺が断然多いですねぇ。
第1、第2、さらにバス用の駐車場が整えられ、拝観受付用の小屋もつくられています。紅葉シーズンは2ヵ月あまり連日門を開き、5時からはライトアップを行なうとか。
洛中の輻輳に、洛北、洛西、丹波へ、また、比叡から湖東三山へと紅葉狩の客を散らしてきて、このところ湖南や湖北が売り込みにやっきになっています。鵜の目鷹の目の観光関係者やカメラ関係がここを放っておかないのでしょうね。
もともとあった石段は通行禁止になっていて、薬医門に杖が用意されていました。観音正寺や桑實寺や石馬寺の記憶がよみがえり、ちょっと、覚悟。
竹藪の細い坂道をじぐざぐに進む道がなだらかな敷石道にかわると門が見えてきました。
お寺にはご住職ただおひとり。
薬医門、表門、書院、経蔵、庭園、本堂。さらには駐車場や境内の参詣道をすべてご住職が整備されたというのですから感服します。
書院は屋根裏まで登れるようにしてあって、琵琶湖のヨシで葺き直したという屋根をすぐ間近に裏側から眺めることができます。新樹の瑠璃光浄土のなか、東求堂さながら庭を掛け軸にしつらえた建具から庭を眺め、庭へ降りて本堂へと歩き、水琴窟に耳を澄ませ、書院や本堂のあちこちに掛けられたふるい墨跡を見て歩く‥それだけでも楽しいもの。
石棺の巨石が苔むして石庭の一要素と化しているありさまには息を呑みましたが、鳥のさえずりとかじか蛙の鳴き声、ときどき池の鯉が水音を立てて和し、小刻みに
風がゆり動かす木末のさやぎと竹の葉の音しか聞こえない静寂につろくして、却って落ち着きます。ヨシ葺きの本堂や書院も庭にうつってよい風情です。
「お化け寺」と呼ばれていた荒れ寺をこれだけ復興させたご住職のお人柄や、携わった地域の方々の世離れたやすらかさ、かけた時間、さらにはキヌガサヤマと石とササキの或る安堵感が加わって、境内の気味が苔清水のように膚からしみて、あんばいのよい
お寺でした。
ところで五個荘驛はこたえられない駅舎ですね! 計画したきりの〈近江鉄道一日旅〉をぼちぼち実行しなくッちゃ。 湖雀

* 気ぜわしい東京暮らしをしていると「雀」さんの囀りは天来の清音に聞こえる。挙げてある白州正子のエッセイが、わたしに『みごもりの湖』を書かせる起爆点になった。雀は、それもちゃんと知っていて書き込んでいる。

☆ 山の向こう  湖雀
日野川上流は近江屈指の石材産地だそうです。
山岳修験の綿向山から東の線上に雨乞岳と御在所山がそびえ、南西に水無山、北西には多武峰を遷したという雨乞いの山、竜王山があり、勧請された金峯神社や熊野神社が鎮座し、熊野の滝もあります。
川の源というのはどこも先へ先へと誘いかける魔力をもっているものですが、日野熊野の山気と空の半分をふさぐような山容は、美女のうしろからマダムがあらわれたかのように雀に強い印象を与え、地元の方からヒダリマキガヤの木を教わってその実をたなごころに乗せてお話をうかがうあいだ、山向こうへ行ってみたくてしかたありませんでした。
それから何年でしょう。若葉雨の合間を縫って、その、“向こう側”を訪ねました。もう二ヵ月も前のことです。
東海道の松並木、宿場町と本陣跡、斎王頓宮跡、田村麻呂の神社に鈴鹿の化け蟹、茶畑といった観光が宣伝されている土山はダムが3基もつくられている川の多いところで、山と谿、それらの隈、川にさざなみ、山に桜と、水と山のけしきがとても豊かで、河合ごとにお社が森に守られてまつられているのも穏やかで思い和ぐ風景です。
日野川に流れ込む平子川をさかのぼると平子峠に至り、今度は野洲川の支流があらわれます。
訪ねた神社はちょうど祭礼の準備中でした。御在所山から流れ出す野洲川に綿向山と雨乞岳をそれぞれ源とする川が合流する位置で、綿向山の真南にあたる、若宮神社です。
割烹着姿の女性が大鍋を手に社務所に駆け付けたかと思うと、中から裃袴姿の男性が和傘をひろげながらばらばらっと四人、宮地に流れる川の上と下にわかれて走り去ってゆきました。
雨にけぶる鈴鹿の山並。若芽と常緑が交じる鎮守の杜。時を経た社殿。檜皮葺きの屋根と照りむくりの破風。雨をたっぷり含んだ苔。小さな草の芽。そびえる巨樹のかずかず。からみつく藤の古木。かすかな風に残んの八重桜から花びらが散り落ち、そのなかを鍛えた背中に麻上下をつけ、白足袋に桐の下駄を履き、和傘を差して走り去る男たちのすがたは、下駄の音が霞を呼んで幻を見せているかのようでした。
と、ここまで仕上げてさて送信というところに、ご本が届きました。続けざまで心が騒ぎます。おん身ご案じ申しあげております。
大丈夫金の脇差‥‥と呵呵大笑なさってらっしゃいますかしら。
今年はひさしぶりに茅の輪くぐりをしました。 湖雀

* 「雀」さんのこういう清涼剤を服することで、わたしは、かろうじて俗塵をいささか洗い落として、ハ、と我に返る。だが雀のそばへ遁げ込むワケには行かぬ。わたしが生きているのは余儀なくも何であろうとも「いま、ここ」なので。
2009 7・7 94

☆ 湖の本100号出版おめでとう存じます。  玄
引き続いてのお仕事を楽しみにしています。
都議選と衆院選の投票に当たって選挙民が賢い選択をすることを願っています。
岡山のニューピオーネとマスカットを少々お届けします。御賞味ください。

* 良い政治への良い環境を、選挙民挙って創りたいと願っています。ご機嫌よう。湖

☆ おめでとうございます。  建日子
百巻、いただきました。
おめでとうございます。
気の遠くなるような数字ですね。。。
今ちょっとバタバタしていますが、今月後半にでも、ささやかなお祝いの宴でもいかがでしょうか。計画して、またメールします。
なるべく早く、また保谷に行きたいと思います。
お体、お気をつけて。

* ありがとう。心ゆく仕事を一つ一つ遂げてください。

* 今日は視野検査のためだけに聖路加へ行く。雨が降らなければ、少し歩いてこよう。

☆ お元気ですか、みづうみ。  夕顔
発送のお疲れもごさいましょう、お礼を申し上げたいのはわたくしのほうです。百巻のささやかなお祝いをさせていただきたいと思っていたのです。
イライラしたり疲れたりする時、みづうみの作品だけが静かに充たしてくれます。読んでさえいれば、しあわせなのです。お礼を申し上げたいのはわたくしです。
視野検査が良い結果であることをお祈りしています。
2009 7・8 94

* 詩人の布川さん、「考えさせていただけます。ますますの御健筆をお祈り申し上げます」と。京都文化博物館の上平館長、「多年にわたる文学の旅路に深く敬意を表します。そして尊い人生に拍手を送ります」と毛筆で。
脚本家の小山内美江子さん、「追いつけません」と。静岡大学の歴史学小和田教授からは「ご笑覧下さい。恐々謹言」と、新著『北政所と淀殿』が贈られてきた。
市民活動家の吉川勇一さん、病牀からていねいなご挨拶有り。名古屋大の鈴木名誉教授も、九十のご高齢でご丁寧に。

* 「湖の本」の「ファン」という笠間書院の橋本編集長、『色の日本』に「ひかれて読んでいる内に(これはいつものことです。)」色彩学研究の大家である伊原昭さんの名を見つけ、伊原さんとも連絡の上、千四百頁もの大著『日本文学色彩用語集成・近世』を贈ってきて下さった。このお仕事は上代から古代、中世を経て完結した画期的な大事業で、京都賞や朝日賞に推しうるものと思っている。伊原さんからは大著を戴くばかり。感謝。

☆ こんばんは、 「琳」です。
記念すべき百巻、頂戴致しました。
ありがとうございます。
おめでとうございます、と言うよりも私にとっては感謝のありがとうございます、です。
この素晴しい同じ時間を共有する事が出来た事に、ひたすら感謝です。
おじい様から大きな勇気を頂戴しています。
おばあ様の陰の大きな力を強く感じます。
すてきです!!!
すてきなご夫妻です。
私の理想です。
昨日は七夕様でした。
今頃天の川を超えて、やす香のもとにも百巻が届いている事でしょう。
ささのはさ~らさら~・・・二番が思い出せません。
今度教えて下さい。
不愉快な気候が続きますが、どうぞお身体ご自愛下さいませ。

* 五色の短冊 わたしが書いた
お星様きらきら 空から見てる だったかな
2009 7・8 94

* 多年湖の本を支えて頂いた浅井敏郎さんが、九十にも間近くして文集『菊を作る人 私の文章修行』を出版された。巻末に、平成二十年三月に亡くなった夫人の俳句集を二百句ほど付されていた。御夫妻淳良の思い出がこめられており感銘を受け、浅井さんにお許しを得て五十五句を選ばせて頂いた。わたしが題して『菊師』とし、「e-文藝館=湖(umi)」に招待する。いま、浅井さんに夫人の生年など問い合わせている。
浅井さん自身の文章修行も立派で、この方はご自身に何編かを自選して欲しいと頼んである。
『菊師』を選し、最後に通して読みかえすうちに何度となく目頭を熱くした。先日は俳人奥田杏牛さんの亡き夫人の遺句集『さくら』を「e-文藝館=湖 (umi)」に戴いた。あの時も何度も胸をつまらせた。
2009 7・9 94

* 今夏も、高麗屋がお見立ての浴衣地を頂戴した。感謝。金太郎クン初舞台も恙なく終え、よかった。幸四郎、染五郎連名のご挨拶があった。
2009 7・9 94

☆ 「秦 恒平・湖の本」第百巻  「新潮」元編集長
誠に有難うございました。満二十三年にわたっての御発行は、自らの編集者生活を振返ってみましても、並外れた御精進と、言い知れぬ感銘を覚えております。(これはむろん奥様の御協力がなければお出来になれなかったろうと、同時に思いますが。)心からお慶び申し上げます。「濯鱗清流 秦恒平の文学作法」 (下)も志賀直哉と谷崎潤一郎との関係の御言及に、冒頭から大いに示唆を得ております。楽しみに通読させていただきます。夏到来も間近となって参りましたが、呉々も御体調に留意され、新たなる御健筆と御多幸をお祈り致してやみません。敬具

☆ 「湖の本エッセイ48」  「群像」元編集長
誠に有り難く拝受 おもしろく拝読しました。志賀と谷崎についての論、梅原猛氏や石原慎太郎批判など大変おもしろく拝見いたしました。近頃、戦後文学が大正文学を越えられなかつたのではないかといふ気がして来て、戦後文藝雑誌の編集に携って来て一体何をして来たんだとふと思ふことがあります。葉書で失礼いたしました。 不一

☆ 今年、いつもより遅れて  ドナルド・キーン
東京の我家に帰ると御本数冊が届いていました。又、本日も一冊落掌しました。ありがとうございました。これからの楽しみにしています。私は相変わらず忙しくやっていますが、元気です。八十七歳になりました!

☆ 「湖の本エッセイ48 濯鱗清流」下巻  歌人
ありがとうございました。「立川流」のところ、興味深く拝読いたしました。性と信仰は切っても切り離せない関係にあるとずっと考えてまいりました。G・バタイユでしたか、「エロティシズムとは死に至るまでの生の恍惚」といっていたことを記憶しております。また喜多流の節世氏とは吉祥寺の飲み屋でよく一緒に飲みました。梅原猛氏の文章、中野重治が『地獄の思想」を読んで、「土俵で四股を踏んでいるような文章」と言っておりました。乱文、乱筆、お許し下さい。草々  七夕

☆ 秦 恒平先生  大学教授
『湖の本』には、いつも教えられます。自分の拙さ、至らなさ、をです。その文学や文学表現への慈しみには、無言のままに、叱咤されているような思いです。その片隅にでも、小文の場が与えられるのであれば、うれしい限りです。作品も、研究も、やはり、読者というしっかりとした存在によって成り立つのだと実感致します。ありがとうございます。

☆ 拝啓  元京都市立美術館長
『湖の本』 いつもお送りいただきありがとうございます。 「濯鱗清流」 の上をようやくあらあら読み終え、お礼を書こうと思っているところへ、 「濯鱗清流」 の下をいただきました。
この二冊のエッセイは折々のさまざまな感想が面白く。まったく私などは知らない分野のものも多いのですが、多少かかわりのある分野では、いかにもと感じることがしばしばです。
たとえば、上の一二六頁 (一九九九・十・ニ七) に見える 「短歌21世紀」 編集後記を引いて、言われていることは、まさしくその通りだと思います。いわゆる短歌の世界だけでなく広い視野から見られている、ことに私は重要な見解だと思います。今度、ある短歌
結社での夏の大会に講演を頼まれているので、その中で、この雑誌の名前、大河原氏の名は伏せてでも引用させていただこうと思ったりしています。短歌史を歌壇だけから見ないで捉える必要性のためです。
私も歌舞伎は大好きで若い頃から、八十歳を過ぎる今までずっと見ていますが、もっぱら関西で見ており、東京での興行は見ていないので、その作品と、役者と、批評を読みながら、想像しています。国立劇場の 「本朝二十四孝」 などはぜひ見たかったですね。進之介への苦言、いかにもと思います。愛之助はもちろん、孝太郎が姫役でなければかなり見られるようになってきた今日、進之介にもう少し成長してほしいと思います。
『細雪』の「雪子」について書かれているのも、いかにもと思います。谷崎が、戦中に「細雪」をひそかに書き上げて、重子さんに贈った時の手紙の、一番にあなたにさしあげなければならない本です。あなたなら思い当たるところがいくらもあるはずです。とあったことを私は思い起こしています。
下はまだほんの拾い読みですが、今書いておかねば、また期を逸してしまいそうですから、書き添えておきます。
河野裕子さんに関するご見解、私もコスモスに所属していた頃の方がよいということをずっと思っていました。ただ、一番最近の歌集は、よかったと思います。この人若い頃の出産とか、最近の病気とか体験派だとつくづく思います。それに『私の会った人々』 という本をおもしろく読みました。NHK歌壇の出演を断られたこと、いかにもと納得しました。私も最初は馬場さんから電話で頼まれ、その後も、付き合いの深い人からの依頼で何度か出ましたが、もう少し、方法があろうかと思います。大体最近のテレビの教育番組が、視聴率とかを気にしてつまらなくなっているように思います。
今井源衛氏の名が何度かでてくるのもなつかしい次第です。私が佐賀大学にいた頃から、何かにつけて親しくさせていただきましたが、著作集を計画されたところで、病気になられ,ついに完成を見ずに逝かれたのは残念です。『大和物語」の評釈は、名著だと思います。
日本古典文学大系を担当されて、当時の岩波の方針に従って書かれ、この大系が途中から研究者向きに楫を切ってきたので、残念だと言われ、「国文学」に書き続けられていましたが、それをこの本で見事に完成されたものでした。ただ、私が『大和物語』を書いた時には間に合わなかったので、私の著作集に入れる時に、部分的にしか参照できませんでした。
喜多流の能をずっと見続けられ、それも馬場あき子さんの縁とのこと。馬場さんから喜多流の能のことを聞いたのも、もうずいぶん昔のことになったなあと思い返しています。
政治の話、共産党は名前を替えて、昔の社会党に代わる党に脱皮すべきだというのも、驚きました。言われてみればその通りだと思います。しかし、おそらくそうはならないでしょう。今回の選挙はこのままで、次に大きく政界が変わる時には、民主党の中でくすぶ
っている旧社会党系の人々と社民党が一つになって、せめて公明党 (この党は困ります)ぐらいの勢力にはなってほしいものだと思います。
エッセイというのは、このように広い視野で、思ったままのことを書いて、しかも読者を飽きさせないものをいうのだとつくづくと思い知らされました。
ほんとうに、ありがとうございました。  平成二十一年七月七日

* みなみな有り難いお便りで。嬉しい。

☆ お祝い   華
遠 様
暑さピークに入りました。 祇園祭も鉾建てが近くなって来ました。
湖の本百巻、と、金婚をお祝い申し上げます。
送られるままに読んで居りましたのも、沢山にたまりました。
また、今までの年月勉強させて頂きました。
体力も続き、此処までよく頑張れました事を、また、良き方にめぐり逢って来られたのを、心から祝しております。
いつか同窓会で、西川絹ちゃん(伊藤さん)とやさしくて良さそうな方で、よかったなあーと、話しておりました。
送って頂いた下巻ゆっくり読んでおります。
暑い中 ご自愛ください。

* 高校茶道部の生徒達。わたしも高校生であったが、指導の先生がなく、創部のその日からずっと点前作法など教えていた。その生徒達の何人もがいまも湖の本を支え続けてくれている。感謝、感謝。
2009 7・9 94

* 岡山の有元さんから、アレキサンドリアとピオーネとの熟れて大きな二房ずつをお贈りいただいた。観るから美しく、花も褒めそやすが果物の美しさにはひときわの豊かさが耀いていて、嬉しい。有難う存じます。
2009 7・9 94

☆ 前略  東京大学出版会編集局  英
何気なくひもどいてゆきましたところ、本書のあり方そのものが、あるいは著者の表現をあり方そのものが、現今の出版をめぐる状況、あるいは現今の表現をめぐる状況に対して、強い異和と鋭い批評・批判になっていることに気づきました。
出版と表現にたずさわっている一人の人間として、心の痛みを伴いつつ共感を抱いた次第であります。
秦様の試みには全く遠く及ばぬものではありますが、出版と表現をめぐる状況の浮力に抗う努力を続けていきたいと存じます。
心より御礼申しあげます。
「湖の本」は、文化であり、闘いなんです。
という言葉を肝に銘じつつ、 敬具

* 感謝します。

☆ 拝啓  日本共産党中央委員会学術・文化委員会  恒
創刊以来二十三年、通算百巻とは、驚きを禁じえません。世に売らんかなの商業ベースでの出版があふれるなかで、このような本の刊行を四半世紀近くにわたって継続されることは、なみの努力ではできません。心から敬服するとともにお祝い申し上げます。
まだ拾い読みを出ませんが、『早春』でお書きになった思い出など、自分の同じような体験をなつかしく想起させられました。
なお、日本共産党の党名については、永い視野で歴史の審判を待ちたいとおもいます。 敬具

* 恐れ入ります。

☆ お元気ですか  鳶
7.8
先日「お叱り」と「励まし」をいただいてから、早や半月も過ぎてしまいました。
視力検査のついでに雨の東京を歩いていらっしゃる頃でしょうか?
昨日は七夕でしたが、ほぼ日本全国曇り空で七夕様の出逢いは叶いましたものやら。わ
たしは夕方買い物に出た僅かの時間に雨に降られて、他所の家のガレージで少し雨宿り
したのですが、再び濡れ鳶になりました。哀しい七夕でした。
年齢ということもありますが、少しずつ姑の体調に問題も生じており、今週末も出かけます。お盆の供養も兼ねてです。
7.10
街歩きを楽しまれた様子、美味しいものにたどり着けたのはよかったです。街歩きでも旅でも、美味しいものに出会えないと、本当に味気ないですから!
今日は用事で出かけたいのですが、前線の通過で強い雨が降っています。それにバスが午あたりまでありません。
そちらは都議会選挙。日本も問題山積、この政治屋世間の混迷にはまったくうんざりします。
ウルムチの暴動にも大いに関心があります。二十年前のウルムチ、数年前のウルムチ、二回訪れましたが、いずれも深い印象があり、問題の在り処も実感しました。
このメール、テレビの『ビザンチン帝国 3』というのを聞きながら書いています。春に訪れたギリシアのミストラが出てきて大感激です。
2009 7・10 94

* 読者である浅井敏郎さんの夫人豊子さんの遺句集から五十余句を選んで、「e-文藝館=湖(umi)」に招待した。三百ほどの中から夫君が二百ほど採ってご自身の文集に収めておられた中から、さらに厳選し「菊師」と題した。
2009 7・10 94

* こんな交信をしていたらしい。

☆ 天の川  琳さん  7月のばあば
天の川を 越えてやす香のケイタイに 文月の文を書きおくらばや 湖
たちまち胸がぎゅ!!となり・・・
秦(=おじいやん)はさらさらと 苦もなくこう歌に出来・・
それはとても羨ましい。 嫉妬にちかい気持ちです。

 

平成十七年一月二十二日 新宿小田急で買い物

☆ 胸ギュ!!!  琳
こんばんは。
天の川を 越ゑてやす香のケイタイに 文月の文を書きおくらばや
私もおばあ様と同じ、胸ギュ!!!です。
おじい様の歌はやす香へのラブレターみたいです。
おじい様は溢れる想いを言葉に託す達人です。
今回は私たち、分が悪いです。
想いを言葉で表すのがもどかしい時でも、おばあ様には優しい涙があります。
天の川を伝っておばあ様の優しい涙はやす香に届いています。
天の川は、いっぱいの涙で出来ているのかもしれません。
やす香には流れてくるおばあ様の優しい涙が直ぐに分かることでしょう。
きっとあの白く長い指でおばあ様の涙の雫を上手にすくい取り、頬寄せているのかもしれません。
悲しいのではなく、おばあ様の涙で温かさに包まれているのだと思います。
だって、やす香はおじい様とおばあ様に愛された、温かい想い出を持っているから。
やす香がおじい様おばあ様を訪ね、本当に幸せだったこと、私はちゃんと知っていますから。
おじい様おばあ様が私をご存じない頃から、私は知っていました。
やす香を愛で包んでくれる、優しいおじい様おばあ様の存在を。
今年も七月が来ましたね。
明るい笑顔のやす香を思い出します。

* ありがとう。
2009 7・11 94

☆ 「百巻」お目出とうごさいます。  高史明
そして有難うございます、言葉に表わせない偉業と思いつつ。
心からの感謝とおよろこびの言を申し上げます。

* コ・サミョンさんには、夫人もともどもに、湖の本創刊このかたずうっと筆紙につくせぬ応援を戴いてきた。どんなに励まされ助けられてきたことか。有難うございました。
2009 7・12 94

☆  ご著書御礼  麗 札幌
秦様 暑中お見舞い申し上げます。メールでの返信をお許し下さい。
ご著書,まことに有難うございました。厚く御礼申し上げます。
(下巻跋での)「怨み」についての部分を興味深く読ませていただきました。以前の,秦様とのやり取り(その節は有難うございました)を経て以来,この感情に対し,いささか異なる見方をするようになってきました。
この感情に対して,中国や韓国など,他のアジア人は,我々よりポジティブに捉えている印象を受けます。「中国人は日本に怨みを持っています」などと面と向かって言われた時は驚きましたが,彼らはその思いを持ち続け,自らの活力に昇華して行動しています。時として,反日行動になることもありますが。
翻って,日本人はどうでしょうか。
何かに対して悪感情を持ち続けるのは,実は結構しんどいことです。「許す」という美徳は,実は,このしんどさに耐えきれなくなった自分との「妥協」なのかもしれません。日本人は,この妥協に流されやすいのかな,とも思われます。しかし,「許す」気持ちも,永劫に続く保証はないのです。加えて,妥協した自分自身を許せない,という新たな葛藤も起こってきます。日本人は,「許さない」を敵視しすぎてきたようにも思われます。その思想の背景まではわかりませんが。
今,幾人かの顔が浮かんでもきました。やはり,許せないものは許せない,のです。
その事実を受け入れ,関係ない人には,できるだけ不快・迷惑を与えないように,前向きに思考・行動するしかない。
このようなことを思いつつ,読ませていただきました。
続きも楽しみに読ませていただきます。
会う人ごとに秦様のサイトを薦めていますが,なかなか目当てのページに行き着けないとか,パソコンの画面で読む文章に違和感
を覚えるとか,高齢者を中心に言われることがあります。そんな方々に薦めてみようと思います。この巻を読めば,パソコンに向かう意欲もまた湧いてくるでしょう。
そちらは梅雨明け間近の蒸し暑さのただ中かと存じます。こちらは夏日だったかと思うとその翌日は最高気温でも20度以下などと,落ち着かない天候です。ご自愛ください。
最後に重ねて御礼申し上げます。

* この札幌からのお便りを機に、そろそろ『濯鱗清流』上下巻の「跋」文を此処へ書き出しておこうかなとも思いかけている。

* この「私語の刻」第一頁に限ってなら、(それだけで、最新月の日々の「私語」だけは読み出せる。)

http://umi-no-hon.blueoffice.jp/iken.htm

とお気に入りに保存されれれば、直接にアクセス出来る。

☆ この素晴らしい偉業  京都宇治 隆
本当におめでとうございます。秦さんなればこそと尊敬しております。
秦さんは京都のお人ゆえ京都から京都の事を世界に発信して頂けたらと、変わりなくずうっと願っておりま
す。
何があるわけではありませんが私も京都生まれの京都育ちであり今は宇治に住んでおりますが、終の棲家として一応京都に戻ってきております。
小さな家と倉庫そしてできるだけ好きな事をして暮らしていければ十分です。もう一つ欲を言うならば表現の場所があればよりベターではあるけれども動けるうちは動けばよしです。
色々な事何も知らないに等しい私ですが、京都の空気が一番じぶんには優しいような気がしております。
秦さんの表現なさっている中で、大文字の送り火の事。京ことばの事。広い意味での身内意識。美のこころ。色々な事が常に印象に残っております。
京都の永遠性こそが京都の素晴らしさであると感じます。

ここからはバーチャルの独り言です。

「秦さんが京都に帰ってきはった。帰って来はったで。」
「ほんまや。おかえりやす。秦さんは何にもせんでも京都に帰ってきはっただけでよう似合うてはりますわ。やっぱり根っからの京都のお人どすなあ。」
「何にもせんとおれ言われても無理や。」
「やれる事だけやらはったらよろしいですやん。そんなきばらはらんでも。理屈抜きでよろしいやん。」
「やっと静かに一杯お誘いできそうですね。そやけど僕は酒癖悪いかも。もし悪さしてしもたらえらいこっちゃしな。そやけどやっぱりおいしい一品とおいしいお酒飲みたいなあ。
ほんまはべっぴんさんと飲んだ方がええのやけど。秦さんもそうやろけど。そやけど秦さんとは別や。少年の友情のような、お兄さんのような、広義な身内的なものを感じる故、年と性別は関係無しや。」

そんな日が来るかどうか楽しみです。
それではお元気で、ごむりなさらず頑張ってください。
2009 7・12 94

* 福田恆存先生夫人、作家の神坂次郎氏、宮尾登美子さん、医学書院の金原優社長の手紙を戴く。

* いま   花
強風です。お元気ですか、風。
今日の花は、首筋の凝りと頭痛で目覚めました。
変な恰好で寝てたのかも知れません。痛い痛い。
吉行について、花は風の意見に賛成ですよ。
誰が読んでも同じことを感じるのではないかと思いますが、意外に、賞賛の声が多いのはどうしてでしょうね。アウトローぶっていたけれど、文壇では政治力があったのかな。
上野千鶴子さんらが『男流文学論』で強く批判していますが、冷静な批評とは言いがたい語り口だったのが、満足できないところでした。
昨夜は、都議選の、野党の勝利を胸のすく思いで見ていました。それにしても、公明党は確実に議席を確保しますね。ウーム。
いよいよ夏めいてきて、花はパソコン部屋に冷房を効かせて過ごすのが日課になるでしょう。
ではでは。

☆ 落ち着きましたか  泉
都議選は予想どおりでした。
例年、祇園祭の山鉾巡行の頃は、梅雨が空けるのか、末期症状ギリギリの天候の日が多いのですが、関東地方の梅雨明け宣言はまだないけれど、わたくし気象台は希望的観測で、勝手に明け宣言をしました。
六月ごろに初めて、一挙両得のゴーヤのグリーンカーテンに挑戦しています。もう二階の手すりまで届き、その後何処へ絡もうかと思案中の様子。大きくなった実はまだ一コだけ。、さて御近所さんに配る程収穫出来るかな。肥料食いで、雄花にだけしか実が付かないとか。
今日はのんびりと、フジ子・ヘミングのショパンやリストを聴いて胸を詰まらせています。
2009 7・13 94

saku094

宗遠日乗

闇に言い置く 私語の刻

平成二十一年(2009)七月一日より七月末日まで。

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宗遠日乗  「九十三」

 

述懐 平成二十一年七月

向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ  前田夕暮

夜の向日葵踊り果てたるごとく立つ   宮津昭彦

天の川を越ゑてやす香のケイタイに文月の文を書きおくらばや   遠

花火かな いづれは死ぬる身なれども      湖

 

鮎 徳力冨吉郎・画

■ 政権交代をつよく望む。 政治も民心も一新を得たい。
一度ここで、現在の「野党」に国民の願いを托したい。大きな危険をわたしは感じない。
あまりに永く、あまりに政治が一党の傲慢に「私」され過ぎた。われわれ国民の「私」の利も理想も安定も、そんな自民党与党の、目に余る我が儘に足蹴にされてきた。
政権の交代をわたしは、今、つよく望む。「野党」の一心不乱をつよく望む。
賛同者の多かれと希望する。    作家・日本ペンクラブ理事 秦 恒平

 

* 平成二十一年(2009)七月一日 水

* 七月になった。愛しい孫娘を、こともあろうに娘の誕生日に肉腫で死なせてしまった三年前の「七月」から、まだまだ、わたしたち一家は「自由」が得られない。自分のカレンダーからは、「七月」という一ヶ月を割愛してしまいたいほどだ。

* さて、七月最初の「e-文藝館=湖(umi)」推奨作に、日付こそちがうが、忘れがたい、わすれてもならない小林多喜二の優れた一作を挙げたい。

■  一九二八年三月十五日  小林多喜二 招待席
「e-文藝館=湖(umi)」 小説室
こばやしたきじ  小説家  1903.10.13- 1933.2.20 秋田県に生まれる。小樽高商卒。幼児期に一家で北海道小樽に移住。大正から昭和初めの社会的・思想的な転換期に、共産主義思想に共鳴しつつ、志賀直哉のリアリズム精神に影響を受ける。労働運動に関与しながら小説を書き、日本プロレタリア作家同盟中央委員になり、「蟹工船」「不在地主」「党生活者」などの作品を発表。共産党入党後、潜行して政治活動をしていたが、昭和8年、街頭連絡の際、捕らえられ、東京築地警察署で特高の拷問を受け、虐殺された。掲載作は、多喜二短編の最も優れた証言性の濃い緊迫の具体作として今も高く評価される。 (秦 恒平)
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* 漫画や舞台の『蟹工船』が思いがけぬ脚光をあびて最現代に甦ったのは、一種珍現象・奇現象ではあったけれど謂われないことでなかったろろうと、今時労働の現場崩壊などを思うにつれナットクできたことであった。「小林多喜二」という名前はわたしたちの世代までは紛れない一象徴であった。その感覚を、戦後に「樺美智子」という名がひきついだがあえなく風化してしまった。多喜二やカンバという遺骸をあたかも踏み台にして多くの闘う前衛達が、反転、バブル繁栄に奉仕の戦士として自民党政治の口舌の盾と化していった。そのまた爛熟と崩壊のときを告げるかのように、ポッと多喜二の『蟹工船』がマンガで現れたという、原作も盛んに売れ始めたというのが、珍奇に、読みにくい現象となっている。答えは急いで求めまい、むしろこの厳粛な短編を腰を据え読み直したい。

* 由起しげ子の『本の話』は「名作です」と「mixi」での推奨に一声掛かっていた。「e-文藝館=湖(umi)」へ、愛読者達の濃い渦が幾重にも及んでくると嬉しい。これも「仕事」と思っている。

☆ 『湖の本エッセイ47』 ご恵贈賜りまして、  評論家
こう申し上げるのはどうかと思いながらですが、痛快なほど面白くて他のことを放って拝読いたしております。沢山のことを教えられてもいます。感謝に堪えません。ご健勝をお祈り申し上げます。有難うございました。

* 「一気に拝読致しました」と、新たに三冊注文して下さった歌人も。感謝。

* 本の出来てくるどんヅマリへ来て、今日は奮発、たくさん作業をした。明日もう一日フンバルと、まあまあメドは一通り立つ。
一つには、今日は、何度も何度も観てきたサンドラ・ブロックの映画『インターネット』を二度耳で観ながら作業に精を出した。面白い映画だ、昨日観たアレック・ボールドウインとキム・ベイシンガーの『ゲッタウエイ』よりサスペンスの味に自然な画品と急迫とが生きている。機械に馴染んで暮らしているから、もう何度目か、新しく観るつど機械の怖さも真に迫る。見飽きない映画の一つ。

* 今ひとつ、こんな娯楽映画の後塵を拝して情け無いが、麻生総理の末期の息切れが甚だしい。小泉郵政選挙の余沢を食いつぶして安倍内閣がつぶれ福田内閣が投げ出し、まさか麻生は意地でも「解散したい」だろうが、その決断力も尽きて断末魔の形相を見せ、やるとすればヤケクソ解散しかないテイタラク。
宮崎県の東国原知事も、今少し楠正成の英知があれば戦に成ったろうに、末路の鎌倉余勢に媚びを打ってすり寄る按配が、自民にも麻生内閣にもフラレ、これでたとえ自民の比例代表で拾われても、政権が交代すれば野党の一陣笠で冷遇されるのは目に見えている。俺が出れば選挙で自民は勝つと断言していたが、その豪語空疎に甘い。もう一人のあたら野垂れ死にが政界の端っこで転がるかと想うと、情けない。そのまんま東で終わるのか。

* 七月二日 木

* いまどき鉦と太鼓で探し求めても見つからないのが、「労働者」文学だろう、ほとんど何の評判も聞かない。しかし日本の近代文学史には、まぎれもなく「労働者」を労働者として描いた、しかも必ずしも政党のイデオロギーに下支えを求めぬまま、ガッキと屹立した労働者の精神と自我と汗みづくを描いた優れた作品が、相当の伝統を保って長続きした。戦後のわれわれは、単にそれを忘れるかわざと顔を背けてきたのである。
夏目漱石に、かつて『坑夫』という異色の作があった。その漱石が亡くなる年、大正五年に、宮嶋資夫という無名の人が、同じ『坑夫』という強烈な秀作を世に問うた。自費出版であった。鳴り響いて建つ記念碑的な力作であったが、即刻発禁処分されている。大隈首相の暗殺未遂があり、元老を排斥して政党政治を確立しようと原敬や犬養毅らが動いた年。そして一つの文学史が頭をもたげたのである。

■ 坑夫  宮嶋資夫  招待席 「e-文藝館=湖(umi)」 小説室
みやじますけお 小説家・批評家 1886.8.1 – 1951.2.19 東京市四谷伝馬町に生まれる。七歳で家を喪い十三歳から砂糖問屋の小僧、歯科医の書生、牧夫、職工、土方、火夫、新聞記者等々を転々、放浪のすえ大杉栄等の感化でアナーキストとして目覚め、古本屋のかたわら書いた処女作『坑夫』を大正五年(1916)一月近代思想社より自費出版したが、直ちに発禁に遭った。
共産党系のプロレタリア文学には常に反撥し、個人的心情の過激な爆発や妄執を描き続け、昭和五年(1930)には京都天龍寺に入って求法の境涯に身を置いた。
掲載作は、まさに労働文学の「成立」を証言する画期的秀作であり、生彩豊かに主人公を彫琢する筆つきは、きびきびと情深く呼吸して、的確。いい意味で凄みに富み、  (秦 恒平)
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* わたしが文藝館活動で密かにかつ大きく意図したのは、こういう骨太な、「働く人たちの文学史」の再発掘でもあった。湮滅させてはいけないと堅く願っていた。

☆ 三日から  花
また発送ですね。
本だけでなく、レコードや映画の世界でも、インディペンデントで製作する試みはありますが、長くつづいたものは、そうは思い当たりません。
明日からが涼しいといいけれど。がんばってください。
湖の本エッセイ14『谷崎潤一郎を読む』の「夢の浮橋」を読みました。
ああ、ここにすべて書いてあった、と、括弧つきの「母」が腑に落ちるまで頭をひねってきた長い時間がうらめしくなりました。以前に読んでいるのですが、自分に問題意識のないときは、ひっかからないのでしょう。
自分でもいろいろと考えたあとで、読み直してみると、細かいところまでよく理解できます。
それにしても、谷崎のように、藝術的理想を追い求めることが創作そのものであった小説家ばかりではないように見えます。
小説家は、カタルシスに流れるばかりではなく、確固とした形而上のモチーフを持っているべきである、と、これは自分に言っているのです。
ではでは、風、お元気に。花も元気に勉強します。

* 妻が聖路加へ受診中の留守を利して、集中力を発揮し、発送のための予備作業をし続けた。あらましの用は足りてきた。

* 今日届いたペンの理事会記録をみていると、電子文藝館を起点になんだか、弁護士を依頼して「告発」といった言葉も記録されている。「贋文藝館」というような言葉が使われていて、理事会に出ていない、記録もあまり読んでいない私には、もうだいぶ前から取り沙汰ないし用意されているらしい「法的措置」の具体的な対象も、紛争に及ぼうという経緯や理由も根拠もなにも知らないが、かつてペンに起きたことも起こしたこともない出方らしいのに驚いている。だれを被告に、そういう場合、ペンのだれが原告になるのだろう。いぶかしい話である。

* 勲三等の勲章をもらわれた小児科医馬場一雄先生の新著を戴いた。多年に亘り、公私ともに数え切れないほどわたしも家族もお世話になってきた。馬場先生の紹介状をいただいて東大国文学の書庫へ入れてもらい、そこでの勉強で『慈子(=斎王譜)が書けた。馬場先生のお力を借りて東大小児科と産科との共同総合の『新生児研究』が成り、これを契機に「日本新生児学会」が生まれた。馬場先生を主幹に名古屋の鈴木榮教授、札幌の中尾享教授、鹿児島の寺脇保教授を編集委員に綜説雑誌『小児医学』を創刊した。馬場先生とのコンビで刊行した研究書は叢書もふくめて何十冊にも及んだ。建日子の誕生に当たっても終始お世話になった。
馬場先生とも鈴木先生とも、いまもこのように懇意にしていただき、鈴木榮教授の日本語に翻訳された女性ノーベル賞作家ラーゲルレーブの短編小説『軽気球』も「e-文藝館=湖(umi)」に頂戴し、むろん「ペン電子文藝館」にも「招待」した。

* 七月三日 金

* 今日から「秦恒平・湖(うみ)の本」の通算して第百巻を送り出す。創刊満二十三年を過ぎて、この日がくるとはあの昔は予想だにしなかった。感無量というしかない。『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』下巻、つつがなくお手元に届きますように。読者の皆さん、励まし続けて下さった大勢の方々、そして妻に、感謝します。

☆ 梅雨の空のもとで、  京大名誉教授
スカッとさわやかな玉稿『湖の本エッセイ47 濯鱗清流 秦恒平の文学作法 上』が届きました。毎回戴いてよいものかと恥ずかしさがこみ上げます。清純な文藝作家の生き方がどんな身近かな話題にも周辺の様々な題材にもキラリと耀いて、短い文体の中で感じ入って拝読しています。先日の授賞式の席でお目に掛かりませんでしたが、何卒御自愛の程念じ上げます。

* 京都美術文化賞の母体財団理事會等でよくご一緒するだけでなく、想えば学生時代にもときたまお目に掛かっていた。

☆  お元気ですか、みづうみ  夕立
今日からいよいよ「百巻」の発送作業をお始めでしょうか。「百巻」という大きな区切り、偉大な達成に、私でさえ胸に迫るような感動をおぼえてしまいます。みづうみご自身の目に映る、百巻という頂上からの眺めはどのような晴れやかさでしょう。心よりお慶び申し上げます。
一つお訊ねしたいことができました。みづうみは以前に「長女論」というものをお書きになったことがおありですか。もしそのご本がおありなら、是非読ませていただきたいと思います。強い関心があります。それとも何かの誤解かしら。みづうみのお書きになったものなら全部、日記から手紙から、裁判所への陳述書すら読みたいと思っているあきれた「みづうみ中毒」なので、お教えいただければ幸いです。
湿度の高い時期は消耗いたしますので、どうぞ発送にご無理なさらずお元気にお過ごしくださいますように。ご本、楽しみにしています。

* 世界的な「京都賞」の思想・藝術部門候補の推薦依頼が来た。以前、画家のリヒターを推したが、惜しくもコンピュータ映像の東洋人が受賞した。だいぶケタの大きい賞なので、慎重に首をひねらねばならぬ。

* 絵本作家の田島征彦さん、湖の本表紙の城景都さんらの個展案内が届いていて 心そそられるが、京都や刈谷での開催で。

* 季節としてはいいのかな、『文豪てのひら怪談』という企画にわたしの掌説一編の寄稿が求められている。和漢の古典も、露伴や漱石や綺堂や直哉や白秋や鏡花や春夫や乱歩や芥川や太宰から、私の同世代まで百数十編が選んである。一冊呉れるらしい、承諾する。

* 今日推奨したいのは、これまた骨太の堂々とした力作である。まだ少年時代に古本屋で表紙の赤く焦げたような新興藝術派の全集の端本一冊をやすく買った。なんともいえず買いたくなったので、小遣いをほとんどもたないわたしには珍しいことだった。それが、この前田川の代表作だった、およそ京都でのわが日常をはるか離れた別世界が書かれていたけれど、重量感のこころよさに作者のなみなみでない力を感じ取り、読後、わたしは何か一つ開眼したここちさえ得ていた。わたしの「e-文藝館=湖(umi)」にこの作を取り入れたい気持ちはハナから決まっていた。読み直してみて、何の躊躇いもなかった。

■ 三等船客  前田河廣一郎  招待席 「e-文藝館=湖 (umi)」小説室
まえだがわこういちろう  小説家 1888.11.13 – 1957.12.4 宮城県仙台市に生まれる。徳冨蘆花を慕いその後援を得て明治四十年(1907)渡米、つぶさにアメリカを体験し大正九年(1920)帰国すると直ぐ、大正十年(1921)八月「中外」第三号に初期プロレタリア作品の記念碑的名作とされる此の掲載作を発表、一躍文壇の注目を浴びた。爾来、骨太に大きな、しかも緻密な組立てと観察・描写を持った此の名作この作家は、「プロレタリア派」の名をはみ出て、例えば新感覚派の川端康成らからも稀に見る優れた「純文学的感覚」を称讃され、「新興藝術」を真に担う人であり作品であると目された。青野季吉は、日本の文学環境の、前田河の大才を迎え入れるには小さすぎたことを、没後に深く悼んでいる。 (秦 恒平)
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* これは、いわば日本への帰り船。反対にはるか遠く南米まで移民の出船を書いたのが、第一回芥川賞に当選した石川達三の『蒼氓』だった。力作であった。「e-文藝館=湖(umi)」へは、その第一部を載せ、「ペン電子文藝館」へも歴代会長作として載せた。『蒼氓』もさすが読むに値する小説である。

* 奮励努力、通算「第百巻」の第一便をいましがた送り出した。いい汗を流した。明日はまた歯医者へちょっとの間出かけ、急いで帰ってまた荷造り。
想えば、いろんなことをしてきた。
本の製作や編集・企画を経験してこなかったら、とても「湖の本」は実践できない。「e-文藝館=湖(umi)」や「ペン電子文藝館」もできなかった。ホームページにしても、やはり企画・編輯のセンスと下地が無ければできない。医学書院の十五年半をムダにしないでこれた、よかった。
ベストセラー作家達のリッチな日々とは無縁に過ごしてきたが、おかげで、というのも変だが、強い自由な精神で社会や世間からあまり拘束されないで来れたのが、無上の喜び、誇りと言ってもいい。
店じまいを急ぐ気はないが、ゆっくりと、これから熟成を味わいたい。

☆ こんにちわ、風。  花
毎晩たくさん読んでいますねえ。なかなか眠れそうにありませんねえ。
お元気ですか、風。
今日のところは、なんとかお天気が持ちまして、ご近所さんと約束していた住宅展示場見物を果たしてきました。半年前に建て替えたばかりで、新築のにおいのする、きれいでセンスのいい建物を堪能してきました。テンション上がりましたよ。楽しかった!
さてさて、そんなあいだに、風はお仕事なさっているのですよね。
頑張ってくださいね。楽しみにしていますから。あ、でも、慌てずにね。
今日は、花の勉強部屋も、エアコン解禁です。機械が熱を持って、暖房かけているみたいになりますからね。
ではでは。

* 晩も、ほぼいっぱい使って、作業を前へ前へ運んでおいた。明日は約束の歯医者に通うぶん少し停滞するが、ほとんど問題ない。もう今夜はやすみたい。妻にも随分手伝ってもらった。明日のからだの負担になりませんように。

* 七月四日 土

* 与謝野晶子の人気は、いまも現代の女流の大勢を圧倒している。その人気を支える基盤は、現代の、老若を超えた女性自身であるように見受ける。
わたしが晶子の歌にふれたのは高校の教科書より以前に、書店で立ち読みの『乱れ髪』であった。そのころもうわたしは歌をつくるのに熱心だった。晶子の短歌には惹かれなかった。つよく惹かれたのは若山牧水であり、斎藤茂吉であり、北原白秋であった。茂吉自選歌集『朝の蛍』はわたしが古本屋の立ち読みから、あえてお金を支払って買った「宝物」であった。
それでもわたしは与謝野晶子の大いさを閑却したのではない。なによりも晶子訳の源氏物語はわたしの文学生涯の扉をひらいた巨きな動機を成した。
成人してからも晶子をわたしは閑却しなかった。後期の晶子短歌をわたしは愛唱した。
だが、ここではあえて晶子自選の三千首から、とくに明治期の自選歌にしぼり、さらにわたしの好みで抄した歌集を、自信を持って推奨したい。

■ 自選・与謝野晶子明治期短歌集  招待席 「e-文藝館=湖 (umi)」 詞華集
よさの あきこ。 歌人。1878?1942。大阪府堺市に生まれる。生涯の作歌は、『乱れ髪』(明治34年刊行)以降五万首をこえている。ここに取り上げる『与謝野晶子歌集』は、昭和九年までの「全歌集」から晶子の自撰した約三千首で成っていて、昭和十三年(1938)年に刊行された。あえて其処から「明治期自撰短歌」をとりあげ、編輯者がさらに選抄した。  (秦 恒平)
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* 早起きして、歯医者ゆきまでの時間を、送り出しの作業で埋めた。杜撰はいけないが、サッサとやる。それがラクへの道。

* 午後もよく頑張り、夕方には昨日に次いで二度目を送り出した。今はとにかく集中。晩も精一杯、作業。

* 浅草の見番で、鳴り物の会を「明日」するが、いかがと望月太左衛さんのお誘い。江戸の芝居小屋の風情をのこした空間ですよと聞くと、そそられる。済めばその足で「高勢」の鮨もあるし。さ、どうしようと。作業半ばだが、べつに誰に急かれているわけでも、ない。これはという先へは、みな、もう送りだせている。

* 久保田淳さんに頂いた『隅田川の文学』を、とても懐かしい気分で読み進んでいる。だいたいが情緒的に隅田川を歌いあげている中で、高村光太郎の、口語で、きっぱりと冬をうたう高い調子が佳い。いいものを正確に選び出すことを知らずに大詩人や大作家の作を「抄」したりしては恥ずかしい。

* 作曲家船村徹の時間に、ひばりの「哀愁波止場」と「みだれ髪」をたっぷり聴いて感動した。圧巻。渾身の藝力。

* 七月五日 日

* 福田恆存先生とのご縁は、『墨牡丹』を書いたとき、村上華岳にふれて親切なお手紙を戴いたのが最初だった。のちに三百人劇場で「ハムレット」を訳・演出なさったときに、劇場で初めておめにかかった。ご挨拶すると、「ああ、想っていたとおりのお人でした」とにこやかに云われた。おりにふれ、たいへん印象的な言葉をもちいては、いろいろに激励して下さった。五十歳記念に『四度の瀧』を創ったときも、ひっこまずに頑張るように、まだ若いんだからと励まされ、「湖の本」を始めると、ずうっとお買いあげ頂いたばかりか、何人もの読者をご紹介いただいた。文春からの全集、翻訳全集が出始めると買った。第八巻の全戯曲集は頂戴した。
亡くなったとき寂しい思いをした。その後も夫人はずうっと湖の本を今も買って下さるばかりか、出るつど、二冊三冊と買い足してさえ下さるのである。
福田先生の戯曲は、早くに新潮文庫で他の劇作家達のと一緒に一作読んでいて、とてつもなく面白く、印象に焼き付いていた。『龍を撫でた男』だった。目を開かれた。
「e-文藝館=湖(umi)」に頂戴できた『堅塁奪取』は劇団「昴」の舞台を観て感嘆した。『億萬長者夫人』にも舌を巻いた。

■ 堅壘奪取 (喜劇一幕) 福田 恆存 招待席
「e-文藝館=湖(umi)」 戯曲室
ふくだつねあり  劇作家・批評家  1912.8.25 -1994.11.20 東京府に生まれる。 日本藝術院賞。 秀抜の人間把握を劇的感動にとりこんだ多くの劇作・演出は、太い逞しい根を実存の深淵におろして現代の不安や恐怖を鋭く指さし示した。
夫人のおゆるしを得た此の掲載作は、文藝春秋刊『福田恆存全集』第八巻所収 「劇作」昭和二十五年(1950)二月号初出の傑作。また福田は数多くの批評・評論活動により現代社会や政治の矛盾・撞着・不備を的確に指さし、日本と日本人に精神の革新を終生迫り続けた。(秦恒平)
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* 今は、目近に架蔵の全集から文学史論、作品論、作家論を、つぎつきに耽読して教えられ続けている。今日も、夫人の優しいお手紙を戴いている。嗣子福田逸さんの率いられる劇団昴の舞台は、拠点の三百人劇場があったあいだはいつも妻と出かけていた。新劇の面白さをありがたく、うんと仕込まれてきた。
福田さんの戯曲は、舞台で当然、じつは活字で読んでも、すこぶる面白くて、しかも難題を容赦なくつきつけられる。

☆ この十年、  敦
など思ひながら、拝読し、ふと 蘇我殿幻想に手を伸ばし遠い昔歩きました市経、藤白、牟婁の湯など 思ひ出して居りましたところでございます。
御本 その都度 何かと考へたり楽しんだりさせて頂いて居ります 有難う存じます。
お暑さきびしくなつて参りました
御二方 呉々も御身御大切に。 御礼まで

☆ 祝百巻  泉
偉業を達成されて心より感服のメールを送ります。
昔々、出版社から百冊の刊本を出したいと聴いたのを思い出しますが、それも達成され、加えてこの「湖の本」はあらゆる作業をご夫婦でこなしての百巻です。
関西に比べれば、気温も低めで過ごしよい梅雨半ばです。
子供達や孫達絡みで、日々多用に過ごしています。変わらず程ほどに運動も楽しみ、元気にしています。
今日は止むを得ない所用で、十年振りに吉祥寺へ行き、噂通りの大人波に呑まれて、慄きました。
お元気でお過ごしください。

* 予定の発送を終え、これからは、追加寄贈先を選んで上下巻とも送り出して行くのと、上巻分未納読者へ入金次第下巻も発送して行く作業だけが残って、一段落している。

* 余裕で浅草まで行きたかったし行けたのに、なにかしら朝の起き抜けから軽いフラツキがあり、軽微とはいえ肌寒い悪寒のようなものが抜けず、昼前に、太左衛さんにメールで謝って、家で休憩した。大方回復していると思うけれど、大事を取っている。
久保田淳さんの『隅田川の文学』にはまっている。橋という橋をみな渡ってみたくなっている。

* 七月六日 月

* 「天才」というまぶしい物言いで飾られる人がときどき現れる。久坂葉子もそんな一人であったと仄聞しているが、「贋・久坂葉子伝」とか云った本の出たのも聞いている。関西で老舗株の同人雑誌に属して、年寄りの同人達がはやし立てたのかもしれない。芥川賞候補になった「e-文藝館=湖(umi)」の推奨する『ドミノのお告げ』は、なにかしらの鋭い片鱗を光らせ、一種独特の空気を作中に揺らしている。一読をお奨めしたい。作者が自殺した年、わたしは高校二年生だった。

■ ドミノのお告げ 久坂葉子 招待席 「e -文藝館=湖(umi)」 小説室
くさかようこ 小説家 1931.3.27-1952.12.31 兵庫県神戸市生まれ。島尾敏雄の紹介で、昭和二十四年、同人誌「VIKING」に参加、富士正晴らの刺戟の元に精力的に書きつづけ、掲載作が昭和二十五年の芥川賞候補作となる。詩、戯曲へも活動を広げながら、「幾度目かの最期」を書き上げた後、昭和二十七年の大晦日に鉄道自殺。「ドミノのお告げ」は「VAIKING」に「落ちていく世界」のタイトルで発表、少しの改訂で標題に改まり、「作品」(昭和二十五年六月春夏号)に掲載された。(秦 恒平)
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浮世絵 両国橋図 割愛

* 隅田川の橋を「歩いて」渡ったのは、以前聖路加の帰りに、妻と「佃大橋」を月島の方へ渡って・戻ったのと、先月、本所回向院のそばで俳優座の芝居のあと、やはり妻と「両国橋」を渡った、たった二度しかない。河の東に西に別れたたくさんな水路や運河の橋も、意識して渡ったのは両国橋のあと柳の葉色した鉄の「柳橋」と、あの「日本橋」ぐらいしかない。
しかも、久保田淳さんの本に煽られて、大げさに云うと隅田川と大小の橋をみな渡ってみたいということばかり頭に渦巻いている。同時に、そう、鏡花の『芍薬の歌』などが痛切に読み返したくなっている。初讀のむかしには頭に隅田川なんてものはなかった。それだけでもずいぶんトンチキな読みをしていたに違いないと分かって身を細うする。

☆ 秦先生、メールをありがとうございます。  太左衛
久しぶり、5年ぶりの自主公演で、行き届かないことばかりで、先生へのお知らせも大変遅くなりまして、申し訳ございません。
おかげさまで無事終えることができました。
今月の浅草は、朝顔市、ほうずき市、そしてみちびきまつり、また花火もあります。
ぜひお出かけください。
お目にかかれる日を楽しみに、お待ちいたしております。

* 中元と重なる時期で、本の届きがやや遅れ気味かと案じたが、そろそろ届いているらしい。

☆ 届きました。  鳶
百巻に達した画期的な本が届きました。
発送が一段落はまずまず。本当に長い長い道のりでした。本に差し挟まれている「しおり」にはいつも必ず、読者の名前と、季節の言葉、そしてお元気ですかと書かれて。これだけでも延べにしたら気が遠くなる膨大な作業です。
とにかく此処まで文字通り頑張られた、頑張ったのです。そしてこれからも淡々と着実に続けられるでしょう!
HPでは浅草へのお誘いを断ったことが書かれてあり体調が心配です。いかがですか。梅雨で本格的な夏の到来はまだこれから、無理しませんよう願っています。

☆ 湖の本   梔
昨日『濯鱗清流』が、本日『花と風』が届きました。お忙しい中、お仕事の早いみづうみらしいことで、ほんとうにありがとうございます。「長女論」面白く読み、長女ながらコワイ女になりそこなったと思いました。
下巻の「私語の刻」も読ませていただきました。
あらためて申し上げる必要もないことですが、湖の本の百巻は、稀有の藝術的達成です。心からの感謝と賛嘆の気持をお伝えしたいと思います。溢れるように幸福です。

☆ 湖のご本「濯鱗清流」下巻届きました。  のばら
いつもありがとうございます。
百巻達成おめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。
上巻は読み終えました。
幅広く何事に対しても、真摯な態度で向き合われていて、教えられることばかりです。
下巻も楽しみに読ませていただきます。
お疲れが早く癒えますよう願っています。
奥様共々、くれぐれもお大切に。  京の従妹

☆ 雨がしとしと  花
お元気ですか、風。
ご本、届きました。ありがとうございました。
そして、おめでとうございます。
そして、きのうは静岡県知事選でした。
ウインブルドン・テニスと並べて開票速報を見ていましたが、ずっと自公推薦の人がトップを走っていたので、ハラハラしました。
なんとか最後で民主推薦の人が巻き返し、ほっとしましたが、僅差での勝利でした。
さてさて、もうすぐ東京都議会選もあるのですよね。大勢の人が投票するといいですね。
ではでは、風、つつがなくお過ごしください。

☆ おめでとうございます。 郁
湖の本 100巻ご出版誠におめでとうございます。 拝受いたしました。 こんなにも早く完成され驚いております。 敬意をお伝えする言葉も見つかりません。
しっかりと読ませていただきます。 重ね重ね おめでとうございます。
日吉が丘の同窓会のお知らせが届いていますね。
京都は懐かしいかぎりなのですが欠席いたします。会場、なにか三十三間堂のちかくですね。
どうぞご機嫌よろしく。

* 小金井の浅井さんから電話で、八月末に海外の優れた歌手を招いて歌劇「トスカ」を歌ってもらうので、おいでをとお誘い頂いた。感謝。

* 七月七日 火 七夕

* 舟(牛車)洗いの雨もあがった。
懐紙の題に「星河秋興」と読める。軸装されている。七夕は、昔の暦では初秋。正二位雅章に、達筆ながら後生の藤原と書き添えたのが読める。調べたことがあり判明しているが忘れた。
上の句は「あまの川つきのみふねの追風も」であろう。「***すゞしき雲のころも手」か。三字やや読みにくく。
手洗いで、「笹の葉さぁらさら軒端に揺れる」と口ずさみ、ちゃんと二番まで歌えたのにびっくりした。この頃はあっというまに物忘れして名前など思い出せないのに。

「星河秋興」懐紙 割愛

☆ おめでとうございます。 秀  編集者
秦恒平先生
『湖の本』百巻のご刊行、おめでとうございます。長い年月をかけての思索とご執筆に心より敬意を表します。
『濯鱗清流 秦恒平の文学作法上』と同様、「下巻」も、これは貴重な文壇史だなあと感嘆しつつ、また随所に描かれている編集者についての記述に我が身を反省しながら、拝読いたしております。今後もお変わりなくご健筆を揮われますよう、心よりお祈り致しております。
暑さが本格的になって参りました。どうぞご自愛下さい。

☆ 湖の本百巻、おめでとうございます。  藤
秦 恒平様  湖の本第百巻、うれしく拝受致しました。
思えば私と秦様の縁をつないでくれたのは「湖の本」であり、「闇に言い置く」であります。
同窓のよしみで夫のところに湖の本の発刊をお知らせいらだきその輪に加わって、送られてきたご本を夫が読まないので(ごめんなさい)私がせっせと読むようになり、受け取りや簡単な感想を私が秦様に直接送り始めた頃から、ペンフレンドとなり、それが進化してメル友になり、「闇に言い置く」にも加えていただき、果ては拙い私の文章を読んでいただくまでに発展いたしました。
その経過を通して、理系学生でレポート以外文章を書かなかった私が、身辺のこと大切な思い出を書き留めることに目覚め、秦様の「闇に言い置く」の中の言葉から少しずつ文章を書く術も学ばせて頂いたのでした。
そのお陰で書き置いたものに、ありがたいご批評までも賜り、それを「e-Literary magazine e-文藝館=湖(umi)」に加えていただくまでの展開となったことは、私の人生後半の”予想もしなかった事件”であり、喜びでございます。
本当にいろいろありがとうございました。
こんなに長く文を交わし、電車に乗ればすぐの近くのところに住んでいて、私は未だ秦様にお目にかかっておりません。
秦様のお姿はテレビで拝見しているので、公平ではないのですが、ここまでくると、こういう関係がいっそ素敵に思えます。
この上は奥様ともどもお身お大切に、「湖の本」を更に更にお続け下さいませ。
私たち夫婦もまだまだ元気に暮らしたいものと願っています。
去年の朝顔の種を播いた鉢に、このところ馴染みのブルーの花が咲き始めました。
小学生が絵日記を描くように毎朝写生をするのですが、これがむつかしい。
毎年、毎朝、苦心すれどもみずみずしい花の色がどうにも思うように写せません。
「なんと美しい青(紫)か」と改めて感嘆!これもまた大きな楽しみなのですが。
2009年7月7日

* 夫君は原子力発電等の重職にあり、夫人とともに京大で学んだ。夫人も京都の人、「e-文藝館=湖(umi)」の「自分史のスケッチ」室に掲示の五作は、云われているとおりのご縁で生まれた秀作力作たちである。強靱な自律の精神と、絵を描く懐かしい術を大切にもち、素晴らしいお母さんでありボランティアとしての活動も力強い。「いい読者」であり、有り難い。

* 「月刊京都」を取り仕切っている山岡祐子さんからも「お祝い」を戴いた。岩波書店時代に「世界」に最上徳内を連載させて下さった高本邦彦さんからも「御発言の一言一句を重く受けとめつつ」と激励頂いた。青山学院大学清水英夫名誉教授からも「心からご健筆をお祝い申し上げます」と。やがて『表現の自由と第三者機関』(小学館新書)を下さるとも。

* 久しいお付き合いの歌人からは、上の述懐歌「『天の川を越えて』に立ち止つてをります。お辛い文月……」と。この葉書の写真で「團十郎」と名づけられた新種の朝顔をみせてもらった。

* もしわたしが短歌や和歌を日頃も読まない、まして善さが分からないなら、わたしが短歌選や和歌選をしたりすれば僭越になる。失礼になる。幸い、わたしは現代短歌も古代和歌も好んで読む。たくさん読む。幼時から小倉百人一首を、かるた遊びのツールとしてでなく、読んで意味をさぐり面白がって読んだ。国民学校の四年生から短歌を作った。高校時代は生真面目に熱中し、その頃の歌が歌集『少年』に結実し、岡井隆さんはその歌集から選んで、二度も、『昭和百人一首』に選して下さっている。
朝日新聞の短歌欄に、外部から「時評」を依頼されたわたしは、トップバッターであった。短歌に関する講演も座談会も何度もしている。『愛、はるかに照せ』や『青春短歌大学』など鑑賞の詞華集はヒットした。わたしの短歌選は、それなりに信用してもらえると思っている。今日推奨する、伊藤左千夫の短歌選抄も、一心こめてした。
もとより「選」や「抄」の問題を超えて、伊藤左千夫は優れた歌人であった。子規門で長塚節と並び称することが多いが、わたしは「人間」としても左千夫が好き、彼の小説も大好きである。自分より年若い子規子の前に敬虔に心服し、生涯姿勢を変えなかった。無骨な人となりの内心は熱く燃え、ときにめめしいまで情愛にもろくもあった。

■ 伊藤左千夫短歌抄  招待席 「e-文藝館=湖(umi)」 詞華集
いとうさちお  歌人・小説家  1864.8.18 – 1913.7.30 千葉県成東町殿台に生まれる。 年少の師正岡子規に傾倒し、長塚節とともに、島木赤彦、斎藤茂吉ら次の世代に師の命脈をしかと手渡した。「野菊の墓」「分家」等の小説の名作もある。万葉的な熱い情けに富んだ一世の詩家として懐かしまれる。  掲載作は、生涯の歌作から前半をまばらに、晩年を密に、秦恒平 (前・ペン電子文藝館長)が撰抄した。 (秦 恒平)
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* 「ムネオハウス」などで政界が揺れた頃、外務大臣の席を逐われた田中真紀子を、わたしはずいぶん声援した。
あの頃、外務省に佐藤優という主任分析官がいて、はなはだ奇怪な存在として外相の追い落としにも寄与していたことは記憶にまだ新しい。
ところが、その外務省の佐藤氏のその後が注目に値する素顔の露出で、その氏は、昨日の東京新聞コラム「放射線」で、あの当時の田中真紀子外務大臣が「伏魔殿」外務省の清拭に躍起であったことの、「実は甚だ真っ当で正しかった」ことを、悔いと陳謝の意もこめ力説していたのが目に付いた。
外交は「対話」ではない、「交渉・討議」でなければ意味はないとテレビで語っていたこともある元外務省の佐藤氏は、このところ注目に値する「優れた正論」を吐き続けている。

* 田中真紀子は、小泉元総理の手に利用され廃棄された。以来、鳴かず飛ばずにくすぶっているが、外務省「伏魔殿」摘発で、とにかくも発揮した持ち前の勘と論理で、また大きな働きをわたしは今も期待している。
民主党政権が生まれたなら、田中真紀子をもう一度外務大臣にとわたしは期待したい。

☆ きぬがさの丘   湖雀
インターネット、新聞、ラジオ、雑誌、スカパー…エトセトラ。視聴購読していない雀にときたま主人が会社から新聞の切り抜きを持って帰ります。
春日局と海北友松と妙心寺麟祥院のかかわりを知ったのは恒例の京都文化財特別公開の記事。乾隆帝、ルイ15世、ピット首相、7代徳川家継、9代徳川家重が同世代で、乾隆帝が1799に90才で崩御し、1800に李朝の正祖が暗殺され、ヨーロッパにはナポレオン戦
争が勃発して小ピットが敗戦により病没、日本は文化・文政時代と「時代合わせ」をしたのは、京都の書店が「平定西域戦図」を複製刊行するという記事。
紅葉シーズンに石庭をライトアップしている教林坊のご住職を存じ違いしていたことを知ったのもそんな小さなコラムからでした。
白洲正子さんが「芸術新潮」1969.5月号の「かくれ里―〈石の寺〉」でお書きになって満40年。ゆきしな八日市市から五個荘町まで愛知川沿いの社寺に立ち寄り、五個荘の旧い道を通って老蘇の森に向かう経路で、晋山されて14年という教林坊を訪ねました。
案内板を辿ってゆくと駐車場に軽トラが1台停まっています。
庫裏に高級外車が3台並んでいるお寺を奈良で一度見ましたが、年来、雀の行動範囲には軽自1台もしくは軽トラというお寺が断然多いですねぇ。
第1、第2、さらにバス用の駐車場が整えられ、拝観受付用の小屋もつくられています。紅葉シーズンは2ヵ月あまり連日門を開き、5時からはライトアップを行なうとか。
洛中の輻輳に、洛北、洛西、丹波へ、また、比叡から湖東三山へと紅葉狩の客を散らしてきて、このところ湖南や湖北が売り込みにやっきになっています。鵜の目鷹の目の観光関係者やカメラ関係がここを放っておかないのでしょうね。
もともとあった石段は通行禁止になっていて、薬医門に杖が用意されていました。観音正寺や桑實寺や石馬寺の記憶がよみがえり、ちょっと、覚悟。
竹藪の細い坂道をじぐざぐに進む道がなだらかな敷石道にかわると門が見えてきました。
お寺にはご住職ただおひとり。
薬医門、表門、書院、経蔵、庭園、本堂。さらには駐車場や境内の参詣道をすべてご住職が整備されたというのですから感服します。
書院は屋根裏まで登れるようにしてあって、琵琶湖のヨシで葺き直したという屋根をすぐ間近に裏側から眺めることができます。新樹の瑠璃光浄土のなか、東求堂さながら庭を掛け軸にしつらえた建具から庭を眺め、庭へ降りて本堂へと歩き、水琴窟に耳を澄ませ、書院や本堂のあちこちに掛けられたふるい墨跡を見て歩く‥それだけでも楽しいもの。
石棺の巨石が苔むして石庭の一要素と化しているありさまには息を呑みましたが、鳥のさえずりとかじか蛙の鳴き声、ときどき池の鯉が水音を立てて和し、小刻みに
風がゆり動かす木末のさやぎと竹の葉の音しか聞こえない静寂につろくして、却って落ち着きます。ヨシ葺きの本堂や書院も庭にうつってよい風情です。
「お化け寺」と呼ばれていた荒れ寺をこれだけ復興させたご住職のお人柄や、携わった地域の方々の世離れたやすらかさ、かけた時間、さらにはキヌガサヤマと石とササキの或る安堵感が加わって、境内の気味が苔清水のように膚からしみて、あんばいのよい
お寺でした。
ところで五個荘驛はこたえられない駅舎ですね! 計画したきりの〈近江鉄道一日旅〉をぼちぼち実行しなくッちゃ。 湖雀

* 気ぜわしい東京暮らしをしていると「雀」さんの囀りは天来の清音に聞こえる。挙げてある白州正子のエッセイが、わたしに『みごもりの湖』を書かせる起爆点になった。雀は、それもちゃんと知っていて書き込んでいる。

☆ 山の向こう  湖雀
日野川上流は近江屈指の石材産地だそうです。
山岳修験の綿向山から東の線上に雨乞岳と御在所山がそびえ、南西に水無山、北西には多武峰を遷したという雨乞いの山、竜王山があり、勧請された金峯神社や熊野神社が鎮座し、熊野の滝もあります。
川の源というのはどこも先へ先へと誘いかける魔力をもっているものですが、日野熊野の山気と空の半分をふさぐような山容は、美女のうしろからマダムがあらわれたかのように雀に強い印象を与え、地元の方からヒダリマキガヤの木を教わってその実をたなごころに乗せてお話をうかがうあいだ、山向こうへ行ってみたくてしかたありませんでした。
それから何年でしょう。若葉雨の合間を縫って、その、“向こう側”を訪ねました。もう二ヵ月も前のことです。
東海道の松並木、宿場町と本陣跡、斎王頓宮跡、田村麻呂の神社に鈴鹿の化け蟹、茶畑といった観光が宣伝されている土山はダムが3基もつくられている川の多いところで、山と谿、それらの隈、川にさざなみ、山に桜と、水と山のけしきがとても豊かで、河合ごとにお社が森に守られてまつられているのも穏やかで思い和ぐ風景です。
日野川に流れ込む平子川をさかのぼると平子峠に至り、今度は野洲川の支流があらわれます。
訪ねた神社はちょうど祭礼の準備中でした。御在所山から流れ出す野洲川に綿向山と雨乞岳をそれぞれ源とする川が合流する位置で、綿向山の真南にあたる、若宮神社です。
割烹着姿の女性が大鍋を手に社務所に駆け付けたかと思うと、中から裃袴姿の男性が和傘をひろげながらばらばらっと四人、宮地に流れる川の上と下にわかれて走り去ってゆきました。
雨にけぶる鈴鹿の山並。若芽と常緑が交じる鎮守の杜。時を経た社殿。檜皮葺きの屋根と照りむくりの破風。雨をたっぷり含んだ苔。小さな草の芽。そびえる巨樹のかずかず。からみつく藤の古木。かすかな風に残んの八重桜から花びらが散り落ち、そのなかを鍛えた背中に麻上下をつけ、白足袋に桐の下駄を履き、和傘を差して走り去る男たちのすがたは、下駄の音が霞を呼んで幻を見せているかのようでした。
と、ここまで仕上げてさて送信というところに、ご本が届きました。続けざまで心が騒ぎます。おん身ご案じ申しあげております。
大丈夫金の脇差‥‥と呵呵大笑なさってらっしゃいますかしら。
今年はひさしぶりに茅の輪くぐりをしました。 湖雀

* 「雀」さんのこういう清涼剤を服することで、わたしは、かろうじて俗塵をいささか洗い落として、ハ、と我に返る。だが雀のそばへ遁げ込むワケには行かぬ。わたしが生きているのは余儀なくも何であろうとも「いま、ここ」なので。

* 「中国」といういま最も用心の要る国について、テレビで啓蒙番組のあるのを、作業しながら耳で聴いていた。おおかた識ったことでも、たくみに整理整頓して要領よく具体的な数字などとともに話していたのが見つけモノの好番組だった。
また北朝鮮に拉致され幸いに帰国した蓮池さんが、拉致現場に立ちながらの述懐や覚悟の程も、胸に届いていい話だった。
東国原宮崎県知事の動勢はこのところマスコミ絶好のターゲットのようだが、この人にどういう胸算用が出来ているのか、効率は高いか低いかなどもう少し様子を見るしかない。いい意味で国のために働いてくれるなら思い切ったパフォーマンスも大目に見ながら応援したいが、ただの権力志向で自民党にすり寄って利用しようという程度であるなら、竹篦返しの自壊が早いだろう。
このところ失笑モノであったのは、後楽園ドームにつくられた「裕次郎寺」の大騒ぎ。日本の寺院仏閣とは、いまやあのようなお祭り騒ぎに利用されるだけの「空疎な建物」になりきったか。「裕次郎神社」でなくてまだしも。

* 京都美術文化賞を一九九四年(平成六年)に授賞した中野嘉之さんが、昨日、「墨・和紙の協奏」と題し、池崎義男氏と協力の写真集を贈ってきてくれた。中野さんの「墨」に托した造形美が息を呑むみごとな勢いで、感嘆。「濤」「流光」「揺れる幻映」「白い風」「波の音」「漂う風」「流れる音」 疾風怒濤をさながらに、まだ人間の生まれる以前はるかな太古のまさに物凄い水の世界を髣髴とさせて深い。烈しい。美しい。
ああ、美術展を見遁して惜しかったと悔いた。

* 七月八日 水

☆ 湖の本100号出版おめでとう存じます。  玄
引き続いてのお仕事を楽しみにしています。
都議選と衆院選の投票に当たって選挙民が賢い選択をすることを願っています。
岡山のニューピオーネとマスカットを少々お届けします。御賞味ください。

* 良い政治への良い環境を、選挙民挙って創りたいと願っています。ご機嫌よう。湖

☆ おめでとうございます。  建日子
百巻、いただきました。
おめでとうございます。
気の遠くなるような数字ですね。。。
今ちょっとバタバタしていますが、今月後半にでも、ささやかなお祝いの宴でもいかがでしょうか。計画して、またメールします。
なるべく早く、また保谷に行きたいと思います。
お体、お気をつけて。

* ありがとう。心ゆく仕事を一つ一つ遂げてください。

* 今日は視野検査のためだけに聖路加へ行く。雨が降らなければ、少し歩いてこよう。

☆ お元気ですか、みづうみ。  夕顔
発送のお疲れもごさいましょう、お礼を申し上げたいのはわたくしのほうです。百巻のささやかなお祝いをさせていただきたいと思っていたのです。
イライラしたり疲れたりする時、みづうみの作品だけが静かに充たしてくれます。読んでさえいれば、しあわせなのです。お礼を申し上げたいのはわたくしです。
視野検査が良い結果であることをお祈りしています。

* 視野検査は、なんだか新式であった。いつもよりいろんな光点でしらべられた。いつもは暗闇の光なのに今日はおおかた薄明のなかで光の点の点滅を把捉させられた。検査士は親切であったが、時間もいつもより長く掛かり草臥れた。ただし予約より一時間早く検査室につき、幸い検査を早めてもらえたので、終えて解放されたときはちょうど予約時間の三時半だった。ただしわたしの時計がアテにならないことがあとで分かった。
病院を出て、有楽町線の新富町から家へは逆方向に乗り、月島、豊洲を通り越して辰巳駅で降りてみた。なぜ辰巳で降りたかは問題外に願いたい。
地下から路上に出ると小雨に強い風。辰巳小学校の前からの眺望は、かつてわたしの東京暮らしで観たこともない高層ビルの林立、広い運河、閘門、群だつ灰雲の空。自分が、さて東京都何区の何処に立っているとも分からない。
結果として、吹き飛ばされるほどの風雨でなく、多少の濡れも厭わず傘をおさめて歩いた。辰巳から運河越えに東雲の高層また高層の住宅街を通り抜け、東雲橋を渡って、深川五中まえから豊洲駅まで。荷風先生の「か」の字も感じ得られるなにも無かった、超開発の成果らしいまさにイマイマの集団住宅街であって、それはそれなりに河有り運河有り大きな閘門も船の行き交いもあり、水辺の風情、有るといえば豊富にあり、しかしあまりに今日の淡泊とも雑駁ともいえる殺風景ではあった。予期していなかったのではなく、予期からすれば街は相応に小綺麗であった、いや小綺麗すぎるのが期待はずれであった。

* いちばん期待はずれなのは、粋な風情など滴もないこと、それにつれてそれらしい飲み食いの店がテンと見当たらない。憮然として歩いていたら、深川校のすぐさきに、よく見過ごさなかったと思う、なんと「京都紫野」の売り言葉を看板にした「おおもりや」という割烹の店をわたしは見つけた。覗いてみると店内も落ち着いて小綺麗。ただ時間は早い。主人に聴くと五時にあけると。わたしの時計はあと二十分で五時。で、地下鉄の豊洲駅ちかくをぶらぶらして佳い喫茶店を見つけた。キリマンジャロを四百五十円、お変わりは半額と。目の前で若い娘さんが一心に珈琲をたてていた。カウンターで本を読みながら、おかわりもして二杯のキリマンジャロを美味しく飲んだ。
始めて来た辰巳、東雲、豊洲で、せめて佳い店でおいしく飲んで食って帰りたい。
で、五時過ぎたと見て、また「おおもりや」へ。ところが五時どころか、まだ四時半だと云われた。わたしの時計がどうもおかしかった。ま、入って下さいと云われ、カウンターに落ち着き、「おおもり月の桂」という純米吟醸の酒から始めた。
若い店員が男女とも気散じな人たちで、気持ちよく落ち着けたので、次々に美味く煮た鰊、冬瓜となにかの柔らかい肉、椎茸や鶏肉や蓮などの煮染め、鯛の薄造りなどを頼んだ。酒が旨くて食べ物もよかった。もう少し飲みたかったが、ぐっと引き締めて、とにかくも佳い店を見つけたのを何よりの満足に引き上げてきた。よかった。
清瀬まで直通の電車に豊洲駅で座れて、保谷駅までずうっと本を読んだまま帰ってきた。駅からの車からおりて玄関へきっちり七時だった。

* さて今日、自分の脚で何という橋を幾つ渡ってきたのだろう。「東雲橋」というのだけ覚えている。便利な良い地図を買わねばならぬ。多摩地区とはまるでちがう景色がある。雨も風もたいしたことなくて良かった。気は晴れた。

* 今日は小栗風葉作『寝白粉』を紹介しよう。この作品をわたしは「ペン電子文藝館」の委員長、館長の時代を通じて、電子化までの用意は尽くしながら、あえて発信を見合わせ続けた。人権委員会を内部にもつペンクラブの機関が、あらわに人間差別を、少しの否認認識もなく書き表した微妙作を掲載するのは、正しい姿勢とは考えなかったからである。委員会委員では掲載に賛成の声もあり、理事会の意見を聴いても問題なしとの声が強かった、だが、わたしは敢えて避けた。いかに秀作であろうとも「ペン電子文藝館」だからこそ掲載すべきでないと判断した。事実これが風葉一代の秀作に部類できることはわたし自身が認めている。そしてもう今の時代にはこれを読んで作の根に横たわった差別のはげしさを感得出来ない読者も幸いに多いのかもしれないのだが、筋は通さねばならぬと、「ペン電子文藝館」では掲載へ事を運ばなかった。しかし「e-文藝館=湖(umi)」には掲載した。人間差別には絶対反対だが、優れた文藝作品を埋もれさせるにも忍びない。こういうところに「e-文藝館=湖(umi)」と「ペン電子文藝館」との性質のちがいを、双方を差配する責任者として認めていた。
風葉は尾崎紅葉門下の高足であった。巧みな書き手であった、が、多くはもはや確かに古びている。鏡花や秋声のようには時代を飛び越えて行けなかった。
だがこの『寝白粉』には凄みがあり、作者は気づいているのかいないのか、濃い哀れが沈澱している。わたしの生まれ育った京都は貴賤都鄙の集約された千年の町で、少年の頃からかなり多くを感じさせられたし、人間差別にはことに心を騒がせた体験がある。おのずとそれがわたしの文学の大きな主題にすら育てられた。

■ 寝白粉  小栗風葉  招待席 「e-文藝館=湖(umi)」 小説室
おぐりふうよう  明治の小説家  尾崎紅葉の愛弟子  此の掲載作は作者の力量を示す一代の代表作の一と謂いうるとともに、その題材の扱いや表現に、今日の認識よりして異様に不穏当な遺憾極まるもののあることは覆いがたい。編輯者はこれをつよく憎むと同時に、此の作に見せている作者文藝の才に愕き惜しむ思いも深い。読者は心してコレを取捨されたい。作者の意識認識は愚劣である。しかも文藝の結晶度はすぐれて堅い。 (秦 恒平)
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* 詩人の布川さん、「考えさせていただけます。ますますの御健筆をお祈り申し上げます」と。京都文化博物館の上平館長、「多年にわたる文学の旅路に深く敬意を表します。そして尊い人生に拍手を送ります」と毛筆で。
脚本家の小山内美江子さん、「追いつけません」と。静岡大学の歴史学小和田教授からは「ご笑覧下さい。恐々謹言」と、新著『北政所と淀殿』が贈られてきた。
市民活動家の吉川勇一さん、病牀からていねいなご挨拶有り。名古屋大の鈴木名誉教授も、九十のご高齢でご丁寧に。

* 「湖の本」の「ファン」という笠間書院の橋本編集長、『色の日本』に「ひかれて読んでいる内に(これはいつものことです。)」色彩学研究の大家である伊原昭さんの名を見つけ、伊原さんとも連絡の上、千四百頁もの大著『日本文学色彩用語集成・近世』を贈ってきて下さった。このお仕事は上代から古代、中世を経て完結した画期的な大事業で、京都賞や朝日賞に推しうるものと思っている。伊原さんからは大著を戴くばかり。感謝。

☆ こんばんは、 「琳」です。
記念すべき百巻、頂戴致しました。
ありがとうございます。
おめでとうございます、と言うよりも私にとっては感謝のありがとうございます、です。
この素晴しい同じ時間を共有する事が出来た事に、ひたすら感謝です。
おじい様から大きな勇気を頂戴しています。
おばあ様の陰の大きな力を強く感じます。
すてきです!!!
すてきなご夫妻です。
私の理想です。
昨日は七夕様でした。
今頃天の川を超えて、やす香のもとにも百巻が届いている事でしょう。
ささのはさ~らさら~・・・二番が思い出せません。
今度教えて下さい。
不愉快な気候が続きますが、どうぞお身体ご自愛下さいませ。

* 五色の短冊 わたしが書いた
お星様きらきら 空から見てる だったかな

* 七月九日 木

* 多年湖の本を支えて頂いた浅井敏郎さんが、九十にも間近くして文集『菊を作る人 私の文章修行』を出版された。巻末に、平成二十年三月に亡くなった夫人の俳句集を二百句ほど付されていた。御夫妻淳良の思い出がこめられており感銘を受け、浅井さんにお許しを得て五十五句を選ばせて頂いた。わたしが題して『菊師』とし、「e-文藝館=湖(umi)」に招待する。いま、浅井さんに夫人の生年など問い合わせている。
浅井さん自身の文章修行も立派で、この方はご自身に何編かを自選して欲しいと頼んである。
『菊師』を選し、最後に通して読みかえすうちに何度となく目頭を熱くした。先日は俳人奥田杏牛さんの亡き夫人の遺句集『さくら』を「e-文藝館=湖 (umi)」に戴いた。あの時も何度も胸をつまらせた。

* 今夏も、高麗屋がお見立ての浴衣地を頂戴した。感謝。金太郎クン初舞台も恙なく終え、よかった。幸四郎、染五郎連名のご挨拶があった。

* 岩波文庫の『ゲーテとの対話』上巻、『法華経』中巻を読了。「対話」の方は、ついに頁ごとにバラバラにほぐれてしまった。昭和二十六年九月三十日の第八刷で、その頃、高校一年生。
ゲーテの大きな姿勢は「平衡」。ブレない「高貴」と「知性」。つねに自足して称讃と非難とに無関心でいられる人。「一事を確実に処理できる人は、他のさまざまなことができるものだ」ともエッケルマンとの出逢いの頃に話している。事実ゲーテがそういう人であったことは多くの事実が示している。
ひとつだけ。ゲーテは多大の実験と自負とで「色彩」「光」について研究し、当時ニュートンの説と対抗していたが、これだけはどうもその後の歴史はゲーテに分のないことを証してきた。わたしには分からないが。もっと知りたい。

* 昨日の辰巳での雨と風に、ひごろも喘息気味の咳込みが増している。わたしの咳込みはしつこくて、夜、夜中には近所迷惑なほど、年がら年中。

* 機会の部屋の蒸し暑いこと。背中から真方に冷房すると、いつか咳込み始める。

* この作には、あえて深く触れない。乱歩の名前を知らない読書人は少ない。そして幾らかの先入見を持たれている。この作品は、たぶんその先入主を突き崩すかもしれないと思う。秀作。

■ 押絵と旅する男  江戸川乱歩 招待席 「e-文藝館=湖 (umi)」 小説室
えどがわらんぽ 小説家 1894 – 1965 三重県に生まれる。 海外の推理小説の研究や紹介につとめ、また谷崎潤一郎の推理作「途上」等に刺激されて、我が国にいわゆる「探偵小説」という推理の新ジャンルを確立。『江戸川乱歩推理文庫』は全六十五巻に及ぶ。筆名がエドガー・アラン・ポーに依るように、乱歩の作にはどこか耽美の憂愁がつきまとい、大正から昭和初年の時代の雰囲気をも微妙に写し取っている。 掲載作は、「新青年」昭和四年(1929)六月号初出、探偵物でも推理作でもない文学作品として、乱歩の一名作たるに恥じない代表作である。 (秦 恒平)
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☆ 「秦 恒平・湖の本」第百巻  「新潮」元編集長
誠に有難うございました。満二十三年にわたっての御発行は、自らの編集者生活を振返ってみましても、並外れた御精進と、言い知れぬ感銘を覚えております。(これはむろん奥様の御協力がなければお出来になれなかったろうと、同時に思いますが。)心からお慶び申し上げます。「濯鱗清流 秦恒平の文学作法」 (下)も志賀直哉と谷崎潤一郎との関係の御言及に、冒頭から大いに示唆を得ております。楽しみに通読させていただきます。夏到来も間近となって参りましたが、呉々も御体調に留意され、新たなる御健筆と御多幸をお祈り致してやみません。敬具

☆ 「湖の本エッセイ48」  「群像」元編集長
誠に有り難く拝受 おもしろく拝読しました。志賀と谷崎についての論、梅原猛氏や石原慎太郎批判など大変おもしろく拝見いたしました。近頃、戦後文学が大正文学を越えられなかつたのではないかといふ気がして来て、戦後文藝雑誌の編集に携って来て一体何をして来たんだとふと思ふことがあります。葉書で失礼いたしました。 不一

☆ 今年、いつもより遅れて  ドナルド・キーン
東京の我家に帰ると御本数冊が届いていました。又、本日も一冊落掌しました。ありがとうございました。これからの楽しみにしています。私は相変わらず忙しくやっていますが、元気です。八十七歳になりました!

☆ 「湖の本エッセイ48 濯鱗清流」下巻  歌人
ありがとうございました。「立川流」のところ、興味深く拝読いたしました。性と信仰は切っても切り離せない関係にあるとずっと考えてまいりました。G・バタイユでしたか、「エロティシズムとは死に至るまでの生の恍惚」といっていたことを記憶しております。また喜多流の節世氏とは吉祥寺の飲み屋でよく一緒に飲みました。梅原猛氏の文章、中野重治が『地獄の思想」を読んで、「土俵で四股を踏んでいるような文章」と言っておりました。乱文、乱筆、お許し下さい。草々  七夕

☆ 秦 恒平先生  大学教授
『湖の本』には、いつも教えられます。自分の拙さ、至らなさ、をです。その文学や文学表現への慈しみには、無言のままに、叱咤されているような思いです。その片隅にでも、小文の場が与えられるのであれば、うれしい限りです。作品も、研究も、やはり、読者というしっかりとした存在によって成り立つのだと実感致します。ありがとうございます。

☆ 拝啓  元京都市立美術館長
『湖の本』 いつもお送りいただきありがとうございます。 「濯鱗清流」 の上をようやくあらあら読み終え、お礼を書こうと思っているところへ、 「濯鱗清流」 の下をいただきました。
この二冊のエッセイは折々のさまざまな感想が面白く。まったく私などは知らない分野のものも多いのですが、多少かかわりのある分野では、いかにもと感じることがしばしばです。
たとえば、上の一二六頁 (一九九九・十・ニ七) に見える 「短歌21世紀」 編集後記を引いて、言われていることは、まさしくその通りだと思います。いわゆる短歌の世界だけでなく広い視野から見られている、ことに私は重要な見解だと思います。今度、ある短歌
結社での夏の大会に講演を頼まれているので、その中で、この雑誌の名前、大河原氏の名は伏せてでも引用させていただこうと思ったりしています。短歌史を歌壇だけから見ないで捉える必要性のためです。
私も歌舞伎は大好きで若い頃から、八十歳を過ぎる今までずっと見ていますが、もっぱら関西で見ており、東京での興行は見ていないので、その作品と、役者と、批評を読みながら、想像しています。国立劇場の 「本朝二十四孝」 などはぜひ見たかったですね。進之介への苦言、いかにもと思います。愛之助はもちろん、孝太郎が姫役でなければかなり見られるようになってきた今日、進之介にもう少し成長してほしいと思います。
『細雪』の「雪子」について書かれているのも、いかにもと思います。谷崎が、戦中に「細雪」をひそかに書き上げて、重子さんに贈った時の手紙の、一番にあなたにさしあげなければならない本です。あなたなら思い当たるところがいくらもあるはずです。とあったことを私は思い起こしています。
下はまだほんの拾い読みですが、今書いておかねば、また期を逸してしまいそうですから、書き添えておきます。
河野裕子さんに関するご見解、私もコスモスに所属していた頃の方がよいということをずっと思っていました。ただ、一番最近の歌集は、よかったと思います。この人若い頃の出産とか、最近の病気とか体験派だとつくづく思います。それに『私の会った人々』 という本をおもしろく読みました。NHK歌壇の出演を断られたこと、いかにもと納得しました。私も最初は馬場さんから電話で頼まれ、その後も、付き合いの深い人からの依頼で何度か出ましたが、もう少し、方法があろうかと思います。大体最近のテレビの教育番組が、視聴率とかを気にしてつまらなくなっているように思います。
今井源衛氏の名が何度かでてくるのもなつかしい次第です。私が佐賀大学にいた頃から、何かにつけて親しくさせていただきましたが、著作集を計画されたところで、病気になられ,ついに完成を見ずに逝かれたのは残念です。『大和物語」の評釈は、名著だと思います。
日本古典文学大系を担当されて、当時の岩波の方針に従って書かれ、この大系が途中から研究者向きに楫を切ってきたので、残念だと言われ、「国文学」に書き続けられていましたが、それをこの本で見事に完成されたものでした。ただ、私が『大和物語』を書いた時には間に合わなかったので、私の著作集に入れる時に、部分的にしか参照できませんでした。
喜多流の能をずっと見続けられ、それも馬場あき子さんの縁とのこと。馬場さんから喜多流の能のことを聞いたのも、もうずいぶん昔のことになったなあと思い返しています。
政治の話、共産党は名前を替えて、昔の社会党に代わる党に脱皮すべきだというのも、驚きました。言われてみればその通りだと思います。しかし、おそらくそうはならないでしょう。今回の選挙はこのままで、次に大きく政界が変わる時には、民主党の中でくすぶ
っている旧社会党系の人々と社民党が一つになって、せめて公明党 (この党は困ります)ぐらいの勢力にはなってほしいものだと思います。
エッセイというのは、このように広い視野で、思ったままのことを書いて、しかも読者を飽きさせないものをいうのだとつくづくと思い知らされました。
ほんとうに、ありがとうございました。  平成二十一年七月七日

* みなみな有り難いお便りで。嬉しい。

☆ お祝い   華
遠 様
暑さピークに入りました。 祇園祭も鉾建てが近くなって来ました。
湖の本百巻、と、金婚をお祝い申し上げます。
送られるままに読んで居りましたのも、沢山にたまりました。
また、今までの年月勉強させて頂きました。
体力も続き、此処までよく頑張れました事を、また、良き方にめぐり逢って来られたのを、心から祝しております。
いつか同窓会で、西川絹ちゃん(伊藤さん)とやさしくて良さそうな方で、よかったなあーと、話しておりました。
送って頂いた下巻ゆっくり読んでおります。
暑い中 ご自愛ください。

* 高校茶道部の生徒達。わたしも高校生であったが、指導の先生がなく、創部のその日からずっと点前作法など教えていた。その生徒達の何人もがいまも湖の本を支え続けてくれている。感謝、感謝。

* 引き続き笠間書院編集部から、中世王朝物語全集の最新配本『夜寝覚物語』を頂戴した。これはわたしが源氏物語に次いで、いや並んでと言いたいほど好きな原作「夜の寝覚」の中世の改作物語で、まえまえかからこれも読みたい読みたいと思いつつ手に入らなかった本文で、最新の研究成果とともに本文と脚注等が完備した新本、垂涎もので、嬉しい限り。今度の「湖の本」に盛んに原作の寝覚めへの傾倒を書いていたので、この出来本を超特急で贈っていただいたと見える。こころより感謝、今夜から読み物の中へ加えて完読したい。

* 岡山の有元さんから、アレキサンドリアとピオーネとの熟れて大きな二房ずつをお贈りいただいた。観るから美しく、花も褒めそやすが果物の美しさにはひときわの豊かさが耀いていて、嬉しい。有難う存じます。

* 七月十日 金

* 「名品」という言葉が小説にも使えるなら、今日「e-文藝館=湖(umi)」が推奨するのは、掛け値無しの「名品」である。
ついでだから持説を言うておくが、おおかた創作されたモノは即ち「作」であるが、「作品」の有無はおのずから別の「評価」である。「人」と「人品」とが自ずから別であるように。
この作に、作品と称するに足る「品」があるかどうかを問うのが作品批評であり、作品論。「作」はその手の鑑賞や品評以前の生のママの存在自体を謂うのである。
幸田露伴には人品があり、作の多くは優れて作品に富んでいたが、今日推奨する『幻談』は文字通り「名品」ですとわたしは躊躇なくお奨めする。文豪としての生涯であった。国会が国葬を議したような作家は他になかったが、そういうことから言うのではない。作品の味わいを謂うのである。「文学」の「品」がここに在る。

■ 幻談  幸田露伴 招待席 「e-文藝館 =湖(umi)」 小説室
こうだろはん  小説家  1867.7.23(又は、7.26) – 1947.5.30 江戸下谷三枚橋横町に生まれる。 昭和十二年(1937 )第一回文化勲章 創設帝国藝術院会員。 昭和二十二年の死に際し政府に国葬の議あり。内閣総理大臣以下葬儀に列席。 掲載作は昭和十三年(1938)九月「日本評論」に初出。(秦 恒平)
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☆ 前略  東京大学出版会編集局  英
何気なくひもどいてゆきましたところ、本書のあり方そのものが、あるいは著者の表現をあり方そのものが、現今の出版をめぐる状況、あるいは現今の表現をめぐる状況に対して、強い異和と鋭い批評・批判になっていることに気づきました。
出版と表現にたずさわっている一人の人間として、心の痛みを伴いつつ共感を抱いた次第であります。
秦様の試みには全く遠く及ばぬものではありますが、出版と表現をめぐる状況の浮力に抗う努力を続けていきたいと存じます。
心より御礼申しあげます。
「湖の本」は、文化であり、闘いなんです。
という言葉を肝に銘じつつ、 敬具

* 感謝します。

☆ 拝啓  日本共産党中央委員会学術・文化委員会  恒
創刊以来二十三年、通算百巻とは、驚きを禁じえません。世に売らんかなの商業ベースでの出版があふれるなかで、このような本の刊行を四半世紀近くにわたって継続されることは、なみの努力ではできません。心から敬服するとともにお祝い申し上げます。
まだ拾い読みを出ませんが、『早春』でお書きになった思い出など、自分の同じような体験をなつかしく想起させられました。
なお、日本共産党の党名については、永い視野で歴史の審判を待ちたいとおもいます。 敬具

* 恐れ入ります。

☆ お元気ですか  鳶
7.8
先日「お叱り」と「励まし」をいただいてから、早や半月も過ぎてしまいました。
視力検査のついでに雨の東京を歩いていらっしゃる頃でしょうか?
昨日は七夕でしたが、ほぼ日本全国曇り空で七夕様の出逢いは叶いましたものやら。わ
たしは夕方買い物に出た僅かの時間に雨に降られて、他所の家のガレージで少し雨宿り
したのですが、再び濡れ鳶になりました。哀しい七夕でした。
年齢ということもありますが、少しずつ姑の体調に問題も生じており、今週末も出かけます。お盆の供養も兼ねてです。
7.10
街歩きを楽しまれた様子、美味しいものにたどり着けたのはよかったです。街歩きでも旅でも、美味しいものに出会えないと、本当に味気ないですから!
今日は用事で出かけたいのですが、前線の通過で強い雨が降っています。それにバスが午あたりまでありません。
そちらは都議会選挙。日本も問題山積、この政治屋世間の混迷にはまったくうんざりします。
ウルムチの暴動にも大いに関心があります。二十年前のウルムチ、数年前のウルムチ、二回訪れましたが、いずれも深い印象があり、問題の在り処も実感しました。
このメール、テレビの『ビザンチン帝国 3』というのを聞きながら書いています。春に訪れたギリシアのミストラが出てきて大感激です。

* 妻は歯医者に行き、わたしは留守番をして生協からの配達を受け取ったり、冷凍庫にしまったりしていた。まだ、少しずつ寄贈の送り出しをしたり、上巻入金者への下巻発送などを続けている。

* 読者である浅井敏郎さんの夫人豊子さんの遺句集から五十余句を選んで、「e-文藝館=湖(umi)」に招待した。三百ほどの中から夫君が二百ほど採ってご自身の文集に収めておられた中から、さらに厳選し「菊師」と題した。

* 七月十一日 土

☆ 「湖の本」第九十九、百両巻の御刊行、  阿川弘之
御恵与に対し、読んで御祝と御礼を申し上げます。
私にとつては師にあたる志賀直哉に関する御言及が多々あるのを、いづれも興味深く拝見してをります。
ありがたうございました。  不一

* じつはお目に掛かったことがない、が、昔から懐かしい人に思ってきた。一つには、貧しい日々の中で講談社版の日本文学全集を一冊また一冊と買い溜めてゆきながら文学への思いを涵養された、そのいわば最終巻には、当時新進気鋭の作家を数十人えらんだ巻が配本され、その巻頭に阿川弘之『年年歳歳』とあったのへ、とびつくようにして読んだ嬉しさが心身から抜けないのである。いい作品だなあと嬉しく感嘆し、感嘆を忘れることがなかった。
阿川さんが志賀直哉の最も若いお弟子さんであることも知り、のちのちに瀧井孝作先生とのご縁など出来てからはよけい遠縁とはいえ親類のような親しみをいつももっていた。御本を頂いたこともあり、「e-文藝館=湖(umi)」や「ペン電子文藝館」のためにお願いしたときも、「秦さんのすることだからおまかせしますよ」と許しても頂いた。
ご健勝を祈ります。

■  年年歳歳  阿川弘之  招待席 「e-文藝館=湖 (umi)」 小説室
あがわ ひろゆき 小説家 1920.12.24 広島市に生まれる。日本藝術院会員。昭和二十七年(1952)最初の長編『春の城』により讀賣文学賞。掲載作は、「世界」昭和二十一年(1946)九月号初出の文壇処女作で、原爆被害の生地広島へ復員帰還した作者の、美しいまで初々しい筆致に、生きる喜びが自然にあふれている。当時の作者に反戦や反核を訴える気負いはたとえ無かったにせよ、歳月を隔てて読み返す読者の深い共感に、自ずと戦争や核爆弾へ辛い思いの添うのは抑えがたい。掲載をお任せ頂いたご好意に感謝します。  (秦 恒平)
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* 作家の津村節子さん、島尾伸三さん、僧の黄色瑞華さん、元岩波書店の高本邦彦さんから有り難いお手紙を頂戴した。

* いま手もとに、立教大学(名誉教授)平山城児さんに戴いた論文の抜き刷りがある。「国文学踏査」第二十一号、論題は『万葉調短歌と鴎外の「うた日記」』で、今年の三月刊。
鴎外の「うた日記」は知る人はよく知っていて有名だが、明治四十年九月春陽堂から出版された。日露戦争に従軍の時、勤務のヒマに束の間浮かんだ俳句や短歌や新体詩をメモして日記風に書き留めた。
わたしが平山さんの論文に強い感銘と共感を得たのは、直接鴎外の「うた日記」にではない、強いて謂えば平山さんが強調しておられるように、鴎外は日記の作をなしつづけながら、ついに片鱗も戦争讃美や戦意高揚をこととしていなかった真実に目をとめる。
是に対比して、平山さんは、近代の大作家、大詩人、大歌人達の何人もが「万葉調の字句言句を駆使し、どんなにトクトクと戦意高揚、戦争讃美の作をなしていたかの実例を苦々しく拾っておられる。
一例をあげておく、斎藤茂吉は、「何なれや心おごれる老大の耄碌国を撃ちてしやまむ」の類を戦時無数に歌っていた。『赤光』や『朝の蛍』で短歌開眼をさそってくれた敬愛する茂吉である、わたしは堅く眼をつむってこれらを茂吉の戦争短歌たちを無視してきた。
平山さんが近代現代で名前を挙げておられるのは、歌人の浅利良道、川田淳、佐佐木信綱、小説家の佐藤春夫も「皇国紀元二千六百年の賦」以降、「特別攻撃隊の頌」以下続々愛国讃歌を公表していた。
ついで平山さんは、詩人高村光太郎の名をあげ、具体的な作も挙げている。但しこう加えられている、「戦後、光太郎はみずからの戦争詩を悔いて、東北花巻の山林の中で七年間も隠栖した。そのことがせめてもの救いである」と。
その通りなのである、「せめても」それを「救い」と感じ、加えて「近代的自我意識を追求した、あの『道程』を書き、妻の死後、絶唱とまで慕われる『智恵子抄』を書いた高村光太郎であったがゆえに、わたしたちは、光太郎の「悔い」をあだかも「我々自身の悔い」としても受け容れ、いわばともに「戦争という魔」を憎んだのである。

* 「ペン電子文藝館」(阿刀田高館長、大原雄委員長)は、だが、こともあろうに「招待席」に掲載する『高村光太郎作品・抄』において、文字通り光太郎を戦争讃美・戦意高揚の詩人であると烙印を押したに異ならない、露骨な作品選で貧寒とした「抄」を強行公開してしまい、わたしがどう抗議しても改めようとしない。考えられない非情の強行としか云いようがない。

* 平山論文は詳細な議論であるが、一つの明快な結論は、鴎外は従軍の『うた日記』のなかで、巧みに万葉調の言辞・字句を駆使しながらも、ただ一作といえども戦争讃美や戦意高揚の作は為していないことへの称賛である。

* 新刊の「三田文学」夏季号に大久保房男さんが、「言論の自由について 戦前の文士と戦後の文士 2」を書かれていて昨夜全編音読、妻と大いに聴き、また大いに快笑した。
「文士とはいついかなる場合においても、言いたいことの言える立場に身を置こうとする人たちのことだとわかって来た」のが、大久保さんが「終戦から一年半」で「編集者になって(から)五、六年たった頃」だと、冒頭にある。
氏は戦前から仕事をしてきた文士たちともっぱら付き合われ、おいおいに「戦後の文士」たちとも応接された。
わたしは実は大久保さんとは不幸にして一度も仕事でふれ合えなかったが、いろいろお話をうかがうようになってからももう久しい。ことに此の上の「文士の定義」は、まさしく私自身がほぼ作家生涯の全部をかけて望んで遂げてきた「立場」そのままなのに大いに頷くのである。
いま「濯鱗清流」二冊を手にして多少でも読んで頂いた方は、それを納得して下さるだろう。

* だが、大久保さんは戦前戦後の作家を通じてそうだとは言われていない。それどころか戦後の作家達は「そうではない」と断言されているに近いのであり、わたしの見た限りでも、紳士のような戦後作家達は、むしろ大久保さんのいわゆる「言いたいこと言い」は非紳士的な非常識の所業であるぞと、言わず語らず振る舞っている人が断然多い。

* 降りそうになかったので、暫くぶりに自転車で、二時間半、走って来た。いつもの道が工事で迂回を強いられ、そのはずみで足任せにかつて見知らぬ道をズンズン走っているうちに、練馬区の高松六丁目にまで来ていた。高松といえば妻の親友の家がたしかある方面であり、光が丘団地にももう近いらしく、どうしてこんな所へ迄来たのか分からなかった。
谷原へ出て、そのまま下石神井などの住宅地をかけまわって新青梅街道に出たので、これを西へ西へ田無まで走り、田無からひばりヶ丘へ北行して馴染みのビストロに新刊の湖の本上下を置いて、家に戻った。
絶えず痛む腰なのに、自転車を走らせている間はいつも全く痛まない。

* 明日は都議選。よい結果を掴みとりたい。

* 七月十一日 つづき

* こんな交信をしていたらしい。

☆ 天の川  琳さん  7月のばあば
天の川を 越えてやす香のケイタイに 文月の文を書きおくらばや 湖
たちまち胸がぎゅ!!となり・・・
秦(=おじいやん)はさらさらと 苦もなくこう歌に出来・・
それはとても羨ましい。 嫉妬にちかい気持ちです。

 

平成十七年一月二十二日 新宿小田急で買い物

☆ 胸ギュ!!!  琳
こんばんは。
天の川を 越ゑてやす香のケイタイに 文月の文を書きおくらばや
私もおばあ様と同じ、胸ギュ!!!です。
おじい様の歌はやす香へのラブレターみたいです。
おじい様は溢れる想いを言葉に託す達人です。
今回は私たち、分が悪いです。
想いを言葉で表すのがもどかしい時でも、おばあ様には優しい涙があります。
天の川を伝っておばあ様の優しい涙はやす香に届いています。
天の川は、いっぱいの涙で出来ているのかもしれません。
やす香には流れてくるおばあ様の優しい涙が直ぐに分かることでしょう。
きっとあの白く長い指でおばあ様の涙の雫を上手にすくい取り、頬寄せているのかもしれません。
悲しいのではなく、おばあ様の涙で温かさに包まれているのだと思います。
だって、やす香はおじい様とおばあ様に愛された、温かい想い出を持っているから。
やす香がおじい様おばあ様を訪ね、本当に幸せだったこと、私はちゃんと知っていますから。
おじい様おばあ様が私をご存じない頃から、私は知っていました。
やす香を愛で包んでくれる、優しいおじい様おばあ様の存在を。
今年も七月が来ましたね。
明るい笑顔のやす香を思い出します。

* ありがとう。

* 上の写真の日は、四年前、やす香の不幸な発病よりちょうど一年前、平成十七年一月だった、下北沢で、秦建日子の作・演出の芝居を三人で観た。やす香と一緒というのがどんなに嬉しくていそいそ出かけたことか、しかし、どんなにどんなに嬉しくても、買い物などが楽しくても、日記には「若い友達と」としか書けなかった。嬉しさのあまりを書けばやす香の親に知れてしまう。やす香は全てを自分の胸一つに畳んで祖父母との親愛を敢然と復旧していた。
可愛い孫にものを買ってやることも出来て祖父母は嬉しく、やす香も喜色満面、照れ照れになりながら、おっそろしく短いスカートなどを選んで「まみい」に買って貰っていた。雀躍(こおど)りしての喜びようだったのが、悲しくもまた思い出される。

* ああ、そして三年前の今日は、何という悲しい日であったことか。『かくのごとき、死』の七月十一日の日録は、かくも厳しかった。

* 平成十八年七月十一日 つづき

* やす香の状態が、よくない。「mixi」に、やす香が、やす香らしからぬ筆致・文体で永々と書いて告げている。一日も早いうちに逢いたいと「みなさん」に訴えている。
北里大学病院は治療を放棄したのか。親たちから、事情はわたしたちに何一つ伝わってこない。何も来ない。六月六日「mixi」のやす香は、こんなに無残であったのに。

2006年6月6日13:19  ◎筋肉◎
って使わないと衰える!!

パパもママもおうちにいなくって、
明日先生のお通夜に
這ってでも行くために

リハビリだ!!!

って凄んで
家の一階に
オレンジジュースとりに行ったの。

大丈夫だから、
大丈夫だから…
ちゃんと頭に血を送れぇ

って自己暗示と共に(笑)

ばぁちゃんみたいに腰曲げて
見るも無惨なかっこで
10日ぶりくらいに食卓に降り立ち、
オレンジジュース入れて

よし、上り頑張れ自分!

って2、3歩のぼってあらびっくり(◎o◯;)
足に力入りませんΣ( ´・ω・屮)屮
手摺りないとフラフラしちゃう。

こりゃホントにリハビリせねば
って思ったね( ^‐ ^;

んで、
手摺りにしがみつきつつ部屋に戻ってきて、
ジュースおいて、
ベットに安らぎを求めようと
ヘナヘナ座り込んだ瞬間、

ガタン…。

えっ(i―! ゚覆 ゚i―!)

恐る恐る振り返りました。

そーですとも。
汗と涙の努力の結晶を
ものの見事にひっくり返しました。

滴り落ちるジュース…。
まさかそのままにしておくわけにもいかず、
雑巾とりに下に降りる体力もないので、
木の神様にごめんなさいと謝りつつ
大量のティッシュで後始末。

あぁ意外と動けるじゃん自分…_| ̄|●

と思いつつ↑の退勢で床を拭いてたわけです。

よし、
この大量のティッシュを一度ゴミ箱へ…

と思い起き上がろうとした瞬間、

うっiI――Ii( `◎ω◎ ´;)iI――Ii

こっ腰が……_| ̄|●))

なんとまぁ
全然伸びないじゃないですか。
真っ直ぐ立てないんですよ。
腰が曲がってしまった
おばあちゃんの気持ちが

よぉぉぉぉぉぉくわかりました。

みんなちゃんと運動しようね(o `艸 ´o)

* 7月11日19:04   みんなへ  やす香
母が私の「肉腫」という癌について、専門の場所の専門の先生と面会をしました。残念ながら私の癌は「骨」と「肉」の癌で治ることは絶対に有り得ないそうです。
厳しい治療で得られるほんのわずかな時。あるいは治療はせず、痛みや苦しみを緩和しながら暮らす日々。そのどちらかが私に残されたわずかな選択肢だそうです。
余命は誰にもわかりません。
みんなにお願いがあります。病院に来て下さい。mixiを知らない私の友達にも伝えてほしい。みんなに会いたいと。
20才の誕生日を迎えられるかわからない。もしかしたらしばらく生きてられるかもしれない。全然わからない。だからみんなに会いたい。さよならを言うわけでもなく、哀れんでほしいわけじゃない。ただこの遠い辺鄙なところにある私の病室がみんなの笑いの場所になってほしい。その中で生きることが一番私らしい生き方だと思うから。本当に遠いだろうけど、みんなに会いたいです。
すごくすごく重い話だけど、これは嘘でも冗談でもないんです。
ただ生きたいとわめいていても、事実はかわらないんだと…みんなにもわかってほしい。
今日を、明日を生きる。  やす香

* 五臓六腑が動転する。
同時に、いま、やす香の「名」で、これだけの長文をこう書かせている苦い悲しみを想う。これもそう、「白血病」「肉腫」を「告知」した取り澄まして簡潔な行割りの文も、むしろ母親夕日子の筆致にはるかに近いのを、夕日子の文章を多く読んできたわたしは「感じる」。

* 折から堀上謙さんの電話。お宅へのお誘いは受けなかったが、話は聴いてもらった。
「あきらめて投げ出してはいけない、最期の最後まであきらめないで、わらの一すべでも摑まなくては」と。もはや「緩和ケア」に入るというのは、あまりに諦めが早くはないか、と。
わたしもそう願い、建日子を通して伝えたが。母親は完黙して答えない。

* 建日子に。(建日子宛の夕日子のメールが母親に転送されてきたのは、)母さんから、内容を聞きます。
今が大変な非常事態であることは、初めから十分分かっていたし、容易ならざる事態とわたしは分かっていました。診断が遅れていることで、その不安は増大していました。
やす香の「命を守る」ということは、言葉は平凡でも「万全を尽くす」「手を尽くす」ということであり、北里大学病院に拘泥せず、一級の専門医を懇請して懇切に往診を頼むなり、国立ガンセンターなどの緊急の再診を、いわゆるセカンド・オピニヨン、サード・オピニヨンを、せめて「データ的」にも求めるべきではないですか。
そういうことに一家を挙げ奔命・奔走しなくてはならぬ時に、それをしているのか分らない。万一していないなら、「今すぐしなさい」と夕日子に伝えて下さい、これ以上の手遅れにならぬうちに。
病院の言いなりに流される必要はない、むしゃぶりついてでも最善を計って貰えと奨めます。
いまは、父親も母親も、★★家の親族も、挙げて、やす香の救命のために最善をつくす時、それが、真っ先です。
医学書院時代の昔のわたしなら、医学的なツテが求められたかも知れないのにと、残念です。 父

* こんな日記を書かずにおれなかったわたしも妻も、絶望に落ち込むまいと必死だった。だがまた手の打ちようもないほど「隔て」られていた。
しかも、これら日記記事が、やす香両親への「名誉毀損」であると、現にわが婿や娘に訴えられ、千数百万もの莫大な損害賠償金を請求されている。どこが名誉毀損なのか理解に苦しむと、わたしも妻も、この三年疲労困憊の中で堪えてきた。いま裁判所も、更に重ねてなにが具体的にどう名誉毀損なのかと原告に対し全面的に問い直してくれている。おかげで、この暑い夏をわたしたちは、心持ち解放されている、有り難い、とても。

* 金婚の百巻のと、わたしは浮かれているのではない。やす香の死からも、無道な婿や娘の裁判沙汰からも、老いた両親は、いろんな事をしてでも懸命に気分のバランスをはからねば転倒してしまう。渾身の力でただ堪えているのである。
* 七月十二日 日

☆ 「百巻」お目出とうごさいます。  高史明
そして有難うございます、言葉に表わせない偉業と思いつつ。
心からの感謝とおよろこびの言を申し上げます。

* コ・サミョンさんには、夫人もともどもに、湖の本創刊このかたずうっと筆紙につくせぬ応援を戴いてきた。どんなに励まされ助けられてきたことか。有難うございました。

* わたしは、駄作であっても西洋の「歴史」映画は努めて観るようにしているが、それ以上に、反戦ないし戦争を批評的に描いた映画は必ず機会を逃さぬようにしている。それが努めであるかのように大事に観る。
似た感覚で、日本文学の反戦・反権力の作品を、いつも機会あれば心して読んでいる。それらの優れた作品に打たれるのを、つらい、くるしい、かなしい作であっても進んで受け容れている。荷風や鏡花や潤一郎を喜ぶのと変わりなく、だから例えば今日推奨する黒島傳治の小説なども、きっちり読む。読んで、良かったと印象に刻む。こういう作品に触れうることを「文学」のために喜ぶのである。

■ 渦巻ける鴉の群  黒島傳治 招待席 「e-文藝館=湖 (umi)」 小説室
くろしま でんじ 小説家 1898.12.12 – 1943.10.17 香川県小豆郡に生まれる。初期プロレタリア文学の最も才能豊かな新人の一人から、長編「武装せる市街」等でスケールの大きい反戦文学作家として藝術的に精彩を放った。昭和八年(1933)のシベリア出兵で病み、筆を断って郷里小豆島に帰り死去。 掲載作は、昭和三年(1928)二月「改造」に初出の黒島反戦代表作の優れた一つ。(秦 恒平)
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☆  ご著書御礼  麗 札幌
秦様 暑中お見舞い申し上げます。メールでの返信をお許し下さい。
ご著書,まことに有難うございました。厚く御礼申し上げます。
(下巻跋での)「怨み」についての部分を興味深く読ませていただきました。以前の,秦様とのやり取り(その節は有難うございました)を経て以来,この感情に対し,いささか異なる見方をするようになってきました。
この感情に対して,中国や韓国など,他のアジア人は,我々よりポジティブに捉えている印象を受けます。「中国人は日本に怨みを持っています」などと面と向かって言われた時は驚きましたが,彼らはその思いを持ち続け,自らの活力に昇華して行動しています。時として,反日行動になることもありますが。
翻って,日本人はどうでしょうか。
何かに対して悪感情を持ち続けるのは,実は結構しんどいことです。「許す」という美徳は,実は,このしんどさに耐えきれなくなった自分との「妥協」なのかもしれません。日本人は,この妥協に流されやすいのかな,とも思われます。しかし,「許す」気持ちも,永劫に続く保証はないのです。加えて,妥協した自分自身を許せない,という新たな葛藤も起こってきます。日本人は,「許さない」を敵視しすぎてきたようにも思われます。その思想の背景まではわかりませんが。
今,幾人かの顔が浮かんでもきました。やはり,許せないものは許せない,のです。
その事実を受け入れ,関係ない人には,できるだけ不快・迷惑を与えないように,前向きに思考・行動するしかない。
このようなことを思いつつ,読ませていただきました。
続きも楽しみに読ませていただきます。
会う人ごとに秦様のサイトを薦めていますが,なかなか目当てのページに行き着けないとか,パソコンの画面で読む文章に違和感
を覚えるとか,高齢者を中心に言われることがあります。そんな方々に薦めてみようと思います。この巻を読めば,パソコンに向かう意欲もまた湧いてくるでしょう。
そちらは梅雨明け間近の蒸し暑さのただ中かと存じます。こちらは夏日だったかと思うとその翌日は最高気温でも20度以下などと,落ち着かない天候です。ご自愛ください。
最後に重ねて御礼申し上げます。

* この札幌からのお便りを機に、そろそろ『濯鱗清流』上下巻の「跋」文を此処へ書き出しておこうかなとも思いかけている。

* この「私語の刻」第一頁に限ってなら、(それだけで、最新月の日々の「私語」だけは読み出せる。)

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☆ この素晴らしい偉業  京都宇治 隆
本当におめでとうございます。秦さんなればこそと尊敬しております。
秦さんは京都のお人ゆえ京都から京都の事を世界に発信して頂けたらと、変わりなくずうっと願っておりま
す。
何があるわけではありませんが私も京都生まれの京都育ちであり今は宇治に住んでおりますが、終の棲家として一応京都に戻ってきております。
小さな家と倉庫そしてできるだけ好きな事をして暮らしていければ十分です。もう一つ欲を言うならば表現の場所があればよりベターではあるけれども動けるうちは動けばよしです。
色々な事何も知らないに等しい私ですが、京都の空気が一番じぶんには優しいような気がしております。
秦さんの表現なさっている中で、大文字の送り火の事。京ことばの事。広い意味での身内意識。美のこころ。色々な事が常に印象に残っております。
京都の永遠性こそが京都の素晴らしさであると感じます。

ここからはバーチャルの独り言です。

「秦さんが京都に帰ってきはった。帰って来はったで。」
「ほんまや。おかえりやす。秦さんは何にもせんでも京都に帰ってきはっただけでよう似合うてはりますわ。やっぱり根っからの京都のお人どすなあ。」
「何にもせんとおれ言われても無理や。」
「やれる事だけやらはったらよろしいですやん。そんなきばらはらんでも。理屈抜きでよろしいやん。」
「やっと静かに一杯お誘いできそうですね。そやけど僕は酒癖悪いかも。もし悪さしてしもたらえらいこっちゃしな。そやけどやっぱりおいしい一品とおいしいお酒飲みたいなあ。
ほんまはべっぴんさんと飲んだ方がええのやけど。秦さんもそうやろけど。そやけど秦さんとは別や。少年の友情のような、お兄さんのような、広義な身内的なものを感じる故、年と性別は関係無しや。」

そんな日が来るかどうか楽しみです。
それではお元気で、ごむりなさらず頑張ってください。

* 七月十二日 つづき

* 都議会選挙は、予想通り民主党の圧勝で、自公両与党での過半数も危うい。これで麻生総理の解散権も行使不能か。「麻生下ろし」で自民党はすり抜けたいと躍起になるだろう。民主党は、此処は躊躇無く、躊躇してはいけない、すばやく真っ先に「内閣不信任案」を国会に提議すべきである。
参議院では可決確実。衆議院では公明はともかく、自民は不信任決議に賛成は出来まい、与党の建前として。まちがって可決してしまえば、麻生内閣は解散か総辞職の二者択一を強いられる。しかし衆議院で不信任案が否決されれば、自民の「麻生下ろし」は国会決議の手前、出来ない。やれば国会を愚弄したことになる。
せっぱ詰まった野垂れ死に状態に、予想通り、麻生内閣はい込まれてきた。
麻生は去年の組閣直後に解散選挙するのが筋であった。強度の「筋違い」で麻生総理はいま悲鳴をあげている。
言っておく、民主党・野党は間違えてはならない、すばやく、何を措いても不信任案をつきつけること。これを躊躇うととんでもない逆の苦境に落ち込むだろう。民主党は間違えてはいけない。

* 麻生にひきかえ、オバマ米大統領は、よその芝生とはいえ、旗幟鮮明に本筋を間違えず、天晴れサミットでも存在感を見せつけた。
「核兵器の無い世界」は、早急に成らなくても「唱えて当然」の人類の悲願である。これこそは日本の政治家がまっさきに唱えて世界運動の先頭に立たねばウソなのであった。

* わたしの今度の本は、丁度「十年前」のわたしのものの考え、感じ、主張を、率直に各般にわたり語っているが、「核」に関しても、「サイバーテロ」についても、「北朝鮮」についても、「中国」についても、「世襲害」についても、まさに今が今マスコミが語っている通りを、ほぼ的確に「十年も前」にすでに書いたり語ったりしていたのを証している。

* 七月十三日 月

* ついにこの二十一日に衆議院解散、八月三十日選挙と麻生総理発言があった。自民党は昏迷しており、またブレるかも知れぬが言質は獲得した。野党は躊躇無く、不信任・問責の決議案を衆参両院に提出したので最優先議題となる。自民は粛々と否決すると言っており、それ即ち麻生内閣信任の意味になるから、麻生下ろしは矛盾してくる。自民党は自ら首かせを負うことになる。決議に造反が出るかどうか、選挙前ではそれも出まい。国会が機能しない四十日が続く、無事であればよいが。

* 一頃は今にも憲法改正に手をつけん勢いだったが、党利党略に夢中で、昨今は与党からも憲法いじりの声が出ないでいる。そんなときに、落ち着いてもう一度も二度も日本国憲法を読んでみては。

* わたしたちのいわゆる新憲法は、公布後、一度も改訂されていない。だから、公布された直後に「日本国の文部省」が学校向けに配布した『あたらしい憲法のはなし』は、国家としての公の理解を正式に表明した「史料」として、今日も「有効」であるはず。
その文書を「e-文藝館=湖(umi)」は取り上げているので、推奨したい。じつに平易に率直に、落ちなく書かれている。今も、この先も、この通りでありたいと願われる。憲法の条文もきちんと挙げてあるから、どうか、ダウンロードして自身の持ち物・読み物として繰り返し御覧願いたい。

■  あたらしい憲法のはなし ・附・日本國憲法 文部省・著作兼発行
昭和二十二年(1947)八月二日 史料 「e-文藝館=湖(umi)」
掲載史料は、日本國憲法が、昭和二十二年(1947)五月三日に施行された同年八月二日付け、著作兼発行者「文部省」名義で公にした、日本國政府による公式の「新憲法」認識ないし解説であって、学校生徒児童を主対象に広く配布されている。奥付には同日付け「文部省検査済」と極めが打ってある。(この本は浅井清その他の人々の尽力でできました。)と奥付に付記してあるが、新憲法発布にともなう「憲法尊重」のもっとも純真な理解を、明瞭に確認した、公式の文部省刊行物であることに相違はない。
以来六十年近く、いかにその後の日本國政府政権が、恣に「憲法」解釈変義や拡大解釈を重ねてきたかを疑い、また多くの機会に不当に軽視・無視・蹂躙を重ねて「遵守義務」に公然背いてきたかをも疑い、あらためて此所に「憲法」条文の総てを併載して、深く思い致したい。
この機会に此の史料、並びに「憲法」そのものの読み直されることを切望する。 (秦 恒平)
http://umi-no-hon.officeblue.jp
(目次のe-literary magazineとある英字の上をクリックして下さい。

* 福田恆存先生夫人、作家の神坂次郎氏、宮尾登美子さん、医学書院の金原優社長の手紙を戴く。

* いま   花
強風です。お元気ですか、風。
今日の花は、首筋の凝りと頭痛で目覚めました。
変な恰好で寝てたのかも知れません。痛い痛い。
吉行について、花は風の意見に賛成ですよ。
誰が読んでも同じことを感じるのではないかと思いますが、意外に、賞賛の声が多いのはどうしてでしょうね。アウトローぶっていたけれど、文壇では政治力があったのかな。
上野千鶴子さんらが『男流文学論』で強く批判していますが、冷静な批評とは言いがたい語り口だったのが、満足できないところでした。
昨夜は、都議選の、野党の勝利を胸のすく思いで見ていました。それにしても、公明党は確実に議席を確保しますね。ウーム。
いよいよ夏めいてきて、花はパソコン部屋に冷房を効かせて過ごすのが日課になるでしょう。
ではでは。

☆ 落ち着きましたか  泉
都議選は予想どおりでした。
例年、祇園祭の山鉾巡行の頃は、梅雨が空けるのか、末期症状ギリギリの天候の日が多いのですが、関東地方の梅雨明け宣言はまだないけれど、わたくし気象台は希望的観測で、勝手に明け宣言をしました。
六月ごろに初めて、一挙両得のゴーヤのグリーンカーテンに挑戦しています。もう二階の手すりまで届き、その後何処へ絡もうかと思案中の様子。大きくなった実はまだ一コだけ。、さて御近所さんに配る程収穫出来るかな。肥料食いで、雄花にだけしか実が付かないとか。
今日はのんびりと、フジ子・ヘミングのショパンやリストを聴いて胸を詰まらせています。

* 今日でやや落ち着きました、やっと。これからは、「作業」でなく「仕事」の日々にして行きたい。

* 九月、昼に「時今也桔梗旗揚」、夜に「勧進帳」のある歌舞伎座の案内が来た。高麗屋、播磨屋がこの月も真っ向の競演で、楽しみ。

* 七月十四日 火

* 大事なは腹をくくって、都議選に発揮した民意をグズつかせず衆議院選挙にも確実に持ち込むこと。八月三十日を遠い先のことと思わず、「今日」という「いま、ここ」をしっかり積み重ねて行くこと。
忘れまい、自民党政治の腐れ水をもうこれ以上飲むのは「イヤ」と。

* 鶴彬(つる・あきら)の名をご存じだろうか、記憶されているだろうか。今日は、この「無類の批評家」の声に聴こうと思う。

■ 鶴 彬 川柳選  招待席 「e-文藝館=湖(umi)」 詞華集
つるあきら 川柳作家 1909.1.1-1938.9.14 石川県生まれ。高等小学校卒業後勤めた機屋の倒産により大阪に出る。プロレタリア川柳論争に出会い、共鳴。故里に帰り全日本無産者藝術連盟(ナップ)支部を結成するが、間もなくプロレタリア川柳会員として検挙される。昭和五年、金沢第七連隊に入営するも赤化事件で軍法会議にかけられ収監、拷問を受ける。刑期一年八ヶ月、二等兵のまま除隊するが常に警察の圧迫を受ける。掲載最終五句は「川柳人」(昭和十二年十一月 二八一号)に掲載された最後の作品だが、掲載と同時に密告告発により治安維持法違反に問われ留置。不潔不衛生で有名な留置場で、赤痢にかかり移送先の病院で死亡(官憲の手により赤痢菌を盛られたという説もある)。二十九歳。ベッドに手錠で括りつけられていたという。「川柳人」を主宰し鶴彬の理解者だった井上信子も同時に検挙されたが高齢のため不拘束となった。掲載作は「鶴彬川柳選」と題し、『鶴彬全集』(たいまつ社 昭和五十二年九月)より抄録。 (秦 恒平)
http://umi-no-hon.officeblue.jp
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* 川柳の本義をいちばん生かした抵抗の詩人であった。

* もう京では、御輿洗いも済み、祇園会に入っている。関東は梅雨明けしたのだろうか。晴れやかに戸外は朝から明るい。

☆ 「湖の本」第百巻  東京経済大学名誉教授
拝読しました。隅から隅まで読み、随処で共感、感銘致しました。
ありがとうございました。「私語」といわれながら、鋭い時代批判や文学批評もあり、たくさん教えられました。梅原猛のことも適確に批判されており、その通りだと思います。(後略) まずはお礼まで。

☆ 梅雨の合間の青空です。 元出版部長
『湖の本』「濯鱗清流」篇を有難うございました。通算百巻、おめでとうございます。
「文学作法」は、元編集者としても、胸に沁みはいること多く、殊に、編集者の中に、(文学)信用回復への気魄や理想が見えず、希望が持ちにくいという二千年四月での御指摘が、今も通用するばかりか、更にひどくなる風に見えるのは、残念至極。中村光夫、伊藤整、平野謙、山本健吉、瀬沼茂樹(名を誌すだけで、懐しく畏敬の念起こりますが)諸氏の節度と藝への共嘆を持つのは、年のせいだけでしょうか。御自愛を。

* 「秦 恒平とは誰か」の問いにわたしはわたしの言葉と思いとで率直に応えたのである。

☆ きょうは   泉
留守居役で、午後、幼稚園帰りの孫を夕刻まで預かる使命を受けています。六歳の誕生日を迎えたばかりのむちゃくちゃやんちゃ坊主、バアバは付いていけないので、図書館から絵本を借りて、静かに過ごせる体制を整えています。
豊洲ララポート内にある小さな浮世絵美術館へわたしは行っています。
娘達と、レインボウブリッジ経由で川向こう(下谷育ち達は川向こう、と少し差別めいた言い方をします)へはよくドライヴします。但し、荷風さんの情緒は度外視です。
両親の十七回忌を終えて、今週末、私が発案し、喪主の義妹も大乗り気で、私達の親族が集合、両国からのチャーター船で二時間のナイトクルージングをします。
勝手に梅雨明け宣言をしたのは、その為、アハハ
その後、三、四日京都の妹が滞在します。
まあ、何となく慌しい日々です。
あなたがたもお健やかで何より。

* そういえば両国橋の本所側の橋畔にそれらしい船着き場があったかなあ。どんな船だろう。柳橋には船宿小松屋があった。あの辺から屋形船を雇って隅田川に出てみたい。むかし、みらくる会でいちどあの辺から船を出したことがある。
久保田淳さんの『隅田川の文学』ほとんど読了。梅若塚の辺へも行ってみたい。
2009 7・14 94

☆ なつかしい文字に   早大名誉教授
驚くとあの湖の本でした。もう百巻にもなるのですね。おめでとうございます。それにしても(某誌の)商才云々とは不思議な見方をする人がいるもの。「御宿かわせみ」の澤口靖子評や太宰の「斜陽」論など興味深く拝読。「男は風邪を引くな」にはまいりました。小生早稲田を定年になり週に一日****大学に通っています。御礼まで。

☆ 拝復  清水書院編集長
「湖の本」通算九九・百巻 賜りました。ありがとうございました。長年の御尽力に敬意を表します。
今後もご壮健に継続されんことを申し上げます。

☆ 冠省  元岩波「世界」編集者
先生にはますます御清祥の段お慶び申し上げます。また御健勝のほどお祈り致します。
『湖の本』エッセイ「濯鱗清流」上・下をお送りくださり恐縮に存じております。「上」の一一九頁に「世界」に『最上徳内・北の時代』を連載していた頃の担当編集者のS君とは小生のことと存じますが、先生の「いちばん顕著になってくる難題は」という言葉に対し「教育」などと生意気な口をたたいていたとは。たぶん安江良介編集長の言葉をそのまま言っていたと思います。酒をご馳走になってありがとうございました。懐しい思い出です。

☆ 今年の梅雨は  ペン会員
晴れ間が多く、いくらかしのぎやすいようです。
過日は、また貴重なご著書を、ありがとうございました。
お盆の季節、お寺さんがいらしたり、孫つきで大勢来たりと賑わしい週末で、お礼が遅れてしまいました。
先生のホームページを拝読するようになったのは「ペン電子文藝館」掲載でお世話になったころで、これは、それ以前の集成なんですね。
HPへのたゆまない書き込みもさることながら、『湖の本』の定期的な刊行、日々の読書量も、とても余人の真似できるところではありません、感服するのみです。
最近のペンの文藝館は、力及ばずか、要約かダイジェストのような作品ばかりです。

* ありがたい清流に鱗を濯いながら仕事をさせてもらってきた。ほとほと感謝に堪えない。
親鸞仏教センターの本多所長ほかお手紙を戴き続けている。
2009 7・15 94

☆ 祇園祭   鳶
自転車で転倒されたとあり心配でした。昨日も自転車で走られたと、少し安心。ただしくれぐれも注意してくださいませ。わたしも自転車で転んで怪我した跡がいくつも残っていますが、とにかく今大怪我したら口惜しいから、慎重に走ります。道が必ずしも良い条件でありませんから、重ねてくれぐれも大事に気をつけてください。
今、山鉾巡行をテレビの中継で見ています。京都に出かけて四条河原町で辻回しを見るのが楽しみですが・・。
鴉が家にいらっしゃればご覧になっているかとも思いましたが、今日は病院にお出かけのよう。

☆ お元気ですか。  花
いやいや、暑くなってきましたよ。北海道に梅雨らしきものがやってきて、本州は梅雨明けが早いとか。いやな兆候ですねえ。
今日は予報どおり、富士山は雨になっています。ちょっと乾いていたから、いいおしめりです。
でも、今日は午後から市へ来ている歌舞伎を観に行くので、足元の悪いのが、ちょっと憂鬱。
先週からつづいている首筋の凝りがモーレツで、これは、寝違えたばかりでなく、パソコンモニタを見すぎの眼精疲労ではないかと思われ、しばらく、パソコンの前に坐る時間を、できるだけ少なくしようと思っています。
急に暑くなり、寝不足も手伝っていたのでしょう。昨日、少し横になって休み、ちょっと快復しました。あとは、だましだまし、なんとかやります。
さてさて、ゲエテの金言、かくある人は、ほんのひとにぎりでしょうね。
そして、かような藝術家を成り立たせるには、高い鑑賞力を持った享受者が存在しなければならず、それもまた、難しいことだと思います。
ではでは、風。

☆ われわれ老人の言ふことをきく人があるか。誰も自分が一番よく知つてゐると考へてゐる。それで多くの人は失敗し、ために多くの人は目のさめるまで迷はねばならぬ。でももう迷つてゐる時ではない。
後から生まれてくる人は──それ以上のことをして貰はねばならぬ。──二度と(ムダに=)迷つたり探つたりしないで、老人の忠言を利用して、真直ぐ正道を行くべきだ。いつかは終局に達するといふやうな歩き方では駄目だ。その一歩一歩が終局であり、一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。 (『ゲェテとの対話』 一八二三・九・十八)

* 「鱗を清流に濯う」きもちで少年の昔からゲエテの言葉に耳を傾け聴いてきた。
また今夜から、新たに志賀直哉からも聴けるとよろこんでいる。
2009 7・17 94

☆ 秦 恒平様  裕 作家
お仕事のことはかねて聞き及んでおりました。御新著二冊、御恵投頂き感激いたしました。実は私、小一年前より(中略)
ただただ、御好意に動かされるまま、御礼のみにて失礼いたします。
秦さんの文学への情熱にあらためて深く敬意を表します。

☆ 追伸  則 画家
グループ展の案内状でお礼を書かせて頂いた後 濯鱗清流読ませて頂いておりましたら、「娼婦というものに興味がわいている」と在りました。私は「春画」というものに興味がわいているのですがだからと云って……気持ちは秦さんと同じでしょうか、チャンスがあればいいなという……。非常に近いものを感じました。 御礼迄。モノを詩ウカ、

☆ それにしても  啓 批評家
通巻100巻というのは、とてつもない偉業です。それに要した時間や資金、そして先生の持続への意志も当然のことながら、それだけの作品を書かれていたという事実は並み大抵のことではない。先生のことですから、一つの通過点にすぎないとお考えになって、さらに続行されるかとぞんじますが、心から敬意をこめてお祝い申しあげます。
ぼくも目標をしっかり定めて、もう一度、以前のように生活の気概を取り戻したいと思っています。
2009 7・19 94

☆ hatakさん  maokat
昨日まで大荒れの天気が続きました。北海道の夏山、というか自然の恐ろしさは今回の(=報道が告げる)遭難に限ったことではありません。「自然の懐に抱かれて」と油断していると、沖縄の海も北海道の山も牙をむいてきます。自然はやはり恐ろしいものです。
先週は、知床半島の根元、美幌、斜里に行っておりました。大きなでん粉工場があり、たくさんのジャガイモ農家がいます。畑を見て、私の仕事の最終出口はここなのだと思いましたが、研究室と畑の間はやはり遠く、自分が本当に現場に役に立つ仕事をしているのか、正直自信がありませんでした。
一枚目の写真は、今私が取り組んでいるウイルスの病徴です。土の中に潜むやっかいなウイルスで、一度汚染されると土の中で十年以上じっと生きつづけています。北欧のような常発地になってしまう前に、食い止めようと、四年前から取り組んでいるのですが、被害がまだ顕在化していない現在の段階では、行政も農家も、問題を直視してくれません。問題を先送りするということは、蔓延を放置しているだけなのですが。
留守中に、湖の本通算百巻目が届いておりました。十五年ほど前に、石垣島で、蔵書が日に焼けるのを防ぐ目的で、籐の本棚をつくりました。一番上の段に湖の本が一杯に並ぶ日などいつになる事やら想像がつきませんでしたが、なんとその日がやってきたばかりか、五巻は並びきれずに上に積んでおります。日焼けもせずに美しく。今後も続きますことを楽しみにしております。
お茶はあいかわらず、研究室で昼夜に自服で飲むだけ。趣向もなく、一座建立もなく、独坐大雄峯でもなし。それでも日々の楽しみとして残っていてくれるのは、ありがたいことです。
夕食を食べ損ねまもなく十時。まだ仕事は片付きませんが、連休最後はせめて家で何か作って食べることにします。自転車旅行の怪我と暑さにくれぐれもご注意下さい。
2009 7・20 94

☆ 湖へ こんばんは。  珠
暑く蒸した日が続くなか、自転車で外出されていたご様子、驚きとともに拝読しました。
私は、ここのところ目の調子がわるく、職場以外でPCに触れる時間を減らしています。昨夜ふと気がつくと、先日お送り頂いた第百巻「湖の本」へのお礼メールが下書きに残っていました。無事に頂戴しながら、ご挨拶を仕舞いこんでしまいお恥ずかしい限りです。
そして今日ですが、私、歌舞伎座へ出かけました。
昼の部ですが、もしや、湖も、お出ましではなかったでしょうか。。。
幕間の休憩最後、廊下ですれ違ったように想え。。お声をかけてみようかと逡巡、、休憩時間残り5分のアナウンスに洗面所の列、遠ざかる後姿に迷って迷って、、というクルシイひと時でした。
その後「海神別荘」を観て、海の底をたゆとふ気分に。。
人間のご挨拶の、何となし場には似合わぬように感じてきて、お姿を探さずに帰りました。
いらっしゃいましたか? それとも異界の夢見でしょうか。。
海老蔵の公子、前回よりぐっとよくなったようでした。前回は異界の皇子として語る科白に、どこか人間の臭いがしていましたが、今日はぐっと、異界の清んだ気配を感じました。
「此処は極楽でございますか?」
「そんな処と一所にされて堪るものか。
おい、女のゆく極楽に男は居らんぞ。
男のゆく極楽に女は居ない。」
鏡花の想ふ極楽、その時代の、極楽って、、
海の底を漂う気分でおもう帰り道でした。
足のお怪我ですが、お膝が痛むようであれば一度整形外科で診てもらって下さい。膝は、打撲でも関節内に出血したりします。動く部位だけに、傷の治りは悪いですし、発赤も関節炎などのせいかもしれません。膝は大事にするにこしたことはなく。早めに、ぜひ。
今週の雨模様が、足の安静を保つ時間になりますように。くれぐれも、お大事に。湖。気をつけて。
2009 7・21 94

* 渡辺通枝様
お変わりなくお元気でおいでと想います。梅雨も上がり、きびしい暑さの日々がつづき、選挙戦などで世の中も騒がしくなりましょう。お心お静かに日々を過ごされますよう。
何の用事があってのメールでもありません。久々に、あなたの「八十路生きていく」二十編を私の「e-文藝館=湖(umi)」で読み返してみて、懐かしくなりました。「e-文藝館=湖(umi)」には渡辺さんの随筆が六つ編成されていますが、思えば久しいお付き合いです。
たくさんな書き手と触れあってきましたが、あなたの随筆と出逢ったことを、その境地の年ごとに清々しいことを、あらためて本当によかったよかったと思います。その価値は、人の記憶にもいつまでも生きて生き続けるだろうと思いますよ。
ますます、元気に書き継がれますように。また新作など、いつでも遠慮無くお見せ下さい。
私どももまずまず元気に過ごしおります。
お大切に。息子さん達、みなさんのご平安を祈ります。  秦 恒平

* 随筆を書くのがいちばん難しい。作文ではない。知識の披瀝でもない。批評の発露でもない。生きている実感の具象化だろうといえば、つまりは志賀直哉に限りなくちかい感じになる。
渡辺さんはいまや八十六、七歳。わたしはときどき瀧井孝作先生の生を彫るような境涯を、このやさしいおばあさんの筆致に感じることがある。
2009 7・22 94

* 広島の藤田理史君が、うまい焼酎を二種特選して送ってきてくれました、美味いんです、少し味がちがうのを二本とも口を切って、京都の田代誠さんが焼いて送って下さった粋な蕎麦猪口で、クイッ、クイッと味わっています。うまいんだ、これが。ありがとう、理史くん。元気ですか。

* 酒飲みの勝手なリクツなんですが、いま、と言うても一昨日から、炭水化物を断っています。但し酒や焼酎が炭水化物かどうかは判断停止です。さっきから煮豆と奈良漬けを肴に絶品の焼酎を戴いています。感謝感謝。感謝。
2009 7・23 94

☆ 皆既日食 鳶
先のメールをいただいた時、(京都賞に)誰をと迷い、先回のことを思い出しました。あの時、リヒターをわたしは挙げたのですが、それに先立って九月か十月に世界文化賞が彼に受賞されていたのでした。それで京都賞、文化賞についてインターネットで確認したのです。
まあ、そのことは結果的には肩の荷を下せてよかったと言うことに。
怪我の経過について心配しています。少し軽快されたようですが、後は日薬です、焦らず大事に。暑いと言われながらも街歩きや自転車乗り、観劇など、鴉は元気だなあと、鳶は感心もしております。隅田川散歩、浅草散歩、あるいはおしゃれな場所、どこでも喜んで・・東京にいたら連れて欲しいなあと、つくづく。
夏はどこにも出かけませんが、もしかしたら八月初めに大山か三徳山に登山に行きます。九月に姑の付き添い役で熊本に行く予定ですので、その前後に岡崎へと思っています。
昨日は皆既日食で、東京でも雲の間から日蝕が見られたとか。こちらも同じような状況でした。薄雲なのでサングラス越しでも見られましたし、即席のピンホール・スクリーンで見ることもできました。蝉の鳴き声も観察できました。いくつになってもこういう単純な楽しみは無抵抗無条件な楽しみです。
「自分のことではなかなか果断とはいかない」と評されましたが、確かにそうですね。
いつからでしょう、果断でない鳶など、我ながら情けなく。
目下、本当に静かに逼塞して暮らしています。何にも集中しないで暮らしている、と書きたくないけれども、そのように暮らしています。外に出かけないだけ、自分に問いかけることは多いです。
祇園祭にも出かけなかった鳶ですが、京都市美術館のルーブル展にカルロ・ドルチの二枚の絵が出ているというので是非見たいと思っています。受胎告知する天使と受け入れるマリアの対になった絵です。
真夏はこれから、お体大切に。暑さを乗り切りましょう。

* むかし「ルーブル展」がきたとき、どんなに渇いた気持ちで博物館に飛び込み、買ってきた今から思えば簡素な図録を、どんなに耽読し観入ったことか。
ああいう激情ににた渇望には、それなりの時機と年齢とがある。うまく適合すると爆発する力をもつ。懐かしい。

☆ お元気ですか、風。
花は、濫読をはじめています。
あまり読みつけていない作家を、文学全集で借りてきて。濫読の経験がない、と、指摘されたからです。風の一言は、花にとっても影響するのです。
濫読とは言いましても、これまでいくらか読んできて、問題意識があるにはあるので、まったく見当もなく手あたり次第、というわけではないのですけれど。今のところ、尾崎紅葉、二葉亭四迷、牧野信一、嘉村磯多、北条民雄を読みました。
紅葉の『多情多恨』は、あまりおもしろい小説とは思えませんでした。
嘉村磯多、北条民雄には感心しました。
特に、北条民雄は、『いのちの初夜』以外もいくつか読みましたが、ハンセン病文学というにとどまらない、完成された高次の文学だと思いました。
さっき、知人に桃をいただきました。早速冷蔵しています。ではでは。

* 『多情多恨』は奇態に奇妙な妙な小説で、紅葉の意気込みだけはよく分かるものだが。いまわたしは、里見とんの『多情仏心』を読んでいるけれど、これも奇妙に妙なものである。むかし初めて読んだときわたしは、ま、子供だった。だから背伸びもして面白く読んだが、いま読むとなんだか気取り放題で、あほらしい。
二葉亭四迷は、文学史の貴重な資料になっている、今では。
嘉村礒多は凄い。読める限りは読んでおいていいものだと思う。牧野信一の私小説よりもさらに先へ行っていて、然り、凄い。
北条民雄の『いのちの初夜』を「e-文藝館=湖(umi)」のためにスキャンして校正していたときの凄みを忘れられない。

* 乱読の効果は、その人の年齢と関係するだろうが、一つには「選別していない」ための「価値の相対化」。つまりは鏡花もすばらしいが秋声もすばらしいと「分かる」こと。
わたしは本を選り好みして手にする、読む、ということができなかった。機会さえ有れば立ち読みであれ借りてであれ、誰のであれ彼のであれ、「いま・ここ」で読んでしまわねばミス・チャンスする、そんな出逢い方をして「本」に馴染んだ。谷崎愛や源氏好きにはなったけれど、谷崎に劣らず志賀直哉も尊敬した。三島も読んだが瀧井孝作も読んだ。それであればこそ、「e-文藝館=湖(umi)」も「ペン電子文藝館」も大きく立ち上げられたのである。
文学が好きなのであり、偏愛はしなかった。偏愛を誇っている人の「読み」ぢからを、わたしはあまり信用しないのである。
2009 7・23 94

* 夕食後に、理史くんの焼酎にきもちよく酔って、少し寝た間に、長谷川泉さん(医学書院での上司・編集長。森鴎外等近代文学研究の泰斗。)の夢をみた。
なんでも白砂青松の渚近くで、まるで「海を聴衆」かのように長谷川さんは二、三の人とならんで、撮影や録音のある話をこれからされるらしかつた。わたしは後方のそれもたまたま通りすがりだったが、あそこに長谷川さんがおられると分かると、懐かしさの余りにまだイベントは始まる前の間際と知って駆け寄っていった。
ベンチふうのいすに和服で腰掛け海へ向かわれていた長谷川さんの前に膝をつくように身を低くして顔を見上げた。長谷川さんはちょっと驚かれ、わたしだと認められると、それはそれは、観たこともない嬉しそうな優しい顔をされた。その笑顔の和らいで懐かしかったこと、わたしはほとんど何も云わず、すぐ立ち去ろうとした。長谷川さんはなにか幾言かを小声で話しかけられたのに、よく聴き取れなかった。覚えられなかった。
そのままお別れしてきて、夢覚めた。
2009 7・23 94

* 文藝春秋の寺田さん、電話で、湖の本百巻をしみじみ祝ってくださる。「豊かな文壇史」と何人かの方からも云われたが、こう付き合いの悪いわたしの手で文壇史は可笑しいのだけれど、想像以上に多くの優れた人たちの知己を得、激励を得てきた四十年ではあった。幸せであった。
寺田さんに今の印刷所を紹介してもらえたからこそ「湖の本」は途中挫折を免れたのだった。
涼しくなった九月に夫婦揃って食事に招いて下さるという。恐縮。
2009 7・24 94

☆ お元気ですか、風。
『多情多恨』は、透谷が、「こんな小説がいまだにあるようではダメだ」と書いていたので、花柳小説かと思っていましたが、違いましたね。いずれにしても、妙な小説でした。
嘉村礒多は、一作だけではよくわからない、いわゆる私小説の典型ですが、次々読んでいくと、礒多のことがいろいろわかり、迷惑な人だなあ、と思うのですが、ここまで自分を飾らず書けたのはたいしたものだと感心しました。私小説がリアリズムになりえていると思いました。
嘉村礒多を読もうと思って借りた全集に、北条民雄も収録されてい、読んでみたらおもしろく、どれも『いのちの初夜』以上に立派な小説なので驚嘆しました。二十四歳という若さで亡くなっていますが、しっかりした小説を遺していますね。
今度は葛西善三を読もうと思って借りた全集に、宇野浩二が入っていて、以前に読んだものですが、再読をはじめたら何だかどんどん読んでしまっています。
花も、選り好みはしない、読んでみて、いいか悪いか、です。
音楽も、お芝居も、ダンスも、です。
だんだんよくなれ、風の脚。花は元気です。ではでは。

* 脚は、ちっとも快方という感触ではない。とらわれている間は治るまいと思う。
2009 7・24 94

* 太左衛さんから、今晩の花火不参残念ですと、お見舞いに、浅草の雷おこしと花火をたくさん送ってきて下さった。ありがとう。
明後日はやす香逝去から満三年であり、母親が四十九歳になる日でもある。三年前の二十九日告別の晩には、太左衛さんの招きで浅草の花火を「送り火」に、やす香を天上に見送った。なぜ告別式に出なかったか。そんな気にも成れなかったが、来れば追い出すとも云われていた。
明後日、せまい庭であるが、戴いた花火でやす香をしのび、母親の誕生日を心静かに思おう。
2009 7・25 94

☆ お元気ですか、みづうみ。
以前に、入浴中の読書や危険のつきものの自転車運動は、おやめいただいたほうがよいと申し上げましたが、今も同じことをお願いしたいと思っています。その膝のお怪我を今後大きな事故をおこさない天の警告と受け止めていただけたらよいのですが……。お一人のお身体ではないので、大切になさらなければ。
昨日は父の命日で霊園に行ってきました。今日はやす香さんの眠るお寺の前を通りました。一週間に一度くらいは通るのですよ。いつものことですが、門前で頭を下げて祈り、次には深いため息をついてしまいます。
霊園の帰路、駆け足で竹橋のゴーギャン展を観てきました。感想を一言で書くと、平凡なことですが藝術家にとっての「場所」です。
ゴーギャンの繪はタヒチに行ってからのほうが断然いい。それ以前のものはどこかスカスカしています。藝術家にとって自分の創作の舞台になる「場所」がいかに大切かを思い知らされました。ゴーギャンはすべてをかなぐり棄ててもこの場所、南の島に来る必然があった。自分の場所を見出すことと優れた作品をものにすることはほとんど同義なのでしょう。みづうみの作品に京都という場所が不可欠なように。
そんなことを感じながら、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」を観ました。ゴーギャンの最高傑作といわれる作品が今後日本で観られる機会がそうそうあるとは思えませんでしたから、この一枚のために足を運びました。
たとえばモナリザのように一撃で胸に飛び込んでくる繪ではありませんでした。作品保護のために極力照明を落としてあることも理由でしょうが、画面の暗さに目が馴れるまで時間がかかりました。
十分くらい眺めているうちに、繪の底から名状し難い猛烈な哀しみが伝わってきて、わけもわからず涙に濡れました。繪を観てこんな反応するのは、珍しいことです。
涙の理由を強いて言葉にすると「この世に自分の居場所はない」というゴーギャンの魂の叫びを感じとったからでしょう。自分の唯一無二の場所であったはずのタヒチも結局楽園にはなり得ず、自分の居場所は世界のどこにもないことを悟った画家の絶望と諦念が画面全体を覆いつくしているようでした。
しかし、涙のあとから不思議な平安に心うたれます。よくお書きになっている「闇がいつのまにか明るむ」感覚に似たものではなかろうかと思いました。生身の人間ゴーギャンには、この世に幸福な居場所はなかったけれど、画家ゴーギャンとして自身の繪の中に自分の真実の場所をつくりあげることに成功したのだと思います。
帰宅してゴーギャンの評伝を探して拾い読みすると、ゴーギャンはこの作品を自殺を決意して描いたと説明されていました。死にそこないましたが、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」で彼は渾身の遺書を描きあげたのでしょう。
みづうみは次のお仕事へ向かっていらっしゃいます。涸れることない創作の「場所」を抱いてお幸せな藝術家です。たとえ、喪ったものも多かったとしても。 おやすみなさい。  雲

* つい今しがたのこと、「旅支度」という言葉がフイと胸に湧いた。急がねば、とも思った。何を急ぐのか。
2009 7・26 94

☆ 昨日は、やす香に  光琳
会いに行ってきました。
やっぱり二十五日にはお喋りしたくなります。
周りには小さな笹が一杯でした。
ドクダミが沢山顔を出していて、なんだかあまり好きではないので勝手に草むしりしてしまいました。
夏なのでお花は向日葵です。
そしてもちろんヴォルビックも!
実はしつこく今日も行くのです。仲良しグループみんなでやす香に会いに行きます。
おじい様のお膝、いかがでしょうか。
おじい様の事ですもの、きっと紳士の痩せ我慢で乗り切られるのでしょうが。。。
おばあ様に優しく優しく介護していただき、早く回復なさって下さいませ。
では、今日も行ってまいります。

* ありがとう。やす香、さぞさぞ喜ぶことでしょう。ありがとう。
明日命日。祖父母は、娘も行幸もいっしょに心静かに、なごやかな墓参が出来ればなあと願っています。やす香もきっとそう願っていると想います。

* 笑ふのが大好きであつたやす香
ま光のまなか
草むす夏に蒼天を揺すつて笑つてくれ
2009 7・26 94

* 理史くんに貰った九州の焼酎「博多小女郎」などうまくて。二本とももう飲み終えて。飲むとじつにここちよく昼寝や宵寝が出来る。今日の午後はよほど烈しい雨降りらしく感じながら、すうすうと、黒いマゴに足の先を囓られ起こされるまで、寐ていた。
夕食後の妻のたどたどしいピアノが隣室でしている。八時に終えたら、太左衛さんに戴いた花火でやす香を迎えまた見送ろう。町田から、ママも妹も思い一つで来るが佳い。
2009 7・27 94

* 真岡市から送って戴いたりっぱな梨が、すばらしい。冷やしておくと、清々しい口当たりに甘みが溢れる。いま、炭水化物を控えているので、主食がわりのように美味しく頂戴している。水菓子の粋の粋。感謝。
2009 7・28 94

☆ 先日は  通
もったいないお褒めの言葉を賜り、衷心より感謝致しております。
先生からあのような評価を授かれる文士がこの世にどれだけいるかと思い至り、今さらながらに己の果報さを噛みしめる次第です。
先頃、走り書き程度の御礼の文章をお送りしてしまったこと、まさしく汗顔の至りで深く恥じ入っております。何とぞ御寛恕下さいますよう、平にお願い申し上げます。
今回は、図々しくも先生の御厚意に甘え、拙作二編をお送り致します。先生の電子文藝館に載せるに足る作品かどうかは自信がありませんが、御高覧いただければ幸いです。

* 読んで、『佳日』と題を付し、随筆二題寄稿をお受けした。八十七歳の筆が生彩を帯びてはずんでいる。一箇所だけ直させて貰った。

一箇所、「ボタン」の末ちかく、直接話法で
「うわあ、すごい。さすがだね  とあるのは、「うわあ、いいね。さすがだね。  と直させて貰いました。
「すごい」は今日安易に多用されていますが、それでも今なお 凄惨 凄絶 の語意を払拭しておらず、その本義からあまり外れた軽い常用は感心したことではありません。美しい日本語で的確に表現される「随筆」本来からも避けたいと考えました。
「いいね。さすがだね」と韻を踏んで、より気持ちが弾むと思いまして。
あなたの随筆は、私の「e-文藝館=湖(umi)」にすでに「九」編掲載され、個人の寄稿としてはなかなかの存在感です。せいぜいお友達にもご吹聴あれ。
「e-文藝館=湖(umi)」には、
http://umi-no-hon.officeblue.jp
(城景都氏が描くHPの「表紙繪」をクリックし、現れる「目次」の、「e-Literary Magazine」とある「英字」の上をクリックして下さい。
著者名索引「わ」でも、ジャンル別索引「随感随想」でも簡単に引き出せます。
大勢の「いい読者」を有しています。 湖
2009 7・29 94

☆ お元気ですか。  鳶
エルニーニョ現象の影響で長い梅雨と冷夏と報道されています。近くの水田の稲も背丈はあるものの寂しそうな感じがします。
炭水化物を摂らずの夏休み、いかがですか? もっともどう考えても酒、焼酎は炭水化物でありますよ。適度にお飲みくださいませ。酒飲みにやめろといっても無理、下戸のわたしでさえ美味しいと思い、いける口だったらどんなにいいかと思いますもの。
せめて百薬の長の範囲内で楽しまれますよう。
「人はわたしを高慢だの傲慢だのと思うらしいけれど」とありますが、高慢、傲慢と感じたことはありません。敢えて申し上げれば鴉は意外に不器用と思うのです。HPに書かれてある人への書簡などでは、とても几帳面で丁寧な気配りがなされて、さすがと唸らさ
れます。同時にわたしの知る範囲での意外なドジ不器用さ加減(失礼!!)に拍子抜けしたり、がっかりしたこともありましたけれど。思いだすと、これはもう微笑ましいのです。血液型Bのわたし自身への慰めでもあります。
高慢、傲慢と思われるのは、時に率直に鋭く所感を書かれるからでしょうが、これを封じては物書きとして成り立たないのですから許容していただくしかありません・・。あまり気になさらないように。鴉は鴉、「矯正」できないし、「強制」もできません! 蛇足ながら鳶も鳶であるように。
先日、古本屋で、『ふるさと文学館 京都』という本を見つけて買いました。1,2と二冊あり、1に「初恋」、2に「呪い人形、そして始めに秦氏のこと」「山紫水明、せめて一度は原風景から」が選ばれ収められていました。当然のことながら、やはり嬉しかったです。他の方々の文章はまだ読んでいないものが殆どで、また違った興味で読もうと思っています。高城修三という人の『糺の森』という題名に惹かれて読み始めたら、学園闘争の頃を扱った小説で、観光京都とはおよそ異なったテーマ。否応なく世代・時代を同じくするものの切実を感じました。それにしても賀茂川も糺の森も・・懐かしい。世界遺産に指定されてから境内の雰囲気はかなり変わってしまいましたが。
もう一つは小学館版の世界美術全集の半分ほどの十四巻を、これもまた古本屋で買ったこと! 安かったので迷わず買いました。数回図書館などで調べ物をしたこともありましたが、一冊二万円もするので買うことは頭になかったのです。さらに「人生のお荷物」
が増えたと娘から言われるでしょうが、わたしはシアワセ。
九州行き、姑は気力はありますが体力はないのです。先回の納骨の時も自宅から空港、空港からお寺などすべてタクシーでした。今回は出発までの健康状態にも懸念がありますし、とにかくタクシーを降りてから飛行機の座席までなどなどいくつもの難関を心配
したら際限ありません。拒否されると予測できても折りたたみの車椅子か歩行を補助する器具を買い求めようと思っています。
先のメールへの返信、とりとめない近況報告? です。
今朝のHPには、私小説書くぞと元気に書かれています。写真の姿のお若いこと!!!
くれぐれもお体、御自愛ください。鳶は元気。

* 鳶の手紙をはじめてもらって、もう何十年になるか。メールに代わってからも十年になる。詩を書き繪を描き世界を歩き回り、廣く多く深く読んでいる。いつも教わり、感謝している。

☆ お元気ですか。  茜
せっかくメールをいただいたのに、すぐにお返事出来ずごめんなさい。
このところオーバーワークで、とても体調不良でした。船の上を歩いているみたいにふらふらで、病院に行ってあきれられるほどの低血圧。疲労と自律神経失調のようですが、この暑さでここ数日は息も絶え絶えです。いたって虚弱な親から生まれましたので、心臓も不調。いまは街なかに出たら眩暈でひっくり返りそうです。
お怪我が少しばかりよくなったからと出歩きますと、お倒れになるやもしれません。自転車も危ないことです。
いまはただ八月の過ぎ行くのをやり過ごしたく、涼しい風が恋しくて。心涼しく、栗のお菓子など食べたいもの。

* 老老看護というより、病病看護みたいに、いつもたいへんそう。

☆ 暑い、暑い!  ゆめ
暑中お見舞い申し上げます。
先生はマゴくんと、おうちの一番涼しいところで、お昼寝でしょうか?
100号達成おめでとうございます!! 先生を拝見していると、とにかくこころが動くと、書かずにいられない、というあの感じ。書いて書いて書く・・・。やはりプロというのはそれくらいでないとなれないのだなあ、と、つくづく感じております。私など、少し書いてみるものの、忙しいとつい後のばしにする始末。また、これは書いてみたいと思っても、これを表に出すことでなにかと物議をかもすのでは? などという余計な雑念を持ったりもします。(こんな風ではほんと駄目ですね。)
昨年春からずっと続けてきた朗読ワークショップですけれど、そこで出会った友人たちと新しく自主勉強サークルを作ることになりました。新しい作品に出会う喜び、そしてそれをわかちあうことのできる良き友人を得るのは、案外稀有なことかと思います。これを大事に温めてゆきたいと考えています。メンバーの中には農家のお嫁さんもいます。朝5時に起きて農作業や家事、お姑さんの世話などもしながらの活動に感心するのみです。地域に根付いた文化活動も楽しそうです。
8月の終わり頃、立山アルペンルートを縦断してきます。長野県側の大町から入り黒部ダムそして室堂平へ。美女平などをトレッキングして帰りは富山から戻ります。最高の日の出が見られると良いのですけれど・・。

* 活気にあふれて。

* いろんな人がいる。

* 金澤の画家から長大な「藝術」論ふうの手紙と、バッハの無伴奏チェロ組曲全六曲を珍しくサキソフォンで演奏している二枚組CDを貰った。いまそれを聴いている。演奏者はヘンク・ファン・タイラーとでも読むのか。輸入盤で、解説は読めない。それは構わない。
長い手紙はもっぱらこのサキソフォン・バッハの「演奏論」で、かなり入れ込んでいる。ゆっくり拝読する。演奏は聴くに従い身内に溶けいり沁みいり、ぶっきらぼうのようで濃やかに分厚い。すばらしい。
彼。相変わらず、繪は、描かないのかな。

☆ 秦 恒平様  弘
御無沙汰しております。お便りを書きたくてうづうづしながら、実際に書き出すに至らぬまゝ、月日が過ぎておりました。申訳ありません。
「湖の本」いつも嬉しく拝受し、拝読しております。隅々まで読んだとは言えませんが、共感し、涙し、言葉を失い、迂闊に言葉も選べずつまり書き出すこともできないのです。
それにしてもこの厖大な言葉の記録は、思うことの一つ、二つさえ容易に言葉に換え難く難渋する私にはたゞたゞ感嘆し羨望するばかりです。文学とはまことに人の魂の無限律動の記録とでもいうべきで、一個の精神が活溌に震動を続け、信号を発し、文字に変換されるというこの行為は、魂の最も幸福なありかたではないか、と、私は感じます。普段から私は秦さんの生きよう(生き様のことですが、私はイキザマという読みが嫌いなのでついこう書きます)について想いをめぐらしているのですが、何一つ言葉にできないでいるのは、おそらく自分の生きように手間がかゝりすぎているせいで、残念です。
そこであるCDを勝手にお贈りすることを思いつき、ここひとつき余り、そのCDについて書き連ねたことを抜き出してみました。お便りの代役がつとまるかどうかわかりませんが、私の愚鈍な精神活動の報告くらいにはなろうかと考えたのです。そのいきさつは本文に書きました。 以下略

* 音楽を聴きながら、わたしの湖の本49『お父さん、繪を描いてください』下巻288頁のクロッキーを眺めている。ものの二分か三分ももちいずにこれの描ける画家の魂の震動を想うのである。
話はかわるが、この繪を通算101巻から「湖の本」表紙に持ち出そうかという大胆不敵な発想もじつは抱きかけている。それはあんまりだという思いもある。憎まれそうな思いがあって、さすがに首をすくめる。

* 若いエッケルマンは、ある日(一八二三・十一・十四)、大ゲェテの盟友たりしあのシラーに対し「奇妙な気がします」と異存を唱えている。「読んでゐるうちに自然の真実性と矛盾した所にぶちあたり、それからさきが読めなくなります。 『ワルレンシュタイン』のような作ですら シルレルの哲学的傾向がその詩を損ねてゐると考へざるを得ません。理念の方が一切の自然よりも高尚なりと考へるまでに、それどころかそのために自然を破壊するまでになつてゐます」と。
ゲェテは云つた、「あれほど非凡な才能の人が、役にも立たない哲学的な思考方法に煩はされてゐたのを見ると気の毒だ」と。「無意識に、いはば本能的に、作してゆくのはシルレルのやりかたでなかつた。彼は為すことを一々反省せざるを得なかつた。彼が作詩のの計画について無暗と人に話さずにゐられなかつたのもそのためだ。 私は萬事一人静かに胸中に抱いてゐた。大抵できあがるまでは誰一人も気づかなかつた」と。

* 金澤の画伯は、描くよりも、何百倍も哲学して反省に反省する。考え込む。わたし自身は、どうかしてそうならないようにと願う。
2009 7・30 94

☆ 風  花
お元気ですか、風。今日は久々の晴れときどき曇り(曇りときどき晴れかも)です。
ピーカンとはいきませんが、長雨だったので、窓を開け放って空気の入れ替えをしています。
障子の敷居の隅っこに、黴を発見し、慌てて拭きました。去年はこんなことなかったのだけれど。
九州山口の豪雨被害を見てビビッていました、とにかく、ずっと雨で、家の周りも、去年とは比べ物にならないくらいのミドリん苔が発生してます。
風のお怪我、いかが。ご無理はなさらないでくださいね。ではでは、風。
お元気で。

* 「ピーカン」というのは目にするが、正確には分からない。「ビビる」というのもわたしは先ず用いない。昨日画伯の手紙に、「生きよう」と書いて「生き様」の意味だけれど「イキザマ」は嫌いとあった。日頃わたしもそう考えていて、同感した。
「凄い」「すごい」の濫用も、イヤ。
2009 7・31 94

* 金澤市の画伯と電話で話した。三十分ばかりか。
私用の「電話」はもともと苦手なんだが、もっと利用しようと思う。しかし相手がメイワクでも困るし。
金澤というと、すぐ隣の寺井にいる元館長さんを思い出す。懐かしくなり、電話してみたくなるが、家庭的な時間のリズムを一時的にも乱すのでメイワクかなあと遠慮する。
メールは簡単で邪魔にならないが、わたしのようにいつも機械を使っている人でないと、何ヶ月も読んでくれていないことだってありうるのだぁ。
千葉のおじさんもいつも懐かしいし、この人とはメールでも電話でもなく顔をみて話したいのだが、そうなるとなかなかチャンスがうまく創れないでじりじりする。
久しい友人はともかく、いくら久しくても、「読者」とはごく例外すくなく面識が無くて普通なので、これはもうメールしか、交通はむずかしい。

* 平成二十一年七月尽。八月の平穏を願う。
2009 7・31 94

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