* 謹賀新年 二○○五年 (平成十七年) 土 元旦
百禄是荷 手にうくるなになけれども日の光 六九郎
雪といふ不思議なもののふる我ぞ 恒平
あけぼのは春と定めてためらはず 湖
ご平安・ご多祥を祈ります。
歳末、六十九歳になりました。今年は、六十の坂を登りつめます。
年頭の感慨とて、ありません。昨日が今日に。慶びはそれで十分。
何病息災か知れませんが、われわれ夫婦も、相変り無い翁嫗です。
今年も、どうかよろしくお付き合い下さい。
West-Tokyo Hoya e-OLD 湖(うみ)の本 秦 恒平
* もののみごとに、土曜日の洒落ではないが早々に「土」がついた。年賀メールの発送手違いで、二組に分けての多数同送に失敗した、わたしひとりのミスならいいが、受信される皆さんにご迷惑をかけてしまった。申し訳なく、はなから、お詫び申し上げます。
昔に一度やったことがあり、その時よりも人数が多い。言忌みもしていられない、詫びるしかない。ごめんなさい。
* 五個荘の川島民親さん心入れの「はなびら餅」と「ゑくぼ」が贈られてきた。「はなびら餅」はいわば御所方の雑煮菓子で、優美に美味なことで名を知られている。妻と、はやばや、一つをわけて戴いた。懐かしい味、叔母の初釜の日には「道喜」から取り寄せた「はなびら餅」で「続き薄」の濃茶を廻しのむのが、目出度い決まりであった。
2005 1・1 40
* おめでとうございます。
小さな仕事に追われつつ、また新年を迎えました。
しかし、そうしたささやかな作業の積み重ねで、世の中は動いているのだとも、思います。
昨日に変わりない今日、積分すればそうなのでしょうが、微分上は細かな差異の積み重ねのようです。
ご子息の芝居をまだ予約し損ねており、土日はもはや取れないでしょうね。テレビのシナリオも結構鑑賞しています。
今は、教育上のジェンダー論に批判的な一文を書いています。
良い年になるようお祈り致します。 栃木
* 解析Ⅱは結局囓りもしないで高校をにげだしてきた。だから微分も積分も知らないが、示唆されていることは分かる。それはそれに違いない、わたしの「昨日が今日に。」は、大まかな物言いである。その大まかがものを云ってくれればそれでいい。
2005 1・1 40
* ひとり起きていて、四時半ごろに寝床で「今昔物語」源頼信の逸話など一、二語読み、「日本の歴史 大正デモクラシー」の農村問題を少し読んで寝た。
さほどわるい夢見ではなかった。いきな着流しの女玉三郎が、出没、軽快な立ち回りを演じていたり。
九時に起き、ふだんのあまりなラク装をやや改めた。建日子から、十時半に着くと電話。住所も名前も分からない人から十時に配達と指定着きの「おせち」宅急便が届く。ふたりとも、思い当たらない。
むかしバレンタインデーに、必ずゴージャスなチョコレートを必ず一つぶ選りすぐり、途方もなく贅を凝らした器に入れて、「ゴディヴァ」店から贈ってくる人がいた。何年続いたろうか。ついに誰とも知れずじまいだった。
「おせち」の人、案外ナーンダと分かるかも知れず、チョコレートのように分からずじまいかも知れない。食べ物ゆえ気にはなるが。
* いまのところ、発信の凡ミスご迷惑にお叱りもなく、メール賀状への返礼しきり。こういう時代になった。型どおりのご挨拶もあるが、そうでないのも、ある。
* あけましておめでとうございます ☆ 今初詣で明治神宮にいます! 人はいっぱいいたけど一時間待っただけでした! 都内
* 四国の***です。早々と年賀メールをいただき、誠に有難うございます。
私も今年8月で古希を迎えます。秦さんとはわずか数ヶ月の違いなのですね。私と同年代の作家には大江健三郎氏もおられます。お隣の愛媛県のご出身です。
ホームページにご記入の、最近の田原氏の発言態度には納得できないものを私も感じています。マスコミがジャーナリスト精神を失って、この日本の真の民主主義と自由・平和の戦後理念を護り、世界へ発信することができるのは、一般市民しかいなくなりました。
そんな中での、日本ペンに集う文学者の方々へのオピニオンリーダーとしての期待は大なるものがあります。その中でも秦様の頑張りには頭が下がる思いがいたします。
どうぞ、お体に気をつけられて、今年も戦中を知る少ない世代として平和の大切さを語り伝えてゆかれるよう祈念しています。文学者としての独自性を生かしながら・・・。
本年もよろしくお願い致します。 2005年 元旦 香川県
* 秦先生 新年あけましておめでとうございます。
昨年は大変暖かい励ましのお言葉をいただき、ありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
1月15日に「月の子供」拝見に伺います。今からとても楽しみにしております。
「推理小説」も、あまりにみごとでびっくり致しましたと同時に、勉強させていただきました。先生ご家族のご多幸をお祈りいたします。 田園調布
* 年賀状ではバカまるだしに建日子の仕事に触れて置いたので、こういうご挨拶を戴ける。活躍して欲しい。このメールの人にも「書き」続けて欲しい。
* 謹賀新年 翁媼は、まだチト早い。
利他行が成就するまで、お預けでしょう。ご活躍を祈ります。 八坂中学同送 滋賀県
* ははは。来るぞと思いつつ。「翁媼(おうおん)」とは書かなかった。意味の問題でなく「翁嫗(おうおう)」にしておいた。「おうおう」と自分で自分たちを冷やかしておいたつもり。「利他行」か。この人に、自利はヘタクソ、「もうちと如才なくやってくれたら」と同窓会でスピーチされ、恐縮したことがある。
* 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申上げます。
秦様の益々のご発展ご活躍お祈り致します。
私の方も秦青年のエネルギーに負けないくらいパフォーマンスしてまわるつもりです。
命にかかわる事全てにおいて穏やかな平和な方向にむかう一年であってほしいと願います。
Jan. 1st, 2005 アート影絵芝居
* あけましておめでとうございます。東工大卒**庁の***です。
先生からの年始のご挨拶をいただきました。ありがとうございます。こうして気にかけていただけて大変うれしく思います。
先生の御作いつも楽しみにしております。今年も先生のますますのご活躍と、ご健康をお祈りします。
昨年は自分も、部下を持って仕事をしたり、オランダへ海外出張へ行ったりと、仕事も充実できたと思います。
先生が社員をなさっていたときは、2足のわらじを十分に履きこなしていたとのこと。仕事だけできりきり舞いしている自分はまだまだですが、今年も充実した一年を過ごしていきたいと考えております。
今年もよろしくお願いします。
* 明けましておめでとうございます。 昨年中は誠にお世話になりました。
電子文藝館に載せていただいた拙作は、先生の補筆のお陰をもちまして、読むに耐えられる文章になったようでございます。
訂正は全くございません。衷心より御礼申し上げます。
毎年、睦月二十日に齢を重ね、今年は八十二になります。
先生や御子息をはじめ、お若くして高みに登られた方々とは比べるべくもありませんが、老媼にどこまで書けますことやら筆を持てる限りは執り続けたいと存じております。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。 栃木 ペン会員
* 明けましておめでとうございます。お健やかに新春をお迎えいただき、お喜びもうします。
当地は、久々の雪の正月で、恒例の三上山山頂からの初日の出をおがめませんでした。
当方も新聞社を退職して、丸4年。昨年は吉野山一帯の古道を多く歩き、心身にを新たな験を吹き込んでいるつもり。
2005年は、いい年になりますように祈ります。 滋賀県
* あけましておめでとうございます。
実家で年始を迎え、目覚めとともに、遠く白くかがやく富士をおがみました。
昨年は姉が精神的な病を患い、夢中のうちに過ごしました。幸いなことに、今は先行きがみえてきています。
誰しも人にはわからぬ痛みを抱えているのでしょうが、それを上回るよろこび、たのしみがあることを心から願います。せめて社会にあるほころびについて、どのようなかたちであれ、関わっていきたいと思います。
窓越しに、庭の雪で遊ぶ甥と義兄を眺めつつ、さまざまなもの、ことへの感謝を感じています。
秦さんとご家族みなさまのご健康とお幸せを、心よりお祈り申しあげます。 東工大卒業生
* 明けましておめでとうございます。お変わりなくご活躍のこと、およろこび申し上げます。
>ペン電子文藝館は、近代現代の五百五十作を無料公開しています。
>「反戦反核」「出版編集」に加え「主権在民史料」特別室を新設。
さまざまなジャンルのものがあって、興味深く存じました。「青空文庫」のような「何でも屋さん」とは、一味違うものですね。
余技でいらっしゃるでしょうが、偶然、京都中央信用金庫の美術雑誌で、鍾馗さんをめぐる対談を拝読する機会を得ました。新住所は、戦後に開発された地区ですが、服部氏のお言葉に反して、鍾馗さんは見られます。旧市内から転居されたかたは、もとの家にあったのを持ってこられた場合もあるようですし、最近のことでしょうが、新品を注文される場合もあるようです。 鍾馗さんのバリエーションをめぐって、個々の家が建てられた年代や、建った経緯がわかれば、少しぐらいは変遷過程もわかるのかもしれないと思ったりしました。 京都市北区
* 六十台最後の一年がこれまで以上に充実したものになりますよう祈念いたします。湖の本にどんな作品が加えられるのか楽しみにしております。
小生しばらく遠退いていた英語に触れてみようかと昨年末丸善で James Joyce の “Ulysses” を求めてきています。終りまで読み通す根気が続かないかも知れませんが。 岡山県
* 酉年のあらたまに、多摩 e-OLD
明けましておめでとうございます。長靴をはいて地元の神社に初詣を済ませ、眠気がこないのでケーブルTVの映画を肴にチビリチビリやっていました、、、、せんべい布団にくるまったのは鶏鳴ころでしたか。今朝は6時半に目がさめそのまま朝の日課へ。
メールチャック、新聞、軽体操、ますらを主夫の炊事洗濯の段取りチェックなどなど。別に気ぜわしくもありません、慣れっこですから。
昨日とはうってかわって、白銀のいらかがまぶしいくらいお日様が元気一杯、、思い切り気をもらいました。よ
しっ! 昨夕、雪を避けてベランダに避難していた鳩さんは今朝はどうかな、鴉さんはまだ鳴いてないし。鳥さんには正月があるのかなあ。ベランダの手すりに、加州ブランド「日の出」ライスに、ボクらの貴重常食で美容健康にいい雑穀(こきび、あわ、そば米、押し麦、いりごま)をまぶして、大奮発。鳩さんが一羽、ついばんでいますが仲間や雀さんが来ません。寝正月かしらん。まさか。大つごもり、一日食にありつけなかった鳥さんはへたっているのじゃないかなあ。心配です。ベランダの鳩は、クークー、ココ………と啼いてます。鳥さんや動物さんとお話しはじめて六十年近くになります。朝風呂が沸いてきたらしい。鳩さんの仲間がやってきました。そのうち、寝坊助の雀さんもチュンチュン(雀さんとは主に舌の音でお話します)混じってにぎやかになるでしょう、きっと。喉で音を出す鳥さんは人間に一番近い声色じゃないかなあ。
昨夜は、年越し蕎麦をを用意していたら、腹っぺらしのカミさんが、急にスパゲッチやサラダ(洋風)をこしらえ食べ始めうまいうまいと勧めるので、つられていろいろ食べ始めたら満腹になり、蕎麦なしの年越になりました。ま、これもありか。
毎度のことで。初めて沖縄の太いアロエをデザートに食べて、いやあ、珍味、珍味。
そのあと、粘りの消えない皮のゼリーをたっぷり顔や、乾燥している背中や足に塗り、マッサージしあい、もうテレビは音だけでした。ヨガの真似ごと、指圧はお互いの夜の日課、ヘンテコな夫婦、ヘンテコな一年がまた始まりました。きっと昼過ぎになる朝餉は蕎麦かそれとも雑煮か(スパッゲチはごめんですが)、どちらでもいいようにスタンバイ完了。平和な年でありますよう。 多摩のヘンテコ読者。
2005 1・1 40
* 明けましてあめでとうございます。
我が家も一同元気に新しい年を迎えることが出来ました。(私は昨日67才になりました。)
元旦も、息子の勤める店は営業するので、雪残る道を清々しく朝日をあびて彼はいつものように出勤して行きました。息子は朝食も平常通りが良いと希望してパン食、その後から老親は二人でゆっくりと雑煮を祝いました。
もちろん”京都式”です。
雑煮は白味噌仕立て、餅は20年来愛用の餅つき器で、私が搗いた丸餅、元旦はかしらいもが入り、大根や小芋も。
まず始めにいただくお茶には昨夏庭に鈴なりになった小梅で自分で漬けた梅干しと、敦賀からいただいた結び昆布が入る。ごまめは”田作り”を買ってきて、これも自作。
酢はす、おなます(大根人参は鷹峯で農業をやっている親類からの贈り物)、たたき牛蒡は私の得意、というか夫の大好物。入れる山椒は必ず清水七味家のもの。
黒豆だけは近年は無精して吉祥寺東急三友居で買ってくることにしています。
特にどうってことのないものばかりだけれど、自分でいうのもおかしいが、今年のは品良く美味しい—–と二人で満足し、実業団駅伝を観戦。
夕方からは長男夫婦がお煮しめを荒らしにやって来ます。娘達一家は3日から4日にかけて赤ん坊連れで泊まりがけです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。 2005/1/1 藤
* あけましておめでとうございます。お元気でご活躍のご様子、何よりと存じます。今年も健康に気をつけられてご活躍下さい。
私も今年で58歳になります。早いものです。60歳の定年までもうすぐです。今まで私には関係のない、ずーと先のことのように思っていましたが、手の届く範囲に入ってきました。
今年は先のことも考えて、1年を過ごしたいと思っています。今年もよろしくお願いいたします。 甥=同母姉の嗣子 滋賀県
* 藤原実透を小説化。 今昔物語に「猫恐ノ太夫」と称された藤原清廉という人物がいます。藤原実透の父です。この実透は、伊賀国の所領をその父から譲り受け、そのうちの東大寺領黒田荘の約五百年の礎を築き上げた人物です。
私、この人物を主人公に歴史小説を書きかけています。どんなものになるかわかりませんが、建日子さんの『推理小説』に感化された次第です。いま、序章を入れ第二章まで書き進めています。
仕事上、見つけ拝読しています石母田正氏の『中世的世界の形成』等を参考にしています。もうとう、盗作はしていませんが、大いに助かります。
自分のイメージを大いに膨らませています。ただ、小説の材料となる史実が、少なすぎるのが小説を困難なものにしています。
* 「黒田庄」については、中央公論社版『日本の歴史』第八巻「蒙古襲来」第九巻「南北朝の動乱」第十巻「下剋上の時代」に引き続いてかなり詳細な検討がされていて、印象深く記憶しています。参照されますように。
東大寺との達引きは相当にややこしいものです。
歴史小説にするのか、時代読み物にするのかは、腹をきめて取り組まれますように。また史料・材料のここぞというポイントを正確に深く追究すること、材料が多すぎるとかえって足を取られてしまい、史料の按排だけの妙なものになります。史料を必至に探し回るのも佳いですが、想像力を透徹される方が本質的にはよろしいかも知れません。棒折れしないで、初稿を書き上げられるように。 秦
* 聴いてください。落ち込んでいる理由の一つは、挫折という言葉の重みをひしと感じていることです。
以前、”世に出たいと思わなくなった”と言って叱られました。素直な(?) わたしは、野心を持つよう自分自身に仕向けてきました。
でも、ちっとも書けるようにならないし、こんなことをしていてどうなるのだろうという気持ちが大きくなっていきました。自分に書く能力のないのはわかっているけれど、それを言い訳にしたらそこでおしまいだし、はじめから諦めていたら何もできません。
しがみついてでも書くのだ、と思ってはみますが、気合いだけではどうにもなりません。実践あるのみと思って書いたものはさんざんな出来で、自分の愚鈍さが心底厭になります。 絶望感に押しつぶされそうですが、ここでふんばらなければとも思っています。
なぐさめてもらおうというのではありません。わたしをなぐさめる言葉はありませんし、弱音を吐いても現実は変わらないのです。へんなことを言ってしまったので、その理由を伝えようと思いました。 一主婦
* メールに書かれた「弱気」「泣き言」に同情も共感もありません。どうしても書きたい、書き表したいという「動機」が衰え掛けているのでしょうか。
創作を「やめる」口実は、無数に作れます。「書き続ける」のは容易ではない。分かり切ったことです。書かずにおれないものを持っているか、それが根本です。それをしっかり見つけて取っ組み合うしか「道」はなく、それからすれば、書き始めて以来そんなことを云い出すほどの、どれほどの年数、どれほどの作品を経てきたのか、ということになります。
「野心」ということばは感心しない、「成功」も「世に出る」も感心しない、が、それらの気持ちを捨ててしまえばラクになるのかどうか、は、大事の所です。
同じような苦悩にのたうち回りながら「運」を掴む人もあり掴めないままの人もいる。掴める何の保証もない。動機と意志と持続力。それぎりです。「慰める」気は有りません。
* 私は、例年のごとく大阪で年越しです。明日2日には松竹座の初日が開きます。
今年は勘三郎さんの襲名に続いて12月からは、鴈治郎の坂田藤十郎襲名がございます。
にぎやかな公演が続きますので、又、劇場でたくさんお会いできるのを楽しみにしております。
本年もよろしくお願い致します。 成駒屋
* 新年あけましておめでとうございます。
奥様とともにご健勝のご様子何よりとぞんじます。私どもも特に患う事もなく無事でおります。
無事でいるのが不思議なほど、近頃の災害続きはなんとした事でしょう。何があっても慌てないように日頃の心構えが必要と思います。その上で日々自分に誠実に生きることでしょうか。
秦さんをはじめ皆様のご健勝とご活躍をお祈りたします。 川崎市
* 新年に、秦さま。
ホームページを拝見し、思索の言葉に日々刺激を戴いております。遠隔の地より、健康に留意され良き一年をお過ごし下さるよう、お祈り申し上げています。
(老婆心ながら、機械の前に長くお座りになっていると血の巡りが悪くなり健康に良くありません。適度の運動をなさって下さい。) 在英国
2005 1・1 40
* 新年明けましておめでとうございます。
また息子さんの小説出版、おめでとうございます。本屋で平積みになっているのをずいぶん見まして、近々ぜひ読んでみたいと思っております。
さて、先生の「梁塵秘抄」からはじまって、昨年は歴史ものをはじめ、本を読みに読みました。少女時代から本さえあれば退屈しないタイプではありましたが、年齢を重ねた今、さらに読書が面白くなりました。
昨年末には先生のエッセイに触れられていた「みごもりの湖」と「百人一首」を読みました。
藤原仲麻呂、孝謙女帝、弓削の道鏡の事件については思い返せば、高校の授業で少し触れただけで、東子については「藤原仲麻呂のむすめ」としか記述がありませんでした。
そんなめくるめくようなドラマがあったとは・・・
佐々貴山君・仲子にはずいぶんと興味を抱かされました。もっとこの女性のことを知りたいと思います。
また、私にとって「埋むべき海」は何なのか、ちょっと考えこんでいます。
美しい小説でした。
随分親しんだ「百人一首」ですが、私の一番好きな歌は「みかの原・・・」と「たち別れいなばの山の峰に生ふる・・・」です。
この二首を先生の著書のなかでも大変ほめて頂いて、「わがことのように」嬉しかった。
ところで先生、この「たち別れ・・・」ですが、飼い猫が行方不明になったとき、この歌を紙に書いていつもその猫が通っていた出入り口にさかさに貼っておく良い、という言い伝えをご存じでしょうか。かつて、我が家の「風太」がいなくなったとき、試してみたのですが、実は駄目でした。風のように我が家にやって来、風のように去ったことでした。やはり名前は慎重につけなければなりませんね。
今年もどうぞよろしく、お導きくださいますよう。 岸
* 新しく出逢った読者のお一人。書き手の嬉しい冥利である。
* 湖の本 楽しみにしております。
今年は句集をつくります。できたら送りますので、時間の余った時にでもお読み頂ければ幸いでございます。
仕事は仕事、楽しみは楽しみとして、なんとかバランスよくこれからの日々を送れるといいと思っています。
お元気で。 読者 医師
* 明けましておめでとうございます。
雪明かりで快晴の元旦の年賀を有り難うございました。
今年も歩くであろう「道」を照らす清々しい言葉の光を感謝いたします。
『文学と生活・闇に言い置く』は古典古代から現在までの「書き置かれた文学作品の思想や芳香、所感その他」がまじかに蘇り今を生きる思考を豊かなものにしてくれます。時代時代で生まれた文学作品、それぞれの分野でその時代を生きた方々の文学・評論を再考するヒントを授かります。嬉しいことです。この舞台に登場する方々への感謝も忘れません。
秦様の年を重ねてますますのご健康をお祈り致します。本年もよろしくお願い申しあげます。 川崎市 e-OLD
* 秦 恒平さま
穏やか、かつ平安の年でありますよう。
ペンにおかれましても、ますますのご活躍を祈念申し上げます。 ペン理事
* 明けましておめでとうございます:
昨年、横浜三渓園の夜桜を見に行き、上野の山とは違った雰囲気を味わい、花見という月並みもいいものだという思いを強くしました。中華街の中の仮寓の面白さも格別です。
ご健康とご活躍を願っております。
荒階花霰の如く
幽鳥語織るに似たり
遅々として窓日麗らかに
細々として炉烟直し ―良寛―
二○○五年 元旦 歌人
* 屋根よりも高き雪道節季市
お元気そうで、次のお仕事へ意欲ありあり、ほっとうれしく、眉を開いたメールでした。ありがとう存じます。
「いいかね、年相応にだよ」 息子たち、家内、かかりつけの医者から、おんなじことを言われる‥と、七十代後半の伯父が、年賀状でこぼしておりましたわ。雀も、親に対してはいつだってそう申します。気を付けて、無理はだめよ、大丈夫なの、と‥。
好きなひとには申しませんわねぇ。したいと思った時、ご存分にそれができますよう、おからだがコントロールできさえすれば、それでよろしいのです。そのためのケアとメンテナンスをしてくださったら、あとはどーでもかまいませんの。静かに、エネルギッシュに、やりたいことに熱中してらっしゃる、セクシィなお姿を拝見できましたなら、それで、満足ですの。
車窓一面を覆う大雪に、鞄からご本を取り出すことどころか、言葉さえうしなって、ただ白銀の世界を呆っと眺めるばかりの大晦日でしたわ。
あまりの寒さに、伊勢は内宮だけお参りいたしまして、あとは、おはらい町で食べ歩きという、まことに手抜きで、俗な按配でして、「旅人と我が名呼ばれん初時雨(芭蕉)」が、やたらに頭の中を駆け巡る一日でしたのよ。
宇治山田の町を歩いておりましたら、“蘇民将来子孫之門”だけでなく、“笑門”のしめ縄も多うございまして、泣きそうに落ち込むとき、かえってへらへらして、「やだ、そンなのばッかみたいー」と笑いながら別れた後、ひとり、手首に剃刀を当てるようなことを繰り返してまいりました雀には、かなしくてわらうところにも、福の神がきてくださるンだよというはげましの、肯定をいただいた思いがいたしまして、年越しの力をいただいた気がいたしましたの。
今日は、洗濯ものが、あれあれという間に凍ってゆく、寒い日、大倉源次郎さんが、生田コレクションを含む内容の小鼓の本を出されたそうで、年明けの「芸能花舞台」でも、二回にわたり小鼓のおはなしをなさるそうですの。
多武峰が、多くの鼓筒の名作を生み出した地というのには驚いております。
「銀座百点」誌の、竹谷靱負、大岡信、大山行男の、富士山をめぐる鼎談がおもしろかったですわ。初芝居の折にでも。 囀雀
* 湖さま 新雪に新年の陽がまぶしくさす明るく美しいお正月になりました。
おかげさまで家族7人で年越しをし、新年を迎えました。この幸せをかみしめながら、今年も一日一日を大切に過ごしてまいりたいと思います。
湖さまにとっても、ご健康で心豊かな一年となりますよう。楽しく語り合わせていただく機会を願っております。 波
* あけましておめでとうございます。
昨年は、10年ぶりにお会いすることができ、大変楽しかったです。こってりした食べ物を希望してしまい、ちょっと反省しています。
秦先生のご健康とご多幸をお祈りいたします。
毎週末のフラメンコのギターのほかに、昨年秋から踊りも習い始め、ちょっとあわただしい感じです。
昨年末から、気が緩んだ隙にかぜをひきました。(一人暮らし開始から1年余りではじめてです。それまではしょっちゅうひいていました。)
そのため、今年は年賀状はE-mailで失礼させていただいております。お許しください。2005年 元旦 卒業生
* 二日も、ゆっくりゆっくり寝正月の夢にのせられて、はやばやともう三十分しか残っていない。この勢いで、もう一夜、とことん寝たい。気がかりだった賀状の返信も、余儀ないものは投函してきた。
2005 1・2 40
* 新年おめでとうございます。
昨年は秦さんのHPからずいぶんいろんな示唆を受けました。
そうか、こういう先輩もいるのか、こういう歳の取り方もあるのか、なんとエネルギッシュなのだろう、自分は怠け者なのではないか、いや、自分流にまだまだ充実した生き方はあるはずだ、負けずに書こう、負けずに世の中にも出よう、しかしボランティア活動はどうも疲れる、でも…、等々です。
勝手にウェッブで拝見し、勝手に考えていただけですが、61歳になった小生には、毎朝秦さんのHPを見るのが日課になっていた次第です。どうも有難うございました。
今年も拝見し続けます。 ペン会員 大学教授
* 迎春 雪の越後でお正月を迎えました
被害はさほどではなかったようですが、関東大震災を経験している母の様子を見てきました。
元気でした 89才です。
かつて88才の指導教授に88年の感想をお窺いしたことがありました。
「ちょっとしたものです」と。
この先生、95才でお亡くなりになりました。
遂に (大学の方)最後の一年に入ります。これからはひたすら88才 89才に向かいますが、さてそこまで行けますかどうか。
嫌な方向に向かって行きつつある世の中を 不気味に思います。
御身 おいとい下さい。 女子大教授 2005 1・3 40
* 朝日子が何をどう書いているか、書けているか、読みたいと思います。作品をダウンロードして、そのまま「転送」して下さいませんか。題材によって気になさるかも知れませんが、「読み手」としてもプロです、私情で動揺することはありません、安心して下さい。
此の「小説を書いている」一件に関しては、作を「読まないうち」にともあれ率直にいうなら、朝日子のためには、そういう場所に、毎日「小出しに書く」という「方法」は、極めて危険だというの、わたしの実感です。そんな技量は簡単には持てないものです。
よく「書く」ためには、孤独と挫折感に耐えて堪えて書き抜かねば、初心者ほど所詮は浮ついた作文で終わりかねない。立派に小説を「書く」気なら、風船の空気を針の先で少しずつ空気抜きするよなな方法ほど、危険なことはない。場合によると、自己満足だけを増長させ、無意味に傲慢に陥らせ、その域から抜け出せなくなってしまうのです。心配です。
孤独に耐えて書く、一つの作をしっかりと先ずは密やかに孤室で書き抜く、べきで、半端な段階から人目にさらす不用意は、かえって焦りにも繋がり、うぬぼれだけにもなり、作品を推敲し推敲し推敲して仕上げて行く課程がすっ飛んでしまう。
「書こう」と、本当にもし思い立ったのなら、その時こそ軽率に慌てないで、むしろ手で、原稿用紙に彫り込むように孤独に書いて欲しいものです。文学には、文学の踏まねばならぬ「足場」も「順」もあるのを、朝日子にもう一度も二度も思い出して欲しい。
よろしければ、このメールを「転送」してやって下さい。健康で、何より柔軟に素直に、優しく生きていて欲しいと想います。
お心遣いに感謝します。 秦恒平 2005.1.2
2005 1・3 40
* おはようございます。外は佳いお天気です。お気持は晴れやかではないのかもしれません。心配しています。時には赤裸々に感情をぶつけてくださると嬉しいのですが……。
松屋古書市でご本を探してせつなくなるか、高島屋で着物を見るか(買うのではなく)とにかく出かけます。新しい年にまず躰を動かすのです。光をいっぱい身に浴びてきます。
お元気で一日をお過ごしください。 眸
* もしや昨日の「私語」暗澹を心配されているのなら、全く杞憂。暗澹であれ動転であれ、そんなものはわたしのその後の気分に、少しも影響しない、ただ感じたままを言い置いただけのこと、それに私自身の問題ではない。わたしやわたしの周辺感覚でいえば「ものを書く」とは安直なことではないよという、それだけのハナシである。ご心配下さり感謝。
* 新年をお祝いいたします。今年もいい年でございますように。
寒くなって氷の滝を見にいらっしゃれれば、いいのにと思っております。
酉年らしくなのですか、バタバタの新年始めでして、今やっとメールを拝見しました。
急に家族が8人にも増えると、田舎も大変です。
昨日、小さな人を連れて、近くの久慈川まで散歩に行きましたが、土手に、菜の花が隠れるように咲いていました。今年の初めての若菜摘みでした。
急に皆引き上げて、やっと静かになりました。明日から仕事が始まります。 常陸
* 袋田の瀧の凍り付いたのは知らない。滝壺に落ちる轟音と、駅近くの新しい温泉宿の溢れる木の湯舟に、ひろやかにひとりのうのうと漬かった満足とを、思い出す。水郡線の小駅のひだまりに山の音を聴いて、妻と電車を待っていた。あのような、ひとときのうっとりする静かさを、また満喫したいもの。
2005 1・4 40
* 新年おめでとうございます。少し遅ればせの挨拶お許しください。今日から日常に戻ります。
娘は、今回のインド洋の津波に遭った旅行者の対応に、多忙を極めています。男性社員は現地に飛んで仕事にあたっているようです。実情がわかってきて・・本当に本当に惨いことです。
時間がなく短いメールですが、どうぞ寒さの折、まずお体大切に、大切に。 鳶
2005 1・4 40
* 近江の旅で。近江神宮、蝉丸神社、長等神社と、回廊式の神社が新鮮でしたわ。
意外なご縁に驚いたのが盛安寺で。西教寺の末寺でした、宗祖真盛上人は伊賀西蓮寺で没したとあります。びっくりして、帰宅してすぐ地図を広げました。
今日、そのお寺に行ってみましたの。鍵屋の辻からほど近い、山裾を縫う旧い道沿いに、社寺が連なる集落がありまして、なかで、ひときわ立派なお寺がその西蓮寺でした。伊賀盆地が一望の、城代家老墓所を境内に抱き、真盛上人の御廟もございました。でかけついでに、地図の“廃寺補陀落寺町石”を尋ねましたら、“浅間の井”があり、せせらぎを渡った先に、国史見在社高倉神社とあります。雪が残る斜面の宮は、八幡、春日を左右に、高倉下命(たかくらじのみこと)が祀られ、倉庫守護を祈りに詣でる方が次々といらっしゃいました。
ところで、日吉神社で、西本宮が三輪山のカミサマというのに、あら、やだ、と、雀は、“本社にはしばらくご無沙汰しておりましてごめんなさい”と、お参りしましたの。
「猿の遠景」にございましたのに。忘れてましたの…。中国の最初の自画像のおはなしも、「北の時代」を読み返して、あ…ッ、ですのよ。やンなっちゃうなァ★ 囀雀
2005 1・4 40
* 明日から本年の仕事が始まります。不規則な勤務なのですが、もう少し続けます。
今年のお正月は、家族が増えていて、ほとんど英会話教室のような状態でしたが、本当に、忙しいけれど幸せな年末からお正月でした。
私が話さなくても他の人が皆勝手に会話してくれますから、心配ないのです。
でも、8人は多かったです。家が満員でした。今は静かです。今日も暖かいですね。もう寒に入るのに。 常陸
* この正月2日に二姉(京都在住)を失い、その前後の多忙で年始の挨拶も取り紛れてしまいました。
私の方は来年(H18年)三月末まで**で地方公務員ですが、その後は浜大津に移っておとなしく過ごす予定です。 大学教授 同窓
追伸
このところ主に中国系のジャンクメイルに悩まされています。正月明けには700通有りました。
その中で、送信元の「hatak」は危うく削除されるところでした。送信元ははっきりと省略無しの記名の方が安全だと思います。
ちょっと余分ですが、日頃メイル愛用の立場から。 あわら市
* 七百の中から救い出されたのは僥倖にちかい。題目だけは横文字にしないようにしている。わたしはそんなには悩まされていないが、それでも十本の七八本が不正メールの時もある。なにもかも横文字の時は、無差別に削除しているので読み落としの失礼は必ずあるだろう。
年賀状を宛名なしで出したのが戻ってきた。いやはや。確実に一人分失礼してしまった、誰様の分やら判じもならない。
2005 1・6 40
* もう明日は七草 今日の冷え込みは雪になるのか、と。
暖房を強くしてホットカーペットにちんまりと、取り置きのビデオを観ています。
問えばパソの指導をしてくれる婿殿も息子も、パソコンは少々の事で壊れるヤワではないよ、と常々いいますので、本を見ながら、あちこち開き、ネットの履歴もごそごそと適当に削除したのが、効を奏したのか、それこそ魔法を懸けたように突如、半月振りに「湖」に接続開始しました。摩訶不思議としかいい様のない機械です、パソコンは。そして基礎知識のないオバアチャンには。送信メールの日付けも。二十五年前に戻っているのにも、気付きました。
パソ不調とありましたね。今日はどうですか。この機械は寒がりなのか、冷気に弱いので、夜中はひざ掛けを被せて保温をしていて、いくらか調子よく作動してくれます。
娘の事を「勝手にヤレーとはねつけるのも大事なこと」
これは腹を痛めない男性のジコチュウで冷たい言葉であり、反論。
撥ね付けるものは情に流されずにチャーンと撥ね付けています。自分が、遠い実家の母に頼めなかった労働を、出来る限りは協力したいと思うだけです。
昔、過労で病んで、止むを得ず、中の子をくにに暫く預けて、体調が落ち着いた経験もありますし。周辺をみても、友人のお婆ちゃん達は孫守りを厭わずに協力しています。
老いるのは時の流れ、でも、老けない為の努力は惜しまず、人生は一度っきり、と。 泉
* 過労と神経疲労とで痛い痛い帯状疱疹をやっていては、おばあちゃんの愛も、竹槍精神だ! 尊い尊い!?
2005 1・6 40
* 花粉の本格的に飛散しはじめるのは、例年ですと二月下旬くらいですが、今年は多いそうなので、早まるかも。
わたしの昨年からひきつづいての関心どころは、「日本の近代」です。
酷い世の中に見える今は、ぽつんと存在しているのではなく、過去と未来があります。明治維新という革命の精神が、どうしてその後の時代に繋がっていかなかったのか。
フランスやイギリスとどう違うのか(フランスやイギリスがすべていいわけではありません。悪いところもたくさんあります)。明治より前の時代に理由があるのか。みんなで力を合わせるには、理論ありきでないとダメなのか。
今は川端康成やドフトエフスキーを読んだり、永井荷風の小説はなんでこんなにおもしろいんだろうと思ったり、『三島由紀夫vs東大全共闘』という本を借りたり、『資本論』やヘーゲルを読んでみたいなあと思ったりしています。
ごちゃごちゃしているようだけれど、わたしの中では一つの要でまとまっています。花
* 康成、荷風、ドストイェフスキーにしても、作品の名前が出るとこのメールも生彩をもつのだが。大きな名前だけが漠然と出ている。
「日本の近代」とはわたしの目下の関心と軌道が揃っていて頼もしいが、関心のきめこまかな実感は、これでは何も見えてこない。「日本の歴史」を近代以前つぶさに一万頁ぶん読み進んできたので、「日本の近代」がほんとうに生き生きと問題多く、時に血が煮えるほどに感じ取れてくる。
学生時代から二十歳代は乱読でいい。三十代は、乱読や多読の中に、貫く棒の如き太い関心の筋道が立った方がいい。大きな題目が漠然と頭の中で転がっているだけでは身についてこない。
2005 1・6 40
* いもり酒。 熊野古道の世界遺産登録がらみで、しばらく文枝さんの高座は「三枚起請」が続きました。マクラはきまって「紙治」の、おさんのクドキ。
この初春、文楽公演で、いよいよ玉女さんが師の当たり役、紙屋治兵衛に挑みます。
文雀さんのおさんを観にまいりました折、泣き顔を覗かれる場面で、玉男さんが、治兵衛のかしらを違う方向に逸らしたことがございました。文雀さんは、ま、といった風情で、くっと深く顔を覗き込む遣い方をなさり、わたしたちは吹き出したものです。今回、いったいどんなクドキをなさってらっしゃることでしょうか。
公演はそのあと、「守宮酒の段」が出ておりますの。雀は、人形で観るのは初めて。歌舞伎でも、「宗十郎の会」
と、そのあと歌舞伎座で上演されたのを観ただけです。
今回、和生さんがゆうしでを遣われるというので、文雀さんのところに切符をお願いいたしましたら、十二日にお待ちいたしております、とのこと。宗十郎さんのご命日です。お具合が悪いと伺った師走、歌舞伎座の舞台を観に飛び、訃報のあと観にまいりました文楽公演で、{大阪の病院}とあったのは、文楽劇場のすぐ近くと教えられましたわ。
今回、そっとご命日に拝見して、お偲びするつもりでおりましたの。
初日に駆け付けた友人いわく、「和生さんて、三か月連続自死やねんなぁ」(判官、桜丸、ゆうしで)。大役は、死なれるか死なせるか死ぬかのどれかですもの、仕方ありませんわね。 囀雀
* 人によって関心はまさしく「いろいろ」で、それの軽重を問うて見ても仕方がない、関心の具体化と持続と洗練が大切。その点、雀さんのは、格に入っている。つよみ、とはこういうこと。伸びようという人、伸び盛りの人はこの「つよみ」が大事。舟の底荷と云うのはソレだ。水に乗っただけの笹舟では遠い強い航海は出来ない。
2005 1・6 40
* とりあえず、以下紹介する。
* 風として接してくださるときと、作家・先生になるときとありますね。その切り換えに、わたしは戸惑ってしまうダメな不器用です。
関心ごとを述べます。メール用のパソコンのある部屋が寒いので、手がかじかんでうまく動きませんが、なんとか。
関心のあるのは「日本の近代」と言いましたが、これは「日本の現在」に由来しています。
以前にも書いたと思いますが、三十五年ほど前のイギリスの或るコメディ番組を見たとき、
「彼らはどうして体制批判やら差別批判やら、何から何までアンチの言動をテレビでできたのだろう」と驚き、不思議でした。茶の間に届く日本のテレビ映像では、とうてい不可能な、過激な内容だったからです。総じて日本の、権力に対してもの申す空気の希薄さが、歯がゆく感じられました。
イギリスは「議論」の国だと思います。 国会の質疑応答のとき、議員たちはメモなど見ないで、その場で議論しているそうです。相手の主張を聴き、それをふまえて自分の主張を述べるのが、イギリスの民主主義だ、という記事を新聞で読んだとき、日本の国会のように、あらかじめ提示された質問にただ型どおり答えて、それ以上はガンとして口をつぐんでしまう応答態度は、民主主義ではない、と思いました。イギリス人は普段から議論して鍛えているのでしょうが、それにしても、日本とのこの違いは何なんだ、と。
貴族の権利ではありましたが、一番の権力者である王に認めさせた「マグナカルタ」は、1215年にできています。産業革命が早い時期に起こったイギリスでは、労働者の環境が改善されたのも早かった。先進国であったイギリスには、世界中に「帝国主義」の力をのばしていった負の要素もあり、いいことばかりでは決してありませんが、あの反権力の姿勢を許容する空気は、日本にも欲しいものだと思いました。
もちろん、権力の側も老獪なもので、アンチの態度をとる人には勲章をあげて体制側に引き入れてしまいますし、議論といっても、それがガス抜きていどになってしまって、反対運動をしても、ブレアはイラク戦争に参加してしまいました。
創作を試みながら、自己の鬱々とした内面を吐露するだけの、自然主義の私小説みたいなものを書いてどうなるのだろうという気持ちがわたしの中に起こってきました。藤村の「新生」や花袋の「蒲団」などは、おもしろいのですが、わたしは、創作の中に何かしら現在に対する主張を織り込んでいきたいと思いました。
今、取り組んでいる最中ですが、言うは易く、行うのはとても難しいです。大言壮語みたいになると嫌なので、なるべく言わずに、創作で示したいと考えていました。
個人情報保護法や有事法制の整備がすすみ、官房長官が核の保有を考えてもいいと発言する今日、毎年終戦記念日に特集される悲惨な過去をどう思っているんだ、と腹が立ちます。
政治家には政治の論理というのがあって、平和一辺倒ではやっていけない、という中曽根康弘の言うこともわからないではありませんが、個人の発言の自由まで管理されるような(ちょうど今のアメリカがそうなってきていると思いますが)世の中にはしたくないです。
わたしのこういう思いは、決してわたし独自の特殊なものではないと思っています。でも、それをわたしの言いようで、創作に、書き表したいと思ったのです。
明治維新は「革命」だったと思います。でも、それがすんなり「民主主義」に繋がってはいきませんでした。今日においても、「似非民主主義」の臭いがプンプンします。維新を成功させた「下級士族たち」が、権力を握った途端、無情な為政者になりました。
いろんな理由があったと思います。
ヨーロッパの列強に追いつかなければならないと、帝国主義に手を染め、そのための軍備には国費を惜しまず、国民の生活は二の次でした。そうでもしないと、あんまりな「不平等条約」の改正を切り出して、列強と張り合えなかったのかも知れません。島国である日本の歴史も、諸外国との関係の上にあり、国内情勢だけ切り離しては考えられないのです。
ドフトエフスキーの「罪と罰」を読もうと思ったのは、北村透谷が「罪と罰」について書いていたからです。透谷に関心があるのは、明治二十年代に、自由民権運動に直接関わった唯一の文士だからです。
伊藤整の「求道者と認識者」で、透谷は求道者に入れられていましたが、わたしは透谷の認識者の部分に関心があります。思索的な性格の透谷は、強盗したり爆弾をしかけたりする過激な運動についていけず、途なかばで民権派と袂を分かちました。
彼はその後創作へと方向転換しましたが、民権壮士の親友を裏切った卑怯者として自身を責めていたのではないかとわたしは想像しています。それが、彼の書く動機の一つだったのではないかと。
透谷には闘士というイメージがあるのか、全共闘のときも、ヘルメットに「自由民権」などと書いていた学生がいたとか。色川大吉さんの「明治精神史」が、当時の学生に読まれていたのが理由らしいです。
色川さんは、いろんなところで透谷について述べています。
当時、色川さんが透谷について講演すると、大勢の学生が興味を持って聴いていたそうです。でも、全共闘の学生たちの理論はマルクス主義が主でした。
わたしは当時を体験していないので、あの頃どうして学生たちが団結して「大学粉砕!」なんて叫ぶことができたのか、関心があります。
アメリカの学生たちによるベトナム戦争への反対運動はどうだったのでしょう。マルクス主義抜きで、「平和」という合言葉だけで団結できたのでしょうか。
連合赤軍のような事件があり、日本赤軍もあり、社会にマルクス主義アレルギーといいますか、学生運動アレルギーといいますか、そんなもののあるのを、その後に生まれたわたしは感じます。
シラケというのでしょうか。
選挙の投票率の低さも歯がゆいです、昔の人がどれだけ血を流して獲得した選挙権かと考えると。
「それじゃあ、お前は何をしている」といわれれば、何もしていない、と答えるしかありません。
以上述べたように「思っている」だけなのですから。
でも、一人一人が「意識」を持って生活することが重要なのでは、と思うのです。
政治小説や社会派小説を書こうというのではありません。根っこのところにある心構えとして、今現在、ということを忘れずにいたいのです。
それにしても、わたしは歴史についても社会についても知らなすぎるので、今ごろやっと、関連する書籍を読んだりしているのです。二十代にしておくべきことだったのかも知れませんね。 花
* 東工大のわたしの学生たちが卒業して、もう大半が「家庭」をもってきている。このメールの人は、ほぼ同年代であるから、こういう一気呵成に書いてきた文章にふれると、教室で、またその余のおりおりに学生諸君、卒業生諸君が提示してくれた「アイサツ」を思い出す。むろん、上のような文章には、惜しげなく高点を配した。
* 「創作を試みながら、自己の鬱々とした内面を吐露するだけの、自然主義の私小説みたいなものを書いてどうなるのだろうという気持ちがわたしの中に起こってきました。」
よく分かる。谷崎愛のわたしは、若い頃、まったくこのように思っていた。だが自然主義の私小説にも極めて優れた作品、秋声や藤村や他にもいろいろ在ることに敬意とよろこびも持っていた。心酔すらした。わたしは、私小説の方法は採らないと決めていた。必要なら私小説の方法を活用し利用してやろうとは考えた。大事なことは、作品が真にファシネーションをもち、あたう限り静かにブリリアントでありたい、と。それが出来れば、題材は、「戦争と平和」や「カラマゾフの兄弟」のような広大な世界小説でも、漱石「こころ」のような家庭小説でもいいと。
「わたしのこういう思いは、決してわたし独自の特殊なものではないと思っています。でも、それをわたしの言いようで、創作に、書き表したいと思ったのです。」
これに対しても、すぐ上に云ったことで答えていいような気がしている。本当に生きている人と思いと行為を深く描き切れれば、題材はずいぶん違っても同じ所へ答えて行けないだろうか、感動とか感銘とかいう。
* さて明治維新は「革命」であり「民主主義」が期待されていたか。それはわたしは、はっきりノーと思っている。大変化ではあったけれど革命ではなかった。また慶應から明治への交替期にある種の合議政治を思った人も、天皇という「玉」を否認どころか利用することだけが考えられていた。民主主義ではなく、天皇制絶対専制主義国家へと新政府を壟断していた薩長も岩倉具視も積極的にその方向へ国の舵取りをしていた。
次に、維新を成功させたのは、或る面では「下級士族」たちのようであるが、彼等下級武士に本当の政治エネルギーを与えて後ろ支えしたのは、いわゆる「草莽」=主として農村の知識も文化も余力もあり国家改革をぜひに必要と望んでいた豪農・地主層たちであった。昨日の俳優座の芝居のパンフに誰かが「草莽」を下級武士層のことと書いていたのは間違っている。下級武士は下級武士、草莽は草莽。藤村の「夜明け前」にはそうした「草莽」たちの維新への燃える熱意と、維新後に裏切られてゆく悲しみや憤懣が書かれている。藤村の父に擬せられた青山半蔵はそれゆえに狂うのである。
しかしいかなる下級士族も草莽の民も「民主主義」は考えていなかった、辛うじて可能性があるとすれば、殺された坂本竜馬と「徳川にかけそこなひし一ッ橋」の退隠した慶喜ぐらいか。
維新日本にのしかかつていた圧力は列強の帝国主義と不平等条約。幸いに維新の元勲達は必死にこれだけははね除けようとしてくれた。しかしその方法として富国強兵で日本列島をガードするよりなかった。天皇を神聖犯すべからざる「玉」「現人神」として国民に拝ませ、そうして国対を統制管理して帝国主義日本国に一致させなければ、たしかに日本は危なかった。「民主主義」など少なくも天皇と藩閥政府周辺には有り得なかったし、板垣退助等の自由党も民主主義を叫んだわけではない、自由民権の許容される立憲帝国主義であった、当初は。主権在民ではなかったのである。
だが新政府の圧政は反撥を生んだ。「自由民権」が私民の声となり、その勢いを支えたのは、もはや衰え果てた士族エネルギーではなくて、またもかの「草莽」であった。そこからより下辺へひろがった。自由民権の運動が鍛えられた民意の表現になって行くのは、東京や京都のような都会からとはいえず、秩父や群馬や土佐や熊本やであった。そこから草原を焼く炎のように拡がった。
* 昨日の舞台の一つの悲歎の声は、発布された待望の憲法が、やっぱり欽定憲法であり日本国は天皇が統治すると第一条に書かれていたことにあった。裏返せば「主権在民」「民主主義」に憧れる私民の声も思いも芽生えていたということである。
だがそれは容易に成らなかった。成させまいとする明治藩閥政権の鞏固な意思を嗣いだ保守政権がガンとして生き延びてきたからだ、あれだけの戦争を跨ぎ越して。
* 北村透谷へ目がいっている。「ペン電子文藝館」やわたしのこの「私語」もいくらかお役に立ってきたのだろうか。
「わたしは当時を体験していないので、あの頃どうして学生たちが団結して『大学粉砕!』なんて叫ぶことができたのか、関心があります。」
わたしも実は何も事情が分かっていない、知りたいと思う。現にその渦中にいたはずの猪瀬直樹などが書いてくれてよさそうなものだが、彼等もひろい意味で「転向」したのであった、ろう。
* 二十代でなく、これらの問題意識に沿った勉強は、まさに三十代から意欲とある種の怒りすら持って取り組まれていい物と思う。ただ、その勉強は勉強、だから政治小説、だから社会小説、だから歴史小説でなければならない理由はないとは、この人もそう云っているから安心できる。恋愛小説でも小家庭内小説ででもこの問題意識は表現し昇華して行ける。
2005 1・6 40
* 「創作を試みながら、自己の鬱々とした内面を吐露するだけの、自然主義の私小説みたいなものを書いてどうなるのだろうという気持ちがわたしの中に起こってきました。」
よく分かる。谷崎愛のわたしは、若い頃、まったくこのように思っていた。だが自然主義の私小説にも極めて優れた作品、秋声や藤村や他にもいろいろ在ることに敬意とよろこびも持っていた。心酔すらした。わたしは、私小説の方法は採らないと決めていた。必要なら私小説の方法を活用し利用してやろうとは考えた。大事なことは、作品が真にファシネーションをもち、あたう限り静かにブリリアントでありたい、と。それが出来れば、題材は、「戦争と平和」や「カラマゾフの兄弟」のような広大な世界小説でも、漱石「こころ」のような家庭小説でもいいと。
「わたしのこういう思いは、決してわたし独自の特殊なものではないと思っています。でも、それをわたしの言いようで、創作に、書き表したいと思ったのです。」
これに対しても、すぐ上に云ったことで答えていいような気がしている。本当に生きている人と思いと行為を深く描き切れれば、題材はずいぶん違っても同じ所へ答えて行けないだろうか、感動とか感銘とかいう。
2005 1・6 40
* 年賀状は、ハガキだけでも予想より相当数多く戴いていて、さあ、三百はらくに超えていよう。もとより昔に比べれば半減しているが、今はメール賀状に私自身が頼っているし、その返礼もずいぶん多いから、そう違っていない。これらをみなアドレスブックに入れたり照合したりは、なかなかの根仕事、例年、ふうふう言う。メールアドレスも新たにまた増える。「湖の本」のためには、しかし欠かせない手作業なのである。
2005 1・7 40
* MAOKATさんの、メールの賀状を戴いた。この人は国際的に活躍される植物病理学者であり、茶人であることは、わたしのサイトではもう知られていると思う。風情ある小説も書けば、海外への学会出張にことよせた紀行やエッセイも何度も「e-文庫・湖(umi)」にもらっている。研究生活だけでもごく多忙な人の自己点検であり、多忙であればこその、こういう「展望・点検」にも必然の意図があろうはず。
「忙しい」が口癖の人は、若い人にことに多いものだが、そのために「内へ痩せて」ゆく人もいる。大きなお世話であるけれど、時に胸を痛める。
* 根引きの松の奉書の長短
hatakさん 七草がゆを楽しまれていますか?
今日おろす松飾りですが、根引きの五葉松に奉書を巻いて、紅白の水引で結ぶのは京都だけでしょうか? 祇園花見小路の、東側は奉書が長め。西側の店にはミニスカートのような短い奉書のが多かったように思います。「一力」の松はひときわ大きく、ただし根つかずでした。一軒だけ、関東風の門松を飾っていた店がありました。
いまちょうど読んでいる谷崎源氏の『初音』の巻に、六条院・明石の姫君の御殿で、童や下仕えの女房たちが庭の築山の松を引く場面が出てきました。
年月を松に引かれてふる人に けふ鶯の初音聞かせよ
お送りした年賀状は、文字5ポイント。方々から苦情が来ています。見やすいものをお送りします。別バージョンも、添付にて。こちらは、紅白のワインを求めたアルゼンチンのワイナリーの暗い地下の資料室にあったものです。 maokat
謹賀新年
昨年は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。
2004年のランキングを作ってみました。
★ 2004年に読んだ本は、64冊。 ほとんどが近所の図書館で無作為に選んだものです。
『中国英傑伝(上)』海音寺潮五郎 『子産(上下)』宮城谷昌光 『小美代姐さん花乱万丈』群ようこ 『なたぎり三人女』 群ようこ 『中国英傑伝(下)』海音寺潮五郎 『玉人』宮城谷昌光 『風雲』海音寺潮五郎 『愛はひとり』姫野カオルコ 『華麗なる一族(上下)』山崎豊子 『受難』姫野カオルコ 『蕎麦屋の恋』姫野カオルコ 『華麗なる一族(中)』山崎豊子 『銀行消失(下)』山田智彦 『木曽義仲(上)』山田智彦 『赤と黒(上下)』スタンダール 『木曽義仲(下)』山田智彦 『ゴリオ爺さん(上下)』バルザック 『谷間の百合』バルザック 『菊亭八百善の人びと』宮尾登美子 『優駿(上下)』宮本輝 『合衆国崩壊(1-4)』トム・クランシー 『博士の愛した数式』小川洋子 『いま、そこにある危機(上下)』トム・クランシー 『お父さん、繪を描いてください』秦恒平 『日米開戦(上下)』トム・クランシー 『大地の子(上中下)』山崎豊子 『ムッシュ・クラタ』山崎豊子 『長城のかげ』宮城谷昌光 『のだめカンタービレ(1-9)』二ノ宮知子 『女王陛下のユリシーズ号』アリステア・マクレーン 『恐怖の総和(上下)』トム・クランシー 『ふらんす物語』永井荷風 『源氏物語(巻一)』谷崎潤一郎訳 『愛国者のゲーム(上下)』トム・クランシー 『レッドオクトーバーを追え(上下)』トム・クランシー 『容赦なく(上下)』トム・クランシー 『クレムリンの枢機卿(上)』トム・クランシー 『死なれることと生きること』秦恒平 『クレムリンの枢機卿(下)』トム・クランシー。
このうち「ベスト1」は、スタンダール著『赤と黒』でした。敬遠していたフランス文学の古典を紹介してくれたのはあるホームページ(http: //www2s.biglobe.ne.jp/~hatak/iken.htm)。読み終わるのが怖い小説を久しぶりに読みました。その時代でなければ書けない小説というものがあります。いや全ての小説は著者の意識に関係なく時代が書かせているともいえます。
今の人がああいったストーリーを書いたら、ジュリアン、レナール夫人、マチルド、皆人格が破綻していると誹りを受けるでしょう。ストーリーは特権階級の無能な人々を激しく憎悪する有能な主人公が、貴族社会に身を投じて成り上がって行き、結局身の程知らずで身を滅ぼすというお話です。主人公ジュリアン・ソレルは、憎悪と利己的野心のために愛情を利用し、マチルドも、英雄的行為やケレンに満ちた社会的見栄のみから、その愛情を得ようとします。しかし、全く便宜的な動機からしかけた恋も、終盤のマチルドにとっては一瞬真の愛となります。ジュリアンは死を前にし、自らの野心に振り回されて気が付かなかった真実の愛を、過去の自分の中に見つけ、幸福な最後を迎えています。レナール夫人は、ジュリアンが不純な動機でしかけた恋を、激しく貫き通して、最後の頁ではついに小説の中からも抜け去ってしまいます。彼女は、今頃どこにいるのでしょう。この小説では、富や名声のエネルギーはたいしたパワーは持ちません。偶然生まれてしまった愛というもののエネルギーが、いかに大きく強く、また制御不能に人を突き動かしてゆくか、それをまざまざと見せつける話でした。
全巻通読を試みた『谷崎源氏』は二巻で頓挫しました。
2005年は、トム・クランシーの読み潰しを継続します。
★ 2004年に観たコンサート・演劇は、8公演。
『ベートーベンピアノ作品連続演奏会6植田克己ベートーベンを弾く』(KITARA小ホール) 『オペラ座の怪人』劇団
四季(福岡シティ劇場) 『キタラオルガンコンサート』(KITARA大ホール) 『吉本新喜劇』(なんばグランド花月) 『札幌古楽の夏2004Iバッハ名曲集』(KITARA小ホール) 『札幌古楽の夏2004IIリコーダーを楽しもう』(KITARA小
ホール) 『井上圭子のオルガン物語 Vol.6「オルガンアンコール」』(いずみホール) 『わが祖国全曲演奏会』小林研一郎指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(KITARA大ホール)。
このうちベスト1は、『ベートーベンピアノ作品連続演奏会6植田克己ベートーベンを弾く』(3月20日、札幌)でした。
前半の演奏は、全く危なげなく、過剰な情感もなく、良くコントロールされた優等生のものでした。
ところが、終曲ピアノソナタ第21番『ワルトシュタイン』の演奏中に、ぱったりと手が停まってしまったのです。前から二列目で見ていた私の心臓も止まりそうになりました。プロの演奏家がリサイタルで立ち往生したのを見るのは、三十年のコンサート通いで、はじめてのこと。
でも本人こそ最も驚愕していたのでしょう。顔上に、いったい何が起きてしまったのか自分でもわからないという茫然自失、事態を認識しての激しい狼狽、失態を演じてしまった恥辱、照れ隠しの曖昧な表情など、瞬時、めまぐるしく表情が動きました。数フレーズ戻って弾き直しますが、またあやふやになり再度停まるかと絶望しかけたところを、なんとか弾き抜けて演奏は先に進みました。
全身に冷や汗が吹き出るのが目に見えるよう。その後しばらくは、全く魂の抜けた演奏で、ただ指が動くだけ。その後に、演奏しながら強烈な後悔と自責の念が勃然と表情に表れてきました。恥ずかしさと怒りが肩から頭から、めらめらと立ち上るのが見えました。
その気持ちが、演奏を変えました。先程までの程良く制御されたタッチが消え、押さえきれない激しい激しい感情が指先に表出しました。素晴らしいというべきかわからないが、一種鬼気迫る演奏になり、演奏後大きな拍手を贈りました。
生涯忘れられない演奏会となりました。
ホールに足を運ぶ機会がめっきり減ってしまいましたが、2005年は地元KITARA大ホールにあるストラスブール製のオルガンを聴きに通いたいと思います。
★ 2004年に観た映画、28作。
『Badboys 2 Bad』 『ラストサムライ』 『ロードオブザリング・王の帰還』 『ヘブン・アンド・アース天地英雄』 『マスターアンドコマンダー』 『ホテルビーナス』 『恋愛適齢期』 『スキャンダル』 『デイ・アフター・トゥモロー』 『ボディーガード』 『トロイ』 『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』 『キング・アーサー』 『サンダーバード』 『スパイダーマン2』 『ゴッドファーザーPartI,II,III』 『LOVERS 十面埋伏』 『スウィングガールズ』 『バイオハザードIIアポカリプス』 『下妻物語』 『007美しき獲物たち』 『80デイズ』 『ドッジボール』 『ターミナル』 『キャットウーマン』 『トリコロールに燃えて』 『隠し剣鬼の爪』 『僕の彼女を紹介します』 『マイ・ボディガード』。
このうちベスト1は、中島哲也監督深田恭子主演『下妻物語』でした。
この映画には独特の雰囲気がありました。暴走族の風俗も立派な? 現代日本文化の一面なんだと気づかせてくれた映画です。深田恭子のキャラクターがぴったり。
『スウィングガールズ』といい、2004年は田舎でのびのびと? 生きている女の子が映画の素材になりました。
もともと英語の勉強のつもりで通っている映画館ですから、2005年も通います。
* そしてアルゼンチンで見つけた月桂樹をくわえた鳩のシルエットで別の賀状が添っている。
* 小説のリストをみながら、にやにやした。アリステア・マクリーン「女王陛下のユリシーズ号」や、トム・クランシーの諸作は、東工大通勤の頃に尽く読んでいる。読み出したら完全に嵌ってしまう。ときどき思い出して読みたくなる。日本の読み物には、わたしは殆ど興味がない。理由は今言わないが。
ベストワン「赤と黒」は、深く頷ける。機会あらば同じスタンダールの「パルムの僧院」「恋愛論」も楽しんで欲しい。バルザックの「谷間の百合」とはなんと懐かしい。この人のは「従妹ベット」も凄い。モーパッサンの短篇、またロレンスの長篇にもいつか出逢って欲しい。
コンサートの感想には、読んでいてわたしも棒立ちの心地で息をのんだ。
映画では、『デイ・アフター・トゥモロー』ぐらいしか観ていない。わたしはまず映画館には行かないのでテレビ版ばかりだが、感銘深い作品が数々あった。控えておいたら、こうして楽しめたのにと思う。映画と文学とはわたしには等価のジャンル。演劇も。MAOKATさんが心をやっている実感がよく伝わってきて、興味ある述懐に接した。
今年もますます学問執心出精のためにも、豊かにお楽しみ下さい。
2005 1・7 40
* 関がなくなります。 亀山市と関町が合併しますの。
もう随分前になります、「関の小万テ知らんかァ」と訊ねられ、雀はポカンとしました。今もよくわかりませんけれど…。
昨日、中山寺のついでに思い出しましたのが、箕面。箕面滝の紅葉ですの。なにかの折に、文枝さんが昔のはなしをなさって、なかで、箕面に紅葉狩遠足をした場面が、京の白川で水遊びする秦さんが目に浮かぶような有様でしたの。
滝といえばカミサマは大抵決まりでしょう? そのお参りも兼ね、三十三所の勝尾寺詣でにまいりましたのが、昨年の盛夏。雀の想像力を総動員しても、文枝さんが懐かしんだ道の、風情をしのぶよすがは、爪の先ほどあるかないかでしたが、径なかにあった木造三階建ての旅館跡が手助けをしてくれました。立て看板によりますと、市の観光施設になるそうで、壼坂や五條のようになりそうな危惧を抱かせました。というのは、旧青山町の初瀬街道阿保宿の廃業した旅館を、お上が、初瀬街道参宮講看板の展示館にしたのですが、お金の都合というだけで全く新規に建て替えてしまったからです。
名張も、ごく最近、乱歩生家跡隣にある、長らく使われていない醫院の寄贈を受けまして、なんらかの記念館にするそうなのですが、雀は少々心配。
ところで、七里の渡しへと向かう桑名の道筋、空の色を思いかえしつつ、中日新聞朝刊の『歌行燈』をたのしんでおります。今朝は、うどんやで「利く、利く。」のくだりまで。 囀雀
* 携帯メールの容量アップで、雀便りが長めになった。短い、ストイックに工夫されたメールも、時に詩情をたたえてよかったが。
* ご結婚おめでとう ご平安・ご多祥を祈ります。
浅草の花火もまんざらのものではなかった!!
博通君 これからは、行儀作法のけじめも正しく、奔放不羈にも大胆な、さらさらと心の綺麗な大人物になりなさい。貫く棒のようにたしかな豊かな教養を、今からでも遅くない、持つように。そして
祐子さん 二人して、早い目に、親である幸せな日々を迎えてくれますよう。秦恒平
* 去年の浅草の花火にふたりを引っ張って行き、大きな天丼を御馳走し、太左衛さんご厚意の一等席で花火を堪能しながら酒を飲み、ふたりを励まして……結婚へ。もう新居に入っていて、勤務の都合から挙式はこの四月早々と。ずいぶん永らく気を揉んできた卒業生の一人。ほっとした。まだ、ほかにも、少し…。
* 君がため。 風音激しい雨がいっとき暴れた人日に、
カナリヤの餌に束ねたるはこべかな(子規) の句を見つけました。飼っていた十姉妹やカナリヤのために、帰り道に草摘みをした幼い日のことを思い出しました。除草剤の心配が要るようになる時代の入り口でした。
今日は、まさしく「わがころもでに雪…」。
そちらも冷えているでしょう。どうかお大切に。 雀
* 昨日七草の節会だと、ひとしお時にかのうた。光孝天皇はこの歌ゆえに永遠である。神代の気品がある。「きみがため」はもう一首「惜しからざりしいのちさへながくもがなとおもひけるかな」の藤原義孝がいる。この切情もいい。
わたしに題もあつかましい『秦恒平の百人一首』(平凡社)があった。あれは作者略紹介だけ追加して早めに「湖の本」に入れたいのだが、逸機を重ねてきた。ピンからキリまで私の好み一つで一首一首を批議したもの。来年の正月には間に合わせたいが。
2005 1・8 40
* 明日は「翁」「高砂」「末ひろかり」と目出度い梅若の初会。千葉の勝田さんを誘っているが、連絡がない。どうなるか。勝田さんに何事もないといい。
2005 1・9 40
* ERは、いつも楽しみにしています。おもしろいドラマですね。
やっとこちらにも「万国博覧会の美術」展が来たので、見にいこうと思っています。大好きなチャウ・シンチーの新作映画もはじまっているので、そちらも。 花
* 「ER」は、医療ドラマから医師やナース達の「熾烈で私的な」人間ドラマ、まさに葛藤劇に推移している。むき出しにぶつかり合っている。日本人の葛藤はもっとじめつく。
美術展の方は、まえに上野の平成館で観たあれのことか。日本が初めてインターナショナルな催しに参加した意気込みの溢れたもので、露わなエネルギーの噴出ぶりにとにかくも敬意を表し一つ一つ驚きながら見て回ったのを憶えている。
* 千葉のE-OLDと連絡が付いた。ご病気でなくて良かった。明日一緒に行けるか、ひとりか、まだ確認できていないが、一安心した。
2005 1・9 40
* 渋谷は成人の日で沸騰しているかも知れない。松濤の観世能楽堂で梅若万三郎「翁=高砂」を、千葉のE-OLDと楽しんでくる。忠犬ハチ公での爺さん同士のデイトは、無事に出逢えるといいが。
2005 1・10 40
* 成人の日を祝うように晴れやかな、日の光。
昭和で通算八十年だとか。終戦から、還暦の六十年経ったということ。
かつて自分の成人式には、出席の抽選に外れて、がっかりと気落ちしたのが思い出されます。今と違い、大人になる感覚を齎して、大きな意味がありました。
二十歳、あの頃はうつむき勝ちの学校生活から一転して、明るくなった、明るくなれたものです。職場は、周りの人達も良くて、楽しかった。 時間にも追われた日々だったけれど、未来を夢みて月並みなお稽古事に励み、良い仲間に出会えて登山に魅せられ熱中し、そして信州の山々に憧れ、あの歳に、一週間の北アルプス裏銀座コースの縦走が叶いました。あの槍ケ岳の頂上に立ったなんて。
もうすぐ六十八歳。 泉
* 成人の日なんて、なにも感じなかったし記憶もない。大学時代の途中というだけ。どんな二十歳であったのか。盲腸の手術をした年か。ひとりの汽車旅で九州まで各駅停車に乗った年か。十九、二十歳の頃、こんな歌が歌集『少年』にのこっている。
たちざまにけふのさむさと床に咲く水仙にふと手をのべゐたり
日ざかりの石だたみみち春さればわがかげあかし花ひらく道
踏みすぎし落葉ばかりをあはれにて歌の中山夕ぐれにけり
夕月のかたぶきはててあかあかと遠やまなみに燃えしむるもの
山のべは夕ぐれすぎし時雨かとかへりみがちに人ぞ恋ひしき
ぐわっぐわっと何の鳥啼くわれも哭くいさり火の果てに海の音する
2005 1・10 40
* 「日本の歴史」は今日帰りの電車で「関東大震災」に立ち至り、気分が悪くなった。天災の惨害がではない、それに乗じた軍・憲兵・警察と政権との、陰険で意図的な朝鮮人や思想家や労働運動家たちへの、虐殺をともなう暴虐の数々。どうしてこうなんだろう、日本の政権と官憲とは。
アイヌの勇士コシャマインが日本人を睨んで最期悲惨に叫んでいた、「また欺し討ちか」と。それに似たことを、近代帝国主義の日本の政治は、軍は、警察は重ね重ね重ねてやり続けていた。ひどいと言うもおろかである。いやになる。
色川さんに「自由民権 請願の波」の一章を戴いたように、今井清一氏に「関東大震災」の一章をおねがいしてみようかと思う。
* 神様にあえました。あえない所をあえました。秦さんともあえて、いーい一日でした。
天下泰平国土安穏・・翁どもそや何処の翁・・しばらくあの神様と暮らしてみたいと思っています。元気が出ました。本当にありがとうございました。
お元気で何よりです。どうかお疲れが溜まらぬようお大切にしてください。千葉 E-OLD
2005 1・10 40
* 十二月三十日の「私語」記載、バグワンと柳田国男の文章を読み返しています。
柳田のこの著作から六十年ほどの月日が流れ、社会は大きく変わりました。柳田が語る、我らの、つい先頃までの、いえ、現在のわたしたちに漠然とながら息づいている生死の感覚(と言ってもいいのではないか・・)を、今更に思います。私自身はどちらかといえば都市の市民意識が圧倒的に強い人間ですが、同じ年代の人でも、本当に家や土地、祖先に関して異なる意識をもっている人が周囲に多いのに、驚くことがあります。
わたしの母はややボケ症状を呈して暮していますが、死んだ夫(わたしの父)に毎日のように夢に現(うつつ)に会っているようです。
「お父さんは山にいて、しかも健康で若くなっている」そうです。
彼女は病院で医者が病状を話しても、もう正確に理解できず、それゆえ何の恐れもなく、淡々と微笑しています。生も死も彼女には同じなのでしょうか。
テレビで、日本人の価値観を問う番組を放映していました。「命の次に大切なものは何ですか」という質問で、お金、家族、愛、正義の四者から択一。ほぼ半数が「お金」と答えています。
また、「生まれ変わってくるとしたら何を望みますか」という問いに 1、裕福な家に生まれたい。 2、もっと綺麗に生まれたい。 3、異なる性に生まれたい。 4、才能に恵まれて生まれたい。
その中から約半数の人が 4を選びました。天与の才と判断できるかどうか別にして、ああもっと能力があったらなあと誰しもため息まじりに思うこと、多々! あるものです。
わたし? 1から4まで全部叶えられたらと思います。
お金が大事、才能に恵まれたい・・ある意味ではささやかで健全な我ら庶民の感覚なのでしょう・・?
猪瀬直樹氏も転向・・と書かれていますが・・この「転向」という言葉に、実に実に多くの人が刺されてきたと思います。とても屈辱的な響きがあります。キリシタンが「転んだ」、その転んだような、痛みがあります。自民党員だった人が民主党に移って、さて「転向」とは言われないでしょう。
「転向」は社会主義、共産主義を奉じた人が、戦前だったら「赤狩り」にあって「転向」した、戦後だったら左翼諸派の抗争や権力の圧力から「プチブル穏健思想」に「転向」し戻っていった。言葉から受けるのはそのような感じです。
資本主義の台頭以降、さまざまな問題への問いかけとして叫ばれ一定の意味をもった、その十九世紀後半や二十世紀の社会主義、共産主義の動きを、現代のわたしたちが振り返ることは至難・・人間の悲惨を抱え込んで今日も地球は動いているなあ、と愚かなわたしは嘆きそうになります。
何を嘆く? 今、此処を生きよと言われる? 鳶
* 俳優座六十年記念のパーテイに呼ばれていたが、あまりに冷え込むので夜分へかけて出掛ける元気なく、失礼する。とても眠い。
* 単純だと笑わないでくださいね。今日午後、**市展に出した絵が入賞したと連絡がありました。地方のささやかな展覧会ですが。以前油絵出して落選したことがありました。日本画、 初めて出品しました。観光客に首飾りを売る女の人と砂漠を描いたものです。少しだけ元気を出して励みとします。 兵庫県
* たまらなく眠い。
2005 1・12 40
* 『87%―私の5年生存率』拝見しました。
大阪はとても寒い毎日ですが、東京はいかがですか? お変わりなくお過ごしの事と思います。
東京の劇場で終演まで仕事をしていると、テレビドラマをやっている時間に帰宅する事は不可能なのですが、今月は劇場から5,6分で帰れるホテル生活なので、息子さんの脚本のドラマ拝見する事が出来ました。
女性にとっては少し切実になりそうなドラマですが、テンポよくこれから色々な人間模様が展開されそうな感じがして面白かったです。夏川結衣さん、本木雅弘さん、古田新太さん、橋爪功さん、私の好きな役者さんたちも出ているし時間が上手く合えば又拝見したいと思います。
2月の歌舞伎座のチケットは、20日過ぎに東京へ日帰りしますので、その時に確認して又ご連絡いたします。
風邪等引きませんよう、ご自愛くださいませ。 成駒屋
* 今、建日子さんのドラマを拝見しました。医者を身内に持つものとして、考えさせられることがたくさんありました。 次回も楽しみです。 樟
* さ、安心したところでもう寝たい。夜前もせいぜい五時間睡眠だった。
2005 1・12 40
* 今朝、すっかり冬枯れた田の面に、雪が綿のように消え残っていました。青空を見上げると、その向こうの灰色の雪雲が想われます。
松伯美術館、ご招待のお葉書感謝いたします。近鉄学園前駅から文楽劇場のある日本橋駅まで、近鉄で20数分とわかって、昨日、観劇前に松伯美に立ち寄ることにしましたの。
松園さん、「唐美人」「鼓の音」が出ていました。春草の「仙女」に、明治35年の同題の写真が添っていましたが、まったく違う、寒富士のような、堅固に美しい線の印象的な繪ですのね。
菱田春草が上村松園にむけて、どれほど懇ろに、親切な心ばえをもって描いたか。東西の隔ても、物理的な距離も無く、言葉など無用な魂の応答が、ひしひしと迫ってまいりました。秦さんのよくおっしゃる「わかるひとにはわかる」ということも…。ずしんときました。
そういう高めあう“身内”がたくさん、秦さんにはいらっしゃるンだろうなぁ。
雀は、高めてくださる方ばかり。こんな雀に、と、感謝です。
時間に余裕がありましたので、大和文華館の「書の美」も見てまいりました。学園前駅に着いた頃から、ちらちら舞っていた粉雪が、お午食を済ませて大和文華館に着く頃には、風に舞い狂うほど。
咲き始めた臘梅に導かれるように、小径を歩んでゆくと、うす紅、紅の梅があちこちの枝にはなびらを開いています。足元に一面、黄色のさくらんぼほどの実が落ちているので振り仰ぎましたら、一樹栴檀の木がありました。その豊かな実りに小鳥が集い、にぎやかに囀っておりました。
ドアを押して中に入りますと、受付のお嬢さんが申し訳なさそうに「暖房が使えなくて、ロビーのストーブだけですが、それでもよろしければ」とおっしゃいます。雀は、ちりめんのきものに膝丈のコートを重ね、ショールを巻き手袋をして、暖房の効きすぎた電車や建物でしたらのぼせてしまうくらいの格好でしたから、預けるロッカーのない美術館で、どちらかといえば助かったァという気分で、展示室に入りました。ですが、さすがに外気4度では寒うございました。たまらずに飛び出してゆく洋装の女性もいらっしゃるほど。佳麗を競う料紙と筆の跡にうっとりしていると、ぶるぶるッ。
ロビーへ出てはストーブで暖を取り、自販機の熱いコーヒーを喫み、二度ほど往復いたしました。
文楽の感想は次のメールにて。さきほど、一文字クリアのつもりで押したボタンで、へ? と思う間にそこから先がすべて消えてしまいましたの。やっとここまで再入力というていたらく。 囀雀
* ていねいに云うつもりで、「おりました」「おります」「致しました」が用いられていると、わたしは勝手に直している。「居る」は膝を折って畏まる、侍 (さむ)ろう位の原意であるから、只の丁寧のつもりであまり多用しない方がいい。「致す」「致します」も、クセ意味の卑下になりやすく、丁寧のつもりで軽用しない方がいい。「が」という助詞と「の」とは、微妙に使い分けが利いたり必要だったりする格助詞である。「が」には敬意薄く、「の」は、やや敬う気味のあることを心得ていると便利。「私が致します」「あなたのなさることなら」
2005 1・13 40
* 先日の共産党の政治姿勢に関する感想に共感を覚えました。
日頃漠然と感じていることを表現していただいたような気分でした。
期待故の助言や批判であっても、意見を異にするものはすべて敵に廻してしまうような(あの党の)態度も気に入らないことの一つです。この頃は政党としては期待もしてませんが。
**は自死でした。窮状を一部にしろ知っていたものの一人として止めることのできなかった無力と悔いと申し訳なさに、胸が締めつけられます。私宛の遺書に示された残務整理を希望どおりに終えるのに周囲の助けを借りながら半年近くかかりました。
家族や周囲、いえ私自身が苦しいからといって自死を否定するのは自己中心的でしょうか。
寒波によるあちこちの被害を思うと、冬らしく寒くなってほっとしているなどと言えませんね。
お風邪を召しませぬように。 竹
* ゲーテやバルトークのように藝術家にして指導的な地位にあった政治家もあり、一概には云えないけれど、わたしは物書きとしてはいつも野党的な精神を大事に喪いたくないと思っている。だからだいたい野党に支援し、与党には批評批判の視線を向けている。しかし日本の野党はなんとも頼りがいがない。社会党にはタダタダ、ガッカリさせられたし、共産党は、このメールの人の嘆くような、見放すような、何とも言えない臭い頑迷さがつきまとう。柔軟な知恵者がいれば、いい勢力の野党になれるリキをもてそうな党なのに、ひからびたチーズのように固くて臭い。
大体に於いて保守の政治家が本気で怖れてきたのは、野党なんかではない。国民大衆の怒りである。明治以来、藩閥政権も保守本流政権も、民衆の政治的なエネルギが結集することを最も怖れて、その兆しが有れば素早く弾圧し、分断離間をはかり、愚民政策にひそかな力をそそいで絶大の効果を上げてきた。
何を小泉政権等が喜ぶかと云って、韓流だのよんサマだのブラピだのキムタクだのと云ってくれている間は、大安心の大安泰なのである。あのピーピー・キャアキャアのエネルギーがあれらのアイドルから眼を背けて「国会」を睨み始めたら、どんなにビビるか知れたものではない。保守政治の知恵者達は、いかに革新政党に国民を組織させまいかと、最高の悪智慧を使い続けてきたのであり、それをこそ「政権政治」とハッキリ心得ていた。
野党が、労働者の組織が、市民活動が、大きく山を動かしかけたことは、この日本の近代史にも何度となく有り、それはすべて「大衆が横に手を広げて繋いだ」ときに限られている。野党の自力で何かが出来たことは、まず絶無。社民党も共産党もそういう過去から少しも学ぼうとしていない。
憲法。それは大切だ。だが憲法だけでは何も動かない。憲法が大切だと思う国民が動かなければ、憲法そのものは一票にも成らないのである。福島瑞穂も土井たか子も口を開けば、憲法。彼女達は自分のちからで憲法が守れると思うのだろうか。共産党も同じこと繰り返しのアホダラ経を唱えるけれど、国民に向かいどうか自ら動いてくれとは云わない。アカハタを買ってくれ、あとはわたしたちがやりますから、などと云っている。オケヤイ。
こんな野党である間は、日本に野党の力はのびない。保守勢力の渾身必死の悪宣伝で、総評を潰され、日教組をつぶされ、国労を潰され、あれもこれも完膚無きまで潰されて、それこそが「保守政治」の実体であったのだと、志位も福島もまるで分かっていない。もうそろそろ本気で目覚めて「日常の組織活動」を、観念でなくオルグで培わねば、大衆は動かない。大衆が動かなくて政治は変わらないよ。
「九条を守る会」もおなじこと。壇の上からえらそうな人達が説法して大衆が動く力になるなどと思っていては、お話にもならない。
* わたしはかつて左翼陣営に身を寄せたことも活動したことも、一度もない。根から源氏物語や能・歌舞伎や茶の湯や和歌俳句や文学の人間である。そのような人間でも、歴史から学べば、ものは見えてくる。野党のすべき事は一つしかないのだ。「よんサマ」騒ぎなどをただの風俗と観ているようでは、政治家は務まらないよと云いたい。愚民化政策はもののみごとに的を射続けている。ついでに野党をまで愚民にしてやったと政権与党は頬笑んでいるのが、共産党も社民党も見えていないみたい。アホやなあ。
*『あたらしい憲法のはなし』という小冊子を文部省が昭和二十二年八月に発行している。わたしが小学校五年生の夏休みに刊行されている。この年の五月三日に日本国憲法は施行され、この日が憲法記念日になっている。日本国政府が新憲法にどんな理解をもちどんな価値を感じていたかが、ハッキリする。
その小冊子と「日本国憲法」とを「主権在民史料」特別室に併載することにした。これは特に大事な史料である。
2005 1・13 40
* ありがとうございます。あれよあれよと言う間に夫婦となりました。夏に花火に連れていっていただいたことはわたしにとってはとても大きなステップでした。とても安心できて、楽しく、頼もしい人と出会えたことに感謝しながら毎日を送ってます。改めて夫よりお誘いがあるかと思いますが、ぜひ4月の結婚式にはいらしてください。 藤沢市
* あの晩のことはよく憶えている。此の二人は確実だと思い、安心していた。音沙汰がなかったのでどうしたかなあと思っていたら、もう生活を共にして、便宜上、挙式は勤務の都合のいい春休みにと。めでたいこと。
2005 1・13 40
* 早稲田の文芸科へ小説ゼミに二年間頼まれて行った昔、二年目の教室でわたしに習作を提出していた学生の一人が、角田光代。三作書かせた一つを教室で取り上げ褒めた記憶がある。彼女も憶えているだろう、さがせば原稿も家のどこかに埋もれているかも知れない。
その頃の教え子で、何人か、今も付き合いのある人があるが、同じ時期の早稲田の学生だった建日子でも、家で話題にしたか角田光代の名を憶えていた。やめてからも彼女と一度二度文通があったようにも、朧に憶えている。久しぶりに顔を見たのは文藝家協会での知的所有権委員会であった。委員の一人として出ていた。作品や作の感じなどみな忘れている。活躍してくれさえすれば宜しいと思ってきた。
その角田光代が直木賞を獲たと報じられている。直木賞が順当なのか、芥川賞ではなかったのか、実は一作も読んだことがなく、分からない。新人ではないのだから、それでいいのか。
2005 1・14 40
* ディスプレイに外光が当たると、部屋のあれこれもスクリーンに写って作業しにくいので、つねは、雨戸をたてている。それで部屋が冷え込む。今日も快晴。ほんとうは、もう一時間もすれば有楽町で人と会う約束ができかけていたが、まぎわに流れた。わたしは出歩きたいタチではない、なるべく用を作ってでも街を歩いた方がイイと分かっていても、出掛けなくて済むとなると、ほっとくつろぐ。天性怠け者なのである。仕事がらみで人と会うのは、まして億劫。
2005 1・14 40
* 花粉はかなりきているけれど、これ以上辛くならないうちに薬を飲むつもりです。
寒さの方は、あったかくすれば平気です。
風のカレンダーには空白というのがなさそう。連日のお出かけで、風の疲労してしまうのを心配しています。寒さも、お体にこたえるのではないでしょうか。 花
* 文楽の感想。 「宮守酒(いもりざけ)」は、勘十郎さんが、ニンにない「女之助」をやらされたのがお気の毒に思われました。
和生さんの「ゆうしで」は、新鮮なつぼみの瑞々しい色気があって、おおらかに古風で、佳かったですわ。
「紙治」の玉女さんは、出からして、店の主というより、番頭さんに見えて仕様がなかったのですけれど、「おさん」はあくまでも優しくて賢母で…。一門揃って遣った「おさん」のくどきの美しいことといったらありませんわ。
最後の「戻り駕」では、文雀さん遣う「禿=かむろ」が羽つきをする愛らしさに、目が釘づけ。鶏の親子の蒔絵を施した見台に、紅白の房を垂らし、呂勢クンが語りました。
「戻り駕」が上演されると、「誰か亡くなンね。ゲンの悪い演しものや」、と、住大夫さんが言わはったそうですの。文雀さんは「言われるまでぜんぜん気が付かンとおってン‥そういえば前回は、公演直前に家内が…なぁ」と。
師の文五郎が、傘寿に遣った時あつらえた、文五郎の紋の付いた衣裳だとおっしゃって、「師匠はそら可愛かったァ」とにっこり。 雀
2005 1・14 40
* ときどきわたしの「私語」を、自分への「メール」同然に錯覚して過剰反応してくる人がいる。「私語」は、闇にひとり言い置く「作品」であり、特定の人へのメッセージでもメールでもない。自分は「アンナ・カレーニナ」にも「ボヴァリー夫人」にも「チャタレー夫人」にも決してなれない・ならないと、わたしの生母まで引き合いに食ってかかられても、ヘキエキする。悲劇的に身を棄てたような物語の女性達を、むやみに肯定しているのでも、ましてそうありたいと推奨しているのでもない。ただ、そういう過激なヒロイン作品が書かれ、人を感動させてきたのは、なぜだろうかと思うだけ。
* 『推理小説』やっと手に。テレビドラマも観る。娘も観たとか。ケミストリーとかの人気歌手が歌うテーマ曲の作詞もしているので、よく売れるのでは、と。素晴らしいとも。
シャローンストーンの「グロリア」そしてもう何度目かのハリソンフオードの「推定無罪」を観る。この意表を突きながらも無理のないどんでん返しは、いつもよく出来た脚本だなあと感心する。フーンと唸る。
お元気で。おやすみなさい。 泉
2005 1・14 40
* まだ、15日ですので、新年おめでとうございます。
11日の、鏡開きのついでに、掛軸をとりかえようとしましたが、今日までおきました。
いつもとちがう、にわとりがいる、というだけで、牡丹と、あしもとには、タンポポ、すみれ、蓮華のはな、という應擧。真贋のほどはべつにして、すこし華やかな、床の間の松の内でした。 梅
* 昨日は偶然お目にかかれてびっくりいたしました。また、奥様、建日子様にもご紹介いただきまして、ありがとうございました。
「月の子供」はあまりにも衝撃的でした。素晴らしかったです。
劇場を出てから駅に向かって歩き出したのですが、涙がぽろぽろこぼれてしまい、下北沢の狭い道をうろうろと歩き続けてしまいました。
生のお芝居を見てこんなに感動したことはありませんでした。
今、ことばでは書ききれない思いで一杯なのですが、建日子氏の視点、お芝居に包括されたものすべて(役者さんの汗までも)に、心が揺さぶられました。ぼーっと眠っていた私を力強く叩き起こしてくださいました。こんなお芝居を拝見できて、本当にうれしかったです。
ありがとうございました。次回も楽しみにさせていただきます。
建日子様によろしくお伝えくださいませ。ありがとうございました。 田園調布
2005 1・16 40
* 氷りて出づる有り明けの月。 今日の月は夜半には沈んでしまいますけれど、このところ本当に「氷りて出づる」美しい月が続きました。
昨朝、駅伝中継の前宣伝を見ながら、雀が、「銀閣寺のちょっと北から大伴黒主神社に行けるのよ」と言いましたら、主人は“またどこかでかじってきたな” と信じない顔つき。地図を引っ張り出してみせましたら「ふんふん、なるほど」。と、
そのうち、その志賀越道を“鉄人”衣笠さんが辿る番組が始まりましたの。湖畔までは下りませんでしたが、北白川天然ラジウム温泉を紹介し、峠を越え、壬申の乱に破れた兵が拓いたといわれる集落まで。
石屋さんが多いのねぇと見ておりましたら、「白川石」と辞典にでておりました。白い敷砂はあれでしたの。ひとつ頭の引き出しに入れました。
この冬初めての「石焼き芋ぉ♪」の声を聞きました。明け方まで、冷たい雨が音を立てて降り込み、今日は寒の入り。寒蜆、寒鯉、寒鮒、寒卵。それに…寒造り。どうかおいしく、おすこやかな毎日を。 囀雀
* あまり健やかでもなく、このところ、ちょっとした用で動くだけで、疲労する。体疲労もあろうが、何とはない気疲れもある。物事に真向かってまともに対応しきれず、ひきはずしひきはずしラクに凌ぎたい、らしい。
* 夕食後、思いがけずソファで熟睡した。このまま、もう、やすもう。
2005 1・17 40
* 名古屋や大阪の、大きな、また、格式ある、旧い社寺は、味噌で煮込んだ味わいがあります。高尚そうな悩みも、難題だと思って刻む眉間の皺も、ぱぁっと消してしまって、「くすっ」と下を向いて息を吐き、“立ち呑みの串揚げで一杯やってくかぁ”なぁんて、元気を貰う場処なのですよ。毎日の、いつもの、人より物より景色より季節より、なんら変わらない庶民的なあたたかさにあふれていて、冠婚葬祭でも、「まぁええがな」、「あんじょうやりぃな」「あかなんだらかえってきたらええねんから」「無理したらあかんでぇ」、そういわんばかり。
歴史の浅さと地方者のコンプレックスで、ぴりぴりしているお江戸や、大陸的異国的な大らかさが懐かしさをもつ奈良や、かさにかかった京の感じなどでなく、普段着で、段差がなくて、寸前にきびすを返しても、なぁんも言わず、にこにこ迎えてくれはるような、「せや、ちょっと寄ってこか」テ思える空気を持ってますの。 囀雀
2005 1・18 40
* 風。お体、お大事になさってください。
『罪と罰』を読了しました。
『共産党宣言』や共産主義に関する書籍も数冊読みました。
『三島由紀夫vs東大全共闘』は、1969年に東大で行われたパネルディスカッションを収録したもので、角川文庫から2000年に復刊されているそうですが、わたしの読んだのは、三島由紀夫没後三十周年記念に出版された、当時の全共闘だった人たちの座談会でした。
ハイデガー、サルトル、バタイユ、ベンヤミンなどを引きながら、観念的な言葉で話されていて、わかりにくかったです。
これから読む、座談会に出た人たちがそれぞれ書いた後記の部分は、もう少し具体的みたいです。
唐辛子をまぶしてある、とっても辛い柿の種をスーパーで見つけて、やみつきになっています。明日は、外出ついでに、それを買ってきます。
風のことを想っています。 花
* 風はいよいよ大正デモクラシーから昭和初年の動乱期へ吹き込んで行きます。やはり何と云っても近代現代史が関心を惹きます。
あなたの読んでいる辺りを要約するのが「転向」問題ですね、戦前左翼の戦中転向だけでなく、第一次第二次安保闘争から学園紛争期を経てまんまと「転向」し、バブル日本に荷担奉仕した連中が大勢います。いまや論議の的にしなくてはならないのは彼等だけれど、彼等が今の日本を牛耳っていて、お話にならない。
その柿の種は辛そうだねえ、ぴりっと辛い柿の種はビールのつまみに食べますが、みるから赤い唐辛子まぶしでは、タマランなあ。 風
* 明日の朝、早い。もうやすもう。
2005 1・18 40
* フリードリヒ・グルダをご存じですか。わたくしの愛するピアニストです。お好きらしいグールドは、ちょっと聖職者のようなところがありますが、グルダはもっと人間味たっぷりの生彩と色気ある人です。録音に賭けたグールドとちがい、演奏会での聴衆との交流を求めました。「アリア」などの大変美しい曲も作りますし、ジャズも演奏します。
日本での最後の演奏会の時には片足をひきずっていましたが、ラフな黒シャツに縞模様の帽子の彼独特のおしゃれなスタイル。アンコールの時にメガネ越しに聴衆の中のお気に入りの誰か、たぶん女性を見つめながら弾いていました。
グルダの演奏するバッハの曲「平均率クラヴィーア曲集」は、音楽の聖書のようなもので何十回か聴きこまないと佳さがわかりにくいのですが、噛みしめていくうちにいつも深い感動に満たされます。いつか聴いていただきたいのですが、絶版のもあり探してもなかなか見つからないかもしれません。けしからんことですが、それは良書が消えて行くのと少し似ています。手に入らない名盤は多いのです。
このバッハ「平均率クラヴィーア曲集」の最後の曲を聴くとき、不思議にいつも「湖の本」を想います。出逢えた幸福に、御作とともに今生きてある喜びに打ちふるえます。春
2005 1・19 40
* 今日は運動しました。体育館でバレーボールを二時間ほど。はじめて行った先週は体のあちこちが痛くなりましたが、二回目の今日はだいじょうぶです。
『資本論』を読もうと思ったけれど、とても長いので、あとまわしにして、三島由紀夫の小説を読みます。これまでは特に好きではありませんでしたが、最近興味がわいてきました。独自の美学があるように見えます。
風は、お出かけになりましたか。 花
* バレーボールは一人では出来ないので、お友達が出来るかも知れませんね。上手に楽しんで、くれぐれも突き指しないように。花粉を一所懸命アタックしてください。
三島由紀夫は初期にファシネーティヴに読み応えのある作品があり、しかし中頃の「金閣寺」あたりに、本当の実力のヤマがありそうです。晩年の絶筆になった五部作は、いかにも意識過剰に乾いた造花のように感じました。力のある人でしたが、みずみずしい生命感に溢れる人間というより、巧緻に創られたアンドロイドの書いた物のようでも有りました、殊に晩年に近づくほど。でも、三島を手に入れておくことはいい、大きな作家でしたからね。近代能楽集など戯曲がよかった。
疲れていましたが、もう残り時間が無くて、観るとご当主に約束もしていた京焼、「清水六兵衛歴代展」を千葉市立美術館まで行って、観てきました。予期したとおりなかなかの展覧会でした。観て、すぐ、舞い戻りました。大事に毎日を過ごされるよう。 風
* 顔かたちだけでなく、仕掛けや胴串の具合など、要求されるものの多い文楽人形のかしらは、その苦労の割に消耗が激しく、骨董扱いも美術品扱いもされません。
「悪いンだけど、『紙治』の玉女さん、店のあるじというより番頭さんに見えて仕方がなかった」と、終演後の喫茶で友人にいいましたら、「かしらが違うンじゃないかしら。あれは、村尾愉さんのかもしれない」といいますの。
彼の彫ってくるかしらに、「ぼんやりしたかおに」と、文雀さんがうるさくおっしゃってらしたと聞いたのは、ずいぶん前のことです。
伎楽面、舞楽面、祭りで使う面、能面、海外のものも含めて、どういうわけか小さい頃からお面が好きでと、以前、文雀さんから伺ったことがございます。公演が増え、かしら不足、とはいえ、「つかってみよか」と言われるまで、どれほど村尾さんもご苦労だったことかと想います。人形遣いが「よし」といい、観客が「うん」と思う、かしら。いえ、かしらに気を取られないほど一体化した舞台には、「ぼんやり」彫られたかしらが要るのでしょうね。 雀
* 「北の時代」を、のろのろ読み返しています。画家の譬えが、前よりは理解でき、徳内さんの「生き直せる」に、きゅんとなりました。
家老は、蠣崎? 礪崎? それに漸く気が付きましたの。
ジャンクなイージーなファストフードことばのないお作に、鮭のトバや幻魚の干物をかじっている感じがしております。お腹空いてるのかな。 囀雀
* バレーボールといいましても、ソフトバレーボールなのです。ボールがやわらかいのです。突き指の心配は、ほとんどありません。だから気軽に参加できたのです。遊びのようなものですが、運動にはなります。
今日はジャージを着ていたついでに、家で太極拳をして、ジャッキーチェンの真似もしたので、ちょっと疲れました。
三島由紀夫の『近代能楽集』は、高校生のとき買ったのが、実家にあるか、古本に出してしまったかです。
玉三郎が好きでしたので、「サド公爵夫人」を読んだり、三島由紀夫は、小説より戯曲の方を読んでいます。今回は、『三島由紀夫vs東大全共闘』を読んだせいか、ふと読んでみたくなり、三島由紀夫全集の中の、中編をいくつか収録した一冊を図書館で借りてきました。とても読み易く、引き込まれています。
お芝居が好きになった中学・高校の頃、生で見る機会がほとんどありませんでしたので、戯曲を読んでいました。
『現代日本戯曲大系』は全巻読みました。
唐十郎、寺山修司などの前衛演劇はどんなだったのだろう、鈴木忠志や清水邦雄の難解そうな劇が主流のときに、つかこうへいの笑いのある芝居はどんな風に受け入れられたのだろう、などと、同時代で体験できなかったことを、あれこれ想像していました。
つかこうへいが、別役実の「マッチ売りの少女/象」を読んで「ベケットもイヨネスコもないなと思った」とエッセイに書いていて、「マッチ売りの少女/象」や別役実の書いたほかのものを読んだら、つかこうへいは別役実の影響をとても受けているのがわかって、興味深かったです。
でも、戯曲を読むだけでなく、生でいろんなお芝居を見て、演出や俳優の解釈から刺戟を受けたいものです。 花
2005 1・20 40
* 阿波徳島の花籠さんより、見た目も華麗な精肉をたっぷり頂戴した。
2005 1・21 40
* 秦さん、こんにちは。 東工大卒業生
新年明けてから朝夕と冷え込む日々ですね。寒い寒いといいながらも、やはり冬はこれ位の方が気が締まったりもします。
先日夫婦で連れ立って「月の子供」(秦建日子作・演出)を観に行ってきました。
もう一度観たいと、出演者達がエンディングの挨拶をしている時、すでに思われてなりませんでした。
純粋に楽しかったからという事ももちろんあります。思わずこちらの体も動きそうなダンスも、テンポ良い音楽も、小野真弓さん達の好演も、もっともっとこの世界に浸っていたいと感じさせるほど魅力的でした。
しかしそれ以上に、その活気あふれる舞台の背景・背後に感じられる、重層的で入り組んだ「世界」を、まだまだちゃんと観られていないと、もう一度じっくりと味わいたいと、真っ先に頭に浮かんできました。
「プラットフォーム」の上と下と、現在と過去と未来と、それらをつないでいる、列車。
その世界に、一見明るく、しかしどことなく頼りなげに「少年」は生きています。
「苦しいときには下を見ろ、月の子供を想像しろ」と学校で言われるたび、恐らくは人知れず、もしかすると自分でも意識しないうちに傷ついてきたのでしょうか。彼は地球で生まれながらも、もしかすると自分は「月の子供」にほかならないのではと、心のどこかで思い続けながら成長してきたのかもしれません。
自分は自分の本当の「名前」を知らないという、思い。形式だけの「サクラサトル」という名に感じる違和感。名無しの男に近づいてゆくのは、その名無しにこそ、外から与えられる形式とは違った本当の「名前」、もっと色濃い存在の実質のようなものを感じ取ったからなのでしょう。そして彼らプラットフォームの「下」の人々との交わりの中で、自分自身の本当の名前へ、両親の注いでくれた想いへとつながってゆく何かを、段々と掴んでゆきます。
しかしプラットフォームの上の世界は、愛情の薄い夫婦の子供になるという新たな形式を、彼にまた被せようとします。それは彼の掴みかけた色濃い実質、本当の名前といったものからは、あまりにかけ離れたものです。
プラットフォームの「上」の人達、それは実はどこにも行きたくないのに、自分でもそれに気付かず、いつも何かを待つためだけに「並んで・行列して」いる人々。並んでいるくせに本当はどこかに行く準備が出来ていない人々。彼らにとっては、少年に「形式」を被せることも、何の疑いもなく「良い事」なのでしょう。それがどんなにか少年の本当から離れたものであっても。
そして名無しの男達は、そんな少年をプラットフォームの下の世界に、救い出そうとします。そこには、たとえ決まった名前が無いとしても、もっと意味ある実質があり、恐らくは少年の両親も、その世界で生きて、彼をもうけたのでしょう。残念ながら置き去りにしてしまいましたが、それでも人に告げる事で「死なせ」はしませんでした。
・・もう一度観る機会があると良いのですが。また再公演されるかもしれないですね。
「お父さん、絵を描いてください」何度か読み返しました。
「月の子供」のプラットフォームの上と下の世界をみて、山名の藝術と世俗との間の葛藤をふと思い出しました。
取りとめなく済みません。では、くれぐれもお体大切に過ごされてください。
* 佳い「読み」である。あの舞台をただ一度観て、ここまで読みきったのは、作者はどう思うのか分からないが、作者の父親である秦モト教授は、この若い友人の久々の「あいさつ」に満点を呈したい。
この「月の子供」を書くに当たって建日子が、親を知らない「もらはれ子」であった父親の生い立ち、幼年少年の昔の心の惑いや悲しみや生きる工夫について思い致していたかどうかは知らないけれど、この卒業生の解読から察せられるように、わたし自身は「さくらさとる」少年と「はたひろかず」時代のわたしとを膚接して読み取ることは出来る。つまり身につまされるものがあったし、その後の人生に或る「索引」の附された感じすらわたしは今度の芝居にもったのである。
* 公演は明日で終わる。わたしたちは、今日の昼にもう一度観る。このドラマは、たしかに再演して練り上げてゆくことの可能な、秦建日子「初期」の代表作の一つになるだろう。
2005 1・22 40
* 三重県の最低気温の記録は、伊賀上野がもっているそうです。連日、氷の朝です。
「詳しいことはH.Pで」「こちらのアドレスへ」。
日々接するこんな言葉を、PC環境にない人はまだまだ世界に大勢いる、負負ストレスにしたらひしげてしまうと、無理圧状に押し込めて、踏ンづけて。努めてまいりました。慣れたつもりでおりました。
今の日本文明をさまざま享受しているにもかかわらず、秦さんご自身の、また、ペンのお仕事のH.Pに、いまだ接することをしていない雀は、手段を探してみもしない大甘ったれといわれても仕方がないのでしょうね。 囀雀
* デジタルデバイトという此の問題は、機械に慣れた者達の思っているより、何百倍もの烈しいストレスというか、きしみあいを、人間社会にもたらしている。それに、双方で気付いてなにかしら工夫しないと、社会は底の方から亀裂が入って、ひどいことになるだろう、実はもうなっていて、大方は機械環境に居ない人達の我慢や辛抱や拒絶や遁走によって、機械環境にいる側の者の無神経や傲慢やジコチューによって、亀裂幅のひろさゆえに殴り合いになっていないだけなのかも知れぬのである。
機械でふれあえる人達もとても増えているが、本当に懐かしい大切な人達との仲が、機械ゆえに隔てられ、ついつい疎遠な状態を作りだしてしまってもいる。間違いない現実である。修正すべき時機はきている。
2005 1・22 40
* 黒酢って、そんなに効果てきめんなのですか。すっぱいもの全般は好きだけれど、そのまま飲んだことはありません。わたしは冷性なので、これだけ寒くなると、寝床に入ってもちっとも体が温まらず、足先は朝まで冷たいままです。
アレルギーの薬を飲みはじめてから、眠くなってしまうことが増えました。特に、お昼ご飯を食べた後に睡魔が襲ってきて、ふかーい眠りに落ち込んでしまいます。目覚めたとき、時間を無駄にした気がします。昼にそれだけ寝ても、夜はぐっすりたくさん眠れてしまうのです。眠るのは気持ちいいけれど、寝過ぎなので、これはコントロールしなければなりません。
「あたらしい憲法のはなし 附・日本国憲法」は読んでみます。 花
* 手足の先の痛いほど、痺れるほどの冷えがこのところ失せていて、寒かった昨日の外出時にも、手袋無用なほど掌も指も温かかった。酢だけではちょっと飲みにくいかも知れない。生姜をたっぷりすり下ろしたのをまぜ、甘味も多少まぜているのか知れない。温めたのを小さめのコップに一杯だけ飲む。青汁ほどはいやな飲み物ではない。ただ、胃腸を痛めないよう気を付けている。
2005 1・23 40
* バグワンに寄せて。 秦さま。寒中、お見舞い申し上げます。大阪もこのところ、しみ入る寒さです。
『みごもりの湖』を読みました。姉を想う妹の思いを、しみじみと美しく読みました。
この「闇に言い置く」が、お「身内」の方がたの見事な交響曲であると感じます。「もう一つの代表作」とおっしゃった意味がわかる気がします。
「意識」は「体」=五官を通してでなければ、何も認識できません。「深く生きる」ためには、どんな関係であれ「関係」をもつためには、「体」が必要です。「体」が存在する時代、場所、環境によって、「体」とのかかわりのなかで「意識」は形成されます。「体」は生まれた時から死を孕んでいて、時々刻々、死を実現していきます。「体」が死んだとき、「意識」は消滅するでしょう。
わたしは、わたしがわたしであるという「意識」が無くなるという考えに怯えています。
宗教が修行によって「体」の影響を「意識」が受けなくさせることを重視するのも、理由があると感じます。
死ぬほどの憂鬱もわずかな脳内物質の作用で消え失せます。人を行動に駆り立てる「情動」は、「体」から生じると思われます。激しい「情動」は、「意識」には如何ともしがたいものですし、せいぜい「意識」上に引きずり出して、説明する、客観化できるくらいです。信じること、「抱き柱」をもつことすら、「意識」が欲するだけではできないというのがわたしの実感です。火の体験のようなものが必要なのでしょう。
わたしは虚弱児でしたので、「体」の望むことにはできるだけ逆らわず、「体」とは割合いい関係を保ってきたのですが、歳とともに追い詰められてきました。
「主権在民史料」特別室はたいへん意義のあるお仕事と存じます。憲法9条は変えてほしくないですが、憲法が人権を持たない、平等ではない人間(天皇)の存在を認めていることに不満です。それから「すべて国民は」という表現も、せめて「すべて国民および日本国に住する人間は」くらいにしてほしいと思ったりします。 大阪・松尾より
* 夜中に二度三度起きてしまう日がつづくと、いやおうなく寝床の中で真の闇にむきあうことになる。わたしはこの機会を、むしろ、珍重している。ふしぎな体験ができるから。
ほぼ完璧な闇であるから眼は明いていても閉じていてもいい。「闇」には、深さを感じても、限定された広さは感じない。無際涯に広いし、深い。闇って、なんて美しいんだろうと鑑賞しているときもあるが、ふつうは何も考えないようにして、じいっと闇に向き合っている。
すると、いつ知れず自分の「体」感覚が尽く消滅消尽し、内蔵は愚か語感も体感も無くなっている。体というものがなく「意識」だけがまだ生きている。「生」とは「意識」のことで、必ずしも「意識」に「体」は係わっていないのだ、「体」はもともと空無なのだ、と、そう分かる。意識そのものにだけ、成る。成れる。わたしはそれが嬉しいので「闇」の中にいるのが好きなのである。闇の宇宙=全体=トータルに、「体」という個体としてでなく、「意識」として溶け込んでいる安心と静謐。
この「意識」も、いつか失せるだろう、それが「生」「死」の転帰。「体」もまた生死には関わっていない。まして頼りない「心」なんて。
* ま、わたしはそんなふうに眠れない夜中を「闇」に包まれて過ごしている。
* 体をそのように見切ることによって、わたしは断然心より「体」に親しい。体の望むことは叶えたいと思う。体にしたがっている方が、心=分別=マインドにしたがうより、同じ「しくじり」でも軽くすみそうな気がしている。つまり体と意識とをハートフルに仲良くさせ、分別に縛られずに自由に過ごしたい。心に振り回されるのはマッピラだ。
2005 1・24 40
* 今朝方、目覚めて時計を見ると、起きるに早く、小一時間はぬくぬくと朦朧と夢うつつに、今度の「湖」は何が出るのかしら、と。
平凡社の『百人一首私判』、あれはたしかまだだったけれど、あの類いは、大抵年末に出る本やから、歳明けでは六日のあやめ、十日の菊になるから、違うやろなあ。
今年の近江神宮での歌留多取りクイーンは連続クイーンのお姉様を抜いて、気迫充分の中学三年の子やったけど、そうそう、私の中学三年間も一月から二月にかけては、友達やら家族と歌留多取りに夢中だったんだわ。外で腕を磨いていたから、家では父を唸らせたなあ。今はあれ程覚えていないかも。
一枚札の「むすめふさほせ」には皆の熱気が集中したし、意味をろくに解せず、十八番をそれぞれに持っていたけれど、いくらオクテでも、いやに、こひ、こひの字の多いのには、気が付いていたなあ。
一等好きだったのは、純白な少女(笑うな! 当時はそうやったから)の心をうっとりとさせた「心あてに、折らばや折らん初霜のおきまどわせる白菊の花」、心で始まるもう一首、「心にもあらで・・・」もついでに十八番にしておいた。
「みかきもり・・・」は二番めに好きだった。
とにかく、当然、京都、奈良の周辺、見知りの土地名の詠まれているのが、馴染み易かったのでは。京の昼寝。
今「みかのはら、湧きて流るる泉河、いつ見きとてか恋しかるらん」に心を奪われ、そして、和泉式部の歌を送ります。
あの本は解説書ではなく、私判であるのが、マニヤックな本といえますね。あなたは小学生、私は中学生の頃だったけれど、似たような思いもあって、フフフと笑いながら、読み直しています。
一言。 主婦業に満ち足りていてめでたいとは、見当違いです。
普通、四十五年もやってきた主婦業が、今も楽しい筈はありません。日常茶飯事、味気ない作業です。ただ、生きる為に、まだ放棄できないだけです。
ご飯のスイッチがもう入れてあるけれど、ほら、もう夕食の用意の時間でしょ。京都市
* 百人一首で誘惑されるとそぞろ心うごくけれど、いま、ピンと頭へくる一首をいえば、とてもそんな、なまめかしいものではない。
花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわがみなりけり 入道前太政大臣
いま一段、俗をあらわしていえば、
山里は冬ぞさびしさまさりけるやはり市中がにぎやかでよい 太田蜀山人
* 古鏡好き。 小学校三年から四年になるとき、市内に一校増え、クラスの、あれで半分くらい転校になったのでしょうか、転入して一年の雀はあまり記憶にありませんけれど、お別れ会のなんのと、女の子はおセンチにかなりの騒動だったようです。
雀の人生で一番長く、そして身近く、付きしたがってくれているのが、その折、配られた記念の、文鎮。雀のお気に入りです。
この間、まったくの偶然で、それが泉屋博古館の舞鳳サン(句点でも読みでも入力できませんの)猊八稜鏡を模したものと判り、欣喜雀躍。
* たぶん、同じこの文鎮を、わたしも、長く使っていた。手ズレで鍍金が剥落するほどに。つまみの紐でぶら下げて、叩くとチーンと佳い音色がした。どうして手に入れたか忘れたが、高校か中学かの卒業祝いに学校かPTAからか、貰ったのかも知れない。
2005 1・24 40
* 寒中お見舞ひ申しあげます 昨年のわがこよみです 香
一月 薔薇の枝に薔薇が咲かせる薔薇の花 殺戮の焔は諸処に爆けて。嗚呼
二月 梨木香歩の『家守奇譚』。ゆらりゆらゆら異界と現世を行きつ戻りつ
三月 「千本櫻」の「鮨屋」。仁左衛門の権太もだけれど秀太郎の小せん!
四月 一日にペンクラブ電子文藝館の委員会。誰か委員長をかつぐ者なきや
五月 ゆめなりしかとほき記憶かまぼろしか空濠のなだりを埋めゐたる著莪
六月 たいへんなものに遇つてしまつた『お父さん、繪を描いてください』
七月 「平沙落雁図」に逢ひ、芳醇なブランデイのおもてなしに与つた一夕
八月 亡き父の知らざりし逸楽ネットにてロンドンの古書肆めぐりてあそぶ
九月 無声映画鑑賞会。弁士澤登翆さんのトークショウのお相手をつとめる
十月 医師「ストレスを溜めなさんな」わたし「ひとりでに溜まつてゐて」
十一月 小器用に鬱遣らふことも出来ぬままひみつの酒場にスラヴァ聴きをり
十二月 闇に漂ふ沈の香、浄めの火。深夜の神事に侍すれど鎮まらず浄まらず
* さ、まだ、十時半だが、今夜は階下へおりて、もうやすもう。
2005 1・24 40
* 週末にバグワンを読みながら、躓いていました。
与えるなんて何ごとか?
あなたは与える何を持っている?
救うなんて何ごとか?
あなたは自分自身さえ救っていないのに
どうやって他人を救える
キリスト教は、与えて与え尽くせ、自分の人生も命までも他者に与えろという宗教です。愛とは自らが痛むまで与えること。マザーテレサの言葉です。マザーテレサのように有名ではなくても、自らの命を与えて死んでいった多くの無名の人々を思うとき、与えるな、という言葉に戸惑いました。
スマトラ津波災害に寄付したり人道支援すること、国境なき医師団などボランティアやチャリティーには大きな偽善もあるでしょう。でも、偽善でも実際にお金も手助けもないのとあるのとでは大違い。偽善でもしないよりするほうが遥かに正しいことと思わずにはいられません。救えなくても、救おうとする行為は、行動は大切に思えます。
与えることでそうする本人が幸せになれるかどうかはわかりませんが、助けを必要とする人を捜し求めていく生き方を、私は讃美することはできても、否定することができません。
たとえば、シドッチ神父には、「よくぞ来てくれた」と感謝しますし、殆どの日本人が名前も知らないミッション、テストウィド神父にも、涙とともに敬服します。治療法のない時代に自分も罹患する覚悟で、日本で初めてのハンセン氏病の病院を設立して過労死のように死にました。その病院を継いだ四人の神父たちも、多くの患者を助けながら、次々と刀折れ矢尽きるようにして倒れています。
「あなた自身の内なる実存が暗いのだ あなたには救うことなんかできない あなたには与えることなんかできない」というのは、まるで何もするなというような響きに感じられて、納得できないまま読み進みました。
すると、やはりバグワンの素晴らしい答えが出てきました。
もしあなたが自然に与えられるなら
ビューティフルだ
ただし、そのときには心の中には何もない
自分が何かを与えたんだという計算などひとつもない
それが与えることと分かち合うことの違いだ
ティロパは分かち合うなと言ってるんじゃない
彼は取ることにも与えることにもこだわるなと言っているのだ
もしあなたに手持ちがあり
それが自然に起こって、あなたが与える感じになったら与えなさい
ただし、それは分かち合いであるべきだ
贈り物――
これが贈り物(Gift)と与えること(Gifting)との違いだ
人間愛に生きたキリスト者などは、この境地に達していたわかりやすい例かもしれません。アッシジの聖フランシスのように、自然に与えていたのですね。
でも、「分かち合い」というのは、黙っていて自然にできるようになることとは、思えなくて。
凡人は突然変われるものではありません。とりあえず偽善でも、まず与えることを訓練していないと、教えてもらわないと、急にはできないことだと思っています。
無理にするならしないでよい、という生き方もありますが、それでは誰が一粒の麦になってくれるのかと、友のために死んでくれる人がいない世界になど生きていたくないと、今のところ、バグワンに「問いかけ」ています。
トンチンカンを大いに笑ってください。ほんとうにおバカ。
なかなかこの手ごわいバグワンに近づけません。でも、これからバグワンがどのような道を示してくれるのか、とても楽しみにしているのです。 蝸牛
* このメールには顕著な一徴候がある。「自分」ではない他者・聖者の例を次々に挙げ、顧みて「他」を知識で評論している。自分は、すばらしい聖者や宗教から「恩恵を受ける」立場にいる。自分自身で「分かち合う」立場には身を置いていない。自分には急には「何も出来ない」と。
* > 与えるなんて何ごとか?
> あなたは与える何を持っている?
> 救うなんて何ごとか?
> あなたは自分自身さえ救っていないのに
> どうやって他人を救える
『存在の詩』504頁の下に出て来ますね。この第9話は、バグワンの声のとてもよく聴えるところで、あなたのこの引用に至る二十頁ぐらいを深く感じ取っていれば、上の引用個所は、ごく普通に素直に受け入れられる所であり、あなたの言っているような普通のリクツについても、バクワンはすでに深切に触れつつ語り継いでいると思います。
そして、これより先の頁へ読み進めば、ますます彼は、あなたの言うているようなリクツを超えた「深み」から、人間存在そのものに光をあてて語っているのが分かります。
どちらかといえば、この章でバグワンは、つねになく解析的に、そしてものを積み上げるように話していて、分かりよい、説得される章だと、わたしは感じてきました。
> 凡人は突然変われるものではありません。とりあえず偽善でも、まず与えることを訓練していないと、教えてもらわないと、急にはできないことだと思っています。
無理にするならしないでよい、という生き方もありますが、それでは誰が一粒の麦になってくれるのかと、友のために死んでくれる人がいない世界になど生きていたくないと、今のところ、バグワンに問いかけています。
「友のために死んでくれる人がいない世界になど、生きていたくない」というあなたの表白。この「友」とは、すなわち「あなた自身」のことと読めます。それははからずも露呈した利己主義でしょう。
ホカならぬ「あなた」が、人の友として、その「人のため」に、いざというときは死んで上げる、自分はその為にも「生きていたい」という覚悟こそ、望ましい、本当の表明ではないのですか。そういう自身への励ましが、少しもあなたの物言いに表わされていない。
これは「突然変われる」とか「変われない」の問題でない。自分を自然に何かの前へ「投げ出せる」のか、自分自身を「分かちあえる」のか(「与えて貰う」のではなくて)、それに「気付く」か「気付かない」か、だけなのです。一瞬で「気付ける」のです。「訓練して・変わる」なんてことでは、全くない。
自分が、人の前へ、なにもかも身を投げて「分かち合おう」とはしていない、それだけのことをあなたは言わず語らず示した。裏返せば、自分は「人から与えられていい立場だ」と思っている。ずいぶん甘えた姿勢です。
してもらうのでなく、してあげる。それが本当に無心に、無欲に、見返りや名誉への欲望なく「自分には出来るかどうか」を、自問しなさいとバグワンは言うているのではありませんか。その間際に立って、「あなた」に、「与え得る」一体「何」があるのかと、バグワンは、ほかならぬ「あなたに」向かって問うている。問題を他の人達へ一般化して「評論」してはいけない、「あなた自身の問題」として考えなくちや。
> 与えるなんて何ごとか?
> あなたは与える何を持っている?
> 救うなんて何ごとか?
> あなたは自分自身さえ救っていないのに
> どうやって他人を救える
これは、世間の人に向けて言われているのではない、「あなた」一人に向かって言われている。「あなたの問題」として先ず考えなくては無意味です。
あなたは命をあたえて人を救えますか。「救えます」「救いたい」と自然に言い切れたときに、初めて他を顧みて「評論」すればいい。「知識」でこねまわさない。生きているのは知識でなく、「あなた」だ。
2005 1・24 40
* 今朝、HP、読みました。蝸牛さんにはいつも「辛辣」でいらっしゃいますが、彼女は彼女で大真面目に考え、書かれているのですね。彼女にも大いに共感する部分がありますよ。
夜中の「闇」について書かれていること、とてもよく分かります。わたしにとっても幼い頃から添うようにあった「闇」です。
どうぞ寒さ、そして花粉症に負けずこの季節をしのいでください。 鳶
* ゆうべのバグワンにかかわる往来は、わたしからの返信は、言い過ぎだろうか。わたし自身は、「分かち合える」まして「与え得る」ものなどたいして持たないし、「命をなげだす」ような思い切りが出来るかどうかも、自身に問いつめられない。だから人にも自分のためにそうしてくれないかと依頼・依存することもしない、だろう、と思う。
ただ、ものを思ったり考えたり知識を用いたり感想を述べたりするときに、自分をまっさき「受益者」の立場に置き、自分がどうするか、どう出来るかを考えに入れずに、他者や一般を評論してしまうことは、したくない。どんな疑問や不審も、自分自身との関わりは如何と、真っ先に、または最後に、問いかける。自分の問題にこそ関心がある。立派な人を讃美したり、そうでないひとを否定・批評したりでは、顧みて「他を語る」だけの評論に過ぎない。
いちばん、その意味で、蝸牛さんの、「誰が一粒の麦になって<くれる>のか」、「友のために死んで<くれる>人がいない世界になど生きていたくない」という「なってくれる=なってもらいたい」「死んでくれる=死んでたすけてもらいたい」という受益の受け身姿勢に、わたしは驚いたのだった。
とても蝸牛さんは正直で、こんな揚げ足を取っているわたしのほうが不正直なのかも知れない、が、してもらって讃美する立場からでなく、自分はどうするのかを聴きたかった。自分のことは措くとして、ではなく。
* 蝸牛さんを非難したのではない。やはり、この大事な問題で、「自分は」と内心に問い直す機会をもったのであり、また改めてバグワンにおける菩薩行(大乗) と羅漢行(小乗)との「見取り」如何にも思い至らずにおれなかった。
また、偽善であれ何であれ、百円千円は、困っている人には、同額の百円千円に通用して役立つではないかという、あまりにもよく耳にするリクツについても、バグワンはどう語り、わたしはどう思っているのだろう、というところへ、押し付けられるのである。この「闇に言い置く私語」の場が、誰しものそのような思案の場になることをわたしは歓迎している。
2005 1・25 40
* 五条坂 まだ一月のうちなのに、私は年が明けて随分経ったような気がします。
秦さんのHPで清水六兵衛歴代展の開催を知り、どうしても見たくてお正月の忙しさが一段落した八日、総武線電車をひたすら千葉まで行って参りました。もちろん優れた陶芸作品を見たかったというのもありますが、とにかく”六兵衛さん”が懐かしかったのです。
戦前の五条坂は殆ど記憶にないのですが、戦時中に五条通が強制疎開で広がって、その”疎開跡”の向こうに見えていた”六兵衛さんの登り窯”ははっきりと憶えています。子どもでも六兵衛さんが大したお方らしいとはわかっていました。大学へ通う頃もまだ登り窯はあって、ときどき煙がもくもくと登る日がありました。
展覧会会場で、これらの作品の殆どが、五条坂で、あの煙もくもくのお窯で生まれたのかと思うと故郷の人に出会ったような、なんともいえぬ感慨がありました。
ところがその日から一週間の後、母方の叔父が急に亡くなり葬儀に京都へ、五条坂へ行くことになりました。
従妹からの電話に、「葬儀場は?」と聞けば、「大和大路五条角の***、わかる?」「それ、満珠堂の跡でしょう」
母と店に入ると馴染みの番頭さんが「ああ、おいでやす」と迎えてくれたその場所で、なんで母の弟の葬儀があるのだろう? と世の移り変わりの不可解さを感じつつ、中に入りました。
六兵衛さんの窯から煙が出ていた頃は、満珠堂の先には「ちゃわんや」と古びた木の看板の出ている清水卯一さんのお店があり、ウインドにはお若い卯一さんの作品、トルコブルーの壺に白椿一輪、毎朝この壺を見るのが、私の通学の楽しみでした。
ある日その壺は姿を消して別のに変わり、とっても寂しかった—
ずっとあとから、そんなに心惹かれていたのなら買えばよかったと思ったのですが、その時には全く考えも及びませんでした。でも目を閉じれば今もその壺は見えるので、これで良いのです。
その卯一さんもこの間亡くなってしまいました。
死んだ叔父も卯一さんと同世代、こうして前の世代の人達と別れて、だんだん自分達の世代にその順番がまわって来るような気がして、お供養によばれたせっかくの「はり清」の料理も味わい薄く、それ以来すっかり気が滅入っています。
早く春が来て欲しい—–今年はひときわその思いが強いです。 2005/1/25 藤
* これは、消息としても読み応えのする、気の入った、この書き手ならではの感懐で、一読懐かしい心地に誘われた。いちばん、ラクに書けそうで、しかもこういう文章は、意図してうまく書こうとしても決してらくに書けるものでない。ものごとと自身の思いとがひたっと寄り添って自ずと言葉が績み紡がれる。ごく自然にこの人の人生が映じている。斯く在りたい。
清水卯一も優れた陶藝家であった。やむにやまれぬ思いから遠く千葉までも焼き物を見にゆく、体を自ら働かし運んでいって触れ合ってくる、こういう衝動が貴い。わたしたちの世代にはことに大事で、生きている証とも言える。「こうして前の世代の人達と別れて、だんだん自分達の世代にその順番がまわって来るような気がして、」は本当に実感になってきている。
2005 1・25 40
* 闇とむきあう
秦さま ステキな「闇とのむきあい方」を教えていただきました。やってみようと思います。
わたしが目覚めるのはまだ暗い明け方です。どうしても「死」のことに思いが行き、苦しくてたまらなくなります。ほとんど肉体的な苦しみです。これから逃れるわたしなりのやり方は、おおいそぎで「主の祈り」かまたは「南無阿弥陀仏」をくりかえし称えること(宗教は相対化するものではありません!)。それでもダメなら、ふとんからはみだして、ヨガのポーズをいくつかやってみる。もどって死体のポーズをとっているうちに眠ってしまっているというわけです。起きだして何かしようという気になれないのは、おふとんにくるまってぬくぬくしているのが最高に好きだから。ぬくぬくで、闇とむきあうのはいいですね。
でも、何も考えないようにするのは難しそうです。
寝る人をおこすともなき埋み火を見つつはかなく明かす夜な夜な 和泉式部
いろんなひとがいろんなやり過ごし方で・・・
「与えることでそうする本人が幸せになれるかどうかはわかりませんが」という文が目に入りました。「与える」ことで確実に幸せになれるのは「そうする本人」だけ、というのが、釜ヶ崎で9年間ボランティア活動に首を突っ込んできて思うことです。
それを忘れると、善意の押し付けになってしまうのでは。ブッシュさんみたいに??? 大阪・まつおより
* 蝸牛です。 昨日のバグワンについていくつか説明します。まず、バグワンを「批評」したのではなく、現在読んでいる時点での感想を述べたのです。バグワンの姿勢は一つの理想でも、キリスト教の慈善事業に比べ、実行までに時間がかかりすぎはしないかということです。一種の動きの鈍さ、歯がゆさを感じました。
自然にそのように「分かち合う」状態になる時まで待てるか、というと身の回りにはすぐに動かなくてはならないことが多いのではないでしょうか。
一瞬で気づいて、そのように動けるようになるとお考えのようですが、それは少し違うのではないかと思います。泳げない人間が溺れた人を助けられないのと同じ理由で、人助けを迅速にするという習慣なり教育なり訓練がなければ、人はうまく動けないのだと感じるのです。
キリスト教会には過去の過ちはあまりに多く、今も多々欠陥がありますが、フットワークの良さという点では他の宗教より優れていると感じています。(ブッシュ大統領は聖書ではなく、ハムラビ法典で動いているようですが)
たとえば、今回の津波災害で、フランスでは、漁師たちが立ち上がり、津波で船や網を失い仕事ができなくなった異国の同業漁師たちのために自分たちの漁の収益の一部の寄付をはじめています。日本の漁師にこのような動きがないのは、もちろん日本の漁師に思いやりがないせいではなく、ボランティアとしてすぐに行動するキリスト教的な発想に親しんでいないというだけの理由だと思います。
民間の寄付で、キリスト教が大勢を占める欧米のほうが仏教やイスラム教等の国々よりはるかに多くを集めています。それは、単に経済力の差というより、積極的に助けなくてはいけない、しかもすぐに行動しなくてはいけないというキリスト教的宗教教育が骨身にしみて徹底しているせいだと私は想像します。
第二次大戦中のユダヤ人の大虐殺は周知のことですが、相当数のユダヤ人が善意の人々に匿われて生き延びました。ユダヤ人を、自らの危険を承知で匿っていた人々はどういう人々かという追跡調査をしたところ、日常的にボランティア活動をしていた人々だったそうです。これは人助けを習慣としていないと、いざという時に適切な行動できない証明のように思います。泳げるから助けられるのです。「訓練」と言いましたのは、このような宗教的教育なり訓練のことでした。人助けは一瞬の気づきだけでは難しいと思っています。偽善という不自然な訓練を積み重ねているうちに、ある日本当の「分かち合い」に至り、自然に与える境地に達するとそう思ったのです。
> 「友のために死んでくれる人がいない世界になど生きていたくない」というあなたの表白は、この「友」とはすなわち「あなた自身」のことと読めてしまいます。それは利己主義でしょう。裏返せば、「人から与えられていい立場だ」と思っている。
これには抗議しますね。まさか! そんなことまったく考えてもいませんでした。あの文章は自分など引き合いに出すにはあまりに恐れ多い人間愛を話題にしていたので、あえて一般的なこととして書いたのです。自分が人のために死ねるか、それは思春期の頃からずっと考え、問い続けてきた問題ですもの。誰かに、自分のために死んでほしい、自分にその価値があるなんて、夢にも考えたこともありません。
自分のことを棚上げしていたのは、自分のいたらなさを知り尽くしているからです。厚顔無恥でないから、「救えます」と言わない、言えないだけです。この世界でどれほどの人間が自信をもってそのような宣言をできるのでしょうか。
自分の子どものためであれば今この瞬間に命を棄てられますが、それは母親として当たり前のこと。子どもへの愛は自己愛と同じですもの。世間の人が子どもを褒めるときに「親バカですが」と前置きするのも、自分の子どもを褒めるのは自分を褒めることと同じで、とても見苦しいからそう言い訳するのです。
子ども以外の人のために命が棄てられるか、答えは「そうありたい」「そう熱望している」「そう信じたい」としか言いようがありません。真実愛するのは、人間には不可能に近いことで、それを可能にするのはキリスト教でいえばイエスの愛の助けによってということになるのです。
バグワンの示す道に一条のたしかな光を感じながら、まだまだあがいていくだろう自分を思っています。とにかく続きを読んでいきます。いつかバグワンの言葉は身にしみていくことでしょう。
* 「ペン電子文藝館」の仕事をわたしのボランティアだと言った人がいて、かえってわたしは驚いたことがある。これだけ生活時間を注ぎ込んで無償で働いているのだから、あるいは間違いでないのかも知れないが、「ボランテイア」と意識したことはない。そう思おうとは思わない。したいから、出来るから、しているし出来ているだけの話。出来なくなればやめる。したくなくなればやめる。それでいい。
ただ、現実に確かに身を挺してやっているぶん、事是に関してわたしはいつもはっきりモノを言っている、わが事として。わたしにしか言えないことだと思って、具体的にも理念的にも、言ったり書いたりしている。
政治と宗教については、誰もが同等に外から発言していいと考えているが、その余は、自分の触れたことに、触れたと同じにものの言えることだけに、ものを言おうと、わたしはしている。さもないと出来合いの受け売りにしかならないからだ。人のすることに感心したり関心を持ったり、その逆だったりはするけれど、自分で関わってもいないことを評論はしない。
* たとえ話としても、溺れた人を助けるために、平生から水泳や救助の訓練をしなくてはならないなどと、わたしは思わない。出来る人がそれぞれに出来ることをすればいい。
電車の中で席を譲り合うのに「訓練」は要らない。誰にでも直ぐ出来る。その人が本当に自然に親切にするかしないかだけのこと。出来ないこと、手の届かないことまでムリにする必要はない。それでも緊急に敢えてする機会もあるだろう、それはまたそれ。
* 慈善、慈善事業。わたしの辞書からは削ぎ棄てたいと思うことばである。
2005 1・25 40
* こんこんお江戸は雪のようですが、お風邪は引いちゃいけません。押してください。――ばかやってたら風邪引かない。これが雀の予防法。効くンです。 囀雀
* どうやら淡雪が止んだようで、自転車で出られます。
子持ちで頻繁には都心に出られないのに都会好みの娘が、お好みの、四時から、金は五時からの若者向き情報番組、日テレ「汐留めスタイル」を、よく観ているようです。そこで例の(秦建日子脚本の)ドラマの主題歌作詞の事、知ったらしいのです。若者に大々人気の二人組の「ケミストリー」が歌っています。娘はこの作詞をしているのに、興奮しています。絶対沢山売れるよ、沢山入るよ、これなら、もっとお近付きになっておけばよかった、なんて、ふざけていましたが。作者の名前も、ドラマよりもよほど大きく紹介されていました。 ほんのお節介ですが。
ガンを扱うドラマは、今リアルにあることの方が重くて心が痛んでいるので、気が滅入ります。 櫓太鼓
2005 1・26 40
* 昨日日吉が丘の同窓会名簿が送られてまいりました、とたんに懐かしさがこみ上げて。そうだメールを、と。 余りに間が長かって、何からお話をさせていただいたらよろしいか。
まず建日子さんつぎつぎとおめでとうございます。さすが! 父上の血をひいて! 将来の楽しみがますます募ります。ちょうど恒平さんご活躍はじめのお年ごろなんでしょうね。
日吉の卒業生たちもご活躍です。人間国宝になられたキリガネの江里佐代子さん個展が、各地で催されますね。ご案内をいただきました。伊豆の温泉をかねて、佐野美術館へ、月末に行こうと予定しております。お誘いしても来ていただけないと諦めて。だんなと、ドライブかたがた。
私は現在進行中の制作 まとまったものはありませんが、つぎつぎ出品しなければならない展覧会がありますのでうかうかはしておれません。
この前の「自画像」から、どう展開させてゆこうかと模索をつづけております。
とりとめもなくすみません。どうぞお元気でお過ごしくださいませ。 郁
* 新幹線に乗れば三島へは直ぐ着く。わたしも佐野美術館へ行こうと思っている。東京では富本憲吉展もある。京都では京都美術文化賞の受賞者展が順に始まっている。なかでも繪の加藤明子展に出掛けたいし、その内にまた次の選考会もある、「美術京都」の次の対談もある。京都へ行けば、今度こそ橋田二朗先生にお目に掛かりたいし、いろんな仏様達にもお目に掛かりたい。そのうち、花も咲く。
2005 1・26 40
* 漢方薬を処方されました。顔の熱を手足の方へ下げるはたらきがあるとか。ほかにも、肩凝りや生理痛にいいそうです。服用すると、ほんとに手足がぽかぽかしてきました。よく見たら、名前に「・・生姜湯」と入っていました。
わたしの買ってきた黒酢は、はちみつと、りんごの果汁入りでした。今度は純粋な黒酢を買って、しょうがを混ぜてみたいと思います。
三島由紀夫を読んでいます。
『金閣寺』は途中ですが、心理描写が細かいと思いました。
純文学と、『永すぎた春』や『命売ります』のような通俗小説をしっかり書き分けていて、器用ですね。
『美徳のよろめき』について、三島は「ジイドのいはゆるレシ(物語)にするつもりです。いはゆる小説ではありません。」と謂っているそうです。『潮騒』もレシのつもりで書いたのだそうです。『美徳のよろめき』を読んだとき、「レシ」とはこういうものか、と思いましたが、『潮騒』も、といわれると、「レシ」がどんなものかわからなくなりました。
心理描写を抑えて淡々と展開する『潮騒』は、ギリシャの『ダフニスとクロエ』の翻案小説だそうですが、三島の中では珍しい作風ではないかという気がします(翻案小説だからなのでしょうか)。
今のところ、『潮騒』がいちばん好きです。
どの作品にもいえるのは、精緻に、立体的に組み立てられた構図の中で、人物の心理が、かゆいところに手の届く的確さで表現されていて、読んでいて嬉しくなります。 花
* 三島由紀夫には、「仮面の告白」「愛の渇き」などから学生の頃に近づいて、文学的に魅された。わたしは「金閣寺」を佳いと思った。「潮騒」にも好感はもった。どこかから、あまり近づきたくなくなった。自決前の五部作は、面白く感心するところと面白くても感心できないところとが、暖かい飯と冷えた飯のまざったように感じられ、繰り返して読みたいとは思わずに、離れた。三島の戯曲は面白いし、戯曲にも小説にもたいへんな才能が見て取れて感嘆を惜しむわけではないが、華麗な造花の魅力ではないのかという早くに思い入れた感想は、今も変わっていない。造花だから藝術ではないとは言わぬ。だが造花は造花である。ほんとうの花の匂いはしない。
* 生姜黒酢のままではやはり飲めないだろう。このふたつがじっくり慣れていることも大切だというが、六倍七倍に希釈すると共に甘味は適切に加わった方がイイ。それと胃をこわさない配慮も。
2005 1・27 40
* 浪路はるかに。 徳内さんの上の巻を、ようよう読み終えました。五分の一ほど残した辺りから、書き下ろしだったかしら、としたら相当な力仕事だし、連載―ィ? どこでできたのかしらん―そう疑問を抱きながら、♪あとがきにぃ種明かしぃと勝手な節で、旅路をご一緒。
潮風と飛沫をともに受け、ガタゴト揺れる汽車の窓枠にお邪魔し、徳内さんと秦さんがお話なさるのを聞き耳たて…。一ページのなかで何度も、美しいことばと使いこなしに出会い、秦さんの満身こめた力、エネルギーに加え、導きといっていいと思うのですが、他力を感じましたわ。高みに引き上げられ、漂うように、また、ときに足裏につよい感覚を得たりもしながら、別世界にあそんでおります。
「持ち重りのする作品にしたかった。」と書いてらしたけれど、「冬祭り」も、「北の時代」も、「親指のマリア」も、連載だったから、の質量で、一冊にまとまってなお増し、読むたびに増し…圧しが強いわけでないのに、受け取るのに真正面から腰を入れないと、ぎッくりやってしまうお作ですわ。
今日で442回、北方謙三氏が「純友(=平安時代西海の梟雄)」の連載を新聞に続けてらっしゃるのですが、雀には
なぁんも益がないのですよ。連載だからかなうことがあるのに。好機逸してらっしゃるのをもったいないと思います。 囀雀
* 今冬は寒いながらも、氷の張るような日もありません。
ドラマ「87%」見ています。
五年ほど前ですが、市民検診で二年続いて精密検査が必要だという通知を受けました。二度とも、すぐに近くの有名な乳腺外科へいきましたが異常無しでした。
それでも不安な気持ちを抱え、挟んで撮る検査も痛いものでした。万が一でも早期に取れば100%完治するものと信じていましたが、母が寝たきり状態の時期で大変な思いをしたものです。
87%、このドラマを見るまで知りませんでした。市民検診にも不信感があってその後行ってなかったのですが、去年秋の検診では無罪放免、ほっとしました。
病気が主題のドラマは、ヒロインが娘達とだぶってきて、つい辛くなって見なくなります。
息子さん、がんばっていらっしゃいますね。お父さん共々陰ながら応援しています。
京都へいらっしゃった時、いつかデートしてくださいね(笑) 従妹
* 七十に手の届く従兄妹同士のデートというのも、なかなか懐かしいかも知れない。
2005 1・27 40
* イは亥のイ 松竹座昼の部の感想が、若き女友達から届きました。昨日が楽日でしたのね。我當さんの「時平の七笑」は、お正月番組で見たッきり。幕見の時刻を問い合わせることさえ忘れておりました。難波などの駅の人込みに近づきたくない。そんな体調ですの。
文楽を観に行ったときも、劇場からすぐ地下の近鉄駅に降りて帰りました。その足でNHKに行っていたら、公開スタジオに、東儀秀樹さんがいらしてたことを翌日知って、がっくり力が抜けましたわ。雀が宮内庁式楽部公演を毎年見に行ってた頃に舞ってらして、まさかあれほど人気になるとは思いもよらず、却って追っかけにくくなりました。テレビなど目に触れればという距離ですけれど、好いなぁと。トウギズムといわれ、独自の価値観の持ち主で、多才多趣味とは存じておりましたが、小筆でさらさらっと絵もお描きになり、飛天、龍、鳳凰、なかでも白兎がかぁいいの。卯年でも、鏡花のような酉年でもないのに…干支は「亥」と聞いて、ひやぁ。秦さん、和生さん、東儀さん、一回りずつ違う亥さんです。 囀雀
* 国会予算委員会での菅直人と小泉純一郎との、噛み合わない愚かしい応酬に呆れてきた眼や耳には、こういう心優しいメールや美しい音楽がささくれだちそうな心臓を宥めてくれる。建日子のドラマのいましも乳ガンに立ち向かうヒロインも、いま、わたしにはとても美しい人として、繰り返し目によみがえってくる。あの、つよく光る眼が佳い。
2005 1・27 40
* 秦先生 寒いですがお元気でお過ごしでしょうか。今年こそ良い年であるように、と冴えない日々の私は思ってしまいます。
近況をお知らせしますと、だいぶ前から医師に休職を勧められてはいたのですが、とうとうそうしようと思い、目下身辺整理に躍起です。片付けの下手な、物をなかなか捨てられない私には、会社のデスク回りをコンパクトにするだけでも大変な作業で、もう早く休みに入りたいのに、まだ時間がかかりそうです。
****が私に向いていなかったか、じゃあ何が私に向いているのか、絵でやっていくのはとても難しいこと、何か定職を、では何を? 美術の大学はあと2年あります。卒業はするつもりです。でも藝大を今年も受けるかもしれません(何の準備もしていませんが)。
自分を遡って、就職活動の時にはどうしたかったかを思うと、マスコミ、特に出版社を受けていました。編集者志望だったのです。もう30歳、未経験で雇ってくれる出版社などあるでしょうか。わかりません。あるいはデザイン系、アート系の仕事をとも思いますが、こちらも見当もつきません。
母校の女子生徒が角川短歌賞を受賞したという記事を読みました。高校生にして素直な才能が世に認められたそのひとを、30にして自分の才能の有無も自信なく、どこに向かって歩けばいいのか分からない私はうらやむの
です。私は俳句よりは短歌が好きなのですが、なんどか詠んでみよう試みたのですが、できなかった。でも今も、ことば、という深遠な世界を魅力的に思います。
私には継続が足りないのでしょう。「あなたの、あれもこれも、がいけない」と指摘してくれた方もいます。そして踏ん切りの悪さもいけないのでしょう。悪いところはいくらでも挙げられます。では改善する、というこの苦しい作業を、今年こそはしなければ、と思います。でも具体的にどうしたらいいのか。途方に暮れた心地がします。
わかりきっているのは、とにかくこの「書類」の山をまずどうにかしないといけないということ!
新年の挨拶にしては気の滅入る内容、失礼しました。 卒業生
* ウーム。いい言葉が浮かんでこない。
* 状況複雑なようですね。いい道が開けますよう祈りますよ。結婚というような選択肢は無いのでしょうか、その後、恋をしているヒマがなかったですか。
どんな繪を観ていますか。閉じこもっていませんか。こういうときは胸をそって開放へ開放へと居直るように。
東工大生で、卒業後に一年間、ずうっと短歌をつくって送り続けてきた女性が居ました。
「e-文庫・湖(umi)」の「詞華集」の頁に出ている、佐和雪子さんの作品がそれです。読んでみてはどうですか。わたしのサイトの中です。
あなたと同じような経過で、勤務を退いた男性も居ます。その人も建築一級試験に挑戦し一次はパスしました。あきらめてなんか居ないようです。職場が合わなかっただけのこととわたしは見ています。
自分独りだと思って必要以上に落ちこみませんよう。繪も人も自分も愛して下さい。息子のやっていた「月の子供」という舞台を見せて上げたかった。
いつでも遠慮無くものを言うてきてください。今日も、じつはあなたのことを思い出していたその時にメールが来たのですよ。びっくりした。 秦
2005 1・27 40
* 今日は晴れ晴れと明るい日射し、嬉しくなります。この町はいなかで、静かなのが一の取り柄です。めぼしいものはなあんにも無いところです。
部屋を蒸気で湿らせています。乾燥すると鼻腔の粘膜が乾いて痛みます。ハハハ。
新しいスキャナの素性が掴めてきたし、五百万画素のデジカメはえらく優秀だし、替えた録画デッキもテレビもだいぶ使えるようになってきたし、わたしの電子メディアはこのところ少なからず豊かに稼働しています。しかし、手で書くことも紙の本を読むことも大事と思っています。なにより大事なのは、実感をもってものごとに、いいえ自分自身に真向かうことから、自分の言葉を、思いを、くっきりと彫り起こすこと、ではないでしょうか。 遠
* 腰の具合いかがですか? ご老体お大事に!!! 大真面目に深刻に真っ先にそう書きます。
この数日、なかなか本も読めず、文章も長くは書けません。絵を描くことと、どうしても分裂してしまい、時間は侵食し合い、自分が裂かれます。が、何とか折り合いをつけて暮したいのです。
唐招提寺展で鑑真和上の斜めから撮られた顔の葉書きを買いました。笑われそうですけれど・・死んだ父の面影を感じとれます。
ここ数日のメモと少し書き足したものを送ります。
1.23 新しい年の一月も、もう23日に。昨日、網干に着いたのが、夕暮れ六時半頃。
今日、本音で出たくない「授賞式」に、そんな態度で世間は渡っていけないよと背中を押され、半ば脅迫的な納得をして、美術館に行った。僅かの時間で絵だけ見た、それも日本画だけ。それさえ慌しい心のままで、後になってタイトルと絵とが結び合って頭に浮かんできたのが、ほんの数点。作品の良し悪しではなく、ひたすら自分の記憶力、観察力、あるいはそれ以前の大切な感じ取る力の希薄、消耗に因るものだろうが・・。
式は、大賞の人以外は坐っていればいいだろうとタカくくっていたのが、入賞者は前に行って賞状を貰うことに。ああ、本当にこういうのは場違い・・。不参の人は二名だけだったから、やはり出席するのが「常識」なのだった・・。
わたしのカサブランカ50号について、「花や葉はもうこれでいいですよ」と、いささか拍子抜け。もっと描きこめ、描きこめと言われるのを想像していたから。「質感とか、これからじゃないでしょうか?」と思わず聞いてしまった。言外に感じ取る、「ただ盛り上げるだけが描き方ではないでしょう、ましてや日本画なのだから」と。そう「逆襲」された感じがする。わたしとしては結果的に嬉しい有難いことだ。
インドの女の人の小品は、バックを明るくすること、顔や手を完成させること、スカート部分の柔らかさを出すこと。
教室で約一時間ほどそう言われてきた。A先生が明るく自信に満ちてみなに接しられるのをみてから、辞して、美術館に行った。
そうそう、江里佐代子きりかねの展覧会、佐野美術館へも行ってきた。駅前から、待機していたバスに乗る。なだらかな坂に沿った町並み、繁華街、有名な三島大社も通り過ぎ、美術館に。
嫁いで、天職ともいえる「きり金」に出会った幸せな人、もちろん彼女のたゆまぬ努力精進があった。夫の刻んだ仏様をさらに荘厳する仕事、そして彼女が切り開いていった世界。いずれも静かな地道な、緻密な作業から生まれていった。
わたしの第一番の関心はやはり、やはり金と調和している「色彩」だった。風炉先屏風、色紙箱、四方盆など、あまり強い装飾を感じさせないもの、繊細なものが良かった。工藝という範疇の中に押し込めようとする、わたしの狭量だろうか、無意識に好みができあがっている。
東京へも脚を延ばし、唐招提寺展を見て、博物館から鶯谷の駅に抜ける道を歩いてみた。お馴染みサンらしい公望荘(お蕎麦屋さん)にも立ち寄りたかったけれど・・。
あの一帯根岸の風光に否応なく連想するのは、正岡子規のこと。根岸の「今、此処」で子規は何を見つめて生きていたか・・痛切な生き死にの在りようを!!! わたしにはその視点さえ、まだまだ到底見えてきません。
1.25 姫路で**さんと、永瀬清子の詩集について話し合って帰ってきた。テーマをもつことで、彼女との会話がこれまでとやや異なったものを見附け出し、今回はいつもの嫌な疲労以前にとどまれたことは良かった、か。詩集の最初にある一つの「詩」の或る言葉にひっかかって・・それは大事なことだが・・全く理解できないと彼女は言う。わたしはこの詩集を通読(なんと言う読み方か!)した時、その中の二つから理解へのキーポイントを得た。そして詩が書かれた時の詩人の年齢、状況を、年譜の行間から読み取ろうとした。改めて一つ一つ読み進んでいった。
詩人の生きた時代を、女が生きることを・・別居して子供たちと暮らし、農作業をして彼女は生きたが、後半生では関西の詩人の重鎮だったらしいという。
夕方パンを買って帰宅。
インド旅行は、ペンディング。旅に出たい! が、「今・此処」ですることも、たくさん有る。
大阪のまつおさんのメールから。
(「与えることでそうする本人が幸せになれるかどうかはわかりませんが」という文が目に入りました。「与える」ことで確実に幸せになれるのは「そうする本人」だけ、というのが、釜ヶ崎で9年間ボランティア活動に首を突っ込んできて思うことです。)
九年間、(大阪の)釜ヶ崎で活動されてきた、これはもう、わたしなどおよびもつかない体験、経験。そ
の方が、「与える」ことで確実に幸せになれるのは「そうする本人」だけ、と述懐される。
絶句するしかないか、希望の灯は無いのか。どんなに行動しても、次から次から問題は立ち現われ、際限がない。無力感と自己満足。強い信仰、信念によって辛うじて支えられる? それでは堂々巡りで元に戻ってしまう。できることを自然に継続していく、その当たり前の難しさ。
たとい偽善と言われても今回のインド洋の巨大津波の被災者に・・と思うのは、自然の感情で、バーゲンセールの買い物は諦めました。それが自分にとって自然でしたから。
1.26 姫路駅から**さんの車に乗せてもらい初めて***さん宅へ。古い集落の落ち着いた大きな家屋。南側を改築されて、優雅な豊かな空間。ああ、ここに大きなパネルを置いて絵が描けたらなあなど思ってしまう。延々話して、辞したのは夕方の五時。面白く教えられる興味ある話の連続だったが・・さすがに疲れた。わたしの文章のコピーを渡し、美しい装丁の詩集を借りた。
明日から数日、「一人」に籠もろう。
1.27 今日は静かな一日。髪を洗い、朝風呂に入り、洗濯機を回しながらルネサンス期の音楽を聴き、器械に向かう。歌詞は、イタリア語、ドイツ語、フランス語・・と、実にさまざまで面白い。膠(=繪を描くため)の準備も整った。 鳶
2005 1・28 40
* パレスホテルでの毎日藝術賞。
能、建築、エッセイ、音楽、短歌、テレビドラマ、演出、そして書評。バラエテイがあり、列席者の顔ぶれもいろいろであった。
観世栄夫さんは「子午線の祀り」のために甥の観世銕之丞氏が代理。小山弘志さんと三人で暫く話した。観世恵美子夫人とも久しぶりにお目に掛かれた。懐かしい。
前登志夫さんとも歓談。
また特別賞の小山内美江子さんとも建日子のことなど話しあい、ペンに入会してもらう話も出来た。
久しぶりに医学書院の樋口覚とも会った。かれがまだ会社にいるとは驚いた。とうにヤメていると思っていた。
あまり大勢と話してきたのでかえって、わけ分からなくなっている。
* 久しく機会の無かった堀上謙さんをひっぱって、帝国ホテルのクラブに行き、十時半までとことん歓談、「響」の瓶を半分がたあけてきた。保谷まで、仲良く一緒に帰ってきた。かれは駅より南へ、わたしは北へ。
2005 1・28 40
* 寒さ和らぎ 散歩中、娘の蔑む眼を無視して、廃屋(絶対空家よ、と決め付けて)の庭から、見事に満開の蝋梅の一枝を手折ってきました。気温低くめでも、今年は、梅が早や咲き初めていますが、例年、この寒中にケナゲに咲く蝋梅は、芳香も含めて大好きな花の一つです。一輪挿したキッチンがすてきに思えて。
午後、買い物に自転車で走り、少し汗ばみました。三月の陽気だと後で知りました。寒中にこんな日があると、一息つけます。
自転車で転んだ時の腰の後遺症があるとか、打ったのが頭でなくて幸いでしたね。お大事に・・・
まあ、運動神経は当然後退して、何秒かの誤差が曲者だ、と身を以て。セッカチの無理は禁物と戒めるようにしていますが、時には忘れています。急いでなんぼのもんでもなく、お互いに自粛しましょう。
ほな また 泉
* メールなど読んでいるうち、もう日付はとうに変わって一時半。本を読んで、もう寝よう。
2005 1・28 40
* 京都駅におります。といってもいつもの遊行でなく、改札からそのままJRに乗り、直江津に向かうところですの。
連日、越後の映像が流れますが、信州がすべて山の中でないように、どこもあのように豪雪地ではございません。積雪は年々減少、老人世帯に特徴的な、雪下ろしでの怪我や雪道での事故の心配も、昔ほどではなく、海沿いの、雀のさとは今年もさほど積もりもせず、インフルエンザの予防接種をしてきたからと、母が言って寄越すのが恒例の寒中見舞いでしたの。
昨夕、父が、穏やかな気候に誘われ庭木を剪定していて、落ち、脳挫傷で入院したと電話あり、虚をつかれました。やられた、そうきたか、と…。
主人に喪服の仕舞い場所を教え、朝一の特急で出てきた次第です。今のところ急変という連絡はありませんが。
腸閉塞を起こすまで進行して、父の癌がわかったのが、今の主人の齢だったからと、先日「気をつけて居れや」と言ってくれた、父。その一方、主人は、仕事が思うほど収入にならず、少し無理をしているようす。雀よりよほど「生・活」でき、しっかりひとりで立てるひとです。雀がいなかったら十分に生計も立つのにと考えていたときでした。大甘の甘甘に生きてきた雀は、苦労だ何だって言えることではありません。 囀雀
* わたし自身が、いつ、このお父上のように陥るか知れない。言葉がない。
* 一瞬一瞬の「今・此処」を在るがまま受け入れながら、自分の心身を、糸のぎりぎり巻かれる「糸巻き」のように硬直させないで、「雪姫」のように縛られないで、眼も思いも、落ち着いて、つとめて開放するように。それが雀ぶりを自在に導くでしょう。
なにが「その時」「その事」になるかは分からない。「その時」「その事」に少しでも力強く悔いなく立ち向かえるためには、気持ちをあまり「先走らせ」ないほうがいいかも知れない。車窓から、じっと自然に心身を預けているように。自然からも勇気をもらってください。 湖
* きららかな湖水を窓ガラスに投げかけて湖西を走り抜ける電車。近江塩津あたりから始まる雪深い景色。そのあと、こう、胸叩いて示されて…至上のしあわせものです、雀は。
* おはようございます、風。ぽかぽかだった昨日とは違い、今日は曇りです。
でも、体感する寒さが前と違う気がします。
昨日は動くと暑くて、半袖になることもあったほど。ひょっとして、黒酢と漢方薬の効能がもうあらわれたのかなあと思っていますが、これから寒波が来るらしいので、それを乗り切ってみないとわかりませんね。
昨日はいてもたってもいられず、発売されたばかりのCDを買いに行きました。歌手が唄いながら踊っているプロモーション映像を収録したDVDがついていて、昨日は一日それを楽しんでいました。
わたしは、踊りを見ると自分も体を動かしたくなります。音楽にあわせ、一人でへなちょこダンスして喜んでいましたが、これってヘンかもしれません。
十二月あたりから、学生時代の友人たちと、ネット上にコミュニティを作って書き込みをしています。(知らない人とはやりとりしていません。)
そこで、ネットに関することがちらっと話題にのぼりましたが、わたし同様、冷めた目で見ている人が多いなと感じました。
> 実感をもってものごとに真向かうことで自分の言葉を、思いを、彫り起こすこと
大事なことですね。ITやネット上のあれこれは、こういうことと逆行している気がして、毒のように感じることが多いです。 花
2005 1・29 40
* ステーションホテルで、閉店したバー「ベレー」のすまママの八十歳の誕生祝いをした。百四十人も集まり、おおかたは漫画関係の人達。文士らしいのとは一人も顔が合わず、小学館の相賀会長と少し立ち話して。妻と、うまい食べ物をほどほど食べ、いろんな飲み物をほどほど飲み、最後に作ってくれたママの水割りを飲み干して、早くに失礼し、寄り道しないで帰宅。なんだか、どうっと疲れた。
この一月は、ザ・ロンゲスト・マンスであった。二月も楽しみたいが。だが春近づくにつれ、花粉症だけでなく、気の重ーいこともある。
2005 1・29 40
* hatakさん 北海道の一地方都市に、エジソンの曾孫が設計したシックなホテルがあります。先週の木曜日、私の専攻分野では最高権威である米学会誌に、論文が掲載されましたので、週末は自祝の意を込めて札幌を離れ、このホテルへ滞在してゆっくりしています。14Fのレストランからは、雪一色におおわれた街並みと、川面に湯気を上げる石狩川を見下ろせました。ちょっとお行儀が悪いのですが、文庫本を読みながら、ゆっくりと食事をしました。ジャガイモのスープや、バターをふんだんに使った仔牛のソテーなど、飾らない美味しさを堪能。
夜は、雪の降る中、茶友の新年会に飛び入り。銘酒男山と地料理に、笑い。尽きない話に、時間を忘れました。
今朝は、晴れたり降ったりのはっきりしない天気になりましたが、部屋でゆっくり朝食をとり、チェックアウト後も、天井の高いラウンジに居続けて、ジョン・エジソン作の、珍しい八角天上を眺め、珈琲を味わっています。 maokat
* ウーン、羨ましい。大きな声で「おめでとう」と言い送ろう。この生彩あふれる理系文人の心豊かな「生・活」や「思・考」や「創・造」の具体性にわたしは感銘を何時も受けて賛同している。こんなに心通わしながら、この人ともわたしは一度も逢ったことがないなんて。不思議な気もするし、それで構わない気もする。九州にいる法学部生とも同じである。いや、十人に九人半以上現実に出あったことのないのが読者と作者というものか。この「私語」をなげかけている「闇」の世界はそういうもの。闇のままに光るのである。
* 十年ちかいうちに、保存しておいただけで一万一千ほどの「声」が機械にのこっていた。わたしは何しろふぁいるとフォルダとのちがいにさえ思い及ばないままキーを打ち続けてきたイイカゲンな人なので、それらもただ山積してあった。受発信者ごとにフォルダにすることが出来るらしいと気付いたのも、ついつい最近のこと。
メール数が親密度をそのまま示すわけではないにしても、保存させるだけの文面であったのは確か。用件のものは別にして、読んでなにも感じなかったものは自然消去されてある。読み返すような気も時間ももてないけれど、わが「闇」の風情は自ずと文と人とであらわされているのだろうと思う。
同時に、それは決して「総て」ではない。機械環境に身を置いていない親しい大勢がまだまだ世の中には在るのであり、それを忘れていてはいけない。
2005 1・30 40
* ロシア貨物が届く港に吹く風の音は、幼い頃から聞いていた越の風音。一日吹き荒れ、耳につき、時が巻き戻されてゆく感覚に陥ります。
昨日、日の落ちる頃から荒れ始めました。伊賀の、刺すような吹きおろしの風とは違い、大陸から海上を渡って吹きつけてくる雪風は、ぎりぎりまで湿度を含んだ、重くのしかかる寒さを孕んでいます。表情のない、灰色をべったり塗りこくったような空からは、雪吹雪、ときには叩きつけるような大粒の霰が落ち、風が治まればとたんに綿帽子に、ものみな埋もれます。
ロシア貨物航路のある直江津の港は間近。海に向いた病室の窓辺で、昏々と眠る父の寝息を聞きながら、『北の時代』(中)を読んでいます。楊子さんが見送ってくれる場面は、いつもじわぁっとなります。
父と母は、封切られたばかりの「北の零年」を、新しくできたシネコンに、見に行ったそうですの。母いわく、“タラのテーマ”が流れてきそうな場面にふき出しそうになり、書き割りとセットで作られていた白黒映画より数倍映像はリアルになったのに、美しい絵がちっともないのよね。
昨日は、方言と、北陸独特の必要機能を備えた雪国ファッションに、迎えられました。颱風水害を、地震の被害を訊ね、無沙汰を詫び…の親戚応対が一段落した今日の昼、ひととき、母と、実家に行ってまいりました。
郵便受けを開け、窓を開け…とるものもとりあえずでしたから、まるでポンペイのよう。
居間も台所もそのまま。食器や鍋を洗いながら、残り物、半端ものを片ッ端から鍋に沸かした湯に放り込んだ、闇鍋ならぬ闇雑炊が午食(ひる)になりました。「ちりとてちん」さながらで、キムチと梅干しを入れて煮立てれば毒消しになるだろうと…へへへ。
最後に卵を割り入れて、ぐるぐるとかきまわし、
「おっ母さん、おかゆができたわよ」
「すまないねぇ、おまえにも苦労をかけて」。
そのあと、とっときの煎茶を、ゆっくりと淹れて飲みました。
看ながら読もうと、父の本棚から何冊か持ち出してまいりました。雀が歴史の舞台を旅していることはあまり囀っておりませんの。「遊んでばかりいて」と叱られますもの。
父の方がよほどいろいろ知っていて、行きたかった旅を、いくつもしてきたンだなぁと、並んだ本にしらされました。 囀雀
* 日本海の冬景色に載せて、雀のうたが静かに聞こえる。お父上の回復を願います。
2005 1・30 40
* 太郎を眠らせ。 静かだなァと目が覚め…るやいなや、ばッっと飛び起き、外を見ます。しみついた感覚です。積もっています。降っています。太郎を眠らせ―の、雪です。
昨日、母が、父の勤務先と提携していた駅近の旅館を思い出しましたの。畳に布団で手足を伸ばしたいねと、ホテルより移動。先に寝てきた母が、「まぁどうしてここにっていう、すらぁっとした上品なご主人でネ」とにこにこして戻ってまいりました。寝入ったままの父の付き添いを代わり、きてみましたら、まぁ絵から抜け出たような、つっころばし! そしてなかは、というとこれがまた昔懐かしい、まったき駅前旅館ですの。隣に寿司屋、駅に通じる道は、赤ちょうちんが道の先にちらちらして。いくつか店がか
わったほかは、ほとんど昔のままの北陸。 囀雀
2005 1・31 40
* ドラマのように、いきませんわ。父は脳の回復がみられる一方で、おきまりの肺炎がはじまりました。先の日数が霧の中。
夜は、雀が終電(といっても21:20)の時刻まで付き添うことにして、夕方、見舞い客を送り出したあと、母を帰しました。やらなきゃならないときにやれるよう、労を惜しむの、ゆるして―くれますよね。
昼間、母に頼まれた買い物をしにショッピングセンターに行ったのですが、帰省のたびに「食べたァい」と言っていた、洋菓子も和菓子も珈琲も、ただ今は食指動かず、地酒をずらりと並べた酒屋で、ウィスキーのミニチュアボトルを買いました。これでぐっすりたっぷり眠りを獲るつもり。
道の途中、主人とたびたび訪れたカウンター8席の、それこそ“ザンナイ”中華料理店が、ますます傾げて暖簾をだしていました。まさか、もうあのご主人は…といぶかしみながら、懐かしさにドアを開けますと、年配の女性が一人。お客が一人。
「あぁ、おじいちゃんは地下にもぐっちゃいましたねぇ」。
餃子、ラーメン、唐揚げ、野菜炒め…。片足をひきずる無口なご主人で、なぜかいつもつぎつぎお客が入って、店の外に何台もクルマが並んでいました。小さな小さな赤ちょうちんより、その列で、店が開い
てることがわかるのです。
ついでもらったコップ酒(といっても一級の「能鷹」です)で、カウンターの中に悼惜。
寒明(かんあけ)の雪どつと来し山家かな
今日は、春呼ぶはたたがみに、玉あられ。気取っていえば、ね。
「雪掘りの前に気合いだーと言ってみる」と、地元紙にありました。雪下ろしは簡単、そのあとの処理、雪掘りがタイヘンなンです。 雀
2005 1・31 40
* 大雪 昨晩、実家に帰ってきたとき既に遅れておりましたが、今朝、「JRは、上下線とも不通」という有線放送で目が覚めました。
再び旅館のお世話になることに決め、母とタクシーで病院を出ました。こう降り籠められては…。
宿の食堂に、萱葺き屋根の農家が雪に埋もれている油絵と、横山操の「はさ木」がかかっています。数軒先に、旧い味噌店があり、おみおつけの立ち上る匂いはその店のものでしたし、ごはんに添えられた漬物はこの地方特有のみそ漬。懐かしい気持ちになりました。
旅館といえば、いたましい風呂場の事故がございました。屋根の雪がすべり落ちたら、平らなトタン屋根などひとたまりもないことは、火を見るよりも明らかです。雪国に生まれ育った人が、どうして分からなかったのかなぁと、ニュース映像を見て不思議でした。ですが、ほかにも、「どうして」という死亡事故が相次いでいるそうです。疲れているのかしらね。
父も、病棟では、「どうして」「分からないはずないのに」のクチ。柿の木から落ちたンですもの。
父の実家は大きな米作農家で、帰るたび、牛や鶏に対する注意とともに、「この木だけは登っちゃいかん、柿の木は折れやすいから」と耳にたこができるほど聞かされてましたのよ。
今日、病室の外で、年配の男性が、「なつかしいとこへ来た」と、すすり泣いているのが聞こえました。部屋番号を何度も確かめ「ここだ、ここだ、面会謝絶のこの札―あ、看護士さん、ありがとうございました」
退院された患者さんかしら。と、そのあとが。
「三年前、おらのばあちゃんは、ここから天国に行ったんだー、やっと来られた」。うわぁあい!
父は、目は開いても意識があいまいな状態で、脳の回復はたぶん望めません。こののち、肺炎か、臓器がこわれるかの、長丁場になるようですので、この雪が止んで、交通機関が落ち着きましたら、一旦名張に戻ります。
電話の向こうの主人は、ひどい風邪声でした。
お江戸はさぞ冷たい風が吹いていることでしょう。くれぐれもお大切に。 囀雀
* 冬。厳しい。
2005 2・1 41
* 輝かしい晴天、こういう時に列島の分水嶺北側は、大雪のことが多い。無事を祈る。
2005 2・2 41
* 秦先生 大変ご無沙汰しています。
気づけばもう一年以上も先生に挨拶しておりません。年始のご挨拶まで欠き、失礼いたしました。
昨年、先生に六回、挨拶を書こうとし、時には万年筆を握りもしました。しかし、出せませんでした。
今も、年始の挨拶がてら書き出し始め、今度は、挨拶をお送りできそうな予感がしています。
「闇に言い置く」は、欠かさず拝見しています。同年代の環境変化に、僕の方まで心配いただいたのですね。お心づかいありがとうございます。
今、「ビルマの竪琴」を読んでいます。主人公の水島が、わずか二十二歳にして人生を決めたことに驚き、その彼を取り巻いていたものに、思いをはせています。
その前には、「カンタベリー物語(チョーサー)」「人間ぎらい(モリエール)」「ガラスの動物園(T.ウィリアムス)」「ジャッカルの日(フォーサイス)」など。「ガラスの動物園」は、今の日本にもあてはまるように思えます。
昨年も、いろいろと。「女王陛下のユリシーズ号」がもっとも残っています。「イワン・イリッチの死(トルストイ)」も頭の影にこびりついています。
二度目に読んだ「天平の甍」では、主人公普照が、決死の覚悟で遣唐使船に乗り込んだのが、三十歳であったことに、驚き。
僕も、三十過ぎました。
「お父さん繪を描いてください」も届いてすぐに読みました。若い女性お二人の書かれた、先生のサイト上にある二作(作名失念しました。)も、読みました。これについては、改めて「挨拶」にて・・・。
それから、昨年末に映画「Man of La Mancha」を録画し、1ヶ月以上かけて観ています。ドン・キホーテを翻案したものですが、その内容がとても今の時勢に合っていることにこれまた驚き、セルバンテスに脱帽し、この翻案に感服しているところです。
元気は、欠けているかもしれません。とはいえ、健康だと思います。
とても寒いですが、先生、パソコン部屋で体を冷やさぬよう…。それでは、失礼いたします。 鈴
* 「江里佐代子・きりがねの世界」に行ってきました。
大変すばらしい展覧会でおおきな衝撃を受けて帰ってきました。ご立派なお仕事をされておられ、さすが人間国宝となられたお方です。
私はドカーンと頭をなぐられたようなショックをうけました。今まで貴女は何をしてきたの? と甘い妥協ばかりの私の生き方を見透かされたようなそんな衝撃でした。
とにもかくにもご立派としかいいようがございませんでした。会場は沢山の方で賑わっていました。
帰りに箱根の成川美術館を観てきました。
日本画ばかりですがここも見ごたえのある作品ばかり。ここのオーナーはいい絵しか収集されないとか。いろんなしがらみを廃絶しての。ですから感動をうける絵ばかりでした。来て良かったなー、とうのが感想です。
すばらしい作品のかずかずを拝見して。おおきな衝撃をうけてかえってまいりましたが、今はまた現実に戻り。才能のない頭をかかえているところでございます。 郁
* 感動を得て美点に讃嘆するのは大切なことです。が、ものを「創る」人間には、全面降伏などということはなく、どんな仕事にも、それなりに批評を受ける点のあるのが普通です。全面讃美で卑下の度合いを強調しておくというのは、時には巧妙で狡い自己弁護になることもあります。
江里佐代子は、わたしが「美術京都」の対談へ引っ張り出して紹介し、その勢いで美術文化賞も受けたのが大きなブレークに結びつき、一気に噴出して人間国宝になりました。それだけの力があるからです。
あの人は、はるか以前に「畜生塚」という、(年代がまるでちがいますけれど、)まるでそっくり江里さんがモデルかのように「きりがね高校生」を小説にしておいた、その跡を精緻に踏んできた人なんです。
あなた、あんまり簡単に感嘆ばかりしていないで、批評すべきはしないといけません。褒めあげておいて、その陰に小さく隠れてはよろしくない。創作者というのは、世界的な天才の作品にすら、自分ならばという批評をもっていいんじゃないでしょうか。厳しくシビアに見て批評し、それをまた自分の仕事の批評眼に養いたい。
そうそう、あなたには「図案」専攻というもともとの根があるから、江里さんの工藝に感じることも強かったのでしょう。それは、それです。 湖
2005 2・2 41
* 稲妻、雷鳴、雪しまき
しまきても晴れても北の海黝く(桑田青虎)
窓の外に息巻く風の音を耳に、『北の時代』を読んでおります。
時々、横に息を吐くぐあいに、父の本棚から持ち出した、田辺聖子さんの「百人一首」をはさみながら。
この間、「日本の話藝」で仁鶴さんが「崇徳院」を演ってらっしゃいましたわね。雀が初めて本格的な桂文枝さんの高座を拝見したのが、高津サン(大阪の高津神社)のすぐ近く、文楽劇場での「崇徳院」と「猫の忠信」でしたの。もう一度、「せをはやみィ」聴きたい。4日は、横浜のにぎわい座へ(文枝)
初登場のご予定でしたの。たぶん、休演…なさいますわ。
電車もクルマも麻痺状態の朝でした。地震ッと飛び起きましたら、除雪のブルドーザーが通っていくところでした。
「北方丈雪、東南寸雪」。
雪道で交通事故も起こり、救急処置室から父のいる脳神経外科病棟へ、慌ただしい足音が夕方まで響いていました。点滴パックにマジックで書かれた父の名前が、走り書きになっています。乗ってきたマイカーは掘り出さねば乗れず、捨てて帰り、朝は、傘どころではない荒天に、雪と汗とにしとど濡れて(こういう冬なので独特のファッションが要りますの)。それでも、常に身仕舞い美しく、一対一でよそを感じさせない看護士の応対に、心を動かされます。
さて、旅館は一泊二食が基本ですが、昨日は、病院から帰る時刻がわからないので夕食をお断わりしましたの。状態が思うより安定していたので、八時に帰ってきましたら、隣の寿司屋(老舗で、地元では一番しられている店)から明るい光が洩れています。雀は、好きな言いぐさではないのですが「自分にご褒美」に、折りをこしらえてもらって部屋で食べようか、と、母にもちかけ、母を先に部屋に上げて、一羽、暖簾を潜りました。
この雪です。先客はたった二人。板さんとお運びさんがそれぞれひとり。
「お時間をいただけましたら、ボタンエビの頭を焼いたのをおつけできますがいかがでしょう」といわれ、急ぐ用はなにもないのですから、喜色満面、「能鷹」を温めてもらい、店の自慢の卵焼きをいただきながら待ちました。
一度ご招待したいですわ。直江津駅から徒歩五分。地魚と地酒とおいしい寿司で売る店ですのよ。 囀雀
* 美しい今日の空のように澄んだメールを、ありがとうございました。
二月も相変わらず公私ともにとても忙しく、それだけに、一日の数十分こうしてPCに向うことのできる時間はなおさら貴重に感じられます。
私事のほうは、末娘が同じ駅の反対側に昨日引越してきました。週末から乳飲み子を含めて3人家族が私の元に泊り込んだり、荷物の整理の手伝いに行ったり、であわただしく過ぎました。
高齢の母のほうは搬入間近い名古屋松坂屋(人形)個展の準備に忙しく、ついに発熱で倒れてしまい、こちらの食事の手伝いなどもしました。
公のほうは二つの施設 本社 それから協会理事の仕事に日に2、3箇所飛び回り、長年の夢であった大学で在宅保育論の講義をすることの実現、自治体に在宅保育を組み込んでもらえる成果 などが出始めています。今日は下北沢の幼稚園に行って今後の連携の話をしてきました。下北沢の商店街を歩きながら、ああ、今年はお芝居も見にいけなかった と思いつつ・・・・。
それでも、如月半ばから末にかけて、湖にさざめく波のような静かなひと時があったらと夢見ています。お元気に お元気に お過ごしくださいますよう。 波
* 日付、とうに動いている。やすもう。
2005 2・2 41
* 朝刊の投書欄に、関東在住の同年代、子供の頃の、商家である実家の節分行事を追憶していました。京の吉田神社へ徒歩四十分だったとありますから、東西南北の何れか、同じ半径の位置に住まいだった人かと懐かしく。
元気に豆撒く子供のいなくなった今夜も、声ひっそりと、欠かさない行事です。歳の数、十三ケだけ食べましょう。
まあ、こちらのお寺さんの豆撒きも華やかに報じられますが、私には先ず吉田神社や壬生寺、蘆山寺が想い浮かびます。
「泉」と題して、美しい乙女がとうとうたらりと水の流れ落ちる甕を肩に置いた、アングルの、佳い絵があったじゃないですか。あれがいいですね、トホホ
よく冷え込みますが、最近は脚が攣れませんか。昨日、調子よく動いたせいか、久し振りに羽根突きの最終ゲームで脚先が攣れました。今日はヤモリになってのんびりしています。 京をんな
* 雪、昨日は一日中降ったりやんだりしていました。用事があったので、いやだなあと思いながらも出かけました。
今日はよく晴れて、道路に雪は残っていません。
予報では、これから気温も上がり、すごしやすそうです。
昨日、ルータの調子が悪く、インターネット接続できませんでした。ときどきそういうことがあります。昨日、あんまり寒くて、機械も調子が上がらなかったのかな。
元気な風のお顔が見たいです。 花
* づたづたな気持ちにかすかなともし火を照らして下さった、そんなお便りでした。感謝申し上げます。きりっと。堂々と独り立ちできるように、残されたわずかを努めます。これからもよろしくお願い申します。 郁
* 思い出して下さってたなんて、うれしいです。ありがとうございます。
結婚なんて! とても縁遠い話です。ここ何年もちゃんと付き合った人もいないのですから。今も出会いが無くて・・・。失恋の片思い(言葉が変です、が)なかなか薄まりません。今もその人を想ってしまいます。新しい出会いが、あるといいのですが。
「詞華集」はリンク切れなのか、ちょっと見れませんでした。想いを、詩という形にしてみる訓練はしてみようかと思っています。
絵、最近観たのは、ザオ・ウーキー、榎倉康二、ぐらいでしょうか。何かお勧めがありましたらお教え下さい。絵はもっともっと勉強しなくては。
会社では、(退社前に)ひとまず今は書類の整理です。過去を思い出す作業でもあるので、胸が痛くなるようなものも発見します。でもこれを片付けなければ、休みに入れないのだから。やってしまわなくてはいけないのです。 繪
2005 2・3 41
* 節分 豆まきはおすみですか。いい年をしているのに、未だに「鬼は外」と豆をまくのにある種の快感をおぼえています。
東京には恵方巻きという習慣はなかったと思いますが、最近は関西の商魂が全国に及び、今日もスーパーなどあちこちで、恵方巻きが積み上げられていました。願いごとや恵方よりも、お寿司が好きですから、こういう宣伝には喜んで乗っかってしまいます。玉子焼や穴子やまぐろやエビ、きゅうり、干瓢、田麩等、具だくさんに巻かれた豪華な太巻きをおいしくいただきました。
それにしても一本丸かじりという食べ方は品がありません。人さまには見せられない姿です。京都にはこのような食べ方の習慣はあるのでしょうか。お公家さんには似合わないなあ。
朝早くから遠出して夕方帰宅したので、機械の前にいるとうつらうつらしてしまいそうです。 春
* 豆まきは、これもわたしの役目になっていて、ちゃんと(小さな声で)鬼は外、福は内をやった。七十も豆を食った。とんと鳩の気分だ。
恵方巻などという根も葉もない商法には、どんなに寿司が好きでも乗らない。馬鹿げている。恵方という見定めや風習はあった。恵方へむいて神棚を吊り歳神 (=ご先祖神)を迎えるなどは、広範囲になされていたが、干支と方角とがからんで、民俗自体が多年のうちにじつにべらぼうに変異し推移してきた。後世には太巻きを頬張るなどと謂う節分が言い継がれ為し継がれるのだろうか。
2005 2・3 41
* 春の歌舞伎に遊ぶ、なんて。うらやましい。
先日ホテルオークラで中村勘九郎さんの勘三郎襲名祝賀パーティーに出席した母の知人の感想。
「勘九郎さんは小柄なので、大きな会場ではここにいるという印に、纏がたてられていた。多くの歌舞伎関係者や芸能人が来ていたが、映画の渡辺謙から発せられるオーラには驚いた。誰よりも誰よりも圧倒的なオーラで他の人がかすんでいた。ハリウッドからオファーがあるのは当然だ。」
そこで試しに、母に「私にはオーラがあるかしら」と訊ねてみたら、ぷっと噴き出されてしまいました。やっぱりダメか……。仰有る「ファシネーション」のある女性になるのが理想ですが、こういうものは努力じゃないですからね。相変わらず地味で地道な毎日です。
明日もお出かけのようですが、どうぞ外での花粉症との血眼決戦、敢闘されますよう。 春
* きりがねの江里佐代子さんは、家族ぐるみ、その道でがんばってられますね。環境には言うことなしのご一家ですね。息子さんも娘さんも継いでられますね。すばらしいことですね。今時。
絵画や彫刻の世界と工藝とは次元が違うと、私もいままではそう思っておりました。和光やデパートで拝見する限りでは。しかし今回の作品は藝術性が高い。魂に、つよいゆさぶりをかけられました。こんなにとりこにされるんだと。強くつよく惹かれました。今回は褒めさせて下さいませ。
私は今、なんでもないモチーフですがアトリエの風景を20号ではじめております。20号の新しいペーパーをひろげますと、草稿はじめますと、心がときめいて胸がどきどきと快い興奮につつまれます。この瞬間がたまらなく心地よいのです。そしていい絵になるといいのになーと、願うのです。 郁
* 江里さんの嫁ぎ先は「仏所」である。その名だけでいえば、平安時代の定朝や鎌倉時代の運慶などへ手の届くような、家。きりがねは仏像を荘厳する工藝技術であった。博物館で古いものを観ていれば、きりがねの伝統がいかに遥かであるかが知れる。興味ある人は、こころみに、わたしの小説「畜生塚」 (湖の本12)を読んでください。
* まもなく安曇川 雲の色が明るい! 電車は近江今津を過ぎました。雀の肩にお越しください。ロマンチックな雪景色をご一緒に見ていたいわ。
いただいたメールを読み返し読み返し、おかげさまで平安におります。お護りくださいまして心よりあつく感謝申しあげます。 囀雀
* 東工大の卒業生から、二○○○年春の東大入学式の学長式辞をファイルで貰って、読んだ。ひとくちでは言えないが、興味深いものであった。話題がその人のお父上に及んでいた。
2005 2・4 41
* 東工大の卒業生も、教室以来十年となって、ほんとうに、いろいろだ。もう子供が二人という人もあれば、まだ独身の男女も数えれば少なくはない。なにが人生とはひとことに言えないけれど、幸せにはなって欲しいとつくづく思う。どんな一人一人と会っても話題は何時も尽きない。少しずつその一人一人が変貌していってて、それが沢山な感慨を強いてくる。
* 上野から有楽町へ、鰻が食べたいというので「きく川」で。それからビヤホールへ席を替えて。快く疲れて帰ってきた。家に着くと、関西から、京菓子をいろいろ添え、佐藤通次訳、ゲーテの「ファウスト」上下と、実吉捷郎訳、ヘッセの「デミアン」とが贈られてきていた。有り難い。デミアンは読み継いで行きたく、さらに「ファウスト」が楽しみ、前から訳者をかえて読みたい読みたいと飢えていた。この作品、のめりこまなければ、はねつけられる。ゲーテを読んで「ファウスト」が読めていないなんて、お話しにならないと頭に来ていたのである、多年。
2005 2・5 41
* ジェフ・ブリッジス。ミシェル・ファイファーと「フェビュラス・ベイカー・ボーイズ」で共演していた、ピアノ弾きの弟の方。彼が弾いているのかどうか、あのピアノの音色、すばらしいですね。ミシェル・ファイファーは、アル・パチーノ主演の「スカー・フェイス」で情婦役をやっていたとき、とてもきれいでした。アルさんが出ているから見ましたが、ギャングの成り上がってゆく「スカー・フェイス」という映画は好きではありません。アルさんは「スケアクロウ」のときがいいですね。
それから、「真実の行方」犯人役のエドワード・ノートン。最近新作の話を聞かないけれど、イラク戦争の頃、「ブッシュは大統領の器ではない、政治家になってアメリカを変えたい」と言っていたので、そっちの方面で頑張っているのかもしれません。
そうそう、今「オペラ座の怪人」をやっていますね。これは映画館で見ようと思っています。
映画のおかげで、わたしは、やっと風とお話できるようになってきたのかも。 花
2005 2・5 41
* 春 安曇を過ぎ、小野の辺りでしたでしょうか、汚れのない雪の白色と、豊かそうな黒い土が半々の、鋤き返された田が、まるで絵のようでした。
直江津で乗る予定にしておりました特急は、雪のために運休となり、次の特急まで20分待ち。それも20分近く遅れて直江津駅に着きました。
京へ着いたのは二時すぎ。夕方に一本ある、直通の近鉄特急で家に帰ることにして、吉田神社に行ってまいりましたの。福引きもすっかり済んで、どんども灰燼になりつつあるところでした。以前訪ねたときは、修復の青いテントに覆われていた斎場所大元宮。
厄塚や水引かけし一とたばね
四つ目の鬼にぎょっとしましたが、奥に詣っているうち、とても安らかな、清・静と鎮まった肌合を感じました。大晦日に比べ、今回の雪はあっさり消えたそうで、雪景色を求め、京見峠を通り、北をめざしました。前日が光悦の忌日だったことを帰宅して知り、光悦寺に立ち寄らなかったことを少しばかり悔いました。
北側の屋根瓦はまだ斑に白を残し、北山の道路には、みぞれ状の雪がところどころ残っておりまして、峠から下るのにひやひや。マウンテンバイクを駆る学生グループがいたのには驚きました。道風神社に参り、書の上達を祈願。道の具合に、惟喬神社はあきらめ、高山寺のほうへ道をとりましたが、雪化粧した北山は、すっぽり雪をかぶった比良とはまた違う、幻惑的な美しさ。
高山寺あたりになりますと、もう雪はかけらも見えず、街に降りて行くにつれ、夢から引きずり出される感じがいたしまして、吐息がだんだん長くなりました。
二条城の脇を通り過ぎ、いつもの如く歌の中山清閑寺にうかがいました。この日が高倉天皇のご命日だったことは、まったく存じませんでしたの。呼ばれたみたいで、ちょっとゴキゲン。
薄雲が低くたなびき、橙色の夕陽を背蒲団のようにして、冬ざれの山が徐々にシルエットになってゆく「要石」からの眺め。ぜいたくな一心の時を過ごしました。
崩れた崖に、なにやら工事が行なわれています。8メートルものアンカーを打ち込む、京大の先生考案の最新工法だとか。
桔梗や皐月、紫陽花など、花の咲くものを植えたいとおっしゃるご住職に、「四季おりおり花の寺というわけですね」と受け答えて退いてきましたが、清閑寺は「紅葉」であってほしいですわぁ。 囀雀
* 人はどうか知れないが、京の冬の、はなやぎすら眼に浮かんでくる。うれしい便りだ。
名張までうまく帰れたのだろうか。車を使うのであろうが、移動のスケールがゆったり大きいことに、感じ入る。気が小さいと、とてもこうは動き回れない者である。はずんでいるようで、文章も落ち着いて、ものごとを雑にならず伝えてくる。メールといえども、大人はそうそう言葉を投げ出してはいけない、それで親愛感が伝わるものでも、気さくな感じになるわけでもない。言葉は心の苗である。
* さ、ほんとうに階下へ降り、寝よう。いまは、発汗して、肌着の中で泳いでいるみたい。これをうまく着替えるとうんとラクになるだろう。
2005 2・6 41
* 新旧ホテル事情
hatakさん ご不調の様子、大丈夫でしょうか? 心配しております。
先週から三週間ほど札幌を離れることになり、今は関東近辺をうろうろしています。北海道を出るときは朝から横殴りの吹雪で、千歳空港では、放水車で出発便の翼に積もった雪を取り除いていました。それにくらべて、到着した東京の暖かいこと。私にはコートも邪魔になるほどでした。車もスリップしないし、滑って転ぶ心配もいらないから道ものびのび歩けます。やっぱり雪のない所はいいなぁ、と思います。
空いた半日は、ブリジストンで絵も見たかったけれど、前日全然寝ていなかったものですから、少しうとうとしようかとも思って上野の寄席へ。
扇家一門の曲芸や小菊さんの小唄は、ライブならではのもの。橘家文左衛門の『文七元結』もなかなか聞かせてくれて、結局お仕舞いまで居眠りをせず見てしまいました。
夜はお茶のご縁で出会った方(男性)と、会食。
物事が時間と共に変化していくのは、生物も文化も一緒。環境が激変しても種が生き残れるように生物の多様性があるなら、伝統が様式化して多様性を失えば、生活の激変に生き残れずにやがて消滅してしまうのでは、などといった話で盛り上がりました。
今回は日程の関係で、開発著しい汐留の洒落たホテルと、横浜にあるわが国で最も古いホテルの一つに泊まり歩くことになりました。
汐留のホテルは、建築雑誌から抜け出たようなスタイリッシュな外観。セキュリティも万全で、客室へ続くエレベーターはルームキーがないと乗れませんでした。ところがいざ客室に入ってみると、ホテルで過ごす基本的な動きがスムーズに行きません。シャワーブースの取り付け位置や、ハンガーの掛け具合といったごく些細なことですが、客室のデザインが優先されていて、使い心地は今ひとつでした。冷蔵庫やテレビもデザインの邪魔にならないように、無理をして配置するため、デッドスペースに埃が山と積もっていたりして、スタイリッシュないい気分も一気に冷却。
唯一記憶に残ったのは、翌朝の朝食会場です。朝からはっと振り返るほど美しい人が幾人も。でも連れはおしなべてシャッとしたところのない男ばかりでした。
あくる日に泊まったホテルは、昭和2年建造。同じフロアに元帥や文豪が泊まった部屋もある古い本館の306号室でした。ただし、元帥でも文豪でもない私が予約したのは、バスタブもない部屋で、汐留の部屋の半分にも満たないようなミニサイズ。イギリスやイタリアのホテルのような小部屋です。でも、シャワー
室のつくりやデスクや収納が、実に勝手良くできています。モーニングコールの受付が、機械登録ではなくて、交換手の肉声なのも近頃少なく、心安らぐサービスでした。それでも値段はこちらの方がはるかに安くて、これはいいものを見つけたと、嬉しくなりました。
私はここの二階ロビーが好きです。夜も更けたころ、ひっそりと誰もいないロビーを独占して、海に向かったソファーに腰掛け、横浜港に浮かぶ船のシルエットを飽かず眺めました。隣の神奈川県民ホールに家族でよく来た学生の頃のことなどを思い出し、人のいない山下公園を見ていました。
この後、つくば、長崎、鹿児島、沖縄と移動していきます。折々、またメールの挨拶をお送りします。では、お休みなさい。 maokat
* こまやかに感性がはたらいて、生彩に富んでいると、視野にも言葉にも謂うに言われない落ち着きが出る。謂われていることが一つ一つ所を得て、こちらの胸に届いてくる。そういう言葉や文章こそ、「懐かしい」という気持ちを生む。生き生きと美しい生活だ。そして現実は決してそんな生やさしい日々でないだろうと想像される。そういう想像をこえたところに別次元を生み出せるのが、精神の豊かさというものだろう。
* 秦先生 元気、元気です。おはようございます。
新しい職場もそろそろ1年になります。以前の職場は確かに「忙しさもナミではない」でしたが、この職場はそれほど忙しくもなく、どんなに遅くとも夜12時を回ることはありません。時間的にはまぁのんびりとさせて貰っています。ただ、仕事の内容は色々な意味で私に合っているとは言い難く(思いたくもなく・・)、衝突と妥協の日々?(ほとんどが妥協ですが)を送っています。
やりがいのある仕事をやろうとすると忙しく、忙しいのを避けようとするとそうでない仕事しか回ってこない、というどんな職業でも当然のことであろう事に気が付くと同時に、何をもって忙しいと感じるのか、何をもってやりがいがあると感じるのか、自分の気持ちの持ちようかな、とも(ちょっとだけ)開き直り、今の仕事を頑張っている次第です。
それから、この2月に単身赴任が解消される予定です。子どもの方もだいぶ落ち着いてきて、妻の育休も未だ1年余り残っていますので、あと1年くらいであっても家族みんなでと、妻が来てくれることになりました。今からとっても楽しみです。妻にも感謝感謝です。
4月の***の結婚式にはお会いできるでしょうか(というか、私が招待されるのかどうかも未だもって不明ですが・・)。楽しみにしております。
* 如意不如意を超え、「今・此処」に向き合い自然に好い方へ、成ってゆく方へ、生活の舵がとれる此の卒業生のメールは、いつ受けても、わたしまで元気になれる。ほんとうの意味で「いい生活」がここには在る。なにより奥さんの決意が有り難く、貴い、愛情深いものだと思うし、それに感謝して楽しみに待つ彼の言葉や気持ちも、またとても貴い。ますます幸せに、元気に。
* 熱下がりましたか? いかがですか? インフルエンザが流行期に入ったと言われています。早く治ってくださいね。今は休養の時期ですね。 ピイ
* 前夜相当発汗したので、気持ち、やや涼しくなった。一夜、寝苦しいというほどでなかった。いま、鼻がすこしむずむずするが、頭痛もしていない。それでも背中に薄く流れる水でもはりつけた、ある種の寒気がある。ま、気に掛け過ぎないで午後の会議を無事に済ませてきたい。それが済めば来週の理事会まで特別の用はなく、家でいろいろ片づけられる。ともあれ午前中にもう一度盛大に発汗したいけれど。
2005 2・7 41
* 午前中に汗を出して体温は下がったのでしょうか。午後の会議に参加されたのでしょうか? 律儀な人、おそらく出掛けられたのでしょう。
最近はあまり発熱もなく暮していますが、幼い頃風邪で熱をだすと「熱いおうどん食べて、体温めて、頭も全部布団に入りなさい。」というのが治療法でした! 汗びっしょりになって熱がいくらか落ち着くと、下着からすべて取り替えて・・簡単なことですが、それがけっこう効いたのです。思い出してしまいました。どうぞ早く風邪を撃退して回復されますように。
先週は京都に行きました。冬に特別公開される寺社や庭園があります。
東寺五重の塔に始めて入りました。建物自体は幾たびも火事や戦乱で焼けて、現在の塔は江戸時代の再建ですけれど、本当に京都のシンボル的建築。他の塔と大いに違うのは五重のそれぞれは平屋の家屋を五つ重ねたような構造で、心柱は建築構造としては建物を支える柱ではないとのこと。建てられて五十年で平屋構造の五層が五十センチほど沈んだので、この心柱が外部に晒されることになって、そこから雨水が入り漏れるので、一階内陣下にある柱を切ったなど興味深い話も聞きました。
そして金堂、講堂の仏様たちに感嘆、これはもう訪れるたびに感嘆です。
博物館ではあの、崇福寺出土の金銅や緑瑠璃の舎利容器、それに弥生の壷のすがすがしさ。小説「秘色」と名も同じ秘色の水差し・・これは五代から北宋あたりの越州窯の青磁。
お顔の真ん中が割れてその内部から次のお顔が現れる宝誌和尚の像(いつぞや説明も聞いたのですけれど・・今その理由を思い出せない、嘆かわしい!)いずれも、いずれも何度も出会って、そのたびにため息が出ます。
そして十二天画像すべてを見られたのは今回が初めてでした。美術の本で平安時代の巻には必ずや掲載されていますが、実物に圧倒されました。どうして強く仏画に魅かれていくのか、まだ自分の心の襞を読みきれません。素直にただ魅かれる、それで十分ですね。
中村万作、志賀山流の舞踊家をご存知でしょうか。彼の戦前パリでの活躍を書いた「薔薇色のイストワール」という本を読みました。わたしの知らない世界ですがそれなりに面白かったです。
映画「イングリッシュ・ペイシェント」の原作もいいものでした。
北村透谷の詩集を読み始め、改めて彼の年譜を辿り、そしてその年譜の「薄さ」に胸衝かれます。彼の短い生涯、その若い時期から神経症的な悩み・・病気といっていい・・、放浪気質、自由民権運動に関わった期間、それも決して長くないということ、すべてすべて・・どこかで恐怖さえ感じます。みみずの歌のみみずは彼自身の姿。行き倒れの乞食の物知りは、彼の姿。ああ、彼の言うごとく「あはれなり」その生を彼は生きていきます、彼の生だから。吹きすさぶ風のせめて彼に少しでも優しかったことを・・。彼は己の命を焼き尽くして縊死し果てますが、わたしはいい加減に生きて命ながらえているのだろうかと、ふと問いかけてしまいます。この本(思潮社・現代史文庫)には「時勢に感あり」「厭世詩家と女性」などの論もあり、電子文藝館の文章と合わせると大方が網羅されます。
そして今、秦建日子作『推理小説』も入手してこれから読むところです。
「もの すべて持ち物が悩ましい。」と書かれていたお気持ち、ああ、本当に分かります。でもそれを思うと、これは若い人には実感できる感懐であろうはずなく、生きてきた時間の長さにも否応なく思い至ります。それでも持ち物は増えることはあっても、決して減ることはありません。生きているのですもの、そしてまだまだ、殊に本などは手放せませんでしょう? 済まないが、あとで何となりと処分して、と言うしかありません。
今日は気温が上がらず、冷たい雨が夕方になって少し降りました。まだ寒いこともあるでしょうが春を待っています。そして繪の教室の係りの任期が終わったら、旅に出たいと考えています。
早く軽快なさってください。鳶は、元気。
* 東寺の塔のこと、そして北村透谷のこと。
* 土曜の夜、伊賀もだいぶ雪が降り、大わらわだったようです。
帰りの電車内で考えていた用事は、一週間留守にした分の家事用事と、雀が帰省した日から風邪を引いた主人の世話と、水道凍結の始末と。一向はかどらず、時差ぼけのような地域・環境ぼけと、お腹の調子を崩したこともあって、連日、深夜まで起きて片付けています。怪我だけはしないよう、慎重第一、もたもたそろそろ過ごしていることも、拍車をかけております。
土曜の夜、三重の民放で「近江の古刹」という25分の番組があるのを、つい最近知りましたの。今回は、桑實寺、観音正寺、石馬寺でしたわ。石馬寺の石庭をみながら薄茶を一服…素敵なひとときですけれど、まなかいに、宝物蔵のコンクリート壁というのが、なんとも、無粋、興醒め。ですが、「みごもりの湖」の大切な舞台ですもの、録画して何度も観ましたわ。そのあと、九時くらいでしたかしら、「秘境駅へ行こう」という旅番組で、近江塩津駅の先、トンネルを抜けたところにある、福井県の新疋田駅を取り上げてましたのよ。ホームがあることで、目で、「駅」と確認しておりましたけれど、通過してばかりで、撮影スポットとして有名なところというのは、初めて識りました。近くに人家もなく、クルマで到達するのも困難な、かなりの秘境駅だそうですの。
よいのくち雲が増え、暗くなってきたナ‥と、思う間に、はらはらと雨。
名張の八日戎が始まりました。必ず一日は吹雪くと伝えられる祭りの宵戎。雪になるかしらん。
湯豆腐のゆれだすまでの一二杯
余寒お気を付けて。 囀雀
* なにをする元気もない。階下で水分を補給し、本を読んでから床に入ろう。デミアンか、ファウストを読もう。
2005 2・7 41
* 地震に起こされる昼近くまで、熱と夢に揺すられながら寝ていた。熱いものを体に入れて内側から発汗を繰り返し、軽快するようにしている。
* もうおやすみでしょう。熱にうなされたりなさらず、心地よく眠っていてくださいますように。明日からたっぷり休んで一日も早く元気になってください。
土日に、頂戴した蓮實東大総長の式辞をゆっくり読みました。典型的文系理数音痴の私は、今まで素粒子物理学などと聞いただけで、理解不能性蕁麻疹ができそうでしたが、この初めて知るCERNのお話にはすっかり感激しました。
スイスとフランスの国境地帯に山手線ほどの地下トンネル、巨大な円環状の衝突型加速器があり、そこで世界中の頭脳が相対性理論や量子力学を超えた究極の理論へたどりつこうと研究しているなんて、想像するだけでワクワクします。オリンピックで百メートルを九秒台で走る選手を観るのとは別種の驚嘆、人間の高度な知的活動への畏敬の念を抱きました。
「真の知性は、そうした二者択一が問題体系として浮上することになる思考の文脈そのものの形成過程に向けられるべきなのです。そして、真に責任ある選択は、誰もが納得しそうな対立する2つの要素ではなく、当然存在しているはずでありながら誰もが見落としがちな複数の要素を視界に浮上させ、それを仔細に検証することを前提としなければなりません。」
この蓮實さんの文章も思い当たることがいくつかありました。お説教なんて書いて本当にごめんなさい。蓮實さんの本職で書かれるものは今ひとつわかりにくいものが多いのですが、この式辞は頭の悪い人間にもよくわかりました。すばらしいことをまた一つ教えていただきました。御礼を申し上げます。
佐藤通次訳、ゲーテの「ファウスト」上下と、実吉捷郎訳、ヘッセの「デミアン」とが贈られてきていた、とのことよろしゅうございましたね。京菓子もうらやましい……。高橋健二の訳がよくないと一言書くだけで、すぐに別の訳が届くなんて、さすがはみづうみの読者です。文藝愛で結ばれています。翻訳は簡単に捜せるものではないでしょうに。私は実吉さんの訳では読んだことがありません。探して読んでみようかなと思っています。
「ファウスト」は恥ずかしながら、高校生の頃ダイジェスト版でしか読んでいません。高校生には手に負えなかったとも言えます。「トゥレの王」昔トゥレに王ありきの詩は読んだ当時より、今のほうが身に沁みます。あれも「死なれた」痛切な文藝ですね。グノーが美しい曲をつけました。 春
2005 2・8 41
* お風邪いかがでしょうか? 相当おわるいご様子、ご案じいたしております。
私の体験から、首のうしろをうんと温められると寒気がひきますよ。ホカロンを手ぬぐいなどに包んで首のうしろにピタットくっつけて。なさいますと身体中がぽかぽかとあたたかくなり、寒気がぬけます。お願いいたします。なさってくださいませ。ご存知かもわかりませんが。
お気の毒に思います。はやく快復されてくださいませ。
こんなときですが私は何とか元気? にしています。昨日と一昨日など全くやる気が、描く気が、起こらずで。じーと眺めるばかりでしたが。今日はやる気一杯で、朝からさきほどまでびっしりと向かいました。
20号のアトリエ風景 やってます。好きなように描いてかいて、楽しくて。
色を駆使してそしてモダーンな感じを出したくて。全体には落ち着いた色調ながらそこにきらっと光るものがでれば。と。生意気ですがこれからは自分をしっかり出すつもり。です。お大事に 郁
* もうガマンできず、寝に行く。メールの返辞もみな失礼させて頂く。
2005 2・8 41
* 具合はいかがですか、風。
風邪はよくなりましたでしょうか。
今日はソフトバレーボールでした。少しずつ、体がボールに反応するようになってきましたよ。
昨日は「万国博覧会の美術」を見て来ました。蒔絵、螺鈿、漆、べっ甲など、贅沢な材料でできた、ち密な品物が並んでいました。美術嗜好品ばかりで、なるほど「万国博覧会の『美術』」展かと、納得しました。
映画の「オペラ座の怪人」を見ましたよ。初見でした。音楽はよかったけれど、物語の方は、ファントムの悲しさや、クリスティーヌの愛のありかを表現しきれていない感じがしました。二時間につめこむのは難しかったのかなあと思いました。
あせらず、ゆっくり体調を恢復していってください。 花
* 巨大な原子加速機、放射光施設は、世界一のが、播磨にあるのですよ。
お体大切に。風邪、早く全快されますように。 鳶
* 少し快方に向かわれているでしょうか。お元気になりますように。お仕事はゆるりと、お風邪をすっきり治してくださいね。お稽古から戻り、一人でコーヒーを飲んでいました。さびしい時間です。わたくしの心も、ちょっと風邪気味かもしれません。 春
* 初子‥初音 アントワープにあるチョコレートショップが、銀座あづま通りに支店を出したとか。
バレンタインデー前のこの連休はさぞかし賑わうのでしょうね。
さきほど、蝦夷栗鼠のような尻尾をもつ、人懐こい黒猫に、久しぶりに遇いました。
恋猫の闇よりも濃く走りけり (藤松遊子)
チョコ持って、走りたい。
暖かいですわねぇ。三寒四温、おん身おいといのほど。 雀
* 建国記念日の明日は寒冷え。
落ち着かない日替わりの寒暖、周りで風邪気味の声を聴きます。たまに風邪引きの熱を出すのは、体内の大掃除ともいいます、といっても侮れないものです。予後お大切に。
今、「恋におちたシエイクスピア」を観ていますか。
ちょっと昔、この映画でエリザベス女王役のジュデイ・デンチが少ない出番で大きな存在感、出色とメールしたのを覚えていませんか。確か演技賞を取っていたと。カラフルで華やかなコスチューム物は観ているだけでも楽しく、話も面白くて好きな映画です。グィネス・パルトローもいいし。 泉
* 今日、二月十日は新井白石さんの誕生日なのですね。『親指のマリア』のことなど思い出しました。名作中の名作。読み終えたくない、結末なんて来なければよいと願うほど夢中で読みました。
早く全快してください。 蝸牛
2005 2・10 41
* 放映のルーブル美術館の絵画をみましたが、何回みてもいい。
絵画。『嘘が無い』。言葉というのは嘘がある。嘘を隠そうとして嘘がある。闇はとこしなえにやみであり郷愁である。 川崎 E-OLD
* 言葉には宿命的にウソがある。過不足なくものを言うことも書くことも、絶対にムリなのだから、言葉の素質はむしろ、ウソになる、という点にある。言葉に頼りすぎた行為が、とかく信頼しきれないのはムリもない。口先を飾るからだ。そう疑われやすいからだ。言葉の不足は冷えた誤解をまねきやすいが、誤解は誠意が在れば解ける。しかし過剰な物言いはどう慇懃であってもニンを損ない、いやみな印象、軽々しい印象を改めにくくする。
2005 2・11 41
* 今日はくもっていて寒いです。洗濯は明日にします。
いま、CDを演奏しています。今週の土曜、この歌手のコンサートへ行くのです。
「アメリ」は見ていません。
アメリという女の子の姿をしたモンスターが人をバクバク食べちゃうホラー映画だと勘違いして、配給会社が買い付けたのだとか。蓋をあけてみたらまったく違っていて、嬉しいフロックヒットになった、という話だけは聴いたことがあります。
バート・ランカスター主演の「オペラ座の怪人」は、日本劇場未公開だったようですね。風のメールを読んだらとても見たくなりました。ビデオがあるといいけれど。
「オペラ座の怪人」は、1920年代から何度か映画化されているようです。ミュージカルがロンドンで初演されたのは1980年代ですから、それ以前のものはミュージカル映画ではないのかもしれません。
今上映されている作品は、作曲家のアンドリュー・ロイド=ウェーバーが製作を手がけているというので話題になっています。音楽は佳いし、歌手たちはそれぞれ聴かせてくれました。クリスティーヌ役の女優はきれいな声と可憐な容姿をしていましたが、ファントムへの複雑な愛が表現できていないと感じました。
劇中劇は「ファウスト」ではなく「ドン・ファン」でしたが、そこでもファントムが一方的にクリスティーヌを欲しているように見えました。愛し方を知らない不器用なファントムの悲しさは、もっと繊細なものではないかと思いながら見ていました。今年のアカデミー賞に主要部門でのノミネートがないのは、こういうところに理由があるのかも。せっかくの題材なのに、もったいないなあと思います。
本の発送用意でお忙しくなるのではないですか。風邪をぶり返さないよう、お気をつけください。 花
* 寒気も熱気もほぼぬけて今日は咳き込みもほとんど消え、まずまず順調に風邪の手から逃れて行けそう。風邪ともインフルエンザとも分からない。ともあれ、元気が戻ってきて終日いろんな用事を順繰りに捗らせていた。
仕事をしながら、ずうっと考えていることもある。頭の中でいつもモノがもやもやと発酵している。慌てても急いでもいけない、タイムリーにその中から糸をすうっと抜きだしてきて…。
幸い今月は、十五日の理事会例会がすめば、三月上旬にかけて、所定の会合予定など何もない。新しい湖の本の発送用意も発送も、ちょうどこの間に済むだろう。うまくすると二月第四週の後半にはエアポケットの息抜きが可能かも知れない。ダメかも知れないが。もう少し集中しておかないと。
* 今日は午後、上の娘と二人で近くの神社に厄除けに行きました。上の娘が前厄、下の娘が本厄ということで、二人分祈祷してもらいました。たよりないほどの日差しでしたが、柿の里の神社には紅梅がよくにおっていました。
二月も半ばになりました。明日はヴァレンタインデイですね。心のチョコレートをお贈りします。お元気でお過ごしくださいますよう。 波
* その気でお宮へ厄祓いを受けに行くというのに、ちょっとびっくりした。インテリの家庭で、今今のエリート、若くもない。気は若いようだけれど。抱き柱、なかなか放せないものだ。
2005 2・13 41
* 観たい封切映画を二つ観ました。
「オペラ座の怪人」「レイ」
大きいスクリーンで音響よく、途切れずに観たいから。
フィールドは違うけれど音楽、一人は生まれつき顔に障害があり、一人は子供時代に盲目になりながら、音楽の才能に恵まれている、との共通項。
フイクションとほぼノンフイクションの伝記物(多少は美化しているでしょう)。
外食で極端に口に合わない食べ物以外は何でも受け入れられるように、映画の場合も、選定して映画館まで出向いて木戸銭(ちょっと古い)を払って観る映画に、大抵は感動します。
どちらも三時間前後の長丁場を睡魔の隙を与えない程、身を入れて観ました。どちらもハリウッド映画だけれど、映画って手軽で、やっぱり面白い!
今朝のメデイアは、そのレイがグラミー賞で8冠を取ったと伝えていました。
黒人差別に反抗した為に、演奏をボイコットされた故郷ジョージア州、後にそのジョージアの州歌に選定された「我が心のジョージア」
そして聴く度にムネキュンの
「I can’t stop loving you」
映画の最後にスタッフの名がこんなにもと延々続き、途中で立つ人をちらほらと見かけます。英語、仏語、伊語、読めなくても最後まで席を立たないのが、礼儀ではないかと思うのです。監督と俳優とカメラマンで成り立っているものではなく、大勢の黒子がいます。 京都市
* 久しぶりの理事会に出掛ける。風邪もようやく落ち着いた、か。こういう日にも、死なれて悲しむ人がある。
2005 2・15 41
* おやすみなさい。ゆっくり休んで、明日もまたバリバリお仕事してください。見習って頑張ります。そして、湖の本とても楽しみにしています。
電子文藝館の懸案事項、どのように承認があっても矢面に立つのは責任者です。静けさの乱されないよう案じていますこと、どうかどうかいつも心の隅に留め置いてくださいませ。
おやすみなさい。
「人は夢みているとき純粋で幸せだ」スモークという映画の主題歌の歌詞です。中年男二人、ハーベイ・カイテルとウィリアム・ハートの、ほろ苦く、温かく、味のある映画でした。
佳い夢をみましょう。 春
* テレビに録画機能が出来て、いつでも見られる映像がある。わたしたちはもっぱら劇映画を見ている。今夜は今日の昼間の「CSI」を楽しんだ。この科学捜査班のチームにすっかり馴染んだし、相変わらずマージ・ヘルゲンバーガーにどきどきする。
2005 2・15 41
* 中西進さんが罵詈を投げかけ中公版の「日本の歴史」を否定したようですが、全く理解できません。
知人で、学習院出の研究者、どうみても左寄りであるはずがない人物でも、歴史の基本事項を確認するために、よく同書を紐解くと、何度も私に語っています。私も同様です。
書庫には、その後に編纂された歴史叢書もありますが、書き手が「専門化」していまして視野が狭くなり勝ちで、抜け落ちている事項も目立ち、結局、中公の「日本の歴史」で史実を確認することがほとんどです。中西氏の発言には、どんな根拠があるのか、歴史家のはしくれとして全く同意できません。
もし可能でしたら、今度、氏に、氏の眼鏡にかなう最高の史書シリーズは具体的にどれか、お聞きいただくとうれ
しく存じます(物語として日本を語るような神がかりな本でないことを祈りますが)。 一歴史家
2005 2・16 41
* 昨日の街は身を切る寒さでした。
北の「クマ」はまだ冬眠なのか、やって来ないかなあ、と心待ちです。
他事ながら、今日、68歳。 西の「フクロウ」
* なんじゃ、これは。
* 「ER」のセカンドシーズンをビデオで見ていました。
まだジョージ・クルーニーが出ている頃で、彼の役、小児科のドクター、ダグ・ロスが、水路の柵に足を挟まれた少年を救出しようとするエピソードに、身を乗りだしました。土砂降りの中、水位はどんどん上がっていき、体が冷えきって水に沈みがちになる少年を懸命に励ましながら、車のジャッキで柵をこじ開けようとするダグ。
心拍の停止した少年を、ダグは取材に来たテレビ局のヘリに乗せて運び、必死の蘇生処置を施す合間にカウンティー病院へ無線連絡し、生中継されているその様子を病院のテレビで見ながら、グリーン先生が応答する場面は、緊迫感たっぷりで、ハラハラドキドキ。
これって、映画じゃなくてテレビドラマなんだなぁ、すてきと思いました。堪能しました。
「ER」は病院が舞台ですが、そこへ持ち込まれるのは、現代のアメリカの抱える様々な問題、人種、民族、銃、麻薬、さらに、(アメリカに限らない)痛ましいほどの個人の懊悩なんですよね。
何回見てもおもしろいし、DVD-BOXを揃えたいほどですが、大金が要るので、我慢です。
風は、発送の用意、がんばってくださいね。 花
* 「CSI」も、「ホワイトハウス」も楽しめるけれど、なんといっても「ER」にはいつもわたしも脱帽する。花さんのいうジョージ・クルーニーのドクターぶりはよく覚えている。たしか転勤してやめていったが、どこかで最近見たと思ったら、間違いかも知れないが「オーシャンと11人」の主役、あれがジョージ・クルーニーではなかったかしらん。あれだとすると、ブラッド・ピットやマット・デーモンより格上でジュリア・ロバーツと元夫婦というおおきい役だった。「ER」とはうってかわった娯楽大作だった。ちがうかな。
2005 2・17 41
* 昨日読んだ天声人語。 坂口安吾が浅草のお好み焼きで、焼けた鉄板に手をついてしまった事があり、「テッパンに手をつきてヤケドせざりき男もあり 安吾」の色紙が残る、と。
安吾「堕落論」の一節、「戦争に負けたから堕ちるのではない、人間だから墜ちるのであり、生きているから墜ちるだけだ」と。旧来の道徳感を否定してして注目を浴びた、とても共鳴するフレーズです。
五十年前の二月十七日に脳溢血で四十八歳の無頼派の作家が急死したとありました。
その通り、ジョージ・クルーニーは「オーシャン・・・」のリーダー役です。歳より老けて見えますが、ブラピと同歳、確か、四十歳かと先日聞いています。今仲間が一人増えて、続編「オーシャンズ12」が上映中。
ケミストリー出演の音楽テレビ番組に、建日子さん作詞の「87%」テーマ曲がよく歌われてますよ。軽やかで、さわやか、FMでも聴きます。 おせっかいな「こりゃなんじゃ」婆より
2005 2・18 41
* 早まりし梅見の案内(あない)恨まれて
お江戸は雪だったそうですが、お障りはございませんか。冬と春の打ち返し。どうかお大切に。
降り積もった雪に、見えていたものが見えなくなり、見えなかったものが見えてくる――。そう書いた詩を目にいたしました。
山のお寺で坐禅をしていると、色々な音が聞こえてくるンですと話してくれたタクシーの運転手さんがありました。
行き交う人もない、早春の「山の辺の道」を、前回と逆のルートで歩きました。ずいぶんと景色が違うことに驚き、近江を旅していて常に三上山がまなかいにあるのと同じに、二上山がいつでも目にあることを見つけました。
“あぁ、なんて静かな郷だろう” と思ったのが、じきに、さまざまな音が降り注ぐ豊かな郷だということに気が付きました。小川のせせらぎ、風の音、遠い汽笛と轍の響き、自分の足音、鳥の声、畑にカラカラ鳥嚇し、軒に残る鐵風鈴、雲の中を渡る飛行機、風になまこ板が捲れ、一枝、杉の枝先が落ちる。
ご自愛の上、心行きますお仕事の成りますようお祈り申しあげます。 雀
* 舞踊の西川瑞扇さんから、ホームページを設けたので見て欲しいと、メール。
2005 2・19 41
* あまくもにちかくひかりてなるかみのみればかしこみみねばかなしも
今回の大きな目的は、穴師坐兵主神社とその境内にある相撲発祥の地を訪ねることでした。
巻向(まきむく)駅近くに、「柿本人麿屋敷跡」と刻まれた新しい石柱が立っています。道を渡ると、右も左もそうめん製造のお家。だらだら続く坂を登り、古墳群を二つ、宮跡を二つ通り過ぎ、みかん園のさらに奥、桜の木に囲まれて、相撲神社がありました。初瀬、巻向、三輪を背負い、街を眼下に、生駒、二上、葛城に真向います。三輪山頂か
らは明石大橋が見えるそうですのよ。
兵主さんは鳥居から、まだまだ奥においででした。神社にあった歌碑が上のおうたです。
坂を戻り途中で左に折れ、檜原神社へ。目の前の茶店でにゅうめんをいただいて人心地という気温です。この秋「二上山に沈む夕日を見る会」が行なわれるとのこと。
狭井川の辺りにくると、辨財天があり、貴船神社の小さな祀もあります。いまの若宮に十一面観音があったことを思いました。平等寺にも十一面観音があると書いてありますが、記憶がありません。
大神神社は祈年祭でした。なで兎をなで、お参りして帰ってまいりました。 囀雀
* わたしは、ありがたく、こういうメールにより、耳の汚れる、気色わるい世間とのバランスをとるというか、いやいや消毒され清まはっているか。はかり知れない。
マドレデウス「ムーヴメント」の歌詞を、高場将美さんの訳で、一つ、聴きたい。
2005 2・20 41
* 昨日は、冷たい雨の中、大須まで軽音楽のコンサートに行ってきました。全部で三組出演したのですが(目当ては三番目)、二番目のグループが印象に残りました。手売りしていたCDを、つい買ってしまいました。
でも、演奏中から感じていたのは、そのグループのメロディアスで疾走感のある曲が、どれも聴き流せてしまうということでした。この印象は、CDを聴いても変わりませんでした。
きれいなメロディで聴かせる歌と、きれいなメロディで聴き流させる歌との違いについて考えています。 花
* ファシネーションとは何だろう、と、いつも考えているが、譬えば、花が即ち、ファシネーションではない。花だけでファシネーションはうまれない。花の、香や、匂いこそが、ファシネーションになる。花の色やかたちではない。
「身内」とおなじだ。それだ。りくつや言葉でどう穿鑿しても、ファシネーションも身内もわかるわけがない。匂い合うように、わかる。
2005 2・20 41
* 晴天。 出掛けなくて残念なほど。しかし仕事は捗った。明日も晴天だろうか。
* 惣菜やさん。 ものの輪郭が、青空にきッと立っています。冷え込みました。お変わりなくおいででしょうか。
父は日に日に回復し、看ている母が参ってきました。
冷蔵庫のありたけの野菜でおかずをさまざまこしらえ、密閉容器に詰め、雀が重宝しているインスタントのスープをいく種類か持って、昼過ぎの電車に乗りました。今夜からまた、さとにおります。 囀雀
* ひと安心ということか。母上に死なれて寂しい人もある。みなみな、ラクには生きられない。
2005 2・22 41
* 実は先日、文学全集というものを買おうと、神田の古書店街を半日歩きました(実家に筑摩の古い全集があって、高校時代までは拾い読みしていたのですが、現在は使えませんため)。
どこの店を覗いても、「最近、そういうのは売れないので置いていない」との返事でしたが、ようやく、筑摩書房刊の「文学大系」全70冊揃い・未開封品が9000円(税込み)を見つけて購いました。嬉しいのか悲しいのか、一冊一冊が、122円ほどです。
ほかに、揃いで高額のものも一、二種ありましたが、現在、神田の古書店で購入できる文学全集がわずか数種類だけとは、なんとも悲しい限りです。あらためて日本ペンクラブ「電子文藝館」の意義・重要性を認識いたしました。 一読者
* 筑摩の「大系」というと、わたしが高校生の年に第一回配本「島崎藤村集(一)」で売り出されたもの。わたしは、なけなしの小遣いをはたいて此の一冊だけを買った。それが文学全集を(たった一冊だが)手に入れた最初だったか。わたしはあの一冊で「若菜集」「破戒」「新生」「嵐」「ある女の生涯」そして随筆に出逢った。谷崎に次ぎ、漱石の「こころ」に次ぎ、藤村に出逢ったそれが筑摩文学大系であった。クロースの手触り、インクの香り、わたしは今もその本を書庫の中の大事な本の場所に愛蔵している。あのシリーズが、全七十冊九千円で手に入るとは! おお…。
2005 2・22 41
* 身体ごと吹き飛ばされそうな大風が吹き荒れました。朝から小糠様の雪が降りしきっています。こまやかな傘に当たる音が好き。
そちら春一番が吹いたそうですね。お怪我のないよう日々お気をつけて。 北雀
* 雀さんは、お父上のリハビリ等に付き添い介護すべく、とうとう北陸への帰郷を決断したという。大きな変化が落ち着いた幸せにむすびつくのを願う。
2005 2・24 41
* どうしても見たかった「オペラ座の怪人」を、夕方から、観に行ってきました。
一昨年劇団四季の舞台で観て、音楽はCDなどでよく聞いていました。やはり映画はスケールが違って、豪華な舞台装置や衣装、何よりも音楽がすばらしく、贅沢なサウンドで迫ってきて大感激でした。主演三人の歌唱力にも感心しました。
ドラマとしては、怪しくも哀しい三人の愛憎が、もうひとつ胸にせまってきませんでした。
映画館を出ると夜の街は雨が降っていました。
ニコール・キッドマンは、今一番好きな女優さんです。ほんとうにきれいですね。
お疲れになりませんよう、お大切にお過ごしください。 野薔薇
2005 2・24 41
* > 自殺は罪ですか。
お答えできるような質問ではありません。キリスト教の教育を受けた不出来な者として「ヨブ記」を思い出しました。
「殺してくれ、死なせてくれ」と訴えるほど、死んだほうがどれほど楽かという理不尽な苦しみの中で生き続けさせられるヨブの、深い嘆きに対して、神は、「ヨブよ、命を与えている神のほうが正しいのか、それともあなたが正しくて神を非とするのか」と問いかけました。
心に穴があいたように虚無の状況のヨブには、神の問う意味がわかりません。ところが、人間の極限の苦しみに達した時に、今まで見えなかったものが初めて見えてきます。
ヨブは自分の苦しみには、自分の考えを超える意味があり、自分は大いなるものの計らいによって生かされている、神から命を与えられているという真実に打たれます。そしてそう気づいたヨブに、神は「ヨブよ。腰に帯して立ち上がれ」(勇士のように腰に帯を締めよ)つまり、命の中にもともと潜んでいる苦しみというものを超える力も、じつは自分の中にあるのだから、それを引き出して立ち上がれ、と言うのです。
ずいぶん厳しい神さまですが、私はなぜかこのやりとりに感動して奮い立つのです。
現世的な幸福の中では決して見えないもの、人智を超えた計らいの中に苦しみの真の意味があって、それこそが命の至福なのだと感じられるからです。
聖書では、ヨブはその後神から、信仰を讃えられ苦難を報われて大変恵まれた生涯を送るのです。しかし、聖書の原典では、ヨブは苦しみの中で一切報われぬまま、神を祝福しつつ野垂れ死にしたそうです。この原典は聖書よりさらに素晴らしいと思いました。 春
* 自殺は罪ですか。映画の「アザーズ」は見ているかどうか知らないけれども、自称クリスチャンの魂胆を聞いてみたいと付け加えた一行に、大きく反応され、縮んでしまった。
ヨブ記は読んでいる。が、あれは基督教というより、ユダヤの神の底を抜いたような苛烈な突き放し。わたしは、みながたいそうに言えば言うほど、ま、御勝手にと眉にツバするほどに尻込みしてきた。
それにしても春さん、ヨブ記を解説してくれたのはいいけれど、わたしが聴きたかったのは、こんな知識解説でなく、不十分でも未熟でも自身から生えて出た言葉で、これまでに人の自殺を正直どう思ってきたのだろうかと、ふと聞いてみたくなっただけ。
わたしの血縁や周辺には、自殺した何人もがいた。とてもヨブ記なんぞ引き合いに出して納得できるようなことでなく、それだけに、「アザーズ」という映画が、自殺者をゆるす神、むしろ現世の人間を「他者=侵害者」とみて「死者たちの家の確保」にちからを与えたもうた(らしい)神のみこころに、ふと心があたたまったのである。それだけ。わたし自身が自殺を思ったりしているのとは、まるで関係なし。
どうして、こう「知識」で解説してしまうのだろう、本気で考えたことがないのかなあ。だれでも一度や二度は自殺ということを思い、一度や二度、自殺者は教会の墓地にも入れないなんて、なんて無慈悲なんだろうと思わなかったのかなあ。まして、信者ならなおさら。それとも或る作家信者が口にしたように、わたくしどもカソリックの立場ではという、立場信仰が決まり切っているのかなあ。それならそれで、あの映画「アザーズ」はますます興味深い思想を打ち出していた、わたしの誤解かも知れないけれど。
2005 2・25 41
* ****展の案内到着。 自信作をならべただろう写真を見て、写真だけで判断しては危険とはいえ、これは現代陶藝家の仕事としてはずいぶん不出来です、あなたも、それぐらいは識別する眼が必要です。
今までに類似の意匠・形の品をいやほど見ています。写真の六点、どれにもオリジナルはなく、生彩と魅力に欠けた、下手な、鈍重な形、色、図案です。陶藝家の本領は器体の造形・成形の魅力と力量ですが、ここに挙げられた総てが、創意のない過去の類品のルーズな踏襲です。吹き付けてくる魅力が全くない。
京焼には 光悦・長次郎・のんこう・仁清・乾山・穎川・道八・木米・永楽このかた、清水六兵衛、六和、九兵衛、またその他数々の名人や先駆的な造形家が出ています。現代の楽吉左衛門も天才的な仕事をしています。わたしは、楽家歴代の焼き物を見に、笠間まで行きました。清水六兵衛歴代展に千葉まで行きました。写真で見る限りはるかに及ばない。
けど、問題はこの作家じゃない。あなたです。
画家のあなたには、こんなもの(写真一つにも)を、一瞥でキッパリ批評できる力、必要やと思うなあ。美校の同窓生なんて事に、いつまで拘泥しているのですか。天下に独立自立している創作者としてものを見るべきです。さらに高額所得番付がどうのといった話もいただけない。良いモノは良く、つまらないモノはつまらない。お高くなれとは言いませんが、ちゃらちゃらと軽薄に、みそもくそも一緒くたにしないでほしい。もうお義理にさいている残り時間は少ないのだし。
あくまで「写真の限り」で言っています。しかし或る程度は写真でもよく分かります。 遠
* 五年ぶりに故郷に帰ってみると、安全のため、また水まわりなどの買い替えで、新しい電気製品が多く、浦島太郎になっている雀です。
伊賀も風の強いところですが、山風。此のさとは、巻きあげる浜風で、木々の揺らる音、ものが飛ぶ音に、ぐっすり眠るのが難しいです。今夜からまた雪になりそう。お江戸の雪は大丈夫でしたでしょうか。冷えているようですね。お風邪など召しませんように。 雀
* 昨日は寒かったですね。
明日、わたしは学生時代の友人たちと逢う予定です。
横浜中華街でランチを食べて、夜は友人宅で鍋です。楽しみ。
風の週末はどんなですか。 花
2005 2・25 41
* 冷える、冷える。しばらくぶりに足先が冷たい。
* 肩口に寒さが小さな小さな渦になって滑り込んでくる暁でした。粉雪で薄化粧した氷れる美女といった景色には歓声をあげましたが、首をすくめる暴れ風。
今日は、母と交替に、病院から美容院へ寄って帰ります。この騒動でふたりとも髪をかまう余裕などないままおりましたし、コーヒーとおしゃべりとシャンプーだけでも気分が晴れますもの。
お仕事はかどりますよう。ご無理なさらないでくださいまし。雀はとうとう腰をイワしてしまいましたわ。 囀雀
* 「イワす」は、京大阪辺では「こわしてしまう」「やっつけてしまう」ような意味になる。言わすのではない。しかし喧嘩でこう凄まれると、詫び言を言わせられるようなオソレを感じる者もあろうか。この雀さんの場合は働き疲れて腰をいためてしまいましたというのだろう。伊賀の山なかから、上越の浜辺近くへ越しては、変化が凄いだろう。
こういう落ち着いた文章とみくらべると、たいがいのメールは肌があらい。あるいはご挨拶が多くなる。あるいは舌たらずにガサつく。具体的に、自分の言葉で、落ち着いて。
2005 2・26 41
* 自殺は罪ですか。
自殺は、癌や心臓病などの病死の一つと考えます。なぜなら、これは医師も言うことですが、正常な人間には自殺は出来ないのだそうです。精神的に病的な状態、たとえば鬱状態でなければ、自ら死を選ぶことは人間の本能として不可能ということです。つまり自殺は病死ですから、当然罰せられるような罪とは考えません。
もし万が一、精神的にまったく健常な人間が死を選ぶとしたら、罪であると思います。ただし、その罪は、「死」を招くものであっても、殺人とか中絶のような種類の罪悪とは思いません。人生への愛が不足していたという罪であろうかと思います。今のところ、わたくしは、人生はどんな苦くまずい味のものでも、最後までとにかく飲み干さなければならないと信じています。最後の最後まで生ききることが人生や命を真実愛することだと思います。また、自殺は「みこころのままに」という受容を拒否する姿勢でもありましょう。
キリスト教会は自殺を罪としますが、これは神の法の番人みたいな役目のところですから致し方ありません。教会には偽善臭もつきまとうのですが、中絶ダメ、離婚ダメ、同性愛ダメという頑固一徹も、現世の幸福追求に傾く人間への「壁」として存在する必要がありましょう。
でも、聖書の主役イエスは自殺した人をとっくに許していると思います。このあたりはわたくしがいい加減な信者であるせいですが、イエスは、自分を裏切って許しも乞わずに自殺したユダのことも、たとえば、「心」の先生やKのことも許しているでしょう。 春
* わたしの触れた西欧の文学で、自殺とわかる稀有な例の一つは「若きヴェルテル」であり、時代の古い新しいとは言いにくいが「ロミオとジュリエット」も結果的に二人とも自殺して果てるのではなかったか。愛読した本の中でいうと「モンテクリスト伯」のなかでは、エドモン・ダンテスを陥れてその許嫁であったメルセデスの夫となるフェルナン、アルベール子爵の父であるモルセール伯爵が、最後に自殺したように憶えている。「アンナ・カレーニナ」も鉄道に身を投じて自殺している。失恋あり、愛の極みあり、贖罪あり、絶望もある。
日本の武士では、賜死の自殺も刑罰としての切腹も覚悟の切腹も身代わりの切腹も、白虎隊や城山の西郷たちなど追いつめられての自殺と、枚挙に遑がない。精神的に病的な状態の自殺はむしろ数が少ない。
大黒も恵比須も神隠(みごも)りの自殺だったし、同母兄妹の軽命と軽媛との自殺もある。いわば異所心中であったろうが、心中死はもっとも哀切な自殺の例で、近世に入り一挙に増えている。中世には補陀落渡海のような宗教的自殺の流行があったし、入定という宗教的自殺もあった。乃木大将夫妻も自殺、古くは爆弾三勇士らの自殺があり、この前の戦争では、真珠湾の九軍神をはじめとし、ひめゆりの塔など、玉砕投身死自爆死は数え切れない。戦犯と目された人に服毒などの自殺があり、芥川龍之介も太宰治も三島由紀夫も川端康成も自殺だった。「こころ」の先生やKも言うまでもない自殺であり、彼等が「病」「鬱」の極であったと、言うことも出来るかも知れず、そうではあるまいとも見れば十分見られる。
これらの中で精神に異常を来していたといえる例もたしかに有ろう、が、そうは言いにくい例もたくさんある。自殺は、一概には言いにくい一種の「文化」的複合現象であり、これを禁制すること基督教会ほど厳格な例はむしろ珍しいのではないか。そもそもモーゼが与えられた「十戒」に「自殺するなかれ」と言われていただろうか。自殺は、人間の究極の「自由」の行使だと考えられなくもない、と、東工大の若い学生達の中にも、そんな風に言う者がいたのである。イエスと基督教会との紐帯の方をわたしはむしろ信用できないでいる。ブッダと宗派とにも同じようにわたしは言いたい。
* わたしは「自殺」というカードを最期まで大事に手にしていたいと思っている。自由というか、権利というか。よほどの全身全霊をあずけるにたるトータルな何かが、さあ、そんな自殺のカードは手放してわたしに預けなさいと言ってくれば、喜んで手放すだろう、が、かたくなにそれが悪とか善とかましてや道徳的な理由で「是非」する気はすこしもない。ほんとうにそうしたければ、少しも躊躇なく、そうするだろう。だれかにゆるされる事ともゆるされない事とも思っていない。
* 「今のところ、わたくしは、人生はどんな苦くまずい味のものでも、最後までとにかく飲み干さなければならないと信じています。最後の最後まで生ききることが人生や命を真実愛することだと思います。」とまで、わたしは堅くは考えていない。もういい、もう十分と言い切るのはエゴの声であろうけれど、もういいよという内奥の声が聞こえることもあろうではないか。自殺は、「みこころのままに」という受容を拒否する姿勢でもありましょうとは、正しい認識のように思うものの、その「みこころ」が「もういいよ」と決して言わぬでもあるまいとわたしは予感している。わたしが本当にこころから待っているのは「もういいよ」のゆるしではなかろうか。
* 日本ペンクラブ、「もういいよ」とは言ってくれなかった。これから、わたしが意思表示しなければならぬ。
2005 2・26 41
* 二月は今日でおしまい。湖の本の御発送にお忙しい一日のことと思います。肩や背中など痛めませんように、どうぞご無理なさらず、お仕事されますように。
私語に書かれた「自殺」についてのお考えは、そのようであろうと感じていました。自殺というカードを最後まで手にしていたいとは、正しく、また間違っているとも思います。今はうまく書けませんが、自殺カードは「湖」としての自然な流れではないとだけ。
湖は特別に選ばれた存在です。どれほど多くの人間が、たとえ一作でもいいから湖のような名作を書きたいとあがき、奮闘遠く及ばずに失意のまま死んでゆくことでしょう。だからこそ、途方もなく大きな責任があります。選ばれてしまったのですから、誰よりもこの世に生きることに耐えなければならないのでは? その存在は、たとえご家族友人お身内のすべてがこの世から消えたとしても、湖お一人のものではないのです。「もういいよ」という声を待ち望むことは魂に課せられた仕事ではありません。
現在の湖を愛する方々だけでなく、未来にも愛する読者が連なることをお忘れにならないでください。自殺というカードの行使は未来の人間をも深く傷つけ悲しませるのです。
かならず「もういいよ」という時は来るのですから、選ばれた人間であることの正負を最後まで味わい尽くしてくださいますようにと切に切に願っています。
最も愛された谷崎潤一郎のように、最後まで、文藝だけでなく、人間愛の花を咲ききって、と。 春
* 過剰にものを言うお人ではあるが、お気持ちはありがたい。わたしの待っている「もういいよ」は、必ずしも死と同義語ではないのだけれど。
* スェーターにざっくりとジャケットで、それともシルクタッチのブルゾン、伸縮の良いおズボンかしら。見上げたきり時間や空間を忘れてしまう蒼穹。頬に粉を吹きそうな風の吹く中で、「ほっ、ほっ」と発送のお仕事をなさってらっしゃるころかと想像します。窓の近くで囀っている雀は、わたし。
気を配って休息をお取りになりながら、お仕事なさってください。おからだ第一に。 囀雀
2005 2・28 41
* もう発送作業始まっているのでしょう。朝の頭痛、その後いかが。心配しています。どうか、早くなにもかも片づけようなどと、頑張りすぎないでください。
今日買物に行き、通りがかりの某物産展をのぞくと、ゆず味噌焼きおにぎりの実演販売がありました。ゆず味噌の香ばしさで、色よく美味しそうな焼きおにぎりが、網の上に。かなり食指をそそられましたが、女の身で一つ買って立ち食いというのも行儀が悪いので、我慢。
さらに別の場所で、バターリッチという名のマフィンの熱々焼きたてが、売り出し中。これもミルクティーによく合いそうで欲しくなりました。太るという言葉を念じて遠ざかりました。とっても食いしん坊なのです。
今日こそ早めに寝たいと思っています。夜は夜の仕事が色々あるので、どうしても二時近くならないとお布団に入れません。朝は早いし、不健康でいけませんねえ。
二・二六事件の読書などで夜更かしはいけませんでしたわ。私の伯母が二・二六事件のことを少し記憶しています。大雪の日で、幼稚園に行くと、「今日はお休みです」と言われて不思議に思ったそうです。 都内
2005 2・28 41
* BS映画「今を生きる」を、見てられるかしら? 鳶
* はい、しっかり観ていました。ロビン・ウイリアムス演じる「文学」教授が、人間と文学と人生を教える、温かさと深さ、新しさ。いい土の、雨を吸うように、生徒たちはこの「キャプテン」に懐いて、内側から目に見えて成長してゆく。
ああ、それなのに、一人の優等生、学業でも感性でも、何がしたいという目的を持っていることでも、第一等の生徒が、シェクスピアの「真夏の夜の夢」の主役を好演した直後に、ピストル自殺してしまう。
責任――学校と親とは、ロビン先生にすべてを負わせて、放校する。
…ちがう。生徒達の多くはそれをはっきり自覚して、去ってゆくロビン先生に「感謝」を伝え、学校に対しても無言の抗議を体で表現する。もっとちがった視野で、新鮮な視覚で「状況」を観よう、と。
ああ、だが、親は…、子の体制内立身栄達を頑強に願う父親は…、分かっていないのだ、子を死なせてなお、いついつまでも…。
* すぐれた個性や感性や天才は、往々にして超絶少数派でしかない。あまりにもたやすく社会は、秩序や常識はそれを窒息させ抹殺してしまう。
2005 3・1 42
* 数日前よりカフカの短篇を読んでいて、湖の掌説の数々を思い出していました。「橋」「禿鷹」などの作品は湖と水脈を同じにしている気すらします。
短いものは文庫本の一頁か二頁。きっと湖のように数時間もかからずに一気に仕上げてしまったのだろうと想像します。カフカらしい不条理や不安や孤独が、美しい泥を吐くように表出されていて、独特の魅力があります。原語で読めばきっと詩のようでしょう。短いものほど才能勝負であることをあらためて感じています。 春
2005 3・1 42
* 一面の銀世界 紅梅色のカレンダーをめくると、菜の花色。風がおさまり、ちらちら小雪の弥生一日でした。
静けさにくぅっと寝入った夜明け、あッと跳ね起きる心持ちで障子を開けると、一尺の新雪。なおしんしんと積もってゆきます。静かなときは、これが、こわいのですよ。
週末はお江戸が雪になるそうな。お疲れからお怪我などなさいませんよう、くれぐれもご自愛のほど。 直江津
* さ、もう一踏ん張り。
2005 3・2 42
* 湖の本エッセイ33『谷崎潤一郎の文学』を手にして考えてます。やはり”スキャン読書”かなぁと。
秦さんにはとうに不要と分かっているのですが、「湖の本」になると、この方法が、いいんですよね。わたしのスキャナやソフトは古いままですがまだ動いていますので、又ゆっくり楽しみます。ありがとうございます。
今或る経験をしています。自分の筆記体のフォントを作るハメになりまして、「教育漢字~第二水準漢字」までのセットを申し込んだら、1センチ升に手本を見て書けと、約8000字分の用紙がどさっと送られて来ました。練習用紙とペンとインク消し迄付いて。しまった! と思ったのですが仕方がないので、一字一字書いています。只今約5000字目辺りを進行中です。
第二水準漢字になると、おじさんには付き合いのない字が殆どですが、これが結構面白いのです。昔の日本人は偉いと思います。
梅は咲いても寒いです。早く暖かくなるといいですね。くれぐれもお大事にしてください。 chiba e-old
2005 3・2 42
* 菱餅 枯木立に、雪が餅花のように残っています。ようやく雪は小止みになり、空が明るくなりました。ときどき雪しずりの音がします。
経理畑を勤め上げた父でしたから、何か考えや都合や付き合いもあったのでしょう。母がまったく知らされずにいた預貯金口座があちこちにあることが判りましたの。保険や介護保険の申請だけでなく、その整理にも追われ、さらに、通販など、(いま入院している)父の注文していた品があれこれ届き、看病以外にも、父に振り回されていたのですが、時間とともにひとつひとつ片付いて、母も、落ち着いてまいりました。
「ふたりで食べるとおいしい」と、雪の下になった畑から、大根や葱を抜き、病院の帰りに買い物をして、あれこれ料理をし初め、腰の調子がよくなってきた雀は、いつのものか分からない冷凍庫の食材や、半端に残っている乾物を整理して、三食が、しっかりしたものになってきました。
小豆があったので、お汁粉にしようかともちかけましたら、母が、さまざまな小片の餅の入っている袋を買ってきました。火が通りやすいので使い勝手よく、量の調整ができて食べやすいと使いつけの、のし餅の切り落とし、です。
それが、時節ですわねぇ、菱餅のそれでしたの。桃の節句の「前夜祭」に、おいしィいちらし寿司を奢って食べました。
お江戸に雪だるまマークがつづきます。どうかお大切に。 雀
* 書かれてあるなかみは、読む人により親しかったり疎遠だったりするだろう、が、こういう手紙の書き方は、まずメッタに誰にも出来ない。余分なアイサツも観念語もはしょったアバウトな投げ書きもなにもない。目に見え、ものの音や色や匂いまでが流れてくる具体への自然な接触。それが読み手の気持ちまで優しくする。わたしの此のとかくとげとげしくなりがちな「私語」世界の闇に、こういうメールが静かな灯をともしてくれる。「春燈勝花」と、今度の新刊のアイサツにも書いていた。「悠々逢春」とも。
2005 3・3 42
* こんにちは 湖の本、受け取りました、ありがとうございました。
北野天満宮、二条城、御苑などの名所、五分咲きとの梅だよりです。
三十数年前に買った七段飾りの雛人形、何年ぶりかに飾りました。スチールの七段の組み立てに気力と時間が要るようになり、はぁ~。
春うらら~♪ 楽しみにしています! 従妹
* この従妹の親たちや秦の親たちが、いま我々のようにちょうど古稀へかかってゆく年頃、とてもこんな声をあげ、こんな便りを、人にはよう書かなかった。いまの六十代なんて、少なくも E-OLDはみな、まだ青春を身にも心にも宿している。
2005 3・3 42
* 『湖の本 エッセイ三十三』受け取りました。代金は別送しました。
『藤沢清造全集』を一人で出すといっている人が、その方はもう何年も遅れているのですが、「けがれなき酒のへど」(『文学界』16年12月号所載)という小説を書いて、昨年下半期の同人雑誌優秀作に選ばれました。作者西村賢太さんとは、全集発刊案内に一文を書いての知り合いです。「なつかしい私小説」流です。
秋声記念館(仮称)。4月に竣工予定です。
小松市との最後のつながりは、『小松市史 文芸篇』です。近現代の散文部門を担当しています。陣出達朗(小松市出身)や山岡荘八(夫人が小松の人)などの資料が少なく、まとめるのに苦労しています。
建日子さんの『推理小説』を北国新聞の書評欄で見て、早速拝見しました。「かえるの子はかえる」のたとえにも似て、一味どこか違った読み味でした。テレビドラマも時々お名前を見ます。たまたま見たドラマのタイトルでそれと知るばかりですが。テレビやラジオでは、作者は全くの裏方ですから作者でチャンネルを選ぶことは困難です。新聞のテレビ案内にもはとんど出ません。(昭和30年前半、ラジオドラマを書きまくった? ころをなつかしく思い出したりしています。)
さて、ご要望の「メール」ですが、実は、昨年の暮れから設定してあるのです。ところがなかなかじっくりとパソコンの前に座っておれず、使い方にてこずっているのです。せっかくメールをいただいてもスムーズに読み取れず、また返信に手間取る(文字のインプット未熟のため)こと必定ですから、通信者をいらだたせ申さぬようにと、まだひかえているのです。3月の半ばを過ぎると、孫娘の高校入学試験(公立)が終わりますので、彼女にリードしてもらって、対応したいと思っています。
今年の冬は、ずっと家にいることが多いので、光熱費がかさみます。2月になってから寒い日が続いています。ただ体調だけはよいようで、軽いゼンソクで、月に1度通院していますが、ほとんど自覚症状はありません。
2月1日より町村合併で、住所表示が下記に変わりました。 以上 近況報告をかねてご案内まで。 石川県
* ワープロ打ちの手紙は初めて戴いた。これだけ打てるなら、もう機械は手に入っているのも同じ。習うより慣れろとはこの機械のこと。久しい北国の友が、 E-OLDの仲間入り、確実になった。嬉しい。この丹念な文学研究者には日増しに此の機械が役だって行くに違いない。
* 新宿の「柿傳」って、いいですね、ごぞんじでしょう。いつかお誘いしたく、心はずませて好機をお待ちもうします。
大雪も去りやれやれですね。雪に弱い都会です。
青空を眺めながら今局へ行ってきました。わずかですが収めてくださいませ。
まもなく娘たちがまいります。おおにぎやかになります。孫のお相手で、私は体力維持に懸命になります。
娘にも湖の本をあげようと思っています。 老母のこと有難うございます。94才ですから致し方ないことでしょうね。 では期待を込めて。 郁
* 朝起きて、積ると知らでつもる白雪を見ました。数日前から体調が今一つでしたが、昨夜から鈍い腹痛があります。病院に行くほどではありませんが、心地よくはありません。おとなしくしています。
お好きそうな言葉を見つけました。
「力とは裸の真実である」スタンダールです。裸にならなくてはいけませんね。 春
* ならなくてはいけなくて、裸になど、なれるものでなく、気が付いたらなっているものです。意欲自体がウソであったりハンパであったりするうちは、ムリ。本名であらゆる風を真おもてに受けて立つ気概の出来たときが、やっとものを書くスタートラインです。
* 「プチブル」というのは差別語になるかと聞いてきた人がある。わたしの勝手な思いを書いておく。正して欲しい。
* 「ブルジョア」は、もともと、元手をもったモノの生産販売階層です。日本の近代では、いつとなく特権をもった富裕者、徳人、大資本家・大所得者の意味に転化していますが、マニュファクチュア社会に根のある階層です。
そのブルジョアの、擬似的な、実際には生産もしない販売もしないおこぼれ中産階層「意識」者が、「似非」ブルジョアの意味で「プチブル」と指さされています。意識だけは中流並みのように思っている単に消費的な、被使用立場にある存在です。上級給与所得者層にほぼ該当しますが、バカげた意識をもたない、プチブルではない健常な人達の方が数多いのも、事実です。「プチブル」の呼称自体は、差別でもなにでもなく、単に「批評」です。
「尊農卑商(工)」の昔は、幕府はブルジョア層の金は穢れていると、表向き課税もしないで、農民だけを絞り上げていました。ブルジョア層は支配層にはとうてい割り込めなかった。
しかし幕末から近代現代へ、三井三菱はじめ政商が多大の利権と巨富を獲得するにつれ、大ブルジョアから、原敬とか渋沢栄一とか池田成彬とか、政権の中へ縁故の人材を次々に送りこむようになり、彼等は、支配階層にしっかり食い込みます。「政治権力」をもはじめて持ってきた。
その「権力意識」だけの、実(じつ)のない照り返しをもらって、錯覚的に、擬似ブルジョア「意識」を勲章かのようにぶら下げだしたのが、プチブル層というもの。泉鏡花や夏目漱石がもっとも嫌った意識層ですね。
2005 3・4 42
* 冷えてつめたい。
* 明日は啓蟄 啓蟄の地の面濡らして雨一と日 (稲畑汀子)
夕方より雨にかわりました。
病院の帰りに、移築された小林古径邸とアトリエ、隣接の記念館に立ち寄り、ひとり古径の気稟の清質に浸ってまいりました。
展示品は素描ばかりですが、却って彼の筆の線が伸びやかで、醸し出す清い空気が明るく冴えます。しかも、まわりはすっぽり雪に覆われ、道路から入口に到達するまでの長い路、庭を巡って邸に至る路の二度、雪踏む音と、足裏に伝わる感触、白い色が楽しめますの。
軒先から一滴また一滴と、雪が融けた雫の落ちる音を聴きながら、誰も居ない畳のお部屋にぺたっと座り、雪見障子の向こうの景色をたのしみました。
お江戸の雪、存外積もりましたのね。お健やかにいらっしゃいますか。こちらは連日交通機関が遅れております。そうそ、駅に着いても列車のドアは開きませんのよ。手動ですの。寒いから。 北雀
* 明日は降った雪が凍り付いているのか。もう溶けているのか。
2005 3・4 42
* 雪踏み こちら(北陸)へ帰ってきてから二週間近く、白いもののやまない日はありませんでしたが、さすがに今日は地虫出ずる日(啓蟄)らしく、淡雪、綿雲、青空と、眉間の皺が弛む心地の空模様となりました。軒先の雨垂れや、解けた雪をタイヤが飛ばす音に、春泥の時節が近いことを感じます。
「お父さん、元気になったの?」
郵便を配りにきたひとは、玄関から道まで広幅に踏み固められた道を目で示しながら、そう言いました。古巣とはいえ、雪国暮らしは、すべて親任せにしていた十代と、新婚の数年間のみ。今回も、ほとんど母がしてくれており、まるきしお客人のような、恥ずかしの、穀つぶし雀は、膝をいためている母がつけた道とはよぅ言えませんでした…。
20年近く、アパートで、乾いた青空の冬を過ごしてまいりまして、齢を加えながら一軒家で雪と暮らすキツさはこたえます。それに、二階建は、膝も含め、母にとっては大いに負担。また、ごく最近も物騒な事件がありまして、独り住まうも住まわせるのも気味悪く…。
母も雀も、とらわれるどころか、捨てたい家・土地ですの。母と、今後の暮らしをこれから詰めていかなければ。雀
* デジカメ、花も買いましたよ。オリンパスの「ミュー」というのを。いずれのメーカーの製品も似たような機能を備えていて、これという決め手がありませんので、デザインで選びました。
ぜんたいに、デジカメのデザインはいまひとつですね。
その中で、「ミュー」は流線形でまあまあかわいいのです。色はオレンジにしました。お見せしたい。
日記と併せて写真を保存しておこうと考えています。写真も日記もデジタルになって、記録がハードディスクにすっきり収まるのは、いいことですね。
風と京都を撮影したいです。
東京は雪だったみたいですね。こちらは雨でした。
明日は洗濯できるかなあと思っています。 花
* 悠々春に逢ひ 欣々花を探る。江戸は勘三郎の春芝居、京は春燈に揺れる夜桜。新刊の谷崎論、好評。
2005 3・5 42
* わたしが、新勘三郎の息子の七之助が、父の晴の三月襲名の舞台に立てないというのを気の毒に感じたことに、つよい異議があらわれた。
* 藝人なら許せて、大名なら、というのはおかしな話ではありませんか。大名に生まれたことに罪はありません。藝人にも大名にもよい人間悪い人間がいるというだけではありませんか。権力があることが悪いのですか。
以前に「私語」に勘九郎の息子の七之助でしたかの泥酔暴行事件を弁護していたのを読んだ時にも変だと感じていました。
これが政治家の息子でありましたら、あのように庇いはしなかったでしょう。偏見があるのです。逆差別です。政治家は悪で歌舞伎役者は善という。どちらも特権にあぐらをかいてはいけない点では同じではないですか。
私は歌舞伎藝術を尊敬しますが、現在の梨園の役者たちは不必要に崇められすぎていると思います。彼らの藝を認めるだけで充分のはずです。
梨園の名門の息子たちの素行には正直呆れています。あまりに甘やかされ、思い上がっています。染五郎にしろ、海老蔵にしろ、まだ二十代の独身での愛人、隠し子騒動です。梨園以外の世界では、あのようにしれっとして「藝の肥やし」とは認められません。人間として恥ずべきこと、許されぬことでしょう。いばりくさった医者でも責任とって、できちゃった結婚する時代に、何様かと言いたい。遊ぶだけ遊んでポイ棄てをして、心の痛みもなくまた新しい女では、そんな人間に真実心を打つ藝が極められるとは思えません。梨園ならしかたないと妙に庇う世間がおかしい。一度は責任とって結婚して妻子と別れたホリエモンだってあれだけ叩かれているのにです。 一読者
* 興味深い問題をこのメールは幾つか抱えている。例えば菊池寛の書いた「藤十郎の恋」が容易に割り切れない問題を抱えているように。おりしも勘三郎についで大物襲名にその坂田藤十郎を中村鴈治郎が、という前評判はすでに路線上を走っている。藝術院会員で人間国宝鴈治郎の夫人が、当代の参議院議長で、暫く前までは小なりとも一政党の党首政治家で国交大臣でもあったことは知られている。典型的に藝人と政治家とが一対になっている。そして鴈治郎丈が艶福に富んだ役者であるらしいことは、ときどき派手な噂やスッパ抜き写真になっている。
もし扇千景氏に政治家として不審な問題が生じれば世間は赦さないだろう、幸いそういう事実は表沙汰になっていない、贔屓の成駒屋のためにも有りがたい。
わたしのいわば政治家=権力に対する、「逆差別」ということが、上のメールで言われている。「権力を持って悪いのですか」とも詰問されている。わたしは、こういうふうに考えている。
* 「差別」というのは「セクハラ」とも同じで、ふつう、社会的に優位者・強者・権力者から劣者・弱者へのものです。天皇や皇族や大名や社長や政治家などへは、痛烈な「頬笑み」を伴う「批評」「批判」「毛嫌い」「白眼視」はあり得ても、「差別」はあり得ない、なし得ないのです、弱者、下位者には。したくても出来ないのでね。
かりにも大名華族と藝人とを平たく並べて差別とか逆差別とかは、言わないし、言い得ない、有りえない、のですよ。
あなたの藝能人への怒りは、わたしもより広く一般化しての話、かなり強く共有している方で、藝能人の増長ぶりへのわたしの怒りがあまり強いので、あなた差別へ逆戻りよと妻に笑われるぐらいなんですが、彼等がどういう立場にいやほど長く久しくいたか、その実態も熱心に調べ、こまごまと知っていましてね。
それに、何よりも社会的な弱い弱い立場から、われわれをどんなに楽しませてくれてきたか、それを政治家や独占資本家ら世の強者たちの強悪・偽善ぶりと同列に比べるのは、その方が恥ずかしい。一度落ち着いて、幕末から少なくも太平洋戦争までの「日本の歴史」を見直してみられたら、軍閥・財閥・藩閥・閨閥の権力と強欲とが、どれほど無辜の国民生活を惨憺たるものに蹂躙してきつづけたかを知るでしょう。
弱者から強者への「逆差別」なんてものがもし可能なら、それは素晴らしい「恵み」ですが、そんなことは不可能でした、千年も二千年も、変わることなく。今も。
* 偏見であれ無かれ、わたしは適切な権力の設定を社会的に余儀無しと思っているが、その権力を天与かのように私有して放さない権力者達の存在を、とうてい肯定し容認する気には成らない。権力は、まわりもちに活かされるべき機能であり、少数の人や階層の私物になってはならない。そういう連中が権力をもつのは「悪い」のであり、大名の子に生まれた以上仕方あるまいなどとは考えない。まして、藝人と大名を横並び平等に観るような人間観は持っていない。
はっきり言えば、もし在るとして藝人の特権は歴史的・世襲的に強いられた負の特権・特色であった、が、例えば大名や独占資本家の特権は、国民から強引に苛酷に奪い取った特権である。同列に観るのは間違っている。その上で、当節藝能人の「批判や非難」をするのはなんら差し支えないし、それはそれ、必要ですらある。それならわたしにも沢山な思いがある。
坂田藤十郎は、女形の藝をつかみたさに偽りの恋をしかけて、お梶という女性をついには死に追いやったと、菊池寛の小説は書いている。「藤十郎の恋」をどうみるか、わたしはこの話を知ってこのかた、正直、さだかな結論が得られていない。
しかし、あの程度のほぼ余儀ない泥酔の過ちに落ちた少年中村七之助、それも輝く才能を感じさせる有為の少年を、晴の舞台から追い立てる必要は「無い」と観ていることは、もう一度ハッキリ言う。そんなことに警察や検察がおおく手をかけているなら、橋本龍太郎らの「一億円」問題を、堤義明の「コクド」問題を、ぬかりなく徹底追究して欲しいと思う。少なくも七之助問題とこれらとを同列にみて、一方を庇うならもう一方も庇わないと「逆差別」の偏見だというような理窟は、全く成り立たない。軽犯罪も極重犯罪もおなじ犯罪であり同列にものが言えるなどというのであれば、これをこそモノを観ない歪んだ悪平等というしかない。
2005 3・6 42
* 帰雁 仰ぎみし帰雁のつばさゆるやかに
何をしてたのかと思いますが、早いもので(直江津へ帰って)二週間経ちます。ぎくり腰はまだ万全ではありませんが、届いているご本も読みたいし、主人をほったらかしにしているので、明日、いったん名張に帰ります。
それにしても、何日ぶりでしょう。こんな明るい日差しは。
窓を開け放ち、洗濯物を外に干し、抽出をあけ、父が買い込み、また、ため込んだ物を捨て、茶箪笥一棹、押入れを半間分整理しました。
できる治療はすべてなされているのですが、父の脳に障害が残ることは確かです。もし後日、父になにか訊ねられたらトボけることにしようと、母の暮らしを優先させ、シンプルに身軽に、負担を減らすことにしました。母は解約や変更など、書類のチェックにかかりきりです。物も、書類も、片が付いていくにしたがい気分も晴れてゆき、夕方、母と「お疲れさま」とビールで乾杯しました。
ところで、5日からシアターサンモールで鈴置洋孝プロデュースの「ムーンリバー」が、本多劇場ではカトケン版「煙が目にしみる」、8日からは、恵比寿のエコー劇場で「エスケープ・フロム・ハピネス」が始まります。もし、お時間がございましたらご覧ください。 囀雀
2005 3・6 42
* 快晴。血糖値88。 四十年来お世話になってきた神戸歯科の先生が病気入院されたとの報に、愕然。わたしより少しく年輩にはしても、お元気のことと想っていたし、またそろそろ保全に通院したいと思っていた。言葉がない。
2005 3・7 42
* しみわたる 空には一ひらの雲なく、海には、波頭のかけらも見えず、水平線だけが横一文字にくっき
り見えています。なんだか余所の景色のようです。
昨日の「日曜美術館」は、土田麦僊を取り上げていましたね。
「うみ側」と指定で、米原まで特急を乗り継ぎ、湖南を少し旅して帰ることにいたしました。粉砂糖をふったかのような雪膚が凍り、一歩だけですが、なつかしい凍み渡りを楽しみました。小鳥は雪をくちばしで掘って、海鳥は、銀の鱗のように海面に翼をきらめかせて、朝餉の時刻。
気温差と花粉と、過ごしにくい時節ですが、お元気で。
日々充足のお仕事ができますよう、心からお祈りいたします。 雀
2005 3・7 42
* 鴉さま メール、ありがとうございました。委員会にでかける刻限でしょうか? 雪が積もったりしましたが、今日の東京はいかが。あまり寒くありませんよう、花粉が飛び散りませんよう。
「老け込んでバサマになってはいけません。・・逆に年を取ってゆくこと。」と書かれていて、それが今のわたしには痛切に響いてきます。理由も可能なら説明してほしいのですけれど・・。
「老け込んでジサマになっては駄目、逆に年を取っていきましょう。」と、わたくしもエール送ります。
今のわたくしは・・想像されるとおり、きっと老け込んでいます。父が死んだ時、もう十六年半になりますが、もっと鋭い悲しみと、突き上げてくる痛さに泣きました。母が死んで・・時折こみ上げる感情と涙はありますが、人から見れば、きっと平常のように食べて眠って暮しているように思えるでしょう。時間が過ぎるのをじっと耐えているようで・・それでも細かな用事も予定もありますから。説明しがたい皮膚の荒れた症状と、一種の「退行現象」・・気力の衰え、欠落に苦しんでいます。
バサマにならないように、気概をもっていきたい、まだ弱い声しか出せないけれど、誓います。
中陰のうちも動いています。昨日メールを戴いたのはバスツアーの帰りの車中でした。飛騨と富山の五箇山、金沢を廻りました。
16日から姉夫婦とインドに行きます。二つとも1月から2月初めに予約してしまった旅です。インドには初めは2月16日出発を申し込んで、座席が取れず三月を予約・・結果的にはそのために母の葬儀に不参などということにならずにすみました。父や母の遺灰や髪を少しですけれど ガンジス川に流したいと姉が言っています。供養の旅にするつもりです。インドから戻って、四月三日の納骨には静岡に。
梅も桜も、今年は無常の思いで眺めることになりそうです。
書きたいこと、多くありすぎて・・。 鳶
* いまもペンの事務局から或る委員の訃報が送られてきた。風立ちぬ、いざ生きめやも。また胸に蘇る…
手に享くるなになけれども 日の光 湖
2005 3・7 42
* 秦先生 湖の本、ありがとうございました。
このところ気ぶっせいに慌ただしく暮らしており(と言うほど忙しくもないのですが)、頂いておりながら、まだ読み始めたばかりです。
谷崎は、どことなく隠微でありながら活力溢れたあの雰囲気がどうにも馴染みにくかったのですが、この御本をきっかけに少し前向きに対そうかな、と考え始めております。
このところ、古墳壁画関係の仕事にどっぷりと浸かっており、月に何度も出張しています。
もともと紙本や絹本のものの方が好きで、じっとりと湿った地面の中にある壁画には絵としては「すばらしい!」という感動は持つものの、そこまで強い愛情はなかったのですが、この一年ほど深く携わったことで、少し前に転機が訪れました。
年が明ける頃、現場に行く道すがら、居ならぶ小さな丘を見て、「もしかしたら、まだまだ眠っている絵があるのかも」と痛切に思った時です。
この感情をどう表現したらよいのか…難しいですね。
昔、長野の高原で、夜中に車を走らせていた時に、突然カモシカが現れたことがあります。
その翌日、帰途につく際に後ろを振り返り、山々は無言でいるけれど、その懐の中で、秘やかにたくさんの命たちが抱かれていると思った、その思いによく似ています。丘たちは、何も言わずに何百年も瑞々しい絵をその懐に抱え込んでいるのだ、と。その時代の人たちが、ふと、まるで顔なじみのように身近に感じられ始めたのです。
仕事をしている上で、どう考えても説明のしようがないような事象にあたったのもその頃です。誰もいなかったはずの時間をはさんで現場に行ってみると、そこにあったものが変化していたり。
昔の人たちは「本当にここにいたんだ」と、しみじみと実感しつつあります。古代史の本をひっくり返し始めたりもしています。
しづもれる丘は無言で並び居て永久(とわ)の眠りを穏(おだ)しく抱けり
先日、勘三郎襲名のテレビ特集を見ました。娘が生まれてからすっかり行かれなくなってしまいましたが、久しぶりに勘九郎の「高坏」を目にしてご機嫌。
8年か9年前のお正月、文七元結は4回見に行きました。ああいう三枚目をやらせたら、今の役者で勘九郎の右に出る者はいないですね。
スポーツ選手にしろ役者にしろ政治家にしろ、時として「この人と同じ時代に生きてよかった」と思わせる人物がいますが、今の歌舞伎で私にとってこういう人物は、(中村)勘三郎と(坂東)玉三郎です。勘三郎と同じ時代に生きている幸せを噛みしめています。
同じ番組の中で、七之助が付き人として襲名興行を迎えたことも知りました。
聞いた途端に、「見事な落としどころだなぁ」と。
昔、日本舞踊を齧っていた身として、舞台の袖や楽屋で同じ空気を吸うことで、どれだけ多く深くを学ぶことができるか、よくわかります。もしかしたら、別の楽屋でドウランを塗って衣装を着替えて同じ舞台に上るより、もっとたくさんのことを吸収できるかもしれない。
だから、私は先生のように七之助を「気の毒な」とは思わないのですよ、だって勘三郎はそこまでの計算をできない人ではなし、その計算をもとに絶妙なポジションを彼に用意してくれた、その愛情だけでも、私だったら涙が出るほど嬉しいと思うのです。
もちろん、息子として父の口上で横に並べないのは哀しいことではありましょうけど。(それ以前に、彼の行動は確かに軽率ではありましたが。)
またしても長くなってしまいました。
娘と先日五回目のお節句を迎えました。ちらし寿司の手伝いをしてくれた娘に、歳月の流れを感じます。
今日はあたたかですが、まだまだ寒さも続くようです。どうぞご自愛下さいませ。 卒業生
* 同感。わたしは、後見に出るというのを知らなかった。「重謹慎」かと思っていた。せめてものこと。心掛け次第ではこの人の言うように大きな体験になる。よかったし、よそながら有りがたい。
湖の本を送るつど、こうして便りをもらうのが楽しみ、そしてたしかな「歳月の流れ」を感じる。谷崎の真価にも触れていってもらえるとなお嬉しい。「蘆刈」と「細雪」と「少将滋幹の母」と「陰翳礼讃」とをすすめたい。
2005 3・7 42
* 夕焼けの湖を車窓に眺めながら、今日の旅は、印象深いものでした。後日くわしく申し上げますが、長命寺から安土城跡を通り、観音正寺に詣りました。五個荘の作家外村繁邸は、残念なことに月休。門外から眺め、町を少し歩きました。そして、お作で憧れていた石馬寺へ。
残念ながら拝観時間を過ぎておりましたが、石段や、多分に古色蒼然としているであろう雨宮龍神社(石段にめげまして鳥居から遥拝)は、雀の好きな雰囲気をたっぷり抱いていました。
老蘇の森・奥石神社に着いたときはちょうど夕焼けで、参道から中山道は日暮れと追い駆けっこの道中となりました。
「みごもり…」の舞台となった地に浸る旅、そしてまた、観音さんの旅。
心がかっと熱くなり、また、すぅっとなった旅でした。 雀
* 委員会のことを書こうかと項を新たにしたところへ届いたメール。ああ、こういうのを読んでしまっては、人権擁護法案だの国民投票法案だのというアクドイ悪法のことを縷々書いたり語ったりするのが、あまりに疎ましい。大事なことであり、遠く闇の彼方にまでうったえたいのはヤマヤマであるが、なんともイヤなことでもある。
2005 3・7 42
* 機械の前にいて今いちばん、心にかなって嬉しい憩いは、気に入った写真を呼び出し、見入ること。黒いマゴのも家族のもある。古いのも新しいのもある。秘蔵、優婉清麗赤裸々の絶景もある。
* 手に享くるなになけれども 日の光 六九郎
この句とても気に入っています。手持ちの季語辞典では見つけられませんでしたが、「日の光」は季語になるのでしょうか。どうであれ、ふっと自分の掌を見つめて息をつきたくなる、しみじみと佳い句だと思いました。
以前NHKの俳句の番組にご出演の時にも、お選びの句だけが、主宰の俳人さんのよりも誰のよりも、天文学的差のある秀句と鑑賞でした。でも、此の句、簡単にお作りになったのでしょうね。みな呻吟懊悩するのに、本当にズルイ。
NHKの番組の話が出たので、今日の「クローズアップ現代」を仕事をしながら斜め観した印象を書きます。テーマは若手作家の台頭でした。
小学生の姪を見ていても、今の子どもはそれはませていて早く大人になるのに驚きますが、次々に十七歳だの二十歳で文学賞ですから、今の若い書き手のレベルは高いのでしょう。十六歳で賞を取り出版レベルに達するものが書けるのはスゴイことだと思いました。若い書き手が書いたものを同世代の若者が買って、しかもよく売れて、共感する傾向がみられるというレポートでした。(私の高校生の頃は同世代の書き手もいませんでしたが、背伸びしてドストエフスキーとかスタンダールとかわからないまま読んでいたものです。)
母は、「見てごらんなさい、そのうち小学生作家が出てくるわよ」と笑うのですが、そういう日も遠からず来るかもしれません。何か日本の文学にはロリコン時代が来ているみたいです。
最初の感想は、世の中にそんなに、「天才」と売り出されるような早熟な才能がゴロゴロしているのか、という疑問。次に出版社は本気で才能を育てるつもりがあるのだろうか、という疑問です。もしかしたら若さが売りの消耗品扱いにならないのだろうか、と、何か若い書き手が痛ましくも感じられました。
次に失望感。日本の社会はどうしてこれほど年齢の若さを好むのだろうということです。日本の新聞テレビでは欧米に比べて異様に年齢表示が多いのも顕著な傾向ですが、年齢の若さと精神の新鮮さや瑞々しさとは、正比例するものとは限らないでしょう。
オジイサンやオバアサンでも熱烈な恋をします。
文学が「今」を表している必要があると書かれていましたが、私たちに描けるのは、オバサンの、今。若者の、今、ではありません。でも、オバサンの今なんて、オバサンそのものに価値のない社会では意味がないし、ニーズもないみたい。
とにかく、オバサンには、将来佳くなる可能性も売れる可能性も信じてもらうことは無理らしいので、もしオバサンの作品を書くとしたら、よほど完璧なものをしあげない限り、まったくチャンスはないのだろうと胆に命じました。ど根性で頑張らなくてはいけません。
こんなお話は、つまらなかったですね。少し憂えたのです。ごめんなさい。最近は嘆きばかりが多くていけません。
今日は暖かい一日でしたが、明日もコートがいらないくらいだそうです。春らしくなってきました。春は桜と鯛です。おいしい鯛が食べたくなっています。若い頃の父は黒鯛釣りの名人でしたよ。
夜が深くなってきましたね。 春
2005 3・7 42
* 庭仕事、土いじりはあまり好みませんが、暖かい今朝、植木鉢の枯葉を被った合間から、山スミレの少し延びた葉を見つけました。春ですね。
年末から咲き続けている和名ハナカンザシを植えた大きな一鉢だけを、外扉前脇に置いています。ハナカンザシ、舞子さんを連想しますが、あんなに色とりどりの華やかさはなく、蕾の頃の表皮はえんじ色、赤く咲く花かと思わせて、開けば花びらが真っ白、花芯はまっ黄色に咲きます。小さくて可憐な風情なのに、雪や寒さに強い花、愛着があります。孫もお気に入りらしく、やってくると、お花をむしろうとして「親愛の情」を示します。
先日、思いついた様に、黄色いおコオコのみじん切りを入れたお稲荷さんを沢山作りました。
先ほどテレビで、京の祇園辰巳橋の「いづう」で、全く同じおコオコ入りの台所チラシ寿司というのを出しているのを観て、独創だと思ったこれは、やはり自然に備わっていた京風であったのか、と、懐かしく自認していました。
このまえ雪が降った頃から、左肩が異様に凝って、首を曲げるのも痛い状態でした。ぎっちょで左が凝るのは当たり前ですが、ドコカに不調があると、当然のこと、いくらオテン婆でも、神妙に閑かです。で、三日程、一歩も外へ出かけず籠もりっ切り、殆ど火を遣わない有り合わせの食事をして、ビデオと読書三昧のめったにない生活をしていました。
昨日は四日振りの外出、一人で自転車で出ました。
今日も、すっかり快癒したので、これから、子供乗りの自転車を購入して試運転の娘に付き添って、買い物がてら出掛けます。ほんなら、また。 泉
* 皮膚科へ。体内の活性酸素を減らすという体質改善の治療に、週二回通っています。毎回かなり待たされるので時間をとられますが、仕方ありません。皮膚トラブルのない人が、とても羨ましい。
あすは、車検があります。
毎日こまごまとした用事があり出かけていますが、書いたり、いろいろ考えたりしています。
もうほどなく、どこかしこ、花どきですね。 花
* こう夜が遅く朝寝していると、京都で大事な選考の会議に遅刻しかねない。
* 今晩の映画「恋愛小説家」は肩が凝らなく楽しめる映画で。独特U風貌のジャック ニコルソンの、さすがに年季(うんと若い頃も同じ風貌で、主役の映画を観ています)の入った軽妙。
大抵の映画は男と女がいて、多種多様に話が展開しますが、この映画は、極端に潔癖症のせいか、恋愛小説の流行作家でありながら、一度も恋愛をした事がないなんて人物を登場させて面白く、映画の題材は星の数ほどあるものだ、と毎度ながら感心、感心。都内
* こんな話題にも心惹かれながら、(というのは録画しているので、) 頭にこびりついているのは昨日の委員会で知った「国民投票法案」のことなど。堪らない……。
2005 3・8 42
* 今日は一日外出していましたが、今まで経験したことのないくらいモノスゴイ花粉だったようです。花粉症ではない娘までくしゃみを連発しながら帰宅。私も初めて目がしぱしぱしています。今年は異常です。外出時にはくれぐれもブロックなさいますように。春
* 部屋に始終蒸気を入れているので、花粉症にまだ悩んでいない、今年は。外出がしきるようになると危ない。来週は、出づっぱりになる。
2005 3・9 42
* おはようございます、風さん。
今日はほんとはバレーボールがあるのだけれど、車検の代車が任意保険に加入していないそうなので、一日家でおとなしくしているつもりです。
ゆうべから、くしゃみが頻発してます。尾張にもついに花粉は来たかという感じです。 風さん風さん、無用の外出は控えたほうがいいですよ。
昨日、お医者へ行ったら、花壇に白、ピンク、紫、青などの小さな花がたくさん咲いていました。大きいあでやかなのもいいけれど、花は花びらの小さな、ぜんたいに小ぶりの香る花に惹かれます。
このまま暖かくなっていけば、桜はまだにしても、お買い物に歩くだけでいろんな花が観られそうですね。 花
* あすから二週間ほど、外出が断続する。花粉とどう向き合うのだろう。たしかに、花ではない花の粉が忍び寄っている。
2005 3・10 42
* 雪暮れて掻き暗れて
雪糅ての風に震え上がる日の暮れ、伊賀からひとしきり白い風が吹きました。山はふたたび雪化粧。
夜七時、大阪の友人が、桂文枝師匠の訃を報らせてきました。
大阪市平野区のお寺で続けられてきた「桂文枝一門落語研究会“季寄せ”」が、明日、19回目を迎えます。地元のお年寄りがほとんどの小さな小さな会ですが、文枝師匠はとても大事にされ、気を張って務めてらっしゃいました。そのあたりがどこからか落語好きに知られて、前回など、そういう人達も連れ立って来ていました。
落語マニアで埋まる大きなホールの会より、師匠はこういった会を続けていく方をよほど大事に、また、気に入ってらしたようにお見受けします。毎回違うネタで、噺に対する思うところを存分に披瀝なさり、お客さんの耳を肥やし、お弟子さんも育ててらっしゃいました。
会主のご住職が、「この会は、来年、20回を迎えます。皆勤の方は文枝師匠の噺を20種聴いたことになります」とおっしゃって、会場に感の声が上がった昨年師走、討ち入りの前日に行なわれた会で、高座を務められたあと、気軽な洋装にお召し替えになり、お客さんとご一緒におそばを召し上がって、お帰りになるひとりひとりにお礼を述べられていたお姿を、いま一番思います。
本日昼過ぎ、伊賀市に買い物の用があり、入院なさってらっしゃる病院のすぐ近くを通りましたの。呂大夫さんの時と同じ感じがここ数日きていたものですから、覚悟しておりましたけれど‥可惜(あたら)。 雀
* わたしも、もう一度も二度も文枝は聴きたかった。残念だ。有楽町のヨミウリホールであったろうか、いや、マリオンだったと思う、満場に水を打ったほど人情噺をしみじみ聴かせた晩のことを忘れがたい。
それだけでなく、この噺家の風貌が、亡くなった秦の父の若い頃にまるで生き写しのようで、この人の高座は、テレビで出逢っていてもまたひと味もふた味も懐かしくて見惚れ聴き惚れたのであった。ご冥福を心より祈る。
記憶違いでなければ、そういう文枝師匠のことを、雀さんには、わたしが手紙かメールかで教えた気がする。それから雀さんのオッカケが始まったのではなかったか。めあてが抜群だっただけに、気落ちさこそとお察しする。
雀さんは文楽の人形方の文雀師匠、落語の文枝師匠をもっぱらおっかけていたように思う。文楽も落語も公演や高座などの催しがありおっかけやすくはある。その点、小説家は気の毒であり、またいたって愛想がない。愛想をつかされるオソレの方が多いから難儀である。
2005 3・12 42
* 電子文藝館感謝。言訳省略。
空とはあらゆる物事がなるようになって行く大元の力のようなものらしいが、
そんなものは無くともなるようになって行くのだから、やっぱり空、らしい。
色不異空 あらゆることはなるようになっているのであり
空不異色 なるようになっているからそこにそうあるのだ
色即是空 おまえのいのちてんからさずかる
空即是色 てんはおまえになにさせる
朝晩まだ冷えます。お大事にしてください。 千葉 E-OLD
2005 3・13 42
* 黄昏月に暈し染めの空、くっきり三日月。
三日寝かせたダッチコーヒーが自慢の喫茶店で、苦みも古風な濃ォい珈琲を飲んでまいりました。奥のボックス席との境をつくる飾り棚に、山茱萸に添えて一輪、咲き初めの沈丁花が生けてありました。
三枝、きん枝、文珍が並ぶ記者会見の映像を、テレビのワイドショーで見ました。雀は、桂文枝一門で一番下、20番目のお弟子さんの、桂阿か枝くんが贔屓ですのよ。先輩弟子が、師匠のイキに一番近いという、しっかりした楷書の噺、目配りがきいて、すらりとしたルックスに、ちょっとのんどりした風があるところが好いンです。
長年の落語好きの女友達が、「その、阿か枝くん、見てみたいわ。うちはざこばさんとこの、ちょうばくん、ええ思うねんけど。来月、ふたりが出る落語会があんの。ざこばさんも出はるんよ。行かへん?」と誘ってきておりましたが、前日、「いま、阿か枝くんの顔を見たら泣いてしまう」と断り、帰宅した彼女から届いた「若いのにしっかりした噺しはるねぇ。いつも若手の噺は疲れてしもてんけど、今日は全然疲れへんかったわ」とお褒めのメールに、そやろぉと誇らしげに返信したのが、師匠の亡くなる前夜でした。
密葬の昨日は、吹きすさぶ寒風に雪。芸の風も吹きます。 囀雀
* 合掌。
* いつも直筆で一文を書いてくださるので嬉しく思っています。私はもう今年で49才になりますが、自分の学生の時に、東工大の学生さんのように先生の講義を受けてみたかったと思います。
高校時代、国語が苦手だったのですが読書は好きでした。30才になってから、読めもしないのに、岩波の新日本文学大系を全巻購入しました。本当に積んでおくだけの状態です。そのうち暇になればと思いますが、60才で定年になっても何か仕事をしないと生活が出来ない時代です。
現在、私が勤務している中学校は都会の過疎化現象の反対で、昨年の四月から**で一番大きな学校になってしまいました。毎日仕事に追われ、月から金はピアノの練習も読書をする時間もない状態です。休みは疲れて寝ることが多いのですが、幸い土曜が休みですので、日帰りですが京都や奈良へ出かけるようにしています。奈良の法隆寺、東大寺三月堂の仏像、京都嵯峨野の愛宕念仏寺、銀閣寺そして八坂から清水へ。この冬は3度北野天満宮へ梅を見に行きました。祇園周辺もよく歩くのですが、観光客の一人として楽しんでいる程度です。 須磨
* ご結婚記念日おめでとうございます。
実は本日、小家にとっても祝いの日で、長男の8歳の誕生日でございます。
一昨日は同志社でゼミの同窓会を実施しました(私が”代表”幹事役でした)。
かつての学生会館が昨年春に”寒梅館”として建て替えられ、その7階のフレンチレストランで開きました。そこでは”同志社ワイン”も賞味できます。
学生時代とは隔世の感がございますが、料理はおいしく眺望も抜群です。送り火も4つまで眺めることができるそうです。
一度奥様とご一緒なさると結構かと存じます。(送り火の日はずいぶん前から予約が必要のようです。) 同窓
2005 3・14 42
* 秦さんのアドレスを探しあぐねていたら、友人が「返信」をクリックすればよいと教えてくれました。手引書を片手に試しています。ワープロとパソコンのキーボードの操作がすこし違うので、いろんな変換に手間取るのです。この通信も途中でなぜか消えてしまい、やりなおしているような始末です。
いま、**市史の文藝編を手伝っています。記述の方法がなかなか納得できないのでいらいらして、ほかのことに集中できないのです。方針が決まればそれにしたがって書けばいいのですから、それまでもうすこし時間がかかりそうです。
昨年、急に上京することがあって、時間をやりくりして歌舞伎座を見ました。「桃太郎」の七之助がおもしろいと注目したのですが、あんなことがあって残念です。
四月に「秋声記念館」ができます。
市史が完成すれば、公の仕事から解放されます。古来稀なる年も過ぎたのですから、ぼけないように自分の時間を楽しみたいと思っています。
たどたどしい文章ですが今日はこれまでにします。
19日に、****文学館で、県民大学校の講座「北村喜八ーその文藝志向について」を話します。これをもってこの種の仕事も終わりにしたいと思っています。 それでは。 北国E-OLD
* この人とのメール往来ほど、待ちわびたのは少ない。思想信条を超えた多年の信頼と親愛がある。わたしの方でお世話に成りっぱなしであるのだが。
わたしの育ちは尋常ではなかったかもしれぬが、そのためか、人の厚意厚情に他念なくあまえるところがある。顧みてずいぶん心中に深いあまえを抱きながら接してきた方々の多いことに一驚する。心身をその様にしてわたしは温めてきた。
2005 3・16 42
* 常楽会 梅原さんは佐渡のお寺で御覧になったとのことですが、鈴鹿の龍光寺にもあるそうですの、猫のいる涅槃図。
あと一幅、真如堂でしたかしら。
猫もきて釈迦を弔うめでたさや 梅原猛
夜更けから水蒸気が立ち上り、朝霧となりました。暦は「菜虫化蝶」。
うつゝなきつまみごゝろの胡蝶哉 (蕪村) の句がそえられています。今月初めには、やはり蕪村の
細き灯に夜すがら雛の光かな も書かれていましたの。“春のひと”って感じですわねぇ。ケシカランジイサンは。
花粉、どうかお大事に。 雀
* 梅原さんの句は弔うだのめでたいだの、あらわでいけない。
猫もきて涅槃のはるに顰みたる で、どうだろう。
蕪村にはとてもかなわない。「つまみごころ」の句は「あやつり春風馬堤曲」やその他にも、ひとくさり弁じるところがあったけれど、「雛の光」は読みおとしていた。これはまあ、たしかに「ケシカランジイサン」で。この句ひとつをみてもわたしの蕪村の読みは適切であったように思われる。なんという「ケシカランジイサン」なれど、なんという佳い句だろう。「ほ、ひ、ひ、ひ」とうち続く優しい音楽、「夜すがら」というぞくっとくる色気。参りました、まなびたい、この風情。
* 正直に言って、六年前にはじめてメールをもらったころのこの未知の読者が、かくも風情の佳いメールの書ける人とは思いもしなかった。渋谷新宿ふうの素っ頓狂だろうと思っていた。
2005 3・16 42
* お元気でいらっしゃいますでしょうか?
しばらく前のHPでお風邪を召していらっしゃったのを読み、心配しておりました。
湖の本を送ってくださりどうもありがとうございました。
メールを、といつも思いつつ、なかなか落ち着いて書く時間がありません。
娘は先月無事1歳の誕生日を迎えることが出来ました。
命を授かり、出産し、誕生日を迎えることが出来る、とてもとてもありがたいことと感謝する毎日です。
1年前には頼りない生命体だった娘も、今ではこちらの言うことを多少理解もし、自己主張もするようになりました。なんでもじっくり観察するのは父親譲りでしょうか。
どうしたら彼女の可能性を最大限引き出してあげられるか、と考えつつも、逆に様々なことを教わっている始末。 私もまだ母親2年生になったばかりです。
悩んだのですが・・・娘の笑顔の写真を送らせてください。
暖かくなってまいりましたが、どうぞお元気で。
娘が泣き出したので、見に行ってまいります。 卒業生
* 可愛い元気そうな香樹実(かずみ)ちゃん、こんばんわ。あなたのお父さんもお母さんもほんとうに立派な学生でしたよ。元気に元気に、あなたも大きくおなりなさい。
父親君は母校の立派な教官になっているのだろうと思う。二人は結婚して、最初のボーナスで、わたしを神楽坂へ呼び出してくれて、おいしい甘味を御馳走してくれたのが、つい先日のように思える。また会える日がきっとあろう。
* 「打っても打っても響かない鼓は、響くまで打てばいいのか、捨てた方が賢明なのか」と、ペンがらみについ愚痴を漏らしたら、まるで見当違いな方から、この「綾鼓」は私のことでしょうかとメールが舞い込み、ヘキエキした。世の中はふしぎな現象で渦巻いているものだ。わたしは、そんなにもヒマではない。
* することの多すぎ、 器を溢れだし、収拾がつかない情けない有様です。読みました「猫と庄造と二人のおんな」 と 「鍵」について半端な感想は書きたくないと思い、それがかえって重いものになってしまいました。几帳面な妻が追い出され、夫が死に追いやられる話。いいえわたしなどとうてい語り得ない物語でした。
もうすぐ五十の坂をのぼりつめます。 波
* 谷崎作品で最初に三作をと推奨作を聞かれたら、やはり「細雪」「蘆刈」それに「夢の浮橋」を、さらには「少将滋幹の母」「蓼喰ふ虫」や最初期の短編を薦める。「刺青」「少年」「秘密」「麒麟」「幇間」は天才の作である。異色作としては「小さな王国」を。しかし「猫と庄造と二人のをんな」は大傑作である。
2005 3・16 42
* 花にははやいが花だよりがちらほらしはじめ、そして三月四月となると、なぜか公用私用の東上者も多く、ついでに逢いたい会いたいというお誘いが来るのも、この季節。遠来でなく、地元のときめくお誘いもある。
* ささやかなおみやげ、喜んでいただいて恐縮です。
そろそろ桜が咲きますね。(開花予想は27日ごろとか)東大農場でお花見をご一緒しませんか?
私、平日は勤務があるのであまり東大農場に行く機会は少ないのですが、あそこ広々としていいですよね。いろいろな木もたくさんあって好きな場所のひとつです。
4月のはじめごろご都合いかがですか。直接お話をうかがえれば、私とても嬉しいです。お天気の様子をうかがいつつ、ご連絡を。(また、その日は早引けする予定)
自転車にものっています。休日は時々***へ買い物に出たり、**公園まで出かけたり。ときには歩いていくこともあります。勤務先が新宿なので、通勤には***駅を使っています。
では、その日を楽しみに。これから仕事に出かけます。 読者
2005 3・18 42
* 有楽町で所用の人に会い、暫時用談、歓談。
別れて、ひとり上野へ行く。博物館の本館に中宮寺の如意輪観音がご開帳とあり、懐かしさに惹き寄せられた。
博物館へ入った時は最良のお天気で、あまりの陽気に、池のまえのベンチに腰掛けてしばし日光を堪能した。表慶館の建物に樹木と白い雲をうかべた青空とが美しく似合って、うっとり。
観音像は、しかし、案の定展示が暗すぎて、むかし、日の光を入れた中宮寺で真正面から拝した、優美に丈高い気品の清質とは、遠く隔たる印象であった。
本館一二階をてくてくと流し観て、そして食堂で、カレーライス、ビール二杯。東洋館に入り、また正倉院館を観て、その頃から左眼が猛烈花粉にいためられ、あまりの辛さに、逃げ帰るように帰宅した。今日の花粉には降参した。今も、鼻がまるでダメ。ついに来たか来たか、花粉め。花粉さえなければ。今日の博物館は、おっとりと、とても楽しめたのに。
2005 3・18 42
* きましたよ、花粉が。今日のような強風では、薬を服用していても症状が出ます。毎日雨の方が花粉が落ち着いていいなあ、なんてゲンキンなことを思ってしまいます。強風の吹かないことを祈ります。
今日、東京のお天気はいかがでしたか。 花
* 日が長くなりました。お疲れはございませんか。どうかくれぐれもお大切に。
春先になりますとたびたび、飛行訓練中の小鳥がガラスにぶつかる音を聞きますけれど、今日初めて鳥の金切り声というのを聞きましたわ。突風に煽られたようですの。辺りが暗くなって、いっときひどい風と霰になりましたから。晴れたかと思えば雨風。地震もありました。春彼岸、大荒れの一日でした。
明日は、雀にとっての弟の命日。遺体の見つかった日を両親は命日にしておりますけれど、死のうと決意した日が、忌日としたら明日、いえ、今夜がそうですわ。
明日また北のさとに帰ります。 雀
* 春めいてきましたね。***です。今年も藝大を受けました。なぜか一次を通過し、昨日まで三日間二次試験を受けてきました。会場はなんと上野動物園! 新聞にも載ったようです。
昨日は雨で大変でした。
油絵をやや失敗した感があり、後の祭りですが後悔しています。まぁ発表を待つのみです。
会社は三月一日から三か月の病休となっています。休みの間に何をするか、問題です。ぼおっとしてるとあっという間ですもの。でも特に案は無くて… 卒業生
2005 3・18 42
* 近江風土記のさと。
長命寺は、ひねもすのたりのたりかなといってもいいほど、琵琶湖の景色を一望にでき、国宝の本堂もともかく、その背にあった巨石が、十一面観音と併せて、雀の心に訴えました。808段という石段の八割をクルマで済ませ‥腰をイワしたからとはいえ、大いに手抜きをした参拝でした。
安土城跡やセミナリオに居心地悪く、近江風土記の丘へ行っていながら、桑實寺は、まったく失念。残念です!
そして、観音正寺‥ここもクルマで上がれますのね。昨年の五月から一年の間は、新しい千手観音をご開帳くださるそうですの。間近く覗き見る、野次馬参拝をいたしました。巨石と滝と十一面観音と。それに眺めもすばらしく。境内には、白蛇のホコラもありますのね。ご講演でお泊りになられましたときは、彦根城の檜御殿を移築した、焼ける前のご本堂でしたのでしょう? うらやましいこと。
それから、シャガの咲く石馬寺は、さぞ風情がありましょう。
参道の雰囲気の良さに、老蘇の森から武佐に出てしまい、沙々木神社に寄れなかったのも、返す返すさみしいことでしたわ。
湖面を目にいたしますと、つい引き込まれてしまいまして、山側へ入るのをためらってしまいますの。ですが、ひとつ山を越えて、近江鉄道がごとごと通ってゆくふるい町は、費やされた時が恬淡として、静けさに風趣豊かに沈みながら、夕陽を浴びて闇にこもるのを、心待ちにしているかのよう。
颯爽と玩具のような新幹線が通ってゆくときいたのは、ホント。あら、ま、と声がでました。 囀雀
* いつの間にか春ですね。
またまた、ぼた餅(おはぎの方が上品な響きで好きだけれど、春のお彼岸には萩では季節に合わず、猪に似た形、その牡丹肉からきているという)を作る季節になり、慌てて材料の準備に走りました。驚く程(冷凍にもするので)沢山作ります。 泉
* 嬉しいお便り ありがとうございます。
月から金まではパソコンを学校に置いたままにしています。自分のノートパソコンを仕事に使用しなければならないのが神戸市教員の現状です。他の市町村に比べ教育にお金をなかなかかけてもらえません。
そんな訳で、嬉しい返事をいただきながら、今日やっと家でメールを見ました。家には他のデスクトップもあるのですが、メールは自分のパソコンでないと見ることができません。
いただいたお返事に、東山をご一緒に歩いてくださるとあり、とても嬉しく、また驚いています。
私はただの中学校の音楽教員です。読書というより本が好きなだけですが、疲れて読めない事も最近はよくあります。今は年度末で特に忙しい毎日です。昨年までは担任をしていたのですが、今年度から学年主任になってしまい仕事(雑用)に忙殺されています。1年生***人と学年の先生方**人が安心して学校生活を送れるように、気を配る日々です。
私事ですが、20代後半からお寺に行くことが好きになりました。車も免許も持っていないので、不便な所へは行けませんが、須磨寺へは年に何度か出かけます。
私が住んでいる所は地下鉄の***駅(例のタンク山へは歩いて15分程)の近くです。気候の良い時期には、家から歩いて須磨浦山頂へ行き、海側へ降りることも何度かしました。義経が降りたと云われる所も通過しますが、絶壁で、とても馬が駆け下りることが出来るとは思えないような場所です。綱敷天満宮も須磨寺近くにあり、梅をみに行きます。結婚したころは須磨の海へもよく出かけましたが、最近は海釣り公園に行く方が多いです。
あと1週間もすれば、そろそろ桜の季節です。毎年、銀閣寺から清水寺あたりに出かけますが、人が多く大変です。でも、やはり祇園白川周辺へも行きたくなります。京都の桜が終わりかけた頃には、奈良の室生寺の桜を見に行きます。日帰りで疲れますが、私鉄の乗り放題チケットを利用しています。
いつか本当に誘っていただけましたら、喜んで出かけますので、よろしくお願いします。 2005 3・18 42
* 秦先生 こんにちは。
先日メールを頂いたとき、反射的に、「挨拶が書けそうだ」、とメールに書きました。あれからもう一月以上たってしまいました。
先日、井上ひさしさんの「泣き虫なまいき石川啄木」(戯曲)を読みました。石川啄木の生活を描いた作品で、創作者の…というよりは生活者の苦悩に押しつぶされながら、創作に努めようとする姿が描かれています。作中、石川啄木が、日常生活で繰り返される瑣末な困難や小競り合いを「実人生の白兵戦」と呼んでいます。
まさにこれでした。先生への(送らなかった)メールで、何を書いても、いくら書いても、語ることは何一つないのです。僕にとって、毎日は、仕事&子育ては、向かい合うものであって、語るものではないのです。白兵戦というのは、言いえて妙です。いつ終わるかも分からない消耗戦。
決して、落胆しながら言っているのではありません。誰しも経験することでしょうから。絶望も希望もせず、望まず、淡々と向かっています。
先月、用事のついでに、ほぼ一年振りに、美術館に行きました。
東京ステーションギャラリーという、東京駅に隣接する非常に小さい美術館です。僕はそこの企画が性に合い、以前はよく行きました。
先月見たのは、この連休末21日までやっているもので、無言館の絵画展示です。ご存知かもしれませんが、無言館は、長野県の上田にある、戦没画学生の遺作を蒐集した美術館です。
いつか上田に、とは前々から思っていたのですが、久しぶりに見たステーションギャラリーのWebサイトでこの展示を知り、家族で東京に行く用事ができたため、歩き始めた一歳児を連れて三人で行きました。
三人でこの展示を見る、ということも、目的の一つでしたが、予想通り子供が歩き回り叫び回り、それを僕たちが追い回す、なんとも場にそぐわないことになってしまいました。たまらず奥さんが先に出て、僕も駆け足で見て回りましたが、それでも印象に残る展示でした。
どの絵も、それぞれが、過ぎた趣向もなく、描きたいものを、正直に描いている。斬新さや、ひらめきのようなものはないが、自分が、芸術家として見ている方向が、間違いなく現れている。本当に自分が好きだと思っているものを、好きなように、描いている。絵を描いているときに自分自身に対する迷いはあるかもしれないが、それを絵には決して逃がさない。絵を、絵として完成させる、執念のようなものが感じられました。
絵の脇には一つ一つ、プロフィールや家族の証言が書いてあり、読んでいくと、無念、という言葉に尽きます。本人だけでなく、(あれだけ大きな絵を描かせるほど、そして周囲の眼に耐えるほど、)支えてきた家族の無念さ。
カーネギーの言葉で、「三世代で作業着から作業着で」というのがあるそうです。さながら、三世代で国民服から国民服へ、でしょうか。
僕の子供は、幸か不幸か、男の子です。憂鬱です。
憂鬱ですが、日々の白兵戦に消耗するだけの、僕は、悪い父親です。
せいぜい、こういう「無念」の一つ一つを知り、次の世代に伝えていくことだけしかできません。
先生のお疲れのご様子、Webで拝見し心配しています。花粉が舞う中では、お花見で心をやすめることもままならないと思いますが、お気をつけて…。
まとまりませんが、それでは。 鈴
* このお父さんは、学生時代一種活溌な、スポーティな多足類だった。就職後の白兵戦で少しずつか、一度にか、かなりな脚を切り落としたかも知れない、おそらく今、無念とまではないにせよ、幾らか、少し寒くなった足元を見直したい気がありはせぬか、それはそれでタイムリーな視野確認ではないかと思うが。その際に、視野だけでなく視線をさしこむ深さにも関心をはらい、たとえば石川啄木へも、無言館絵画へも、また仕事や育児へも、アクティヴな新発見、自分の言葉や思いが噴出してくるような認識へ到達して欲しい。
井上ひさしがどう啄木を書いているかは知らないが、やはり現代の白兵戦に立ち向かっている戦士の一人としては、「ペン電子文藝館」にも入れてある啄木の「時代閉塞の現状」また歴史記述に於ける隅谷三喜男「大逆事件明治の終焉」また徳富蘆花の講演「謀叛論」さらに平出修の小説「逆徒」などへも踏み込んで行けたら行ってみて、その上で啄木の白兵戦がどんな質のものでありえたか、あり得ないで終えたか、を自分の問題としても考えてみて欲しい。それはまた無言館絵画への視線をも独自に深める示唆となろう。
表面を撫でるだけで通りすぎていっても構いはしないし、また大人として親として伸び上がって行く意欲があれば、尋常普通の「解説」レベルから自分の思想の構築へ向かって行ける道もある。どっちでもいいのだけれど、どっちをとるかも、その人が、その人として決めて行く。決めずに流れて行くこともある。ありうる。
またさらに書いてくれる人だと思っている。 2005 3・19 42
* 教育者だったことは一度もない、わたしはやや無頼なまで一人の物書きとしてのみ生きてきたから、ときにハチャメチャも平気で云うかも知れない。
昨日であったか、容易に職場に適応しないで休職を繰り返しながら、しかも絵画創作の道へ歩み出して通学したり、藝大を二度も三度も受験してきた卒業生が、さていま何をすればいいのか休職しながらぼおっとしていますというので、夫や男ではなく、存外、あなたは子供を持って母親として戦い生きようと考えていい人かも知れないね、などとメールを返していた。確信があって言える何の根拠もないけれど、ふと、強くそういう気もした。秦さんはときどきとんでもない強さで刺戟してくるからコワイという卒業生達もときどきいたのであるが、コワガルたちの学生達には、ある種共通点があった。
* おはようございます。花粉症お辛そうですね、お大事に。
京都にも相当量飛んでいるようですが、私は大丈夫です。
今日から、櫻だよりが新聞に載りはじめました。まだ、みんなつぼみ。
ご一緒に花を見られたら嬉しいのですが。楽しみにしています。 のばら
* ふと、いま、自分にはこういう「いとこ」が何人いるのだろうと想像した。
生みの母は三人姉妹の中娘だったと聞いていて、明らかに伯母と叔母すじに何人もいとこがいるらしい。
実の父には姉が三人、異腹の弟妹が五人いたのだから、わたしの知っているかぎりでも何人もいとこがあるはず。
秦の父には妹が一人居たが、終生独身であった。
また母は長兄をはじめ姉を何人も持っていたから、わたしの知らないいとこがいっぱいいるはずだ。上のメールの従妹は、母長兄の娘で、わたしとほぼ年の違わないこの従妹だけは、小さい頃に家同士のかすかな往来があった。他に妹も一人二人いた気がする。その伯父夫妻もなくなっている。
ついでながら、きょうだいとなると、生みの母には寡婦となるまでに一女三男があった。わたしには父を異にした姉や兄たちであり、もう一人としてこの世にいない。母はその後に父と出逢い兄北沢恒彦とわたしとを生んだ。その兄は死んだ。実の父は、その母と裂かれてから、他の人と結婚して二人の娘をもうけた。わたしには母のちがう妹たちで、川崎市に元気に暮らしている。もう四半世紀も会ったことがない。
父も母ももういない。秦の父も母も叔母ももういない。
妻の方にも妻のいとこたちは両手の指でもまるで足らないいとこたちがいる。わたしも要約大方は覚えている。
こんなふうに血縁親戚は相当な広範囲に及んでいるけれど、ほとんどわたしは無縁に育ち暮らしてきた。実の兄とですら四十代の半ば過ぎてやっと顔を見合った。兄が死ぬまでに、ま、少しゆっくり話したのは一度だけである。
2005 3・19 42
* 知床へ行ってきました。 秦先生 こんばんは、**です。
だんだんと春らしくなってきました。
梅の季節も終わり、花見の話もちらほらと出ています。
3月の初めですが、厳冬の北海道、知床に行ってきました。海は一面、真っ白な流氷に覆われていました。割れないことを確認しながら少し氷の上も散歩しました。顔が痛いほどの寒さでしたが、そんな中でもエゾジカやオオワシ、
オジロワシと行った動物は生きるために必死でえさを探していました。
また、天然記念物シマフクロウを見るため、雪の中をだいぶ探したのですが、ついに出会うことは叶いませんでした。アイヌよりカムイチカプ(神の鳥)とか、コルタンコルカムイ(村の守護神)と呼ばれた大きなフクロウで、羽を広げると180cmもあるそうです。北海道中で130羽しかいないそうなので、出会うのは非常に難しいです。また今度探してみようと思いました。
今回は、父と父の野鳥の会の仲間と一緒に出かけました。父は車が運転できないので、ドライバーとしてついてきて欲しいと言われて一緒に行くことにしました。
父もだいぶ衰えてはきているのですが、山に登ったり旅行に出かけたりして健康なので、息子としてあまり気をつかわなくていいのは有難いです。
花粉症の方には今年は本当につらいみたいですね。今まで平気だった私も、今年は多少鼻がむずむずします。
どうか、お大事になさってください。 卒業生
* 今日は男の卒業生が二人メールしてきた。めいめいに、元気そうだ。そういえば、月がかわると結婚式がある。
2005 3・19 42
* 花粉症の知り合いが市販の眼の洗浄グッズを重宝していると聞きました。携帯できるもので、専用の小さなぐい飲みくらいの容器に、薬品を入れて眼を洗うようです。眼を洗うことで、鼻もらくになるのでなかなか便利ということ。緑内障に副作用がなければお使いになるとよいかもしれませんね。
昨夜のメール、チャタレイ夫人が不幸せに破滅する人と書いたつもりはありませんでした。ロレンスのくり返し描く男女の関係のパターンが投影されていると推察しただけで、今の気分で読むのは重いなと感じただけです。偏見と仰言られればその通りかもしれませんが、ロレンスはとても愛好する作家です。
チャタレイ夫人が本国で問題になったのは、性描写ではなく、その階級破壊のせいだと聞いたことがあります。当時は許しがたいことだったのでしょうか。ロレンスは、偉大な作家ですが、イギリス文壇の中では痛ましいほど孤立している存在のように感じています。イギリスでロレンスといえば、アラビアのロレンスのほうがずっと知名度が高いと大学の先生は話していました。(知名度と藝術の価値にはなんの関わりもないことですが。)
イギリスでは、作家という職業の中にさえある種の階級が入りこんでいます。うんざりするくらい閉塞しています。ほとんどの詩人や作家はオックスフォードかケンブリッジ出身というような国です。大学は出ているもののどちらの出身でもなく、ロレンスは、当時のケンブリッジ派などの知識人とも相容れなかった。頭のなかで人生を解こうとする有害無益の存在と手厳しい。炭鉱夫の息子のロレンスの生涯は、この堅固な階級社会の偽善や息苦しさとの格闘であったでしょう。
泉鏡花の闘いと少し似ているかしら? 春
* 本文からの感化よりも、本の巻末の解説などから概念的に得たような知識でロレンスが語られている。勉強はしているが自分で本文を読んで、自分の思いをぶつけた感想が具体的に聞けると、もっとありがたい。
* なぜチャタレイの話題になったかというと、春さんはわりと性的な話題でも大胆に持ち出してくる人なのであるが、それも、どちらかというと、魂のまえに性を貶め思う型どおりなカソリック思考の方なので、あえて、教会から批判も浴びていたロレンスやグレアム・グリーンなどを引き合いに出し、少し性急に刺戟したのだった。
2005 3・20 42
* ちょっと鼻がむずむずするけれど、外へ出なければだいじょうぶです、今のところ。
風は、目の痒さがいちばん辛いとのことですが、わたしは目はさほどではありません。わたしの花粉症でいちばんいやなのは、鼻がむずむずして(風邪のときとはまったく違います)、手足が熱くなることです。今もちょっと手が熱くなっています。喉がいがいがすることもあります。
それより、先週半ば、顔に吹き出物がぶわっとあらわれまして、鏡を見ては、「お岩さんが逃げ出しそうな」とショックでした。まあマシになってきて、少し安心しています。
悩ましい持病がいろいろありますが、うまくつきあっていかなければなりませんね。花
2005 3・21 42
* 23日テレビ放映の「半落ち」
日本映画はチケットが手に入った時にしか観に出かけませんが、これは原作が佳かったのでしょう、終盤まで、ミステリー調で惹きこみ、ラスト寸前にホロリと涙させる、憎らしいほど佳い映画でした。確か今年の日本アカデミー作品賞と主演男優賞を取っています。
その男優、寺尾聡はお父さんを抜いたと思います。 宇野重吉は名優でしたが、風貌、セリフまわしに個性が過ぎて好きだと思った記憶がありませんが、寺尾聡、テレビドラマでも、あの間の取り方の上手さに感服、素晴らしい俳優だと思います。 泉
2005 3・21 42
* 四月初めの結婚式後に乾杯役を頼むと、卒業生くんが言ってきた。乾盃には、極く短かな挨拶をすれば済む。懐かしい顔の卒業生達が何人かは来るはず、みな、そこそこの社会人になっている、か。
* 土曜には、もうなくなった或る画家の遺作展に銀座へ出る。
2005 3・22 42
* 帰宅して、まっさき、第一番に嬉しかったのが、東工大の卒業生女子、苦闘何年かを経て三度目の正直、藝大洋画にパスを報せてきていたこと。一次をパスしたと聴き、二次のなにかで失敗したのが悔やまれるとも書いてきていたとき、いやいや、そういう悔やみが意識できたのは余裕であり、合格しているかも知れないぞと思いながら京都へ発ったのだったが、案に違わぬ朗報に、思わず小手を打った。よくやった。
* おめでとう!! やったね。ウソでなく、そのような予感がありました。よかった、おめでとう。
これはゴールでなく、今まで以上に嶮しいスタートラインですが、自信がついたと思い、これからの「力」にしてください。まだまだ何度も落ちこんだり失望したり冷えたりする筈です、それが、来べき当たり前なんだとはじめから覚悟して、くじけないでください。
いまだから言うけれど、藝大は一種の毒薬です。「お父さん、繪を描いてください」の主人公も、藝大に潰された才能です。しかし毒薬にはかぎりない力源も魅惑の味もある。それをうまく活かして良薬にされるように。
子供をといったのは、かなり思案して言ってみたのです。繪を本当に自分の道にするなら、なまじな結婚は道をふさぐかも知れない。人間関係はどうもヘタなようだから。しかし愛児は繪と同じようにあなたを支え、励まし、生きる拠点になる可能性がある。そう思ったのですよ。
お祝いをして上げたい気もちですが、何か希望がありますか。
おめでとうと先ず申します。
丁度京都で、京都美術文化賞の選考をして、また帰ってきたところです。ことしは、日本画と陶藝と漆藝の三部門で受賞者を決めてきました。
これであなたは、東工大だけでなく美術でもわたしの仲間内になりましたね。よかった!
* 今後のことは今後のこと。これは、なみたいていの成功でないのを幾らか知っている。心から、よく頑張ったねと拍手する。
2005 3・23 42
* 花粉のせいで、花も、雨は大歓迎です。
今日用事で名古屋へ出掛けましたが、ちょっと外へ出ただけで花粉にやられました。夕方から雨になり、ラクになりましたけど。
そうそう、名古屋駅の傍に飲茶の店がありました。香港旅行以来、病みつきです。どうしてかといいますと、チャーシューまんが気に入ったからです!
帰りに高島屋の地下の食品街でチャーシューまん(肉まんとは違います)を探しましたが、見当たりませんでした。
これからしばらくは、どこへ行ってもチャーシューまん探しをすると思います。
駅前の店のチャーシューまんはかなり甘味がありましたが、香港の味を思い出させてくれました。もし名古屋へいらしたときは、ご馳走しますね。
風は京都でお疲れですか。お体、お大切に。 花
2005 3・24 42
* この症状は花粉だと分らない二昔近くも前に経験して、悩まされ、単にアレルギー症状だと思っていました。今年は再発です。幸い眼の痒みはありませんが、昨日は終日鼻がむずむず、水鼻の垂れ流しでタオルを放せず、眼が腫れ上がり、珍しいコト、軽い頭痛がしました。
駆け足ですが、パレルモ、アグリジェント、シラクーサ、と前九世紀頃から栄えた都市の文化遺産に、写真、映像、活字でなく、地中海の「風の奏で」を全身に受けて出会えるのが、うれしい。二、三年温めていただけに、とても楽しみにしています。
海外への旅は当然アクシデントの確率も多く、いつも、もうこの歳、何があっても、と開き直って出掛けます。 泉
* 今日は眼の痒さ、最強。ムム…
2005 3・25 42
* ありがとうございます。 わーっと混乱のうちに数日が過ぎました。
毒薬(藝大に合格してしまったこと)、厳しいスタート、くじけないこと。肝に銘じます。
すぐ泣き事を言う私には、くじけないことは難関です。会社の方は休職のままいるつもりでしたが、近いうちに辞める事になりそうです。退路を絶つ意味ではその方がいいのでしょう。
しかし美術で食べていくのは想像以上に厳しいから慎重に、と、予備校の先生には言われました。悩みます。
お祝いなんて、とんでもない、頂いた言葉が何よりの贈り物です。 卒業生
* たいへんもたいへん、大変な難路を行くことになった、これから新入生として勉強するのだから、その生活をもし親がかりでなくというなら、よほどの対策が必要になり、それがまた精神の重い荷になる。だが、この人は此の嶮しい隘路を行くべく今日まで生きてきたのかもしれぬ。東工大でたしか院も卒業し、就職してからのいろんな躓きの中で好きな絵の勉強を新たにはじめながら、日々を模索してきた。ただの模索でなく、とほうもなくムズカシイ狭い門から藝大の試験にパスした。いちおうは大いに目出度い、が、ほんとうに目出度いのかどうかは、一切がこれからの歩みにかかっている。がんばれとしかわたしは他に言葉を知らないが、繪を描いて描いて道を拡げて欲しい。
わたしはたった一点だけ、それもメールファイルで彼女の繪をみているが、それは端倪すべからざるほんものの作品に見えた。いま、わたしは、その記憶に希望を抱いている。
* 三年B組金八先生というドラマをこの十年ほどのうちに少なくも七、八度くらい観てきたと思う。小山内美江子さんのこのドラマが、とうどう今夜で終わるというので、中程からオシマイまで観た。「贈る一字」で卒業生を送り出す金八先生と生徒達の最後のシーンは、麻薬使用で初等少年院に送致と決まった同級生の送致車を河原近くでとめ、ソーラン節のみごとな踊りで励まし、そして先生から贈った一字は「命」だった。
命――。たいせつな宝だ。涙で花粉を流したかったが、まだ痒みはのこっている。
小山内さんからは金八先生の一話分を選んで「ペン電子文藝館」に出稿してもらっている。これからプリントをスキャナにかけることになる。
2005 3・25 42
* 大学を卒業する事が出来ました。
秦先生
今日、(東京大学の)卒業式でした。
東工大に入学した春から数えて、十三年になります。 青梅市
* ああ、おめでとう。
この朝一番の報告に、また、新たな思いが湧く。
この若い友人も、東工大時代わが教授室の常連であった。他の賑やかな常連とは違い、ほとんど口を利かず、じっとソファに身を埋めている青年だった。瞑目しているのではないが、極度に寡黙で、ものを尋ねても、半言ほどしか答えない。しかも明らかにわたしのそばに坐っているだけで、日光浴か森林浴でもしているように穏やかに落ち着いていた。彼は、東工大のなかで秦先生の部屋以外に身を置く場所がどこにもないということを、いつとなく漏らしていた。
わたしが六十歳で定年退官のとき、教授室をまさに去ろうというとき、彼は長嘆息し、「あしたからぼくはどうしたらいいんでしょう」と静かに嘆いた。二年生を終えようとしていたか、三年生を終えようとしていたのか。わたしとの付き合いは、彼が一年、二年生のうちであったか、三年生にもなっていたか記憶はさだかでないが、わたしが東工大を退くとすぐ、彼も退学してしまい、ながいあいだ自宅に文字通り引きこもっていた。ときおり気になって電話をかけた。わたしとはボソボソと話せたが、世間の人の顔をみるのがキツイと言う。
ときに、知床で「流氷をみています」などと絵葉書をくれもした。元気を出して欲しかった。秦先生となら逢えるというので、逢ったこともある。
と、そのうち、東大に再受験して入学したといってきた、「科学史」を勉強したいというので、新宿で食事をし、お祝いに、愛蔵の、下村寅太郎先生にわざわざ頂戴した『科学哲学史』を贈った。
以来ご無沙汰であったのが、今朝のメール。
「十三年」と彼自身も指を折って数えたのだろう、前途はさらに難儀な幾山河であろうけれど、この「十三年」を、ともあれ彼は自力でじりじりと歩み通してきた。貴い厳しい体験だった。力にして欲しい。
ああ、よかった、おめでとう。わたしも励まされる。
* はだれ雪に凍みてところどころ黒くなった紅い椿が、新たな雪のうえに散りこぼれています。三寒四温とはいえ、冷えすぎ。京も雪が舞ったそうですが、お江戸はいかがでしたでしょうか。
朝、名残の雷鳴が一度ありました。
ごうごうと梢を揺らす風の音に、時に、叩きつけるような霰の音。
とろとろッと寝入り端、有線から、町内で火事発生の報。地名は近くを示していませんが、母は、明かりをつけ、別室に行き、住宅地図をもって戻り、近くに知り合いがいないかと、しばらく広げていました。
きゅ、と縮こまった胃が、夜半過ぎまで痛み、また、寝不足…。
八時の電車に乗り込みました。地図を片手に、琵琶湖畔の小さな旅をしてまた名張へ帰ります。 囀雀
* とくに右の目尻が焼け火箸をあてたように花粉で痒く痛む。堪えるのがとてもつらい。
* 春本番となりました。
先日お話したお花見の件ですが、4月1日(金)の午後はご都合いかがでしょうか。本当は夜桜が最高なのでしょうが、***農場は4時30分までしか入れません。農場の桜並木のある正門のところで「3時」にお待ちしております。もし、日時などご都合がつかないようでしたら、メールくださいませ。2案、3案を考えますので・・・
この農場はいつもは平日のみの開園ですが、今度の4月2,3日の土曜、日曜は特別開放だそうですけれど、これはきっと花を見るより「鼻」をみるようになるでしょうから。
はじめてですので、ベレー帽をかぶっていきます。友人からは手塚治虫の漫画のキャラクターのよう、とからかわれています。
話は変わりますが、先生「お豆腐」はお好きでしょうか。**駅近くに、昔ながらのお豆腐屋さんのやっている小さなお店があるので、もしよろしかったらお連れしようかと・・・花見にお酒はつきものですが、農場はアルコール禁止ですので。
では、ご連絡お待ちしています。 桜
* お花見のお誘い嬉しく。 ただ、問題が二つ重なっています。すこし深刻。
一つは十八日以来のすさまじい花粉で、眼が完全にやられて、毎日、ほとほと苦痛に耐えかねています。眼が痒く腫れて痛み、眼を明いてられないのですが、余儀ない仕事で京都へ二十二、三と行ってきました、幸い両日雨で花粉がやや薄らいでいて助かりました。帰宅後の毎日、花粉の難に呻いています。今年は猛烈です。
ところが三十一日は日本ペンクラブの大事な理事会で仕方なく出かけます。また四月二日は東工大卒業生の結婚式です。結ぶの神として乾盃しに出掛けます。月末の外出は花粉で散々のめに遭うでしょう、三日間連続の外出は眼に苛酷で、勇気が出ません。
毎年花見は欠かしたことがないのですが、今年の花粉状況では、雨の日に傘をさしてこの近所の花を尋ねて歩くのが精一杯かなあと嘆いています。いつまで続く花粉の憂き目か分かりませんが、せっかくのデートを赤い目を腫らして痒がっていては、色気も艶もありません、ご不快にしてしまいます。
すこし花粉の様子を見させてください。今は、雨の降ることばかりを待ち望んでいる有様です。お許し下さい。今も眼鏡の上からゴーグルをつけ、大きなマスクをしてキーを叩いています。 お大事に。 湖
* どうかお大事にしてください。
残念、そうでしたか。私はおかげさまで花粉の被害がまったくない体質のようです。(なんだか申し訳ないような。)
お近くでもありますし、また体調が回復されましたら、どこか素敵な場所を教えてください。またの、メールをお待ちしております。 桜
* 花粉は、言語道断、どうしようもなく堪えている。人出の場所、ほこり立つ場所は、どうしようもない。せまく、すきまなく締め切って湿度のあるところが助かる。わたしの機械部屋は古い絨緞が埃を吸ってくれていて、間断なく乾燥をふせいで蒸気が出ている。それでも時折刺すように眼へ花粉の刺戟が来る。一度も逢ったことのない人のまして花見のお誘いにはときめくものがあるが、それよりもこの苦痛からすこしでも逃れていたいと思うほど、花粉症は不快。花は好きなのに花粉に傷むとは皮肉なこと。
* 志賀越えの三阿弥陀 西大津で特急雷鳥を下り、崇福寺跡、百穴古墳、志賀の石仏、大伴神社を再訪してから、山中集落の大仏、子安観世音といわれている北白川の石仏と巡って、志賀越え道の、入口、山中、出口にある三体の仏が心におちました。
宝ヶ池、貴船、芹生を通って常照皇寺へまいりまして、桜を確かめ、境内でのんびり。
帰りは、花背、鞍馬経由の道をとり、由岐神社へお参りしました。そして、上賀茂神社を通って京都駅に着きました。
山肌のはだら雪、固く押し固められた道の雪。街道をたのしみ、山村水郭―といっていいのかしら―を感じ、雪解けの瀬音に耳を洗い、引き締まって澄んだ空気を胸いっぱいに吸いました。 囀雀
* 元気な男でもこれだけの行程はたっぷり二日かかりそうに思える、よほど効率よくタクシーをつかうようで、近江から京都へ、丹後ヘまで、「冬」満喫という健脚ぶりに驚く。
2005 3・26 42
* 花粉症。アレルギー。 大変なことになっていますね。抗ヒスタミン剤をのむ、目薬で、目を洗うようにしても、楽にはならないでしょうか。きっといろいろ、ためし済みでしょうが、私のやり方です。
家のなかに、外気を入れない、空気をかき回さない、目をさわらない、・・・それでもくしゃみをして、はれぼったい目、かすかな頭痛。
しばらく我慢。我慢。いまも、薬の効くのを待っているところです。少しはお見舞いになりますか。お元気で。 砂
* RT とはなんのことでしょう。意味がわからなくて、とても気持が悪い。教えてくださいませ。
それから、初めての人とお花見でときめくなら、ときめかなくても、わたくしとも雨の花見を。(それにしても、わたくしにはどうしてもできない大胆な誘いかたのできる方、羨ましい。)
書いていて、RTの意味、発見。もしかしたら「すか」のつもり? 都内
* 字の打ち直しの打ち損じで、メールに例えば いつですか と書いたつもりが、 いつでRT になったりする。この失敗はしかし意図的にやると、あまり露わには言いにくいことを伝えるのに、いくらか役立つ。3-7U3 などと。
2005 3・27 42
* 「二人でいるときに、ほかの女性のことを、たとえ女優やタレントであっても、かわいい、好き、だなどと言わないことが、男女間のエチケットだとも思っています。そういうことを言われると、不機嫌になる、というより醒めます」という感想をメールの中で言い及んでいる人があり、こりゃ、たいへんだと思った。
わたしは映画俳優でもむろん女優の方に関心があり、テレビの映画をみても、きれいで上手な女優が出ていると、ご機嫌で、逐一感想を述べている。名前を挙げだしたらキリがない。日本の女優やタレントでも、ことに演技のいい人のことは見過ごしておけない。大いにほめちぎったりする。
そんな例はめったにないけれども、もし誰でもいい女の人とのたまたま話題が映画に及べば、映画自体を批評するより、出ていた女優がよかった、好きだったとよろこんで評判するに違いない。なにしろ、退屈したり眠れなかったりすると、海外の女優の名を記憶の中で羅列・列挙して、今では男優よりらくに早く「百人」を超えるぐらいである。
だが、そんなことをうっかり嬉しがっていると、相手の女性に嫌われる場合もあるんだなと知り、びっくりした。
もし話し相手の女性が、海外の男優や日本の男子タレントをほめちぎっても、わたしは、ちっとも構わないんだが。むしろ、ああそうか、この人はこういう人なんだと、興味深く親しみももって相づちを惜しまないだろう。
以前に別の女メーラーから、デートの男がふだん着みたいなラクな恰好で現れたら、バカにされた気がすると、これまたわたしのような不行儀な男にはきつく耳の痛い、しかも意想外な意見を述べられ、のけぞったことがあったが、意外、一対とも感じることを今日また聴いた気がする。
2005 3・27 42
* 鳥辺野の笹原の霰
秦先生 花粉症の季節、お辛くていらっしゃるごようす、早くこの季節が去ってくれますようにと、ねがうばかりです。わたくしはいつもの木の芽どき、ふはふはしております。
二、三日前の夜、かみなりさま、そして、パラパラ、カラカラ、はげしい音を立てて霰が降りました。ベランダに出てみましたら、たちまち、顔や手をお見舞いされました。小指の先ほどの白い玉でした。
でも三十分かそこらで雨にかわり、その雨もすぐやんで、清められた空には星。
降りものの中で、霰は「陽」のものでしょうか。音といい、いきなりやってきて、すぐにさっと去ってゆくさまといい。二代目松緑の鳶の頭か男伊達か……。
玉霰漂母が鍋をみだれうつ 蕪村
この句で「漂母」ということばを知りました。
「3-7U3」、わらってしまいました。わたくしはローマ字入力ではなくてひらがな入力でございます。「hana」と打ったのでは「花」と書いている気がいたしません。ときどき「fu」になってしまったりいたしますけれど。
軍隊にとられた青年が岩波文庫の「萬葉集」を持ってゆき、歌番号で、妻でしたか恋人でしたか、いとしいひとと思いを通わせ合ったという話を聞いたことがあります。
もちろん、検閲をすりぬけることが目的だったのでしょうが、副産物として、自分のことばでは言いにくいことも言えたのかもしれない―、そんなことを「3-7U3」から、おもいだしたことでございました。
南都楽所で笙を吹いていらっしゃるおひとのお誘いで、明後日から奈良に行ってまいります。薬師寺の花会式に参じて、それからひまが取れたら、どこか、とおもっています。薬師寺の聖観音像にたいそう惹かれた時期がありました。有馬皇子の面差しを伝えるという伝承も作用していたとおもいます。悲運の皇子への、少女の埒もない心寄せでございました。
鳥辺野の笹原の霰聴きゐれば鳴り出づやわが喉笛といふ笛
とんでもない霰。いつ聴いた霰ともおぼえず。 香
*「漂母」は、飾らずに言えば洗濯する女。
* 万葉集の歌番号は確定しているので、番号に託して慕情や恋情を伝えるのは、歌のよみ味わえる人には、うまい方法なのである。そのために相聞歌や防人歌や雑歌などを読みあさるというのも、この浩瀚な歌集に親しむいかにも楽しみな道のり。一冊本の万葉集テクストを持っているととても便利。同じことは古今集や閑吟集にも可能。
* 少し笑ってしまいました。遠藤周作さんの恋愛についての本に、恋人の男性に向かって俳優の誰がかっこいい、好きなどと言うものではない、言わないほうがよろしい、相手が気分を害するというアドバイスがあったのを思い出したのです。
たとえば仮にある魅力的な女性が、石原慎太郎って男らしくて素敵とか、私面食いだからキムタクが理想なの等々言うと、そんな女と会話していて白けませんか、という意味かと思います。とくに驚かれるようなことではないのでは。 都内
* どうも、これも、自分ならほかの女をほめられるとシラケルという意味に読みとれる。わたしは石原慎太郎であれキムタクであれ、好きな女性がどうほめようが、アテつけようが、何にも気にしない。だから無神経なほど、いい女性をみると相手構わず褒めたり好きだと言ったりする。そういう風に言いたいために映画を観たり本を読んだりしてきたようだ。根の所で、そういう佳い女達とわたしとは無縁の夢だとしか思っていないからである。すこしでも障りがありそうなら、口にも素振りにも出さないだろう。
2005 3・28 42
* 数日はっきりしない空模様でしたが、今日は晴れて・・。今日も花粉症に悩まされているのでしょうね。外出が、そしてさまざまなお誘いが多いことは喜ばしいこと。同時に大変だなあと、これは皮肉ではなく思います。
書き溜めているのですか、と書かれていて・・ああ、それならどんなに嬉しいことか!
残念ながら器械に向かう時間がほとんどなかったのです。わたしもまたさまざまな用事やお誘いに否応なく忙しい数日を過ごしました。旅の疲れと帰国後の疲れがたまっているはずですが、皮膚の状態はかなり良くなりました。
京都にいらしたのが22、23日、慌しく東京に帰っていかれたご様子。
24日が終わる直前に家に帰り着き、翌日は友人のところへ。夕方ニコラス・ケージの「ナショナル・トレジャー」を見る。一年ぶりの映画館。
26日には友人と京都に! もちろん、桜は蕾も固く、僅かに椿や桃を楽しみながら金地院から南禅寺、野村美術館北側から動物園に抜ける道筋を歩き美術館へ。また四条高島屋で「岡倉天心と日本美術院」展も。
27日 日本画の教室、4号の蘭の花の絵はほぼ終わりに近づき、次の絵の下塗り。
28日 絵画部の打ち合わせ、農協へ往復、帰宅後にやってきた友人と夕方まで。夜、食料などを買いに。
わざわざこんなことを記したのは、いささか反省もこめて・・こんなに動き回っていてはいけないと我ながら反省します。一人でいることの大切さ? と書くと笑われてしまいそうですが、実際そうなのです。何もなく一人で部屋にいる、今日はそういう一日にしたい。
帰ってからの、ここ数日の前にはインドがあったんだ、と不思議な感じさえあります。
インドでのこと、ひたひたと取り囲まれるように暑く熱い、重く、逞しい人間の沸騰がありました。短い旅でインドを理解したなどとは到底言えませんが、再度の訪問はわたしにとって意味あるものでした。現実をそのまま肯定するのでもなく、わたしに関係ない世界だと嫌悪で目を瞑るでもなく、一種の優しさを感じました・・どう的確に表現したらよいのか、まだ分かりませんが。夜の街の喧騒と生ぬるい闇の中に・・身を潜めるように暫くじっと佇んでいると、わたしもまたその中に溶け込んでいるかのようでした。戦後の闇市のようだと言った人もいました。
インドも、中国もどんどん変わっていると言われ、またそのように実感します。が、インドのごく普通の人たちがそんなに簡単に変わっていくだろうかという疑問も同時に湧き起こります。
旅の途中から読んだのは高神覚昇の「般若心経講義」。わたしが持っているのは昭和57年の27刷版ですが、それでも既にかなり紙が黄ばんで・・薄茶色になっています。再読してこんなにも読みやすかったかと意外な驚きに見舞われました。心経は分からない、分からないという感想をずっと抱いていました。読みやすかった、が即理解したに繋がらないところは同じでしょうが。
「ダ・ヴィンチ・コード」という本がベストセラーになり、これに関係した事柄をテレビで放映していました。モナリザとジョコンダ、実は二枚の絵があった、モナリザはマグダラのマリアを描いたものであり彼女がキリストの妻だったという重大な事実を伝えるための秘密結社にレオナルド・ダ・ヴィンチも属していた・・などの内容でした。マグダラのマリアに関しては以前メールに書いた記憶があります。
わたしの興味も実にさまざま、いえ、散漫に近い。
ハイデッガーを題材にした小説や、日本の歴史を遅れて少しずつ、など。それにしても充実した時間をたっぷり欲しい・・これはささやかな、贅沢な望みですね。 鳶
* はじめてこの詩人の手紙をもらったのは、父上を亡くされたあとであったろう、さ、湖の本はまだ出していなかったかも。思い出せないほど遠い昔になっているが、今、母上を見送った傷心のままインドへ旅立ち、インドから帰ってきたという。電子メールというものの使えるようになった最初の頃、わたしもまだよたよたと機械に向かっていた頃、七年も前の京の「大文字」送り火の夜のたよりが手元に残っている。
* すこしゆったりした一週間を過ごされたところでしょうか? 器械の調子が悪かったそうですが、昨日16日のメール、届いております。
昨日は京都に行ってました。勿論、大文字の送り火を見に出かけたのですが。やはり暑さには参りましたよ。寺町や、新しく出来た地下鉄東西線の御池の辺り、そして美術館で「岡鹿之助展」を見ました。岡鹿之助の実物の作品を見たのは初めてでした。印刷でこれまで見てきた限りではもっと色彩がきれいだと思っていたのですが・・いささかがっかりしました。何故かと言うと、彼の「油絵のマチエール」という本を私は高校生の頃から持っていましたので、彼の絵に対して自分がそれ以上の期待を自然にしていたのでしょう。悲しい事にこの頃は、以前と比べてみて、展覧会に出かけても、なぜか感動する事が少ない。私の感受性がかなり鈍っているのではないかとも思いますが・・。
よほどでない限り見に行かないという事も大切なのかしら?
送り火は出町柳で見ました。本当に久し振り。松ヶ崎に暮らしていた頃が懐かしくなりました。(播磨の)家に帰り着いたのは11時もかなり過ぎていました。
先の私のメール。悲鳴を上げているなんて言われますが、あれは悲鳴なんぞではありませんよ。私は簡単に悲鳴など上げません。簡単に悲鳴を上げている女だったらとうに(この世から)消え去っています。そうでしょ? ただ、言いたいのはどんな形であっても心が、感情が存続しているかどうかということ。・・これも蛇足?
本を読みすぎていささか食傷気味。頭に入っていきません。反省の余地、大いにあり。
お仕事、頑張って下さい。本など少し片付きましたか? お体大切に。 鳶
* U.-S@ 佳い手紙だ。
2005 3・29 42
* 曇天です。風があるので花粉は飛散するでしょう。眼の具合はいかがですか。ゴーグル姿というのが心配です。
今朝は一仕事したあとに、バグワンを読み、蕪村の句をいくつか読み直していました。澄みきった美しい読み物でしたが……。
あらゆる瞬間
あなたが何をしようと
あなたはその外にい続ける
どんな行為もあなたの<傷>になどならない
なり得ない
二人してむすべば濁る清水哉 蕪村
ふと正反対のことを言われている気もして、考えています。幸せや心地よさや悲しみや痛みや切なさのいりまじったようなふしぎな気分。
明るい一日をお祈りしています。 春
* バグワンのいう「あなた」は彼の話を聴いたり読んだりしている人のこと。そして、このバグワンの示唆は、バグワンの透徹すべてと文脈を繋いでいて、簡明だが容易ではない提示である。しかしまたこの言葉通りに読んでいい、読まねばならないこと。たとえば、わたしが人の失笑を買うであろう痴愚の、愚痴の、バカげた生きをたとえ示していようとも、それじたいはわたしと特別関わっていない外の現象にすぎない。獅子奮迅、何かに熱中していても、じつはわたしは何もしてなどいない。傷にもならないし得にも損にもならない。だからしなければいいということもない。「二人して」掬(むす)んで清水を濁そうとも濁すまいとも、それは外の現象。内なる清水(実存)はいささかも濁らない。だが、それに気付かない。人は外で生きよう生きようとしているから。
この場合バグワンの「あなたはその外にい続ける」とは、外の現象に傷つくことの決してない「内」にい続けていると言っている。そして言外に、だが「あなた」はそれに気付いていない、だから「濁る」「傷つく」と見てしまうだけのこと、と。
2005 3・29 42
あさっては、同じ教室にいた卒業生がめでたく結婚する。卒業生の結婚式と披露宴に、もう何人目になるだろう。ラッキー・セブンか末広がりの八回目ぐらいか。
* その東工大卒業生の一人から、以下のメールが来た。
* 自分の身の回りの事柄ではありませんが、気になることがひとつあります。 先生が「ライブドア」騒動に関して書かれていたことです。
先生は堀江さんを絶賛され、一方でニッポン放送・フジや旧勢力に対し批判しています。
後者の批判については、付け加える言葉はないのですが、堀江さんを絶賛されている点に関して、どうしてもひっかかります。(彼らの事業内容に対する賞賛ではないと理解していますが。)
ニッポン放送の株を購入するにあたり、ライブドアは800億の資金を投入しましたが、この800億という数字をどう思われますか?
僕はこの騒動の事実関係を正しく知りませんし、知る気もありませんが、800億というお金が突如出てきたことを無視してこの件を考えることはできないと思います。
僕の事業部は、1000億程度の売り上げを上げています。これは並大抵でできることではありません。
事業分野は違いますが、最終的にそれだけのお金を流す規模という意味で、1000億と同じ感覚で見ると、なぜ800億調達できるのか、疑問が尽きません。
一体何をすれば調達できるのでしょう?
不当な手段で得たと言っているのではありませんが、おかしいことです。
ですので、ライブドアがルールに則っていると言っても、僕には、ドーピングした選手が「ルールに則っています」と言っているようにしか聞こえません。
周りでは、ベンチャー企業を興したり、身を投じている人間が数多くいます。災害救助ロボットを作る人、中小企業向けにIT環境を整備する人、極端な例では、弾道飛行による宇宙旅行の実現を試みている人。ベンチャーの語意の通り、冒険しています。みな、資金の調達に難渋しつつ、価値の創造に努めています。この場合の価値は、社会に対し、価値あるもの、です。
しかし、ライブドアが今行っていることは、彼らの株価の上昇を目的としているに過ぎず、実績実体を伴う価値の創造を行っているとは到底思えません。印象としては、単なるバブルを引き起こしているだけにしか見えません。彼らの行動からは、ベンチャーのもう一つの語意である、投機を行っているとしか見えません。
M&Aを否定はしませんし、ライブドアの行動に価値がないと言っているのではありません。社会に対する価値を生まなければならないとも言いません。
ただ、800億というお金の存在を前にして、わざわざ先生がボーイズ・ビ・アンビシャスと言って賞賛するほどの人物・集団・事件だとは思えないし、思いたくもないのです。
東工大の出身研究室に在籍したある米人留学生は、卒業後銀行員になりました。巨額の富を得る冒険に身を投じたわけですが、スマートな選択だと思います。ただ、これを東工大生の進む道だとは思いたくないのです。
相変わらず、まとまりがありませんが、それでは。
(では、大志はあるか? とは、お願いですから、聞かないでください(–;;。) 卒業生
* ホリエモンを「絶賛」したりはしませんよ。ホリエモンにしても、フジ・ニッポンにしても、いずれ「慾と二人連れ」の泥試合なのは分かり切っています。わたしは、こういうとき、彼等の成り行く先には、成功であれ大失敗であれ、何の心配も同情も共感ももっていません。ただ、どちらかなら、あつかましく道をふさいだり、守ったりするだけの大人より、道を開くかも知れない若い人の意欲と冒険に賛成するだけです。
八百億円の調達は、いずれ盛大な借金(金融行為)でしょう、みえみえの悪事でできたお金でないかぎり、借金も、現代では事業ですし、貸してくれるについては、それなりに積み上げた信用や努力があったのでしょうから、それ自体に異議も驚きもありません。返せなくて潰れようが、立派に返済しようが、それは彼の自己責任・自己努力ですし、それなら成功をと励ますほどの気持ちはあります。が、かなり厳しい気がしますね。
このかなりヴァーチャルな金融偏向の資本主義経済のカラクリの中では、もともとこれは「実業」が稼いだ八百億なんかでなく、金融虚業の限りなく「数字」に近い八百億ですから、その金額にわたしは、別に驚きません。そもそも、われわれの現代をこのような金融本意の虚業時代に仕立ててきたのは「現代日本」そのものなんであって、対岸の火事でも他人事(ひとごと)でもない。もし、おかしいというなら、現代日本の企業・実業はもとより政治も文化も、みな、おかしいのですよ。と、一応、そこまでは申しておきましょうか。
その上で、ホリエモン氏が、あの若さと立場とで、そういうことのやれる足場を持っているらしいことに、無縁な驚きはあっても、それ以外の意外さは感じていません。しかし絶賛もしない。「ようやらはるわ」と思っているだけです、そして「真っ逆さまにひっくり返りなさんなや、がんばりなはれ」と思っているだけです。
だいたい、何事もないときは、若者がんばれなどと政治も財界もいいながら、少し熱くなってくると真っ先にざ゜いかいのジイサマたち、そこに巣くっている政治家達が、あわてふためいて道をふさぎたがる醜態がアンマリ情けなくて、ウソつきでいやだと思うのですよ、わたしは。ホリエモン氏の動かしている程度の金額は、この「虚」数字金融時代ではとくに驚くことでは無かろうにと、むしろキミの怪訝がっているのが、不思議な気がしています。呵々
2005 3・31 42
* エイプリルフールは午前中にだけ許されると聞いた気がするが、ほんまかな。何にしてももう午後になっているので、わたしはウソをつかない。
* 同じ卒業生君からまたメールをもらった。苛立ち、分かる。株式会社に、また「IT産業」の一翼を担っている大企業につとめているのだから、やはり「戦前の財閥と同じ」などと言う前には、戦前の財閥のありようを知り、分かり、実はいままた新たなもの凄い大規模財閥化がすでに実働していることに自覚を持って欲しい気がする。
* 怪訝に思っているというより、ここを(ホリエモンが八百億もの金を動かせる現実を)なぜもっと(マスコミは)叩かないのか、と苛立たしいのです。
実業・虚業という言葉が出てきましたが、僕は虚業を心情的に受け入れることができません。
虚業の世界と実業の世界の力の差が大きすぎます。これは拡大していく一方であり、このままでは、まともに働くと馬鹿を見るだけになります。戦前の財閥と同じではないかとも思ったりします。(まったくのうろ覚えですが。)
虚業に拡大はあっても発展はないでしょう。行き着くところは純粋なゲーム理論でしかなく、ますます実体と乖離していくだけです。
堀江氏は若いだけに、人のつながりに縛られることなく、欲のつながりで活動しているわけですから、性質が悪いように思えます。
これは、本当に時代の流れなのか、流行なのか、わかりません。僕は自分の息子に、自分のように働くな、というべきなのか、どうか。
僕も、技術なんてものに感傷を抱いてはいけないのか。
早くこの茶番が、落ち着くところに落ち着いてほしいと思っています。 一卒業生
* 苛立ちは、分かりました。
わたしは、この二年三年かけて中公版『日本の歴史』全二十六巻を、神話の彼方以来、戦後の今日に至るびっしり二万数千頁、本気で、読み返してきました。
この半年ほどは、明治維新以降の近代・現代史を熱心に勉強してきまして、もうすぐ読み終えます。自分にいちばん弱く手薄な時代であり、これではイケナイと痛感していたからです。(「ペン電子文藝館」の「主権在民史料」室に入れた井上清、色川大吉、隅谷三喜男、今井清一、大内力、林茂の歴史記述を、抄録ながら、一つずつ読んでみてくださると嬉しい。)
日本も、列強のあとを追って「国家独占資本主義のファシズム」を経て惨敗し、占領統治を経て「戦後自由主義経済」と称する、その実はやはり「独占資本主義」への底暗い復帰の道を、いまも日々に歩んでいるわけですが、そして君も、その一戦士であることに相違ないのですが、そういう「体制」を支えた、つまり資本主義経済の根拠・原拠・基盤組成に、一つ、「株式」という「虚」なる実質のあることには、おそらくきみも異存ないでしょう。株式という「式」は、実体よりも虚勢・虚数を運用することで威力を発揮します。遺憾にもしかし日本人は、そのあまり成熟しない株式理解や意識のママに、(よく謂われるように日本の企業ほど株主の利益を安易に忘れている例は、世界的にも少ない筈です。)日本国は、あたかもマネーゲームに近似した「金融」と「情報」とで動いて行く「非実業・非製造・数字型」経済の「流れ」をつくってきました。すくなくも、いつのまにか、それが、経済と国運の先頭を拡大しフロンティアを創ることを、政治も企業も、その傭われ社員達も、容認し続けてきた結果が、現在の、君の苛立ちを招いているのですが、そうした流れに大きく大きく参与していたのが、いわゆる「電子メディア」主導の「情報重視意識」であったこと、否定のしようがないでしょう。その意味では「**」の基盤社員である君とても、経済の虚業化促進に一役を買ってきた自覚があるのでは、あっていいのでは、ありませんか。
君の苛立ちは、その自覚の有ると無いとのどっちに起因しているのだろう。いずれにせよ、その自覚にたちながら苛立ちの、解消へ向かうなり、諦念へ沈むなり、容認へ駆け上るなり、しなければならない。その選択は、意識ある働き手ほど、くるしい自己矛盾の選択になるでしょう。
ホリエモンに対し、イヤな異星人をみるように嫌悪感をもつのも自由ですが、君自身の巨視的な存在位置は、座標は、彼ホリエモン氏と対照の彼方に在るわけでなく、わたしのような者の視野で謂えば、まんまと、「二人とも同じ」虚業化時代の情報産出や情報管理や情報運用のフィールドで働いている人達なのですよ。ホリエモンらの働ける時代を、君たちが熱心に作出してきたのではないですか。
ついこの間まで、政治も社会も財界のお偉方も、それを望ましい未来像だと謳歌して、「IT産業万々歳・大歓迎」していたではないですか。その意味では、「共犯」というまがまがしい言葉は使いたくないが、ホリエモンと君とは、「株式・情報・金融優先社会」の、舞台と舞台裏とに分かれて無自覚にも手を組んできた、現に組んでいる「お身内同士」と謂いきれるかも知れません。
拙い、見当違いかも知れないわたしの感想です。立派に、こんな感想を蹴散らして、確固たる資本主義社会の選良となるもよし、沈潜して、きみ自身存在の根を落ち着いて洗い直されるもよし、と思います。
* これがわたしの「言い過ぎ」であればよいと思う。
* 明日は結婚式にも披露宴にも出る約束で、式場への足の便が不慣れ。よく今日のうちに用意しておかないと失礼を演じてしまう。
2005 4・12 43
* つれもて。 卯の日、とメールして、今日は三輪明神の月次祭だったことに気が付きました。午食、すぐにお参りに出掛けました。駅に向かう道には、雪柳がうつむいて、小さな白い花を開き始めていました。三輪には、春らしいそよ風が吹き、何本も、満開の桜の下を通りました。露店の途切れた参道の梢に、ころころとよく囀る一羽の雀がいて、飛び立つ前に目が合いました。
先日、また別の大阪民放で、(桂)文枝さんの追悼番組がありましたの。雀が、一度しか聴けなかった「悋気の独楽」でした。丁稚がかぁいらしぃて、また聴きたいなぁと思っておりましたのに。
上方落語界は、文紅、文枝、染語樓と続け様に喪ってしまったそうです。「噺家さんて、みな淋しがりやサンやから、連れ持て行かはるんや」と、女友達は言います。
染語樓さんは、成人式の日の一門会に病院から駆け付け、米朝・文枝・六代目師匠方のモノマネをなさったのが最後とか。文枝さんがお出になる高津宮の一門落語会と近くの会場でしたが、開演時間も近くてはしごができず、彼女も雀も残念で、それぞれの会場へと泣く泣く別れたのですよ。
病院を抜け出しての一席が、最期の高座だなんて、文枝さんと、いっしょ。 囀雀
* 「つれもて」は、「連れ立って」のたぶん和歌山県よりの方言ではないか、できれば、より元気に「つれもて」行きたいものである。
2005 4・1 43
* 柳博通君と福井祐子さんの結婚式に。地下鉄神谷町駅から歩いてすぐ、東京タワー間近の聖オルバン教会で、十一時開式。十二時に滞りなくめでたく挙式を済ませて、丸山宏司君と久しぶりに顔を合わせて、歓声。
さて次なるオークラホテル、オーキッドルームでの披露宴まで、二時間半ものインターバルに、わたしはひとり有楽町へ戻り、「きく川」で前祝いの乾盃、そして「戦争と平和」の第二編を読みすすんだ。
二時半までに虎ノ門からホテルへ入り、丸山君夫妻の愛娘葵ちゃんに初対面、これを楽しみにしていた。抱っこして、わたしのデジカメに二人で写真に撮られたのが、とてもよく撮れていて嬉しい。
* 博通君 祐子さん おめでとう。
博通君のことは、相当、よく識っているつもりです、が、その彼が、私の教授室でよく話してくれました、数々の名言・珍語のなかで、ひときわ、生彩を放って、最も印象に深く刻まれているのは、
「秦先生、ボクは、テン才なんです」という一語でした。
但しその際、彼は、賢明なことに、「テン才」の「テン」が、「天上天下唯我独尊」という、あの「天」の字であるとは言いませんでした。私も、実はその辺、ことさら、確認はしなかったのです。
今日出席の、私の教室に出ていた諸君は、たぶん記憶されているように、その頃、授業日ごとに、現代の短歌や俳句の表現から、漢字一字を虫食いにしておき、そこを補わせて楽しんでいました。例えば「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」(久保田万太郎)の「馬」一字分を虫食いにしておくわけです。決して単なるクイズなんかでなく、もう殆ど「創作」に相当する、ムズカシイ問いかけでした。が……、
さて、博通君自称の、「テン才」の「テン」がもし虫食いなら、どういう漢字の「テン」を補えば適切でしょうか。意地悪な人はああ瘋癲の癲だ、などとからかうかも知れません。が、私は、幸いそうは思わない。むろん大空を意味する天の「天分」は十分に在るとして、その他にも、もし謂うならば、「展開する」「発展する」の「展才」ではなかろうか、あるいは、そういうふうに、これからも「展開・発展」して行く才能なのではないかと、期待を込めて「言祝ぎ」たいのです。
ですが、これにも、問題は有る。「展げ・展がる」だけでは、柳君の好きな「空間」展望は期待できるけれども、さて垂直にも深まる「縦軸」を見失うことと、同義語、になっては、いけないでしょう。また「時間軸」も、ぜひ考慮に入れていただきたい。……建築にも。人生にも。
何にしても、天分ある「天才」とは、譬えて謂えば「龍の王」の如き、力ある、大きな、存在です。どうか、ますます、そう在って欲しい。
しかし、柳君。こういう「句」があります。かつて君に示して、ぜひ考えよと迫ったことがあります。それを、もう一度、一「決意」として、思い出して見ましょう。
「龍ニシテ 求メツヅケル 玉ノアリ」
「龍ニシテ 求メツヅケル 玉ノアリ」
花嫁の祐子さん。博通君を、立派な「珠玉を抱いた龍」に、どうか、あなた「が」してやってくれ、とは言いません。
それよりも、あなた自身も、美しい聡明な龍女となって、夫婦して、幾久しく輝いて下さい。それがイチバンの協力です。
この時代、これからの日々、「良き日」ばかりでは、ありませんよ。
だからこそ、お二人。
「良き日ふたり 悪しき日も二人 おめでとう」
さ、みなさん、いろんな思いを籠め、幸せに、乾盃しましょう。
* 丸山君、新野聰一郎君と一緒の席で、話弾み、頼まれていた乾盃のスピーチ役も上のように済ませて、降旗淳君や中野智行君も一つ席へ動いてきてくれて、歓談。
新郎の挨拶でわたしとの思い出にも触れてくれ、絆はまた太くなった。彼は、結婚早々にやがてチェコへ出向することになっている。二人のつつがない幸せな前途を祈る。
* 銀座へ戻り、有楽町線で一気に保谷まで帰る。マスクをしていたためか、ずうっと寝ていた。酒量のせいかもしれない。まだ桜は、教会だけでしか見られなかった。花粉は鼻へ鼻へ来そうで、なんとか持ちこたえて帰ってきた。
2005 4・2 43
* (花粉の)お加減はいかがですか。
開花宣言も出て、すっかり春めいてきました。四季のあるこの国は本当に素晴らしいですね。
明日は、友人たちと、年に一度恒例の「お花見会」をします。(雨でも決行します。)年代はいろいろですが、8名ほど。全員きもの姿でお庭のきれいな某ホテルの和食店に集まります。
食事会のあと、散策、記念写真、お茶と、にぎやかに優雅に楽しむというもの。とても「細雪」のようにはいきませんが(笑)。
数年前、母の遺した沢山のきものをなんとか活用しようと、着付けを習いました。京都の呉服業界などがやっているNPOで、「無料着付け教室」というのがありまして、それに3ヶ月通いました。最後には、母の「留袖」を着る機会も
ありまして、一抹の感慨が・・・・ 早く亡くなった母の年齢を私はとっくに超えてしまいましたが。
でもこうした楽しみを持てるのも、「平和」あればこそ。私、小さな個人にとって平和のために何ができるかと考えます。「9条の会」のことはよく見聞きしていますので、なるべく地元で入ろうかと考えたりもしています。
またお便りいたします。 桜
* 徒然のメールです。ふと。本で安田武と多田道太郎の対談(『「いき」の構造」』を読む)を読んで『江戸』の文化と『京文化』の違ひに遊びました。
本の余韻から、九鬼周造の「「いき」の構造」を読みました。
「戦争と平和」は、中村白葉で読みたい。
春は西行を思ひ、道元を思ひ、霊やどる大樹を思ふ。ついメールです。 川崎E-OLD
2005 4・2 43
* 撮ってきたデジカメ写真をディスプレイで眺めていると、今日はなかなか楽しい一日であった。丸山君達の葵ちゃんを抱いて撮って貰った一枚が佳い。しかしまあ赤ちゃんはなんてすべすべと綺麗なのだろう。なまじいに機械の精度がよすぎて七十になろうという爺は万事がきたない。ま、あかちゃんと美を競ってみても始まらんが。嗚呼。
2005 4・2 43
* モノレール hatakさん 二日、春にふさわしい慶事でしたね。
私は三月生まれですが、どうも春先は体調の切り替えがあって安定せず、身辺に異動のある月で心も穏やかならず、落ち着いてすごせる季節ではありません。
4月1日付けで昇格、現在の研究室で室長になりました。独法化前は、霞ヶ関本省の掟で、研究職といえども定期的な人事異動の椅子取りゲームに参加させられていました。「地場昇格」という異動を伴わない昇格人事は禁じ手でした。独法化後、各研究所の所長の権限が大きくなり、無意味な異動より実のある実績が重視されるようになったためでしょうか、地場昇格も普通に行われるようになりました。
昨年の後半に、研究対象の診断キットを製品化し、今年度は大きめのプロジェクトも獲れそうな見込みで、こちらにきて始めた仕事が実りつつあります。今は絶対に動けないと思っていたところで、正直ほっとしましたが、今年は
運悪く当地での学会や会議の開催が続き、大変な船出になります。
hatakさんの「無人島幻想」のようなイメージ、私が持っているのは「鉄道レール」です。
世の中には沢山のレールが交錯していて、その一つに自分が乗っている。都内各線のように、相互乗り入れをして地下、地上、高架と、しょっちゅう切り替えポイントをゴトゴトと乗り越えていくレールもあれば、田舎の単線のように起点から終点まで、ほとんど切り替えポイントを通過しないレールもある。
レールはどこへ向かっているのか、いつ終わるのかわからないし、切り替えポイントを通過するときも、何の音もなく別の路線へ入って、後から「ああ、あの時にポイントを通過したのか」と気づくこともあれば、ゴトンと大きな音を立てて行くこともある。
ある時期自分のレールに並行して走るレールが出てくれば、それが「相方かな」と思う。そのレールは決して自分のレールと交わることはないけれど、相方なら線路の尽きるところまで、いつまでも一緒に走り続けてくれる。(そして自分のレールとくっついているような幻想を抱くことが出来る。)そう期待して想っていても、相方でなければ、いつしかだんだん距離が開いて離れてしまい、泣こうが叫ぼうが、もう、並行して走ることはかなわなくなる。
hatakさんのいわゆる「島」に進むべき、方向性を持たせたイメージです。
この春私のレールは、突然切り替えポイントにさしかかり、ゴトンと音がして、レールが切りかわりました。でも幸運なことに、前のレールが向かっていたのと同じ方向を向いて走ることが出来そうです。本当は、海沿いの暖かい路線を行きたいのですが、いまの路線の行き先は、雪深き大山脈です。それから、いまのところ私の路線は「モノレール」です。
華岳の絵のような、とろりとした花見がしてみたいですが、連休に「湖の本・谷崎潤一郎の文学」をゆっくり読むことを楽しみに、あわただしい今月を過ごすことにします。
花粉を避けてお大切にお過ごし下さい。 maokat
* maokatさん。理解しました。 Good Luck!
華岳の「平野の夜桜」 あれほど不思議な、あれほど不思議な美しさを湛えた、耽美の夢のような繪画は珍しい。桜の下の男女群集のだれひとり目をあいていない。動かずに動いている、ゆれるように画面は花見のにぎわいをもちながら、絶境無音の深みに浮かんでいる。
どんな現実の花見よりも、あれは心身内奥の花見の繪であった。おお、村上華岳!
* 車を運転しながら、流れている川のことや、いろいろなことをよく考えています。
連絡がすぐにはできなかったので、今年の花もお見せできなかったなと思いました。
年度替りで少し忙しくしましたし、花粉症やインフルエンザでも忙しくしました。
梅はもう皆様の心を離れたかも知れませんが、通りすがりにボーっと紅く霞んでみえます。
ぶらりとお出かけなさいませんか。 久慈川
* 今私は水彩と100号の油絵を同時進行のようなかたちで追われております。 同じ、六月中の展覧会で、どちらも気のぬけない大切な制作です。
何とか40号の水彩のほうは、八割がた描けたかなーとすこしほっとしておりましたら。今日は肩が痛く、描く気力も失せて、ずうっと庭いじりなどして夕方になりました。
嬉しい大事なメールをいただき、いっぺんに体調が戻ったような、若さが戻ったような心地でございます。有難うございました。
この二つが済んだら(柿傳)へお誘いできるかなー。 いらしていただけるかなー、と、唯一の楽しみです。
絵は、すこし、今までとは変わってきたかなーと、自身では思います、が。果たして評価していただけるか? は疑問ですね。
とりとめもなく。 今度は、ワードで書いています制作の苦しみ(ナイショごと)を、きいてくださいませ。 郁
2005 4・3 43
* 今年は春が来るのが本当に遅いですね。土曜日、東工大で花見をしてきました。大学時代の山のクラブの卒業生が中心で、何人か現役生も来ました。あいにく桜は一本ぐらいしか咲いていなかったのですが、話がはずんで、あっという間に時間が過ぎました。旧友と語らい飲む酒はたまらなくおいしかったです。
名古屋から東京に戻ってきて、もう3年になりますが、東京だと友人が多く楽しいことに事欠きません。特に山と音楽の仲間は、これからずっとつきあっていきたい大事な友人です。
会社の仕事を考えると、またいずれ転勤などあるかと思います。多様な仕事をこなすことにより、技術者としてはレベルアップしていくのでしょうが、転勤するときに失うものの大きさを考えるようになりました。
仕事も充実させながら、プライベートも充実させることはとても難しいですね。将来どんな生活をしていくのか悩むことが多いです。
花粉の季節が終わりましたら一度お会いしたいのですが、先生のお時間のあるときはありますでしょうか。
どうかお大事になさってください。 卒業生
* いま、もうわたしが先途を気に掛けて案じている、この人が最後の一人といえようか。まったくノープロブレムの健康な秀才で趣味も豊か、社内の評価もいい青年であるが、なかなか伴侶に出逢わない。この人はかていをもてばさらに分厚くなるタチの人だと思うのであるが。いつもいつも幸せを願っている。 2005 4・4 43
* 昨夜無事に帰国しました。
パレルモに着く前日にローマ法王が神に召されました。街の建物には反旗が掲げられていました。
危ぶまれていましたが、幸いにも大聖堂に入れて、旅の第一目的である素晴らしいモザイク画に圧倒され、厳かに法王逝去のミサが執り行われているのを、同時に目の前にして、クリスチャンならずとも涙ぐみました。記念の日になりました。
気温が低かったのでしょうか、桜のピークに間に合いました。 ラッキー! 泉
* 海外に旅して便りをもらうのは、このところ揃っておばあちゃんである。わたしとおっつかっつの年寄りがいとも気楽に海外へ飛び、元気に返ってくる。蝸牛のように家と家族という殻を律儀に背負って、当然のつとめのように言う人もあれば、ひとりヨーロッパをこころゆくまで歩いてこれる主婦もいる。いろいろだなあと思いつつ、わたしは眼を閉じて闇の中へ入ってゆく。
2005 4・6 43
* 名鉄の地下街でチャーシューまんを見つけました! 六つ買って、ほくほくして帰ってきました。
今日は名古屋駅周辺をぶらぶらしたのですが、かわいい服や靴がいっぱいで、いくつか欲しいものがあったけれど、そうそう散財していられないので諦めました。
いつかお目に掛かれる機会があるといいですね、風。 花
* 昨日より急に暖かくなり、花粉も全開のようです。タクシーの運転手さんが、走っているといつの間にかボンネットが花粉で黄色くなるとぼやいていましたよ。痛みとかゆみなどで涙を流してられないか心配しつつ、過ごしていました。
桜はまだ早いようですね。
今日は美容院に行きました。今日明日はきちんとしたスタイルを保てるでしょう。髪型よりも髪の質のケアに気をつけているつもりです。でもやっぱり乱れ髪が多いかしらん。
行きつけの美容院の隣のパン屋さんは隠れた名店。ここのブラックベリーや洋梨のパイと食パンは最高です。昨日は宅急便で届いた新鮮な筍で筍ご飯と煮物をたっぷり作りました。元気に食べて、時々発作的に涙が溢れて、ややこしく過ごす、春、です。
2005 4・6 43
* 高田欣一様
今度の(通信の)西行論 ひときわ面白く、今までの中でも突出して面白く読みました。西行という人は歌が佳いので、自然、その歌を引用されての議論は読み手を惹きつける徳があるのでしょうか。かなりの分量の論ですが、長いとも煩うことなく、花粉症の眼をしょぼつかせながら一気にずんずん読みました。ありがとう御座いました。
和歌で用いる「人」ということばは恋人のような「特定の人」をさす、とばかりは言いにくいと思います。
「ひと」は、だいたい「他人」「他者」を意味していたように思います。「世をうぢ山と人はいふなり」「夢の通ひ路人目よくらむ」「人に知られでくるよしもがな」「人目もくさもかれぬと思へば」「ものや思ふと人の問ふまで」「人づてならでいふよしもがな」のように。「他人事」を、「たにんごと」などとばかげた読みをこのごろの人はしますが、むろん「ひとごと」ですね。例の谷崎の、「われといふひとのこころはわれひとり」などと「人を我と」示す例は稀少のようです、いえ、めったに無い。「人をも身をも恨みざらまし」のように、自分のことは、「われ」のほかは「身」が普通でしたから。そして、この「人」など、特定の恋しい誰かに宛てて読むのがむしろ自然ですね。
高田さんのいわれるように、「ひと」を読む魅力はなかなかのもので、可能性も、実例も「いでそよ人を忘れやはする」「うかりけるひとをはつせの山おろしよ」「来ぬ人をまつほの浦の」など多々あり、和歌を読む楽しみが増えます。「人には告げよ海士の釣舟」「人知れずこそ思ひそめしか」「人こそみえね秋は来にけり」「人こそしらね乾く間もなし」「人もをし人もうらめし」などを、恋しい人かのように読むと、がぜん歌の面白さが物語めいてきますものね。
おなじように、「世」も、根は、男女の仲にあると、私は、読んできました、好色一代男の「世之介」という名にまで伝わる伝統としても。「よのなかはちろりにすぐる ちろりちろり」の「世間」もそう読んでこそ、幾重にもこの室町小歌は面白く生きてひびくものとも。
いろいろ想って、楽しんで読みました。
またまた読ませて下さい。 お元気で。 秦 恒平
2005 4・6 43
* 朝からくしゃみ連発です。今年の花粉はどうなっているのでしょう。花粉症とは無縁だったわが家に異変……。ティッシュの箱を抱えている娘を横目に、最近のティッシュの売り上げは急増しているにちがいないと確信しました。ニュースで眼を真赤にして涙ぐんでいるお猿さんたちの映像が、あらら、かわいそうでした。
どうぞ血眼決戦乗り切ってください。これからマスクして外出します。 春
* どこだか、去年一年間分以上の花粉がたった一日で舞った地方があると。信じられるか。ギネスブックものの季節病だ。わたしは就寝中もマスクしてゴーグルをつけている。それでも夜中にクシャミ爆連発。
2005 4・8 43
* 花びらの美しき哉
バグワン。わからないのですがわからないことへの郷愁を感じて、インド哲学の『言葉』に惹かれます。
西洋文明はベーコン、デカルト、ニュートンの道を歩んだ。
『頭』だけに偏らない自然を神々が創りました。日本の國。
晴らしい言葉を知りました。
「龍ニシテ 求メツヅケル 玉ノアリ」
「龍ニシテ 求メツヅケル 玉ノアリ」 川崎 E-OLD
* 秦先生,岡崎の***です.
ホームページは欠かさず拝読しておりますが,お体の具合はいかがでしょうか? ホームページを拝見する限りでは一頃よりもお体の具合が良いようにお見受けするのですが.どうぞご自愛下さい.
昨日,湖の本の代金を送金させて頂きました.いつもながら遅くなりまして大変申しわけありません.昨日ようやく終了間際の郵便局に間に合いました.
一昨日まで1週間ほどアメリカの学会に参加しておりました.
僕にとってアメリカは初めてな上,そもそも海外に一人で行くのは初めてでしたので大変緊張しました.とりわけ,このところはテロ対策で空港のセキュリティーが非常に厳しいので,なお一層気を引き締めなくてはなりませんでしたが,幸い何事もなく帰ってくることができました.
場所はデンバーというところだったのですが,ロッキー山脈を擁する標高が高い土地のため,空気が薄く,少し動いただけで息切れしそうになりました.実際,参加者の中には高山病に罹ってしまい,発表できずに下山して人もおりました.
スキーリゾートのため,多くの人はスキーをしていましたが,残念ながら私はスキーは全くダメなので,かなりの時間をホテルの部屋で過ごす羽目になりました.ホテルの窓から眺めるロッキー山脈もなかなか美しかったですが,
帰りの飛行機から眺めた富士山や日本アルプスが事のほか美しく,きっと一緒に乗り合わせた外国人達の目にも好ましく映ったに違いありません.この風景は日本が世界に誇れるものだな,と思いました.
この出張の間に,気付けば日本はすっかり春になっていました.この週末には桜でも見ようかと思っております.
最近,岡崎に来てからの仕事をようやく論文に纏めることができました.まだ正式にではありませんので公にはできませんが,***誌に受理されました.私だけの仕事ではなく,数人での仕事ではありますが,ようやく形にすることができ,満足しています.
まだまだやらなければならないことも沢山ありますが,これで一区切りつくこともあり,かねてからの希望であった海外留学の準備に本格的に取り掛かっています.実は一昨日までの学会も,そのための布石でした.できれば来年の秋くらいには向こうに移って研究をしようと思っております.
なかなか行き先を決めるのは難しいものではありますが,反面楽しくもあります.
また何かありましたらご連絡いたします.それでは,お体にお気をつけ下さい. 卒業生
2005 4・8 43
* 藝大の入学式は済みましたか、これからですか。どんな感じか、父兄の顔をして覗いてみたいぐらいです、どんな気分でいますか。
いい機会だから、日記を、負担にならない程度の自由なメモでいいから書き留めておかれるといい。ずいぶん役に立つものです。手帖でも、大学ノートでも。書くことがなければ日付だけでもいい。ひと言二言、単語や場所や人の名だけでもいいのです。心をおちつかせ、不思議に効く薬の役をします。
ゴッホ展、ラ・トゥール展 みました。工芸館で日本の工芸のいろいろも。
勉強はどこの校舎で始まるのですか。繪には、まなべること、まなぶしかないことも有り、自分で見つけるしかないことの方が多いし深いと思いますが、そのどちらも楽しんで踏み込んでやってくださいよ。腰が引けていると尻餅をついてしまう。わたしのぶんも勉強して下さい。そして、感じた事など聴かせて下さい。
おめでとう。すばらしい春ですように。 湖
* 今日も暖かかったですね。
木曽岬(きそざき)というところに数キロもつづく桜並木がありまして、今日はそこをドライブしてきました。まだ満開には至っていませんが、壮観でした。
春は年度変わりの季節。新入学、新学期の緊張が体にすり込まれているのか、毎年この季節になるとなんだかそわそわします。おひさまはキラキラしているし、花は咲くし、空気は暖かいし、いいことばかりなのですが、胸騒ぎがするといいますか、ちょっぴり不安になります。
そんなことって、ありませんか、風。 花
* 学校社会にいると、生徒でも先生でも、学生でも教授でも、新学年の春は春ならではの興奮がある。学生時代のそれはさすがに抜けているが、東工大の頃はあれで春には春の初々しいような興奮と不安とがあった気がする。
作家になってから、ながらく不安を感じるのは大晦日・新年のちかづくころだった。ことしはろくな仕事をしなかったという悔いは幸いもたなかったが、来年も今年のように、今年以上に仕事が出来るやろかとは思ったし、同じような不安を声高に書いていたまともな作家のいたのも知っている。
いまは、そういうことは一切考えない。すべきこと、というのを年々に落とし去って行きたいと思うばかりで、あるがままに「今・此処」で生きていられれば幸せではないかと感じている。
* 眼の調子いかがですか。
朝から横浜にでかけて、いま戻りました。友人の「咲織り展覧会」が、みなとみらいの赤煉瓦倉庫でありまして。いろとりどりの布、布。それで造った衣類。万華鏡のように色がゆれていました。
春の海を眺め、花が風ですっかり散りゆくのを惜しみつつ、帰ってきました。
ご著書が、大好き。端正で幽玄ですもの。けれど、先生ご本人は未知数。
いまはちょっと無理ですが、将来電子図書館の入力などボランテイアしたいと思っています。 汀
* お花見日和 京都もようやく綺麗なさくら色に染まりました。
山越にある桜守の佐野籐右衛門さんのお庭の紅枝垂れに歓声をあげ、遠く近くの花を楽しみながら広沢の池のほとりでお弁当。北嵯峨の田園風景の中を歩いて大覚寺へ。
人の多いところを避けて、のんびりとしたお花見でした。
明日は雨でなければ円山公園の枝垂れ桜に会いに行ってきます。
花粉の季節が早く過ぎますように。
お大切にお過ごしください。 のばら
* 従妹の日々がどんなかをわたしは全く知らないけれど、こう歩いている先はみな知っていてひたすら懐かしい。
雨が降ってくれれば、いくらでも花をたずねて歩きたいが。今日も繰り返し返し眼が痒い。幸い目薬とマスクとが効いてくれて助かるが、花粉の時はいつも全身が熱っぽくまた冷気にも襲われる。ぞわぞわしている。
2005 4・9 43
* 春ですね 秦先生 この週末は、お花見日和でしたね。
花だけでなく、鮮やかな若葉もいっせいに吹き出して、目がくらむほどのまばゆさです。
ご存知ですか? 鎌倉の山は吉野ほどではないにしても、山桜が多く、この時期は山が白くなります。市の木は山桜に指定されているくらいです。
年齢(とし)のせいでしょうか、今年はいつもにも増して、春の息吹を「美しい」と感動します。ここ数日、京都に奈良にと飛び回り、東京出勤の日も陽のある時間にはなかなか体が空かず、挙げ句の果て、せっかくの土曜日である昨日は学会誌の編集委員会があり、よりにもよって担当号で一日拘束と、なかなか花を愛でられません。編集委員会
くらいは早く帰りたいと思っていましたのに、会議が長引きはじめた時は、思わず殺意を覚えたくらいです。なぜだか不思議なくらい今年は「花は盛りに」見たくてたまらず、いま見逃したら、もう取り返しがつかないような気がしてならないのです。段々と取ってきた年の故(せい)で、「生命」への感動が大きくなってきたからでしょうか。
せめても花を見たい、と、電車も新幹線もひたすらに窓際に座り続けたりしています。
いのち、といえば、先日俵万智さんの記事を日経で読み、初めて彼女の歌に涙しました。
万歳の姿勢で眠りいる吾子よ そうだ万歳生まれて万歳 俵万智
俵万智もここまで来たのだな、と。(えらそうな言い方ですけど。)
実は、彼女の歌にも未婚の母という生き方も、それほど強く共感したことはなく、特に彼女の歌は口当たりはよいのですが、詠まれている思いや表現が皮相的な気がしていたのです、が、その彼女がついに感情ではなく、いのちを歌いはじめたな、と。
「そうだ」が効いていますね。「その通りだ」とも読めるし、「そうだったよね」とも読める。「その通り、その通り、よく生きていってね、イケイケドンドン」とも読めますし、一方で、何か辛いことがあったのかもしれませんが「そうだ、あなたが生まれたこと万歳と思っているのよ」と心を新たにしているような。
母になると、詠み込む感動も色濃く深くなるのかもしれません。受け手のほうも。
もう一つ、命の喜びに関連して。
先生のHPで**君が結婚したことを知り、なんとも言えずほっとしました。彼とは直接知り合いではなかったのですが、共通の知人が数人いて、その人柄を聞いていただけに、よい方と巡り会って結婚されたと知って、心の中
にぽっと明るいものが灯りました。
花粉症も治まりつつある頃でしょうか。よい春をお過ごし下さいませ。 鎌倉
* ある日の教授室へ、このメールの人がひょっこり訪れてくれて、これからさき社会に出ての希望の仕事などを話してくれていた。いつものことで、他に男子学生が三四人いて、彼等がさかんに挑発ぎみに彼女に尋ねたり批評したりするのだが、この人、一騎当千揺らぐこともなく応対して男どもはやがて沈黙、そんなときわたしは、だいたい口出ししないで行司席に腰掛けたままおもしろかった。文化財修復等に自身の専攻学問をきっと生かしてよい仕事が出来るとこの人はほぼ姿勢を決めていて、それが今にその通りに繋がっている。結婚して姓も変わり子供も出来てとても大切に愛しているいいお母さんだが、わたしはその学生時代の姓も、アイサツに書かれてくる鉛筆の文字の感じも忘れていない。しかし、たとえ道で会っても、とてもわたしからは分からない。
あの日の教授室にはその**君がいて、彼がいちばん元気に彼女を質問攻めにしていた、昨日のことのように、懐かしい。まるで無縁だった二人かと思っていたので、メールに、思わず微笑がもれた。
* 俵万智といえば、先日の理事会で隣り合い、わたしの教室にいた彼女の弟が、七ヶ月ほどの赤ちゃんの父親になっていることや、かつて、つかこうへい氏がらみに少し縁のあった息子建日子の仕事ぶりに、彼女の方から触れてくれていたことなど思い出す。しかし俵さんの私生活のことなどは何も知らなかった。挙げてある短歌一首の風も表現もさほどむかしと変わった感じはもたないけれど、そして事情を知らなかったら、むかし架空の恋唄時代からいま架空の母親時代へ移動したのかな、などと想ったかも知れない。お互いにとしをとったと想ったかもしれない。質感のある大人の生命感がいつまでも芽生えない歌だなあと想ったであろう。
2005 4・10 43
* おやすみなさい 天才さん。
そろそろ寝る準備です。寝る前の読書、貧民倶楽部もバグワンも楽しみで、これからお布団に入ります。でも、その前に胸の内から溢れるしあわせなエネルギーのようなものをお伝えしたくてたまらなくなりました。この何かわからない幸せを全部お送りします。感じてください。
花粉の影響もなく、たくさんの桜花に出逢えたようですね。美しいものを見て、益々水の清められていく湖。初めて花の意味を教えていただいたように思います。来年はご一緒にお花見の機会がありますように。
母をお花見に連れていきました。白い花のトンネルを通ってうっとり幸せでした。母が元気でいてくれることも、母と一緒のお花見が出来ることにも感謝しました。
おやすみなさい。 春
* 娘さんが大学の何年生だとかメールに有ったと思うが、いまどきの、中年も過ぎてゆこうというお母さんは、主婦は、概してとても気が若く、信じがたいほど初々しい(読む方は照れてしまう)言葉が、気分よげにふつうに使えている。「メール時代」が、かつてなかった言葉や心情を女性達からよびさまし、清泉泓泓と湧き上がるらしい。
可能ならば「パソコン社会学」や「メール表現学」が卒論や研究の対象にならねばオカシイ時節が来ているが、わたしの「闇に言い置く」には、無垢の原料が提示されている。むろん、わたしは、心して頂戴している。
2005 4・10 43
* 秦先生へ こんばんは、***です。
昨日は会社の仲間と千葉で花見をしていました。満開で良かったです。
さて、お会いする場所ということでいろいろ考えてみました。
私のお気に入りの恵比寿ガーデンプレイス内にある写真美術館で、田淵行雄さんという山岳写真家の写真展が開かれます。30年ぐらい前の写真ですが、自然を見る目が優しい人だなという印象です。
ただ、来週はまだ開いていないので30日ぐらいになってしまいますが。先生は写真には興味がないでしょうか。
今週末となると、半蔵門の山種美術館で桜の絵を集めて展覧会が開かれております。きれいな日本画がいろいろ見られそうです。
http://www.yamatane-museum.or.jp/
他に一度行きたいと思っていた向井潤吉さんのアトリエ館ですが、こちらもいかがでしょうか。先生はもうご存知でしょうか。
http://www.mukaijunkichi-annex.jp/main_j/index.htm
ただ、先生の花粉症の具合はいかがでしょうか。外出が大変なようでしたら先生のお宅の近くにうかがいます。
金曜日の夜に東京の実家に移動すれば、お会いする場所はどこでも大丈夫です。できるだけ先生の負担にならないようにしたいと思います。それでは。
* この卒業生となら、ゴッホをもう一度とも思うが、土曜日では人山を見ることになりそう。すこし筋の異なったものに目をむけてもらうなら、出光などいいかもしれない。ルオー展をどこかで近くやりはじめるが、ルオーの好きな卒業生もいたなあ。
* 昨日は最高気温27度の夏日。
十年ぶりくらいに圓山の枝垂れ桜を見ました。花のない黒い枝にカラスをとまらせ、なんだか哀しげに咲いているように見えました。
今日は風が強くて肌寒く、花吹雪が舞っています。
今夜は週一度の太極拳サークルの練習日。もう六年近く珍しく続いていて、十才や二十才若い仲間達と違和感なく楽しくやっています。(笑) 今夜は終わってから皆で平野神社でお花見、練習の後のビールはおいしいです。
毎日元気に過ごしています。 のばら
* 花の写真が届いていて、此処におさめられると何よりだが、おさめようを全部忘れてしまって話にならない。このホームページに写真も入ると色気が出るのだが。
* 同年輩だと、一つの話題でも、誰が話したとていいぐらい、似た話になるから、半分は互いに退屈かも知れないけれども、半分は互いにひどく気楽で、どう喋っていても落ち着くところへ落ち着く。妙な気合いである。 2005 4・11 43
* 花の谷で。 桜、桃、白木蓮、辛夷、雪柳、菜の花、連翹、木瓜、沈丁花…初瀬の谷は花にあふれ、赤猪子のさとは、雨待ちの朝を迎えました。
京まで一時間半‥往復できるなぁとおっしゃってくださったことも、柏原経由で帰ろうかと思ってくださったこともございました。名古屋を通るからと気遣ってくださった日もございましたが、そのたびに、お疲れを増さぬよう、お仕事に障らぬよう、そればかりが気にかかり、ご負担のない道中で、どうかご無事でお帰りをと祈る雀でした。
強引に掴む爪も、飛んでいくつよい羽も、くわえこむ大きな觜も、雀はもっておりません。ですが、この景色を見ておりますと、一度ご一緒したかったナと思いますの。 雀
* 大昔になる、あれは西行の旅で四国から河内の弘川寺、大峰、十津川、熊野などを回り回っての帰り。もう一度京都へ戻って、西行出家の地と伝えた西山花の寺を訪れてから東京へ帰りたいと、ずうっと同行の担当編集者と別れ、津であったか松坂辺からか、近鉄に乗り換え橿原辺を経由京都駅に入ったことがあった。わたしが、雀さんの永く住んでいた名張という街を車窓から眺めかすめて通過したのは、その大昔の一度しかない。
しかしこの大和を経由して名古屋に至る近鉄線は、かなりの魅力をいつも感じさせる。新幹線で短絡するより、時間と気持ちとにゆとりさえあれば、たしかに風情ありげに想像される。
だいたい、大和伊賀伊勢というのは、大きな大名が一括して領した土地柄というより、地侍たちが勢いの根を張った、荘園関係なども、やれ本所は東大寺のやれ東寺のやれ誰それのと複雑怪奇、その方面のモメゴトが執拗にいたるところで起きる地方であったけれど、そういうところほど大大名の支配下よりは微妙な文化が根付いている。それはわたしの謂うような「風情」よりもっと泥臭くも難儀な葛藤ではあったけれど、面白さもそこに在る。
しかし、実のご縁は得られなかった。そのうち雀さんも日本海の直江津へ、実家のある方へ転居と聞いている。わたしは、辛うじて「三輪山」を書いて三輪山は観ているが、長谷観音へも詣ったことがない。いながらに書くことにも興趣を覚えた悪癖か。
* 花に嵐 咲く花に無情の雨風の一日でした。
「私語」で拝見した尾崎紅葉の泉鏡花宛て書簡に胸うたれました。
泉鏡花ほどの天才でも泣き言を語ることがあったのかと知り、少しほっとしますし、尾崎紅葉の弟子への想いの熱さ、期待の大きさ、心根の温かさに感動します。尾崎紅葉にここまで書かせる泉鏡花の底力も大したもの。
師弟であっても共に文学を志す同志、戦友のような関係は、女どうしではほとんど見られない羨ましい、理想的な関係です。女だとどうしても女くさいものが漂っていけません。佳いお手紙を読ませていただいて感謝しています。(読みがなはできればほしい部分がありました。) 春
* なにがキッカケか、土砂降りのように不正メールが来る。
2005 4・12 43
* 貝塚茂樹の『世界の歴史』第一巻を読み始めています。わくわく。『日本』の方は、とうどう卒業しました。『今昔物語』も卒業しまして、『古事記』を読み出しました、音読で。いま、「序」を読んでいます。古事記はほとんど記憶しているのですが、音読ははじめて。どんな調子か、楽しみ。
昨日は、雨でした。花も、ぬれにぬれて。寒いほどでした。それでいて、酔ったように眠気に惹きこまれました。
中国の出かたが、予想し懼れていた方向へ足音をつよめているのを、とても気にしています。久しく失っていた覇権を、あの国は、本気で拡大してゆこうとするでしょうね。憂鬱な天候です。日本がすこし抵抗するなら、今しか無いでしょう、不等記号はこれから加速度が付いて大きく中国の国力と勢力へ開かれて行く。
なにしろ一国一党の専制国家です、加えて国家独占資本主義が共産主義の名において、一気にとは行かないが年々加味されて行く。アメリカの出方をうかがう「叩き台」として、極東での日本叩きは、言いがかりも含め、手段をえらばずいろいろ試みられそうな気がします。
竹島のあとは対馬にも迫ってくるでしょうね、韓国は。小泉政権のいちばん大きなツケ払い、国損を招く請求書がつきつけられてくる。
台湾が中国に併合されたとき、沖縄すらも不安な状態へ引きずり込まれかねないとわたしは観ています。 湖
2005 4・12 43
* 桜雨 列車は丹波橋に近付き、東寺の塔が見え、コートを着ながら目をやる車窓に、銀色の糸が一筋、二筋‥京都駅を出たときは袖笠雨でしたけれど、御所の枝垂れ、御車返、平野の桜を見ているうち、結構な雨の脚となりました。
金・土は好天で、人もクルマもパニックだったそうですが、思ったほど花は散らず、あちこち迷うほど美しく咲き、かつ散り始めています。
ひんやり、しっとり、人はまばら―一番好いときに来合わせたみたい。華岳展の初日も、同様にしずかでした。
窓口で、窓際の席は売り切れていますが、と告げられた湖西線の特急で、雀は図録を広げました。
「残念ですわァ。晴れていたら海のような琵琶湖の眺めを見ていただけましたのに」と、後ろの女性が隣の女性にオクターブ高い声で詫びています。
灰色の空ととけあい、ともに泣いているかのような湖面。図録を抱いて沈みたいような。 囀雀
* きのうの眠さが尾を、ひいたように今日も。いま午後のメールを読みながら、いつか寝入るとなく眼をとじていたのが、眼の奧は暗闇でなく、青いあかるい空を高い背景に、枝の細い優しい若木がのびあがるように色佳い桜花を咲かせていたのだ。闇である世界にあんな明るい平和な花咲くさまを観たなんて、初体験かと。それともたんに夢か。
* 鴉さまへ。 メール、嬉しく読みました。
数日前の汗ばむほどの陽気が一転、肌寒くセーターを重ねて着ています。雨は止みましたが、憂鬱な空です。誰にも会わず、逼塞しています。と、言っても一人であることが目下の作業には必要なことと肝に銘じてもいます。
「世界の歴史」を読み始めたとは、これまた難儀な、遥かな道筋だなあと感心しました。わたしはまだ日本史に難渋しています。電子文藝館に載ったものを、そうか、そうかと頷きつつ今朝確認しました。
今昔はまともに全部を読み通したことがありません。やはり一度は気張って読まなければ・・気張るまでもなく、楽しんで読むものですけれど、あれは。
そして「古事記」。古典にいつも体当たり?! していく、それも繰り返し繰り返し読んでいくことの大切さ・・何度も教えられていることですね・・。
中国や韓国の動きについて。
中国、韓国、タイ、カンボジア・・先日行ったインド、人間がうじゃうじゃと沸騰しているアジアの国々の在り方と、日本とを、何か異質の社会のように感じたことがありました。確かに黄色人種、アジアの人間であるけれど、日本人はアジアの中にあって、特に近代以降は際立った、特殊な存在でした。
わたしは中国史を専攻したのに、いいえ、専攻したから・・何故か中国に対して、その中華思想に対しても、一種の忌避感を感じるようになりました。チベットなど周辺「地域」への支配拡大、沿岸地域と内陸部との大いなる格差・・これらは、歴史を通じて一貫したものです・・そして毛沢東の産めよ増やせよ政策は、生産力とつりあわない過剰人口を生み出し、一人っ子政策への転換。あれは毛沢東が行った政策の中で、もっとも愚かな政策だった・・そして世界の人口問題・環境問題にとっても、愚かなことだったとも。
日中間の懸案となって最近話題になる海洋地下資源のことが、クライブ・カッスラーの「ロマノフの幻を追え」昨年八月刊の新潮文庫でも取り上げられていて、面白く読みましたよ、これは少し脱線ですが。
共産党の一党独裁の下で経済は既に、とうに社会主義経済のあり方を放棄して、彼らの(口では)忌み嫌う「資本主義」に雪崩れ込んでいます。「帝国主義」日本の技術力や生産方式のノウハウなど、そこに果たしてきた「貢献」などには目を瞑りたいのでしょう。今回の動きにたいして当局が示した奇妙な動きや、人々の不満を日本に向けさせるという政権の思惑など、さまざまに指摘されています。このままの方向で進んだ時、中国の政権そのものへ民衆の動きが起きる可能性がどの程度あるのか、わたしには見当もつきませんが、「経済だけは資本主義・・」という体制が抱える矛盾は、大きすぎると思います。
韓国も竹島云々に終始できない問題を抱えているでしょう。北朝鮮に変化があった時、ベルリンの壁以後のドイツの状況よりさらに深刻な状況が生み出されると、今更わたしが書かなくても、誰もが危惧するところです。
世界が、日本が、これからどのような方向に向かっていくのか・・、メールに引かれて、ついつい硬いことを書きました。普段こういうことを殆んど書きませんが、常に関心は持ち続けています。
HPを読んで、天麩羅も、お酒も・・ どうぞまずお体を大切に、それを第一になさってください。うるさい! と言われるのは分かっているのですが、本当に大事にしてください。 鳶
2005 4・12 43
* 午前中は「金八先生」と付き合っていた。
ひとやすみしたところへ、高田欣一さんのメールをもらっていて、よろこんで拝見。楽しいメールの交換とは、こういう落ち着いた息づかいから出て来る「述懐」であろう。演劇少年であったこと、谷崎戯曲とのご縁など初耳で、すこぶる興味をもつ。高田さんの優れて文学的な、文学そのもの、の「通信」最新号が、このところ続いていた西行論の新たな展開で、ひとしお面白く読んだお礼を伝えてあった。
* お礼と谷崎潤一郎のこと。 メールありがたく拝読しました。
落ち着いてパソコンに向かい合える土日が、先週は所用の為、ほとんど家に居られませんでしたので、お礼が遅れて申し訳ありませんでした。
何度も書き直してゆく過程で、次のために取って置く心積もりで省いてしまった部分に、西行と谷崎潤一郎の比較がありました。
『藝談』やご文『人と作品との索引』にも見られるごとく、近代の文学者の中で西行の心がいちばん良くわかっていたのは、谷崎潤一郎であろうと思いました。
それは、西行も谷崎氏もともに「生活者」であったというところに共通性があるのでしょう。
実は高校生の頃、私は文学青年というより演劇青年で、小学生の時に狂言の『神鳴』を脚色した劇で、藪医者の役をやり、さらにどう見ても子供歌舞伎劇としか思えぬ『石童丸』で口紅を塗り、薄化粧をして頭巾をかぶった苅萱同心を演じて以来、俳優になるのが夢で、高校になるとまっさきに演劇部に入りました。
最上級生になったとき、一番やりたかった役は谷崎潤一郎の『お国と五平』の池田友之丞で、まず台本を顧問の先生に読んで貰ったとき、その先生は、まじまじと私の顔を見つめて、「君、本気かね」と訊かれました。
「もちろん、本気です」というと、黙って眼をそらされました。
もちろん、不許可で、それどころかものの考え方に偏頗なところのある危険な生徒ということで、そういう人物をリーダーにする演劇活動も制限しようということになりました。
自分としては、小幡欣治や八木柊一郎の書く、いかにも安手のヒューマニズムを盛り込んだ高校演劇用台本が気に入らず、それならばと思ったのですが、そうした思いが、チェーホフやテネシー・ウィリアムスに行かないで、谷崎潤一郎へ行ったのが、不幸といえば不幸でしょう。
もちろん『欲望という名の電車』が許可されたとも思いませんが。
私の谷崎潤一郎とは、『細雪』で、妙子の恋人の板倉が死んだあと、「正直のところ死んでくれてよかった」と、ぬけぬけと云う幸子で、社会的身分としては板倉に近いところにいたので、この言葉はショックだったけれど、「ああ、これが生活なのだな」と思いました。
そういうところから目をそらさないところが、谷崎のえらさだと思います。
欲望に支配されて、欲望のままに生きたいと思うのが人間、それを「忠義」とか何とかの化粧で隠しているお国と五平の主従を、討たれながら糾弾する友之丞、そして彼を殺したあとで、自分たちも欲望の子であることを告白す
る二人、その後味は爽快でした。
大正期の谷崎をもっとよく見直すべきであるという御説は大賛成です。
昭和に入ってからの王朝風文化の影響を強く受けて、花開いたかに見える世界の根元に、大正時代の、たとえば『異端者の悲しみ』に描かれたような世界があること、こういうところに光をあてることが必要と、いま感じております。
中央公論がああなってから、もう三十年以上も新しい谷崎潤一郎全集が出ないのは、大変残念です。
今回の「湖の本」はその意味で、楽しく読み、勉強もさせて戴きました。
ますますのご健筆をお祈り申し上げます。 四月十三日 高田欣一
* 創元社といういい出版社が大阪にあり、わたしは東京に出るか、この創元社に人のお世話になって就職するか、で一時期迷った。社長に面接して貰い、相談した。そして東京へ行きなさいと親切にすすめられた。
創元社からは、創元選書という、充実した、当時でいえば東京の筑摩書房ににた雅なインテリジェンスの香りのする本が出ていて好きだった、が、何といっても高校生のはじめごろ、六、七巻の「谷崎潤一郎の作品」という選書が出始め、懐かしい優しい手触りの四六版、これを頑張って買いそろえたのが、谷崎との出逢いを深める決定的動機であった。
それ以前は、新聞で「少将滋幹の母」を読み、一冊本で「細雪」を耽読し、岩波文庫の星一つの「吉野葛・蘆刈」を溺愛していたが、かなり揃って谷崎の読める創元社企画にはぞっこん惚れ込んだ。
「無明と愛染」など戯曲をおさめた一冊もあり、わたしはこの作に夢中で、何とかして高校の文化祭だか演劇祭だかで上演できないか、演出メモを一心不乱に書き出したほど。しかし芝居は一人では実現しない。高校時代のわたしは、小学・中学時代の生徒会長の反動で、群れるより孤独にいるほうを好んでいたから、仲間を募って「無明と愛染」を舞台に乗せて行くまでの気は無かった。
出演でなく、「演出」を考えていたのは本音で、高田さんとちがい舞台に立ちたい気持ちではなかった。ただ芝居は好き。中学一年生の時、クラス対抗演劇大会で演出役を引き受け、猛烈な稽古の甲斐あって全校優勝をかちとったのは懐かしい思い出だ、今も京都へ帰ると語りぐさになるが、二年生の時にも、演劇部を作ろうと云いだした万年先生の選で、坪内逍遙「桐一葉」の本読みをはじめたりした。「桐一葉」とは、だが、敗戦直後の腹ぺこ新制中学生には見当違いな選択であった。上級生ばかりの中で、わたしほどもセリフの読める生徒は誰一人もいなく、演劇部はすぐつぶれた。
あのころ、中学二年生の頃、わたしは創作意欲旺盛で、通学鞄のなかには、詩と短歌と俳句と散文と日記のための帳面がいつも隠されていたし、ほかにもたわいない友情ものの戯曲も書けば、国語の先生が慌てて没収した土地柄の差別問題に触れた小説も書いた。よほど「書き」表すことが好きで、戯曲や映画好きも例外ではなかった。
* 谷崎は晩年まで映画が好きだった。美学者では中井正一が、映画など軽蔑されていた頃に慧眼にも映画独特の美学・藝術学を積極的に認識していた。が、谷崎は専門家の中井以上に栄華フアンとしてよく映画を識っていた。映画と演劇を分別し、片方ずつ好き嫌いをいう人もいるけれど、わたしは谷崎のように両方好きである。テレビへ衛星放送を取り込むのに随分抵抗してきたけれど、案の定映画が多く、そちらへ向かう時間が増えている。殆ど海外映画しか観ないが、たまに市川雷蔵の「大菩薩峠」なども観ている。海外女優の名前は今では百十人ぐらいはすうっと挙げられて、就寝時の眠り薬のかわりに数え上げている。楽しむ余りに眼が冴えることも。とにかく出逢った新しい名前をずんずん覚えて行く。レイチェル・ウォード、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、ニコール・キッドマンなど最近出会って、綺麗だなと思った。
2005 4・13 43
* 起きて半畳、寝て一畳、身の丈ほどの花嵐。引っ越しました。
ご自愛下さい。 e-OLD多摩
* こんな境涯もある。
* シチリアのホテルから送った絵葉書が届きましたか。
というのも、頼んだホテルのフロントが、信用出来ない時もあるからです。海外から絵はがきを送るのは、初めてのことです。何時も記念に自分宛てに一通送りますが、それは既に届いて、写真立てに入れました。
南イタリアのポンペイは二度目ですが、今回は又違った個所へ行けるのもあって、このツアーに決めました。
観たかった秘儀荘の壁画、届いていれば、その写真です。前60年頃、貴族の屋敷の壁面に、デイオニユソスの秘儀を等身大で描いたものです。ギリシャ神話に関るこの壁画の解説、老いた頭では噛み砕けませんが、秘儀は、変な意味ではありません。この色がママのポンペイのアカです。
シチリア、アグリジェントの神殿の谷では、前5~6頃の大理石は剥がれて赤膚になったギリシャ神殿を幾つか観、多くの教会では荘厳で大掛かりなモザイク画も観て大感動しながらも、何よりも感じたのは、労働力としてこき使われ、虫けら同様に扱われた奴隷の命です。
映画グランブルーに出て来る、スパゲッテイを食べているところへ母親がどうしてマンマのを食べないの、と怒鳴り込んでくるあの場面の場所をガイドしてくれました。
そのタオルミーナは富士山より高い活火山、エトナ山を遠景に、高台に大きなギリシャ劇場の遺跡があり、イオニア海はグランブルーに、高級リゾート地として大きなホテルがあり、割高の土産物屋が並ぶ、こ綺麗な街です。
パレルモは想像どおりのシブイ街でしたが、さすがに州都、活気があり、人の印象は穏やかで、今はマフイアを気にする事はなく、自由に動けます。少し歩けば教会、聖堂にぶつかる程数多く。
どんなんやろと期待のスペイン支配の頃、16世紀に出来たクワットロ カンテイは、縦三層に彫像を設えた四辻がカルチャーショックで楽しく、交通量が多いのに、ウキウキと写真を取りまくり。
ホテルで食べた本場のアランチーノ(ニ)が美味でした。
年寄りの手習い、やっとくものでして、ちょっぴり勉強したイタリア語が役に立ちました。 泉
* うらやましいことです。
2005 4・13 43
* 銀座に出かけていました。発表会用の五枚コハゼの足袋が必要でした。長い時間坐るお茶会には向かない足袋ですが、舞うときにはこちらのほうがよいのです。
色々やけになって歩き回り疲れたので、途中で休憩してコーヒーとフレンチトーストを頼んだのですが、濃いコーヒーとほんのり甘いフランスパン生地のトーストがとても美味しくて満足。でもお腹がいっぱいになって少し困っています。 春
2005 4・13 43
* 気を付けて数え挙げると、急の始末を要する用事があれやこれやと溜まっている。ところがそういうのほど、やりたくなくて、放ってある。あげく自分の頚を締める。あす午前、久しぶり歯医者に行く。明後日は三時から理事会。その次は卒業生クンと逢うことになるだろう、山種の等伯を観ようかと提案してある。だれかほかの学生クンも付き合いませんかね、等伯は佳いですよう。
* 下弦の月、綺麗でした。こうして季節は少しづつ過ぎてゆくのですね。
映画お好きですね。
「薔薇の名前」私もみました。とてもミステリアスで面白かった。
キッドマン、格好よく素敵。子役のときから群を抜いていたように思います。
以前から好きなのが中国映画とベトナム映画。「黄色い大地」などの中国映画ヌーベルバーグや「紅いコーリャン」「紅夢」「覇王別妃」・・・最近では「ラバーズ」、「故郷の香り」などなど。
若い女優チャン・ツイイーが特に気に入っています。可愛く、ダンスをやっていた人らしく体がしなやかです。
つれづれなるままに。おやすみなさい。 汀
2005 4・13 43
* 歯医者、今日は代診のはず。神戸さんは、だがやがて退院、復帰されそうと聞いている。ぜひそうお願いしたい。お大事に。もうやがて出掛ける。
* 神戸医師が退院されていて、わたしたちのために診療に出て来て下さった。少しずつでもいい、はやく恢復していただきたい。
2005 4・14 43
* 続きのお話 人種差別
今回のイタリアの旅、昨日書いたようなイイコトづくめではありませんでした。
日本ではもう見なくなったストライキは、日常茶飯事で。そうそう昨日テレビで観た映画、グランブルーのジャン・レノとショコラのジュリエット・ビノシュの「シェフと素顔とおいしい時間」も、パリ・オルリー空港でストライキの為にストップを掛けられて、その待ち時間から始まるラヴストーリーでした。当地の人たちはそんなストライキには馴れ馴れで、淡々と解除を待っています。
十二時間飛行の後、二時間程待って解除のニュースを聴きましたが、スローがモットーのイタリアの事、調整上すぐに飛ぶワケでもありません。添乗員さんが掛け合ってくれて、軽い食事と飲み物が買える程度のクーポンを、アリタリアから獲得してきました。
食品を物色してレジで並んでいた時、黄色人種差別に遭ったのです。
順番が来たのにレジスターは、我々日本人を全く無視、透明人間がいるかのように、後方の白人に声を掛けるのです。ほんとにいやな気分が倍増しました。まあ、そんな人ばかりでないので救われもしましたが。
姪家族はアメリカに何年も住んでいて、今居るニューヨークは多人種の集まり、そんな経験はないそうです、が、日本人の少ない地方都市に居た時などは、スーパーででも完全無視された事がある、と云います。
昔パリへ旅行中、地下鉄で中年の夫人から、見下げたいやな眼付きで嘗め回され、気分が悪くなったのを思い出します。
この日本国に住む限り、常は気づかずとも、日本に生まれ日本人である事、気候風土その文化に誇りを持って生きていますが、この日本国と日本人にも、角度は違え、ある種の人種差別等のイヤな差別はいろいろあります。
この度もろに受けてきた不快な差別に鑑みても、差別する側にはなるまい、と、つくづく。 泉
* (花粉がすこしラクな、)それはスギからヒノキに移行しているからではないでしょうか。
わたしは、ヒノキの花粉症も酷いので、つらさはまだまだつづきます。
今日の名古屋の最高気温は20℃を超えたそうです。昼間、運転をしましたが、車の中は真夏のようで、エアコンを使いました。
でも、夜になると、すうっと涼しくなります。風邪引かないようにしないと。
明日は、お医者と買い物と図書館。武田泰淳と井上靖を借りてこようと考えています。
風は、花粉がラクになったのなら、外出がすこし苦でなくなりましたか。 花
* ラクでもない。いまも左目元の痒みがとてもつらい。明日午後の会議へ外出するのが、少しでもラクでありますように。
そうそう一週間前は同じ場所で電子文藝館の委員会だった。あの日はまだ桜が満開だった。今日は快晴の歯医者行きであったけれど、花はもう大方散っていた。
2005 4・14 43
* 今日から喉が痒くなりました。ヒノキ花粉の症状だと思います。とても辛いです。
鴎外の「雁」を読みました。
以前、不忍池にふれて、「雁」を話してらしたのを覚えていらっしゃいますか。わたしは読んでいませんでしたので、何を思いも言いもなりませんでした。
それからずっと気になっていたのですが、今日、田中裕子主演の「雁」のビデオを図書館で見つけ、見る前に読もうと思い立って岩波文庫を借り、お医者での待ち時間にほとんど読んでしまいました。
情緒溢れる話で、ぐんぐん読まされました。電子文藝館の鴎外「身上話」と感じが似ていますね。そして、筆致からこぼれる新鮮さを感じました。
明治時代の設定ですから、必然的に語彙も相応のものが数多く出てきているのに、真新しい新刊を読んでいるような感じがしました。
時代や風俗の移り変わる中で、輝きを失わなずに生きつづけるものがあると、改めて思いました。 花
* 有難い、いい感想で、ちょっとしたことも気を入れて書いたり話したりしておくと、こういう収穫になって酬われるのだと思った。文学作品へのウブな感動が人を自由にしてゆくのである。
わたしは、スギ花粉症とみえ、たしかに目に見えてラクになってきた。ヒノキ花粉の人は、お気の毒。
* 秦先生 入学式は11日、雨の中行われました。平山郁夫が短い式辞を述べて、音楽学部の先生がアリアを歌って。
翌日から、取手キャンパス通いで、だいぶ疲れました。遠いです・・・。
同じ学科の連中は皆若くて、私が最年長のようです。周りの若さということに、果たしてこれでよかったのかと不安を覚えます。
日記は寝る前にパラパラと書いています。判読不能なのも多いのですが。それとは別にメモ帳も持っていて、何かあれば書くようにしています。アイディアやフレーズなど。結構メモ魔なほうなんです。読み返さないのがいけない点ですが。
ゴッホ展はさぞ混んでいるでしょうね。気後れがして未見です。いかねば。
芸大の授業は実技は本当に自由で、とりあえず何をやってもよいというのだから戸惑っています。ドローイングといいますが、広義でのもので、絵には限らないようです。さて何をしましょうかね。
講義の方は魅力的なものが多くて、気の多い私は欲張って一杯取ろうとしてしまいます。取手でしか取れないものも多いのです。
「体力が無いのに重い荷物を背負うと動けなくなるから、減らしなさい」と、相談した人に言われて、少し減らそうと努力してみましたが、やはり限界ギリギリまで取ろうとしてしまうんです。これもひとつの「捨てられなさ」との闘いです。どうなりますことやら。
国立という事も強く感じますが、面白い講座が***美夜間部よりずっと多いです。学科が多岐に渡るせいもありましょう。うまく学びたいものです。 芸大生
* こういうメールをもらうと、わたし自身新入生のような気分でワクワクしてしまう。ああ、もう一度やり直してみたいなあと、もう一度今の上に積み立てられるなら、楽しんでちっとは昔よりマシな勉強の計画が立つだろうかなどと空想する。度し難い人であるなあ、わたしは。
わたしがこんなにも気が若く気持ちも柔らかに弾む人だとは、理事会でガンバッて話しているわたししか知らない人達は、気付きもすまいなあ。
* 先日大見栄を切りましたが、今は苦境に立たされております。すこし頭が混乱を起こしております。
と申しますのは、私としましてはもう(絵画の久しい)先生にはお聞きしないで、自分自身で好きなものを好きなように、と、一心に描いておりましたところ、先生は、どうしても私のつっ走りかたが気がかりで、私のアトリエまで作品をみとどけに来られました。突然のご来訪で私も戸惑いましたが、結果、やはり私の方向では先生は納得されませんでした。
やっぱり私はこの先生には合わないのかなあーと、偉そうなことを考えました。昨年(二点のうち)、先生の言われたとうりに描きましたのが入らず、自身で描いたほうが入選しまして、湖さんからも過大な評価を賜りましたし。とても、苦慮しております。
それで二日間考えまして、今年もやはり二点制作しようと考えるに至りました。六月に出品する作品は先生のおっしゃられるとうりのモチーフ、私のアトリエの一隅をしっかり水も漏らさないように描き、九月のには、自身の納得のいく作品を、と。心に決めました。
さあ大変です。まだ白紙のキャンバスを一ヶ月ぐらいで仕上げねばなりません。モチーフは今のまま描けばいいのですが、乗っていけるのかと? 心もとないのです。
心がさまよってもいるかのようです。あの先生も、熱心さゆえなのでしょうが、とにかくこれが勉強なのです、と、いいきられます。
素直な気持ちで向かうつもりです。が、私はそんなに夢みる夢子さんなのでしょうか? 以上が今の私の心境です。 郁
* 興味あるものを内包したメールで、言っておくと、この人はわたしとタッタ二つ違いに若いだけの、ほんもののおバアちゃんでもある。ちゃんと孫がいる。そして繪は高校にはいる以前からの、専門教育を受けてきたプロである。それでいて、こう初々しく謙遜で悩みも多い。なにしろ今なお「先生」の指導下にある。
このまえ俳句を書く人が「ペン電子文藝館」に作品を出稿するのに「師匠の許可」が要るときかされて頭に来てしまった伝でいうと、この画家も「先生」の指導下にあるように俳人の場合もそれで「あたりまえなんです、よくあることですよ」とわたしの方が言われてしまうことになる。
わたしには、そういう先生はいなかったが、そのかわり編集者(出版社)がいて、その承諾や許可がないと雑誌にも載せられず本にも出してもらえなかった。同じかあ。ただしわたしは、そんなのはお断りと、「湖の本」へさっさと転じたのは、誰にも出来ることではない以上、俳人さんも繪描きさんも非難できる立場ではない。がんばってください。それしか言えない。わたしの方がちょっと傲慢なのだ。羞じる。
2005 4・15 43
* 今朝のメールありがとうございました。育ってきた文化のずいぶんちがうことが、今さらながら痛いほどよくわかりました。
カトリックの学校でどっぷりキリスト教会の教育を受けて育ちました。わたくしの環境と血脈DNAには代々キリスト教が根深く入りこんでいることをご理解ください。
受けた教育は、魂は肉体の牢獄に閉じ込められているというような思想です。魂と肉体が分離しているようなわたくしの感じかたは、教会にとっては決して非常識なものではないのです。肉は罪悪、死によって魂は初めて肉体から解き放たれ神の栄光と至福に包まれるというのです。
育てられた教育者は神父とシスターで、ともにセックスをその人生から徹して排除してきた人たちです。修道院ではお風呂に入るに際しても、入浴用パンツをはかされたという笑い話のような事実を教えてくれた神父さまもいました。聖職者の大半は偽善の塊でしたが、真実崇高な教育者もいました。その数少ない人間愛溢れた神父さまやシスターにわたくしは憧れたのです。
『狭き門』は一時期カトリック教会で禁書だったとか。この作品はそれほど致命的にカトリック教会の問題を抉り出していたのだと思います。ジイドの実践した性なき結婚が示すように、カトリック教育を受けた人間にとって、性と魂の救済の問題は、途方もない難問なのです。吹けば飛ぶような知性と信仰の持ち主にとっても、です。
よくご存じでしょうが、カトリックの本山では中絶はもちろん、避妊でさえ禁じられています。男女の性は子どもを生むというのが目的で、それ以上のものではありません。この教育の良し悪しを今ここで論じてもしかたありませんが申し上げたいのは、この宗教の人生への影響の広さ深さのはかり知れない実態です。ローマ法王の史上空前の葬儀を見てもわかりますように。
性は罪悪とか中絶は悪魔の仕業という条件反射が、どうしてもこびりついたシミのようにあるのでしょう。性の愛は精神の愛に劣る、エロスとアガペの格の違いのようなものは、常に頭の中にあります。当然、その価値観に反発する気持も強くありますが、しかし、どちらが根深いか厄介かといえば、長年の教育でしみこんでいるもののほうです。性愛では真実の愛に至らないという思い込みです。夏目漱石の『行人』にこういう文章がありました。
自分は女の容貌に満足する人を見ると羨ましい。女の肉に満足する人を見ても羨ましい。自分はどうあっても女の霊というか魂というか、いわゆるスピリットを攫まえなければ満足が出来ない。
クリスチャンでない夏目漱石も肉と魂を分離して捉えていたように思えるのです。夏目漱石に同意見を見つけたように思いました。もっともこのセリフの主は、「恋は罪悪です」と言った人のように、やはり不幸でしたれど。 春
* 魂と肉体とは別物だという立場で愛のなやみを語ってきた人に、わたしは、そんなことをいっていると、肉の何ポンドかを要求して、肉だけでいいと言い張ったアンクロシャイロックのような滑稽さに陥らないかと、朝の出がけ前に、慌ただしく返辞したのだった。
ジイドのことは、もう少し別方面で考えたい。
漱石の「行人」はたぶん兄一郎の物言いであり、漱石の思想の進行では、これをこう書いて一郎を狂気に追いやることで、克服しなければとあがいていた。静かな心の研究が続かねばならなかった。それでもまだ漱石は、幸福であるべき不幸な一対の男女を書いて、静かな心を見失ったまま先生を今度は自殺させた。魂と肉体との引き分けなど、考えられない。
* アンクロシャイロックが頑強に肉(からだ)何ポンドかを要求したのに対し、では血(魂)は一滴もとってはならぬと言われて絶句したのを思い出して下さい。あなたの曰く、魂と体とが分離されている、と。ナンセンスです。
健康な体に健康な魂は宿ると。真理でしょうね。しかし逆さには、謂いようがない。魂は、肉体を生かしている血に等しいもので、分離してはいない、溶けあっている。分けて考えるなど形式的な空疎なあやまりを犯しているのです。アンクロシャイロックのように。
わたしは、健康な肉体から分離して抽出できるような魂の存在を信じないから、そんなものは、ひとから貰いようもなく、ひとに上げようもない。愛がある・ないの次元でなく、もし真実の愛を謂うのなら、肉体と魂とが生き生きと融和し溶けあい離れがたいものという、健康な認識から始まらねばならない。
ふつうの感性、ふつうの知性、ふつうの理性が大切です。言い換えれば「夜出来」の考えは狂いがちで、大切な思いほど、昼間に日光の下で育てねばダメだということです。真夜中に魔性と隣り合って思想を育てるのは不健康。夜はさっさと寝て下さい。
魂は健康なからだに宿り、生きている間は、人のからだは健康な魂といつも一つであらねば。それ以外に魂はなく、からだもないと思います。有りうべくもない分離など空想してはいけないなあ。
2005 4・15 43
* 卒業生クンと出光美術館の展示場で出逢い、等伯を主にした展覧会を、一点一点解説しながら、つぶさに見て回った。勤め先では化学系の研究職で活躍しているが、古典音楽と山登りの趣味人であり、近年は近代絵画などへも目を向けている。しかし、出光系の美術には無縁とは知れていたので、絵画と焼物とで佳いモノの出ている此処へ案内した。やきものは、繪唐津や高取や薩摩、また織部や志野の、また備前の小品が出ていた。のんかうの赤茶碗も一枚出ていた。こういう質朴な国焼きの味わいを、器体の成形、釉薬の変化、絵付けの簡素などから、妙味深く楽しむのには、やはりすこし年季が必要。しかし、知識でなく、そのものにジット魅入られて関わる姿勢が、まず必要、そう覚えて欲しい。
* 絵画はとりわけて名作が並んでいたとは思わないが、雌雄の虎が求愛の図を一双に描いた、墨の筆致筆線の柔らかい屏風は、思い和ませた。柳橋図屏風の味なのが数点揃っていて楽しんだ。またよく似た波涛図屏風が二種類並べてあった。筆線の妙、色彩の華に惹かれた。松林図屏風やまた桜楓図障壁画は出ていないのだから絶対的な展覧会ではなかったけれど、気の晴れる時間が持てた。花粉で嚔を十連発もしてしまったのには我ながらびっくりしたが。
* 皇居を見下ろしてお茶をのんだあと、帝劇モールにもぐり込んで、おそめの昼飯に「きく川」の鰻で菊正二合を分け合った。歓談、二時十五分に別れて、わたしは一路有楽町線で、保谷までと思ったが便が合わなかったので、池袋下車して、東武の「木村屋」プチパンを七八つ買い、どうしても欲しくなり「仙太郎」で、たっぷり餡の最中を一つ売って貰って、地下道をゆらゆら歩き喰いしてから保谷へ帰ってきた。歩こうとしたら、雨がバラバラ。目の前のタクシーに飛び乗った。
2005 4・16 43
* 桜、がドンドン北に向かっています。
お変わりないですか?
こちらのお堀の桜も、今日あたり、散り始めています。一年まってあっという間のさくらです。それだからいいというのでしょうが、忙しいです。
これからだと勿来(なこそ)の山桜でしょうか。花粉症は大丈夫でしょうか。 茨城
* 実生も含めて背丈を僅か越す三本の山椒の木が庭隅にあり、いつの間にか芽吹いた新芽を叩くと、得も云われぬその芳しさ。よく観ると、目立たない地味な色合いの花の蕾が、もう、あちこちに見えます。
で、昨日、ずんぐりと大き目の九州産(それしか出ていないから)筍を購い、昨夜の内に糠で茹でておき、今朝から半分は冷凍保存の山椒の実を入れて薄味の佃煮に、半分は電気釜満杯の筍ご飯を今炊飯中。娘の処へもお裾分けです。若竹汁と木の芽和えをつければ、錦水亭顔負けの筍定食になること、間違いなし。
この歳になると、食べ物に拘るのは生きてる、って感じでしょ。
本音をいうと、朝から張り切って働くと、夕方にはぐったり疲れが出ます。 泉
* 先日「横浜事件」の記事、東京新聞で読ませていただきました。(職場で)
その少し前、やはり朝日新聞にも大きく横浜事件のことがのっていたので、少し関心を持って勉強してみた矢先だったので、興味深く。
川崎市役所の汚職ということで「ねつ造」された事件から発したということで、いろいろ読んでみると、本当に警察、特高というのはあきれるばかりいい加減。なかでも興味をひかれたのは、川崎市役所の責任者でひっぱられた人のひとりは、遺言書を遺していった由。
いわく、「死んで帰ったらそのままひきとらず、かならず大病院で死因を調べてもらうこと、そして合法的に復讐してくれ」と。
この人だけは拷問がなかったらしい。
(わたくしの関わってきました)演劇関係はなにしろ左翼が多いので、そういう時の心得というのを一応先輩から教えてもらってます。
「逮捕されたら、絶対にやってないことはやってない、と言い通すこと。また国民救援会の弁護士を呼んでください、とだけ言ったあとは黙秘せよ。よけいな名前をあげるとそこが捜索されるから」と。
実際にそういうことになったら、うろたえるに違いないのですが、ま、幸いなことに、まだ、そんな目にあったことはないけれど。 桜
* そうです。
> 鴎外は、あれで、今いまの若い人の文章かというぐらい眼も覚めるようなきれいな
> 現代文が書ける人なんです。
そうなんですよね!
新鮮な印象は、そこからきています。
鴎外の頃に現代文は完成していたのだなと思いました。
わたしは今朝方、あんまり喉が痒くて眼が覚めました。
スギよりヒノキの方が酷いみたいです。風、花粉お大事に。 花
2005 4・16 43
* 会ったことがなく、どういう仕事をしてきた人ともまだ知らないが、ペン会員として記憶していた小谷野敦氏から、谷崎潤一郎関連の質問のメールを昨日出がけにもらっていた。その頼まれごとを、十分に出はないが、ひとまず今しがた三本目のメールで終えた。若い力ある人が新しい面白い意義のある谷崎論を書き起こそうとされるのであれば、むろん協力は惜しまない。
2005 4・16 43
* おはようございます。
HP無事更新、またメールも届いています。まずは無事でよかった。
今週の土曜日、23日午後、ご都合いかがですか。もしよろしかったら、素晴らしい桜の名所にお連れしようかと。
JRの高雄にある山です。(高尾山ではありません。)ここはもと農水省の試験林なのですが、山一つ、いろいろな種類の桜が咲いて、素晴らしいです。
もしよろしかったら、JR三鷹の駅改札に1時ころとか。 ゆ
* 桜は、もう堪能しました、あまり執拗に追いたくありません、山も、体力で躓きたくはなく。
静穏。じいさんは、それが好みです、たとえ内で燃えていましても。
それに、土・日に独りで出る習慣があまりないのです。お休みで人さまの出られるときに、自由業のものがわざわざ割り込む手はないと、ま、そんな気分で遠慮の習慣が。
これからは、せいぜい自転車で近郊をゆっくり走ります、これは医者にも奨められています。 め
2005 4・18 43
* 「今日の歌 万葉集2391 巻十一」というメールが来て、おやおやと。しらべてみると、こうある。
(たまさかに 昨日の夕 見しものを 今日の朝<あした>に 恋ふべきものか・・)と。初句の読みには異説もある。
昨日や一昨日にこういうだれとも逢っていない(出光を見て鰻を食った卒業生クンにはこういう真似はゼッタイ出来ない。)からビックリだが、これも誘われているのだろうと拝誦。
こういう際に返辞をするなら、たとえば、すぐお隣2392の歌など、いい。
(なかなかに 見ざりしよりも 相見ては 恋しき心 増して思ほゆ)
万葉集をこういうふうに現代の人が恋文に利用した例はいくらも有る。研究者の手で歌に番号がつけられ、番号が今では確実に確定しているので、容易にその歌番号だけを言ってやれば、(万葉集を手元に備え持った同士なら)気持ちがすぐ伝わる。
手当たり次第に頁をめくって、例えばわたしから、 2723 と伝えられるような相手がいれば、けっこうなんですがねえ。歌は、
(あまたあらぬ 名をしも惜しみ 埋もれ木の 下ゆぞ恋ふる 行くへ知らずて)
たいした名でもない名を惜しんで埋もれ木のようにひっそりと恋いこがれていますよ、先行きも知れないのに、と原歌は歌っている。「もの」に寄せて思いを表した歌の多い巻十一の歌で、この歌は「埋もれ木」に寄せている。「埋もれ木」か。ウン、これはいいかも。
2005 4・18 43
* こんばんは。前の土曜日は、ありがとうございました。
日本画(等伯その他)や日本の焼物(唐津その他)の魅力を教えていただいて、ありがとうございます。
自分の国の藝術や工藝(蒔絵なども)を理解していないのは、やはり残念なことだと思いました。絵を見たり、お寺に行ったりするのは好きなのですが、うわべの雰囲気を楽しむだけでなく、モノそのものをもっと理解していこうと思います。見る目を質的に変えていこうと思います。
また「きく川」でお食事の時に先生に言われたことも、肝に銘じておきます。
今朝も涼しかったですね。まだ肌寒い日もあると思いますので、お体には気をつけてください。いつまでもお元気でいて下さい。 卒業生
2005 4・18 43
* > 採りたいものも推敲が追いつかなくて棄てて、妥協してしまったかと、いささか恐れます。
これはいけない。推敲は徹底的にすべきだし、採りたいものは生かすべく努めるべき、妥協でお茶を濁すのは反対。期限があるわけでなく、作者に根気がなく、テキトーな甘え心があるだけ。
今回は、ごくプライベートな真情をはらんだ述懐詩、断片詩も点綴して、生かす、ことを考えられよ。ぜんたいにツクリモノになりがちな詩篇に、生命感の匂いをうつすでしょう。
成功(仕事の進み)を焦らず、空白はつくらず、作品に真向きにぶつかり、詩に沈潜。
花粉はだいぶラクになってきました、だいたいスギ花粉型なので。もうヒノキに移行しているみたい。 湖
2005 4・19 43
* 神の問題に毛筋ほどでも触れたことのある人間は、一生そこから逃れられません。神の介入は、人生のどんな場面にも、どんな人間にも起こり得ることです。試練とも言います。カトリックからこぼれ落ちて、信仰心などなく、罪に塗れた人間も、過去に一度でも素地があれば、あるきっかけで劇的に変わっていきます。宗教は人の根の部分に入り込むので簡単に棄てられるようなヤワな存在でないことはおわかりのはずです。人間は弱いものですが、神は強いのです。キリスト教から自由になろうともなれるとも思ったことはありません。
宗教を「抱き柱」とみて必要ないと感じるのは自由です。すばらしい自由です。でもこの抱き柱は世界から絶対になくなりません。また抱き柱の力は必ずしも害悪とは限らないのでは。この抱き柱で成し遂げられた仕事の中に、もっとも崇高な仕事があるのも真実ではないでしょうか。「天にまします」のキリスト教の祈りは「我等を試みにひきたまわざれ、我等を悪より救いたまえ」で終わります。神が天罰を与えるとは思っていませんが、神が誰かを深いはからいで選ばれて、その人間を愛してあえて「試み」られることはあると恐れています。たしかに色々なことを怖がりながら生きています。世界は猛獣いっぱいのジャングルなのです。 春
* かなり疲れる。
神にも仏にも「毛筋」どころでなく触れてきたし、神仏から「逃れ」たいなどと毛筋も思わないわたしだけれど、この春さんのような神観や、恐怖や、世間観・人間観は、わたしのものではない。こんな捉えようは、みな自身の「外」がわへものを求める雑念であり、雑念にとらわれて怯えることを「惑い・迷い」と謂うのではないか。真実の大事は、自身の「内」に在る。
「抱き柱」ゆえに成し遂げられた崇高な仕事。事実は、しかし、こうではなかったか。神・佛をただの「抱き柱」にしない帰依のゆえに、それは、崇高で豊かな仕事になった。
真実の信仰は、エゴでしがみつく「抱き柱」から、自由に手を放した深い帰依・無私にある。抱き柱はただの迷信。信仰と迷信とはちがう。迷信を売りまくっているのが教団宗教ではあるまいか。
* 映画ヴイットリオ・デ・シーカの「屋根」を観ましたか。
以前に観ていて確かハッピーエンドだった、と思い起こしながらも、同種の映画「自転車泥棒」の印象が強くて、いやアンハッピーだったかも、同じ敗戦国日本もこんなに貧しかったなア等と、古い古い映画を、こんな自宅のソフアーの居間で観ているのに、ドキドキして。オカシイでしょ。
終盤、警官の人間らしい温情や確執のあった義兄さんの応援にホロリと、そして新妻の気持ちに添って、ウレシイ気分になりました。
ほんとに映画って面白くて、いいですね。
これも以前に観ていたのに忘れている同じ監督の伊映画「ミラノの奇跡」を、ビデオで観ます。 泉
2005 4・19 43
* おはようございます。
うがいが効いたのか、のどは今のところ小康状態を保っています。目が腫れぼったく感じます。お医者で目薬を貰えばよかった。
今朝は強い雨でした。もうやみましたが。
午過ぎに映画「コンスタンティン」を見に行きます。
帰りは、桑名のショッピングセンターにらーめん街がありますので、そこに。
いいでしょ。 花
2005 4・20 43
* 春も足早に通り過ぎていきます。はなみずきが開き始め 桜はほとんど散り果てました。
仕事は本当に忙しく 、スタッフが夜九時十時と残業する日も珍しくありません。家族も年老いてきまして早い日や日曜日は食事づくりなど手伝います。休日は娘一家が訪ねてくることもあります。
業界の理事は辞めたいと思いつつ副会長にまでなってしまいました。大学の公開講座の講師や非常勤講師の仕事も入りました。そろそろ断る勇気も要るかもしれません。これが近況です。 波
* 六十前の噴出期、まさに我が世の春か。そういうときは右顧左眄の必要はない、吶喊。怪我ないように。
2005 4・20 43
* 謹啓 今年も美しい花の季節が巡ってってまいりました。
先頃は、御高著『湖の本 谷崎潤一郎の文学』を頂戴いたしまして、誠に有り難う存じました。すぐにも御礼申し上げるべきところ、自らの怠惰でさゆえ、こんなにも遅くなってしまいました。失礼いたしました。
今年見ました経の桜を想いながら、御高著を拝読させて頂きました。かねてより、三島由紀夫の「近代能楽集」について考えておりますこともあり、「美の極致を一定不変なものとして、いつの時代にも繰り返し繰り返しそこへ戻って行く文学」への谷崎の志向について、たいへん興味深く、教えられるところ、多々ございました。
これまでわたくしは、こうした作家の精神・創作のあり方について、古き佳きものを学び、まねぶといった、方法意識の観点でのみ理解しておりました。そして、そこから生み出される”新しさ”が何であるのか、どう作家が”前進”しえたのか、そのことばかり見出そうとしていたように思います。このたび先生の御高著を拝読いたしまして、”繰り返し”そのものの意味について、自らがいかに考えていなかったか、思いいたりました。
考えてみれば、「卒塔婆小町」にしましても、「豊饒の海」四部作にしましても、生の繰り返しの中で、登場人物たちの生が昂揚する瞬間や、其処での希いが、描かれていたように思います。登場人物の生が昂揚する一瞬は、しかし訪れない、ただ、それゆえに登場人物達は、生が、或る出来事が繰り返されることを祈る。繰り返しは、三島文学においても重要な一つのモチーフだったように思いますが、三島の場合、繰り返しの中にすでに含まれている美しい瞬間、至福の時間を読者に示し得ているのかどうか……。(個人的に)そんな事などを、先生の御本に触発されて、思いを巡らしたりいたしました。
末筆ではございますが、秦先生のますますのご健勝をお祈り申し上げます。女性研究者
* 春の香気の匂うような嬉しい初便りであった。
* 今では三島由紀夫は、もう花の方がよくたくさん読んでいることでしょう。今日の「私語」に入れた研究者は、年頃も、どこの所属とも知れない、学会員の一人ですが、三島を読んできた、川端を読んできた花にも、感想が湧くでしょうか。
「繰り返し」という平常現象の意味や意義で、軽く見過ごしてきた人が多いんです。「一期一会」の読みですね。無数の繰り返しを、一生に一度かのように繰り返す。 風
2005 4・20 43
* 「コンスタンティン」はエクソシズムの場面が怖くて、びっくり、どきどきしました。映画を見ているあいだに体温の上がるのがわかりまして、帰宅して熱を計ったら、やっぱり。軽い風邪なのか、何かわかりませんが、「風邪で体調をいためないように」と心配していただいた矢先に。
ともかく、休みます。
私語はまだアップされていないようですので、後ほど読みましてから感想を書きます。
今日は結局強い雨の一日でした。ほんとに「冷暖こもごも」です。風もお気をつけになって。 花
* とにかくもジリジリと我慢して仕事を進めている毎日。メールと私語とは、わが休息の一服。
2005 4・20 43
* いいお天気ですね、お変わりありませんか。
いま、昼休みです。
先日のお誘いはやんわりと断られましたが、私は簡単にあきらめませんので(笑)。
でも、花盛りを「執拗に追いたくない」には、ちょっとこたえました。
「閑吟集」も読み始めました。13番やはりいいですね。 ゆ
* この頃、お寺のながい石段も堪えるようになっているので、「山」登りというのに、ヘキエキしました。
閑吟集の 13 は、……よしそれとても春の夜の 「夢のうちなる夢なれや」 の一句に凝縮。
閑吟集の魅力は、やはり室町小歌のいろいろに。例えば一つ。96番。 め
* 96 ただ人は情あれ あさがほの 花の上なる露の世に
* 13 の「夢なれや」の「なれ」は読み落としがちな含みをもっていて、これは「夢であれ」「夢であっていいのだ」「夢なんだ」「そうだ」と漸増する希望や期待や覚悟や観念を滲ませている。
漠然とした不審や疑念ではなくただの情緒でもない。
2005 4・21 43
* 山口の俳人から、名高い佳い米を13%にまで磨いて醸した純米の清酒「獺祭」が、二本、贈られてきた。妻の報せでわたしは仕事を中断し、駆け下り、その場で二合余をきゅうっと、清水を吸うように飲んだ。
美味かった美味かった、美味くて堪らない。有難い。
そして二階にもどり、昭和天皇の死のことをしばらく考えて過ごした。
2005 4・21 43
* バグワンの教え・・HPに記載されるときは、特に心して読みます。いつも胸に響き、沁み込んでいきます。理解している、分かったとは言い切れません。それでも何かが伝わってきます。
愛とは美しい狂気・・そのまま詩になってしまいそうですよ。
ホフマンの小説「黄金宝壺」には辻邦生氏も深く傾倒されたのではないかと、これは勝手な想像をしてしまいます。 「十二の風景画への十二の旅」という短編集の第一話は題名が「金の壺」なのです。どちらも再読してみたくなりました。
「幸せな戦闘」を少し休んで・・気分転換とはいえませんが、昨日は絵を描いていました。今日は凄い肩こりに悩まされています。生きるって「肩がこる戦闘」みたいなもの、など訳分からぬことを口にしてしまいそう。五十号のイタリアの風景画、かなり進みました。 京都の「村上華岳展」に出掛けたいと思っています。 鳶
2005 4・22 43
* 現会員出稿の内容・質に関連して委員会のメーリングリストで好い意見が出ている。これは、或る面ではたいへん好適なケーススタディになる問題で。文章があまりにひどいと読者からメールの批判が来て、一委員からも、文章・趣旨ともに不適切であり、削除するか、相対化の反論をのせてはどうかと。
それにまた二人の委員から少しニュアンスに差のあるいい意見が入っている。いまわたしから、ペン常務理事でわが委員会の担当である米原万里さんの意見を求めている。
この事件には、問題にしたい問題点が幾つも含まれているのである。
2005 4・23 43
* 田圃に水が入って、あっという間に田植えがはじまりました。早苗が並んで水が光ってきれいですが、田植えをしているのは一人で(一台で)淋しいです。
少病少悩起居軽利にして安楽に行じたもうや不や。などと閑なおじさんは平成納経? 法華経二十八品をデジタル化して遊んでいます。ほんとに「言葉」だけですが。あれを訳した鳩摩羅什さんは偉いと思いますね。
杉花粉のあとは檜花粉で・・・。お大事にしてください。 千葉 E-OLD
2005 4・23 43
* こんにちは。 4月になり2度、京都に行きました。京都御苑のしだれ桜、祇園白川、もう一度は鞍馬です。桜満開の京都はまるで満員電車状態でした。
先週は奈良の長谷寺に出かけました。桜は散りかけでしたが、人が少なくゆったりとした気持ちで境内を散策しました。また参道の店の方もとても親切で良かったです。
昨日は唐招提寺に行こうと思い、入り口まで行ったのですが、改修工事で正面に見えるのは大きな工場のようで、参拝する気持ちになれず引き返しました。薬師寺には何度も行っているのですが、結局薬師寺に参拝しました。大講堂の改修が終わり良い雰囲気でした。感じの良い修学旅行の中学生が熱心に説教を聞いていたのが印象的でした。薬師三尊、聖観世音菩薩はやはり良かったです。東塔、西塔も久しぶりに見ました。西岡棟梁のすごさを改めて感じました。
神戸への帰りは、いつも道頓堀に立ち寄っています。お寺とは全く違う雰囲気ですが、何となく好きで夕食がてら? 焼き鳥屋さんによっています。もちろん法善寺にもお参りしてから帰神します。
京都の東山を一緒に歩いてくださるのを楽しみにしています。 神戸 音楽教諭
* 日々のメモなら、ま、こういうところだが、今一つ感性でふみこみ、ピカッと光る感想の表現を加えておくと後々のためにも、メールが格別に楽しいモノになる。「満員電車」のような京都など、よく分かって思わず笑える。
* デジカメの写真、機械と奮闘して可能ならお送りします。お菓子がとてもおいしそうに撮れました。大ぶりの生菓子の数々は声をあげたくなるほどきれい。季節に合わせて、あやめや鯉のぼりや筍などの煉切や花のようなきんとん類など、それは贅沢で極上の和菓子で。 春
* こういう繪に描いた餅(菓子)は願い下げ。自分で撮った花、花、の写真ならよく見直してひととき憩うけれど、どんな綺麗な花の写真でも、自分で「ああ」と驚いた覚えのない写真をわざわざ手間をかけて送ってもらうのは、もったいない。まして写真の食べ物など、どうしようもない。菓子は食って大好き、酒は飲んで大好きだが、写真でながめて楽しめるモノではない。
大好きな人の写真なら、ねがわくは普段着のさらりとした涼しい風情がいい。正装・盛装の写真など、やはりどうしようもない。結婚式の記念写真みたいなもので、喜ぶのは本人とせいぜい家族だけ。
だが、もし盛装をいさぎよくぬぎすてた写真ならば、ときに人により大いに嘆賞に堪えるだろう。男のはだかなど、イヤだけれど。 2005 4・24 43
* 花粉症もピーク時の一割程に治まっているでしょう。
**ちゃんからメールが入り、久し振りに会いましょう、と、平成館のベルリン博物館展を観て。何しろ鎌倉からは片道二時間も掛かるので、きりなくある話題をこなし切れず、近い再会を約束して別れました。
高三の頃はみな一緒にあなたの処へ通い、平安神宮で撮った写真なども残っていたりで、その後も交流はあったとしても、それぞれ違ったグループがあっての淡交だったのが、メール交信のここ何年は、会う機会を作り易くなりました。
会話中突如(此処の博物館に絵があるのが念頭にあってか、)
「親指のマリア」あれ佳かったわ! あの人、なんであんなになんでもよう知ったはんにゃろ。
そら本を沢山読んで、記憶力がいい上に、筆致がいいという事やろ。あれは京都新聞の新聞小説やったらしいよ、妹が切り取っていてくれたから。
ここにあの「親指のマリア」の絵があるのよね。
わたしは**のデパートであったザビエル展に出品されている時に観て、絵葉書を買うたよ。
その絵、博物館ではいつ展示しゃはんのやろか。
さあ。もし絵葉書が欲しかったら 地下のミュージアムショップで多分買えるよ。
一枚買うわ。そやけど あの「お父さん絵を書いて」 あれはあかんわ わたしには。
そうそう、この「秋萩帖」も小説になってるよね、平安時代と現代とが入り混じって。
それは読んでへんわ。
と、こんな具合、どっちが誰かは推察して下さい。 鎌倉
* MAOKAT さんのメールも届いた。自然科学の研究者でお茶人の読書その他のリストが附録に。日々をこんなふうに暮らしている知識人、フーンと想う人も有ろう、幾らか紹介してみよう。
* 卯月のつき hatakさん
美しい月夜です。卯月も尽きようとしていますが、土曜日は朝まで仕事、今日日曜日は昼に起きて、流儀茶会に水屋見舞を届けてきました。夕は、頂き物のホタテの燻製を酒で戻して、茨城産のキュウリ(品種不明)と、徳島産の糸若布で和え物に。たん熊北店で秋に出る柿の和え物をまねて、トルコ産のフィグ(乾燥イチジク)を足したら美味でした。
四ヶ月で本19冊、映画12本、音楽2公演。多くはありませんが、せわしい生活の潤いです。日付、カウント、コメントつきでお送りします。明日の実験の準備に、これから研究室に行ってきます。 maokat
050102 1
『レインボー・シックス(1)』トム・クランシー著 読了。
『レインボー・シックス(2)』トム・クランシー著 読み始める。
050104 2
『レインボー・シックス(2)』トム・クランシー著 読了。
『レインボー・シックス(3)』トム・クランシー著 読み始める。
050107 3
『源氏物語 巻2』谷崎潤一郎訳 読了。
初音、根引き松の個所、新年にふさわしい。
胡蝶、源氏玉鬘に言い寄り、着物を脱いで添い寝する。いやらしい。
050110 4
『レインボー・シックス(3)』トム・クランシー著 読了。
『レインボー・シックス(4)』トム・クランシー著 読み始める。
050116 5
『レインボー・シックス(4)』トム・クランシー著 読了。
自然愛好家達の記述が長く、ややだれる。これは、ヨーロッパ人へのあてつけか。アメリカの国益を守るためには、自然破壊はやむを得ないという国是を代弁している。元KGBのポポフが寝返るあたりから、俄然面白くなる。
『よい匂いのする一夜』池波正太郎著 読み始める。
050117 6
『よい匂いのする一夜』池波正太郎著 読了。
玉の湯、富士屋ホテル、みな懐かしい。チップを貰い遣り慣れていた池波氏なら、老舗旅館の仲居も恐くはないだろう。私はどうもあれが苦手である。
『青春忘れ物』池波正太郎著 読み始める。
050118 7
『青春忘れ物』池波正太郎著 読了。
やはり作品には実生活が色濃く出るものだな。
050119
『源氏物語 巻3』谷崎潤一郎訳 読み始める。
050120
『レッドストーム作戦始動 上』トム・クランシー著 読み始める。
050122 映1
『パッチギ』監督:井筒和幸、出演:塩谷瞬 、高岡蒼佑 、沢尻エリカ
60年代の変に熱い人々が登場する。50年代の団塊の熱い人々とも違う。私の従姉妹たちの時代である。賀茂川、円山公園、哲学の道。ツボにすっぽり嵌る。京大学生をうんとこさ田舎臭く描いているのも面白い。橋と川の使い方が上手い。
沢尻エリカは、おしんのよう。
050128 映2
『オーシャンズ12』
メンバーは豪華だが、内容は平板。ま、お祭り映画。
050203 8
『レッドストーム作戦始動 上』トム・クランシー著 読了。
『レッドストーム作戦始動 下』トム・クランシー著 読み始める。
050205 ホール1
鈴本演芸場
扇家一門の曲芸や小菊さんの小唄は、ライブならでは。橘家文左衛門の『文七元結』もなかなか聞かせた。
050206
ヨコハマ映画祭(横浜関内ホール)
関内駅前からオタクぞろぞろ。服の色目はみな暗く、一人だけオレンジ色のコートを着用していた私は、浮いてしまった。
『スウィングガールズ』 映3
二度目。反復鑑賞に耐える。上野樹里は陸上選手。なるほど。
『油断大敵』 映4
役所広司、江本明は、安心して観ていられる。子供の台詞など一部に白けるところあり。悪くはないが、素材が小さいかなぁというところ。画面から飛び出してくる何かがない。
『下妻物語』 映5
再び感嘆する。絵空事をここまでリアルに描けるものか。存在するわけがないもののてんこ盛りで構成された映画。例えば、下妻のロココ。田んぼのあぜ道を歩く、フリル一杯のロリータドレスとレースの日傘。レディースヤンキーとロリコンの友情。
前回つかめなかった部分がいくつか。「ジャスコ」「牛久大仏」徹底してイケてないものを、うまく使って笑い飛ばしている。随所に現れる「ジャスコ」は、画一化された大量消費社会を痛快に揶揄している。観客はドッと笑いながら、「ジャスコ」的消費社会に飼い慣らされた自分をも笑っていることになる。痛快。
「つるむ(連るむ)」だけの「ダチ」ではない、お互いにインディペンドな「ダチ」。ヤンキーなくせにナイーブな心を持った「白百合イチゴ」と、ロココ風ファッションで偽装しその実徹底したリアリストである「竜ヶ崎桃子」、お互いに社会から飛び出し、強烈な生き方をしているもの同士だから、本当の「ダチ」になれるのだろう。
どうもこの映画は私のツボに嵌りすぎていけない。
050224
『ボーン・スプレマシー』 映6
MOVIX本牧
たった一人の反抗、家族愛、正義は勝つ。ハリウッド映画のお約束を全て満たしている。巧みな脱出には舌を巻く。
050226 9
『レッドストーム作戦始動 下』トム・クランシー著 読了。
トム・クランシーの第2作。さまざまな場面でストーリーが同時進行してゆく技法は秀逸。ソ連は徹底的にアホに描かれている。
『千利休』清原なつの著 読み始める。
050227 10
『千利休』清原なつの著 読了。
コミックでしか表せないものがある。異論もあるだろうが、作者の愛情が利休を明確に造形し得ている。私は、やはり宮王の係累、宗恩と少庵が気になる。宗無も注目してみよう。北向道陳も書いてみたい人。
050303 映7
MOVIX本牧
『レイ』アカデミー主演男優賞、音響賞、ジェイミー・フォックス
レイチャールズの音楽人生を描く。たんなるきれい事では済まされない、赤裸々な内容で、ドラッグあり、金にからんだ裏切り、移籍あり、女性問題もある。レイは、ドラッグに依存して音楽作りを続けているが、愛人マージーの薬物中毒死と、妻デラ・ビーの「クスリを続けているとあなたの一番大切な音楽ができなくなる」との諫言で、更正する。家族、恋人、ドラッグ。彼には、これらより大切だった音楽。音楽のために全てを吹っ切ることができた、壮絶な人生。見習えるかしら?
050308
『対戦勃発 1』トム・クランシー著 読み始める。
050311 映8
マイカル江別
『ローレライ』
ぬるい。構成がぬるい。脚本がぬるい。特撮がぬるい(これは予算の関係でしょうがないだろうけれど)。もうちょっとがんばって欲しかったな。
050312 11
『対戦勃発 1』トム・クランシー著 読了。
『対戦勃発 2』トム・クランシー著 読み始める。
050316 映9
バージン東宝シネマ(六本木ヒルズ)
『あずみ2』
とにかく全員死ぬ。生き残るのはあずみだけ。長政、清正、信幸の暗殺も成し、使命は果てた。一人になったあずみは、どこへ行くのだろうか?
050318 12
『対戦勃発 2』トム・クランシー著 読了。
『対戦勃発 3』トム・クランシー著 読み始める。
050320 13
『対戦勃発 3』トム・クランシー著 読了。
『対戦勃発 4』トム・クランシー著 読み始める。
050321 映10
『香港国際警察』ジャッキーチェン監督主演
香港・中国合作。ジャッキーチェン監督って、わりと暗いのね。仲間に死なれて底辺に落ちた男の更正。父親に愛されない金持ち息子の逆恨み。仲間の裏切り。献身と死。軽快なアクション映画なのにアジア的な暗さが残った。
050325 14
『対戦勃発 4』トム・クランシー著 読了。
中国人・日本人への強烈な蔑視、対してロシア人への親近感が露骨で、作者の幼稚な本性が露呈。簡単に言えば、子供っぽい。これもクランシーを読む余興の一つか。大陸間弾道ミサイルを迎撃するラストに向けての畳み掛けは圧巻。
050327
『とりかえばや物語』中村真一郎訳 読み始める。
050402 15
『とりかえばや物語』中村真一郎訳 読了。
レズ、ホモセクシャル、拉致監禁、レイプ、何でもあり。作品自体よりもこういうストーリーを案出せしめた時代を想像してみる。凄まじい世だったのだ。谷崎源氏を読みなれていると、この訳文はいただけない。訳者は文学性を故意に排除しているのか、原文がこんな文調なのか? まるで、司法裁判を報じている CNNのレポーターのような。藝能人の不倫を取材しているワイドショーのレポーターの方がまだ文学的。
『教皇暗殺 1』トム・クランシー著 読み始める。
050404 16
『教皇暗殺 1』トム・クランシー著 読了。
『教皇暗殺 2』トム・クランシー著 読み始める。
『オペラ座の怪人』 映11
アンドリュー・ロイド・ウェバー製作・作曲、ジョエル・シューマッカー監督
この映画は、ミュージカルの実況中継と思って見ればよろしい。舞台では作りえないリアルな舞台装置を造って撮りたかったのだ。映画だと思うと、ちょっとなじめないかもしれない。『ウエストサイドストーリー』が流行ったのはだいぶ前だから。クリスティーヌ役のエミーロッサムは、『デイ・アフター・トゥモロー』の子役で光っていた。大きくなって大竹しのぶのような放心したような表情を見せる(演じる)ようになった。
音楽についてひとこと。アンドリュー・ロイド・ウェバーの曲は、演歌だ。理性ではなく情緒に語りかけてくる、お下品な音楽。でもそれでいい。この旋律は後を引く。
暗く醜い地下の闇から至高な藝術が生まれ出る。光を生むには闇が必要なのか。そこには、数々の名作を生んだ天才ウェバーさんの孤独も垣間見える。実生活はどうか知らないが。
「angel of music」に魅入られてしまったものは、現世の恋や明るい生活は諦めなきゃいけない。天賦の才を持つものの決して幸福とはいえない宿命も感じる。闇の王 phantomの狂気を止めたのは、クリスティーナがphantomを愛していた瞬間が「あった」という事実。ここは「正義(愛)は勝つ」のハリウッドの法則に当てはまっている。
さて、「angel of music」があるのなら、「angel of research」もあるのだろうか? もしあったとしたら、私を夜の世界に連れて行ってくれるだろうか? 覗いてみたい世界なのだが。
050409 ホール2
Kitaraオルガンスプリングコンサート(Kitara)
昼公演。7代専属オルガニストのマテュー・マニュゼスキとバリトンのマーク・モイヨン。オルガンとバリトンも良い。キタラのオルガンは優しく、清まわる。終曲は、カルテットが入りテレマンの「全地よ、主に向かって喜びの叫びを
あげよ」。札響トランペット松田次史さん、終音の聞かせどころで音が引っ繰り返っちゃった。残念。アンコールで同楽章を再演。今度は大丈夫。安心。札幌の文化的施設運営、頑張って欲しい。
050411 17
『教皇暗殺 2』トム・クランシー著 読了。
『教皇暗殺 3』トム・クランシー著 読み始める。
050418 18
『教皇暗殺 3』トム・クランシー著 読了。
『教皇暗殺 4』トム・クランシー著 読み始める。
050420 映12
『阿修羅城の瞳』市川染五郎・宮沢りえ
時代劇SFファンタジー。馬琴の八犬伝もあるからこれも伝統の範疇か。歌舞伎役者の強み随所に。樋口可南子。『あずみ2』の高島礼子もそうだが、熟女妖艶もいかがなものか。エンディングはスティングの歌う「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」。お茶屋待合のカウンターバーのようなもの。ちょっといいセンス。
050422 19
『教皇暗殺 4』トム・クランシー著 読了。
ラビット脱出までが山。ここはさすがに読ませる。教皇暗殺はおまけ。非アメリカ的なものの価値に全く気づかないし認めないクランシーの狭さが、明快なストーリー作りになって多くの単純な読者に歓迎されているのだろう。
『谷崎潤一郎の文学』秦恒平著 読み始める。
* 東工大へ通勤時代、クランシーは古本新本でずいぶん読んだが、クランシーという名前以外、総て記憶にない。
2005 4・24 43
*「ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか。」
よくご存じでしょうが、斎藤茂吉がアララギ会員の永井ふさ子に送ったラブレターに、このような一節があるそうですね。斎藤茂吉については大尊敬する歌人というだけで詳しくありませんが、最初にこのラブレターを読んだとき、すっかりまいってしまいました。茂吉を益々好きになりました。こんなストレートな恋文をもらえばどんな女でもまいってしまうでしょう。バグワン流にいえばマインドではなくハートに響きます。ふさ子さんは幸せ。手紙を焼却できなかったお気持よくわかります。男の側に自分を守ろうとするところがまったくない、稀なラブレター。無防備で赤裸々にさらけだしている真情にぐっときてしまいますね。
> もしあなたが(マインドにおいてただ=)愛する者であったとしたら、愛はまだ起こっていない。あなたは依然としてコントロールを、ハンドルを、握っている。そうしたければ、あなたは相手を変えることもできる。そうしたければ、あなたは立ち去ることもできる。そこにはまだ選択がある。愛はまだ起こっていない。あなたはまだそれに支配されていない。それでは愛はわかるまい。
最近のバグワンの中でとくに印象に残り納得した部分です。
夜はテレビで歌舞伎の玉三郎の舞いや立居振舞を観てため息、今は藝能花舞台の「保名」を観てうまいなあと、楽しんでいます。
でもそろそろ寝る時間。おやすみなさい。わたくしも京の東山をご一緒に歩きたいのに……ブツブツ。 春
2005 4・24 43
* ブリジット・バルドーは三歳程歳上でしょうか、女性から見ても魅力のある女優さんです。あの当時、若い日本の女性にとっては、あれ程スパッと脱ぐシーンは、映画の内容よりも驚きの方が先立ち、すっかり大人になってからは、余裕を持って観られるようになり、そして最近、何度目かの古い映画の幾つかを、テレビで、面白く観たのです。
ヨーロッパは日本よりも何千年も古い人類の歴史があるだけに、進んだ性意識があるのは当然で、よくいえば自由で大らか(但し映画、小説を読む限りの事しか分りません)といえるのではと。
各宗教の厳しい戒律、その反動が大だとも思えます。宗教ををあまり持たない最近の日本人も、徐々に近づきつつあるのは、確かですが。
少し後のヌーベルバーグの映画には、対照的に知的な印象を持つ、ジーン・セバーグも素敵な女優でした。実はアメリカ人だった。
トロイのヘレンといえば、小アジア、トルコのペルガモンを訪れた時に、ギリシャ神殿の白い大理石の何本かの柱だけは残っていましたが、ガイドさんから、彫刻を施した祭壇、レリーフ等はすべてドイツが略奪して、ベルリン博物館にある、と聴いたのです。
いつかその彫刻を観たいと切望していたのですが、建造物の事、当然今度の展覧会には、何も来ていませんでした。最近ベルリンで、それを観た友人は素晴らしかったと云いますが、その人は、ペルガモンへはまだ行っていません。
クレオパトラより美人であったのでは、といわれる、前1350年頃のネフエルテイテイの頭部、これが美人を作るあの黄金比率の顔、いい頭部でした。ベルリン博物館にあるものは、「ドイツの至宝」と謳っています。
思い付くままに。 泉
* たしかに日本女性のあけすけに「性」「性意識」を語れるようになっていることは、此処へ送りこまれるメールにも、相当に反映している。上のメールでも、文面から察するにちと「とろい」という自覚に洒落掛けての「ヘレン」という名乗りなのであろうが、ヘレンとはクレオパトラやネフエルテイテイの上越す美女のことだから、相当な「意識」である。いくら魅力があったブリジット・バルドーでも存命なら七十過ぎ、どんなものだろう。映画は最高の美しい時間を「保存」する、それが堪らなく嬉しくも羨ましいと谷崎潤一郎は語っていた。上の「ヘレン」さんも「トロイ」のオバアサンになっているわけだが。さかんなことです、けっこうなこと。
そういえば斎藤茂吉の赤裸々なラブレターを称讃してやまない女性のメールが、昨日深夜に届いていた。
そして、今も。
* 恵みの雨でした。郷里では穀雨の季節を過ぎ、連休の頃になると田植えが始まります。いまはほとんど機械で植えますし、近隣の農家の手伝いもありますが、人手がいるので親戚がたくさん集まります。
この従兄弟(***を退職してからは農業に勤しみ日本の農業について憂えています)の家から小一時間も登ると、例のオオナモチノ命が琴を弾いたという、琴引山の山頂です。このちかくが「多禰」があります。
「多禰」の由来は「出雲国風土記」にありますが、オオナモチがスクナヒコの命をつれて通りかかり、「この地にゆたかに実れ」とタネモミをまいたのです。その話通り、実にゆたかな水田地帯となり、出雲米はコシヒカリのようにシャープな味ではないけれど、豊かでおんぼらとした(出雲弁でのんびりした、という意)すごく美味しいお米です。お餅は日本一おいしいと思います。
秦恒平著NHKブックス『閑吟集』を、毎日職場のお昼休みに少しづつ読み進めています。以前一度読んだので、今度はすこし丁寧に細部までよく読んでいます。
それに今回は秦先生とメールが通じ始めた後なので、以前とはあきらかに「読み」が違ってきました。解説書はいくらもあるでしょうが、なんといっても先生の解釈がすっごく面白い。たとえば53~55ページ、16番。
人の姿は花靫(はなうつぼ)やさし 差して負うたりや うその皮靫
この解説。(54-55ページ)
<<16番へ眼をうつしますと、男は「花」の女を、結局もう手に入れてしまっているのですね。しかもその経過と結果から或る「うそ」を感じてさえいる。「靫(うつぼ)」とはいわば「矢差し」に造られた空(から)のツボ。皮で造ったツボ。これを背に負うのですね。女の姿、女の体を「優し」い「羞(やさ) し」いツボ、「矢」の容れ物と見立ててもいるのですね。
「矢」が男を示すことは、鴨社の神話伝承にも見えている、太古来日本人の実感です。美女が川溝にまたがっていると川上から矢が流れて来ます。そして美女は神の子を妊む。そのような矢を「差して」とはっきり謂う表現は、縁語を懸詞で強調したなまめかしいエロスの効果をもちながら、一転して、靫をただ背に負うてみるというふだんの動作にもどされ和らげられる。女という名の花靫を背に負う、つまり我が物として背負(しょ)いこむ、と――、優しく羞(やさ)しいと見たその花靫の出来が、じつは皮は皮でも「うその皮」で張ったからっぽの靫だった――と、そう言うのです。
ずいぶん手厳しく女を攻撃しているようですが、この小歌を反復口遊(くちずさ)んでいても不快なえげつなさはなく、かえって優しげな女のその外見の美しさは、すこしも害われず眼に見え見えてきます。「差して負うたりや」といった口調子には、快い、男の意気のようなものさえ想われます。となると、ここで「うその皮」は、女という相手をわるく決めつけているというより、もともと男と女との「世」の仲なんて「うそ」と「うそ」の掛け引きなンだものと、ちょうど鐘と撞木(しゅもく)の間(ぬあい)が鳴るぐあいに、以前に読みました「世は嘘に揉まるる」ふうの感懐が、さらりとやさしく残響していることが読めてくる。分かってくる。
手に入れた女を、一方的に「うその皮」と貶(おとし)めるほど男心はいやしくない。男は、己(おの)が男心にさえも苦笑いのうちに「うそ」を感じている。それどころか男と女との「うそ」を悪いとも言ってはいない。「うそ」は、時に、すぐれて美しいしやさしい。そういうことをよく知りぬいた同士の、知りぬいた時代の、これは可憐なほど面白い歌声なのだと私は味わっています。>>
手にいれた女を、一方的に「うその皮」と貶めるほど男心はいやしくない。男は、己が男心にさえも苦笑いのうちに「うそ」を感じている。それどころか男と女の「うそ」を悪いとも言ってはいない。「うそ」は、時にすぐれて美しいし、やさしい・・・・・と。
この「男」とは、一般論の「男」ではなく、当然男=秦恒平氏でしょう。それを思うと思わずニッコリしたくなりますね。
メールでは「近くて遠い」といつも思うのですが、もしかしてこれは「遠くて近い」のかも、と思ってみたりしています。
御本、声が聞こえるようでもありますね・・・ 能登
* なんということを! 日本一うまいという「餅」は食べてみたい。
* 高校生のとき「源氏物語」を部分的に読みました中で、女三宮の降嫁が印象に残っています。当時の身分社会や結婚制度の中では仕方のないことでしょうが、女三宮のところへ通ってゆく光源氏の身支度を調えてあげる紫上のつらさは、現代のわたしにもよくわかり、同情しました。
加えて、時代や風俗が変わっても、人の気持ちというものは不変だと思いました。
あれからさまざまな小説を読んできて、その印象は変わらないどころか、より強くなっています。
何百年何千年人は同じことを「繰り返し」てきた、と。
その「繰り返し」てきたことが真実にほかならず、真実のきらめきを表し得たものが、どんな時代になっても色あせず残ってゆくほんものなのだと思います。
テクノロジーや手法は斬新に変わっていってもいい、でも、それは表層。性根は「真実」を表すところに置いておかなければ。
目新しい風俗や技術に気をとられて「真実」をなおざりにしてしまうと、斬新なだけで終わってしまう。
そして、斬新なだけのものは、時間が経てば色あせてゆくでしょう。
「何も殊更に異を樹てたり、個性を発揮するばかりが藝術家の能事ではない、古人と自分との相違はほんの僅かでいい、ほんの僅かなところに自分と云うものが現はれてゐればそれでいい」(谷崎潤一郎『藝談』)とは、いい言葉を聴いた、と思いました。
気構えは、上のとおりです。あとは、実践です。
花粉症はだいぶ落ち着いてきました。もう一月ほどの辛抱です。
風を感じています。 花
* たくさんなことを、わたしも感じ考えさせられる。
2005 4・25 43
* 昨日から、例の(期待して)の水彩展が始まりました。 一心で描きました40号を出品いたしました。思いがけなくもお陰様で支部長賞をいただきました。この作品は私自身描きたいものを描きたいように描いた作品で、大変な苦労がありました。が自分なりの勉強、充実した時間を持つことが出来ました。
どうせ皆様にはそんなに評価はしていただけないだろうと。ただ自分で納得のいくような描きかたができたかなーと、自己満足の仕事でした。
結果高く評価をしていただき表彰して下さいまして、信じられない気持ちですが、やはり方向的には外れていなかったのかなーと、少し、安堵しております。
これが果たして上野でも通用するかは疑問ですが、もう私にはそんなことどうでもいいのです。自分なりに納得がいくように描ければ。と。
やっとそんな心境になれました。
恒平先生のお蔭と心から感謝もうします。有難うございました。 郁
* 「やっとそんな心境になれ」るまで、ほんとうに長く掛かった、三十年余も。だが絵画という技術根底の藝術表現では、そしてその分野の教育指導に深く信頼してきた表現者では、ある意味で自然な、いや余儀ない三十年であったのであり、三十年がまるまるむだであったなどということは、決してない。しかし心ある表現者は、どこかで「自身描きたいものを描きたいように描いた作品で、大変な苦労」をし、そういう「充実した時間を持つ」ことを経て、「自分で納得のいくような描きかた」へと突き進んでゆく。そういう業を負うている。
作品をみたいが、肝腎の会場が書いてない。そういうのんきな人でもある。それが繪に出て来たのだろう。
2005 4・26 43
* 昨夜は遅くに帰ってきましたが、外はだいぶ寒かったです。油断すると風邪をひきそうです。
福知山線の事故は悲惨でした。鉄道は一番安全な乗り物だと思っていましたが、安全は多くの人が注意して初めて実現するもの。何かの拍子にもろくも崩れることがあるのですね。事故の原因をよく調査し対策して、二度とないようにしてもらいたいと思います。
昨日NHKK番組で、田中久重さんの万年時計の復元をやっていました。現代の技術者100人の知恵と性能の良い製造装置を駆使しても、復元に1年ぐらいかかったそうです。
季節により一刻の長さが変動する「和時計」に秘められたアイディアはすばらしいものだそうです。
やはり私も技術者である限り、難しいことにチャレンジして技を磨いていかなくてはと思いました。研究という仕事をやっていながら、最近技術以外の悩みが多いので、こういった番組を見るとやる気がでてきます。
週末には群馬県の妙義山に花見と登山に行ってきました。奇岩で有名な妙義山ですが、実はふもとに一万本もの桜が植えられています。なんとも不思議な光景ですが、岩山を背景の花見もなかなかの一興でした。
まだ寒々とした日も続きます、お体に気をつけてください。 卒業生
* レースラベンダー つる紫 山スミレ ブルーデージー ローズマリー わすれな草 それに名前を忘れた etc.の好んで集めた薄紫の小花が一斉に咲いています。点々と咲き出したポピーのオレンジとメドウセージの深紅が佳いポイントになって、寂しいイメージはありません。猫の額より狭い狭い前庭ですが。
昼間はよく動き、その疲れで、夜十一時には床に就き、五時半頃には眼が覚めます。そのままヌクヌクと闇に遊ぶのが至福の時間。まあ、宵張り爺さんとはえらい違い。
まだ朝食に早いので、昨夜は後少しでどうしても睡魔に勝てず中断した、ロビンウイリアムスの「アンドリューNDR」を観ます。ロボットの映画なんて好みじゃないけれど、封切前のプロモーションで関心もあったし、娘が佳い映画よといっていたので、録画しておきました。彼は人に買われたロボットだけれど、人間と同じ思考を持つ規格外のロボットなんです。短い人生をなお思い起こさせる映画でした。
さて今日はE-OLD LADIES のスポーツの日であります。 泉
2005 4・27 43
* 双方でその気になれば、すぐ会える距離で暮らしていても、メールのほうが簡単で、何年も顔を見ないという付き合いは、列島の到る処で起きているだろう。それも是々非々であろうが、メールの上での言葉の交換だけで、「足りている」「そのほうがいい」となってしまうと、健康でない気がする。
逢いたくてもおたがい遠方で、だからメールで思いかわしている友人や恋人達は、もっともっと数多いだろう、メールはそういう人達にはどんなに有難いものであろう、まして海外の友や家族と、メールで、間近にすばやく安価に話が通じ合うなど、どんなに有効で嬉しいものか。実に、いい。
だが親しい同士、双方でその気になればすぐ会える距離にいながら、メールの言葉のやりとりだけで便宜とする度があまり過ぎると、言葉じたいの味が安直に薄く、しかも過剰に言葉数ばかりのアイサツに流れ、具体の生彩や魅力を、まったく淡めてしまうことが有るのではないか。「お元気で」「お幸せに」などとは、成ろうなら顔を合わせて言えばよく、顔を合わせていれば言わなくても直ちに伝わる。
メールは、生きた人間関係を根の方で安直に蝕んでしまいかねない「毒」も孕んでいると知っていたい。
わたしが人様のメールを、誰のとほぼわからないように此処に書き込ませて貰うときは、わたしの書く文章や生活とはまたちがった日々や場面や思いが、新鮮に具体的に闇の向こうへ光るように伝わるだろう…か、と想うからである。そうしないメールは、あくまでナイショに属するか、闇へ放っても遠くへは光るまいと思うものか、単に用事のメール。遠慮すべき人のもの。
ドラマ「北の国から」の最後の方で、竹下景子の息子役であらわれた、少年とも青年ともつかぬ年頃の男の子が、かたときもケイタイのメールが手放せずに書き込みをつづけ、来信を待ち、しかも相手は年上の女性らしいが名もアイマイで顔も知らないという。しかし必ず逢うのだ逢えるのだ二人で、と、その時至るのを「待っている」ひたすらに。
悲惨な印象を受けたし、実る期待とは全く想われないのが哀れであった。そしてその場合も、その男の子は、メールだけでいいんだとは、ユメ考えていなかったのである。逢いたかったのである。それ自体はまだしも健康な期待であった、メールだけでいいんだとは言わなかった。
だが、ここにも危険きわまりない陥穽がある。人と人とは逢えば、会えば、それでいいどころかメールを媒介に、何処の誰とも解らない相手とあいたがるのは、余りに無謀、放埒で、危険きわまりないこと、よくよく知っていなければならない。それは、どうあっても誰にも奨めない。
2005 4・27 43
* 名古屋の博覧会特別展示「自然をめぐる千年の旅」を、愛知県美術館で観てきました。
太鼓判どおりさすがにいいものばかりなのが、わたしにもわかりました。
村上華岳の「松山雲煙」が、おっとりやさしくて、ビビッときました。売店の絵はがきで見た「日高河清姫図」もよかった。展示替えされていて見られず、残念でした。
「源氏物語画帖」の、男性の冠の纓の透けているのや、衣服の模様の細かいところや、女性の髮の一すじ一すじなど、とても繊細で、ガラスケースにぐっと顔を近づけてしまいました。
充実した展示会でした。
日射しは暑くなってきていますが、風の涼しい季節です。あとちょっとで本格的に暑くなるでしょう。今が一番いい時ですね。
風のスギ花粉症は、もうほとんどいいのではないですか。
わたしのヒノキ花粉の方も、ようやく外出がさほど辛くなくなってきましたよ。 花
* この展覧会には、文句なし垂涎ものの名品が揃っていて、万博協賛の一の大きな目玉であろうよと想像していた。
予告では、「信貴山縁起絵巻」知恩院の「早来迎図」金剛寺の「日月山水図屏風」雪舟の「天橋立図」狩野秀頼の「高雄観楓図屏風」久隅守景の「夕顔棚納涼図屏風」浦上玉堂の「凍雲篩雪図」大雅の「蘭亭曲水図」蕪村の「鳶鴉図」北斎の「富嶽凱風快晴」川合玉堂の「行く春」等々、国宝重文のなかでもめざましくまた珍しいみものが、ずらり並ぶらしいから、想うだに、すばらしい。ま、わたしは想うだけで済ますだろうが、出かけてみたくもある。存外、穴場で、静かかもしれない。展示替えがあるだろうから、一度に、みながみなは観られないけれど。
2005 4・27 43
* 一気に仕事を前へ送り進めた、が、まだまだ。
* 24日、日曜のHP以来記載がないので案じています。何処かにお出掛けでしたらいいのですが。お変わりないことを念じています。
くれぐれもお体大切になさってくださるように。 鳶
* ああ、よかった 安心しました。今一度確かめてみましたが新しい記載は画面にでてきませんでした。こちらの器械がおかしいようです。
今日は作業しながら心配ばかりして落ち着きませんでした。仕方ないので洗濯・・セーターなど洗って衣替えをかなり終えて、拭き掃除なども頑張ってしまった・・。
週末29日は京都の村上華岳展、30日は四国八十八箇所の四番から廻ります、ただし車で日帰りです。混雑するときにわざわざ出掛けます・・。
尼崎の事故、死者百人に達しそうだとか。 鳶
2005 4・27 43
* 今日の午後は友達が誘ってくれて、ひさしぶりに山歩き、と言ってもほんのちょっとした丘登り、です。山つつじが綺麗でした。陽射しが急に強くなっています。
糖尿病のことが気に懸かります。やはりいくらかの「節制」はなさって下さい、つらいこともあると思いますが。
蕪村の「鳶鴉図」・・名前だけでも嬉しいな、あれは過日見ました。前期に展示されていたわけですから、後期の現在は展示されていないでしょう。残念ですね。京都河原町今出川の近くの北村美術館の所蔵ですけれど、常に観られるとは限りませんから。今回の愛知の展覧会で前期後期通じて出品されているのは三分の一にも満たないほどです。三月半ばインドに行く前日に見たわたしも、改めて出掛けたいのですが。
どうぞお体大切に、切に切に願います。 鳶
2005 4・28 43
* 今日はとても暑い中バレーボルをしました。暑いと体力を消耗しますね。疲れました。
風はいかがお過ごしですか。
さっき、『新潮現代文学全集』の井上靖の巻で、思いがけず風の解説を読みまして、にっこり。 花
2005 4・28 43
* 恒平さん 尼崎の事故、痛ましいばかりです。 @バルセロナ
ああ、日本だ…と、諦めに似た溜息が、じわっとお腹の底を押し下げるように広がりました。「日本」だからこそ起こり得た事故、ということを、かくもいい加減な国に現に住むせいか、身に沁みて感じます。ほんの90秒を必死に急ぐ意味を理解できる人は、この西欧の国、この都市、にはほとんどいないでしょうが、だからいい・だから悪いとは言い難く、日本社会の圧力・緊張感ゆえに避けられている事故、驚くほどうまく機能している面のあることも、見逃せません。JR批判だけで済む問題でなく、日本社会がそのように動いていること、自分自身も知らずにその圧力に荷担していることを、またまた新たに認識せずにはいられませんでした。ただ行き過ぎたプレッシャーが議論になっている矢先に、やれ、どこの駅でオーバーランした、あちらでは何メートル、といったことがニュースになるようでは、この先憂鬱です。
実は、五月の十日から二十二日まで休暇で帰ります。気楽な場所で飲み物でも飲みながら、二時間ほど二人でお逢いできれば本当に嬉しいのですが。よく行かれるクラブでも保谷のぺるとでも、あるいはもっと別の場所でも。
恒平さんに逢えるかも、と想うだけで気持ちが華やぐのですが、「私語」に一喜一憂しながら、なかなかご都合を尋ねる勇気がでませんでした。 京
* バルセロナの声が久々に届いた。 両手をひろげて待っています。古京
{ 根は「日本人」と「日本社会」の性質・性格に有ると見極めねばならす、そこでより正しく「日本」が読み極められる必要がある。哲学が力をもたない国の悲劇だといえば、議論の迂遠さを嗤う者も多かろう、が、まちがいなくこれは「日本」の人と社会と文化が引き起こした無惨な、救いのない事故である。} と書いておいたのにも、遥かにきちんと呼応してくれている。
懸案の「作」も、書いたかな。
ふしぎなもので、東工大の卒業生から声が届くと、玉を突いたようにざあッと一斉、いろんな顔や声が、懐かしく火花のようによみがえる。わたしの手元にはこの子達の書いて提出した述懐や意見や私語が、今なお散逸せず山のように残っている。量の多い子だと一人分でそれはたくさん書いていて、いちいち読み直さなくても、我が子のようにものが見えてくる、今でも。
だいたい、出逢って十三から五年程度か、一人一人の卒業後の展開はやはり多彩多様でおどろかされる。
2005 4・29 43
* いまから華岳の絵に逢います。 鳶
* うらやましい。 鴉
* 京都近代美術館で、「秦テルオ」を話したとき、ちかく華岳展も用意していますと学藝員に聞いていた。
うらやましい。
2005 4・29 43
* 大型連休初日 カレンダーを覗いて「緑の日」だったと分るほど、馴染めない祝日です。が、今燦燦の光に映える青若葉に肯きながら、やはり天皇誕生日が念頭にこびり付いた昭和生まれなんだと、実感。
とに角よいお天気ですが、混雑の人出を予想して車の遠出はしません。渋滞のないサイクリングで、近くの公園の藤の盛り(かな)を楽しむつもり。サイクリングも何か目的を持てば、一人でも結構楽しいものです。
今夜10時、BSで「我が心のレイ・チャールズ」があります。
この人だとも、曲名も知らない頃から「愛さずにはいられない」のメロデイが大好きでした。分野を問わず、直感でこれ好き…という何曲かがあります。琴線に触れるというのでしょうか。リクツなしのこの私だけの感覚を大切にしたいです。
時間があったら聴いてみてください。 愛
* ベランダの紫蘭の花が咲き始め、初夏だなあとうれしくなります。
今日から連休。2日は出勤ですが、あとは8日までお休み。5,6,7日と飛騨高山の古い町並みを散歩してきます。あまり観光地化していないとうれしいのですが。
わが「能登」も昔はほんとに不便な土地で「能登はやさしや土までも」といわれたものですが、最近空港もでき、妙に観光地化したためか、観光案内所などで時間を尋ねたりしても、昔みたいに親切ではない感じ。朝市のおばちゃんたちは相変わらず働き者で、げんきで愛敬いっぱいですが。
そうそうあの「八百比丘尼」というのはこの輪島の奥の出なのですね。人魚を食べたせいで800年も生きて、人の生死をつぶさに見尽くした、この女性に私、ずいぶん興味を抱いています。
連休が終わったら、映画にいきませんか。あらかじめ日がわかっていたら半休はとれると思う。(火曜日以外)「パッチギ」という井筒監督の映画が静かな評判だそうで。
いこうと思って調べたら、先日で終了してました。けれど、評判がじわじわと高まってきたようなので、きっと再演されるとおもいます。京都の高校生と在日朝鮮の女子高生とのストーリー。あの新勘三郎さんも何かの雑誌で「涙が流れてとまらなかった」と書いてらした。
「結婚したら朝鮮人になれますか」というコピーが付いていましたね。
もしよろしければ考えておいてください。
「マドレデウス」 私も大好き。「リスボン物語」とか、映画の主題歌も唄ってますね。スペイン、ポルトガル、いってみたいなあ。
「ふらんすにいきたしと思えど ふらんすはあまりに遠し されば新しき背広きて きままなる旅に出でてみん」でしたっけ・・・ ではまた ゆ
* 連休、わたしは、ひそと家に落ち着いて混雑緩和に協力します。明日は、歯医者。帰りに江古田のグリルで、すこし奢ってきます。
映画に誘って下さり有り難う、めったに行かない映画館ですが、映画館には一人で入ることにしています。暗いなかで見るのは映画で、お連れとは並んでいるだけ、お互いに気が散るでしょうし。美術館や博物館でも、ほんとは一人の方が落ち着いて好きに見られるし、気が進まなければさっさと出られるし、勝手なんです。電車の窓から外を眺めるなどは人と一緒でも気楽ですがね。
わたしがテレビでの映画に自足しているのは、代金つきで時間拘束される映画館があまり好きになれないからだと思います。昔は編集取材仕事の半ばに、ひとり、新宿の小さな映画館でよく古い西部劇など見ましたが、あれには、サボッテいるという快感のオマケがありましたねえ。
ま、東京のことです、楽しい出会いがあるでしょう。気を付けて連休の旅など楽しまれますように。 め
2005 4・29 43
* 今日も暑いくらいの一日です。
ゴールデンウィークに入る前にお食事でもする機会があればどんなにいいかと願っていました。「私語」を何度も開いて心を慰めていました。誰にも何にも微塵も影響されない大きな華やかな藝術家がいました。お仕事の充実や魅力ある恋文メールがいっぱい。
初めて作品を読んだ時から、魂がすーっと引き寄せられました。でも、私もビタミン愛でありたいと望みましたのは、ずいぶん不遜な動機でした。
何年も「私語」を読み続けて、たびたび読むのを中断してしまいたいほど悲しみに襲われました。何度もいたたまれない想いをしてきました。苦悩や孤独の底暗さが胸に迫ってきて、耐えがたいほどでした。「私語」の読者に、こんな風に感じる人が何人いるのかわかりませんが、「私語」は絶望や諦念や闘志や滾る情熱の見え隠れする世にも烈しい「遺書」だと思ってきました。楽しさやユーモアがあるにしろ、基調にあるのは、死なれて、死なせて生きる人間の本質にある、悲哀、孤愁です。お慰めになれるのなら、この世に残る理由の一つになれるなら、その道具となってかまわないと思いました。それが始まりです。
そしてこうも思ったのです。この作家はほんとうの意味で、人生の同伴者に恵まれているのだろうか、と。そういう孤独は天才の宿命なのですから。
いわゆる天才たちの陰には、有名無名を問わず、能力の如何も問わず、ただ全身全霊でその真価を知り感応する人間がいて支えようとしてきました。そのような同伴者としてお近くにいたいと、身の程知らずに願いました。片思いの特権というものです。どうか拒絶しないでください。決してお邪魔にならないように。
どうぞお元気で名残の春を楽しんでください。糖尿病の節制にも励んでください。書かれるのを待っている作品のためにも。
連休、「湖の本」を読む充実に浸り、家族とおいしいものを食べ、咲く花を観に出かけようと思います。 藍
* 此の「私語」に聴くほどの人は、斯く臆面なく書かれる「私語」の全部が、書き込まれた「メール」風の総ても、即ち闇の「創作」と読んでいただきたい。登場する誰も彼もが、闇の奧から現れる言葉の「幻像」だと眺めて欲しい。闇のスクリーンに浮かんで実在する架空の影像と眺めていただきたい。
ただしウソではない。絵空事ゆえになまなかの現実にない生彩が表われてくる。私はただ一枚の鏡となり、写し出している。
2005 4・29 43
* 今、強い風が吹いています。洗濯物が飛んでしまいそうなので、取り込みました。
「天平の甍」を読みながら、風は何なさっているのかなあ、根をつめてお仕事なさっているのかなあ、と想ったり。
遠くて、お逢いできいのが、とても残念。 花
* 歯医者に通い、また「3年B組 金八先生」の二時間スペシャルのスキャン校正をし、わたしの評論集の校正もしています。すっかり新緑、その中で大紫やさつきなどが咲き誇っています。うっとりする春爛漫のお天気ですが、少し風があります。クーラーをまわしてみると、花粉をふくんでいるのでしょう、少し眼へ来ていましたが、それももう無くなりました。
連休は、なーんにも予定がありません。BSから録画したのがたっぷり。「竹鶴」をチビチビ(うそ。かなりグイグイ)やりながら、とにかく校正をしてしまいます。根はつめる方ですが、急がねばならない、約束して尻を叩かれる仕事は、もう殆ど受けないので、ラクです。
福知山線の事故はひどかった。車も電車も、気を付けて下さい。万博のある間は名古屋は元気でしょう。 風
* 小説は、着々、書けているかな。結婚一年、群馬の奧から名古屋近郊への転居だったが、生き生きと元気に想われる。
2005 4・30 43
* 逢える日のことばかり考えています。 京@バルセロナ
恒平さんが来るのに、帰るのに都合がいい時間帯・場所は……。お酒を控えようとしているはずだから…などと「考える」のはやめて、素直に希望を言うと、「クラブ」に行ってみたい。せっかく「日本」に帰りながら洋風な場所ですが、もちろんそんなことは重要でなく、恒平さんがふらりと寄ってエスカルゴを注文し、アイスクリームを食べる場所に、私も一緒に座ってみたい。
始まりが五時半では、恒平さんの晩御飯が中途半端になりますが、もしそれでもよいとおっしゃるなら、私はまったく構いません。日にちはお任せします。
こんなに楽しみだなんて。
* クラブでは大概の席で接待や商議や何かしらの打ち合わせをしている。わたしのように徹底してプライベートに「ひとり酒」を飲み、本を読み、校正したり、妻を連れて芝居帰りに休息して行くような、そういう感じのメンバーは、めったに見たことがない。
ホステスもみな、わたしがそういう客だと心得ているから、他の客とより懇意に、話しかけたり話し相手をしてくれる。西欧センスの綺麗な女性客と二人でゆけば、すわと、カッコいいホステス嬢たち緊張するかもね。おもしろいな。ハズバンドと同伴だろう。この卒業生は角度のするどい話題をいつももっている。
東京の小闇はどうしているだろう。しばらく音沙汰がないが。
* いよいよ五月ですね。昨日は本当に良い一日でした。半そでシャツにジーンズで、自分の住んでいる街をサイクリング。毎日住んではいても通勤の道筋と、買い物に出るいつもの場所しか知らないのが現実です。ちょっと夕食の買い物をしてから緑あふれる学園町の中を通り、すっかり葉桜の桜並木を走る。
久しぶりの自転車は自分自身も風になったようで、小さな旅気分でした。途中でアイスコーヒーで小休憩。ああ、気持ちよかった。
若いころ出会い、毎年この季節になると口ずさんでしまう、昨年亡くなった川崎洋さんの詩「五月」の最後の一聯。
飛行服のまま
君の家に一寸立ち寄った君の兄さんが
見えない弦が張られている
牛の角のたわみを両手で握りしめ
その色つやのよい牝牛の身体ごしに
五月の海を見ていたのが
昨日のことのように思い出されます
いい人が沢山死んでしまったのだ
いい人が沢山死んでしまったのだ・・・
先日の福知山線事故のような人災、戦争で前途をむりやりもぎとられた若ものたち。誰しも生れ落ちたその日から「死」に向かって歩いていくのが宿命でしょうが、それにしてもつぼみを無理やりもぎとるようなそんな、こんな死はマズイ、マズイですよ。
それにしても私の乗る電車もよく遅れます。4分、5分は当たり前。月に1,2回は遅延証明書をもらうほどです。
「お急ぎのところ遅れまして申し訳ございません」という幾分のんびりした放送を聞くたびにやれやれと思ってたのですが、そうですよね、遅れることだってありますよ。ゆめ
2005 5・1 44
* こんばんは。 半年ぶりに法隆寺に行って来ました。神戸の私の家から電車で約2時間で法隆寺に着きます。
昨日の法隆寺はまるで真夏、半袖で行ったのですが、暑さにまいってしまいました。2時間ほどゆっくり見て歩きましたが、あまりの暑さにフラフラ状態で参拝を終えました。
良い事もありました。日差しがきつかったせいか、夢殿の救世観音像のお顔がよく見えました。今まで見た中で一番はっきり見え、感動しました。
ほとんどの人が金堂内の釈迦三尊も、夢殿の救世観音も、ちらっと見るだけで通り過ぎていました。せっかく法隆寺に来ているのにと、いらぬお節介心を抱いてしまいました。
おかげで私達はゆっくり見せていただけました。
明日は勤務ですが、次の三連休はまだ行った事のない京都の寺院をさがして行こうか、と。 神戸 音楽教師
* 午過ぎから雨になり、肌寒い一日でした。
夕方、いちばん雨足の強い中、買い物に出掛け、大きな冷蔵庫を買いました。今使っているのは78リットルという小さいもので、不便です。
250リットルくらいの中くらいのものが欲しかったのですが、そのクラスはとても品薄でした。また、電力消費量は、かえって300、400リットルもある大きなものの方が低く、五年も使えば安上がりになる計算ですので、思い切って背丈が180センチもある、365リットルのものを買いました。 花
* 大きな西瓜がまるごと入りそうだ。
2005 5・1 44
* 華岳と表題されたメールをうかと消去してしまい、「再送」願うと返信した。
* {華岳展の図録、送ろうと思いますが如何ですか。京都のあと東京で展覧会があるかと思っていましたら、富山に廻るだけです。或いは三百点ほども出品されている今回の展覧は実に貴重ですので思い立って京都までいらしたら、などとも書いてしまいます。会期は五月二十二日までです。図録はすぐにも送れます。}
「再送」の「送」という文字だけを読んで、華岳の図録を午後に送りました。笑うなかれ! いかにも早とちり鳶です。
* イタリアンフードを堪能。 異国情緒のある造りの名古屋観光ホテル内のレストランで、イタリアンランチをいただきました。
コース料理は、ゆっくり食べるせいか、お腹いっぱいになりました。普段のわたしは早食いなので、脳の満腹中枢が刺戟される前にたくさん食べてしまいます。これがいけない。
最寄り駅への通り道、目の醒めるような真っ白いツツジがあちこちにありました。ほんとうに真っ白。きれいでした。
風は今日何をなさっていましたか。 花
* 機械の前に座るつど春の花々の写真などに見とれていましたかも。さてという何もしないで、のんびりしていました。風は生来、ほんとは怠け者で、のんびり怠けていられるようにと、永年根をつめて仕事をしてきました。してもしてもつぎつぎ仕事を引き受けてラクになれませんでしたが、気乗りしない仕事はみな断り始めてから、のんびりの味わいが分かってきました、初めて。
爛漫の「はんなり」連休気分を家にいて味わっています。今日の花と同じに、つい食べ過ぎますのが、難。 風
2005 5・2 44
* 京都近代美術館の「村上華岳展」大図録が贈られてきた。「鳶」さんのブレゼント。
告白するが華岳について初めて原稿を頼まれたとき、わたしはまだ華岳を知らなかった。依頼された原稿を断るような「もったいない」ことのとても出来ない駆け出し作家は、手に入れた某画廊の小冊子図録ひとつをにらみ据えて原稿を書いた。そしてそれからわたしの「華岳勉強」が始まったのだ。まだ会社づとめをしていた。
出張の用をつくって兵庫県美術館の展覧会や、また千葉市美術館の華岳展にも行った。河北倫明さんのを始め参考書も幾つも手に入れ、耽読した。華岳にわたしは心酔していった。華岳に化(な)りたいと思い、三百枚の「墨牡丹」を書き下ろして「すばる」に発表したのは、会社をやめた翌日、昭和四十九年九月早々だった、新潮社新鋭書き下ろしシリーズ『みごもりの湖』初版は、その数日後だった。わたしは、あの頃、一度目の噴出を体験した。
「墨牡丹」の頃、まだ華岳は世間的な知名度はひくかったが、彼こそ日本一の日本画家というほどの高い評価の人が、何人もいた。梅原猛さんとの出逢いも「墨牡丹」であった。立原正秋との嬉しい出逢いも「墨牡丹」であった。有名な画家達とも「墨牡丹」を介して知り合ったし、祇園の何必館主梶川芳友との少年来の再会も、華岳が縁であった。
NHK日曜美術館が放映を始めた五回目ぐらいに、「華岳」がとりあげられ「私の華岳」を話しに出演した。以来華岳と国画創作協会関係の仕事は、いつもわたしに集まるような時期がながく続いて、麦僊も波光も日曜美術館ではなしたし、国立東京近代美術館の大回顧展でも特別講演し、新しい読者たちに多く恵まれた。
「熊」「二月の頃」「平野の夜桜」などに始まり絶筆「墨牡丹」に至る華岳の藝術は、じつに深い。わたしの人生で華岳との出逢いを欠いていたら、どんなにか寂しかろう、それも最初は未知の画人に過ぎなかった。原稿を依頼されなかったらわたしは、出逢ったとしても、もっと遅れていて、そしてあの以降のような道は歩けなかっただろう。
出逢いとは、まこと、運命である。そういうことを十分心知ってわざわざ高価で大切な、自分用に買われたのだろう図録を頂戴したのである、ご厚意、有難し。なかを見ると、どの頁からも「線の行者」華岳の精神が噴射してくるようだ。わたしも、また観たい。東京へは来ないで、次はどこだか日本海の方へ展覧会は移動するらしい。
2005 5・3 44
* 十一時、もう階下に降り、くつろいでしまおう。
* 連休の楽しみ疲れではないですか。どこを向いても人人でしょう。「別世界」に遊んで英気・生彩を養って下さい。すこしの昼寝もまたよし。
鏡花の「乱菊」を読みました。これは勢い込んだ講釈のようなものでした。大部の第一巻から、それぞれに長さのある「冠弥左衛門」「義血侠血」「乱菊」「貧民倶楽部」と読み終えましたが、「貧民倶楽部」が断然出来ています。それぞれに鏡花の描く女は、つくりものですが、イデアルで、冴え冴えと白磁のように魅力に溢れます。
スペインのワインが生協で買えました。うまい。
連休の長い人は、まだ六日間も休むらしい。子供の頃は夏休みを短いと思いましたが、大人は、長く休むのもタイヘンでしょう。疲れてからだを壊さぬように。 湖
2005 5・3 44
* 三十三間堂に行きました。千体の千手観音の前は人波であふれていましたが、ゆっくりした一方通行でしたので、充分堪能出来ました。次は観光客の少ない季節に行きたいと思います。東福寺へも行きました。あざやかな新緑の季節には少し遅かったようですが、通天橋からの眺めは最高でした。方丈庭園も始めてで、京阪電車の中吊り広告そのまま(当たり前?)でした。枯山水の庭を眺めるなんて普段の生活では考えられないことです。
話は変わりますが、グルダのピアノをレコードで聞いたのは20年以上前になります。バッハの平均律を聞き、始めてバッハのピアノ曲の良さを実感し、レコード全集を買いました。 高校入学後にピアノを始めましたので、モーツァルトやバッハが本当に天才と実感したのは、大学を卒業してからです。自分に才能があるのか無いのかもわからず、ただ好きなだけの無謀に近い状態で音楽の勉強をやってきました。グルダのピアノがきっかけで、動かない自分の指を叱咤激励し、少しはバッハやベートーベン、モーツアルトの曲が弾けるようになりました。毎日の授業で直接使うわけではありませんが、時間を見つけては練習をしています。自分には優れた音楽の才能が無い事が理解出来た今も、ただ好きなだけでやっています。勉強(練習)を続けるだけが、唯一私の才能?かもしれません。 神戸 音楽教諭
* 東福寺に三十三間堂とは、しびれそうに懐かしい。馴染みに馴染んだ故郷そのもののような二つのお寺であるが、どちらの一つだけでも、わざわざ訪れるに十分足る内容豊かな名刹。
いまごろ、東福寺境内は静かで目もうるむ新緑だ。テレビエッセイで東福寺を撮影しわたしが話した番組がほんとうの新緑時だった、どこもかしこもありありと目に浮かぶ。やがてバルセロナからはるばる里帰りしてくる、京にゆかりある卒業生とは、あの通天橋をゆっくり渡ってみたい、が、そうも行かない…。
* 連休 よく晴れて暑い毎日です。
昨日はデパートへ行って、前から欲しかったバックを買い、顔なじみの売り場で、涼しげなブラウスも。
買い物は大抵一人で行きます。気ままに好きなところを見て歩けるので。そのせいか洋服は好みに偏って、色も形も同じようなものばかり。
今日は主人と平安神宮から南禅寺へ。
紅枝垂桜の新緑を眺めながら、花の盛りの時を思い描き、泰平閣に座って樹々の緑を堪能してきました。
近代美術館は日を改めることにしました。
南禅寺では三門にのぼり絶景かな・・・あの急な階段、いつまで上れますやろ。
水路閣をくぐって、上の疎水の水路に沿ってインクラインの軌道後へ。ここは今桜並木が続き桜の名所になっています。蹴上げのツツジを向かいから眺めて、天王町まで歩いて、バスで帰ってきました。
金地院や天授庵など特別拝観中でしたが、せわしない人と一緒でしたので拝観できず、又の機会に。
一緒に歩ける日が早く来ますように・・・ のばら
* 若い歩けるうちに、北山の奧などへもっと足を運んでおきたかった。短距離走は高校をピークに十三秒前後で走れたが。(高校の学年で一番早いのが百を十二秒四で走ったとき、わたしのタイムは十二秒九。もう誰も信じないだろう、この八十キロの巨体を見ては。)
長距離走は、全然保たなかった。とくに急な坂や石段を、山を登るのは苦手だった。ゆっくり長い持久走の方がよかった。ねばり強いが体力は薄い。
疲れているなと自覚するとき、そのバロメーターのように、今すぐ京大阪まで病院見舞いや通夜などに「行かねばならぬとして、行けるか」と自問自答したものだ、今でも、する。
以前にはそういう機会が何度も有った、からだの弱い妻に代わって妻の親類の不祝儀に飛んでいったことがある。
だが、昨今は、自信がないと自答する「疲れどき」が多い。義理を欠く気構えに、つい成っている。京都の仕事でも、日帰りが条件なら断ってしまう。
2005 5・4 44
* 声明(しょうみょう)研究家でもある櫻井真樹子さんからメールが来た。
2005 5・7 44
* 連休を旺盛に活動した人の「日録」が届いた。精神の活溌。
* アンドレイ公爵が戦場で空を見るシーン、ソ連の映画で見た強い思い出があります。もうずっと昔のこと、祇園会館で。
土曜日の静かな午後、先週からのことをメールしようと思ったのですが、メモ「日記」の抜粋を送ります。しあわせなる「戦闘」にまだ迷っています。これで終わり、と言い切れることなんて、できるのでしょうか・・。これは呟き。
元気に、大切にお過ごしください。 鳶
4・23 絵も何も進まない。せめて読書と庭仕事。
中国政府の規制によって反日デモは起こっていない。
中国は改革開放と常に言いながら・・これは何十年にもわたって、言葉としては・・。一党独裁制という自己矛盾の中で「尊大」に、正当性だけは主張している。「社会民主主義の正義」といいながら、中華思想を巧みに、また強引に張り合わせて周辺の国家に常に干渉し続けてきた。現体制を維持することの困難さ、時流に棹差していることを既に強く意識せざるを得ないからこそ、現在の民衆の動きを大きく規制していく。
先日ローマ法王死去報道の後、中国人知識層? のテレビ討論ではカトリック教徒何百万人に対してわれわれ中国の共産主義者は(共産党員)は六千万人ですから云々と誇らしげに語っていた司会者を思い起こす。六千万人の彼らは今何を感じているか、今後の道が見えているか。
4・24 福岡補選、山崎拓当選。
4・25 連休の始まりは四国に行くことになった。29日京都で姉と待ち合わせ、華岳展を見て家に。翌朝早く既に(三十三所)三番まではお参りしているが淑子に合わせて一番から十番くらいまで・・おそらくこれは無理かもしれないが・・。
朝、JR宝塚近くで快速列車事故 死者16人。まだ列車に閉じ込められたままの人がいる・・死者はまだ増えるだろう。福知山線に乗ることはまずないが、いつ事故に出遭うかは誰にも分からない、先のことは分からない。
買おうと思っていた「歳時記」が売れてしまっていた。残念、縁がなかったということか。
午後4時過ぎ 死者は50人、負傷者239人。一号車乗客の救助作業がまだ終わっていないというから、さらに死者はかなり増える可能性が高い。百人を超えてしまうのではないか。
ATS装置は20年以上前の古いものという電車、一分半遅れを焦ってスピードを出した乱暴な運転、粉砕痕がレールに残っているなど、報道されている。死者の名前がこの時間になっても読み上げられていない・・確認できていない人が多いのだろうか、極めて対応が遅れていると思う。
(詩稿の)推敲、見つめれば見つめるほど・・絶句。言葉を失う。「幸せな戦闘」でしょうか?!
4・26 推敲、「幻ですか これは?」まで。明日「星宿海」の後半を。分量を数枚増やしてもいいかもしれない、そしたらイラクやウズペキスタンのいくらかを入稿できる。ただしよほどの削除が必要だ・・。
部屋を掃除して、セーター数枚洗濯。静かな夕方、尼崎の事故が痛々しい、死者は79人、まだ増えるだろう。
4・27 洗濯・・セーターなどできる限りのもの、洗面、風呂の念入りな掃除をしながらずっと懸念することがある。苦しすぎる。
明日は***さんと山歩き、金曜日は京都近代美術館、土曜日は徳島へと外出が続く。
4・29 朝7時33分網干発の新快速で京都へ。近代美術館一階で (静岡からの)姉と待ち合わせる。村上華岳の名前を姉は知らなかった。が、描かれているものに、山や仏たちの姿に嘆声を上げていた。母の死に思いが動き涙がでる。姉はわたしよりもっと涙脆かった。
華岳の絵に、これほどの多くの絵に出会ったことは初めてで、会場を何度も廻った。
昼過ぎ高島屋入り口で*子と待ち合わせて、豆腐料理を食べる。新京極三条東でみすや針を*子は買い、桜井屋で姉は便箋、わたしは懐紙を買った。寺町から姉小路を西へ、彩雲堂で水干絵の具を注文、イノダコーヒーとまわって、JRで帰宅。
4・30 朝七時出発、高速など順調に鳴門に着く。大谷焼きの茶碗屋にも立ち寄って、再度(巡礼)一番の霊泉寺へ、此処から十番までは距離も近く・・十番は石段が四百あまりあってきついといわれるが、意外に? 苦しくもなくたどり着いた。住吉から廃仏毀釈の破壊を避けて移築されたという二重の塔のところまでも登って、平野を見下ろす。十一藤井寺までまわって、無理ない予定で、帰途に着く。明石大橋で*子は降りて電車に。
5・1 雨。斑鳩寺の骨董市も見るものなく・・。姫路にでてラーメンや餃子いつもの店、みやげ物を買って一時二分の新幹線で姉は帰る。
5・2 朝十時、戸外に陽射しがくっきり。もう洗濯は干しきれないほど多く済ませた。
5・3 朝早く家を出て、予測したもののやはり(自動車は)普段よりかなり時間がかかった。神戸まで二時間ほど、大阪は意外に空いていた。天理で名阪をおり、以前歩いた山辺の道だが、今回は崇神天皇陵、景行天皇陵、十市皇女墓、大神神社を廻った。山々、御陵の緑は萌え盛っていた。ことに椎の木のこんもりと溢れる黄色に圧倒された。奈良、だからではなく日本の自然の美しさにひたすら揺さぶられる。その揺れ方が年とともにいっそう激しくなっていく。夕食を済ませて岡崎の家に着いたのは夜九時過ぎ。
5・4 どこか近く・・香嵐渓や岡崎城近くの五万石藤をみに行けば、と思っていたのだが、寸又峡に行きたいとリクエスト!? 東名は混雑なく、相良インターまで一時間ほど。大井川に沿って川根町、寸又峡。そこからさらに井川ダムまで・・わたしにとって何とも思いがけないセンチメンタル・ジャーニーになった。さすがに井川までは道も細くなった。昔は千頭からダム工事のトロッコに乗った、その軌道は今も使われている。
中部地方の川は高峻な山々の間を経廻って流れている、特に大井川は川幅もかなり上流まで広く、ああこんなにも大きな川だったのかと思う。先日行った徳島の吉野川も雄大だが、周りに高い山がなく実に緩やか、穏やかな感じだった。わたしが生まれ育った山河はやはり赤石山脈の、駿河湾の自然だ。街中に育ったが里山の自然はすぐ近くにあったし、家の仕事の関係で山家廻りも慣れ親しんだ。この実感は今になると生きていく力、勇気になっていると頼もしくさえ感じられる、そのことを痛く実感した井川への、五十年ぶりのドライブだった。ダムの村は当時の、工事に沸いていた賑わしさは全くなく、鄙びて静かでたゆげでさえあった。ただ在った。大西旅館やダムへの細い町筋、乗り物酔いで喘いで青白い顔で眺めたダムの風景もただ苦痛だった・・あの時。井川の名前は忘れてしまったが、夫の女癖やお金に泣いていたおばさんも、考えてみればまだ三十代の若さで、そして彼女は長谷川京子のような美人だった。今はすべて懐かしい。
夜九時半過ぎ帰宅。おじいさん、おばあさん二人とも疲れただろうが楽しかった様子。
明日は普段の生活に戻りたいというので、夜十一時半、姫路に向けて出発。途中、香芝で仮眠もとって明け方家に帰りつく。
5・5 起きたのは十時過ぎ。洗濯、買い物、普段の通り。
5・6 三連休が済んだ。
四月二十九日以来、この一週間の慌しさ、よ。昨夜来の雨模様で空は暗く、部屋で本を読むには明かりが要る。が、こう、どうしようもなく沈んでいては。
本、届いたと。やはり送ってよかった。人も藝術も、出逢いとは、まこと、運命である。そのことを忘れる瞬間があろうはずがない。回顧展はいつまでだったのか、元気があれば、今一度京都での展覧会を見られるといいのだが。一人ゆっくり、じっくり絵に再会できると思う。
雨の一日。器械(パソコン)に向かう。
何故このような形で、つまり「詩」という形で書くのが現在の時点か? そのことにも思いが至る。とても単純な結論。書かずにいられなかった、という内発力。必然に近いものがあったからだ。長い間自分にそのような形であれ、小説めいたものであれ、書くことを禁じていた。流れるように流されて、何も残さず消えていくままにさせて、生きていくのだと。書き始めて、それは人や自然や文化への感情のまま、ただ溢れるままの、荒削り・・・さて、それをどう「完成」させるか、はなはだ心もとなく、今は苦しい時??。
それにしても馬鹿になるほど、絵も描きたい!!! 本を読みたい!!!
5・7 母の日のプレゼントを、と、姫路まで出る。ブラウスやら服、さらに肌着に関しても体型の著しい変わりように何を買ったらいいか迷って・・お父さんにもと、健康食品をいくつか詰め合わせて送った。帰宅したら不在連絡票が入っていて、彩雲堂からの荷物。水干絵の具! こんなに早く届くとは嬉しい。
* この人なりのグチもナヤミも有るのであろう、が、十分幸せに生きている健康な人である。十分生き生きと幸せな人にこそ、自然当然に不安もその証のようについてまわるのだ。不健康な不安とはべつのものである。
2005 5・7 44
* 永かった連休の最後の日曜。「帰ってきました」の便りが届いてくる。
> 日常の雑事を離れ、新しいこころをだいて戻りました。 などと。
「こころなんてもの、旅先で捨て去って戻りました」とありたいところ。「新しいこころ」は、今日にももう「古く」なるにすぎないのだから。こころほど動揺常なきもの、われわれには、ほんとうのところ、リフレッシュなどできない、できるのは身体のリフレッシュ。旅からは「新しいからだ」にハートを抱かせてもどるのではなかろうか。
2005 5・8 44
* 今度予定の合う時に伺いたいと思います。それまでに何曲かいい曲を弾けるようにしておきます。
5月の4日から6日まで友人3人で東北旅行をしてきました。北上川、角館と弘前で花見をしてきました。鄙びた武家屋敷に立ち並ぶ、角館の枝垂れ桜も素晴らしかったですが、弘前城の五千本の桜には本当に感動しました。枝垂れ桜、染井吉野いずれも見事に咲いていました。
満開の桜の下で桜吹雪を浴びていると、はらはらとこみ上げるものを感じます。先生が「谷崎潤一郎の文学」でも論じておられるように、桜には人をひきつけてやまないものがあると思いました。
他にも秋田の山奥の玉川温泉という、湯治で有名な温泉に行きました。酸性が強く、体がぴりぴりするのですが、体中から汚れが落ちたような気がします。
それでは、またご連絡いたします。ここ数日寒い朝が続きますが、お体をお大事にされてください。 卒業生
* 調律できた古き良きピアノを弾きに来てくれる日が、そう遠くあるまい。
2005 5・8 44
* 長い連休が終わりました。夢には湖を胸に夜々過ごしていました。静かでした。
日のある現実の生活では、元気に、そして食べ過ぎというより、家族に食べさせ過ぎという日々。大好きな紹興酒と赤ワインと、日本のロマネコンティをめざしているという日本酒を飲んで、少しばかり酔っぱらっていました。さっぱり活動的ではありません。遊ぶ場所の二時間半、三時間待ちの大行列を見て、出かけるのが億劫になったのです。家に居ついていました。お蔭で買ったまま埃をかぶっていた未読本の山が少し減りました。
ご無沙汰していたので、連休中の読書雑感を送ります。長くなりそうなので、お暇な時に、どんなことを考えていたのか覗くつもりで、笑いながらお読みいただければしあわせです。 (中略)
泉鏡花が神楽坂に住んでいて桃太郎という藝者と仲良くなり同棲して、その体験が「婦系図」になったとは知りませんでした。
泉鏡花の書いた「ひと里」という曲は神楽坂藝者がお座敷で踊る十五分ほどの風情のあるものだそうです。
ひと里は
神楽に明けて
神楽坂
玉も甍も 朝霞
毘沙門様は護り神
結ぼる胸の霜(紐)解けて
空も小春の町並みや
雁の翼の陰日向
比翼の紋こそ
うれしけれ
この踊りに興味があるので、いつか神楽坂の藝者さんに見せてもらいたいと思いました。
ノンフィクション系を五冊も読めば、この文藝ジャンルの限界をしみじみ感じて、もう結構。読み捨ての多くのミステリーと同じです。連休後半は最高の文藝の世界に遊びました。濃厚芳醇な美酒の泉鏡花。すっかり酔い痺れて時を忘れました。
泉鏡花「化銀杏」「海城発電」「琵琶伝」をそれぞれ二度ずつ読み、湖の本「谷崎潤一郎の文学」も再読です。
鏡花は偶然同じところを読んでいたのにびっくりしました。持っているのは筑摩書房の泉鏡花集成第二巻ですが。「貧民倶楽部」の続きです。
「貧民倶楽部」はある種、勧善懲悪の結末で、読後爽やかでしたが、「化銀杏」「琵琶伝」は雨月物語を思い出しつつ、怖さにぞくぞくしました。とくに「化銀杏」のヒロインお貞の、夫への生理的嫌悪のさま、「死んでくれりゃいい」と願う凄まじさ。そして夫の恐ろしい最期の反撃に圧倒されました。名手です。魔物を無意識の深みに抱く人間の業を描く作品は、現実の屍体を切り刻む殺人犯の本などよりよほどおそろしく震えました。お貞は私のことだと、そう思わぬ読者がいるでしょうか。
「海城発電」の恐怖も衝撃的でした。五味川純平の何巻もの「人間の条件」や「戦争と人間」といった作品でも、森村誠一の七三一部隊を描いた『悪魔の飽食』などでも、戦争犯罪はいやというほど読んできましたが、それでもこの短篇のほうがはるかに戦争や軍隊の無気味で巨大な怪物を描くことに成功していて、読みながら呻きました。女の
私にはこの結末はあんまりで、躰に痛みを感じるほどでした。
「琵琶伝」でも感じたことですが、泉鏡花は軍隊や軍人を、その政治を蛇蝎視しているようです。無気味なこの世界の暗闇や人の心の深淵を、泉鏡花のように妖しい美しさで描いた作家を今まで殆ど知らなかったことを恥ずかしく思います。仰言るように、貪り読みたい作家です。どうぞお導きください。
『谷崎潤一郎の文学』は何度も読んでいたものですが、読むたびにため息のでるほど素晴らしい。あれだけの内容をあれだけの日本語、文体で描ききった作品は文藝批評の絶巓として読み継がれていくでしょう。
「小説を読むように面白く書きたかった」と仰有る谷崎論は、読み始めたらもうとまらない、まさに文藝の香気溢れるミステリー小説の味わい。さらに今回印象を強くしたのは、秦恒平の谷崎論は、谷崎を語りながら秦恒平自身を何より表現しているということでした。これは秦恒平自身による秦恒平論でもあるのです。
細かい感想はまた別の機会に書くとして、湖が今後の谷崎潤一郎の作品研究に望む点を読みながら、再び、日本の抱える評価機能不全の問題を感じたことをつけ加えさせてください。
谷崎ほどの文豪にして、なお十全な全集が出ていないことに驚き、また優秀な谷崎学者の出そうな気がしないことを憂えます。日本の出版社は呆れるほど、評価システムが欠落していないでしょうか。とくに最近は売れる、売れそうだ、というだけです。
消費者はTシャツも買いますが、ダイアモンドも買います。読者は、安くて手頃なものだけを求めているのではありません。文化という最高の贅沢をこそ求めているのです。
今日中に書き上げようと急いで書いたので、色々うまく書けなくて不充分ですが、早くお送りしたく、今夜中に送ります。おやすみなさい。
気に入った小唄を見つけました。
水の出端を ふたりが仲は
せかれ逢われぬ 身の因果
たとえどなたの意見でも
おもい おもい切る気は
さらにない
どんな小唄がお好きですか? ご自分でも小唄なんかサラサラと、いくつでもお作りになりますでしょうね。作ってくださいな。舞ってみせましょ。
今夜は、「黒百合」の続きを読みます。 春
* 鏡花の奥さんはその藝者その人で、琴瑟相和して添い遂げた恋女房だった。あのホンモノの母恋い鏡花の母親と、名も同じ「おすずさん」であった。
* 「今回印象を強くしたのは、秦恒平の谷崎論は、谷崎を語りながら秦恒平自身を何より表現しているということでした。これは秦恒平自身による秦恒平論でもあるのです。」これは、射抜かれたように精確な批評である。そのつもりで書いていたのだから、みな。
谷崎愛をあれだけ語りながら、語れば語るほど、しかし谷崎とは似ていない、鏡花のほうによほど近いと言われることは、それもまたわたしの本望に近かった。だから谷崎は論じられたし鏡花については論じる気がしなかった、読んでいたかった。
* 鏡花の「化銀杏」は、締めくくりこそ少し苦しいが、鏡花好みの人妻(姉さん)と血縁のない年少の弟との、言葉を絶した愛(「義血侠血」の瀧の白糸と苦学の判事欣弥に重なるし、このパタンは鏡花世界の重要な下絵の一枚として繰り返し活用され、秀作が多く生まれている。鏡花の現実にそれに見合う深い思い入れの素地が在った)、それにひきかえ、その妻の、夫に対する絶対的な奉仕と従順の内心では、叫ぶように「こんな夫、死んでくれりゃいい」という願いが叫ばれ叫ばれている。鏡花のこの凄みは、ほとんど彼の体質に近いか。
「節操など、破れるだけ破ります」と婚礼初夜の床で、夫たる男に、愛する他者への愛を楯に凛然言い抜く花嫁の凄さは、「琵琶伝」冒頭の身の毛よだつ描写である。
こういう鏡花に心惹かれ始めたら、もういかなる論議や批評も関係なし、美だの倫理だの伝統だのも関係がない。
2005 5・8 44
* 「春」さんの前夜メールで、(中略)としておいた個所を以下にあげる。「評論・批評」の素質に富んだ人で、この今挙げる個所など、昨夜分に加えて、連休の勉強として充実している。本を読み出すととまらなくて、家族にいつもメイワクをかけますというのが、はじめて手紙を戴いたときの文面だった。ほんまかいなと思ったが、ほんまのように想われる。
一番目の本は特に、それとも限らず、東工大卒業生諸君や、MAOKATさん、その他各地の理系E-OLDさんたちの目に触れますように。この人のハズバンドは理系にお勤めであるらしく、友人達にも理系大学系の人たちが多いのかも知れない。
* まず『理系白書』毎日新聞科学環境部 春 (追加)
帯文に、文系の王国日本でまったく顧みられることのなかった「理系」の問題に初めて深く切り込んだ渾身のレポートとありますが、さまざまな問題点を、広くわかりやすくまとめた良書だと思いました。東工大と関わっていらしたので、卒業生の方々を通して、少しは関心をお持ちのことかもしれません。
計算するとたいてい一桁間違える、文系にしかなれない私がこの本を購入していたのは、理系の人間は、日本社会でその労働にみあった報われかたをしていないという強い義憤を感じていたためです。
「日本の技術のもたらした巨大な富は、技術者ではなく、銀行や不動産の関係者に流れた。技術者は対価が正当に認められるようにもっと主張すべきだった」という、ある技術者の述懐にはじまり、次々に深刻な問題が提示されていて、私は、日本という国のシステム、あるいは日本の根深い特性について、すっかり考えこんでしまいました。
とくに本書の中での、官僚の問題について憂慮し、危機感を感じました。
たとえば、霞が関では「技官」の出世は局長どまりといわれて久しく、最近改善される方向にあるとしても、厳然とした文系支配であることは変わらない。このどう考えても不合理な「文・理」格差のルーツは、明治時代に遡り、科学や技術を分かっている技官に決定権がなくて、よく分からない事務官が意思決定権を握っていることが、たとえば、エイズや病原性O157の被害拡大を招いたともいえる。
「なぜ日本の科学者は報われないか」という題名の著書を書いた文化人類学者のサミュエル・コールマンは、「日本には素晴らしい仕事をしている科学者はたくさんいる。しかし彼らが活躍できる組織やシステムがない」と結論づけた。
研究費が適正に配分されていない。応用研究を奨励するあまり基礎研究が軽視されがち、大学は未だに徒弟制度で教授は業績にかかわらず一番偉い等々、日本の現状に手厳しく、彼が一番の問題点としてあげているのが、研究の素人である官僚が、研究者を管理していること。ほとんどが自然科学系の博士号をもっていない官僚支配のもとで、日本の研究システムの改善、つまり情実を排除した透明な採用、昇進、論文の評価と研究費の配分が可能なのか、と問う。
同じようなことは日本の研究者のインタビューからも、失望となって語られていました。若い可能性に投資するしくみがない。官僚は優秀で判断も早いが、研究を本当に分かっている人が少ない。つい近視眼的、安全志向になる、等々。
どこにどう研究費を配分するかを判断するには、高度な専門性が不可欠なのに、その視野も技量も戦略もない人間たちが決定権を持つなど、なんと日本の科学者は気の毒なことかと嘆かわしくなります。何が独創的かを見極める評価眼がないのです。評価するシステムが機能していません。
ヒトゲノム解析は、もともと日本の研究者が着想したものなのに、日本の政策は二の足を踏んでしまい、その成果を重要視した米英が、日本の十倍の予算を投じて追い越した・越されたという、手痛い失敗などありました。にもかかわらずまだ現状は変わりそうになく、現在進行形で悔しい思いをしている研究者がどれほどいることでしょう。
その他、大学の凝り固まった制度の問題、オウムの問題、女性研究者への差別など、このレポートには問題点が、ぎっしりでした。
こんなこと長々書いて湖にはつまらないことと思います。ごめんなさい。でも、少しは関係があると思えて書いたのです。「なぜ日本の科学者は報われないか」という問いは、そのまま、「なぜ日本の藝術家は報われないか」とほとんど同じことだと感じました。
日本のある藝術家は不当に高く評価され、日本の誇りとも言えるある藝術家は徹底的に無視されている現状に暗澹とするのです。本来「フェイマス」に与えるべき藝術院賞や文化功労者、文化勲章などが、「リッチ」に与えられているばかりではないかと危惧します。「リッチとフェイマス」を兼ね備えても、松本清張のような反体制的作家には与えない傾向なども、変です。
どこの国にも少しはある傾向でしょうが、日本は、あまりにひどい。勉強ばかりしていた官僚に、音楽なり文学なり美術なりの藝術の真価を見極める眼力がないのは、科学がわからぬ文官のように当然でもあるので、だからこそ、より公平でオープンな、情実を排した評価のシステムが必要なのです。作るべきです。今すぐ。
つまり、私は『理系白書』を読んで、今の日本に大きく欠けているものは、人やものごとを「正しく評価するシステム」であろうと、強い危機感を感じました。日本にはいくらも、優れた批評なり評価する知性があるのに、組織にはそれがない。正当に評価する組織が機能しなければ、日本からかけがえのないもの、佳きものが、どんどん失われてしまわないかと恐れます。
ヨーロッパであれば、佳いものは必ず残るとほぼ確信が持てますのに、今の日本ははたしてどうなのでしょう。
『立花隆秘書日記』佐々木千賀子著 も、日本の評価システムという問題を考えさせられました。
あまり話題にはなりませんでしたが、これは良書だと思います。立花隆さんの秘書をしていた佐々木千賀子さんという女性の、有名人立花隆の暴露本なんかではなく、刺し違える覚悟のある、誠意と人間味溢れる批判書と読みました。やはり「リッチとフェイマス」の問題を提起しているとも言えます。一人の女性の、立花隆の秘書として採用されて、あっけなく解雇されるまでの、激務に忙殺される戦場のような日々を生き生きと描いていて、一気に読ませました。
この著者の、最後の、立花隆批判は、痛烈です。
「調べて書いたものはもういいです。」
「既存の文献や資料を加工する技術にかけては、ノンフィクション界に一つのスタイルを確立したといってもいいくらいの卓抜性を発揮されました……失礼ながら、分析や解明はもうわかったから、『それで立花さんはどう思うの?』と言いたくなるのは私だけでしょうか。『知の巨人』という鎧の武装はすでに限界に達しているように思えるのです。……『知』の鎧はクールで鋭い。まとっている限り巨人でいられる。それに比べて、生身の肉体はひ弱で危うい。理論武装を伴わない感情は傷つきやすい。しかし、だからこそ、人々の心を揺さぶるのではないでしょうか。」
「権力を憎み、権力に立ち向かっていた人物が、その業績によって皮肉にもいつのまにか自らが権力そのものになってしまう――それはどの世界でも頻繁に起こりえることです。いかなる権力からもリベラルな立場を維持することは極めて難しいことのようです。立花さんの場合も、本人の意志にかかわらず、いまや立花隆は言論界の権力そのものなのです。その証拠に立花さんのまわりに自由に発言し、時には苦言を呈したり、対等にものの言える人物がいるでしょうか。
それはもちろん立花さん側の問題ではありません。日本のジャーナリズムの力不足か怠慢か、とにかく周囲の問題にちがいありません。……」
立花隆さんに、この聡明な秘書からの真率な批判を受け入れる、度量があれば幸い。
私は以前から、立花隆を「知の巨人」などともてはやす日本のメディアは、変だ、と感じていました。彼の著書やコメントに、何かを生み出そうとする、真に創造的な希望も視点も感じられなかったからです。
話題性があって本が売れるので、評価され、権力となる。日本では、リッチな立花隆ブランドは、一度もその真価を正当に批評されていないのではないか、と思います。どんなに優秀であっても、「知識」の習得に優れているのは単に秀才であって、真に「知識人」とは謂えない・ちがう、というのが私の考えです。
『女医の花道』おおたわ史絵著。
これは大失敗。駄作ですらない。
題名の通り、お気楽に書かれた本でした。「ネットで買う」とこういう失敗があり。女医の生活が知りたくて読んでみたのですが、今の封建的医学界に反発しているポーズだけで、佐々木さんのような覚悟がない。悪ぶった口調だけで、ユーモアもなく。でも、女医がいかに不当に扱われているかとか、教授が教授であるだけでエライという医学界のシステムについては充分わかりました。日本は実力ではなく肩書の国で、一度肩書がついてしまえば、あとは中身に責任を問われないのかも。
『FBI心理分析官』ロバート・K・レスラー著
ぞっとするアメリカの連続殺人犯たちについての話です。殺人鬼を小説や映画の中に描く予定のある人以外には、お薦めできません。
映画の「羊たちの沈黙」が子どもの悪戯みたいに思えてしまうくらい、残虐な実録殺人事件のオンパレードで、殺人の描写は読み飛ばして、青息吐息でやっと最後までたどりつきました。
著者のロバート・K・レスラーによると、凶悪な連続殺人を犯す犯罪者の履歴には共通点(母の愛の欠如、父の不在、家庭崩壊など)があり、彼らは絶対に殺人をやめられない精神的、性的異常者であるということになります。快楽で人を殺す彼らは、突如凶悪になるのではなく、その思春期からすでに重大な犯罪を犯している場合が多いのだと。
彼らの殺人を止める方法は「ない」という悲観的分析を読んで、神戸の凶悪な少年犯罪を思い出す人は多いでしょう。
レスラーの分析が正しいとすると、日本はとんでもない怪物を社会に放ったことになります。レスラーが日本にいたら、少年は凶悪犯罪を犯す可能性が高いので生涯監禁すべきだと忠告したに違いありません。精神科医だけでは再犯の可能性を見抜くことは困難とも本書で例をあげて説明されています。
日本に、凶悪犯罪者の再犯の可能性の有無を審査する有効なシステムがあるのかどうか知りませんが、専門の心理技官の数が少ないことは明らかなようです。
ここでも物事を評価できない国のかたちが垣間見えます。
『神楽坂芸者が教える女の作法』夏栄 岡田喜一郎聞き書き
殺人鬼の話のあとに気持よいお口直しでした。聞き書きをした岡田喜一郎の文章も読みやすく楽しみました。
* ここで昨日書き込んで置いたところへ繋がる。ここまでは、ま、わたしなどの触れ合う機会のない本で、だから、興に曳かれてメールを読んだ。
2005 5・9 44
* 白真弓というお酒と、猫のおきあがりこぼしを、おみやげに買いました。 ゆめ
* 我が家にも来そうにしたり配り餅 一茶 というが。はて。
2005 5・9 44
* hatakさん お元気ですか?
二月から書いていたエッセイの原稿をお送りします。
『理系白書』は、知人が執筆に関わっていたため、早くに読みました。まったく日のあたらないところで、黙々と仕事をしている技術者から、公共のために働いているというプライドや自信を、容赦なく奪い去ってゆく国です。
人里離れた僻地で、「植物の灯台守」をしている公務員を、どれだけの人が知っているでしょう。彼らは、『理系白書』にも出てきません。
そんな思いも込めてエッセイ書きました。送ります。
* 長編の紀行日誌か。ゆっくり読もう。そ
2005 5・9 44
* 沖縄は入梅 午前中は申し分のない五月晴れで、干せる範囲の大物の洗濯をして、午後スーパーへ買い物に出ると、予報を裏切る雲が立ち込めて、洗濯物、洗濯物、と慌てて帰宅。近くで降っていたのかも。
葦が群生する人けのない琵琶湖北畔の波打ち際を、比良山を背に逍遥したくなりました。荒れる時は少ないのでしょう、いつも穏やかな、みごもりの湖ですね。京の文化遺産の建造物とはまた違う優しい自然に、溶け込みそうに放心したい。むかしお友達の車で、半日のんびりと口数少なく(ホンマに)、至福のそんな刻を過ごし何度かがあります。
来月、励ましあいの会を開くので、そこへ、また行ける筈。
明日は気温が下がるそうですよ。 泉
2005 5・10 44
* 昨夜は小唄の一つも聴きたいなと期待していましたが、空振り。
私語へ、拙い読書感想をとりあげていただいて、もう恥ずかしくて。とっくの昔に、私ごときの程度というか丸裸の能力はみな見られているのですが、湖のホームページをああ長々と占領してよいものかと思ってしまいます。でも、ありがとうございました。
昨日久しぶりに漱石の『こころ』を読み始めたら、やはり名作の呪縛にがんじがらめになりました。
『こころ』を最初に読んだのは、高校生になったばかりの頃だったでしょうか。書き出しからただごとならぬ緊張感で衝撃の結末まで突き進み、読み終えたあとに薄暗くなった部屋で一人、茫然自失していたことを思い出しました。高校生は、なぜ先生がここまで自分を断罪する必要があったのか理解できぬまま、「先生」に生きていてほしかったと胸のうちで慟哭しました。
大人になって、「漱石『心』の問題」を読んだ時も同じくらいショックでした。高校生の第一印象をひきずっていたので、まさに世界が底から光り出すくらいの「読み」と「批評」でした。小説のように面白いというより、小説のように痛切
でした。
中年の今、『こころ』を読み直してみて、より一層せつなく苦しい恋物語が色濃く感じられます。漱石は女を官能的に描けないと言う批評家もいますが、私は「お嬢さん」という「女」の描きかたにも感歎していました。女体を表現せずに、お嬢さんの女の魔性が行間から突然顔を表すのです。また、男が、素直に信じられない、安心しきれない女にこそ恋をするとしたら、愛のふしぎですね。
尽きせぬ謎を見抜けないということも、名作の条件の一つと思いました。
ご機嫌いかがですか。お幸せですか。明日の病院長く待たされませんように、結果が丸印であるますようにお祈りしています。 春
2005 5・10 44
* 鬱は上手に宥めるしかないけれど、厄介なものです。どうぞ明日診察の後は大いに気分転換されますように。ただし、大食漢はいけません。老婆心、しつこい老婆心で申し上げます。お体本当に大切に。
友人と外にいました。家に戻ったのは五時過ぎでしたろうか、勝尾青龍洞さんをインターネットで見ながらついつい時間をつぶしてしまいました。外はまだ明るく、子供たちの遊ぶ声がしきりにします。
椿も桜も山吹も藤もみな咲き終わって、今は薔薇とラベンダー。
日曜日に園芸店でスノー・ボールという、花は大手毬に、葉はアジサイ? のような花木を買いました。ボストンの家々によく植えられていて楽しんだ花ですので、懐かしくて、思わず買い求めてしまったのです。とうもろこしやオクラ、ズッキーニも順調に育って、あまり広くもない庭はもう満員御礼の状態です。それでも何かしら買ってきてしまう・・。 鳶
PS 大事なことを書き忘れていました。
五月九日の「春」さんの指摘 「今回印象を強くしたのは、秦恒平の谷崎論は、谷崎を語りながら秦恒平自身を何より表現しているということでした。これは秦恒平自身による秦恒平論でもあるのです。」に対して、「これは、射抜かれたように精確な批評である。そのつもりで書いていたのだから、みな。」と書かれています。
そのことは源氏物語に関するさまざまな論についても、言い得ることでしょう・・そして他の小説や論考にあっても勿論言えるのです。
鏡花世界・・「もういかなる論議や批評も関係なし、美だの倫理だの伝統だのも関係がない。」・・そう言い切る、その鏡花の世界と近接しているであろう、秦恒平自身の世界を書くこと。(なんと下手なわたしの表現か)そのことだけが秦文学の終に遂に目指すもの・・なのでしょうか?
鏡花の凄み・・についても大いに考えさせられます。
「節操など、破れるだけ破ります」と言い切る女には、深く明確な道筋がある。そういう強さ、凄さに目を見開かれる思いがします。 鳶
* 遂に目指すもの――。たぶん、そうではなかろうと想っている。はためには、なんだ巫山戯てと叱られるような。次回「湖の本」の跋文で、すこし、わたしは答えている。まるで別のことを答えたのかも知れないが。
2005 5・10 44
* 病院はいかがでしたか。眼のほうも心配していました。視野検査はお疲れのことでしょう。
今日は風が肌寒い薄曇りでした。一日バッハを聴いて過ごしていました。 武満徹は、作曲を始めるときにはたいていバッハの「マタイ受難曲」を聴いてから、始めました。彼の愛してやまないこの曲を、まるで魂を清める儀式のように聴いていたそうです。「マタイ」は偉大すぎて、百回聴いてもまだ手の内には入りません。もう片方の名曲「ヨハネ受難曲」、最近、ようやくこの曲の芯に近づいてこれたと思います。 春
* 大学の頃、吉岡の大叔父に、美学を学びながら西洋の古典音楽を聴かないなんてとわらわれ、発奮して聴き始めた最初が、無伴奏のバッハ、バイオリン曲であった。画家の「山名君」の感化があり、バッハのピアノ曲を近年もたくさん聴いてきた。
だがピアノ曲ではベートーベンの三大コンチェルトがわたしのようなモノには分かりよくて、弾き手を替えては、繰り返し聴いてきた。
2005 5・11 44
* 天領飛騨高山・古川は佳い里でした。西暦600年の昔から飛騨の匠そして宮大工を輩出したと、日本書紀にあるそう。町なかには掘割があり、水が流れていました。
「白真弓」はこの地出身の力士の名であり、お酒の名ともなってます。黒船に一人で八俵の米を運んだ怪力の持ち主とか。これを、いっぱいやらねばね。ただし、別のゆみの方は少々とうがたっており、食用には適さないかも。
* これはまあ!!
* つる打ちの音色が弓の身上。よく撓いよく鳴るでしょう。が…… 八幡老太郎
* つる打ちには思わず笑ってしまいました。ま、弓としてはいいなりですけど。白真弓
* こういうケシカラン冗談は、顔も見知らぬメールだから、可能になる。可能にし、いくらかは擬似的に欲情の発散があるのだとすれば、そこにはぜひユーモアも余裕も信頼も品位も必要になる。なによりセンスが生きていねば。
この「いいなり」など、「佳い鳴り」の言挙げと「言いなり」の挑発とが、重なり生きてくる。「思わず笑ってしま」うのである。メールはそれが出来、だからメールはそれまで停まりなのである。出会い系のメール交換で、軽率に、殺されたり監禁されたりに危険ゾーンへのこのこ出かけて行く少女たちよ、悪用する狼どもの危険がこの「電子闇世界」にはうようよしているのを、ぜひ知って欲しい。機械に翻弄されてはいけない、この機械は猛毒をたえず滲出している。甘い毒は、つらい被害を連れてくる。
わたしのような不良老年には、だが、かすかな春情を恵んでくれるのも、この機械である。
春愁に似て非なるもの老愁は 登四郎
2005 5・12 44
* お変わりないですか? 先日「私語」のメールのなかで、「弓はいいなり・・・」とあったのには、びっくり。達人ですねえ。
毎日少しずつ読みすすめた(秦の著)「閑吟集」も、もう数ページを残すのみとなりました。いやあ、これ、ほんとに色っぽい作品だったのですねえ。
以前はさらりと読んだので、それほどには感じなかったのですが。
声に出して唄われる詩歌のもっている暖かさ、やさしさ、言葉の美しさにも感銘を受けました。
友人とまた秋から「語りの会」を再開したいなあと考えていますが、そのときにもここで得た宝は、きっと私自身の力になってくれると思います。 夢
* 病院のお疲れはとれましたか。歌舞伎の一日は、毎回豊かなお楽しみのごようすで、想像するだけでこちらまで嬉しくなります。
今度のお稽古は「御所車」という端唄です。粋な舞いですね。扇を投げたりする動作が多いので、不器用な私には苦手な舞いです。昨日も扇を片手で少しだけ開くという簡単な動作に手間取って苦労しました。扇使いはほんとうにむずかしい。
「雪」や「菊の露」を美しく舞うことが夢です。 春
* ことば、ことに電子化された言葉に頼りすぎると、錯覚する。コトバもココロも、健康で元気なカラダの、正直なはたらきには遠く遥かに及ばない。それをよく知って、それを信じて、そのうえでやっとメールもことばも生きてくる。メールだけで足りているという人も世間に多いだろうが、過信すれば大事なモノをとり落とす危険は大きい。コトバだけいくら重ねても空疎に変質しやすい。ことばは儚い、物書きの云うことである、いくらか実感は人よりも濃いと思っている。
2005 5・14 44
* オハヨ。 照ったり降ったりと気難しい昨休日は、次の季節への移ろいを感じます。今朝は嬉しいほど空気が澄み、この座っている処からは、雲一片も見えない好天です。
昨十五日は、葵祭。今年は**ちゃんの孫の葵子ちゃんが、童女で行列に参加と聞いていたけれど、京都のお天気はどうだったのかしら。
相変わらず多忙ですか。時が流れていきます。クマでなくとも、クジラでもクラゲでもクモでも、と、待っているのに。(~o~)
さあタイムリミット、今日は家事に専心!(の気持ち) 泉
* この「クマ」とは、「たん熊北店」のこと。数年前に、一度食事しましょうと振りだした手形の決済が出来ていない。
2005 5・16 44
* 大きな冷蔵庫は、容器に水を入れておくと勝手に氷を作るんです。ときどき、できあがった氷のトレイに落ちるゴロンという音がして、珍しいです。用もないのに近くへ行って、大きな姿を眺めたりしています。
午前中は、桑名の、とあるショッピングセンターへ行ってきました。はじめてのところでした。あれこれ欲しくなる衝動と闘いながら、店内をうろうろしてきました。
伊勢路へ越してきて一年、はじめてのところが、まだまだあるものです。
佐々木茂索の「おじいさんとおばあさんの話」を読みました。静かな、しっとりした佳い作品ですね。物語に派手な展開がなくとも、想いの満ちた静かな作品がいいなあ、と近頃思います。
お怪我のないよう、お過ごしください。 花
* 冷蔵庫のまえで悦に入っている花が見えるようで、ニヤニヤ。
ちょうど一年ですねえ。腹を据え腰を据え根を生やしてその土地に馴染むか、また動くか。若いから先は色々でしょう。人生の幾つもの曲がり角を、健康に、曲がって進み、曲がって進み、幸せになって欲しい。
眼科の診察、ま、横ばいの状態で、ナントカ、ヘモグロビンの値を落ち着けよ、眼の方へよい影響が出るように、と。池袋で京都への行きの切符(六月七日) だけ買い、どこへも寄らず帰宅。お元気で。 風
2005 5・18 44
* 明日は晩の七時に友枝昭世の能「安宅」へ行く。明後日夕刻には、バルセロナと逢う。ご夫婦、もう無事に日本へ着いていて、京都などを楽しんできたことと想っている。
2005 5・18 44
* 秦先生からご指摘いただきました、歴史読み物「黒田荘・藤原実透」が、第7章まで漕ぎ着けました。予定では第20章までゆくつもりです。この年末までかかるかもしれません。原稿用紙にして、約2~300枚になるでしょう。
本来の仕事であります、市史編纂事業は今のところ良くもなく悪くもなく進捗していいます。東大寺所領から続く松明調進行事と、矢川別所の遺跡調査を進行中です。また、考古資料編発刊のために国指定の美旗古墳群の実地測量をしています。
読書会の次回の課題図書は、先生の『冬祭り』に決定しました。読書会結成約25年、長年の待ち望んでいたもので、メンバーが偶然選定してくれためぐり合わせの図書となりました。これで、さらに先生に対する理解が深くなると思います。
今回の課題図書は、井上靖の『狩猟・闘牛』です。そして、手前味噌ですが、私の自伝的小説「真鍮の釘」を含めて掲載した、同人誌『真帆羅』となりました。
まだまだ、近況をご報告したいのですが、この辺で、またの続きといたします。三重県
2005 5・18 44
* 妻が聖路加への留守に、用事をこつこつと済ませていた。もう帰宅する頃、入れ替わりにわたしは千駄ヶ谷の能楽堂へ友枝昭世の招いてくれている能「安宅」を楽しみに出かける。
発送の用意も、上巻分はともあれ間に合うところまで、しかし直ぐさま追いかけて下巻の校正を急がねば。
明夕、バルセロナと、二年ぶりか知らん。その前にも、校正刷りを持って早くに街へと思っていたが、これはやめにして、昼過ぎまで、家での作業にあてる。
2005 5・19 44
* 昔むかしの公務員宿舎仲間の集まりで京都に来たのに、行き違いで、夕方までふらふら御所やら寺町を歩くことに。少し疲れ、少し憂鬱になりました。リンとして、家ですべきこと、最優先なのに、ね。
下御霊神社、新島先生旧居など、京の静かな町を歩きましたから、まあ今日は良い日です。それに佳い日本画にも出会いましたから。 ふらふら鳶
* 運動の日でしたよ。動くととても暑いので、半袖短パンです。
一つ試合が終わったら次、と、どんどんやっているのですが、暑いとスタミナが早く切れます。夏になったらどうなっちゃうんだろう、という感じです。
能楽堂へお出かけ、お楽しみがたくさんで、いいですね。
夜になるとまだまだ冷えます。お気をつけて。 花
* 「安宅」はいかがでしたか? 弁慶ってやっぱりいい男、好きにならずにいられない。
私はといえば、お能をみるときいつも幸福に眠くなるので、義兄(喜多流の謡が趣味)に相談しましたらば、「それはやっぱり意味がわからないからじゃないの」といわれてしまって、それで地元の社会教育講座「能のワークショップ」(3ヶ月)というのにいきました。「羽衣」のさわりのところなど習いまして、仕上げは矢来能楽堂で観能。
その後、「黒川能」をみたのですが、これは大変面白かった。科白が山形方言で、なんとも身近に感じられたのです。作品は「道成寺」だったと思います。
三十余年も仕事と家庭との二足の草鞋、走り続けてきて最近少々疲れ気味ではあります。そんなわけで今年12月での退職を決意し、職場にすでに申告しました。8ヶ月ほど失業保険も出ますし、あとはテープおこしのアルバイトや、義妹の事務所(チーズ研究でパリにいます。今秋日本に拠点を移すというので)を少々手伝ったりして、ゆっくり本も読みたいです。
ケイタイのメールはやはりパソコンのそれより打つのが大変なので、今夕は、こちらから近況報告をしました。 夢
2005 5・19 44
* 京都の臼井史朗老(淡交社)から電話。京都で酒を飲みましょう、と。
* 今晩は、はるばるバルセロナから休暇帰国している卒業生と一献かわすことになっている。それまで、今日の一仕事、しておかねば。
2005 5・20 44
* 季節のうつろうとき、お加減のほどは「私語」にて拝聴いたしております。
わたくし今回、下記のところに転居いたしました。以後の送本・通信など新住所の方へお願いいたします。
思えば、亡妻とふたりで「立川」に小さな家を建ててから五十年になりました。以来、子供の成長に合わせて建て増しを繰り返し、7DKもの野放図な家になってしまいました。が、子供達はそれぞれにパートナーを作ると、積み木細工のような家を建てたり、瀟洒なマンションを購入したりして出て行き、近年は夫婦だけの住まいになっておりました。
昨年、その妻にも死なれてみると、荒れた庭と、瓦礫のような家具の堆積が重荷になり、生活自体を簡素化しなければならない、と考え「おやじは子の抜け殻」という落語の枕が実感されるようになりました。笑うに笑えない心境です。
一大決心の末、1LDKの団地住まいを決意、家は売り払い、家具の九割は廃棄。
最も悩んだのは蔵書三千冊でしたが、馴染みの古本屋に相談すると、
「幾らで?」
「いや、金はいらない、読みたいひとに読んでもらえれば・・」
翌日、金髪(黄髪)と茶髪のアルバイト二人が小型トラックで来て、段ボールに無造作に詰め込みながら、
「いまどき文芸書なんて買うやついるかなぁ」などと会話し、タナフサギ、という言葉が耳に入って、悲しさを通りこして憤りを感じました。が、私は何に憤っているのだろう、世間か、自分か、間違っても髪を染めた若者のことではない――。
トラックに積み終わると若者は「はいっ」と尻のポケットから封筒を抜いて差し出す。
「金はいらないんだ」
「いえ、お金じゃないんです」
開けてみると、ビール券。戦前(といっても潜在的には戦争はしていたのだが)、小学校五年生のときにはじめて買った「オー・ヘンリー」以来の蔵書は、ビール二十本になった。
こうして私はいま、どうしても手放せない本、五十冊と、PC だけの生活になりました。PC に疲れた眼をベランダに向けると、いままで出会ったことのない光景が眼に入ります。風が見えるのです。四階は樹木の梢の高さであり、あるかなしかの僅かな風に梢が揺れるのです。
五十メートルほどの近さに多摩川の堤防があり、桜の大樹並木と遊歩道があります。環境は絶好です。ここでわたしは本を読み、ひとには読まれることのない作文をして過ごします。これがわたしの「終の棲家」となることでしょう。
余計なことを長々と書いてしまいました。御身、おいといください。 福生 E-OLD
* ふうーっと胸の内が虚ろに苦しくなった。そして、また前よりも静かに、少し冷え冷えしたまま眼を閉じていた。
* お寂しいこと、とても、よそごとには聴かれないことでした。
よろしければ、わたしのようなものをでも、どうぞ心おきない話し相手にしてください。
幸いに、二人とも、E-OLD。他に心やすらぐ佳い仲間もありますが、私独りでも、いい折が有ればお目にも掛かります。お元気に、お元気に、お過ごし下さい。
ほんとうに、ヘタをすると (とは、バチあたりですが、)もう三十年もお互いに生きねばなりません。静かな心になりたいと、わたしはいつも願っています。お大切に。メールはいつもあいていますから、ご遠慮なくいつでも何度でも、どうぞ。 湖
2005 5・20 44
* 五時十五分、バルセロナの京子さんと出会う。駆け寄ってきてパッと手をとる笑顔や身動きは、十三、四年前と同じ。一瞬にして東工大のキャンパス、図書館前での出逢いを思い出す。文学概論のおっそろしい多人数の教室で、たった一年だけの学生と教授とであったが。教授室へも殆どあらわれなかった学生であったが。徹して東工大と相性の悪い人で、やめたいやめたいと思いつつ、「文学概論」との出逢いをちからに卒業し、院にすすみ、ドイツへ留学して、スペインで結婚した。教室の外で顔が合うということだけでいえば、今日で、さあ十回か、十数回とはとてもいかない。人の出逢いというのは、不思議。しかし本人同士は不思議でも何でもないのだから、それも不思議。
京都にももう極めて数少ない、まして京都の外で、わたしをいま顔を見て「こうへいサン」と呼ぶのは、この卒業生が、ただ一人。呼ばれてみると、ちょっといい名前やないかと可笑しくなる。
* 場所もご希望、帝国ホテルのクラブで。御馳走も、かねてご希望の、(つまりは、いつもわたしが独りでうまそうに飲み食いして休息してくるクラブで、同じものを食べて飲んでお喋りしたいという、かねてのご希望にしたがい、)エスカルゴ、角切りのステーキ、チーズ、そして「なだ万」の麺。それから、ヴァニラのアイスクリームとコーヒー。お酒は、ヘネシー、そして響。
しっかり二時間半歓談。
この前から三年になるが、それはものでもない。わたしの「私語」はスペインでも毎日読めているから、昨日今日の話題にも共通の場はある。
しっかり京都の叔母さんの家を足場に、大和へも出かけ、長谷や室生や赤目の瀧へまでも行ってきたと。名張の雀さんへも話題は繋がれて。話題に窮することなど何もない、話しに話して、つまりは時間のたつのの、とても早い、早すぎるのが嘆きであった。
約束の八時に、日比谷の街頭でつつがなくハズバンドの手に夫人を戻し、三人で、またの再会を約して別れてきた。また二年、また三年。間違いなく、わたしはますます老け込むであろう。若い人には元気にますます幸せでいて欲しいと願いながら、『戦争と平和』を読み読み帰ってきた。
おみやげに佳い白ワインを貰った。わたしは、日本と中国との「心の歌」と題したディスク二枚と、和笛演奏の気に入りのディスクを上げてきた。ハズバンドは放送関係の仕事をしていて、音響や音楽にもくわしい、関心の深い人と聞いていたから。
明後日早くに帰国するという。無事を祈る。短かくはあったが、忘れがたいとても佳い時間であった。
* うてば響くというものでは、なかなか無い。だから、うたれてああ嬉しいとばかり小気味よく響くと、ドキドキするほど嬉しい。 2005 5・20 44
* おはようございます。思い出して、まだ興奮しています。嬉しいサプライズでした!
外はいいお天気です。
朝食はホッドドッグを作ってみました。急に食べたくなっちゃって。
風はお忙しくお過ごしですか。 花
* 新婚一年。気も若くはんなりしてきたのだろう。興奮できる、それは生気の活躍だ。なにが、嬉しいサプライズ! であったのか分からないが、不快なサプライズより百倍もいいことだ。
2005 5・21 44
* 何十年かぶりに、加茂街道まで歩いて、葵祭を見てきました。川風に吹かれながら、のんびりと。お馬さんの目って大きいですね、どの馬も少し疲れたような歩き方でしたが。
十年前に「**会」というのが発足しました。私が勤務していた前後7~8年の間、同じ支店に在籍していた行員の会です。
五年ごとに催されるのですが、二回目は母の亡くなった年で欠席。今月、三回目があります。若々しく、幸せそうに、颯爽と、出席しようと思っています。(冗談です)
又私はどんな態度をとるのでしょうか・・・
京都は花粉もなく爽やかなお天気です。今回も、日程がお忙しくとんぼ返りのようですね。あまり根を詰められませんように。
駅へお見送りだけでも行きましょうか・・・ のばら
* 従妹ともし会うようなら、伯父の家のあった船岡山へ何十年ぶりかで訪れてみたい気がする。大徳寺や今宮も、千本釈迦堂も近いだろう。
* 明日日曜は、すこし、くつろげるだろう。天気が良ければ、自転車の遠乗りなどしてみるか。ぐっすり、えんえんと寝てもいい。だが、やっぱり校正などしてしまいそう。明日はバルセロナが帰国の途につくと聞いている。道中、恙ない無事な飛行でありますように。
2005 5・21 44
* オッハー 風。がんばって発送の準備をなさっている、風。
わたしも新しい創作に手をつけはじめました。試行錯誤を繰り返しながらのチャレンジ、チャレンジです。
花、元気元気。
* 若い人達の元気は、ましぶくように闇の遠くからも吹き付けてくる。「チャレンジ」という姿勢がもう失せているのかも知れないなあ。
京都からの上京も、創作も、私家版も、湖の本も、東工大も、電子メデイア委員会も、電子文藝館も、まちがいないチャレンジであったが、いまわたしは、「チャレンジしない」ことを己れに望んでいる。それが新しいチヤレンジなのであろう。
* 気力充実、おげんきそうですね。私の方は「薄曇りときどき晴れ(?)」といった状況かな。
十年来の友人ですと、一字一句のニュアンスまでわかりますけれど、考えてみると先生にはまだ一度もお会いしてないわけで、ときどきその真意がつかめないときも・・・。
メールというのはかなりバーチャルですよね。特にケイタイメールですと、その場の気分に流されてよく考えず、「とりあえず」返してしまうので、自分でもつまらない饒舌なおしゃべりをしたときのような自己嫌悪におちいったり・・・
それでちょっと静かにしてみようかな、と。自分の声を聞くためにも。 255
「人の心は知られずや・・・」ですが、この場合の「人」というのは、相手はもちろん、自分も含めた「人」ですよね?
『閑吟集』 二度目を読み終えました。一言で印象を言えば、「さわやかにあつい」本だったな、ということでしょうか。さ行の音の繰り返しがずいぶんでてきましたが、これはほんとにいいですね。詩歌は口遊むもの、ですね。
「小夜小夜 小夜更けがたの夜 鹿の一声」
「月は山田の上にあり 船は明石の沖を漕ぐ 冴えよ月 霧には夜舟の迷ふに」
あと、ちょっとすきなのが、
「人買い舟は沖を漕ぐ とても売らるる身を ただ静かに漕げよ 船頭殿」
これは「山椒大夫」をすぐに連想。こういう「物語」を感じさせるのが好きです。
「梁塵秘抄」に、
「我が子は十余になりぬらん こうなぎしてこそ歩くなれ」
というのがありましたが、そんなこんな作品に、想像力を刺激されます。 夢
* 羽 あの日から一年経った昨日、(直江津の)実家から(名張へ)の帰りに、崇福寺十一面観音に参り、伊香立から大原に出て、惟喬親王御陵を訪ねました。
お参りを済ませた雀の肩先に、どこからか浅黄色の小さな蝶が飛んできました。
雀の羽では、気持ちは飛ばせても、魂を届かせることはかないません。蝶が羨ましい。 囀雀
* 去年の昨日は、囀雀さんの好意で、国立小劇場で文楽「妹背山婦女庭訓」を見せて貰ったのだった、二三年前のように遠く感じていた。一月近くメールがなかったので案じていたが。
2005 5・22 44
* 今夜は鰹が食べたくなって買い物に走り、横に並ぶ金目鯛も美味しそう、と、ついでならお魚料理の少ない若夫婦にも届けよう、と煮魚にして、駅向こうまで届けてきたところです。
そんなわけで、朝からは庭木を切ったり、雑草を抜いたり、と他愛なく日常茶飯に過ごしています。
明日は、お向かいさんの手術の快気祝いに、大抵は私が気を惹かれる映画、私が好む映画を信頼してくれているので、ショーン・ぺンと好きなニコール・キッドマンの「ザ・インタープリター」を観に、久し振りに出ましょうか、と話しています。
ご飯が炊けたようです。 ほんなら また・・・
ここで送信を叩くやフリーズ、先に夕飯を済ませました。薬味を沢山効かせたポン酢で鰹のお刺身(身を炙るたたきよりも好き)、美味しかった。ご馳走様。 泉
* 波は、いつも湖の上をさまよっています。決して遠くではなく、湖の上をひたひたと。
今日は上の娘が急に思い立って、車に母、伯母と私を乗せて丹沢湖まで行ってきました。
出発が午後三時。
夕暮れの人造湖のほとりのひなびた宿で、山菜のてんぷらなどいただきました。木の芽 ふき あしたば まいたけ などとともに、あかしあの花 お茶の若い葉 などの変わったものもありました。
小さなトリップ でした。
それにしましても、無常迅速ですね。日々忙しく、やはり施設を二つ持っているので、身がいくつあっても足りないような毎日です。事務所も、程近い別のビルに六月中に移ります。手狭になってしまいました。
質素な小さなビルですが 部屋は100平米くらい。清潔な部屋です。
娘は、連休は軽井沢で個展でした。まだしばらく日本に滞在します。
電子文藝館委員長おやめになるとは 本当に驚きました。長い間 画期的な 業績を残されていらしたこといつも畏敬の念で思いをはせ、ときには「ペン電子文藝館」を訪れておりました。
そうなのですね・・・。残念・・・。
書きたい気持ちが爆発したときに、またお送りさせていただきます。本当に書けないのです。メールも あまり書けなくなってしまいました。なぜか文がうまく書けないのです・・・。
今発売中の「**** 6月号」に私が載っています。よほどお送りしようかとも思ったのですが、ちょっと気恥ずかしくて。
お元気で お元気でお過ごしくださいますよう。 波
* 日曜だというのに、いろんなメールが届いて、わたしの休息気分に投じてくれた。どの人も、露わには云わないが、心理的な負担を掛けずにさりげなく愚図なわたしを激ましてくれている。わたしは、のんびりと機械相手に碁を打ったりし、一日怠けていた。
碁も、十九路で打つのは、面倒というより時間を食うので、盤面十三路、機械クンに三子置いてもらっている。十九路で六目置かせるより、この狭い碁盤に三子先に置かれている方が、圧力はきつい。しかし二子では途中で機械クンが「参りました」と謝ってしまい、お話しにならない。三子で、やっと終盤まで打ち廻し、はじめて盤面で先ず勝った。少しスリルがある。
2005 5・22 44
* 今、少しゆったりした気分で・・朝湯をつかって、身に沁み込むささやかな幸せを感じる単純さ! 洗濯機をまわしながら・・書きます。
『ファウスト』読了とか、長年気に気になっていたものを終えるのは、スッキリしていいですね。「ファウスト」は若い時期に読むべき本の一冊とわたしも引っかかっていて、それで遅まきながら読んだのです。若い時に読んでも、果たして何処まで理解できたかは別ですが。
何かを始めるのに、何歳になってても遅いということはない、とは、一般論。さまざまなことについて言えるのだと思います。少々の弁解も潜んでいますが。
以前言われていましたね、教養主義がいい意味でも悪い意味でも消えてしまったと。全集物の出版が少ないことにも反映されていますね。
トルストイ、ドストエフスキー、ゲーテ、・・・。無茶苦茶な読み方でも、とにかく読みました。苦手といわれるロマン・ローランも。但し『ジャン・クリストフ』は気詰まりで、中途で止めてしまいました。『魅せられたる魂』は主人公アンネットの生き方も分かりました。彼の著作から平和主義やユダヤ人問題、詩に書いたペギーのことなど、影響を受けているのも事実です。
春秋左氏伝、これは御爺さまの蔵書ですか? 孔子や史記、西遊記あたりまでは知っていても、春秋左氏伝は読む人、稀。袖珍本って何と聞かれるが落ちで、漢籍の教養など本当にもう失われてしまいました。その点では、鳶もやや遺物の類、但し今となってはその類にも入れてもらえないほどの体たらくです。でも目は大事にしてください、本当に。
少し前に書かれていた「裂」のこと。何かまとめられているのですか? 茶席の「裂の美しさ」は言うまでもなく、コプト織りの裂、シルクロードの布(唐織になってしまいますね)などなど、次から次に像が浮かびます。布、大好きです。京都は確かに「裂」が商売として成り立つ土地。この頃は京都に限りませんけれども、従来あったものに新しい関心が向けられているように思います。
先日京都に行った時、仲間の皆と行き違いになったのは確かな予定を幹事から聞いてなく、その点でわたしの落ち度ではなかったのです。夕方までの数時間を楽しみ、夕食だけご一緒して、夜十時半頃家に帰り着きました。宿舎の人たち、再会した人たち九人のうち二人は大病を経験し、子供たちは殊に、女の子たちは二十五歳から上は三十三歳まで十人もいるのに、結婚したのは僅かに一人!! 女性の結婚年齢が遅いこと、結婚を忌避する傾向。
少子化を嘆くお方、この小さなサンプルは「恐ろしい」ものでしょう?
その昼に偶然の出会いでしたが、四条高島屋の画廊で西嶋豊彦さんという日本画家の絵を観ました。二十歳も年下のまだまだ若い画家。案内の葉書きに「花の内に炎を感じる 炎の内に心が映る 火の内に死と再生を想う 今を生きる」と書かれていて・・何やらわたしが書きそうなもの?? だなあと思ったり。もっともわたしはまだ死と再生や生死一如の境地まで思いも至れませんが。
花の絵が数点あり、それが芥子、薊、椿、彼岸花、蓮など、わたしの好きな花ばかりだったのが嬉しく。華岳展に二回も出掛けたし・・姉も友人も華岳を初めて知って感激していました・・本当に出会い豊かな日々でした。
京都画壇の人々の絵が六月六日まで高島屋で・・でも、とにかく無理をなさらないようにと願うばかりです。それでも合間を縫って一人ゆったり京の街歩きを楽しまれますよう。 鳶
*『春秋』は孔子が書いた殷史であるが、魯の左丘明の、これに優れた伝と解と註を施し断然重んぜられたのが、『春秋左氏伝』である。後の韓退之は、春秋の謹厳に対し左氏は浮誇と貶してはいるが、「史体」の創始と云われ、また国語の粋とも。
わたしが祖父秦鶴吉蔵書から持ち出し今架蔵している本は、さらに「講義」を魏の杜預に得ている。本文は大きいが解釈や講義や文法の字は六号程度でじつに小さく、眼がきりきりする。しかし「左氏伝」は読んで興趣横溢として知られるもの、なにもこんな古典籍で読まなくても、しかるべき通行本はあるのだけれど、ま、浮世離れの一服にはもってこいの貴重本ではある。
* 鳶さんを、ながいこと京大社会学卒と思いこんでいたが、中国学が専攻であったとメールで聞いた。
* 電子文藝館は湖からの渾身の贈り物でもあります。繰り返し立ち返るなつかしく、広大な湖です。とくに招待席の作品群が愛おしく何度も読みたいと思います。掲載されている作品の質と量を眺める時、その偉業に目眩(めまい)がするのはわたくしだけではないでしょう。ありがとうございました、深くお礼を申し上げます。
(人に死なれて)鬱々としています。もういない人を思い、時にはらはら涙がこぼれてどうにもなりません。遥かに多くのお別れのあったことと思いますが、どのように耐えていらしたのでしょうね。わたくしは馴れていません。
悲しすぎてレクイエムはモーツァルトもフォーレもかけられず、マタイ受難曲ばかり聴いています。思い出すと、その人はずっと前からいつ死んでもいいと思っていらしたことがよくわかります。「来たれ、甘き十字架」というアリアが胸に染みてなりません。 春
2005 5・24 44
* 昨夜は今週いっぱいで終わってしまうというので、急遽「阿修羅城の瞳」をみにいきました。宮沢りえ、染五郎、樋口可南子、小日向文世、内藤剛志、渡部篤郎他のキャストでなかなか楽しかった。ケレン味たっぷり、めいっばいはでに演じていて役者さんたちもうれしそう。「花組芝居」を思い出しました。もう少し「匂い立つ官能」といったものがあればすごく良かったけれども。
エゴの花散ってもうすぐ桜桃忌。 夢
* 雨上がる 夜半は相当の降りだったのか、自転車カバーが泉になる程。
裏の小学校から鳥の声が手洗いの窓伝いに聴こえ、朝日の差し込む長閑な朝です。気候不順な季節、天気予報を聴きながら、やっと今日の服装とアクセサリーが決まりました。
一昨日の(お友達と見に行った)映画は、一字一句も逃がすまい、と画面に釘付けの観堪えのある映画ならではの映画で、初めて許可を得てロケをしたという国連本部の内部は、当然セット撮影も組み合わされている筈ですが、素人目には見分けが付かない程、臨場感があり (映画ロケは土地柄よく見ましたが、潜り戸を入るや、もう中はセットで演技等のカラクリを、よく経験していますから)。
例えば今の日本を取り巻く国際社会、イラク、北朝鮮、中国問題も含めて、人間のいやな部分を、初心を忘れた独裁者を暴く事で、小気味よく。
ウ――ン、終盤は悲恋に終わらせているのか、それとも未だ若いヒーロー、ヒロインが再会する未来を、観客に委ねているのか、と。
二人の俳優、さすがに熱演ではまり役、足を運んでの大型スクリーンで満喫。映画は面白く、そしてウレシイシニア廉価、後を曳きます。 泉
* 映画館まで映画を見に行く人たち、よほど「映画」が好きなのだろう。この前映画館に入ったのは、池袋で妻と観た「碧い耳飾りの少女」だろうか。
2005 5・25 44
*「ドタキャンで、切符が一枚出たの。体調がゆるせば―だけど、明日、(大阪)松竹座まで出てこない?」と、気のおけない女友達が電話をくれました。 “スーパー歌舞伎はあれがいちばんよかった”ときいて以来、念願の「ヤマトタケル」。右近さんのタケル、タケヒコは段治郎くんと聞いて、即答。「ガンバッテ出かける!」。建のちからを貰えそうですもの。
父の本棚にあった、「旅をしたのである」で始まる、梅原(猛)さんの、越後と日向の本のどちらも、面白くたのしく読むことができ、梅原さんの古事記、熊野の本へと進んでいますが、なかに、一遍上人絵伝のうちの、熊野の場面がカラーで載っていて、見入ってしまいました。そして、あ、と、対談集のご本(『死なれることと生きること』)をひろげました。前より少し、のみこめ…た、光がさした感じがしました。
玉置神社へ行きたいのです。湯ノ峰のつぼ湯も浸ってきましょ。
朝のテレビで幼い子らが、「恥の多い人生を送ってきました」と朗誦していました。桜桃忌を、待っています。 囀雀
2005 5・25 44
* ごく内輪の酒飲み仲間の読書会で『冬祭り』を読みますという報せがあった。何人かと聞くと、六人と。それならテキストは寄付しましょうと、上中下都合十五冊を送った。
* 読書会「出水」について。 わが読書会は、結成して今年で20年になりました。会員は、地元の者ばかりで6名です。各会員の家を不定期に回っています。当番になった会員がそのときの課題図書を決めます。約一カ月前には決定し、合評会までに読んでおく事になっています。しかし、殆どはお酒を飲む会です。始めて飲んだ純米酒・賀茂泉(広島)が水の如しであったことから、泉から出水(いづみ)と会を命名しました。そのため、第一回の親睦旅行は、熊本の、鶴が飛来する出水市に行ってきました。
太宰治の斜陽館や中原中也記念館、北原白秋記念館等々を4度にわたり旅行しました。来年度は、北アルプス・安曇野辺りを親睦旅行したいと考えています。
五年後に退職となり、その暁には小さな(仮称)日本現代文学館を設立したいと考えています。江戸時代の文化的サロン的なものにしたいと考えています。
蠣崎、木村、菅茶山が営んだような地域住民が集えるようなものを考えています。夢の夢ですが・・・。
ありがとうございます。かえってあつかましい事になった気持ちでいます。 先生の暖かなお気持ちを遠慮なく戴くことにしました。本当にありがとうございます。次回は年長の会員が当番で、この会員は、ジャンルが広く読書量が大変多い者です。課題図書として『湖の本』が直接会員に渡せ、読んでもらえることになれば、大喜びしてくれるでしょう。 三重県
2005 5・26 44
* 運動(主婦仲間のバレーボール)のあと、予約しておいた『ダヴィンチ・コード』の上下巻を図書館で借り、その足で美容院へ行きました。髮を伸ばすつもりなので、今日は少し軽くしてもらった程度ですが、さっぱりしました。
帰宅してからは、駐車場の脇に咲いている濃い黄色の花を数本いただいて、花瓶にさし、玄関に置きました。これから紫陽花が咲くでしょ。ほかにどんな花を飾っていこうかなあと考えるのが楽しいの。
休憩に、冷たいお茶でメロンパンをいただきました、ペロリと。おいしいものいただいて、花を飾って、しあわせ。
あとは創作と勉強を頑張って、生活を充実させたいです。 花
* 雰囲気のいい家庭の匂いがやわらかに届いてくる。六十九歳が聴いていて、こころ和む。
2005 5・26 44
* 建(タケル)のちから、縄文人のちから。
急な話だったのと帰省疲れとで、和服はおサボリ。ワンピースにハイヒールで出かけた難波の松竹座。友人から受け取った切符は三階席でしたの。疲れからか、加齢の衰えか、ひさびさのハイヒールだからか、階段で二回コケましたが、普通の歌舞伎と違い、「ヤマトタケル」は宙乗りがございますから、最後の幕が上がってからは、もう、どきどきでしたわ。
エスカレーターで梅原先生とご一緒になりましたの。咄嗟のこと、頭を下げるのが精一杯。
カーテンコールの二度目に、右近さんにいざなわれて舞台にお出ましになり、皆と揃ってお辞儀をなさいました。‘建’のちからをいただき、なお、縄文人のちからまでいただく、天佑。くやしい、和服にしておくんだったわ。
初めてのスーパー歌舞伎にやや構えていたのですが、太棹の似合う右近タケルに救けられ、梅原さんの深さ、広さ、やはらかさ、詩心を感じました。男の夢・ロマンを語りながらも、それだけにとどまらないつよい主張が、ずしんと胸にひびきました。
白鳥の独白は、梅原さんご自身…かしら。
歿してようやく思うところに行くことのできた、タケル。羽が生えたのは、都で盛大な葬儀が済んで、落ち着いたときでしたわねぇ。 囀雀
* あの梅原さんが「深さ、広さ、やわらかさ、詩心」と褒められるのだ、わたしに、「猛」然文学・「非」小説と評されていた昔から、ずいぶん久しくなった。病気をされて、そして懐に深さと柔らかさと、かつてとはまた色合いの濃くなった批評性が出たと謂うこと。雀さんの上気したこのメールを、梅原さんとやがて来週には酒を飲む日に、話してあげようかな。
2005 5・27 44
* バルセロナより 恒平さん
帰宅した私を、湖の本「谷崎潤一郎の文学」が迎えてくれました。
ほう…っ、と。ここでも待っていてくれたんだ、と、手に取った温もりに、遠くに来てしまったという事実が、きりきり胸を締めつけてきました。
おかしなものです。
日本も、十日いれば充分、と、多分に息づまり気味だったのに。
やっぱり私は、湖の子。
もっとそうなりたい想いと、そうなるのをためらう気持ちと。
十分かどうか確かではありませんが、未納の分も含めてこれからの五冊分を振り込んであります。「谷崎潤一郎の文学」が届きましたので、あと四冊分かと。五冊目が届く前には、またお逢いできることを願って。 京
* 海外へ行った、向こうで暮らしている卒業生は、いま、わたしの知る限りは三人。この女性だけが向こうで結婚している。男性は、一人が単身赴任で一人は未婚かも知れない。一人、帰国した男性が、帰ってきてから椿山荘で結婚した。もうやがて、もう一人アメリカの研究所へ就職するという報せも受けている。
* 月も花も白。 明け方、思いのほか下がった気温に目が醒めました。白い月が日に日に欠けていきます。
お疲れをためてらっしゃいませんか。今後のお仕事のためにも、お身体の声に聡くいらしてくださいませ。
ようやく冬物を仕舞い終え、久しぶりに少し先のスーパーまで歩いてみました。日中の音はこれだったのねぇ、と、いちいち理解しながら、水道工事、また、マンション建設の案内に従い、まわり道をしておりましたら、見慣れた旧い町並みが、まるで、迷い込んだ異世界のよう。カーポートに白薔薇を這わせ、玄関先が、満開の花と散り落ちた
花びらでいっぱいのお宅がありましたし、道に並べられた、各家の丹精の鉢も、咲く花の色が変わりました。
鎮守の杜の翠り葉は濃く強くなり、路地を流れる小川の水面は、きららかに陽光を小片にして散らしています。軒下には燕が囀り、蜘蛛のかけた網に虫がかかります。いつの間にこんなに「気」節が移ったのだろうと、なんだか宇宙船で旅をしてきたような気がして、また、生命が固まってゆく精気の強さに、めまいがしました。
そういえば、碇草や鷺草の花をもう久しく見ていませんわ。一人静、二人静、白糸草、宝鐸草、卯木、梔子、雪の下、山法師、大山蓮華、小手鞠‥晩春から初夏、雨待ち顔に咲く白い花の、物憂げな、はかなさが好き。 囀雀
2005 5・27 44
* 歯医者に行く。
* 碁の打ち方は知りません。白と黒の石がいったいどういうルールで並んでいるのか、見当もつきません。風と碁を打ってみたくても、残念ながらわたしは相手になりません。
子供の頃、祖父の碁石をもっぱらままごとに使っていました。白い碁石はごはん、などと。
将棋なら少しわかりますが、風の相手にはならないでしょう。
麻雀にしてもトランプにしても、わたしはゲーム全般が苦手のようです。
今週はめずらしく予定が詰まっていて、少々疲れましたが、睡眠はしっかりとっていたので、疲れは溜まっていません。
ダン・ブラウンの『ダヴィンチ・コード』がおもしろくて、ゆうべは夜更かししてしまいました。これはもうエンタテイメントですから、物語に入り込んで楽しんでいます。あと少しで上巻を読み終わります。
花瓶は、小振りですが、思ったより多く花が飾れるので、花々のバリエーションが楽しめそうです。信楽焼きだそうでして、焼きムラが自然な色合いの表面がざらざらしていて、無骨なくらい飾らない外見と、ふくらみ具合の丸過ぎず上品なところが気に入っています。
椿や梅、牡丹、百合、菖蒲、菊、蘭などの、きりっとした和の花が似合うと思っています。
遠からず風に逢えるといいなあと想っているだけで、胸が温かくなります。 花
* 若い人に、こんな嬉しいことを云われると、わたしも逢ってみたいが、遠くてそうもならない、ま、お幸せに、お元気でと乾杯したくなる。飲む口実はなんとでもつく。
妻と歯医者にゆき、かえりに沼袋の寺筋、日蓮宗の久成寺や真言宗の密蔵寺などの木深い杜を見上げ、明治寺百観音をみてから西武新宿線の沼袋駅まで歩いた。新宿線の各駅停車で所沢まで乗り、駅ビル四階の「ななかまど」という土佐料理の店で、簡単な会席弁当を肴に、「鬼辛」など三種類の超辛口の酒を、朱塗りの枡でけっこうに楽しんだ。酒を注ぐのに溢れるほどサービスしてくれたが、三合とは無い。妻は、赤芋からつくった焼酎をロックで。のんびりした広い店で、家へ遠くもなし、気楽に二人で喋ってから池袋線で帰った。
『墨牡丹』上下の注文が来ていた。うまいものを食おうという「会」の案内も来ていた。
* お元気でしょうか?
7月1日からの1年間、英国へ赴任することになりました。
客員研究員の立場で職場からの留学という形ですが。
このところ英会話学校へ通ったり歯医者へ行ったり必要な物を買い揃えたりと、何やかんやと準備に追われています。
とともに英国関連の本も読んだりしています。
実はかの国について、漠然としたイメージは持ちつつも、具体的なことはあまり知りませんので。
家(familyではなくhouseの方ですが)についての価値観は、とても興味深いものがありそうです。
個人の家ですと、日本では築30年も経つと古い部類になってしまいますが、英国ではむしろ60年以上の家が好まれるようです。そうした家に自分で手入れをして、文字通り自分の家にしてゆくのだとか。
とともに、家単独ではなく、街並みの美しさをとても重視するようです。
日本では東京のみならず地方でも、街を歩いていても、趣のある建物の隣に、平気で(超)先進的なデザインの建物が建っていたり、とてもちぐはぐな印象を受ける事が多く、違和感を感じる事も多かったので、段々と英国の地を踏むことが楽しみになってきました。
異文化の中で生活する経験はこれが初めてですが、色々なものをしっかりと見てこようと思います。
段々と暑い日も多くなってきましたが、くれぐれもお身体をご大切になさって下さいね。
ではでは、また! 卒業生
* いいなあ! この人は、必ず、より健康に堅実に大きくなって帰国するに違いない、確信がある。だからよけい嬉しい。無事に行って、無事に豊かになって帰ってきて。一年ぐらいならわたしも元気で居れるだろう。七月の出発までに、門出を祝いたいなあ。うまく時間が取れるだろうか。
2005 5・28 44
* おはようございます 風。
少し蒸し暑くなってきました。東京はいかがですか。
『ダ・ヴィンチ・コード』を読み終えました。おもしろくて、あっという間でした。キリスト教や聖杯伝説や秘密結社や暗号などを織りまぜたミステリーでした。
ボールに飛び込んで行って回転レシーブをしますので、肘に擦り傷がありますが、大きな怪我はしないよう気をつけています。 花
* 回転レシーブは、小鳩クルミの声でやっていた「アタックナンバーワン」の昔から見知っているが、わたしなど、いま試みに畳の上で「でんぐり舞い」(京都ではそう云った。)しても、全身のきしむ痛みと眩暈とで、しばらく唸ってしまう。ハハハ。
* 日曜日 昨日から娘夫婦と孫が泊まっています。まだ二階は静か。
私はこれから大学の後輩の若い人の結婚式に行きます。同級生同士の結婚で、ひとまずアメリカで暮らすという
こと。若い研究者たちの活躍を祈ります。
そうそう、先週は物理学系の学会で若手研究者の育児支援ということで講演をしたり、埼玉の女子短大で育児支援産業の講義をしたりしてきました。少しでも若い人たちの役に立てることはうれしいことですね。
私は、今 本棚からふと手にとった井上靖の「孔子」を読み始めています。静かな静かな心境に少しずつ向いたい思いです。
波乱 怒涛の時代が過ぎて、湖の上にたつ静かな波になりたいと念じています。お元気で 過ごされますよう。 波
* 小説『慈子』と湖の本を縁に出逢った頃から、数年、右肩上がりにこの人は事業拡張の一途に成功してきた。身内に抱いた強烈な「負」のエネルギーを噴射力に切り替え、起ち上がり、歩き、早足になり、駆け出すようになった。不景気の逆風を切り上がるように帆をうまく張った。女だけの三世代世帯から四世代目の孫を得ておばあちゃんになったことも、新しい別の嬉しいエネルギーに生きただろう。
かなりアバウトで、かなりのトロッ子おばさんで、かなり上昇志向でもあることと、東大卒という看板とがうまくマッチして、業界での地位を着実に高くしてきたのだろう、この人なりの智慧がうまく働いた。浅くはなかった鬱をしっかりはねかえして行った実例の一人である。
* 良いお天気ですね
のんびりお買い物にでました。いま、お茶しているところ。先生は発送準備でお忙しそうですね。次は何でしょう?
「日本国憲法」を購入しました。先日女性史専攻のアメリカ人大学教授に、14条をどう思うか? と聞かれてすぐに答えられなかたので、これはまずい、と思いまして。
この「法のもとの平等」を明記した十四条を始め、「健康で文化的な生活、福祉の増進」をうたった二十五条。どれも傀儡政権のもとで作られたにしては、素晴らしい理念だと思いました。時代の変化については、条例で定めれば良いことですから。
40年前に知って、こりゃおもしろいと思ったのが「徒然草」に出ていた、この歌。
ふたつもじ牛の角もじすぐなもじゆがみもじとぞきみはおぼゆる
お元気で。 ゆめ
* この歌は「こひしく」きみを思いますと、利発な幼い内親王が、たしか父帝に贈ったナゾかけ歌。東工大の教室でも解いてもらったが、成績はどうだったろう、忘れた。かなりの正解だったと想う。
買い物と「お茶」と憲法と徒然草とが距離もなくすうっと飛び出していて、不自然でもない。いまどき働く主婦の健康な活気というものだろう。電子メールはいい恋文かのように書かれるのがいいのでは、というわたしの持論にも、小洒落て、添っている。はい、ありがとうと、それでいいのである。
2005 5・29 44
* 今日先生の講評会が一日中ございました。油絵のほうです。
6月1日から始まります此の県の**会に出品する100号の作品の、です。結果、お陰様でまずまずの成績でした。あともうすこしのところで出品できるところまで、こぎつけることが出来ました。
今回は今までのモチーフをがらりと変えたものでしたので、もしか出せないかもしれないと。
それと、この方向ではダメです、と云われるかもしれないと、とても不安でした。落ち着きませんでした。もしダメならどうすればいいのかと、いつも考えておりました。殆ど他に気持ちが行きませんでした。うわの空でした。夕食までみんなでするのです。
今帰りまして、ほっとしているところでございます。
水彩のほうはもう出品しまして、今は結果を待つのみなのです。この作品はまた油のとはぜんぜん違ったのを描きました。どちらかというと、こちらのほうに全力投球をしたかもしれません。
以上のような状態でございます。 お心にかけていただき感謝申し上げます。
お元気でしょうか? 私は元気です。ではまた。ごきげんよろしく。 彩
* インターネットのトラブルらしく、メールがとどきませんでした。すみませんでした。「相手方に送信できておりません」の画面でして、今朝がたやっとはいりました。 2回ほど入っていることとおもいます。「送信ずみ」のほうはOKでしたのに。 判らないことが多いインターネットです。悪しからずお許しくださいませ。
今日やっと(絵を)仕上げました。あとは額ぶちをつけて搬入するのみです。 展示場所はまたまた本県ですので、ご案内は控えます。また上野などでよろしくお願いもうします。
お元気でご活躍 お忙しいことと拝察いたしております。 本当にゆっくりとお目にかかりたい心境ですが。私のほうもこのあと予定が6月6日までびっしりなのです。 その間、榛名の母の所へも行かねばならず。
9日からはヨーロッパ旅行を2週間ばかりする予定です。 体力勝負ですが致し方ないのです。今回はプライベートの旅ですが、だんだんと行けなくなるのでは、と、決心しました。
どうぞお元気でお過ごしくださいませ。 彩
* お元気でしょうか? 全て順調でございますか?
お陰様でやっと二つ終えることが出来ました。日本水彩展のほうも入選できまして、ほっとしているところでございます。
「すんなり一番にはいりましたよ」と先生はお電話を下さいましたけれど、受賞までは叶えられませんでした。やはりここまでなのですねえ。落ちている人もおられますので、感謝しております。
恒平先生に観ていただくことに関して、私は望んではおりますが、私の考えでは賞でも与えられた時にはぜひぜひにとお願いをさせていただこうかと思っておりました。 もしも行ってくださるお時間などありましたら 招待券を送らせていただきます。6月1日~10日で、上野の都美術館です。
もう一つは、横浜の関内にありますギャラリーで、6月1日~6日までです。神奈川県**会展で、先生と会友会員と推薦者との展覧会です。
丁度重なってしまいまして。私もパニックにおちいりました。 しかしこちらは審査はないのですが、それなりの作品を出さねばなりません。
ではまたメールいれます。どうぞ無事届きますように。 彩
* ここでも七十に手の届こうという可憐なお祖母ちゃんが、奮闘している。せめて上野の展覧会は見てあげたい。この一年でぐんと作品の質で成果をあげてきているのが、すばらしい。やはり日吉ヶ丘高校美術コース(京都美校の後身)の基礎が生きてきたのだろう。よかった。
2005 5・29 44
* 久しぶりに和歌山の三宅貞雄さんの電話で、懐かしい声を聴いた。同年。やはり老齢なりの故障もあるらしいが、張りのあるいい声で、安心した。此処に多く書き込まれているメールは「みな、センセイの創作なんでしょう!」と的を突かれて笑ってしまった。
* お久しぶりです。お元気ですか? 私は、4月から社会人になり、色々と大変ですが、なんとか頑張っています。近いうちに、是非お会いしたいですね! 須磨
* 旅ゆけばァー 山城のくにに茶の香り♪
父の本棚から持ち帰った、小学館の日本古典文学全集「古事記・上代歌謡」を、興味ある箇所からつまみ読みしております。訪ねた地名が出てきたり、なにかのことで調べた人名が出たり、「あ、あそこだ。あの御陵だ」と、景色、吹いていた風、日差しなど思いおこし、子供のように、地図をひろげ、注解をたよりに読み耽っております。
あたまから単に読んでいたら、これほど楽しむことはできなかったかもしれません。
倭建命は能褒野の葬儀中に白鳥になったのでしたね。間違ってごめんなさい。
さて、祝園神社に行ってまいりましたの。
行きしな、和泉式部の墓と平重衡の墓を訪ねましたら、一帯に、お茶の芳ばしい香り。ひときわ目に立つ、「伊右衛門はん」の福寿園ほか、製茶工場が、泉の橋の近くにいくつもありました。
数々の仏像と、北吉野山といわれる樹影に期待を持って行った神童寺は、予想したほど奥山でなく、霊気も感じず、収蔵庫の前からUターン。観光地図にある泉橋寺に行ってみることにしました。
大きな石の地蔵菩薩坐像に、あんぐり。見る値打ちがあります。雀の重文十一面観音リストによれば、川をはさんで、十一面観音のあるお寺があるようす。
川と地蔵と十一面観音は、揃いのもの。もどかしい思いで、泉大橋を渡ると、川風があざやかに、建波邇夜須毘古命(タケハニヤスビコノミコト)反逆の血なまぐささをさらってゆきました。
橋のたもと、集落の入り口に、塀で囲われたお寺の屋根が見え、法衣をまとった男性がいらしたので、伺うと、泉橋の橋脚から彫りだした、文殊菩薩がご本尊で、十一面観音は脇侍とのこと。もとは橋住寺、いまは橋住山大智寺というお寺の、表札は「大橋」。橋尽くしです。
気をよくしてもう一ヶ所、慶田寺の十一面観音を訪ねることにしました。
箸墓近くの立派なお寺で、上品な奥様が出ていらっしゃいました。こちらは織田家の菩提寺と、そちらが有名で、まったく不勉強な雀。来てよかった。
“山城の幣羅坂”…和爾の坂、奈良坂も、通りました。そしてこの日、時を経た十三重塔を五基も見ましたが、奈良豆比古神社の楠の巨木に憩ったあと、楼門から見た般若寺のそれは、町中にあるにもかかわらず、ぞっとした感じをもちました。 囀雀
* 般若寺は、いろいろな面から、まさしく凄いのである。雀さん、やっと元へ戻って、安心した。やはり直江津よりも名張へ、ご主人の傍へ帰っている方が精神衛生がいいのだろう。
* レコード コンサート いつもの公民館で、ベートーベン作曲、ほぼ一時間もある交響曲第3番「英雄」を没頭して聴きました。第5、第6、第9は何度も何度も聴いています。
作曲家お気に入りという冒頭の旋律を聴けば、ああ「英雄」だ、とは分りますが、全曲を通して聴いたのは今回初めてです。
ベートーベンはナポレオンと同時代の音楽家。幾つかの高名な交響曲は、難聴になってからのものが大半と聴きました。手作りコンサートの案内書には『1802年、ナポレオンが自由をもたらす解放者、新しい世界の指導者として全ヨーロッパを席巻した時、ベートーベンは彼を念頭に置いて第三交響曲の作曲を決意し、作品をナポレオンに献呈するつもりだったが、1804年5月に皇帝の位に就いたのを知って「あの男もありふれた人間に過ぎない、人の上に立つ暴君になりたいのだ」と裏切られた思いで怒り、机上の楽譜の表紙にある「ボナパルトに題す」の文字を、穴の空くほど乱暴に抹消、引き裂いて床に投げ捨てた、というエピソート。現にウイーン樂友協会にはそれが保管されている。』とあります。
音楽家に限らず、大なり小なり世に知らしめられる表現手段を持つ文化人は、あまねくこうであって欲しいものです。
現に、更に二百年を重ねた今も、世界各地の覇権者(人間)の本質は少しも変わらない、のだから。
おおまじめに想った、今日でした。 泉
* ときどき「おおまじめ」になれるのは、とても、いい。まじめがるのは、つまらないが。
* お隣のチャイナドレス
秦先生:つまらぬ写真をお送りしてすみません。たまたま(ペン懇親会で)近くに居たお隣のチャイナ・ドレスは、例会がはねた後に馴染みの流行作家を誘いに来る銀座の「夜の蝶」の一人です。
何人か懇親会を遊泳して飲物を取りに行くなど無料奉仕? のサービスをして回る女性のうち、この方は***という名刺を持ち、中国本土からの出稼ぎ組の一人です。私は店に行ったことは一度もありませんが、時々中国語で、景気はドウ? と、話をします。 ペン会員
* やっぱり…。
2005 5・29 44
* 雨ですね
秦先生 梅雨の走りのようなやわらかな雨ですが、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
この春は、妙に表に出る仕事が多く、なかなか腰を据えて研究に時間を割けずにおりましたが、ようやくこの雨のように静かな時間を作れるようになりました。
一月ほど前に週末の京都で単発の講師をしたことがあり、空いた時間に、御室を訪ねました。さかりをわずかにすぎたものの、丈の低い桜はまだ咲いていてくれ、京都の春の名残を感じることができました。
思えば、月に一回以上は京都駅に降りているにもかかわらず、季節を楽しむため、つまり自分のために京都での時間をなかなか使うことができずにいる日々が続いています。
これほど「この国」を色濃く味わえる街もそうないのに、と、もったいないとは思うのですが。いつもは、仕事が終わると分刻を争って新幹線に飛び乗って子供のところへ帰っているものですから。
このときは週末で、子供は主人が見ていてくれ、しかも前日の仕事に引き続き午後からの講義ということで、午前中を久しぶりに自分のためだけに使えました。
桜の時期にも書いたように思うのですが、年のせいか季節の移ろいを実にしみじみと肌にしみ入るように感じるようになってきました。
今の季節も街の新緑の色を、若葉の香りを、全身で感じています。
ちょうどその頃、新幹線の往復で読んでいた本が「隠された十字架」でした。
文理ともに京都学派が好きで、昔から京都系の本は読んでいたのですが、梅原さんの本だけは、なぜか遠巻きに見る感じでした。
ところが、このところ私の周辺で、「梅原猛ってどうしてあんなことがわかるのかしら」という声を聞くことが多く、ふと手に取ってみる気になりました。
途中まで読み進んで、内容的にちょっと考えさせられる部分にさしかかったときに、あとがき(解説)をつまみ食いしようと、後ろをめくりましたら、あら、先生がいらっしゃるではないですか。
私の知っている秦先生は、大学とHPと湖の本のみでしたので、秦先生とこんなところで不意にお会いして、と、
ワルイことがばれそうになった学生の気分に戻ってしまい、慌てて本文に戻りました。あとがきはあとがきできちんと襟を正して精読せねば、という気持ちと言いま しょうか。
「隠された十字架」は、先生の「こころ」や「春琴抄」への探求と同じ喜びを与えてくれますね。知的なスリルというべきか、不思議なわくわく感、躍動があります。
考古学には詳しくありませんが、内容的には発表後30年も経てばいろいろと新しい知見によって覆っている部分もあると思います。
でも、知への探求という躍動感は、他の研究には追随を許さないものがありますね。この躍動感、秦先生の本以外ではそうそうお目にかかれなかったのですが・・・。
このあたりが先生と梅原氏を結びつけている部分なのでしょうか。
そうそう、話は変わりますが、先生があまりにもHPに「いま町ですれ違ってもわからない」とお書きになるので、最近の写真が載っているページをお送りしますね。
最初に書いた、「外に出る仕事」の一つです。
写真 略
もう少し美しく撮れているものを使ってくれてもいいのに、と、記者にちょっと不満はあるものの、有名なものを扱わないと大きくは扱わない文化財業界で、研究そのものを第一面で扱ってくれたことには感謝しています。
HPではさわりだけ載っていますが、本当の記事はもっと長く、随分と丁寧で正確(これはめったにない事なので特筆しておきます)な内容でした。
写真、2割り増しくらいに想像して頂ければうれしいです。
蛇足ですが、学生の頃より肌の色つやも落ちてきているはずですが、今の自分の方が、あの頃よりずっと好きです。私の方は、先生のお姿、今でもちゃんとわかる自信がありますよ。
花粉症も治まってらした頃でしょうか。どうぞご自愛ください。 卒業生
* なんと懐かしいメールだろう、こういう静かな落ち着きにこそ「懐かしい」という思いは宿る。文面からも匂うように、明晰な知性の人であったけれど、或る鋭さが自信と体験とで柔らかに磨かれているのが、ありあり分かる。東工大の女性達は、わたしのいまも知る限りほぼ皆こういう聡明な人が多かった。それで楽しかった。
御室の桜は、背丈の低い八重咲きにまず出逢う。そして桜の頃はひとしお背景の翠が懐かしく柔らかに匂い立っている。女性の魅力にそのままの京都が、ことに春と秋には美しい。あまり美しくて、照れてしまうように少年時代のわたしは真夏と真冬の京都にいつも敢えて票を投じ、いばっていた。
研究所のホームページをお気に入りに入れてある。 そして写真の人とも、久々に面会。オウ!
わたしも来週は、京都にいる。同じようにトンボ返しに戻ってくるが、うまくすると半日の半分ぐらいそぞろ歩きが楽しめるかも知れない。早く行きたくなったが、京薩摩の対談は話題の選択が容易でなく、アタマが痛い。
前日梅原さんと午後に、晩に、会う。話題が一つ増えた。
* 秋篠寺 あさってから、また、さと(北陸)に居ります。
さて、技藝天によって、ロマンな、メロゥなイメージのある秋篠寺でしたが、あの南側から出たとき、雀は八所御霊神社の不気味な霊気に撻(う)たれましたの。
のちに、このお寺には香水閣のあること、また、白木蓮の傍らにある御堂に、全身に蛇を巻き付けた大元帥明王が祠られていることを知りました。
見に行きたいのに、6月6日開扉なのに、今年もまた、行けないわ。 囀雀
* 此処の大元帥明王も行法も、凄いと聞いている。雀さんの言うとおりに、技藝天や境内の花に感じ入っているだけでは済まない、秋篠は畏怖感もまた充満したお寺だと、わたしも感じたことがある。
2005 5・30 44
* 雨しとしと、肌寒いですね。お気張りやして、お疲れ様。
今朝、ゴミ出しと新聞を取りに出て、玄関脇に植え込みの蕾を一杯つけた紫陽花の内、初花一輪だけが大好きな渋い古紫に色づいて、主のわたりを待っていました。梅雨入り間近です。
昨日のデ・ニーロのアメリカ赤狩りの時代を描いた「真実の瞬間」は録画していますか。
何度目かをまた観ましたが、「アメリカが自由の国」なんて、どなたの言葉なんでしょうね。
文化人が思想信条を表明する手段としては、映画は最適の一つ、それを貫いたかのチャップリンの偉さを思い出します。
まだ白川夜船でしょうね、今朝は早くに食事を終えました。 泉
* 昨日作業の最中にソニーが、不具合で修理中だったビデオデッキを届けてきた。映画「真実の瞬間」はロバート・デ・ニーロの渾身の訴えがみごとで、作業の手もとかくとまりがちに強烈に惹きこまれていた。マッカーシー旋風であったのだろう、ハリウッドの映画人の「表現」を好餌として、徹底的なアカ刈りをやったアメリカの、ともすれば民主主義どころか忽ちにファッショの恐怖体制へなだれ込める悪体質を、映画はひしひし迫る恐ろしさ口惜しさで描きとっていた。好きなアネット・ベニングもデ・ニーロの妻の役で出ていた。最期の委員会喚問で、はじめは仕事のために心にない証言もする気でいた主人公が、友人他者の不利益証言を強いられてグッと踏みとどまり、敢然と委員会の暴圧に反駁し対抗し発言していた姿は、痛々しくも崇高であった。それに対し、高い場所から見下して非道横暴残忍な言葉の暴力を浴びせる政府委員達の顔つきの怖ろしいまで狂ったざまは、あれだけで「映画・映像」という「表現力」をみせつけ、圧巻だった。実話であることが映画を小さく固くする例は幾つも見知ってきたが、ジャック・レモンとジェーン・フォンダで見せた「チャイナ・シンドローム」に匹敵する凄みでこの映画は終幕へ盛り上げた。
このアカ刈りの大旋風は、実に二十年もアメリカを萎縮させ、アメリカの自由は紙屑のようにうち捨てられていた。有為の映画人の多くが投獄されたりキャリアと人生とを空しくされた。一九七十年代にはいるまで、こういうアメリカン・ファシズムはのさばっていて、しかし、それでは今のアメリカはそうではない自由と民主主義の国だといえるのか、と、この映画放映は、われわれに問いかけていた。ぜひ、それを言い置く必要がある。
2005 5・31 44
* 昨日の卒業生、文化財に日々触れている研究職の人の新聞写真は、地方の研究施設との協力の光景(さま)を映していたのだが、記事は、もっと魅力的だった。
彼女の新開発した、かねがね彼女が話してくれていた、文化財修復に絶対的に必要不可欠な「古糊」が主役であった。神秘的なほど上質で無害な糊がなければならない文化財の扱いを、具体的に想い浮かべるのは、或いは難しいかも知れないが、そう云われて想像すれば例えば軸装表具や絵巻制作などがすぐ思いつくだろう。粗悪な新糊では微妙な美と安全とが守れない。
この卒業生は、熟成に「少なくも十年以上かかる」そういう良い古糊を、それ以上の質で、なんと「半月」ほどで作り出し、「安定供給」するのに成功していたのだ。
地味な縁の下の力持ちめく開発のようで、その画期的な貢献度は門外漢にも見えてくる。彼女のどんな好い写真以上に、この報道が、紹介が、その成果が素晴らしいと云っても、ろん彼女は怒らないだろう。やった! とわたしは手を拍った。
2005 5・31 44
* ダウン症の子をちからづよく育て上げて、いまも戦友のようにその青年と心通わせて日々を生きるお母さんから、一冊の本を戴いた。同じような親子さん達がつどって、ねばり強い、また楽しい多年の演劇活動を、本にされたのである。『僕たちのブロードウェイ』編著は、養護学校卒業生とその家族、支援者でつくる「若竹ミュージカル」 監修工藤傑史。晩成書房刊 2000円。RH@
すぐ応援のメールを送っておく。
* メールありがとうございました。
秦様にこのように言っていただくと自信がつきます。みんなで手分けして一人でも多くの方に読んでいただきたいと
頑張っているところです。 藤江もと子
去る5月21日、(京都市)桃山附属小学校のクラス会が宇治の料亭であり、宇治川の蕩々とした流れと緑がなつかしく恋しくて、日帰りで出かけました。
いつものように京都へ着けばまず墓参り、東大谷参道入口でタクシーを降り、東山の新緑のかおりを深呼吸しながら墓地へ。
墓参の後、まだ少し時間に余裕があったので高台寺のお庭を拝見しました。
桜でも紅葉でもない季節のおかげでか、人が少なく、ゆっくりと、「ああ、これが私の京都」と、山の緑に見入ったことでした。
そして何故か急に、「自分にはここに住処(お墓)があるのだから、いずれは帰ってこられるのだ」と確信されて、とっても幸せな気分に包まれました。
伏見桃山から六地蔵、黄檗、宇治と誰にとっても懐かしいところだったせいか、いつになく沢山の出席者で、座敷には座布団がぴったり敷き詰められて、盛会でした。
師範を出て初めて担任したのが私たちだったという恩師は、まだお元気で、
「初めてで、どないにして教えてええかわからんかったから、むちゃくちゃ教えてたんやけど、まあみんな立派になってくれて安心しましたわ」とのご挨拶に、一同なんと返事して良いか、ただもう笑ってしまいました。戦後の混乱期でもあり確かにむちゃくちゃな、でも、とても楽しい授業だったので。
平等院も、宇治上神社も、「もう知ってるし、ええわ」とかいってお喋りしているうちに、帰りの時間。
東京に着いたときはまだ街は賑やかで、京都、宇治での時間はもしや夢ではなかったのか—-と思えるほど。
いつ行っても「やっぱり京都はええなあ」と思います。 2005/5/31
* こういうメールは、わたしには、おみやげ物よりもはるかに嬉しく、懐かしい。なにしろ、年もまぢかく、暮らした場所も間近かった。「もう知ってるし、ええわ」で「ええ」のだ、「京の昼寝」のくちである。そこへ行かなくても、向こうの方からこっちへ入ってきてくれるのである。
日帰りというのが、藤江夫人、えらい。
2005 5・31 44
* 昨日、今日と茨城に出張していましたが、梅雨のような天気でした。爽やかな五月が終わってしまうと思うと、残念です。
週末那須の山に登ってきました。
那須は火山なので周辺に温泉が多いのですが、今回は登山口から二時間ぐらい歩きまして、三斗温泉小屋煙草屋という山小屋に泊まりました。周りの景色を見ながらの露天風呂が気持ちよかったです。山中で、人の少ないのもいいところです。
山の上にはまだ雪が残り、一面のダケカンバの林も芽吹いておらず、冬の装いでした。ところどころ山桜がひっそりと咲いていました。
山桜は背も低く、ソメイヨシノのような華やかさはないのですが、寂しい早春の山の中では目の留まる存在です。
先生もお忙しいようですね。
今度楽しんで頂けるような演奏ができるように、(ピアノの)腕を鍛えておきます。それでは。 卒業生
* メールの文章がかくべつ上手くなっているのに一驚する。淡々と書いて意は尽くしている。アバウトにものを言いまた書く方であったのが、ものを見て感じて、むだごとなく適切に伝えている。山の風情、楽しく髣髴する。
2005 6・1 45
* 京都は久しぶりの雨です。 先日の昔なじみの西陣同窓会、楽しみにしていましたのに、前の日から顔に赤みと痒みのトラブルが。しかたなくドタキャンしました。今朝はやっと普段の顔に戻ってやれやれです。
恒平さんのホームページはトップディスクに張り付けてくれましたので、今まで通り見ています。
携帯メールも気軽で便利な面もありますよ。もしメール下さるときは、しばらくはこれに返信お願いします。
お疲れのないように。 のばら(従妹)
* 携帯電話・メールにたいし、自分で用いることには極めて冷淡にやり過ごしてきた。しかし、少し動揺している。普通の使い方では使いたいなど少しも思わないが、もしわたしが長期入院し、退院も望めない状態になればと、ときどき思い至るようになっている。ケイタイメールは聞くところかなりややこしい操作を必要とするらしいだけに、受信だけでなく発信もと考えるなら少し習熟しておかないとまずいかなあと。もっとも、わたしが入院の事態になれば、通信どころでなく簡単にクラッシュして仕舞うだろうと予期しているが。
ま、そういうことを、半ば本気で思うようになってきた。
2005 6・2 45
* 今日の「御所車」のお稽古では、扇を、要返しにしてからひょっと投げて、額の前あたりで掌に水平に受けとめて、三歩さがってからまた扇をぐるっとまわして、ささっと投げて元通りにする(全然わからないでしょ)という複雑技をやりました。
練習しながら扇を自分の顔面にぶちあてたお弟子は私が初めてのようでした。先生のびっくりしたお顔。何をやらせてもブサイクなことです。やっぱり理想のヒロインは似合わないみたい。
とは言え、「怠けオバサン」とはひどい。昼間にちゃんと書いてます。夜も書いてますが。雨の音が強くなってきました。かわいい蝸牛の季節が近づいてきます。おやすみなさい。 春
2005 6・2 45
* あすの晩に逢いませんか。若い人にそう誘われ、しばらくぶりに美味い酒を外で飲みたかったけれど、結局、もう少し先でということにした。今のうちにしておけばアトが楽になり、放っておくとたちまち困却の渕に沈みそうな作業が溜まっている。この五日までの白いカレンダーの毎日は、なかなかどうして、お宝のように貴重なのだ。ひとつだけ、友人が入選している上野の水彩画展に行ってきたい。それを明日にするか明後日にするか。
2005 6・2 45
* お便りうれしく頂戴しました。(「ペン電子文藝館」)永の元気なお勤め、ご苦労さまでした、ご様子は日々の日記で、へェー、フムフムそうなんだ、ニヤニヤ、おっと、といった頃合でうかがっております(一方通行ですが)。
二年ぶり、市の無料検診を受けて、遅まきながら生活習慣病をやや気にし始めた、そういった人並みの初老の暮らしぶりです。ま、気持ちは万年青年の続きですが。
大きく様変わりしたような新しい生活環境にもあらがわず、何となしにおさまっています。TVやパソコンに向かう時間が減った分、少し読書や散策が増えました、路端の草花にも自然と目が移ります、雲も眺めます。足りないことは山ほどありますが、いずれなるようになる、おさまるようにおさまると思っています。
「書かないことは考えないことに等しい」と、ある外国作家が言ってましたが、いまは、床の中で、留め置かない作文や日誌を頭の中に記したつもりで寝入り、それも翌朝にはケロッと忘れています。ただ、あまり間をおくと按配悪いので、そのうち、ちゃんと書き始めようかと。沈黙をとことん楽しむまでの心境にはいたっておりませんし。
「たとえ火の出る所帯をしても火事さへ出さなきゃ水いらず」! 多摩E-OLD
* おしまいの都々逸は、「都々逸」というサイトを開くと出ている。ほかにも沢山出ていて、ときどきお世話になっている。都々逸坊のハナシは、三遊亭圓生人情話のたっぷりした枕で初めて知った。師匠の百席では、落語以上に多くのことを面白く教わり続けた。
2005 6・3 45
* 勉強についてですが。
少し前の風のご指摘、「創作のほかに、もう一つ打ち込めるもの」というのは、ハードですが、必要且つ大切なことかも知れないと思うようになりました。
これまでわたしは、自分の中の領域の多くを「創作」に割り当ててきました。あくまで足場は「創作」に置くのだ、と自分に言い聞かせることで、「創作」以外の関心事の雑多になるのを、ゆるしてきたきらいがあります。雑多なりに「創作」を支えるのではないか、という気持ちがありましたから。
でも、風に指摘されまして、もう片方の足の置き場を考えるようになりました。もう片方の足を地面につけてこそ、「創作」に置いた足と共に、しっかり立てるかも知れないと。両足で立っていれば、得たいもののところまで、しっかり手を伸ばせるかも知れない。
初心の関心事に立ち戻ってみます。 花
* 一本足の「T」型は、案山子のようで動けないし、倒れやすい。二本足の「Π(パイ)」型は、ともあれ二足歩行が出来る。例えば創作と家庭または趣味とのように。三本足になると安定するが動きの制限されるところが、よしあしである。わたしが思うのは、創作に志のある人の場合、落ち着いた家庭生活は当然の前提として、創作と両翼をなす「もう一つ」の地力。趣味でも良い、つよい「こだわり」でも好い、隠し技でも隠し藝でもいい、ある種の行動力でも好い、現れたときに人のおやおやと意表をつく蓄積された力が有ると、必ず創作を下支えて連動すると思う。
花の「関心事」がどう蓄えられて行くか、楽しみ。
2005 6・3 45
* 梅雨のはしりですね。
湿った灰色の週末、早朝から除湿器をつけて、大量の水の溜まるのに驚いています。
京都へ、ブーメランですね、お元気そうにみえて何よりですが、眉間に皺を増やす程ガンバラナイデ。
ホントはどんな様子なのか、と。
まあ、ナントイッテモ『老』青年なんだから、お疲れは溜め込まないように。というのは、『老』乙女も最近とみに体力の低下で、辟易しているからです。でも変らず、運動にも孫守りにも励んでます。
梅雨最中に一日だけ、文字通りのOL会に行きます。石山の奥、瀬田川、南郷の料理屋さんだそうです。琵琶湖畔のドライブもあり・・・と、楽しみが待っています。 泉
* 年寄りは確実に衰えて行く。それが自然だと思うし、怠惰にそれに身を任せてもなるまい。ひばりの「川の流れのように」を体内に聴きつづけながら、流れを落ちて行く。川幅はもうよほど広くなり、左右の岸が遠い。まだ自身を一本の木ぎれのように感じているが、いつしかにその自覚をうしない川浪に溶け込みたい。
2005 6・4 45
* 父を一泊ショートステイに預け、母と、祖母を施設に訪ね、そして昨夜、雀は、ようやく十時間の睡眠を得ました。今日はお庭で苺摘み。ほったらかしなのに毎年律儀に実をつけますの。二十年ぶりくらいかしら、苺ジャムを煮たのは。
父は、雑誌のやたら間口の広さ、TVの早口なテムポに、頭の中で情報処理ができないらしく、「こんな本を買ってたンだなぁ」と苦笑しながら、初めて読むかのように楽しんで、本棚や押し入れのムック本など読んでいます。活字ばかりの本は、自分で買ったことは分かっていながら、すぐ眠くなると申します。
母によると、雀が振込みをしに、もよりの郵便局に出かけていた間、炬燵近くに置いてあった今回のご本『日本を読む』を、しばらく、熱心に読んでいたそうです。
そのとき、雀は、実家の酒屋を手伝いに来ていた昔の同級生にばったり会い、話のうちに、ローカル線の列車が好きと知って、我が家の雑誌バックナンバーに、三重県のローカル線を紹介した記事のあったことを思い出し、物置に取りに戻って渡し、おいしい限定の地酒を貰ってきましたの。美空ひばりの番組を見ている母の傍らで、おくればせの朝刊に目を通しながら呑んでおりましたら、母が、睡眠薬とアルコールを続けてのんだらだめよ、と言います。けれど、いまどきの、自殺もできない睡眠薬ですもの、大丈夫でしょう? おやすみなさい。 囀雀
* 一度身辺をきれいに片づけないと、有ると思っているものも見つからず、困惑する。二階も階下も書庫も、むっちゃくちゃ。
2005 6・4 45
* 百年生きて。 最近まで、薬というと小さなのが一粒だけという、健康な祖母でした。
雀の記憶には、いつも、鏡の前に和服姿で座り、櫛けずった長い髪をくるくるまとめて、身じまいをし、刺繍鞠を作っているか、もてなすための料理をこしらえているかというひとでしたの。
それが、いまや、保育園と見紛うばかりの飾り付けをした施設で、髪は短く切られ、囚人服かのようなジャージの上下でいる姿を見て、雀は涙がこぼれました。
「みなさんよくしてくンなって、まぁありがたいことなぁ。お食事もおいしいし、幸せなことだぃね」と言いながらも、
「寿命て不思議なもンだネ、まさか、こンなことになるなんて思いもよらンかったわ。(骨粗鬆症のため)痛くて眠れもできないのに、お迎えは来ないし、いつまでこうして生きていくんだろね、そろそろいやンなってきた…」と。
死なせてくれない、死ねない時代。だから自殺者が多いのでしょう。最後に発揮できる最大の自己の意志ですもの。 囀雀
* お元気で御活躍何よりに存じます。
小生術後ほぼ1年経ちましたが先日のPET検査では異常がないとのことでした。
お口に合うかどうかわかりませんが岡山特産のマスカット・ピオーネのワインをお送りします(日本酒は秋以降がいいかと思いましたので)。3,4日後に届くことになっています。 岡山県
* 三四日前には栃木県から、熟してうまい、あまいメロンを五顆戴いた。それもこれも天地人の恵み。深く感謝。
2005 6・4 45
* バルセロナ土産の白ワイン。さっぱりしていて、酔いが深い。すこぶる美味い。今晩は、この瓶を楽しんで飲み干そう。「亜刺比亜人エルアフイ」も読み終えた。京薩摩焼の周辺もアタマに入れた。月曜火曜水曜は、気持ち、早めの夏休みにもしてしまおう。
2005 6・5 45
* こんばんは。 となり町はお祭り。ひとしきり打ち上げ花火の音が聞こえていました。
二十日は、柿崎で、親鸞ゆかりの祭りがございます。昔はこれに合わせて帰省する友人が随分といましたのよ。
夏至の近さを思わせる朝夕がつづきます。とりわけ、今日は鳥の鳴く声のみ聞こえる、穏やかな一日でした。庭木を伐っておりましたら、その木の添え木で、近所の猫が爪とぎをしておりました。
枝払ひして六月を迎ふ庭 (千原草之)
どうかお元気で。 雀
2005 6・5 45
* 岡山からの贈り物、文字どおりの「葡萄」酒が、美しいロゼと澄んだ白とで届いた。 2005 6・5 45
* お忙しそうですね。どうかご無理がでませんように。嬉しい悲鳴の部分もあるかも知れませんが?
私の地元では今週半ばから区議会が始まり、今回は「建築物高さ制限」が焦点になっています。業者関係やすでに高層マンションに住んでいる住民の将来の立替問題などがあるので、大勢とともに傍聴します。比較的ゆったりした敷地にたつマンションと違って、私の地元あたりではぎりぎりの容積率で建てているので、大問題なのです。
先週、比較的身近にいた男性(いま問題になっているニート、学生でもなく、職業にもついていない)が飲酒後、配剤されていた精神安定剤を多量に飲んで意識不明、重態になるという事件がありました。能力と気力を持ち、かつ早く若いころからレールに乗らないとまともな収入が得られなくなってきたようで、若い人たちの将来が本当に心配です。昨日の朝日社説にものってましたが、これは当然少子化、世代間扶養の年金財政の根幹をゆるがしかねない
問題ですからね。先日お書きだった「横浜事件」ではありませんが「治安維持法」なんてもう死語だと思っていたのに、昨今の教育現場の「日の丸、君が代」問題などみても、これはやはり構造的に仕掛けられていることなのだ、と実感します。高校教師の友人たちもすごく悩んでいますね。
都議会の福祉学院事件「百条委員会」のことなど、あまりにも「都民不在」なので馬鹿馬鹿しくなって、心理的に投げ出したくなりますが、そうはいってもまだ住民の力をあわせれば、変化もあり得る、と私は考えています。なんといっても政治家には「選挙」があるのですから。みなが「棄権」しなければ。
あ、そろそろ出かける準備をしなくちゃ。
行ってきまーす。 夢
* 「あなたの『日本』をどう読んでいますか」と問うたのへ、返辞をもらったか。読者のこういうメールを、此処からこう再発信する意味は小さくない。意識の波紋がひろがりますように。こういう意識を、こういう視線を、「現代」のただなかへ刺し込んで、ふつうの我々の、ふつうの日々が、より健康に在りますように。
2005 6・5 45
* 湖の本エッセイ34号、拝受いたしました。下巻が続くようですので、その分の代金も一緒に振り込みました。
先日のメールで、ご返事がいただけるなどつゆほども思っておりませんでしたので、たいへんに感激しております。めげずに、精一杯生きて行こう、と思います。
あと一週間ほどで、移居して一ヶ月になります。集合住宅に住むのは初めてですので、環境の変化はまさに「劇的」です。一フロア六所帯の八階建てですが、両隣と真下の部屋へは挨拶におもむきましたものの、どういう仕事をしていてどんな生活をしている人々なのか、皆目見当もつきせん。わずか十五センチほどの壁ひとえが「隣は何をする人ぞ」とうたった先達の言葉そのものです。
今までは縁側の雨戸を開けたり玄関の扉を開けば、おはよう・こんにちは、という挨拶が跳び込んできたものでしたが、ここでは狭いエレベーターで一緒になった人に挨拶の言葉をかけても、目顔だけの返事しかなく、妙な警戒感を持たれてしまうようなので、それ以上には話すきっかけもなく、季節とは関係のない寒さが心をざらざらと撫で擦るのを感じます。
ベランダから見る樹の梢が揺れています。私には無風と感じられるのですが、実際は風があって、それを感じるはずの私の知覚が衰えているのでしょうか。あるいは無風なのに樹木自身がその先端で細かく震えているのでしょうか。うろ覚えなので引用は避けますが「深夜 樹木は出発の準備する」という高見順の詩を思い出します。
ああ、わたしは何というばかなことをしてしまったのでしょう。
「荒地」同人をはじめとする、青春の血とともにあった詩集のかずかずを手放してしまった。
いま、もはや語るに友は亡く、あるいは臥して久しい。唯一の友は書物であったのに・・・・
老いのたわごと、お聞き流し下さい。おん身、おいといくださるように、E-OLD 甲子
* ただもう、じいっと眼をとじてメールのことばを反芻する。祈るほどの気持ちだ。妻といっしょに心行くまで芝居を観て喜んでこれる、なんというなんという贅沢な幸せであることか。
* 月様 「…びっくり仰天するほど感動して来たのだから、今日は、大儲けをした嬉しい心地…」とおっしゃられている「ラ・マンチャの男」。
今日の昼過ぎ、息子の生命保険の見直し提案書を持って来宅してくれた知人からいただいた小冊子に、偶然松本幸四郎さん親娘のツーショット写真とコメントが載っていました。
お聞き及びと思われますが、この公演の千秋楽(6月29日 帝国劇場)で、幸四郎さんのミュージカル出演通算回数が2000回を達成されるとのこと。益々力量を発揮されての舞台になるのでしょうね。
遠くて、観劇に出かけることができないのが残念ですわ。 花籠
* 何にどう感銘を受けてきたのか、芝居の筋書に沿ったことは何も言えていないのに気付いていたが、もともと、(人はわたしの方がうんとワルくて不純であるものの)わたし自身も明らかにドンキホーテ派に出来ているので、ことさらラ・マンチヤの男の境涯を言葉に置き換えて反芻しなくても、グッとくるものは、ほぼ正確に来る。それだけは前回観たときに呑み込んでいた。だから躊躇なく二回目も観ようとした、「…びっくり仰天するほど感動」するだろうとまで予測していなかったが。
2005 6・6 45
* 京都はこの季節ですと、鱧を肴に一献でしょうか。まだ早いかな? 京都のむれるような濃い緑の中で、どうか花(はん)なりと楽しいときをお過ごしになりますように。
梅雨が近づいてくると蛇の目傘が欲しいなと思うことがあります。よい傘は女を美しく見せる小道具かもしれません。東京の街中では見かけたことがありませんが、傘を叩く雨の音、雪の降る重みは、なつかしいものですね。和傘の日傘にも涼しい風情があります。漱石の『門』でしたか、日傘を差している人妻の描写もこの傘でしょうね。絽のきものに似合いそうな繪になる姿です。
今日似た方をお見かけして、思わず追いかけようとしていました。花かげに家を背負った蝸牛をみたら、東京からついてきたとお思いになって……。 春
* 明日は旧都ホテルの授章式場から東山や黒谷がまばゆいほど一望できるだろう。晩は、堅苦しい決算予算の報告理事会のあとに、綺麗どころの京舞いなど観るだろう。どこへ二次会に廻る余裕無くホテルで対談の下調べをして、翌日は朝のうちに対談。気ぜわしい。もう時間切れとして、寝よう。
2005 6・6 45
* 北朝鮮とのサッカー、ハラハラするのでチャンネルを変えていたら、一点入っています!
蚊に、二箇所刺されまして、そのうちの一箇所は左手の親指の先で、痒さに悶絶しています。
指先って、神経がたくさん通っているせいか、とても痒いんです。じっと堪えるしかありませんねえ。
今年は蚊が異常発生してます。しかも、動きが素早くて、ダイ・ハードな蚊です。先が思いやられるなあ。
どうかして遠からず、逢えるといいなあなんて。 暑くなってきますから、無理はくれぐれもしないでくださいね。 花
* 遠敷のナガ旅 我が袖はしほひ見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし
海を、ひさしぶりにぼんやりと眺めました。列車は、各駅に停まりながら、二時間かけて富山に着きます。特急に乗りかえ、敦賀駅に降り立ったのは正午過ぎ。
クルマをたのんで、三方五湖の眺めを楽しんだあと、漁村の家並みを縫う旧く細い道をたどって、小浜をめざしました。羽賀寺の十一面観音と、お水送りゆかりの遠敷の古社寺、鵜の瀬を訪ねる願いもかない、北川、遠敷川、安曇川、鴨川と穏やかな瀬をたどり、京都駅に着いたのは、8時を少し回った頃。
大陸、半島、諸島々から若狭へ、そして近江、京、飛鳥、吉野、那智、熊野、補陀落渡海で太平洋の彼方まで…龍のちからで、十一面観音見仏から始まった雀の興味と旅が、ひろがりと、かたまりの両方をもち始めたことを感じ、海の民を、そして山の民を思う、水の旅でした。ぼちぼち旅のあれこれを囀ってゆきます。
今回のご本、向かいあうのに、とてもエネルギーが要りますわ!
ごはんをしっかり食べて、正しい座り方をして、深く息を吸ってという精神状態でかからないと、押し返され取り残され、暗闇に失踪しそう―。 雀
* こんどの本は、わたしからの「挑発」でもある。
2005 6・8 45
* 暑くなってきましたね。庭のズッキーニがかぼちゃのような花を咲かせています。花をから揚げにするか・・やはり実がなるまで待ちます。
庭仕事のいい季節はあっという間に過ぎて、蚊に刺されたり、大変。何か虫に刺されて、以来三週間も過ぎたのにわたしはまだ傷の痒さ痛さに悩まされています。 鳶
* お帰りなさい。京都は夏日ですね。関東平野の生活が長いと、あの盆地特有の厳しい気候(狭い山科盆地は尚更に)を忘れ勝ちです。それが都の文化を培ったのだと思いながらも。歳老いてからは、住み難い風土です。
白川と聴くと矢も楯も堪らず、気持ちが逸ります。べんがらの渓流橋で疏水と分岐し三条白川橋へと、柳の葉を靡かせながら懐かしいいくつかの橋の下を、清らかに(今は)泓々と涸れることなく流れて、再び四条で疏水と合流する、あの有済と粟田を繋ぐ白川が、私の白川です。
何千キロも離れて住むから、この想い入れがあり、年々深まるのでしょう。
週末から泉山のお墓参りを筆頭に二、三の用事を済ませて、とんぼ返し程ではありませんが、すぐに帰ります。気候と時間に恵まれれば、白川筋を歩いてきます。 白川女
* 午前はバレーをしてきましたよ。
ゆうべの蚊の毒が、汗と一緒に出てしまえばいいのに、と思いつつ。
暑いけれど、体を動かすのって、気持ちいいのです。
風も、汗をかくと、すっきりして気持ちいいでしょ。 花
* 蚊取り線香を用意しなくちゃ。蚊に刺されている人が多いのか。
2005 6・9 45
* パソコン、修理から戻ってきました。やはり自由に使える自分用があるのは幸せです。
スケジュール過密な京都の旅、お疲れ様でした。
昨日の雨が上がり、今日も暑い一日でした。
長女の婿どの、先月転勤が決まり、今は単身赴任中。夏休みに入れば、娘と孫娘(中学一年)も行ってしまいます。この週末には、娘が、家族の住まいを決めに行く予定とか。
自分の思い通りにしないと気のすまない娘はいいのですが、おっとりと、素直に育った孫が遠く転校して、つつがなく暮らしに馴染むまで、気持ちの落ち着かない日々が続きそうです。
その一方で、私も遊びに行けるチャンスが来たと・・・。
ぼう~としてると自他ともに認める私、忙しげな大都会には似つかわしくないことでしよう。
まだまだお忙しい毎日、お大切に。 のばら
* もう昔だが、孫娘のやす香が両親とパリへ行ってしまったときは、娘の行ってしまうよりも悲しく、書庫の奧へ初の誕生日を迎えるかまだかというやす香を抱いて入って、おうおう泣いたのを思い出す。そのやす香が、今春はもう大学生になっているはず。光陰、矢。
* この頃、大学を出たばかりという未知の女性の一人からメールをもらい始めている。さ、読者といえるのか、気散じな好奇心なのか。まだまだ、とりとめがなく、しかし、不正メールの変な類とは全くちがっている。「ペン電子文藝館」なども見ているのか、どうか。
2005 6・12 45
* おはようございます 風。
土曜は外出し、日曜は家でビデオを見たりしながらゆっくり過ごしました。
きのう今日と晴れまして、洗濯日和です。
もうすっかり暑くなり、少し動くと汗が出ます。窓を開けて風を入れたいけれど、外にうようよしている蚊と、花粉がしんぱい。団扇を使っています。
今日は月曜、週のはじまり。気分を新たに。 花
* 建日子さんのお芝居、無事ご成功のうちに千龝楽の幕が降りたこととおよろこび申しあげます。
今さらめいて恐縮ですが、「日本の名画‐村上華岳」が手に入り、なかのエッセイを拝読いたしました。「ぜひ“後篇”をと自分を励ましている。」 そうでしたの…。
牡丹に遅れ、芍薬の蕾がふくらみ、過ごしづらい時節を迎えます。どうかご自愛のほど。
旧暦端午、そして入梅の一日、主人が日野へクルマを走らせてくれました。
行きは鈴鹿越えに、関、土山などの宿場町を通り、帰りは慣れた甲賀みちを取って。
鈴鹿の化け蟹はまったく知りませんでしたわ。田村神社も居心地悪く、柏餅代わりにいばら餅(三帰来でしょうか)で腹拵え。
正明禅寺、鈴休神社、苗村神社、龍王寺から御澤神社。
降る、落ちる、ぱらつく、降り頻く、降りつのる…どこへ行っても雀を迎える雨、また雨。そして、鈴鹿、美和媛、雪野に鏡…いずこの山も「龍」の走るおもむきのひた染めで―。
日の長さに主人が、湖水とお島を見たいと言いだし、思いもかけず長命寺まで足をのばしました。野尻湖畔で生まれ育った主人は、茫茫と霞む湖と、沖島を見て心を満たし、左は早苗、右は麦刈りの豊かさ満ちる蒲生野を、甲賀へとクルマを返しました。 囀雀
* 華岳を書いた小説『墨牡丹』は「すばる」への初出時では著者としてもう一章欲しかった。湖の本に上下巻で出すときに書き下ろしで百枚書き加えて、気持ちの上でも完結させた。
建日子の芝居は、本人のホームページでは、連日超満員の大好評だったとか、とにかく彼の公演は客が来なくて困るということがない。なにか訴える力をもっているのだが、恐らく、良くも、悪しくも、秦建日子の「優しさ」から出ているのだと思う。
* 鏡花の「化鳥」、わたくしも好きな作品でございます。「吸い込むように受容」とおっしゃってですが、理屈なく、すうとひきよせられます。金沢の街の二すじの川のどこかに架かっている木の橋をおもいます。
木の芽どきから花どきと続いていた、気のくさくさ。沖縄の藍染めの単もの、えいやっと清水の舞台から飛び降りて、鬱を払いました。まだ、藍留めやら何やらあって、仕立てにまわりましたかどうか。この夏には間に合わないかも知れません。それでも、手に取り、肩にかけてみた藍の色を思い出すと、気持ちが晴れてきます。 香魚
* 松島屋の秀太郎がご贔屓ではなかったか。今月は「輝虎配膳」のきまりの佳い老母役、「封印切」の余裕のおえん役で頑張ってましたよ。
2005 6・13 45
* 満足して、劇場を出た。銀座一丁目から有楽町線で、一路帰宅。佳い一日をこころよく楽しんだ。いろんな用事も済ませた、もう寝よう。二時。小田実氏から心親しい封書の手紙が届いている。明日の楽しみにゆっくりまた読もう。
2005 6・13 45
* 暑いですね。昨日も暑くなりましたね。 名古屋は今日も暑いらしいです。暑くなってくると、「寒い方がいいなあ」と思ってしまいます。
突然ですが、質問です。
よく「カツゼツがいい」って云いますでしょ。アナウンサーみたいにはっきり喋れることを。わたしは「滑舌」と書くと思っていたのですが、パソコンで変換できませんでしたので、広辞苑を見てみましたら、そういう熟語はありませんでした。どうしてか、おわかりでしたら教えてください。
今日はランチに出掛けます。 花
* 業界言葉なのだろう、古い辞典には載っていないが、意義はよくわかる。わたしもときどき使っているかも知れない。能弁と云うより、発音や発声の是非を批評することば、か。
2005 6・14 45
* 昨日は歌舞伎を楽しまれたご様子。明日から梅雨空に、と。今日も暑いです。
先日携帯電話のことを書かれていましたが、悪い状況を考えるのではなく、携帯でのメールは決してややこしい操作を必要ともしませんので使われては。器械はできる範囲の、必要なこと最小限で使いこなせばいいのですもの。
簡単に(パソコンを)クラッシュなど、絶対ダメですよ。
特別(指摘されたように)「漢字型」の詩と当人は思っていないのですが、そして漢詩も今では「敬遠」気味なのですが、やわらかに素直に感情表現することが苦手なのでしょう、わたしは。つい構えて物事を見ている反映でしょう。いくつか「ひらがな風」のものも書いていますが、改めて見直しても、今回まとめたものの中には殆ど入っていませんね。ひらがな風で、和歌のように、童謡のように繊細にやさしいもの・・自分の中から自然に滲み出てくるといいけれど、わたしが書くと、単にグシュグシュになってしまいそうですよ。その方がいいかもしれませんけれど。
電子文藝館に出た能村登四郎さんの(俳句選)「芒種」を、興味深く読みました。
最近とても滅入ってしまっていたのです。絵も描き出す前の迷いでいっぱい。描き始めれば今度は技術的なこと、色彩、質感などなど、やはり迷い多い。あたりまえのことじゃ、と、お声がもう聞こえてきますよ! 滅入る原因の第一はあまりに引きこもって暮しているからでしょう、どんなに「今、此処」にと思っても負けてしまう時があるのです。
久し振りに町歩きをして斉藤真一や福井良之助の小品をみました。画廊の経営者と「臆面もなく?」絵の話をしてしまい、傍で聞いていた友人には「薀蓄を傾け・・」と少し冷やかしたように評されましたが、聞かせるための薀蓄ではなく、そういう類ではなく、わたしとしては探るべき自分の方向と確信でした。人とそういう話がしたかったのでした。
日本画の現在の在り方が、例えば村上華岳を一時代前のものと感じ、日本画家さえスケッチに筆を使わない、筆の線の美しさを軽視している・・などは、実は、本当に見直さなければならないものです。院展、日展、京都の日本画家などなど次から次へ、わたしが焦るように、焦ってはいないのですが・・いつも頭の中にあるモヤモヤを打ち払うかのように話したかったのかもしれません。その画商の目は作者とはまた少し違うかもしれませんが、辛辣で厳しく、それ故に心地よいものでした。考えることがいくつもあります。
先週はBSでいくつか映画を見ました。「キャラバン」という映画、以前フィレンツェの映画館でイタリア語の字幕つきで見たので、言葉のハンディがありすぎましたが・・ほぼ理解していたのだと再確認。映画のことをわたしはあまり書きませんが・・大昔は、高校、大学と本当によく見たものです。京都では、学生相手に土曜日の夜。。監督特集と銘打って終夜上映の映画館がありました。今はどうでしょうか?!
「旅芸人の記録」を創ったギリシアの監督、アンゲロブロスの「エレニの旅」が現在封切られているのですが、これは京都、大阪まで出掛けないと見られません。行きたいと思っています。思い立たないと見たい映画も遠のくばかりです。勿論、ビデオやDVDで補っていますが。
健やかにお過ごしください。大切に。 播磨の鳶
* 日記風のメールの、途中ある詩人の作品への感想など、少し落ち着いて読みたいと思い此処には省いた。活溌にはたらいている精神。だからキツイときや苦しい時もあろうけれど、とにもかくにも真っ直ぐ生きているということ。グチが愚痴にならずに済む。
2005 6・14 45
* 小田実様 お手紙と毎日新聞の二つのエッセイをいただき、読みました。ありがとう御座います。その一つ「『文史哲』のすすめ」につきながら、近況を書きます。
東工大にいた四年半、大学当局や全学教授への私のいくさは、「文」(西洋史的な人間学)がいかに基本において大切かを、倦まず、おめず臆せず説きつづけることでした。
中央公論社がむかしに出しました二十六巻 全一万数千頁のシリーズを、一行余さず、神代や先史以来この戦後まで、年数かけて毎日読んで通読し終えたのが、この春でした。少年の昔から人間の歴史に興味をもっていたからですが、老境、ひとしお、いろんな角度から歴史に眼をむけている日常の必要を覚えつづけてきた、一つの記念事業のように、同時に日本の「近代現代」になるべく深く視線をさしこむために、あえて神代から読み降ってきたのでした。その一つの結果が、「ペン電子文藝館」の「主権在民史料室」にあげた「主権在民への荊の道」七編の編成です。今は「世界の歴史」を読み継いで、ギリシアの民主主義を勉強中です。
日本の哲学と哲学者には、おおむね失望していますが、自分でよく考え、よく思い、よく感じて、よく生活していれば、自分のフィロソフィーは創れると。フィロソフィーではありませんが、その少しを上下巻で編んでおこうと思いました。上巻を、幸便に送らせて下さい。
憲法についても、電子文藝館にいろいろいれました。憲法を繰り返し読み、私も小田さんのお考えと同じく「前文」こそ、珠玉不壊のものと思ってきました。第九条とともに、「前文」そのものを、国民は、わたくしは「私民」と呼びたいのですが、不滅の宝としたいのです。
またお目に掛かるときがあるでしょう。 お大切に。私は元気です。 05.6.14 秦恒平
* 氏の手紙の主なる目的は、もう一つのエッセイ「『玉砕』が今意味すること」であった。小田さんは、日中戦争こそそうは言えないが、大平洋戦争に日本が突入したについて、またサイパン等で日本側が玉砕したり飛行機で特攻出撃したりした、それを「狂気」だったかのように一概にはいえないし、イラク等での自爆闘争をも、たんに「狂気」の沙汰と云うべきではないと説いている。聴くべき意見である。『玉砕』全編が「ペン電子文藝館」にも掲載されていて、これは近くBBCでラジオドラマになるという。
小田さんは東大を卒業しハーバード大の藝術科学大学院に「留学」した。このハーバードがアメリカのどんな地位の大学かはいうまでもないが、今もいろんな寄付を願ってくるけれど、一方で実にこまめにいろんな資料や記録を送ってくるそうだ。ところが東京大学にはそういうことは皆無だという。これは示唆に富む面白い事実だとわたしは聴いた。
* 小田実氏ともこうして、また真継伸彦氏は湖の本の有りがたい継続全購読者で、今度も下巻を待っているよと手紙を貰っている。二人はむかしの筑摩書房が出した、雑誌「人間として」の編集同人であった。他に故高橋和己もそうだったのではないか。そしてこの雑誌が、死んだ兄北澤恒彦を呼び出し座談会をしていた。筑摩の人や同人達はこの時に初めてわれわれが両親を同じくする二人兄弟であったことを、しかしこの兄と弟、まだ顔を合わしたこともないと知ったらしい。原田奈翁雄編集長から知らされて、じつはわたしもはじめて、兄がそういう場所へ顔を出すような「働き」をしていたことを知ったのだ。小田さんからも真継さんからも、兄の生前、兄にについて聴くところ少しだけあったけれど、二人ともたいへん強く北澤を評価されていて頼もしかったのを覚えている。
2005 6・14 45
* 風 カツゼツ、ありがとうございました。造語かなあと思ってました。
小売業界にいましたとき、店頭に置かなくなった商品のことを「廃番」と云いましたが、これも古い辞典には載っていないと思います。
おそらく、「廃盤」の音が、「品番」の「番」にすり変わってできたであろう微妙な単語ですが、社内では「廃番」と云わないと通じないほど浸透していました。
こういう単語って、ほかにもいろいろあるのでしょうね。
> 中身のしっかりした嬉しさ、楽しさ、心行くこと。
「時間を有意義に使う」とはよく云いますが、この「有意義」という言葉を、年々重く受け止めるようになっています。
流されず、一日一日を大事に過ごしたいです。
あれこれ合点です。花は、元気です。
* 「廃番」というの、耳新しくおもしろい。たしかに業界というか、その世間世間に特定して愛用され便利される「言葉」はかなり数多いことだろう。著者に会いに行く編集者や記者が「小銭」を持たないのを嗤ったことがある。つまり、その著者にカンするたいしたことではないが、片々としていても話題へのキッカケになる小知識のこと。こういう小銭のビタ一文の用意もなく記事など書きに来られると、ただもう、マジマジと顔をみたまま口を噤んでいたくなる。
2005 6・14 45
* 今日のお稽古では、扇を右手でぱっと上に投げて左手で受け取るのに、何度も失敗して落としているうち、ついに扇の要がはずれて壊れてしまいました。先生は、こういう扇遣いを練習しているうちにうまくなると仰言いますが、このブサイク弟子には月謝が倍ほしいと思われているかもしれません。
捻った足にサポーターをして庇いながら、上半身中心のお稽古でしたが、腰が痛くなりました。早く治して元気になりたい。
今日から夜の読書に泉鏡花の「誓之巻」「照葉狂言」を読み始めます。
外は細かい雨。バッハを聴きながら、「湖」を読んでいます。 春
*「照葉狂言」についで、もし可能なら「勝手口」そして「化鳥」を読んでみて欲しい。むろん「龍潭譚」も。わたしはいま「清心庵」を読み出している。
* さっき、コックローチが出まして、大騒ぎ。虫の類は苦手です。ホイホイとホウ酸ダンゴをあちこちに置き、一網打尽作戦です。おかげで眠気が吹き飛んでしまいました。
今晩のサッカー、コンフェデレーションズカップ、日本対メキシコだそうで。ウーン、厳しい相手ですねえ。
この頃は、オリンピックでもテニスのグランドスラムでも、ライブで放送しますから、眠れませんね。風はふだんから宵っ張りさんなのでしょうけど。
そうそう、野茂選手が、日米通算二百勝達成しましたね。
イチローくんも、千本安打を達成して、千一本目はホームランだったそうです。
明日は晴れ間があるようです。 花は、元気です。
* 野茂、イチローの大きな区切りの記録達成、わたしも我がことのように嬉しく、待ちかねていた。いまの野球選手では断然この二人が好きである。大好き。
2005 6・16 45
* 日照り 水不足逼近の梅雨のはしりです。そちらはいかがですか。梅雨寒や外の冷房に体調を崩されたりなさいませんよう、日々ご自愛のほど。
ケータイの i モードで、紀伊國屋書店サイトの宣伝を見つけました。駅前の本屋がなくなって半年。郊外道路沿いにある大きな本屋はもとより、京、大阪の書店でも、歩き回って疲れた挙句、お取り寄せと言われるだろうし、検索もしてみたく、接続してみました。
「優る花なき」 「顔と首」 「牛は牛づれ」 「閑吟集」 「京と、はんなり」 「書蹟」「色をみる、色をつくる」「京都感覚」。ほかも、スクロールしてもスクロールしても、入手不可、絶版‥。取り寄せ可能なご著書を何冊か注文いたしましたが、打ちのめされています。
まだまだすくわなければ息もたえだえの文がおありになるのでしょう。おからだどうかお大事に、お書きになったいのちを、「湖の本」で伸びをさせて、息をさせてあげてください。胸がせきます。 雀
* ふつうに本屋から刊行した書籍が百種類を超えている。その大方はなかなか手に入るまい。「湖の本」で新たに編成されてかなり読めるようにしてあるが、まだ全部とは行かない上に、単行本にしていない作品が各ジャンルにまこと、どっさりと手元に積んである。湖の本が単なる再刊でなく、かなり熱心な愛読者でもとても目に触れていなかろう文章や連載がいろいろと有る。湖の本がわたしの文学活動にどんなに役だってくれているか、それにこのホームページも。そういう時代へ時代が大きくさしかかっている。
東工大の教授室へコンピュータを置けた役得が、どんなに今のわたしに大きく関わったかを、思うのである。わたしの勘が、わたしを救い、わたしを自由にしラクにしてきた。
2005 6・17 45
* 18年の歳月 奥付に1987年とあります。NHKで出した「日本その心とかたち」全10冊が段ボール函に入っているのを見つけました。値は僅かであっても売りに出そうと主人と話しました。あれば邪魔、というモノは処分しようと決めたからです。急ぐわけではないからその前にと、めくり始めましたら、この歳月の間に、取り上げられている題材をかなり直に見ていることが分かりまして、お、ちょぃまちと、まだ売りに出せませんの。
あぁあれだ、あそこね、よかったよねぇ…など頷きながら、ページを繰りながら見ております。
ところが雀は、加藤周一さんの文章にいたくてこずり、吐き気と頭痛を起こし、そのことに自分で驚いていますの。読めないのです。いえ、字は追えます。読み上げることはできるのです。ですが、ちっともわからない。焦りました、しばらく。オツムがボーッとしているのは確かで、自覚がありますから、パになったかと思いました…。
そうではないの。秦さんの文でなら、わかる。ムズカシくて辞書ひきひき、書き込みしながら、だけれど。ぱっとではなく、なんとなし、染み出るというか滲み出るように、じわぁっと、そぉかぁと思う。他人にうまく説明できないけれど、自分の心のなかに落ち着く。ごつごつしているけれども心地よくて、すらっと読めるけれど、つぶつぶしている。なにかがすとん、と届いてくる文です。それと、風貌というのか、風というのか、字面の印象に強いイメージを加えるので、文中に出てくる人名を憶えることができるのです。これは、本当に不思議です…。 囀雀
* ひところ、「知性」の名において、ひねくりまわした文章でわかりきったことをややこしく書く書き手が、いかにも賢こそーに、持て囃されたのである。
* メール有難うございました! とっても嬉しく懐かしく拝読させて頂きました。本当に早いもので私達ももう70歳代に手の届く年頃になったのですねぇ! 何時までも若い気でいるのですが…体の方はそれなりに痛んでいるのでしょうね。これからは自分の「体さん」の声を聞きながら、無理なく自然体で頑張って行けたらなぁと思っています。
日吉の、茶道部の方達の事をよく覚えて下さっているのですね! さすがですねぇ! **さんは今、ご夫妻で神戸の介護付きマンションに入居されている様ですよ。ご主人のご体調がご心配なのでとお聞きしています。
私の方は今日も93歳の義母の虫歯の治療に歯医者に行ってきました。5年前義父と死別後うつ状態から認知症になりましたが、最近大分良くなってきた様でホッとしている所です。これからの高齢化社会元気で、ぜひワクワク生きて行きたいですね。
短歌の事、源氏物語の事など、又 次のメールでおしゃべりさせて下さいね。これから暑くなってまいりますが どうぞお体お大切にお過ごし下さいませ。また「湖の本」を楽しみにしています。 綾
* つい最近、オオッと思うメールが届いていた。はじめ不正メールかなと削除しかけたが、こころもちそうではなく思われて、届くかどうかオッカナビックリに返信した。発信されたのがいかにも初心者メールに思われた。辛うじて文中に名乗られてある名前から、ああそうかも知れぬと思い返信しておいた。これは、それへのまたの返信で、実質初のメールと言える。
この人は高校の茶道部でわたしから茶の湯の手ほどきを受けた後輩部員。同級生だった秀才の兄の、可愛らしい妹である。高校をわたしより二年おそく卒業しているはずで、以来顔を合わせたことがない。今は京都にいない人だが、しかも「湖の本」を、お姉さん(私の先輩)と二人で、ずうっと講読して下さっている。有難い有難い同窓生であり、短歌を作り始めたと云うことも、払い込み票での文通のうちに聞いていた。「とっても嬉しく懐かしく」というのは、わたしも同じである。
わたしの二年後輩の茶道部員にはいい人達が何人もいて、みな懐かしくよく覚えている。
* あの高校には、いい茶室が出来ていた。「雲岫」席といった。それなら茶道部を創ろうと提唱したのは二年生のわたしだった。指導の先生はいなかった。中学の時と同じく、わたしが一切引き受けて上級生も下級生にも、初歩から教えた。卒業してからも暫く教えに通っていた。そのころのいわば「お弟子」たちとも今も何人もお付き合いが続いている。
茶道部でだけでなく、高校時代、家でも、別に何人かの後輩のグループに、週に一度ずつ茶の湯を教えていた。その中の三人までやはり「湖の本」の最初からの読者でいてくれる。
わたしはていねいに人と付き合うタチであり、だから永いのである。それは茶の湯のこころであろうかも知れない。石川県の文学館長であった心友の井口哲郎さんは、いつかわたしに「秦さんはほんとうに人と丁寧に付き合われる」と言われたことがある。わたしは、これでも、心を許す人達とはほんとうに心を許しあうのである。何十年も逢わなくても、それは何の障りにもならない。
期せずして、もう一人同じようなメールをもらっていて、これまた不正メールなのかどうかハッキリしなかったが、やはり何十年も逢ったことがない、わたしから茶の湯の手ほどきを受けたやはり茶道部の後輩であるらしい。こつちは、まだきちんと交信の段階に入っていないが、やがて通じるだろう。
みな、お下げ髪の愛らしい少女達であったけれど、間違いなく、揃ってやがて七十になるのだ、これは誤魔化しようがないので気楽である。むしろ驚くのは、そういうレキとした「おばあちゃん」たちが「電子メール」を呉れるという、この、現代的現実である。オウ、と声をあげてしまう。
2005 6・17 45
* おかえりなさい。 今日は梅雨の晴れ間でしたが、気は晴れませんでした。今書いている小説が猛烈に滅入るものだからかもしれません。
以前に、今どきの小説がどのようなものかわかっていますか、とお訊ねだったので、時々文藝誌を買います。先日「新潮」を買って、今日パラパラとめくって読んでいました。まだ全部読んだわけではありませんが、掲載されている小説数編には刺戟を受けませんでした。
地下鉄の構内を吹き抜ける風は、今日もまた死体のように無抵抗で、車両に突き飛ばされて暗がりを抜けたあとは、その広さというよりも、むしろ明るさの方を持て余して、行く手を失ってしまったという感じだった。
平野啓一郎氏の新作の書き出し。作品はカミュやカフカの不条理の世界を思いきりなまぬるくした感じで、そこそこ面白くは読みましたが、あの衝撃的デビューにしては、その後の開花を感じません。湖にはお若い頃から駄作は一つもないのに、この作者、迷路に入りこんだか、才能あるのに竜頭蛇尾にならないかと危惧します。新潮の巻頭を飾る小説の書き出しのこの文章は、私には「いかんなあ」と感じられました。翻訳調のせいでしょうか。それとも私の感受性が鈍いのか。
続く二つも実験的短篇。とくに「母と子」と題された作品は内容がほとんど同じ1から4までのパターンがあって、その数字がさらに15くらいに分かれて頁順ではなくバラバラに配分されパズルのように読んでいくらしいのです。作者の意図がさっぱりわからなかった。現代音楽でピアノを腕で弾いたりする作品を思い出しました。
三島由紀夫賞の発表がありました。
受賞作鹿島田真希さんの「六〇〇〇度の愛」の書き出しはこう。
女は混沌を見つめている。なにか深刻で抽象的なことを思いついてしまいそうになり急いでそれを中止する。やがて我に返る。彼女は努力する。正気に返ろうとして。その努力は並大抵のものではない。表面に細かい泡ができては割れていく。
冒頭部分だけではよくわかりませんが、二十八歳、史上最年少の三島賞とのことでした。
愉快(おもしろ)いな、愉快いな、お天気が悪くって外へ出て遊べなくっても可(い)いや、笠を着て、蓑を着て、雨の降るなかをびしょびしょ濡れながら、橋の上を渡って行(ゆ)くのは猪だ。
たとえばこんな書き出しの泉鏡花(化鳥)を読んでいるほうが私は新しいと感じます。
新潮の中で印象に残った言葉。まず宮本輝さんの三島由紀夫賞の選評。
言い換えれば、最近の新しい書き手が、歴史や時代の変化とは無関係に読みつがれている作品に触れることもなく、小説に手を染めてしまったという現実がはっきりと浮かびあがってくる。 /
えらそうな言い方をさせていただくならば、小説家として基本的な勉強をせずに、小説を書き始めた人たちが、新しい書き手としてもてはやされているということになる。
車谷長吉さんのエッセイも痛かった。
大学生だった頃、私の周りには小説を書いていた人がたくさんいた。腐るほどいた。ごまんといた。併し私を除けば、誰も作家にならなかった。なれなかった。いま思えばそういう人に欠けていたのは「必死さ」である。私をふくめて、みんな「慰み」で小説を書いていた。…… /
人は必死になるのが恐いのである。自分の命と引き替えにしてもいい、とは思えないのである。だから面白半分、真面目半分に書くのである。「真面目一途」にはなれないのである。「真面目一途」「必死」になれば小説のために「人生を棒に振る覚悟」が必要であり、時と場合によっては「命を落とす」こともあるのである。その覚悟がないところで、いくら俳句を作っても小説を書いても、駄目なのである。 /
私はいくたのその例を見て来た。いまも見ている。死屍累々である。世には「まず自分のことを安全地帯において」その上で他人の小説を批評している人が多い。それでは他者の書いた作品からは何も学び取ることが出来ない。まず、自分を安全地帯から追放することが必要である。文学のためならば、たとえ牢屋に繋がれようと、神経衰弱になろうと、気違いになろうと構わないという気力がなければ、駄目なのである。夏目漱石が鈴木三重吉宛の書簡に、そう書いている。それが「文士の魂」である。
わたくしという女は書くことにも恋にも愛にも「安全地帯」にいる気がします。自分の命と引き替えにしてもいいという度胸がない。恐いのです。安全地帯を手放したら、本当に野垂れ死の末路しかないので。でも必死になろうと願って、怯えて、もがき苦しんでいます。 春
* 宮本輝の指摘はそのとおりと言うしかない。
それにつけて、或いはそれとは異なるけれども、昨日の晩、テレビの前に足をとめられ立ったまま見ていた番組は、少女三人をすわらせて、現代のギャル言葉を丁寧な(ご丁寧すぎるけれども)別の美しげなことばに置き換えさせたり、ことわざをあげてほぼ同じべつのことわざを挙げさせたりしている、初めて見るクイズ番組をやっていた。
或る状況を文で与えてそれを漢字で書かせ、その読みをもいわせていた、例えば静寂を「しじま」と読んだり、一入を「ひとしお」と読んだり。
優勝戦まで行って、あけがた、まだあかるむということもなくしらみそめた刻限を何と云うか問い、いま一歩で優勝しそうだった少女が、追い込まれて同点の状態のママ最終のその質問に「あけぼの」と答え、不正解。もう一人がただしく「東雲 しののめ」と正解して逆転優勝していた。
かならずしも、わたしはその種の「知識」を称讃ばかりする気はない。辞書を読んでよほど勉強しているとは分かるけれど、その文章力はさほど才能を感じさせるとも思えなかった。だが、それはこの際の話題ではない。
この熾烈な激戦で勝ち残って行く、ま、ある意味では驚歎できる成り行きを、スタジオで傍観している連中がいたのだが、その中には「小説家」「作家」として名や顔を売っているらしき一人の若い、みるから小生意気な女性がまじっていた。ほんとうなら、彼女は職業柄そんなクイズですいすい勝ち登っていてもいいのだろうが、そこまではとても求める気もしない。しかも驚いたことに、その作家サン、ごく普通、ごくありふれた諺を、スタジオの司会者に聞かれて答えたことが、途方もない、つまりあまりにケッサクな不正解の方角ちがいなのであった。もともと分かっていないのである、わたしも妻も、オオウと声をあげてしまった。
この何とか、ユヅとやらウズとやらいうらしいその若い女作家こそが、それより前のある日に、あなたにとって「図書館とは」どういうものかと聞かれるや、ニベもなくひと言、「敵です」と答えていたのだと(それは、わたしは見聞きしていなかった。)いうのである。それを伝え聞いたとき、なんという内側の貧しく干からびた女だろうと呆れた、が、ま、「虻蜂とらず」程度の諺の意義を、コッケイを通り越して、まじめくさって且つ全く誤解してくれるのには、もっと呆れた。
この辺が、宮本の言うことに繋がってくる。
こういう恥知らずな作家にこそ、図書館で勉強してこいと言いたくなる。
* 車谷長吉のいうことは、もっともらしく、おおかたはその通りであるが、かならずしも文学の創作の、すべての人や状況に当てはまると言えるかどうかは、わからない。それよりも、こういう一概な一般論は、ときに通俗なミスリードを引き起こすかもしれなくて、やや危ない。聴き手の器量次第で、筆者一途の意味が捩れてくる。その辺は気を付けて話したいし、気を付けて聴くべきだろう。おおかたは氏の言うとおりである。
2005 6・17 45
* 道草摘み 京都市街から郊外、奈良、飛鳥、近江へと、次々に興味が移り、熊野、若狭、丹後に行きついた雀に、不思議でなんかないよ、と、おっしゃるかしら。
永いことひっかかっている出雲は、行けば四~五日滞在するのは必至ですから、半ばお蔵入り…。瀬戸内海側の魅力もあって、山中を撫でたほどもなく終えた、吉備を再訪問したい。養老、大垣、谷汲の空気を吸ってみたい。そして、亀岡、丹波、加悦谷、丹後を歩きたい。
ハネガホシイ、ツバサガホシイ。
「そういえば私の巡礼は、大方道草で成立っていることに気がつくが、人生も、とつけ加えていいかも知れない。」と、白洲正子さんは、お書きになってらっしゃいました。雀は、秦さんが、「道草を摘む、それ自体を丁寧にすれば、いい」と書いてらしたことと重ねて、はばかることなく、道草の多い旅と、人生を、つづけています。 囀雀
2005 6・18 45
* 朝一番、うれしい思いを次々に。
山形県村山市の「あらきそば」芦野さんから、一年の嘉例、珠玉の桜桃が山のように贈られてきた。一顆一顆、目に愛で口に愛でて、戴く。二度目の誕生日のこのうえない祝いの品。ありがたいこと。うれしいこと。なんと、美味!。
お誕生日おめでとうございます。
おからだおいといくださって、お仕事に、うでとちからを存分にふるってください。
お心に適うお仕事が日々続きますように。 雀
ありがとう 雀さん。元気に生きていることを祝って下さい。そして、あなたも! 湖
* そして若い友人の、待っていた朗報!
* 就職が決まりました!
ごぶさたしています。メールはもう半年ぶりです、あまりのごぶさたにびっくりしています。題のとおり、先日内定をもらい、就職活動をほぼ終えました。
来週末、**県庁を受験しに帰ります。両親はどちらかというと県庁に入ってくれたほうがいいと思っているようです。ところが僕は内定先の企業に入社しようと決めています。話し合う必要がありそうです。
内定先は、東京に本社のある、いわゆる部品メーカーです。自動車用部品と、携帯電話やデジタルカメラなどの回路基盤などが収益の柱です。資材を調達する仕事にたずさわりたいと考えています。
サークル活動の一環で、生協の教科書販売事業を手伝いました。買い手=学生と、売り手=生協の双方の立場を経験したことで、いわゆる企業間取引を志すようになりました。売り手と買い手が利害関係を持つ中で、双方の利益をいかに達成するか、というビジネスに取り組んでみようと考えています。
就職活動は、かなりの苦戦でした。理由は簡単で、いわゆる大企業しか見ていなかったのです。たとえば自動車にかかわる仕事をしたいと思ったら、トヨタやホンダなどの完成車メーカーは受けても、それらと取引する部品メーカーには目を向けていませんでした(バイクに乗っていたこともあり、ホンダが第一志望でした)。
しかし、完成車メーカーは誰でも名前を知っており、業績は年々最高益を更新しています。今、ほとんどの学生が受験する超人気企業です。わかっていて、「なんとかなるさ」と。見通しが甘いとはまさにこれでした。いいところまでいったつもりで、いきなり壁が現れる。そんな感じでした。
ゴールデンウィーク明けて、出直しました。五月中は面接がまだはじまらず、書類をつくりながら、規模の大きさにこだわらず企業を探しました。この五月は、動きたくても選考がなく、我慢くらべでした。次の波は六月だけど、六月には公務員試験がある。いいわけをつくって逃げるのは簡単でした。そこを粘りました。あきらめたらおしまいだと思いました。
部品メーカーに業種をしぼって、事業内容とその成長性を調べ、ここはよしと思ったらすぐ申し込みました。もう採用を終えている企業も多く、そもそも文系の採用数は少ないですから、不安はありました。しかし、部品メーカーなら企業間取引を思いきりやらせてもらえる、自分の強みを活かせると信じました。
結果、縁のある企業に出会えました。ほっとしたというより、正直に嬉しいです。やむをえず内定を受け入れたのでなく、ここなら大丈夫と確信した企業に内定をもらうことができたからです。
同期の友達、また先輩や後輩が、「おめでとう」と一言、そして判を押したように握手してくれました。握手ってこんなに嬉しいものなんだと思いました。みんなが見守っていてくれた、励ましてくれた。バイクで誰もいない道を走りながら、俺は幸せ者だあ! と、おもいきり叫びました。
そして今、秦さんにこうやって報告できている。本当に幸せです。
就職の話ばかりになってしまいました。今日は取り急ぎ報告ということで、枝葉はつけず送ります。
湖の本、受け取りました。実家に上巻が届いていないそうです、下巻とあわせて送ってくださるのでしょうか。
「一文字日本史」とは、もう秦さん以外に誰が書くんだというテーマですね。エッセイでは「手の思索」など大好きです、コンパクトで読みやすい、でも切れ味はとことん鋭いというのが、秦さん流エッセイの真骨頂と勝手に思っています。
まだまだ眠っている秦さんの作品、これからも読ませてください。でもその前に、迪子さんともども、かわらずお元気でいてください。本社に勤めることになれば、お会いできる日は遠くないでしょう。東京に就職する理由の、大きなひとつです。 それでは、また! 九大法学部 理
* この友達がはじめて手紙をくれたのは、まさか小学校ではなかったろうが、間違いなくまだ中学生であったと思う。なみの大人よりきびきびと正確な日本語を「駆使」出来ているおどろきと倶に、まっすぐわたしの胸に飛び込んできた。途絶えることなく文通があり、電子メールにかわり、もう大学卒業をひかえて、この生きにくい世間で望み通りの「就職」がきまったという、わがことのように安堵し、わがことのように緊張もする。
過去は記憶に過ぎない、未来は夢にすぎない。いずれも幻影といえば幻影なのであり、「今・此処」の積み上げだけがある。そうはいえ、七十の爺と二十歳過ぎた青年とが同じ人生観でいいとは思わない。夢と幻影とを承知して挑んで行く希望も、四十五歳までは大切だ。悪しきハムレットにならず、良きドンキホーテである意欲と誠実とが、当面、このガッツのある若い若い友人を、より大きく確かにしてゆくだろう。
幸いわたしの息子は、もう羽ばたいて行って、かなり自在にいずくへか飛翔しつづけている。この青年のまた趣(面向き)のことなった飛翔を楽しみに、長生きしようよと願う心地でいる。心からのお祝いである、安上がりなお祝いですねえ秦さんとこの青年は言うまい。きみの決意を、どうあれ、頼もしいと思います。
われながら信じられないが、われわれ、一度もまだ顔を見合ったことがない。
2005 6・19 45
* 雨乞い ご返信とても嬉しうございます。ますますお元気で!
さて、「男の趣味は最後に石と苔、動かないものに行き着く」ときいたことがありますが、どうやら雀もそのクチになりそうですの。
庭や境内といった広いところから豆鉢まで、手をかけられ、時を費やされた苔に出会うと、罠にかかった心地がいたします。
庭石については、目も感性も、まだまだ力不足ですけれど、雨の降り初め、降りしきるなか、雨上がりなど、さまざまな石がそれぞれに見せる表情i飽きることなく、時間や肉体が桎梏に思えます。
観音もさることながら、ふるい石―灯籠、供養塔、墓石―に、歩みが止まり、楽しんで、嬉しく笑みこぼれて若狭の古社寺を巡るうちに、これは困った、たまらンな(今は「やばい」と言いますわね)と思いました。凝りだしたらタイヘン。若狭に沈んでしまうわ。
石の親しさよ しぐれけり
それにしても、降りませんわねぇ。十津川町と旧本宮町のパンフを取り寄せ、(大和と紀伊とを結ぶ)橿原⇔新宮の
バスを調べ、準備万端整えてますのに…。熊野詣を、“晴天”順延しているワガママ雀です。 囀
* わたしは石と苔になんぞ、とても行き着かないのではないか。一休や良寛の行跡がなつかしい。
十津川ぞいのバス道を雨の日にとは、かなり危ない。あの道をバスで二度ないし三度も御所(ごせ)か藤井寺(であったか)から南紀にまで通っているが、晴天の日でもこわい道であった。途中のちいさな温泉でひとりゆっくり一泊したのがなつかしい。「蘇我殿幻想」の取材であったか、他の書かないでいる小説のためであったか。遠い昔だ。
* 明日、俳優座稽古場での公演がある。木曜は劇団昴の公演にひとりで行き、そのあと海外へ研究出向するという卒業生クンと帝国ホテルで会う。
* ありがとうございます。お忙しいなか、お心遣いいただき恐れ入ります。深く感謝申しあげます。
道の駅などの公共の施設、トイレなど、取り寄せた資料には地図とともにこまやかに示してありました。泊まれる温泉、お宿のある場所、しっかりチェックしましたわ。
さて、「古池や蛙とびこむ水の音」って春の句でしたのね。
雨の岩間寺を訪ねて、と考えておりましたが、季節外れ。
観音縁日の18日。観音をたずねて、山中の川沿い道をドライウ゛してまいりました。
月ケ瀬の梅は、まさに“梅子黄”。柳生の里、笠置の渓谷、和束の茶畑と、対向車もほとんどない旧道を、水音を聞き、のどかな景色を堪能し、立木観音、岩間寺、禅定寺に寄って、信楽、阿山、伊賀、名張。綴喜、宇治、近江、紫香楽宮、伊賀を通る古道を実感してまいりました。
十一面観音を追っかけて、ようやく泰澄にたどりつきましたのよ。いいのかしら、こんな勉強のしかた…。
岩間寺は、龍のお社がたくさんで、高鴨神社を思い出させる霊気があり、桂の木から力をもらいました。禅定寺は、本尊十一面観音はじめ、なかなか優れた藤原時代の仏像があるのに、すべて収蔵庫のなか。仕方のないことですけれど、遅かりし…と常にくやしい思いを抱きます。座禅の寺とのことで、ご住職の思いが伝わる本堂のあれこれが、こう言ってはなんですけれど、おもしろかった。
クルマの参詣道のない立木観音。700余段の往復は、キツカッター。ひとりなら途中で引き返したところですが、主人が先を行くので、ふうふう汗だくになってなんとか上りきりました。
頑張れって言葉がこないの、すれ違うおまいり帰りの方々から。同情的な言葉に励まされ、文句も悪態も小声になって、てっぺんまで上って、本堂に着いたときには、雀は、まるで別人のような、満面の笑み。人生の悩みみたい。先の見えない石段に、やめて帰ろうと思ったり、毒づいてみたりして…。
帰りは、なぁんだ、そうか、こうなってたんだ、なのに文句言って、ここで帰ろうと思ったんだよねぇ、この辺りが辛かった、って、気分が全然違うンです。ひーひー言いながら上ってくるひとにやさしくなるし、何度もお参りにいらしてると思われる方には、自然に頭が下がりましたわ。 囀雀
* よう、やらはる。
2005 6・20 45
* 初めて高野山を舞っています。 鳶
* 生臭 敦賀から小浜まで、入り組んだ海岸線を走ったことと、若狭神宮寺で時間を費やしたことが、帰路、一直線にひた走る結果を生みました。
小浜から出町への鯖街道は、峠越えはすべて隧道になり、京都駅21:30発の終電に間に合いさえすればよいのだからと、熊川宿と朽木宿は旧道を選びました。人の生活している匂い漂う町を通り、景色を楽しみ、人とふれあい、興聖寺境内も覗いて、地図で考えていた以上の栄養ある道草になりました。
宿場町といっても、空き地になっていたり、今風に立て替えたり、残っている建物も観光化されたりしています。
それでも、手押し車で道を歩いているおばあさんや、長靴のおじさんの、身なり、片手をあげてお声をかけてくださる、その声音に、鳥の声、水音、日暮れゆく狭い空、大きな山渓の景色、それらが、観光客のいない道を、ノスタルジックにみせていました。
大原に出るのがいやでいやで。下りたくなかった。いつかは下りてゆくのに、下りなければ帰れないのに、後ろ髪を引かれる思いでした。
昔も今も、現世、下界のにおいがして、離れているよといいながら、覗いている生臭さ。
京の四方八方に、こういう、地がありませんか。 囀雀
* 鵜の瀬 二月堂にお参りするときはかならず、二月堂の後ろの小さな観音堂と、二月堂両脇にある遠敷社と飯道社、閼伽井近くの興成社にもお参りします。
近江の飯道は訪ねる機会が得られ、“いつか遠敷に行けますように”とお願いしておりましたの。
拝観受付時刻を過ぎていたにもかかわらず、若狭神宮寺は快く入れてくださり、通常と変わらぬご説明をいただきました。
先住のナガ族を金鈴にあらわし、長尾明神として山上に祀ったのが起だそうですね。本堂は東向きですが、前後とも神山で、神山に挟まれた谷間の空気を、雀は初めて体感いたしました。
建物の特徴、神仏両道のならい、明治の廃仏毀釈のお話など興味深いお話をうかがって、境内のすだ椎の巨木に憩い、その傍らに湧く井戸で喉を潤し(命延ぶ、と、まったく実感の清水でした)、ご案内の方にお礼を申しあげたのは、5時を過ぎていたのではないかしら。門のところに、若和尚と思われる方がいらっしゃいました。お手水の、二つ並んだ甕から、滔滔と水が溢れています。湧き出で、溢れ、流れてゆく水の音… 「二月堂にお参りするたび、『いつか行けますように』と遠敷社にお祈りしてたンです。念願がかなって嬉しいです」と申しあげましたら、「どちらから」とお尋ね。
「伊賀上野です」とお答えいたしますと、ぱっとお顔を輝かせ、「あそこに正月堂あるでしょう」。
「はい、お参りにうかがいました。鵜宮神社にも。それと、笠置(の正月堂)もまいりました」。
水音を背に、お水送りの作法など、時間を忘れていたいほど、次々話題がつながって、最後に、「あなた、熊野へ行かなければいけませんよ」と、見据えられたのに、心底驚きました。
鵜の瀬へ楽々辿り着けたのは、立派な自動車道が通してあったから。その分、神秘性がはぎ取られ、お社にお参りしていてもなんだか背中がすかすかして、川辺も、こそばゆいような明るさです。それでも、さすがに、丸い小石のみなむしろに、ときに魚の影が動くと、室生の龍穴、また、宇智川磨崖碑を思い起こさせました。じっと蹲っていると、熊野の大斎原の空気を感じましたの。帰ったら、雨を待って、玉置神社に詣り、十津川から熊野本宮へたどってみたいと願っていたのを、見透かされたかしら。
そして、お瀧が、いまの雀には大層必要なものなのかもしれませんわ。 囀雀
* 正確な(われわれの)都議会議員数は、117名。自民党五十一、公明党二十一、民主党十七、共産党十五、生活者ネットワーク六、無所属七(定数百二十七)。平均年収約1700万。初回は選挙に出るのを尻込みした人でも二回目からは積極的です、かなりおいしいらしい?
昨夜映画「砂の器」デジタルリメーク版を、わざわざ銀座東劇まで観に行きました。和賀英了こと本浦秀夫に加藤剛、父本浦千代吉に加藤嘉、亀嵩の警官に緒方拳など、何回観ても感動! 今西刑事は俳句など嗜む人物であり、秀夫少年が砂山をつくる亀嵩の水辺は出雲斐伊川の上流だということなど、今回新しい発見もありました。(五回目) この川をどんどん溯ると、鳥髪山。スサノオが、手名推、足名推、櫛稲田姫に出会う場所です。木次線の出雲横田駅は、やや小ぶりながら大社造り。太いしめ縄がかかっているんですよ。 ゆめ
2005 6・21 45
* 朝、出がけに貴乃花の方が「よし」と観て書いたわたしの一文に、女性の一読者から、激越な反感の反論が来ていた。そのまま此処へ書き写してもいいのだが、週刊誌や噂以外には得られないであろう「裏情報」が列挙され、いかに貴乃花がひどい存在、相撲界を低迷させている諸悪の根源に他ならないか、貴乃花がどんなにとんでもない男であるかが、あれを挙げこれを挙げて縷々言い連ねてある。その人一人の主観である以上に、なにかの「受け売り情報」に基づくしかあるまい、手ひどい断罪。それが事実であるかもしれず、そうでないかも知れず、いずれにしてもわたしの思いとは遠く隔たっている。わたしは事実の検証になど関心がない。
いかにわたしが「トンチンカン」の「世間知らず」であるかとも書いてあって、その点、反論も否定も出来ない。どうでもいいことだ。ただ、わたしは受け売りしない。思ったままを直観として云うだけ。事実レベルでの言説ではないが、真実へ届く可能性のある自分の言葉で話している。
かつて同じこの人は、皇室の内情についても、知りたくもないことまで事細かに伝えてきて、ひどく不愉快な思いをした。そういう、「事実なのかも知れぬこと」よりも、自分の思いに応じた優しい「誤解をあえてしている」方を、わたしはむしろ採るタチである、政治の話題以外では。
綺麗ごとで済まそうという社交術ではない。今少しべつの、モラル、である。
* 暑い日 明日からはいよいよ梅雨空ですが、今日はパラソルを手放せない一日でした。
夢って不思議なもので、目覚めてしっかりと蘇った事を即書き送りながら、何時間後の今は、その見た夢がどのように途切れたのか、はっきりとは、思い出せずにいます。
夢でだけ、やっと出逢えたの、と、それだけでいいのです。 黄金虫
* この人は、朝一番のメールで、夢を見たと書き送ってきた。大勢の人の輪の中で自分の娘が孫をつれて来ていて、その孫が、その夢の中では、わたし(秦) のマゴだとみなが知っていた、さようにそんなヘンな夢をみましたよと。オイオイオイ。勘弁願いたいナ。
小説家としては、「おもろい夢やんか、フーン」と、昔ならすぐ身を乗り出し妄想を逞しくしたことであろう。だが、きわどいこんな「モーション」にも、今は体の筋一つ動かない。「モーション」とは、また古い言葉を思いだしたものだ、ククク。
* 秦さん、こんばんは。 今週木曜日とても楽しみにしています!
6時に特許庁を出て、歩いて(帝国ホテルへ)向かいますので、少しだけ15分を回ってしまうかも知れません。
同僚**君と、うちの妻もぜひお会いしたいと言っていますので、一緒に行こうかと思っていますが、よろしいでしょうか? 卒業生
* どうぞ、どうぞ。楽しみに。
わたしは、二時から「アルジャーノンに花束を」という劇団昴の芝居を観て、五時過ぎには地下鉄に乗り、日比谷へ直通します。時間のことは気にしないで。
適当にして、六時十分頃には約束の場所に行っています。 湖
2005 6・21 45
* 少しの雨。蒸し暑くならないよう願う。山藤の季節から次第に鷺草の夏へ進んで行く。下巻の出来てくるまでちょうど一週間。それまでの四日間、今日の会合もふくめ五つ所用がみな家の外で。予想した通り六月は沸騰の連日、三十日の言論表現委員会までとぎれなく。七月二日の橘香会、万三郎の演能が何であったかも忘れているぐらい。「葵上」だったか。あしたは、「アルジャーノンに花束を」の再見。済んだ足で、留学する上尾君夫妻ともう一人同僚の竹下君、卒業生たちと、歓談送別の会。クラブを使おうと思っている。
この前はバルセロナと、クラブで話したなあ。元気にしているだろうか。
そういえば、柳君もヨーロッパの新天地でハツラツとやっているかなあ。プイと遠くへ行ってしまった。奥さんはどうしているだろう。日本に居残っていると聞いたが、いずれは向こうへ行くのか。
ブラジルの影山君は向こうに根が生えたみたいだ。
2005 6・22 45
* 今日は街で、好きな鰻を食べました、おいしかった! 名古屋から帰り電車の降り際、小さな男の子がわたしに手を振るので、わたしも「バイバイ」と振り返してきました。
今年受賞の、女性二人の太宰賞作品を読んでいます。感想は、もう少し読みましてから書きます。
三島由紀夫の話、少しだけ。
最近読んだ中では、『仮面の告白』が面白かったのです。あれにいちばん興味をひかれました。
でも、文学者が抱えている狂おしいほどの苦悩が、別の立場からは、脳内物質の分泌で説明できるらしいのです。大学で生物の研究をしている知人の話がとても刺戟的で、わたしは特に性的倒錯を主題にしている文学に関連づけ、おもしろく聴いています。
いつか風にお逢いできることを楽しみに、花はいつも元気、元気。
* 三島由紀夫の初期作品ではわたしも「仮面の告白」にひきこまれた。
角川から出た昭和文学全集は「昭和」と冠したのが新鮮で、第一回配本に横光利一の『旅愁』がずしんと一巻で出たのにとびついた。高校生のわたしは一日十五円の昼飯代を全部喰わないで溜め、この全集を買った。三島の一冊に『仮面の告白』や『愛の渇き』が入っていたと思う。大岡昇平と二人で一巻だったかも知れない。
あの全集に、太宰治が一人で一巻しめていて、少しビックリしたのも思い出す。それほどわたしは太宰に気疎かった。吉川英治の『親鸞』が全一巻で入っていたのが嬉しかった。吉川英治を加えていたところにもあの全集の個性があった。あれこそ全集全巻買い揃えて全部を読んだのである、いい根性をしていた。そして妻と東京へ出て結婚する間際に、売り払ってきた。
だが、同じ全集中の谷崎潤一郎二巻だけは、わざわざ古本屋で古本を買い、新婚生活の数少ない蔵書として大切にした。テレビもなく、わたしは、毎晩毎日谷崎作品を音読し、妻はそれを聴いていた、六畳一部屋の新宿区河田町のアパートで。
三島作品では、いつも言うが、『金閣寺』の完成度に感心し、『潮騒』は三島らしからぬ優しさに一票を投じ、晩年の『豊饒の海』などは豪華に乾いた紙の造花のようで感心しなかった。戯曲は才気に溢れておおかた面白く読み、感嘆した。
「脳内物質の分泌で説明できるらしい」話は、ちょっとおもしろそうだけれど、ほぼその手の「解説」にわたしは「折角ですが」と背を向けることにしている。
むかし、親が愛蔵のピカソだかマチスだかのデッサンを、その家の女の子がひらひら振り回して、「でも、これって、唯の紙でしょう」と言ってのけたのを聴いたある日本の知識人が、いたく「感心」して書いていた。わたしは馬鹿馬鹿しいと思い読み捨てた。花が、この話、もう少し詳しく書いてきてくれるといいが。
2005 6・22 45
* 飛天の舞う調べ 闇に目を遊ばせての落書きです。
話題が多く、通奏低音は美しい文学の田園でしょうか、その他その他のなかに絵画や陶藝、ロシヤ文学、ドイツ文学の人物登場、泉鏡花、古事記、大和・飛鳥その他の紀行文の中に「鍵の言葉」が目に飛び込んできて、豊かな夜の時間を楽しんでおります。
目を遊ばせて見る。決して読まない。闇はそんな時空、空気です。
いやあ、つい調子に乗りました。 川崎 E-OLD
2005 6・22 45
* 今日はひとり「アルジャーノンに花束を」を見に行く。二度目。そのあと、卒業生達と歓談のときを持つ。明日の晩は新潮社のパーティがある。ホテルオークラは足場悪く遠いのが、にがて。
2005 6・23 45
* 三田線で日比谷へ。イギリスへ留学する上尾敬彦君夫妻と同僚同窓の竹下君とを、帝国ホテルのクラブに迎えて、壮行送別の酒宴。四人で「響」を一本飲み干してきた。いろいろに食事も。みな三十すぎた社会人だが、ま、私にすれば子供のようなもの。惜しげなく全部御馳走してくる。わたしに出来る間はそうし続ける。
今少し、時局についても、わたしの著書についても、踏み込んで話してくれると好いのだが、ま、そういう状況には無いわけで。人生に、もう一段階行き詰まってこないと、話す言葉も切羽詰まってこないのは致し方がない。議論も特に起きず、穏やかな歓談に終始した。帰宅は十一時過ぎ。しっかり疲れました。
あしたは、さすがにホテルオークラまでわざわざ出向く元気は出まいと思う。それならそれでいい、ムリに出かけるほどの宴会ではない。
2005 6・23 45
* 山形の桜桃が熟れてあまい。栃木の熟れた西瓜が三つ四つ。長野のぶどうとりんごからの大きなジャム瓶が半ダース。季節の恵みに満たされている。元気でいたいと思う。
* 秦さん今日は。***です。
湖の本、昨日、送金しました、よろしくお願いします。
仕事は、大分迷いとかいったものが吹っ切れて、闇雲(やみくも)にではなく、とにかくやってみようという気持ちが(やっと?)沸いてきて、うなりながらも楽しくなってきました.
ひとつご報告もあります。
縁あって,大学時代の同級生と結婚することになりました。仕事の余裕のある真夏に親族のみで式を行う予定です。真夏に神前式なので、ちょっと大変そうです。”縁” も ”式” もいただいた本にありましたね。
また、ご報告します。 卒業生
* 東工大から東大の研究室に移って、もう二年にもなろうか、学部の三年から院へ飛び級ですすんだ、ガッツのある気性簡明の気持ちの佳い女子学生だった。二年生の文学概論の時間、話が済んだある日、友達の二三人と大教室の教壇へ寄ってきて、「歌舞伎を見せてください」と言われた瞬間の不思議な喜びをよく覚えている。
幸い歌舞伎座の夏興行に、あの頃の勘九郎が弁天小僧をやる若々しい「白波五人男」が通し狂言で出ていた。初めてには、もってこいだ、中央の前から数列めに席をつくり、女子学生達と並んで楽しんだ。
今の元気だもの、東大か母校でか、えらい先生に成ってゆく軌道はもう出来ている。「うなりながらも楽しく」「やってみよう」とこの人が言えば、表情の元気も目に見える。声もきこえる。そして神前結婚か。嬉しい便りである。たしか故郷は北陸筋であった。どこの、どんな神社だろう。おめでとう!!
* 昨日の、上尾君(夫妻)が、特許庁から英国へ研究留学するのも、そういう選にあたったことのナニ不思議もない人選であり、さすがわたしの東工大の若い友人達は、方角こそいろいろであるが、きつちり頭角を世にあらわし活躍している。わたしにはビタミン愛のようなもの、怪我無く幸せに健闘されよ。
* 少し晴れ間 空梅雨傾向、梅雨の様態が変ってきたようです。
子育て酣の頃は、晴れ間が珍しく、きり無く溢れる洗濯物の乾燥に、四苦八苦していたの頃が夢のよう。
まあ、梅雨明け前の定番、集中豪雨には用心しなければ、と。
あの夢に、ドキドキとしたと読み、同じくドキドキしました。夢想でなく、睡眠中にみる生理的な夢は、期待があっても見られるものでもなく、嘘偽りのない瞬時のナイスな夢は、神のなせる業(ちょっと大げさ)でしょう。
フランス映画「コーラス」は、あの「ニューシネマパラダイス」と全く同じプロローグで、こりゃ、パクリではないの、と心の内で。
特殊な家庭環境の子供ばかりの荒れた寄宿制学校で、天使のように爽やかな風貌の美少年なのに盗癖のある悪がきが、音楽家崩れの教師の指導するコーラスで、心を通わせ才能を見出されて、音楽学校に進学、高名な指揮者となって登場するのが、同じ俳優、ジャック ペラン。
尋ねて来た元生徒が持つ教師の日記を元に、映画は子供時代になり、終盤、再び登場するのも同じ。
後ほど読んだ物によると、監督、脚本は彼の甥で、ペランは製作を務めた、と。それならユルセルナ。何しろ「ニュー・・・」は好きな好きな映画の一つだから。
教師が生徒に、特に男子生徒に大きな影響を与えるケースはフイクションに限らず現実にも多く見聞きします。
ザンネンながら、教師に近寄れなかった性格(かわい気ない)で、距離をいつも置いた私には経験がないけれど。なにしろ、先生に声を掛けられると逃げていたのですから。
ついでに、スペイン映画「蝶の舌」は、中年教師を、その教えで初めて知る生物の生体に驚嘆し、尊敬していた男の子が、戦争勃発で国の反逆者「赤」とし捉われてバスに乗せられる恩師の姿に、母に煽動され一転して、罵声やつばをを浴びせる、悲しいエピローグでした。 黄金虫
* 家で映画を落ち着いて観ているゆとりがない。ん? 遊び歩いているのだもの、ゆとりばっかりかも。
2005 6・24 45
* 梅雨の晴れ間! 今年の梅雨は割合さっばりしていて案外晴れが多いですね。今日は都議選挙の告示日。
わたくしの事務所はいま森閑としています。時々電話を受けつつ、のんびり仕事。
「アルジャーノンに花束を」、この芝居私もすごく好き。
重い障害のある青年に奇跡的に訪れる恩寵のような短い時間! そんなドラマでしたね。ささやかな幸福を得るのにも、多大なエネルギーを要求されるようになった昨今、世の中もまだ捨てたものじゃない、と感じさせてくれて嬉しい。ただ逆に考えれば、あの「ピュアさ」は障害という枠があってかろうじて成り立っているすごくあやういものなのでしょうけれど。
新劇の名作として後世に残って欲しいですね、あの「十二人の怒れる男たち」のように。
佳い芝居は観客の気持ちを喚起させ、慰め「異化効果」を発動しますね。 ゆめ
* 「アルジヤーノンに花束を」へのこの人の感想は、ややウロ覚えに基づいているかして、ドラマの意図とはかなりズレているのではないか。
この新劇は深刻な批評を抱え込んでいて、人間が、ないし科学が人間そのものをいじくりまわすまやかしのカラクリを烈しく難じていると、そうわたしは観てきた。主人公のチャーリイは科学の力で白痴状況を脱し、一時天才たる幸福を得たと、そういう単純な話ではない。白痴として生きた少年の昔にも、天才として生きた中年の現在にも、覆いこめた冷たい霧のような不幸がまといついており、しかし現在の不幸は、幼年の頃の不幸より、もっと輪をかけて酷くも深刻であることを、舞台は観客に対し無惨につきつける。
高度な研究所での、自分自身のむごい運命に対する精緻な科学的予測と断案・論考・研究。その対照の場として、白痴的にまた戻ったがゆえに主人から仲間からも心からの親愛で歓迎され溶け込んで行ける「パン工場」の、切ない現実。はなはだ限定された酷いものではあれ、少なくもそこにだけ、チャーリイにまた幸せの匂いがし、明るさが添い寄る。安心が保たれる。
おそらく心身の「障害」が舞台の主題であるよりも、人間の運命を傲慢に左右しようと企む現代科学の暴虐と狡知とが糾弾されている、と、わたしは舞台に観入ってきた。
なんの、チャーリイがための恩寵でも奇蹟でもない。だれが「ピュア」なのでもない。現代人の置かれてある「環境」が、いかに苛酷であるかに気付かせ、もし幸福ということに思い悩むならば、このような歪んだ偏見から自由になろうとする大切さをも、舞台はふかい悲しみと倶に、語りかけていた。
「十二人の怒れる男たち」と優に匹敵するこれが現代の名作舞台であることに、間違いはない。つらい苦しい観劇であるが、それを乗り越えさせる魅力と感動のあるのを信じ、わたしは二度目を、躊躇いなく観に出かけた。おそらく何度でも機会が有れば観にゆくだろう。「アルジャーノン」は実験マウスの名であり、知能においてチャーリイと競うように生きた戦友であり親友であり、真の身内であり、それ自体がチャーリイの「悲劇」を体現していたのである。天才の力を潰滅させ行く直前にチャーリイはアルジャーノンを自ら葬ってやり、自分自身の崩壊過程を録音機にかろうじて報告しつつ、「アルジヤーノンに花束を」と現代の人間達に頼むのである。泣かずにいられない。
* 海峡から最後のメールです。あす引越します。新しいオフィスにも囲碁セットを持っていきます。いつか内勤社員も10名を越して すっかり狭くなってしまいました。
書類は3分の1くらい捨てました。思い切り良く物を捨てることには慣れています。
でも、思い出は 記憶は、いつまでも心に残っています。初めてメールをしたのもこの部屋でした。また新しい船出です。落ち着きましたら、新しいオフィスを見にいらして。 波
* 新たな良き航海を!
* 鳶は、部屋にお籠もり。梅雨前線は南の海上にあって、今日も空梅雨。
疲れると台所に行って干し椎茸を炊いたりしながら、絵を描いていました。今はとても疲れています。
今年は知人から梅を沢山戴いたので、梅酒、梅ジュースを作りました。ジュースはもう飲んで楽しんでいますよ、氷砂糖をいかに多く使っているか、わかりますので、少しずつ。
先日HPに出ていた小谷野氏「恋愛の昭和史」をあの時ちょうど読んでいました。彼が谷崎にどれだけ迫れるか、ちょっと疑問符。もっとも世代の違い、感性の違いが思いがけない観点を示してくることもありますが。
高野山、麓の慈尊院からバスで約一時間、地理的な条件だけでも、京都の東寺と思わず対比しました。慌しい小旅行は未消化のまま終わり、次の機会にはゆっくり、見たいものは全部見る意気込みで行きたい。とにかく実際に行ったことで、なかなか収穫ありました。刈萱道心の話が幼な心にしっかり入っていたことなど、考えさせられました。
今日、オークラの新潮社パーテイには、行かれなかったのですね。 ゆっくり、 大切に。 鳶
* 新人の文学賞というのは、よかれあしかれ、今日的な文学風土の一つのサンプル。結果を絶対視する必要は少しもない、ただ、運転する(創作する)ための道路標識程度には眼に残ることだろう。要するに、超えて行かねばならない無数の相手の、やや有力なサンプル。
文学賞という戦場が、文学する唯一の戦場ではない、あれは一つの出版界の「興行」のようなもの。意表に出た状況(極限状況)設定と、そのリアリティーを守り抜く独自の「花ある文体」、が武器になる。
文学賞を競うということ自体、やや特異特殊なので、そういう舞台を一度も踏まずにデビューする書き手もいる。甥も息子もその方。どう出て行くにも、つまるところ才能は当たり前として、運と根気。ひるまず、わるく身構えず、誠意と愛を創作に根気よく集注した人が運をつかむのだろう。
自然で新鮮。それは何に於いても大切、大切。一期一作。そう思う。
* こちらはまだ六月というのに毎日30度をこす暑さで、雨もほとんど降りません。
婿の勤務先は千代田区神田神保町にあります。
先週娘が上京して上石神井という所で、気に入った賃貸を見つけてきたのですが、こちらへ帰ったとたん先方の都合でキャンセルになってしまいました。ネットで不動産情報を見て、今度は川崎方面を探しているようで、又来週上京するようです。なんとかスムーズに事が運ぶよう願っています。
長女は英会話の趣味を生かして、外国人観光案内のボランティアグループに入っていました。外国旅行が好きで、最近は中国や韓国に行っていましたが、その度にこちらは身の細る思いです。
話変わって、京都は映画館がラッシュです。
新京極の松竹座の後に12スクリーンのMOVIX京都、四条の丸紅の建物に3スクリーンの京都シネマ、二条駅の西に11スクリーンのTOHOシネマズ二条が昨日オープンしました。
まあ、月に一度でも見に行けたらいいのですが。
それでは、又。お大切にお過ごしください。 のばら
* 高校・大学の頃、京都にさほど映画館は多くなかった、高島屋にくっついて公楽会館、公楽小劇場という、前者は主として大映系の封切り、地下は二番上映の洋画。地下の方へよく行った。河原町の三条寄り表通りに一つ、京極では松竹座。そんな程度しか覚えがない。しかしあの頃の日本映画は上質で、ほんとうの黄金時代であった。優れた監督が、黒澤明、木下恵介だけではない、鳴り響くように何人も何人もいて競っていた。
それにしても、もし「上石神井」辺に上京してくる足場が出来ていれば、存外はやめに従妹と東京で再会できたかも知れないのに、川崎方面ではまたぐうんと遠くなる。
わたしの異母妹二人の家族が川崎で近所暮らしをしているが、結局父が亡くなってこのかた、近いようで遠くて、顔を合わしたことがない。
2005 6・24 45
* 木曜はとてもいい時間を持てました。
壮行会に招いていただきありがとうございました。声をかけていただいたのをこれ幸いにとホイホイついていってしまいました。
相変わらずお元気そうで何よりです。
「闇」では具合が悪そうなことをおっしゃってたり、会への出掛けに覗いたときには、「アルジャーノン・・・」をみてから、とのことだったり、少し心配していたのですが、まだまだ現役ですね。こちらのほうが、先生よりもずいぶん先に、お酒にも雰囲気にも酔ってしまいました。
「アルジャーノン・・・」は、昔とても好きだった小説のひとつで、とても悲しい話なのに、やさしさに包まれている、と読んだように記憶しております。
一足先に自分の前を行くアルジャーノンを、同士とも見つつ高みへと上っていき、そして、アルジャーノンに訪れる変化から、いずれまもなく自分も地べたへと叩き落される現実を突きつけられるチャーリーの恐怖。
ひとたび得た知性を徐々に失っていきつつも、アルジャーノンに対してチャーリーが示す深い愛情。そんなところに心を打たれた気がします。
先生は、「白痴的にまた戻ったがゆえに、主人から仲間からも心からの親愛で歓迎され溶け込んで行ける「パン工場」の、切ない現実。」とおっしゃっておりますが、自分には、パン工場での周りからの扱いには、「親愛」だけでない感情を感じて、それが一層自分に切なさを増して感じさせた記憶があります。
出掛けにHPを覗いて、落ちて行くチャーリーにわが身を重ねていらっしゃるのでは、と少し心配しました。でも杞憂でしたね。
またお会いできる日を楽しみにしております。先生もご自愛ください。 卒業生
2005 6・24 45
* 梅雨なんてどこへやら、晴れてばかりで暑いです。暑いのは苦手。
さっき、なっがい映画「飢餓海峡」を見ていました。さほど時間を感じなかったけれど。
「釣りバカ」のスーさんが大好きなので、三国連太郎の昔出た映画に興味があります。
暑くなってきましたが、風、体調にお気をつけて。
花は風のことを思って、元気、元気です。めずらしい花でしょう。
* 嬉しいことを言ってくださる。心身ともに健康な若い人のひゅうッと吹いてくる生気に、うそのないはんなりとした生気に、わたしも元気をもらう。
わたしも、あの「スーさん」が好きで、三国連太郎が好き。「異母兄弟」の昔の三国連太郎はキツかったけれど、忘れられない演技をみせた。もっとも、この頃はスーさんをみるつど、からだ大事に、ながいきしてくだされやと励ましている、口の中で。
三国とはまたちがって、ショーン・コネリーもわたしは大好き。髪黒々の昔のショーン・コネリーが「007」なんかをやっていた頃は、或いは、あの美貌輝くジーナ・ロロブリジータを追いつめた「わらの女」で、色男ぶった執事役なんかやっていた頃は、むしろ顔を顰めたいほど嫌いな役者だったが、近年の、髪の薄いショーン・コネリーがやる映画は、どれもこれも好い味わい、まさにいぶし銀の好演作が多く、いま、彼の年代の向こうの男優では、一、二に指を折りたい。「レッド・オクトーバーを追え」のソ連の原子力潜水館長ごろからはじまり、ニコラス・ケージと競演した「ロック」でも、リチャード・ギア(ランスロット)やジュリア・オーモンド(グィネヴィア妃)と演じた「トルー・ナイト」のアーサー王も、キャサリン・ゼタ・ジョーンズと共演した泥棒モノでさえも。さらに昨日観た「小説家を見つけたら」の老作家も。天才的な書き手の少年を演じていたロブ・ブラウン、なんて美しい黒人だったろう。
* メールありがとう、写真も嬉しく。いい匂いに、疲れがいえます。見るからに優しい花ですね、好きです。 風
2005 6・25 45
* 失礼をあえて顧みず、この「述懐」を闇の彼方にある多くのハートと、わかち持ちたい。
* にがい ジャム
「私語」の上では清酒党のようにお見受けし、お口にするものも日本食が多いようですので、さすがは京風、わたしのような雑食民とはちがうわい、と思いつつ、お送りしました。トーストなど召し上がるのか、ジャムなど口にされるだろうか、と鳴りを潜めておりましたところ、ご返信をいただき、やっと安堵いたしました。
やがて三十にもなろうという孫が、どういう考えなのか、大学を出るとすぐ信州に根を下ろし、冬はスキーのインストラクター、夏は高校・大学など運動部合宿の「賄い方?」みたいなことをしております。将来をどう計画しているのだろう、と心配するのはわたしばかりで、親が黙認しているものを口出しもならず、黙って視ております。
その孫の知り合いが地場産の果実を使ったジェリー飴を作っておりましたが、五年ほど前からジャムを作るようになりました。地場産だけを扱っていますから季節により、あるいは材料の出来不出来によって扱う果実も違ってくるようです。
子や孫や曾孫などの出来不出来と同じようなものでしょうか・・・
今回のご本、たいへん楽しく読ませていただいております。いま、「葬」の章を読み終わりました。たいへんな遅読ですが、わたしは、どの場合も二三ページ読んでは戻って読み返します。自分なりに納得してからでないと先に進めません。
読書の楽しみを初めて知ったのは、同じ東京の下町に住んでいた豊田正子という少女の書いた「綴り方教室」という本の版権に、問題が発生し、新聞種にもなりました。その経緯を説明してくれた小学校の先生から、オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」を読んでみなさい、と教えられ、正月のお年玉で買ったのがはじまりです。
一度読んで大笑いし、二度目に「はてな」と感じ、三度目のときは鼻の先が急に痛くなって、涙がとまりませんでした。ああ、これが愛、これが人生なんだ、と教えられました。(その年、二二六事変がありました)。
以来、一度通読したぐらいで、感想など手軽に述べるべきではない、作者の真意、狙い、といったものをじぃっと深く見極めるべきだ、と思うようになりました。
ただ、今回の「葬」のなかに、《「生きて生きている」ものと「死んで生きている」もの》という言葉がありました。はて、わたしはそのどちらに属するのだろう、と考えてしまいます。
戦後すぐのころ、田村隆一の詩に、
わたしの屍体は
立棺のなかにおさめて
直立させよ (うろ覚えです、失礼します)
詩そのものもさりながら、そのときわたしは、「立棺」という文字に凍り付いてしまいました。「立棺」というものが実際にあったのだろうか、当時、辞書などというものはなく、図書館もありせんでした。新刊本は茶色がかったザラ紙だったし新聞もタブロイド版だったと記憶しています。確かめ、調べることもなく、わたしは考えました。わたしの父が死んだときは「坐り棺」というのでしたし、母の場合も、昨年失った妻のときも寐棺を使いました。四千年昔のエジプトの墓から出るものもすべて寐棺です。(新たに発見されるものの中には寐棺でないものもあるかもしれませんが、)
「立棺」というのは、田村隆一の造語かもしれない。もしそうだとすれば、なんと凄いことだろう。
言うまでもありませんが、棺というものは屍体を収める器のことです。それが立っている。
・・・ひょっとするとそれは、現にいま立って、動いている、この肉体のことを示して言っているのではないか・・・
わたしの考えは間違っているかもしれません。ですが、わたしはその考えに囚われ、慄然としました。わたしはそれまでも、それからも、そしてこれからも、迂闊に過ごす時があるかもしれない、そのとき、わたしは生きて、しかし実は死んでいるのです。
棺を装って、きらびやかに装って、しかし中身は腐臭激しい屍体なのです。
ああ、あのころ、(ときとして今でも)、民主主義、いや民主主義者と自称するやからが何とも許せなかった。きのうまで一億玉砕と叫んでいたおなじ唇で、今日は一億総懺悔などとうそぶき、A級戦犯を裁いたのだから、禊ぎが済んだ、などと厚顔な口をきく。
そう、棺を覆って終わるのではない、武田泰淳の「ひかりごけ」のように、人肉食で命をつないだのかどうかを裁く権力は、人々の汗でのどを潤し、血を啜っている。
とんだ辛口のジャムになってしまいました。お許しください。
肉体労働が続くようで、しかしお躰のほうが大事です。おいといください。 甲子
* いま、繰り返し読んだ。大正十三年が甲子歳であるから、そのお生まれならほぼ一回りお年上である。力在る語気と述志の張りは、心根太くお達者なことを感じさせる。それが先ず嬉しかったと、今は感謝に添えてそれだけを言い置く。
夜も更けている。おやすみなさい。
ジャムは、何の掛け値もなく、こんなに美味いジヤムは知らないと叫んだほど美味かった。ズシーンと大きい瓶にいっぱい入って、半ダースも。林檎と葡萄と。むろんわたしは、パンも、うまいパンは大好き。ジャムと来ると、舐めすぎて胃をこわした漱石を思い出し自戒するほど、舐める、いや食べてしまう。妻は隠し場所に苦慮するが、わたしはまた見つけるのも巧い。
2005 6・25 45
* 二十日から一週間、民族藝能の研究者の一行に加わって、バリ島に行っていまして、今、戻ったところでございます。
バリの民族藝能、歌舞伎に似ているところがあって興味深うございました。
でも、ホテルなどで、アトラクションとして上演されるそれは、ちょっとかなしい。音楽もテープ、衣裳も安っぽく、踊りにも品がありませんでした。
舞台衣裳のままの、まだ少女少女した踊り手が、客の膝に乗ってたわむれているのを見てしまいました。十歳そこそこの女の子が夜更け、シナをつくって踊っていましたが、あの子も何年か経つと、客の膝に乗るようになる、そう、仕向けられるのかと、せつなく、あわれでなりませんでした。
うつくしい風景と、貧しいひとたちと。もう一度、来てみたいという気になれない、かなしいところでした。 香
* 風、あんまり写真をご覧になると、飽きてしまいますから、ほどほどに。
今日は暑くてうだっていました。夕方になり、少しラクになりましたが。暑気にやられませんように、風。
風との時間がほしいなあと思います。花は健康に暮らしています。
* 健康。なによりだ。わたしですら病んでいる。時代は根から病んでいる。わたしが「ゲド」にはなれない以上、まずは夜更かしをせいぜいよすことから自分の健康を考えるとしよう。
2005 6・26 45
* 北海道にいてよかった。
hatakさん
ついに誘惑に負け、『戦争と平和』(トルストイ)を読みはじめてしまいました! 住んでいる場所柄からでしょうか、ロシアの自然描写が活き活きと感じられます。先週、畑で茶色い大きな野兎とキタキツネを見たばかりなので、小説の世界にそのまま入っていけます。
特にすばらしいのは、婚約時代のナターシャが過ごす「オトラードノエ」での猟の場面。狼や猟犬や馬や野兎が、粒立つようにいきいきと描かれています。続くミハイル伯父屋敷での宴ではバラライカに心揺すられ、ミハイル伯父のギターにロシア人の血潮が騒いで、ナターシャは伯父に頼みます。
*
「ね、ね、おねがい、伯父さま」とこれに自分の生命がかかっているかのように、祈るような声でナターシャはもどかしげに言った。伯父は立ち上がった。・・・「さあ、お嬢さん!」と和音ひとつはじき、その手をさっとナターシャのほうへ振って、伯父は叫んだ。
ナターシャは肩にかけていたプラトークをさっとはらいのけて、伯父のまえにおどり出た、そして両手を腰にあてると、肩をゆすり、胴を振って、ぴたりと構えた。
亡命のフランス夫人家庭教師に育てられたこの伯爵令嬢が、自分が呼吸してきたあのロシアの大気の中から、どこで、どのようにして、いつのまに、この精神を自分の体内に吸収したのか、<ショールの踊り>がもうとうに追い出してしまったはずのこのしぐさが、どこから彼女の身にあらわれたのか? しかしこの精神とこのしぐさこそ、真似ることも、習うこともできぬ、生粋のロシア的なもので、伯父が彼女に期待していたものだった。
*
躍動する場面に、大きなロシアの自然と無垢なナターシャの精神を感じます。
冬の場面も美しく、クリスマスに仮装したロストフ伯爵家の一族が、月光の下トロイカに乗って鏡のような街道を疾走する場面もはっきりと目に浮かんできます。
*
ニコライは二番目に橇を進めた。うしろに他の二台が雪をきしませながら、騒々しい音をたてはじめた。最初のうちはせまい道を軽いだく(足偏に包)ですすんだ。果樹園のわきを行くあいだは、裸の木々の影がしばしば道を横ぎって、明るい月光をかくしたが、木柵を出たとたんに、ダイヤモンドをまきちらしたようにきらきら光る雪野原が、いちめんに降りそそぐ月光を薄青くはねかえしながら、ひっそりとしずまりかえって、見わたすかぎり広がりわたった。一度、二度、先頭の橇が道のくぼみにぶつかって音をたてると、次の橇も、その次の橇も同じところで同じような音をたて、凍結したような静寂を乱暴に破りながら、長く一列にのびはじめた。
「兎の足跡よ、ほらたくさんあるわ!」と凍りついたような空気の中にナターシャの声がひびいた。
*
私にはこの場面を、自分がそこにいるかのように正確に想像できます。夜の明るさ、光のぐあい、雪道にひく木々の影のようす。そして音。月の晴れ渡った雪原を疾走する橇がくぼみでたてるぐぐもったような、もこもことした音。凍りついた空気の中に響くナターシャの声。
北海道に住んでいたよかったと思いました。私もいつかこんな風に北の風景を描いてみたいものです。 maokat
* ほんとうに佳いモノに触れた昂奮、その無垢な照り輝きがこのメールにある。「自分がそこに(その場面に)いるかのように正確に想像でき」る、そういうトルストイの筆に読者は掴み取られてしまう、このまさしく受け身の快感と歓喜。ファシネーション。此処に挙げられた個所はその通りの魅力に輝いている。と同時に、こういう場面や個所がこの数百・千倍も充満しているのが『戦争と平和』なのである。
人間の確かさ・いとおしさも、人間のいやらしさ・むごさ・よわさも、眼を背けることなく、綺麗事に唄うこともなく、神の眼がみるようにつよく把握して正確に表現されて行く。文学の、古今不滅の鉄則が生きている。神であるどころか、作者トルストイの人間としての呻きや悲しみや迷いや、しかしそれに屈しない筆力が此処に迸っている。
maokatさんをトルストイへ「誘惑」できたのを、心から喜ぶ。
2005 6・27 45
* 水遣りをしている音がします。
百合が咲いて、銭湯の暖簾が夕暮れに白くゆらいでいます。
「空梅雨やな」
「ん。空梅雨はエライわ」。
花火大会、盆踊り、あとひと月を切り、夕涼みしながら打ち合せの、名張旧街です。
気温の高さは、そちらは、なお。どうかおん身お大切に。 雀
2005 6・27 45
* 写真が欲しい、送れという注文や希望は、物書き商売では少なくない。しかしわたしの写真にロクなものはない。最近、太宰書受賞直後のインタビュー写真、つまりは三十六年も前の写真の載った雑誌を、版元がお土産に呉れたのなど、妻もドキドキするというほど若いが、要するに眼鏡がヘンに光ってなくて、眼が写っているだけの話。ああいう玄人の撮ったのは眼鏡を無事に撮るけれど、数ある素人写真では、みな眼鏡がピカピカ反射して、細くて無い目がますます消失しており、ダメものばっかり。
いま、或る本のために、いろんな時期の写真を数枚送ってくれと言われ、ヘキエキしている。いまいまの老人顔なんか、われながら見るに堪えない。気持ちはこんなに若いのに。やれやれ。
その点、わたしが撮影したものでも、野の花、花の、清潔に思い切り咲いたのびのやかな姿は佳い。こころよくスライドショウで眺めていると、優しい気持ちなる。湧き起こるように、元気が来る。
2005 6・28 45
* 加藤@ほら貝です。拙サイトの記事です。
Jun23 先日、マイクロソフト社が中国政府のblog検閲に協力しているというニュースが話題になったが(ITmedia、東京新聞)、 Hotwiredの「「MSのブログ検閲は中国政府より過激」著名ブロガーが批判」によると、マイクロソフト社ほど露骨な形ではないが、検閲は他の blogサービスでもおこなわれているという。
マイクロソフト社が開設した中国語ポータル、MSN共享空? のblogサービスで「台湾独立」、「ダライ・ラマ」、「人権」、「自由」、「民主主義」といった語句を含む文章を登録しようとすると、「そうした表現は禁じられている」というメッセージが出て、登録を拒否することが問題になった。他のblogサービスの場合、「民主主義」や「人権侵害」という語そのものは禁止語ではなく、中国以外の場所で起きた人権侵害にふれた文章なら登録できるが、「中国には民主主義が必要だ」と書いたり、中国国内の人権侵害をあつかうとブロックされるそうである。
ところが、マイクロソフト社は「民主主義」や「人権侵害」という語を一律使用禁止にしてしまい、さらには中国政府が検閲の対象とすることを求めていない「自由」という語まで禁止語のリストに加えていた。マイクロソフト社は露骨に中国政府におもねろうとしたのでニュースになったが、blog検閲は見えにくい形で広くおこなわれていたのだ。
大手企業が提供するblogサービスではなく、個人の運営するサイトにMova Typeなどのblogツールをインストールし、blogを運営すれば禁止語規制にひっかからなくてすむはずだが、それが不可能になりつつあるのだ。
ITmediaによると、中国政府は中国国内で開設されたWebサイトとblogに対し、6月30日までに登録と開設者の完全な身元情報の提示を義務づけた。すでに75%のサイトが登録をすませており、未登録サイトを特定し、遮断するためのNight Crawlerというツールの運用がはじまっている。
問題は個人blogサイトの登録が事実上不可能になっていることだ。ITmediaから引く。
ある中国のブロガーが同団体に匿名で語ったところによると、このブロガーは登録していないという理由で上海の警察からサイトを遮断された。そこで情報産業部に電話で登録方法を聞いたところ、「独立したブログが出版許可を得られる可能性はない」ため「手間をかけて登録することはない」と告げられたという。
登録制度自体問題だが、禁止語規制のできない個人運営のblogサイトはその登録すらできないようにしているのである。
もちろん、インターネットには国境がないので、他国のサーバーにWebサイトやblogサイトを開設したり、他国のblogサービスを利用するという抜道もあるが、そうなると悪名高き「万里の長城ファイアーウォール」が立ちはだかり、中国国内から閲覧することが困難になるのだ。
しかし、いくら規制したところで、情報は流れこんでいく、時間はかかるが、中国共産党の独裁はいずれ維持できなくなるだろう。
* こういう画策も混乱も、まだ序の口で、近未来の人類社会は、マトリックスに汚染された幻想世界へと荒廃して行くおそれがある。
* あたりまえでもあるが、加藤さんのこういう情報もわたしには届いてきて、まともに反応しているつもりだが。またこんなメールも飛び込んできて、わたしを別次元へ運んで行く。
* 白川静の『漢字百話』は、新書なのに、頭の悪い私には読みにくくかなり苦労していますが、面白い発見がたくさんあります。
湖の人生のキーワードである「闇」の漢字の意味について、初めて知って、呻くほどの驚きでした。博覧強記の湖は勿論ご存じで(用いているので)しょうが、「闇」は、神に関係してできた漢字なのですね。色々と複雑な説明を私なりの解釈で思いきり簡単に要約してしまいます。大胆粗雑なことお許しください。
*
神は幽暗を好み、闇こそ神の住む世界である。漢字の「問」と「闇」を並べて考えるとわかりやすい。「問」の中の門は神の住むところの廟門で、「問」は、神に申す言葉、神意をたずねるの意。それに対(こた)える神の応答が「闇」、「門」に「音」と書きます。
神はみずからものを云うことはない。その意を示すときには、人に憑(よ)りついてその口を借りる。いわゆる口寄せである。直接に神が臨むときには「おとなふ」のである。「おとなふ」「おとづれ」は神があらわれることをいい、それは音で示される。神にことばはない。ただそれとなき「音ずれ」によって、その気配が察せられるのみである。
「闇」は本来神の「おとなひ」を感じさせる状態である。無声に声を聞くということである。「闇」は幽暗というよりも「黙然たり」というのが本義であろう。
湖が日頃、「闇」という言葉に、漆黒という視覚だけでない、ものの気配という聴覚や触覚までも意識して使われていることを感じます。こういう漢字の意義にも感応していらっしゃるのでしょうか。愛読者として興味の尽きないことです。また、湖の「闇」から源氏物語の「闇」にも思いを馳せる時、日本文学の伝統にある「闇」の無限夢幻の広がりに陶然といたします。
「闇」の「おとなひ」をいつも感じ、「音ずれ」をいつも待っています。 春はあけぼの
* この世は闇とか、闇に迷うとか、これとても悪いことに思いこむのは、気が早い。もう少し深く読みかつ聴くべきだ。そのとき上のメールの「解説」も役に立つ。
光が無くても闇は先在するが、闇が無くて光はあり得ない。闇は光に場所をゆずるだけで無くなりはしないし、光はいずれ尽きて闇にかえる。人と神との仲は、そのように出来ている。闇を魔の世界、光を神の世界に想うのなど、見当が逸れ過ぎている。
無限の闇がつねに有限の光を支えているに過ぎない。静かに本質の声を聴き、静かに本質の肌に触れ得るのは「闇」に溶けて手探りに存在の神秘にちかづくときだけだ。その意味で、眼をとじて「闇」を慕う習いは、心さわいでいる人をも、懐かしいまで直ちに鎮めてくれる。
闇は「くらい」のではない。「闇」は闇のママにいつか明るむ不思議をはらんでいる。「闇」を無意味にコワガル人はまだ幼稚なのである。いかなるバカらしさも、猥雑も、喧噪も、眼をとじ「闇」に入れば消散する。五体も失せる。
「闇」は愛と、悟りを得ている人は、必ず云う。神の声がかぎりなく満ちていて、こんなに安全なところは他にない。心頭を滅却するとはそういう「闇」に、即刻に成る、ことを云う。遺憾にもわたしは、まこと「恒以平恕」を体するまで闇の妙を聴くに至らない。
* 伊勢物語に名高いもののまぎれに「おとなひ」の恋の場面があり、夢かうつつかと相聞の応答がある。
2005 6・28 45
* こんばんは 風。
旧約聖書は、中学生のときにジュニア向けのものを読んだきりでして、いつか読みたいと思っています。
ゲーテの『ファウスト』は、できることなら鴎外訳で読みたいです。
ほかにも、読んでみたいけれど、なかなか手をつけられずにいるながーい作品が、たくさんあります。
> 三十五度の日照りの下を
暑かったでしょう。かりんとうが溶けそう。かりんとうは、いちどにたくさんではなく、少しずつ召し上がってくださいね。
わたしは今日、桑名市の図書館で涼しい数時間を過ごしました。設備がよく、近場ではいちばん大きい、居心地のいい図書館です。
日々充実した時間を過ごしたいです。風を励みにして。 花
* 旧約聖書がこんなに「興味深く読める」物語のような聖典とは、わたしの認識が及んでいなかった。なにしろ厖大なのでただ敬遠していた。物語の展開する点では、新約聖書より、ずっとずっと。
投げ出すかも知れぬと危ぶんでいたが、それどころか、さきざきが待ち遠しい。
「ファウスト」は、旺文社文庫の佐藤通次訳の二冊本の文庫が好いと思う。鴎外訳を非常に尊重し、従うべきはよく従いながら、何よりこの人が「フアウスト」世界と周辺の時代や文化に深い造詣をもっている。従って、脚注も適切で有難く、また下巻巻末の大量の解説も優れている。ちくま文庫の鴎外訳はいいが、解説は大いに物足りない。凡な随筆を出ない。したがって、この大きな古典世界へ少しでも親しく踏み込んで旅するには、佐藤通次訳と解説の二冊本のほうが、はるかに読みやすい。一冊本は分厚すぎて、手にももちづらい。この二種類の「ファウスト」は、関西の久しい友である鳶が送ってきてくれたもの。それがなければ、わたしはこの古典を「二度繰り返して」読み継ぐという喜びがもてなかった。
* わたしのように、もう先に望みをもたない者には、大作を同時に七冊も、就寝前に読んで行くような夜、夜はゆるされても、若い人にはむろん奨めない。せいぜい二種類。それぐらいは、大長編とゆっくり付き合い続けることはすばらしい。その様にしていつか読み上げて、またいつか読み直したくなるのがいい。
2005 6・28 45
*「何よりの願いは、ご自身の文学の集大成ともいうべき珠玉の名作を書かれる過程を見ることです。読むことです。あなたにしか書けない言葉、極北の日本美、女性美の文学があります。それは天才に生まれてしまったあなたの義務で使命で祝福ですから、」などというメールを、もう寝ようかと云うまぎわに送ってこられると、胃が痛む。
およそものを創っている相手に、こういう親切すぎるバカげた物言いほど猛毒はなく、普通の神経では決して云わないタブーである。こんなことを云われて喜ぶまともな物の創り手は一人としていないし、これは励ましでも何でもなく、ほとんど悪意を疑うほどのプレッシャーであるに過ぎない。悪意の筈はない。とすれば、これはデリカシーと常識の問題だ。
2005 6・28 45
* ご本が届き、風は戦闘開始されたことと想います。くれぐれもお怪我のないように。
こちらも小雨が降っていましたが、午後になり、止んで、青空が見えています。
さっきまで、図書館で借りてきた本を読んでいました。いつの間にか、時計の針が午を大きく回っていました。
今日は一日家にいるつもりです。これでも、なにやかやと、ほぼ毎日外出の用事があるので、こんな日は珍しいのです。
> チアリイ と書かなくてはいけない、さもないと サリイ になってしまう
おもしろい夢。わたしも笑ってしまいました。 花
* 夢で、 「チアリイ と書かなくてはいけません、さもないと サリイ になってしまう」と、誰だか外国人がしきりに教えてくれるので、うまいことを云うなあと夢の中では感じ入っていたのに、醒めてみると、もっともらしいが意味不明の夢で。わらった。
2005 6・29 45
* 梅雨らしく雨も降り、狂気の気温も下がって、幾らかラクになりましたね。
「私語」を読むと、また、脹脛が攣れる様子ですが、私に送ってくれたメールの「腹八分目」を、そっくり自分自身にも置き換えて、ご留意の程を・・・。多忙な発送仕事が始まっているのでしょ。
私は今日の「運動」もがんばらないで、程ほどに、ご忠告ありがたく受け入れていますヨ。だから、こんなに元気。
「ラマンチャの男」が千秋楽で2000回達成、と七時のニュースで見ました。実は1999回目を観てきたのです。
映画、お芝居ダイスキ人間。けれどお芝居は、映画のように観たければ即座に、というわけにいかず、「チエホフ気分」以来ご無沙汰でしたが。「私語」で、文句なしと大賞賛していたのを読んで、触発されたのですネ、たぶん。
一週間前、友人と一館封切の映画「コーラス」を銀座で観た後、あの(幸四郎たちの)チケットは、と、窓口まで足を延ばしましたら、キャンセルなのか、S 席、十一列目のま真ん中が残っていたのです。ラッキー!というわけで、大いに楽しんできました。
同じ出し物を2000回演じられる父親も凄いですが、娘松たか子は、それを凌ぐ魅力の俳優、プライベートとは相反する役柄ではないか、と、その体当たりな演技や歌唱に感動しました。
映画の「ラ・マンチャの男」では、そのままのイメージ、肉体派のソフイア・ローレンがあの「アルドンサ」を演じていたけれど、あれもよかった、と思い起こしながら。
長期に同じ仕事を続ける偉大さ、どうか「湖」も、より深く、涸れることのないように。 泉
* ありがとう。
* 今日の作業は捗ったでしょうか? 筋肉痛、最小限に収まりますように。くれぐれもお体大切になさってください。かりんとうの話は本当にエッと思いましたよ。羊羹やジャム・・よくお気持ちは分かります。「理性」嫌いと書かれて途端にカントですもの、それも凄い、なんて言い訳、面目躍如!! でも再度、繰り返し、大切に、大事になさってください。
暑さ、記録破りのこの六月、こちらでは空梅雨です。今午後やっと雷雨がありました。
『ファウスト』の本のこと、せめてそれくらいは気が利かない女でも気配りできないと・・悲しいでしょ。喜んでいただけて、本狂いの鳶も嬉しい。
『旧約聖書』、それは本当に面白い、などと書くと叱られそうですが。(新約)聖書そのものではわたしには分からないところが多すぎて・・。
昔、犬養道子氏の『旧約聖書物語』『新約聖書物語』、トーマス・マンの『ヨゼフとその兄弟』などを一気に読んだことがあります。聖書そのもののもつ謹厳さから少し離れ、噛み砕かれた感じで読むことも大いに役立ちました。
新・旧両方一緒になった古い本とは別に、最近、日本聖書協会が2001年に発行した『新訳聖書』を買いました。
前に書いたことがありますが、『ダ・ヴィンチ・コード』つながりで・・、肝心のその小説はまだ読んでいません・・そのタネ本ともなったという帯に惹かれて、『マグダラのマリアと聖杯』という本を買い、持ってきた「関心」と大いに重なるところがありました。
昨日、「闇」について書かれたこと、胸に深く沁み込みました。
伊勢物語の夢かうつつかと相聞の応答は、伊勢の斎宮と業平の話かと思いますが・・。一般的に述べるとして、きっかけは何だったか、次の展開は如何だったか、恋愛の局面では、「きみやきし、われやいきけむおもほえず ゆめかうつつか・・」と、本当に分かちがたいものではないでしょうか? 鳶
* カアカアと鴉は感謝しています。
* 昼夜の暑さ‥くれぐれもおからだお大事に。
ひとつ、嬉しいことがございましたの。
伊賀に、目の前で上生菓子を作る、自宅兼厨房兼喫茶の和菓子店があると、以前、地元誌の小さな記事を読み興味を抱いたのですが、クルマでないと不便なところにあるため、主人が会社帰りに道に迷いながら訪ねましたところ、作る餡も、店のご主人もともに気に入って、その日は最中を作っていただいて持ち帰り、永源寺の帰りに雀を
連れていってくれました。
お菓子に、心ばえもお人柄も修業もにじみ出ますでしょう? 一目惚れ。
先だっての博多でも、高取焼窯元へ向かう駅前商店街で、「赤飯承ります」の貼り紙がある、小さくて古いおまんやさんの店先に、白衣のおじいちゃまが出ていらして、雀はそのお顔を見た瞬間に、「あのおじいちゃまがこしらえるお菓子に、間違いはないわ!」と、道路を渡りました。
昔の和菓子の本に載っている通りの、道具も目に浮かぶような懐かしいものが並んでいて、悩んだ末、淡雪羹をひとつその場でいただきましたが、大きさ、形、固さ、甘さ‥すべてに、おじいちゃまの修業、心ばえが表れていて。
幸せなとき、人生の宝物。
雀が帰省のたび、京都伊勢丹で買っていく和菓子を、母はとても楽しみにしていて、大事に大事に少し食べては「おいしィい!」と喜んでくれます。ものによっては、父に内緒‥。あるとき、父が、“雲龍”が五㌢ほど残っていたのを、一遍に食べてしまい、「こういうの(病院や施設で)出ないんだよなぁ」と満足げな顔をしていたことがございましたから。糖尿病食のデザートは、ゼリーや寒天類ばかりで、おまんや羊羹はつきませんものね。
今度、麦代餅か、仙太郎の大きなおはぎや最中を買っていこうかしら。東寺近くのぼた餅は、お休みの日に当たったり、売り切れだったり、機会がなくて…。京都って、なんでも小さくて高いというイメージでしょう? びっくりするでしょうね。
実家のほうは、川がない分、出水の心配がなくて済んでいますが、明朝帰って様子を見てまいります。
名張も、真夏日と熱帯夜が続いており、エライ夏になりそう‥。 囀雀
* 「雲龍」が五センチも目の前にあれば、わたしだって見逃さない!! このメールは手ひどい誘惑に部類される、懐かしいけれど。
* しっかり梅雨空。でも、降るべき時に降らないとお米の出来が心配ですから…。雨だと、とかくバス、電車が遅れるので少々ユウウツ。朝は特に飛込み自殺が多いのですけれど、そう聞いてもそんなに驚かなくなっている自分が怖いくらい。
もうすぐささやかな夏期一時金の予定なので、それを見込んで、薄茶の夏のスーツを買ってしまいました。綿麻にナノテク繊維の混紡で、雨でもぐしゃぐしゃにならず、濡れないとか。
先生にも何かご馳走しますね! 仏蘭西料理がお好きなようなのでそれがいいかな? 谷崎氏もお気に入りだったという中華料理の「樓外樓」も美味ですよ。こってりしているのに後味がさっばりしていて。どちらかお好きな方を…。
話はまるで変わりますが、先日戴いたご本に、「式」の項がありましたね。シキ、といわれて、私、一番に浮かんだのが、「志気」、一字ならば「敷」でした。これって一体何なんだろう、と我ながら笑ってしまいました。
睡眠をたっぶり取ってどうかご自愛下さい。 夢
* 睡眠どころでなく、アタマから湯気をたて、上下巻の発送に重い重い荷を運び続けて、腰の骨が折れそうです。それでもがんばって、少しも早く済ませてしまいたい。 フランス料理も中華料理も好きですが、糖尿病の悪化に拍車をかける大敵です。定期検診前はことに禁欲しないと「入院」を宣告されてしまいます。
夏スーツですか。クール・ビズは許されませんか。盛夏の古代ギリシア・オリンピアは全裸の競技ときまっていました。女子はスポーツ競技には参加しなかったのです、観たでしょうけれど。 湖
* 袁牧 のことを思い出す、ときどき。あれほどの詩人ではないけれど。
2005 6・29 45
* 濁流がなみなみ。 列車は糸魚川に着くところです。ところによって列車の遅れが出ています。
京から富山まで指定がとれなくてグリーンになったのは、痛かったァ。でも、三時間弱の車中、湖水を眺めたあと、『京都、上げたり下げたり』を読んでいたら、大きくて広い座席が秦さんとかさなって、すっぽり包まれて、しあわせでした。
大祓、祇園会。土日は南座文楽です。なんとか行きたい。念じています。
ところで、富山水墨美術館は、梶川(芳友)さんの寄贈がきっかけなのだそうですね。7年経って、お庭がすこしは馴染んできたかんじ。
京都より点数が少ない、と不満をもらす方もあるそうですが、むこうは、「京で、華岳でっせ、1200円当たり前でっしゃん」でしたもの。
館員の方の人の善いこと、見に来る人のしずかなことと少ないこと。富山の華岳展、時間迄、めいっぱいたのしみましたわ。
ひさびさに富山の和菓子が買えると張り切っていたのに、直江津で買い物をしてきてと頼まれ、一本早い特急にしたものですから、両親へ駅弁を買うのが精一杯。月宮殿~! 囀雀
2005 6・30 45