ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2006年9月まで

* 今年も半ばを過ぎた。蒸し蒸しするのも梅雨なかばでは仕方ない。この時期をわたしは「慈雨の季」と呼んできた。その様に思って梅雨を過ごすのである。

* 七月になってしまいました。朝からずっと雨、時折強く降ります。湿度があまり高くないからでしょう、気温が上がらない分、わたしは過ごしやすいと感じます。梅雨が大嫌いといわれる方も多いのですが・・。そして雨ともなれば浮かれ心のままに外出することも諦められます。
予定していた庭仕事も延期。庭に出たらすぐに蚊に悩まされるので庭仕事は嫌いになりつつありますが、窓の外いっぱいに木の枝が伸びてきていますし、花の手入れも、雑草も、ちょっと目を離すとすぐ仕事がふえます。
一昨日のメール、届きましたでしょうか。器械がやっと回復したものの、まだ何となくこれでいいかと不安になります。
歯の治療のことを書かれていますが、わたしも最近は医者に通っています。一大決心をしないと思い切って歯を治療できません。昔になりますが出産の後、やはり歯を悪くしてしまい、土台は自分の歯ですが、そこに義歯をかぶせました。そこを改めて治療してもらっています。もちろん大きな出費になるでしょうが、これも投資?、自分のために大切な投資と思っています。
一昨日からやや不眠・・歯の治療で注射の後、口の周辺の違和感があとあとまで残り、リンパ腺が腫れたりしました。そのお蔭で?? 眠れないものですから、昨晩はサッカーの準々決勝の試合を見て・・ドイツのPK戦や贔屓のイタリアの試合を見て・・明け方眠りました。
およそわたしらしくない夜中の観戦でしたが、もちろん楽しみましたよ。  鳶

* パソコンの不調でながいあいだ、手短なケイタイメールが届いていたが、復旧したらしい。

* わたしも眠りにくいままに、主催国ドイツにアルゼンチンが一点リードしている途中から見はじめて、ドイツが同点に追いつき、二度の延長もなお引き分けて、PK戦になってしまうまで観戦した。追いつ追われつ角逐あいひとしく、どっつちに応援ということなく堪能した。
2006 7・1 58

* MIXIでの知人から、やす香の病症に関するたいへん親切な助言や示唆を得ることが出来た。感謝に堪えない。そのまま夕日子に転送して参考にするよう伝えた。

* 千葉の勝田さんや四国の大成さんや名張の雀さんからもメールを戴いているが、拝見するに留めておく。

* 心嬉しいメールを受け取った。MIXIで知り合った人が、自身の体験も踏まえながら、やす香の病気に親切な適切な具体的な声をかけて下さった。夕日子へぜひ参考にするようすぐ転送した。

* お孫さんが入院されていたことを、今日、知りました。ご心痛、お察しいたします。
全く違う私の体験や経過なんかを書き連ねても、何のお役にも立ちませんが、当時の心境などを思い出しつつ少し、書き送らせて頂きます。
入院当初は検査が忙しく辛かったこと、毎日がだるく重く、考えもまとまらず、何もやる気がしなかったことが思い出されます。特に薬物の大量投与時は体全体が熱っぽく、自分が湯たんぽか何かになったようで、本当に何も手につきませんでした。只、寝ているしかありませんでした。副作用の一つにある「憂鬱~」な精神状態が続き、不機嫌な自分に嫌気がさしたりもしました。と同時に心は体の働きの一つなんだと初めて認識した、貴重な体験でもありました。「気をしっかり持つ」ためのエネルギーは検査や治療で使い果たしてしまい、病室に戻ったときにはもうぐったり、といった状態でした。
そして、入院中はいつも、どこかしら気が張った状態で、心から寛ぐことが出来ないのでした。家族が来て、そばにいるときだけは何とかほっと安心することが出来ました。友人などの他人でなく、話すことが何もなくても、少しの時間でも肉親や家族がそばにいてくれることが、何よりの安心でした。
このことは、私自身が入院するまで、ここまでとは思いも寄らないことでしたので、気づいた今は、家族が入院した際などは特に注意して、条件の許す限り出来るだけ見舞いに行き、顔を見せるよう心がけています。
それから、特に思い出されることがあります。
ある程度病状が落ちつくまでは、病気そのもので自分自身が振り回されてしまっていました。この時に思ったのが「どうも、病気とは、『闘う』というのとは違うのかもしれない」ということでした。
入院した際、***大の院内で、創始者の、「病を診ずして、病人を診よ」という言葉に出会いました。これは「病める人を全人的に診る医療」を表したものだそうですが、私の勝手なイメージでは、罹患中の時、患者の存在そのものに病気が存在していて、病気と患者は分かちがたいもの・・・という印象でした。自分と病気は別のものとして、まるで病気に見舞われたかのように思い病気と対峙するのは、実はすこし、考え方がずれていて、実際は自分の中に病気が発生し、今、伴に存在している・・・と考える方が自然に思えました。ですから「病気と闘う」のではなく、「病気とともに、平癒に向けて協力し合う」のかもしれないと感じたのでした。
そしてもう一つ、ストレスとの付き合い方によって病状がリアルに左右される、というところです。ここで重要なのが、所謂「心労」だけがストレスではなく、「張り切ること、頑張ること、元気に飛び跳ねること」もストレスになるのでした。もし、悪いことを-、良いことを+と考えたら、心労や心痛等は-、頑張る・張り切る・元気に行動する等は+。でも、どちらもストレスとして、体に負担をかけるのです。
ですから、悲観しないのも勿論のこと、前向きに頑張ることも控えて、一番良いのはノンビリ気楽に・・・・心静かにリラックスして、に努めることでした(この場合「努める」もストレスのうちになってしまうのですが・・・)。
この、緩やかな、穏やかな気持ちを維持するために、本当にいろいろな工夫をしました。
少しでも心地よいことを探しては、身の回りのものを可愛いモノにかえてみたり、インターネットで基礎化粧品を買ってナースセンター宛に届けて貰ったり、写真や絵を眺めたり・・・。でも、ここでも、一番有効だったのは、家族の顔を見ることでした。それから同病の友人と仲良くなれたのも良い思い出です。自分では分からないことを友人達が知っていて、医師や看護婦の方々より役に立つことも多く、同病でないと分からない辛さや決意を分かち合うことが出来、お互いを支える力になりました。
☆長々と書き連ねてしまい、すみません。最も大切なことの一つは、家族の入院で、周囲の生活が疲弊しないことだと、今はなき人がよく語っていました。
先生がお孫さんのことでお辛い気持ちを抱えつつ、きちんと毎日をお過ごしなことに安心し、尊敬申し上げます。どうかお孫さんのためにも毎日をお元気に、ご無理をなさらず、お過ごしくださいませ。  百合

* このメールには、日頃バグワンに聴いているわたしには、相通うて示唆に富んだところが何カ所もあり、感心した。若い人のようであるが、観念的でなく言葉が適切に響いてくる。感謝します。

* 上尾敬彦君が英国から一年ぶりに帰ってきた。まずは体調を調えてもらい、特許庁での新部署にも馴染んだ頃に、夫人もともども帰朝祝いをしたいものだ。
2006 7・2 58

* 秦恒平さま お孫様の身になんということが—–
ただただ、治療が順調に進みますようにとお祈りしています。
年が明けてから同年の友人が急死したり手術したり気の滅入ることばかり、気分直しにとカナディアンロッキーへの格安ツアーに突然に申し込みました。
去る22日から28日息子と二人で心洗われる一週間の旅をして帰国、留守中に溜まっていたメールなど読み、秦さまのHPを読んでたった一週間の(私たち親子が氷河や森や花を見て幸せだった同じ)間にご一家をこのようなご心痛が襲っていたなんて!!
障害を持った息子が生まれたとき私はもう一生外国旅行など出来ないのかなあと悲しいでした。
でも今彼は旅の一番楽しい道連れです。
山や川や氷河に素直におどろき、若い女性添乗員さんと記念撮影し、レストランのウエイトレスを「「ベリーグッド!」といって喜ばせ、むつかしい顔の税関のオジサンをにっこりさせ、ツアー参加者と自然に接してこれぞノーマライゼーション  こんな幸せな旅が出きる日が来るなんて、人生わからぬものです。
ただただお祈りしています。 2006/7/3      藤

* すばらしいこと。わたしの心も晴れる。自転車で黒目川に沿って自然な小川のせせらぎや草のしげりをみて走っているとき、かつてこの辺で、母と子とのどんな時間があったろうと想うことがある。歳月というものの豊かな懐の深さを信じたい。

*  サッカーW杯が佳境に入ってきました。
実力のある国が順当に勝ちあがってきているので、戦力が拮抗し、あまり動きのない試合展開になっています。
アルゼンチンの敗退は残念でした。あの、小さい人たちの国を、応援していました。
フランスの勝利は、嬉しかったです。ジダンのために、喜んでいます。
それから、先日「第二章」という、とてもいいアメリカ映画を見ました。ニール・サイモンの脚本で、マーシャ・メイスンとジェームズ・カーン主演です。共に再婚同士の、女優と脚本家で、女は未来を見、男は過去にとらわれている。
最後に、うじうじしているジェームズ・カーンに、マーシャ・メイスンがぶつける、「妥協した人生なんて厭。わたしがほしいなら、戦い取って」という長台詞、暗記しておきたいほど感動しました。
風は、明日から京都でしょうか。
お気をつけて、行ってらっしゃいませ。  花
2006 7・3 58

* 先程「mixi」にアクセスし、やす香さんの日記を読みました。命の重さを真剣に想う姿勢に胸を打たれます。お友達も凄いです。「mixi」の何たるかがやっと分かりました。
このSNSというシステムは、祖国と離れて海外で暮らすエンジニアが、なかなか会えない家族や友人と手軽に交流するために作ったのが始まりと聞いたことがあります。
明日は京都ですね。行ってらっしゃいませ~。     from 百合
2006 7・3 58

* 自転車で転んですりむかれたとのこと、大丈夫でしょうか? 心配です。どうぞお気をつけくださいますよう。
やす香さま、夕日子さまを支える大切な方です。   波
2006 7・3 58

* 時折さぁっと音がして、ひとしきり雨が山も野も洗い、ダム放水のサイレンが何度も響いていた一日が暮れ、くっきりと月が照っています。
水無瀬川をちの通ひ路水満ちて船渡りする五月雨の頃  (西行)
このあと数日は晴れて真夏日になるそうです。お大切になさってお出ましください。
一目なりとお目もじがゆるされるなら京へ押しかけたい、心を羽にして飛んでゆきたいけれど、お仕事前とのことですし、祇園祭、そして谷崎さんの月ですもの。
わがままはいたしません。
市内の書店に見つからなくて、思いのほか遅くなりました。「吉野葛・蘆刈」(岩波文庫)を入手しまして、ようやっと二度読み終えたところです。500円でお釣りがもらえ、北野恒富の挿絵に何葉もの吉野の写真は思わぬ付加(おまけ)。
秦さんが大事に書いてらっしゃる、京都市内のあちらこちらや、亀岡など、ずかずか訪ねて覗くことを差し控える思いがずっとありました。谷崎さんについてはなおのこと。力量のまったく足りない雀が拝読して何らかの感想や印象を抱くなンて厚かましい、僭越と、おゆるしを待つ心中で永らく過ごしてまいりました。
この春、小倉遊亀さんの原画から「少将滋幹の母」を、白洲正子さんに背を押され押されして「吉野葛」を、水無瀬神宮の宮司さんのご著書から「蘆刈」を読み、あぁそぅか、そうだったのと、色とりどりの風船が膨らむような気持ちでいます。
これからはお作の読みも違ってまいりますでしょうし、なにより谷崎作品の読み方をこの20年で教わったことへの感謝と感慨にひたっています。 雀

* 例の探訪・探索のメールを何度ももらっていながら、やす香ののことに思いひしがれて、なかなか落ち着いて読めなかった。が、雀行脚の向きはひろがり報告が細かになっている。ま、この人ほど私の作品や言葉をすみずみまでよく囓って味わっててくださる読者は、少ない。どこでどういう勉強をした人かも知らないでいる。
京都。それで興奮したのではないが五時前に床を離れた。出掛ける前に、用事をすこし。新幹線で寝ればよい。
2006 7・4 58

* 洋食のほうがお好きなようですが、当地のうどんも召し上がってみてください。
いちばんおいしいのは「打ち立て、ゆでたて」(これはもう「うどんの刺身」なんだそうです)に及くはなく、ぜひ召し上がっていただきたいのですが、まずは「生うどん」でお試しください。
こちらにおいでになったそのときには、「うどん八十八か所巡り」にお誘いいたしたく存じます。田舎の素朴(というより、粗野)な食べ物ですが、それなりにたくましい食べ物です。
つるつると食べると、元気がわいてくるかもしれません。
やす香さまの順調なご回復をお祈りしています。    讃岐

* ヒロインにいろんな名前をつけたけれど、『畜生塚』の讃岐町子はごく初期の。この名、ことに讃岐という音に惹かれ、あれで作品は出来た気さえする。
2006 7・4 58

* 帰宅してみると、作家の近藤富枝さんや読者の岡部洋子さんたちにご馳走を頂戴していた。郷土出版社からは京都の文学の一セットが寄贈されてきていたし、讀賣新聞大阪から原稿依頼も来ていた。
あす一日は休養する。疲れというのは溜まるモノのようである。
2006 7・5 58

* お久しぶりです 今年は梅雨闇が長いように感じられてなりません。
自転車で20分ほどなので、湧水地にはときどきでかけ森を散歩しています。水音もますます豊か、水遊びのこどもたちの姿を多く見かけるようになってきました。以前はカモのつがいなどもよく来ていたのですが、ここのところ子ども達のげんきな声に飛来を敬遠している様子。
退職して2ヶ月、これからの人生をどう創っていこうかと思い、いろいろ考えてはどうも寡黙になりがちです。手始めに日々の雑記帳から書き始めてみようかなと思っています。
旧約聖書と千一夜物語は変わらず、少しずつ読みすすめています。
千一夜物語の巻6、353~「肉屋ワルダーンと大臣の娘の話」のくだりは、王の気持ちがだいぶ和らいできた兆しがみえ、なかなか興味深いところでした。、肉屋の若者が、少女の頃黒人に最初に犯されたために淫乱(?)になってしまった美しい姫を助けるお話。老婆に頼んで薬を調合してもらい、燻しだすと黒いウナギと黄色いウナギが出て姫は穏やかな気性を取り戻すわけで、シャハラザードからそれを聴いた王が「昨年、その薬があったならば・・・」と述懐するシーンは印象的でした。
また、最近読んだ『わたしを離さないで』は大変衝撃的な作品で、2~3週間人間とはなんだろうと考えこんでしまいました。医療のため、臓器移植用の人間コピーを製造し育てる・・・話です。
先日ひばりヶ丘に行きましたので、「テイファニー」に寄り、おすすめの「ハンバーグ」試してみました。なるほど、素朴で美味しかった! じゃがいもの冷製スープとても素敵でした。

* お帰りなさいませ~♪ 百合
ご無事のお帰り、何よりです。
日記、拝読いたしました。お疲れだったんですね。どうぞ明日はゆっくりとお休みください。
足のむくみと体重ですが、体内の水分が上手に排出されていないから、足がむくんで体重も見かけ上は増えて見えるのかもしれませんね。もしそうだったら、強い利尿作用のある食べ物=西瓜、メロン、小豆、珈琲なんかが効くのではないかと・・・。あとは、少し安静になさって、腎臓そのものを休ませると、よろしいのではないかなぁと思いました。

* 四国の花籠さんからも「お帰り」のメールをもらった。
2006 7・5 58

* 昨日は半ば呆然と暮らしました。折りしも北朝鮮のミサイルが日本海に・・一日中テレビをつけて・・それでもミサイル云々を比べようもないのですが、健康のこと…断然重要なのです。お元気でありますように。
午後、BSで「草原の輝き」という映画を見ました。エリア・カザンの原作で1960年頃の映画で、わたしは高校生の時に見ています。「草原の輝き、花の華やかさは失われるが・・今日を強く生きること」というメッセージ。作中のまだ十分に若いナタリー・ウッドやウォーレン・ヴィーティから遥かに遠い年齢になっても伝わる言葉を自分に向けていくしかありません。  鳶

* 京都は暑かったでしょう。
ここ二日は準決勝を観よう、とワインの力を借りて早寝早起きをしています。
ご贔屓イタリアが勝ち。
今、終盤のロスタイム、前半、ジダンのペナルテイキックで一点先取のフランス、好きなラ・マルセイエーズが一際大きく響いています。ポルトガルも応援していたので、複雑。フランスが決勝戦へ、生放送していま~す。
と、わたしは元気。  泉
2006 7・6 58

* こんばんは。京都の旅のお疲れは取れましたか。ご心労に暑さが重なってどっとお疲れがでたのでしょう。
晴れるとすぐに30度を越える暑さで、今からうんざりしてしまいます。
今年の祇園祭は、宵々山が土曜日、宵山、巡行が連休になり大変な人出になりそうです。
父がお祭りが好きでよく連れてもらいました。一度だけ通りのニ階に上げてもらったことがあって、お囃し方の顔が目の前をいくのが、なんだか恥ずかしかった記憶があります。あのころは粽も鉾の上から盛んに投げられていましたね。
もうあの熱気の中に出ていく勇気もないです。
ご無理されませんようお大事にしてください。
やす香さんのご回復を心からお祈りしています。   のばら 従妹

* 従妹のたよりもいつも具体的で、メッセージとして包み込んだ容量が大きい。懐かしさが共有できる。
この母方の伯父はまことにふぅっくらと柔らかい人柄・身柄で、絵に描いたような美しい京ことばをはなした。わたしが京ことばわ意図して用いるときは、よくこの伯父の肉声に乗せるようにして正確さを計ったものだ。

* 京都ご出張おつかれさまでした。
ご対談の、茶会記、献立表を拝見するのが楽しみです。
「三十六峰」のお茶杓は三十六本あるのですね。一本一本の銘が山の名とは、なんと趣深いこと。  讃岐

* 京都からお帰りなさいませ。
脚のほうはいかがですか。肘のお怪我も。心配しています。痛むのではありませんか。今は周囲にも体調が悪いという人ばかり。鬱陶しい季節のせいもありますでしょう。どうぞやさしくやり過ごして、お大切になさってください。
地唄舞の先生から歌舞伎のタダ券をくださるというお話がありました。二階席というので、それほどいい席ではないでしょうが、チケット二十枚ほど手に入れて満席にしたいお知り合いがいるそうです。夜の部のほうです。一度は観てみたいと願っていた玉三郎の泉鏡花なので、とても楽しみに。少しお近くに行けるようでドキドキします。
明日の診察が良い結果でありますように。  夏
2006 7・6 58

* 運動(ヨガ)に行ってきました。少しずつ、体が慣れてきたのか、はじめの頃ほどしんどくなくなってきましたよ。運動してかく汗は、サウナや岩盤浴などの、じっとしていてかく汗とは別の汗腺から出るんですって。やはり、何事も、ラクしてはいけませんね。
ですから、風がからだを動かして汗をかくのは、とてもいいことなんです。
さてさて、風の診断結果はいかがでしたでしょうか。一緒においしいものが食べられるといいな。
一時から、以前風がごらんになったとおっしゃった「女の園」がNHKでありますので、見ます。
富士山をみあげながらいつも風を感じています。   富士浅間の、花

* 率直に励ましてもらっている気がして、有り難い。
私も帰宅して『女の園』のラストを観た。こういう映画の創れた時代、創った映画が時代をほんとうに刺戟し得たあの時代を、わたしは、胸が痛むほど懐かしむ。おそらく今の若い人達にはこのような映画は「ダサイ」のではなかろうか。
たとえば「**をするのがいけない」のではない、「校則で禁じているのにするのがいけない」のだと学校の先生が言われるのは理の当然のようである、が、それはその一方で「校則を適切に変えて行く自由と権利」の抑圧になっていては「いけない」だろう。この抑圧に闘ってきた時代があり、多くの大事な権利を人は手にしてきたのに、いまや、着々と奪い返されつつあり、わるいことに、もう『女の園』『日本の悲劇』『笛吹川』『野菊の墓』のような映画がまっとうに創られない、創ろうともしないし、創ってもひとが見ない時代になりきっている、それが実に辛いし、切ない。消耗娯楽映画はあたっても、時代を厳しく批評しつつよりよい時代を創り出そうとする映画は、たいがい頭でっかちの空疎な大作というだけで終わっている。なさけない
2006 7・7 58

* 診察 よかったですねー。気持ちが晴れ晴れとなさいましたでしょ。
> 機械本体へはジャックが大きくて合わず、
変ですね。最近のパソコンには、LANケーブルの差込穴がついているみたいですが。どこかに穴があるんじゃないかしらん。
「女の園」は、力強い映画でした。感動しました。現代にも通用する作品です。アイルランドの女子更正施設の映画(題名忘れました)を思い出しました。
新刊の発送という大仕事を控えておられる風、重い本を運ぶ際は、くれぐれもご注意を。ほんとうに、これがいちばん心配。
心配しつつ、元気な、花。

* まるまる一ヶ月、テレビもラジオもない無銭旅行のような、あるいは読書さえもままならぬ苦役のごとき身辺整理の日々をすごして寝つかれぬ深夜、ひさしぶりにパソコンを開いて、愕然と「私語」を遡りつつ、涙しております。
わたしの「石火のごとく」にふれて妹が米国から送ってくれたメールに、
「いつも思い出すのは、わたしが離婚の泥沼にいるとき、他にはなにも言わず、「かんばれ。がんばれ」と、ただそれだけをなんどもなんども電話の向こうで繰り返してくれた、あのときのお父さんの声です。」とあるのを読んで、あらためて父の妹への深い愛情を感じ、また心配されることの幸せに思いいたったのですが、先生のご心配は必ずや届いています。
そしてまた、「がっかり・・・」の手厳しい叱咤が愛情表現の変形であることを、建日子さんは先刻ご存知のはず。こころの芯より心配し叱咤してくれる人のあることの幸せ。それがどれほど得がたいものであることか。
やす香さんの治癒を遠くからお祈りいたしております。 六 四国

* 感謝。
2006 7・8 58

* 十日ほどか、「ひだる神もどき」のようなものにとり憑かれ、ぐずぐずしていましたが、「いつまでこんなふうにしていてよいものか」と思ったきっかけは、ミクシイのわが日記にあった先生の足あとでございました。ありがとうございました。
連載の「青春短歌大学」で、岩上とわ子さんの「海みゆる窓べを吾にゆづりつつ旅の日も言葉すくなし夫は」を取り上げていらっしゃいました。
岩上さんは、うたの大先輩、いろいろご指導をいただいたおひとです。おやさしくて、「臈長けた」ということばがぴったりのおひとでした。生き形見とおっしゃって、紬の袷と帯をくださいました。お背が高くていらしたので、裄がわたくしには少し長いのですが、仕立て直すのが惜しくて、そのまま、着せていただいています。
近頃はめったにそのお名を見ることがなかったものですから、なつかしくうれしく、つまらぬおしゃべりをしてしまいました。おゆるしくださいませ。   香
2006 7・9 58

* サイトでお孫さんのご様子を拝見しております。ご心配になるお気持ちが文面を通してこちらによく伝わってきます。治療の成果があがり快方に向かわれることを心よりお祈りしています。
最近の一連の動きをめぐるご家族のご様子や、特にお嬢様へ言い及んでいるものを拝見していると、自らを振り返りつつ親子のことをあれこれ考えさせられます。
水上勉氏の御令息である窪島誠一郎氏が、「人生60半ばになると、結んだひもがこぶたん玉になっているところがある。ところが僕は、こぶたん玉を隠そうと、ひもを両端からぎゅーと締めてごまかそうとしてきた。だけど、ひもに手をやると、やっぱり、コブがあることはわかるんですよ。あのとき、なぜコブをほどかなかったか、そういうチャンスは何度もあったのに・・・。」という発言をされたことがあります。
これは窪島氏を育ててくれた養い親のお母様とのことをおっしゃっているようですが、それに限らず肉親との関係で未熟であった自分の対応に気付き、それを悔やむということは誰にでもあるでしょう。
ただそれに気が付くには時間がかかります。月次な表現になりますが、孝行をしたい時には親はなしということになりましょうか。
では親は、祖父母はどうすべきなのか。
昨日81歳になる母と長いこと話をしたときにも、そのことに及びました。
人は、自分の肉親であったとしても上の世代のことを考えるのは難しい、そこに思い至るまでには長い時間がかかる、それが当たり前なのである、上の世代としては思っているという気持を伝え続けるだけであるというのが、私の母の締め括りでした。若い世代がそのことに早くに気付いてくれれば、それは僥倖です。
繰り返しとなりますが、お孫さんの治療の経過が良いことを願い、お嬢様(それにお孫さんのお父様を含め)、そして秦様御一統が心安らかとなることをお祈りします。     正  英国

* 物心着いたときから、わたしは「親」をいつも観察していた。身の傍にいた親は、わたしを「もらひ子」した育ての親たちであった。実の親たちのことは知らなかったが、もののほつれからこぼれる糸屑のように、ぽつぽつと年数に応じて何かしら知れてはきた、ただ、確かめる術は、ほとんどなかったし、なによりわたしに確かめたい気持がなかった。「自分」以外は自分でないのだから、一律「他人」と思い、親だから、きょうだいだから他人ではない、などと思わなかったのである。
大事なのは、自分のほんとうの「身内」を自分でみつけ、一人でしか立てないはずの「島」に一緒に立とうと願っていた。「妻」とはそういう身内でありたかった。恵まれた子供達や孫達も、子や孫という関係によって身内であるのでなく、「身内」で在りうる子や孫であればいいなと願っていた。
事実上なかなか容易でないことを、わたしは知っているのである。
わたしが子や孫達に愛情を失ったことのないのは、誰もが信じてくれるだろう、が、それゆえに彼等がわたしの謂う「身内」であるという「保証」は何もない。無条件にそんなことをわたしは彼等に強いも、求めもしていない。それは親たちに対しても、終始そうであった。

* 娘が波瀾のあげく結婚した相手は、通俗な「親類縁者」観の持ち主で、婚姻により結ばれた家庭と家庭や、家族と家族とは、当然に「身内」であるという常識から半歩も出られない、大学で哲学を教えている先生である。学者であるそういう婿を持ったからは、妻の実家たるもの、婿にたいし、家屋や生活費の経済支援をするのは当然の義務であり、そんな常識も弁えないバカな親なら、「姻戚関係」をこっちから断つと離縁の手紙を寄こし、それきり一切の交通を断ってしまった、そういう「哲学」の持ち主であった。
その当時、わたしたち夫婦は、自分を育てあげてくれた、三人とも九十歳台になる・なろうという義理ある父や母や叔母を、一手に抱えていたのである。
わたしたちは、妻は、夫との暮らしに拠るのがいいという考えだったから、娘が離婚して戻ってくるなど、全く望まなかった。
「他人」でったら愛情はもたないとか、捨てるとかいうような考えは微塵もなく、娘や孫達が幸せならそれでよいと考えて、孫のやす香からの嬉しい働きかけがあるまで、何一つよけいな手は出さなかった。それでよいと考えてきた。
そして孫達は、親に内緒という窮屈さもむしろ楽しむかのように、姉も妹も、二人とも、祖父母の家を何度も訪れ、街でもデートしたり芝居も観たりしてきたのだが、その心優しいやす香(大学二年生)の方が、いま、あまりに酷い難病に不運に蝕まれている。
どう遠目に「MIXI日記」を介して眺めていても、大学生やす香の毎日は、適度を遙かに遙かに超えた、過剰も過剰なアルバイトや遊びの毎日らしいのが、前から見えて、分かっていたし、今年になって体調をどんどん崩しているのもはっきり分かっていた。
わたしはヒステリーを起こしそうなほど心配し、せめて「親に相談しなさい」と再々孫をうるさがらせていたけれど、後に母親夕日子の述懐を漏れ読むかぎり、一緒に家居していながら、「大学生になって以降のやす香の日常について、何も知らなかった、分からなかった」という。そういうものかなあと、憮然とした。
そんな不幸な事態になって、いわば非常時、一つの大事な命の危機にさしかかって、★★家は、孫の病院への見舞いを「一度は黙認する」という「はからい」であった、それも、やす香が「つよく求めた」からである。
病院を訪れたときも、母親は真っ先に、「十五分だけにして」と言い置いて病室を出て行き、吾々と孫二人と四人だけにした。
「三十分」ほどして母親は戻ってきて、そのままわれわれは退去した。父親は顔を見せなかった。
「おまえがいま倒れてはどうにもならないよ。だいじにしなさい。やす香を頼むよ」とわたしは娘夕日子に廊下で言い、やす香「九月の誕生日」「来春成人の日」のための晴れ着一式や、付き添う日々の夕日子用にと相当の金包みも手渡してきたが、夕日子はほとんどわたしたちに口を利かなかった。わたしが、この「私語」に、あの日娘との久しい再会に関し、ほぼ一語も書かなかったのは、「書きよう」がなかった、「書く気持ち」になれなかったからである。
「上の世代としては思っているという気持を伝え続けるだけ」「若い世代がそのことに早くに気付いてくれれば、それは僥倖」とある、上のメールの人の言葉は、ああ、まったくその通りだ…と思っている。それで仕方がない。
ただやす香という孫の命は、そんなこととは別の次元ではなかろうか。この孫は、祖父母にむかい、自身の意思と行動とで、優しい手を伸べてきてくれた。今度の病気でそれが親に知れたとき、母親は、「この際黙認」するとだけ言ったそうであるが。
2006 7・9 58

* バルセロナの京から
恒平さん
二十年振りでしょうか、七夕の飾りを作りました。
~ささの葉 さらさら~
いや、これはどう見ても、かさかさ、だなあと思いながら、道端で折ってきた茶けた笹に、輪飾りを、切り紙を、そして短冊を掛けると、華やかな、ちょっと郷愁誘われる祭りの気分になりました。
七夕が出産予定日だった親友を見舞うと、笹の葉の飾りにひととき言葉を失っています。
二人で今日が晴れだったことを、誰のためにともなく喜んで、生まれたばかりの赤ちゃんの寝顔をほっと見つめました。
友人は子を望まれる境遇にいなかったため、つくる決心をしたものの、健康で生まれてくるかどうかが、最後まで肩に重く圧し掛かっていました。
私は知らない(日本の)藤江さんのことを何度となく想い出し、これを機に、また『ふつうのくらし』を読み返してみました。
病院に毎日足を運びながら、やす香さんのことも想っています。 京

* ありがとう、京。祈るということを、意識して暮らしのワキに置こうとしてきましたが、やす香のためにわたしは思わず祈っています、今も。
2006 7・12 58

* 歯医者に行く。

* 診療のあと、別室で、以前の親先生を見舞う。彫りの深い眼光、ただしく深い表情にわたしたちは感嘆した。間断無い痛みと朦朧感があると言いながら、言語は明晰で、もう残り無い日々、あっちまで持って行くことばが欲しいと望まれた。
あっちへ行けば言葉は要らない、その瞬間までは、年々死去 即 念々新生、あるがままに自然にと申し上げた。そうありたいわたしの願いのままに。
2006 7・12 58

* お元気ですか、風 雨になりました。これで少し涼しくなるかも。
じゃがいもと玉ねぎをたくさんいただいたので、さっき、インターネットでレシピを検索していました。
わたしはおいものパサパサ感が苦手で、煮っ転がしや、肉じゃがなどが、あまり好きではありません。
じゃがいもを使った、なおかつ食べたくなるお料理を探しましたが、あまりありませんでした。僅かに、ポテトグラタンならイケます。(大好きなチーズを使うから。)あとは、ヴィシソワーズ(じゃがいもの冷製スープ)も好きです。これは牛乳を使って作ります。要するに、わたしは乳製品が好きなんです。
今年の夏は、ヴィシソワーズできまり! です。
いつも風を想っています。 花

* このさりげない励ましが、いま、なにより嬉しい。いまは気持を劇的にもちたくない。いまこそ静かにいたい。
2006 7・12 58

* こうしてメール差し上げるのはずいぶんと間が空いてしまいました。mixiや先生のホームページを拝見しつつ、お目にかかっている気持ちになっておりましたもので。
唐突ですが、宮部みゆきの「たった一人」という短編をご存知でしょうか。『とり残されて』という文庫本に収録されています。解説を書いている北上次郎氏が、他の収録編については触れもせずひたすらに 絶賛している短編です。
初めて読んだとき、私はこの小説がそれほどのものだと思わなかった。
けれど、やす香さんのご病状を読ませて頂いてこの話を思い出しました。話の内容をここで記してしまうのは気が引けますが、人が「自分が離れたくない人=たった一人」を助けるために奇跡を起こせるかどうか、が、隠しテーマで あったことが最後の最後でわかります。
主人公は、一度奇跡を起こして大事な人を助けるのですが、失ってしまう。そして最後に、もう一度同じ奇跡を起こしに出かけて行くのです。一度できたのだ。もう一度できる、と。
こう書くと安っぽくなってしまうのですが、これは私の表現が至らないためで、白磁の壺のようにやわらかく丁寧に描かれた佳品です。
先生が奥様のご病気を治されるためにご尽力されたご様子を「湖の本」の中で書かれていたのを思い出しつつ、今日もう一度読み返しました。
やす香さんに、もう一度軽やかに歩ける日が来ますよう。あれほどたくさんの方たちから注がれている愛情をその養分として惜しみなく用いてくだされば。
ご報告が大変遅くなりましたが、息子はお陰様で健康にすくすく育っています。抱きしめても女の子のようなやわらかさがないのは残念ですが。母親として子どもに手塩にかけられる一年を一時も無駄にしないよう、娘の方にもにわかに口うるさくしております。母親が今までそばにいなくても、それなりに育ってくれた娘は私にとって「授かりもの」でしたが、親族で初めての男の子の方は「預かりもの」のように感じています。託されたのだからきちんと育てて世の中に還そう、と。小さくてもいい、人のために何かできるようなヤツになれよ、と思っています。
子どもが増えて、人をつくることに関わる深さをさらに感じている今、やす香さんのことが心を離れません。毎日毎日、祈っています。
先生も、ご体調が優れないご様子、どうぞ大事になさって下さいませ。「たった一人」では、主人公は奇跡が起きるその時まで「死ぬことさえないかもしれない」と、結ばれます。もう一度奇跡を起こすその日まで、先生どうぞごどう
ぞお健やかに。  典

* ありがとう。
2006 7・12 58

* 湖さま  14年前 北里病院の庭の周りにはくちなしが香っていました。
北里病院の七夕 夏祭り ・・・ 19歳の娘と過ごしました。
静かに 穏やかに ときが 長く 長く 長く 過ぎていきますように。  波
2006 7・13 58

* 少し厚めのものも洗濯でき、気持ちがすっきりしました。部屋の掃除、ガラス窓も拭き、サッとシャワーで汗も流して、サッパリ。
お変わり有りませんか、風。
きのうは、フードプロセッサを買ってきて、ヴィシソワーズを作りました。第一作は・・・改良の余地あり、でしたが、朝、コーヒーカップに一杯ほど飲みますと、冷たくて、よいです。
明日あたりからまた雨みたいですが、今日の天気は、いよいよ夏、という感じです。団扇の出番です。 花
2006 7・14 58

* 一瞬一瞬、気を起こして堪えるのはきついけれど、最も苛酷な体験であるけれど、堪えています。誘う水にひかれ闇に沈透いてこんこんと眠りたい。
二十一日からの本の発送が、かつてなく重圧です。用意も満足に出来ていない。
鏡花劇だから心惹かれて観ていましたが、行きも帰りも幕間も気がふさがり、「吉兆」の二字に頼む思いで食事するなど、笑止に心弱いばかりです。
熱暑、お大事に。
異色の「山吹」をしっかり見てください。現世的整合性からの賢い批評でなく。花道でのたった一句の痛烈な声をお聴きなさい、自身の胸に。  湖

* htakさん  札幌も日中は気温が上がり、今日は真夏日になりました。
こちらの夏は短くて、七月に入ると、今週から週末ごとに花火大会が催されます。今週、来週、再来週と、金曜日の夜に、まだ明るみを残した夜空を背景に光の華が咲きます。
豊平川の川岸は大変な人手だそうですが、私は例年こっそりと、丘の上に立つお風呂屋さんの三階から、この花火を見ることにしています。涼しい風にあたり、時おり上まで聞こえてくる車のクラクションや階下の湯桶の音を聞きながら、少し遠くの花火を見る楽しみ。
花火の週末が終わるとお盆が来て、そしてその後は、もう秋が来ます。
皆々平穏に、来年も再来年も、この同じ風景がみられますことを、夜空に願いました。 maokat

* ありがとう、maokat。

* 【秦先生の書いたもの】  正直に言って、読み通すのは…始めにしんどそうと思ってしまうので、それがシンドイですが、読むと文中に必ずイイものを見つけます。で、わたしは読み進めます。
【読書】
私は、こういう文章が、好きだ。
私は、こういうのが、好きだ。
こういうのは、この私だ。
この私が、そう思う。
読んでいて、そういう文章が見つかった時、とても嬉しい。
見つかったのが、先ず何とも嬉しい。  福

* 「ふわふわのポン」と謂うていた。生米をすこし持って行くと、道ばたに店だししたおじさんは、米を鉄の窯に入れて密封し、ハンドルをゆるゆる廻し続けて、時間が来るとどんな仕掛けか「ポン」と大きく鳴らして窯の蓋をあける、と、ふわふわに膨れた米菓子がどっさりできる。甘い蜜をかけ、かきまぜて、呉れる。おやつになった。
菓子としては美味かったが、文章への譬喩として「ふわふわのポン」とわたしのいうとき、ネガティヴな意味である。そんな文章で綴られた読み物など、ひまつぶしに読むときも無いではないが、自分では書きたくない。書かないのでなく、書けないのだろうと言われれば、否定しない。わたしの本が沢山は売れないのは、「読み通すのは…始めにしんどそうと思」わせてしまうからで、つまり藝が無いだけの自業自得である。それでも「読み進め」てくれた人は、たいがいもう放しはしてこなかった気がする。

* 湖先生、おはようございます(^^)
> 湖の本で、手も入れ、一編のエッセイを加えて『花鳥風月・好き嫌い百人一首』として復刊したばかりでした。
あわわ! そうだったのですか。ホームページで既刊リストをチェックしたつもりだったのに、私、ちゃんと見ていなかったんですね。今後は湖の本の方で入手させていただきます。
☆ やす香さんのところに行かれたんですね。親・娘・孫水入らずのお時間が作れて、本当に良かったです。やす香さんにとって一番安心できるひとときだったと思います。
そういえば、入院中は、熟睡できない夜よりも、午前中の方が体も楽で、休養できたのを思い出しました。  百合

* ああ、そうであって欲しいとしんから思います。
2006 7・15 58

* ご夫妻へ  お見舞い
じっとしていても耐え難いこの暑さの中を相模大野へ向かわれたお二人のお姿を想像するだけで、私は胸が一杯になります。
箱根(や江ノ島)へ行く特急の中で、お孫さんの病床へ向かわれるお二人の姿が、切なく目に浮かびます。(娘の住まいが鵠沼なので私はよく相模大野を通ります)
子どもを授かることは(孫を授かることは)沢山の楽しい想い出と喜びに恵まれることなのだけれど、悲しみの種も増えるのだと以前(長男が交通事故で死にかけたとき—幸い生き返りましたが)思ったことがありました。
医師に長男の生死の確率は五分五分と告げられた日は次男の養護学校の学芸会当日でした。
私は学芸会に行きました。そして知恵遅れの子たちがお腹の前に茶色のクッションをくくりつけて踊る猩々寺の狸囃子に笑い転げました。
どうか暑さとご心労にお二人が体調を崩されませんようにと祈っています。
京都は祇園まつりですね。   藤

* お見舞い、有り難う存じます。

* わたしはもう涙を流して泣くのをやめている。泣いてどうなろう。水を打ったように静かにしている。玉三郎達の鏡花に見入っている最中は、少なくも心をうちこみ楽しんでいた。いましも喘いでいるやす香のためにも、わたしは、せめても楽しむときは楽しみたいと思う。わたしの肩に孫がきて乗っていると、一緒にそれをし、あれをしていると想う。
2006 7・15 58

* 雷ごろごろ、雨も降ってきました
梅雨も終盤らしく、だいぶ暑くなってきました。お変わりなくお過ごしでしょうか?  今日・明日全日、市の公民館主催のパソコン講座「エクセル講習会」。今まで自分の仕事のみで、全く応用不可だったので。これで写真入りカレンダーなども作れるようになるはず(?)。
盛夏の花、むくげが木にいっぱい咲きはじめましたね。 ゆめ

* いま、「お変わりなくお過ごしでしょうか?}と聞かれると、さすがに、ひどく遠い世間の夢を、紗のすかしを透かして眺めるといったアンバイ。
2006 7・15 58

*「MIXI」での出題に、東工大の卒業生から答が来ていた。

*  「前回の出題」
どっと笑いしがわれには病める(母)ありけり  栗林一石路

父でも母でも子でも友でも師でもいいであろうが、苦しい人生の一断面として厳しい吐露である。けっして、病を諦めようとはしていない祈りの深さ。

「今回の出題」
切子ガラスのごとき青年が(  )反射たのしむ会話目をつむり聞く  富小路 禎子

コメント 2006年07月16日 08:19 典
今回のは「乱」でしょうか。
昨日の方のは、「娘」と入れていましたが「母」だったのですね。「妹」も思い浮かべていました。なぜか年下の女性のような気がしていたのですが、「母」なのですね。姉や姪に死なれて以来、これ以上、父母より先に死んではいけない、と、これだけを自分に課しています。(もちろん運命なのでわかりませんが。)
なので、「母」と埋めると、この作の持つひやりとするものが生きないなと思っていたのですが。順送りって、ある意味めでたいことだと思ってしまうので。

2006年07月16日 09:26  湖
人間関係はいろいろに多彩ですね、「ことば」のように。
教室でみんなに聞いたことがありました。大学以前の「先生」に聴いた、身に彫まれた一言を、と。たくさんたくさんありました中に、「がんばれ」が多かった。この一語は、近来口にするのも、されるのも、嫌い嫌われる気味がありますし、またいかにも平凡なようですが、人間関係、個と個との、ぬきさしならないその「事態」で輝きを持つ言葉なら、単語としての尋常は論外のことでした。
この栗林一石路の句は、大切な間柄の人、ときにはペットの名前すら入れられると想います。わたしなら、さしづめ「孫」としか想いようがない。「はっと一瞬涙を誘われた。それ以上を言う必要などあるまい」と、四半世紀まえの本で、わたしは、言葉多い鑑賞を避けていました。
病む人も元気な人も、寂しいものです。
今回のは、「乱」反射ですね。孫やす香の「MIXI」日記と友人達との対話会話を読み返し読み返し、富小路の歌に向き合っていました。

* たまたま昨日の連載本文にとりあげていた『青春短歌大学』では珍しい方の、道歌を、紹介しておく。

* ☆ 境涯
ある( )らず無きまた( )らずなまなかにすこしあるのがことことと( )る 道歌

西山松之助さんの絵入りの美しい本で見つけた。「瓢箪の繪」に「狂歌」とあり、だれの作ともよく知れず、西山先生自作と拝見しておくことにした。作者はこの際そう問題ではない。やさしい出題ではなかった。三箇所ぜんぶ同じ一字で埋めるように強調してあったのに、別の漢字を押し込んできたのが数人いる。「問題をよく読め」と受験技術としていやほど強いられた反動か、のんきに気ままにしたいのだろう。
瓢箪から駒といっても、もう通用しない。まして瓢箪に酒など入ったさまを想像できる学生は少ない。いないかも知れない。だから、振れば「ことこと」でも「ちゃぷちゃぷ」でも「鳴る」さまに想い至るのは難儀である。
まして一種の道歌とも読める諷喩の歌、意味を取って読まねばならない。狂歌を面白く正しく読むのは、そうやさしい作業ではないのである。
瓢箪のなかに酒が、実でもいいが、いっぱい詰まっていたなら、振っても鳴らない。まるで詰まっていなかったら鳴りようがない。「なまなかに少し有る」のが鳴るのだ。「ことことと」を、気ぜわしく小うるさい感じに読めば、そこに人柄も見えてくる。中途半端にしたり顔のやつほど、なにかにつけ小うるさい、と、まことに耳に痛い狂歌である。
自嘲と自戒の意味で学生諸君にあたまをさげておく気分もある。
東工大にも合格、とかく自信満々の高校生あがりに、ちょっと先手に出て冷や水をかけてやり、わが田に引き入れようとの作戦でもあった。
「ある有らず無きまた有らずなまなかにすこしあるのがことことと有る」と入れてきた学生がいちばん多かった。禅問答めいて面白いが、「ことこと」で落ち着かないのが惜しい。

ひきよせてむすべば柴の庵にてとくればもとの( )はら成けり   慈圓

これは大勢の学生が「野」を正解した。「草」としたものが五四九人中の四〇人、出てきた漢字は約四〇種類もあったとはいえ、四一七人がやや説経じみる歌の意味も境涯もほぼ理解していた。つまり、どこか歌一首に理屈の気味があり、そういうところは数式を読むように東工大の諸君には「解」けてしまうのであるらしい。
2006 7・16 58

* ホスピスから生還した知人がいます。好きなものを飲んで食べて毎日楽しく、大いに笑っているうちに、症状が改善されてしまって、ホスピスを出されたのです。笑うことには不思議な力があるそうです。
医療の現場はじつに厳しいものですが、それと同時に奇跡は決して珍しいことではありませんし、希望はいつもいつも出番を待っています。
どうか、他人の無責任な気休めとお受け取りにならないでください。奇跡はすぐそこに。やす香さんに笑顔があふれること、そのことがすでに素晴らしい奇跡でなくてなんでしょう。信じています。  夏

* 音楽を絶えず聴き、ワインに気持ちを静め、息を詰めて……苦しい。すべて、予感し覚悟し呻いてきたことだけれど。
2006 7・16 58

*  > 言葉もなく、深く深く感謝しています。
いいえ、やはり余計なことを書いてしまったのだと思います。夕日子さんのお気持ちはとっくにご存知だったのですね。私の書いたことは、他人からの単なるだめ押しでした。
> 日記を読めば読むほど、「ああ手遅れ」したという悔いは、口惜しさは募ります。
先生のお気持ちには、本当にもう、何も申し上げられる言葉がありません。やす香さんの日記を、体の不調と痛みを訴えていらっしゃる所を中心に、読んでみました。
確かに日に日に状態が悪くなっているのが分かりました。
でも、一番驚いたのは、4月の始めに病院で検査をしているのに、そこでは何も見つけられず、只「うちでは分からないから、大学病院にでも行きなさい」と言うだけの対応をしているところです。
ここですぐに付き合いのある大学病院を紹介する等の措置があればと、怒りも覚えますし、これが地域医療の限界なのかとも、愕然としました。
今頃はお祭りが宴たけなわでしょうか。やす香さんが楽しんでいらっしゃることを願っております。
入院生活で一番の敵は、一日のメリハリが無くなることでした。行動が著しく制限されていて、することが何もないと、具体的な、生活のはりあいが失われてしまうのでした。特に、長期入院になると、これが一番困りました。そんな生活の中、面会のお客さんは、外の世界を運んでくれ、「会って話す」というはりあいを持ってきてくれるので、只会いに来てくれるだけで、華のある生活になるというか、そういう部分はありました。確かに疲れるので、体調によって制限なさった方が良いとは思うのですが・・・。
日記を読みますと、やす香さんは今年の春頃から、肩から胸の辺りが痛くて安眠できない日々が続いていたんですね。
今は安眠できているでしょうか。夜に眠りが浅くなるなら、ご家族がそばにいらっしゃる昼間、のんびり眠るのも良いことだと思います。勿論薬の副作用もありますが、お母様の前でうとうと眠ってばかりのやす香さんは、きっと、安心していらっしゃるのだろうとも思いました。
先生も、どうかお体を苛まれませんよう。
とても難しいことだと思いますが、どうかお元気でお過ごしください。 百合

* ありがとう。ありがとう。
2006 7・16 58

* 「MIXI」での意思疎通には、「日記」への「コメント」があり、これは一首のチャットで、誰でも参加でき誰にでも読まれうる。もう一つ「メッセージ」があり、これは相手へ個と個との通信として直通し、誰にも読まれない。
「コメント」では埒が明かないとみて、私は「四月十二日」に、やす香にメッセージしている。これは、もはや言語に絶した苦痛でありなが、まだやす香はひとり堪え、わけわからずに狂った昆虫の一匹のように、日々過ごしていた時点である。

* 宛 先 : やす香   日 付 : 2006年04月12日 20:38
件 名 : MIXIに加わってから、
やす香の日記を欠かさず読んできました。もうまる二ヶ月ちかくなります。一言で言えば「心配」の連続でした。
人から耳の痛い何かを言われるのを、頑固に拒絶しているらしいのは知っていたので、直接、何も話し掛けませんでした。
書かれてある日々の生活、それを話している書き方・話し方。そして会話。それは、ま、本人の勝手であるから好きにしていいことですが、最近の日記には、「心身の違和」が猛烈に語られはじめ、こと健康、こと診療となると、心配は、もう極限へ来ています。
ことに今日の日記など、これが「ピーターと狼」の例であるならべつですが、本当に本当にこんな有様なら、やがて神経や精神に響いてきます。両親とも、本気で何の相談もしていないように見受けるし。
やす香日記をみてくれている「大人」の知人・読者には、日記じたいが心幼い一つのパフォーマンスであり、自我の幼稚な主張であり、或いは遊戯に近いかと解釈する人すらあるのですが、わたしは、おじいやんは、そうは思っていません。かなり危ないと、ほんとうに心配しています。
相談したい事があるなら、素直に柔らかい気持ちで、遠慮無く言うてきてくれますように。とても「笑って」られる状態・状況とは思われない。
まさかやす香は他人からの「愚弄愛」に飢えているわけではないでしょう。だれからも、正常で正当な「敬愛」を受けたいのではないか。それにしては、あまりに言うこと為すこと「幼い」のではありませんか。
やす香は、こういうことを身近な誰それから直言されるのを、極端に嫌っている気はしますけれど、心の健康すら心配される今、手遅れにならぬうちに、「話しにお出で」と声をかけることに、おじいやん一人で決心しました。 祖父

* 「親に話しなさい、父親に話しなさい、母親に話しなさい」と、もっともっともっとハッキリ指示すべきであった。この、四月半ばにも成らぬ時点で、すでに「手遅れ」に近いほど、やす香の訴える苦痛は深刻を極めていた。おお、しかも、やす香が今の病院に入院し、精密検査され、「白血病」と告げられたのは、なお「五十日も遅れた六月二十日前後」であった。
その間にもやす香は、ひとりカイロプラクティックの治療を受けに行っている。弱り切ったやす香の骨に、きついカイロの治療は無用な苛酷ではなかったか、骨の肉腫は、骨が溶けるように砕かれ弱ってゆく病気なのである。

* こんにちは。先生のホームページを久しぶりに拝見し、驚き、なんと申し上げてよいのかわからぬままにメールしております。
やす香さんのご病気の回復を信じてお祈り申し上げます。秦先生もご家族の皆様もどうかお体をこわされませんように。
早稲田大学の在学中、私は欠席がちな学生でしたが、1986年に受講した先生の授業で、先生が「今年、こどもが二人生まれます。」とおっしゃったのを憶えております。
その記憶のせいか、私はなぜだかやす香さんは「湖の本」と同じ6月生まれだと思っておりましたが、お誕生日は9月なのですね。
きっとその日を迎えられると、非力ながら私も強く念じております。
蒸し暑い毎日ですが、どうぞ皆様お大事になさってください。  濱

* ありがとう。ありがとう。

* 今日、看護・介護の仕事に携わっている友人に尋ねたところ、リラックスして自然治癒力・免疫力を高めるという方法もある、そのために無理な治療をするより緩和ケアを選ぶこともあるよ、との答えでした。
それを聞き、音楽会が少しでも、やす香さんの力を引き出せますように、と祈っておりました。
毎日、祈っています。
どうぞ秦さんも御大切にお願いいたします。   清

* 下関の方が、ごく身近な温かみでこうして親切にしてくださる。嬉しい。
建日子が電話で夕日子に聞いたところでは、音楽会には百人もあつまって成功し、やす香に疲労での急変もなく、無事と。ありがたい。ありがたい。静穏でありつづけますように。
2006 7・16 58

* 祇園会。ひたすら京都が懐かしい。永遠に帰ってしまいたいとも思うが、それはタワコトに過ぎない。そんな京都は、もうわたしの念裡にしか実在しない。

* 祇園祭、降り続く雨の中での巡行になりました。テレビで観ていますが何もかもずぶ濡れのお祭り。
この雨と共に災厄も一掃され流されますように。
やす香さんのご回復を信じてお祈りしています。
どうぞ、皆様も少しでも心安らかにお過ごしになれますよう、お祈りしています。従妹

* ただただ 祈る  甲子
私語にて、やす香さんの入院を知り、六月二十三日、若い頃に起こりがちな病の一種、それにしても祖父母のご心労いかばかりか、と、何はさておきお見舞いのメールさしあげました。が、翌日の「私語」文中、
* お見舞いをたくさん戴いているが、この返礼はご勘弁願っている。
とのお言葉、さもありなん、忙中の雑音、痛苦の源。と、以後の発言は控えて下りました。
ところが、その病根の深さ言外のことと聞くに及び、見舞いの言葉など空疎にひとしいものと知りました。
しかし、昨・日曜、建日子さんの電話で音楽会には百人もあつまって成功し、やす香さんに疲労の急変もなく無事。とのこと、それそれ、医・智・に限りはあっても、気・には計り知れない力がある、と信じます。
どうぞ、周囲から、特に先生の「持ち観念」であられる「身内」の方々、有声無声の励ましによって、やす香さんの内なる気力を高め、現前させ、快癒の方向へ向かわしめるよう、祈ってやみません。
何の知識もなく、お役に立てる提言のひとつだに申し上げること適いませんが、ご心労のほどは深くお察しいたします。そのあまり、日々のこと、体調などに齟齬の来たらすことなきよう。お過ごし下さいますように…。  060717 甲子

* 恐れ入ります。
秦と★★という、錯雑した多年の確執のなかで、ただ愛おしい孫娘に思いを凝らすしかない、ややこしさにもわたしたちは翻弄されています。一期一会。繰り返しの一度一度にその思いをひそめ、先日の見舞いにも、めったにしないネクタイをしめ、せめて孫の眼に、祖父のきちんとした姿をみてもらっておこう、もう二度と来れないかも知れぬと覚悟して参りました。そういう宿世なのでしょう。
2006 7・17 58

* 気温が下がり この二日、いくらか人心地がつけます。
昨日の祇園祭山鉾巡行は、例年に違わず雨降りでしたが、幸い関西地方も、あの汗の吹き出るような蒸し暑さはなかった、とメールがありました。
京都では折々の季節の移り変わりを、そんなイヴェントで確認していたと懐かしく、寸時のテレビニュースを追っています。
友人の旦那様たちがそんな京の三大祭の管理をする立場の長老だと聴き及んで、自分の歳をつくづくと。
いよいよ梅雨明け間近です。
雨降りで運動出来ませんね。
やす香ちゃんの事、心から離れないでしょうが、ご自分も病人であることを忘れずに、お気をつけて。今はあなたの健康に声を掛ける人はいないでしょうから。
何をさておいても、お見舞い(ただ顔を見せるだけでも)を頻繁になさるのが一番かと思います。  泉
2006 7・18 58

* 百合の花が咲きました。  いい香りで、家に帰ってくると、うれしくなります。
やす香さん、音楽会楽しまれてよかったですね。
それから今「私語」を拝見すると、ビッグスターからの励ましも・・。
大いに楽しみ、いっぱい笑って、病気を吹き飛ばしてください。
今日、田舎の、産直市場に、ハウスもののニューピオーネがありましたので、1つだけお送りしました。『一房の葡萄』です。
召し上がってくださるとうれしいです。
『こころ言葉』と『光悦・宗達』を並行読みしています。からまっていた糸がするすると解けていく快感を味わっています。
先生は、ほんとに京都がお好きなのですね。
なつかしき
故郷にかへる思ひあり、
久し振りにて汽車にのりしに。    讃岐

* 百合の花が咲きました。  いい香りで、家に帰ってくると、うれしくなります。
やす香さん、音楽会楽しまれてよかったですね。
それから今「私語」を拝見すると、ビッグスターからの励ましも・・。
大いに楽しみ、いっぱい笑って、病気を吹き飛ばしてください。
今日、田舎の、産直市場に、ハウスもののニューピオーネがありましたので、1つだけお送りしました。『一房の葡萄』です。
召し上がってくださるとうれしいです。
『こころ言葉』と『光悦・宗達』を並行読みしています。からまっていた糸がするすると解けていく快感を味わっています。
先生は、ほんとに京都がお好きなのですね。
なつかしき
故郷にかへる思ひあり、
久し振りにて汽車にのりしに。    讃岐

* ひとことでいい、やす香のメッセージが「MIXI」に流れてくれるかしらんと、願っている。音楽会の反動、よほど強かったのではないか。次の目標をなにとか工夫できないだろうか。

* やす香母の「きょうのやす香」の容態が「MIXI」に報告されている。とろとろと寝ているとも、うとうとと覚めているとも。見舞いの友達の手を手でまさぐりにぎると。
やすかれ、やす香。

* やす香はときに「詩」を書いた。書くことばがそのまま詩になることもあった。はっとするほど、失礼ながら見た目のやす香を裏切るほど、ピッカリ光った詩句を紡ぎ出していた。
大学へ入学時の「自己推薦文」は、提出前にわたしに見せてくれた。
今年の正月の目標はフランス語の検定試験だった。
正月早々、フランス語で、覚悟の程を書いていたりした。

* 秦恒平様
*「わたしは、ただもうやす香の顔を見ていた。言葉は無力に感じられた。」
じいやんの、この痛切な記述を前に、何もいうべき言葉が無い。最近の「秦ブログ」を読むのが、辛くて仕方がない。メールもそうそう気楽に送れるものではない。だが、じいやん、やす香さんに逢えてよかった。
気のきなかい読者は、ただただ、声にならない言葉を、言葉にならない声を、密かに心で念じ入るのみ。それでも、秦さんのいわれる「世間」は、何事も知らぬげな顔して動き、通り過ぎていく。それが人の世の習いかもしれないし、所詮私も「身内」にはなれない一読者に過ぎないのであろうが・・・。ひとえに秦さん自身の「消耗」を心配しつつ・・・。
※ クロネコのクール便にて「製造元」より、ささやかな暑気払いをお届けします。一両日中に届くはず。
七夕はとっくに過ぎましたが、越後名物の「右門の笹だんご」です。年に一度、七夕の時期に知人が送ってくれる私のひそやかな楽しみを、人生で一番かもしれない苦しみにあえぐ秦さんにも、お届けしたいと思いました。冷蔵庫で冷やして2日は味わえます。固くなれば電子レンジで数十秒温めて下さい。くれぐれも、余り温め過ぎないように。
残りは必ず「冷凍」して下さい。新鮮なヨモギと、熊笹の葉の薬効が、適度な甘さの小豆餡に共鳴して秦さんの心を癒してくれるようにと願いながら。  円  四国E-OLD

* 恐れ入ります。

* 奪われていた十余年が惜しまれる。痛切に惜しまれる。
2006 7・18 58

* 歌舞伎座から帰宅しました。お見舞いのことが気にかかり、なぜか胸騒ぎがして、すぐに私語を拝見しました。涙があふれて文字がかすみ、どうにか読み終えた今、言葉がありません。すべてが痛く感じます。
メールを書きながら時間ばかりが経って、何をどう書いていいのかわからなくなってきました。やす香さんを愛している多くの方々と共に祈り続けます。希望を持ちます。   夏はよる

* やすかれ やす香 生きよ けふも

やすかれといまはのまごのてのぬくみほおにあてつついきどほろしも

このいのちやるまいぞもどせもどせとぞよべばやす香はゆびをうごかす
2006 7・19 58

* 昨日、本屋に『メリー・スチュアート』を注文しました。新潮文庫は絶版久しく、インターネットで調べても文庫本は現在ありません。古本屋を時間をかけて折りにふれ丹念に探すことにしましょう。お手持ちの本の訳者が誰か分かりませんので、もし訳者が異なっていたらと懸念はありますが、入手可能なツヴァイク・コレクションというシリーズに『メリー・スチュアート』がありますので、それを頼みました。翻訳は古見日高という人です。来週以降お手元に届くでしょう。ちょうど発送作業が一段落する頃でしょうか。くれぐれもお体大切に発送を済ませられますよう。転んだ後の腕の傷が思いやられます。
雨が降り続き、祇園祭は例年の半分ほどの人出だったとか。今年はいろいろ用事があって出掛けられませんでした。
八月にヨーロッパに半月余り行くことになりました。ずっとわたしには珍しく躊躇していたのですが、断れなくて。行く以上はそれなりに目的も多々あり、少し「勉強」も準備もしたい。それまでに仕上げなければと思う絵もあります。
気持ちばかり忙しくなりそうですが、わたしの気分はそこからかなり遠い状態です。  鳶
2006 7・20 58

* 先生が、フルーツの「高野」で求められた果物を病床に持参された由拝見して、健康な初物のフルーツをと、失礼ながら送らせていただきました。
ご丁寧なお便りいただきまして、恐縮に存じます。
それにしても、なんという病勢の激しさでしょうか。
めまぐるしく変化するご病状に、どきどきしながらHPを拝見しています。お見舞いのご様子、泣きながら読みました。
まして、やす香さんはまだ花のつぼみのような19歳、そして、おじいやんとの長い途絶の時間の後のうれしい再会をしたばっかりというのに。
あの(ホームページ「私語の刻」の)お写真のかわいいやす香ちゃんが病魔にあわや連れ去られようとしている。
どんなにつらく悔しい思いをなさっているか、言葉で言い尽くせません。「ふしまろびて嘆き悲しむ」と言った、昔の人の表現こそ言いえてくれているような気がします。
代わってやりたいと、私も思うでしょう。
奇蹟を信じます。
近くに、聖武天皇時代の国分寺があり、霊験あらたかな観音さんがいらっしゃいます。
毎日祈っています。どうぞどうぞよくなりますように。  讃岐

* おたよりのあらましを摘記しながら、感謝している。バグワンは「思考」はモノであり力であると説いている。このような思いの数々が癒しの力となりやす香の病症をきっととりつつんで力を発揮してくれるのだと想っている。
2006 7・20 58

* 日中文化交流協会の白土吾夫代表が亡くなった。
井上靖夫妻を団長に、巌谷大四、伊藤桂一、清岡卓行、辻邦生、大岡信氏らとともに、作家代表団の一員に加えて、わたしを初めて中国へ連れて行ってくれた人であり、それ以降も、「湖の本」を最新刊に至るまで欠かさず購入・支援してくれた大きな大きな知己であった。
中国の旅での白土さんのああも言われこうも話されていた豪快で深切なとりなしのみごとさを、忘れることは出来ない。わたしの歌集『少年』に、だれよりも早く目をとめて「天才の風貌」と褒めてくれたのも、白土吾夫さんであった。療養されているとは前から漏れ聞いていて、たまに会合でお見受けするときの姿にも、往年の生気溌剌の様こそ無かったけれど、いつ挨拶しても、ものやわらかな大人の風格はそれはみごとな方であった。死なれた喪失感は深い。大きい。残念だ。心よりご冥福を祈る。

* 京都美術文化賞で二十年、同僚の理事として、また選者同士として親しくしてきた彫刻・陶藝家の清水九兵衛さんもまた亡くなられた。国際的な藝術家であり、インタビューのテレビ番組を撮ったこともあり、選者仲間では石本正氏とともに最も仲良く親しみ続けてきた、尊敬し信愛する大きな大きな知己であったのに。「湖の本」をおくるつど、こんなに几帳面にお手紙を下さる人は少なく、それも型通りではないのだった。
『親指のマリア』が好き、あのシチリアは良く書けていますねえと何度も繰り返し褒められた。清水さんにはお茶碗を、湯呑みを、ぐいのみを、何度も幾つも頂戴している。六兵衛を隠居してまた九兵衛に戻られてからも、先日の京都蹴上の授賞式場でも嵐山吉兆での理事会の宴席でも、また「茶碗」をやいています、ちかぢかに差し上げますよと言われ、秦さんの酷評はコワイがなあと呵々されていた。「酷評は創作家の栄養じゃないですか」と笑うと、即座に真面目に「そりゃそうだ」と断言された表情も、口調も、口元も、ありありと懐かしい。まさか、こうも早くとは、驚愕、残念至極。
中村真一郎さんにも、こんなふうに、お達者そうにお目に掛かり、あっというまに死なれてしまったが、清水九兵衛さんまたあまりに名残多く、にわかに死なれてしまった。三井海上火災の庭の巨大な代表作「朱龍」に乗って、懐かしい九兵衛さんは西天へ去って行かれた、嗚呼…寂しい。
2006 7・22 58

* ・・・続ける、ということ。
私語の刻を読んでいます。
そのひとときは、静かに考えさせられる佳い意味の負荷(秦さんの言葉)を感じながら。
常々、取り立てることでもないけれど、取り去ることもない(できない)から、横たわっているようなこと。秦さんの書くものは、よくその部分に触れるので、「静かに考えたい思っている」そのような自分を又、あらためて当然に感じています。
「人間」や「品格」について、さも…顔で言い放つ、その軽さ、薄さ…に目を剥く秦さん。さもしいものが見え隠れするようなことは、私もゴメンです。
今、居るそこは何処で、何を見て(見据えて)、そのようなことは、その人に言われている(ことば)か。
たかが、ひとりの人間に言い切れるものは、そうそうないと思うので、考え続けること、静かに考えたいと思うことを持ち続けること。せめて、そのようなことぐらいは、私の生活から取り払わないようにしよう。
■凛然と反逆する・・・創作について(7/21 建日子のブログに立ち止まるより)
テレビの仕事などは、スポンサー、視聴率など厄介なものにひれ伏して、又、個人ではなく大勢の人と規制の中にあって創作→制作されるものと思いますから、そのような環境で培われる(好まれる)のは、余計なものはふるいにかけて、直球で、ストレートなもの。
個人として持つべきものは、自分の本意が宛がうところを、まき散らさず、的を射る、見極める作業を続けることだと思います。   樹

* 鴉 がんばって。
やす香さんの時間を、その貴重さを、思います。
発送の仕事、捗っていますか? 腕、足腰、大丈夫ですか? 大切に、大切に。
鏡花小説の人物の凄さなど。忘れかけているもの、忘れようとしているものの重さを痛切に問われています。 鳶

* 御本のお礼
秦様、早速に新しいご本をお送りいただき有難うございます。カミさんから秦先生から本が届いたよ、とメールが入りました。彼女も「湖の本」を時々拾い読みしておりますが、帰るまで開封するなよと威張って言いました。今日は夜まで家に戻れないので、待ち遠しいなあ。お代は月曜日にお送りします。まずは御礼まで。どうぞお大事に、お心やすまりますよう。 ロミオ

* 京都 のばら です。 早速に新しいご本届きました。いつもありがとうございます。創刊満二十年をお迎えになり、通算第八十八巻の出版、心よりお祝い申しあげます。これからも益々ご活躍されますよう応援しています。
今度の小説は遠い時空を行き来して頭がこんがらがる事もなさそうだし、楽しみに読ませていただきます。
ご心痛の絶え間ないご日常、発送などのお疲れがでませんようにお大切にしてください。
やす香さんに皆さんの祈りが届きますよう切に願っています。

* 湖の本届きました。ありがとうございます。
哀しい大きな苦しみの中でも、粛然とお仕事をなさる姿勢に敬服いたします。それと共に尚一層のおじいやんとまみいの苦しみを思います。聡明な夕日子さんもどんなにかお辛いだろうと身を案じています。
お心の傷が体に障らぬはずがありません。くれぐれもお体おいといください。
夕飯の後片付けもそこそこにずーと頁を繰るのももどかしく読みふけっています。それがやす香さんの生を祈ることにもなるように思えて。
ご本が届く前の昼には「細川ガラシャ」の書かれた本を読んでいたのですが、毎日何か祈りに通じるものへ身を置きたい気持ちでいます。
重ね重ねお二人のお体をお大切に。  晴

* 明日は建日子と一緒に、三人で病院へ出掛けてみる。逢えるかどうか、分からないが。
2006 7・22 58

* 私の目・私の手  理
ごぶさたしています。梅雨とばかりによく雨が降っています。内陸の山間で土砂崩れがかなり起きていて、中国山地の険しさを思い知る心地です。
たいへんおつらい日々をすごされているところ、このたびの湖の本、いつにもましてありがたく受け取りました。「逆らひてこそ、父」・・・楽しみに、読みます。
(払い込みですが、平日郵便局に行く時間がないので、前回のように直接お届けするか、また払い込むにしても少し日にちがあくと思います。お待たせしてすみません。)
会社はなかなかたいへんです。楽しくやっているとは言いませんが、日々何かしら失敗し、そこから学び、充実しています。
配属されて、いきなり職場に自分の机とパソコンをもらい、担当の上司と先輩について回っています。来年いっぱいまではこの体制で、’08年1月から独り立ちせよ(担当の部品を全て自分の判断で買いつける)、とのことです。
私は変速機のチームに入り、手動変速機用のギア部品を受け持っています。ギアすなわち歯車です、私の机には歯車のサンプルが置いてあり、さわりすぎて錆だらけになってしまいました。
自動車は大半が鋼でできており、歯車も同様です。(近年、プラスチック、アルミ、マグネシウムなど、素材の多様化が進んでいます。ただ、日本の自動車メーカーは鉄鋼会社への依存度が強いです。それだけ日本の鉄鋼は優秀なのですが、フェアな取引ができているかという問題はあります。)
鋼を刀鍛冶の要領で叩いて(鍛造といいます)円盤状にします。これを加工して歯車にするのですが、鍛造された鋼は組織の密度がつまって硬いため、加工しにくい。
そこに焼きを入れて組織の質を変えてやります。すると強度を保ちつつ組織に柔軟性が生まれ、加工しやすくなります。
加工には刃物が必要です。円盤の中をくりぬき、外周に歯を削りこみ、表面には磨きを入れます。それぞれに異なるカッター、磨きには砥石を使います。歯車ひとつのできるまで、加工用の設備は四、五台用意されます。
加工のすんだあと、もう一度焼きを入れます。はじめの焼入れとは違って、歯車全体をとことん硬くするために行います。その上にマンガンや亜鉛などを吹きつける表面処理をほどこすことで、中身は硬く、表は滑りのよい、立派な歯車になります。
鍛造、加工×5、焼入れ×2、表面処理。それぞれに人件費、設備投資、償却、製造時間によるばらつき、といったコストが発生します。そこに洗浄、検査、梱包、物流が加わります。すべて合わせてこの歯車ひとつ300円です、こいつは高い精度を出しているので500円です、といった見積もりが出ます。
歯車は地元(広島、山口)の下請けに造ってもらっています。下請けは親と一蓮托生ですから、価格交渉というより、一緒に努力して製造コストを下げていこう、といった協働作業がほとんどです。そのぶん下請けは見積もりの細かい明細を出してくれ、工場も隅々までよく見せてくれます。
大手の独立系や、他社系列の有力企業(系列外とも取引があります、それだけ優秀ということです)、また異業種(電子部品、商社など)は、こうはいきません。見積もりをとっても総額しか載っていないし、工場に行っても「見学」しかさせてくれません。こういう相手とはまさしく交渉で、騙されているとわかりつつ、こちらもはったりで対抗するしかない・・・のだそうです。
たまたま私は地元中心の部署に配属されました。教育の一環で近隣の取引先工場を見て回りました。大手メーカーのきれいで自動化された大きな工場を見て、いやあすばらしいと感心はしますが、見学を終えても何をどう造っていたか、よくわからないままです。いいところも悪いところも全て見せてもらって、いわばむきだしの「ものづくり」は、何よりの勉強になります。
少しずつ、自分の目、自分の手で何かつかめている、という実感があります。まだまだ目は方向違いだし、手は先輩の足を引っ張っているのですが。
大学の後輩が、いま四年生ですが、潰瘍性大腸炎という病気にかかり、一年半ほど入退院を繰り返しています。本来であれば就職活動に取り組み、もう進路を決めていておかしくない時期ですが、むしろ悪化し、先日また入院したそうです。今までは抗生物質で抑えていたものを、手術で取り除く・・・大腸を切除し、人工のものに取り替える。それで完治の可能性はある一方、たいへん難しい手術で、失敗の危険性もある、と。手術に賭けるか、完治をあきらめるか、悩んでいるようです。
私はいままで大きな病気にかからず、健康に恵まれています。だから毎日仕事に行き、休みの日は遊びに行ける。つらいこと、いやなこと、苦しいこと、あるにはあります。しかし、それは健康だから降りかかるものであり、健康であれば乗り越えられるものです。健康に生まれたことの幸せ、よろこび・・・。
秦さん、迪子さん。どうか、おからだお大事になさってください。やす香さんの若い、たくましい、強い生を、私も祈ります。

* この若き友は、彼らしい話し方で、懸命にわたしたちを慰め励ましてくれているのだ。なんという生き生きとしたことばと暮らしぶりであることか。頼もしい。嬉しい。
2006 7・23 58

* いつも「湖の本」お送りくださいましてありがとうございます。
最近職場で大きな変化があり、毎日とても疲れてしまってパソコン開けるのもお手紙出すのも難儀で、失礼しておりました。
勤務先は今年度から「指定管理制度」が導入され、「**区地域振興公社」から抜けて「株式会社***メソッド」が、区から直接委託されてホールを運営するようになりました。
しかし、大幅な人員削減(私はかろうじて居残り)と新しいシステムが始まったため、勤務日数が増えて大変なことになりました。(お金は増えないんですけど)企画や事業も提出しなければなりませんし。
先生、人生ってこんなに疲れるのでしょうか。
創作もやりたくてやりたくて、何かたくさんの「やりたいこと」が頭を渦巻くばかりです。
母はなんとか元気にしてくれています。
ただ10歳の飼い犬が、なんと糖尿病になってしまいました! 治療はしてやれないので(ほんとに動物医療は高額です)食事療法で持ちこたえています。彼女(メスのヨークシャーテリアでジャスミンと言います)がわたしの今一番の生きがいです。
先生の「自分の幸せと健康だけを考えて」とのお言葉、胸に染みる日々です。
先生、奥様、どうぞお元気でお過ごし下さい。   弓

* 持ちこたえて下さい。

* 秦先生  ごぶさたしております。  道  神戸
生活と意見は拝見しておりますが、なかなかメールのタイミングが掴めませんでした。
やす香さんが病気で大変な折のご発送ありがとうございます。
晩婚だったので、長男が今大学2年で、やす香さんと同じ年です。息子は先月誕生日を迎えましたが、やす香さんが二十歳の誕生日を迎えられますことをお祈りしております。

* ありがとうございます。

* ご不調と伺っていますが、その後いかがでしょうか。御高著『湖の本』50号をお送りいただき、ありがとうございました。
大変おもしろく、考えさせられながら拝読しましたが、巻末の「未了」には悔しい思いをいたしました。
早く続きが読みたいです。代金は明日振込みいたします。  ペン会員

* 秦 先生  ご本、いただきました。
たいへんななかをお送りくださいましたこと、また、ただならぬ時を、「濯鱗清流」の寿詞を賜りましたこと、どう、申しあげたらよろしいのか。
どうぞ、おたいせつになされますよう。
メロスのごとイチローのごと走りませ**のモーション盗みて
相模大野に病む乙女子に届きますように。   香
2006 7・23 58

* 霊的な世界観では、「想念のプレゼント」というものがあるそうです。自分にとって天国と思える情景を相手に届けることで、喜ばせることができるというのです。生きている人でも死んでいる人でも誰にでも願った人に想念は届くと。
病床のやす香さんとご一緒に歌舞伎を観ていらしたように、わたくしも好きな人とずっと一緒でした。
初めての歌舞伎でしたが、抱いていた歌舞伎のイメージではなく、二作とも新派みたいな舞台と感じました。
「山吹」は鏡花らしいすさまじい話だと思いながら、舞台には今ひとつ乗れずに観ました。縫子が玉三郎だったら全然違っていたでしょう。折檻したり死んだ鯉の肝を吸う笑三郎が美しくも凄艶にも見えないし、歌六の辺栗藤次も難しい役とは思いますが、もうちょっとどうにかならないかと。一本調子のただの年寄りに見えました。落魄の身にも品格は表現されていてほしい。島津正役は誰がやっても最低の役。客席の笑いはとれますが、こんなお行儀のいいだけの紳士は願い下げです。つまらん男。
最後の「世間によろしく。さようなら」という縫子の痛烈な一言は、島津のような男を理想とした自分への愛想尽かしであったのかもしれません。縫子と藤次の人間の「誠」は、脚本として伝わっても、舞台では世間を捨てて守り抜く人間の矜恃よりも、グロテスクな印象が勝っていたようで。

「天守物語」はとてもとても楽しみました。佳い夢が見られました。何しろ生の玉三郎は初めて。登場しただけで舞台の色が変わるくらい圧倒的です。海老蔵も初めて。二人とも噂にたがわぬ美しさで堪能しました。この二人なら、一目で恋に落ちるでしょう。
歌舞伎は役者の華で見せるものかしら? 若い頃の玉三郎と仁左衛門の「蝶の夢?」の舞を観た友人がこの世のものとは思えなかったと言います。海老蔵はテレビで観ると好きになれませんが、舞台ではきれいで、声の佳さが際立っていました。ダイヤの原石なので、よくよく磨いてほんものの珠になってほしいです。
記憶が正しければ、舞台は「舞」であるという意味のことを以前書いていらしたような。玉三郎と海老蔵は型が出来ていて、バレエのパ・ドゥ・ドウを観ているようでした。
歌舞伎座の休憩時間は長いのですね。時間をもてあまして、蟹のお寿司をいただきました。鯖のお寿司はこの時期怖くて。お味は悪くなかったです。
一階後ろのほうの席でしたから(それでも一万一千円のチケット)、オペラグラスを持っていて正解でした。また、観に行きたいものですが、今度はもう少し観やすい場所でと思います。その時も「想念のプレゼント」を送ります。逢いたい人にいつでも想いを届けます。
おやすみなさい。おつらい一日の眠りが猫のお昼寝のように無心でありますように。  祈り続ける お夏

* 「山吹」「天守物語」の批評、その通りである。
「山吹」の舞台は、肝腎の役者達が不適切で、いうまでもなく美しい家出妻が玉三郎で、梅玉が島津画伯を演じ、人形師には段四郎をと願っていた。
戯曲自体もわたしは三島が言うほどとは踏まないけれど、「世間へよろしく」の一句に燃え立つ批評は、鏡花世界に身も心もよせてやまないわたしには、有りがたい金無垢の刺戟であった。
あの舞台は、そう再々は実現しないだろうと思うだけに、他の三作は繰り返し上演されるだろうだけに、稀有の出会いで有りがたかった。
お夏さんには「海神別荘」を見せたかった。玉三郎と海老蔵のコンビは、さらにさらに魅力に溢れて烈しい。
鏡花劇は、新派で多くを演じてきたけれど、また歌舞伎劇としては書かれていないけれど、「山吹」以外は、歌舞伎座の演目として十分熟している。かぶくという意味の非常識な過激さは、だが現代劇である「山吹」によけい出ていて、「グロテスク」に感じさせたのであろう。
2006 7・23 58

*  「湖の本」届きました。ありがとうございます。
どのようにも、
抗うことができない(恐怖の)緊張感が覆っているとき、
何かに取り憑かれたように、
何かに取り憑かれないように、
普段どうりの、
やるべきことをしました。
自分が生きてて、
できることは、それが精一杯でした。
そういうことが、私の祈りでした。
(数年前、今の先生と同じような時間を持ったとき。)   樹

* やすかれ やす香 生きよ けふも。  もう日付は動いている。母夕日子の誕生日は来週。夕日子をその日病院で祝ってやれればいいが。夕日子の祝われるのをやす香が見て聴いて、喜んでくれるといいが。
2006 7・23 58

* 孫娘のやす香さんのこと、なんとも言えません。
「肉腫」といえども、適切な治療が、早ければ、ほかに転移せず、手術と化学療法で、3人に2人は、再発しないまま、5年経過(5年再発しなければ、治ったというそうですね)する確率が高いということを知りました。
それだけに、悔しい秦さんの思いが、私の胸にも、高波のように、どっと押し寄せて来て、なんとも言えなくなってしまいます。お許し下さい。
「湖の本」(50)安着しました。エッセイも(38)まで揃っていますから、88の米寿達成ですね。次は、とりあえず、白寿が目標。
きのう、受け取り、きょうまでに、一気に読んでしまいました。批評、感想などは、いずれ、直接お会いしたときに述べるとして。
御自身の体も御自愛下さい。   英

* 湖の本 50 私でも理解できそうな感触を得ています。送金も近いうちにさせていただきます。 有難うございました。
さて このところのHPで毎日毎日胸のふさがる衝撃を受けております。どんなに深いご心痛の日日かと。奇跡よ起こって! 心からのお見舞いを申し上げます。
私はこのところすこしさぼりながら、それでも一水会展本展に向けての制作をしています。2点 どちらもパッとしない作品になりそうで私も胸がふさがりそうです。時折気分転換にモデルを描いたり、展覧会をのぞいたり・・・と、このごろのお天気のように、晴れない日日でもあります。 もううんざりでしょうが、そのうちまた絵の添付をさせていただくかもしれません。 郁

* 本(ツヴァイク「メリー・スチュアート」)が、たとい僅かでも苦しみを紛らせてくれたら・・。
怖くてHPをあけられない。やす香さんのこと、祈るばかりです。  鳶

* 布谷君が来てくれて、妻のコンピュータを整え、わたしの方のも診察して行ってくれた。「ケケデプレ」で歓談、少し妻の哀しみを散じ得たか。コンピュータは、しかし難しい。あわや惨事かと思ったが、持ち直して知らぬ顔して働いている。気むずかしい機械とも気まぐれな機械とも。疲れた。布谷君はもっと疲れたろう。
2006 7・25 58

* そして丸山宏司君から、第二子結(ゆい)ちゃん誕生の朗報。葵ちゃんと顔を見合わせた写真の可愛いこと、むかしの夕日子・建日子を思い出す。おめでとう。ポーランドからも、やがて朗報がくるだろう。
若い友人達の大勢がゾクゾクおやじ、おふくろになってきた。世に秀でたきみたちこそ、日本のためにも優れた子供達をしっかり何人も育ててください。
わたしたちにまだ子が一人と聞いて、穏和な、国立公衆衛生院の林路彰先生が、思わず叱咤された昔を懐かしく思い出す。日本の国は人口減にかならず困惑するのです、分かりましたかと教えられたあの頃は日本列島に人間が溢れに溢れていた、が、わたしは建日子の出生を求めたのだ、林先生は彼のこのよへの後援者であった。その彼が、子供を一人も作れないでいるとは、いやはや。

* 歌舞伎の感想で一つ言い忘れていました。泉鏡花が笑わせる意図で書いたセリフではないと思うところで、客席から笑いが何度か起きました。これは舞台の作りに問題があったのか、役者のせいなのか、どうなのでしょう。こちらの感性が変なのかもしれませんが、ここは笑うところなのだろうかと首をひねっていました。  夏

* 客とは一般に見巧者でも理解者でもなく、自分に似せて舞台を喰いちぎって食べる人種であり、役者のせいにするのは気の毒です。読者に「いい読者」はすくなく、観客にも「いい観客」は劇場内に数えるほどもいないのが普通なのではと思いますが、それはそれで成り立つ関係であり、だから劇場には独特の陽気も滑稽さもあるのでしょう。
2006 7・25 58

* メールがこないので、体調が優れないかと 心配の中で心配し寂しく感じていました。
六月二十二日に「白血病」と報せてきた孫娘は、その後に最悪の「肉腫」と診断が変わり、今をも知れない危篤の床にあります。なにもしてやれなくて…
発送も九割余終えていますし、もう急がなくていいのですが。ぽっかり時間もからだも空いてしまい、放心しています。 悲しい報せが永遠に無いといい。 せめて明日の母親の誕生日に意識有って笑顔を贈ってやってくれると、と願っています。
息子も、「切り抜けて呉れる気がしてならないんだ」と呟きます。わたしもそう想って願って堪えています。
2006 7・26 58

* 新刊 受け取りました。お送りくださり、ありがとうございました。
今日は、ひさしぶりに、朝から晴れています。
とはいえ、部屋の中は高湿。先日買った除湿機を動かしています。お孫さんのことは、わたしにとりましても深い悲しみです。
どうしてそんなことが起こったのか。風がやっとお逢いになれたお孫さんなのにと、胸を痛めています。
風がお気を確かにお持ちになり、どうか挫けないようにと祈る毎日です。
八月は、月曜午前の英語サークルが夏休みです。たとえ今世間の常識とちがっても、お逢いして、風をちからづけて差し上げたいです。  花
2006 7・26 58

* 七月二十七日 朝 メール拝見、深く感謝申し上げます。お心入れ、ありがとう存じます。
たった今、「MIXI」に報じられたようです、今朝ほどに、やす香はわたくしどものもとを離れて行きました、いま息子を介して知らされました。母の誕生日まで、よく頑張ってくれました。いい子です。

* 7・27 HPを読みました。旦夕に迫る悲しいことを思うと言葉を失います。口惜しいです。今朝出品する絵を運んでくれる人に託し、送り出したところです。ガンジスの岸辺にしゃがみこんでいる女を描いた絵、テーマを思うと複雑な気持ちで描き続けてきました。
数日前のHPに(清水)九兵衛さんのことが書かれていましたが、あの方に京都で会ったのが今月初めで、あまりに急な知らせだったと、本当に人は、この世は・・悟れないわたしは嘆きます。生きているというのは死なれることだとも嘆きます。
それでも、それでも、鴉、どうぞ。 「ただ一心に生きて行こうぞ。」と書かれた言葉が響きます。 鳶


やすかれとやす香恋ひつつ泣くまじとわれは泣き伏す生きのいのちを  祖父

つまもわれもおのもおのもに魂の緒のやす香抱きしめ生きねばならぬ

* もう、泣くまい。
凝視す永訣の空
静思す自然の数
心無きにあらねど
怨まず生死の趨   宗遠
2006 7・27 58

* 2006年07月28日 08:21 お祭り、お祭り  やす香母

お祭りが大好きだったやす香、

まあ、今度ばかりは「賑やかに」というわけにいかないけれど、
あなたの人生最大の晴れ舞台をプロデュースするよ。

とはいえ
ほんといえば、あの「夏祭り」以上に
どうなるかわからない、見切り発車です。
だってあなたは私に、準備の時間をくれないのだから。

でもね、
私は信じています。
多分私が何をするよりもずっと
あなたの友達たちが、
二つの式をすばらしいものにしてくれると。

皆さん、よろしくお願いします。

* せめて「プロデュース」の成功を、翁と姥とは祈るが、十九のやす香の通夜と葬儀とが、何故に「あなた(やす香)の人生最大の晴れ舞台」と謂えるのか、怪訝、といわざるをえない。「やす香、国連に勤めて、国際舞台で語学の力をいつか発揮するの」と、わたしたちに向けて面を輝かせたやす香を思い起こせば、悲しみのあまりとはいえ、こういう公言は、意味不明、聞き苦しい。

* 秦 恒平様
運転しながら腕が震えていたらしく、「危ないから、止めて」と妻に制せられました。路肩に停車し、「秦さんのお孫さんのこと?」と聞かれたとたん、どうと涙があふれて、数分間、妻とふたりで遠くより、やす香さんのご冥福をお祈りいたしました。
それにしても悔しい。かわいい姪っ子を亡くしたような心地です。
先生には気を落とされませんように。そしてどうぞ、いつものごとくわたくしどもを叱咤してくださいますように。
私事ながら、「秦恒平論」少しずつ書き進めております。 六

* 秦さん とうとう、けさを迎えてしまったのですね。
お孫さんのご逝去、心から哀悼の気持ちをお伝えします。
私も、先週、7・19の夜、連れ合いの母を亡くしました。92歳でした。
いまも、遺骨と遺影が、私の傍にあります。

親しい人に亡くなられると、心に穴が空いたような空漠感に襲われます。
空があり、地があるということの不思議さ。世界が存続しているのに、あの人はもういないということが、不思議な気がします。

まして、若くて、未来のある人に先立たれると大きな空漠感で、心が潰れる思いだと思います。御心痛をお察しいたします。
奥様ともども、御身御大切に。切に、切に、祈ります。   英

* 娘に死なれて 11年が経ちました。
娘はまだ 23歳のまま 心の中に 生きつづけております。  波

* わたしは、今日は放浪する、せめて美しいものを見て、見つけて。

* 秦先生  あまりのことに、あまりの事の早さに、先生のホームページを読んだ時に、手足がさっとしびれて凍りつきました。いくら若い方とは言え、こんなにも早いものとはとても予想できず、涙が止まらず・・・。
身内の若い方を見送るのは、どんなにお辛いかと、先生の悔やみきれない思いを遠くから感じております。
私にもやす香さんと同じ年の姪がおります。亡くなった姪ではなく、一浪して今年大学生になった姪です。その姪と比べても、やす香さんのお心の優しさ、お健やかさはすぐれて高いものと思っておりましたので、本当に惜しい方を失ってしまった、と一度もお目にかかった事のない私ですら喪失感にさいなまれています。

ただ、先生に一つだけ、お伝えしたくてメールしております。

娘を育てている今、毎日が試行錯誤の連続ですが、その中で、子どもがいくつになっても「目を離してはいけない」ということを、私はやす香さんに教えて頂きました。
娘はいま5歳。得意なものと不得意なものが少しずつあらわれています。世の中の風潮は、「個性を大切に」ということで得意なものを伸ばすことに重点がおかれていますが、親としては「それだけではいけないのだ」と最近の娘を見つつ反省しているところでした。
もちろん、最終的には個性を伸ばしていくことでこそ、人は生きるすべを手に入れるのですが、その土台として、しっかりとした人間としてのいしずえを築く過程では、不得意な部分こそ、親が必死で見つけ出ししらみつぶしに穴埋めし、頑強な基礎をつくらなければならないのだと、最近の娘には実に口うるさい母親になっています。手まめ口まめに子どもの欠点を見つけ出し、そこを訂正していくのは、褒めて育てることよりも、はるかに心身のエネルギーを消耗します。この口うるささ、いったいいつまで続ければいいのか、と、こちらのほうが気の遠くなっていた毎日でした。高校生になったら、いやその前までで、などと考えていましたが、たとえ成人を目前にしても、口は出さずとも「目は離してはいけない」のだと、やす香さんのことに泣きながら、肝に銘じています。
自らを振り返っても、大学生にもなると親などに口は出されたくありませんでしたし、自分で何でもできるように思っていました。確かに、そのくらいの年になると、普通の大人よりはるかに優秀な方もいらっしゃいます。けれど、若者が逆立ちしてもかなわない部分、「それは経験値の部分」です。スケジューリングの仕方、健康管理、世間付き合い、そんな部分では、やはり親が口を出し続けなければならないのだ、と。
思えば、口うるさい心配性な我が母親は、先生と同年同月の生まれです。戦争の経験のある世代の方達は、小さなサインへの敏感な対応に長けていらっしゃるのかもしれません。私たち姉妹三人は、母のその口うるささに実に辟易していましたが、今思うと、親としてのあり方の「一つの正解」であったのかもしれません。ただ、あまりにも口うるさすぎた母に抵抗して家を飛び出した姉は、結局幸せを上手に掴みきれずに終わりました。あれから三回目の夏になります。
口うるさく、けれど子どもの幸福をつぶさず、そのあたりの加減の仕方がこれからの私の親としての課題だと思っています。
こういう形で、いのちについて、人育てについて「考える機会」を与えて下さったやす香さん、そしてそれを包み隠さずに報告して下さっていたご家族の皆様、特にお母様に心から感謝しています。やす香さんから教えて頂いたたくさんのこと、決してわすれません。もちろん、やす香さんご自身についても。一度もお目にかかることはありませんでしたが、これほどたくさんの方に愛され、思いやり深かった方のこと、決してわすれません。よいお嬢さんに育て上げられたお母様にも深く敬意を覚えます。
なぜか不思議なほど「奇跡が起きる」と信じていました・・・。言っても栓のないことですが。
お書きした内容に、大変失礼もあると思いますが、お許し下さい。ただただ、やす香さんに教えて頂いたことを忘れません、決して、ということだけをお伝えしたかったのですが、上手に表現できず、お気にさわる書き方になっていましたら申し訳ありません。   典 卒業生

* 約(つづ)まるところ、これが「親」の位置だと、わたしも信じてきた。「逆らひてこそ、父」「逆らひてこそ、母」を、愛情と責任をもって生きるしか、未成年の子の親に、適切な道は、なかなか、ない。それでも失敗することがある。
まして命に関わる重大な徴候から「目を離し、口を噤んで」いて、子の健康や幸福が、どう守れようか。「生きたい!」と叫んだ十九歳のやす香無念の死は、このことを痛切に教えている。
死なれた「あとの祭り」を「晴れ舞台」めいて盛り上げるより、その前に、我が子から目を離していて「死なせて」しまいました、残念でなりません、やす香にも、応援してくれた皆さんにも申し訳なかった、という親の「真摯な挨拶」がなければ、通夜は「お祭りだ、お祭りだ」、葬式は「人生最大の晴れ舞台」だなんて、しらじらしい。参会して下さる皆さんのピュアな情愛や親愛は微塵も疑わない、が、それとこれとは、断然別事である。

* わたしは死なせてしまった愛孫のと限らず、もう死んでしまった人の葬儀には、加わらない。大事な人であればあるほど、わたしは、いつもその人を自分の胸の内に迎えて、静かに話し合うだけである。そのための「部屋」を常に持っていることは「MIXI」に連載中である長編小説『最上徳内北の時代』の冒頭の辺にくわしく書いている。

* ずっとマタイ受難曲を聴いています。武満徹さんが病床で最後に聴いていた曲です。ほんとうに悲しい時にはこの曲しかないのです。
底力を見せてごらんと、文学の神様が待っているのです。よく体調をコントロールなさって、無理な自転車運動はなさらないで、お元気にお過ごしください。  春
2006 7・28 58

* hatakさん
ご無理はしていませんか?
豊平川の河辺に建つホテルから、目の前に上がる花火を観ました。今日の札幌は日中は暑かったものの、夕方から涼しい風が吹いて、今年最後の花火をみるには少し肌寒い夕べでした。
プールサイドのテラスで、静かに、はじまりからおわりまで、一部始終を観ました。
川岸には大勢の人が出て、ときおりざわめきが遠く聞こえてきました。
茶友が昨日師を失い、このHPも読んでいて、「心がきしん」で泪をこぼし、メールを送ってきました。
その茶友が贈ってくれた時代物の帷子に、細い帯を締めました。
秋のような柔らかな夕日が去ると、空は清らに澄んで、張りのある大きな音が響きます。最後の一瞬は、色のない、白い光りの束が、大空に、縦横無尽に広がって、無垢で清らかで美しい世界をみせてくれました。
『みごもりの湖』冒頭の送り火や、『チェケラッチョ』で、渚が透のために、本部のホテルで上げる花火。
夜を焦がす火の色には、送りや励ましの願いが籠もります。

帷子(かたびら)で野辺の送りぞ白花火

お体をおいといください。  maokat

* 身にしみ、思わず瞑目する。
昨日浅草の望月太左衛さんの弔電が来た。河出書房の小野寺優さんからも戴いた。
今夜は浅草の花火だ。お誘いもいま届いた。

* 秦先生、おはようございます。大変な時に、と思いましたが、隅田川花火、もしよろしければいらしてください。私も今年は浅草におります。よろしくお願いいたします。   太左衛

* 妻は精神的にも疲労困憊していて、安静が必要。今日は、遙かに遠い斎場で、やす香告別の「お祭り」だという。行かない。花火にわが「送り火」の思いをこめて、はかなく、くやしく、浅草にひとり行って、やっぱり泣いてきたい。
2006 7・29 58

* 秦 恒平さま  四国の****です。
メールしにくく、我慢しつつも、堪え難く、ついにメールしました。
残念です。
毎日のブログを開くのが怖くもあり、気にもなり、目を瞑りながらの訪問でした。
その間、湖の本・米寿のインパクトを交え、ネット環境にない読者には味わえない(創造者・表現者の)極限に触れる戦慄を味わい、体験し、なおかつ、若き「生命力」への信仰のごとき僥倖への渇望を託しながらの日々でした。
しかし、夕日子さんの誕生日をこのような形で迎えるとは。
「老少不定」とはいえ、余りにも早すぎる「逆縁」の訪れです。
しかも、予告されたかのような、母娘の絆。長くつづくのは、「苦しむ」のは、死者以上に、残されし者の現世の営みであり、それゆえにこそ秦さんが忌避される、形骸化された死者への「祭典」であり、儀式なのでしょう。「レクイエム」は、本来、苦しみを共有した、限られた者だけが、しめやかに内心で唱える「鎮魂」のメロディであるはずです。
しかし、少女は苦しさに堪え、友の手向け(音楽会)を素直に受け入れ、あたかも「逆修」のごとく現世でそれを実現させた。
やす香さんの優しさは、「おじいやん」の想いの深さを超える天使のような境地だったのかも知れませんね。これもある種の「因縁」と割り切らねば、私のような凡夫でも、他人ごととは思えない身を切られるような「痛み」の原因が納得できません。
人と人が信じあい支え合って生きてゆく「生物」としての、あるべき姿、ありたい理想。内外の理不尽な「死」が永遠のごとく絶えない世界への、成人前の「やす香」さんからのメッセージを、苦痛とのセットで重く受け止め、抱きしめていたいです。心をこめて合掌。  円

* 有り難さに涙が噴き零れる。この知己の言われる如くである。
「おじいやん」の思いは、いま、ただただ堪えがたく奔騰していて、わたしはそれを意識し、認知している。平静に激し、平静に言を切し、この不条理な劇をわたしはかなり平静に観察していると謂って間違いない。
やす香の厳然たる不幸な最期の前で、それをしもあたかも平安な必然の死であったと謂うがごとき、ごまかしは受け容れたくない。それは生者の自己慰安であり自己弁護に過ぎない。
わたしは、堪えかねてこの間にただ一度だけ「神」を呼んだけれど、わたしは、いわゆる「神」なるものには頼まない。神をむなしい抱き柱にはしていない。
やす香の気持ちに、あたう限り近いところで、このかけがえなかった孫娘の魂と共生したいと願うのみである。
わたしは神を憎みも賛美もしない。神はいない。神に願う者に、神はけっして訪れないことを、わたしは感じている。やす香も、いまはそれを知っている。
2006 7・29 58

* 浅草へは、やす香と一つ年下になるか、望月太左衛さんのお嬢ちゃんでこの春藝大に入学した真結(まゆ)ちゃんのお祝いに、小池邦夫から昔に買い、ずうっと身近に掛けてきた好きな絵を持参。やす香にかわって、元気に、天賦の音楽の才能を伸ばして欲しいと、祈念して。
太左衛さんと一門の人達に優しく迎えられ、ビルの屋上で、(見物のお客はいつもより大勢だったが、)ひとり、いつもの場所に椅子をもらい、花火を眺めた。

* 太左衛さんは、同じ浅草の雷門近くに新しい稽古場を開いたという。
わたしの事情をホームページでつぶさに知っている太左衛さんは、あえて花火に誘ってくれた。花火のあと、わたしをわざわざ見送って、しばらく、言問通りまで一緒に歩いてもくれた。ゆかりのお地蔵様に二人で、元気な真結ちゃんのためにも、他界したやす香のためにも参拝し、ひさご通りで別れてきた。

* 「高勢」はいい寿司屋だった、肴の吟味がすこぶる上等、備前などのいい食器(もの)を出してくれ、心地よかった。鮨飯は海胆にだけ添えてもらい、銚子の数は控えた。花火を観ながら酒もビールもお握りなども振る舞われていた。
2006 7・29 58

* この日の歓談で印象深く記録されているのは、母夕日子について、「謎です。ワッカリマシェーン」と笑ったひと言。

* 悲しみは、人から人へ、波紋のように拡がり、人の悲しみを想像すれば、自分もその悲しみに染まるものです。
事実、風のHPからは、大勢の人の涙しているようすがうかがえました。
一緒に泣くこと。それも一つの、風への励ましかもしれません。はじめ、わたしも、風の悲しみ、無念を想い、自らも沈んでしまいました。
けれど、これではいけない、と思い直しました。
風がふと視線を投げかけたとき、そこに咲く花のように、わたしは、自身の日常を溌剌と生きるべきで、それが、風への励まし、支えになってほしいと思いました。
お孫さんの亡くなったことについて触れるのは、風の悲しみに拍車をかけるみたいな気がするので、今後、わたしからはしない、できないと思います。
でも、風が、話したい、吐き出したいと思われたら、もちろん話してください。花はいつでも両手を広げ、風を受け止める姿勢でいます。
上に書いたこと、黙っていても伝わるかなあ、とも思いましたが、メールのやりとりだけの間柄なので、念のため記しました。
今日は、遅く起き、遅くにとんかつを食したので、夜になってもおなかが空きません。
風も、おいしいものを召し上がって、元気にしていてくださいね。 花

* ありがとう。花の思いは分かっています。
2006 7・30 58

* 大急ぎで特筆・感謝したい、香川県下の(固有名詞を避けるが、)或る、准看護師資格を志して勉強している生徒さん達が、主に「MIXI」の記事をみて、やす香の祖父である私のために、全員が優しい所感と私信とを届けて下さっていた。
書かれていたのは、まだやす香生前で、大きな郵便物が届いたのは二十七日、亡くなったその日であった。
とりまぎれて御礼も申し上げられず、なかなか読み始めもならなかったが、告別の日の二十九日、わたしは浅草の花火へそれを鞄に入れて持ち出し、電車の中から百人百枚にちかいであろうみな鉛筆自筆の手紙を、一枚一枚、一人一人ぶん、丁寧に読んでいった。そして今日、歯医者の待合ですべてをありがたく切なく全部読み終えたのである。
みなさん、ありがとうございました。こういうふうに生徒さん達にし向けて戴いた先生にも心より御礼申し上げる。
胸にしみ通る言葉が多かった。看護師さんになろう、なりたいという人達であることも、記述にしっくり来るところ多く、教えられもし頷いて涙をぬぐって読んだ。
わたしが数十年前、妻と上京して医学書院に就職、いきなり担当したのが「看護教室」という准看護師ないし志望者対象の雑誌であったなあと、懐かしく思い出しもした。あの頃、雑誌編集委員は、東京女子医大総婦長の関光さんと、もうお一人が高野貴伊さんであった、お二方とも大先生だった。いろいろお世話になった。
看護師の卵さん達、ありがとうございました。やす香は残念ながら七月二十七日朝、母親の誕生日にしっかり手を掛けて、永逝しました。

* 届いたご本を見てなぜか胸がどきどきしました。
長いことパソコンから離れていましたが、しばらく振りに今日ホームページを拝見し、初めてお孫さんのことを知り本当にびっくりいたしました。そしてお写真を見てはっと息が詰まりました。自分もいろいろな想いを経験したつもりでいましたが、こんなことがあり得るのか、あっていいのかと、胸ふさがる想いです。
言葉にしようのない気持ちのまま、心からお悔やみを申し上げます。   竹

* ありがとう。

* 二十三日にやす香を見舞った日、やす香の床のわきで、静かに静かに聖歌を歌って下さっていた方から、やす香生前の思い出などをメールでたくさん教えて頂けた。ご親切にも頭がさがるばかりであるが、告別式のあと、あまりに卒然として手早にやす香を運び去られるに堪えかね、夕日子が声を放ってついに泣き崩れ、あとを追って駈けたというのを読み、夕日子が可哀想で可哀想でわたしはとても堪えられなかった、さぞ悲しく悔しく辛いことだったろう。
発病以来、長い間泣くのをこらえて笑おう笑おうとしていた、賢いようでバカなバカな娘よ。やす香は重い「十字架」になった、われわれは生涯背負って行きますと、この母は漏らしていたそうだ、「死なれて・死なせた」われわれの、それは到底遁れようのない負担である。
夕日子がつらいのは、この先の日々だ、だがよく堪えて、妹行幸から節度ある愛情深い眼をどうか離さないで、幸せ一杯にみごと育てて欲しい、心優しいやす香はそれをかならず喜んでくれる。

* 心身ともに先月下旬から不調の淵に沈んでおりました。
いただいたメールのありがたかったこと! まったきカンフル剤でしたのよ。お目にかかれるかどうかはどうでもよく、同じ空気を吸いたくて、一等気に入りのきものを着て、同じ京の空の下にいたい…今、思い出しても狂気かというエネルギーが湧き起こってまいりましたの。
伊賀に、餡炊きも上手い菓子職人がいると知った嬉しさに、ご都合もうかがわず、なまものをお送りいたしましたことお詫び申しあげます。
まるで水底に着いてしばらくしているうち、やっとまた、ゆらゆらと浮き始めてまいりました。秋成忌と河童忌をそのままじっと冷たい水底で過ごし、ご本の発行日である7月27日 “お父さんの日” が、暮れて、明けた28日から、もとより点火も動きも悪い左脳はすっかと放り、少ォし復活してきた体力と、右脳を、一気にフルスロットルにいたしました。
滝倉と、河内長野の古寺と、南朝行宮寺院。山科四ノ宮から藤尾。山崎の関から水無瀬。
東大寺大仏殿の茅の輪くぐりと二月堂、そして奈良国博と京国博のはしご。斎院跡の櫟ノ七野神社~寺之内~出雲路(上善寺、阿弥陀寺)~“萩の寺”長徳寺~「夕顔」「鉄輪」の地…。
動けるうちは動いておこうと彷徨の数日を送り、最後は、昨日。
7月30日。法然院の(谷崎先生)お墓に、「幼稚な読みですが、おもしろくたのしく読み始めました。こんな調子でこれから読み進んでいきますが、どうぞおゆるしください」等々、うったえること沢山にお参りしてまいりました。
外出先で一番最初に “薬師” の扁額を見たとき、思わず掌を合わせ、お孫さまのご恢復をお祈りいたしました。
今回、奥様のお加減が案じられて胸騒ぎがおさまらなかったところに、ご本が届いたのです。
からだ言葉を露払いに、静かな心を太刀持ちに、米壽祝いは「新・罪はわが前に」とは。うれしかったです! 囀雀
2006 7・31 58

* 博物館で見た知恩院の、「早来迎」を想っています。 雀

* なによりのお心入れです、感謝。 湖
2006 8・1 59

* お体の具合はいかがでしょうか。よそながら案じ申し上げております。
実は、私は、13年前に夫を癌でなくしました。
なくなった後ずっと、心に鍵をかけたような感じで、ほんとうにしみじみ偲ぶということを自ら避けて(避けざるを得ないような気持ちになって)きた気がします。
先生の「死なれた」、「死なせた」のお言葉で、また自分の心を掘り起こしています。
まさに「死なせた」思いが、心に鍵をかけさせているのだと改めて知りました。
仕事を辞めればよかった、もっと心のうちを聞いてあげたらよかった、もっと手厚く看護してあげられたのに・・。
まだまだ、今ここで言えないくやしい、わびなければいけない、微妙に入り組んだ気持ちがいっぱいあります。それを、明らかにすることの怖さ、情けなさが、心に蓋をしているのです。
これはだれに言うのでもなく、夫に、そして、この私への叱責であるのです。かなしいです。
友人の中には、しのぶ思いを、あふれるままに俳句や、短歌に表し、表現によって、悲しみや感謝、愛を昇華している人がいます。でも、私にはとうていできません。
こんなことを他人様に向かっていうのも初めてです。
失礼をお許しくださいませ。
先生のお言葉で、散らかったまま蓋をしている心の中の片づけが、すこしできたようです。
でもこれは、このまま、私という入れ物に入れたまま、持って行くものだと思っています。
いろいろ気づかせてくださってありがとうございました。
どうぞ、お体おたいせつに。   一読者  四国
2006 8・1 59

* 吉村昭さんが亡くなった、想いもよらなかった、驚いた。
太宰賞の第二回、事実上最初の受賞者であり、親切な方だった。作風などはあまりに違うが、わたしが最上徳内を岩波の「世界」に連載し始めると、こういう良い参考書があるよと電話してくださる、そんな先輩であった。
まだわたしが第五回受賞後まもないころ、あれは桜桃忌の帰りであったか、こんなことを教えられた。
少し仕事に間があいたかなと思うと、足もとをみるように変に安いキワモノの仕事を頼んでくるところがありますが、そんなときこそ踏ん張って、大きな仕事に打ち込んだ方がいいですよと。
これはだいじな助言だった。ありがたかった。
古風な美学の持ち主で、パソコンなどには全く見向きもしない人であった。
井の頭のお宅にも呼ばれたし、吉祥寺で鮨をご馳走になったこともある。
またかけがえない過去の一角を、死の手に切り取られてしまった。
鶴見和子さんも、亡くなった。惜しい人を。
2006 8・2 59

* 本の、あとがきから先ず読むのはいけないことなのでしょうが、いつもご本が届くと、雀は、まず後ろをめくります。ごめんなさい。
日本ペンクラブが、国からお金をもらって活動しようかなどという動きには、驚きました。日本の骨がなくなってしまう。ショックです。主人に話したら絶句して、「あの会長でも…か」と考え込んでしまいました。
昨日は日本将棋連盟が、名人戦の主催者を替えると報じられていましたでしょう。雀が「牛を馬に乗りかえてってわけネ」と言うと、「義理も道理も身共は知らぬ。いずくも『ダイヤモンドに目が眩み』なのかァ」と。
先月、ぼんやりテレビを見ていたなかで、NHKが大岡昇平さんの生前のインタビューフィルムを15分ほどに編集して流していたのが印象に残っていますが、まさかペンクラブのそんな動きを知っての放送ではないでしょうね。だとしたら、えらい皮肉です。
以下のような内容でした。
会社勤めをしている人が反戦を叫んで仕事をクビになり、収入がなくなって生活できなくなるのはいけない。わたし(大岡氏)はそういう心配はない。だから「ノー」と言える。文筆家は「ノー」と言える立場なんだから言わなくてはいけない。
戦争のことなど忘れて楽しく毎日を送ることが悪いなんて言わないよ、そうしたいんだから、僕だって。
だけど今だって“不沈空母”などとあの時代に戻るようなおそれがあるんだから。それがなくなったときは戦争のことを忘れて楽しく毎日を過ごすさ。
「ノー」と言えるンだから、われわれ文筆家は。断固、言っていかなくちゃ、言い続けていかなくちゃ。 囀雀

* 湖の本を送りだして以来、予想以上に大勢の読者が、日本ペンクラブに、文化庁(政府)の経費負担を見越して大きなイベントを企画している話題に強い反応を示されていた。
ところが企画の関係者が大きな目玉にしてきた、台湾人監督の映画作品が、「台湾ノー」という理由で文化庁によりとりさげを要求されてしまい、六月理事会では、誰ひとりの発言もないまま、致し方ないと容認されたのである。
わたしは、その場で、「政府資金によるペン活動」は、そもそもおかしい、まして、こういう、まさに目玉を刳りぬかれても黙って金主の政府に従うというのは、他のペン活動、たとえば悪法成立への抗議や反対声明などの国民の信頼にも、わるく響くと憂慮を述べた。
七月理事会にわたしは余儀なく欠席したので、どうなったやら知らないでいるが、委員会で事務局長に聞いたかぎりでは、その後になにも変化はないとのことであった。

* 亡き大岡昇平さんのお話は、これこそが文学者の、文筆家の「通念」で「矜持」であったと、懐かしい。
大岡さんとは、ただならぬ仲のようにおもしろづく噂されていた亡き井上靖会長が、国際ペン大会を担当され「核と平和」問題をテーマに取り上げられたとき、大岡さんはすぐさま井上さんに電話され、「自分は大賛成です、大会の成功を祈ります」と言ってこられ、井上さん頬を紅潮され喜んで居られた事実を、電話のそばにいた三好徹さんが、何度も書いたり話されたりしている。わたしの編輯している「e-文庫・湖(umi)」にも載せてもらっている。
文筆家には、気稟の清質最も尊ぶべきものを清貧と表裏して堅持していた人達が多かった。
余儀ないこととはいえ、ペンの理事会でも予算と収支と、資金援助を自治体や企業に依存し依頼しようとする話題が、どうしても何割かを占めてくる。組織が国際的にも国内的にも大きくなっているのだから維持のためには仕方がないとはいえ、ときどきウンザリする。まして、「政府のひも付きの金を頼む」のだけは、ぜひ、やめたい。
2006 8・4 59

* 秦先生  夏らしい暑い日が続くようになりました。いかがお過ごしですか?
湖の本、ありがとうございました。自分の家庭環境や家族のことを思い出しながら、読みました。時に引き込まれ、時に読むのをためらいながら、自分が社会に出るまで家族と過ごしていた時のことを思い出していました。
私の家族は父母、二人の妹、祖母、祖父の姉と最大七人もいて、にぎやかでした。息子の目から見て、母が一番苦労していたと思います。
父は自分のペースで物事をすすめる方でしたが、息子に対してはしっかりしたところを見せたかったのだと思います。
大学の頃の授業の中で、以下の短歌が出題されたのを良く覚えています。
『父として幼きものは見上げ居り ねがはくは金色の獅子とうつれよ』
この短歌は自分から見た父のようだと、その日の挨拶に書きました。
大学へ上がるまで、父には山に連れて行ってもらったり、数学を教えてもらったりしました。
父は自分にとって負けたくない存在で、、私自身は父の数学とは似ているけど違う道化学を専攻しました。
父にも胸をはれる存在になったつもりではありましたが、父は父で、定年後も新しい道を進んでいるのには驚きです。今では1/3以上家を空け、国内海外を仲間と一緒に飛び回っています。いつまでも元気なのはうれしいですが、自分の退職後も、父のような満足の行く生活ができるかどうか疑問です。そのときには父の姿を思い浮かべながら、何か違う充実した生活ができるように努力したいと思っています。
本を読んでいて、妹二人のことも思い出しました。やはり難しい時期や、不安定な時期があり父は苦労していろいろと手を尽くしていました。息子とはちがう甘やかしぶりに苦言を呈したこともありますが、育て方が両親の中で違っていたのだと今では思っています。
久々に、自分の半生を思い出してしまいました。また次回作品もお送りいただけることを楽しみにしております。
まだまだこれから暑い日々が続きますが、どうかお元気でいらしてください。 山
2006 8・4 59

* 秦さん。 こんばんは。
孫娘のやす香さんの死の痛手から、到底癒えていないという時期であるのに、娘の夕日子さん夫妻から、こういう時期に、とんだ、「いちゃもん」で、さらに、御心労が募るばかりと心配しています。
ご家族のなかでのことですから、他人は、口出ししない方が良いと思っておりますが、夕日子さんの作品掲載の削除は、別として、大兄の「生活と意見」全削除とは、なんと非常識な申し出と吃驚しています。「凄い時代」というより、これは、かなり特殊で、凄い夫妻(あるいは、両親)ということでしょう。
★★★さんは、直接は存じ上げないけれど、藤原保信ゼミナールでは、私の何年もの後輩に当たるし、先年の藤原保信著作集刊行パーティでは、同じ会場に居たかも知れません。すでに、数冊刊行された著作集の最新刊の「5巻」は、ことしの5月に刊行されていて、★★教授(青山学院大学)ら2人が、責任編集者でしたから、やす香さんの病状が不明なまま進行している時期、教授はご多忙だったのではないでしょうか。
藤原さんが、生きておられたら、教授夫妻の、このような言動に、到底肯定などしないと思います。
ことは、表現の自由の有り様に関わりますから、私も看過できないという気持ちになりました。
それで、老婆心ながら、余計なことかも知れませんが、念のため、私の意志をお伝えしておこうと思った次第です。
秦文学については、私は、いかのように考えています。
複雑な出生の事情、貰い子に出された幼少年期の体験などから独特の「身内」観を形成し、その身内観を基底にしながら、「幻想的私小説」ともいうべき、独自の文学空間を構築し、それが「死なれて、死なせて」という人生観に結晶して来た秦文学だけに、夕日子さん夫婦の言い分は、作家の「身内観、死生観」を理解しないまま、名誉毀損などと、いちゃもんをつけているとしか言い様がないと思います。
秦恒平という作家生命からみても、提訴されれば、受けて立つしかないでしょう。
いざと言うときは、私のの知り合いの、信頼できる弁護士さんを紹介しても良いと思っております。
そういうことには、ならないよう祈念しますが、一応、頭の隅に留めておいてください。  ペンクラブ会員

* 心強く感謝に堪えません。
憮然としていますが、こういうとき、たじたじしているのは嫌いです。踏み込んで向き合うつもりでいます。
私には 孫の非在がいまも悔しくて、悲しいのです。死なせて一週間もたたぬうちのこの騒ぎよう。ま、そんな子の親ですから、大きな事は言えませんなあ。呵々
またお目に掛かります。
またお力添えをお願いすると思います、どうぞよろしく。  秦生
2006 8・4 59

* 申し訳ありませんでした。まったく見当はずれなメールをお送りしたことを恥じています。
というより、想像を絶した 常識からは考えられない 子を死なせたばかりの親とは思えない事態が起きていることに 驚き 憤りを感じております。
世論が湖を支持することでしょう。有能な弁護士が法的に解決してくれることを祈っております。  波

* こんなメールを戴いた。失礼ながら、これから本格に法廷で向き合うことになるのなら、「力」になって戴けるどんなことばにも励まされたい。

* 秦恒平 様  突然、そして初めてのメールにて失礼いたします。
不仕付けで大変申し訳ありません。不穏当なメールでしたら、削除下さい。
私は、*****と申します。
ご子息様の
『ラストプレゼント ――娘と生きる最後の夏――』に、涙した者でございます。
最後に「明日香さん」が亡くなる場面を描かなかった、そして、このドラマは登場人物が皆気持ちいい人だった。
私は、テレビドラマを見る習慣がなく、そんな私にとってラストプレゼントが始めて最初から最終話まで見たドラマでした。
そして、秦建日子様の世界観に魅せられたのです。
そんなだけの私が何してるのか。。。ご家族のことに、他人の私が口出すことでないと承知で申し上げます。
私は、秦恒平様の文字からは、「愛」そして信念を感じます。
随分と昔の文章も読ませて頂きましたが、厳しさと優しさ、そして、「思う気持ち」「思う姿勢」きちんと伝わってきました。
やす香さんとの再会。
やす香さんの誕生日。
その時の心弾んでらっしゃるご様子。
自分の子供への厳しい発言に隠されてるもの。
甘い言葉だけじゃなく、本心でぶつかっていくお姿。
そして、やす香さんを愛されていた。
なのに。

今は、投げられた「うんこ」をどう処理するのかでなく、
そのうんこを投げ返すのか?
手の汚れていない人が正しいわけでない。
うんこを握ったら、手を洗ってもなかなか臭い(うんこを握ってしまったという気持ちのコントロール)は消えないものです。
ただ、自分に信念がある限り、うんこを投げることも必要な時があると思うのですが、
申し訳ありません。私が熱くなってしまいました。

私は、貴方様が名誉毀損だとか、おかしい!!
と、強く思っておりますことをお伝えしたいと思いメールしました。   紀

* ありがとうございます。

* いま、日本ペンクラブの事務局一同で「お花」が送られてきた。わたしのこの「私語」を、日ごとつぶさに読まれていて、この事態に、「ことばもありません」とメッセージが。単簡にして適切なのに、微笑。
ありがとう、みなさん。 朱夏 お大切に。
われわれに「改悛の情」がないと決めつけてきた婿さんにも、「事務所」とやらの人にも、落ち着いてわたしの書いてきたものを「読んで」むむもらいたい。
これまで知らなかったので婿殿をたんに教員といってきたが、青山の教授だそうだ。国際政経学科だったか。
2006 8・5 59

* とびこんで来た下記のメールは、「夕日子様」とあるように、わたしに宛てたものでなく、いきなり「娘夕日子に宛てられ」ていて、「ぜひ読んでほしい」とある。むろん、わたしが頼んで書いて貰ったものではない。思いあまって書かれたモノのようである。
天才だの名作だのと少し仰々しくて閉口し照れるところが多いが、また不用意に少し語弊を生じるところもあり、その辺は斟酌してあるが、つよい「お気持ち」であるから、思案の末、此処へ置く。夕日子に直送の手段はない、しかもこの「闇の私語」にはつねづね注目しているようだから、「伝える」には恰好であろう。
このメールには、以前に貰っている東工大の卒業生からのメールが一部引かれていて、その個所は、わたしにも感銘があった。

* 夕日子さま

初めて書き込みさせていただきます。私は夕日子さまより少し年上で、似た年頃の娘のいる母親です。

ネットで、やす香さまの発病からお亡くなりになるまでの経緯を毎日胸を痛めながら読ませていただいておりました。やす香さまのご逝去、衷心よりお悔やみ申し上げます。

やす香さまのご葬儀の日、七月二十九日は隅田川の花火大会でした。私は花火大会に出かけるという娘に浴衣を着付けながら、旅立たれたやす香さまに昨年の夏祭りの時の浴衣を着せたという夕日子さまの記述を思い出し、涙がとまらなくなりました。
昨年の夏には元気に浴衣を着ていたやす香さまの身体に、その同じ浴衣を着せる母親の心はどのようなものかという想いで、泣けて泣けてどうにもなりませんでした。生きている娘に浴衣を着せて花火大会に送り出すことのできる母親と、柩の中の娘に浴衣を着せる母親の運命は、あまりにちがいます。なぜやす香さまが天に選ばれたのかと心から悲しみました。

一度もお会いしたことのない夕日子さまですのに、やす香さまのご病状に一喜一憂して夜も安らかには眠れぬほど心配していたのは、私がお父上の湖の本の愛読者であるという以外の理由はないでしょう。

「夕日子」というお名前は秦恒平の作品の中に宝石のように散りばめられてきました。夕日子さまは作家秦恒平の掌中の珠でした。ですから、夕日子さまのことはどうしても近しい人に思えてならなかったのです。

本日お父様のホームページを拝見し、夕日子さまがそのお父上を「告訴」なさるおつもりということを知りました。ご家族の問題に部外者が立ち入るのは失礼と承知で、私の考えを書くことをお許しください。

夕日子さまが告訴という強硬な手段にいたったお気持ちは想像できます。夕日子さま以上にやす香さまを愛していた人間は世界のどこにもいないのに、お父様に「目が届いていなかった」と言葉にされ、ご自分のせいでやす香さまが手遅れになったと言われたとお感じになったのでしょう。世界の誰よりも「死なせた」くなかった娘を、死なせたと言われて心底お怒りになったのだと推察します。夕日子さまの気も狂わんばかりのお悲しみと悔しさは、察するにあまりあり言葉もありません。

そのお父様の指摘について、私はこう考えています。病気の診断が手遅れになったことは、どうしようもなかったこととはいえ、母親として手落ちの部分があったのは事実で、たしかにお父様の指摘は正しい。でも、この時期に、やす香さまが亡くなってすぐに、夕日子さまに告げられたのはどんなにおつらかったでしょうと思います。

ふつうの父親であれば、もう少し時期をみて言うのでしょうが、夕日子さまのお父様は作家です。それも文学史に残るような大きなお仕事をなさる天才的な方です。一本のマッチを見ただけで、すぐに山火事を予言してしまう。人よりずっと先を見て、書いてしまうそういう定めの方なのです。娘と孫の不幸から、人間存在そのものの痛苦に目が開け、書かずにはいられない業をお持ちなのです。

書かれた夕日子さまの無念のお気持ちは理解できますが、これは天才を父親にもった子どもの幸福でもあり不幸でもあるのだと、そう申し上げるしかありません。

夕日子さまがお父様に対して告訴するまで過激に反応なさる必要はないのです。なぜなら、お父様の書かれたものを読んだ読者は、夕日子さまが悪かったとは決して読まず、我が身のこととして読むからです。自分のいたらなさ、どうしても愛する者を「死なせて」しまわずにいられない人間を想い、わがこととして、身震いせずにはいられないのです。

夕日子さまは、次の「私語の刻」に掲載されたメールをお読みでしょうか。このメールは多くの読者の素直な感想を代表していると思います。お父様の「私語の刻」の読者は、きちんと読むべきことを読んでいます。

* 秦先生  あまりのことに、あまりの事の早さに、先生のホームページを読んだ時に、手足がさっとしびれて凍りつきました。いくら若い方とは言え、こんなにも早いものとはとても予想できず、涙が止まらず・・・。
身内の若い方を見送るのは、どんなにお辛いかと、先生の悔やみきれない思いを遠くから感じております。
私にもやす香さんと同じ年の姪がおります。亡くなった姪ではなく、一浪して今年大学生になった姪です。その姪と比べても、やす香さんのお心の優しさ、お健やかさはすぐれて高いものと思っておりましたので、本当に惜しい方を失ってしまった、と一度もお目にかかった事のない私ですら喪失感にさいなまれています。

ただ、先生に一つだけ、お伝えしたくてメールしております。

娘を育てている今、毎日が試行錯誤の連続ですが、その中で、子どもがいくつになっても「目を離してはいけない」ということを、私はやす香さんに教えて頂きました。
娘はいま5歳。得意なものと不得意なものが少しずつあらわれています。世の中の風潮は、「個性を大切に」ということで得意なものを伸ばすことに重点がおかれていますが、親としては「それだけではいけないのだ」と最近の娘を見つつ反省しているところでした。
もちろん、最終的には個性を伸ばしていくことでこそ、人は生きるすべを手に入れるのですが、その土台として、しっかりとした人間としてのいしずえを築く過程では、不得意な部分こそ、親が必死で見つけ出ししらみつぶしに穴埋めし、頑強な基礎をつくらなければならないのだと、最近の娘には実に口うるさい母親になっています。手まめ口まめに子どもの欠点を見つけ出し、そこを訂正していくのは、褒めて育てることよりも、はるかに心身のエネルギーを消耗します。この口うるささ、いったいいつまで続ければいいのか、と、こちらのほうが気の遠くなっていた毎日でした。高校生になったら、いやその前までで、などと考えていましたが、たとえ成人を目前にしても、口は出さずとも「目は離してはいけない」のだと、やす香さんのことに泣きながら、肝に銘じています。
自らを振り返っても、大学生にもなると親などに口は出されたくありませんでしたし、自分で何でもできるように思っていました。確かに、そのくらいの年になると、普通の大人よりはるかに優秀な方もいらっしゃいます。けれど、若者が逆立ちしてもかなわない部分、「それは経験値の部分」です。スケジューリングの仕方、健康管理、世間付き合い、そんな部分では、やはり親が口を出し続けなければならないのだ、と。
思えば、口うるさい心配性な我が母親は、先生と同年同月の生まれです。戦争の経験のある世代の方達は、小さなサインへの敏感な対応に長けていらっしゃるのかもしれません。私たち姉妹三人は、母のその口うるささに実に辟易していましたが、今思うと、親としてのあり方の「一つの正解」であったのかもしれません。ただ、あまりにも口うるさすぎた母に抵抗して家を飛び出した姉は、結局幸せを上手に掴みきれずに終わりました。あれから三回目の夏になります。
口うるさく、けれど子どもの幸福をつぶさず、そのあたりの加減の仕方がこれからの私の親としての課題だと思っています。
こういう形で、いのちについて、人育てについて「考える機会」を与えて下さったやす香さん、そしてそれを包み隠さずに報告して下さっていたご家族の皆様、特にお母様に心から感謝しています。やす香さんから教えて頂いたたくさんのこと、決してわすれません。もちろん、やす香さんご自身についても。一度もお目にかかることはありませんでしたが、これほどたくさんの方に愛され、思いやり深かった方のこと、決してわすれません。よいお嬢さんに育て上げられたお母様にも深く敬意を覚えます。
なぜか不思議なほど「奇跡が起きる」と信じていました・・・。言っても栓のないことですが。
お書きした内容に、大変失礼もあると思いますが、お許し下さい。ただただ、やす香さんに教えて頂いたことを忘れません、決して、ということだけをお伝えしたかったのですが、上手に表現できず、お気にさわる書き方になっていましたら申し訳ありません。

私はとくに、この部分を強調します。

もちろん、やす香さんご自身についても。一度もお目にかかることはありませんでしたが、これほどたくさんの方に愛され、思いやり深かった方のこと、決してわすれません。よいお嬢さんに育て上げられ たお母様にも深く敬意を覚えます。

これは私の同感することです。夕日子さまはよいお嬢様をお育てになったことを誇っていいのです。「私語」の読者は秦先生の「死なせた」という言葉の奥に「夕日子は、ここまでよい娘を育てたのに」という嘆きをもきちんと読み取っているのです。一体どこの誰が夕日子さまを殺人者でいい加減な母親だったなんて思うのでしょうか。そんなことは誰一人として思いません。

母親というのはどんなに愛が深く、注意深くしていても、ふっと子どもから目を離してしまうことはあるものです。私とて例外ではありません。恥をしのんで申します。
娘がまだ幼稚園に入る前のことです。友人の車に娘と一緒に乗っていました。その時に、もう一人の友人が先に車を降り、半ドアになっていました。誰も気づかぬまま、車が発進しました。車が幹線道路に右折した瞬間、半ドアだった扉が大きく開き、娘が車から転げ落ちました。友人は慌てて急ブレーキを踏みましたが、一瞬のことで私は娘の服の一部を掴むのに精一杯。放り出された娘は道路に両手をつきました。私がそのまま服を引っ張って車に戻しました。心臓が破裂しそうにパニックになりました。この時、他の車が通っていたら、娘は即死だったでしょう。大きな道路ですから、車が通らなかったのは奇跡です。当時はチャイルドシートは義務化されていませんでしたし、友人の車であればついていないのは当然でした。この危険な事態への責任はすべて母親の私にあります。

子どもが無事に生きているというのは親の愛の深さに関係なく、運に左右されるものです。私はたまたま好運に恵まれたので子どもが生きているのです。紙一重の差でした。断言してもよいですが、子どもが自分の落ち度で死んでいたかもしれない経験のない母親などいないと思います。

病気についても、運不運はあります。肉腫のようなごく稀な最悪の病気に、まさか自分の子どもがかかるなど予想できる親は少ないでしょう。お父様の「死なせた」という意味は、すべての人間に対してのものと、そうとしか読まれないと思います。

人間は自分の手にしているものの価値をなかなか理解できず、信じられないものです。
夕日子さまは、これ以上ないほどの父親の愛を受けながら、ご自分がそれを手にしていないと思い込んでいらっしゃるようです。「親に、どうせ捨てられたのだと人に漏らしていたそうだ」というご心境は、「聖家族」を読んである程度は想像していますが、私はこの作品を読んで、これほどの娘への愛を描いた作品はないだろうと感じていました。

秦先生の作品を読んで痛感することは、娘の夕日子さまをいかに深く愛されているかということです。その愛はときには手放しの、読んでいて気恥ずかしいほどの賛美にもなりますし、滅入るほど峻烈な批判にもなります。しかし、そのどちらも深い愛がなければ存在しないことはたしかです。

夕日子さまがブログに書いていらした「コスモのハイニ氏」などの小説を読まれた時のお父様のお喜びのごようすに、読者として羨望を感じずにはいられませんでした。文学への志はあっても才能に恵まれないために読者にしかなれない私のようなものにとって、秦恒平にここまで認められる才能はただものではありません。「e文庫」に掲載されている夕日子さまの詩は素晴らしく、私は大好きです。夕日子さまは可能性に満ちた方です。

問題の「聖家族」ですが、一読して私がまず感じたのは、凄まじいまでの作品、名作であるということでした。モデルがどうのこうのとか事実かどうかなどという興味でなく、人間の真実に到達する恐るべき身の毛もよだつ作品だと思いました。

この作品の中のご家族の姿が、そのまま秦家の姿とは思いません。当然これはフィクションとして読むものです。

このフィクションに描かれているのはある人格障害(現実にはたまにいるタイプ)の男を夫とした夏生という不運な娘と、その人格障害に真っ向からぶつかってどうにもならない両親の姿です。

奥野家には家族愛溢れて、父親にはできないはずの母親の役までこなそうとするスーパーマン的父親と、理想の妻であるがために(そう思われて当然の美徳の持ち主ですが)、夫と思考も行動も同化している母がいます。しかし、子どもの利益のために動こうとするしたたかな母親が決定的に欠けています。

婿の人格障害は治らない。治せない。父親は正義あるいは信念を生きるしかない生き物でこれも変えようがない。それを埋めるとしたら、母親の狡猾さしかないのに、その存在がない。妻の美徳など棄てた狡猾な母親なら、夫に過保護にされることなく修羅場をくぐってきた母親なら、父親に内緒で人格障害の婿に土下座してでも、娘との縁を保とうとするでしょう。そうして父親の立場と娘の利益を守るのです。汚れ役です。

内心で婿に舌を出しながら、異常に言語道断な婿と折り合いをつけ、大切な娘の手を放さない。他に娘と切れない方法がないなら何でもする。そういう存在が良くも悪くも母親です。母親が父親と同じ正義に生きたら、娘はどうしようもありません。この作品に描かれた娘は、私の目にはじつに気の毒な、それでも父親に熱烈に愛された娘として、キャラクターが生きています。父親に抗いながら、不思議な魅力を湛えています。
どんな家庭の食器棚にも髑髏が隠されているというフランスの諺がありますが、「聖家族」はこの髑髏を見事に描き切った作品です。お父様の代表作にもなるでしょう。

この「聖家族」と「生活と意見」が、夕日子さまの告訴の対象となるようです。
この告訴は愚かしいの一言です。
まず、★★家は勝てないと思います。常識でも法律でも。
そして、万が一勝ったとしても、百年先には負けています。必ず負けます。この世からお父様の著作を抹殺することは不可能です。名誉を棄損した、された、というのは当事者が生存している間でのことで、子孫に関係はありません。秦恒平が天才である以上、そして「聖家族」も「生活と意見」も疑うことのない名作である以上、必ず後世には復権して作品として正しい評価を受けることになります。モデルがどうのなど問題になりません。
むしろ告訴の記録があることで、これは本当の話なのだと見られてしまうでしょう。汚名が後々まで残ることになります。

夕日子さまは、お父様をご自分の父親としてしかみていらっしゃらないようです。ご自分の私有の人間だと勘違いなさっています。秦恒平は娘一人の父ではなく、多くの人、世界の宝物です。娘の願うようには書いてくれなくて当然です。天才は周囲を泣かせますが、それ以上のものを世界に与えてもくれるのです。普通の家庭でさえ、子どもは大なり小なり親に迷惑を受けるものですから、天才であればなおのこと。どうか、お父様が天才だということを覚悟してください。同じように愛らしかったやす香さまも母親一人のものではありません。視野を狭く判断しては道を踏み違えます。目を覚ましてください。

そもそも、告訴することは逆効果になりませんか。★★家を傷つけませんか。
あれは小説だと流せばそれで済む話なのに、しかもコアなファンが読んでいるだけの作品ですのに、告訴に至れば急激に世間の注目を浴び、作品は益々広く人に読まれ、そして面白ずくの噂になるだけです。たとえ勝利を手にしても、世間はあれは嘘の話だとは思わないでしょう。告訴は、自分がモデルだとかえって大宣伝するようなものです。
告訴して勝利したとしても、夕日子さまに得るものがありますか。

お父様を社会的に抹殺したいというのが目的なのでしょうか。書くことにしか生きる場所のないお父様の場所を奪うことが目的ですか。そうすれば復讐がかなうのですか。気が晴れますか。

あれほどの愛をもって育ててくれた父親を切り倒すのですから、同じだけの傷はご自身にも致命的に及ぶでしょう。お父様を葬ることはご自分を葬ることでもあります。

復讐も憎しみも愛の変形です。どうぞご自由になさったらいいと思います。しかし、告訴などという方法は、ただただお金と時間の無駄でしかありません。膨大な人生の浪費です。

夕日子さまは意味のない告訴で、ご自分の人生を投げやりな悲劇で終わらせるおつもりですか。親に棄てられ、娘に死なれたかわいそうな人間としてこれから捨て鉢に生きるのですか。そんな甘えが許されますか。もっと生きたいと血を吐く思いで願っていらしたに違いないやす香さまは、そんな母親の行動を喜びますか。

夕日子さまは、やす香さまがなぜ母親の誕生日にお亡くなりになったかわかりますか。この世に起きるすべてのことに偶然はありません。お母様の誕生日に逝かれたのは必然だったと私は思います。

やす香さまは、母親であるあなたに最後の大きな大きなお誕生日プレゼントをしたのです。若くして逝くご自分の残りの寿命と果てしない可能性と才能を夕日子さまに託されたのです。新しい命をお母様にプレゼントなさったのです。今こそ作家になってと。

書いて生きてください。作家になってください。才能はお父様の太鼓判です。作品もあります。デビューするに足るコネでさえ充分です。父親が秦恒平で弟が秦建日子なのですから。

もし、お父様に復讐なさるのなら、どうぞご自身の作品で打ち倒してください。呪ってください。それが真実のものなら、必ず人の心を揺り動かします。お父様を呻かせる作品を書いてください。あなたほどの才能なら書けるはずです。

今すぐなさるべきことはやす香さまの闘病について書くことでなくてなんでしょう。告訴などしている暇がありますか。やす香さまはおじいさまが訴えられることをおよろこびになりません。やす香さまが祖父母に逢いたい、逢い続けたいと思った意味を想像してみてください。

夕日子さまと夫である★★さまは別の人格でありましょう。夫婦一緒の自暴自棄の怨みの告訴など、恐ろしく不毛です。愚行です。
夕日子さまらしく、ご自身を輝かせて、この素晴らしいお名前のように生きてください。あなたは素敵な人です。人生はこれからではありませんか。

天才の娘に生まれて、本当に大変だと思います。でも、これも必然のこと。死後も名前の残る存在として生きる幸せがある以上、並大抵でないご苦労も背負わなければならないのはしかたありません。
どうぞやす香さまのご不幸から、なんとしても幸福を掴み取ってください。幸せになってください。奮い立って書いてください。やす香さまのために。
夕日子さまの作品を読ませていただく日を楽しみに、凡人の娘で母親である私は生きてまいります。どうぞ夕日子さまご自身のために、告訴はおやめください。
とても長くなってしまいました。凡女ゆえに、たどたどしく要領悪く書いてしまい申し訳ありませんでした。どうぞ、お元気で。お元気で書いて、生きて、お幸せにと祈ります。

* 本日私語を読ませていただいて、心底驚きました。父と娘の間がここまで惨状を呈するとは想像もしていませんでした。
夕日子さんは悲しみのあまり正気を失っていらっしゃるのだと思います。
愛してやまないやす香さんを理不尽な病魔に奪われた憤りや悲しみや悔しさ、そして強い怨みを、まったく見当違いの方法で晴らそうとしているようです。あってはならないことです。これほど杜撰で無意味な告訴というのは信じがたい思いです。
看病の日々から告別式がすんだばかりです。極度の興奮と錯乱状態のまま、思慮もなくご主人様にひきずられて告訴などという、ものすごい事態になってしまったとしか思えません。
だれの目にもばかげた、こんな父を娘が告訴などということにならないよう、必死にお祈りいたします。何より、このような事態はお亡くなりになったやす香さんのお望みになることではないでしょう。
万が一、訴訟になられた時には、なるべく格上の弁護士をお頼みください。弁護士間のランクの上下が訴訟の行く末を左右するそうです。また知り合いが遺産相続で揉めたときに、やくざ弁護士がからんでひどいことになりました。どうか、細心のご配慮を。
ミクシィのやす香さんの日記は保存されていますか。私などが言うまでもないことですが、意図的な改竄などありませんように処置をとられたほうがよいと思います。
以上、とり急ぎ申し上げた上で、私にできることはないかと考えています。 青山
2006 8・6 59

* HPの文言(八月六日・娘夫婦★★★・夕日子に寄す。)をじっくりと二度読みました。実に論旨明確でわかりやすかったです。
(八月六日つづき、ある読者の投稿)夕日子さん、読むといいのですがね。
裁判に95%勝つとのたまう(★★側)弁護士事務所より、このメールの方(かた)の分析の方が、はるかに説得力はありますね。 小説家 東京

* 秦さん   帰国からあっという間に一ヶ月が経ってしまいました。環境の変化にも少し慣れて、ようやく落ち着いて呼吸が出来るようになった感じです。
余裕なくご無沙汰していた秦さんのHPにも、久しぶりに訪れました。それが何ということでしょう。言葉が見つかりません。
お孫さんのご冥福を、心からお祈りいたします。健全な若い生が、避けがたい力によって終わってしまうのは、本当にいたたまれません。
娘さんご夫妻との事も、さぞやお心を痛めておられるでしょう。何ということでしょうか。秦さんのお子様方への愛情はすばらしいと、いつも思ってきましたので、尚更やるせなく感じます。
ここまで出来る★★氏とは一体・・??  分からないものです。
秦さんも書かれていますが、顔を突き合わせての話し合いが何より必要と、若輩の私にも、それは自明のことと思われます。いきなりの何もかもすっ飛ばしての告訴など、一体何になるのでしょう。立場あり多くの学生を預かる方が、冷静に考えた上で選択される方法とは信じられません。(お子様をなくされたばかりで、冷静な判断など酷なのかも知れませんが。)
秦さんが、それで無くとも体調がすぐれないご様子でしたのに、その上に数々の心労を背負われて、お体に障らなければ良いがと、非常に心配しています。 ★★ご夫妻の、ある意味でのmourning workが、秦さんとの対決にすりかえられて、その大きなエネルギーが、結果として健康を奪ってしまうのではと・・
どうぞどんな時でも、お身体は大切に過ごされて下さい。  敬  国家公務員

* いろんな機械的作業を要する日々に入るので、ここへも多くは割けないだろうと思う。メールなども戴いておきながら、つい返信は失礼させていただくことが、ますます増えるのをお許し下さい。メール機能は平常通りですが。

* そんな中でも、鳶さんの配慮で手にした、念願の(上巻だけは読んでいたが)ツヴァイク『メリー・スチュアート』に夜遅く没頭している。ツヴァィクの評伝はマリー・アントワネットもフーシェも面白くて繰り返し読んできたが、メリー・スチュアートというスコットランド女王の生涯は、堪らなく刺激的で胸に食い込む。モロワの『英国史』という下地も出来ていて、イングランドのエリザベス女王とのかかわりの奇々怪々にも目は釘付けになる。
2006 8・7 59

* 「ペン電子文藝館」の城塚委員長から巻紙の鄭重なお見舞い状と、香り高い佳いお茶を頂戴した。ありがとう存じます。電子文藝館の方、すっかり安心してみなお任せしている。もう何の心配もない。夏からはすこしまた新しい作品を送りこみたいと思っていたが。委員各位に申し訳ない。

* 洗濯と台所の洗い物と掃除を済ませ、あんまり暑い今日は、おとなしくしているつもりです。
パソコンを置いてある東側の部屋は、そう暑くならないので、じっとしていれば扇風機だけでしのげそうです。もっとも、パソコンを稼動すると、熱を発して部屋が暖まってしまいますけれど。
今朝の、風の「私語」、拝見しました。
怒り、悲しみ、情けなさ、等々、さまざまな感情が渦巻いていらっしゃることと想います。
ずっと以前、叔父が、母のところに「訴える」と書いたおかしな手紙を送りつけて来たとき、風のわたしにおっしゃってくださいましたのは、わが身を問題の外に置くように、ということでした。
他人には、母と叔父の問題だと見えたかも知れませんが、母はわたしをとても頼りにしていたので、わたしもわが事のように考え、悩んでいました。
けれど、風のご助言に従い、あえて自身を渦中の外に置いてみたら、だいぶ楽になりました。
改めて申し上げるまでもないことでしょうが、今回のこと、どうか、「よそ事」のように外側から眺めるよう、おつとめください。
風と奥様のお体をとても心配しています。
精神の疲労は、肉体に影響を及ぼすことがありますから、できるだけお気をゆったりお持ちなりますよう。
データのバックアップは、あとでもできることです。どうか、ご無理をせず、ゆっくり進めてくださいね。
今は、大事なことに元気に専念なさってください。  花

* 裁判など本当に不毛です。
夕日子さんに宛てた読者からの文章、ほぼすべて納得のいくものでした。
わたしも思い切り書いて伝えたいことがありますが、何よりも何よりも今は奧様とともどもの健康を第一に、この夏の暑さを乗り越えられますように。
繰り返し、お体大切に、心身無理なさらぬように。   鳶
2006 8・7 59

* こんにちは。私は中学3年生の者です。   山形県
秦恒平さん、お願いがあります。ホームページを閉じるのだけはやめてください。

私の父は10年以上も秦さんのホームページの愛読者です。
その父は涙をためながら、いつも私に秦さんの生き方やこの度永眠なされたやす香さんのことをたくさん話してくれました。
そして、毎回私に言うのです。
「秦恒平さんの日記を見るのが、お父さんの日課なんだよ。
お経をあげるのと同じで、1年365日いつも見ているんだ。」
そんな父はとても生き生きとしていています。

それなのに、ホームページを閉じられては、そんな父を見ることはできなくなってしまいます。
ですからお願いします。閉じないでください。

また、私としても秦さんの考え方は正しいことだと思っています。
何も分からない子どもが何を言うかと思うかもしれませんが、娘さんは、自分を責めることに恐怖を感じているのではないでしょうか。
だから実の父を告訴するなどという、考えを起こしたのかもしれないと、私は思います。

世間もしらない子供がこのような発言をしてしまいすみません。
でも、これが私の思っていることです。

「ホームページを閉じる」ということ、もう一度考え直していただけないでしょうか。お願いします。

* お父上は禅僧であられる。むろんお目にかかったことはない。ご子息のメールにも御礼を申します。
2006 8・7 59

* この「秦恒平 生活と意見」=「闇に言い置く私語の刻」は、総体が小説家であり批評家である、実績も持っているわたしの、間違いない創作物であり著作物であり、それを闇の奧で自発的に読まれる人は、国内にも国外にもびっくりするほど多くおられる。その大部分はわたしのいわゆる「いい読者」であり、情理をともに備えた読者に支えられている。

* ★★★と夕日子とは、父に対し、その「生活と意見」全部を削除せよと要求している。厖大な量で、おそらく原稿用紙なら何万枚という大量になっていて、すでに六十ちかい「私語」のファイル一つ一つ、多いところでは一つで単行本の二冊三冊分を含んでいる。
★★夫妻に、その全部を消却せよなどと求める、どんな権利があるのか、理解に苦しむ。理由は★★★夫妻宛て直接問い合わせて欲しい。
秦建日子は、たとえ一歩譲って消すにも、★★と夕日子の「求める個所だけで十分だよ」と言っている。あたりまえだ。
わたしも、ファイル1 以降の、厖大量のうち、どのファイル、どの個所の、どんな記事を削除してほしいと言うのか、具体的に列挙して来るのが、仮にも告訴側の当然の手続きだと思っている。そう伝えてある。

* 例えば、こと訴人の一人「夕日子」の名前を、手始めにファイルで「検索」してみても、いや検索などするまでもなく、親として、娘を大切に思い、健康を遠くから願ったり、赤ちゃんから大学生にいたる娘の思い出を、妻と語り合ったり、そんなのばかりである。だいたい、孫やす香に向かっても、われわれは夕日子の悪口など、たったひと言も吹き込んだりしなかった。
★★のことには、また、ひと言も触れなかった。
その「★★★」の名前も、「私語」には自然登場する。たまたま今、目に付いた、例えば平成十三年の「私語」では、こういう「★★★」が登場する。

* 平成十三年九月二十五日

* 徳田秋聲の「或売笑婦の話」を読んだ。佳かった。淡々と出始めて、どきりと終わり、大げさでないのに劇的であり、純文学の優れた興趣をしっかり表わし得ている。うまく「つくった」話なのだが、散文に妙味と落ち着きとがあり、作り話だけどと思いつつ、ふうんと唸らされる。佳い文学に触れた嬉しい気持ちと、ほろ苦い生きる寂びしみとに胸打たれる。この胸打たれたのが響いたのだろうか。いまも、胸は安定しない。午後には美術館へなどと思っていたが、無理か。晩には一つ日比谷で会合がある。夕日子の披露宴会場と同じ場所で、フクザツな気分。

* 九月二十五日 つづき

* 猪瀬直樹の出版記念会(励ます会)が帝国ホテルであるというので、行く気でいた。昼間から出て、上野辺をまわってと思案していたが、朝からの体不調で昼間はとりやめ、晩には出てゆこうと思っていたが、心身大儀でとりやめた。帝国ホテルの光の間というのは、娘の結婚披露宴の会場だったところで、往時に触れるのもイヤではあった。
(主賓・来賓の=)谷崎(=潤一郎先生)夫人も藤平春男氏(=早大文学部長)も尾崎秀樹氏(=夕日子をわたしの代わりに中国の旅に連れて行って下さった、日本ペンクラブ会長)も森田久男先生(=夕日子の、危険の予測された誕生時、実に親切に母産婦を医学的に保護して下さった東邦大学内科教授)も亡くなられた。
離婚の経験のある谷崎夫人を新婦側主賓におくとは非常識なと、婿の★★★(青山学院大国際政経学部)に罵倒されたとき、正直のところわたしは虚をつかれ、じつにイヤな気がした。およそそのようなことは、考えたこともなかった。谷崎文学とわたしと、谷崎夫人と我が家と、の縁は知る人ぞ知る、深いものがあった。まして娘を孫のように愛して、自ら何度も身をはたらかせて夕日子を本人熱望のサントリー美術館学芸部に就職させてくださったのも谷崎夫人であった。離婚も再婚もそれが何だというのか、松子夫人あって昭和の谷崎は名作の山をつみ、二人は添い遂げて、夫君没後も夫人が谷崎文学のために奔命されたことは、まさに知る人はよく知っている。
よそう。

* たまたま飛び出したこの記事など、名誉毀損もなにも、正確な事実そのもので、★★の罵倒の手紙も保管しているし、なぜ、これを自分の著作物から除かねばいけないのか、「心情」として納得しにくい。
第一、この文を削除すれば記事の主体を成している前段の思いは不当に損なわれる。ももともと後段の無念や不快へ流露して行く文脈は自然であり、端的にいえば、わたしの「文藝」に属している。しかもわたしに恥じるところはなく、削って貰いたいほど恥ずかしいのは言うまでもなく、★★の「非礼」の方であろう。

* この調子で「★★★」の名前の出てくる個所を、彼が具体的に引き出して削除を望んできたとき、場合によって応じないではないが、法的な力に強制されてするのではない。
しかもその前に、書かれてある内容について、いちいち★★★に、説明や自己弁護を求める権利が、わたしにもあるはずだ。
事実は消えはしない。事実を真実として表現し創作物に仕立てていく権利を、わたしが抛棄するわけはないから、際限なくいろんな場で、後世まで、★★は恥をかき続けるだろう。
わたしは証拠もなく、こういう記事を書きはしない。法的に勝つの負けるのなど、人間的真実の前には、なにほどのコトでもない。

* 厖大な量の「私語」から、何処の何を外して欲しいか、一つ一つ指示して希望するのは、告訴側事前の手続きであろう。
だが★★はそれを、ようしないだろう、言えば言うほど、非礼は自身にあったことにまざまざと思い当たるであろうから。
それでいて、「八月十日」という期限を高飛車に切って「告訴に踏み切る」と言ってきている。★★★一人の告訴なら問題なく受けて立って簡単だが、夕日子にも訴人の名義をかぶせているのが、夕日子のため、将来の行幸のために、我慢ならない。
だが、むろん受けて立ち、コトそこに至れば、ねわたしはそれらを裁判所が具体的に命じるまで、現状に保存し、またその内容や表現に従い、著作権をあらそう申し立ても出来る。

* いざやり出してみると、厖大な量のコンテンツを消去していくのは、手作業としても容易なことでなく、乱暴にどんどん消して行くより手がない。もう「私語」の二から始めているが、★★★に来させて手伝わせたいほどだ。バカげている。

* hatakさん
二十世紀の終わりごろから私は、「闇に言い置」かれた言葉を聞くことから一日を始め、眠る前に再読することを一日のとじめにしてきました。

「闇に言い置く」の膨大な文章の蓄積は、hatakさんの著作物であると同時に、私が石垣島や札幌に暮らし、エジンバラや中国やハワイの島から、想いを送り続けた八年間のかけがえのない記録でもあります。
私と同じように、この蓄積の中には、高校生だった少年が、親元を離れて大学へ入り、卒業し、就職した成長の記録や、私が密かに「参拝上人」「参詣聖」と呼んでいる、おびただしい数の社寺仏閣訪問記、卆寿を超えた「押し掛け弟子」の初々しい作品が世に出る記録もあるのです。
これらの貴重なアーカイブを、インターネット上から消し去ることができるのは、サイトオーナーであるhatakさんだけで、「闇」をどうのぞいて見ても、誹謗中傷や名誉毀損を訴え得るような何人も見出すことができません。

国公立機関に属する図書館が独立行政法人化され、交付金運営費を5%など数値を示し削減されるようになってから、学術論文の紙媒体による購入を取りやめ、コンテンツサービス会社などから、電子ジャーナルの供給を受ける契約をするところが増えてきました。経費や時間の節約になる反面、電子媒体は、例えば、配給会社が倒産したり、公権力が悪意を持って介入した場合には、あっけないほど簡単にこの世から消えてなくなります。紙媒体では、サーキュレーションが薄く広いので、一旦発行されたものは簡単には回収できず、どこかで生き残る可能性があります。
わが身の一部のようなサイトが突然このような事態を迎え、インターネット上の記録媒体の利便性と脆弱性をあらためて感じました。

いずれにせよ、闇の彼方に、事の成り行きを見守っている多くの「目」があることを忘れないで下さい。   maokat@帯広市にて

* わたしも九八年ころからの「私語」を眺め初めて、maokatさんのいわれることが、有りがたく、よく分かる。
所詮★★★も夕日子も、このような「世界」とは異邦人であり、読んでいないのだ。この数万枚もの、秦恒平の思索と批評、まさしく「今・此処」で生きているという生彩、その意味も価値も、テンデ★★には分かっていないというだけだ。
おそらく、これが、量的にも質的にも個性的な「日記文藝」であることは、自分で言うからおかしいけれども、間違いなく読み返して行って、すぐ分かる。わたし自身、興に惹かれて読みやめられなくなってゆく。ナルシストだとわらわれるだろう、それはそれでいいのである。
上の、maokatさんのような読者が、ずいぶんな人数実在するらしいとは、わたしが言わなくても、広い範囲でいろんな人から、わたしが言われている。「あれは、読まずにいられませんよ」と。
この厖大な「日録」の中で、およそ★★の姿など、大海の一尾の鰯ていどにしか現れてはこない。その先生が、「生活と意見」全部消去しないと「告訴する」と、卑怯にも自分の妻を訴人の連名に、自分より前に引っ張り出してくる。やり方が汚い。
わたしの「私語」の中で、わたしの舌鋒に娘が刺されているのは、この六月下旬、やす香の「白血病」入院から、酷いような痛恨の遠逝と、それ以降の不当極まる告訴さわぎの時期に、はっきり限られている。
わたしは、娘の批評はしても、名誉を傷つけるようなことを、それ以前のこの「私語」で、一度として書いた記憶がない。有るというなら、「これ」と指さしてわたしに示してみなさい。
2006 8・8 59

* ご決意読みました。こんなに早く、こういう不幸な形は想像もできませんでした。
この「私語」は私にとって、単なる毎日更新されるホームページではありませんでした。電子書物でもありません。この「私語」と一緒に生きていたのだと思います。特別な存在でした。「私語」は人生の伴侶、魂の親友でした。今は万感胸に迫って、言葉がありません。実はずっと泣いていました。
私語は秦恒平らしい、秦恒平にしか書けない形の素晴らしい生彩ある文藝作品でした。知の巨人の仕事でした。この創作を心から愛していました。今までのものを保存して愛蔵し、文学論やいくつかの本になりそうなテーマでエッセーの編纂めざして集めているところなのです。もう間に合いませんか? 仕事の途中なのでほんとうに困ってしまいます。愛読者としての最後の切実なお願いです。

この痛ましい「愛」の決断が、大きな愛の代償が夕日子さんの胸にまっすぐ届きますように。もはや★★家の訴訟対象がなくなるのですから、せめて愚かしい告訴の不毛が避けられますことを切に切に祈ります。

これからは、やす香さんへの喪の仕事と奥様の看病の毎日でいらっしゃることでしょう。かならず奥様をお守りください。そしてご自身のお身体も大切に大切にお守りください。
やす香さんは、お書きになる小説の中で、とわの命を得るでしょう。やす香さんとの再会を楽しみに待ちます。そして私語との再会も信じています。どうか「聖家族」も本になさってください。
「私語の刻」長い間ありがとうございました。パソコンのホームページに深々と一礼いたしました。  町田市

* 愛読者は斯くも嬉しい有り難い存在であるが、照れくさくもかなり熱い存在、とても、ピュアな存在でもある。だが、いかなる大金でも自由には買えない宝である。娘夕日子の、おおむかしの名セリフを借りれば「魂の色の似た人」とは、作者にすれば、読者こそ第一である。

* ただ、作者という化け物は、創作行為や自分の創作物のためには、ひたすらな愛読者より、かなりしぶとく、油断ならない闘う存在でもある。

* 「どうして」という眩暈に苛まれたまま、思念が膠着しております。
高橋新吉の「心」という詩に「心は虚空よりもやはらかい」の一節があります。
告白すれば、私は、ただそれだけのことを「わかる」のに三十年余かかりました。五十歳を過ぎていました。
詩のつづきにこうあります。
「何もないが心だから、心は通ぜぬところがない」
すでにそのような状況に無いことを知りつつ、あえて、私自身の父に対する悔悟の心から、お叱りを覚悟で申し上げます。
どうぞ、待ってあげてください。どうぞ、夕日子さんを待ってあげてください。
涙しつつ、お願いいたします。 六  香川県

* 有り難いことだ。いま、わたしは、こういう、「夕日子」を想っての呼びかけに包まれている。
ご安心を。わたしも妻も、忘れるどころか、少しも変わらず、じいっと夕日子誕生から十四年前までの娘のあれこれを見守り、思い出していて、娘が、自前の理性と自覚とでしっかり立ち直るのを待っている。
子は変わっても、親は変わりようがない。
一時の言葉などそれは灰のようなもの。言葉はついに言葉であり、真実は言葉にされた瞬間に真実から遠のくと、異なるモノになると、仏陀も、老子も、バグワンも正確に語っている。その時その時にわたしは胸の奥からまっすぐ言葉をつかんでは来るが、それが言葉であるというはかなさを、文学者の覚悟として、いつも持っている。

* 真実に近づける言葉は、わずかに、「詩」としてのメタファー(喩)があるのみ、だから文学・演劇の真の創作者は、「表現」という「文藝」に、命を削る。「月=真実」をさししめす「指=(言葉」は、けっして「月」ではない。ただ優れて「喩」となりえた言葉だけが、月=真実に近づいて、人にもそれを感じさせる。ただの「おしゃべり」ではどう賢しらを言ってみても、情けないが、届きはしない。情けなさを一番いま噛みしめているのは、いま、わたしである。

* わたしの「言葉」は上のことを痛いほど知っての言葉であるから、少なくも、囚われていただかないように。
ウソを言い散らしているという意味ではない。言葉より、思いを汲んで下されば有り難い。

* 「待ってあげてください」とは、なんと、私たち親子にとり嬉しい有り難い言葉であろう。また「待つ」しかないということでもあり、それは★★★についても言える。
彼はいま、妻へのメールによれば、途方に暮れているようだ、そしてひたすら夕日子が自身告訴の決意をかため、わたしのこういう「私語」からも、聴く耳を塞いで、近づかない様子を伝えてきている。
そういう娘の硬直ぶりは、娘を観たことのない方には、なかなか想像もされないだろう、夕日子のいささかの文才だけを遠目に愛して下さる読者達にも。

* ★★は、やす香病床にいながら、わたしたちに「礼」を以て接する好機を、空しく逸したが、今更にあえて胸中を忖度はしない。逸機はまた、吾々の咎でもあった。

* おそらく今回夕日子たちの不幸の最大なのは、やす香の医療継続と緩和ケアとのはざまで、親としてせざるを得なかった、痛恨の「死へ向かわせる決断」を、祖父母にすら秘して漏らさなかったことにある。もし漏らされていたなら、間違いなく最終的に同じに決意していたと思う。
しかし、そこのところで、異様な、わたしには考えられないことが起きていた。それが、今にして、夕日子自身の言葉により分かってきた。
思うだに酷いことであったのは、病名を、その行方までも、当のやす香に向かい告知し、いわば「ラクな死」を、やす香本人にむかい「母自ら説得してしまった」こと。わたしにはこの選択はとうてい信じがたい。やすやすとは、とても受け取れない。だが夕日子は自分でやす香に告知したと言っているらしい、弟に。
わたしの親しい優れた医師も、肉腫発見の遅さ、この病気の激越な進行から見て、ホスピス=緩和ケアの選択は、その時点で余儀ない、或る意味で正しい選択だったろう、けれども、
「それをお子さんに告知するかなあ」
「僕ならぜったいしない」
と言われる。
わたしは、夕日子が秘めていた、そういう仕儀一切を全く知るすべなく、しかも当のやす香が、病名も、死の免れがたいことをすら、公然口にしているその事態には、愕然とした。「死を受け容れたやす香」と、夕日子は、昨日か一昨日の妻へのメールで言っている。言われている「言葉」の、ああ、なんという怖ろしい意味であることか。しかもわたしは、死の「受け容れ」を説いた場面も言葉も、その事実じたい、も、むろん知らされてなかった。
あのとき、「死」を説得されたやす香と知っていた人が、誰かいたろうか。友人達がみなそうと知っていたわけがない。そんな時に「生きよ けふも」とひたすらやす香のために祈るのは、いずれ人為的に輸血の停止される前提または結末を予想していない、予想したくもない、やす香を愛する全員、の自然当然必然の願いであったろう。
わたしは、やす香が最初に自分から「白血病」と、ソシアルネットに公開したときにも、何故にと、すでに病名の本人に告知されている事実に、仰天した。それでも夕日子も、母にむかい「治る病気よ」と呟き、またどの段階でであったか、「命がけでやす香の命は守って見せます」と「MIXI」に公言していた。誤診が、だが、その後に有った、ということか。
肉腫。これは、もう、……。医学書院の編集者であったわたしは「肉腫」を、ともあれ識っていた。そしてまた驚愕したのは、「肉腫」「緩和ケア」という言葉すら、やす香自身の「MIXI」が、告げていたではないか。さきの医師の「信じられない」という愕きを、わたしはあの瞬間に愕き、色を喪った。
緩和ケアの方針が親と医師とで定まるのは、病状の進行しだいでは仕方がない。だが、やす香の精神的な安楽を守ってやるのに、酷い告知と「死の受け容れ」の説得が、なぜ必要だったか。黙ったまま優しく静かに見送ることも、モルヒネを使用し輸血停止の決断も予定されていたぐらいなら、難なくできたろうし、夕日子のより賢いプロデュースで、音楽会も、大勢の友達の見舞いも実現出来たろう。
やす香を、いとやすらかに死に至るまで、せめて「だまして」おいてやるのは、何かの正義の前に「罪」だとでもいうのだろうか。

* これはもう「繰り言」である。わたし自身、早く繰り言をやめて、新しい創作にかかりたい。夕日子もそうしたら。
お父さんに「復讐」したいというなら、母としての名作に、やす香さんを「書いて」なさいませと、人の言われていたのは、核心を射ている。わたしの寿命のある間にわたしも読みたい、ぜひ。

* だが、なかなか。
夕日子は、告訴の決意が鈍らないように、わたしの「私語」からも、パソコンからも離れて、触れようとしないと、夕日子の夫★★★は、わたしの妻に伝えてきている。これでは、「待って上げてください」が、道をうしない宙にさまよう。「今こそ抱きしめてあげてください」も、途方に暮れる。そんななかで、余儀なく、わたしは、一つまた一つ「私語」のファイルを消しているが、あまりに、ばかばかしい。
突きつけられた期限の明日に、消去作業の間に合わないことは明瞭だし、間に合わそうと慌てた操作で機械を傷つけたくない。当然である。
ホームページを開設したとき、これは、わたしの「原稿用紙、作品発表場所、電子書籍、作品展示室、作品保管庫、文学活動そのもの」と認識していた。これを全部「消去せよ」とは、だが凄いことを言うなあ。
2006 8・9 59

* 日本近代政治史家で「震災」「空襲」の研究家として著名な、横浜市大名誉教授の今井清一さんから、『大空襲5月29日 第二次大戦と横浜』そして「日本の歴史23」『大正デモクラシー』新版を戴いた。嬉しいお手紙がついている。有り難く披露させていただきます。

* 暫くの酷暑が台風の余波で飛んで行き、ほっとしております。もう一年余り前になりますが、ご高著「日本を読む」上下と「わが無明抄」を頂戴し、ありがとうございました。
ちょうど「横浜から見た関東大震災」の仕事に追われていて、ぽつりぽつりと拝見しましたが、個々に見ても、また連ねて見ても面白く、またそこから自分なりの考え方を展開させたくなる点でも、読み甲斐がありました。
ただ、どうお礼を申し上げようかととまどい、今日にいたり、失礼いたしました。
先にご覧くださいました小著『大正デモクラシー』の、活字を大きくし解説を付した改版がちょうど出来ました。
私は震災と空襲を研究しており、毎年七月末に開かれる空襲戦災を記録する会全国連絡会議への出席を楽しみにしていて、今年は今治に行って来ました。
ご本のお礼を遅ればせに申し上げると共に、この改版と横浜大空襲に関する『大空襲五月二九日』をご覧に供します。
暑中ご自愛をお祈りします。  8月8日   今井 清一

* 「ペン電子文藝館」の「主権在民史料室」を新設したとき、幾つかの企画をもち実現した中に、大きな「柱」にわたしは、「憲法」論議と、日本の近代史の、大づかみでいいから「通観」できる歴史記述を切望していた。それで、全巻通読し感銘を受けていた、学んでいた、中公文庫版「日本の歴史」の26巻の、それぞれ責任執筆者の異なる末7巻から、各一章をひきぬいて、全七章分の略式「日本近代史の流れ」を、大切に史料室におさめ、インターネットで発信した。わたしの秘かな志であり、自慢のしごとになった。その時今井清一先生からは、もちろん『関東大震災』の章を頂戴したのだった。

* 中公版の『日本の歴史」が、版を新たにしたとは嬉しい。
わたしは若い人にほど、超古代からもいいけれど、この日本の「現代」がむごく歪められ、かち得た人権を着着奪われつつある今日、真っ先に『明治維新』から『近代国家の出発』『大日本帝国の試練』『大正デモクラシー』『ファシズムへの道』『太平洋戦争』『よみがえる日本』の七冊をぜひ「読破」しておいて欲しいと切望する。
このシリーズの執筆姿勢と魅力は、学問的であると同時に、権力機構への迎合がほぼ全く見られない、新鮮な視角と見識にある。字の大きくなった「新版」で、もういちど通読し直したくなった。

* この略式「日本近代史」の思いつきを助けて頂いたのが、『近代国家の出発』を責任執筆されていた東京経済大学名誉教授の色川大吉さんであった。この巻にもわたしは感動した。
「主権在民史料室」を「ペン電子文藝館」に建てようとすぐ思いついた。実現した。そこには、明治の憲法論議も多く取り込んである。
色川先生からは『廃墟に立つ』と題した『昭和自分史』の一九四五ー四九年の大冊を戴いた。変な物言いであるが、ドッカーンと胸に響く歴史記述であった。

* 天野哲夫・沼正三代理人さんに戴いた『禁じられた青春』上下も「はじめから」して身震いの来る興奮の第一波が感じられる。『家畜人ヤプー』の著者・代理人さんたる人が、手紙に添えて「何故御高名な秦様が、私如き怪しき物書きに、かほどまでご興味をお持ちなのか解しかねます」などと言われては恐縮する。わたしは最も早い時期のあの本に、著者もよろこばれた一風変わった角度からの「書評」を書いて、あの本のブームにかすかに一役買っていたし、「私如き怪しき物書き」というみごとな自負に惹かれるのである。
およそ考えられる限りの世間の美徳と真っ逆さまの、現代の天才が沼正三だが、そのまま天野哲夫さんに通じていると、わたしは読んできた。
この本も読み進めるのが大なる楽しみ。

* 拝復  湖の本追加分頂戴しました。有難う存じます。
御不幸がおありでしたとの御事、
謹しんでお悔み申上げます。
初孫、それも女の子、といふのは例へやうもなく かはゆうございました。
それを花の盛りの、といふお年頃でふっとお亡くしになった お二方のお気持、如何ばかりとお察し申上げます。 御気落がお体に障りませんやうにと 願つて居ります。
更めて御冥福をお祈り申し上ます。 かしこ     福田恆存先生夫人

*  ホームページを閉じられることについて・・
秦さま あまりの物事の速い進みに深く悲しんでいます。
全く存じ上げない方の生と死について、こんなに深く考えることも初めてのことかも知れません。
今日のやす香さんの写真は大学に入られてからなのか、少しオトナっぽいお顔ですね。穏やかな笑顔です。
ホームページを閉じられる決意をされたことを、一昨日に読み、少なからずショックを受けています。
ただ、その決意は心して受け取らせていただきます。
私にとって「生活と意見」は、正直に言いますと毎日かかさず見るというものではありませんでした。
ただ、何かが起こったときに(戦争や、政局に関することが主なことでしたが、)秦さんはどんな意見を述べておられるだろうと開けてみて、心の中で会話をするという場所でした。
もちろん、日々のご活動も読むのが楽しかったですし、同志社大学の寒梅館で食事をされたりしているのを読むとこんなにすぐ近くにいるのに!!と、妙に悔しがったり・・・(私は**大学**学部の研究室事務室で働いています)
閉じられると聞き少し、いえ、かなり途方にくれています。。
今日は一日再度読み直しておりました、朝までまだ少し・・・続けて読ませていただきます。
もちろんこのメッセージには返信は不要です。
建日子さんのページにもメッセージも残さず時折足跡だけを残す失礼な私をお許しください。(これはご本人にちゃんと言うべきですね、でも今は、文学と生活のページに戻ります。
くれぐれも奥様も先生もともにお体ご自愛くださいませ。 京都市

* 昨日★★から届いた妻へのメールで、夕日子は、父親の「私語」にあらわれる上記のような交信は、秦恒平の都合のいい「創作」だと言っている。マトモに向き合う柔らかい思いが働けば、よもやそんな心ない読み方はしないだろう、父親の作文能力を称賛してくれたものと思っておこう。
わたしは、もう早くにであるが、「私語」に紹介・転記されたくないメールには、 @ マークを付けるか、明記しておいて欲しいと「読者」「知友」には、おおかたお願いしてある。同時に、どの方と人に名指しされるような特定の記事は省くか、記号化している。互いに綽名をわざと付けていたりするのも、幾つかの点で有効だと互いに馴れているからである。
いかにわたしが多方面に発言しても、そこは、一人だけの世界。闇の彼方から覗き込み、聴こうとしてくださるエッセイや事件や見聞にも、単調さがにじみ出てくるオソレは否めない。
一つには作者と読者はふしぎな「身内」感覚で近づきあえる。当たり前の話で、「ことば」は「心の苗」であり「精神の音楽」である。魂の色が似かようような嬉しさが互いにふと味わえれば味わえるほど、同じ一つの大きい世界を組み立てあっているとも言える。そして此の「闇」という場が、時に東京の人と北海道の最果ての人との場になったり、名張の人の様々な歴史紀行に何人もの読者が出来ていたりする。それは、そのままわたし自身の「世界」の豊沃を示してもくれる。
わたしの「私語」の闇を、大勢がなんとなく交感・交歓の場にしてくれている。わたしは、それで、また大いにラクをさせてもらえるのである。

* 秦 恒平様 この夏も蓼科へ行ってきました。
車山のニッコウキスゲは昨年のような全山黄色というわけには行きませんでしたが、一株(写真)お目にかけます。
その後秦さまご夫妻はどのようにお過ごしかと、ただただ心痛み、帰宅して恐る恐るホームページを開きましたら、なんと思いもかけぬ展開になっていて– —呆然といたしました。
やす香さまを喪われたご両親が平静なお心で居られるのはご無理としても、どうしてそこまでと思い、この悲しみがせめてもこれまでのご両家の確執のとける契機になればとの私のはかない望みも、単に傍観者の楽観であったのかとうち砕かれました。しかしやす香さまの仲直りして欲しいとの願いがきっとよい方向へとみなさまを導いて下さるであろうと、まだ私は(ご事情もよくは知らず勝手に)希望を持ち続けています。
回復の見通しの立たぬ病の人にどう声をかけるか、とても難しいことです。
私の親友のおつれあいが致死的な難病のALSで身動きも発語もかなわず、蓼科の山荘で療養して居られるところへ私が息子と立ち寄った時のことです。
別れ際に息子は、「おばさん、おじさんはきっと治ります、大丈夫です」と懸命に励ましました。
私などは到底こんな言葉を心から発することは出来ませんでした。
知恵が邪魔をするのですね。
どんな状況でも、生きていてほしい、元気になってほしい、と祈ってどうしていけないのでしょう。
末期ガンで清瀬の救世軍ホスピスにいた友人を何度か見舞いました。
彼女には知的障害のある息子さん二人と病身のおつれあいがあり、しかしあまりの治療の苦しさに、死んでも死に切れぬ思いを絶って、自らホスピス入りを決心されたのでした。
それでも投薬等で苦痛が治まると、自分はここでこんなにして楽していて、死んでしまって、良いのだろうか—と悩み苦しむ、と私に告げられました。
このような心の葛藤を繰り返し、やっと最後は安らかな気持ちになられたと、お世話をした救世軍のシスターが葬儀の時話してくださいました。
そんなこんなを思い出しながら、HPを拝読しています。 2006/8/10  藤

* 昔、私が父に激怒した時に、母から「パパの言ったことではなく、今まであなたにしてくれたことを思い出しなさい。言葉で判断してはいけない」と諭されました。
あれだけ父に苦労していた母ですが、ありがたい言葉でした。許すということのきっかけになりました。
私語で、やす香さんのミクシィの記述を読みました時、「治ることは絶対にあり得ない」という部分に実は驚愕しました。医師に対して湯気の出るほど憤っていました。
夕日子さんがキューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」を読んでいらっしゃらなかったとしたら、残念でした。
高校生の頃に恐怖に震えながら読んで、そしてとても学ぶことが多かった。ご存じのように、これは死にゆく人々に取材したものです。
印象に残ったのは、よい死を迎えるためには、絶望させてはいけないということでした。たとえ不治の病であっても、その告知にはどこかにかならず希望を持たせなければならないというのです。
余命の宣告は非常に慎重にと。
つまり嘘をついてもいいのです。治らないとわかっていても、治る可能性も延命できる可能性もあると伝えることで、患者は救われる。
そういう意味のことが書いてあったとうろ覚えながら記憶しています。
私は自分の遺言ノートの中に、病名の告知はしてほしいけれど、余命の告知は不要と書いています。何しろ悟りなんか全然ない。弱虫で怖がりの臆病なんで、死ぬのが恐ろしくてたまらないのです。
夕日子さんに告知について助言できる人が周囲にいなかったことは痛恨の極みです。夕日子さんはご自分の孤独な責任で告知を背負っていかれたのですね。そのご胸中をお察しすると涙しかありません。
それでも、一つ救いは、女は男より告知に強いということです。テレビで看護婦さんが証言していました。男の人は誰も誰も告知でよれよれになってしまう。実に弱い。
でも、女の人は強いですよ。きちんと後始末までしていくと。   夏

* いま、わたしの知己たちは、大勢が、夕日子の心事に思い入れて娘の立ち直りを励ましてくださる。またはわたしを宥めたり窘めたりすることで、間接に夕日子をなだめたり窘めたりしてくださる。バルセロナの京など、わたしをむちゃにやっつけながら、「夕日子さん、いっそのこと、『やーめたっ』と、無責任に、実に無責任になって、手を放してみたらどうですか」などと言ってくれる。わたしが昔娘の手を放したように、★★の方へ預けたように、夕日子ももう父親の手なんかを放してしまい、穏やかに、家族とのこれからの日々を過ごしたらという勧めか。但しわたしは映画「ショコラ」の読みではすこし京と、見方ちがうかもしれない。
2006 8・10 59

* 秦 先生
『死なれて・死なせて』を、ミクシイの電子版で拝読していましたが、やはり、活字のほうがと、「湖の本」版を取りだし、読みはじめました。
先生の掌中の玉、白珠乙女をお思い申しての、わたくしのモゥンニング・ワーク(=悲哀の仕事)でございます。
以前、拝読しましたときにもまして、作家の厳しい自己裁断に息を呑み、「死なせた」存在としての自分がつよく意識されました。
『源氏物語』の読みを変えてくれたのも、『死なれて・死なせて』でしたし、「死なれ・死なせる」というキイ・ワードで諸々の書を読むことも、この書から学びました。
しかし、この度は、拝読していまして、先生のこのほどのお悲しみ、痛苦に思ひの及ぶことがしばしばでございました。あたかも、今のお悲しみが予見されていたかのような個所もあり、「言の葉もなし」、謡の一節でしたか、ひそかにつぶやくばかり……。
奥様がお倒れなされた由、これも心の痛むことでございます。どうぞ、おだいじに。大切な背の君のためにも早く、ご恢復なさいますよう。先生もご心労のあまり、お身体を損ねることのありませぬよう。白珠乙女が守ってくださいましょうが、わたくしにも祈らせてくださいませ。     香
2006 8・12 59

* こんにちは。山形県の中学3年生の者です。
秦さんに少しでも気持ちが伝わったのかと思うだけで本当に嬉しかったです。
また、私が女子であることを訂正してもらいましたが、このような大変なときに、そのようなことにまで気を配っていただき、申し訳ないです。
最後になりますが、今も私の気持ちは変わりません。
秦さんがホームページを開き続けることを望んでいます。父も同じ想いでいます。
閉じるか、閉じないか、決断するのは秦さんですが、私、父、他にもたくさんの方々が同じように、これからも秦さんのホームページを見続けたいと思っていることを忘れないでください。それを胸に置いた上のことならば、どんな結果でも私は受け入れたいと思っています。
何度も何度も子供の意見をすいません。   真

* 感謝します。心しています。 湖
2006 8・12 59

* 今井清一 先生   秦 恒平
雷鳴とどろいて、「夕立」ということばを、久方ぶりに思い出しました。落雷などの障りはございませんでしたか。

このたびは、御著二冊「大正デモクラシー」「大空襲5月29日」を戴き、ご鄭重なお手紙までも賜りまして、ありがとうございました。

中公文庫版の「日本の歴史」が、新版になっているのですね。これは私、何度もものにも書いて希望してきたことで、欣快至極です。
いろんな日本通史を読んできまして、わたしはこの、全26巻本を、最も姿勢といい内容といい信頼し愛読してきました。若い、これからの日本に当面しなければならない心ある人達に、ぜひ読まれたいと希望します。
全巻を一頁もとばさず、朱筆片手に順に読み通した私のような読者は、数あるまいと想います。ことに、明治維新以降の日本近代史の七巻に、私はそれはたくさん教えられました。
恥ずかしいことに平安時代や鎌倉時代や、とにかく昔の歴史にばかりうちこんでいた私が、日本近代史をしっかり読みたいと思ったのは、いわば「手遅れ」の「遅蒔き」でしたけれど、多大の感銘を得ました。読みながら、毎日毎日唸っていました。
日本ペンクラブで責任者を務めております「ペン電子文藝館」に、すぐさま「主権在民史料室」を特設し、色川大吉先生のお口添えを得たりして、いわば「略・日本近代史」をシリーズから再構成させていただいのが、電子文藝館に展示中の、最も心行く仕事となりました。あらためて、深く御礼申し上げます。

「日本を読む」のような戯文にお目とめ下さいまして、嬉しい、有り難いことでございます。図に乗りまして、甘えて、もう二冊お送りさせて頂きとう存じます。
日本人の「からだ」と「こころ」とに関わる躍動するセンスを、暮らしを流れる血潮のような具体的な「ことば」を介して把捉しようと試みました。お笑い下さい。

京都で育ち、少年時代じかに大空襲に遭わずに終戦を迎えましたが、私の通った市内の幼稚園運動場に一発爆弾が落ちました。
あの時代は遠くなったか、とんでもなく。またまたイヤな空気です。
日本ペンクラブですら、政府の資金援助をアテにして事業をしようというアンバイで、憮然とすることの日々に多いのには閉口です。

お大切にお過ごし下さいませ。  06..08.12
2006 8・12 59

* 西国の方から、声。

* (私も)考えました。
何とも気が重いです。が、それはやはり秦さんの書かれるものは、同時に「考えよ」という力を持っているので、「読む」と、「考える」のです。逃げやごまかし、後回しはなく、読むともうそこに、考える私が引っ付いてしまいます。
そういう読者は多いと思います。

夕日子さんが父親を告訴して、勝訴しないことには生きられない、生きる術がないということ(★★さんも同意していること)、とはどういうことなのか。
父と娘…。
母親と娘は同性である、母親の胎内で育ち母という身体から産み出た「繋がり」の事実が、先ずある。
父と娘は同性ではない。父という男(性)は、結婚した場合、生涯で、母、妻、娘という三通りの女(性)に、凡そ、その名のもとに愛を掛ける。
秦さんは、物書きだ。
秦さんは…、
たいていの人は、普通当たり前に、特別に意識することもなく、自分を産んだ人のことを、「母」と呼び育つ。何でもないが神聖なその当たり前の「生の故郷」は、身体ごと「赤ん坊」になってこの世に産み出る。 母と子である。
秦さんは事情から、人が生きる時に意識することなく、予め備わっていて、それを以って、それが生きるという始まりの「生の故郷」を、特別に意識するハメになり、それは普通意識されるようなものでなく、だからこそ人は、そこから生きていく(いける)のに、そこがどこかと戸惑いながら、問いながら、乞い(恋い)ながら、生きていかなくてはならなかったこと。
一心に、書いて、生きてきた。のですね!
生まれたばかりの赤ん坊は、まだペンを持たないけれど、生きてきたから、それは、私が私に書けということだ。 秦さんは書いた。

「物書きである父」の娘への愛情は、夕日子さんは解せないのでしょうか。
父である秦さんが書いたものを読む読者には、娘さんへの愛情が深く読み取れ伝わるのに。
夕日子さんのお父さんは、書いて生きてきた人(これからも)ですから、「物書き」を抜いて、「父」だけでは部分のようで、「秦恒平」にはならないでしょう。
物書きでそれも秦恒平となると、愛情にもそれなりのキツさがあるけれど、それだけに愛情も深い。
夕日子さんは一般の読者とは違い、子、娘ですから、いつまでも父のそのキツイ愛情に反抗しているのでしょうか。
母親、こどものことなどは、どのように考えていらっしゃるのでしょう。
ご自分でさえこのようなことで、何かの決着が付く筈もないと思われますが。
このような事態は、ホントに気が重いですね。
父と娘、 先のこととしても、願うこと(歩み寄るとか笑い合う)は一緒、ではないのでしょうか。  福

* これは、夕日子にもわたしにも、有り難い知己の言葉、滋味あふれた言葉であるが。

* もう二時過ぎた。
2006 8・13 59

* 熟睡。起きて、黒いマゴ、灰色のグーと、それぞれ少し遊ぶ。ピンポン玉のような亀には興味がない。

* 内藤昭一さんから、また此の夏もすばらしい「桃」を一箱頂戴した。青山学院大学の元学長さんで、十四年らいおつき合いがある。

* 湖様 おはようございます。 「私語」早速 7月分1か月分をPCにコピーいたしました。
思わぬ方向に進み、言葉も失っておりました。よい弁護士さんにお頼みになったとのこと、安堵しております。
やす香さんがご家族を一同に集う機会をつくり、その後の円滑な交流が復活することを願いながら逝かれたことと思い、そうなることをひたすら祈っておりました。しかし、事態はまったく逆の方向に進んでしまいました。
娘さんである夕日子さんがどうか平常心にもどられ、お孫さんのヶヶヶさんがご自分の道を健やかに進まれることを祈っております。
実の親子というものは、なかなか難しいものですね。
私の娘も(絵画)自作に対する批評を好みませんし、まったく受け付けません。少しでも口を開けば反発し、親であることを否定するような発言をすることすらあります。
それでも率直に批判して伝えるか、壊れ物に触るようにそっとしておくか・・・。鋭いガラス片のような娘の言葉に傷つきながらも、真綿でくるみ、娘のガラス片が少しでも丸くなっていくことを願っている日々です。
本当に傷ついているのは娘のほうなのではないかと思いながら。
大きな猫と亀と、日々少しでも心静かに過ごされますように。  波
2006 8・14 59

* ■気に入る愛情    福
愛情は伝わる、伝わらないではなく 、気に入るか、気に入らないか。
その愛を自分のもの(自分という人間)にできるか、どうか、ではないか。それは、親と子でも、男と女でも、お互いが言えること。
どんな愛も愛に違いはないけれど、
人は自分(の愛)を届けたい、自分(の愛)にあてがう愛が欲しい。
いくら愛している、これが愛だと言われても、その愛はあなたの愛で私の愛にならない、私の愛にもなり得る安らぎがその愛にはないと思うことがある。
秦さんはご自分の確信の愛を以って…父であり…その愛を子へ。
父はしかし、父であるが、、個「私」だ。
同じように親である、「父と母」を横並びに考えにくい夫婦がいる。
母のようには、到底くるめられない父がいる。
父は自分の気に入る愛情を示してくれない、受けたことがない。
自分は否定されている、自分は認めてもらえない。
かつて、夕日子さんが「魂のいろが同じ」と言ったのは、男性に、自分の求めていた愛の気配を感じたから? 自分のもの(自分という人間)になる愛だと。
父は母と横並びの父で充分だ、否、夕日子さんも物を書く父の子で、物を書く。夫は哲学が専門だ。
以前どこかで、夫が、子どもが…でなく、自身で大きく羽ばたいてみろよと 声かけされてましたよね。
父から娘へ、それは物書きとして生きてきた父から、物を書く娘へ、最愛のメッセージと聞き取れましたが。

* ホームページに復旧した『聖家族』を、四章の終わりまで、つくづく読み直していた。「どんな家庭の食器棚にも髑髏が隠されている。 (フランスの諺)」と。
2006 8・15 59

* 朝一番。ポーランドの柳君に、元気で健康な赤ちゃん誕生の報。おめでとう! 妻と、歓声をあげました。有り難い、充実した長いメールで、わたしを鼓舞・激励して呉れている。それは、また。
2006 8・16 59

* 肝心なところ   やす香ちゃん(=七月末に死なせた秦の孫)は、「家」に暮らしていたのではなく、「孤室(個室)」に暮らしていた!?
20歳前の子どもです。
学生、バイト、交友…それに自分の部屋があるので、今頃の子どもは、家族の前にさらす姿が圧倒的に短い。親もまた、然り。
大人も子どもも、何かに、それぞれに塗(まみ)れ、紛れて、日々を送っている。
それでも、親は、自分が身を以って知り得ることで、責任云々よりも何よりも、図体が大きくなって測り知れないものも多くなった目の前の(愛しい)子どもにでも、目は離さない。この自分(=親)が出来る最大の(愛)とは、生きるツボを押さえ(てや)ることぐらいで、他人は、本気で気遣うことがない。
遅い帰宅や、一緒の食卓でなくても、「ちゃんと」寝てるよね、食べてるよね、と親は子に「気持ち」を向ける…。ヨシヨシ笑っている、と。
一人住まいでなく、同じ屋根の下に暮らす家族四人とお聞きしてるので、同居する子どもの心身の異変に気が付かないほど、(親が)日常に塗れていたもの、紛れていたもの、それが何なのか、どういうことなのか、ご両親が、家族がこれから生きるためにも、そこのところが、うやむやにできない「肝心のところ」で、目をつぶってはいけないところだと思います。
家族、身内は、大きな問題に触れるとムズカシイ。
愛はあっても、ひとりひとりが問われることが大きい。   永

* 私は、私小説、日記文学を、事実の或る一面しか書かれていない、と思いながらいつも読んでいます。
作者の考えを表現するために、事実そのものが変わらなくても、その順番が違ったりしていると思います。ですから、そこに描かれている登場人物が、モデルとなった人と全く同じ人物だと思いながら読んでいません。創造された人物として捉え、どのような主題が隠れているのかを探しながら読んで、楽しんでいます。読者が小説の中の人をモデルと同じだと考え、どうこう言うのは、違うと思っています。   北海道

* 本日、HPで「聖家族」読みました。
思えば私は、ここのところ秦さんの書かれた物を読み追っています。
何故。
秦さんの生き方の発するものには、自分の途絶えることがないテーマがそこに見えるからでしょうか。
私はマセていました。高校生のころ秦さんのいう「身内」論(のようなもの)を、寂しいかな、厳しいかな、自覚してしまって。表面上と違い、オイソレト!自分の島に誰も立たせないし、また人の島にも一緒に立たない。恋愛結婚、仲良し夫婦だった夫でも、やはりそうでした。まさか島の話はしませんでしたが、最後まで「解らない」という夫から、私は離れました。
身内ではなかったので、未練は、だからないのです。
(子どもは、また別問題です)
敢えてひとりを選んだり、好んだりする性分は、また切に私が「共に島に立つ」というコトを大事なテーマにしているということで、これは「個」で生まれた私という人間が、死まで、どのように生きてきたかということに繋がりますから。
秦さんの書いたものから、目が離せない!    神戸市

* 大文字 送り火
大泉から孫娘が一人で京都へ帰ってきて一週間居ました。中学二年ですが背丈はわたしより高くなりました。これ以上伸びたくないと本人も言い、回りも同じ思いですがこればかりは…。おっとりとして心優しくしおらしい子です。
左大文字を一緒に見て、パパと、桂にある向こうの実家に帰っていきました。
大文字の炎に、あのほっぺの愛らしいやす香さんの笑顔が浮かんだようで、心を込めてお見送りしました。
やす香さんの日記、読んでいて胸が締め付けられるようで、なんとかして助けてあげられなかったかと悔やまれるお気持ち痛いほどわかります。
奥様共々くれぐれもお大切にお過ごしください。  のばら
2006 8・16 59

*  8月7日 子供が生まれました。  博
秦先生、 お久しぶりです。ポーランドへの引越通知以来になりますでしょうか。御連絡が途絶えておりまして、申し訳ありませんでした。
やす香さんの御冥福を心から思い、お祈りします。やす香さんの死を思うこと、これをおいて我々が死なれたやす香さんを生かすことはないと思いますので。
7月の初め頃に先生のHPにより、ことの次第は知りえておりましたが、奇跡を願っておりました。いや、正確に言えば、先生に対する言葉が見つかりませんでした。これを書いている今でさえ、言葉で伝える何かを見つけられずにいます。先生のそばで言葉なく時間を過ごすこと、それが私の先生へ出来うることと想像しますが、それもここポーランドにいては叶いません。こういう「今」は、時間ではなく、「此処」という空間が大事のようにも感じられます。
私は当然ながらHPからしか、やす香さんのことを知るすべがありません。やす香さんにも会ったことも話したこともありませんし、当然夕日子さんにも同様です。つまり秦先生側からの情報しか知りませんので、公平な判断は出来ないと思います。
つまり、現状の判断が出来ない状態であることから、逆に私がかつて先生の学生であった頃の気持ちに立ち返り、教授室で、様々なことについて教えていただき、生意気にも自分の思いをぶつけていたあの頃に帰ることで、何か力になれるかと思いました。
しかしそう言ったところで、残念ながら先生に「してあげられること」などありません。あの頃から私が先生に出来ることは、私が私でいる、ことです。
そして思い出すことは、再び「仮面(ペルソナ=PERSONA)」についてです。私は仮面を被らずとも「素の面」で万事に対応できうると答え、秦先生に「仮面」をつけること自体が人(PERSON)であることと同意とも謂えるのではないか、と言われました。
さらにその後、示唆をいただいたことに、「未練」という言葉とともに、本当によいと思うこと、そして「今、此処」に「正面から向き合う」ということがあります。
上記二点の先生からの言葉は、一見相反することのように思いましたが、私と先生の間ではこのことについてとやかく意見が混濁するようなことはありませんでしたね。私はこれらを、「人として関係を築き上げる」ことは「生きる上で逃げおおせない」事柄であり、その手段としての仮面である。そしてそれら大事なことに(私という)仮面を被りながらも真正面から向き合い考えることが、人を人として作り上げていくのだ、と解釈しています。だからこそ、先生は、一度作り上げた人と人とのホンモノの「関係」を自分は大事にしてきたと、私にも伝えてきたのだと思います。
だから先生、どのような仮面を用意するべきか、私にはわかりませんが、先生のよく言われた「ぐぅーっと」物事が腹のところへ落ちてくるように、夕日子さんと向き合ってあげてください。
時間の隔たりを空間で埋めることが出来ることを信じます。

次に私の事柄です。

8月7日午前10時10分頃、ポーランド・ヴロツワフ市で無事、子供が生まれました。体重2650g、身長49cmの男の子です。名前を「博琴(ひろこと)」と名付けました。
妻の体調もまだ出産による疲れは取れておりませんが、問題はないようです。母子ともに健康という言葉の意味を初めて実感として噛締めているところです。
異国での出産までの道程は、様々な不確かさに直面し、不安を押さえ押さえしてきた10ヶ月でした。12月の妊娠判明から、チェコでの出産事情などを調べました。しかし、それ以上に安心して妊娠していられる心持ちを作り、保つことに腐心してきました。
また、御承知のように3月下旬にチェコからポーランドへの引越があり、病院、先生ともに一から探しなおさなければなりませんでした。また、日本-チェコ-ポーランドの医療レベルの違いにも正直戸惑いを隠せませんでした。このときの妻の不安は推し量ることは出来ません。しかし、そのようなことを微塵も出さなかった妻には感謝の気持ちと尊敬の気持ちで一杯になります。
5月には妻の母が糖尿病及びそれに伴う脳梗塞により入院し、緊急に妻共々一時帰国しました。私は1週間でポーランドへ戻りましたが、妻は3週間ほど多摩の実家へ留まり、母の面倒を看ました。現在も母は入院を続けております。実はこの3週間の間、お腹の赤ちゃんの成長が遅れたのです。こちらに6月初旬に帰って来てから、お医者
さんに「小さ過ぎる。」「薬を飲むべき。」「入院しなさい。」と、言われながら不安の中2ヶ月を過ごしました。こう言われた理由としましては、確かに成長が遅れた部分もありましたが、日本での出産時の新生児の平均体重は3,000gであるのに対し、こちらでは3,500gであることもあるように思います。
そして8月7日、2650gという生まれてきた体重は比較的小さいことも事実でした。しかし、保育器に入れられる必要もない健康な大きさで無事、外に出てくることが出来たのは、本当にうれしいことでした。
普通などないということもわかっていますが、普通と思えることを普通に行なえることが、如何に難しく、そして「願うこと」であるかを痛感しました。
これらの過程において、大事なものは、受け入れる「事実」ではなく、事実を受け入れる「気持ち」であることも痛感しました。例え事実(可能性と言い換えても良いかもしれません)が一つしかなかったとしても、その事実にどう向かい合えるのか、どう受け入れることができるのか、と心にしみこませること、気持ちを作り上げることが、如何に人の気持ちを和らげ、更なる一歩を踏み出す勇気を与えるのか、ということを感じました。
それらは選択することの自由度を確保すると言い換えることが出来るかもしれませんし、可能性を持ち続けることと言えるかもしれません。
そしてそれらの一歩を確実に歩み続けた妻に、感謝しています。
先生と隅田川の花火を見に行ってから、早いもので2年が経ってしまいましたね。私たち夫婦は先生との隅田川の花火で結ばれましたが、その同じ花火が今年は送り火となったようですね。複雑な気持ちです。しかし、美しい花火だったでしょうね。 柳
追伸: 息子は「博琴」という名としました。私の「博通」の「博」をつけ、「博く琴の様に響かせる」意味で「琴」をつけました。名前を考える上で先生の「恒」や、先生から教えていただいた「心」「静」などを考えましたが、残念でしたがしっくりきませんでした。その後、妻と、「こと」という響きの良さに惹かれ、「琴」としました。あとで気づいたことですが、私が先生の授業を最初に受けたのが、「心」と「春琴抄」についてであったことを思い出し、これにしてよかったと、再び思いました。
息子の写真を添付いたします。ご覧いただければ幸いです。

* なんて可愛い博琴クン。生彩あふれてどこが優美ですらあるまどかな表情。第一級の表情。父母の愛を一心にもう感じているようだ。ようこそ、赤ちゃん! おめでとう、ご両親。あの花火の夜に、懸命に、かなり強引に結婚を奨めてよかったなあ。ほんと、よかった。
奥さん、産後はむしろ妊娠中よりも大事に慎重に体調に心配りしてください。夫君は、今まで通りに、一人増員の家庭のよく気が付くお父さんを努めたまえよ。家の中でも外でも、大事に大事に身を守りたまえよ。嬉しい、待ちかねていた報せでした。ありがとう。 メールで伝えられたきみのひさびさの「アイサツ」をとても頼もしく懐かしく読みました。わたしは、きみたちに体系的な何ものも概論などしなかったね。できれば金の小粒のきらきらした輝きのようなことばばかりを、ふと記憶して欲しかったのです。
マルちゃんも元気です。上尾クンもイギリスから帰国しました。林君もいいお父さん。子松君も世界をひろげています。みんなで、にぎやかにいつか話したいモノです。元気に元気に、お父さんはお父さんの、お母さんはお母さんの生彩を放って下さい。奥さんのお母さんの平安も祈ります。また便りをください。
娘達とのこと、まっすぐ向き合って、おろそかにせず、と。 ありがとう。  秦
2006 8・16 59

* 例年のように韮山のすばらしい桃を戴いた元青山学院大学学長内藤昭一さんに、息子が「桃」農家を舞台にしたテレビドラマを書いていることを手始めに、暫くぶりにながい手紙を差し上げた。

* 花 (家族の夏休みから)帰宅しました。帰りの車の中で、駒大苫小牧と早実の試合を聞きながら、帰宅して、延長15回引き分けの死闘を見届けました。
今日は、秋葉原で、中古のシグマリオンⅢを買いました。三万四千円くらいでした。Ⅲは、予備機として買ったのですが、シグマリオンⅡより液晶の質がいいので、主に使うかもしれません。
曇り一時雨だったので、昨日に比べてだいぶ涼しかったです。
昨日は浅草をブラブラしましたが、暑くて、二時間もすると限界でした。銀座に移り、デパートのベンチで休憩してから、母と妹と待ち合わせし、夕食を一緒にしました。
一週間余のお盆休みは今日で終わり。明日は溜まった洗濯物を片付けたいです。
風はお元気ですか。  花

* お帰り、花。
久しぶりに 百分間 自転車で快走しました。夕暮れてから道に迷うと帰れなくなるので、夕茜をたよりに、西へ西へ西へ、南へ南へ南へ、そして東へ東へ東へと走り続けて、迷わずに帰りました。このところ高い血糖値がすこし下がっていました。
熱戦の十一回以降観ていました。わたしは早実の斎藤投手の佳い顔・表情を、西東京の決勝戦で観ていらい、ファンになりました。じつにしっかりした大人の風格があります。風、元気ですよ。

* 長い夏休みをうらやましくも一家で遠出していた人達が多い。そろそろ、みな、帰ってくるようだ。
2006 8・20 59

* また今夜も、「MIXI」の「思香」日記が、錯乱状態のようで、第三者としても見るに堪えなくなっていますと、報せてくれる人がある。わたしは、大分前からこの日記にアクセスを拒絶されていて読むに読めないのである。

* 夕日子さんの精神の状況が心配です。ますます精神状態が混乱しているのか それを装った創作なのか わかりません。

2006年08月20日 19:54 思香(=★★夕日子・●)

大変、ご心配をお掛けしました。
その後も、多くの情報をありがとうございます。類似した別のサイトを見つけたというご報告もいただきました。

いずれにしましても、皆様のお話を総合いたしますと、発信人のサイトは次のような特徴を持っています。
1 やす香親族の名を語っている
2 やす香の写真を掲載したり、名前を連呼したり、まるで売名行為を行っているようだ
3 その割には、MIXI「やす香日記」だけを見て話を組み立てていて、やす香の闘病や最期の様子についてほとんど知らない
4 何が何でも自分のHPに引き込もうとする、「~を見てください」を繰り返す
5 説明や解説、言い訳が長く、くどい。ほぼ毎日同じストーリーを循環させている
6 「死」「殺」など遺族の感情を害する単語をわざとちりばめている
7 「誤診」「安楽死」など北里大学病院を中傷している
8 誰かを挑発したい様子で、何か情報を得たいのか、日々反論を待っているようだ

何かお気づきの点がありましたら、ご一報下さいますようお願いいたします。  夕日子・●

* わたしには、こんな品のないねじまげたことは、幾ら何でも夕日子は書かないと思う。こういう頓狂な文体には、あああれだ、あれと似ていると、わたしの創作の中から想い当たる人があるだろう。
わたしは、夕日子が人に宛てて、それなりに落ち着いて書いている手紙などを読んでいる。小さい頃から何度も何度も文章の書き方を手を取るようにして教えてきたのだから、夕日子の調子はよく知っている。わたしの読者も大勢知っていて下さる。人は或る程度身につけた文体は、変えようにも簡単に変えられるモノでない。こういうバカげた駄文を書く人間はそうそういない。

* 不思議なモノで、ま、普通かややマシな、またかなりマシな文章に、書き手に知られず、数枚分の原稿用紙にたった十個所もそっと手を入れておくと、それだけでずいぶん作が立ってくる。力ある推敲とは、そういうことである。夕日子の書いてきたエッセイや小説まがいも、本人はまともに書いたと思っていても、細部にそういう手がこまかに入って、なんとなし立っていることに、本人は気づいていないだろうが。
文章は謙遜に書いた方がいい。力のあるモノを知った編集者に出会えば、なみのものでは、ひとたまりもないのだから。
2006 8・20 59

* お盆の時期になると青々とした稲の上を飛び交う可愛い精霊(しょうろう)トンボや夜空に降るほどの星を眺めながら、ずっとやす香さんの魂の行方を想って過ごしていました。湖に、こんな安らかな世界をお届けしたいと願っていました。
戻ってきた東京の暑さは、どこか夢、悪夢のようでぼんやりしています。
十四日の建日子さんのブログのコメントに、「from: zelkova 2006/08/15 2:19 PM 姪御さんとも関わった医療関係者です。ご家族がどういう方達か、全くわからず関わっていました。亡くなってから、種々しり驚いています。いま、あやしい雲行きになっているようですが、お父様側にも、かなり、かなり、誤解もあるようなのですが、、、。哀しみのために理解したくないのかもしれませんが。どのように訂正をしてよいのか、当方としてどういう対処をすればよいのか、教えて頂けましたら幸いです。コンタクトをとる方法が分からず、こちらに書き込みしました」と書かれていました。
いたずらなのか、あるいは何かがわかるのか、と気にかかっています。
告訴は避けられないことになったのでしょうか。本決まりですか。
そうならないことをどんなにお祈りしていたかわかりません。今からでも避ける手だてはないものかと、ただそれのみを願い、そしてむなしく過ごしています。
いつも祈っているのを、時々は思い出してください。どうぞご無理なさらずに、お過ごしください。    帰ってきた 真夏

* ありがとう。湖
2006 8・20 59

* 風が吹くと、嬉しくなります。暑いですね。。
散髪してきました。三時間くらいかかりました。つっかれたあ。お尻が痛くなっちゃいましたよ。
サイクリングが順調のようですね。風は日に焼けたかしらん。車通りの少ない道を選んで走ってくださいね。
原稿、がんばってください。 花
2006 8・23 59

* メール嬉しく。こちらは夏時間で日本と7時間の時差。今夕方四時半です。ベルギーをまわって九日,アントワ-プです。
明後日アムステルダムから日本に帰ります。
ベルギーのロマネスクの寺院を主に廻っ ていました。
今日はささやかなショッピング。
ル-ベンスはあまり好きではないのですが,教会のともすれば陰気な中で見ると彼の俗的な明るさに救われます。
一日のうちに雨が降ったり晴れたり目まぐるしく,気温は二十度位,一日一回しっかり食事をとり,体調に注意しています。
かなり歩きまわっていますが,痩せません!  鳶

* 血糖値には少し好結果を生んでいるが、自転車でいくら走っても、わたしも、痩せません!
2006 8・23 59

* 八月もあますところ一週間になり、月が変わるとまたどっと忙しくなる。
さっき大阪讀賣の米原さんから大阪城の薪能を観にいらっしゃい、関係者席を用意しておきますとお誘いがあった。パンフレットに原稿を頼まれていた。気のふさぎがちな日々と察しての招待で、ふっと夢を惹かれる。どうしようかなあ。
九月には歌舞伎座で「秀山祭」初代吉右衛門の追善興行がある。高麗屋・播磨屋兄弟の競演が昼夜楽しめる。また加藤剛主演の「コルチャック先生」が国立東京博物館で公演される。招待されている。気を晴らし晴らし元気に過ごしたい。
2006 8・24 59

* 今日は蒸し暑かったです。風は今日もサイクリングなさいましたか。
風の走り抜ける場所は、どんなところでしょう。
夏休み、わたしははじめて四国に上陸しました。
香川、高知を抜け、徳島県西祖谷(にしいや)にあります、かずら橋に行ったんです。
地上十メートルくらいの高さに架けられた木の吊り橋は、観光名所らしく人がたくさんで、橋を渡るのに、二十分くらい並びました。橋はワイヤーで補強してあるのですが、揺れますし、足元から下がよく見え、結構恐かったです。
西祖谷は深い山で、急な斜面に家々が建ってい、この辺りの人は足腰が強いだろうなあ、と眺めました。近くに「平家屋敷」がありました。決して住み易いとは思えない山あいに暮らす人々は、平家落武者の子孫かしらん、と思ったり。
かずら橋から車で一時間弱のところに、四国の水がめ、早明浦ダムがありました。こちらは山を登るという感じはまるでなく、町のすぐ傍に巨大なダムがあったので、ちょっとびっくり。
車で走っていると、まさかこんなところに、という山奥にも民家があります。海の傍もいいけれど、山の深遠な空気や、木立のあわいから射す光が懐かしく、ほっとしました。山育ちなので。
そして、日本は、ほとんど田舎でできていますね。   花

* 四国は、阿波、讃岐、伊予へは渡っているが、土佐は知らない。じつは土佐へいま或る関心が向かっている。行ってきたいなあと思う。
2006 8・24 59

* 暫くぶりに夕方から新有楽町ビルの故清水九兵衛追悼展に出掛け、奥さん、ご子息八代目六兵衛さんにご挨拶してきた。京都でのご葬儀に弔辞を求められていたが、ちょうどやす香の永逝と時をともにしていたので失礼させて頂いた。ついこのあいだ、京都美術文化賞の授賞式や晩の嵯峨吉兆での理事会でもご一緒してあれこれお喋りを楽しみ合ってきたのに……、はかないお別れとなった。
会場は、さすがに文学系の人は一人も見かけなかった、そのまま失礼して久しぶりにクラブに行き、66年もののすこぶるうまいブランデーを、サーモンを切って貰って、たっぶり呑み、そのあとクラブの特製だという鰻重を頼んで食事にしながら、九大の今西教授にわざわざ送って頂いた、或る古典の、ながい研究論文を半分近く読んできた。
アイスクリームとコーヒーをゆっくりと。クラブは客が多かった。ホステスを二人も連れ込んでいる社用族もいた。
2006 8・25 59

* 奈良から、栃木から、素晴らしい葡萄をたくさん戴いた。わたしは、何でも美味しく戴いている。今日も八十分たっぷり、武蔵野を自転車で走り回ってきた。体重は少しも減らないが、体調はすっきりしている。

* 今日はクーラーいらずでした。涼しいといいですね。激しい夕立は歓迎しませんが。
家でのんびり過ごしました。
映画「真珠の耳飾りの少女」を観ました。
画面がすべて、フェルメールの絵のようでした。
風はおしごと三昧の一日でしたか。 花

* 「噂の二人」を観た。オードリー・ヘプバーンとシャァリー・マクレーンという、モノクロームながら豪華版。男優がジェームス・ガーナよりもう少し張り込んであるとよかったが、名匠ウイリアム・ワイラーの間然するところない作劇。
シャァリイ・マクレーンの陰翳ある分厚い細やかな演技力が、みごと、みごと。女学校の共同経営者で親友ヘプバーンへの愛に気づいて行く、そこへ追い込まれて行く女教師を、さすが宝石のように彫琢して行く。
ヘプバーンも悪かろうはずなく、顔合わせの意外さが大成功していた。名画の一作と数えていい、一瞬も眼がはなせなかった。

* 「真珠の耳飾りの女」は池袋の映画館で観た。ほんとうにフェルメールの絵のように確かな画面の深さに感嘆した。適役であった。また観たくなった。
2006 8・27 59

* やす香、おはよう。

* まだまだこれからと言うお歳でしたのに…お慰めする言葉もございません。今はまだ、お孫様との切ない思い出の中におられると存じますが くれぐれもお身体お大切にお過ごし下さいませ。 「生死ー如」とは、70歳近くになってようやく理解出来る様になりましたが本当にこれからは一日一日そして一瞬一瞬を良い縁に触れ合いながら大切に生きて行きたいですね。お孫様の分もお幸せにお過ごし下さいませ。お孫様のご冥福を心からお祈りいたします。奧様にもくれぐれもお元気にお過ごしになられます様よろしくお伝え下さいませ。  あやめ 奈良市
2006 8・28 59

* ゆめ  夏は旅と読書と俳句で過ごし、先日、インドネシアへの旅から戻りました。いま改めて日本の夏を味わっている所。今回で3回目となりますが、バリ島の山間部の村・「ウブド」に2週間あまり滞在しました。爆破テロがあった海辺のにぎやかな「クタ」あたりとは全然違い、棚田や渓谷がある静かな農村。舞踊家や音楽家などたくさんの藝術家たちが暮らしています。最近では「デトックス」とか「癒し」の地として人気が出、観光客もたくさん訪れるようになって、昔の素朴さは若干薄れてきましたが、それでもまだまだ根元的な人間の暮らしが随所に残っています。
人々は日の出と共に起きて田圃仕事、真昼は暑いので昼寝や家の中で神様に捧げるお供え物を作り、夕方になると水浴びして神様に一日の礼を行います。いまは乾期で冬(日本とは反対)なので比較的涼しいのですが、それでも赤道直下の亜熱帯のこと、昼は28度~30度近くになります(ただし夜は山間部なので、肌寒いほど。エアコンは不要です。)
村の中心部に古い王宮跡があり、広場では毎晩踊りや音楽が披露されます。少女(処女)舞「レゴンダンス」、善悪が剣をもって闘う「バロンダンス」、満月と新月の晩だけに行われる「ケチャ」など、何度みても素晴らしく興奮します。できればここで一生暮らしたいくらいですけれど、そうもいかないので、次回は10月の終わりから11月のはじめにまた1週間ほど行くつもりです。(物価は日本の十分の一ほどなので、贅沢しなければそんなに費用はかかりません。)
9月4日から7日まではソウルにいってきます。知人の韓国人の絵描きさんが毎秋、銀座とソウルの明洞で個展をしますが、そのオープニングパーテイーに参加をかねての旅です。仮面劇をみたり、韓国の焼き物村へいったり、美味しい冷麺を食べたりしてきますね。
俳句一日一句はがんばって続けています。これをはじめてから、少し生活への目が変わりました。一番変わったのは音に敏感になってきたことです。これは意外でした。いま我が家のすぐ外の林は、まさに蝉時雨。もう夏は終わってしまう、と声を限りにないています。7年もの間暗い土の中で眠り、やっとお日様をみてもそのいのちは1週間しかないのですね。いま、その滝のような蝉時雨のなかに居て、しみじみと生きていることの嬉しさを感じています。
追伸 ようやく「千一夜物語」読み終えました。
最後の大団円は本当に嬉しかった!

* 海外を旅してきた、海外へ旅に出掛ける、というのが、ほとんど女性であるのが、近年の大特徴。時代がよくなったか、どうか、は安易に謂えないが、いいことだ。ただ、こうは思う、先日、亡き市川房枝がテレビで話しているのを聴いたが、婦人参政権を手に入れるまでのすさまじい男性社会との葛藤と努力。そうして一つ一つ手にしてきた権利や自由を、むざむざとまた手放さないで済むように、また奪い去られないように、賢い選挙権行使は忘れないで貰いたい。
2006 8・28 59

* 鴉様へ
東京はいくらか暑さが和らいでいるでしょうか。お体大切にお過ごしでしょうか。
週末に帰国して以来、徐々に日常に戻っています。帰国当日から何故か眠る時間は日本での日々とまったく変わらない時間になりました。二晩ぐっすり眠れたのは本当に幸せでした。一気に回復したいと体が叫んでいるような感じでした。が、大袈裟なものではなく、一人旅の疲れや時差ぼけから抜けて、涼しかったヨーロッパから西日本の残暑に早く適応して・・そのためにもう少し時間が必要ですが。週日が始まり、今朝は友達数人と電話で長話したりして時間が過ぎてしまいました。
HPを閉じる可能性あるとの記載を読んだのは、旅に出る直前でした。どのように状況判断したらいいのか分からず、ただただ旅行の準備を脇において、わたしはHPの記載をコンピューターにコピー保存する作業をしました。(お笑いください。でも、愚かに慌てるなかれ、慌てん坊じゃなあ、など決して言わないでくださいな。)
旅行中、旅先のインターネット・カフェやホテルのロビーにある器械からHPの様子を知りたい衝動にかられましたが・・怖くてそれさえ避けてしまいました。できませんでした。
帰国して今日午後になって初めて、きょう、ゆっくりゆっくり書かれたものを読みました。繰り返し読みました。わたしが感想をどんなに述べても言葉足らずになりましょう。
この一ヶ月、つらい時間の流れの中でいっそ精力的なほどにあなたは書かれています。
既に既に、あなたが言葉を尽くして書かれています。そして、

「わたしは「物書き」以外の何者でもなく、それしか生きる道も処世の道ももたない。書いて人の胸にうったえる以外手はない。それが法にかなうかなわぬは知らない。わたしが、わたしに、書いてうったえよと奨めることは、書くのである。賢いことでないと言われても、賢いというのはそんなに尊いことかと思っている。」

と。
一切はそこにあります。物を書く人・あなたが決してHPを閉じたり、書くことをやめることはないのだと、改めて強く思います。
現実においても、あなたが毅然と状況に対処されていかれるのを確信できます。そしてたとい裁判になっても恐れることは何もないのだと思います。

夏の暑さが大の苦手なわたしは、夏の旅行はまったく考えていませんでしたのに、何故か説得されて、そして行く以上はと、例の如く欲張りになりました。
八月八日に発って二十五日に帰国、十八日間の旅行でした。その間ロンドンでのテロ未遂事件などニュースも耳に入りましたが直接的な影響を受けることも脅威に出遭うこともありませんでした。
十二日から一人でオランダとベルギーを・・以前立ち寄った街は避けて、殊にベルギーを丹念に廻りました。思いがけない避暑を兼ねての良い旅になりました。相変わらず1ユーロ150円近い状況で金銭的には決して優雅とはまいりませんでしたが。
旅のこと、書き溜めたメモ、手紙もありますが、まだ整理できません。本当は旅の途中から、推敲も整理もせず送る方が本来でいいのですが、裁判のことなどで忙しく「交信」できないとのあなたのメールに・・いささか悲しくなって、そして「遠慮」して書けなくなってしまったのですよ。
これから少しずつ反芻し楽しんで旅を思い起こしたい。帰ってくればそれなりの日常のさまざまに取り囲まれています。子供たちのことが現在は一番の問題のようです・・。
夕方になってしまいました。今日はここまで・・。 鳶

* 民事調停への陳述書を書いた。むろん、調停の申請であり、訴訟でも告訴でもない。
2006 8・28 59

* 熟睡したか。目覚める少し前、原善君の、善君自身のではなく彼から届いた手紙の夢を見ていた。一号大ほどの大きな字で数行書かれていて、「慶應大学教授」として赴任がきまったという内容なので、彼のために快哉を叫んで夢醒めた。正夢かどうかは、久しく顔も見ず、声も聞かず、何も知らない。たしかいまは、前の武蔵野女子大にいるはずだが。

* 栃木県の読者からやす香に供華を贈られる。写真の前に。写真が、ときに笑顔に、ときに寂しそうに見えるの、と妻は言う。
2006 8・29 59

* 湖様 短いフィレンツェへの旅から昨日戻りました。街はアメリカ人や中国人の観光客で溢れていました。波
2006 8・29 59

* ヨガで、ちょっと筋肉痛の花です。
エアエッジの解約をなさいましたか。多分、ホームページからできると思いますので、早めになさった方がいいですよ。
シグマリオン お気に入れば、秋葉原方面にお出かけになることがありましたら、お一人でふらっと寄ってみてもいいでしょう。「シグマリオンⅢ」と店員さんに訊けば、たぶん三万五千円弱で手に入ります。
わたしは、ブログをはじめようかな、と思い、申し込みました。手続きに数日かかるみたいです。見られるようになったら、風にアドレスを教えます。
マオタイも紹興酒もワインも召し上がったって。お帰りになって、バタンキューだったのではないですか。
今日は晴れ間があり、ちょっと暑いくらいでしたが、またサイクリングなさいましたか。 明日は雨のようですので、サイクリングはお控えくださいね。 花

* 「MIXI」に、新しく『漱石「こころ」の問題』を連載し始めた。自転車にも乗らず、終日仕事していた。八月、尽。
2006 8・31 59

* 溝口特集をBS2でやっているのですよね。
『近松物語』見逃してしまい、残念。随分前に見たけれど、記憶がぼんやりしています。
> 現代の映画や文学や戯曲で、あのようにひたむきな愛を描き得たモノが
> 少なくなっているというか払底していることを残念に思いました。
同感です。
精神病めいたものですとか、恋愛未満の男女の関係ですとか、退屈な生への倦怠感を描いたものが多いなと感じます。
「ひたむきな愛」は、現代へのアンチテーゼになるのではないか、と考えます。
変哲のない「愛」や「恋」が、実は困難な世の中になってしまっているから、わたしは、家族の、男女の、ふつうの「愛」を描きたい。
それで、わたしの書くものは、風のおっしゃるように、「地味」で、「おとなしい」のかも。
手法はいろいろあるでしょうから、「地味」「おとなしい」にばかりならないよう、模索していきます。
「心―わが愛」、残念ながら、観たことありません。
風からご覧になって、よい舞台に仕上がったのでしょうか。だったら、観てみたいなあ。
ブログを一つ、開設しました。創作を、推敲しながら掲載します。
少しずつ進められるので、ペース配分ができ、いいです。公開している緊張感も、推敲によい影響があります。
お忙しい風のこと、暇潰し、とは申しません、一服代わりに、ご覧になってくだされば、嬉しいです。
風にとって、しんどい九月かも知れません。
上手に気晴らしをなさって、お元気でいてくださいね。 富士の花

* 昨晩見ていた甲子園からのプロ野球中継で降り頻っていた雨が、暁から午まで、伊賀に猛り、気温をぐんと下げました。
それを好機と、『絵巻』を読み進め、とうとう日が暮れました。
ものを読むのは、どれほど久方ぶりでしょう。朝毎降りる涼気にわずかずつ冷えてきたオツムで、ぼんやり『蘆刈』など読んでいましたけれど…ゆるんでのびてもろもろがきかなくって働かないときに、それをゆるしてくださって気持ちよく世界を漂わせてくださる谷崎さんは、本当に有り難いです…。
淵に沈み切ってしまうと動かなくなりますが、水底にはさまざまな水流があるもので、右から上からゆすぶられているうちに、ふわりと足元が浮く刹那がまいります。一気に幾日も遊山するのは、こんなとき。元気で幸せなときではなく、沈んでいるときほど遊行することがわかりました。
お盆休みに入った主人が、能褒野御陵と鈴鹿の白鳥塚古墳へ連れていってくれまして、へたへたになって帰ってきたのですけれど、遊山でなら動ける、起きられると気が付いて、なんてヤツだとあきれる一方で、少し自信がでてきました。
先だっては、念願の丹生神社大元、丹生都比売神社に詣りました。
その天野のさとで、待賢門院中納言局と西行妻娘の塚を知り、弘川寺に立ち寄って帰ってまいりました。雀はいまだに西行という人に心を寄せてはいませんけれど、「いつのまにかふっと自分が西行法師になり変わって行く気がしましてね」と書いてらした一文が、声音も身に近くいたしました―。
『絵巻』も、雀のオツムではわからないことがまだまだたくさんにございます。お菓子の家にかじりついたヘンゼルとグレーテルのよう。
6月下旬から潜水の体で、ご本が届いたとき、えりくびをつかまれ引き戻された気持ちがしました。とことん底にいたからです。毛羽立ちをなでつけ初めて、無理に囀りました。囀り一時「停止」とおっしゃってくださらなければ暴発していたでしょう。  囀雀

* 朝目覚めるかぎりしなければならないことや、できることが、日々古綿の布団のように重なりのしかかり、しなかった、できなかった、したくない、それを消せずに溜めこんで、無気力と脱落感に沈み、表示がマイナスへマイナスへ進んでゆくばかりのいくつもの計器が並ぶ コンソールパネルを前に運転し続けることをなげて、魂を乗せている機械また道具にしか過ぎない躰から、降りることを思ってばかりいました。
山科より先に久しぶりに法然院にまいり(7月30日です)、墓地入口にそびえる石塔に、あぁと目を開かれましたの。阿育王を模した…と蒲生の石塔寺に行ってようやくわかりましたわ。きっかりとして、かどかどしいけれど、でも、たしかにあの塔…と、ひとりうなづいて‥。
十禅寺入口には2基の石灯籠があり、ご開山の人康親王のお墓は宮内庁管轄で門扉とブロック塀とで隔てられていました。
東福寺、大峰山、聖観世音菩薩といった看板や石碑や石柱を見つけた雀は “一体どんなお寺なのぉ”と混乱いたしましたが、ありがたいことに奥様とお話することができまして、疑問氷解。
禅の字がついていても禅寺ではなく、門跡寺院ということ、聖観世音の短冊石は明正女帝が寺を再興した時のものということ、ほかにもたくさん教えていただきました。
予約すれば女帝の遺品も見せていただけるそうで、お堂は11月3日の大護摩焚きの日に開けるとのこと。
「護摩焚き! あぁそれで大峰山の石碑が」と頷きましたら、
「ぜひいらしてください。山伏問答もあって大きな護摩焚き行事をいたしますのよ。あんな小さいお堂ですけれどね、ご本尊の聖観世音(説明なさる手の動かし方で想像すると2㍍弱)に不動明王、役の行者。恵比須、大黒、それと七福神が祭られているンです」。
“東福寺”と焼印のあることだけ読み取れた玄関の看板は、華道教授の奥様のものでした。
「檀家のない、もゥも、ビンボ寺でねぇ(笑)」。
仏像を見に行くのがお好きとのことで、「帰ってきてうちのを眺めると、うん、やっぱりうちのもいいとこいってるわテ思うンですわ」と、ころころとお笑いになります。「最近では浄瑠璃寺が良かったァ」とおっしゃいますから、俄然11月3日にうかがいたくなりましたわ。  囀雀

* やす香のことで懊悩ただならなかった頃、せっかくの囀りを静かに聴けなくては惜しいと、しばらく停止しておいたのを、解禁にした。
わたしには、妙薬を服するように読める・聴ける囀りで。ありがたい。
眼を閉じてじいっとしていると、闇をとおりぬけて思いがけない光景や体感へ歩み寄れる。とにかくも静かな心になれるときがいちばん佳い。
2006 9・1 60

* おはようございます、風
ブログを二つも、といいましても、創作は、ブログでなくても、いつも書いていますし、あれは、風に見ていただくために開設したようなものです。
もう一つの方は、日々触れる映画や本や音楽への雑多な感想を記すためのものです。以前から、見っぱなし、読みっぱなし、聴きっぱなしにせず、まとめておきたいと考えていました。
毎日つけている非公開の日記に感想を書くこともあるけれど、公開するものは、少し趣が異なりますからね。
無理せず、コツコツ書いていくつもりです。
また、このブログの方では、アフィリエイトをやってみます。
アフィリエイトとは、Webで商品の宣伝をし、報酬を得ることです。現実には、アフィリエイトでお小遣いていどでも稼ぐのは困難と予想していますが、ものは試しです。
ほんとうは、毎月自分のお小遣いくらいどうにかしたいと思っているのですが、こちらの条件にかなうパート・アルバイトの募集が見つかりません。
「私小説という小説」のつづきになる評論も、一つ考えています。
今、読み仕事の真っ最中。楽しみながら読んでいます。
風を見習い、パラレルに物事を進めていますよ。
サイクリングが順調そうで、なにより。 これから、運動にはいい季節になっていきますね。  花

* 日々の暮らしに小さな曲がり角をもち、曲がるつど、視野や景色のあたらしいのを喜ばしく思いながら、また元の本道へもどりもどり進む。生きる達人はたぶん一直単線なんかを驀進してきたのではないと思います。花は、いま上手にまがりかどの新景色を、みずから創っているのだと思いますから、それに賛成です。
生彩ということばが好きですが、それが生彩でしょう。その反対が、文字その通りの退屈なのだと思います。リラックスは大事も大事ですが、退屈は大毒です。
> 風を見習い、パラレルに物事を進めていますよ。
希薄に拡散しないていどに集約して。パラレルの気構えは「一事一会」の集中で。 風 2006 9・3 60

* 藤間さん  オール読み物 (松本幸四郎・松たか子父娘往復書簡) 戴いて、その日に読みました。感謝。
さてなにを書こうかと思い泥むとき、自然に手探りめいて、とりとめない中身をあれからそれへと繋いでゆくことは、物書きなら、誰も、何度も何度も思い当たる「ハメ」を知っています。
しかし、そういう文章が中身散漫で味ないか、不味いかというと、意外にそうでない場合があります。そんなときに限って、書いている当人の気づかない、これまで知らなかった或る「波」に運ばれていて、あとで自分で驚くほど新鮮な表現や思いを、創ったり吐露したりしている場合があるものです。とても、いつもいつもというワケには行きませんが、(松)たか子さんの今回の書簡は、それに当たるような満足を、ご本人も後で自覚されたのではないでしょうか。
この体験は、いわば、かつて知らなかった、一度も気づいてなかった「曲がり角」を余儀なく曲がるハメになって、思いがけない視野を得たのと似ています。ものを書きながら、「世界を拡げた」というかすかな実感をもちうるのは、存外に、そういう時なんだと思います。
今回のような息づかいは、書き手への、思いのほかの親愛感を読者によびおこします。レールの上を走っていないからですね。私は筆者の「思い」の「流れよう」を、面白く感じながら読みました。
あの新感線ヘビメタの舞台「メタル・マクベス」も、微笑ましく思い出しました。
秀山祭、楽しみにしています。 お大切に。
うまく予定が折り合えば、染五郎丈の舞踊の会にも、私一人で出掛けたいなと思っています。私は舞踊が好きなんです、若い頃から。  秦生
2006 9・3 60

* 雨。いつもより一時間ばかり、朝寝した。暑くなく冷えもせず、クーラーなしで過ごしている。黒いマーゴがやす香のぶんも甘えてくる。
ゆうべ「ペン電子文藝館」の親しい委員から、十一日の委員会に出ますかとメールで見舞われた。出席のつもりと返辞。

* 秦さん。こんばんは。少しは、落ち着かれたようで、何よりです。
11日の電子文藝館委員会出席されますか。大兄が、出席されるようなら、私も、なんとか、仕事を調整して、休みを取り、委員会に出席するようにします。
さて、秀山祭は、3日(日)に昼夜通しで、観て来ました。
昼の部は、1階、2階とも、補助席の出るほどの大入、夜の部は、1、2等席とも、若干空きがありました。
昼の部では、吉右衛門、富十郎の「引窓」が、良かったし、珍しい兄弟出演、幸四郎、吉右衛門の「寺子屋」も、見応えがありました。私は、2階の後ろで観ていましたが、「寺子屋」の兄弟「対面」の場面では、この場面のみ、高麗屋の御内儀が観に来ていました。私の席の隣に立っていました。
「引窓」では、富十郎の上方訛りの科白が、暖かく、良い工夫でした。
11日にお会いできると良いですね。  英

* 私たちは、明日。楽しみに。七月の鏡花劇四作の日は、舞台は舞台で満喫しながら、泣きの涙のつらい観劇であったが。走り去るように二ヶ月が過ぎていった。
2006 9・6 60

* こんばんは。今日の「闇に言い置く 私語の刻」を拝読しましたが、あまりにも酷(ひど)いことで驚いています。
秦先生ご自身の意志でならばまだしも、他の人の、悪意によってmixiをやめられるようなことになるのは、納得がいきません。
よけいなお世話になるかもしれませんが、mixiの運営者に秦先生ご自身であることを伝えるメールを送ろうと考えています。
こんな酷いこと、まかり通ってほしくありません。    昴

* 同じようなことを、作家の朝松健さんもコメントされている。何が、どこで、どう行われているのか、分からない。考えようでは、おもしろいハナシである。
2006 9・6 60

* 昨日、もと東大法学部長をされていた福田歓一氏の手紙をもらった。ちかくにお住まいで、よそへ越されるとき、お宅を譲り受けようかなと思案して、電話で話したこともある。いい書斎であったらしいが、まぢかに保育園があり「賑やかでね」とうかがい断念した。もう、むかしのことだ。
2006 9・7 60

* やす香のことが直に響いたとも思わないが、勢い足を取られている間に、なにとはなく環境が色を替えてきたような、様を変えてきたような、気もする。なによりも毎日のようにメールをかわすということが、余儀なく、そして自然に減った。メールの頻繁な習慣化を警戒し意識して避けてきたけれども、この六月七月八月を経て、避ける避けないよりも絶対数が減った。スパムメールの数も少し減っているのではないか。習慣というのはこわいもので、習慣自体が暴力化してくるとプレッシャーという以外の何者でもなくなる。内容も価値もある人間関係は、メールでは築けない。習慣になってしまっては、いけない。ケイタイだのメールだののために人間関係のいわば反肉体化が、没精神化にも精神衰弱にも成ってゆく。いつもバーチャルに出逢っていて、それが何の出逢いでもないのである、真実。そのようにして人は自分自身を見失ってゆく。
適切な間をおいてそれでも確実に送り届けられるメールの輝きは、たいしたものである。それで佳いと思う。
2006 9・8 60

* 9月の16・17・18日の3日間、こちらでも歌舞伎が興行されることになり、なんと「は」列「3番」という特等席がとれました。
十八代目中村勘三郎襲名披露大歌舞伎です。
昼の部、「本朝二十四孝」「身替座禅」、夜の部「義経千本桜」で、どちらも「口上」があります。私のチケットは昼の部です。
劇場は旧金比羅大芝居(金丸座)です。
ここは江戸時代の遺構が残っている珍しい芝居小屋とかで、毎年春、本場の役者さんが来て歌舞伎を楽しませてくれます。
舞台と客席が近く、役者さんが等身大で(というより、実物より大きく)迫って見えます。一度見たらやみつきになります。
回り舞台を回したり、スッポンを押し上げたり、格子窓をばたばたっと閉めていったり、いろいろな仕掛けを、こちらの役場の人たちが人力でしています。
五人一マスの席は少し狭すぎ、窮屈ですが、知らない遠来の人と仲良くなったりする楽しみもあります。
歌舞伎がお好きの先生と奥様に一度体験していただきたい気持ちです。  讃岐

* 健康な体力があれば妻と四国へも行ってみたいが。こういうとき、わたしに車の運転でも出来ると、もう少し何とか楽しいことも増やせるのだろうが。
2006 9・9 60

* 過ごしがたい昼の暑さでした。お障りございませんか。
くたびれているのになんとなくぼんやりしたまま起きていたら、電話が鳴り、父がつたないことばで申しますには、母がバリウムを飲んでレントゲンを撮ったあと具合が悪くなり、点滴を2~3本打たれて一旦帰宅したところだといいますの。
明朝帰郷して様子をみてまいります。
なかなか囀りの出てこないことももどかしいのですが、とにかく、いちばん、秦さんのおからだを案じます。どうか日々お大切に。 囀雀
2006 9・9 60

* 子松君に上野へ誘われていたのに、結句、昨日も今日もわたしは動けなかった。「今・此処」に在る自分を、頑張って動かそうとはもう思わないらしい。
「動かなければ出逢えない」のは若い人達のことだ。若い人達は動いて出逢う。
これは理解されるだろうか、わたしのような老境のものには、「出逢わなければ動かない」という実感がある。この実感を説明するのは実に難しいが、出逢うという契機は結果でなく、直観がとらえている前提、いや既定なのであろう。唯摩居士は方丈を動かなかった。動かないから豊かな出逢いに彼の方丈は満たされた。
2006 9・10 60

* 名古屋の勤務校から夏休み帰郷中の真有さん、今日わたしを引っ張り出してくれた大原雄さんと日比谷まで同じ地下鉄で帰る。真有さんと別れ、大原さんと日比谷のクラブに入り、エスカルゴ、サーモン、角ステーキそしてミックスサンドイッチで、ブランデーやウイスキーを。
秀山祭が恰好の話題に。なにしろ大原サンは放送局長とは忘れてしまうぐらい「歌舞伎屋ァ」なのであり、しかしそうそう好きな歌舞伎を話題にああもこうも話し合える相手は少ないのだから、恰好の呑み相手になる。
ふたりとも夏の軽装、クラブでは辟易しているかも知れないが、わたしのように酒を飲みものを喰い、アイスクリームからコーヒーに到る客ばかりではないので、辛抱して大目にみて貰っている。そのぶん、ほんとうに気分良く寛いでこれる。
2006 9・11 60

* 高麗屋の女房藤間さんのメールが来ていて、気分良く、嬉しくて、二往復。

* 先日は昼夜とうしで御観劇くださいましてありがとうございました。
想像つかないほどおつらいことも過ごされたのに、秦さまにお会いすると、なんだか父親に会ったようなあたたかいものを感じさせてくださいます。
心なしか失礼ながら里の父と雰囲気が似てられるのです。お芝居お出かけ下さり、お目にかかってほっといたしました。
夏は『信長の棺』の収録で一ヶ月京都でした。ものすごい暑さの中、幸四郎さん一言も暑いと言わずいっきに撮影をこなしました。年内にテレビ朝日で二時間半 スペシャルで放送になると思います。
また来月は、初役で『髪結新三』に取り組むので、今から勉強です。 またお待ちしています。

* 海外で『王様と私』に夫婦して孤独に健闘、苦闘されていたなかで、藤間さんのお父上に思いも寄らない医療の事故があり、大変な思いをされ、また適切に機敏に動かれながら、結局父君と永別されたことなど、幸四郎著でもいろいろに読んできているが、その話などを藤間さんからも聴いた。

* いろんなことが、ある。いいこともある、イヤなこともある。いいことは踏み込んで自分から創り出すべきだし、イヤなこと受け身になりやすいが、これも踏み込んではね返す元気の要ることだ。『人生劇場』という大衆小説の題を好まなかったときがあるが、人生は「劇場」だと思えてきている。自身が観客でも演者でもある。そう思いきめて、なんと面白いことではあるまいか、と。
2006 9・11 60

* 東郷克美さんが成城大学の先生時代に書かれていた、昭和五十一、二年頃の二つの「批評」文が、ものの整理中にみつかったのでと、送って下さった。ともに学界雑誌への執筆で、その当時に目に触れていたらどんなに嬉しかったろうと思う褒美の言説、いま読んでも頬が火照る。
一つは「日本文学」子午線への執筆で「宿命と方法」と題してあり、書き下ろしの谷崎論である『神と玩具との間』が丁寧に論じられ、秦恒平論にも十分なっていて、こんなふうに知らないうちに知らない場所で人と作品とが語られていたのかと感慨深い。お許しを得てぜひ復刻したいところだが、今は措く。
もう一つは「解釈と鑑賞」の学界寸評で、「文学研究私感」と題しながら、「海」に書いてわたしの谷崎論がひろく認められる或る意味で決定打になった「谷崎の『源氏物語』体験」に、溢美の讃辞を送ってもらっている。
「谷崎愛」の作家と自らも名乗りながら小説と批評とを両翼に、体温熱く書きに書いて翔んでいた時期だ、体熱は衰えていないと想うが、たしかに齢は重ねてきた。
自分も「古稀ちかい」といわれる東郷さんのご厚意に、心より御礼申し上げる。お手紙には、湖の本近刊にも身にしみるひと言が添えられていた。
2006 9・12 60

* おはようございます、風。お忙しい日々をお過ごしのことと想います。
わたしは、住宅展示場を回りはじめました。土地や建物について、知らないこと、知らなければならないことばかりで、頭がこんぐらがっちゃいます。
津波に備え、海から距離のある、けれども山になりすぎない、しかも、工場の煙の流れて来ない地域に、土地を探しています。
大きな川の傍を避け、古い河床跡も避けますと、かなり狭い範囲しか残りません。そしたら、その辺りに、日本最大級の活断層が走っている!
土地選びって、いろいろ、タイヘンですね。
評論の構想ができてきたので、相談もしたいです。
来週まで、どんよりした天気がつづくそうです。
どうか、お元気でお過ごしくださいね。 花

* 結婚生活がシッカリ軌道に乗り、夫婦して土着の覚悟ができてきたのだろう、頼もしい。自分のブログで二つの小説をこつこつと書き継いでいるのも覗いている。

* 雀も、鳶も、お年寄りの介護に文字どおり奔走しているようだ、そういう年回りの人達がますます多くなってくる。介護の手を望んでもつかめない人達も増えている。さしづめ、わたしたちもイザとなれば苦境に落ちこむのは必至。せめて怪我をしないようにと。

* 秋雨  6.9.13 12:46   鳶
昨日はやす香さんのお誕生日だったのですね。二十歳の、これからの日々こそ彼女にあって欲しかった。痛く痛く思います。
鴉は鴉のさまざまなことに、せめてできる限り静かに、そして的確に対処していこうという気持ちが感じられて・・。夕日子さんは今とても悲しみ苦しまれて・・その悲しみ苦しみをお父さんに投げつけているのでしょう。
住所不定では決してありませんよ。「旅鳶」の境涯までは至っていません。否応なく、今いる「此処」がわたしの基地、ねぐらです。鳶は輪をかいて飛び回ることは勿論大好きですが。
先日も例の青春切符を使って、琵琶湖に行きました。近江今津、JR湖西線になってからもう久しいので駅々のホームや屋根には錆も目に付きましたが、さてそれ以前の江若鉄道の頃の話となると、もう昔話のようで。
けれど、わたしが拘るのはその頃の思い出。今津の駅から船着場までの道や湖岸の面影が、現実の光景と、すべてちぐはぐでした。
雲が動き、時折雨が降り、やがて短い時間でしたが竹生島に虹がかかりました。近江は、湖の国は常に懐かしくやさしく、包まれる想いです。
娘たちのこと、姉の方は大学二年生の頃知り合った彼と遠距離の長い長い交際にやっと区切りをつけそうなのですが、健康面での不安材料が目下あり、検査の最終結果が出ていません。わたしがどんなに心配してもどうにもなりませんが、これが第一の心配。これをクリアーできれば具体的に結婚に向けて少しは前に進めるでしょう。いずれにしても方向は決まるでしょう。
妹娘は今春これまでの会社を辞めて、以後旅行やアルバイトで過ごしてきましたが。さすがに貯金が底をついたようで、「それでも人生の勉強をたくさんしたわ。」と言っています。確かに彼女には激動の一年だったと思いますが。就職の話は順調のようで来月からは勤めを再開するでしょう。人見知りのきつい子でしたが今では自分の意見をはっきり言う、わたしの想像以上に逞しい仕事人? になりつつあります。
姑の一人暮らしも懸念材料。わたしは此処と彼処とを行ったり来たり、これからさらに問題は出てくるでしょう。そうなりつつあります。
わたしは「仕事」もしていましたが、同時に「主婦」であることに常に違和感を感じ続けてきましたが、老人問題に限らず、人が生きていくうえで生じる多くの基本的な事柄に対処できる、底力のような存在としての「主婦」の在り方に、女の生き方に、少しだけ自分を素直に重ねられるようになったかもしれません。
自分の現在をある部分でやっと肯定できるようになりました。なんと長い道のりと「無駄」なエネルギーの果て、考えの果てにやっと・・。まあ、実に実に愚か鳶でありますよ。
詩を見せなさいということですが・・さて、あまりの未整理というか、推敲に行き詰っています。特にこの一年、わたしの内面での自然な感情の変化を書いたものはタイトルだけ並べても書いた当人が嫌気をさすほどに暗くて「つきあいきれないなあ」と嘆息しています。表面的、或いは人に対しては寧ろ「いっそう穏やか」になっているのに、わたしの内面では剥げ落ちていくもの、乾いていくもの、斃れているものが、残骸がまだ生々しいのです。もっとも、だからこそ、それにも拘らず、性懲りもなく好奇心も情熱も旺盛な「懲りない鳶」らしいと再確認もしているのですが。
以前まとめてから約三年も経ちますから、かなり溜まっているのですが、それらは一種の残骸でもあります。さて一つとして差し出せないのが現況です。時間の経過に沿って書いた順にまとめれば簡単になるかもしれませんが。ただ自分に向かっての呟き、とても無力なのを感じます。
もう少し時間をください。
地方の展覧会では50号くらいが限度で、日展などの200号、300号を描く画家からみればそれこそアマチュアの手慰みの展覧会。そのことはよくよく分かっていますが、仕上げるまでには「苦労」もあります。九月、十月と続いて、一月も考えて。今出しているのは、従来の、南イタリアの街、マテーラのシリーズで、ささやかな入賞。もう一、二枚描いたらこのテーマから少し離れたい。展覧会に出すことをまったく別にして描きたいものはたくさんありますが、行動がそれについていけません。描けば本を読む時間が、書く時間がかなり少なくなっていきます。これはこれで、とてもとても嘆かわしい。
PS 今日のHPに老人介護に奔走しているようだ、と。奔走している段階ではありません。まだまだラクをさせてもらっています。
東京はいいなあ、例えば院展でも日展でも東京では陳列される作品数が圧倒的に違います。
秋の長雨、静かな雨は心に滲みます。東京は数日来雨が降っているようですね。
梨も葡萄も栗も無花果も柿も、皆大好き。・・実りの秋だよと言われても、それでも秋は寂しくて、やはり春が好き。(ぬくぬくと暖かくて、たとい錯覚でもこれからという気持ちになれるんですから。)
来客があるので、今日は大掃除?? です。気分転換に家具の位置なども少し変えるとそれだけで十分掃除がいきわたります。食事のしたくも、メニューを考えて買出し・・日ごろ手抜きの??!! 事柄を、わたしはこんな時は精一杯「見栄張る子さん」になって頑張ってしまう。お笑いくださるな。
例年秋口に弱いと書かれていましたが、お元気のようで安心しています。くれぐれもお体大事になさってください。自転車、転倒、衝突など絶対いけません、注意して。 鳶

* しばらくぶりに鳶らしい「述懐」で。安心。外出から帰ってきて、あれこれシマツをつけてからゆっくり読んだ。
2006 9・13 60

* ただいま。
急遽故郷北陸に見舞った母は、一晩入院ののち胃カメラ検査をいたしまして、悪い情報は見当たらないといわれ、雀がつきそって帰宅いたしました。食欲はないものの、気持ちが前向きになり、雀が父を看ているからと言うのに安堵して、趣味の集まりに出掛け、発散して、気持ちに始末をつけたようです。
それにひきかえ、雀はダメですね、「鬱」を引き込み、定例の体調低下も重なって、にげるように今朝一番早い特急に乗って名張への帰路につきました。
冷たい雨が降りしきる日。永原駅で降り、菅浦の須賀神社(旧・保良神社)に古例に従い素足でお参りしてまいりました。北陸を「からりと焼いたような」湖北の寂しさは、今日のような秋雨になお増して、それは比良を越えるまで景色のなかにシンとあって、忘れられない風景が、道を曲がるたび目と胸の奥を射ました。
夏の旅で得たあれこれを囀りたいのに、思いばかりでちっともうまく言葉につながりませんの。
時雨て、木の葉も色づくような肌寒さです。どうかお大切に。  囀雀

* 雀さんにも鳶さんにも、湖北へいざなわれゆく想いの芯になって、『みごもりの湖』の寂しみが抱き込まれているのだろう。作者以上に読者の胸の奥で小説が生き続けてくれている。
それほどの湖北を、わたしは、実は知らないのである。なんという無責任な作者だろう。だが、ながく湖北に新聞記者として勤めてきた人が、あの小説の湖北ほど、湖北の静かさ寂しさ美しさの魅力を表現しえている例をしりませんと、発表当時に太鼓判をおしてくれた。あれは嬉しかった。わたしも湖北へ、一度行ってみたい。
2006 9・13 60

* 何時ごろであったか、二階にあがりかけて、ふと横になりたくなりそのまま寝入ってしまったらしい。気が付くと深夜の二時半をまわっていた。機械が動いているのではと、上がってくると案の定。そしてSPAMも沢山、心嬉しいメールも少し来ていた。

* 菅浦から勝野へ   雀
永原駅で降りて大浦から菅浦へ湖水沿いの道を行きました。
菅浦には須賀神社のほかにお寺が三宇あり、さらに氏寺址と立て札の空き地がありました。集落の東西にのこる四足門、ふるい石積み、細い路地、雨に打たれている庭の草花。フィヨルドのような琵琶湖はいままでに見たことのない趣深いものでした。
駅に引き返しながら十一面観音のお堂を一宇、線路を越えてまた一宇尋ね、各停列車に乗り込みました。
近江高島駅で再び下車し、乙女ヶ池の端へ行ってみました。
水景整備事業とやらで東屋が作られ橋が渡されていますが、比良山系にぶつかって移動が止まった琵琶湖を例証するかのように、のしかかる山に進みも退きもならずという池の面を、水草が覆い、灰色の空からときに音を立てて雨粒が落ちてきます。
板がささくれ欄干の金飾りもところどころかけた橋が濡れそぼつさまは一層哀れをとどめていました。いたたまれないような思いがして道に戻り、線路を渡り、丘を登って、近藤重蔵のお墓を訪ねました。
アールヌーウ゛ォ調というのか曲線でデザインされた門扉には獅子の飾りがつき、その奥に新しい卒塔婆がたくさん立てられた苔むした墓石がありました。
手を合わせ、立ち上がって踵をめぐらし、杉木立の先に湖面が見えることに気がつき息をのみました。重蔵ははるか海の彼方に暮らす息子を案じながらこの景色を眺め、会うことのかなわぬままこの地で息を引き取ったのでしょう。蝦夷より八丈島が遠いのですね。傘を叩く雨音が耳朶にしめじめと残りました。 囀雀

* こんな佳い文章を真夜中にひとり読ませてもらい、感動した。ひとりの作中の「直子」かのように、湖北をさまよって飛ぶ雨に濡れた、雀。
作者のわたしも実地には踏んだことのない土地や景色や跡を教えて貰った。何人もの読者たちがこうして『みごもりの湖』の実質を後追いに創り上げて行ってくれる。作者冥利というべし。魂の色の似た人達とは、こういう「いい、ありがたい読者」のことと思う、しみじみと、真夜中に。

* 涼しくなりました  夕暮
秋の色深まるような雨の一日でした。今は鈴虫の声が響いています。睡眠中の仔戌とともに静かな夜を過ごしながら、湖のことを想っていました。
体調は今ひとつですが、寝込むほどではなく、気分も爽やかとは言えませんが、鬱になるほどではありません。ただただ物悲しいのは、湖を楽しくさせるようなメールが書けないと悩んでいたせいなのか……。私語を拝見しながら、深いお悲しみの中で「気の休まること、心癒されること、楽しいこと」で上手にバランスをとっていらっしゃいます日々を感じていました。
気晴らしとか気休めとか気分転換は、出来ないことの一つかもしれません。いつも湖にむかって深刻なので、鬱陶しくあってはならないと、しばらく自分にメールを禁じてもいました。
最近益々世の中の動きが不安なことも、筆を重くした理由かもしれません。
親王誕生は素直に喜ばしいことでしたが、それが未来の天皇と決まったように報道され、男系天皇維持万歳、皇室は救われたという話になり、皇太子ご夫妻への退位を迫るバッシングの嵐になることの不思議。国民の皇太子ご夫妻への支持は強いのにそれは黙殺されて、明らかな野心がいつの間にか皇室のために命をかけたという美談にすりかえられるメディアの論説は、すでに言論統制の時代なのかと憂えました。
とくに朝日新聞が変わってきています。権力の監視機関であるべき大新聞が政府にすり寄って保身に走っているのかと。
憲法改正も弱者をさらに弱者にする増税も現実の問題となりつつあり、気分は晴れやかになりそうにありません。

* 秋のけはいの濃い、この述懐も真率で、よく胸に落ちる。親王誕生にわたしは、一語も発してこなかった。まるで奈良時代、平安時代へかけ戻ったかのような宮廷内の暗闘じみた時代錯誤な「報道の乱舞」に呆れながらウンザリしていたからだ。何人の皇太子が歴史の中で廃されてきたか、この際、いささかおもしろずくに書き並べてみたい戯れ心地に襲われなくもないが、ばかげている。
それらの悉くが「誰のために」あくどく画策されてきたかは、想いみたがいいであろう。「ためにする」手合いとそこへすり寄る手合いと。その小型版が、自民総裁選の「かつぎ屋」や「バンザイ屋」たちの軽薄な顔、顔、顔ににじみ出ている。
触れたくない。
このメールのこのさきに私事の或る思いがけない「よろこび」の書かれていたのを、わたしは、こころからよかったとよそながら嬉しく思った。気も晴れた。

* 或る、わたしよりずっと高齢のヒトの電話を昨日うけた。数十年の「日記」が溜まっていて、どうにか成らないだろうかと。それが貴重な内容に溢れているだろう事をわたしはすぐ察知できた。いささかの猶予もなくそれは電子化を急がれますようにと奨めた、その人にはそれをする技術はないが、それをさせる資金はあるだろう。
以前、電子メディアの方の達人に、アドヴァイスをもらったとき、一にも二にも御作を電子化しておかれるように奨めますと言われた。わたしは瞬時にその意義を理解した。以来実行してきたが、ねまだまだ全部には遠く及ばないでいる。紙に書かれたまま、将来に伝えられることは、この時代不可能と考えていた方がいい。紙は劣化するし、手書きの字は、いつか書いた当人にも判読できなくなる。
この一人の代表的な知識人でジャーナリストの山のような日記帖も、危うい瀬戸際にある。京都へ来て、実物を見て欲しいと何度も頼まれているのだが。

* 花のたよりもあった。
2006 9・14 60

* もうよほど前になる。
聟夫婦である★★★と夕日子とが、手遅れの肉腫で二十歳前のやす香を死なせた直後、八月一日から始めて、執拗に両親を「告訴する訴訟する」と騒ぎ立てていた八月の、ある日、事態を心配した或る知人が、こんなメールを呉れていた。
長いメールだった、こういうことに詳しい立場の人であった。長いメールの、以下に抄した辺を読んでいたとき、実はわたしは失笑して、まさかァと呆れていたのを思い出す。

* 私には、あなたが作家としてご自身の作品を守り、言論の自由を守り、それでも夕日子さんのためを思い、訴訟には強いて勝たなくてもいいとお考えのように見えてしまいます。
これは、最悪ではないでしょうか。
さらに訴訟があなたの心身の健康に与える負担を思うと、ぞっとします。何十年も訴訟している例をいくつも知っています。泥沼です。
そして、相手の弁護士を甘く見てはならないと思います。
まず、実の娘からの告訴を煽るということは良識ある弁護士ならしません。「九十五パーセント勝つ」という妙な強気もおかしい。これはかなり質の悪い「やくざ」な弁護士がついていると推測すべきです。
さらに私がもっとも恐怖するのは、裁判が不利になった場合に、夕日子さんが「言葉によるハラスメント、虐待」だけでなく、少女時代に「性的虐待」を受けたと「嘘を訴える」ことです。夕日子さんはそこまでしても勝ちたいでしょう。負けないために身辺・周囲が煽るでしょう。アメリカでは無実の父親がこうやって社会的に葬られた例が山ほどあって、本になっているくらいです。
もし、そのような根も葉もない訴えがあった場合、裁判は女の味方です。自称被害者のほうが強いです。痴漢の冤罪よりも無実の証明は絶望的です。あなたの作品はことごとく抹殺され、百年は埋もれなければならない。あれほどの名作なのに。日本語の宝なのに。
私の願いは、一先ず譲歩して、「告訴」騒動を鎮めてくださることです。ご家族、弁護士さんなど色々な方々とご相談して、あちらの要求がこれ以上傲岸に過大になる前に、お考えいただけないでしょうか。
その上で決断されたご判断は一番正しいことですし、それを心から支持して、あなたとご家族の皆さまのお幸せをお祈りし続けることに少しも変わりありません。

* いくら何でも度はずれていると、わたしはメールのこの辺は読み飛ばしていた。
ところが、夕日子は「木漏れ日」名義の「MIXI」日記を利し、しかもそれがわたしには「読めない」ように画策しておいて、八月以降、公衆相手(六百万人)に、じつに、読むも忌まわしい上記に危惧されたとおりの「嘘を訴える」ことをしていた。
わたしには、今日まで、それが読めなかった。人がコピーして送ってきてくれない限り。
よほど見るに見かねて癇癪玉を破裂させた人が、全文を、今日送ってきてくれた。
ひと言だけにしよう、あきれ果てた。
もうひと言、何と情けない人間になったのだろう、わたしの娘は。

* わたしは、ものに書く場合、それが批判や非難にあたる場合は、いわゆる「ウラ」を確保してでなければ、断定しないようにしている、当然の作法である。推測は人性の自然であるが、それも前後の状況から推して、蓋然性を堅くにらんで、する。まともな評論や批評は、そうでなければ出来ない。
それぬきに、好き勝手なでたらめな「作文」は、幾らでも出来る。誰にでも出来る。上のメールの人が、「心から危惧」し予測していたことを、夕日子は臆面なく、とうに、やり始めていたんだ。それも実の父や母に向けた、むちゃくちゃな「悪声」「誹謗と中傷」。

* そこまでやって、いったい夕日子は、何の自意識から責任遁れしようとしているのだろう。

* 我が家はきわめて狭い家で、しかも妻と私は何十年、常にまぢかに暮らしてきた。わたしが一人の時は、書斎とも呼べない机に向かい、夢中で依頼原稿を書きまくっているときだけだった。
妻や建日子に、こういう娘や姉のむちゃくちゃを、どう思っているか、どうか尋ねてみて欲しいが、妻は、夕日子のこの日記部分をまだ読んでいない。弟は、姉とマイミクシイのようだ、どうだろうか。

* 昨日やす香の友達がメッセージを送ってきてくれたことは、書いた。全文は遠慮せねばならないが、夕日子の恥知らずな「MIXI」日記を通読してみれば、申し訳ないが、少し引用させてください。

* ・・・私は正直、やす香のママにがっかりです。
私には★★家の深い事情はわからないにせよ、やす香のMIXIを使い続けて、やす香のおじいちゃんについて、なんかいやな感じに書き綴って、、、
湖さまは、責任感が強くて、頑固で(失礼っ)、だけど、優しい方なんだなあって、私は知っています。
私はやす香はこんなこと望んでるなんて思えません。
やす香はおじいちゃん、おばあやんを最後、憎んでいたんですか?
やす香の築いてきた人間関係をママとパパが勝手に使うほうがおかしいんじゃないかな。。
でも、直接やす香ママとパパにメッセージを送る勇気のない私です。ごめんなさい。
でも、これ以上なんかあったら送ってしまうかもしれません。泣。

* この「声」に、実情は尽きている。夕日子は「道」を踏み外している。

* 夕日子が結婚するまでの、大冊のアルバムが何十冊も溜まっている。弟より六七年長く付き合ってきた夕日子と父や母との写真は、千枚できかないかも。みな自然に、健康そのものに、それはそれはよく撮れているではないか。
ホームページに余力があれば、各時代の「夕日子写真館」を此処へ開いてみようか、百聞は一見にしかないであろう。

* 結婚したあとでさえ、夕日子は、母親の代理で、雑誌「ミセス」だったか「ミマン」であったか、父親といっしょに、編集者やカメラマンたちともいっしょに、編集部に着せ替え人形のようにいろいろお洒落させてもらって、楽しそうに四国松山や中国路取材の何泊もの旅をしているではないか、ちゃんと雑誌が刊行されている。
文壇関係のパーティーといえば、いそいそと父にくっついて来て、作家や先生達と、忘れもしない岡本太郎や梅原猛なんかともそれは嬉しそうに話して、編集者にはちやほやされて、興奮していたではないか。
父が作家代表でソ連へ旅するときも、夕日子は一人率先して、横浜港まで大きなトランクを引きずって、波止場での出航を見送ってくれたではないか。あれはもう大学生だったろう。
大学入学を祝いに銀座の「きよ田」でうまい鮨も嬉々として喰って、呑んで、あんなに上機嫌だったではないか。カウンターにたまたま並んだ小学館の編輯者に、「秦さん、コドモに、きよ田は過剰サービスですよ」なんて言われたのを、わたしは忘れない。
盲腸の手術あとがこじれて夕日子が二度も入院したときも、わたしは自転車で、毎日保谷から吉祥寺の向こうまで走って見舞った。夕日子は毎日、パパを待ちわびていて、時にはベソを書いて父の手を握って放さなかった。あれも、そんなに小さいコドモの時じゃない、高校生ぐらいな夕日子だったではないか。
もっとも、わたしは夕日子だけでなく、建日子が交通事故入院したときも、一日も欠かさず自転車で顔を見に・見せに通ったが。
なりたくもないお茶の水女子高校の父兄会長を強引に押しつけられたときも、お父さんの七光りで「卒業生答辞」が読めたなんて、晴れがましそうな得意顔もしていた、あれも高三を終えた夕日子ではなかったか。
そもそも夫★★★と出会わせるために、仲人の小林保治教授に頭を下げに行ったのも、美術展での見合いに引き合わせたのも、この父であったのを夕日子は忘れたのか。

* なにが「セクシャル・ハラスメント」か。

* 理事会からお元気にお戻りでしょうか。今日は曇り空ながら涼しくて歩くのによいお天気でした。帰宅してから今朝のメールを読みました。
以前非常によくあたる四柱推命の占い師がいると紹介されました。生年月日を告げるだけの気軽さもあって電話で占ってもらったことがあります。どうにもならない時には運を天にまかせるしかないのですから、未開人と笑わないでください。
興味がわいたので、それ以来四柱推命を少し勉強しました。
今集注なさっていることはお仕事とご家族のことでしょう。調停は長引くことはないと思っています。決着は早くつくでしょう。そうお祈りしています。
人生は面白いというお言葉は私の実感でもあります。 おやすみなさい。 名古屋市

* お孫さんのお写真を再度拝見し、涙がこぼれます。安らかであることを心からお祈り申し上げております。
お元気で自転車での散策をされてるご様子何よりです。くれぐれもお気をつけください。
他事乍ら、この夏胆石症で胆のう切除をされましたが、日常に戻りました。全身麻酔下の手術というのは何かをくぐり抜けたような気がします。  千葉 E -OLD

* ああ。どうかお大切に。六義園でのお写真をよく眺め、懐かしく思ってばかりいます。出光美術館がひきつづいて珍しい佳いものをならべています。行きたいですね。しかし上野の鈴本もあきらめていません。
ご病気で召し上がりものに禁忌が出来ましたか。
電子文藝館に久々に入れました荷風の『勲章』は味な戦中浅草の風俗、薄井八代子さんの『お止橋』は材料はなかなかのモノです。御覧になって下さい。新しい作品もずいぶん増えています。
2006 9・15 60

* わたしは昨日今日まで何も知らなかった。なにか「MIXI」日記に夕日子がむちゃくちゃ書き散らしているらしいと感じていても、アクセスを拒絶されていて自力では読めないし、人も、あんなことが書かれていては、うっかりわたしにも伝えにくかったろう、息子はやす香の日記は読めるのだが、わたしには、伝えてこなかった。息子から聴いていた妻も、わたしには黙っていた。伝えるに忍びない夕日子の嘘八百と知っているからよけいわたしに話せなかったと言うが、なさけないことだ。わたしは真実がっかりした。
おそらく、三枚の写真は、その自然で親密な父と娘との姿勢や表情は、夕日子の「MIXI」日記が無残な虚言であることを明かしてあまりある。既に★★家にいたのであり、父親がイヤなら、御免蒙ると同行を断れば済む。喜んで付いてきてかくもご機嫌サンである、自然な笑顔である。
それにしても、わたしはウカツに笑い飛ばして気にも掛けなかったが、ある読者の「予言」メールは、的確に夕日子の無道なウソ行為を見抜いていた。これには参りました。掌をさすようにとはこれだ。
家族も知らぬ顔してわたしに隠していたのに、しっかり「助言・忠告」していてくれた。もう一度、感謝して此処にひいておく。

* 私には、あなたが作家としてご自身の作品を守り、言論の自由を守り、それでも夕日子さんのためを思い、訴訟には強いて勝たなくてもいいとお考えのように見えてしまいます。
これは、最悪ではないでしょうか。
さらに訴訟があなたの心身の健康に与える負担を思うと、ぞっとします。何十年も訴訟している例をいくつも知っています。泥沼です。
そして、相手の弁護士を甘く見てはならないと思います。
まず、実の娘からの告訴を煽るということは良識ある弁護士ならしません。「九十五パーセント勝つ」という妙な強気もおかしい。これはかなり質の悪い「やくざ」な弁護士がついていると推測すべきです。
さらに私がもっとも恐怖するのは、裁判が不利になった場合に、夕日子さんが「言葉によるハラスメント、虐待」だけでなく、少女時代に「性的虐待」を受けたと「嘘を訴える」ことです。夕日子さんはそこまでしても勝ちたいでしょう。負けないために身辺・周囲が煽るでしょう。アメリカでは無実の父親がこうやって社会的に葬られた例が山ほどあって、本になっているくらいです。
もし、そのような根も葉もない訴えがあった場合、裁判は女の味方です。自称被害者のほうが強いです。痴漢の冤罪よりも無実の証明は絶望的です。あなたの作品はことごとく抹殺され、百年は埋もれなければならない。あれほどの名作なのに。日本語の宝なのに。
願いは、一先ず譲歩して、「告訴」騒動を鎮めてくださることです。ご家族、弁護士さんなど色々な方々とご相談して、あちらの要求がこれ以上傲岸に過大になる前に、お考えいただけないでしょうか。
その上で決断されたご判断は一番正しいことですし、それを心から支持して、あなたとご家族の皆さまのお幸せをお祈りし続けることに少しも変わりありません。

* わたしはこの助言を聴いて、親しい弁護士を頼む気になったし、娘に父親を告訴・訴訟させるようなバカを止めたさに弁護士の勧めに従い、すばやく「民事訴訟」を申し立ての勧めにも従ったけれど、それでもまだ、夕日子があれほどひどいウソを平然と、得々と世間に言いふらして恥じないなど、夢にも想えなかった。そんなバカナと思っていた。
言葉で何をあとから言い繕っても、なかなか人の耳には入らないものだ、だが、夕日子が、★★と結婚して五年余も経っているあの自然な父娘の旅写真は、幼来のわたしの痴漢なみの「虐待」など、百パーセント打ち消してくれる。そして昔へ溯ればさらにお互いの信愛や慈愛や敬愛なしには有り得ない写真の数は夥しい。母親と弟友達と、また一人で。写真機を向けているのはみなわたしであり、夕日子が元気に笑っているのはみなわたしのレンズとファインダーへ向かってである。演技で、ああいう顔は、お互いにできっこない、何百枚も。
それにしても我が親を、隠し「MIXI」でありもせぬ自分への痴漢呼ばわり出来る娘も娘だし、される父親も間抜けである。知らぬは父親ばかりなりというのも、情けないほど間抜けである。小説より奇である。おもしろいではないか。

* 「MIXI」へ厳重抗議したのが利いたか、夕日子の「木漏れ日」は、自身のマイミクシイとその周辺に「日記」へのアクセスを制限したらしい。弟すらも外したという。範囲を制限したらその範囲内で何を誹謗しウソを書いてもいいということには絶対ならない。弁護士は強硬な手を打とうとするだろう。だが、わたしは娘を訴えたりはしないつもり。
しかし、もし、悪質なこういう不特定超大多数への誹謗行為が、★★夫妻の「共謀」であるのなら、夫である★★★青山学院大学国際政経教授を、大学も視野に入れながら、徹底追究する。電車の中で女の子の尻を撫でたとかいう教授よりも、まだはるかに陰険で悪質だから。昔から悪質だから。
息子は、たぶん「あの夫婦」は気を一つにしてやっているよと推測している。

* 挑発に乗るのは賢くないと、賢い人はとめにかかる。それでは、この舞台劇がつまらない、おもしろくない。
わたしは、どこかで、ひとごとのように平静にこの事件の推移を面白く堪能したいのである。「まあまあ」などと賢こぶるのは好みでない。
2006 9・16 60

* 秦先生  出光美術館の「青磁の美」展を見てきました。先生がご覧になったら、お心のいたみが、ほんのいっときなりと、やわらぐかしら、などとおもいました。
会期最後の一週間に、東洋陶磁器美術館や五島美術館などからの特別出品があり、そうと知らずに出かけて、たいへんしあわせなことでした。
こんなうつくしいものがこの世にある 生きていれば、また、逢えるかも知れない、そんなことをおもいました。
すずしくなりました。矢筈芒の穂が出ました。
音読は、いま、『発心集』です。
歌舞伎座は千秋楽にわりとよい席がとれました。
申しあげることばがなくてごぶさたしていました。   香

* どう声を掛けていいのか、躊躇っているという読者や知人が多かろうと、今更に思い知る。いろんなことの起きる世の中だ。

* よく知らずに数十年生きてきて、思いがけず自分の祖父の事蹟を、人の著書にみつけ、感激しているという人がいた。そういう幸せは、なかなか得られない。いま、死んでしまったやす香以上に、生きているもう一人の孫があわれでならない。
2006 9・17 60

* ポーランドの柳君が友人の慶事にひとりで一時帰国すると。できたら逢いたいと。わたしも逢いたい。英国から帰っている上尾君にも逢いたい。ほかにも会いたいという申し入れがある。わたしの方で逢いたい人もいる。原稿依頼もあり、十月秋たけなわの日々はけっこう多事。十一月にはペンの京都大会。理事生活の最後になるかも知れない、出掛けてみたい気もしている。京都で電子メディア委員会をやりましょうという関西部会のお誘いも来ている。
2006 9・18 60

* 二十九日三時から四時まで表参道ちかくで、新しい電子メディア・ツールの説明を受ける。そのあと、うまくすれば柳君達と逢えるといいが。三十日夕刻以降に、妻と会食に招かれている。
2006 9・19 60

* 花が二つのブログを駆使して、一つに好きな映画紹介をしている。批評というところまでは行かないかも。『真夜中のカーボーイ』など、わたしは映画での「身内」ものというと代表例に挙げたいほど感銘をうけたけれど、花にはそれほどでなかったようだ。今日は『めまい』を書いていた。キム・ノヴァクは『媚薬』が好きだ。ジェームズ・スチュアートも『媚薬』でのほうがイイ男だった。キムときくと、好敵手だったソフィア・ローレンを思い出す。キムの方が好きなときも、ソフィアの方が好きなときもある。
圧倒的な大女優として、わたしが脳裏の最上段に並べるのは、順不同、エリザベス・テーラー、イングリット・バーグマン、キム・ノヴァク、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジータ、ブリジット・バルドー、ヴィヴィアン・リー、ジョーン・フォンテイン、クローデット・コルベール、ベティ・デイヴィス、デボラ・カー、スーザン・ヘイワード、キャサリン・ヘプバーン、オードリー・ヘプバーン、マリリン・モンロー、シャーリィ・マクレーン、など。これで、わたしの歳がわかる。
若い綺麗なのを並べ出すとこの何倍もいる。
歯医者で、ガリガリ、キーキーやられるときわたしは、いつも両手を使って指折り数えている。歴代天皇百二十五人などあっというまに済んでしまうが、海外の女優のフルネームを百も思い出していれば、たいがいガリガリもキーキーも済んでしまう。
2006 9・19 60

* 建日子から。そして「いい読者」の二人から。メールが来ていた。その一人、今朝十時過ぎのメールが、わたしのホームページが「消えています」と書いているが、何の事か。もう一人の分。

* 以下、不謹慎ながら思いきり励ましのエールです。失礼はお許しください。
一、死なないでください。夕日子さんをもう一度抱きしめて取り戻さなくてはいけませんから、なんとしても自然に死ぬまで生き続けてください。大事に長生きして名作を書き続けてください。一瞬の好機に誘惑されませんように。
二、書いていらっしゃいますように、この劇場益々面白くなってきました。退屈よりよほどいい。幸福は別名凡庸ともいいます。天才の役には立ちません。
創作の至福を生きる実人生が幸福だった例が思いつかなくて。偉大な天分はそもそも悲劇的なのか、それとも天才にはそれに釣り合う不幸が必要なのか……。
今はレンブラントを思い出します。妻も子も資産も栄誉も全部全部失って描いた最後の自画像の惻惻と胸に迫る感動は忘れられません。
三、書く題材があるというのは豊かな財産があるのと同じですね。作家魂に火がついて、もう一つ名作をものにされますように。
血縁の女性、お母上と娘さんは烈しい方々です。モデルとしてこれ以上の存在はないでしょう。人間味溢れていてとても魅力を感じます。このお二人は「ままならぬ女」そのもので、愛読者として読みがいがあるというものです。濃厚で破綻しているヒロインです。
四、「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候」
五、さらに大きな愛の翼広げて夕日子さんをお包みくださいますように。これほどの抵抗にはそれ以上の愛と忍耐で応えるしか太刀打ちできませんから。  以上。

* わたしは大器でも天才でもない。わたしが、わたしであること、わたしらしくあることを、読者の権利としてこの人は求めているのだろう。わたしが、わたしらしくなく世間的に落ち着くことを、たぶん無意味な妥協・堕落と思う人だろう。感謝する。
2006 9・20 60

* 心配し懸念する声がぞくぞくと。

* 萩焼  6.9.20 21:43 バド(ミントン)の後、北の丸公園で「三輪寿雪の世界」を観てきました。これまで持っていた萩焼のイメージを覆す豪壮な、そしてはんなりとした品のある色合いの数多くの作品に出会えて満足し、初秋の北の丸公園を少し散策しました。
先ほど「私語」を開きましたが繋がりません。こちらに不備があるようでもなく、どうかしたかと案じています。お返事下さい。
一日が一週間が一月が慌ただしく過ぎていきます。元職場や同窓からの古稀を祝う会のお知らせが幾つか届いています。嬉しいよりも一抹の寂しさを感じています。 泉

* 慌てふためいて、あちこち検索していますが、出てきません。
何か、異変があったのですね。
勘三郎のこと、薄井八代子さん(「ペン電子文藝館」に力作『お止橋』を出稿の会員)のこと、お茶のこと、「磬子」(私の母と同じです)という名前(小説『慈子』登場人物)のこと・・・。
いっぱいいっぱい聞いていただきたいことがあります。
他の人のHPから、先生に関連の項目を抜き出して読みつつ、先生や、先生のお仕事の大きさを改めてかみしめました。
時々刻々、先生とともにあることを体感していた、その場所が不意になくなり、ネットの迷子になっています。
早く、自分のあるべき場所にたどり着かせてください。
お体どうぞご自愛くださいますよう。  讃岐

* 「MIXI」に「木漏れ日=夕日子」の「足あと」が来ている。初めてだろう。へんな名前で怪しげな名乗りは他にも見つけているが、わたしの方からは、夕日子が「MIXI」で何を書いていたか一度も読めていない、アクセスを拒絶されているから。憤激したわたしの読者から伝えられて読んだだけ、全部かどうかは分からない。
「不正なアクセス」をしかけているなどと夕日子は書いていたらしいけれど、「MIXI」の作法にしたがい何方も読まれているはずで、わたしは埒外。
ひとのアクセスを拒絶しておいて、物陰で「二十年間虐待されハラスメントを受け続けていた」などと「悪声」を放ち続けている★★夫妻のむちゃくちゃぶりに、わたしは汚物を踏んづけた不快な気がする。
しかし、その夕日子がわたしのところへ「足あと」をつけてくれたとは、嬉しいではないか。「虐待」「ハラスメント」が既に「七歳」から始まったと彼女の言う、その「八歳」の昔、わたしのカメラに真向かった、みるから可愛い夕日子の自然な笑顔、また結婚後も父と同行して旅を楽しんでいた自然なご機嫌の笑顔や身ごなしを、ゆっくり自分の目で眺めて、いま現在の「行い」をよっく顧みて貰いたい。
わたしは、これらの写真を眺めて、しみじみと心癒され慰められている。皮肉な話、この頃の不愉快な日々の一の慰めや嬉しさが、娘のこれらの写真をながめることだとは、ね。だが、これらが、わたしのいつわりない娘夕日子だった。何枚も何十枚もの写真はなにも偽らない。

* ああ、おどろいた。
やはりホームページは「誰かがBIGLOBEあてに申し出」、「BIGLOBEで鵜呑みに削除していた」ことが、判明した。法律事務所が連絡し、わたしへBIGLOBEのサポートセンターから電話が来たが、説明にも何もならない、電話口の自分は何も知らない、専門部署がしていることで、返辞をさせますとだけ。
わたしに、事前にも事後にも通知したはずと言うが、何一つそんな連絡は来ていないのである。
わたしのホームページは昨日や今日のものではないし、その量も厖大で、わたし以外の人の原稿も沢山入っている。何の確認もせず、全部を闇に葬ってしまうというこの暴挙・暴行には呆れる。
削除要求が誰から来たか、知らないという以上なにも今は言わないが、法律事務所が追究する。

* BIGLOBEからはじめて、本当に初めてメールが来て、やす香の病状経過を表している「MIXI」日記を引用しているのは著作権違反なので、わたしのホームページ全部を削除したむね、通知してきた。
なんと無断でバッサリである。
やす香の件(くだん)の日記は「MIXI」のやす香全日記の一割量にも遙かに及ばない。しかも、その部分こそ、わたしを告訴の訴訟のと迫っていた件の「最有力の反証内容」になる部分であり、★★両親がいちばん触れられたくない部分なのは明らか。半年間やす香から家族が「目を離していた」まさにやす香自身の慨嘆であり、またそれあるがゆえに「死なせた は 殺した」だと言いがかって彼等が見当違いに激昂した問題点なのである。告訴や訴訟や誹謗の悪攻撃から身を守るために、私たちにはやす香の『病悩日記』はぜひ必要になってしまった。
またその分量からして、わたしのホームページの全量は万倍以上になるはずた。しかもそれはわたしの文藝作品であり主催する文藝雑誌である。何の通達も無しに無断でいきなり削除がゆるされることか、と言いたい。

* 全く、内情を知らない者からみれば、プロバイダーがユーザーの承認を得ず、カヤの外に置いて、抹殺してしまえるものなのか、不可解です。wwwの不気味な部分ですね。
昨日も、たった二万円の資本で五億円もの大金をネット株で懐に転がせた青年の話が話題に上り、ナンジャコリャ、汗水たらす並のサラリーマンはどうなるのよ、ややこしい世の中になったわね、と今の世についていけない老女たちで嘆いていました。
インターネットから手軽に得られる過剰な情報を、賢く選択出来ない人が増えれば、この世の行く末が恐ろしくなります。
mixi等のブログも、顔を合わせば云えない話が出来るからと、株式に上場する程に賑わっていますが、人は顔を逢わせてこそ本音が分かるのです。インターネットやメールだけのお付き合いなんて、真実の真実は汲み取れません。
一日も欠かさず長く続いたH・Pの「私語」、早い復帰を待ちます。
サイクリングに良い気候になってきましたね。今日は何処を走っているのでしょう。
明日は下谷へお墓参りです。  泉

* 遠距離の人はともかく、身を働かせば顔の合う同士が、メールのケイタイのと過剰なまで中毒しているのは、精神の衰弱以外の何ものでもないのは明らか。電子の杖をはたらかせて有効なのは老人。若い人達に電子メディアの濫用は、どう考えてもクスリにはならない。
やす香にもしあの半年、メールやケイタイが無かったら、もっと悲惨だったろうか。もっともっと早くに、肉声で、身のそばの家族に、「ママたすけて」「パパたすけて」と声を掛けなかったろうか。
あの、家族みんなの留守に、苦痛をこらえ階段をおりて冷蔵庫のジュースをとりにゆく…、あの日記の悲惨さ、読んでいても目を覆いたかったと先日も友人の口から聴かされ、わたしは思わず泪をのんだ。
何が、何が、何がこの九ヶ月、本当に大事だったのか。あんな苦境から一日も早くやす香を救い出すことであったはずだ。そのあとの総ては、どんな綺麗事もつまり言い訳ではないか。
おじいやんのホームページを葬り去り、まみいを悲しさで絶句させれば、あの優しいやす香が「パパ、ママ、よくやった、よくやったわね」と、褒めてくれるのか。

* ホームページが表示されなくなって驚きました。卒業生君の指摘のように考えるのが自然です。
mixiにコメントしましたように、ホームページには繋がります。コンテンツを強制削除して、トップページ(index.html)を入れ替えて単に「ページが見つかりません」と嘘を表示しています。
biglobeと言えども、ネットの法的なことについては素人であることを露呈し、どう対応していいのか全くわかっていず、その場しのぎをやって誤魔化しているのでしょう。ネットの脆弱性を示しています。
すでに法律の専門家に対応をお願いしているとのことですから、その専門家のアドバイスに安心してまかせられたら良いと思います。
しかし調停と時期を同じくした思わぬ展開に、こういうこともあるのかと言う気がします。
何のお力添えもできませんが、このメールが少しでもお気持ちの平穏に役立てばと思います。  ペン会員

* 適切な抗議の通告書をBIGLOBE社長宛、書いてもらった。内容に異存ない。わたしからは、メールで担当者宛てに電送した。
いまホームページの全容を分かるように表紙部分だけでもとプリントし始めたが、途方もない量になっていて、ほんの主要部分だけで割愛した。
やがて建日子のドラマの最終回、これは見逃したくない。建日子はいま下北沢でまた芝居の公演中。明日はムリだが、明後日には観てやりたい、観て欲しいらしいし。

* 「MIXI」で文学を話し合っている若い(らしい)人たち。いっしょに話したいと思う。イヤなことに追いかけられている。わたしのところへ、今も「思香」が「足あと」を残す。ほんとうにやす香だったらどんなに、おじいやんは嬉しいだろう。だが、やす香はいまもわたしの肩に来ている。いま「MIXI」の「思香」とは「生きた化け物」である。きもちがわるい。
2006 9・21 60

* 脳裏に悪意と卑劣の毒気に居座られないよう、いくつか親切なメールを静かに読み、耳も眼も洗いたい。
三時から六時まで、法律事務所で打ち合わせ。所長と少壮弁護士とじっくり懇談。だが人間の気稟は、「法」では所詮どうにもならないのだと思う。法のことは弁護士に任せ、わたしはわたしの既に決意している「書き手の道」を、決然歩む。

* 「MIXI」で、こんな「声」を聴く。おゆるし頂いて一つの声援として励まされたい。

* 秦さま  京都の中君です。 「私語の刻」を読み進めています。
HPの削除のこと、驚きと不信の気持ちで読みました。
最近での日課は「私語の刻」を読むこと、でした。八月最初のころHPを閉鎖されるかも・・・という時に、過去分をすべてワードにコピペして、少しずつプリントアウトして読んでいるのです。
「言い置かれて」いることに、いちいち会話しています。(一方的にしゃべることを会話というのは変ですけど。)
このひと月ずっと、秦さんに向かってしゃべりながら読んでいるので、本当に少しずつしか読めません。
お能のことはさっぱりわからないし、読めない漢字もたくさんあって、自分の不勉強が恥ずかしくなっています。
今は2000年9月のところを読んでいます。
思い立って、古典『夜の寝覚』を借りて読もうとしております。さて、古文の素養のない私にどこまで読めるかわからへんのですけど、ちょっとチャレンジ。
2000年8月のところに杉本秀太郎さんのお名前がありましたね。私が秦さんの『清経入水』から「湖(うみ)の本」を読むようになったのも、杉本さんのお名前が「あとがき」にあったからです。手に取るきっかけを杉本さんが作ってくださいましたので、秘かに感謝しています。
娘さんご夫妻とのあれこれは、片方に寄らず出来るだけ冷静に読もうとしてきました。ですから今までもコメントはできませんでした。
mixiでは「思香」さんの「日記」は友人までの公開、「木洩れ日」さんのは友人の友人まで公開となっていますので、現在は私からは読めない状態です。
いつでしたか、数時間ごとに「自称文筆業」の方を非難されている日記が更新されたときは、これは常軌を逸しているなぁと、更新されるたびにコピーして置いてあります。どなたかも書いてらしたけど、男性の文章だったように思いました。
大学の先生の割には幼いなぁと思ったんですけど(笑)
これでは誰の共感も得られないんちゃうやろか? と。
ちょっとこの先生、ヤバイな、実は追い詰められてはんのか? とか、いろいろ考えてしまいました。
いい大人の書くメールじゃないんですけど、私の言葉で思ったまま書くと、こんな感じになってしまいます。
mixiの日記を転載されたことが著作権違反になるから一気にページそのものを「全削除」というのも、かなりの驚きですね。
ネットでの著作権違反は深くて、考えるとますますわからなくなってしまいますが、著作権違反は親告罪なのでまずは当事者に通告をするのが当たり前のはずではないのでしょうか?
「大学の先生」に言われたからばっさりいってしまった、なんてまさかまさかの話ではないでしょうね?
そんな風に失礼な当て推量してしまうのも、「日記の非公開」が原因なんだろうなと思います。
日記を非公開にされるのはご自分の自由なのでしょうが、秦さんのHPに不満、文句があるのなら、事実と違うと言うのなら、陰でこそこそして (いや、がなりたてて) いないで、万人の目にさらされることをお勧めしたいですね。
ごめんなさい、なんだかとりとめも無く、ぐちゃぐちゃに書きなぐってしまいました。
次回のメールでは湖の本の購読をお願いしたいと思っています。
ユーロが強くなって外貨貯蓄ですこーしですが儲かりましたので、その分を使いたいと思っています。
それでは。 中君

* 長い長い、しかしじつに深切を極めて、ものを観た、感じたね考えた、そしてわたしを、わたしの家族を案じてくれるメールが届いていた。いま此処に紹介している、もう今日はわたしに、体力がない。しかし今わたしの考えている、今日も弁護士さんたちと話していた際の秘かな思いに、ぴたっと重なる意見もあり、真っ向異なる意見もあったけれど、一つ一つにある種の「凄み」を感じた。この凄みはまったくの称賛である。ながくてご迷惑どころではなかった。

* 建日子の芝居も、今回は両親とも休ませてもらうことにした。その建日子が電話をくれた。その話がわたしを元気づけてくれた。それは、書かない。

* 一昨日は気がつかなかった彼岸花がいっせいに茎を伸ばして咲き始めました。
HPが読めない状況,気になります。 鳶

* 今日も爽やかに晴れています。
ホームページが見られませんが、機械の不都合ならよいのですが。体調でも崩されておられるのかと心配しています。
今日は誕生日、67歳になりました。
萩の寺もそろそろ見頃でしょうか。明日お参りに行ってきます。
お元気でお過ごしのことと願っています。  のばら 従妹

* どなたかから、HP送信のいい解決法が届きましたか。もしまだなら、プロバイダへのメール問い合わせをおすすめします。とにかく、何らかの手段を伝授してくれるはずです。お忙しいでしょうが、簡単ですから、ちょっと送ってみてはいかがでしょう。
まだまだ暑いですね。
湿度が下がってきたので、窓を開けるのですが、何かの花粉が入ってくるみたいで、咳き込みます。
焦らず、けれど、風に早くお逢いしたいなあ、と想っています。 花

* 先の日曜日、毎回楽しみにしているKBS京都制作の15分番組で久多の松上げと花笠踊を紹介していまして、その上、志古淵神社も映ったのには思わず声が出ました。
短編集『修羅』に出てきますでしょう。行ってみたいと思いながら夜の久多へひとりは心細くて実現しませんの。
他の機会と併せて行った、祭り準備も始まらない真昼の花背八桝と祭り翌日の雲ヶ畑で目にした景色を重ね合わせ、この早春、お水取りの神事を特集した奈良のタウン誌で見つけた小川光三さんの写真と記事、白洲正子さんの文で、わずかずつ想像を膨らませていましたが、画面から受ける感じでは久多の景色や景気はさほど観光化して
いない感じで、鞍馬の火祭りと、京で体験した地蔵盆の夕暮れとを足した印象をもちました。一面火の海になる迫力は想像以上でしたわ。
灯籠木がお水取りの籠松明そっくりで、お水取りや鵜の瀬の景色を思い出しました。
いまも小浜市、名田庄村、美山町あわせて10ヶ所。京都市内では雲ヶ畑、久多、広河原、八桝で行なわれているそうです。
3/2のお水送り、8/15.23.24の松上げ、10/22鞍馬の火祭り、岩倉の石座神社の松明を使う祭り、2/15南山城湧出宮の居籠り祭初日の行事、2/12の島ケ原正月堂の達陀と3/12に汲む二月堂若狭井。小川さんは若狭から大和へ文化が伝わった足跡と書いてらしたけれど、雀は7/14の那智の火祭りまでつなげて想いたい。
愛宕神社はミヅハノメノカミの次にうまれたワクムスビノカミとイザナミを本宮に、雷神とカグツチノカミを若宮に祭り、現在西山の金蔵寺に預けられている愛宕権現勝軍地蔵は幽冥界と現世の境に立つ菩薩だそうですね。
若狭湾から那智勝浦へ龍がのびて、愛宕と花の窟(いわや)がつながりますでしょう。
花の窟秋の神事が来月2日と迫ってきました。丸く白い石に寄せてかえす波音が、そうよそうよというように耳の奥によみがえって誘っています。  囀雀

* こういうメールに触れていると、こんな静かな人もいて、一方には下劣な画策で人を苦しめ舌なめずりしているようなのもいる。
人の世は、あれもあり、しかしこんなのもある。おもしろや、人の世。

ただ人はなさけあれ 花のうへなる露の世に

* 小金井公園は、車でも自転車でも比較的近い(といっても二、三十分)ので、お昼弁当とビニールシートを携え、孫守り(実は孫に遊んでもらっているのかも)を兼ねてちょくちょく出かけます。これも幼稚園までですが。
今はコスモスの群生するあたりが綺麗かも。一度は郷土館にも入ってみては(必要があれば、洗面所は無料区域で清潔!)。お奨めデース。
去年からの中日を避けてのお墓参りは、正解。程よい気候。
ごく近くの中華のお店も楽しみで、ウエイターのサービスよく、美味しいのでお気に入りの店です。
朝、物干しから今日開いたばかりの沢山の真っ白い花に交って、二、三輪の濃紅に酔いのまわった昨日の酔芙蓉を眼の下に観て、胸キュンになりました。ほんまにうっとりとさせる、佳い花。下からでもなく横からでもなく、上から見下ろすのがいい、と毎年変わらず、モノ想う心は後退していないようです。
「私語」を読めないのは、山葵の利かないお寿司みたい。  泉

* 「MIXI」日記にいくつもコメントが寄せられている中で、今日、一人夕日子の友達らしい男性からのものがあり、まじめに返辞しておいた。そのあとは、まだ見ていない。もう今夜は疲れ切っている。小説の新連載も講演のつづきも、今日は終えなかった。小説には、夕日子の登場する長編を連載してみようかと思っている。
2006 9・22 60

* 高麗屋の奥さんから、今月も松たか子との父娘往復書簡の載った「オール読物」が贈られてきた。今月は父松本幸四郎の手紙の番。すぐ読んだ。
幸四郎の文章はかなりの量を読んでいるが、今月の感懐は、舞台と、舞台外ないし劇場外との、微妙な「合間」の時間の不思議や奥行きについて語り、先月の娘松たか子の書簡になかなか見事に呼応した、佳いものだった。初めて語られる話題にもいくつも恵まれ、読みでのある文章で感心した。

通用門出でて岡井隆氏がおもむろにわれにもどる身ぶるい 岡井 隆

この歌にもどこか気の通う、仕事こそ違え、歌舞伎役者・演劇俳優の秘めもつ「合間」のおもしろさ、確かさ。
八月は、こういう大物役者が、京都で集中して映画やドラマの撮影にも組み合う暑い時季だが、その間の、ご夫婦でのこころよい銷夏や、不思議の出逢いや、黙想や、うまそうな味覚にも、じつに手配り美しく触れられていた。手だれのペンである。
その高麗屋から、昨日は、十月歌舞伎の通し座席券がわれわれ夫婦分、届いていた。幸四郎は熊谷、そして初役という髪結新三。団十郎も仁左衛門も。芝翫も。楽しみ。
2006 9・23 60

* 湖さん  「人格障害」でも、社会生活は成り立ちます。社会的地位すらかちえています。しかし、周囲の人間に、おそろしいまでの苦痛を与えずにはおきません。「治療不可能な病気」ですから、どんな非道も、責めても無駄です。本人に責任があるのはもちろんですが、資質と生育環境などで、こういう風な、周囲を不幸にする人はたくさんいます。うわべがどうあれ、まっとうな人間と思って相手にしてはいけません。安穏な共存を希望するならどんなに不条理に思えても、正常な人間の方で耐えに耐えて、できるだけ早く一方的に折れてやる以外に、いかなる方法もないのです。
精神科医は言います。精神病は薬が効くけれど、人格障害は薬が効かないから、一番始末が悪いと。人格障害には一方通行の強硬な自己主張しかありません。話し合いが成立しません。自分の言いたいことしか言わず、聞く耳もたないのですから。闘いや話し合いは「不毛」で、もともと闘うにも話し合うにも意味のある相手ではありません。ふつうの人間なら一生に一度も言わないことを平気で言い放ち、実行もするのです。脅し屋、ゆすり屋です。落としどころは往々お金になります。
どんなに話し合っても無駄です。謝罪を求めるなど徒労以外の何物でもありません。そもそも人格障害の人間は人格が一ミリも変わらない。言語道断に無礼なのは火をみるより明らかでも、そういう道理が通じないから人格障害なのです。見切りと諦め、それが何より何よりで、その方法しかないんです。
私は今島尾敏雄の「死の棘」の狂気と究極の愛を描いた世界を思い出しています。  医師 表参道

* 逆説的に聞こえるかもしれませんが、夕日子さんほどお父上の愛に値する人間はこの世にいないでしょう。お気づきでないかもしれませんが、夕日子さんは、ご家族の中で一番の秦恒平の理解者です、きっと。夕日子さんに有って、奥様と建日子さんにないものが確かにあります。一日も早い和解と、秦文学の最高傑作が書かれることを、夕日子さんも手の込んだイジワルは切り上げて、しみじみとした美しい小説を書かれるよう祈り続けます。
ホームページの一日も早い復旧をお祈りします。
けれど、もしかしたら、これは一つの天の啓示、あるいはチャンスともとれます。「私語」よりも、一心に「小説」にだけ向かいなさいと、天が行く道を示しているのかもしれません。マイナスの条件をいつもプラスに変えてきた方です。今回もこの経験をしたたかに生かしていかれることでしょう。
私たちのような秦文学と共に生きているつもりの人間には、ホームページ閉鎖はひどくつらいことですが、書かれた言葉はすべて後々まで残りましょう。今読めなくても嘆く必要はないのです。ホフマンではありませんが、あなたの「言葉」は消えません。しぶとく生きて、書くのが、秦さんの運命です。
「世の中は地獄の上の花見かな」ですね。でも花だけでなく、地獄も楽しみましょうよ。  世之

* 娘さんについて考えたことを書きます。まず娘さんが「MIXI」に書いた性的虐待の日記ですが、そもそも娘さんがハンドルネームを使っているとしても、周囲に自分とわかるように書いていること自体、そういう事実はなかった「嘘」とわかります。性的虐待のカミングアウトというのは、女にとってよほどのよほどです。使命感でそういう「活動」をしている人以外には、ほとんど例がないのでは。
私は子ども時代の虐待について本人の書いたものをいくつか読みましたが、まずあまりの傷の深さに、そういう著作自体少ない。そして、書かれたもの二例では、本人が自分の名前を戸籍から変えていました。「MIXI」に載った娘さんの写真は、みごとに雄弁です。
次に、娘さんがこのように「変貌」したことについて、私の考えを書きます。不快に思われる部分もあると存じますが、失礼をお許しくださいますように。心安だてに実際失礼なことを書きます。自分の、父親として、人間としての大欠陥を棚に上げてエラそうに書きます。
田辺聖子さんでしたか、子どもは「当たりもん」と書いていらした。どのような子どもを持つかは運次第、くじ引きと同じ当たり外れがあるという意味です。子どもの健康や能力や容姿や性格など、たしかに親の努力や心がけの範疇にはありません。その上で、ある程度は親が防げる不幸があります。
当然よくわかっていらっしゃることですが、娘さんの今の異常ともいえる言動は、もし躁鬱の躁状態という病気でないとしたら、その根は、秦さんご自身にも、かなり大きな部分があると感じます。娘さんが結婚にいたった経緯はこれは「ご縁」でこうなるしかなかったことでしょう、当然ご両親に責任はない、娘さんのもって生まれた「運」だったんでしょう。ですが、それにもかかわらず、あのとき、秦さんに、父親として防げるところが防げなかったのではないですか。
もう昔、太宰賞を受けられたとき、その『清経入水』を、その以前に読んでいた「新潮」の酒井編集長が、「目をすったか」と苦笑して受賞を大いに祝って下さったというお話をされてました。
秦さんも、つまり、あのとき、仲人口に耳をひっぱられ「目をすった」ってことですかね。  稲

* コワイ読者達が、喋りだした。疲れるなあ。
2006 9・23 60

* 建日子さんのお芝居は大盛況のようですね。よい息子さんをお持ちです。創作者としての成功は、お父さんが一番望んでいらしたことですから、わたくしもとても嬉しい。
ホームページがなくなって、まだ呆然と過ごしています。今日は在宅していたので、意味もなく床を水拭きして、時々書いて、腰が痛くなると子犬と遊びました。胸にぽっかり大きな穴があいています。毎日「私語」で「今、此処」に生きていらっしゃる息づかいを感じてどんなに幸福だったかを思い知りました。あらためて、秦恒平を読むことがわたくしの生きることだったと思います。
やす香さんは今頃どこで何をしているのでしょうね。もうじき二カ月。一人の無垢な少女がいなくなって、わたくしの世界の色まですっかり変わってしまいました。
やす香さんがお守りくださいますように。お元気で。おやすみなさい。  東雲
2006 9・23 60

* 今日布谷君の普通のメールに「SPAM」マークが付いて届いた。何千何万という過去の削除例の中に、以前にも一度同じ例を認めたことがある。
2006 9・23 60

*  こんばんは。 困っています 。
HPのことですが、ただただ、驚いています。 内容を見て「湖の本」の注文すらできない状態なので、困ります。
作家の作品を読みたいという、「読者の知る権利」も守ってもらいたいと思います。   昴

* BIGLOBEや★★家相手に読者が一斉に抗議文をだしましょうとか、そういう活動のために「MIXI」に推薦して欲しいとか、言ってこられる。慎んでお断りしている。

* とにかくハードディスクに保存していた湖のホームページさえ見られないということにショックを受けていたのです。あまりと言えばあまりでした。湖の「闇に言い置く私語」の編成・編集作業、湖の文学論・演劇論など、せっせと拾っていて大変面白い仕事でしたのに、まったく仕事ができなくなりました。お手上げです。
厚かましいお願いですが、今後ホームページの閉鎖の可能性も視野にいれて、是非今までのホームページをコピーしたディスクを分けて戴くことはできないでしょうか。個人的防衛策としても、信頼できる人間にコピーを渡しておくことはとても大切かと存じます。何卒、このお願いは断らないでください。  港区読者
2006 9・24 60

* 萩が咲いています。
先生のブログを毎日の励ましとして拝見していたのですが、このところエラーになってしまって開くことができません。復旧をお待ちしています。
先生に見ていただけるような作品を書いておりませんのでお恥ずかしい次第ですが、先日、子規の糸瓜忌を記念して作りました新内『子規・のぼさん』と講談『野球ぞなもし』が、浅草演芸ホールの東洋館で公演されました。糸瓜忌については根岸の子規庵で不折の絵の展示会程度しかイベントがなく、さびしい情況ですので、少し貢献できたような感じです。
台東区の文化遺産を発掘し発信して町の賑わいを創出するというような仕事をしております。
数年前、谷中に故岡本文弥師の後継者がおられると聞き、新作を提案したところ曲付けをしてくれました。岡本宮之助師で、まだ40代です。『子規・のぼさん』のほかに『一葉日記』も初演・再演され、拙い作品ではありますが下町のみなさんに楽しんでいただきました。
謡曲「隅田川」ゆかりの妙亀塚が橋場にありますので『妙亀・梅若』も作詞し、発表の機会を待っているところです。
「湖の本」の一読者として、永い永い年月、蒙を啓いていただいたことを深く感謝しております。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
ブログの復旧をお待ちしております。
ますますのご健勝をお祈り申し上げます。  光

* 日牟礼神社、大嶋・奥津島神社、市神神社浜宮、沖の島、そして秀次、ヴォーリーズ。
近江八幡を訪ねてみたいと思わせる手がかりが続けざまに起こって、不思議な気持ちでいるところへ新橋演舞場に橋之助さんを観に行った友人から、天草四郎役の成宮くんが云々と聞いて、大河ドラマ“関白切腹”を見ました。
秀次の母はあの時どうしていたのでしょう。
実家にいた間、新潟日報で「順徳天皇の石碑が建立された」と小さな記事を目にしました。切り抜きもメモもしなかったことを悔いています。順徳天皇の碑という情報だけがオツムに刻まれ、ほかの情報が入らなかったのですよ。情けない‥。新潟市鳥屋野だったかしら。
来月半ばから京都市美術館で始まる「浅井忠と関西芸術院展」を、お作『糸瓜と木魚』を読み返してとのんびり待っていましたら、すでに府中で開催中のようですわね。「風待ち」も気をひきしめなくては。
肌に冷たい雨となりました。お風邪など召しませんよう、どうか日々お大切に。 囀雀 2006 9・26 60

* 鴉さま。 お変わりありませんか? 元気ですか? 単なる器械のトラブルでページが表示されずHPが読めないのでしょうか? メールがないのでしょうか? 元気に過ごされていることを願っています。 鳶は、心配ばかりです。

* 例年のメール年賀状を少なくも、文化各界、新聞・出版・編集、大学、読者、知人など少なくも五百人には送っている。そういう方達だけでも、ホームページの無道な消失について報せておかないといけないのではないか、と、文案を弁護士にチェックしてもらっている。
2006 9・26 60

* 小泉、安倍とかまびすしいことですが、昨日は小泉八雲忌でした。
出雲は変わらず未だ見ぬ憧れの地ですが、京から奈良へ近江へと拡がった雀の遊山は、紀州、河内、そして美濃へも拡がってゆきそうです。
吉備も行ってみたい、九州まで行かないと終わらないかしら…困ったナ。
この夏の歴遊の一は、海南市。名張から二時間余で和歌山市駅に着くのですよ。
朝七時に名張を出立、豊耜入姫命(とよすきいりひめのみこと)が四年滞在したナグサ浜宮を訪ね、黒江塗のさとを歩き、竈山神社に立ち寄り、夕方六時に帰宅して、ニュースで堺市が37℃を超えていたと聞いて、ノビました。
有間皇子のお墓を訪ねて一度海南には来ておりますが、元伊勢も名草も「日本の塗り物四大産地の一」という黒江塗も、まったく知りませんでした。
根来寺に遊山しながら、根来塗が海南市黒江で作られていることを知らず、紀三井寺に参りながら近くの竈山神社がどんな神社か調べもせず、寄らずに帰っていましたの。今回は加太神社がそれに当たり、淡島神・雛流し・針才天女・賀太潜女の氏神・形見の浦=潟海=干潟の海・淡島願人・淡島ものとあとで知って心残りに思いました。
和歌山市三木町の北に月読橋があるのも寄ってみたかったァ。
元伊勢のひとつ、木乃国奈久佐濱宮(名方浜宮)は海南駅の東に「大神宮遺蹟」と石碑が立っているそうで、もともと海浜にあった宮を津波などを避けるため日方浦の東山に遷し、現在、海南駅から線路に沿って北上したところに伊勢部柿本神社としてあります。
神社の前を道路が横切り、その向こうに石灯籠が並ぶ参道が続いていました。くねくねと曲がる細い道の両脇に連なる個人商店、古い建物、懐かしさ漂う道をしばらく歩き、隣の黒江地区に行くと、昔ながらの家がところどころ残る路地のあちこちに、「ここは海抜2.7Mです。地震を感じたらすみやかに高いところに避難してください」と貼り紙がありました。
集落の上には中言神社、下には金比羅さんを祀るお社。
縁結びの神中言神社は淡島神社の摂社で、祭神は県下唯一の夫婦神、名草彦と名草媛。日本書紀の「名草邑に着き名草戸畔という女賊を誅した」とあるナグサ。ナギサ、渚浜でしょうか。
をたけびの かみよのみこゑ おもほえて
あらしはげしき かまやまのまつ   (本居宣長)。
竈山神社は一の鳥居、二の鳥居とも大きく、昭和十三年に国費と献資で造営されたというだけあって、さすが格のある建物です。寂寞とした能褒野(のぼの) 神社の建物が胸に応えたあとだけに、この大社の厳かでのびやかな雰
囲気にはため息をつきました。   囀雀

* うまい食べ物の皿や鉢にしっかり箸を付けながら佳い酒を酌むような喜びが、雀さんの、こんな囀りには有るのであーる。わたしの手元に悉くのこっている「囀雀女旅日記」を編めば、もう単行本の何冊にもなっているだろう。一種の新風土記と謂える。そして何よりもこの人は、この行脚をこそ心の糧にして心身安定を計り続けてきた。それに成功してきた。

* 今日は、やす香さんの月命日ですね。二カ月しか経っていないのに、なんと遠くまできてしまったことでしょう。すべてを悲しんでいます。
短いメール読みました。「たまのさかづきの底抜けたようなお人」という意味がわかりませんが、いつものようにけなされているとは承りました。
もう一度お願いいたします。なんとか今までの私語のコピーを希望する読者に、「湖の本版元」で販売してください。
ホームページのあの膨大な文章はすべて、読者の宝だったのです。すばらしい文藝作品でした。書いた方お一人の専有の私物ではありません。ご自分で独り占めしないでくださいね。湖の本のご趣旨のように、ディスクも販売していただきたいと思っています。
「私語」は秦文学への理解に欠かせない手引きでもある。丹念に丹念に拾って秦氏の文学論を編集し、いつかご本人か、すぐれた研究者の手に渡したいと考えていました。たかが一人の主婦にそのような仕事を望まないかもしれません。それでも、少なくも「私語」を読者として読み続けることは許してくださるでしょう。
湖の勝利は百年後には確実ですが、今は忍耐の時と思っています。お互いに今出来る仕事にひたすら励むしかありません。逢いたい人にはいつかかならず逢えるものです。
やす香さんがお守りくださいますように。   玉

* このメールの人は、いつも、まるで自慢かのように自分は色気ぬきの女でとおっしやる。で、「たまのさかづきの底抜けたようなお人とはすれちがうこともないでしょう」と諧謔を弄したつもりが伝わらなかった、呵々。
「よろづにいみじくとも、色このまざらむ女は、いとさうざう(寂々)しく、玉のさかづきの当(そこ)なきここちぞすべき」と兼好さんは喝破している。但し「男」と書いているが、本来「女」もそうだと私は想っている。内容のある人ほど自然な色気が滲んでいる気がする、人にも文章にも。精神が柔らかい。
2006 9・27 60

* 柳君の連絡がない。明日か二日かと言ってきていたが。
せっかくの一時帰国ゆえ、彼の大事な用事や会合を優先してまだ余裕が有れば、彼の都合のいいところで逢おうと思っていた。今夜に連絡がなければ、明日は快晴のようだし外出を楽しみ、校正をたくさんしてきたいが。

* 雨あがる。
晴れたら暑くなりました。
今日は買い物などして、ゆっくりできました。住宅会社との打ち合わせがなかったので。
昨日は、住宅会社の営業さんが来ているとき、別の不動産屋さんがアポなして来てしまって、間の悪い思いをしました。ま、業者の人は、こちらが一社だけと話をしているとは思っていないでしょうけど。
「生もの」と言われる土地から探していますので、返答を急かされますし、九月中に返事がもらえるなら値引きができる、なんて言ってくるので、ゆっくり考える時間はありません。
建物の外観やインテリアのデザインにも希望がありますが、高額なのはムリ。条件のそろったものとは、なかなか巡り逢えないものですね。来週中くらいまで忙しそうです。
急に涼しくなりました。お体に気をつけ、お過ごしくださいね、風。  花

* 土地を買い家を建てる。わたしも三十四歳ごろだった。それまで社宅にいたが太宰賞を受賞し、何かの折りに、つまり退社の折りに社宅ずまいがブレーキになるのを顧慮し、融資を受けて新築を決行したのが、今の家。はじめは夕日子も建日子もちいさくて子供部屋の二段ベッドにいたりしたが、そうは行かなくなり、隣の家を買い足しても九十老人が三人とも京都から出て来ては、狭くて狭くてヘキエキした。今は妻と二人だけなのに、二棟の家が、足の踏み場に困るほど狭い。

* 今日は住宅会社の訪問がなく、ほんとに、ほっと。 ここ数日、緊張の連続でしたもの。とはいえ、明日も大きな案件が二つもあります。
ま、成るは成る、成らぬは成らぬ、ですね。
風を想い、ニコニコしている 花

* 黒いマゴが安心して寝そべったり熟睡しているそばで、校正また校正。明日柳君と会えると良いのだがなあ。今日電話をくれる約束なのだが。
2006 9・27 60

* ホームページ消失への問い合わせや不審がぞくぞくと毎日届いている。
「MIXI」以外の読者には、まだ何も伝えていない、が、法律事務所も、やはり挨拶はしておいた方が良いと認めているので、用意の文面を先ず見てもらった。
メールアドレスのある先に、一斉に「同報」で事情を説明することにする。マスコミや文化各界や大学・施設等にひろく及ぶのでどんな波紋が起きるか分からないが。どう考えても、確認も取らないでの一切合財の一方的削除は、むちゃくちゃである。何故そんなことになったか、コトの発端にも触れざるをえない。

* はじめまして  見知らぬ「足あと」誰かと思われたでしょうね。
建日子さんのドラマが好きで、ブログをずっと拝見していました。
やす香さんの病気のことを知り、やす香さんの「mixi」を亡くなられるまで見守らせて頂きました。どうにも気になって陰から病気が回復されるのをお祈りしていましたが、20歳になる前に亡くなられ さぞかし無念だったでしょうね。
その後「湖」様のホームページも拝見させていただいていましたので、突然「見当たりません」のメッセージには驚いてしまいました。
お父様の本心が素直に娘さんに伝わりますよう お祈り申し上げます。
部外者ですが、お父様を応援いたしております。  不二

* 「足あと」とは「MIXI」用語。記事などを覗きに、読みに、きた人のニックネームとコレまでの総人数が記録される。二月十四日に加入して以来、二月三月は数えるほどもなかったが、今見ると「七千人」に手が届いている。毎日鰻登りに増えている。連載の小説とエッセイと、そして日録「闇に言い置く私語の刻」を、ホームページ事件を機に此処へ移転させた、それが読まれている。

* こんばんは ホームページ閉じてしまわれたのでしょうか。メールは届くのでしょうか。
こちらは毎日秋晴れの気持ちのよいお天気です。常林寺さんも萩が咲き乱れていました。十一月になれば、又、娘の所へ行きたいと思っています。
お元気でお過ごしでしょうか。  のばら 従妹
2006 9・27 60

* ぞくぞくとホームページの消滅に怒りの声や提案が来るが、みな此処へ書き込むことは出来ない。心知った人の分だけ、参考までに。

*  >>> こういう時節に、上のようなBIGLOBEの処置は、遺憾余りあります。ユーザーへの親切の為にも、当然もっと確実な「電話」確認や、「郵便」文書による確認を以て、「ユーザーの正確な意思決定」を手に入れて為すべきが、理の当然でありましょう、
インターネットの専門家でなくとも、少しは知識があればインターネットメールが送信先に確実に到達する通信手段でないことは理解できることであり、到達する保証がないことは世間の常識です。
こともあろうに、プロバイダー(ISP)を標榜するbiglobeが、biglobe ドメインのメールアドレスに通知したから、それでもって相手が承諾したとみなすことは極めて身勝手な論理と言えます。
ホームページのコンテンツを削除するという極めて重要な案件では、電話もしくは文書によって確認するのが世間の良識と考えます。
弁護士事務所は、著作権侵害に対してはもちろんですが、この無謀な意思確認の方法を攻めるべきでしょうし、そうするものと信じます。
この程度の対応しかできなかったbiglobeはさっさと、プロバイダー事業から撤退するのが世の中の為であると思いたくなりますね。   I T 専門家 神戸市

* 私は、以下のようなことをすべきだと思いますので、お知らせします。
まず、問題の所在を簡潔に明らかにし、ペンクラブの会員が、裁判所に「仮処分」を申し立てたことをペンクラブとしても、電子メディア時代の表現のありよう、著作権侵害の実状を踏まえた「ルール」(事実上の 一方的な措置)のありようなど問題提起をし、かかる問題の所在の普遍的な影響(ペンクラブ全体に限らず、表現者全般に関わって来る可能性がある)を広く訴え、具体的には、当面、裁判所に対して、当該「仮処分」の申し立てをすみやかに認めるよう要請し、当該ホームページの原状回復をすることが大事なのではないでしょうか。
ペンクラブの言論表現委員会の動きはどうなっていますか。   ペン委員

* ご連絡を有難うございました。どうしたのか心配していました。
調停の結果ホームページを閉鎖するという合意に達したのかと思いましたが、このホームページが秦様の作家としての表現の場であることを考えれば、そのようなことはないはずと考えました。ご連絡をいただいて得心しました。
一刻も早く復旧なさることを期待しています。基になるファイルはご自身のパソコンにあるでしょうから、この際プロバイダーを替え装いを改めるのも、一つの方法かもしれませんね。
神沢杜口の『翁草』のうち初めの100巻は1772年になり、その後100巻を加えたところ1788年火災でその半ばを焼失し、再び編述して全200巻の成ったのは1791年、杜口82歳の年であった由。
どうぞご自愛下さい。  正  在・英国

* 鴉さま  メールを読んで事態が今も信じられません。酷い話です。biglobeはせめて確実な問い合わせ、そして意思確認をすべきでした。かりに一歩譲ってもせめて最小限の「処置」にとどまるべきでした。あまりに理不尽です、表現の自由どころか抹消など。プロバイダーを変えるという単純な方策はもちろん可能でしょうが、それで済む問題ではありませんね。できる限り早い時期にHPが回復されることを願っています。
調停、審訊、どれほど大変なものか、わたしには想像もできませんが、時間的にも精神的にも重い負担になっていること察するにあまりあります。
メールの返事はどうぞ無理になさらないで、ただ時折、そうかそうかと読んでください。HPに載るのを無意識であっても半ば「想定」して書くのではなく、より素直に? 書いてしまうかもしれませんが、それもそのまま笑って受け止めてください。少しでも慰めになれるなら、たとい微力でも、嬉しいことです
ここ数日は心配で落ち込んでいました。何もできず、ただ時間の流れるに任せて本を読んでいました。
今日は京都市美術館に出かけようと思います。院展、例年のことで、それなりに「予想」もできますが、一作一作に注がれた時間とエネルギーを汲み取り、自分への励ましにしたい。今週はよい天気が続くようで、まだ汗ばむほどですが、久しぶりの京都を楽しんできます。  鳶

* BIGLOBEは、削除する前に秦さんの言い分や意思をきちんと聴くべきでしたね。
よほどの有害サイトでない限り、問答無用で削除するなど間違っています。  文京区

* こんな話よりわたしの心を呼び寄せてやまないのは、こういう時だから余計そうなんだが、バグワン。
それから好きな歌人や俳人の歌集、句集。
『井伊直弼修養としての茶の湯』という研究書を手に取ってみる。するとすぐ世外の人となり、なぜか亡き白鸚や松緑の顔が思い浮かぶ。歌舞伎舞台の『井伊大老』やテレビドラマの『花の生涯』を思い出すのか。されば連想は歌右衛門にゆき、あれは淡島千景であったか、に、行く。
人にも逢いたい、芝居の日もはやく、と。しかし難儀な糖尿診察が待っていて、不快なだけの「調停」や「審訊」もある。難儀で不快なことほど、踏み込んで受け取らねばならない。

* わたしにしても強い人間ではない、が、弱さに甘えたり逃げこんだりはしていられない時がある。ほんとうに弱いとほんとうに逃げこんで頭をかかえてしまうが、頭を上げていなくてはならないときはちゃんと頭をあげて当面するしかない。しかない、のでなく、おそらくそれが当然の精神衛生というものだ。楽しいことしか楽しめないのでは楽しみの味は単純だ。時には苦みや鹹みも楽しみとしたい。

* 「MIXI」に連載している『罪はわが前に』も講演『蛇と公園』も楽しんで校正している。
2006 9・28 60

* つまりは「時代」そのものが人格障害をおこしているようなもの。ゲドは、それを直しに世界の一番奥まで行ってきた。『マトリックス』のあのキアヌ・リーヴズ演じる救世主もキャリー・アン・モスのマドンナも、世界の一番奥へ飛び込んでいった。
いま、妻もいっしょに「人格障害」のおそろしさを勉強している。

* 私は、PC音痴で、よい方法など全くわかりません。すみません。でも私にでもできることがありましたら、なんでもいたします。
ある日突然、いつものHPが開けなくなりました。
何となく予感はしていたのですが、先生のおっしゃるように、こんなに突然、そして、全くゼロになるなど、思いもよりませんでした。何度検索しても「見当たりません」の表示ばかり。それでも、むなしく、毎日同じ行為をくり返していました。
だから、今日、メールをいただいて、やっと、少し安心しました。真っ暗な宇宙で迷子になっていた私に、かすかな、通信の回路が復旧した感じです。
読み終わったメールや、送信済みの自分の返信メールも、私は消すことができません。そのとき、そのとき自分がどう考えたか、感じたかの記録です。私という人間の、「今・此処」をどう生きているか(大げさですが)の記録だと思えば、簡単な文章でも削除できません。そして、明らかに、その記録は、私の歩いている足跡になっています。面はゆさや、悔恨も含めて、やはりいとおしむべき足跡です。
まして、先生のHPは、作家秦恒平氏そのものであり、紛れのない「作品」です。
毎日拝読しながら、その思想と、行動を垣間見させていただき、自分の人生の指針としてきました。
私のような人が、この電子の大海の中にどのくらいいるか、それはもう数え切れないことでしょう。先生の作品と、その作品を読む読者の権利とを、こんなにもたやすく奪えるのだということが信じられません。この、人権、著作権の叫ばれる時代に・・。
そして、一方で、このIT時代の怖さも感じます。
書物になったものであれば、「焚書」でもしない限りなくなるということはありません。もし、そうであったとしても、隠し持つ心ある人は必ずいます。
でも、この電子上の情報は、こんなにも、いともたやすく削除されてしまうのですね。
「私語」にあったので、7月・8月分はCDに保存しました(してもらいました)。でも、たったそれだけです。
早く、復旧しますように、全作品が取り返せますように、切にお祈りしています。
どうぞお体おいといくださいますよう。   讃岐

* 数日前からエラーになってしまい、いろいろ試してみましたがどうしてもアクセス不能で気がかりでした。理由を知って驚いています。
お役に立てるほどの知識を持ちませんが、応援しています。   竹

* こんなひどいことがあって良いものでしょうか!!!
普通の人がHPを作っているのとは訳が違います。
日本文学の歴史・財産をこうも簡単に一方的に消されてしまうとは!! 今日ほど《IT世界の恐ろしさ・怒り》を感じたことはございません。
どのような事情があろうともプロバイダー『BIGLOBE』が勝手に完全消去する権利など、何処にもない筈です。
たとえIT社会の時代でも、通告・勧告などは、《文書による確認》が(本人であることを確かめた上での)大切と思います。
『作家:秦恒平の文学文学と生活』が《どれほどの宝物》であるかを確かめもせず。。。《恐ろしい時代》になりました。《振り込め詐欺》どころの問題ではありません!!!
HPを拝見できなくなってからというもの。。。日に何度もクリックしては、先生のご健康とPCの調子? リニューアル? などと心配しておりました。
《決してこのような酷いことがあって良い筈ありません。》
《応援いたしております。》
《手立て》がないものでしょうか?
プロバイダー『BIGLOBU』に抗議いたします!!!
《末恐ろしさ》さえ覚えます。
先生・奥さま、くれぐれもご自愛ください。  岡崎市: 枝
2006 9・28 60

* 昨夜から、ホームページ消滅への怒りと愕きの声、途切れずぞくぞくと。
ペンの委員会で正式に取り上げましょうと委員長からも。ある学会では、ホームページにわたしの「通知文」をそのまま告知し広く訴えると言うし、自分のホームページにも転載し、またメルトモにも広く同送して、この無道な処置に社会的な運動を起こそうという提言もたくさん来ている。もとより、やす香の「MIXI」日記を相続したという著作権者への痛烈な批評・非難も数多い。
技術的、また法律的な、提言や助言も多い。相手のあることで全部を此処へ載せることは戦略的にも、また遠慮もありとても出来ないが、心安くゆるして頂ける人のだけに限って、以下、順不同に「応援」していただく。

* プロバイダの行為に憤りを感じます。もしやと思い、先生のお名前で検索をしましたところ、「このページは、G o o g l e で 2006年9月18日 11:37:45 GMTに保存されたhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~hatak/ のキャッシュです。G o o g l eがクロール時にページを保存したものです。」
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&lr=&q=+site: www2s.biglobe.ne.jp+ 秦恒平
という形で復旧までのあいだはこちらを「お問い合わせの方にご紹介」されてはいかがでしょうか。
また、先生のお手元に記録がない場合にはこちらからDLをすれば、被害を最小限に留めることができるのではないかと存じます。ご存知のことは思いますがご参考まで。
また、プロバイダ「BIGLOBE」への抗議の意志を表わすため、当組織のサイトでも先生から頂戴したメールを公開させていただきたくご相談申し上げます。
とり急ぎ要件のみにて失礼いたします。以上。  国文学の学会責任者

* 残念でなりません。
プロバイダというのは、一人の要求で、一方的に、万人の権利を奪うことが出来るのでしょうか。
法的な通告というのは「内容証明」によるものでなければならない筈です。「仮処分」手続きはお進みとの事ですが、結果を待つのが「長い」と思います。頑張りましょう。応援します。
秦さんのページが読めなくなって本当に落ちつかず、メールにしようか郵便にしようか、あれこれ考えていました。ご検討の事と思いますが、他のプロバイダからのホームページは如何なのでしょうか? 読者のみな さんも待っていると思っています。
実は、私も「法律事務所」や「地裁」へ通い長い長い戦いをした事があります。苦労もありましたが、正しいものは正しいのですから頑張りました。
それにしても、こういう事をして、やす香さんの相続権者は何がいいのでしょうか。そちらも心配です。
秦さん くれぐれもお大切にお大事にいろいろお気をつけください。
私はいつかお会いした時くらいには健康戻ったつもりです。なんでも食べています。お時間があればやっぱりまた遊びましょうか。 千葉 E-OLD

* 「民事調停」の席で、★★氏のあまりの虚言・暴言に先生がカンシャク玉を破裂させて、帰宅するやいなや、「えいっ」とばかりに器械の接続を切られたかと案じつつ、一日に何回も接続を試みておりました。
事情がわかり、一安心・・・でもないようですね。お察しいたします。
さて、さて、「秦恒平論」だいぶ進んでおります。読むのが八分、書くのが二分の牛歩ですが、これが楽しい、うれしい。あまりに没頭しているものですから、家内がおかんむり。ちょっとは、わたしの話も聞いてと、すり寄られても、なにせ秦恒平を読み解く方が、数段おもしろい。いろいろと勝手なことを書いています。
事態の好転を願っております。ご自愛ください。   六

* やはり何かあったのだと思っておりました。
BIGLOBEの勝手な処置には怒りを覚えるとともに、あらてめてネット上の著作物の危うさを認識しました。
秦さんのHP『作家・秦恒平の文学と生活』の中には、私の作品を含め、そこでしか読むことのできない貴重な作品が収蔵されていました。
作品収蔵の当事者として、早速BIGLOBEに抗議をしたいと思います。まず私個人で抗議文を送付することを考えますが、もし「e-文庫・湖 (umi)」寄稿者の中で、同様な考えをお持ちの方がおられましたら、まとめて、という方法でもよろしいかと思います。「仮処分」審訊中とのことですので、一応弁護士の方にも許可を得たほうがよろしいのでしょうか? お考えをご返信下さい。
そのほか、私にできることでしたらなんでも致しますので、いつでもご連絡下さい。
また、私はMIXIに入会していないので、現在唯一となってしまった秦さんのHPを見る事ができません。もし可能でしたら入会のためのご紹介をしていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
札幌は冷え込み、ついに今日からストーブを使っています。  真

* プロバイダは、単価競争の中Webスペースをばらまいており、表現の場、というインフラ意識は薄く、消費するためのスペースを間借りさせてやっている、という姿勢ではないかと思います。有名な中堅プロバイダの夜逃げの話を先週聞いたばかりです。よくある話で、そういう業界です。
Webページを放置しておくと、一瞬でどんどん広まります。たとえば、今でも先生のページの影(キャッシュ)が、Googleで確認できたりします。件の著作権を云々されたページも、多分読めます。
プロバイダにとって、削除は時間との戦いです。Biglobeの取った措置を弁護する気はありませんが、無数のWebページへの無数の削除要請に対応するには、電話や手紙などの、いつどんな返事がくるかも分からない方法
よりも、約款で一方的削除を宣言しておいて、今回の措置をとる、これが一番、彼らにとって痛手の少ない方法なのかもしれません。
ただ、私が今回非常に「問題」に思っているのは、削除の判断基準です。
よく言われる話だと思いますが、先生は、「引用」なさっています。これは、先生のページの総容量から見れば微々たる量で、かつ、容易に「引用」であることが分かります。にもかかわらず、著作権を理由に削除された。
著作権云々というが、評論・批評の中に引用を認めないというのが、信じがたい。
多分プロの弁護士さんたちが色々対応してくれているのでしょうが、著作権を理由に、引用を行っている著作を、無関連なものも含めて全て削除する行為は権利の濫用、これを争点にしていくんだと思ってます。
こういうのが嫌で、若い(50代くらいの)方々は、独自ドメインを取って、専任スタッフに管理してもらっているのだと思います。
e-Oldの孤軍奮闘を見ていると、悔しく感じます。
一方で、先生が今年PCに投資した額の1/10があれば、独自ドメインの立ち上げを行うサービスはあるのではないかとも思います。
(その先の具体的なアドバイスができませんが、分かりそうな人にきいてみてください。)
では。 イチロー

* 先生、驚きました。このような事が行われる事、私にはとても理解できないことです。怖くなりました。牧野弁護士に確りとこれからのためにもお願いしたい気持でいっぱいです。 芹沢先生ご遺族

* びっくり致しました。
いち早くサイトを利用された作家として、そのような目に遭ってはいけませんよね。
弁護士さんに御相談されていらっしゃるとのこと、その指示を仰ぐのが宜しいのだと思いますが、多少法律を勉強した私としては、BIGLOBEとの契約内容が、どのようなものだったのか、興味があります。
しかし、BIGLOBEの対応もさることながら、お嬢様との関係がそこまで悪化されてるとは思いませんでした。
どちらも早く修復できますように、祈っております。  美術工藝家

* ご通知拝見、お怒りごもっともと存じます。「生活と意見 闇に言い置く」、ときどき、訪ねてました。作家の命をかけているサイトと評価していました。
なんの連絡もなしに、勝手なことをされたこと、私にも似た経験があり、よく分かります。ちょうど、私のホームページ上に、「官こそ恃み」(二言・三言・世迷い言)という一文の中にそれを書き、昨日それを含む私の同人誌『琅』19号の印刷を印刷屋さんに御願いしたばかりです。
弁護士にまで依頼されたこと、そこまでしなければならないことに対する心痛・心労、ご推察申し上げます。応援しています。  ペン会員

* メールは、無事なのですね。調停の過程での一時的な停止、もちろん秦さんの意思によるものと思っていました。プロバイダーがわが、一方的にはっきりした確認もなく、削除してしまうなんて、信じられないほどのお粗末、おそろしさです。恣意的に何でもされてしまうような、そんな危なっかしいところで生活しているのですね。
さいわいまだ日本では、手紙もあるし電話もあるし、くちこみも。
どうすればよいのか、具体的なことに、手がつけられないのですが、腹をたてています。
お二方とも、お元気でいらしてくださいね。
もう! という感じです。 沙

* 実に大変なことが起きていたのですね。
おかしいとは思ってましたが、私のPCのせいかと感じていました。
メールで述べられていた通り、紙の資料と違ってかくも簡単に消えてなくなるものなんですね。
私に出来ることなどあまり無いと思いますが、これからも強く秦さんを支持して行く気持ちにかわりはありません。
もし私にも協力出来そうな事がありましたら遠慮なく言って下さい。
湖の本の読者は皆同じ気持ちだとおもいます、尊敬する先生の味方ですから…
とりあえず、一読者として応援メールを送ります。  東

* この度のBIGLOBEのとった処置は、非常識で多大な被害を、多くの人たちに対して与えるものであります。
秦氏のホームページは 通常のホームページとは異なり私設図書館のようなものであり、そこには秦氏および多くの人の作品が蔵書としてしまわれていました。いずれも厳選された宝石のような作品であり、多くの読者が訪れる図書館でありました。
BIGLOBEのとった処置は「図書館の中に、自分たちに関わる書籍があるので 図書館をつぶしてほしい」という 一部の人の誹謗中傷を鵜呑みにして「図書館をつぶし、書籍を全部焼却するぞ」という通告を一方的に行い、館長の返事を待たず、館長の許可なく、図書館をクレーン車で壊し、蔵書をすべて焼き捨てたようなものです。
WEBの世界ではこのような非道が許されるのでしょうか。
BIGLOBEの誰が、どんな権力を持って出版物の内容が不適正であると判断し、このような処置をとったのか鋭く追及する必要があります。
私もホームページを持っていますが、許可なく、一方的な誹謗中傷があった場合にこのように全削除される恐れがあるものなのかと非常に不安を抱いております。
一刻も早く、この事件が法的に 解決されることを祈ってやみません。  日本ペンクラブ会員

* 秦さんからのこのようなメールただただ吃驚しました。
正直、この時勢にこのような出来事が起こるなんて全く考えられませんでした。良い事悪い事の判断基準を持合せていない人間が主観で行動したであろう恐るべき事であると思います。
もしそうでないとしたらもっと恐ろしい事です。
何れにしてもホームページ全消失が復活不可能かどうか先ず元の所に確認調査し、呼び戻す事が可能であれば直ぐに復活してもらわないといけません。その点については如何だったのでしょうか。
何れにしても迅速な調査と行動が必要であると思います。
秦さんのショック度最悪だと思いますが、とりあえずうまく復活する事お祈り申し上げます。
Sept. 29, 2006 京都・宇治

* 秦恒平先生  驚きとともに拝読いたしました。
この実情を是非多くのインタネット利用者に伝えたいと思うのですが、どこかにこの文章は公開なさっていらっしゃいますか? そうであればそのページをお知らせしますし、まだそのような準備がなければこの文章を私のブログで転載許可をいただいたという形で公開したいと思いますがいかがでしょうか?   ペン会員

* 全くひどい話です。Biglobeの処置に憤慨しております。あれだけたくさんの内容のものが一瞬のうちに消失してしまうとは・・・。先生のご落胆、ご憤慨ぶりが目に見えるようです。これは他人ごとではありません。明日は我が身に降りかかることでもあります。
私ごとですが、パソコンが2度壊れてしまい、復旧に困難の極みを体験しました。こちらは全く自分のミスだけに納得ものでした。しかし今度の事件はまさに「事件」です。明らかに告訴ものです。御健闘をお祈りしております。 星

* 『作家・秦恒平の文学と生活』削除、確認しました。なんともひどい話です。
ただ、プロバイダは著作権という言葉におびえていて、こういう不用意な削除が日常的におこなわれているのも事実です。
BIGLOBEの担当者は深い考えもなく、日常業務として機械的に処理したのでしょう。
推測ですが、BIGLOBEは穏便な手打ちを求めてくる可能性が高いと思います。
ぼくとしては、秦さんにここで踏んばってもらって、「判例を残す」のが日本の言論のために必要ではないかと思っています。
規約に何が書いてあろうと、こういう社会常識に反することを許すような規約は、それ自体が無効です。規約が免罪符にならないという当たり前の事実を無知なプロバイダに周知させる機会となるでしょう。 ペン会員 I T専門家

* 秦さま、ほかみなさま
プロバイダー責任法の過剰運営のいったんを見た思いです。
もしよろしければ、「私事」ではなく「社会的重大案件の1例」として、さっそく、小生の怠慢により「休眠中」の委員会議題として緊急会議を開催したいと思いますが、いかがでしょうか。
まずは、ご本人のご意向を尊重しつつ、みなさんのご都合をお伺いいたします。 委員長

* 委員長の御提案に賛同します。
これまでもアカウントが抹消され、消えていったホームページはたくさんありますが、それは大抵アイドルの画像を勝手に載せた明かに著作権・肖像権を侵害したページでした。
しかし、そんなページといっしょにされては困るわけで、プロバイダ業界に一石を投じる機会になるかもしれません。
さて、「湖」サイトという発言の場を奪われた状態ですが、BIGLOBE側によって事前通告なしに、一方的にアカウントを抹消されたという事実を読者に知らせる場を設けられたらどうでしょうか?
無料のblogサービスか「さるさる日記」あたりがいいかと思います。
一番簡単な「さるさる日記」ですと、
http://www.diary.ne.jp/
にアクセスし、「新規作成」という赤い大きなボタンを押して、所定事項を書きこむと、メールでパスワードが届くようになっているようです。  ペン委員

* 9月20日にぷっつりとHPの画面が出なくなって、これは機械の不調ではなく、★★様夫妻とのいざこざと関係があるにちがいないと、そのくらいは私にでも想像はできました。
それでも往生際悪く、もしや復旧しているのでは—-と毎日いくどもいくども、何度いつものアドレスをクリックしたやしれません。
ご事情を承り、そんなアホな!! と驚愕しました。
個人のHPがそんなにたやすく、プロバイダーの一方的判断で閉鎖したり削除出来るなんて、信じられない事です。
誰かがクレームつけたら「はいわかりました」でプロバイダー自身ではでそのHPの内容や、クレームが妥当かどうかなど検討もしないで、本人から返事の確認もせずに、勝手に閉じるなんて無茶です。
秦様のHPの一つの問題ではなく、一般論としてもこんな信用の出来ない契約があって良いものでしょうか。
「e-文庫・湖(umi)」の私のささやかな文章も消されたのですね。
勿論それらの”著作権”は載せていただいた時点で秦様に委ねているわけですが、それでも、★★様と私はまるで関わりがないのですから、十把一からげはひどすぎやしまいか—-と憤慨しています。
もし私にでも出来ることがありましたらおっしゃって下さい。やります。
いくらなんでも、こんな無茶が通るとは思えないので、近い将来きっとHPは再開されるものと信じて楽しみにしております。
すっかり秋めいて金木犀が香っています。
先の日曜はミュージカルの練習があって東久留米に行きました。私は時間の関係で車で走ってしまうのですが、青梅街道から所沢街道に入り、六角地蔵からひばりヶ丘団地横を通り、落合川、黒目川を渡りながら、もしや秦様が自転車でひょっこりとお姿を見せられるのでは、と思ったりしたものでした。
お陰様で一同息災に暮らしております。 2006/9/29   藤

* なんという事なのかとただただ驚いて居ります。私も秦さんのホームページを時々読ませていただいて居ります。お孫さんのご不幸には心を痛めており、又、ご活躍の貴方様のお姿を想像してひそかに喜んでおりました一人です。
長きに渡る過去の資料を一瞬に消され、どれだけ悔しい事でしょう。同情申し上げます。 信 京都

* かねてからHPにアクセス不可能となり、六さんともども心配していたところです。
「調停期間中」に限り閉店しているのかなと思っていたのですが、とんでもない事態になっていたのですね。
ひどい!! 本当にあきれ返ってモノが言えないほどの非常識です。
営々として積み上げてきた秦さんのお仕事は、単なる一作家の営業ではないのです。あの中に含まれている秦著作をはじめとする数多くの方々の創造物は、日本の文学を左右するほどの内容であり規模でありスケールでした。それを一朝にして完全削除(それも一方的に)するとは、著作権の侵害どころか「文化の破壊」そのものです。歴史上、数限りなく繰り返されてきた「焚書」の現代版ではないですか!!
腹が立って、ハラガタッテ、憤りを通りこして、怒り狂っています。沢山きているという「不審や抗議」は、向けるべき方向を間違えています。
BIGLOBEのやり方と、その背後の陰険な策謀にこそ向けられるべきです。「父娘の情」の手前、他人がいらざる口を挟むまいと、従来黙ってきましたが限度を超えています。
友人に自身「詩作」をし、HPも持っているネット関連のプロがいますので、秦さんのメールを転送し、有効な措置がないか問合せしています。色よい返事があるといいのですが。
ご心痛のほど(本当に長い暑い夏を乗り切ってこられた末の結果がこれとは)お察し申し上げると同時に、こうした社会的不正には断固として反撃すべきだと、心からの応援を致したくぞんじます。どうぞ、奥さま共々、お心丈夫にお過ごし下さい。  円

* 新資料郵送とのこと、お待ちしております。到着次第、検討することにします。裁判所に出せるものは直ちに出しましょう。
皆さんの反応がありがたいですね。ビックローブへは、ガンガンと批判がいってほしいですね。顧客に背信的な行為をすることの意味を、思い知らせなければならないでしょう。
参考になるご示唆などありましたら、お伝えください。よろしくお願いいたします。  事務所

* まったくもって晴天の霹靂以上の、ものでしょう。これからもこういったことは多々あることと推察できます。
それだけに、ちゃんとした結果が問われます。文筆に携わる者にとって生命線でもありますデータの削除は、許しがたい。全面的に応援するものです。  苑 ペン会員

* 事情が判り、少し安堵いたしました。私には、何もご助言できませんが、どうか、くれぐれもおからだ大切にとお祈りいたしております。  都 ペン会員

* H・Pを読む事で、いつも傍にいたような人が、霞と消えたような物足りない気分でいます。
再開を待っています。  泉
2006 9・29 60

* 京都行き  昨日もそして今日も、関西は汗ばむほどの秋晴れの午後でした。
院展を見た後、河原町二条、夷川通りを歩いて、烏丸二条で岩絵の具を買い求めて帰りました。
院展はいくらか低調な感じがして・・それでも、ああこんな風に描いているのか、などと探求? してきました。
家具屋の並ぶ夷川通りは容易に推測できることですが、時代の変化とともに衰退して、違う業種に変わった店や閉まったままの店が目につきます。老舗の宮崎の立派な店構えも寂しげでした。レトロな雰囲気を楽しむ気分はなく、若い人のわあ可愛いのノリからはよほど遠く、四十年も前の夷川通りを思い起こします。
それでもやはり京都は京都、地方都市の商店街の無残な衰退ではありません。(東京に暮らしていると「地方格差」が叫ばれても分かりにくい実感ではないでしょうか・・。)
烏丸二条の放光堂さんの岩絵の具、もっと買ってくればよかったなど思っていますが、現在描いている絵には十分足りる絵の具が手元に揃いました。
堀川御池近くに下宿していたこともあって、中京区は懐かしいです。
お忙しいとは思いますが、鴉さん、どうぞお体大切に、くれぐれも大切に。
もっと近く暮らしていたら、と、鳶は嘆きます。

* この鳶は、世界中をとびまわる鳥。
2006 9・29 60

* むこうが千人殺すというなら千五百の産屋を建てて。
どうか生きて、書いてください。  雀

* ブログに「ご通知」全文、転載させていただきました。
お心落ちのないよう、という言葉はここではあたらないと思います。
どうぞ一日も早く復旧されますように。    ペン会員

* ただただ驚いて 驚いて おどろいて びっくりして びっくりして 信じられなくて残念でなりません。
夫も事の重大性に驚いて、こんなことがあっていいものか? と怒っています。こちらの承諾なくして削除など出来るわけがない! と怒っています。
一体、何が起こっているのでしょうか? 理解に苦しむことばかりが続いていまして、挙句 HPも読ませていただけないなんて!!
大きな嘆き! 悲しみ、でもあります。
お役に立てることなど皆無ではございますが 心からの声援と応援を申し上げます。変なやくざ的な弁護士などに惑わされることなしに、当然な正直者が勝利されますように心から願ってやみません。 頑張ってくださいませ。 勝利祈っております。
お静かにお暮らしの御身の上にとんでもない衝撃的な事件が重なり さぞかしご心痛深いものがおありのことと拝察申し上げます。頑張って乗りきってくださいませ。 ”ひどいことが起こるものだと” 世の中には! 人生には!
御身どうぞお大切におすごし下さいますように心から祈念申し上げます。   彬

* もう同じ怒りや声援のメールを掲載するのも、足りていよう。
この「私語」にも、問題提起の意図をふくめ、あらためて、信じがたい「事件」が起きていたと「通知」の一文を此処に掲げておく。同じことが、いつ誰の上に降りかかるか知れない顕著な事例として、多方面で議論されたい。転記されても構わない。

*  前略 ますますのご健勝をお祈りします。

さて、私のホームページ『作家・秦恒平の文学と生活』完全消失の実情をお伝えします。ご理解下さいますよう。

私が、1998/3月以来多年運用してきたホームページ「作家・秦恒平の文学と生活」は、今年二○○六年九月二十日、突如、プロバイダ「BIGLOBE」により、事実上「無断」で、私の「確認」を一度も取ることなく、一方的に「初期化・全削除」されました。ホームページが読めなくなっている、何故か、困る、という読者ほかの皆さんの不審や抗議がたくさん来ています。

このホームページは、原稿用紙換算六万枚を越すかと思われる私の創作物を擁し、内容として、「湖(うみ)の本既刊八十八巻の全電子化」、八、九年に亘る、日々欠かさぬ日記文藝としての「生活と意見 闇に言い置く」、三好徹氏、高史明氏ら著名文筆家の寄稿や一般の投稿作品約二百を含む私の責任編輯「e- 文庫・湖(umi)」、そして私の「書斎作品の多く」を含んでいます。

ところがBIGLOBEは、上の「日録」のなかに、今年七月二十七日に、癌「肉腫」で急逝しました私どもの「孫・やす香」十九歳の生前日記を転載しているのが、やす香の「著作権相続者」と称する者(=ちなみに★★やす香の両親は「★★★氏・青山学院大学教授、同妻夕日子氏・私の長女」です。)の権利を侵害しているとの申し入れを、そのまま受理し、一方的に強行削除したのでした。しかし、引用・抄出した日記は、全体の極く極く一部(日記全部から見れば七、八十分の一程度か。原稿用紙にして十枚余か。私のホームページ全容からすれば、大海の小魚にもあたらない分量なのです。)
しかも、私はそのようなBIGLOBEの通告など、全然見た覚えなく、またホームページを全削除してよいなどと意思表示した覚えもくないのです。有るわけが、有るでしょうか。BIGLOBEは、受発信設定が全く出来ていない、使用していない、私のbiglobe.ne.jpメール宛てに発信していたのです。
しかし私はパソコン使用以来、一貫してニフティのみを全面使用し、私の機械操作能力ではbiglobe受信設定は「存在しない」のです。
更には機械的一律削除を「日課」にしなければならぬほど「不正広告メール・SPAMメール」が九割を越す大氾濫の今日です。やたら数多い大概の「営業通知」も、私の日常活動からは「ほぼ削除対象」なのです。

こういう時節に、上のようなBIGLOBEの処置は、遺憾余りあります。ユーザーへの親切の為にも、当然もっと確実な「電話」確認や、「郵便」文書による確認を以て、「ユーザーの正確な意思決定」を手に入れて為すべきが、理の当然でありましょう、もし一家で旬日余にわたる旅行でもしていたら BIGLOBEは一体どうするというのでしょうか。
むろん言うまでもなく私が、かほど多年運営のホームページの「削除通知を、黙過する」わけが無いのです。加えてBIGLOBEは、私以外にも、他の多くの著作者・寄稿者の権利まで侵しており、全く言語道断な暴挙、厖大量の「著作権侵害」と抗議せざるを得ません。

ホームページの此の無道な削除に対しては、地裁に「仮処分」を申し立て、日本ペンクラブの同僚会員である弁護士の総合法律事務所に、善処をすべて依頼しました。地裁は事の重大性を慮り専門部に審訊を託したよし、法律事務所の通知がありました。

この電子メディア時代に、かかる奇怪に強引なことが、いとも簡単に為されてしまうおそろしさに愕き呆れながら、ともあれ、事情を申し上げまして、アクセス不能が只の機械のエラーによるものでないことをご通知致します。いずれホームベージは復旧出来ると確信しています。ご理解・ご支援いただけますようにお願い致します。

日本ペンクラブ理事
日本文藝家協会会員  作家・秦 恒平 2006/9月末

* やす香さんの御不幸こころからお悔やみ申し上げます。
もっと早くと思いながら、どのようにお声かけをしたらよいのかと、心弱くなってしまった次第です。
奥様いかがお過ごしでしょうか。
すこし時期はずれになりましたが岡山のマスカットをお届けします。月曜日に着く予定です。
秦さんにはもう少し涼しくなる十一月には、お酒をお届けしたいと思っています。
ポスト小泉も全く期待がもてず腹立たしく暗い気持ちになっています。
建日子さんを含めて皆さんの御健勝をお祈りしています。  元

* 秦様の貴重な作品が消えてしまったこと全く残念です。
加えて、私は何時もホームページを通じて「社会」との関わりを持たせていただくことが出来、今後も貴重な意見を拝聴できることを糧とも楽しみともしてきました。
BIGLOBEの会社に対し憤りを感じるとともに、全面的に信用を失いました。BIGLOBEを利用することは今後一切しないと決意しています。
私個人は何のお力にもなれないこと申し訳ありませんが、きっと有識の方々がお側に沢山おられて、良い解決になることを切に切に願っています。
ご夫妻の心の傷が心配です。それがお体に障りませぬようにまさに朝夕祈っております。
今日は喜多六平太記念会館で「佛原」と「菊慈童」を見てまいりました。緑泉会の例会で、菊慈童は坂真次郎先生が舞われるはずだったのですが、夏に急逝され「偲ばれる」会にもなり、緑泉会主宰の津村禮次郎師が勤められました。
緑泉会は女性の方が活躍なさって、日ごろとは違った舞台が新鮮でした。「佛原」のシテなど優しい舞姿で、他の舞台でももっともっと女性の力が認められるようになればと思いながら見ておりました。
津村先生の小書きのついた「菊慈童」は先生らしいきりっとした軽快な楽の舞でした。秦様にもお心の安らぎとしてお見せしたいと思いました。
重ねてゆっくりと静かな平安なお時間がありますように、祈っております。お体お大切に。  晴

* みなさんにお返事を失礼している。あまりに何事にも時間が足りない。時間が貴重なのは必ずしも良いことでない。時間など気にならない日々こそよろしく思われる。
2006 9・30 60

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