ぜんぶ秦恒平文学の話

食べて飲んで 1998年~2000年

* 地下鉄で直通だということに気がつき、ゆうべは、乃木坂で五度目の電子メディア研究会のあと、湯島の「天庄」へ足をはこんで天ぷらを食べに行った。天ぷらが好きで、いろんな店にはいるが、気取って高価な店と、さばけていて比較的安い店との、味の差はあまりない。高くて窮屈な分、前者は敬遠したい。「天庄」は雑踏の表通りにも二階の店があり、上野広小路へ行くとそこへ二度ほど寄ったことはある、が、境内脇の、本店らしい「天庄」は、場所柄でちと憚ってきた。だが、地下鉄の経済に乗せられて、初めて行った。カウンターの席で、客すじも健康で、味もよろしかった。近くに故宮川寅雄先生の色紙などかける寿司屋のあるのも、もう大昔になるが人に教えて貰った。「天庄」が直ぐ近くなのは知っていた。本郷に会社勤めの昔から、この近くにすき焼きの「江知勝」のあるのも知っている。一度行ってみたいと思いつつ果たせないでいるが、すき焼きは連れ次第で味が変わる。この店のすぐ斜め向かい辺に、間口の狭い、しかしいい肉をつかうステーキの専門店がある。本郷三丁目から春日町へ下りて行く途中に「天喜」があり、珍しい江戸前。「楠亭」も近い。

1998 11・21  2

 

 

* 二キロの桜桃を、妻と二人で二日間でことごとく戴いた。こんなに美味い果物に最近いちども出逢わなかった、あまりの美味さに手が引っ込まない。次から次へと、もったいないと思いつつ、味が落ちるのはもっと惜しいと、食べに食べに食べた。それでも、最後の十粒を五つずつ分け合って、なお残り惜しかった。「ああ、食べちゃったあ」と嘆息し満足した。新潮社のチョコレートも美味かった。

1999 6・20 3

 

 

* 幼なじみの築山幸子の店が見つからず、銀座へまわって松屋裏の「はち巻岡田」で岡田椀や菊正の樽の美味いので、十分に満足してきた。この店へは昔に巖谷大四、杉森久英両氏に連れてきていただいた。以来一人で、時に妻と、くる。いつ来てもしみじみと美味い。酒も椀も美味い。仕合わせな気分で帰れる。この頃は銀座から有楽町線一本で保谷まで帰れるので、なんとも銀座が近くなった。「はち巻岡田」「こつるぎ」「三河屋」「銀座アスター」「シェモア」「いまむら」「ベレ」「やす幸」そして鮨の「きよ田」「寿司幸」また「ピルゼン」など、銀座にも好みの馴染みが何軒も出来た。まだ杉森さんが元気だった頃、助言するとしたら「銀座もっと出ていらっしゃい」と言われた。巖谷さんも傍におられた。銀座へは妻とよく来るが、奥さんといっしょじゃダメと言われた気もする。  1999 6・21 3

 

 

* 横浜美術館のセザンヌ展オープニング・レセプションに出向いた。西洋の画家では一といって二がないほど敬愛してきた画家であり、新聞などに出る広告をみて妻もぜひ観たいというし、幸い招待も来ていたので、思いきって出向いた。これまでも何度か横浜での美術展にお誘いがあったが、北多摩の保谷市からはあんまり遠い気がして腰をあげたことは一度もなかった。車をもった、それも渋谷や世田谷辺の人は近い近いというけれど、西武池袋線の奥から電車を乗り継いで行くのとは、わけがちがう。

渋谷から東横線で終点の桜木町まで乗った。始発から終点。急行だと、退屈どころか初めての窓外に気を取られているうちに、すぐ着いた。ラクに坐れもして、なにごとでも無かった。代官山、中目黒、自由が丘、田園調布、日吉などという馴染んだ名前の駅を通り抜けていった。大きな河を二つほど越えた。天気は上乗というのではなく蒸し暑かったけれど、適度に曇っていて、日照りにひどく悩まされたりはしなかった。

 

* 桜木町で横浜の地図を買ったのは、いかにも他所もののようで可笑しかった。バスで中華街入口まで乗り、異色の雑踏へ、食べ物のにおいの濃厚に流れているような街並みへ、踏み込んでいった。事実はさほど匂っているわけではなかった、独特のけばけばしい中華風の建物の色や形が騒がしいまでにいろいろ軒を並べていて、そういう感じがしたにすぎない。しかし、どの店に入っていいのか皆目分からない。選択できない。杭州の聘珍楼と同じなのかどうか、そういう名の店もあり、それなら杭州市西湖畔の店にも池袋サンシャインシティの店にも入っているので、それよりは知らない店にしようと、成り行きで一軒をえらんだ。超満腹した。料理の味もとにかく、マオタイを東京都内の店で出す優に倍か三倍量もほぼ同じ値段で出してくれたのが、嬉しかった。それほど私はマオタイ酒が好き、おそらく世界中の酒の中でいちばん酒を飲んだなあと謂う気にさせてくれ、満足させてくれる。高価だがさほど多くは飲めないから、いっそ経済でもある。支払いの時にも運んでくれたときにも、「強い酒を、よく飲みますね」と店の人がきっとアイサツする。それもおもしろい。

 

* 街のあちこちの出入り口に中華風の門が建っているのを、妻は一つ一つ面白がって写真まで撮っていたが、あんなモンは別になんでもなかった。それより誰かよく解っている人に、どの店の何が旨いかをちゃんと教わってから、また食べに来たいと思った。中華料理は周期的にきっと食べたくなる。うまいものを食う会の幹事に、中華料理の時でないと秦サンは出てこないとぼやかれるほどである。だが、料理よりもマオタイの方がうまいと思うこともある。

1999 9・10 4

 

 

* 金沢の、趣向の「麩」を頂戴した。物静かに佳い吸い物になる。京都「和久傳」の涼菓を頂戴した。瑞々しい笹の葉に巻いてあり、さすがの名菓で、食べてしばらくしてそのうま味と品の良さとに驚嘆する。佳いものは、ほんとに佳い。はんなりと、清い。

1999 9・22 4

 

 

* 京都から秋一番の松茸が贈られてきた。今晩は、うまい飯になる、食事の旨いのにはやはり目がない。そして栃木のすばらしい林檎もたくさん戴いた。わたしには、なにも上げられる物がない。

 

* 昨日の夕方、とうどう『能の平家物語』を校了にした。堀上氏の写真はまだ色校正が済んでいないようだが、試刷りは見せて貰った。写真が思ったより小さいことにやや落胆した。保谷の駅近くで、版元の朝日ソノラマ有賀成良氏にゲラをみな預けて別れてから、行きつけの「かつ金」へでもと歩いて行くと、「いはし」という店が出ていた。もう小一年にもなるという店なのに気がついてなかった。鯛のうす造り、青柳の刺身、蟹しんじょう、うざく、鰯のつみれ汁で、伏見の冷酒黄桜をゆっくり楽しんだ。あと、漬け物で白い飯を一膳。こざっぱりとして狭苦しさのない店であった。保谷の手近にこういう店を見付けると、クセになりそう、締めて五千円でお釣りがあった。やすいのは歓迎だ。

1999 10・13 4

 

 

* 帝劇下の「香味屋」で洋定食を先に食べてから芝居を観た。晩の八時以降は飲み食いしないと、ともあれ決めているので、先に早めの夕食にしたのだが、これが旨かった。名は知っていたが初めての店。だが、店内の雰囲気も調度もよく、味も調理もすこぶるよかった。赤のハウスワインで十分楽しめた。このごろ家の外で食事して、まずいのに突き当たると、ひどく機嫌が悪くなる。昔のように量が食べられないので、口直しに店を替えにくいからだ。もうあと何度の食事が楽しめるか分からないのだから、食べる機会には旨いものを楽しく落ち着いて食べたい。今日は正解だったと、妻と喜んだ。

1999 10・26 4

 

 

* 六十四歳になった。一歩も出ず、ご馳走を食べにも行かなかった。終日器械の前にいた。石垣島のMさんに以前に頂戴した「花彫」の紹興酒を箱から出した。青磁の面白い瓶に入っていた。おいしく半分ほどを玉盃で飲んだ。うまい。有り難かった。赤い薔薇の花を妻が沢山買ってきた。例年バウムクーヘンの従業員一同から誕生祝にもらうバウムクーヘンを、薫り高い紅茶をいれてもらい、食べた。蟹のピザを出前で取った。夫婦二人での静かな誕生日だったが、息子は前夜にメールをくれ、今さっきも電話で「おめでとう」を伝えてきた。遠くからもメールで「おめでとうございます」とお祝いして貰った。

1999 12・21 3

 

 

* 桐生の読者から葛湯の素が贈られてきた。桐生の葛は、吉野葛ににて温かくうまい。前橋講演のみやげに以前いただいて味をしめている。糖尿にちがいないと思うが、甘い物を体が要求すると感じる日々がある。濡れ甘納豆も大好き、金色した甘露の栗も大好き、美味い菓子はみな大好きである。

京都は菓子が美味かった。菓子と庭とは京都を越えられないというのが持論である。

酒も好きで、酒だけは地方色が存分に楽しめる。なんのかんのと言いながら、酒は欠かしていない。困ったものだ。今日は池袋で、懐石をワインで楽しんできた。よかった。それなのに終始「あたしバカよね、おバカさんよね」という歌が口をついて困った。なにか歌が一つ身に舞い込むと、そのメロディからのがれられない。ま、しかし、わたしにピッタリの歌詞であったから、どうしようもなかった。

家に帰ったらカンビールと、呉市からの珍味「でびら」が来ていた。豊橋の最上等の竹輪も沢山。酒に、すてきに佳い。ものを戴いてばかりの暮らしになり、有り難いものの、根が卑しくなっては困る。自戒もし、しかし心から感謝し喜んでいる。家が賑わうのである。

1999 12・29 3

 

 

* もうチョコレートが届いている。チョコレートは好物なのでつい食べてしまうが、糖尿のおそれの十分ある身には、あまり宜しくない。酒ですら自粛に努めている。そうはいえ、よほど甘みをからだが要求するのか、デパートで酒を買って帰ったことはマオタイを一度二度あった程度なのに、仙太郎や鶴屋の和菓子はちょくちょく自前で買って帰る。戦時中、子どもだった頃には、砂糖が容易に目にも手にも入らず、砂糖壺の砂糖をこっそり舐められたら上等だった。甘いものに飢えていた。九十過ぎの、自称押し掛け弟子は、酒のほかにも、甘納豆や和菓子をよく送ってこられる。ご老人のおこづかいの上前をはねているようで恐れ入るのだが、この甘納豆や豆板や栗などがじつに美味い。なにしろコンデンスミルクを舐めようという甘党の酒飲みで、よくまあ倒れないで立っていると思う。酒を控えているのはチョコレートとの見合いを考えていたらしい、無意識に。今は、無性にビールが呑みたい。

2000 2・13 5

 

 

* カカオ70%の、強烈に「ビター」な、健康のためには良いらしいチョコレートが来た。苦いこと、美味いこと。

2000 2・13 5

 

 

* 銀座「きよ田」主人から、すばらしい鮭一尾分のみごとな切り身を頂戴した。『死から死へ』を送ったからか。親切な人で、女優澤口靖子が好きだと新聞に書いたのを見ると、すぐさま、彼女が広告に顔を出しているフィルム会社のえらい人に電話して、サイン入りの額に入った佳い写真を二つも取り寄せておいてくれるような人である。恐れ入ります。

* 麹町の「味館トライアングル」のマスターからも、自分の「豪」という名に創らせた特製の大吟醸酒が贈られてきた。文芸春秋出版部の寺田英視さんからも、豪サンの店に一度一緒に食べに行きましょうと電話で言ってもらっている。酒をすこし減らして、下旬にでもまた妻と出かけたい。

2000 3・5 5

 

 

* 院を卒業して行く建築の学生君と池袋のビヤホールで、二時間半、心ゆくまで飲んで食べて話してきた。時間は瞬く間に愉快に過ぎた。修士論文が書け、自力で就職を決め、卒業式は目前。前途を祝したい、この人と限らず、親しい何人も何人もが同じように院を卒業して行く。

臆面なく酒類を人と飲める、これは最期の機会になったのかも知れない。

じつは昨日も会議のあと、ペン事務局の下にある「音鮨」で八海山をすこしもらって鮨をつまんで帰った。思えば意地きたない話だが、食欲はしっかりある。戦時中の飢餓後遺症を引きずっているのだろう。

2000 3・18 5

 

 

* 即座に、「インシュリン注射を朝昼夜に励行」し、「血糖値自己検査」を起床一番と就寝前とに励行せよと宣告された。あすは、妻を同道して栄養指導を受ける。一日1800カロリー。致し方ない。

今日ある日を承知の上で、ここへ自分を追い込んできた。こうでもないと、わたしは、本格的に摂生することのない怠け者である。しかし、決められてしまえば、わりに淡泊に受け容れて励行し、ときどき、ほんのときどき、平然とルール違反も楽しむだろう。

さしあたり、問題はない、上のきまりに随うまでのことで、自覚的にはなにもない。

いや、そうでもなく、けさ通院の地下鉄の中で、強烈な口渇と何かの低下で、冷や汗にまみれて気が遠くなりかけ、床に崩れかけていた。必死で三、四駅を堪えて、新富町で下車。路上の強い寒風に吹かれて持ち直した。「高血糖」のせいであったろう、かなり高い値が出ていた。新しい専門医は、ためらいなく直ちに「注射」と決めた。

問題は明日だ、どんなキツイ指導を受けることになるか。だが、受け容れてこの事態はあまり意識しないことにする。三度の注射と食事との関係は、こんどは「低血糖」による昏睡の危険もはらんで厄介だけれど、煩瑣だけれど、受け容れて励行し日常的に油断なく慣れてしまえば済む。怖れていない。

2000 3・22 5

 

 

* 二日続けて、しかもわたし自身のために築地の聖路加病院に通うとは思わなかった。栄養指導は厳重だった。少なくも血糖値の一ヶ月推移を見定めるまでは酒類も甘い菓子もダメと断定された。よほど昨日の256という血糖値が高すぎたのか。110とか120とかが正常値だと謂われれば数値の開きは厳然としている。指導に否やを申し立てる気はなく、努めて励行しよう。その気になれば何でもないこと。

 

* 行くときは肌寒かったが、午後遅くには築地から銀座四丁目までそぞろ歩いて、暖かく、また街の風情が珍しかった。食事の前三十分にはインシュリンを注射しなければならず、注射してから三十分は食べられない。しかし三十分以上食べないでいるとショックの来るおそれもあり、ひどい時は昏睡する。すべてに慣れて用心深くなければならない。外出時に気をつけねばならない。厄介だといえば厄介、難儀だといえば難儀。知識では承知していたことだし、負担に感じ過ぎてはいけないだろう。つかず離れず慎重に付き合うしかない。

 

* 家での食べ物は、妻に任せ、不足は一切言わないことにする。

2000 3・23 5

 

 

* なんだか久しぶりの休日気分だった。器械の前で、いろいろ仕事を進めた。ひやりとすることもあった。朝一番の血糖値が277もあり、これにも驚いたが、昼食前にはたったの37に下がっていた。へたをすると低血糖のショックを起こしかねない。自覚的にはなんでもないのだが、病院に問い合わせた。すぐ少し食べ物を口に入れ、所定のインシュリン注射はして、そのかわり三十分の間隔をとらず即座に食事するよう指示された。その通りにし、何事もなかった。夕食時には163ぐらい。なかなか面倒なものだ。

2000 3・24 5

 

 

* 従来外へ出ての楽しみはもっぱら飲み食いで、佳い店で佳いものをと心がけてきた。それが出来なくなった。少々お金が使いたくても使い道の大半が無くなった。自分の着るものには全く頓着しない不精者でわたしはあるけれど、空腹に堪えるかわりに、すこし、その方に目を向けてみようか。

2000 3・24 5

 

 

* 堀上謙さんから電話で励まされた。その一方、インシュリン依存に陥らない方がいいのでは、もう一人ぐらい別の病院の医師に診せてはどうかと忠告された。いきなりのインシュリンという方針には、わたしも少しビックリしたのは確かなのである。ま、次の診察まではまじめに言われたままにしたい。

九十すぎの「自称弟子」さんから、ホテルオークラのスープだのお粥だのがドンとたくさん贈られてきた。恐縮している。銀座のバー「ベレ」のママから届いた洋菓子「ヨックモック」も、こんなにうまかったんだと呆れるほどうまい。NHKの倉持光雄さんにいただいた「かき餅」もすこぶる旨い。沢山食べられないとなると、こんなに愛おしげにものが旨いかと、驚いてしまう。いい体験をしている。

ただ、エネルギッシュに燃えて行くような体内の気迫が、沈んで行っては困るなと思う。つまらながらずに、出て、動いて、人とも逢い話し夢みた方がいい。済んだことは振り返らなくていい。

2000 3・29 5

 

 

* 時間を計ってよぎなく喫茶店で注射し、蕎麦屋に入って鴨や青菜の胡麻よごしなどで食事した。不得手な野菜を二品も注文、蕎麦を食って酒は頼まず、この酒飲みのわたしが食事をするとは。おかげで、実に何年もにわたり執拗だった八十数キロの体重の壁を、八十キロ割れにもってこれた。息子から最初に、顔がしまったねと言われた。だが油断は大敵。こうなれば、ふだん呼吸するのと同じに、ふつうに、きちんと対処するしかない。

2000 4・11 5

 

 

* 気は進んでいなかったが、250回という決まりの日だったこと、事実上の退会になるであろうこと、今日の世話を担当していた高津さん、宮本さんとは「湖の本」でおなじみなので、挨拶かたがた出席した。東京會舘というだけでも気乗りはしないのだが、要するに呑めない食えないのだから「うまいものを食う会」に、出かけて行く方がわるい。案の定、なんとも致し方もなくて途中で失礼した。二千円見当のプレゼント交換があり、わたしは中国製一対の玉杯を持っていった。代わりに強力なペンシルライトを引き当ててきた。ワインを二盃、シャンペンを二盃。ローストビーフを少し。蕎麦を少しだけ。それで会費 15000円は支払い超過だと思うが、それもわたし自身のせいであり、文句は言わない。あまり上手でないピアノとフルートを聴いて失礼してきた。行くべきではなかった。

 

* 鮨の「きよ田」で肴を食べたかったが時間が遅く、バー「ベレー」に行き、当分の来納めに、ツーフィンガーウイスキーをストレートで三杯飲んできた。多いのは承知で、秘かな勝手な理屈をつけて、例外日にした。

2000 4・18 5

 

 

* 遅れて会議の場を外へ出た頃は、雨があがっていた。いつもと逆に地下鉄赤坂方面へ歩き、注射が打てて適当な食事のできる店を探した。「京料理」とある看板にひかれ「三井」という店に飛び込んだが、気軽な店ではなかった。結局、お任せで一通りを喰うことにし、お銚子を一本つけた。気の利いた料理が出てわるくなかったし、久しぶりの日本酒が、嘗めるほどに口にしていても、美味くて身にしみた。筍、さよりと鯛と小海老との刺身その他、数えてみると一つ一つの品に満足していた。高くついたが、よかった。

食べながら三島さんの論考もとっくり読み終えた。おもしろい筋へ誘い込んで行く論だが、論証のきめは粗く、やや性急に結論部分の突出にだけ労力が使われている気がした。かなりキビシイ批評が必要だなと思いつつ、それでも三島さんの着想に、また知見の幾らかには、面白く心惹かれた。

2000 4・20 5

 

 

* 血糖値を自分で測るために、朝起きて直ぐ、夜寝る前、の二度採血しなければならず針で指先を突いて血を出す。指先しかしかるべき場所が無く、他では測りにくい。おかげで殊に左手指は御難である。なんだか指先がジンジンしている。三度三度のインシュリンは注射器で膝の外側や脇腹に入れる。二の腕は外出の際に。この方が針細く、血管や神経に当てたりしなければ痛みはちいさい。注射してしまえば必ず三十分で食事を摂らねばならないという厳しい制約がつらい。何を食べてもいいわけでないから、外出時、適切な食事の店を見つけるのが容易でなく、注射後にただ時間を長引かせるのは危険と云われている。バラエテイのある食事というと、揚げ物ぬきの幕の内や和食弁当がいい。安上がりのものには揚げ物のついてまわることが多い。店の格をまちがえると、昨夜のように一食に一万五千円も支払うことになる。美味ければそれもいいが、栄養過多になりやすい。旅行の際や、余儀ない料亭での会議・会合となると頭が痛い。

2000 4・21 5

 

 

* 池袋の「美濃吉」で、注文したことのない安価な弁当を、酒もビールもなく、注射だけして、三十分時間待ちして食べてきたが、これが当たりで、うまかつた。揚げ物も嫌いな野菜もなくバランスのいい品数で。赤坂「三井」のなんと六分の一で満足できた。子どもの頃からご近所づきあいもあった京の「美濃吉」である。儲け物を拾った夢心地で気持ちよく帰れた。

 

* 腰の痛みが十分消え失せてくれない。膵臓にわるい病気があると腰が痛むと聞いている。イヤな感じ。

2000 4・22 5

 

 

* 血糖値が、昨夜十時に226と予想以上に高く、そんなはずのない食事をしていたつもりなので驚いた。定例の就寝前に測ると99と、べらぼうに低くなっていた。理想の値より低かった。今朝は103。普通は例外なく前夜より低いものだが。ま、誤差の範囲内かやや高くなっていたが、これは理想値でも低い方だ。むずかしいものである。

 

*小雨にも遮られ、結局、レセプションにも行かず水泳にも行かず、先月末に新就職の元院生君二人が手土産に呉れたお酒を、一合弱、おそい昼食時に楽しんだ。ウーン、美味かった。京都から筍の佳いのが贈られてくる。卒寿過ぎた自称弟子の刀自から、春若布を沢山戴いていたので、筍にじつに相性のいい煮物が出来る。大好きで、飯は遠慮して酒と筍の一食、よきかな。

2000 4・28 5

 

 

* デパートの中で、和食で、おそい午食を済ませた。品と数とをよくみて、これなら範囲内で大丈夫と見極めると、たいていその店のいちばん安価なメニューになる。銚子を一本つけて、美味いと思いつつ嘗めるようにみな食べ尽くして、二人で三千円あまりで済んだ。これまでなら、考えられないほどしまつな食べ方だが、それで足りていて美味いのだから有り難い。これまでの食べ方が間違っていた。

食事しながら、いま観てきた油絵と日本画とを話題に二人でたくさん話しあい、やはり青木の繪に最期まで誘惑されずに済ませたのは正解だったと結論した。真に佳い繪には、技術の完璧の上に、言うに言われぬ瞬間風速のすばらしい突出が感じられる。それは、優しくもあり温かくもあり深くもあり豊かでもあるが、一言で言えば、行き止まりのない佳い匂いのようなファシネーションだ。ハートだ。青木敏郎の繪にそれが出てくるか、楽しみにしたい。

 

* 有楽町の交通会館での、毎度の丸善売り出しに立ち寄り、靴を二足、セーターやシャツなどを買ってきた。わたしのものばかりで、今日は妻のはうまく見付からなかった。ちょっと珍しいチーズを買った。有楽町から保谷まで地下鉄で寝て帰り、保谷駅で、ちょっと行儀わるく帰りの歩き道でパクつくパンを買い、途中でやきとりの串を十本ほど買って帰った。

昨日また新たに京都から届いた筍を、若布で煮て、やきとりで、夕食。夕焼けに薄澄んで、さらりと気持ちの佳い保谷の空模様だった。

2000 4・29 5

 

 

* 池袋に帰り、ふらふらと東武地下の、以前はよく甘いものを買って帰った「仙太郎」のまえへ来てしまった。どの菓子もどの菓子も食べたくて食べたくて辛抱がならない。店員が見咎めるほど見ていた。「仙太郎」は京都に本店があり、叔母の茶室では稽古日に此処の最中がよく使われた。わたしも叔母のお使いで買いに行ったりした。なつかしいこともあるが、事実此処の最中もおはぎも美味いのだ。

それでも、ぐっと堪えて店の前を離れた。が、我慢ならず、舞い戻って「最中を一つだけ」売ってもらった。池袋の地下駅構内を、その一つの最中にかぶりつきながら西武線の方へ歩いた。いや、もう、うまかった。此処の最中は餡があふれるほど詰めてあるのが有名なのである。それが食べたくて。買って帰るわけに行かないので、まさに買い食いの盗み食いをしたが、それでも食べたかった。おかげでか、血糖値はいつもより高めに出てしまった。だが美味かった。また食べたい。

2000 5・17 6

 

 

* 八十六キロほどあった体重が、七十九キロに減っている。十年ほども苦闘したが八十キロの壁が分厚かった。カロリー制限が利いているのだろう、我ながらよく辛抱している。昨日の「仙太郎」の最中のようなことは、ま、ときどき無いわけではないけれど。もし酒が渇くほど欲しければ、極少量だが他の食物を減らしてでも口にしている時もある。いまも、ワインをコップに半分ほど貰ってきた、ナニ、黙って失敬してきたのだが、これがまた美味い。

2000 5・18 6

 

 

* 聖路加病院から帝国ホテルへ行き、日比谷クラブルームで暫くコーヒーを飲み本を読み次ぎ、さてインシュリン注射してから、五時開宴の朝日新聞社「学術・芸術 交流の集い ー朝日賞七十年記念」パーティーに出席した。朝日賞には毎年推薦を頼まれ、芳賀徹氏や馬場あき子さんを推してきた。立ち食いと立ち飲みのパーティーは苦手で、馬場あき子の顔をみてお祝いを言っただけで、ほんの暫くいて退席、その足で西銀座の「きよ田」へ行き、病人には飲ませないと言うのを口説いて徳利一つの酒をもらい、うまい肴と鮨とで、主人といろんな懐かしいハナシを楽しんだ。井伏鱒二、瀧井孝作、永井龍男、小林秀雄、河上徹太郎、唐木順三、山本健吉、辻邦生、井上靖そして古田晁。こういう人たちの思いで話の出来るのはこの店ぐらいなもの。困るのは、帰りがけ、からのお盆だけ出されていいだけ置いて行けと言われること。これには困っちまう。

ええいとばかりバー「ベレ」へ顔を出してウイスキーを生のまま少なからず。途方もなく機嫌が良くなる。

 

* 八時すぎ、ゆっくり銀座へ歩いてパンなど買って帰った。午後遅くと晩とに相次いで食べて飲みもしたので、血糖値はいつもより高かったけれど、それでも「良」の範囲内でおさまっていた。

2000 5・19 6

 

 

* 桜桃忌の朝、九時半。こう書いたところへ、宅急便で、山形県村山市の「あらきそば」芦野又三さんから、今年もたっぷり桜桃が贈られてきた。ありがたい。嬉しい。芦野さんからの選りすぐりの桜桃は、美術品のように美しく、美味い。二キロもある!! 今年は一度に沢山は食べられないが、胸はずませ、心から味わいたい。感謝。

2000 6・19 6

 

 

* 秋葉原から保谷駅まで戻って、余りの空腹にパンを三種類買い、器械片手に人通りの少ない新道を歩きながら、むしゃむしゃと食ってしまった。帰って注射してまた晩飯を黙って食ったから、今晩就寝前の血糖値は高いだろう。ごめんなさい。

2000 6・29 6

 

 

* 夕食後に郵便を出しに行きがてら、自転車で、ひばりヶ丘の東久留米寄り住宅地をぐるぐる走りまわり、谷戸のバス道を田無の北原五叉路まで行き、保谷新道から市役所前を駆け抜けて帰ってきた。体重を量ってみたら、意外や先日は77.5まで下がっていたものが、80 キロに戻っていた。食事の量が増えたのではない、わたしが勝手な理屈をつけて、この所、焼酎をがばがば飲んでいたので、糖はまずまずの数値ながら、熱量があがり、つまり体力が増してしまったものらしい。いたく恐縮し、反省し、幸い焼酎の大瓶がからになったところなので、以後、きっと慎む。やれやれ。

2000 7・1 6

 

 

* ほんとは午後、外出を考えていたが、熱暑といいたい蒸し暑い外気と日盛りに屈し、自転車に乗るのも不自然で、断念した。断念を慰めようと、つい先日贈られてきた純米大吟醸の逸品をついに口をあけ、小さい湯飲みに一杯だけ飲んだ。妻にすすめると、一口、そしてもう一口、かるく飲んだ。酒のいけない妻にも美味い酒であった。美味かった。たちまち酔を、いや睡を発して、三時間半ほど昼寝してしまった。目が覚めたらもう晩の注射の時間であった。

2000 7・2 6

 

 

* 作家の沢田ふじ子さんから、例年の、夏の氷菓を贈られた。夫婦二人の暮らしになっていて、好みも似ている。有り難く味わっている。

2000 7・2 6

 

 

* 酒が届きビールが届き、有り難いが手が出せない。妙なことになったものだ。ご贔屓の仙太郎最中を京都の町中で見つけて買いましたが、あれは大きい、餡が多すぎますと、よけいな里心をつけるメールも来た。どれがと餡菓子を選ぶなら最中がいい。大酒を平気で愛してきたが、やはり戦中戦後の飢えた子で、根は、「あまい」ものを「うまい」と悟って欲しがるのだろう。

2000 7・4 6

 

 

* 電メ研に出かけたが、何となく気が抜けた。中川五郎委員にカルバドッスを一本頂戴した。飲みたい気分。

2000 7・12 6

 

 

* カルバドスの美味かったこと。血糖の数値がたいへん宜しく、安心して、就寝前にいただいた、粋な瓶をあけて。しっかり頂戴したが、いや美味かった。病みつきになりそうな按配で、いといと満足。

読者から贈られた先日の純米大吟醸「大七皆伝」というのも、初物ながら間違いのない美味でちびりちびりと堪能してきたが、中川さんに頂戴した名も懐かしいこの洋酒の美味いのにも驚喜している。少年時代に『モンテクリスト伯』で覚えた酒の名で、ジョニーウォーカーだのホワイトホースだのカティーサークだのよりも、遙かに早く識っていた。ブランデーの味である。珍しい酒はみな旨い。   2000 7・13 6

 

 

* 出先で、また、そっと、漉餡の最中のちいさいのを、一つだけ食べた。保谷駅から家へ、途中新開の道路が出来、完成していないので車も通らず人通りもすくない、そこが、わたしの「買い食いロード」になっている。いつもではない、たまにだが、餡パンなどを一つだけむしゃむしゃ喰って帰る。楽しいものである。狂言にも、甘いものの盗み食いや、酒の盗み呑みがある。わたしは盗みはしない。

2000 7・18 6

 

 

* 六本木「瀬里奈」で、妻が好物の松坂牛しゃぶしゃぶを、たっぷりのハウスワインで楽しんだ。別に二品の料理も、ことに冬瓜を冷たく煮たのが、旨かった。色御飯も、デザートに選んだ小団子に粒餡の善哉も、よかった。お替わりが欲しいほどだった。妻は、タロイモのアイスクリームを美味そうに食べていた。

2000 7・20 6

 

 

* 夕食は一人で、和食の店でした。お奨めの三品をセットでとり、腹をきめて、お銚子を頼んだ。びっくりするような美女が接待してくれた。日本テレビに鷹西というすこぶる品のいい美女アナウンサーがいて、うちではわたしも妻も大の贔屓だが、その鷹西アナよりまだ綺麗だった。「GT書体フォント」の一覧表に眺め入って感嘆したり、『チャタレー夫人』をゆっくり読み継いだりしながら、お銚子を一つ追加してしまった。刺身も包丁がよく冴えていたし、焼き物も、またエンドウ豆をぬたに和えたのも、旨かった。どうしようかと躊躇いながら、白い御飯と赤出汁も貰ったが、この白御飯の旨いのにびっくりした。あながち接待の人が美しかったから旨かったというのでなく、ほんとうに旨かった。

 

* 東大に入る前、本郷三丁目地下鉄駅で、「三原堂」の大学最中の旨そうな大きな広告を観て、ちょいと立ち寄り「一つ」と頼むと二百十円であっさり売ってくれた。これを会の始まる前の階段教室で、持参のウーロン茶で味わったのが楽しかった。「仙太郎」の最中には一籌を輸したが。

2000 7・28 6

 

 

* 七時半にはハネたので、向かいの帝国ホテルの、静かな「ザ・クラブルーム」でゆったり休息し、久しぶりにシーバスリーガルを、ストレートのダブルで三杯も、しみじみと堪能した。旨かった。食事もとりどりに注文し、帆立も、サラダも、サーモンも、クラブサンドイッチも、みな旨かった。「クラブ」は空いていた。佳いサロンを殆ど夫婦で占めて、観劇の肩の凝りなどすっかり取れるまで、時間かまわず腰を据えていろんなことを話していた。

銀座を散策、パンを買ってから、有楽町線で帰った。こういう一日も有り難い。

2000 7・29 6

 

 

* 北海道から「雷電」という珍しい名前の、それはりっぱなメロン二顆が、暑気払いに贈られてきた。ピアニストである名古屋の元学生君は、清酒「久保田」の逸品をえらんで、やはり暑気払いにと贈ってきてくれた。

2000 7・31 6

 

 

* 校正ゲラを持って池袋に出、メトロポリタンホテルでコーヒーのみながら、校正。プラザ地下の「楽」に移動して、少しだけ昼の日本酒とワインを飲んだ。鰹がうまく、四万十川の鰻の白焼きは小さくてあっさりしていた。

「さくらや」でOCRソフトを見てきた。なんだか、スキャナにくっついて、一度インストールしたものと同じように想われ、買わずに帰った。家に、e-typistのマニュアルがあった。それならば、探せば関連のソフトが見つかるかも知れない。

保谷駅ビルで買って帰ったパンがうまかった。晩には、小雨の合間をみて、七千メートルほど、自転車で坂道を上り下り十一往復、疾走した。血糖値は108。

2000 8・9 6

 

 

* どうということでもないのに気になったのは、やはり、甘いもののこと、食欲が疼いたようだ。

甲府放送局に栄転された久しい友人から、すばらしい葡萄の房をたくさん頂戴した。じつに美味。糖分もたっぷりなので、五粒を限度に、一粒一粒いとおしんで味わっている。奈良のあやめが池にいる高校以来の二つ下の女友だちも、奈良の、それは気の利いた、軽やかに旨いかき餅、煎餅の取り合わせを、お見舞いに贈ってきてくれた。卒業以来何十年、顔を合わせたこともないが、懐かしい。お兄さんがわたしの同級生であった。歌をつくりはじめたと何年かまえに便りで知ったが、続けているだろうか。俳句をしているという人もいたが続けているだろうか。

まだ、メールのやりとりできない親しい人が大勢いる。

2000 8・13 6

 

 

* 省みて思うが、酔いは必ず醒める。醒めてしまわない酔いはなかった。酔うほどの酒はまずい。まして悪酔いは見苦しい。酔わなくて旨い酒は、常に旨い。酒の問題ではない、飲み方の問題だ。惚れた、はれたも、同じだろう。

 

* 父は酒が呑めなかった。家には酒けがなかった。母は、里の父が酒飲みなのを見て育ち、アンビバレントな見方をしていたが、晩年には酒は好きと自覚し、猪口に二杯ぐらいを嬉しそうに笑い転げながら飲んだりした。いっしょに飲んで上げると喜んだ。父は奈良漬けの一切れでも赤くなった。

わたしは小さい頃から母の作る粕汁が好きだった。酒粕も大好きだった。中学生の頃、近江舞子か唐崎か、ワカモトというクスリの会社の持ち物だという広い庭園で、どこの主催だか「園遊会」なるものへ叔母が連れていってくれた。裏千家筋の遊びであったかも知れない。そこで初めて「酒」を口にした。おつなものであった。恒平は酒飲みになるという予想がたてられた。もっとも、青年期を通じて酒は愚かコーヒーにもタバコにも全然手が出ないほど、自由になる金がなかった。あれば書籍に変わった。

大学時代に一度だけ、あれは、伏見の酒と縁のありげな家から、「生ま酒」がある飲ませようかと声がかかった。父は名代で行ってこいと命じ、わたしは自転車に乗って京都の西の方へ「生ま酒」なる酒をわざわざ御馳走になりに行った。口あたりうまくて、かなり飲み、かなり酔って、それでも自転車で家に帰った。帰ってから、苦しい思いをした。酔うほどの酒は、結局まずいと体験した。

まずい飲み方を、この四十四、五年間に、十四、五度は体験しているだろう。おそらく、極めて少ない方だろう。深く酔う酒は、底で苦い。不味い。しんから酒が好きだから、それほどの酒はぜひ旨く飲みたいから、旨いうちを飲み、酔いが兆せばその場は慎む。またの折りが必ずあるのだから。

 

* ひとり酒、おんな酒、と書いたことがある。「ひとり酒」が好き、男ふたりで酒というのは、じじむさくて、そう好きになれない。ひとりで、ゆっくり飲むか、気のあった女性とふたりで、気の利いた女の話題を肴にもらい、酒もすこしは付き合ってもらい、旨いあいだだけ好きなだけ飲む「おんな酒」が、いい、と。

前者はたやすい。後者は、得難い。いい女がなかなか得難いのと同じである。

2000 8・18 6

 

 

* この前、すばらしい美人の接待してくれた、旨い日本料理店に偶然入ったことがある。その人から、またのおいでを待っていますと葉書が届いた。おどろいている。

2000 8・23 6

 

 

* メールも面白く頷いて読んだが、すばらしい牛肉の贈り物には、いやしんぼうのわたしは、歓声。目の保養もさせてもらった。「対談」から夕過ぎて帰って、すぐ食べたかったけれど「明日」の楽しみに。今夜は、紀州から届いていた鰺の干物を片づけた。

 

* 「対談」はまず一回済んだ。ともあれ、ホツト一息、行き帰りに神田明神に参り、帰りには門前の甘酒とくず餅、これが甘かった。旨くもあったけれど、これの煽りで牛肉が鰺に化けた。致し方なき仕儀である。

2000 8・28 6

 

 

* いい小説が書けるのではないかなあと思っている、若い女性がいる。ときどきメールで話すが、逢ったことはない。今は田園調布に住んでいる人で、もとは京都のわたしの高校の後輩に当たる。美術の勉強をしていたというが、小説も書いている。黒川創寄りのセンスのように思われるが、もう少し待たねばならないだろう。続けて書くかどうかが問題なのである。過去にもかなり有望な小説の書ける人を二人知っていたが、書き続けなかった。

この人が京都へ帰って、下鴨神社などへ参ってきたらしい。亀屋吉信の、品のいい、大好きな煎餅菓子と一保堂の佳いお茶とをお土産に送ってきてくれた。

茨城からは、たくさん梨を戴いた。梨のジュースが好きで、これも明日から楽しめる。この人も京都の高校時代に一年先輩であったらしく、お寺さんで、ちょっと珍しい小説やノンフィクションの書き手なのである。忝ない。

2000 8・28 6

 

 

* 帝国ホテルのザ・クラブルームで、チーズ、サンドイツチ、そして赤ワインで遅めの食事をしながら、のんびり、妻と芝居の評判など。人少ななクラブは落ち着いて、自分の部屋のように過ごせるのが有り難い。

2000 9・9 7

 

 

* これはもう気分直しをと、一丁目の「シェ・モア」で、うまいフランス料理午コースを、赤ハウスワイン一杯だけで、ゆっくり堪能してきた。猪瀬直樹の文庫本『天皇の影法師』を読みながら、食べたり飲んだり。

得難い安楽・充実の午餐。

この店は、小さいが綺麗な佳い食堂で、フランス料理を静かに気軽に食べるには恰好の場所なのである。料理も、なかなか宜しく定評がある。山手なら麹町の「トライアングル三番館」が落ちつき、銀座は「シェ・モア」が好き。張り合いのある旨い洋食なら「三河屋」が佳い。

2000 9・10 7

 

 

* もう一軒、鮨の「きよ田」へ寄ってみたが、もう仕舞っていて、主人と路上で顔が合った。確かめると、たしかに「今年いっぱい」で店を畳むというのだ、そんなことを例会の席で小学館の相賀会長と話していて、耳うちされてきた。わたしの作家人生で、「きよ田」との縁は言い尽くせない。それは沢山な思い出がある。やむを得ない事情とはいえ、とてもとても惜しまれる。家に帰って妻に話したら、「それなら、毎月行きましょうね」と心から言う。「ああ行こう」と返事した。辻邦生、井上靖、山本健吉、小林秀雄、永井龍男。じつに懐かしいいろいろの大先輩の面影がこの店には漂っている。

2000 9・18 7

 

 

* 「きよ田」に行きたいというので、外苑前から銀座に戻り、うまい鮨を食べてきた。今年中に店を畳むと、朝、出がけの配達郵便の中に、挨拶状が届いていた。何とも言いようがない。せめて、冬到来までに何度か主人の顔を見に行きたい。やすい店ではない。いや、「銀座の鮨」とひところ「値の高いもの」の代名詞になった、その中でも途方もなく高価につく「きよ田」の鮨だけれど、いつも、それだけのことはある鮨なのだ。酒の酔いにも満たされ、いつものように路上で見送られて、銀座大通りの方へ店を出てきた。

一丁目辺で、ソフトクリームも食べたいというので、ひさしぶりにアイスクリームの専門店の店頭に腰をかけた。

2000 9・19 7

 

 

* 空腹を、楽しみはしないが、ま、いいですと、やり過ごせるようになっている。胃が小さくなってきたか。なにより難儀に見苦しいと思っていた腹の膨らみがいちじるしく減退した。いちじるしくと思っているのはわたしだけだろうが、妻も、さよう認知しているようである。服がゆったり着られるようになった。

2000 9・21 7

 

 

* 京都からすばらしい出来の松茸が届いた。繪の描けないのがくやしいほど、大きな締まった笠のひらきが美しい。土の香までが旨そうで。松茸飯にすると例年はすごい量を悦んで食べたが、今年はそうは行かぬ。佳い豆腐を買い、贅沢なほどの汁にもた。家の中を秋の香がただよう。

虎屋の「夜の梅」と「おもかげ」とが二棹届いた。最高の好物なのに、これも少しずつ。少しが、旨いという味わい方をいやでも覚えてきた。宇治の上林からも一保堂のお茶も、いただいて間がない。ありがたいことだ。  2000 9・27 7

 

 

* 春秋社は神田明神のわきにある。社を出て、さてどこかで食事をと横断歩道からすこしガーデン・パレス・ホテルの方へ移動した目の前に、なにやら小粋にハイカラに店を開けていたのが、お茶の水「小川軒」ではないか、地下の食堂に入って、スープ、サラダ、そして豚尾のシチューを赤のハウスワインで注文した。ワインの量が少なく、隠元のスープもサラダも、パンも、もひとつであったが、シチューだけは濃厚に純熟の柔らかさで、すこぶる美味であった。満足した。佳い店をみつけたものだ、それ以上の道草は食わずに帰った。ともあれ一つ肩の荷が下りてらくになり、オリンピックのいろんな種目をリプレイで楽しんだ。

2000 9・30 7

 

 

* 南座があいて、前から四列の真中央の席にならんだ。扇雀丈の女番頭さんに、来月の平成中村座「法界坊」二人分も含めて支払いをし、礼を言い、花形歌舞伎「鏡山縁勇繪=かがみやまゆかりのおとこえ」通し狂言を観る。

中村翫雀、扇雀の兄弟、中村橋之助、市川染五郎、それに吉弥や高麗蔵らがワキを固めた、本当に若手花形だけの舞台だが、それが活気をうみ、また台本がばかに面白くて幕間はごく短いというテンポのよさ。もう頭っからの歌舞伎・歌舞伎なのだが、歌舞伎の根の趣向だけでなく、岩藤の骨寄せや尊像の宙浮きには現代の超魔術テクニックを借用するなど、盛りだくさんにけれんと手管を嫌みにならぬ鮮やかさで連発したから、ただもう、引き込まれて面白がっていられた。おおッと手に汗もしたし、蝶の乱舞する演出など、なかなかやるなと感心もした。

常の舞台でなら、年季の入った大幹部の俳優たちに立ち交じって、若い生きのいい芝居をみせる若手四人が、此処では互いに競い合って一芝居を支え合う活気と協調。気持ちよく、若い芝居が若く元気に盛り上がり、終始いやみなく成功していたのは、大いにめでたかった。見栄えもした。「男岩藤」という趣向を掘り起こして存分に新脚色した意欲も利いた。「こんなのも、いいな」と思わせてくれた。

橋之助の由縁之丞が、女役、若衆役、本悪まで多彩に元気いっぱいに、なんだかとても楽しそうに演じ分ける。扇雀も、まずは滅多に見られない、老職の武士役と、絢爛の花魁や世話の女房を演じ分けながら、自害までしてみせるから、ご苦労であったし、しどころも有った。フアンは喜ぶ。

なにしろ四列目のまん中にこっちはいるので、橋とも扇ともしっかり目があい、ひょんな初対面の按配なのも、とても面白かった。すくなくも扇雀はわれわれが東京からわざわざ来ていることは知っているのだろう。こっちも一心に見るし、舞台の上でもうんうんと確認しているような按配。それほど近いところにいたので、よけい面白かった。

座頭格の翫雀も、大名と二枚目とを彼らしく颯爽と演じて父親の鴈治郎に生き写しなら、扇雀は母親の建設大臣に瓜二つというところ。立ち役にもはまるいい顔立ちをしていて、妻など、そっちの方もすてきねと、痺れていた。染五郎にはまだヒレがないが、これまた随所に高麗屋の芝居ぶりが出て、父松本幸四郎にそれはよく似ているからおかしかった。そんなことを言えば「歌舞伎さん」(寛子夫人の婚約の頃の表現)こと橋之助が、また若き日のお父さん芝翫丈にそっくりだ。「若手花形」とは、名実ともに偽り無き看板であった。たいして期待しないで来た分、大トクをしたほど面白い芝居見物が懐かしい南座で出来て、夫婦して、いたく満足。

2000 10・13 7

 

 

* 少し早めに出て、池袋で、来月の京都への往復切符を用意した。餡たっぷりの最中を一つだけ仙太郎で買い、行儀わるく歩きながら食べた。とても旨かったが妻は辟易していた。

2000 10・26 7

 

 

* 日比谷へ出て、帝国ホテルの「チチェローニ」でワインを。ほろほろ鳥がうまく、デザートを三種楽しんだ。「ザ・クラブ」ですこしやすんでから、銀座へそぞろ歩き、パンを買って帰った。いい休日を楽しんだ。明日からは、いろいろ仕事が待っている、二回目の対談の手入れもあり、連載原稿があり、こまごまとした頼まれ仕事に加えて、もう湖の本の次の発送へきびきびとした用意を重ねなければならぬ。「e-mag湖 (umi)」の作業もたっぷり必要なので、痛い肩こりは、さらに当分なおりそうにない。

2000 10・26 7

 

 

* どうやら、いま、階下へ沖縄土産の泡盛が届いたような。

 

* 泡盛がすこぶる旨い。やきとりと合わせて、痛飲といいたいが、やはり遠慮して、そのかわりしみじみ味わった。

2000 10・31 7

 

 

* 京都の河原町商店街のために書いた原稿に、お礼の大きな木碗二つが木匙を添えて送られてきた。お昼に、芋粥をそれで食べた。木のものは温かい。

夜は久しぶりに寿司を食べたのが、いいネタで旨かったが妻の分も少しまわってきて、満腹してしまった。

2000 11・3 7

 

 

* お気に入りの店で、銚子二本、上出来「三趣」の日本料理と、飯の代わりの稲庭うどんを、ゆっくりと。照明の明るい個室で校正のゲラがたくさんよく読めた。五時前に出勤してきた美しい人ともしばらく話し、見送られて辞した。池袋のさくらやで、プリンタのインクを三つ補充し、これで安心してコピーがとれる。パンを買って六時半までには帰宅した。

2000 11・5 7

 

 

* 女子の卒業生が、出張先の神戸から牛肉のご馳走を二種類、送ってきてくれた。ありがたく、家でもうすこし白い飯とその旨い昆布巻をご馳走になった。この人も、書いてみたいと。書ける人だと分かっている。楽しみに待とう。

2000 11・5 7

 

 

* ぐったりした。六時半に会議室を出て、乃木坂でみつけた、ちいさな、ワインと欧風家庭料理の旨い、静かで佳い店に入り、お任せの四品と、ドイツのグラス赤ワインとで陶然とし、やっと機嫌を持ち直した。理想的に佳い店だった、夫婦二人でこの三月には店をあけたという。わたしが一人だった。こういう洋風料理の店が欲しかったのが、思わぬペン事務局からまぢかにあり、乃木坂へ行くのが楽しみになってきた。現金なもので、出かけるときはからだが重く、地下鉄の駅から妻に電話で、なんだかシンドイみたいだと訴えていたのに、この店を出て坂道を登って帰る足取りがうきうきと軽く、鼻歌が自然と出ているのには、我ながら驚いた。妻は節食が過ぎていたせいでしょう、それでいいのよと宣う。さもあらんか。

2000 11・13 7

 

 

* はねて三時半。どうしようかと思ったが、すこしだけ日本酒が飲みたかったので、新宿駅のわきの京料理「柿傳」にあがって、縁高を注文した。これだと余分な米の飯は少なく、最良の酒の肴が盛り合わされて出る。上等の弁当に近いというか、その同類と謂える。案の定、実にうまい料理が出てきた。京の佳い弁当は、揚げ物と生ものとを使わない。揚げ物の付いた弁当というのは安物なのである。むろん、この店の縁高は、約束どおりのきちっとした食材をしっかり料理している。品数も豊富である。酒は「新政」を頼んだ。食器はどれもよく吟味されていて気持ちよかった。お給仕に出てきた和服の少女が、オリンピック水泳で金メダルの、あの岩崎恭子ちゃんによく似ていて可愛らしかった。

ついでに謂うと「柿傳」は、与謝蕪村が娘を嫁がせてすぐ喧嘩腰で取り返した、因縁のある老舗である。若女将のような人に「そうでしょう」と水を向けたら、苦笑して、「そんなようなことを聞いています」と。二百年は経っているのだから、そう気にすることはあるまいに。

料理にも店内の風情にも、妻はここでも大満足で、「また来たいわ」と強調していたが、縁高ていどならいいが、懐石はかなり高価に付く。再々は遠慮したい。

 

* 保谷駅の近くにコーヒー豆を売る店「ぺると」が出来ていて、手作り木工の小卓で呑ませもする。若い主人は木工が趣味、それと音楽。ガラリンとして寒々しいが、気分のいい店である。ブレンドの三百五十円のコーヒーが旨かった。東京會舘だと倍の値段だが、保谷のこの店のほども旨くない。やすくて旨いのが佳い。保谷では、駅からの帰り道に、図書館前に新しいイタリア料理店もできていた。楽しみが出来た。

2000 11・30 7

 

 

* 早く終えたので、一度はそのまま帰宅する気で麹町から有楽町線に乗ったが、池袋で下車し、西池袋のイタリア料理の店「文流」の、まだ客のひとりもいない食堂で、ゆっくり食事した。池袋では珍しくセンスのいい店で、小洒落ていて、旨い。アタリはずれたことがない。ただ、今日は一人だったが、女性客ばかりのような店で、気恥ずかしい。銀座のフランス料理「シェモア」もそうだ。

2000 12・7 7

 

 

* すばらしい牛肉、すてきな洋梨、金賞大吟醸の日本酒、洒落た瓶のオーストラリアワイン、そして実に品のいい味わいの吉備だんご。京都の冬の漬け物も沢山、豊かな量の葱、もう三十年来書かさず工場から贈られてくるユーハイムのケーキ。甘味。誕生日を前に、贅沢なほどの頂戴物があり、かなりイヤシンボウになってしまう。

2000 12・9 7

 

 

* 注射器と液はもちながら、注射針を持ち忘れたので困った。しかし、一度は試験してみたいと思っていたので、注射抜きで帰りに日本料理とご飯、酒は銚子で二本を新宿で食べてきた。夕刊を出されたのをゆっくり読み、相原さんの『鎌倉史の謎』を読み、美しい人とも逢ってお酌してもらい、見送ってもらって、電車の中では『空白との契約』というミステリーに読みふけりながら帰った。池袋東武の「仙太郎」で例の餡最中を一つ売ってもらって、歩きながらしみじみと賞味、これもご機嫌であった。念押しに保谷駅のパン屋で食パンを買ったついでにネジドーナツを一つ買い、吹きッさらしの寒風の道をほくほく囓り食いながら家についた。すぐに血糖値を計ってみた。164。食後一時間の値としては、インスリンを打っていなくてなおこれなら、まず尋常で、おそらく、このまま明日の朝になれば、110前後には下がっているだろう。よほど落ち着いているなと感じている。

2000 12・11 7

 

 

* お茶の水で用を済まし、上野へ回った後、九ヶ月ぶりに、本郷で天麩羅を食べた。天麩羅が好きなのか、油というものが好きなのか分からないほどの男だが、糖尿病は「ア・ウンの呼吸」といわれるほど、油と運動が左右するんだそうだ。正直に大好きな天麩羅は堅く避け続けてきた。しかし考えてみれば他のもので油ッ気はいやでも摂っている。天麩羅の油などむしろ安全なのではないかと、暗に、憾みがましく推察していた。そして今日、特大のかき揚げを主にして、天麩羅と烏賊の塩からで、酒を少し飲んだ。白い飯も食った。あまり上等の天麩羅ではなかったが、文句無し。

2000 12・13 7

 

 

* 千石から春日まで地下鉄で動いて、弓町のフランス料理「楠亭」を楽しんできた。画家甲斐荘楠音の故縁の地であり家屋敷であったのが、大楠のみ残してビルに建て替わり、その一階が清潔な食堂に変わっている。前から一度このレストランに行ってみたかったのが実現できた。料理には風格があり、器にも風格が感じられて、全体にすっきりとした味わい。前菜からスープから、量はさしたることはないが、それも糖尿のわたしには有り難く、今宵はことに赤のワインの口当たりが抜群に良くて、飲めてしまってかえって弱った。

妻は、今日は女学校以来の友人と音楽会に。

本郷三丁目からまた大江戸線で練馬へもどり、西武線に乗り換えて帰宅。

2000 12・16 7

 

 

* サントリー美術館の下のイタリアンバーのカウンターで、サラダやパスタやピッザなどを数種類注文し、旨い赤のワインを一本。のんびりして楽しめた。永田町駅まで地下を歩いて、池袋経由西武線で帰った。あと三日間、いろいろ、ある。

2000 12・19 7

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