ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2005年下半期

* 遅続きになりました。あれからやはり時差ぼけで夜が眠れず 昼はぼーとばかりに加え、家事のたまりにたまった事 消化できずにまだおります。

今回の旅は悲喜こもごもの旅となりました。まずスイスに着いて初日に、私の愛用のリュックを盗まれたのです。列車の網棚にのせていました。日本でもめったには乗せない網棚ですのに、スイスの治安はいいものと思い、うつらうつら眠りこけてしまっていたり、あれこれ、降りるときまで気がつきませんでした。中には愛用のデジカメ、湖の本 化粧品 写真 などなど大事なものばかりでした。

幸いパスポートや現金などは難をまぬがれましたが、しばらく放心状態で動けませんでした。駅や警察で証明をうけるのですが スイスはドイツ語圏なので、英語がなかなか通じず一苦労でした。

ひきかえ、コンサートはそれはそれはすばらしいのひとことで、大きな感動をいただきました。

皆総立ちでした。第2の小沢征爾になられるのではないかと直感いたしました。飯森範親氏というかたで、まだ四十二歳の若き指揮者です。スイスとドイツの交響楽団の常任指揮者だそうです。日本でもいくつかの交響楽団の指揮者だそうです。その方の叔父さんにあたる方と三人で聴きました。会場は超満員で、日本からの追っかけ! 若い女性が二会場ともおられました。それにも驚きました。

私の一番の収穫として、絵画の世界でもこのような沢山の方々の感動を呼ぶ作品を描かなくてはと、心に深くきざみました。一生に一作でもと、願わぬ望みをいだきました。

ブルガリア ルーマニアでは、物価は安いのですが食事があわずに、胃の調子がいつも悪かったです。世界遺産などなど案内していただきましてそれなりに感激しました。聞くのと観るのとはやはり違うんだなーとおもいました。

スケッチも小さなもの2冊ほど描いてきましたが、どれもかっこいいの部類でしょうか? 絵は、やはり絵の仲間とご一緒するほうが真剣になれます。

久しぶりの飛行機旅でした。十一時間のフライトは身にこたえました。機内も満席、アメリカ行き(テロ後)のように寝ていけませんでした。今ヨーロッパは観光のシーズンだそうです。空港ではどこでもたくさんの日本人に会いました。

つたない旅のご報告になりました。  鼓

 

* 大雨風

水仙の葉を折り曲げて雪が融け

冬耕や余震を鍬で支えたり

柿も松も、葉陰に青く小さな実をつけています。ときに窓ガラスを洗う勢いで降りつのり、地も空気も濡れ冷えて肌寒いほど。

これから名張へ帰ります。

七時を少し過ぎた頃、京都に着く予定です。

そちらはお天気いかがでしょうか。お風邪など召しませんように。  雀

 

* いそいそと、何度も通った道が、水を得たようにはなやいで見えたのは、雨のせいではなく、海の季節だから。

シャワーあります。温泉入れます。浮き輪にビーチボール、サンダルやパラソル、おにぎり、ラーメン、コーラにビール、etc。

海水浴の思い出も、さまざまございましょう? 渓谷、川、海、湖‥どちらに泳ぎにいらっしゃいましたの?

水着の首にバスタオルを巻いて、サンダルからはみ出した小指をやきながら、砂浜を一直線に転がるように走り下った、雀です。海水の思わぬ冷たさ、底の流れ、溺れ死にする感覚を何度も味わっております。熱い砂もはまなすの茂みも防風林の松の群れも、テトラポッドと浸食の、哀しいうたにかわりました。「砂浜」そして「浜千鳥」―

やだ、なンだかとッしょりくさくなッちゃって。ごめんなさい。

甍の連なる漁師まちに、暗い雲が垂れ込めています。また降るのかしら。  囀雀

2005 7・1 46

 

 

* 風のむかしの私語を見ていたら、こんなのがありました。

> なぜだか、にわかに「娼婦」というものに興味がわいている。現実に縁をもった・もっている、わけではない。永井荷風の世界、吉行淳之介の世界。そういうのとは、わたしのしてきた仕事は、いわば対照的な地点にあるように人には言われてきた。

むかし、村上一郎が歳末のアンケートの中で吉行とわたしの名を挙げて期待を寄せながら、理由のひとつに、「女」の捉え方が対照的と書いていた。どう対照的だか、村上さんに聴くひまもなく自決されてしまった。

「女」の捉え方が対照的、というところ、花も同じことを考えていたので、ビックリしました。

花の狭い読書範囲の中から吉行と風とを対比させるのは、あんまり放恣にすぎて、勝手すぎるかな、と思ったのですが、同じことを、過去に、云った人がいたなんて。

村上一郎という人について、わたしはほとんど知りませんが、興味がわきます。

> 永井荷風の世界、吉行淳之介の世界。そういうのとは、わたしのしてきた仕事は、いわば対照的な地点にあるように人には言われてきた。

わたしは、誰かが風について書いたものをあまり読んだことがありませんので、上のように言われてきたことを知りません。

荷風や吉行淳之介の世界と、風の世界と、とても対照的ですが、わたしにはどちらも魅力的です。

「吉行淳之介と秦恒平の『女』」について、もっと考えてみたい。

おしごと、進んでいらっしゃいますか。  花

 

* この人が私の文学にじかに触れてモノを言うてくるのは、むしろ珍しい。

村上一郎さんは、三島由紀夫の事件があって、後に割腹自決した一の「無名鬼」であった。詩人であり志操の士であった。太宰賞から暫く後に馬場あき子さんが紹介してくれた。そのとき桶谷秀昭さんとも出逢いか有った。お二人は盟友のようであった。わたしは、この二人から信じがたいほどよくしてもらい、引き立ててもらった。わたしが、早くも文壇への忌避のおもいをもった、あれはまだ「蝶の皿」から「畜生塚」あたり、で桶谷さんは「畜生塚」を、また『慈子』を、とても大きく褒めてくださった。つまりわたしは文壇に引き留められたのである、が、村上さんもまた毎年末の各種アンケート等でわたしを推奨してくださった。

私的にも批評家と作家といった関係であるより、人として愛されたというよろこびをわたしは感じていた。自決される直前には、ひょっこりと我が家ヘまで徒歩で訪れられ、たまたま朝日子のために雛人形を壇飾りしていた前で、わたしの点てて上げた抹茶を、それは嬉しそうにゆっくり美味しそうに一喫され、そしてにこやかに帰って行かれた。わたしたちは、何の異変も感じていなかった、のに、すぐ覚悟の自裁があった。

仰天しまた悲しんだ。通夜に参じたとき、朝日の論壇時評で、当時わたしの連載していた某誌の「手さぐり日本」を採り上げられた鶴見俊輔さんと初めて逢った。今想うに、あそこに鶴見さんがおられた道筋などはわたしには到底察しられなかった。

 

* 上のメールで花さんの触れている「娼婦」へのわたしの興味というのは、今少し内心に温めておきたい。娼婦とは必ずしも無縁にきたわけではない。わたしの育った家から抜け路地一本で背中合わせだった祇園乙部は、小さい頃は娼妓たちのいる町だった。わたしは、小さい頃から彼女らの昼間の暮らしのうかがえる環境を通学などで往来していたのである。中学区主催の団体バスで琵琶湖へ水泳に行ったとき、いちばん湖の中で仲良くキャッキャと遊んだのは、そういう若い若い女性たちとだった。わたしは、いまでもああいう彼女達がなつかしい。性的な自覚がまったくない年頃ではなかったにしても、性の対象として眺めるような視覚は全然もたなかった。それでいて、不思議なほど親愛感をもった。わたしは、文学的には「母」なるものを時に高貴な、時に娼婦のようなものとして幻想する自由を持っていた。「月皓く」という短編など、それに近い感じのツクリになっている。

荷風や吉行さんの方へ今から近寄ろうという気でもないのに、一つの課題のように「娼婦」を感じている。

2005 7・1 46

 

 

* 秦さん。湖の本、安着しました。

署名、今度、お会いするときにお願いします。

秦さんの本は、市場向けに、刊行された本は、南アルプスの麓の小屋の書庫に全部運びました。湖の本は、全て、市川の家にあります。両方で、いつでも読めるようになりました。

「ゆっくり食事」は、是非とも、やりましょう。秦さんの慰労をしなければなりません。そう言えば、私が、東京に戻ってきてからは、ゆっくりやっていませんでしたね。ご都合の良さそうなとき、お声をかけてください。 千葉

 

* まあ、はじめて我が家へ客人として迎えた昔からかぞえ、二昔ではきくまい。ほぼ間断なくつきあってきたけれど、忙しい放送人のこと、なかなかゆっくりもしてこれなかった。

というより、委員会の委員長をしていた間、小人数の委員と二次会に、といったことは極端に避けていた。率先それをやると必ず参加できない人もあるし、習慣化して委員会が「社交クラブ」に化けてゆきかねない。ペンの委員会のなかには、いつ知れず社交クラブ化して働きが悪くなりすぎ、結局改組された実例もあったのである。ケジメということも大事にしないと、あとの飲み食いばかりに熱心な委員が必ず出来てくる。仲良く和やかにはありたいが、本末転倒するのはチェアマンとして慎みたかった。

委員長を降り、委員会実務は任せて「館」の質的側面にだけ注意していれば済むことになり、「ゆっくり」やりやすくなって、嬉しい。ま、今期の委員もみな一人残らずわたしが頼んだり、または委員にぜひしてくれと頼まれた人達ばかり。タガがはずれ、気楽になった。

2005 7・1 46

 

 

* 岡山にも恵みの雨がありました。

庭の草木が久しぶりの雨に洗われて甦りました。いつか奥様が、岡山のマスカットを美味しいと言ってくださったのを思い出して,ほんの少しですが西崎ぶどう園に、上旬に届くように発送を依頼しています。昨日「湖の本エッセイ35」ありがたく落手しました。  岡山

 

* 季節の恵み。ありがたい。中元の時期にかぶって、少し湖の本の届きが遅れめであるようだが、おいおいに届くと思う。都内から届かないと叫ぶようなメールがきていたが、たしかに発送初回分に入っていた覚えのある読者であったので、心配はする、が、時間の問題だろう。

 

* ありがとうございます。 あわただしい一泊の大阪出張からもどりました。京都に立ち寄るわけでもなく、研修の前後に外部理事をお願いしている大阪の大学の先生と少し業界の話をしたくらいでした。二日とも雨。

家のポストに、上下2冊の「湖の本」が待っていて、心躍る思いでした。昨夜はともかく眠くて、もう荷物を整理する間もなく、ご本のページを開いたまま眠りに引き込まれました。

ところが、しばらくすると老母や老伯母の声が聞こえ、亡くなった伯父の声も聞こえてくるのです。彼らは階段を上ったり下りたりにぎやかに話していて、私もそちらに行きたいと思って声を出すのですが声になりません。ふとんをさわる手を感じたり、ぎゅっと押される感覚を確かに感じたりして、起き上がろうとするのですが金縛りにあって身動きが取れません。「霊」を信じる人に言わせれば「霊」が来たのだというのではないかと思います。人の存在には肉体としての存在のほかに心理的な存在「霊」があるとは思いますが、「霊」の実態については不可解です。

これから母たちの家に行き、高齢者住宅へのリフォームの相談(悪徳業者ではないのでご安心ください。こんな事件の多発している時期だけにとても良心的です。介護保険などを利用しての改築です。)をします。伯父は2つ目の家を改築して2ヶ月で亡くなりました。

合計164歳の高齢者住宅、改築は高齢者に心身の負担を与えます。ひそかな不安を抱きながらの改築が、真夏にかけて始まります。

「私語の刻」をまず拝見しました。「一文字日本史」 ひとつずつ味わって読ませていただきます。  波

2005 7・3 46

 

 

* 涼しく、すごしやすい日です。

きのう今日と、家でゆっくりしています。

一日で2キロも減らしただなんて!

『慈子』の文庫本(出版社忘れました)を**の古書店で見たことがあり、カバーにあった風のにっこりしているお写真がとても佳くって、「買おうかな、でも湖の本の方にしようか、どうしようかな」と迷っているうち、***に越すことになってしまい、「あの文庫本、まだあそこにあるかしらん」と思うことがあります。

あのお写真、佳かったなあ。

風は、発送、まだなさっているのでしょうか。筋肉痛、おだいじに。 花

 

* わたしの内側を「私語」するのは難しいことではないが、単調ないし偏執に流れても、わたし自身がつまらなくなり、興味を失い、只の秘匿日記に引き退きたくなるかも知れぬ。届くメールの中から、(わたしの創作だろうと疑われているぐらい)何処の誰とは(わたしとその人以外には)分からないように書き込んでいるのは、それがそのまままた一つの生活と意見になり、柔らかにハバをつくってくれるからだ。それは秦の「私語」ではあるまいと聴く人はトバシテもらって差し支えない。しかしそこにもやはりわたしは隠れている。いや表れている。私自身の言葉で同じ「こと」を表すのは難しい以上に不正確な飾りになる。

2005 7・3 46

 

 

* 南座   何年か前、地下が水浸しで夜の部開演が遅れたことも思い出話に、「昨日は、向こう岸が白ぅ見えような、えらい雨でな」と、文雀さん。

南座文楽昼の部のうち、勘十郎の団七九郎兵衛、玉女が一寸徳兵衛、和生のおつぎ、清之助の琴浦と、次代が揃いぶみのところに、住大夫の語りで、文雀さんがお辰を遣う「三婦内の段」をたのしみまして、法然院にまいり、雨の音を聴きながら、次にどの庭をと悩む、好い雨の降る京でした。退蔵院を選びました。蓮が咲き、桔梗が咲き、水琴窟を立ち聞きに‥貸し切りでしたわ。   雀

 

* うらやましい。

2005 7・3 46

 

 

* 都議選、降られませんでしたか。

こちらは降ったり止んだりでした。渇水でしたから、もっと降ってくれてもいいのに。

脚の痛み、しんぱいです。通っているお医者に、「血流の悪くなるせいで脚の痙攣が起こる」という記事がありまして、「あ、これは風の症状と似ている」と思いました。今度行ったら、よく読んでみます。

逢えないから、せめてメールでお話したくて。ごめんなさい。しつこい花です。

2005 7・3 46

 

 

* 早速のお返事感謝致します。

私も今年の8月で古希を迎えますが、還暦から70歳前後の方々には、親族を含めて友人、先輩などを思わぬかたちで喪うケースが増えています。自分自身の健康を含めて、嫌でも「生と死」を直視せざるをえない年代なのですね。

この度の方は、「同窓会」を楽しく過ごした5時間後に仲間を事故で失われ、大変落ち込んでいます。三次会の帰途の自転車による転落死でした。

私などから表面的な慰めの言葉をかけても、何の役にも立たないもどかしさを感じつつ、秦さんのご本(『死なれて死なせて』)を推薦するのが一番との思いで、お願いしました。彼も物書きで爽やかなメルマガを定期的に発行していたのですが、現在ストップしています。

一日も早い快復と健筆復活を念じつつ贈呈したいのです。どうぞよろしく。

> やや空梅雨に推移していますが、水不足など起きませぬように

6月11日の梅雨入り以来、20日間真夏日でしたが、1日から一転豪雨がつづき、先刻小康状態となったところです。

讃岐は空海が満濃池を改修するなど、溜池が多く水不足は日常なのですが、昨年の水害の裏返しのような今年の天候に困っていたところです。でも、少し雨がつづくと洪水の心配です。

日本一狭い県ですので、山から海までの水流が急で短いのが、すべての原因です。吉野川からの導水である「香川用水」も、肝心の早明浦ダムの貯水量が30%をきり、取水制限で夜間断水地区が増えています。県内に雨が降っても、吉野川の上流に降らなければ意味がない。

早まって昔からのため池を沢山潰し宅地や公園にしたのが間違いです。田植えさえ不可能だったところもあるのは、明らかに行政の怠慢でしょうね。

グチばかりになり申し訳ありません。では、おやすみなさい。  香川県

2005 7・4 46

 

 

* さて、昨日の妙心寺(退蔵院)。

境内に、ぽつり、ぽつり、「ひとり観光」かと思われる若人がみえるほかは、塔頭(たっちゅう)のあわいに延びる小路にも人の姿はなく、さしずめいまの「哲学の道」て、これかもしらんナと歩くうち、雨はますます降りかかり、洒落で逍遥しても居られぬと、タクシーをたのみました。

18:15 京都発の近鉄特急が、乗り換えせずに名張に着くので、いつも雀の力頼み。切符とお弁当を買う時間を差し引いて、東をまわり、細い道で、駅まで、との求めに、運転手さんは、いくつか御陵も通り、鴨川、疏水、白川、高瀬川と水辺を通り、八条口に着いたのが、18:00。オヌシ、ナカナカヤルナ。

「一度、桜の時期に白梅町からこれに乗ってくださいよぅ」と、単線の小さな踏み切りを渡り、「鞍馬通行きまひょか」。

「この橋の向こうに大の字が見えるンやけど」。雨脚にけぶって見えません。見えなくてがぁっかりというのは、もうだいぶ卒業した雀ですもの、平気。

「やっぱり水の神サンは、こんな日ィがよろしな」。下鴨の旧い道をうねうね走り、みたらし団子や、いつも駅伊勢丹の地下でおいしいおかずのお世話になる、「下鴨茶寮」の文字が見えました。

「花の時期に、しょーもないふね出しとりますゃろ。そんなン乗らんとここ歩かはったらええですよ。昔の岡崎て、どないやったんやろ思いますわ」。

真如堂の緑いよいよ深く、「金地院は? は、もう行かれた」と、ハンドルを回し、泉屋さんから知恩院さんへ。左阿彌の門から雀とふたりして中をのぞき、円山公園の奥では、地図片手に、いま、どこ? という様子の女学生に   「鐘、見といで」と指差して、車を、安養寺、長楽寺、辯財天へとまわしながら、「真葛が原、これを勉強せなあかんのですわ」。

バス大通りにぶつかりました。

あゆや、くずざくらもあったはずですのに、小さな道筋の、昔ながらの菓子店を何軒も、雨粒が叩かれ流れる窓越しに、ぼんやり眺めておりまして、「水無月」が、そればかりが目に入りました。雀は小豆がぱらりと散らされた、白いのが好き。

おいしく、あま・から、召し上がってくださいね。  囀雀

 

* 配本、お疲れ様でした。

当分は涼しい予報で、暑くなるまでに家中の片付けをと思いつつ、雨降りではネ、とグータラに過ごしました。

それでも昨日は、大きくなった紫陽花の一本を一人で引っこ抜き、庭をサッパリとさせました。

ダイビングもサーフインも同じ海でのお遊びではないの、と云って、娘に、無知だと叱られました。サーフインはサーフボードを持てば誰にでも出来るお遊びだけのもの。一つ間違えば命に関るダイビングは、ライセンスが必要で、世の中の為になるお仕事も出来るのよ、と。

そういえば、婿殿も、熱海の海クリーンキャンペーンのボランテイアに参加して、沢山の放棄物を拾い上げたっけ。

先日、天皇、皇后がサイバンで黙祷する姿をメデイアでしばしば見て、それなりに当時の記憶のあるお二人の心の籠もった黙礼と見受けて、気持ちいいお姿でした。

それに関連の「天声人語」を読み、心が痛みました。

八十五歳になる元兵士が、ダイビングのライセンスを取り、戦友の鎮魂の為に、そこに潜ったとありました。

曰く、赤紙一枚で国の為と召集しておいて、海に沈んだままで引き揚げられていない戦友の慰霊に、と。

子供の頃、ワケ分からずに「ウミーユーカバー、ミーズーク カバネ」と歌った、その屍が、まだ三十万柱も「海」に残されているとは、驚きます。

今朝も投書欄に、今、戦闘機や軍艦に夢中の小学六年生の息子を持つ若い母親が、(息子が)戦争をカッコいいものと誤解しているのを、今も世界では戦争があり、死ぬ人もいるのよと正し、自分も含めて、戦争を知らない世代が担うこれからの時代が心配だ、との文章がありました。叔父も戦争犠牲者の一人であった、と。  泉

 

* 死者の良き世界は、生者のためにこそ必要。そうなのではなかろうか。

死者がその死後にどう在るのか、正直のところ、見当もつかない。ながいながい人類の歴史上、恒に変わりなく生者のみが思い描いてきた死後の世界は、さまざまな文献や文学や伝説や信仰や乃至ある種のからくりによっていろいろに想像されてきたが、ほんとうにそれが証言された例は無いのだと、わたしは思うことにしている。在ると思いたがってきたのも生者である。生者だけが、死者のために死後の良かれと心から願うのである。願い方も千差万別、悲哀の仕事も千差万別。しかし死者が真実死後を語った例は、一例も実在しないのが真実の事実ではなかろうか。

わたしは鎮魂慰霊という生者のまごころほど、胸をうつものはないと思う。その一方で、屍は、おそらく物理的な物体を超えた精神的・霊的な何かであるという確信はもてない。しかるに、わたしたちは、愛したネコ、ノコの骨を、朝夕に眺めるまぢかい庭の植木の下に埋めている。

わたしは、死んで骨にされて墓の下になど入りたいと全く願わない。妻や子が生きている間、あのネコやノコたちと同じようにすぐそばに埋めて置いて欲しい。妻子の声の聞こえるところで、その笑ったり泣いたりする声を聞いていたい。そんなことを想像するのは、生者としての自分で、もう死者としての自分の「良き世界」を想っているのだなあと気付く。しかし万が一、わたしの骨など残らない死に方をしてしまったにしても、生きている妻子に骨の心配などして貰いたくない。「記憶」のなかに生きていると想ってもらえば十分だ。

妻子に限らない。「記憶」して下さる誰にでも、そう願う。思い出して読んでくだされば、すうっとそばへ寄っている。たぶん墓の下にはいないだろう。

 

* 息子は、高校を無事卒業しましたが、現在 大学マイナス1年生で、毎日自宅から予備校に通っています。

私の方は、相変わらずバタバタと仕事に追われる毎日ですが、会社に来て暇をもて余すより、いいかなと思っています。

先生の お時間のご都合がつくようであれば、是非、お会いできればと思っております。よろしくお願い致します。

梅雨空の下、鬱陶しい毎日ですが、ご自愛くださいませ。  ココ

 

* 遠い四国から敢然と東京へ転任してきた母一人子一人の読者。当時男の子はまだ小学生ではなかったか。光陰まことに、矢。

2005 7・4 46

 

 

* お加減いかがですか。

ご存知かもしれませんが、お医者で見て来た記事について報告させてください。風の、脚の痛いのが心配だから。

慢性動脈閉塞症

・皮膚の色の異常(末端の色調が蒼白や紫色になる。脚を上げ下げすると色が変わり、シビレ感を伴うことがある。)

・疼痛(安静にしていても痛む)

・冷感(左右の手脚どちらかが冷える)

・歩くと痛む(つる、痙攣などの症状)

こんなこと申し上げるの、おせっかいかもしれないけれど、症状があてはまるようでしたら、整形外科で診てもらってくださいね。

わたしは、暑いと食欲が減退するので、酢の物など、食欲をそそるものを作って、食事を抜かさないよう努めはじめました。

健全な精神は健康な肉体に宿ります。お体の不具合が、風のご機嫌の障りになりませんように。  花

 

* 今日は昨日よりかなりキツク痛み続け、ヘキエキした。病院行きかなあと観念しかけたが、妻が歯医者で貰っていた痛み止めの薬をのみ、また右の腰から尻から大腿・膝下へと一面に、なんとか謂うサロメチール風の冷たい塗り薬を塗りまくった。今はしばらく軽快。

 

* 早速 返信いただき とてもうれしいです! ありがとうございます。すっごく元気が沸いてきました。

早速ですが、仕事は通常17:30に終わります。

15日は、息子と歌舞伎座へ行きます。七月大歌舞伎「NINAGAWA 十二夜」です。

歌舞伎座は初めてです。

息子も小さいころから、お芝居(子供劇場)をよく見に行きました。高校のときも、帰省時に合わせて、二人で時々行ってました。

ジャンルは問いません。でも息子は、まだ、古典は落語ぐらいです ^^;

最近はインターネットでチケットが取れるので、便利になりました。 ココ

 

* 蜷川演出で尾上菊之助が張り切っている七月歌舞伎「十二夜」は、わたしたちにも、たいへんな楽しみ。美しくなった菊之助がどんなに活躍してはじけてくれるだろうと、わくわくしている。芝居は七月は他に予定していないので、ピカ一である。八月は納涼歌舞伎三部を二度に分けて出かける。ここでは勘三郎が串田和美の演出でまた「法界坊」をやる、あれを平成中村座で観た日の昂奮を忘れられない。

 

* 浪人君が古典落語とは頼もしい。講釈は今一つだし浪曲も乗らないけれど、古典落語はたいした文化財で、ほんとうに巧い噺家で聴くと、なまじいな読書よりも多くが身に付く。なけなしの小遣いをはたいて、三遊亭圓生の百番や人情噺や、また古今亭志ん生の傑作集や、その他にも文楽や可楽や小さんらの名演テープを繰り返し繰り返し聴いてきた。やめられるものではない。

2005 7・5 46

 

 

* 少し風邪ぎみで、おまけに腰痛がちょっと出て、この2、3日早めに休んでいます。腰痛は以前の手術の後遺症らしく、筋肉を鍛えるしか解決しないと言われて、毎日一万歩をノルマにしてからは、かなり好転したのですが。でもちょっと調子の悪い時には、たちまち出てきます。

新しいご本いただきましたので、例によって勤務の昼休みに少しずつ読み始めました。「女」とか、興味をひかれる項目から読んでいます。

でもやはり一番胸をつかれるのは、「愛染無明」という言葉。

先生の深夜読書、存じてましたけど、そういった「意味」だったのですね。最近私も先生の影響か、いまの作品より古典文学を読みたくなりました。旧約聖書、また読みかえしてみようかな、あれとても面白いですものね。 ゆめ

 

* 年齢とは、病症状の配達者。大勢が、ハンコ(自覚)をおして受領している。

2005 7・6 46

 

 

* 土曜日はやさしい温かいメールをいただきありがとうございました。気が晴れました。

メールは、失意と喪失感の中で書いたものでした。国立能楽堂で、お目にかかれなかったせいかもしれません。狂言の「腰祈」から入りました。舞台に向かって正面右手の前列から二番目の比較的良い席におりました。どのあたりにいらしたのですか。

「葵上」は初めて観たので、佳い悪いの判断基準がなく、能そのものの迫力に強い感銘を受けました。般若の鬼面が現れた瞬間に、あまりの怖さに背筋がぞーっと冷たくなりました。前の方で観ていたせいで鳥肌立つようでした。恐ろしい姿でした。わたくしの女の中にもある修羅です。最後は御息所の霊が救われたとは思えず、ただあきらめた哀れさだけが残り、涙が溢れていました。

能楽堂に参りましたのは、たとえ短い時間でも、立ち話でも、お話しできるかしらと思ったのです。お目にかかれるかどうかは賭けでした。会場にお姿がないので、やはり賭けに負けて、お出でにならなかったのだと失望しました。帰宅して「私語」を拝見し、ただ会えなかったのだとわかりました。

能楽堂で突然お声をかけても、「あなた誰?」と言われるだけとは思ったのですが、座席からロビーまで何度も往復してお探ししました。ドナルド・キーンさんしか見つけることができませんでした。

同じ場所にいながら、あれほど求めていながら会えなかった。運命……を感じてしまいました。  都内

 

* ビックリする。能楽堂で「葵上」とは繰り返し此処にも書いていたから、その気ならこういうことは誰にも出来るのだろうが。橘香会だから、当日の座席があった。友枝昭世の会だと、とても席は取れない。大阪の読者・編集者で昭世の熱心なフアンはいつも東京までも来て姿を見かけたり立ち話などするが、昭世の人気は、藝の深度に比例して今や右肩上がり、席の確保がたいへんですとメールをもらっている。

それにしても、ビックリ。

初めての「葵上」なら、だれでもアレには慄然としたことだろう、凄い鬼であったから。源氏物語のなかでも貴女のなかの貴女六条御息所を、ただあのような徹底した怨恨の権化に表現して済ませたのは、だが、万三郎の理解の浅さと思う。彼女の、鬼にもなるほどの「悲しみ」が伝わってこないのだ。

 

* こう書いていると、「闇」の向こうで、秦は、小説の書き出し場面を創っているのだろう、と想う人があるかも知れぬ、そうわたしに尋ねた人も、一人二人ではない。

2005 7・6 46

 

 

* hatakさん

> 聯想が連鎖するように書いていますので、予想以上に、貫いて行く紐帯というか芯棒があるようです。その読みの方が「秦恒平の思想」を、繋げて引っ張り出しやすいかも知れません

なるほどsequenceにも意味があるのですね。それを考えながら読んでみることにします。

> お元気にされていますか。戦争と平和はうんと進みましたか。 hatak

昨夜は第四巻の第一部を読み終わりました。(今日は眠くて大変です)。アンドレイ公爵が死を前にして『そうだ、あれは死だった。おれは死んだーとたんに目をさました。そうだ、死はー目ざめなのだ』と気づき、「生から目ざめ」て厳

粛な死を迎える場面です。

生きることが夢で死ぬことで目ざめる、という東洋的な考え方はトルストイが生きたキリスト教時代にはどのように受け取られていたのでしょう。

しかしそんなことを考える余裕もなく、物語の大きなうねりの中に身を任せています。

私が今読んでいるのは工藤清一郎訳新潮文庫版です。現在入手できるものとしては、北御門二郎版もあるようですが、訳者で内容も違うものでしょうか?

源氏物語の例では、私は谷崎以外は潤いがなくて読みすすむのに苦労しますが。

「湖の本」 先の十冊分をまとめて振り込みました。送料を別途カンパします。未来の十冊は私にとっては楽しみですが、「闇」に言い置かれている過酷な発送作業に心痛みます。無理をせず大切にされてください。 maokat

 

* わたしは米川正夫訳の岩波文庫版で読んでいる。海外文学の翻訳は、どの版を底本にして訳しているかで少し、時にかなり変化があるだろうと思う。今では無いはずだが、明治の翻訳では、英語訳からロシア文学を重訳した例などよくあったと聞いている。わたしの持っている森田草平訳ドストイェフスキー「悪霊」はたぶん英語訳からの日本語訳のように思われる。

源氏物語の現代語訳は、大胆に纏め訳をした与謝野晶子の訳にはそれなりの効用もあった、読者を源氏物語に「招待する」という意味では。国文学者の訳は、文法や逐語訳に重きを置いて日本語にならない拙劣さがでるのは致し方ない。谷崎以後に女の作家が三人か四人訳しているのや、完結したかどうか川端康成の訳など、すべてわたしは目に触れていない。可能ならわたしがほんの少し試みたように「京ことば」で全訳してみると面白いし、それ以外にあの原作の辛辣な写実と心理劇とは現代語にならない。谷崎先生のですら、すこし取り澄ましている。

 

* 鴉さま

「脚の故障を口実に、とじこもって怠けています。」とメールでは軽く書かれていますが、同じ日、五日のHPには「・・赤坂城を明け渡して千早城・・」とあり、「このサイト『作家・秦恒平の文学と生活』をある日、コトッとキイの音させて「削除」あるいは「不更新」してしまう日の到来を、いくらかは恐れ、いくらかは楽しみにしている。・・」に、絶句してしまいました。とても残酷なことを書いていらっしゃる。そういう時は誰にも必ずや来るものですが、せめて今の時間が変わらず長くと・・わたしたちは、わたしは、思っています。

HPを開く時、新しい記載がある時には、緑色のしるしが画面下に出てくる・・ああ、よかった、と思いながら待つのですよ。

こんなことを書いてごめんなさい。でも書かずにいられないのです。どうぞ大事になさってください。早く軽快されますように。

暑くなると本当に外出したくない鳶・・飛び回っていません、用事がない限りは部屋に篭もっています。本、ゆっくりゆっくり読んでいます。時にたたずむように一箇所から離れられなくなります。

このところ、現代トルコの作家の小説『わたしは紅』を読み始めて、イスラム教徒の行動基準や価値判断、細密画のことなど、これまであまり読まなかった内容を理解するのに時間がかかりました。相変わらず、かなりの濫読です。

五十号のイタリアの風景と十号の伊吹山の絵ができました。他にも描きかけの絵を抱えています。

今日は久し振りに誘われて当地の美術協会展に行きましたが・・。

わたしの羽根は衰えてはいません。飛び回っていないけれど、時折不調や衰えや、さまざまに自覚はしますが、また内部の暗さに押し拉がれますが、それでも抑えきれないエネルギーを感じています。

どうぞご無理のないように、それが第一、そしていつか逢える時がありますようにと願っています。  鳶

2005 7・6 46

 

 

* 風邪はかなり良くなってきました。先生の足の具合は如何ですか? どうかお大事になさってくださいね。

今日、デパートの専門店で注文しておいた木の「おひつ」が入荷しました。これがあるとご飯がおいしく戴けるのではないかと思い、以前からほしかったのですが、これが案外結構なお値段なのですね。それでなかなか決心がつかなかったのです。(なんと大げさな! 欲しければ買えばよいものを、女というものは変なところでけちです)でも、明日からは大丈夫。たとえご飯が冷めても木のおひつは余分な水分を吸いとって、美味しいだろうし、保ちもよいはず。木曽のサワラ材のよい香りがしています。

以前にもフランス製のル・クルーゼ琺瑯の煮込み鍋を買うべきか買わざるべきかさんざん一年以上も迷った末、購入しました。底があついのですごく煮込みが上手にできるのです。冬場には赤ワインをたっぷり使ってビーフシチュー、それからじゃがいも、人参、根菜類に牛肉の固まりを麻糸でしばって何時間もコトコト煮込むポ・ト・フなどなど随分活躍してくれています。

以前きものを一人で着られるようになって、そのうれしさに、すっかりきものに凝り、私にしては一生分の贅沢をした2,3年がありましたが、その頃のことを考えると、私にとって「お金」の価値って一体なんだろうと思います。

二万円ほどの鍋が高いと思う一方で、三十万円の帯が安いと思う感覚、これって不思議ですね。

つまらないおしゃべりでした。でもだいぶ元気になりました。 ゆめ

 

* こういう具体的なメールからは、盗み取れるところが有る。もう少し文章に気をつけてあれば、鑑賞の可能なメールになるのだが。「かなり」「どうか」「これがあると」「これが案外」「なんと」「というもの」「たとえ」「買うべきか買わざるべきかさんざん」「すごく」「その」など削ってしまっていいのでは。

「すごく」は別の言葉がいい。わたしは「凄い」を、悪霊かお化けでもあらわれるような凄惨な意味に取っているので、安易に使われる凄く、凄いが好きでない。

ある親しい女の読者が、どこだかで、わたしをよく知っているという女の詩人と初めて出逢い、二人して「秦先生は本当にすごい方だと話し合っておりました」とメールをくれたが、むろん好意十分なのだろうが、日頃の自分の語感で読むと「オイオイオイ」という気分になりかねない。しかし、待て。ほんとうに「凄い」陰気な男なのかも知れないのである、わたしは。

2005 7・6 46

 

 

* たったいま、注文していた御著『美の回廊』を受けとりました。

華岳、快慶(いま、岐阜で、アメリカにいってしまった彼の仏像が展示されていると、昨日のテレビニュースで見ました)、神草、秦テルヲ、そして、「子規居士弄丹青図」! (昨朝「NHK俳句」で、ゲストの天野祐吉さんが一茶と子規の句を紹介してらしたのを、たのしく見ておりました)、さらにドカンと “濯鱗清流”。…過呼吸状態です。

『面白い話』(法蔵館)の頁をめくってゆくうち、たまらなく胸がいっぱいになって、目頭が熱くなって、とうとうぱたん、と、ご本を閉じてしまいましたの。日曜からまた雨のようですわ。熊野に行ってまいります。捨てたり、得たり、空になったり、そして、あの世の人とまみえたり…

地図を広げ、あらら。漏れ落ちを見つけました。熊野の三社それぞれプライドがあるうえ、自治体があちこちまたがって、地図など資料を揃えるのに手間がいります。カンタンベンリ、コンビニエンスでないからこそ、熊野、であるのですけれどね。  雀

 

* ココです。おはようございます。

私も十五日(蜷川・菊之助・十二夜)、楽しみにしています。

あと、歌舞伎ではないですが、九月は「吉原御免状」(本を読んで面白かったので)、十月は「天保十二年のシェークスピア」とお芝居を観に行きます。

糖尿は、食事に気をつけないといけないので、反対にストレスになりそうですが、くれぐれもご自愛くださいね。特に今週は。。。ですね(^^;)

落語は、私も好きで、息子と寄席に行こうと言いつつ、延び延びになっています。

一度、小朝の独演会があって行きました。先月も京極噺で、講談・狂言・落語というのを観たのですが、その時の落語も小朝でした。お題は「死神」(京極バージョン)

あまり 落語に詳しいわけではないのですが、単純に素人が聞いて、独演会のときも、今回も感じたのですが、なんか面白くないんですよね。テンポというか、小気味の良さが、前より無くなった感じなんです。

枝雀は、むかーしむかーし、学生の頃、大阪にいたので、聴きにいきました。あの頃、面白かったです。

秦建日子さんの「推理小説」は、息子も私も読ませていただきました。マスコミや出版に対して、日頃感じていることと共通するところが、多々ありました。

また、お会いできたときに いろいろお話したいです。

それでは、またメールします。   ココ

2005 7・7 46

 

 

* 七夕ですね。最近では降りかかる様な星空を見る事は出来なくなりましたがせめて今夜はゆっくりと夜空を眺め、遠く離れて住む息子達家族と、来春生まれて来る新しい命の無事を祈りたいと思います。

先月末、春日大社の夏越(なごし)の大はらえ式に行ってきました。全国の神社で、pm3時を期して同時に式典が行われたそうですね。日本の風土も少しは浄まったでしょうか? 健康祈願をして、茅の輪をくぐってきました。

その後風邪引いて発熱したのも、身体の大はらいをして頂いたおかげでしょうか? 義母の介護でばたばたしていますが、今のところ元気です。

短歌の**先生は、ー昨年81才でお亡くなりになりました。奈良女子大にご在学中、恩師の前川佐美雄さんにとても可愛いがってもらっておられた様で、結社の名も、昔前川先生が使っておられた結社名を、みどり夫人のご了解も得て譲って頂かれたそうです。

ご生母の阿部鏡様も前川先生にご指導をお受けになっておられたそうですね。以前秦さんの「少年時代」を読まれ、お手元に置いておきたいと思われたのも、何かを感じられたのかもしれませんね。

**先生は、「恋しくば 訪ね来てみよー」の、葛の葉神社宮司さんの孫娘だったそうです。では。  綾

2005 7・7 46

 

 

* 新暦の七夕では、今夜も、牽牛と織女の星を観るのは、難しそうな。

娘達の結婚記念日で、夕刻、二人が食事に行くので、孫を預かります。

筋肉痛、普通に歩けるのなら、まあまあ。無理は禁物、腹八分目、シカリ、シカリ。中、高校時代の仲良しの今や一人も違わず整形外科や内科とすっかり仲良くなって、ダマシダマシの生活ですが、気持ちはあの頃のままに若い!

自然の法、老いるのに抵抗はできないけれど、「今・此処」に生きているのよ、と、そんな気持ちで過ごしています。 泉

 

* 本の重いのを運んで、脚を痛めてしまったのですね。痛いのに、ガマンは禁物ですよ。お医者でよく診てもらってくださいね。

本の搬送を手伝ってあげられるといいのに、と、本気で思いますよ。わたしは学生時代、サークルでおもーい機材を運ぶのに慣れていましたから。強力な助っ人になれるのにな。  花

2005 7・7 46

 

 

* よい検査結果でありますよう。 鳶

 

* 一時からの診察に十一時にはもう検査を済ませておいて、食堂でたっぷりワインで煮込んだ牛肉、サラダ、スープ、パン、コーヒーで、ローマとカルタゴとの長期の戦争など読む。診察も問題なく、問題の数値も少し下がっていたし、血糖値も低かったし。脚の痛いのは糖尿病とは関係なし、必要を感じたら近所の整形外科へ行きなさいと。

一時十二、三分には解放されていて、すたこらと帰った。保谷駅に駄菓子の店が出ていて三袋で千円だと云うから、つい買わされた。中元のビールで駄菓子を、ばりばり、もくもくと喰う。

 

* いずれにしても、長時間椅子に座って脚を下ろしたままは、血液の循環にも良くないので、座った脚を前へ出してのせる台を使う(椅子と同じ位の高さ、畳に座って脚を前に投げ出した恰好)のは如何でしょうか。更には、そのあしを動かしながら(膝や足首の屈伸~足のゆびのグーチョキパー)・・とか。 千葉  E -OLD

 

* 脚の痛みはたぶん、発送での足腰の使いすぎに加えて、長時間の椅子に腰掛けが響いているのでは、と。そういう感じ、私にもする。すこしでも足先を上げる工夫をしよう。

ほかにも足腰にサポートを使ったらとか、日に一万円見当で学生アルバイトを使ったらとか、メールが来ている。

四日かかるなら五日六日かけてするという程度に緩和しないと。ま、どっちみち、どこかで「やめる」ことを考えねばならないのだろうが、やめるなよとばかり、十冊分も先まで送金して下さる人もある。値上げして人を雇えと云う声もあるが、そうは行かぬ。

 

* それより、また身辺を片づけて、脚の踏み場をつくらねば。狭い上に狭苦しく暮らしている。

 

* よかった、病院が無事に済んで。

脚、お大事になさってください。

わたしは、美容院でキレイにしてもらってきましたよ。サッパリしました。

わたしの髮は真直ぐでサラサラしているので纏めにくく、少し伸びてくると、顔のまわりが鬱陶しくてたまらなくなります。ですから、今日は、思い切って緩いパーマをかけました。パーマなんて十年振りくらいです。

見慣れないし、変な感じです。

少年みたいになりました。  花

 

* ロンドンのテロは他人事ではありません。BBC放送をずっと観ていました。東京も当然標的になるだろうと考えると暗澹とします。

病院はいかがでしたか。

歌舞伎座のそばで、お昼の、黒ごま鯛茶漬けが絶品というお店を見つけました。三千五百円ですからちょっと贅沢なランチ。毎日瀬戸内から空輸されてくる鯛を料理しているそうです。鯛は本当においしい魚です。

お腹すいていること発見しました。夕飯の支度をしなきゃ。  春

 

* 夕暮れて   昨日、夕暮れから警報が出るほどの雷雨がございました。そちらはいかがでしょうか。

おすこやかに、ご無事にいらしてくださいと、祈るほかできない雀です。

共産、ネット惨敗の都議選。ハクヒョウならぬ五票差の国会。サミット。五輪。国連常任理事国増への働きかけ。ロンドンのテロ。むずかしい話が、まるでわんこそばのように、蓋もできず。

そんななか、紫陽花が見頃よ、と、鎌倉へ出掛けた友人からメールがあり、長谷寺式観音の話など、仏像について存分やりとりをしたので、すこし落ち着きました。

今朝、教育テレビの「ロシア語講座」‐両替をする‐が、「時そば」まがいだったので、驚きました。そして、雀より少し年若のフリーライターが、「ラジオからブツブツと呪文のような声が聞こえてくる。わたしにとっての落語は『怖いもの』という印象が根強い。」と書いたのを目にしました。子供向けの小咄は別として、お年寄りが語り、お年寄りが聞くものと、たしかに雀も、怪談か呪文かのように思っておりました。

昔、人形町に寄席があったというのはうかがっておりましたが、松岡正剛さんが「ちっちゃい頃から、人形町の末広亭に、父に連れられ通わされていた」とおっしゃるので、あらためてうかがうと、35年程前にその寄席は閉じてしまい、今はすっかりビルに変わってしまっているとのこと。正剛さんが子供の頃というと…50年位前かしら。手元の辞書を引いただけでも、志ん生、文治、文楽、彦六が五十代、少し若く三木助がいて…それこそ、綺羅星の如くでしょう。秦さんもその一級品を、聴いてらしたのね。いつでもある、けれどこれがいつまであるか。「セイゴウ、ここやで」と、芝居を観ていたときにお父さまから背中をたたかれたと、なにかの本で正剛さんが話してらしたのを思いました。目力など、ちぃせぇちぃせぇ。眼力。

演劇界から火が点き、襲名襲名の今回の落語ブーム、雀はあっけにとられています。

来週、友人の誘いで、大阪に「枝雀トリビュート落語会」を聞きにまいります。囀雀

 

* 故三平の息子の「林家正蔵」なんて、「桂文楽」や「柳家小さん」なみに、口あんぐり。円鏡や円歌の時もおどろいたけれど。

2005 7・8 46

 

 

* 蜻蛉が飛び交う朝、白鳥が十羽ほど群れをなし、靄が晴れた山辺を飛んでいきました。

今朝からずっと降りみ降らずみでしたが、どうやら本降りになりそう。千枚田が露出して、痛々しい姿を見せていた永源寺ダムは、水を貯めたでしょうか。

あの日は、まず、鬼室集斯墓碑のある鬼室神社を訪ね、漢字、アルファベット、ハングルが交じった参拝名簿に署名をしました。それから、苗村神社で“なむら”と識った、長寸神社に行ってみました。鎮守社だそうで、地元の方々が、社務所で夏祭りのご相談をなさってらっしゃるところでした。本殿の四方に、波に兎の彫刻がほどこされていて、卯年生まれの雀はごきげん。

そして、筒井神社にまいり、君ヶ畑の集落、さらに先へしばらく行ってみたのですが、当節、行けども行けども舗装した道で、枝一本落ちていない安全さ。快適な、木の下道ドライウ゛コースになっていました。集落に戻って、地図を見ながら高松御所へ行ってみると、そのお寺は屋根のふきかえ中で、境内に材料や工具などが広げられ、入ることができません。

大皇器地祖神社、惟喬親王のお墓にお参りしました。昼食時というのに、人の声も、ラジオやテレビの音のひとつもせず、静まりかえった里。初夏の日差しを受け、そよ風に揺れる洗濯物が、辛うじて人の気配を感じさせ、闖入者に息をひそめているのかと、眩惑されたようでした。

永源禅寺には初めて訪れたのですが、ほとんど人影もなく、方丈には座禅中の札が下がり、先へ入ることもならず、本堂前をぐるり歩き、手摺りにもたれて、川向こうの山をぼんやり眺め、またぷらぷらと来た道を戻って、門前の茶店でお午食にしました。

時折鳥の声がするほかは、せせらぎの音だけ。深い緑を通ってくる風を浴び、主人は畳にごろんと横になって、まどろみを享受していました。馴染みのお客が何人かいるほかは、雀たちだけ。一時間経ってもだァれも来ません。

ゆるゆるした時間、この空気、持って帰りたい、プレゼントにしたいと思いました。

十一面千手観音があるという、龍王山大岡寺に寄りましたら、“方丈記発心の地”と札が立ち、石柱も立てられています。日野のとなり、水口町ですが、庵は、京の日野でしたでしょう? なにがあって、ここで発心したのかしら。こうやって、芋蔓式に、鋏で切目を入れるように、雀のオツムに未知の事柄が示されます。

昨日は、名張に名居神社というのがあることがわかりましたの。地震除けとしては、となりの青山町の大村神社がよくしられていて、一度行ったことはあるのですけれど。初耳。  囀雀

 

* 今さらではあるものの、君ヶ畑、木地屋の原郷について書かれてあるのは、ことに興味深い。『みごもりの湖』では、季節に道を阻まれ、此処までは行けずじまいに、書いた。三十五年もむかしのことか…。

2005 7・9 46

 

 

* 「ドラゴン桜」のタイトルに建日子さんのお名前があって、「阿部寛と秦建日子コンビだ、これはきっと面白いぞ」と、「最後の弁護人」ファンの夫婦ともども、親しみを感じながら拝見しました。

「ブスとバカは東大へ行け」、「頭のいいやつが作ったルールが、バカには理解できなくて、またわざと分らないように作ってあって、バカはいつも騙されている。それでもお前らはいいのか」

このような本音をづけづけと言わせるので、若干心配しながら、「そうだ、そうだ」と拍手。

ドライな批評性が、日本の社会システムをストレートに抉っていて、実に爽快なドラマです。

もちろん次回もたのしみにしています。

(今回湖の本下巻の)「わが無明抄」 16,7歳の頃の短歌作品 感動しました。

こんなに繊細に哀切に青春を詠まれていたとは。

日だまりの常楽庵に犬をよべばためらひてややに鳴くがうれしも

たづねこしこの静寂にみだらなるおもひの果てを涙ぐむわれは

茂吉の「おひろ」なども思い出しつつ、若く淡い罪悪感や悔恨を、むしろみずみずしく感じ、できれば先生の全歌を拝読できたらと思いました。

「安心への道」は、「悟る」よりも「安心」が大事、と思うことがありまして、共鳴しつつ拝読しているところです。

最近の先生の日記に、「潮時」を感じさせるようなお言葉が見られますが、どうかお元気でいつまでも続けていただきたいと思っております。

ありがとうございました。  葛飾

 

* 短歌にふれていただくと、頬のほてるほどに嬉しい。『少年』一冊がわたしの全小説や全評論と均衡しているのを、作者として感じているから。

2005 7・9 46

 

 

* 「十戒」など、キリスト教圏のこの手の映画というのは予算を潤沢に使い、実に気合いが入ってますね。

中学・高校時代はキリスト映画がくる度に、先生に引率されていったので、ほとんどのキリスト映画はみていると思います。

ローマ時代、クリスチャンたちが迫害されて、岩屋のようなところで隠れて集会や礼拝をしていると、そこに誰かやってくる。番人は合図を示せ、という。すると、杖でさっと「魚」のマークを地面にかいてみせる、それで仲間とわかるシーンなどありました。(キリストは「私は漁夫である」といっていますね)

先日「親指のマリア」読ませていただきました。まだうまく感想がいえないのですが、一言でいうと、「骨太」な異色歴史小説だと思いました。  ゆめ

 

*「闇」のなかに多くの方が現れます。

今を元気であることのやすらぎを思います。

鶴見俊輔氏、竹西寛子さん、馬場あき子さん。ドナルドキーン氏。

異色の方々が並ぶ。鬼の研究。日本文学の碩学。『詞華断章』で「杣人の筏につくりさしおろすひのくれ行けば恋しきものを」を知った人、思想の科学。わが青春の師にあうがごとく。  川崎 E-OLD

2005 7・9 46

 

 

* >川端康成の「新進作家の新傾向解説」

これはぜひ読んでみたい。

伊藤整の「近代日本人の発想の諸形式」も、アップされたら、熟読します。

わたしは「書きたい」と思っていながら、未だなかなか「書けない」者なので、書くこと、あるいは人の作品について批評を述べる資格が、自分にはない気がしてしまいます。

でも、批評は持っています。

思い切って、自分のことは棚に上げ、風にお話ししてみたいと考えていますが。

古書店で『慈子』の文庫本を探しています。まだあるといいなあ。 花

 

* 「批評」の大切なところは、自分より大きい高い強いところにいる対象へぶつかることかと思う。

この前中国へ行ったときに、『作家の批評』という著書を持参した。あるところである中国の要人が、わたしにこう話してくれた。

中国の「批評」とは、たとえば、江澤民主席が、故国を「逃亡」した音楽家ヨー・ヨー・マのような、目下の小さい存在を、叱って指導することを謂うのですよ、と。

中国は中国でお好きになさいませ。

わたしは、わたしが漱石や谷崎や鏡花を批評してこそ、批評精神も生きると思っている。目標にする対象をあまり小さく低く下げない方が、し甲斐がある。意義も生まれる。批評は大きな学習になる。

伊藤整の「近代日本人の発想の諸形式」は大論文で、明晰の大批評家の代表作である。長編だけれど、うまくスキャンして、しっかり進めたい。読んで行くだけでも楽しい、教えられる文章だ、大勢に読んで欲しい。

2005 7・10 46

 

 

* 青いカナリアならぬブルー雀…好きな雪村いづみの「ブルーカナリア」に、♪つらい想い出なら森に捨てよ♪ とあります。

昨日、飛鳥川を遡り、皇極天皇が雨乞いをしたという奥明日香に行ってまいりました。神式で掛けられる男綱と仏式で掛けられる女綱。途中に南淵請安の墓があり、あたりの棚田は有名な写真スポットです。菊の御紋の古社があり、峠まで行ってみると、持統天皇の吉野行幸はこの古道とあります。鬱蒼と茂る杉、細くなる沢、すごく雰囲気がありましたわ。

酒船石と亀形石造物も見ました。石舞台は墓石ですからほかにも似たのがありますが、酒船石には絶句。もっと大きかったのをカットして、なにかの理由があって運んできたのでしょ? 亀石に、ふぇえ、と思いましたが、これはもっと、ナスカなどを連想させる宇宙的なもの!

飛鳥はたいてい人が居ないし、のんびりできるし、空気はいいし‥。亀形石造物の近くに懸け樋がありましてね、亀の子タワシがおいてありましたの‥ひょっとしたら、あれでお掃除してるのかも、と、想いましたら笑えました。

石舞台脇に、廃校になった建物を利用した地元の茶屋があるのですが、手作りの、特に定食が、安くておいしいのです! 囀雀

 

* わたしがこんな雀メールにどれほど深く慰められ癒されているか、上の私語と比較してみれば、我ながら、涙ぐましくなる。なんというイヤな時節だろう。皇太子が妹内親王の華燭を予祝して結婚行進曲の演奏に参加している写真を、みなが寄ってたかって大賛美していた、その一瞬後には、同じ口が、顔が、とくとくと若乃花、貴乃花の夫人たちの品定めに躍起になっている。その躍起な顔を見ていると、先の「賛美」が、いかに空疎なお愛想笑いに過ぎなかったかを暴露している。

わたしはつとめてその手の報道からは逃げているけれど、逃げ出せる場がもう無いではないか。新聞やテレビの報道ほど汚穢なものはなくなってしまった。人間のいたところは太古、とはいわないが上古以来、じつは同じ汚穢にあふれ、実を謂うと自分自身も其の一粒なのである。情けない。耳を洗うという上古の逸話に懐かしさを覚えるばかりだ。そう謂いながら、わたしはそういう汚穢から遁走して山林斗藪の徒になりたいなどとは思わない。我も汚穢なりにこの汚穢にはまったまま、天来を待つしかない。

 

* 高取焼窯元にて。  鳩サブレを割る手ざわりに、いつも、京の陶器を「割った」手応えを思い出しますの。

むかし、吉祥寺にお茶の稽古に通っていたある日、京・五条に窯をかまえる方がお越しになって、目の前でお作を二つに割ってみせ、めいめいに割らせたことがございました。

お茶の先生は「やめてやめて」と涙ぐんでらしたのですが、「どうせほかすもんでッさかい、こないもろいもんやテ識ってもろたらそれでええんですワ」とおっしゃって‥。

余震続きで、まだ古いものを展示するのはこわいんですけれど‥と、このあいだ、(九州)高取焼の方からお話を伺う機会がございました。カーペットを敷いた歴代の展示室は、転がったものの無事。当代の展示場所は、タイル敷きだったため、落ちたものはすべて割れたとか。

茶器は抹茶を、茶碗はお茶を、花器は花を、水指は水を…待っていますの。「ひとりはいやです、ここに、はだかで、衆目にさらされるのはたまらないのです、どうかあなた、その手で私をおつれになってくださいまし‥」そう言われているかのような、華奢で優しくて、一抹の淋しさをもつ、きゅんと胸を絞られる感じの作品ばかり。

待ち続けてきたものが初めて息をする、仮死状態を解かれ、“成る”喜び。それを感じる喜び。本でいったら、頁が開かれ、紙とインクが外気に触れたとき、 “うまれる”と思う…。

人の手から人の手へと渡され、愛されて、大事にされてきたからこそ。  囀雀

 

* 思うママに書いて陸続と送って来るのが、もう何年も以前から「雀」メールの慣い。不思議な人である。去年までは携帯メールしか使えずに、量に制限もあったらしいのが文面の経済にこれ努め得て簡潔であった。機械が変わってからは、量も増えてきて、読むこっちは、時にほっぽらかしてしまうが、これまでのメールの嵩は、単行本の五冊や六冊分では済むまい。

2005 7・11 46

 

 

* 明日香の古代米ランチは、寒い時期は飛鳥鍋になるのですが、そのほかの時期は、おべんと形式の定食でしてね、畑や田んぼ、日に照り乾いた庭先、萱葺きの屋根、広くひんやりとした三和土、庭先を走るニワトリ、牛の鳴き声、板間の暗がりに丸まってまどろむ三毛猫などを連想させて、ほっとするのです。

今回、雀がいっと気に入ったのは、豆乳と吉野葛の“呉豆腐”。

吉野へ花見に行ったとき、地元の施設でふるまわれた葛湯、友人が取り寄せてわけてくれた桜型尽くしの吉野の干菓子、自分で作った葛切り、葛餅…ほんもんの葛粉でつくるものて、なんであぁも気持ちをほよほよ~っとゆるめてくれるんでしょう。

かけられた手間と、時と、心が伝わるからだと思います。これは、たべものに限らないことですわね。

葛で鱧をくるんだあつあつのお椀、食べてみたいですぅ。  囀雀

 

* 先生、足腰の具合いかがですか?

いま仕事を終え、夕暮れ、靖国通りのコーヒーショップでちょっと休憩中。退職の件はもう一度話し合いを持つことになっており、日程などはまだ確定していません。

旧約聖書毎日少しずつ楽しみに読み進めています。実は今回の読書のために文語訳のバイブル新たに購入したのです。少々値は張りましたけれど、やはり思いきって買って良かった! 口語訳は学生時代のがあるのですけれど、断然文語体が素晴らしいことを再確認しています。 ゆめ

 

* わたしのこの、「闇に言い置く 私語の刻」に、「闇」の遠い彼方から届くこういう「声」が、むろん心して選んでいるが、こう書き写されていることに、異様の思いを持つ人も少なくないだろう。千万承知で、やっている。

わたしの立場からだけ云えば、今朝掲げたこのような「雀の囀り」は、わたし自身でとても今すぐ出来ない、すぐには行けも味わえもしない内容をもっていて、多くの読み手の方々にも、たぶん同じだろう。こういう「声」の聴ける我が日常をわたしはこのように記録して、自分の貧しい単調な日々を潤わせ、飾っている。雀さんと同じにはとても自身で動けない、体験もできない、今の今の自分の暮らしであるが、こういう人の、こういう体験を、幸い「味わう」ことも「理解する」ことも「批評する」ことすら、わたしには出来る。つまり、それもまた「わたしの日々」で、また「体験の範囲内」なのである。だから半ば我がことのように楽しんで書き写している。

仮に上のメールをわたしが独り黙って読んで、こんな風に書き写さず秘めて置いたとしよう。「闇」の彼方の読み手の方々は、わたしがこういう「世界」を楽しんだこと、それで憩ったこと、は、知らずじまいに誰にも分からない。自然そういう楽しみも憩いも無いわたしの日々だと思われてしまう。むろん思われようと少しも構わぬといえば言える。しかし誰のとは分からぬよう配慮して無数に書き写してきたもしそれら全部が、無かったものとして書き込まれていなかったら、わたしの「生活」は、幾分索漠として花のない野原のように見えたでもあろう。

選んで書き写された人達の、内心の迷惑には深く詫びねばならない、が、必ずしも無神経にしているつもりはない。

たしかに初めのうち、ビックリする人がいた。叱られたこともある。しかしわたしが相当に配慮していることを知るにつれ、また別種の「様子」も見えてきている。メールをくれた人達の「生活」や「感想」のごく一部とはいえ、此処に転載されて、さて、誰の文とも知られず、思いがけない多くの人にそれが読まれているうちには、また同様に他人のそれらを読んでいるうちには、わたしサイトを介して、思いがけない遠く広くへその人達の「言葉」「思い」も拡がってゆき、その様にして又一つの「生きている」感覚がもててくる。

maokatさんも雀さんも波さんも鳶さんも、「闇」の奧に存在して生きているのである。迷惑かも知れないが、そういう風になってきている。わたしからすれば、そういう「闇」がまた生活世界の「表現」になってくる。勝手かも知れない。しかし、そうして「一緒に」暮らせているとも言える。つまり一人でしか立てない筈の「島」に何人もで立とうとしているのかも知れないのである。

 

* 秦さん、お体いかがですか。

義弟(といってもひとつ兄さんですが)が、都下武蔵五日市でヨガ・瞑想道場を開いています。彼は、長くヨガ(いわゆるハタヨガ)を実践ししていますが、数年前まで、落ちこぼれ教育の現場教師を飽くなく続け、退職してなお多くの教え子が集まる、実にやわらかく深い人です。

書物はあまり頼りません。いまはインドの「ヴェーダ」と「ラージャヨガ」を仲間内で読み進めています、決して頭でっかちではなく、ヨーガを実践しながら。

今月21日(木)、満月の夜、夜8時過ぎに、五日市の同道場(アシュラム)で「世界平和のための同時メッセージ」の瞑想会があります。インドの聖者が発するメッセージを、世界各地の窓口で受け、拡げる瞑想です。たいそうなことは好みませんが、カミさんとカミさんの友達が行きたいというので参加します。でも、この夜は泊まらず帰ります。

8月の土曜日に、ヨガ、ヨガ・セラピー、ヴェーダ購読研究会があります。(それも飛び飛びの参加では、あまりいただけませんが、初めての参加でもそれなりのことがあります。)8月には一度、泊まりで参加するつもりです。

ご希望があれば会の予定は追ってお知らせしますが、老若男女いろいろな人が自由に出入りします(会費はドネーション(@2千円前後)。義弟の手作りのログハウス(といっても十分なスペース、環境・設備の備わった住まい)で自由に語らい、ある人はセラピーを受け、ある人は思う存分語らいます。

秦さん、一度、いかがですか、泊りがけで、奥様ご同伴で。よく奥多摩の創作家たちも集います。参加するならご案内します。

前回は、バグワンの直弟子(日本人)とも語り合いました、落ちこぼれの有為の若者も多く集います。ま、折にふれ、明日は明日ですが。 愚弟。

 

* ヨガのことは、よく知らない。他のどんなこと(実践・メソッド)とても、みな、よく知らないが。禅には、漸悟と頓悟とがあると聞いたろうか。漸は、順序をふんで至るのではなかったか、頓は、瞬時に悟るのではなかったか。わたしは漸であれ頓であれ悟れる素質のないアホウの一人であり、ただもう、来るとも来ぬとも知れない何かを「待つ」しかない、方策もない、さりとて修行もできない怠惰人に過ぎない。だらあッと怠けて、なーんにもしないで「待って」いよう、バカまるだしの「待ちぼうけ、待ちぼうけ」の男のように。それより、また「愚弟」氏と一献やってムダバナシをかわしたいものである。

2005 7・13 46

 

 

* 妻の聖路加検診で、わたしは留守晩。ときどき機械の前で居眠りなどして、のんびり。花籠さん、四国から牛の精肉を元気づけに送って下さる。昨日、出来たら浅草の「米久」まですき焼きを食べに行きたかったぐらい、ところがパソコンで検索すると定休日だった。行かなかった。花籠さんに、分かったんだろうか、呵々。感謝。

群馬の或る図書館長さんからも御馳走を頂戴した。もう二十年できかないかも知れない、久しいお付き合い。

2005 7・14 46

 

 

*  湖の本ありがとうございました。  バルセロナ

恒平さん  「親指のマリア」を読み終えた翌朝、新しい湖の本の上下二冊が届きました。

あさって発つ自転車旅行の、荷物の間へするっと納めるつもり。

こちらに住みにこられた珍しく気持ちの触れ合う年配の方を、先日家に招いたところ、すっと本を手にとって、「うみの本、(日本にいた頃の)読書会でよく話題になったわ。」と。

 

* 京 なつかしいこと。

自転車で、事故は禁物、イヤイヤ。 楽しんできて下さい。本がお供に…本が羨ましいこと。

わたしは本の発送で右脚筋肉を傷めたのが、何が何だか、なかなか軽快せず、脹ら脛をもてあましています、呵々。

京の「日本」をてさぐりして、京なりに「読んで」ください。そして、テロにもくれぐれも巻き込まれぬよう気をつけてくださいよ。  湖

2005 7・16 46

 

 

* 今日も午後から街へ出る。俳人で「鷹」主宰の亡くなった藤田湘子さんの遺影と、お別れしてくる。告別式ではない。偲ぶ会である。

 

* お変わりありませんか。 湖の本を読み終えて、懐かしい箇所を思い出していました。

あす16日は日吉ケ丘(母校)へ行きます。

今年も早半年余り過ごしてしまいました、毎日楽しく暮らしています。日々感謝してます。

秋は行事等あり、又、旅に出る予定です。 どうぞお元気で。   閑

 

* わたしが高校三年の頃の茶道部で、手をとって茶の湯を教えた(指導の先生は置かなかった。部長先生はほぼ全く顔も出さなくて済んでいた。)生徒のうち、このメールの人は、抜群にのみこみのいい一年生だった。センスがよかった。卒業してからも一年ほどわたしは母校の茶道部へ通い、稽古をみていた。この人は後々、今でも、茶の湯の先生をしているらしい。何十年も逢わない、が、やっとメールが使えるようになったらしい。様子は、湖の本の払込票通信欄で知れていた。

 

* 青柿の下、名張旧町の細い路地。「水神」と傘提灯があがり、祠の紙垂は真新しく替えられ、「水神」と彫られた石には数々の御供物が捧げられています。

百日紅が咲き出しました。

冷房を入れ始めた頃、首肩腰足と障ったので、気を付けていたのですが、先日の落語会で足が冷たくなってきて、ふくらはぎや足首をさすりながら見ておりました。

オフィス勤めの友人は、厚手のパンツスタイルで、ジャケット、ストール、靴下持参。日々切実な問題とあって、さすがに心得ています。

雀は、雪の越後でいためた腰をまたやってしまいました。昨晩は、膝曲げ横向き寝返りばかりの一夜。「よくなおして」とご忠告いただいておりましたのに。

熊野へのバスは長丁場ですから、体調と天候をみてでかけます。

さて、ご近所の庭先、またプランターに、日に日に大きく、色鮮やかに力強くなっていく茄子やトマトを見かけます。

茄子料理がおきらいな理由をお書きになったくだりを思い、くすりと笑って通ってまいります。

生で召し上がってもいけませんの?

火を使うのをできるだけ減らしたい夏の厨、子供は畑で切目を入れて青紫蘇と味噌をはさんで食べたり、もいで帰って薬味野菜と刻んでもらい、おかかや切り胡麻を加えて醤油をまぶして食べたりと、主人も雀も、茄子を生で食べることは結構ございましたのよ。

おからだの調子はいかがでしょうか。どうか日々おすこやかに。  雀

 

* 恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす

昨日、教育テレビの「にほんごであそぼ」で、上七七をやっと知りました。

待ち焦がれているもののひとつに、今月末、京にめぐってくる「小林古径展」があります。郷土出身の画家ということで、幼い頃から何回か、作品を見る機会が与えられました。

思えば麦僊、杏村など、佐渡のひとは取り上げて言われたことがなかったような気がします。

古径はひとりで見入ってしまい、いいなァ、と好きな部類の絵でした。ですがそれを親にも、周りの誰にもいいませんでした。小学生が、静物を描いた小さな日本画を「こういうの、好きだなぁ」なンて言いにくい感じでした。バタ臭いもの、西洋のもの(それもアメリカもの)が良い、ステキと思われていた時代でした。

そして、まったく同じ期間、奈良博で「古密教展」があります。

法具や、多面多臂観音をはじめとする仏像の展示というので、楽しみにしている雀です。 囀雀

 

* さらさらさらさらと自身の言葉が績み紡がれて出ている。とてもこんなふうにメールの書ける人とは想われない、やや騒々しいメールから始まった見知らぬ読者の一人であったが、いまでは、囀り雀とわたしの付けた渾名が似合わなくなった。

2005 7・16 46

 

 

* 湖の本 ただ今届きました。8冊ものややこしい注文に、大変申し訳御座いません。また、ご丁寧な小包に、ご自分の本を、大切になさるお気持ちがこめられいて、大切に拝読させていただきたく、厚く御礼申し上げます。いただきました、しおりのお言葉が、大切な宝物ですので、すこしずつ、ふえてゆくのがたのしみです。先生のあの素晴らしい、深く、透明な、美しい、たおやかな日本の心にふれ、学ばせていただく幸せを思います。  杉並

 

* 一人ずつ一人ずつ新しい読者が出来て行く。ありがたい。

 

* 暑くなりはじめたせいか、体がだるく、疲れ易いので、水分、塩分をしっかりとるようにこころがけています。まだ七月ですが、あまり暑いときは、我慢せずに冷房を使っています。

ドジは、うーん、わたしもしょっちゅうあります。わたしほどドジでおっちょこちょいな人間はいないのでは、と、ずっと思ってきたほど。

でもね、以前勤めていた会社で、お昼休みに、お弁当を持ったまま転び、ごはんとおかずを前方にすっとばした人を目の前に見たとき、「わたしといい勝負かも」と思いました。

この頃は、ポカをやってしまったら、スッパリあきらめて、悔しさを溜めないようにしています。

脚、まだ痛むのでしょう。さらに痛めませんよう、お気をつけください。

風、お元気でいてくださいね。 花

2005 7・16 46

 

 

* 歌集「少年」に再会

95年晩夏、御歌集『少年』を、しっかり拝読していたはずでした。

再び開いて見ますと、特に好きな歌にしるしがしてありました。

 

歩みあゆみ惟(おも)ひしことも忘れゐて菊ある道にひとを送りぬ

 

はりひくき通天橋(つうてんけう)の歩一歩(あゆみあゆみ)こころはややも人恋ひにけり

 

汚れたる何ものもなき山はらの切株を前に渇きてゐたり

 

別れこし人を愛(は)しきと遠山の夕やけ雲の目にしみにけり

 

舗装路はとほくひかりて夕やみになべて生命(いのち)のかげうつくしき

 

遁れきて哀しみはわれにきはまると埴丘(はにをか)に陽(ひ)はしみとほりけり

 

うつつなきはなにの夢ぞも床のうへに日に透きて我の手は汚れをり

 

朱(あか)らひく日のくれがたは柿の葉のそよともいはで人恋ひにけり

 

君の目はなにを寂ぶしゑ面(おも)なみに笑みてもあれば髪のみだるる

 

まだまだありますが・・・。

古典的響きを整えた美しいしらべを、十六、七歳で手中におさめられていて本当に驚かされます。

写実を踏まえた想像喚起力は、若葉のように新鮮な生臭さをもって読者を包み込みます。

ひらがなと漢字の配置における美的趣味性は、若くして培われた美学からくるものでしょうか。

上田三四二は、「恋の思いが歌の初めであることほど、短歌にとって自然なことはない」と評しておりますが、先生の「母と『少年』と」を拝読し、恋の思いとは、母恋に発するのではないかと考えました。

母である阿部鏡様の歌と、空の高みで響きあっていたのだと思うと、こころの痛みの深さがひしひしと伝わってきます。

玩具店のかど足ばやに行きすぎぬ慈(いつく)しむもの我になければ   阿部鏡

ありがとうございました。  葛飾

 

* 知己の言、有難い。こと短歌に関しては、歌集『少年』に関しては、仰有って下さるすべてを心より嬉しく受け入れたいのである。

 

* わが生母のことは、いずれ血縁の孫達の誰かが書くだろう。わたしはすでに千枚近くをあらまし書いて持っている。だれかがそれを利用してくれればいい。

2005 7・16 46

 

 

* 洋画家の池田良則(遥邨画伯の孫)さんから、印刷ではない、扇面に長刀鉾を美しく描いた扇子を貰った。今日はそれを間近に飾ってみる。往時は渺茫、しかし忘れも消えもしない金無垢のような愛が京の街には生きていて、ことに祇園会のころには眩しいほど身内の闇に光ってくる。あの暑さ、あの夕立、あの神輿、あの浴衣浴衣浴衣、あの街なかのどよめき。そして鱧や冷素麺や、祇園囃子。

 

* 四条通りの播磨鳶   おはようございます。脚の痛み、いかが。よくやすまれましたか? 早起き鳶は既に祇園会さなかの京都に来ています。祭り囃子が心地よく。涙がでそう。涙がでそう。お大切に、お大切に。

 

* 祇園祭でしたね。今年はどうやら梅雨のあいまを縫って、降られない山鉾巡幸になるのでは。冴えたコンコンチキチンが聴こえてきそう。外人のボランテイアの担ぎ手ばかりの山があると紙上で読んで、顔がホコロビました。

何年ぶりかで海外から里帰りの姪は、うまく祇園会に出逢い、日本の伝統文化を満喫しているけれど、それにしても、京都は暑い暑いワー、と電話で・・・。もうすぐ母子がお世話になります、と一泊二日で我が家へもへやってきます。

白湯というものの味を、なぜかふっと懐かしく、いま感じています。ふしぎ…  泉

 

* おはようございます、風。 蒸しあつーい朝です。風は、まだおやすみでしょうか。

添付ファイル、せっかく送っていただきましたが、エンコードできませんでした。このマッキントッシュにはワードも一太郎もインストールされていませんので、お手数ですが、ソフト依存の形式ではなく、「テキスト形式」で送っていただけませんか。「テキスト形式」は、すべてのエディタソフトに対応します。内容がテキストのベタ打ちならば、問題ありません。

せっかく送っていただいたのに、ごめんなさい。お時間のあるとき、気が向いたら再送してください。伊藤整の評論には興味があります。

さっき、テレビで「報道2001」という番組をやってました。わたしもテレビの前で、侃々諤々でした。

花 元気元気です。

 

* 花の町はたしか金魚の町。金魚は夏によく似合う。金魚すくいいうあの詐術めく誘惑は子供の頃からヘタのゆえに好まなかったが、金魚は、金魚のおよぐのをみるのは、可憐で繊細で、好きであった。

2005 7・17 46

 

 

* 一気に読みました、「近代日本人の発想の諸形式」。

> しかし、その(藤村の「新生」の)やうなリアリズムの逆行的利用を「偽善」と考へるやうな芥川的な明晰な考へ方をする人間が、日本の社会で論理的な仕事をしながら生き続けることは無理であつた。

どうして無理なのか、伊藤整は説明していますが、この辺がなかなか腑に落ちません。じっくり文脈を追ってみます。

また、概観的なこの論文のみでは、登場する作家たちのすべての作品・作風を理解していないわたしには不十分です。

例えば、「藤村、鴎外、漱石、荷風、潤一郎」といった作家について謂われていることは、「フムフム」と頷けるのですが、「有島武郎、武者小路実篤、志賀直哉、宮本百合子、中野重治・・」などの作家については、表面的なことしか知らないので、「そうなのかなア」と思うにとどまります。

つづきを楽しみにしながら、この論文を読みこなせるように、読書範囲を拡げていきたいです。

風がお元気で、嬉しい花。

 

* なるほど近代文学を、大方の傾向を、避けずに広く読んできたわたしの興味や関心を、やや押し付けかけていたナと、反省した。わたしのようにいろんなジャンルと傾向とに狭く拘泥しないで「読んできた」人は、じつは文壇のプロたちにも、めったにいない。出逢ったことがない。学者は、専門があるからむしろ当然のように狭い。それだからこそ、作家のわたしにも、「ペン電子文藝館」の仕事ができるのだ。数百におよぶ掲載作品を、わたしは読んだものから選んできた。広く読んでいないと「選べ」ないのである。

なるほどなるほど、白樺派の大家たちも左翼の大物作家たちも、文学を志している若い人にあまり親しまれていない。すこしショックがあった。

 

* 現時点では、伊藤整の論文を隅から隅まで理解できません。中に登場するすべての作家の著作によく通じていないから。偏にわたしの勉強不足のせいです。

かといって、知識を得るために興味のないものを無理に読むつもりはありません。作者の血肉である作品を、知識のために読むことは意味がないと思うのです。興味を持っているときは、読んだものがすうすうと体に染みてゆき、深く記憶に刻まれます。そういう自覚が生まれての、自然な読書欲に身をまかせています。

「読んでみて」と教えてくださるのが、風であるがゆえに、興味の湧くということもありますし、手をつけるよいきっかけになっています。押し付けだなんて感じたことありませんよ。

知らないことばかりですから、新鮮ですし、そこから拡がる世界というものもあるのです。

ま、「近代日本人の発想の諸形式」のような評論を、すらすら読めるようになれたらいいのですけれど。

「三等船客」を読んでみます。

> この数日、ノンビリしています。

よかった。たまにはノンビリしてください。 花

 

* 知識欲から小説を読むのはたしかに上等な読み方ではない、そういう附録は読んだ跡に自然と残るだけ。花の姿勢は、当然そうあっていいことだ。

2005 7・17 46

 

 

* 遠花火   きのうのこと、夜八時半、花火があがり始め、キッチンの窓を開けました。名張のあちこちであがる花火を、居ながらに楽しむひと月が始まりました。

昼の暑さも、花火のあとは涼しくなる気がします。

どうも空梅雨のようで、湿度が下がり、朝霧とは違う、暁の肌寒さに目が醒めます。

主人の仕事の都合で、毎朝五時過ぎに起き、ご飯を食べながら教育テレビを見る毎日です。俳句、短歌、落語、「花舞台」、伝芸鑑賞入門、「日本語なるほど塾」、「日本一木を植えた男」、「夏目漱石」…おりおり楽しんでいます。

語学講座は、「アイヤー!」も可愛らしい京劇女優と素直な金子くんが愉快な「中国語」、ユーモアにすぐれた「ロシア語」、シェラザードは斯くあるかという美女の「アラビア語」だけ、三ヵ月経ったいまも飽きず見続けています。中国語で朗読されている漢詩も聞きたいのですけれど。気温が上がれば下がる血圧、 70あるかしら、“もう10分”の早起きが、つらくて。

お変わりなくいらっしゃいますか。熱中のあまりご無理なさいませんように。 囀雀

2005 7・18 46

 

 

*「週刊現代」から作家の角田光代に関して電話で聞いてきた。なにしろ二十年近く前のことで、「かくた」個人に関聨して鮮明に覚えているとは言いにくい。作品をとりあげて褒めたこと、それが彼女に作家でやって行こうと決意させるきっかけになったことは、彼女が自分でいろいろな場で話しているのを、遠耳に聞いたぐらい。べつに作品を送ってきたことも読んだこともない。

角田光代の名前は、しかし、あの早稲田のゼミへ通った昔から我が家でも名を憶えていたのは確かだ、息子などが何度か口にしていた気がする。

後年、文藝家協会の委員会で一度だけ同席したが、席は離れていたし、委員会は済めばサッと帰るわたしのことで、久闊を叙するということも無いままであった。わたしの教室にいて、作品に注目して褒めて励ましたのは確かである、が、それ以外に多く覚えていることはない。いま電話で記者の話に聞くと、最初に褒めて貰ったあと、夏休みにも書いたものを「秦先生に送りつけました」と角田光代が話しているとか、そんなこともあったであろうか、なにぶん分明な話にはならない。活躍してくれればそれでいいのである。

2005 7・19 46

 

 

* 昨日は海の日   海の日も緑の日も今だに馴染めず、当日、エッ? と思います。国民の休日(祝日ではない)を増やしたのは、バブル期の頃でしょう、タブン。

まあ、リタイア組はサンデイ毎日のハズですが。

昨日のような海の日に国旗を挙げているお宅を見ると違和を覚えます。

空梅雨にしても梅雨明けと聴くと、さあ、夏の暑さと共存してガンバルゾー、なんて優等生ぶった言葉は、何処を絞っても出てきません。年々暑さも寒さも堪えます。

それにしても昨日の暑さ、昼間、母子の気分転換に隣街まで、お食事や買い物に車で出掛けて、車外に出るや、モアーとしたあの高温多湿には参りました。

今はほっこりとお疲れ休みをしています。   泉

2005 7・19 46

 

 

* 湿度が高くて雷の暴れそうなお天気です。

今までで一番怖かった雷はローマで経験しました。その稲光と轟音の凄まじかったことは忘れられません。天罰という発想は、ああいう震え上がるような雷からきたものだと思います。今思い出してもこわい。古びた小さなホテルの最上階の部屋で娘を抱きしめながら、頭上に雷が落ちないか怯えていたことを思い出します。

その娘もこの夏は一人で海外ですから、光陰矢の如し。

初めての一人暮らしを思いきり読んで書いて過ごす予定です。図書館にも受験生のように通うつもり。書きかけの長いのも夏中に是非完成させてしまいたいと思っています。 それから、父のルーツを調べに遠く西国にも行きます。取材なんて経験がないので、図書館で郷土資料を調べるくらいしか思いつかないので困っています。インタビューしたい人はすでにあちらの世界の住人ですし。

何年くらいかけて、どのようにお母さまのことをお調べになったのでしょう。

夜はいつも泉鏡花を読みながら休んでいます。溢れる水のイメージに深く感じ、なつかしくなつかしく想います。

暑さ本番、熱中症などお気をつけてお元気でお過ごしくださいますように。そして気が向かれたら、時々励ましてください。  クーラー漬けの 春

2005 7・19 46

 

 

* こんにちは、**です。本日、お送りいただいていた本の振込みをしました。

通信欄にも書かせて頂いたのですが、湖の本の『青春短歌大学』上下巻をお送り頂けないでしょうか。秦先生を知らない大学の後輩に読んでもらいたいな、と思っています。お金は合わせて振り込んでおきました。宜しくお願いします。

先日の日曜日には恵比寿の東京都写真美術館に行ってきました。

報道写真展2005という展示が見たかったので行きましたが、ここ1年は、インドネシアの津波やイラク戦争の悲惨な写真を初めとして、アフリカなどで続く内乱の犠牲者など痛ましい写真が多かったです。

他にも、近代化の陰で危険な環境で働いている中国の労働者やパラリンピックの写真など時事問題にも気を配った展示になっています。

おそらく自分ならシャッターさえ押せないような場面が沢山ありましたが、写真家はどんな気持ちで写真を撮ったのかと考えてしまいました。

おそらく世界に悲惨な現実を伝えたいという、使命感だと思いますし、できればこの世の平和を願ってだと思います。

東京都写真美術館はかなり良い写真展を開いていますし、また映画なども良いものが上映されています。ご参考までにホームページのアドレスを載せておきます。 http://www.syabi.com/

 

* 本を注文してくれたから言うのではない、が、この卒業生との久しい親昵をベースにして想うと、この人はメールをくれるごとに生活の視野を新たにし、関心を広げて行くのが分かり、心嬉しくなる。まだ見たり想ったりが、自身の向こう側で対象化されている程度ではあるが、実感が深まり自分の意見が湧き身もその方へ働かして思想化して行くと、ビックリするほどの大きな変身があるだろう。

 

* 沖縄の朱虹さんも二冊分の本代を、声の聞こえそうな元気なあいさつとともに送ってきてくれた。

心配なのは、あのクラブで歓送会をした上尾敬彦君夫妻。あの晩から何の連絡もメールすらなく、もう向こうへ行っているのか、事情でまだ日本を発っていないのか、ロンドンがあんなであっただけに、気がかり。送った湖の本もどこかで宙に浮かんでいるかも知れない。

2005 7・20 46

 

 

* 勉さん お変わりありませんか、お元気に過ごされていることと思います。こちら、年々に暑さの加わり行く日本の真夏。うかと外へも出にくい日々ですが、京は、祇園会。

その京都で、弥栄中学の、おそらくは最後の機会になるやも知れない同期会をぜひ実現したいと、西村肇さんが奔走してくれています。

ついては、勉さんの顔もその機にぜひ見たいという希望がつよく、こちらへ(カナダから)お帰りの予定が分からないだろうかと、わたしへ問い合わせがありました。「会期の設定がそれによって大きく遅れることは困るのですが、近々、お帰りの予定があるのなら、合わせてみようと考えた次第です。却って勉さんを悩ますようなら申し訳なく、ご無理の無いように……」と、肇さんらしい配慮です。急いで取り次ぎます。

可能な限り私も参加して人生七十を思い、往時の渺茫たるを懐かしみたい、勉さんにも逢いたいと思っています。 橋田先生も弱っておられ、その日にお顔出しが得られますかどうか。

まずは、お返事を待ちます。

勉さん いつもいつも、湖の本など、有り難う存じます。感謝しています。  恒平

 

* 肇さん 勉さんに伝えました。勉さんの返辞を待ちます。

メール開通を確認すべくこれを試験的に送ります。アドレスの中に、 ne とか co とかが入らなくていいのかなと少し気にしながら。   (やはりメールは戻ってきた。)

暑いのは真夏であたりまえとはいえ、シンドイですね。お大事になさいませ。

いつもいつも湖の本へのご厚意、ありがとう御座います。

何人か、メールの往来のある同窓生にも、会期などきまればわたしからも伝えましょう。切に願うのは、予定や先約とかぶらないようにと。可能な限界まで差し繰りする気で居ます。

たしかにみなさん七十にまちがいなく、仰有るように、もうそうそうは計画しにくい一つの極みですね。一人でも多くお目にかかりたいですね。

先生では、佐々木葉子先生、牛田先生、木平(信ヶ原)綾先生、宮崎先生らご健在と思います。

いっそ上と下と一学年ずつぐらいにも自由に参加して貰っては、とさえ。もうお互いこの年ですから、上も下もないですもんね。賑やかがいいかも知れません。  恒平

 

* 往年のわれわれ生徒が、揃って古稀七十の同期会…、…一期一会。

2005 7・20 46

 

 

* 暑さに当たっていませんか。萎(しお)れないように!

脚、昨日あたりから、ホンのこころもちこころもち軽快しているか…という感じを、見守っています。冷房が利いてくると、刺し込むように脹ら脛が痛く痙攣しますので、ガマンの利く限り冷房はとめていますが。痛い個所にそっと指先を置いても、てのひらを当てても、噛みつくように痛みが跳んできます。触らぬ神にたたりなし。

きれいな花の写真をスライドショーで次々に見るのが、わがいっときのロマンチックな納涼です。朝顔が一つも咲いていない。子供の頃なら、夏は籤取らずに朝顔の花が一番でしたがね。

 

* >痛い個所にそっと指先を置いても、てのひらを当てても、噛みつくように痛みが跳んできます。

そんなに痛いのですか。サポーターをあててみてはどうでしょうか。

ほんとはお医者で診てもらうのがいちばんでしょうけど。

風、お医者はお嫌いですか。

今日は万博を見てきました。

昼のあいだは暑かったけれど、夕方から少し涼しくなりました。

珍しいもの、おいしいものを食べましたよ。

コーカサス共同館では、チキンのカバブ、ヨーグルト、ブランデーケーキ、グルジアの白ワインのセットを。これが大当たり。どれもさっぱりしていて、とても気に入りました。

スリランカの「ゴタンバ」は、モチッとした皮でカレー味の肉とじゃがいもを包んだものでした。インド料理の「サモサ」に似ていました。

喉が乾いたら、アフリカンミックスジュースを。

「エンパナーダ」という、アンデス風揚げ餃子は、少し油っこかったけれど、おいしかったです。

苦手だったのは、ベネズエラのパンケーキ、「アレパ」でした。チーズとハムを挟んであるのですが、パサパサしていて・・。

歩きに歩いてパビリオンを見て回りながら、スナックをつまむ「愛知万博食べ歩き」は、つっかれました。

冷凍マンモスが見られる「グローバルハウス」や、トヨタ、日立などの企業館は、午後七時過ぎても長蛇の列ができていました。グロッキーだったわたしは、順番をひたすら待っている人たちの体力に、恐れ入りました。

ちらっとでも風のお顔を見られるといいなあ、なんて夢みています。 花

2005 7・20 46

 

 

* カナダの勉さんから返辞があり、そのまま京都の肇さんに転送する。ちょっと簡単には動けないようだ。

2005 7・20 46

 

 

* 夏の夕暮れは…陽の名残がいつまでも残っているので、仕事帰りの車窓が楽しみ。昨日の夕陽、本当にきれいでしたよ。「すぐに窓からみてください!」って歩きながらメールすれば良かった。そんな時、バイブルの言葉を思い出したりしながらのんびり帰ります。

「野の百合は如何にして育つかを思へ、労せず紡がざるなり。されど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、そのよそほひこの花の一つにもしかざりき。今日ありて明日爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝をや。(中略)明日のことを思ひ煩ふな。明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦労は一日にて足れり。」

昔、「野の百合」という映画がありまして、たしかシドニー・ボワチエが好演していました。 ゆめ

2005 7・21 46

 

 

* 今日はバレーの日でした。

暑くて、みんなボールへの突っ込みが鈍くなっています。

汗びっしょりのTシャツをささっと着替えて、午後は図書館にいました。

風の脚の痛いのが、早くよくなりますように。

花は元気元気。風は。

 

* この2日ほど、夜幾分涼しいのでうれしいです。

「閑吟集」や「万葉集」をいつも手の届く所に置いて親しんでいるので、付箋だらけになってしまいました。85番も好きな歌。女たちが洗濯場にでも集って仕事をしながら唱和している、そんな光景も思いうかべたりして。 ゆめ

 

* ちなみに『閑吟集』八十五だと、 (思ひ出すとは 忘るるか 思ひ出さずや 忘れねば)だが。労働歌のようには読みにくい。万葉集だと、巻二の冒頭、仁徳の磐姫皇后の相聞歌として名高い。 (君が旅行(ゆき)日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ)で、洗濯しながら謡う歌かどうか…。

わたしの『閑吟集』では、こう読んでいる。

2005 7・21 46

 

 

* 今朝は六時前から鉛のような胸苦しさに目覚めていました。

みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに

季節の花といえば「もぢずり」は可愛らしい花ですね。

お稽古と買物から帰宅したところですが、暑さに消耗しました。いっそ雪のように消えてしまいたいくらい。 春

 

* 八木⇔新宮のバス

ここも旅またゆく先も旅なれや(中略)いづくの土に我やなるらん(妙法山阿弥陀寺奥の院)。さきほど無事にバスを利用した旅から帰ってまいりました。

ケータイ圏外になってばかりの旅で、メールできませんでしたの。それだけでなく、情報を言葉に換えることが困難でした。夏山の生命に包まれ、水の流れに潤され、昼は日の光、暁の露天風呂では月光を浴び…自然が送ってくるものに身をゆだね、浸り、帰路のバスの中で、徐々に、思いや情報が言葉に換えられ、小さなかたまりがいくつかで

き始めました。

待ち時間や、宿で読もうとご本、持参しましたのよ。でも、一頁も開かぬまま…それほどぼんやり熊野に浸っておりました。ただし、潮騒と蝉時雨のなかに鎮座していた花の窟(いわや)で、浜木綿(はまゆう)の白い花が終わりを迎えはじめているのを見て、あの日の白浜の岩辺にも、こんなふうに咲いていたと、有馬皇子ゆかりの旅をした日の、陽射しや風、さざ波、いただいたメールを思い、胸の奥から顔まで、ぽっと赤くなりました。

それから、雨のバスは危ない…とご心配いただきましたこと、本当にありがとうございます。晴れが続いていたからこそ、移動手段、歩みなど、恵みをたくさんいただいた旅でした。

腰をいためるのがこわいので、十津川温泉でバスを降り、玉置神社に参りまして湯の峰に泊まりました。つぼ湯の源泉の強さに当たり、翌日、十津川に宿を移しました。連休のあとでしたから、お風呂はどちらも独り占め。

湯の峰では、早朝、湯筒の湯でインスタントコーヒーをいれて飲みました。

熊野、葛城、大和三山、与喜山、室生と帰ってくる車窓に、現世俗世に戻りたくない気分も起こりましたが、帰宅してまずエアコンを入れ、友人の「ドラゴンズ7連勝! タイガースとのゲーム差は、5!!」のメールに、「ヤッターぁ」と小さく叫び、あっ! とっぷり、現世の俗世。

六時のサイレンが鳴り響いています。これからお夕飯の支度にかかります。

そちらも暑いことでしょうね。どうかご自愛お願い。  囀雀

 

* うらやましい。ひとしお旅情をさそわれる。ながいメールだが、気持ちよく書けている。

2005 7・21 46

 

 

* 1の1…NHKブックス『閑吟集』巻頭部分は、先生の想いのこもった解説で、万感胸にせまります。面と向かって申し上げるのは何ですけれど、これ異色の名著ですね、本当に。 ゆめ

 

* こういうことを「面と向かって」言ってきてくれる読者のあることは、わたしのように出版ジャーナリズムから遥かにかけ離れて生きている者には、励み・喜びである。或る意味では、思惑や遠慮やごますりの多い商売批評家の読まないでする批評より、いくらか点が甘くても、読んで、繰り返し読んで言ってきてくれる読者の言葉の方が、ピュアである。作者も読者も、それにより俗な意味の得などなにもないのだから。

 

* 明日は大暑  暑くても 暑くてもつなぎたくなるあなたの手

伊賀は青田波。南紀州は稲に実が入り始め、まるで夏祭のデートに、初めて浴衣を着てきた少女のように、うつむいて風に揺れていました。

有馬山ァ猪名の笹原風吹けばァ。 どうかおん身おいといのほど。 囀雀

 

* この人は、季節感のメールをラブレターなみに書ける名手の一人。

2005 7・22 46

 

 

* 石  飛鳥に遺る数々の謎の石は宇宙的。熊野の岩は古代的。

玉置神社は、天照大神に関係する方のお参りが多いそうですが、明治になって神武天皇とともに合祠されただけで、国常立尊とイザナギ、イザナミの三柱がご祭神。近くにある玉石神社が、もとの神様と耳にしました。

三本の大木に囲まれて、ご神体の丸く白い石が敷き重ねられている、そちらから玉置神社に詣ると、境内のあちこちに、同様の石があちこち敷き詰められていることに納得がいきます。そして、花の窟でもそのような石を見つけました。イザナギの墓である巨岩の穴に、白く丸い小石が積まれています。

掃除にいらした、ひどく背中の曲がったおじいさんに伺うと、「こんな石、そこの浜にいッくらでもある」と。

花の窟の境内に茂る木の、ある枝には、神事で千切れたらしい細縄が、ひっかかったままおかれ、一方、別の枝は蔓草の枯れたのがぶらさがっています。黒い揚羽蝶が一羽。

カグツチの墓の岩は、苔や草に覆われ、岩を割って根を伸ばした木が一本、天に向かって枝を茂らせていました。夏――。

ところで、谷崎さんて夏の殿御でらしたのですねぇ。亡くなって、40年…ですの…。芦屋、また京へもいらっしゃるご予定はございますか。

極暑の折から、どうか十分にお気をつけておでましください。

明日の「芸術劇場」は、文楽「雪転し~山科閑居」です。ご覧いただけましたら嬉しうございます。文楽劇場と国立劇場とでは、「雪転し」の五輪塔の大道具が違うのですよね。  雀

2005 7・23 46

 

 

* 地震、なんと、立川伊勢丹の個室トイレで(孫クンの)オシメ替えを手伝っている時に遭遇しました。立川は用事で久しぶりでしたが、西武線経由でモノレールに乗って、小旅行の気分。小ぶりの新宿。一日中遊んでました。

東京は大き過ぎて、知らない場所が、いっぱい。まだまだ好奇心を刺激していたい。老い先短いものネ。ノンビリと過ごしていますか。  泉

2005 7・24 46

 

 

* 目覚めた朝からもう暑さに包まれて。放心気味。

 

* おはようございます。 土曜日の地震は大丈夫でしたか? 東京でも所によって色々だった様ですが。

大地震が何時起こっても不思議でないと言われている日本列島ですからね。それぞれ、ささやかな自衛策をして見てはいるのですが、十年前の阪神の震災の事を考えると、自力の限界と地域の中での協力を普段から身につけておく必要を痛感しています。

六年間の民生の仕事の中で、地域の高齢者へのネットワーク作りは何とか出来た様ですが、災害となるとまだまだ何も手につかないのが現状です。その民生のお仕事も昨年末で辞めさせて頂きました。昨年秋頃より義母の認知症が急速に進んできたものですから。でも最近ようやく落ち着いてきてくれた様で、ホッとしています。

いつも何だかバタバタしてごめんなさい。とり急ぎお見舞い申しあげます。 綾 奈良

2005 7・25 46

 

 

*  強い颱風も近づいている。明日は荒れそう。こんな日、なぜともなく美しいものが観たくなる。もうすぐモロー展がはじまり、江里さんの截金展も開かれている。昭世の再演の「安宅」にも招かれている。今月初めの印象を八月にもう一度新ためて観られるとは嬉しい。浅草の花火にも太左衛さん、よんでくれている。花火、大好き。

去年は傷心の柳君を激励してやろうと誘ったら、奥さん候補と一緒にあらわれて、年の内に結婚した。ことし四月の結婚式に祝辞を贈ったが、以降海外へ行ってしまい、ウンでもスンでもない、現金なものだ。

そういえば上尾夫妻も、歓送会のあとイギリスにいるともまだ日本とも、ウンでもスンでもない。若い盛りの人達にはありがちな烈しい「今・此処」に揉まれているのだろう。

できれば、今年の花火にもだれか卒業生を誘おうか。

2005 7・25 46

 

 

* メール、ありがとうございます。少し沈んでいたところでしたので、とび上がるほどの喜びを感じております。

何日か前、土地のボランティア、という方が訪ねてみえて、「あなたのことは東京新聞のインタビュー記事で知っている、当クラブで月刊の広報を出しているが、一年間、外国へ行ったときの経験談など、面白い話をコラムとして書いてみてくれないか」という話でした。800字程度、ということで、これは難しいぞ、と思いました。が、初めて住む土地で、親しく話す知己もなく、人の声といえばTV の音ばかり、自分から声を出すのはスーパーでの買い物のときぐらい。知己を得るによいチャンス、と思いました。

若い頃、(50年も前)散文に挑戦したことがあります。平易な言葉で「深い思い」を顕す。という基本の姿勢はわかりますが、これは一筋縄ではゆきません。チャイコフスキーとショパンの哀しみの違いを文章で書け、と言われてるようなものです。

丹羽文雄の主催する「文学者」の会が東中野の喫茶店(名前は覚えておりません)であり、そこで以前のメールで申し上げました石川利光先生とお近づきになれました。同じ席に津村節子さんもおられました。

きりがありませんのでこんな話ははしょります。

とにかく少し書いてはあきらめ、書きかけては頓挫し、十何編もの習作(とまでもいえないもの)が段ボール二杯にもなりました。(それも転居に際しすべて捨てました)が、結局、才能というのは生得の部分が多くを占め、努力で築かれる部分は(己れの勉強不足は棚に上げ)ごく僅かでしかない、と悟り、山之口獏の「転んだら 転んだままでいたいのである」という詩に接し、「ああそうだそうだ、そうそう」とばかりにあきらめ、折からの経済上昇の波に乗せられ、 demonically な風潮のただ中へみずから入り込んでしまいました。

南米、ペルーへ行ったとき。当時は直行便がなく、ロスでVARIG 航空にtransit となり、往きはロスまで英語(日本人スチュワーデスもいましたが)、VARIG機内ではポルトガル語、リマに着いたとたんにスペイン語。もちろん日本語と、かすかに英語が判る程度で、ロスの構内宿泊で豊満な黒人メイドのbreakfastという言葉をブラックバス、と聞いてしまい、ノーサンキュー、と言ってしまった。と話すと、

「それそれ、そういう話をぜひ…」ということで、一応12話まで、と断って引き受けることにしました。

その第一作が、(先生という言葉はお嫌いでしょうか。中国語で先生はMrを意味し、日本で言う先生にあたる言葉は「老師」と言います。わたしは定年後15年、毎年約2ヶ月ほど中国へ赴き、西はウルムチ・トルファン、四川・成都・自貢・南充、内蒙古、南は海南島など30ほどの地方都市へ行きましたが、地方ごとに発音が異なるため単語は覚えても会話の役には立ちませんでした。先生は「しぇぬしぇえ」と聞こえます。)

と、書き出したところで、「私語」の中の、「脚を痛められた」、という文章に接し、急遽、、メールをさし上げたのでした。文の中に書きかけの上記( ) 内の文章が挟まっていようなど、確かめもせず、送信ボタンをクリックしたものと思われます。粗忽、粗末、言い訳無用。

まだまだメールを扱うのは未熟。少し謹慎して…などと考えておりました。

因みに、上記の落ちを申し上げますと、(「先生は此処を終わって、次、何処へ行きますか」「九月から、ラオスの予定です」「えぇーっ。老子が、老子に行くってどういうことですか」「いや、雲南省の南にあるでしょう。あのラオス」「ああ、あそこはラオスじゃなくて、〝ロオツ〟ですよ」)

せっかくいただいたメールですが、まだ答えにはなっていないと思います。長くなりますので、次回に書かせていただきます。

もう夕食の支度、スーパーまで買い出しにゆかねばなりません。

日々のこと、まことに面倒、からだなんてなければいい、と思うことがあります。医者からは、アルコールだめ、塩分抜き、糖分抜き、蛋白も刺身・牛肉はだめ、豆腐は結構だが醤油はつけないで、などと言われています。いっそ「生きているから、だめ」と言ってくれたらいいのに… こんな駄洒落を言って酒を酌み交わした友も、もういません。

台風が来るようです。昔、長女が好きだったクボタサキ?という歌手のテープに「水色の雨」というのがありました。雨の色が水色だなんて、当たり前すぎて面白くもない、と思っていましたが、聴いてみると二番の歌詞の冒頭に

ああー、壊れてしまえー、何もかもー …というのがありました。

ほんと、そうだなあ、なんて思うことがあります。

厳しい季節の到来です。何はさておき、御身だいいちにお過ごし下さいますよう。

「わが無名抄」に入りました。素晴らしい語り口と発想。魅入られます。   甲子

2005 7・25 46

 

 

* 署名ありがとうございました。お目の具合は、如何ですか。無理に、きょう、署名を戴かなくても良かったのにと、反省しています。

「わが無明抄」は、初めてお目にかかる作品なので、興味深く拝見しています。しかし、秦さんのご発言は、根が深いというか、重層的ですね。いずれも、何年も考えた末に、今日、発言されていること、「わが無明抄」を読んでいて、改めて、再確認致しました。

また、頼みごとです。ご教示戴きたいことがあります。お閑なときで、結構ですので、教えてくださいませんか。

歌舞伎を観ていて、子役が、よく「かか様、いのう」、あるいは、「とと様、いのう」という科白を言う場面がありますが、多くは、親が行き詰まったような場面で、助け舟のように、子どもが親に言い出します。

あの、「いのう」は、「いの(う)」で、呼び掛けや感嘆の意を表わす終助詞なのか、つまり、「さあ、かか様」などという意味なのか、あるいは、「去(い)ぬ」の「いなう」、つまり、「往く、去る、帰る」などの行動を働きかける意なのか、という疑問です。場面としては、後者の感じがするのですが、文法的には、前者なのかとも思えます。  光

 

* 母さまいなう の 「い」 は、単純に 「や(い)」 「よ」 など、呼びかけの助詞の転ですね。

七月は菊五郎劇団の「十二夜」みました。八月は納涼歌舞伎三部とも観ます。九月も通しで観ます。歌舞伎漬けという感じです。それだけのことがあるから良いです。

次の藤十郎襲名を待っています。歌右衛門も福助できまるでしょう。菊五郎に梅幸、菊之助に菊五郎をと期待しています。

いつか歌舞伎座でひょこっと出会うかも知れません、それも楽しみ。

なんでもかんでも表面一所懸命やりながら、根の所では、どうでもいいんです。流れに乗って流れて行くだけです。そういう年齢になってきました。呵々

また会いましょう。お声はいつでも掛けて下さい。 湖

 

* 昨日は名張で一番の夏祭りでした。

いつもはプロ野球のオールスター戦と重なって気もそぞろな夜でしたが、今年はオールスターも終わり、ベランダに椅子を出し、缶ビール片手に、のんびりと一時間余りの花火を楽しみました。

雀がお江戸にいたころ、歌舞伎座での菊五郎劇団の「め組の喧嘩」に、三津五郎さんが他の舞台の都合でいらっしゃらなくて、梅玉さんがご出演だったことがございました。

雀は、浴衣の裾をぱっと割って座る場面を、想うだけでドキドキ、実際はお顔しか見ていられない(とても楽しそうでした)観劇をいたしました。

おりゃおりゃー、どやさっというような、現・勘三郎さんなどは、感じないのですよ。

ところが、いまは、若い女性がそれをやりかねない雰囲気…。彼氏と一緒にお出かけという場面から袖を肩までまくっているのですから。しかも、それが、女の目から見ても結構な美人なのですから、のけぞります。

さきほどいっとき霧雨が降り出しました。台風が案じられる昼下がりです。

昨夜の文楽は、住・咲(太夫)のふたりが、いかにまずかったか、あらためて思い知らされました。 囀雀

 

* 添付書類を送りました。お忙しいところ恐れ入りますが、お時間のありますときに、お目を通していただければ嬉しいです。

お仕事が最優先ですから、くれぐれも、お暇なときに読んでくだされば結構です。ファイルに不備な点がありましたらご連絡ください。

創作について、ああでもないこうでもないと考えることはありますが、百の理論より、書いた方がいいと思って、書きました。

課題は山積みですが、まず、書くことから、と思っています。宜しくお願いします。

台風が近づいています。ご用心ください。  優

 

* おとなしい題ですね。ぶっとびそうな面白い別の題を考えついたら報せて下さい。題はたいへんな重みを持ちます。題を巧く付けるのも創作のうちです。「夏みかん」で百枚の興味を繋ぐのは容易でない。ドッカーンと題を工夫してください、中身はまだ読んでいませんが。くどいようですが「題」は作品の最初の勝負どころです。説明してはいけないが大きくはでに暗示することは題の醍醐味です。

あすから、読みます。   湖

2005 7・25 46

 

 

* 紙に出力したものが必要でしたら、送りますので仰って下さい。

題は、考えます。

お仕事のあとに、お目を通していただければ嬉しいです。

ニュースでは台風警報を伝えていますが、雨は降っていません。

ほんとうに来るのかしらん、という感じですが、油断は禁物ですね。

お気をつけください。   優

 

* こういう要請は世間に例のあることですが、四百字前後で「梗概」と、端的に「主題」を書いて送って下さい。作者が作品をどう把握しているかを示しますので、作者のためにも良い試みなのです。待ちます。自然、どんな題を効果的に付けられるかも見えてきます。

芥川に「みかん」蜜柑という短編があり名品とされています。題も短い内容に応じて光っていました。

颱風は、来れば、強そうですから、油断は禁物ですね。十分気をつけください。これから日本列島は颱風銀座です。雨の無いのも困るし、過ぎるとね。無事ですように。  湖

 

* 梗概 でした。  慷慨 になっていました。

このところ睡眠時間が短かったので、意識して今日はとことん寝ようと、寝つぎ、寝つぎしていました。午後二時半まで。からだが軽くなりました。

起きたら、録画した「東京物語」のもう後半が、テレビに映されていました。原節子、柳智衆、山村聰、杉村春子、香川京子、大阪志郎、それにもう危篤の東山千栄子たち。

気の遠くなりそうに懐かしい懐かしい顔ぶれです。あなたには実感がないだろうなあ。小津映画ではこれは最高傑作の一つでした。「人間」をまさに「今・此処」の眼で静かに深くみつめて写真にしていました。もはや今われわれの世間は、こんな静かにゆっくりとしたテンポでは描けなくなりましたが、それは、単に「時代が変わった」というだけのことでなく、我々が我々の浅はかさにより、喪ってしまった・見失ってしまった「価値」が、この映画のモノクロ画面に、漂い光っていたということでしょうか。

矛盾したことを謂うようですが、この、あなたの新しい作の題が示している、そこに生きづいている、或る静かさや、こまやかさ、丁寧さをわたしは貴重に感じています。湖

2005 7・26 46

 

 

* やまとなる玉置の山の弓神楽弦音すれば悪魔退く

さきほど、ようやく雨が上がりました。蒸し暑さも去り、ひと息ついたところ。風に変わりそうです。

颱風で缶詰なのをよいことに、旅の情報整理をすすめています。

父の本棚からもってきた、高校生向けの日本史参考書の、南北朝の箇所を読んだり、知る、そのこと自体はおもしろいのですけれど、維盛や楠氏、佐久間信盛、野長瀬一族…観光課の資料とは思えないような、プライドの高さ、鉛のような重さに、しまいには吐き気を催してしまいました。そこまで、根を詰めなくてもよいに、ばかねぇ。

万葉記念館に行ったとき、万葉集の先にひろがる森の深さに、ごめんなさいと尻尾を巻きましたが、十津川あたりの森も、深くて、奥が暗くて、圧されます。

綴喜(つづき)や、安曇(あづみ)での、継体天皇のはなし以来の、怨霊の漂泊といった感覚につまって、ビデオテープを爪くっておりましたら、京都テレビの「山国郷氏のさと京北町」という、10分余りの番組を録ってあったのを見つけました。

京北町には古寺と仏が遺っている。でも十津川は寺をこわした。気質の違いかしら。

気分転換。そしてヒント。 地図をつないでみました。

大海人皇子の明日香から吉野への路、維盛や護良親王らの高野から十津川の路はこれかしら、という道筋を見つけました。「日高川」の高野から日高川、道成寺への路も。

土地の人なら一人で追える、にげることもできる。のがれなければならなくなった人がいて、案内する人があり、匿(かくま)う人が、村があった――いつの時代も――ということかしら。

千早・赤阪城のたとえを、たびたびなさいますでしょう。

落城せずとも、十津川のお湯にぜひまた浸かりにいらしてくださいね。雀は、玉置神社のお導きかと思うような、

好いお宿(¥7500)に当たりましたもの。  囀雀

2005 7・26 46

 

 

* 梗概は、早めに書いて送ります。

「東京物語」は見たことがあります。

わたしの中学高校くらいのとき、「ベルリン天使の詩」のヴェム・ヴェンダースというドイツの映画監督が、小津安二郎を評価したので、日本でも再評価され、頻繁に特集されたことがありました。今見たら、また感慨深いでしょう。

> 若いあなたには実感がないだろうなあ。

確かに、俳優たちの顔も名前もよくわかりますが、「気の遠くなるほど」懐かしいわけではありません。同時代ではないのだから当たり前で、わたしにはわたしの「気の遠くなるほど」懐かしいものがあるはずです。そしてそれは、慌ただしさを増した時代の産物になってしまうのかも知れません。そういう中からでも、いいものを見つけて大事にしたいものです。

同時代にこだわらず云えば、例えば「東京物語」の懐かしさのような、人の胸の内側にある普遍的な心象風景は、時代を越えて伝わってゆくのではないでしょうか。

そちら、雨は降りましたか。こちらはときどきパラパラときただけでした。  優

 

* 湿度の高い暑さのなか、ご無理をなさってではないかと、お案じ申しあげております。

お口に合いますかどうか、霞ヶ浦のうなぎを少しばかり、送らせていただきました。霞ヶ浦につづく蓮田の中にあるお店で、当主のおじいさんが、湖からすなどってくるのだそうです。タレのお味がきついので、白焼きにしてもらいました。

わたくし、せずともよい、つまらぬ雑事にひきこまれ、右往左往して、少し、くたびれております。

出来ていましたのに、発送が遅れましたもの、送らせていただきます。だんだん、力が落ちてきたようで、悲しくなります。

颱風の風に揉まれて、中庭の樟がよく香っています。  香

 

* 忝ないこと。ほんとうに、わたしからは何もしてさしあげないのに、ありあまるご厚意にわたしはあずかっている。

2005 7・26 46

 

 

*「私語」御中 甲子

台風一過、強い陽射しがベランダ越しの梢を照らしています。今朝五時に起きてカーテンを開けたときは、まだ陽は射しておらず、吹き返しというのか、強い風がありました。若枝が精一杯伸び上がったり、急に下へ落ち込んだり、マンモスが鼻で天を示し地を指して咆哮するときはかくや、と思わせる光景でした。いまは無風です。

先便で、「老師」と書くべきところを「老子」と打ち込んでしまいました。こんなことでたとえ800字とはいえ、原稿が書けるのでしょうか。一字一字にもっときびしくならねば、と自戒しております。小心な小鳥は枝から枝へ移り、絶えず身を動かしています。天空に輪を描き、ゆうゆうと滑空する猛禽類をあこがれますが…。

これから暑くなりそうです。なにとぞ、ご自愛くださいますよう。 都下 e-OLD

2005 7・27 46

 

 

*  先日の地震や台風、お伺いもせず失礼しました。たいしたことがなく良かったですね。

足の痛みや体調の方はいかがですか、ご無理されませんように。

今夜は涼しい風が通り抜けていますが、明日の京都は又35度の予報がでています。

長女と孫、二晩我が家に泊まって、新幹線で東京へ行ってしまいました。

が、パソコンや携帯のメールで状況は手にとるようにわかり、寂しいとかの実感はわきません。

孫は今日、夏季講習があるので初めて登校、すぐに友達ができたとか、住まいは買い物に便利だとか、とりあえずは順調な滑り出しのようでほっとしています。

東京へは中学校の修学旅行と、20年位以前に甥の結婚式で日帰りで行っただけです。

川崎に93才になる叔母が従妹と二人で居ます。

お元気でいてください。    のばら

 

* 「東京物語」もそうであったが、年寄りは取り残されて行く。我が家でも三人(父母叔母)の老人をひきとりはしたものの、みな九十過ぎてからだをいためて行けば、結局は一人残らず病院や福祉施設のご厄介になるしかなかった。申し訳なかった、致しようもなかった。

涼しくなれば従妹も東京へ遊びに出て来るかも知れない。二十歳ぐらいのいとこ同士なんてものは少しロマンチックかも知れないが、古稀に間近い従兄妹というのはどんなものだろうかなあ。

2005 7・27 46

 

 

* そして、今夜は秦建日子脚本の「ドラゴン桜」第四回であった。終わるとすぐ、東大卒の年輩の女性から感想が届いた。今夜しか観ていないとあり、残念。

 

* ドラゴン桜  今夜やっと見ることができました。「最後の弁護人」役だった弁護士が、落ちこぼれ高校の生徒五人を東大合格に向けて特訓するというコミカルなドラマですね。五人はそれぞれ なかなか個性的で魅力的。

原作の劇画も読んだことがないし、今夜一回しか見ていないので分かりませんが、「東大受験」を徹底的に戯画化してこのまま数学の特訓だけ続けて行くのでしょうか? 見れば見るほど「東大合格があほらしくなる」とういうことで、それが視聴者の共感を得て人気があるのでしょう。反権力 反体制的な思想を表現しようとしているのかとも取れますが、どうでしょうか?

プラスのものに向っていくのではなく、マイナスのものを追い求めているような気がして、それが面白いのでしょうけれども、個人的には、夢を追い求める若者を描いた「天体観測」のほうが感動的で好きでした。  波

 

* ちょっと、今夜の一回だけでは読み取れないだろうと思います。ほんとは、最初回からみて批評して欲しいなあと思っていました。たんなるキワものにはしていないためか、歯切れも思想も受け入れられているのか、批評は、このシーズンのトップにランクされています。今回は、ちいさい曲がり角を通ったようです。

「天体観測」はさいきん再放映され、見直しまして、あれなりに清潔に書けていたと思いました。「ドラゴン桜」は行き方は変わっていますが、思い切り弾けていて、妥協の少ない興味ある展開をみせているように感じています。

また機会が有ればつづけて観てください。 湖

2005 7・29 46

 

 

* 暑さのお見舞いを申し上げます。少しご無沙汰いたしましたが。

昨夜、夢を見ました。お見舞いに伺っている夢でしたが、覚えていられますか???

今日は現実(うつつ)に、メールでもお伺いいたします。

定まらない気候でしたが、暑くなりました。お変わりないことと存じます。

関西空港と京都に、墓参で帰りましたが、とても暑かったです。遊んでこようと思いましたが、調子が悪くなって、予定を早めて帰ってきてしまいました。

それに比べたら、田舎は涼しいと思いますが、やっぱり暑いですね。

まわりから要請されるままに働いていますが、何をしているか分からないような、時も所も定まりかねる暮らしぶりです。でも一応元気にしております。少し若くなれるといいのですが。  水府

 

* わたしより一回り以上若い人に「若くなれるといい」と云われると、わたしなど立つ瀬もない。やはり孫が出来るとそんな気になるのか。老け込まないで、と、人にでなく自分にいちばん云いたい。お元気で。

 

* ビールが美味しい季節ですね。

毎度の事ながら、糖尿病患者の食事とは掛け離れた健啖ぶりを拝見しては感心しますが、まあ、食の進まない青瓢箪(特定の人ではなく)になってしまうよりは、余程美味いのが楽しげで、私も心誘われます。なんたって食欲は、私達(老境)の「生命」のバロメーターですものね。

とは云え、見えないところで、加減されているのは、想像出来ます。なにしろ地震の生き埋め予防に「命笛」を持ち歩いてるって。あのメールには笑いました。  泉

 

* はじめまして  秦恒平先生

ご高名は存じながら長い間、ご挨拶をためらっておりました。

京都の空気…あやしくくるしいほどの雰囲気を、美しい筆致でご執筆になります。

また、このサイトの見事な表紙!

わたくしなどの素人の作成し運営いたしますサイトとは、あまりにも違いすぎると思います。

今日は拙サイト表紙にリンクさせていただいておりますペンクラブから、お名前を探しました。突然の失礼をお許しくださいませ。

自己紹介になりますかどうか、拙サイトのURLを書かせていただきます。 佗

 

* はじめまして と始まるメールは怖くて大概削除するが、勘が働いて、この人はほんとうに「はじめまして」の京都のお茶人であった。ほっ…。幾つもあるサイトを開いてみた。同好の人にはしらせてもいいと思う。

 

* なんだか、メールにお返事もあまり出来ず、今夜ももう二時になる。

2005 7・29 46

 

 

* おはようございます。朝からムンムンして温室というよりサウナ状態のようです。

今日は隅田川の花火ですが、お出かけになるときには熱中症などくれぐれもご用心くださいませ。

昨年このようなメールを書きました。

 

昨夜は花火のカップルにあてられてやけ食い、というわけではございませんでしょうが、それにしてもよく召し上がりましたこと。食欲もバルザックなみかしら?

カロリー過多のみごとな天丼に、お酒につまみ沢山、とどめは赤ワインにエスカルゴ。オムレツに浅蜊の酒蒸しにバターにパン。エスカルゴにもニンニクの効いたバターたっぷりですから、ドクターが傍にいらしたら悶絶なさいましたよ、きっと。

 

今年はこの三分の一くらいのカロリーが理想かと存じます。

わたくしも花火は大好きです。芥川龍之介の短篇を思い出し、華やかな花火のはかなさが胸に堪えて愛しくなります。美しいものはみんなはかなくて。

今、ご一緒に花火の下で……という情景をふと思い描いています。

楽しい一日でありますように。   夏は夜

 

* 去年は、柳君を誘ってやると、彼女も連れていっていいかと、銀座ソニーの前で彼女をいっしょに待った。それから浅草に行き、雷門のわきの店の二階で食べた天丼がうまかった。

浅草寺裏の、階下に「ローソン」のあるビルの屋上から、隅田川上流の花火が目の前、手にとるように観られる。爆発音が胃の腑にひびいて心地よい。下の店で酒とつまみを買って上がった。すばらしい眺望に若い二人もおおいに楽しんでムードをあげていたし、わたしも此の二人は結婚まで行くと観測し、この方面では少しく情けない方の柳君のためによろこんだ。

帰りの乗り物は、大群衆の流れの中で容易でなく、言問通りを歩いて、途中の地下鉄何とか線に二人を送りこんだ。残っていた酒も食べ物も、みんな二人が持って行った。一人になって鶯谷駅まで歩いている途中に、なかなか好さそうな家庭料理風の西洋料理店をみつけて入って、なるほど、盛大に呑んで喰ったものだ。忘れては居なかったが、人様がこう記録されているとは恐れ入る。

柳君と彼女とは、その秋には結婚し、勤めの事情から次の春になり披露宴をし、今は柳君はヨーロッパで勤務している。奥さんももう向こうへ行ったかどうか、知らない。

 

* 今年は、花火に一人で行く。千葉のE-OLDオジサンを誘おうかと思案したが、どこで出会うかが難しく、タクシーは使えないし、超満員になる電車も、仲見世あたりの立錐の余地もない人出の中を歩くのも、老人二人づれでは危険も予想されるので諦めた。

2005 7・30 46

 

 

* 昨日、祇園のはなしというので、中村玉緒のドラマをつけておきましたら、「ほな さいなら!」と席を蹴って行く場面を観ました。作者は京都通か、出身者かも。

今、6chの「王様のブランチ」で、先週のTBS番組視聴率ランキングで、「ドラゴン桜」は六位に入っていました。 泉

2005 7・30 46

 

 

* 京都から、新制中学同窓会の秋会場で難航している、土日にこだわったが平日でもいいだろうかと尋ねてきた。古稀七十が寄るのに土曜日曜は関係ない、その方が電車に乗りやすい。盛りの秋の土曜日曜の会場は取れるものではないと聞いていた。

 

* 「同窓会」  先日の「私語」文中に、「もうみな同級生は七十になるわけですから、もうさきざき同期同窓会もできるかどうか分かりませんのでと聴いた」という、近況記述がありました。

私事を申し上げて失礼なのですが、わたしはついぞ、一度も、「同窓会」というものを経験したことがありません。亡き妻は、手術直前の74才まで、毎年欠かさず「同窓会」を持ち、したがって年一度は生まれ故郷へ帰省していたことになります。それも藤棚で近在に知られた神社が氏神であり、五月初めの「藤祭り」という催しに合わせた日時に行なっていました。「ハイ、チーズ」なんて写真がアルバム六冊、整理しきれず袋や封筒詰めのものを合わせると段ボール半分ほどもありました。

都度、多少はうとましく、多少は妬ましく、わたしは妻を送り出していました。

死亡通知のときも、数えてみれば36通が同窓生、同級生でした。78歳にして、です。

ご存じのようにわたしどもの幼少年期は男女別学でしたから、妻の同窓会はすべて女性。わたしにもし同窓会があったとすれば、すべてが男性のはずです。

もう十何年も前に、年齢別人口統計表、というのがTV だったか新聞だったかに表示されたことがありました。横軸に数を表し、下を0才として年齢順に積み上げてある表でした。中央から左が女性、右が男性です。

驚くことに、いや、当たり前なのですが、男性側のわたしの年齢、その一つ上、二つ上、の年代は、瓢箪のくびれのようにがっくりと人数が少なくなっていました。殆どが戦死、生きていてもどこかに傷害を受け、または虚弱体質で兵役を免れた者ばかりです。

戦後二十年のとき、わたしの同級生は、尋常小学校、旧制中学を通じて、四人でした。「おい、呑むか」と言って集まるのが同窓会といえば同窓会だったでしょうか。それも一人はいわゆる病身で、集まれたのは三人だけでした。五十年後にいたると、わたし一人がのこるだけとなりました。

結婚適齢の男女の年齢差を、何歳、と推測するのは困難でしょうが、敗戦直後に適齢女性が結婚難であったのは事実のようです。比例して、二号・三号・風俗嬢・オジサマ・ロマンスグレー、などという言葉が流行った、という言い方は、うがちすぎでしょうか。パンパンにしても、彼女らが好んでそのみちに入ったとばかりは言えない、と思いま

す。

「とき、ところ、ひと」と言います。兵学の三要素…、ではありません。人の運命、のことを言いたいのです。

とりわけ、「とき」が、決定的な運命の要素、かなめである、と思います。

「ところ、と、ひと」からは、逃れようと思えばできないことではないでしょう。蒸発、ヒッピー、など、「ところ」を離れた境遇に身を置くことができると思います。「ひと」もまた、古くは「姥捨て」などという風習もありました。

が、「とき」からは、どんなことをしても逃れられません。学歴詐称のように年齢詐称はできるかもしれません。が、それはあくまで他人を欺くことであって、天知る、地知る、我れが知る。どんな手段も方法も、科学も宗教も権力も、これには全く無力です。

「とき・時代・世代」。体制に順応するも、運命。反体制に走るも、運命です。

わたしの世代は、「最後の英霊」の世代でした。わたしは、「最後の英霊」になりそこなっただけです。

(兵役召集通知の)赤紙が来ると、「来たか」と、ひとりが言います。特配された特級酒を茶碗に注いで、のどに押し込みます。味わうのではありません、味なんか感じません。ひたすら呑んで、神経を麻痺させて、早く酔いたいのです。「来たか」、は、言葉ではありません。うめきです。甲種合格とか乙種合格とか言われた瞬間に来るのはわかっ

ていて、ただ、かける言葉がなくて、ほかに言いようがなくて、言っただけです。

当人も、お国のため、正義のため、などとは言いません。お国のためにも正義のためにもならないことを、みんなは知っていた。いや、感じていたのです。

涙は目の外へは出さず、喉元を通して直接胸の底へしたたらせます。そうして話す声はひきつったものになります。高笑いなどすると余計にひきつれが目立ちます。同窓生の前だからこその「ひきつれ」かもしれません。わたしの「同窓会」といえば、それが「同窓会」だったかもしれません。それが「同窓会」なら、わたしは三日おき、四日おきぐらいに「同窓会」を開き、その年だけで、二三十回も「同窓会」をしたことになります。

わたしが思い描くのは、ある人は社長になり・学者になり・先生になり、またある人は職人で、平社員のままで、だが会ったとたんに、社長ではなく学者ではなく先生でもなく、職人でもなく平社員でもなく、青春を共有したという懐かしさだけが沸騰して、肩を組んで昔の唄をうたい、互いの肚が突き出してきたり、髪が薄くなったと言って冷やかしあう、「このごろはすっかり衰えて、長いご無沙汰だよ」などとにやにや述懐する。…「同窓会」、と聞いて、悔しいとか喜ばしいとか、そんな感覚はもう麻痺してしまいましたが、うらやましい、とだけは、いまでも思います。これも運命なのでしょう。

戦後すぐのころ、ラジオで、タレントが、「アトミックふとん」という言葉を使っていました。GHQか、その御用学者の造語のようです。いわゆる団塊の世代の急激な繁殖を憂えた、あるいは皮肉った…つもりなのでしょう。憂えても皮肉っても、人口はどんどん殖えました。欲求不足の妻のもとへ、欲求不足の夫が戻ってきたのです。折からの物資不足、電力不足で、夜ごとの停電でした。蝋燭の灯はあってもラジオは聴けません。酒もなく、娯楽もなく、笑いもありません。寒ければふとんに入ろうというのは貧しき者の知恵です。暗い中の同衾で、男女の行うことは定まっているではありませんか。

言った方は容易に忘れてしまいますが、言われた方はなかなか忘れないものです。

いま、少子化を憂える声があがっていますが、憂いの根源を訊くと、ある財界のお偉いさんは、「将来的な労働力不足」だ。と、人を何だと思っているのでしょう。

物を作って作って、世界中に売って売りまくって、もう充分です、要りません。と言われる時代が来るかも知れません。そのとき、余剰な設備はどうなるのでしょう。いくらあっても足りない物、の生産に向かう、という恐れはないでしょうか。平和目的、とさえ言えばいいのです。

ミサイルの先端にレンズをつければ、100%の確立で命中する、という映像をわたしたちは見ました。あのレンズは、兵器用と言いさえしなければ、いくらでも作れます。

親指を立てれば政府側、下げれば反政府側、と事前に打ち合わせておけば、談合などとややこしい交渉も必要ありません。盗聴のおそれもなく、暗号の必要もありません。

かくてA国は政府軍に武器を売り、B国は反政府軍に地雷や自動小銃を売るのです。

時代が人間をつくり、時代が人間を殺してしまう。「とき」こそは運命のみなもと。

いま、いま、この時代の原動力になっている団塊族、「アトミックふとん」と揶揄された階層に望みたい。「よき時代」を作って下さい。カラオケで握るマイクで、演歌の代わりに、いや、演歌の合間で結構ですから、「われわれの孫・曾孫・その子から(最後の英霊)は出すな、(アトミックベッド)なんか作るな」、と叫んでください。そしてみんなが、たのしいたのしい「同窓会」を持ち得ますように。「最後の英霊」のなりそこないからの祈りです。

たいへん武張った言いようになってしまいました。

くれぐれも御身おたいせつに、これも祈りです。   甲子 E-OLD多摩

 

* もう、むかし知った人は、ひとりもいない…とよく秦の母は云った。叔母も云った、父も云った。父が死んで、父の妹である叔母はやがて死んだ。暫く間を置いて、いちばん若かった母が九十六歳で死んだ。三人とも九十を過ぎていた。「知った者が現世にもういない」状態は、さぞ厳しかろうと、わたしは若気の意識で怯える。人に死なれるのはイヤである。

しかし、知った・愛した大勢が「あっち」でわたしを待っていると、まざまざと想えば、おのが死んで行くのを「早く」と望むであろうか。人により違うかも知れない、が、わたしは望むであろうと予期している。

日々の世相の殺伐とし、日々の政治が悪辣さを増し、イヤなことばかり目に耳に入ってくると、よく妻にむかい、この世への未練がかるめられ有難いななどとバカなことを口にしたりする。生きるためには、少しでもいいもの・こと、ひとと向き合っていたいとあつかましいことを願うのである。

わたしの此処までの生涯が、不如意であったといえば不如意であり、幸運に恵まれて幸せであったと云えばまさしくそのとおりであるけれども、この先の老境をどう歩むのかは容易なことでない。自裁した兄をいたましく今も想いつつ、ときどきかすかに羨ましく想っている自分に気が付く。よく最後の最期まで生き抜いた意志の人を褒め称えるけれども、一抹、わたしはそういう「生」をいっこう望んでいないことに気付いて、おまえ情けないよとも云い、そうだそうだとけしかけたりもする。千葉のE-OLDおじさんは同年の人だが、わたしなどより遥かに大人(たいじん)で悠然としていられる。和歌山のE-OLDさんもわたしたちと同年、いろいろに教わりながら日々を先送りして行く気だ、わたしは。

 

* 太左衛さんからぜひ花火にどうぞと誘ってもらっている。ひとりで夜空を染めるおお花火を見上げているのは、京の送り火大文字をながめるのと似た深い寂びしみも味わうだろう。人に知られない涙が溢れるかも知れない。

* 朝の京都   hatakさん

京都に来ています。朝だけ時間があいたので、清閑寺、泉涌寺へ。

来迎院でお茶を頂いて。一人も人に会いませんでした。月輪陵も霊明殿も改修されて今は少し光りすぎ。

夏の京都もいいですね。 maokat

 

* おお、うらやましい。いま来迎院の縁側に身を置いたなら、わたしは他界へ誘い込まれしみ入るように消えてしまうかも知れない。

 

* 秦先生 先生とお目にかかれず残念です。加藤尚子、山田恵理という者が今回の担当でおります。うちの娘も友達とおります。花火お楽しみいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。 太左衛

 

* 感謝。

 

* 月様  今宵は墨田川の花火見物なのですね。

こちら(四国)も、吉野川祭りの花火が昨夜から三夜連続でありますが、自宅の窓から観て過ごします。

新聞のテレビ欄を見ていましたら、今夜の土曜ワイド劇場(浅野ゆう子主演「刑事の妻」)の脚本が、秦建日子さんと。どのように展開させていかれるのか、楽しみにしています。

暑さも厳しい折、人ごみへのお出かけにはどうぞ、ご用心なされてくださいませ。    花籠

2005 7・30 46

 

 

* 鶯谷からタクシーを使って浅草寺裏へ。四時半についた。ひさご通りの「米久」に直行、一人前、その代わり「トク」のすき焼き。御飯など遠慮。お酒一合。ぺろりと美味かった。このまえ「米久」へと思い立ち、生憎定休日で果たせなかったことがある。玄関で太鼓がドンと一つ鳴る。客は一人の意味か。すき焼きはさっさと片づけて、お通しの肉の佃煮でゆっくり酒をのみながら、ローマ帝国がじりじりと坂を転げ落ちていくあたりを読み進めた。

 

* 花屋敷から浅草寺へ。まだ日盛りの中で花火目当ての人がカビのようにひしひしと本堂にこびりついていた。路上にも溢れていた。夏空が高く、少し曇っていた。露伴の「五重塔」は名作だと云われるが、わたしはさほど好きだったことがない。そう思いながら塔をみあげてきた。

 

* お目当ての「ローソン」で、智恵も働かずに、なんとなく「サントリー」のダルマを一壜買ってしまった。またなんとなく「リッツ」を一函買ってしまった。自前でこれを飲み出したら花火どころじゃなくなっちまうと思い、缶ビールの心持ち大きいのを一つ買い足しておいて、そのビルの屋上へあげてもらった。今晩は太左衛さんは留守だけれど、是非どうぞと三度も親切にメールをもらっていた。

ここまで、汗みずくであったけれど、屋上は流石に風が流れていた。六時、まだ誰もみえてなくて太左衛さんの弟子筋の人が椅子を出してくれた。茣蓙に坐るより椅子が大助かり。サントリーのダルマは、「寄付」のつもりでその人に渡してしまい、缶ビールを少しずつ口に含みながら、屋上の夕明かりで難なくローマ帝国史を読んでいた。

追々人も見え始め、世話をしてくれる人から酒の肴やビールの追加などいただいた。隅田川の上流と下流といってもそうは離れない二つの場所から、夥しい花火が競うように打ち上げられる。わたしの居るところは、上流の花火が目の前に、手で掬ったり受けたり出来そうな絶好の場所。六時半、四十五分と、上と下、互いに迎え打ちに小手調べの打ち上げが始まり、七時になるともう宵空へ無数につぎつぎと打ち上がる。

取材か、客を乗せてもいるか、ヘリコプターの音も絶え間ない。

 

* なんと綺麗なものだろう、花火とは。感傷に襲われることもなく、心地よくいくらか米久の酒とローソンの、また振る舞いのビールとに酔い、とろりとした気分で歎声を放ち拍手をしながら、双眼鏡もデジカメも使って、ひとり大わらわに花火を楽しんだ。

八時半にきっかり終わる、終わり間際の乱れ打ちの華やかであったこと。一つ一つの花火の工夫や華麗さをいま此処で書き表してみせるサービス心はないが、やっぱり一人ででも、来て良かったと想った。

太左衛さんのお嬢ちゃんが母親の名代できちんと挨拶に来てくれたし、帰りには一人でエレベーターまで見送って、帰り道の混雑ぶりを案じねぎらってくれた。さ、もう高校に入ったろうな。行儀も良く浴衣も似合い愛想よろしく何より気働きが行き届いている、まだ幼くさえあるのに。もう何年も引き続いてみているが、すっかり大人しい少女になった。気持ちよく、さよならをして。

 

* 晩の奧浅草の賑わいを楽しみながら、帰りはもう鶯谷まで歩くと覚悟して歩いた。一人なら何でもない。入谷まで来て、ああ去年豪勢に喰った欧羅巴料理の「ビストロ・KEN」は此処だなと確認したし、他にも食欲をそそるいい感じの店は幾らもあったけれど、自重してどこへも寄らず、鶯谷駅から真っ直ぐ家に帰ってきた。

帰りは「戦争と平和」を読む。ナポレオンがモスクワへ入城しようとし、勿論降伏したロシア貴族団の出迎えがあると期待したのに、モスクワはもはやカラッポ。そういうところを読んでいた。アンドレイは重傷を負い死んだと伝えられているし、伯爵ピエールも、けったいな彼ならではの、混乱と冷静と分別と動顛のカオスのなかで、人の逃げ落ちたモスクワにうろついている。そして、アンドレイは実は瀕死のからだを偶然にも前の婚約者ナターシャのロストフ家の親切に抱き取られており、それをナターシャだけが知らされていない。

トルストイの「戦争と平和」やローマ帝国の歴史と隅田川の花火とが、何の撞着もなく互いに不純にもならずに、わたしの脳裡にきれいにおさまってくれる。それが安心というもの。

2005 7・30 46

 

 

* 風  今夜は、「the winds of god 零のかなたへ」というお芝居を見てきました。

漫才師を目指す二人の青年が、交通事故の衝撃で昭和二十年八月にタイムスリップして、特攻隊員になってしまうというお話です。

再演を重ねてきたらしい、コミカルに、シリアスに、よく練られたお芝居でした。風はご覧になったこと、ありますか。

脚本・主演の今井雅之さんが、カーテンコールで言った、「十七年前に書いたこの題材は、年が経つにつれてどんどん薄れていくべきなのに、時代は、この題材に近づいている」という言葉に、ビリビリきました。

長く上演してきた「the winds of god」を封印しようと、今井さんが決めた二日後に、9.11があり、それからの世界は、日本の情勢も、刻一刻と変化してきました。今井さんは、決心を覆し、奔走して資金をかき集め、「the winds of god」の映画を作ったそうです。これから公開されるその映画は、英語版だそうです。

日本の兵隊が英語を喋っているのはおかしいでしょうが、「the winds of god」をインターナショナルなものにしようとしている今井さんを、わたしは支持します。

老若男女と幅広い層の客席は、一面スタンディングオベーションでした。

この人たちが、お芝居の感動をこの場だけで終わらせないで、みんな投票に行って、今夜感じたことを投票用紙に反映させてくれるといい、と思いました。そんなことを思ってしまうのは、毎度の選挙結果に失望させられているからです。

いっぱい貰ったチラシの中に「センセイの鞄」がありました。去年、柄本明とキョンキョンでドラマのあった、あれです。

舞台は沢田研二と坂井真紀だそうで、これはイメージですが、センセイ役はエモッちゃんよりジュリーの方が似合うだろうなあ、なんて思っています。

切符を頼んであり、まだ手許に届いていないのですが、とれているはずなので、楽しみです。

ウーン、「the winds of god」は、いいお芝居でした。

お芝居って、いいですね。

ちょっと体調がすぐれなかったのですが、そんなの吹き飛ばしちゃいたいです。

 

* 花、体調いかが。心配します。大事はありませんか。気を付けて、よく直して下さい。

今井雅之の芝居、観ていますよ。小劇場芝居の、三役格のいい芝居でした。もう何年も前で、仕上がりはまだ少しざらついていましたけれど、それは感銘深いものでした。こういう劇は外国で外国の人に見せたいと痛切に感じたものです。

花が、あれを観て、こういう風につよく感じた、そのことにわたしは感激します。

わたしが今井を知った最初の機会でした。繰り返し繰り返し繰り返し演じる価値のある演劇です。立派な、初々しさもある良い作劇で、日本の現代がしっかり抱いていたい「批評」です。新劇の常にもとう実現しようと心掛けて欲しい「志」が、あの芝居には、突進してくる瞬間風速のように生きていましたね。

花がその感激を「選挙」へ結びつけてくれたのも、嬉しい一つです。同感です。

からだを大切にして下さい。風は、涼風に吹かれながら隅田川の花火を楽しんできました。花火の前に、一人ですき焼きを食べてきました。花火を見上げながら、すこしきもちよくお酒に酔っていました。

2005 7・30 46

 

 

* 昨日はお目にかかれず残念でした。また、なにもおかまいできず、申し訳ございませんでした。お天気が無事でほっとしておりました。

娘のこと、先生にたくさんおほめ頂き、おそれいります。高校生活もあと少し、たくさん楽しんでいい思い出をつくってほしいなと考えています。先生の応援メールをこれからのはげみにさせていただきながら、親子ともどもがんばります。

また、いつも歌舞伎におでかけいただき、ありがとうございます。「十二夜」幕開き、弟長左久が鼓を打たせていただきました。あのような形の出囃子は、いままであまりないことです。これから歌舞伎音楽がいろいろと変わっていくことは予想されます。私たちももっと勉強してまいります。先生、ご指導のほどよろしくお願いいたします。

建日子様のますますのご活躍、お目出度うございます。いつかご一緒になにかつくれたらなと思います。

末筆になりましたが御奥様お大事になさってください! 実はうちの上の弟が二月に倒れました。おかげさまでここのところで退院しました。順調に回復させていただいております。この暑い陽気のなかくれぐれも御無理のないようおねがいいたします。

八月末、浅草に「つくばエクスプレス」が開通します。その記念に、8月21日、「みちびき地蔵まつり」を演出させていただくことになりました。観音裏の地元皆さんと、元気な町づくりをこれからもしてまいります。もしよろしければお立ち寄りくださいませ。長文になってしまい、失礼いたしました。

先生にお目にかかれる日を楽しみにしております。

夜空さく火の花々を目に浮かべ散華の辻に地蔵みちびく  太左衛

 

* お元気に、太佐衛さん、ますます活躍されますように。真結さんはもう高校生であったのだ、京都祇園出の田畑智子の清潔な印象をさらに可愛らしくしたような佳い娘ぶりであった。それに藝熱心。お母さんも、さぞ頼もしかろう。

秦建日子の舞台やドラマがあの太佐衛さん一門の噴火するようなエネルギッシュな鳴り物藝と化合し爆発する機会が有れば、どんなに楽しみだろう。

 

* 昨日は蒸し暑い中お疲れになりませんでしたか? テレビ中継で花火を観ていました。当然爆音は遠く、映像も小ぶりで実物とは比較になりませんが、時々花火を空の上から撮影した珍しい映像がありました。ヘリコプターから撮ったのでしょう。夜空にふわっと咲いては乱れ散る花火を眺めながら、ずっとご一緒しているつもりでした。

お元気で、益々華やいでお幸せにお過ごしください。おやすみなさい。    夏は夜

 

* ヘリコプターは、ひっきりなしに喧しく飛びまわっていた。曇り空もなかなか花火にはいい背景になる。去年も曇っていた。

2005 7・31 46

 

 

* 秦恒平様

宇宙の光りを全身に受けてきらきらと反射する言葉の織を見ています。 E-OLD 川崎

 

* 七月尽。

2005 7・31 46

 

 

* 私の耳は…

貝の殻

湖の響きを懐かしむ

暑いですね! でも先生はお元気そう。花火、観に行かれたのですね。東京に長く住んでいるのに、私はまだ隅田川の花火を観たことがありません。子供の頃、祖父に連れられて二子多摩川の花火に行ったことはありますけれど。数年前に箱根神社に初詣した時、芦ノ湖に打ち上げられた冬の花火も、空が凍るようで、美しかった。

『千一夜物語』巻1から読みはじめたのですけれど、あまりの面白さに、もう夢中。かつての記憶の中から幾筋も興奮がよみがえり、妖しい気分になってしまう!

夢の中、迷路にまぎれてゆく 色ぬのはためく、アラブの市場  ゆめ

 

* アラビアンナイトは、沢山の話があるはずで、だから面白そうなのを選んで拾い読みすればいい、と、昔はそう思ってそうしていたのだが、それだけでは、どこか索然としていた。それで、思い立ち全巻通読し始めたのだが、やはり、この長大な物語集は、順々に通読して行かねば面白さが膨らんで生きてこない。順に読んで行くと、連環する大構造自体がまるで生き物のように生きて働きはじめて、一つ一つの「死を賭して」のシェーラザーデの物語が、のっぴきならない魅力を耀かせるのである。なるほど「色ぬのはためくアラブの市場」のようである。

 

* 風の色  お暑うございます。今日は雨風の夕立になりました。お変わりございませんか。

文楽劇場で「摂州合邦辻」を見てまいりましたの。

「万代池の段」の幕が開いたとたん、きゃっと、涙が目の縁に浮かびました。四天王寺の塔が見えている背景。鳥居前から西に西に、安井天神、合邦が辻―― 「天王寺詣」「天神山」を思い出さずにはいられません。

八朔や白かたびらのうるし紋(坂東みの介)

「庵室の段」で前を語ったのは呂勢大夫。彼のじじばばは絶品です。肩衣も、いつもいい色を選ぶなぁと思わせられますが、今回ははんなりしていながらしゃっとして、後の切場二組とは段違いの佳さでした。

玉手、俊徳丸、浅香姫と、文雀一門の三人がそれぞれニンのお役。なかでも、愛らしくいたいけな和右さんの浅香姫に、今後はあの姫、この娘を(贔屓に)と思い思い、楽しんだことでした。三人それぞれに左と足とが要る分、人形の美しさは薄まってしまいましたけれど、雀としては嬉しい悲鳴。

さて、(観て下さったのですね、)テレビでは「山科」だけの放映でしたが、あの通し公演の少し前に、首を替えて、文雀さんの吉良で和生さんの判官を見たいと思っておりましたのよ。

今回の公演についてのインタビューに、文雀さんは、成長した弟子と共演できる幸せをおっしゃってらしたようですけれど、あわせて、自らの老い、体力の衰えも、公演ごと日ごと、痛切にお感じになってらっしゃることでしょう。…藝の風は吹き止まぬ…です…が、ファンはやっぱり堪らない。

玉手は、お年や体調からくる衰えが見えて、つらい場面がいくつもありました。それでも、「山科」のように顔合わせの妙はあるものです、俊徳丸にしなだれかかるきわどさ、浅香姫をいじめるすさまじさは、今までにない露骨さがあり、古の風が吹きました。

門付け藝、庶民の芝居、特に大坂って、きっとこんなエグいところもあったでしょう。浄瑠璃が、理知的、近代的になってきて、なんとなくモヤモヤしている雀は、嬉しい手がかりを得ました。  囀雀

 

* こういうメールは誰にも彼にも書けるものでは、ない。誰にも彼にも読めるモノでも、ない。読ませ、また書かせる、或るぬきさしならぬ気合いが二人の中に、ある。雀さんに対し、書くよろこびをわたしは上げている。雀さんはわたしに、読む楽しみを送ってきてくれている。

2005 8・1 47

 

 

* オハヨ   蒸し暑い!

一時間も間違えて早起き。ゴミ捨て、続いて無防備で外掃除と草取りと水撒きをしたので、足も手も蚊に襲われてボリボリと掻きむしりながら、キーを打っています。

カユイのって、不快だけれど、逆に「生きてる」って快感も覚えるから、フシギ。カユイのは、ほんの一刻なんだから。

こんなプラス思考で暮せば、今、世の中にある諸々の不服、不満は消えうせるでしょうに。ナーンテ―――

洗濯まで終え、朝食にしようかなと思っているところ。

実はガマン出来ずに、バナナ一本が、もう胃の中に。食欲は生きるバロメーター、元気の素。  泉

 

* プラス思考はなかなかイイようで、どこかガンバッテいるので、それに気付くと「ナーンテ」という照れで撤退してしまう。平成(元号ではなく)思考ではない背伸び思考か、ちと見栄を切っている。年寄りはどうしてもそうして自身を励ますのであろう、やりすぎると昨日の東大生の「ナーンテ」と同じに「イヤミ・くさみ」になる。

しかし老人は自分で自分を励ましていないとメゲてしまいやすいのは確か。健気(けなげ)、と謂うことにしておく。

2005 8・2 47

 

 

* 思いがけず励ましのメールをいただきまして、心から嬉しく御礼申し上げます。

お察しいただきましたように、公立中学教科書(教科用図書というのだそうです)の採択のための検討会がつづいています。来週火曜日には最終決定する会議を開きますので、とりあえずはそこが山場です。国内外(外は韓国)から扶桑社の教科書を使うなという手紙と、使えという手紙が、自宅にたくさん届いています。

でも採択する私たちは、16教科についてそれぞれ平均3册は教科書を見ていきますので、歴史だけにとらわれていることもできません。

勉強したり検討したりする場は非公開ですが、採択を決定する会議は公開ですから、来週火曜日はきっと小さな会議室には入り切らないほどの傍聴者がおしかけることでしょう。

それにしても最近の教科書の紙、色づかい、ページ数などの豪華なことには驚きました。数学や国語までオールカラーで写真やイラストがふんだんに入っているのです。この雰囲気で文学作品を読む子どもたちが、その後、活字がぎっしりと並んだ文学書に手を出す気になるのかどうか、はなはだ疑問です。むしろマンガやアニメに近い環境で文学が供されているのです。

一方、早稲田に「女たちの戦争と平和資料館」というのを1日にオープンさせることにかなり関わってまいりました。戦時の性暴力の被害と加害の資料を集めた資料館です。つまり「慰安婦」を中心とした歴史資料ですが、政府も学界も避けたがる問題ですので、散りぢりばらばらにならないように心しています。

本当に厳しい暑さのなか、どうぞご自愛くださいますように。   東京都

 

* 扶桑社版の歴史教科書を見たことがないので軽率には何も言えないが。より大切なのは教科書以上に教える「先生」の人間的な資質と勉強如何であろうが、そっちの方にわたしは不安を禁じがたい。学園ものの映画やドラマからの情報をとくに信奉などするわけはないが、例えば「ドラゴン桜」にしても「女王の教室」にしても何にしても、教員室の先生方というのはその他大勢の「濡れたちり紙」のように描かれ、軽蔑されている。あれが自然多数派であるのなら、学校内での先生をあまり高く高くは見上げておれない。家庭から学校への視線の向け方にもきっと問題があると思う。理想的な状況なら、教科書は教科書として先生が安心してより良い教育が出来るだろうに、東京都のようなあんなバカげた教師の飼い慣らし・追い使い管理では、堪ったものでない。

ほんとうに良識有るひとが教育委員としてしっかり踏ん張って下さることをわたしは願うし、出来ることが有れば応援したい。

2005 8・2 47

 

 

* 同窓会のお知らせ、確かに夫に伝えました。

未だ仕事をしているので、平日の出席が叶うかどうかはわかりませんが。詳細のご案内をお待ちしています。

盛夏、お暑いですね。

私たち家族、7月末蓼科に行って居りました。

今年はニッコウキスゲの当たり年、と数日前の新聞に写真が出ていたのでまだ間に合うかしら—-と大急ぎで霧ヶ峰方面へと登って行きました。

久しぶりで稜線を黄色く染める車山に出会えので、その写真を一葉。 2005/8/3 藤

 

* 小学校以来の旧友松下圭介君が蓼科にプチホテルを経営していて、あれは秦の母の亡くなる直前に一泊したことがある。その時彼の車で広範囲に案内して貰い、「車山」へも登った。妻も登った。いまも眼にある。

添えられた写真はすばらしい。これを貰って「e-文庫・湖(umi)」の表紙にしようかと思うほどだ、白雲のかかった青空が天上の湖に見え、手前にニッコウキスゲが群生して盛んに咲いている。

あの旅では、諏訪神社まで松下君に送ってもらい、そこで別れて、妻と、拝殿の大縄のとぐろも御柱も、展示館なども見てから、たしか名古屋経由で神戸まで行き、妻は同窓会があった。あの間、わたしはどうしていたのか記憶がない。

東京へ帰ると、母がどうやら嚥下の故障でか亡くなったと市内の施設から通知があった。総選挙もあった。往時は渺茫として速やかに去って行く。

 

* 秦 先生  器械の具合と、わたくしの扱いと、両方ともわるかったのだとおもいます、かなり、へんなことになっていました。

「湖の本」をお届けくださいましたお礼、申しあげたつもりが、下書きの箱に入っていましたし、いだだいたメール、うれしく拝見しましたと、ご返事申しあげたつもりですが、送信済みにもどこにも見出せず、うっかり、消してしまったのかも知れません。

いろいろ、失礼があったことと存じます。おゆるしくださいませ。

きのうは、眼の前にとつぜん、キラキラしたギザギザがあらわれてびっくりし、お医者さんに駆け込みました。「閃輝暗点」とか。原因はストレス、睡眠不足等々、みな思いあたることばかりでございます。心配しなくてもよいそうですが、ほんとうに恐ろしうございました。

心配いらないと言われてうれしくて、きれいなものを買ってしまいました。 香

 

* 機械は底のそこまでは頼れないなあと、つくづくいつも思っている。

 

* 囀雀は、ときに「批評」的に囀りが鋭くなる。立て続けにきた四つのメールはタダモノではない。

 

* 耳  先回の「花舞台」で、初世勘祖の耳の、大きく立派なことに目を留めました。ジャンルを問わずなにかに特別秀でた人の、大きな耳に見とれることがたびたびございます。

たいていは、話したい、聞いてほしいが先。“聞いたげる”とかさにかかれば易い、「聞く」。「貸すのはなんぼでもかめへん。空いたら返しとくなはれ」の、耳です。仏像の耳が大きく、豊聡耳(とよとみみ)がたたえられるのは、聴く耳の大きい人はなかなかないということで、そうできる人はきっとぬきんでてるということかしら。

「なぜ人の口は一つ、耳は二つあるか知っておるかな。話すことの倍聞けということじゃよ」と、昔はお寺、今は占い師が言っています。  囀雀

 

* ササ、コシ   観劇でもテレビでも、途中しばらく寝てしまった先日の文楽「山科閑居」。

先に見ていた友人の何人もに、「あの『山科』よりもっと長い」と耳打ちされた、文楽「合邦」。確かに、18:30から「万代池」40分、10分休憩、ノンストップ110分で終演21:10で、長いことはもともと分かっているのですが、「長ァ!」と、吐き出す舞台でした。

切場の床(ゆか)が原因です。

知っている話が分からなくなり、ノリたい台詞が聞き取れません。歌舞伎でも文楽でも何度となく見てきた芝居ですし、今回は、市販されていた若大夫のカセットテープを聞いて出掛けたのに。これほどわからなかったことは初めてです。

帰ってから、カセットを聞き直してみましたら、ひとことひとことはっきり聞き取れるわけではありません。詞の印刷されたものを読んでやっとわかる言葉も、ずいぶんあります。ですが、分かる、伝わる、心に届く、のです。なぜ、と思いますが、時代かもしれません。

藝術にしたい人がいて、教養にしたい人がいて、それをカネにしたい人がいて…。美声や懸命の果ての穉気のないベテランの太夫が、理に傾き、評論家も、難しげな言葉を使ってそれを誉めそやします。人形も、基本の稽古量より理が多い人の遣い方が近代的に見え、古い遣い方をしているだけでは、伸びていく浄瑠璃の間を持て余してしまうので、持ち駒がない人は、「見よかし」の遣い方でごまかさざるを得ない。

昔は、おひつに入れてやや冷めた、水分のうまく飛んだごはんを何杯もお代わりしたので、さっぱり、ぱらりとしたササヒカリが人気でした。が、いまは、ジャーで保温しておいて一杯しか食べないため、べたつかず、いつまでももっちりツヤツヤの、コシヒカリが好まれます。

繰り返し見聞きする技術は素晴らしく進んでいるのに、ドラマも演劇も映画も本も、一度きりの客を望んでいるかのようです。  囀雀

 

* 早送りできないもの    ねぇ、ふだん、そんな言葉で話す?

現代ドラマ調の時代劇の台詞よりも、テレビの現代ドラマの長台詞に、より違和感があります。

演劇雑誌に、“最近の作家が書く台詞には長い台詞がない”とあったのが目にとまりました。雀はいまの演劇を見ていないので、テレビと舞台とは違うのかなと思いました。

生身の人間がやっていると、長いことにも耐えられるというのは、もっとも。だとしたら、テレビの台詞が短くてよいはずです。

メールことば、絵本ブーム、ケータイ短歌、コント、お笑い、歌、小説…。時間がない、頭の中で構築しながら読んだり聞いたりすることができない、根気がない、面倒―だから「長いのは勘弁してぇ」なのでしょうか。長短が、受け入れる基準にはならないと思うのです。

生身の人間がやっていると、たしかに耐えられるのですが、ただ、時間ではないのです。もっと見たかった二時間もあれば、また終わンないのォという30分もあります。そして、歌舞伎や文楽については、雀の印象として、同じ芝居が昔に比べて、長く伸びてきているにもかかわらず、感動している人を多く見受けます。

長いと感じること、感じさせる理由ってなにかしら、とこないだから考えていました。 囀雀

 

* なかなか一概に言えない難しい問題を含んでいる。演劇には、日常会話ではない演劇言語の魅力がある。近松にも南北にも黙阿弥にも、また鏡花にも恆存にも三島にもある。長ぜりふに独特の花のある陶酔感が得られる。テレビドラマにはまだそれを効果的に出せるだけの感覚の陶冶と技術がないだけかも知れない。日常会話をそのまま地に活かして納得させるだけ、リアルというより尋常凡庸なセリフだけでまだまだテレビドラマは誤魔化しているに過ぎず、天才の才能が、信じがたいような魅惑に富んだドラマ言語を誰がいつ創造するか、と私は期待している。それまでは、まだ決めつけた論評は控えようと思っている。

テレビの二時間ドラマはほとんど成功しない。昔は映画館で見る劇映画でも二時間未満が普通だった。時間ばかりの長大作はたいてい大味で密度があらい。ましてテレビの未熟な二時間ものはもう不要だ。

 

* 繰り返し 繰り返し。藝術を受ける側も。

最中=夢中ならば、長いことなどは気になりません。

本もそうです。遅々として進まず、残りの厚さをときどき眺めて、何ミリ減ったかしらというようなことはあります。でも、めげない。

なにもかもほっぽり出し、“肉体が、ジャマクサイ”と思うほど、入り込んで、抜け出たくなくなります。進まないことより、浸っていられる、その時間を失うのが惜しくなります。

いつか結着して物語が終わることは、残りの頁があることで知らされるのですが、そこまでいったらそのときは、そのとき。同じ感情には二度出会うことがないのですから、一度きりということを堪能しつつ、一方では、繰り返しを楽しんでいるのです。

長くなりました。力と根気が足りませんね。ごめんなさい。 囀雀

 

* 意識してゆっくりやすむようにしていましたせいか、もうほとんどイイのです。

リハビリとして、電子文藝館の十返肇評論「文壇と批評」を読んでみましたよ。

よくわかり、おもしろく、頷き頷き読み終えました。

「ん?」と首を傾げたところが少しありましたので、以下に書いてみます。

吉行淳之介の「闇の中の祝祭」について書いた村松剛の、

> 「作者はこの小説を、どうしてこのような私小説の形で、書かねばならなかつたのか。

> 私小説風に書けばモデルとなつた女たちが傷つくことは必定だろうに」

という文について、十返肇はこう述べていますね。

> 誰が傷つこうが批評家の関知するところではあるまい。

「プライバシーの権利」の存在する今日の感覚からすると、ずいぶん乱暴に聞こえます。個人のプライバシーについては、書き手、編輯者、批評家、読者、また出版に限らず、表現の場ぜんたいが配慮すべきと思います。

風がよくおっしゃっていますが、文学のために安易に人を傷つけていいはずがないと、わたしも思います。

次に、

> それが事実を題材にした作品であろうとなかろうと、それは批評家にとつて「作品」でしかない筈だ。

とあります。

とすると、「私小説の読み方」が変わってくると思います。私小説は、事実を題材にしたものとわかって読むゆえに、私小説になるのですから。この一文は私小説否定ともとれますが、このあとにつづく、

> 批評家がモデルの心配までする必要はない。

という一言を強調したいための前置辞の意味合いにもとれますけれども。

暑い盛りです、おでかけのときはお気をつけになって。

風の脚の痛いの、快方に向かっていますか。これが、いちばん心配ですよ。  花

 

* 十返は少し勇み足気味ですが…。彼には、例えば吉行のああいう「闇の中の祝祭」のような作品を、つとめて私小説としてでなく読める視野や視覚を…、という気があり、それなのに、何の疑問もなく事実のママの私小説としてのみ作品を受け取り、作者サイドのプライベートな心配まで批評家がしてしまうのか… と、ジレテいる気がします。

藤村の「新生」に、作者の命まで案じてオタオタしたと言われる友人田山花袋のことも想い出されます。

私小説だから優れている、優れていないという断定は難しく、そもそも川崎長太郎のような、正にその通りの私小説はむしろ文壇にも多くはなくて、虚構や趣向との、ツキとハナレとはたいてい微妙なところです。その微妙さを意図的に利用して書く道すらあります。

谷崎の「細雪」はかなり私生活の現実に密着しているけれど、私小説と読む人は少ない。直哉の「和解」などほんとうに微妙です。瀧井孝作の「無限抱擁」は厳密な私小説ですが、それ以上に、近代屈指の名作の一つです。私小説と読もうが読むまいが、あまり真価に関わりがない。

花の指摘した、

>それが事実を題材にした作品であろうとなかろうと、それは批評家にとつて「作品」でしかない筈だ。 (十返)

とすると「私小説の読み方」が変わってくる  というのは、大事なポイントです。ここを追究すると、一つの「私小説論」になりうる。  風

2005 8・3 47

 

 

* 赤面  ひやあせ 冷汗三斗 おはもじ!

わたしのロビンフッドさま♪ いとしのロビンフッドさま♪ と、その昔、ヒットした曲がございましたが、わたしの豊聡耳さま。その方に雀は囀っておりますの。申し訳ございません。

さきほど、教育テレビの「にほんごでくらそう」で、「聞いていただいてありがとうございました。おかげで気が晴れました」「聞くくらい、お安い御用よ」というスキットがありました。

まったくそうです。一方的に囀って、雀は気が晴れても、秦さんはさぞ長歎息の毎日かと存じます。聞いていただける、そうできる先を持っている、しあわせが、あらためて身にしみます。心から感謝申しあげます。

すごい、知ってる、わかった、…軽々しく口にするものじゃないと注意されたことばです。

本当にすごいとはどれほどのものか、物事をしっている、わかっているひとに、こうしてご縁をいただいたよろこび。敬服し、ひきつけられる人に出会えた代えがたい価値。親しみ深く、しゃがみこんで、根気よく耳を傾けてくださって、常に澄んだ高みを指してくださる秦さんは、なににもかえられない大事な方です。

おからだ第一に、これからも、お心通りのお仕事をお続けくださいませ。

さて、昨日、テレビで、久美浜町を取り上げた、ごく短い番組を偶然に見ましたの。九日に、大文字焼きがあるそうで、その甲山の山頂には、イザナギを祀る熊野神社があるとのこと。丹後の熊野‥初耳です。うかつ。

出雲王朝と親交を深めていた土地の豪族の娘をめとりに、丹後王国の王が訪ね来たとか、四神ヶ嶽の山頂に、蛭児神社があったというのにも興味をそそられましたが、息を呑んだのは、古墳から出土した太刀、金胴装双竜環頭太刀の、金の飾りです。飛鳥の古瓦にあった、二匹向かい合う蠍の文様とそっくりだったのですもの!

大文字焼きは、山の向かい側にある寺の、千日会とのことでしたが、そこのご本尊は、十一面観音。

丹後の海人族に因んだ旅は、二泊してもとても足りませんわ。いつか、行けるかしら。  囀雀

 

* 古瓦に蠍が向き合うというのは、事実は蓮の花のデフォルメであろうかと想われる。そう説明されていたのを観た記憶もあり、見直して納得した記憶もある。雀さんと同じ物をわたしが観ていたか保証の限りではないが、一瞥して蠍のように見えていた。よくよく見直すと蓮であった。

2005 8・4 47

 

 

* 四国・香川の****です。

メール拝読しました。猛暑のなか本当にご苦労さまです。

「ペン電子文藝館」は久し振りに訪問して、ますますの充実ぶりに目をみはる思いです。

> ご参加をお願いし、加えて、趣旨を

>  ご吹聴いただければ幸いです。

早速、文学の仲間たちのホームページにメール全文を掲載させていただき、ご紹介しておきました。

私ども詩人集団「D」及び同人詩誌『発信地』は、旧全電通詩人集団の流れをくむ労働者文芸サークル出身の詩人たちの集まりです。電々公社当時から、「国鉄詩人」と共に長い歴史を刻み、今年、満50周年を迎え記念アンソロジーの発行へむけて努力中です。とりあえずお知らせまで。なお、URLは下記です。

http://8531.teacup.com/skamiga/bbs

雨が降らず自然も人の心もカラカラな讃岐の地より。

2005 8・4 47

 

 

* 暑中お見舞い。  いかがお過ごしですか。「総論」(流通する文学)のお仕事にとりかかっていらっしゃいますか。

連日暑い日が続いて、数日でも留守しようと思えば庭木の水遣りが気にかかります。繁茂した藤の新しい枝に花房が垂れ、樹木には蝉の声がかしましく・・、青虫は青紫蘇などの葉をよく食べ、食べつくし・・でもまだ虫の音は聞こえません。

盛夏です。ただただクーラーを唯一の贅沢として暮していますが、それでも体が悲鳴をあげそうです。

夏休みの子供向けに、午前午後を問わず、例えば「名探偵コナン」などがテレビで放映されています。SFも本で読むと想像力が追いつかなくて楽しめない時がありますが、映像は十分に補ってくれます。今はBSでアニメ「ジャイアント・ロボ」・・地球が静止する日・・というのを見ていたのですよ。そしたらもう昼前になってしまいました!

オン歳、何歳ですかと聞かれても、これはもう小学生のままのわたしの一部分です。

先日、名古屋の万博にアルバイトで働きに日本に来ているという若者と、話す機会がありました。「日本はサイコー!」だそうで、日本語や日本に興味をもつきっかけは何だったかと聞きますと、彼の答えは、「インターネットで忍者のことを知って面白かったので」。

さすが現代っ子と納得しました。

漫画はヨーロッパでもアメリカでもブームで、書店に立派なコーナーができています。日本の文化云々とついことばを付け加えたくなりますが・・。

その若者は伊勢の美しさを話し、次は安藝の宮島に行きたい、そして京都にも勿論行きたいと熱っぽく語りました。日本に来て数ヶ月、彼の日本語は格段の進歩を遂げたようです。

指摘された冒頭部分を書き直しましたが・・全体の調子と比べてややロマンが少ない感じがするのは、旅から既に長い時間が経過しているので仕方がないかもしれません。如何でしょうか?

或いは、ここまでの部分をすべて棄てて、河西回廊の列車の部分をはじめにしてもいいと思っています。

推敲、再構成のことがいつも気にかかって過ごしてきました・・。「最後は自分で、独力できっちりなさい」と。諦めて中途で手離すのではなく、それでも際限のない作業ですから、区切りはつけなければいけないと、いささか強迫観念めいたものを抱えてきました。が、とにかく区切りをつけないと前に進めないと思います。ことばの一つ、一つが・・すべてすべて、限(き)りなく、立ち止まることになります。

郵政法案、六カ国会議などなど、そして広島の夏。今日は最高気温が35度くらいになると・・。本当にお体大切に、大切に。  鳶

2005 8・5 47

 

 

* すぐに、しかもあまりに的確な感想と指示をいただきました。ありがとうございます。旅程どおり忠実に始める必然はまったくありませんし、全体とは異なった空気が流れてしまいます。

「予め・・」から始めます。「作品が呼吸しはじめる」と書かれていますが、呼吸する、それがなければ駄目とつくづく感じます。わたしは・・怖れます。みんなお見通しなんですもの。そして自分の力の、ことばの泉のどんなに底の浅いかをよく知っていますから。  鳶

2005 8・5 47

 

 

* 適切なたった一枚の写真が探し出せず、選び出せず、しかも家中のあちこちに夥しい写真が蓄積されている。見たこともない父や母や祖父の、その周辺の写真は、日付も知らぬ人の名前もみなないから、ほとんどどうしようもない。写真だけは、データを書いておかねば、その当座は自明のことがすべて記憶から落ちこんでしまう。

自分達の写真、子供や孫達の写真にしてしかりである。

機械との按排に力を貸そうと言って呉れている「ぺると」のマスターにすっかりメイワクをかけている。

 

* 「ぺると」で珈琲をのんできた。

2005 8・5 47

 

 

* 風  「あつーい」ですね。口を開くとこの一言が出てしまいます。

名古屋の手羽先をと、里の母に頼まれました。名古屋駅の隣にある「エスカ」という地下ショッピングモールのお土産屋さんで買って帰ろうと思います。

風にも送って上げたいけど。好きかなあ。

夏休みに里へ帰っても、足の便がないので、母の仕事で出ている日は、家にこもって推敲などしていようと思っています。バスは走っているようですが、向こうにいたときは専らマイカーで移動していたので、路線のことはよく知りません。

温泉が、お好きなんですか。わたしのクニには結構いろんなところに温泉が湧いています。実家のお風呂の工事をしていた数日、わたしは仕事帰りに温泉に寄って帰っていたことがありました。

子供の頃に、ジンマシンみたいな皮膚炎になったことがあるのですが、近場の温泉につづけて連れて行ってもらったら、きれいに治りました。そこは、入浴料が一回700円と高めなので、大人になってからは行っていませんが。

三重県長島町には、長島温泉というのがあります。入浴料は、なんとビックリの2000円! あれに比べると、クニにはリーズナブルな温泉がたくさんあったなあと思い出されます。

たわいのないおしゃべりをしてしまいました。お元気で、風。  花

 

* この人の最初の頃のメールは、四角四面なかたくるしいモノだった。何年もそうだった。オモシロクない。それで思いつきで、京の町の古い習いにならって、両方で替え名をつけてみた。結婚して愛知県へ移転して。「たわいのないおしやべり」がさらさら出来るようになった。

囀雀さんも、いささか呆れ気味に「囀り雀」とわたしがアダナをつけた。実は中村扇雀丈がメールを使うと教えてくれたのがこの人で、それでもじって「テンジャク」さんにしてしまったら、本名の時とはまったく別人のようなメールに変貌した。書かれる内容まですっかり変わって、いまのようになった。

はじめはかなりヘキエキ気味で受けていたのに、いま日本中でこの人ほど趣味のあるメールを書き続けている人は少ないだろうと思う。

 

* いい人間関係はメールだけのモノではないが、メールで「だけ」しか繋がらない人間関係が現代には出来ている。そのシャドウのような関係にどんな人間的質実を演出できるかは、双方での敬意と誠意が大切だろう。四角四面もオモシロクなく、踏み外してしどけないのもつまらない。わたしは、いいメール仲間に恵まれていると思っている。

2005 8・5 47

 

 

* 日韓女子の引き分けサッカーをテレビで応援していて疲れました。

 

* 明日は立秋・・ とはいえ厳しい暑さはまだまだ続きそうですね。9月1,2日に越中富山・八尾の「風の盆」にいく予定にしていましたけれど、「解散・9月11日総選挙」などということにでもなれば、旅行はキャンセルせねばなりません。我が職場、選挙になるとお祭り騒ぎのように興奮し、気が立つので、そういうときに休むわけにもいかなくて。(とほほ・・・)

秋の初風たちくれば

今年もなかばを過ぎにけり

多くの年月なにをして

ここぞともなく 過ぐすらん

そんな詩句が気持ちにすんなりくる季節になりました。(今様らしいですけど、出典は知りません。)

人の一生が「青春」、「朱夏」、「白秋」、「玄冬」であるなら、私の位置は「朱夏」の終わり? それとも年齢的にいえばすでに「白秋」でしょうか?

おげんきで・・・ ゆめ

 

* 上の今様はメールの主の即興かも知れない。

 

暁静かに寝覚めして

思へば涙ぞ抑へあへぬ

はかなく此の世を過ぐしては

いつかはあの世へ渡るべき

2005 8・6 47

 

 

* 京の吉兆の、高価な御馳走を賜り、恐れ入ります。酒の肴においしく最良です。嵯峨嵐山の風情も髣髴と加わります。年に一度、あそこで美術の財団理事会が開かれたりします。どんなに暑くても京都を想い出すのは心嬉しく、胸が熱くなります。京の思い出の中には自然日吉ヶ丘が大きな場をしめますし、あなたのいた祇園縄手の銀行辺もありありと甦ります。

お兄さんもお姉さんもお変わり有りませんか。昔のお友達ともお付き合いが続いていますか。

わたしの中学では、十一月にもう最期かも知れない同期会を計画しています、つまり、「古稀」同期会だとか。なるほどなるほどと、なんだか胸のふさぐ心地ですが、幸い元気です。あなたもお大切に、お大切に。

一度またお近くの中野美術館などへ出かけたいものです。

雲岫席での写真があり、少女のむかしの笑顔は眼にあります。つい今もそのままに想ってしまうんですね、気が若いのかも。ま、お互い、気は若いが佳いです。

ご一家のご平安を心より祈っています。 湖

 

* 京都の郊外で美術商を営んでいる脱サラした人とも、遠からず歓談の機会がありそうだ。本を出したので出版記念会に来てくれとも言われる。わたしがいちばん願っているのは、のうのうと、漲り溢れる透明な温泉につかって思い切りはな唄をうたうことだ。

2005 8・6 47

 

 

* 長谷  少し前の地図に、卍印に「十一面観音」としか書いていないお寺を見つけて、以来、ながらく気になっておりましたの。

それから、歌舞伎舞踊の「素襖落」に出てまいります、でんでん太鼓、簫の笛、「伊勢おしろい」は、多気町の近長谷寺の山号が丹生山で、ここの水銀からできるというので、そちらの長谷型観音を拝み、足をのばして、地図にある、度会町注連指川上流のお寺に立ち寄ってみることにいたしました。

帰ってきたところに、「一月前に行きながら、すっかり遅くなって。ごめんなさい」と、仏好きの女友達から、鎌倉の長谷寺由緒書が送られてまいりましたから、雀は一段の興味で読みましたのよ。

近長谷寺の十一面観音は、大和や鎌倉の長谷寺とは違い、金ぴかでなくて、石道寺ように、唇に紅をほどこしただけの立像で、右手に数珠と錫杖を持つのが珍しいとのこと。6.6㍍のお姿も、お堂も境内も、渋くて、好い感じでしたわ。

近長谷寺も、度会町の旧国宝の十一面観音をおまつりしている天龍山正法寺も、湖北の観音の里同様に、地元の方がお守りしてらっしゃって、お寺の場所の風景や、山里の人のあたたかさとともに、こころがやわらぎ、善い雰囲気です。

その帰り、郊外に移転した、近所にあった昔からの本屋に寄ってみました。書き込みや傍線などできたなくなった、白洲正子さんの「十一面観音巡礼」を、新たに一冊買うために。

店頭には、「課題図書揃っています」の貼り紙。いやでしたわねぇ、子供の頃から高校まで。夏休みになると発表されるこれが、感想文ともども気鬱の種でした。

文庫本の棚に一直線、お目当ての本を探し、ふと、並んでいた何冊かをぱらぱらと飛び読み。「かくれ里」と「近江山河抄」に、旅したところがたくさんでてくるものですから、衝動的に手に持ちレジへ参りまして、青くなりました。

文庫本三冊で、3300円? お財布の残高足りるかしら。いつの間に文庫本て、こんなに高くなりましたの? 星ひとついくらから始まり、学生の頃は、本棚の前で、こっそり、小さなガマ口を開けたり閉めたり。バスを汽車にして、余計に歩いたりしながら、買ってたのに。  囀雀

 

* こういうメールを読んでいると、呼吸まできれいになってくる。助かる。だれも暑い昼間にはメールを書く気もいまは失せるだろう、夜分、やっとメールが届きはじめる。

2005 8・7 47

 

 

* 残暑お見舞い申しあげます。昼夜の暑さに加え、深夜、東京は余震が続いている模様ですが、いかがお過ごしでしょうか。調子を崩されませんよう、日々ごきげんよくいらっしゃいますよう、心よりお祈りしております。

昨日、颱風などの荒天時には、このあたりで一番先に運休になる名松線の、終点、「伊勢奥津駅」に立ち寄りました。駅舎を建て替えたと聞いたからです。

一帯の土木整備と、新たな駅舎に、喜・哀、半々。

黒々と行書で書かれた“伊勢奥津驛”の字もムードを増して、しみじみと。単線ローカル線の終点、また、名張駅からのバス路線の終点として、撮影スポット、また、心の終着駅かのように、旅する人の人気がございますの。

前回は、バスから電車に乗り換えて松阪に出る旅をしましたが、この度は、クルマ。

国道を東へ、伊勢本街道を突ッ切ったかたちの道を、北畠氏の館跡と庭園、サカムカエ場、水銀を櫃に入れて運んだといわれる“櫃坂峠”へ走りました。

天龍山正法寺の十一面観音は、戦火に二度うつされているそうで、最初は、現地よりさらに山中の、女滝にまつられていたとのことで、行ってみましたら、〆縄が張られた、二段の滝がございました。持参のおにぎりを頬張りながら、マイナスイオン浴。佳い空気に満ちた場処でした。

それにしても、「自分で運転できたらと思いますワ」と、生前、(桂)文枝さんのおっしゃってたのを想い出します。助手席のかなしさ。行き帰りとも、目の端に入りながら、通り過ぎてしまった道端の湧き水には、“鴬の水”と名がついてましたの。雀から鴬になれたかもしれませんのに。美声はお預け…残念! 囀雀

 

* 立秋は名のみ、まだまだ盛夏です。夏バテもせず、お幸せそうなごようすを私語で拝見し、喜んでいます。昨夜、温泉ではな歌をイメージしていい気分でいらした頃、わたくしは冷たい水底にいる気分でした。泉鏡花「湯島詣」を読んでいたのです。ご存じのように最後は水中の心中。

「照葉狂言」「化鳥」「龍潭譚」などは、鏡花らしい夢幻の異界のなつかしく美しい世界に漂うのですが、「勝手口」や「湯島詣」は泥水を飲んだ女の憐れがひしと胸に迫る作品で。さすが鏡花の世界、描かれた人物のリアルに生きて動くことに驚きます。

「湯島詣」は藝妓蝶吉の悲しみと錯乱のさまが、まるで自分自身の烈しく乱れる女心そのものに感じられましたし、神月梓という男の、女には伝わらぬ論理や誠ややさしさや情愛も痛ましく身につまされて、結末にはらはら涙するばかりでした。

今神経が弱っているので、泉鏡花とバランスをとるようなものも読まなくてはいけないでしょう。寝る前に読んだので、すっと冷えて寝つくのに苦労しました。いっそドストエフスキーでショック療法をとも考えているところです。文藝の毒は別の天才で癒すしかないかと。

今一番願うことは、色々な意味で、前向きな気持や生きる自信をかきたててくれる明るさとの出会い。慰めではなく励ましの「言葉」のある人と関わることです。自分で自分を励ますのは得意じゃありません。  夏

2005 8・8 47

 

 

* おはようございます。県展、去年は駄目だったけれど今年初めて入選したと連絡あり。洗濯をおえて西瓜食べ、幸せ?  鳶

 

* おめでとう。乾杯。 鴉

2005 8・9 47

 

 

* やはり解散になってしまったので、「風の盆」は昨日キャンセルしました。

『千一夜物語』は今2巻の中頃を過ぎたあたりです。

一体、この王様は毎日何時間寝るのでしょうね? 千一夜、シャハラザードと「いつものこと」をして、それから夜が明けるまで物語を聞いて、ちょっとだけ眠る? う~ん、超人! このおびただしい詩句も摩訶不思議、お酒を飲まなくても、酔ってしまう。ゆめ

 

* わたしの愕くのはアラビアンナイトでなく、旧約聖書のエホバの神さま。

「出エジプト記」の後半から今「レビ記」のはじめまで、数限りなき細緻を極めた、民への命令(掟)。金銀の底抜けの要求、獣肉・獣脂・獣血にあふれた荘厳と火祭と供御。その香気の生臭さ。延々とまた延々とその要求と禁令とが続いている。

これに比べれば古事記や日本書紀のわが三貴神にせよ八百万の神々にせよ、人間に対しては何にも要求したり強要したり禁令したりしていない。そもそも日本の神話時代には、神ばかりで、人間がちっとも登場してこない、不思議なほど。

2005 8・9 47

 

 

* 昨日は長崎に原爆の惨害が起きた日であった。その数日前、広島の原爆記念の場にあった「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」の「過ち」あたりの個所が何者かに削られていた。行為は愚かしく疎ましいが、気持ちは分かる、と思った。日本中の大勢が、秘かにこの「過ちは繰り返しませんから」の意義を問い、腑に落ちないものを抱いているだろう。そう思っていた一人の友の声をわたしは、いま、聴いている。

 

* いきれ雨・・・  甲子 e-OLD

残暑、炎暑、猛暑、いかがおすごしでしょうか。

「私語」は欠かさず拝読しております。脚、回復のご様子。乾杯(350ml)缶。

ただし、寝不足はいけません。といって、どうすればよいか、など、考えがあるわけではありませんので、これも「バグワン」の第一層にあたるのでしょうか。わたしは(350ml)で爆睡してしまうたちなので、いわゆる神経の鋭い知識層のお仲間にはなれそうにありません。

メール、何度も書いては消しています。歳をとると行動範囲も狭く、人付き合いも限られたものになり、新鮮な話題の生まれる余地がありません。クーラーだけを効かせて、ぐったりとソファーに掛け、窓越しの欅の梢をぼんやり眺めているばかり…。

クーラーはどうも好きではありません。なんとなく空気が室内を循環しているばかりで、窒息しそうな感覚に襲われます。杞憂とはこういうことでしょうね、多分。

先日、かっと照りつける暑い午後、急に曇ってきて大粒の雨が勢いよく降り、若いお母さんが遊んでいた子供を抱えて建物へ逃げ込んだり、通りがかりの人が買い物の袋を頭に載せて走っていったりする光景を見ました。十五分ほどで雨はさっとやみ、また元の陽射しが戻って、何事もなかったような午後の風景になりました。ただ、道路や植え込みに水分がたっぷりゆきわたり、涼しくなりました。「通り雨」というのでしょうか。

そんな、人の動きをベランダから見ていると、昔懐かしい、無声映画を観ているようで、心和みます。年寄りは(わたしの口からそういうのはおかしいですね。〝昔の年寄りは〟と訂正します) こういう雨を「いきれ雨」と言っていたのを思い出します。音もなく、戸を開けて外へ出て始めて気がつく、といった雨を「こそ雨」と言っていました。下町言葉です。今でもそんな言葉が残っているでしょうか。大空襲以後、用事で訪れる以外に行ったことがありませんので分かりません。そんな辛気くさい話ならこと欠きませんが…。

八月は死者の月。ヒロシマ・ナガサキ、も過ぎました。連休は、お盆というより民族移動と言った方がふさわしいこのごろです。

現役の頃、わたしは岩国で工場長を四年間勤めました。それで商用でも遊び(遊びでは宮島・三段峡など)でもたびたび広島へ行きました。当然、平和公園も何度か訪れ、そのたび首を傾げることがありました。ありました、と過去形で書きましたが、今でも不思議でならないのです。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

これは、誰が、誰に、言っているのでしょう。原爆を落とした側が犠牲者を悼むために建てた記念碑ならば判りますが、日本人が建てた碑銘とすれば、なんとも不可解な文言です。

あの時点では、日本の軍事力は壊滅状態、ゆうゆうと飛来するB29を迎撃する能力は皆無だったのです。当時わたしが動員されていた工場でも、電力不足、原材不足、厭戦気分が蔓延していて、生産そのものが停止していました。ほっておいても軍の内部崩壊は免れなかったでしょう。一部、少壮青年将校らの蹶起はあったにしても、大勢は決していたと思います。

いままでもこのことは何度か話し合いましたが、いまここでまた言いたい。

なぜ、滑走路を持つ主要軍事空港は爆撃せず、東京下町のような非戦闘員の密集地を、あれほど徹底して絨毯爆撃したのだろうか。多分、多分ですが、その時点ですでに占領計画は出来上がっていて、戦後に使う滑走路を無傷で残す計画ではなかったか。

だとすれば、ヒロシマ・ナガサキは、何だったのでしょう……。

「過ちは繰り返しませんから」と日本人が自ら言うのなら、ヒロシマではなく、もっと別な場所で、別な方角を向いて言うべきです。「非戦と平和のため」と称して靖国詣でをする。そんな神経と同次元のような気がするのですが…。

先日、七月三十一日だったと思います。「私語」の中の花火のことに触れてメールを作ろうとし、いずれにしてもわたしの話は古く、辛気くさい、と思って消してしまい、ソファーに坐ってTV のスイッチを入れました。

午後三時すぎだったと思います。NHKのオムニバス形式のドキュメンタリーでした。何というタイトルだったか分かりません。

いきなり 「◯◯を目の前で殺されました」。

◯◯の部分が、父と言ったのか、兄と言ったのか、夫と言ったのか分かりません。文脈(話し言葉を文脈といってよいのでしょうか) から考えて「夫」だろうと思います。鼻柱の太い、顔中が堅肥りした、60前後のカンボジア人女性。感じから、農民ではありません。プノンペンかどこか、都会の人です。

「そのことを息子には話しません。息子が聞けば、息子の心に憎しみが生まれます。憎しみを持って生きてゆくのは、不幸なことです」

なんという立派な、逞しさでしょう。「肝っ玉母さん」とはこのことではないか、と思いました。それだけで、番組はすぐ別の人へのインタビューに変わってしまいました。

肝っ玉母さんというドラマをわたしは観たことはありません。新聞の番組欄で字面だけ記憶していました。内戦、テロ、憎しみの連鎖はどこかで断ち切らねばなりません。

「憎しみを持って生きてゆくのは、不幸なことです」と、当然すぎることを世界中の人が考えれば、悲惨な、人間のみがかかえる愚かしさは解消できる、と思うのですが…。

ですがもう、どうでもいい、とも思います。

「自然保護」などと、人は、人の行為と自然とを切り離して考えがちです。自然は、(悠久の昔から)そういう人間の営み、浅はかさをも(自然の胸の内に) 織りこんでいて、どこかで「人間って動物は、(いつまでも)バカだなあ」と笑っているのではないでしょうか。

涼しくなったようですが、まだまだ暑さは去らないでしょう。

選挙ですね。今度こそ、という思いはありますが、わたしは転居したばかり、投票権はあるのでしょうか。どうぞ、投票率が上がりますように、そんな他力頼りの思いです。

あぶら照りのなかをお出かけの際は充分にお気を付けください。とくに後頭部を焼かれるのがいちばん危険です。お大事に。    甲子

 

* 一編のエッセイかのように、いろんなことを思うまま書いたと見えるメールが、ゆるやかな首尾の整いをもっていて、「読む」嬉しさに包まれる。自分を幸せに感じるひとときである。千葉の、川崎の、神戸の、和歌山の、岡山の、京都の、名古屋の、大阪の、宮城の、水戸の、アメリカの、諸国諸方の e-OLDさんたち、お元気ですか。

2005 8・10 47

 

 

* 夏はもう終わりかけています

hatakさん  札幌も暑いのですが、この月曜ぐらいから、日中炎天下のうちにも、どこかに、かすかに、秋の気配を感じてしまうようになりました。北の夏は爛熟して終わるのではなく、ふっ、と気がつくといなくなってしまうのです。

「ペン電子文藝館」の「読者の庭」、私のオリジナリティを活かして、小論を書いてみたいと思っています。ネットで遺伝子配列や論文や特許情報を常時サーチしている読者としての視点がうまく表現できれば面白いのですが、どうなりますか、減らせるのは睡眠時間しかないので、興に乗って破綻しないよう、自重していきます。

『戦争と平和』残念です! 最後の「歴史論」をおいて、ピエールやナターシャやマリアやニコールシカ小公爵のことをもっと語って欲しかった。作中人物に「お別れの挨拶」をしないまま読み終わってしまいました。 maokat

 

* 『戦争と平和』は、マジに「戦争」を主題にしたひとつの「論考」なんですね。読者のねがいをいれるよりも遥かに広大な願望が、強烈な動機が、トルストイにはあった、「戦争は、どう起きてどう終わるのか」の「事理学論文」なんですね。

わたしも過去の読書でたいがい最後の所はナゲましたが、今度は読もうと思っています。そこへ行くまでにも、トルストイの筆は、戦場場面や戦争・戦闘・作戦展開の批評で耀いていました。端倪すべからざる鋭さで、戦争と平和が大波動する複雑怪奇な事情を腑分けして行くトルストイに、舌を巻き続けました。

愛すべき主人公達の物語はこの作品では上等なお添え物なんですね。

すばらしい作品です。藝術的な熟成では「アンナ・カレーニナ」はみごとですし、思索的には「復活」が素晴らしいけれど、小説世界の巨大さ、細部の表現の生彩まで、「戦争と平和」はとにかく骨太です。読まれましたこと、嬉しく、また年を経てきっと立ち戻り、べつの感銘も得られることと思います。

「読者の庭」楽しみにしています。三、四十枚で、求心力の論旨を、気負わずオモシロク展開してください。筆名か本名かは任せます。

わたしは、夏のうちの夏バテか、睡眠不足の祟りでしょうね、今日は枕から頭が上がりませんでしたよ。maokatさん、お大事に。気がつくと夏はふっといなくなっている…。いい表現ですねえ。 hatak

2005 8・10 47

 

 

* 作家角田光代さんから礼状が届いた。「週刊現代」からの電話に、小説家志望の学生であった彼女の朧な記憶を答えておいたのである。

この人の「名前」は二年間の早稲田文芸科ゼミの中で、良く覚えている。何度か家でも話題にしていたのだろう、一二年後輩に当たる建日子もずうっと覚えていたくらいだ、その二人が同じ「週刊現代」で、角田は取材されるヒロインとして、秦建日子は連載エッセイで、同居しているのだから、おもしろい。

角田さんのわたしが採り上げて褒めた作品の中身は、忘れている。記者に言われて、彼女が夏休みにも書いた作品をわたしに送りつけ、励まされたというのも、朧ろにしか覚えていないが、(他との比較で)小説の書ける学生というだけは忘れていなかった。作品が我が家のどこかに残っているかもしれない、返して上げたかも知れない。

話はべつだが、若い女作家達は、何故か公式の名簿等にも住所をあかさず、不便を覚えることがある。ペンの広報室の松本侑子さんもそうだ、郵便連絡が取れない。角田さんの住所もわたしは知らぬままであった。礼状をもらったメリットは、ともかく比較的近い都内の住人と分かったことか。

「先制の授業はいまだによく覚えております。小説は教えられるか否かという質問を時折受けますが、私は先生に小説のとても大切なことを教えて頂いたと思っております。」と、書いてくれている。わたしが「小説」について話したことなら、個々に記憶していなくても、本筋は分かっている。

実は彼女が世に出てからの何一つの作品を読む機会がなかった、書店へわたしは行かないし文藝雑誌も見ないからである。しかし、ますます「いい作品」のためにガンバッテ下さい。週刊誌の写真で見ると、昔のママの愛らしい顔をしている。

2005 8・10 47

 

 

* 小鳥の群れが空を横切って、午前中、車軸を流すような通り雨に慌てました。午後になってもしばらく遠雷が聞こえ、さきほどから本降りとなってまいりました。母のすむ新潟の雨が気にかかります。

広やかにブルーが占める、滋賀の地図を広げて本を読んだり、養老、大垣、谷汲へ、朝長のお墓に友人の代参を含めての旅の計画を練ったり、丹後半島の地図を眺めたり、水の気を傍に置くことで、暑さをのがれようとしている雀です。

旅を思いつくと、自治体にお願いして観光資料を送っていただくのですが、大垣、谷汲、岐阜のそれは、一ヶ所の修正もないきれいなパンフに、ハコモノ自慢がいっぱい。熊野のときとは別の驚きがございました。

主人に、「なんだか、行ってきたあとみたいだねぇ」と呆れられながら、山のようなそれを引っくり返し、情報を整理し、地図に起こし、経路を考え…。旅は前日までが最も楽しいといいますが、新しいものへの宣伝文句と写真の割に、歴史的なものへのこまやかさに欠けるパンフに、もどかしい思いで、調べものをしたり骨折りをしております。

京都市内を観光していて、通りや筋を中心に見ていると、あれッと気のつくことがございます。ガイドブックや観光案内には載っていない、自分ひとりの思い込みですが、なにかが俄に繋がって心に射す光となり、人がつくってきた町の魅力を感じます。

宗像神社の聯想から、白鬚神社の鳥居が、長命寺、沖の島を遥拝するためではないかという件など、「近江山河抄」に、何度も心がのびる思いをもち、旅を新鮮な気持ちで思い出しながら、読み進んでおります。

寝付けないのを幸い、夜分の涼気、冷冷の暁に、ご本を読んだり、メールの下書きをしたりしておりましたら、昨日今季二度目のダウン。昼食もそこそこに、床につきました。石棺に横たわっているかのようにからだが冷えて動けず、空しい時間を過ごしました。また、冷房病です。三度ダウンしたら、夏にKOってとこですわね。 囀雀

2005 8・10 47

 

 

* 起き抜けのこの暑さ。

 

* 新江古田駅が便利という若い文学者と、正午、フレンチ「リヨン」で会い、定食と白ワインで、その人のむずかしい出版まえの相談にのり、意見交換に二時間半、歓談。食事おいしく、また右と左に新江古田駅のホームで別れ、保谷に戻る。喫茶店「ぺると」でマスターに機械のことで智慧を借り、すこしいつもとは方面の違う話題で笑いあってから、帰る。あちこちで芙蓉の花の美しいのが目に付いた。

対談原稿への手入れをやっと終えた。はっきり言って今度の対談、対談相手が期待したほど話して呉れていない。

 

* 市営の循環バスに百円で乗れる。停留所が近いので利用するようになったが、否応なく駅へ歩いていた習慣が崩れてきた。なるべく歩こうと思う。今日は暑い中を往復歩いた。 2005 8・11 47

 

 

* 流れ星に‥

今夜は、ペルセウス流星群が多く見られる晩だそうです。あいにくの潤んだ月夜に夫婦星は逢えなかったけれど、私の星への願い、叶うかしら。

君待つと吾が恋ひをれば吾が屋戸の簾うごかし秋の風吹く  (額田王)

お大切に。  姫

 

* 凝ったメールである。額田姫王(ぬかたのおほきみ)とも書く。その一字を抜いて名乗ってある。天智天皇にされたような気分になるが、お戯れである。顔がみてみたい。返辞? しない。相聞歌ではない。

それよりも額田王のこの歌もそうだが、「秋(飽き)」風を詠んだ女の歌は妙にうらみがましく感じられる、必要以上に。この歌でも、待ちわびているのに、あの人は飽きたのか来てくれそうにないと、怨みの気分に深読みが利く。それかあらぬか百人一首の誇り高い女達は、誰ひとりも「秋」を口にしない。男の歌には、天智天皇以下幾度も「秋」が出て来て、それらもみなまことに微妙な深読みが利いておもしろい。天智の歌も、たとえば「女のおもひを」と詞書をつけてもよく、「鹿の声きく」猿丸大夫でも「秋の草木のしをる」る文屋康秀でも「わが身ひとつの秋」の大江千里でも「風の吹きしく」文屋朝康でも「人こそみえね」の恵慶法師でも「いづくも同じ秋」の良暹法師でも「もれいづる月」の左京大夫顕輔でも「霧たちのぼる」の寂蓮法師でも「山の秋風小夜更けて」の参議雅経でも、心中どのような「秋(飽き)」心地を秘めていたか、いい古典の勉強が出来るだろう。

2005 8・12 47

 

 

* 長門の清酒、栃木のぶどう、そして奈良漬の大きな一樽、そして色川大吉さんの新刊を頂戴した。感謝。

 

*  ひぐらしの鳴く山里の夕ぐれは風よりほかにとふひともなし

…あ、目覚まし鳴ってるぅ、音、小さい、電池なくなってきたかナ? いちにち毎に夜明けが遅くなって、秋になってる、まだ薄暗いよ…と思いましたら、ひぐらしでした。

しばらく降っていた雨があがり、夏空と樹の色が鮮やかです。

お仕事いかがおすすみですか。ご無理お疲れのございませんように。 囀雀

 

* なにとなくボーゼンと、しかもおやみなく機械を働かせている。ポストまでの用事が溜まっているのに脚を釘付けにしている。漫然と夏休みしている気分、と言うより気分が休んでしまっている。少し昼寝が必要か。

 

* つつがなくお過ごしですか、風。

花は愛知に帰りました。

故郷では、友人の家へ行ってチビッコと遊んだりして、疲れました。

四泊しましたが、「そんなにいたかなあ」というくらい、あっというまでした。越したばかりの母のアパートでは、あまり落ち着きませんでした。

古書店で『慈子』の文庫本を手に入れましたよ。わっかい風のお顔が印刷されているんです。

はげしい残暑です。お大切にお過ごしください。 花

 

* こんなに何日も花のメールを見ないことはなかったですね。

慈子の文庫本、当時いちばんカバーの絵(森田曠平さん)が美しいといわれた本です。湖版では少し書き足したり手入れをしているのですが、文庫本、それなりに仕上がっています。

花に、いつか来迎院をみてほしいと思います。  風

2005 8・13 47

 

 

* 帰還…甲子 e-OLD

今年も、敗戦の日がきました。敗戦は日本人の進路を変え、同時に、わたし自身の生き方を大きな斜行曲線を描いて変えてしまった、運命の日でもあります。

わたしの同期生の大方が、春を待たずにつぎつぎ入営し、故郷、東京下町の大空襲も知らず、輸送船で目的地に着港することもなく、海中に沈んでしまった者が多数です。彼らは射撃の訓練こそ受けたものの、一度も実弾を放つことなく死んでいった、それが口惜しいとか哀れとかいうのではなく、ただの弾除け、おとり船に使われた、ということが無念でなりません。

わたしの接した人々の中に、特攻隊員もいました。友人とは言えません。わたしはただ、彼らの求めに応じて写真を撮っただけです。わたしと同年か一歳年下ぐらいの年代でした。死ぬことだけを徹底的にたたき込まれた、いわば軍神「あらひとがみ」です。

だが、その頃すでに、彼らの乗るべき飛行機はなかったのです。翼のない鳥、「鶏」と陰口されていました。笑うべきでしょうか、泣くべきでしょうか。死ぬことだけを教えられて、敗戦になって、生きるすべを知らぬまま、混濁の巷へ放り出されたのです。彼らはどうしたでしょう。「特攻くずれ」なんて見出しが新聞の三面に出たことがありました。

わたしの所属していた飛行機製作所の写真室には、二人の先輩技術者がいました。四十代、いずれもスタジオ写真(当時の言葉では写真館)が専門で、四つ切りの乾板や四の五(4吋X5吋)パックフィルム版の据え置き型撮影が得意で、修整技術に優れていました。したがって、取り扱い説明書作成のために、機内の狭い箇所に潜り込んで撮影したり、荷重実験・歪み弾層・流体動向・破断断面、など、体力を要し、鮮明を専らとする小型カメラによる撮影は、ほとんどわたし一人が行ってきました。扱っていたカメラも「コンタックス・ゾナーF2」「ローライフレックス・テッサーF2.8」といった、当時世界最高最新のドイツ製でした。

その時点で、わたしは中学時代の倶楽部活動を加算すると経験5年になっていましたし、会社からは兵役猶予の嘆願書が出されていました。兵役猶予は、軍が認めた重要工場の重要職種のみが対象で、期間は三年でしたが一年に短縮され、戦局の急迫とともに六ヶ月になりました。その間に後継者を作れ、ということらしいです。

三月だった入営が、九月末に延ばされました。九月に兵役に就く、これが八月十五日の敗戦で突然中断された。紙一重とはまさにこのこと、と、いまでも思います。だからその後六十年は拾ったもの、「晩年」と言えば言えるかもしれません。

敗戦の二年前に、設計課の課長補佐をしていた若い技師(出身校が高専であったため大学出の技師のように課長職になれず万年補佐)が、ドイツから送られてきた研究誌? を持ってきて、「シュナイダー・スクリュー」のギアボックスの解説図を大きく複写してくれ、と頼みにきました。シュナイダー・スクリューのことはここでは省きます。

その本の先頭の頁、目次の前に全面一葉の写真が載っていました。横長の画面なので本そのものを横にして見なければなりません。

三人の人物が写っています。

左端にドイツ将校の外套をきちっと身につけたお父さんが、やや前傾姿勢で両手を拡げて待ち構えています。右端には襟と袖口に毛皮をあしらったスエードと思われるオーバーコートを着た母親が、いま、子供を離した、というふうに手を前方に出しています。中央に子供。二三歳の女の子。ボアと思われる素材のマントを着ていて、マントの裾巾は背丈とほぼ同じほど広く、手を伸ばしてお父さんの方へ駆けています。前傾30度、いや、もっとありそうです。場所はプラットフォームでしょう。背景に軍用列車が停まっていますが、ボケが効いて定かではありません。

「パパァ」 ドイツ語では何というのでしょう。

女の子の嬉しそうな満面の表情から、そんな声が聞こえてきます。パパもママも嬉しそうです。ですが、見ているわたしは、「あ、危ない」と感じました。女の子の前傾角度が深すぎるのです。小さな靴の片方は後ろに跳ね上がり、小さい手を精一杯伸ばしているので、重力が前にかかりすぎているようです。速く後ろの足を前に出さないと、とそ

んなふうに思いました。

ドイツ文字はまあローマ字と大して違わないので、それでもわからない字があります。ドイツ語になるとまったくわかりません。技師に聞きました。万年補佐は親切でした。

データは、カメラ・コンタックス。常時二台所持し、グリースの凍結を避けるため、一台は常に服の中へ入れ、肌の体温で保持している。ゾナーF2開放。 1/1250秒。増感

「増感、てなんだい」と技師は訊きました。「ああ、露出が足りない、と思った時にですね、現像時間を延ばしてコントラストを強める操作のことです」

撮影、カール・マイダンス、場所、ドイツ国内北部戦線の基地、題名「帰還」

「コメントがあるよ。シャッターを押した直後、わぁーっ、と幼児の泣き声がした。女の子はフォームに転んでいた。急いで暗箱で現像したが、転ぶ直前を撮すことができた」

以後、先輩たちの技術に疑問を持ちました。お見合いの写真、出征兵士の写真、社長や偉い人の肖像写真。それらはわたしの担当ではありません。先輩の得意分野です。ガラスの乾板に4Bぐらいの鉛筆で修整を施します。こけた頬をふっくらさせ、陰の部分を白くし、小皺やしみを取り除きます。焼き上がった写真は実物よりはるかに美人に、あるいは若く凛々しくなっています。そんな写真を見て、あの写真屋は腕がいい、などと言う。

ドイツが降伏したとき、真っ先に思ったのはカール・マイダンスのことでした。

どうなっただろう。死んだか、逃亡したか。彼の写真には、1/1250の世界に「平和への帰還」というメッセージが籠められていた、と今でも思います。

わたしは、敗戦の日を境にカメラマンへの道を絶たれて、まったく違った世界へ進むことになってしまいました。そのわけは、いまここでは触れますまい。翼のない鳥、ならぬ、瞳を持たぬカメラマン…。

敗戦を終戦、占領軍を進駐軍、などと日本人はどこまで体面主義なのでしょう。素直に、なぜ「敗戦」「占領」と言えないのでしょう。

原爆の跡地にも草は萌え、花も咲きます。湿潤な日本は恵まれた地です。草木は逞しく、人間は脆い。いまから文字どおりの、ほんとうの意味での「終戦」を迎えたいものですが…。

だがまた性懲りもなく、同じ過ちの道へ近づこうとしているような気がしてなりません。 ますます、お元気であられますように…    甲子

 

* 老体から生きた言葉が噴き出している。これが文藝であり、もう手の届くところに文学がある。「今・此処」を生きている人の、狂いのない言葉である。そういう言葉をわたしも持っていたい。

2005 8・14 47

 

 

* 二度と過ちは繰り返しませんから   広島の碑のあの言葉に、違和感を持ち続けてきたひとりです。

戦争に突入してしまったことが過ちなら、戦争を提唱したのは軍部の一部であったにしても、なぜ、国民を挙げて戦争に熱狂してしまったのか(少なくともそういう外観を呈したのか)、「お国のために戦って立派に死んできなさい」と息子を送り出した母がいたのか、なぜ、戦争に反対できない状況がつくりだされてしまったかを、過去を振り返って徹底的に分析究明するべきであったでしょう。

そして、どうすれば、そういう集団心理に歯止めをかけられるか、ストッパーとなりうる方策を打ち立てることに全力を尽くすべきでしょう。この国でその作業がなされたとは聞きません。

十年以上前のことですけれど、広島へ向かう平和行進の人たちに出くわして、短い距離ですが、一緒に歩いたことがあります。

戦時中に青春を送られたような年配の女性に「この暑いのに、どうして参加されたのですか」と話しかけたときに、「もう一度、ものも言えない世の中にしたくないから。そのために歩いているのです」と言われ、とても印象に残っています。といって、それから一度も平和行進に参加したこともなく、戦争反対のデモにも参加していないのは、わたし自身の怠慢なのですが。

「ものも言えない世の中」がそこまで近付いてきている気がして、なにかしなきゃ、という思いが、なにをしてもムダじゃないかという思いに負けそうになっています。 何を書いているかとお尋ねいただきました。身辺雑事小説を書いています。

日々、言葉が貧しくなるようで、遅々として進みません。「いつかは浄土に参るべき」とも思えぬままに。まだまだ厳しい暑さが続く気配です。どうぞお体をお大切に。 松

 

* 極楽のあまり風  法華堂の前に出たとたん、汗が引きました。二月堂に上ればなお、風が吹き通ってゆきます。奈良国博「古密教展」を飽Tず楽しみ、東大寺界隈を歩いています。今日は奈良の大文字。

電車の先頭車両、運転手の真後ろに、幼い男の子を抱いた若い父親が立っていました。大小の頭が並んで、進みゆく同じ景色を眺めています。今も、昔も変わらない風景。

「戦争が廊下の隅に立っていた」とならないよう祈る、風景です。  雀

 

* 松さんの、雀さんの、語りかけてくれる嬉しさ。

 

* お墓参り  空模様の安定しない蒸し暑い毎日です。

十三日に西大谷へ、今朝は、良樹院と常林寺さんへ。

萩がよく繁っていて来月の花の季節はさぞやと思わせます。

一度お尋ねしたかったのですが、あの石は「島」ですか。一人しか立てないはずの島に、「愛」があれば何人も一緒に立てるという。きれいな石ですね、お参りするたびに撫でて帰っています。

歌舞伎は楽しまれましたか、お元気なご様子で何よりです。

明日は大文字の送り火、この夏も逝ってしまいます。

まだまだ残暑厳しい折から、お大切にしてください。  のばら

 

* ありがとう。墓地は日蔭なく、さぞ暑かったでしょう。あの石も喜んでいます。恒平

2005 8・15 47

 

 

* ご本、到着しました。  ありがとうございました。早速読み始めることにします。

(夏休みが)閑なので、NHKの「おしゃれ工房」誌で紹介していた簡単ブラウスを3着も縫ってしまいました。沖縄の染織家の女性が普段の作業時に着用しているそうで、平裁ちでダーツなどいっさいなし、どこもかしこも風が通ってゆく、ゆったりしたものです。

中国・印花布のはぎれや、深い藍の麻、佐渡の漁師さんから譲ってもらった古い藍布、縞の綿麻など、しまってあったものを取り出してきて、いろいろはぎあわせてみました。

先週、「ヒロシマのホタル」(神谷量平台本)を観に新宿・プーク人形劇場までいってきました。

ひとり芝居ということで、出演の親友もずいぶんがんばり、彼女にしかできないユニークなキャラとなっていて、佳い持ち役がひとつ増えたことを友人として大変喜んでいます。

重い芝居を、彼女独特のユーモアで時には笑わせつつ、ヒロシマ近郊の村の「拝みや」の婆さんを愛しく演じておりました。狐つきの男からさんだわらに狐を追い出し、川に流すシーン、またラストのホタル舞う夜空のシーンなど、まっこと幻想的で、おそらくまた再演があると思われますので、そのときは是非みてやってくださいね。

今、この友人と俳句をやっている友人、私との3人でHPをつくろうかと企画中です。どうなりますやら。私としては千一夜物語よろしく、「夜噺」など少しずつ書いてみたりもしているので、発表の場があればうれしいなと思っているのですけれど。

朝から蝉がうるさいほど鳴いています。若干暑苦しいですが、一夏の命を限りにせいいっぱい鳴いているのだから、許してやらねばなりませんね。

末筆になりましたが、残暑のなか、どうかご自愛くださいませ。 ゆめ

 

* 手はじめにわたしの「e-文庫・湖(umi)」に寄稿してください。喜んで読みます。もっとも注文もつけます。

 

* エアコンを使いっぱなしなので、少し休ませようと、夕方から電源を切りました。タオルで製氷剤をくるんで、首に巻いています。ガマン大会みたい。

風の声が届くと、花はとっても嬉しく、幸せになります。 大好き。

 

* ガマン大会が目に見えて、吹き出す。こういうあけひろげに愛らしい人には、メールの仕甲斐がある。心涼しくなる。

2005 8・15 47

 

 

* 今夜は大文字の送り火。にわかにまた日程が込んできた。暑いのなんのと言ってられない、身を働かせ、動くときは動いて健康なのが佳い。気分の混雑を片づけるには、とりあえず身の回りモノの山積みと散らかりとを何とかして、息を調えたい。

 

* 送火や母が心に幾仏(虚子)

ペットボトルのお茶のなかで、「お~いお茶」のシェアが、ながいこと一位なのだそうです。缶入りお茶をつくった伊藤園。老舗というイメージがあるとはいえ、それなら福寿園の「伊右衛門」も人気。雀は、海老蔵クンの「お~い…」派。若い女性の「パッケージの俳句が楽しみ」という理由に頷きました。

今日買ったのには、「ピチピチッ女子高生やでたのしいな」。頬がゆるみ、皺が伸び、のん気さと元気を、もらいました。

いま、京に向かっています。

近代美術館「小林古径展」を見て、女友達と落ち合って甘いものを食べに行き、そのあと、ひとり、大文字に魂送りして帰ります。

冷房や夏風邪で喉鼻をぐずらせている人を見かけます。

くれぐれもご自愛ください。 雀

 

* 若い日に弟に死なれている人である。

 

* 雨音が鎮まると虫のギギギギと休みなく鳴く声が耳に届きます。

妹から水彩で片隅に、薄いブルーの大文字山に紅い大の字をさっと描いた和紙のはがきが届き、お盆にはお墓参りに行ってきます、とありました。四国八十八ケ所巡りを終えれば、西国三十三ケ所巡りだそうです。

父母や弟達の魂鎮めの大文字、今夜は晴天でありますように。 泉

 

* なおうつくしい

hatakさん   「e-文庫・湖」の表紙、うつくしい写真ですね。

平安神宮神泉苑は谷崎の世界でもあり、御所から移築した尚美館は女文化を象徴していますか。

目が洗われます。 maokat

 

* いい投稿・起稿の多かれと願っています。 湖

2005 8・16 47

 

 

* 生死の道に雪ふりしきる と賛をした版画をもらったことがあり、早稲田の小林教授にあげた。なんだかお荷物をもたせた感じだった。

いま、機械の前でまどろんだらしい、まさに雪降りしきる中にこの今のランニング姿を置いている夢を見ていた。

亡くなった東工大川嶋至教授に、幕末の森徹山描く「栗柿図」墨画の一軸を差し上げたことがある。今度中信美術奨励基金の理事長を退く道端進氏が中信理事長に就任したとき、応挙一門の誰だったか、そうだ嗣子応瑞の描いた「月鉾図」の軸を上げたことがある。

これからは、人さまに、ものをもらって貰う時機になる。

2005 8・16 47

 

 

* 雲ヶ畑に行ってまいりました。 帰りの車中です。

惟喬親王落飾の寺と惟喬神社にまいりました。雲ヶ畑に火祭りがあるそうですが、初めてこの集落を訪ねました。かじかかしら、秋の音色が聞こえる渓に、料理屋さんが二軒。ひとけない分、好いですわ。

古径展は、やや人の好い空気に、ぼたん雪の積もった輝きを聯想しました。たのしみました。靫彦や青邨にはない線のふくよかさ、この色この線でなくてはという鋭敏さに加えての、しずけさにほっとします。

徹底して、若き日も、晩年も、写生をしていたことに、松伯美の次回企画「松園の縮図帖」がまた楽しみになりました。  雀

 

* フェーン現象というのでしょうか、ここ数年の猛暑は異常で。冷房を使う頻度が増えました。かといって、使いっぱなしはよくないかなあと。

風がこちらに吹いたら・・いいなあ。

そしたら名古屋城に行ってみたいなあ。ひつまぶしのおいしいお店にも行ってみたいです。

今まで関心のなかった、例えば味噌煮込みとか、味噌カツなど、一度は食べてみようかなあと思うようになりました。せっかく名古屋近くにいるのですもの。 花

2005 8・16 47

 

 

* 涼月  雲が畑からの帰り道、夕焼けに山がくっきり黒い影をあらわしました。北山杉に埋め尽くされた、山また山。渓を奔り、昇天するかれらの、鱗のように見えますわ。

「月光っ、あとは頼んだわよ」という日光菩薩の声が聞こえたかのような、きりりと白い月が、縁きららかに、稜線に昇り、みるみるうちに、とばりが下りていきます。

クルマのライトが、狐か猫のふたつ目のように、時折道を行き来し、出会えばものも言わずに譲り合います。

志久呂橋、柊野別れ…。どれも雀には耳新しい地名です。

そこから、船形を間近に見て、川沿いに、上賀茂、下鴨へ、「大」を前に、タクシーは消えかかる妙法を窓に映して走ります。泉川べりの径から百万遍へ。吉田山からの人の波が交差点を渡ってゆき、車窓から、吉田寮の古びた看板が見えました。

帰宅して、主人に話しましたら、京大を落ちて浪人一年ののち別の大学に行き、その大学の寮は何年か前に廃されてしまい、つい先日、そこを訪ねたOB会の写真入り報告を受け取ったところだ、まだあるんだぁと笑っていました。東大の寮も、もうないのでしょうね。  囀雀

 

* 十数本の朝メールのうち、雀さんのこの澄みやかな一通のほかは、すべてあられもない中身を想わせる不正広告らしきものばかり。一瞥もくれず削除。

2005 8・17 47

 

 

* 右向いて寝ても気持ち悪く、左を向いても、起きても気持ち悪い、というのが、きのうからつづいていましたが、やっとよくなってきました。

気を紛らすために読んだ二つの小説に、たてつづけに肺病の人が出てきて亡くなり、滅入っていたのですが、体がよくなってくれば、気も恢復します。

地震、ありましたね。伊勢路も横揺れしました。

体調がよくないときでしたし、そうでなくとも、たまにめまいがするので、はじめ自分だけが揺れてると思いました。そんな、ゆっくりとした揺れでした。

東京も揺れたのでしょう。地震の苦手な風は、さぞ怖がっているに違いないと心配していましたよ。

今年の夏は、体調がいま一つですが、花は風をうけて、しゃんとしています。 花

 

* むかしむかしの読者の名を添えて、その友人にみせてもらいました、「慈子」上下巻をぜひ送ってという注文が初めての人から来た。

2005 8・17 47

 

 

* 月様

長兄が八月五日に亡くなりました。七十五歳でした。

八年前、私の長男の結婚式に兄弟姉妹八人が揃って逢えたのが嬉しかったのか、そのとき撮った記念写真の顔はとてもにこやかでした。

今はまだ他人事のようで…腑に落ちてません。   花籠   四国

 

* はな籠の花に水うつ女かな  月

一閃のいのちか光(かげ)か夏逝くか  湖

お力落としと想いますが、静かにまた立ち上がって下さい。 遠

 

* はな籠の花に水うつ女かな  月

一閃のいのちか光(かげ)か夏逝くか  湖

お力落としと想いますが、静かにまた立ち上がって下さい。 遠

 

* 夏休みは…今日まで。明日からまた仕事です。旅行はキャンセルになってしまったけれど、読書に散歩、ミシン仕事など、いつになくのんびりした休暇でした。

天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ (万葉集巻7)

夏過ぎて通い路遠し月の船夜空の端を弓なりにゆく (ゆめ)

 

* 「e-文庫・湖(umi)」の表紙写真、平安神宮には菖蒲の時期にいったばかりですが・・やはり写真のように桜の時期が殊に思いが深く懐かしい。  鳶

 

* 花疲れはうすらぎましたよ。

少し寝不足でしたが、どうにか起きて、バレーへ行きました。

今日は、体育館の中を少し風が通り、バテずに時間いっぱい運動できました。

風が吹いてくれたから。

花、もう元気元気。

2005 8・18 47

 

 

* おもしろーい夢。  思い出して笑ってしまいそう。

花の実家のもっと奥へ行くと、猪豚(いのぶた)が出るそうです。元々は家畜だったのを、飼育しきれなくなり、山に投げ出してしまったらしく、山で野生になった猪豚が繁殖しているらしいです。地元では、「猪」より「豚」より、「猪豚」がポピュラーでした(実際に見たことはないけれど)。

イノブタ・・。何ともいえない懐かしい響きです。猪や豚って、姿や動きが、ちょっと滑稽で、カワイイですね。BMWという車を見ると、豚を髣髴します。フロントが、豚の鼻のかっこうをしているから。

花は、からだがまだ少し重たいけれど、大丈夫。

風のみられた夢を、花もみてみたいです。

 

* いつもありがとうございます。

先生からどのようなご感想をいただけるかと、このごろは、気をつけ! の気持ちでした。

「読者の庭」、拝見いたしました。

こんなにも真摯な読者のいることこそ、「ペン電子文藝館」の充実の証でしょう。先生のご尽力のたしかな手ごたえとして、私も、繰り返し読み、勉強させていただきます。

暑さはまだしばらくはつづきましょう。どうか、おからだ大切に。ありがとうございました。  都

 

* 率爾ながら、お許しをいただき、どうか私のサイト「e-文庫・湖(umi)」を、お開き下さいますよう。「人と思想」また「著者カ行」で、『甲子述懐』を、文藝として思想として人として掲載させて戴きました。お許しが有ればご本名もと思いましたが、さしづめ「甲子」署名とし、総題は『甲子述懐』と掲げてみました。このままであれば、あまり気詰まりもご迷惑もなく、心おきなくお書き次ぎくださると思いました。ご無礼な即決で恥じ入りますが、お聴き届け下さい。私の日録に、ただ紹介するだけでは惜しいと思いました。

東工大での教え子佐和雪子の『黒体放射』というたくさんなエッセイ断章も「e-文庫・湖(umi)」に掲げてありますが、「甲子」さんの述懐は、「人と思想」にふさわしいと思いました。心行くまで、いついつまでもお書き下さるよう祈ります。

残暑厳しく、地震などもあり、政界はあのていたらく。思わず今日も荷風の詩「絶望」の一節をふっと思いだしてしまいましたが。お怪我なく、お大切にと心底願いおります。

私は大酒飲みですが、呑んでも騒ぎませんし、何日呑まなくても平気なタチですので、涼しくなれば、いちど、しらふでお近くまで遊びに参ります。河があるなら河をみたいと思います。東京へ来て、山もめったに観ず河もめったに観ません。

 

山みざる日は

心のそこの底に

それはあの

木蓮の

そらさす枝の

花をもたず

冬かたむき果つるゆふべ

人恋ふる

胸の痛さを

おもふなり

 

そんな駄句を、ピアノを好きに叩いて即興に絞り出した頃、そろそろ小説を書き始めたことでした。湖

 

* 暑い!  一人の時は、99%クーラーを使わないで、扇風機だけのせいか アセモがかゆく。

もうすぐ地蔵盆だけれど、夏の終わりを告げるあの涼風を期待出来ない地球環境になりましたね。その上解散後のむやみやたらと無意味に暑い政界が加わってウンザリします。少し楽しくなる事を考えて、佳い夢をみよう!

これは、携帯から・・・初心者だから、打つのに時間がかかります。七十の手習い、オヤカマシュウ、オホホ(ヘヘヘではありません)。おやすみなさい。 泉

2005 8・18 47

 

 

* ごぶさたしております 秦先生  ** *子です。

暑い日が続きますがいかがお過ごしですか。

湖の本、ありがとうございます。嬉しかったです。なのにいただいてすぐにご連絡せず、失礼しました。

この春、永い期間掛けた仕事が一区切りついたのを機に、今月いっぱいまでの長い休暇をもらいました。

前にメールした時にも体の不調を聞いていただいた覚えがあります。対人関係や過労を何とか改善したり克服(?)したりしてきたつもりでしたが、特殊なプロジェクトであったこともあり、心身ともに疲れてしまいました。幸いにも長期休暇が許されたので、ゆっくり暮らしています。

ひたすら、寝ました。

いくら寝ても、寝られる。

なめくじのようにべったりベットに張り付いてました。

でも七月に入って少し気分が変わってきたのです。

退屈だな、と。

いい傾向だ、と我ながら思いました。

今は友人と会ったり、実家へ帰ってみたり、という日々です。

休む前は休むことがすごく後ろめたかった。でも今は休んで本当に良かったと思っています。のんびりしました。のーんびり。

朝、主人を送り出すと、家の中で深夜までは一人きりです。一人暮らしを経験したことがなかった私にとっては

生まれて初めての経験でした。

多くの時間を、何をするでもなく、何を考えるでもなくだらだらとしていましたが、それも今考えると心地よかった。

何も言わずに見守ってくれた主人がありがたかったです。

秋には会社へ復帰します。この仕事は嫌いじゃないのです。今は会社でもう少し経験をつんでみるつもりです。

でも、今回つくづく思いました。

もうガッツと愛きょうではだめなんだ。別に愛嬌を振りまいて来たわけではないけれど今まではやる気と若さ、みたいなパワーに頼った部分も正直あった。これからはそれだけではなく、知恵がいるのかなあ、と思うのです。うまくはいえませんが。

年の功ってこういうことでしょうか。

それからもう一つご報告があります。

お茶をはじめました。市内でも屈指の佳いお寺で、習っています。街の音が一切しない山の中、井戸の水の音だけをききながら、宮大工さん、畳屋のおじさんなどに混じってお茶をいただいています。

生活観、価値観の違う人たちと過ごすひと時が、今はとても大事です。この縁を大事にしたいなあと思います。

こんな感じで、溌剌と暮らしています、とはなかなかいえませんが、くよくよしながらも、少しずつ進むしかありませんね。

先生にも久しぶりにお会いしたいです。

毎日猛暑でぐったりですが、お体大切になさってください。

またメールします。 それでは。  卒業生

 

* ああ、あの子は元気になったかなあと、それは気に掛けていた卒業生のメールが、久しぶりに舞い込んできた。雀躍りしたいほど嬉しく、ホッとした。

もともとこの人は、何があってもきっと荒波をかわして行ける人であったけれど、波のかわしかたが、一途になっても暢気になっても小さく揺れる原因の、芯に、小さな粒ほどの或る硬さも隠しもっていた。そのコツッとした硬い小粒が、静かにふっくら柔らぎさえすれば、もともと柔らかい花びらのような美質の持ち主だけに、そう「年の功」でもいいのだが、しんとして自身と向き合う「とき」だけ、が欲しかった。

思い切って休養できる永い日々のゆるされたのも、人徳であったろうし、「なめくじ」のように寝て寝て寝たのも、そのあげくフッと「退屈」を憶えたのも、それから、なによりもあんな (わたしは知っている) 佳い環境でお茶の稽古をしてみようと思い立ったのが、すばらしい。ま、茶の湯の稽古場ならではの物めずらかないろんな大人達の中に入り交じりだしたこと、すべてが、この人らしい聡明な、よく落ち着いた自己批評・自己診断であったと思う。

ああ、よかった。

 

* 心配な人がまだいないでもない、中でも、闘病生活に入ったままのそれは優れた女性卒業生のことが、いつもあたまにある。軽快し、少しでも快方にむかう治療術が試みられているようにと、心から祈っている。

藝大の洋画家は、心行く制作に頑張っているだろうか。夏に神前結婚すると告げてきた東大の先生は、夏には海外での共同研究に向かいますと告げてきて母校の女先生は、どうしただろう。しばらく頼りの途絶えている文化財保護の研究員は元気だろうか。

こうして頼りがポーンと飛び込んでくると、波紋の拡がるようにいろんな学生達がなつかしい。

 

* 明日もいい日になりますように。

2005 8・18 47

 

 

* 昨日のメールだが、いま見た。

今というのが早い。ほぼ一睡もせず本を読んでいて、四時頃に起きて機械の前へ来た。それからずうっと三島由紀夫「女方」に惹き込まれるように。とくに秀作とも言わないが三島の気が入っているのが一字一句ずつ校正しながら読み進んでいるととてもとてもよく分かる。面白い。

校正に倦むときれいな花の写真を何十枚もスライドショウで楽しむ。そして朝雀(じつは昨日の夕雀)の声を気持ちよく聴いた。

 

* 夕立ち風に月が満ちてきました。貴船菊のうす桃色の花が咲いています。

京・近代美術館の四階休憩ロビーは、東山を視界いっぱいに、ぼんやりできて好いですわね。(小林)古径を一通り見て、「コレクション・ギャラリー」にまいりましたら、浅井忠の「編み物」が出ていましたわ。初めて本物に接しました。ガラスがはめられていないのですね。質感や光が厚みを増して感じられます。それに、セクシャルですわ。それから逆回りにもう一度古径を見て、会場をあとにしました。

さて、この夏は、名張は熱帯夜のない代わり、湿った暑さが続いています。今日は珍しくチリチリと焦げそうな日でした。白壁は、目を射るコントラストで屋根の影をうつし、真っ青な空にむくむくの白雲。

「おうい雲よ、ゆうゆうと馬鹿にのんきそうじゃないか」

西瓜をうたった山村暮鳥の詩が朝のテレビで紹介されておりました。

お健やかにいらっしゃいますか?ご自愛をお願いいたします。 雀

 

* さてさて、少し寝ておかないと体が潰れる。

2005 8・19 47

 

 

* 奈良仏  「古密教展」に、何体か、東京国博から出展されていて、雀は「わぁ~い!」と寄って見ていたのですが、カレシと見てた女性が、那智出土の銅造鍍金の十一面観音を見るなり、「ぶッさいく~!」。

雀は、空海からすっかりつまらなく感じて、流しました。

いま、図録の解説を読んでいるところですが、天智、天武から光仁天皇までの、系図や年表などのメモをひっぱりだして、うんうん言いながら、でも、とてもたのしんでいます。やっぱりあの時代はおもしろい。旅をして、読んだり見たりすると、余計に…。すぐれた土台を、数々のご本がつくってくれました。本当に感謝しています。

盆の月ですが、午後から雷雨の荒天となっています。そちらは晴れていますか? 枝豆のことを月見豆というのですね。おいしく、お幸せに、お過ごしください。  雀

2005 8・19 47

 

 

* 風、ゆっくりお休みになりましたか。

三島由紀夫の「女方」は、読んだことはありません。おもしろそうですね。

六代目歌右衛門は、わたしが歌舞伎に興味を持ち出した中・高校生のとき、頻繁に舞台をつとめていたので、テレビの劇場中継でいつも見てました。ほんとうに、いっつも出てましたよね。

その後、ぱったりと舞台に出なくなってしまったので、生では見ていません。

「テレビ画面ででも、見られてよかった」と思う役者です。

「ミッドウエイ」という映画、題名は知っているけれど、見たことないですねえ。映画は、最近、「宇宙戦争」くらいしか見ていないです。見るとなると、つづけざまに何本も見るのですが。

家に大きめのスクリーンがあるのですが、プロジェクターで映写すると、ファンの吐き出す熱風で部屋が暖まるという被害が出ます。真夏のホームシアターサウナです。

でも、ここ数日、暑さが少しやわらいできた気がします。 花

 

* 風の助言  風が、某社でいろんな小説を書き下ろしていたとき、その社のベテラン編集者は、気に入らない原稿についていつも多くを語らなかった。もう一度読み直してくださいとだけ。原稿をみるとあちこちに、すっと鉛筆でちいさい山印がかけてありました。短い線がひかれているだけです。どうせよとも書いてない、が、なにか気に入らないのです。

花の、今風が読んだメールでいうなら、たぶん次の五個所に鉛筆の線が入ったろうと思います。

持ち出した  見てました。  生では  くらいしか  見るとなると、

はじめのうち戸惑いましたが、つまり 小説の言葉でない、文章についた疵のようなもので、そこから作品が腐りかねない…という意味に感じました。より佳い物言いがないか再考せよという沈黙のチェックです。つまり、こういう物言いは、簡単にできるのでクセになり、頻用してしまって小説世界にヒビを入れるから、常日頃の、たとえメールのような場所でも覚悟して用いよということでしょう。

メールならいいんです、が、それがクセのようになり小説のなかへも無意識に安易に頻出しはじめると、佳い小説は書けないという警告でした、露わにそう言われたのではないけれど。「廬山」や「みごもりの湖」や「閨秀」など当時自作の文章は、おおかたその警告に対し誠実につとめた、と思います。

花も、見えない鉛筆の線を感じ取りながら、すぐれた推敲の習慣からいろいろ気付いてください。

2005 8・19 47

 

 

* 「甲子述懐」が「e-文庫・湖(umi)」で存在感をもってスタートした。随時の連載になる。「e-文庫・湖(umi)」に注目してほしい。

 

* 今浦島   甲子  05.8.19

今朝、メールを開き、お便りをあけて、腰が抜けるほどびっくりしました。仰せのとおり「umi」を開いて二度びっくり。とてもとても、こんな錚々とした先生方と目次を共にするなど、思いもよりません。昨日(05-08-18)、詩、とも言えない拙文をお送りした直後、このごろ調子にのり、饒舌になり過ぎてはいまいか、以後、すこし慎まなければ、と自戒していたところでしたのに…。

正直に申して、嬉しいです。こんな嬉しいことはありません。ですが、わたしでいいのでしょうか、「私語」を拝見していますと、はるかに優れたお考えの方が数多くいらっしゃると思うのですが…。それとも、わたしの特異性を買おう、ということなのでしょうか。それなら解る気もしないではありません。

わたしの友は、二人はすでに逝き、一人は永く病床にあります。

互いに元気だったころ、よく酒を呑みました。広島へ単身赴任していたころは「賀茂鶴」の特級2本と生牡蠣の樽詰めを持って空港に降り立つと、誰か一人が迎えに来ていて、会社の迎えと鉢合わせしたりするとそいつに酒と樽を渡して、夜、行きつけのやきとり屋に集まって呑みました。やきとり屋も心得ていてくれて、酒・食い物持参の不届きな客を嫌な顔せず、部屋をあけてくれました。話すのは、猥談とパロデイと駄洒落ばかり、みんな心に疵を持っていて、それに触れるのは哀しく、あまりに哀しく、だからそこから遠く離れて、猥談とパロデイと駄洒落、大笑いし、笑って笑って、その裏側の胸のうちにふっと沸き上がる泪。敏感にそれを感じとると、それを吹き飛ばすように別な仲間から新しい駄洒落が飛びだし、笑いとばして、コップの中身をそっと舌にのせる。

いい友でした。心あくまでやさしく、わたしはそんな友に囲まれて幸せでした。それが、ふっと消えて、今浦島。「源蔵どの、お許しあれ」と言って目に手あてても、源蔵さんがいないでは、笑い話にもなりません。

妻にも死なれました。妻は生前、心は優しいのですが、たいへんな皮肉屋でした。ふだん何か言うにも「でしょう」と言うところを、「じゃない」と否定語を多用する性格でした。死の前日、細い声で「幸せだったよ」とそれだけ言いました。あまりにかすかな声だったので、「え、」と聞き返しましたが、もう答えはありません。それが最後の努力、最後の「皮肉」であったと思います。幸せどころか、苦労のかけどうしだったのです、のに。

すべては夢と消えて茫然自失。そんな寂しさの中からお声を掛けていただき、おそるおそる、「私語」のお仲間入りし、メールをさし上げたのでした。

秦恒平の眼鏡違い、と言われぬように努力します。が、あまりごしごし磨いてしまうと、メッキが剥げてしまいます。

いま、わたしは柄でもないのですが、こつこつと創作のまねごとをしています。あまり身体を動かさぬぶん、時間だけはたっぷりあります。残り時間ではありません、残り時間のほうはとっくに黄信号、いや橙信号、ピンク信号。

ただ、わたしの文章は性急なもの言いになってしまいます。いつもいつもラストスパートのような、いきせききった文体です。主題がきまっていて、それへの思いが文節の一葉一葉に雨後の塵のようにまとわりついてゆくからでしょう。それだけ解っていたら、そのようにしたらいい、と、それはそうなのです、が、難しい。

もっとゆったりして、景色は歩きながら楽しめばいい、とは思いますが、それが出来ません。どうしても立ち停まって、じいっと見てしまう。見つめてしまう。わたしの性格なのでしょう。「私語」で仰っおられる fascination 是非、わたしも欲しい。知りたい。

大変失礼しました。あまりの驚愕に、度を失っております。

三平ではありませんが、頭掻きつつ、身体だけは気をつけて下さい…   甲子

 

* 甲子述懐に   (バルセロナより)

「五月二十日、転居しました」の知らせに、ふらっと立ち寄りたい衝動に駆られました。何かこう懐かしい人の話を聞くように読んだ覚えがあります。(私の)仕事帰りに(甲子さんの)新居までスクーターを飛ばすのが無理なら、時折、「声」を聞かせて欲しいと思っていました。

六月の二度目の便りではすぐその人と判り……、初対面で気持ちが合ったと感じた人の声を、偶然、街中で聞き分けたような嬉しさでした。

「甲子述懐」 嬉しい「新着」です。  京

 

* わたしの就任した年、東工大入学の男女比は、総員千百人ほどの13:1と聞いた。退任の頃、11:1というような数字を聞いた。学生達と教室で付き合ったのは永い人で一年、二年、三年生までのきまりだが、専攻の関係で長津田校舎へ移って行く学生もあり、一年、二年がむしろ普通だった。二年生で初めて出逢ったバルセロナの「京」は、その一年間だけ教室で、むちゃくちゃ大勢で、話していても酸欠で気が遠くなりそうな教室で、顔を見ていた、見られていた。

あの最初の年の後期だか、翌年の前期だったか、わたしの「文学」概論には997人もの受講申告があり、レポート組と教室組とに分けるしかなかった。階段教室の通路にも後ろにも、教壇のわたしの足元にまでも学生たちがすわりこんでいた。そしてレポート組の三千枚ものレポートを短期間に読んでちゃんと採点した汗みずくを想い出す。漱石の「こころ」または潤一郎の「蘆刈」について、日本中の何処にも参考書など無い「論証」「証明」の課題を与えてあった。

こんなに打ち込んだ面白いレポートはありませんと何人もが述懐し、論証の幾つかからはわたしもまた教えられた。東工大ならではの作品論証だった。

 

* あの頃から十何年。指を折ってみると女子卒業生だけて十数人、いまも心が通っている。そして上のような心優しい便りがとどく、遠いスペインの古都からも。e-OLD「甲子」さん、こういう若い若い友達も出来ていますよ。

2005 8・19 47

 

 

* 若い方たちと楽しまれて、よかったですね。

風の喜びが伝わってきて、花も喜んでいます。

助言、ありがとうございます。

創作とメールは別、なんて思っていても、メールの推敲をおろそかにしていると、気づかないうちに創作が侵食されてしまうかも知れませんものね。

普段から、言葉のすみずみにまで気を配ります。

お元気で、風。  花

 

* 昼寝で体調をバランスした。

2005 8・20 47

 

 

* 原知佐子が秋の公演二つを報せてきた。歴史志望であったわたしを、ふらふらっと美学専攻へさそいこんだ美女であった。太宰賞の授賞式にとつじょとして現れ大きな花束をくれる役をしてくれた日、われわれは指折り数えて人生のちょうど半ばを歩いていたのだ。彼女は大学中退以降ずうっと女優、わたしはあの日から作家生活に。知佐子も自然に老い、いまも素顔のきれいに乾いた、仲良しの美女である。映画は若い頃の代表作「黒い画集」しか観ていないのだが、舞台は、誘われるとときどき見に行く。わたしが行けなくても妻がひとりで見に行く。建日子が脚本のドラマにも出てくれることがある。

2005 8・20 47

 

 

* 満月の下で盆踊り  今朝はたっぷりの朝露と蒙霧でした。午後の雷雨がようやくおさまって、また、山に夕霧が立ちのぼってまいりました。

今夜は、町内の盆踊り。旧い住宅の集まる一角に、家一軒分の小さな公園があります。東京に引っ越した人に、地元の人が何度も通って寄贈をお願いしたそうですが、今はすっかり遊ぶ子供も減り、古いまま傷んでしまった遊具を、つい先日、すっかり撤去しての、初の祭り。遊び場はなにもないのが、いい。

「古密教展」図録の解説を読みながら、また、系図や年表を書いております。

コンピュータがないので、使い捨てボールペンのいただきものが山ほどあるのを幸い、本の活字を追いながら、チラシやDMの裏に手書きで図にしていく、アナクロですの。でも、手で書くのがいちばん覚えられる、と、松園さんや田辺聖子さんが書いてらしたので、めげることなく自分にしか読めない表を書き続けています。

学生時代は、小さな扇風機を紙が飛ばないように弱くかけて、ぽたぽた汗みずくで、汗でノートをふやかしながら、こんな風にひたすらお手手で書いていました。今は、集中力と記憶力が格段に落ち、同じことばかり何度も辞書で確かめ、前に戻り、めくっている時間が増えましたわ。それでも、好きな面だけに好きなように時間をかけられ、試験も締切もないのですもの、しあわせ。

それと、おかげさまで、‘ひとのものがたり’として捉えられるようになったことが、おもしろくなった大の一因です。

どんな時代に生まれ、どんな事件や出来事の中で育ち、何歳で子供ができ、節目になる事件の時は何歳だったか、それを調べるだけでも、年表がドラマのように変わります。画家や作家の作品に対するときと同様に。

そして、実際の地を旅できる喜び、そこで新たな情報やご縁を得る喜び、それが再度本を読むとき、新鮮な発見をもたらしてくれる喜び。繰り返しがちっとも飽きません。

今回は、平安京の東寺・西寺と違い、東大寺と西大寺は、発願者も時期も関連がなく、仏もまったく違っていること、国分寺と国分尼寺のお経が、全然違うことなど、ひとりで「へぇ!」といった具合。また、有名寺院の本尊と創建年を年表に書き入れていくことによる発見もありました。

昨日は熱中のあまり、月を見損ねてしまいましたから、今日こそ月の光を浴びたいわ。

次の満月は仲秋の名月。  雀

 

* 雀さん、実はこれタイヘンなことを書いている。この人の踏み込みが、いつかほんものに近い「探求」に近づいていて、普通の人はこれが出来ないし、こんなことを思いつきもしない。一度読みの読書などほぼ無意味なほど稀薄なように、旅も繰り返しの一度一度の一期一会で深まり深まる。雀さんはその体験をほんものに重ねている。この五年ほどでこの人は生まれ変わったかの観がある。

2005 8・20 47

 

 

* 先日歌舞伎座の帰りにも「やあ」と顔の合った、詩人の高橋睦郎氏、今日も帰りがけに人中で「やあ」と。彼、寄ってきて思いがけず「ペン電子文藝館」の短歌に「招待」しておいた九十過ぎの老女石久保豊さんの短歌を絶賛してくれて、ぜひ讃辞を病院の歌人にとどけておいてくださいと。我が意を得て嬉しかった。

石久保さんは会員でもまた既成の歌人でもない。おそらく歌集も持たないであろう、が、その才能はなみの歌人の域を超えているとわたしは観ていたので、病牀にあるのも構わず、作り置きの書き留めから自選をつよく勧めて、あえて「招待」しておいた。

高橋氏がよく目に留めまたよく記憶していてくれて、じつに嬉しかった。

高橋氏はわたしが「芸術生活」という雑誌に盛んに連載していた頃、よくアチコチで一緒に書いていた人。詩人で小説も書き、趣味生活豊かな人として知られている。それにもかかわらず立ち話といえども暫時言葉を交わしたのは、今日が初めてであった。ありがたい。石久保さんに伝えてあげたい。

2005 8・21 47

 

 

* 夏の終わりは…まだまだ暑いですね。毎日夕食後40分ほどウオーキングしていますけれど、ひところのような堪え難い暑さは去り、風も快く感じられるようになってきました。

区役所のすぐ近くに「チャンコダイニング花」、一月ばかり前に開店しまして、この店の支配人と、うちの役員が知り合いでした。というわけで、先日この暑いのにお鍋を食べに。なかなか美味でした。お店は予約でいっぱい、店主も愛想良く挨拶に現れ、写メールで仲良くチーズとなりました。  ゆめ

 

* 六本木の元横綱のちゃんこ屋へは入りたくなかった。両国まで行かず新宿で入りやすいいいちゃんこがあるなら行ってみたい。騒々しい店でなければいいけれど。食べ物屋の騒々しいのは蒙御免。

 

* 明日明後日は、雲おもく雨はげしと。

 

* 夕立の晴るれば月ぞ宿りける玉揺り据うる蓮の浮き葉に

糸瓜忌まで約一ト月。俳句甲子園も、ノボールといいたい夏の甲子園も、優勝校が決まりました。お変わりなくいらっしゃいますか。こちらは、一日に何度となく驟雨があり、警報発令、解除と、気を許すいとまのない日が続いております。

中越地震から10ヶ月経ってなお、越後は余震が続いております。昨晩も揺れたそうですの。柏崎には東京電力の原発があります。安全と主張するのと同じだけ、疑わしい思いがつのります。  雀

 

* 「女方」 昭和三十二年の作品ですから、やはり六代目歌右衛門が思い出されますね。三島らしい小品で、わたしは好きです。

微熱が抜けず、きのう今日と、寝てばかりでした。早くよくなりたいです。 風、お元気で。 花

 

* さ、もう機械から今夜は離れよう。

2005 8・21 47

 

 

* 石久保豊 さん   お変わり有りませんか。

石久保さんが、元気なうちに電子メールを覚えてくれていたらよかったなあと、残念です。あなたのお喋りが聴けなくなっているのは、残念至極。

あいかわらずの日々を過ごしています。元気ですよ。

昨日、国立能楽堂で佳い「安宅」を観てきました。

その帰るさに、能楽堂の中で、ご存じかどうか、高橋睦郎というわたしと同年配の詩人に声を掛けられました。「ペン電子文藝館」のあなたの短歌選『兜』を読んだというのです。すばらしいと言うのです、あたりまえですが。毅く、確かで、人生の生気が真実だけの持つ迫力で迫ってくると言うのですよ。この称讃の気持ちをぜひ石久保さんに知らせてくれないかと。

嬉しかった。そういう印象を、心ある読み手には必ず刻みうると思って「電子文藝館・招待席」に展観したのです、自信をもって、わたしは。三十数年の顔なじみ詩人なのに、まともに口をききあった最初が、昨日の、このことでした。不思議な気がします。

石久保さん、まずは、来年の白壽へむかわれる述懐を、しっかり書き留めて置いて下さい。

家内も元気にしております。 お大切に、と申しています。

わたしは、今日お昼頃からまた仕事で出かけます。    早朝  湖

2005 8・22 47

 

 

* 京都 蒸しましたでしょう。ゆっくりおやすみになってください。

今日はだいぶよくて、だるさを感じることがとても少なかったです。鉄分不足の可能性大なので、サプリメントを摂ろうと思います。

何をするにも、体が資本ですね。花は、もう、とても元気、元気。

 

* 角田光代さんが、近作二冊と手紙をくれていた。 この教え子の作家になってからの作品に接するのは、これが初めて。妻の方がさっさと持って行ってしまった。

2005 8・23 47

 

 

* お帰りなさい。涼しいので朝寝坊。八時間も眠った勘定。

慌ただしくパソコンで読み、何よりお元気な様子が、ウレシイ。

これからさらっと鏡を見て、すぐ出掛けます。     泉

 

*  七十前のおばあちゃんが、毎週決まって運動に出かけて行く。「さらっと鏡を見て」というのが至極けっこう、メールは、これでよい。真情の吐露かの如くに綿々とご挨拶が続くと押し付けがましくなる。それがクセになると、二三行で済むところが二十行にも成る。いろんな意味でそれは損である。

文学は、言い過ぎては説明に陥る。清明で的確な表現。そこを本気で理解しなくては。仰々しさはメールには不要な、真情をころす毒性の贅肉。単なるメールの問題でなく、その言い過ぎ癖、書き過ぎ癖が「創作の文章」にまで氾濫して、作品を騒がしくする。過剰な装飾感を「佳い」ものにと思ってしまうと、見るから暑苦しさに陥ってしまう。

「スカートと無地のブラウスだけで有り余る内面がうかびあがる気品とおしゃれ心。譬えれば文学のセンスとはそういうもの」だろうか。

 

* 手直しで面目一新したメールに、ため息。感謝して読み、涙がにじんでいます。言い過ぎてしまうのは、たぶん理解したい理解されたいと願いすぎるのでしょうね。 努力で直せるのなら、どんなによいでしょう……。

心はいつも乱れていて、静かになるのは途方もなくむずかしい。バグワンを読んでも一瞬の後には、現実に溺れる身。なかなか嘆き悲しみ惑いの解決になりません。

これからわたくし一人のための夕食を準備します。冷や奴に枝豆、鰺の龍田揚げ、瓜の粕漬けと、手抜きです。デザートは大粒の巨峰。ビールは貰い物が売るほど積んでありますが飲みません。寝る前に赤ワイン少々とくるみ大福の予定。うーん、痩せないかも。  春

2005 8・24 47

 

 

* 湖の質問

 

予め閉ざされたもの

既に 予め閉ざされたもの

夜の向う側 隠された多くの・・

暗闇を列車は走っていく

 

走って行く と見る視点・体感は、「外」を想わせる。また語勢が緩んで、疾走感も緩む。  走る と端的な覚悟を帯びるべきではないのか。

 

 

烏鞘嶺を越え

人々が烈しい日々と失意の夜々を重ねた

荒野へ オアシスへ

河西回廊を西に向かう

 

第二行の 烈しい も 失意の も観念的で、よく伝わらないのでは。自分のことならそれまでだが、 人々 という他称の「日夜」をどうどう読者に伝ええているのか。どう読み取れというのか。とくに強調語は安易に多用すると逆効果。

荒野へ オアシスへ の「へ」と 次行の 西に の「に」とは どういう使い分けか。床の間に置く 外へ行く など、へ と に とは、用法が別だと思うが。 向かう で、向かっている でないなら、前聯の 走っている はやはり 走る のではないか。

 

 

身に沁む寒さが

わたしを世界から切り離す

夜行列車の寝台に臥し 間近に人を意識しながら

完璧に徹底的に独りになっていく

 

世界 は厳密なことばか、此処で。

完璧に も。完璧に、徹底的に が食い合い、効果を減殺しているのではないか。語彙で強調するのでなく、詩として表現できないものか。

 

 

無言という饒舌

無為という煩雑

今こそ 紛れようなく 違えず

親愛なる声に向かって手さぐりする

 

この四行は生きてはたらいているのだろうか。 今こそ の こそ で息が延びて停滞し、強調が浮いてしまうのでは。

今 紛れようなく違えず  ではいけないものか。

親愛なる が甘く、かえって 声 なるイメージを禁遏しワケ分からなくしていないか。

 

 

全ての気配を呼吸する

祁連山脈を巡る古代の漆黒の闇に

朱の炎が燃える

眠られぬ夜を追っていく

 

全ての は、詩の表現であり得ているか。どういうことなのか。

闇 をさらに 漆黒の と強調してそれが生きているか。

朱の炎 とはイージィではないか。それが 燃える も無用の重ねではないのか。

燃える が終止形なのか 眠られぬ夜 にかかる連体形なのかが、曖昧。(こういう行跨ぎの曖昧は、詩の効果にも詩の失敗にもなりやすく、他にもある。)  朱の炎が の が が適切なのか 朱の炎の燃える と の が適切なのか、一度でも思案をしてみたか。

 

詩集の巻頭作品は 絶対佳い作品でなければならない。それで、あえて言うのです、イジワルではないですよ。詩は、内容であると共に至醇の言葉でありたい。  湖

 

* 必要に迫られて市街に出掛け戻ると、例のことながら足が痛んで、疲れがどっと押し寄せました。台風11号が近付いて東海、関東など明日明後日は気をつけなければと・・、こちらも数日来、雲が多く、今しがたも雨が通り過ぎていきました。

さて、メールの題名に驚きました。受信する前から恐れいって、何事ならんと、いいえ分かっているのです、怖い怖いが読まねばならぬ・・ゆっくり読みました。

まだすべては理解し切れていませんが・・厳しさをありがたく、ありがたく受け止めています。・・やはり甘いのですね。

京都にいらしたこと、HPで知ってため息が出ました。

この夏、わたしはトンネルの中を歩いているような感じです。秋の訪れはいつもよりいくらか早いのでしょうか。近くの田にはもう稲穂がついて稔りをまもなく迎えるでしょう。いざ、いきめやも・・とせめてそう思いたい。  鳶

2005 8・24 47

 

 

* ご用心  午を過ぎましたが、まだ雨風はありません。外にある飛びそうなものはしまって、台風に備えました。風も、お気をつけになって。

早速、通販で鉄のサプリメントを購入し、飲んでいます。今日はあまりだるくないです。もう効いてきたのかしらん。

読んだり、書いたり、出掛けたり、しています。高校の漕艇部のドラマ、「がんばっていきまっしょい」や、「WATER BOYS」という、高校男子のシンクロナイズドスイミングのドラマの再放送を楽しんだりもしています。

お盆を境にはっきりと、暑さがやわらぎました。エアコンを動かす時間が減りましたよ。このまま涼しくなっていくのでしょう。

体はラクになりますが、秋のはじまりは、ちょっと寂しくもあります。 花

 

* 颱風は日本列島のどこへ突き当たるのだろう。花の伊勢湾か、風の東京湾か。

2005 8・25 47

 

 

* 夕方からまた潰れるように九時半まで寝ていた。強い雨が来ている。睡眠の足りないまま早起きの今日は、終日うとうとしている。

 

* 高校野球が終わると夏も終わり、とよく言われますが、昼間暑くても朝晩は涼しくなりました。暑いのは嫌ですが、寒くなるのはもっと嫌です。

その高校野球、夏連覇の駒大苫小牧に不祥事発覚なんてニュースが、連日繰り返され…。まるでマスコミが事件を作っているようなもの。

ところで、選挙のたびに問題になるのが、無党派層の動向ですね。

無党派層と一括りにいうが、個人にはいろいろな意見がある。五色か六色のカードを示されて、どれか選べ、どれでもいいから選べと言われ、仕方なく右から三番目を選ぶと、だからX党派。何も選ばなかったら、無党派。そんな単純な識別で何が言いいたいのか。

わたしは何を隠そう、無党派であります。だから投票しない、ではなく、投票はきちんとします。

各党の「マニフェスト」もおおまかな、どの党も、同じようなものですね。

もっと問題なのは、政策決定の最終段階へくると、議員の賛否を党議・党則で縛ること。みんな多少の異議・意見を押し殺して、党論に従ってしまう。何のために。選挙のために。党公認を得られないと当選の自信がないからでしょうよ。公認が欲しさに苦渋の党論をごくりと飲むわけ。

無党派層、賛成。

もう一歩進めて、国会の中の党派を禁止すべきです。提出された案件に議員個人の信念を通して、個人の議決権を行使すべきです。去勢された羊たちの選挙公報なんか見せられ、どれかに投票しなければならない、そんな選挙はまっぴらご免。投票には行きますよ。だが、気に入った候補者がいないときはどうします。「無党派層には寐ててもらう」と言った前だか元だかの総理大臣がいましたっけ、そんな党には絶対投票しない。その反対党に、目をつぶって、投票します。

政治の話はしたくはないのですが、あまりの態たらくについ…。

季節が推移してゆきます。まだ暑い日があると思いますが、朝夕は冷えるでしょう。

どうぞお大事に、  甲子

2005 8・25 47

 

 

 

* 以前に『慈子』について批評を書きたいと申しました。評論の題は、『慈子 繪空事』にしようかと考えました。

私の読み方では、『慈子』は恋愛小説ではありません。恋愛というかたちを見せながらの、世にも美しい、痛ましい限りの稀有の藝術家小説です。慈子は文字通り繪空事のヒロインで、小説世界の現実には、妻の迪子のように存在していない。慈子という女は、宏の空想妄想の中のヒロイン、創作したヒロインであると証明しようと、そうできると思いました。読めば読むほど、来迎院の朱雀先生もお利根さんも慈子も肇子も、宏の現実にいなかったことが感じられるのです。

『慈子』は繪空事を創らずには生きられない詩の人間、他界を胸に抱くしかない藝術家の業と夢幻と悲劇を描いて、しんしんと胸打つ名作と、私はそう読んできました。

幼稚と一笑にふされそうですが、あの作品に一カ所だけ致命的に現実にあり得ないことが描かれていることが、初読の時から不思議でならなかったのです。あのように完璧な珠に傷があろうはずがない。それは作者の意図、万が一無意識としても、深い秘密があると思いました。

『慈子』を原点とするまでもなく、秦恒平の小説はすべて色々に形を変えながら、繰り返しある藝術家の生きる姿、つまり作者ご自身を描き続けたものではないかと思うのです。

作者は現実生身の女を、創作したヒロイン以上に愛したことがあるのかどうか、時々疑問に思うことがあります。生身の女はどんな女でも、確実に男にとって耐えがたいもの、うんざりするものを抱えています。

描かれました女の中で、異色の、『お父さん、繪を描いてください』の「山名啓子」が、案外好きです。惨憺たる「現実」のある女です。私は、作者があのようなひどい女をヒロインに迎えて小説を書いたらどうなるだろうと想像します。島尾敏雄の『死の棘』について語られた文章は読んだことがありませんが、ああいう狂人のような女の魔物と、恋などという甘いものではない死闘の末の愛を「慈子」の作者が描かれたら、どんなに凄いだろう、とそんな風に夢見ることもあるのです。もっともそれは趣味ではないでしょうけれど。

唯一例外があるとしたら、『聖家族』でしょうか。

私は『聖家族』を是非本で読みたいと切望します。『聖家族』は「憎しみ」の文学と作中で描かれていますが、あの作品の秘めた恐ろしさに、私は三日ほどうなされました。作者の天才に震える作品です。  春

 

* OH!

2005 8・25 47

 

 

* 自画像  台風一過のさわやかな秋晴れとは未だゆかず、蒸し暑いことです。

年毎に夏の暑さが身に応えるのですが、その一番暑い最中、84歳の先輩に誘われて、西荻窪の小さな喫茶店(カフェギャラリー)でめいめい5点ずつ油絵を持ち寄り、「二人展」をいたしました。

会期中いつもその店で待機しているわけにもゆかぬので、私の居ないとき来てくださった方への挨拶代わり、身代わりに、「ひまわりを持つ自画像」という小さな作品を描き、隅に掛けたのです。

ところが友人や家族のこの絵への感想が、とても興味深いものでした。

最初、「何年前にお描きになったの?」と訊ねられたときは、一瞬真意がわかりませんでした。

「つい最近、この展示のために描いたものなんですけれど—-」

「あら、お若く見えるから—-」

次の人は、

「お嬢さんがモデルかと思ったけれど、自画像なのね」(エッ!)

古い友人は、

「貴女の高校生の時かと思ったわ」(まさか!)

長男は、

「妹に似てるよ」(本人はきっと怒るぞ)

絵の上手下手には何も言わなくても、似顔絵としての感想は賑やか。

これを描いているとき、部屋を覗いた次男は、

「あっ、お母さんだ」と言ってくれたから自信があったのに。

一応写真や鏡を見て ”今の自分” に似せて描いたのです。

そういえば、撮ってもらった写真が自分では少し不満足なのに、

「あら、とっても良く撮れていますね」と言われることの多い、昨今。

きっと私は、鏡や写真の中の ”今の自分” を直視せず、”昔馴染みの自分・若い日の自分” を見ようとしているのだろう。

それは絵(自画像)ならば許されるかもしれないが、私は自分自身を客観的に把握せずに生きているのではないか、年をとって衰えゆく自分の現実を直視していないのではないか、周囲は私が思っているとは違ったように私を見ているのではないか、まわりが見ている(=まわりに見えている)「自分」って何なんだろう……などと思っているとき、秦さんの、「ふさわしく」の一連の文章に出会いました。

そういえば私も、他の人のために「ふさわしく」なろうとは思ったこと、なかったなあ……

まだ若い頃、はなむけの言葉に「らしくあれ」と言った先生がいました。

自発的に「**らしくしよう」と考えることはあるにしても、はたから、「子どもらしく」「女らしく」とか「学生らしく」「妻らしく」とか言われると、他人(ひと)の決めた基準に自分がはめ込まれる気がして、

「私は私、ほっといて」と思ったものです。

むしろ「らしくなく」をモットーに生きてきました。

知的障害を持つ子を授かって、世間は、沢山の「らしくあれ」や「ふさわしく」の基準を、私や息子に課してきましたから、私はますます「らしくなく」生きようとした気がします。

「らしく」と「ふさわしく」では少し意味合いが異なりますけれど、

> 誰かのために「ふさわしく」ありたい、誰かのために「いたらぬ存在」でありたく

> ない、など と。とんでもない不自然なことだ。

> いつも、自分で自分にできる精一杯をやってきただけだ。それが結果的に他人に

> 嫌われたり好かれたりする、それだけのこと。特定の誰かにぜひ「ふさわし い」自

> 分であろうなどと、そんな不自然なこと、誰が本気で思うだろうか。

同じ思いの人がここに居た、うれしい。

これからも私は私のやりかたで精一杯生きて行きましょう。

なんだか長いメールになってしまいました。お許しを。  2005/8/26   藤

 

* 一つ言える。このメールの人も、わたしも、京をんな 京をとこ であり、人のために「いたらぬ」を慨き「ふさわしく」あれないと嘆いてきた人は、東京育ち で。

 

*「自分」とは何か、「自分」はどう表現出来るか。たとえば、この「闇に言い置く私語の刻」にもしわたし独りの述懐だけが並べば、それはその方が普通かもしれないが、或る面からは、よほど工夫して話題を多彩に選ぼうとも、どことなく平板で一面的、単調に流れかねない。それを救ってもらっているのが大勢の多くのメールなのはハッキリしている。あつかましく言ってしまえば、それら人さまの文章が、自ずからそのまま此のわたしの自画像ではないが、「プロフィール」を成してくれている。

2005 8・26 47

 

 

* 風雨はいかがですか。 このところ、お江戸の気温がずいぶん下がっていたようでしたから、おからだに障らないかしらと案じておりました。

昨日は停電したそうで、地震、颱風と続いては、日々のお暮らしやお仕事のほかに、お庭も家屋もお手間になって、お忙しくいらっしゃるかと存じます。ご無理、お怪我のないように、どうかどうかお大切に。

雀は夏負け。ノビてます。

白雨の毎日。昨日は一日降り籠められました。雨は好きですが風がかないません。窓を閉め、冷房をつけ、系図のメモをひっぱりだして、「古密教展」図録の解説を読み、年表をつくり、地図をひろげ、体調と相談しながら格闘しております。 文楽の「良弁杉由来」から、まさかこんなところまでくるとは。「志賀里の段」の、段々に描かれた茶畑の大道具をなつかしく思い起こし、明日、また、南山城から三上山にかけての社寺めぐりに出かけるつもりです。

養老~赤坂~大垣~谷汲への旅は、体調不調と暑さとで延期。

高月~木之本~浅井へも行きたい。

志賀にいらしてますか。大友皇子が自害したのは、7月23日とか…ちょうど今頃ですのね。 囀雀

 

* 志賀里は今は滋賀里と。近江大津京の鎮護、崇福寺の山麓一帯。懐かしい光景が瞼のうちにひろがる。

 

* 台風は関東を直撃したようですね。何事もありませんでしたか。こちらは雨も降りませんでした。

> 鉄分摂取は、苦痛な便秘をともなうのが普通で、

知りませんでした。教えてくださって、ありがとうございます。購入したのは、手軽に摂取できる栄養補助食品です。一日の量が決まっていますので、過剰摂取にはならないと思いますが、注意します。

「女の園」という映画は知りません。どんな映画なのでしょう。興味あります。女子ばかりの社会には、独特の空気がありますが、そういうことも表現されているのでしょうか。  花

 

* 京都の女子大生高峰秀子と東大生田村高廣とが姫路の出で、はかないデートの別れに、女は姫路城の天守から、男は東京へ向かう東海道線の汽車の最後尾から、ハンカチを振り合って別れる場面など、ほんまかいなと思ったけれども、ああいう場面を本気で撮影していた時代であったなあと、ほろ苦い。

 

* 幸い颱風のことはさほど気にもしないで、夜更かしの読書、そして朝寝坊して、起きたら日照りの夏へ戻っていた。今日の外用が颱風の名目で流れ、睡眠不足をかなり取り戻した。いいメールが五つ、同じほどの不正広告も。来週は忙しくなりそう。

2005 8・26 47

 

 

* 地名  メールなにより嬉しく、何度も何度も拝読しております。ありがとうございます。

地図をよぉく見ました。滋賀郡、志賀町ですのね。比良(=じつは長等山)の山裾…茶畑はないように思いますが。和束や童仙房が、あんな風景ですわ、今でも。あの時代、滋賀(志賀)=茶どころのイメージだったのでしょうか。

さて、名張市は、“伊賀”という世界的に通用する宣伝・経済効果より、“ナバル”にこだわって合併から降りましたが、雀は、世界遺産となったのに、本宮町が田辺市に入って、本宮の地名をなくしたことにショックを受けました。今日、大塔町がなくなると知って驚いています。来月、西吉野とともに五條市に合併するそうです。 雀

 

* 雀さん。栄西禅師が大陸から茶の種をもたらした遥かな以前より、日本列島に野生の茶のあったことは、『日本を読む』の「茶」の項に書いていますでしょう。そして日本の文献で、最も古く「茶」を貴人に献じたと伝えている一つは、その「志賀里」の長等山崇福寺の事蹟だったのです。あの界隈に、ささやかでも「茶」にかかわる風土や採集のありえたことを想像させるに足ります。

地名変更の歴史も古いですね。好字を宛てて変えたり、一音地名を二字に書き換えさせたり、いま読んでいる日本書紀にも、もとの地名由来が「訛」って、似た、または似ても似つかぬ地名に変じている例が満載されています。

江戸から東京の時代になり、東京の大中小の地区名もものすごく変わりましたが、よく観ると、大が中に、中が小になって残存している例も多い。新宿区市谷河田町の「市谷」や「牛込」「本郷」「駒込」「根岸」の類の「中地区」名はたくさん温存されていますし、田無と保谷とが西東京市に変わっても、田無も保谷も中地区名、小地区名で残っています。

本宮も大塔も、おそらく歴史的に最も親近した地点では適切に伝えられるのではないでしょうか。あまり安易に変えられない方が当然いいですが、大阪も歴史的なら、河内、和泉、摂津も歴史的でした。長野も歴史的なら信濃も歴史的な地名でした。一時的に不便になり愛惜の情も湧きますが、じつは地名ほど同じことを繰り返してきたものは無いのかもしれません。歎くより、覚えて、伝える…こと、かな。  湖

2005 8・26 47

 

 

* で、わたしは四時前から起きていて、機械の前で、だいぶ仕事もした。していて、二三度気がついたがADSLの調子がよくない。ピキピキと間歇音がしている。わたしの機械のせいか、サーバーの方で何かしら整備しているのか分からない。これが悪くひっかかると、メールが使えなくなる。機械のことは、ワケが分からない。

 

* 湿度計   甲子    05.8.27

 

早起きの習性があります。寐るのが遅かったときでも、夏は五時、冬は六時には目が覚めて、コーヒーを淹れ、ソファーで30分以上、ぼんやり外の景色を眺めます。

身体も動かさず、何も考えません。と言うと嘘になるか…。脳が停止しているなんてことはあり得ない。ただ、とりとめなく、記憶、なんて機能を排除してそこにぼーっと坐り、欅の梢を眺めているのです。

これが何とも心地よい。わたしにとって、至福のひとときと言えます。

だがふと、今朝見て気づいた、欅の若枝が45度の高さに南の天を指している。もちろん直線ではありません。葉の群れが枝先に密集しているぶん、重みでたわっています。弦を外した弓、といった程度でしょうか。いつも見るたわみ方とは違います。

どうして?

そう、湿度に関係ありはしないか、湿度が低いと葉も乾き、何よりも枝そのものが柔軟性を失って、親枝から生えた角度に忠実になるのではないか。湿度が高まると弦張った弓に戻る。小雨が降ると葉が重く、岸辺から垂れた釣り竿の曲線になり、本降りになると葉先の滴が溜まったり落ちたりして、魚がかかり極限までたわんで急に戻るという動きを繰り返す。

湿度なんて、ときたまTVの予報で見る程度で、大して関心はありませんでしたが、これは面白い発見だぞと思いました。誰かしら人がいると、どんなに気のおけない仲であっても意識のどこかに「いる」という気持ちがあって、全き自由ということはあり得ない。独り暮らしだからこその発見かも知れません。

いまは葉が繁っているからそうだが、冬、落葉のあとはどうなるのだろう。朔太郎の詩にそんなのがあったな、と思い、詩集を開きました。

「巣」でした。欅もあったと思いましたが、勘違いかもしれません。

 

竹の節はほそくなりゆき

竹の根はほそくなりゆき

竹の纖毛は地下にのびゆき

錐のごとくなりゆき

絹絲のごとくかすれゆき

けぶりのやうに消えさりゆき。

 

ああ髮の毛もみだれみだれし

暗い土壤に罪びとは

懺悔の巣をぞかけそめし。                    萩原朔太郎「巣」より

 

天上に伸びる欅の枝と、地下にのびゆく繊毛とでは、それこそ雲泥の差ですが、

 

吹きすさぶ風ものともせず

堅き青空目がけ突き上げてゆく

白骨の錐の如きもの

 

なんて光景が見られるだろうか。寒いのは嫌ですが、そんなコーヒータイムも楽しからずや…なんて考えると楽しみです。ようやく、独居生活にも慣れてきました。幼時、新しい遊びを考え出して友達呼んで遊び、鼻うごめかして自慢した頃を思いだします。

詩集をぱらぱら繰っていたら次の詩句にであいました。

 

おれらは逃走する

どうせやけくその監獄やぶりだ

規則はおれらを捕縛するだらう

おれらは正直な無頼漢で

神樣だつて信じはしない、何だつて信ずるものか

良心だつてその通り

おれらは絶望の逃走人だ。                     萩原朔太郎「絶望の逃走」より

 

たとえ一節とはいえ、先達の詩を書き写すなんて許されるのでしょうか。

吹いたり揺れたり、乾いたり湿ったり、暑いと思えば急に涼しくなる。変わり目早い季節です。充分にお気をつけを…。    甲子

 

* 敬愛する人の詩句や文章を一字一句書き写して行く嬉しさには、独特の時空体験がある。書でいう「臨」や「模」の謙虚にちかいか、等しかろう。好きな歌を好きな歌い手にならって唄おうとする素朴な心理もこれに繋がるか。

電子文藝館でも、詩歌の気に入った人と作品とは、スキャナーで写すよりも、時間をかけ書き写したものが、わたしの場合幾らもある。荷風の『珊瑚集』も井上靖の『北国』も登四郎の『芒種』も石久保豊の『兜』も布川鴇の『湖の向こうに』も篠塚純子の『ただ一度心やすらぎ』も。藤村も白秋も朔太郎も中也も。手がけた掲載詩歌の大方がそうだった。その嬉しさに励まされてこの作業をすすんで受け入れてきた。

 

* 風  「羊たちの沈黙」は、緊張感のある、重厚な雰囲気の、おもしろい映画ですね。ジョディ・フォスターは、浮ついたところのない女優、という印象があります。

彼女の最近の出演作では、「パニックルーム」を見ました。新居にいるところを強盗に襲われ、家の中を逃げ回りながら、強盗と格闘するという、息のつまるサスペンスでした。デイビッド・フィンチャーという、実験的に凝った撮影をする監督の映画です。ご存知ですか。「エイリアン3」がデイビッド・フィンチャーだったと思います。「セブン」も。

デイビッド・フィンチャーの監督作の中で、おすすめは「ファイト・クラブ」です。エドワード・ノートンとブラッド・ピッドが主演です。映像に「しかけ」があり、一度目より二度目、二度目より三度目と、見るごとにおもしろさが増してきます。社会への批判もあり、現代の映画だなあと思います。

それにしても、一見アイドルスター風のブラッド・ピッドが、名作に多く出演していることに驚かされます。「セブン」、「ファイト・クラブ」もそうですし、アンソニー・ホプキンスと共演した「ジョー・ブラックによろしく」や、ジャン・ジャック・アノーの「セブン・イヤーズ・イン・チベット」、ヴォルフガンク・ペーターゼンの「トロイ」、アラン・J・パクラの「デビル」など、いい映画に出ていますね。

さきほど、昨日録画しておいたドラマ、「星に願いを」を見ました。

二百万もの星を映し出すプラネタリウムを、企業などの技術や資金援助なしに、単独で作り上げた人の実話と、フィクションを交えたドラマで、モノを作る人の孤独をストレートに表現していて、泣かされました。

モノ作りに熱中できるのは才能だと、認めてくれる人はいても、何をやっているのだと、冷ややかに見る人もいる。

大切な人に喜んでほしくてプラネタリウムを作りはじめたのに、製作に熱中するあまり、その人の悩んでいるのに気づかず、逆に距離を作ってしまう。自分は「機械」になって、プラネタリウムを完成すればいいのだと、自ら周囲を遮断するも、人恋しい気持ちはなくならない。

そんな風にして、主人公の孤独は深まっていきます。

最後の場面では、「ずっと独りだと思ってた」主人公のところに、彼を見守っていたいろいろな人が、彼の作ったプラネタリウムにやって来て、めでたし、でした。

ドラマはそれでいいと思います。

でも、ほんとうのところは、人は独りかも知れないと思いながら、わたしは見ていました。

さて、風の昼夜逆転は、いかがですか。

もしも、もしも、もしも花と一緒のときに、眠ってしまわないでくださいね。

ほんとうに眠かったら、眠らせてあげます。

そして、風のくーくー寝ている顔を、見ちゃいます。  花

 

* 「ほんとうのところは、人は独りかも知れないと思」えばこそ、おしまいの三行のような可愛らしい夢を人は見るのだろう。こういうふうに書けるのが自然に生きられる才能なのであろう。なるほど、花は咲く。

挙げてある映画の「エイリアン 3」しか観ていないのは、すこし口惜しいナ。

2005 8・27 47

 

 

* 特許庁からイギリスへ研究留学した上尾敬彦君から、佳い便りが届いた。この人らしい確かな「あいさつ」で、前段から後半まで、臨場感とともにいろいろ教えられる。折角の健闘と平安を祈ります。好機であり、世界の視野の中で日本のことも学びなおして欲しい。所詮はそこが基盤であるのだから。ほんとうにその気になれば「湖の本エッセイ」は恰好の刺戟あるテキストになるだろう。

 

* ブリストルより   秦さん、こんにちは。

ご無沙汰してしまいました。日本ではまだ残暑が厳しいようですが、体調など崩されていませんでしょうか。

こちらは雨がちの英国にあっても、気持ちの良い晴天の日が多い季節ですが、段々と時雨れる日も増えてきまして、夏ももう終盤に差し掛かってしまったようです。

こちらへ来てからはや二ヶ月近くが経とうとしていますが、日々目新しい事ばかりということもあってか、ホントにあっという間に過ぎ去ってしまったというのが実感です。

住居も落ち着き、車も入手し、何がどこで手に入るかもだいぶ分かってきましたし、生活はかなり軌道に乗って来ました。

大学では久しぶりにアカデミックな雰囲気を味わえています。私以外のほとんど全員が博士課程の学生ということもあり、皆さん予想以上に研究熱心で、7月8月でもあまりバカンスムードは漂っていません。

ブリストルは想像以上に美しい街です。こちらに来る前から、英国の街並みには興味がありました。建物は100年以上前のものがざらのようですが、それでも(それだから、かも知れませんが)それぞれの通り通りできちんと調和が取れている様には感心してしまいます。

一つ一つの家も庭も、綺麗に維持されているものが多く、私たちの住んでいる家は築130年を超えているそうですが、よく手入れされていて、まだあと100年でも住めそうな感じです。

また、公園などの緑も多く、街路樹も大きく高く、ゆったりと道を覆っています。空気も光も透明感があって、歩いているだけでも、まさに洗われてゆくような感覚を覚えます。

港町、といっても日本の港のイメージとは少し違い、河口の少し上流に港が作られていますが、それでもやはり港町に特有な活気のようなものが有ります。外見上は全く違うのですが、横浜などと共通する異国情緒も、かすかに感じ取れます。外国に来て異国情緒というのも変かもしれませんが、由来の違うものが、多くの日々を重ねて調和し、うまく響きあいながら共存している感じ、です。

さらには、大学を中心に成り立っているためか、若い人の割合がかなり高く、それも街の雰囲気に活気を与えているようです。

こちらで生活していて意外だった事は色々ありますが、その中の一つに、Japan、Japaneseという単語を、存外多く見聞きするということが有ります。もちろんマンガや車や電化製品に絡めての話題も有りますし、選挙の話題、地震の話題なども報道されています。

しかし、時期的なこともあるのでしょうか、最も多いのは、「戦争」がらみの文脈においてのようです。

BBCでは、気づいた限りでも特集番組が2つありましたし、普段の番組でも、「Japan」と聞こえてふっと画面を見ると、どこかの慰霊碑に花を捧げている光景が写っていたりします。こちらへ来た当初に買ったブリストルの地方紙に、日本軍に囚われていた英国人捕虜についての連載記事を見つけたときには驚くとともに、少し底寒い心地がしてしまいました。

残念ながら、いかなるニュアンスで取り上げられているのかまでは、私の英語力では読み取ることが出来ませんでした。ですが、この英国においても、今でも第二次大戦が、見詰め直し考え続けるべき問題と考えられていること、また、日本はその大戦における敵国であったとのイメージも、未だに拭い難く持たれていることは、どうやら確かのようです。

それに何故でしょうか、日本にいる時よりも、それがずっと最近のことのように、あるいは身近なことのように感じられます。まだたった60年しか経っていないのだと。

きっと建物や街並みの古さが影響しているのだと思います。現に生活しているこの街並みが100年前からあると想像すると、日本ではイメージしにくい60年という時間の長さも、実にすんなりと自分の中に入ってきます。この家の経験してきた月日の、半分なんだなという風にも。

先日スコットランドを訪れた際にも、時間の経過に対する感覚の違いを、覚えずには居れませんでした。16世紀後半にスコットランド女王だったメアリーが過した部屋に、現に自らの足で立つと、日本において同時代の戦国武将よりもはるかに、そこで450年前に生きた女王を身近に感じられます。そして2世紀前半に作られたハドリアヌスの城壁で、子供が街中の公園に居るかのように遊んでいるのを見ると、不思議と2000年前すら、そんなに昔のことじゃないのかなあという気にすらなってくるのです。

地震が多く、高温多湿という風土においては致し方が無いのかもしれませんが、日本では短い時間のうちに多くのものは失われてゆき、また、残っているものは大切に守られ、いずれにしても、長い時間を経てきたものに直に接する事は、通常とても難しいのでは無いでしょうか。

恐らくこのことは、日本人の時間の流れに対する感覚、歴史の連続性に対する感覚に、良くも悪くも、大きな影響を与えているのではと、今更ながらに考え始めているところです。

長くなってしまいましたが、こちらでの住所は次のようになりましたのでお知らせします。

(略)

それでは残暑でお疲れなど出ませんように、お体を大切にお過ごし下さい。またご連絡させて頂きます。 上尾

 

* モロー展  今回はパリのギュスターブ モロー美術館所蔵の絵画だけの展示だそうです。

死後は自宅を自身の作品を展覧する美術館にする、と生前から計画していた画家。

その昔、学生の頃にモロー美術館を訪れた娘が、その素晴らしい様子を高揚した声で幾度も聴かせてくれて以来、ギュスターブ モローはいつも念頭にありました。

その後ツアー旅行中、パリでのフリータイムが二日間半もあつたにも関らず、ルーブル、オルセー、オランジュリ、そしてパリ郊外、フオンテンブローの森を抜けた小さなバルビゾン村を訪れるのに手一杯となり、何時か何時かと想い乍らも、果たせぬ夢となりつつあります。

謎めいたモローの画家人生にも関心を持ち、テレビや本で追い求め、少々の知識も得ました。裕福な育ち、勤勉、博学、多識の歴史画家。美術学校ではルオーが愛弟子であり、モロー美術館の初代館長であった事、かなり孤

高の画家で、生涯独身を通し、最愛の母上が身の回りの世話をした、同性愛者だったのではとか、いや、何歳か歳下の恋人をごく近くに住まわせていたとか、先に亡くなったその女人の墓標には、二人の頭文字GとAが重ねて彫られている、等など。

国立西洋美術館に入館の折には、常設に二枚ある小さな繪に必ず逢います。「出現」に初めて出逢えたのは、ウインスロップコレクション展の小さい繪でした。嬉しくて、行きつ戻りつ何度も観ました。

同じ「出現」をテーマに何枚かの油繪のあるのを知りました。ルーブル(これは本で)、ウインスロップコレクション、モロー美術館と、三枚を観た事になります。

首切り役人に刎ねられた洗礼者ヨハネの首が光彩を放って宙に浮く、度肝を抜くような構図はほぼ同じでも、サロメの足のポーズや繊細なアラベスクの布地の色、身に纏い方などがすべて違い、見比べてみると、モローの色といいたいあのブルーが利いたルーブル所蔵の繪が好きかな、と。心を抉られるように、また夢みるように穏やかに、放心してみつめました。

もう一度観たい。  泉

2005 8・28 47

 

 

* 象の墓   甲子

お仕事に、観劇・展観、と連日お出かけのご様子、楽しみ多きこととは存じあげますものの、お身体に障りはせぬかと、余計な心配をしております。

わたしは過去十五年、定年退職してから休むことなく、春と秋の二回、約二ヶ月づつ、ボランティアとして海外技術交流(指導)をして参りました。その半分は中国でした。

国を離れて、面白い、楽しいことも数々ありましたが、そのうちの一つに、国内のニュースから遮断される、ということがありました。変なことを言うようですが、外国で見る、あるいは読むニュースの「日本に関する記事」はごく限られたものであり、日本で見聞きする、眼を覆い耳を塞ぎたくなるような話題は、余程重大なものでないかぎり、接することはありません。それだけでも、肩にかかるもののない軽々した気分が味わえます。

ただ、主に「中国で」の話ですが、日本の大臣クラスの失言・放言などがあると、TVのトップ、新聞の一面に大きく載り、あるときなど、若者がわたしの胸倉をとり、掴みかかる、という恐怖の体験もありました。都度、窓口である地域政府専家局や科学技術交流中心の担当者がその場で若者を取り押さえ、ことなきを得ました。

が、「なぜ、あんな失言、放言を繰り返すのだろう」とわたしは不思議でなりません。そんなことは多少とも事情の判っている者は承知していて、ふだん口にしないだけのことなのに、そうして、ほんとうに言わなければならないことには言及せず、些末なことで世論を刺激する「偉い」といわれる人の知性とは、その程度のものかと慨嘆したくもなります。

友にも死なれ、妻とも永訣。が、それはひとの定め、所詮人間は孤独だ、と自らを慰めるてだてもありましたが、二三年前から、中国の、唐突な居丈高・態度、「眠れる獅子」と久しく言われてきましたが、あれは「狸寝の獅子」だったのでしょうか。江沢民・朱鎔基時代とはうって変わった、いや、そのころ既に、内心では含んでいるものがあった

のかもしれません。わたしは十二億の内たかだか四百人ぐらいにレクチャーを施したにすぎませんが、それでも初期には、C言語、次いで VisualBasic、最終的にはAUTO・CADのソフトまで、自費を注ぎ込んで尽くしたつもりでした。一つには戦時の罪障の負い目があり、友の鎮魂、そして何より友好の志、きれいごとを並べましたが、もっとも嬉しかったのは識らない人が識るようになってゆく過程を観る、ということでした。

しかし、「もう判った。日本・日本人から吸収すべきものはもうなくなった。」と言うことでしょうか。いま、隣大国と共同の軍事演習など、着々、あらぬ方角へ矛を向けているようです。

ああ、わたしは何をしてきたのでしょう。平和のため、繁栄のため、と思ってきたものが、オセロの一齣で逆転してしまった。十五年の矛盾、いえ、その前もあります。思えばわたしの五十年はすべて裏目になってしまった。友や妻の死よりももっと深い悔恨がわたしの人生には用意されていました。もう、わたしには時間は残されていません。

再出発とか余生とかいう言葉も空しい。過ぎゆくときを見守るばかりです。

 

鴉の挽歌

 

一日中鵜のまねして

獲物漁ってみたのだが

やっぱ本物にゃ敵わない

それでも精一杯頑張って

数十尾は漁ったのに

ご褒美はただ一尾

夕方ともなるとクタクタだ

だからヤキトリ屋なんぞに寄り

ノドチンコがヒリヒリする酒を呑む

たちまち本性現れて

同じ仲間肩組んで

奇声あげて歌唄う

カンバンですよと声かけられ

ご近所に悪いとたしなめられ

仕方なくなく家路を辿る

だが明日になるとまた

僕はもうひとりの僕を殺し

鵜のまねして出掛けねばならない

これが黙っていられよか

暗い街に奇声発し

僕は僕のため歌唄い

お巡りさんなんかににらまれる           195?-?-?  甲子

 

これはわたしがまだ平社員として勤めていたころの詩? です。当時はPC などいう便利なノリキ(文明の利器)はなく、大学ノートに鉛筆書きでした。仲間に回し読みしたため手垢・食べ物を零した染み、酒かビールかの跡、などで汚れ、紙の風化も手伝い、作詞の日時など判読できません。

中也の詩に、

 

吹き来る風がわたしに言う

おまえは何をしてきのだ

と                        中原中也 「帰郷」より

 

こんな短い詩句のなかに、たとえ短命であったにせよ、中也のすべての沈黙が隠されている。多く語って「沈黙」どころか、駄弁のみ後味悪く残るわたしのものなど、詩にして詩にあらず、詩の真似事の域にも達していない。その真似事をもうひとつ…。

 

象の墓

 

じょうじょうと風吹く蘆原に歩みより

よろよろと歩みより

過ぎ去りし膨大の愚昧を悔恨する

泪とともに仰ぐ虚空(むなぞら)に

ぴよるらぴよるらと鳶は輪を描き

老いの懺悔をあざ嗤う

 

流るる星は天空を飛翔し

消えることなき軌跡を追う

闇は光の果てに吸われ

死の中に生は息吹く

 

小鳥たちは何処へ行った

野の生き物たちは何処(いずく)へ身をひそめた

お前達には墓があるのか

自らを葬る儀式はあるのか

 

真理は虚妄の奏で

唄は魂の慟哭

ああ友よ霊魂(みたま)よ

浮き上がり舞い下って

饒舌の果ての沈黙をこそ語れかし

 

ぴょるらぴょるらと輪を描き

滑空する猛禽の友よ

いつまでもじらさないで

懺悔の着衣をついばんでおくれ

どうせ悔恨の包み紙だ

 

ああもし天に心あらば

ぴょるらぴょるらとじらさないで

この腐れきった肉体(からだ)を昇華し給え

屍(かばね)を晒すのだけは耐え難い

 

それでもまだ飽き足らなく

疲れの果ての眠り頬叩き

ぼろぼろの肉体(からだ)鞭打って

尽きることなき流星の

楕円の軌道を追い回すのか

シジュホスの罪を償えというか

 

わたしは錯覚のピエロ

綱から落ちたピエロで

もう充分にわかりました

充分という言葉はないのかもしれない

どこまで行っても悔恨はつきまとう

こんな腐れきった肉体(からだ)ですが

わたしにはこれ以外にさしだすものがない

 

ああ天よ極北の星よ心あらば

象の墓の在所(ありか)示し給え

よろよろと身をば運ばむ

這い蹲ってでも辿り着かむ

この老醜より逃れ出でて

腐れはてた魂の弔いせむ

腐れはてた魂の弔いせむ             05-08-30  甲子

 

陽気の変わり目、ご休息だいいちに …。    甲子

2005 8・30 47

 

 

* 朝晩は幾分涼しくなって… ゆめ

ここ西原では、すっかり虫の音も高くなりました。少し御無沙汰していますけれど、お変わりないですか?

『慈子』は、いまようやく「上」を読み終わりました。

この作品、実に雅ですね。幻覚のような美しさに圧倒され放し。嵐山の船下りや湯殿のシーンの美しさには、ちょっと言葉が出ない。我が身の日常を振返ると、全く気後れを覚えます。『徒然草』も久々に併読しましたけれど、こんなに素敵な作品だったのだなと思わされました。

「蛍籠とうから夢とけじめなく」徳女 の句が、象徴していますね。

 

*『慈子』が書き下ろしで本になる前、秦さんには女性読者がつきますよと編集者に予言されてどうやらそんな成り行きかと思っていたのが、ダアッと水の漏れてしまうように女性読者に見放された感じがあった。最初からこの作品、圧倒的に男性が愛してくれた。

だが歳月を経て、差し引きするとどうやら女性読者のじつに多くは、やはり『慈子』が好きなのである。泉涌寺の来迎院を訪れる読者の大半は女性であるらしい。

もっともわたしが慈子について話すと機嫌を損じる人もいないわけではなかった。ま、それも好きの裏返しであるのだろう。

2005 8・30 47

 

 

* 昨晩、チャルメラを流しながら軽トラが走ってゆきました。

こないだまで、♪わらび~餅♪でしたのに。

かき氷が、おでんや中華まんに代わり、コンビニが歳時記となっている感がございます。

先日、良弁ゆかりの旅をした折、入手した冊子に、

「京都では水泳といえば琵琶湖へ行くのが普通でした。今はもうない柳ヶ崎水泳場、遠浅の真野水泳場、キャンプの木戸・松浦、近江舞子、白髭水泳場が定番でした。たまには江若鉄道も利用しました。古いディーゼル車で行ったこともありました。京都からの161号の往復は大変な混雑で、大人もこどももウンザリでした。‐(中略)‐湖西道路の無料化など、当時からみればウソみたいな話です。」 とありました。

身近な川で遊ぶこと、山間地の祭りを見に行ったことは雀のアタマに思い浮かびますけれど、うみに泳ぎに行った話は、記憶にございません。水泳かしら、水浴びかしら、どんなならわしがございましたの?  囀雀

 

* 水府流の泳法が磨かれたように、軍務がらみに武士たちが泳法に励んだのは自然のことだが、宇治川の先陣争いなどみても、武具を身につけているのだから無理ないだろうが、泳ぎの達者で向こう岸についた話は、戦記物にもめったに無い。抜き手を切って泳ぐ話は時代がよほど降る。しかし夏の水浴びや川遊びや慣習めく信仰行事があったのは当然。とはいえ、概して昔の川はともすると水葬の場にもなりやすかったから遊び場は限定されていたと思われるし、海水浴に人が出る話もわたしはあまり記憶していない。

風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける

という家隆の百人一首のうたは、むろん背後に水信仰の行事があるものの、その含みのママに夏は水浴びだという暑さしのぎの気持ちも読み込まれていないわけはない。

有名な、蕪村の

春の海ひねもすのたりのたりかな

には三月の節句時の先祖祭に海ばたに出てみそぎをする習慣があり、これが夏になると土用波ののたりのたりに禊ぎの習いもあった。海がのたりのたり来るときは、それにのって先祖霊もくるという、蕪村はただ風情だけで句をつくっていたわけではないということは、もう以前に源氏物語須磨の記事とあわせて書いたことがある。この時の海が水泳の遊び場でありえたとは思いにくい。海への畏怖は昔の人ほど深かった。

 

* 八月も今日で尽き、今年はいくらか秋の訪れが早いように感じます。

お忙しい日々をお過ごしのよう。お体だけはくれぐれも大事に、とまず書いてしまいます。今月いっぱいのお仕事、新たなお仕事、すべて順調に進みますように。

「らしくない」「ふさわしくない」など、HPで触れられていたことが数日来、気になっているので感想を書いてみます。

京をんな、京をとこ、だからではなく、自分が誰かに「ふさわしくない」と嘆くのが東京育ちで、とも言い切れません。

京に育つことは、いっそ他所の土地よりさらに集約された形で規制される要素に囲まれているということでもあるでしょう。逆接として、だから京都の人は先鋭的にも革新的にもバネのように対応していくのかもしれません。

また、藤江さんも秦さんも、「一人っ子」として育っているのも大きな要素だろうと思います。一人っ子の方は、そのことには思いも寄らないと反論されるでしょうが、確かに違います。相手の思惑や意見に臆することなく「素直」にグイグイと述べ、進まれます。羨ましいほど。 (悪く言えば、やはり自分勝手?)

誰かのために「いたらぬ存在」でありたくない、などと。

とんでもない不自然なこと だ。

いつも、自分で自分にできる精一杯をやってきただけだ。

それが結果的に他人に嫌われたり好かれたりする、それだけのこと。

特定の誰かにぜひ「ふさわしい」自分であろうなどと、そんな不自然

なこと、誰が本気で思うだろうか。

と書かれていましたが・・恋愛小説の場面、最近の若い人たちのアニメの世界にだって、この「誰々にふさわしい自分になりたい」的思考や願望は女の側によく見られます。そしてその思考や願望は刷り込まれていく可能性大、です。たとい不自然でも恋愛の一時的突風の中では存在するでしょう。また恋愛でなくとも、特定の誰かに・・ということも、不自然は承知で、やはり大いにあり得る、と思います。

女らしく心配りできる人、気配りできる人などと女は特に期待されたでしょうが、やや視点を変えれば、実は競争社会の中でもっともっとそのように期待されたのは男性だったかもしれません。「七人の敵」と戦うには相手を知り対処し勝ち抜いていかなければならないのですから。

もう少し、人の「意を迎え」て、人のために「ふさわしく」

生きよう生きようとすべきなのか。

「世のため人のため」に宜しく「いたる」人にならねばならぬのか。

このように書かれるお気持ちは十二分に分かりながら・・自分一人の世界でなく、「人」は字の如く互いに頼りあって生きているものだと教えられ、やはり何がしかを人に返していくものだと・・それはまた広い意味で愛なのかもしれない。慈善でなく偽善でなく「・・すべき」ことでなく(時にはすべきことでもあるけれど)、やさしく緩やかに自然にそれができたら、それもいいと思うのです。

わたし自身に関して。

わたしは京をんな、東京育ち、どちらでもなく、「らしく」あるように特別厳しく育てられたわけでもありませんが、それでも「らしくあること」「ふさわしくあること」「期待されること」など、いくらか教え込まれ躾けられ、さまざまな場面で気づかされ、意識もしてきたと思います。

それにも拘らず、基準や規制の中にいるのは耐えられないと常に強く感じ、「らしくなく」をモットーとする間もなく、自然に何か行動したり振舞うと、「らしく」も「ふさわしく」からも、いつしか既にスッと抜け出てしまっている自分を見出してきました。これを嘆いても始まりません、もう苦笑い? するだけです。

行動を決定するものは、わたしにとって、断じて「らしくあること」でも「ふさわしくあること」でもありません。自分の内部から湧いてくるものを自然に受け止めます。時に一般的な「常識」や基準からはみ出していても、あまり気にしなくなりました。自分にとって自然必然なら行動を無理に抑えません。「自分にできる精一杯をやってきた」とは言えないのが、わたしの弱さでしょうが!

先日、わたしに関連して謙抑・・と書かれていましたが、漢字から意味は勿論分かるものの、辞書を引きましたよ。わたしは謙抑ではないでしょうし、謙抑といわれるとしたら困惑するでしょう。あなたはやさしいからと友人に言われると、それだって避けたい。ただ単に、人にも自分にも甘い、いい加減で弱い人間なんだ、と思います。

先に、詩に対して質問を戴いて・・その部分を形をかなり変えて書いてみたのは直後でした。が、それではあまりに安直ではないかとも思い逡巡しています。

同時に「詩集の巻頭作品は 絶対佳い作品でなければならない。・・詩は内容であると共に至醇の言葉でありたい。」

重石のように頭上に大きく大きくあります。巻頭の詩に限らず、指摘されたように、あのように十分でない言葉で全体が埋まっているのが現実なのだと怖れる気持ちになっています。至醇・・・!  播磨びと

2005 8・30 47

 

 

* ご無沙汰ばかりでスミマセン、 樹

秦さん、ご無沙汰してます。いろいろご苦労さまです。

「闇に言い置く」はほどほど拝読しております。

暑い夏からようやく解放される、たっぷり汗をかき、ちょっぴり生活焼け・日焼けして、、、、それはそれで、その後は、ある種の疲れが出るでしょうか。

政治・政局・選挙については、思う事たくさんありますが、どうも考えや意識が違う知人・友人も多いようで、酒の肴にする気もおこりません。

ペン臨時理事会のご報告、勉強になりました。秦さんのお考えに我が意を得たりの感です。

過去、各種文筆団体に属する中国、台湾、華僑文学者と交流を持ちました、難しい話ではなく親善第一、好朋友(ハオプンヨウ)でしたが。今夏、久しぶりに、某歴史雑誌に50枚ほど寄稿しました。材料は「陰陽道ブームへの批判」ですが、根っこは、中国との関係を中心にした「歴史観」の見直しです。

拙稿では、長い中国とのかかわりについて、少し乱暴だったかも知れませんが、独自の疑問をまとめ得たかなと思います、「常識のウソと馴れ」を排し本流・源流をしっかりつかむ意味で。中国4千年、日中交流約2千年、その中でいろいろな「常識のウソ」が限りなく多岐にわたり増幅漫延してきました。

始皇帝の中国統一前に日本の統一建国がなされたというジンム皇紀起源は、宗主国・中国への反動の捏造でしたが、長く(いわゆる)中国に間接支配されてきた韓半島とは事情は大いに異なります。

(いまの)「中国」という大くくりは、戦後の中共建国以後のことです。それまでは、厳密に統一中国はなく、群雄と一民族支配の繰り返しでした。一方、大王→「ミカド」をいただく小島国日本は、ある時期からは、ほぼ、うまくまとまっていた、と考えます。

中国の文物、制度、思想の大影響は否定できませんし、多少の外来混種はありましたが、それは別問題です。

それから、近現代史140年の中の問題が整理されていませんね。「戦間期」を含め、中国との関係が日中、アジアを不幸にし、いまに至っているのは事実ですが、加害・被害は一方的でありえませんし、いま少し、ロシア、西欧列強との関係などに広げて見るべきかと。

「教科書」で年号しか暗記しない教育はお粗末であっても、今の日本では教科書の選択は自由です、他方、中国(非民主主義共産党独裁、一見統一国家)の教科書は「お上」の配給物です。

WTOに加盟してもあいかわらず、まがい物、コピーを撒き散らしています。取り締まりは名ばかりで実態は平気の平左。自由な文筆家は存在しない、内には反乱、汚職、拝金、圧政、外には覇権と難癖ばかり。となると、いまの「中国」って何でしょうか。

世界が模範とすべき民意による自由な「統一近代国家」ではありません。独裁集団はあっても「天子」に代わる存在はないので「易姓革命」の流れでもないし、、、。

西洋史と中国史だけしか習わなかったような日本の「世界史」、そして「歴史」(歴史は文学か)についていろいろ考える夏でした。

気まぐれ雑駁なので読み棄ててください。お大事に。すだく虫の音。

 

* 京大「中国史」の人からも聴きたいもの。

 

* 琵琶湖で泳ぐ

秦様  今日から九月、やはり秋の気配がそこここに。

なつかしい琵琶湖畔の水泳場の名が出てきて、つい私も口を挟ませていただきたくなりました。

私にとって京都時代の「海水浴」(言葉としてはおかしいが)は琵琶湖へ行くこと。小学生時代は家族や従兄弟たちと、中学時代は学校の夏期学舎で泊まりがけで。大学生になってからも「暑いし、泳ぎに行こか」と。

> 「京都では水泳といえば琵琶湖へ行くのが普通でした。今はもうない柳ヶ崎水泳

>場、遠浅の真野水泳場、キャンプの木戸・松浦、近江舞子、白髭水泳場が定番 でし

>た。たまには江若鉄道も利用しました。古いディーゼル車で行ったこともありまし

>た。京都からの161号の往復は大変な混雑で、大人もこどももウンザリ でした。‐

>(中略)‐湖西道路の無料化など、当時からみればウソみたいな話です。」 とあ

>りました。

白髭神社横の旅館が私たちの学校の定宿でした。

江若鉄道の線路を横切って、浜から湖中に立つ白髭神社の鳥居まで泳ぎつき、又泳ぎ戻っていました。

すぐ近くの萩の浜は遠浅で、砂の中に石かと思えばシジミ、潜ったり、それも面倒になると足の指ではさんで掘り出して—旅館でみそ汁に入れてもらいました。

白髭から萩の浜まで行きは歩きましたが、帰途は手漕ぎの和船に乗せてもらいました。校長先生が櫓を漕ぐのがお上手で、岸近くまで来ると私にも棹をささせて下さいました。湖面をすうっと船が動くあの感触—今もはっきり憶えています。

当時(昭和27年)は江若鉄道は本数も少なく、夜などはまるで通らなかったので線路ぎわで夕涼み、月見草が一面に開いて暗い湖に良く似合っていました。

山中越えや比叡山を八瀬から坂本へと駆け下りたり、比良山(武奈ヶ岳)に登ったり若い私は歴史よりも、ただ自然を楽しんだ日々でした。   2005/9/1  藤

 

* 播磨の人への反応かと思ったら、伊賀の雀さんとの交響であった。わたしにも、この湖西白髯あたりの湖岸の景色は、波の音までがきこえるように目に見える。あの湖が、京育ちには「うみ」なのであった。あの界隈が「みごもりの湖」の一場面になった。

この人は映画「女の園」にまぢかい女子校出であったと記憶している。大学は京都大学。何か感想が有ったかも知れない。そういえば、妻の友人に、あのモデル女子大出の「名士」夫人もいたような。独特の感想があったかも知れない。

 

* 南北   金勝寺(こんしょうじ)の、絨毯のような苔の緑が、目の奥に焼き付いています。

また、南滋賀の駅から崇福寺(すうふくじ)跡へ辿ったとき感じたような、紫香楽宮(しがらきのみや)に似ていながら陰気に籠もった湿気が忘れられません。

小川にあちこちから水が流れ込んでくるように、出会いや情報などによって水嵩が増し、面白いけれど、あっぷあっぷの旅になっています。

推古(天皇)から光仁(天皇)まででも手いっぱいなのに、雀の肩を、いま(十四世紀)南北朝が掴んでいます。取り入れ困難なのは明らかで、ふりほどきたい。

梅見に行った賀名生(あのお=穴生ですのね、穴太とも同じかしら)、水分(みくまり)神社を尋ねた千早赤阪、見仏に宇治田原に行き、お水取りと実忠がらみで笠置山へ。遠敷を訪ねたときは、時間がなくて敦賀近辺は全く割愛になりましたが、金ケ崎城跡や朝鮮鐘を、事前に一応メモしてありました。そんなまいまいのうち、地図を見ていて、信楽の外れにみつけてなんとなく気に掛かっておりました、多羅尾“代宮跡”が、島ケ原で見た石仏とともに、後醍醐天皇の重みかというように、のしかかってまいりました。

なでつけてもなでつけても、風が吹くたび頬に落ちてくる一本の髪の毛のように…。

数日前のテレビで、十津川で、秘匿してあったある仏像が見つかり、村人が集会場に安置して、お経をあげているというエピソードを偶然に見ました。90才のおばあさんが、若い取材者の質問に答えているうち、「祝詞もお経もごっちゃや」と、口に手を当ててお笑いになりました。熊野へ旅したとき、玉置神社への道すがら、磨崖仏かと思う石をいくつも見ました。観光の地図に、寺がないなぁと不思議に思っておりましたが、寺をこわし、仏をこわし、僧を追放していた、血潮たぎる集落でしたのね。

宿でも、「お食事ができています」と呼ばれ、いそいそ行った雀のお膳の目の前に、護良(もりなが)親王碑の拓本が下がっていたのには、うッと一瞬、食欲が落ちました。見ないようにして食事をたのしみましたが、秘境だなんだと取材にくるマスコミに対し、「日本書紀を読んでから来てください」というとのこと。

一方、京北町には旧いお寺や仏像が残っていると聞いています。性格の違いかしら。水分神社、十一面観音から始まった雀の遊山は、スローライフ、スローフードの旅にもなって、トロではなくて湖魚、川魚、牛ヒレ、フカヒレではなく、キジ、イノシシ…、水のおいしさ、旬の地野菜、地酒に漬物、加工品。こんぜでは、手焼きのおかきを見つけました。まさに“米菓”と、しみじみコメを実感する歯応えと味。それが、みるみる湿気る、蒸し暑い日がここ数日続いています。そちらはいかがですか。どうかお元気で。  囀雀

 

* かなり囀った、が、けっして雑音ではない。寺をこわし仏をこわし、という背景には尊王に強く傾いた廃仏毀釈の力も加わっていただろう。

 

* 今日は(バレーボールの)スパイクがビシバシ決まって、爽快でした。

またあちこち蚊に刺され、不快でしたが、毒の抜けた気がします。

風、お元気で。 花、元気です。

 

* 楽しんでいますね。花が、胸いっぱい歓声を放っているのを聴いてみたいな。 風

2005 9・1 48

 

 

*  映画「マレーナ」

今日、12chi 13時30分~15時30分

「ニューシネマパラダイス」「戦場のピアニスト」のジュゼッペ トルナトーレ監督。

シチリア島が舞台。

イタリア一といわれる美人女優「モニカ ベルッチ」主演。

時間があれば、観てください。

近いところでは、キリスト磔刑を描いた「パッション」で、セリフが一言もないマグダラのマリア役で観ています。 泉

 

* 一人っ子

秦様 「播磨」の方へ反応しなかったのではなく、「琵琶湖」の思い出とは異質なので一緒のメールに入れかねたのです。もちろん自分の中では、しっかり反応しておりました。

京の男、女というよりも、「一人っ子」であることが大きな要素という御説は、かなり核心をついていると思うのですが、同じ一人っ子でも”京の一人っ子” の特異性とでも言えば、より「的」を得ているのではないでしょうか。

「こうおしやす」と沢山の約束事に絡め取られそうなそんな世界から、たった一人で抜け出すには意識して強くならねばならなかったということはありましょう。しっかりした覚悟が必要でした。

相手の思惑・意見に臆せず—-というのはその通りですが、決して”素直に”ぐいぐい述べたり進んだりはしない、

”あんじょう”気配り目配りして、結局は自分を通しているのです。

そこらが京都の人間のやりかた、ずるさ、というか、千年の知恵。我ながらいやになるくらい、ちゃんと身についています。

(しかし今更一人っ子だから、といわれると困ってしまうなあ。好きで一人っ子になったわけでなし、幼いときから孤軍奮闘、相談する人も応援してくれる人もなく、一人で頑張るより仕方ない、例え勝手気まま、我が儘と言われようと、いつも自分一人の考えでどんどん進んで行かざるを得ない。だから確かに、他人と合わすのは下手かも知れない。

兄弟姉妹がなくて寂しいでしょう、といわれても、そうでない暮らしは知らないから、別にさみしいとも心細いとも思わなかった。大切に豊かに育てられたことには感謝している—-けれども、親の愛情は期待とセットになって一身に集中。大人ばかりに囲まれて、自分だけの世界でひとり考えをめぐらせていた。自分が孤独だなどと思いはしなかったが、自分の子どもたちを見て、なるほど兄妹って、普通の子って、こういう暮らしをするものなのか、やっぱり私は変な子だった、孤独だったなあ、と今気付く。)

自分らしく生きて行くことと、我が儘勝手とは、ずいぶんちがうと思います。

私は相手の立場に立って考えることを、非常に大切にしているつもり。「心配り」や「気配り」は自然にそこから生まれて来るものでしょう。

自分の生き方を大切にすることは、他の人の生き方も大切にすること、その上で自分に正直に自然に行動できれば、それが一番だと思います。

結局は、私たち、同じ事を言っている気がいたします。

精一杯やってもいつも不十分、だからまた精一杯やる、それでよろしいのではないでしょうか。 2005/9/1  藤

2005 9・1 48

 

 

* 秋ですよ hatakさん

カレンダーの御舟の絵が枇杷から柿に替わったので、気持ちも新たに入れ替えたいと思いながら、結局ずるずると明日の実験の準備をしていて、夕食もとりそこね、日付が替わってしまいました。

夕刻試験が終わった畑に、落ち穂拾いならぬ、落ちいも拾いにふらりと出ました。右手に札幌ドーム、左手に羊ヶ丘の展望台を望み、ジャガイモ畑の向こうのポプラ並木のそのまた向こうに大きな太陽がゆらゆらと沈んでいきました。空の空気はもうすっかり澄み切って、夕焼けは鱗雲。

今日掘ったキタアカリという栗のようなジャガイモと、北見のタマネギ、それに十勝河西のニンジンで、明日はポトフをつくります。札幌はもう秋ですよ。

夕暮れて羊雲 とんぼ西を向く 我も西を向く  maokat

 

* 深夜にひらくメールから、こういう澄んだ空気が流れてくると、ほっと嬉しい。maokatさん、同じ山種美術館のカレンダーだと分かって、にっこり。ころ柿の、三つのどの実より大きい二枚の葉をつけた柿一枝。御舟は佳い。秋が来たな。ディスプレイの上に、使い古したパスネットの二枚。右に華岳の「裸婦図」左にモディリアホニの「ジャンヌ・エピテリュヌの肖像」がみごとな好一対。

もう 今日のぶんの言葉はつかった 秋  hatak

2005 9・1 48

 

 

* 昨日だか、勧められていた映画「マレーナ」を見始めている。まだ半ばも行かない。「ニュー・シネマ・パラダイス」や「船上のピアニスト」と同じ監督作品なら、かなり期待して結末が迎えられるだろう。美人女優としてきこえたモニカ・ベルッチの生き生きした魅力はまだ伝わってこないけれど。

イタリア映画というと「自転車泥棒」の昔から出逢ってきたが、あいかわらず映画一方の雄で、さまがわりした佳い作品が次々出て来る。フランスものをしのぐ生気がある。

 

* 映画の事  「戦場」ではなく「船上のピアニスト」です。送信したメールは削除しているので分かりませんが、間違って送ったかも。間違いはキライ、即、訂正します。

あれも佳い映画でしたね。「戦場」の監督は「テス」が佳かったロマン ポランスキー監督です。

ジュゼッペ トルナトーレ監督はそれ以前に、マストロヤンニ主演「みんな元気」を撮っています。年老いた父親がシチリア島から本土で生活する子供達を訪ねて、大人になった子供達の虚栄の中に巻き込まれる哀歓、孫による、ほんわかとした暖かい終盤、ホロリとさせる佳作でした。11chの夜中にでも、また放映があるでしょう。

「マレーナ」はイタリア男性いや世の男性の本質を描いているとみました。二度目ですが、まだ途中です。これも戦争の悲劇の一つといえるでしょう。

まあ、ストーリー云々よりも、イタリア随一の美人女優とシチリア島を観て欲しかったのよ。

サア大変、とりとめもないけれど、時間切れ、これから秋刀魚を焼いて、夕飯、夕飯。  泉

 

* 「マレーナ」は、稀に見る、戦争ものの傑作であった。見終えて、深い歎息。

イデオロギッシュに戦争を批判しているのではない。戦争のもたらす異様にねじくれた暴力的動揺、容赦ない人間性の破壊、その爪痕。

男のいやらしさも底知れず穢いが、そんな男の傍にかたまった女達の、ふつうの女達の、毒牙のように隠し持った醜悪な嫉妬と差別心の暴発。そんな世間の険悪な視線と暴力とに翻弄されなぶり者にされる美しいたった一人きりのヒロイン。しかも一脈の澄んだ矜持で毅然と街を歩きつづける。死んだと信じさせられた兵役の夫への忘れがたい愛がその若く肉感的な美しい女の胸に残っていた。

それらのすべてを、なみなみでない本能と愛情とでみつめつづけた一人の少年の、さいごに言う「お幸せに」のひと言は美しい。少年は、女の姿を終始一貫後ろから自転車で追いかけながら成長してきたのだった、そしてそのひと言を女と夫との後ろ姿へなげかけて、彼は、初めて愛した人から逆向きに自転車で走り去って行く。「ニュー・シネマ・パラダイス」の監督作品らしい。

2005 9・2 48

 

 

* 機械が故障のごようすです。その後改善されましたか。メールのやりとりは可能でしょうか。せめて受信だけでも可能であれば嬉しいです。

二十五日にお能「半蔀」をご覧になるそうですが、わたくしは二十四日に観世の方で「夕顔」を観る予定です。偶然におなじ夕顔ものですね。半蔀のほうが作品として評価が高いようですが、残暑厳しい宵にふさわしい、夕顔の花のありようを楽しんでまいります。

源氏物語の夕顔についてとくに重きをおいて論じていらっしゃっるものを拝見したことはありませんが、いかにも男の人に愛されそうなヒロインなので、夕顔的要素に欠けているわたくしには羨ましい女君です。

夕顔について瀬戸内寂聴さんがこんなことをテレビ番組で話していらしたそうです。又聞きですが、面白いと思いました。

生前円地文子さんは夕顔について「夕顔には何処となく『娼婦性』があるわね」と語っていた。瀬戸内さんご自身も、娼婦性という以上に、もしかしたら夕顔はそうした事を実際にやっていた女だったんじゃないかと思っている。初めて源氏と夕顔がコンタクトを持った五条の雑踏にある夕顔の宿は、ひょっとしたら娼婦宿であったかもしれない。そう思う理由として、いくらなんでも見ず知らずの男に対して女の方から和歌を読みかけ、それを濃い香を焚きしめた扇に添えて男に届けるなんてことは、当時としては考えられない。

学者がこの推測をなんと評価するのかわかりませんが、なるほど、そんな見方もあるのねと、夕顔娼婦説に対するのご意見伺いたくなりました。

男の人は妻や恋人に貞節を求めるのに、娼婦性のない女には惹かれないという矛盾を抱えています。橋本治さんでしたか、よその男になびかない女は夫にもなびかないと、『窯変源氏物語』で書いていらしたと思います。 夏は夜

 

* この人はわたしに「夕顔」という小説のあるのを知らないらしい。

 

* たんなる野合とべつに、娼婦「宿」というものが、源氏物語の時空間をなしていた延喜から天暦の昔に、かりに作者の生きた十世紀の末から十一世紀にかけても、そう簡単に市中に存在したわけではない。そういう「宿」は、地方なら水駅(みずうまや)や宿や、大河のへりにあったし、また大きな神社の鳥居本、降っては大きな寺の門前などにあった。早くから岡場所や悪所めくものが市中にあって客をとるというような「制度」は出来ていない。蜻蛉日記で兼家の通ったという「まちの小路の女」が娼婦であったと決めつけることも難しい。

夕顔の住んだあたりを「雑踏」とみるのも現実的ではない。さほども遠くない、夕顔を霊が憑り殺した「なにがしの院」の恐ろしげな様子を想ってみてもいい。庶民の街でありつつしかし、すぐ近くに光君の乳母が住み、息子は光の一の近臣であった。

そんな街の娼婦に、貴族意識の強い気難しい頭中将が、光より早く長く通って、子までなしたというのも不自然であり、光君が、娼婦との遊びを少なくも歓迎しないタチであったことは、住吉詣のときに遊女との戯れを苦々しいと眺めていたのでも知れる。

そもそも娼婦の娘と知りながら、その頭中将の娘玉鬘をあれほどのいつくしさで裳着させるわけがない。玉鬘の尚侍という地位は天皇の後宮に半身を入れることのある。朧月夜の尚侍は、位をすべった上皇の御所にも常侍した、そういう格式である。

娼婦の娘が九州へあのように傅き連れられて行くのも、あのように貴ばれつつ都に逃げ帰るのも、長谷で信心のめぐりあわせに侍女に見出されて源氏を喜ばせるのも、とても、夕顔娼婦説などを座興の弁以上には成り立たせないだろう。たしかに夕顔の歌をまず献じたアクティヴィティには少なからず愕いたモノだが、夕顔の造型自体はその死に様からも世馴れたしたたかな娼婦の風情とは、かけ離れている。

 

* 紫式部の夕顔にはモデルがあった。「大顔」という名の美女であって、広沢の池で神隠しにあっている。それを原拠に式部が夕顔を造型したことは、当時の読者には分かっていたのである。大顔は式部とも血筋の縁のある当時文壇の大御所めく親王が、溺愛して子までなさせていた美女であった。大顔の素性は分からないが、その生んだ男子は紫式部のたしか伯父に育てられたのではなかったか。夕顔が、物語に書かれてあるよりも身分低い庶人であったか、やはり薄幸の貴族の娘であったか、そういう「賢しら」なうがった穿鑿は、たいした妙味を、玉鬘の物語に添えはしないのである。

 

* 娼婦と娼婦性とを混同してはならない。また、女は、神か玩具かだと谷崎潤一郎はいい、しかし、そのどちらかであるだけでなく、そのどちらでもありうることを、彼は決して否定しなかった。

ただ、わたしは、それが女の娼婦性でもあるなどと短絡しない。率直にそれが女の魅力だと思う。

コケットリーとして神と玩具とをわざと演じたがるのこそ、どううわべは飾っても娼婦的本質の下品さであり、何の意識も不自然もなく上品で性的であれる女の人は、魅力ある人だと想う。そういう人を娼婦的だとも、まして娼婦だともわたしは決して思わない。わたしは娼婦的な女には惹かれない。大事なのはほんとうの女の魅力であり、娼婦めく淑女は好かない。

2005 9・2 48

 

 

* 夕顔   色々教えていただいてありがとうございました。「夕顔」という作品がおありになったことは知りませんでした。全作品読破を目標にかなり頑張っているつもりですが、存在自体を知らない作品があったことにショックを受けました。修業が足りません。「夕顔」は湖の本に入っていますか? 是非読みたいと思いました。湖の世界はまだまだ奥深く、一生尽きせぬ情熱の対象です。ずっと湖色に染まっていたいので、お棺にもご本をいれてもらうつもりです。

娼婦と娼婦性についてのご指摘は、頭が悪いので、わかるようなわからないような。

とにかく、夕顔を、娼婦ではなく、娼婦性をそなえた魅力あふれる女人とお考えと受け止めました。

わたくしの感想は、娼婦性があっても娼婦でない魅力的な女に、しぜんになることは、努力ではなく、生まれつきの個性、資質だろうなということです。

ところで本筋と離れますが、この文章の中で珍しく「死に様」という言葉をお使いでいらしたのが印象的でした。(死にざまではなく死にようと書かれたのだと読んでいますが。) 死に様から死にざまという言葉を想いました。

「死にざま」というのは強烈な言葉で、背筋がぞっとすることがありますが、死という冷酷な事実に「ざま」が言葉としてつりあって納得させられてしまいます。

ですが、対になって、最近よく使われる「生きざま」という言葉はおかしいと思って気になってしかたありません。テレビでも新聞でもよく使われて、とてもへんだと思うのです。個人的に好きになれない言葉です。自分で自分の生きざまと使う場合はまだよいのですが、他人を褒める意味で使われる場合は首をひねってしまいます。生きざまではなく生きかたと言うべきではないかと感じます。生きることは愛しいので「ざま」と使いたくないのです。

知る限り、「生きざま」とお使いになっていらしたことはないのですが、そのあたりの文学者としてのお考えが知りたいと思うことがあります。お答えいただく必要はないのですが、もしお暇でご興味がおありになれば、お教えいただけると嬉しいです。

わたくしは、今、しずかに幸せにしています。  夏は夜

 

* 「死にざま」という言葉は慣用されてきた。やや険しい批評が加わっている。「死によう」がふつうの物言いで。

「生きざま」などというヘンな言葉は言語道断で、とうぜん「生き方」「生きよう」というべきだとは、「生きざま」と謂われ始めた頃からわたしの反撥で、「私語」でも、何度となく嫌ってきた。

 

* 娼婦は、娼婦という昔風に謂えば「職人」の一種で、「遊女(あそび)」のなかでも性と色とを「売る」女達である。しかし「売らない」けれど、魅力溢れる性と色とを生まれつき身に負うた女達もいる。しかし同じそういう女達が優れた知性と品性との持ち主でありうることも、なに不思議もない。そういう女性こそ魅力的であり、わざとらしいコケティッシュに陥ることがない。いまさき観ていた映画のヒロイン「テレーサ」もとうに亡くなっている「キャサリン」も、そういう魅力の人である。

どちらが多いか。残念ながら、わざとらしい女の方が多い。男のことは、ここであげつらわないことにする。

2005 9・3 48

 

 

* 今日は迢空忌と…カレンダーにありました。暑いですねぇ。おん身、おいといを。

雀は、片道徒歩10分のSCに行っただけで日射病になり、丸一日のびてました。去年も同じ馬鹿をやったと気がついて、自己嫌悪です。のたうちまわりながら、読んでいないあのご本を、せめて一ページでも読みたい、一度しか読んでいない、あのご本を、読みこんでいないあのお作を…まだ目にしていないお作がある…と、生きたい、治りたいと、こころを奮い立たせるのは、そのことばかり。

お作を待つよろこび。なにをお感じになってらっしゃるのか、なさりたいと思ってらっしゃるのか、それらが肌に迫って感じられるのですもの、ともにこの時を生きているって、どれだけ有り難いことか、なににもかえられない幸福と、骨身にしみて感じています。

図書館に出かける元気もなく、調べていないことですが、雀の想像を申しあげます。

おおまかにいって、玄昉695年生、聖武母の宮子685年生、定慧647生、道鏡728生、十市皇女647~8生、間人皇女635生、志貴皇子660生(彼は春日宮なのでしょうか?)。

知りたいのは、井上内親王は聖武第一皇女とのことですが、何年に生まれ、何年に他部親王を産んだのか、舒明と馬子女の間に生まれた古人大兄皇子は何年生まれなのか、秋篠寺隣の御霊神社にまつられている伊予親王は誰か、秋篠と京にまつられている文室宮田麿は誰か、塩焼王は誰かということです。  囀雀

 

* この調べゴトは、そう難しいことではない。まずは体調の回復を。お大事に。

2005 9・3 48

 

 

* 思いの騒いだり乱れたりやたらに興奮するとき、わたしは、選りすぐりの和歌を読む。優れた和歌は、恋の歌でも季節の歌でも叙景歌でも述懐歌でも、いつしれずわたしを静かにさせる。リクツは何もない。日本の精神の根幹に和歌があるのだと痛切に感じて嬉しくなる。難しく探し回るまでもない、小倉百人一首の幾つかを目に読み口ずさめばそれが頓服の名薬になる。

 

* 頓服の妙薬???

虫の声が幽かに聞えてきます。まだ、愛らしい声です。

 

命あらば いかさまにせん 心なき 虫だに秋は 鳴きにこそ鳴け

 

大好きな和泉式部の和歌です。ついでに、

 

黒髪の 乱れも知らず 打ち伏せば まず掻きやりし ひとぞ恋ひしき

 

長い髪の毛を、背中に敷いてしまって引き攣れたときの痛さ。その髪の毛を掻きやって、枕上につかねて置いた恋人の仕草。悲しみに打ち伏すという体の動きがまた恋人を思い出させる。どちらも帥宮を失ったあとの哀傷歌だったと思います。こんな歌を詠んだ女性をどう評価なさるのでしょうか。

ついでに。

わがTVに 世界のニュース集まりて 世界の悲惨 注ぐが如し

似ても似つかぬ駄歌で、申し訳ございません。   松

 

* 夜ふけて和泉式部の歌を読む。新秋のけはいしるし。

 

*  あらざらむこの世の外の思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな

 

近代短歌以前にいわゆる和歌時代があったとして、そこからもし男女一人ずつの歌人を選べといわれれば、男歌人には迷っても、女の方はためらいなく和泉式部を推す人が多かろう。わたしもそうだ。定家卿は、その式部の一首としては温和な歌を選んだものだが、温和なりにさすがに間然する所ない気持ちのいい歌だと思って来た。この人に歌われてみると、この大きな上句(かみのく)の歌いぶりも、さこそと思えてしみじみしてしまうのだから、もう仕方がない。

もう今にもわたしはこの世にいなくなりましょう、今生の思い出にせめてもう一度あなたに逢ってから死にたい…と。この時、作者は「心地れいならず」つまり病気に悩んでいた。『後拾遺集』ではそんな時に「人」におくった歌だとある。どんな人でもいい、「うかれめ」とまで時の人にはやされたほど恋多い女だった和泉だが、この歌を通して感じとれるのは、清純とも言いたいくらい素直に溢れ出た若い愛だ。澄んだ愛だ。妙な掛引も、遊戯的な馴れあいも感じられない。「あらざらむ」から「逢ふこともがな」への展開もなだらかだし、一首の座りも佳い。

和泉式部には、自在に他界や異界へ呼びかけるとでもいった歌がまま見えるが、「あらざらむ」の一句にも此の世と彼の世とを、言葉の意味からでなく「うた」の気合いで大きく架けわたす不思議な「働き」がある。平明な歌一首が一転美しい情念の象徴歌に読めてくる、それが和泉の人ならびに歌の底知れない深さだ。謎だと言ってもいい。

 

* 和泉式部はまさに「魅力」の女人で、わたしは「うかれめ」の類とは思っていない。偽書の疑いは濃いが「和泉式部日記」に書かれてある彼女の真率には、いつ読んでも心うたれる。

2005 9・3 48

 

 

* 日曜日は孫が来ないので、静かに過ごせます。

次男も結婚してからは、顔をみせる時間が減りました。いい傾向です。

庭いじりにマメではなく、最低線です。

残暑も厳しいですが、食欲落ちず、軍鶏にはなり難しで、汗をかきかき家で秋刀魚を焼くよりは、据え膳がいいな、と、そんな歳。痩せるわけがない。

映画、お知らせしてよかった。

モニカ ベルッチは「マトリックス」に出ていたのですね。

12chはいつもいい映画とは限らないので、見過ごすかもと。

映画は吹き替えでない方が好き。

9月8日、ジョニー デップが切り裂きジャック役の映画が、面白そう。

BSは何度も何度も同じ映画を放映します。「メッセージ・・・」は落ち着けるロマンチックないい映画で、保存版にしています。

寅さんは、仕事のお得意様だったので、欠かさず映画館で観ていましたが、今も観ては笑っています。 泉

 

* 吉永小百合との寅さんは、映画として今一つパチッとした盛り上がりに欠けた。やはり「さくら」の、兄寅さんをみやる横顔や視線や表情に感銘がのこる。「とらや」で支えている寅さんだと分かる。

篠田正浩が丹波哲郎や岩下志麻その他出来る役者の大勢をつかって撮った「暗殺」も観た。浪士組の清河八郎伝のような映画で、原作は司馬遼太郎。こんなものしか書けなかったところが、小説家としては司馬の小ささで、大きなフィクションが書けなかった。

近年日本の映画監督には、黒澤晩年のいくらか悪い感化からか、美学はあってもハートの乾いた「見かけ映画」の創り手が多いのではないか。大島渚の「御法度」も同じような新撰組を描いて、はなはだ「美学そのもの」の無感動作であったが、篠田のこの映画も同じ。こんなものを創って何になるのと言いたい。

日本映画の黄金時代、昭和二十年代後半から三十年代への映画にはゾクゾクするような血のにじんだ人生や現実が把握され、表現されていた。そのあとへ助監督級が監督へ昇進してきた時期の競作映画に、まま、美学偏重のものが出始めてきた。そのお手本に大監督黒澤明がいた気がする。黒澤は、美学的に勝るかも知れないが、率直に言うとしらける映画も創り始めていた。「用心棒」ではガマンできても「椿三十郎」になるとかなりツクリモノになっていた。彼の「生きる」や「七人の侍」には、後年の名前も忘れてしまう美学的に凝ったばかりの映画とは段違いに、刺し込んでくる感動があった。

同じ時代劇でも篠田の「暗殺」より、大島の「御法度」より、小林正樹だったかの「切腹」や、また「上意討ち」などの方が震えがきた。岩下志麻をつかった「五辨の椿」は誰の映画だったろう、岩下の美しさには、テレビにデビューの頃からはっきりした認識と好感があり、この映画でも、「暗殺」ででも岩下志麻には心惹かれ、そればかりか丹波哲郎にも岡田英二にも早川保らにも好感をもったけれど。篠田正浩の映画そのものは、ただ殺伐として志が感じられなかった。気の低いものだと思った。

 

* 買物から帰宅したらさあっと雨が降り出しました。そして今また晴れ間がのぞいています。

マゴは元気いっぱいご主人さまを翻弄しているようですが、我が家の野良猫アキちゃんもこのところの不調から復活したようで、胸をなでおろしています。

昨日は夜更かししてしまいました。灯を消したのが二時過ぎ。来るかもしれない何かを待っていたのでしょう。

これから豆大福を一つ食べて、鬱々とした気持を励ましながら家事をします。

> 思いの騒いだり乱れたりやたらに興奮するとき、

> わたしは、選りすぐりの和歌を読む。

騒いで乱れて興奮するのは当方のお得意ですから、ちょっと驚きました。湖は鏡で、いつも波静かに一定しているとばかり思っていました。でも、優れた和歌が頓服になるところが凡人との差でしょうか。凡人は和歌を読むと、益々さびしさに泣いたり乱れたりするのです。    秋は夕暮

 

*  風 きのう、はじめてちゃんこ鍋を食べました。とてもおいしかったです。特に、さいごに入れたうどんが、絶品。

メールの不具合はいかがですか。

我が家の場合、ネット接続がおかしくなったら、一度電源を切り、ハブも電源も全部抜いて、数分置いてから繋ぎなおすと、大概回復します。 花

 

* メールは幸い稼働している。

颱風が来ている。七日の通院、どんな荒れ模様か。

 

* 湖様  今日の早朝 娘が一年ぶりにイタリアに発ちました。その後、合計165歳の母と伯母を連れて買い物に行きました。高齢者住宅のリフォームは終わりましたが、家の中はまだダンボールだらけ。休日は これからも自分の家の掃除もままならぬほど、母と伯母のくらしを手伝わなければならないでしょう。ウィークデイはホームヘルパーさんを頼めますが・・・。時々は、孫シッターを頼まれることもあります。

仕事のほうもますます忙しく、10月から大学の講師の仕事も始まります。

このまま心も時間もすり減ってはいけないと思っています。あすは名古屋出張。新幹線の往復がささやかな息抜きになります。

「慈子」の校正をしていたころが懐かしく思われます。

数日前、2年ぶりくらいでしょうか、中央法規出版で編集会議があり、行ってきました。ずいぶんあのあたりも変わりました。時間がとぶように過ぎていきます。立ち止まると崩れそうな私でも、ちょっと忙しすぎるのかな と思っています。相変わらず全身はまっ黒いピンだらけ。

この年内に 一度でもぜひお目にかかりたいと思っています。  波

 

* 「家族」のために、「役割」という暴風雨に耐えて闘っているようだ。それでいて「家族」も「役割」も手放せない「抱き柱」になっている。どうか、病気をしないように。

2005 9・4 48

 

 

* この野分過ぎれば、名実ともに秋めくのではと、心待ちにしています。

また『梁塵秘抄』を少しづつ読み返しています。

常に恋するは

空には織女 夜這星

野辺には山鳥 秋は鹿

流れの君達 冬は鴛鴦(おし)

お逢いできるのはいつかしら?  風の音を楽しみに待っています。 ゆめ

 

* 池の涼しき汀には 夏の影こそひそみたれ 木高き松を吹く風の 声を秋とは聞くなかれ

 

* さ、今日の言葉はみな使い終えた。

2005 9・4 48

 

 

* おはようございます、風。

雨風はいかがですか。

こちら、夜半から強い降りでしたが、今は止んでいます。

出かける用事があるのですが、台風が近づいていると思うと、億劫になります。

ゆうべのニュースで、冠水している都心の映像を見ました。

雨風と出水にお気をつけになってくださいね、風。  花

 

* 豪雨はナリを潜めましたが、大丈夫でしたか。こちら幸い雨漏りもなく、水ひきもいい土地で、安泰です。これから列島縦断でしょうか、気懸かりですね。

朝一番に、お向かいさんが手作り胡桃ケーキを届けてくれて、ホカホカ気分。雨降り、これ幸いと家事は最低に。

朝から、ビデオテープの整理をしだして、何度目かの「小説家をみつけたら」に引っ掛かり、胸をつまらせて観終わったら、もうお昼前。

ショーン コネリーもマルチェロ マストロヤンニも老年になってからは佳い味の映画がいくつもあり、若い頃の今でいえばイケメンだけのギラギラしたキャラクターよりも、年輪を重ねての落ち着いた風貌、風采、演技に好感大です。

脚本、監督を選べる立場であるのも一因でしょうね。

そうそう「アサシン」のブリジット フォンダは、ヘンリー フォンダの孫と、娘が教えてくれました。ジェーン フォンダは伯母さん、なる程似ています。映画の途中で睡魔に勝てず寝てしまいましたが。

涼しいので、午後は読書時間に。

日々、楽しい事は「向こうから」はやってきません。  泉

 

* 最後の一行は言い得ている。ブリジットは、すると、ピーター・フォンダの娘か。この方がジェーンとよりも似ている。

2005 9・5 48

 

 

* ありがとう  昨日携帯にメールをいただきました。ありがとうを繰り返します。メールの送受信ができるのですね。安心しました。一方通行はイヤですから。

雨が昨晩から降り始めました。庭先の藤の茂みに鳩の雛が二羽孵っています、あの雛たちに雨はつらいだろうと案じられます。まだ二日ほどは雨が降るでしょうから。

速度の遅い台風が再接近する可能性は七日あたり、病院に出掛けられる日とか。そしてわたしも大阪へ本当に久し振りに舞台公演を観にいく予定なのです・・気に懸かりますが、当日の朝まで考えても仕方ないので脇に置いておきます。

丹念にHPを読めない数日があって、ふっと遡って記載を読んでいましたら、なんと「京大中国史の人からも聴きたいもの」とあります。わたしのことか? しかも聞きたいではなく、「聴きたい」とある。

・・これは「挑発」でもある・・ 一歩も二歩も退いて、さて、わたしにそれに答える能力があるだろうか?・・と考え込んでしまいました。

中国を語ることは、わたしにはそれはそれは困難。もう長い時間が過ぎてしまいました。今も史学科の懐かしい図書室、人文研究所への坂道、膨大な文献がある図書室を懐かしく思い出します。が、それは感傷にさえ届かないほどの短い時間だけわたしに与えられて、遠い過去にありました。

以下、書いたことは、個人的にあなたに書いたものです。再読していない、思いつくままの文章、寛恕してください。

 

中国の歴史は、東アジア世界にあって、決定的な優位をもって支配する国家の歴史でもありました。が、その支配者は、統治民族は、必ずしも中華である中国人、厳密にいう漢民族ではありませんでした。中国の王朝の歴史は漢民族と周囲の異民族との興亡の歴史でもありました。

唐は、確かに強大な国家だったかもしれない。が、西域を支配したとはいえなかったと思います。

大まかな意味で東ユーラシアを束ねた世界的な規模の国はモンゴル族でした。

「(いまの)「中国」という大くくりは、戦後の中共建国以後のことです。それまでは、厳密に統一中国はなく、群雄と一民族支配の繰り返しでした。」

と指摘されている、実にこの点での根本的な視点が見過ごされてきました。群雄割拠の時代は周辺民族の国家が乱立した時代でもありました。

秦、漢、隋、唐、宋、元、明、清と中学生で機械的に王朝を暗記するのですが、この時多くの認識が排除されてしまいます。モンゴルの元、そして満州族の清は明らかに異民族、辺境民族の王朝でした。これらの王朝が成立するまでの期間に実はさらに多くの異民族による支配がありました。

群雄割拠と異民族の支配、それらは「全国的」規模でない場合が多いわけですが、春秋戦国、五胡十六国などの時代も忘れてはいけない大事な時代でした。また王朝支配が確立してからも常に塞外からの脅威がありました。

 

中国の版図と言っても漠然としてしまいますが、中国人の社会から離れた地域、現中国の新疆やチベットを見るだけでも、異なった歴史観や政治意識が容易に現れてきます。

チベットを例に挙げてみましょう。

1951年、共産党軍がラサに入り、支配を強めていきます。

59年ラサで武装蜂起、約八万人が殺され、ダライ・ラマがインドに亡命、約八万人がこれに続きました。中国政府はダライ・ラマに代わるパンチェン・ラマを立て宗教的な要として政治的支配を強めようとします。彼が死んだ後、幼い新たなパンチェン・ラマを立てましたが、目下幽閉され行方も分からなくなっているとか。

宗教があまりに強い力をもつチベットに対して、寺院などを破壊し、特に文化大革命の時は凄まじい弾圧がありました。中国語を話せないものは優位に立てない社会、現在中国人の移住が積極的に行われ、移住してきた漢民族の人口が無視できないほどになっていること、チベットはインドとの軍事的緩衝地帯であり、30万の軍隊が存在すること、核施設? の4分の1がここにあること、などなど、やはり見逃せないのです。

果たして現在の中国が、どこまで、統一中国であるのか。わたしには分かりません。

大くくりにした統一中国という形が、理想形かどうかは全く別次元の問題で、チベットを例に挙げたように多くの問題を抱えています。

歴史的に行われてきた辺境の「中国化政策」 中国語の普及、漢民族中国人官僚の派遣と地方政治の確立、宗教に対する弾圧や懐柔、極端な場合には「し民政策」民族強制移動政策・・異民族支配に伴うさまざまな政策は現体制下にもあるのです。

社会主義、共産主義のユートピアが幻想と、共産党幹部とて認識していても、現時点で国家体制の根幹を取り替えることはできないのでしょう。が、自らが抱える矛盾を改革していけば、その先にあるものは、やはり「変化、変革」でしょう。

 

資本主義生産のあり方、近代産業革命以後の社会矛盾に一条の解決の光であったはずの、社会主義、共産主義体制が、宗教を「否定」し、上部構造である精神や個々人の個々人たることを・・どこかで過小評価したことは、やはり否定できません。

外国という敵、帝国主義に対する戦いで ナショナリズムと結びついて正義の戦いとして、それが結果的にナショナリストから政権の座を獲得したのが、中国やベトナムでした。が、現中国において民族主義、愛国主義がいつわが身に切り返される「内部からの剣」になるかもしれません。

 

同時に中国自体が、あまりに重大な国内問題をかかえていることも事実です。現在の中国共産党による一党独裁体制・中央集権、それは彼らの言うもっとも基本的な下部構造であるはずの経済分野で、既に既に共産主義計画経済を放棄して、辛うじて存続しています。

急激な経済活動の変化によっておこる矛盾・・トウ小平の指針以来、「富めるものはよりいっそう冨み、貧しいものはよりいっそう貧しくなる」ことが加速化しています。沿岸地帯は昔から経済的に恵まれ、それと対比されるのが内陸部の貧困です。貧困地帯の真ん中であっても、地下資源が豊富な地域では急速な開発がなされています。官僚制度の腐敗 (共産党員の腐敗) に加えて、経済構造のきしみ、徴税制度の不備などさまざまな対策の遅れが中国社会に与える影響を見過ごすわけにはいきません。

社会主義、共産主義のユートピアが幻想であると、共産党幹部とて認識していても、彼らは現時点で国家体制の根幹を取り替えることはできないでしょう。

 

* 中国の問題は単純でない。複雑な「政権函数」と「悪意の算術」で、

中国は、いましも世界戦略を着々布石しているとわたしは推測する。

推測という以上に、実感をともなう畏怖にも進みつつある。

だからこそ、日中は鞏固に態勢を崩さぬ「友好・親善」、だからこそ日本は、

慎重一途に「国益としての平和と安全の確保」へ、かなり「強硬な対策」をと、

わたしは切に願うのである。

 

中国は世界戦略を進めている、と指摘される脅威が、確かにあります。

最近の領土拡大や天然資源を窺う姿勢、中東やアフリカでの石油資源獲得の強力な活動(つい最近、アフリカで部族間対立、大量虐殺が資源と関わりあるのを見ない振りして、利権獲領得に奔走した中国のことに触れている番組を見たりしました。)、膨大に膨れ上がった人口と改革以後の人々の生活の変化は、さらに一層このような傾向に拍車をかけていくでしょう。

この経済活動の迷走爆発と、建て前での政治体制の維持、この乖離がどうしようもなくなった時、「大中国」が建て前を棄てた資本主義国家「大中国」のまま存続するのか、あるいは内部矛盾を露呈して、体制を変え、周辺部のチベットなどを手放すことになるか・・ただしこの場合は後々の不安要素を存続させますが。

香港の新聞などからちらっと覗きみる範囲で、厳しい監視体制を潜って「反乱」があることも窺えますが、これらが大規模なものになった時、どのように変化していくでしょうか。中国では王朝が崩れるとき、黄巾の乱、白蓮教の乱、太平天国の乱など多くの乱がありましたが・・。

90年代初めのソ連崩壊と、それに続く東欧諸国の政変が、あまりにあっけなくなされたこと、そしてその「後遺症」が意外に少なかったことを思い起こします。KGBや軍などの権力機構の強固であるはずの組織が、あっという間に呆気ないほど簡単にその機能を失っていきました。永遠なるものなし、変わらざるものなし、の思いを深くしました。

 

* やがてアジアブロックの政治と経済の覇権は中国の一手に堅く握られ、

韓国も北朝鮮も、ロシアすらも、また台湾も余儀なく、極東粟散の辺土「日本国」

の追い落としに手強く纏まってくる、固まってくる、と見た方が、より慎重である。

たとえ中国経済や国内事情に、一度二度の烈しい揺り返しが来ても、である。

そしてアメリカは自国のトクにならないことには、日本を守ってやろうなどとは、

まず、手は出すまい。

 

とあなたが危惧される点は、体制如何を別にしても、考えられます。

ソ連崩壊の後、政権をとったものは旧政権共産党そのものではなかったけれど、旧政権の中枢部に位置を占めていた人たちも多くいました。従来の対立の構図を振り払わず、最近の中ソ軍隊は合同演習を行ったり、北朝鮮問題、六カ国会議でも微妙なバランスをとっています。

中国がどのように変化していくか、史実の中から多くを学びたいと思いますが、予測など可能なはずなく、地方に住む風来人は論旨一貫せず、ただ朧ろな感想めいたことをやっとやっと書くばかりです。お許しあれ!

本当はもっとたわいない、遊び心のみ書いていたいのですが。何故か、今日は台風接近のニュースを聞きながら、こんなことを書いてしまいました。    鳶

 

* よく書いてくれました、感謝。多摩のE-OLDさんのメールへの、感謝でもあります。

こういう、狭く観ても極東を統べて行こうと現にしている「中国事情」を眺めていれば、日本ペンクラブが単純に「中国ペンクラブ」と「海外独立中国ペンクラブ」との仲にたってどっちに「イエス」か「棄権」かなどという配慮そのもののある種の虚しさには、気付いていなければならないのである。中国にすれば、たかがペンクラブ的な小団体の帰趨には何の関心も無いか、或いは覇権に役立てる手駒としか考えていないだろう事、明白だ。論理は見え見えで、二つの中国は認めない、同様に二つの中国ペンなどあり得ない。中国との安定と友好を先に考えるのなら、その頑固な建前にはウカとは手が出せない、へんな出し方をすると中国はカサにかかって反撥してくる。

しかしながら、中国の覇権的本意を許容してはいられない。核、とんでもない。近隣国への覇権的干渉、とんでもない。利が在れば既成事実積み上げ方にどこへでも割り込んでゆくこと、とんでもない。領土的野心も、人権抑圧も、とんでもない、とんでもない、許せないのである。その許せない気持をも「含めて」考えない限り、先日理事会の示した「ペン問題」だけに限定した中国討議など、ただの机上の空論なのである。井上ひさし会長の認識にわたしは疑問をもつ、この問題では。

なお、現在チベットは独立国家でなく、中国の地方の省になっている。本来のチベットは三分割されて、いわゆるチベット自治州に二百万人、そのほか青海省などに分散してチベット族が四百万人も住んでいるという。

また京大中国史というのはなく、昔は文学部史学科東洋史。中国だけでなくインド、西アジア史なども含まれており、その伝統は現在に至っているが、中心は中国であったという。

2005 9・5 48

 

 

* 「私語の刻」を毎日拝読し、そうだそうだと納得しながら、自らを励ましているところです。

「わが無明抄」には、ずっとかかわっておりまして、凡愚には「悟り」より「安心」だと思い、凡愚安心の法をあれこれ考えている次第です。それは、ハウツウといったようなものではなく、書く、詠うことによって得られるものではないかと思います。一行が「行」になっているとさえ感じます。

短歌を一首作り上げることによって救われたことは何度もありました。同人誌をまとめたり、地元の句会のお手伝いをしたり、ということも、自他の励ましに通じます。

「ペン電子文藝館」の「読者の庭」には挑戦させていただきたいと思っております。友人にも勧めたいと思います。

「ドラゴン桜」、先週は泣かせてくれましたね。生徒たち同士の繊細な気持が、屈折しながら、やがて率直に表現されてゆくシーンなど、とても感動しました。今週がたのしみです。

ありがとうございました。  葛飾

 

* 詩禅一味ととなえた禅坊主はわが近世前にも後にも、やたら多かった。茶禅一味、画禅一味などともいった。わたしが、禅と禅趣味とは異なるもの、日本の東山時代などは禅文化ではない「禅趣味」文化であると書いてきた。いまもそう思っている。

書いて安心、創って安心。それだと書く、創る場をもし喪失したらどうなるのか。書く、創るがそれでは「抱き柱」に成るのではないか。「抱き柱」がないと安心でない安心は、やはり不安心なのではなかろうか。

2005 9・5 48

 

 

* (夫のため、子のため、また愛する人のため)「ふさわしくありたい」と願うことは間違いだそうですが、わたくしはは「ふさわしくありたい」と願ってきました。女が愛する人のために「ふさわしくありたい」とか、「美しくありたい」と願わないとしたら、それは一種の開き直り、傲慢。「愛されたいと願わない」ということと同じです。男ならぬ身の女とは、愛する者達のために「ふさわしく、美しくありたい」と願う、そういうものです。たぶん。 東京の女

 

* 亭主の好きな赤烏帽子 という。この駄句の作者、男であったか女であったか。これぞ良風美俗だといわれたらわたしは感心しない。しかし、これが無難なんですといわれれば、分かる。まして、女性に、これが自分の「愛」なんです「愛する」ということなんですと言われば、わたしは柔らかに道をひらくだろう。だが、これが「愛されたい」願いゆえの女の心掛けですと聞いては、かなり情けない。

 

* 新秋の女静かに身をまかす  湖

2005 9・5 48

 

 

* 非常に強い颱風が鹿児島へんに上陸しているが、まだ此処までは目だった影響もない。明日の聖路加通院時分はどうだろうか。九日はどうだろう。

 

* 台風接近  朝起きたらいいお天気で、拍子抜けしましたが、西の空はやや黒ずんでいます。風を、感じはじめています。

近場で買い物などしてきましたので、今日はもう、家にこもっておとなしくしているつもりです。

あの小説は、二稿の構想が固まらず、なかなか手をつけられずにいましたが、今週から直しはじめています。

ずいぶんゆっくりした台風のようですが、七日の明日はどうでしょうか。九日には、過ぎているとよろしいですね。 花

 

* 感謝  おかげでアタマの整理がうまくつき、またいろいろの思案が積み上がるかも知れません。ありがとう。

颱風、まだこちらは冷静ですが、もう西では影響していますか。大事にしてください。水の威力は凄い。七千年でナイアガラは影を喪うと聞いています。

バグワンをまつまでもなく、わたしは水派です。『フアウスト』のゲーテも水成説で、火でなく、水派でした。

フアウスト、やがて二度目を読み終えるでしょうが、折り返し三度目を繰りかえそうとも思っています。今度は一行一行に立ち止まりながら。

明日は糖尿診察。そのころ颱風の影響下にあると思われます。  鴉

 

* 台風は、テレビを見ますと九州西岸を北上しているらしく、日本海にうまく抜ければ深刻な影響は避けられるでしょう。中国路は今まだ静かです。

アメリカのハリケーン被害、一週間たっても様子がつかめないとは!

ファウスト・・わたしも読んでいる錯覚に陥ります。・・わたしも読もうと思います。

インドの女の絵、50号はほぼ完成。描きたいものは沢山ありますが、何から始めようか迷っています。

詩をまずまとめよ、という声が聞こえてきます!!! 本当にその通りです。  鳶

2005 9・6 48

 

 

* 月と星    甲子  05.9.6

仕事でエジプトのカイロへ行った。

一行三人。二人は若く、同じ機械メーカーの社員で、一人は三十すぎのメカニカ。一人は二十三か四か、事務折衝を担当。わたしは別の会社なのだが、取引先の商社の要請で参加し、建物と機械と希望生産品目の関係を勘案して、設備配置・人員配置・品質管理など、生産管理者へのレクチャーをする役目だった。わたし達の作業が終われば実作業トレーナーとしての熟練工後任者グループへバトンタッチの予定で、期間は二ヶ月。もちろん、カイロ大学の日本人女子留学生に通訳を頼んだ。  (仕事の話は省きます。)

観光客はタヒリール広場(エジプト博物館がある)に面したヒルトンホテルに一泊し、そこからバスでギーザのピラミッドを見学して、すぐ空港へ直行するが。わたし達はソリマンパシャという市中の繁華街にある、観光客、わけても日本人など近寄らない、ギリシャ人経営の安宿に逗留した。

昔風のホテルで、階段にはアラバスタ石が組み込まれていて前近代風の格調の片鱗を思わせるものだった。

「不潔だ。汚い。だらしない」と若い二人は口を歪めて街行く人や住民に不快感しきり。

投宿一月後ぐらいに、二人連れの若いアメリカ女性が投宿した。女性というより少女?。目が合うと片目をつぶって挨拶する愛くるしい娘さんだった。安宿には違いないが、それでも一応、ディナーはテーブルチャージになっている。二日後だったか、

「May I talk?」と声をかけてきた。わたしは事務折衝をしている若い社員に目を向けた。彼は、われわれの英語通訳も兼ねているはずだが、下を向いたままだった。

「Please」とわたしは言った。すると二人は椅子を持って私たちのテーブルへ来た。テーブルは円卓なので二三人の融通は自由だった。

堰を切ったように話し始めた。

「今日ね、コプト教会の街へ行ったの、半地下になってて、薄暗かったけど、昔の絵、聖母が赤子のイエス抱いてるイコン、見たわ。水彩画みたいな、なんかペンキ絵みたいな。ムスリムが攻めてきたとき、それを地下道通って、ナイル川の岸のパピルスの茂みに隠したんですって。そんな話聞いて、もう、胸がいっぱい。そして、おそろしく原

始的なコインの鋳造機があって、手でハンドル回して重石上げて、レバー引くと重石が一気に落ちて、どすんとすごい地響きして、たった一個の銀貨作るのよ。それがそのイコンの図柄」

もちろんわたしの英語の知識では、全部が判ったとはいえない、が、彼女らは身振り大きく、表情も豊かに交えて話すので、伝えようとする大意はよく判る。

彼女が差し出したそのコインを手にとって見た。イコンの図柄の彫りも浅く、周りも潰れていて、決して上等とは言えない。銀であるのは本当のようだ。

「Oh it was good」

翌晩だった。

「それでね、コプト教派の修道院があるって聞いて、きょうそこへ行ってきたのよ。ワジ・ナトレームっていうの。オアシスって言ってたから、なんかロマンチックな風景、期待してたんだけど、ドライバーが「ここだ」って言った場所、砂漠の真ん中なのよ、椰子の木とか草むらとか、何にも見えない。見渡す限りの砂地。「どこなのよ」って怒鳴っちゃった。そしたら「500メートルぐらい行くとある。崩れるといけないから、ジープはこれ以上近づけない」って指さすのよ。「待っててね」って言って、そこから歩いたわ。そしたら、オアシスって、穴ぼこじゃない。砂漠の、砂の穴。杭が立

っててね、そこに梯子があるの、長細い、そうね、楕円形の穴の谷底。椰子はなかったけど、草は生えてたわ。何ていう草か、名前は知らない。水があったわ、ナイルから遠く離れて、地下水なんだけど、ナイルの水だろうって言ってたわ。それで両側の壁がsait—neutrale saltの塊り。そのsalt に横穴掘って、木の枠で作った礼拝堂があって・・・・」…。

……

「You are what years old.」

「for me, eighteen years old and she are seventeen years old、coming out –you — ?」

「and fifty years old」

「– lie -!! 」「– lie -!! 」二人同時に声を出す。

「– it is true — fifty years-old」

「they being about forty years old, however it may see」

「it being thank you somehow」

寒い期間、街角でホットミルクを売るアルバイトをしてお金を貯め、この旅行を決行した。帰ったら学校にレポートを出す、ということである。

「甲子さんて、英語できるんじゃないですか」

「いや、できやしないよ。聴いてただけさ」

「ヒアリングOK なら、話すことは簡単でしょう」

「いや、ヒアリングというのとちょっと違うんだが…」

何と説明すればいいだろう。わたしが「聴く」と言っているのは「言葉を、聞く」のではなく、「意、を聴く」ということなのだが…、日常の生活習慣と比較して現地の人の生活を「不潔だ。汚い。だらしない」という感覚で見ている若者に説明しようもない。それらの不潔さや汚さやだらしなさは、彼らが生まれる寸前まで日本にも日常的にあったことなのだ…。

一週間後の朝、わたし達がシェリカ(企業)の迎えの車に乗るためフロントへ下りると、明日は帰る、と言っていた二人の娘がチェックアウトして出るところだった。半袖・半パンツ・大きめのリュックで両手は手ぶら。タヒリイル広場からバスで空港に向かう、という。

「バァイ・オンリィナウ」「シー・ユウ」。手を上げ、中の三指を交互にピラピラ動かし足取り軽く、まだまばらにしかあいていない商店街の涼しい朝の道を遠ざかって行った。

もう、三十年も昔のことだ。「オンリィナウ」と言っていたが、会うことも連絡したこともない。名前も所も聞いていないしこちらからも言ってない。三十年経てば彼女らも五十に手の届く年齢だ。キャリアウーマンとして活躍しているか普通の主婦になっているか、子供もいるだろう。

わたしは思う。きっと、よい家庭を作り、よい子育てをしているに違いない。あのとき彼女らの眼は輝いていた。咳き込むように話していた唇からは「驚き」に満ちた言葉が溢れていた。わたしはただ「それで…」「それから…」「oh

」と相づちをうっていただけだ。

彼女らはとにかく「驚き」を誰かに話したかった。相づちを打つ人がいた。言葉が奔流のように流れ出した。それだけだ。飛行機に乗り、家まで帰り着き、親や友達に話すとき、時間が経過している分、ややトーンが低下していたかもしれない。レポートを書く段になると、どう表現すればよいか考えるだろう。そうするとまた、一段とトーンが下がったものにならざるを得ない。

日常の煩雑に追われて、「驚き」は半減し、だが、思い出すことはあるだろう。日焼けにもめげず、靴の中に忍び込む砂で足裏がむずむずするのにもめげずに行った、コプトの修道院。そのたび「驚き」は常に新鮮だ。あのとき彼女の眼は輝きに満ちていた。それこそ「ガゥハル・サハリ」(砂漠の宝石)だった。

絵葉書に見るギイザのピラミッドを背景にして、二本指でVサインした写真だけ持って、ホテルのスーベニアで買い物して家に帰り、「なんだこれ、made in Japan じゃないか」などと息子に言われてるツアーの中年おばさんの眼には「ガゥハル・サハリ」は宿りようもない。

それから一二年のうちに、サダム大統領は暗殺され、古都テーベで観光客がテロ攻撃に遭った。いま中東は騒然としている。近寄るすべもない。

はてさて、三十年も昔のことを、わたしはなぜ思い出したか。選挙です。きょう選挙公報が舞い込みました。字数に制限でもあるのか、形式に枠でもあるのか、なべて同じ結構づくめのスローガン。詳細は字づらの間から読め、とでも言うのだろうか。これだ、と訴えてくるものがない。

わたしが「聴く」と言っているのは「言葉を、聞く」のではなく、「意、を聴く」ということなのだが…

カイロ大学の日本人女子留学生は、バイトとして旅行社のガイドをしていた。日本では花の盛りの四月始め、頼んで、グマア(金曜日、イスラムの休息日)にサッカラへ行った。カイロからナイルを100キロほど遡ったところの階段状ピラミッドのあるところ。

ナイル河畔には緑多く、椰子の林もあるが、草木がだんだん少なくなっていって、砂地が増え、そうして砂漠になる、と考えていたのだが…。事実は全く予想を裏切るものだった。椰子の林を抜けると、突如、高さ十メートルほどの断崖があり、人工で作った路を旅行社のランドクルーザーで上る。と、そこからが砂漠だった。

ギーザなど観光地ではなだらかな坂にして道路も舗装してあったが、ここは路こそ作ってはあるものの、原史そのものの光景である。他に観光客はいない。遺跡もたいへん興味深く観たが、隊商宿の跡、というのがあった。椰子の木で柵を巡らし、そこに駱駝をつなぎ、到着した隊商から荷を下ろし、出発する隊商には商いの荷はもちろん食糧その他の旅支度を調える店が並んでいた、と言う。

「わあ、西部劇に出てくる砦みたいだ」と若い二人は通訳(ガイド)と共に建物の跡へ入って行った。

わたしは運転手とともにピラミッドの裏?(西)まで砂の上を歩いた。地平線を見たいと思ったのだ。地平線とは空と陸の境にある、横一線の、いわば地球の輪郭、と思っていたが、そしておぼろに、あれが地平線、と思えば思えるのだが、砂の色と空の色は渾然としていてはっきりとは分からない。

運転手は英語が話せる。聞くと、彼は布鞄から双眼鏡を出してくれた。

炎が燃えさかる野焼き、いや、そんななまやさしいものではない。横一線がみな燃えさかって、生けるもののすべてを焼き尽くし、近寄るすべてを拒む劫火の様相だ。地平線どころか、空と陸の境を溶解して、どこまでが陸で、どこから空になるのか、混沌・渦を巻く、の状態だった。

「いつもこんなふうなんですか」

「ああ、昼間はだめだね」と、エジプト人の運転手は言う。

「季節によるけど、砂嵐で、とにかく昼間はこんなふうなんだ。いまは東風だから砂は向こうへ吹き流れている。が、月末から来月になると太陽の影響で西風に変わる。そうなるとカイロも砂嵐の中だ」 そしてごくりと唾を呑み、

「ヤアバン(日本)の旗は太陽だって聞いたが、ほんとうかね」

「そうだけど…」

「だったらサハラの人たちには見せないほうがいいね。サハラの民は、太陽は悪魔だと思ってるから」

「………?」

「だから、サハラの国の旗は、月と星の図柄が多い」

(サハラ、はアラビア語で砂漠を意味します)

ホテルへ戻って地図を見ると、ナイルの川岸からリビア砂漠の入り口を垣間見たにすぎない。クルト・ユルゲンス主演の映画「眼には眼を」をだいぶ昔に観たが、あれはアルジェリアの砂漠が舞台だった。ラストは、凄い砂丘の連なりへ徒歩で迷い込む、というシーンだった。クルト・ユルゲンスはいつも絶望の彼方をみつめているような険しい

眼差しをしているが、地図ではサハラ砂漠のほんの入り口だ。砂漠の中央は、どんなふうなのだろう。

台風はこれからが本番のようです。ご用心…     甲子

 

* 「e-文庫・湖(umi)」の「甲子述懐」はもう十編を越している。

 

* 空海の茶の種   囀雀

いちじくをもぐ手に伝う雨雫  (虚子)

風はありませんがよく降ります。

昨秋、花の窟神事に、道も鉄道も不通だった大害を思い出しています。宮川町はまだ回復していないそうで。颱風が、無事通り過ぎてくれることを祈っています。

さて、具合が悪い悪い言いながらよぅ遊んどるなァと、思ってらっしゃるかしら。主人にクルマを出してもらい、ドア・トゥ・ドアですから出かけられますの。

一昨日は、ちょうど駐車場の地主さんが無花果をもいでらっしゃるのにゆきあい、ひとかかえいただいて、栗が実り、刈り入れの始まった田の中の道を、山添村へ、田原へとクルマを走らせました。

山添村神野山の、行基が開いた古刹は、行ってみるとやや距離があり、雨催いでもあることから、先を急ぐことにして、鍋倉渓に立ち寄りました。そこで雀は、栗のいがのように、口をあけたまましばらく立ち尽くしました。

奇岩、巨石の谷はいくつも見てきましたが、岩そのものが流れ下っているかのよう。写真ではわからない迫力です。天狗伝説、古代人が、天の川と夏の大三角形をうつしたものと考えたくなるのもわかる気がしますわ。

山はハコモノがいっぱいあり、小休憩。展望テラスがある一角は、展望茶室、喫茶と茶粥などの食事処、物産館と大和茶尽くしで、そこの展示によると、聖武天皇が行茶を行なった記録があり、空海が種と茶臼を持ち帰り、室生に播いたのが大和茶の起こりとか。

以前に室生寺の四至を訪ねたとき、赤埴源蔵の出身地という赤埴の仏隆寺で、その茶臼を見せていただいたことを思い出しました。お寺の前庭に、パラソルつきのテーブルを設けて喫茶をなさり、葉茶を商ってらしたわ。

空海の前からも、茶は持ち込まれていたでしょうし、栽培がそこから始まったというのですから、野生の茶はと考えると、ホント、古いものなンですね。

抹茶メニューのある喫茶には、祇園辻利のアイスや菓子がありましたが、物産館に大和茶アイスがあったのでそれを食べることにしました。店番のおじいさんが「そこで食べたらいいよ」と椅子とテーブルを指し、お茶をいれてくださったのですが、そのおいしかったこと!

窓の外はみるみるうちに霧が立ち上り、さきほどまで楽しんでいた眺望が、まったく見えなくなってしまいました。流れ込んでくる風は、涼しいのを過ぎて寒いほど。熱いお茶がおいしい。

さて、光仁天皇は田原東陵、春日宮天皇陵が西陵。当節どこもご親切で、「石走る…」の歌碑が、春日宮の御陵入口に立っていました。

初瀬街道から榛原町の鳥見山へ少し入ったところに、春日宮妃陵とあるのを地図で見つけて、ずっと気になっていたのですが、志貴皇子妃でしたのね。

帰りは都祁を通りました。旧道を走ったのですが、西へ向かうと名張あたりで初瀬街道に合流し、東へ向かうと、

福住、櫟本へと書かれています。地図を広げ、たどってみると、和爾下神社や井筒の井戸があり、筒井、高安、業平橋。勝林寺を尋ねた折、業平伝説の説明板がありましたわ。業平が通った道、この道を行くと斑鳩…そう思うと、アスファルトの道路が急にロマンチックに埃立つように見えました。

茶畑を耕していて、遺骨と墓誌銘が見つかった太安万侶。茶畑のドライウ゛でした。

伊勢茶の産地、度会にある道の駅では、給茶機で緑茶をサービスしているのですが、それもとてもおいしいのですよ。誇りをもって「おいしいでしょ」と言える作り方、すなわち生き方が入っているからでしょうね。豊かで大らかであったかくて幸せな気持ちになります。

西尾市に一度行ってみたいと思っているのですよ。宇治金時を西尾金時といい、、宇治といわず西尾○○という、お茶尽くしの町ときいています。  囀りました。

 

* 甲子さんも雀さんも、いっときの涼を送りこんでくださる。

 

* 明日の診察にそなえて節制していらっしゃることと思います。

この秋初めての栗蒸し羊羹を買ってきました。半分くらい食べられるほど大好物。明日の昼過ぎに食べることにしました。半日のおやつ断ちですが、診察の結果が良かれと願かけです。明日のおやつに、湖の節制一時解禁をよそながら祝して食べましょう。

明日のお出かけは雨風が気になりますが、昨今は、無防備な人間をホームから突き落としたりするオカシイ人がいますから、ついついホームの端を歩くのがお好きそうな方は、ご注意ください。

水回りの掃除などして、パソコンの前でため息つきつき、と、地味に地道な明日一日になるでしょう。これからは地味と控えめというのを目標にすると、いつか本当に褒めていただけるかもしれませんね。

今夜もお元気に楽しくお過ごしください。早めのおやすみなさいのご挨拶です。実際は二時くらいまで起きている悪い子なんですが……。  夏は夜

2005 9・6 48

 

 

* 風  今日の診察はいかがでしたか。お報せくださいね、しんぱいですから。

台風は、東海地方をかすったでいどでしたから、何事もなく済みましたよ。 花

 

* 颱風は佐渡沖を北海道再上陸をねらって北進中。東京に今もごとごとものを鳴らして風が吹いている。

 

* 心惹かれる「読み」仕事に熱中していたら、一時半をまわっている。メールを開くと、日頃は十時には眠くなるという人が「眠れません」とメールを寄越している。夜のコーヒーはいけません。

2005 9・7 48

 

 

* 地名   「いぢわるばあさん」に、理路整然滔滔滔の大卒の嫁の愚痴をこぼす女友達に、「天重」をぱくつきながら、 ♪明治が昭和にやりこめられて、大正エビでうさ晴らし、アコリャコリャ と茶化す場面があります。

西東京市と聞くたびにどうしてもこれを思い浮べてしまいますの。京から東京に居処かえて、西東京市の京男さんの、尊い警笛。 「覚えて、伝える…」 ノーテンキ雀には、慮るちからが、相当要ります。でも、努めますわ。

観光でいただいたパンフレットを整理していて、裏に、詳細な地図があるのをいくつか見つけました。時間を忘れて見入っているうち、主人の亡くなった伯母を思い出しました。

二人で訪ねたときのことです。従妹の家まで送ってくれないと頼まれました。あれで一時間以上クルマを走らせたでしょうか。久しく会っていない、前から頼んでいた花の株をわけてもらうのと、うきうきしてらしたのに、彼女の顔を見るなり、「地図ない?」。

出された地図帳に、ものも言わず見入ってしまわれました。あっけに取られた雀に、従妹さんは、「また始まった…。このひと、地図が好きでね、この調子じゃしばらくかかるわ」と、お茶をいれて、わたしたちをねぎらってくださいました。

明治生まれ、長女で女学校出、生涯独身を貫かれ、長野県人の典型といえる知識派、とにかく本や書がお好きで、ことに歴史がお好きな方でした。机上で、また、でかける道中で、書物と地名など結び付くのが、その発見が愉快でらしたのかも、と、今になってそのお気持ちがわずかながら実感できるようになりました。

雀は、地名にそれほど興味を持ってきてはおりませんで、こちらに来てから、読めない地名が多いこと、芝居に出

てくる地名が実際にあること、当世では“過疎の小さな村”といった扱いをされる集落が、「記紀」以来の地として自負していることに刺激を受けましたの。

それを一因とし、なにより、繰り返しお書きになる、地名に関する観点をいただいたことが、大きな影響で、旅や移動をしている最中に、川や橋の名、バス停や交差点名に残る旧い地名に目を注ぐことが多くなりました。

京の市内をタクシーで走るときなど、ローマ字表記を口に出して読むことが何度もあり、カラスマルマルフトルマチではありませんが、運転手さんに、頓着せず「なんて読むんですか」と尋ねることにしています。

地元の生まれ育ちの人から “はぁ?” と呆れたふうに、「なに…テ、○○ですやん」と返辞され、

「へぇえ。ぱっとは読めませんわねぇ。こうやって、京の都って、他所もン田舎もンを区別するンだからぁ」と軽くにらむように答えましたら、

「へ。そんなこと思ぅたことなかった。そぉかぁ。なんや京都て、わしには居づらいとこやな思いながら、今までしょうことなし五十何年暮らしとったけど、いややったンは、そういうことなンかなぁ」と、えらく深刻になられたことがありました。  囀雀

 

* なんゃチクリとやられた気がしますなあ。

2005 9・8 48

 

 

* 出がけに、男性の二百五十枚はあるか、小説一編のプリントが届き、鞄に入れて出かけた。

2005 9・9 48

 

 

* 夕方のTBSニュースで「ドラゴン桜」ブームと特集されていました。漫画の原作者は出てきましたが、脚色という大変難しいことをなさっている脚本家の建日子さんが出て来なかったのは片手落ち。(放送禁止用語ですが、他にうまい言いかたを思いつかず。)アカデミー賞の中にも脚色賞がありますのに。

私語を拝見して、病院の定期検診は問題なく、御馳走も、ああ、食べ過ぎというものの、おいしそうで喜んでいました。ご一緒できないのが、とても残念。

重陽の節句。

菊の和菓子が食べたくなりますが、ダイエットいたしませんと。  秋は夕暮れ

 

* 延年菊花酒   重陽の朝封切りし庫の酒 (西山小鼓子)

菊の杯酌み重ねつゝ健康に (高浜年尾)

伊國屋書店の担当者が、「美本入手できず」と、二度も発送を見送る断りをいれてきた「美の回廊」。そうせずにはいられない、すべてが釣り合いのとれた、美の本ですね。湖の本を始められた思いに、一段とひしげます。

大文字の奈良に行ったとき、拝観客の多さに三月堂の方が張り切って説明に立ってらしたのですが、手向山八幡宮の御本尊は僧形なものだから、廃仏毀釈のときに別の場所に移してお守(も)りして、いまも、そこにそのままあって、あそこはいま御本尊不在なんですよ、とおっしゃるのに、なぁンや留守宅に頭下げてたんかァと思ったのですが、その像が、「美の回廊」に取り上げられていて、しかも、来月5日が開扉とわかり、行ってみようと思っています。仏さまの追っかけは忙しいので、雀は、ご神体にうつったのです。盗難や国博預けという不在もありませんしね。

ご開帳、特別開扉というと思い出すのが、浄瑠璃寺の吉祥天を見に行ったみうらじゅんさん。同行のいとうせいこうさんに、

「あーあ、ママはまた明日からお休みか」

「いとうさん、ママはねぇ、ママはハワイで休暇を過ごすんだよ」とおっしゃって、雀は、それいただき、と気に入っています。お目当ての仏が見られなかったときに、郷ひろみの ♪会えない時間が愛育てるのさ、目をつぶれば君がいる を引用したのも。 囀雀

2005 9・9 48

 

 

* 民営化と選挙  こんにちは。福岡はまだまだ夏です。八月の終わりに涼しくなったと思ったら、台風が近づいて暑くなり、上陸すると大いに荒れて、過ぎてみたらまた暑い。平均気温だけは秋かもしれませんね。

多くの企業は10月の初旬に「内定式」があり、これに参加することで正式な内定を受けます。いまの僕は「内々定」を人事部から個別的にもらっているだけで、たとえば*社(現時点の僕の就職先です)に電話をかけて「お断りします」と言ってしまっても、*社はそれを引き止めることはできません。

実は「秋採用」にも取り組んでいます。*社に納得いかないということではありません。春と夏に都合の合わなかった企業で、秋にも追加採用を行うところがいくつかあります。その中に、*社より自分に合った企業があるかもしれない。両親の助言もあって、できることはすべてやろうと決めました。いま選考を受けている企業から内々定をもらったらどうするか、*社は断るのか、とさんざん訊かれました。それはまだわかりません。できることをすべてやりきる、それだけです。

明日は選挙ですね。福岡(県か市か忘れました)の期日前投票が、有権者の8%近くにのぼっているそうです。これはすばらしいことだと報じていました。選挙への関心が投票に結びついているなら、なるほどすばらしいことです。

では、なぜいままでその「すばらしいこと」は起こらなかったのでしょうか。郵政民営化は、そんなに切迫した問題なのでしょうか。かりに今回の投票率が高くて、それは小泉首相のパフォーマンスによるものだとするなら、選挙のたびにあんな不自然な盛り上げかたをしなければならない。それはとても残念なことだと思います。

郵政民営化には賛成です。というと少し違って、公務員の受け持ってきた仕事を民間に委ねる取り組みには賛成です。しかし、やみくもな民営化は反対です。いや、反対だと最近思うようになりました。

僕は赤字の続くもの(一部の政府系金融機関など)は積極的に民営化して無駄を減らすべきだと思っていたのですが、先日ある新聞に「黒字機関こそ黒字のうちに民営化すべきである。赤字の公的機関は、赤字ででも続けるべき公的サービスをになっている面もあるわけで、赤字だからすぐ民営化、という議論はおかしい」という論説があり、ああそれもそうだよなあと思わされました。

たとえば国鉄や電電公社を民間企業にしたことでどう変わったのか、これから道路公団や郵政公社を民営化するとどう変わるのか、そしてほかの公的機関も民間にまかせていくのか、まかせるならどの機関か。ということは、竹中さんらはさんざん議論しているでしょうが、国民にはまだまだ伝わっていないと思います。

民意がより良い政権を選ぶことを願いながら、票を投じてこようと思います。

建日子さん、絶好調ですね。「ドラゴン桜」、ごめんなさい僕は見ていませんが、話題を呼んでいますね。生徒役の山下や長澤は売れっ子ですし、局が力を入れているのが伝わります。この勢いをうまくいかして、本当にご自分の書きたいものを表現していってほしいと思います。

遅くなりましたが、「日本を読む」おおいに楽しみました。秦さんのエッセイは、当時の「現在」を書いているのに、この21世紀の「現在」にもしっかり批評が届いています。このままの文章で産経新聞に連載したら、きっと大反響です。

毎年、この季節は体調を崩しやすいとおっしゃっていますが、今年はどうですか。

迪子さんともども、どうかお元気でいてください。本当に就職が決まったら、また連絡します。それでは!  理

 

* 投票に思案を重ねるこういう有権者の内心の声声が、インターネットに谺することの、何がよくないというのだろうか、法的に制限拘束して罰しようと、政権は躍起になっている、この先ますます躍起になって行くにちがいない。

何のことはない、政権維持に不都合だからと謂うだけの理由である。国民の基本的人権のあからさまな抑圧である。

わたしは、従来の悪法案の続々成立現象「のねらい打ちしている本丸」は、私民・国民の「インターネット権利の監視ないし拘禁処罰」であると、ここ数年、いろんな会議の場でも発言し続けてきた。そこまでの洞察をもって考慮し抵抗しないといけないと。

これが容易に、たとえばペンの委員会等でも人に伝わらなかった、みな、目先の現象にたちどまって、政権や国権の侵そうとしている人権、思想表現の自由に対する、国の犯罪的な画策にまで思い及んでくれなかった。

まれに、「秦さん、それが正解ですよ」と断言してくれる視野のある練達弁護士がいたりしたけれど。

 

* 明日はいよいよ投票日。いいかたちで「アナウンス効果」が象徴的・圧倒的にあらわれることを期待したい。

 

* こんにちわ 風   午まで寝ていました。一度にこんなに長く寝たのは、久し振りです。起きてみたら、昼の月が出ていました。

風、秋ぐちのお具合、いかがですか。冷房など身にこたえていないといいのですが。

風のおとにぞおどろかれぬる。 秋草のような、花

 

* あすは選挙。また大きく日本が傾きそうなおそれを抱いています。それだからこそ投票に行きます。

花も。ぜひ。 風

 

* 選挙前日。新聞テレビの予想を見る限り、柄にもなくこの国の行く末を憂えてしかたありません。姉に、結果もわからぬうちから憂える必要はない、ふたをあけて見るまで選挙結果なんてわからないと、反対に励まされています。私がとうてい姉にかなわぬところは、物事をいつも明るく捉えることのできる点、希望を失わないことです。

そろそろ夕食の時間。お腹が空いてきています。

池袋に吉泉という和食の名店があるのをご存じですか。お値段はなかなかのようですが、ふぐの白子のから

揚げなどクリームコロッケの食感という説明を読んで生唾ごっくん。池袋に行くことはまずありませんが。

もし宝くじでも当たったら(当たらない限りはむずかしい)行きたいのが新橋の京料理「京味」。一年に一度、鱧と松茸の重なる夏から秋の時期の鱧松茸鍋など絶品という噂でございます。

もっともわたくしめはこんな高級料理でなくても、自分の庶民料理で楽しんでいます。一度御馳走したいのはタンシチューなんですが、狂牛病のせいで牛タンを敬遠するようになって久しく作っていません。

赤ワインと一緒に味わうとしあわせなんですが。 秋は夕暮れ

 

* 「吉泉」が池袋にあるだろうか。「京味」は谷崎先生の奥さんに何度か連れて戴いた。牡丹鱧も。鱧松も。懐かしい。名前は吉兆などのように大げさに聞こえていないが、最高の店である。

それにしても選挙を案じているのか、食べたいのか。当来都人士層の暢気さ。

 

* 明日はいよいよ選挙ですけれど、私は先週、期日前投票をすませました。

ま、どの回も100%信任できる候補者というのはないものですが、どうしても譲れない問題、たとえば憲法や平和への態度とか、庶民の生活に直結する問題、消費税とか、年金、社会保障についての考え方、税金についての考えかたなどを良く読んで決めています。

7月から続けて2度の選挙で、今年の夏は旅行もキャンセルとなりやたらと忙しく、暑く長い夏となりました。戦後60年の節目に、これからのゆくえを決める大事な選挙ですから、いい方向に行って欲しいと祈るような気持ちです。

昔は頼まれてよく宣伝カーのアナウンサー(通称ウグイス嬢)をやりましたが、もう3年ほど前からは断っています。(ウグイスおばさん、といわれてはかなわないですからね。)

あれもけっこう上手下手があり、まわりを良くみて、スポットは「年金」か「社会保障」か、はたまた「少子化問題」かとなかなか頭もつかうし、案外重労働で毎回2キロ近くはやせたものです。

もうすぐ十五夜ですね。父母の故郷、富山市には「月世界」(つきせかい)という名の美しい和菓子があります。卵の白身と和三盆のみでつくった上品なお菓子。お茶うけにぴったりです。今度お送りしますね。   ゆめ

 

* 卵の白身と和三盆のみでつくった「月世界」 これも最高。

 

* アナウンス効果が「吉」と出て欲しい。新聞の出たとこ勝負のような選挙予測を垂れ流しにさせておいて、私民のネット上の噂話や意見や主張を法的に抑制しようと謂う、共謀法などの画策は、また既成の制約は、郵政民営などよりも何倍も危険で、重大な、国の「私」に対する高圧犯罪。

歎きながらとかくアキラメへ沈み込みそう。月世界へ遊びに行きたい、弓と矢を抱いて。 2005 9・10 48

 

 

*  「ヨーロッパに共通する悪徳が存在する。『それは私にはかかわりのないことだ』という言葉がどこでも聞かれる。……だが、そんなことが断言できるのは人間ではなくて粘土の塊だ! いや、すべてが、全世界が私にかかわりをもっているのだ」

ナチズムの台頭の以前から、世界の運命について悩みぬいていた音楽家マーラーでした。

命あるかぎり、死んだほうがましという世の中にしないために努めなければいけませんね。明日はたかが一票、されど一票を力をこめて投票してきます。   春

 

* さ、もう、その明日になろうとしている。みんな、よく、目覚めよう!!

2005 9・10 48

 

 

* 一文字日本史   あす、風は吹くのでしょうか。たとえ、どんな風でも、吹いたほうがいい、新しい花が咲きそうにないことは残念ですが。一吹きしたら、違う方向から吹き返しが来ないとは限りませんもの。

と思いながらも、私自身はカチンカチンの化石のような旧態依然たる政党に投票しようと決心しています。

一文字日本史のなかで、いちばん身にしみて応えたのが「位」でした。この年になるまで、自分の好きなことを好きなように書けたら、いつかは読んでもらえるだろうと、それ以外のことはあまり考えず来ました。明石という辺境に生育して、哀しいかな、位取りの機微に通じません。つまり、ずーっと負け続けているんでしょう。縦横に織り成された位取りの網目に参加しないことは、結局、人間社会に参加しないことになるのではないかと、おかげさまで気付くようになりました。さりとて、さりとて、如何せん。  明石の松

 

* いい読者達に恵まれていると感謝する。

残念なのは、九州大学に在学の最も若い一人をのぞいて、東工大で大教室をともにした元学生たちの誰一人からも、こういう声の届かなかったこと。選挙権が出来たら、他の何をおいても投票には行ってくれとと、何度も何度も何度も教室でも教授室でも言った。どうか棄権しないでください。

2005 9・10 48

 

 

* くず   おはようございます。連日、にわか雨が降ります。お変わりなくおいででしょうか。

宮滝に行ってまいりました。

国栖(くず)、窪垣内(くぼがいと)、象(きさ)の小川と渓流を楽しみ、世尊寺へと足を延ばし、龍門の集落から阿騎野へ出て、大宇陀で、気に入りの大きな最中を買って帰ってまいりました。

きつつきの音をはるかぶり聞きました。柿が色付き、曼殊沙華が咲き始めました。

朝霧です。これから投票にいってきます。  囀雀

 

*  昼過ぎに買物がてら投票も済ませました。自分に一票しかないのが悔しいような、熱意をこめた投票でした。こちらは二時過ぎから烈しい雷雨で、選挙にどう影響するのか、しないのかとヤキモキしていました。

夕食はいただきものの松坂牛を焼いて、大根おろしとネギとポン酢でさっぱり食べる予定。(また食べ物の話でごめんなさい。)お肉で力をつけて、選挙結果を見届ける気力を奮い立たせるのです。そしてとにかく次への希望を作る!

今夜は建日子さんをお迎えして賑やかに楽しくありますように。

八冊の読書をしている湖ほど豊かな時は、めったにないでしょうね。  秋は夕暮

 

* 超薄切片   hatakさん ここ一週間というもの、電子顕微鏡を使って植物組織の観察をしていました。

生きた植物細胞をグルタールアルデヒドという劇薬で瞬間的に殺して、生きていたままの状態で、アクリル樹脂に埋め込みます。

次にガラス板を使ったナイフを自作します。幅十センチほどのガラス板に小さな傷を付け、十分程度の長い時間をかけてゆっくりゆっくり割っていきます。ゆっくり割れば割るほど切れ味の良いナイフができます。

自作ナイフをドイツ製のウルトラミクロトームという機械にセットし、植物細胞を百ナノメーター(一万分の一ミリ)の厚さに切っていきます。

切り口をウランや鉛を使って染色し、電子線を当てた像を電子顕微鏡で撮影します。

出来上がった写真は、植物の細胞壁や細胞膜、原形質、核、ミトコンドリアなどが、いい状態で鮮やかに切れていて、どこかの科学雑誌に載せて欲しいと思うくらい美しい出来でした。

超薄切片という技法は非常に職人的なテクニックを必要とするので最近はあまり使われることがなくなってきました。今回もこの技術を求めて、鹿児島の大学から、札幌まで先生がわざわざたずねて来られての共同研究でした。私も十八年ぶりに切片を切りましたが、腕が鈍っていなかったのでちょっと嬉しいです。

ただし先週は、一週間のうち二日間徹夜。この週末はほとんど寝てすごしました。

でも投票には行きましたよ。  maokat

2005 9・11 48

 

 

* お肉を食べましたが、全く効果なし……。

なんとか元気になるため、一つ以前から申し上げたかったことを。

「湖の本」を、たとえば外国の大学や研究者、翻訳者に送られていますか?

日本語はマイナーな言語ですが、俳句など大変ブームになった国もあります。文学は、音楽や舞踊や繪画のように世界言語ではありませんが、佳いものはかならず伝わりますし、残っていきますので、是非「湖の本」を海外展開していただきたいと思いました。最良の輸出品になります。狭い日本だけでなく、広く世界の文学者たるべき方です。(たしか高田衛先生もそう言われていたと記憶しています。)

日本がこれからの進路に「この道」(選挙結果)を選んだ以上、世界に日本の真価を伝える道は、もう文化藝術以外ありません。トヨタではだめ。今政府が海外に紹介している日本文学も今一つ。小泉八雲の指摘を思い、「湖の本」が世界に拡がるべきだと確信しています。

もし送られるとして、アメリカよりフランスがよろしいかと個人的に思います。おいしいものを食べない国より食べる国のほうが向いています。フランスでは島崎藤村がよく読まれ愛好されているとも聞きます。島崎藤村の研究者なら、湖の作品も読みこなすにちがいありません。

既に送られているのなら、さらに世界のあちこちに、不思議な魅惑の物語を与えてください。それは一つの大きな希望、熱い夢です。ご本の中に「佳き日本」があります。

夢佳し、現実これ修業。気高い魂ほどこの世の苦悩は深いと云います。そういう選ばれた人生を送る定め。

わたくしは金髪のインゲボルグにもトニオ・クレーゲルにもなれないというみじめですが、元気になりまっしょいと、今懸命に自分で自分を励ましております。  秋

 

* あまりのことに……。励ましてやろうということか。感謝。

2005 9・11 48

 

 

* 月様 おはようございます。

今日は献血に行こうと予定していたので昨夜は早くに就寝。

今朝のテレビで選挙結果を知り、唖然としました。

自分の周りでは自民党への批判をよく聞きましたし、今回で政治が変わって欲しいとの望みも込めて投票してきましたのに…。

今回の結果が、不況の嵐を鎮める好機となるとはとても思えず、先々の経済不安に自己防衛するしかないのかと、なお一層気を引き締めねばならぬことに、厳しい思いをいたしております。

本当に日本はどうなっていくのでしょうか。    花籠 四国

 

* 日本列島狂騒曲、ようやく…終わりました。

日本人って、つくづくムードにのせられやすいのですね。思わずため息が出てしまいます。

来週からまた秋の議会が始まりますけれど、しばらく選挙がないと思うとほっとしています。

「月世界」お送りしました。2、3日中に届くと思います。少しですけれど、召し上がって下さいね。 ゆめ 富山

 

* おはようございます、風。

愚かな選挙結果でした。

投票前の報道から、自民が圧勝するのではないかと、うすうす察っせられたものの、望みを捨てずに投票しました、が。

起こってしまったことは、仕方ありません。

無力な私民には、選挙しか訴える術がなかったのに。これから、せめてもの声を上げつづけるしかありません。

ゆうべは、開票報道に挟まれて、世界柔道が放送されていました。

女子無差別級の薪谷選手は、三年前、試合中に膝に大きな怪我をして以来の試合復帰だそうで、注目されていました。そして、ほかの日本選手のいま一つ奮わない中、見事な金メダルでした。

薪谷選手の血のにじむ三年に比べたら、わたしの三年など、どれほどのものか、と発奮しました。佳いものを見て、眠る前に目の洗われた心地でした。選挙結果という現実から、目を背けるわけではないけれど。

いつも風を感じて生きている「今・此処」を、とても大切に思っています。 花 愛知

 

* ポルトガルの唄を聴いていました。そして今は何故かラヴェルを聴きたい、と。

「茫然と」失望しています。元気ではありません。

今朝のHP、「わたしの「今・此処」を、境涯を、昨日の「日本」は、根底から新ためてくれたと思う。根底からもうわたしは何かをしようと思わない。人のためにしようなどと思わない。「日本」のためにしようなどと思わない。わたし自身のためにも何一つしようと思わない。わたし自身を、あたかも見喪うかのごとくに生きようと思う。旺盛になにかをしているとたとえ見えようとも、わたしはもう何もしないで生きる。」には、絶句しました。

「深い嘆きの声を聴く。引きずり込まれていくしかない「無力」の、しかし重い命の呻きを聴く。わたしもまた・・。けれどそれは今に始まったことではなかった。もうずっとずっと以前に確かに肝に銘じて悟ったことだった。」とわたしは即座に日録に書きました。一時間ほど前のこと。

家では昨晩からテレビをつけていません。

先日の台風の風で庭の木の枝が折れたり、葉が枯れました。薔薇が見る影もありません。残暑はまだ厳しいですが季節は確実に移っています。

どうぞ睡眠時間を十分にとって体も心も休めてください。

見喪うかのごとくに、生きられるでしょうか?  鳶 兵庫

 

* からだもこころも自分ではないと思うことは出来る。

からだのはたらき、こころのはたらきを、ともに傍観し観察していることはできる。

自分のようであり自分でないようでありして自己を透過することはできる。

できると、かなり感じられる。

 

* 選挙の結果にがっくりきています。小泉さんの法界坊のような演技に国民はみごとにしてやられた気分で、朝から怒りまくっています。

それはともかく、突然ですが、15日(木)18時30分から国立劇場で「アジアの仮面劇」が行われます。目玉はブータンのツェチュ祭です。ブータンの藝能が日本で初めて公開されるのですが、ほかに、下北の能舞、韓国のクッ仮面劇が演じられます。

夫が突然切符を持ってきたので、急な話ですが、いかがかと思いまして。私は行きます。  小石 文京区

 

* ご厚意感謝、しかし月の中日は、ペンの定例理事会、例会の日で、行かれない。

2005 9・12 48

 

 

* 初秋  二日前には蕾だった柵越しに垂れた隣家の萩の花が、今朝は見事な紅しだれに開花していました。

小泉さんのパフオーマンスに踊らされたかの勝利で、選挙合戦は終了。私の周りの声とは程遠い結果に喫驚。

政策は郵政民営化だけですか。

さりとて国民が民主主義に則り選んだ政党、その国で暮す以外にすべもなく。老い先短い我々老人も然ることながら、働き盛りの子供世代の税金負担、年金削除必至がなおのこと気懸かり。

遣唐使展、お付き合いもあり、二度行く機会がありました。

「井真成」の出自は葛井氏か井上氏かの議論を呼んでいるとあります。当時、南河内周辺で遣唐使が選ばれたという、その辺りは母の里、葛(藤)井寺もごく近辺でもあり、繋がりあったかも、と、古代を想うのも、楽しく。

本館の展示を観歩くのも、好きです。ついでに、ホカッとした大きな革ソフアーでうたた寝するのも、好き。

この度の儲け物は、大きなショーケースに一幅だけを展示の松園の『焔」』でした。

この絵だけは、数ある温和な美人画とは一味も二味も違う、嫉妬で歪んだ表情、そして藤の花にあしらった蜘蛛の巣の意匠の着物も異様で、六条御息所に絡ませた当時の作者の内面が反映されている、と何かで読んだ記憶があります。

松園ダイスキの友人は、この繪、初めて観るワ、と大悦びで、行き帰り溜息をついて観つめていました。

以前に観ていた私は、東武美術館での上村松園展の図録を繰ってみました。あの絵は、東武での展覧会で展示されていませんでした。

ほら、Kという元学生君に語りかける口調の論文が掲載の、あれもまた読み返しました。昨今の、楽しい一つでした。

湖サンの楽しい事は何ですか。 もう十一時、おやすみなさい。  泉

 

* 妻の健康に不安さえなければ、何でも楽しい。

 

* 今回の選挙をみて、芹沢光治良の『死者との対話』を思い出しました。あの作中の「唖の娘」に対する「知識人」の敗北の選挙と謂えるのではないでしょうか。

「唖の娘」の心に届く言葉を伝えきれなかった多くの「知識人」の責任なのか、衆愚なのか、その両方なのかわかりません。これから「唖の娘」のつくりあげるものが、また一つの「人間魚雷」にならないことを、ただひたすら祈って祈り続けるしかありません。

昨夜のように夜更かしなさらず、充分おやすみくださいますように。眠っているとき、人間はこの世ではなくあの世と交信するとか……。  秋

 

* 愚痴を書きかけたが消した。そう、わたしがいちばん望みながら技術的に手が出ないで口惜しいのが、気に入った花や自然の写真を、ホームページに掲載する手順を、完く忘却し、どのマニュアルの何処を見て良いのかも見当がつかぬ事。使用しているのはエプソンのスキャナーと「読んでココ」なのだが。

2005 9・12 48

 

 

* もうお読みになったかもしれませんが、昨日の朝日新聞夕刊から 高村薫 見出し「言論、無力だった」

 

昨夜、私はぽかんとして開票結果を見ていた。そして初めて気づいた。今まで投票に行かなかった「無党派層」は保守だったんだと。おそらく世間はこれまで、無党派層はリベラルだとみなしていたのではないか。それが大いなる勘違いだということが証明された。

自民公認の落下傘候補は今回、無党派層が原動力となって当選を果たした。前議員の1年9ヶ月の政治活動は顧みられなかったはずだ。この国は半世紀、事実上自民の政治が続いてきた。日本人の多くは無意識のうちに保守で、深く考えずムードに乗って投票行動したとき保守になる。そう考えなければ、リストラにあえぐサラリーマンが雪崩をうって自民に投票する現象は説明できない。

単独で安定多数を手にした自民は念願の改憲に向かうだろう。一方で外交は行き詰まり、借金は減らない。道路公団にせよ、今まで小泉政権がしてきたのは官僚組織を温存したままの「改革」だ。とてつもないインフレを起こすかもしれない。確実に生活は厳しくなる。

少なくとも新聞は、投票直前まで「一歩立ち止まり冷静に考えよう」というメッセージを発していた。だが、言論は無力だった。一部政治家とテレビが作り出すムードに無党派層が乗るという21世紀の政治の形をわかりやすく提示したという意味で、「9・11選挙」は文字通り歴史的だった。

 

憲法のことが懸念されます。

先のメールで「わたしは水脈です。」と書かれていました。水よ、あなたよ、老子の言葉をそのままあなたに書きましょう。

 

天下莫柔弱於水、      天下に水より弱いものはないが、

而攻堅強者、莫之能勝、   堅きを打ち負かすにつけて、それに勝るものはない。

以其無以易之、       ほかにそれに代わるものは何ひとつない。

弱之勝強、柔之勝剛、        弱さが強さに勝ち、やさしさが硬さに勝つことは、

 

今朝のメールに庭のことを書いて、雛のことを書きませんでした。台風にも負けず、雛たちは生き延びました。旺盛に餌を求め日ごとに大きくなっています。

元気でいて下さい。  鳶

 

* 似て非なる野党よ     甲子      05.9.13

わたしから「総括」なんて変な話ですが・・・

小泉が「郵政民営化」を旗印にして総選挙にうって出た。民主党が二大政党を掲げて迎撃するなら、なぜはっきりと「郵政民営化・反対」を真正面から打ち出さなかったのか。民主党の根の部分には「反対」を言えないものがあったのだろう、と、推測する。

だいたい民主党というのは寄り合い所帯で、自民の寄り合い具合よりもっとひどい。ずいぶん昔のことになるが、社会党が右派と左派に分裂して、右派は衰退の一途を辿る。右派には芯になる、はきとした政治理念が見いだせなかったからだ。それと、自民からはみだした異端衆が議会での発言権確立のため苦渋の選択の結果の大同団結だった。だから歯切れのいい言葉が生まれる基盤がない。

今回の選挙では、小泉は農村の票を切ってでも都市票をはっきり意識した作戦に出た。それが民主党には見抜けなかったのだろうか・・・。

40年の昔、社会党左派は総評をバックに奔流の勢いで伸び、砂川闘争・60年安保・成田抗争、その間に学生運動があり、安田講堂事件などがあった。

わたしもその頃、定時制高校生などを含む読書会などに関わっていた関係で、砂川・60年、などに誘われたが、当時の社・左派は共産党よりもっと過激な超左翼ともいえる Bolsheviki の武闘派で、権力奪取の臭気芬々。それを感じて身を離した。

政治革新は必要だと思う、何でもかでもアメリカの言うなりではこの国の存在理由があやしくなる。が、それは選挙を通じて行うべきで、デモは結構だが、角材にヘルメットでは賛成しかねる。大部分の民衆は行動に参加せず、たとえば砂川では最大の労組であった基地従業員組合は抜け落ちていた。それはそうでしょう、基地依存の体質はそのまま、闘争には参加しろと言われても、二の足踏むのは目に見えている。

その後、成田抗争を経て内部分裂、内ゲバという暴走族・悪ガキの喧嘩みたいになっていった。権力奪取闘争の断末魔とでもいう様相だ。そして総評の解体、社・左(社会党)の凋落。そして今や連合からも三下り半。

社会党は社民党となり、自衛隊容認の姿勢に変わった。国民を、国民は、とおたかさんは絶叫し九条を守る、と言い切るが、自衛隊容認とは何だ。既成事実を認めただけだと言うなら、憲法が改悪されたら、それも既成事実になってしまうではないか。

だいたい共産党以外の現野党は、地域社会への浸透の努力が足りない。国民は、国民はと絶叫しても、「国民とは俺のことか?」と、有権者は思うのではないのか。

地域社会への浸透には金が要る、と言うかもしれない。だからパチンコ屋の献金を受け取るのか、パチンコ屋組合(当時)の裏で誰が糸を引いているのか判らなかったのか、拉致問題が表面に出て、慌てて声明を出す。それが理論の秀才おたかさん率いる党の実態であった。

わたしは発足当時の、佐々木更三や江田三郎や浅沼稲二郎が好きだった。それだけになんとも口惜しい。

野党よ、もっと腰を延ばして、しっかりしてくれ。議会外の青二才になどに振り回されぬ、しっかりした地盤を創れ。二大政党はそれなくしては生まれようもない。

ま、どうでもいいけど・・・     甲子

 

* わが友福島瑞穂は「国会へ来てください」と支持者にいつも呼びかけてくるが、それはサカサマなので。

いまどき福島瑞穂が国会の中でどう賢く囀っても、根を張った「票」のタシにはならない。福島党首以下がハッキリ国会の外へ、ドブ板を踏んで働く人達を尋ね歩くという野党の本道へ戻らない限り、ゼッタイに社民党は返り咲く日なく、立ち枯れてしまうだろう。

日本のような未成熟人間の社会では、古めかしいけれど、与党とは雇い主達のあつまり、野党とは使われる者達の団結のことで、農民と商店とは、政策次第で右往左往することは心理的にも歴史的にも知れた話である。彼等は小なりとも領主であり城主である気で居る、が、場合によってはもっと悪辣な大領主や大城主にコケにされる立場にもいるからだ。

この際ワケの分からない「社民党」などという非日本語党の名乗りからも脱皮し、実質「勤労者党」に立ち返らねばほんものの「野党」には永久になれないし、まして政権へなど近づけるワケがない。逆に解党の日はちかい。

政権など安い夢を見る前に、確実な野党になりきらねば。そのためには基盤がなければ。勤労者達にむかい、あなた方が党主であり、福島以下代議士達はあなた方のために闘いますと言うべきだ。日本社会党の命運を狂わせた観念論の土井たか子落選を、奇貨おくべしと立ち直る好機にして欲しい。

勤労者達の給料や権利の一部としての「憲法」を語らねば、「票」にはならない。票を自力で得られない政党は、つまり潰れる、しかない。

「国民」という抽象的な名前で、勤労者とその周囲を呼んでいては話にならない。「私民」の立場に徹し、その基本的人権と安全・福祉を守らねば、「野党」とはいえない。「国民」ということばは、「私民」を変じて「公民」とおもわせることで、「公」の管理下に「私」を束縛しようとするマヤカシ、催眠効果をねらうことばだと心得た方がいい。

主権在民。それが根底の基盤。野党が頼りなければ「私民の幸福」は、公権支配により衰弱の一途を辿らされる。 福島瑞穂よ、読んでいるか。

 

* おいしいお酒を飲んで、おやすみになれましたか、風。

残暑が厳しいですから、体調にはお気をつけください。そして、お元気でいてくださいね。

花は元気元気。

 

* 足裏がジンジンしびれ、総身、活力溢るるという状態ではない。ものに堰かれ、流れ敢えぬ心地。もう、やすみたい。

2005 9・13 48

 

 

*  from Kyo Barcelona

あなたはイラク戦争を支持しますか、それともテロリストの味方ですか。

あなたは郵政民営化賛成ですか、それとも税金でぬくぬくと私腹を肥やす「国民の敵」の一派ですか。

あなたが後者でないならば、ブッシュと共に戦いましょう。

あなたが前者であるならば、小泉と共に挑みましょう。

分かりやすい政治、驚くほど限定された二者択一。

そうしてブッシュは選挙に勝ち、こうして小泉は圧勝しました。

海外では投票期間は四日間。私はいつでも投票できますが、万が一のこと、例えば二日目に事故に遭うことも考え、やはり初日に投票しておきたい、と。

何をおいても投票には行くスペインの夫を持った日本の友人に言えば、思いがけず一笑に付されました。それほど真剣になることでもない、と。

選挙の結果をそれほど真剣にとらなくて済むものなら、どれほど有難いことでしょう。

つい最近の話として、フランコ独裁政治が話題に上る度、私の住む現在のスペインがそうでないことをしみじみ有難く思ってきました。

二年前、独裁者を思わせるアスナール政権が倒れたことを、つくづく有難く思ってきました。

今回の選挙結果に、日本に住んでいないことに少しばかりほっとしたことを白状します。

分かっています。ほっとできるような事態ではないことも。

母国に帰れない日が来るかもしれません。

祖国の体制に反対する日本人狩りがあるかもしれません。

日本には「身内」も住んでいます。

それでも、少しばかりほっとしてしまいたくなるくらい、落胆しています。

 

* 京の夢 見ています。いい日本語で、京が京になっていくのを待望しています。

一年続けてもらっていたハガキの便りなど、一度ずつ電子化しておいたら良かったのにと悔いています。あれは京の青春だった。

お元気で。わたしは、いま少しバテているようです。 湖

 

* おはようございます 風

早速、ありがとうございます。直していただいた文を参考に、手を入れていきます。花

 

* おはよう 花

直しの感じ、なんとなく理解しましたか。文の緩急、しまり、音楽。小声で読んで行くと耳ざわりは分かります、すぐ。舌が縺れたり、無意味に同音を繰り返し書いてたり。口語の場合、適宜に語尾を省略しないとくどくなります。会話は、現場のやりとりの実感をよく想い描いて、心理の説明を書きすぎないこと。効果的なカタコトで済ませているものです、親しい仲ならとくに。

つづきも読んで行きます。いま連載エッセイのことがアタマにあって重たい。

バテていますね、明らかにわたしは。今朝は七時半まで眠れましたが、そのまま起きています。機械部屋が暑く、冷房すると冷え込んで。

午後、美術展と能とに出ようと思いましたが、この分では家で休息になりそう。うまいラーメンなんか食べたいです。食欲はあるんです、いッつでも。 風

2005 9・14 48

 

 

* 那珂甲子雄さんの書き下ろし長編小説「夏はすぎても」を「e-文庫・湖(umi)」の書き下ろし長編・小説の二つの欄に掲載した。

「e-文庫・湖(umi)」肇めてこのかたの力作(投稿)長編であることを疑わない。秀作と言い切っても佳い。

作者は名の示すとおり一九二四年、大正十三年甲子の生まれ、今年(二○○五)はもう傘壽も過ぎておられる、しかもこれは末尾脱稿歴の示すとおり、今日只今の創作であり、筆力の確かさに驚く。「夏」の一字に託されたのが、人生の夏という以上に、あの敗戦の夏であることは察しがつく。大きな川の流れのように書かれながら、作者はたんなる経時的記録構成を排し、全編にアヤをつけている。新奇でも珍奇でもないが、動機のつよさが表現によく反映している。こういう才能に嗅覚の及ばない当節出版・編輯のちからを、思わず慨嘆する。未萌の若い書き手たちよ、刮目して批評・批判し、励まれたい。:敬老の日に先だちて掲載。  湖

 

* 那珂甲子雄・・・  甲子  05.9.14

ありがとうございます。小学四年生だったころ、歴史の時間で、遣唐使・小野妹子の話になりました。そのとき先生が黒板にわたしの名前を大きく書き、「子」という字を女の子の名前に使うようになったのは武家社会に入って以後のことで、その前までは男子にも頻繁に使われたものだ、と話されました。

ある同人のWEB から誘いがかかったことがありました。もちろんメールだけの交信でしたから面識はありません。年齢を聞かれ、「名前からおわかりのとおり、甲子園ができた年です」、と答えましたところ、「お父さんは余程のプロ野球ファンだったのでしょうね」という返信に、足を遠ざけてしまいました。

「中かねお」と思ったこともありましたが、先達に「中勘助」があり、「中」一文字に未練は残りましたが、あやかり根性と思われるのも嫌で、あきらめました。

「那珂 甲子雄」 後尾の「雄」がじゃまな気もするのですが、いかがでしょうか。 なお、HN の「甲子」はそのまま続けたいのですが・・。

長いものをお煩わせいたし、感謝いたします。もう、つぎに書くものに手をつけました。

かっ、と照りつけています。少し暑いようですが、軽装でいられるのがなにより。

夏ばてのなごり、お気をつけ下さいますよう・・・   甲子

 

* 全編を出来る限り丁寧に読み、改行の曖昧なところ、不審な化け記号などもみな私なりに斟酌して落ち着けまして、「e-文庫・湖(umi)」の小説欄と書き下ろし長編欄の二個所に掲載しました。 おみごとでした。

私には苦になりませんが、未熟な読者は時制(テンス)にやや立ち止まるだろうと思います、が、安易に経時的に書かない力技に務められた気魄で、成功していると思います。会話の多用と練達とが、全編を、佳い小説の空気で包みました。

感謝します。「e-文庫・湖(umi)」が重きを加えました。 湖

 

* 嘆くなかれ、老人よ。  樹・多摩e-OLD

そう、やられた! 誰かに、何かにやられた! 犯され、侵されたんだ。ジャーナリズムは原意のとおり、すっかり「日替わり」迎合メニュー化して、誰かに何かに乗っ取られた、やられたんだ! 第三の権力はどこへいった、なんてのは、死語。マスコミはそうマスコミに戻った、と気づかされただけ、大衆・大量伝達の効果をいかんなく発揮してくれた。

高村薫さんよ、若者が保守化なんて――あなたの記事は読まなかったし、TVや新聞ではあまり同じ意見はなかったようだし、僕も一瞬そう思っていたけど ――そうじゃないんですよ。

とっくの昔から、若者は「保守」にしか生き残れる道がなかったんだよ、勝ち馬に賭ける、強者・勝者・覇者・超人に惹かれるのは当たり前だったんだ、気づくのが遅かっただけ。○○を抜かれて、わけもわからず、さまよっていましたよ。

老人よ、老人予備軍よ、知識人よ、不明を恥じよ、非力をとことん思い知れ、これ以上敗戦を語るな、分析するな、そして嘆くな、還れ、汝の幻のキサナドゥーへ。

さあ、子育ては卒業した、もう後戻りはできない。生きるかぎり、子、孫を大事にしろ、ひ孫を想え、自然を守れ。徴兵でもっていかれる、苦労するのは彼らなんだから、生きる限りいい思い出をつくってやろう。

ジャーナリズムは手のひら返えしたように急にモノ言いが変わった、うろたえぶりは徹底していた。彼らよ、まったくの不明を、迎合を恥じよ、そしてどこまでも堕ちよ、罰を受けよ。なだれをうって、勝者への追従が広がっていく、まだ「ヤラレタ」ことに気づいていない、マイナーのか細き声は消されていた。

今朝は、気分を少し切り替えた。しょうがないな、クライばかりじゃ。嘆くばかりじゃ。自己矛盾、自家撞着の老人よ、知識人よ、ダブルスタンダードはあなたたちだけじゃないんだから、もう嘆くのはやめにしようぜ。

たとえば弱わっちい日本を望んでいなかったじゃないですか。嘆くばかりじゃますます「保守」「反動」と断じられますよ。子や孫や身の回りを思え。今朝は、早くからカミサンが外に飛び出していった。僕は、フィーバー期間中、おろそかになっていたベランダの草花を手入れし、洗濯を二度し、晩飯の献立を考え、室内とクーラーを掃除して、職場に向かった。出勤には、自転車を使わなかった、ちょっぴり寄り道で野花を楽しんだ。

さあ、これからだ。

2005 9・14 48

 

 

* 出自   甲子  05.9.15

「e-文庫湖」に『夏はすぎても』をお取り上げいただき、ありがとうございます。なんとも晴れがましい気分、横溢しております。連載物ご計画中の貴重な時間をお割きいただき、まことに申し訳なく、逆に申せばわたしにとって、これにすぐる幸せはありません。

作品がわたくしなりに一応のまとまりをもち得られましたのも、ひとえに先生のご助言あったればこそ、と思っております。

歌舞伎に深い知識など持ち合わせませんが、悲嘆・悲痛の場面で、下座では楽しげな囃子を流す、と聞いたことがあります。それこそ表現の極致、と思いました。

人は哀しいとき、悲嘆を訴え、泣きわめいたりしますが、そうして、もらい泣きしたりする人もいますが、覚めたひとの眼には喜劇に写る、のではないでしょうか。

もっとも深刻な悲劇はピエロの仮面を被り、あくまでも観客の笑いを誘う心のうちに宿る、と思います。日本の狂言にも、詩にも、訳詩にも、オペラにも、チャップリンにも・・・

「文七元結」の深川・相川町。地番改正により今は、永代1丁目、となっております。そこがわたしの「出自」です。家業は艀屋(はしけや)、今風に申しますと水上運送業ということになりましょうか。永代橋を150メートルほど河口へ下ったところにありました。

家は隅田川に面し、一間巾の木造(バルコニーというのでしょうかベランダでしょうか)が直接、川の中へ脚を突き立てたかたちの(川へ立てたのですから土台というのはおかしい)丸太のうえに建ててありました。川の対面は日本橋新川町、全国の銘酒を扱う酒問屋の並ぶ街でした。

ベランダに立ちますと右に永代橋、左は石川島の造船所の巨大な(今から見れば小さいものですが)クレーンがありました。今の石川島播磨造船の前身です。

今の鉄製の永代橋は、わたしが物心ついた頃、すでにありましたが、そこから50メートルほど下流に昔の木製時代の橋脚、と聞かされた杭を数本束ねた櫓の跡のようなものが流れの中にありました。いつ取り除かれたのか、中学へ通う頃にはありませんでした。元禄の昔からのものだったのか、その後に掛け替えがあったのか調べもしませんので、はきとは判りません。昔のままだったらわたしの生家から100メートルの地点を赤穂義士が吉良の首級を持って渡ったことになります。当時だったら跫音が枕に響いたかもしれません。

家系はそういった水運に関係があったのか、祖父は一等航海士で、わたしが中学三年のとき、言い換えますと日中戦争と太平洋戦争の中間に「召集令状」がきまして、新聞の一面に大きく取り上げられました「80歳に召集令」「これぞ不惜身命・80にして赤紙」など。

当時、小倉石油という会社がありまして、そこの船でボルネオ(ブルネイ)まで行き、石油搬送の船長を務めたのでした。そのころ相川町は、軍用物資集積所ということで(人も恐るる)内務省からの通達一本で立ち退きを命じられ、深川・森下に移居、同時に回船業も廃業しました。

戦後、相川へ行ったとき、その跡地は窓というもののない巨大なコンクリートの倉庫になっていました。車を運転していたので詳しく観る、ということは出来ませんでしたが・・・ こんな話を連々とつづけてもきりがありません。

三つ子の魂、といいますか、振り返ればわたしが下町に住んだのは中学卒業まで17年の短いものだったのですが、いまでもときによって「べらんめえ」な口調が出ることがあります。

名前は伏せますが、三十五六歳のころ管理職につき、人との折衝の煩わしさに胃潰瘍を発して大きな総合病院にかかったことがあり、十年ほど外来で通いました。その病院は特定の大学卒業生の受け入れ機関をしているらしく、インターン期間を過ぎた初心医師が外来を受け持ち、一年ごとに担当が変わりました。まあ、どうせ処方箋をもらうだけに行くのですから誰が担当になっても構わないようなものですが。ある時点で、はじめて担当する若年医師が「薬の種類を変えます」というのです。

「前にもそういうことで薬を変えたとき、胃にチクチクした痛みを覚えて元に戻していただいたことがあります。いまのこの薬でわたしは安定しているのですが」

「いや、同じ処方ばかり書いてると、ほんとに診察してるのか、と疑って、組合がうるさいのですよ」

「バァヤロー。てめえそれでも医者か、てめぇーがな、医者としての見解から薬の種類を変えると言うなら、はいそうですか、と聞く耳もあろうってもんだ。だが何だと、組合が煩いからだ、何をぬかしゃーがんでぇ、この筍のチンピラ、そんなに組合が怖いんけ、患者の身体なんか診ねえで組合の方に聴診器あてたらどうだ。こんな薬呑むとけぇって病気が重くなろぅってもんだ」

目の前で処方箋やぶり、丸めて医師の机に抛り出し、半ば口開けて見守る医師と看護婦尻目にカーテン開けると、順番待ちの患者が脚を引き、通りやすく道をあけてくれました。二度とその病院へは行かず、かかりつけを変えました。 ご憫笑ください。

次なる作にかかりました、と言いましたが、たいした意気込みのものではありません。そうでもしないと、生まれたての仔を嘗めまわす母猫のように、手放したはずの作品にいつまでも恋々執着し、あちこちいじくりまわす思い切り悪い性格です。

ありがとうございました。深く深く感謝いたします。あとが怖いのですが・・・

体調、充分にお気をつけください。    甲子

 

* ただただ眠い。まだ九時だけれど。蒸し暑さに脂汗が浮いてきそう。シャワーして、はやく休もう。

 

* 那珂 甲子雄さんの「夏はすぎても」を読みました。

現在と平行して、昔の記憶が辿られてゆく構成は、ちっとも複雑ではなく、しっかりした効果になっていると思いました。動機の伝わってくる、艶のある作品でした。とても読みやすかったです。

気になったのは、会話の部分、特に女性の話言葉でした。女性が話しているとわかるような語尾、「のよ」や「だわ」などを用い、且つ自然さを出すのは難しいものですね。これは、わたしが今書きあぐねているので、過剰に感じているのかも知れませんが。

それから、最後の方で、克江の娘の名前が、菜津子だったり、奈津子になったりしていました。

今日は、きのうより少し涼しい気がしますが、そちらはどうでしょうか。

県の美術館で、ゴッホ展を見てきました。人がうじゃうじゃいて、ちょっとゲンナリしました。

初期は、死人など、暗い絵を書いていたゴッホが、パリに行き、色彩の鮮やかな印象派や浮世絵の影響を受けながら、絵に明るさを宿してゆく。その絵にあらわれた、明るさへのあこがれの変遷が、とても切なかったです。

夏バテ、いかがですか。

睡眠をしっかりとって、おかしな病を呼び込まないよう、お気をつけください。

風の健康をいつも願っています。  花

2005 9・15 48

 

 

* 月の光   hatakさん

家に帰って電灯をつける前に、窓からさす月の光に気づきました。部屋が青く染まって、窓からは十字の光背を放って強く輝く十二夜の月が。陶然としたのもつかの間、富山の「月世界」を思い出し、お腹が鳴って下界に戻りました。

八月から読み次いでいた『日本を読む-一文字日本史-上下』昨夜読了しました。

 

「一文字日本史」

客: 茶の中での主客の対等を見つめなおすいいきっかけをもらった。

筋: 語源が種子とは面白い。作物学的にはどう探求できるのだろうか? いつか挑戦しよう。

縁: 京都「錦」の店と仕入れもとの他国とを繋ぐ地図。社会学でも栄養学でも歴史学でも農業経済学でもいけそう。どなたか、卒論のテーマにいかがですか?

祝: 源氏物語の「千尋」。女色いろいろの源氏君だがここだけは清廉な印象をもってよく憶えている。

私: 全く違和感なく「公」職と考えていた私。最近になって公(権力者)がしろという仕事と、「私」が「公」としてしなければならないと感じる仕事が、異なってきた。こういう名もない公務員の矜持が大切。「私民」、宿題としよう。

身: 「「からだ」という根幹との関わり如何が、色や匂い、形もさまざまな言の葉を繁らせ、心の花を咲かせた。」

からだと心を植物の構造にたとえている。このような「生物ことば」は、『戦争と平和』などにも。

暦: 医学書院で「週に一度の企画会議に一度も欠かさず、毎回一本ないし数本の企画を一年中提出して企画を通し続けた」記録。その間、秒単位の時間を使って『懸想猿』や『或る折臂翁』や『畜生塚』や『蝶の皿』や『清経入水』を書いていたことになる。こういう人の前で「私は忙しい」など口が裂けてもいえない。

さらに「「平成」の新天皇が、第一声に「みなさん」と共に「日本国憲法を守る」」と国民の前に誓ったことを、まさに

憲法改正の委員会が国会に設置されようとしている今、もう一度思い出したい。

女: 「天照大神はもともとは男神であったという古伝もある」。えぇー! ホンマデスカ。

風: 物理的な風は嫌い。圃場で病徴写真を撮りづらいから。冷たい一吹きで風邪を引くから。よって「「風」は深い畏れなしに親しめない。」に同意。

「「花」は愛し易い。」そうかなぁ、花もあんまり。私が好きなのは、きっと物質ではなくて、それを浮き上がらせる光、そして影。物質をはなれて漂う香り、かな。といいつつ、旅が好きなのは、やはり「風」を求めてのことか。

 

「わが無明抄ー思惟すてかねつー」

なまなましい述懐。

「静かな心」、ないない。

まだ闘争的体力が充分だった二十代のころ、禅寺に四五年通ったことがある。暁天も臘八も皆勤したが、ついぞ一度たりとも「静かな心」になり得たことはなかった。「門」の前からすごすごの口だ。

東工大の学生は核心を突いている。「死後は、無い。在るように思って生きることが大切です」。「死後を在るように思って生きる」は、「一人しか立てない島に二人立てると思って生きる」に通じるか。

「美しい仏」、美しい仏。気づかせてくれたこと、ありがたい。

「所詮「安心」は得られまいかと、心細かった。」と結ばれた「わが無明抄」、闇の深さに悲しくなる。冷たくとも明るく照らす月が恋しい。    maokat

 

* 珍しく零時ごろ電気を消したが、二時に一度起きてから寝付けなかった。妻が電気をつけ、何字と聞くと「六時」だというからそんなに寝たかとピンと眼が覚めた。機械の前へ来て機械をあけてみると、四時ではないか。しかし、もう眠れない。

そんなとき、maokat さんの、こういう深切なメールに触れると、眼も洗われて、真実嬉しい。有難い。

2005 9・16 48

 

 

* 今日テレビで聞いて驚いたことがあります。

ご存じかもしれませんが、選挙の得票数は、自民、公明の総獲得票より、野党と郵政反対派の無所属議員合わせた合計票が上回っていたそうです。「国民投票」であれば、郵政改革は否決されたことになります。

それにしても五分五分の勝負が、かくも圧倒的議席数の差になるとは……。自民は民主の1・3倍の票を獲得しただけだそうです。小選挙区制はもともと自民党が有利になるように導入されたものと聞いていましたが、ほんとうに奇妙なことです。

でも、改憲論議については「希望」を持ちました。  秋

 

* 拝復 同じく “ノビながら” 一日ずつ過ぎて行きます。気が進まないこともしてますが、「半分は人の為、半分は自分の為」ナーニ全部自分のためでして、そうするのが一番ラクだからそうしているだけです。

『夏はすぎても』お知らせありがとうございます。「甲子述懐」を少しづつ拝見しておりました。貴重です。身近にいる人生の大先輩たちは殆ど物を言ってくれませんので・・。

> ホームページに気に入った写真を入れる手順・・

やはりこのページを作ってくれた「神様たち」にお願いしたいと思います。

夏ばては、秋に治しましょう。お大事にしてください。“うまい隙間” (に会うの、)楽しみです。敬白 千葉e-OLD

2005 9・16 48

 

 

* 久しぶりに林丈雄君が夕方来てくれるという。電話がいま有った。少し機械をみてくれるという。嬉しい。

 

* 林君、落ち着いて、元気。よく話してくれ、いちいち納得の行く話題。もう数年、つまり彼の結婚式以来かも知れないのだが、そんな空白を感じさせない。

わたしの「ニフティ・マネージャー」が来年三月で店じまいするらしく、それならばと、「秀丸」というのを新しく機械に仕立ててくれた。また「花の中にはボクばかり」という写真をあっさり「闇に言い置く私語の刻」の表紙部分に装填してくれたし、手順も教えてくれた。オマケに、姿の見えなくなっていたデスクトップの沢口靖子の清潔な笑顔も元通り入れていってくれた。とてもフクフクと儲けた心持ちがする。

 

* 林君、いまはもっぱら模範的なパパさん役に打ち込んでいる。

なんだか先端を行くような折り畳みの自転車に乗ってやってきた。電車にももちこめるという。逢うたびにいろんな話題や行為でわたしを新鮮におどろかせる。

 

* 寿司の「和可菜」でカウンターに並んで、また長時間はなしこんだ。井荻のおばあちゃん達の所へ帰るのかと思ったら、川崎の家へかえりますと。恐縮。嬉しい来客で、気がさらりと晴れた。

2005 9・17 48

 

 

* 昨日が初日の中野美術館へすっ飛んでいくつもりが、今日は、家事とメモの整理で終わりました。

教育テレビの「大原御幸」を録りながら清書しておりましたが、佳いお謡に、するするっとはかどります。あぁ耳正月。

この連休にと思い、美術館などを割引くパンフを用意していたところに、(中野美術館の招待券を入れた)郵便が届きましたの。覚えていてくださいましたこと。お忙しいなかをさいて、お心もおん手も、雀に向けてくださったこと。囀雀“丈”とおっしゃってくださったこと。なにもかも、深くあつく、ありがたく感謝申しあげます。(中野も松伯の招待券も)ありがたく利用させていただきます。

このところのまばゆい月の光が、研かれた古鏡のように、そちらに雀のこころを映してくれたのかしらと想っています。

奈良国博の「遣唐使展」も、気になり出しましたの。

玄ボウは、717年に、29才くらいの三輪女王と、弟の境部王21才とを巻き込んで、何か騒ぎを起こしたのでしょう。それで遣唐使にさせられ、姉弟は東国に流された、と、雀は想像いたします。

行基の禁圧されたのが、717年。そして、井上内親王が生まれたのがこの年と、手に取った本にありました。

良弁が阿星山に祈願して生まれたという、718生まれの阿部皇女がいては、彼女がうとまれるのも仕方ありません。4才で斎王に卜せられ、聖武即位から先の知れぬ伊勢暮らし。落語「たち切れ」の親戚ように、体のよい始末でしたでしょうね、斎王も遣唐使も。おぉ、こわ。

吉備真備同様の留学生と思い、玄ボウ695生れと考えましたの。若い僧の見舞いに、50才の宮子がいっぺんで治り、光明子34才もまいってしまったと想像していました。異母姉妹とわかっては、なお、取り合いかとも‥。それが685生となればかなり違ってきますわね。

玄ボウと宮子は同年代で、光明子ははずれますでしょう。道鏡の生年も、実忠より何才か上と思われてまいりました。良弁にくっついて、聖武と光明に引き立てられている実忠に、阿部皇女に近づくことで対抗したのでは。そのほうが先もありそうですしね。阿部皇女は718生、実忠が726生。道鏡が722生ならばと年表を眺め直してみました。

百川も清麻呂も10才年下。芝居の「車引」みたいになりそうですわ。

東大寺は、恵美押勝の乱で道鏡側についたそうですが、鎮圧されたあと、実忠は引き立てられるどころか干されたようで、師の良弁没後は、早良親王に屈していたかのようにもみえます。雀のオツムにはヒューズがあって、過負荷になると、「もぅやめ」と切れます。それで、こんな程度なのですが、雀なりに、考えたり想像したりしています。 囀雀

 

* この時代の宮廷は、じつにヤヤコシイ伏魔殿であった。

2005 9・17 48

 

 

* 秦先生 こんばんは。ありがとうございました。

今日(=昨日)は突然の訪問にもかかわらず、長い時間ご一緒させていただき、ありがとうございました。

あの後帰宅すると、深夜だというのに子供(=二歳前)はパッチリ起きていて、一通り遊び、0:30にようやく寝ました。

外からの風が気持ちよく感じられます。

突然ですが…今日、自転車で東京に出たのは、「備え」からでした。

数年前に吉村昭を知り関東大震災という小説を読み、大震災の前に関東で地震が群発していたことを知って以来、色々備えていて、今日は、自宅から、妻の実家、祖母宅まで、緊急時どう行けばいいか覚えるべく、地図を見ながら走ったのでした。

今日は、とにかく辿り着けばいいという考えで、わかりやすい道を走りましたが、生活道路というのがあるもので、先生宅の前ほどの太さの道を延々300m も車が亀のように連なっているところもあれば、歩行者天国のように、実際以上に広々と感じられる静かな道もあって、緊急時にこの道は通れる・通れないということを勉強させられました。

おっと、勉強はやめたのでした…。

杉並区に入ってしばらくしたある道で、横から車が飛び出して来ないか見た瞬間、見事なほど太く高い朱の鳥居が目に入り、手前には元・茶屋と思しき商店があって、見ると今日の祭りの前の賑わいで、思わず近づいて写真を撮ってみました。(杉並区の大宮八幡宮というところでした。)

今度はそういった神社や、楽しそうな公園を、のんびり子供とめぐって見よう…と思いつつも、都内が川崎以上に車社会だったので、下準備に安全な道を探しあててから、行ってみようと思っています。

備え、なんて話をすると、大概、大地震が来たらあきらめる、という答えが返ってきます。先生は、地震の備えはどうしていますか?

大変な目に遭ってしまったら確かにあきらめるより仕方ありませんが、中途半端なケースというのが問題だと思っています。被害はさほど受けていないが、インフラ・食糧だけが断たれるケースです。

むしろ、その方が遭う確率はきっとが高い。新潟の例が新しいですが、五体満足だったのにその後、じわりじわりと、自分の、身内の、生存が脅かされていくことは、とても悔しいことだと思います。避難生活が長引いてまず病気にかかるのは、老人と子供です。今日祖母宅で備えを聞いたところ、さすが戦中世代、そこまで考えていました。

ところが、幼児を抱える周りのママ友さんたちは、大地震、という、とても印象的な一枚の絵だけ想像して、その周縁を大して想像しませんし、語ったところで、危機感を持つ人は少ないです。

それが普通なのかもしれません。

(この後、長々書いていたのですが、収まらなくなって、朝も近くなりました。明日も子供と対決せねばなりません。尻切れトンボですが、ここで打ち切ります。)

最後になりますが、先生の「何か、これを買っとくといいモノ」で、大事なものを一つ忘れていました。

僕は、今流行の「携帯音楽プレーヤー」というモノを持っています。名刺の箱より薄い100g程度のケースに、少ないものでも数十曲、多いものでは数千曲も入るという、いわばウォークマンの一種です。

僕は帰宅の際、時々ですが、運動を兼ね二駅ほど前で降りて、歩きながら色々聴きます。よく聴くのが落語。圓生、柳橋、志ん生が沢山入っています。志ん生の「抜け雀」と圓生の「死神」をよく聴きます。

もちろん、音楽も聴きます。マドレデウスもあれば、川中美幸もあり、BoAも布施明もジェームズ・ブラウンもヨハネ受難曲も(マタイではありません)ベートーベンの山のようなピアノソナタも、果ては祭囃子まで、何でも入れて、聴い

ています。

CDを持っていれば、パソコンを経由して、この「携帯音楽プレーヤー」に転送できます。(逆に、CDとパソコンがないと使い物になりません。)

先生は、鉄道に乗っている際は大抵読書されているようなので、こういうものが生活に彩りを与えてくれるかどうか、わかりませんが…。余計なお世話ですが、これを持って運動がてら散歩に出かける人も結構いるようです。

もし購入を検討される場合は、実物を見るとわかりますが、画面が非常に小さく扱いづらいものが多いのですが、いちいち、小さい画面に現れる文字を見ながら、自分の聴きたい曲を探す、というのは、難しいと思うので、割り切って、その器械の中に入っているものを、適当に再生させる、という機能のあるものをお店で聞いてみてください。iPodというのが一番売れており、電池のもち等の心配はあるものの、使いやすさはよいようです。(僕は、電池のもちを優先して、使いやすさは二の次にし、Sonyのものを買いました。)

長くなりました。   それでは、また。  森

 

* 若い人って、なんて楽しいんだろう。彼はまだ三十二歳。倍にしてもわたしに届かない。ウーン。

このごろ新幹線にのって読書もするが、しないで寝ていることも多い。以前、テープで聴ける機械を買ったことがある。もっぱらクラシックか落語を聴いた。しかし旅先へ持って行けるテープは二つぐらいが限度なので、おなじ一つの音楽を繰り返し聴くことにしていた。

ビッグカメラで探してみよう。

2005 9・18 48

 

 

* *さん。以下、読みくらべて下さい。小説のごく冒頭、ソフトクリームの代金を「珠子」が出し、「石野君」はいらないと言うところです。

 

いつも割り勘なのに、調子狂うじゃないの、とは言わず、結局百円玉二つを渋々拾う石野君の指先が、わたしの掌にも触れるのを見ていました。

 

いつも割り勘なのに、急におごろうとするなんて、調子狂うじゃないの、とは言わず、二百円を渋々拾い上げる石野君の指先が、わたしの掌にも触れるのを、じっと見つめました。

 

上が、あなたの原作を生かしたわたしの直し稿、下があなたのさらに手を入れた三稿。「同じこと」を書いているのなら、あなたのは、わたしのより「十六七字」も多いんですが、それだけの効果があるか、どうか。

「いつも割り勘なのに」という物言いには、「おごろうとするなんて」「調子狂うじやないの」の両方が、もうちゃんと言われているのです。この二つとも無くても、

 

いつも割り勘なのに…と口には言わず、

 

で的確に事情は表現できており、あなたの稿では、同じことを「三度」も繰り返している。わたしの稿でもいわば二度おなじことを言っている。ま、二度まではかろうじて許されるかどうか、こういうところが文章をくどくし、小説のうまみを殺いで壊してしまうのです。

 

とは言わず、結局百円玉二つを渋々拾う石野君の指先が、わたしの掌(て)にも触れるのを見ていました。

 

とは言わず、二百円を渋々拾い上げる石野君の指先が、わたしの掌にも触れるのを、じっと見つめました。

 

微妙にちがう。

じっと見つめる  は言い習わしの物言いですが、 じっと 見つめる とは言うまでもなく屋上屋のダブリです。この場面には、時間経過も、しぐさとしても、少し芝居がかり過ぎないかしらん。

また  見ていました。 は明らかに只の  見ました。  とはちがい、時間経過を含んで、それだけのぶん じっと も 見つめ も、内包しています。変に強調する肩のいかりも免れています。

 

なにより、「二百円」は代価を示す抽象名詞で、そんなモノはモノとして存在せず、 拾い上げる  ことは出来ない。正確には  百円玉二つ  が(バリエーションは有るにしても)「把握」として的確なのです。また、

 

拾い上げる  と  拾う  も、同じようで違うのです。地面に落ちているお金を腰を曲げて「拾い上げる」のじゃない。目の前にさしだされた珠子の掌から  拾う  または  つまむ つまみあげる  のです、石野君は。

さらに 拾う のでなく、拾い上げる としたための  い上げる  の「四音」のノビが口調を緩めている。

残る問題は、わたしのさし込んだ  結局  の有ると無いと。  わたしは、  渋々  の決心や行為を印象づけるのに有効かと思い添えました。あなたの稿では  拾い上げる  とノバシテあり、 結局  を添えるとさらに間延びをつよめるので、工合がよくない。その「是非」は、難しいところです。

 

わたしは、いたるところでこういう「判断」を加えながら推敲して行きましたが、あなたも、そうしましたか。

参考になれば生かしてください。僅かに二行に満たない個所ですが、いい読み手・読者ほど、無意識にも想像力がこういう細部へまで行き届いているか、いないか、作者の力量の滲透度、を読んでいるのです。  湖

 

* お疲れのところ、ありがとうございました。

自分の愚鈍さが、厭になります。

よく気をつけて、またやり直します。  作者

 

* わたしも、昔、目の前が真っ白になるぐらい編集者に絞られました。絞られて流した脂はみな余分なものでした。

しかし絞られる前からも、わたしの文章観は、「等量の情報」しか発信しないなら、「一字一音でも少なく、」でした。但し「前提」として、文章の適切な「聴こえ」「流れ」は重視しました。「慈子」湖版をみながら、最初の原作版に鉛筆で「消し」線や「書き換え」を書き込んで行くと、わたしの息づかいが聞こえると思います。「清経入水」も奇蹟かといわれた一夜での推敲でした。「推敲が才能」だと思います。

クサッテはいけません。それに、わたしの言うままでなくていいのです。谷崎の文章と直哉の文章はちがいます。鏡花と秋声もちがいます。川端と三島もちがいます。違いを超え、「なに」が共有されているかを思って欲しい。

 

* ネットに溢れている擬似不鍛のとんでもない創作群にぬけているのが、「編集者」の眼だとは、もう到る処で認識されていながら、まだ、ほとんど働きだしていない。わたしの「e-文庫・湖(umi)」が、そういう一つの試みとして始まって、数年を超えてきた。根気の良い書き手達は確実に「書ける」ようになってきている。「e-文庫・湖(umi)」はそういう文学愛の新人達だけの場ではない、著名な作家・批評家・思想家たちも、物故の大作家達の作も掲載されている。現役のそういう人達から掲載を希望されて作品を頂戴もしている。

いつか、わたしのかつて体験したことのない「同人」E-文藝誌も立ち上げてみたい。

 

* ありがとうございます。

クサッテはいません。情けなかったけれど。

「想像力をすみずみにまでいきわたらせる」が、腑に落ちました。

直しをつづけます。

今日は暑さが戻ってきています。 お元気でいてください。  投稿作者

2005 9・18 48

 

 

* 月を待つ

月を待つ山門に闇溜まりだす (唐招提寺にて)

右近碑に色濃き宇陀の蓬餅 (高山右近受洗地にて)

近鉄沿線の風物を詠みこむ俳句コンクールの入選作です。

宇陀で右近受洗―? 先日の吉滝遺跡への道すがら、その碑を尋ねてみました。父が佐和山城の城主で、父の影響で洗礼を受けたとのこと。

もしかしたらこの川に身を浸したかと、城のあった山からの風に吹かれながら、11才で洗礼を受けた彼は、この風景の中で幼い日々を過ごし、多くを感じていたのかと、思いをはせましたわ。

さて、今日はすすきを持って歩いている人を何人もみかけました。本日、奈良は采女祭。来月はもう鹿の角きりだそうです。

松柏美、中野美と見たあと、奈良の祟道神社と御霊神社とお参りしてまいりました。井上神社もありました。元興寺塔跡には白と紫の萩が咲きこぼれ、彼岸花も咲いています。井上町ですのね。このあたりは人気もなく、しみじみ怨霊と話ができる感じでしたが、そこから近鉄奈良駅への道は、“ならまち”としてすっかり観光化され、あ~ぁやンなっちゃった♪ あンああ~ぁ驚いた♪ でしたわ。

とはいえ、ひとつ曲がれば、いろまちの匂いや艶っぽさがふんぷんと漂い、ストリップ小屋もあります。それが肩身が狭いように見えるほど、カフェだのなんのと、若い女性がふらりと入れるようなお店がいっぱいできていました。

図録拝読いたしました。中野、松伯についてはまた後日に。

昨日、夕飯の支度をしながらテレビをつけましたら、「日本の歴史」と字幕がでていて、蘇我入鹿が出てきたので、ついつい見てしまい、仕事から帰ってきた主人も、ほぉとかうんうんとか、結局、日がかわりそうになるさいごまで見てしまいました。

学校の授業と同じで、明治からは駆け足になったのが残念でしたが、昭和の大戦へつき進む息苦しさ、きな臭さが、もう17年にもなる“平成”――平らかに成る、でしたわよね―にまるきりかぶさって見え、これは選挙前日に放送すべき番組だったなと、ふたりして言い合ったことでした。   囀雀

2005 9・18 48

 

 

* スーパーインポーズ   甲子  05.9.19

お初にお目にかかります。いえ、きのう「私語」を開き、冒頭の大きなお姿。

ははあ、これが「慈子」を書き「無明抄」をお書きになった先生かと感慨しばし。

他のPC ではとうに取得、写映されていたのでしょうか。わたしのPC ではこれが初対面となります。対面ではありませんね、一方的に拝見するのですから、覗き見、というのでしょう。

なるほど、お書きになる文体そのまま、ふくよかなお面相であられる、と思いました。

「一文字日本史」「わが無明抄」繰り返し読ませていただいております。わたくしは、あるがままの心根をそっくりそのまま、文章に移された、その力に圧倒され、思いのうちにただもう、じぃっと耳をすます。そんな反応、としか申し上げられません。しいて申せば、闇の深みへ、奥へ奥へと導かれてゆく、怖ろしいのではなく、心地よい。これぞわが褥。

元来わたしは、見る・聴く・読む、まだ他にもありますが、その中へ没入してしまうたち(性向)です。たとえば30年ちかくN響の定期会員でしたが、毎回、演奏が終わると間髪入れず、「ウオー」と叫んで拍手に先駆ける人がいました。聴いているというより終わるのを待っていた、というかのよう…。饒舌の果ての絶句。その沈黙の中に、音響によって提示された大いなる言霊を、その人達は聴こうとしないのでしょうか、あるいは聴こえないのでしょうか。いずれにしても味(つや)消しな、にがにがしい、ことでした。

十何年か前、フィルム・ライブラリーが火災で、過去上映されたフランス映画のフィルムすべてが焼失したということがありました。ああ、あの懐かしき「パリ祭」「ペペル・モコ」「カスバ」「大いなる幻影」・・・ルイ・ジュベよ、アリー・ボールよ、ジャン・ギャバン、クロード・フランセス、シモール・シニョレ、シャルル・ボアイエ、その他・その他・その他。と嘆いていたところ、なんと、フランス政府からそれらすべてのプリント版を寄贈する。と申し出があったそうです。ああよかった、もう一度見たい。などと思ったわけではありませんが、そしてそんな機会があっても出掛ける余裕があるわけでもありませんが、在る、という事実だけでこんなにも心安らぐものか・・。

ところが、映画評論家の一言がわたしの喜びの灯を一気に吹き消してしまいました。

「フィルムは戻ったけど、スーパーインポーズは永遠に戻らない。いまの人達で直訳はできる。が、意訳は、時代を踏まえた者でなければ出来ない」

お姿を拝見できて、ある意味、安らぎをおぼえます。いつまでもご健康で、喰い、呑み、且つ心おきなく遊んでください。わたしもその方向で残りの時を遊び暮らします。

彼岸、季節の推移、東南アジアなど熱帯地域は夏が年二回あります。春と秋の彼岸です。日本の四季、なんと恵まれた桃源郷でしょう…。

お 写真を見ていると、「そこはそう書くのではなく…」、など、厳しく、いえ、優しくお叱りくださっていただいているようで…、   お大事に…    甲子

 

* ひとまわりもお年上の男性から戴いたラブレターのようなものと、感謝。

明月やここにも一人 キネ・フアン

ジャン・ギャバン、シモーヌ・シニョレ、シァルル・ボアイエが、分かる。もう三人は思い出せない。その程度に甲子さんとのキャリアに差があるにせよ、ハナシは合うのだろうなと嬉しがっている。いつ会えるか分からないが。

 

* この「述懐」で思いを同じくすることが、思い出すもにがにがしいことが、ある、

それは一番の能の果てたあとの「拍手」である。演者たちへの感謝と称讃の善意の拍手なのは疑わないが、せっかくの能の清寂が瞬時にふっとぶのである。あの「拍手」は犯罪的、ぜひ、やめてほしい。

わたしが友枝昭世の能舞台を愛するのは、この人の舞台だけはこの野蛮に暴力的な「拍手」を見所(けんしょ)が堪えてくれる。シテの幕入りを待っていたかのように拍手を浴びせる不作法が、殆ど無い。舞台も見所も静謐の緊迫をたたえたまま、シテが幕に入り、ワキが入り、三役が入り、地謡も消えて行く、その間の息づまる静謐。あれこそが能の魅惑のエッセンスなのである。

ほんとうは一つの拍手も聴きたくないし、拍手は禁物、それが作法の筈なのである、むろん喝采が最大の讃辞になりうる能もあろうと思うけれど。

友枝ではかねてそういう観客層への予備の指導がなされているのではないか。どのシテ方、ワキ方、三役達も、傘下の人へのそういう日常の指導を口コミとして徹底させて欲しい。

せっかくの能を毎度無意味な拍手でぶちこわされるのは、堪らない。拍手さえすればいいと思う客がいて、ほんとうに、その瞬間を待ちかねたように得意に拍手する人もいるようだが、拍手のぜひ欲しい舞台と、慎みたい舞台のちがいのあることは、常識であって欲しい。

 

* 親切に写真転送の手順を重ねてメールで教えてもらい、その通りにやってみるのだが、サイトをひらいてみると、いかにもそこへ入るべき枠のなかに朱色の ×印が入る。東工大の教授室での恰好の写真があり、卒業生諸君とあの時期のママに対面できれば、あるいは破顔一笑してくれる人達も多かろう、この頁の末尾に入れようとしているのだが。わたしのこの書き込みサイトだとちゃんと入っているのだが、転送できない。もう少し粘ってみよう。

2005 9・19 48

 

 

* 近江湖西の小田敬美さんから、今年も丹精の梅干など、お漬物が贈られてきた。「湖の本」を出し始めてあれで数年とも謂えないうちに、熱心な読者だった夫君が惜しくも亡くなってしまった。夫君の遺志を守るほどの思いで夫人はその後もずうっと「湖の本」を読みつづけ買いつづけて下さり、さらに毎年、お漬物を下さる。漬物は、夫君がとびきりの名手であった。工夫があり秘伝があった。

こう書いていても口のなかが澄んだ酸味に潤ってくる。

 

* うまくいきましたね。秦先生。

>もう少し試行錯誤してみます。

一時、朱い×印と写真が並んでいましたが、今みたら写真だけになっていますね。うまくいってホッとしました。今後はいつでも、好きなところに、写真を入れられますね。

>ボクの ママ・クライ はパパには気の毒ですが、一過性であると想われます。

ママ友さんには、「容赦のないパパ」と呼ばれています。平気で子供を泣かせるパパだから、らしいです。

今日も色々な駅で大泣きさせながら歩かせました。単に、だっこの要求に応じず、階段を歩かせているだけですが。(ベビーカーに入れた途端ピタと泣き止み歌い始めるんですから、「わがまま泣き」の場合は容赦しません。)

子供が泣いているとき、意外なほど頻繁に、父子ともども声援を受けます。子供がいるだけでこうも世界は変わるものか、という位、「他人」との垣根が低くなりました。

声援をくれる方は、何故泣いているか、皆さんちゃんとわかっています。ママ・クライも、自分が思っている以上に、周りの方々は分かっているようでした。垣根を作り、その外におびえるのは一人芝居だったのかもしれません。

こうやって、パパは日に日に図々しくなっていきます。

今日もヒドいママ・クライがあったものの、概して上機嫌で、10時間もママ離れしました。ママ・クライに、試しに携帯電話でママの声を聞かせた途端、泣き止んで、今日回ったところを、言葉のようなもので、時系列で、正しく報告したのには驚きました。しかも、一通り報告が終わると、携帯電話を僕に返すのです。そしてその後子供がますます泣くようなこともありません。

子育てにテクニックがなく、先週うまくいったことが、今週うまくいかないのが当たり前ですが、子供に迎合せず、かといって自分の考えにも固執しないように、子供と手を取り合って試行錯誤すると、上手くいく、日もあり、楽しい一日になります。

子育て日記ほど退屈なWebサイトはない、という通説があるのに、つい、どこにでもあるような長話をしてしまいました。失礼しました。それでは。  森

 

* この若いパパの頭脳と心臓とは、つながって「森林」になっている。彼の月曜から金曜は大企業の精緻な技術者として「ものつくり」に寧日ない。その間はママの方が育児役で、今はボクの盛大なエネルギーに対抗するだけでタイヘン。それで土・日は、ママをやすませるために、ひいてはボクとの時間を大事にしようと、上のような外出を楽しみ又堪えている。想うに彼の「子育てメモ」は科学者であり劇作家でもある(むかしはマンガも描いていた)センスに満たされているだろう。職住近接、十分で往き帰りできるメリットは大きい。

この「森」の読書もただものでないが、一つには「勉強」しようと本は読まない姿勢。本を読むのは楽しいから、と。聞いてみると範囲は広く水準は高い。うちへ来たときは、猪瀬直樹『ミカドの肖像』を分厚い文庫本で愛読中であった。これは猪瀬が本領発揮の大著であり、あのコクドやプリンスの堤西武の皮をひんめくる仕事を、問題になった二十年も前になしとげていたことでも再評価された、最初の大宅壮一賞作品である。

森のいうことが、わたしたちをおどろかせた。その本を読んだら、おなじ著者の処女作ともいえる『天皇の影法師』をお読み、うちには作品集があるので、文庫本のをあげるよと言うと、森クン固持して、「この人の本はお金を出して買ってあげたいんです、少しでも応援のつもりで」と。こんなことを本気で言う人、まことにめずらしい。

彼の読書はこういう筋のものだけでなく、欧米の文学も抜きんでた名作に多く及んでいて。往年の「イチロー」の面目は磨きが加わっている。彼は誰やらに師事して戯曲もいくつも書いている。本にも入っているという。

 

* はじめて「総合B」という講義に試みに出て来て、最初のハナシを終えるとすぐ寄ってきて、「ボク、先生の授業とはあいそうにありません」と言った。「いいんだよ、いろんな先生の教室をまわっておいで」と。ところが翌週にも教室にいて、以来十年を超えている。わたしの死体にすぎなかったパソコンに、「一太郎5」という、インストールするのに小さなディスクが二十枚ちかくあるようなのを、構内がくらくなるまで長時間掛けて仕遂げてくれたのが彼であった。

千葉のE-OLDのいわれる「神様」の一柱は、彼であった。何度も何度も助けてくれた。

 

* > 東京工業大学 教授室で  1995.4.8

ご成功!! おめでとうございます。「教授室」も「桜の花」も一緒に笑って、部屋も桜もまるごと秦さんで、どちらも嬉しい佳ーい写真ですね。心なごみます。だいぶ昔、『猿の遠景』の記事と新聞に載っていた頃の写真と、このページでずっと以前拝見したお若い頃の細身の写真と、並べると佳ーーいアルバムになると思います。

お彼岸が来て涼しくなりました。

風邪など引かぬようお大事にしてください。 e-OLD 千葉

 

* 櫻の方は「森」クンがやってくれたので、自力で転送したのは「教授室」の一枚だけ。まぐれで出来たので、手順に確信が持てず、案の定べつの写真でもたついていたが、ホームページ全体の「窓」の頁を、デジカメで撮った下保谷の風景で大きく飾るのに成功した。ちょっと御覧下さい、かなり豪華です。機械は融通が利くようで利かないし、わたしのアタマも錆びついて来ているが、粘ってみる功徳も覚えさせられている。

 

* エッセイは、二つ三つと試みている。

 

* えり善さん

秦様  甲子さんとご同様に、秦さんの大きなお姿が突然現れ—-私は不意をつかれて、パソコン画面を相手にうろたえました。

その前に変な赤ペケがあらわれて?? と思った謎もとけ、何とかお姿に慣れたところへ、もう一枚秦さんが現れたらしい。そこには「えり善」のあの小さな五色の座布団が写っているらしい。

見なくっちゃ——と、どんどん遡り、拝見できました! 理系大学ではこりゃ~全く異色、素敵な研究室ですね。

実はうちにもあれと同じ座布団が、といってももう少し時代の古いものが、死蔵されています。そうだ、こんな使い方があったのだわ。

「えり善」は母方祖母のから私で、三代のなじみだった呉服屋さん、今だに私は「えり善さん」と京風にさんづけで呼んでいます。(大丸も大丸さん、高島屋は長くて言いにくいけど、それでも高島屋さんと言っていた。)

「おじょうさん、あきませんがな。女の子産んでくれはらな」と、私の最初の子どもが男だと知ったなじみの番頭さんにしかられたのが、お店に行った最後かなあ。

母の、私の、古い着物の”たとうがみ”に、今も「えり善」の文字が。

先週モロー展へ行って参りました。う~~ん、モローはすごいです。いつも秦さんのHPから、いろいろな展覧会を教えられています。

もう一つ、楽しみに拝読しているのが歌舞伎に関すること。こちらは観たいと思っても、展覧会のように早速行こうと言うわけにはゆかず、ただ、ただうらやんで、想像をたくましくしているだけですが。

こんな(Tシャツジーパン婆さん)の私にも、日本舞踊を習っていた頃がありました。おっしょさん(「お師匠さん」をこう訛っていました)は「十六になったら”お名取りさん”にしたげるさかい」と可愛がってくださったのですが、家の事情もあって十二歳でやめてしまいました。いやで止めたのではなかったので、今でも踊りも歌舞伎も大好きです。

ついこの間、久しぶりに先斗町の歌舞練場の前を通り、ここの舞台の花道を、奴姿でタタタタッと走り出た、そんな昔があったのだと、自分でもさすがに信じがたい思いでした。

10月はじめ、大学のクラス会で京都へ行きます。今から楽しみ。

2005/9/20       藤

 

* 藤さんのメールは、いつも、佳い店で佳い食事をしてきたのと同じ、満たされた嬉しさ懐かしさを運んでくる。

「えり善」と、そう口にするだけで、京都ものは、柔らかにひろがる「佳い空気」に包まれる。同じ筋に「えり萬」という佳い店があり、息子の一人が国民学校から高校までの同級生であった。惜しいことに若くて亡くなった。

彼と同じ町内に、やはり同級生で、のちに若柳流の「おっしょはん」になった女生徒が住んでいた。すこぶる美人であった。わたしの叔母が、その子の父親である古美術商から戦後せっせと茶道具を買い入れていたので、われわれは家同士の、ある意味で深い仲であった。この子は一度宝塚に入団していたが、気が付いたときは日本舞踊の名取で、稽古場も開いていた。うちの叔母の稽古場へ、お茶お花を習いに通ってきた。「こへチャン」「サダコちゃん」と呼び合い、ちょっときょうだいっぽい感覚でもあった。ふたりとも「もらひ子」なのであった。

さ、いまは、二人とも親たちに死なれ、あの「おっしょはん」は引っ越して何処にどうしているのやら。

 

*「藤」さんとわたしはまだ出会ったことがない。それでわたしの写真にビックリされたのだろう、原子力で著名なご亭主の方は、中学高校の同級生だったから、お互いによくよく知っているけれど。

2005 9・20 48

 

 

* 柳@ポーランドです。

秦先生  ご無沙汰しております。

柳です。メールアドレスが変わりました。四月に一度メールをお送りしたのですが、先生からのご返事もなく、目に留まらなかったか、もしくは内容がつまらなかったか、と心配しておりました。

そんな中で今日、先生の「生活と意見」を見ましたところ、懐かしい教授室の写真があるのを見つけ、「待ってないで連絡せねば!」と、メールしております。

私は四月二十日の渡独後、今に至るまで、住居をドイツに置きながら、ウィークデイはポーランドへ出張し、ホテル住まいをしながら、作業所での設計をしています。思いの外、出張+ホテル住まいはきついです。

設計の内容はヨーロッパに進出する日本企業の工場です。「建築主=使い手」というプロジェクトを初めてやっています。日本ではマンションばかりで「建築主=売り手」でしたから。この違いは想像していた以上に大きいですね。

「建築主=使い手」だからこそ、建築主も私も、自己満足では終われないことがわかりました。将来に対する「売れるか」というような不確定要素はありませんからね。

現在ドイツでは単身赴任をしており、妻は九月いっぱいで職を辞め、十月の終わりまでにはこちらに移り住む予定でおります。

昨年までひとりで過ごしてきていたのに、今はもうひとりで生活することは出来ません。いえ、ひとりで生活したくありません。早く妻にそばに来てほしい。秦先生の語る幸せではないですが、ただもう妻が元気にそばにいてほしい。

いつの頃でしたか、先生の「生活と意見」を見て、ふっと思い、以来ずっと思い続けていることがあります。

私は妻になった女性に出会い、結婚するまで「意見」はあっても、「生活」がなかったのではないか、ということです。

「柳君には、仕事から家に帰って、その日の出来事、政治でも良い、社会でも良い、そういうことを話す相手が必要ですよ。」と秦先生に言われたことがあります。なぜか、この言葉が忘れられませんでした。忘れられなかった時期は、同時にその意味もわからずにいたのですが、前述の、「生活」の無さ、を思い始めてから、私はわかったような気がします。生活が、意見の重みを増す、意見が、生活を前へ進めていくというような、生活と意見が互いに影響しあうということが、理解できていなかったのです。「ちゃんとした」意見さえあれば、生活はできていると考えていましたし、物事がわかったことになると理解していました。

かなり陳腐な例えですが、意見は縦軸、生活は横軸なのではないか、と思うようになりました。この二軸の上で自分をその時々によって位置づけていくことが、「関係」を考えることであり、「いま・ここ」を意識するということなのではないか、と感じることもあります。第三の軸があれば、より空間的になるのですが。それはまた先に見つかるのでしょう。

しかし、この「生活」を言葉にすることは、本当に難しい。「意見」は、すべて「言葉」でできていると言っていいほど言葉との親和性は高いのですが、「生活」は、今ある自分そのままとしてしか、ありません。しかし、それをしっかりと築くこと、実現することともに、生活を人と分かち合うために、どうにかして「表現」に持っていきたい。そうしないと横軸が太っていかず、限界が早くきてしまい、今度は縦軸の伸びさえもが限定されてしまうように思います。そして二軸で形成される領域も小さいままです。

でも、どうしても「生活」を「生活」として表現することは難しく、「意見」へ吸収されてしまうように思います。もしかするとそれが「生活」と「意見」の関係なのかもしれませんが、もう少し「生活」を探ってみたいと思っています。

今ほど、なにかをやらなければと思いながら、できていない時期もありませんが、それでも今のように自分の内側に力強さを感じているのも、今まで無かったことです。

楽しい。次が早く見たい。

今、先生の『春蚓秋蛇』を読んでいます。平成8年3月31日付の先生の言葉が書き添えられています。この日は、そう、先生が退官された日付です。そして私が学部から修士へ進もうとしていたその瞬間です。それを今、読んでいます。ふぅっと、そしてぐぐぅっと私を感じ、考えさせます。すごい。これまで読んでいなかったのが惜しい。

しかし「読んでくれ」と、本が今言っていたのです。それに応えられているようで、うれしい。時間と空間が、どこまでも続いていく、その余韻と静寂を感じています。

また、近いうちに一時帰国する予定です。そのときには是非都合を合わせて頂き、お話しましょう。 柳

 

*「教授室」の写真で、まさに狙いの的の、遥かな柳クンを釣りあげたぞ。もうそろそろこういうことを言ってきていい時分であった。

赴任した通知は受け取っていたが、それは当然のこと、向こうでというか「そちら」で感じ考え生活した実感が届いて、初めて「柳クン」なのである。そして、まさしく「柳クン」のこれは便りである。嬉しいし楽しいし、頼もしい。秦さんはご機嫌である。

奥さんが行くというのも、いい。そうあって欲しいと願っていた。夫婦でもちあう人生だと、柳君は知っている。ヨーロッパの花火を、二人で美しく元気に打ち上げてきてほしい。三人四人になって帰っておいで。

 

* 柳君の声を聴くと、丸山宏司君は、降旗君は、中野智行君は、新野君はと思い出す。一つ下の西山君もげんきかとらん。菅菜々子さんはメールのあとで、湖の本のためにお金を送ってきてくれた。

 

* 十時過ぎ。もう眠くて眠くて潰れそう。これが夏バテか、からだがやすものの綿のようにクタクタになっている。さ、やすもう。

2005 9・20 48

 

 

* 中秋の名月も十六夜の月も、お声を聴かず一人で眺めていました。そして今夜は月が隠れてしまいました。湖はもう夢の中でしょう。

世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

いまの心境です。   秋

 

* 歌の作者は、正三位、皇太后宮大夫俊成で、自身千載集の選者であり、新古今集や小倉百人一首の選者である定家卿の父親でもある。長命したひとで、俗にいえば当時歌壇の大御所的存在であった。大家族御子左(みこひだり)家を率いた長老であり、艶福の子沢山であった。

この歌の従来の理解は、かなり可笑しい。「秋」さんが歌に託した心境がどんなものか、著名な学者二人のいわゆる「歌の意味」とされるところを列記してみよう。

お一人は、「ああ、世の中というものは逃れる道とてないのだなあ。深く思い込んではいったこの山の奥にも、(つらいことがあってか)鹿が鳴いているよ」と読んでおられる。繰り返し読めば読むほど、奥歯にものがはさまりながら、曖昧模糊としている。

もうお一人の「現代語訳」は、これに先行しているが、「世の中というものはまあ、逃れる道はないものだ。深く思いこんで、分け入って来たこの山の奥でも、やはり憂きことがあると見えて、もの悲しく鹿が鳴いているよ」とある。この人は俊成の述懐は「俗世をのがれ」て「遁世の身」から出ていると解釈されている。政道批判かとも読めるのだが勅撰集には政道がらみの和歌は載せないという不文律が厳しく、そう読むことは正しくないが、わたしの読みでは、上の野お二人の「読み」にも首を傾げる。しかしこれが動かぬ通説である。ではあるけれど、やはり可笑しい。

わたしは、早くから、こう読んでいる。

 

* この歌は誤解され過ぎてはいないのだろうか。作者がわずか二十七歳の歌だ。九十過ぎた老大家の「述懐」ではない。少なくも「世の中よ」の一句は、近景に遠景をダブらせて読むべきものだろう。「道」も、政治の道などではよも有るまい。せいぜいこの世を生きて行く人の道、もっと直かには行方も知らぬ恋の道と取るのが素直な、男と女の「世のなかよ」だろう。鹿がなくのは、妻を求め夫を恋してなくのが和歌の道ではふつうのこと。ふつうをふつうと素直に取らないから、抹香くさい説教くさい読みをしてしまう。俊成という人は若くから人一倍色好みだった。妻も子も大勢いた。「思ひ入る」を遁世の志などとして読み過ぎてはつまらなくなる。途方にくれ、いっそ、こんがらかった女のわずらい、まさに「世の仲」から袴どりして山へなり逃げ出そうと思うのだけれど、山の奥でも鹿は鹿で恋に身をやつしているだろうし。所詮は色の世じゃなァ…と、はっきり読み切るのが先決だ。その上で、また一段の遠景、背景を深切に解説してみるのは自在。そのようにして一首の歌を、いっそう面白く出来るならそれでよい。いきなり高飛車な説法歌にして読まされては叶わない。「世の中はちろりに過ぐる ちろりちろり」という室町小歌にしてもそうだ。猿丸大夫の「声きくときぞあき(秋、飽き)は悲しき」も、そうだ。この「鹿ぞなく」など「然(しか)ぞなく」でもあり、女に現に目の前で泣かれて弱っている事態とも想いたい。

(一一一四 – 一二○四 藤原定家の父。千載集勅撰、あらゆる面で歌壇の重鎮。古代和歌を清艶に中世へふり向けた。)

 

* 何度も何度も言うてきたが、「世を知る」とは男女の仲を覚えた意味であり、「世づれる」とは女がそういう道に深入りした意味であり、「世の仲らひ」とは今日の若者風にいうなら性的に「付き合っている」意味であり、「憂しとみし世ぞいまは恋しき」とは、あのイヤでたまらなかった恋もいまは懐かしくおもいだされてならない」意味である。かくてこそ西鶴は『好色一代男』の主人公を、まさしく「世之介」と名付けたのである。

 

* 秦さんは深読みのムチャ読みをすると思っている学者先生も多かろう。「わたしたちの立場では、そう思っていてもそこまで言えないんです」と率直に歎かれた人もあった。さもあろうけれど、いまあげたお二人の「歌の意味」「現代語訳」のなにが面白いだろう、それで意味らしい意味が汲めるだろうか。詩歌のこころは深く汲み取って自らも寄り添いつつ和歌の心境を楽しまねばいけない。何かをみつけて汲み出さねばいけない。

メールをくれた「秋」の心境とは、はたなにもの、なにごとであろうや。

2005 9・21 48

 

 

* ようやく涼風… 今年の夏は本当に暑く長い日々でしたね。幾分涼しくなってほっとしています。お変わりございませんか?

来週から10月半ばまで、そうのんびりも出来ないのですけれど、10月末は心待ちにしてきた奥能登へ、一人旅。超割で飛行機をすでに予約しました。(往復1万7千円と鉄道より安い!)いつもはビジネスホテルなのですけれど、今回は少し奮発して温泉宿をとりました。こぢんまりした佳い宿で、少し割高にはなりますが、一人旅でもOKの所を見つけたので、楽しみ、楽しみ。のんびり海風に吹かれて来ようと思います。

写メールで写真、お送りしますね。 ゆめ

 

* うらやましい。片雲の風にさそわれ、初めての風景に眼を遊ばせてみたいと思うが、出来ない。

 

* 彼岸が来ても爽涼の秋というにはほど遠い岡山です。

選挙の結果にはあきれかえっています。永田町に愛想が尽きただけでなく、マスコミの不甲斐なさにも苛立っています。ご機嫌伺いのつもりが愚痴をこぼすことになってしまいました。

10月になったら日本酒を少しお届けしたいと思っていますが、召し上がっていただけますでしょうか。お体に障るようでしたら控えなければと思いますが。

いずれにしてもお体をお大事になさってください。  有

 

* 白玉婉転。多謝。

 

* 風  幾度もお手数をおかけして恐縮ですが、テキストを、はりつけます。

言われないとわからない愚鈍ですので、感じたことをおっしゃってくださいますよう、お願いします。

お体の具合はいかがですか。くれぐれも、お時間のありますときに、読んでくださいね。 花

 

* 昨夜ポーランドの「柳」君の便りを読んでいて、「意見」はもっていたけれど「生活」していなかったという述懐に、わたしは胸を打たれた。明らかにこれは一つの見解であり、批評である。「意見」をちからに成しつづけた表現だけれど、その表現に「生活」の下支えが無かったかも知れないという反省は、この三十なかばへ乗りかかって行こうという年齢には、重大な意義がある。

譬えて言えば、これは息子の秦建日子にも言えること、手厳しい批評であろう。彼は持ち前の才気で表現しているが、書かれている例えば科白の端々には彼の思想とはとても思われない、むしろ日頃とは逆さまな表現すら混じっているとみられる。が、それは「生活」に根ざしたものというより、読書や風説や思いつきや常識による「意見」から出た産物でありかねない。よく謂う「セリフだけは知っている」けれど、本心の思想になっているかどうかは分からないのである。カッコいいことは、実感が無くても知識や見聞からでもけっこうひねり出せる。それが「柳」クンの謂うところの「言葉」でおおかた作り上げられたもの、の意味になる。人間の深奥内奥に根生え根ざしていなくても「セリフ」は出て来ること、政治家達の口から出任せを聞いていても分かる。

「生活」が欠けていたという発見と反省は厳しい。厳しいところへ気が付いてきた、それが奥さんと一体の生活がしたいという気持ちになっているのを、甘い感傷といっしょくたにして冷笑するなどは間違いである。もし「柳」クンたち建築家の創造が、「生活」の蓄積の反映しない「意見」に載っただけの産物では、やはり足元が脆弱だろう。

ヨーロッパまで駈け巡って、さすがに一つ大きい巌をよじ登ったなと謂う気がして、嬉しかった。

2005 9・21 48

 

 

* 彼岸の入り   夏ばての具合は如何ですか。

巡りくる季節、朝晩の冷風が有難く、暑かったキッチン仕事も苦もなく、軽やかに身体が動いてくれます。

ダイビングウイドウとその息子を、連休最終日に逗子海の家へ連れて行きました。

さすがに泳いでいるのは、半年ばかりのベビーをパパにダッコさせて、嬉しそうに波に戯れている、近くに住うらしい体格のいい白人ママたった一人。

数え切れない程数多く見えるのは、ウインドウサーフインを楽しむ人達。夕日の落ち始める時刻、蝉の片羽を大きくしたようなカラフルな帆のサーフボードに乗った若い男女が、次々と渚に戻ってくる様子は、若さ溢れ、砂浜に腰を下ろして見物しているだけでも、楽しさが伝わってきて、足をチョッピリ延ばせば、こんな景色に、違った世界に出会える、と、ウキウキしてきます。

折角の二歳の孫クンは、海水に足を浸けるどころか、とうとう砂浜にも足を付けず終いの、お粗末でした。

冒頭、「至福」の写真はとても結構ですが、18×25のこの小さい液晶画面で観ても、圧倒されそう。ウフフ

末尾の椅子に納まった写真程の大きさがベターかな、との感想は私だけやろか、と。泉

2005 9・21 48

 

 

* メール、うれしく。

鳶は憂鬱に捉えられておりますよ。だからメールを書けなかった。鴉のメールがいつ来るかしらとずっと想っていました。

昨日は部屋の片づけをしていて、戸袋に荷物を持ち上げて入れようと・・椅子から転落しました。これも書いてはいけないのだけれど、頭を打って、でも幸い? 大丈夫だった。一日経過を見届ければ、おそらく心配ないでしょう。

転倒する時、ああこれから転んでしまう、転んでいる、と経時的?に、コマを眺めるように観察している自分がいました。ばたっと意識がなくなって真っ暗になり、記憶が全くない経験とは僅かに違う、さまざまな発見をした感じです。鴉に叱られるのは予測して、ただあったままを書きます。

ご想像は少し外れましたが・・海外には来週はじめに行きます。一昨日、あなたは「アジアとヨーロッパのあわいに拡がった草原世界・・」と書かれていましたが、アジアとヨーロッパのあわいに拡がった乾燥世界・砂漠世界に行きます。シルクロードを辿る道がかなり進むことになります。ホータン、カシュガル、クチャなどに行きます。

旅行することは、バグワンの、「あなたこそ真理だということだ。どこにも行く必要はない。むしろ”行く”ことなどやめなければならない。そうしたら真理の在る”我が家”にとどまることができる。」を機械的に解釈したら、愚かな行為以外のなにものでもありませんが、鴉にとっての演劇や映画に似たものだと解釈して、どうぞただ笑ってください。特別な修行も勿論いたしません、あまり努力もいたしません、ただ飄々と「在るべき場所に」うつろって在るでしょう、わたしは。それがわたしにとっての「瞬間から瞬間を内発的に生きよ。」ではないかと思います。

暑熱の夏に負けそうになって、迎える秋。それでも秋は嫌いです。釣瓶落としは嫌いです。自分の人生の時間と重ね合わせる想いからでしょうか。

詩のこと・・言葉は生まれます、が、瞬間の言葉、音声に近いものを更にまとめていくには膨大なエネルギーが要ります。言われているものも、最近のわたしの散漫と優柔不断、弱さから最終的なものをまだ提示できません。許して下さい。早く区切りをつけたいのが本音ですけれど。

「西域」の冒頭部分、いくつか書いたものの一つですが・・   播磨の鳶

 

予め閉ざされたもの

既に 予め閉ざされたもの

夜の向う側 隠された多くの・・

暗闇を列車は走る         or闇を列車は貫く

 

古より史書に記され 詩に詠まれた 西域

現実の過酷 憧憬の無惨

列なす錯誤と失意

河西回廊に無数の夜が重ねられた

 

烏鞘嶺を越え 西へ向かう

潜むものの 烈しさと哀しみの気配

窓外の闇に朱が燃える

身に沁む寒さ 眠られぬ夜を追う

 

無言無為

今 紛れようなく違えず

あなたに向って 手探りする

祁連の山並みに 夜のしらしらと明けるまで  (河西回廊)

 

* 紛れなく違わず   ではないでしょうか。これだけ、取り急いで。

他は、佳い。毅くなり語の渙発力も。 鴉

とにかくも気を付けていってらっしゃい。帰りはいつ頃ですか。

 

* 闇を列車は衝き刺す   ではないか。 鴉

2005 9・22 48

 

 

* 甲子   移居のため大部の書籍を処分し、手許にありませんので出典など解らなくなり、あやふやな記憶に頼らなければならなくなったのには、今更のように臍を噛む思いがいたします。

久保田万太郎の(いまここに、くぼたまんたろう、と入力して変換操作しても、久保田マン太郎、としか出てきません。) 戯曲の結句に、「滂沱たり」との四文字がありました。何という題名だったか、筋がどうだったか、覚えておりません。迂闊、恥じ入るばかりです。

「滂沱」。三種ほど辞書を引きました。「涙が次々溢れでること」「涙が流れてとまらない様」とありました。

すると、「滂沱」という二文字は「涙」という品詞と「溢れ」「流れ出る」という動詞が組み合わさった熟語なのでしょうか。したがって「滂沱」という熟語には「たり」という文語系の送りしか使えなくなります。

わたしはこの「滂沱」という語句の響きが万太郎の作を読んで(大昔のことです)好きになってしまいましたが。

たとえば、 「頬を滂沱と流れた。」という用法は間違いでしょうか。「流れた」が二重表現になってしまうでしょうか。勝手なことをお願いいたしますが、ご存じの限りをお教えいただきたくメールさし上げました。

彼岸、冷え込みも深まりました。ご自愛のほどを…。

 

* 甲子さん 湖

「滂沱」の二字に、「涙」の意味はなく、「滂」は、水勢のあまねく行き渡る意味 「沱」は蛇行して流れる意味です。涙が、というときは正しくは 「涕泗滂沱」というふうに謂います。ただ、慣用として涙のあふれ流れるさまを謂うようになり、それは同じく 潺湲(せんえん せんかん)と同様です。

「頬を流れる」では、涙の場合あたりまえなので「頬」は余分でしょうが、滂沱と 潺湲と という形容動詞風の用法は、漢語の日本的な活用として、許容慣用されていると思います。 ただ後へ 流れる では意味の重複が感じられ、相応の工夫があっていいところです。 伝うとか、走るとか、濡らすとか。

取り急ぎまして。 お大事に。

 

* 毎木曜の朝は生協配達日で、常は路端会議を好まない私の、唯一、ご近所とのコミュニケーションを取る日でしたが、在住二十年ともなる昨今は、そんな時間を費やす気分にもならず、早々に引き上げます。

二歳の男児というのは自我がしっかりと芽生えて、ムチャクチャな行動があり、バアバは楽しみ四分疲労が六分というところです。只、この孫がいなければ多くの楽しみに出会えなかった、と、これは産んでくれた娘に感謝です。

写真掲載の件

得手ではないのは分かりますが、この小さい液晶画面でも大きいナと。誰もが見られるインターネットのH・P上のこと、顔が売り物でない作家なら、あの末尾の写真の大きさが程よくて上品です。

ただしあのシャッターチャンスはとてもいい。

吉野の満開の桜の下で若い父の満面に笑みを浮かべた写真を思い出していました、余談。

思ったままを、ごめんなさい。   泉

 

* 小さくしようと懸命にやってみても、小さくならないのであります。本の序でに顔も売りますか。 遠

 

* 御本の代金

秦先生、東工大卒業生の***です.

お送り頂いた御本の「日本を読む」の代金をお送りするのが遅くなりましたが,昨日振り込ませていただきました.

どうも遅れがちになってしまうのと,まだお支払いしていないものがあるといけないので,1万円振り込ませて頂きました.

新しい御本が出来ましたら,またお送りください.まだ来年の秋までは***におりますので,お送り頂けると幸いです.よろしくお願い致します.

まだまだ暑いですが,少しずつ朝晩は秋めいてきて,そのせいかこのところ読書づいています.

最近歴史を勉強したいなあと思い始めていますが,本屋に行っても膨大な本を前に,どれから手をつけてよいものかと途方にくれています.

また,最近ブログもつけはじめました.先生の「生活と意見」のようにはいきませんし,情報を発信するというよりは個人的な備忘録なので,お読み頂くには及ばないのですが,「私も生きてますよ」という印としてURLを貼っておきます.

http://ameblo.jp/stargazer/

来週は来年からの留学のための助成金の審査で東京に日帰りで参ります.10月はじめには学会でつくばへ,11月は共同研究の関係で1ヶ月ほどアメリカに参ります.

なかなか腰をすえて研究に打ち込むのが大変です.

今日は風邪をひいてしまい,自宅で休んでおります.先生も御身体に充分お気をつけください.

では,失礼致します.

 

* この人は先端科学の研究者。東工大から東大の院へ行き、研究所勤務も長くなった。お嫁さんをさがしている、と思う。

2005 9・22 48

 

 

* 誰にも暮らしの根があり、そこでの独自の言葉を身に抱いている。それは創作の場合、適切に生かしていいし、またそれゆえに不慣れな読者を躓かせすぎてはならない。生かす大切さを基本に、配慮すること。

 

* 違える・・他動詞。違えず、はおかしいでしょうか?

暗闇の暗は不要に感じました。闇を・・衝く、刺すも考えましたが。「衝き刺す」は強

すぎはしませんか。

闇を衝く。闇を刺す。闇を貫く。・・列車は闇を通り抜けていきますが、闇は何の痛痒

も感じない、亡羊不確かにして強固なもの。ただし時間軸・・歴史的なものや現在進行

形の列車の走行距離・・を加えたい、と思ったので「貫く」にしたのです。列車の「無

力」を考えると「闇を衝く」がいいと思いますが、弱いでしょうか。   鳶

 

* 予め閉ざされたもの

既に 予め閉ざされたもの

夜の向う側 隠された多くの・・

暗闇を列車は走る         or闇を列車は貫く

 

隠された多くの・・ の ・・ が読者に的確に読み取れるでしょうか。「多くの暗闇を」と続けて読まれるのでは。

「くらやみを」で息づかいが間延びするより、「やみを」がつよく、「走る」も「貫く」もいかにもこの場面では普通すぎる。

茫漠の闇にむかい、「槍」にも似た細みの「列車」が突っ込んでゆくのですから、 衝く とか 衝き刺す とかはどうかと思いました。 ただし  衝く  の二音では、 闇を列車は衝く  では、音の寸がつまる感じ。それなら 暗闇を列車は衝く  か。 衝く  のイメージ喚起は、意外に弱いでしょう。それで  衝き刺す  を挙げた次第。作者がきめること。

 

無言無為

今 紛れようなく違えず

あなたに向って 手探りする

祁連の山並みに 夜のしらしらと明けるまで  (河西回廊)

 

紛れようなく違えず  は、いかにも間延びかと。 「よう」 の二音の弛みは意味がない気がします。

紛れなく  は自動詞。それなら  違(たが)えず  より  今 紛れなく違(たが)わず  が一気に、毅い表現かと感じました。  違(ちが)えず  と読むのはよくない。  鴉

2005 9・22 48

 

 

* 写真を上手く貼れない場合は。

秦先生 こんにちは。

先日、僕のところにも柳君からメールが来ました。

まったく、「教授室の写真」の威力には、恐れ入りました。

せっかくですので、僕も少々がんばってみました。

先生が、(先日お教えした)二つの要件を無視しても、写真をホームページに貼り付けられるように、「自動修正スクリプト(ソフト)」を作成しました。

 

ホームページ画像チェック.vbs

 

の方だけを、デスクトップに保存してください。もし、ウィルスチェックソフトが、これを削除していたら、 もう一方の保険ファイル

 

ホームページ画像チェック.vb

 

をデスクトップに保存したあと、この名前を「ホームページ画像チェック.vbs」に変えてください。(半角でsを追加お願いします。)

続いて、ためしに、デスクトップ上にある画像ファイルを、先生が先日一人でやってみたときのように、例えばiken.htmに貼り付け保存してください。  森

 

* 試行錯誤中。どこかでわたしがドジをやっている。けれど癇癪はおこさない。機械は正直、わたしは鈍。それだけのこと。

森林クン、とても親切。つぎつぎに思案と指示を送ってきてくれる。わたしも根気よく、やる。

2005 9・23 48

 

 

* ゆうべは、映画、「バックトゥザフューチャー」を見ていました。DVDを持っているのですが、何度見てもおもしろいです。大好きです。

> 五作の流れに、どういう

「姉」の前の四作は、暗いなあと思っています。暗いものが悪いとは思いません、作の中に「暗き光」のようなものがあるなら。でも「ファシネーション」がないと言われていたとおり、わたしにはそれがなかった。天賦のものが、わたしにはないのだと思いました。

そう申し上げたら、「自分の内なる才能を、グイと引き出そうという気魄があれば」と言われまして、そうだな、と。

明るいものを書こうと思いました。心から愛するものを想いながら。

明るいものが、すなわちファシネーションがあるというわけではないでしょうから、とにかく「夏みかん(=「姉」の草稿)」を見ていただきたかった。もし、仕上がった「姉」に、ファシネーションの片鱗でもあるなら、嬉しいです。

創作とは、愛なのですね。愛をもって生きるということ。その上に、創作はあるのでしょう。

ゴッホの絵を見まして、初期の暗い画風が、明るさを宿してゆくさまを追っていたら、泣けてきました。

前の四作に手を入れることはできますが、大仕事になりそうです。それより、気持ちを新たに、次の創作に手をつけたい。自愛の作を、これから書くのだ、という気持ちがあるので。

どうぞ、どうぞ、お元気で。   群馬  優

 

*  「姉」    甲子  5.9.23

吉田優子作「姉」 読ませていただきました。一読は流し読み、二度目にある程度の精読? ほんとうは、もう一度読んでみないといけないのかもしれません。

他人(ひと)の作品を批評する、ということは、その批評によって自己を曝し、束縛さえ感じますので、怖ろしく、近寄りたくない分野なのですが、同じ「e -文庫・湖(umi)」に同席させていただいた、という因縁から、蛮勇をふるって試みてみます。

この作品の世界は、わたしの棲息地帯とはまったくの別世界。とくにモノクロームで語る世界となると、女性、特に少女の、閉ざされた空間、を感じます。男性には、窺い識りようもない。太宰治に「女生徒」という作品があります。作者は当然読んでいると思いますが、それとてやはり男性の視点からしか書けない、という典型でしょう。そういう意味で、貴重な内発的な吐露を含むものとして成功している、と思います。

「どうしてあんな風になったのかなあ、」という述懐が、映写中にトラブルがあった、そのことと「上映が終わって明るくなると、無言なのよね、両隣が。あっというまに現実に引き戻されちゃった。」ということの、双方にかかった一種の「メタファー(=隠喩)」になっているでしょうか。それがもっとはっきり「メタファー」と感じ取れるように書かれていれば、一層深みが増すのではないでしょうか。

作者はそれを意図していて、だがわたしにはそうと受け取れなかった、とすれば、わたしの読み込みの浅さになるのですが。

「不気味だった」にも、そのことが言えると思います。離婚、という事情を不気味な現象と受け止めていたから「不気味だった」と感じて、構わないと思いますが、上の「現実」という生硬な言葉と対をなして、「不気味」という2@yd)4

(=フレーズ)をもっと違った、ひとひねりした表現にすれば、更によい効果が期待できるのですが。

「石野君の声が、兄と緋絽ちゃんについて言っているようには聴こえず、運転席の横顔を見ました。」

これはいいですね。こうならなくちゃいけない。

「 眼の潤んでいるのは、酸味ゆえと言わんばかりに、顔を顰めながら。」

これもいい。

敗戦直後ですから60年弱も昔に、アメリカの唄で、「煙が眼にしみる」というのがありました。あまり流行せずすぐに聴かれなくなりましたが、「煙が眼にしみる」という題名だけは覚えています。レコードのジャケットも歌詞も見たわけではありませんから、正確な内容はわかりません。「スモーキン・ゲッツ・ニュア・ライズ」と歌詞の一部が聞こえます。歌詞なんかどうでもいい。「煙が眼にしみる」。誰がこんな素敵な日本語の題を付けたんでしょう。わたしは想像します。

二人は別れなければならない。戦争か、仕事か、不倫のためだったか。そんなことどれだっていいです。改札か、空港か、港か、バスストップか。どこでもいいです。「その煙草、眼にしみるわ」と女はハンケチをそっと目にあてる。

クラシック音楽にもありますね。ビゼーの交響曲第一番。ビゼー、十七・八歳の作品で、一般にはあまり評価されていません。わたしは皮肉者で、売れなかったり評価されなかったりするものの中に、自分なりの解釈をし、価値を見つけて楽しんでいるのです。逆にみんながいい、いい、というものに背を向けたりする拗ね者です。ですからわた

しの批評なんか当てにはなりません。

そう、酸っぱいんです。ビゼーの第一番。若さ、青春のあをあをした酸っぱさ。

どうでしょうか、音楽で「酸っぱさ」が出るんですから、文章でも・・。

おっ、と。これはわたし自身に言ってることなんです。失礼…      甲子

2005 9・23 48

 

 

* 暗いと思っている四作、あれはあれで「今・此処」だったと、大切にしたい気持ちがあります。

甲子さんのご批評、ありがたく読みました。

「メタファー」について。それと、「不気味」という語について。

「姉」は掲載していただきましたが、あれでおしまいとは思っていませんので、甲子さんのご指摘を取り入れ、よりよいものにしていきたいです。

甲子さんのご批評から、書ける、ということは、読める、ということと「対」であるとも感じました。  優

 

* 続けるということ。

2005 9・23 48

 

 

* 伊勢の潮風    斎宮歴史博物館と体験館に行ってまいりました。

前日、系図の「不破内親王」のところに、人名辞典の“塩焼王”から書き抜いてきたメモを書き入れ、「阿倍皇女と井上内親王」を一枚の年表に仕上げたからです。

弟のことも含めて、生まれた月日、時代、家系の違いが、それぞれが得たもの、得られなかったものを鏡、いいえ、ネガポジのようにしてしまったように感じています。欲しがったのか、得られなかったから欲しいと思ったのか。本心か、意地か。相手があって自分があったという一生を、ふたりともが送ったとは、あんまり哀れで、想いたくはありません。

そして、井上内親王は、殺された弟と、ころころと動く皇位の、持ちたい者にとってはなにものにも勝る宝玉に“見える”モノのために、右往左往する、夫や親族に振り回され痩せ衰えている妹の生命も、昼に夜に神にうったえていたような気がします。

“ぶどう狩り”“松茸あります”の看板が林立する名張から東へ行くと、“梨もぎ”の看板が見えてきて、久居市。そして伊勢湾にぶつかります。松並木の中には、天照大神の妹をまつる香良洲神社。ここも遷宮が行なわれるそうで、

このあたり、コンビニの駐車場が相当に広いのに驚きました。優に店舗の三倍分はあります。店舗が老朽化したら、駐車場内に遷して、ふるいほうは壊すのかしらと想像して、ふきそうになりました。

そして、南下するにつれ、焼肉、ビフテキ、すき焼きの看板が断然増えてまいりまして、本居宣長記念館、松浦武四郎記念館の案内が出てまいります。

さらに南下。ようやく斎宮跡地に着きました。建物や公園など大がかりに整備されています。

斎宮博物館の展示は、平安時代中心で、雀がめあての飛鳥時代の斎王についてはあまりわからなかったのですが、上演されていたビデオのなかで、平安朝のどなたかの再現ドラマが、平安朝のことばの考察のもと、字幕がついた会話になっていたのがとても興味深かったです。佐渡など流刑につかわれた島に、貴族がつかっていたふるい都ことばが残っているそうですね。

井上内親王は、占いなしで斎王に決まった稀な女子なのだとのこと。三度も占って決めたひともいたというのに…。

それから、滋賀から浪速、美濃あたりまでジオラマをこしらえて、斎王の道筋が示されていたのですが、地図を立体につくってあったおかげで、あの川が、峠が、山が、と、覚えていることを抽出しをひっくり返さんばかりに総動員し、訪ねた景色、風や空などを思い出し、そんな酔狂をしていたら、結構時間がかかりました。

コーヒーブレイク。館内の喫茶で一息いれて、寝殿造りを模した体験館へ行ってみました。

途中に古代米の実験田があり、赤米と黒米が刈り取りを待つばかりになっています。どちらのコメも、精米した状態、味を知ってはいましたけれど、稲穂を見るのは初めて。のぎの具合、もみの色、穂の茂り具合、茎の少なさなど、コシヒカリと古代のコメの違いを実感しました。

体験館では、先客に若い女性二人連れがいらしてて、どうやら十二単の試着をなさるようす。見てみたかったけれど、時間がかかりそうでしたし、真夏並みの暑さのなか、頭の回路をフル稼働させた雀は、もはや余力なく、帰ることにいたしました。

観光ボランティアのおじいさんがいらっしゃる休憩所で、冷茶をいただいて、往路とは変えて、櫛田川を遡り、伊勢本街道に入り、谷や峠、曾爾の風景を堪能して、のぉんびり帰ってまいりました。  囀雀

 

* 日の落ちるのが早くなって、水も、夕暮れの風も、ひんやりしてまいりました。

だしぬけに咲かねばならぬ曼珠沙華

唐突に月日知らせし曼珠沙華

昨日はどこを通っても血の色のような花が盛りでした。

お風邪など召しませんよう、ご油断なさらず、くれぐれもお大切に。  囀雀

 

* サンシャインの地下街を、雑踏の流れにさからえず、年寄り風に歩いていたら、斜め後ろから、つぶれかった靴が僕の左脇でニ回転、裏返しで着地した。一瞬、立ち止まって振り返った、ほんの少し間をおいて、後ろから来る女子高生が、

「明日は雨か」

と、連れに笑って話しかけていた。ンン……台風ですもん、大当たり。

明日天気になあれ、と靴を放ったんじゃなくて、かかとをつぶして履いていたんで、脱げて飛んだんだ。靴を飛ばすなんてやっぱり元気があるネエ。「明日天気になあれ」は忘れられていなかったんだ。少しうれしくなった。捨てたもんじゃないぞ、茶髪も、化粧顔も。

子供のころ、薄暗くなるまで外で遊んでいて、母親の晩御飯の声がかかると、よく、下駄や靴をほおったもん。

…….表に出ても、駅まで人波は続いていた。足取りが少し軽くなったように感じて、プイと突然右折してラーメン横丁を抜けて、別の通りを歩いた。

往きと違う道、そう、若いころは少し遠回りでも好んで往復路を変えていたっけ、同じ路は退屈だった。自分からどんどん歩いていたんだ、好き勝手に、行き先はあまり気にせず。

今日は、ちいさなことでうれしくなった自分がうれしかった。

「あさって天気になあれ」   e-OLD 樹

 

* 平和な囀りである。「あさって」は、「ペン電子文藝館」委員会が三時から五時。

 

*  >習い慣れよと言いますとおり、根気よく経験を重ねまして、ほぼ最初に習いました「二つを確認する方法」で、続いて、幾つか成功しました。

秦先生 上手くいってよかったですが、「幾つか」というのが気になります。上手くいかなかったものもあるんでしょうか?

習い慣れ、と言っていただけると気が楽になりますが、でも、「ルールはこうです、だからこうしてください」とばかり言うのも、なんだかコンピュータの代理人のようで、反省してもいます。

先生、もし、まだ失敗・成功が繰り返されるのでしたら、先日の「スクリプト」も、活用してください。非常に簡単です。

 

普段どおりデスクトップに写真を置いて、ホームページに貼り付けて、保存。

その後、ホームページファイルをスクリプトの上に載せれば、勝手にホームページを修正し、かつ、写真をホームページフォルダにコピーもするのです。

沢山行いたい場合は、

まず、ホームページに写真を貼り付け、保存、これを、複数行う。

写真貼り付けが完全に終わったところで、写真貼り付けを行ったホームページを、まとめて選択し、スクリプトの上に載せる。

という手順で、一括でできます。

また、あくまでルールに従う、しかし失敗もある、という場合でも、アップロードする前の「確認ツール」としても、使えます。

 

この三連休は、「掃除連休」と定め、妻子を実家に帰し、一人掃除に勤しんでいます。

# 自ら「森林」と銘を入れるのは、さすがにおこがましいので(^^;

 

* 上のすぐれものの「スクリプト」も使ってみよう。かくて道は開ける。しかし使わないとすぐ手順を忘れる。忘れてしまい困っていること、幾つか、あります。正確なパスワードを忘れたため、ムダにまさに死蔵のファイルも有るもんなあ。

2005 9・24 48

 

 

* 柳緑花紅   hatakさん

木々が少しずつ色づきはじめ、市場に秋の味覚が次々と顔を出しています。秋刀魚、秋鮭、筋子、いくら、新そば、きのこ、葡萄などなど。

ポーランドの柳さんの便りを読んで、ぼーっとしている耳元で大きく手を拍たれたような気がしました。

これまでなんとなしに読み過ごしてきましたが、このHPは「作家秦恒平の文学と生活」、「闇に言い置く  私語の刻」は、「生活と意見」なのでした。「意見」は沢山読んできましたが、「生活」については、全く考えたことがありませんでした。それからいろいろなことを考えはじめました。

「意見を支える基礎に生活がある。横軸の生活が充実しないと、縦軸の意見も伸びが限定されてしまう。」

柳さんは、まず、「意見」を表出する前に、土を掘り下げ、固い岩盤を露出させて、そこに「生活」という堅固な基礎を築こうとしています。目に見えない(意見に吸収されてしまう)基礎部分の重要性を指摘されたのは、まさしく建築の人らしいと思いました。

私(植物学)のことばでいえば、「実成りを良くするためには、まず土作りをして、根の張りを充実させましょう」となります。どちらも陽光燦々、逞しく力強い考え方です。

そこで、ふと、別な考えが浮かびました。建物は、盤石な基礎の上に築かれるものばかりではないぞ、と。

以前ある庭師に聞いたのですが、伊勢湾台風か何だったか、大水が出て付近一帯の家屋敷が全滅したとき、最も作りの弱い小間の茶室だけ、水に浮いて難を逃れたのだそうです。

そういえば露地を通って茶室へ席入りする際、客は中門を閉め切り、にじり口の掛金を下ろし、何度も自分の手で結界を結び退路を断つことによって、日常生活から離れようとします。流れる茶室のように、「生活」から全く浮遊して、漂泊して、そこから出てくる「意見=表現」というものもあると思うのです。

話を、「生活と意見」から、「文学と生活」へ転ずれば、さらに興味深いことがらに行き着きます。

古くは、院に仕えていた佐藤義清がそれまでの生活を捨て、西行法師となって諸国行脚し、非日常的な空間の中で歌を詠んでいきます。松尾芭蕉も、「片雲の風にさそはれて、漂白のおもひやまず」諸国を行脚します。

近くは、谷崎潤一郎も小田原、芦屋、熱海と生活を転じて次々と名作を生んでいます。hatakさんも、京都から東京への転居が文学作品を生む大きな転機になっているはずです。

こと日本文学においては、これまでの「生活」を排し、新しい生活ないし非日常に身を置くことによって、作品を生んできた系譜があるのではないでしょうか。

堂々とした大伽藍のような、力強い、ポーランドからの便りに触発されて、かえって、日本の草庵を結ぶ漂泊感を強く感じたのでした。

柳さんのような、文字通り地に足のついた論理構築も好きですし、漂泊の末、義仲寺に眠る芭蕉のような根無し感にも惹かれます。

最後にもう一度私のことばでいわせていただくなら、

根の生えた花が枯れ朽ちていくのは美しい。

そこには結実と収穫の満足感があり、子孫繁栄の予兆がある。

生け花は、花に鋏を入れて、根と花の命脈を絶ち、

「生け」る花の死にゆく姿を見せる壮絶の美。

そこには結実の喜びも収穫の満ち足りもなく、命は宙に浮遊している。

行き着くのは暗い死の闇。

常磐の緑か散りゆく花か、心は闇に漂うばかり。 maokat 深更、研究室にて

 

* 生活も、意見=表現も、イデアルなレアリティーとどれほど見えぬ臍の緒をつなぎながら、その全てに拘束されないでいられるか。それを大事に感じている。

 

* うらやましい、こちらは暑くてたまりません。空気は爽やかなのですが、日射しが強くて。

風邪などお召しにならないよう、お気をつけくださいね。  愛知の花

 

* 湖さま  HPを拝見して、初々しい朝日子さんに初めてお目にかかりました。それから、桜の元のこぼれるような笑顔にお目にかかることができました。

日が流れていきます。休日はひたすら親の家のリフォーム後の片付け手伝いで終わります。あとひといき・・・・。

今週は少しめりはりがあります。仕事で静岡に一泊出張。週末はスタッフの一人がコンサートに出るので一人で聴きに行きます。

文藝館も時折訪れています。けれども私自身は書けません。このまま書けないのではないかという恐れを感じます。

今、事業の上でも一種の行き詰まりを感じています。ひたすら前に前に進みたかった、さらに大きく大きくしたかった思いが、何か守勢の・・・現状維持を望むような気持ちになっていることに、ひそかな恐れを抱いています。朝が来ればこのネガティブな思いから脱出していると思うのですが。

お元気で お元気で お過ごしくださいますよう。    波

 

* 「もっと」「もっと」に追われているのだろうか。それが本当に「攻勢」なのだろうか。また攻勢は守勢に勝るのだろうか。むずかしいことだ。

この「波」さんのメールアドレスが変更されていて、題名に「こんばんわ」とあり、常なら確実に削除しているところだったが、きわどく勘が働いて確かめた。このごろは「こんばんわ」「こんにちわ」「お元気ですか」「相談にのってください」だのと、まこにさりげない実は怪しげな不正広告や勧誘のメールがやたら増えている。題名には、その人と分かるような文字・文言が無い場合、わたしは、よくよく勘が働かない限り「削除」している。なにしろマトモなメールの二十倍以上もアヤシゲなメールが乱入してくる。

まちがえてマトモなものを削除しないように神経をつかっている。non title  とかだと、反射的に削ってしまう。

2005 9・25 48

 

 

* バルセロナが長い、佳い、面白いメールをくれた。真ん中と、前後との「二つ」にわけてみよう。

 

* 恒平さん  教授室の写真、と聞いて、ENDキーに指が飛びました。

うーん。

私が「教授室へは殆どあらわれなかった学生」というのは、本当だったのだなあ、と。以前そう書かれたとき、ちょっとびっくりしたのです。記憶には、窓際に執務机と、それに対面するようにソファがあった・・・初期の配置がそうだったのか、いえ、それすらも定かでありません。

他の学生も訪れるようになったと聞いて、そう、即座に敬遠しました。頑なだった、と思います。

(新鮮な経験も驚きも、実に簡単に忘れ去られてしまうものですね。自分では「忘れない」と思っていても。)

(恒平さんのメールを受けて) ***君のブログだったのですね。

冒頭の教授室へのコメントに、***君のことを書きかけていました。

教授室への足は遠のいたけれど、恒平さんが毎回講義の始めに読んだ、「東工大生の声」には、グラスの氷がカラッと音を立てて向きを変えるように、ほうっと動かされることがありました。

「自分は心底大学に行きたかったのに、時代と家庭の制約に縛られ、働きながら夜間の学校に行くことしかできなかった。だから子供のお前には無理をしてでも行かせてやりたい、と言われて・・・」

まるで他人事(ひとごと)とは聞けなかった翌る日、実験中に、「あれ僕なんだ」とぼそっと呟いたのが***君でした。

みんな、私を物珍しい異性ぐらいにしか見てないと思っていたから、そんなことを普通に話してきた***君が不思議だった。普通、といったら心外かもしれないけれど、あの大学で普通の人間関係がうまくもてかった私には、普通こそ特別で、彼は大事な「普通の級友」だったと思います。ホームページ、訪ねてみます。

甲子さんの長編小説は、掲載された日と、その翌日と、二回読んでいます。二回読まずにはおれなかった。今日は感想を書きませんが、読んでよかった、やはり甲子さんのお作、と思えるものでした。

期待するからこそ、前回辛い点をつけた吉田優子さんの『姉』も、早速読むつもりです。

尻つぼみの文になりましたが、麺がのびすぎないうちに送ります。   京

 

* この八月、一月前に初めて外国の地を踏んだ、というKさんの病院受診に(勤務上)付き添う機会がありました。

飲料水に日本食を引提げ家までタクシーで送り届けた後は、恐縮する相手を説き伏せて、処方された薬を買いに。

時は八月、バカンスムードの街並みにどの店もシャッターを閉ざしています。運良く見つけた薬局は、案の定長蛇の列、やっと順番が回ってきたところで「品切れ」とのこと。

やっと薬を手に別の店を出た時は、辺りに立ち並ぶマンションが既に陰を長く伸ばしていました。

横になっているかしら。それとも、Kさんのことだから・・・急ぎ足に、サンダルが擦れて痛みます。

借りて出た鍵をそっと回すと、小走りに駆けてくる音。

恐れた通り……、持参した蕎麦が茹であがって、こんもり皿に盛られていました。気が晴れるからというKさんと、それならばと一緒にお蕎麦を啜り、さて帰ろうとすると、マンションの下まで送ると言って聞きません。押し問答にかえってエネルギーを消耗させそうだったので、気の済むようにしてもらおうと思いました。

Kさんが玄関の外で、サンダルをつっかける私を待っています。

「鍵は?」 ドアノブを引いて閉めようとするKさんを、私は慌てて制しました。「鍵は持った?」

怪訝な顔のKさんに畳み掛けると、

「大丈夫ですよ。」

「ちょっと待って。鍵持って出ないとまずいわ。」

「大丈夫ですよ。本当に大丈夫なんですよ、ここは。」

「???」

「心配しないでください。本当に大丈夫なんです、ここは。本当に大丈夫ですから。」

目の前でバタンと扉が閉まりました。

急かされるまま、待っているエレベーターに乗り込みます。どうみても、Kさんは鍵を持っていません。「ここは、大丈夫」と言うからには、「ここ以外は、大丈夫でない」ことを知っているのよね? 何はともあれ、住人が「本当に大丈夫」と言っているのだから・・・

エレベーターが地上階に着くのを待って、私は、五階のボタンを押しました。そう、大丈夫であるわけがないのです。

訳の分からぬのKさんも、さすがに不安になったようでした。

「えっ?!」

ノブを掴んだのKさん、信じられない、という顔をしました。「ノブが回らない!」

さらに蒼褪めるKさんを前に、自分でも驚くほど穏やかに「大丈夫、なんとかなるから」という言葉が口をつきました。

頭はフル回転です。

隣の棟に守衛がいたことを思い出し、Kさんをロビーのソファに残します。ドアは内側からは開いても、外側からは開かないことをKさんに言い含めて、くれぐれもマンションの外に出ないよう念押ししました。

「五階だろ。錠前屋を呼ぶしかないね。」

誰か知らないですか、という私の問いに、守衛は億劫そうに体を捩り、建物の中に姿を消しました。

「ここにかけたらいいよ。」

自分のできることはここまで、とばかりに、名刺一枚を突き出してきます。私は辺りを見回してから、恐る恐る公衆電話の場所を尋ねました。おじさんは思案気な顔を見せ、今度は口より先に体が動いていました。ポケットから取り出した鍵を差込み、守衛ボックスの扉を開けます。中に電話があるのを認めて、あぁ、と感謝の顔を向けたと同時に、おじさんは私の手から名刺を取り上げ、さっさと番号を押し始めました。

「いつ来られるか分かったところで、ここに電話をかけてくるって言ってるから、それまでロビーで待ってな。」

夜の九時すぎといえば、こちらではちょうど晩ご飯時です。いくら緊急用の錠前屋でも、始めた食事は終わらせるでしょう。

おじさんに精一杯の謝意を示すと、隣の棟から、開いたドアをしっかり押さえながら、Kさんが何度も頭を下げているのが見えました。

ロビーに戻ると、もともと小柄のKさんが、さらに全身を小さくしています。先程から腹の底に抑圧されていたものが、一気に喉もとまで上がってきて、私はとうとう噴出しました。

がっはっは、と笑う私に、Kさんも少しほっとした顔。

「ほかのノブはみんな回ったのにぃ!」

「うん、内側からは回るのよ。」

「えっ、でも玄関前のフロアーから非常階段へ出るドアノブも回るんですよ。」

「フロアーを内側、階段を外側って考えるから。逆に階段側のノブは回らないはず。」

「・・・じゃあ、外側のノブって何のためにあるんですか?」

外側のノブは、引っ張ってドアを閉めるためのもので、スペインでは普通、大きな握りがドアの真ん中、日本のノブよりも下の位置についています。(こちらの子供に家の絵を描かせると、どの子も決まってドアの真ん中に小さな丸を描く。)Kさんのマンションでは、それが日本のドアノブと同じような位置についていただけでなく、回るノブも回らないノブも、まったく同じデザイン、だったからいけなかった。

訪問客を玄関先まで見送っているちょっとの隙に、ドアが風で閉まって家に入れなくなってしまった話とか、ほら、鍵は家の内側からでも鍵穴に鍵を差し込んで回転させてかける(はずす)でしょう、だから開いている窓から入った泥棒は、玄関のドアに鍵がかかっている限り、また窓から出て行くしかなくって、マンションの上階からは重くてかさ張る物は盗めないとか。

何もかもが目先も経験も新しいKさんを前に、自分でも驚くほど色んな話や助言が口を衝いて出てきました。

帰り際、守衛さんに声をかけ、日本では普通、ドアは(鍵なしで)内側からも外側からも開く話をすれば、いやに納得されました。

「道理でね。この辺、けっこう日本人が住んでるんだけど、日本人が錠前屋を呼ばなければならない回数って、他に比べて、ホント、並じゃないのよ。」

(新鮮な経験も驚きも、実に簡単に忘れ去られてしまうものですね。自分では「忘れない」と思っていても。) 京

 

* バルセロナが、つい目の先にあるような気がする。京は、元気でいるようだ。

 

* 鳶は、午後3時頃のフライトで、今日は広州、28日はホータン、1日カシュガル、3日クチャです。6日帰国。元気に行ってきます。お元気で。

 

* 片雲の風が誘うと鳶は矢も楯も堪らないらしい。鴉はいつも木にとまっている。むかしから、その方が繪になる。

 

* 前から気になっていたが、ペンの会員のメールに、ふつうなら「すみません」と言ったり書いたりするのを、その人は例外なく「すいません」としている。音便のかたちで成り立たないわけでないが、口語でなく書き言葉でもこれでふつうに通るのだろうか、耳には入りやすいが。

 

* こういうのも有った、誕生日を祝って署名本を戴けませんかと。それは、いい。で、何歳になられますと聞くと、ガンとして返辞がない。トシなど聞くがものはないわけか。それで誕生日を祝ってとは、何を祝えとや、気が知れなくてわたしはキョトンとする。

2005 9・26 48

 

 

* 今日、26日「私語」の中で「バルセロナ・京」さんのメールを拝見しました。

それと「maokat」さん、「ポーランド・柳」さん、いずれの方も素晴らしい書き手ですね。こうした方々が「秦恒平」先生の教え子だったのでしょうか。先生の薫陶、驚異です。文章だけでなく、ものの考え方、受け止め方、に、はっきりとした方向性と信念の貫きが読み取れる。これあれば、わたしたちの日本は、どんなに狭隘な形に押し込められようと、反発の力は温存される。と、まことに逞しく、嬉しく思います。もう、わたしのような老人が力みかえって、ごまめの歯ぎしり、必要もない。ああ、安堵安堵。

御地とわたしの住む所とでは海抜60メートルの差があると思います。一段と冷えて参りました。

お気をつけください。  甲子

 

* 秦先生 随分とご無沙汰しておりました。

いつぞやのHPの中で、長らく連絡がない、と気にかけて頂いていたのも読んでいたのですが、実はここ2ヶ月ほどつわりで、仕事以外はほとんどぐったりしていました。仕事はそこそこにこなせるのですが、家に帰って気が抜けたりすると、どうも体が辛くて、ついついご無沙汰しておりました。

湖の本の振り込みも2回分、滞っていると思います。申し訳ありません。少しずつ元気になってきましたので、近いうちに郵便局に行こうと思っています。

夏場に海外に出ていて(その頃はほとんどつわりはありませんでした)フルに仕事して、かなり心身ともに疲れ切ったのが今頃になって影響しているのか、今回は前の子どもの時よりしんどいようです。でも考えてみれば、長女の時も同じ時期にアメリカに行っていたので、もしかするとこの違いは単に体力の違いか、仕事での責任の重さの違いかもしれません。気がつけば、かなりいい年になっていますから。

柳君の「生活と意見」についても、やはりこの年になったからこそ「意見」に「生活」の軸の必要性が増すような気がしてなりません。

ただ、私の場合、自分が周囲に「意見」をはっきり伝えられるようになったのは、そして後で振り返ってその過不足を補正しなくてよくなったのは、「娘」という「生活」ができてからです。大事な子どもをおいてまで使っているこの時間なのだから、絶対に元を取るゾ、と思うようになりました。今その場で、できる限りのことをするという、下書きなしの清書のような思い切りが生活に入ってきて、ようやく人生に前向きになれましたから。この「生活」が「もう一つ」増えて、自分がどう変わるのか、少し楽しみにしています。

ただ、数学的に言うと0の概念と1の概念の違いの方が、1と2の違いよりはるかに大きいことを考えると、案外今回は大した違いではないのかもしれません。

夏に中国に行く前に、湖の本の中での「石」と「花」についての部分(=古典独歩)について少し思うところがあって、帰国したらお送りしようと思っていました。ところが風邪を引いて帰ってきた上に、治った頃につわりがひどくなり、と、今日まで来てしまいました。また少ししましたら、それについてもお送りしますね。

秋の味覚が楽しめる時期なのですが、つわりのせいで大好きな茗荷を食べられなくなり、たくさん取れた庭の茗荷を全部人に分けてしまったのがとても残念。一年に一度のものを逃すと、本当に心が残りますね。ただ、十五夜には関西風の昆布だし仕立ての「みたらし」、お中日には「おはぎ」と、娘に伝えられる「生活」だけは楽しみつつ保っています。作った自分は、まだほとんど食べられないのですが。

しっかりした「意見」のある内容ではなく、ただ「生活」をご報告するだけの内容になっていますが、ずっとご無沙汰しているのが気になっておりましたので、お送りいたします。

喉の風邪が流行っているようです。どうぞご自愛下さいませ。  典

 

* 嬉しいメール。めでたい報せでもあるメール。この卒業生には、わたしが京都で梅原猛さんと交替でやっている、雑誌「美術京都」の対談を頼もうと、先日の京都藝大榊原吉郎教授との会議でもきめてきたのが、当分差し控えねばならない、いっそ、五十枚ほどの原稿を依頼しようと思う、むろん「糊」の研究余話を。それなら原稿料もしっかり出せるし、書きたいときに書いて貰えるから。

ともあれ体調を調えて下さい、元気に。元気な二人目のお子さんを待望しましょう。

2005 9・26 48

 

 

* 秦先生、柳です。

 

悔しい、悔しい。日本は、日本人は、何処へ行こうとしているのでしょうか。

9月11日の選挙に私はこちら(ヨーロッパ)にいたので、選挙方法もわからず、また未だ日本の住民票を取り出していないので、こちらでの在外選挙権が発生していなかったようで、選挙に参加できなかったのです。

それが悔しい。

しかし、それ以上に悔しいのは、私たちが会話から「政治」を失ってしまったこと。「政治への信頼」を失ってしまったこと、そして政治が生活から切り離されているかのような錯覚に陥っていることです。会話から「政治」が、つまり議論が失われ、「なぜ?」と「とりあえず反対」とが、閉め出されたことです。

こちらでの友人と「選挙」について話をしたのです。

私は、小泉政治に反対意見を持っています。まずは、「戦争に行きたくないから」。小泉政治ほど明白に「戦争への第一歩」を、しかも何の大義名分もなく歩み始めた政権もないでしょう。それを許した私たちも、前代未聞ですね。私が戦争を恐れるのは、当たり前ですが、人を殺したくないからです。同じように殺されたくもないからです。更には、戦争になって戦争に行けと言われた際、断乎固辞しきる自信がないからです。

私は自分の死と他人(たとえ敵対する相手でも)の死を比較したくありません。人間を比較したくないのです。ですから、戦争へ突入可能な状態を合法的に作り出すのを、ぜひ選挙で反対したかった、防ぎたかった。「なぜ殺すの?」という疑問に適切で正確な答えがない以上、「反対」する、しかないではないですか。

これが今回選挙の争点にならなかったのが、不思議なくらい、日本人の「戦争への興奮」を感じています。こんな僕は、臆病者なのでしょうか。それが臆病者といわれるなら、僕はかまいません。

それって、今度の選挙とは関係ないよ友達は言う。もしくはこれからの戦争で(特にエリートは)自分の置かれる位置・地位が選択ができるはずだ、だから戦争に行きたくなければ行かなければよいじゃないか、と言う。それは他人いや自分の友さえも、いいえ自分自身をも馬鹿にした発言ではないでしょうか。

僕は「誰も」失いたくありません。「自分を」失いたくありません。人を殺すことによって、妻を死なせる可能性もあるなどと「想像のスイッチ」を入れたくないのです。人を殺す=戦争をするというのは、そういうことだと思うのです。大げさでしょうか?

友達は、反対理由が無ければ賛成しろよ、そうでないと物事は前に進まないよといいます。「物事」とは郵政改革のことだけに聞こえます。しかし、それだけでは僕は納得できない不安と不信をぬぐい去れないのです。今の平和そうな状態を、いつ危険な方へ方へ悪用されるかわからない状態に、簡単に移行させられてしまいかねない「政治の悪意」を感じてしまうのです。

立ち止まってみても良いじゃないか、もっともっと「それは、なぜ?」と吾々に尋ねさせてほしい、聴かせて欲しいと言いたいのです。しかし、悲しいかな、吾々に堅固な論理がなく、またその不審には当面の政治展開を妨げる、ないし妨げかねない危険性! を秘めているので、みんな事前に「削除」されてしまうのです。

小泉政治の根幹は、どうにも、「強者の政治」としか思えない。政治の内容しかり、政治の手法しかりです。

内容的には、公共という概念がカバーすべき社会のビジョンがありません。強者は「公共」など必要としていないからです。

手法的にいえば、政治的判断や外交判断が、抽象的な「○か×か」に置き換えられ、有権者に政策の内容が的確・懇切に伝えられていない。伝えようと言う姿勢がない。有権者(先生の謂われる私民)になど説明する価値も必要も無いと思っているのでしょう。そして多くの人が本当にその○×で選挙を行ってしまったのです。すべて「為政」者の正しい行いとは思えません。彼らの得意なことは、政治でなく政局・政略・戦略だけです。煽動するだけです。ここで「ナチ」を引き合いに出す必要すらないでしょう。彼らも自前でお膳立てした「合法的政権」を獲得し拡大していたのでしたよね。そしてアウシュビッツ(ポーランド)へ続く合理的機械的装置を築き上げていったのです。

しかし、私達自身の政治判断・政治参加は、選挙で「議員を選ぶ」ことでしかできません。「選挙」とは選挙したその人にすべて(いえ多く)を託していることと同義です。郵政民営化だけであなたを選びました、なんて言ってもそれは「有権者」としての行動ではありません。民主主義(大げさですが)日本の有権者は、ひとまず議員に「託す」事しかできないのですから。

しかし、悔しい。

私は「小泉政治に反対」と言って、ではどうするのか? という質問を受けたときに「こうします」という意見がないことが、悔しい。しかし、それ以上に「とりあえず反対。良いと思えることを考え出すのが吾々の政治に参加するということだ」という会話が、友人とすら成り立たなくなっている事態が、悔しい。政治への参加意識がなくなり、政治は誰かがやってくれるもの、という認識が蔓延することで、有権者同士、「意見がないなら賛成しろ」=「他のお話が作れないなら、人のお話に従え」というお話への服従へと態度変更が迫られてしまうのです。

話の「内容」ではなく、単に「展開」の仕方に重きが置かれていると感じます。今は、次への安易で危険そうな展開を阻止する方が、大事な大事な事態じやないでしょうか。論理の整合性、一つ一つの展開のみ、が重視され、組み立てられる論理の「総体」は、「未来の見通し」は、相手にされない、そんなある種自己放棄の会話。信じられないくらいに悲しい事態ではありませんか。

しかし僕は確信します、「反対」「嫌だ」に理由なんてない、ひとまずは無くてもいい、のです。嫌なものは嫌だ、というソレも実に大事な判断で選択です。自分のそのイヤに、落ち着いて根拠と論理を得て行くのはそのアトからでも構わないと思います。たんに抛棄したんに拒絶するのではない。がんばって自分の堅固な考え方生き方へと思想や信念を、生きる足場を創り出すのです。それが「私の政治」なんだと僕は思っているのです。

この「イヤだ、に理由はない」というのは秦先生に言われたことだったかもしれません。そして学生であった僕は「イヤだというなら、理由を伝えなければ意味がない」と抗っていたと記憶しています。

私も変わりました。今はそんな余裕が無いのです、「イヤだ」と言わなければならない、という切迫した気持ちと、他の人(団体・組織)への安易な期待感が薄れてしまっています。期待するなら手を結ぶ必要がある。「期待」を具体の力に育てる必要がある。

そして私は、残念ですが自分の無力を感じています。「ひとり」だけではダメなんだということでしょう。

しかし・・・。この「しかし」を僕は大事にしたいと思っています。日本の、日本人の、僕たちの「生活」は、どこへ行くのでしょうか。どこへ行きたいというのでしょうか。

 

* ぼくになったり私になったりしながら、柳クンらしい回旋求心思考を、ねばり強く巻いて見せてくれた。言おうとしている殆どにわたしは賛成である。しかし賛成でない人達の方が圧倒的に多かった現実に、正直戸惑ったり暗澹としたり「悔し」がっている。この「闇に言い置く私語」をいつも聴いていて下さる方のなかにも、柳君やわたしとは、正反対に思う人がいてむしろ当たり前の昨今であろう、わたしは、そういうご意見にも聴いてみたいと思っている。願っている。

 

* 蜻蛉や村なつかしき壁の色

旅をしているうちに、国道や県道では「わからない」ということがわかってきました。クルマに乗っていては「わからない」ということも。

先日、道路拡張工事をしているところを歩いていて、“再開眼供養はいついつどこどこ、お地蔵さまは現在こちらにお遷し中”と、地図が貼られているのに気がつきました。一枚だけ、手書きで。腰の曲がったおばあさんのちょうど目の高さに…。

好きな景色です。

筍のために道を譲った物語や、祟りの話は、科学や経済に押しのけられ、いまや、大木を伐ったり、線路や道路に参道が分断されたり、社寺や墓地を移したり、といった例は珍しくなくなっています。神社ではクルマのお祓いもしますから当たり前のことといってしまえはそれまでですが、道路ができ、駐車場ができ、歩かずに間近まで行くこと

ができるようになりました。

近江へ日帰り旅をしていると、一日に二ヶ所も、線路や道路が、真後ろ、真ン前を突っ切っている社寺を、見ることがあります。幕が開いたらいきなり目の前に主役が仁王立ちしているようで、落ち着きませんが、“近江の人ってこういうのオッケーなンだァ”とびっくりします。超然というかクールというか、縛られずこだわらず。近江商人達がのしていったのは、こういった気質も関係しているのでしょうか。

案内板に従って進むと、線路のすぐ脇に駐車場があり、クルマを停めて降りてみると、踏み切りもなにもなく、向こう側に朱の鳥居。ここを渡るのよねぇと、恐る恐る。

“そういえは子供の頃、線路に耳をつけて遊んだっけ”と思ったところに音がしました。カーウ゛の向こうに列車のかげ。あわてて線路を渡り、日雲神社境内からふりむくと、まんがのたぬきが描かれた一輛電車が、ガタゴトゆれながら通り過ぎてゆきました。

それから、以前から、杣川と野洲川が合流する三雲に、重文の十一面観音が三体もあるのが気になって、尋ねてみました。あるお寺の案内板の先に、クルマ一台分の小さな舗装スペースを見つけ、停めて降りると、道路と単線の線路がくっつかんばかりで、そのすぐ向こうに「大日如来」と「三雲古墳群」の二本の石柱。その間を石段が山へ上っ

ています。踏み切りも道もなァんにもなくて、こりゃどうしたらよかんべぃとためらっているところへ、赤いバイクがきました。道の脇にスタンドを立て、お兄さんは郵便の束を持って、さっさと線路を渡ってゆきます。あわてて後を追いました。

黒いイトトンボの乱舞する石段の先に門が見え、犬が吠えます。

右手の畑に、大きなお腹にランニングシャツ一枚で、汗だくのご住職がいらして、犬を叱り、お声をかけてくださいました。

好きな情趣です。  囀雀

 

* 柳と雀のこのコントラスト、これも「今・此処」の景色である。

 

* みかんの写真 ありがとうございました。

お手元にあったのですか。ご近所の風景ですか。

ゆうべは無事にご帰宅なさいましたか。メールがなかったので、心配しました。 花

 

* あの蜜柑は、歯医者通いの、バスをおりてすぐ途中にありました。デジカメですからべらぼうに大きいのです。それを先ずうんと小さくしてから、教わった通りに、これは一度で転送に成功した稀有な例です。風が自慢の花、花の写真も小さくして見せてあげたい。

きのうは、もう一軒足を運んで呑んでいたらよくなかったけれど、自粛したので、鮨屋ででも、地下鉄でも、西武線でも、「校正」していました。「仕事」があると酔わないのです。

今晩は、モスクワ藝術院の客員教授がピアノ伴奏する声楽リサイタルに招かれており、三鷹へ行ってきます。

甲子さんが新しい長編「夢の半ばに」を送ってこられました。題が「夢の途中」と似ています。 風

 

* 今、昼休みです。地下食堂で、きのこうどんと野菜サラダの昼食を済ませた所です。

急に涼しくなって昨夜はなんだかすぐに寝つかれず、『閑吟集』をひろげました。

97番、秋ですね! また207ページの『田植草紙』の朝の歌も素敵。

昨日から今日まで吹くは何風

恋風ならばしなやかに

靡けや靡かで風にもまれな

落とさじ桔梗の空の露をば

どうかお元気で。  ゆめ

 

* 閑吟集の97は、こうである。

秋の夕べの虫の声々 風うちふいたやらで さびしやなう

「ゆめ」さんは佳い詩人である。

思ひの種かや 人のなさけ  81

 

* 秦先生 ホームページ拝見しました.私のブログのURLを貼って頂いて有難うございます.**さんからのメールも拝見しました.僕を憶えていてくれたようで嬉しく思います.

そういえば**さんと二人,天ぷらをご馳走になったこともありましたね.

バルセロナの彼女のメールのことを思い出し,少し私のブログにも書かせて頂きました. 岩

 

* チキンラーメン:ブログ

「これも食べなよ」

もう十年以上も前だが,二十歳の誕生日にバイトから帰って夕食を食べていたところに,父がチキンラーメンを持ってきた.正直言ってそんなに食べたくはなかった.もう夕食を食べていたし.でも,執拗に勧めるので,一応箸をつけた.

「お父さんが二十歳の時は,これで誕生日を祝ったんだ」

父は早くに父親を亡くし,女手一つで育てられた.当時女性では珍しかった薬剤師の資格があったからこそ,祖母は女手一つで父を育てられたのだろう.でも,父が高校を出ると,「私は今までお前を学校に行かせたんだから,後は自分で何とかしなさい.後は自分の愉しみのためにお金を使うから」といって,それ以後の学資を援助してはくれなかった.

父は仕方なく,地元の電気屋でしばらく働いて,金を作ってから上京した.

勿論,それだけで暮らせるはずもなく,昼は大学に行き,夜は学校の警備員をして,なんとか学費と生活費を稼いでいた.食べていくのは本当に大変だったようで,当時チキンラーメンは父にとってのご馳走だったらしい.ガス代が勿体無いからといって,普段はお湯も沸かさずに,そのままバリバリと食べていたという.二十歳の誕生日にはせめてもの贅沢ということで,湯を沸かしてチキンラーメンを浸して食べた.

きっと父はその時のことを,僕に伝えたかったんだろう.

僕は僕なりに今までそれなりの苦労もしたと思うし,辛い目にもあってきたとは思うが,父の苦労を思うと,自分はまだまだ甘ちゃんだなと思う.

でも,そんなに苦労して金を作ってまで父が学んだのは,意外にも{書道}だった.ここのところが,いかにも僕の父らしいなあ,と思う.普通,苦学した人は大学で金に直結するような学問を修めて,金儲けに結びつけそうなものだが,父はそういう目的で大学に行った訳ではなかった.父は,本当に,心の底から,書道が学びたかったのだと思う.

僕は大学院の修士課程に入った時,研究者になるのを諦めようかと思ったことがあった.実験をしても全く成果が上がらず,誰にでもできそうなことさえできず,先輩達からは哂われ,研究室生活にも馴染むことができなかった.文系就職を真剣に考えた.でも,それを知った父から「本当に好きなのなら,もう少し頑張ってみては」と言われたからこそ,思いとどまって,自分の夢にもう一度,環境を変えてトライしてみようと思ったのだと思う.

親としたら,博士課程に進んで学生を続けた上に<収入の少ない研究職などよりも,当時まだバブルだった大手企業への就職の方が望ましかっただろうが,それを勧めずに、「本当に好きなことをやれ」と背中を押してくれたのは,自分自身が本当にやりたいことをやりたかったからなのだろう.

・・・・・・・・・・・・

秦恒平先生は作家であり,また僕の大学時代の恩師でもある.ホームページに色々と近況を書かれていて,毎日のように読ませていただいている.先生に最近メールした際に,僕のこのブログのことも書いたところ,URLを貼ってくださった.それを見て,大学・大学院時代に机を並べ,今は結婚してバルセロナに住んでおられる同級生が秦先生宛にメールを寄せられたらしく,その文章が一部,ホームページに載っていた.

 

以下,無断で一部を転載させていただきます.

 

「普通,といったら心外かもしれないけど,あの大学で普通の人間関係がうまく持てなかった私には,普通こそ特別で,彼は大事な「普通の級友」だったと思います.」

うーん,「普通」ですか.僕だって勿論,その人のことは素敵な女性だと思っていたのだけど,何しろ彼女はモテモテだったので,初めから無理と思っていたから「普通に」接することができたのかもしれない.

秦先生の担当は「文学概論」だったが,一風変わった授業で,毎回小さな紙に,あるテーマについて短い文章を書くことが点数代わりになっていた.何のテーマだったのかは忘れてしまったが,ある時,父の上記の話を書いたことがあった.秦先生のホームページに載っていた彼女の文面とはちょっとだけ違っていたようなので,また書きました.

彼女とは同じ学科だっただけでなく,研究室所属してからは同じ講座だったせいもあって,夜に研究室のスタッフが帰ってしまってから,よく雑談をしたりした記憶がある.あの頃は僕にとっては「どん底」で,何をしても全てが上手く行かず,自分の至らなさに嫌気がさしていた.

そんな頃に,あれこれと話を聞いてくれた彼女には感謝しています.  岩

 

* この人はいま愛知県にある難しい研究施設でおそろしく難しい研究に従事していて、その延長で来年には移籍渡米の方向らしく聞いている。

「父親」というのは息子にも娘にもフクザツな存在である。大学でもじつに大勢が父親への愛憎に悩み、また苦闘しつつ自身の開眼で、父親との関係そのものをよく変えようと身もだえしていた。

四月新学年のはじめには、(わたしへの授業ごとのアイサツの中で、)ボロカスに父親を罵倒していた学生が、年度の終わる頃、しみじみとその父親に敬意と感謝と愛情を語っていた「実例」に、思わず泣かされたことがある。父親たる難しさをしみじみとわたしは学生諸君から教えられた。この「岩」クンも、その一人。

2005 9・27 48

 

 

* 秦さん、ごぶさたしています。***です。何度も同じメールをお送りしていたらすみません。戻ってきてしまうようで。

 

* (この「戻ってきてしまう」には思い当たるところが有る。不正広告等のあまりに猛烈なドメインを受信拒否設定したからで、その一つに @yahoo.co.jp があったと判明した。京都の従妹がこれを使っていたのを失念し、たくさんなメールを戻してしまっていたようだ。この卒業生女子の場合もそうであったオソレがある。他にも有るだろう。これはこの手の事件で判明した、双方被害の顕著な一例である。)

 

* 近況のご報告を。

鬱傾向がひどくて春先より受診を始め、一時は寝込んでしまい、人とのコミュニケーションがどうしてもとれなかったのですが、最近合う薬を見つけたのと、恋人ができたこともあって、安定してきました。回復傾向にあります。

以前辛かったとき、離婚経験のある秦さんのお知り合いから、(=これは日本語のコワイところ。正しくは、秦さんの離婚経験のあるお知り合い と書くところ。秦さんは離婚しないので。呵々) 見ず知らずの私に共感とアドバイスのお便りを頂いたことがありました。

そのとき確か、心の専門家が必要、と仰っていただきましたが、当時はよく理解していませんでした。あの一件に限らず、多くの言葉と感情をひたすら飲み込んできたことで、無理を重ねてしまったのかなと思います。この数年は、生きたいという欲求がずっと欠けていました。

今は感情的には安定していて、以前のような強い抑うつや、理由もなく苦しいようなことはなくなったのですが、脳のバランスが崩れてしまったためか、体が思うようになりません。数日元気で頑張れる日があると、数日寝込んでしまう状態です。感情と脳、体の関係って、緊密にできているなあ、と。

恋人は5歳と半分、年下です。

半年以上アプローチを受け続け、少しずつ心が動きました。恋愛対象としてみていなかったことも、年下であることも、私にはよかったようです。

「守りたい」と言われても、すんなり嬉しく思います。これが同世代や年上だと、「守ってほしくなんてない」と反発して、素直に甘えられません。

好きな人を心底信じられることが、こんなに幸福だとは。

それに、きちんと生きていくためには、「誰かのために」とか「誰かが私のために」といったことが、とても大切なのだという、ごくシンプルな事実をいまさら実感しています。

父が、本を出しました。私が編集者としてかかわりました。娘だから、ではなく、内容がよいと判断しプロとして関わったのですが、出版にこぎつけたときには、ようやくまともな親孝行ができたという気になりました。出版界の縁などは利用せず、純粋に内容で勝負し、売り込んで、得た契約です。

1冊お送りいたしました。

先生がご覧になったら目を丸くするような「4重表記」(英語併記)が特徴です。勢いのあるペーパーバックスのシリーズですし、新刊は必ず平積みされるので、父にとってはよい媒体でした。

オーケストラの演奏会のご案内も同封いたしました。よかったらいらしてください。練習に復帰したものの、まだ翌日は寝込んでしまうような状態です。でも音楽は私にとって救いになります。

メールでのコミュニケーションも気力体力を消耗してしまうため、「湖の本」の御礼もなかなかできず、メッセージを頂いてもお返事ができずにおりました。本当にすみません。お心遣いに感謝しています。

最後にひとつ。気になったので。

ちょっと前のことになりますが・・東工大卒業生、少なくとも秦さんの授業に出ていた東工大卒業生は、「選挙の棄権」などしないと思います。

あともうひとつ。

教授室のお写真拝見して、「よくここに泣きに来たなあ、私以外にも泣いてる人がいたなあ」と。自分で言うのも妙ですが、すごく純粋だったと思います。

失ったもの、もっと成長しているはずがあまり変化していないこと。いろいろ思うところはありますが、(しかも今こんな状態ですが)、今の自分のほうが、ずっと好きです。

 

* とくに気に掛けていた「ここにも一人」の卒業生が、しばらくぶりに便りをくれた。お父上の著書が今朝届いていたので、それが彼女自身の「成果の一つ」に数えられていたので、なにはともあれ事情が知りたいと思っていた。機械をひらくとメールが来ていた。

この前に逢ったときは、一緒に巣鴨でうまい寿司をたくさん食べた。ゆっくり一駅分歩いて別れた。離婚の傷心からわずかに癒えたかどうかという難しい時期にいた。

この人は、自分でも言うように、教室や教授室で初対面の頃から、珍しいほどあまり変化していないのかも知れず、そこに個性の静かな光も見えるとともに、また或る危うさもまだ手放せていないように思われる。

「きちんと生きていくためには、『誰かのために』とか『誰かが私のために』といったことが、とても大切なのだという、ごくシンプルな事実をいまさら実感」と書いている。

まさに此処にキイが在り、このキイが、本当にこの人を幸せにするキイなのか、この実感こそがこの人の縋っているいわゆる「抱き柱」というものであるのか、が、問題だろうと思う。

この人のこの点での「実感」は昔から今まで変化していない。この基軸を上下して幸不幸が訪れたり去ったりしている。今の幸せがどうか安定して、永く永く維持されることを心から希望する。もしわたしに率直に言わせれば、「誰かのために」「誰かが私のために」と願うなら、そのこと自体を実感から一度抛棄した方がいいのだが。人のことは構うな、自己中心のエゴイストになれと言うのではない。「誰かのために(ふさわしく)」「誰かが私のために(ふさわしく)」という願いの方が、煮詰めてみると甘い利己主義かも知れないのである。「抱き柱」ではないかという所以。

 

* 秦さんまたは秦先生は「こわい。つよいから」と、おそれたり泣いたりした卒業生が、思い出せる限り四人以上いた。男子が三人以上、女子が一人以上。その一人が、いま、懸命に生きている。結果的にも「しぶとく」懸命に生きているのだ、頑張って欲しい。また困ったら、また窮したら、またわたしの所へ来て泣きたいだけ泣けばいい。但しわたしの寿命のあるうちだよ。

ちなみに男子の二人は確実に独り立ちし、いい家族と「生活」している。一人は中途で遠くへ、大学からも去ってしまった。大阪で、彼はいまどうしているだろう。この彼また、わたしのパソコンの「神様」の一人であったのだが。

 

* わたしの率直な感動は、この卒業生が「お父さん」の著書のために奮励努力した、そして良い本が有数の「シリーズ」中に成就実現したことだ。この人の父親とのかかわりも、そう容易なものではなかったからだ。よくやったね。

 

* 杜甫と魯迅   甲子  05.9.28

四川省は湿潤を通り越して雨の国である。激しい雨、というのではなく絶えずしとしと細い絹糸をたらし、風景を簾越しに見るか、蚊帳の中から窺うように煙ぶっているか。雨が止んでも重々しい曇天。日本の梅雨期が年中続いているといった感じだ。古くは「蜀」といい、三国史の劉備玄徳を興祖とあがめ、他国人 (よそもの)に誇る。人口一億

、首都、成都には武候祠があり諸葛孔明を祀る、何をおいても真っ先にそこへ案内される。次が望江楼(主流・錦川が支流を併合する地点、玄徳夫人の館)。

乞うて、浣花渓(かんかけい)のほとりに杜甫草堂を訪れた。

 

国破 山河在

城春 草木深

時感 花濺涙

恨別 鳥驚心

烽火 連三月

家書 抵万金

白頭 掻更短

渾欲 不勝簪

 

これはあまりにも有名だ。次の絶句もある。

 

江碧鳥逾白

山青花欲然

今春看又過

何日是帰年

 

劉備がいかに名君であったか、諸葛孔明がいかに聡明な軍事・政道の達人であったか、よりは、わたしは不遇・流浪の果て、竹林の深きにささやかな祠を営んでひそかに詠じ暮らした詩聖の生涯にはるかな思いを馳せる。参観の最中も雨水綿々細々。

さて、16・7年ほど前だったか、四川省・自貢(ツウコン)から南充(ナンチョン)へ車で移動したことがある。雨は変わらず、自貢の壇木林(タンムーリン)ホテルから南充の北湖(ベイフー)賓館まで7時間。野や山はもちろん、途中の町?(部落)の中でも構わず、ランドクルーザーは泥濘を撥ね跳ばして走る。傘をさしていた人はとっさに横へ傘を傾け、家の前にいた人は慌てて逃げ込む。だが泥はその家の中へまで跳び込んでゆく。

やっと中間の都市、南貢へ入る。そこだけは舗装が施され、小吃店(スナック)で軽食、トイレを済ませ、出発。やっと雨は上がったが重々しい曇天。舗装路を外れるとたいへんな悪路になった。右に左に揺れて、肚(はら)が捩れるありさま。

近くに炭坑があるそうだ。掘削屑はボタ山の場合の、ボタというのだろうか。それを木枠のトラックで運んできて深い轍へ埋める作業を大勢の人でしていた。ランドクルーザーとはいえ、徐行運転しなければならない。交通整理のおばさんが笛を吹くと作業員はいっせいに道の端へ寄る。

ふと、眉の秀でた利発そうな顔立ちの少年がいた。15・6歳。さして頑健な体格には見えない。車の通る束の間の休みに木製の鍬を杖に顔を上げ、喘ぐように空を見る。表情には苦痛とも苦悶ともとれる、ひきつれたものがはっきり見てとれる。

「学校は休みなのかね」と通訳に聞いた。

「学校、行ってないないんでしょう。この辺は特に貧乏ですから」

「工場なんかで働く方がいいだろうにね、技術も身に付くし」

「山間部では無理ですね。郷鎮企業は郷鎮(最小地方組織)内の子弟を対象としたもので、足りない場合だけ他村の者を受け入れるんです。それも党書記の許可が要る」

わたしはふと思い出した。佐多稲子の一節。

 

* 「誰かから何とか学資を出して貰い、小学校だけは卒業するほうがよかろう」といった内容の郷里の先生からの手紙を、住込みのチャンそば屋の暗い便所で読み返し泣いた。     「キャラメル工場から」より

 

30分ほど走ると、今度はせっかく埋めた「ボタ」を掘り返している集団がいた。

頬被りした中年のおばさんが石を選り分けて、ざるへ拾っている。

「中にね、まだ燃える石炭屑が残ってるんですよ」 聞くと通訳はそう答える。

「まだ燃える石炭が混じってたら危ないだろう、道が燃え上がったりして…」

「燃えるって言ってもですね、火、近ずけたぐらいじゃ燃えないんです。燃えさかってる竈へ放り込んで、やっと燃えるんです」

その頃中国には「都市籍」と「農村籍」の二種類があって、農村の者は簡単に都市へ出られない仕組みになっていた。

 

五年ほど後です。山東省の工場へ行きました。その工場は管理そのものに熱心で、三年連続してわたしを招聘し、工程編成や品質管理など実施して成果を挙げていた。年一回一ヶ月では物足りない。もっと長期間の指導を、と、省政府もレジデンス・ビザを取得するよう薦めた。その工場の一室に省単位の研究所を設立し、わたしに所長就任を、と、言った。わたしは常駐はできないし、野心もないので固辞した。が、名前だけでいいから、と言われ、了承した。実は、裏があったのだ。

当時、輸入品の関税は100%だった。だから日本で350万の日本車を、中国人が購入する場合700万払わなければならない。だが、常駐する外国人が購入する場合は関税が免除される。研究所としてわたしのレジデンス・ビザを申請、認可されると同時に「クラウン3000」「日産のトラック」「フォード9人乗りWB」などを購入申請をした。無論、わたしの名前で、である。

その晩、祝宴会を開いた。省進口局(貿易)・専家局・税務局・公安局・郷鎮企業書記・ETC。女性を含む11名。捜査当局まで招いた、おおっぴらな饗応である。

公司総経理(社長)が挨拶して乾杯になった。わたしは中国の白酒(バイジュオ)は苦手なので、わたしだけワインにしてもらった。

「甲子さんは、お子さんは?」と、進口局の女性主任が声をかけてきた。

「子供三人、孫五人です」

「一緒に住んでるんですか」と、専家局の担当。

「いえ、みんな独立して出てますから、うちは夫婦だけですわ」

レクチャーなどでは専門語が入るため通訳も苦労多く、辞書など調べながら訳すのだが、この種の話は得意なのだろう、すらすら訳す。

「じゃ、いっそこちらへ住みませんか、奥さんといっしょに、家は用意しますよ」

「家内はねえ、もう歳ですしね、その上言葉ができないでしょう。わたしが仕事で出ると、昼間は軟禁状態になりますから…」

「じゃ、甲子さん一人でもいい、ときどき、好きなとき日本へ帰ればいいんです」

「うーん、それも淋しいですね…、夜が…」

「女性ですか?」と、こんどは布袋のように肚の出た税務局長。

「そう、若い嫁さんがほしいですね」

「そんなこと、お安いご用です。お好きなタイプを世話します。日本語ができる女子大生もいますし、本人も喜びます。上海にはそういう例が何件かありますから」

「そうなれば、また、子供三人、孫五人」言うと、

「いや、それはだめだ」と、公安局長がいかめしく言う。

「中国はね、一人っ子政策とってるんだ」

みな、しん、となった。いちばん怖い人で、制服姿だ。

「自分だけ、三人も作るだなんて、ずるい!」

一瞬の後、その公安局長自身「ぷっ」と吹き出した。それがきっかけ、一座は肚を抱え、円卓の周りに笑いの渦が転げ回る。そうして、乾杯(カンペイ)乾杯と夜が更けていく。

どこへ行っても、ひとりひとりはみんないい人なのだ。一人っ子政策も、都市籍・農村籍の問題も、輸入品100%の関税も、やむを得ない事情があってのことだろう。

自由と民主化を求めた学生のデモに、警察ではなく、軍隊が戦車まで繰り出して鎮圧した天安門。その軍隊の名が「解放軍」とは、何という皮肉だろう。少数民族保護の名のもとに居住区を決め監視を強めるのは、アメリカが原住民の居住区を設けたり、オーストラリアが同じことをしているのと同列だ。誰にも、他者を非難する資格はない。

「国破 山河在」と、杜甫は言うが、「国」とは何だろう、「国益」とは。

わたしはふと、五年前に見た南貢郊外の道路改修工事現場で見た眉の秀でた少年のその後を、ワインで火照った頭に思う。五年経つといまは20か21歳か。

魯迅の「故郷」の中にあった「閏土(ジュンド)」のようになってはいないか。

魯迅はまた次のようにも書いている。

 

* 四千年間、人食いの歴史があるとは、初めわたしは知らなかったが、今わかった。 真の人間は見出し難い。人を食わずにいる子供は、あるいはあるかもしれない。救えよ救え。子供……   「狂人日記」より

 

日本がどうなるのか、中国がどうするか、アメリカはどうだ、ロシアがヨーロッパが、という時代は無くなって「人類がどうなるのか」、という問題に直面する時がもうすぐそこに来ている気がする。

何十年後か何百年後かわからないが…。そうなってから慌てても、手遅れでないよう祈る。

わたしはそのとき、生きてはいまいが…。   甲子 e-OLD

 

* たいていのブログにすぐ飽きてしまうのは、いわゆる外からの「書き込み」もふくめて、文字どおり言いっ放しの「ひとりごと」を聞くだけだから。

この「闇」には、いろんな「生活と意見」が国内外から届いて、交錯・交配され、アマルガムを成している、あるいは受け手のなかでそれの成される可能性がある。チャットでのしゃべくりは別問題として、こういうわたしのサイトのようなのは、もし日本語で記された「ホームページの歴史」が書かれるとき、特異なケースの一つに数えられるだろう。わたし自身の「生活」と「意見」とが、これを可能にしている。この「私語」を、わが創作の一代表作と、自ら言える所以である。

 

* 風  リサイタル、楽しまれましたか。夜は、だいぶ涼しくなりましたでしょう。おでかけの際には、防寒なさってくださいね。

今朝は雨で、肌寒いです。家の中では、まだノースリーブ、短パンですが。 花

 

* 冷えてきて、ずうっとあまりに簡素なカッコウをしていましたのに、今朝など、いやおうなく上着を着ています。佳い秋がうまく長く続いて、厳寒の短いのを願っていますが。

万博が済むと名古屋近辺はすこし静かになりますでしょうか。 風

2005 9・28 48

 

 

* おはようございまーす、風

涼しくなりましたね。タオルケット一枚では、寒いくらいでした。

寝床でぐずぐずしまして、ちょっと慌てています。これからバレーボールです。

今日もお元気で。 花

2005 9・29 48

 

 

* 機械の限界は故障・不具合。自分のは分かるが人のそれは分からない。屡々来ていたメールがフイと途切れたときも、機械のせいか、あるいはじつはからだ工合がよくないか、お家の事情か、分からない。気に掛けてはいるがあえてわたしからは問い合わせない。あるがママにおいておく。すると例えば一両日前の卒業生のように「つわりがきつくて」とか「病気でした」とか「出すメールがみな戻ってきまして」とか事情が自然に分かる。家の都合で「いついつ」までメールが出来ませんと断りがあり(珍しい例であるが)、その「いついつ」が過ぎて一週間ちかく経過していると、病気か機械の事故かを疑う。だが、そのままにする。そういうもののようである、メール往来とは。「なんとやら休暇」ともいう。「メール休暇」もいい。とらわれない方がいい。そして、そのままになってしまうことも、ある。それもそれである。

2005 9・29 48

 

 

* 京都、のばらです。爽やかな秋晴れ。

受信カットされていたとわかって、正直ほっとした気分です。最初の二、三回は戻って来ず一方通行。いつも必ず返信下さるか、はれがましくも「私語の刻」に載せて下さるのに、梨の礫。あまりにつまらない文章を送ってしまったのかと、少し自己嫌悪に陥っていました。事情が分かり目の前がぱっと明るくなりました。我ながらいくつになっても、なんと単純な性格かと恥ずかしくなります。ちなみに、九月二十二日に六十六歳になりました。

携帯からですので、行間とか読み辛いと思いますがお許し下さい。

素敵な予定が目白押しでいいですね。爽やかで良い秋をお過ごし下さい。  従妹

 

* 迷惑を掛けた。言われなかったら分からなかった。いま、俳優座劇場から帰ってきて開いても、全部で十一本のメールの九本が不正メール。防ぎきれない、黙々と削除している。

2005 9・29 48

 

 

* ホームページの写真、懐かしく拝見しました。ふくよかになられましたが昔のままの恒平さん、新門前の表の叔父さん、叔母さん。東京(転居した娘達の家)へは来月、はじめて行きます。

湖の本

9 慈子 上

10 慈子 下

20 隠水のー他

以上三冊よろしくお願いします。

早くメールアドレス作るようにします。  のばら

2005 9・30 48

 

 

* 卒業生男子が、ピアノの調律もすみ涼しくもなってきたので、十月半ば、我が家までピアノを弾いて聴かせに来てくれるという。妻は毎晩七時から一時間、きまってポロンポロンと「音」をさせている。卒業生クンはあれよりだいぶ達者なのは知っている。夫婦とマゴとで借り切り占有の音楽会になりそう。

2005 9・30 48

 

 

* 菊まつりの話題が出る頃となりました。おこたが欲しいと思う日も、ちりちり焼けそうな日もあります。お身体の調子はいかがですか。お仕事がはかどりますよう、お祈りしております。

何度目かの「秘色」を読んでいるところです。気がつかなかったこと、読み落としが、またいくつも見つかりました。

このところ、エッセィをずっと読んでおりましたので、ふやけるように小説にひたっています。

伏見稲荷の門前で売られている、小鳥の丸焼きを食べるように(好きなンです。共食いみたいですが、「いただきます」の実感がします)、カリカリと、自分の歯でよぉく砕かないと、飲み込むのに難儀する、エッセィ。

一般に魅力的とされる甘さや、調味料などまぶしてはなくて、ぱくぱく食べられるようなやわらかさもないけれど、少しずつ、口の中で、ほよほよと溶けていく時をたのしみ、複雑なおいしさをたのしみ、後味も幸せな、小説。

雀にとっても、車の両輪。片方では満たされないのです。

さて、不調に友人が「夏でもカイロ貼ってる」と言っていたのを思い出し、Tシャツを着て、手のひらでからだのあちこちを触って、冷たいところに、小さな使い捨てカイロを貼ってみました。なるほど、手を当てているようで、なかなか具合のよいものです。 雀

2005 9・30 48

 

 

* (書き上げた長編の)推敲が済んだら、ダメでもともとで、どこかの新人賞に応募します。その場合に、既にネットでも掲載されていると資格を失うので、応募できません。希望としては、どこかの編集者のようなプロに生原稿で読んでもらいたいと思っています。

新人賞なんて生意気と笑われるでしょうが、そこを通らなければとっかかりもありません。せめて一次を通るようにと願っているのです。一次を通過できたらどんなに励まされるでしょう。

プロの道は益々遠く思えるのですが、まだ人生を諦めたくないのです。 作家志望者

 

* 幾つぐらいの人なのだろう、むきだし「賞」幻想の本音が出ていて、思わず息をのむ。

賞は、時の運と思うしか有るまい。当たるかも知れない。簡単に当たるものでもない。

「一次を通過できたらどんなに励まされる」かどうかも、分からない。怪しい。一人か、せいぜい二人か、賞とは、受賞者(まれに佳作入賞も)以外は、事実上の捨てられる屑でしかない。本気で願うなら真っ向当選受賞を目指して無心渾身の精進以外にないだろう。

ところが、文学の不思議でもあるが、受賞をめざして書くというガンバリが「無心」であれるワケがなく、あまり成功したという話をきかない。「そこを通らなければとっかかりもありません」というのは、本当に本当だろうか。ちがうのと、ちがうやろか。

要するに作品が文学的によく仕上がっていなければならなかった、昔は。会社が何と言おうとも選者にその気構えがあった。

今はどうだろう、がさつなものでも「売れそう」なら強引に尻押しして世に出すのが「商品としての文学」常識になっているとも見える、情けないのでそうは思いたくないが。今の選者達、会社の意向にひたすら沿おう沿おうとしてはいないか。まるで映画やテレビのタレント売り出しのように。(根性のある人は選者をやめて行く。)

そしてそこに甘い希望を幻想する人もあらわれる。希望というものは、いつの時節にも、一応、あることはある。

わたしの身近から、現に三人の創作者が出ている。三人とも賞とは無縁にその世界へ迎えられて行き、現に活躍している。彼等に「とっかかり」とは何であったろう。少なくも受賞ではなかった、一心に(なかなか無心にとは行かなかったろうけれど)「書いていた」ことだ。それともう一つは、身を働かしていわゆる「売り込んだ」でもあろう。その前に彼等の仕事ぶりを「よし」と見て、励ましてくれる「大人」がいた筈だ。

そもそも今は、文学を、「プロの道」として願うような時節では、ない、のではないか、幸か不幸か。

その点、「ペン電子文藝館」に招待した杉山平助が、昭和六年に書いていた「商品としての文学」の洞察は、よく読めば、鬼気迫るものがあった。今度「芸術至上主義文芸」巻頭に書いたわたしの「流通する文学」は、その辺の険しい機微にもふれたつもりだ。もう責了にした。ホームページの「エッセイ 2」に掲載しておこう。

もう当分の間、「フェイマスなプロ」など出てこないだろう。「プロ」には、真の文学を断念した「リッチ」だけが成るのではないか。

 

* わたしも人に応募をすすめることもある。一つの道であるから。

しかし「人生」を稼ぎ出すために賞が欲しいという考え方には乗らない。急がばまわれ、とも言わない。「今・此処」に誠実にねばり強く、しかも若い人ほどそうだが、やはり「動かなければ出逢えない」ようである。

 

* 風  名古屋港まで出かけてきました。

野外音楽堂、国際展示場、イタリア村、水族館などがありまして、遠足だか修学旅行だかの子供達がたくさんいました。

涼しいし、海だし、夕日が見えるし、いい気分でした。

風を、どうかして、お連れしたいけれど、ちょーっと足をのばさないとですね。

帰宅してから、家計簿とにらめっこしていました。贅沢に暮らしているはずないのに、「こんなに使ってるの」と愕然としました。

ウーン、家計のやりくりは、難しいですね。アルバイトしなければならないかも。

仕事しないでいても、暇だと感じたことはありませんが、働きだしたら、時間がますます貴重になります。ま、これは、まだ思案の段階ですが。  花

 

* 若い奥さんの家計簿はラクではあるまい。世の中の経済も少しもラクではない。民主党の前原代表の予算委員会の質問を聴いた、なかなか出来る。期待する。どうか菅のように躓かないでほしい。

2005 9・30 48

 

 

* 夜中に何本かビデオ撮りの成瀬巳喜男の映画を、今も画面を観ながらキーを打っています。「浮雲」は観終えました。この「風立ちぬ」は、監督が父を亡くし、母と田舎から上京してきた少年の頃の経験が盛り込まれているそうです。家業の八百屋を嫌う気位の高い娘役の原知佐子を観ました。まだ、観始めたばかりですが、テレビドラマ「祇園囃子」より余程オモシロイ。

九月も終りましたね。明日は「プラート美術の至宝展」フイリッポ リッピの絵を観たく、出掛けます。おやすみなさい。  泉

 

* わたしは、上野の都美術館、三越の伝統工芸展、根津美術館の墨跡と漢画展を、会期がせまっているので観てきたい。根津の帰りに青山の保谷眼鏡に寄りたくも。

2005 9・30 48

 

* 秋晴れ、きもちいいですね!

休日がお天気だと、主婦(?)としては忙しいのですけれど、やはりうれしい。今日は朝から洗濯、そうじ、布団干し。籐の敷物をから拭きして押入にしまい、冬のおふとんを陽に当て、掘り上げておいた春の球根を植え付けました。

クロッカス、水仙、スノードロップなど、来春が楽しみです。

『千一夜物語』と『旧約聖書』は今年の私の読書の縦糸。少しづつ毎日読み進めています。もっともここのところ、本のページをひろげるものの1行も読まないで、つい、うとうと、という夜もありますけれど。

HPの先生のお写真、にこにこしてとても幸福そうですね! ゆめ

 

* やっとやっとやっと、眼鏡の新調に行きました。一年半ほど、今日にも今日にもと思ってきた。何十年の馴染みの店が遠くてね。

それでも今日は都の美術館で美術展、三越本店で伝統工芸展を観てから、地下鉄一本を幸便に保谷眼鏡へ。それから根津美術館へも。日限間際の展覧会を三つ観て、眼鏡も。たいしたガンバリでした。

花の十月も 十一月も楽しめるといいですね。こっちは湖の本新刊の作業がどこまで進んでいるかしらん。

元気に日々を満喫してください。今日の東京の夕焼け、綺麗でしたよ。 風

 

* 相当つかれたものか、眠い。明日からの週は木曜に会議があるだけ。しかしその次ぎ、さらにその次ぎの週は、七日の内五日ずつ、いろいろある。

 

* 湖様  今日は、会社のスタッフ(本職が歌手)の演奏会(トゥーランドットとオテッロのハイライトからなるコンサート)があるので、池袋の東京芸術劇場に行ってまいりました。

コンサートはいつも友人か家族と行くのですが、今夜は独り出かけました。池袋の町はちょうどお祭りで、祭り衣装の若い人たちが溢れていて、別世界に迷い込んだような混雑の中をかき分けるように劇場に向いました。

今回気づいたことですが、独りで聴く演奏会はよいものですね。久しぶりに会った友人との会話や、年老いた親の体に気を使うことなく、ひたすら個として音楽に向かい合うことができましたから。

医学博士でありテノール歌手である米澤傑氏のプッチーニ トゥーランドットハイライト が、期待以上によいものでした。ひきいれられて、思わず涙のにじむ思いでした。

イタリアのテノール歌手、ジュゼッペ・ジャコミーニはさすがに円熟したのどをきかせてくれましたが、オテッロの熱い思いを注がれるデズデーモナ役のわがスタッフは難なくこなしたという感じで・・・ 日ごろのさばさばした気性さながらの舞台でした。最後のアンコールはジュゼッペの「オーソレミオ」で満場熱い拍手とブラボーの歓声!!

独りで行ったからこそ味わえる少しぜいたくな時を過ごしてきました。

日曜日は娘家族と老親が訪ねてきます。これも楽しみです。

おやすみなさい。そろそろ休みます。  波

 

* 洗練され鍛錬された肉声の美にふれると、弦や管や鍵盤や打楽器のそれとは幾味もちがう興奮に誘い込まれる。テノールの会を楽しんできたばかりなので、言われることがよく分かる。この人には、ことに、「ひとりで」というのが意義がある。

2005 10・1 49

 

 

*「流通する文学」(ホームページで)読みました。少しため息ついています。

純文学作品出版が息も絶え絶えとは思っていましたが、佳い作品が本として出版社から流通する希望はもう持てないのでしょうか。若い作者が「創作者」であるよりも、「製作、生産者」へ露骨に変容変貌している現実はその通りです。

ある売れっ子の芥川賞作家が、自分が作家になったのは、食べていけそうな職業選択の一つとして選んだにすぎないと語っていたことを思い出します。職業として成り立つか試すために、作り話を書き続けたそうです。何日かでたしか二千枚? くらい書いて、まだまだいくらでも書くことがあるとわかり、向いていると判断したとか。

時々図書館問題で批判される何とかという女流の方も、ホステス時代に一番ちやほや機嫌をとられていたのが作家だったので、これはいい職業だと思ったのが作家を志望した動機だったと、ご本人がどこかで書いていらした。ジョークとも思いますが、デビュー作の掲載文藝誌に自分のヌード写真を載せることを提案し空前の売れ行きだったり、ブランドがほしいと某有名作家と結婚したりという道をみていると、作品云々より、職業を成立させた戦略のうまさに妙に感心したりします。(とても真似できませからね。)

そういう方々が文学史に残るような名作の書き手になるかどうかまだわかりませんが、それを目指していないことだけは明白です。売れてなんぼの商人に近いので、志は問われないのです。もっとも、お二人とも面白く優れたものを書いているにちがいなく(未読)、素人が生意気に批判はできません。当然ですが。

 

> しかし、わたしの思うところ、本当は「編集の鑑賞力」を売るのが一番なのではなかろうか。ラチもない詐欺まがいの文学賞がやたら増えるよりも、出版資本の手を脱した優秀な「読み手」たちが、電子文藝を、「鑑賞力」で吸引し始動し編輯して行く「新システム」の生まれることが大切なのである、その時にこそ、杉山のいう「合理的な新しい社会機関」が意義を持ち始める。

いま「流通している」のでなくただ「氾濫しつつある文藝行為」の本当に良い「流通」を質的にリードできるのは、慾深な資本の神でなくて、文学を愛する力ある編集者であろうとわたしは期待しているのである。

 

「湖の本」は時代の先端を風切って進んでいます。今は真似できる人がいないにしても、かならずこういう活動が世間の流れともなり、追随され、歓迎されていくと思います。純文学回帰の時世がくると信じています。優秀な読み手はたくさんいますし、佳いものはいつの時代にも求められています。私はその点、楽観主義。

以前、FMラジオがクラッシック音楽の放送をやめたときに、抗議が殺到したことがありました。局としては、それまでクラッシックは何を流していても聴取者の反応がないので、聴いている人がごく少数しかいないと信じこんでいたのです。何しろリクエストを募集しても十五票とかせいぜい五十票しかハガキが集まらないのでした。これがポピュラーやジャズや歌謡曲であれば何万票とハガキが届くのです。当然といえば当然の局の判断でした。

それが、放送をやめたとたん、聴取者の怒りは凄まじく、この時初めて、ラジオ局にも、クラッシック番組が愛好者によく聴かれていたとわかったのです。私の友人も、ただでさえ少ないクラッシック音楽番組をなくすとは許せないと、血相変えて怒りの電話をかけた一人。

めでたく番組は復活しました。クラッシックの愛好家は、日頃、ラジオ局やテレビ局に電話したり、ハガキを出すようなタイプではなかったということだと思います。

純文学も、クラッシック音楽です。人類の宝を必要としている人たちのために、佳い作品が手に入りやすい、正常な流通が一日も早く実現することを願っています。

先日大変美しい「湖」の写真を見つけました。「五花海」と言います。ご存じですか? 中国の九寨溝にあります。100以上の湖が点在する場所で世界遺産。「鏡海」という名の湖も鏡そのもののように山々の景色を湛えてそれは美しいのです。

五花海は湖底まで透き通っていて倒木や魚の泳ぐさままでよく見えます。満足できるものではありませんが、以下のアドレスで写真を見つけました。お疲れの時の一服としてどうぞ。

http: //www.galstown.ne.jp/5/single/bichan/china/sichuan/jzg1/jzg021.html こちら

http://www.otpi.co.jp/tour/04tour/0410kyusaikosyashin.htm

おやすみなさい。  春

 

* 十時まで床にいた。かなりややこしい「論理的」な夢を見ていたらしいが、もう思い出せない。黒い「マーゴ」にゴキゲンに起こされた。足さきをクスグルのである、「マー」のやつ。

起きて、読んだ、上のメールにビックリ。思いもよらない話題を提供してくれる。

以下の引用は数十年も前に十返肇が書いていた画期的論説「文壇の崩壊」の一節であり、わたしが今度の論文「流通する文学」に引いた個所である。上のメールの話とあざやかに呼応している。

 

*「芥川賞受賞以来の石原(慎太郎)氏のジャーナリズムにおける扱われ方は、これまでの新作家にみないもので、ここに至つて『文壇的』評価などは完全に黙殺された観があつた。それは、ちようど映画批評家がどんなに大根よばわりしようとも、映画会社が売り出そうと思う新スターは、なんとしてでも売り出す宣伝戦をおもわせるものであつた。意識的に一人のスターを売り出す、あるいは売りものにしようとするジャーナリズムの商業主義の完全な勝利であつた。すでにそれは『文壇』がジャーナリズムの商業主義にほとんど無抵抗であつた事実を示している。

今日ジャーナリズムに『文壇』が無抵抗となり、無抵抗になつたことで『文壇』が崩壊したのは、現代作家の脆弱(ぜいじゃく)性によるのではなく、社会的必然なのだ。

さらに今日では藝術家とジャーナリストの区別ということが厳格に規定できない。すくなくともジャーナリズムで存在しえている藝術家はジャーナリスティックな才能をもつていることは疑えない。そして、それが藝術の変革を必然化せしめる。それは現代の素質として血肉化しているのである。彼らの文学はその気質の産物である。

彼らは、それを『貧乏と病気と女の苦労』の体験から学んだのではない。先輩文学者から教えられたのでもない。彼らは今日の普通の青年として生活の中から身につけたにすぎぬ。そして彼らの生活には、『文学の師』などというものは存在もしていなければ意識されてもいない。彼らはかつての私たちのように文学青年でさえない。」

 

* 石原氏や大江健三郎氏らより遅れて「作家」になったわたしも、おおよそ「文壇」の厳しさになど一度も直接触れることなく、孤独にこつこつと「文学」していた。

とはいえ、そんなわたしを「文学の世間」を呼び出してくれた人達は、まさに「文壇の雄」たちであったとも謂える。中村光夫の先に小林秀雄の意思があったと聞いている。新潮社の重役の意思も働いたと聞いている。円地文子も働いてくれていたと想われるフシがある。中村光夫のそばには太宰賞の選者たち、井伏鱒二、石川淳、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎らが在った。河上は小林の盟友でもある。

わたしは「太宰治賞」の存在すら知らずに、巷に埋もれていた孤独な文学青年に過ぎなかった。「文壇」がわたしを見つけてくれた、必要としたのだという「格好」になる。わたしは、今頃になりその「事実」を確認しておかねばならない。

わたしのその後の歩みは、「湖の本」は、まさに崩壊していった「文壇」と「志の文学」に殉じゆく、恰も敗残の赤坂城・千早城に似ているのである。しかし、時代を動かして行く火だねの一粒には成ったかと思っている。

上に挙げた大きな名前の誰一人として、パソコンの時代を、念頭に、滴ほども持たなかった。しかし「文壇」を破壊したのは、新文学青年達の思想や生活態度であったという以上に、時代と社会環境(インフラ)の変化であり、変化の芯に仁王立ちした「コンピュータ=電子メディア」という大魔神の存在 (あえてまだ力とは謂うまい。)であった。

しかも、なんとなんと、昭和六、七年のはるか戦前に、ひとり杉山平助は、朝日新聞に二日に分けて書いた「商品としての文学」のなかで、おそるべき、みごとな「洞見」をすでに披露していたのである。その当時の読者達は「たわこと」だと思っただろう。

以下、わたしの論文の一部引用である。

 

* 杉山(平助)は一文を結ぶにあたり、おそらく昭和六年当時としては黙殺され冷笑でもって看過されたかもしれないが、平成の今日只今からすると、ビックリする洞察・予見の言を以てしている。

こうである、「要するに、今日の社会にあつて、文学もまた商品たるを解せぬ詩人の認識不足はいふまでもないが、同時に商品としての外に文学は存在し得ないと思ひこむことも亦時代的短見だ。文学は曾てある時代に商品でなかつたやうに、将来もまた商品としてでなしに生産される時代が来るであらう。即ち文学生産者と文学需要者の関係が、利潤にケーアを持つ仲買人の手を通じてではなく、より合理的な新しい社会機関を通じて結びあはされる時代が迫りつつあり、また一刻も早く来らさねばならないのである」と。

指摘するまでもない、杉山は、パソコンやケイタイ電話等、コンピュータによる今日の機械環境、まさしく「新しい社会機関」の成立を、想像すら出来なかった。テレビはおろかラジオ放送もまだこの時は知らなかったろう。だが「文学生産者と文学需要者の関係が、利潤にケーアを持つ仲買人の手を通じてではなく、より合理的な新しい社会機関を通じて結びあはされる時代が迫りつつあり、また一刻も早く来(きた)らさねばならない」と彼は言い切っている。「一刻も早く来らさねば」という要請の意義だけは俄かに評価できないが、コンピュータの「ネット」世間は文字通り WWW=world wide web となって拡がり、ネット上で誰の編輯意図や批評に掣肘されることすらなく「書いている」書き手は、ケイタイまで含めれば、無慮無数に及んでいる。

今日、「読みたい人」は減る一方、「書きたい人」は増える一方と、言われている。ホームページ。ブログ。そこで為されているのは、とても「創作= creation」とはいえない低度・小規模の「製作・生産=production」であり、特徴的に、殆ど全部がまだまだ「商品」にほど遠い。制度的にも商品でなく、文藝の価値としても、とても商品として通用しない。しかし「書かれ書かれ書かれ」ていて、そうは「読まれていない」。「文学生産者と文学需要者の関係が、利潤にケーアを持つ仲買人の手を通じてではなく、より合理的な新しい社会機関を通じて結びあはされ」得る時代「だけ」が来ているのは確実で、だが現状では作者と読者とがそこで質実に「結び合わされ」得ず、みなが「書き手=作者」寄りへ殺到しているという按排なのである。

とはいえ在来手順の「紙の文学」はますます「読まれ少なく」なり、「電子の本」ないしそれに準じた「ケイタイ文筆」は過剰に自由自在に「ネットの世」を飛びまわり始めている。「慾深」な出版資本は懸命にこの新たな環境=社会機関に適応しようと懸命に努めているが、まだそこからの大きな利潤を安定して得ることは出来ない。(秦「流通する文学」より。)

 

* 思いがけず朝から「おおごと」を思ったものだ。「鏡のような湖」の写真を眺めて、眼も耳も口も洗い漱ぎたい。次のこういうメールに、しんそこ安堵する。

 

* やっとやっとやっと  > 日限間際の展覧会を三つ観て、眼鏡も。たいしたガンバリでした。

ほんとうにガンバリ。土曜で、人が多く、お疲れになったでしょう。風はまだ夢の中かもしれませんね。

花は、近頃、眠くて。涼しくなり、よく眠れるせいでしょうか。

間もなく、湖の本の作業がはじまるのですね。重い荷物運びを、誰かに手伝ってもらえるといいでしょうが、そうはいきませんか。

くれぐれも脚を痛めませんように。新たにほかの場所を痛めることもありませんように。

それでも、楽しみにしています。風、ますますお元気で。 花

2005 10・2 49

 

 

* また成瀬巳喜男監督の映画を続けて二本観ました。映画のあの頃、日本は、物も住宅も少なく、貧しかったナア。子育てに明け暮れの日々。こんな映画の題名は記憶にはあっても、映画館などへ足を運べなかったし、もし行けても、当時は西洋かぶれで、好みではなかったなぁ、と。やっと買えた白黒テレビで、「ヒッチコック劇場」を見るのが何よりの娯楽だったあの頃、楽しい日々だったのか、流れに任せて暮らしていただけなのか、どちらにしても、遠い遠い昔になりました。

今の歳で観る成瀬ものは、オモシロイ。  泉

 

* 同感。正直の所、アトへ行くほど成瀬巳喜男なんて、かなわなかった。

それにしても、今日のこの暑さ。

 

* 余呉の三輪

雨になりました。

お作にある、余呉の丹生上流へ、いつか遡ってみたいと思っておりますが、湖北への旅はどうしても「観音」めあての旅になってしまいます―

今日は、小谷城跡でまつりがあり、写真で見た小谷寺の金銅仏にひかれて、湖東三山に立ち寄りながらドライウ゛のつもりが、彦根城に回って湖畔に出たことから、湖水のいざないに、余呉へ変更。伊賀から伊香への旅となりました。

ナビをしながら地図を見ておりまして、疋田があり、朝倉氏が来ていて、養蚕が行なわれていて、まるで「三輪」みたいと思いながら、琴糸を紡いでいる大音地区に伊香具神社を訪ねた雀は、「三つ鳥居!」と声をあげました。大神神社と厳島神社とを足したものと書かれていました。

名物の桑酒を見つけ損ねたのはクヤシイけれど、ひさしぶりに渡岸寺の観音さんに逢い、高月から愛知川河口まで周湖道路を走り、湖の気をたっぷり浴びてまいりました。囀雀

 

* わたしの行きたいところ行きたいところへ、雀夫婦はとんでゆける。うらやましい。

 

* 男孫クンは活発で、頼まれて預かった時には、怪我のないよう、それこそかすり傷もさせない様にと気を遣いますし、他の面でも出来る範囲で娘の家庭に協力しています。オクテながら言葉数も日ごとに増え、バアバと会うと全身で悦びを表わすこの頃、毎日でも会いたいほど可愛い「まーご」です。これも、ここ二三年のことと、分かっています。

映画をちゃんと観てますね。

シュワちゃん、あの顔、どうも好かない。

今晩の「トウームレイダー」

ウィノナ・ライダー主演の「十七歳のカルテ」でアカデミー女優助演賞を若くして取った、個性的なアンジェリーナ・ジョリ―。すべて、カッコイイ。それが観たくて、今夜はビデオ撮りをしています。橋田寿賀子の「ハルとナツ」興味を持って、今、横眼でちらちらと観ています。

映画のお話ばかりで、読書はしないのか、と聞かれそうですね。H・Pからも新作小説をフアイルに入れて、枕元にも本を積んで、と、どれもほんまにぼちぼちと読んでいます。

外出の車中で今読みつつあるのは、三人の子の誰が置いていったのか、もう色変わりした文庫本「世界の歴史」、蟻の歩みで、読んでいます。

私のメールアドレスを、何処から盗むのでしょうね。又々男性向けメールが入りました。 泉

 

* 女性e-OLD、ごく普通の家庭のおばあちゃんのメールアドレスまで悪用される段階に入ったらしい。困ったモノだ。

 

* 「トゥーム レーダー」のアンジェリーナをわたしも観ていた。

 

* あら何ともなの さても心や。

2005 10・2 49

 

 

* 風 おはようございます。

「お宝鑑定団」、きのうは見ていませんでしたが、ときどき見ます。十五年近くつづいている番組でありながら、鑑定依頼のお宝が、質・量共に衰えないのには、驚かされます。

実は、明後日、(わたしたちの)結婚式なのです。段取りがうまくいくか心配です。ちょっと緊張。

明日の午後に、母と妹が名古屋に来るので、同じホテルに宿泊します。

明後日が過ぎれば、ほっとするでしょう。

天気予報に反して、今朝はとてもいいお天気です。 花、元気元気。風も、どうぞ。

 

* 花、おはよう。

> 明後日、結婚式なのです。

それはそれは。平安に、めでたく、つつがなく執り行われますよう。

静かに、秋らしいあかるい朝です。六時前から機械の前にいます。 風

 

* 入籍は済ませ、挙式の好機を待たれていた。元気な秋晴れを祝したい。

秋あかね ひぃふぅ三つ 閑かかな  風

 

* 元気です  秦先生

お忙しい中、メールを頂きありがとうございます。

先生へ挨拶をしたいとは思いつつも、ご報告する事も無いような日々を過ごしており、恥ずかしい限りです。“相変わらず忙しく”は全くなく、以前に比べると肉体的にも精神的にもゆとりを持って仕事をしています。ただ、その分、いわゆる“お役人的”な自分に時々気付き、また本省のあの忙しくてもやりがいのあった仕事を懐かしむ様な事が多々あります。

また、あの忙しさに戻れるかどうか自信はありませんが、いずれは戻らなければいけない事を思い、今は体の調子を整える時期、自分を鍛える時期と割切っています。

つくば在任中の目標としては、色々ありましたが、目の調子は、定期的な検診と日々の目薬でコントロール出来ており、本省時代の不摂生により、昨年病院の先生に言い渡された“体重減”の指示も、現在約15kg減を実現し(最近はちょっとさぼり気味ですが)後5kgは頑張ろうと思っています。

一方で、一級建築士の勉強や語学の勉強などもやろうと夢に描いていましたが、こちらは全く実現出来ずですね。言い訳としては、子供が余りにも可愛くて・・・・。ただ、**達のがんばりを見ていると、勉強の方も頑張らなくてはいけないと、子供にかまけて勉強をサボっている自分を反省しています。(反省しているだけではダメですね。)

あまり大した事は書けませんが、近況報告をさせて頂きます。

恐らく来年4月までのつくば生活です。その後何処に飛ばされるか分かりませんが、本省に戻る様であれば、またあの忙しい日々が待っています。それまでは、充電期間として日々過ごしていきたいと思っています。

P.S つくばに居る間に、あまり多くはありませんが何冊か本を読みました。公務員に関する本や技術的な本などもありますが、小説的なものとしては、吉川英治の「三国志」の後、山崎豊子にはまり「大地の子」「白い巨塔」「二つの祖国」を立て続けに読み、 現在「不毛地帯」を読んでいます。また、これに関連して、電子文藝館の「反戦・反核」のモノを下から順に読み進んでいます。

脈絡もなく、ただ読み進んでいるだけですが、色々な社会の中での色々な人生、考え方、生き方、身の処し方等々、マスコミも含めて短絡的で受け入れやすい言動がありふれる今の世の中で、色々な考え方が絡み合って、その微妙なバランスの中でつくりあげられる“社会”に興味がある気がします。

特に、戦時中の様々な事柄に関しては、私の知識は高校教科書のレベルでしかありませんでしたから。  ○

 

* この卒業生クンには絶好の蓄電期が、やがて終えることだろう。眼の不安さえ克服されれば、何の心配もない。元気で過ごして欲しい。「ペン電子文藝館」の、ことに「主権在民史料」にいれた「七編」の近代日本史を、どうかぜひ読んでおいて欲しい。

 

* ひと言で言うと、眠い。気温の成果も知れない。まだ九時半なのに夜中の二時半ぐらいに感じていた。

 

* 小鳥の声援

小さな冊子を読んでいて、「戦争で一番先に殺されるのは“真実”である」と聞いて以来の衝撃を受けました…「国の経済成長には、手間暇かけたり長持ちさせたらダメ」

「見る目がなければ消える」…雀が身近に置いておききたい、ひとりしか立てない島においておきたいのは、手間暇惜しまずつくられていて、繰り返しに耐えるもの。

しょってる、うぬぼれてると思うけれど、雀だってなにか力になっていると思いたい。でも、圧倒的に非力だわ。

おからだ第一に、そして、ご無理はいけませんが、湖の本、どうか続けてください。 囀雀

 

* 感謝。

2005 10・3 49

 

 

* 名酒二種、欣喜頂戴 有り難う存じます。とびきりの美酒。お礼より先に、まず三合ほどを無心の嬉しさで吸い込みました、満喫満喫。なによりの秋でございます。

岡山といえば長年、火の備前を、果の桃実を想ってまいりましたが、よほど水がいいのですね、こういうお酒の出来ますことは。

昔から、京都と東京で暮らしてきたけれど、もう一個所日本のどこかで暮らしたいものだと想ってきましたが、蛇の出るところは避けたい、酷寒と地震の多いところはなどと言うていますと、日本列島になかなか好適地は無いものですが、蛇のことはわかりませんが、岡山、吉備の国は、いいんじゃないかなあなど、ほうっと夢を見始めています。お笑い下さい。

お元気で。東京へお見えになりますときは、お声を掛けて下さい。東京の酒をくみかわしましょう。  湖

 

* 晴れのくに岡山も今日は雨です。

仕事への精力的なお取り組みに感服しています。

お届けしたお酒美味しく味わってくださったそうで、嬉しい限りです。正月に息子の家で飲んだ「獺祭」という山口のお酒が美味しかったので、それをお送りしようとオンラインショッピングを検索しましたが電話番号がないと受け付けないということで結局岡山の酒になりました。

2、3日うちに神戸へベルリン至宝展を見学に行って、ついでに潤一郎記念館へ寄ってみようと思っています。 毅

 

* (東海道)石部宿から山へと道がのび、団地や工場、学校などさまざまな施設が現れては後方に去ってゆきます。そのうちこんもり茂った山のむこうに三重塔が見え、結界の勧請縄を潜って、うねうねと田んぼのなかを進むと、阿星の西寺、常楽寺に着きました。

ご時勢で、大型バスの駐車場ができ、公園化されていますが、参道や境内、本堂、三重塔はまだまだ雰囲気を保っていて、来た甲斐がありました。

東の長寿寺はそれほど公園化されていなくて、蝶に道おしえ、大きなとんぼ、かなちょろなどが迎えてくれ、国宝の、○○時代の、本尊はなにの、そういったことが、まるでシャボン玉が空へ上って割れるように、頭から消えていきました。

ここに三重塔が建っていた頃は、斑鳩のようではなかったかしらと聯想しました。

どちらも、行楽シーズン到来の土曜日というのに、人がほとんどいません。これから、あの駐車場が必要とされる、紅葉の時期がくるのですわ。 囀雀

 

* 跡の魅力    伊賀も甲賀も蕎麦の花が盛り。

前から興味のあった、花の窟お綱かけ神事と天秤にかけ、なぜ、小谷城跡と寺を選んだのか。“跡”が、綱よりも、雀の心を引っぱったから。完璧なアリバイを持つ人物こそ疑うべき人物というのと同様、整合しているものはおもしろくない。全然わからないと興味も湧かない。よくわからない―これに強くひかれます。

三津五郎さんが、城と俳句の好きな温泉コンサルタント役で出演された2時間ドラマに、浅井氏にからめた復讐ものがありました。小谷城を案内したヒロインが「なんにもないでしょう」と言うのに「なんにもないからこそいいんですよ」と答えるシーンが、白い石垣の映像とともに、雀の心に残りましたの。幼な子が「大人の味」とつぶやくお茶漬けのCMを思い浮べました。“跡”はまさに「大人の味」ではないかしら。

「テレビの力で秘仏も開くねぇ」と、みうらじゅんさんがおっしゃったけれど、観光、経済となれば、“跡”でよいところを復元してしまう。地域起こしという理のもと、行政や業者がなんのおもいもなしに、当座の金(マネー)めあてに作ったものもあり、大事にされてきた年月がないお粗末さと、しみ出してくる醜い精神性を、ライトアップでごまかす、二重の興醒めをおこします。そして、悪質でなくとも、視覚情報は力が大きいため、復元の城や塔に、感慨と先入観を持たされてしまうのです。

お店でも、移築はまだいいほう。こしらえた古さの建築がなされ、よく知らない街を、ヘタな知識を与えられながら、歴史に関わる観光をして、空腹や疲れで判断力、勘が鈍っているとき、席に着いて、お茶を運ばれて漸く、店員さんの応対に、「イマドキの店!やられたッ」となります。

汚し、剥げ、闕けなどが、わびさびと混同され、日本特有の美意識かのように讃えられています。薬師寺の塔は、おもいも信心もこめられ、大工さんや、材料に関わった人など、大勢の心の綱が絡み合ってできているのに、いまだに見物客からはマイナスの言葉が浴びせられることがあり、その一方で、つくった復元に、人が集まっています。 囀雀

 

* これは雀さんの聴くにたえた言葉、「跡の魅力」とは、佳い発見である。

2005 10・4 49

 

 

* ありがとうございます。国立能楽堂は以前「隅田川」を観た会場、楽しみにいってまいります。

能登への旅も、もうすぐ。ご一緒できたらどんなかなあ? とちょっと想像したりして・・。

お魚はなんでも美味しいですけれど、特に気にいっているのは輪島あたりで「はちめ」と呼ばれているもの。いつも最終日にはおみやげに買って戻ります。輪島沖で獲れた、油ののった「めばる」を三枚におろし、いしる(能登独特の魚醤)に一晩つけ、その後一夜干ししたもの。これが白いご飯に、お酒の友にと、美味しいのです。漁師のおかみさんたちの自家製で、その家その家で少しずつ味が違うのも面白いところ。朝市では「おねえさん、いらんかね・・」と七輪で焼きながら、にぎやかに声をかけてきます。

あと、珍しいのは、和の宿に泊まるとよく朝食にでてくる「すいぜん」というもの。海藻が原料らしく、ところてんとくずもちを足して2で割ったような不思議な食物で、輪島塗りのお椀に、流水文様に型どられて美しく出てきます。たぶん門前町の総持寺あたりで供される精進料理のひとつかと思われます。

以前、門前町黒島の8月の祭礼で、(ここはかつて北前船で栄えた港でした。)船のかたちをした山車(だし)が上、下、と行き会うのにであいました。家々では代々伝わる掛け幕(その家の紋所や模様が大きく染め抜いてある)を

張りめぐらし、山車をひく人たちのはっぴは本藍の能登上布だったのがとても印象的でした。  ゆめ

 

* 輪島ときくと反射的に「鏡花」と想ってしまう。とくにこれという作品を思い出すわけでもないのに。「海」を感じ、そして「泉」の姓、それから出たに違いない「白水郎」という名乗り、それが往古「あづみ」の海士たちの名乗りでもあったこと。そういう一連の聯想が脳裡で飛沫(しぶ)くのである。

2005 10・5 49

 

 

* 里  寂しいけれども暗くはなく、しっとりとしていても湿っぽくはない――湖北のことを白州正子さんはそう書いてらしたけれど、湖北に住む雀の友人は、その通りの女性ですのよ。

観音の里、高月にある国宝の十一面観音に、免震装置のついた新しい収蔵庫ができると新聞で目にしたのは、昨年のこと。彼女の運転する軽自動車で、曲がりくねった小川のきわの細道を辿ったことを懐かしく思い出しながら、道を指しましたら、同じ軽自動車でも、主人は、とても恐しくて通れないと言います。

大きな駐車場は前にできておりましたが、田をつぶして大型観光バスが通れる道がつくられていて、みやげもの店はオシャレになり、収蔵庫は曲線的なデザインにかわっていました。まっすぐ本堂に上がってお参りしたのも、隣の寺務所で受け付けをするようにと表示がされ、大きな下駄箱が備えつけてあります。

免震というだけではなく、大型観光バス3台を列ねて人が来るようなことになって、20人も入ればいっぱいの旧収蔵庫に不満の声があったらしく、2倍の大きさにしたとのこと。地元の方が交代で対応に当たってらっしゃるのが、「観音の里」にぴったりで、この里の好きなところですが、“観光で”来るだけなのに、「観光を兼ねておまいりにみえる方が増えて」と、いままで同様、ガラスなしに360度、直に近寄って拝めるようにしますとおっしゃったのには、切なくなりました。国宝指定となると、そういったことや、文化庁の指導指示でがんじがらみになって、地元は右往左往。おじいさんやおばあさんのおはなしをうかがっているとお気の毒でなりません。

地元の方のやわらかい言葉を聞きながら、ぼんやり座り込んで見ていられるのは、相当に、幸せな有り難いこと。ましてや、お堂で、蝋燭と自然光で見仏というのは、仏さまがなんであれ、それだけで有り難いこととなりました。

建物が乾燥するまで仏を入れることができないとかで、もともとの御本尊、阿弥陀如来を左手に、旧収蔵庫で脇侍だった大日如来を右手に、本堂中央で、文化庁の許可を待つ観音さんは居辛そう。

みな人の迷いの海は深くとも法の舟にて渡す岸寺     雀

 

* 雀さんが初めて湖の本を注文してきたのは、裏千家の「和(なごみ)」読者としてであった。わたしが連載していたときか、もうよく覚えないが、双方、電子メールなどけぶりもない昔である。そのころは東京の中央線沿線にでも住まわれていたように記憶するが、読者と作者のこと、出会うこともなかった。その後しばらくしてご主人の仕事からか、三重県名張に転居された。文通から、この人がとりわけて文楽や伝統芸能よりに関心の深い人らしいと分かっていたが、はではでしい人のようにも感じられた。

だが名張くらしのなかで、地の利も有るのだろう、わたしの「著作」を一つの目星に、大和、近江、京都、さらに大阪、神戸、福井へと文字通り身を働かせて、無心に、ものに出逢い土地に出逢い寺社や伝統に歴史に出逢うようになり、その間にメールという便利な交信が可能になると、それがいわば励み・励ましになったか、上のような通信文が山のようにわたしの手元に積まれてきたのである。

明らかに、この人は知識ででも言葉ででもなく、自身の眼や耳や肌身にふれて現場を訪れつつ、素晴らしく成長されたと感嘆する。近畿の風土と歴史とがこの人をもののみごとに励ましまた洗練した。

たいしたものである。不思議に暮らしているご夫婦のようである。

「日本」はその気で深く巡り歩けば途方もなく底が深いと、この人のメールにはいつも嬉しく教えられる。なにより、しかし、健康でと願う。

 

* 雨の朝、閑話休題、秦様、ごぶさたしてます。お元気そうで何よりです。写真にはニヤニヤ。

なかなかにすぐれモノのの米語にも通じた英国人ら著述の、新しい「英単語集」を楽しんでいますが、「文学」に関する(おそらく名言・金言類でない)例文あって、ご紹介します。秋雨に忙中閑あり、無駄ばなし。

1.

Many may imagine there is little scope for innovation in the writing of  literature, but when you look at the most enduring of literary masterpieces  you will find that they endure precisely because they set out in new  directions.

1- A  (英単語集の訳文ママ:頭から訳してありますが、一文の流れをとめず意は達しています。)

(次のように)思う人は多いかもしれません、文学の著作においては革新の余地はほとんどないと、しかし、文学的傑作のうち不朽の名作をみれば、分かるでしょう、それらが今に持ちこたえているのは、まさに新しい方向に門出したがためであることが。

1-B (1-A を、私が少しひっくり返して並び替えた文)

文学の著作において革新の余地はほとんどないと思う人は多いかもしれませんが、文学的傑作のうち不朽の名作をみれば、それらが今に持ちこたえているのは、まさに新しい方向に門出したがためであることが分かるでしょう。

1-C (ニュアンスを(補い)、私が試みにまとめた文)

(価値を見出せる)「リテラチャア」をあらはす上で、(それまでにない手法、創案、創造など)「イノべーション」の余地がほとんどないと思う人が多いかもしれませんが、(いわゆる)文学上の傑作といわれるもののうち、不朽の名作をとくと考察してみれば、それらが今に持ちこたえているのは、未知の方角へ船出したこと、まさにそのことにあると、(自ずと)気づくことでしょう。

*蛇足:「リテラチャア」は明治期、和訳漢語「文学」をあてはめられ、中国でも用いられるようになったとか。本来は「人々が価値を見出す文字創作物」という意味合い。文献も含むので「文藝」のほうがいいかもしれませんね。

*「イノベーション」→「革新」も、明治期の和製漢語。「レボリューション」→「革命」と同様に、近現代中国語として通用するようになりました。国語(北京語=マンダリン、普通語〔プートンホア〕)が統一される前の清朝・中国に日本が輸出した単語――日清戦争後、近代化の先輩国日本で学んだ多くの(各地出身の)清朝留学生が持ち帰った単語かと。「イノベーション」は、それまでにない手法、創案、創造など。新機軸という意味合いもあります。

* “little ”は“less、least”とも少し違いますが、ここでは「ほとんどない」→「少しはある」という含み。

*  ” you will “ の “ will “は、意志の意味がない” be going to “ とは違い、ここでは「自らよく考えれば気づく」という意味合い。

年寄りの冷や水、お邪魔しました。   多摩 e-OLD

2005 10・5 49

 

 

* 今度こそ、就職が決まりました!

こんにちは。福岡はようやっと秋が来たようです。この街は、5月から9月まで、夏の拡大しているような気がします。これでは春と秋の立場がありません。

ただ、新潟の秋はもっと短いものでした。9月になるとすーっと気温が下がって、あっ涼しいと思っているうち、10月もすーっと肌寒くなっていき、11月はすでに冬の空気でした。そして冬が3月の終わりまで続きました。

福岡の嬉しいところは、12月になってもあんがい寒くないことです。短い冬、春と秋も少し夏にとられて、そして長いながい夏。その最後の夏がやっと終わりました。来年からは、東京に行きます…というのが嘘で。

来年から、***で暮らします。

おととい、会社の内定式に出席し、正式に内定を受けてきました。***の自動車メーカーに(今度こそ)就職します。

この会社は、バブル後に文字通りの「失われた10年」を経験しました。どん底にあった96年当時、有利子負債つまり借金は7000億円(!)あったと言われています。その年、資本提携していたアメリカの大手自動車メーカー(フォード・モーター)の傘下に入りました。当時のメインバンクだった**銀行がこいつはもう無理だとあきらめ、フォードになんとかお願いして来てもらったのだそうです。

01年からやっと業績が持ち直しはじめ、今は少しずつ回復、復活、そして成長をはじめているところです。日本でのシェアはせいぜい8%ですが、欧米でとても高い評価を得ており、中国でも跳ね馬のように販売が伸びています。典型的な輸出型企業です。経営側は今後、中長期的な成長戦略を描いているようですが、今や自動車業界の競争は激しさを極めており、10年後どうなっているか想像つかないというのが正直な僕の思いです。

以下、わかりやすく、東京(当初の内定先)・***(本当の就職先)と表示します。

先月の21日に***から来てほしいと連絡をもらいました。連休明けの26日に返事をするまでの間、おおいに悩みました。勤務地の違いも小さくはなかったですが、過去の業績から考えれば、***のほうがはるかにリスクが高いからです。

知名度と規模は明らかに***が上ですが、東京はいわゆる「隠れた優良企業」です。自社製品の国内シェア70%、世界でも40%。リストラはありません(財務がきわめて安定している上、経営方針としてリストラはしないそうです)。そして業績は絶好調。だからこそ、東京で働こうと決めていました。ここなら安心して自分を任せられる、やりがいももてる、と。

しかし、***の面接試験が気持ちを変えました。僕の希望する購買職の社員が面接官となり、3回の面接で6人の「先輩」と会いました。「未来の後輩」の熱意や価値観をじっくり聴き、その上で自分の経験したこと、考えていること、めざしていることを、まっすぐ伝えてくださいました。そのやりとりは、雰囲気は和やかでも、訊くところはシビアに訊き、語るところは熱く語る、これこそ「やりがいのある」面接でした。この人たちと働きたいと思いました。

部品メーカーで働くつもりだった僕が、逆に部品メーカーと取引するとは…あべこべもいいところですね。でも、めざすものは変わりません。自社のコスト削減と、取引先との信頼関係をどう両立させていくか。厳しく激しい競争の中でこそ、僕なりにめざす企業間取引は活きてくると信じています。

故郷新潟からいよいよ遠く離れてしまうことには、葛藤がありました。でも、両親は僕の納得する道を行けばいいと言ってくれました。遠いといっても外国に移るわけじゃなし、同じ日本にいるのだから大丈夫だと。こういう息子を親不孝というのでしょうが…息子孝行な両親に、感謝しています。

『流通する文学』おもしろく読みました。まさしく秦さんのおっしゃるとおり、ネットには読み手の(ほとんど)いない「書きっぱなし」があふれかえっています。

僕の大学でも、ブログに記している学生は少なくありません。彼らにすれば、自分の日記を友達や知人が読んでいる、という感覚なのだそうです。

現実には、書き手は読まれることを欲しています。ただしその「読まれること」は、不特定多数の人々から批評を受けることではなく、書き手とごく親しい友人知人に「読んでもらうこと」でみたされているようです。

それらの「氾濫する文章」の中から、この時代にかなった「文藝」が流通していけばいい、と僕も願っています。そのためには、文藝を見出しうる「真の読み手」が必要です。「生活と意見」を読み、秦さんと言葉を交わしあう人々の中に、「真の読み手」はたくさんいらっしゃると感じます。秦さんという書き手を中心にした、書き手と読み手のコミュニティといいましょうか。「電子文藝館」はもっと大きな、作品を介したコミュニティですね。そういったコミュニティがつくられることによって、すばらしい可能性がひろがっていくと信じています。

先日、阿蘇山に行ってきました。山頂近くに牧場があり、その真ん中をアスファルトが突っ切っています。牛の連中は、このアスファルトを堂々と、文字通り牛の歩みで横切ったり、何をめざすのか道沿いに歩いたりします。目の前で見ると、牛のおしりってびっくりするほど大きいです。人や車が近づいてもなんとも思わないようで、車は牛の動くのを待ってやらなければいけません。のんびりのんびり、しっぽをふりながら、牛たちは歩いていました。

次の「湖の本」、楽しみにしています。牛のようにとはいかないでしょうが、大変なご準備、じっくり整えてください。迪子さんともども、おかわりなく、どうかお元気で。 それではまた!  理

 

* すばらしい。おめでとう。今日、めでたい日になりました。

 

* 一個所だけ、わたしはきみの手紙を訂正したい。「厳しく激しい競争の中でこそ、僕なりにめざす企業間取引は活きてくると信じています。」手堅く慎重に謂えているようだけれど、あえて、「厳しく激しい競争の中でこそ、僕のめざす企業間取引は活きてくると信じています。」と、書こうよ。もしかして、もしかして、へたをすると「僕なりに」が予定の退路や弁解になりかねない。新人の「僕」に「僕の」という断言が、たとえ気負った言い過ぎであっても、「僕のめざす」でありたい。察して下さい。そして、もう一度も二度もわたしはきみに祝杯を挙げます、「おめでとう」「おめでとう」。

 

* 秋雨前線停滞とかで、雨が続いてます。来週の日曜も雨になるかも知れません。

懲りずに、図々しくまたお誘いのメールを送ります。

九日の番組は、一時始めで、能「枕慈童」、狂言「魚説法」そして能「半蔀」、「熊坂」となってます。

ご都合、コンディションもあると思います。よろしかったらお出かけ下さい。切符は受付に預けてあります。

高校生の頃、能面に出会い、卒業する春に初めて能楽堂に行きました。大学で能のクラブに入り、すっかり能に魅せられて、藝大を経て宗家に入門、やっと三十年が経ちました。子方から修行しなければならないこの社会では、明らかに異端児です。(今は大分増えてきました。)

そんな勘違い人間が挑む、本三番目です。

是非、ご批評賜りたく…   宝生流シテ方

 

* ぜひ拝見せずばなるまい。この前は「道成寺」の披(ひら)きを観せてもらった。

2005 10・5 49

 

 

* 金木犀の香が漂い、水引がこぼれる奈良。萩が盛りの新薬師寺に目もくれず、頭塔に寄ってから、鏡神社に参りました。宮司さんに由緒書をいただき、赤穂神社と比売神社にお参りし、十市皇女に少しはおこたえできたかと思います。

東大寺にむかいまして、特別開扉の手向山僧形八幡を拝み、唐で亡くなった遣唐留学生の墓誌を見に、博物館へまいりました。

僧形八幡は、間近く寄れて、なんと無料。京都やったら800円とっとる。奈良て、なんてええとこなんやろ。

きれいすぎるというのが、雀の感想です。父としてこういう顔になりたい、とおっしゃったことは、心に刻みましたが…。

遣唐使と遣唐留学生があったことも、長安に入れずに日を過ごして帰ってきた人があったたこともしりませんでした。墓誌に涙を誘われたものの、展示としては、正倉院展の宣伝臭が強くて、イマイチでした。

その分、余力ができ、常設展にまいりまして、ボランティアのおじさまにお世話になりましたの。仏像の話で盛り上がり、楽しくて、しかもお勉強になりました。おかげさま、奈良の奥深さを、さまざま伺うことができました。 囀雀

 

* 疎くても   地図を眺めていて、琵琶湖をぐるりと電車で廻ろうと、京都駅から湖西線に乗り、夜遅く、永原駅でUターンを余儀なくされたことを思い出しました。

船の模型ようのモニュメントがあって、目の前の道を進めば湖水(大浦)に着くと駅前の地図で分かりましたが、三方に山がのしかかる暗闇の恐ろしさに、自販機の明かりが嬉しかったことを憶えています。あたたかい缶コーヒーを両手で包み持って、さきほど降りた電車に乗り、発車を待ちました。あの先が菅浦でしたのね。

時雨るるなかを、友人の案内で、つづらおドライウ゛ウェイも走りましたが、今度行くときはまた違う感慨に浸ることでしょう。

知らなくてもたのしめる。識っていくにつれ、ますますたのしめる。なんでもそうですもの、卑下せず焦らずやっていきますわ。

彦根は、一泊の旅をしたことがあり、城の博物館に寄ったりして少し識ったのですが、長浜といえば“たゃぁーこーさん”より長浜ちりめん、盆梅展。

浅井、朝倉、中川清秀、毛受兄弟、三成、信長、秀吉、おいち、柴田勝家、関ケ原の戦い、小谷城落城、姉川の合戦、賎ヶ岳の合戦、七本槍、‥子供の頃から戦記ものにはどうしても興味がもてなくて、今もまったく疎い雀。駅前の像に「これ、誰?」と言ってにらまれ、長浜で「この辺り、瓢箪特産なの? なんだかマークがいっぱいあるけど」と言って失笑を買い、「道の駅近江母の郷」に?? “一豊の母”ゆかりの地でした。来年の大河は、「功名ヶ辻」だそうですね。  囀雀

2005 10・5 49

 

 

* もう何年にもなるBSの「アクターズ スタジオ ***を語る」という俳優にインタビユーの番組が好きで、ほぼ欠かさず観ています。

先日、映画「レオン」に主演のあのこまっちゃくれた女の子役、十二歳でデビューのナタリー・ポートマンを観ました。あの後、生長過程でもあったせいか、その人と気付かずに何本かの映画を観ていたようです。最近では「コールドマウンテン」「スターウオーズ」に。

多忙な仕事と並行してハーバード大学で心理学を学び、優等で卒業した才媛、と聴き驚き、はきはきと持論を主張し、それでいてころころとよく笑い、ユーモアタップリの返答、容姿端麗が加味された、まだまだ若い女優さん。追っかけになりそう。  泉

2005 10・5 49

 

 

* おはようございます、風。 今日は快晴です。東京は曇りでしょうか。

名古屋はきのう、一日雨でした。(結婚式の日が)晴れているのに越したことはありませんが、自然のことと、すんなりうけいれました。

風、お大切にお過ごしください。花は、元気元気。

 

* 酔芙蓉   大学のクラス会で京都へ行って参りました。

昼過ぎに京都駅に着くと、いつものようにまず東大谷の墓へシキミをいけ、ろうそくをともし、お線香をあげて水をたっぷりかけ手を合わせ終わると、「さあ、これから行くぞ!」と一泊の荷物は出来るだけコンパクトにまとめてリュックに背負い、吉田に三時集合のその時まで、東山の麓を歩くことにした。

子どものときから円山公園の池の亀が好きだったのでのぞいてみたが姿は見えず、脇の「しだれ桜」も元気なく気懸かり。

知恩院の大梵鐘にごあいさつ。大晦日にはこの鐘の音が五条までとどいた。

青蓮院のクスノキの見事さに「こないに大きかったかしらん」としばし見とれて平安神宮を前方に見ながら右折、瓢亭の前を通って(中にはついぞ縁がない)南禅寺へ。

テレビの京都ものドラマでお馴染みのアングルではあるが、三門を通しての紅葉(未だ青い)はいつみてもまことに美しい。これまたテレビドラマの告白シーンに良く出る疏水のアーチを眺める。

曇り空でむしあつく、Tシャツ姿でも汗がたらたら—-歩くのはこの辺りまでとあきらめて、入口でタクシーに乗る。

(南禅寺入口に「タクシー乗り場」があったのは驚き)

待ち合わせ場所の時計台下にはもう数人のオジイサン(旧友)の姿、その側では女子学生が友達のバイクを運転させてもらってキャーキャー騒いでいる、(あんたらも50年たったらこんなオバアサンになりまっせ。)

最近出来た大学の博物館をのぞき、医学部構内を横切って荒神橋たもとの宿に到着。

翌朝、ほんとうに久しぶりに東山から昇る朝日をみた!

朝からみんなでまず曼珠院へ、実は本当の目的地はその隣の、武田薬工の薬草園の見学。非公開のところを特に案内してもらったのだが、共に薬用植物学の講義を受けた仲間なのに、「ほんまに、単位とったんか?」という専門知識の忘却ぶり。酔芙蓉が白・桃色に花盛り、その横には日本在来種と西洋種のワタが実っていた。

その後、順路なので詩仙堂へ。ここのお庭にも酔芙蓉。庭を見渡す広間ははんなりとして気持ちよく、ほっこりして座り込む、とみれば張り紙が。「ここで横になってはいけません」と。そう言われればかえって、横になってもう寝てしまいたい気持ち。

帰途、門をくぐるとき、コツンと山茶花の実が落ちてきた。

「だれか、詩仙堂の山茶花、植えへんか?」と声をかけたが、

「そんなもん、今から植えたかて、花咲くまで生きてえへんで」

「そりゃそうや」といいつつ、私はバックにしまい込んだ。

**クンがやさしく、「植木鉢に播いたら、ちょっとは、はよ育つで」と教えてくれたので、帰ってすぐ植木鉢に埋めたが—–。

一乗寺下がり松(代替わりしたらしく、我が家の松より貫禄がない)を通り、市バスで百万辺から吉田へ、大学構内に開業したフランス料理店で葡萄酒もつけての昼食。ここの地下で45円だったかのカレーを食べていた昔はやはり遠くなったんだなあ。

大学の景色を描いた包装紙の八つ橋「夕子」(もちろん中身は普通の八つ橋)を(あほらしやの、と思いつつ)売店で土産に買った。

「京都駅の伊勢丹」で「いずうの鯖寿司」(これも変な取り合わせ)を買って新幹線に乗る。

ああ、ほっこりした。 以上です。 2005/10/6   藤

 

* おもしろい酔芙蓉のオバサン。

 

* ご招待券届きました。 豪華キャストの「蚊相撲」と「三山」。まったくはじめてで、とても楽しみです。

あ 朝晩涼しくなりました

り 林檎の木には実もたわわ

が 学生時代に過ごした街を

と 遠くに近くになつかしむ

う 旨味を増した秋の味

ご ご用心 カロリーオーバー! といわれても

ざ 材料たくさん買い込んで

い いろいろ料理をつくります

ま 鱒は富山の神通川(じんづうがわ)

す 寿司は富山の「ますのすし」    きっと来月送ります。

千駄ヶ谷の能楽堂の近くに「五万石」という富山郷土料理専門店が一昨年出来、ここが大変美味しいとか。一度リサーチしてきます。

体調いかがでしょうか? どうかくれぐれもお大事になさってくださいね。 ゆめ

 

* そういえば「五万石」という店があるようだ。わたしはついすぐそばの中華料理の店に誘惑されているが。

先日も三越で工藝展をみたあと、向かいの九階の上野精養軒へ独りで入ったのはいいが、そして前にも妻と来ているのに、席についてしまうまで此処は「中華料理」の店でマオタイかフェンチューを呑もうと思っていたのだから、どうかしている。上野の山でも精養軒はお馴染みの西洋料理なのに、よほど中国の酒が呑みたかったらしい。やれやれ。

2005 10・6 49

 

 

* 秦先生  金木犀の香る季節になりました。

鎌倉駅に降りると流れる空気の中に金木犀を感じるので、毎夕のことながら東京から帰ってきたなぁとしみじみ実感しています。

このところ体調もよくなり、滞っていた仕事を一気に片づけようとするために、またしても時間貧乏になっています。

体調はよくなったとはいえ、頭と体がきちんとまわる時間が短くなってしまったので、よけいに短時間にドタバタしてしまうという悪循環なのですが。

産休までのあと4ヶ月ほどで、たまっているデータを論文二本にまとめて、あとのことを整理して、というような心づもりの上に、さらに古墳関係の予定が立て込んできてしまい、実質的には二ヶ月分ほどの時間しか手元に残らないの

も一因となっています。

HPを拝見して、私にはもったいないお話をご用意して下さっていたことを知りました。

本当にもったいないお話で、「糊」ごときでそこまできちんとした話題になるかについてはかなり心許ないのですが、こういう形であらたな出会いをご用意して下さった先生のお心づかいに、深く深く感謝しております。

私が出歩くことについて、お気遣い頂いているようですが、年内は、先ほど申しましたように古墳関係で関西方面にはしばしば足を伸ばしているくらいですので、それほどお気になさらないで下さいませ。

もしも原稿を書かせて頂けるとすれば、こちらのほうはどうしても時間を切られている論文のほうが優先してしまいますので、出産後ひと息ついてから、となってしまいますが…。

予定日は三月末で一年ほどお休みを取りますので、夏近くになれば少し余裕が出るかな、と思います。よろしくお計らいくださいませ。

このところ、古墳関係の報道で、報道された記事を、事実を知る側から見るということが増えています。

「よく調べているなぁ」ということもあれば、

「あ、誰々の請け売りだ、この新聞社」ということもありますし、………(以下、オフレコですよ)。

事実は事実なのですが、色のつけ方でこんなにも変わるものかというのも痛感させられています。

お役所仕事をするときの事態の動かなさは、その表面下の恐ろしいほどの蠢きの表れでもあるということも、うんざりするほどわかりました。それを、報道の方達は「遅すぎる」「何もしていない」と言うのですが。

世の中というのは面白いものですね。

つわりがひどい時は、職場にたどり着くのも一苦労で、とてもではないけれど仕事は続けられない、と悲観的になっていましたが、やはり世の中にこういう形で触れているのは、興味がつきません。もちろんいいことばかりではなく「やってられない!」と思うこともしばしばですが。

でも、家で主婦をしていればそれで広がる面白い世界もあるのだとは思います。保育園が近くにないせいで、娘は幼稚園に行かせていますが、そこで知り合ったママさん達はそれぞれに雰囲気があり、世界を持っていて、異分子であるはずの仕事持ちの私をすんなり受け入れてくれました。噂に聞くママ同士のいざこざも今のところ一度も見かけたことはなく、本当に恵まれた環境です。「主婦」に自信を持っているそんなママ達を見ると、家庭にいてもいいかな、などと日和見してしまう自分もいます。

またしても長くなりそうなので、このあたりで。「岩」と「花」の話はまたお送りします。

落ち着かない天気が続きますが、どうぞご自愛下さいませ。  典

 

* 糊の研究成果は画期的で、詳細に関心がある。雑誌は準専門の美術雑誌であり、理系の化学的論文そのままでは通じにくいだろうが、この人なら、繪巻や障壁画や屏風や軸物に、もっと対象もひろげて美術品における「糊」の特大の役割に理解の届く人のために、興味深い佳い原稿を書いてくれると思う。

「対談」というのはどうしても過不足と速記不備の心許なさ、余儀なくその手入れとイライラ仕事がついてまわり、ラクではない。原稿を書いてしっかりスポンサーから原稿料を貰ってもらう方がいいだろう。わたしのような者におもしろく読めるように書いてもらえると楽しみにしている。日限はこの際決めない、興がのれば少しずつ書き継いでもらえばよい。上限、四十枚から五十枚以内におさまれば有難い。

 

* おはようございます。爽やかな秋晴れの空です。

最近肉体疲労のせいか、就寝前の読書量が落ちていて、鏡花は、「註文帳」「薬草取」「女客」と、時間かかって読みおえました。面白いと思いながら、睡魔に勝てなくて。

昨夜は久しぶりに二時まで「高野聖」に耽溺。とても幸せでした。「解説」をお書きになったことがあるとのことですが、是非読ませていただきたいと思います。何を探せばよいかお教えいただけますか? 色々な読み方ができる作品で、目から鱗の発見があるにちがいありません。

「高野聖」は学生の頃に読んで強い印象を受け、それで、終わり。当時は、鏡花世界の濃厚な魅惑をここから読み取る力がなかったようです。周囲を見わたしても、泉鏡花大好きという人は若い学生ではなく、中高年が回帰しているという印象を受けます。先日、感心してらした、泉鏡花の感想を書いていらした大学生さんは大したものです。

泉鏡花を読み、湖の作品を読み、ああいう美しい女になりたいと憧れつつ、こういう女として、日々悩んで生きています。

明日からの三連休はメールが出来ませんので、今日は朝からおしゃべりはじめました。涼しく爽やかな一日をお過ごしください。  春

 

* 学研版「明治の古典」第四巻「泉鏡花」が、わたしの編訳です。大判の写真入り、美しい本です。「龍潭譚・高野聖・歌行燈」を選んでいます。

鏡花の全部が全部秀作とはとてもいえない、彼は手すさびか習作のようなのを幾つか書き継いだあとに、ポンと秀作や力作や傑作を書く人です。佳い「選集」で読めば能率がいいけれど、こんな駄作のすぐあとでどうしてこんな名作がうまれるのかしらんと思う楽しさが「全集」読みにはあります。長編にもびっくりするほどの力作が幾つもあります。そして戯曲はどれもこれも見過ごせない。

伝奇・民俗もの、藝道もの、職人もの、花街もの、上流嫌忌もの、それらの分母に「水・海・蛇=被差別」への鏡花なりに深い広い理解と抗議とがあるとみていて、大過なく。  湖

 

* カラクリ湖の写真、届いたようで安心しました。文・・旅の途上のメモから、まだ機械に書ききれません。

腰の痛みが早々に退散してよかったですね。HPにマーゴちゃんの写真あり、花の写真があり楽しまれているのが伝わってきます。

片雲の風に誘われて矢も楯も堪らないのではなく、慎重に計画的に時期を選んで旅に出ております。満杯で帰ったか、無心で帰ったかとのご質問ですが・・満杯でもあり、無心でもあります。これでは捉えどころなく禅問答のようですが、そう答えるしかないのです。悟ってはおりません、これだけは確かです。

シルクロード、初めての感動とは違いますが、好奇心一杯に人や物を見、以前感じ取れなかったこともいくつか気付き、肯定的にも否定的にもさまざまに考えることがありました。

中国との時差は一時間、この北京時間を新疆も使っています。実際は北京より二時間、日本とは三時間遅い現地時間です。ですから今回の旅行は戻ってから時差であまり苦しむことはありません。いくらか疲れはありますが日常に戻りました。

どうぞ大切に大切に。 鳶

2005 10・7 49

 

 

* 花より団子と誤解しないでくださいね。花は好きです。とくに言葉の花束に、うっとりします。もちろん、実物を求めないというわけではありません。ただ、女は言葉を主食に生きているから言葉を使えと、ある本に書いてあった通りなのです。 外は雨。おやすみなさい。 言葉派

 

* 物書きの云うことではないかも知れないが、「言葉」ほど人間を軽薄にするものはない。仕方なく使っているだけである。「女は言葉を主食に生きているから言葉を使え」とは、恐れ入る。理解にくるしむ。

身を働かせ身を任せて寡黙に核心へとびこんで行きたいと、わたしはなにをするにも願う。その難しさを恥ずかしくも承知しているから、痛いほど願うのである。

言葉だけで澄ましていられる人が、わたしは時に薄気味悪い。創造的なウソは豊かな沈黙に生まれ、創造的でないウソは花束のような根のない言葉に頼ったとき、気安く口をついて出る。

2005 10・7 49

 

 

* お忙しいなか、お手をわずらわし、申し訳ありませんでした。

作(「e-文庫・湖(umi)」掲載「あさき夢みし」)の出来、わたし自身まだ釈然としておりません。いままでの習作を含め、未踏の域に踏み込んだためでしょうか。おひまはあるはずもない、とは存じますが、折を見て大筋につき、お気づきのことお聞かせいただければ幸いです。

日程がつまっているご様子、くれぐれもお気を付けくださいますよう。

「言論」の問題(共謀罪法、国民投票法など)、まことに気がかりなことです。

年の功、というほどの経験があるわけではないのですが、戦前・戦中にあったことなど思い出し、小さなものを書いてみたいと考えています。「特高」等のことを書いた先達は大勢あり、わたしのものがどれほどのことか。しかし、生きているかぎり、言うべきは言う、と思っています。

夜も更けました。くれぐれもお大切に・・・    甲子

 

* 一人一人がわが事として、肌に粟をたてながらしっかり眼をみひらいて凶悪な政治の行方をみまもらねばならない。わたしの言が不当かもしれぬと疑われる人は、それでもいい、それなりにこれら法案の、意図内容に注目し自身咀嚼されて意見を持たれたい。

 

* 自由民権運動の興起したころ、政府が、いかに強圧を加えて「新聞等の発行や発言」を無道に処罰したか、それに対しいかに不撓不屈、ジャーナリストも抵抗し繰り返し立ち上がったか、また「大逆事件」がいかに国の犯罪と言うしかない暴虐のフレームアップ(でっちあげ)で大量処刑をあえてしたか、今次敗戦まぎわの「横浜事件」等がいかに無惨な国の犯罪であったことか、過去にも深くよく学びたい。

「共謀罪」などという従来の法体系をおしまげ、「噂」「車座」「談笑」のレベルからも逮捕・拘禁・処罰を可能にしようという「新・治安維持法」というしかない新悪法の画策を阻止したい。憲法改正等の国民投票に際しての国民一人一人の意見陳述の機会を一斉に抑圧し禁止する意図をはらんだ国民投票法も阻止しなければならない。とにもかくにも冷静に自分の思いと言葉とで事態の危険をよく見極め、これら悪しき「公」の企みを「私」の力ではねのけねばならない。

自民党は驕っている。郵政民営化以外の政見を、先日の選挙で吾々は問われていない。他は成り行きに白紙委任したわけでは決して、ない。上の法案などは郵政や道路の何百千倍も未来にわたって国民の精神を捕縛してはなさない「毒」に溢れている。鼎の軽重を見損じてはならない。

2005 10・8 49

 

 

*「横浜事件17日から再審」  朝日新聞7日付夕刊「端緒の旅館 待った60年」の記事、読みました。

先輩方の中に「治安維持法同盟」なる、官憲による弾圧事件反対運動を続けていらっしゃる人たちがいて、数年前までは実のところ、私も、「いまさら何を、治安維持法なんて死語じゃないの?」と思っていました。しかし、このところのこの急激な右傾化は一体何なのでしょうか?

「富山県泊(とまり)の旅館・紋左で行われた出版記念の宴会が、共産党再建準備会とみなされ、神奈川県警特高課(カナトク、ここは全国になりひびくひどい捜査をしたそうですね)に逮捕され、拷問で4人が獄死した。その事件から端を発して、編集者や役所の人たち大勢が死んだりひどい目にあった。

紋左への取り調べも当然過酷を極めたが、おかみのひさは会議など絶対にやっていないと気丈に応対した。特高の取り調べは料理人、芸者、細川が船遊びをした船頭らにまで及んだが、誰も特高・権力に迎合して虚偽の供述をするものはいなかった。」

本当にいやな世の中になってきました。

東京都では先日の「君が代」問題で、起立しなかった教師、生徒を起つように指導しなかった教師達が、すでに「研修」と称して、一人ずつ別々の会場によばれて反省をうながされる、ということがすでに始まっています。

先の選挙の結果には、本当にがっかりしました。日本人は騙されやすいのか、単純なのか。この様子はまるで太平洋戦争前夜のようではありませんか。

うちの夫は35年つとめあげて昨年退職。退職後、介護ヘルパーの資格を取り、現在は都内の病院で送り迎えや入浴介護のアルバイトの身。

夫は夫、私は私、とはいえ、こうなってくると多少の覚悟を決めねばならないようです。 ゆめ

 

* 足  「どう立ちえているか」とご本にございました。雀は、坐像より立像、手より足。ですが、立っているのと僅かの差で、座っている足を気にします。半跏もいいのですが、腰掛けてるのは、なお。ふともも、膝のゆるみ、指先など、とても気になります。

立像では、足元を見ます。どこに立っているか、どう立っているか、邪鬼の表現は、そしてその邪鬼との関係は、踏み付けているか、ただ乗っかっているか、踏ませていただいてるか。

「あたしゃ踏まれて何百年。あたしがいるからあんたがあンのよ」て顔をして、肘枕や頬杖をついている邪鬼に、いつも、“敗者があるから勝者があるのよね” と思わされるのですわ。

一方、手の形はどんな印を結んでいるかにまったく興味がなく、京劇の女形がお手本にすると聞いて以来、一応気にして見ています。ですが、なにより気に入りは飛鳥金銅仏。

指がキュートな思惟像も好いですし、「や。ども。お邪魔してます」って小さいのにやられると、「どうぞどうぞ、お気の済むまでいらしててください」と笑まずにはいられません。

半跏仏が立ち上がったときは、ここを見捨てて元の国へ帰っていく‥そんなイメージがありますの。

“日本最古の玉眼仏”とある、山の辺の道の長岳寺の仏がどんなだったか、雀はもう記憶にないのですが、玉眼はそれだけで畏怖、あるいは圧する力を感じさせます。流行りの玉眼にせず、彫りと塗りで、あれだけの力ある目にした、仕事ぶり。技術と精神性がちょうどともに合って、高かったのでしょうね。感嘆します。僧形八幡神坐像のような目、あれほどの瞳をもった仏に、今まで出あったことはありませんでした。

一方、博物館にある地蔵菩薩立像のほうは、展示ボランティアの方が、懐中電灯で截金を照らしてくださり、八幡神坐像にはない立ち姿の美しさ、お顔や手の具合ではなく、まず、心掴まれるのがそこ? 売りはそれ? とがっかりしました。そうなると、人々の、目も、話題も、もっぱら截金模様にいって、お地蔵さまのお顔が、むっとしている気

さえします。とはいえ、展示室という要因を差し引いても、雀を一気にひきつける力はありません。今までも、「キレイ」で片付けて通り過ぎていた仏でした。  囀雀

2005 10・8 49

 

 

* あすは二時ごろから、水道橋の宝生能楽堂で、東川光夫さんの能「半蔀」を観るつもり。明後日は新劇「八月の鯨」を、木曜には日生劇場で幸四郎・染五郎の「夢の仲蔵」。土曜は言論委員会と電子メディア委員会が共催で、上智大学でシンポジウム。そのあと卒業生クンが家へ来て、ピアノを弾いて聴かせてくれる。火曜も水曜も、ひょっとすると金曜も。

2005 10・8 49

 

 

* おはようございます、風。 ゆうべから、「ER」がはじまりました。ジェットコースターのような展開に、ハラハラドキドキでした。また、土曜の夜の楽しみができました。 花

 

* 「e-文庫・湖(umi)」の小説欄に、新たに吉田優子作「生まれるもの」を掲載した。すでに掲載されている小説「幸福」の第二章をなしている。

 

* 作品読みました。纏まったと思います。「e-文庫・湖(umi)」に掲載しました。折を見て推敲を重ね、さらに次章へ発展しますように。

これから源氏物語の夕顔に取材した「半蔀(はじとみ)」という能を、水道橋の宝生能楽堂まで観に行きます。小雨のようです。演目は色々あるのですが、この能一番だけ観てすぐ帰ってきます。

風邪などひきませんように。  湖

 

* **さんのこと、お引き受けするむね、電話でお伝えしてあります。どうぞ、よろしいようにおとりはからい下さいますよう。

いま、先生へのメールを書きかけているところでございました。お出かけ前のようですので、のちほど、送信させていただきます。

宝生の「半蔀」のこと、「湖」に書いておいででしたね。あとで、お話、「湖」のお部屋でおきかせくださいませ。

慈子のお庭と定子中宮のお墓に行ってまいりました。   香

2005 10・9 49

 

 

* 現し世にかくばかり苛酷(むご)き境に

「神仕えのまにまに願ひたまひしは、そもいかなる祈りなりけむや。この古里の壱千参百余年の春秋のみ心とて、測るだに痛はしき限りなれど、」「山はこれ聖、川も亦浄。いはゆる『山の辺の道』の北端にして、啾々たる霊風自ら昇華せむとして、なほ漂遊せるを感得したまへかし。」

鏡神社の由緒書にそう書かれておりました。

霰降りいたも風吹き寒き夜や旗野に今夜(こよひ)わがひとり寝む

十市皇女が伊勢参宮の折、こううたった神波多神社が、先だって田原の御陵を尋ねた途にあった神社と分かり、また、奈良の地図を広げています。

初めて山の辺の道を歩いたとき、玄賓庵から檜原神社への木立深い径にせせらぎの音がして、傍らに「山吹の立ちしげみたる山清水酌みに行かめど道の知らなく」(安田靱彦筆)とある碑を、しおれそうな、まったく挽歌だわと読んだことを思い出しました。

今日は天武忌。

車中で読もうと、書き込みでいっぱいの「秘色・三輪山」を持って外出し、縁あって、それをそのまま人にプレゼントしてしまいまして、帰宅して、まっさらのご本を出してきて読み返しております。

どれだけ憶えているか心配でしたが、わりかた憶えていて、地理も頭に浮かんできて、ちょびっと自惚れ雀です。

プロ野球も終わり、テレビでは鈴鹿GPが中継されています。名古屋市内の宿を総動員しても足りないといわれる人気のイベントですが、遠い、不便だ、宿が少ない、といわれ、富士スピードウェイの売り込みもあって、鈴鹿は危機感を募らせています。

「三輪山」にお書きになった、榊原温泉にまで行ってもダメだった津での学会って、これと重なったのでしょうか。

明日、文楽の秋巡業を観にまいります。休演が出て、雀の好みの配役に代わっておりますの。西大寺から日下越えに生駒の北までいってまいります。  囀雀

 

* 類は朋をよぶ というが、雀サンのような人は、わたしの傍にいるから囀る相手があるのであって。いや、それは我が自惚れか、な。

2005 10・9 49

 

 

* 映画「スピード」1を楽しんだ。

栃木の渡辺通枝さんに頂戴した、おいしい葡萄巨峰をたっぷり賞味しながら。キアヌ・リーヴスの活躍もさりながら、この映画では何といっても危険なバスをまさに運転しまくるサンドラ・ブロックのスカッとするキャラクターに魅了される。彼女の「ネットワーク」も面白かったけれど、颯爽と快活な魅力ではこの「スピード」1にまさるものはない。

2005 10・9 49

 

 

* 来迎院(慈子の庭)は二度目でした。一度目はもうずっと前、ご著書にみちびかれてでした。

そのときと同じやうにあのお縁側に腰掛けて、お庭を拝見する、のではなく、お庭の中にゐました。でも、何かがちがふ。

初めて来迎院にまゐりましたときも、最初はどこか落ち着きわるく、きょろきょろいたしましたが、すぐ、朱雀先生があらはれ、慈子が、宏が、お利根さんがあらはれてくれました。

けれど、今度はちがひました。をりよい秋のむら雨に樹々のしづくがひかり、葉がかすかにさわめきましたのに。障子の半ば開けられたお茶室のほの暗さのなかにも、慈子のけはひはなくて……。何かが変つたやうな。わたくしの心の在りやうかもしれません。

わたくしの「湖」の棚から、『慈子』を引き出してきました。「湖」シリーズのほか、濃い紫に金で「慈子」とある筑摩書房の新装版(遅れて来た読者は古書店でこのご本、手にいれました)、きりっとした眼差しの少女のゑがかれている文庫版。今日は染まりそうな濃紫をひらくことにいたしませう。    香

 

*「慈子」は、これまでに五種類の本がある。最初のは、作家以前「菅原万佐」という筆名で、妻の装幀で出した四六版私家版『斎王譜』と題したのが、それ。現行本よりだいぶ長い。他に「蝶の皿」「鯛(掌説集)」「祇園の子」が入っていた。この私家版が、小林秀雄筋から新潮社、「新潮」編集室へまわされていたらしく、いきなり酒井編集長の呼び出しが来た。「男なんだ」とおどろかれ、ぜひ本名で書くようにと勧められた。「菅原万佐」名義の私家版は都合三種あり、四冊目の『清経入水』を本名「秦恒平」で出版してこれが受賞した。

『慈子』として出た最初は、太宰賞受賞後に、『斎王譜』を徹底的に推敲、筑摩書房から「書き下ろし」本に成ったとき。さらに三度目、箱入りの美しい装幀に一新されて筑摩から出た。「香」さんのいう「紫」本であり、光悦・宗達の繪が配されたような、著者も大好きな本。しかし次ぎに出た集英社文庫も、親しくしていた森田曠平画伯がみずから選ばれた「紅梅少女」のカバーがみごとで、気稟の清質まことに尊ぶべき美しい装幀で、わくわくと嬉しかった。

そして五度めに「湖の本」版上下巻が出来、このとき、ほんの少しだが書き添えた描写がある。

2005 10・10 49

 

 

* 機械の前の夜更かしをしないようになった。涼しくなり、睡魔が仲良くしようと誘ってくれる。良友といわねばならない。

真夜中に来るメールは、自然翌朝ないし翌日に見る。

 

* 秦さん  咄嗟に気が付いて、行動出来て、本当によかったです。冷や汗です。

ある時期の「胸のうちがキヤキヤする」違和感と共に、主治医にご相談ください。駆け込める近医もあるといいのですが。

摂食と注射の時間は、順調の時と今回との違いは如何だったでしょうか? 他の誘因は? 他の合併疾患の可能性は? (ついやかましくなってごめんなさい。)

背負わせる所はしっかり主治医に背負って貰いましょう。くれぐれもお気を付けください。

お大事にしてください。 千葉 e-OLD

 

* 血糖値低下気をつけてください。しんどいと感じたらすぐ糖分補給できるように。

知人にも、そういう人がいます。 鳶

 

* ご心配かけ、恐縮。

 

* 那珂甲子雄さんの「あさき夢みし」を、一稿、二稿共読みました。

隆治の、奈美子との性の惑溺が、もっと書き込まれていいのではないか、と感じました。そうすれば、正月に帰省先から早く戻ったり、消えた奈美子を探して勤め先まで訪ねて行くのが、より自然に感じられるかなあと思いました。

ま、これは、わたしの希望です。

今日もくもり空。涼しくなりましたから、風邪をひかないよう、気をつけねば。

風も、お気をつけください。 花

 

* 秋霖が続きますね。

昨日はありがとうございました。お能の会に行ってまいりました。

仕舞も、それぞれの役者さんたちの個性が大変よくでていて興味深かったですし、萬斎さんの『蚊相撲』もとても愉快。ぶんぶん蚊の精の真似をして飛び跳ねて楽しませてくれました。大名はふいをつかれて、いったん相撲に負けてしまうのですが、悔しくて蚊の真似をするのです。

舞台正面前から6列目のよいお席でしたので、目や、ちょっとした唇のあがりさがりなどもよく見え大変楽しかった。

万三郎さん、素敵な舞手ですね。初心者の私にもそれはよくわかりました。

『三山』は香具山(男)が耳成山(桂子)と畝傍山(桜子)の二人の女と契ったため、二人の女が争う話ですが、情緒たっぷりの美しい曲。桂の枝と桜の枝で切り結ぶ「うわなり打ち」の場面も、実に優美。「長き迷いも雲か霞か・・・・

夢物語となりにけり」と情趣をひいたまま終わりを迎え、清々しい後味でした。

笛がとても素敵で、この物語を盛り上げていたように感じました。  ゆめ

2005 10・11 49

 

 

* 日下は越えず    文楽公演が行なわれたホールは、富雄駅からバスで10分。以前、雀が十一面観音を尋ね

た長弓寺と、川を隔てて建ってましたの。

鶴澤寛治さんが生駒市民というので、この5年間、毎年、文楽の公演が行なわれているそうです。今回の演しものは「封印切」。ほかに「野崎村」「勧進帳」「鷺娘」を、昼夜に分けて。

支度をしているうち、ばらばらっと雨音。笠置に着く頃にはかなりの降りになり、案じられましたが、なんとか困らない程度の雨で済みました。

祝日で主人が休みなのを幸い、クルマをたのみ、早めに出て、木津川から山田川を辿って、金・土とイベントが行なわれていた茶筌の里へと富雄川を溯り、八幡宮へ寄り、黒添池まで行ってみました。

茶筌だてコーヒーとある、しゃれた喫茶や、手打ち蕎麦の看板をいくつも見ました。

時間に余裕があったので、安養寺と円證寺を尋ねてみることにいたしました。以前、富雄川沿いに十一面観音をいくつか尋ねた後、重文の十一面観音をもつ寺として、安養寺と円證寺を知り、機会をとらえて尋ねてみようと思っておりましたの。そこに、「正坐の仏」を読み、ますますたのしみでしたのよ。

本堂手前の古い墓地に、石造十一面観音がありましたけれど、由緒書の用意もなく、周囲を整地し、墓地営業のような寺になっていました。

観音の寺らしい眺望を讃美しただけで、クルマに戻り、円證寺を探しましたが見付け損ね、残念なことでした。

仏像は持運びできるために布教に強く、海を渡り、川を運ばれ来日したわけですが、持運びできることは、すなわち、持ち去り、売買、隠匿、博物館、収蔵庫へと動くことにもなり、見ることが叶わなくなる短所もあるのですねぇ。

カミサマはその点でも、らくちんでいいなと思いますわ。

高山八幡宮の石段を登り切ると、広くはない広場の中央に能舞台、左右に小屋がありました。桟敷席かしら。初めて見ました。由緒書には座小屋とあり、無足人座の事が書かれています。また、「奈良薬師寺八幡宮にある奈良県下最古の僧形八幡神坐像」と写真が掲げられ、雀は、僧形八幡坐像の縁を思い、薬師寺八幡宮の境内を懐かしく思い出しました。

駐車場からあの神社の空気は想像がつきませんわね。いくつかの寺で、後方や脇から入って、大量のまた異形の仏像に出会って飛びすさることがございますでしょう。あれに似て、雀は、薬師寺界隈であそこが一番好きな空間ですの。  囀雀

 

* 核入れ  奈良漬け、飛鳥時間という言葉がだんだん実感になってまいりました。

中大兄、大海人、額田王、持統天皇、三角関係、あかねさす…、少女時代、熱心に里中満智子さんがマンガ化なさるのを、ふぅんと眺めておりました。新聞の連載小説で、杉本苑子さんかどなたかが、書いてらした覚えもございます。

父は歴史好きですが、戦国時代や第二次大戦の戦記ものが中心で、奈良、平安朝に関しては、雀はファッション、服装史として、その時代に興味を持っておりました。

お送りいただく湖の本を、わからないながらもこうして年月回数拝読して、核を入れ続けてくださった感じがいたしてまいりました。巻きがついて真珠になってきたような気がしておりますの。湖に育てられた淡水真珠。

やっと鞍馬の火祭りを見ることができそう! 雀一羽で、夜に、鞍馬で人込みのなかはさすがに恐くて、二の足を踏んでおりました。行きたいと言っていた女友達が、今年ようやく都合がつきそうですの。前に、京と大阪の「そぉかぁ」の違いを教えてくれた友です。

昼下がりにホテルで待ち合わせ、4時に出町柳の叡電に、と予定しています。

帰ったらまた「冬祭り」読みますね。  囀雀

2005 10・11 49

 

 

* おだいじに。

びつくりいたしました。とつさのご判断で、あやふいところをのがれられて、本当にようございました。

映画の「ゴッドファーザー」でしたか、やはり、発作に襲はれさうになつた主人公が、話をしてゐた神父にいきなり、何かあまいものをと言ひ出し、けげんさうに神父がポケットから出した飴をひつたくるやうにして、口に入れる場面がありました。血糖値云々といふせりふがありました。それをおもひ出しました。怖いことで、今後もどうぞどうぞ、お気をつけられますやう。

含翠庭のお写真、拝見しました。わたくしは一枚も撮りませんでした。あのお庭の雰囲気が伝はつてくるやうで、うつとり眺め入りました。

いつも独り旅ですのに、このたびの来迎院ゆきには、連れがありました。こちらの邪魔にならないやうにしてくれましたけれど、やはり、あそこは独りでゆくところでございました。定子の宮のお墓もさう。

来迎院にはじめてまゐりましたとき、独りでしたが、あの、お庭に足を踏み入れたとき、わたくしはこの小宇宙の闖入者、さう感じました。居心地がわるうございました。すぐに「慈子」のひとびとがあらはれてくれ、居心地のわるさは消え、お庭に「ほう」と居させてくれましたけれど。

京の今年の紅葉は遅いでせうと、タクシーの運転手さんから聞きました。初冬のころ、あのお庭に行つてみたい、『慈子』をじつくり読みなほした上で、さう、冬子の址、『風の奏で』の址にも。

「八月の鯨」、映画で見ました。舞台のほうがふさはしいかも知れないと、そのときおもひました。先生のお話をうかがつてゐるうち、忘れてゐた場面をおもひだしたり致しました。まだ、母のせつない晩年を看取る前でしたが、何ともさびしい気持にさせられた映画でした。

明日は国立劇場へ、南北の「貞操花鳥羽恋塚」を見にまゐります。二十年くらゐ前に、見たことがあるのですが、なかなか上演されないもののやうですし、源三位頼政に小侍従、遠藤武者盛遠と袈裟御前、それに崇徳院の霊、と、気になる面々の登場ですので。 香

 

* やっと、モロー展を観てきたようですね。

会期はもう少しあるので、遠出を押してもう一度「出現」を観たいと願望。

モローとの出会いは、もう何年も前、娘が学生時代に訪れたパリのモロー美術館で感動した話を何度も聴いて、同行した程に。

娘が宝物のように身近に置いているその図録を借りて、今回、初めて観ています。手近では上野、西洋美術館の常設で二点のモローをみつめます。

そもそも、高階秀爾さんの文庫本「名画を観る目」で「出現」に出会いました。サロメが踊りの褒美として、ヘロデ王の妻となった母に唆されて、ヨハネの首を所望する高名なテーマ、光彩を放つ首が宙に浮く構図、意表をつかれました。

以前、日本で開催のモロー展の図録を観ても(これも娘の借り物)「出現」はありません。

今日は、定例の運動日です。七十の尻餅です。 泉

 

* 淡海   お作は常にひたひたと足を濡らしています。

ときどき目にする、中西進さんの文やお話に、興をそそられていたところに、正月のドラマ「大化の改新」の衣裳考証をなさった方のお話をうかがったのがトリガーに、さらに、贔屓の俳優が出ているから、と、録画していた友人がいて、あとからゆっくり映像を見ることができたため、小さな火花が着火して、奮発を促しました。

一方で、歌舞伎、文楽から引くトリガーもございました。「良弁杉由来」「妹背山婦女庭訓」‥別々に流れ始めた小さい流れが、いく条かの小川と合流し、雀にとって、大きな流れになり、お作を読むことに一層の悦楽を得ております。

女の子ふたり両手に花と歩く若男に、「よぅよぅ久松」とは、今や死語に近いかもしれませんが、昔、友人のひとりが「久松や求女みたいなオトコ、許せないわっ」といきまいたことがございました。なにかあったのね、と当たらず障らずの返事をいたしましたが、雀は“オンナの方かて、恩義ある親の娘、母屋の娘、主人の娘テ、表立っては出さんでも、どこか上手に出とるやん。オトコの所為にすンのおかしいンちゃうん。それに、そんなええオトコ、ひとりのもんになる訳ないゃないの。独り占めしよう思うのンがそもそも間違ぅてはンね。釣り合うのはわたしだけ思てはンのが、どっか出とるんちゃうんかなぁ。それで避けられとンのかしれへんで。ま、そんなカレシ、ほんまの久松、求女と違ぅわ”思てましてん。

久松や求馬の人形を遣った人が、先だっての公演で鎌足役となり、雀は、今までのイメージ――たとえば歌舞伎なら先代の権十郎さん――から、知将、捌き役、やや老けと思っていたのがくつがえされ、求馬=淡海=不比等とやっと気がつきましたの。

また、その公演の最中、御陵めぐりのなかで偶然、鏡王女のお墓に出会い、さらに、聖林寺の十一面観音を見仏ついでに足を延ばした談山神社で、30過ぎの男が、衆目の中で「安見児得たり」と、いささかはしゃぎ過ぎの不自然さをもち、後日、「入鹿の首、飛ばそや。人形やねんから、かめへんやろ」と提言したと聞き、中大兄、大海人、額田王、持統に首を突っ込みました。

際限なく広がる海。なんのために調べているのか見失いそうになって、継体~欽明、推古を簡単になぞり、桓武で閉じました。

今、南北朝がときどき、好奇心の扉にこつんこつんと、小石をぶつけてきます。 囀雀

 

* かなり囀った。抑えて抑えて。

 

* ライブドアのメールです。無料のうえハンドルネームで登録できるので、不正メールに使われる可能性がたかくて、受信カットされていると思います。今度は主人に相談しまして、まともなアドレスを作るようにします。

携帯メールも場所を選ばないので便利な一面があります。

先週は大山崎山荘美術館へ行って、天王山へ登ってきました。

明日はバスツアーで青岸渡寺へ早起きして行ってきます。

来週末に、やっとこさ東京(娘一家)行きです。

恒平さんのご活躍振りは毎日拝見しています。お元気でいてください。 従妹

2005 10・12 49

 

 

* 松緑の宙乗り

松緑の流され王崇徳院は、童顔でおっとりしてゐて、品はあるけれど、これではだめとおもひましたが、「生きながら天狗とならせ給うた」あとが、ようございました。国立劇場の客席の上をワイヤーに吊られて斜交いにわたつてゆきました。

プログラムに「宙乗り否定の家系だったので、祖父や父が枕元に出てこないか、心配」という松緑談が出てゐました。   香

 

* 松緑には、はやく「おやじ」っぽい肉体と相貌とをもって大人になりきって欲しいですね、すると貫禄のつく巧い役者になるでしょうね。今でもいい役者ですが、顔で損をし過ぎています。 湖

2005 10・13 49

 

 

* 木   伊勢遷宮のひとつひとつの行事が三重ではニュースになります。

今が近代的、科学的、進歩的であり、縄文や古代は古い、非科学的という気でいたのに、まるで違って、知恵も思慮も深く、長いスパンを身につけていたことに驚いたという取り上げ方をするマスコミもあり、宇宙に行けるからススンデるのではない、縄文人に学べ、古代に学べという風が出てきたようです。

金勝寺に行ったとき、駐車場に「良弁お手植えの大杉」と矢印がありました。

「またまたァ」と苦笑いしながら見に行ったら、これが天を衝く大木。しかも、注連縄も祠もなくて “これくらい、ふつうです” といわんばかり。来る途で見た、杣川河床から発掘されたという大木を思い出しました。

こういう大木がつぎつぎと伐り出され、川を流されて、都や大寺の造営に使われたのですね。妙心寺で柱のお話をうかがったとき、信じられない思いを抱きましたが、あったんですねぇ、大木がたくさん。

那智で展望台から山々を見ると、ほとんどがキレイにそろった植林で、なかに、社寺領で手つかずの山が、なんともねちっとした力強さで据わっていました。昔は全部こんなだったと想像したら、山の気というか、生命の力強さに目が眩む思いがしました。

伊賀、鈴鹿もそんな勇猛な空気をもった山々だったのでしょう。

縄文人は劣ってる、知恵がない、そういうイメージを植え付けられてきた雀は、梅原さんの縄文人についての文を読んだとき、出エジプトのマナを思いましたの。そして弥生人への批評に、雀が抱いていた古里の違和感や居辛さが、農で生きている越後の集落に染み付いた、弥生的なものによると分かり、胸開く思いがしましたの。

佐渡、出雲崎を抱える柏崎、糸魚川などは、新潟の中では異質ととらえられ、海人への別意識と、彼らのプライドとが、触るに触れない、蓋をするものと化しています。

熊野、伊賀、鈴鹿の山々の気をもつ神と、越後農村の神とは、まったく違う空気です。

日向に行ってみたくなりますわ。  囀雀

 

* 昨日同僚から、郷里の菊の花(食用菊)をいくつか戴きました。早速胡瓜の薄切りと合わせて色どり良く三杯酢で。「酢洗い」といって、事前に酢で洗い、軽くしぼってから改めて三杯酢を掛けると美味しいと聞いて、そうしてみたら確かに水っぼくなく美味かったです。秋も深まってきました。お変わりございませんか。 ゆめ

 

* おはようございます、風

書くのが、クセになっている、というと変ですが、書かないと気持ち悪いです。書きたいのを、我慢する必要はないと思うので、やめません。

励みになっていますのは、風に読んでいただく、ということです。風という、最高の読者を想定して書くのが、しあわせと思っています。以前、同じことを申し上げたら、風に怒られましたが。

>世俗の成功を考えから外し、無欲に書いて行く間に、もし幸運がくれば儲けものと思っては。

そうですね。 花

2005 10・14 49

 

 

* 一寸秋らしく 今朝は、庭の大半を無造作に占めている野の花を竹篭に。

友禅菊、アカマンマ、ホトトギス、小さな実を付けた柘榴の小枝、そしてミスマッチのまっすぐに伸びた浅緑のマリーゴールド(アルハンブラ宮殿から、一枝戴いてきた記念草木、内緒ですよ)で背後を引き締めて、キッチンテーブルに置きました。

大手町まで所用で出ます。ついでに、東御苑を散策してこようか、と。  泉

 

* もうそろそろ卒業生クンが家まで来てくれる。どんな演奏が聴かれるか、妻が楽しみにしている。

 

* 隣の機械部屋で聴いていると、いろんな曲を一時間あまり弾いてくれていた。妻は傍で聴いて、ときどき賑やかに話していた。わたしも二度ほど顔を出した。

六時にちかくの「ケケデプレ」に出かけてワインで洋食を食べてきた。そばの天神社が雨の中で賑やかに秋祭り。わたしたちは、この神社の「祭り境内」の賑わいを初めて通りすがりに見たことである。

歓談に時をうつし、小雨の中、保谷駅までわたしが見送った。駅のポストへ短歌新聞社あての「少年」の底本たるべき湖の本とプリント原稿を送った。正確には送り直したのである、数年前にみなきちんと届けてあった。

2005 10・15 49

 

 

* 兄弟喧嘩なんて珍しいことでない、ウミサチ・ヤマサチの昔からあるよと、昨日も食事のあいまに理系大企業の少壮幹部候補生と談笑のつもりが、彼氏、キョトン。ウミサチ・ヤマサチが全く記憶にも知識にも無い。ま、東工大の四年半は、毎日毎度のことであったが、こつちは向こうの学問がかいもく分からないのだから、おあいこではあった。それでも、わたしは彼等から「パソコン」を教わった。学生諸君はさように大いに私に寄与してくれたのに、わたしは、ヤマサチ・ウミサチすらも伝えられいなかった。おはずかしい「教授」であった。

2005 10・16 49

 

 

* 名古屋の河文の女将、「なるみ」さんが、もう二三年も前に亡くなっていたと、今夜電話をいただいて暫く話し合った名大名誉教授の鈴木先生から聞いた。ビックリした。わたしよりだいぶ若かったと思うのに。

鈴木先生が退官されたとき、医学書院の長谷川泉編集長と私とが招待され、桑名の船津屋で宴会し一泊したとき、終始世話をしてくれたのが「河文」の若女将だった「なるみ」さんで。

この人は桑名の有名な蛤問屋から河文に嫁いでいた。鏡花の名作「歌行燈」の舞台で名高い船津屋は当時河文の経営であった。

あの一夜の宴席は楽しかった。「なるみ」さんは自ら大太鼓をうってくれた。鏡花の小説の女主人公のように美しい人であった。

東京へ帰って、お礼のハガキに、ただ「33」と書いて送った。NHKブックスで『閑吟集』を出した頃で、それが宴会でも話題になっていた。

さて何とせうぞ ひとめみし面影が 身を離れぬ   これが閑吟集の「33」番の室町小歌

折り返し「123」と返事が来た。

なにとなるみの はてやらむ しほに寄りそろ 片し貝   これが「123」番。

「なるみ」には女将の名前と、愛知県「鳴海潟」という地縁とがかさねられ、きれいにわたしがフラレたようなやりとりとなった。こんなに鮮やかな応答の出来る、さすがに一流の粋な女将であった。感嘆した。嬉しかった。

鈴木先生にその「河文」にまた連れて行って頂き、もう一度だけ女将に会ったことがある。

亡くなったとは。声も出ない。

 

* 鈴木先生も八十五歳になられた。電話で痛痒なく話せるほどお耳はいいが、お目が少し不自由で電子メールも難しい、が、京都へ行きたいとおっしゃる。寒くならぬうちか、暖かくなってからか。まだ歩行は大丈夫と仰有るうちに考えたい。

2005 10・16 49

 

 

* 金木犀の香りが、雨中、きれいに秋夜を彩る。

 

* 雨の音がしています。本降りですね。

今日備前焼を買いましたら、おまけで「福ガエル」という小さなかわいいカエルの焼物をもらいました。「お財布に入れるとお金が返ってくるというんですよ」というマダムの説明。喜んで財布に入れたのはいいのですが、帰りの電車で切符を買おうとしたら、財布のチャックが壊れて、どうやってもお金が取り出せなくなりました。これじゃあお金が返るのではなく、お金の出ないケチガエル。長年使っていて古びていましたが、気に入っていた財布なので困っています。

おやすみなさい。こんな夜はショパンの濃厚にロマンティックなピアノが聴きたいのですが、湖は何かしら。  秋

2005 10・16 49

 

 

*  金屋の三輪君(みわのきみ)

まっさらのご本がまた書き込みで恥ずかしいくらいになっています。

龍王山の十市城跡に火を呼ぶ呪文の伝説があること、笠置山での狩りで、進退きわまった伊賀皇子が山の神に祈り、助けられたお礼に弥勒を彫ったこと、金屋で殺された三輪君逆(さかふ)という人がいたこと。むろん、そういった書き込みだけでなく、心情を述べた文のなかにあッと思うこともあり、傍線もあちこち引いてしまいました。

名張に来たばかりのころ、八木駅で乗り換え、新ノ口駅で降りてみたことがございます。汗ばむ陽気で、住宅地のなかに田畑が残る景色ともども、「新口村」と隔たって、感傷もすこし起こりましたが、それでも、大坂の繁華な街からここまで、二人が来た距離感に感じるものがございました。

ここ数日、地図を見ながらご本を読んでいて、あの新ノ口の隣町が十市町で、川に沿って鏡作神社、鍵・唐古があることに、あ、やだ、ばかぁ、気付かなかったと苦笑い。鏡の郷は竜王町とばかり思っておりましたわ。

鏡作神社の川上と川下で、同じ日に蛇巻き祭りが行なわれてますのね。そして、額田部の東には悲恋の果てに入水した乙女と大蛇の伝説があるとか。初瀬川と合流する河合に広瀬神社があります。この境内の清らかな空気のよかったこと。また、旧額田寺(額安寺)へ十一面観音を尋ね、美しい半跏仏を拝ませていただいたことなど、旅の点々がつながって、ご本がなお面白くって、時間を忘れます。

さて、雨上がりの昨日、佐川美術館に巡回の江里さんの截金を見に出かけました。たくさんのヨットが湖面に白い帆を並べ、まるで鱗模様です。

日が高くなるにつれ、比良にかかっていた雲が晴れてきて、琵琶湖大橋を渡って小野の郷まで行ってみることにいたしました。

残んの金木犀が風に香り、町民出演のオリジナルミュージカル「東大寺二月堂」の上演ポスターがあちこちに貼られている旧道を、天皇神社、小野神社、篁、道風、妹子のそれぞれの社を尋ねました。

大橋の行き帰りで、対岸の景色を存分にたのしみました。

江里さんの展覧会に、男性の比率が高いことに納得。雀は、エッシャーを思いました。彼が手で書いていた図案を実際に見てため息をついたのと同様、手間暇に加えて、センス、考え方にも感心しました。

家事、育児、商売など切り盛りをしながら暇暇にしているようすがうかがえ、それを現代調でありながら、新奇にせず、宗教臭さを出さず健やかにして、必要に応じて派手にもし、うまいこと格をつける京らしさ。また、女性の手工藝にありがちな、めろめろたおたおした甘ったるさがない、芯のある女らしさ。おもしろかったです。

そちらは寒そうですね。どうかお風邪召しませんよう、くれぐれもお大切に。 囀雀

2005 10・17 49

 

 

* 湖のちから

高月駅が新しくなりました。直流か交流かに直したそうで、湖をぐるり、電車で回れる日はもう遠くなさそうです。

数日前、主人が「蕪村の生家って加悦(かや =丹後)にあるの?」と唐突に聞くので、雀は目を白黒。

一年ほど前でしたかしら、京都民放の丹後王国や古社探訪の番組を見ていて、雀が何の気なしに与謝の加悦が蕪村のふるさとらしいわよと、お作の受け売りを口にしたのを覚えていて(そういえば「えっ!毛馬じゃないの?」と驚いていました)、「一茶のふるさとに生まれ、(三鷹にいた間に)深川を訪ね、縁あって芭蕉のふるさと近くに呼ばれて、大垣を訪ね、伊勢参りもした、あとは蕪村だ」と言いますの。

理屈と膏薬はどこへでもつくとばかり、「日本三景のうち天橋立だけ見ていないし、三十三所の成相寺と松尾寺にも行ってみたい」と、雀ひとりで、加悦を訪ねる旅をしようと思っていたのになァ。

運転が得意でない主人ですが、甲賀に働き口があったことから少しずつ道に慣れてまいりまして、休日に雀の請いに応じて湖南を走ってくれるようになりました。

習うより慣れろで、だんだんと範囲も広がり、雀としては助かっておりましたが、せんだって、周湖道路へ出た途端の目の輝きには、ぎょっとしましたの。

郷里の野尻湖にあれこれ比べ、「水泳場」の表記を懐かしがり、なにより、湖水と島影に力を得ていたようでした。

正社員ではないので、危ういといってしまえばその通りなのですが、今の会社は長期安定雇用を約束してくれています。父の病気に慌て、同居もと考えたのですが、後遺症が思ったほど出ずに済んで、こうなってみると、母も、「助かるけどげんなりすることがあるのも事実なのよ。お父さんの顔色をうかがう必要がなくなって、自分で暮らしを創っていくのがいまとても面白いから、しばらく好きなようにさせて」というようなことを言われ、雀の郷里に帰ってもこれほどの仕事がある保証もありませんし、幸いなことに互いに人手を必要とする体調でもないので、今の住まいでやれるところまでやっていこうかと思っています。

なんだか東京はずいぶん寒い雨のようですね。おからだおいといのほど。 囀雀

2005 10・18 49

 

 

* 光琳を御覧になったのですね。わたくしなら、光琳よりも、たとえば『みごもりの湖』を読むほうに魅了されます。美術に心惹かれないわけではないのです。鑑賞眼に自信はありませんが、佳いものは見分けるつもりです。ただ、ヨーロッパで圧倒され続けて、日本の繪画藝術にある種の限界を感じています。日本の繪画は感動するより、美しいと喜ぶ世界です。洗練されていても小粒のように思っています。つまり、日本美術への眼が育っていないのでしょうね。年を重ねればまた考えも変るでしょうか。建築や彫刻に関しては、日本のものとヨーロッパとに、このような落差は感じないので、ふしぎです。

わたくしには、ダ・ヴィンチ、まさに神です。神が降りてきた描いた繪です。レンブラントは、彼の人生最後の自画像の前で涙がとまらなくなりました。レンブラントの繪はいつも心臓がドキドキします。ゴッホが「ユダヤの花嫁」を観てあまりの感動に何時間も立ちつくして、そのあげくもう二週間この繪を見続けることができるなら十年命が縮んでもいいと言ったことがよくわかります。

ウィーンのブリューゲルの部屋、こんな静謐な美の場所はどこにもありません。ボッティチェリ、なんという甘美な官能。ヤン・ファン・アイク「神の小羊」ウォーすごい。まいった。ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂、ああ、目眩がしました。

焼酎を一壜ですって。まさか飲み干していらっしゃらないことと思いますが、いけないですね。どうぞ辛抱強く節制なさいますように。  秋

 

* 光琳は宗達からみると一段低いし小さいが、それでも優れた作者であった。このメールの人のあげている作品と単純に比較出来ないけれども、熱海MOA美術館の「紅白梅図」は決してただ美しいだけのものではない。「燕子花図」でも、とてもゴッホにもダ・ヴィンチにも描けない絵ごころである。光琳は光琳、ダ・ヴィンチはダ・ヴィンチ、ゴッホはゴッホなのである。インディヴィデュアル、分かち持ち合えないもの、をお互いにもっている。だから天才なのである。

わたしは、画面の大きさにはほとんど惑わされない。雪舟の「秋冬山水図」を写真で見ていると、よほど大作であるのだろうなと圧倒されるが、実物はちいさい。しかし実物の爆発するような大きな迫力にいつも圧倒される。日本の美術にも、なかなかのものがあるのです。

2005 10・18 49

 

 

* 雪舟についてお書きになったものを読んだことがありませんでした。雪舟について、どう考えていらっしゃるのか知りたいと思っていたので、私語、嬉しく読みました。

何年か前に大きな雪舟の美術展がありましたね。その時、強い感銘を受けました。雪舟のスケールの大きさに驚きました。線描の生彩、墨の色彩豊かなこと。ルーブルに展示しても、世界に誇らしい画家と思いました。(浅学非才、論じる資格はありませんが。)

歌舞伎、ごゆっくり楽しんできてください。  春

 

* 小説でないわたしの本の最初は、谷崎論を含む『花と風』で、次は十二世紀美術論『女文化の終焉』さらに、最初の連載評論は中世美術論『趣向と自然』であったから、「雪舟」については、早い時期から何度も書いている。「先師雪舟」というほどの気持ちで書いていた。折あらば、どうぞお読み下さい。

2005 10・19 49

 

 

* 野分する野辺のけしきを見るときは心なき人あらじとぞおもふ(藤原季通)

という歌がありますけれど、今回は飛行機が飛ばないと旅にでられないので、早く颱風はゆき過ぎて欲しい。前回能登へ行ったのは、2年前。ずっと逢っていない恋人にあいにいくような気分で、ながいこと楽しみにしていた旅ですから・・。

能登から帰りましたら、昔書いた作品を電子化しようと考えています。以前のものはほとんど普通のワープロに入力していたため、不便なのです。

電子化すれば添付ファイルで送ることができて、先生にも少し読んでいただけるし。

無事に輪島にたどりつけたら、写メールで奥能登の海を送ります。 ゆめ

2005 10・19 49

 

 

* おかえりなさい。歌舞伎堪能なさいましたか。

歌舞伎の娯楽性はリッチの世界なのか、フェイマスの世界なのか、ふと興味を持ちました。

お疲れでませんように。 春

 

* 波 は揺れています。

湖さま。HPにはときどき伺っています。そのたびに桜のもとの笑顔に出会うことができて、思わず微笑み返しています。

仕事のほうが本当に忙しくて、一日の間に川崎の北と南の二つの園、代々木の本社、中井の短大、渋谷の協会などのうち、2・3箇所を走り回っています。家に帰ると倒れこむような日が続いています。少し涼しくなってきましたが、この涼しさが私ののどには禁物で、風邪を引かないように気をつけています。

おからだに気をつけてください。 波

 

* ただ 175  と、夢のようなメールが来ていた。

 

* 人を松虫 枕にすだけど さびしさのまさる 秋の夜すがら   閑吟集 175

 

* 千里も遠からず 逢はねば咫尺(しせき)も千里よなう      閑吟集 185

2005 10・19 49

 

 

* 機械の「うなり」は、回路を冷やすためのファンだと思います。

夏の暑いときなど、オーバーヒートしないよう、機械に扇風機をあてるのも有効です。

朝晩が涼しくなりましたね。

やや鬱ですが、新しくはじまったテレビドラマや、お気に入りのDVDを楽しんで、気分転換しています。エンタテイメントの効能です。

たまに、インターネットの「うつ診断」をしています。抗うと苦しくなるので、なるようにしかならないと、自然に任せることにしました。今回は、もう、だいぶいいのです。

昼間は暑いけれど、夕方になると寒いくらいで、着るもの選びが難しいですね。 花

 

* 軽い鬱ならば、自然に任せるより、きっぱり拒否する働きの方が大事です。一歩下がれば二歩つけ込んでくるから。

うつをもし自覚したら、つとめて うつ的な匂いのするなにもかも遠ざけ遠のいていた方がイイ。「うつ診断」なんて、自分から蟻地獄へにじりよるようなもの。

わたしは、軽いときは喰うか呑むか。次は娯楽性のある映画。最後はなるべく長いオモシロイ小説を読み始めて、読んでいる間はウツなど忘れていてやる、ことにします。若い頃からです。結構うつに襲われる方なのですが、回避の方法もいろいろ覚えました。

モンテクリスト伯 という長いオモシロイ小説は読みましたか。 風

 

*  > きっぱり拒否する働きの方が大事です。

そういうものなのですか。意外でした。

うつと長年おつきあいなさってきた風のおっしゃること、聴いておきます。ま、お気に入りのDVDやビデオを見るのは、いい気分転換になります。

「モンテクリスト伯」は、ジュニア版を読んだことがあります。 花

 

* ジュニア版とは「巌窟王」みたいなものだろうか。この小説は、原作のママがいい。世界一面白い小説だった、とすら言える。気鬱のときは、この作品の持っている噴き上げる豊かさと毅さと明るさとが気分を救ってくれた。わたしは前半しばらくの、エドモン・ダンテスの不幸のところをさえ、楽しむようにして読み返し読み返ししてきて、飽きたことがない。遠のいていても、いつも、彼処には心強い物があると感じつづけているのだ。誰彼なしに古文の光源氏は薦められないが、翻訳のモンテクリスト伯は誰にでも大いばりで勧められる。乱暴でも下品でもなく、壮麗な大構想をもっている。

 

* そちらの揺れは大丈夫でしたか。新潟県内でも震度3のところがあったと、さきほど母から電話がありました。

水が冷たくなってきましたね。

十月の季語に「障子洗う」を見つけた朝遅く、ご近所の軒先に六枚ほど洗ってたてかけてあるのを見つけました。「貸家」と真白い貼り紙も。

さて、「早来迎と知恩院」「中殿の御会」に、それこそ“何だ何だ”と、系図と年表を書いてみましたの。

北条時政、大江広元、梶原景時、畠山重忠と芝居の登場人物がたくさん出てまいりますのね。法然、慈円、道元の位置、建礼門院の後半生がここにあること、俊成、定家、為家、隆信のこと、後鳥羽、順徳、土御門…などなど。ずっと西暦三桁の世界に浸っておりましたから、慣れも要りましたし、それぞれのことを考えたりしながらの作業に、簡単な表が数日かかります。かかることも楽しんでいるンですけどね。

いろんな物、事、人、の関わりあい。ぱぱっと分かるようには書かれていないご本は、広いのに深く、絡み合わせ方がスムーズなので、多様な事をたやすくのみこめることができます。楽しみが複雑で、毎回、飽きることがありません。

もちろん、ソフトクリームを舐めるような楽しさではなく、いろいろと奮発を促されます。そのかわり、しばらくして読み返すと、歯が立たなかったことが軟らかく感じられたり、「あ、もしかして」と光が瞬き、「そうだよ」と、お顔の見える気がすることも、ときにございます。

鎌倉側から見た歴史が雀に刷り込まれていることに、「また、これだ」と嘆き、「嚢中の錐」を嚢の側から考えるようなことを習慣にしていかなくちゃァと顧みたことでした。

夜明けに、秦さんが夢にお出ましくださいましたの!

新大阪駅での新幹線乗り換えを少し遅らせて、時間をつくってくださったのです。

コンコースの景色は、ベルベットのような苔の小さな庭に変わりました。頭をつきあわせて、しゃがんで、苔に咲いた小さな白い花と、そこに輝く白露を見ながら、お声をずっと聴いておりました。

明るく広い家具売場を、広く厚い肩と背を、目にいっぱいに入れながら歩きました。

「すわるっていうのはネ」とお話ししてくださいましたの。

「じゃ。元気で」と両手を差し出されたとき、泣きました。  囀雀

 

* 夢で出張するぐらい、お安いことであります。

丁寧に、ひたすら丁寧に作品を「読んでもらえる」ことが作者として有難い、なにより有難い。

2005 10・20 49

 

 

* 片敷き  カレンダーにあった藤原良経のうたに “あ” とオツムに火花の、このうれしさ。「百人一首」のご本を引っぱりだし、また、ひたって、たのしんでいます。

母から電話がかかってまいりました。用が済んだあと、「百人一首のきりぎりすのうた」と言った途端、「きりぎりす? 泣くや霜夜のさむしろに、衣かたしきひとりかも寝む、ね」と一気に。

雀が「かわくまもなし、の沖の石見てきたわよ」「みかのはらに行ってきたわ」など言うたび、即座にすらすら一首口の端にかける母。

衰えは雀にこそあり、ですわ。主人がカレンダーを見ながら、「かたしきって片敷きなんだぁ! じゃ二人のときは何ていうの?」と問うたのにつまってしまいましたもの。田辺聖子さんの百人一首の本を見たら、熊八中年が同じ質問をしていました。

帰ってきたら、みせたげよっと。

紅葉してそれも散り行く桜かな  (蕪村)

鞍馬山の紅葉はどのくらい進んでいるのでしょう。防寒着と懐炉を用意の支度です。  囀雀

 

* こういう世離れたメールを読む、もう一方で、ある女作家が記者会見し、某文学新人賞の選者たち(その作家もその一人)が一斉に版元にクビにされたのはケシカラヌ、ナゲカワシと詰問し、論難している新聞記事を読んだりすると、どっちが真実世離れているのかと、コングラカって来る。

ともに「夢」にすぎぬとおもうとき、この両方のどっちがよりハカナイかなどといってはいけないようである。どっちも所詮は、夢。しかし、それでも雀の囀りの方にイヤミも後味の悪さもないとは思うなあ。

興膳宏さんの『古代漢詩選』から一首の読み下しをひいて、読もう。

 

* 山斎  河島皇子

塵外 年光満ち       塵外年光満

林間 物候明らかなり    林間物候明

風月 遊席に澄み      風月澄遊席

松桂 交情を期す      松桂期交情

 

* ひとしおバグワン・シュリ・ラジニーシが慕われる。

2005 10・21 49

 

 

* 歌舞伎を楽しまれた様子、そして「祇園と歌舞伎」の文章・・。歌舞伎や演劇の世界から遠く暮して、ああいいなあと、羨ましいが本音。

怪我をして抜糸がいつになるか・・と、まだ不便な生活をしています。

やっとやっとメモをたよりに少し書きました。向こうから投函した手紙代わり? ですので、敢えて見直しもしないで送ります。

パキスタンに近いところまで出掛けて、帰国して翌々日、大きな地震がおきました。四万人が亡くなり、まだ十分な支援も届かないと危惧されています。

関東は数日雨が降り続き、地震もありましたね。こちらは昼は汗ばむほどで、金木犀がまだ咲いて明るい午後です。  鳶

 

* タクラマカン砂漠を廻って

1日目 9月26日  フライト・スケジュールの関係でしょうか、広州、ウルムチ経由で中国新疆、タクラマカン砂漠の西部を廻る今回の旅の「出発点」ホータン・和田に到着するまでにほぼ二日かかります。

一昨年でかけたウズベキスタンは中国新疆よりさらに西にありますが、そしてHiddenn・Asiaの感が深かったのですが、直行便が目下就航しているので、僅か八時間のフライトでした・・大違い!

日本から航空会社のベースがどこにあるかによって、北京経由あるいは杭州、上海など、ルートが違うでしょうが、いずれにしてもウルムチに飛ぶでしょう。以前は東からホータンへ便があったそうですが、なにしろホータンは人口約十二万人、採算が合わなかったからでしょう、現在直行便はなくなってしまい、ウルムチからタクラマカン砂漠の上を縦断します。

が、本来この地域にたどり着くのは簡単容易なことではなかった。二日かかったとて何の文句もありません、その距離を、時間を・・過去からの時間も含めて噛みしめるのには。

今日は、広州泊まり。亜熱帯のここはまだまだ蒸し暑く、散策する人、夕涼みする人たちが街に溢れています。「食は広州にあり」と昔から言われて、中国でも殊に料理が美味しい・・と、子豚の丸焼きの皮などを食べましたよ。

2日目 9月27日  朝、空港まで行って、気合十分と書きたいのですが・・台風の影響でフライトは午後にな

り、思いがけない広州観光。六榕寺、西漢南越王博物館。

都市の寺は中国ではあまり広い寺域をもっていないのかな、と、ふと思いました。台湾でもそうでしたが、観光客をまず案内する有名な寺が狭いのです。そしてお参りする人たちが多く、線香の煙が絶えません。

博物館は三国志の遥かな昔に誘ってくれました。糸縷玉衣、四人の妃が生きながら埋められた王の古墳、鋳物技術の特に優れていることなど・・。

今日の一番の関心事は、ウルムチまでの空の旅。青海省の山々や敦煌あたりの荒れた大地を飛行機から眺めたかった。その願いどおり存分に楽しみ、約五時間のフライトが苦になりませんでした。

ウルムチには夕方到着。以前の空港の面影なく・・こちらももううろ覚えの、あるかなきかの記憶ばかりですが・・、カラッとして、ああ西にきたと実感。

次のホータン行きまであまり時間がありません。飛行場から程近いレストランで夕食。テーブルに運ばれた料理もウイグル、ウエイトレスもウイグルらしき女の人が多い。ここでは人口の約9割近くがウイグル族です。

ホータン行きの飛行機は21:10発・・これは北京時間なので、この地域の時刻では夜の7:10、それでも既に暗いから砂漠の景色は見られません。真っ暗闇の上を飛んで、22:50ホータン着。街の屋台もたたまれて静かになる頃でした。

何はともあれ、いよいよ明日からタクラマカン砂漠の旅です。

3日目 9月28日  ポプラの木が豊かに茂っていました。郊外に出るといっそう並木道は延々と続いていま

す。砂漠沿いの他の町と比べて、最も豊かな緑だろうと思います。

ホータン観光の一番目に、駱駝乗り。以前トルコで駱駝に乗ったことがありますが、大きな駱駝の背に乗って、駱駝が立ち上がるとずいぶん高いと感じてあまり居心地よいものではありませんでした。今回はとてもラク、楽しみました。砂漠の端っこの端っこをちょっとだけ、ですが。これならローランなど砂漠の中の遺跡まで駱駝に乗って旅もできるんではないかと、お調子者のわたしの感想です。駱駝の旅はラクだなんてとんでもない、大変な旅だと言われています。

砂漠で一番印象に残ったのは、駱駝の乗ったこともそうですが・・蛇の通った跡でした。それも僅かの範囲内にいくつもいくつも見たのです。砂漠は単なる不毛の地か、決してそうではない、そこに必死の生命の営みがあるのを感じました。大昔見た「砂漠は生きている」という映画を思い出しました。

昨日飛行機から見た河の姿。荒れた大地を悠々と流れる川、それは蛇行する川、文字通り蛇のようでした。河は命を表し、蛇もまた命を表しています。命そのものです、二つとも。蛇の嫌いな人にこんなことを書いてごめんなさい・・。

蛇足のおまけ。ただし本当にあったこと。

駱駝に乗る場所で一人の男の視線に気づきました。嫌でも気づかずには居られない、強い視線。追ってくる視線。此処に着いたときから感じ取っていました。わたしも男を凝視しました。視線を避けません。ただただ好奇心から彼はわたしを凝視しているのでしょうか。どんな状況にもなろうはずなく、そして年齢を考えるまでもなく(わたしの年齢! を思ってください!)駱駝から降りた時も彼はそこにいました・・わたしは子供たちや駱駝引きの老人にカメラを向け、そしてその男に向って「カメラ、OK?」と言いながらシャッターをきりました。彼の表情は一瞬微かに揺らいで、そして相変わらずわたしを凝視しつづけました。それが心地よいものかどうか、判断すらできません、ただし気味悪いとは思いませんでした。二人の間には時間なく、言葉なく、共有するものなく、あまりに唐突で何事も起こりえない。その場限りの一閃の何か、です。男に何がしかの揺らぎがあった、それだけです。

シルクの作業場、繭から糸をとる作業、糸繰り、絣模様を作るための防染の工程など見学。

絨緞工場、ここでは女は絨緞を織れないと一人前でなく、自分が織り上げた絨緞をもって嫁することは必要条件だとか。工場の織り子たちは社員ではなく、チームを組んでここで絨緞を織り、その出来高に対して工賃が支払われる仕組みです。並んで作業している女たちの中央に坐っているのがリーダーです。

一人の美しいウイグルの少女に出会いました。顔を上げたしぐさが初々しく微笑みは優しかった、此処からヒントを得て絵を描こうと即座に思いました。

ポプラ並木の続く道から少し奥まった田園と家屋の先に、ひっそりヨートカン遺跡がありました。20世紀初の探検ラッシュでスタイン、ヘディン等が発掘調査を行っているので、記憶にある懐かしい地名です。が、数歩で駆け上がれるほどの丘があるだけで、古代の集落の遺構さえまったくありません。地表から5メートルあたりから出土したものの中には、ペルシア、ギリシアの影響を受けたものもあり、またキリスト教の十字架さえ発見されたと・・おぼろげな知識をむなしく総動員するばかりでした。

マリカワト遺跡、西域南道で栄えた古代于?国の都城の跡というが、ほとんど砂漠化して茫漠の感が深かった。

この遺跡にバスが近付いた頃、現地の案内人が告げました。

「ロバが引く車に乗るのに問題がないように・・遺跡にやって来る観光客相手でスレていてトラブルから・・前以てまとめて集めます。一人20元、カメラ使う人は10元!」

ところが村人たちの言う値段は、なんと5元、考えるまでもなく現地案内人の「ぼったくり」・・手数料です。わたしたちはそのリベートで生活しているんですと言われればそれまでですが、ロバ車を引く村人の裸足を見れば、いささか釈然としません。不愉快に近い感情です。

この村の人口は二百人も居ないそうですが、そして純朴かどうかは知りませんが、案内人の言うのに従ってわたしたちの後を追わず、鍵の手に座をつくり、男たちも総出で実に楽しそうに砂の上に布地にくるんでいた石や腕輪を並べて「バザール、バザール」と声をかける彼ら。

・・ほとんど何も買ってくれなかった今回の観光客・・それでも彼らには嬉々としたイベント時間だったとさえ思えました。

白玉河で石拾い、わたしもいくつか小さな石を拾って、遺跡の土も拾い集めて、いつものように、これがお土産。勿論、「岩絵の具」にもします。

今日は旅の「初日」で、その分だけわたしの気持ちも昂ぶっていたのでしょう。書くことがたくさんありました。明日はバスの長旅になります。星がきれい。  (つづく)

 

* 佳い旅のようだ。鳶は、思いや観たことを具体的に書く。観念の感想にしない。ねばり強い。それだけの旅の動機があるからだ。羨ましい。

帰国は十月六日であったから、「続き」があるだろう。

2005 10・21 49

 

 

* とろとろと朝寝した。前夜「夢の仲蔵」の上手につくられた筋書本を丹念に読んでいたからか。

 

* 秋の波  昨日は銀行からかなりの融資を受ける契約をしました。まだ、仕事をひた走り続けなければなりません。

それとはうらはらに、わが身は

秋の夕の蟲の声々 風うちふいたやらで さびしやなう

私自身の季節は冬の初めに入り始めました。

憂きもひと時 嬉しきも 思い醒ませば夢候(そろ)よ

あまりにも強烈な夢は夢のままのほうがよいのでしょうか。  波

 

* 秋の波さん  夢は夢 現も夢 そう「気付い」てはじめて、新たな、リアルな、夢と現を夢のままに、受け入れられるのではないでしょうか。

何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ

多額の融資は 一面で発展 一面で行き詰まり 一面で得意の展開 一面で失意の予兆。大胆に細心に、生き生きとお狂いください。

秋の波ですか。 秋波を送られたかと、にっこり。 湖

 

* 朝から雨で、家事の動きが止まりました。携帯メールは、専ら娘との交流です。早打ち名人を自称するだけあって瞬時に リターンが届きます。今朝はきっかり七時に眼が覚めましたが、昨日の朝は、猫ちゃんの恋に邪魔され、五時に起きました。それから二時間経っても仲良ししていて、悩ましげな得も云われぬ声を人目(耳)憚らずあげて、猫は猫なりに「今・此処」を生きている。「私は貝になりたい」という日活の名画がありましたが、私は「猫」になりたい。  泉

 

* こちらの取りようでもあるけれど、「秋の波」といい「猫になりたい」といい、脱帽。共謀罪だの国民投票法だの除名だの離党勧告だの靖国だの乗っ取りだのより、どんなにいいかしれやしない。

 

* 雨に霞んで三輪山が見えません。

冷たい雨です。お隣は、リュックを抱いた、沈思黙考といった体の若い男性‥。

火祭りに、なにかしらの“チェンジ”また霊的示唆を得られるかと思っているツレと、どんな道中になりますか。

お差し支えなければ、雀の肩にいらして、ささやきかけ、導いていてくださいませ。  囀雀

 

* 鞍馬の火祭に出かける途中らしい。雨が上がるといいが。

鞍馬の火祭りは、懐かしい。ロシアから『冬祭り』の旅を終えて戻って、妻と出かけた。よく行けた。翌日には比良に、琵琶湖に、安曇川に。新聞小説とほとんど同時進行に小説を旅していた。肩には、いや身のそばには、いつも「冬子」や「法子」が同行していた。夢の現であった。

あの強烈な実感に比すれば、たいがいなことははかない泡の夢。気付いて超えねばならない。

2005 10・22 49

 

 

* 原知佐子らの舞台「ラスト・シーン」を下北沢の「劇」へ観にゆく。佳い席を用意してもらっていた。往年の舞台俳優達の晩年を、ケアする施設。シェイクスピア女優もイプセン女優も大衆演劇の女優も、プロンプターを勤めていた女もいて、往時を懐かしみつつ、施設のクリスマスの余興に「トロイの女たち」を演じようではないかと相談が纏まってゆく。役を分けているうちに、主演女優の往年の恋人だった、しかし彼女を捨てて他の女優へ走った男優がこの施設へ入ってくる。

小味にまとまった、面白いと謂えばとても面白い脚本だが、これもまた劇団昴の「八月の鯨」のように、「老い」そして「過去」が主題。

みなが昔は鳴らした俳優であったという点では、もっと特殊な老人達。だから彼女達や彼達の「老い」に観客は共感も同情ももちにくい。「よその老い」なのである。

戯曲をかなり洒落て選んでいるのだろう、だが、胸にきりきり刻み込まれてくるものが特に無いのは、余りに趣味的で、残念である。

 

* カーテンコールで原知佐子に拍手し、向こうもむろん吾々のことは分かり、そして外へ出てからもちらと手を遠くから振り、向こうでも振り、そして小田急線で新宿、そして池袋西武で、「たん熊北店」の京料理「祇園」を食して、満腹して帰ってきた。

2005 10・22 49

 

 

* 秦先生 とてもとても メールありがとうございます。

親子ともども元気にしております。

ただ毎日あわただしくて、なかなか落ち着いた生活が出来ていないのでメールもなかなか書けずにいます。秦先生にもご無沙汰しており、申し訳ございません。

子供はもう1歳8ヶ月になり、子育てもどんどん楽しくなってきました。話すようになったり、いたずらするようになったりで、毎日本当に面白く、しかし忙しく過ごしています。

先生はいかがお過ごしですか? お元気にお過ごしでしょうか。

先生の授業を受けていたころが懐かしく感じられます。最近自分の時間がなかなかとれずにいるので、よりあの時間は貴重だったなと感じます。もう少し子供が大きくなれば時間も取れるようになるのでしょうか。

またメールします。

先生もお体にお気をつけてください。   紀

 

* むずかしいと聞いていた体調を、ことに案じていた卒業生。メール、喜ばしく、嬉しい。思いあまりながら容子を聞いてみた。よかった。

2005 10・22 49

 

 

* 鞍馬の火祭を夫婦でみてきた囀雀さんのレポートが届いている。わたしたち夫婦のもう二昔まえの体験とも重なるもの、もちろん多い。

鞍馬の、と謂うので山上の鞍馬寺の祭りのように感じやすいが、寺と祭りとは普通になじむ物言いではない。一つには鞍馬寺を鞍馬神社かのように錯覚する人もあるぐらいだから、「祭り」と謂うて違和感がないとも言える。

鞍馬寺は、たとえば延暦寺や知恩院が寺であるのとおなじお寺とは謂いにくい。いわば魔天狗の棲むお寺でもあるからだ。すばらしい仏像も捧持している一方、することなすこと神事と呼びたい「竹伐り」そのほか、異色に富んで天文の不思議ともこの寺は関わっている。火祭りも、だから…と想うのは、当たってもいそうで、だが少しちがうのである。

鞍馬の火祭は厳密には鞍馬寺の行事ではなく、麓の「由岐=ユキ」神社の祭事である。大きな重い「筌」の形の大松明が、「サイレヤ・サイレウ」の雄壮にしていくらかエロスの匂いもする掛声もろとも、燃えさかる火の粉を闇にふりまき山々谷々から湧くように流れ動いて一所に密集、波濤のように狭い石段を駆け上がる先は、この「ユキ神社」拝殿の前庭であり上庭である。石段は狭くて急。

 

* 火祭りは火熱で世界をあたため、春到来をうながす祭りであるが、鞍馬の火祭には明らかに山国の祭りであるにかかわらず、海の風情と風習に根ざしている。日本海を経て鞍馬道にいたる道筋には自然の経緯があり不思議はない。そもそも村人山人の火を燃やしてかつぐ大松明の形、「筌」は、あきらかに漁労の道具、魚を追い込む道具であり、それを担いで出る男達の帯をしめないはでな女衣裳と見える長襦袢の着流し姿は、漁師のもの。相撲の力士達の長襦袢すがたもまた、もともと漁師のいでたちであった。褌と謂いサガリと謂う、浦島太郎が漁師であったことをたちどころに思い出させる。鞍馬の火祭由来は、西南海の海の男達の祭りであった。神社名の「ユキ」は「壱岐」に通うている。梁塵秘抄は、壱岐の島を「ユキ」の島と発音している。漁師の漁に、「火」は信仰と必要の最たるもの。鞍馬の火祭の淵源は「海」の生活にあったと言いきれるだろう。

 

* 暗やみの美しさ、厳かさ。  よそものがお邪魔して見せていただく…そんな気持ちのする祭りですね。

かわいらしい女衣裳のちびちゃんに頬をゆるめ、松明にお水取りの思い出話をし、少年~青年の衣裳に「あれ…って、あ、ほら、あれよ、踊りの『山社祭』‥!」と同時に口にしました。

入れ墨にみせた肩を覆う布、男を見せる松明担ぎに、友人にだんじりのことを尋ねながら、雀は、大人の長い羽織り衣裳に、松浦武四郎記念館のまつりにいらした、アイヌの人々を思いました。

しばらく見ているうち、写真でしか知らない若狭のお水送りや、尾鷲、熊野の海人の祭りが想われ、潮の匂いが山影のあおぐろい土地に漂い、海の轟きが聞こえる気がしました。闇と火の粉の美しさに、音のないことに、心深い思いを抱き、お水送りを断然見たくなりました。

出町柳から叡電に乗り、鞍馬ではまず、ケーブルで上がって、寺と神社にお参りしながら下ってきました。それから、集落のいちばん上の、提灯が終わるところまで歩いて、ぶらぶら道を下り、一軒のお宅の軒先で、8時過ぎまで見せていただいて、五条駅近くのホテルに着いたのが11時。

「お腹空いたァ。さぁむぅいぃー!」と、コンビニで缶ビールとおでんを買って出てくると、明るい月。3時までさえずりました。

朝の雨はうまいこと止みましたが、冷えましたわぁ。余計かなと思うくらい持っていったカイロに手袋、スカーフにニットのロングコート、すべてすべて生きました。

「息が白ぅ見えんでぇ、まだ10月の22日やのに」

「でももう霜降やで」

観光客をあんなに意識しない祭りだとは! ちゃらちゃら見物気分で来た人を、神妙に黙らせる、まさに、集落の神事というのが二人の印象です。薪をくべているお婆さんに、世話をする尻端折りしたお爺さんに、襟を正される風格を感じました。それから、朝青龍に似た男性が、大名行列の奴ように、松明を担いで歩く美しさに、二人ともに見とれました。 囀雀

 

* 気の毒に雀さんたちは、ほんものの火祭りの祭事をみないで鞍馬街道からホテルへ帰っているのかも知れない。松明という松明が、「サイレヤ」「サイレウ」のかけごえも高く諸方の闇という闇の奧から神社へ密集して来るのは真夜中である。しかし明瞭に彼女達は「海」祭りを体感している。

鞍馬街道の家々の飾りには、大蛇のとぐろもさながらに大縄が「神」として祀られている。

「祀」るという漢字のヘンは、「神」「社」の字などのヘンと同じく、神様由来。そしてツクリは「巳」である。「祀る」とは、日本では、多く、もともと、水神・海神の祭祀であることを如実によく示しているではないか。 2005 10・23 49

 

 

* おはようございます 風  なんて、もうすぐお午ですが。

こちらは、どんよりしています。そちらも、ひょっとして雨かも。

「モンテクリスト伯」は、いずれ大人版を読みたいと思っています。今は、好きなギリシャ神話の本をペラペラ捲っています。ギリシャの神たち、ムチャクチャですね。

そうそう、三島由紀夫の「豊饒の海」を読みはじめました。

一巻目を読み終えて、登場人物たちがコントロールされすぎている印象がありました。作者がコントロールしているのは当然にしても、登場人物がいきいきと作品の中を行き来している感じがしてきませんでした。

登場人物の個性より、作者の顔の見えてくるような小説だと思いました。三島の作品は、ぜんたいに同じ印象があります。

でも、それが「三島ワールド」なのでしょうか。

独自の世界だなあと、おもしろく読みましたよ。

風はいかがおすごしですか。わたくしは元気になりました。 花

 

* 三島由紀夫畢生の作は、まさしく花の感想どおりの作品であり、第一巻はまだいいが、巻をおうごとに、題の通り天人の五衰さながに瘠せて乾いてゆく。無惨な気がする。作の意図や構想に知的というか概念や観念の上で興味をひかれることがたとえ有るにしても、文学の到達としてはいたましく、つまらない。谷崎の『瘋癲老人日記』のふてぶてしいまでに豊かな到達とは遥かにことなる。

井上靖の『孔子』も、あれはいけなかった。わたしが東京(中日)新聞の匿名コラム「大波小波」にもの凄いほど集中して書いていた時期の、じつは一番最初に「孔子」を採り上げてきつく衝いた。むろん井上先生の力量は十分信頼していた。わたしが苦情を呈したのは、あの不成功の作を挙って顕彰した文壇や出版のへっぴり腰に立腹していたのである。後日、「群像」の鬼編集長とおそれられた大久保房男さんと和やかに立ち話したときに、彼が全くわたしと同意見であって、我が意をえた心地がしたのを懐かしく覚えている。大久保さんはあの時、「諸悪の根源」かのように、もう一人の文壇的大作家の名前をわたしに告げられたのもよく覚えている。その人の作品をわたしはじつはよく知らないのであるが。

2005 10・23 49

 

 

* こんにちは。   昨日、一昨日と東京へ妹と行ってきました。

乗り換えの駅では、人にぶつからないように、ひたすら案内表示を見上げながら、向日ヶ丘遊園へ。93才になる叔母は晩年の母とそっくりになっていて、思わず涙がこぼれそうでした。足は不自由ですか、目も耳も頭もしっかりしていて、会いに行ったのを喜んでくれました。

夕方には大泉学園に到着、娘が出迎えに。孫娘も婿さんも元気でなによりでした。孫も学校にすっかり馴染んでいて、東京が気に入っている様子で一安心。

昨日は婿の運転で、浅草寺へお参り、月島という所で、もんじゃやきなるものを食べ、東京タワーに登った後、お台場へ行き夜景を楽しんで、七時半ののぞみに飛び乗って帰ってきました。

それにしても、どこの駅も人があふれていますね。あわただしい二日間でしたが、楽しかったです。

原知佐子さんは好きな女優さんです。さっぱりとした性格そのままのような感じを受けます。

小雨の降る今日の京都は寒く、ヒーターをつけています。

お大切にお過ごしください。   のばら

 

* 従妹はいつ東京に来るかと想っていたが。大泉なら自転車でも行ける近い隣町、ま、また機会があるだろう。

 

* メールありがとうございます。娘の住まいで恒平さんのごく近くに居るのだなあと思っていました。でも、お会いできるなら、私の気持ちの落ち着かない東京より京都が。こちらでなら、少しの時間に、ご挨拶だけでも、どこへでも伺います。これからの紅葉シーズンにむけて京都も人で埋まりざわめいてきます。

どうぞ、お元気でいてください。  のばら

 

* 雨の京   三十三間堂行こうと言い交わしながらのチェックアウトの最中に、驟雨。雀は智積院を提案しました。せっかくの雨、庭見に行こうと。

人がいない。相変わらず。

青鷺が池の石に降りた、か、と見る間に、屋根を越えて飛び去りました。絵のような奇跡を目にしたのは三人だけ。

等伯の絵を見たりして、一時間ほどもいたでしょうか。

それから、イノダ本店へ行ってスパゲティとコーヒーで昼食にし、東福寺へ。ここも人がいない。苔と、聳える屋根と緑深い渓を堪能して、いま、近鉄に乗ったところです。宵闇迫る車窓。夢のような二日間でした。  雀

 

* 七条東末の智積院から三条堺町のイノダへ戻り、次ぎに九条の東福寺へというあたりが、車のある人の出来る藝当やなあと感心する。

2005 10・23 49

 

 

* 二キロもの精製されたクリームチーズを戴いた。ほかにもパック入りのクリームチーズやパイナップル味のチーズなども。ずしんと持ち重りのする一包みの純白なチーズに、ビックリしている。おいしい。

チーズもいろいろあるが、白いクリームチーズと刺戟のつよいブルーチーズが好きで、和洋の酒に合わせられる。芳醇な秋の御馳走を、感謝。風邪をひかずに健康でいられそうな気がする。

2005 10・24 49

 

 

* 津軽平野  たまたま縁あって岩木山へ登り、その後に五所川原金木町の太宰治生家へ初めて寄りました。太宰が仰いだであろう岩木山。

時々闇の絢爛たる華やぎを覗いております。  川崎 E-OLD

 

* 能登「間垣の里」に吹き付ける海風はかなり激しく、これでは背の高い竹垣で家を囲まねば、とても冬は越せないだろうなあと実感しました。

今私の頭上をトンビの声。輪島では何処を歩いていても潮の香に追いかけられます。

昨日は雨で漆芸美術館をじっくり見学しましたけれども、今日は良いお天気。一日風になって歩いています。 ゆめ

 

* 蟄居の糧  昨日・今日、久しぶりの突き抜ける蒼空、フロアに飛び跳ねる光が眼に沁みましたが、夜分に入りいちだんと冷えこんでまいりました。

孫(男)のひとりが農大を出て食品会社に勤めております。沖縄とカリフォルニアに果実農場を持ち、酪乳品はタスマニアから輸入して、レストランや製菓工場へ卸しているそうです。

先日、その孫が突然訪れ、結婚することになったので、と報告に来ました。

嫁さん候補を連れて来ないので、訊くと、「一月に生まれるので・・」とのこと。

「俺に相談もせず、かってに、ひい爺さんにするのか。けしからん。罰金払え」と、これ(チーズ)はその罰金の一部です。寒気到来、加えて内外ともご繁忙のご様子、お好みかどうか伺いもせずお送りしました。

わたしは、夏は元気なのですが、寒季はまこと意気地無く、70歳前後から毎年「冬眠」と称して逼塞してまいりました。が、三年ほど前から妻の介護のためそうも言えず、無理を重ねました。わたし自身の年齢もありますが、その無理がいま現れた、と思います。孫がこの業界に入ってからは、穴居生活の餌に専ら酪乳品を用いています。

穴居生活といっても、炬燵で丸くなる、というのではなく、夏の間に使ったレクチャー用テキストを修正したり新しく気づいたプログラムを作ったりしていました。

中国以外の国では英文で事足りるのでさほど苦労はありませんが、問題は中国向けで、レクチャーに就いてくれる日本語通訳は英語をまったく解しません。

どういうわけか中国では、一身一技、というのでしょうか、一つの専門を身につけると、他のことはまったく顧みない、という風潮があるようで、持参した CD 収録のものも英文だとそれ専用にもう一人通訳(翻訳)を雇わねばならぬありさまでした。(現在はどうか分かりませんが…。)

中国は文字がどんどん変わって行きます。初等教育のためと言っていますが、実際は急速な電子化、ワードプロセッサー用のためでしょう。ですから日本語の漢字だけを並べたものは、台湾では通用するのに中国本土では若い人向けには使えません。従って図解と英字記号(Capsのみ)を多用したCAD 図形やVB による動画図形を作成する必要がありました。しかしこれもCD を入れてそのまま使えるものではなく、関連する表示用ドライブファイルを相手側PC に移植する必要があり、まとめてインストール用プログラムに作り直す作業が必要でした。

しかしいまはもう、それすら無用。文字通りの冬眠生活になるのでしょう。来春啓蟄までの蟄居…。そうしてやっと「今年も生き延びたな」と実感。鬼が嗤うでしょうか。

戦後すぐの頃、亀井勝一郎が「明晰の受難」ということをしきりに説いていまして、お話を伺いに井の頭公園近くのお宅を訪れたこともありました。あの時代では言葉遣いがすこし固く、難しかったのではないか、と考えておりました。

ところが、なんとなんと、驚くことに、わたしの文章などにも「漢字が多くて・・」などと孫どもは言います。まったくまったく、もう、民主政治は衆愚政治にほかならない。と、長嘆息。

その母親である次女も、昔は60年安保だ成田闘争だ、と息巻いていたものが、いまは女子大の職員におさまり、「共謀罪・国民投票法」、という話をすると、「何よ、それ?」という有様。「学校で話題にならないのか」 「ぜーん、ぜん」ですと。超々長嘆息。あの頃の熱気は、一種の「ファッション」だったのでしょうか。

日本はいったいどうなっちゃうのだろう…。我が子ばかりが子ではありませんが…。

土曜の夜、NHKの若者と大人の討論番組を見ました。あれらがすべての若者・大人を代表するとは思いませんが。少なくともわたしの周辺の若者は、わたしが知っているほどのものは皆知っている、と思われます。知識はあるのです。何でも識っているのに、もっとも大切なただ一つのことを識らない。その、ただひとつを識らないことが此の世を、白く明るい闇・光る闇・煌めく闇・喧噪の闇にしている。と思われます。無明・無音の平安はありようもないものにしている、と思われるのですが…。

とんだ未発酵のものになりました。体調、充分にお気をつけください。  福生 E-OLD

 

* 保谷のE-OLDは、べんべんと寝惚けている。千葉や和歌山や神戸のE-OLDS はお元気だろうか。

2005 10・24 49

 

 

*千年、そしていま生きている都。  京は、これ以上いったい何が欲しいというの? このところ、京のことを見聞きするたび雀はそう思います。ほんものの人たちはマスコミに出ない出さない、それは分かっているつもりです。

それにしても、まだ、「もっと」が強すぎます。日本はもとより、世界中から、人もモノも目も集まる。ものづくりの町ではないから、産業空洞化はない。京に住みたい、たとえ数年の学生生活であっても、そういう人が引きも切らず、市街地のドーナツ現象もひどくない。家を引き払う人があれば、町屋公開また貸し店舗として利用し、それほどでなければ更地にして駐車場にすれば、十分需要があります。働きたい人は山ほどいる買い手市場と思われますし、観光産業はどこより他の追従を許さぬ不景気知らず。ブランドの力価はダントツの「モノ、コト」が限りなくありますし、昼にめいっぱい観光させて、さらに夜もライトアップ。“グルメ”についても、東京以上に、器(店)も味も場所の演出も豊富です。それになんといっても、舞子藝妓が爆竹のように景気づけを促進します。

歴史も文化もほかに学ぶ必要はありませんし、誰も、京の美醜、是非を評論できません。

京取材となると、あの人が?! あの番組でさえ?! というほどに、牙を抜かれ骨を抜かれ、甘甘になってしまいます。

魔神がいますのね、京都には。

地主神が人にワザをするのか、平安京に集まってきた神々が人を唆すのか。それとも、歴史ある知性高い都市が文化文明の先端都市として、一歩先を行き示すこと、また、成熟したヒトが、近代性を帯びる、新たになる、進化するということはこういうことと示しているのかしら。

疑問がいっぱい、不審も不信もいっぱい。

「そこで、宏ッちゃんの登場」

冬子さん(『冬祭り』のヒロイン)の、この台詞が、大好きです。  囀雀

2005 10・25 49

 

 

* 風邪は快方に向かいつつありますが、まだ疲れがとれません。薬を色々飲んで胃の具合をおかしくしました。

今日は一日長いものを推敲していました。

休憩にネットを何気なく見ていましたら、篠原涼子主演で建日子さんのデビュー作『推理小説』がドラマ化されるというニュースを見つけました。篠原涼子さんは人気もあるし好感のもてる女優さんです。話題性充分で、原作の魅力とあいまって、建日子さんがさらにブレークなさいますでしょう。お祝い申しあげます。

と言いつつ、わたくしの興味はあくまで湖その人にしかございません。ごめんなさい。ですから、建日子さんの噴出期をお喜び申し上げる気持は、湖が何よりお喜びと思うからこそなのです。

建日子さんのお仕事が、書いていらしたように「幸運」というほど発展を続けていらっしゃいますのは、当然実力とそのお人柄によりますが、もう一つ理由があります。一種の正負の法則です。いずれその珍説をお伝えいたしましょう。

湖は小説を書いていらっしゃいますか。最近の「私語」を拝見していると、何か新しいものを書いていらっしゃる気がしてなりません。考えすぎですか。何もしないご隠居さんになっているとは信じられなくて。天才は静止しないものですし。

「今、此処」ということをよく仰言います。今までの人生で「今、此処」をまったき瞬間として充分味わい尽くしていらっしゃったのでしょうか? 「今、此処」を燃焼して生き尽くしていらしたのですか? これは心からの問いかけです。

実は、自分が「今、此処」を心底味わったことがないように感じています。

ある出来事というのは、それを体験した瞬間にはよくわからないのです。たぶん充分にその経験を味わっていないのです。無私になれていないというのか、マインドがつねに何かを悲しんでいたり不安だったり疲れていたりしていて、幸福であっても、不完全な幸福であることが多かったように思います。

ところが、後になってその体験を甦らせると、体験した瞬間よりはるかに全貌がよく見えます。甦った過去のほうが完全な幸福のかたちとして感じられ、楽しく思われたりします。なぜでしょう。自分が不完全の要素をとりさって、過去を、記憶を、創作してしまうのかもしれません。自分が「今、此処」の実感より、再生された思い出の中でより良く生きていると感じたりします。変ですね。不健康な錯覚でしょうか。自分が書きたいと思うのも、「今、此処」を生きるのがとても下手で、過去の経験を、より完全なものとして再現したいと願うためかもしれません。欠陥人間なんでしょうか。

明日は冷えるそうです。しんどい風邪をひかれませんように。

チーズの食べ過ぎにもご用心ください。おいしいものはみんなカロリーに問題がありますね。チーズ大好きで、色々な種類を並べてワインを味わうのは楽しみですが。  秋

 

* たしかに過去の「体験」の再現と検証のようなつもりで小説は書かれやすい。わたしも例外であったとは言わないし、わたしはまた、よく、小説という方法で「論じる」のだと、口にしたり書いたりしたこともあった。『慈子』も『閨秀』も『糸瓜と木魚』も『墨牡丹』も『風の奏で』も『親指のマリア』も、みな、その類であった。

だいたいガチガチの純文学つまり私小説に心身をささげていた人には、今書く小説のために「今・此処」の生活をまず創作的に体験していた作家もいたわけである。わたしは、あまり意味のないそういう苦行に身を投じたことはない。

それでも、数は少ないが、わたしの小説にも、現実と同時進行のようなものがあった。『罪はわが前に』や『冬祭り』や『北の時代』はそんなアンバイに書き進めた長編だが、しかもどれもフィクションであった。

 

* それはそうとして、わたしの「今」はどうか。おそらく、今ほど、もう「過去」を必要としていない時期は、かつてわたしにはなかった。今はいつも「今・此処」で足りている。過去を顧みたいと思うようなハメにはなりたくない。今を十分味わい尽くしているか、燃焼し尽くしているか、そこまで断言できないが、あれかこれかと「分別」してああでもなかった、こうでもなかったと「反省」するということをしないでいるぶん、「抱き柱」をあらまし抱かなくなっているぶん、ずいぶんと自由にラクになっており、自由でラクな分、よほど日頃シャンとしていないと「独りで立って」いられないオソレや不安がやってくる。そう自戒している。

いま小説を書いているか。

易々とそんな問に答えたりしないが、「過去の再現と検証」のような「鉋屑を削る」ような小説に興味は明らかにうすらいでいる。第一そんな余分な時間は残っていない。明らかに現在に繋がっている現実の「今・此処」にだけ、たいへん興味をもっている。書くとしたら、谷崎が『鍵』を書き『瘋癲老人日記』を書いたように、書くであろう。谷崎の一等大きな特色は、「今・此処」ばかりをあれで彼は書きに書いていたのである、一生涯というもの。

2005 10・25 49

 

 

* アラン・ドロンの連続ものらしい「刑事物語」をたまたま深夜に観て、ひきつけられた。

「ペン電子文藝館」の仕事を意識して控えるようにしてから、夜更かしの必要がなくなったのは、からだや眼の休養には二重の効果。零時過ぎに来るメールは翌日に開けばいいとも半ば思いきめて、出来れば日付の変わる時刻には機械から離れるようにしている。

メールも、わたしは、だいたい「返信」主義にきめている。ときには「私語」に一般化することで「返信」にかえている。わたし一人の話題では惜しいと思うときは、むしろ思うままを「私語」するようにしている。「発信」に気を入れると乏しい時間がかなり大量に奪われるのは、必至。それはメールの性質からしても本末転倒なので、「返信」主義にほぼ徹し、それも「私語」へ吸収するよう心掛けている。

2005 10・26 49

 

 

* 最近は夜更かしされていないかしら?

手の怪我は抜糸もすんでかなり治りましたが、まだ濡らしてはいけませんと医者に言われました。できる事と言ったら本を読むこと、少し器械に向うこと、そのように三週間近くが過ぎました。

その間いちど大阪まで「院展」を見にでかけました。作品数が少なく、やはり東京や京都で見たかったです。感想、批評は例年とあまり変わりませんが、技術的なこと、描きこんでいくエネルギーなど間近で見る、必要な学習でした。「見、習い」です。そして自分の絵の拙さも骨身に沁みて感じます。

先に地域の美術展で入賞したことを書きましたが・・賞金の額は別としてそっくりそれでパネルを買えることが、目下無収入の主婦にはありがたいこと。自分の収入という、あくまで気持ちの問題で、ただし「賞金稼ぎ」には絶対なってはいけないのは言うまでもないことです。

今書きたいものが犇めいていますが、実際にそれらを描いて形成すには、本当に力も時間も途方もないものが横たわっています。わたしの能力以上のこと・・。

詩もずっとずっと引きずってきてしまいました。優柔不断、でもいつもいつも考え悩みました。最初の、瞬間の、噴出をそのままにしたい・・・それでも断続的に「指摘」されたことの重さは圧倒的でした。

ファイル一つ送ります。冒頭だけでなく後の方もすこし変えています。今回の旅のものも加えようかと思いましたが、まだまだと思いとどまりました。  鳶

 

* 怪我。心身全体に障ってくる。少しも早く完治、専一に。

 

* HPの写真楽しんでます。

ところで、撮影したママの容量で画像を送受信、掲載するのは受け手によっては少々難点があります。たとえば、ADSLや光ファイバーでなく旧来のアナログ電話回線だと、重すぎてメールを開きづらい(結果、送受信の不具合に通じる場合もある)、添付メールがはじかれる、HPを開くのに時間がかかる、といったことです。BatchGOO、というフリーウエアがありますのでよろしかったら。編集ではなく、画像容量を大幅に縮小する(画像の容量、サイズ(幅、高さなど)のダウンサイズ)便利なソフトです。ダウンサイズすると多少画質が落ちますが、いろいろ機能を選択、工夫はできます。

BatchGOO!(Windows95/98/Me/画像&サウンド)

旧聞に属しますが。前に、平成元年3月1日~大晦日、京都新聞に連載された『親指のマリア』のスクラップブックを入手して、刊本とはひと味違う楽しみを知りました(新聞の紙質、紙色がときどき違うので、それもヘエーと思いましたが)。

池田良則さんの絵コンテのような挿絵も洒落ていて、よろしいですね。マッチしており。

この長編は、もともと新聞連載向けに構成されたのでしょうか。新聞連載で、紙幅=字数もぎごちなくなくおさめる、それでいて、後をひくようにする、明日も読みたくさせる、昔の紙芝居のように。経験のない私にはお手並みに感心しきりです。○○の章一~<ヨワンと勘解由Ⅰ~>、この連番の按配は分かりますが。

絵コンテといえば、映画の時代劇を連想します。『親指のマリア』の映画化話はありませんでしたか。10ケ月連載の長編を、長くて三時間? 長編映画におさめるのも至難の業ですね。テレビシリーズ10話でもおさまるかどうか? 脚本も原作者? となると、原作者のこだわりが強いと難しいので、別のプロにまかせるとか。監督は? とあれこれ想像がふくらみます。

先年、民放TV局を定年退職した兄から、その局にも、時代劇のソフトがいっぱいあるが制作できず勿体無いと、意外なことを聞きました。お蔵入りしている企画、脚本、映画制作のノウハウのことを指していたのでしょうが。

…….秦さんが、黒澤映画のカラー作品をきれいすぎると、評されていたような記憶があります。大好きな池波正太郎のテレビ時代劇も最近のは画像がきれいすぎて、何か画素数を競っているような違和感があります。時代考証、言葉づかいも気になりますが。その点、NHKの連作時代劇の方が少しマシでしょうか。

あ、そうか、秦さんには、新劇化、舞台演出という手もあるか。  多摩 E-OLD

 

* ホームページに随意に写真を入れはじめて本人は気分も目先もかわっていいのだけれど、受け手のことも当然に心配していたが、なにをどう心配すればいいのかは皆目分からず、いまぶん、受けてからの苦情が入らないまま居直っている。どういう不具合が起きているか、知りたい。

このメールの中で、「添付メールがはじかれる」というのを、よく分からぬママ気に掛けている。

 

* いま思い出しても気の毒に笑えてしまうのだが、『親指のマリア』の挿絵は、なにしろほとんどの場面が小日向のキリシタン牢内なもので、池田さんはよほど苦労されたと思う。池田遙邨の孫の良則氏は、繪コンテどころか線の冴えた清々しい挿絵を毎回工夫してくれた。あの小説は、「ヨハン」つまり神父シドッチの章と「勘解由」つまり新井白石の章とを交互におき、しかも同じ一人称で通すことで、二人の「一体=身内」感をはかった。

この作品も『冬祭り』同様、新聞連載後にほとんど全然いじっていない。構想通りに書き進んで、新聞連載という条件には媚びなかったから、読者はめんくらったろうか。本になって読み直してみたとき、あまりすらすらと全編が一気に読み通せたのには、作者ながらおどろいた。白石を書いた小説は通俗読み物も含めてあるだろう、が、シドッチと白石とを終始対等に対決させたこれほどの長編小説は無い。これは、徹頭徹尾、わたしの小説である。映像に出来るものならしてみよと思う。これはどんな作品の場合にも思っている。わたしの文学は絵画ではない、音楽=文体なのである。

2005 10・26 49

 

 

* 「今・此処」に打ち込むだけが人生の理想の在り方ではない人間がいることも分かってください。

名前をだすもおこがましいことですが、たとえばプルーストは「今・此処」に打ち込めた人とは思いません。現在より過去の「失われた時」を再現することに幸福を感じていた人ではないでしょうか。だから、「真の楽園とは、人がひとたび失った楽園なのだ」などと書いたのではありませんか。  秋

 

* 人は、いろいろである。わたしの思いを強いる気は毛頭ない。

人とは、それぞれの思想と才能にしたがい元気に生きて行く「意欲」であるのだろう。この人にはその元気が、ある。

 

* 日本のブロードバンドの普及率はまだ2割弱あたりでしょうか。ADSLに変える前はISDN、それから転居期間、10日ぐらい、ADSLの移転手続きの不備で、ふつうの電話回線でインターネット、メールを利用していました。

ISDNでも容量の大きい画像、友人からの何枚もの画像添付メールには手を焼きました。また、普通の回線起動では写真添付のメール受信が滞り、あげくブラウザの再起動を何度もする羽目に陥りました。

ただし、これはADSL=ブロードバンドではまったく問題ありません。数枚の写真が掲載されているだけの秦さんのHPは、つなぎ放しのブロードバンド利用者には瞬時に開けます。

インターネット利用時にだけ普通の電話回線で起動されている方(ナロウバンドという言い方もあるようです)は画像の読み込みには時間がかかる(→電話代)と思います。画像添付のメールも同様です。

添付ファイルがはじかれる、というのは、セキュリティソフト(アンチ・ウイルス、ファイアウオール)を利用している場合、(容量でも)問題アリとしてはじかれる(私のソフトは、ノートンですがスパムメールとして別枠受信の箱に入る!

)場合もあるということでしょうか。ADSLでは滅多に経験していませんが、もし発生してもすぐ処理は出来ます。

ちなみに、秦さんの巻頭の写真、画像容量は14万数千バイトです(画像のプロパティをクリックすると数値が分かります)。

ご紹介したダウンサイズソフトなら、たとえば(極端ですが)数十バイトまで落とせます。(某サイトあて)画像を頻繁に送信していますが、膨大な数量の画像を受信しているそのサイトのシステムでは一枚500バイトまでの制限規則があり、それに従っています、容量オーバーは自動拒否されます。あまり専門的でないのでご容赦ください。秦さんのお写真掲載の範囲ではほとんど不具合はないと思います。

一般的に言うと、容量の大きい画像添付ファイルを、ブロードバンドでない方へ送るのは要注意といったこと、ネチケットの類かも知れませんね。   多摩 E-OLD

 

* かなり理解。なるべく写真掲載期間を短期間にし、カットして行こう。

2005 10・26 49

 

 

* 何年かかったろう、粘りに粘り、わたしも粘って「e-文庫・湖(umi)」の一つの詩集が、ほぼ完成の域に到達した気がする。ひとごとながら、よろこばしい。これで著名詩人にもいくらか安心して読んで貰えそうな気がする。

歌人青井史さんの大作『与謝野鉄幹』も孜々として仕上げていった粘りづよさで、すばらしい本になった。中断していたらそれきりだった。同じことで、わたしはやはり有る歌誌にねばり強く連載されている或る女性歌人の「浅井忠の写生」論にも期待している。

 

* 「西域」 ようやく仕上がったと思います。この詩集は恥ずかしくないものに完成されたと思います。ご苦労様。

安心していないで、少なくも次のもう一冊に取り組んで完成させて下さい。

怪我を早く治すように。あれもこれもは出来ませんよ。怪我などしてはいけません。  鴉

 

* ほっとしています。ずっとずっと引っかかっていました。今もまだ同じ。いくらかの重さを肩から下ろします。

他のものも並行して見直しています。

最終的な決め手は声に出すこと、これを繰り返してできるだけ簡素にしたいのですが。

音声として耳にどのように響くか、実は最も大切なことと思っています。まだ混乱しているものが2,3あり、それを突破しないことには進めません。

台所仕事はビニール手袋をして三日目から頑張っています。今日は朝からカレーを仕込んで、もうかなり味が沁みた頃です。

友人が乳癌になったりさまざま・・わたしの怪我など悩む部類に入らない、でしょう。  鳶

2005 10・26 49

 

 

* わたくしは、いつもいつも、何にでも、「言葉」に依存しているのです。以前からご指摘を受けていましたが、しみじみ実感となっています。「言葉」だけですべてを「表現」しようとしているのです。だから、空疎な文章が多くなる。少しでも成功していると思う箇所は長い作品の中のほんのわずかしかありません。

小説は言葉を疑う人が書くものだとやっと目覚めてきました。   小春

 

* 小説でも詩歌でも、言葉を過信しない人が創るのだと思う。

 

* わたしのよく言う「今・此処」という意義を、すっかり考え違いして、 「今、此処」を「その時々に、充分に味わえないのを恐れます。つまり、なかなか楽しい遊びができない」と言ってくる人がある。とほうもない、何を考え違いしているのですかと言わねばならぬ。

「今・此処」とは、「刹那の歓楽、遊び・楽しみ」などと、全く関わりない「実存」の原点。「味わう」だの「楽しむ」だの「遊ぶ」だの、そんなことでは、全くない。

生ける存在には、過去も未来も幻影に過ぎず、実在するのは「今・此処」しかありえないという「今・此処」のこと。剃刀の刃のような「今・此処」に人間はきわ立ちながら、背後の過去も絶壁、眼前の未来も絶壁、何も無い。その無の虚空へ一刻一刻、一歩一歩、すっぱだかで前へ踏み出しているというのが、「今・此処」である。そんな「今・此処」すらじつは無いのである。わたしの言う「今・此処」とは、そういう虚空のことである。

2005 10・26 49

 

 

* 高麗屋夫妻の手紙を受け取る。

 

* 能登に旅していた人の、「間垣」の写真も。そして佳いメールも。とても具体的。

 

* 今回の能登への旅は・・とても印象深いものでした。学生時代から通算すると10回近く行っているので、いわゆる名所旧跡にはもういきません。今回の「間垣」の里・上大沢地区は映画やNHKで何回か見る機会はあっても、やはり百聞は一見に如かず、でした。

間垣は、冬に備えて11月上旬には補修されるそうですけれども、まだ10月の終わりというのに、海風はとても強くて寒い! 帽子もおさえていないと飛ばされそう。人の姿も見かけず、聞こえてくるのは風の音ばかり・・・。厳しい冬に向かってひとときの休息をとっているかのようでした。

上大沢へは輪島から西保海岸と呼ばれる海沿いの急な崖っぷちを、車で30分。バスの場合、崖上の人家のあるあたりを迂回していくので、40分ほどかかります。朝7時台、昼12時台、夕方4時台と、一日3便しかなく不便なので、いままで行く機会はありませんでした。

この輪島あたりから珠洲にかけての海岸線は、日本海の荒波に常に洗われて、岩も面白い奇妙な形をしています。光浦という地名もあって、陽があたると海のあちこちに魚の大群が鱗を光らせて踊っているかのように見えます。

輪島の街中を抜けると、バスは、停留所でないところでも自由に乗り降りできるのがいかにも地方らしく、ほほえましい。

そんな崖の上のこんな所にまで人が住む? と思えるような家の壁に、「改革を止めるな」の小泉ポスターと、某政党の「憲法9条を守ろう」のポスターとが並んで貼ってあったのにはびっくり。

先の選挙で小泉政権を支えた人々の多くは、実は小泉さんに切り捨てられる運命であり、ブッシュ政権もまたしかりなのでしょうけれど(嗚呼!)。

一人旅だと街の声、人々の声がよく聞こえてきます。路線バスの場合、観光客はたいてい私一人。

「げんきだったかいね、あんたも少し腰が曲がられたねえ」

「ああ、次に生まれてくる時は腰が曲がらんように生まれてきたいもんじゃねえ」

「消費税10%になったら食べていくだけじゃねえ」

「もう、ものは売れん。輪島の商売家も半分はつぶれてしまう」

「輪島には若いもんはおらん、年寄りばっかりじゃ」

「人の多いところといったら、病院ばっかり・・」

など、切実で少し哀しい声・・・。

「石川県立漆芸美術館」は素晴らしい作品ばかりでした。うるし塗りの域を超え、日本画の世界。蒔絵、沈金などすばらしい技術にも感嘆。

日展などの入選者も輪島出身者が圧倒的に多いのですけれど、その生活はなかなか大変そう。10年、20年と修行し、日展などに入選しても、小品でさえ制作に一月以上かかる輪島塗りのこと。たいていは共働きで頑張るけれど、子どもの教育費や生活費のため、やむなく転職する人も少なくない、という話を輪島塗をしている女性から聞く機会がありました。

生きるというのは、本当に大変なことだと改めて実感した今回の旅でした。(25日の夜遅くもどりました。) ゆめ

 

* バレーボールのあと、あちこち回って、帰宅しました。松本清張原作の「天城越え」というビデオを借りてきましたが、どんなでしょう。

今日は、体育館に着いてから、サポーターとシューズを忘れたことに気づき、ガッカリしました。家は、体育館から、車で二十分くらいかかるのです。すでに遅れていたので、このまま図書館へでも行こうかと車を走らせたのですが、運転しているうちに気分が上向いてきて、サポーターとシューズを家まで取りに戻りました。それから参加して、一時間は運動できたので、よかったです。荷物がいろいろあったので、サポーターとシューズを持って出なかったことに気づかなかったのかも知れませんが、大ボケでした。

先日から、こちらで、田中美佐子と赤井秀和の昔みていたドラマ再放送がはじまりました。たわいのない、単純な話だけれど、父親のいない家庭と、母親のいない家庭の、あるタイプが描かれていて、今見ると、グッとくるものがあります。花は、元気に過ごしています。風は。

2005 10・27 49

 

 

* 自身の病気に向き合い聡明に対峙して譲らない、若い母親。げんきでいてほしい。

 

* 秦先生 お返事ありがとうございます。ご心配をおかけいたしました。

私は今、人生の中で一番楽しく苦しんでいるような気がします。

大事にしたいものがたくさんあり、でも日々の生活の中でどれかを省かなくては生活が成り立たないので、いつも優先順位を考えながら生活しています。

もちろん子供のことが一番なのですが、そのためには家族全体が上手にまとまっていないといけませんし、何より私が元気で明るくいることが家庭を円満にするとも思っています。

結局いろいろと欲張って頑張ろうとしてしまうのですが、それでダウンしてしまっては元もこもありません。体調を気をつけつつ頑張り過ぎないようにもしています。

子供を持っていない友人などの話を聞くと、いろいろと活躍の場を持っているようです。その友人たちと比べるととても地味な楽しみではあるのですが、とても充実した日々を送っています。少し忙しすぎる感はあるのですが・・・。

**や**たちとは、たまに会っています。今度皆で会おうといっているところです。

先生ともまたお会いできたらと思います。

息子も今ちょうど面白い時期です。こちらの言うことがほぼ理解できていて、でもなかなか口が回らないので片言でおしゃべりし続けて、仕草も言うことも可愛いのです。

ぜひ今度お会いできる機会があることを祈っています。***に住んでいますので近いですしね。

先生もお体をお大事になさってください。最近急に寒くなりましたし、夏の疲れも出るころですし・・。  紀

 

* ああもしたい、こうもしたいということは、有る。それも夢であり、「今・此処」も夢である。しかしそう観じている「意識」は夢でないだろう。生から死へ推移するとき、譬えば光から闇へ転じたとしても、「意識」として持続してきたわたしの「本性」が死ぬわけではない。

2005 10・27 49

 

 

* とうていわたしの行けない遠方の美術館からも、招待券が来る。地元の読者に送るようにしているが。喜んでもらえる。

 

* よかったァ~♯ 半音、いえかなり上がってます。

メールがふっつり絶えたとき、あ♪ なにかお仕事進めてらっしゃるんだわと、いつも嬉しく日々待ち焦がれて過ごすのですが、今回久しくご本も届かずメールもなく、胸に雲がひろがってきておりましたの。

よかったよかった。

お待ちいたします。心からお礼申しあげます。ありがとうございます。

お疲れを溜めぬよう、お怪我などにもどうかお気をつけて、日々お幸せに。祈っております。 奈良山

 

* ふっつり絶えるのではない、メールを「書く」暮らしはなかなかできないだけのこと。その時間はほかに使いたいから。読むのは、ちゃんと読んでいる。この人のように咎めないでいて下さると、ありがたい。

 

* 小鳥の囀りが、年をまして種類が増えている気がする。戸外の晴れが肌身に感じられる。だが、今日も外へは出て行けない。

2005 10・29 49

 

 

* 御杖   月毎に発行される近鉄電車の情報紙に、“歴史街道人物往来”という、2000字弱の連載がございます。近鉄沿線にゆかりの歴史上の人物一人につき3回、簡単なプロフィールを添えられ、主に作家サンが、入れかわりたちかわり書いておられます。有名なミステリー作家も歴史小説家も、大学のセンセも、マンガ家も、一冊まるまる読まずとも、力量と人柄が判断がつきますの。こわいなと思いつつもおもしろく思い、毎回楽しみにしていますの。

萩尾望都さんが「倭姫命」を、と予告で見て驚きました。中学生の頃、いっときマンガに熱中しまして、なかでも萩尾さんは、光瀬龍さんの「百億の昼、千億の夜」をマンガ化したことも話題の、雀の好きなおひとりでした。

戯曲「斎王夢語」を発表されていたことを、添えられたプロフィールで初めて知りました。連載第1回の文章を読んで、変わってないなと懐かしく、あの頃に引き戻されました。

「斎王」というのも、雀にとっては興味深く、あと残り2回が楽しみです。昨日は、このこともあって古事記をひろげたのです。

天神地祇をともに宮中に祀っていたのが、なぜ不都合になったのか。なにがあってうまくいかなくなったのか。「大物主を鎮めたら国が治まる」告げられ、天照を外に出したけれど、大物主が残る理由は。追い出したのか、天照が居たたまれなかったか、出ていきたくて仕方なかったのか…。笠縫邑に居続けず、旅に出たのはなぜ。あれほどの大層な長旅になったのは、なにがあったの。

追い出した天皇って天孫でしょう?  天照に常に傍にいて護ってもらわなくていいのかしら。いてもらうと迷惑なのかしら。

『日本を読む』の「客」「蛇」、「妙に何かに負けて敗れて」「押し鎮められ」のくだりが思い出され、また、お作に戻るのです。

水分神社、丹生神社、オカミ神社、十一面観音。雀の興味のそこからも谷底へつながっていたのですが、ずっと前から、長い間かけて、ぽたぽた落とし続けてくださった秦さんのミヅが、ミヅチ、アクア、アカ、ナガ、ナーガに、白く丸い、楕円のものに、あ、とつながる出来事が、うんと増えてまいりました。20年 ―長い流れです― おにぶで、ごめんなさい。  囀雀

 

* 実に興味深い話題に触れてきている。上古史のあるいは核心ともいえる事件がアマテラスの伊勢鎮護であった。ヤマトヒメは最初のその「斎王」そしてわたしの『慈子』の原題は『斎王譜』であった。この作のその斎王とは、ヤマトヒメに始まる斎王の歴史を最後にしめくくった奨子内親王のことである。そしてそれが「慈子」へ繋がってくる。雀さんは、ひょっとして最も深切な秦恒平の「批評家」になる人かも知れない。

 

* 伊勢の遠さ   阪神優勝の時に、大阪のテレビが名古屋のテレビ局に、「名古屋はどうですか?」と聞いたところ、「昨年はドラゴンズ優勝で盛り上がったんですが、今年はそれほど盛り上がらなかったですね。それに、複雑なンですよ、こっちは。愛知、岐阜はドラゴンズ贔屓ですが、三重はタイガースファンのとこと分かれてまして」と言ったそうです。

名張に何十年暮らしていて、伊勢へ行くのと難波に行くのと、近鉄の料金も時間も変わらないということに気付いて、自分が一番びっくりした、と、近所の人から聞きました。伊勢より初瀬が近しいですもン。

お伊勢さん、お多賀さん、お稲荷さん。お○○さんと呼ばれる神社と、そうでない神社とありますわね。近しそうに敬いつつ、その実、頼りにしてまっせ、うちが呼び掛けるときだけ出て来てや、というような、いつもは遠くにおいときたいのが、お…さん、かしら。  囀雀

 

* 名張を通る近鉄に一度か二度乗って伊勢へ、あるいは名古屋へ通過しているが、わたしは、じつは長谷寺も室生寺も知らない。途中下車したことがない。しかし愛知岐阜は中日一辺倒でも三重には阪神フアンも多いという事実は面白い。名古屋へ近いが、三重は存外に大阪や京都へも近い、便利なのである。雀さんが盛んに京・大阪・滋賀・福井まで気軽に脚を延ばしているのは「近鉄」という交通機関あってこそだろう。ときどき橿原神宮辺に棲んだら、どんなに楽しいだろうと想うこともあるぐらい、あの大和平野の真ん中は、東西南北に歴史の宝庫がある。

しかしこの人ほどそれをタンノウしている人は少ないだろう。いないだろうとさえ想ってしまう。

 

* ホテル・オークラでの結婚披露宴、新郎新婦と彼の東工大の仲間達、わが若き友人達の記念写真が、プラハの新居から何枚も送られてきた。

「秦先生、私達の本格的な結婚生活が始まります。『今・此処』を大事にしていきたいと思っています」と。

写真には乾杯するわたしのご機嫌サンのも。新郎新婦の氏名はあえて伏せておくが、友人達には分かること。めでたく此処に「披露」しておきたい。

それにしてもプラハへ夫婦で二三年は住むとなると、新刊の「湖の本」を送ったものか、どうしたらいいか。イギリス在住の人も、いる。スペインへは船便、時に航空便で送っているが。

2005 10・29 49

 

 

* こんばんは 風

ここ二三日、慌ただしくしていました。

今、ちょっと一息ついています。

> 最近ならブラッド・ピットとデカプリオかな。

わたしの印象に残っているのは、リバー・フェニックスです。彼の主演の「旅立ちの時」は、いい映画でした。過去に爆破テロを起こし、警察に追われている両親と、あちこちを転々としながら、恋をし、自立もしていく、という話です。

風はご覧になりましたか。

愛する家族と一緒にいたくても、そうはいかなくなる時期がやってくるものだなあと、見る度に感慨があります。

はじめて見た高校生のときは、リバー演じる少年とガールフレンドに感情移入し、最近は、リバーの両親の気持ちを想いながら見ました。息子の人生を自分たちの逃亡生活の犠牲にしてはいけないと、リバーを手放す決心をする親は、自分もまた、警察の監視の目の光る中、逢うことのままならない親の思いを知ります。リバーを託すため、リバーの母が密かに父親と逢う場面には、泣かされました。

音楽室のピアノでリバーの弾くブラームスや、誕生パーティーで流れるジェームズ・テイラーの「スザンナ」など、音楽も印象に残っています。

リバー・フェニックスは、十年ほど前に、ドラッグの過剰摂取で亡くなりました。子役の頃から、大人びた発言をしていて、地球の環境問題など、社会問題にも言及するなど、うわついた感じはしませんでしたが、死後、彼がドラッグにのめりこんでいたということを聞き、彼の演技にある、繊細さや複雑さのことを想いました。

ブラッド・ピットとデカプリオなら、少年の頃のデカプリオが、リバーと少し感じが似ていました。

こんな話をしていたら、また「旅立ちの時」が見たくなってきました。

さて、風は発送準備、順調ですか。

お体を痛めませんよう、がんばってくださいね。  花

2005 10・30 49

 

 

* メルヴィル

> さらにグレゴリー・ペックの『白鯨』が迫力満点の象徴作で、メルヴィルの原作といい、この映像化といい、人間と大自然との苛酷な対決をこれほどシンボリックに把握して強烈な感動を与える文学も映画も少ない。たしかノーベル賞をえたのではなかったか、優にそれに値する文学史・映画史の一つのみごとな光芒である。

「私語」でこう書かれていましたが、失礼ながら一つ訂正させてください。メルヴィルはノーベル文学賞は受賞していません。生前は不遇な作家でした。死後も文学史の片隅にいる群小作家の一人にすぎませんでした。

『白鯨』は、あまりに特異な作品で、出版当時理解されることなく、ほとんど忘れられた作品でした。それが作者の死後二十年も経って、劇的に高く評価されることになりました。きっかけはレイモンド・ウィーヴァーという学者がメルヴィルに情熱的に惚れ込んで評伝を出したためでした。

メルヴィルの再発見は文学史上の事件と言ってもよい、驚くべき復活劇でした。メルヴィルはブレイクやスタンダールのように、生前には真価を認められず、死後に文名輝いた作家です。

エラそうに書きましたが、実は『白鯨』は原文一部のみで、まだ通して読み終えたことがありません。タフな読書ですもの。なにしろ鯨と格闘しなくちゃいけません。

メルヴィルの死の七ヶ月前の最後の作品『ビリー・バッド』は原文でも読みにくくはなかった記憶があり、ただひたすら無垢な魂の美しく、愛する作品でした。

私の記憶違いでなければ、アメリカの三大文学者は、このメルヴィル、ヘンリー・ジェイムス、T・Sエリオットで、英文学の三大悲劇が『リア王』『嵐が岡』『白鯨』などと言われていました。(こういうものは諸説色々ありますが。)

メルヴィルのことを書いているうちに、文学者には作品の不死という栄誉以外は一切必要ないことを思い出しました。『暗夜行路』の中にも、本当に不死の仕事をした人には死はない、という言葉がありましたっけ。

毎年この時期になると、何となく面白くないのです。湖には関心のないことなので、お笑いください。文化功労者や文化勲章受賞者の発表をみるたびに、一体どこの誰が選んでいるのかと思います。日本に、文化の日を祝うほど文化を評価するシステムがあるのに、不機嫌になったりして、お粗末でした。贔屓にするあまりとは言え、世俗臭プンプンですね。湖は、既に一番価値あるものを手にしていらっしゃいますのに。

でも、やっぱり、日本はオカシイ。

今はテレビで日本の美しいもの、吉村雄輝の地唄舞を観ています。

明日(今日)はご無理なさいませんように。    春

 

* 「メルヴィル」についてよく知らなかった。教えられた。「英文学の三大悲劇」については同感できる。アメリカ文学についてはものの言える素地がわたしにはない。

写真家としてはみごとな業績があるが、翻訳家としては野に隠れた存在なのではないかと思う(断言はできない)、原光さんと、二十年来淡い交わりがある。翻訳された作を次々に戴いている、その中に『白鯨』も入っていた。ほかにボードレールの『悪の華』その他、今日では手に入りにくい幾つもの西欧の名作がある。ハンディなたいてい新書版ながら堅牢に製本されて箱に入っている。『白鯨』はどこかの文庫本で読んでいるが、原さんの訳で読み直してみたい。

 

* 「日本」が「オカシイ」ことにはあまり関わりたくないのだが、ここで呼吸しているのだから、つまり日々の汚れは日々にまた別途に自ら清まはるしか、手が無い。幸いそういう「手」が見当たらないではない。吉村雄輝でもいいし、村上華岳でもいいし、谷崎や志賀直哉でも、「ゲド戦記」でもいい。

わたしの場合、なにもかも、もう残り多くはない。「退蔵」の日はむしろ遅きに失し、それも確実に迫っている。どうやら実年齢で古稀は迎えうるが、「湖の本」は幸いに米壽ないし卒壽にも到るだろうか。いずれにしても終焉をもう迎えていいと考えている。迎えざるをえない。

前後して、外での仕事をもう離れる時機に来ている。わたしに必要なのは無位無冠のハダカになってしまうことなのは、早くから知れていてこれも遅きに失してきたが、なにとなく無用な配慮もはたらかせてきた。それももう有難いことに不要に成っている。

2005 10・31 49

 

 

* 困  第一次産業、第二次産業と学校で習いましたが、いまは観光産業が大きくなってきました。

観光用の地図や道案内の整備にともなう、社寺、史蹟などの新しい「碑」に興醒めしつつも、わかりやすさが引き換えと、やむなく受け入れています。

なにかあるのかしらと近寄ってみると歌碑や句碑だったというのは、以前からありましたが、最近よくダマサれるのが、道端や田の中にある大きな石。歴史に埋もれたなにかを顕す碑かと思いきや、農地整理か土壌改良といった、お上の農政の完成記念碑なのです。

この間、田んぼの真ん中に「農魂」と大きな石碑が立てられていました。昔、「農政は、ノー政だ」と聞きましたが、ノーコンとは、キツイしゃれや。  囀雀

 

* 友禅菊が満開に。

そしてひょろひょろと丈長の数本の嵯峨菊が咲き初めて。

我が家に長逗留して帰る妹を、先ほど駅まで見送りました。

故郷の紅葉が、待ち遠しい、と。

疲れていないと云えばウソになります。歳ですネ、疲れました。600キロ離れて住む姉妹が、難儀な事情で会えなくなる日が来るのはそう遠くなく、「今・此処」「一期一会」を大切にしています。歳が近く、子供の頃は口喧嘩が絶えなかったのに、フシギなものです。  泉

2005 10・31 49

 

 

* 初めまして~能登の海に感動して。

初めまして。北国に住んでいる「文学と生活」の一読者です。

10月27日の「ゆめ」さんのメールに、能登の海を見ていて、魚の大群が鱗を光らせて踊っているという表現がありました。その表現が自分の中に「ない」ということに気付き、そのことをお伝えしたく、今日勇気を奮ってメールを出しました。

私が想像する海に、魚の大群はいません。なぜなら、私が知っている海は、夏でも気温が低くて人間が遊泳できないような、生命を拒む海だからです。冷たい海ほど魚はおいしいのですが…なぜか、魚が泳いでいる様子が想像できません。

私にとって、海は「死」です。

頭痛が起きてふとんに入って寝ていると、金色に光る海が現れるときがあります。

目覚めると必ず、自分は死んでしまうところだったのではと思います。

海に「命」はありません。北国の海は特にそうだと思います。私にとって「ゆめ」さんの表現はおもしろいものでした。その感動を伝えたく、メールを送りました。初めてのメールで図々しいことを言って申し訳ありません。

いずれ、秦先生の作品を読んで、感じたことを書いてみたいと思います。「文学と生活」から入った読者なので、読んでいない作品がたくさんあります。少しずつゆっくり読んでいきたいと思います。

それでは、失礼いたします。   昴

 

* 「昴」は、わたしが名付けた、海の闇にかがやく星を感じて。このメールでは、何処の誰ともなにも名乗っていなくて分からない、が、印象的に分かることも沢山含まれている。

あわやスパムメールの一つかと削除しかけ、しかし立ち止まった。星影を消さずにすんで良かった。「ゆめ」さんもこれを読むだろう。

2005 10・31 49

 

 

* (大和)箸墓近くで「上ツ道跡」が発掘されたとか。大友軍と大海人軍が戦った道だそうですね。きれいな十字路。

東海道などの街道を基準に想っていたら、だめですね。今のコンクリと重機の道より、はるかに、上古の官道は、しみったれた現代人の肝をつぶさせます。

そんなニュースのあと、寝しなに、ケータイが震え、メールを受信いたしました。

かえってお手をわずらわせることになりまして、身が縮みます。

さきほど、伊賀の新酒を買って帰ったところに、新しいご本が届きました。

おからだなにより第一に。そしてお仕事も、できるかぎりお続けくださいますように。雀が憧れ大好きな方の、吹きガラス初作品の盃で、ご本に献杯。  雀

 

* 先程、ご本が届きました。ありがとうございます。

ざあっと読んでしまいました。これからゆっくり、じっくり、読ませていただきます。

ゆうべは、富岡多恵子の『中勘助の恋』というのを読んでいました。

いいお天気が続いていますね。昼夜寒暖の差が激しいので、何を着ようかなとまよったりします。お元気で。 花

2005 11・1 50

 

 

* 北国の「昴」さんのメール・・・うれしく拝見しました。  ゆめ

あの日あの時刻、輪島・光浦で、もし私と並んであの場所にいたなら、昴さんもきっと北の海が不思議に光るのを目撃されたことでしょう!

太古の昔、生物は海の水から発生してきたとか・・・。私にとって能登の海は私が生まれてきたところ、そして還っていくところです。海辺の水際は此岸と彼岸の境目といいますけれども、海は「生命」も「死」も「再生」も、たくさんのものを内包しているのだと思います。

一昨年、母の喉仏のお骨を郷里の北陸の海に散骨しました。(他のお骨は墓地に埋葬、この小さなお骨だけはなぜか30年も持ち続けていたのです。)

朝晩、立山連峰をのぞむ海にいて、母もきっと喜んでいると思います。

末筆になってしまいましたけれど、ご本(湖の本の新刊)届きました。明日から通勤バッグにいれて・・・。

 

* まだ気張ってますか。

十日ぶりに「私語」を読みました。配本が始まっているのですね。過労にならないように。

私はまだ(逗留客の)疲労が残りますが、明日は(老仲間との)運動会に顔を出します。気候が良いのが幸い、動き易いですね。お休みなさい。   泉*

2005 11・1 50

 

 

* よく晴れている。これから郵便局へ走り、それで第一次の発送は軽く一段落する。あとは、小刻みに進める。

「解釈と鑑賞」の原稿依頼があったのを、モノの下積みに見落としていて、編集の渡部芳紀さんらに失礼した。多い郵便物の収拾がつかなくて困る。要するに片づかない、いや片づけないからである。かといって人に頼むと余計分からなくなる。

今日オープンの、久しい読者の小さな個展が、銀座で。早めに行っておかないと、来週から十日ほどはいろいろ忙しい。いま、気になる散髪もしてきた。

2005 11・2 50

 

 

* 日になんべんも羽織ったり脱いだり。空気がきりきり引き締まってきて、雪や氷の女神の到来が近いことを告げています。とはいえ、存外に紫外線が強く、目にお障りがないよう、案じております。何十年間も酷使されては、目のほうからブーイングも出ますでしょう。どうかお大切に。

もう十一月。

今来むといひしばかりに長月の有明けの月を待ち出でつるかな  ‥「いづるかな」と読んでましたわ。「弁慶上使」おわさの告白に、「頃は夜も長月の二十六夜の月待ちの」とあるそうですね。肌が建具などに触れたとき、ひやっとする頃で、夕闇もさみしくなる頃。「酒屋」で、お園が行灯を持ち出して、あ、と間があって埃を拭い、今頃は‥となるくれぐれを聯想いたしました。

さて、毎年10月末に、お墓のある廣済寺で、近松(門左衛門)祭が行なわれています。今回、何年ぶりかで行ってまいりました。前はツレがあったのですが、この度はひとりでしたから、祭りにいつも添釜の、裏千家の野点席に初めて寄ってみました。“近松”と焼印のある、うす紅の餡のおまんも、ふっくら泡のたったお薄も、おいしかったぁ。

お墓にお参りして、近くを少し歩いてみました。

古墳の上に立てられた神社があったり、道標に久久美でしたかしら、カガチを思わせる地名が彫ってあったり‥摂津ですものね。タイガース、工業、近松だけでなく、ふるいふるぅいさまざまを、たっぷり抱え込んでいる土地でしたわね。

寺は多田満仲ゆかりの須佐男神社と明治まで一緒で、剣と大蛇と勇者のものがたりに、家に帰ってから、スサノオのくだりを読みました。押し鎮められた神々。山、水、川、雷、剣。のみこめてしまえば、いちいちとらわれることなく、ゆったりとひたることができます。秦さんのおかげです。わかるまで繰り返し繰り返し示してくださって、待ってくださいます。あつくお礼申しあげます。

「仏像入門」とあると、必ず、如来、菩薩、明王、天部ときて、印の種類、部分の名称、製造方法での分類となるのがどうしてもなじめないのですが、おかげさまで神社についてはしっくりしてまいりました。

明日は松尾大社の卯のまつり、13日には三輪の大杉玉が掛け替えられます。近江遷宮のとき、三輪の神を日枝に迎えましたから、松尾と三輪の神が一緒に日枝にいることになるンですけど、日枝の大山咋神(おおやまくひのかみ)も三輪の大物主神(おほものぬしのかみ)も同じ神ですよね。地の神、押し鎮められた神。スサノオから諏訪の話になって、あ、やっとつながったと、膝をうちました。

この週末、文楽劇場で「本朝廿四孝」の通しが初日を迎えるのですが、雀はこのところ「古代」に遊んでいて、(上杉)謙信と(武田)信玄の世界に入っていなかったのです。諏訪湖姫や、タケミナカタノカミを思うたのしみが見つかりました。

九月は、(吉田)玉男さんの休演で、玉女さんが保名(の人形を)をすべて遣(つか)われたそうですが、今回、これも当り役の(武田)勝頼を、和生、玉女がダブルキャストで遣いますの。  囀雀

 

* こういう、暗闇へ片足入れたような話題になると、すこしばかり二人でのナイショ話めく風情になる。こういう話し手・読み手は稀有で有りがたい。

2005 11・2 50

 

 

* 発送作業が一段落と伺い、ほっといたしました。

昨日『花鳥風月・好き嫌い百人一首』いただきました。ありがとうございます。

どのようなご本であるのかと楽しみにしていました。そして、封筒の中から現れたこのご本を見て、わたくしは胸がつまって涙ぐみました。理由は申し上げられませんが、ある強い想い、予感にとらわれたのかもしれません。冷静になれなくて、昨夜はメールを書くこともなく、ただご本を色々読んで心乱れていました。

今朝気をとりなおして、また最初から読み始めました。百人一首で、恋をする前から恋を学んでいた少年でいらしたのですね。同じ年頃のわたくしはもっと幼かった。恋の歌はよそごとでした。

わたくしが小学生の時のお気に入りは、「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪」で、誰にも札を取らせなかった。なぜ好きなのか理由はわかりませんでしたが、湖の解説「音楽としてまず惹かれた」を読んで、そうであったかと思い至りました。

以前から、百人一首の「解説本」の味気なさにうんざりしていました。六百字の制限の中の「好き嫌い」の鑑賞に、湖の息づかいが濃厚に感じられて震えます。本当に和歌を愛してきた人だけが語ることのできる、日本の美、百人一首の魅惑でした。

ご本を読みながら、湖その人のお歌も思い出しています。ひとり訪れた日の来迎院の襖の百人一首も思い出しています。忘れられません。きっといつもいつまでも思い出して、このご本を繰り返し読むのでしょう。特別なご本でした。わたくしのために出してくださったご本とさえ思ってしまいました。嬉しいご本でした。

十八日ごろから白金の庭園美術館でマイセン展が開かれます。ご存じと想います。隣の自然教育園の中を歩いたことはありませんが、一度入ってみたいと思っています。

ドイツに住んでいた時、街の骨董店でアンティークマイセンをよく見て歩きました。お値段は言わずもがなですが、素晴らしいのです。ドイツの冬は陰惨なほど暗く重く長いので、日本の茶碗のようなわびさびの世界では耐えられない。どうしても室内で華やかに美しい陶磁器を使うことが、精神的に必要だったのだと思いました。陶磁器が彼らの花鳥風月であったのかもしれません。ドイツのコーヒーはたぶん世界で一番おいしいでしょう。

またの診察までご節制のことと思います。寒くなってきて、エロティックと表現していらした牡蛎のシーズンになってきましたね。診察結果が晴れてダイエット解禁となれば、生牡蠣でもグラタンでもおいしいお酒と一緒に楽しまれてはいかが?

わたくしは今晩にも牡蛎フライを食べることにします。   白い秋

 

* 鈴本のあとに入った上野の「天寿々」で、一品「烏賊ですか、牡蠣ですか」と板さんに聞かれた。妻は烏賊、わたしはむろん牡蠣を頼んだ、今秋の初物だったが、美味かった美味かった。しかし牡蠣は慎重に食べた方がイイ。お奨めにしたがい、あさっての糖尿診察のあと、銀座日動画廊のちかくで個展を一つ観て、そしてどこかビヤホールで、わたしも生牡蠣や牡蠣フライを盛大に食べながら「少年」の校正をしてこようか。

 

* 月様 ご本拝受。 花籠

私の好きな、白く冴えた佳い月が眺められるこの季節。

京都への日帰り旅も、家計が許さなくて諦めなければならない状態が続いていますけれど、その替わり映画を観る回数が増えました。小さいテレビ画面でのビデオ鑑賞は好きじゃないので、映画館へ出かけています。平日の日中(定休日です)は、入場者が少なくて、「私だけのスクリーン! 私のためだけに上映してくれる!」

こんなでは経営が成り立たず、閉館になるのもいたしかたないですよね。市内で六館あった映画館が、今ではもう二館になってしまいましたもの。このごろは隣の町にあるシネマサンシャインまで出かけることが多くなりました。

観たい映画も期限があるので、定休日まで待てなくて夜、走ることも。

帰り道、大きな太鼓橋の上から綺麗な夜空や夜景を眺めることもお気に入りになりました。

冷え込みが日増しに身に染む頃となってまいりました。どうぞ足元暖かくしてお過ごしくださいませ。

羨ましくもあり、八十八番の花籠。

 

* 思ひの種かや 人のなさけ

いかに南国とはいえ、橋の上で冷えませぬように。 月

2005 11・2 50

 

 

* 高麗屋から、夫妻の著書がどっさり贈られてきた。『俳遊俳談』や『高麗屋の女房』など数えて十冊。市川染五郎時代の珍しい『ひとり言』もある。(他に松たか子さんの『松のひとりごと』など三冊もある。)入会が決まると同時に「ペン電子文藝館」へ加わってもらうが、作の選択は任された格好で、骨折れそう。楽しんで読んで行く。

 

* 藤間紀子様  ご本たくさん戴きました。お嬢さんのもあり微笑みました。高麗屋さんの染五郎時代のが珍しく、嬉しく。

沢山の中から作品として選ぶのはたいへんな宿題になったと思っていますが、今回は、私の思いで適宜選ばせてもらいます。何度にも分け、少しずつ展観させてもらおうと思います。 有り難う存じます。

ペンの事務局長に、二十五日の「ペンの日」七十年に、「入会」を歓迎してお招きするよう申し置きましたけれど、むろんご公演最中のこと、お気に掛けて下さいませんよう。時候がら お大切に。「ペン電子文藝館」秦 恒平

 

* おはようございます、風。

今朝は曇っています。週末の天気は悪いとか。寒くなってきたので、からだを冷やさないよう、あたたかいココアを飲んだりしています。

風は、発送作業でお体を痛めたりなさっていませんか。くれぐれも、お大事になさってください。  花

 

* 幸い足腰今回は、数度の危険信号が去来した程度で、大事ない。前回は上下巻を一気に扱ったのがキツかった。外は曇っているが、気持ちは晴れやかである。と言ううちにも晴れ晴れと外が明るくなってきた。

2005 11・3 50

 

 

* 秦先生、本日、湖の本「花鳥風月・好き嫌い百人一首」届きました。ありがとうございます。

いつもはさんである短冊に、「又、一度会いませんか」と書かれているのを読み、大変に嬉しくなりました。

今は仕事に専念する毎日を送っています。

仕事は、主に塾講師で、個別指導塾、集団指導塾、家庭教師、そして高卒の資格を得る為の通信制のサポート校で働いております。

主に数学(中学~高校)を教えていますが、小学生も教えており、算数、理科も指導しております。まさか、自分が小学生を教える事になるとは夢にも思いませんでしたが、みんな僕になついてくれて、毎日楽しく仕事をしております。

東工大卒という実績は本物であり、まだ、塾講師になって半年程しか経っていないのにかかわらず、算数、数学はすぐ生徒に教えられる自分自身にびっくりしています。

塾講師とはいえ、フリーターと同じです。仕事は夕方~夜迄で帰宅は、毎日0時近くでそれから夕飯です。運がいいとその日のうちに帰れますが。

夕方から仕事と言っても、予習はもちろん必要、午前中から勉強はしているので、時給は一見かなりいいと思われますが、予習時間を入れると、必ずしも高収入とは言えません。

でも、今の仕事にやりがいを感じているのは事実で、僕も子供が好きだから、かつて大企業のサラリーマン時代での辛かった時期を考えると、気持ち的には前向きです。後数年で実績を作り、いずれは塾の専任講師(正社員)になるつもりです。

そういえば、今週末の日曜日は剣道の個人戦です。学生時代3位入賞した事もあり、頑張りたいところですが、今は週1回の稽古でしかも、自分が師範代として教えており、自分の稽古はできていない状態です。しかも、もう30歳を過ぎ、体重も増えてしまっているので、最近は毎朝公園で縄跳びをしております。小学生の頃は二重飛びが100回近くできたのに、今は30回を越えるのがやっとで、年とったな、とつくづく痛感致します。

話が長くなりました。

もし可能でしたら、今年中に秦先生にお会いできたら嬉しいです。また、メール致します。失礼致します。 卒業生

 

* なんども、企業内で苦しんできたこの人に、わたしは言った。きみの精神に問題があるのではないよ、きみと会社とが合わないだけのことだし、合う何かは必ず他にある。それを見つけてうちこめばいい。もしそれを邪魔しているモノがあるなら、東工大卒だから大企業で頑張らないと、というきみ自身の無用のミエだよ、と。

病気をしてまで見栄に拘ることはないのだった。彼はそんな中ででも難しい難しい専門の資格試験にもちゃんとパスしているし、剣道は一人前以上やるし、そんな病人なんかどこにもいやしないよとハッパをかけつづけた。

軽ウツの人にこういう物言いはダメだと叱る人もいる。わたしにも確信があるわけではないが、わたしの思いでは、病人に落ちこむより、どうしても合わない会社に背を向けて避けた方がイイに決まっている、「きみは病人なんかじゃないよ」という思いのほうが強かった。

元気に気に入った仕事をしているようだ、一つの危険期は去った。あとは当人の粘りや心意気。

すこし落ち着いたら、また昼飯でも食おう。

2005 11・3 50

 

 

*  > 「百人一首」では、作者の名前も歌のうちと私は楽しんだ。         考えたこともありませんでしたから驚き、また、新鮮な視点を与えてくださいましたことに感動しました。そう読むと、なるほど、名前も歌の世界です。今まで何を読んでいたのでしょう。心魂に徹した文藝愛にふれ、ぞくっとしました。 一読者

2005 11・3 50

 

 

* オホーツク海より  昴

昴という名前、ありがとうございます。あまりにも綺麗な名前で、少し気恥ずかしい感じがします。でも、うれしいです。

ゆめさんからのお返事メール、うれしく、また、そうなんだと勉強しながら読みました。

海は「死」というのは、私が生まれたときから知っているオホーツク海の印象をそのまま述べたものです。なにも深い考えはありません。海の表面が凍って、波が水銀のように鈍く打ち寄せる様子をみたり、流氷に乗って遊んでいた子が行方不明になったという話を聞いたりしているうちに、私の中で、海と死が結びついてきたのだと思います。

ゆめさんの見た能登の海、とても綺麗だったのでしょうね。夕暮れの日本海、見てみたいです。オホーツク海とは違う、厳しさと優しさを持った海なのでしょうね。

海について一人ひとりが様々な思いを持っているのに、あまりにも単純に、安易に意見を書きこんでしまったと恥ずかしく思い、反省しています。ゆめさんも秦先生も、海に対する思いは深いのに…。

秦先生の『湖の本』、ご注文しようかと考えていましたが、発送が一段落した直後のようですし、また、自分の考えや行動があまりにも浅く単純であったのが恥ずかしいので、今回の『湖の本』は見送ろうかと考えています。いずれ必ず、ご注文します。

四半世紀しか生きていないですし、頭も良くないので、秦先生の深い思想を読み取れないと思いますが、少しずつ勉強して、先生の作品を楽しんでいきたいと思います。

今までずっと遠くにあったものが、突然近づいてくるネットの世界に驚きと恐れを感じています。

 

* 最後の一行、まことにその通りである。映画「マトリックス」を昨日、吹き替えとスーパーとで二度も見直したが、現世を支配しようとする人間は、最終的にインターネットの制圧と管理支配とを当面の目標にして、なりふり構わず突き進んできそうな気がする。昴のいう、そういう機能に驚き、そういう機能を介して成されて行くであろうことに恐れをわたしは持つ。人間が機械を使っていると思っているうち、機械がまんまと人間を駆使し使役している逆転の時機が、そう遠くないのではないかと懼れている。

 

* オホーツクの方…かと直感的に想っていた。「北の時代 最上徳内」を書くためにわたしは北海道の南から東へ東へ海岸線を伝い巡り、オホーツク海のみえる標津まで行って、また釧路へ南下したのだった。六月であったが、胴震いがするほど北岸の夜は寒かった。根室から標津まで、わたしは作中でひとりの若い人と出逢っている。佳い人であった。昴のメールを受け取ったとき、わたしは反射的にあのキム・ヤンジアを錯覚していた。作品では、徳内さんとヤンジァとわたしとが、三人で旅をしたのである。オホーツクの流氷の音も、わたしは書いてみた。当たっているのかどうか、いつか昴に聴こう。

 

* オホーツクというとまた思い出すのは、教授室へ来る常連の一人であった東工大の中退生(東京郊外住まい)が、ふっと絵葉書などを送って寄越すのが、厳冬のオホーツクの海辺からであった、そういうことが二度ほどあった。自閉症気味に、わたしの退官とほぼ同時に大学へ出なくなったという彼は、しかしオホーツクの便りのあと、東大へ編入試験を受けてパスし、無事に卒業した。卒業したあとどうしているのか迄は報せがなく、分からない。一度飯を喰って、お祝いした記憶がまだ昨日のようだ。

 

* 雨の滋賀   琵琶湖大橋を渡り、伊香立、花折、葛川。

安曇川に沿い河口へとクルマを走らせ、そこから湖畔道を南下して、橋を渡って帰ってまいりました。

何年かぶりに阿志都彌(あしづみ)神社に参りました。橋を渡る都度、安曇川、鴨川、鵜川、滝川、比良川と看板を声に出して読んでおりまして、“野離子川”に息を呑みました。地図で見ると、小女郎が投身したという池が源のようですが。「のりこちゃん」はここのコかしら。

比良の山は頂を雲に隠しています。

朝から降られ、山の端を赤く照らす日に阿山へ帰り着いた頃、ようやく晴れ間が広がってまいりました。水の旅でした。   囀雀

 

* 書かれている界隈は『冬祭り』の舞台であり、継体天皇ゆかりの地でもあり、神代文字の伝承もあり、えもいわれない歴史の秘庫である。鞍馬の火祭から一転して琵琶湖西岸を安曇川へ北上した妻と二人の電車の旅には、夢か現か「冬子と法子」母娘もひしと同行して、わたしと会話していたのである。

2005 11・3 50

 

 

* 秦先生

先日のメールをお送りしたときに、実はまったく違うメールをもう一通書いていたのですが、なかなか完成に至りません。送らずじまいにならないようにしたいのですが。

10月28日に無事、妻共々プラハへの引越が完了いたしました。家具や身の回りのものは航空便、船便に分かれて追って到着する予定で、まだまだ「家」といえるような状態ではありません。しかし、この半年間、妻と離れ離れであったことを考えると、すでに帰りたい「家」になっているともいえます。

HPを拝見しました。写真が届いたようでなによりです。

「湖の本」はできれば、プラハへ送っていただければ幸いです。航空便代がわかればそれも同時に振り込むことにしたいと思いますが、大丈夫でしょうか。

郵便振込はまだ未確認なのですが、銀行はインターネットバンキングが出来ますので、振込み可能です。

よろしくお願いします。   楊

 

* 無事に「二人」になれて、よかった。内心、とても案じていました、二人それぞれのために。

安心。これでほんとうに赴任したということでしょう、充実した日々を祈っています、きみのことです、安心しています。

わたしの日々は「私語」に、あらましは。相変わり無く、それでも日々に動いていますね、何かが。老いるだけではなく、若返るところもあります、それが不思議ですね。

湖の本のこと、諒解。航空便で送ったのが、やがて届くのではないでしょうか。選り抜きの日本の和歌に、そこそこの日本語を添えたつもりです。一日に一首ずつくちずさんで覚えて下さい。

この間、卒業生が家にきてくれ食事しましたとき、話題が「ウミサチ・ヤマサチ」に及んだとき、キョトンとされ、全然知らないのにビックリしましたが、ああ、そういう大学であったなあと懐かしく昔を想い起こしたことでした。「日本」のことを尋ねられることもあるでしょうね。そんなときキミは大事な立場に立っています。

お二人とも健康に。健康に。怪我のないようにと、心より。

今年の花火には一人で出かけまして、あなたがたのことを向こうで祝し合いました。湖

 

* 小春日和、今日は留守番です。

幾つかの暖房器具を出し、日光に舞う部屋のホコリが気になり、丁寧に掃除機をかけて、気持ちよくなりました。掃除機のあの音、二歳の孫クンは怖がって大泣きします。

今、「私語」を読みましたら、今日は検診日だったのですね。好調でしたか。まあ、自己管理が出来てお元気そうやから、安心ですが、ちょっと羽目を外すやんちゃ坊主が残っていますものね。ナニナニ、牡蠣をビヤホールで食べて来るって。

午後一時、まだ本は届きません。  泉

 

* 診察はサッパリであった。階級でいえば「入院」が一番重い宣告とすると、三番目程度に響きそうな注意で、血糖値以外は「ぜんぶ、わるくなっている」そうであった。悪玉コレステロールもふえ、脂肪肝のおそれもあり、血圧も高く、ほかにも何とか彼とか。酒とあぶらがわたしの好物。共に宜しからずと。 2005 11・4 50

 

 

* 霧のまがき、霧のとばり   名張はまだ霧の海が晴れません。窓の正面に見える道に、救急車の赤い光がさっきから動かず回転し続けています。

正倉院展も北円堂開扉もうっちゃらかして、「みごもりの湖」「冬祭り」を読んでおります。“日本の美学”「水」号も。

なんもかも書いてらっしゃる…。

昨夜、朽木で購った、鯖寿司や鹿肉の薫製、漬物や手焼きのおかきに舌鼓を打ちながら、見ていた旅番組で、「オレら、もうホント、目があいてるだけで…。ほんまスカスカやからな」「大事なもン見忘れるもンね」と、板東英二と久本朋美(雅美の妹)が話していたのを、笑いが凍りつく思いで見ておりました。

先だって、高月と木之本へまいりました折、いつか訪ねたい湖東三山、多賀神社、胡宮神社への道を確かめながらの道すがら、交差点の“蚊野”の表記に、「あれ?」と思いましたの。帰ってから地図と古事記を取り出して、「そぉかぁ!」。

八日市に市辺ってありますものねぇ。書いてあるのに、読んでいるのに、読み取っていない。多方にアンテナの伸びない読み方をしているとつくづく落ち込みましたの。

また、名張や伊賀の駅に出される、大阪での文楽公演のチラシ類のなかに、「御霊神社で文楽関連の展示」というのがあって、“ゴリョウブンラクザってそういうことだったの”。

大阪の友人に尋ねると、祭神は天照大神荒魂(あらみたま)ほか四柱と――。文楽は、アメノウヅメノミコト役をしていたという訳ですのね。“言ぅてきたャないか”、ポカリとやられた気分。

書いてあることさえこれほどに読んでいないのに、書いてないことがわかるまで、どのくらいかかるのでしょう。読み返せばそのたびごとに、読み込む刻みが、誰にもわからないほどかすかであっても、深くなっていると、そう自惚れていないと、つら過ぎて、やりきれない。

ノンシャランな性質でよかったわ。  囀雀

 

* 身にしみます。松園展へのご招待、ありがたくいただきます。いつもながら、あたたかいお心入れ。お礼申しあげます。

さて、大阪淀屋橋の御霊神社は、鎌倉権五郎を合祀して御霊神社になった神社でした。図書館で、「源正霊神」が平景正とわかって、五郎が御霊信仰に結び付いたと、昔、歌舞伎の解説本で読んだのを思い出し、ばかねぇと自分でポカリ。すっかり忘れておりました。

解説といえば、数年前のNHK「伝統芸能鑑賞入門」テキストに、冒頭文をお書きになってらっしゃいましたでしょう。

“日本の美学”を読んでいて、読もうとしたら、ないのです。コピーも原本も。何年か続けて買っていたテキストを、引っ越す騒ぎに捨ててましたの。中を見ると未練になるからと、ばっさり。いや、もう。そそっかしくて。ごめんなさい。そのうえ、おくればせに、やっと今頃(重ね重ねごめんなさい)、「からだ言葉、こころ言葉」「元気に老い、自然に死ぬ」を、購入いたしました。

紀伊国屋BookWebに頼んだのですが、一日にケータイからメールして今朝届きましたのよ。どちらも“在庫僅か”でした。湖の本がなかったらと思うとぞっとします。

「からだ言葉…」に「ひぇっ」。ポップというかなンというか、すごいイラストですわねぇ。  囀雀

2005 11・4 50

 

 

*  診察いかがでしたか。イイ結果でありますよう。 鳶

 

* 病院の顛末は、とうに転送しているものと思い込み、歌集のための略年譜を半分ばかり書いたり、最終の念校を念に念を入れて版元へ郵送の用意をしたり、その間にも耳でジェニファ・ロペス主演の「メイド・イン・マンハッタン」という気楽なラブ・ストーリィを聴いていたりした。ま、イイこともワルイことも波の差し引きがある。ほんとは気にしなければいけないのだろうが、正直なところ、受け入れて、あるがままでいる。

 

* 今日は、とても暖かくて、よい日でしたが、きのうは、寒くて、膝掛けが手放せませんでした。

風邪がはやっているようですから、気をつけねば。お怪我、事故のないよう、お気をつけください。

風のこと、いつも想っています。 花

2005 11・4 50

 

 

* ブリストルの紅葉   秦さん、こんにちは。  卒業生

もう11月に入ってしまいましたが、日本では紅葉が遅れているようですね。

早いものでこちらに来てから四ヶ月経過しましたが、夫婦ともども元気に暮らしています。

先週末でサマータイムが終わって時計を一時間戻した事もあり、五時過ぎにはもうすっかり暗くなってしまいます。紅葉もかなり散り、もう秋も終わりかという雰囲気です。

久しぶりにHPを覗いて見ると、桜をバックに幸せそうなお顔が出てきて、思わずニッと笑ってしまいました。写真が入ると、随分と感じも変わるものですね。先々月、持ってきたPCが動かなくなってしまい、日本に送り返しての修理が必要で、1ヶ月近く自分のPCが使用不能でした。大変に不便は不便でしたが、一種の開放感も味わっていました。ですが返ってくるとまた、気付くとPCに向かっています。一種の現代病かもしれません。

こちらでの生活ですが、十月からは新学期が始まり、大学も街中も急に賑わいを増しています。さすがにイギリスの大学はパッと見ただけでも国際色豊かです。思った以上にアジア系の学生の多い事にも驚きました。大半は中国からの留学生で、日本人はごく少数のようですが。

大学とは別に、公設のカレッジで開かれている英語の授業も取り始めました。イタリア、スペイン、フランス、ノルウェー、ポーランド、チェコ、トルコ、ソマリアetcと、生徒の出身国も非常に多彩です。大半は20代前半、若い人が多いですが、仕事を持ちながら勉強していたり、英国の大学入学を目指していたり、良い仕事を探しに来ていたりと、境遇はバラバラで、そういう中に混じって勉強するのもまた刺激的です。

日本とイギリスは、ともに島国で、人間の気質にもどこか似通ったところがありますが、海の向こう側との距離感は、かなり違うのではと感じています。ヨーロッパ、中東、アジアの各国から、様々な人々が遣って来て、それぞれに事情は違うのでしょうが、イギリス社会に自分の居場所を見つけて、ごく普通に暮らしています。イギリス人たちも、その事に対してあまり違和感を持っていないようです。むしろそうした人達が社会にいることを当然と捉え、ごく自然体で、親切を基調にしながらも、必要な場合には毅然として接しているように見えます。

奥の間までは通されるのは大変かもしれませんが、それなりに快適な応接間を、例え外国人に対してでも持っていてそこまでは快く迎え入れる、というイメージを抱きました。個人に対してだけでなく、社会に対してもそうです。

翻って自分の事を考えると、日本において普段接する人間は殆どが日本人であり、外国人と接する機会は、むしろ例外の範疇に留まります。その中で、自分とは違う国で生まれ育った人が世界の大多数であり、それぞれがそれぞれの人生や社会や歴史を背負って日々を生きているという、頭で考えれば当たり前の事実を、果たして身の内深く実感出来ていたかというと、全く自信がありません。いえ、正直に言うならば、実感していなかったと思います。

概念としてだけの外国人や外国。そうした自分の中には、イギリス人が持っているような「応接間」が用意されていない事も、認めざるを得なそうです。そしてこの事はもしかすると、自分のみならず他の日本人にも、社会全体にも妥当するのかも知れないなぁと、思ったりもしています。

また、大学でもカレッジでも、様々な国の人たちに囲まれていると、「日本」の事を説明する機会も自ずと多くなります。また研究室には、何かと話題になる事が多い、中国、台湾、韓国、イランなどからもそれぞれ博士課程の留学生が来ています。そんな事もあって、これまでになく、国と国との関わりの来歴や、「日本」の歴史や文化をちゃんと知っておく事、自分なりに整理しておく事が大切と感じます。

外国人に日本の文化を紹介、などは知識不足と語学力不足の相乗効果でなかなか難しいのですが、ささやかながら、研究室でお茶を点てて振舞ってみました。茶碗、茶杓、茶筅、抹茶しか持って来ていませんので、机の上で、抹茶は缶から直接掬って、お湯は電気ポットで直接注ぐという、怒られそうな手前です。不思議そうな顔をしていましたが、美味しいといって飲んでくれました。真意の程は不明ですが。

最後に、少し重くなってしまいますが、こちらでの紅葉の写真を添付します。

それぞれ、ファイル名のガーデンで撮ったものです。

それではこれからの寒くなる季節、くれぐれもお体を大切になさって下さい。

 

* たとえば夏目漱石の英国観とは、かなりちがう感想のように読む人があろう。わたしはイギリスの地を踏んでいない。文学や戯曲には触れている。英国史には、昨日も書いたように関心が強かったし、今も強いし、現にまた読み返している。アメリカの映画とイギリスの映画はそうとう感触に差がある。同じ欧州の外国人からみたイギリスとイギリス人に対する感想にも、自然と、文学を介し触れてきている。

英国は島国であるが歴史的には島国として孤立していなかった、ジャンヌ・ダークの現れる直前にはイギリスはフランスの大方を「自国」のように支配していたし、皇室の変遷と欧州諸国とのややこしい関わり方は、しばしば軽い吐きけを誘いさえする。

バイキングが大挙襲った前後のイングランドから後、独特の先行「議会」機能により経済も産業も貿易も、独自の信仰や政体や憲法も、一つ一つが複合して何ともシビアなお国のようにわたしは感じてきた。おそらく階級的で排他的な差別意識も根づよいのではないか、国王、諸侯、騎士・貴族、教会、ブルジョア、市民、農民、労働者、異種族、他国・敵国等々の大斜面国家の階段差は、いまでもまだかなり固いのではないか。親和的に他を受容している姿勢と、冷淡無関心に抱き込んで放置している姿勢との、ややこしい混合がありはしないか、スコットランドやアイルランドとのこじれた歴史のことも思い出されるし、中世から近代の英皇室史に温かい共感はほとんど持てないできた。

なにしろリチャード三世にかぎらず、エリザベス一世時代にしても、近年のダイアナ妃にしても、死と殺害の歴史がなまぐさい。漱石の「倫敦塔」その他の英国土産にも彼が概ね何をイギリスで感じていたかが推し量られる。「英国紳士」という尊称の内側に歴史の血深泥と国民の政治的な英知とを、わたしはいつも感じてきたのだが。

 

* いい日々を元気に過ごしているようで、すばらしい。湖の本が航空便で届いたら、「日本」を感じ、一日に一首ずつでも口ずさんで百人の中からいい出逢いをと願います。「私語」のサイト最末尾までスクロールしてみて下さい。

2005 11・5 50

 

 

* ご本ありがとうございました。数年前平凡社版の存在を知って探し回り、ネットの古書店でやっと手に入れたことを思い出しました。

ご無沙汰していますが元気です。この秋孫が二人になりました。

先日鳴子峡に行って来ましたが、この暖かさのせいか地元の人も、例年とは違う色、という紅葉具合でした。

**さんはお元気でしたか。医学書院の方には長いことお会いしていません。

夫は登山、テニス、釣り・・と相変わらずの元気ですが、十数年来高血糖で薬は使用していませんが運動・食事療法を続けていてかなり痩せました。久しぶりにお会いする方を「悪い病気でも・・」と驚かせているようです。

食事療法は作り手も結構大変なのですが、同じものを食べているこちらも年の割にはたいした肥満にならずにすんでいます。

たまに美術館に行くとふと偶然の出会いがないかと思ったりします。

そんな風にお会いできたら楽しいですね。   竹

 

* アパートに新しい住人が入ったようで、ベース音の強いオーディオが深夜まで鳴って、雀の神経は、けば立っています。

気を取り直して本をひろげることにいたします。

♪ いつしかも招く尾花に袖触れ初めて われから濡れし露の萩  (「萩の露」)

邦楽の月刊誌に、「只今古文授業中」とタイトルの、大学助教授による箏曲と地歌の解説があります。執筆者によると、東京と関西を半々に取り上げる努力に対し、「京と大阪を半々にして」とクレームがついたことに、はっとしたとか。

雀は、今月の記事で、「いとど」「われから」が、小動物の名と知って、驚き、感心いたしました。分からなかったら、まるきりつまらないか、というとそういうことはございませんが、分かる人は分かって、より楽しく、深く味わえるのですわね。

歌は息のままに流れ、いちいち立ちどまって解説してくれやしません。言ってくれたらいいのに、知ってる人だけ楽しんで、不親切だわ、と考える人もあるかもしれませんわね。

尼崎の前日、友人の誘いで、林家染丸門下10年という落語家の会を見に、ミナミまででかけました。

開演は夜でしたので、五代目桂文枝と、いとし・こいしの特別展をしている、上方演芸館に立ち寄ることにいたしました。最晩年の(文枝)4年間を拝見しただけの雀は、話に聞いた、本で知った、そういう“モノ”を、直に、目の前に、しているにもかかわらず、なんとなく遠い感じがいたしました。雀の知らない、文枝さんの、七十年間のお写真がたくさんございました。春さんと並んでモテたのがわかりますわ。

チケット、パンフ、衣裳に扇子、手拭い、小拍子、膝隠し。締太鼓、吊り太鼓とあるなかで、小鼓と、歌舞伎囃子方時代の、梅屋太三郎と名前が載った筋書にいっときひかれました。

直弟子ひとりひとりのコメントが貼りだされていたなかの、最後の弟子、阿か枝クンの言葉に泣かされました。

演芸館の階下3フロアが、喫茶つきの書店になっておりまして、時間まで、本やカレンダーを見て過ごしましたが、「ハヤカワ文庫60年」とあるコーナーに足がとまりました。萩尾望都さんが誉めてらして、さっそく買った「ゲド戦記」。何ページで降参したのだったかしら。

落語会は、文枝さんの最後の高座にご一緒だった、内海英華さんの“女道楽”をはさんで、「悋気の独楽」「動乱の幸助」と、文枝さんのおはこ噺が出て、しかも、囃子方に阿か枝クンが来ていたので、笑いながらも、しんみり、文枝さんの口調を頭の中に巻き取るようにして聞いておりました。

上方落語も、五代目桂文枝もまったく知らず、いきなり、生の高座に飛び込んだ雀は、わからない言葉も決まり事も、みな、そういうものと飲み込んで、ひたすら丸呑みしておりました。あのことかな? こんな意味かしらと、すべて想像で済ませ、流れにたゆたう気持ち良さに耽溺しておりました。

同じネタを他の落語家さんで聞いて、初めて、あれっ、と、分からないことにぶつかり、立ち止まっている次第です。

最初に、また、噺の途中で解説なさる方、言葉の言い換えをなさる方もあって、わからなくても流していくか、わかることを優先させて“聞こえ”や、息、流れは二の次にするか。部分的に分からないところはあっても、ひきつけてはなさない、ウデや魅力があるか。その自信があるか。藝人が、わかることと感じることのどちらを優先させる人なのか、いろいろ判る選択ですわ。

本人が分からないまま、習ったから演っているというのと、咀嚼して消化して、なおかつ昔の言葉のまま演っているかどうかも、すぐに判かります。下ごしらえというか、隠し包丁のひと手間を惜しむか、わかっているか―

「技術を説明に使うと、説明に説明が要って、身につけたセンスがそれに費やされてしまう」というようなことをお書きになってらしたかと存じます。説明や解説をしない藝、そういうものを必要としない藝、うるさくなくて、傍らにおいといて毎日でも心地よい藝。清まわる、美男、男前。

僥幸というに増して(文枝との出逢いは)何より恩寵でしたわ。文枝さん、お年とともにとてもよいおもざしになられたと雀は思っております。

秦さんも、きっと、そうです。

間近で一度お目にかかりたいわ。   囀雀

 

* 最後の二行はべつにして、佳いエッセイで、並の人に、なかなかここまでは書けない。何にもこれまで具体的に深入りしている人はめずらしく、その水準でメールが書かれていると、受け手と出し手のナイショごとみたいな趣になるが、人ひとりずつがもつ「文化」とはそういうものである。一般化してしまえるものは文化以前のつまり「情報」にすぎない。情報というヤツは、もう一度も二度もそれを個々に選別し批評し解釈しなおさねばならない。だが情報を受けるとすぐそのまま、ただ受け売りにしてしまう場合が、あまりに多い。軽率なことである。

2005 11・5 50

 

 

* 藤原鎌足さんは駄目、お酒も少し控えて。よくなってください。  鳶

 

* ヤマサチ・ウミサチが通らないのであるから、「藤原鎌足さん」は、なかなか。ま、たしかにわたしは美食家ではないのである。

 

* 病院の診察は入院でなくて、ほっといたしました。自由奔放な食べ方飲み方では、この結果でも上出来……ですが、心配でヤキモキします。以後、どうぞ体重をコントロールなさいますようお願いいたします。その意志さえあれば、意志さえあれば、可能なことですもの。どうか「丈夫で長持ち」しようと少しでもお考えください。

とりあえず御馳走のならぶ十二月の前の十一月のひと月が勝負。食欲をきっぱり忘れて、藝術や色気の世界のことを楽しまれますように。少しはご協力できるかも。フフ。仲秋

2005 11・5 50

 

 

* 湖の本、拝受

ご高著『湖の本』をご恵投たまわり、感謝にたえません。

ページをめくっておりますと、ふと高校時代のことを思い出します。古文の勉強に百人一首を鑑賞暗記したものでした。大学に進んでからは理系の勉強にいそがしく、また、外国文学や現代文学ばかりに目が行っておりました。

先生の文学はこういう世界の上に構築されているのだなと、感じ入った次第です。今後ともよろしくお願い申し上げます。御礼のみにて。  東大教授

 

* 秦さんの「好き嫌い百人一首」がめっぽう面白く、昨日今日移動の車中でよみふけりました。

すると、今日、古書店の反古書冊群の中から、大江匡房の名の入った和歌懐紙を二紙発掘してしまいました、店主は価値に気付かずのようでした、赤ちょうちん安酒一杯ていどの代価。僥倖、秦さまのお導き。

シンクロニシティ=共時性は、ときどき思いがけず現れます。失くすものあり、拾うものあり。

前のコレクションもほぼ失い、古筆とはだいぶ離れ気味でしたが、こんなこともあるんですね。

研究鑑定資料も散逸し、飯島春敬、春名好重両先生の事典ほかが少し残る程度です。小松先生の会もなくなり、京都の時雨亭文庫も脱会してだいぶ寂しくなっていました。

一紙は、墨流しの料紙、承暦二年内裏歌合の祝に詠む……..前中納言匡房。一首「君が代は……」。

もう一紙は、金箔をあしらった元はかなり豪華であろう料紙。匡房朝臣の詞、赤染衛門の和歌一首。ともに、平安後期の大ぶりのサイズの厚手鳥の子の料紙、時代を感じさせる書きぶり、二紙は異筆のようで、調べはこれからです。大江匡房の確たる書は残っていないようで、ひょっとすると……。

一紙はあきらかに表装からのマクリ。ヤブレ、イタミ、ヨレ、シワなどなどあって、美術品としての価値は低くても、修復に手間がかかるにしても、お宝鑑定の夢みはふくらみます。赤染衛門が書いたものではなくても、清少納言、和泉式部と交流があっただけでワクワクします。ま、専門鑑定で、少し時代は降るかもしれませんが。ちらし書きの仮名もけっこう難しいし………。

今夜は控えていたビールを少しやって、「さ夜更けて」の音律を夢にみましょう。お導き有難うございます。 樹

 

* それはそれは。夢が膨らみます。

 

* 「エッセイ36号」一昨日午後拝受致し、もう、「花鳥風月」読ませていただきました。「百人一首」は日に3-5編づつ、繰り返し玩味させていただく所存です。

また本日メールにて、拙作にお目通しいただけたそうで、貴重な時間をわずらわせ、ありがたく、深く感謝いたします。返信、たいへん遅れました。珍しく来客がありましたので・・。

水上瀧太郎・中勘助、は昔読んで深い感銘をうけました。新しいものでは崎村裕のものに大きな共感を持っております。十和田操「判任官の子」はまだ読んでおりませんが、すぐ、読もうと思います。ただ、あまりいろいろ読むと気は起こるものの、一方で己れの拙さに絶望し、二の足踏むこともあります。「盲目、蛇に怖じず」ぐらいが身の丈に合っているのかもしれません。こんなこと言うと叱られそうですが・・。

文中に「瑕瑾」とありました。お送りいたしましたあと、推敲を重ね、11-3日付けでわたしなりの完果を果たしたつもりでおります。それが先生のご指摘くだされた「瑕瑾」にあたるかどうか分かりません。お目通しのうえ了とされれば「E-文庫・湖」の方へ投稿させていただきたく存じ上げます。

ご多忙中、まことにまことに、ありがとうございました。

完稿、送らせていただきます。ただ題名の「ぶん回しの紐」はどうでしょうか・・

玉川上水の写真を撮りたいと思っておりますが、気に入った風景が、西から東に向けた角度になってしまいます。すると夕景ということになり、撮り終わって帰る時刻に寒くなります。

天気晴朗にして寒暖の差はげし、どうぞ充分にご用心のほどを・・。   甲子

 

* パソコンが完全に壊れ、たくさんなデータを失ってしまいました。強制終了が原因らしいのですが完全ダウンは初めてです。バックアップの必要性を痛いほど感じています。しょげかえって 帰宅しましたら、「湖の本」が 届いていました。好き嫌い百人一首。おもしろそう、わくわくしています!  ありがとうございました。  波

2005 11・5 50

 

 

* 湖の本、ありがとうございます。  英国 ブリストル

秦さん  今日ポストを開けると「湖の本」届いていました。日本からの懐かしい風をふっと顔に受けた心地です。

郵送料なども併せてお払いしたいのですが、インターネット経由では郵便口座への送金は出来ないようです。銀行口座など教えて下されば、そちらへ振り込ませて頂きます。

教授室のお写真にも、気付いていました。そういえばこういうお部屋でしたね。懐かしいです。私が実際にお伺いしたのは、恐らく3、4回だったか(=実際はそれの少なくも七八倍)と思いますが、いつも写真で秦さんが居る席に、座っていたように記憶しています。一番驚いたのは、日付ですね。あれからもう10年も経ったのかと。

HPでイギリスについて書かれていた、「親和的に他を受容している姿勢と、冷淡無関心に抱き込んで放置している姿勢と、のややこしい混合」は、紛れもなく感じます。イギリス人は外層はともあれ本質的には、むしろ唯我独尊的な性情を秘めて、「無関心な放置」への傾向が色濃いとも。他者への紳士的な親切も、その底には多大な自尊や自負があり、そこから生まれる一種の余裕が、「応接間」の原材料ではないかとも推察しています。

階級社会も依然として存在しているようです。国際的にも、対ヨーロッパや対旧植民地、対アメリカなど、それぞれに入り組んだ歴史を背景に、単純には割り切れないものがあるようです。もちろんスコットランドとイングランドの関係も一筋縄では行きません。

それでも賛否はともあれ感心してしまいますのは、そういった色んな歪みや思惑を内包しつつも、社会が行き詰まることなくちゃんと回っていて、国際社会でもEUや英連邦の国々、アメリカとも、アジアとも、程よくバランスを取りながら渡っていることです。長い長い血塗れの歴史が備えさせた、したたかさなのかも知れません。それに何より、生きている人々が、外国人も含めて、私が生きてきた社会においてよりも、ずっと幸せそうに私の目には映っています。

英国史や欧州史をもっと知らないと、重層的に社会を観察するのは難しそうです。漱石の「倫敦塔」は、考えてみると読んだ事がありません。インターネットで探してみます。

今日イギリスは、ガイフォークスの日とやらで、街中で花火が上がっています。私たちも、雨風が止まない中でしたが、冬の花火を楽しんできました。ですがこれはやっぱり、日本の花火には全然かないませんね。花火自体もさることながら、やはり夏の蒸し暑さが少し引いた夕暮れに、ゆっくり座ってビール片手に観るのが一番です。

e-文庫や電子文藝館を、少しずつ読み進めています。e-文庫の小説コーナーは、刺激的ですね。質の高さに驚いています。また日を改めて感想など書いてみたいと思います。

ではではまた、失礼します。

 

* 佳いメール。「崩れない柔らかさ」が、この卒業生くんのわたしから観ていたタイトルであった。それが昨日今日のメールに物静かに明瞭にあらわれていて、嬉しくなる。東工大卒業生達との十年は豊かである。

2005 11・6 50

 

 

* 空気が冷たくなってきましたね。

『旧約聖書』『千一夜物語』の縦糸に、先日いただいた『花鳥風月・好き嫌い百人一首』の横糸をさしいれ、読み始めました。

いつも初めのページからと思うものの、やはり好きな歌から入ってしまいます。

一に好きなのは、「みかの原わきて流るるいづみ川・・」、二番目は「立ち別れいなばの山の峰に生ふる・・・」で、これは高校生の時からまったく変わりません。高校一年の冬休み、国語の宿題に「百人一首を覚えてくること。年明けに歌留多とり大会をします」と言われ、ぶつぶつ言いながら覚えましたけれど、思えばこれは大変素晴らしい宿題でした。それまでは古文、特にあの文法というのが大の苦手で「係り結び」などちんぷんかんぷん。百人一首を音読・暗唱することで、文の流れが自然に理解できるようになったのですから不思議なものです。

そうなんですね、先生もおっしゃるように「和歌」「短歌」は歌、つまり音楽なのですね! さきにあげた2首も歌の意味ももちろんですけれども、最初はその美しいしらべに魅されたように思います。平凡社刊『秦恒平の百人一首』はそういう意味でも他とはひと味もふた味も違いました。そして短い解説の中に、その作者の人となりや、その時代の空気にまでも触れている・・。

NHKブックス『梁塵秘抄』、『閑吟集』も同様で、歌の解説もユニークながら、その作者と時代にあくなき関心を寄せていらっしゃる秦先生の目を感じて、とても新鮮でした。

「海幸、山幸」について、少々。私、子ども時代に読みまして、かろうじて知っていますけれど、戦後生まれは知らない人、多いのではないかと思います。

明治時代から続いた何回かの戦争の中で、古事記神話は「天皇は神」、いわゆる「皇国史観」というのでしょうか、ずいぶん戦争と深い関係にありました。そのため戦後教科書からは意識的に取り除かれてきたと聞いています。

(現在また、扶桑社の『新しい歴史教科書』問題ありますけれど。)

私にとって出雲は第二の故郷なので、その神話というもの、かならずしも荒唐無稽なものでなく、出雲の自然や生産と深い関係にあることを実感しているため、大変残念に思うこと、少なくありません。

来年の1月末は、北の海へ流氷を見にいこうと計画しています。1回目は10代の終わり、まだ学生でお金はないものの(これはいまもたいして変わりませんけど)時間はたくさんあったので、フリーパスを使って3週間ほど冬の北海道へ。2回目は、まだ小学生だった息子が流氷の上にアザラシがのっているのをテレビでみて、是非にと母子二人の旅。そして、今回は3回目となります。   ゆめ

 

* うまくするとオホーツクの昴に出逢われるかも知れない。「ゆめ」は「昴」のメールを読んだでしょうか。

 

* ゆめ 追伸   HPに出ていた「藤原鎌足」さんて何ですか? 何か食べ物のこと? それともあの「安見子」と関係あります?

 

* 大織冠、藤原鎌足。すなわち「大食漢」を諷されていたのです。

 

* 大江匡房、 赤染衛門の歌よめました、  樹 E-OLD

秦さま、続けてお邪魔します。静かな昼下がり、少し時間がかかりましたが、発掘した二紙の和歌を拾い読みして、ようやく出典がわかりました。

1.大江匡房:承暦二年内裏歌合:

君が代は久しかるべしわたらひや五十鈴の川の流れたえせで(新古今集730)

2.(赤染衛門)

匡房朝臣うまれて侍りけるに、産衣(うぶぎぬ))縫はせてつかはすとてよめる

雲のうへにのぼらんまでも見てしがな鶴の毛ごろも年ふとならば(後拾遺集438)

【通釈】鶴が雲の上まで翔るように、雲上人となるまでその成長を見ていたいものだ。鶴の毛衣と呼ばれる産着を着た子も、年を経たならば。

大江匡房は赤染衛門の最初の曾孫(匡房の生年は長久二年(1041)。赤染衛門は生没年未詳ですが、生年は天徳四年(960)以前、没年は長久二年(1041)以降、ということで、この歌を詠んだ匡房誕生時は八十路に入ってたんですね。平均寿命二十歳代であろう当時では稀有。没年長久二年(1041)以降とされるのも、この歌が残っていたからだったんですね。研究者ならそんなの常識と思われるかも知れませんが、自分で調べて分かるとうれしいです。とくに、ひ孫の誕生を喜び、成長、長命を願う素直なこころもちがあふれる、この優しい歌がとても気に入りました。

秦ささまのご本の解説にある「いい人柄だったらしい」という赤染衛門評がピタリあてはまります。二紙の書き手の調査ははこれからですが、赤染衛門の歌の方は光悦に似た(やや痩肥が少ない? でも光悦も長生きして書きぶりの変遷がありますので……….)感じで興味津々です。

いい画像がとれたらお送りします。

 

* 雅なこと。

2005 11・6 50

 

 

* 「好き嫌い百人一首」読み終えたところです。私にとりまして最良の解説書になりました。本文は一頁にキチンとおさまり、最後の行には、作者の年代、批評も。これ以上の素晴らしい鑑賞の本はないと思います。一気に読ませていただきました。有難うございました。  作家夫人

 

* 「好き嫌い百人一首」わくわくしながら拝読いたしております。私は百人一首が大好きでございます。そしてなつかしいなつかしい思い出がございます。

中学一年の期末試験が終った後でした(二学期末)、国語の中年の女の先生が、私の方を向いて(私は真面目に勉強しておりましたから、この先生に気に入られておりました。通知表は十点をいただいております。)「お正月にはかるたをいたしましょう。いろはかるたではありませんよ。百人一首です。上の句を読んで下句のふだを取るのです。クラス対抗でね」とおっしゃいました。

家へ帰り、祖母に「おばあちゃん、百人一首って知ってる?」と聞きますと、「知ってるわよ。天智天皇 秋の田のかりほの庵の苫を荒みわが衣手は露にぬれつつ」とふしをつけて言うのにびっくりぎょうてんした私。「今度クラス対抗でとり合うのだから百人一首買って」と言うと、早速祖母は買って来てくれました。

冬休み夢中で五十首は覚えたでしょうか、三学期、私は二学期に平均点九 .二とってクラスで一番になっておりましたので級長でした。「三十枚以上覚えた人」の先生の声に勿論私は手を上げました。四人手を上げた人がおり「ではその人達がクラス代表」と先生はおっしゃいました。

ABCDと四クラス。私はC組。A組にすごく上手い人がいたのでC組は二番でした。でも良かった。うれしくてたまりませんでした。

それからはもうやみつき、二学期の期末試験が終れば、(机の中に百人一首は入れてありました。)(お作法の先生におことわりして)二十畳のお作法室をおかりしてやりました。若い男の先生を呼びにいくのは私の役目、「あなたの声で呼べば先生はいらっしゃる」などとおだてられて……。数学、社会、生物、『青い山脈』の時代でしたから、先生と生徒はとても仲が良かったのです。(以下略)

そんなわけでこの「湖の本」36 夢中で拝読いたしております。ありがとうございました。かしこ   評論家夫人

 

* 亡くなったご主人が、このあと「先生」の一人として登場し、この手紙の主を認識されたらしいことなどが書かれている。『青い山脈』の時代であるから、わたしとほぼ同じなのである。ふんわりと懐かしく拝見した。

 

* 霜月一日「湖の本」賜りました。

私の大好きな百人一首のご本、わくわくしています。

百人一首――、そらんじているはずなのに、忘れていて、私はよく、車を運転しながら声に出してみます。

でも完ぺきに言えるのは今では三○パーセントぐらいでしょうか、人に、初句を言ってもらったりするともうすこし高いかと思います。時々ふっと思いつき、言えないとかなりイライラします。老化の現れと思います。

先生、手元に、木札のかるたがあります。全部手書きでおそろしく判じ難いものですが、厚さ一㎝足らずの、桐(らしい)材です。古物商でみつけたもの、遊ぶ人員も揃わないので時々ひとりて見入っています。

「難波潟――」は私のいちばん好きなうたです。

子供達がまだ小さかったころ、うたうように、音楽のように、かるたとりをして遊びました。末娘は「大江山――」の札を他の子にとられると「ワタシノ ――」と、泣いてくやしがったものでした。

(中略)

先生「わが身のまわりに、なあんにもない状態……」って、どううけとればいいのでしょう、胸さわぎを覚えます。

遠山に日のあたりたる枯野かな  の世界とは――

院展のフロアを歩む偶然に逢へたら今日の僥倖として   さち

どうぞお元気で、そしてペンの会ででもお目もじ叶いますように念じております。   岩手県

2005 11・6 50

 

 

* 「青眉」をゆっくりと。   雨で空いてるかと「正倉院展」に行ったところが、入場制限になっていたため、出直すことに決め、奈良市写真美術館の「入江泰吉と土門拳展」、開扉中の北円堂、松伯美術館「松園展」を見て、中野美術館で息をついて帰ってまいりました。

あれだけたくさん下絵が展示される松伯の展覧会は、集められた作品のたけ高さもさることながら、大展覧会ではできない、松園さんの画業のエッセンスを感じさせて、貴重です。

「青眉」「美人書見」「良夜之図」、宮内庁の二点、特に「雪月花」の筒井筒を、何度も見に戻りました。

写真美術館では、自動ドアが開いた瞬間、いきなり別世界に引き込まれました。花の甘い香りが魔法の煙のように、襲いかかり包み込んだからです。入り口に大小さまざまな生け花が、あれで、十五ハイはあったでしょうか。窓の外は、時雨に晩れる秋の奈良。展示の最初は、お水取りのカラー写真。もう、すっかり世離れた世界に遊びました。

入江、土門のお二方とも、ほぼ同時期の戦前の文楽を撮ってらしたのですね。時代の匂いが複合的に伝わり、古いかしらや衣裳も興味をひきました。

小雨の中、春日の紅葉を楽しみ、山の景色を楽しみ、北円堂の世親菩薩の背中に、ふと秦さんを想いました。囀り雀

 

* さ、もうやすもう。

2005 11・6 50

 

 

* 秦先生 お元気でお過ごしでしょうか。

一年前の11月6日には、私どもの結婚式にご出席いただきまして有難うございました。

早いものであれから一年が経ってしまいました。

実は、ご報告が遅くなりましたが、長男が生まれました。

私の大好きなスペインの画家ディエゴ=ベラスケスのディエゴをもじって、「大悟(ダイゴ)」と名付けました。

私自身もあきれておりますが、先日神田の古本祭りに行ってきまして、その際に、ベラスケスの画集などを2冊買ってしまいました。

古本街に行く度に今まで見たことの無い画集があるような気がしています。(今回はベラスケスに影響を与えた画家の一人ルーベンスの画集も併せて購入しました。)

今回の「好き嫌い百人一首(湖の本36)も、楽しく拝読させていただいております。いままで、「百人一首」には正月以外にあまり触れる機会なく過ごして参りました。

歌の意味だけならまだしも、その背景や詠み人について考えたこともほとんど無い中で、とても興味深く、一首ずつ楽しみながら読んでおります。

絵画についても、時代背景はもとより、画家の人生や人となりを知ることで絵画そのものについてもまた違った見方になることがあるのと同様、和歌においてもかくの如しかと、改めて思った次第です。

日々勉強、頑張って参ります。

霜月に入り朝晩は寒さが少々厳しくなって参りました。お身体には充分お気をつけ下さい。  河

 

* 大いにそだち ゆたかに悟り ちちははのめぐみ うれしく受けよ    おめでとう。一年。おめでとう。

父になり母になることのいかに幸せで大切であるかを、一般に、忘れかけているようです。親たちの愛を全身に戴いた子たちで、この世が成れば、どんなにかいいのに、と想います。

 

* 秋、一日一日深まり行く。

2005 11・7 50

 

 

* 初雪  hatakさん

一ヶ月の間に、東京、横浜、和歌山、京都、金沢、直江津、新潟、秋田と出張して、今週は札幌市内で毎日会議。

私が右往左往しているうちに、かさこそと紅葉散り、今日は初雪が

 

 

*     *

 

 

 

こんな様子に降りました。

御本を開いて、「四季」に感じ入っています。  maokat

 

* 冬祭りがちかい。みなさんのご健勝を祈る。

 

* 秦先生、こんにちは

前回お便りしたのが確か8月、お返事を嬉しく読ませていただきました。

9月半ばに会社復帰し、ひと月半たちました。半日勤務からはじめ、いまはもう通常勤務です。といっても残業はできるだけしないようにしています。まだそばの人たちも恐る恐る(私を)使っているようなので、それに甘えて自分のペースを構築しようか、というところです。

仕事は、休暇前と特に変わったわけではないのですが、久々のせいか新鮮で、適度な刺激を楽しんでいます。

新たなメンバーと新たなプロジェクトについた今、感じるのは、もっと自由でいい、ということです。デザインのことではありません。組織とか手順とか、そして仕事に限らず、自分の言動とかもろもろについて、そう感じます。休んだことで少し引いた所から会社や仕事を見ているからでしょうか。いつまでこの気分が残っているかわかりませんが、いすれにせよ、休んだことがむしろ一つの財産となって、今の自分の中に残った気がしています。好きにさせてくれた家族や会社や友人があったからこそ、ですね。

8月のお便り以来、時々HP読んでいます。

さくらの写真、結婚式の写真、研究室の写真、どれもいいですね。

私の手許にも、さくらの下、先生と一緒にとった写真があるのを思い出しました。

結婚式の写真は懐かしい友人の顔もあり嬉しくなりました。

このHPを読むことももそうですが、ここのところ、久しぶりの友人と会う機会がたてつづけにあり、とても幸せな時間を過ごしています。懐かしい人と過ごす時間はいいものですね。ちょっとの努力で友達とこんなに会えるのなら、そういう努力は惜しまずやるべきだな、と痛感しています。日々流され変化しているように感じる自分の、根元を見直せる気がして。今の自分もまんざらではないと思えます。

またお便りします。   櫻

 

* 静かに読んでいると、とても大切なことを幾つも書いてくれている。こういうところが、この人のほんとうの柔らかな強さであったなあと、わたしはわたしなりに感じ入る。そして落ち着いた復帰をこころから喜ぶ。きっとこうなると想っていた。

 

* 無事に過ごしています。

創画会京都展初日に行ってきました。「千花」に寄ろうかと思ったのですが、店先まで行ってよう入りませんで、いつもの「ひさご」で昼をすませました。

今日11月7日、(和歌山県)那賀郡内6町のうち、那賀、粉河、打田、桃山、貴志川の5町が合併して新しく 「紀の川市」 が発足しました。市になりましても、市街の雰囲気はどこにもありませんで、静かな田舎のままです。

私語の刻 欠かさず楽しみに。日々、お大切になさってください。     宅 E-OLD

 

* 久し振りにHPを開いて、先週届いた湖の本への皆様の感想やご自身の日々のさまざまを読みました。確かに急激にダイエットなどいけません。余力というか、余裕というか、いくらか太っている方が抵抗力があるかもしれません。昨今のダイエット・ブームの基準は勿論、お医者様の言われる理想体重までも痩せるのは大変なことで、それを考えるだけでもイヤになります、わたしは意志薄弱でなかなか痩せません。

くれぐれもお体大切にされますように。

湖の本は「百人一首」で、なんとも懐かしく・・意味など全く分からない幼稚園の頃から遊んで覚えました。そしてその後此処に編まれた歌より凄い歌は世に数多あることも知りましたが、日本人の中に根付いているものの一つはやはりこの「百人一首」だと思います。

「家にじっとしていられない鳶」と、もうこれは定着したイメージかもしれませんが、日常は決してそんなことはありません。車をもたないことには不便な環境、ただし近所まで買い物にでかけるのが目的で自分の車をもつのはわたしにはあまり意味がないこと。ほとんどの時間を部屋で一人で過ごしています。バスに乗って出掛けるのは週一度あるかないかです。この日常はある意味ではとても寂しいものです。このように生きたいと願っていたものとは違います。いつも葛藤している弱い存在です。

手の怪我は親指の先で、傷口はもういいのですが、傷が深かったのでしょう、一ヶ月たっても一日のうちに何回もビクッと違和感があってまだ親指を使えません、不便なことです。それでも親指を使わないで工夫して絵筆も持っています。デリケートな線は描けませんが、並行して描いています。

この秋は院展に行っただけで・・これから紅葉の時期、浮かれ心? 騒ぎます。

十月半ば、近所の稗田神社から斑鳩寺への神輿渡禦に出合って感動しました。田舎の祭礼で、提灯をもった百人あまりの人がただ暗い田んぼ道を神輿と渡っていくだけ。折りしも雨模様が懸念され、男たちは背広にゴム長靴履いて長傘と御幣を手に・・。派手さこそないけれど、このように伝わっていくものがあると感じました。わたしもその行列について行きました。日ごろは夜には入れない寺、三重塔の下にぼっと提灯が湧き上がり、白装束の若者たちの姿が浮かんだのも幻想的でした。

先日は火星接近、通常の二倍近く明るくなった星を楽しみました。

京都南座の坂田藤十郎襲名公演にいらっしゃいますか?

詩、のこと。

「鷲のように」・・  此処の「あなた」がここでは人間と限らず、「大きな存在、そして死も含んでいる」ために「掴まれる」の動詞自体が意味を把握しにくい? 「鷲のように」が必要になると考えられたのですね。読んだ最初にやや違和感があったのですが・・その唐突さを寧ろ、敢えて、採るのがいいのだろうと思いました。本当にお手数をかけました。感謝します。わたし一人では絶対粘らないでしょう、たったこれだけに・・苦しんで苦しんで・・それでもこれだけ。奇妙な空虚感と充実感と。

繰り返し、重ねて、ありがとう、ありがとうございます。  鳶

2005 11・10 50

 

 

* 秦恒平様  京への旅、お疲れさまでした。

今朝は早速に秦様のHPを開き、弥栄中同窓会の様子を拝読、参加出来なかった夫に「盛会だったようよ」と伝えました。

参加したいと直前まで努力していたようでしたが、何分にも平日の日中とあっては仕事の都合が如何ともし難く、幹事さんに電話してお詫びしていました。

私はHPの中で秦様と共に楽しく京を旅させていただきました。それにしても、いつも私の旅はかようにあわただしいのかと悲しくなりました。

「好き嫌い百人一首」 楽しく読ませていただいています。

私が小学生の時最初に憶えた札は、「大江山いく野のみちの—-」です。当時疎開して暮らしていた丹波園部の母の実家も酒造業で、戦争が始まるまで「大江山」というお酒を造っていました。家のそこここに「大江山」の盃、徳利、前掛け、レッテルなどがありました。その上、「天橋立」も当時大人達の日常会話に良く出てくる地名でしたし。

私の好きな句は「あさぼらけ宇治の川霧たえだえに—」

理由は単に、宇治川が好きだから、です。

通っていた小学校が桃山にあったので戦争中からずっと、幾度も観月橋や宇治へは行きました。

大学時代も一年間毎日宇治川を横に見て通いました。

幸いなことに最近でも京都大学のクラス会で何年か毎に川辺の旅館に泊まるので、早朝、変わらず蕩々と流れる宇治川を眺めています。

その他、私の旧姓が「菅*」といったもので(別に道真公の子孫というわけでもなさそうですが、一応家紋も梅鉢)

「このたびはぬさもとりあえず—-」の札は他人にとられぬよう気をつけていました。

京浜電車で逢坂山を通れば蝉丸が浮かび、嵐山にあそべば小倉山の句が。

百人一首は歌留多として遊んだお陰で、生活の中にしっかりと根を下ろしていることに気付かされます。

昨日大泉学園ですこし時間があったので、牧野記念庭園に立ち寄りました。

いつ来ても、生涯学び続けた牧野富太郎の気迫に打たれます。

花在れバこそ吾もあり  (牧野富太郎)

奥様が亡くなってから詠まれた句

家守りし妻の恵みや我が学び

世の中のあらむかぎりやすえ子笹  (牧野富太郎)

奥様存命中にそう言ってあげてほしかった—-(でも、いわずともわかっていたでしょうね。)

さざんかとお茶の花が咲いていました。

2005/11/10       藤

 

* 今頃、風は眼科検診ですね。わたしはこれからバレーです。

三日間の旅行からご帰宅、ほっとしたお疲れが出ているのではないかと。たくさん眠って、恢復なさってくださいね。

花は、とても元気。

 

* 爽やかな秋晴れの一日でした。元気に過ごしています。寝る前に百人一首を味わい、泉鏡花を読み。

ヘンリー・ジェイムスには興味を持たれたことはありますか。とてもわかりにくい重層的複雑な文体の英語で、翻訳にも佳いものがありません。夏目漱石はけなしていますが、一度その魅力に嵌まるとやみつき、素晴らしく面白い(難解な)大きな作家です。決して表面に出ることのない悪の描きかたが凄まじいのです。中村真一郎さんが愛好者で本を書いていらした。

ヘンリー・ジェイムスはアメリカ人ですが、ほとんどヨーロッパで暮して、アメリカとヨーロッパの異世界の葛藤が一つのテーマ。金持ちで人のいい田舎者(アメリカ人)が千年の都京都(ヨーロッパ)に出かけて、京都人(貴族)と出逢いその圧倒的魅力に翻弄され、あげく利用され財産を奪われたり、命を落としたりと散々な目にあう、そういうパターンの話が多いのです。

ただいまわが家にはいただきもののさつま芋が段ボール二箱。天麩羅、大学いも、豚汁、スウィートポテト、焼き芋、きんぴら、と食べても食べてもなくなりません。きんとんを作るにはまだ早いし、芋焼酎などは作れないし……。美味しいお芋ですがもはや万策尽きた感じがしています。アア、芋姉ちゃんになりつつあります。

ゆっくりお疲れをとってください。   秋

 

* 懐旧の集い、楽しく過ごせましたか。

忙しそうに、駆け回っていますね。

人気のない悲田院からの景色を眺めて、人生も季節も共に晩秋、「今、生きている」と感じませんでしたか。

私は、同じ頃、萩の松下村塾を見学していて、幕末の京都を想い、当時の若者と昨今の若者の資質を対比させて、さあ、これからの世はどないなるのやろか、なんて事が脳裡を掠めていました。

今回は友人にお付き合いの旅、秋晴れの三日間、広島の原爆ドーム、台風で傷んで八割方修復された厳島神社、錦帯橋、瑠璃光寺、東光寺、秋吉台、秋芳洞、萩、松陰神社、松下村塾、津和野、と、盛り沢山に。

厳島神社は、ごく子供の頃の家族旅行(鹿と一緒に撮った記念写真があるけれども、記憶は殆どなし)を含めて三度目、他は二度目でしたが、再び訪れることはないだろう、と。

何かにつけて、これが最後、これが最後の念が、年々強くなります。だけど、京都だけは、そんな想いがないのです。  泉

2005 11・10 50

 

 

* 月が昇りました

“今朝の冬”というそうですが、暖かな朝でした。夕暮れも、まだ「秋の夕暮れ」のうたを探したくなるような、人懐かしい感じです。

雀が「青眉」(松園展・松伯美術館)を見ていたとき、後ろに年配の女性が歩いてらして、「あぁ、これはおかあちゃんやな」と、しばらく見つめてらっしゃいました。そして、トモの60過ぎかと思われる女性に、「○○のおばあちゃん、お歯黒してやった。あんた憶えてないかぁ。お祖母ちゃんのお母さん。○○に住んではった。そうか、憶えてないか、会ってんねんけどな。」とおっしゃったきり、また、黙って、じっと眺めておいでのようでした。

静まった湖に、枝を離れた木の葉が一枚、左に右に、だんだん深くゆっくり沈んでいくふうな空気を背なに感じました。その方の記憶には入り込めないけれど、「しみじみなつかしい」という言葉を、解説でなく、目の前の繪とその方の醸し出した空気が胸に染みこませてくれました。小春日のような心地よさで、たたずんでおりました。七日  雀

 

* 十七年間

電車一本乗り遅れて、開館直後とはいきませんでしたが、正倉院展を見て、奈良から日本橋に出て、文楽劇場の通し狂言「本朝廿四孝」のうち“信玄館~村上上使~勝頼切腹~道行~謙信館~十種香”を観てまいりました。

劇場の展示室は「入江泰吉が見た文楽展」でしたわ。

持って出た友の「閨秀」を、車中で、ときに涙をにじませながら読みました。

正倉院展は、雀は30分ほどで一通り見られましたが、奈良駅で、ラッシュ並の人が吐き出されるのに目を丸くしながら、売店で柿の葉寿司を買い、折り返し難波行きになる近鉄電車のドアが開くのを待ちました。

人形の世界では――

生き別れになった生母に17年経って初めて会う、しかも着のみ着のまま、垢も泥も、洗わぬ髪もそのままに、早駕籠に揺られながら、ああかこうかとちぢ思っていたことでしょう。重ねに重ね、どうにか処理していままできた母への思い。

物思いを知られぬよう、道中も他愛のない鄙ぶり話を喋っていたでしょう。屋敷に着いて、駕籠かきが斬られる物音を聞きながら、どんなふうでいたのかしら。駕籠から降りるときに、だめ押しのように先に板垣兵部に飄逸に話しかけ、紛らせています。

あの奥に、母は取り替えられた勝頼と居るのだろうかと、座敷の奥に気が行ったはずです。その母は、実の子と疑うことなく育てた、盲目の勝頼に目の前で自害され、無残に首を斬られるさまを見、半死の体で奥から出てまいります。遅かったか、と板垣がくずおれるところへ、村上が上手より首をぶら下げ、出てまいります。

部屋の隅にちぢこまっていた簑作は、板垣の後ろから覗き見るかたちで、そこで一瞬に、簑作が勝頼になります。死なせた…ッ、と。

板垣にことさら鄙な口を利き帰ろうとする勝頼。このあと、憂いと優しさの道行、十種香の勝頼となります。

そういう遣い手です。

帰りにご本を読みながら、つうさんのことも、ですが、松つぁんに託した思いが、少しながらわかってまいりました。

さて、首をひっ掴んで帰っていった村上は、雪の野原で諏訪の白狐に化かされ、なぶられます。めずらしいチャリ場を、墨色に雪かというような、丸く白い玉を染めた肩衣と、目のさめるような一面紗綾形螺鈿の見台で、呂勢大夫が、楷書に語りました。九日   雀

2005 11・10 50

 

 

* 今日、(E-文庫・湖)に拙作「ぶん回しの紐」が掲載されているのを見ました。

ご繁忙のなか、またお疲れのなか、お手数を煩わせ、まことにありがとうございます。厚く御礼申し上げます。これを励みに次なる作にかかりたいと存じます。

「百人一首」毎日少しづつ、繰り返し読み進めております。私の従来観とは違った趣があり、自身の読みの浅さを痛感、ひとり赤面しております。

同時に「古歌」は、メタファーの充満した優れた世界でもあるなあ、と感じ入っている次第です。この感覚を是非とも創作の場に生かさねば、などと企んでもおります。どこまでも貪欲、因業な老いぼれ、ご憫笑下さい。

いちだんと冷え込み、厳しくなってまいりました。ご自愛を。     甲子

 

* 電子の杖と創作の眼鏡。たしかな足取り。

2005 11・11 50

 

 

* (華岳)忌日に。  文楽の昼の部(足利館大広間~勘助住家)を見、長堀にある旧出光美術館、大阪市立近代美術館準備室に、華岳の一枚が出ているのを見に行きました。

文楽を観ながら、繰り返し=捉え直し、把握を強める、洗練・鍛練、何十年かかっても“宿題”を提出する、松園さんのことを考えていたあとに、「華岳は繰り返し武庫の山を描き、表現を深めていった」と解説にあって、また、繰り返しについて考えました。

国画創作協会同人・大阪時事新報社編「欧州芸術巡礼紀行」が展示されていて、麦僊、竹喬、晩花のその折の繪があり、紫峰「冬朝」(昭和3年)、波光「梨下水禽」(大正11年)がありました。

ほかに、明治や大正の、京・大阪の版画があり、よく知らないのに、誰もが優しくて、静かだったに違いないと思いました。

雨は一段と降りしきっています。これから寒くなります。おん身ひとしおお大事に。  雀

 

* 村上華岳の命日を思い出してくれる人がいる嬉しさ。

2005 11・11 50

 

 

* メールありがとうございます。雨の真夜中です。京都の旅お疲れさまでした。私語の刻で読みました。ほんのちょっとでも、お会いしたかった。恒平さんの京都には、私の入り込める隙は無いのだと、ちょっぴり寂しい気持ちもしました。

なんゃ、ひがんでるみたいですね。(笑)

百人一首おもしろく拝見しています。はぁ~、そうやったんか、目から鱗がいっぱい。

お身体も目も、くれぐれもお大切にお過ごしください。 おやすみなさい。  のばら

 

* ほんのちいさい子供の頃に会うていたこの従妹との再会は、なぜかしら、すこし気恥ずかしい。鏡を見るつど、ひどい爺ぃになっている。

京都へ行くと、東京でよりももっと「ひとり」で、いる。そのために京都がますます寂しい街になってしまうのだが、だから懐かしい街なのでもある。ホテルの閑散としてうすぐらいBARで、制服のバーテンさんと向き合い、ときどきボソボソと喋っては美味い酒を贅沢に呑んでいるとき、ほっこりとわたしはひとりで寛いでいる。我ながらへんなヤツだが、わたしはたぶん捜しているのである、そういううすぐらい時空のなかに秘密の扉がかくれていて、もしうまく取っ手に手が掛かればするっと「他界=あっち」へ身を移せるのではないか知らんと。

 

* 歌舞伎お楽しみだったことでしょう。この数日すっかり見放された気分で過ごしていました。ちょっと拗ねながら、ご機嫌をうかがいます。頭痛はつらいですから、お治りになってよかった。

京都のお着物はやさしい色なのにぱあっと華やかに品があって匂うようですね。裾からのぞく長襦袢の色合わせも、深紅だったり、藤色だったりと、洋服にはない思いがけない色がのぞいてどきっとすることがあります。もともと長襦袢が大好き。

今まで金平糖は見向きもしない駄菓子で、おいしいと思ったことはありませんでしたが、京都の手作りのものの美味しいのにもびっくり。今も梅味のものを噛みしめて甘い喜びにひたっています。 秋

 

* 誰を見放しもしないし、引き付けもしない。

 

* けさは暫くぶり、ゆっくり床にいた。やがて、一時。いろんなことを始める時間だ。

2005 11・12 50

 

 

* てまひま。  奈良市写真美術館の解説に、「入江泰吉も土門拳も、共通しているのは、仏像でも建築でも何度でも撮るということだろう。構図もアングルもさして変化はない。しかし幾年にもわたって執拗に撮影は繰り返される。被写体に対する理解度が撮るごとに深くなっていくのだ」と、ありました。

さて、先日、奈良で澤登翠を招いての古い日本映画上演、「ひまわり」や「旛本退屈男」第一作(15分くらいしか残存してないらしいです)の上演、喜八郎さんのトークといった映画祭があり、そこで「死者の書」が日本初公開されたそうです。

岸田今日子のナレーションで、ヒロインの声は宮沢りえ、大津皇子は観世宗家とか。教えてくださった年配の男性が、「手間はわかるが出来の評価は別」と。

映画に限らず、そういったものはまわりに割とありますわね。 雀

 

* 同感、鋭い指摘である。

2005 11・12 50

 

 

* 色々本をひっくり返して調べているうちに、老子の『道徳経』の中の言葉を見つけました。

無と有はその基を一にして、その名を異にするだけなのだ。この一なる基を闇という。「この闇を暗くすること、そこにあらゆる奇跡への入口がある。」

「  」した言葉がとくに難しく思われます。時々「私語」でお書きの「闇」への記述のことを思い、無知蒙昧の質問させてください。

以前に、

闇は「くらい」のではない。「闇」は闇のママにいつか明るむ不思議をはらんでいる。

と書いていらっしゃいました。この言葉と老子の言葉はどう繋がるのでしょう。闇が明るむのでなく、闇を暗くすることで、なぜ奇跡の入口になるのでしょう。暗くすることで明るむのですか?

お忙しいことと思います。もしお時間割いてお答えいただくことかなわなければ、老子について、初心者向きの良い解説本など教えていただけると嬉しく思います。目眩がするほど色々な本があって、難しそうで、ひるんでいます。あるいはこの思想を文学にした作家はいますか?

どうしてもこの言葉が気になるのです。   春

 

* このメールを読んでいると、少なくとも身に迫った自分自身の不安や迷惑に耐えかね、自問自答に切に苦しんでいる人のもののようではない。分別し知解し知識したいように想像される。

だが、「老子」ほど、そんな姿勢ではどうしようもない相手は他に無いのではないか。老子は「質問」して「解説」してもらうタチのものでなく、自身の日々の悩みや惑いや不安の深さに応じて、みずから「感じ取る」より、ない。思索でも推論でも答えの出る筋ではない。

「老子」は、「ボーディ・ダルマ」もそうだが、合理的な言語で分別すること自体を、絶対に否認している。老子にもし過誤ありとするなら「道徳経」を書き遺したことである。言葉にした途端に真理は真理でなくなると冒頭に書いている本である、これは。自問自答に精魂尽くせない人には「老子」はむしろ害になるだろう。

 

* それでも何か本をというなら、わたしは確信して、和尚(バグワン)の「TAO(老子の道)」上下巻(めるくまーる)社刊を勧める。わたしはこの希代の名著を、先に総選挙で惨敗した日、「多分四度目」を音読し終えている。すばらしい手引きである。

2005 11・12 50

 

 

* 風  具合はいかがですか。私語を拝見しまして、心配しています。

溜まっていた疲れが出て来たのでしょうか。

何にせよ、よくお休みになってください。

わたしは、のんびり週末を過ごしています。

このメールの返辞は、いつでも構いません。

今は、何も考えず、ゆっくりお休みになってくださいね。 花

 

* お大事に。  さきほど私語を読みました。あちこち痛いのは、インフルエンザでしょうか。もしそうなら、関節の痛みや頭痛から発熱という経過が多いようです。心配しています。

調子が悪いとしても、どうかインフルエンザ程度におさまりますように。でも、インフルエンザほど体力を消耗して苦しいものもありません。ゆっくり休養なさってください。

ふと思い立って、学生時代に演奏していたベートーベンの交響曲など聴きながら仕事をしていました。ベートーベンは重厚な音楽なので、気軽に相対できません。敬遠する人も多いかもしれませんが、作品からはいつも、痛ましいまでに繊細な神経の持ち主であったことが伝わってきます。聴力を失う前のベートーベンが、朝の小鳥の囀りや、かすかな風の音や、澄んだ水の流れを、必死に音として愛しんでいたさまが、旋律から立ち上がるのです。

もっとも、バクグランドミュージックにして仕事するなら、後期の弦楽四重奏のほうが向いていますね。

早くお元気になりますように、今はただそのことをお祈りしています。  春

 

* こういわれると、インフルエンザそのものの症状に思われる。

2005 11・13 50

 

 

* 歌舞伎熱・・   秋晴れの日曜日。ゆっくり休養されてますか?

職場の先輩から急に行けなくなったからと歌舞伎の切符を戴き、喜んで友人といってきました。通し狂言「児雷也豪傑譚話」(じらいやごうけつものがたり)、河竹黙阿弥原作、尾上菊五郎・演出。「尾上菊之助宙乗り相務め申し候」と副題にあり、大蛇に大蝦蟇、大ナメクジの大乱闘。花道をのっしのっしと大蝦蟇がやってきたと思ったら、蝦蟇ぱっくりと二つに割れ、中から大鷲にのった菊之助あらわれ、客席の上を飛び回る。

新橋演舞場で歌舞伎をみるのははじめてでしたけれど、やはり歌舞伎座に比べると大衆的。演出も大胆で愉快。役者さんたちも大いにかぶいてくれました。

(児雷也)超美男の菊之助、(大蛇丸)フレッシュで力みなぎる松緑(先代の松緑もしぶくて大好きでした。父子二代のファンです)はまことに好一対。鍛え抜かれた躯での若くなければできない芝居。

綱手姫(市川亀治郎)もさりげなくてイイ感じ。

児雷也の押し入る成金の家のけばけばしいおかしさ・・・。ヨガだか、ピラテイスだか、大きな球まで出てくるし、スターウオーズの「ライトセーバー」そっくりの「浪切りのつるぎ」も。(これは三種の神器、「天のむらくものつるぎ」と共に造られたということになっていた)。ドタバタ場面もあったけれど、可笑しく楽しいケレン味たっぷりのお芝居でした。

(あらすじ)

月影氏(うじ)は 秋山に

一人のおのこを 拾いたり

このおろち丸こそ この世をば

魔界に代えんと 企むる

ゆゆしきおろちの 化身なり

 

悪しきおろちに 操られたる

月影氏は 盟友の

尾形と松浦(まつら) 滅ぼしぬ

尾形の息子・雷丸 松浦の息女・綱手姫

二人の子らを山奥の 谷底深く突き落とす

 

奇しきえにしに 結ばれし

かれらの運命 これいかに

雷丸は児雷也に 綱手はあはれその妻に

義賊となりて 父母の

かたきを遂ぐる その日をば

(中略)

そういうわけで 本日は

何でもかでも 七・五調

きのうみた夢 今日もまた

楽しめるのは お芝居の

あわれまことの うれしさよ   ゆめ

 

ゆめ 追伸

いま先生のHPを開いてびっくり。お加減いくぶん良くなられましたか。よくやすんで、どうかお大事になさってください。

 

* 児雷也というと子供の頃のメンコの繪を反射的に思い出す。あの繪を見ていてもお話として理解していたのではないが、なにか荒唐無稽の魅惑を覚えていた。しかし歌舞伎は見たことがない。一度観てみたい。

 

* あすの歌舞伎はたのしんできたい。意地をおさえて、早々に温かくしてやすむとしよう

2005 11・13 50

 

 

* 今朝はご気分もよくなられたようで、安心しました。歌舞伎ゆっくり楽しまれますよう。

米大統領の訪問を控えて(京都)市内は厳戒態勢に入っています。金閣寺訪問もあるとかで、この辺りも物物しい警戒ぶりです。何事もないことを願っています。

あんまり気張り過ぎんように、もう歳なんやから… 言われると嫌な台詞ですが、その通りです。どうぞお大切にお過ごし下さい。      のばら

 

* はいはい。

2005 11・14 50

 

 

* 名古屋市大の谷口さんが、わたしのホームページで教授室での写真など見つけて懐かしいと便りをくれていた。あれから十年、彼女、もう教授になっているのではないか知らん。さぞや佳い研究者に成ってられるであろう、わたしも懐かしい。

2005 11・14 50

 

 

* 皮革獣毛   九州に国立博物館ができていたのを知って、不意打ちを食らった雀は、先だって「日曜美術館」で紹介する映像のあちらこちらに目を凝らしました。

沖縄の国立劇場には首を傾げましたが、これは無かったのがおかしいくらいです。

ところが一方、国立美術館を統廃合するとか。一段と「売れる」企画に傾きそうですね。

「正倉院展」も、眉をひそめるほど「売り物」の臭みが強くなってきています。今回、特色のひとつに“動物由来の品”と書いてあったので、それで出かけましたの。フェルト、牙、角、漆皮がありました。西域からの品といえば、獣毛、皮は欠かせない材料で、日本にももちろんそれらを材料としたものがさまざまあったはずです。筆ひとつとっても、いまだに、勝れたものは奈良や安藝・熊野ともてはやされていますわ。あの時代、何がお宝でなにが蔑殺されたのでしょう。

映画「クリスチナ女王」では、輿入れの王女に山ほど毛皮が贈られ、まるまるくるまれ、雪道を行きます。ガルボの美しさもさることながら、毛皮が富を表すというのは、宝石の趣味が違うように、穀類と養蚕がまず出てくる日本とは違うと思いました。中国でも、革や筆は大量に使いながら、毛皮は異民族を象徴するもののように蔑視していませんでしょうか。

髪を結うことを物差しにするように、毛と皮を分けて、それぞれ手をかけ元が判らないようにするのが、文明国の物差しとしたのかしら。洗練ではあるけれど、見なくてはいけないものが見えなくなる。それが一握りの貴族で終わっているうちは構わないのですが、一般人が、見ない、隠す、知らぬふりをするとなると、モンダイですよね。

というのは、雀には昨今の太鼓ブームに、「皮」とか「大木」という感覚がないように思えて、堪え難く苦い思いがしてならないのです。

血肉でも、皮でも、何十年何百年の木の生命でもない、感覚。これは、「やわらかぁい」「あまぁい」と肉に舌鼓を打ちながら、畜舎や屠殺場は御免蒙る、あっちでやって、キレイにしてきて、そしたら喜んで買うわ、というのと同じではないかと思うのです。さらに、「あっちでやって」を、都市を拡大しておいて、どんどん外へ追いやり、さらに、国内から外国に移して、見えないようにして、隠して、外国に“下”をふたたび作って押しつけていることも気掛かりです。

欧米の舶来品には金を惜しまず、輸入品は買い叩き、家の近くの物は安くなければ買わず、“お取り寄せ”には金を惜しまないというのも、洗練されてない、換気されてないなぁと思います。  雀

 

* わたし自身の感想に極めて近い。

 

* カミとブツ   愛知と岐阜に、明治村と大正村、また昭和村があり、宣伝を目にする機会がございます。

昭和村ができて少しして、「戦争のない昭和はおかしい」と新聞に投書がございました。明治、大正にしてもそうですわね。

こちらがしかけた戦争、また、カネのために利用した他処での戦争、いずれも隠して、ジコチューに戦争被害といい、あの頃は肩寄せ合って生きていた、貧乏だったけど豊かだった、復興した日本、働き者の日本人などと、戦後60年、対アメリカ、対アジアのさまざまを白紙に戻そうというキナ臭さとともに、懐古調のドラマや映画、イベント、ビジネスが目に立ちます。

なにより、戦争がなければ失ってなかったものを思わなければ。他処の戦争で得た豊かさ、復興に名を借りた文明侵攻を思わなければなりませんね。

さて、雀の“マイブーム”は、少し遅れてブームになるというのが密かな自負なのですが、古社は、一向ブームがきませんのよ。伊勢式年遷宮や、女系天皇を認めるかどうか注目の、皇室問題をきっかけにして取り立て、ブームになるかしらんと思っております。

「冬祭り」でお歎きになってらしたのに、相も変わらず観光お祭りや古寺巡礼はブームのまま。写経や座禅の体験、“プチ出家”というツアーもございます。写聖書はありますが、祝詞など何かを引用したり写して済むものではありませんし、対抗しているのは巫女体験くらいでしょう。

あとからくるものは、どれもみな、ひろめるために、今までのものでは掬いとれなかった物事に目をつけ、奇跡や得することをあからさまに示します。立派そうに見せ、のけぞらせるようなモノ、コトを前面にアピールし、ひきつける努力をします。

出家による身分超越、捨て子や駆け込み寺などの福祉。仏像、建築、庭、ファッション、教義、教典、組織‥。残念ながら、神さまは負けてますわ。それに、仏(あえてブツといいます)を“見る”のと違って、神を感じるのには時間がかかり、「さぁー、よぅわからん」と祀る側が言うのが神で、客が言うのが仏です。理屈がついて、欠けずあって、

「わからないでしょ、教えてあげます」と人を離さず、上手(かみて)に立って言われ「わたしはできない、劣っている、取るに足らない者」と、神仏にではなく、人に対して思ってしまうのが、いまの、仏。

第二次大戦、右翼、日教組が、ゆがめた神道。

芝居で、同じ演目が間をおかずに出ても、役者が変わると解釈が違って、はっとするように、神と仏でも、照らし方を変えてあれこれ提示して、靖国参拝について、戦没者慰霊について、考えることができるとよいのにと思います。  囀雀

 

* こういう話題や議論が、雀さんのお家ではご夫婦で有るのだろう、か。ここに言われていることも、たしかに一つの「問題」なのであるが、今日の日本人の目にはほぼスッカリ見えていない。

2005 11・15 50

 

 

* 博物館  「使ってはいけない道具」になった可哀そうな道具も、「美術館」ならば放出され、茶人の手に戻ってくることを夢みることができる。だが ――と、「同門」誌で、「国立博物館の中にあるものはもうどうにもなるまい。」と書かれ、竹一重切“園城寺”を「久しく、もう何十年も花を入れてもらっていない花入」「可哀そうな花入」と嘆いていました。

「正倉院展」を見たあと、平常展「仏教美術の名品‐彫刻」会場で、前回訪ねたときから少し入れ換えられた仏像に、「おぉっ」と伸び上がりました。

十一面観音が8体。再会も、おはつもあります。三輪へ行く都度、若宮社で聖林寺の十一面を置いて夢想するのと同様のことを、薬師寺、新薬師寺、松尾寺などの十一面でして楽しみました。

“国立博物館の中にあるものはもうどうにもならない”ではあるのです、仏像も――。

それでも、法隆寺伝法堂東の間の阿弥陀三尊像に、ご本『美の回廊』にあった、岡本神草の繪が「あッ!」と聯想されましたし、朱の鮮やかに残る浄瑠璃寺の馬頭観音に、池の面の夕日にきらめくさざ波にこの馬頭の顔が照らされるさまを想像しました。

薬師寺八幡神像も出ていました。

最後の方で出会った、東大寺の十二神将はとても楽しかったですわ。頭上の十二支がどれも吹き出しそうなお茶目加減。寅は猫が腹這ってるみたいでしたし、卯はニッと笑っているよう。十二全部こう揃って笑えるのを見たのは初めてでした。  囀雀

 

* 博物館に一度入ったらもう、などは、代弁してもらっている気がする。こういう雀さんのメールはわたし自身の懐をまで整頓し見やすくしてくれる。

 

* 風のメールを待っていました。心配で、こちらが寝込んでしまいそうでした。でも、よかった、よかった。一安心です。

新型インフルエンザが懸念されています。

流行ると、わたしはもらってしまうので、今冬は、特に気をつけます。

風も、どうか、お気をつけになってください。  花

 

* 冬がきましたね。私も元気そうにみえていても持病の喘息のきっかけにならないかと、いつも不安な状態です。  年をとるっていやですね。あの花(?)の四十台から出直したいなあ。

いまから、孫のばぁば役をこなしてきます。  泉

2005 11・15 50

 

 

* 読書セラピー

hatakさん  歌舞伎で体調も改善されたようですね。泣き・笑いは免疫力を高めるという実証でしょうか。

雪降る二日間、非常に難儀な会議の座長をして、体中の関節がぎしぎしいうほど疲労困憊し、そのまま体調を崩して、ついに今日は仕事を休みました。

久しぶりにゆっくりと、「湖の本」最新刊を読み始めました。

『好き嫌い百人一首=秦恒平百首私判』、痛快です。朝日ジャーナルで作家秦恒平を知った私としては、通説・常識・生解釈をばっさりと覆してゆく痛快さが魅力です。

午後は、書棚からNHKブックス『閑吟集』を出してきて、再読。読むほどにくすんでいた身心に精気が戻ってきました。読書セラピーとでもいいましょうか、閑吟集の時代の陽気に心が共鳴して、均衡を崩していた体が平衡を取り戻してくれました。

世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり

ふむふむ。

新茶の茶壷よなう 入れての後は こちや知らぬ こちや知らぬ

ははは。いま日本中で茶壷の口切をしている、しかめ面が聞いたら腰を抜かすはず。

思ひ出すとは 忘るるか 思ひ出さずや 忘れねば

思ひ出さぬ間なし 忘れてまどろむ夜もなし

ああ粋ですこと。

ところで、最近米グーグルが著作権切れ書籍の全文検索を開始、米アマゾンが本をページ単位でばら売り、米マイクロソフトが大英図書館の蔵書を閲覧と、米国で図書館とネット企業が手を組んだ電子書籍事業の展開が進んできました。

学術文献の検索閲覧では、一般書籍の先を行く勢いで電子化が進んでおり、図書館では電子媒体での保存の危険性と、紙媒体での保存経費を天秤にかけて悩んでいるところです。

米ネット界の三つ巴の覇権争いがどうなるのか気になるところです。   maokat

 

* この後段の状況は電子メディア委員会でも把握して注目している。情報インフラの底知れない変動は足取り早く社会の各場面に荒波を立てて進んできている。

韓国ではもう新聞がおおかたIT情報の前に潰滅したと聞いていて、日本の新聞もどうごたくさご老体が頑張ろうとも、この数年内に音を立てるように崩れ落ちるであろうと観測されているが、その前に図書館事情が大きく変わる。図書は捜して手にするより、検索して読むものに変わりつつある。

もっとも幸か不幸か日本語はタテ読みがまだ普通で、ヨコ読みの機械文を毛嫌いしている人が圧倒的に多い、それが僅かに検索図書化への速度を抑えていると言えるだろう。

2005 11・15 50

 

 

* 恒平さん  湖の本、北風と共にバルセロナに到来しました。十一月、初めて触れる冬の空気です。

小倉百人一首、意味は碌碌知ろうとせずに、ただ夢中で覚えました。

上句の響きと下句のひらがなに、随分と勝手な色絵を想い描いて、それが好き嫌いの決め手にもなりました。

むらさめのつゆもまだひぬまきのはに きりたちのぼるあきのゆうぐれ

「むらさめ」が「むらさきのあめ」を降らせれば、村が紫に煙って見えたり、

おおえやまいくののみちのとおければ まだふみもみずあまのはしだて

「みず」に「水」を聞きとれば、大江山への道すがら、夜空に天の川がかかる按配。(この歌の解釈を初めて知ったときは、随分がっかりしました。)

ひらがなだけのかるたですから、かえって、想像は膨らみ連想は広がります。「恒平さんの百人一首」、新しい視点から楽しむよい機会にします。

きっと幼馴染に会うようで、たとえ手ひどく貶されても、好きだったものは好きのままでいるような気がしますが・・・

ジャズピアノを始めましたよ。

CDやコンサートを聴くだけでなく、自ら弾いてみたくなったのは、敷かれたレールを上手に走るばかりだった私にも、ようやく、思い付きで動き、道を逸れるのを楽しむ余裕が出てきたからかと。

そうは言っても、自由気儘にみえるジャズ、意外に決まり事やパターンなど覚えることが多いのです。自由に弾く、とはそれらをどれだけ自由自在に使い熟 (こな)せるか、なのかもしれません。

そう言えば、高校に上がるまで、兄と、親戚とのお下がりで育った私は、好きな服を着たい一心で、本や実物をひっくり返しては、よく図りよく縫いました。服は買ってもらえなくとも、布は使わせてもらえたからです。私が布で「(化学的にも)遊ぶ」ことができるのは、あの頃身につけた基本と眼があるから。

ジャズもきっと似ているかと。そのうち何かがぽろぽろと指の端から零れて鳴るでしょう。

甲子さんの『ぶん回しの紐』、唸りました。

モノゴトの本質を現象の中に把握する、とは、こういうことなのでしょうか。

(ふつう私の場合)ストーリーを追えば、読み飛ばしがちになる些細な描写や語尾が、ここでは一字一句、もったいなくて見落とせなかった。

『夏はすぎても』が、のめり込むように読み切ったのなら、こちらは、描写の巧さ確かさに、いちいち歩を緩めた感じ。

こういうものが読めると本当に嬉しい。

書けるともっと嬉しいでしょうが。(書く方は今手が止まっています。)

恒平さん。京はバルセロナで元気です。

 

* この人は染めや織りに、専攻した学問からも関心の深い学生だった。ひょっとして京都のそういう大きな店に就職するのかナなどとも想ったことがある。ジャズピアノか。「京」も、ゆったり身を働かせ始めたのだ、よかった。甲子さんの小説にきちんと目を向けてくれているのも嬉しい。

2005 11・16 50

 

 

* さいたま市の榊政子さん、久しい読者から、カルロ・ドルチの描いた「悲しみのマリア」写真を戴いた。いわゆる『親指のマリア』図像ではないが、見事にあの、シドッチ所持・新井白石臨写の聖母図に酷似している。

 

* 今日は、散髪しました。

思っていたのと違う風になりました。ウーム。

今夜は男子サッカーと女子バレーがあります。

スポーツ選手って、俳優かモデルのようにオシャレしてテレビに出たり、写真に撮られたりすることがあるけれど、ユニフォームを着て闘っている姿がいちばん素敵ですね。

無欲・無心に、己と闘っている人間の姿ほど、美しいものはないなあと思います。

風、お加減はいかがですか。順調によくなってくださいね。 花

 

* 続けざま 人の作品をスキャンしたり校正したりしていたので、左の肩がまたひとしお石のように凝っていますが、元気ですよ、脚の先が氷のように冷えてきたりしますが、概して順調です。

肩凝りのストレスに、一つ、新聞連載中の随筆をそろそろ書き足さなくてはストックが減ってきていることがあります。書き出せばすぐなんですが、つい、先によそごとを片づけてなどというていると、肩凝りになります。

来週は、祭日を除いてブッ続け金曜の夜までつまっています。

気が付いてみると、ほとんどテレビも観ていません。おかげでだいぶ用が足りました。用は、無くなる時が無い。

おかしなものですね。そういう用をしているのは、わたしではない。わたしにくっついてきたからだとこころとが用をしていて、わたしはそれをわきで観ているのです。からだはいつか死ぬし、こころも死にますが、つまりそれはわたしからそれらが離れて行くだけのこと、わたしは死なない。わたしは、かたちとしても作用としても「無い」からです。

こういうことを言うと、狂ってきたか、ウソをついているかどっちかだと思われるようです。ハハハ

「e-文庫・湖(umi)」の「ぶん回しの紐」読みましたか。 お元気で。 風

 

* 昨日外で食事していましたら、お隣の品のいい年配のご婦人がグラスビールを飲みながら、それはおいしそうな大粒の牡蛎フライを召し上がっていました。素敵な人でしたし、あら、同じようなことをしている人と思いました。 女一人で、昼間からお酒を飲みながら食事をしてさまになるのは、小娘ではムズカシイ。年を重ねないとかっこよくできないことは色々ありますね。宝石、毛皮、ある種の着物などは二十代、三十代では野暮。絶対に似合わない。葉巻やブランデーも若造にはみっともない。

ご本片手に、お一人でお酒を飲んでいるお姿は、繪になると思いますよ。

今どうかしてご一緒に食べたいのは、銀座某お料理屋さんの黒ごま鯛茶漬け。今書いているものは、ある場所でぱったり進まなくなって塩漬け。寒いシャレで失礼。  暮秋

2005 11・16 50

 

 

* 今朝の新聞によると、1950年に建てられた歌舞伎座を、二年後に建替え着工が決定したとか。

東京に住まいして、すぐに此処で歌舞伎を観たのが、その十年後、1960年だったのだと懐古し、ではでは、この老朽化した身体も一新出来ないものかなあ、なんて日の光の中で、年輪の皺を見つめています。 泉

 

* 那珂甲子雄作「ぶん回しの紐」  読んで、しみじみとしました。

けれど、少しもの足りなくもあります。

大人たちのようすが、いささか当たり前に感じられて。

飲む打つ買うの父親、苦労している母親、その母親の力になっているうち、愛情の芽生える宮田のおじさん、仲裁に来る旦那。「お芝居の一場面」のような感じがしてしまうのです。

それから、博打のために給料をつかい込んだり、女遊びをするような父親が、わざわざ子供を取り戻しに来るかなあという疑問が一つ。子供を取り戻すのなら、父親の方に何らかの訳があるのか(どうしても跡継ぎが欲しいなど)。

作品の設定されている時代は、どんな父親でも、親権を主張したのか。ここのところが、判然としませんでした。

それより、那珂さんは、身を置いている社会から、もっと大きな社会まで、鋭い視野をもっていらして、それを作品に盛り込んでいらっしゃるところに、敬意と共感を覚えます。

蛇や、鬼や、藝にたずさわるものに焦点をあてた「風」の作品がそうであるように、いつか、わたしも作品自体が深い批評になるものを書きたいです。  花

 

* 甲子さんの新作に、とても佳い作品だけれど、また形に完成度はあるけれど「瑕瑾」も有るとメールでも伝えていたのが、この、花の指摘した点であり、わたしは、一読、花のいう「お芝居」の舞台を観るようにこの作品の情緒を汲むことにした。父と母との葛藤の落としどころに「子供」が使われてしまったところに、或る詩的に苛酷な烈しさのかえってうすめられる感じは残り、転じて新派ふうの柔らかい人情物舞台のように纏まって行くのを、「非」とはみないで、わたしは「是」認したのだった。「時代」がそれなりに適切に背景に捉えられ、簡潔に書かれていたからだ。

しかし例えば日清戦争後の社会の往き詰まり感から生まれてきた「いわゆる深刻小説」は、あまくはなかった。鏡花の深刻小説が知られているが、当時としては廣津柳浪や川上眉山や江見水蔭らの「ペン電子文藝館」に採った作品は、あるいは斎藤緑雨の「わたし舟」などは、峻烈なものであった。人間の把握は峻烈ならいいというものでは無い。だが、人間には人間の持つ、いいにつけわるいにつけ、リアリティーがある。それが出て来ればいい。那珂さんの作のかすかな瑕瑾はその辺に、登場人物によるバラツキのあったことか。花は、よく読んだと思う。

 

* 奈良市初氷   狂気じみた寒月の冴え。朝日がなだめるように満月を銷してゆきました。

お昼のニュースで、比良山系の雪景色が映し出されました。

お仕事に熱中のあまり、湯冷めなどなさいませんように。おん身おいといください。

空は青く、木の実や枯葉が降り、片雲の風にさそはれて、彷徨ってみたいような日。

大杉玉が掛け替えられ、酒まつりも済んだ三輪明神に行ってまいりました。

晩秋のさみしさより、ジャンプを前に選手がしゃがんでいるかのような生命を、山容に感じました。

今日は鎌足の命日。談山神社の紅葉は、さぞ見事でしょう。今朝は信楽で氷点下だったそうですから、氷が張ったかもしれませんわ。

小説がキツイと感じるときと、エッセィをそう感じるときがあります。

心にキツイのと、おつむにキツイのの違いかなぁ…  囀雀

2005 1・17 50

 

 

* 次なるこのお手紙の人に、むかし、泉鏡花『高野聖・歌行燈』の編・訳本を編集担当して助けてもらった。以来、もう退職されてからでも久しいが、今も「湖の本」を支援して頂いている。在野の懇篤な藤村研究者で、詩人でもある。そうそう、わたしの『枕草子』の編・訳本も同じ会社で出た。その編集者にも今も支えてもらっている。

批評の眼光はかすかに繊く鋭くしかも深くさし込んでくる。内容豊かな佳いお手紙で、私有するに惜しく、此処に書き写させて頂く。

 

* 昨日 (十三日)、パリから帰りました。

ニースやマルセーユからひたすら北上、ノルマンディ、ブルターニュを経てパリに出ました。

(今回湖の本のあとがきに触れてある=)『ファウスト』の二部は何度も挑戦しては中途半端で止めてばかりでした。ゆっくり読んでみようと思いつつ、読み通すことができません。何やかや悪態をついては止めてしまいますが、落ち着いて読むにはまだ何かが足りません。『失楽園』なども最初は同じようなものでした。それも、ローマの聖堂の壁画などを思い出すうちに、いくらか身近になったようです。それまでは、堕天使の勇壮な反逆ばかりに痛快を感じ、天上の神や天使の世界、アダムとイヴの対話など、退屈で困りました。むしろ退屈と考えることで、気が楽になっていたような気がします。今はいくらかは、(気取った話だなとは思いつつも)、壁画の人々が話しかけてくる声が聞えてくる気がします。

前回(の湖の本の跋)に、『戦争と平和』の、アンドレイ公爵が傷を負った戦場で見上げていた空の場面を書いていらっしやいました。あの場面は、私も死んだ友人も、いつも同じに、「不在なる存在」とでもいえる大きなものを感じていました。トルストイといえば『人は一生にどのくらいの土地を必要とするか』という短いお話や、『クロイツエル・ソナタ』の主人公の重苦しい告白などといっしょに、いつも真っ先に思い出すのです。

今勉強しているテーヌにも同じようなことがあって、彼の『イギリス印象記』(Notes on England)という本のなかのイギリスの宗教を論じているところに、宗教を、「人間がその内部で感じる生きた感情」としていて、「気まぐれに取り上げた三つの小説の中で、二つは、人間が重大な岐路において、神に祈ることはないにしても、少なくとも彼自身や全人類の頭の上に無限の正義が統治していると感じさせる、人間の厳粛な感情の介在を知覚させる」 (という意味だと思いますが)と書いていました。そして、The doctrine may be discussed; in a presence of the sentiment itself we can but bow the head; it is sublime. (教義は討議されるかもしれない。しかし、人間の感情そのものの前では、我々はただ頭を下げることしかできない。それは崇高なのである) と結んでいました。それを読んでいたときもアウステルリッツの高い空を思い描いていました。

私はフランス語はできませんので、既訳の本や英訳本での理解でしかありませんが、テーヌについては、『テーヌ管見-一藤村研究者のノート』という風なものを書きたいと思っています。今まで書かれたものへの物足りなさがあるからですが、そして藤村のフランス滞在中の感想にまで広げてみたいのですが、最後のところでもう何年も、途方に暮れたまま時間がすぎました。フランスの旅はただ、無理やりにバスで連れ去られた気もしますが、それでも走り抜けたあとには、この国への畏敬のような気もわいてきました。プロヴァンスからロワール、ブルゴーニュ ー 整った農地、牧場、森野、点在する牧童の小屋、そして塗りこめた土の壁や、石造りの家々がつつましい小さな村に入り、また延々と野や森や牧場が続き、と、それだけでも何でこんなに美しいのか、古い教会で、キリストを抱いた

マリアのピエタ像はキリストの首が壊れてなくなっていて、これはフランス革命のときに破壊されたままなのだとか、(今はちょっとその真偽がわからなくなってしまいましたが)、そうかと思うと、贅を尽くした王侯の館がいまもそのままに残されていたりとか、そして、帰ってきて新聞を読むと、今の暴動で「親の監督不足」を指摘する声がいちばん多いのだとか、(カソリック系の新聞だそうですが)、保守的な人たちもきっと多いのでしょう。

テーヌや藤村への思いも尽きず、駆け抜けただけでも無駄なことはありませんでした。

藤村は二度ほど、フランス知識人のディレッタンティズムを取り上げていましたが、それはこの国の自由の根底に、なくてはならないものではないかとか。何故藤村は、パレスやモーラスという人たちばかりに耳を傾けたのかとか。

どこの国でもそうですが、花や野菜でうづまる休日の市場をみることも楽しいものでした。マルセイユの広場では古本市も開かれていました。大きなデューラーの画集はほしいものでしたが、手にするのもはばかり多く、残念なことでした。そしてパリを十分に歩けなかったことはもっとも残念なことでした。

 

帰国した途端に寒くなりました。お元気でありますように。「私語の刻」を読めば、天衣無縫に、快活に陽気に荒ぶり、私もそのお元気を頂いていますが、本音は、昨年のプラハ、今度のフランスと、年を重ねるたんびに、長時間の飛行機にも人との付き合いにも、赤信号を感じるようになりました。今回も夜中に目を覚ましては、「パリの朝、雨に死す」なんてことを何度も思いましたが、元気でないときがいちばん正常であることは変りありません。

観光客の人たちが空港で取材にこたえ、ニュースが伝えるようなことは何もありませんなどと答えているのを見ると、報道の過敏さは別にして、ご自分だけの泰平楽なのん気さには無性に腹立たしくなりますが、それもこれも、何千万という数を相手に戦うことを考えますと、もう止めようなどと思ったりします。

十一月十四日         *****

秦 恒平様

地図の上で藤村が歩いたように

道をたどってみたいと思います

2005 1・17 50

 

 

* 紅葉の季節も早々と移ろっていくと、急き立てられる思いがします。外は明るい秋の光。

昨日の年配の方のお手紙、興味深く読みました。

先日の囀雀さんの痛切な問題意識と批評も心に残っています。

作品のファイルを送ります。全体の感想、これは駄目、削除した方がよい、というような判断が戴けたらと・・実に勝手な希望を申し述べます。

自分の書いたものは、どうしても「みえてこない」、本当に情けない状態です。  鳶

 

* きのうの夜は、バレーボールでハリキリ過ぎたのか、腰が痛かったのですが、今朝は全快、そういえばゆうべ痛かったんだっけ、という程度です。

随筆を書き溜めて、今、風は、ほっとなさって、マイセン陶磁器をご覧になっている頃かも知れません。随筆は、大阪産経の夕刊に載っているのですか。今は読めないけれど、いつか、何かに纏められたのが読めるといいなあ、と想っています。

> 題が与えられて、期日までに書くのが、プロです。

こんなふうにおっしゃると、ビビッてしまいますが、今、わたしには、創作以外にも、「腰をすえて」書いたり調べたりする訓練が必要だと思います。

このところ、いいお天気がつづいています。

そのかわり、急速に日の暮れるのが、寂しい感じです。

お出かけの際は、流感を貰って来ないよう、お気をつけになってくださいね。 花

2005 1・18 50

 

 

* もうすっかり冬ですね。一気に寒くなって、通勤にハーフコートとスカーフ、必需品に。

でも私、ルーツは北国産なので、寒さには割合強いです。年末仕事のため何かと忙しくなりましたけれど、風邪ひとつひいていません。

寒くなったら、やはりお鍋がいいですね! 先生のご都合の良いとき、ご一緒しませんか。

仕事の件はよくよく考えて、来年四月末退職に決めました。学校を出てから三十年以上働き続けてきましたから、少しゆっくりしてもいいかなと。少し休んだら、またちょっと働こうと思います。気持ちはむしろ明るくなりました。

お会いできる日を楽しみに。  ゆめ

 

* なにしろ、食べてはいけない、飲んでもいけないでは、誘って戴いてもセイがない。気軽に誘って下さるのは、だが、嬉しい。

2005 1・18 50

 

 

* 秦 恒平様  早速に送って頂いて有り難うございます。

タイトルの「お父さん、絵を描いて下さい」を見ておもわず胸が熱くなりました。その言葉は小生にとって、今は亡き妻の遺言に等しいものです。

かねてからの計画通り六十歳から油絵を始めて半年、大腸のポリープ手術の為一か月入院を余儀なくされ、その後二、三か月絵筆から遠ざかっていたある日、ドライブ中に妻が突然、

「お父さん、絵は描いてや」

「ああ、勿論描くとも」

というやり取りがありました。画才もない亭主に何を求めていたのか、何を期していたのかあわれでなりません。

その不憫な妻の思いに応えるべく、せっせとその後もキャンバスを塗りっぶしてきました。油彩だけは死ぬまで続けるつもりです。

ご恵送の作、早速読ませて頂きます。  奈良県

 

* ただ瞑黙の闇に思い沈んでいる。

 

* ゆうべ録画した「天使にラブソングを2」を見ました。シスターたちの聖歌隊だった一作目もよかったけれど、二作目は、パワーアップ、ハーレムのイマドキ高校生たちがゴスペルを合唱していました。

物語というほどのものはないけれど、圧倒的な「音楽の力」に引っ張られ、引き込まれました。ハリウッド映画の、もっともよいところが出ていたと思います。

来週末あたり、新居候補を見てこようと計画しています。  花

 

* 転居は若い人たちの特権だ。老いてはもう想像もつかない。狭い家の中も片づけられないのだから。

2005 1・19 50

 

 

* 茶寿  側杖事故に遭ってから一月も経ちますのに、すっきりせず、外にも出てゆかず、鬱々していますところに、**さんの作品に早速のお手配、そしてご感想を承り、うれしくなりました。電話で知らせていっしょに喜ぼうとおもいます。

何もする気になれず、ぼんやり、ベランダのほほけ芒を見たり、こぼれた萩の花をひろったりしています。

萩の花くれぐれまでもありつるに月出でて見るになきがはかなき  実朝

実朝は土の上の花は見なかったのかしら。

卒寿でははんぱでございましょう。茶寿、百八歳。字もきれいですし。  香

 

* 久しい読者でもある人へ、「湖の本」ももうほとほと落城が近づいている、いま八十五巻、これをどうにか九十巻の卒寿へまで持ち込めるでしょうかねえと、めったに言わない泣き言をもらしたのへ、激励の「茶寿」まではと。

二十年も倦まずたゆまず、きちんと規則的に出版しつづけていると、受け取る側にも何と無くやすやすと出来ているらしいと思う、慣染みと思い込みとが出来ている。工夫をこらして目先を変えながら編輯していても、だんだんめずらしげなく映るのでもあろう、支払い抜けがふえ、寄贈の比率があがってきた。わたしと妻との体力も落ちてきた。手持ちの作では、百八でも百十でも問題ないけれど、喜寿までの仕事になる。つづけたい気持ちと、ウーンと唸る気持ちとが、正直、半々。

 

* マウスが手に冷たい朝でした。確実に季節は冬へ。二十三日はもう冬祭りです。庭の千草のうたなど思い出します。霜月という謂い方に実感がそい、目の前に師走です。今年は「湖の本」を早くに出しておいたので、からだはラクです。

転居前とか。大事の時、運動など過ぎて怪我になりませんよう。花粉にもご用心。花が、年中花粉になやむというのは、気の毒で、すこしオカシイですね。 風

2005 11・20 50

 

 

* 映画「春の雪」を観、『閑吟集』を読んで

hatakさん ようやく体調快復し、読み書きをする元気が出てきました。

一昨日ロードショーで『春の雪』(行定勲監督、妻夫木聡、竹内結子出演)を見ました。映像の美しい映画でした。冒頭の孔雀の屏風を映すシーンなど、映像的に秀逸でセンスを感じました。

続く清顕がボートに乗って下から橋上のヒロインと出会うシーンも良い。

竹内結子は、例えば伊東美咲や仲間由紀恵などに比べ目に力の感じられない女優なので、目に膜がかかったような朧な表情がかえって運命に翻弄されていく聡子の役柄に合っていたように思えます。及川光博扮する皇子との縁組が破談になり剃髪して寺に入る時だけは、打って変わって凛とした目、良い顔をしていました。この辺りが表情をクローズアップできる映画の醍醐味ですね。

聡子は剃髪後一度も画面に姿を現さず、襖越しの声だけの演技になりましたが、この演出がとてもよかったです。私はスクリーンに向かって「お願いだから出てこないで!」と祈っていました。

最後に、東京国立博物館のエントランスが舞踏会場面に使われていて、重厚な画面作りに成功していましたが、国立から独立行政法人になった国営事業の影響をこんなところでも感じてしまいました。

三島作品は敬遠して読んできませんでしたが、原作を読んでみようかと思います。

『閑吟集』も再読しましたので、あらためて感想を書き写してみます。

――気がつけば会議続きで、このところ全く読書をしていなかった。映画を見てばかり。

先日の会議でストレスが遂に胃に来て、ホメオスタシスを全体に崩す。体も心も、冷えかじけてしまった。

仕事を休み、布団の中から手を伸ばしたのがこの一冊。性と生をケレン味なく歌い上げた数々を読み進むうち、体に血の巡りが戻ってきた。

今回再読して気づいた点の、一つ目。

中世室町時代へのイメージを再構築できたこと。茶の湯流行前の16世紀初頭についてや、一休を精神的背景にした宗祇(正字は示偏)、珠光、雪舟についてはあまり考えたことがなかった。

茶の湯以前の時代についていろいろ想像を働かせてみたことから、利休以降の茶の湯が得たものと失ったものを整理できた。肩書を取り払った個(孤)の客が寄り合って、一座を建立できるか、現代の茶事(茶会ではない)でもう一度考えてみたい。

二つ目。閑吟集の編纂様式と編者への興味が湧いたこと。

四季の巡りにならった配列の後に、恋の歌をもう一度並べる。これはどうしてか。「侠客」「桑門(よすてびと)」への興味が俄然増してきた。

なぜ彼は、この歌謡集を編纂したのか、なぜ冒頭に面影の歌を置き、挙句に籠の歌を据えたのか。

どういう想いに衝き動かされて、彼がこの歌集を孤独のうちに編んでいったのか、繰り返し考えてみるうちに人物像が浮かんでくればいいのだが。

三点目は非常に重要。

この本は、表面閑吟集の解説とはいいながら、実は、著者秦恒平の歴史、人生、人間、文学に対する真摯な意見表明、文学的宣言に他ならない。初読時には、閑吟集の歌自体に注意が逸れて、このことに気づかなかった。秦文学の「女」「この世」「身内」観が、歌々にことよせて語られていた。繰り返し読むということの、大切さを実感した。

札幌はまた雪です。どうぞお元気で。 maokat

 

* 物書きの醍醐味は、こうして、永い期間の間に、少しずつ少しずつ、佳い有難い理解者・読者と出逢えること。

maokatさんのこの宗祇へのつよい興味と不審とは、ちょうどわたしが兼好と徒然草の成立とに惹き寄せられながら「慈子」に出逢っていったのと、近似している。この「書き手」には、いつかそういう物語も期待していい。すばらしいヒロインと出逢われるように。

2005 11・20 50

 

 

* モーガン・フリーマン主演のなかなかやるサスペンス洋画劇場に惹かれていた。これから一人会員の出稿を処理して、寝る。明日は浜町明治座で「細雪」をみせてもらい、そのあと茅場町で電子文藝館の委員会。

親戚筋の望月洋子さんから「ラ・フランス」という洋梨をたくさん頂いた。

2005 11・20 50

 

 

* ものの譬えで事実では全くないが、もし知人から「新幹線に乗りました」とだけのメールが突然来たら、びっくりする。まして、「東京駅まで迎えにきて」くれるものと思いこまれていたなら、もっとびっくりするだろう。しかしまたそのメールに、「東京駅まで迎えに来てもらえるか」と書き添えられていたら、可不可は別として、文面上驚きはしない。しかし「新幹線に乗りました」だけのようなメールというのが、皆無なわけでないからときどき脅かされる。メールは、仄めかしには最も向かない通信で、誤解と紛糾とに最も間近い通信である。しかし、つい、「新幹線に乗りました」だけで先方は何か分かってくれるはずという思い込みの生じやすい通信であるにも相違ない。

わたしもたいていのお礼のメールは、「感謝」だけで済ませてしまうが、先方にすればムッとしているかも知れない。

メールでの用件は具体的にはっきり告げないと受けた方で推量するにも処置無しという事例が屡々起き、それで仲良し同士がしなくてもいい喧嘩をしたり、不機嫌になったりしている。よく聞くことで、よく体験もしたりさせたりしていることである。

 

* 先日、日々メールの「安定したやりとり」ほど人間関係に大切なものがあるでしょうかというメールを受けたが、わたしからのメールは、すべて「気分次第の反応」です。義務的・儀礼的に「安定したやりとり」など、誰一人ともしてはいないのです。一年に五百も送ってくる人に、わたしは年に十回ほどしか、それも用事のメールしか送らないけれど、来たものは全部読んでいますし、必要な反応は「私語」でしています…、と返辞しておいた。

電子の「言葉」にだけ人間関係の「安定」を頼んでいては、どんなにか生き生きとした人間のからだは衰弱してゆくことだろう。

メールは、具体的な用件のために具体的な言葉でかわされれば効果は大きいし、用事でない歓談の往来も、また、具体的な言葉で具体的に書かれ、大げさにならなければならないほど、懐かしい佳い言葉に落ち着いてくる。なぜならそれは一般語ではない、個と個と、二人の間でだけ温かみが通じればいいのだから。

学生たちに、学校の先生から受けた忘れられない言葉はと聞いたとき、あの場面その場面、場面は銘々に具体的に異なっていても、言葉は全く同じに変哲もない「がんばれ」と言われた「ひと言」だと答えた学生が、驚くほど多かった。他人にすれば「がんばれ」なんて平凡で味けない、だが当人同士の間では、個と個とでは、それがビシッと生きていたのだ。メールの言葉は、個と個との間で弾ける具体の力。他者の批評は入り込めないのである。

そういうメールが来るように。そういうメールが出せるように。

機械での表現のかなり難しい機微であるのかも知れぬ。メール言語はまだ今のところ、議論むきではない。

2005 11・22 50

 

 

*   手をもんでさて秋冷えの文遣らん

 

冬まつり 音もなく来て菊枯るゝ      遠

 

* 梅の井主人に和し、返辞の手紙に添えて送った。

2005 11・17 50

 

 

* 良いお天気ですね!  ゆめ

街の木々も紅葉し始め、気持ち良い休日ですね。

「鱒のすし」25日(金)に到着するようにお送りしました。三日くらいは常温保存出来ますけれど、なるべく早めに召し上がって下さい。笹の葉にくるまれたまま、デコレーションケーキを切るように、六つ切りまたは、八切りに包丁で切っていただき、笹団子みたいに、笹の葉を剥しながら、むしゃむしゃと召し上がって下さい。お醤油は、私はつけませんけれど、お好みでどちらでも。「黒作り」はおまけです。お好きではないかしら、と。

『千一夜物語』は五巻を通り過ぎ、妹の「小さなドニアザード」の変化なども楽しみ。秋の夜長を読書三昧で過ごしています。

 

* お天気がいいかどうかも気付かず、閉じこもってあれやこれや原稿をつくったり用事の手紙を書いたり、すこし頭痛したりしている。肩も背中もかたくなっている。首筋へ痛みが這い上がってくると危険信号。

品川の河出朋久氏から、桑名名産のうまそうな蛤煮を頂戴した。

京都の「菱岩」へ、南座まで弁当をとどけてくれますかと問い合わせている。昨日今日と、へんに気疲れしている。

2005 11・23 50

 

 

* いいお天気とはいえ、空気が乾燥しています。風邪を引いている人が多いので、外出したら、手洗いとうがいを欠かしません。

風も、どうぞ、お気をつけください。

「シュウシュウの季節」という、中国の映画を見ました。

文化大革命で、田舎へ労働に行かされる少女の話で、監督は、女優でもあるジョアン・チェンという人ですが、確かな人間把握で、少女の苛酷な運命を描いていました。見終えて、なんともやりきれない気持ちになりました。

批評のきいた映画の余韻を引き摺っているけれど、切り換えなくては。(それくらい、わたしには強烈な映画でした。)

明日はわたしも運動におでかけです。お昼はラーメンかも。

明後日は、友人が北海道のいくらを送ってくれることになっています。楽しみ。こちらからは、桑名の蛤を送ることにしました。  花

2005 11・23 50

 

 

* 昴  北から吹く風が身を切るように冷たくなって、冬が来たことを実感しています。

現在、電子版「北の時代=最上徳内」を読んでいます。ちょっと前まで、冒頭部分の「私」が、「私語の刻」の秦先生なのか、「小説」の秦先生なのか、それとも別の秦先生なのか、どう読めばいいのか不安になりながら読んでいます。今は最上徳内が「部屋」に来始めた部分です。

読んでいる内に書籍で読みたくなり、送金しようと郵便局に行っているのですが、閉まっていたり、振り込み用紙が置いていなかったりで、送金できずにいます。今週の土曜日に、隣の市まで行って振り込もうと考えているのですが、湖の本の「発送」はあらかた終わってしまったでしょうから、気が引けています。この次の新刊発行まで待とうと思います。

秦先生の歴史小説の展開がどのようになっていくか、楽しみです。

 

* 昴さん感謝。  「発送」は、新刊の『花鳥風月・好き嫌い百人一首』だけのことで、既刊分はそういう作業とは無関係に、註文が有れば送っています。電子版の「北の時代 最上徳内」は本からスキャンしただけで、スキャンミスの校正が出来てなかったと思います。

東京も冷えてきました。マウスを握る手が冷たいです。尾岱沼といったかな、その辺の民宿「牧場の宿」に泊まりました。六月でしたが夕方から夜への寒かったこと。食堂でもどんどん火を焚いていました。翌朝馬に乗ったり山に入ったりしました。船に乗って海へも。長い砂嘴に降りて、日光をあびながら雲雀の声を聴きました。

またいつでも遠慮なくメールして下さい。わたしの本との最初の出逢いが『北の時代』というのは、珍しい例です。もっぱら京都や近江を書いてきましたからね。

いい出逢いになりますように。 お元気で。 湖

2005 11・24 50

 

 

* 柿の実が冬の陽に照っています。昨日は、あの日(冬祭り)―でしたが、清閑寺には寄らずに帰ってまいりました。

要石からの眺めも夕焼けも、木陰に並んだ宝篋印塔も、高い襟のあたたかそうなセーター姿で迎えてくださったご住職も、むくむくの白い犬も、心にうつして。

京の東山はこの時期、ただでさえひどく混みますのに、清水寺、高台寺のライトアップで夕暮れ時は一段と身動きがなりませんの。

主人は「源氏物語絵巻」復元のテレビを見てから寝床に入ったようです。雀は草臥れて「絵巻」に夢を結び、寝入ってしまいました。

下弦の月。

階に、長い足を伸ばして腰掛ける仁左の笑顔に「京都があって、よかった」のコピーが添ったポスターを、あちこちで見かけました。今朝、「もし、京が都にならんままきとったら、どないかなっとったやろか」と、唐突に思いました。

「絵巻」を最初に読んだとき、そしてそれからしばらく、何年も、手も足も出ませんでしたわ。読みわずらう文ではなく、のびやかで、変ないい方ですが、ノリがいいのに、こういう “むずかしい” お作もあるのだなと思いました。

知識、は、変わらず乏しくて、わからない部分がまだたくさんにございます。ですが、自分と庭掃きの老人が「幸せ」か「幸せでない」かわからないというところや、「生まれ」、「静か」が繰り返されることなど、徐々に、味わい、ちんとしずんで、楽しめるようになってまいりました。      雀

2005 11・24 50

 

 

* 昨日来のどんよりとした疲れで、正午頃まで寝てしまった。

富山のすばらしい鱒の押し寿司が贈られてきて、おまけもついた。墨を含んだ黒い烏賊の塩辛。鮓は、早速お昼に頂戴したが、鱒のほのかに甘味すらある上品なあじわいといい鮨飯のうまさといい、満悦。感謝。

2005 11・25 50

 

 

* 比良の旅  先だっての鯖街道から安曇川(あどがわ)町への旅の、囀りです。

以前、常照皇寺へ行ったときは、京都駅からタクシーを頼みましたの。その折、運転手さんが「いま、女の人に美山町がえらい流行ってますな」と言うのに眉をしかめたら、見て取って、次は峰定寺(ぶじょうじ)に行ってみては? と、往路は芹生(せりょう)、復路は花背を通ってくれました。寺はそのままうっちゃっておりましたが、今年の夏、名張のハイキングサークルが、「涼を求めて京都へ」とツアー募集をしていたチラシに、大悲山峰定寺とあり、思い出しましたの。

そこにはお寺の説明が書いてあって、観音と山岳信仰のかなりの古刹と識り、また、京・国博で、印象に残った仏像が、いくつも「峰定寺」とあったことに思い至りました。

地図を広げましたら、花背の北。あ、そぅか、あのときの…と。さらに北へ行く道があって、京滋を結ぶ山路があり、大文字の前夜には花背で火祭りが行なわれること、あたりにシコブチ神社がいくつもあることを、追い追い知りましたの。

一方、小野の里を訪ねた折、琵琶湖大橋際の十字路でひどい渋滞に巻き込まれ、雀が、渋面を募らせる主人を「堅田、大津へ行くクルマが多いだけで、北上するか突っ切って行く分には、きっと空いてるから」となだめているうち、「京都への近道」とある案内に怪訝な顔をいたしましたから、「大原へ出るのよ。山中ののんびりしたいい道

よぉ。紅葉の時期の京都から大原へなんて、混んで動かないけど、こっちからなら楽に行けるわ」と誘いましたの。案の定、十字路を過ぎると嘘のようにがらんとしていました。

小野から帰って地図を眺めておりましたが、まさか、比良山系をぐるりと巻き取るドライウ゛を考えていたとは。

 

“真野”に佐渡を思い、“伊香立”に伊香具を思い、江若バスの停留所名を地図と照らし合わせながら道を進みました。三橋節子の繪をまだ実際に目にしておりませんが、「花折峠」ってどんなところかしらと楽しみにしていたのに、あっと思ったらトンネルに入ってしまいました。自分のミスですから黙って、鯖寿司の店もおねだりせず、この右手の険しい山並みに小女郎池がしずまっているんだわと考えたりしておりますと、続けざまトンネル。坂下町のシコブチ神社を見落としました。

息障明王院に着いてようやくひと息つきました。里よりよほど紅葉が早く、すぐ前の料理旅館の駐車場は満車ですし、カメラ片手の中高年が何人も散策しています。

伊賀も寒かったけれど、ここも、かなり寒いです。くらいお堂に、絵馬に囲まれてひとりで座っていると、しんしんと冷えてまいりました。不気味なようで、何となく心惹かれる、懐かしい空気にひたされた好い場処で、隣の地主神社には思古淵大明神の扁額がかかっておりました。

ここから北上した、川合の梅の木集落にある志子渕神社も見付けられず、表記は栃生に。途中峠の「途中」の名は栃生(とちう)でしょうか。

前に安曇川へ行ったとき、「朽木まで行ったら、山菜、川魚、栃餅と、おいしいお土産があるのに」と残念がられたので、食いしんぼ雀は、「栃餅栃餅」と楽しみにしておりましたの。栃は刳物の材ですのね。こういう結びがつかないのが、雀のおばかなところ。やぁねェ。

名張を朝八時に出発して、正午に旧・秀隣寺庭園、現・興聖寺に到着しました。モータリゼーションに諸手を挙げて服従はしませんが、おかげですわねぇ。  囀雀

 

* なんと旅上手なこと。脱帽。

2005 11・25 50

 

 

* 興聖寺から船木へ

名張のお隣の美杉村に、北畠氏館跡庭園があります。(北畠)親房かしら、たしか南北朝と聞いた気がしますが、興聖寺はもとは本陣で、将軍足利義晴滞在のお慰みのために造園されたとあります。両者二百年もの時差にかかわらず、借景を除いて、大層似ています。

銀杏の黄葉にはまだ早く、その分、人がまばらで、ゆっくりできました。椿の古木が見事でしたわ。本堂で、ご本尊間近までお参りさせてくださった若住職のお話では、興聖寺はもとは川向こうにあったそうで、永平寺直末なのですってね。

雪景色の山中、小さなお堂で座禅を組む景色を、向かいの山に想像いたしました。と、雀が山川に気を取られていたら、主人が、「あれ、消雪パイプだ」と声をあげましたの。道のセンターラインに水道を通し、噴水状にして雪を消す仕組みで、雪が多く、しかも凍らない地域の融雪の工夫です。朽木(くつき)から安曇川(あどがわ)河口まで設置されておりました。朽木宿を流れる小川も、積雪時には流雪溝に使うのでしょう。琵琶湖の北1/3は、北陸と兄弟姉妹ですわ。

そういえば、北陸の実家から帰る電車の窓で見る景色は、春遅くまで、志賀町までは北陸、蓬莱や和迩(わに)は南国の印象でした。

朽木宿はイベントのため車両進入禁止となっていて、その上、雨が本降りになってきたので、散策はあきらめ、川を渡った先の邇邇杵(ににぎ)神社に向かいました。多宝塔が保存良く遺っています。石山寺も有名ですが、ここは風景にとても合って、雨のなか一段と趣がありました。

そこから朽木渓谷を回り、安曇川町に入りました。紅葉の全盛にはさぞかし渋滞するのでしょうが、雨はますます降りしきり、だぁれもいません。

文化の日とも思えない荒天に、予定をかなり割愛。バスガイドを気取って、石仏の玉泉寺、スサノオと稲田姫を祀る田中神社、継体天皇の父の御陵、三尾の里、藤樹書院跡、藤樹の墓、中国風の門をもつ藤樹神社…と主人に話しかけながら、阿志都彌(あしづみ)神社への入口を目で探す雀でした。

図書館で見た名鑑には、紋も桜花の、桜花大明神の阿志都彌神社もあると書いてありましたが、川島のお社は、賀茂大明神と新しい扁額がかかっておりました。お参りして、雨中、河口をめざします。船木の橋を渡り、湖畔道へ入りました。  囀雀

 

* 雀の囀りは「よく分からない」と言うてくる人もあるが、わたしにはよく分かるし、自分で動けないところを代わって旅してもらっていて、すこぶる懐かしく有難いのである。大昔「金鼓(こんく)」などといい、鉦など打ち鳴らしながら「代参」を職掌としている人達が居た。雀さんご夫婦を「金鼓」打ちあつかいは失礼極まるが、わたしの行けない先をいろいろに訪れ、ものの名や土地の名を告げてもらえるだけで、わたしは大いに大いに心なぐさみ佳い気分なのである。闇に言い置く「私語」は、そういうわたし自身の「私語」なのである。

 

* ご本で書いてらした、国狭槌(くにのさづち)神社。そして、布留(ふる)、加茂、貴布弥(きぶね)、蛭子(えびす)。少し離れて、白宮、志呂志、水尾 (みのお)のお社。鴨川、白浜、鵜川…。地図に印をつけて、ふと目をあげると、「高島駅」の案内板。

「こっち曲がってっ」とトチメンボウに。毀(こぼ)ちかけた塀や溝板。観光用に直してなかった、まだ。間に合ったァ!

艶っぽい町のつきあたりに大きな病院があり、道は湖側に曲がります。目に飛び込んできた湖面に気を取られ、乙女ヶ池も、四十八体仏も、後方に流れ去っていました。

クルマは、後続車があったり、流れに乗らなくてはいけなかったり、思うように寄り道ができないのが難点ですが、電車に何遍乗っても分からなかった白髭神社の鳥居が見えたときは感激いたしました。まさに“近江の厳島神社”ですわ。向こうが沖ノ島、長命寺ね。

たらい舟で百夜通った娘の悲話があるとか。佐渡から通った娘の話と同じです。

中江藤樹は伊予大洲藩に仕えたそうですが、雪深い安曇から、愛媛県内で、内子と並んで最も暑い大洲に行って、常春(とこはる)と喜んだかしら、暑さにノビてはいなかったかしら。

五月末の内子でさえ雀は参ってしまい、内子座での文楽公演が八月末に変わってからは、どんな魅力的な配役でも、友人が旅慣れて誘ってくれても、とてもおそろしくて行く気になれません。

また、千島や北蝦夷探索をした近藤重蔵のお墓がありましたが、安曇川とは比べものにならない気候でしたでしょう。安曇川に帰って、息子のことを思いながら、ひとり日を送る彼の頭上を、灰色の雲が広がったり、流れたりしていたのかしら。

そんなことを考えていたら、主人が「自分で馬鹿みたいって気がつくんだけど、どうして『こんなに海岸近く住んで、屋根や車が錆びないかなぁ』って思っちゃう。湖だよねぇ、これは」と苦笑いしながら言いました。

案内板や看板に、わに、ワニ、和迩とあふれる道。「『因幡のしろうさぎ』だよ」と言う先に「出雲大社近江分祀」の看板があり、小野の集落に入りました。ふたりして安堵の息を吐きました。あとは先日と同じ道を帰るだけ。 囀雀

 

* 息子は車の旅に誘ってくれる。妻は、車の旅って楽しそうと憧れる。わたしは、疲れても腰をのばして立てない狭い車の旅のつらさ、退屈さを、焼き物の窯場探訪で全九州を車でかけずり回った体験から、身に沁みている。あの旅は車でなければとうてい叶わない縦横に山奥へも尋ねて行く探索行であったから仕方がない、確かに車の探訪は機動的ですぐれている。が、躰には決してラクでない。心臓の弱い妻にはとても勧められない。走っているより停まっている方がながい渋滞は、日本列島のいたるところに生じる。

それでも雀さん達のマイカーの旅は風情に溢れて奥ゆかしい。

2005 11・26 50

 

 

* 喜んで戴けて嬉しいです  我が家にも今朝ほど「鱒のすし」到着、さきほどの昼食で郷里の味を味わいました。押し寿司は全国各地にありますけれど、これには確かに北陸の香りがするのです。  ゆめ

 

* わたしは、もともと先ず「酢」の味が好き。鮨飯の味がだから、美味しい白米飯や白粥とならんで好き。そして年を取るにつれて佳い魚の味が好きになって (煮魚の腥いのは叶わない、)それで鮓が大の好物になっている。「食べる」となると鮓、天麩羅、鰻と思いつき、としのせいか鰻はやや後退しているが、先日京の縄手「梅の井」で食べた鰻はほんのり香ばしくすらあり、美味であった。

「梅の井」ちかく、四条縄手「蛇の目」鮓の鱧鮓も大々好き、そして酒なら四條縄手東の「千花」へ立ち寄る。ときには四條小橋西をすこし下がった「杉」へも寄る。河原町でなら四條少し上がる西の「ひさご」寿司がよく勉強して、大の人気店。ほんとうに贅沢をする気の時は、木屋町西の「たん熊北店」の座敷に上がり、ひとり、ゆうっくり喰って呑んでタンノウしてから東京へ帰りの新幹線に乗ったりする。祇園富永町から、一流割烹であった「浜作」が姿を消したのはじつに残念。ま、一泊二泊の京都でなら、今挙げたそれぐらいの店があれば、足りる、十分に。

四條寺町の西に、以前は仏蘭西料理の「萬養軒」があった。今はこれも姿を消していて残念。

肉や中華料理なら、寺町三条の「三島亭」のすきやき、中華なら河原町から姉ヶ小路へ入ったところの、なんとか謂った老舗が懐かしい。

ああ、わたしは何を「私語」していることか。

2005 11・26 50

 

 

* 寒くはない一日でしたが、理事会のお疲れがでませんように。毎日活動的なことにはびっくりしています。

最近愛用のパソコンの調子が悪くて、ネットに繋がったり繋がらなかったり、突然フリーズしたり画面が流れたり。バックアップとりつつ、もう一台の新しいパソコンに書いたものを少しずつ移しています。

三十日に大切な検査とのことですが、ネットでダイエット方法を一つ発見。心臓手術の効果をあげたい場合などにも使う方法で「脂肪燃焼スープダイエット」というものです。検索するとたくさん出てきます。一週間忠実に実行するとかなり痩せるそうです。読んでみると、それほど困難な方法ではなさそう。

ダイエットの場合一番の問題は本人のやる気。意志堅固な方ですが、ダイエットに対してはそのおつもりがまったくまったくおありにならない。でも、部分的に取り入れてみたらよろしいかとオススメします。食べる量を減らすダイエットはつらいけれど、これはたっぷりの野菜スープで空腹感がないのが取柄のようです。胃腸にもやさしそう。

わたくしも部分的に実行しようかと思います。なにしろ、年末年始は御馳走が待っていて色々楽しみたいですから、今が勝負です。と言いつつ、粕汁を作って余った酒粕でこれから甘酒を作ろうとしている自分は、やっぱり誰かさんに似て食いしん坊。

酒粕風呂は芯から暖まるというので、寒い日にお試しください。(市販のお茶パックに適量の酒粕を入れる)白濁したお湯の中でお肌もすべすべに。

ゆっくり楽しい日々をお過ごしください。  冬

 

* 美味い店をあちこちと思い出しているほうが、よろしい。それがわたしのリラックス。執着ではない。放心か。

2005 11・26 50

 

 

* 根気よくこつこつと仕事をすすめたり休息したり。明後日の月曜、機械を点検に何年ぶりかで布谷君が来てくれると。有難いことです。ぐあいのわるいのは、CD-ROMのディスクドライヴて。必要なインストールや、音楽を聴いたり映画を観たりが出来ない。

だがそれより布谷君の顔を久しぶりに見るのが楽しみ。会社は相当忙しいらしい。

2005 11・26 50

 

 

* こんばんは。 昴

今日、本のお金2,000円(本代+送料)をお送りしました。早く読みたいですが、急ぎませんので、外出の際にお送り下さい。

注文したのは

『北の時代=最上徳内』上巻(1部) です。

まとめて読む時間がとれないと思うので、中・下巻は後日注文します。

小さい頃、尾岱沼(おだいとう)に行く途中に、川の中州で野生の馬が走っているのをよく見ました。野生の馬は今はもう走っていませんが、「牧場の宿」はまだやっていると思います。5月でも吹雪く時があるので、6月はまだまだ寒かったでしょう。6月の初旬であったならば、華やかではありませんが、千島桜が咲いていたかもしれませんね。

秦先生はおいしい料理がお好きなようですので、しっかり食べて、体を壊さないようにして下さい。

 

* あの「牧場の宿」や尾岱沼のわかる人と知り合えたなんて、徳内さんやキム・ヤンジァがどんなに嬉しがるだろう。人にはわからないだろうが、それはそれは懐かしい。

北海道では何泊もの旅であったけれど、何といっても尾岱沼の一夜、そして翌朝が懐かしい。その「最上徳内」に目をとめて貰えるとは、嬉しい限り。

2005 11・26 50

 

 

* 雨中の旅   琵琶湖大橋を渡り、道の両手に現われる菩提寺山、三上山、阿星山に、“帰ってきたよぉ”と手をふりたい心持ちで道を走りました。

旧水口(みなくち)町に、倭姫が旅の途中、杉の木に笠をかけたいわれのある神社があるというので、立ち寄ることにしました。「笠山神社」と案内板にありましたが、鳥居には「瘡(かさ)山神」とあり、病気平癒の神様だそうです。「でんぼ」の神様、石切剱箭(つるぎや)神社を聯想しました。

初代の切り株の脇に、二代目という杉が植えられ、初代は輪切りにされ祭られておりました。その大きさに驚き、狭い境内を眺めまわしてみると、瓦から蟇股、柱の銅版など、あらゆるところに、翼竜、波に鯉、波に兎、波濤文様など、「水」関連の装飾がされています。どれも丁寧で美しく出来ていて、翼竜などは抱き抱えてみたいほど。絵馬は魚。おこぜのようです。

石切神社の奥の院が、滝、水、蛇の宮でいっぱいだったことを思い出しました。また、伊勢か尾鷲に、山の女神に氏子の男たちがお参りに行くとき、「男性」をかたどったものをさまざま作って持参するのと同時に、懐におこぜを隠し持ち、祠に着くとそれを見せて、みなで大笑いし、神を慰めご機嫌を取る祭りがあるのを思いました。

そこから、阿山、伊賀、名張へと帰っていったのですが、太陽の傾きを気にしつつ、もう一ヶ所、古社に寄り道。旧・阿山町の地主神社、陽夫多神社です。伊賀焼のさと、阿山集落の旧い道を下りていくと、鳥居が見えてきました。川合にあります。川の名は河合川、字名も河合。スサノオを祀る、古風に広い境内をもつ神社でした。

雨中の旅、「水神」参詣の旅でした。  雀

 

* わたしが透視し幻視している「古来日本」とほぼ同じか、それよりも深いところへ具体的に触れ歩いている読者は、この人が、たぶん第一ではないだろうか、阿吽の呼吸で、わたしの察しているところへ共感し、感受しているように想われる。わたしの眼で観てもらっている気がすることもある。

東京が代表的「日本」なんかであるわけがなく、「日本」とは実は「非東京」のことなのである。そして、それでいいとも、それがいいとも、実は言いがたい。課題は、そういう風に捉えねばならない。

 

* 「でんぼ」とは懐かしい言葉を思い出した。むかしの栄養の足りない子供は、とかく皮膚に「でんぼ」をふくらませ、つぶれると瘡(かさ=クサ)になり親も子も難渋をきわめた。霜焼けがひどくなっても「瘡(くさ)出来八幡」と歎くひどさに、何処の子もなりやすかった。洟垂れ小僧も同じクチで。いやいや、あれらに限っては懐かしいどころではない。もう御免である。

2005 11・27 50

 

 

* 「逃げ腰では、とても」と題した一文をファックスで、送稿した。校正も三つカタが付き、原稿づくりも一冊分の半分余も進んだ。家に居れば、用は前へすすむが、出かけないと躰はなまる。寝床へ入った瞬間の「背中の痛さ」は、二十分ほどもつづく。本を読んでいるうちにおさまる。この二日、腹工合もへんに悪かったが、おさまってきている。じいっと、様子をみているうちには、なにかしら、動いて行く。おもしろい。

あす布谷君がきてくれるかどうか、まだ確認できない。明後日にはインフルエンザの予防注射を頼もうと。

その翌日には狭心症検査。要するに心電図を取るのなら、経験している。そのために午後半日潰れるのかと思うとイヤだが、美術館へ行こう。いま一番二番に生きたいのは、出光の「仮名文字展」と菊池の「智美術館」でやっている当代の「楽吉左衛門展」。菊池には脚慣れていない。先ず出光へ行きたい、佳い「ひらがな」の古筆が沢山みられるはずだ。

2005 1・27 50

 

 

* 常呂の昴に、送本の用意はしたのに、郵便局へ行かなかった。明日、送り出すつもり。

秋は往き、冬が来る。露往霜来。佳い冬に逢いたい。

2005 1・27 50

 

 

* 鳶から、「南総里見八犬伝」を送りましたとメール。オゥ嬉しい。

2005 11・28 50

 

 

* 坂の神  「あなたと越えたい峠越え」と、美人女優がママチャリをこぎながら歌う、栄養ドリンクのCMがありました。その昔、「いとしいひとと一緒なら、険しい山も険しくはない」とうたった御方がございました。

峠はかなり隧道に変わりましたが、ときに軽自動車がやっとという峠の道を行くことがございます。それでも、道路地図にある道は、ことごとく舗装されていて、石や枝ひとつ落ちてはおりません。道路行政のカネとチカラを思わされます。

伊賀、甲賀、田原あたりで、生い茂る樹木と下草の峠越えをしておりますと、都を「出るか入るか」という感覚を持つことがございます。鉄の馬(単車)ならば、きっと、物見や間諜の気分になることでしょう。

先日、和束(わつか)から下りる曲がりくねった道で、晩秋の陽光に銀鱗をきらめかせ、大様に蛇行する木津川が初めて見えたとき、加茂から笠置へ出たときとはまったく違う感慨に襲われました。京からはじき出された、脱した感じといったら大げさでしょうか。

今度、笠置山の行在所(あんざいしょ。後醍醐天皇蒙塵)跡から川を眺めたら、ずいぶん違って見えることでしょうね。京を山の向こうに視て。

それから、和束から峠を下って、なにか目がひきつけられた川原が、あとで旧・岡田鴨神社、離宮跡と知って、風水というのかしら、昔の人の、地霊を感じる力にあらためて心を動かされました。今は、洪水が起こってから、コンピュータで計算して初めて、もともとそういう地とわかるようなところがございます。水に関連した地名をもっているとか、伝説や忌避があるというような。

化粧板、化粧土で、キレイキレイとすっかりだまされて、「見えない=わからない」のです。霊が見える見えないにキャーキャーいい、アレルギーや人間関係で精神や肉体を病むような感覚過敏は進んでも、危険や安堵などの“地の気”を感じられなくなっているのですわ。  雀

 

* 佳いセンス、鋭い直観。「坂の神」「塞(サイ)の神」のことも、尋ね尋ねれば津々の興味が湧いてくる。能の「蝉丸」の姉皇女「逆髪」もまた蝉丸との縁でいえば逢坂などの坂神・塞(サイ)の神が示唆されている。

 

*  道行き  「どの道からどの門に入って、また出て行くか」と、知恩院や東福寺を例にあげてお書きになってらっしゃいます。

清水寺などで、「あれ?」「あれぇ?」と、高い声をあげている人を見かけます。地元の人が知人を案内していて、「こっからなぁ…こう行って、あれ、行けへんねゃ」というワケ。

ロープと矢印で一方通行につくられ、その人が長年かけて見つけたお気に入りの径や、抜け道、近道、かくれ道など、まったく無くされてしまうのですわ。

大原へ行くのに、京都市街から八瀬を通って行くのと、途中峠から下りるのとでも、相当、違います。

市街から持ち込む俗塵がどこでなくなるか、山の浄気がどこで失われるか。自然や山川はかわらないのに、人は、あやふやで、移ろいやすい心に左右され、美醜、聖俗、快不快を感じて、あれこれ心や頭に襞を彫ります。雀の身近には、室生寺、長谷寺。

山から下りてくるか、下から上がっていくかで、空気がすっかり違って感じられます。  雀

 

* すばらしいエッセイ。しばしば感じてきたことが、手短にみごとに、正に「指摘」されている。雀さんのメールは、ものによっては、もはやクリエイティヴな、エッセイそのもの。

2005 11・28 50

 

 

* 今年ももうすぐ師走になります。びっくりです。

今年は紅葉がどこも遅くて、行っては見ましたがすべて外れました。ご案内しようと思っていたのですが、駄目でした。今、やっときれいになってきたというところですが、これも一度冷えるとあっという間に散ってしまうでしょう。

お元気にお年を取られるのは嬉しいことです。考えれば私も相当の年ですが、自分では信じられません。

京都でお芝居を見て、皆様でお祝いですか? いいですね。

元気におりますが、本当の元気とは違うようです。でもこうしてメールが出来るのは嬉しいと思っております。

お体お気をつけて。ではまた。  常陸

 

* 布谷君が元気な顔を見せてくれた。CD-ROMドライヴを取り替えてくれた。音楽も映画も観られるようになった。歓談、いろいろ。

池袋まで見送り、プラザ八階の「いらか」で和食をしっかり食べた。一昨日なら体調がわるく見送りすら出来なかった。今晩は元気に食べて、かつ二人で飲んだ。布谷君が飲めるようになっていて少しビックリした。

いろんな話題を、突っ込んで話し合えたと思う。この人はそういうかたい議論や意見交換にも乗ってきてくれる方で、話題に事欠くことがない。楽しい半日であった。

 

* 最近冷え込みがやさしくて、着物を着るのにもちょうどよいお天気が続いています。

先日、佳い帯を衝動買いしてしまいました。あまりに美しい鶴の帯で、鶴好きのコレクターとしてはどうしても手に入れたくなってしまったのです。アンティークのものですが、現在ではとても作れない精緻な刺繍、華やかに品のある柄ゆき。お値段も新しいものを作るのと変わらなかった。昔の手仕事の素晴らしさを考えれば納得するしかありません。おめでたい席に着ようと思います。

お見せしたいけれど、ぐるぐる着込んだ姿に興味はないと言われるでしょうね。

狭心症の検査というのはどんなことをするのでしょう。

お大事になさってください。  冬

 

* あらゆる条件を充たす部屋はなかなか無く、それでも、まあまあのところに(転居先を)決めました。決め手は、車での出入りのしやすいこと、でした。

もう一つ、同じような間取りのも候補にあげていたのですが、そちらは、周辺の道路が狭いわりに往来が結構あり、擦れ違いの面倒なことと、目ぬき通りへ出るのも、信号がなく、やっかいでした。こういうことは、実際に道を走ってみないとわからないものですね。車の生活になりそうなので、これは大きいポイントなのです。

今、家具の配置など、あれこれ考えています。

ゆうべ遅くに来客、ほんとうは、今日はインテリアなどいろいろ見に行きたかったのですが、家で休んでいます。花

2005 11・28 50

 

 

* 先日は、たいへんに恥ずかしいメールをさし上げてしまいました。冷静になって作品を読み返してみますと、たしかにわたしの「ひとりよがり」な面があるのを悟ります。恐縮しております。

あの折添付しました「トラレチャウ」は、再度読み返し、あちこちの不自然、わたしなりに修整し、末尾に十数行、再加筆いたしました。老いの一念ご許容下さいますよう。

師走に至ります。さる十月、長患いしていた最期の友とも、遂に、永訣しました。もう涙も涸れています。老残とは造物主の仮借なき試練か、と、ときどき恨みたくなることがあり、はっ、と我に還る、を繰り返しています。

乾燥が続き、今夜あたりから寒くなるような…。御身おいといくださいますように。 恐惶。   甲子

 

* まるで予定の仕事を予定どおり律儀に果たすとばかり、一人また一人、訃の報知がある。首筋にひやっと走る予感が来ては、またしばらくして覚める。間に合うだろうか…と、ただ、待っている。待っている。

2005 11・29 50

 

 

* やや貧血気味でしたが、買い物してきました。たくさん歩いて、疲れました。

行きがけに洗車したら、帰りはお天気雨が。きれいな虹が見えたので、ま、よしとします。

風の『閑含集』と『梁塵秘抄』を、ネット古書店で入手しましたよ。楽しみ。もったいないから、ちょっとずつ読んでいきます。

(転居先の)新居には、ケーブルテレビが引いてあるらしく、NHK衛星放送やその他諸々見られるようになります。おもしろい映画が放送されるといいなあ、と思っています。 花

 

* 夫君が、意欲的に別企業へ転職されるらしい。GOOD LUCK!

2005 11・29 50

 

 

* 前田青邨、今村紫紅、菊地契月、甲斐荘楠音。梶原緋佐子の、中書島停車場の待合室にくずおれた仲居の繪、大正13年の鉄斎の繪、波光の「彼岸」、幸野楳嶺「帝釈試三獣」、チラシに使われた石川晴彦「聖観音立像」…途中、河鍋暁斎の「地獄の文明開化」に笑いを催され、「修羅と菩薩のあいだで」展の会場を歩き回って、雀は、ご本に出てくる画家また繪を、直に、間近に目にしていることが ―秦テルヲ「降魔」などはガラス無しでしたから、なおのこと― たいそう嬉しく、草履でスキップを踏みそうでした。

あれがこれで、と、突き合わせる、そんなミーハーも、少し…。ですが、こうして導いてくださらなかったら、雀は世界をどんなに浅く狭く硬くしてしまっていたことか。カミサマの深いお引き合わせで巡り合い、秦さんの働きかけとご深切・ご辛抱があって、雀自身でしたことなどなにもないのに、これほど豊かな世界を楽しむ幸せをいただき、おかげさまと、あらためてこの有り難さを思いますの。

敬意と深い感謝をこめて、あつくお礼申しあげます。

さて、栖鳳の「散華」を見られただけでなく、デッサンの添えられていたのが、雀には大変益になりました。

女性の裸体デッサンは、どれも泳ぐ姿に見えましたわ。麦僊について書いてらしたなかに、「水(海)の女」とございましたでしょう。咄嗟にそれが浮かびましたの。

天女は海女、ですのね。

「時雨西行」で、ことごとしく、急変して、高貴に聖に“してみせる”違和感のもとがこれとわかりましたわ。水中でくるくると身を翻す鳰の、背と腹のように、瞬きの間に、遊女と菩薩のどちらにも成っていますの。本身はひとつ。“見える”だけなのですわ。

遊女、海女なら、どう見るのですか。衣によって、菩薩だ、天女だと区別して見るのですか。そう尋ねているようでした。

鳰鳴いて 鳰鳴いて 湖 暮れんとす   (大橋敦子)       囀雀

2005 11・29 50

 

 

* ややお行儀がいいけれど、以下の、一読者からのメールには意義があり、わたしの独占すべき物ではない。若い人達にも、指導的な知識人達にも伝えたい。

 

* BS放送で「世界わが心の旅」という番組がありますが、今朝偶然その番組を観て、色々考えさせられました。今日の「私語」で憂慮されていたこととも少し関係するかもしれません。

数年前の再放送らしく、旅人は小田実さんで、「ベルリン生と死の堆積」と題された番組です。ご覧になりましたか?

小田実さんが、以前住んでいたベルリンを拠点として、ナチスに関係している旧東ドイツの街を訪れるものです。

ナチス政権がユダヤ人抹殺を決めた会議の場所、ゲシュタポの拷問部屋やベルリンの壁の残骸、ポツダム。そういう土地を訪れ、友人たちと会う小田実さん。

母親がユダヤ人だったために強制収容所に送られ、戦後引き続きソヴィエトに四年も抑留された友人は、その遺志で墓石も名前を記す何もない、ただの芝生の下に埋葬されていました。あまりに多くの、名もなく殺されていった人々を見てきた故人の、強い「遺志」だったそうです。その芝生の上に小田さんが一輪の薔薇を捧げていました。

また反ナチのTシャツを着ていたために、ネオナチに暴行を受けた若者も登場していました。両親はいやがらせが続くので、ネオナチ裁判の証人になることに賛成しなかったけれど、一人でも証人が多いほうがネオナチの犯罪を証明できると思い、自分は証言したと。

アンネ・フランクの展示をされている古い教会には、ユダヤ人を「豚」の身体で表現している、教会建設当時の柱の装飾が残り、何世紀にも渡るこの問題のどうしようもない根深さを示していました。

ナチスが台頭した時の、ヨーロッパのユダヤ人の数は、およそ千百万人で、日本の大戦での死者合計数が三百十万人のことを思いますと、六百万人とも言われる虐殺数がいかに途方もない数であることかと、目眩(めまい)がします。

最後に、小田実さんがベルリンに来ると必ず訪れる場所が出てきました。

それはユダヤ人ではなく、反ナチと見なされたドイツ市民の殺された処刑場です。ギロチンがあり、苦痛を与えるために設置された、屠殺された牛のように人間を吊るすフックがあり、床には消えない血のあと。処刑された人の家族に送られた「死刑費用支払いの請求書」も展示されています。

小田実さんが、必ずこの場所に来る理由を語っていました。あのナチス独裁政権の時代、背筋も凍る恐怖の時代にも、ナチスと闘った人々がいたということに、自分は非常に勇気づけられる。自分が心弱ったときにここに来ると、人間への、人生への希望が得られるのだ。そういう意味のことを、思わず涙ぐんで話している小田実さんの姿に、私はとても胸打たれました。

短い期間ですがドイツに住んでいたことがありますから、ナチズムの生まれる土壌の凄まじさを骨身にしみて恐れていますし、そのナチに抵抗した勇気が、どれほど気高く輝くものかも想像できるのです。小田実さんの言葉に共感しました。

しかし、それ以上に私が感動したのは、あの果敢に行動する作家小田実でさえ、「心弱る時」があり、自らを必死で奮い立たせているのだと知ったことでした。

私は小田実の読者ではありませんし、その活動に敬意を持っているものの、よく知らない人、遠目に見ているだけの人でした。小田実の印象といえば、根性のすわった左派の闘志で、ある意味過激な人と思っていました。

不勉強でいましたが、あの抑えきれない涙には、小田実という作家の人間性が噴き出していて、感動してしまいました。独裁政権によって抹殺された、無力な市民の死に血塗られた場所に勇気づけられる、奮起する、という小田実さんの涙は、ほんとうに闘ってきた人だけが流せるものと感じたのです。

正義と信じるもののために闘い続けることのいかに報われること少なく、虚しく、苦しく、命がけのことか。そしてそれでも絶望せず諦めず、やめないことのどんなに素晴らしいことか。私は今までよく知らないできたこの作家の涙を尊敬しました。

日々に時を得顔のメディア知識人には、たとえ同情だけの涙はあっても、小田さんのああいう涙は一滴も流せないでしょう。思想信条を超えた、「人間の格」を感じました。お蔭で今日は興奮しています。

(湖の筆であれば、見事に表現されるでしょうに、とりとめなく拙い書きかたでお許しください。)

明日の病院での検査結果が心配のないように。今夜は早めにおやすみください。 冬

 

* いま思想家として私が親愛を覚えているのは、小田実である。率直に言って、わたしは彼に次の日本ペンクラブを委ねたい強い念願をもっている、誰にもまだ言ったことはなかったが。

このメールは、わたしの胸にもしっかり届いて有難いメッセージであった。「オフレコ」にしなくてならない何の懸念もないのではないか。ちょうど、ついでがあるので、小田さんに伝えたい。彼の、独特の悪文であるが、新しい和文と英文のエッセイを、「ペン電子文藝館」に掲載したばかりである。

2005 11・29 50

 

 

* 『心の旅』 BS・午前八時十五分から九時まで、大好きな番組で、ほぼ観ていますが、ダイニングにあるテレビにはBSが写らず、その上、主婦にはバタバタと忙しい時間帯なので、大抵は前半十五分程を見逃してしまいますが。

この再放送の番組は再訪する人の感動がママ伝わって、物見遊山の海外旅行とは、一味二味も違います。

小田実さんのベルリンも、違わず途中からでしたが、釘付けでした。

「私語」を読んで、同じ思いで観ていた事だけでも、と慌しく送ります。

以前ならそんな感動を即メールしましたが、今は、孫守り(殆どは私の意志です)に時間を取られます。可愛い盛りのほんの今だけです。

さあ、これからその「心の旅、ポーランド」を片目で観ながら、薄化粧して、8:30に(スポーツに)出かけます。 泉

 

* こういう番組を意識して愛して観ている主婦達が諸方にいること、とても心強い。生活には意思と意識とが基盤になり、その質しだいで、日々に生彩がうまれたり、たんにダラケたりするのは男でも女でも、老いも若きも同じこと。住(執着=しがみつく)することなく、しかしだらしなくはない自在な精神、自由な考えを、と、わたしは願う。

2005 11・30 50

 

 

* 良い結果を! 受信したのが九時過ぎでした。既に検査にお出掛けになっていることでしょう。いよいよ十二月、寒さはこれから、くれぐれも大事に大事になさってください。

「南総里見八犬伝」、届いたようで安心しました。早速に読まれているのですね。何だか本の調達係になった感がありますが、わたしは本屋さんに行くのが大好き人間ですから、そして滅多に買わないで、それでも楽しむ方ですが・・立ち読みはしません・・どんな本が出版されているか、眺めてページを少しくるだけでも大いに楽しみですから、調達係は喜んで致します。そのくらいしかお役に立てないのですから。

八犬伝は小学生の時、兄の講談本を読んで・・・仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(?)の八徳を覚えたくらいで、ただただ面白く読んだものでした。もっとも現在はアニメなど「今様八犬伝」に仕立てたものがいくつもあって、原作とはかけ離れたところもあるでしょうが、読み継がれ、見続けられているといえるのでしょう。歌舞伎もそうです、ね?

馬琴自身が歌舞伎と深いご縁があったわけで、あの世の馬琴さんは、後世のどんなヴァージョンが出てきても余裕で楽しむんじゃないかと思ったりします。

今日のHP、「冬」さんが書かれている小田実の番組、わたしも見ておりました。今朝はポーランドに取材した女優夏木マリさんでした。

いずれも歴史の重さを感じさせられるものでしたが、昨日のものは本当に見ていて耐え難いほど・・つらい。目をそむけない、せめて、そして何がしかの行動ができるかどうか・・。人間の尊厳の問題です。

わたしたちは自由に生きている、そのように思えますが、日本社会も貧富の二極分化が進んでいると言われます。そして強調したいのは、今現在も悲惨な状況に生きる多くの人々、民族、があることを決して見過ごしてはいけないということです。

くよくよすることはありますが、この十一月は絵も50号を二枚描いて、それなりに充実して暮しました。美術展、友達との会話・・。京都博物館で「かな」の展覧会があるなど、思い立って見に行きたいです。

娘との旅行は舅の検査結果いかんですが、実現できたら・・冬のヴェニスに行きます。勿論ついでに行きたいところは山ほどもあり・・娘はオーロラも見たいと、意見が違うのですが。

干し柿をつくったものの暖かなので黴が出そう、庭のレモンは台風の風で見た目は悪いけれど、今年は枝も撓むほど実り近所の子供たちにおすそ分け、我流の千枚漬を楽しみ・・そして甘酒はこれから作ります。家事は好きでも嫌いでもありませんが、そして考えようによってはラクなものですが、殊に掃除は手を抜けばその分しっかり後に影響されますから・・誰かしてくれないかなあと思うこともあります。ちょっと余分なことを書いてしまいました。

詩集、もう一冊を推敲しまとめたいと足掻いています。

PS 本(八犬伝)の費用の件、どうぞ気をつかわないで。お歳暮? クリスマスプレゼント? 誕生日祝い? ということに。  鳶

 

* 感謝します。

幸い、と言うか予想どおり「狭心症検査」は心臓肥大もなく、心電図にも不安なく、今後も半年一年に一度ずつ継続検査とていればいい、「お薬も出しません」と、完全に無罪放免。運動して瘠せろ。何処へ出向いても同じことを言われます。

2005 11・30 50

 

 

* 三   いつもと違う道を歩いたら、黄色い柚子をたわわに実らせたお庭を見つけました。昨日からの強い風が止んで、空は暗く、粉雪がちらつきそうなあんばいですわ。そちらも冷えていますでしょうか。どうかおからだお大事に。

鞍馬の火祭りの翌日、イノダ本店で昼食にしたいという友人に連れられ、三条大橋から繁華な町なかを歩きました。

矢田地蔵尊を教えてもらいましたわ。送り鐘でしたかしら、六道珍皇寺と対の。あの、いつも唇に味噌を塗られてる矢田のお地蔵さんが、京に呼ばれてたとは知りませんでした。十一面観音は要らなかったのかしら。

来年の干支を、愛らしくさまざま形作って、店先に並べた、旧い人形店の前で、雀の足が止まりました。ツレが犬好きなのを幸い、店頭に残して、お店の中を見せていただきました。

伏見人形と、もう一種、京の土人形がありますのね。ぴかぴかした店が並ぶ通りがうそのような、昔風の店の奥、うす暗い土間に並べられた人形を見ているうち、長谷寺みやげの出雲人形、埴輪、墳墓に並べられた人形が、そして、粘土にまみれ、薪を割る人々、けぶった匂いが漂う集落、それが道真の菅原氏で、出雲の野見宿禰で、土師で…と、後ろから一本のリボンのように入ってきて、目の前の京の人形とつながったのです。不思議な体験でした。

美術館にはデザートもおいしいイタリアンレストランがあるし、道をはさんだ向かいには手打ち蕎麦店があるし、駅前にはひつまぶしのおいしい鰻店。ワイン、熱燗、ビール。どこにしよう。

池田遥邨展にいつ行く? はしゃぐ雀に、主人が「サンダ・サンソン」と。 ?

宇田…? 荻邨? ごめんなさい、存じあげなくて。どんな繪を描く方なのかしら。 囀雀

 

* 池田遥邨、宇田荻邨、前田青邨。揃ってすばらしい日本画家。

2005 11・30 50

 

 

* 「湖の本」届きました  ~昴

路面がブラックアイスバーンで、運転していても、私の意志とは関係なく車が勝手に動いていくような状態になっています。怖い季節になりました。

今日、『北の時代=最上徳内』『花鳥風月・好き嫌い百人一首』届きました。

百人一首は学生時代に百首暗記するというテストがあり、百首覚えました。テストでは「もみぢ」を「もみじ」と書き、また、「瀧」という字の線が一本足りなくて、98点を取った思い出があります。全然勉強していなかったための減点です。機会があれば勉強し直したいと思っていたので、少しずつでも読んでいきたいと思います。

『北の時代』は、キム・ヤンジャという名が、たぶん朝鮮人なのでしょう、気になり、読みはじめました。これからどのように展開するかわかりませんが、民族に関することが出てくるのでしょうか。

今日の北海道新聞に戦時徴用朝鮮人出身者の遺骨についての調査が行われたということが書いてありました。北海道は朝鮮と、他の地域よりも深くつながっているようですね。

これから、仕事が忙しくなっていくのですぐに、読了しました、ということにはならないと思いますが、枕の脇に置いてじっくり読んでいきたいと思います。

狭心症の検査があり、緊急の事態ではなかったようですが、無理をなさらないようにして下さい。

『湖の本』、本当にありがとうございます。

2005 11・30 50

 

 

* 波瀬  いままで行ったことのなかった方角へドライヴしてまいりました。地図だけでは分からない、道の難易があり、峠越えも、キツかったり、おもしろかったり、たやすかったり。

御杖、美杉、飯南、飯高を巡り、1000㍍をゆうに超える山が10座はある高見山脈の裾を走っていると、雨になり、あっという間に霰に変わりました。

対向車も後続車もごくわずかでしたから、室生を回って名張まで6時間余り。伊勢路と大和路両方の二つのかおりを楽しむ、ゴチソウのドライブでした。

翡翠色の渓流。縞メノウのような川原の岩。京菓子のきんとんさながら、赤と黄と緑で分けられた山々。茂みからところどころに顔を出す、柱状節理。

めろめろでもなく、ごつごつでもない。こんな風景が人をつくってきたのですわね。

金銅仏が入ってきたとき、さらに遡って、鉄や黄金が来たときのこと、異様な光と見えたでしょうね。金属臭に抵抗があったでしょうね。割り箸、塗り箸で食べているのを、ステンレスの箸に替えさせられたように。身をこわばらせ、退くような。

とはいえ、山肌に見えるのは、棚田と伊勢茶の畑。水の恐さを征服し、良さを利用する、外来文明の産物を、雀も笑みこぼれて味わいました。

そこから、大和路に入って、昨夜の天ぷらが煮付けられて、白いご飯に乗っているお弁当の、冷たくなった蓋を開けた感じ、また、さつま芋の煮っころがしが煮返されて、角がぐずぐずに崩れた感じに、「古い日本」ってこんな景色ではなかったかしらと感じました。

旧・飯南町で、山茶花の大木にであいました。

田畑の中や山にある、枝垂れ桜の古木は、名張の周辺に何本も見ておりますし、椿の古木、大木も見たことがございますが、山茶花は初めてです。樹齢120 年位だそうで、枝が四方に伸び、まったくピンクの花のトンネルですわ。ひゃぁと言ったきり、言葉が出ません。正倉院展に出る、碁石や、小さな鳥の彫刻のように、見に来る人が途切れず、歓声をあげ、息を呑み、立ち止まって独り占めしたいところを、我慢するのですよ。

人を押し退けても見る、譲らずに立ち止まって見るモノがたくさんあるのに、自分も見たい、けれど、他人にも(これも不思議。身内も他人も見ず知らずの人も関係なく、すべての人にそうしたくなるの)そうさせてあげたくなるモノというのが明らかにありますの。

「さ、どうぞ。あなたもここに立って御覧なさいな。お先にごめんなさいね」と譲り合い、離れてまたまじまじと「いいわねぇ」となるのです。近くに拡大写真があるのに誰も見ない。あれ、なぜでしょうねぇ。  雀

 

* 朝一番に「姉歯」だの「ヒューザー」だのとテレビや新聞からせめたてられるより、こういうメールを美味いお茶の味のように吸い込める安堵。

 

* 秦様のHP、ずーと、楽しみに。勉強に読ませていただいております。新PCを作動できるようになるまで、2週間ほどブランクがあったときには、落ち着かず、今の私には新聞より大きな存在だったことを知りました。インターネットを開通できたときには、一番に開けました。ほっとしました。

歌舞伎のご感想はいつも楽しみに、能のほうは私の想像力の薄さ、読みのたらなさを教えていただいております。今は矢来の九皐会の定例の会に月々に出かけ、後は日にちが許せばなるべく 多く観たいと思っております。

HPに寄せておられるメールを読ませていただくのも、大きな楽しみです。本当に視野を広くさせていただくことができています。

小田実氏の映像への感想も深くよませていただき、自分の思考の浅さも、年々関心の薄くなることも、思い知らされます。

11月は小春日和に恵まれましたが、おいおい冷え込みも厳しくなることでしょう。

ご健康を心より願っています。   晴

 

* こんにちは。今日は小春日和、「しょうざん」まで歩いてきました。家から15分ほどです。名残りの紅葉と、葉を落とすばかりのメタセコイアがオレンジ色に輝いていました。

山に囲まれ清らかな流れもある「しょうざん」の庭園、静かでいい所です。機会がありましたらお立ち寄りください。

京都へは、いつお出でになりますか。顔見世お楽しみですね。

9、10、11日の3日間、上京の予定です。すれちがいになるかもしれませんね。

明日から寒くなるようです。もう12月ですもの。どうぞ、お大切にお過ごしください。 のばら

 

* 娘夫妻の転勤にともない、従妹も東京への機会が出来たわけだ。

京都の「しょうざん」は鷹が峰近くに出来ているマルチな京都風施設で、広い眺めのいい庭園や工藝館やグルメの店などあると見える。わたしの知らない京都である。京都を出て数十年、私の知らない京都がいっぱい。もう久しくなるが、こんなふうに言われたことがある。今の京都は板の間の京都、秦さんの覚えている、書いている京都は絨緞がふかふかの京都、と。マサカと思うけれど、それも必然の変貌というものか。わたしの知っている、馴染んでいた京都でさえ、明治大正戦前のそれとは比べようもない。あたりまえのことか。

 

* いろいろ仕事して、ほっこり草臥れ、左の肩が張ってきた。もう休もう。

2005 12・1 51

 

 

* 2000年に名古屋で、池田遥邨のかなり大きな回顧展があったそうです。

雀はその頃、遥邨を知りませんでしたし、山頭火で宣伝されていたので、孤高の気難しい人かと思い、見に行かなかったのですわ。思い出しました。

今回、お作のおかげで、ずいぶん楽に愉しめました。

繪も、楽しくて、細かいところまで見ていると時間がどんどん経ってしまいます。額縁は素っ気ないほどかまわなくて、ユーモラスで、色が綺麗で、すっきりしていて、「あれだけ落選したのがよかったんだ」とおっしゃった内包がたっぷりと深く在って、美人が大好きというのが頷ける色っぽさが満々とあって、気持ち良くいられました。図録を読んでまた繪を見て、3時間近くいたかしら。

レストランで昼食をとり、なんとなく心ひかれた、コレクション展示室への階段を上がってゆくと、伊藤小坡があり、部屋の突き当たりに栖鳳の「獅子・虎」! 手前の壁には宇田荻邨が何枚も。血圧が上がりました。

獅子・虎は、もう、何ていったらいいか―。動物園の虎やライオンのように、繪の前を行ったり来たりしておりました。

荻邨は松阪出身でしたのね。そして、最初の師は小坡と同じだとか。初期の作品と下絵合わせて十数点展示されていて、係の方から、資料室に寄ってみるようすすめられました。1983年に開催された展覧会の図録があり、初歩的な知識を得てまいりました。

「京に長く暮らしているが」といった文章があり、ふむふむと読みました。

須田国太郎の繪が一点。信楽を描いたものが出ていました。この方についてもまったく存じませんの。京の展覧会を見に行こうと思っております。中野美術館に飾ってあるお写真が、たいそう男前で、前から気になっておりまして…。   雀

 

* わたしに京都を案内して欲しいと言う人、時々有るが、一緒に美術館へ行きたい人はその方が気楽なせいか、ちょいちょいある。しかし、そういうことをわたしは、めったにしない。美術工藝を観るとは、この雀さんのような「没頭」が本来で、こういうふうに観るには「独り」が何よりなのである。むろん目的があり、同じ作品を視線をそろえて観てくることに意義のある場合もある、東工大の学生と行くときは努めてそのようにして観た。口移しに育むような見方というと変かも知れないが。

普通は、独りで観る。人と一緒に行っても結局はばらばらになって観る。たいていの人は一つの美術館に三時間もおれるものでない。三時間も居れるということはそれが至福の時であったということ。

東京という街は、京都とちがい、自動車を見ないで、歩いて楽しめる場所がない。仕方なくどこかの店にお金を払って入り込み、「お茶する」などという変な日本語を体験しなくてはならない。さもなければ、飲み食いか。映画ならやはり独り観るのが本当だろう。

この界隈では石神井の三寶寺池なんて佳いところだが、最近日本刀を振り回して人に斬りつける男が出たなんて。情けない。

東福寺、清閑寺、清水寺、また永観堂、法然院、さらに金福寺、詩仙堂、曼殊院、車でまわって円通寺、さらに妙心寺、仁和寺、大覚寺、厭離庵、常寂光寺、そして天竜寺。京の初冬もまた佳い。行かなくても行ったと同じほど甦ってくる最良の記憶。

東京では、やはり演劇が一番。わたしのかつて識らない佳い東京へ、誘って呉れる人はいないか。

2005 12・2 51

 

 

* 甘酒、粕汁、しっぽくうどん   昨夕は雪空から、とぎれとぎれ冷たい雨が降りました。今朝は、また、風。

防寒の小物が、毎年いろいろ工夫を加えられて店に並びます。

お風邪召しませんよう、お怪我にもどうかお気をつけて、日々お大切に。

資料室にあった、(三重)県立美術館企画展の図録のいくつかを見ておりまして、両脇侍「正座」の仏像写真に手が止まりました。

上野市界外(現・伊賀市)西方寺とあります。

京都大原三千院と熱海MOA、それから愛媛でしたか岡山でしたか、そのくらいしか現存していないのですってね。西方寺の坐像は、三千院のよりもお尻がしっかり下におりています。

図録の冒頭には、三重県はまだかなり社寺に据えられ守られ祭られているので、このように一堂で見る機会はなかなかないと書かれておりました。重文指定によって収蔵庫に入れなくてはならなくなって、空になってしまう本堂をどうしよう、代わりは誰方にたのもうかと悩んで、と、伊賀のお寺で聞いたことがございます。

博物館に入ったら最後。収蔵庫は、サイドブレーキといったところでしょうか。

さて、繪のなかに芝居小屋が描かれているとつい覗きこんでしまう雀は、昨日も、池田遥邨の「京の春宵」を見ながら、とりとめのない思いに漂いました。

昭和4年の作品だそうで、擬宝珠の橋、川向こうに見える丹塗りの門。人で身動きもできない通りにはためく、たくさんの幟。唐破風の額には夷谷座の文字。「瘤弁慶」の大立ち回りはこのあたりかしら。

川のこっちは先斗町、木屋町、河原町でしょ、でもってあれが八坂さんだから、木の影に飛び出して見えている塔は清水さん、くろく大きな屋根が知恩院さん。その手前、屋根が連なるあのあたり、が、と…。 囀雀

 

* わたしが語気を荒ませ、今日日本の世情物騒や猥雑をどう慨嘆する文章よりも、雀の囀りは、清々しく世離れている。こうばかりで暮らせない情けなさに対し、簡単に目はつむらないけれども、わたしが、根底でなにに励まされ鼓舞されているか、均衡をはかって堪えているか、言うまでもない。「作品」を介して識りあった人たちの、作品に導かれて歩みつ拓きつされているそれぞれの世界が、揺り戻す力になって作者のわたしを立たせてくれている。

 

* 石川鶴来の「万歳楽」が秘蔵の名酒を歳暮に贈ってきてくれた。桑名の蛤、有明の海の幸、陸奥の林檎。師走には我が家の慶びが二つ続いてあり、正月が来れば建日子の誕生日が目の前に。凛々歳暮、萬福脩同とありたい。

しかし、わたしの両脚は、尻から太ももへかけてなんでこう痛むのだろう。よほど肉が落ちてしまい、椅子に腰掛けた上半身の重みをよう安楽に支えてくれない。なさけない。

 

* 昨夜、またか…の残忍なニュースを聴き、涙が溢れました。

その前夜、七五三の祝いを終えた同じ歳の孫娘と電話で歓談したばかりでした。今、スイミングスクールから帰ってきたところとか、明日はなんとか祭りがあるのとか、歯切れよく、そして可愛く。

事故と一言で済ませられない、事故。

校門を出た後は、親が守る以外にないのでしょうか。

下校途中を狙っての犯行を防ぐには、今のアメリカのように学校まで親が迎えに出向くか、スクールバスで帰すかの習慣にすべきなのか。小学校側も親も、知らない人には付いて行かないように、と諭している筈ですが。でも、事故はその隙間を縫って起こるのです。

指折り数えられない程の昔々の話、もう、封印を解いてもいいか、と。

午後、一人であの場所を、何処へ行った帰りに歩いていたのか、記憶にありません。

考えてみれば、家まであと十分程、人影がまばらな広い道でした。知らないオジサンが軽そうな風呂敷包みを重いから持ってくれない、と近寄りました。元気そうなオジサンがどうして、と不審に思わないのが低学年の子供なんでしょう。その風呂敷を持ってついて行ったのは、疑わない親切心からです。

こんな落とし穴もあるのです。満員電車で遭遇する程度の痴漢行為だったのを、幸いとすべきでしょう。トラウマに陥る程の知識もない年頃ですが、親にも誰にも訴えなかったのは、それがマトモでないのが分かっていたからだと思います。想像が付くでしょうが「その辺り」は今、変質者が多く、立ち入り禁止になっているそうです。誰にでも付いて行く開放的な子供も危険ですが、気弱で大人しい子は、もっと危険です。

未知の人の誘いには、何であろうと「ノー」と云えるよう、具体例を見せて厳しい教育をする必要があります。たとえ変質者の犯人が挙がっても、弄ばれて命を亡くした女の子を思うと、胸が詰まります。

いやな気分を押しのけようと、お向かいさんを誘って、あの「イルポステイーノ」の監督、アルパチーノのシャイロック「ヴェニスの商人」を観てきました。観たかった映画だけに楽しめました。映画はホンマに面白い。 泉

 

* ゆっくりしています。DVDを見たり、午睡をとったり。 勉強も。

夕方、急に強い風が吹いて、雨がパラパラ降りました。

明日は地区の大掃除が早朝からあります。早起きしなくては。

風、いかがお過ごしですか。 花

2005 12・3 51

 

 

* すっかり寒くなりましたね。今日、ガスストーブを出しました。

今年4回目の議会もそろそろ終わりに近づき、後は年末仕事と、9日の一時金です。

『北の時代』を読みたいと思い、昨日図書館のネットサービスで予約しておきましたら、もう今日届いた、とのこと。夕方早速行って受け取ってきました。

2月初めの北海道行きも予約し、楽しみです。  ゆめ

 

* かなりの大作で、筑摩の単行本は頁二十行ほどに詰めて組んだため、少し「読み窮屈」かもしれない。湖の本にするとき、細部まできれいにさらに添削した。北海道の現地まで身を働かせて書いた、わたしには珍しい体験の作であった。

 

* 和歌山県に住まわれる男性年輩の読者からお便りを戴いている。「湖の本」が続く限り「継続読者」ですので配本して欲しい、さしあたり「百巻」をたのしみにしていますと。

この方は今回のお便りで、今日の仏寺・僧侶ないし佛教に対する期待と不信感とを吐露されている。同様の不審ないし批判の声は、他からも耳にしないではない。文面を紹介するまえにおよそを察している人も少なくないであろう、が、残念ながら仏教者ないし聖職者からの真摯な反応は、聴きたくともめったに聞こえてこない。前回の「わが無明抄」を読まれ触発されたメールであろうが、わたしに、なにか「返辞」が欲しいとも。

文面はすこし語気けわしいところもあるが、先ず紹介しておく。

 

* 和歌山県に住まわれる男性年輩の読者からお便りを戴いている。「湖の本」が続く限り「継続読者」ですので配本して欲しい、さしあたり「百巻」をたのしみにしていますと。

この方は今回のお便りで、今日の仏寺・僧侶ないし佛教に対する期待と不信感とを吐露されている。同様の不審ないし批判の声は、他からも耳にしないではない。文面を紹介するまえにおよそを察している人も少なくないであろう、が、残念ながら仏教者ないし聖職者からの真摯な反応は、聴きたくともめったに聞こえてこない。前回の「わが無明抄」を読まれ触発されたメールであろうが、わたしに、なにか「返辞」が欲しいとも。

文面はすこし語気けわしいところもあるが、先ず紹介しておく。

2005 12・4 51

 

 

* >>十二月に入ってしまいました お変わりありませんか 今年の紅葉はとくに美しいようでした でも人で一杯です 今日は雨で冷たい日です 風邪にお気を付けて では又    華

こう書いてくれたのだと読み直しました。機械のいたずらですね(文面が乱れていました)。

冷えてきましたね、とても。郵便局まで小雨の中を自転車で走ったら、少しはながグズつきました。

京の師走はひとしお冷えてきていると想います。この二十一日には、古稀七十になります。とんぼ返しで家内と南座の顔見世を観にゆきます。

馬町や小松谷、清閑寺を懐かしく思い出します。京都へ行くと、ついつい泉涌寺へ足が向きます。

先月の八日、弥栄中仲間達の古稀同窓会がありました。みな爺さん婆さんになっていました。 わたしも完全に例外ではありません。 湖

 

* 叔母の社中も含めて、何人も何人も、わたしが熱心に茶の湯の作法を教えた人たちがいた。中学時代の茶道部にも高校時代の茶道部にもいたし、叔母の稽古場にもいた。とくに私にと望んで習いに来るグループもあった。

ほんの短期間だが東京にも我が家まで習いに来る人たちもいた。

親切に手引きしたので、手前作法の美しく出来る人が何人も出来ていた。このメールの人は、なかでも優れていた。いまでも茶の湯の「先生」をしているのではなかろうか、もう何十年も逢わないが。珍しくメールが来て、驚いた。

 

* こんばんは。雨の冷たい日曜日、同志社栄光館でのチャリティコンサートへ行ってきました。

栄光館もアスベストが使われていたとかで、五ヶ月間ほど閉鎖されていたそうです。

遠い昔、同志社のキャンパスに憧れたものです。

娘達がお正月に帰って来ることになり、東京行きも、こんなややこしい時に行かんでもと言う、周りの意見に押されて断念、年が改まってから、ゆっくり行くことにしました。

寒さが厳しくなってきました。お大切にお過ごしください。 のばら

 

* 栄光館といえば、同志社のシンボルの一つ。いちどだけクリスマスのキャンドルサービスのような催しに入ったことがある。

従妹は風邪をひいていないだろうか、わたしは今、少し頭痛がしている。かすかに熱っぽい。まだ九時前だけれど、やすもう。『八犬伝』も『英国史』も『インド史』も『千夜一夜物語』も面白い。鏡花は初見の短編類を読みあさっている。

七日には国立劇場、十日にはコクーン。よく寝ておくにしくはない。明日、もう一押しもすると一仕事が上がるところへ来ている。今夜ムリすることはない。

今夜から息子の猫クンが同居。黒いマゴとはもう馴染みの従兄弟のようなもの。

冷蔵庫に隠れていた缶ビールを見つけてチーズで飲み、少し気を持ち直したが、もうやすむ。

2005 12・4 51

 

 

* 今年のインフルエンザワクチンは、とくにご高齢の方に副反応が出るという評判を聞きました。ワクチンを接種して一週間ほどして、軽いインフルエンザの症状が出るということです。お大事になさってください。

お誕生日に東京にいらっしゃいますか?

師走は散策するにも外はかなり冷えていますし、両脚が痛いのではおつらいでしょう。

ご用事で都心にお出かけの時に、気軽な場所でお食事をご一緒するだけでも…などと。 冬

 

* ふるえあがる寒風の中で、お元気にお過ごしでしょうか。昨日、風のなかを、枇杷一枝を持って歩いてゆく人を見ました。枇杷の花は今頃咲くのですね。

おかげさまで、明治末から昭和初期の京の絵画界を、見たり知ったりすることができ、岡倉天心のネームヴァリューに、雅邦や大観が偉いと思わされてきていたこと、そして、東京に傾き、偏っていたことに気付かされました。感謝しております。

それでも欲にはきりがなく、川端龍子展が滋賀県立美術館に巡回することを喜びながら、練馬での山本丘人展に指をくわえてうらやんでおります。  囀雀

2005 12・5 51

 

 

* 師走を迎えました。一年の節目でありましょうか、この月は僕はこころが落ち着きます。

例えば除夜の鐘を聞く。昔のすわり机、座卓で。日誌の最後の頁を締める一筆を俳句にするか和歌にするか、絵にするかと思いながらついうとうとします。誰かが羽織を重ねてくれる。釈尊であろうか、バグワンの声か、各人各様の「声の衣」でありましょう。

映画『エリザベス』をパソコンで見て、英国史を読みました。文庫クセジュ・アンドレ・ブールド著でありましたが、この時代の英国は、国として『凛たる顔』があります。

日本は紅葉。   川崎 E-OLD

 

* 千葉のE-OLDさんにも、すっかりご無礼の御無沙汰、気にしている。

 

* こんばんわ、風。 今日は、この冬いちばんの寒さではないでしょうか。あったかくしてお過ごしくださいね。

小学館刊『日本の作家9 志賀直哉』というのを読んでいます。志賀直哉について、いろんな人によって書かれた論文や、思い出話などをまとめた一冊です。志賀直哉版については、伊藤整と中村光夫の書いたものが、ダントツにおもしろいです。それは、わたしの「私小説」への関心と重なってくる内容だからだと思います。

伊藤整と中村光夫にヒントをもらい、「私小説」への考えを、一度、まとめてみたい、まとめられそうな気がしてきたので、書きはじめようと思います。

印象に残っている、十返肇の論文を取り上げようと思っています。

(中村光夫の『風俗小説論』をまだ読んでいなくて。これは読んでおかないと気持ち悪いです。今度引っ越す先の市の図書館でネット検索したら蔵書しているので、越したら、真っ先に借りるつもりです。向こうの図書館には、こちらでなかった本がいろいろあるので、とっても楽しみです。)

ほんとうに、ネット上に編集者がいればいいのに、と思います。でも、出版社が紙の本へのこだわりを捨てられない現状では、難しいですね。出版社を定年退職した編集者が、セカンドライフとして、ネット上で編集すればいいのに、なんて思います。

引っ越しの準備は、ぼちぼちしています。新居用の照明やカーテンを買ったり、業者に見積もりに来てもらったり。

一戸建てにいるうちに、DVDを大音量・大画面で楽しもうとしたら、プロジェクターがウンもスンもいいません。ムウ。  花

 

*「私小説論」楽しみに。着実に書き上げてください。

中村、伊藤、十返それに批評家では小林秀雄の「私小説論」を参考に読んでおけば、それ以上多岐に亘らない方が明快でしょう。

但し論議だけでは膨らまない、実際の作品を幾つか読むべきです。

志賀直哉 瀧井孝作 尾崎芳雄 網野菊 阿川弘之  という系列の私小説と

葛西善蔵 嘉村礒多 牧野信一 川崎長太郎     などという私小説と

もっと前の 島崎藤村 田山花袋 徳田秋声 正宗白鳥 らの私小説と、 よほど違いますが、花の読みで、どうちがうと見えるかが析出できれば立派です。

瀧井の「結婚まで」  嘉村の「七月二十二日の夜」を 比較し、少なくもさらに藤村の「嵐」 秋声の「和解」 また直哉の(文藝館にはでていないけれど)「和解」「母の死と新しい母」など読んでみるのが、モノを掴みやすいかと思います。

具体的に捉えて、適切に理解したり解釈したり強く批評したりするといいですね。

飛ぶように歳月が走っています、風には。

2005 12・5 51

 

 

* 堤彧子さんから、例年の林檎をたくさん贈っていただいた。芳香満堂。

札幌のmaokatさんの「趣向」の「古稀」前祝いに目をまるくした。人生七十「七笑」という純米大吟醸、そのなかの「湧笑」と銘うったのを「七本」揃えて、豊かに祝って戴いた。

 

* hatakさん  「七笑」、蔵元は信濃の国木曽福島。私の生まれたところです。手がしびれるほど冷たい清らな渓流があり、その上に蔵元があったと記憶しています。

「八海山」「九重桜」「百寿」、 三学期が末永く続きますよう。  maokat

 

* 今日はご観劇ありがとうございました。どうしても観にいく芝居があり、ご挨拶できずに失礼しました。

今年最後の舞台になりました。慌ただしいばかりです。

お風邪が流行りそうで、どうぞお気をつけて。

奥様にもよろしくお伝えくださいませ。

 

* 高麗屋さんのご丁寧、恐れ入る。

2005 12・7 51

 

 

* 十二月にはいり、急にお寒くなりました。お変りなくお過しでいらっしゃいますか。「猫が見に来る」(「ペン電子文藝館」展観作品の総題)を、ありがとうございました。何ともユニークな、すてきなタイトルで、フッとうれしくなりました。二重に、ありがとうございました。秦さまに御らんいただく為にも、よいうたを書きたい、としんから思います。

庭の楓の紅葉が、二、三日前からほとんど真紅で、秋の紅葉を見るとやはり京都を思います。お手もとに届くころには、残念乍ら変色してしまっているでしょうけれど、あまりきれいでしたので、お目にかけます。

おからだお大切にお過ごし下さいますように。

意を尽しませんが、ひと言御礼まで申し上げました。 かしこ

 

* 袋に入った幾葉もの紅葉が色褪めもせずあでやかに届いた。傘寿にちかい、久しいおなじみの歌人である。分厚い事典などにはさんで押し花にしよう。

 

* 十二月八日は大平洋戦争開戦の日でもあるが、ある青年の誕生日でもあった。むかし、その青年が二十歳を迎えた日の感慨を手紙に伝えられたことがある。女手一つで育ててきたが、それにも母上(祖母)の存在が不可欠であったと書かれていた。それ以来消息が絶えているが、指折り数えるまでもなく青年はもう二十八歳になっている。お医者さんになりたいということであったが、望みは遂げただろうか。

 

* 今晩は。今年も日を数える程になりました。悩ましげな顔をしたマリリン・モンロウの来年の大きなカレンダーを戴いて、ご機嫌です。

この時間、まだ留守番です。

暮れの大掃除などを意識しないで、普通に暮らしています。頑張らないいます。

相変わらず、時間の許す限りは、テレビやビデオやさんの映画を楽しんでいます。テレビドラマはあまり観ないので、友人の会話に入れなくなっています。民放の夜中(ビデオ録り)にも、儲け物のような良い映画が時々あります。

最近、レオナルド・ディカプリオの「アビエーター」を借りて観ました。名前は記憶にあったハワード・ヒューズの波乱の物語で、キャサリン・ヘップバーンがその恋人となり、後に、あの「花嫁の父」のスペンサー・トレイシーの恋人になる実話なのです。ウーーン・・・詳しくは云いません。いずれ映画をご覧になって。この作品はアカデミー賞を沢山取っています。

先程までデコちゃんの「カルメン・・・」を観ていました。

眠くなりました。

睡眠薬代わりにお猪口半分のアルコールを嘗めて熟睡します、オヤスミ。  泉

 

* こんな遅い時間まで、ひとり留守番をしている人がいる。

そうかと思うとこの時間に、「ささやかな質問」と称して、「ふぐは食べないのか」だの、「電気毛布は使っているか」だの聞いてくる人もいる。わたしは、むやみとものを尋ねられるのが、苦手。わたしも、聞かずに済むことは聞かないで済ましてしまう。そのために誤解の生じていることも多いだろうが。 2005 12・8 51

 

 

* 脚の痛みのことが気に懸かります。如何ですか。

師走に入ってから数日間続いている寒波がいくらか和らいでいますが、先日はテレビで京都大原の雪景色を見ました。ぬくぬくと今から冬篭りでは先が思いやられますが、そのように暮しています。

ヘルペスには薬と抵抗力を養うための休養が第一と、これは医者の友人の言葉に忠実に従って自分を甘やかしていました。やっと、ほぼヘルペスは退散、気に懸かっていたリンパ腺や乳癌の検診も済ませて放免されました!!

検査の後のいつもの行動パターンなのですが、その足で少し贅沢な昼ごはんを食べたかったけれど、さすがに二時過ぎてはレストランは昼の営業時間が終わっていてがっかり。

現金なものですねえ、鳶は。つくづくそう思います。そして健康が失われ重大なことにいきあった途端に、日頃のくよくよ、不平なども含めて、実は自分はピカピカの幸せな状況にあったはず、と気づくのでしょう。せめて一日一日大切に暮したい。

一つのトンネルを抜けて、次のトンネルも。

舅姑二人の日常生活がだんだん立ち行かない状況になっています。来年のことを心配しても仕方がありませんが、来年はもうすぐそこ。来週あたりには***に行き、一階の部屋にベッドを移して老人が暮せるように部屋を整理しなければなりません。以前からそのように提案していたのですが、やはり何でも緊急目前の必要に迫られるまで、なかなか変える事ができませんでした。ヘルパーさんのこと、介護施設のことなど、どこの家庭にもある親の介護問題が切実にあり、そして将来は確実に自分自身のことでもあるということです。

トンネル、と書いてしまったのですが、あまり悲観的に物事をみているわけではありません。飄々と、しかし逞しく生きるでしょう。

ファウストに関してHPの記載とは別にまとめていらっしゃるとのこと、さすが、・・心行くまで味わって我が身のものとなさっていく。

楽さんのお茶碗、展覧会には行かれませんが、これまでに見たものを思い浮かべています。

女のやわらか、優しい手に釣り合うとは限らぬ茶碗、潔さ、斬新さ、ただし決して現代に媚びていないこと、豪放、しかし同時に繊細。

先週は大阪の民族博物館の「サリー展」に出かけました。万博会場跡にできた大きな博物館で平常の陳列も膨大なものです。以前見たことがありますが改めて廻りました。

アフリカの怖い雰囲気のものがある部屋では、子供がお母さんの背中に貼りつくようにして、「こわい、こわいよー、はよ帰ろー」と泣いていたのがいささか面白く(いじわるオバサンですね、わたしは。)けれどあの子の気持ち、素直に「よう分かる」と思いました。生まれた土地から切り離され並べられたものたちですが、饒舌に語り醸し出すものがやはりあるのです。

さまざまな民族のものを見たあと、日本の祭りや行事に関するものが、想像以上に華やかなことに圧倒されます。侘び寂びだけでない日本の文化、美のありよう、です。

さて肝心の「サリー展」はインドの布へのわたしの関心もあり、勿論、大いに楽しみました。

どうぞお体大切に。暖めてぬくぬく暮らして下さい。 鳶

2005 12・9 51

 

 

* 千葉のE-OLD勝田貞夫さんに、なんと! ステレオ音源による「美空ひばり名曲全集」12ディスクを頂戴した。歌詞集も付いている! わたしは自分で、ひばりに限らず演歌や歌謡曲を歌うことはない、が、ひばりだけは抜群の日本語理解と歌唱力の故に、少年時代から熱愛して聴いてきた。なにかしらいつも仕残した仕事の一つに、ひばりのこと、がある気がしてもいる。

ひばりの実像に出会ったとき、わたしは中学生に成る成らずであり、一二歳ちいさいひばりはもうスターとしてウチの近所へ何かの用で来ていた。人だかりに囲まれて「ちっこい黒い雀みたいなヤツ」に見えた。

あの頃、わたしはだがもう「短歌」を創っていたが、歌集『少年』は、すべて高校以降の作だけで編んだ。文学体験の最初に編んだ短歌集『少年』が、古稀を記念すべくたぶん来週に出来てくる。そして少年の青春につよい刺戟をくれた美空ひばりの全集を勝田さんはたぶん察して、古稀の老年に贈って下さったのだろう。「川の流れのように」七十年がいましも流れすぎて行く。一掬の感傷を、われにゆるせ。

2005 12・9 51

 

 

* こんばんは。

今日、「北の時代-最上徳内」中下巻(各一部)の本代+将来買うであろう分の本代(一万円)を振り込みました。外出する時、また、足の痛みがない時に「北の時代」の送本、お願いします。

「北の時代」を読んで、学生時代に船を使いながら高野山から北海道まで帰って来た時のことを思い出しました。青函トンネルも飛行機もあるのに、ふと、片道は船を使ってみたいなぁと思って使いました。

高野山奥の院や山間の家々、当麻の町の小さな神社を見て、「自分日本人じゃないなぁ」と思った、一人旅でした。しばらく、忘れていました。

東京も寒いと思います。体を冷やさないようお気を付け下さい。  昴

 

* あのオホーツクの見える世界から光って富んできたメールだと思うと、とても嬉しい。そして有難い。

当麻の神社には土俵があった。わたしは小さかった建日子と二人で旅しながら、あの土俵で相撲をとった。当麻蹴速の故地である。あそこから歩いて竹内峠を越えた。

高野山から船で北海道へ、と。

わたしは釧路から東京まで船に乗った。懐かしい。

2005 12・10 51

 

 

* 昴  ありがとう 嬉しいことです。昨日十日は、脚の痛みをひきずったこともあり、疲れて帰宅しました。あなたのメールで、気がかがやきました。ありがとう。

そのあと、録画しておいた中国映画の「この子を探して」というとてもユニークな映画を十分楽しみ、おりよくそこへ、預かっていた猫をひきとりかたがた、吾々のお祝いに、息子たちが、幻の「泡盛」持参で、深夜に訪ねてきてくれたり。みなでケーキでお茶をのんで、とても気分よかったのです。

息子達をまた深夜に帰したあとは、心行くまで独りいろんな本を読んで、三時半頃に電気を消して寝たことでした。

> 「北の時代」を読んで、学生時代に船を使いながら高野山から北海道まで帰って来た時のことを思い出しました。青函トンネルも飛行機もあるのに、ふと、片道は船を使ってみたいなぁと思って使いました。

> 高野山奥の院や山間の家々、当麻の町の小さな神社を見て、「自分日本人じゃないなぁ」と思った、一人旅でした。しばらく、忘れていました。

太平洋側の船旅を、互いに「逆向き」にしたわけです、わたしは釧路から東京まで船に乗って帰りました。荒波でしたが、ウイスキーを用意して船酔いを退けながら、相客のひとりもいない大きな浴室で何度も湯につかってご機嫌でした。

高野山の奥の院も当麻も懐かしく、ことに当麻は、幼かった息子との二人旅で、柏原神宮や飛鳥から脚をのばし、当麻のゆかり、結ってあった砂の土俵で相撲をとり、息子に上手投げで勝たせてやったのを思い出します。

当麻は、上古、古墳用のいい「石」のとれるところでした。武内宿禰と当麻蹴速の相撲伝説は、背景に「石」争いがあったかと謂われています。

「自分日本人じゃないなぁ」と思った、というの、どういう感想であったのか、またの機会に 今少し聴かせて下さい。

『北の時代』の中・下巻は明日の月曜日に送り出します。 お元気で。  湖

2005 12・11 51

 

 

* なんとか、熱が下がりました。この冬はインフルエンザが流行りそうですね。わたしは風邪など引き易い方ですので、明日、予防接種を受けてきます。

皮膚のあちこちがカサカサになり、目まで乾く感じのするほど、空気が乾燥しています。火の用心、ですね。

私小説について考えています。風のことも想っています。 花

 

* こころもち熱っぽく、かすかに頭痛がある。

2005 12・11 51

 

 

* 本格的に寒くなってきました。 ゆめ

先生お変わりなくお過ごしでしょうか?

私の師走の日々は、「何ぞ燭をとって遊ばざる・・・」というわけで、仕事に、読書に、映画にと忙しく過ごしております。

『北の時代』読み始めました。一度さっと最後まで読んで、話の流れをつかんでから、今度は丁寧にまた最初から読み始めました。何しろ先生のご本は辞書を引いて読みや意味を調べたり、たくさん登場する人物のことなど、2,3ページ戻って再確認したり・・と、決してすらすら読めないので、うれしく悪戦苦闘している最中です。

この徳内さん、とてもユニークな人物ですね。この「徳内」という名前の意味や、冒険家となって北へ旅立つ以前の青春時代のことなど、とても興味深く読みすすんでいます。

あの、円の中に三角と小さい円三つの数学の問題、その大きい方の円周を求めるのには考えこみました!  映画ですと、ロードムービーとなりますけれど、これはロードノベルなのですね。激寒の冬、尾岱沼でみた白鳥の群れのこと、硫黄山のふもとの川湯の森の奥に咲きあふれていた「のりうつぎ」(アイヌ語で「サビタ」というそうですね)の白い花のこと、釧路からの船旅のこと、釧路の市民憲章のすばらしさに感動したこと・・・・、あれこれなつかしく思い出しながら読んでいます。

そうそう、学生時代の夏に旅行した時、友人が前夜から歯がいたくなり、急遽私の保険証で稚内(ワッカナイ)の歯科医院へ。そのため、予定のバスに乗り遅れて、サロマ湖まで行けず、寂しい海辺の町に一泊、というハプニングもありました。

北海道関係の本もかつてたくさん読みました。更科源蔵作品や、この作品にも登場する前川康男氏の『魔神の海』なども。来年の二月の旅が待ち遠しい想いです。

先日「カーテンコール」という映画をみました。昭和三〇年代の映画全盛のころ、下関の古い映画館に、映画の幕間にギターで主題歌を歌ったり、ちょっとおもしろいことをいったりして楽しませる芸人があったらしいのですけれど、映画の斜陽とともに消滅していったらしい。その家族の崩壊と再生の物語。在日問題なども伏線としてあり、なかなかレトロな秀作でした。その「みなと座」にその日かかっていた映画が、「あの子をさがして」。映画館主が「この映画、とってもいい映画なんだけど・・・(客がはいらなくてね)」と、つぶやくのが印象的でした。先生はとてもほめてくださいましたね。

またお便りします。 読書と映画と、映画館を愛する 「ゆめ」

 

* 行間に元気が湯気をあげている感じ、羨ましい。寒さに逼塞し、機械の前でまるくなっていては、イカンなあ。この人のメール、書かれることのみな具体的なのも、惹きつける力がある。文章がだあッと走っている。

今日サロマの人に「北の時代」中・下巻を郵送した。むかし、六月の尾岱沼で、寒さに震え上がった。とても二月のオホーツク行きは今のわたしには発想できない。

「この子をさがして」は素晴らしい映画で、今年見た五指のうちに数えたいぐらい。「恋人のきた道」「黄土地」そして「この子をさがして」などと、中国映画にはときどきドキドキする秀作が現れる。

2005 12・12 51

 

 

*  風 熱っぽいのは、いかがですか。とにかく寒いですから、ご用心を。

今朝は軽く雪が積もりました。今年の冬は寒いですよ。引っ越しの日に降らないでと祈っています。

27日に引っ越します。

業者に段ボールをもらいましたので、そろそろ梱包をはじめないとなりません。ウーン、気が重いです。大きなストレスになっています。音の響くのを気にしなくていい一戸建ての環境から、上も下も隣もいる集合住宅への引っ越しということが、大きな理由になっています。

家の前の道が狭くて、業者のトラックの大きなものは入れず、小さめのトラックが来るようなので、荷物をできるだけコンパクトに梱包しなければならないことも、片付けの苦手なわたしには、負担です。

ま、今回の引っ越しが済めば、五年くらいは同じところにいられると思うので、がんばります。

風、お元気でお過ごしください。風に逢いたい 花。

 

* 挙式してまもない夫君の思い切った意欲的な転職・転勤で、より遠い他県へ歳末の転居、たいへんであろうが、無事に佳い正月新年を迎えられるように。

2005 12・13 51

 

 

* だが朗報も有る。

 

* 秦先生 お久しぶりです。プラハに移ってから早いもので二ヶ月が過ぎようとしています。早いものです。

「湖の本」送っていただき、ありがとうございます。度々、お手数をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。今回は無事に着きました。

うれしいお知らせがあります。

妻が妊娠しました。まだ二ヶ月で、計算すると来年八月に出産になるようです。日本にいる頃はバタバタと落ち着かなかったこともあり、なかなか幸運に恵まれなかったのですが、こちらに来て比較的落ち着いた生活に入ったとたんに、身ごもりました。

これからが妻には大変な時期ですので、3人になって帰れるように、協力して大事にしていきたいと思います。

今は、誰も彼もなく、「ありがとう」と伝えたい気持ちです。

これから再び、いろんなことが変化していくのだと思います。不安もありますが、それ以上に喜びと希望で満ちています。この気持ちをしっかり抱きしめて、ぐっと「今・此処」と共にいたいと思っています。  通

 

*「三人で帰れよ」と夫人の渡航を祝ったのが、正夢に。よしよし。どうぞ慎重に、しかし萎縮しないで普通に生活し、元気な「ヨーロッパ赤ちゃん」と、親子して抱き合ってもらいたい。

朝日子の、また建日子の生まれた昔を思い出す。

親になる。それが本当の意味の「第一歩」になった、わたしの場合は。子供達の「存在」がわたしを限りなく誇らかに励ましてくれた。

 

* おはようございます 風

岐阜・鈴鹿の方角の空に、いつも厚い雲がかかっています。

弥富は辛うじて晴れているけれど、すぐに陰ってしまったり、不安定です。

風のたよりが聴けると、ほっとします。

風がいつも「そこ」にお元気だと思うと、安心です。 花

 

* 寒さが続きます。「熱っぽい」のは風邪気味なのでしょうか? お体どうぞ大切になさってください。

わたしは怠け心そのままに、外出もあまりしないで数日を過ごしました。機械に向かい、詩作の文字と向き合ってきました。ファイルを送ります。構成はほとんど変えていません。

今日は国会での証人喚問など用事をしながら聞いていました。世の中のこと、人を疑いたくないけれど疑って疑って注意して暮していかなければならないとは・・ニュースを聞いていて良い事などほとんどありません。

ミルトンの「失楽園」を読みたいと思っているのですが、途端にヨーロッパの、キリスト教の厚く高い壁がそそり立っているのに気づかされます。

「ファウスト」も同じですね。  鳶

2005 12・14 51

 

 

* あいついで北海道の二人からメールが届いた。中味は随分違う、が、何となく、なつかしい。同じ北海道といっても札幌市と常呂郡とはずいぶん遠い。おそろしく遠いのだろうと思うが、札幌もサロマ湖も、北海に面している。わたしは、少しく夢を見る。

 

* 本、届きました。 -昴

こんばんは。今日、湖の本『北の時代最上徳内』中・下巻、届きました。ありがとうございます。数ページめくりましたが、やらなければならないことがあるので、寝る時にゆっくり読みたいと思います。どんな話の展開になるのか、楽しみです。

今日は人に誘われて憲法9条と教育基本法に関わる小さな講演会に行ってきました。

教育基本法がどのように変わるか、中間報告の文章をいただき読んだのですが、びっくりしました。男女共学の条項が全て削除されていたり、経済的地位又は門地による教育上の差別を受けないという文がなかったり、と甚だひどいです。

ここまでとは思っていなかったので、今までそんなに嫌いでなかった政治のことが嫌いになりそうです。

偏った資料だとは思いますが、それでもこの改正内容はダメだよなと思いました。心は自由でないといけないなと思いました。

講演会から帰ってきた時、雪が月の光を反射して青白く光っていました。別世界に行ったようで美しかったです。外の景色をながめていると、嫌なことも一瞬忘れます。

脚が痛い中、本を送って頂き、ありがとうございます。本を楽しんで読みたいと思います。

 

* 溜池山王と東銀座で。  hatakさん

先々週の週末を博多で過ごし、先週末は旭川、東京とあわただしく動きました。昨日会議が終わったので、少し気が楽になりました。

今年は第九を聴きに行く予定が立たず、日曜の夜にサントリーホールでヘンデルのオラトリオ「メサイア」を聴いて今年最後の演奏会としました。前に「メサイア」を聴いたのは、沖縄にいた96年ころだったと思います。米軍基地に隣接している沖縄市の市民会館での演奏会でしたから、着飾った将官夫妻がたくさんいて、華やいだ雰囲気でした。

「メサイア」第二部に有名な「ハレルヤ」の合唱があります。その際、キリスト教徒は立ち上がって、「王の王、主の主」と神を讃えます。基地のそばでの演奏会では、ほとんどの観客が立ち上がって、私はなんだか少し居心地が悪かったことを憶えています。

サントリーホールでの「メサイア」は、これとは違った状況でした。「ハレルヤ」の合唱がはじまると、客席の中央、一番目立つ場所にいた年配の男性が意を決したように立ち上がりました。それに続いて何人かの人が、ぽつぽつと立ち上がり、私の隣に座っていた白髪の女性も、通路を挟んで向かいの席に座っていた若いアジア系の女性も、席を立ってじっとステージを見つめていました。コンサートで自らの宗教をカミングアウトする光景は、この演奏会でしか見ることができません。

宗教を持たない私にとっては、これもまた年末の風物詩になってしまいますが、世にあふれるサンタクロース&サイレントナイトよりもう少し実があるような気がします。

札幌に帰る今日は、歌舞伎座昼の部へ。当日券では、座席と扉の間の臨時席しかなく、役者の表情までは見えませんでしたが、歌舞伎をあまりみたことのない私には、七之助兄弟の器械体操のような「三社祭」も面白く、「盲目物語」では玉三郎の妖艶な舞に言葉を失いました。「弁慶上使」は、なんとも凄惨な話。舞台上で純な若い娘と乳人の二人の首が刎ねられます。しかも弁慶は血滴る生首を花道で取っ替え持ち替えしてから下がります。

しかし観客はたいしたもので、そんな芝居の幕が下りて一分としないうちに、幕の内弁当を開けて舌鼓。場内の食堂もあっという間に満席になりました。私なんか、未だに首が入った紅白の小袖の包みが目に焼きついてます。歌舞伎はしたたかで面白いですね。

観劇後、鳩居堂でお香を買って、銀座の雑踏を眺めながらコーヒーを一服。都合がついた友達が銀座まで出てきてくれて、木村屋のグリルで食事をし、浜松町の駅で別れて羽田から雪の千歳空港に降り立ちました。

私にとっては一足早い「メサイア」のクリスマスと歌舞伎のお正月。このあとは休日返上で年度末まで、実験、報告書、会議の毎日が続きます。

東京も思いのほか寒いですね。暖かくして体調健やかにお過ごし下さい。 maokat

 

* 日付はとうに変わっていて、やがて深夜の二時。早々に機械の前を退散する。

2005 12・14 51

 

 

* 余語では積雪が1.5メートルにもなったようです。まだ寒くなるなんて。

「少年」の文庫化、とてもよいことと手放しで嬉しい。サインしてくださいね!

早くから、あまりに早い時期から、「歌」を、活動の中心から切り離されました。「歌詠みからはずれた」ことについて、その機微について、一流のテレ、衒いで語られたことがありましたが・・それでも紛れなく、その「早や書き」が評価されていることが、凄い。例えば岡井隆さんは昭和の代表的な歌人の一人にあなたを選びました。稀有の資質を既に既に十代に結晶化されたのです。そしてそれに続く一連の小説群を紡がれたのです。

わたしの作品を、ゆっくり拝見、は恐いです。内容に関しては言葉の一つ一つ何度も見直し、置き換え推敲しました。稚拙と思える表現もそのほうがいい時はそのままにしました。

けれどもわたしはぐずぐず迷って廃棄や切断を果たせなかったと恐れます。寧ろ自分の中で増殖していく言葉とイメージを取りこぼしたくないために、余分なものを付け加えてしまったかもしれない。が、これはどうも・・というものは遠慮なく指摘して下さい。切り捨てて下さい。勝手な希望ですが敢えて書きます。ああ、叱られそう、一喝されそう。

文章に関すること、絵を描くこと、つくづく二兎を追う愚かさを思いますが、何とか折り合いを付けています。・・絵も棄てられません・・今は人物の下絵をほぼ決めて、これから集中的に進められるかという段階です。

羽ばたくこと、これは旅行することと限りません。言葉も絵も拙い羽ばたきですが、わたしの内部の羽ばたき・・といえない・・やはり足掻きですね。

部屋に篭もって・・この家は一階はリビングしかありません、そこに食卓もパソコンもテレビも本も絵のパネルも、要するにほぼすべてが混然、乱雑とスレスレで暮しています。広い家は欲しいけれど、所詮人間坐れば半畳、臥して一畳。もっともそのように悟りきれないで、物に追いかけられている現実です。

「インド古代史」を楽しんで読まれたとのこと。インド史、古代、に思いを馳せるのに、現実のインドに行ったことがわたしにとって大いに意味があったと思います。

近頃変化が激しいインド社会とはいえ、日本の街や村から消え去ってしまったぬかるみの道路やほの暗い町、底暗い農村部など、わたしたちの骨身にもはや染み渡っていない何かを、人の営みの、人間存在自体の動物的な生理(排泄や死、死体etc)を否応なく突きつけられるわけですから。

「インドには歴史認識がない」云々と言われてきましたが、眼前の、生きるのに精一杯の群衆の塊をみると、さて歴史認識とは何か、それさえ曖昧模糊、意味のない問題提起のようにみえてきてしまうのです。今は急激な変化の時期に入っています。「近代化」に、どのようにあの社会が変わっていくか、興味深い。

インドに「嵌まった」とは異なりますが、広いインドをまだまだ訪れたい。西北部のラジャスタンや南インド、そして一度では到底理解しがたいガンジスの岸辺の営み、ヒンドゥーの信仰の世界、そして何気ない日常の人々の暮らし。

来週は京都にいらっしゃるのですね。歌舞伎、そして師走の都を楽しんで。風邪ひきませんように。  鳶

 

* 一方で、サクソン、デーンのイギリスと、ノルマンのイギリスとの混在し葛藤し交替してゆく、近代以前の英王国史を読み、他方でインド古代史から西域史、そして絹街道の成立とともに中国南北朝の、主として「禅譲」という革命方式を飽くなく悪用した「南朝」交替現象の凄まじい歴史を読んでいる。

「歴史認識とは何か、それさえ曖昧模糊、意味のない問題提起のようにみえてきてしまうのです」と鳶は付け加えている。「意味のない(掴みにくい)問題提起」を断続し連続して「人間」の「曖昧模糊」そのものを確認すること。それが「歴史認識」では無かろうか。中国史という歴史認識の権化のような中国悠久の「騒々しい変容」をつぶさに学んできた鳶に、鴉はしっかり教わりたい。

 

* こんばんは、風。

今朝は用事があって、早起きでした。

バレーも、いつもより早くはじまり、そのあと忘年会兼送別会をしてくれました。

小さなバレーボールに寄せ書きしたのをいただき、とっても嬉しかったです。

これまで引っ越しは何度かしていますが、その度に、どこへ行ってもいい人がいるものだ、という思いが、確かなものになります。

今日の風は、会議でしたよね。

晴れていても、空気が冷たかったでしょう。

それとも、ヒートアイランド東京は、いくらか暖かいのでしょうか。

おいしいもの、召し上がりましたか。

花はすきやきを、美味しく食べました。牛みたいに反芻してます。しばらくは楽しめそう。ヘンでしょ。

>「のようというのだ」

わかりません。何ですか。

風の歌集、楽しみにしています。 花

 

* 新しく引っ越す先でも、「いい人」たちと出逢えるように。

今日の東京の街なかは寒いほどではなかった。保谷でタクシーの列に並んでいるときも、八犬伝を読みながら、トクに冷え込むことはなかった。少しアルコールで温めてはあったけれど。

脚が痛んで気が乗らないが、有楽町では空腹だったので地下鉄に乗り込む前に、ビール少しと赤ワインとで「香味屋」の洋食を食べてきた。椅子に坐らないと痛みが堪えられなかった。

地下鉄、やっと坐れて、たすかった。有楽町線は乗ってしまえば保谷まで行ける。これにもたすかる。

2005 12・15 51

 

 

* 歌集『少年』が、もうかなり広く読まれているようで、声が次々に届いてくる。ありがたい。

 

* 少年

逢はばなほ逢はねばつらき春の夜の

桃のはなちる道きはまれり

誰を詠んだのか、なんてヤボは聴きません、が、この歌が好きです。 泉

 

* 『少年』は湖の原点。十五歳で、すでにらくらくと身内に「天才」が萌え出すのを予感していらした。

佳いご本です。歌集も詩集も、文学の精華はこのように清潔でなければ。バッグの中にいつも持ち歩きましょう。頁をひらけば、読むのもつらくて、読めば清められるお歌にみちています。そして、湖の、笑顔のお写真があります。大切に愛しんでまいります。

アキレス腱の具合はいかがですか。歩けますか。  冬

 

 

中身は重いすばらしい文庫本。お誕生日も間近。なかなかお目にかかれませんが。お元気でお過ごしくださいますよう。 波

 

* 歌集「少年」。

古稀到達おめでとうございます。今朝新聞を取りに出てみましたら郵便受けに短歌新聞社から歌集『少年』が届いていました。

手許の不識書院版をあらためて開いてみました。書院主人のハガキがあって次のように書いてありました。

「拝承 『少年』のご註文をいただきありがたく存じます。右歌集は六月中旬頃の刊行となりますので、発刊になり次第こちらから直送申しあげたく存じます。取急ぎ御礼旁々ご連絡まで申しあげます。 不一」

その後間もなく届いた『少年』の歌に瑞々しさを感じ、心澄む思いがしたのをよく憶えています。

いつも同じものになりますが岡山のお酒をお送りしています(20日に届くことになっています)。お祝いの言葉としては “I wish you many happy returns of the day (=your birthday)!” を選びました。   毅

 

* 記念の出版の短歌集。  12月21日は、まだ先のように思っていましたが、本当に師走に入ってからは早い時間の経過です。いつも、いろいろなことをこの日になさっていたことを想い想い、心からおめでとうを申し上げます。

21日はもう少し先です。京都をお楽しみなさって、素晴らしい古希のお祝いをなさいますように陰でお祈りいたしております。どうぞお風邪など召されませんようにお気をつけくださいませ。  司

 

* 古希を良いお祝いで迎えられおめでとうございます。

掌にすっぽりと収まってしまうご本が新鮮に感じられます。また今までに読ませていただいたときより一首ごとに心に染み入るように思えます。先を読み続けるのも勿体無いような、でも秦様の以前のお気持ちを思えるようで、私には迪子様、朝日子さま、建日子さまのことも。つい読みふけってしまいました。

側において何度も読ませていただきます。

迪子様にもどうぞお風邪など召されませぬよう、ご無理をなさいませぬように、よろしくお伝えください。 晴

 

* もしわたしが、世のふつうの書き手のママであれば、わたしは、こんな仕方で読者の皆さんと向き合うことは、あり得も、あろうとも、しなかったろう。いまわたしは、日本列島の諸方に、国外にも、こうした「身寄りにひとしい」読者を大勢もっているし、フルネームやアドレスとともに、なにとはなしに、「今・此処」で「共々に」生きているという気がしている。

倶会一処…。

「湖の本」刊行ということを二十年つづけてきた意味は、いろいろであろうが、これなければ、心温かい実に大勢の人たちをわたしは知らないまま、古稀を迎えているであろう。言うまでもない今回のこの文庫本『少年』は、「湖の本」の一冊ではない、短歌新聞社の市販本で、ご注文は版元が受けています。

2005 12・17 51

 

 

* 少年の風。大切にします。

明日は雪になりそうですし、寒い中で引っ越しの梱包作業はしんどいと思いますが、がんばります。

風も、アキレス腱を大事になさってください。冷やさないよう、レッグウォーマーでもはいてみてはどうでしょう。

早く新居に落ち着いて、来年は風に逢えますように。 花

 

* 雪が、作業や運送の障りにならないといい。

2005 12・17 51

 

 

* 冷え込みます。

午前中、ガレージの吹き溜まりに栗の木の枯葉が山をなし、なんと45リットルのゴミ袋に詰め詰め一杯になりました。

風は大分治まったよう。

壺井栄原作、木下惠介監督、高峰秀子主演二時間二十分の「二十四の瞳」を観ました。

1954年の作品というから、終戦後九年、初めて観たのが多分高校生の頃だったというのに、「戦争反対」の大きなテーマを当時は理解していなかったようで、師弟の絆を描いた映画とばかり記憶していました。

大石先生は両親の世代、小豆島は疎開をしていた淡路島とは目先にあり、時代は少し遡っても、こんな国民学校に一年程は通ったし、先生の夫は輸送船に乗り、三、四人の子供を残して戦死したけれど、父は乗る予定の輸送船すらない敗戦間近が幸いして生還出来た、などを想い、殆ど全編を流れる幾つかの懐かしい小学唱歌が心に沁みて、涙腺が緩みました。

矢張り、秀作です。

古い映画を観ると若い頃の俳優さんを観られますが、大石先生の夫役が、生前、ちょっと気になっていた俳優天本英世で、まだ俳優座の研究生の若い頃、ホウと嬉しい声が出たり。

今日は働かない安息日です。  泉

 

* たしかに「二十四の瞳」は、わたしもつい「師弟の絆」感傷編とでも見過ごしてきたのだろうと思う。青春の昔の映画を新たに見ると、やはりあの同時代において作品の真意を見落としたり見抜けなかったりしていたことに、気付かされることが多い。惜しい、口惜しいことである。

2005 12・18 51

 

 

* 歌集『少年』 そして古稀、おめでとうございます。お茶を教わってから半世紀以上に成るんですね。その頃私は何を考えて居たのでしようか。昨日で日吉ヶ丘の集いを終え、後は顔見世、楽しみです。 来年も良き年でありますように。  門

 

* 「少年」拝受感謝

秦さん。まもなく、古稀を迎えられることをお喜び申し上げます。

その記念の歌集「少年」安着しました。ありがとうございます。

南アルプスの甲斐駒ヶ岳の麓から、夕方、戻って来ましたら、我が家の郵便受けに入っておりました。

きょうは、全国的に大荒れの天気で、日本海側では、大雪でした。

南アルプスの向う側、長野県は、海はありませんが、天気は、日本海側の天気になるので、大雪です。大雪を降らしている雪雲が、甲斐駒ヶ岳の山稜を越えて、こちら側、山梨県側の谷に、一気に下って来ている様が、時時刻々と判ります。

強い風が吹いています。

山稜に溢れ出た雪雲の上には、青空が拡がっているのです。

歌集「少年」を、私は、3冊持つことになりました。

初めて手にしたのは、不識書院刊行のものでした。洒落た表紙が印象的でした。

2冊目は、もちろん、「湖の本版」です。

そして、3冊目は、今回の短歌新聞社文庫です。早速、拝読し始めました。

不識書院版は、甲斐駒ヶ岳の麓の書庫にあります。

湖の本版は、**市の自宅にあります。

短歌新聞社文庫は、いま、我が手のなかにあります。

多感で、優秀で、初々しい少年の息吹が伝わって来ます。

「道ひとすぢに瞑(く)れそめにけり」と18歳にして、詠みあげた青年も、無事、古稀を迎えたことを、心から慶賀します。

アキレス腱は、大丈夫ですか。ご自愛専一にてお過ごし下さい。

カバーの写真が良いですね。髪を一部白く染めたような少年の顔に見えますよ。

歌集は、じっくり、味わいながら、拝読します。ありがとうございました。   雄

 

* ありがとう存じます。

 

* 目が疲れている。今日はもうやすむことにする。

2005 12・18 51

 

 

* 『歌集少年』嬉しく拝受いたしました。いまの会社に席をおいた余得は、短歌を読む(詠むではありません)楽しみを知ったこと。恥かしながら今回始めて『少年』を拝読し、<世界>と真向対峙している少年だけの体現する透明感ある哀しみ、怖れ、憧れ、喜びが少年とは思えない端正な表現とリズムで詠み出されていて圧倒されました。上田(三四二)さん、竹西(寛子)さんの文章にあるように、秦さんの根を見る思い、とりわけ「光かげ」が胸に染みました。お礼申し上げます。

厳しい寒さです。呉々もご自愛下さい。   元出版部長

 

* 拝復 お元気で古稀をお迎えになりましたとのこと、お慶び申し上げます。(私は四月に迎えました。)御鄭重に記念の『歌集少年』を御恵送下さいまして、誠に有難うございました。上田三四二氏、竹西寛子さん、それに「母と『少年』と」を先ず拝読致し、この歌集が秦文学の原点であることがよく感取されました。殊に「山なみの…」の叙景のなかに開かれた御心情の深さに感銘致しましたが、御自身が五首の筆頭に選ばれているのを知り、納得致しました。又、御母上の歌碑の歌にもこの秀歌の調べが通底しているように存じました。じっくりと全て拝誦致しますが御芳情のほど心から厚く御礼申上げます。

併せて呉々も御自愛の上、佳き新年を迎えられますよう、お祈り申し上げます。敬具   元文藝誌編集長

 

* 冠省 すばらしい御歌集『少年』ご恵送賜り厚く御礼申し上げます。今まで若き日日に作歌をなさっていること知りませんでした。それにしても、

朝つゆにくづれもやらでうす紅のけしはゆらりと咲きにけらしな(70頁)

この一首をとりましても、繊細で華麗なお作と拝読いたしました。豊な感性を感得しました。

よい年をお迎え下さい。右御礼まで 不一    国文学者

 

* 私は短歌については全くの浅学で、お恥かしい限りなのですが、これらの歌を十五歳から二十四歳というご年齢でお作りになっていた事実に感嘆いたしましたし、同時に(恐らくはお若かったが故に)作品にあふれる瑞々しさに惹きつけられずにはいられませんでした。

古稀をお迎えになったとのこと、おめでとうございます。

どうか御自愛の上、良いお年をお迎え下さい。   文藝編集者

 

* 古稀をお迎えになられたとのこと、もうそんなになられたのかと思いました。

水かれし渓ぞひの笹は霜にあれて通天橋(つうてん)の朝の底冷えにをり

一番ナイーブな頃、泉涌寺、東福寺をさまよった経験のある私には、この歌が響きます。十八歳で、これからという時代に、この哀愁を帯びた諦観のようなものは一体、何なんでしょうか。怖ろしいほどの老成ですね。

それから実のお母様のお歌はとてもいいですね。ピーッと芯が張っていて、すばらしいです。

どうぞくれぐれもお大切に。よいお年をお迎え下さい。  歌人

 

* 寒波が押し寄せお寒い毎日です。

古稀御記念の歌集、素敵です。これから我々もせっせと勉強します。

有難うございました。  高麗屋

 

* 秦さま、 祝詞を述べる前に古希の御自祝歌集『少年』を頂戴しました。

白髪紅顔、千秋萬歳、優遊自適、琴瑟相和、重ねての御上梓、心よりお祝い申し上げます。

老いは見た目で分かるもの、ですね。若さは見た目で…….

.いただいた『少年』を襟を立てたコートのポケットに入れ、暮れはやい雑踏をかきわけていたら、横断歩道の彼岸から、寒風で頬を真っ赤に染めた美少年が足早に此岸へ……….。やはり老いの目に、若さはようく分かります。お風邪めさぬようご自愛下さい。御礼と御祝いまで。  ペン会員

 

* まごころの籠もった御状は、みな、胸に沁みてくる。

 

* 昨日の(京都)市内の積雪も消え、朝からずっと降り続いていた雪も止みました。

明日は寒波も一休みだそうです。

京都で古希をお迎えとのこと、おめでとうございます。

今度の京都は、奥様もご一緒だし、顔見世もお楽しみで、全然お寂しくないですね。

良いご旅行になりますよう、お祈りしています。    のばら

 

* 師走の京の冬ざれは、身に沁み覚えている。寒いのは覚悟。

お天気に、どうやら、なるらしいと喜んでいる。芝居もわくわくだが、註文してある「菱岩」の仕出し弁当もそれはそれは楽しみ。

あっというまに、行って帰ってくる。藤十郎襲名の「口上」は、初春の歌舞伎座の楽しみに、とってある。

 

* 鎌倉に住む、むかしは同じ中学に通った一つ下の読者から、古稀を祝う電話をもらった。

 

* 歌集『少年』 嬉しく ほんとうに嬉しく拝受いたしました。ありがとうございました。

二昔も前に古書市でめぐりあった湯川書房刊の和本『少年』とならべて しみじみとながめています。

先生から御著書を贈られる日がこようとは夢のような心地です。   詩人

2005 12・19 51

 

 

* おめでとうございます!

秦先生、メールありがとうございます。演奏会が先生の古稀お祝いの前夜祭になります。

三番叟二題、明るく楽しく演奏させていただきます。また京都南座には、太左衛門、長左久二人そろって行かせていただいております。歌舞伎、邦楽とそれぞれ藝の道を歩んでおります私共でございます。今後ともますますお元気でご指導の程よろしくお願い申し上げます。  望月太左衛

 

* ありがとう存じます。

2005 12・20 51

 

 

* 品川から池袋へ、そして帰宅。

阿川弘之氏、竹西寛子さん、瀬戸内寂聴さん、小松茂美氏、倉橋羊村氏、大久保房男氏、清水徹氏、白河正芳氏、小山内美江子さん、、久間十義氏、島尾伸三氏ら、年賀状と間違えそうなほど、大勢のお祝いの、また歌集「少年」への手紙やハガキが、たくさん届いていた。

名古屋市大の谷口さんのお花など、何人もの方のお祝いも留守のうちに戴いていたらしく、みな、明日あらためて頂戴する。忝ない。

そして、メールも沢山に。 とくに選ぶのでもなく、少しだけ書き写してみる。

 

* おめでとうございます!

無事に古希を迎えられたこと、藤田家一同、心よりお祝い申し上げます。

そして、すばらしい記念のプレゼント、ありがとうございます! 「少年」、どうやって手に入れたものか、注文することになるかなあと思っていたところです。新潟の実家には、湖の本と、何万円するのだかわからない豪華限定本があります。僕も家族も大好きな一冊で、何度も読みました。大半の歌は今の僕(二十三才)よりお若い

ときにつくられているのですね! そのことに今さらびっくりしています。昨日から読んでいます、好きな音楽を聴くように、一句一句口ずさみながら。

「好き嫌い百人一首」も、楽しく口ずさみました。百人一首かるたにはじめてふれたのは、中学の国語の授業でした。授業の時間を使ってかるたとりをするというので、家で覚えてきなさいと言われました。言われたままにただ暗記するのがいやで、けっきょくほとんど覚えませんでした。ヒネた中学生でした。

和歌は好きです。現代の短歌や俳句でヘンに抽象的なものよりは、意味がとれなくても「音の響き」で楽しめます。高校に入ると「和歌の現代語訳」がもっぱらでした。せっかくの「歌」をかたくるしい文章にするのはつまらなくて、ろくに勉強しませんでした。

秦さんの「私判」がつくと、古代から中世のまさに「歴史」ですね。こういうふうに日本史を教えてくれる先生はいません。こういう時代をとりあげる「歴史小説家」もいません。そこが秦さんの真骨頂といえますが、秦さん以外の人は何をやっているんだとも思います。

前回の通信で、「僕なりにめざす企業間取引」という表現について、それは甘いと。厳しいご指摘でした、おっしゃるとおりです。就職活動のあいだ、ずっと「わたしなりに」「わたしなりの」と志願書に書き、面接で話してきました。振り返るに、採用担当の顔色をうかがうような態度だったと思います。秦さんに教えてもらわなければ、安心したままだったかもしれません。目が覚めました。

就職先の企業では、もう配属先が決まっています。当面は研修ですが、数年後には自動車の部品や資材を買いつけるバイヤーになっています。近年は大株主の米企業にならい、一年目からバイヤーの仕事にたずさわる可能性もあります。

もともと日本の自動車業界は「系列」を大事にしてきました。地元の部品メーカーに資本参加し、大半の仕事を発注しました。それが部品業界の競争をさまたげ、コスト高をまねいてもいました。今は、各社とも系列にとらわれず、世界中の部品メーカーと幅広く取引しており、地元や子会社であることは優先されなくなっています。

近隣の系列部品メーカーでは、他の自動車メーカーとも取引を強めつつ、中国など他国にくらべ不利なコスト高をおぎなうべく、より高い品質をめざすなど、かなりの企業努力がなされています。それでも競争はつづきますし、僕はその競争のいわば行司役を担うことになります。

耐震偽造問題で、「コスト削減」という言葉がいいわけのように使われています。

自動車業界も他人事ではありません。三菱グループのリコール隠しで明らかなとおり、品質の問題は人命を奪う事故に直結します。自動車は国際的産業であり、ひとつの企業の不祥事は、世界的な問題になる可能性をもっています。本社の生産・品質管理部や、取引先の品質を評価するバイヤーには、そういった問題を防ぐ使命があります。

性能は大事、デザインも大事、価格も大事です。が、品質面の信頼性あってこそ、当社の「小さい規模でも高い評価」は築かれてきました。近年、自動車のハイテク化、特に電子化は著しく、大手メーカーでさえシステムの誤作動、不具合は実は少なくありません。ハイテク工業製品としての品質には課題がたくさんあります。

僕はコストに厳しい、それに輪をかけて品質に厳しい「行司」になることをめざします。入社後しばらくは工場で研修を受けます。製造現場がどのように高い品質を実現させているか、その取り組み、必要な技術と知識、どんどん吸収するつもりです。

京都は寒かったことでしょう。福岡も今年は寒波するどく、新潟の師走はこんな感じだったなあと、僕はわりに平気ですが、九州に生まれ育った人にはたまらないようです。

今日は一日雨と雷、水曜は講義もとっていないので、この「挨拶」にじっくり向かっています。今夜は平野部でも積雪のおそれあり、朝は凍結のおそれありと。明日は今年最後の講義なので、ちょっと困ります。

この冬は、僕にとっても記念の年になります。秦さんとの文通をはじめて、十年になります! 手紙を送ったのが中学一年の冬でした。まさかご返事をいただけるとは思わなくて…今こうして秦さんに呼びかけていることの幸せを、改めて感じています。

秦さんの日々の「生活と意見」、作品にふれ、これからも、これまで以上に、学び、楽しみ、励まされ、力づよくありたいと思います。迪子さんともども、おからだお大切になさってください。

来週からしばらく新潟に帰ります。年賀状を送信されるとき、実家のアドレスに送っていただけると、家族も年賀状を読めてありがたいです。可能でしたら、よろしくお願いします。

それでは、よいお年を!   史

 

* ああ、十年。中学一年生の初めての手紙が、どんな大学生や大人達の手紙よりもきっぱりと美しく書かれていて、驚嘆しまた嬉しかったのを忘れない。あの中学生が、明春には企業社会に入る。感慨、わたしもまた無量。この年少の友の未来を胸を膨らませてわたしは観てみたい。

 

* お誕生日おめでとうございます 風。

夢でも、お祝いしていました。  花

 

* お誕生日おめでとうございます ゆ

そしてめでたく古稀を迎えられましたこと、お慶び申しあげます。

先生と、先生のなかに今も生き続けているみずみずしい「少年」に乾杯いたします。

どれも感受性ゆたかな先生の若き頃を彷彿とさせて好きですけれども、私としては「保谷野」のうたのなつかしさにとくに惹かれます。

あかあかと野ずゑの杜にしづみゆく遠き太陽が身にしむ夕べ

いまだに武蔵野の面影を残す都下の街、こんな感慨を私も持ったことがありますもの。

先日親友の主催する朗読会の納会があり、彼女のお母様の形見のブルーのウールの和装コートをきてでかけました。きものは小豆茶のちりめん、ピンクの不規則な格子のあいだに小さな文字で笑、門、来、福の文字と小さなおたふくの顔が飛んでいて私の好きなものです。旅のおみやげの赤い五百目蝋燭を携えていきましたら、偶然にも「梁塵秘抄」の朗誦があるとのこと。灯りを消して蝋燭一本を灯し、みごとに幽玄な世界となりました。

いよいよ年の瀬となり、このちょっと心はずむようなにぎわいが子供のころから好きでした。どうか佳いお年をお迎えください。 ゆめ

 

* ハッピーバースデー。おかえりなさい。京都の夢かないましたか。

湖の古稀をお祝いできる喜びは言葉に尽くせるものではありません。同じ時代に生きられて、間に合ってよかった、遅れないで幸運でした。巡り逢えたことの必然を、胸深く刻んでいます。「今、此処」にいてくださることを深く感謝します。

二十日、二十一日とお留守でしたので、明日ささやかなプレゼントが届くように手配しています。

何をプレゼントしようか色々悩み、シャンパンと苺という組み合わせを考えました。シャンパンは一人で飲むものではなくご家族のお祝いで飲むものなので、酒量が少しは減りましょう。

が、苺は泣く泣くあきらめました。同じ便で送ることが出来なかったということもあるのですが、「やり過ぎ」という印象で、思い直しました。お散歩のついでに苺を買って、シャンパンと一緒にどうぞ。

ブラン・ド・ブランは、ふつうのシャンパンのように黒ぶどう(ピノ・ノワール種、ピノ・ムニエ種)と白ぶどう(シャルドネ種)のブレンドによりつくられているものではなく、シャルドネ種100%のみからつくられていますから、泡も細かく香り高く、シャンパンの中でも特に苺と相性がよいように思います。 89年のヴィンテージですので、みづうみ五十四歳の時のもの。

自分ではグラス二杯分ほどの小さなヴーヴ・クリコのシャンパンのボトルを買いました。今夜遠くから一人で祝杯をあげます。お誕生日おめでとうございます。新しい一年の益々のお幸せとお元気をお祈りいたします。 冬

 

* 古稀、おめでとうございます!!

(日付が21日になりました。この時間まで、待っていました!!)

先生、古稀をお迎えになり、心からのお祝いを申し上げます。誠におめでとうございます。(万歳、万歳です。)

長寿大国となった今、古稀は「稀」ではなくなってしまいましたが、それでも70歳をお迎えになられたことは、大変なことと存じます。(40代、50代、 60代で亡くなられた方をたくさん知っています・・・。)

これまで70年分以上の大きくて大切なお仕事をこなしてこられた先生には、是非とも、これからは御身を御大切になさっていただきたく存じます。(余談ですが、90歳で他界した祖母は、父が60歳を迎えたときに、「50,60は、洟垂れ小僧」と申しておりました・・・。)

今後もますますお元気で、私のような不勉強な後進たちをお導きくださいますように。なお、甚だ失礼とは存じますが、お記しの品を手配いたしました。ご笑納いただければ幸いに存じます。

まずは、略儀ながら、メールにて古稀のお祝いまで。  澄

 

* おめでとうございます。秦さん。   卒業生 在英

古稀、従心、不踰、致事、致仕と、70歳を意味する語は随分と多いのですね。昔からそれだけ大きな節と捉えられてきた、という事でしょうか。ですが現在、70歳という年齢、もちろん当たり前のものではないでしょうが、

また逆に、少しも稀なものではないと思われます。

無事に節目をお迎えになられました事をお喜び申し上げますとともに、まだまだ、本当にまだまだ、お元気でいらっしゃる事を、心よりお祈りいたします。

 

* 《古希を迎えられ》おめでとございます。

秦 恒平先生   昨日《歌集少年》が届きました。しばらくの間『何でしょう?』と心当たりがなく恐る々々開封したのです。

開けてビックリ。秦先生からの古希記念の歌集でした♪ ありがとうございます。

時計の針が廻ってしまいましたが。。。 ☆ お誕生日おめでとうございます♪ ☆

そして   ☆ 古希をお迎えられましたこと おめでとうございます。☆

お体に充分お気をつけてご活躍なさいますことをお祈りいたします。

『 窓によりて書読む君がまなざしの・・・

ひそり葉の柿の下かげよのつねの・・・

枯れ色の木の葉にうづみ夕ぐるる・・・』

のお歌が私の《お気に入り》となりました。

再度寒波の到来とか どうぞご自愛下さいますように。(二十二日の冬至はCAに滞在中の長男の誕生日です。)  一枝

 

* 白い桜花のようです

hatakさん

おめでとうございます。お誕生日をいかが過ごされましたか?

白い歌集をそばにおいて楽しんでいます。よい記念になりました。

秦少年が、後に、はなれた、はなしたものが、三つあります。京都、歌、茶の湯。

この三つには何の関連もないのか、三脚の足のように三つで支えていた何かをある意思で離れ、離したのか。

秦文学の小説を桜桃の実りとみれば、歌の数々は白い桜花、はなびら。初々しいなかにも桜の花のもつ妖しさやはかなさ寂しさを感じます。また、この花が咲いたからこそ後に豊かな実りが生まれたのだと。

札幌は小雪。すこやかに新しい年を迎えられますよう。  maokat

 

* 幸せな、わたくし。湖。

2005 12・21 51

 

 

* かねてより、秦さんはよい歌集をお持ちだと思っておりました。短歌新聞社文庫に収められた「少年」のご恵与にあずかり、まことにうれしく存じました。ありがとうございます。ようございましたね。平成十七記念のご本の出版、心よりお祝い申し上げます。  竹西寛子

 

* 竹西さん、故上田三四二氏の『少年』に添えてくださった文章ほど私をながく強く支えたものは少ない。心より御礼申します。今度は田井安曇氏の一文も加わり、これはこれで後々に残る一つの名解説となるだろう。感謝しています。

2005 12・22 51

 

 

* 高麗屋夫妻から連名で美しい薔薇を頂戴した。二三年は綺麗に生き生きと保存可能な、ヨーロッパから舶来の、真紅の薔薇の鉢植えになっている。ペンの同僚理事や委員からも、また親しい文学研究者からも、豪華な花々やワインで祝って頂いた。とびきりのシャンパンや日本の名酒など、酒飲みをご承知の読者は、やはりお酒を下さる。昨夜も帰ってから、南座土産のうまい生八つ橋を肴に、醸造元から戴いた「萬歳樂」大吟醸の古酒を、「壽」の字の朱杯で、深夜まで、ひとりで飲んでいた。なかなか萬歳とは行くまいが、建日子の励ましてくれるように百歳まで生きられるかな。

 

* 西の空からおめでとうございます。 バルセロナ

くたった服を放り出し部屋着を四重に重ねたところで、熱燗の誘惑。

珍しく、あの、唇に触れる間際に立ち上る酒けむりを吸いたくなりました。

戸棚の奥から木箱を引き寄せ、山吹色の袱紗を解きます。

月明かりにそよぐ尾花。ほんのりかかった朱の佳いこと。

両の手にすっぽり収まる益子の杯を、とくりとくりと満たして、東の空へ乾杯!  京

 

* 『少年』を拝受御作をしみじみ拝見していて、そのあと年譜にいたり、長谷川泉とお親しかった事に気づきました。

亡くなった彼と私とは東大国文科の同級生でした。  藝術院 小説家

 

* 十七歳の少年がこのような端正な歌い方をしていることに驚嘆しております。  文藝批評家

 

* 『少年』 簡素な装幀と清々しい中味。やっぱり本はすき。持っているのがうれしい本があるのは、すくいです。  沙

 

* 美しさと透明感に心洗われる思いです。 日大名誉教授・小児科学

 

* 明朝より一首づつ声にして読ませて頂くつもりです、とても勉強と収穫があるように思いますので。 脚本家

 

* 若々しくお変わりない先生が古稀をお迎えになられたとは少々驚きですが。

大好きな「少年」が、こんなに美しい本になって届き、本当にうれしくてたまりません。  銀行理事・高校後輩

 

* 素晴らしい作品を読みつつ、少年の日々が次々によみがえってきます。 読書人に紹介したいと思っております。  文藝評論家

 

* 大兄の詩情の原郷『少年』拝受 お礼の申しようもございません。ただただこの清純な抒情の泉の水を掬するばかりでございます。  お茶の水大名誉教授・英文学

 

* 私も二十歳まで短歌を作っていましたので、郷愁のようなおもいのする歌集です。

ほろびゆく日のひかりかもあかあかと人の子は街をゆきかひにけり

心に沁みる歌でした。   小説家

 

* 十五、六歳の少年とは思えぬ見事さに感嘆いたします。  詩人

 

* お若い時分の秦さんの姿に想いを馳せながら拝読しています。  三島賞作家

 

* 文庫本には、跋から年譜まですべてがまとめられてあり 読者にとってありがたくうれしい限りです。ハンドバックにしのばせてもちあるくことが出来るのもうれしいことです。大切にもち歩きます。 歌人

 

* 日吉ヶ丘高校の頃、こんなに立派な歌を詠んで居られたとは全く知りませんでした。早い時点から文学に目ざめて居られた事がよくわかりました。  同期生・医大名誉教授

 

* 歌心のない小生は、秦さんに、このような歌集があること、知りませんでした。太宰はデビュー作品集を『晩年』としましたが、秦さんは古稀の記念刊行に『少年』をあえて…。向こうを張っての営為なのでしょうか? いずれにしても、たいへんお洒落で若々しさを感じます。出発点となる御歌集。  太宰賞作家

 

* 迪子さんの歌もあり、あちこちに、とてもなつかしく思い出つきない光景が目に浮かびます。ありがとうございました 益々ご健勝で、作品を書き続けて下さいませ。  妻の親友

 

* 若き日からかくも言の葉が湧いているのを見て驚いています。古稀記念歌集嬉しく頂きました。 書家

 

* 先生の小説の根になっているとされる短歌に、今回改めて拝読の機会を得て、少年期の先生の清朗な魂の詩的表現のすばらしさに感銘しております。先生の文学をつらぬく孤高の精神・独自性が、すでにこの歌集に芽生えているように拝読しました。  大学教授

 

* 古稀をお迎えのお祝いを心から申し上げます。記念の御本をありがとうございました。自分の齢も棚に上げていますが、いつも以前のままの秦さんとお話し (心で)しているので、改めて考えると不思議な思いです。 勤務時代の同僚・読者

 

* 私にとって一番の驚き、不思議は、自分のすぐ近い(地理的に)所にこの様な和歌を詠む「少年」のが存在していたこと! です。全くの別世界で(同じところを往き来しながら)くらしていたのが、今こうして御縁の出来たのもうれしいめぐりあわせです。不出来ではありますがあの頃私の心を占めていたものを思い出してスケッチしました、お礼にかえて。(花の絵)    藤

 

* ご記念の歌集「少年」をありがとうございます。「湖の本」、インターネット「「e-文庫・湖(umi)」などと、常に文壇をリードされてこられました。ますますのご活躍をお祈り申し上げます。 妻の従姉弟

 

* 眠る前に一首一首ゆっくり詠ませていただいて居ります。お若い頃に良い時間を過ごされていらっしゃいますね。歌もすごいです。少し私の背筋ものびる感じがいたします。  H氏賞詩人

 

* 歌集「少年」を贈って下さりありがとうございます。「山上墳墓」の「炎口(えんく)のごと日はかくろひて山そはの灌木はたと鎮まれるとき」「勲功(いさをし)のその墓碑銘のうすれうすれ遠嶺(とほね)はあかき雲かがよひぬ」、「光かげ」の「遁れ来て哀しみは我にきはまると埴丘(はにをか)に陽はしみとほりけり」「閉(た)てし部屋に朝寝(あさい)してをり針のごと日はするどくて枕にとどく」「偽りて死にゐる虫のつきつめた虚偽が蛍光灯にしらじらしい」など、とりわけ好きです。私も数え年で古希、殆ど在宅ですが、たまの美術展、音楽会が楽しみです。 元出版社役員

 

* 9月からチェコのプラハ大学のほうに出かけており、先週末帰国したばかりです.

早速、溜まったメールを整理し始めたところですが、先生からの「少年」「湖の本」を見つけ、そちらに関心が移ってしまいました.いつものご高配に感謝もうし上げるととも、とりあえず帰国ご報告まで.  ペンクラブ理事

 

* 歌集「少年」有り難うございました! これからゆっくり読ませて頂こうと、楽しみにしています。少しぱらぱら見た感じでは、「難しそう」というのが本音ですが、何かきっちりとつまった玉手箱のようで、私の理解出来るものもこぼれ出て来るかも――と思っています。私自身が短歌を書くことは、もうあきらめ、読んで楽しむことにしています。

高円寺の短歌新聞社の前をよく通ります。

古稀 おめでとうございます。   義妹・詩人

 

*  歌集『少年』いただきました。古希にして振り返る『少年』時代をお持ちになっていること、うらやましいかぎりです。

加賀では、時雨と木枯らしの季節がなきにひとしく、いちどに雪になりました。除雪と融雪が行き届いていて生活にはそんなに差し障りはありません。

その後お体いかがでしょう。お大事になさってよいお年をお迎えになるようお祈りしています。

たどたどしくキイをたたいて御礼とします。思うように言葉をつづることはできませんが。  哲

 

* 封書で頂戴したお手紙に、懐かしく嬉しいお便りが多いのであるが、それはしばらくおいて、ハガキの方から、ご挨拶のものは割愛し記念に少し抜き書きさせてもらった。

 

* 京都で撮ってきたたくさんなデジカメ写真を、機械に入れ、題などつけて整理を終えた。

2005 12・22 51

 

 

* 京都駅にて。

秦先生  寒さの厳しい年の瀬ですが、お風邪など召されませぬよう。

私の方は、週に関西を二往復、中には宿泊つきも、などというお坊さんでもないのに走り回る年の瀬を送っております。

インターネットの妊婦相談で「安定期に入りましたが新幹線を使った旅行は大丈夫でしょうか」などという質問を見かけたりしますと、なんとも言えない感慨があったりもします。私の場合、月に六回までは大丈夫でしたよ、と思わず書き込みそうになります。

でも、本当に人それぞれですよね、こればかりは。今年は身の回りで、同世代の妊婦の切迫流産や流産を随分と耳にしました。一人目を生んだ時よりも自重しなければ行けない年なのだな、とは自分に言い聞かせております。

そんなこんなで相変わらずどたばた暮らしておりますが、久しぶりに(すみません)先生のHPを拝見して、京都に行かれていたことを知りました。

12/20、実は新幹線のエスカレータを降りながら、先生とよく似た方をお見かけしておりました。奥様もご一緒のご様子で、声をおかけしようと思いましたが、先生だとの確信があまり持てず、そのままお見送りしてしまいました。

お昼過ぎ、一時半頃に京都到着の新幹線にお乗りではありませんでしたでしょうか。もしも先生でしたら、本当に残念なことをしてしまいました。(東工大の教授室いらい)何年ぶり、いえ、一昔前ですよね、最後にお目にかかりましたのは。

ふと、思い起こして書かせて頂いております。

師走の京都は、ただ歩くだけでも楽しいものです。

先日は、京都の知人から私の好きな、「こぼれ梅」を頂きました。彼女の話によると、昔のものほどおいしくない、とのことですが、「酒粕」ではなく「みりん粕」である「こぼれ梅」で作った甘酒は、酒粕のようないやらしいアルコール臭さがなく、やさしく豊かな味で、私の大好物です。餅米の、分岐の多い化学構造など考えながら、この風味が京都だな、などと考えたりもしております。

湖の本の入金、遅れておりまして申し訳ありません。

でも、百人一首はずいぶんと楽しませて頂きました。急いで送らせて頂きます。

来月いっぱいで産休に入りましたら、頂いているお話の「原稿」も書かせて頂くつもりです。ぼつぼつ内容を頭の中で転がしたりもしております。こぼれ梅の風味のような日本の絵画と、科学の積み木とが私の頭の中で

ないまぜになっている様子を、少しでもお伝えできたら、と思います。

遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。

十二月初旬に同じく古希を迎えた母と二週間違いということも、今年初めて伺いました。元気な母ですが、そばにいて少しずつ体力の衰えを感じてもおります。

先生、くれぐれもこの寒さの中、お体をおいたわりくださいませ。   典

 

* この若いお母さんの両脚は、いつも確かに地についている。概念的にでも装飾的にでもなく、具体的にリアルに自信をもって生活している息づかいが、メールの文面にいつも感じられ、わたしも励まされる。

それにしても慎重に、つつがなく安産の日を迎えられるよう祈ります。

二十日、関ヶ原の雪で十分ほど遅れて京都駅についたのが、およそ一時半ごろであったように覚えているから、もし出会っていたのなら惜しいことをした。話したいことはたくさんあったし、うまくすれば、古希前夜「萬養軒」での食事に招けたかもしれないのに。気が付かず失礼した。今度そういうことがあったら、声をかけてください。

 

* 古稀おめでとうございます 秦先生。東工大卒業生の**です。

このたびは古稀おめでとうございます。先ほどホームページを拝見し、遅くなりましたがメールさせて頂きました。

今、私はアメリカに来ています。

3週間の予定でカリフォルニア大学のデービス校というところに来ています。今日が研究室へ来るのは最後で、明早朝にこちらを発ちます。残念ながら今こちらは最も天候の悪い雨季なのだそうで、滞在中の半分くらいは小雨が降っていましたが、それでも晴れた日は気分が良く、雨の日もそれほどは寒くなかったのが幸いでした。

滞在中に一度だけ、一泊でボストンに行ってまいりました。来年の秋か冬からこちらへ留学するため、留学先を訪問してまいりました。

こちらに来て一週目は、全く慣れそうになくて精神的に参りましたが、三週目に入ってからはすっかり慣れました。住めば都、というのはどこでも同じなのですね。

ホームページを拝見しておりますと、足の具合が気になります。これから益々寒くなりそうですが、どうぞお気をつけください。

おめでとうございました。

 

* 東工大、東大院、岡崎の研究施設へ最先端の生物学者として歩み、さらに渡米そして新研究へ。わたしの学生クンたちの春秋に富んでいることは、みな、まばゆいようである。大学で一別来もう十年の余になろうとしつつ、こうして私の賀の祝いに温かい言葉を聴かせてくれる。

2005 12・23 51

 

 

* 詠歌のむづかしさを常々痛感 私に一首も文字を並べた経験はありません。 深い造詣の中に選び抜かれた言葉が光っています。 机上に奉安 日夜 開かせていただきます 御厚情嬉しく 心から御礼申し上げます。  古筆学

 

* 「跋」「母と『少年』」「解説」を読みました 歌をこれから心を据えて鑑賞させて頂きます 多少たかぶっております。

茂吉が好きで生家をたずねたり、「白き山」に魅かれて大石田に行ったり ちかくは斎藤史を良しとしたりしています。左千夫の墓に参り 墓塔の字は不折らしいと思ったり つまり短歌が好きです。  俳人

 

* たまたま京都に行く用事がありましたので 頂戴した歌集「少年」をポケットに入れ 比叡おろしの中で 秦”少年”の みずみずしく 感受豊かな日々を偲んで参りました(カバーに当時の御写真もあればと思いました。)

ただ 無責任を承知で申しますと ”根の哀しみ”の切なさは切なさとして 根の在り処が 京都、それも昔の京都でいらしたことは (ウナギ屋の前を通って匂いだけかいできたような私などからしますと) まぶしく羨しいことのように思われてなりません。

ともあれ 本当に 有難うございました。 厚く御礼申上げますとともに 末永い御健康をお祈り申上げます。(御子息の御活躍も 素晴しいですね。)  文藝春秋 編集者

 

* 『少年』は何回目かの拝読ですが、やはり大いなる感銘を受けました。それにしてもこの文学的早熟ぶりには改めておどろかされます。先生ご自身の「跋」、上田三四二や竹西寛子氏のご文章も、重ねて、よいものだと

存じます。  元岩波書店編集者

 

* 私も昭和八年生れ、戦中戦後のきびしい中をのりこえました。

笹原のゆるごふこゑのしづまりて木もれ日ひくく渓にとどけり

はりひくき通天橋の歩一歩(あゆみあゆみ)こころはややも人恋ひにけり

むづかしい言葉のないのが心にしみて、少女の頃を、なつかしい京都がしのばれて好きでした。

東福寺から、今熊野、そして泉涌寺へと、一度はひとり旅、一度は主人とお詣りしました。 子供の頃から祖父のおともでお寺詣りは好きでしたので 今でも心落着く場です。 泉涌寺の静かさは忘れられません。

いつまでも 湖の本が続きますようにとお願い申し上げます。有難うございました。  群馬県桐生市

 

* 「歌集 少年」有難うございました。いろいろ考えましたが今日は思いきってご無礼をかえりみず手紙をしたためました。

思いおこしてみますと先生の作品に初めて接しましたのは弘文堂「死の文化叢書」の『死なれて死なせて』でございました。

何故今回先生の全作品をと思い至りました経緯は「NHK週間ブックレビュー(放送日・平成十三年一月)『日本語・ニッポン事情』(現在この番組の司会の一人長田渚左さん)の照介で知り感銘を受け「湖の本版元」へ註文かしましたのが事の始りで、その時は未だ全巻とは考えていなかったのですが、『みごもりの湖』を読みまして、大袈裟に申し上げれば心の震えを覚えたと申しましょうか その時全作品をどうしても取り揃えたいと決意を致しました。

先回までで全巻取り揃えることが出来ました。長い間お手数をお掛け致し誠に申訳ございませんでした。改めて深く御礼申し上げます。

小生今年満七十八歳となり徒食の日々を過している老人ですが計からずも先生の作品にお会い出来ました幸せを心より嬉しく時に任せ読ませて頂いております。重ねてお礼申し上げます。  千葉県八千代市

 

* 歌集『少年』のジャケットの写真がとても佳い雰囲気です。御元気の御様子何よりと存じます。私の目には今でも大阪(出張所)での入社試験(を担当)の際の様子が浮かんで来ます。長谷川(泉・編集長役員)さんの到着が遅れたために、一緒に(受験の秦と)二人だけで相撲のテレビを見ていた様子がはっきりと浮んで来ます。

詩歌に疎い私ながら引き込まれて読み進み、理解したつもりになりました。 私は八月から浪々の身になりました。ふり返れば医学書院に五十年の歳月を埋めたことになり、その長さに自分でも驚いているような始末です。  今年こそ 言ひつつまたも年の暮   勤務時代の上司

 

* 寒い十二月をいかがお過ごしでしょうか。

お心づくしの歌集『少年』ありがとうございました。おすこやかに七十才をお迎えになりお祝い申しあげます。”湖の本”創刊以来二十年近く、又その前からも私の傍にいつも先生の御本があったことを幸せに思っています。

頂戴致しました御本は 小さく愛らしいので バッグに入れて折々に好きな場所で拝見したいと楽しみにしています。

「目に触るるなべてはあかしあかあかとこころのうちに揺れてうごくもの」の一首を是非口ずさみたい風景があります。 奈良の唐古鑓遺跡、ここからは二上山に沈む夕陽が切ない程美しく見えます。

京都へは月に二度行きます。その時以外にも気のむくままに仏様や花や木を訪れます。 引っこしが多く居場所の定まらない日々を過ごして参りましたが 毎年同じ場所に同じ仏様や花や木を訪ねるという 何ということのない時間を楽しめるようになりました。

先生がお小さい頃 多分 走り回っていらっしゃった知恩院へは 通り抜けるのも含めて度々行っています。

今年は夏以降、”無言館”の絵を初めとして 村上華岳 小林古径 伊藤若冲 上村松園 源氏物語絵巻と 日本の絵を沢山見ました。”無言館”に小野竹喬さんの御子息の絵がありました。竹喬さんのあの空色を思い出しました。

寒い日が続くようですので、 くれぐれもお身体 お大切になさって下さい。

無理をなさいませんように。    温

 

* この最後のお手紙の人ほど、メールが可能なら、どんなにかいろいろ風雅な優雅な話題で楽しみ合えるだろうと思う人は少ない、無い、といってもいい。とくに万葉集、そして文面にもある木や草や花のことで教わることの多い人であった。昔、隣街の大泉学園の南に住まわれていて、ときどきお目にかかり、心おどろく新鮮な知識を与えてもらうことが何度もあった。謙遜な、しかも勉強家で、お知り合いの何人もを湖の本の読者に紹介してくださり、それらの何人もと今も久しいお付き合いが続いている。早くに北海道へ、また関西へとご主人の転勤につれて移ってゆかれ、もう十数年も逢う機会なく、それにわたしがもっぱら機械をつかい、この人はまるで機械に縁のなげな人なので、文通もずうっと途絶えがちであったけれど、昔に変わりない、もの静かな佳い便りが受け取れて、「少年」に、感謝している。

 

* 歌集『少年』を拝受いたしました。ありがとうございました。十五・六歳にしてすでに万葉・古今・新古今を連想させる歌を詠まれていることに、改めて驚かされます。

弥栄中学では生徒会長として、日吉が丘高校では先輩として記憶していた秦さんに、本郷(東大)のキャンパスで偶然お会いしていなかったら、今のようなご縁は存在しなかっただろうという気がします。京都での生活は中二から高二までの足掛け四年に過ぎなかったのですが、秦さんの作品を通じて、京都について、さらには日本的なものについて知り、考えることが出来ているように思います。

私も来年の秋には《古稀》 を迎えますが、十年近く前から体調が優れず、正直なところ、目出たいという心境にはなれません。しかし、体力のある限りは何かをしなければと思い、おぼつかないパソコンで見聞や感想を記したりしています。

同封の石川布実訳『娘が尋ねる 左翼って何』は昨年の出版ですが、私にとっては最新のものということになります。中学・高校生位が対象の本を、年輩の人々が、面白かったとか、ためになったとか評価してくれたのは「想定外」のことでした。御笑覧いただければ幸いです。

地球上の至る所で、思いもよらぬ天災、人災の続いた一年でした。せめて来年がすこしでも安らかな年でありますようにと願うばかりです。  どうかご一家でよいお正月をお迎えください。 2005年12月22日  府中

 

* 一年下におっそろしく出来る女の子が転校してきたそうだと、噂に聞いた。弥栄中学でのこと。根津美術館にふくよかで親しめる好きな「仏頭」がいつも展示されているが、その前に立つと石川さんを思い出すが、京都時代には一度も言葉を交わしていない。お父さんは京大で有名な仏文だか独文だかの教授とコレも噂に聞いていた。

再会したのは、わたしが東京本郷の医学書院に勤めていた頃、取材にしょっちゅう出入りする東大のキャンパスでぱたりと出会った。石川さんは院生であったのだろう、お互いによく顔を見覚えていたものだ。

以来一度も会わないでいるけれど小説家になってこの方、ずうっと応援して貰って、湖の本もぜんぶ買ってもらっている。佳い翻訳で本を何冊も出されている。心友である。

 

* 一頁目を開くと同時に、「窓によりて書(ふみ)読む君がまなざしのふとわれに来てうるみがちなる」という瑞々しい感性の歌に触れ、懐しくなりました。小生は今春から*大芸術学部文芸科で「小説論」「創作実習」を担当しています。そこでも、秦さんの作品をテキストに使わせていただいているのですが、ぜひ『少年』も紹介させていただきます。  作家

 

* 歌集『少年』ありがとうございました。昭和の万葉歌とでもいったつややかさに想わずひきこまれますね。

私の大学(教員)生活もあと数ヶ月 お別れの文章教室(何と選択必修のゼミなのです。)の学生たちに読ませてやりたいと思います。7部ほど、お送り下さい。

まったく寒いです。くれぐれもご自愛下さい。   ペンクラブ会員

2005 12・23 51

 

 

* 今日は晴れましたが、(名古屋近くの)雪はあまりとけませんでした。

どこにも出られず、引っ越し準備も中休みです。

明日も雪が降るとか。もォ、ヤダ、という感じです。

メールは、引っ越しの前日(26日)まで可能です。夕方か夜にはパソコン類も梱包しなければならないでしょうから、それまで。

引っ越し先で、即日ADSL接続できるようにと手続きをすすめていますが、今のところうまくいっていないので、無理かもしれません。年末年始の休暇があるので、年末に繋がらなければ、休み明けになってしまいますかも。

ですから、引っ越すまでに、風とおしゃべりしておきたいのです。パソコンの前にはりついているわけにいきませんけれど、できるだけ。  花

 

* 思えばわたしと妻とは、雪と雪とのあわいの、晴れ間をもらい受けて京都に入り、京都から帰ってきた。往きの、関ヶ原からせいぜい彦根辺まで吹雪いていたが、その外は終始天与の好天、わたしは、たいして寒いとも一度も感じなかった。

引っ越しを歳末にひかえ、波状攻撃の寒波に震えている花が、気の毒。

2005 12・23 51

 

 

* 古希のお誕生日過ぎ、そして冬至過ぎ、雪降り積む湖国を通って、今は岡崎に数日。 鳶

 

* 岡崎は雪でしょう。

雪の師走と書けばあたりまえですが、今年の師走の雪、すこし降りようがちがいますね。鳶も、とびづらいでしょう。東京は、好天が続いているのです。

岡崎へは、おしゅうとさんたちに何か変あって出向いているのですか。お大事に。

鴉めは、もう年内はだいぶ落ち着き、明日、終いの能「定家」を観たあと、歳末の一週間は片づけ仕事や正月手伝いの買い物程度です。もう少し観ておきたい美術展などありますけれど、寒さとの相談です。

お嬢さんがたはお変わりないですか。

七十になろうと、特に変わることはあるわけなく、やはり「今・此処」の静かな連続です。

それでも今度の誕生日は、幸い「少年」という引き出物を古いお馴染みさんたちに配れたので、心持ち賑わいました。歌集自体の素質も比較的穏当にひろく認めてもらえており、嬉しいこと。

いやでもおうでも此処から歩み出したんだという思いを忘れていたことなく、またもう一度人目に触れたのは、歌集の幸福、わたしの幸福でした。天の配剤に感謝しています。

誰かが、京都をすて茶の湯をすて短歌をすてて「秦恒平」が出来たと書いてくれていました。そうかも知れないし、その三つともを捨てきれなかったから、こんな「ヘンテコな秦恒平」に成っているのかも知れませんなあ。呵々

詩、ゆっくり読みたい。

せわしなく接すると、詩句のこまごましたところに、つい躓くのです。意外と詩句の斡旋が騒がしく感じられるときは、読んでいるわたしの方の気が騒がしい…のかも、知れないと反省します。

また、刺激的になにかと声をかけてください。お大切に。 鴉

2005 12・23 51

 

 

* 右の後側頭に根づよい痛みが、昨夜から。肩が凝っている。「ペン電子文藝館」の作業があれこれ問題があって、スムーズに前へ動いてくれない。

英文題のメールがカナダの友人から。あやうく削除するところ。アドレスの変更だそうで。まぎらわしい不正な誘いの和文・英文題のメールが優に半分を超えるので手拍子に消して行く。題名はわたしに分かりやすい言葉を日本の文字で選んで欲しい。

2005 12・24 51

 

 

* 秦先生 古稀おめでとうございます。(今頃になって、失礼しました。)

先日、深夜、郵便受けの中に短歌集を見つけたときは本当に驚きました。これは…とおもって、早速その日、風呂の中で頁をめくりました。(深い意味はなく、最近は、風呂の中でも本を読んでいます。)

率直に言って、私は、残念ながら、短歌は苦手です。

まず解説には頼らずに読みますが、淡々とした光景にしか見えてこず、その後、「解説」を読んでようやく、ああなるほど、と、その色合いの深さに気づかされ悔しがります。

(それ以前に、たとえば「樫の葉」がどんな葉か、すぐに思い起こせない、といった課題があります…。)

ただ、漠然とした印象なのですが、特に15・6歳の短歌を読んでいて、若い人たちの写真集を見ている気になりました。

少年の歩いている路・日々が次々に「カシャッ」と音を立てて切り取られ、色々なアングルで、続けざまに繰られていく、ときには、「見つけたぞ」と言って、なんてことなさそうな場所のある一瞬を狙い撃ちしている、そんな感じでした。

先生の奥さんが詠まれた短歌には、巧くて驚くとともに、こういっては失礼かもしれませんが、歌を交換しあっている若い二人の生活がとてもほほえましく思えました。(どんな顔で、どんな紙に、どんな風に…と、余計な想像ばかり広がります。)

こうしてみていくと、ここまで完成された形の、少年の日々という彩り豊かな写真集をもって、古稀を祝える、というのは、本当に素敵なことですね。

あと、蛇足ですが、「いさおし」(勲功)には、ハッとさせられました。私にとっては、武士の時代の墓碑などは、完全にお伽噺のものですが、先生が詠んだ時は、もっと身近で、空しさの色も濃いものだったろう、と思います。歴史感覚…連続感覚も、私たちは随分違うんだろうと思います。

それでは、寒さ対策を入念に、よいお年をお迎えください。

# 私も先生に遅れること一日、二歳の息子にアピバーデーウーユーと

# 祝ってもらいました。     森林・卒業生

 

* 佳い感想。 勲功の歌は遠い昔の武士ではなく、近代現代の兵士・兵卒たちの。そんなお墓が高校のすぐわきの丘墓地にいくつも並んでいた。生徒達はそんな中ででも朗らかに昼弁当を食べていた。

2005 12・24 51

 

 

* 近江五個荘の川嶋さんから餅がたくさん届いていた。また名だたる清酒や外国の紅白ワインなども頂戴していた。

2005 12・24 51

 

 

* このたびは、歌集『少年』をご恵送いただき、ありがとうございました。

いつも実に精力的にお仕事をされていて、私などは遙か裾野から先生の文学的営為を仰ぎ見ている次第です。

お送りいただいた歌集を拝見し、まさに「少年」のころから、大きなエネルギーの塊をお持ちであり、しかもそれを明瞭に形象化されているところ、驚きました。太宰の中学時代の習作を見ていても、凡百の文学少年とはやはりどこか違うところがあるように思われるのは、多分、〈形〉を先験的に持っているという一点だと思っています。しかし、その一点こそが何かの分かれ道でもあるようです。  大学教授・現代文学

 

* 若き日の歌集『少年』味誦しまして心清しくなりました。座右におき勉強の資とさしていただきます。 俳人

 

* 短歌は好きで、自分でもたまに口ずさんでおりますので、たいへんうれしく思いました。  看護学教授

 

* ひと時、純粋で若い静かな心に触れた思いで拝見いたしました。古来稀なるおとしまで励んでいらっしゃるお姿に感銘を受けます。どうぞせお揃いで佳い新年をお迎え下さいませ。   東京西荻

 

* 十代の心のみずみずしさ、言葉の含蓄の深さに、ああ、矢張り…と思わせられました。昭和萬葉集が亡き姑の本箱にあり、とり出してひらき読みました。

「菊ある道」が好きです。『少年』ゆっくりくり返し読ませて頂きます。   熊本市

 

* お珍しいお方から、歌集を頂きました。有難う存じます。退職して随分になりますが、古典と、古藝能に通じていらっしゃるお方が、ホームページなど、自在に操っていらっしゃるのかと、一寸驚きでございます。それにしても、”京都”にぞっこんでいらしただけあって、歌のひびきの美しさ、言葉遣いの巧みさ、素晴らしいと思います。歌言葉、歌の心は関西が長けている、と、よく思います。  元「新潮」編集者

 

* 少年時代の処女歌集とは思えないお作ばかりで、ほとほと感にたえているところです。なんといっても秦文学の原点といった印象が深く、一読後いろいろな思いにふけりました。小生は十年の年長ですが、一筋の道を歩んでこられなかった過去をふりかえって忸怩たる思いを禁じえません。   文芸評論家

 

* しみじみと栴檀は双葉より芳しと感じ入り、心して拝読いたしたく存じます。 札幌市

 

* 『少年』はかねてから拝見したいと願っていたものでした。その早熟の才華もさることながら、伝統的なうたのこころとことばが、やはり秦文学の原点にあるものだとあらためて思い知らされました。「母と『少年』と」に貫かれたご母堂さまとの不思議なご縁も息をのむばかりの思いでよみました。古希の賀を迎えられましたとのこと、ますますのご挑戦ご健筆を祈りあげます。   国文学・名誉教授

 

* 短歌新聞社版は不識書院とは版型も違って新鮮な思いが致しました。「跋」がそれぞれの版をまとめてありましたのもありがたいことでした。「母と『少年』と」も心に残りました。拝読させていただきながら短歌をつくることの難しさを実感しておりました。実作の経験のない私には、「十五、六歳」の少年の表現への感性、あるいはことばへの感覚が驚きでした。不識書院を拝読した時もそうでしたが、この度もそのことをやはり最初に思いました。 心に残りました歌をここに記させていただきます。

八頁「樫の葉の」 十一頁「炎口(えんく)のごと」 十三頁「うす雪を」 十六頁「日だまりの」 十八頁「瞬間(ときのま)の」 二十三頁「新しき」 二十七頁「舗装路は」 二十八頁「そむきゆく」 三十五頁「いしのうへを」 三十八頁「目に触るる」 四十七頁「木の間もる」 五十三頁「木もれ日の」 五十四頁「ひそめたる」 五十六頁「わくら葉の」 六十二頁「日ざかりの」 七十頁「あさつゆに」 七十一頁「真昼間は」 七十四頁「迪子迪子」 七十七頁「そこに来て」 八十二頁「さわさわと」 八十三頁「枝がちに」

以上の歌を書きとめながら読了致しまして実に懐しい気持が心をしめておりました。

久しぶりに忘れていたものを思い出したような気持が致しております。

誠にありがとうございました。   詩人・大学名誉教授

 

* 長い間、お仕事、ご勉強、御研究とお続けになられながら、第一線で常に御活躍遊ばされましたのは、さぞ健康面も、その他いろいろ大変なことでございましたでしょうと、心より尊敬いたし、敬服の他ございません。

貴重な先生の御歌集『少年』  美しい言葉と心、志の高さと、気品、何もかも勉強になり心豊かにさせていただいております。いつも御心におかけ下さいまして感謝申し上げております。   俳人

 

* 今夜からまた雪もよいの寒さでございます。近江らしいと言えば近江らしい足早やの冬です。ホームページのにこやかなお写真ではとても考えられないのですが、古稀をお迎えになられお祝い申し上げます。

歌集『少年』ご恵送賜りもう有頂天によろこんでおります。

先生のご著書はいつも生半可な気持で読みたくなく、時間をかけ、しっとりと鎮むこころを大事にしながら読みとうございます。こんな(五個荘の)古い家屋敷を後生大事に抱え込んでしまったものですから、未だ勤めの身、あと二、三年は致し方なく、おゆるしください。

此の路やかのみちなりし草笛を吹きて仔犬とたはむれし路

十字架に流したまひし血しぶきの一滴をあびて生きたかりしに

(=ともに恒平生母阿部鏡の作)

五個荘から能登川へと抜ける繖山(きぬがさやま)のトンネルを毎日車で近江八幡へと通っております。あの辺り(に阿部鏡の歌碑が)と覚しきを尋ね拝する日もご著書にお出会いする気持と同じくして、是非とも歩一歩歩みつつと温めています。その方がいいのです。私にとってもその方がふさわしいのだと決めています。

石馬寺はすっかり変りました。『みごもりの湖』のあの分厚い茅葺きの本堂も鉄筋の建物となってしまいました。やんちやな住職の仕業と苦笑しています。いろいろお話ししたきこと山ほどございますが、いづれゆっくりと。  (秦のホームページの)雀さん楽しいですね。驚きますね。いいですね。そんな傾向の話題をひとつお報せします。

実は、いつの時代からか分からないのですが、わが塚本村に毎年正月三日の佳い日に、山本源太夫率いる伊勢神楽がやって来ます。午前中は各戸をかまど祓いということで廻るのですが、そのカマドが村中でも我が家だけ残っています。今度、何でもNHKハイビジョンの撮影隊が一行を追い、そのカマド祓いを是非撮影させて欲しいと区長さんから申し出がありました。古い家、水廻りを改修する余裕もなく放って置いたのがヒョンなことと苦笑ものです。十月頃放映予定ということらしいのですが、多分、カットされることでしょう。おくどさんの周囲、急ぎ掃除をしてきれいにしました。

でも、寒風に舞う神楽、それは見事なものですよ。本多安次先生が、里神楽の中でも最も洗練されていると言われておられました。

ことことと雪起こしの風。  どうかご健勝のほどを。   滋賀県五個荘

 

* お宅に泊めて頂いたことが二三度ある。近江商人の豪家がずらりならんだ閑静な五個荘は、「みごもりの湖」女主人公達の故郷である。近江、ことに湖西は、伊賀、伊勢また南山城や大和との縁が濃い。

ここにいわれている伊勢神楽の山本源太夫一座は幾久しい来歴をになった「日本」の一つのルーツでもある。里神楽、聞くだに心懐かしい。わたしの生母はおとなりの能登川で生まれている。近江はわたしには母国なのである。実父方の故国は、南山城の当尾(とうの)の里。浄瑠璃寺や岩船寺や石佛たちの里である。

2005 12・24 51

 

 

* 今夜はクリスマス・イヴですが、秦恒平の壮大な世界(=ホームページ)、拝読しています。昨日読み、今朝読み、今夜読み、まだまだ、とても読了できません。

貴ホームページ<知のグランプリ大賞>だと思います。圧倒されながら、闇に言い置く「私語の刻」から読み始めました。ファンの手紙でも「湖の本」の持続的発展の様子が解かりました。

索引の整った各部屋、お見事としか言いようがありません。マガジン「湖」から高史明さんの「歎異抄」まで(図書館に行かず)家で読めるのは有難いことです。

大西巨人と赤人さんのページにリンク、比較しました。巨人氏のホームは字が巨きく、以前から同じ感じ。

秦恒平の城は内装の色が渋くて上品、増築が進み、読み応えあり過ぎるほどあります。

羨ましくてにくいほどです。

今の私(パソコン歴2年半、ワード中級がやっと)にはとても真似できそうもありません。最初の設計をプロに頼んだとしても日常の管理は自分でするのですから。まず上達しませんと。

長年の飛蚊症に白内症も始まった眼の休息も必要です。でも努力したい。新作の短編や思いを伝え、表現する方法、考えてみます。       馥・作家

2005 12・24 51

 

 

* 飛行機の爆音が高いところを流れている。

 

* 身辺からすこし片づけ始めた、が、基本的にものを捨てて行かない限り、整頓して置き場が変わるだけ。

 

* 晴れです。引っ越しを明後日に控え、のんびり屋のわたしも、さすがにそうゆっくりしているわけにいかなくなりました。きのうは、風邪をひきそうだったので、薬を飲んで早く寝ました。今のところ、ひどくなっている感じはしませんので、大丈夫と思います。

今朝は、立ち働きながら、「サンデーモーニング」に耳を傾けていました。

石油を手に入れて世界の覇権を握ろうとする、アメリカ、中国、ロシア、そして日本の動向を、わかりやすく解説していました。

わたしが中学生のとき、社会科の授業で、原油の埋蔵量は限られていて、近い将来尽きるだろうから、代替エネルギーを見つけなければならない、ということを言っていましたが、石油をめぐる諸国の争いは、今日ますます熾烈さを増しているように感じられます。

国民の生活のための石油資源であるはずが、国民そっちのけで、政治レベルでのかけひきのカードとしての側面ばかり目立っています。

政治先行の動きに、国民は常にブレーキをかけていなければなりませんね。

まったく、まともな人は政治家になんてならないな、と嘆息してしまいます。

と、まあ、朝からエキサイトしながら働いています。

わたし一人がこう思っていても仕方ない、とは、思いません。一人ひとりが思い、考え、行動することからはじまる、との信念を、わたしはまだ捨てていません。

今、業者の人がいらして、エアコンを外していってくれました。さて、これから掃除です。  花

2005 12・25 51

 

 

* 信仰厚いわけではありませんが、今日はイエスのことを想い、マタイ受難曲を聴いて過ごしていました。これだけの作品を創らせてしまうイエスは、二千年の時を経ても揺るぎないスーパースターです。

今年も残すところ一週間ほど。年賀状や大掃除、電球を取りかえたり、おせちの準備など、落第生の主婦もさすがに追いつめられてきました。

来年はご一緒にお能を観に行けたら、などと。「定家」もご一緒できたらどんなによかったでしょう。愛欲無惨とか妄執とか大好きなんです。

元気もりもりのごようすに、刺戟を受けます。明日も冷えそうです。頭痛や肩凝りなどお大事に、ご無理なさいませんように。   クリスマスの 真冬

 

* 歳末ともなれば、余儀なく人は、いささか騒がしくなるものか。

2005 12・25 51

 

 

* 昨日の日曜にも今日にも、まだ続々と『少年』への声が届く。郵便だけでもと妻の用意した袋は、とうにはちきれて。有難いこと。

 

* 寒一段と厳しくなります 過日は展覧会御覧賜り有難度御座居ました 先生のホームページも拝見致しました。 作品を以テ人の心と結ばれる事は 独りでの制作時とは違った豊かな嬉こびを感じます。

歌集少年 楽しみに拝読させて戴きます 御禮申し上ます。

残日少く多悦の歳の瀬 御自愛賜り万須様  御禮まで  樂吉左衛門拝

 

* 毛筆の美しさに惹かれて拝見。じつは、招待券がもう一枚あり、もう一度展覧会に出かけるのを楽しみにしている。ただ、あの脇坂の度はずれて急なことに怯える、アキレス腱はあそこで伸ばした。車に頼るのが賢明か。

 

* 二十一日が古稀のお祝いでしたとか、まことにお目出とうございます。現代ではもはや稀とはいえないご年齢ですから、「少年」の再刊は、老いの自覚を日々重ねている身には、心あらたまるようでございました。

早速に何度も読ませていただき、澄んだ気配と、そこに照り翳る少年の心の韻(ひび)きが、沢山の年輪を重ねてきた今だからこそなぜか心に沁みるような気がいたしました。

目に触れたものや場を介在として、現実にはつかみ難いものをひきよせ、立ちあがらせ、三十一文字のことだまとされている歌集に、その後の小説の世界を見るようでございました。小説でのことばのこだわりも、少年時代の、この短歌から出発しているのでしょうか。

竹西寛子氏が書かれている「根の哀しみ」は、私の感じていたことを、きっちりと形にしていただいたようで、一つ一つ頷きながら読ませていただいたことでした。

いろいろ思うこと感じることはございますが文章にすればかえって消えてしまいそうですので、その手がかりになるかとも存じ、丸印をつけたい沢山の中から約く十首を書き抜いてみました。

舗装路はとほくひかりて夕やみになべて生命(いのち)のかげうつくしき

ほろびゆく日のひかりかもあかあかと人の子は街をゆきかひにけり

目に触るるなべてはあかしあかあかとこころのうちに揺れてうごくもの

しのびよる翳ともなしに日のいろや吾が眼に染みて瞑(く)れむとすらむ

落葉はく音ききてよりしづかなるおもひとなりて甃(いし)ふみゆけり

山ごしに散らふさくらをいしの上に踏めばさびしき常寂光寺

わくら葉の朱(あけ)にこぼれて木もれ日にうつつともなし山の音きく

ふみまがふ石原塚のみちはてて木もれ日に佇(た)つ人もありけり

おほけなき心おごりの秋やいかにわが追憶(おもひで)の丘は翳ろふ

うつつあらぬ何の想ひに耳の底の鳥はここだも鳴きしきるらむ

そして、かつてあった日への、あるいは亡き人がいま在りせばの想いでしょうか、

良き日二人あしき日ふたり朱(あか)らひく

遠朝雲の窓のしづかさ

が、しんと心を占めております。 ありがとうございました。   小説家

 

* なんたる寒さ! ”夏より冬の方が好き”とのたまう私も連日の寒波襲来、”北山しぐれ”に粋がっている余裕もありません。お元気ですか、ごぶさたばかり。歌集”少年”頂戴いたしました。ありがとうございました。

あのフツウのノートに書きとめられた短歌の数々を、今、こうして活字になり行儀よく並んでいるのに、なつかしいという想いより、少年の、恋、死…への その時々の深い感傷を、ちょっと背のびした歌いぶりで歌いあげたんだなあと、いとおしいような気持ちで読ませていただきました。 お体お大切に、良いお年を。 京都 正

 

* 歌稿にしていたフツウの雑記帳の三冊ほどに、和菓子の店の美しい包み紙や、英字新聞などでいちいちカバーを付けてくれていた、日吉ヶ丘での古典読みの親しい友、たしか女校長先生まで勤め上げられたと聞いているが数十年、会わない。この人も、メールを使わない。

「少年」の冒頭に「窓によりて書(ふみ)読む君」と歌われているのは、高一の国語の教室にいた、いまの玉三郎の素顔ににた、すばらしくよく出来た少女で、卒業までは在籍してなかったのではないか、人の噂でははやくに亡くなっているといわれている。

この人からわたしは堀辰雄のいろいろな作品を借りて読んだ。わたしは、まともな本の借りられそうな人へは、遠慮なく、頼んで借りていた。この人はいつも物静かに、言葉などほとんど片言も口にもしないまま、惜しみなく貸してくれた。ときに手の甲で口をかくして声なくわらうこともあった。玉三郎もいいが、後に松園の「娘深雪」を観たときにもまっすぐ思い出した。正確な氏名すら忘れかけているが「沢守和美(和見)」さんといいはしなかったか。堀辰雄の薄命な「風立ちぬ」のヒロインや「美しい村」「菜穂子」などとつい重なってくる。ほんとうに亡くなったのか、分からない。「畜生塚」「慈子」「冬祭り」などのヒロインたちに感じが伝えられているかもしれない。

 

* 歌集『少年』ありがとうございました。 年少よりの深い感性に驚嘆致しました。  九十歳になります。明年四月奈良万葉文化館で、五月六月高島屋京都、東京で個展の準備中です。年少の頃より体が弱かった私が今迄仕事が続けられたのは全く不思議千萬の他力であると思っています。

今後共よろしくお願い致します。   染色・陶藝家 京都美術文化賞選者

 

* 急いで読むのはもったいないような感じがします(そうらしい)ので、しばらくはごちゃごちゃの机の上の一ばん上にそっとのせておいて、そのうちゆっくり拝読させて頂きます。  江戸女流文学研究者

 

* 東福寺はよく友達とエスケープして行った所、あのよき頃の東福寺を想い出すことができました。日吉ヶ丘高校で先生と、せめて学年が同じであったなら、一度くらいお目にかかれたかも知れないのにと今にして思います。  俳人

 

* 掌に収まる瀟洒な御本、添えられた御写真もとても素敵で、大切にさせて頂きます。

古稀にして少年のかなしみは瑞々しく、ますますのご活躍を楽しみにしております。  現代文学研究者

 

* 御歌集『少年』貴重な天才少年のお歌に感嘆するばかりです。 高年齢になった文学少年方にこのごろ圧倒され物思う歳末です。   詩人

 

* 研ぎ澄まされた感性に驚嘆しながら鑑賞させていただいています。  文藝評論家

 

* 十五、六歳の頃から、こんなにも完成度の高い御歌を書いてられたとは。感嘆します。

教養豊かな家庭環境に育たれ、岡見(一雄)先生にも習われた由、その底深さに初めて気づきました。

戦災の渦にも翻弄されることなく成長された幸運に別世界を見る気もいたします。

ますます大きいお仕事をされますように。  名誉教授・大阪(同年令)

 

* 小生 今、『少年』私家版を机辺に置いて居ります。偶然、不思議という感じで、今回の再刊本を頂戴いたしました。

小生還暦前に退職、十年は摂生――、で、昨春古稀、依然、糖尿病、網膜症の進行に抗う日々。葬式はどうでもよいといった話題の夫婦暮しです。

小生の死に支度では、数冊の珍蔵本が気懸りで、珍蔵筆頭の『少年』私家版本は、親しい歌人の還暦祝いに、年明け早々呈上しようと、手許に取り出していたというわけです。

「一陽来復」にも「笑門来福」を、前日年賀印類彫上げたところで、一人勝手に御縁を感じて居ります。

年末の雑事が片付き次第、四つの版の『少年』を展げ、味読しながら越年させていただくつもりです。冗語連ねました、御容赦下さい。

どうか御自愛のうえ、お元気でお仕事を重ねられますよう、祈念申しあげます。

お慶びと御礼申しあげます。 敬具    歌人・篆刻家  神戸市

 

* 秦 恒平様  拝啓歌集『少年』有り難く、本当に有り難く御礼申し上げます。『一陽来復』は、そうですねえと、本の裏表鰍こ貼りました。さて…田舎の爺・婆は手に取っては、「むつかしいねえ…」「…ほんと…でも、一所懸命なのがわかる気がする…」「十五歳でねえ…」と、開いたり閉じたりしては炬燵の上に置いてあります。

むすめが来て、「うーん…これは…DNAがちがうと思う…」とみなでうなっています。こたつの中のねこにこんばんわのようですが、この新鮮な驚きを喜んでいます。縁先にメジロが降りてきて覗いています。

実は、Eメール送受信ができなくなり修復もまだです(セキュリティソフトで混乱)。それで郵メールです。冬があるから春がくるんだとがまんしています。

転倒骨折風邪肺炎。くれぐれもお大切に。敬白   千葉 E-OLD

 

* 誰に送ったのやら送り忘れたのやら、分からなくなった。こういう年の瀬になったことを景気と眺めている。

 

* お礼  先日は歌集「少年」を贈って戴いて有難うございます。

前に戴いた小説の「山名」君のデッサンは、小生の目には素晴らしいものだと映りました。

勿論彼も子供の頃はあんなデッサンの描き方は教えられなかったと思います。みんな我流で始め、それを教師に矯められて正しいデッサンの描き方を教わるのです。

殴り書きみたいな運筆で、モチーフの特徴をきちんと捉えてあっという間に描き上げるくらいのことは、彼の能力からすれば朝飯前の事と小生には思えます。

八坂神社の拝殿の絵は、美術クラブの夏休みの宿題でした。

あの絵を最初に見たのは、美術クラブ担任の西村敏郎先生と小山光一君? と小生でした。

あの絵については、機会があればまたお話します。

本年は何かと有難うございました。

良い年を迎えてください。    福 同窓

 

* だまって聴いていると、テレビも新聞も、せいぜい若いスポーツ選手らの活躍ぐらいしか、嬉しいニュースは流さない。

そんなとき、幼かった昔の同窓の彼や彼女たちが何十年ぶりかに便りをくれるなど、何と嬉しいことか。そして、若かった昔の友人達の間でほど顕著なのだが、彼等の耳目に届けていた自分と、彼等がまるで想いも及ばなかった自分とが、おそろしいぐらい懸け隔たっていることに、気づく。わたしも気づくが、彼等の方がもっと強く気づいて戸惑っている。それが、分かる。

以前中学の同窓会で、このわたしが、びっくりするほど昔の少年時代とは変わったので驚いていると、スピーチした友人がいた。国民学校から大学までずうっと同じ校門を潜った友達だった。

竹西さんの指摘した「根の哀しみ」だの、わたしが常に求める「静かさ」や「闇の深さ」だの「清寂の孤独」だの、また古典だの自然だの、それらは私とは全く重ならないほどのことに見えていたらしい。よほどわたしをよく知っていると見ていた人にも、たとえば歌集「少年」の境涯を知っていた人は、ごくごく稀にしか居なかった。わたしが来迎院で慈子や朱雀先生と紡いでいたような時空を推知できた仲間は、高校、大学、会社時代を通じてただの一人もいた筈がない。そしてだれもが見ていた、わたしはいつもワンマンの猛烈な生徒会長や学級委員長であった、そのような部下で同僚で上司であったと。両手両脚を車輪のように働かせて動きまわっているやんちゃだと。

それはちょうど、現在でいえば「ペン電子文藝館」の館長であったり、うるさい理事であったりする世間のレベルであり、しかし、そんなもの、わたしには何事でもありはしない。

 

* 中学のころ、姉と慕った人はわたしを物陰へよんで、「あんなあ、ほんまのことは、分かる人には言わんかて分かるの。分からん人には、なんぼ言うてみても分からへんのえ」と諭した。

高校の頃、我が家が荒廃していたとき、どこからか忽然と帰ってきて、わたしを八坂神社の楼門の裏に呼び寄せ、「ひとりで歩いてゆきなさい、生まれたままのひとりで生きてゆきなさい」と背中をとんと押し出してくれた。「十七にして親はゆるせ」と教えたのだと思う。

歌集『少年』の大半を下支えた強い力は、あの姉であった。一滴の血縁もない「身内」であった。そして大学で、妻に出逢った。姉が今どこにいるのか、わたしは知らない。歌集も贈れない。妹は、受け取ってくれたと思う。もう一人の妹は亡くなってしまった。

この姉はまたわたしに教えてくれている、孤立してはいけない、が、「孤独は、えぇもんぇ。大事ぇ」と。

2005 12・26 51

 

 

* 和歌山のE-0LDさん  一つ率爾ながらお伺いするのですが、私の文庫本歌集は、届いて居りましょうか。

と、申すのも、お送りの控えにお名は有りますのに、宛名だけで宛先住所を欠いた封筒が一つ残っているのを見つけました。たしか住所表記が変わったはずと、躊躇したまま宛先を書き漏らし、そのままに成っていたのかも知れぬと、家で心配して話しています。久しく久しいお馴染みのあなたに差し上げないワケがなく、うかと重ねるのもおかしいしと、メールでお尋ねするとしました。粗忽なことで恐縮です。

そちらは雪は降りましたか。 寒い寒いと、いろんな地方からお便りがあります。お大事なさって下さい。 湖

 

* 有難うございます

「私語の刻」で、「少年」への皆さんからの謝辞を拝見しながら 分不相応とは思いながらも羨ましく存じていました。今日 和歌山市まで出て大きな書店で調べてもらったのですが、在庫も版元の出版リストもパソコンに見当たらず、申し込みできない との返事で、どうしたものかと思案していたところです。お送りいただけると有難いことです。

建日子さんの「推理小説」元版は既に読んでいますが 文庫になって平積みされていましたので買ってきました。1月10日から放映だそうで、家内共々楽しみにしています。

古希の日は 顔見世をお楽しみと伺っていましたのでお祝いも申し上げず失礼しました。

ご健勝で良い新年をお迎えください。      和歌山 E-OLD

 

* 粗忽なことで、同様のご無礼がかなり有るやも知れない。お詫びしておく。

秦建日子の文庫本『推理小説』が出ると聞いていたが、まだ見ていない。

昨日から連続で再放映している毎日系列の「ドラゴン櫻」は、見直しても、骨格たしかで、モノの感じ方・考え方に頼もしく同感のところも多く、阿部寛・長谷川京子のコンビが気持ちいい。「特進」教室へ入ってくる生徒諸君にも親しみを覚えている。凡百の学園モノのなかで、一等地を抜いた一つであろうと、贔屓目なく思う。今日二回目を見てもそう感じた。あと十時間分ほど、明日からは、何回も取りまとめて再放映するのだろうか。

2005 12・26 51

 

 

* 「最上徳内」読んでいます。 昴

小学校のリンクが間もなく完成、というところで大雪が降りました。常呂は膝まで埋もれるほどの雪が降っています。今年のリンクはデコボコしたものが出来上がると思います。

短歌集『少年』、15~20代前半まで少年なんだなぁと思いながら、新参者なので「文庫本」を探しています。近くの本屋では短歌新聞社の文庫本すらない状況でした。一番便利でよく利用している、コンビニで商品を受け取れるセブン&ワイでは取り扱っていないようなので、近くの本屋で注文しようと思います。ただ、今は「最上徳内」を読んでいる最中ですし、これから実家に帰省するので、年が明けてからになります。幾首かHPで見ましたが、美しい季節に生まれた秦先生だから、あのように美しい短歌をつくることができるのかもしれませんね。羨ましいです。

「最上徳内」の方は、歴史小説をあまり読まない私でも、飽きずに読み進めることができています。資料の部分が書き続(つ)がれていると飽きてしまうのですが、楊子さんとのことや、最上徳内との会話などがあるので飽きずに楽しく読んでいます。

小説の中で何度も出てきましたが、6月の道東は確かに寒いです。

でも、12月はもっと寒いです。零度を暖かいと感じます。今、秦先生が北海道を訪れたらどうなるのでしょう。

体が冷えると風邪をひきます。体を冷やさないよう気をつけて下さい。

2005 12・26 51

 

 

* 秦さま。いよいよ暮れも押し迫って参りましたが、お元気の様子。

このたびは”古希”!おめでとうございます。

歌集『少年』頂戴いたしました。ありがとうございました。

建日子君ご活躍ですね。  西東京 謙

2005 12・26 51

 

 

* 押し詰まった今日、夫の果敢な転職にともない富士山麓へ転居して行く人がいる。風雪おだやかに、好天のもとに、つつがなくと祈る。

2005 12・27 51

 

 

* (数が少ないと言っていた) 曙の歌を一つ見つけました。

み吉野の高嶺の櫻散りにけり嵐も白き春の曙   後鳥羽院

こういう大物の詠んだ和歌について、詩人の前では感想を述べません。(述べられないので。)湖が好き嫌い、佳い悪い、面白い面白くない、どう評価をなさいますか。とても興味あります。  冬

 

* 歌屑ではないでしょうか。上句はあまりに陳腐。「散りにけり」というぶっきらぼうな区切れも面白からず、さらに院自身は手柄と歌われたか知れない「白き」が、よくハマッていない感じです。

尋常に「紅き」としてかえって異色を表現しえたのではないか。櫻は「暖雪紅雲」と映じ、ことにも散り急ぐ吉野の山一面をイメージすれば、「嵐も紅き春のあけぼの」と「あ」音のきこえに文字の風情をとらえ、完了形とみず、進行形ととらえていた方が、おなじ作り歌ならば、よほど面白くはなかったか、と。「白き」はきこえも奇妙に瘠せ、ちいさくて、寒い。

異論があろうと思いますけれど。

2005 12・27 51

 

 

* いかがお過ごしですか。静かに歳末を暮していらっしゃいますか。

なんだかとても久し振りのような心持でHPを読みました。歌集への皆様の感想、本当に良い古稀のお祝いになりました。どうぞ元気に七十代を乗り切ってくださいますように!!!

家に戻って、さすがに疲れを感じています。舅が介護用ベッドとトイレ風呂の行き来にほぼ限定された状態になり、介護の人を週三回頼むことになりました。姑はこれまで他人を家に入れたくないと頑張っていましたが、遂に諦めて、彼女自身も介護認定の手続きを進めることにしました。これからどのように状況が変わっていくか、さまざまに問題を抱えています。

この二、三年は二階にわたしたちが上がることも嫌がられていましたが、今回は介護の人が入るので一階を中心に大掃除をひたすらしました。

年を取るということは否応なくエネルギーが減少していくこと・・身辺を綺麗にして暮すことがどれほど大変なことか身に沁みて感じます。

家に戻って仕事が山積しています。この場所も、今日明日と少しは片付けませんと! 娘たちが帰ってきます。長女は元旦から仕事が入っているので31日には東京に戻りますから、三日間だけの帰省です。例年とは大いに異なった正月です。

昨日はインド洋の大津波から一周年、テレビを見ていて・・子供を亡くした母親たちの溢れ流れる涙、成り立たない暮らしなど・・本当につらいものがあります。ささやかなことしか自分にはできませんが、常にさまざまな人たちのことを思います。わたし一人の悩みなど贅沢なものです。

先日ハリーポッターを映画館で見ました。久し振りの映画館でしたが、それがハリーポッターとはいささかヘンでしょうか。が、この類のもの嫌いではありません、純粋に楽しめますから。CGのおかげでこれまで映像化できないだろうとされていたものが続々映像化されて、ゲド戦記も来年夏に、ナルニア国物語は春に上映される運びとか。

先日「少年」を下さると書かれていましたが、わたし宛に送ったでしょうか。HPから多くの方に本が届いたことが窺えるのですが・・わたしは受け取っていません。催促ではなく問い合わせ、です。

今日も寒く、風が吹いています。どうぞ風邪などひきませんように、元気に元気に。  鳶

 

* 古い住所録で間に合わせたのが間違いの元。転居する人の場合は必ず古いのを消さないといけないのに。妙な心理なのだが、また此処へ戻るかも知れないしなあと、つい消さない変なクセがわたしに有る。御免候へ。

これから図書館へ何十冊と単行本を寄贈にはこぶ。自転車でダイジョブかな。ほんとは何回も往復したいが、一度で息があがるだろう。

2005 12・27 51

 

 

* 胸板の厚い姿勢の正しい秦さんが古稀とは思えません。しかしおめでとうございます。記念にご恵送くださいました歌集『少年』をしみじみと拝読、愛唱させていただきました。以前にも読ませていただいたことがあります。

妖しい気分、清冽な抒情、ことばの美しさ。秦さんの文学の根底に流れているものがここに凝縮されています。最近散見する歌の説明的な言葉の横行に辟易していました。やはり歌は論理でなく詩でなくてはなりません。ではよい年をお迎えください。

『みごもりの湖』を書かせて下さった元新潮社編集者

 

* 少年を拝領いたしました。瑞々しい御作です。先生のお若いころを想像し楽しゅうございます。 私も若いころを そぞろに思いましたが、歌をほとんど作っておりません。よい記念になりますのに。

御礼まで かしこ   作家

 

* 私も今年還暦をすぎましたが、ボケはうまくすすんでいますが少年の日には帰れないのが残念です。 またよいお歳をお迎え頂きますよう。  元平凡社編集者

 

* 宇治生まれで京の御所近くにも住んだ私には御作の匂いはどれもおなつかしく思えます。 その上お嬢様と同じ「お茶の水」に学んだ御縁を知りうれしくなりました。 私は古い卒業生になりまして、学校が大塚へ移る前のお茶の水の(関東大震災後の)バラック校舎でした。(女学校と専攻科で八年間学びました。)お習いした尾上柴舟先生はまだ五十歳台でいらっしゃったと存じあげます。お嬢様は「本校」と呼んだお茶大へお進みの御様子、同窓会名簿で拝見いたしました。私の娘は都立高校からお茶大へ参りました。

何やら重なる御縁のようで独りで喜んでおります。

京極校時代の幼な友達も段々少くなりクラス会もひらかれなくなりましたのも仕方のない事かと思っております。

もし宇治へ御出ましの御折には宇治上神社へもぜひ御運び下さいませ。神社は古い建物で神主の家とは親類でございます。七十歳はまだまだお若い御年、これから愈々御活躍の御事をお祈り申しあげます。 歌人・日本ペンクラブ最高齢会員

 

* 思えば最初の出会いは「みごもりの湖」当時丸の内に勤めていた私は丸ビルの冨山房に日参していました。いつものように書棚を眺めていましたら、「みごもりの湖」が目に飛び込んできたのです。書評も読まず、知らない作家の本を買うということもなかった私が、何の躊躇いもなく買ってしまったのは、今考えても不思議に思います。それからは何年もかけて先生の御本を買い漁りました。湖の本に出会えたのは「美の回廊」を出されたとき、紅書房の栞に紹介されていたのです。「墨牡丹」「冬祭り」は本がガタガタになるほど年中読んでいましたので湖の本でも求めました。

永い年月の一冊一冊の思い出などきりがありませんし、又、ご迷惑だと思いますのでペンを置きます。ホームページでご近況など読ませて頂きます。

先生の御健康・御健筆、切にお祈り申し上げます。  杉並区 七十六歳

 

* 作者冥利に尽きる。

 

* 凍りつく寒さ   正月の用意の買い物に自転車で駆け回ると冷たい風が身を切り、それでも豪雪の地方よりは余程マシだと、暖かい日光がありがたく。

近辺の軒売りをする農家では、今年は寒い日が早くに来たので、ほうれん草も小松菜も、ほら、こんなに寸足らずで、例年の半分も延びなく、水を撒けば氷つき、踏んだり蹴ったりだよ、と、来る客来る客にコボシています。

友人のもとへモノを届けた折、シチリア旅行の写真を観たいというので、アルバムを持参しました。

昨今の建築物云々に比べれば、ほらこのギリシャ神殿も劇場もBC500年頃の建築で、まだこんなに美しく偉容を保っていて、感動したのよ。

もっと古い時代の話があるのよ、と届いたばかりのクリスマスカードを見せてくれました。

BC2000のパピルスの医学書を修復している知人からなの。

4000年以上も昔の? ウソーー

口をあんぐりと開けていた、と思います。

触れれば崩れるようなパピルスの修復は並大抵なものではなく、メトロポリタン美術館でその部署の責任者の日本人女性、ニューヨークタイムズにも紹介された、とありました。

詳細には書かれていないので、世界文化史年表を開いてみても、古代エジプトのなのか、シリアかメソポタミアかペルシャなのか、文字が既にあったのか、繪なのか、無能な頭では見当がつきません。

でも、しかと云えます。

そう遠くない、生まれ変わる来世には、こんな事をライフワークにしたい、こんなことが好きだったんだ、と。

お笑いください。

佳いお年をお迎えください。   泉

 

* 湯上がりです。酔っぱらってます。飲んだのではないのです。大掃除をしていましたら、狭い家なのに魔窟があって、そこからかなり以前のレミー・マルタンを発見。飲むには古すぎてお腹をこわしそうだったので、ちょっとお風呂にいれてみようかと……。手元が狂ってドバドバ入ってしまってブランデーの匂いに満ちた入浴になっ

てしまいました。レミー・マルタン風呂です。肌までピンク色にぽっぽと燃えています。バカですねえ、相変わらず。

後鳥羽院の歌の感想ありがとうございました。後鳥羽院は好きですが、佳い歌には思えず……教えていただきたかった。後だしジャンケンですね。

> 「嵐も紅き春のあけぼの」と「あ」音のきこえに文字の風情をとらえ、完了形とみず進行形ととらえていた方が、おなじ作り歌ならば、よほど面白くはなかったか、と。

この解説は大儲けした気分です。感歎しました。直されたほうが断然佳い歌です。

> 身辺はなかなか片付きません。片付かないままの越年に、また、なるようです。

身辺片づけるのはほんとうに大変ですね。わたくしの掃除も単なるものの移動にすぎないと反省するのですが、なかなか物が捨てられません。とくに本の増殖には頭がイタイ。あっと言う間に絶版になる昨今、一度手放した本は再び手に入れるのが困難です。というわけで、テレビというものに愛想を尽かして以来の守本奴。年末年始に読む本も買いこんでいて、置き場所に困っています。わたくしでさえこのありさまでは、ご自宅の本の浸食は、凄まじいのでしょうねえ。想像できそうです。

今日も一日、ずっと湖のことを想っていました。考えていました。感じていました。おやすみなさい。 真冬

 

* 世の奥様達もいろいろあり、しかも総じて、ビックリさせて下さる。

2005 12・27 51

 

 

* 文庫版歌集『少年』  心の内側に深く垂鉛の降ろされた硬質な抒情を放つ短歌に感銘をいただきました。つよく烈しい御歌にも清澄な境地が漂うのに惹かれます。それにしても、これほど高い調べの、豊穣な短歌を十代でよまれたということに、改めて驚きを覚えます。ますますのご活躍をお祈り申し上げます。 小説家

 

* 御歌集ありがとうございます 釜井先生、給田先生のおなつかしい御名前に誘われるようにお作品の懐旧の世界に引込まれております。今の私のどもに学ぶべき多くのご示唆のあり 学ばせていただいております。私も八十才をすぎました。

耳もとに振ればさや鳴るこばん草傘寿といふは他人(ひと)ごとでなし  綾

腰折れお笑い下さい。

御多忙のご日々かと存じます ご存分にご自愛下さいませ。よきご越年とご迎春をひたすら念じ上げております。一筆の御礼まで  かしこ    歌人・弥栄中学の恩師

 

* 歌集『少年』誠に有難うございました。

少年時代の秦さんの甦りのごとく、興味をかきたててくれます。  牧師

 

* 他にも、『みごもりの湖』担当編輯者の初見氏や国文学の小松先生、喜多流の友枝昭世氏らのお手紙を戴いている。

 

* 例年、巻頭の伊藤桂一さんとならんで新年号に頼まれる「ずいひつ」も、もう届いた。鶴丸和久の赤富士を描いた佳い表紙繪。

ペンの青柳森さんからは年越し蕎麦を頂戴した。

2005 12・28 51

 

 

* 歌については、私はしろうとでございますが、(歌集『少年」は、)新鮮なお気持がほのぼのと感ぜられ、拝読後、私はまことに清らかな感じになり嬉しうございました。いづれも美しく明るい歌が多くとくに印象にのこった歌を挙げさせて頂きますと、「歌の中山」のうちの、

たちざまにけふのさむさと床に咲く水仙にふと手をのべゐたり

とは、特に 私は何とも言へぬ情緒を感じました。その他に挙げれば切りがない程有り、こんな美しい歌集を今まで知らないでいた私が、うかつであったと思っております。

青年時代の全く清らかなお気持が、しみじみと浮び上っており、座右の書として、今後常に開いて見たいと思っております。   東大名誉教授 国文学

 

* 珠玉の歌集 いつもながらのご芳情深謝いたします。

うす雪を肩にはらはずくれがたの師走の街にすてばちに立つ

など、このような少年の時代もあったのかと、思わずほほえんでしまいます。やはり年を追いながら思索的な深まりがあるものと、さまざま先生の若い頃に思いを馳せております。ありがとうございました。  阪大名誉教授・国文学

 

* 良い歌は何度読んでも良い歌です。

木の間もる冬日のかげにくづれゆく霜のいのちに耐へてゐにけり

など何度も復誦いたしました。お健かに新年をお迎え下さい。  東大教授・国文学

 

* 御高著『少年』を御送付下さり、まことに有り難うございます。厚く御礼申し上げます。(大学の)雑事に振り回される毎日ですので、頂いた歌集で、文学の香を味わいたいと存じます。

無事に古稀をお迎えになられた由、おめでとうございます。

今後ともご健康に留意なされて、益々のご健筆、ご活躍を心からお祈り申し上げます。

よい年をお迎え下さい。  金沢大学教授・近代文学

 

* 装幀も誠に快く手に取るのが楽しうございます。座右の文庫本用の小さな本箱に(百人一首)一夕話や幸田成友の古事記、有朋堂文庫の謡曲集などと竝べて納めました。厚く御礼申上げます。  福田恆存先生奥様

 

* 過日はお手紙を頂き、又、この度はご本をお送り下さり、誠に有難うございます。お誕生日おめでとうございました。

毎日、色々な事が有り、耐えられない気持ちで、その事を書いたり、話したりすることが怖かったです。

夕方残業していました時 先生にお電話してお声を聞かせて頂くことにより、心を強く出来るかしらと思いましたところ、電話番号を持参していない事に気付き、寂しさと悲しさとで やっと仕事をする事が出来ました。

何のお祝いの言葉も、お祝いの品物もお送りせず申し訳ございませんでした。

私の方は奥様から昨日お葉書を頂き、そのお心優しいお手紙、さわやかさで、心救われました。感謝致しております。

『少年』のご本の先生のお写真ですが、いつ頃なのか、今もお変わりないのかしらと思っております。歌は、お若い時に作られた作品とは思えない美しい言葉を大人の女性が作られたように感じます。

人生を深くみつめられて、景色をも敏感に受けとめられている若き少年は、夢の世界の人のように思って読ませて頂いております。愚痴を言ってはいけないと思いながらも心の弱さにまけている自分、別次元で物事を考えて生活出来るようにしてまいりたいと思いました。

古稀を迎えられおめでとうございました。百歳を目標にお過ごし頂きたいと願っております。  群馬県

 

* 歌を挙げてくださるのが、お一人お一人、みな異なっているのが面白い。歌の好き好きとは、そういうものであって、百人一首のおはこがいろいろなのも当然という話。

いま、機械のディスプレイの両脇に、同じ文庫本でわたしの文字通り処女作品集であった『少年』と、秦建日子の処女小説『推理小説』とが、立てて置いてある。わたしの表紙は簡素に清寂そのもの。息子の本の帯には篠原涼子扮する敏腕美貌の刑事姿が大きく、TVドラマ「アンフェア」原作 2006年1月10日スタート! フジテレビ系毎週火曜よる10時 と案内してある。

2005 12・29 51

 

 

* 御著『少年』をお贈りくださいまして、まことにありがとうございました。

暮の忙(せわ)しない日々を過ごしている合間に、しんとした空気を運んでくれたような珠玉の御作にひとつ、またひとつと触れては心清らかにさせていただきました。

どれもそれぞれに心に沈むものがありましたが、不遜を顧みず1首あげさせていただくと、

目に触るるなべてはあかしあかあかとこころのうちに揺れてうごくもの

が幾度か立ち戻って読みなおしたくなるひとつでした。

今年は3月に新しい職責を得て幾つかの公立中学校・小学校の卒業式に来賓として列席いたしました。先生の御作を読ませていただいたとき、ふいに、ある学校で出会った一人の男子小学生の姿が思い浮かびました。

今の卒業式は、壇上で校長先生が証書をひとりひとりに渡すとき、次に受ける順番の生徒が壇の端で待ち、さらに次の生徒が壇の下で待っています。そして名前を呼ばれると「はい」と返事をした後、自分の抱負をひとこと大きな声で場内に向かって述べて、それから校長先生の前に歩み寄るのです。

小学6年生ですから、成長の個人差はまだ大きく、大人のような生徒もいれば子どもとしか言えない生徒もいます。印象に残っている生徒は、ひときわ小柄で、着ているのもほかの生徒たちのように紺ではなく、灰色の服でした。頭は丸狩りで、顔つきは幼いながらきりりとしていて、指先までぴんと伸ばした姿勢は辺りをはらうような清々しい空気を醸し出していました。彼は壇上にあがり、名前を呼ばれると、少し高い、美しい声で言いました。

「ぼくは数学者になりたいと思います」

ほかの生徒たちは、おおむね中学生になったら部活動をやりたい、勉強をがんばりたいというような言葉が多いなかで、彼の言葉は天から響くようでした。

すみません。先生の御作から心に浮かんだことばかりを長々と書きました。

長いついでに、まったく別のことですが、もうひとつ書いてよろしいでしょうか。

先日(十二月二十四日つづき)、ある方の現代短歌とその読みについて、どなたかの反論をお書きになっていらっしゃいましたね。大変興味深く読ませていただきました。

ただ私の「読み」はどちら(産経抄および反論男性)とも違うものでした。二つの「読み」とは関係なく、私の第一印象を確かめようとしばらく日を置いて、再読いたしましたが、やはり私には違って読めました。

* ガス弾を浴びし黒髪いまはもう

涼しき銀河となりて梳かれぬ   吉竹 純

作者は男性で、髪の主は女性であることは、それ以外考えられません。

でも私のイメージは、作者が懐かしい同級生に会ったものとしてしか浮かばないのです。共に闘い、数十年の歳月を経て再会した昔の仲間です。

なぜ、と論を展開するほどの技量を持っておりませんが、私には、あげられた二つの「読み」はどちらも浅く感じられました。雑駁な思いのみ書き連ねて申し訳けございません。

どうぞお身体お大切に、よいお年をお迎えくださいませ。   都内・区教育長

 

* ありがとう存じます。一冊の歌集を介してめぐる思いをお寄せ頂いた。まごころのメールである。

 

* おととい、朝から大雪の中、荷物を運び出し、正午過ぎには出発しました。高速道路に乗って少しのあいだ雪が舞っていましたが、どんどん晴れてきて、眠くなるほどのぽかぽか陽気になりました。サービスエリアできしめんを食べたあとだったので、運転中に眠くなって困りました。

新居は、まえより暖かく、昼間は暖房いらずです。

まだまだ片づきませんが、ぼちぼちやっていきます。

風は、どんな年末をお過ごしですか。 花

 

* 美ヶ原   能、歌舞伎、和歌、旅の風物詩、ご著書へのご感想が、琵琶の湖に比良の白い山稜が映えるように行き交う賑わいは、ある舞台の、舞いのようです。

おそくなりましたが、古希をおめでとうございます。

また「河上徹太郎氏」との東京會舘風景は、いいですね。

今年の秋の写真ですが、ご家族お揃いで雪の高原を楽しまれますように。 川崎E-OLD

 

* うまいことを言ってくださる。

 

* 歌集届きました。嬉しく拝受、ありがとうございます。

よいお年をお迎えください。 鳶

 

* では、機械をしめて階下へ。

2005 12・29 51

 

 

* 湖の上の波も凍りつくような寒さですね。北海道の湖をふと思い出しました。冬の阿寒湖では湖面の氷の上を重い雪上車が走っていて、子供たちは大喜びでスケートをしたものです。

今年もあわただしく過ぎていきます。今年の新しいことといえば短大の非常勤講師(在宅保育論)になったことです。女子学生ばかりで、注意をしないと私語をしたりお化粧したりという様子に戸惑いましたが、参加させる形の授業にすることで何とか興味をひきつける努力をしています。来年は講師が二つになるので、さらに役割が重くなります。話しべたの私がこの年になって教壇に立つのはちょっぴり苦痛でもありますが・・・・。

会社も移転して広くなり、スタッフも増えてぐっと若返りました。

昨日は娘の1歳半になる孫息子の一日託児所代わり。ちょっぴり自我が芽生えてきた幼児との交流を楽しみました。かわいいです。今日は老母とお墓参りにいき、夕食を楽しんでまいります。

ついに直接お会いすることはかないませんでした。PCも人の手に頼らず完全復旧。来年はメールがつながらなくなることはないと思います。

さて、「湖の本」で私が持っていないものは、エッセイ 4「茶ノ道廃ルベシ」  9・10「洛東巷談」  12・13・14「中世の美術と美学」   重ねていただきたいものは  11「歌って何!」  16「死なれて・死なせて」です(人に手渡しで差し上げたいと思います)。これで、創作・エッセイすべてそろいます。

来る年も、お体に十分お気をつけて、ご活躍くださいますように。よいお年をお迎えくださいますよう。 波

2005 12・30 51

 

 

* 先日送ったメール、短歌集『少年』を催促してしまったようで恥ずかしいです。返信のメールで、送りましょうとおっしゃっていただけたのですが、売られている本をもらうというのも、悪いような、図々しいような気がして申し訳なく思います。とりあえず、住所は書いておきます。

野付湾まで車で10分のところが実家です。手間がかからず、時間があるときに、よろしかったらお送りください。

今日は、母が、ジェンキンスさんの『告白』を買ってきました。私はその手の本があまり好きではないのですが、母が本を買う姿を初めて見たということがあって、「どんなものでも本を読むのはいいんじゃない」と言っ

ておきました。

ちなみに私は、建日子さんの『推理小説』を買いました。かぎ括弧の使い方が、普通と違うなと思いました。

それでは、忙しい時期、体調を崩さないようお気をつけください。  昴

 

* 『少年』ありがとうごさいました。十八年のお正月の楽しみがふえました。金沢はまだ雪。いよいよ魚のうまいときです。  劇作家

 

* かわらずご健筆、ご発言のこと拝し お教えいただくこと多く敬服いたしおります。ご記念「歌集 少年」たまわりありがとうございました。

早くから諸藝ご堪能の趣、京の都の底力と圧倒されます。国文学、古典を楽しく読ませることを仕事にしておりますが、やはり自身創作の喜びを実感せねばと痛感いたしまして、湖の本、当女子大の図書館にも備えておられますが、学生達もぜひ感化していきたいものと念じております。

ご多忙の折、お揃いでお大事に。

退隠の友初雪を報せくる    大学教授・兵庫県

2005 12・30 51

 

 

* トラック一台に積み切れなかった分が、五日に来ます。

まえの家の前の道が狭くて、大きいトラックが入れなかったので、仕方なく。すっかり落ち着けるのは、少し先になりそうです。

腰痛、わたしもときどきなります。安静にするしか、恢復の方法はないと思います。お大事になさってください。

新年は、新しい土地で、また一からはじめなくてはならないのだなあと思っています。体が疲れている感じはそれほどないのですが、ストレスはあるのでしょう、今日は入浴剤を買ってきました。

買い物に行く途中、「平家渡り橋」ですとか「左富士」なんていう表示があって、歴史を感じさせてくれます。

近くに見え過ぎる富士山は、北斎が描いたみたいですよ。

> 松本経由アルプスの山の上のホテルへ行きます。

> 脚の痛いのはこたえますが、

例年にない大雪ですし、正月にまた降るとの予報が出ています。どうぞ、お気をつけて行ってらしてくださいね。 花

2005 12・30 51

 

 

* のばらです。  今年も後一日。

今お風呂の、お湯はり中です。スイッチを押すだけでよく、本当に便利になりました。

船岡(の実家)では私が結婚する頃まで五右衛門風呂でした。薪の焚きつけ上手でしたよ。テストの用紙や都合の悪い手紙や写真など、よく放り込んで燃やしたものです。

娘達は新年を東京で迎えて、元日にこちらに帰ってきます。

孫娘は梓、梓川に因んで名付けられました。真っ直ぐな子に成長しています。

真冬の信州、冷たいけれど綺麗でしょうね。ごゆっくりと楽しんでこられますよう。

良いお年をお迎えください。   従妹

 

* 五右衛門風呂を、丹波に疎開してはじめて体験した。最初の山の上の方のあばらやに入ったときは、いちばん近い山裾の農家へ、貰い湯に行き、中板をぶかぶか浮かせてしまい、辟易した。辟易どころの騒ぎではなかった。電灯もないまっくらけの浴槽であった。まるきり釜であった。

街道ちかい裕福な農家の離家(はなれ)に移ってからも、いつも母屋へ貰い湯に行ったが、此処では母家の中に湯殿がきちんと拵えられていて、風呂釜もしっかり、慣れればめったに踏み外しはしなかった。

京都の市内であの戦時中、内湯を使える家など、町内でもせいぜい二、三であったろう、みな湯屋へ行った。

我が家の近くには、古門前に「新シ湯」、祇園甲部清本町に「松湯」「鷺湯」そして縄手に「亀湯」があり、四條の電車道をわたった一力前の辻を西入ったところに「祇園湯」があった。もう一軒、祇園新地に「清水湯」があった。

祇園湯まではめったに行かなかったが、子供同士の「探検」気分がはたらくといつもは行かない湯屋へ、連れて通った。新京極にある銭湯にまで、遊び半分四五人で出向いたことも一度有った。

小さいときは父か母かに銭湯へ連れて行かれた。その日の気分次第で、上の湯屋のどれかへ行った。考えてみると、ほぼ平均してあれへ行きこれへ行っていた。湯屋にはそれぞれの何とも言えぬ固有の湯気がこもっていて、普通の町屋の湯(新シ湯、亀湯)、祇園甲部の湯(松湯、鷺湯、祇園湯)、新地の湯(清水湯)、みな様子がちがった。脱衣場の広いのは乙部の清水湯で、松湯も鷺湯もことに男湯は狭かった。母と行くと、時間によっては出勤前だろうか舞子や芸妓が大きい髪のまま、湯ぶねに浮かんでいたりした。男湯の脱衣場にも壁一面に芸妓や舞子の名を大きく朱や墨で書いた白地の団扇がかけてあった。早くから文字をおぼえる佳い教材であった。あんな団扇の二枚三枚と我が家のようなヤボくさい家にも有ったのは、なんでやろ。

夏は、家で盥に湯をはり井戸のわきで行水した。離れの叔母の稽古日だと、稽古に何人も通ってきて、そのうち手洗いに行く若い娘達がそばを通って、「いやぁ、コヘちゃん、行水かぁ」などと覗かれた。

ある日など、「お湯が入ったえ」と親に言われ、はだかで盥まで行くと、盥のヘリをぞろりと家の主の青大将が渡って行くのを見、卒倒しかけた。それでも暑い夏の行水あと、畳の部屋ではだかで涼を入れるのは心地よかった。そのころ壺庭に小さな泉水があり、金魚やちいさな鯉が多いときは六七尾も泳いでいた。

 

* 今年一年、顔こそ見なかったけれど、心親しくメールも往来できて、楽しい思いを何度もしました。ありがとう。「お風呂」のはなしで、昔の銭湯や行水の時代を懐かしく思い出しました。昔のことは、いくらでも泉のように湧いて、思い出せます、昨日のことも忘れるのに。

もう大晦日に入りました。明日(今日)は、例年のお使いで、池袋西武まで、京の白味噌、そして蛤を数十個買いに出ます。ついでに、湖の本の出納などに必要な備忘のノートを買ったり、衝動買いしたり、買う物がないときは、どこかの店に入り、「ひとり酒」で何かを食べます。これで血糖値が冬場は例年安定しているなど、不思議なことです。欠食児童の時代を、七十年ひきずってきました。運命やなあ。

来年は、京都で出会えますか、どうか。

どうぞ、皆さんお揃いですばらしい「お正月さん」をお迎え下さい。ありがとう御座いました。

それはそうと、歌集は送りましたやろか。 恒平

2005 12・30 51

 

 

* 四国の花籠さんから、古稀と新年へのお祝いが届いた。

 

* 月様   今年も今日一日で終わりますね。

去年は風邪で声が全然でない状態でしたが、今年はどうにか咳が少しでるだけで済んでいます。でも、残業は夜半までが数日続いていて睡眠不足がちに。今年最後の多忙な一日を頑張って、明日は寝正月になるかもわかりません。

歌集「少年」嬉しく拝受。

十七歳   「たづねこしこの静寂にみだらなるおもひの果てを涙ぐむわれは」

重ねられる思いが、その歳の私にもあったこと。何を見、何を聴いても、恋する多感な胸は切なくうるんでいたことを懐かしく思い出しました。

喪中で静かなお正月となりますが、ゆっくり歌集を楽しめることが嬉しいです。

お体の不調、やはり冷えが一番よくないと思われます。温かくなさって、くれぐれもご自愛のほどを。

建日子さんたちとのご旅行の由、佳い旅を楽しまれてくださいね。お土産話が楽しみです。

どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。  花籠

 

* 折角、お大切に。

私はこれから下命を受けている買い物に、街へ。

2005 12・31 51

 

 

* 湖様  湖の本 届きました。あまりにも早くて驚いています。でも、2005年のうちに全巻揃いました。ありがとうございます。これで既刊分がすべて。これからも増えてゆくのを楽しみにしています。

大晦日。日々片付けられないものを片付け始めたら、部屋中がごみの山のようになってしまいました。きりがありませんね。

早くどこかで一段落して、読書の時間も作りたいと思っています。  波

2005 12・31 51

 

 

*  大晦日  秦恒平様  今年もいろいろ、有難うございました。

おめでたい喜寿の御年の記念歌集を戴けて幸せでございました。

なんでこんな日に生まれたんやろう—–

朝からお煮しめ作りがちょっと一段落。ほっこりしてしまって、一休みにパソコンを開きました。

家族は私の誕生日などそっちのけなのに、米子から友人が、

ひとひとり こころにありて 除夜を過ぐ (桂 信子)

という句のついた、お祝いのメールをくれた。

へえ~~~

テレビは南座顔見せの録画中継。

夫は一昨日から志賀高原でスキー、夕食の頃帰ってくるそうだ。お風呂に入って、お煮しめの味見しながら一杯飲む魂胆、それ、ちょっとすこいのんとちゃうか。

ろくな喜寿の祝いもしてあげなかったのだから、おあいこか。

お正月はご家族で美ヶ原とのこと—真っ白の世界。

どうかお気をつけて楽しい時をお過ごし下さい。

来る年もお互い様に健やかに平穏に暮らせますように。 2005/12/31  藤

 

* お宅もお揃いで、大晦日。お誕生日も。そしてお正月。おめでとう。 湖

 

* 神戸の***です。遅くなりましたが、古稀を迎えられ、おめでとうございます。

日々の雑用にふりまわされ、久しぶりに「私語の刻」を拝見しますと、歌集「少年」が話題になっていることを、はじめて知りました。

過去の私語の刻を辿っていきますと、これは市販本である事がわかりまして、28日に短歌新聞社に注文のメールを入れました。すると、年末にも関らず昨日の30日に到着しました。

私は「湖の本31」の『少年』も持ってはいますが、この歌集は鞄に忍ばせてちょっとした時間に味わう事ができるようで便利ですね。短歌には疎いのですが、新年に詠ませていただきたいと思っています。

また今年も丹波市島・山名酒造の「奥丹波」をお送りしております。今年は寒波のために、蔵元では出荷に手間取っているようですが、今日にはお手元に届くかと思いますので、ご笑納ください。

では、よい年をお迎えください。

# 私はテレビを見ないのですが、子供が建日子さんのテレビ番組「ドラゴン櫻」を楽しく観ているようです。道

 

* 忝なく、また申し訳なく。こういう「少年」の贈り漏れが諸方で重なっていることと。

ご免なさい。

 

* 歌集『少年』 先生の御作全部の原点かと拝見し、又、母上様との不思議な絆を深く心に感じました。私自身今だに母への想い強く、心に響くものがございました。

この初冬、東欧の旅に行ってまいりました。重層的な歴史がどの街にも降り積もっておりました。

厳寒の折柄、御身大切にお過ごし下さいませ。   元中央公論社・編集者

 

* 歌集「少年」 有難く頂戴いたしました。

好きな歌二首 真っ先に声に出して読ませて頂きました。

青竹のもつるる音の耳をさらぬこの石みちをひたに歩める

柿の葉の秀(ほ)の上(へ)にあけの夕雲の愛(うつく)しきかもきみとわかれては

有難うございました。

新しい年 ご息災であられますよう。     和歌山 E-OLD

 

* 歌集「少年」 先ず、十五歳にしては言葉づかいの巧みさ、感情のゆたかなことを感じとりました。

少年のころから、身辺におきたことを、自然を通してこのように表現出来る力に感服致しました。 「栴檀は双葉より芳し」とはこのことを言うのであろうと思います。

私の好きな歌を申し上げますと次の歌があげられます。

歩みこしこの道になにの惟ひあらむかりそめに人を恋ひゐたりけり

勲功(いさをし)のその墓碑銘のうすれうすれ遠嶺(とほね)はあかき雲かがよひぬ

苔のいろに雪きえてゆくたまゆらのいのちさぶしゑ燃えつきむもの

たづねこしこの静寂にみだらなるおもひの果てを涙ぐむわれは

新しき卒塔婆がうりて陽のなかにつひの生命を寂びしみにけり

生々しき悔恨のこころ我にありてみじろぎもならぬ仰臥の姿勢

朱らひく日のくれがたは柿の葉のそよともいはで人恋ひにけり

わくら葉のかげひく路に面(おも)がくり去(い)ななといふに涙ぐましも

訃にあひてほとほといそぐ道ゆゑに夜の明滅をにくみゐにけり

みあかりのほろびの色のとろとろと死ににき人はものも言はさぬ

吹きゆけば霜のこぼるる笹はらの道ひとすぢに惑ひゐにけり

特に「弥勒」に集められた歌は秀作が多いと思いました。ちょうど今ここまで詠んで参りましたが先生の歌の力に感歎した次第です。このあとはこれからゆっくりと読ませて頂きます。

本当に有難うございました。奥様にも宜しくお伝え下さい。 専売公社元役員・読者

 

* 皆さんの、おもいおもいにお好きな歌を挙げて下さるのが、ひとしお嬉しい。思い切りみなさんでいろいろであるのが、さらに嬉しい。

 

* 歌集『少年』をお送りいただきありがとうございました。沈み込んでいた心が「わたしのような者にまで」と、ぽっと明るみました。

お歌は、おおどかで伸びやかな言葉遣いなのに、一首のうちにくっきりとした美しい情景と時間の流れさえとらえられていて、歌の世界の広がりをしみじみ感じさせられます。

「遠山に日あたりさむき夕しぐれかへりみに」の歌が、いちばん好きです。

たわむれに。少年の日は過ぎやすし。老年の温容こそは慕わしきかな。

古希おめでとうございます。ますます佳き年をお迎えになりますよう。ますますお幸せに、よいご旅行を! 松

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* 松尾美恵子作『北条政子 女の決断』が叢文社から刊行された。この原稿を松尾さんが送ってこられたとき、一気に読み込み、こういう作柄が、題材が、好きかどうかはおいても、これは間違いなく売り物になる、本にしたい、してもいいと思う版元がきっと見つかるだろうと思った。安心して、出版できる作品の候補という気持ちで、一字一句手を加えたり苦言を呈したりしないで「e-文庫・湖(umi)」へすぐ公表した。

作品のつくりを支える措辞と文体にほぼ間然するところがなかった。松尾さんにもその時そのように言うて励ました気がする。そしてそれが一冊の本になって出版された。そのかんの事情も、この版元の性格なども何も知らないけれども、ほぼ適切な定価で売り物になって世に出たのは、松尾さんの「文藝」の力であったと思う。お祝い申し上げる。この前に帯に推薦文を書いた『異形の平家物語』は研究色の評論、今回は小説。しかしこの人には、『ランボー(ある地獄の季節)構成論』(牧書房)や、ブルーメール賞を受けた 『ロートレアモンの論理 「マルドロールの歌」解釈』(ZOOプランニング)のような研究・批評の本もある。志確かに野にひそんだ佳い書き手の一人としてわたしの記憶にいつも有る。出あったのは、沢山送られてくる詩を書く人達の同人誌のなかで、なにか気になってその後「連載」を読み継いだのであった。『異形の平家物語』を纏めるときは、かなりうるさい註文を言い続けたが、じつに柔軟に対処され、着々と纏まっていった記憶がある。

歳末の、慶事。

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