ぜんぶ秦恒平文学の話

スポーツ 2017年

* 昨日の朝までは京の白味噌仕立ての雑煮、今日の昼は焼いた餅での清まし汁の雑煮を妻と二人で祝った。

テラスの奥のネコたちの家のそばへ輪切りの果物を置いてやってある、それへ今朝もふっくらと小さな目白たちが降りてきて一心に食べていた。真実心温まる のは、こういうとき。うそくさい人間の世の中はみなテレビの報道やコマーシャルでやかましくかき回し気味に代弁されていて、吐き気がする。かろうじて「北 の国から」のような歴史的な秀作長編ドラマに相寄る魂のぬくみを覚える。

藝術・藝能は、真に人の魂を感動で震撼するしか存在の意義がない。さもなくて蔓延っているのはすべてうそくさいただ商売道具や売り立ての呼び込みに過ぎ ない。スポーツというのはいいなあなどと、ふと思われる。イチロー、白鵬、沙羅、内村航平、ピンポんの愛ちゃんら。かれらの勝負にはうそが見えない。

2017 1/4 182

 

 

* 白鵬が初挑戦の下位に不覚に負けた。立ち合い前にふとそんな気がしていた、また当たってしまった。

むかし娘の朝日子がヒステリックなほど声を切ってよく叫んだ、わたしが何か言うと「お父さんが言うと当たるんだから、言わないで!」と。わたしも言いたくないのだ、言わないようにしてるのだが、もくしていてらそう思うのも辛くなる。困った人です。

2017 1/15 182

 

 

* わたしは稀勢乃里を推してこなかった。ここまで優勝の一回も出来ず、鶴龍、琴欧州、照の富士、琴奨菊、豪栄道らに先を越されていたのは間違いなく彼が 弱かったからだ。何度かの横綱昇進チャンスを逸してきたのも彼が弱かったからだ。日本人の強い横綱をと期待するなら、依怙贔屓せずに規約通りの二連続優勝 を昇進の条件とすべきで、「日本人」の横綱をという願望にまかせた依怙贔屓は彼のめいよどころか不名誉にしかならない。日本人の横綱をわたしも期待して久 しいが、身贔屓の依怙贔屓は好かない。もう一場所の連勝優勝をこそ期待するが、依怙贔屓の水増し横綱など御免蒙る。琴奨菊は、豪栄道は、一度優勝したがあ とは惨憺。稀勢乃里もおなじ事を繰り返した前科を何度か持っている。二連勝してケチのつかない立派な横綱になって欲しい。

2017 1/23 182

 

 

* さながらどこかの大統領並みに「ジャパン・ファースト」の甘い銓衡で、むりやり「日本人」横綱を推し立てたらしい。気の毒な結果にならねば良いが。

来場所も続いて彼が優勝すれば、わたしも心から祝う。

あの体躯で、あれだけ多年大関をはって、あれだけ贔屓を落胆させ続け、横綱が二人も欠けた場所でやっとこさの初優勝では嬉しくない。

2017 1/24 182

 

 

* 昨日の大阪場所千秋楽、大怪我らしい新横綱と角番ながら横綱に一勝先んじている大関との相撲、百人が百人横綱に分がないと予想しているようだったが、 わたしは本割りの取り組み前から、これは横綱が勝つと予告し、事実勝ち、決勝戦もまちがいなく横綱が勝つと予告して、その通りだった。わたしは此の横綱贔 屓ではないので、気持ちでは大関に本割りで勝って優勝して欲しかったのだが、二人を見ていて、とても大関に勝ち味が見えないと確信した。まったくその通り だった。

むかし、娘の朝日子がなにかのおりにわたしが口を利きかけるのをほとんどヒステリックに「言わないで! パパがそう言うとそうなってしまうんだから」叫 んだのを思い出した。何のちからもちでも無いけれど、まま、そういうことはあったので、むしろ自分で自分に用心もしている。

二〇一一年一〇月二三日にわたしは前歌集「光塵」を締めくくる歌を詠み、ほぼ一月後に本になっている。その歌は、こうであった。

 

この道はどこへ行く道 ああさうだよ知つてゐるゐる 逆らひはせぬ

 

年明ける前にわたしは自発的に人間ドックを予約し、年明け早々の正月五日には、動かし難い胃癌二期を見つけられた。

 

死んで行く「いま・ここ」の我れが生きて行く 老いも病ひも華やいであれ

 

と、その日に述懐している。

二〇一二年二月十五日、八時間の胃全摘手術を受けた。術後の一部に、癌転移を残していたという。

あれから、五年過ぎた。この五年、老いの華やぎは我ながらめざましかった。

「湖の本」は一三四巻に達し、『秦 恒平選集』は、明後日、なんと第十九巻が、早や出来てくる。小説の新しい未発表作もいくつも送り出して行く。不安が、無いではない、が、ただただ一日一日を生きて行くだけ。誰にも真似をさせない。

2017 3/27 184

 

 

* そういえばこの日曜から五月夏場所か。わたしたちは、白鵬の横綱相撲を、期待。 2017 5/11 186

 

 

* 日盛りのなか、三時前に病室へ、そして妻とときおり詞をかわしかわし、わたしは「わが十二世紀の百年」を思いながら仕事をつづけた。五時前からは、テレビの大相撲を「聴いて」いた。横綱三人が勝ち名乗りを聴いた。

2017 5/21 186

 

 

*横綱の相撲三番観て、帰ってきた。高野豆腐というのを煮てみたがサンザンのけっかに終わった。これだからわたしは料理はすぐれた芸術だと讃美するのである。結果的に酒を飲んでの晩食になった。米飯や麺類は胃全摘以降、まったく馴染めない。

2017 5/22 186

 

 

* 横綱白鵬関、全勝優勝を心より慶ぶ。「ただいま帰って参りました」という一年ぶりの全勝挨拶が心地良かった。二度の休場もあって永い険しい一年であったろう、三十八回の優勝という気の遠くなるような偉業にさらにこの先を希望も応援も出来るのを喜びたい。

2017 5/28 186

 

 

* 将棋四段藤井少年の公式戦負け無し29連勝新記録が停頓した。勝負事のこと、いつかは来ると少年も云っていた。よく勝ち続けたなあとあらためて称讃すれば済むこと。騒ぎすぎ。

 

* わたし、碁は、すこし打っても観ても楽しめるが、将棋とは全然無縁。

碁将棋の達人達の「読み」ぢからには驚嘆し、明らかに人間能力のたいそうな表現例であると思っている。少なからぬフアンを鼓舞するのも見えている、が、 ま、わたしの場合、思いを寄せるのはそこまで。藝術・藝能またスポーツなどの表現や力技の成果から受ける感銘や励ましとは、やや離れた、要するに異色の 「勝・負」事と眺めている。勝つか負けるかだけで結果を判決している。

「勝・負」そのものから直截の感銘を得られるのは他に相撲や野球や競馬の類いで、いわゆる古来スポーツ競技も藝能・藝術も、まさしき主目的は「才能・能力の発揮や表現」にあり、「勝・負」に尽きるモノではない。

ただひたすらな「勝負事」には、ま、「相撲」のほか、わたし、気が無い。むろん「戦争」も。

2017 7/3 188

 

 

* 暑い暑い名古屋場所始まる。

2017 7/9 188

 

 

* よほど疲れたか、大荒れの相撲初日を横綱白鵬がスパッと引き締めて終えたあと寝てしまい、一度目ざめながらまた寝入ってしまい十時半。まだ、眠気というより疲れを感じていて、このまま、もう寝入りたい。

2017 7/9 188

 

 

* 十日朝の四條大橋の儀式は、わたしも観たことがない。 鴨の清水をもってする御輿洗い、三基の神輿の中御座を四条大橋へ担ぎだして清める。まだ朝曇り、北山を遠くのぞんだ鴨川がしみじみ懐かしい。

森友も加計も安倍夫婦も、トランプも、みんなイヤイヤ。

相撲を観に階下へ降りよう。白鵬が小兵俊敏の逸材宇良の初挑戦を受けるのが楽しみ。白鵬には無事に確実に最多勝記録を積み上げた上で全勝優勝して欲しいと願っている。

2017 7/16 188

 

 

* 白鵬 残念。魁皇へ敬意のあいさつと思おう。白鵬らしい。

2017 7/19 188

 

 

* 横綱白鵬 通算1048勝。同時代を生きてきた嬉しい出会い。ひばり。イチロー。玉三郎。

2017 7/21 188

 

 

* 名古屋場所千秋楽の白鵬、力戦を勝ちぬいた。39度目の最高優勝と、耀く勝ち星新記録を、酒はなく、拍手喝采だけで祝した。

2017 7/23 188

 

 

* 明けの五時過ぎ、妻が目を覚ましてしまったらしいので、わたしも起きてしまった。テレビで、ちょうどロンドン世界陸上100メートル決勝がは じまるところだった、結果は常勝を誇ってきたジャマイカのボルトが、今回限りの引退を表明していたボルトが三位で終え、十二年ぶりに三十過ぎているアメリ カのガトリンが勝った。

それでいいのだと思った、ボルトは不世出の名選手だったが懸命に最後のレースを終えて悪びれなかった。ガトリンはよくやった。これでいいと思った。ガトリンとは想えてななかったが、ボルトの金はおそらく無いと予想していた。これでいいのだ、歴史はそういうふうに動く。

 

* スポーツに過剰な思い入れは持たない。勝ち負けできまる人間の行為はどこかにキズを負うている。

努力の結果という称讃の道もあり励まされる思いも持つが、「今日、スポーツはもはや肉体の健康のためのものでもなければ、身体を強壮にするためのもので もなくなってしまった。観衆にとっても、好奇心の満足を意味するだけのものにすぎない」という亡き福田恆存の曰くに頷いてしまう。彼は語をつぎ、「スポー ツばかりではない。現代文明は呪われたる好奇心のために、進歩と速度との幻影に憑かれ、人間の生理的限界を無視してまで、呼吸と脈搏とを早めようと狂気の ごとく努力している」と。見るがいい、ゴールを駆け抜けた勝者は「息もたえだえに、その場に倒れ」てしまい「くりかえし」が利かないと。

作家志賀直哉は、過剰に前進へ狂奔する例えば「速度」への人間ないし科学の意嚮こそが、いずれ人類の安全と平和を決定的に損なうであろうと預言していた。いま北朝鮮の狂気じみた核武装推進に出遭っていたら亡き直哉は「言わんことじゃない」と髯を撫するであろう。

 

* わたしはすぐ背後の手置き二段の本棚上段に「湖の本」創作とならべ、二册の書を心して置いている。一冊が、亡き福田恆存の語録『日本への遺言』であ り、奥様から頂戴した。福田さんは生前わたしを再々励まして下さり、手づから「湖の本」継続の読者を十数人も送り先まで書き添え紹介して下さるなど御恩を 蒙った。奥様ご自身はいまも「湖の本」に毎回御送金下さっている。中村保男・矢田貝常夫編になる福田恆存語録、まこと脳味噌を揺すられる『日本への遺言』 一冊を、なにかといえば探訪し唸ったり恥じたり叱られたりしている。

その隣にもう一冊並んでいるのが、やはり今は亡き小田実が生前の著『随論 日本人の精神』である。いかな日本人は生きて来たか。これからどう生きるか。表紙見返しには小田さんの自筆で、

秦 恒平様

敬愛の気持を込めて──

小 田  実     2004・ 10・ 24  西宮にて

とある。これはわたしには一入嬉しい心の勲章である。福田恆存の批評と小田実の批評は明らかに異なっているが、しかもわたしは敬意をもって、この二人の二册になにかにつけ手を伸ばして一喝も三喝もを食らう。そしてまた立ち上がる。

2017 8/6 189

 

 

* 日馬富士を賞めてやりたい。独り横綱の面目を曲がりなりに懸命に持ち直してくれたのは偉い。

2017 9/24 190

 

 

* 午後二時間、二人とも昼寝した。体力気力の戻りを実感する。不行き届きの家事、仕事などいろいろ有るにしても出来ることを一つ一つ片づけて行く。

そして、創作に力を入れたい。

妻は好きな大相撲を嬉しそうに楽しんでいる。

日馬富士の不祥事を二人して歎いている。なんとか穏当におさまって欲しい。阿馬の昔からいい相撲取りだった。白鵬と並べて甲乙無く、応援し続けてきた。

2017 11/14 192

 

 

* 午後、思わず寝入っていた。お酒の美味さも手伝っていようが、幸いに徐々に日常生活へ戻るべく 用心しながら、安堵の時を噛みしめている。

 

* 横綱日馬富士のことにも心を痛めている。

2017 11/16 192

 

 

* 日馬富士事件の不可解さに驚くが、わたしは現場にいて経緯にしかと関わっていた横綱白鵬の冷静な証言を信じたい。貴乃岩の態度は明らかに宜しくなく、 白鵬が叱り日馬富士が怒った気もちは理解しやすい。ましビール瓶は握っていないという証言も現場にいてのキッチリした把握と聞こえる。その点、本人が言葉 にして言うならともかく、現場に遠く離れて不在の貴乃岩の兄の言いたい放題はまず論外として排すべきだろう。貴乃花親方のかたくなな沈黙のままの警察沙汰 強行にも共感しにくいものがある、露骨にある。貴乃岩事件でなく「貴乃花事件」かのようにすら猜されて仕方ない変な成り行きである。わたしは横綱の覚悟を 一貫まもってきた大横綱白鵬の証言をまっすぐ聴きいれたい。 2017 11/20 192

 

 

* 居眠りしないで、かなり仕事を前へ運んだ。五時半。今日の大相撲も階下で煮詰まってきていよう。相撲は面白い、が、何がなんでも見なくてはという乗り 方はしていない。大相撲の本場所中という賑わった活気を楽しんでいる。白鵬に、五十回の優勝をと、日馬富士にももう一度懸命の本場所大相撲を取らせてやり たい、と。

2017 11/20 192

 

 

* 相撲茶屋の「竹」ちゃんから、来年のカレンダーが送られてきました、ありがとう。さて、横綱四人が顔を揃えて呉れてるかな。

なんだか「ちゃんこ鍋」が懐かしいな。むかし、妻と、友綱部屋がやってるちゃんこの店に二度三度通ったことがあり、まだ大関を張っていた魁皇關が部屋入 りと聞いて、わたしの奥さんは道の向かいの建物へ階段を駆け上り、魁皇關と握手してきたものだ。そんなアトで魁皇は優勝もした。最多勝記録にも達して、そ して引退した。ちゃんこも美味かった。

 

* 白鵬の負け相撲、残念であった。

2017 11/22 192

 

 

☆ 白楽天に聴く  「酒に對す」

 

巧拙も賢愚も相ひ是非す

何如ぞ一酔尽く機を忘る

君知るや天地中の寛窄を

鵰鶚も鸞皇も各自に飛ぶ

 

日馬富士事件の各社報道に触れていると、もはや是非をただかき混ぜて高見の見物を気儘にしているよう。鵰鶚(貴乃岩)も鸞皇(横綱)も各自に飛んだのだろう。一酔の機をしらぬ人らの是非にまた終わるか。

2017 11/23 192

 

 

* 横綱日馬富士が自身引退を届け出るという。

惜しむべし。魅力の相撲で、よく決勝敢闘してきた名力士の一人だった。

礼儀知らずな後輩への怒りの譴責、度が過ぎたのも、いわば力士同士、しかも同郷世間内・仲間内の飲み会空気が誘った謂わば発散であった。

世を挙って騒ぎ立てるほどのことか。公益法人の何のと、政府や官僚や雇われ識者達が下品なまで出しゃばって煽っているだけ。相撲は相撲、国技の何のといえど歴史的にはいわば上古来の藝人たち。品格の何のと勝手な付加価値を押しつけてきたのは、いわばわれわれ、外の世間。

日馬富士が、あの、以前の或る横綱のように民間人に暴力を振るったなら知らず、土俵の上でも激しい「すまい・もみ合い」をこととする仲間同士の腕力沙汰 にすぎず、医師らの見解も、怪我はさほどでなく、ホチキス止め(裂傷の軽微を意味している)で済んだ程度のもの、血の流れた形跡もない。なによりもその場 にいなかった外野(貴乃岩の兄とか、元の旭鷲山とか、親方ですら)の出しゃばりが、ことを混雑させている。少なくもこの前二者の差し出口は邪魔である。

ここで、またぞろ「横綱の品格」が沙汰されているが、識者顔にせよマスコミにせよ「猿の尻嗤い」とはこれであろう、見て聞いていてこっちが恥ずかしくなる。

もしいま本気で「品格」を謂うなら、国会で、森友・加計に詭弁を弄して逃げまくっている「総理の品格」をこそ、国民は挙って厳しく問い求めるべし。

お相撲同士の喧嘩沙汰、あまりに大げさに騒ぎすぎている。相撲フアンは相撲を見て道徳の勉強がしたいわけでない、素晴らしい肉弾戦の魅力に酔いたいだけだ。

文学・芸術・芸能の世界でも、文豪・名人といわれた人で(たとえば藤村でも荷風でも直哉でも潤一郎でも康成でも太宰でも)、私生活にはいろいろあろうと も、国は「品格」などと言い立てず、勲章や位階までも与えたり与えようとしてきた。「優れた作品・成果」を出してこその表彰ということであろう。それから すれば「弱くて勝てない横綱」こそ情けないと咎められようとも、土俵上で、なにら卑怯もなく立派な成績を持った、持ち続けた、それこそが「横綱の品格」の 第一義であろう。そういう横綱を相撲の世界は頌え誇りとし、そこへ結束して精進を重ねるべきだ。

せいぜい仲間内、酒の上のただ手出し沙汰を、殺傷なみの「犯罪」沙汰で解決をなどとは、あの親方の夜郎自大、よほど器量小さく見当を失して、要は、トチ狂っていると見える。

2017 11/29 192

 

 

* いまや相撲界を吹き荒れているモンゴル相撲へのいやがらせは、典型的なイジメの様相、人種差別の意地悪さにまみれようとしている。日本人の狭量露わに自戒の余裕無く、いっそ下品。貴乃花のあの頑なな表情には、ありあり下々(げげ)の貧相が見えて、気味が悪い。

わたしは、多年、日本の相撲を世界の相撲に花咲かせ、努力のかぎりを尽くしてくれた偉大な横綱白鵬あっての今日の相撲の人気と見きわめている。いま白鵬無ければ、なんたる貧寒の大相撲ぞや。

2017 12/1 193

 

 

* わたしは強いては茶道という言葉を口にせず字にも書かないで来た。事実上無縁で来た柔道、剣道も柔術、剣術でよかろうと眺めていた。「**道」と名乗 られてあるに出会うつど暑苦しい閉口・辟易で眺めていた。「道」と名乗り始めればおおかたがご大層に形骸化してゆくと惜しんだ。

相撲道などと言い張るのもコッケイ至極、少なくもわたしは土俵上の相撲を藝とも技とも術とも眺めて楽しみ喜んでいるだけ。「いい相撲だった」と拍手喝采 するときだれが「道」など思うだろう、稽古の成果や青年たちの気概を愛して終えている。よってたかって相撲という藝を、或る意味では神事にかかわる健闘や 敢闘を褒め勝負を楽しんでいるだけのこと。道徳のお手本など望んでいない。八百長や賭け勝負に堕しないで欲しい。それだけだ、頑なに固陋な「道」の売り込 み、御免蒙る。

2017 12/2 193

 

 

* 京都の、さまざまに美しい精緻で清潔な「竹垣」編みの至藝に憧れて外国の男性が、京都の職人さんに弟子入りして、竹という素材が秘めた性質をそれは見 事なに生かしながら、さまざまな組み方で「生け垣」編みの稽古に打ちこんでいた。光悦寺垣、南禅寺垣、龍安寺垣、建仁寺垣、智積院垣等々の精微な割り組 み、 身の痺れそうな感激でわたしはテレビ画面をみつめていた。教える人、習う人、見まもる人たち、素晴らしい文化交流である。神懸かりに頑なな観念論な どに微塵も煩わされず「竹」の命を不思議なほど精微に汲み取りながら美しい竹垣が出来て行く。

 

もはやモンゴル人の相撲イジメに凝り固まってきたような、神懸かりにいかがわしい「相撲道」「角道」談義を朝から晩まで毎日聞かせる連中の、汚らわしい ほどのしたり顔、あまりにバカげて見える。バカの一つ覚えに神事神事と掘り返せば、果ては何が現れ出るのか分かって喋っているのだろうか、どれほどのこと を頭に入れてああも舌足らずに依怙地に吠えているのか、「竹」一本を生かした職人藝の清らかさに感じ入った目には、胸には、相撲屋たちの夜郎自大、浅まし い気さえする。

2017 12/4 192

 

 

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