* シンポジウム「いま、表現があぶない」とは、何も句読点の打ち方とか、誤字・宛字がひどいとか、文章が下手す ぎるという問題ではない。正しくは 「いま、メディアがあぶない」というのが適切であった。メディア規制の問題に話題が絞られていた。だが、語られている「メディア」はおおかた従来の「紙」 メディアであり、新聞・雑誌・放送等が語られていたが、月の裏側のようにティジタル・メディアの問題は、どのパネラーも一応置き去りであった。新聞も雑誌 も放送も、みな、家庭の外のメディアであり、家庭に外から持ち込まれてくるメディアであるが、今では、家庭の中がら発信する「自分のメディア」としてのパ ソコンなどがあり、極めて個人的なものでありながら、インターネットを介して、或る意味では世界へ拡散し飛翔してゆくメディアの保有者なのである。そのメ ディアの問題を、そのメディアにおける表現の問題を、われわれはもはや忘れてはならず、在来メディアとの比較においても軽く見ては間違うだろう。
* 司会の猪瀬直樹から、会場発言を求められていて、おそらくパネラーとして壇上にいる皆が、この電子メディアに は触れないで議論するだろうと予測 されたので、わたしは、少し論点を逸らしたり冷ましたりしかねない懼れは感じながらも、あえて、次のような話をした。
* 言論・表現・人権をこのように話題にする際、従来の活字型表現からだけでなく、それ以上に差し迫った危険性も 帯びているインフラとして、イン ターネットにおけるデジタルな表現にも、身を寄せた注意と問題意識を持ってもらいたい。
二十一世紀は、サイバーテロによる破壊戦争、及び、サイバーポリスによる、個人情報占拠・収奪の時代へ傾いています。もはや漢字が足りないとか、風俗が 乱れるとか以上に、大がかりに、国家間的な情報収奪、自国ないし自国の警察権力による、セキュリティーの侵犯傾向が、途方もなく強化されて行きます。
すでに、米国の軍事的な必要に発した、地球規模もの根こそぎ大盗聴機構である「エシュロン」の情報収集が、日本の、三沢基地ですら、非公式の秘密裏に、 大々的に進められている事実は、誰にも否定できない。加えて、此の国の警察は、あの盗聴法に基づくデジタル通信情報の傍受と集積を、警察行為として実施す る姿勢と方法とを、もう、具体的にウムを言わさず、準備していると報じられています。
実施された際の個人生活や企業活動、また思想的信条や調査活動に及ぼす制約、ないし抑圧・弾圧の危険は、計り知れない。
今、ある人の書いた文章の中に適切に引用されています、元自治大臣・国家公安委員長の白川勝彦氏の発言に、傾聴すべきものがあると思うのです。少なくと もこの白川発言を、この場で、心新たに聴いておきたいと私は思います。白川氏はこう言っている。
「この法案の本当の狙いは、国中のコンピュータを管理下におくこと、なんです。パソコンを持つ人は、みんな個人情報取扱事業者になるから、『あなたのパソ コンから、個人情報が漏れているかも』と嫌疑をかけるだけで、警察はそのパソコンを持っていくことができる。 役人たちは、自分たちと無関係なところで、 インターネットが急膨張していくのが、怖いんです。彼らは、自分たちの手の届かないものごとが存在するのが、一番嫌いな人種です。そういう彼らが、なんと かインターネットを自分たちの手で管理し、取り締まる方法はないかと考え出したのが、この法律なんです」と。
私は、日本ペンクラブの言論表現委員会で、この法律への反対姿勢を打ち出したその瞬間から、これは、個人情報「保護」どころか、コワモテの個人情報「支 配・収奪」法に化けて行く陰険な布石であると、何度か発言してきました。ある人の適切な指摘にありますように、「インターネット空間には、無数の個人情報 が飛び交い、瞬時に検索され、蓄積される。この法案が通れば、政府は、それを一元的に管理し、支配できることになる。政府に批判的な民間団体や個人も、容 易に取り締まることができる」と、まさしく、これが、ここが、大きな問題点であり、闘いを挑むなら、ここだというのが、日々に更新して、18MBというほ ど巨大なインターネットの文字サイトを展開しつづけている私の、ずうっとずうっと考え続けてきた要点です。
* 時間がゆるされるなら、具体的な話もしたいところだが、それは無理であった。猪瀬司会者のほか井上ひさし氏ら 五人のパネラーの発言は、概ね分か りよく、問題点をよく洗い出してくれて聴き応えがあつた。米原万里さんの話が、今ひとつ浸透していなかったと思う。この人はヤジはうまいが、マトモに話さ せると分りにくい。なかなかいいシンポジウムであり、時間がもう三十分あり、会場との討議も重ねられればと思うものの、ああいうものだろうなと、無事の終 了をよろこんだ。とは言え、この手の話題で、電子社会のメディアをはずして、なんだか昔の活字レベルでのメディア論議は、古くさいなあ、こんなことでいい のという気がしてならなかった。白川勝彦の指摘など、もっともっと聴く耳をもって聴いておそれ、対処を考えねば、うそではないか。
会場から質問が出ていたのに、猪瀬氏らはなんだか、うにゃうにゃ返事していたが、「情報公開法」とは、市民の個人情報を「公」が管理して行くぞという布 石法に過ぎなかったし、「個人情報保護法」とは市民の個人情報を「公」が収奪して管理して拘束することを妥当化する布石法なのである、露骨に、あからさま に。それが、根本なのである、と、わたしは直観してきたが、事実は正しくそう動こうとしている。シンポジウムが、ただのガス抜き自己満足で終らぬようにす る、どういう戦略があるのか。考えねばならないのはそれであり、それなしでは、要するに「評論」しておしまいである。
私語の刻 2001年9月18日