ぜんぶ秦恒平文学の話

食べて飲んで 2001年

* 三ヶ日は白味噌の京の雑煮で、昔はおそろしく朝早くに祝ったが、我が家も以前は早めにしていたが、今ではゆっくり朝寝し昼近くに祝っていて、今年も例外ではなかった。おかげで落ち着くのである。

味噌雑煮が好きだ。

四日は、昔から、午に焼いた餅の澄まし雑煮を祝う。これも好きだ。七日は七草の粥に小餅が入り、これが大好き。野菜が嫌いだったのに七草粥だけは粥が旨くて、「あっさり」という美味を覚えた。十五日は小豆粥の雑煮で、小餅の小豆色にこなれた味が佳い。これも好き。よほど餅が好きと見え、菓子でも餅菓子が好きで、道明寺のように餅米の舌触りのあるのが大好き。甘いものはみな好きだったが、餅の味わいもなによりである。

2001 1・4 8

 

 

* 夕方から、雪もよいに急激に冷えてきた。それでも妻の誘いで、近所に最近出来たイタリア料理の店へ歩いて出掛けた。ちょっとわが保谷の田舎とは思えない綺麗なつくりの静かな店で、ワインの品揃えがなかなか、料理もきちっとしたコースで出る、こういう店が保谷に欲しいなと願っていた通りの、佳い店であった。気の毒なほどすいていて、客はわれわれだけ。ウェイトレスが可愛く行儀よく愛想がいい。猪瀬直樹が「ぜひ読んで」と年賀状にまで書いてきた『黒船の世紀』や、また好評嘖々の彼の『ピカレスク=太宰治』を話の種に、のんびりと温かく、食事してきた。赤のグラスワインを二種類もらったが、ことに一つが旨くて、つい三度もおかわりしてしまった。パンも旨かった。パンの旨い店は安心だ。

2001 1・7 8

 

 

* 渋谷は遠慮し、しかし時間的に三時前では新宿も銀座も半端な気がしたから、池袋に戻って、久々に、そう十一ヶ月ぶりに、パルコ「船橋屋」の新しくなったカウンターで、天麩羅を食べ「笹一」を飲んだ。となりに七十だという和服の会社経営者さんがしきりに話しかけてくれて、賑やかな食事になった。店で「烏賊」を揚げさせれば一番かと思う職人の前に席を選んだが、やはり烏賊をとてもうまく揚げた。これだけは、明らかに職人の腕により、うまいへたがある。ほめたら、我意を得たように顔をほころばせ頷いていた。わたしは「笹一」を、お隣りは「久保田」を飲んでいた。

2001 1・14 8

 

 

* 一月は理事会休会。昼に小豆粥の雑煮を祝った。いつものように善哉も煮た。甘さは抑えたが、昔からの楽しみである。子どもも孫もいないけれど、木の椀で、小豆の粒をホツホツと舌に転がしながら、雑煮も戴いたし、あいに、善哉も賞味。お正月が通り過ぎて行くなあという一抹の感慨がある。

ことしは、お正月らしい飾りはなにもしなかった。清水六兵衛さんに頂戴した白茶碗、黒茶碗の一対をならべ、日々眺めていたのが心新たにいつも清々しい見ものであった。身に余る頂戴物であった。

2001 1・15 8

 

 

* 截金の江里さんから戴いた奈良「和久傳」の、笹に巻いた、蓮根の粉を蒸してあるのだろうか、舌にとろりと甘いういろうのような、ちまきのような菓子が、とても旨い。四国からの牛肉も、今日はすこし酢の味であっさりと湯に通して食べたのが、とても、よかった。そしてとりどりのチョコレートの箱の蓋があいて、日に一粒ずつあれかこれかと選んで食べるのがストレス解消に何よりである、が、77キロに減っていた体重が、正月の一月で、2キロほど跳ね上がっているのを如何にせん。ウン。

2001 1・28 8

 

 

* 天気よく、さほど冷え込みもせず。気を大きくして、帝劇下へ戻って香味屋で洋食、赤いワインを二盃飲んだ、ゆっくりと。気分の良くなったところで、「クラブ」へ席をうつして、チーズでウイスキーを少し多めに楽しんだ。わたしは、ウイスキーはストレートでしか飲まない。シーバスとバーボンとを交互に味わった。べつに酔いもしなかった。寒くなりすぎぬうちに丸の内線で帰った。

2001 1・30 8

 

 

* 妻の仕入れてきた芋焼酎が36度ぐらい、初めは芋の匂いであるが、濃厚に酔いを誘って旨い。午後中、留守番をいいことに、ちびちび、結局瓶の半分は飲んでしまった。おかげで、風邪気味かと怖れたのも飛んでくれた。

2001 1・31 8

 

 

* 四時から六時の会議なので、今日は六時開店の「ル・サンキエーム」に寄れた。カウンターで、二皿のオードブル、そして、なにかしら骨の付いた鳥の肉。パン。デザートとエスプレッソ。イタリアのとドイツのと赤ワインをグラスでもらい、もう一つ、飲んだことのない変わり味のブランデー。ブルーチーズ。一つ一つ、いろんなことを言うのはもうめんどうくさい、とびきりどれもこれも美味く、堪能した。満ち、足りた。佳い店だ。量はすこしずつだが、調理に気も手も入っている。一皿めのオードブルが殊によかった。乃木坂と縁が遠のいても、この店にだけでも出掛けてみたい気がする。

2001 2・1 8

 

 

* 欧風料理の「サンキエーム」からメールが来た。大江戸線の六本木から店へ七分で着くと書いてあり、驚いている。ペンの会議室へ大江戸線で通えるかも知れない。いつも地下鉄乃木坂でおりて会議室まで七ないし十分歩いていると思う。池袋と原宿と二度乗り継いで行っているのが、練馬での乗り換え一度で済むのなら有り難い。

2001 2・2 8

 

 

* 昔の紀元節。粕汁が欲しくなるから不思議だ。好い酒粕が今年はまだ手に入らない。 2001 2・11 8

 

 

* 夜分、メールが十数通届いた。チョコレートを送りましたというのも。先日は沖縄の42度もある麦焼酎を贈られ、痩せないなあと思いつつ数日で飲み干した。チョコレートも、あれば、嬉しく手を出す。よくよくの食い気人間である。

2001 2・13 8

 

 

* そんな次第で、出る気の無かった晩のペン例会にも出席し、いろんな会員の顔も見てきた。なにも食べず、赤いワインばかりたっぷり三杯も飲んでしまった。東京會舘の向かいのビルで、来がけに見つけておいたダウンの上着の、「このさき用」のを買い、「クラブ」へも寄らず一路保谷へ、そして駅で買ったパンを道々かじりながら、家へ。

2001 2・15 8

 

 

* 会を終わって、ほっこりした。わたしひとりが乃木坂駅へ戻り、家に電話したら昨夜の夜更かしで妻は疲れていた。食事は外で済ませてきてというので、銀座かなとも思ったが、先に来た明治神宮への地下鉄にのり、山手線に乗り換えて新宿で下車、深切につくった肴三種で日本酒をゆっくり飲んだ。ご飯の代わりに稲庭うどんをあっさりと。酒と食事の間に谷崎の戯曲「本牧夜話」「愛なき人々」を読み上げ、寒風に巻かれながら大江戸線で練馬経由、帰った。きもちよく、くつろげた。

2001 2・16 8

 

 

病院での首尾のいいのに気をよくして、いつもの通りに、特大の栗入り三笠を一つ買って歩きながら食べたり、足任せに地下鉄に乗ったり電車に乗ったり、そして行き当たりの店で特大の「鰻重」をとり、大徳利で三合の酒を堪能してから、帰った。保谷では「ぺると」で頼まれていた深炒りコーヒーを買い、コーヒーを味わい、若い青年店主ときらくに暫時談笑してきた。きもちいい一日であった。

2001 2・27 8

 

 

* 一時過ぎに銀座「シェモア」で、時間をかけて食事した。前菜二皿、スープ、魚、肉、そしてデザート。申し分なく期待した通りにうまかった。わたしは、うまくさえあれば料理がどうつくられていたとか、食材が何であったかなど気にしない、ワインと料理がうまくてリーズナブルな値段であれば何の文句もない。「シェモア」は、小粋なセンスのいい食堂であり、食べさせてくれる料理は、池波正太郎が町なかのフランス料理なら「シエモア」と推していたとおりの、旨い、そして有り難いことに手頃な値段の、親しめる店である。問題は一つだけ、圧倒的に女性客ばかりで、ときどき気恥ずかしい。今日は妻といっしょだったが、そういうペアの客は一組もなく、すべてが女性客のように見えた。わたしは壁の方を向いて席を取った。セーブルの焼物などが瀟洒に飾られていて、こぢんまりと静かである。むろん、妻も満足し満腹であった。

改装の成った松屋をのぞき、銀座、東銀座をぐるりと歩いて、四時前に歌舞伎座前で昼の部のハネるのを待った。

2001 3・14 8

 

 

* 寺田寅彦の随筆に出てくる福島屋という巣鴨駅前の餅菓子屋にふらふらと帰りに立ち寄って、インシュリンの注射をして置いて、ワラビ餅とぜんざいの上に、餅菓子と煎茶とを注文してしまった。どうも「餅菓子」という表現に弱いのである。体重のリバウンドも恐れ有り。花粉が早く消えてくれて、また自転車運動に取り組まねばいけない。

2001 3・18 8

 

 

* 栃木の読者からおいしいお米ですと、三十キロちかくドーンと贈られてきた。たしかに、旨い。当分我が家ではパンというものを食べないことに決めた。パンには油分がどうしても入っていて、だから旨いし、だから血糖値にひびく。「あ・ウン」の呼吸といわれるぐらい、油の節制と運動の励行とが糖尿病では大事。ところが、油が大好きで、面白くない運動などイヤだと来ている。炭水化物は、適切に、相当量は食べてくださいよと看護婦さんに言われている。聞こえていったみたいにお米を大量に頂戴した。半年分はある。忝ない。

2001 3・27 8

 

 

* 栃木から、またもお米が三十キロも贈られてきた。旨い米であるが、老人二人に猫一匹。息子にもわけてなお五十キロもお米がある。昔は米びつに米のない心細さを家族中であじわった。有り難いことであるが、カビにしてもいけないので、ご近所にわけて、貰ってもらおうと相談したところ。

追いかけて京都の筍第二陣が到来、これがまたとても旨く、飽きることがない。木の芽をそえた筍飯は、一升でも食べてしまいそうなわたしだから、妻は用心して、ぎりぎりいっぱいを炊く。筍と若布とはなんであんなに旨く味がなじむのだろう。

2001 4・19 9

 

 

* 朝も少ししか食べていなかった。病院で昼を食べている余裕がなかった。会議は長く、やっと八時、空腹にも堪えかね新宿で旨い和食を食べてきた。お銚子はいつもより一つへらし、飯は取らなかった。ちいさな個室があてがわれて、明るく、ゆっくり湖の本の初校が出来た。美しい人が来てくれ、こころよくお酌をしてくれた。刺身の鯛が今夜はひとしお旨かった。

家に帰ったのはもう十時であった。幽霊党員の白票をかき集めめている自民総裁選挙の腐臭を久米宏の番組が伝えていた。政治の世界には美しいものはないのだと、さっきの酒の味が恋しかった。

2001 4・20 9

 

 

* 越乃寒梅を一本戴いた。このところ手に入れにくてご無沙汰だったので、これをおいしく頂戴してからの節酒としよう。などと、理屈をつけている。

2001 4・21 9

 

 

* 夕過ぎてから、妻と、電車で一駅西のひばりヶ丘へ行き、以前から贔屓にしているビストロ「ティファニィ」で晩餐。フランスの赤ワインをハーフで。料理はいつものようにシェフに一任して、何が出来るか楽しみに待った。店内がどうという店ではない。クリムトのレプリカがやたらにあるが、繪は好みではないのだ、ところが料理は失望したことがない。自家製のパンもうまく、シェフが自身で丹精の赤米の飯もうまい。赤米は皇室の祭事用ぐらいにしか作らない。面白いことにこだわったビストロである。ここのメインはソーセージ。これが文句なくうまい。マリネにした各種の魚や野菜もうまい。満腹した。

 

* ちかくに「田中」という普通の民家の中に出来た風変わりに佳い蕎麦屋があると、妻は聞いていた。五時で終わる店でもう明いていないが、満腹していたし、在処だけ観ておこうと住宅地の方へ歩き出したところで、ちいさな店の奥にウーンと唸る好みの服が、女物の服が、目にとびこんできた。わたしは自分の恰好などどうでもいいので男物にはダメだが、女の着るものには、昔からきちっとした趣味と目をもっている。あれがと指さしたものは九割以上の打率で、妻に合う。今宵のも、シホンの、タンクトップにふわりと着込める上着で、デザインも柄もイタリアの、それは気の利いた佳いものだった。よくまあひばりヶ丘のこんな場所にと思ったが、相当にいい値段でもあった。それでも妻はよろこんで買った、蕎麦屋のことなどそっちのけで。楽屋を訪れて沢口靖子と張り合う気か、まさかね。

倉持さんの送ってきた「ステラ」に紹介の沢口靖子の写真、なかなかけっこうで。デスクトップにスキャンしてとりこみたいが、まだ、二台の機械に対して周辺機器の配分と設置が決まらないでいる。

 

* 子どもの声のしない「子どもの日」だったが、ま、近間の散策でご機嫌の食事と買い物が出来、これでよいとしよう。

2001 5・5 9

 

 

* 三時間の会議は坦々と過ぎた。御成門からの三田線を日比谷で下りてみたら、目の前がいつもの帝劇モールだったので、「きく川」の鰻に惹かれて立ち寄った。菊正宗の正一合で二匹の鰻重をたいらげた。じつに結構であった。きゃべつの漬け物、蕗の煮物も沢山食べた。有楽町線に乗り換えてまっすぐ帰った。

2001 5・14 9

 

 

* 日比谷へ出て、東宝芸能の入っているビルの三階、「東天紅」で久しぶりに中華料理をゆっくり食べた。わたしはマオタイ酒を小さいグラスで二杯やり、妻は料理がおいしいと満足していた。むろん観てきた芝居の感想を詳細にかわしあったのも毎度のこと。静かな静かな広い店内を、時間も早くて、われわれだけで占めていた。

銀座一丁目まで歩くうちに宵は深まり、必要な買い物のほかにとうとうDVDの映画を二作、また好物のブルーチーズを三種買って、有楽町線で帰ってきた。帰ってからつい観てしまったスチーブン・セガールの映画が三流娯楽作で時間の無駄をした。

2001 5・17 9

 

 

* 四国からうまい牛肉がたっぷり届いた。花籠さんの一月早い桜桃忌の、そして湖の本十五年のお祝いである。忝ない。昨深夜に来ていた建日子といっしょにご馳走になった。サッポロの発泡酒というのを半ダース買ってきた。おいしい肉であった。ことに肉の好きな息子が喜んでくれた。満腹した。

2001 5・23 9

 

 

* 国際討議の原稿は幸い一度でオーケーになった。新しい時代の「出版」のなかで読者と作者の問題を率直に語った。従来の「出版」の議論の特徴はねそこで書き手や読み手の存在にほとんど一顧もしないことであった。わたしの「湖の本」は、そういう「出版」への力の限りの「批評」こういであったことが、ようやくかなり広く認知されてきたと思う。だが、ことはわたしの問題ではない。これからの問題、新たな時代の問題なのだ。わたしは実践してきた。

2001 6・18 9

 

 

* ビールや酒が届いてくる。ウーンと唸りながら、気分は豊かになる。青田吉正氏から、いい蕎麦がたくさん贈られてきた。蕎麦の味がいくらか分かるようになった。有り難い。

2001 7・4 10

 

 

* さきの青山学院大学長であった内藤昭一さんから、今朝、照るように美しい甲斐の大桃十顆を頂戴していた。栃木の読者からは二週つづきに、房実の小さい、また大きい葡萄がたっぷり四箱も贈られてきた。その前には小ぶりの西瓜、特大の西瓜も続けて贈ってきて下さった。徳島の和牛もとびきり美味しくて、数日を夫婦で楽しんだ。息子もお相伴にあずかった。みな、湖の本のご縁。ありがたいことだ。

2001 8・14 10

 

 

* 行きがけ渇くように欲しくて、池袋東武の「仙太郎」で、大きいおはぎを一つ買った。盗み食いのようなもので、ひとしお旨い。乃木坂に着いて、少し時間が有ったから、また堪らず、イタリアンの店で小さめの生ビールを一杯くいと流し込んだ。なんという口卑しいヤツかとぶつくさ言うもう一人のわたしを軽く窘めて、バランス、バランスとワケの分からないことを呟きながら、四時前、日本ペンの事務局会議室に入った。ペンの会議では、糖尿病以来、わたしには甘いものを出さないでいてくれたが、今日は、他の出席者と同じに金つばのような菓子が出て、これも美味しく食べてしまった。口福ということばがある。

2001 9・6 10

 

 

* 十八日のシンポジウム「今、表現があぶない」の打ち合わせは、ほどほどにやっと出来た程度、それほど時間を図書館問題のために割いた。終って七時をだいぶまわっていた。昆布数の子のつきだし、烏賊と鯛と鮪の刺身、新松茸の土瓶蒸し、そして銀杏、筆生姜、簪揚げのついた鰆の焼き物。控えめに銚子は二本に抑えて、うまい食事をしながら、雑誌「春秋」や雑誌「創」を読んできた。「創」の小泉首相特集がおもしろかった。

2001 9・6 10

 

 

* 栃木産のコシヒカリ米30キロが贈られてきた。新米である。さっそく賞味、断然ちがうのだ、じつにうまい。ご飯だけで堪能するほど。自然と人工の名産である。

2001 9・19 10

 

 

* 暫くぶりに街歩きしてきた。飲み食べ歩きとも言える。久しぶりに中華料理を食べた。マオタイがなく、しかし、とても味の似た「郎」とかいう酒を置いた店で、これがマオタイなみに旨かったので、料理もとても旨かった。高い高いビルの高い高い階の店に上がってみた。テロの飛行機が当たってきたら怖いなと思いながら、遠く遠くに夕霞む富士のシルエットを眺めていた。夢心地で、庄司肇さんから送られてきた「千葉文芸」を読んだ。佳い刺身で、もう少し、飲みたくてたまらなくなり、もう一軒に立ち寄って、日本酒を少量口に含んでから帰った。そういう贅沢が、すこぶる幸せであった。何の用事もなしに、急に思い立って一人で出て時間を過ごした。しばらくぶりの休息であった。

2001 9・22 10

 

 

* 時計を見ながら、西洋美術館のれすとらん「すいれん」に入り、気に入っている閑静な内庭に向かいながら、特別メニューのコースを食べた。赤いグラスワイン一つ。そして中村光夫先生の「正宗白鳥」論をとても面白く読んだ。十二時半がまわったころで、また午後診察を受けに聖路加病院に戻った。

 

* 病院を出てからは、いかにも「解禁」気分で、つまみものもなしに、一気に中くらいのジョッキを二つ運ばせ、生ビールを肴に生ビールを堪能したりして、街をうろつき歩いた。池袋まで戻ったら、無性に「仙太郎」の店が覗きたくなり、東武地下に入り、ごく少しずつ幾いろもの和菓子を買ってしまった。それでも足りず、黄粉をまぶしたお萩を一つはだかで買い、ご機嫌で歩き食いしてから西武線に乗った。

家では、もう戻ってゆく前の建日子と夕食をいっしょにした。

2001 10・2 10

 

 

* 霞ヶ関から日比谷に戻り、「クラブ」で、サイコロステーキと三種の酒肴で、ブランデーとバーボンをむろんストレートで二杯ずつのみ、かやく飯を食べて来た。帰りがけ、ガルガンチュアで、一つ六百円のケーキがひどく旨そうなので二つ買って帰った。濃厚かつ豪華なケーキ。保谷駅をでると小雨で、いそいで、折畳み傘をひらいた。明日は、どうやら激しい雨のなかを聖路加まで行かねばならぬ。眼科診察である。近所の医者にも行くとか、メガネを作り直すとか考えていたが、すべて、出来なかった。次の目標は、無事にペンの日に「電子文藝館」公開へ持ち込めるか、それだ。雨の音が激しい。

2001 11・5 11

 

 

* 石川の清酒「萬歳楽」が届いていた。いつしれず、ワインも戴いて三四本。動物蛋白質や卵を控えるようにいわれてきた。酒は少しにと。飲む機会、今月はこれから幾度と無くあるだろう。さしあたり明後日は久しぶり旨いものを喰う「みらくる会」に出るつもり。蕎麦づくしだそうだ。

2001 12・4 11

 

 

* 蕎麦で会費一万円はやはり高い。神田「まつや」を借り切っての「みらくる会」は、あまり、「みらくる」な食事会ではなかった。酒は石川鶴来の吟醸酒、つまりはアルコールを混ぜた味付酒で、値は高くても、純米ものではない。自分から出掛けていったのだから文句の言い様はないけれど、まがい物の酒ではしようがなかった。これなら、帝劇モールの「きく川」の鰻で、「菊正」の熱燗を安く飲んでいる方がマシだった。しかし、まあ、年に一度ほどの参加であるから、あまり偉そうなことを言ってはならない。

2001 12・6 11

 

 

* 伊藤桂一作品の初校に妻がかかりきりだったので、ちかくのお宮前の小さなビストロに行き、うまい夕食をした。魚も肉もあり、デザートまでふくめて六皿、赤坂で店じまいしたサンキエームより、凝って旨い料理をやすく食べさせる。だいたい料理がどんなものであったかなど説明されるのもうるさがる方なので、洋食の場合はとくに何を喰ったとも言えないが、魚は鱸で、肉は豚のシチューが逸品だった。アスパラガスのスープも、前菜二皿もいたく気に入った。デカンタのハウスワインがもう少し旨ければ、満点をあげたいぐらいで、話題は文学と文藝館の作品。

映像の「阿部一族」の話をしていると思わずこみ上げてきそうで困った。山崎努、蟹江敬三、藤真利子、石橋蓮二など、顔を想い出すだけでわたしは興奮する。

伊藤さんの小説も佳いのだ、時代読み物ではない、兵隊さんと馬と中国のはなしだ、妻はグズグスと鼻をつまらせながら一字一字読んではスキャンの認識ミスを直している。

家の近くに佳い店が欲しいと思い、「ふぃれんつぇ」が出来ていたのが、ま、片道十分はかかるのに、「ケケデプレ」は五分とかからずにサンダルで行ける。おしゃれな店ではないが料理は出来る。ありがたい。

2001 12・16 11

 

 

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