ぜんぶ秦恒平文学の話

食べて飲んで 2003年

* 出久根達郎氏の直木賞作品から、佳いところを引き抜かせて貰った。自由につかってくれてよいと承諾が得てある。わたしの湖の本も、新たに入稿した。また一段と落ち着いた。

昨日は小豆粥のあとで、恒例の善哉ができた。甘いが、とびきりうまく、今日も、少しずつ何度にも食べた。

2003 1・16 16

 

 

* 好天、暖かであったが、歩く気なく、香味屋でシチューを食べ、レバンテで牡蠣を食べて、有楽町から山手線で池袋を経由、帰宅。ワインとビールで、山手線では寝てしまった。西武線では本を読んだ。乗り越しそうになった。

2003 1・17 16

 

 

* 池袋に戻り、ひさしぶりにパルコで天麩羅と、甲州の美酒「笹一」を楽しんでから帰った。妻が「ぺると」に寄って行こうというので、コーヒーを呑んで帰った。

2003 1・28 16

 

 

* かすかながら、花粉到来をはっきり体感している。

 

* めげてもおれないし。銀座「やす幸」のおでん一人酒、晩方にふらりと出掛けてみたい。「日比谷クラブ」が更新の会費をと云ってきている。送金より、行って支払ってくる方が早い。

そういえば、先日、からすま京都ホテルのバーで、「響」と、「ジョニ黒の原酒」とを飲んだレシートをみると、響きが2400円、原酒が3700円。いずれも、ツーフィカンガー。ま、それより多かったが。うまい酒だった。

千葉の卒業生にもらった久留里の「天の原」も、うまくて、二晩で、したみ酒とは相成った。酒よりも、炭水化物を控えた方が体重のために良い。あれッ、酒は炭水化物だっけ。

2003 2・7 17

 

 

* はねてから、白山方面へ歩いているつもりが、勘違いで巣鴨へ戻っていたので、そのまま池袋に帰り、メトロポリタンホテル地下の「ほり川」で、とびきりの鮨を食べて帰った。妻がお気に入りの店。店にはいるまでは少し胃が重い気分であったが、うまいものに出逢うと、忽ち酒もうまく、くつろいだ。よかった。喫茶室で、抹茶のアイスクリームをとり、口もさっぱりして、電車は保谷まで寝て帰った。

2003 2・13 17

 

 

* 相模女子大の馬渡教授が、土佐の文旦をものの二十も贈って下さった。赤ちゃんの頭ほどある。黄金色に照って清らに薫っている。体に良く、食して旨く、季節の恵み、人様の厚意。有り難い。

2003 2・19 17

 

 

* 三軒茶屋からまっすぐ水天宮まで乗り、また中華料理の「翆蓮」で食事。紹興酒と汾酒。妻の注文でフカヒレの姿煮を主にした、セット料理。最後の、タピオカの入った冷たい杏仁豆腐までが、とても旨かった。この店へは去年の十二月雨の中を、誕生日に拘わらずひとりできて、食事したのが二度目。望月太左衛さんの会がこの近くで有ったのだった。

店の女の子がわたしを覚えていた。食事に満足し、帰りに三原堂で三笠を五つ買い、日比谷線で銀座へ、銀座一丁目から有楽町線で保谷へ、ゆっくり寝て帰った。

2003 2・26 17

 

 

* 高島屋のわきの美国屋という古い小さい小さいビル店にあがり、鰻を食べた。白雪一本。鰻も酒も佳いのは知っている。ところが今日は二階にいた女店員が、若い方の店員を捕まえて終始店のやりかたについてのグチやタキツケに終始し、本も読めないで聞かされている始末、これには参った。なにしろ狭い店なので防ぎようがない。おまけに相席になり、大きなマスクの鼻をならしたおばあちゃんで、ガクン。

口直しもしたかったが、日和がよろしからず、雨雲に追われるようにまた銀座から有楽町線で保谷へ。その間、白雪が腹中で溶けたか、ぐっすり寝入ってしまい、あやうく保谷で乗り越すところだった。

家までの十余分、かすかに雨足に追われたが滑り込んだ。

2003 3・3 18

 

 

* 今夜の秦建日子脚本「最後の弁護人」は、きれいに纏まり、クオリティでは、ここまで九回の最良作か。出だしも、結びから予告編へも、上手であった。タイトルバックにとても恵まれている。

こういう番組では「犯人無罪」が自然の前提。その思いが底にあるから、これでどうして無罪なのかと、観客は考えざるを得ない。現場での少年達の暴行は作り話とは思われないから、それでなお無罪となると、通報者ないしは別の殺意ある真犯人の時間ずれの犯行を疑うのは、ペリイ・メイスンこのかた、いろいろ似た本をわたしも読んでいて当然察しが着く。被害者女性の聞き込み現場で同席の課長が突っ立った瞬間、こいつが絡むなとすぐ分かる。まして殺人現場が視野的な盲点にあると示唆されると、一気に全貌が見えてしまう。なぜそんな場所に課長が先ず来て隠れていたかの説明が欲しくなる。説明は、無かったと思わないが手薄であり、ま、その辺が唯一弱点であった。だが、その他では、少年の性格も出ていた。上司と部下の女との関わりよう、情けないけれどあんなところかと見えた。

純名理紗という配役に少し愕いた、意外性が利いた。今日の昼間にも、彼女と高島兄とのコマーシャルをみながら、純名理紗のようなのが、あれで日本的な下ぶくら美人の原型だろうねと妻と話していたばかり、その晩に本人が建日子の番組で殺人犯で出てくるとは思わなかった。はじめ純名だと気付かなかった。彼女は帝劇で「細雪」のこいさんを演じて地唄舞を見せてくれた。スサノオに救われる出雲八重垣の櫛稲田姫とは純名理紗のああいう顔だったろうと、わたしは、出雲神魂神社の壁画をよく思い出すのである。

ま、建日子はよくやったと、いい気分だった。ウドウ事務所の連中のかみ合いがたいへん宜しい。楽しい。ロバの須藤理彩には、何かにつけ点の辛いうるさいわたしも、殆ど手放しで満足している。ケチをつけるスキが無い。サルの翼クンもさまになってきた。

そして来週最終回の「結び」ようが楽しみだ。あんなに早々と帰らず、いっしょに観て行けたら、めったになく、面と向かい息子を褒めてやれたのに。

 

* ドラマをみながら、妻が差し入れの「初孫」という純米の酒を、四国から戴いた、うまいてんぷらを肴に。てんぷらとあるが、上等のはんぺん、いやかまぼこ、である。

2003 3・12 18

 

 

* 五時過ぎたので失礼し、帝国ホテルにより、先夜忘れていたアメックスカードをクラブで受けとり、外苑前の「ハーレム」という店での「みらくる会」に出てきた。会主の大国真彦先生と暫く隣席で話すことも出来た。

なにしろ此の「うまいものを喰う会」では、わたしとは縁の遠い畑の人ばかりで、容易に馴染めない。大国さんのほかには知った人はごく少なく、今夜はごく少ないそれらの人が殆ど来ていなかった。大国さんと話すぐらいしかなかった。

トルコ料理は、はっきり言って不味い。ただ、南アフリカから輸入のワインがすこぶるうまく、わたしは、料理には手をあまりつけず、ワインだけを重ね重ね楽しんできた。

2003 3・17 18

 

 

* 息子たちの来たとき、京の「おたべ」を土産にくれた。いわゆる銘菓「八つ橋」のヴァリエーションで好物である、が。妻の話だと、うちの息子は、もともとのかりっと焼いた菓子「八つ橋」を、「そんなの有るのか、知らなかった」そうだ。

柔らかくて餡入りの「おたべ」がもっぱら今は人気らしく、しかし、あの歯ごたえのする堅い「八つ橋」も、噛むにつれて佳い味わいなのだ、が。堅い「八つ橋」がだんだん柔らかい「生八つ橋」に移行し、今では餡の「おたべ」に。飯よりお粥という好みに似ている。

妻は息子に、業平東下りの「八橋」あの板橋、を、持ち出して銘菓の由来を教えたという。この頃は、たしかに包み紙などに杜若と八橋の繪が色刷りしてある。しかしもともとの、あのまるく背を盛り上げて焼いた、堅い「八つ橋」の形は、箏曲八橋検校に由来の「琴」の形を模したと、わたしは子供の頃から覚えてきた。

ひょっとして今では「板橋」形の平たいのと、「琴」の形に盛り上げたのと、さらに「生」のがあり、「餡」のもある、ということか。時・世を経てモノは、質も形も移り変わるということか。

2003 3・31 18

 

 

* けっきょく、おおまわりして、ひばりヶ丘の街に入り、なじみのビストロ「ティファニー」で、妻はあっさりのパスタ中心に、わたしはこってりとシチューやソーセージを食べて、じゃがいものスープ、ほうれんそうのパン、そしてメロンのアイスクリーム。散歩のハテには佳い晩ご飯で、赤いワインもコーヒーも結構であった。

ここは食べ物が気に入りの店、内装などはごく冴えないが、シェフが自然食品にもこだわっていて、自家製のものを吟味して出してくれる。

ひばりヶ丘からは西武線を一駅乗れば保谷に帰れる。なに、保谷もひばりヶ丘もおなじ西東京市のうちだから、普段着でらくなもの。

2003 4・7 19

 

 

*  嗜眠症ではなくたんに体調不良ということ。熱っぽい。寒いというのはわたしだけだ。こういうとき、ウイスキーはきつい。以前だと「保谷武蔵野」へ走れば紹興酒があった。いい店がやたらあちこちで潰れる。銀座に鮨の「きよ田」「こつるぎ」がなく、ビヤホールの「ピルゼン」がない。惜しい。

2003 4・10 19

 

 

* 京の「ひさご」鮨からよくえらんだ若筍が十本も送られてきた。目覚めてダイニングに行くと、もう若布と煮てあった。淡いきぶみと柔らかな歯触りに季節感を満喫。さて何と云おうとも十八日には聖路加へ行かねばならぬ。それだけの体力を作っておかないと。

2003 4・15 19

 

 

* で、戴いていた、清酒「成政」を好きな塗り片口に少しずつうつし、気持ちよく飲んだ。初めての富山のお酒だが、豊潤清冽。口中に馥郁とものの薫る心地であった。感謝。肴は京の筍と若布、木の芽。ありがたい。

やっとこれで外出も出来るか、もう一用心か。宵には一つ郵便物があり、近くのポストへ自転車で走った。寒くはなかったが強風に揺られた。

2003 4・21 19

 

 

* 明るく気持ちよく晴れた三宅坂を歩いて下り、お濠や大内山の緑に胸の底まで洗われる心地のまま、写真も撮り、そして歩き疲れた妻のためにタクシーを拾って、日比谷「福助」で、板さんに任せて美味い鮨を食い、みぞれの酒を二合ほど飲んだ。肴の珍しいのと旨いのを、切ったり握ったりしてくれたので、気持ちよく食事を満喫した。祝日でホテルのクラブはあいていない。日比谷から地下鉄有楽町駅へそぞろ歩いて、そのまま帰宅。

2003 5・3 20

 

 

* 劇場を出たのが四時少し過ぎ。近くの蕎麦屋で、わたしはモリと菊正一本で小腹を温めた。妻は季節はずれの鍋焼き饂飩で注文の失敗。

元の朝日テレビがあったあたりに、六本木ヒルズとかいうゴタゴタしたあまり美的でない建築群が、人を呼んでいた。妻はまた来ようと言うが、わたしは二度と願い下げだと感じた。毛利庭園を上から覗いたが、水たまりの周囲にコンクリートの単調な通路をつくって、樹木にも石組みにも池にも風情は少しも無い。京都の庭とはちがうのだ、厳しい注文など付ける気もないが、あそこをそぞろ歩きたいとは滴も思わない。

 

* で、日比谷線で日比谷のクラブにまわり、うまいウイスキーを二種類、二杯ずつ、生のままで楽しんだ。お酒など飲めなかった妻も、インペリアルをダブルで、美味しいと言い言い飲みきり、少しも障らなかったのはたいへん結構であった。サイコロに切った味付け濃めのステーキと、旨い蝸牛を、肴に。これがわたしの好きな定番。フランスパンのスライスと。そしてグレープフルーツのフレッシュジュースで口中サッパリとして、丸ノ内線経由で帰った。帰ってみると、やはり楽しかった半日の外出であった。

2003 5・12 20

 

 

* 岡崎の秘酒「空」はおいしいお酒であった。口当たりが心持ちあまく、あまみはうまみに通じて甘口の酒のべたつきが少しもない。難は、あっというまに飲んでしまったことか。三里下がってからこんなことを思い出している。

ひどい雨の音だ。梅雨の入りとか、早すぎないか。

2003 5・14 20

 

 

* 小雨の兜町に出て、さて、今日は「美しい人」の姿がうまく求め得られずに、ふと、全く新しいレストランに入ってみたくなった。シェフがお奨めの佳い方を注文し、300ミリリットルといつたつもりが、500の赤ワインデカンタがボーイ君の手で運ばれ、黙認。このところコースの洋食はめずらしく、ま、上等とは行かないが空腹に助けられ、ウマウマと、ご機嫌で喰った。喰いながら飲みながら、「保元の乱」のゆくたてに関心を奪われていた。何度もこの時代に触れて書いてきたから、いろんな範囲と層と細部とでおさらえしているようなもの、原籍地に帰ってきたような親しみの気分も。

2003 5・15 20

 

 

* 比較的に元気な妻を誘って宵の四条へ出、今度は京料理の、午と同じ「田ごと」に入った。四条の表通りからひそと内露地を入ると、風情の佳い店がある。日本酒で懐石を楽しんだ。煮物に鯛の大きなあら炊きが出て、これはわれわれの好物、もくもくと旨い味付けの魚肉を貪った。しんじょうの吸い物も思ったよりずっと旨かった。店の女の子に妻は着たものを褒めてもらい、照れていた。

あれで、もう少し店を飾った日本画が佳いといいのだが。

宵の街歩きで、甲斐扶佐義がやっている八文字屋という飲み屋をかなり熱心に探したけれど見つからず、疲れた妻をつれてホテルに帰ると、そのまま二人でバー「アンカー」に入って、女性スタッフばかり三人のカウンターで、妻はカクテルをつくってもらい、私は57.4度というスコッチの珍しい銘柄のを、ダブルで。むろん、ストレート。これが、じつにケッコウで、もうそれだけで満足した。わたしは酒の名前など覚え込む趣味は少しもなく、みな任せてしまう。だから、何を飲まされたのかは知らないが、お値段はたいしたものであった。妻のカクテルは趣向の美味であったが、千円。わたしは贅沢をした。

2003 5・28 20

 

 

* 興奮さめやらず、渋谷の坂道で冷たいコーヒーを飲んでゆっくり息を入れ、渋谷から地下鉄で日比谷へ動いた。クラブには、また新しいすてきに可愛い人が入っていて、酒や食べ物の接待をしてくれた。妻はインペリアルをすこしストレートで口に含み、わたしも山崎と交代に、ダブルで四杯を堪能した。例のサイコロステーキと、エスカルゴ。チーズの盛り合わせ。フルーツ、コーヒー。パンも付いていたので、佳い夕食になった。劇場で買ってきた綺麗な冊子をひろげ観ながら、芝居の味わいをこっくりと反芻するように話し合い、いい潮時に立って、丸ノ内線で池袋経由、帰宅したのが、八時ごろ。

云うことなしの佳い一日であった。

2003 6・3 21

 

 

* 有楽町に戻り、元のそごう地下の「小洞天」で、サラリーマンたちの昼飯にまじって焼きそばにマオタイ酒で、北条時頼による執権政治の確立と、同時に得宗家への独裁移行という、微妙な変形期の「歴史」を読んでいた。ひさしぶりのマオタイだった。

上野へまわり、都美術館の「水彩画展」にわざわざ入ったものの、夥しい数に辟易し顰蹙して早々退散、気分直しに西洋美術館の常設展をざあっと見て回っただけで、一路、帰宅。

2003 6・4 21

 

 

* わたしは「食べる人」で、この二人のようなことは、ま、ほとんど経験がない。上の子や下の子が出来て妻が悪阻に悩んだ頃は、わたしが、会社勤めから早めに帰って簡単に食べ物の用意をした。ことに下の子の生まれる直前は破水の心配があり、二月以上も妻は安静に横臥して、一日でも多く日の経つようこらえていたから、その間は、全部食事の用意をわたしと娘とでした。娘はまだ八歳にもならなかった。とても上の、白髪を気に掛けている男性のような手の込んだ藝はなかった。

この頃、家では朝昼晩とも少量にしている。抜くこともある。体重が78キロになった。ピークの頃から8キロほど下がり、もう3キロ落としたい。鉛筆ほどの昔に戻りたいとは思わないが。うまいものを「少し」食べたい。酒の入る余地をのこして食べたい。そういう思いでいるから、上のような文章はやや眩しい。

2003 6・9 21

 

 

* あれやこれやかかずらわっている内に、まんまと出そびれ、せめて郵便局の用事ぐらいはと、スリッパで。ついでに「ケケデプレ」という贔屓のフランス料理の小店に入って昼飯にしながら、赤ワインを二杯。おしゃべりして、少し気分もほぐれたところで振り出した雨に借り傘して帰ってきた。

2003 6・13 21

 

 

* 朝、東京の小闇が心入れの「成政」一升瓶、二度目の配達があった。これは待つ辛抱が無くて、夕方六時に第一便を送り出すとすぐ封を切り、夕飯前に、片口で何杯も息をつかずぐいぐい呑んだ、瓶の半分近く。いや、うまかったことは。有り難い。

2003 6・14 21

 

 

*  好調に作業は進んでいる。ちょっと集中力が切れたので二階へ来て、文藝館の校正往来の処置など。

また階下へ。今回は、製本が全体にきれいに出来てきて能率が良い。昔は製本があんまりひどくて泣いたことが、何度も何度もあった。

ときどき「成政」を、愛用の大きい盃でやり、景気をつけて。前回以上に今度の一升がおいしい。有り難い。

2003 6・15 21

 

 

* 満足したので、日比谷線で銀座へまわり、妻がお気に入りの「福助」のカウンターで、お馴染みになった板サンの接待で、お任せの肴や鮨を食べた。酒はみぞれにした。家内はなんだか知れない梅酒ッぽいあかいカクテルグラスを舐めていた。石垣貝やトロや鯛が、烏賊も白身も背青のも、みんな旨かった。鮨飯をもうすこし締めてにぎってくれるともっとよかったか。

同じ建物の中にあるカフェで飲んだコーヒーが、変哲もないのにうまかった。その足で池袋経由、帰宅。雨もよいの傘も使った外出だったが、目あての芝居が面白かったので機嫌は上等であった。

2003 6・24 21

 

 

* 六時前に日比谷にもどり、一人で「福助」に入って白鷹二合徳利、石垣貝、鳥貝に、白身のコチを。そしてお任せで握って貰いながら、カウンターであったけれど、おもしろく自作の「猿の遠景」を読み進んだ。「蘇我殿幻想」をミセスに連載したときも、やすやすと書いたが、あの場合はそれでも毎月のようにアチコチへ取材の旅をした。「猿の遠景」は一度東博へ繪を見せて貰いに行った以外は、まるまる、いながらにして書いた。なにを新たに調べたのでもなかった。ああいう著述の快味には独特の柔らかみがある。

さ、帰ろうかと思いつつ、目の前なので、やはりホテルのクラブにあがり、今晩は「山崎」ばかりを結局たっぷり三杯。エスカルゴとパンを少し。送られてきた或る読み物大家の短編を二つ三つと読んでみた。これは泣きたい気分であった。

今から思えば、濃いコーヒーも飲みたかった、が、思いつかなかった。

帰りの地下鉄では、室町初期の農村の変貌、武士団の一揆、農民の一味神水、守護領国制の浸透拡大などを、南朝の余燼などを、どんどん読んだ。この方が遙かにリアルに興味深い。

2003 7・3 22

 

 

* 岡山の読者の有元毅さんから、素晴らしい実入りの葡萄二種類を頂戴した。生協で桃が届き、妻はメロンも買ってきた。美しい果物が目の前に華やいでならぶ。いやなニュースの毒を洗い流したい。

2003 7・5 22

 

 

* そのあと、一人でパルコの「船橋屋」にあがり天麩羅で夕食。甲州の「笹一」をコップに二杯。枡にコップを入れてきて、瓶から注いでくれる。店員によっては、だぶだぶとコップから溢れさせてくれる。意地汚いが、この溢れる分が酒飲みには嬉しいのである。まっさきに枡に溢れた酒をキューとのどへ引く。

天麩羅は申し分なく、しかし、祇園祭だなあと思いつつべつに頼んだ鱧の落としは、ま、仕方ないが京の鱧とは同じ肴と思われないシロモノ。それでも、機嫌良く食事してさっさと西武線に乗った。

しばらくぶりに「ぺると」に寄り、コーヒー。マスターの森中君としばらく電子メディア談義。わたしの「e-文庫・湖(umi)」システムは、この人の作品である。

2003 7・18 22

 

 

* 会後、少しお酒を入れてから一人日比谷線で有楽町の帝劇下へもどり、「きく川」のカウンターで、こちの刺身と鰻を、菊正で。なんでも、たぶん土用の前後なんだろうと思い、少し昨日今日の疲れ気味も鰻で回復しておきたかった。堪能した。有楽町でうまく飯能行きが来てくれ、やがて座れたが、快速のため、致し方なく一度乗り換えになった。保谷駅の北口がひろいロータリーになり、たいていタクシーがいる。歩いて十二分もあればつくところ、車があるとつい乗ってしまう。

2003 7・22 22

 

 

* ほかにも、わたしの健康を気遣って長いお手紙を戴いたり、「e-文庫・湖(umi)」に作品を掲載したのへ、深切な礼状を戴いたり。こんな素晴らしい桃をみたことがあるだろうかと思う果実の恵みを戴いたり。京の「菱岩」からはこの仕出しの店らしい中元も届いた。がまんなど出来ずに、すぐ食べた。

岡本かの子の「食魔」これはもう一種の夢魔にも似たプレッシャーのキツい、しかも美味くて唾の津々とわくような小説です。凄いとも謂える。

2003 7・23 22

 

 

* 湖の本の初校を終え、追加の稿を五頁分ほど書いて備え、長めの跋文も書き上げて、拍子や後付(アトヅケ)も添えて、初校戻し・要再校へ漕ぎ着けた。これは毎回肩の凝る手のかかる作業で、ここをキチンとして置くと置かないでは、後の捗りがちがってくる。一山越した気分でぼんやりしている。

明日は病院だが、校正の用事もないし、すると持ち物は軽いから、気軽にどこかをうろついて楽しんでこれる。前から「マトリックス2」を観たいのだが、映画館がわからない。こんなとき気軽に人を誘い出しても好いのだろうが、どうもそういうことは誘われた方が面倒であろうと、しないことにしている。

しばらくぶり、銀座の「シェモア」で、旨いワインで濃厚なフランス料理もいいし、銀座から浅草へ歩きに行くのもいいかも知れない。病院は築地だから人形町へ地下鉄で三つ目ぐらいだ、昼の「玉ひで」で名物の親子丼なんかもどうだろう。

岡本かの子の「食魔」の主人公は、寂しい育ちの京都の寺の子で、貧しくても喰い意地豊かな母親譲りかして、食味の天才肌に出来ている。わたしも貧しかったのは同様だけれど、作品の鼈四郎のようなグルメではない。戦中戦後の欠食児童のいじましさが抜けていないから、食べたい欲はおかしいほどある。「ちがいがわかる」というが、そんなものは「わからなくて」平気な方である。

2003 7・24 22

 

 

* ならばと、糖尿患者たるもの不届きな、「シェモア」のドアを押した。

赤ワイン。

いつもより静かな昼店を大いに楽しんだ。幸か不幸か読む仕事も書く仕事ももっていない。こういうときは都合良く幻想して、だれかと仲良く食べる。

今日は娘の母親と、デザートやエスプレッソまで、おいしく食べた。妻ではない。もっと年幼い別の娘の母親である。そういう娘や母親が「いる」ことにして生きていると、不思議な生き甲斐がある。どんなに育って、何を楽しんで勉強しているか、などと尋ね尋ね二人で食事をする。しかしこれは考えようで、牢獄にいて、面会に来た妻に娘のことを聞いている図に近い。此の世が牢獄なのかどうか。その妻はあの世から面会に来てくれたのか。

なーんだ、先日ビデオで観ていたニコラス・ケージの「コン・エヤ」みたいなもんだ。彼はほぼ冤罪に近い殺人罪で投獄されているが、その間に生まれた娘の、父親への手紙をなにより楽しみに刑期を励んで仮釈放になるのだ。

釈放。仮釈放。それは牢獄からあの世へかえることか。

そんな幻想をソースにして飯喰ってうまいかという問題はあるが、それはその娘の母親次第といわねばならぬ。いい母親だと想っている。

この店には、そんなトンチキな老人の男客は一人も居ない。若い、ないし中年の女客ばかり。そっちの方は全然観ない。

正気にかえって支払いし、隣の明治屋でフランス製、クリーミーなブルーチーズを一つ買い、ぶらぶらと、まだあの世へ消えていない人と、手をつなぐようなつながぬような仲良さで有楽町駅まで歩き、地下鉄に乗った。気が付くとわたしは一人電車で座談会「明治文学史」の、幸田露伴の章を、耽読していた。あわや保谷を乗り越しそうになった。

 

* また家の妻と、白いワインを抜き、買ってきたチーズを堪能した。もうそれで夕飯の代わりにしてしまう。扇雀丈の後援会から、歌舞伎座朝昼晩三部通しの「とちり」席が届いていた。

妻は少し体調がゆるんでいるので、明日の花火は失礼するわと言う。あの人波溢れた浅草からの帰りを想うと、無理はさせられない。わたし一人なら、言問通りを、駈けてでも鶯谷まで帰れる。心配は、雨。

2003 7・25 22

 

 

* さて、わたしは、何としても持ち出してきた江戸川乱歩が読みたかった。明るい店。やはり「美しい人」のいる店へ、足が向く。そこは一人になれる店である。ことに今晩は、読み物に絶好の席へ店長がみずから誘い入れてくれた。「美しい人」が料理や酒を静かに運んでくれた。邪魔はしない、黙って通りかかるつど、京都の冷酒「松竹梅」の酌をしていってくれる。この酒はうまいね、と云うと、にっこり頷いた。飲めるらしい。

乱歩の「二銭銅貨」「D坂の殺人事件」「心理試験」をつぎつぎと読み終えた。山尾悠子という作家のSF「遠近法」というのも読んだ。四作合わすと相当な量だ、気が付くと、長時間席を占領していたが。デザートにアイスクリームの出る前に、もう食べ物はみな済んでいたが、佳い焼酎のあるのを知っているので、頼んだ。「よろしいんですの」と少し眉をひそめさせてしまったが、うまかった。わたしのために、少し献立も替えて料理が出ていたらしい、なにしろ喰わず嫌いなモノが多いので。

で、たいへん気分良く電車に乗り、タクシーにも乗らず手をふって大股に歩いて家に帰った。

2003 7・31 22

 

 

* 源氏物語とバグワンとを静かに音読して床についたのが三時半、しばらく北斎をみて、眠りに落ちた。その前に、出口孤城さんから贈られてきた清冽の名酒「獺祭」二本に思いがのこるので、一本あけ、コップに半分足らずを、世も寝静まった深夜にひとり、ぐうっと飲み干した。云いようもなくうまかった。

2003 8・1 23

 

 

* ヘンな天候ですがお変わりございませんか。

残暑お見舞いというより梅雨の続くお見舞いを申し上げたいような天候ですね。

あまりお煩わせしては・・・と、少し遠慮していたのですが、7月上旬の「私語の刻」を拝見して、どうしても一言御礼を申し上げたくなりました。

保谷の(医学書院)寮時代の * *.さんや私を、こんなにも暖かく見ていてくださったのかと改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

当時は学生気分が抜けなかったとはいえお茶を習うと称しながら、月謝を払うどころか、おいしいお茶とお菓子をご馳走になりっぱなしで、どんなにか礼儀も恩義も知らないヤツと思われても仕方ありませんでしたのに。改めて心から御礼申し上げます。それに、あのお湯飲みを今も使っていただいている由、感激です。

仙台では月遅れでお盆をしますが、その頃によく供される「ずんだ餅」をほんの少しばかりお送りしました。「ずんだ」は「豆打」が訛った言葉とか。枝豆を細かく砕いた餡です。今では仙台土産として年中手に入りますが。

奥様ともどもご健勝で、ぜひまた仙台にお出かけ下さい。その節はきっとご連絡をお待ちしております。

 

* うち続く宮城県の地震見舞いをこっちからしなくてはいけないところを、逆さまになり恐縮しながら、嬉しいメールであった。東北学院大の門衛室から電話で話した優しい声音が耳に残っているが、このメールにも、同じ声が聞こえている。

ずんだ餅。松島の宿で、宿入してすぐ出された。これが「ずんだ餅かぁ」と悦んだ。永井荷風「踊子」で、ヒロインが浅草の姉を頼って出てきたときに手みやげに携えてきたのが、故郷の母のつくった「ずんだ餅」であった。映画ではどんな味とも察しかねたが、餅だもの、食べたいなと、食いしん坊のわたしは想っていた。

松島では、ずんだかゆべしかと、少し荷軽な後者を買って帰ったが、わたしは「餅」と名が付くと無性に欲しい「餅好き」なので心残りであった。有り難い。

遠藤教授。仙台地方の地震にお怪我なきよう、祈っています。

2003 8・12 23

 

 

* 「義賢最期」のあと、昼食はやはり「吉兆」で。真夏の献立やいかにと楽しみにしていたが、期待違わず、みごとな食べごろ。

八寸の、地どり肝生姜焚、いくら鱈子いか和え、鰻山椒焚、えび甘煮、新れんこん、標語蒲鉾などが、冷酒「吉兆」の肴にぴたり。向は、鯛、雷干し、うど。ことに焼物の、地どり照焼き、半熟卵、もろこし揚げ、ししとうの取り合わせ上乗。焚合せは、高野豆腐、長ひじき、カボチャ、ほうれん草。お椀は、はも、にゅう麺に椎茸、三つ葉、柚子。飯は、枝豆いい蒸し。そしてデザート。あっさりして、豊富な味わいが嬉しく、幕間の三十分で食べてしまうのは、いつもながら惜しかった。

2003 8・13 23

 

 

* 一部がはねたあとの浮き時間は、木挽町の、これもお定まり茜屋に入って、マスターが気を入れてくれるうまいコーヒーを、ゆっくり。

妻は、この店では、なんだかいつも不思議なのみものを注文する。店内の絵もやきものも、きちっと調和良く、よくすみずみまで吟味してあり、静かな大人の店である。コーヒーのお値段は安くないが旨いし、手洗いの生け花まで心憎いほど用意がいい。棚には古い佳い本を、姿よくたくさんならべ、これが似合っている。江戸と古い東京とを感じさせる効果、快い。

懐かしい林伸太郎の遺著『筆洗歳時記』も置いてあり、わたしの『愛と友情の歌』にふれたエッセイが二三編載っていた。この人が、新聞三社をとりまとめて、わたしに新聞小説『冬祭り』を連載させてくれたのだ。初対面は中日名古屋であったが、のちに東京新聞社へ出てきて、その「筆洗」原稿はすばらしいものだった。たいした評判だった。「大波小波」を書くようにと手回ししてくれたのも林さんであったが、死なれてしまい久しい。その新聞連載を三社編集長であった高畠二郎さんが担当してくれた。今は電子メディア委員会から「ペン電子文藝館」の同僚委員。助けられている。

2003 8・13 23

 

 

* 九時半をまわっていたが、車を、やはり日比谷に走らせ、クラブで、シーフードサラダを肴に、うまい酒を飲んだ。いつにもましてウイスキーの生のままが旨かった。客はもう我々二人だけで、美しい可愛い人達がみなで食べ物や飲み物の世話をしてくれた。歌舞伎座や国立劇場や帝劇で芝居をみると、どうしてもそのあと此処へ来て、くつろいで、芝居を反芻してから家に帰る。夫婦して、此処は真実落ち着ける。

終始妻も元気を失することなく、インペリアルをツーフィンガーも生のまま飲んで、家までちゃんと帰ったのはえらい。

2003 8・13 23

 

 

* 岡山の有元毅さんからザラにない限定版の清酒、というより絞りさえしない滴る原酒を一升戴いた。それはもう飲み干した。甲府からは桃が、栃木からは葡萄が、そして今日滋賀県の読者からは例年のとおり念入りに漬けた梅干しがたっぷり送られてきた、茗荷や生姜や紫蘇も沢山とり添えて。このごろは、白い米がうまい。こんなに米の飯は旨いかと、思わず瞑目して味わっている。

死んだ秦の父が、松寿院治道居士が、米の飯の大好きな人であった。

2003 8・19 23

 

 

* もう今日あたりに出掛けておかないと、日程が煮つまってくる。午後は街歩きしてこようと思う。入院していた人の、今日にも退院という心明るむメールもきている。心明るむことばかりがあるといいのに。

 

* ふらりと街へ出て、うまい酒でうまい昼飯を食べてきた、鞄には『帰らざる故国』下巻と、インスリン注射とを入れて。

片口にたっぷり濁り酒。そのあと錫の酒器に、冷えた八海山。「やまと」の料理はそこそこ凝っている。鯛などの刺身がうまかった。湯葉が自慢だが、わたしは特別湯葉が好きでもない。おしまいに出たあなご焼きめしがうまく、お代わりまでして満腹しすぎた。もすこしゆったりめのズボンで出掛けるべきであった。

よく思うが、こういう外出先で、気のあった相手があり、へたな碁など囲めると楽しいだろうなと。とは云うものの勝負事はあまり好きでない。気がざわめくのがイヤだ。飲んで食っての楽しみは、しかし、よくよく制御しないと健康に良くない。外へ出てまで眼をつかって読書というのも宜しくない。「美しい人」のいる店へとも思ったが、お昼は姿のないときがある。いないと落胆する。

で、そこそこに夕方までに帰宅。家がやはり涼しくてよろしい。

2003 8・26 23

 

 

* 郵便を出しに行った帰りに酒類のスーパーで、安売りの龍山花彫つまり紹興酒を一本さげて帰り、なんだか夕食前からほぼ飲んでしまった。どうも口いやしくていけない。さすがに日本酒の一升瓶を一度にはあけてしまわないが、ワインや中国酒はあけると飲んでしまう。

糖尿病、よくならないなあ。

体重だけは、かすかながら針が下向きで、この傾向を守りたい。

2003 9・5 24

 

 

* 猿蟹合戦だったろうか、囲炉裏の栗がかっとはじけて猿をやっつけたのではなかったか。「栗」というのはわたしの頭の中では、たいそうな褒め言葉で、好きな人を喩えるときにわたしはなぜか「栗の」ような人と出てくる。自然で硬質で木質の柔らかみや温かみもあり、知性的な感じを持っている。そして、火の中で熱くつよくはじける感じ。

口の中でむちゃむちゃとモノを言う人より、くりくりと明晰に温かくはなす人が好きだ。真っ白いなかにほの黄色い栗の実の飯。真っ白いなかにさみどりの豆ご飯、真っ白いなかに青のにおう七草粥。みな好きだ。

道明寺という菓子にかかわって、河内の道明寺のことを、大昔に随筆に書いたことがある。どこかの新聞であった。もともと餅が大好き、餅菓子が大好き。そのなかでも「道明寺」といわれる菓子はお米のつぶつぶ感が口触りに優しくて、ひとしお好きであるが、名前からして菅公ゆかりのあのお寺がかかわっているのだと想っている。優雅に柔らかみの美味しい餅菓子として、品のいいものである。

2003 9・8 24

 

 

* 四時前にはね、外はぎとぎとする暑さ。どっと疲れが出たので、無理せず銀座にもどり、銀座でも無理せず池袋にもどって、やはり体力には食べて熱源をと、パルコの上へあがって多年馴染みの「船橋屋」で天麩羅にした。天麩羅ほど当たりはずれのない食べ物は少ない。甲州の「笹一」をコップに二杯。妻もやっと元気を回復、心地よい酔いのまま保谷まで電車で寝て帰った。タクシーもつかわず、ゆっくり歩いた。

半日の楽しみ、そこそこのものであった。前から四列めの花道に近い通路際という最良の席で、グラスの必要もなかった。有り難かった。

2003 9・9 24

 

 

* 劇場前の「お綱寿司」で自慢のいなり寿司を十個買い、有楽町の「きく川」へ鰻をたべに地下鉄三田線でまっすぐ。ところが休み。それではと日比谷の「東天紅」まで歩き、中華料理で満腹。フェンチュウとラオチュウ。店は閑散としてわれわれで借り切ったよう。

また有楽町へ戻り、すいた有楽町線でぐっすり居眠りのママ、一路保谷に帰った。

今週のまず第一日は楽しいみもので、ケッコウ。

2003 9・15 24

 

 

* 颱風。雨は降っていたが風はまだ。暑くも寒くもない陽気にきちんとした服装が出来たのはむしろ幸いと、サントリー小ホールの浅井奈穂子ピアノリサイタルに、妻と出かけた。時間早くに家を出、駒込経由の南北線で溜池山王まで。

全日空ホテル三階の「乾山」で、夕食は寿司。少し値は高いが、器は店の名前だけあって、まさか乾山ではないけれど佳いやきものを、どっしりした見映えで出してくれる。タネも、値段だけあって文句ないものをうまく組み合わせて出してくれる。鯛も大とろも海老もアナゴもけっこう、巻物のセンスもいい。

銀座で気楽な「福助」とくらべるとえらく贅沢な店の空気のようで、ところが、そうでもない。店の女たちの和服がしっくり着付け出来てなくて、化けの皮丸見え。

わたしの好きな「美しい人」など、数年前の初対面からこちら、店で揃いの和服姿しかわたしは知らないが、いつも清潔にきちっと着物を着ていて、質素なのに美しさの花になっている。和食の店の女性の和服がギクシャクしていては、とんだ艶消しで、自然、物の出し入れの行儀も行き届かない。食器の卓へ置き方一つでも、その店の「位」はすぐ分かってしまう。

しかし「乾山」の寿司は腹も空いていて、うまかった。酒も酒の燗も酒器もよかった。一人前六千円は量多くなくてケッコウであるが、椀に、蜆の赤だしでは品がない。池袋「ほり川」ではもっと気の入った吸い物が出てくる。

2003 9・21 24

 

 

* 九州の海胆、阿波の釘煮で、清酒「成政」がもう瓶に底一糎しか残っていない。

2003 9・21 24

 

 

* 機械が無事でよかった。さんざ「さくらや」でマウス思案のあと、ちと食い意地が出、西武パルコ「船橋屋」に上がった。小指半分ほどの天麩羅松茸が出ておどろいた。

2003 9・26 24

 

 

* それでもうまく六時で会が果てた。日比谷のクラブへ久しぶりに直行した。どうしても、藝術至上主義文藝学会での講演録ゲラを読み通し、早く返送したかった。とはいえ、百分近く話した講演録は、原稿用紙にすれば少なくも六十枚あまりある。纏まった時間に一気に通読するには、テーブルのある静かな場所が欲しく、食べ物より酒のうまいのと、「美しい人」もその辺にちらちらしている方が、気が落ち着く。

が、帝国ホテルのクラブは、残念ながらやや部屋の照明が暗い。小さい字のゲラには厳しい。だが何とも云えず今夜はうまい洋酒がほしかった。エスカルゴと角切りのステーキ。インペリアルと山崎。静かだった。猫を十一匹も飼っているというあどけないほど可愛らしい人が、終始親切に世話をしてくれた。週日の此処でのアルバイトが、今夜で最期とか。

ウイスキーがストレートにうまかった。わたしは洋酒はオンザロックにもしない、必ず生のママのダヴルで飲む。バアで注文するダブルはけちくさくてイヤだ。それで自分のボトルからゆったり注いでもらう。ずいぶん丁寧に「校正」できたと思う。が、読んでいるとこの講演、思い切った本音で喋っている。読む人によっては怒りそうだなと笑いをかみ殺しながら、むろん、そのまま改めない。本音を見失ったらおしまいだ。

「なだ万」の稲庭うどんをとりよせ、腹をこしらえた。そして、コーヒー。立ち寄った甲斐があった。支配人が話しに来て、今日は上半期の最期の晩ですなどと云う。九月三十日。では協力するかと笑って、ウイスキーの二瓶ともだいぶ減っているので、レミー・マルタンを追加し、次に来るときの楽しみに、口を開けずにきた。今度、わたしと此処へ付き合う人は、コニャックが有ります。

帰りの電車の、丸の内線では三谷さんの「オンドルと畳の國」を読み、立ちっぱなしの西武線では「戦国時代」の領国支配の詳細を、おもしろく読み継いできた。冷えてきた、寒い、というほどの声を、ちらほら車内や駅で耳にしたが、それが奇妙に聞こえるほどわたしはうまい酒の元気で、家に着くまでジャケットも着ず、下は半袖シャツだった。ほかほかしていた。なにか鳥のようなものが、遠くから舞い戻ってきた感じ。

2003 9・30 24

 

 

* 家から駅への十数分。出がけから腰の痛みがあったが、歩いているうちに両足膝から下が鉄棒のように固まり痛くなり、歩くのに苦労をした。正直、駅まで行くのがイヤであった。池袋線と山手線を乗り継いでいるうちに強い痛みはひいた。

上野駅からの公演は晴れやかに人出も多かった。西洋美術館でレンブラントをみせていた、しまったパスを忘れてきたと舌打ち。都の美術館で、かつてわたしの『閑吟集』を担当してくれた安田さんと会った。大英帝国の秘宝とか財宝とかのオープニングがあり、もと山種美術館にいた川口直宜氏とも出会った。

わたしは創画展に入ったが、大歎息してしまうほど会場は冷え込んでいた。思えば上村松篁さん、秋野不矩さん、その他当会のスターの何人もが相次いで逝去、大きな目玉になる画家が払底してしまっている。石本正の絵が今年はつまらなく、上村敦司がつまらなく、橋田二朗に元気がない。おやおや、この生気の無さでは、思い切って解散かなあとよけいな心配をしたほどつまらなくて、十五分とまがもたずさっさと出たものの、脚痛でははじまらない、すたこらと池袋へ戻り、ひとりパルコの「船橋屋」で、せめて好きな天麩羅で甲州の酒「笹一」をと、脚を休めた。特注した「はぜ」がうまかったが、それ以上に、ぷりぷりした牡蠣を揚げてもらったのが、それは旨かった。天麩羅でもフライでもいい、牡蠣の油で揚げたのは旨い。それ以上呑むなと職人にとめられ、笹一は枡に二杯。電車でひとねむりし、まっすぐ帰った。家まで歩いたが、往きほどは痛まなかった。

2003 10・17 25

 

 

* 体調は急下降していると、病院でみっちり教訓をくらった。かろうじて体重は維持しているが、ヘモグロビン値は数ヶ月悪化連続、血糖値も同じく。運動不足、食事のアンバランス、あまりにも仕事のし過ぎ、睡眠不足。みな本人が自覚しているので始末が悪いのである。

 

* 国際フォーラムに移転した「レバンテ」で旬の生牡蠣と牡蠣フライ、生ビールを大きいジョッキで。それが昼。その脚で、街で校正をとわざわざ持参の重い荷物を意識したが、いやいや「秦テルオ展」にと思った。ところが月曜、美術館はお休み。なんだか、いろいろとガッカリしたので池袋に戻り、東武の「仙太郎」で拳ほどのぼた餅を三種と餡の溢れた最中を一つ買って帰り、いい茶を淹れて貰い、ぼかぼかと喰ってから、此の機械の前へ。

2003 10・27 25

 

 

* その公演がいつだつたか直ぐに思い出せなくても、初日がはねたあと、妻と二人で近くのちゃんこ「巴潟」でかなり興奮しながら食事したのは忘れない。その後も、シアターXで芝居があると帰りには「巴潟」でちゃんこを食べた。この前に来たときは大関魁皇が来ていて、妻は握手しに行ったものだ。二十二代横綱太刀山の写真のある小部屋に案内された、前のときも、今日も。今日は地鶏と牛肉の出汁がとても美味しく出て、野菜も豊富に食べた。他に鮟鱇の肝、戻り鰹のたたき、イカ刺しとしめ鯖。そして純米絞りたての酒。両国へ来ると、こういうぐあいになる、それも楽しみの内になっている。

満足して一路帰宅し、お風呂に入った。もう三十分足らずで、「共犯者」第三回目。

2003 10・29 25

 

 

* 劇場からの帰路をあえて曲げて、久しぶりに、何ヶ月ぶりかで「美しい人」の和食の店へ立ち寄った。明るい座席の空いているのを期待した通り、「美しい人」はお久しうございます、おかげんが良くないのかと心配しておりました、と喜んでくれた。お酒の種類の少ない店であったのが、新規に沢山仕入れていた。中に「久保田」の萬寿が入っていた。千寿もいいが、萬寿はその上だ、300mlで五千円、とびきりの最高級。奮発した。いやまあ、じつに美味かった。料理も、今晩はひとしおの献立で、言うことなし。二時間半。湖の本の再校が、ずいぶんずいぶん沢山はかどった。店ではだれも苦情をいわず、気の済むまでごゆっくりと黙って放っておいてくれる。料理を運んでくれるのはたいてい他の人だが、「美しい人」がほんの時々お酌に来てくれる。黙ってきて、黙ってついでくれる。わたしも、有り難うとしか言わない。そして店の外へ笑顔で見送られて、帰ってきた。「美しい人」のこの店と、日比谷の「クラブ」とがあるだけでも、わたしの気持はとても落ち着く。

2003 11・14 26

 

 

* 盛綱陣屋の後で、例の吉兆、晩秋霜月の小懐石が美味かった。「八寸」割山椒 いくらおろし 細巻玉子 かに蓮根巻 銀杏しめじ松葉打ち 牛肉生姜焚金包 「造り」もみじ鯛 たこ 「焼物」えび養老揚 なます まなかつお柚庵焼 「焚合」筑前焚 白天 青ト 「御椀」鶏豆腐 焼もち 「ご飯」白ご飯 香物 「果物」ゼリー寄せ そして例により銚子一本。三十分たらずで、能率良く賞味。鯛、吸い物、牛肉がとびきり美味かった。

 

* はねての歌舞伎座前は、雨脚はげしく。それでもタクシーで日比谷へ走り、九時半過ぎてクラブに舞い込み、勧められるまま今日が解禁と聞いていたボジョレー・ヌーボーの赤をグラスで呑んだが、めったにない上出来と聞いた通りに、濃厚に甘いほどのうまさ、去年や一昨年のはうそのようなほど、完成品の味わいに、惚れ惚れした。妻はそこまで。顔色をあかく染めていた。わたしは置き酒のレミ・マルタンを一口、そしてインペリアルをそのままツーフィンガー。身にしみる美酒で仕上げて、帰途についた。雨など、何でもなかった。

だが帰宅すると即座に、今日の予定の残り仕事にかかって済ませた。そうも余った時間はないのである、今は。

楽しい半日であった。歌舞伎ならではのよろこびが身内を浸す。

明日は歯医者で、痛いめを見る。

2003 11・20 26

 

 

* 練馬まで帰りのバスに乗った。西武練馬駅の構内に入って昼近かったので、保谷の堀上謙氏に教わった寿司の店をさがして、西友の中で「魚力」わ見つけた。これがばか廉い店でびっくり。寿司ねたがわるいとも思わない。ただ握りが訝しいほど緩く、箸でとると崩れるのに閉口した。たしかに廉いが、食事にはほしいある心地いい落ち着きがない。喰うという行為だけで済んでしまう店だった。

2003 11・21 26

 

 

* 妻と八丁堀から茅場町の方へ歩いたが、土曜日で店も開いていないので、日比谷へ戻り、例により「東天紅」て小さなコース料理を堪能した。ボジョレーヌーボーをグラスでとり、わたしは別にフェンチュウを二杯。静かなわたしたちの穴場の一つ。ゆっくり芝居のことや何かを話しながら、佳いメニューのうまい中華料理であった。

とっぷり暮れた宵の有楽町を歩いて地下鉄一本で保谷駅まで帰った。北風が吹いて冷えてきていたが、妻は元気で歩くと云う。風に向かって歩いた。黒いマゴが迎えに出てきた。

2003 11・22 26

 

 

* 「ペンの日」の懇親会は、例年よりも人数が少ないかのように、感じた。わたしはもっぱら電子文藝館へ出稿可能そうな人に依頼してまわり、出稿希望の人の相談に乗り、すでに出稿し掲載された人の挨拶や謝辞を受け、一万円の会費は払ったものの、乾杯の水割を一杯だけのほかは、焼き鳥を一串口にしただけ。

かなり会場に粘っていたが、抜け出てタクシーで帝国ホテルへ直行し、クラブで、思わずひとり息をついてから、とびきり「美味い」と今夜も保証付きのボジョレーヌーボーをボトルでとった。グラスについでもらい、残りは妻の土産にして、わたしはいつものようにマーテルとインペリアルをそれぞれたっぷり注いで貰った。お腹がペコペコだったのでクラブ自慢の佳い寿司を取り寄せてもらった。静かな別室へ入れてくれたので、独り、井上靖の「美」と「美術」を、繰り返し二度読んで校正を終えることが出来た。無趣味に乾燥した雑踏の宴会場からのがれて、特別静かな籠居の中で、井上靖との落ち着いた対話を、それも「美しいもの」を話題にした対話を楽しめたのは、これこそが休息であった。憩いであった。別世界だった。寿司も酒もほんとに旨かった。

保谷駅からタクシーで帰宅。妻と、ワインのグラスを合わせてもう一度ボジョレーを賞味し楽しみ、そして機械の前へ。

2003 11・26 26

 

 

* 古酒大吟醸とうたった萬歳楽の銘酒「白山」と、長野白馬の紅林檎、それに栃木の大苺が贈られてきた。季節のよろこび。

季節感というのを、やはり一二に大事に感じる。

2003 12・2 27

 

 

* こぬか雨のなかを、聖路加から銀座松屋まで歩き、「宮川」で鰻でも食って帰るかと上へ上がったが、寿司の「福助」が店出ししているのに気付き、おまかせで朝昼兼帯。お酒、むろん。焼き帆立、そして海胆とトロを余分に注文。飯はごく少なくして貰った。食事しながら、読者から送られていた、一つはご主人を亡くされた奥さんの、も一つは奥さんを亡くされたご主人の、まさしく「悲哀の仕事」の手記本を読んだ。こういう場所では不謹慎なようだが、こういう場所ででないと読み切れるものでなかった。

二つは対照的。奥さんの手記は新婚旅行以来の楽しかったことだけに限定した手記。ご主人のは、ほぼ泣きの涙の手記。唸った。ご冥福を祈ります。

 

* 帰りの有楽町線で寝込んで、快速からの乗り換えを忘れ、ひばりヶ丘まで乗り越し。「ぺると」で珈琲を飲んで帰宅。

2003 12・17 27

 

 

* どこへと一瞬迷ったが、まっすぐ日比谷のクラブに入った。21年ものの「響」を妻と先日行ったとき、入れておいた、それを飲みたくなった。「インペリアル」とどんな風に味わいが違うか。いや、うまかった、どちらも。何とかの一つ覚えのように角切りのステーキとエスカルゴ。誕生日が日曜なので、クラブはあいていない。それで支配人が気を利かしてシャンパンのグラスで前祝いしてくれた。花森安治の「見よぼくら一銭五厘の旗」を読みながら、うまい酒を飲んでいた。この一銭五厘は、むかしのハガキ一枚の値段。そのハガキ一枚で人を戦地に送りこんでいた時代。馬や牛の方が貴重なんだ、お前等は一銭五厘で幾らでも代わりがあると毒づかれた庶民の嘆きを忘れさせぬ歌である。世が世ならわたしも一銭五厘のくちであった。それをひしひしと実感するから、わたしは私の稼いだお金でささやかに贅沢をするのである。許される贅沢を自分の責任でするのである。撞着だと嗤わないでいただきたい。

 

* 地下鉄終点の池袋で、人に起こされるまで気持ちよく寝ていた。西武線でも寝てゆこうと思い、乗り越したくないので保谷行きをえらんで乗ってきた。

2003 12・19 27

 

 

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