やはらかに人わけゆくや ー序にかえてー
突如、見も知らない国立大学から「文学」教授就任の依頼があったとき、ただの作家に何を期待されているのか、分かりにくかった。二足のわらじを五年間はいていた。その以前はサラリーマン。えらいお医者さんが相手の編集者だった。免疫学や小児医学などの研究書をいっぱい本にした。そっちのわらじを脱いでからは、ずうっと小説を書き、批評を書き、医学とはほど遠い世界を浮遊していた。著書の数は多いが、ベストセラーは無い。教育者でも研究者でもなかった。
東工大は味なコトやりますね、一種の名人事ですよ、やって下さい…などと、各大学にいる友人や大勢の読者に嬉しがられ、けしかけられた。
辞令から授業までに、幸い半年間があった。大学の先生は、高校・中学とちがって「無免許運転なんですよ。お好きになさればいいんです」と、若い同僚教授に目からウロコを落としてもらって、好きにするかと肚を決めた。平成七年春から教壇という高いところに立った。学生と顔を合わせた。
だが心掛けとしては、ただ学生と向き合って、こっち教授、そっち学生には、なるまいとした。学生の横に一緒にならんで、同じ視線でものに向かいながら、学生の見方と私の見方とを自然に突き合わせよう。そして双方で、教えあい学びあおうと思った。譬えれば、すばらしい美術作品を寄り添い見ながら、おのずと対話や意見交換が成るように、願った。だから、知識を授けようとは考えなかった。得ている知識をどう生かすか、そこに働く、感性や知性のことを専ら考えた。考える力が、あるかどうか。あっても、それを表現する力が、あるかどうか。
表現の道はいろいろある。私の場合は工学部「文学」教授なのであるから、基本は言葉であり、文章である。背後の体験である。借り物でない自分の考えを、借り物でない自分の言葉で、どれだけ実感をもって表現できるか。それを引き出すことに、関心と興味と意義を私は覚えていた。問題はどう仕向け、どう参加させるか、だ。こっちの必要ではなく、学生の必要でなければ意味がない。逆にいえば、どんなに難儀な持って行き方であっても、興味がもて挑発されてみたいと学生が思ってくれるなら、何かが出来る。
工学部も理学部も人間理工学部もひっくるめて私の教室へやって来た。一、二、三年生各主体の、三つの教室を私はあてがわれていた。メインの授業内容はみなちがうけれど、そこへ持って行く導入を私は工夫した。しかも、いちばん彼等が苦手で、これまではたぶん避けて来たことを、やりたい。それは、何だろう。一つは詩歌で、一つは文章を書いて自分を表現することだろう。術もなくて泥を吐かないのだ、若者は。
優秀な理系の頭は、いつも文系のセンスをナメてかかっている。その頭を「文学的」に挑発し刺激してやるのが効果的だった。「古池や蛙とびこむ水の( )」とでも黒板に書き、漢字一字の虫食いを補わせれば、芭蕉の名句、学生は何も考えずに知識や記憶で「音」と答え、心には何ひとつも残すまい。しかし、「やはらかに人わけゆくや( )角力」と出題すれば、そして試みに「( )角力」にフリガナを打って答えよと言えば、いっぺんにヘコたれる。仰天する文字と訓みとが続出し、しかも一人一人、句意を案じてその一時は自身俳人たらざるを得ないのである。そして、そこから先は、こっちの力量もものを言うが、おそろしく莫大なものを学生の胸に送りこめるのである。詩の、句の、表現の、言葉の、想像力の、世界や人間の、底知れない魔力や魅力について。能力について。
東工大の学生ですら、いま、「角力」が「すもう」と訓めない。「角界」「力士」というじゃないの。あッそうか。で、「勝角力」と出たのは百人に二人見当。他は、では、どうなるか。何人かが大角力、押角力と出て、腕、尻、独、紙など、合わせて二割に満たない。「四角力(こうさてん)」「風角力(かざぐるま)」「馬角力(ばかぢから)」「牛角力(かたつむり)」「人角力(じんりきしゃ)」「車角力(くるまひき)」「錯角力(テクニック)」「多角力(にんげんせい)」「鬼角力(かぶとむし)」「無角力(はるのかぜ)」「頭角力(リーダーシップ)」等々七十幾種が収集できた。それでも、そこそこ詩の世界に足を踏み入れかけているのもある。「やはらかに人わけゆくや」につけて、「かざぐるま」も「はるのかぜ」も「かたつむり」も、いやいや「くるまひき」でも面白くて、原作の高井几董も苦笑するだろう。まさに、そこに、文学に生きた、創作の、批評の、鑑賞の、不思議というものが露出してくるのである、面白くも、厳しく。
授業はじめの十分間で、十分。先週の結果を披露し、爆笑し感嘆し、今週の問題を出しておく。若い彼等の心根にびりりと響く主に現代の短歌や俳句を精いっぱい選び、いつしかに自分の現在や過去・将来に重ね、物を思い考えてもらう。考えずに済まない「難題」を更に与えておき、時間内に、授業を聴き聴き、必ず書いて提出させる。書かれた挨拶、四年で、三万五千枚。
私語の刻2024年 2月25日