* 雀 阿保山のさくらの花は今日もかも散り乱るらん見る人も無しに
隣の青山町にある阿保親王墓とのシャレみたいですが、伊賀市に桓武天皇皇女伊登内親王の陵墓があるそうですの。地図で見ると小さァな集落で、ほかにも何か所かそういった集落があるのに気がつきました。
このあいだ東大寺にまいりましたおり、辛国(からくに)神社で寄進に阿字万字町とあって、なん
て読むのと地図を調べたとき、何軒あるのかしらと思うような小さな地というのに驚き、どっちの理由なンかしらんと、うすら寒い感じがいたしました。
大阪のワイドショーの天気コーナーで、花粉がスギからヒノキに替わってきていますという話になったとき、「わたしヒノキの花粉症なんですよ~」と言った人に、「スギよりヒノキのほうが偉いンか」と返したのに、うっかり柱をつかんで小さなとげを刺したような気持ちがいたしました。
虫送りについて松岡正剛さんが、「運動会のボール送りのようなもので、隣村からすればまことに迷惑千万なこと」と、岐阜から富山の日本海までつながっている例をあげて書いてらしたけれど、伊賀の例には東から西へ送っていって、ある集落で大般若のお札を立てて「おしまい」というのがあるそうです。カミテからシモテということでしょう。
また、山添、名張、伊賀上野の三国の境にある村のことをサンチュウ、木津川岸の平地の村をヒロミと呼ぶとも知りました。
大阪への通勤圏として丘陵地がことごとく宅地開発された名張には、千葉都民、埼玉都民同様の名張府民や、隠栖といった体の転入市民もいて、過疎と高齢化の旧市街地にちからを増しております。「新市民」と称されているようですが、新たな「サンチュウ」といえるのかもしれません。
今はニッコリ笑って「主人の仕事の都合で駅前のアパートを借りて住んでます」とさらりと言えるようになりました。もう九度目の春になります。いまだに「越してきたばかりでェ」と、益を得ようとし、不利益を遠ざけ…厚かましいですわ、われながら。
越してきた頃は、旧市街地で共通語を使うとギョッとした顔をされました。あるときなど「“新田”のかたですか?」と上目遣いに言われ、こちらがギョッといたしましたわ。
ここに又住まばやと思ふ春の暮 (虚子)
春夕。西山に三日月。連翹が盛りです。
「ぬくい風のォ」。おじいさんがお孫さんに話しかけます。明日は名張の市長選。若い現職が二期目を勝ち取るか、元市長がカムバックできるか。工業団地も線路沿いに造成した宅地も縦横に広い道路が走るきりで、風が吹き過ぎてゆきます。 囀雀
* 含蓄のメールで、読み応えがする。
* 雀 猪田の弥兵衛さん団子が好きで河原新田みな小麦♪
主人は休日の朝遅くコーヒーを飲んでいたかと思うと、「図書館に行ってくる」と言って出掛け、4時間以上帰ってこないときがあります。子供の頃、ラジオドラマで一番わくわくしながら聞いていたのが、真田幸村や服部半蔵といった忍者ものだそうですの。
雀は半蔵門といったら国立劇場しか思い浮かびませんが、半蔵のほか百地三太夫・藤林長門守・石川五右衛門という伊賀者がいたのですってね。
伊賀の図書館の係の人の勉強具合がよほど勝れているそうですが、要領がわかった今は名張の郷土室に入り込んでいるようで、なかなかの出来という伊賀市史がこのところのお気に入りです。
この部屋は管理が厳しく、鞄などの持ち込みは厳禁、持ち出しも係に許可を得なくてはならず、手帳に書き留めたり、何枚かのコピーを「はい、おみやげ」と持ち帰ってまいります。
こないだの勧請縄の件で、「境と橋と辻」に関する行事を書いてあるのをコピーしてくれたのが雀には大層面白い読み物でした。ムラの伝説というなかからひとつご紹介します。
木津川の河原に弥兵衛という豪農の屋敷があったてな。大変な働き者の女房を得て、田への水入れも上手だったそうな。その女房がお産に臨む際、夫に「中を決して見ないように」といぅたんやと。
覗いた夫が見たのは赤子を舐める部屋一面の大蛇。
もうこの家にはいられんと、この女房は自分の片目を取ってな、「赤子が泣いたときにはこれを吸わせるように」と告げて琵琶湖へ帰っていったそうな。屋敷内にはその時の血の滴りが塚となった石塚があったというわ。
赤子に片目を吸わせても泣き止まなんで、弥兵衛は赤子を連れて琵琶湖に行って女房の名を呼んだんやと。やがて湖の上に片目の女が現れてもう一つの目を与え、これで両眼を失い時間が分からなくなったので、明け六つ、暮れ六つに鐘を撞いてくれるようにと、湖底に沈んでいったんてな。弥兵衛は依那具の鋳物師に梵鐘ををこしらえてもろて、三井寺に運んで、女房の供養に撞いてもらうようにしたと。 囀雀
* わたしが安い記事を自分で書く以上に、一例が此の雀さんのメールなど、うんと「日本の凄いところ」を見てとって書いている。わたし一人でとうてい賄いきれない多彩な「日本の暮らし」を、わたしはこうして仲介・中継しているつもり。安易なことをしていると思わないで欲しい。
2006 4・1 55
* 名古屋市大の、もう「教授」になったか、なるであろう谷口幸代さんから「もう一つの与謝蕪村論の軌跡」と副題した論文を贈られた。戯小説『あやつり春風馬堤曲』にふれてわたしの名もちらと出ている。谷口さんは東工大時代のわたしの副手としてお茶の水の大学院から通ってきてくれていた。美しき才媛であった。
* 谷口さんはどうしているかなあと想っていました。いっぺん、そうっと教室の後ろの方へ忍び寄って講義を聴き、ハイと手をあげて質問してみたいなあと夢に見ています。ほんと。わたしに気が付いて、すこしあわてて白い顔をうす紅くしてくれたらどんなに楽しくて嬉しいだろうと。ほんと。
小林太市郎先生に出逢ったのは、「美学」に例の論文『春風馬堤曲』が出てすぐでした。頭の奧に一度ていねいに沈めて、ずうっと、芋をふかすように頭の中でふかしていました。
二度目に出逢ったのは「淡交」に『芸術の理解のために』が連載されたときで、愛読し耽読しました。単行本になるとすぐ手に入れ、手擦れて表紙の歪んだ本は今も持っていますが、わたしには、「淡交」という雑誌が、えもいわれぬ小説への種本ふうの刺戟ブツでした。「畜生塚」「蝶の皿」「秘色」「青井戸」「隠沼」「底冷え」そして「加賀少納言」は、「淡交」のちょっとした記事や写真をヒントに想像していったものです。ことに『加賀少納言』こそは、小林の『芸術の理解のために』連載を読んでこそ書けたのです。読んでなかったら思い至るとしても、もっともっと遅れたでしょう。発想はそんなに古いのです、あれは。
たんに小説だけでなく、小林のあの連載は、わたしの思想にもつよい感化を及ぼしました。たとえば、「こころ」を頼れないものと感じ、むしろ「からだ」を重んじて、先ず「手ことば」を始めに「からだ言葉」に取りついていったのも、小林美学の感化です。あるいは「花と風」の認識にも他界をみる視線にも、小林太市郎、というよりもあの連載そのものが濃い影を落としているかも知れません。そしてむろん『あやつり春風馬堤曲』にも。
わたしの小説『誘惑』について書かれたのって、わたし読ませて貰ったかな。恥ずかしくて忘れたのかなあ。
ありがとう。またいろいろ読ませて下さい。元気で、幸せでいてください。 湖
* *さん メールで直接対話ができるのですから、マイミクシイは不要ではありませんか。
「文学する」方面のことは、公開の場でコメントをやりとりするより、孤独な密室でねばり強く思いを励まされることをすすめます。文学の創作は、ことに小説は、孤独に耐えてするしかない仕事です。おしゃべりで少しずつ空気抜きをしていると、真摯に充満するのを妨げます。
「書く」ちからは「読む」ちからでもあります。「読める」から「書ける」とは限りませんが、「読め」なくては「書け」ない。何故ならかんじんの自分の作品が批評できないからです。的確に自作の批評ができなくて、適切な構想や、適切な文章表現や、適切な推敲ができるわけがないからです。「書ける」人の備えている才能とは、例外なく「読める」ちからです。「作家」とは、まっさきに自身の書く作品を読む「批評家」なのです。その批評が厳しいか、いい加減かが作品に反映します。
本当に作家になりたい人は、また、孤独です。仲間褒めで傷口を甘く舐めあってお喋りしていても、「作家ごっこ」にしかならない。昔の厳しく厳しい同人雑誌の雰囲気は今はありません。ミクシイでも、「書きたい」「作家になりたい」人のほとんどが、「作家ゴッコ」をしているだけです。作品をミクシイに公開して、批評批判を受けているわけではない。
いちばんの方法は、あなたの作品を、ミクシイの「日記欄」に少しずつ連載してごらんなさい。それを人がどう「読むか」を素直に受け容れてみられるといい。誰が褒め、誰が批判するか。見たところ誰もそれをしていない。書きたい人は、それを実行してみたらいい、おしゃべりなんかしていないで。 湖
2006 4・1 55
* お作落手、御馳走も頂戴しました。 口あたり宜しく、おいしく頂いています。
新しい作品、作意あるところ、理解しました。
私小説には壁があり、突き当たって突き破るか、立ち止まるかの二つの道しかないようです。いずれにせよ「客愁」を抱いて歩く旅人です、われわれは。 湖
* **さんからの転送により、メール拝受いたしました。
手探りの独歩に光の差しこむのを感得しております。よき先導者を得たものと感謝しております。
送りました「蕎麦まがい」抹茶入りうどん、お口にあいましたか。そのことばかりが気になっております。ご承知のとおり「讃岐うどん」は働くことに忙しくて暇のない貧乏人の食するもので、昨今のブームにはおどろくばかりですが、単純な食ゆえに飽きのこないものがもとめられるそのわずかな差異を求めて各地から人が寄ってくるようです。余談ですが、ずっと以前に直木賞を受賞した芦原すなおは、何度かクラスを共にしたわたしの中学、高校、大学の同級生なのですが、彼は「讃岐うどん」の推奨者でもあって、うどん店にいくたびに、彼の顔(むろんポスターに大きく写ったそれですが)に出会って、ひとりで旧交を暖めております。 六
* *さん 二作拝見しました。「字で漫画を書いている」といわれるのが、すこし分かりました。
二編とも、おはなしは汲み取れます。ふたつとも思春期・青春期の世界ですが、これはあなたの書いている「場」「註文主」がそういうのを商品化しているのですか。あなたの必然の動機で書いたのですか。その辺はわたしには分かりませんが、お話としては通じます。会話は、かなりリアルなのでしょうね。だから、会話を漫画の吹き出しに入れて、説明的なまたは効果的な画面があれば、もっと分かりいいのでしょうね。コントふうの筋書きとして、筋書きだけなら、微妙な青春期の肉感もともに伝わってきます。両方とも短編小説として完成させられる「素材としての可能性」は十分です。
ただ遺憾ながら、「小説」の文章としては、はなはだ稚拙で、叙事・叙述の前提になる「把握=隅々まで通る想像力」が弱く、当然「表現=言葉での描写」も弱い。ガタガタです。推敲がまるで出来ていない、というより、推敲のポイントがそもそも分かっていないのではないかと感じます。「ライトノベルは綺麗な文章でなくて構わない」と言われたそうですが、きれい・きたないの段階にも到達していない。「文字書き」と言いながら、文字で書かれた作品からでなく、絵で描かれた漫画でばかり「ストーリー」を楽しんできた欠陥が、そっくりそのまま表れています。
一つには、元へもどりますが、これがあなたの書きたくて書かずにおれない作品かどうか、動機の切実度が影響しているのかも知れません。つまり何か面白い「お話」をむりやり着想して、それを「字で書き」示したいのが一番の動機なのでは。しかし、それですら、そのお話を「文章で伝える」には相応の技術とセンスとが先ず必要な筈です。しかしあなたの会話をのぞく「地の文」の表現は、お世辞にもまともではありません。説明的で、その説明もギクシャクと不要なことも沢山書き、必要なところがぬけています。文章として結晶すべき「想像力」がいたく不足しているのです。それでは、折角のお話も、文藝としてのリアリティーは読者に伝え得ない。少なくも文藝としての「藝」のある小説を読んで、胸をゆすぶられたい「読める」「いい読者」の歯牙にはとてもかからないでしょう。
一つ譬えを。絵画の場合、四つの段階で鑑賞します、たとえば私は。
第一段階 そもそも、或いはまだまだ、繪になっていない。
第二段階 むりやり、ないし辛うじて繪につくっている。
第三段階 ともあれ繪には成っている。
第四段階 立派に繪に成っているだけでなく、いうにいわれぬ瞬間風速のような魅力(ファシネーション)を繪がはらんで、明瞭に感銘を与える。
表現手法が違うので即同じには謂えないにしても、小説にも、ほぼあてはまります。
これまで拝見した三作とも、第一段階の「まだまだ繪になっていない」繪にちかいですね。くやしくても、それを自覚して努力されないと、いま「(文学でなく)文字書き」意識にこびりついた難しい病気は、治りません。「文字書き」ではいけない。はっきりと佳い「文章・文体」を手に入れて「小説」を書く、また文学・文藝の作者になると覚悟を定めるべきです。成れる保証はじつは誰にも無いのですが。
最後に一つ言いますが、「いい」「おもしろい」という評価は、言葉は同じですが、たとえば源氏物語や夏目漱石や谷崎潤一郎にもいえるし、読み捨て消耗品の通俗読み物にも、まったく同じに下せるし、人数からすれば圧倒的に読み物のほうに人が寄ります。ところが、その通俗読み物ですら、最低限度必要なのは、最低限度の文章力なのです。しかし、目の見える批評家・読者からすれば、真に文学・文藝の文章と、消耗品的な売り物のそれとでは、比較にならない品質の差は歴然としているのです。分かりよく言えば、優れた藝術的小説は、歴然とした「文体(内在律としてはたらく音楽的・絵画的魅力)と独自の「表現言語」をもっており、読み物は説明の文章を連ねて筋書きを展開します。手垢の付いた言葉も、それがラクで早いと思えば平気で使って済ませています。
陥りやすいのは、「どうせ自分」は高望みしない、身の回りの仲間内(読者)で「おもしろいね、いいね」と言うてもらえれば満足という「志の切り下げ」にうしろめたく身を隠すこと。千人に九百九十人はそういう断念とともに「作家ごっこ」を遊び始めるのです。
きついことを言うけれど、わたしがまごころで助言できるのは、こういうことです。あとは、あなたの覚悟しだいなのです。
もっともっともっと咀嚼するように先輩作品を読んで、「文学的に純良な栄養を食すること」からやり直されるのを、わたしはお奨めしたい。「ペン電子文藝館」を一度でも開いてみましたか。現会員の作には残念ながら駄作も多いのであまり薦められないが、「歴代会長」作品から、井上靖「道」井上ひさし「あくる朝の蝉」川端康成「片腕」島崎藤村「嵐」「伸び盛り」芹沢光治良「死者との対話」「ブルジョワ」などを先ずは試みに落ち着いて読まれては如何。 湖
* メールをありがとうございました。
読む以前から文章の長さに驚き、全く顔も知れない相手に、真剣に向かい合ってくださった上、時間と心を砕いてくださったことがわかりました。もうありがとうございますという言葉さえ追いつかない気がします。
私は…友達にも指摘されましたが、基本的に相手の反応が欲しくて文章を書く、何かを訴える、同人誌を作る、そういったことをしてきたようです。そして、さいわいにもなぜか周りにかまってくれる人がいて…時には先生のように導いてくださった人がいて、くじければ「大丈夫だよ」と言ってくれる人が現れた。多分それで充分だった、充分だと思い込んでいました。
でも、ちょうど去年の今頃です、ライトノベル系の編集者の人から声がかかりました。嬉しがって有頂天になれれば良かったのに、私は腹が立った。
先生、今ライトノベルの分野の…本当に一番底辺にありながら、若い人たちが発売日を待って一生懸命に購入して、しかも購入した傍から古本屋で売りさばくような小説ジャンルがあるのをご存知ですか。読者層は、先生のHPで「いちびった」と表現されるような女の子たちです。彼女たちは(もしくは彼もいるのかもしれません)、彼女たちなりに真剣にその小説を読む。時には涙を流して感動する。彼女たちが欲しがるのは、文章が優れているか優れてないかではなく、ただ単純に「心が動く」ことです。心さえ動けば、つまらなくてもおもしろくてもいい。私がずっと書いていたのは、そういった分野でのことでした。
もう十年以上、そういった分野で書いてきました。個人出版…と言えるほどきちんとしたものではないですが、本も一年に五冊以上は作ってきています。単純計算でも十年で五十冊。そして今、私の同人誌を購入してくれる女の子たちは1800人になりました。東京の展示即売会で新しい本を販売すると、一日に800人の女の子が私の前に並んで本を買ってくれる。……決して自慢したくて話しているわけではありません。そういった状況で──だからこそ、先ほども話したライトノベルの編集者さんが声をかけてくれたのです。
でも、信じられますか、先生。その編集者さんは、私が出した本をたった二冊見ただだけで声をかけたそうです。しかも電話で話してみたら、話の感想なんかひとつもまともに出てこなかった。編集者さんが見たのは、本の内容などではなく、私の前にできた列と文章の触りだけだったのでしょう。ずっと内緒にしてきましたが、私は個人HPも持っています。そこには今回先生にも読んでいただいた話が掲載されていました、もちろん本にもURLを書いていた、そして編集者さんはHPも見てはいなかった。
私が馬鹿だったのだと思います。
自分では真剣に書いてきたつもりだったのですが、真剣になっていたのがそういう世界だと気付いていなかった。そして、私の文章を読まずに「本を出しませんか」と声をかけてきた出版社に腹を立てた。せめて読んでほしかったのです。自分が書くものに対する評価としてスカウトを受け入れたかった。
多分それからなのです。文章を書きたいと真剣に思い始めたのは。書きたくてあがいて、読んでほしくて叫んで。でも自分に読ませる技術がなかったことに今更ながらに気付いて愕然とした。何をしなければいけないのかわからず、本当に慌てて自分の中にあるものを書こうとした。……今まではそれでどうにかなっていたから、これからもそれでどうにかなると思った。先生にとっては「いちびった」女の子たちでも、私にとってはかけがえのない読者さんがいた。書いてほしいと言われると嬉しかった。技術の足らない文章でも喜んでくれることが誇らしかった。
けれども……何だかやっぱり駄目なのです、もうそれだけでは駄目なのだと思います。自分が満足できない。自分を誇りに思えない。
すごく勉強したいです。先生がアドバイスをくださったように本を読んでどうにかなるならどうにかしたい。今の私には、こういう表現しかできません。優れた文学がどういったものか全くわからないし、本を読んで本当にどうにかなるのか、何が見つかるのか、何も見つけられないのか、そういうこともわからない。不安でたまらない。でも何かしなきゃ……今いる場所から動けないのがとても苦しい。
覚悟は決まらないままです。本当に私などに、先生の言う「文藝」が創れるのか自信がない。書きたいものが、本当に「これを吐き出さなければ死ぬ」と思うようなものかわからない。
ただ、人が喜んでくれると嬉しい。ふと時間が余ると何か書かなきゃと思う。書いていると自分が安定する。書くことで生きている気がする。書いていたいと思う。だからちゃんと書きたい。書くための技術が欲しい。結果として選ぶ世界は、自分が一度腹を立てて拒絶した世界になるのかもしれません。でも、その世界にいても…もっと違う世界に行くとしても、自分を支えるために必要なものを手に入れなければならないと思います。
たくさん読んでみようと思います。とにかくまずは「ペン電子文藝館」から。言葉を言葉として素直に受け入れることから頑張ろうと思います。どのくらい時間がかかるのかわからないですが、自分が不安じゃなくなるまで読んでみます。
私の書いた話を批評してくださってありがとうございました。
拙いと言われれば当たり前に落ち込みますが、でも読んでくださったこと自体が一番嬉しかった。心から感謝してます…ちゃんと伝わっていれば良いのですが。
長いメールもここまで読んでくださってありがとうございました。
体調が悪いとずっとおっしゃっていたのに…本当に長くなってしまってすみません。ミクシィは、元々自分のHPでぼやけないことをぼやきに来ていたのだと言ったら、先生は笑いますか。ミクシィにもし作品を掲載したら、私は多分2ちゃんねるあたりで口汚く噂されることでしょう…女の子たちの情報収集力は素晴らしく、そして無邪気に残忍なものらしいです(苦笑)。
きっとまた…これ読んでくださいと話を送りつけてしまいそうです。その時は、今より少しだけでもマシになっていたいと思います。頑張ります。 濤
* 一つだけ、即座に。 湖
長い手紙をこのように立派に分かりよく書けるのですから、ちゃんと書けるはずなのです。それがギクシャクするのはなぜか。過剰に肩に力が入っている、「小説」という文藝を、ワケ分からずに「意識」しすぎて「ツクッテ」しまっている、それだけです。(私の読んだ三作限りのことですが)。
まだお若いのです。志があるのなら、より良い方へ方へ歩み出られるように。
力のある読者ほど、「いい作家」と出逢いたがるように、書き手の方からも「いい読者」を求めます。世界的な作家ナボコフの求め、わたしも全く同感で、繰り返し書いてきた「いい読者」像は、
一 記憶力のいい読者。これは含蓄がふかいのです。読書に、自身の人生を静かに投げかけるようにして読んでくれる人のこと。
二 想像力に富んだ読者。言い換えれば言葉の背後や行間に自然に視野の及ぶ人。
三 辞書をひくことを億劫がらず、むしろ楽しめる人。
四 ちょっぴりでもいい藝術的・創作的なセンスのある読者。作の世界に自身も参加してそれぞれのプラスアルファを付け加えてくれ得る読者。
そして
五 繰り返し読んでくれる読者。真の読書が再読からはじまり愛読耽読に至る人。
優れた土地が旅人を何度も惹きつけるように、そんな作品を書き手は書きたいので、この五番目は、読者が求める「いい作者」の定義とも表裏します。
こんなことを考えてみたことがありましたか。
* こういうやりとりでは、どちらかといえば、「秦さん」の方へ顔を顰め、そんなことをしているヒマにと叱る人が多そうに思われ、首をすくめている。それに、こういう高らかな助言は助言にも成らないタワコトかも知れないのだから。わたしの内によほどよくない虫が棲んでいるらしい。嗤いたまうな。
* 泉さん すこしくこのところボオッとしていて反射神経が鈍いようです。いちど頭の中を掃除しないといけません。
六義園にはふられました。しかし劇団昴の芝居はおもしろかった、佳い新劇でした。昨日の能もすばらしかった。
なにかしら、なにもかも、ゆるゆるというか、のろのろというか、弾みなく推移しています。たのしんでいるのに弾まない、いやではないのに気乗りがしない、ながれゆくもののように流れに身をまかせて日を送り迎えしています。それがほんとうの自由なのかと思ったり、文字通りの生活力を投げ出しているのかも知れません。要するに元気でないということでしょう。
京都を楽しんでいらっしゃい。 湖
* 湖様 ご無沙汰していますが、いかがお過ごしですか? 頭の痛み、気がかりです。
今年の桜は長く厳しい冬を耐えて、本当に華やかにはかなく美しかったですね。家から母たちの家へいく道の桜並木は年毎に豊かな花のトンネルになりました。こんなところに桜の木があったのだということに気づくことも多く、花の季節以外はひっそりとたたずんでいる木もこの季節ばかりは自己主張をしているようです。「お花見」にはいきませんでしたが、花を観ることはできました。
新宿南口もさらに大きく変わっています。元いたビルの横にはやがて某予備校の高層ビルが建つ予定です。そのままいれば日々、くい打ちの音に悩まされたことでしょう。いくつかのビルが取り壊され、やがて目を見張るような建物が新しく生まれることでしょう。
3月は別れの季節。社員が2名辞めました。代わりに2名の社員と3人のパートが入りましたが、会社の雰囲気もどんどん変わっていきます。私の直接手の届かないところで動くことも増えてきたような気がします。
4月は新しい季節。お元気に お過ごしくださいますよう。私もがんばります。 波
* お元気で。
2006 4・2 55
* 春のいい季節になりましたね。4/1の土曜日に東工大で花見をしてきました。天気も良く、風も爽やかで、しかも花は満開という絶好の花見日和でした。
桜並木周辺は花見がしやすいようにかどうかは分かりませんが、木の板で台ができていました。たぶん木の根の保護かと思われます。
先輩から後輩まで、何人も集まって楽しいひとときを過ごしました。昔の仲間はまったく変わらないような気がする一方で、干支が一回りしている学生もいて、年をとったことに気づいたりしました。修士の学生からは進路のことなどで質問攻めにあいました。
社会人の仲間は各方面で活躍をしているみたいです。各分野の技術者を集めて何か面白い製品でも開発できたら、と夢のようなことを考えてしまいました。
気のおけない仲間は本当に大事にしたいと思っています。
先生はどこか花見に行かれましたか? 卒業生 時
* この人は、独身。所帯持ちたちは概してめったには母校へ足を向けていないようす。母校の風情を、この「私語」のたよりからかすかに懐かしむ人たちは、だが少なくない。
* もうやがて「第二子長男」の誕生を告げてきてくれる人もいる筈。男の子、いいもんだよ。
2006 4・3 55
* 本日初櫻 雀
デパートの催しで好きな繪を見るのはあまり愉快でなく、チェックを怠っておりました。昨日の「日曜美術館」で紹介されておりました「浅井忠」展には腰を浮かしましたわ。京の高島屋に巡回しないかしら。もう終わっていたとしたらかなしい。
ふして思ひおきて詠(なが)むる春雨に花の下紐いかでとくらん
昨日は、いっとき車軸を流すほどに雨降りしきり、小止みになった隙に投票してまいりました。夕方になってようやく上がり、裂けるのを力一杯こらえているような桜の蕾が、風に揺れていました。
今日は部屋のファンヒーターが、加熱で止まる好天。市長選の投票率は55%強、二倍以上の票差をつけて現職が元職を退けました。
風の強さにさきほど出てみましたら、あの桜もこの桜も花を開いています。
一度吉野の花吹雪の道を行きましたから、何千本の桜並木というなら近江の海津へ、そうでなければ近くで一本たたずんでいる古木の花巡りが雀の望みですの。
芭蕉の句碑があるという伊賀の花垣神社にまいりましたら
一里はみな花守の子孫かや
の句。興福寺の桜のエピソードに由来しているとありました。中宮彰子のはなしでしたのね。
奈良の都の八重桜…今年は知足院の桜を見たいと考えております。
さて、晴れて風の穏やかな先日の土曜日に、例の“新田”、古墳群で知られる美旗(ミハタ)を歩いてまいりました。戦後まで“美濃波多村”だったそうで、古事記の安寧天皇皇子のくだりに“伊賀の三野”と、また、日本書紀にある持統天皇の禁猟地の一、“伊賀の身野”がこの地とか。氏神は“美波多”神社。ミハシラ神社とも呼ぶそうで、祭神は天照大神命、応神天皇(品陀和気命=ホムダワケノミコトではなく、こう書かれていました)、天児屋根命の三柱です。
新田は350年前に開墾され、水に大変な苦労があったそうです。古墳がある田の中を小波田川と新田水路が流れ、上小波田は観阿弥創座の地、上下の小波田地区で今も八坂さんのおけら火の火縄を作っているとのこと。
竹林に黄なる春日を仰ぎけり (虚子)
といったのどかな一日でしたの。後ほどご報告いたしますわね。
春埃の候につき、ますますお大切に。 囀雀
* 読みでのあるメール。いろいろ教わる。
2006 4・3 55
* 冨森幽香のことでメールをくれる人があった。
* 巌谷大四さんに富森幽香のことを聞いたような朧な記憶がある。もしそうならこの人は明治の志士で書家として名高い巌谷小六やその子巌谷小波の肉親にあたっていないか。わたしの母方祖父旧姓鵜飼い周吉が年若い頃に小六に親しみ、よく傍で墨擦りなどしたという話は能登川の阿部家(周吉が養子に入った家。周吉三女でわたしの生母ふくの実家)の人に聞いたことがある。MIXIも思いの外の縁を誘ってくれる。
2006 4・4 55
* 雀 お隣のお庭にあれッというほど雪柳の白い花が溢れ出しました。
「ご無沙汰をしていますがお変わりありませんか」と唐突なたよりは、「秘色・三輪山」を、持参した旅先で咄嗟に本を差し上げた方からでした。
ご本をひろげて、書き出しに四月五日とあるのにはっといたしました。このあと読んでみますわね。さきに新田を歩いての囀りを聞いてくださいませ。
近鉄美旗駅前すぐに古墳がございますが、まずは氏神さまに旅の安全をお祈りに。美波多神社と彫られた石柱と常夜燈の間を鉤の手に曲がると、数十㍍はあるでしょうか、まっすぐのびた参道の先に鳥居と建物が見えます。途中にお墓と道祖神があるほかは桜や松の並木などもなく、畑の中の道を歩みますが、駐車場が整地され、公園がつくられ、見るから最近になって植樹と造成を施された神社に少し落胆しました。ところが、手水を使って拝殿前に入ったとき、室生寺三重塔の被害で知られた颱風で鎮守の杜がひどく損われた結果によるものとわかり、がっかりしたことを詫びました。
ここは明治末に入植した農民が、氏神として勧請した神社だそうで、本殿脇にこの地を開墾した加納氏を祀る祠と顕彰碑がありました。それによりますと 1654年に開墾を始めたものの、水を引く苦労と工夫に何年間も費やしたとのこと。新田の集会場に水渡しに使われたという日時計が置いてありまして、水路は一番最近では十数年前に改修され、いまでも、日出、正午、日入に水渡しを行なっているとか。
神社の境内には雨乞い石があるそうですが、祠の奥に「山神」とある石仏が集められ榊が供えられていました。
ここから、次々に現われる古墳を見渡す新田水路の堤を行くことができるのですが、常夜燈に戻って次の常夜燈まで初瀬街道を歩いてみることにしました。
手入れされた庭木や旧家のたたずまいに目を遣るうち、玄関に“初瀬街道新田宿○○屋△△”と染め抜いた暖簾が一軒一軒かかる町並みへと変わって、その中ほどに墓地とお寺がございました。「天台真盛宗 馬頭山真性寺」。真盛は伊賀で亡くなった近江西教寺の上人でしたわね。以前に日吉神社へ行った後日、伊賀市西蓮寺のご廟に参ったことがございます。錆びたかねの燈籠が二基。本殿は新しいもので、古い石仏や墓石を一ヶ所に集めて、新たな墓地が整えられておりました。その名の通り馬頭観音がご本尊で、初午の行事で知られているようですが、この近くにあるのが陪塚も遺る馬塚古墳。県下第二位の大きい古墳で、前方後円墳の方を桜広場にし、円には三十三所の石仏が点々と立ち、華やかなお供物がいろいろ供えられた馬塚観音の祠がありますのよ。
お寺のご詠歌は、「そのかみはいくよへぬらんたよりをば ちとせをこゝにまつのをのてら」。
小浜は千手また十一面ですが、その西は馬居寺、中山寺、舞鶴の松尾寺と馬頭観音が多くなり、砂と松の橋、天橋立の成相寺になると聖観音になりますわね。
偶然に驚いたのですが、名張駅前から乗れる日帰りバスツアーを見つけまして、17日に、天橋立に出掛けてますの。観音まいりをして、いづれの日にか尋ねたい与謝探索を祈ってまいります。
さて、このあと2㌔ほど離れた古墳の横穴式石室を見にまいりましたが、そこの「赤井山貴福寺」は崖の上に観音、地蔵、地主神と三つの祠が建てられた、いかにも観音さんのお寺といった景色。室生寺八十八霊場のひとつとのこと。
美波多神社には合祀が十柱近くありましたし、跡であったり、集会場に建て替えられていたりと、どうもこの辺りは寺社が尠いようですが、ミノハタ、オバタは観音の里と雀は勝手に名付けました。
さて、“ひたりいせみち”と、指差す手を浮き彫りにした道標の手前、新田宿の外れに、萱葺きの家があって、暖簾ではなく木札で “福の神お休み處” と掛かっていたのに思わず噴き出しました。その前をなにか黒くて小さな影が横切っていきます。燕…!
今年初見です。
いせみちとは反対へ曲がり、田の中を通る道を進むと左手に古墳が見えてきます。
そのまま直進して、小波田川にぶつかったあと川に沿って、またてくてく歩きます。上り坂にくると、田からぶどう畑へと変わりました。
名張のぶどうというと今も再審が続いている事件のイメージがあってあまりよい響きではないのですが、秋は、あちこちでぶどう狩りや直売が楽しめますのよ。
「おとうふぅ」。豆腐の移動販売車が追い抜いていきます。
城跡の公園がひとつ、邸跡の小山がひとつ。酒屋があり、細い道が家々を縫います。
観阿弥創座の地という岡には能舞台が整備され、堤には、塞目守といったらいいのかしら、青竹を伐ってお札を貼ったものが立てられていました。
川に沿って進む道から別れ、左手の山道を上ります。小さなお稲荷さん、赤井山貴福寺、その先の赤井塚古墳では横穴式石室が覗け、さらに道を行くと先程と同じ青竹の塞目守。この先が白魂神社と地図にあるのですが、蜿蜒と延びる道の先に鳥居は見えず、草臥れたので引き返すことにします。
桜も木蓮もまったく蕾を開いておらず、梅が盛りと咲いておりました。歩く人がほとんどないため犬は自動車には吠えず、人に吠えます。猫とはにらめっこばかりになりました。
この辺りでおけら火に使う火縄を作っているそうですが、お隣の甲賀に竜法師(リュウボシ=流星)という地区がございまして、数年前から「流星まつり」といって花火や烽火を上げているみたいですから、同種の縄綯いの特殊技術なのでしょうね。
さて、その昔、簡便鉄道が伊賀神戸(イガカンベ)からこの古墳群を通り、新田水路の下を潜って名張まで通っていたそうです。
神戸駅は今もその位置にあり、近鉄の大阪線と伊賀線の分岐点になっておりますが、名張は今の鉄道とは全然違うところを走っていて、住宅地を通る細い道路として遺っています。
ここはすっかり整地された田と変わり、線路も途中の駅もすっかり形跡がなくなっておりました。
風が髪をとき、畑では二羽のモンシロチョウが追いかけっこ。小鳥の囀りが聞こえ、鶯も自慢の喉を披露しています。遠くに曾爾や美杉の山々を見ながら、のどかのどかと調子に乗って歩いているうち、道を一本それてしまったようで、“夢を実現しました”といった感じのこそばゆい分譲住宅地に入ってしまいました。
行けども行けども脱けられず、道を行く子供たちからは胡乱な目で見られ、頭を抱えながらようやくのことで旧い集落まで下りることができました。美旗駅と案内の矢印を見たときはほっといたしました。
途中でとんどの焼けのこりの切り株や、橋のたもとに挿された、細竹に裂け目を入れて神社のお札を挟んだ塞目守を見かけ、さきほど見送った車に書かれていた豆腐店を見つけました。その先、芝青々と鎮まっているのが馬塚古墳。てっぺんに登り、冬の残る風に首をすくめながら、景色を見渡してお茶にしました。
チョコレートがおいしかったですよー!
ところで県で一番大きい古墳は、伊賀の御墓山古墳で、今はミハカといっていますがオウハカ
とかアオハカといい、被葬者は四将軍のひとり、北陸道将軍、大彦命といわれております。
その西の伊賀一の宮に金山毘売命、少彦名命とともに祭られていると知って、そうだったのと晴れました。国分寺と一の宮へは越してからわりと早いうちに行っておりまして、見かけない祭神だけど誰かしらと思っておりましたの。 囀雀
* 囀雀レポートは、たいした精力です。
* メールと封書がほぼ同時に届いたようです。ご本(「秘色」)を読み耽っておりまして気付くのが遅くなりました。お心添え大変ありがたく、ご本のことなどもろもろ思いが募り、お礼が遅れましたこと心からお詫び申しあげます。
マゴ嬢(坊ですかしら?)のサイン入り招待状(中野美術館・松伯美術館)ありがたくいただきます。
言葉が見つかりません。深い感謝を捧げます。 雀
* 黒いマゴくんが泥足で踏んづけたのである。「サイン入り」ということで勘弁願った。両美術館とも奈良のあやめ池に近い。招待状を利用してもらえれば、わたしが助かります。どうしても各種美術館の招待状を、いつ知れずミスチャンスしてしまう。上野のプラザ展は、満員だろうか。「智」美術館での楽吉左衛門展など素晴らしかった。石本正展もよかった。国立工藝館や根津美術館など櫻の名残が美しいだろうに。
2006 4・4 55
* 好天。
* 早稲田の文芸科からは作家も出ているが、卒業生に批評家ないし文学研究者も。なかでも米子の平澤信一くんとは久しい。二年ゼミを引き受けたが、一年目に彼がいた。宮沢賢治の研究者であり、仕事も纏まる時機にあると観ている。二年目に小説家の角田光代さんがいた。
2006 4・6 55
* 秦先生 こんばんは。「私語の刻」にありました 冨森幽香は、ご指摘の通り明治の書家巖谷一六居士の娘。お伽噺の小波の姉にあたられます。
冨森家は赤穂義士の一人冨森助右衛門の末裔。
水口との縁が生じたのはは助右衛門の子長太郎を水口藩主(当時は下野壬生藩主)加藤氏が招いてその家臣としたからです。
赤穂義士の子弟を諸藩が競って仕官させた、その一例であったのでしよう。当時の藩主加藤明英は柳沢吉保に重用されて外様ながら若年寄にまで出世した人物ですが、そういうこともあったということです。
このあたりのことは冨森叡児氏の『うろんなり助右衛門~ある赤穂浪士とその末裔~』(2002年 草思社刊)に詳しく紹介されております。同氏はご兄弟と数度水口にお越しなり取材をされました。
幽香はその後裔にあたる冨森篤氏と結婚し、篤氏を亡くしてからは櫻様のお書きになっている通りでございます。
幽香は早くにキリスト者となり、旧城下にある水口教会の初代の伝導師となりました。
水口教会には今も一六居士が娘幽香のために揮毫した扁額がかけられており、幽香さんは教会の礎となった人として強く記憶されているようです。
同教会の歴史には、水口藩の大庄屋で豪商であった山村氏の後援がありましたが、小波さんの妻となった勇子さんはこの山村家の令嬢で、例の金色夜叉の題材に使われたごとき小波さんのの女性関係を心配した幽香さんが、
小波を水口に招き、勇子を紹介したことは、小波自身も書いていますし、巖谷大四氏の小波伝『波の跫音』にも触れられています。
以前水口教会の明治期の寄付台帳を拝見していましたら、小波と勇子の寄付も記されていました(これは結婚前の時期でしたが)。
小波が青年時代に麹町の番町教会で受洗したのは、当時の流行ということもあったでしようが、姉である幽香の影響もあったと思われます。
『波の跫音』にもあるように小波は終生女性問題と切れなかったようですが、勇子はそんなこともあって、むしろキリスト教に深く帰依し、とくに無教会主義に傾倒したと関係者からお聞きしました。
小さな田舎の城下町の教会史としては、なかなか魅力のある人物が揃っていると関心しています。
昨冬東京へ参りました折、泉岳寺へ助右衛門のお墓を訪ねました。人を訪ねることで歴史がつながっていく。そんな思いを新たにしたことです。 鳰
2006 4・6 55
* 今日は午後藤田嗣治展に出かけようと思います。お話しする機会ほしく、お声をかけてください。ずっと待っています。
名取取得のための曲「菊の露」を練習しています。谷崎のお墓で(先代の)富山清琴さんに唄ってもらったと松子夫人が書いていましたね。名曲です。
鳥の声 鐘の音さえ身に沁みて 思い出すほど 涙が先へ 落ちて流るる妹背の川を
と渡る舟の楫だに絶えて 甲斐も亡き世と恨みてすぐる 思はじな逢ふは別れと言へ
ども愚痴に 庭の小菊のその名にめでて 昼は眺めて暮しもなろが 夜夜毎に置く露
の 露の命のつれなや憎や 今はこの身にあきの風
「鳥の声」で俯いた顔をあげていくところから先生に笑われている次第。
おやすみなさい。 春
* 六日の朝刊で秦さんの声を聞きました。大岡信の「折々のうた」で。
学生の頃のように新鮮に遠い歌を身近に、十八才の歌を読みました。 川崎 E-OLD
* おやおや、それは驚いた。
* 水あさき瀬の音ながら通天の梁をやもりのうごく侘しさ
昨日の朝刊を見ました。 二月に初めて東福寺を訪れて通天橋(つうてんけう)を渡っていたので、このお歌の感じがありありとわかります。水の音、やもりの微かな動きまでが聴こえてきそう。寒いほどの静かさ清さです。侘びの美も孕んでいて。しみじみ佳いお歌ですねえ。大岡さんが「早熟な青年の静かな歌」と書いていらっしゃいますが、十八歳でさらさらとこんな歌を読む天才には脱帽です。
こんな青年と恋がしてみたかったけれど、まだ生まれていなかった。 都
* おはようございます。
風、お元気にお目覚めのごようす、安心しました。今日はおやすみになれるのですか。それとも、おでかけ。どうぞ、お元気で。 花
* 散り急ぐ桜花に反して気温の低さに春の実感はなく、雨と曇りが日替わりの様なお天気には、花見のドライブする気分もそがれてしまいます。
常に意欲的な創作への取り組みに加え、多くの知識を盛り込まれた文章、ご著書が送られて参りますたびに、多くのことを教えられる思いです。
6日の『折々のうた』は、秦先生の『少年』から。大岡先生が格別親しい秦先生を採り上げたことを感じ入りながら、読んだ次第です。
一年の休養を経てペンを執る大岡先生にも新たな意欲が湧いている感じで、始まって一週間、心打たれる「うた」に出会えます。近年の詩歌、短歌、俳句熱の高まりもあるのでしょう。
パソコンを購入して5年になりましたが、腕はさほど向上せず、メール仲間も高齢と共に熱が冷めたり病気でやめたり・・。
そんなわけで秦先生をお相手にメールをお送りした次第です。どうぞお元気でご活躍ください。 さいたまE-OLD 壮
* 別れの季節そして出会いの刻ですね。昨日は小学校の、今日は中学校の入学式でした。私も次々仕事の引継ぎをしながら、退職日までカウントダウンとなりました。
さきほど伊勢丹に行きましたら「京都展」をやっていたので、「三嶋亭」の牛肉のしぐれ煮を買いました。「イノダコーヒー」のレモンパイも買おうとしたのですけど、本日分はすでに売り切れ、残念!もうちょっと頑張ります。 ゆめ
* もとよりも恋は曲もの懸想文
山辺の赤人が好き人丸忌
明日は虚子忌ということですが、シュンセイとシュンゼイの誘惑に京へいってまいります。
聖護院前の道を何度か通っていながら、須賀神社に目を留めたことはありませんでした。十日ほど前、NHKの俳句番組で懸想文が紹介されていました。雀は、多田蔵人の莨売り、「嫗山姥」を思い浮かべ、あら、と見ておりましたが、もとは八坂神社の犬神人(いぬじにん)が赤い着物に赤い袴、烏帽子をかぶり白覆面で正月に売り歩いた縁起物と知りました。ジニン、ツルメソという言葉も。
藝能の流れ川の水底に、少しずつ虧けながらブルーブラックインクを流している塊があること、それを置いた人があることに、おかげさまで思い及ぶことができ、ありがたいこと、感謝を新たにいたしました。 雀
* 含蓄の濃いメールで、雀さんのこのメールを、すらすら読み解ける人は少ないのである。
2006 4・7 55
* 藤田嗣治展を観てきました。最初の一枚から圧倒的でした。画業の軌跡をたどり、とても興奮してよく眠れないかもしれません。驚嘆しました。戦争画を含めた詳しい感想はまた後日書いてみます。
もし、ご覧になる予定でしたら、早めにいらっしゃいますことをお薦めします。
藤田嗣治の生涯を網羅した展覧会が開かれるのは初めてではないかと思います。鳥肌立つほど素晴らしいので、人が人を呼んで益々混んでくると思います。「書の至宝展」も日に日に人が増えていたようでした。早めに出かけた私は待たずに簡単に入れましたもの。
グレン・グールドが初めてロシアでコンサートを開いた時に、バッハプログラムなんて退屈だということで聴衆がほとんど入らなかったそうです。当時バッハをコンサートで弾くピアニストなどロシアにいなかったとか。
ところがコンサートが終了した時には、会場は満席で大喝采だったと言います。曲目の切れ間に、演奏に衝撃を受けた客がそれぞれの友人知人家族等々に電話をかけまくったのだそうです。何をおいても今すぐ聴きに来いと。今回の藤田嗣治展もそういうものです。
今日はお歌(「折々の歌」)から始まり、藤田嗣治を観て、凡女は高ぶって眠れません。でももうおやすみでしょう。
だから、おやすみなさい。 春
2006 4・7 55
* 今日は花粉が舞っている。夕方、林丈雄くんが来てくれる。
2006 4・8 55
* つかのまの嵐のあと、晴れています。
週末はどこも混んでいるので、おつかいは自然と平日になります。
製紙工場のたくさんある地元は、「紙のまち」で、古紙の分別がすすんでいます。
シュレッダーを買わなくては。個人情報の記載された郵便物を、むやみにリサイクルに出せませんもの。週明け、お店に行ってみます。
いかがお過ごしですか。 春風の好きな、花
2006 4・8 55
* 六時前、林丈雄君来訪。夕食して歓談。そのあとわたしの器械をみてくれた。破損したニフティ・マネージャーのメール機能は結局回復せず。
妻の器械の方は、希望していたことが希望通りに成ったようだ。十時二十分ごろ、川崎へ帰る林君を見送る。お疲れさん。感謝。
2006 4・8 55
* うなりをあげて風が吹いています。まだ寝具は真冬のまま、平織りの薄いウール一枚外せずにいますが、そちらも花冷えのようで案じております。くれぐれもお大切に。
あれよあれよという間に桜が咲き、桜と雨と風とを三色の団子のように味わった日でした。京は桜人日和。昼過ぎから黄沙で四方の山がまったく見えず、白い太陽のもとぼんやりと霞む景色に、花酔いかゆめまぼろしかというありさま。
因幡薬師、俊成社と俊成邸跡、新玉津嶋神社、蕪村終焉の旧居跡と巡り、丹波橋へ出て、乙訓寺、向日神社、大原野の喜春庵、西岩倉山金蔵寺。そこから広沢山遍照寺。児神社へ参り、広沢池の石造十一面千手観音。
どちらにうかがってもよいお参りをさせていただいてばかり。
十一面観音さんのご加護と秦さんのお導きに感謝いたしました。 囀雀
* よほど車での繋ぎがよくないと、これだけは廻れないだろうな。いずれも、どれかの作で、足を運んでいる。雀さんの精読には感嘆。
2006 4・8 55
* あたたかい日です、風。
機械に問題はありませんでしたか。風が東海道へ吹いてくださるなら、嬉しい。でも心配は、お疲れになるのでは、ということ。ご自宅から東京駅までが、けっこうありますでしょう。何のご無理もないとき、ふわふわっと春風になって、いらしていただけたら、富士山がどんなによろこぶことでしょう。
どうぞ、お大事に。お元気で。 花
* むかし、富士山が高い高いと言うけれど、どれほど高いのかしらんと聞くと、秦の父が、普通の山なら「これぐらい」とちらと眉だけ動かして視線を少し挙げ、富士山は「これぐらい」と顔ごと天井を見上げて見せた。三千何百メートルなどという知識でなく、そのときの父の教え方にわたしはある種の感動と称讃を覚え、今も忘れない。
姫路城へも室生寺へも竹生島へも桑名や伊勢へも、新潟の村上や、それに一度淡路島へも、行ってみたいが、なんとなく自分の体力がつよくはそれを奨めない。歩きに出よ出よと妻も奨めるが、ちっともそんな気は起きない。花粉を感じるとたちまちジーンと眉わきの奥の方が痛んでくる。
* 昨夜、林君がしていってくれた一つに、入ってくるメールの変なものには「スパム」と警告がくっついていくること、だから迷わず削除出来る。ま、その数の多い事よ。
* ご体調いかがでしょうか。心配しています、とても。できたら病院に行かれるか、お知り合いのドクターにご相談なさってください。お願いです。
今、湖水の呼吸をじっと感じています。 春
* 小雪 hatakさん
四月の中旬というのに札幌は雪がちらほら。今日の雪は、「小雪」という感じでした。
ご不調の様子、案じています。 maokat
2006 4・9 55
* 春さん、MAOKATさんのお見舞いメールを貰っていた。スパムメールが十幾つ。(SPAM)の表示にしたがい、迷わず消せて有難い。
* 風 がんばって。
血糖値の上がらないおいしい食べ物があればいいのに。きっとあるはず。
ゆっくりおやすみになってくださいね。
どうぞ、どうぞ、お大切に。 花
* ま、体調は気にし過ぎても仕方なく、他人事か余所事かのように「観察」しているという、その距離感ががいいのだろうと思っている。あえてムリはしないが、萎縮してもならない。病状に追いつかれないように、したいことをしながら、なるべくスタスタ歩いて行きたい。衰えて行く一方の「男」のほうがよっぽど愛おしい。ハハハ
2006 4・10 55
* 花の雨 駅前のアスファルトが降り頻(し)く雨に濃い藍色となり、散り始めた花びらを受けとめています。
雨もよいの朝は暖かいものですが、春夜は案外冷え込みます。湯冷めなどどうかお気をつけください。
少し寝坊した昨日、窓から見える桜花と薄絹を被せたような空の色に誘われ、南へと花逍遥に出かけました。
伊賀盆地を外れると、片側が川、反対は山という旧い細道を走ることが増えてまいります。何度か通ったことがある路線バスの通う道の脇、日当たりのよい草の斜面のここかしこに茶色い毛の塊が見え、なにかしらと目をやりましたら、何頭もの猿がみな同じようにかがみこみ、一心になにかを摘んで口に運んでいますの。普通にある山の集落。すぐ近くに作業をする男性の姿もありますのよ。ほんとうに人の生活圏までこうしておりてますのね。
さて、コーヒーがかぐわしい道の駅で一休みして、気に入りの大福餅を買いましたら、「来週は桜まつりですから、ぜひ」と地図をくださいました。
旧美杉村三多気の桜も捨て難いのですが、樹齢100年以上の山桜が丘を埋め尽くすという御杖村の“丸”山公園が気になって、ピンクに染められた幟の導くまま道を進みました。一輪咲いているのを探すような桜の具合でしたが、新しい駐車場、トイレ、水道、そして下草をきれいに刈ってお客を待つばかりといった丘は、まさに、古墳。その縁から苔むした石段が鬱蒼とした森へ下りてゆきます。その先にある巨石が、倭姫がご休息になった姫石神社で、婦人病に効くとあるので、しっかり手を合わせました。手作りの鳥居や小さな祠、空き缶の賽銭入れが心を和めます。
岩坂と書かれた札が立っています。
あたりには○○石というのが五つほどあるそうで、磐境(いわさか)でもあるのでしょうね。
石段は消え、倒木の折り重なる小道がさらに下へ延びています。この先、西は伊勢奥津(オキツ)、東は神末敷津(コウスエシキツ)に至ります。 雀
* よく書けている。
* スガノ 神末園座(ソノクラ)にある御杖神社に寄ってみることにいたしました。
あちこちにコンクリートが打たれた神末川を目に入れないように、水音を五十鈴川に同調させて、何本もの杉の巨木に護られた御杖神社の景気に浸りました。
1554年の棟札に「伊賀之国名張上津江之御宮」とあるこの神社は、久那斗神(くなどのかみ)、八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢比女神を祭る道饗(みちあえ)祭が行なわれていた神社だそうで、倭姫(御杖代=みつえしろ)が行宮(あんぐう)を造られたところから神末村は伊勢神宮の神戸(かんべ)となったとのこと。神社に倭姫命の杖を祭り、杖から生じた神、久那斗神と杖のゆかりがたくさんあります。
このあと、川を目の前にした社殿をもつ四社神社(大日霊貴尊、伊邪那美命、譽田別命、天津児屋根命)に立ち寄りました。菊花石ほか奇石がいくつもあるのが興深く、境内に倭姫が禊をした泉という井戸と、用明天皇皇女がここにあった倭姫行宮跡に宮を造られたおり現れた酢の泉の石碑があります。川は菅野川、地名は菅野宮ノ本ですが、酢香手姫の由来、酢香野の地なのですね。
近くの安能禅寺は室生寺別院といわれ、南面した山門の景色がとても佳いお寺でした。
道は桜峠を越えて青蓮寺川についたり離れたりしながら曾爾村へと入ります。 雀
* 榛原で 曾爾村屏風岩の山桜も見応えがありそうですが、桜まつりはさ来週と聞いて伊勢本街道を西へ。年々賑わいを増す榛原の佛隆寺に駄目元で行ってみました。なんでも大河ドラマで一層有名になったとのこと。
お寺のすぐ下までクルマで行ける上、そこからも春は桜、秋は彼岸花がよく見えると景勝人気のお寺ではあります…が、いやはや大層な人。
“千年桜”がなかったとしても、雀にとっては心解く道のりであり、長い石段も境内もそこからの眺望も好きな寺だけにまた別の日にゆっくりと時を過ごしたい。今日のところはわずか離れたしだれ桜咲く悟真寺に行くことにしましょう。
きびすを返すようにクルマをUターン。道を先に進みます。自明バス停前の橋を渡ると悟真寺への案内板がございました。南西に向いた急斜面を右に左に上っていくと、カーウ゛を曲がるたび眼下に展望がひらけ、道の先には山のお寺の花霞が見えてまいります。道のりって大事ですわね。ミーハーな雀は特にこれで気分が左右されます。
正面に着いたとき、門から菜の花色の法衣をまとった、青年と少年のあいだといった感じの一人の僧が小走りに駆け出てきました。
「こんにちは」という笑顔が清々しく健やかで、雀はこのお寺がいっぺんに好きになりましたわ。
白鳳時代の誕生仏を一体、奈良国博に預け、聖観音をご本尊とする曹洞宗のお寺だそうです。門をくぐると庫裏の前に、杖をついた年配の女性と彼女に寄り添って中年女性が立ってらっしゃいました。お孫さんをお見送りなさってらしたのでしょうね。お二方の空気が先の彼と同じですの。
崖に建つ観音のお寺特有の景気に満たされ、梅はまだ散らず桜は七分咲き。雀が判るだけでも、連翹、木蓮、牡丹、紫陽花。ほかにも手を入れた木々がさまざまにあり、花壇の石のきわにさえこまやかにパンジーなど小さな草花が植えられて、お心根がしみじみ伝わります。敷かれた白砂は清らかに筋が立って落ち葉一枚なく、背筋の延びた
穏やかさにこちらもふっと息をつきます。本堂前のつくばいに桜が一房落ちて、水にくるくる舞っていました。 雀
2006 4・10 55
* 花人 大宇陀(又兵衛桜、天益寺)→榛原(佛隆寺、悟真寺)→室生(大野寺、西光寺)と、大阪方面から東へ移動する花人が多かったようです。
近鉄の室生口大野駅からとっとっとと道なりに下るとまもなく、よどみなく流れる宇陀川をはさんで右は大野寺のしだれ桜、左は磨崖仏。駅ホームの桜並木もお寺の桜も一番の花盛りで、一帯は花の衾(ふすま)を被せたよう。桜色に溶けていくアタマには言葉のひとかけらものぼらず、茫然とするばかりでしたわ。
あッ、ごめんなさい。大河ドラマで有名になったのは又兵衛桜でした。思い出しました。お詫びして訂正いたします。
道すがら、風を孕んで泳いでいる鯉のぼりや、矢車をつけた幟竿を立てているところに行き合いました。つぼみを開いたばかりの蕗の薹を見つけ、摘んで帰って夕餉のおつけに散らしましたら、晩れがひたひた浸みてくる酣春の匂いが部屋に漂いました。
桜の古木は花のないときのほうが、よく尋ねますわね。
長谷寺から初瀬川を溯ったところの滝蔵神社の権現桜も好いですが、崇峻天皇倉梯岡上陵から斜面を数百㍍上ったところに、満願寺の八講桜という木があるそうで、一度行ってみたいと思っていますし、信楽町畑の樹齢400年という古木を、大津の川端龍子展を観に行くとき尋ねてみるつもりです。
京を旅した囀りはのちほど。 囀雀
2006 4・11 55
* 菜種梅雨 少し肌寒く、暖房を入れています。
筍ご飯と木の芽和えを存分に食べたくて、空の冷蔵庫を埋めがてらの買出しをして、娘にも母の味をお裾分けしてきました。ちりめん山椒を少し振りかけるのがミソかしら。
(京の)花見小路のねきの喫茶店からの携帯花便りは、届いたのか削除されたのか、音沙汰なしで分かりませんヨ。お元気ですか。
中学仲間と車で巡った琵琶湖、三井寺石山寺周辺は蕾が固く、目をすったか、と肩を落としましたが、まあ、ご想像通りに子供に還り、話の花に華やいで、楽しみました。渋面なさるな、この楽しみは女性の特権。
二日目は時雨て。休日の義弟に頼み、満開と目星をつけて洛南を目指てしドライブ。
井手町の玉川、八幡の背割れ桜、京都新聞に夕陽に浮かぶ美しい写真を紹介されたばかりの、やや高台にある地蔵禅寺の枝垂れ桜、と、程ほどの人出で、ゆるりと観覧。一足延ばせば、九体寺やなア、と言いながらも、帰りの渋滞を恐れて、近場の蟹満寺へ。小さな小さな本堂に、窮屈そうに白鳳時代の八尺八寸の国宝、釈迦如来がおわします。
私達が貸しきりのような誰もいない、贅沢さ。京都に住まいしている頃の母がお気に入りの仏像で、両親は真言宗のこのお寺へ何度もドライブで訪れていたそうな。よく話に聴いていた釈迦如来像を懐かしく拝礼。
二日後、泉山へお墓参りをした折に立ち寄った、お向いの、これまた誰もいない静かな戎光寺の丈六さんと云い、国宝が手直かにゴロゴロ、なんと勿体ないことやなあ、こんな京都が、やっぱり、ええわ、と妹に。
三日目は文句なしの晴天。近場の醍醐寺へ、出足の少ない朝早に開門を待ち、霊宝館の国宝、重文の仏像群も然ることながら、窓口さんが是非にとお勧めの数本の枝垂れ桜は蒼空に映え、白塀に映え、これほどの好条件でこの枝垂れ桜を観る機会は再び叶うまい、と、大満足の一期一会。この旅のハイライトでした。
お昼を駅のフードコートで簡単に済ませて、地下鉄を蹴上で下車、南禅寺の山門から、観光客は哲学の道へと辿るけれど、こっちへ曲がれば穴場だと。子供の頃の懐かしい遊び場、動物園裏のお屋敷(なんとか邸)の何本かの枝垂れ桜がはんなりと靡いていました。
平安神宮の赤い鳥居は目の先、
東山の緑を背景に染井吉野の映えること。花を付けた桜の木を観るのは四十六年間ぶりと思うと感慨深く。これを観るのが、念願だったのよ、と丁度展覧会の合間で閑散とした西洋美術館の疎水にガラスに越しのソフアに腰を下ろして、いつ頃から始めたのか花見の屋形船が行きかい、そんな人に手を振ったり、と満足の一休み。
一、ニ年、間を空ければ、浦島花子になり、神宮道のお店が様変り、少しお兄さんだった幼友達のお宅が土産物屋に、向いの食堂も又然りと。あなたは多分此処でちりめんのブラウスを買ったのね。
昔の我が家は遠目に見やって粟田坂へ。行き付けだったの角のうどんやお福は懐かしいけれど、通り過ぎて隣の白川小学校で記念写真。この際、氏神様の粟田神社をちょいと覗きたいのを、妹の「なんでそんなトコ」を考慮して、グッと堪えて山中商会の隣の細道へ直行しましたが、定休日。
青蓮院の楠の枝に小学五年生の男女何人かで乗っかって、枝に疵が入って逃げたのは、もう時効よね。
円山公園のお花見は酔っ払いに絡まれた子供の頃からいややったから、早く抜けよう、とかの高名な枝垂れ桜を横目に、石段下へ、いづうにも入りたいね、と云いながら混雑する辰巳橋へ出て、疏水辺りを三条大橋へ、京津に乗れば、山科はすぐ。
翌日は、泉山へ墓参をして、タクシーで今出川の同志社前の門から御所に入り、枝垂れ桜と特別拝観を。
翌日、孫に会いに宝塚へ。沿線の桜は満開。一日、息子の車で明石海峡大橋を渡り、淡路島へ。丁度疎開をしていた町にテーマパークがあり、海を望む花博の跡地の辺が、小学三年の疎開児が母と二人でリュックを背負って歩いた山道ではないかと。
もう何十年昔になるのでしょうか。数えたくない。
下の孫がその歳なんだもん。 古稀寸前の姥櫻 泉
* 醍醐寺で三宝院には入らなかったのかな、たった一行でいい、日本一の庭の風情も知りたかった。しかしまあ、どこもかしこも懐かしく眼に映じる。ものごころついての六十年がたちどころに甦る。
先日、ひとりでバルラハの彫刻をみたあと、国立近代美術館のなかから眺めたあの疏水を、花見の舟が行くとはね。これは知らなかった。羨ましい。あの日に真澄の空に映えていた大鳥居も目に甦る。あのヴラウスもめっけものだったし、あのあとの昼飯も静かでよかった…。
おっと、醍醐三宝院にはやっぱり入っていたらしい、五日前にメールを貰っていました。
佳い旅で、よかったですね。
* 祇園辰巳橋 桜爛漫、人出多く今通過、花見小路のねきでお茶しています。午前中の醍醐三宝院、霊宝舘の何本もの枝垂桜は青空に映えて満開、大満足です。矢張り京都には、枝垂桜が似合います。平安神宮渓流橋の桜も観頃。白川小学校の前で記念写真を撮りました。明日は御所の拝観を予定しています。今生の別れどころか、来年も来たくなります。ほな、また。 泉
* つぎつぎとグループ展に追われていまして、失礼しております。 出品作ご笑覧くださいませ。 今回のは必ず自画像を一点出すのが決まりでした。 郁
* 写真で観るかぎり、本作の「花」がとてもいい、すうっと、これまでの技術的な「造り繪」の域を、美しく楽しげに突き抜いたよう。買いたいぐらい、宜しい。自画像は宜しいとは言えない。毎日、鏡を見て一枚ずつは日記のように「手前のツラ」を批評しなくてはという助言を履行していない自画像で、大甘というより、モノを観ていない。しかしまあ、はじめて自画像を観ました。また頼みます。
* おかげんいかがでしょうか? 体調があまり優れないご様子、心配しております。
もう少し調子が良くなったら、きっと葉桜のもとでお逢いしましょうね。
電車の窓から見える公園の桜吹雪があまりにも美しかったので、夕刻でしたけれど、思わず途中下車してしまいました。しばらく池のまわりを歩き、水音を聞き、少しばかり冷たい春風に吹かれてきました。
14,15日は高山祭り(宵祭り)、そして内藤新宿ゆかりの高遠の桜をみてきます。満開の桜が私をまっていてくれるとよいのですけれど。
『千一夜物語』は五巻のなかば、旧約聖書は遅々としてすすみませんけれど、あせらず楽しみながらこの一年かけて読み通します。 ゆめ
* 繪島の櫻、もの静か。ゆめにも咲いて、もの静か。
* 同病相憐れむ 夕方から頭痛です。この痛みは頭痛もちにしかわからないつらさ。
十年ほど前には、鍼のいい先生がいました。頭痛ですと言うと、両足の親指と人指し指の間のツボに鍼を打ってくれて、十分ほどですーっと頭痛がひいてしまいました。まさに神業でした。
その先生も亡くなってしまい、鍼のよい先生を探し続けて、今は諦めて薬に頼っています。鍼も才能です。その先生のご子息も弟子もみんな微妙にツボをはずして、効き目が薄い。患者を触って、それぞれ違う身体のツボをさがして打つというのは、人に教えられるものではないのかもしれません。
安岡章太郎さんはメニエール病を鍼の名医で治されたと読んだことがあります。良い鍼灸師との出会いは人生を変えます。
推測によると、血流がよくないのかもしれません。デスクワークに運動不足に読み仕事。首や肩の凝り、背中や腰の痛み。みんな血流の滞ることによります。鍼は血流を改善します。素人考えですが、血糖値のコントロールも血流がよいほうがスムーズかもしれません。
鍼灸師の良い先生を見つけられますようにと、お勧めします。聖路加の先生が反対なさらなければですが。鍼には、薬の服用のような副作用がないので、身体にやさしい医療です。痛くないし。もし体質にあえば、不快な症状の緩和に役立つような気がいたします。ただし、無免許などのヤブ医ですと大変なことになりますので、くれぐれも慎重にお探しください。また、鍼でも太い鍼を使う人と細い鍼を使う人がいます。わたくしの場合は細い鍼でないと体質に合いませんでした。以上、いつものおせっかいナースでした。
早く痛みがとれますように。 春
2006 4・11 55
* 雨を聴いている、深夜の。こめかみ左右(そう)の痛み、貼り付いて。さ、いろんな声を聴いた、闇に静まろう。
2006 4・11 55
* 愁い鳶さん。
ことしはろくに花を観ずじまいでしたよ。陽気がヘンで、わたしは元気が無くて、なんとなく体調停滞。仕事はしていますがね。自分を、なだめたり、だましたり、はげましたりしながらね。疲れると眠りこみます。
ひどい雨でした。被害が出ています、我が家にも少し。
明日は、しばらくぶりに外へ出て、勘三郎のモダンな四谷怪談をかぶりつきで楽しみます。
ま、鳶さんはお若い。ゆっくりゆっくりした気分で、サクサクサクと乗り切られよ。 鴉
* いくサン 花は佳い。美しい。構図に今一段大胆な、破れたみたいな力強さが出れば美しさにも力が漲ります。しかし、花はなかなかです。
自画像はまだ厳しい真実感がない。ゴマカして妥協しているし、似ていなくてもいいけれど、自分で自分をどう見据えて批評しているのか見えてこない。自画像はリアリティがもっともっと必要では。用のあるときだけ描いた自画像はダメね。
日記ほど、毎日毎日自分をとっつかまえて、エンピツでも、木炭でも、クレヨンででも、描いていじめなくちゃ。 湖
2006 4・12 55
* ご無沙汰お詫びかたがたにお花の絵の写真をおそるおそる お送りしましたのに。ご丁寧な感想やお叱りを有難うございました。
思いがけずのお言葉に天にも舞い上がる嬉しさです。有難うございました。
この花の絵は、作者の思いとはうらはらに、先生がたやみなさんに、輝いているとか いい絵だとかおっしゃっていただき 自身驚いております。
そのうえに一番評価していただきたい貴方に、はじめてぐらいのお言葉! もうのしをつけて貰っていただきたい気持ちです。25号の大きさです。
自画像はまだまだですね。わずか三時間ぐらいで描いたもので。やはりダメでしたね。もうすこし見直します。有難うございました。
お元気でしょうか? 私はいつもいつも追われておりまして ときには体調不良になり寝込んだり。そして中断したりと。つくづく歳を感じております。
昨日はかねてからの飯森範親氏のコンサートへ遠い池袋の東京芸術劇場までいきました。 午前様ちかくになりましたが なかなかに充実感のある内容でして満席でした。
その前に、最澄と天台の国宝展や、プラド美術館展など鑑賞して これも満喫しました。 あまり欲張りするので、今日はあさからダウンです。
もう私はあきらめておりますが、お目にはかかれないと。どうぞお元気でとお祈りいたします。 郁
2006 4・13 55
* 智慧貰い 四十三詣りって、だめでしょうか、もう遅いかしら…。
鶏冠井町の長岡京大極殿跡は見つけましたが、継体天皇の弟国宮(おとくにのみや)はどのあたりにあったのでしょう。長岡京が10年、弟国宮は8年も存在していたのに。
夜もよほど明けてのち、ひたひたと濃い霧がこもり始める日でした。雀は乙訓のパンフを手に、オツムの霧から文を紡ぐのに思案投げ首です。
花時に京へ出るなど雀の癲狂も重症ですわ。美術展はともかく、東山など行こうものならどうにも動けず、まさに“往生しまっせ”。
きっかけは、お作。因幡薬師の縁日をご開帳と勘違いしたのが引鉄(ひきがね)ですの。4月8日のお寺といったら花まつりと、8日が薬師縁日ということに、行ってようやく気がつきました。本堂裏に桜が1本、満点の満開で、近所のおじいさんから「ここで花見できるよ。混んでるとこいかんでも」と言われて、ほんとほんと、と笑いながら、いっそ西山
奥まで行ってみようかと、これはもう、癲雀。
ところがありがたいことに向(むこう)神社の長い参道が延々桜のトンネルで、しかも絶好の時にあたってたようですの。どうしてと思うくらい人がいませんし、本殿も鷹揚に落ち着いていてふくよかで、時代を抱いた暗やみの深さに、ちょっと京都市内でもこんな好い雰囲気のところないわって、雀はごきげんで、カミサマの恩寵に感謝いたしました。
牡丹で有名な乙訓寺(おとくにでら)も、「そんな、ごった返すほど込みませんから」といわれました。
みなが穴場穴場と鵜の目鷹の目で探し、それがあっという間に広まってしまうこの時世でも、おとなう人も少なく、そこにいる人の気もちの、つつましやかに染みてすぐれた佳いところが、京都にまだこうして在るのですね。
苔寺、石の寺、鈴虫寺、花の寺、竹の寺というのがなんだかアンノン風で好きになれないこと、善峰寺と十輪寺にがっかりしたこと、一般的な京都市内観光図から外れていること、京都市、向日市、長岡京市、大山崎町とこみいってそれぞれ別に案内をしているため、すいすいと見て歩くことが難しいことなど、洛西に疎いまま、きていました。
鶏冠井をカイデと読むこと、それが楓の古名ということ、蛙手という説もあることを
今回の旅で初めて知りましたし、重文クラスの十一面観音また千手十一面観音が、大山崎町(宝積寺、観音寺)、長岡京市(青龍寺=勝龍寺、乙訓寺、光明寺)、西京区(善峰寺、金蔵寺、喜春庵)と、点々とあることを。そうと知って俄然興味が湧いてきましたのよ、洛西に。
遍照寺と広沢池観音島も含め、十一面観音をキーワードに組んだ旅は、途中で旬の筍を味わういとまもありませんでしたが、因幡薬師で二体の十一面観音坐像に出会った驚きも含め、味わい深い佳いものでした。
ところで、金蔵寺で、開山隆豊禅師のお墓近くに、「梅若公 桂海律師の墓」とありましたの。僧と稚児…今日は梅若忌ですわ。 囀雀
* 雀さんのこういう囀りは、なまなかの観光案内では決して買えない、高価な手引き。わたしも舌を巻く。連れてまわって欲しくなる。
2006 4・14 55
* むかしがたり 紫木蓮が花びらをそらせています。一枚も散らない極め付きのつやっぽさで。
少し寒い日です。ホットチョコレートにブランデーをいれてお風邪を防ぎ、お仕事がすんなりはかどりますようお祈りいたします。
ここで花見ができるよとおっしゃったおじいさんに俊成町の道を訊くと、シュゼイチョウと訂正されました。
京の町もいよいよビルが立ち込んで、え、と思うようなところにちんまりと石やお社という風景がいやまして、それが京都らしいと、また、うけます。
因幡薬師と彫られた門柱が旧い石というだけで嬉しくなってしまう雀です。4月8日なら見られますよと聞いたのをご開帳と勘違いしていました。無料公開の日でしたの。縁日にかかわらず普段も拝観できますのね。
桜のところから入りましたらこちらは裏門。若い女性が何人も小物や古着などの店をひろげているのに気を呑まれながら本堂正面にまいりますと、こっちですと収蔵庫を教えられ、いま思い出しましたが、ちゃんとお参りしたのか怪しいのです。収蔵庫の向かいのお堂から香とともにお経が流れてきたので、覗いてみると、十一面観音の坐像二体を本尊に、隣は如意輪観音。みな小ぶりな仏像ばかりですが、お経をとなえてらっしゃるおばあさんやおばさんの信仰にぴったり寄り添って合い、お堂もしっくりとして、年月と人と仏がまじりあったさまに、今日巡り逢えてよかったと思いました。
収蔵庫には解説用のカセットが器械にセットされていましたが、“本日宝物殿担当”といったおじさんは、朝から器械と相性がよくないようで、雀一羽に口頭で由来など説明してくださいましたの。ありがたかったですわ。そのほうが忘れませんし、なにより嬉しくて楽しいですもの。学術上、歴史上にどうの、重文だ国宝ということより、ものがたりやおはなしが好き。
沖で漁師の網に掛かって、と絵巻を見せながらお話が始まります。「で、行平サンが任を終えてここへ帰らはったときに『わしも連れていってくれぇ』て薬師さんが飛んできたんでしたな」と後ろから入ってきた男性が合いの手を入れました。
「これは小督サンの琴です」。
「この琴の音色で嵯峨野にいたのを探しだされたんですね」と口にしたとたん
「そうそうそう」と思いのほか喜んでくださったのにびっくりしながら雀も嬉しくなりました。
ばらばらと人が入り始めて、あわてておじさんは「○○さぁん、ちょっとカセット教えてぇ」と出てゆこうとなさいますので、お礼を言ってお寺を出ました。 囀雀
* ほおっと一息ついている。いまぶん、無事に動いているが、何にしても、もう一つ緊急のためのメールサーバを持っていないと危ない。頭が、咄嗟の際に器械にくっついて動けない。
* おはようございます、風。
このメールが受信できますことを祈りつつ、送ります。
私語、見ました。
ルータの四つの緑ランプのうち、ひとつ点灯しない、とのことですが、同じこと、以前の住居でよくありました。
そんなときは、パソコンの電源を落とし、ルータには電源がないので、アダプタをコンセントから外し、ゆっくり十数えてからすべてを再起動しますと、うまくいったものです。ちょっと面倒ですけど、おすすめです。
それとも、もうお試しになりましたか。
東京へ出かけられたらなあ、と、風のこと想っています。お元気で。 花
* 秦先生 おはようございます。 丈
ADSL不調? でご心配のようですが、先生はどこのADSLを使っているか、ご存知でしょうか。
窓口業者はBiglobeだと思いますが、Biglobeに申し込んでも、複数ある回線業者のいずれか一つと契約しているはずです。
BiglobeのADSL不具合情報は、以下になるようです。
下記ページの中段ほどに、「ADSL」という見出しがあり、その下に、回線業者ごとの不具合情報(へのリンク)が並んでいます。
http://support.biglobe.ne.jp/shogaiap/index.html?MM
(NTT東日本、イーアクセス、アッカのいずれかだと思います。)
ざっとみたところ、アッカネットワークが、昨晩01:41-03:03に通信停止だったようです。
アッカ以外に不調はないようなので、先生の回線業者がアッカでないとなると、、、先生宅の不調の原因は分かりません。
ここを見ていただくと分かりますが、ADSLの不調というのは、(アッカに限らず)実に頻繁に起きています。
そういうものだとご承知おきください。
■それから、一部のあて先へのメールの送信が上手くいかないことについては、原因は分かりませんが、次回、同じことがおきた場合、以下によって、原因が分かるかもしれません。
私の場合、つねに②を実行するようにしています。
① 自分自身に、内容のないメールを送る → 受け取れれば、送信に問題なし。
② 送信先を、複数(相手、自分自身)にして送る。
→ 自分自身が受け取れれば、送信・データに問題なし。
→ 自分自身の受け取り成否はともかく、Returned mail云々という題名のメールが届く場合、相手のメールアドレスが間違っているか、相手のメール会社に不調がある。
(よくある例1: 相手のメールアドレス間違い
よくある例2: 相手のメール会社が不調で、「今はメールが届けられない。数時間後にもう一度再送信します。」という意の”Returned mail云々”がメール送信会社(nifty)から届く。)
■問題解決にはなりませんが、以上、少しでも不安が除ければ幸いです。では。
* 二人とも親切に。感謝。もっと慎重にニフティのメール版を扱えば良かった、データベースを、いじくって破損してしまったのがいけなかった。
* 秦さんへ 「わたしの・・・気配」は、「神経質にならない」でやはり「フォローすべき」と思います。以下省略。
浜までは海女も蓑着る時雨かな (だれの作か忘れました)
春になったので部屋など整理しています。
すてられるものばかり E-OLD
足袋繕いもしています。年寄りには足首を締め付けないのでいいのです。
くれぐれもお大切にしてください。 勝田
* 春もたけなわ過ぎ、千葉のE-OLDとデートしたいなと妻と話していたばかりだった。おじさんの足袋繕いか。繪になりそう。上野の寄席鈴本のあと天麩羅はと言っていたが、このところ血糖値が右上がりでヘキエキし遅滞していました。
いま、テレビで金馬の「御神酒徳利」を聴いていた。あの騒がしかった金馬がとしとって佳い噺家になっていて、噺もうまく隙間無く、嬉しくなった。萬斎と染五郎との珍しい三響会版「二人三番叟」もけっこうであったが、あの金馬 (小金馬)とみえないほど顔もよくなった老金馬が、若い二人の上を行く噺で感心した。
マルセル・カルネの「嘆きのテレーズ」も流石の映画で、寡黙なまま存在感に満ちあふれたシモーヌ・シニョレの静かに深い演技も、また、みものだった。
佳いものは、藝術・藝能の世間にはまだまだ幾らもある。困りものは政治・経済。じわじわと悪辣に既成事実化してゆく、増税と物価高傾向。民の怒りは鈍磨して起きず、官の怠慢と強欲とは顕著化している。
2006 4・15 55
* こちら青空でなく、桜花散らす雨です。来週火曜日は石本(正)さんの個展を見に大阪に行こうかしらなど思っています。いつも愁い鳶ではありません、心配しないで。鴉の体調のほうが気になります。御互い、生きてこそ、です。大切な現在です。 鳶
* 忘れたわけではありません、作品論としての私小説論、を。 これまで、多くを盛り込もうとしすぎて、纏まりませんでした。すこし時間が経ちましたので、冷静に纏められるかも知れません。
土日にメールがまずいなんてこと、ちっともありませんよ。ごくたまに、外出していることもありますが。いつでも、風の吹くまま、送ってくださいね。
寒の戻り、なんて言っています。あたたかくして、お過ごしください。 花
* 自転車に乗って今日は試しに薬なしであちこちと走り回っても、ゼイゼイと胸苦しくならないので、少し落ち着いてきたかも、と、とてもウレシイ気分! 私の場合は、動きによっては酸素不足になり、動きたくても息苦しくて、以前のように活発に歩き、動いていません。
京都(への旅)では、ふうふうと休み休みよく歩きました。あそこは自然に歩けるのよね。 変わらず健啖で、運動量が少ないのに、咳き込みはカロリー消費量が大きいとかで、不幸中の幸い、体重は横ばいです。 泉
* 早速に返信メールありがとうございます。メールは順調そうなので安心しました。
又、時々メールします。読んで頂けるだけで嬉しいのです。
お仕事も、ほどほどにと言っても、こればかりはお聞きにならないでしょうね。
ご無理されませんように。 のばら(従妹)
* 機械の不調もなんとか回復していて、昨日の今頃とは大違い、ほっとしている。
2006 4・15 55
* 秦先生 ごぶさたしてをります。
半年前の、駅で跳ねとばされた怪我の後遺症に、いつもの春先のもやもやが重なり、ひどいことでございました。どうやら、トンネルを抜けたやうでございます。
折りよく、器械のセンセイが、南半球から櫻咲く春の日本に帰つてきてゐて、めちやめちやになつてゐたホームページを直してくれ、ついでに、メール・アドレスの変更もしてくれました。
アドレスを変へますと、ご迷惑をおかけすることになつて申しわけないことですが、呆れるほどの量の迷惑メールに、ほとほと困じ果てて、致し方なく、変更させていただきました。
また、今日、いえ、昨日、小誌を送らせていただきました。「流されびとのうた」は、萬葉の二歌人を書きました。不整脈とたたかひつつでございました。
器械のご機嫌がわるいやうで、このメールが無事に着きますか、どうか。着きますことをねがひつつ。 香
* spamメールの異様な繁殖は、今では来着分の多いときは八割九割を占める。「現代」世情・俗心を象徴している。
2006 4・16 55
* 高遠の櫻は、このところの寒の戻りで、まだ三分咲きくらいでした。満開になれば、一帯はピンクのもやがかかったようになるそうです。
高山夜祭り、やはり百聞は一見に如かずで、灯りの入った提灯を揺らして屋台が通っていくさまは、じつに綺麗でした。もしお会いできる機会には、おみやげ話を。 ゆめ
2006 4・16 55
* 羅臼より こんばんは。 昴
引っ越してから、連絡を入れずにいて申し訳ありません。国後島の見える羅臼に引っ越して、やっと落ち着いてきました。
気候が激しく、吹雪で通行止めになり陸の孤島になったり、風で屋根が飛んだりする場所らしいです。それでも、晴れている日は美しく、国後の青い山々が堂々と並んでいるのや、かもめが波打ち際の流木のそばで羽を休めているのを見ることができます。
夜は昼とは違って、おそろしいぐらい真っ暗になり、何も見えなくなります。国後島には人が住んでいるはずでが、灯り一つ、見えません。軍人とその家族しか住んでいないということを聞いたことがありますが、本当にそうなのかなと思ってしまいました。向こうからは、羅臼町の灯りが見えると思うのですが…。国後島には人が少ないのでしょう。
真っ暗な海を見ながら、向こうには軍人がいて、こちらには軍人はもちろん、軍人っぽい人すらいないなんて変だなぁということを思ってしまいました。
知床が世界遺産になったのだから、もしも! のときでも、羅臼を襲うことはしてほしくないなと、自己中心のことも思ってしまいました。自分さえよければいいという嫌な人間の考えです。あ、でも自然のチャシ(砦)があるから大丈夫かも。
アイヌ語地名が多く、アイヌの人々が選んで住んでいたことが分かります。
自然との出会いも、人間との出会いも、まだまだこれからというところです。早く、この土地に馴染んでいきたいです。
秦先生はこの頃、体調が良くないようですね。心配です。無理をなさらないようにして下さい。 昴
* 羅臼の風に馴染み、かつ吹き飛ばされないように健闘してください。真っ黒いクナシリ。お互いに明るいラクな気持ちになれる日の遠くないのを願います。
我が家の子たちは、みな「北の国から」を観て育ちましたが、最終回あたりで羅臼が舞台のもあったのじゃないでしょうか。また観てみたくなりました。
元気で過ごしてください。いつでも声を届けてください。日々の様子なども。 湖
2006 4・17 55
* 喜春庵 以前に、京・滋賀・奈良の十一面観音をリストアップしました折、大原野上里 喜春庵という地名・寺名に心惹かれました。
小さなお堂に秘匿され続けてきた、いわくある方の持仏。悲しい物語を伝えて代々の庵主さんが日毎夜毎祈りを捧げてきたみ仏。地域の方々が持ち回りでお守りしている観音さん。そんなあれこれを思い描いて…。
地図には載っていましたが、突然うかがってどうなるものでもなく、まして、先日は観音縁日でもなかったものですから、どんなところに観音さんがいらっしゃるのか、場所と環境を確かめたいというそれだけの気持ちで尋ねましたの。
バス通りから車一台がやっとという狭い道へ入りましたら、すぐ左側に「喜春禅庵」と出ています。あっけないほど。ですが、掲示板には「毎月十八日坐禅と十一面観音の会」とこまごま書かれた紙が貼り出され、門には柵。
やっぱりとうなだれて、それでも、もしどなたかいらしたら由緒書なりといただきたく、門の向こうに収蔵庫とおぼしき建物と前に立っている札の解説も見ま欲し、インターフォンもブザーも見当たらないので “お行儀悪いナ” とためらいつつも通用口を入りました。
物音に奥から作務衣姿のご住職が出てみえました。それはそうですわね。
無礼を詫び、わけを陳べますと驚かれて、「どうしてここがわかりました? どうぞ、いま、開けますから」と早足で戻ってゆかれました。
庭の中央に盛りの頃はさぞかしと思われる枝垂れ桜が一本。塀の際まで幾種類もの丹精の草や木が花をつけ実を結んでいます。
重い収蔵庫の扉をご住職がお開けになった瞬間、オルゴールを開けて妙曲が流れてくるように、芳香が庭に溢れ出ました。
厨子は開けられており、庭の草花が彩り豊かに供えられています。葛川の明王院のご開山は毎日花を摘み仏にお供えした方だったというおはなしを思い浮べました。
「さぁどうぞ。あ、座布団当ててください。掃除も行き届いておりませんから」とからからと笑って請じ入れてくださいます。観音像は平安前半と云われ、高さは120㌢くらい。欅の一本造りでした。
* よく見仏雀がお寺でうかがうはなしに、仏像を調べに大学の先生がみえて、時代や作りなどこれこれこうではないですかとお尋ねになるそうです。
こちらはそんなことなにもわからないのにと、みなさん笑っておっしゃる。
雀は、学術的なことも宗教的なこともなんにもわかりません。好いかどうかだけ。
こちらの十一面観音は、歩み出す右足の具合も穏やかで、“おリボン”が垂れているのも、全体やわらかな印象を増しています。
庵の創建より古く、この辺りの寺から焼け出された仏像では、という話ですのよ。一木造りは重いのでどうしても大きな本尊は持ち出せずに焼失してしまうことが多いそうですね。
「火事場のなんとかといいますから一人で運び出せたこともあったかもしれませんが、このくらいの大きさでも大の大人二人でやっと運べるかどうか」と、おっしゃいます。
前面が特にすすけていますが、唇や衣など一部に彩色が残っていて、それがよけいに古風で、古ぼけた感じではありませんの。
本尊は焼失し、対で脇侍だった薬師如来は善峰寺で出世薬師として祭られているとうかがって、“あ、あれがそうなの”と、本堂から奥に延びる参詣道の途中に、何本も“出世薬師”の幟がはためき、開削した眺めのいい台状の地にぴかぴかのお堂があって、垣に植えられた牡丹の花がもう終わり頃、散った花びらが褐色になっていた景色や眺望をすっかり思い出しました。
見比べれば明らかに対とわかるそうですが、善峰寺ではよそのお寺の焼け残った脇侍である薬師如来とはおっしゃってないそうですから、ナイショナイショ。
小畑川と善峰川が合流する地は、数十年前まで空といったら道の上に細長くあるものというくらい鬱蒼とした竹藪ばかりで、夕暮れなど恐ろしくて一人では歩けなかったとか。川原と竹藪ばかりの地。まさに逢魔が時といった感じでしょうね。
山号も寺号もないのですが、金地院の別荘のような庵で、直末にあたるそうで、この右方に小野石子典侍邸があったと伝えられているそうです。石子って誰かしら。
「いやぁ出かける前でよかった。またいつでもいらしてください」とにこにことおっしゃるので、不躾な闖入雀は穴があったら入りたい思いで、「観音さまのお導き、おかげさまです」と手を合わせるほかございませんでした。 雀
* あーあ、こんな佳い雀の囀りが聴けたのも、機械回復のお陰様。だれにともなく、感謝。感謝。
* 東京へ転勤してきた産経本社の岡崎秀俊氏からもしばらくぶりメールが来ていた。逢わないかと。
2006 4・18 55
* 生野の道の遠ければ 雀 羽織ったり脱いだり調整の要る時節です。花粉の症状はそろそろ治まる頃でしょうか。黄砂の被害はございませんでしたか。どうかおん身おいといのほど。
夜から雨という予報に花嵐にならないまま終わりそうな桜を惜しんでいます。テレビはあけくれ京都の桜を映し出していますが、今年は金戒光明寺と毘沙門堂が人気でしたわ。
「もうだいぶ傷んできてるから今のうちに見ときなさい」と言われ、おととしかしら毘沙門堂に行ってまいりましたの。そのときは山科=人康親王という興味がそれほどなくて、もったいないことに遍照墓、岩屋寺、大石神社に寄って帰ってしまいました。
先日「秋萩帖」(下)を拝読していて、辞書で「雨夜尊」をひいてみましたら “毎年2月16日に京都高倉綾小路の清聚庵で” と積塔祭について書かれています。それが先日尋ねたあのあたり、現・空也寺に通ずる仏光寺通の北、蕪村が暮らしていた近くとわかって、今度こそきちんと山科に行ってこようと思っています。
石手寺へまはれば春の日暮れたり (子規)
さて、天橋立から松尾寺に足を延ばしても13時間で往復できた先日のバスツアーですが、時間と引きかえに史跡無縁の自動車道ばかり通って大江町や加悦町にはかすりもしませんでしたの。あらためて囀りますが、成相寺の観音サマに加悦町と由良を含む丹後半島の旅がかなうようお願いしましたの。
主人にそんな話や京でのことを囀りながら、正剛さんの「ルナティックス」に蕪村の句がずいぶんたくさん紹介されてたわと申しましたら驚いた顔をいたしますから、翌日抜き書きして渡しましたの。
20句選び出されていました。
ふんふんと頷きながら「俳句は蕪村だ―ってずっと思ってた。江戸時代ていう感じがしないスゴイ句を詠むからね」と言います。そういえば少し前、書店に出かけたときのこと。逸翁美術館・柿衞文庫が共同出版した蕪村のカラー図録を見つけて広げましたら、
「見たら欲しくなるからやめとく。絶対いいに決まってるもの」と横を向いてしまったのです。まさか、そんなに蕪村ファンだったなんて。
与謝・丹後への一人旅はさせてもらえそうにありませんわ。 囀雀
* 母上が重度の喘息持ちで、入院加療が多くて苦労していた友人から、、床暖房にリホームしてからは、調子よくなった、と聴いた事がありました。
ここ二、三日前の気温上昇の頃から、不思議なほど元気になり、となると、今度はあれほど気が向かなかった展覧会にも、映画館にも足を運びたい病が擡げます。ウレシイ!
冷気が大敵と身を持ってひしひしと。今日は久々に羽根突きのラケットを握り、あの息苦しさを感じなかったのです。
新幹線の沿線で、往路は東京近辺で、帰路は関西地方で、と、うまく満開時期に出逢い、溢れんばかりの桜を観て大満足でしたが、今年はオマケが付いて、来週、ウンが良ければ、弘前、角館の桜も観られる旅行になります。
まあ、病を侮ってもいけないけれど、振り回されるのもご免蒙りたく、生きている限り、病の合間を縫って、楽しく過ごしたいものと。 古稀の泉
* ご助言を大いにいれ、大改造しました。エピソードの前後関係がわかりにくくなってしまったので、どうかして自然に流れができないかなあと、苦戦しています。
黄砂を感じます。お大事になさってください。 風の大好きな 花。
2006 4・19 55
* あららお困りでしょう 雀
「瞬間的に通じる」なンて、ちょっとステキですけれど、ストレスやお疲れを溜めたりなさいませんよう、くれぐれもご自愛お願いいたします。雀のメールはどうぞお気遣いなく。
「今年度 “から” じゃないよ。今年度 “も” だ」と、お上からつぎつぎ送られてくる年金や保険の請求書にクサクサしている主人の顔を見て、雀は「満願寺の八講桜ていうの見に行ってみる気、ない?」と、桜の井に誘いました。
道路地図を見ながら恐る恐る細い道を進んだ雀たちは目を白黒。大きな字の駐車場ができていたからです。
崖の上のしだれ桜はまだ2分咲きといったところでしたが、ごく数年前、お屋敷が桜とお見合いするような絶好地にある人がウルサクて、通りすがりに見ることしかできないと地元のタクシーが山道をえいこらさっと寺まで上っていたのが嘘のようです。
聖林寺から談山神社への道をそのまま進んでいたら大きな看板があってわけなく辿り着けましたの。どこそこのなんとか桜となるとこのような騒動のひとつやふたつはあるンでしょうね。
期待ほどではない桜の姿に、日暮れまでにはまだ間があるのだかと談山神社の桜を見に行くことにしました。八講桜に辿り着くまでにもかなり良い咲き加減の花を見ていましたから。神社はすでに閉門時間を過ぎ、帰ってくるクルマや観光バスとすれ違います。風もなく、散る花びらを探すのが難しいほどの満開で、朱塗りの建物に花の波は外からでさえうっとりする春景色です。
神社の駐車場に入らずそのままのぼってみると、カーブを曲がったとたんにキラキラッと飛鳥の町が光って眼に飛び込んできました。飛鳥とつなぐ舗装道路が着々とできています。徒歩でしかかなわなかったこの景色をこの目にできるなんて思いもしないことでしたわ。
帰りは談山神社一の鳥居と石位寺をつなぐ格好のバイパスを通ってひさしぶりに忍阪へ。東から西へ向かっていくと目の前に生根神社の神体山、外鎌山が、行く手をふさぐように迫ります。あそこにお墓をつくりたい気持ちがわかりますわ。
赤尾の古墳は以前来たとき分譲中だった土地に家が立ち並んだためにかえってわかりやすくなりました。昏くなってきたのは日が落ちただけでないようで、フロントガラスに水滴がつき始めました。三輪、巻向、初瀬にどんよりと雲がかぶり、額井岳はすでに白い雲が湧き上がっていて頂が見えなくなっています。
雪につけ雨につけ、この山の神秘的に景色を変えるさまといったら、中腹を走りながらついつい見とれるほどです。お酒とアテを買って家に着いた頃には傘がいるほどの降りになっていました。 囀雀
* 自分で花見ができなかったのを、こうして人様のお花見でありがたく補っている。
2006 4・19 55
* 具合のわるいのが 機械の方で、先生でなくて良かった!
すっかり新緑になってきましたね。
仕事は今日が最終日。
私にとっては、明日から新年度となります。 ゆめ
* ご無事を 雨が上がり青空になったと同時に、花のしまき。そちらも荒れ模様でしょうか。
器械よりおからだ。おきもち。くれぐれも熱中のご無理はなさいませんように。
OKのお知らせをいただいてからまた囀ります。 囀雀
* この人たちの言うように、ほんとにだいじなのは「機械」なんかでなく、わたしの「こころ」や「からだ」のほうである。わたしは「機械」ではない。
たとえば糖尿病にしても頭痛や疲労にしても、つまり病状に類する「身から出た錆」は、すべて「心の吹出物」である。
いったいに、真情だかご挨拶だか常識だか自身の不安からだか知らないが、決まり文句のように「からだ」の心配だけを一方的にしてくれても、「こころ」や「きもち」について何も分かっていないか、斟酌無しということが多いものである。人はみなお互いに相手のことに「察しがわる」く、ほんとはこれが一番の困りもの。深い「察し」の抜け落ちたまま、免罪符の行使めいて連発される口先の親切や、思いやりや、注意というのは、或る意味ではなはだウルサイ、五月蠅い、煩わしい。当の相手への薬効はほとんど無い。薬効があるとすれば「こんなにわたしは親切に言っているんです」という自己満足としてお喋りな当人に吸い取られるだけ。
二輪の車が傷んで弱ってくるときは、片方の車輪だけ傷んでいるのでも弱っているのでもない、つまり「こころ」も「からだ」も、おなじように傷みかけている。一方の車輪にだけモノを言い、手をかけてみても、かえって車全体は片輪車を強いられ、傾いてゆく。大破を早めてゆく。老境の車にはそれが「躁」に表れたり「鬱」に表れたりする。わたしは、そんなとき、よく実兄北沢恒彦という有能だった良い車が、大きく傾いて自殺していった経緯を想像してしまう。兄とは生まれながらに遠く隔てられ、ついに終始共生できなかった。
2006 4・20 55
* 恒平さん メールが届きますかどうか。
湖の本、無事手にしました。朝一番の飛行機で飛んで来たよ、という勢い。嬉しく驚かされました。
五月、お逢いできるか分かりません。
母と、父と、兄と出ない日は、わずかに十三、十四日。夫もいます。今回は家族に専念しようと思う傍ら、恒平さんとは逢えるときに逢っておきたいとも。
逢えなくてもいつでも懐(むねのうち)に感じているのだから、と想ってみたり、いや、どうしても逢いたい、と焦がれてみたり。
逢えないなら、知らせるべきではなかったですか・・・ バルセロナの京
* この卒業生の人生はまだこれからだ、若い友人達にわたしのできることは、そう「存在している」ことだ。それで足りる。家族と日本を十分たのしみ、またバルセロナに帰ってゆくように。幸いわたしはちゃんと生きている。
* 強風に家鳴り震動している。さしせまった用が波濤になりわたしを打つ。
* パソコンのご機嫌斜めなようで。
ストレスが溜まる前に、メーカーなりの専門家に診てもらえば? oldの杖、必需品、無しでは暮せないでしょう。
私語でmixiへ日吉ケ丘生徒に宛てている文を読みました。
先日、校庭で野球をするピチピチのそんな現役高校生に出会ってきたばかりです。
お前(私)の学校の傍で、こんなええとこやったら、いつでもお墓参りにきてくれるやろ思て、と、父が生前に(墓地を新しく)選んだのは、アタリでした。ついでに母校を望めるのですから。
東山線に出る少し手前の路地を入ったお店で、美味しいおうどんかにしん蕎麦(尤も、何処で食べても美味しいのですが)の昼食がお墓参りとセットになっていました。
先日行ってみましたら、アレッという感じで無くなっていました。
さて、何処にしようか、と歩く姿に、ご近所のおばさんが、人懐っこくなにかと笑顔を向けてくれたのが、観光客に馴れたいかにも京都風で、おうどんやなら、ちょっと先にありまっせ、と。
東山線のあの辺りをゆっくりと歩いた記憶はなく、ここにもおうどんやさんがあったんやと、きれいとは云い難い、昔風のお店に入ってみました。
泉涌寺道にあったおうどんやさんはどうなりましたん。
あそこは後継者がないので廃業ですわ。うちも老夫婦二人でやってますけど、病気でもしたら、うちもおんなじこってすわ。
うどん付きのサービスランチは美味しくて気分よく、調子に乗って愛想のいいおばさんと少しお喋りをしました。
奥さんはココにお嫁入りされたから、日吉の卒業生でないかもしれないけど、私は学校が新築したばかりの一年生で、平安神宮の方から通ってましたんよ。
そうそう、美術コースの陶芸科の(なんとか)先生が、よう生徒さんを四、五人連れて食べに来てくれはりましたわ。美術コースもよそへいきましたなア。
ちょっと楽しい風景でしょ。
強い風が吹いていますが、雨で黄砂の心配のないのがいいです。お掃除が大変だから。 泉
* 京都美大での間借りから日吉ヶ丘の新校舎へ高校が移転したのは、わたしが二年生の春。通うのに遠くはなったが、あれは嬉しかった。校歌が出来た。
ああひんがしの丘たかく 松のみどりのわが姿 という一番の歌い出しは、歌詞にウルサイわたしを満たしてくれた。
ひむがしに月のこりゐて天霧(あまぎ)らし
丘の上にわれは思惟すてかねつ
十七歳、「拝跪聖陵」という泉山の大きな石碑に題した連作の歌の冒頭にこううたったとき、校歌の歌詞が無意識に感化していなかったか、否定できない。あの東山線から即成院、戒光寺へとつづく泉涌寺参道ほど懐かしい道は、そうそう無い。無いことは、もちろん無いのだけれど。わたしという人は、バカなのかもしれないが、今目の前に気に入って手で触れ目で触れてうちこんでいる、「それ」が、いつもいちばん「いい」のだから、幸せともノーテンキとも見境のないとも謂える人なのである。アハハ。これをもし気が多いとか浮気と言う人は、思惟も情も浅く薄く、間違っている。慈(こころあつし)の意義を識らない。
2006 4・20 55
* バルセロナの京のメールのあとへ書き入れていたとき、ありありと、この人のことも想っていた、しばらく御無沙汰だが、そろそろ声が聴かれそうなものだ、彼のためにもわたしは「存在して」いればいい、安心だと。すると、メールが来た。よしよし。
* 秦先生 だいぶご無沙汰をしております。
実はこの4月に異動となり、現在***市役所に出向の身となっております。
つくば時代は、仕事の面でも生活の面でも充電期間であったのかどうか、久々に本格的な “建築” の仕事に携われる喜び(というとかなり大げさですが)で、自分自身としては充実した日々を過ごしております。
とは言いつつも、実は今までやったことの無い分野の仕事ということもあり、周りの方には迷惑をかけながら日々勉強を続けているというのが実態です。
もちろん、市役所という一番市民に近い職場という事もあり、また、それなりの役職を与えられているという事もあり、“勉強させて下さい” などという気持ちは通用しない! というつもりで頑張ってはいますよ。(もっとも、10年も20年も大先輩の部下や同僚の方々に囲まれては、そんな事もお見通しでしょうが・・・・・)
仕事の中身は、まちづくりに関するルール(建築協定とか地区計画と言います)に関する事や、市内の具体的な事業実施地区の担当という事ですが、折角の機会ですから出来るだけ幅広い分野の仕事に首を突っ込めたらと(もちろん、周りに迷惑をかけない範囲で、ですが)も思っています。
また、今回の異動に伴い、転居もいたしました。
転居先は以前住んでいたところと同じ(棟は違いますが)です。下記の通りですのでご連絡致します。
ところで、先日、高校の野球部の時の部長(私たちの結婚式の時の仲人をして頂いた方です)の還暦をお祝いする会を開き、高校卒業以来久々にほぼ全員が集まりました(実際には北海道に住んでいる1名がさすがに不参加でしたが)。
卒業後15年も過ぎたとは思えない程、皆変わりなく、先生のお祝いと言いつつも自分たちの話題にかなり終始してしまったのかな、と少々反省もしております。
加えて、大学の時の担当教授が還暦を迎えたとの事で、お祝いのメッセージを、という依頼が研究室の助手の方からあり、これもまた久々に大学時代を思い出しつつ、お祝いのメールを送ったりもしました。
これらを通じて思うのは、私自身、高校時代も大学時代も、当時は気が付かなかった事も多くあったのでしょうが、良い友人や素晴らしい先生方に守られつつ、充実した日々を過ごしていたんだなという事ですね。
だからこそ、先生がHPで書かれている様に、先生方にはただ “居て” 頂くだけで、私たちの励みになるという事もあります。もちろん、友人達も(高校の野球部の同級生に9.11を経験したのが居るのには背筋が寒くなりました。会社の上司には亡くなった方もいたそうです)ですが。
とにかく、お体を大切にお過ごし下さい。
P.S 仕事の話を先生にして良いのかどうかも分かりません(公務員としての “守秘義務” があるような気がします)が、私の仕事のイメージを持って頂くお話を一つだけ。
先日、「とにかく現場に行こう!」と言われ、とある住宅街に行ってきました。谷の下をきれいな小川が流れていて、周辺は自然林の多く残っている環境です。
そんな場所ですが、現在、住宅地から谷に至る斜面地に大規模なマンション計画が持ち上がっていて、周辺住民から大反対を受けています。
私の仕事は、そういった状況で地元と業者の間に入って調整をすること。
住民の気持ちはもちろん理解できますが、一方で建設を前提に土地を買った業者の立場も理解できます。
法律的には業者の建設を止める術はありません。また、霞ヶ関の論理は全く通用しない事は百も承知です。
役所として、様々な法律や規則、様々な過去の事例などを駆使してうまく調整できるのかどうか、私も勉強をさせて
頂きながら(などと言うと、住民の方に怒られてしまいそうですが)、どこかに落としどころがあればと思っています。
色々と長々書いてしまいました。
ということで、○は元気にやっています!!
また、機会がありましたら是非お会いしたいものですね。
先生はとにかく、体だけ(で良いので(!?))は元気にお過ごし下さい。それではまた。
* 正念場に臨んできたぞ、これは。優れてつよい熱いハートの持ち主、きっと渾身のちからを細心に、親切に、より良い方へ方へそそいでくれる。安心している。眼を、たいせつに。メール、ありがとう。
* 今日は午後いっぱい、外出していました。
市民講座の抽選、二つともあたりましたので、受講料を払ってきました。ヨガの方は、定員三十人のところ、百八十人以上の申し込みがあったとか。
「***さん、今年は運がいいですよ」と、公民館の人に言われましたが、運を使い果たしたんじゃないかと思います。講座のはじまるのは、五月の下旬です。
機械不安定なウチはなおさら、メールを密に、と。可能な範囲で。 花
* 今日はうれしいことに機械が稼働している。何が何でもいい、機械のリクツも生理もわたしには分からないが、働いてくれるのには感謝する。気をよくして、今日はたくさん仕事もした。何人もの声にも励まされた。
2006 4・20 55
* なんとか機械稼働。ワケ分からず、疲れました。
ご主人との異界探訪、佳いことですね。雀を根から元気にしていると想います。
この三年、雀は豊かになりました。独特の異色の世界へ自分の方法で「道」を拓いたこと、すばらしい。
限られた字数の中へ凝縮して書いたいた頃の「表現」により、雀は確かに生き返っていったと思います。 湖
* 擽ったい 器械に障りがなくてよろしうございました。お仕事うまく進みますように。
本日空海忌。桜桃忌を待兼山の時鳥です。
あとこれだけ、もうちょっと、とやると bomb!ということも多うございますから、どうか器械もおんみもご休憩を。
春の雲結びて解けて風のまゝ (今橋真理子)
雀はこんな感じでいます。これから少しばかり髪を切ってまいります。
よかったご無事で。 雀
* よかった!
今、電車の中です、三の宮で待ちあわせて姉妹で浮世絵の展覧会へ。明日は京都博物館の絵巻物展へ。
連休明けあたりに娘達を訪ねたいと。鴉の声、聴きたいです。お元気で 鳶
* 秦 先生 ホームページの「日記」風のところ、更新するのに手間隙がかかり、つい、怠りがちでした。ブログにしたら、と勧められて、「深夜独語」などと、ご大層なタイトルをつけて、そちらに日記風のものを、やはり怠け怠けですが、書いていました。
ところが、突然、迷惑メールを上まわる、何ともいやーな書き込みをされ、もう、やめた、となったところで、迷惑メール風の書き込みの防止策が講じられましたけれど、もう、いやになっていました。ならばと、「mixi」に誘ってくださる方があって、参加いたしました。一つには、先生のページを拝見したくて。
参加したものの、勝手が知れず、右往左往しております。「足あと」って何? と、クリックしてみて、先生のお目に止まったことを知り、そこから先生のページに辿りつきました。
「蛇」「侍」と、拝読していて、わくわくいたします。それからページの最初は何からかしらとお尋ねしましたが、「本の少々16」でした。「1」から「16」はどこ?
贅沢は申しますまい。16.17 と拝見しております。紫式部の書かなかったことの意味、それを後世のすぐれた読み手が、どう、読んだかが、まさに掌を指すが如く語られていて、どきどきいたしました。
聴講生になって秦教授の講義をお聴きしているような気分でございます。
教授が、拙い「日記」にお目を留めてくださったこと、何よりのよろこび、はげましでございます。
今日はこれから舞いの復習をして、お稽古に出かけます。
史先生の「遠流無帰」は、夜になってからでございます。 香
* きのうと同じく、強風です。洗濯物に気をつけねばなりません。
晴れはありがたいですが、車の中が蒸し風呂になるので、窓を開けられない花粉症は、冷房するしかありません。まだ四月なのに・・・。
推敲、九割方済んだかな、と思います。
ダラダラしてもいけないので、日曜いっぱいには仕上げ、第二稿を見ていただきたいなあと思っています。
なんだか、とても胸が張るんです。イタイくらい。 花
2006 4・21 55
* こんにちわ、風
> どやって(メールアドレス)替えるのかな。
変更したい旨をプロバイダに連絡すれば、返答があるはずです。
また、一人で複数のアドレスを持つこともできます。
ごくプライベートなものと、公開するものと、使い分けるのもいいかと思います。プライベートの方には、不特定多数宛てのメールは来ないでしょう。ウイルスについては、プライベート、オフィシャル問わず、注意が必要ですが。
ドイツの小説を選んで読んだ中で、シャミッソーの『影をなくした男』が印象に残りました。
シャミッソーは、フランスの貴族出身で、革命から逃れてドイツに行き、小説を書いた人だそうです。長くドイツで暮らしても、結局はフランス人だと見做され、フランスに戻れば、祖国を捨てた男だと見られる。そんなシャミッソーの『影をなくした男』は、池内紀のいい翻訳で、とても読みやすかったです。
池内紀の訳文が読みたくて図書館を探したら、カフカをたくさんの訳されているんですね。『変身』を読んだことがありますが・・・カフカ・・・読んでみようかなあ。
『池内紀の仕事場』というシリーズ本がありまして、その中の「<ユダヤ人>という存在」の巻を読みました。「ユダヤ人問題は、ユダヤ人以外の問題である」という一文に、深く頷きました。
トーマス・マンが、1945年にアメリカで「ドイツとドイツ人」と題して講演した中に、「ドイツがまだ一度も革命を経験したことがなく、国民という概念を自由の概念と結びつけることを学んだことがない」というところがありました。
第二次世界大戦で、ドイツとよく似た歴史を辿った日本も、歴史的・思想的に近似したものをはらんでいると思います。
ゲーテやルターやニーチェなどを挙げ論じられた「ドイツとドイツ人」は、間を置き、繰り返し読みたいと思います。
曇っていますが、ときどき日がさします。いまのところ、風は穏やかです。
東京の風もそよそよ、やさしくいらしてくださいね。 花
* いま電子文藝館へ「ユダヤ」に触れた会員原稿が来ていて、事務局から目を通してと、送られてきている。論旨にもその展開にも妙なところがあり、いい作品(評論またはエッセイ)とは思わない。しかし、言論表現の自由を尊重しつつ読めば、この程度の、この範囲の論説を、編集室が掲載しない理由はない。不出来と言うことからすれば、会員原稿が皆上出来なわけではない。しかし電子文藝館の建前では、出稿意思のある会員の作品は、個人を誹謗中傷するものでないかぎり審査しないことになっている。一つを審査して掲載せず、一つを審査して掲載する、その尺度を、会員の権利として追究されたときに、提示できる理由は「校正杜撰」か「個人の誹謗中傷」意外にありえない。審査の権能を会員が同じ会員に対して誰も持ち得ないからである。
わたしはそういう理由で、質的な意味では感銘をえられないけれども「出稿したい」という会員の権利を否認することは出来ない。
2006 4・22 55
* 羅臼の昴から佳い便りがきた。
* 穀雨が降り、雪がだいぶ解けました。
職場から出ると、ザーッと低く、風の音のように波が途切れることなく鳴っています。なんだか、心に響いてきます。
海のことを書きたいのですが、海のことを表す言葉がうまく出てこないので困っています。
先日、国語便覧を見ていて、俵万智さんの短歌に「風の手のひら」という言葉があるのを見つけました。キラキラ輝く海の様子を表すための言葉だそうです。海のキラキラした様子をうまく表現できないな、と思っていたときに見つけたので嬉しかったです。俵万智さんはあまり好きではありませんが、この言葉は嬉しいです。今の私にぴったりはまりました。
未来の私にあてはまるか、わかりませんけど。
今日も風が強いです。それでも海の前にひとりで立つのはいいものです。しがらみがないのは気楽です。
白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ
若山牧水の短歌をふと思い出しました。 昴
* こういう文章が自然に吐露されるときの嬉しさは、当人にしかわからないが、生けるしるしありというものだろう。読み手にも伝わってくる。ファシネーションがある。昴が、肩肘張らず、こういうメールをつぎつぎと送って来てくれたら楽しい。昴がどんな「職場」にいる人か知らないが、小学校の先生だろうかなどと想像していて、それも楽しい。
* 「ペン電子文藝館」の短歌室に、若山牧水の歌集をわたしは入れておいた。すばらしい歌集である、昴に、このついでに読んでおいて欲しい。「白鳥はかなしからずや」とよく歌ったものだ、この歌や「幾山河」の歌に作曲されていた。これらの歌をおさめたその歌集をわたしは中学三年生のとき、岩波文庫をひとに借りて読んだのである。歌人の纏まった歌集を、わたしは牧水と、茂吉の『朝の蛍』とで読んだ。茂吉の歌集は古本屋で、乏しい小遣いをはたいて買った、今も書庫に秘蔵してある。
俵万智の歌集『風のてのひら』も作者に贈られ、『サラダ記念日』と並べて架蔵してある。
2006 4・22 55
* 滋賀県立近代美術館に巡回の「川端龍子展」を見たあと、瀬田の橋たもとの藤原秀郷龍宮社と、橋むこうの大友皇子御霊神社へ参りました。
「龍子展」の最後が国立劇場(大)の「天橋図」で、雀は胸を突かれましたわ。先日、実物を見て一番に思い出したのがあの繪なのです。開演前、あの繪が見える椅子に座ってしばしばお弁当をつかったものでした。あと一枚の気に入りは、「道行」。
美術館の小倉遊亀展示室に「少将滋幹の母」挿繪原画が出ていました。今夜、読んで眠ります。
うす寒い日でした。おすこやかにいらしてくださいませ。 囀雀
2006 4・22 55
* おはようございます 風 昨夜は、ぐっすり眠れましたよ。
何もおっしゃらないけれど、やっぱり、ちゃんと小説をお書きになっているのですね。
第二稿を添付しました。削ったり足したりで、少し短くなりました。お時間のありますときに、お目をとおしていただき、ご批評いただければ幸いです。
六月に、サッカーのワールドカップがありますね。今ちょうど、欧州のクラブチームナンバーワンを決めるチャンピオンズリーグが、セミファイナルまで来ています。すばらしい閃きのプレーの数々に、ホウッと感嘆します。欧州のクラブチームとはいえ、世界各国から集められたよりすぐりの選手たちです。その彼らが、ワールドカップでは、祖国の国旗を背負って戦うのですから、おもしろくないはずがありません。
優勝候補のブラジルは、攻撃型で、相手ゴールにシュートをバンバン決める一方、守りが弱く、よく点を取られます。開催国のドイツは守りが堅く、日本は消極的(に見えます)。国によって、カラーがありますね。
楽しみにしていますけれど、寝不足になりそう。
まだちょと冷えますね。特に脚腰を冷やさないよう、お気をつけになってくださいね。 花
* オハヨ 二、三日前、久し振りに映画館へ行きたいなア、と夕刊のその広告をぼんやりと眺めている所へ、「体調如何、心配。陸奥の観桜旅行楽しみです。戦場のアリアいい映画らしいよ。一緒に行きませんか。」と。
「秋萩帖」を送ってもらった**さんからの携帯メールがグッドタイミングで吃驚。
映画大好き人間、多忙な時間をやり繰りして、一人で気軽に映画を観に行き、そんな話を聴くのも楽しい。
醍醐寺、霊宝館のガラス張りの休憩室から満開の枝垂れ桜をうっとりと眺めながら、
「観に来ない」と、顔が浮かんだこの人にだけメールを送りましたら、「醍醐寺からなんて、驚いて卒倒しそう。羨ましい。残念ながら、花粉症で顔がクチャックチャ状です」と即刻返信があったりと。
淡交でも会えば話の弾む人でしたが、携帯メールが出会いの機会を増やしてくれます。
今朝、家事を終えて、待ち構えるように録画映画の残りを観て、又、爽やかにほろり。
夜中に放映したケビン・クラインの「卒業の朝」を観ましたか。
よくある実直一筋の教師の生き様がテーマ、そしてハッピーエンド。このタイプの映画も好みで、孫の相手もないゆったりとした日曜日、も一回観るつもりでいました。
そんな処へお向かいさんから電話があり
「ミリオン ダラー ベービー観た?録画したけれど。」
「ビデオやさんから借りて一度娘と観たけれど、も一度観たい!」
「ただのボクシング映画だと思ってたら、違うのね。」
「人の優しさの漲った佳い映画よね。監督、主演のクリントン・イーストウッドもヒラリースワンクもとてもいいね。実話でなくてオリジナルの脚本だって。見損ねたけれど、クラッシュと同じ脚本家よ。」
曇ってきたので、家事のオサボリ、確定。 泉
* 暢気なおしゃべりを聴いている効用は、自分はその手のお喋りを節約し割愛していい気分になること。かわりに喋っていてもらうのが、聴くも楽しく、ラクである。
2006 4・23 55
* hatakさん 遺伝子とお針子
札幌では雪が溶けると、待ってましたとばかりに茶会が続きます。先週一つ。今日は実験があり出席できず。来週も一つ。
和服にビンテージという言葉が当てはまるかわかりませんが、師匠からいただいた半世紀ほど前の袴を先週の茶会で破いてしまい、今日は実験をしながら研究室でお針子仕事をしました。遺伝子を切ったり貼ったり、大腸菌で増やしたりの合間に、袴内部の襞状部分を観察。織はまだしっかりしているものの糸が劣化してほとんどの部分がほつれています。思いの外複雑な構造になっているんだと、面白がって糸をどんどんほぐしていくと、ほとんんどバラバラになってしまい、
どこがどこと縫い合わせてあったのかわからなくなってしまいました。ラジオを分解してしまった子供のような気分。
遺伝子の実験は早く終わったのに、お針子は八時間もかかってしまいました。しかしハラハラドキドキ、楽しい時間でした。
明後日から帯広に出張、今週は見たい映画があります。 maokat
* 佳い便り、にやりときて、心くつろぐ。
* 甲子 メール、ありがとうございます。もう何年も過ぎたような、それでいてつい昨日のよ
うな、夢とうつつのあわいを浮遊しております。躰は確実に変容、頭ばかりが冴え冴えとむなしく(冴えているかどうか…他人からはどう見えるでしょう)。
写真を撮りました。二月、寒気厳しい朝でした。ベランダ越しに見える別棟五階建ての東端の壁に、いつも見慣れている欅の裸枝がくっきりした影を落としていました。その壁絵を写しに階下へ降りて近づき、題して「樹影」。通りがかりの人が私を見て、頸を傾げていました。何もない壁の撮影。バカじゃねえか… と…。
その欅、いまはもうすっかり葉をつけ、風にそよいでいます。ただ、落葉前とはちょっと様子が異なります。あの、日夜注視していた若枝が、葉の数を倍増しているのです。はじめは赭茶けた縮れ葉が先端にちょぼちょぼ生えていたのですが、二三日のうちにみるみる増殖繁茂。もう若枝ではありません。中若。
幼い頃、富岡八幡宮の祭礼で一斗樽の御輿を「小若」と染め抜かれた半纏で担ぎ、小学二年だったか三年だったか、いまの天皇が生まれた翌年の夏でしたから、三年生になっていたと思います。そのときから「中若」となって黒漆塗りの立派な御輿を担ぐ仲間に入りました。人移り、花は…と謂われますが、花はともかく、葉は、枝は、樹木は、やはり移りゆくのだなあ、と実感しております。
そう、そのように私は、私自身の変容をも凝視、体感しています。朔太郎は「絶望の逃走」と唱いましたが、どこへ逃げるというのでしょう。ひたすらに、ただただ逃げる。政治から、世間から、変容から…。そうして竹林の底深く、繊毛の巣に懺悔の身を隠す。
メールを頂いた21日のNHKで(東京の屋敷林)という番組がありました。原題が何という番組なのか判りません、(都心の自然を訪ねる)とでもいうのでしょう。柳生博と若い(30前後の)アナウンサーとで屋敷林のある家を訪れる、というものでした。その中でアナウンサーが、「ほんとに、ここが世田谷区の中とは思えない閑かさですねぇ」と嘆息しつつ歩いていました。私は、年代による時代認識の差、取り戻すことのできない大きな溝を感じ、ガーンと頭を殴られた衝撃をおぼえました。
尤も、そういう衝撃は初めてというわけではありません。通常にも「昔」と声に出したとき、人はどの程度の時間を遡って言っているのでしょう。あきらかに年代による相違があるのは当然で、余儀ないことだとあとから気づきます。
そう「昔」私の少年時代、中学3年だったか4年だったか、部活(部活は現代語です。当時は単にクラブと言っていました)に使う写真機材が欲しくて夏休みにアルバイト(これも現代語)をしました。貸本屋の配達です。場所は神楽坂の崖下、赤城神社の近くにありました。場所柄からか、働いているのは早稲田の学生がほとんどで、夏期帰省する人の穴埋めに、夏休み期間だけの臨時募集をしていました。月刊雑誌が主で、貸すのは一冊が三日間か一週間かの二種、主婦の友・婦人倶楽部・キング・講談倶楽部から中央公論・改造・実業の日本・文藝春秋・その他の文芸誌や学術雑誌もありました。「雑誌広読会」という名称で東京市(現在の区部)全般に渉る大規模な会でした。私の受け持ちは芝区・蒲田区・目黒区・世田谷区・荏原区で、これを自転車走行に便利なように路線化して3路線に別け、1日1路線、3日で一巡することになりました。芝・大森・蒲
田は東海道ですから古くからの町並みが揃っていましたが、世田谷あたりは畑が多く、当然、農家が数多く散在していました。特に多摩川近くの丸子・馬込の辺りは一面の花畑で、ぽつりぽつりと別荘風の瀟洒な建物があり、お嬢さんと婆やが花を育てながら、といった人が住んでいて、ピアノの音などがコロン・ポロンと漏れてくる。という風情でした。実は、資産家の娘のための個建ちSanatriumであった、ということは後で聞いたのですが、配達される本を待ちかねていて、奪うように手にし、すぐページを開きはじめます。そうして読み終わった本を手にした婆やが「暑いから」と、冷たいカルピスなど振る舞ってくれるのでした。白蝋細面の人形。下町のがさつな女性ばかりと接していた私には、ほんとうに美しい人だ、と思ったことでした。
「ほんとに、ここが世田谷区の中とは思えない閑かさですねぇ」と言った前記アナウンサーの言葉は彼なりの実感なのでしょうが、私にはその背景に見える高層ビルやマンションの林立、舗装道路を激しく行き交う自動車のラッシュの方が驚きです。
彼我の感嘆の差、明治は遠く…ではなく、戦前ははるかにかすんでしまった、という思いを味わった気がします。
榛原さんの作品、二作とも拝読しました。重厚な筆圧と濃密な描写に、圧倒的なものを感じ、大変な力作であると認めざるを得ません。ただ、「私小説」なる作品はいくつか読みましたが、「私小説」とは何か、その定義を私は知りません。具象的な事物(言葉・色・形・音)を積み上げていって、その果てに(言葉・〃)を超えた表現・抽象概念に到達する、というのが芸術の本質であるならば、殊更に「私小説」と括られねばならない理由が判らないのです。問題は(それ) に普遍性・典型性が具現されたかどうか、だけではないでしょうか。特に二作目(実際は先作だそうですが)の叔父上と永訣される数分の描写は、息を呑む凄絶な迫力に満ちています。
私も二年前に妻を癌で亡くしました。最終的には終末療養施設のお世話になったわけですが、施設に入る四ヶ月前、医師に見放されての退院となり、それからの四ヶ月、介護などという生易しいものでなく、まさしく戦争でした。三度の食事は勿論、日に五六度の洗濯、洗濯機は1日中回しっぱなし、干し場が足りなく、家中ロープを張り巡らせて吊り下げ、土砂降りの中を紙オムツの購入に走ったり、使用後の物をゴミ袋に入れて捨て場へ何度も往復。昼夜問わず、ひとりでトイレへ行く、と言いはってベッドを下りると、廊下に点々と下血が滴り、都度、雑巾で拭き取っては洗う、の繰り返し。眠る間もありませんでした。最後のその時も、ありありと想起します。
榛原さんの作品に私のような読者が想起できるということは、普遍性が的確にある、ということでしょう。「私小説」の所以も、それでしょうか…。
ですが、私自身はそういうことを書きたいとは思いませんし、力もありません。
これがもしフィクションだったら、そういう深刻なリアリティの描写が、逆にそれを表現しようとした作者の意図、見え見えで、ある種の滑稽感に囚われてしまうのです。
いま私のベッドルームに亡妻の写真が飾ってあります。鎮魂とか敬慕とか供養とか、そんなことのためではありません。
「やいこの婆ぁ、先に逝っちまやがって、今頃どこにいる。冥界とやらでのんびりしてるか。俺はあのときダウンして、左大腿動脈狭窄とやらの後遺症が残った。眼も耳も、頭までが刻々と崩れていく、俺はそれを見ている。その時のその瞬間も、はっきり見届けてやろうと企んでもいる。罰が当たろうと何だろうと構うもんか。じっくり見届けて、それから冥界にでも何にでも連れて行くなり何なり好きにしろ」
私に申し上げられるのはこの程度です。どなただったか「私小説論」を書くとおっしゃっていた方がいたと記憶しております。正しい批評のありようはそのような方にこそふさわしい、と存じますが…。
これを書いている途中で、孫夫婦が子連れで来ました。曾孫です。初めての対面です。丸顔のつやつやした肌をしています。昔の(また、昔と言います。老人の証しか)児はこんなに綺麗ではありませんでした。出来損ないの小猿の面よろしく貧相に皺だらけ。これが我が子か、何かの間違いじゃないのか。など思ったものでした。
そうしてすぐ、またもや頭を擡げてきそうな(国民投票法・謀略罪)のことを思いました。私はもうタガのゆるんだ桶か樽。地震で潰れようが日本が沈没しようが地球が木っ端微塵に砕け散ろうが心残ることはありませんが、こうして新しく萌え出てきた命はどうなるのでしょう。
託卵、ということがあります。男の子は天皇の赤子(sekishi)だ、と身を削って育ててきた息子を、特に体格優れた児ほど、シコノミタテと称して引き攫っていかれた時代がありました。徴兵を逃れる方法はあったそうです。指をつめたり足を折ったり病気にしたり、ですがどうして、普通の神経で我が子の躰を傷めることができましょう。
託卵なのです。少子化対策というのも経済グローバル化への一種の託卵。
ですから生んだら、竹林の底深く、繊毛の巣にでも隠すのがいいのです。
長々と、とりとめないことを申し上げました。お身、お大切に… 甲子
* 四国の榛原さんもお読み下さい。「私小説論」を書こうという若い人も。ひさしぶりに「甲子」さんの活弁(むかしのカツベンのことでは有りません。活気ある言説)を聴いて嬉しい。
* 平野町の華岳 夜通しの雨に朝遅くまで気温が上がりませんでした。時折蛙が鳴きました。
その後、(機械の)調子はいかがでしょう。根を詰めてらっしゃらないか気がかりです。おからだお大事に。
川端龍子の年表に、1895年和歌山から上京 浅草六区からまもなく日本橋蠣殻町へとあって、あ、谷崎さんのとこ、と、思いましたの。ほぼ同い年でしたのね。
大田区にある記念館を訪ねた日のあれこれを思い出し、繪もさることながら、好い仏像をお持ちだったことを懐かしみ、紺紙に金泥で引かれた線や、芋銭(うせん)を思わせる繪などまた新たに感じるものがございました。図録掲載の西国三十三所のスケッチにもひかれました。
ところで、10日程前のこと、湯木美術館が珍しく掛物ばかりの展示をしていて、なかに華岳もというので行ってまいりましたの。
龍子の色紙「獅子頭」が出迎える待合。入り口の花入には霧がたっぷり吹かれ、貝母(ばいも)に紅すももが取り合わされています。部屋の突き当たりに春草「紅桃矮鶏」、松園「廓の春」、栖鳳「碧澗魚躍」、関雪「蓬莱仙境図」と四幅並び、華岳は右の壁に「山雨空溟之図」と、箱も添えての「観世音菩薩図像」。
華岳展で一度見ただけの二幅でした。こちらがお持ちとは。供えられた青磁の香炉も四方盆も隙なく、洗練の逸品。さすが。
放庵の「花咲翁」に噴き出し、契月「菅公」にうなり、菅楯彦という画家を識りました。楯彦だけ三幅出展され、ちょうど友人から上方落語「桜の宮」の筋を手振りもまじえて聞いたところでしたから、さながらそれかと思われる「暮春桜の宮堤」が印象に残り、画風と名を覚えましたのよ。
また嵯峨硯と、仕掛けものの嵯峨人形も出ていました。嵯峨硯というのを今まで存じませんでしたわ。犬も歩けば棒に当たるです。
それにしても、安田靫彦や前だ青邨ほどは菊池契月が取り上げられないのはなぜなのでしょう。清澄で線もつよく、目の描き方など忘れられない魅力を持っていますのに。 雀
* 甲子さんやMAOKATさんとはまた幾味もちがつた、「さすが」の世界がさらさらと捉えられていて、堪らなく懐かしい。
この三人のメールは、それぞれに大人のなかの大人のメールのお手本のようである。「福」をいただいたような嬉しさで、インターネットが利いていないとこういう嬉しさも味わえない。つらい。
* 友人の演奏会に行ってきました 時
秦先生 こんにちは、 ***です。
春が来たと思ったら少し足踏みをしているような寒い日が続きますね。体調を崩している人もみかけますが、先生はお元気でしょうか? 私は、ここ一年ぐらいは風邪とは縁遠い生活です。
さて、今日は岐阜の友人達のピアノを聴きにに行きました。六人のアマチュアピアニストの会でしたが、どれも思いのこもった演奏でした。みんな仕事に、育児に忙しい中、いいピアノを弾くために全力を尽くしていました。
友人の一人が、ベートーヴェンの晩年の大作ピアノソナタ31番を聴かせてくれました。苦悩の中、祈りと嘆きを繰り返し、最後には歓喜の高みへと登っていく壮大な曲です。
十年と少し前、東工大の教室で私も先生の前でこの曲を弾いています。若気の至りで弾いてしまいましたが深遠なベートーヴェンの晩年の世界がまだまだ理解できていなかったと思います。
当時はまだまだ自分勝手な思い込みの強い演奏だったと思います。
今回友人のピアノを聞いて、私ももう一度弾きたくなりました。
もし機会がありましたら、もう一度私のあの曲を聴いて頂きたいと思います。
それでは、失礼します。 卒業生
* また聴かせて下さい。「時」くん、このメールの中に「演奏」という二字が十一個所に使われていました。三個所に減らしてみました。
* 畑 雀
朝霧かしらと思ったら黄砂。窓の外が一日ぼんやりとしていました。
よさの旅は、いま少し整理が要りますので、先に瀬田の囀りを聞いてくださいませ。
畠うつ音やあらしのさくら麻 (芭蕉)
忍者の訓練のひとつに、毎日少しずつ伸びる麻を飛び越えると聞いたことがあります。
いままで信楽に行く道路をいくつか試してみまして、五右衛門の出身地といわれる旧阿山町石川(御栄門という喫茶があります)から伊賀焼の煙立ちのぼる道を桜峠越えに行く道を利用しています。月ケ瀬、笠置、和束、信楽の道筋は途中山路険しく、気に合うのですが残念です。
たぬきが居並び、大きな看板が立ち重なる信楽と違い、伊賀焼の窯はひっそりとかくれるように、小さな盆地の斜面に点在し、景気としては雀は信楽よりも好きですわね。
信楽は明るい。白っぽくざらりとしています。
名張ではうてなばかりになった桜も、このあたりは散り掛かりで、庭に一本、神社に一本、山にぽつんぽつんと咲くさまはなんだかなつかしく、個と個でいたい風景です。
茶陶風をことさらこしらえずに自然のまま焼物を作ったなら、さみしがりではにかみやのガンマンみたいな魅力を醸し出すのではないかしら。
この連休はさぞかし賑わいをみせるであろう陶器の町を通り過ぎ、「朝宮」バス停から細い川に沿って、緩やかな上り道へと入ります。
せせらぎ。鳥の鳴き声。鬱蒼とした木の下闇にお堂が建っていました。「岩谷観音」というそうです。この水で洗えば目が明く、病も治るといった雰囲気の観音堂ですが、今は昔、この先にゴルフ場がある…はずですが…行けども行けども一向に見えてまいりません。案内も道路表示もなァんにもなく、頂まで茶畑が広がる丘の合間を走ってばかり。どこかで道を誤ったようです。
引き返そうかと言っていたところで、ようやくクルマの走っている道に合流しました。「畑のしだれ桜」と書かれた看板を見たときはほっといたしましたわ。
朝の天気予報を聞いていますと、いつでも関西一帯で一番寒いのが信楽のようですのよ。
朝宮はその中でも山間地で霧も雪も深そうです。それだけにお茶がおいしくできるのでしょう。山添、童仙房、和束…少し陰に籠もる大和の茶どころは静岡と違う魅力をたたえています。
駐車場にはひっきりなし桜見物のクルマが出入りしています。小太りの猫が物見猛々しい客をじろりと見上げ、のっそりと去ってゆきました。
平家が都落ちの際に桜を一本抜いて持ち去り、ここに植えて都を偲んだという「畑のしだれ桜」。ピークを2日過ぎているといわれましたが、小高い丘から茶畑を見下ろして立つ樹齢400年の木は、なかなかの貫禄です。
それにしても寒ゥい。あつあつのほうじ茶がポットに用意され、お酒、草餅、漬物、野菜、お米など地の産物が並んでいます。「できたてのかやくごはんですよぉ」と運び込まれてきたうちの一パックを頂戴しました。おいしかったァ!
木がくれて茶つみもきくやほととぎす (芭蕉) 囀雀
* 佳い囀りではないか。旅しているように懐かしい景色である。
2006 4・24 55
* 瀬田大橋 雀
建部大社は八重桜やしだれ桜が散りもせずに咲き誇り、雀は「お花見、お花見」とはしゃいでいましたが、鯉が泳ぐ泉水の脇に「大友氏寄進」の、高さ3㍍はあろうかという巨きな石灯籠を見たときは打ちのめされました。石の技術に勝れた渡来人が誇らしげに寄進したさまは、バレーボールやバスケットボールなどの試合で、「こらもう、はなからあかんワ、人種がちゃう」と萎えるのに似てはいないでしょうか。
瀬田の唐橋たもとに、「日本三大名橋」と大きくて新しい石碑があるそばに、小さな祠がありました。高さは30㌢あるかないか。薬師如来ではという石仏は、橋脚の下に沈められていたものだそうです。柳は薄緑に芽を吹き、桜はそよそよと風が吹くたび花びらを散らしています。ボート部の新人勧誘でしょうか、艇から岸から指示を出す声が飛び交い、観光クルーズ船がどっどっと湖に出てゆきました。
川に迫る石山、茫と春霞に靄る水辺。どこか鴨川にも似ています。
秀郷追悼の寺、そして夕照の間があるというのをことさらにあちこち宣伝している雲住寺の、立派な建物の真向いに平屋の小さな社務所がありました。もとからここにあった龍宮社で、秀郷がムカデと出会って退治したのち龍宮秀郷社となったという神社がひっそりと建っています。「由緒書は社務所まで」とありましたが、あいにくお留守。勝手な想像ですが、年寄られた神官さんが一人、明け暮れ瀬田の景色を眺めながらお住まいなのではと想像いたしました。島ケ原の鵜宮神社の社務所がちょうどそんな感じです。
ベージュ色に塗られた橋を渡り、そこここに旧い家や店を見ながら、御霊神社を訪ねました。手水石は腹這う兎、手水舎の屋根には桃の瓦、本殿前の札に「祭神大友皇子」とあっても、想像していたようなおどろおどろしいお社ではありませんでした。
満天星(どうだん)が咲いています。うつむいて咲く小さな星々は、皇子が大津で見せた、悄然とした横顔ににているのかもしれません。
いつもの道まで戻り、“油日神社”とあるのに気がつきました。甲賀にあるそれとどう違うのかしら、油日嶽の真西だからお旅所かなにかじゃないのなどと勝手なことをいいながら行ってみますと、聖徳太子が馬をこの地の杉の木につないだことから“馬杉マスギ”と地名が付いたといい、その名の通り、杉の巨樹が何本もそびえています。
桜花散り敷く石段の途中に「居合○○流の祖△△生誕の地」の碑。上り切った狭い広場に拝殿と二棟並びの本殿、そしてお稲荷さんの社があります。石灯籠もどれも、時代のものが浄らかに崩れなく保たれ、思いがけない贈り物をいただいた心地でした。帰り道で、いつも通り過ぎていたお寺が十一面観音を祭る寺と判ったことも、二重の贈り物。
あとでわかったことは、油日嶽に降りた神を祭った甲賀の油日神社で橘朝臣敏保が979年に神事を行なっていて(これが甲賀武士の濫觴といわれる)、彼は 981年に甲南町馬杉に大伴連の祖である天忍日命を祭って油日神社を創建しているということ。
閑かさにひとりこぼれぬ黄楊(つげ)の花 (阿波野青畝)
鹿深、倉歴山、柘殖…えらい深みに足をとられました。 囀雀
* 駆け足で気ぜわしい旅しかしてこないわたしは、雀の囀りの、実に具体的にしかも心をよせた感想や観察であることに感じ入る。かわりに旅をしてもらっているという嬉しさ。この雀さん、わたしのノートである。カメラである。
* カミタナカミナカノチヨウ 雀
滋賀県立近代美術館に向かう道は、ゴルフ場をいくつも通り、ミホミュージアムへの岐路を行き過ぎ、どうどうと流れ落ちる“三筋の滝”や、レンガ造りの発電所を車窓に見、山桜、山躑躅、翻る白い花は水木かしら、たゆたう川面と木々の新芽のもやもやした谷間の春色のなかをすすみます。
かつて伽藍が密集した竜王山の山腹に、コンクリートの人工物が威力を見せつけるかのように作られていきます。高速道路のトンネルは狛坂廃寺の真下を通るようですが、そんな景色はかえって山の霊気や嵒山の偉観を強く感じさせるものと雀の目には映りますの。
先日の与謝への旅で、車窓に○○古墳と大きな案内板が見えましたので、どこかしらと首をめぐらせていますと、進む先、トンネルの山頂が葺き石の古墳でした。ハリウッド製冒険映画の気分でしたが、古墳を貫通していくのはあまり気分の良いものではありませんね。それと知らずに通っていることもあるのでしょうか。
道は平地に飛び出し、上田上牧町、上田上中野町と、とっさに読み方が分からない地名に出くわしました。カミタナカミ、ナカタナカミ、シモタナカミとあるのかしらと通り過ぎたのですが、翌朝のテレビ「遠くへ行きたい」で、滋賀県の黄金漬というのが紹介されていて、それが、この田上の産物で、“田上手拭い” という女性の被りものがあるというのに、瀬田の唐橋たもとにあった“田上不動参道”と彫られた標石を思い出しましたの。あらためて地図を見ましたら、迎不動、不動寺、太神山と書いてあります。
いつもながらのうっかり。音、読み、聞こえを大事に。字に、目に頼りがちではいけませんわね。
お米が大層美味しく出来る土地柄だそうで、菜の花の漬物はよくある塩漬けではなく、発酵させたスロウフード。緑色が黄色く変わり、蕾がまるで実った稲穂のように見える、なんとも興をそそる漬物でした。
さて、道に“滋賀医大”“龍谷大学”“びわ湖文化ゾーン”の矢印が見えてきました。おめあての近代美術館はこの一角にあります。
* 雀さんに逢って、ご主人運転の自動車にいっしょに乗せて貰いたくなった。名張は、だが、遠い。
2006 4・25 55
* ゆめ このところ妙なお天気が続いていますけれども、お加減はいかがでしょうか?
今朝は晴れていたのに昼過ぎになってにわかに天かき曇り、雷まで。穀雨の季節ですから、雨は野山や田畑をうるおす天の恵みと思うべきでしょうけれど。
我が家のリビングルーム側の南はかなり広い貯水林になっていて、秋になって木の葉がすっかり落ちてしまうと、向こうの建物まで見渡せるようになるのですけれども、日ごとに新緑の増してきた今日この頃、とうとう向こうは見えなくなりました! 林の中にいるような錯覚を覚える時もあって本を読みながら、お茶を飲みながら、つくづく「自由の身」の嬉しさを感じています。朝起きると何も考えずに昨夜用意しておいた洋服を着、時計とにらめっこしながら駅まで走る35年間でしたから・・・。結局家事も手を抜かざるを得ず、日々の食事や洗濯はともかく、大きい家事(レンジの掃除、カーテンの洗濯、床みがき等々)は気にはなっても手がつけられない状態。
その埋め合わせに、昨日はフローリングの床を拭いてワックスかけの大奮闘(人間と同じで床もたまにはクリームや乳液をつけてやらないとかさかさになるとか)、おまけにスニーカーを3足も洗って干しました。
また、市の「パワーヨガ」教室も応募者多数の中から無事当選、連休明けから毎週通います。腹式呼吸のため、とても健康に良いそうです。(肩こりが直るのを期待してます。)
4月14日、15日の「高山まつり」は素敵でした。
高山は以前にも二度いっており、「屋台会館」で屋台(山車)の実物様の台や「からくり」も実際にみたのですけれど、やはり「百聞は一見に如かず」とはこのこと。高山は今年は春が遅く桜も三分咲き程度。思わぬ早春の気候(五度くらい)とその人混みに少々驚きながらも楽しく見学してきました。
十二台の屋台は重要文化財のため、雨がふったら中止なので気をもみましたけれど、十四日夕方六時三十分、高山陣屋前に曳き揃えられた11台の屋台(一台は修理中)は、たくさんの裃姿の侍や獅子に先導されて無事出発。宮川にかかる赤い欄干の中橋を渡ってゆるやかにすすみます。
最初の神楽台(かぐらたい)には大太鼓が据えられ両側から二人の奏者が体を90度に倒して交互に打ち鳴らします。(イナバウアー!と声がかかっていました。)
二人の笛の楽人の音色も素晴らしかった。
次に続くのは「三番叟」の台。童子が翁にかわるからくりで有名です。「麒麟台」、「石橋台」「五台山」「「鳳凰台」「「恵比須台」「龍神台」と次々に続き、町の要所要所で向きを変えては練り歩きます。今回は春の山王祭りを楽しみましたから、機会があれば秋の八幡祭りもみてみたいものです。
帰途、内藤新宿ゆかりの高遠城址公園の桜を。ここも高山と同様桜は三分咲き。「ソメイヨシノ」より少し小ぶりで、色は赤みが勝ったピンクの「高遠コヒガンサクラ」を楽しみました。
「絵島囲み屋敷」は小さな家でしたけれど、まわりの板塀の上に「忍者(しのび)返し」がとりつけられていて、やはりこの騒動が一個人のものではなく、大変な陰謀に関与していたことを思い知らされました。
2006 4・25 55
* こんなメールも来ているが、どんなものか。バラついている気がするが。
* すべての女がそうだとは言いません。しかし、女は「誠実だけれど醜い女」と思われるるより「不実だが美しい女」と記憶されるほうがまだましなのです。
また、これも女心の秘密ですが、女は男が女の「外見の美」より「内面の美」を大切にするとは信じていません。紫の上が性格はそのままでも末摘花の容姿であれば、あれほど光源氏に深く愛されたでしょうか。
今日新聞でよい言葉を見つけました。「結婚は恋愛とは違い、基本的に苦難の連続。夫婦して、金山から金を掘り出すように、愛を探し出すんです。」
* 第一段は特殊な主観であり、この人にすれば「まし」なのかしれないが、どの女の人にも「まし」と言い切るのは事実誤認である。
第二段はいかにももっともそうであるが、物語の女の理解や把握が薄すぎる。花散里は源氏の子で太政大臣にもなる夕霧の代母であったが、容貌はむしろ醜いほうであった。しかしその聡明と親切と人柄の良さで源氏に信頼・敬愛され、終生大切に遇された。夕霧もまた母なる花散里の美しくはないのに父源氏が見放すことなく大事に遇してきた事実から、男女の仲らいの大切を学んだと述懐している。
それに比して、末摘花は容貌の醜い以上に、人柄こそともあれ万事にセンスが悪すぎ、しかもかなり頑迷で粗雑であった。
紫上はたんに美貌というだけでなく、源氏には、生みの母に似た理想の藤壺宮によく似ていたという、「母」がらみの特殊な「理想」を体していたのであり、加えて配慮といいセンスといい人柄といい教養の深さといい、申し分なかったことを忘れてはいけない。末摘花と比べること自体が適切ではない。
バグワンは、どれかの本で、このメールの人の持ち出したのと同じ持ち出し方で同じような例を語りながら、しかも、この人とはサカサマの結論を導き出していた。
第三段は、何が言いたいのか分からないが、この通り、であろう。だが、同じメールの中で上の二段とならべて言われると、統一した連繋に欠けていないか。上の二つを超克しないと、三つ目はなかなか難しいだろうに。 2006 4・25 55
* 三人称にチャレンジしてみます。そうすれば、一人称で書くにしても、世界が拡がるのではないかという予感があります。
それにしても、推敲は、する度ごとに、まるまる一作書くほどの労力を要しますね。 花
* 朝目覚めたら空気ひやりとして、あまりいいお天気だったので、思い立って「いざ鎌倉」へ。藤沢駅で江ノ電に乗換え、近くに海風を感じながら向かいました。
写真は翁が現れて頼朝に平家討伐をうながしたといわれる「佐助稲荷」です。駅から15分ほどなのに、山深い感じで、静かな場所。野生のリスもたくさん姿をみせます。
銭洗い弁天から源氏山公園、険しい化粧坂(けわいざか)を下って、花々の美しいお寺・海蔵寺へ。
風に吹かれてoneday・tripです。 ゆめ
* 門前雀羅を張る 波の音松のひゞきもなりあいのかぜふきわたす天の橋立
雪を噴くという名の通り、雪柳はひっしり花をつけ、桜は見よかしに咲き誇って、山膚は赤紫の躑躅を蒔き砂子。菫も一面に花の紐をほどき、幾枚か水が引かれた田を車窓に見ました。出発から4時間半。「天橋立」の看板が見えバスは高速道路から宮津の市街へとハンドルを切ります。
湾をぐるりと周って籠(この)神社前に停車。
2時間のフリータイムというので雀は神社にお参りして「奥宮500M」とある矢印の先にこんもり繁った森があるのを確かめ、成相寺へ向かいました。行きはケーブルカー、帰りはリフトを選びましたが、快晴に恵まれ、その両方で、登山バスに乗り換える展望ロッジで、お寺で、海と山とが作り出す光景に歓声をあげました。
いつよりか天浮橋中絶えて神と人とは遠ざかりけむ (籠神社由緒書より)
先年の颱風でひどく折れた天橋立の松を、昨年の五山送り火に奉納した、また仏師養成学校に寄付したとニュースで見ていましたが、地元のガイドさんのお話では、学者先生は松が多過ぎるというが、勝手に伐採できない仕組みになっていて弱っているとのこと。
成相寺へ向かうバスはガードレールのないヘアピンカーウ゛をぎりぎりで曲がり、その度に満員の乗客から悲鳴と感嘆の声が上がります。混雑を詫びながら、この道も七ヶ所も崖崩れが起き、交通止めかというところを、大形から中型にバスを換えることでなんとか通れるようにしたと話してくださいました。
本堂の周囲も倒木がずいぶんあったそうで、切り株がそこかしこに見られます。参道がすかすかとしていたのはそのせいでしたのよ。しかもこの冬の豪雪でしょう。シャクナゲも折れたり倒れたりと痛ましい景色に息を呑みました。
内陣に入れていただき、ご本尊(聖観音)をはさんで地蔵菩薩坐像と十一面千手観音があるのを見ることができたことが一番の感激。
陣内に展げられた四幅の地獄絵図に、「子供の頃、よくお寺で見せられたねぇ」と見知らぬ参拝者同士で話に花が咲きました。
境内の熊野権現社に熊野再訪が叶いますようにと手を合わせ、籠神社に戻りました。
今はどこも門前町が失くなっていますが、さすがに天橋立をもつ門前は賑やかで、久しぶりに観光地遊楽という雰囲気を味わいました。
ところが、籠神社奥宮が予想していた鳥居の先の森ではなく、さらに道を上った先にあることが分かり、時間不足で遥拝して引き返す破目に陥り、「先にお参りしとくンだった」とうかつさを悔やみました。 雀
* 松の尾寺 角のきっちりした石段を上ると、山門が前のめりの身体を抱きとめるかのように迎えてくれました。
思わず長い息を吐き、ぼんやり見上げて感慨に耽っていましたが、門の向こうには先のよりっと旧い、ごつごつした石の段が延びています。
降りてくる方に励まされ雀はふたたび足を踏み出しました。
手水鉢も石段も青葉山の溶岩でできているそうで、忿努の形相馬頭観音のお寺だけあるなぁと妙な聯想―。
門をくぐると、桜の古木が一本。捻りあった太い幹から四方に枝を伸ばし、かすかな風が吹くたび花びらを散らしています。石段を上ると右手に杉の大木がそびえ、見回すと銀杏や欅など、雪深い地でこれだけまっすぐ伸びるものかしらと不思議な種々の巨木が天をついて、その下に緑青の屋根と頭に輝く黄金色の飾り。
吐く息ばかりが多くなります。そして境内の神社が雀のこころに訴えました。
あごのかけた狛犬。ごつごつした旧い石灯籠。びっしりと苔に覆われ、ところどころ石がかけて松や杉の小枝が落ちている階。
煙は絶えず、人声も賑やかなお寺からわずか5㍍ほど離れただけなのに、鈴の音もしのびやかな人跡稀…いえ、あるのかしらんといったお社でした。
石段を降り、バスが待つ駐車場への坂道を降りる目に飛びこんできた重なりあう緑の山々。雀は「あッ」と叫びそうになりました。
那智を思い出す風景です。
故郷印度の波音に滝の音が似ていると裸形上人はいい、松尾寺も渡来僧が感得して馬頭観音を祀ったことが起といいます。生命を産み出す根源のちからをかかえた景気なのでしょうか。
帰りの車中、ふと明かりに目を上げますと奈良の夜景が窓一面に広がっていました。
7:40出発、昼過ぎには籠神社、夕方、松尾寺に着いて20:20帰宅。高速道路の威力に屈伏のバスツアー体験でしたわ。
さて、籠(この)神社がややこしく苦労しています。
イザナギが天から梯を下ろして真名井原に住むイザナミへ通ったおはなし。
彦火火出見命が塩土の神が造った籠船で龍宮へ行ったおはなし。
もともと豊受大神が鎮座していた匏宮で、丹波国造の家である海部氏が神主をつとめていること。
三輪を追い出され笠縫邑にいた天照大神が最初に遷ってきた地であること。
丹後一の宮で、正一位籠之大明神で、東京大空襲直後の国会で官幣大社に昇格して…とそれはおいて。
葵祭とよぶ祭礼のこと。水の神を祭り、満月に行なわれていた祭礼があったこと。淳和天皇妃真井御前。岩見重太郎がその脚を切った狛犬のおはなしまで、盛り沢山の由緒書をなんとか整理して囀りますので、よろしくお願いいたします。
それから、よさは、ひさごのことでしたのね。「鉢叩き!」とひとり、手をうちました。 囀雀
* 籠(この)神社ほど日本史に埋没して不可思議にも由緒遥かな神社は、ほかに無いだろう。アンタッチャブルな聖域なのである、歴史的に。此処に秘蔵されてきた「系図」は神秘の世界に半ば身を隠した、たいへんな国宝であり、超別格の海由来の古社。囀雀さんは、えらいところへ脚を踏み込んできた。探訪という旅の出来る当節稀な女性である。
* 今日は平和な一日です。美容院でゆっくり髪の手入れ。やさしく撫でてほしいような艶やかな髪になって肌もしっとりしています。
美容院では新入りのお兄さんがヘアトリートメントしてくれました。長身、小顔の某人気タレント(速水もこみちって知ってますか?)に似てそれ以上のかなりの「イケメン」。彼女がいないという話題になり、もてるのでしょうと聞くと「もてないことはないんです」と臆面もなく笑うのがおかしかった。ノリのいいお兄さんです。早く結婚して子どもが欲しいというのが、遊びざかりの若者には珍しいかもしれません。
明日はお稽古に行くことになり……。着物を着るにはよい季節です。「粋」より「はんなり」とした着方が好きで目指しているのですが、なぜか着物姿では「粋ね」と言われることが断然多いので不思議でピンときません。中身は思いっきり野暮の自覚はありますが。 春
2006 4・26 55
* 冷えて、雨。
* 氏祖神の彦火明命ですが、息津(おきつ)と邊津(へつ)の二枚の鏡をもって冠島に降り、丹波国造(くにのみやつこ)祖神となりました。后の市杵嶋姫命 (いちきしまひめのみこと)が沓島に降り、この二島は籠宮(このみや)の「海の奥宮」だったとのこと。
古伝では彦火明命(ひこほのあかりのみこと)は天火明櫛玉饒速日命(あめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)でもあるといい、極秘伝によれば賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)と異名同神というので、葵祭へ、はなしがつながってきます。
天照国照彦天火明命(あまてるくにてるひこあめのほかりのみこと)は尾張一の宮真清田神社に祭られています。
愛知県に海部郡や海津郡てありましたわ。 雀
* 神の通ひし跡なれや 整理のついたところから囀ってみます。 雀
天ツ神イザナギが真名井原にいる女神イザナミの元へ通うため造った天浮橋が、地上で一夜寝ている間に倒れ伏し、天橋立となりました。現在、真名井神社の磐座西座にイザナギイザナミ両神が祭られ、天照大神出生地として天照大神が主神になっています。
真名井原に“匏宮”といって豊受大神が鎮座し、天界から高千穂峰に降りた真名井の水もこちらへ移されました。
B.C59 崇神天皇三十九年三月三日 豊耜入姫命を御杖代に、天照大神が笠縫邑から匏宮に遷座。天照大神は四年間滞在し、倭国伊豆加志本宮に遷りました。
B.C5? 垂仁天皇二十五年三月十日 倭姫命が御杖代となりますが、姫は丹波国造家でありヨサノミヤ神主家海部氏外孫と伝えられています。
天照大神は宇陀篠幡~伊賀~近江~美濃とめぐって、伊勢五十鈴川上へと遷りました。
478年 雄略天皇二十二年七月与謝郡筒川の人、水江浦島子云々。
九月十五日 豊受大神が伊勢山田原に遷座。
683年 天武天皇白鳳十一年三月二十二日 主神を彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)に、与謝宮を籠宮(このみや)と改めます。
塩土老翁が造った籠の船で龍宮に行ったことから籠宮というそうですが、水江浦島子も亀ではなく籠船でしたのね。
719年 元正天皇養老三年現在の籠神社の位置に宮をおろし、海部氏祖神彦火明命(天照国照彦火明命)を祭り、天照大神、豊受大神、海神を相殿に、天水分神(あめのみくまりのかみ) を併祭します。真名井神社は奥宮となり、本宮籠神社と二社にわかれました。現在、奥宮は豊受大神を主神に罔象女命と彦火火出見命を祭り、彦火火出見命は本宮摂社蛭子神社にも祭られています。
929年 醍醐天皇勅により小野道風筆「正一位籠之大明神」神額を、
976年 円融天皇勅により藤原佐理卿筆の神額を賜っています。
1503年頃に雪舟が「天橋立図」を描きました。 囀雀
* 大変である。この神社の由来や経緯にふみこむと、深い渦にひきこまれる。雀の水遊びが溺れなくて済みますように。
* 櫻 古来、桜の散り際を佳し、悪しし、と両極端に形容されますが、私などは単純に桜の満開が佳く、散る風情は意識の外にあります。
東北北部は雪溶け最中のやっと早春の季節、水芭蕉をバスの沿道から多く観られましたが、当然、桜の蕾は固く、例年どおりに観頃はゴールデンウイークでしょう。仙台辺りが北上線にあり、満開でした。話題を面白可笑しく膨らませて、フンフンと傾聴させる話術を持つ、ちょっとお歳のベテランガイドさんに出会う観光バスも、長い道のりを感じさせず、楽しいものです。元気に過ごせました。
こうして今年の春は往き、五月がそこまでやってきました。
旅は楽しいですよ。日帰りでもいい、旅に出ませんか。 泉
* 人出の休みに遠足はあまり考えたくない。むしろ都内で楽しむのが賢明だろう。あす金曜は二十八日、まだ連休の前日。すこし身辺を片づけるのもいい。買った機械の荷も開けていない。
2006 4・27 55
* はしご 天と地を結ぶ梯といえば、Jacob’s ladderもありますね。弟が嗣ぐ、ぶさいくな姉は退けられ美しい妹が選ばれるというのは、万国共通なのでしょうか。
天橋立にある橋立明神は海神だそうですが、天橋立が海橋立、天浮橋が海浮橋としたら、天照大神も海照大神ということになりますね。
ガイドさんいわく、籠(この)神社は伊勢神宮と相似建築なので、三重県の人を案内すると喜ばれるとか。30年毎の御造替は1845年以後行なわれていないようです。
また、丹後には三重県と同じような地名がいくつもあり、大江山には元伊勢という内宮外宮に天岩戸まで揃ったところがあるそうですね。 囀雀
* なにげないが上代史の機微に触れている。丹後という国は、出雲と伊勢・大和との底深き中継点になっていた。「四道将軍」が派遣されたとき、東海道や西海道などのほかに「丹波(丹後)道」がきっちり加えられていたことの意義は深刻であった。しかも「海=天=アマ・アメ」というイディオムも。
2006 4・28 55
* 弘法大師と真井御前 雀
籠(この)神社由緒書に、「日本三如意輪観音随一」と、神呪寺本尊の写真つきで真井御前の説明がありました。雀は、まず観音の姿に目がいきましたが、本文を読んだのちは、空海と秦さんが重なって思えてなりませんでした。
803年、海部雄豊にむすめが生まれ、厳子(いつこ)と名付けられます。
804年、空海入唐。
806年、空海帰国。
812年、巌子(10才)頂法寺に入り如意輪の教えに帰依。
822年、巌子(20才)大伴皇太子に見初められます。
823年、皇太子は淳和天皇として即位し、厳子は第四妃として迎えられます。真井御前と称され、天皇とともに空海の如意輪の法に参加。
824年、神泉苑で祈雨をする空海に真井御前は篋を渡し、これによって大師は雨を降らせたと伝えられています。
828年、真井御前は侍女2人を連れて宮中を出で、西宮如意輪摩尼峰に一宇を建立します。
11月、空海を甲山に迎えて如意輪の秘法を修します。
829年正月、空海を請じて受明灌頂を受けます。
5月、吉野大峰で21日間の行を成し遂げます。
830年2月、阿闍梨灌頂を受けます。
3月18日、如意輪の像を造ろうと発心。空海が山内の木を卜し大きな桜の樹を撰び、御前の等身に準じおよそ33日間を費やして彫り上げました。
831年10月18日、空海を請うじて大殿落慶。真井御前は髪を截り具足戒を受け如意と号します。
833年淳和天皇譲位。
835年正月、淳和上皇甲山に御幸。如意尼と御対面。
3月20日如意尼遷化(33才)。翌日弘法大師入定。
840年 淳和上皇崩御。
神道の家に生まれた姫が仏門に入り、天皇妃の生活を捨てて修業を成したのち、上皇となった君と再会、わずか2ヶ月後に世を去るという映画のような話ですが、雀は龍神から弘法大師に遣わされた乙姫といった印象を受けました。
弘法さんの日にこの世に生まれた秦さんが手にしてらしたのは、能書の筆ではなく書き顕わす筆。そして真井御前のような龍宮の姫君が腕を広げ待っていたのですわ。 囀雀
* おそらく『冬祭り』の「冬子」のことを言うているのだろう。
* 龍と如意輪観音 雀
真井御前をモデルに彫ったという如意輪観音は、写真で見ると素の木肌がやや乾いた膚の感じをつくっていて、表情はなまめかしさよりボーイッシュな印象が強くします。
「日本三如意輪観音」のあとの2体の所在は。甲山神呪寺の場所は。
インターネットならわけのないことも雀にとってはちょっとした仕事になりました。おもしろかったけれど。
観音像は觀心寺と室生寺にあり、室生寺本堂(灌頂堂)に一体で安置されているそれは、雀も好きな仏像ですわ。觀心寺は4月17・18日のみの開帳で、仏像のことなど知らず夏に訪ねていまして、残念ながら拝していません。いただいた由緒書があるはずと探しましたら、ちゃんと「室生寺、兵庫神咒寺」と書き込んでいました。
兵庫というだけで諦めてしまったのですわ。西宮には何べんも遊びに出かけてますのに。
でも、甲山神呪寺通称甲山大師てどこにあるのかまるきり見当がつきません。運の良いことにご開帳は5月18日。見に行くことができます。地図で場所を確かめ、手帳の5/18欄に書き入れました。
真井御前が帰依した頂法寺にも行っていながら、本尊が如意輪観音という記憶がなく、パンフを探して再見。細かい彫りで端正に美形の観音ですわね。
興味をもっている十一面観音以外は、どんな印象かとは憶えても、何という仏像かとは憶えていなくて。
そうそう、龍蓋寺(岡寺)のご本尊が如意輪観音ですわね。
それから、觀心寺も室生寺も空海が腕を振るった寺でした。
808年に空海が来山し、815年に現在の本尊を刻んで雲心寺を觀心寺に改称。龍穴に付随した寺であった室生寺を、来山した空海が整備しています。空海をまつる奥の院がつくられていて、境内を歩くと空海のほうがエライかのような印象をもちます。
川を少し溯ったところに龍穴神社があり、その裏側に神秘的な龍穴があるのですが、奥の院に参っても本を尋ねる人は少ないように見受けられますし、室生寺境内にある龍穴遥拝と思われる天神社の鈴の音が聞こえることも稀です。 囀雀
* こういう記事は誰にも彼にも、読めも読まれもしない、けれど、わたしには清涼剤である。
2006 4・29 55
* 四月が逝く。北国にはまだ櫻のたよりがあるが、東京は藤か。
* 船堀で近代文学の学会がある。鏡花の「草迷宮」について「ペン電子文藝館」同僚委員の真有澄香さんが発表する。名古屋へ助教授赴任して初の研究発表かも知れないので顔をだそうと思っている。それならあと一時間ほどで出かけないと。
* 「草迷宮」はひときわややこしい小説で、しかも長い。統括的に筋を立て通して読みきるのは、容易でない。鏡花文学は「喩」であり。明確に言い切らないまま、多彩に能弁なのである。
真有さんの発表は、作中にあらわれる「わらべうた(童謡=わざうたと読んだ方がいいとわたしは思う)」の「ウタ」に即して作品を読み解こうという提唱であった。
それも一つの選択肢であるが、むろんそれで「草迷宮」がすっきり把握でき切るわけはない。「三浦の大破壊(おおなだれ) は魔処である」という第一行におおきな示唆があり、それを読み解くには、いわば基盤に多くの神話と民俗とが仕掛けられてある。「ウタ」はそれを読み解くための「喩」として活用されている。「喩」のとどく遠さや広さは計り知れぬものがあり、わたしなどは、水を介し海を介して深い海底世界からごっそりと大きく読み取ろうとする。古事記のヤマサチ神話や謡曲の海士の伝説や、鏡花自身の作品群にも類似相似の発想作品はいっぱいあり、男女の主人公やワキ役達にも、とうてい「草迷宮」だけで完結しようのない溢出した世界が「鏡花」その人に属している。それを追究するのは、とても一時間程度の研究発表ではムリなはなしで、結論的に大きな時計の一つ二つ三つ程度のゼンマイを外してその性質や働きを述べるに止まるのは致し方がない。
文学研究者の読みと、わたしのような愛読者の読みとは、かなり違ってくるということは、学会発表を何度か聴いて心得ている。わたしは、自身の「愛読」自体を自分でかなり無責任に楽しめるが、研究者は方法を立て、的を絞ったり方面を限定したりして、細かに追究する。分解に急であるが、分解したものをもう一度組み立てることで「作品」がどう新しく読めるようになったかを、トータルにもう一度さし示せなくても仕方ないとしてある。研究発表は概してそんなものである。わたしらのようには、自由自在に「想像」の翼もひろげ多方面に飛翔することは、むしろ、あまりゆるされない。たいへんだなあと同情するし、意外に豊沃な収穫にはならないのである。それで、わたしは、あまり学界へは出かけなかった、過去にも。
ま、質疑の時間に、わたしも、折角参加したことではあり、いろいろと「念仏」をとなえて、みなさんをヘキエキさせたと思う。
二次会にも加わり、ビールに酔っぱらって、そこでもロクでもないことを喋ってきた気がする。
しかし、楽しい半日であった。
* 都営新宿線の船堀駅というのはかなり遠かった。
2006 4・30 55
* スカートをはいて。 昴
私の職業は、近からずも遠からず、というところです。よく、お分かりにな りましたね。
さて、今日は肌寒かったのですが、スカートをはいて美容院に行きました。いつもは履かないヒールのある靴も履いて、おしゃれして行きました。
その姿を見せたい人にGW中、あいに行こうかと思ったのですが、仕事のペースがまだ出来ていないので、行かないことにしました。安定した生活を早く手に入れたいところです。
でも、不安定なのは私の生活だけではないようで、地元の高校存続も不安定なようです。なくなってしまうと、距離の点で高校に通えない子や、バス代や下宿代などで苦労する家庭が出てくると思います。格差が出てくることは必至です。教員の給料10%削減はまだいいとして、学校なくすのは、最後の手段として使ってもらいたいです。地域の活気もなくなってしまうと思いますし、いいことなんてないと思うんですが…。
小・中学校もやはり、統合や廃校などの目にあっています。
外国のように、教育にもっと力を入れてもらいたいです。学生がデモを起こす社会が正常に見えるのは私だけでしょうか。かなしい。
北海道の道東は、まだ桜が咲きません。5月の下旬ごろになると思います。その頃には桜が牧草畑の中に一本だけ咲いている景色が見られます。本州の桜の咲き方は違うという話を聞いたことがあります。一度見に行ってみたいような、こわいような。
その前に、とても好きな人にあいたい。 昴
* 佳いメールをありがとう、昴の、人そのまま、言葉が流露していましたね、すばらしいことです。そういうふうに話し、そういうふうに書けば、言葉も文字も美しいのですね、飾り立てなくても。
日本の学生たちはどうしてしまったのてしょう。学生の意識の低い時代や国は、ほんとうの活気をもたないようです。
「九条の会」のポスターは、そちらでも貼られていますか。あの中でいちばん若いのは大江健三郎で、彼は私より一学齢上の同年。他の人は全員もっと年寄りです。ああいう年寄りが顔をさらし、若い学生の中に運動が起きてこない。ほんとうは逆でなければウソです。若い人達が声を発して動きはじめ、老人達がその後押しを惜しまないというのが順ですね。
世の中、なんだかヘンですね。とてもヘンですね。公と私との認識が足りないのですね。「私の私」をもっと大事に主張し、公はそれを尊重し支援すべきなのに、平気で政治が公を私し、私にその私した公をおしつけ、服従を強いています。こまったものです。
スカートをはいて髪をととのえて、いちばん好きな人に見せたい、見て欲しい、逢いにゆきたいという、世界中で一番美しく価値あるのは、昴のそういう思いです。
幸せを祈ります。心からね。
湖は、元気です。昴もどうぞ。
* 伊登内親王陵墓 雀
伊賀上野の地図で見つけた小さな集落に行ってきました。
印代(イジロ)は阿閇(あへ)氏の本拠で伊賀国府がおかれた地。岩倉(波野田)は桓武天皇
皇女で業平の母、伊登内親王の陵墓があります。撮り方がまずく立体感がわかりにくいのですが、写真送信いたします。
弘仁年間に、内乱のため山城長岡から伊豆長岡に落ち延びる内親王と従者18人が一時この地に住んだといい、内親王はこの地区の始祖として今も崇敬されているとか。
揚げ物の匂い漂う、たてこんだ家々のなかをくねくねと道を上り、細い細い石段のさき、「伊登塚」と彫られた石碑とあつめられた石。うらやましいお墓の在り方です。隣町青山町の阿保親王墓とつながったなら、ちょっと出来過ぎといったところでしょ? 柘植(つげ)でいただいた観光振興連合会製作地図には、阿保親王ではなく「息速別命墓」と。垂仁天皇の子に池速別命がいますけれど、違うのでしょうね。
そのあと、柘植の阿閇柘殖宮(敢都美恵宮)跡に立ち寄りました。
シャクナゲがほころび、八重桜は満開。シャガにドウダン、ツツジにオダマキ。ヤマブキ、アセビ、カリン、ボケ、菜花にげんげ、シバザクラ…風さえなければのどかに大和街道を逍遥できたのですが、油日から吹き下ろす風が寒くって、JR柘植駅前の喫茶店でコーヒーブレイク。
この駅は三重県内で最初にできた駅で、鉄道マニアには知られた地だそうです。おもしろい話にであいました。
霊山遊山も含め、収穫がいろいろありましたの。
おいおいメールしますわね。
柘植駅前に、母が世を去った翌年、久方ぶりに故郷へ帰った折に詠んだ芭蕉の句が刻まれていました。涙がにじみましたわ。 囀雀
* ほっと休息できた心地。こういうメールは、わたしには、いつも、ビタミン愛である。
2006 4・30 55
* 霊山 雀
都美恵神社拝殿前の句碑に、
雪よりも風の百日伊賀盆地
と刻まれていました。ホントにそう。
JR柘植駅改札口を額縁に一座の山がそびえ、風はそちらから吹き下ろしてきます。霊地のようなたたずまいに、
「あれが油日岳ですね」と訊ねると、
「油日はあの向こう側なんですよ。あれはハタダケといって、ちょうど油日岳(700㍍)を隠してしまうぐあいになってましてね」
秦さんからの風と思えばなんのその。遊山を続けます。
油日岳から倉部川が流れだしていますが、霊山(756㍍)には淀川の源泉という湧水があり、かつて裾野に雨龍明神、弁才天、牛頭天王をまつる神社があったそうです。松尾芭蕉の産湯もこの水が使われたといい、彼は柘植で生まれ、伊賀上野に転居したというはなしですの。
最澄が、嵯峨天皇の勅願をいただき霊山山頂に創建した法興山霊山寺は、現在、山の中腹に建っています。檀家はなく村人が維持管理をするお寺ときいていましたが、おびただしい桜が植えられ、ほかの木はないといっていいほど。
先先週さくらまつりが行なわれて、雀が訪ねた日は境内を手入れにいらした男性のほかに人影はありませんでしたわ。立派な展望集会所にぴかぴかのトイレが二ヶ所も建てられ、村の豊かさを知らされます。ただ、お寺の説明板の字が薄れていて読めないところがいくつかありましたので庫裏のブザーを押し、由緒書をとお願いしました。
中から女性の声がして、建物の隙間からするりと真っ黒な猫が現れました。スリムな体をつやつやとした毛が覆い、最高級のキャッツアイを思わせる目が雀を見上げています。
石仏が並ぶ参道は、食事休憩あとの一幕に前の芝居で降らせた花びらの残りが一枚二枚と散り落ちてきたような趣。本堂の萱葺き屋根に銅板が被され、脇に大きな銀杏の木が芽を噴いていました。オハツキイチョウだそうで、雀は、大和富士こと額井岳山中の戒長寺で見たほか記憶にありません。たしか奈良県の天然記念物とうかがいましたわ。秋はこの黄金色の葉と桜の紅葉が境内に並ぶ石仏を埋めるのでしょう。 囀雀
* 頼朝と宗清 雀
1159年の平治の乱で生け捕られた源頼朝は、伊賀国の国主平宗清に預けられ、霊山寺に助
命を祈願し、そののち伊豆に流されます。
後年、征夷大将軍となった彼はすぐさまこの寺に大鐘と伽藍を建立したそうです。「熊谷陣屋」での白毫の弥陀六、石屋のおやじの台詞にあったのはこのことでしたのね。
宗清の長男は日置氏、次男は福地氏、三男は北村氏とそれぞれ伊賀に勢力をもつ一族の祖となり、北村氏は織田方に組したため伊賀郷士に追われ逃亡したと伝えられますが、霊山山麓には日置神社が遺っています。
1581年、天正伊賀の乱で霊山寺は織田信長の兵火に罹り焼失。1675年頃、現在の地に再建されました。新たに木造の十一面観音をつくって祀り、焼け残った本尊の金銅で聖観音を新鋳し奥院とした山頂に安置したそうです。
霊山中腹には1644年まで穴石神社という社があり、大洪水で欠壊したのち柘植中心部に遷座しています。
さて、霊山の頂き近くにはNTTの、山頂にはテレビの中継所があり、車道はついています。カーウ゛のついた坂道、土砂崩れと仮の橋、崖から染み出て道に流れる水。あちこちに巨石巨岩が顔をのぞかせ、手入れの行き届かない植林の杉木立はいまや山道にとって凶器のようなもの。遊園地の施設の恐さなど及ぶものではありません。
馬酔木と犬黄楊が群なし、頭上が明るくなってきたとほっとしたとき、山頂に着きました。ベンチや階が整えられ、360°眺望が広がっています。山頂公園といった風にも見えますが、五輪塔何基分かの石が散乱し、青銅の聖観音が石室のなかにたたずむさまは密教ムード満点。参拝者ノートを見ますと、真冬の雪山登山という人も少なくありません。スリルいっぱいの道を観音さまお守りくださいという気持ちで引き返しました。 囀雀
* 感謝。連休を、旅している心地がする。ひとつには雀さんの筆が自然美を適切に具体的にとらえていてくれ、そのまま小説の文章に組み入れてもいい書かれようなのが、いたく感興をそそる。索漠とした小説の文章を読むことの多い現代、こういう隠れた書き手の「たより」を私蔵しているのが惜しいと思うこともある。
* 今日は、真夏日です。
いつの間にやら、宿根の紫系統の花が咲き乱れていて、ラヴェンダーを買い足し、こんな事を楽しめる此の頃、気分が爽やかで、ウレシイ!
旅行中のある一日は、携帯電話の万歩計で二万歩も歩いたと人は云い、昨日は孫を餌に出歩いて一万歩。今日も、それ程歩いてきます。
アンジェリーナ・ジョリー主演「すべては愛のために」を観ましたか。いい映画は二度続けて観ます。
私語で読んだ、銀座の京の田舎料理へ、娘をつれてわたしも行ってきます。 泉
2006 5・1 56
* ご多忙の様子、体調を心配している鳶は逆に、ああ、お元気に過ごされていると一安心しました。器械が手元にないため大いに不如意の状況です。携帯で長いメールを書くのはどうも苦手です・・。
明日から岡崎で、義父の遺した標本や文章の整理を数日かけてします。 飛んでいきたい鳶
* 穴石神社 雀
雷に驟雨と、慌ただしい朝となりましたが、そちらはいかがですか。体調崩されませんよう、お仕事にご無理は禁物。おん身なによりに。
柘植の「囀り」を続けます。
徳永寺といって、本能寺の変で家康が三河に帰国する途中に泊まったという寺がある柘植の中心部を、大和街道沿いに、旧家と手入れされた庭や草木とに感心しながら歩いていると、杉や松が並び立つ参道に出会いました。掃除も木の保存状態もよく、自身の庭だけでなく界隈の人々が手をかけている様が窺われ、いっそう気持ちが洗われます。
参道の先には石を積み重ねた常夜灯が一基。御輿の庫と手水舎がある広場に石段が降り、お社の背後は小山になっています。
「伊賀の事志(アナシ)の社に坐(ま)す神、出雲の神の子出雲建子命(いづもたけるこのみこと)また伊勢津彦の神また天櫛玉命(あまくしたまのみこと)。此の神、昔、石もて城を造り其の地に坐しき」云々と碑に、拝殿には、「敏達天皇の御代に『穴石大明神』と号し、光仁天皇の御代、勅命にて社地社殿制定。霊山中腹、穴師谷(アシダニ)に祀る」云々とありました。
霊山穴師谷に建てられた社は1644年の大洪水で欠壊、1646年に現在地、柘殖町北浦に遷座します。
一方この社の東南、柘植川川岸に、阿閇柘殖宮(敢都美恵宮(あへつみえのみや))と考えられている、倭姫命を斎神とした敢都美恵神社があったそうですが、この神社も洪水にあったのでしょうか、1646年に穴石神社の相殿として祀られています。大正11年まで穴師神社、石上明神とよばれたこの社は、今は都美恵神社となっています。
886年以前、鈴鹿峠越道が開通するまでは斎王の群行は石部の三雲からここを通り関町に出たとされ、頓宮(かりみや)跡と伝えられる斎宮芝(サイカシバ)という遺跡が中柘植地区塚原にあるということですわ。 囀雀
* “誰もいない” とベソ半分、博物館の中を歩き回っているところで、目が覚めました。この大型連休はいままで遊山のなかで通り過ぎてきた歴史資料館や歴史博物館のたぐいを巡ってみることにして、柘植(つげ)に行った日は、朝早くに山城町にある府立山城郷土資料館にまいりました。
期せずして企画展初日の開館直後に入った格好になり、「南山城の歴史と文化」のお勉強となったのですが、従業員がときどき来る以外は、誰ひとりいない、こないという状態で、人面土器や石棺、きぬがさの埴輪、古瓦などがうす暗い照明に照らされているのなど、気にし始めると気味悪くも見えてまいります。
日差しが強くなるこの時期、こういった体験は時々ありますわ。
さて、聖武天皇1250遠忌と東大寺はさまざまな行事や催しを行なっていますが、資料館で、恭仁京(くにのみやこ)想定復元図や瓦庇の復元、現在の航空写真などを眺めながら、ごく数日前、夏に入る日も近いというのに氷点下まで気温が下がった信楽に、(聖武天皇は)なぜそうも行きたかったのか、気候も地形も住む人々もたいへんに違ったあちこちに宮を造り、かけめぐるような日々を送ったのは何を求めてのものだったのかしら、と思いました。(信頼できる)真の部下、側近、身内を、ふるい分けたかっかと想ってもいます。 囀雀
* 雀は、『みごもりの湖』の舞台を手探りしているみたいだ。
2006 5・2 56
* 秦 先生 「草迷宮」のこと拝読して、ほかにもどこかで「草迷宮」について書いていらっしっゃたはず、と、思い出せぬまま、本棚からこのご本を抜きだしてきました。
もひとつ、「湖のお部屋」で刺戟されたこと、伊登内親王のお墓でございます。囀雀さまのおてがみ、いつもいつも刺激され、かつ、お羨み申して拝見しておりますが、このたびも。
今、癌を病んであと三月といふ人の歌集を編むお手伝いをしています。自分の最期をかんがえることが多くなりました。ちょっと手遅れですけれど。
そう言いながら、来年は咲くかも知れない紫陽花の苗木を育てたりしています。 香
* 囀り雀は、着々とこの「闇に言い置く私語」を介して愛読者をふやしている。無心の探訪なのが、自然の味と歴史の香を伝えるのであろう。この雀さんは携帯電話をつかっているだけで、わたしのホームページはたぶん全然観ていないのである。わたしの手元にもう六七八年も、こういうメールの山を築いていることすら気に掛けていないだろう。うまく整理すれば一種風変わりな地誌とも探訪メモともなっているはずだが、わたしの「説」を地でいって、これらの莫大な「メール」はいわばかなり好く書けた気取りのない「恋文」なのでもある。
2006 5・2 56
* 朝一番、チェコからポーランドへ職場を移動し、第一子出産を奥さんとともに待つ、仲良し卒業生君から、三十五歳を迎えた元気な佳いメールが届いた。五月晴れだ。
* 引っ越し報告 ポーランド 天
秦先生、お久しぶりです。 ***です。今年に入り初めてのメールとなりますでしょうか。連絡が途切れ申し訳ありません。
いつものことですが、何かとバタバタしています。
昨年10月15日の、デュッセルドルフ(ドイツ)からプラハへの異動を経て、汗もひかぬうちに、次の辞令を受けました。今年1月1日のチェコ支店からポーランド支店への配属異動です。3月末にプラハ(チェコ)からヴロツワフ(ポーランド)へ引越しました。それまではプラハに居を構えつつ、ドイツ時代同様、飛行機でポーランドへも入っておりました。
妻は私の出張距離が小さくなったと安心しております。
ここヴロツワフは、引越して間もない4月上旬、「ポーランドは花が咲かないのか」と心配するほど光も薄く、緑も乏しかったのですが、4月半ばからやっと春らしくなり、嘘のように、タンポポ、ホトケノザ、レンギョウが咲き始めました。しかし、もう半袖シャツで大丈夫なくらい暖かくなり、既に夏気分です。「日本には四季がある」とは、こういう時に強く感じますね。そして、繊細な季節の移り変りを感じる感性は人によってのみ作られたのでなく、やはり自然そのものに作られるのだな、と感じます。
おなかの子供の経過も順調です。
7ヶ月に入りました。妻はここポーランドでの出産を決めました。私も最大限の手伝いをしています。病院を決めたり、担当の先生を決めたり、日本にいればまったく気にも留めなかったようなことですが、一つ一つ解決しながらそのときを迎えたいと思っています。
設計も新しいことに向き合っています。設計そのものは最先端とは言いづらいですが、最近日本でも話題になっているかと思われる液晶テレビメーカーのヨーロッパ進出に伴う工場建設のお手伝いをすることになりそうです。液晶テレビは世界各国の電機メーカーがしのぎを削っている分野で、工場建設一つでも、品質はもとより最短工期の提案・管理も強く求められています。こういうコスト重視のプロジェクトにいかに「おもしろいこと」を滑り込ますかが難しいのですが、それがないとつまらないので、なんとか頑張っています。
今は大学学部時代のように知識・経験共に「太る」時期と思っています。何も見ずに前に走り出すときがまた来ることはわかっています。それまでに充分に太っておきたいと思っています。
そうそう、今日、35歳になりました。四捨五入すると40歳です。
30代後半をどう生きるか考えなければいけませんね。 ではまた。
* 無事平安と、天才に磨きのかかる元気溌剌の日々を祈ります。きみは大丈夫。安心している。活躍してください、心行くまで。奥さんによろしく。花火の晩を心嬉しく思いだしていますよ。 湖
* 鴉はマドレデウス聴いています。しみじみします。
お嫁さんは、姫路と静岡と岡崎とを十日ずつぐらい往来しているのですか。移動だけで疲れるなあ。大事にしてください。
楽しいこともうまく取り混ぜて。
たくさんお小遣いをもらっていますか。美味しいものも食べないと。魂の糧も。
湖の本発送の前は落ち着きません。 カア
* 八重桜 高尾の桜保存林(山)を歩いてきました。いろいろな桜250種1700本もが静かに咲き誇っているのです。もうあらかた葉桜になっていましたけれど、八重の幾種類かは咲き残っていて、ひたすら風に散っていました。
いやはてに鬱金ざくらのかなしみの
ちりそめぬれば五月はきたる (北原白秋)
今晩はバイブルを読んでいて、夜更かししてしまいました。 ゆめ
* このバイブルは「旧約」のことだと思う。わたしは二三日前に「ヨシュア記」を終えた。モーセからヨシュアへ。それはイスラエルの民達の、エホバに叱咤され激励され威嚇され憤怒されながらの、あくなき「産業」拡大の、侵寇また攻略の展開史であった。わたしの読んでいる聖書は文語文であり、ことにこのモーセからヨシュアへ展開するところではエホバの「予約」による「産業」の二字に大特色が観られる。今日の産業革命以降の産業ではない、それは生活と生産とを基盤化する国土と人為との全体を意味している。その「産業」確保のために、エホバはイスラエルの各部族を叱咤激励し庇護支援して他信仰の種族部族の国をほろぼし、烈しく殺戮し殲滅し続けて行く。
そのようなことは、九州から東征した天孫族たちもまた同じであった、規模も気迫もまるでちがうけれど。古事記の中巻というのは、おおかたが征服の歴史である。ただし、国を挙げ人を挙げてではない。また旧約のようには日本の古事記に信仰は語られていない。ヤマトタケルに典型的に観られるように、個人としての英雄の手にすべては委ねられていたのである。モーセやヨシュアをヤマトタケルと同じには観られない。
2006 5・4 56
* 安積皇子御陵から南下して峠越えに笠置へ出るときいつも、水面の輝きに感嘆の声が洩れます。木屋峠を越えて最初に目にする木津川の景色です。
伊賀市阿山町丸柱~信楽と陶器まつりの町を抜け、朝宮~宇治田原~宇治上神社で引き返し、宇治田原~和束~笠置~島ケ原~伊賀と茶どころを巡ってまいりました。大宮神社、田原天皇社旧跡、猿丸神社に寄りながら。
山は余花に藤。里には著莪。笹の擦れる匂いや製茶の香りが風に一筋、紡いだように流れてきました。
宇治は大変な混雑で、宇治田原に戻って喫茶店で一休み。抹茶パフェを注文しました。
置いてあった地元の新聞には茶摘みの記事がいっぱい。
ですが一面を費やして憲法前文が掲載されていました。 雀
* トンネルの幕引き 雀
柘植駅と加太駅の間は、25度の勾配が在る難所で、今もスイッチバックがあります。日本最初の立坑方式のトンネルは、明治23年に完成した琵琶湖疏水の長等山トンネルで、明治22年にできた加太トンネルは日本の鉄道トンネルで初めて立坑を用いた建設だそうです。両坑口とトンネル中央の3本掘り、中央のそれが機関車の煙を逃す煙突にもなったらしいのですが、それだけでは足らず、傾斜をのぼってゆく汽車では、トンネルの天井を煙が走って機関車を追い抜き機関士が窒息してしまう危険があり、そのため「幕引き」が行なわれていたそうです。
トンネルの低いほうの口に幕をとりつけ、汽車の最後尾がトンネルに入ったところで幕を下ろし、機関車がトンネルを出たときに上げます。そうすると煙がトンネル内に留まって汽車を追い抜くことがないという仕組み。うっかり上げ忘れて次の汽車が幕を壊してトンネルに入ることも起きたそうで、碓氷峠でも大正時代に電気機関車にかわるまで使われたそうです。
電化ののちに碓氷峠越えは横川駅で機関車を増結して軽井沢で外すシステムを取ったのでしたわ。その作業のためホームに停車する時間がやや長く、その間に販売する釜めしが名物でしたのよ。
関西本線は昭和47年まで蒸気機関車が使われていましたから、開業から82年間、加太トンネルに幕を開閉する係員が常駐していたわけです。加太トンネルの場合、落石除けがトンネル口の上に設けられ、そこに小屋を建てて泊まり込んだようです。最後の頃にようやく電動になったものの、山中の小屋に泊まり込んで、汽笛を合図に手動で幕の上げ下げをする人がほんの30年前までいらしたなんて。ため息をつきます。 囀雀
* 午後布谷君がわざわざ訪れくれて、わたしの機械を、親機と新機と連繋し、新機も使えるよう「環境」を整えてくれた。感謝限りなし。「ケケデプレ」で妻も一緒に歓談晩食。まずまずの料理で、ワインがうまかった。話も大いに弾んだ。
布谷君、すこしほっそりして、仁左衛門ふうの美男子に。海外青年隊に応募し試験にもパスしているので、遠からず出掛けて行くことになりそう。
2006 5・4 56
* 帰宅していちばんのメールです。
北海道で、風のことを想っていました。
これから荷物を解き、体を少し休めます。花
2006 5・4 56
* 快晴。三月に雛人形を飾ったのだから、今日は大将人形を出してもよかったのだが、飾る場所がなく、断念。
* おはようございます、風 北海道では、雪の日もありましたが、寒さのことは行く前に聴いてい、覚悟していたので、さほどこたえず、冬眠から覚めたシカやキツネたちと遭遇しながら、大自然の美しさと厳しさを体感してきました。
アイヌ語に漢字をあてた地名を見るごとに、過酷な土地で静かに暮らしていたアイヌの人々、そこを開拓(侵略)していった人たちのことを想いました。
野沙布岬では、北方領土のことを。
野付半島では、数万年前、気の遠くなるほどの距離を経て、ユーラシア大陸からやって来たであろう祖先のことを。
深いところを刺戟される、いい旅でした。
勉強してから、風の『北の時代』を読みたいです。
花、元気です。
* おはよう、花 納沙布といい野付といい、「北の時代」にまぢかい旅だったようですね。わたしは函館を振り出しに徹底して南沿岸に沿い、途中二、三日泊。納沙布岬まで行きました。また北辺の中標津や尾岱沼の方へも行って、牧場の宿や釧路にとまりました。終始徳内サンと同行、途中から幻の美少女キム・ヤンジァも仲間に加わりました。梅雨頃でしたが、寒いのにビックリしました。牧場の宿の朝、森の中へ入り、すこしのあいだヤンジァと二人で道に迷ったのも懐かしく思い出します。あのとき徳内サンがそばにいたのかどうか、忘れました。 風
2006 5・5 56
* 田原の郷 雀
むささびは木ぬれ求むとあしひきの
山のさつをにあひにけるかも
奈良市田原の御陵も田原町荒木も似通った風土なのでしょう、丘も山も斜面は一面茶畑。坂をまっすぐ登った大宮神社は鳥居はもちろん宝篋印塔や岩座に至るまで丁寧な注連縄が張られ、手水鉢脇に「ご自由におもちください」とさかきが活けてありました。
祭神は、天照大神と大己貴命(おおなむちのみこと)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)。天照大神と大己貴命とが仲良く納まっているお社の謎は、橘の紋という鍵で解けるのかなぁ。
境内には八幡宮、崇道天皇と猿田彦を祀った御霊神社、諸仁神社。諸仁親王て…?
荒木山へと登る細い道が、きゅぅと曲がったところの小さな平地に、いくつもの巨石が転がっていて、「田原天皇社旧跡」と彫られた石柱が立っていました。
宝亀3年9月5日、吉備真備が参向してお社が造営され、毎年11月8日には奉幣使が立てられていたそうです。諸仁神社のいわれも書かれていました。
田原天皇妃橡姫の父、紀朝臣諸戸を諸人として祀ったお社と。
道を下りると「雙栗寺跡」。目睫に「山瀧寺跡」と2本の古い標石が立ち、十一面観音を祀ったお堂と地蔵の祠がありました。
三の宮神社はお宮まいりの奉納札が何十枚も扉に結びつけられた地元の春日さんで、子供と散歩する母親の声や、バドミントンに興じる若い父親の声がしていました。
鮎落ちていよ/\高き尾上かな (蕪村)
高尾にも行ってみたのですよ。
向かいには鏡のように緑の山が腰を据え、人が暮す平地が右左にわかれて見えています。きらきらしい町は宇治と青谷でしょうか。
山中は十津川村を思い出させる景色で、荷台に幼い2人の男の子を乗せて、町へと下りてゆく軽トラを見ました。
梅林があれほど急斜面の山間地と知らなくて、春に来たときはわからなかったのです。青谷梅林も場所を間違えていました。そそっかしいこと。
町の郷土資料館も図書館も祝日休館で詳しいことは分かりませんでしたが、景観と土地の空気を感じられたことがなにより成果でした。 囀雀
* 猿丸神社 雀
毎月13日を縁日とし、村おこしの市(いち)が立つそうで、加えて平成16年度より境内を整え始め、紅葉の植樹を募っています。
狛犬ではなく幣を持つのと杖をもつ猿の石像が正面を向いて座り、拝殿には蛇口があります。こぶ取りで知られるご神水だとか。
ちょうど宮司さんがいらして、お話をうかがうことができました。とりわけ鴨長明のお話が面白うございました。日野から岩間寺まで、8㌔、この神社まで12㌔ときけば、今でもちょっとしたウォーキングツアーと同じ距離です。
梅原(猛)さんが尋ねてみえたとき、曽束まで歩いてみたいとおっしゃって宮司さんが道案内なさったとか。
「柿本朝臣さる」のこと、古今集のこと、公任に三十六歌仙と選ばれたこと、鴨長明がゆかりの地と尋ねていること、猿丸作といわれる他の歌のこと、百人一首に“猿丸大夫”としてとられたこと。神事にたずさわり、諸国を巡る詩人歌人であった何人もの猿丸大夫。
お話のうちに、狛猿を寄進なさったのが、芦屋の名家猿丸氏ときいて、雀はとっさにすぐ近くの西宮神社に、くぐつ師の大本、百太夫社のあることを思いました。 囀雀
2006 5・5 56
* hatakさん 那覇でトゥシビー(生まれ年のお祝い)があり、石垣(島)まで足を伸ばしています。昼は人口七十人の鳩間島で音楽祭、夕べに蛍の乱舞を見、夜は昔住んでいた町内会のメンバーや元職場の同僚と、繁華街美崎町で明かし、明け方に米原ビーチでリーフにあたる波の音を聴く生活です。腕時計を外しました。時間がゆっくりと過ぎて行くので、気が急きません。
先月末とこの月曜日、映画『チェケラッチョ!!』(秦建日子原作・脚本)を、二度観ました。以下感想をノートから転記します。 maokat
『チェケラッチョ!!』で知る、「ウチナーヤマト口」の功績
沖縄の石垣島で県立高校水泳部のコーチをしたことがある。沖縄の高校生の日々の生態を、好き嫌い良い悪いを含めて、一年間じっくり観察した。だから私の興味は、この映画に限っては作品の出来ではなく、ユニークな地理歴史文化背景を持つウチナーンチュ(沖縄人)の日々の生活を、ナイチャー(内地人)の製作者が描ききれるかにあった。
天真爛漫で、「今」目の前にある日々をひたすら純粋に楽しんでいた沖縄の高校生。
この映画を作った人々が、彼らをどのように把握し、映画の中にどう造形していくのか。見たままをリアルに描くのか、都会から物珍しげに描くのか、全くの思い入れで描くのか、そこに興味を持っていた。
札幌で一度、地元沖縄でもう一度観てみたが、観客席のリアクションはやはり那覇の観客の方が良かったような気がする。沖縄の高校生のリアリティーは半々というところだろうか。実に正確なウチナー(沖縄)の「ニーニー(兄々)」「ネーネー(姉々)」の生態描写もあったし、急に「ヤマトー(大和=日本)」の子になってしまったようなところもあった。しかし全体的には把握、観察が行き届いていたといえる。
子供達を取り巻く人々もまた、よく描けていた。外人婿を持ってしまって当惑するウチナーンチュの父親、本土から沖縄に夢を抱いてやってきたものの年を経るにしたがい、シマの生活も夢だけでは立ち行かないことに気付き、現実的な生活の糧を得て沖縄に定着したシマナイチャー(島内地人)や、本土に帰っていくナイチャー。よく働き、普段は男たちを自由にさせていても、たとえば結婚式で喧嘩を始めた男たちを、一喝で黙らせてしまう力強い沖縄の女。下らない冗談ばかり言っているが結構優しいところもある「ニーニー」。シマで生きている外人婿。
こんな人達は映画の中にしかいないだろうと思うかもしれないが、私でも実在の人物を何人も挙げることができるほど、リアルな人物設定になっていた。
いったい、この脚本はどれくらいの現地取材をして書き上げられたのだろうか。仕事の合間に沖縄にちょこっと通って、シマの人々の生態をつかんで書けたのなら、プロの才能と仕事のレベルに驚かされる。
意外なことにこの映画で私が最も注目し、また再評価するきっかけを得たのは、「ウチナーヤマト口(ぐち)」という言葉遣いだった。主として沖縄の若い世代に使われている言葉で、半分沖縄方言、半分標準語の言葉である。マスメディアの普及で正しい沖縄方言を喋れなくなってしまった若者が主な使い手であるが、沖縄のメディアの中で十年以上前から使われている言葉でもある。
八十年代終わりから九十年代の始めにかけて沖縄版吉本興業ともいえる「笑築過激団」や、オキナワンポップスバンド「りんけんバンド」のメンバーたち、藤木勇人、玉城満、嘉手苅聡といった人達がこのハイブリッドな言葉に注目し、メディア上で「ウチナーヤマト口」を駆使したコントや楽曲を量産した。その結果、この言葉は若者だけでなく多くのウチナーンチュに受容された。こうして、「ウチナーヤマト口」による、沖縄独自の新しい笑いとポップミュージックが創造された。
この映画の舞台になっているコザ(沖縄市)の文化はチャンプルー(混合)文化だといわれる。おそらく、セリフのディテールでは、コザ出身の上記現地スタッフの大きな協力があったのではないだろうか。標準語と「ウチナー口」を自在に混ぜ合わせて操れる彼らのノウハウが、この映画の中に巧く取り入れられ、活かされていた。本当の「ウチナー口」でやられたら、ナイチャーにはテロップをつけなければ理解できなくなる。しかし「ウチナーヤマト口」を採用することで、沖縄の雰囲気を出しつつ余計な説明なしにロードショーで全国上映することが可能になった。実際、札幌の観客が観てもちゃんと会話の内容が理解でき、また沖縄の観客もそんなに違和感なく「ナイチャー」が語る沖縄言葉を受け入れていたように思う。
以前NHKの朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』でも堺正章や田中好子が「ウチナーヤマト口」を使っていたが、本作ではさらに自然な使いぶりになっていた。藤木勇人ら現地スタッフの方言指導も作を重ねるごとに確実に上達している。この映画の成功の秘訣として彼らの働きを強調しておきたい。
このレビューを書いていて、「ウチナーヤマト口」の功績に気付いた。もともと「ウチナー口」には不幸な歴史がある。戦前の皇民化教育で沖縄方言を喋った者は、「方言札」を首からかけられて辱めを受けた。このマイナスイメージが尾を引いて、「ウチナー口」は人前では口ごもり隠される傾向にあった。しかし八十年代にメディアに登場した「ウチナーヤマト口」は、かつて対立していた言葉をチャンプルーにし、「笑い」や「音楽」というポジティブな形で世に押し出した。これが若い人に評価され、やがて無意識のうちに全ての世代から「ウチナー口」の引け目を払拭してしまった。いままで「ウチナーヤマト口」は、「若者の崩れた言葉遣い」「ポップカルチャーの軽い言葉」など、あまりよい評価は受けていなかったように思うが、積極的にメディアに取り入れた使い手の功績とともに、この言葉遣いの果たした役割を、いわゆる「沖縄学」の専門家から再評価して欲しいものである。
「ウチナーヤマト口」の台頭とちょうど時期を同じくして、「スーパーモンキーズ」のメンバーとして安室奈美恵がマスメディアに華々しく登場し、 SPEED、DA PUNP、仲間由紀恵、BEGIN、夏川りみ、オレンジレンジに到るオキナワンカルチャーの黄金期が始まる。
そして、この映画で本部高校の屋上で叫んでいた高校生三人組のシルエットは、そのまま北谷高校の屋上で叫んでいたであろうオレンジレンジのシルエットに重なる。そういう意味では、『チェケラッチョ!!』は次々と登場してくるオキナワンカルチャーの旗手たちの濫觴を観せてくれる映画にもなっている。
ただし忘れてならないのは、その視点は本土側にあり、ナイチャーの目で沖縄の人々を巧みに表現しえたということだ。つまりあくまで外から見た沖縄の表層を描き得たということであって、皮一枚下の深く冥(くら)い沖縄の根には届いていない。しかし、この映画にそれは必要ではない。沖縄の内部を描いた映画を観たい向きには、中江祐司監督の『パイパティローマ』『パイナップルツアーズ』『ホテルハイビスカス』『ナビィの恋』など一連の作品をお勧めする。本作とはまた違ったテイストの沖縄の現実を感じることができるだろう。
さて映画では、子犬のようにじゃれあう仲のいい高校生四人組が描かれていたが、現実世界では彼らの仲の良さは高校時代だけではなく、これから一生続いて行く。進学、卒業、就職、結婚または離婚、子育てなどなど、それぞれの立場や環境が変わっても、彼らの関係は壊れることなく、同級生の絆として一生維持される。いくつになっても「モアイ」と称する飲み会を月に一度開いて、髪に白いものが混ざってもなお、学生時代さながらに、沖縄の居酒屋の一角でおしゃべりに花を咲かせていくのだ。本作には東京を舞台としたスピンオフ作品があるが、メジャーデューをしなかった四人組のその後を綴った作品があっても面白いと私は思っている。
『チェケラッチョ!!』監督:宮本理江子、原作脚色:秦建日子、出演:市原隼人、井上真央、平岡祐太、柄本佑ほか。 (4/26札幌シネマフロンティア、5/1那覇シネマQ)
* やっとわたしの「いい読者」からも、秦建日子作品に本格に眼を注いでくれる人が現れた。嬉しいこと。
息子によく話していた、そうでなきゃあ、と。
MAOKATさん、本気で書いてくれている。しかもいちばんこの作を観てくれるに適した人である。メール、息子に転送。
* そろそろ、従来路線からムクと大きく立ち上がるときですね。
この二十五年間、同人誌などに地道に書いているセミプロふうの何人かと知り合いましたが、ムクと大きく立ち上がる人が少なかった。ほとんど無かった。どうしても私小説(ふう)になるのです。それでも構わないのだけれど、むしろほんものの私小説は、晩年・老境に書けばいいと思う。若いときこそ思い切りウソ、が、わるければ、絵空事を大胆に書くとおもしろい。
その際、凧の糸のように「私」をうまく創り、作品にそれとなく、かつあつかましく結びつけ、活かせばいいのです。それが魅力になる。架空のひろい世界へ一人で旅するのです。そこでヒト・コト・モノに出会えばよい。 湖
* はじめ、小説を、「わたしは」と深く考えもせず一人称で書き出したのは、日本の小説を多く読んできたせいではなかったかと、今は思います。「純文学イコール私小説だった」と聴き、日本で生まれ育ったわたしも、その素地の上にいたのではないかと。
そう考えますと、これまで感じてきた翻訳ものへの違和感も、納得がいきます。
作品には少なからず作者の姿が反映されるもの、と思いますが、あまりに無意識に反映されてはいけない、それでは中村光夫の謂う「風俗小説」になる。と、これは、わたし自身の「私小説への無意識さ」への反省であります。
こんな愚鈍はわだしだけでしょうか。
>思い切りウソ、が、わるければ、絵空事を大胆に書くとおもしろい。
作者の血の通った大胆なウソを書きたいです。
新刊準備、がんばってください。楽しみにしています。 花
* 長い連休が終わりました。お天気に恵まれましたのに、お出かけにもならずお仕事三昧でいらしたごようすですね。節酒もなさっていたのかもしれません。
こちらはパソコンが突然壊れて災難でした。順調に動いていましたのに、突然死です。壊れる時には予告メッセージくらい出してくれてもよいのに。ショックが続いています。
今はこういう場合にそなえて用意していたノートパソコンを使っています。毎日毎回バックアップをとることの大切さを痛感して反省しています。
以前、ある大学者の訃報欄に、二十年近くの歳月をかけて書き上げた研究成果の原稿を編集者になくされ、編集者を責めずにまた七年かけて書き直したというエピソードがありました。その時につくづく世界には尊敬に値する人がいると感動したことを思い出しました。この程度災難と嘆いては恥ずかしい。また書き直すしかありません。そう自分を励ましています。
今日は連休の疲れ(つまり食べ疲れと食べさせ疲れですが)をとるために、休養の一日です。 春
* わたしも何と云うことなく、半ば休息し、しかしながく手がけてきた作品に、わりに重要な新たな手も加えた。
2006 5・7 56
* 午前、郵便局へ自転車で。山下宏明さんの大著『琵琶法師と「平家物語」の能』をじりじりと朱筆片手に読み進めて「俊寛」まで読みすすんだが、あまりにお礼が遅れるので謝状を書いた。
山下さんは琵琶の「語り」の演奏技法や語りの綿密な理解を書かれて、かつて読んだことのない実地の文藝論になっている。それに惹かれて読んできた。この本をもっと早く読ませて頂いていたら、わたしのコレまでに書いた、能や、平家物語についての観察も、もうすこし深みを増し得たかも知れない。
また高田衛さんにも『八犬伝の世界』に今一度感謝の気持ちを書いた。
その葉書を二通出してから、市内に出来ている新道をどこへ延びているのだろうと、おおかた北の新座市の奧を予想して自転車を走らせたところ、案に相違して西のひばりヶ丘駅北側へ達したのにはビックリした。少年の昔に、京の三条大橋から北山を眺め、疎開していた「丹波」は「山城」の北だからあの山の向こうの方かと想っていたら、なんと地図では真西の方角にあたっていて驚いたのに似ている。
西武線に沿いつ離れつ東久留米駅との真ん中あたりで線路を南へ越え、「南沢」とか「竹林公園」とかの地名を目に入れながら、迂回しつつ、ひばりヶ丘「学園町」から馴染みの「ビストロ・ティファニー」の近くまで経巡っていった。家まで戻って、ほぼ四十五分ほどの小さな旅で、かなりの起伏の道も自転車を乗りすてずに頑張れた。
午後には歩いて市内での用事を幾つか済ませてきた。
機械の前に戻ったとき、酒を飲んだわけでもないのに、座ったまま睡魔に負け寝入ってしまった。
2006 5・8 56
* 松伯美術館 雀
招待券助かりました。あらためてお礼申しあげます。
駅前のバス乗り場でお洒落な和服のおばさま二人連れとご一緒になりました。松園さんの繪はきもの好きにも人気がございますものね。
卯月曇りの朧ろな陽のもと、行く春を惜しむかのように鶯が鳴き、逍遥の小径の丘には盛りの藤。中庭の池は満開の著莪で装い、館内は首にカメラを下げた人もちらほら見えました。
下絵と併せて視られるのがこの美術館の嬉しい特長ですが、今回は松篁さんの「狐と兎」のデッサンが興味をひきました。
友人は松園さんの繪に、亡くなった京都のお祖母さまを思い出したそうです。きものの着方や顔立ち、目の感じなど、身にしみる思いを抱いて観ていたようでした。伸子張りや障子貼りの繪も懐かしい懐かしいと、うき世を忘れるひとときをもったことを喜んでくれました。
松篁さんのさまざまに描かれた最大でも3㌢くらいの「兎」のデッサンに、同じ卯年生まれのふたりは、江戸小紋、また白抜きで一色の小紋にしたいと夢を描き、「狐」の繪の前にきたとき、友人が、先月末に四天王寺のイベントを見に行ったときの話をしました。先に出演者を集めたトークがあって、その中で「子ぎつねヘレン」の曲を作ったピアニスト西村由紀江を皮切りに、ヴァイオリニスト、文楽の三味線、人形遣いにそれぞれ狐を表現させたのだそうです。人形の桐竹勘十郎さんが「口伝として『頭と尻尾を上げると犬に見える』といわれてます」とおっしゃったそうで、松篁さんの繪に合点しました。 囀雀
* 震ふ 雀 そちらは肌寒い気温のようですが、お障りございませんか。ご自愛おねがいいたします。
おとといのNHK「日曜美術館」で、神戸市立博物館の企画展を中心に、北斎の肉筆浮世絵を紹介していましたでしょう。終わり頃になって提灯や幟に描いた繪が出てきたとき、雀は腰を浮かしました。
幟は分限者が依頼して屋外に出さずにお宝にしたものらしくがっかりしましたが、提灯や行灯繪も描いたと聞いたときは、北斎がどれほどうきうきと楽しんで描いたかと爽快な気持ちになりました。
いくら腕のよい彫り師や刷り師でも―いえ、なまじ腕があるだけに―芸術センスの食い違いに北斎はいらついたことでしょうし、版画では自分の線や色の再現はどうやっても不可能。
人気、地位、金銭で気持ちが済むならば、そのまま“売れる”原画を描き、金持ちの依頼で肉筆画を描いて、都会で何不自由のない日々を享受できたのしょうけれど、北斎は、“版画”に鬱々とし、“売れる”作り方に鬱々とし、“金持ちからの依頼”に鬱々とし、下絵や反古さえ奪い取られかねない人気絵師という暮らしにたえられなかっただろうと思うのです。
“あの北斎が描いた”など言われずに、うわぁ~と口を開けて見入る人がいて、触ってみる人がいて、子供が穴をあけたり、雨風で破れたり、祭りが終わったあと燃やされたりという、そんな消耗品に、一人で好きなように描くことはのびのびとした楽しい繪描きだったに違いないと思うのです。
参道いっぱいの行灯や提灯を頼まれたりしたら、実験的なあれこれを思い浮かべ、筆が追いつかないようなこともあったかもしれません。特に提灯は平面ではないので、構成を考えるのも楽しかっただろうと思います。
小布施の景色を思い出しながら、あの提灯に旺盛な元気を貰いました。 囀雀
* これは佳いメールで、さりげなく、しかもここまでモノの言えたメールは、そうそう貰えない。この人の、いつしれず積み溜めた魅力ある「底荷」が言わせている。ずいぶんいろんなメールをもらうけれど、ただの知識や物知りでなく、こういう、積んで熟成させた「底荷」でものの言える人が、もっともっといると楽しいなあと、わたしは贅沢なことも夢見る。
2006 5・9 56
* 都忘れが風に揺れて 沙沙貴神社の拝殿前で子供御輿がお祓いを受けています。沙沙貴山君て大彦命の子孫でしたのね。大彦命のものといわれる古墳が伊賀にあるのも佐々木氏とゆかりがある証でしょうか。鎌倉幕府が開かれてのち、甲賀郡守護には佐々木定綱、六角康綱、一時は京極道誉も名を列ねたとか。近江守護の六角高頼を討伐に、現・栗東市鈎の寺に本陣を構えた足利義尚を死に至らしめたのが甲賀衆で、信長に追われた佐々木六角氏が落ち延びた先が伊賀と…。
それで、天正伊賀の乱というわけかしら。ちょっと安土へ行ったくらいで解る次第ではありません。
定慧和尚が阿閇皇女病気平癒の法要を営んだことから開山した桑實寺は、足利義晴が3年間仮幕府を開いたところでもあります。朽木の興聖寺で彼の名を見ました。生まれた頃、父は近江に追われて没し、将軍就位後、京都を逃れて近江を転々としていたようですが、ゆうなみちどりながなけば…と空ゆく鳥を見上げたこともあったのでしょうか。
石段をぽつぽつとハイカーや観光らしき夫婦連れが登ってきます。
半蔀を上げた本堂から降りて、瑠璃光の木漏れ日にたたずみ、ふかい森のむこうに安土の郷がひろがっている景気に浸っていますと、さきほど沙沙貴神社で聞いた祭り囃子が風に乗って流れてきました。御輿が寺下の集落に着いたのでしょう。
この寺は信長の庇護を受けたため南北朝時代の本堂が遺っていますが、数多くあった坊のうち残っているのはわずか三坊、三重塔は明治の風水害で倒壊したそうです。
かつ消えかつ結びて…ですわねぇ。 囀雀
* こでまりが咲いています 安土駅前に城郭資料館があり、安土城跡は歴史公園として整備され、安土城考古博物館と隣接して「信長の郷」という施設があります。
なにかにつけ浅井長政を出してくる湖北と対照的に、安土は地元の佐々木氏を追いやった信長を全面に出していて、佐々木氏は嫌われていたのかと勘ぐってもみたくなりますが、実利を取る冷淡にも思える冷静さを湖東にみることがしばしばあり、これもそのひとつかと思い直しました。
昨今、公立の美術館も博物館も子どもの勉強用に展示にさまざまな工夫をこらしていますでしょう。博物館でプリントに書き込みながら歩き回る小学生と一緒に、雀も考え込んだり感心したり不思議に思ったりいたしました。信長軍は7㍍という槍をどうさばいていたのかしら。実際に目にすると剣術もなにも<持ち歩くだけでそうとう苦労がありそうです。
近江の豪族地図と二種類の古墳石室の説明、城の石垣の組み方の模型からは益を得、安土城、観音寺城、小谷城のジオラマで山ひとつ丸ごと要塞にしていたことがわかり興味深いものがありました。 囀雀
* 連休に中華やいただきものの牛肉などごちそうを食べ過ぎたので、減量を心がけています。夕食には冷や奴、鯛の胡麻醤油、水菜のサラダたっぷり、お嫌いな茄子を蒸して挽き肉のあんをかけて。さっぱりして太らなさそうでしょ。これに焼酎のオンザロックなどつけるといいのですが、気持ちだけ。
泉鏡花は「眉かくしの霊」を読んで「陽炎座」に入っています。明日のお稽古は一週間あいたので筋肉痛になりそう。最近は五月から単を着る人が多くなりましたが、このどんよりしたお天気ではまだ早いような気がします。 春
* あと十年ですよと言われて、もう四、五年経っている。糖尿病クラッシュが怖くないとは言わないが、賞味期限のきれた顔をさらしてぼやぼやと世間の邪魔になっていてもよろしくない。さあて、さあてと、そんなことを思っている。
2006 5・10 56
* 週に一二度は出会い系のメールが来ます。macのメーラーが故障し、windows一本にしてから来るようになりました。これからどんどん増えるかも。
インターネットで手続きのできることが増えまして、ラクなのでそれで済ませるのですが、その際必ずメールアドレスを訊かれます。ああいうところから流出しているのではないでしょうか。
とにかく、変なメールは即削除、ウイルスもいろんなのがあるようですので、気をつけて。
昨夜遅くからずーっと降っていて、ジメジメうっとうしいです。雨はきらいではないけれど、こうも湿度の高い日の長くつづくのは苦手。乾燥肌にはやさしいのですが。
風、腰お大事に。 花
* 近江東西 雀
日野祭が終わった日野ギンザは歩く人もまばら。昔の薬店を利用した観光案内所で熱いコーヒーをいただきながらのどかな小休止ができました。
日野椀を、食器洗浄機・乾燥機に耐えられる漆器として復活させたとのこと。案内所にはそのうちの幾種類かが展示され、それを尋ねてみえる方もおいででした。
日野椀の色に咲きたる椿かな (蕪村)
朽木、また君ヶ畑・蛭谷の風景を思いながら、さっき博物館で見た古墳分布図に継体天皇に関わる古墳が湖水をはさんで一基あったことを思っていました。
その山津照神社を地図で探してみましたら、息長一族の本拠地のようです。
天野川を下り天照大神がとどまった淡海国坂田宮とされる神明宮を過ぎ、海辺に出ると、世継、朝妻。
筑摩神社の鍋冠まつりがGW中に行なわれていたはずです。
四ツ木、世継の翁、七夕伝説、朝妻筑摩とどこかで目にしてメモしていますが、怠惰で調べていませんの。
ミオとオキナガ。安曇川と天野川。
ようやく雀は、湖水の向かいあわせにいろいろな物事が共通にまた同時性をもって存在していた・いることに気がつきました。
近江商人のうち最も早く発達したのは高島と八幡だったそうです。
安曇川と愛知川。依知秦氏―あ、もぅっ。おにぶだわぁ。
さて、神戸新空港を造る理由のひとつに、陸路が使えなくなるような災害に備えてということがあるそうです。先日、雑誌を見ていたら、大橋で本土とつながった島に取材に行ったライターが「船を使わないと行き来できないのはとても不便なことでは」と質問して、言下に「便利です」と返されていました。
たしかに雀も車の利益を受けていますが、モータリゼーションに浸かって分際を誤った目でものを見て、「そこのけそこのけ」とばかりに、「うみ路」や古い「くが路」など不便としか捉えられない勢力が、いかんせん多数派です。
たかだかひとつの便利な道具、たまたま今はそれに代わるものがないというだけの手段でしかありませんのに。
最近とみに、人の脳は歩く速度までしか適応できないように創造(つく)られているのではと思うようになりました。情報を処理するのも思考することも、 jogで刺激するのが一番優れているみたいでしょう?
雨音がすこし、おさまりました。あけびの花を初めて見ました。
日々どうかおすこやかに。 囀雀
* 島にリズムの響くとき Check,It,Out,Yo! ゆめ
「チェケラッチョ!」昨日Tジョイ大泉で観てきました。(水曜日は女性デーで千円でみられます。)
な~るほど、「チェケラッチョ!」ってウチナーグチでもないみたいだし、何だろう?と思っていたのですけれど、納得です。辞書にはCheck,Out=まちがいないとわかる(話)とありますが、要するに「まちがいないさ、それでいいんだ!」「ええじゃないか」というような大肯定の意味なのでしょうか・・。
青春映画をみるのは久々でしたけど、笑い泣きしながらみました。何に笑ったかといえば、常々沖縄出身の友人たちの言動に「南の人って違うなあ~」と驚き、なかばあきれ、ひそかにうらやましくも思っている、その生態がいきいきと綴られていたからです。男性は三線などのどかに弾いてる「のんびりバチ」、それに対し女性はしっかりもので、働き者。最初結婚式のシーンから始まりましたが、沖縄の結婚式というのは会費制、平服でとにかく大勢集まり、友人たちが余興をして大騒ぎする、と聞いていました。
私の友人も結婚式に演じるのだ、と「エーサー」の稽古にしばしば集まっています。彼女の母上はもと沖縄県会議員なですが、相談で一番多いのは「離婚問題」とか。これが本州ですと、一に経済問題(多重債務なども)、相続問題、建築紛争等々となるわけですけれど、日本で離婚率ナンバーワンの沖縄は情熱的ゆえに離婚も多いのですね。気候が暑いせいかとはじめは思いましたけど(笑)。
また友人のひとりは俳優で、みるからに沖縄の風貌(あのシーサーそっくり)。その名もタマヨセ君といいます。某島の出身でおばあは口寄せの巫女だったそうです。鈴木清順監督の映画「ツイゴイネルワイゼン」の冒頭で目の見えない乞食をコミカルに演じています。アルバイトしながらの役者生活で、いつまでもひとりものなのを気にかける様子など微塵もなく、ゆうゆう淡々と我が道をいっています。
あのしっかりものの女性たちというのは、とても魅力的ですね。ひ孫、やしゃごまでいるような80,90歳にならなければ、「おばあ」とは呼ばないようで、「島口説」の北島角子さんや、「ちゅらさん」「ホテルハイビスカス」「ナビイの恋」の平良とみさんなどにはまったくあこがれています。
私の学生時代はまだ本土復帰前でパスポートが必要だったため、若い頃には沖縄にいったことがありません。その後、二度行き、使われなかった滑走路のある「伊江島」にもいきました。私の沖縄といえば木下順二氏の戯曲「沖縄」であり、山本薩夫監督の映画「沖縄」であり(これは沖縄本土で撮影が許されず、日本の南域の島で撮影したというのは有名な話ですね)、北島角子さんの一人芝居「島口説」です。日本政府は長いこと沖縄を「捨て石」として犠牲を強いてきたことを忘れてはならない、と私は強く考えています。その意味で沖縄は私にとって特別な地域、「聖なる島」なのです。
その島がとにもかくにも(基地をめぐる雇用問題などが、住民達を複雑に引き裂いているとしても)平和に復興し、現代の高校生たちがげんきにのびやかに生きている、そのことに感動し、涙を流さずにいられませんでした。
やはり南の島には三線や、リズムが似合いますね。「島ラッキョウはチェケラッチョ!」とコニシキと一緒にラップを踏みたくなりました。
2006 5・11 56
* 先日、大阪の友人に生國魂神社のことから“石山”本願寺を教わりました。本願寺といったら西と東、そう思い込んで山科と石山についてこのとき初めて知りましたの。
それから、青葉繁れる桜井…は島本町でしたのね。
辞書をひく、その数秒の手間を惜しんで、うかりひょんとしていました。ダメですねぇ。
さて、泉屋博古館特別展「唐鏡」が日曜で終ってしまうので、明日、国博「大絵巻展」、市立美「近代美術‐反官展」と見て歩き、御蔭神社に寄って帰る予定です。
満月なので月読神社にも寄りたいところ。神社は閉門時刻を気にしなくて済むので助かりますが、鞍馬寺の五月満月祭までは夜遊びせず帰ります。
さきほどご本を読んでいて、初めて唱歌「青葉の笛」の二番を知りました。歌詞をそのまま葉書に書き写し、先月俊成町を訪ねたことを書き添えて、北陸の母に送ります。須磨の潮風を思っています。昨日「猫と庄造と二人のをんな」を読んでいたこともあって。
夏めく日があるかと思えば、毛布を引き寄せくるまっていたい日もございます。
お風邪召しませんように。 囀雀
* MIXIでわたしを仲間にしたいというお誘いが相次いで入ったけれど、何かしら勘違いしているようだ。ある人はわたしを若い「マイホームパパ」だと想っているらしいし、ある人は自ら魔女の親分だとふれこんでいる。
* 発送はいかがですか。
鬱傾向と自覚し、堂々と書くことのできるなんて。幸せな方です。
こちらパソコンと格闘した一日でした。パソコンを相手にしていると夢も希望もありません。せめてお声が聴けたらどんなに嬉しいでしょう。
五月は自然の中の紫の美しい季節です。藤や杜若や菖蒲の紫は大好きです。妖艶で高貴な色にうっとりします。五月には紫色のものを身につけたくなります。裾にかけて段々紫の濃く滲んでいく着物を着てみるのは、ささやかな楽しみ。
根津美術館で観た光琳「杜若図」はアズライト(藍銅鉱)の中でも色が濃く結晶して紫がかった良質の紺青の原料で描かれているそうです。江戸時代後期には中国から日本にもたらされなくなってしまった原料らしく、光琳はよい時期に描いてくれました。また出会いたい繪です。
ご無理なさいませんように。ご本楽しみに待ちます。 春
* すっかりご無沙汰しています。連休は39度も熱を出してしまい、夜間急患で点滴を受けて、その後寝て過ごしました。何の気力も湧かず、体も動かず、とてつもなく悲しい気持ちで過ごしました。
連休のある朝、亡くなった娘と海辺のがけを手をつないで歩いている夢を見ました。細い道はところどころ崩れかけていて危険でしたが、不思議と怖い気持ちはせず、二人で楽しくわたり終えました。
「楽しかったね」
「また来ようね」。
娘は決まった時刻に出発する列車で、向こうの国にかえらなければなりません。
「おみやげは?」
「これがいい」
1000円以上する割には少ししか入っていないおせんべの袋を娘が指差し、それをお土産に包んでもらっているうちに娘の姿は消えてしまいました。
仕事が始まり、ふだんよりも早く家に帰り倒れこむように寝る毎日が過ぎて、なんとか1週間を終えました。5月には、苦手な講演が続いて3つ入っています。6月にはイベントもあります。もう背負い込むまいと思っても仕事が増えるばかり。そろそろ仕事をひとつずつ肩から下ろして行きたいと思っています。
ただ、もし歩くのをとめたときに、連休のような状況になるのではないかという不安もあります。ゆっくり歩き続けるのがよいのでしょうね。
相変わらず不器用に生きています。 波
* 不器用がっても実は、器用に世間を拡げて波を分けてゆくことに、「生き甲斐」と「逃げ場」を感じているのではないか。わたしにうったえているとき、つまり「言い訳」をしているのではあるまいか。
根底に「死なれ・死なせ」た思いをこの人は踏まえている。「ゆっくり歩き続ける」とは、現状のまま行き着くまで行くしかないというアンビバレントな自己説得であろう。「それでいいんですよ」と云って欲しいのであろう。それでいいんですよ。
* 八百屋お七は、たいしたものである。ひたむきに、しかも無垢。
* 青い一日 昴
こんばんは。羅臼も昼間は暖かくなってきました。風も強いですが、春の暖かさがあります。やっと春が来ました。
今日は、住宅地に出てきたエゾシカを車で引きそうになり、焦りました。
シカはシカ、人は人が生きる場所に戻るべきだと、増えるエゾシカについて書いた子どもが言っていましたが、本当にそうだと思います。人間が動物の生きる場所を侵しすぎたのでしょう。エゾシカによる農業や林業での被害が出ているのですが、これもささやかななエゾシカの復讐なのだと思います。
今日は他に方言について子どもと話をしました。
「はんなり」の意味が分からないということになり、調べてみました。「落ち着いたはなやかさ」という意味でしたが、どうもピンときません。どちらにも縁遠い、野蛮な生活を自分がしているのに気付きました。
「かたつむり」という言葉も話題になりました。テレビやラジオが普及した今、正しいかどうかは分かりませんが、
柳田国男の『蝸牛考』は合わなくなってきているんだろうなと思います。
言葉の勉強、なかなか楽しいです。
今日は子ども達から学ぶことがたくさんある日でした。
本の発送、大変だと思いますが、体を壊さないように注意して下さい。
心配をしつつも本の購読は…やめません。楽しみにしています。
* わたしの小説のところどころに「はんなり」という言葉が使われていて、よく分かりませんと読書会で質問された時期があった。それで、『京と、はんなり』などという題のエッセイ集もだしたことがある。
HANNAARI 花有り である。花とは何か。『花と風』を読んでください。ま、美や藝術の核芯をなしているファシネーションの意味ととらえればいい。「落ち着いたはなやかさ」というより「嬉しくなるはなやかさ」であろうか。
『蝸牛考』なんてのが出て来て、はっと楽しかった。
2006 5・12 56
* 湖の本が届きました。 連休明け以降、お天気すっきりしませんね。少し早いようですけど、梅雨のはしりか、「卯の花腐し」か・・。さきほど傘をさしておつかいに出ましたら、梅の木に小さな青い実がたくさんついていて、雨に濡れているのを発見。いままではたくさんの春の花に目をうばわれていて、ちっとも気づきませんでした。あまり可愛いいので、2つ3つとって帰り、ガラスの小さな器にいれてテーブルの上に置いてみました。
昨日から市の社会教育講座の「ヨガ」が始まりました。市の講座なので妙に宗教的だったり、マニアックだったりせず、まずはからだと精神をつないで、からだの声を聞くこと。ゆっくり無理せずゆがみをとっていき、健康になることを第一目的にするということで、なかなか良さそうです。けれど昔からスポーツ音痴なので、両足を両腕でかかえて後ろに後転し、ゆっくりそのまま起きあがる、というのができません! 若い人たちは難なくできるのに、と、ちょっとうらめしいです。長年の運動不足で筋肉が弱っているのかも知れません。
「かかと、つま先をそろえて地球の上にまっすぐ立ち、うでを上にあげて、手のひらを上に。目をとじ自分があの『ジャックと豆の木』になって天につながっていくと想像してください」などという指示も、なかなかユニークです。鼻から息を吸い、ゆっくりと長く息を吐いていく腹式呼吸もからだによさそうです。
『こころ言葉の本』はこれからゆっくりと読ませて戴きます。雨は憂鬱ですけど、ゆっくり読書できるので案外嬉しいです。 ゆめ
* 薫風 予定していた三ヶ所の美術展を見て食事を済ませ、御蔭神社に立ち寄り、鞍馬寺に着いたのは午後四時でした。
昨日神事が行なわれたばかりとあって、御蔭神社は途も境内も整えられていました。「鴨社」とだけあるのが却って本(もと)らしくて、静かに雨が降るなか手を合わせてまいりました。
鞍馬の五月満月祭―ウエサクマツリというのですね―は夜七時からというので、準備中の本殿に入れていただいてお参りしたのですが、若い女性が続々と集まっていらっしゃいます。雨は小降りになったもののいっかな止む気配なく、今にも向かいの山から黄金色の龍が飛んできそうな神秘性をたたえていました。
そのあと月読神社を訪ねました。松尾大社から月読神社へうねうねと細い街道を行く途に、葵の葉で飾った門を見ましたわ。
松尾神社も、こちらも門を閉ざしています。時計は六時を回ったばかり。そぉかぁと思いつつ諦めきれずに門のところをうろうろしていましたら、社務所から声がして小学六年生くらいの男の子が出てきました。お参りさせてほしいとお願いしたところ、足元に水が溜まっているところを小走りに扉に走り寄り、「どうぞごゆっくり」と開けてくださいました。有り難いこと。
お参りしてお礼を述べて門を出たあと、ご家族で出てらして門前のお車に乗り込み出てゆかれました。明日は松尾大社の国祭。なにかとご用がおありでしたのでしょうに、本当に有り難いことです。男の子の言葉付きも顔立ちも実にしっかりと大様に大人びて、お仕込みの善さが思われましたわ。
月読橋には先端に束ねた葉をくくりつけた青竹が立てられ、その東はしばらくの間、家先に「松尾祭」の幟と提灯が続きました。お旅所があるのですね。
このまま七条通りを行くと智積院…いいえ松尾大社同様に明日祭礼の新日吉神宮ですわ。交通規制であちらこちらおおわらわですのよ。
鴨の葵祭と松尾の葵祭、満月祭、その空気をどれもわずかですが味わうことができ、山の藤や桐の花は紫を目に残し、美術展や人の心が雀の心の部屋にいくつもの薫りを漂わせました。 雀
* ただいま帰宅。
ポストに待ち兼ねた(湖の本新刊の)封筒が見えました。うれしい! 雀
2006 5・13 56
* 秦先生,東工大卒業生の***です.御本,無事に届きました.いつも有難うございます.
海外へは来年の一月から参ります.******の冬はひどく寒いらしいので,できれば秋にと思っていましたが,今取り組んでいる仕事が終わりそうにないので,今年いっぱいは今の職場にいることにしました.これには,十二月までいればボーナスが頂けるという,「現金な」計算もあります.何しろ向こうは家賃が高い上,収入もかなり減るので仕方ありません.
是非,日本を発つ前に一度お会いできましたら幸いです.東京へは割合頻繁に帰っております.「私語の刻」で拝見する限り,先生は相変わらずお忙しそうですので,なかなかお時間を割いていただくのは難しいかもしれませんが,まだ半年以上ありますので,ご都合の良い時にでも是非お願いいたします.
仕事のことはさておき,プライベートの方ですが,さすがに周囲もまずいと思い始めたのか,親切にも相手を紹介してくださる方もちらほら出て参りました.(先生にも以前,***さんをご紹介頂いたのでした.あの時は私自身非常に無粋で,失礼な態度をとっていたかもしれません.ご紹介して頂いた先生には大変申し訳ないことをしました.)
紹介して頂いても一度お会いしただけでお断りされる場合が殆どなのですが,その中で一人だけ,今まで四回ほどお会いしている方がいます.西国筋に住んでおられるので,お互い会うには新幹線に乗ってどこかで落ち合わねばなりません.初めてお会いしたのは二月に**で,その後は関西各地や当地でお会いしています.わざわざ新幹線に乗ってまで来てくださるわけですし,先日はわざわざ当地までお越しになっているので,決して消極的とはいえないのかもしれません.
ただ,ほとんど向こうから連絡を取るということがありません.メールも私が送れば返ってきますが,自分からメールするということはまずありません.話していても,メールでも,仕事の相手と接するような感じで,非常によそよそしい感じです.
また,これが一番いけないのでしょうが,私自身,その方に対して好意を持っているとは言い難いのが正直なところです.真面目な方ですし,今もご家族の料理を作られたりして家事の類は今時珍しい位こなせる方で,奥さんにするにはこういう方は良いのだろうなとは思いますし,私の仕事や置かれている状況に対しても,それなりに理解を示してくれているので,結婚するには適した相手だと思うのです.
ただ,この,3ヶ月が経っても全く代わり映えのしない,なんともビジネスライクな間柄で,果たして結婚してよいものなのか,悩んでいます.
私としてはずっとこのまま一人というのも寂しいですし,自分で望んだ道とはいえ海外での一人暮らしは,かなり寂しいものになることは容易に想像できますので,なんとかしたいとは思うのですが,全くといっていいほど愛情が無いのに結婚することが果たして良いのだろうか,と悩んでいます.
そんな相手ならばやめておけばいいではないか,簡単な話だ,と思われるかもしれません.しかし,「自分でも良いと思ってくれている相手がいるのだから逃すべきではない」とか、「結婚と愛情が関係するのはごく短い時期に過ぎないのだから,恋愛と結婚は別に考えるべきだ」といった言葉にも一理あるのではないかと思ったりもします.
もう三十半ばにもなって,こんなことを悩んでいるのは未熟なのかもしれませんし,情けないような気もします.
一方で,どうも自分自身が恋愛をするには精神的に歳をとってしまったのではないかと思ったりもするのです.
1年以上にも前になりますが,大学時代ひそかに思いを寄せていた方とひょんなことで十年ぶりに再会しました.
そのときに自分の気持ちを伝え,再度お会いすることになりました.ただ,どうもお互いあまりにも接点が無さ過ぎたのか,これはうまくいきませんでした.
しかし,うまくいかなかったことも悲しかったのですが,それよりも悲しかったのは,それほど落ち込んでいない自分に気づいてしまったことでした.なんだか自分がひどく精神的に老け込んでしまって,恋をすることもできなくなってしまったのか,と思いました.
まだ三十代だというのに,何を老け込んだことを言っているのだ,とお叱りを受けそうな気がします.
「私語の刻」で紹介される同級生達のしっかりした足取りとはかけ離れた頼りない足取りで,しかもメールの内容も纏まりが無く,全くお恥ずかしいですが,これが私の近況です.
急に暑くなったり寒くなったりしますが,どうぞご自愛ください. 英
* この卒業生クンの「近況」には、「結婚しにくい症候群」といわれる当節の適齢期(過ぎ)男性の置かれている心理が、手に取るように現れている。彼自身のことはいま措くとして、その何度ももう会っている女性は、そんなに冷ややかな人でもなげやりな人でもなく、『細雪』の雪子に似ていながらあれよりは身をはたらかせて意思表示をしていると想われる。自分の方からメールしない電話しない逢いたいと言ってこないなどというのは、見ようによれば現代の希少価値であるやも知れない。それはそうしたくない、その気がないことを意味するより、たとえそうしたくても性質やこれまでの育ち方からして出来ない・しにくいという意味合いも感じ取れる。それはそういう価値の持ち主とも言えるだろう。彼は自身の心理や気持に似せて相手を推し量り期待しているのであり、当節の若い男の恋愛不能傾向は、むしろこういう鈍感やジコチュウの現れと言えなくない。大いに、反省してみた方がよい。
当節、そういう感じの(躾を受けてきた)女性が、新幹線に乗りひんぴんと会いににきてくれるなど、よくよくの身の寄せ方と見てよいのではないか。どうも、一度彼と会って話してみないといけないようだ。
気になる言葉も出ている。
「結婚と愛情が関係するのはごく短い時期に過ぎないのだから,恋愛と結婚は別に考えるべきだ」といった言葉にも一理と彼は書いている。この前段は、気になる。間違っていると思う。
なにとなく、このメールの「近況」は気がかりである。
2006 5・15 56
* 鞍馬で山椒の花を見ました。 雀
お午食を食べていると、隣のテーブルでおばあさんが、
「あのなぁ、さっき『急(せ)ぇたらあかん』て看板に書いたあるの見てなぁ、よぅ子供の頃言われた思ぅてなつかしぅ
なったわ」
「あぁ…。言われた。言われたなぁ」
「なんかのんびりするなぁ、急(せ)ぇたらあかん言われると」
と話していらっしゃるのを聞いていて、なんだかこちらまでのんびりしてきました。
ケーブル乗り場から仰ぐ多宝塔のてっぺんに、聳える大樹にからみついて、藤がさながらとぐろを巻いた龍のように咲いていました。
昨日は伊賀でも、うかされるほどあちこちで藤波を見ました。ところによっては滝のような見事さ。ただ、連日湯ざめしそうな気温に気を付けて過ごしています。
そちらはいかがですか。
お疲れの出ませんよう、のびをなさりながらお仕事進めてくださいね。
さて、半月ほど前、女友達から「新幹線に置いてあったから」と一冊の冊子が送られてきました。中西進さんと葛西会長が近江を旅する連載が、ちょうど湖北の回で、ほかにも宮脇昭さんのインタビューなど、三宅八幡の鳩人形の表紙も相共に、雀を楽しませる一冊でした。
その彼女からの封筒も、ご本とともに配達されましたの。
中には御園座顔見世の演目と配役が掲載された新聞記事。坂田藤十郎襲名披露です。
口上のない昼の部は、松緑「矢の根」 時蔵「藤娘」 三津五郎「越後獅子」と観客をほぐしたあと、こってりと「盛綱陣屋」です。初めて父を離れ、御園座で二代目延若の「盛綱…」に出演した縁とのこと。
我當さんの時政、秀太郎さんの微妙。篝火の扇雀さんは初役ではありませんでしょう? 貫禄を見せてくれそうですわね。演出も違いますし、お江戸では見られない一幕にちょっと心が動きました。
その記事の裏面に梅原猛さんの「思うままに」がありました。お元気そうでなによりと読み始めましたら、銀鏡神楽とイワナガヒメの話。
嬉しい一日でした。
ご本はそうそうカンタンに読み切ったり感想を囀ったりできませんので、別の囀りが続きます。おゆるしのほど。 囀雀
2006 5・15 56
* 宝珠のようなマスカットをふさふさと二房も賜りました、驚喜し頂戴しております。心より御礼もうしあげます。
掌において身のおとろへの忘らるる
マスカットの碧(あを)の房の豊かさ 湖
お変わりなくご健勝でありますように。 有り難うございました。
2006 5・16 56
* 「共謀罪新設法案」につよく反対します。 戦後60年たって、ようやくあの国家的犯罪「横浜事件」が解明されたというのに、また変な法律を作ろうとしているのかと思うと、腹がたってなりません。かつては「死語」だと思ったこともあるあの「治安維持法」に酷似したこの法案に断固反対です。来年には参議院選挙が予定されていますから、ここで国民が反対意思表明することは絶対大事だと思います。
また「教育基本法」が今日から審議されています。新たに「日本を愛する心」、「宗教的感性…」を盛り込もうとしているようですが、そんなことを法律にわざわざ書きこむのは何の為? それじゃあ、まるであの戦争中のようではありませんか! 「地球上のすべての人類と生物、そして自然を愛する」ならわかりますけど。それって法律とはやはり、なじまないですよね。 ゆめ
* ペンクラブ声明とともに、小生のお付合いのある団体等に転送させていただきます。
国民投票法案の上程も急遽決まったとの情報が流れており、これらの危険性についてはできる限り多くの場で訴えていきたいと思います。
ちなみに、自由人権協会も今月中に緊急声明を出す予定です。 専修大学教授
* 秦 恒平さま なにか早くした方がよいように感じましたので、とりあえず、私からの文を添えて、mailの遣り取りをしている友人、3~40人ぐらいに、秦さまのmailをそのまま(アドレス部分は消して)回しました。もう少し送れるところがあるかどうか、考えます。
私の文中、秦さまを勝手に「友人」にしてしまってすみません。そのほうが受け入れられやすいと思ったものですから。それから、権威が好きな人もいるので、肩書きを二つだけ書かせていただきました。
『今日は寒いですね。お変わりありませんか? ちょっと真面目なお話です。私の一番新しい友人である秦恒平氏(作家・元東京工業大学教授)から、以下のメールが届きました。私自身も関心を持っています。お読みいただければ幸いです。』以下――― 都下
* こういうふうにメールやホームページの輪がひろがれば有り難いと、そのまま転記させて頂いた。感謝。MIXIの「日記」や書き込みにも踏み込んでみた。規制されるかどうか、見守っている。規制されるようであれば躊躇無く脱会する。こういうことでソシアルな輪がつくれないのでは意味がないし、そもそもこれは政治的発言でなく、あなたやわたしの「人権と安全」の問題である。
* 共謀罪は、ぜひ阻止したいですね。
成立させたい側の言っていることは、つまり、「欧米と足並みを揃えなければならない」ということです。
「戦前の治安維持法のようになはならい」と、何を根拠にしているのかわからないことを言う議員もいます。
主体性なく欧米に追従する前に、明治から第二次大戦まで、きわめて特殊な道を歩んで来たわが国の歴史を知りなさいと、言ってやりたい。
また、彼らは、自分は共謀罪適用のターゲットにならないとでも、信じ込んでいるのでしょうか。
彼らには、自身が「一国民」である自覚はないのかしらん、と思います。 花
* 感謝 朝遅くからしばらく雨降りやまぬ一日でした。
山法師の花を目にし、
豁然と岨道ひらけ山法師 (沢村芳翠)
の句を辞書で見つけた夕でした。
のびをしている場合ではございませんでしたのね。いただいたメールに胸が冷えました。GW中は渋滞と混雑、総裁選を毛筋一本フラッシュにして、サッカーの話題に一日終始…マスコミが余所へ目くらましにそういったニゲを打っている時は、必ず、とんでもない法案が国会を通過しているンだからと思っていたら「共謀罪」でしたか。「教育基本法」を変えたあとはそうきますのね。
隠栖と遊行の非力な雀風情にまでおしらせいただいたこと、受けとめて、感謝いたします。 囀雀
* 昨日でしたか、清水の舞台から飛び下りて自殺した人のニュースがありました。清水の舞台から飛びおりるというのは譬え話で、散財するとき等に使う言葉と思っていました。ほんとうに飛び降りる人がいるのですね。
今の日本、まさかと思って油断していると、国民みんなで清水から飛びおりる事態になりかねないかもしれません。サイードの「意志的楽観主義」で、それぞれに出来ることをしていきたいと願っています。 春
* もっと大勢に声明文を送り輪をひろげる理解と協力をもとめたかったが、BCCの発信が何度もつかえて、結局五分の一ほどしか送れなかった。くたびれた。六百ほど送りたかったが。
2006 5・16 56
* 息つく暇なく、ペンの共謀罪新設法案反対にたいする「ご理解とご協力」を求めて、メール網をいかした伝搬に期待、メールを送り続けて、少なくも五百人以上に声明文を送り届けた。
続々、受け取った極力伝えましたという声が届いている。
メールは、WWWは、このような目的でこそ自在に広範囲に働かねばいけないし、これは政治活動ではない、直接「私民」自分達の人権と安全の問題なのであるから。
* 遊んでいるも同然と笑われればその通りであるが、忙しいことは忙しい。メールも、下さる方は一対一と思われるであろうが、なかなか、拝見するだけで容易にご返事に及べない。「私語」でお返事しているといった按配式になってしまう。
2006 5・17 56
* 日本ペンクラブの「共謀罪」法案反対声明、そして秦さんの「ことば」への思いについて、全面的に支持いたします。声明文につきましては、小生がメールをやりとりしている人たちにも転送し、呼びかけます。
怖ろしい法案であることは論をまちませんが、もっと怖ろしいのは、かような法案が国会で審議されているのに、世の中が信じられないほど静かなことです。なんでもかんでもワイワイ騒ぐメディアが、今回に関するかぎり、ほとんど問題提起さえしようとしない。まさに世にも不思議な現象で、裏に何があるのか考えると、これも、また、背筋が寒くなります。
もし「共謀罪」なるものが不幸にして成立してしまえば、たとえば日本ペンクラブの今回のような声明活動は「組織的強要の共謀」罪になってしまうのでしょうね。法案そのものの内容が具体的な例のかたちにブレイクダウンされて、説明されておりませんから、世の人たちは無反応なのだと思います。
秦さんがおっしゃるように、学生がまったく無批判、無反応でデモひとつしょうとしない。小生もまた奇妙な世になったものだと首をかしげることしきりです。
もし、政府与党が強行採決して、このような悪法案がやすやすと通過してしまうとしたら、日本という国の病弊は相当なものだという証左になってしまう。
先日、『こころ言葉の本』を拝受、軽装本ゆえにバッグに納まりやすく、現在、持ち歩いて読ませていただいております。ますますのよいお仕事を……とお祈りもうしあげます。
6月某日の例の太宰治賞の授賞式、もしご出席されていて、おみかけしましたら、あらためまして、ご挨拶を……と。 太宰賞作家
* 共謀罪新設法案への反対声明文、受け取りました。 早速プリントしまして 何回となく読ませていただいております。タイミングよく今日は(夫に) IT関係のエリートの会合が午後からありますので、沢山コピーして持参してもらいました。 しっかり読んでいただくためです。相当な方たちですので反応もたしかとおもいます。
それにしてもうかつですが、良くわかりませんでした。 新聞でもあまり取り上げてなかったようですし。
主人もこれは大変なことだと申しています。 取り急ぎまして。 彧
* (共謀罪新設法案反対に関する)メール、心痛みます。本当に危険きわまりなく、私も協力を惜しむものではありません。全体的に時代が悪い方向に流れて行きそうですね。反対の意志表明がいろいろ必要になるのは悲しいことです。 文藝批評家
* (悪法に関わる)極めて重要な連絡ありがとうございました。
「共謀罪新設法案に反対し、与党による強行採決の自制を求める」社団法人 日本ペンクラブ会長 井上ひさし 二〇〇六年五月十五日 の声明に賛同します。
さらには、本17日夜に開かれる「多摩地域の図書館をむすび育てる会(多摩むすびの会)」の実働団体である「NPO共同保存図書館・多摩(多摩でぽ)」の理事会に、送付された(ペンクラブ声明)を持参し、共謀罪法案反対へ理解と協力・支援を求めます。 市立図書館長
* (ペンクラブの声明文と秦さんのご意見)受け取りました。社内数人に転送しました。私は1945年生まれですが、本当に今危険な感じがします。(3月末で定年、現在再雇用社員として勤めております。T・マン「魔の山」を今読んでいます。) 出版社勤務
* もちろん(ペンクラブの声明と秦さんの意見に)賛成です。早速知人達大勢にも転送しておきました。小生の意見を加えて。
気の付く限り転送し、輪を拡げます。 作家・ペン会員
* 秦 恒平様 私も共謀罪新設法案に絶対反対しています。
いろいろな会合に関係している者にとって、この法律は昔のように必ず拡大解釈をすることが予想されるので、危惧しています。先の個人情報の法案とペアーになって、覆面で国民を政府の意のままにすることでしょう。
まだ無関心な多くの知人や友人に訴えます。
クラブの記者会見記事も声明文も読みました。
ご苦労さまです。 川柳作家・ペン会員
* メールありがとうございました。
お寄せいただきましたご意見は、日本共産党国会議員団など関係部局に報告します。
市田書記局長は記者会見で、「『共謀罪』法案は、現代版治安維持法ともよぶべきもので、現行刑法の基本的な考えを根本からくつがえす重大な中身だ」と批判しております。
* 社会民主党の福島瑞穂党首にも、民主党にも、そればかりでなく小泉総理のメルマガにも、内閣府にも同じメールを送った。
* テレビで先生を拝見しました。
共謀罪法案の話が出てきた時、とうとうこういう時代になったのかと暗澹たる気分になり、落ち込んでしまいました。昔だったら反対のデモが盛んに行われたのに、今ではデモなんて夢のまた夢。やっとペンクラブから反対声明が出た、と思いました。
とりあえず、メールでこの声明を知り合いに流そうとしています。
本当に日本はどうなっていくのでしょうか。 編集者
* 早速何人かに(声明文とご意見)転送しました。微力でも意識するのと、しないのとでは、大きな差があると思いまして。今日も医療制度法案がすんなり可決され、腹立たしいかぎりです。反対の署名をあちこちでしたのも無駄な事なのでしょうか。 のばら
2006 5・17 56
* いま玉川上水脇の歩道を歩いています。 ゆめ
月末から雇用保険の支給が始まるため、それに先立っての説明会で、三鷹のハローワークにきました。
帰りはいつも井の頭公園の森のすぐそばの喫茶店でお茶を。ちょっと素敵な店でおまけに丸々太った人なつっこい猫が三匹もいます。
のんびり散歩して、いつものように焼き豚(ここのメンチカツは行列するので有名)と最中(この店の羊羹も朝から並ばないと駄目)など買って帰ります。
玉川上水脇の樹々はすっかり緑が濃くなってきました。いま洋風建築の山本有三記念館の前を通り過ぎた所です。ちょっと雨が降ってきましたけど。
(後背転、ヨガ練習の成果か、出来るようになりました。)
2006 5・17 56
* 雨音が髪の先まで染み込んできそう。気温の低い日が続きますが、おすこやかにお過ごしでしょうか。
“いつも京都はあつかった”と副題がついた京都市美術館「反・官展、反・画壇の系譜」のリーフレットを読んでいましたら、この秋、「関西美術院創立 100年 浅井忠と関西美術院展」が開かれるそうですの。
今年は浅井忠の生誕150年。来年は没後100年になりますのね。
展覧会に行く前に、お作を読み直しておかなければ…。読んでも読んでも忘れますのよ。 囀雀
* 明日は久しぶりの言論表現委員会。
2006 5・17 56
* 俳優座の公演「風薫る日に」について書かれています。私も言いたいのは……戦争の悲惨なことを 知らない若い人に伝えることは 大切。
しかし 戦争反対 だけでは またかよ… わかってるよ… と、いなされそう。
何故 戦争へ向かってしまったのか 戦争へ引きずり込まれないために 何を考え行為しなければならないのか まで 踏み込まないと 「今」の問題としてつよくまた明瞭に意識しにくい。出来ない、とさえ言える、 ということを 私も言いたいのです。
共謀法も 長崎平和推進協会の心ない言論封殺も 要するに「国民への口封じ」が目的 戦争へなだれ込むとしても 反対すら出来ないようにする素地をつくるものです。 一観客
* 「共謀罪新設法案に反対」の今しているような「呼びかけ」に、「不支持」異見は、なかなか届いてこないのが、むしろ普通。次のご異見は、或る意味、有り難い。議論が欲しい。
* 共謀罪新設法案につきましてのTVなどの報道を聞いていますと、本法案の中に「越境組織犯罪防止のための法である」との文言が無いために、一般人の普通の言論まで規制されてしまう、というアピールかと思って、何故この文言を入れないのだろうと思っていました。
ところが、井上ひさし氏の主張を読むと、本条約の趣旨にも反対している旨で、これは、国際的問題ではありませんか?
以前、イラク戦争が始まる直前、海外から戦争反対のチェーンメールのようなモノが続々届きました。反対の署名運動でした。Eメールがこのように利用されることが驚きでもありました。
条約に反対するのであれば、国際的問題にまで発展させた方が……。
国内問題にとどめるにしても、Eメールを利用した署名運動にしたら……。
という感想です。
しかし、実際問題として「テロ防止」と「言論の自由」の利益考量となると、少なくとも国際社会では「テロ防止」が勝つのでは……?
……で、私の意見は「越境組織犯罪防止のための法である」旨の文言を入れるべき。
ということで、井上ひさし氏の主張に全面的には賛成できません。 造型作家
* しかしながら、少しく「理解」が短いかという不審も残る。「越境組織犯罪防止のための法である」旨の文言を入れるべきとあるのは、ペンクラブの声明文に、そういう法であることを認めた上で、声明せよという意味か、法案にそれを明記せよという意味か、も。また「利益考量」の点でも。
* 不十分ながら咄嗟のわたしの思いをこの人には返辞しておいた。木論があるかも知れない。
* ペンの声明に全面的には賛成できないというご「理解」にも、耳を傾けたいと思います。およそ六百人ほどに発信し、共感と支持の返信以外には届いてこないのも通常の反応ですから、むしろ「不支持」表明は、或る意味でとても有り難いモノです。当然に、受け容れて、考えて参ります。ただ現段階で、わたしから、少し返辞が出来るのは、こういう点です。
法提案者の口頭の趣旨説明には、いつも「国際的なテロ防止」が表に出てきますが、実は、法案そのものには、「国際的なテロ防止が主眼」であるとの条文を加えていないのです。要するに日本「国内」の問題に重い力点がかかっているのです。国際条約型の法案では全く無い。これは、この数年以上にわたって政権与党が提出し強行に成立させた幾つもの関連法案の、何れにもあてはまる「常套の事実」で、「国際的なテロ防止」を前提の口実にし、国民・私民の人権と安全とを強硬に管理支配しようという、旧内務省型の、また治安維持法的な抑圧手段化していると読み取れます。明治この方の、それは、政権の秘めた願望であり、あのように国の大きく傾けられた根源の病態でした。
「国際的なテロ防止」を表面に言いつくろうことでは、賛成せざるを得ない思いがわたしにも、いえ誰にでもあります。これはしかし、アメリカの世界的な独り勝ち志向が同盟国に強いてくる、世界戦略の一環に過ぎません。日本政府や与党は、これを口実に、私民・国民を管理しあらゆるプライバシーに至るまで政権が左右できる体制を望んできたことは、幾つもの法の性格が露わに示しています。
たとえば、(我が国会内でも議員らの勉強会も行われ、周知の事実ですが、)アメリカ主導の国際的な「エシュロン」機構がその間の事情をはっきり示しています。あなたは、このような「われわれのメール交信」が、すべて機構により国際的に収集されていることをご存じですか。これまでアメリカも日本政府もそれを知らぬフリして答えませんでしたが、日本でも某基地に大きな拠点をもっていますし、つい近日には、アメリカ政府は、大統領もともにはっきりと、一国民の私的なメールや電話交信も「国際テロ防止」の目的で当然盗聴傍受している、「あたりまえ」のことだと公式に声明しました。
あなたは、「国際テロ防止」のためならそれは当然だと理解されますか。こういう方法で明治の大逆事件、昭和の横浜事件などの「国の犯罪」も起こったのでした。
井上ひさし名の声明に、今度の法案は「国際テロ防止」のための国際的性質の法案ではあるが、という但し書きのないのは片手落ちとあなたはいわれているようですが、法案には、そういう「国際性」はわざとのように明記されていない。要するに「国内の情報や個人レベルの言論や表現」に「的」は絞られているのです。事実そうである法案を、あなたの言われる意味では正面から評価のしようがないのです。われわれは、「国際テロ防止」にははっきり賛成ですが、それを口実にだけもちいて、事実は国民・私民の生きる人権と安全とを根から脅かす目的の「共謀罪新設法案」には、つよいオソレと嫌悪と憤激を覚えたのです。
以上は、わたしからもお伝えできることです。わたしはペンの言論表現委員会で十数年いろんな問題を、むろん国際的な情報もえながら討議し、いろいろに対応してきました。ただ感情的には動いてこなかったつもりです。「国際」という言葉にも、世界戦略をもったいろんな主要国の「国際」があります。日本では概してアメリカの世界戦略だけが、巧みな情報操作により浸透していますが、なかなかそんな単純なものではなく、要するところ、大事なのは、やはりあなたやわたしの人権と安全とが不当に蝕まれないようにという自覚に根ざして理解することだと思います。
すこし堅苦しくなりましたが。 秦 恒平
* 拝復 強い関心と、共感を持って、井上ひさし先生の声明を拝読しました。
ここ数年、引っ込んでは、又出して…という法案のやり口には、粟を生ずるような感覚があります。
大勢に伝えようと存じます。
ご繁忙の中、真摯なご活動、感謝申し上げます。 俳人
* 拝受しましたメール、心ある知人たちにできるだけ多く転送いたします。
昨今の政治の動向はきわめて危険ですね。「みやぎ憲法九条の会」でも、新聞への意見広告を出す準備を進めております(共謀罪についてではなく、九条について、ですが)。
なお、私事ですが、この4月から、仙台と米沢を行ったり来たりしております。
大学教授
* 貴団体が声明を出されたことは、新聞の小さな記事で拝読してはおりました。
全文送信のリストに加えていただいたことをうれしく思いますとともに、心して、重く、しっかり受け止めさせていただきます。ありがとうございました。 大学教授
2006 5・18 56
* スッキリしない天候続きですが,いかがお過ごしですか.私は例によって明日から国際ペン大会出席のためベルリンです。
昨日,今日はその準備で雑用に追われていますが,肉体労働はややもすると退屈,どうしても最近届いた本に目がいってしまいます。
そして,出発までに何としても「湖の本エッセイ」38号を読了しようと決め,いま読み終えたところです.その途端,息が止まりました.
最終ページに,わざわざ拙著のことに触れられているではありませんか。あぁ,秦先生はご無理をなさってくださったのだ、と思うと同時に,少々恥ずかしい気持ちになりました.
先生にあれほどお褒めいただくほどのものではないからです.
いつもの事ながら,格別のご配慮に預かり,心から御礼申し上げます.また、戻った後,一度ゆっくり先生とお話できる機会を作っていただければと思っています。
出発前のバタバタでなんとも取り留めのない文章になってしまいましたが,何はともあれ御礼を申し上げたく.今回の機中は楽しいものになりそうです。先生の書かれた心について,できるだけ連想,空想を重ねてみたいと思っています。 前国際ペン理事
* こんなふうに言われると、わたしの方が恐縮する。想像を超えて国際社会のいわば奥座敷へ自在に出入りされ、偏りの少ない世界視野のもとに活躍されている。見識といい判断といい、柔軟で温厚であることといい、真実敬愛できる人である。
* あの「しめくくり」に私の「心」がありました。感謝します。
いま、言論表現委員会から帰宅しました。井上会長名の共謀罪新設法案への反対声明は、「将来への禍根」であり、声明文は提案者の「個人的な趣味」に過ぎぬと断言する人の意見を聴いて、とても困惑しました。共謀罪法を持たない国は日本だけだと。国際条約を批准した国がこの法案をもつのは当然だと。
会議の間、御本の始終をずうっと頭の中で反芻(!!)していました。
お大事にお出かけ下さい。「電子文藝館」の一委員がベルリン総会に出て「宣伝」するのだと申しておりましたが、適切にと、どうぞご指導下さい。 秦恒平
2006 5・18 56
* 「凶暴罪」の間違いではないかと思うような、内容の愚劣な法案で、「愚民政策」を徹底してきた現与党らしいひどさです。学生達にも話していますが、こうした悪法(教育基本法の「改正」も同じものと個人的には考えております)は、通過成立してからではどうしようもありません。「健康増進法」なんて、まったく知らないうちに成立し、今ではただ「喫煙ファシズム」と化しておりますし、あれだけ「強制しない」と言明していたはずの「日の丸・君が代」も、明白な憲法違反を冒しています。
今回のペン・クラブの反対の趣旨に賛成し、これを広く伝えたいと存じます。諦めずに反対を続けていきましょう。がんばって下さい。 大学教授
* 共謀罪法案反対の記者会見をテレビで見ました。秦さんのご発言も聴きたかったのですが。早速友人諸氏に転送しました。
各メディアがこの問題を取り上げて、もっと批判を強めるべきだ思うのですがナサケナイことです。 岡山県民
* 共謀罪新設法案についてのメールを読みました。
恥ずかしながら、私自身はこの問題に関心がありませんでした。そういった議題が持ち上がっていることを知っている程度で、それによって何が起こるのかなど考えたことがなかったのです。私自身がこういった状態ですから、その話題を出さない私の周囲もあまり理解が深くないのではないかと思います。ただ、関心がなくともお手伝いできることはあります。
私のHPに「共謀罪新設法案に反対し、与党による強行採決の自制を求める」声明文を掲載させてもらいました。先生と一緒になって呼びかけることはできなくとも、こういうことを強く発言している団体があるのだということを知らせる手助けになればと思います。
主張を広く伝えることには大変な労力が必要ですよね。メールだけで500通以上でしたか…くれぐれもお体を大切にして、無理をなさらないようにしてくださいね。先生のご健康を心より祈っております。 MIXIでの知人
* 四国の**です。
新しい「湖の本」が、「からだ言葉」につづき「こころ言葉」であることと、「からだも、こころも」共に傷つける「共謀法案」成立の目論見がごり押しで実現しようとするような状況であることに、時代の、意図せぬ一致をみています。ご本の拝読と一斉メール受信の反応が遅れて申し訳ありません。
取り急ぎ私の所属する「電子掲示板」に日本ペンクラブ声明とメールを転載させて頂きました。「詩人集団『D』」のBBSです。
検索は「文学の仲間リンク集」で出てきます。
なお、電子署名や抗議先などは下記です。
「要請:共謀罪新設反対 国際共同署名を集めてください(リンク)
http://www.kyoubouzai-hantai.org/#renraku
署名用紙のページです。緊急に印刷して署名を集め下記に郵送しましょう。
共謀罪新設反対 国際共同署名 用紙(pdf)=(リンク)
http://www.kyoubouzai-hantai.org/pdf/syomei0603o.pdf
●集約先
【救援連絡センター】東京都港区新橋2-8-16 石田ビル4F TEL.03-3591-1301
FAX.03-3591-3583
【日本基督教団羽生伝道所】TEL・FAX.03-3207-1273
< 〒振込番号00170-5-483045 国際共同署名運動>
断固反対の意思メールを送りましょう。
共謀罪を共謀する与党議員たちのメールアドレス(リンク)
http://www.kyoubouzai-hantai.org/siryou/houmuimeibo.htm
2006 5・18 56
* 出かける前にメールをチェックしたところです.
共謀罪、想像できないような時代錯誤.我々日本人はどこへ向かっているのでしょうか.
フワフワした軽佻浮薄な時代,全てがテレビのバライアティーショーに同調していく恐ろしさ.
先生の言うように逃げてはいけないんでしょうね.
(ベルリン国際会議から)戻り次第また連絡させていただきます.
御自愛のほど!!
* 「日本はどうなって行くんでしょう」という声が沢山沢山わたしのもとへも届いている。老若男女をとわず同じ嘆息と不安とを抱いている。
昨日もまた猪瀬直樹はわたしに向かい昔(盗聴法を議論していたとき)と同じ言葉を用いた、「共謀罪法で秦さんにどんな影響がありますか、無いですよ」と。あの時も同じことを言いわたしは反論した、そんな問題かと。それは私民の息子達は戦争に追いやっても、自分や家族は出て行かないで済むという当局のエライさんたちの発送と同じではないか。天下の猪瀬直樹は相変わらずだとわたしは嘆息してしまった。
2006 5・19 56
* 明暗をわけた二つの知らせ。
一つは俳優田村高廣氏の急な遠逝。ずうっと「湖の本」をみて戴いていた。美しい封書、豊かな達筆のお手紙も何度も戴いた。なんどか何かの折り、立ち話ではあるが懐かしくお話しした。なくなった上村松篁さんのレセプションなどへも顔を出されていて、ひっそりと人のかげにおられた。気象の烈しい武士を演じても、「白い巨塔」の芯の強い温厚な助教授を演じても、みごとな実在感のある優れた俳優さんであった。大学の先輩でもあった。畏敬の思いを抱いてきた。残念だ。
いま一つは、医学書院のころの後輩の同僚で、保谷の社宅時代に、毎週、わたしが茶の湯の手前の手ほどきをしていた遠藤恵子さん、わたしの退社後に退社し東北学院大学で社会学教授を務めていた遠藤さんが、米沢短大の学長に選任された。米沢へと、例の声明に反応して頂いたメールに書き添えてあって、それなら永い付き合いの馬場重行氏の勤務校じゃないかと、馬場氏あてに仲良くして上げてくださいと連絡した。
馬場氏も声明にいち早く反応してくれていて、またメールが届いて、遠藤さんは新任の「学長」で、選任には自分も参加していたと。
オウオウと声が出て、朗報を大喜びした。遠藤さんにもお祝いを言い、馬場さんと仲良くしてやってくださいとメール。
* 医学書院のころ、遠藤さんのように同僚ではなく、仲良くしていた看護婦さんたちの何人もが、看護大学や保健医療大学などで、副学長だの教授だのになっている。お医者さんはみなわたしより年輩であったが、「看護学雑誌」等で知り合ったナースたちは、当時みなわたしとどっこいどっこいかやや年嵩ぐらいな若い人達ばかりだった。いまも「湖の本」の変わりない購読者であったりする。だれかに、「秦さんはていねいに人とつきあわれますね」と言われたことがある、そういう一面もある。たいそう人付き合いのむずかしい一面のあるのも確かだが。
* 一度も会ったことも、だから口を利いたことも、文通すら無いのに著書での交感のもう久しい一人に、俳優の小沢昭一氏がある。この人には沢山な文庫本や音楽のCD-Rがあり、わたしはずいぶん頂戴し、読んだり聴いたりしている。なかでも『わが河原乞食考』は快著であり、端倪すべからざる世間を、目の当たりに拡げて見せてくれる。じつに面白い敬愛に値する労作。
いま、わたしはそれをかなり「批評」的に眼を光らせて読んでいる。小沢さんの藝能論の淵源に、一つ大事な大事な視点の抜けているのではないかという穿鑿をしようというのである。まんまと確認できたら、初めての手紙を書いてみよう。書かずに済めば、やはり書いてみようと思っている。
2006 5・19 56
* 四国から、新しい作・原稿といっしょに珍しい菓子が送られてきた。むかし「カンパン」などと読んでいた堅い非常食の味を温存し、甘味をすこし加工した菓子である。噛んで味わうと、えもいえぬ懐かしい味でもあるのだが、今日出先で、わたしよりいくらか一回り半ほど若いひとに食べさせてみると、うまくないと言う。おかしかった。
わたしは、紙袋のそれを鞄から一つ一つ盗み出すようにし、満員電車の中でも人混みでもこっそりと口に抛り込んではニコニコしていた。味な、一種の駄菓子である。
つられたわけでないが、帰宅時、池袋駅の構内で芋に飴味をからめた揚げ菓子を、パックで買って帰った。何となく、今日は協会の懇親会など失礼し、疲れていながら疲れ感に負けず、機嫌良く夕方の内に駅から早足で歩いて帰宅した。
2006 5・19 56
* ナチュラルビクス初日でした。軽い運動が、なまった体に心地よく、午後に数件のおつかいをして夕方帰宅してから、今しがたまで、くにゃくにゃになっていました。
ずっと「私小説論」のことを考えています。なかなか書けない理由は、「私小説」に対し思うことはあるのですが、「私小説論」として結論の出せないせいです。ここは集注し、考えて考えて、がんばって仕上げたいです。
今また雨が降っています。お天気は日曜までおあずけみたい。 花
* 私小説論は、私小説とは何かといったリクツだけを書いても、観念的・抽象的になり説得できません。典型となる優れたないし大好きな私小説作品の幾つかの、作行と表現とに、鋭く適切な批評と感想とをそそぎこむことから、その理論や言説が読者へ届く、というのが大切です。
できれば、まるで私小説でない優れた小説を「対照」例としてよく深く把握し得ていて、それについても触れながら、だと、ハバが出来ます。
わたしが「からだ言葉」「こころ言葉」を語っているように、自分の文体で優しくきびきびと語ればいいのです。
どういう小説作品を具体的に「感じ」「評価」したりしなかったりしているかを、自覚して下さい。 くにゃくにゃの花というのが愉快ですねえ。 風
* 待ち人多し 本屋や図書館に並ぶぶ厚い本には、いかにしても投げ首。
社寺でいただく由緒書から知ることの多い雀は、甲山と武庫の謂われも、有間山猪名の笹原風吹けば…の地も、やっと昨日知りましたの。
夙川から、夙の民ということばを辞書で見つけたときは、うかとしたままのことがたくさん待っていることを知らされました。 囀雀
* その通りですよ。
2006 5・19 56
* 秦先生 いつも「湖の本」をお送りくださいましてありがとうございます。私の勉強の本でございます。沢山学ばして戴いております。ありがとうございます。
また、「別冊芹沢光治良」に先生がお書き下さいまして誠にありがとうございました。
先生からいただきました今日の(日本ペンクラブ声明等の)メール、出来るだけ多くの友人に知らせます。
このところ、与党勢力で都合のいいように国民を無視するような法案が出来やすくなってしまい、怖い事でございます。先生がんばって反対お願い致します。
父の『人間の運命』お読み戴けますようでございましたら大変ありがたく存じます。お手元に本がございませんようでしたら、贈りさせていただきたく存じます。ありがとうございました。 芹沢光治良先生息女
* 一人一人が自身の微力を疑って抛棄すること、これが、いちばんおそろしい道をえらぶことに繋がると、人間の歴史は教えているように思います。メールを嬉しく拝見しました。どうぞ、日々お元気にお大切にといつも願い居ります。
ぶしつけな原稿を書きましたが、お叱り無く、ほっとしています。
『人間の運命』は、自身の蔵書で読むということが出来ませんでした。あの原稿を書き、新しい気持で心してまた読んでみたいと思っておりました。
わたくしは、毎日、なるべく長大な作を何種類も読みつぐようにしています。それを読んでいる内は生きつづけたいと願いまして。何十巻の日本史や世界史や、旧約・新約聖書や、千夜一夜物語や、日本書紀や。戦争と平和も、源氏物語も、フアウストも、南総里見八犬伝も、モンテクリスト伯なども、その様にして読み上げてきました。『人間の運命』も、いつも念頭に願っておりました。
ひどい雨と聞いていましたのに、今朝はうって変わった五月晴れ、なんとなくほっとしています。
いつもいつも、有り難うございます。
こころより御礼申し上げご平安を祈ります。 秦 恒平
* ご活躍下さってるのを新聞で拝見して、心より応援していました。
本日の(共謀罪新設法案)強行採決は避けられましたが、反対の運動はより一層大きくしてゆかねばなりませんね。私も、微力乍ら反対署名を集めせっせと送っています。黙ってたらアカン、と思っていますが、何と
言っても草の根で。ペンクラブの皆様方のお声が、草の根の励みになります。ご活躍を期待しています。どうぞ宜しくお願い致します! ご自愛の上、お励み下さいます様、お念じ申しています。 京の雨
* 「こころ言葉の本」頂戴いたしました。お心遣いいただき恐縮です。前回の「からだ言葉の本」も何気なく使っている言葉をあのように整理していただくと大変便利で、いろいろ勉強させてもらいました。ありがとうございました。
「共謀罪」取り敢えず法案の採決は先送りになりましたが、まだまだ問題はそのまま残っています。矢張り廃案までもっていくべきです。
小泉自民党には目が離せません。 元朝日新聞社
* 共謀罪新設法案 17日付けのメール拝読 先日、テレビでも注目していました。
今日 20日の新聞で、法案が先送りされると知りました。
大変なことです。 知人たちにも話し、伝えていきます。 九州 読者
2006 5・20 56
* イヤー、流石は文筆家……。私なんぞに長文メールを、ありがとうございます。
御趣旨はよく解ります。我々の交信が傍受されているかもしれないことも、存じております。
しかし戦後「人権」を尊重し過ぎて、日本人が軟弱になってしまっていることも危惧しています。経済や技術では誇れる日本ですが、政治、ことさら国際関係では、日本は骨無しのクラゲやナメクジに例えられてるそうで、もっと日本の強い意志を示して欲しいと思います。
……で、漠然とした私の印象ですが、現代の立法府は我々が「断固反対」するほどの強い意志は持っていないのではないか、アメリカの指示で動いているだけではないか、っと思うのです。
テロは怖いです。人命が奪われます。命が無いと人権どころではありません。
しかし、テロに対しては、何故そのような行動を起こすのか、テロリストによく聞いてみる、彼等の不満を取り除く、という努力が一番だと思います。
論点がはずれてしまいましたね。
私は(ペン声明に)「不支持」ではありません。やはり先生方がそのような表明をなさったことには意義を感じます。幸いにも日本は民主制度国家ですから、その表明が報道され、政治に影響を与えます。
しかし、変な具合に与党の強硬裁決はされませんでしたね。 造型作家
* あのメールをもらって返辞しておいて、ペンの言論表現委員会に行きましたら、じつは、あなたと同じ理由であの声明に反対し、あれはペンとして大きな「禍根」「汚点」になるもの、声明文は名文だけれどいちいち賛成できないと言い切る委員がいまして、おお騒動でしたよ。
いちばんの理由は、共謀罪法をもたないのは日本だけだと。また国境を越えてテロ防止の法措置をという国際条約を批准している以上、この法律に反対するなど考えられない、と。おやおや、聴いたばかりの意見だなと。
むろん、他の多くの委員はそれに賛同しませんでしたが。そういう異見がほかならぬ言論表現委員会でも出た事実をあなたに伝えておくのは私の仁義であろうと思いました。
わたしは、テロを絶対に嫌い憎みますし、可能な限りの手を尽くして防止したい。
ただ、命あってのモノダネだからという理由から、人間の尊厳としての基本的人権を投げ出してもと、天秤にかけるわけには行かない。命にかけても守らねばならない、生きて行く上にも死んで行く上にも大切な価値は、在るものです。命さえあればという考え方は、或る意味でジコチュウに陥りやすい。悪法は自分一人だけでなく、子や孫の世代、また国を損なってしまう。命のために踏み絵を踏んで構わない時と場合、また決して踏みたくないし、踏まずに死んで行くことも辞さない場合、両方、有ります。またこんな杜撰な法律だけで、テロが守りきれるとも、やはり思われませんしね。それにしては、この法で個人や市民や国民性の損なわれる範囲、広すぎて、かつ悪質です。
アメリカと日本との関係は、いま日本人にとっては憂慮に十分値する事態です、軍の指揮系統まで支配されかねなくなっていますし、世界的にこの四半世紀に、アメリカが、世界中でグローバリゼーションの名においてしてきた独り勝ちの世界戦略=覇権主義と情報操作とに、日本は完全に牛耳られています。
しかしまた世界中に「アメリカ抜きの世界」を非覇権主義の構築というかたちで地道に努力している人も国もある。日本に容易に伝えられてはいないけれども。
例の「国際条約」も、むろんアメリカのその世界戦略が投げかけてきた、大きな世界支配の網の一つです、表向きの趣旨はあくまで正しく、隠された悪意の意図は、おそるべき独り勝ち覇権意図そのものです。そして、そのようなアメリカの意思に露骨に現れているモノもまた、「国家的なテロリズム」と呼ぶことの出来る点に、いちばんの恐怖がある。そう考えられませんか。
アハハ、堅苦しくなってしまった。ちょっと話してみたかった。もっと美しいモノの魅力について「きよら」に話し合いたいモノです。
2006 5・20 56
* 共謀罪というとんでもない法案、さすがに昨日は強行採決にはなりませんでしたが、まだまだ油断はできないと思います。
馬場さんが、秦さんの熱心な読者の由、吃驚するやら、嬉しいやらやはり、秦さんのファンはいろんなところにいるのですね。
秦さんの読者なら、馬場さんは言葉を大切に大切に扱ういい研究者に違いありません。それにしても、同じ学内に「湖の本」仲間がいるのは心強い限りです。それもこれも秦さんが取り持ってくださったご縁と、改めて感謝でいっぱいです。
目下、新しい歴史教科書を作る会のテキストを採用したがっている新・仙台市長と闘っている最中ですが、これからは研究者の自由を理解できない山形県当局とも闘うことになりそうです。
どうかこれからも、私どもを叱咤激励のほど、お願い申し上げます。
奥様にもくれぐれもよろしくお伝えくださいますよう。 仙台市 恵
2006 5・20 56
* 私小説というのは、まっこと奇妙なもので、一つ間違うと、これぐらいひとりよがりなものはなく、読者にはワケのわからないことを平気で書いている。わかりたければ調べて読めとでも言いたげに。
いま私小説について、四国の榛原さんとはべつに思索と追究を重ねている人は、り佳い線に迫って甚だ率直に私小説の名作といわれた作品に疑問符も投げかけつつある。ひょっとすると、相当刺激的な議論が現出するかも知れないと期待している。
2006 5・20 56
* 伊賀上野の桂 雀
降り続いた若葉雨が止み、窓から見える緑雲に誘われて近隣の古社寺を徊ってみました。
薫風に古葉や稚弱な葉が散り落ち、枯葉色に変わった竹林がたわたわと揺らぎ、雉が道を横切ってゆきます。
伊賀盆地西南の端、サンチュウといわれる桂地区で「この先、交通止」という標識と、「式内社乎美禰神社」の標石が前後して立っていました。
祭神は九頭明神とか。穴穂宮滞在の倭姫命に神白布を献上したそうで、麻美屋姫神とも呼ばれているようですわ。
穴穂宮はこの東北、木津川に面した神戸神社と比定されています。
田植えが進むのどかな景色のなかを上ったり下りたりしながら道を進むと、「大滝(オオダイ)峡」というバス停があり、石垣を三段に重ねた上に建てられた家が見えました。斜面に背をつけて建つ家々が見渡せる、谷の突き当たりといった集落で、のぼりが続く細い坂道を上った先に、お寺と神社が段違いに建っています。建て替えられたばかりの神社の拝殿には、アルミサッシの扉が嵌まり、「ごめんください」と入りたくなるような、日差し豊かに暖かみを感じる村のお社、建部神社。
村の氏神は蔵王権現で、神社の記録では建辺明神を大物主命にあてているそうです。
そこから道を下ると杉の大木がそびえる薬師寺があり、春日明神を勧請した黒瀧神社があります。治田(ハッタ)といい、ここから木津川に向かって平坦な土地になっていきます。
花垣神社や服部半蔵の千賀地谷城跡がある予野に入ったとき、「西出観音堂」と矢印が出ているのを見つけ寄ってみることにしました。
背の曲がったおじいさんが境内を掃除してらっしゃいます。
芭蕉ならずとも「みな花守の子孫かや」と思う、穏やかな善いご容貌をなさった方です。 囀雀
* たれその森とあわれその森 雀
ご挨拶をしてお参りさせていただきました。なんでも長谷寺式の十一面観音を祀る行基が開いたお堂とか。天正伊賀の乱のとき、敵方に川に投げ込まれた観音を、放たれた光明を頼りに村人が拾い上げたという、姉川の戦と湖北の観音を聯想させるおはなしがありました。
お堂の前に古い石仏がいくつか並び、背後の山に生えている樹が細い割に丈が高いのが不思議な空間をつくっています。
帰りは先ほどのおじいさんが手押し車を押しながらお帰りになるのを追い越すかたちになってしまい、お礼を申し上げましたら、道の先に同じように手押し車を押した腰の曲がったおばあさんが出迎えにきてらっしゃって、相生の松といったご夫婦に雀は深く頭を下げました。
この先は田がますます広く連なり、長者伝説があったり、古墳や遺跡がいくつも発掘された木津川の川原となり、田に水が入ったことによってなおさら島に見える神社が、川沿いに点々とあります。
川を溯りながら道を進みました。
打ちならび月見るやうな森二つ (土芳)
われならでたれ其森の玉櫻たまさかにもや色にそむべき (紀貫之)
垂園森は整地された水田がすっかりとり囲み、あわれその森は見つけることができません。三輪の神を勧請した祠とお稲荷さんの祠が並び、この先には、住吉の神を勧請した陰陽の猪田神社があります。そこには今も天真奈井(あめのまない)が水をたたえ、若水を汲む御井祭が連綿と続いているとのこと。「住吉神」と記した光る矢をくわえた白鷺が止まっていたとか、白鷺が群居していたという「鷺の森」があるというのですが、たしかにそれとわからぬまま道を進み、井戸が遺る神戸神社の神さびた一角を過ぎて、城之越(ジョノコシ)遺跡に着きました。 囀雀
* 連れて歩いているような、連れてもらいたいような「日本」の時空間が風景を成している。雀さんは、人との触れあいに、いかにも心優しく慎ましやかである。口を曲げて批判したり譏ったりする風が少しも感じられないので、読んでいても落ち着く。見習わなくては。
2006 5・20 56
* 青山町の阿保親王墓 雀
伊賀上野に、業平の母、伊都内親王の墓があり、隣の旧・青山町に、業平の父、阿保親王の墓がある‥とはさすがに出来すぎで。以前に青山は「阿保」からきているときいていましたが、最新の地図は阿保親王墓ではなく息速別命墓となっていまして、垂仁天皇皇子かしらと、ここまでは、メールしましたでしょう。
やはり息速別命オキハヤワケノミコト(池速別命)でしたのよ。沙保(佐保)の穴太部別アナホベワケの祖となった…。
阿保村(のちの青山町)に住み、允恭天皇のとき阿保君の姓を賜ったそうで、青山町の鎮守大村神社の祭神になっているそうですの。神社はお墓のごく近くです。「親王さん」と呼ばれているお墓は6世紀のものだそうで、子孫一族の墓と思われるとのこと。
この北方に比自岐ヒジキといって古墳の遺る地があり、今も比自岐神社がありますが、その比自岐和気ヒジキワケの娘が垂仁天皇皇子の圓目(ツブラメ)王と結婚し、その子孫は天皇の葬儀に仕える遊部君アソビベノキミとなったといいますのよ。
* 遊部君のことは、わたしは亡き池田弥三郎さんに教わった。それからどれほど遊部君や猿女など、また遊君について書いてきたことか。百も承知でそのヒジキワケやツブラメ王の根拠地へ雀は誘ってくれたわけだ、有り難い。
共謀罪法にも反対で力を惜しまないが、こういう太古の日本へもわたしはかぎりない懐かしさをいつも覚える。自分でなかなか脚を運べないから、ますます。雀の学校の、わたしは生徒になっている。
2006 5・21 56
* やっと春になりました 昴
今日は波が穏やかでした。桜もちらほら咲き出し、牧草畑の真ん中に桜の木があったりして車を運転していると驚かされるときがあります。冬とは違う顔を自然は見せてきました。
「こころ言葉の本」、届きました。まだ目次に目を通した程度ですが、モノについて書かれているようなので、早く読まなくてはと思っています。
ただ、まだまだ読んでいない本がたくさんあるので、その後になりそうです。GW中、用意していた本を実家に持って行かなかったのは失敗でした…。
共謀罪法のメールも届きました。
何これ? と言わないような友人に送りましたが、返事は、言いたいことは分かるけど、法律あった方がいいんじ
ゃない? というものでした。テロリストや他人に危害を加えるような団体などの対策として、多少の不便さは我慢して、法律はあった方がいいよ、という返事でした。大規模犯罪の予防をとるか、自由をとるか、難しい問題だね、ということも言っていました。
治安維持法のことなんかを説明して、自由の方を私はとるなぁという思いを返信しておきましたが、どう受けとったかは、返事待ちです。建設会社で働いていたことがある人なので、私の考えを受け止めてくれるかは、分かりません。以前はそんなに考え方は違わなかったのですが…。ちょっとさみしいです。
強行採決はなかったようですが、不便で不自由になるような法律は作ってもらいたくないです。
さてGW中、他の方の作品を読みました。どういう思想の流れで現在の本ができているのか、ほんの少し見えた気がします。秦先生が「私」で書くのも、ほんのほんの少しだけ見えた気がします。頭が悪いので、難しい話を正確に理解できないのが口惜しいです。
長くなりました。申し訳ありません。この辺で失礼します。
体調を崩されたようですが、大丈夫でしょうか。無理をなさらないようにしてください。
* 晩になるとインターネットに不調が現れる。ADSLのルーターがビキビキ鳴ってはランプを点滅する。
2006 5・21 56
* hatakさん 恩師の受勲祝いが銀座で催され、日帰りで参加。今札幌に戻りました。
帰りの飛行機まで、共謀罪のメールに唯一返事をくれた茶友と、最終日の「永楽保全・和全展」(三井記念美術館)へ。三井の本館へ始めて行きましたが、少なくとも茶道具の展示には向いていませんね。あそこには得意の切手コレクションを並べたらいい。
永楽さんを見に行ったのに、帰って目に残っているのは、大名物の唐物肩衝茶入銘遅桜。このところ、茶道具の\\\(カネカネカネ)に嫌気がさしていたのですが、大名物の雄渾さに、やっぱり良い物は良いと安心しました。永楽さんには気の毒でしたが。 maokat
* 永楽の保善 和善らの鉢物を持ち、茶碗も二三枚はあるが、わたしは替え茶碗として人気の永楽茶碗にあまり興味がない。鉢物などは好きで、ことに保善、和善の優作にはときに魅入られる。
茶入ごときと、ナメルわけに行かない、たしかに大名物には、ちいさい丸でも肩衝でも存在のデカイことに驚嘆することがある。
* おはようございます 風
> 不備は不備なりに優れた把握と表現とがかなり達成された作品も無いわけではない。
そう思います。この点にも触れねば、と思っています。
>「純」文学と謂われた不足感と、お話本意の中間小説のもつ不足感とが、ともに視野にはいると豊かな論になるでしょう。
私小説について考えていると、自然、中間小説のことも考えます。この点について、触れられるかなあ、と思っていますが、中途半端に触れるなら、風のおっしゃるとおり、一気に無理せず、次の課題にしようか、とも思っています。
きのうは白糸の滝、青木ヶ原樹海、本栖湖へ行って来ました。ひさびさにいい天気で、暑いくらいでしたが、水の近くは涼しい風が吹いていたので、とても気持ちよかったです。
自殺の名所の青木ヶ原樹海も、オームのサティアンで有名な上九一色村(旧)も、とてもいいところでした。
牧場で牛たちののんびりしているようすは、先頃行った北海道の景色を思い出させます。北海道と違うのは、雪のない、あたたかな日であったことと、道路が狭く、曲がりくねっているところ、でした。
> 風は黒いマゴを荷籠に入れて自転車で走り回ってきました。
マゴはおとなしく乗っているのですか。目線高く、風を切って、マゴは気持ちいいかもしれませんね。ときどき、自転車のかごから顔の出ている犬を見ますけれど、あれはとてもかわいいものです。
午前は英語サークルです。帰宅したら、さっそく私小説論に手をつけます。 花
* 食べすぎないようにと、たぶん奥様が戸袋に仕舞われたのを、夜中にそろりと出してカリカリと「かたパン」を食されているとひそかに想像して、ほほえんでおります。ときどき妻に「袋で出しておくと、わたしのぶんまで全部たべてしまうんだから」と叱られます。なにも考えずにただ食べて、袋が空になってから、これはマズイとビクつくのですが、先生の場合は如何。
真部照美さんはご指摘のとおり、「湖の本」読者です。長く短歌集団「音」に属していて、歌集『心宿』は、彼女の遅すぎる第一歌集です。数年前に砂子屋書房から発刊されたのを、彼女のよき理解者である大成繁さんを通じて購入いたしました。そしてついこの間、よい歌のたくさんあることに気づき「不覚をかぞふ」の一文をしたためたわけです。
市民運動をともにした最愛のご主人を失くされたあと、真部さんは印刷業を継いでお子さん二人を育て、嫁がせ、かわいいお孫さんにも恵まれています。
楽しい歌があります。
産むといふ性をもたざるをのこ子のつんとあかるき突起をもてり
みどりごを抱きて揺りやるばばの膝この世の波をたてて眠らす
拙文を「ゆっくり」読んでくださっているよし、感謝しております。 六
* おはようございます。 昨日はとても佳いお天気でしたね! マゴくんと一緒にサイクリングって、篭に入ってですか?
最近ときどき遠出されてるようですね。西東京市、東久留米市、小平市あたりは本当に森や林がたくさん残っているのでいいですね。小金井公園も自転車で行けば30分かかりません。すっかり葉桜になった「桜の園」のあたりをぐるっとまわってくることもあります。フェンスごしに「江戸東京たてもの園」のレトロな建物や町並みをみることもできるんですよ。(ここにある「子宝湯」はあの「千と千尋の神かくし」のお湯屋のモデルになった建物です。)
いま森にエゴ(白雲木)やハンカチの木、そして鈴蘭といった真っ白い花々がたくさん咲いていますね。初夏だなあと、とっても嬉しくなります。 ゆめ
2006 5・22 56
* 「不覚をかぞふ」を「e-文庫・湖(umi)」に掲載していただき、ありがとうございます。そこに文学の源流を探るひそかな意図があるにせよ、つまるところは自身の要からうまれたものをあつかましく送付することにいささかのためらいがありました。しかしまた、「私小説とはなにか」に対する私なりの考えを吐露しておくことも必要かとの思いから、あえて投稿した次第です。
もちろん、そこに『心宿』の歌の、おおげさにいえば「発見」があり、その触発がなければ、論に発展することもなかったかとおもいます。さまざまな縁に恵まれているようです。それを邂逅であると感じて、その大きさにとまどっ
ております。
先生との出会いについては、いずれ「論」にまとめる心積もりではありますが、まだ、そのときではないようにおもいます。いずれ、「作家秦恒平」を遠慮会釈なく切り刻んでみせますから、おたのしみに。 六
* ハハハ。「切り刻」まれては堪らない。作家論は、書き上げたときに現像なり原作をより豊かに見せ直せる器量が大事、そうでなければ論じる意味は無い。しかも周到に論じるには「読まなくては」話にならない。この、全貌をよく読んで論じているか、端っこを小さく切り取って好きに喋っているかで、研究者たちの議論にも大・小も出れば貧・豊の分かれも出る。どうぞ、全仕事(創作もエッセイも)への「読み」の豊富を水面下の底荷にどっしり蓄え、しっかり咀嚼してから「遠慮会釈なく」論じて下されますよう。
2006 5・23 56
* 自転車で今日は何処まで行ったやら。お三時頃に大粒の雨が降ってきたけれど、遭わなかった?
内臓脂肪を取るのに効果があるのなら、せめて暑くなるまで『三日坊主』にならないように、ガンバッテ!
近場に狭山湖からの良い水道道路があるのに、わたしはウオーキングがキライで、自転車運動がスキ。
ヤモリ(留守居)です。のんびりと。
あなたはいつも忙しそうで、声もカケラレナーーイ、カカラナーーイ。
最近メールを始めた弥・レ(みな七十直前の中学時代仲間で、レディのつもりらしい。)はいつも、「ほなな!」と締めます。 ホナナ!
* ほな、また は、京都市井の簡略な別れの挨拶。友達なら、では、さようなら、また近々に会いましょう、の意味。これが難儀なイヤな相手であっても、同じように言うが、意味は、一昨日来いぐらいなもの。
2006 5・23 56
* こんにちは。 丈・卒業生
さて、お送りいただいた「共謀罪」に関するメールですが、相手を選んで早速転送してみたものの、反応ナシ。もっとも、私自身、さて頂いたメールに反応が返ってくることを予想したかというと、そうでもありません。
これについて、少々メールを書き始めてから、早、数日経ってしまったのですが、ふと東京新聞夕刊の1面見出しに、「『何でも反対』の反動性」。
もしや、と見てみると、日垣隆氏の共謀罪に対するコメント。
曰く、、言論人はとりあえずいやな感じのものに反対する、そのようにして今回共謀罪にも反対し、その理由は、「酒場で小泉の悪口を言っただけで逮捕される」。
「恣意的に運用される恐れ」がない条文はありえないが、心身耗弱者に対する減刑のように恣意的に運用され犯罪被害者が苦しんでいることにクチをつぐみ、なぜ今回の法案には声をあげるのか。正当な共謀罪がなければ越境組織犯罪に歯止めはかけられない。英米法でも大陸法でも共謀罪は存在し、機能している。
ここで、日垣氏の提案として、「犯罪組織による越境犯罪」という一文の追加。
そして、話は戻り、何でも反対していれば仕事になるのは偽善かつ反動的だ、として、かつての社会党に話をつなげ、「無責任な『何でも反対派』が(防衛費審議を無意味にし自民党の)言い値をスルーさせてきた、と。
なぜか、日垣氏のこの言説は、共謀罪のキモに巧妙に触れられていない。違和感を感じました。
この文章だけ読んでいると、あたかも、共謀罪は、どこの国にもあって、日本の法案もそれとまったく同じで、しかも、「恣意的に運用される恐れ」がない条文はありえない、という言い方で、他の法律とも同列のもののような印象を受けます。
私は、ここから、少しトーンダウンしてしまうのですが、日本の共謀罪は、他の国の法律と異なり、かつ、日本の他の法律とも異なり、行為がなくとも、逮捕される、という理解です。
最高裁の元判事? か誰かが、「想像しただけで、逮捕される要件を満たす」と言ったのを読んだ記憶があります。(記憶を確かめようとGoogleで検索しましたが、見つけられず…)
今回の日垣氏のコメントを好意的に捉えようとすると、東京新聞の小見出しに、「無修正で対極案スルーする危険」とあるので、対案なしに自民党案が通ってしまうよ、ということの単なる指摘とも受け止められます。テロ対策として、具体的な法律が必要だ、そういうことが言いたいのかもしれません。
しかし、に、しては、法案の審議がまた先延ばしになり、ここで議論を続けるべき時期に、わざわざ、反対している人々を法律の素人? の多そうな「言論人」に限定し、「悪口」云々という卑小な例を反対の根拠にしている、という言い方から始め、凶悪犯罪者の人権を重んじていると決め付け、矮小化し、とどめに、何もしてこなかった10~20年前くらいでしょうか)社会党のイメージを重ねて、ラベリングしています。
この論法には、あからさまな意図が感じられます。
しかし、そもそも今の時期に「「何でも反対」の反動性」というタイトルをつけられてしまうのは、逆に、「反対」行為が、うんざりするほどよくある「運動」の一つとして、マスコミに受け止められている、ということに他ならないでしょう。
これが「共謀罪」に対する反対である点が重要なのに、One of 運動として捕らえてしまう点で、共謀罪に対する理解が不十分な気がしますが。
さて、ペンクラブの声明は、ペンクラブの声明としてかくあるべき、という印象を受ける文章でした。ただ、私は、少なくとも身近で、あのような抽象的な文章に共感できるほど、想像を広げられる人はいるだろうか、と疑問でした。案の定、メールを転送しても、無言です。
「まとめサイト」というのがあります。
もっと卑近な、たとえば不逞の輩が、何もしないプログラムを「パソコンの効率を上げるプログラムです」と言って販売し続けたという、ちょっとした事件があったとして、その被害者たちが問題の発見から、被害範囲の確認、問題のプログラムの解析結果、その輩とのやりとり等、一つの事件に対する一連の出来事を、一つのWebサイトにまとめるものです。
何か起きると、有志がこういうサイトを立ち上げます。「まとめサイト」が乱立しないのが不思議ですが(私が知らないだけ?)、全貌が(真偽は別として)掴みやすい。言質を時系列で並べるので、なおさら、何が問題か、が、具体的に分かりやすい。不特定多数の人々が、内容を検証し修正することも多々あります。
「共謀罪のまとめサイト」を見つけられませんでした。個別には、色々あるようなんですが。なので、私が、「行為がなくとも逮捕される」と思っているのが、誤解かもしれません。「想像しただけで逮捕される要件を満たす」というのも、勘違いかもしれません。
本当にそうなら、とても異常な法案なのですが、かといって、法案を自分で見て、そこまで勝手に解釈できる自信もありません。
「まとめサイト」なら、たとえば、どういう問題点があるか、という想像例と、それに対する検証もあるでしょう。
たとえば、、、
官僚的な「(テロ予防の)『実績を上げる』」という動機のもと、たとえば、Googleのような、ある一企業(外郭団体)が、Blogの書き込み、メールのやりとり、ネットゲーム等の情報を収集し、禁句の使用を監視します。(中国では
Microsoftが自主的にそういう検閲まがいのことをやっています。)
そして、実績を上げるために、禁句を使用(=犯罪に資する行為)した人間と、そのBlog、ネットゲーム等に集う人々(=団体)をまずは逮捕すればよろしい。
禁句の使用が犯罪に資する行為であるというのは、禁句の使用が犯罪の動機につながる可能性を否定できない以上、資する行為と【誰かが】解釈すれば、それは資する行為になる。ちなみに、その解釈は、本人以外が行う。
逮捕すれば、確実に、その人々による犯罪を未然に防げます。
911後のアメリカでイスラム系の人々が、必要以上に逮捕されていることから分かるように、テロ対策を本気でやるなら、疑わしきは逮捕するのが平凡かつ簡単な方法です。
多少文句はあるだろうが、つかまるのは、ヒマをもてあまし、禁句を使うような不満を抱えた=危険な、始終ネットにつなぐ、社会的立場のない若者でしょうし、逮捕する者=サラリーマンにとっては、誤認逮捕も痛くも痒くもない。むしろ、誤認ではなく、逮捕すればするだけ、未遂を防ぐ実績になる。
かなり漫画的な筋書きですが、「まとめサイト」でこういう分かりやすい例が、様々な人の推敲を経て、より現実的な筋書きとして現れてくれば、「犯罪に資する行為」という、一体何を意味しているのかさっぱり分からない条文の異常さが伝わりやすいんじゃないか、と思います。
ペンと、法律のプロに、まとめサイトは望めないものでしょうか。
「他所の国にもあるから」などという論法も、実際に比較サイトがあれば、それが詭弁かいなか、一目瞭然になるんですが…。
そして、対案まで論じてあれば、なお、批判もできようものです。
今晩は、つい、夜更かししてしまいました。
普段はこういう、他力本願な妄想が続くだけの毎日です。
湿気の多く気が滅入る日々が続きますが、晴れた日には、お気をつけて自転車散歩をお楽しみください。それでは。
* これは読み込みを必要とする、なかなかのアイサツで、「まとめサイト」など、迂闊にも初耳とて、すぐさま論評しにくいが。日垣さんが書いた夕刊記事を、わたしも落ち着いて読んでみよう。
* 共謀罪法案、まったく危険な法案で採決延期にはなってますが、廃案になることを祈ってます。
メール頂くまえにも、ある団体の反対署名に賛同したところでした。知り合いにもメールいたしたいと思います。
お身体の調子はいかがですか。ご自愛下さい。
こちらは相変わらず、毎日朝夕の2匹のワン公の散歩につきあい、個人住宅の設計監理をぼつぼつやってます。
奥様にもよろしくお伝え下さい。 町田市
2006 5・24 56
* 賀茂の厳神、松尾の猛霊 雀
先日、松尾大社界隈に飾られていたのは、葵だけでなく、桂の葉も入っていたのですね。桂川の桂と単純に思っていましたら、月を意味し、腐りにくい桂の木は舟材にも使われると知りました。
松尾大社は月読尊だけでなく、宗像の神を祀る摂社もあり、酒、開拓・土木・建築の神というイメージだけでしたが、壱岐、宗像、月、天文、暦数、卜占、航海、潮汐のイメージも加わりました。
「賀茂両社の葵祭は観光の名物になっていますが、秦氏の関係の深い当社や伏見稲荷大社にも同様の伝統が存するのは興味あることです」と、松尾大社の由緒書にあった「松尾の国祭」「松尾の葵祭」とよばれる松尾祭の説明を、興味深く読みました。
松尾大社は大山咋神(おおやまくいのかみ)と中津島姫命(市杵島姫命)を祭っていますが、大山咋神が丹塗矢と化して玉依姫命と婚姻して生まれたのが賀茂別雷命(かものわけいかずちのみこと)。上賀茂神社の祭神ですわね。そして、松尾山は別雷山ともいう磐座(いわくら)信仰の山で、旧鎮座地は日崎(ヒサキ)の峰といわれ、友人がインターネットで見たなかに、月読神社近くに「御陰(ミカゲ)さま」という神社があるというのは、御蔭神社の由緒を聯想させます。
松尾大社は701年に現社地に山上の磐座を遷して社殿を創建、月読神社は856年に川の氾濫を避けて現在地に遷しています。里におろす、また、上げていたのですね。
もとを識るって大切なことですわねぇ。 囀雀
* 松尾は秦氏の宰領した神社で。雀さんも指摘している後段の「イメージ」から連想が利くように、「はた・わた」の読みを解して「海=わた・わだ」へ廣く繋がってくる。松尾も賀茂もみな水神・海神がらみの古社。古社はまず大概が水神・海神に深い縁をもっている。日本の神は、そうなのである。
* 月読神社 雀
顕宗天皇3年(487年)年2月1日、阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が任那(みまな)に遣わされ、そのとき月の神
が人に憑いたことから、葛野郡歌荒樔田(現・月読町とも桂上野ともいわれる)に月神の裔(すえ)と称する押見宿禰(壱岐の県主の祖)が神社を造営、祠官として奉仕したのが桂の月読神社の初まりだそうですが、同年4月5日、今度は日の神が人に憑き、「倭の磐余(いわれ)の田を奉れ」と阿閉臣事代にいって、対馬の下県直がこれを祀り奉仕しています。4月15日福草部が置かれ、4月25日には八釣宮に天皇崩御。
壱岐が月の神を、追って対馬が日の神を祀るというのは、なにか含みがありそうに思えますが、考えすぎでしょうか。
松尾祭の出御は舟で渡り、還御は松尾大橋を渡る。そのお旅前日に月読神社境内の御船社で渡御の道中安全を祈願する祭儀が行なわれ、松尾神社お旅所とは別に、月読尊を祀るお旅所、松尾総神社が、朱雀裏畑町にあります。
葛野の桂、綴喜の大住、どちらの月読神社にも天鳥舟命を祭神とする「御船社」があり、隼人舞発祥の地という大住の月読神社境内には少彦名命を祀る「御霊神社」もあります。
祭礼は桂が10月3日、綴喜は10月15日。
月、船、海…今夜は空を眺めてみようかな。 囀雀
* こういう世離れた境涯もあり、ヘビメタの大音響に手を拍って笑い喜ぶ若い娘達の群れもあり、共謀罪法に憂慮する人も賛成する人も無反応な人もある。
そしてわたしは、最上徳内サンとの日々親交を深めている。なんという心静かに満たされる日々であることか。第二章に入った。私小説に思いを込めている榛原六郎さんや花さんはどう思いどう読むか知らないが、わたしのこの小説は、大きな動きなき史実をとりこんだ、間違いなく私小説なのである。
2006 5・24 56
* くらま 雀
雨がくる…先触れ風に窓を閉めかけてなお、未練に風の匂いを確かめていたらざあざあ降りこみ、雷鳴もとどろきました。
お障りございませんでしたか。お風邪など召しませんように。
先日鞍馬に着いたのは午後四時頃。ふだんでしたら門を閉じる時刻ですが、五月満月祭のこの日は午後七時から朝三時まで、いくつもの行事があるそうです。
この月の夜には、すべてのもののめざめのために、強いエネルギーが降り注がれるという信仰があり、東南アジアやヒマラヤでも、満月に清水を供えて祈る祭りがあるとのこと。
本堂の前には花と常緑の葉で飾られた金属性の器が準備され、この明水に満月をうつして分かち飲むといいます。
八重の桜花が閼伽井の前に咲き残っていました。
修行中の高僧を襲ったとして、雄蛇は切り刻まれて向かいの龍ヶ嶽(竜王岳)に棄てられ、雌蛇は仏に供える水を絶やさないと誓わされて、閼伽井護法善神社に閉じ込められた、それが「竹伐り会(え)」の初まりと、まったくお恥ずかしいことですが遅れ馳せに知りましたの。
龍が銀の雫を滴らせながら、向かいの峰から本堂正面に突き出した崖に埋められた滑らかな石に逸散に降りたつ気がしたのは、まんざら錯覚でもなかったのですね。
若葉と常葉木落葉が入り交じる山に、しめやかに降る雨の条を見上げながら、山門下を北へ向かって歩くうち、「日曜美術館‐北斎‐」のアーカイウ゛スで池田弥三郎さんが「京の雨はまっすぐ降るが江戸の雨は斜めに降る」とおっしゃってらしたのを思いました。
鞍を負った白馬が導いたから鞍馬というそうですが、鞍馬山奥の院は磐座、由岐神社は大己貴命を、貴船神社祭神はクラオカミノカミを祭っていますでしょう。閼伽井護法善神社こそ、「くらま」ですのね。
逢坂の夜の暗さや蝉丸忌 (中島曾城)
今は九月二十四日の逆髪祭は行なわれていないようですね。
越前武生市の大虫神社摂社に雨夜神社があり、ミツ
ハノメノミコトを祭神として、あご髭のある盲目の男神像が祭られているとか。山科四宮泉水町、河原につながる話ですわ。 囀雀
* いかにもその通りで、多くのあれこれが、引き絞れるように似た一つの要点へ集まってくる、それが日本の不思議、それが日本の当たり前。
2006 5・25 56
* いまほんの三分間ほど回復したあいだに私語を転送し、メールを受信したが、ほとんどがスパムメールで。むしろ受信より送信した方がいいぐらい。ひとつだけ、羅臼の昴がはるばるとメールをくれた。
* 羅臼の昴 昨日の朝見た夢はとても奇妙なものでした。
散々遊んだ後、街なかを車があるところまで一人で歩いていこうとしているところから始まりました。
途中ビリヤード場があり、そこになぜか私は寄りました。遊ぶことが苦手な私は何もすることがないと思って、すぐに外に出ました。すると、建物の横に鍵と封筒が落ちていました。私は拾って、ビリヤード場の人に持っていったのですが、その人は、この鍵はこの間、店の前の池で入水自殺した人の鍵だわと言いました。私はひどい恐怖を感じて、その場を後にしました。
車に乗らなかったのですが、私はいつの間にか学校にいて、同僚の先生と話をしていました。その鍵は近くのよその学校の鍵だと同僚は言い、亡くなった先生はその学校で働いていたと言っていました。その先生は頭にはちまきを巻いて勉強するような予備校でバリバリに教えていた臨時の先生だったと話の中でわかり、こんな先生がうちの学校にいてもねぇということを、誰かが口にしていました。その間、入水した池のビデオ画像も流れていました。風景画に描かれたような池と赤い屋根に白い壁の家がありました。池の畔に目をやると、緊張感の欠片もないアザラシが寝そべっていました。なぜアザラシなのか、わかりません。ア、アザラシ!? と夢の中の私も驚いていました。
画面から目をそらすと、今度は子どもと同僚の先生とがホットケーキを作っていました。焦げの付いたホットケーキを子どもが食べないか、ハラハラしながら見ていると、目が覚めました。
夢を見ている間中、背後に影がいる恐怖に囚われていて、夢から解放されても、影がそばにいる感じがしました。
秦先生の美しい「掌説」を最近読んだばかりなのだから、もっときれいでまともな夢を見ればいいのに…私は変な夢しか見られないようです。 昴
* 毎日、『最上徳内』を読み返していると、ときどき、羅臼にいるという昴のことを想っている。幼稚園の先生か、小学校のまだ下の方の学年を受け持っている先生のようにわたしは想像していたが。だいたい、そんなところのようだ。わたしの「掌説」を読んでくれたとは嬉しいこと。
歌集「少年」もまぎれもないわたしのモノだが、わが小説のうち、少なくも「掌説」五十篇ほどは、真似手のいないかなり独自なモノだと思ってきた。ああいうモノの書けるのが、「若さ」の力。
2006 5・25 56
* それにしても回復してくれているのは嬉しい。けれど、何故に不調という不審は深い闇にひきずりこまれたまま、行方知れない。なにでもいい、光の工事まで健全にいてもらいたいもの。
「私語」「MIXIの連載小説」メールの返辞などが途絶えているときは、機械の故障と思ってください。わたしは、元気にしています。
* メール、届いています 17:48 郁
有難うございます。
お忙しいですのに申し訳ございません。有難うございます。さっそく水彩画展の案内状をお送りさせていただきます。あわせて写真も同封させていただきますので、これでは見に行く価値ないと思われたら、どうぞ無視なさってくださいませ。
いらしてくださいます日時などわかりましたら会場でお待ちもうします。私も神奈川展とかけもちですのでお約束できかねるときもございますが。
どうぞご無理なさらないようにお願い申します。
京都! いいですね! 行きたいです。雨の京都のすばらしい名所など新聞にでておりましたが。いきたーイです。
インタネット困りものですね。はやくなおりますように。
今 神奈川展の仕上げであたふたいたしております。油絵のむずかしさ、またまた力なさなどなど、痛切に感じております。今後ともどうぞよろしくご指導のほどお願いもうします。
* これから少し天気が回復していくようすです。洗濯したいものがいっぱい。
風は何をなさってますか。
花は藤村や瀧井孝作や吉行淳之介を読み直したり、英語の予習をしたり、おつかいに行ったり、ときどきめまいがするほど眠くなったりしています。
風はマゴくんを連れてのサイクリング、つづけていますか。交通ルールを守り、車にお気をつけくださいね。
もうすぐ六月。
風は京都でしたね。花は富士を眺めています。
2006 5・28 56
* 青山町の鎮守、大村神社 雀
大村神社で息速別命を祭神とする由緒をうかがってまいりました ― いえ、そんな勢い込んだものではなく ― 見たいものがあって、青山町の初瀬街道(伊勢街道)阿保の宿を歩き、最後に大村神社にお参りしたところ、拝殿を拭いてらした宮司さんが手を止めてお話くださいましたの。雀なりにまとめてみましたので、おしらせします。
阿保は谷のつきあたり。青山川と柏尾川が合わさって、ここから木津川がはじまります。その川の南岸を小山へとのぼると森の中に大村神社が鎮まっています。つまり社は、北向き。
列車も国道も青山峠をトンネルにして通行していますが、阿保に降る雨の半分は伊勢湾へ、半分は大阪湾に注ぐといわれる分水嶺で、参道も伊勢からと初瀬からのと、二本ついています。
拝殿脇に“巳の神杉”がありました。山の上にもかかわらず大木が多く、このたびの唐招提寺金堂修復に太さ一㍍の木が一本用いられたとのこと。
室生寺と同様にあの颱風で被害をこうむり、倒木のあとに木を植えたそうです。
「以前の姿にはまだまだ及びませんが、植えた木の成長が早いンですよ」と宮司さん。
お社どころか小さな祠を造ることすら人々の心に上らない太古から、人はこの山で無事を祈り、豊作を祈り、感謝を捧げていたのだろうと思う、そういう善いエネルギーがある山なのですと、にっこり。
神社の空気と宮司さんの空気とが、溶け合っています。
宮坊の禅定寺は明治初めに廃され、本尊の十一面観音は対岸の宝厳寺へ、鐘は神社境内に鐘楼を建てて吊っています。
坊跡に立ってみました。木津川に向いて、十一面観音は立っておられたのですわねぇ。
鐘は日本三大奇鐘の 一 「虫食いの鐘」といい、参拝者も撞かせていただけますのよ。大和国葛城の豪家の娘が愛蔵した古鏡一面が鋳込んであるそうで、ある夜、鐘守の若い僧の枕辺に娘の亡霊が現われて以来、鐘乳がぼろぼろと虫が食うように落ち始めたとか。
また一方で、大村神社を有名にしているのが境内の要石。
ゆるぐともよもやぬけじの要石
七六八年一月九日、鹿島神宮から建御雷命が白鹿に乗り柿の木の鞭を持ち、春日神社へ
出立しましたが、途中、阿保に留まり、この石を置いたそうで、社殿が北向きなのは鹿島神宮と同じだそうです。 囀雀
* 紅葉にそむる糸川の水 雀
としの緒のよるよる秋の山かげや
紅葉にそむる糸川の水 (源雅通)
名張川にかかる夏見橋に、歌碑が立っています。
建御雷命は、伊賀国名張郡夏身郷、大和国城上郡安倍山などに鎮まりながら、十一月九日に三笠山に遷座しますが、この夏身郷というのが現・春日大社奥宮積田(ツミタ)神社。
糸川、比奈知川といっていたらしい、青蓮寺川と名張川が合うところに鎮まっていまして、銀杏の大木が二本。今も紅葉の名所です。
名張に越してきたころ、一度訪ねているのですが、その時は颱風の爪痕が痛々しく、建物の修理は済んでいたものの、木は倒れ、参道に立ち並んだ灯籠も軒並み倒れている有様でした。
大村神社でお話をうかがったので、ひさしぶりに訪ねてみますと、鳥居前に、ま新しい灯籠と狛犬が座り、砂利道の参道とは別にバリアフリーの散歩道も作られています。
それを歩いていくと古い灯籠と狛犬が川に向かって並べられていました。その先、川の中島に小さな祠が見えます。神が川を渡るとき姿が映ったという池を鏡池といい、こちらから遥拝するのです。
参道も拝殿も古い石をできるだけそのままにして整えられていましたが、暗い木蔭に穴を掘って、毀れた石を彙めた窪みを見たときは、灯籠の墓場といった感じで足がすくみました。
大来皇女が建立を発願した名張郡夏身の昌福寺は、ここのやや北になります。また、酒人内親王が、夏身郷に栗林を持っていたと伝えられているそうです。
積田神社から名張川を二㌔ほど溯った下比奈知地区に、推古七年に全国に祭られた神の一である“名居神社”があります。祭神は大己貴命、少彦名命、天児屋根命、市杵嶋姫命、蛭子命。
山神と彫られた石をまとめた神社が境内の隅にありました。
積田神社も名居神社もさほど大きな社殿ではありませんが、どちらもごく最近に式年遷宮がなされ、地域のお社という雰囲気がして、よい景気でしたわ。 囀雀
* 囀雀ルポはひときわ森厳の景気に富んできた。克明に地図を伝い歩いている心地がする。
2006 5・30 56
* 「群像」の鬼編集長といわれた大久保房男さんから、『終戦後文壇見聞記』を頂戴した。俳人で亡くなった上村占魚さんと大久保さんは仲良しであった。三人で鮨を食いに歩いたりし、もう久しいおつき合いである。湖の本を送ると必ずご挨拶がある。「新潮」の元編集長坂本忠雄さんも、小島喜久江さんも、「文藝春秋」出版部長だった寺田英視さんも、「講談社」出版部長だった天野敬子さんも、「岩波書店」の野口敏雄さんも、一流の編集者ほど、じつにこういう際のご挨拶はみなさんみごとなものである。「河出書房」の小野寺優さんもきちんと手紙をくださる。
大久保さんには御本もよく戴いているが、小説はさておき、『文士と文壇』『文藝編集者はかく考える』「理想の文壇を」『文士とは』等々、主張や意見に異見なくはないが、一貫してすばらしい意気が、どの頁にも漲っている。願わくはこれがもう「過去完了」さなどと言われたくないものであるが。若い出版人・編集者たちに今少し真摯に拳々服膺してもらいたいものであるが。それならば、わたしは「湖の本」など刊行していなかったろうに。
2006 5・30 56
* 頓宮 雀
倭姫命の母と息速別命の母とは姉妹ですのね。皇子を祭った神社が木津川の初に鎮座し、川を少し下ったところに倭姫命がとまった穴穂宮があります。のちに皇子の墓近くに阿保頓宮ができました。
一志(旧・一志町)→川口(旧・白山町)→阿保(旧・青山町)→都介(旧・都祁村)→相楽(井手町)→河陽(淀?)→浪速津にて禊→川を遡って、平安京へ帰る。凶事で任を解かれた斎宮が通る道筋で、それぞれ、雲出川、雲出川、木津川、布目川、木津川、木津川と、禊ぎのできる川に面しています。
都介だけ川が細く、頓宮がどこなのかすぐにわからないのですが、歴史的に古い地域なのと、笠縫邑また大来皇女が伊勢へ行く前に籠もった泊瀬斎宮伝承地である小夫に道が通じているので、頓宮はその辺りかしら。
* こういう纏めも、その筋に関心のある人には、味わい濃き情報である。
* なんとなくご無沙汰してしまいました。 藤
でもずっとホームページは読ませていただいています。
まず、湖の本の御礼から。
少しづつ読んでいるのですが、その間中、「こころはどこにあるのだろう」という命題を考え続けています。
”考える” という作業が頭の中、脳でなされるとは知っているし、手話もヨン様も、胸に手を当てて ”こころ” を表現するところをみるとあの当たりに ”こころ” あるのかなとも思うのですが、あそこには単に心臓があって動いているだけのような気もして。
こころは目に見えないと誰しも思っているし、人間の体の中には目に見えないものが他にも沢山含まれていることを考え合わせれば、(生命を司る生化学反応などは目には見えない) ”こころ” がふわふわとどこか確かめようのないところに潜んでいても良いでしょう。
その ”こころ” を ”ことば” で表そうとしたとき、はじめて形を得る。
共謀罪が抱えている問題点も、この ”こころ” の中を形にして、法律で取り締まろうとするからなのだろう—–などと考え込んでいるうちにご無沙汰になってしまったのです。
おかげさまで一同元気にしています。
ご近所を自転車で走って居られるのですね。
黒目川の遊歩道(自転車の入れるはず)へはいらっしゃいましたか? 黒目川もようやく水がきれいになり、橋の上からでも小魚が見えるようになりました。水鳥も訪れ、「カワセミも見かけますよ」と養護学校の門前に立っている
福島県から単身働きに来てるというガードマンのおじさんが教えてくれました。
私が息子を家からかなり遠いこの学校へ入れたのは、ひとえにその自然環境が気に入ったから—-当時は水縁まで降りられましたし、となりの敷地ではニワトリが放し飼いになっていて、川辺で遊んでいました。
橋の上からは富士山がきれいに見えます(今の季節は無理ですが)。
竹林公園の湧水も美しいですね。子どもたちが小遠足にいっていたところです。
もう一つ
四国のお菓子で、笑ってしまいました。
「ケンピ」っていうものではありませんか?
夫の職場にあちら出身の若い方がいて「ボクはこれが好きなんです」といって、いつもかケンピを下さいました。
そのご本人がかなかな頑固な堅物で、家では彼のことを「ケンピくん」と呼んでいました。ケンピ君はその後会社を辞めて海外へ、今どうしてるかな。
あれは堅いです。気をつけないと歯がいかれます。歯根がくたびれます。
お大事に。
* 佳いお便りである。少し前に戴いたが、機械の不調で書き取れなかった。このメールに教わって黒目川の遊歩道を自転車で走ってきた。
2006 5・31 56
* 「あやや」につきまとわれたそうで、うらやましいかぎりです。
歯の痛みは完全にとれましたか。ケンピなら硬いのは表面だけで一袋食べても歯は痛みませんが(油をつかっているので胃もたれしますが)、「かたパン」のあの生姜のついた小さい粒を一どきにたくさん食べると、だれでも歯ぐきを痛めます。ケンピは「シブヤの芋ケンピ」がうまく、いずれ機会があればお送りいたしますが、そのときは胃もたれにご用心を。
オススメの本、購入いたします。晴耕雨読とはいきませんが、のんびりとくらしております。六
* ケンピは好きで、たしかに噛み始めの上皮は堅いけれど、なかは芋の柔らかみを残している。あれが土佐の名産とは知らなかった。妻が生協でときどき買うと、わたしはすぐ袋をあけて、ほぼ、喰ッちまう。過ぎると、胃もたれがする。「六」さんに戴いたのは、堅いも堅いも、石より堅かったから歯を痛めた。お医者は、こっちは虫歯もないんだし、なんで痛いのかしらと思案していた。
2006 5・31 56
* 梅雨前の貴重な晴れだそうですので、わたしは連日の洗濯、家の中に「風」を通したりしています。ここ数日、風が穏やかなんですよ。
風は明日から京ですね。お天気に恵まれそうです。きっと、いろんな花が咲いているでしょうね。
暑気にやられませんように、お気をつけて行ってらしてください。 花
* 梅雨入り前のひととき ゆめ
この晴天を利用していろいろ用を片付けねば。明日、あさっては親類の結婚式で家を明けるので何かと忙しいのです。図書館に寄って借りている本を返し、美容院、そして市役所まで。
『からだ言葉の本』、『こころ言葉の本』と表裏一体の二冊を読ませて戴いて、いつも何と無頓着に言葉を使って生きて来たのだろうと思いました。他にはないユニークな作品で、とても興味深いものを覚えます。
いま『冬祭り』を読んでいます。『秘色』をもう一度読んでみたくなって、図書館にネットで予約しておきましたら、もう準備できたとメールが入ってきました。先生の著作はかなり揃っていて嬉しいです!
初夏の京都も素敵でしょうね。どうかお気をつけて行ってらしてください。
2006 6・1 57
* 今日は30℃まで上がるとか。快調に自転車を飛ばしていますか。
延べ距離が長かったり、遠出での注意は予期せぬパンク、そんなアクシデントに遭遇します。交通事故は注意で避けられますが。
どこでそんなハメになるか分かりませんので、空気が少しでも自然に抜けている状態の時には、自転車屋で、メンテナンスをしてもらっておくのが良いかと思います。
パンクの自転車に乗れず、遠距離を引きずって徒歩で帰るなんて、無駄な労力、バカバカしくて、カッコ悪いですもの、経験上。
京都はもうすぐ出発ですか。
この時期は、平安神宮、神苑の菖蒲、上賀茂、太田神社の杜若が眼に浮かびます。京都の何処何処の花と、追うのは、父の影響です。 泉
* 自転車にパンクされ、ガタガタとそのまま乗って帰った覚えがあり、イヤなもんです。
* いつきのみこ 雀
河陽の頓宮は、淀ではなく山崎にあったのでしょうか。
JR山崎駅近くの離宮八幡は、嵯峨天皇造営の河陽離宮があった地とか。
斎王といえば伊勢…と雀はそう聯想するのですが、葵祭の影響で賀茂の斎王のほうが一般的に印象が強いでしょう。
賀茂に斎王を置くようになったのは八一八年、嵯峨天皇の御代のことでしたのね。。
伊勢は斎宮、賀茂は斎院ということも知りました。
有名な嵯峨野の野宮神社は伊勢斎宮が籠もったところで、賀茂の斎院は紫野に籠もったそうですが、これがどこか、地図を見てもお寺ばかりで分かりません。宿題だわ。
この週末に松阪市明和町で「斎王まつり」があります。始めた頃は地元の小さなイベントだったそうですが、群行の再現で知られるようになり、取材されているうち観客が増え、参加希望も全国からあったりと、年々大がかりになって、地域の人はひと月かかりきりになるようです。
こちらの斎王は一般公募で、群行のメンバーも応募して選ばれたボランティアらしいです。こんぴら歌舞伎のお茶子さんみたいなもので、平安朝の装束を着てみたいといった理由の人もあり、また、今年参加するという埼玉県の若い女性はテレビのインタビューに「大来皇女が好きで」と答えていました。
長岡京、平安京と遷って、伊勢への道筋も当然変わりましたが、明和町あたりは共通ですから、その地、その道に立ってみるだけでも相当嬉しいことでしょうね。 囀雀
* 明日の朝がまた早い。もう、やすむ。明日一日は、美術賞の授賞式、そして嵯峨吉兆での理事会。あさって、さっさと帰ってくる。
2006 6・1 57
* 運動から帰ってきたところです。
普段はそれほど汗をかかないので、運動して汗の出るのは気持ちいいです。
夏の運動は、うんと汗をかくと思います。
ヨガの方は、静かな動きなので、汗が出るという感じではありませんが、体がほぐれ、血行がよくなるのか、ラクになりますよ。
お電話ありがとうございました。
わたしは声になかなか出ないらしいのですが、とっても嬉しいのです。
もっといろいろお話ししたい。 花
* 京都で、ふっと電話してみた。電話というのがわたしも苦手で、どうもうまく話せない。陰にも陽にも、過剰になりそうな気がしてしまう。掛けられる方もメイワクではないかと思いこむ。
ほんとうは、いっぱい、いろいろに電話してみたいが。二十年間本を買いつづけて戴きながら、実際にはほんの数人ほどしか声すら聞いたことがない。その気なら北海道でも沖縄でも、海外でもすぐ掛けられる。心親しい読者がいっぱいあり、電話代が惜しいわけではちっともないのに。にがてなことは、にがてなのである。
2006 6・3 57
* あっと言う間にお帰りになったのですね。 お疲れ様でした。
日に日に暑くなってくると、あのうだるような夏からなんとか逃れられないものかと、つまらないことを考えてしまいます。
どうぞ目もお身体もくれぐれもお大切に。
いま暇があれば「ゲド戦記」を読んでいます。 のばら・従妹
* メールをいただいたときはストレスで胃をこわした友人を初瀬に誘い、与喜天神から長谷寺と、ぼたんまつりが終わったしずけさに包まれていたところでした。
そちらにもおわけします。与喜山の山気や景気、きれいな空気と水音を。
おからだお大事に。 雀
2006 6・3 57
* 大宇陀、吉野、川上、上北川村と行って、南帝山瀧山禅寺、北山宮、妹背山金剛寺にお参りしてまいりました。
金剛寺は役の行者が開いた、地蔵と十一面観音のお寺で、初めは「那阿珂寺」といったと。由緒の板書には瀧山寺を龍泉寺と記してあり、思いがけない龍や十一面観音との遭遇に喜びました。
今年は南帝王北山宮550年祭だそうです。「吉野葛」を読み返して眠ります。 雀
2006 6・4 57
* お忙しくお過ごしのこととぞんじます。日水展 昨日はじめて行ってきました。
やはり思ったより良くなかったでした。 窮屈な感じ。のびのびしたところがなく。
マットをもうすこし大きくいれるべきでした。部屋は9室で入ったすぐでした。
それでわざわざ見ていただくのは申し訳ないきもちで一杯でございますので、どうぞ無視なさってくださいませ。むしろ油絵のほうがましだったかもと自己批判しております。 郁
* 創作者が自信をもって公表したのですから、堂々としている方が自然ですよ。へんにイジイジと尻込みしていると、少し情けないか、少しイヤミになります。おおらかに、シャンとして毀誉褒貶には素直であればそれでいいのではありませんか。
ただ、あの写真で見た限り、わたしも成功作とはみませんでした。
かんじんの花が繪の真ん中で生き生きと存在を主張し得ていなかった。繪の何処に中心があるのか、何を観て欲しくて、他のあれこれが、どう、繪の中心・眼目のために効果的に働いているのかが、さっぱり分からない繪だと感じました。なんだか画面一杯にたくさん・いろいろ描かれているけれど、結局はそれらが寄ってたかって繪の中心を狭く貧しくしている感じでした。
花の描き方も粗末で、魅力ある美しい繪には成ってないなと残念無念でした、但し写真を見ての咄嗟の感想ですから、アテにはならない。
つまり相変わらず、モチーフがどうしたの、その配置がどうのと、「技術的」「構成的」に繪を造っているのでは。画家のふきあげるような美への献身や感動や批評の乏しい画面になっていますが、優れた繪にはやはり作者自身の感動があり、その強さが、観るわたしたちをも感動で動かすのですよ。
しかし、それにしても、泣き言はいけません。公表しておいて泣き言を言うのは、なまじな言い訳よりも卑怯になります。
土曜に京都から帰り、今日は家内と歯医者に行き、堀切菖蒲園と柴又帝釈天にも行ってきました。
それよりも、例の「盗作」問題についてあなたの理解を、ぜひ聴かせて下さい。 湖
* 晴れて暑いくらいです。朝は曇っていたけれど。今日明日くらい、このお天気がつづくでしょうか。
英語のあと、買い物をし、遅い昼食をとり、掃除もして、今やっとひと段落しました。
金曜は夜九時くらいに(富士山麓を)出発し、(実家の)岡山着は午前三時半でした。
土曜の午後は、旧閑谷学校を見に行きました。暑い中、歩きもしたので、ちょっと疲れましたよ。
そして、日曜の午後二時には岡山を出発。深夜に走った往路より一時間多くかかって帰宅しました。運転交代のため高速道路のサービスエリアに入っただけの、ほぼノンストップのトンボ帰りは、さすがに疲れました。
風も京都からのトンボ帰り、お疲れになったでしょう。
なにかおもしろいこと、ありましたか。
そうそう、インターネット接続の不具合はいかがですか。安定が望ましいけれど。 花
* 曇って照りつけもせず、そよ風もあり、過ごしいい日でしたよ。歯医者から脚を伸ばし、堀切菖蒲園でたくさんな菖蒲を観てきました。ついでに柴又まで行き、寅さんの「とらや」で草だんごを食べ、帝釈天にお参りしてから、一路帰ってきました。
このごろの楽しみは、機械で「最上徳内 北の時代」を校正し、MIXIの「日記」へ連載していること、つまり丁寧に読み返していること。
どこにも送り出していませんが、「秘色」「初恋」も、同様に読みなおしかたがた校正していること。気が和みます。
花は、桃の実には早いが、桃太郎の吉備団子を食べてきましたか。
藩校とは、お堅い見物でしたね。
車の旅は気がぬけなくて、さぞ疲れたことでしょう。
わたしの京都は、目的の用事二つだけ。授賞式と、理事会・宴会。宴会前に嵐山の夕景を、ほんの短時間眺めてきましたが、短時間でも、じつにいい気持でした。三次会は中学時代の先生(同じ理事)と、祇園で十一時頃まで呑み、ホテルではパタンと寝入って、夜中に起きて顔を洗いました。
朝はさっさと新幹線に乗って早く帰りました。 風
2006 6・5 57
* 昨日の熱田神社例祭に浴衣の女性をずいぶん見かけたと朝のテレビで言っていました。
ひりひりする日差しに外出先での冷房。お疲れはございませんか。おん身おいといください。
今朝、中野美術館にいってまいりました。招待のはがきをお送りくださいましたこと、心よりお礼申しあげます。
須田国太郎が5点も出ていまして、華岳は「林檎とさくらんぼ」「魚菜」「朝顔」。
学園前駅から下っていく道の傍一面に、実った小判草が、吹く風にくるくると実を返していました。魔法の杖で黄金の小判に変え、そちらに飛ばしたいですわねぇ。 囀雀
2006 6・6 57
* 東工大でもエレベーター事故とマスコミでわんさか報道があった。いちはやく、現役学生諸君のこんな「コミュニティ」コメントが現れていて、嬉しくなるほど、東工大センス。あつかましいが、コミュニティーの一員、元教授のご縁にも甘えて、紹介させてもらう。
* すずかけ台キャンパスにこのたびオープンした『J2棟』。 最新技術の粋を結集して建築されたJ2棟ですが、設置されているエレベーターは、次のような「特徴」を持っております。
①待ち時間は電車の待ち時間(田園都市線)とほぼ同じ。
②基本的に待っててもスルー(エレベーターのボタンを押してるのに、その階には止まらないシステム)。
③ドアが閉まらない。
④ドアが壊れる(表現が難しいですが、この前はドアが斜めになってました)。
⑤おもしろい音がする。
⑥エレベーターは3つ並んで設置されているが、それぞれの『能力』が異なる。
⑦ドアは手動
⑧左から『ガイア』、『オルテガ』、『マッシュ』と命名。『ガイア』が若干高性能。
⑨君の神経を逆なでする各駅停車ならぬ各階停止能力搭載。
⑩停止してドアが開いた際、エレベーター本体が<001>方向にずれていることが多い。これを分極と言う。
⑪報告によれば閉じ込められることもあるらしい。油断したら喰われますョ 。
⑫エラーが二つ重なると相殺される。
⑬教授も切れる
⑭待ち時間が惨いので、学生により椅子が2脚設置される。椅子の名前は『空条』と『花京院』。
⑮ビルディングの正式名称が『J2棟』から『相澤ビル』となりました。(注:文字数制限から、コミュの名前を変更させることができませんでした。)
⑯エレベーターは次元を超える。幻の23階が存在する。
⑰殺傷能力が高そう。
⑱『あんたなんか乗せたくないんだからねっ!』という哲学に基づいた設計。即ち『ツンドラー』
⑲人が乗っていないとすこぶる調子が良い。動かないなど、調子が悪いときは降りてみるといいでしょう。俄然やる気を取り戻します。
⑳業者の方ですら「だめだ完全に終わってる・・・」 と言った。
Ⅰ:異次元の23階に到着した後、1時間かけて24階(仮説ではビッグバンの起こる前の宇宙)に行くことができる。
Ⅱ:エレベーター入り口にある矢印は、エレベーターの内部自由度(通称スピン)を示している。シンドラーそのものはイジングモデルによって説明がつく。
Ⅲ:教授だけではなく学生も切れた。
Ⅳ:世論に後押しされ、コミュ名を『J2棟のエレベーターはおもしろい』から『本当は恐い、J2棟のエレベーター』に変更しました。そして30分で元に戻りました。
Ⅴ:記事にもなった http://jp.jinbn.com/2006/06/05230000.html
Ⅵ:朝日新聞の朝刊にも載った http: //www.asahi.com/national/update/0606/TKY200606050530.html?ref=rss
Ⅶ:もはや話が大きくなりすぎた。J2棟にキー局集結。
Ⅷ:愛ゆえに人は苦しまねばならぬ。愛ゆえに人は悲しまねばならぬ。シンドラーここに眠る。と思ったら、まだ生き続けるらしい。まだだ、まだ終らんよ。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060606AT1G0600R06062006.html
1階から10階に行く程度なら、体力と時間のリスクを考え、階段を使ったほうがお得と思えるこのスーパーエレベーター。
アコムとシンドラーはしっかり計画をたてましょう。
なお、J2のエレベーターとは生涯無縁であろう方も大歓迎です。
ガムあげるので(コミュニティに)入ってください。
2006 6・6 57
* さすがに疲れが出て、今日はこまめに休んでいました。
藤村を読みながら眠ってしまい、うなされましたよ。
もう深夜です。
風のやさしい夢を見ます。おやすみなさい。 花
* 藤村は何を読んで、うなされましたか。破戒 家 新生 嵐 ある女の生涯 そして若菜集を少し、ぜひ読んでおいて欲しいです。
富士から岡山までをノンストップで車で、なんて、若いねえ、ビックリ仰天です。疲れたでしょう、それは。よくやすんで、後遺症が出ないように。
花の優しい季節、いまは菖蒲、皐月。紫陽花も綺麗になってきます。六月の花束を胸に。 風。
2006 6・6 57
* おはようございます ゆめ
雨上がりの気持ちよい朝。いかがお過ごしですか?
今日はこれから町田市にある国際版画美術館「ケーテ・コルヴィッツ展」に行ってきます。ナチスへの反戦を貫いたドイツの美術家ですけれど、小品が多いにもかかわらず、その印象はとても大きいですよね。
版画専門美術館というのもユニークで楽しみにしています。町田駅から徒歩で15分ほど、広い公園の一角にあるようです。
南沢氷川神社の湧水池では、6月17日(土)「ホタル祭り」。
その前後一週間の夜間、蛍の輪舞がみられます。(自然発生しているものだけでは数が少ないのでたくさん放すのだと思います。)
* 町田ときくと地の果てのように感じます。そこに娘達が暮らしています。
版画というのも、比較的、気疎くてにがてです。歌麿や写楽や北斎や広重や春信らはべつですが。織田一磨のも好きでした。夢二も佳い。
苦手なのは西洋人のエッチングです。眼が衰えてきて、ますますダメ。おおらかなものが佳いです。
ダリの大きな美しいリトグラフを一点、信用できる画廊で、昔に買いました。息子が欲しがっています。
息子はときどきわたしの持ち物を欲しがります。ダリのほかに、ソファを。イタリア製、ゆったり二人掛け上出来の革ソファの催眠効果はすばらしく、あっという間に眠れます。昨日も自転車乗りをさぼって一時間あまり寝てしまいました。
佳い展覧会を楽しんで下さい。
蛍は、好きと言うより、なつかしい。たちまちに敗戦の年の丹波の、山奥の、真の闇を流れていた蛍の川が目によみがえります。南沢氷川神社までは何度か走っているのに、そこへまっすぐ行き着くことは出来ませんねえ。でたらめに走り回っているため。
* 蛍籠とうから夢とけじめなく というある女性の句を『慈子』という小説の中でだいじに使ったことがある。わたしは、この色紙の原句を、初め どこから夢とけじめなく と読みとり、どうやら とうから夢と が正しいらしいと気付いたが、色紙に添えられた淡彩の絵とともに、読み違えの句もなかなか佳いように、今も未練がある。町田へ版画を見にいった人から、今し方この句を書いて「夢の蛍」をまた語ってきた。『慈子』を思い出し、句も記憶していたのかと、ありがたい気がする。
* 東工大の学生や卒業生諸君が、ぶわっと目に見えてきた。MIXIへの足跡が、今日だけでももうこれまでの一日量より一気に倍以上になっている。グーンとあの昔が近づいてきたが、当時仲良しの学生諸君は、いまは社会人でとても忙しいはず。大方全部がいま学部や院にいる人のようだ。それがまた、昔の気分を思い出させる。
2006 6・7 57
* 藤村は「新生」を読み直しています。少し前は「家」でした。どちらも大作ですね。
作の中に、坐り仕事で腰痛がひどいと出てきますが、あれだけの長いものをいくつも書き、随筆もたくさんですもの、さもあろうなあ、と想います。
ついつい寝転がって読んでしまうのですが、いつのまにか眠りに落ち、はっと目が覚め、「いかん、いかん」と自己嫌悪し、頭をポカポカやります。小説がおもしろくないわけではないのですよ。
眠気対策に、今度は椅子に坐って読もうっと。
いま、ちょうどいい気候ですね。
こういうのがつづくといいのだけれど、ぐんぐん暑くなっていってしまうのでしょうね。
風のお好きなお店でお食事する夢をみます。ウキウキ、ワクワクします! 花は洋食が好きです。
* 藤村はえらいです。強いては奨めませんが「夜明け前」も名作です。
藤村と漱石と潤一郎という思いは、基本的に修正不用です、わたしの中では。
私小説では、藤村の大作はむろん大事ですが、「ペン電子文藝館」に入れた 嵐 など二作、言いしれぬ花=ファシネーションがあります。
読むのにたいへんな時間の掛かる超大作が世間には沢山あり、敬遠していると、「読みどき」を失し、人生の損になることもあります。見開き二頁ずつでいい、毎日必ず少しずつ読むと決めていると、とうてい読めそうになかった大作が、きちんと、いつ知れず読み通せていることは体験的によく承知しています。その一冊だけを一気にどんどん読もうとすると、かえって棒折れします。また、何冊も読むことができない。
読書を、シリーズでなく、「パラレルに出来るアタマ」ももつように。仕事もそうです。遊びの手は、広げすぎないように。
「北の時代」は、三冊本の第一冊を、MIXIの日記に、二十二回で転載し終えました。第二、三冊へと進みます。
読んでいる人は、たぶんいても二、三人でしょう。
目的は、読み直しと校正なので、それでいいのです。 風
* 2006年06月07日 23:23 めぐり合い
広い広いネットの中で、再び湖さまにめぐり合うことができました。
私は 別の島に棲んでおります。
姿を変えて 名前を変えて 湖さまの島の様子をときおり 拝見させていただいております。
* 幻の鳥が、ちいさく光る羽をまぢかへ落としていった。全く、分からない。それが、おもしろい。
2006 6・7 57
* オハヨ 早朝、ごみ棄てに出ましたら、栗畑の好ましくない匂いが鼻に付き、白い花も満開に。
栗花落の季節、今年も半分過ぎたんだ、と改めて刻の速さを思わせました。自然の摂理は見事なもので、いよいよの梅雨入りを覚悟させます。体調にも少し影響して、いやな季節、うまく乗り切りたいものです。
自転車をサボらないで漕いでますか。
何時も家中を加算して、二万歩は歩いています。走り回るバドミントンを加算すると相当量の歩数になりますが、その後のサービスランチで、もとの木阿弥、アダダダ ほな又 古稀の泉
2006 6・8 57
* 宗達の屏風に風神雷神図がある。光琳にもある。二人の近縁からしても、偶然一致の図柄ではあるまい。光琳は宗達を「盗作」したか。したとも言える。「模写」したともいえるが、そう忠実な模写ではない。むしろ彫刻と絵画というジャンルのちがいはあるが、三十三間堂本堂裏のながい通路に、夥しい彫刻群がならび、その中の風神雷神は、宗達の繪と、どちらかが「模写」ないし「盗作」したと思われるほどよく似ている。
黄不動と呼ばれる国宝画には、不動が空中に立っているのと岩座に立っているのとあり、不動像だけでいえば、寸分違わない。どちらかがどちらかの「模写」ないし「盗作」である。だがだれもせいぜい「模写」かとは言うても「盗作」とは言わない。そんな概念がなかった。
和田義彦氏の場合は、「盗作」である、素人なら百人が百人そう言い切り、わたしでも言う。
しかしながら美学的には問題が無くもない。「構図」というのが、絵画作品においてどの程度絶対であるかという問いかけは、少なくも学問的には有効である。結論がどう出ようとも、である。
真似られた画家によっては、構図ぐらい呉れてやるが、あの色遣い、あの線の引き方を盗まれては叶わないという秘儀が有るのではないか。そういう画家もいるのではないか。「構図」なんてモノは素人の領分だが、玄人にはもう少し別の秘密があると、じつは、素人にわるくちを言われる玄人は、やせ我慢か傲慢か知れないが、たいてい似たような言い訳をして「素人にはわかるか」と嘯いてきた。わたしのような素人の口の悪いのは、そういう言い訳を何度も聞かされている。ああそうですか、そこへ逃げるわけですかと何度も思ってきた。
* 和田氏の件ですが、あのニュースを聞きました瞬間驚き、あきれ果てました。あの国画会の幹部のあの方が、と。
一枚とは言わず何枚も何枚も酷似の作品が出てくるとは大きな衝撃でした。力のない私などでさえ、必死になってモチーフを見つけ、そしてそれをどう表現すればいいかと、いつもいつも悩んでおりますのに。
他人の絵を全くそっくりに描いて、どうしてそれが絵画なのでしょうか?
まじめに向かい合って入選 落選を繰り返している創作者の心をふみにじるどころか、落胆の底につきおとされたような衝撃! よーくこれで、ながーイ年月通用してきたものだと。又、文化庁の大きな賞をまんまと貰われたのかと。お役人のかたもなにをなさってこられたのかと、憤りの他ありません。藝芸術など存在しない、通用しない世の中になってしまったのか? やり切れない気持ちで一杯です。
そしてご本人の、盗作ではありませんと言い切る あつかましさ 神経のなさ! こんなかたが美術界を支配しておられたのかと。そう思うだけで公募展を含め、美術展の行く末のさびしさ! むなしさ! を感じ入ってしまいます。 今すこしで創作意欲を失うような事件ではないかと私はおもいました。
恒平先生の和田画伯へのご意見には、私は賛同することができません。ああいう見方もあるのかと? 驚きでもありました。自信の持てない創作者のつぶやきなのでしょうか?
つたないメールではございますが私の率直な意見です。ごきげんよろしく。 郁
* 例の盗作について、和田氏がどのように語っても「盗作」と世間はみなすでしょう。どのように彼のオリジナルなものが加えられているとされても、構図の、ものの形の、あれほどに同じは、駄目です。アマチュアでも恥ずかしい。今、藤田嗣治をみたところですが、他の画家の影響も感じられますが、盗作とは違います。 鳶
* あと、自分で繪の描ける親しい人は「藤」さん。どんな言葉が用意されているだろう。いちばん聞きたいのは「お父さん」画伯、そうそう、奈良にも繪の確かな旧友がもう一人いた。しまった、橋田先生にも聞いてくればよかった。
* 鳶は、「世間はみなす」と書いている。「世間」の一人として当然わたしもそう見なしている。ただ「恒平先生」は、いますこしべつの観点、「世間」ではなく「プロの言い訳」に注意を向けていたのだが。
郁さんはプロだし、鳶はセミプロである。しかし二人とも「世間」なみにものを言っている。むろんそれでいいけれど、もうすこし、ほほうという見方もあれば聴きたかった。
「私などでさえ必死になってモチーフを見つけ、そしてそれをどう表現すればいいかと、いつもいつも悩んでおりますのに。」
この郁さんの絵画制作姿勢に、わたしなど、やはりそれだけでいいのかなと、物足りない思いもする。「モチーフ」といえば、私など文学の徒は、やむにやまれない人生や思想上の動機をいうのだが、画家の場合、それは何の花であるとか花瓶であるとか人形であるとか敷物であるとか林檎や葡萄であるとか、を意味しているらしい。それらを按配し、画面上に構成して、線や色で描いて行くのが絵画であるらしい。
たしかにセザンヌの繪もマチスの繪もそのように描かれたかと見える。だが、それは画面上に「構成」されたのだろうか、リクツめくが「再構成」されたのではないか。この差はかなりの距離差でも深度差でもあろう。
安井曾太郎のバラは、バラというモチーフを「構成」した繪ではなく、モチーフをさらに「再構成」したからあんな藝術になりえているのではあるまいか。セザンヌもマチスもそうなのではあるまいか。モチーフの「構成」なら「構図」でたちどまる。「再構成」なら「構図」を超える。超えてしまわれれば「構図」なんてたいした問題ではないと、あの画伯は「プロの言い訳」をしているのであろうと、わたしは聴いた。但し「世間」はそんな言い訳を聴く耳というか眼というか、持ちあわせないし、実は持つ必要がないのである。だから、「プロの言い訳」は所詮「世間」には通用するわけが無くなる。和田氏の言い訳は「盗人たけだけしい」と聞かれるだけで、同じプロならかすかにも理解できるだろうが、それは世渡りにはヤバイ話でしかない。黙っているか世間に賛同する方が無難で「正しい」ということになる。わたしの観測である。
2006 6・9 57
* 卯の花は今そ盛りと…曾良は白髪の武将にたとえたそうですが、奥吉野の山肌のあちこちが白い花で埋まっていました。
「久しぶりに『吉野葛』を取出してみると、(中略) 今からざっと五、六十年も前の話である。読みはじめるとついおもしろくて、昨夜は遅くまで読みふけったが」云々とある白洲正子さんの「かくれ里」を、“それからおよそ四十年―ダムとトンネル、ゴルフ場ができたが―”と心の中でつけ加え、谷崎の「吉野葛」のあとを読み返し、楽しんだところです。
あやめ池の中野美術館に出かけた日、秋篠寺に立ち寄って昼遅くに帰りました。梅の実が大きくなって、地元の方は「梅雨に入る暑さですよ」とおっしゃいましたが、西大寺駅前からバスで2停留所目の秋篠寺へ、“これくらい歩けるわ”と思ったのが油断でしたの。雲はどんどん空から消え、日陰のないアスファルトの道にバテました。
片道1時間の電車と、美術館の冷房もこたえ、帰宅して2~3時間ノビました。
昨日、伊賀も梅雨入り宣言が出て、今日は長袖にカーディガンという肌寒さです。
そちらも雨と低温のようですね。くれぐれもお大切にお過ごしください。 雀
2006 6・9 57
* 育てようなどと考えるほど、わたしはアホウではありません。自分で自分を育てて育つのでなければ、育ちようがない、それが創作です。
自分で分かって行くしかない一番肝腎なことを、人に聞いて分かろうというのでは、話がうますぎるのです。
あなたの小説にはいわく言い難い強い可能性があります、が、その作者に、やわらかい自由自在な精神で、ねばり強く立ち向かう根気、すみずみまで間違いなく仕上げて行く根気、が足りない。句読点や改行の一つまでも、これでいいのか、違うのと違うかと、謙遜に考え直し直し、緻密な集中力で隅々にまで確かな想像力を働かせ、表現しぬく気力。
それは本来、健康で強い脚力に喩えられる人間力です。堅実に太陽の下を歩きながら考えることの出来る元気です。夢魔と仲良ししながら書いていては、立ち上がれない。闇はちいさな光りにも追い払われる。光りの中で深い闇をとらえなくちゃ。
全身をみずみずしく働かせ、からだが健康な歌声に満たされるように。それが、作品に生気と生彩とをリアルにあたえるでしょう。
あなたには、こういう抽象的と聞こえそうな本質的転換がだいじなのだと思っています。あなたは、まだ絶えず自分を弁護し、弁論し、守ろうとしている。いまのままを肯定される都合のいい「つっかえ棒」ばかりを欲しがっている。本当の苦い良薬は嫌っているように思われます。
2006 6・9 57
* もらった子猫を獣医さんから連れ帰ってきましたが、ただいまグランドピアノの下の奥深く、本当の隅っこに入り込んで、おとなしいこと、カワイイことったら。借りてきた猫状態です。信じられない狭い空間に入りこむので、鈴でもつけていないと居場所がわからなくなるかもしれません。
狭いマンションゆえ、グランドピアノの下は収納場所でもあります。そのほうが防音対策にもなるのです。バッハだショパンだベートーベンだと数ある楽譜を収納した二段の棚と、昔のアルバム類がいっぱいに置いてあります。棚の楽譜のわずかな隙間に入り込まれてしまいました。たまにそこから出てきて、こちらの様子見をしているのがおかしいです。早速木張りの壁もひっかいてます。三日くらいは馴れないと、本に書いてありましたが。
それにしても、あんな私の手の届かない暗い所で、円らな瞳を向けたままこのまま出てこないつもりだったらどうしたらよいのかと、ピアノに何度も頭をぶつけながら、不慣れな飼い主は気を揉んでいます。
何もわかっていませんが、とりあえず、健康的に、子猫一匹と悪戦苦闘しつつ仲良く共生する毎日を目指します。神経質なので、ほんとうは生き物を飼うのは不向きかもしれませんが、なぜかその方向に人生の流れを感じたのです。ずいぶん自己変革するだろうという予感ありますよ。猫との出逢いも深い縁だと思っています。それにしても早く出てきてくれないかしら、子猫ちゃん。 春
2006 6・10 57
* 思い立って髪を切りに行ったのですが、こちらの希望と大きく異う仕上がりで、ウーン、と眉間に皺を寄せています。気の張る大事の用をひかえて行ったのに。
富士山麓に越してはじめての散髪でした、「あの店には二度と行かない」と、きっぱり決意。美容院選びは難しいんです。丁寧に話を聴いてくれる美容師さんのいるところがいいですね。しばらくは、あちこち試してみることになりそうです。
髪よ、早く伸びて! と思います。
風は、いかがおすごしですか。
わたしは最近、ちょっと辛い肉味噌を作りだめしておき、(風のお嫌いな)茄子のみじん切りを混ぜ、うどんに絡めるのが気に入っています。
ちょっと前は、ベーコンとキャベツのナポリタンスパゲティにはまっていました。こんなに元気ですよ、 花は。
* けれん味のすこしもない、さっぱりした「私民」生活。地の塩。
* 梅雨空 どんよりと曇っていますが、洗濯物はスカッと乾いています。モーッアルトのポピュラーなピアノ協奏曲を聴いています。気分が落ち着く好きな曲です。
五十五年前に机を並べた親友が、ばりばりの京都弁メールを送ってくるので、顔が緩みます。
今晩は頑張って十二時まで起きてサッカー を観ます。この第一試合に勝つと後が楽しくなります。
八年前の確かフランスで開催されたワールドカップの折、イタリア旅行中に遭遇し、あちらの人達は仕事を放り出してテレビに噛りついてのお祭り騒ぎだったのを思い出します。
快適に過ごしていますか。 古稀女
* サッカーのオーストラリア戦は見てみよう。前後を通じては見なかったが、幾つものゲームをテレビで楽しんできた。今夜は楽しむよりは、よほど息をつめて前後半戦にかじりついてみよう。
* 金澤の細川画伯と先夜ながなが電話で話したあとへ、今日長い手紙と何枚か最近の画蹟を、丁寧な写真に撮って送ってきてくれた。眼をうばう、みごとな風景画、そして花の繪。嬉しい。よく描いた。さすがである。原画を一枚でいい、買いたくなった。リヒアルト・シュトラウスの歌曲「FOUR LAST SONGS」をエリザベス・シュワルツコップの歌っているCDも贈ってくれた。このごろ、始終これに聴き惚れていると。感謝。
2006 6・12 57
* 光ファイバー 変更は無事お済みでしょうか。メールは限界はあるものの大切な連絡方法ですので、支障のないようにとお祈りしています。
『猫と庄造と二人の女』は感嘆して読んだ記憶があります。猫が飼ってみたいと潜在意識の中に植えつけられた小説ではないかと思います。今読んだらもっと面白いと思います。猫の魅力を描ききって官能の奥までなつかしく響く見事な作品でした。
その仔猫は昨夜から急に馴れてきたらしく、足元まできては、グランドピアノ下の自分の場所に駆け戻ることを繰り返しています。顔をみてはあわてて物陰に入るので、隠れんぼしているようです。かわいい暴れん坊将軍ですわ。いえ、女の子だから「荒姫嬢」です。 春
* 明日はひとりで歯医者に。どこかで昼食して、校正してから帰ろうと思う。今夜は、残念やすみしよう。
2006 6・12 57
* ゆうべの サッカー、日本チームのよくないところが出ていましたね。残念、無念。
もうあとは、海外のいいチームの、すばらしいプレーを見るのを楽しみとします。
あさってから一週間、ずっと雨の予報が出ていますね。機密性の高いマンションなので、湿気に注意せねば。
その前に、明日はちょっと晴れ間もあるお天気とか。命の洗濯もしっかりしなくちゃ。 花
* 先日来の和田画伯の件について、こういう友人の意見を耳にしました。
彼女はもともと和田氏の絵がとても好きで、いつかの画廊でみた絵など、買いたい欲しいと思ったほどで。しばらく考えたそうです。小さな花の絵で、本気で欲しかったそうです。
こんな事態になってとても残念、どうしてあんなに力のある画家が真似たりしたのか? イタリア人の絵よりもよほどすばらしいではありませんか? 引き込まれるような絵であり、けれどあれ以降は、どこへいっても外されていて、見ることが出来ない、残念残念 との意見です。 郁
* 金澤在住の「お父さん」も長い手紙をくれたが、これはもう手紙そのものが難しい。
* わたしにも、もう一つの意見がある。京都美術文化賞の候補にノミネートされてくる画家の中にも歴然と実在するが、スケッチしないで写真を無数に撮り、それをアレンジしている、ないしそっくりそのまま構図にしている例は、あれもいわば自然からの、又は写真からの「盗作」に準じはしないか。
わたしは、写真に頼ってスケッチしないで描く画家を、少なくも現在のところ、全く認めないでいる。もしこれを認めて、「依写真絵画」を容認するなら、人の構図をつかって人の原作より遙かに美しく仕上げる道も容認しなくてはならなくなり、盗作問題はややこしくなる。
海外へ旅して、スケッチのかわりに写真を撮りまくり、帰国してから写真を繪に置き換えているだけのプロの画家は、人数まで特定は出来ないが、かなりいることは画蹟が語っている。わたしは、依写真絵画の美術的な値打ちを、ほとんど認めていない、よほどの藝術的加工と変容の段階を経たモノは別にしても。
わたしが、和田氏を弁護はせず、しかも彼の弁明や実作がかかえているらしい美学的課題性に、まだ、いまも着目しているのには、「依写真絵画」のことが念頭にあるからである。
2006 6・13 57
* 雨でないがすこし風の音。
* 「居酒屋」録画しようと思っていたのですが、忘れました。「モンテクリスト伯」と共に、残念。
オーストラリア戦で激しい当たりにやられた日本選手、ちょっと心配ですね。試合中、すでに動きの鈍かった中村選手は、太もも打撲で、まだ合同練習に出られないみたい。彼は、いちばんマークされていましたからねえ。普段、むくつけきスコテッシュの中でバリバリプレーしている中村選手が、立てないほどにされてしまったなんて、オーストラリアの当たりは、相当強かったんだなあと、改めて思いました。(公には言えないでしょうけど。)
ま、日本の一戦終わって、わたしもラクになりました。
きのうのスペインとウクライナの試合、スペインに四点取られた初出場のウクライナが、最後まで精一杯プレーする姿に感動しました。日本もそうでしたね。力いっぱい戦う選手たちに、敬意を表します。
ご無理なさらず、日々お過ごしください、風。 花
2006 6・15 57
* よく降りますね。関西の今日は日照りというメールが来ていますから、もう回復するでしょう。枕元に置いた携帯からの着信音楽を子守唄のように遠くに聴きながら寝てしまいました。早寝の婆ちゃんです。
「モンテクリスト伯」もルネ・クレマンの「居酒屋」も録画で、眼を据えて観ました。
昔に観た同じ「居酒屋」は、喪失感で抜け殻のようなマリア、シェルの最後の一シーンしか記憶になかったのに、と。そして同じ原作者エミールゾラの「ナナ」が、後編のようにポランスキー監督で、佳い映画に作られているのですね。
好みの映画が似ているのか、ほぼ同じものを観て、感動しているようです。昨日のお昼は何度目かの「フレンチカンカン」を楽しみました。
常は家事以外は何に追われて暮しているワケでもなく、今は孫絡み以外は、昔から細かい手仕事が好きで、何かに熱中し始めるとすぐに夕方になります。 泉
* この辺は大過なく雨も通り過ぎたようだ。
* 河出朋久氏の「白葉集第三」や、若い作家朝松健氏の小説を、戴いた。栃木の佳いメロンを五つも戴いて、一つ賞味、とてもうまかった。
2006 6・16 57
* 「湖の本」20年のお祝いをお送りいたします。名張のもなかと三笠、つぶあんです。明日、黒猫がお届けにあがります。お納めいただけましたら幸せ。 雀
* 餡ものは大の好物だけに、ウーンと呻きながら、明日が楽しみ。そして明後日は桜桃忌。太宰賞をうけて三十七年のいわば誕生日。山形から贈られるすばらしい桜桃が今年も楽しみ。
2006 6・17 57
* 朝、まっさきに山形の美しい桜桃が贈られてきた。嬉しい。三十七年目の誕生日である。なんとその後半の、二十年間もわたしは「湖の本」を出し続けてきた。そういう作家なのであった、わたしは。それはわたしの非力の証明でもあり、わたしの「自由」というものでもある。
* 20回目のお誕生日おめでとうございます。
イチローの「通過点に過ぎない」を思っています。
四角いベースを一つ踏み、二つ踏みして五角形のホームベースに滑り込み…いいえきっと両足でポンと踏んでホームインなさって、そしてまた次の打席にお立ちになると信じてこの20回目のお誕生日をお祝いいたします。
なにより、たのしい。居待ち立ち待ち心待ちのたのしみなのですから…。雀にも、一刷け一刷け塗り重ねられてきた二十年弱であることをあらためてありがたく思います。冥利に尽きることです。
心よりあつく感謝申しあげ、ますますのお幸せとご平安をお祈りいたします。 囀雀
* 読者のみなさんにこころより感謝申し上げる。
2006 6・19 57
* ペンクラブのこと バグダッドのこと
昨日、「リトルバーズ」という映画の自主上映会が当地であり、そのスタッフの一人として一日中、立ち働いてきました。
この映画は2003年、アメリカ空爆を受けているバクダッドを取材したドキュメンタリー映画で、アメリカに破壊されてゆく街が、殺されてゆく市民の映像がすべてで、ナレーションも音楽もありません。語りは幼子を空爆で殺された父親の叫び、不発弾に触れて片腕を失った息子に「わたしの腕をやりたい」と泣く母、アメリカ兵に「帰れ帰れ」と叫ぶ群集、ただぼろぼろと涙をこぼしながら何かつぶやく老女等々。
このほか、マスメディアの伝えないくさぐさが語られていました。
観ていて、かわいそうと泣くどころではない、何とも、言いようのない憤りに身の捩れる思いでした。
しかも自分が、イラク市民に塗炭の苦しみを与えている側に属している一人であるということ……。
この二月にこの映画の製作者はバグダッドへもう一度行ったそうです。事態はもっともっとひどくなっていて、当然のことながら殺戮者に同調している日本人はイラクの人の憎悪の対象となっていて、ホテルから外へでることも危険、取材などできない状態になつていた、と、これは上映会とともに催した講演会でのお話です。
今、「闇」に置かれたことば――ペンクラブの在りようについて――を拝見しました。
毀れてゆく。砂山が少しづつ崩れてゆくように……。
疲れ果てている今の心には、砂の崩れゆく音を聞いているしかない、ような気がしてきます。
意気地のないことを申してしまいました。
今も幼いむすめの亡骸を抱いて号泣しているバクダッドの若い父親が見え、その彼がみるみる憔悴してゆくさまがまざまざと浮かび、「人間は知識や理性を深めるために生まれてきた。人を殺すためではない」と、語った声が耳に残っています。
あの父は今、どうしているかしら。生き残った末むすめと妻と三人で、ちやんとごはんが食べられているるかしら。 香 ペン会員
* まさしく、こういうことである。
「かわいそうと泣くどころではない、何とも、言いようのない憤りに身の捩れる思いでした。
しかも自分が、イラク市民に塗炭の苦しみを与えている側に属している一人であるということ……。」
言うまでもない、「苦しみを与えている側」とは、「日本政府」である。「日本の私民」ではないのである。このイベントは日本の「私民」たちが手弁当で実現している。もしこれを文化庁に頼んでもこの映画上映こそ即座に拒絶されるだろう。つまり日本ペンの今回の文化庁との結託は、そういう目に遭わされたのである、資金供与を頼みにしたが故にである。
* きのうの試合は、引き分けましたが、みなよくがんばりました。
決定的な場面をいくつか逃しましたが、W杯も三度目になれば、厳しいグループにも入ることもありますし、ほかの国の試合を見ていますと、どこも強く、「日本が勝てそう」と思えるところがありません。
勝敗うんぬんより、大舞台で、強いチームに精一杯ぶつかっていくことの素晴らしさを感じます。
今日は少し晴れるかな、と予想し、今、洗濯中です。 花
* 勝てなかったのは惜しいが、熱戦を見終えてわたしは清々しかった。清々しくないのはマスコミをあげてのバカ騒ぎぶりである。あの、声を限りに熱中している有権者諸君・諸兄姉が、総選挙などにきちんとみな投票所へも行ってくれるのなら、どんなにか日本は健全なバランスを得るであろうか。
* くたびれ、そして昂奮している頭で、ごちゃごちゃ書きましたものを、お取り上げくださり、ありがとうございます。
上映会はおっしゃる通り、手弁当で何ヶ月もかかっての作業ですが、今度は一つの異変、いやなことがありました。今までこうした上映会のとき、市の後援を得ていました。市の後援といったところで、ビタ一文の援助もありません。ただ、市の後援を得ていますと、公民館などに映画のポスターが貼れ、チラシが置かせてもらえるのです。
メリットはそれだけですが、宣伝といっては、会員のクチコミと、本屋さんなどで賛成したくださるお店にポスターを貼らせてもらうくらいしかできませんので、市立のそうした場所を利用できるのは、とても助かることなのですが、今度は断られてしまいました。
今までも反戦、反体制の映画をずいぶん上映してきました。けれど、一度も「後援」を頼んで断られたことはなかったのになぜ、と「後援」の申請に行った人が問うたのですが、窓口の職員は「いろいろな考えの人がいますから」というばかり、取り合ってくれなかったそうです。
市が今までわりとのんきに「後援」していたのは、べつにわたしたちのしていることに賛成してではなく、「後援」というお墨つきを出すことで、文化運動に理解がある、と思わせる効果があるとおもったから、ということはわかっていました。
しかし、事態はいまや、そんなのんきなものではなくなった。もっときな臭くなっていたのでした。わたしたち映画大好きどもが共謀罪のターゲットになるのに、さほど時間はかからないかも知れない――。
個人情報保護法を楯にとって、市民に情報を与えない一方で、グループの集まりのために公民館の施設を利用しようとすると、「会員名簿を出せ」。
これで、やーめたと投げ出してしまえないところが、つらいところであり、おばかさんなところでもありましょう。
今、申し込んであった七月の歌舞伎座のきっぷがとどきました。頼んであった夏のきものも仕立てあがったと電話がありました。気を取り直しましょう。 香
* 「公」に対して「私」たちが、もっともっと毅然とした対決姿勢をもち、「私」たちのための「公」である大原則をしっかり貫き守り抜いて行かないと、とほうもないことになる。いや、もう、なっている。
今は、まだしも、子々孫々の時代が立ち直れないひどさになっているという見通しも持てずに、人間より犬や猫を可愛がっていたのでは、冗談じゃなく「愚や愚や、われらをいかにせん」と衰亡の歌を奏でねばならなくなる。
* 秦恒平様 いつも私語の刻を拝見しています。 在英国 読者
「リトルバーズ」というバグダッドの実情を紹介した映画の自主上映会に携わった方のことを、今日ご紹介されていました。泣くどころではない、何とも言いようのない憤りに身の捩れる思いでした、という感想に大きく頷きます。
問題は、その現実を、日本ではいかに伝え、それをどのように受け止め、そしていかに行動するかという所に広がっていきます。自主上映だけではなく、メディアでは広く取り上げられているのでしょうか。
こちら(英国)では同様の番組が放映されることがあります。それに触発されて書いたものを二つ添付いたします。
* ある現実 2006/03/22 (水) 00:27
イラクの復興資金の行方を追う番組を見た。前独裁政権が隠匿した資金などで、その使用については国連決議で米英に託された。金額は230億ドルとなる。アメリカ大統領がイラクの電気水道学校病院など公共施設の復興に我々は最大の支援をすると演説している姿が、画面に流れる。
では実際はどうか。若いイラク人医師が医療施設を中心に検証していく。援助資金で新たな病院の建設が行なわれる。建設工事は現地の会社を使ってアメリカの企業が請け負っている。しかし病院は開業目前であるにもかかわらず、至る所に欠陥がある。最も清潔であるべき手術室に下水が溢れている。
新しい病院だけではない。資金と人材が不足し、施設は老朽化したままである。下水道設備の復興が遅れているために乳幼児に下痢が多発するが、医療品も欠如している。注射針も十分になく大人用の太い針が小さな子供の腕に使われる。
イラクは医療の上で発展途上国ではない。中近東の模範となっていた。しかし占領後の連合軍暫定政権は、保健衛生行政の衝にある人々を独裁政権に関与していたとして排除する。終戦後の日本の公職追放と同じである。その指揮をしていたのは、保健衛生の経験のないままブッシュ政権に任命されたシカゴの人物である。
*
復興資金はどうなったのか。仕事に関与するのは、チェイニー副大統領の関与する企業を始めとしてブッシュ政権に近い個人・企業ばかりで、政治的論功行賞である。工事を請け負った会社は、間に幾つもの名ばかりの会社を挟んで、原価を10倍に膨らませた請求書を政府に付け回してくる。それに対する調査はまだ行なわれていない。
特にイラクに政権を返還する直前は、とにかく使ってしまえとばかりに大量のドル資金が、連邦準備銀行から現地に持ち込まれている。
数百万ドルを渡され、返還前の1週間でとにかく使い切るようにという指示が出される。使ったという事実だけで、それがいかに使われたのかは問うていないのである。結局のところ資金の多くは米英の企業に流れたのである。実際にイラクに使われたのは20億ドルという。
駐イラクのアメリカ大使が漸くインタビューに応ずる。にこやかに流れる如く説明をする。口だけが動いている。先のシカゴの人物が鉄面皮に話している。
*
イラクの病院では、医療機器も不足して未熟児が何人も古い保育器に入れられている。その未熟児のためにビタミンKを入手しようと、若い父親が市中を駆け回る。医師はこの未熟児の口元に直接チューブをあてがう。これでは駄目なんだがね、といいながら。必死で2つのアンプルを手にして父親が戻ってきたときには、月満たずして生まれた子供の息は止まっていた。
番組にこれほど涙を流し、怒りに震えたことはない。
* イラクの3年 2006/05/09 (火) 23:04
朝霧の中を歩く。林の梢の緑は少し濡れて一際みずみずしく感ぜられる。村を出ると、広い畑は見渡す限り咲き揃った菜の花に覆われている。この花の独特の匂いを吸い込みながら歩く。色々な鳥が啼き交わし雲雀が畑の上で高くさえずっている。春はにぎやかである。
木の下で小さな卵の殻を拾ってきた。雛は孵った。淡い翡翠色をした殻だけが今机の上にある。
*
田舎の春はのどかであるが、世界はそればかりではない。それにつけても、と前夜のテレビを思い出した。イラクの独裁政権が崩壊して3年となるが、その現実、特に女性たちに突きつけられた日々を、イラクの2人の女性が取材した番組である(Channel 4,Dispatches: Iraq – The Women’s Story)。護衛もつけず自分たちだけで米軍からも武装勢力からも身を守りつつ、3カ月に渡って手持ちのカメラで撮影をしているのである。
ただ一人で被災者に救援物資を集めトラックを手配し西の町に送る女性。物資が送られる町は武装勢力がいるとのことで米軍に破壊され、そうでなければ自分の家で普通に暮らすことのできる3千世帯の人々が、難民となって、テントで暮らしている。町の中央病院も完全に破壊されている。物資も限られている中で敢えてその町に赴き妊産婦の面倒を見る女性医師。
その女医のもとで働いていた救急車の運転手は、救急車ごと米軍の砲撃に遭う。救急車はばらばらになり、運転手は無論助からない。
あとには生まれたばかりの乳児まで含めて7人の子供のいる妻が残される。
南のバスラにも行く。家を壊されても行くべきところはなく仕事もなく、かつての競技場に集まり暮らす人々。低所得の住民ほど被害は大きい。橋は壊され人々は渡し舟で行くしかない。それすらテロの恐れがあると米兵は阻止する。人は日々自活するために川を渡らねばならないのである。
*
至る所に弾痕がある民家、完全に押しつぶされた公共建物、廃墟となった町。これほどに徹底した破壊が許されるのか。イラクでしていることと、大国の主張する自由と民主主義とはどうつながるのか。
アメリカの侵攻に、独裁者の圧政から人々を解放し自由を与えるか、その他どのような大義名分をつけようとも、イラクに住む人たちの現実の生活は3年前よりも確実に悪化しているのである。
これは気楽な番組とは違う。テレビの番組編成は深刻なものばかりでは成り立たないことは分かるが、このような真摯な態度の記録を採り上げるところに懐の深さを感ずる。
さて日本ではどうであろうか。
2006 6・19 57
* 毎日毎日 出かけてばかりで、やっと座ることができました。
油絵のご批評、やはり! そうですよね! 重苦しく 暑苦しい作品ですよね。私もややそんな気持ちで出品したのでしたが。
先生は(いいですよ!)と、はじめて褒めてくださいました。本当にかしら? と、私自身すこし驚きましたのでほかの会の先生に伺いましたら、あまり良い評価はされませんでした。一番尊敬している先生に伺いましたら、いい線いっているんじゃない、これを100号にしたら? といわれました。今すこしじっくりと眺めながら本画に入っていこうと思っております。
7月9日ごろまでに2点 草稿ぐらいにやらなければなりません。研究会があって先生がたが指導してくださいます。
やむにやまれぬ衝動に駆られて描かねばならないのでしょうが。作品 作品 制作 制作とばかり伝わっているでしょうね。これでは観てくださるかたに感動など伝わらないでしょうね。
追われて追われて描いている。そんな現実に疑問が残っています。恒平先生は、はがゆい! といつも思っておられるでしょうね。いくらいってもそれの答えは返って来ないと。しかし私にとっては目からうろこの部分も確かに最近はあるのですが、中々到達できないもどかしさを、いつも持っております。ながーく、み守ってくださいませ。あきれ果ててられることでしょうが。 郁
* この人も、まぢかに古稀を控えながら、娘のような初々しい素直さで健闘し、いよいよ「画家」になってきた。繪はたしかにまだ、美しい! と手を拍つに至らないが、姿勢はとても懸命、趣味の「お絵描き」どころではなくなってきた。なにしろ高校時代に一応専門の美術教育をうけてきており、或る意味それが邪魔になっていたか知れないが、技術的に繪を「つくって」行こうとする。画面をああかこうかと按配してしまう。その作業の間に画面が重くくらく描きすぎに沈んで行くのがビョーキみたいだが、プロの先生にはまた別の指導があるのだろう。
* 「生活と意見」を拝読しておりますと、多量の迷惑メールに悩まされている由。以下のことをするだけで、大幅に(完全とまではいかなくても)減らすことができると思われますので、よろしければお試しください。
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などの拒否設定も有効です。
ご自分のところによくくる迷惑メールのアドレスを観察して、そのアドレスに共通して使われている文字列をここにどんどん足していくことで、迷惑メールを大幅に撃退できます。
さしでがましいかもしれませんが、もしお役に立てればと思いましてメールいたしました。 「私語」読者
* ぜひ試みたい。このために、いくらか削除してはならない人のメールが来なくなるオソレがあっても、もうそれに拘泥していられないメイワク状態で、また感染なども引き起こされていると思われる。
ご親切 感謝申し上げます。
2006 6・20 57
* 「湖」にご紹介くださいましたおかげで、存じあげないおひとの目にとまり、ご感想・ご意見を承ることができました。ありがとうございます。
イギリスのメディアと日本のそれとの、雲泥の差にうちのめされました。
新聞の第一面のトップ記事がサッカー、に、腹を立てていましたが、あれは、目くらまし? たいせつなことは何ひとつ伝えない。「社会の木鐸」ということばを知ったのは少女の頃ですが、今や死語となり果てたようです。
ここでくたびれてはいけないのですが、無力感に沈んでしまいそうです。 香
* 「無力」は「私民」の足場です。悪しき「公」のつねにおそれ企むのは「私民」の無力をどう好きにあしらうかであり、あしらいきれるものでないと知っているから、躍起に法・悪法を作り出す。どんな法もしおらしい顔と美しい名前で制定しておき、野放図に拡大解釈・悪用し、さらに平然と悪改訂を加え、「私民」子々孫々をまで、がんじがらみにしてしまいたいのです。悪魔メフィストフェレスの此の明察は、おそろしいほど的を射ています。アンドレ・モロワの喝破した、「インチキは、法と連れ立って来る」というのも怖ろしいまで正確です。
「無力感」に沈む「重い」意識は、無力感ももたず日々舞い上がり舞い遊んでいるよりも、それだけでも「力」なのです。この「力」の結集がどんな反撥と抵抗のエネルギーに転じうるかを、支配権力は歴史的によく知っていて、だから内心恐れています。あのなりふり構わぬ支配欲がよく示しています。せめて草臥れ過ぎないようにしましょう。
2006 6・21 57
* 雨が激しくなってきました。お変わりなくいらっしゃいますか。
亀岡へのバスツアーは、関から鈴鹿越えに土山、水口、石部、栗東と国道1号線を行き高速道に入って、音羽山を左に見て逢坂と蝉丸のトンネルをくぐり、山科四ノ宮で再び1号線に合流。花山トンネルを抜け清閑寺を右に、五条、桂と走り、沓掛から亀岡へは高速道を使いました。
帰りに花山寺(元慶寺)と遍照のお墓にお参りして、同じ道を引き返し、名張駅前からきっちり12時間で往復しました。
1736年刊「大和志」で、奈良の頭塔を大納言良岑安世の墓とする伝が記されているとのこと。遍照の父ですわね。奈良にゆかりがあったのかしら。
かゝる世に生れあふ身のあな憂やと 思はで頼め十声一声
菩提山穴太寺の三方それぞれ借景が異なるお庭に歓声をあげながらも、ついつい室内の額や床の間に目を配ってしまい、一室の床の間に立て掛けられた額入りの錦繪に足がとまりました。
黒っぽい風呂敷包みのようなものを左手に抱えて、右手は柳の枝をつまんでいる女性に後光が射していて、左下には蚊帳内で病を得た女性が起き上がって拝んでいます。
利生譚でしょう。“辰女”と書かれています。龍女でしょうかしら。
中国風の門をもつ花山天皇落飾道場元慶寺は、狭い境内ながら濃まやかな苔と新緑に満ち、桜花と紅葉の季節はさぞかしと思われました。
翌日、女友達を長谷寺に案内し、花山寺との縁に驚きましたわ。
本尊の十一面観音像は徳道上人が近江国高島から琵琶湖に流出した楠の巨木から二体造り、神亀4年(727年)長谷寺で開眼。このとき玄ボウが呪願師を勤めたと扶桑略記にあるそうです(彼は在唐中)。一体は衆生救済のため海へ投じられ、736年に横須賀に流れついて、鎌倉の長谷寺本尊になりました。
徳道上人廟は長谷寺参道の途中、法起院にあります。
西国三十三所番外だそうで、お香の煙も金鼓の音も絶えません。
閻魔大王から三十三の宝印を授かって蘇生した徳道上人は観音霊場を拡めようと努めるのですが、誰も従うものがなく、落胆して摂津の中山寺に宝印を埋めてしまいます。それを掘り出したのが花山院。
花山天皇が西国三十三所観音巡礼のはじまりでしたのね。そういえば花山寺に西国三十三所番外とありましたわ。あの賑わいはご朱印をいただく人の列でしたの。
いくたびも参る心ははつせでら 山もちかひも深き谷川 雀
* かゝる世に生れあふ身のあな憂やと 思はで頼め十声一声(とこえ・ひとこえ)
* 涙が溢れる。
* 出家した遍照が長谷寺でお籠もりする妻と隣り合わせたことがあったそうですね。長谷寺が建っているのが小初瀬山。大初瀬山は与喜山。その天然記念物の原生林、与喜山も今地主で、滝蔵が本地主といいます。滝蔵神社は権現桜とよばれる古木も魅力的な、根源的なちからを感じる処で、滝蔵からさらに川を溯ると大来皇女が伊勢に行く前に籠もった泊瀬斎宮伝承地、小夫天神社があります。
門前町が一段とキレイに整い、お寺のパンフレットもカラフルに大きくなっていて驚きました。
今まで参道をぶらぶら歩くことはあっても、両側に次々現われる社寺の一寺一社をゆっくり見たことがありませんでした。
初瀬川と吉隠川の河合にひっそり鎮まる長谷山口神社。その先に愛宕社、法起院。法起院の左奥に多羅樹が添って十三重の石塔が立ち、あたりに甘い香りが漂っていました。招魂木(オガタマノキ)に花が咲いて、反魂香よろしく惑わすようなとろんと粘った濃厚な香りを放っています。
天神橋を渡ると与喜天満宮。土産物店の続く道はこの橋を渡らず左折して仁王門に至ります。朱鳥元年(686年。天武天皇が発病し崩御した年号ですわ)、天武天皇のために川原寺の道明上人が「銅板法華説相図」を初瀬山西の岡に安置したことが長谷寺のはじまりで、仁王門を入ってすぐ右手に道明上人の廟があります。
仁王門は一条天皇の御代に作られ、わずかののち、1039年に、観音の霊験で子息の病が恢復したお礼にと、春日社司中臣信清が登廊を寄進建立しました。
謡曲「玉鬘」の大銀杏、「源氏物語」ゆかりの二もとの杉、定家が詠んだ「尾上の鐘」等々、新しくなった案内板を幾枚も見ました。平成16年の暮れに長谷寺本堂が国宝となったのだそうです。
牡丹が散り終わり、紫陽花にはまだ早い、瑠璃光若葉の長谷寺は訪れる人もまばら。
山並みを見下ろす懸造の舞台に、母方のご実家が京・元田中にある友人は「清水サンのちっちゃい版やね」と言いました。清水寺も同じ観音霊場ですから造りが一緒なの。風に吹かれておしゃべりをしているうちに人影がなくなっていきます。気がつくと閉門時刻を過ぎていました。日が長いのとちょうどよい気候だったのとで時間を忘れていたのですわ。
登廊に流れていた解説のテープも止まり、静かな境内は閉門までいる人への大きな贈り物。ただ門前の店はほとんど閉まっていて、楽しみにしていた長谷寺みやげの出雲人形を見損ねてしまいました。残された型を使って女性ひとりの手で細々作られているそうで、その店でしか見られないらしいのです。次回のお楽しみ。 雀
* どうか、病に落ちた孫娘のために、祈ってやって。
* 秦先生、ご本お送りくださいまして、ありがとうございます。
『風の奏で』息もつかず読んでいます。
大学時代を京都(桂、下鴨)で過ごし、なにかと理由をつけては年に何回も京都を訪ねている私には、徳子さんや市子さん、T博士たちの京言葉が、下宿のおばさんの言葉に重なり、なんともいえないいい気分に包まれています。
また、「つろく」は、こちら香川にもれっきとした通用する言葉として、残っています。
ずっと、「新古今」や「平家」、西行、後白河院、後鳥羽上皇などのことを知りたいと思っていましたので、飛びつく思いで読んでいます。
ストーリーや、人物関係にも何とかついて行けているように思っていますが、さて、どこまで正確に理解しているか自信はありません。実はすでに、「讃岐典侍」辺りからあやしくなっています。
古典を、民俗学的見地から読む姿勢は、大学で教わった万葉集の講義をおぼろげに思い出しもして、なつかしく、また目から鱗の気持ちがいたしております。
今年は春から、亀岡、岡崎、花見小路など歩きましたので、「清経入水」や、このご本との浅からぬ縁のようなものを、失礼ながら勝手に感じさせていただいたりしています。
これからも、「湖の本」読ませていただきたく、よろしくお願い申し上げます。
時節柄、お体お大切になさってくださいますよう。 讃岐
* 有り難いことです。
2006 6・22 57
* 2006年06月23日 MIXI日記 湖の、おじいやん 14:17 MIXIに
MIXIに頼りなく初ログインしたのは、今年の二月十四日でした。十日ほどして、二月二十五日に、孫娘ふたりが訪れてくれ、わたしは妻に、大学一年と中学二年の二人に「雛祭り」をさせるように奨めました。二人は大喜びで妻の雛人形を飾りました、嬉々と声をあげながら。
もともと姉妹の母親、われわれの娘が、嫁ぎ先へもっていっててもよく、上の孫娘の生まれたときにもって帰っててもいい雛人形でした。しかし、不幸な事件から、かえって娘達とわたしたちとの交通は阻害されてしまったのでした。娘達やわたしたちの誰にも不本意な不幸なことでした。
以来、両家の往来は拒まれてきました。むろん我が家の門は、いつも娘や孫達のために明けてありましたが。
吾々夫婦は、二人の孫の育って行くのを見ることは出来ませんでした。娘の顔も見られませんでした。娘もあえて顔を見せませんでしたが、つい二年ほど前、高校三年生の上の孫が、母親の弟、叔父を介して、わたしたちに連絡をくれ、その後、祖父母に顔を見せに来てくれるようになり、いつしかに妹も連れだって遊びに来るようになりましたが、親たちにはナイショにしていたのです。(いま、母親は容認してくれています。)
雛かざりをみなで楽しんだ日、「おじいやん」 (幼い頃、そう呼んでいました。祖母は「まみい」と。)が「MIXI」に入ったばかりと聞くと、姉孫は「あたしも入っている」と、その場ですぐお互いに「マイミクシイ」になったのでした。姉の方はもう大学に入っていて、やがて二年生になるのでした。
それからの「MIXI」日記で垣間見る孫娘の日々は、しかし、「おじいやん」を心配させました。聞きしにまさる極早朝からの接客アルバイト、夜分の接客アルバイト。気の小さい祖父は、癇癪が起きそうなほど孫の心身を案じました。苦言も呈しましたし、こんな心配をするぐらいなら、MIXIもやめたいと、何度も思いました。「おじいやん」はさぞうるさい「おじいやん」であったろうなと、いま、泣いています。
このアリサマでは、からだを必ず毀すと恐れていた、その孫が、まさかそんなことはと考えもしなかった病魔につかまってしまいました。信じたくない。が、当人が、(ついに入院のためでしたが、)暫く休んでいた「MIXI」日記で、みなさんに病名「白血病」も告げてしまいました。母親は、弟を通じ、わたしたちには伝わらないようにはからっていたのですが。夕日子は、娘は、自分の娘達が祖父母の方へ行っていることも今では知っていて、それをとやかく言う気は自分には無いとも弟に伝えたそうです。
「おじいやん」も「まみい」も、泣きながら堪えています。あたりまえなことですが、代われるなら代わって病気を引き受けてやりたいです。人に、いつも「笑っていて欲しい、笑っていて欲しい」と求め、自分もいつもいつもよく笑う孫娘ですが、なんと泣かせる孫ではありませんか。ああ…
しかし、泣いて済むことではなく、今からは、孫に、精一杯希望をもち気力を尽くして生き抜いてもらいたいし、そのために、わたしや、わたしたちのどんな「力」が、「精神の力」がつかえるか。センチメンタルになるのでなく、悲しみへ遁れ沈んでしまうのでなく、いまこそ心を静かにして、「今・此処」の自然な一歩一歩を歩んで行きたい。私たちの息が切れたのでは、孫のための力にはなれないでしょう。
やす香。 みんなして、生きて行こうよ。
おじいやんは、だから、いますぐ飛んでいってベッドにいるやす香を見舞おうとは思いません。しっかり治療を受け、軽快し、退院し、社会復帰出来た日に、元気な顔で逢える日に、がっちり将来を祝福の握手がしたい、おまえと。
生きて行こうよ、やす香。 おじいやん
* お見舞い下さっているみなさん、ありがとう。
2006 6・23 57
* 移る一刻一刻が限りなく重い。重い。
* お見舞いをたくさん戴いているが、返礼はご勘弁願っている。
* お孫さまのご病気、よくなられることを心からお祈りしています。
このかわいいやす香ちゃん(と親しくお呼びすることをお許しください)のお顔を、見ずに過ごされておられたことを思うと、胸がつぶれる思いです。
大きくなられてのご再会、どんなに喜ばれたことかと、こちらもうれしくなるご成長ぶりでございますね。
長年の、音信さえ不通の時を経て、美しく成長したお孫さん二人と会えたことの感激は、他人の私にも十分伝わってきました。じいちゃん、ばあちゃんにとって、孫ほど愛しい存在はなく、会えない悲しみは、人生でのどんな苦痛よりも大きいものと思います。
やす香ちゃんのお写真を拝見し、先生の「私語」のお言葉の意味が胸にしみるようにわかりました。
ご病気のご回復と、楽しいご再会を心からお祈りしています。 読者
* 作品を通じてしか存じ上げないごく遠方の方であるが。恐れ入ります。
二つの写真のあいだに横たわる奪われた歳月は、親としても祖父母としても筆舌に尽くせぬモノであった。やす香にもそうであった。このモノを、いかようの語彙にも翻訳可能であるが、いまのわたしは単に失語症である。
だが、やす香は親の意に反してでも祖父母の方へ動いた。動いてくれた。どんなに嬉しかったか、嬉しさを露わに書くことすら憚らねばならなかったけれど。
* 歯医者へ。「リヨン」で昼食して帰る。光通信設定できないでいる。
* やす香が、ベッドから電話を寄越した。ひどい出血があったようで声が潰れていたが、話している内に少し戻ったように感じた。とてもとても、普通には私も話せなくて。妻に電話を戻してから、泣いた。何ということだ。光通信の設定で紛らわせようとしても設定は迷路。
湯につかってこよう。やす香。おじいやんは何をしてあげられるのか…
2006 6・24 57
* 秋篠寺 蛍袋が咲き、栗の花が盛りです。
今日は秋篠寺のパンフから知ったことを囀らせてください。
1135年、鳥羽上皇院政の御代に兵火に罹り、現在、伎芸天などがある講堂ほか数棟を残して、焼失。
日本各地で信仰されていたにもかかわらず伎芸天の像というのは、ほかに遺っていないそうですね。首から下は鎌倉時代、頭部のみ天平時代の像で、ほかに梵天、帝釈天、救脱菩薩と四体あり、梵天と救脱菩薩は奈良国博に展示されています。
飛鳥大仏をはじめ、興福寺や法華寺で仏頭を見たことがあります。へたに付け加えるなら頭だけでいいと秋篠寺の四体にあらためて思いました。
本尊の薬師如来は鎌倉後期かなり後世のもので、十二神将は鎌倉末期。これに焼け残った日光月光両菩薩が入り、平安中期の地蔵菩薩立像が入っているので、ちぐはぐな印象を抱かせるのです。
さて、バスもタクシーも、秋篠寺前というと同じ門の前で降ろされます。
門をくぐると道はすぐ左に曲がり不自然な感覚を覚えるのですが、これは東門だったから。南門からの道を歩いてくると景色も道も自然なのです。
東門の左側にいつも固く扉が閉まっている建物があり、これが閼伽井、香水閣です。
宇治上神社のほど大きくはありませんが、幕がはりめぐらされた建物の中には石組みもがっしりと、澄んだ水を満たした井戸がありました。若狭とつながっているとか。
汲みたてのご香水をいただいて、これもいつもは扉を閉ざしている大元帥明王のお堂へと歩を進めます。
現在の像は当初のものではなく、鎌倉時代の彫刻だそうですが、大元帥法は勅許なしに造像も修法も禁止でしたから、我が国唯一の像です。
體のあちこちにまとわりつく蛇がころんと可愛らしく、文章や写真で想っていたより落ち着いて大様で、静かに立つ忿怒像でした。
秋篠寺は平安初期の十一面観音を東博に、同時代の地蔵菩薩を京博に預けています。
若狭に通じる井戸、献水、十一面観音…。白洲正子さんは「かつては平城京の東西に祀られた由緒の深い水神ではなかったか。」と書いてらっしゃいましたが、玄ボウと良弁は同じ義淵に学び、年令もほぼ同じ。東大寺三月堂にある忿怒像、執金剛神を思い出しました。
忿怒といえば、京の御霊神社の八柱と秋篠寺地主の御霊神社、奈良の御霊神社には違いがありますのよ。
奈良の二社には伊予親王と藤原広嗣が入っていまして、秋篠は井上内親王と他戸親王がなく、奈良は吉備大神、大雷神がありません。
入った門へ戻らずに秋篠の御霊神社に向かうと、道の左手、少し高くなったところに礎石があることに気がつきました。見に行って戻ってくると、杖をついて歌碑を眺めてらしたおじいさんが、東塔の礎石と教えてくださいました。西塔がここ、と歌碑の奥を杖で指し、これが南門、向こうが東門、南門からまっすぐ下る道があるやろ、昔はその先に大きな南大門があった、有名な苔の庭はもと金堂が建っとってな―ここの伎芸天さんほど「逢いにいく」いわれる仏さんはいてはらへんなぁ―いま本堂いぅとるけど、あれは講堂や。
お寺の変遷や仏像のこと、御霊神社がもともとここの地主神、などなどたくさんのお話をうかがい、いま目にしている情報を消して昔を思い描いてみる感覚をひとついただきました。
あしび咲く金堂の扉にわが触れぬ (秋桜子)
受付に覆いかぶさるように花をつけた馬酔木の大木は、金堂跡から伸びていました。 囀雀
* いま、この「囀り」に聴きいるわたしは、しんそこから励まされている。いつか、孫達も連れて行ってやりたい。
2006 6・25 57
* お孫さまのお見舞いの「私語」拝見しました。
「おじいやん」がどんなにどきどきされ、どんなにご病気の早い快癒を願われたか、伝わってまいりました。
あの(私語の写真の)やす香さんが絞りの振り袖を着られた姿を想像し、うれしくなっています。
私も孫娘用に、山吹色に花の模様の友禅の着尺を用意しています。(二反も!)来年は高校生になるので、仕立ててやるのを楽しみにしているところです。孫の成長ぶりを喜びながら、自分の年勘定を忘れている、ばあちゃんの私です。
「雀」さまの秋篠寺の記事の「井上内親王」「伊予親王」に、どこかで見た名前だと思いましたら、最近読んだ永井路子の『雲と風と』に出てくる名前でした。
また、先週金曜日以来、私も「重い。」「重い。」事実と向き合っています。
全く個人的なことですのに、いつも何かしらはっとするいくつかのことどもの一致を発見し、「私語」からはなれられない毎日となっています。
先生のHPにアクセスできた幸運に感謝しています。 元教員
* やす香の骨髄穿刺がはじまったらしい。治療が軌道に乗り安定してくるまで、しばらくは毎日がつらい極みだ、しかも孤独で。泣くことをさえ、力にしてくれ。
2006 6・26 57
* 蒸し暑いですね。お元気ですか、風。
わたしは皮膚が敏感になっているので、今年の夏は、汗に気をつけようと思っています。
「私小説という小説」の原稿を送りましたとき、実は、戻されると思っていました。評論なんて、書いたのはじめてでしたし、どんな風に受け取られるか、想像できませんでしたから。
私小説について考えると、私小説でないものについても考えます。
そして、日本の近代小説の起こりまで遡り、明治以来の文学者のこと、彼らの社会との関わり方・距離の取り方について考えます。
維新から現代につづく文学の状況を追うことは、文学者が、深く関わったり、あえて背を向けてきた、政治や社会状況を追うことでもありますね。
「私小説」ひとつに深く目を向けると、現代が見えてくる気がします。
それから、藝術・創作は、「時代の気分」を表現するだけでなく、時代に物申していくべきではないかと思います。
こんなことを申し上げるのは、最近、「時代の気分」を表すに留まっているものが多いなあと感じたので。
「現代」は、そんなに肯定できる時代ではありません。
夕方になると、少し涼しくなりますね。お元気でいらして下さい。 花
2006 6・27 57
* 用事で銀座に出てへとへとでした。湿度の高い夏は好きになれません。歩き疲れて、松屋の地下のお茶屋さんで冷煎茶を飲みましたら、これがほどよい冷たさで、お茶の香りが立ち、とてもおいしかった。干菓子がついてきて、量もたっぷり。苦みと甘味のお茶を一対一であわせてゆっくり水出ししたものだそうです。汗がひいてすっきりしました。お茶は心身にやさしい飲み物ですね。生き返るようでした。
ふと思いつきました。一つの提案なので、そのおつもりがなければ読み流してください。もし、お差し支えなければ、九百枚もの電子化していない原稿を一部でも機械で打ち直すお手伝いをいたします。幸い目も丈夫で、キーボードを打つのも早いほうです。
これは愛読者として一枚でも多くの作品を世の中にという思いと、何か一つでもお役に立ちたいということ、そしてお書きになったものを書き写すのは幸せだろうと思ったから。九百枚も死蔵されているなんて、大損失です。
性分として、完成品でないものはたとえご家族の目にさらすのも好まれないでしょうが、ただキーボードで打って、フロッピーか添付ファイルでお送りするだけのことですので、あるいはお役にたてるかと思いました。お気にさわったら許してください。
静かな夜……もう、夏。 蛍
* この「私語」を、よほど前々から読み継ぐか読み返して貰っているらしい。この申し出では、じつに有り難い。原稿用紙に妻が清書してくれていらい、それこそ天井裏に抛り込んであった、いや今もそうなのである。
出来不出来の問題ではなく、説明しきれない葛藤のあげくである。むしろそれはわたしの伝記資料に近いかも知れないのである。しかし作品としてでも資料としてでも、いずれにしても諦めたのではなく、しかし十二分な推敲の為にはもう原稿用紙では手の出しようのないのが分かっているからで、わたしにはそれをタイピングしてゆく、インプットして行く根気がない。それで誰かにアルバイトで頼もうかとも思っていたが、「ペン電子文藝館」をやつてみてその手のアルバイトは、人によりピンからキリあり、キリに当たると惨憺たるものであるのが分かり、永く二の足を踏み続けていた。
だが、こう申し出てもらつて、ハイ渡りに舟とも、安直には決心できない。原稿を一時的にも手放さねばならないし、そもそもそんなことを人にさせる権利はないのだし、おそらくその価値もないのではないかと思ってしまう。
しかし有り難いと思う。感謝する。
2006 6・30 57