* すこし寝坊したが、つつがなく、小豆粥の雑煮も祝いおさめた。
大晦日に蛤のつゆ、紅白の大根なます、年越し蕎麦を祝い、三が日を雑煮と煮染めのお節料理、蛤のつゆで祝い、初詣でし、年賀状をいただき、四日には焼餅と水菜の雑煮を祝い、七日には七草の白粥で雑煮を祝い、松飾りをはずし、十日過ぎて鏡餅を割り、善哉を炊き、十五日には小豆粥の雑煮を祝って、これでお正月さんを見送る。
東京へ来て四十七年、我が家の恒例はこの通り、ほぼ崩したことはない。ただ、京都の三が日は払暁に雑煮を祝ったけれど、東京では時間のことは、うんとラクにゆるめている。
2006 1・15 52
* 正午まえに診察と超音波上腹部検査は終え、時間がぽっかり出来たので銀座へ戻った。検査のため朝から水も呑んでいない。ところがフランス料理の「シェ・モア」が「休業」していた。佳い味の佳い雰囲気の店であったのに。
「グラナータ」に行き、コース・ランチ。ビール、そしてワイン。パンも、たくさん食べた。コーヒーも。湖の本の再校ゲラをたくさん読んだ。満腹したので、ぶらぶら歩いて、ふっと見つけてちょっとした服を買った。
歌舞伎座の向こうの「茜屋珈琲」に寄り、カウンターでしばらくマスターと雑談。中村歌昇が友人と二人で入ってきてカウンターの隣に坐った。若い。感じの佳い青年にみえた。声をかけたりはしなかった。
2006 1・16 52
* ホテルの近くで、かねがね見つけていたふぐの店へ出かけた。さっぱり冴えない構え、格子の硝子戸で中が覗けないが、ボール紙の札に、手書きで、「冴えない入りにくい店なのが申し訳ない、狭くてカウンターに何席、座敷は幾部屋しかないが、いい料理を食べて貰えると思っています、よろしく」などと。まずあんまり見たことのない「口上」に破顔一笑、二階の小座敷にあがった。妙にざっくばらん、店の誰かの、常は居間にしているンやないかと思える部屋であったけれど、つまり料理屋、料理屋した料理屋とはまるでちがう民家の二階みたいだが、懐石はそこそこ上手に食べさせたし、「テッサ」つまりふぐさしの、手際は妙でなかったけれど、味は安心感あり、おすすめの「開春」という島根の酒がうまく、酒器も片口、まずまずの石杯。で、次はどこの酒であったか「梅の宿」を頼むと、銚子が酒を注ぐにつれて鶯のように鳴く。ちいさな盃に吹きくちがついていて、ここから酒を吸うとやはりきれいに鶯が鳴く。時宜を得た店のお愛想で、ころころ笑いながら食事を楽しんだ。もう今日はわざわざ鴨川を東へ渡る気がせず、この、ホテルから東へ一丁も行くか行かぬかの奇妙な店で、たいそう実質的な懐石とふぐさしを楽しんだ。
* どこへ行く気もなくすぐホテルに帰り、いきなり地下の「アンカー」というバーへ入って、例の「ブラントン」をダブル、そして度数六十度近い名前を忘れたが「ミロなんとか」いったやはりバーボンをダブルでゆっくり楽しんだ。いつ来ても音楽もない静かな静かなバーで、行儀の佳い若い女性のバーテンが言ずくなに付き合ってくれる。わたしはほとんど此処でも口は利かない、ただ酒を呑んでいる。
出ると目の前に「桃李」という地下の中華料理店があり、なにとはなしラーメンが食べたくなり、入って、また一合紹興酒を呑んだ。
部屋に帰ると、服を脱ぎ散らし、浴槽で「八犬伝」をのんびり読み、(これをやると怒る読者がいる。)すぐベッドに乗ってまた続きを読んでいるうち、寝入ってしまった。眼が覚めたら一時頃だった。そのまま七時半まで寝たが、部屋が乾燥し口があまり渇くので夜中に一度洗面所でうがいをした。水も呑んだ。この水が美味かった。
2006 1・18 52
* 今年初めての粕汁が炊かれていて、家の夕食で心落ち着いた。今日聖路加へ行ってきた妻ののど風邪は軽快してきている。新幹線でも駅でもどこでも風邪・咳。くしゃみの人がまぢかに多く、ひやひやした。
2006 1・19 52
* 久しぶりに伊勢丹のわきの「田川」で河豚にしようと行ってみたら、「虎福屋」という河豚は河豚の店であったけれど<「田川」は看板をもう三年も前に降ろしていた。ま、いいかと二階に上がり、「とらふぐ」で、テッサにはじまり揚げ物や河豚ちり、雑炊までゆっくり楽しんだ。何十年馴染んできた佳い店が、また一つ消えたかとほろにがく寂しかったが、気を取り直して芝居の話や昔の「田川」や伊勢丹、新宿の話をしながら過ごした。そして一路、帰宅。黒いマゴが、機嫌をそこねながらニャーニャー鳴いて、二人が一緒に帰ってきたのを喜んでもくれた。
2006 1・20 52
* 小雪かと思ったが、車で日比谷のクラブへ。妻は少量のビール。わたしはたっぷりブランデーとバーボンウイスキー。角切りのステーキとブルーチーズ。芝居の余韻を楽しみ合い、丸の内線から池袋経由で帰った。保谷では小雨っぽかったが目の前のタクシーに乗れた。
今月も歌舞伎、大いに楽しんだ。
2006 2・6 53
* 発送ほぼ「打ちあげ」に、和可菜の鮓、今日の味は良かった。こっちの好みを心得て握ってくれた。しかしあすもまだ残る作業を続ける。
2006 2・12 53
* さて病院の首尾いかに。全然気にしていないワケではない。今朝の血糖値は正常だが。
* 気にすべき値のなにもかもが悪くなっていると、病院で。体重だけは少し落としていたが、もう三キロ落とせと。やれやれ。飲み薬が加わった。やれやれ。酒はいけない、と。ウーン、やれやれ。
帰りのおそめの昼食に、銀座「レカン」のフランス料理、ランチの上等を、シェリーと赤ワインのハーフボトルで独り、残念会。呑み納めかなあと。やれやれ。酒ぬきの外での食事など、クリープのない珈琲どころじゃない。参る。食い気しか残っていないのに。やれやれ。
なんとか新井奧邃にならわねば。五時起床、火の用心、静黙。ごく質素に小食の彼は、しかし、睡眠のために名酒「太平山」をやることがあった。我が家にも有るかも。ま、家では呑まないことにしようか。 家では一升瓶を四日で、そして一日休むというペースであったが。
* 白酒の紐の如くにつがれけり (虚子)
2006 3・3 54
* 花粉の眼薬のせいだろうか、ねむい。明日の臨時の委員会はまったく気が乗らないが。せめて…いや、書くまい。昨日は薫る花を目に愛でながら、床几に腰かけ、うまいお握り二つと出汁巻卵を食べてきた。明日は…いや、食べてばかりだと言われる。それにしても、黄色瑞華さん(僧籍にある方か)に頂戴した「白扇」木桶仕込純米原酒のうまさよ。酒菜に「きのしょ」がぴったり来る。
2006 3・7 54
* ゆばなら、新宿の「やまと」が湯葉の店。ただしこの店では「にごり酒」に酔うのが好き。わさびで「くみあげ湯葉」は一口で十分。凝った懐石ふうの風情の店で、昼がいい。
仮面劇の「案内」 ファイルを開いて、読みます。
2006 3・8 54
* お墓のお守りをきちんきちんとする人で、感心する。そういう人がいる。家庭に「文化」を持って育った人ほど、自然そういう行事に気が入る。
ゆーっくりと季節がめぐっている。陽気はヘンであるけれども、春で、花で、団子もほしい。団子より、クラブで、よほど通らしい美人ホステスお奨めで買い置いた、「とびっきりのおいしさ」というブランデーを早く呑みに行きたい。
あのクラブの難点は、わたしたちには極くファミリアで、お客を連れていっても、かえって窮屈で落ち着かないだろうという点。老人仲間をお誘いするか、何事にもちっとも動じない東工大卒業生を連れて行くのが、こっちも気楽。
* 知らない店へひとりで行っても、気に入るとわりと早く店そのものと仲良くなる。新宿の和食の店で出会い、それはそれはよくしてもらった「美しい人」の所がそうだった。ああなると、食べにも仕事にも自分の家みたいに行き慣れる。だからますます良くしてくれる。だが、そういう心地良い店ほど、人とは行かない。
いま気持ちよくいつでも行けるのは「茜屋珈琲」かな。初対面から、気むずかしそうでも趣味の有りそうな主人とは、きっと仲良くなれそうだと思っていた。安い珈琲ではないが、美味い。聖路加の帰りに、歩いてわざわざ立ち寄りたくなる。
バー「べれ」が廃業したのは痛かった。ひとりでひっそり秘密っぽく立ち寄れる静かないいバアが欲しいなと思っている。自分で歩いて見つけるしかない。
2006 3・20 54
* 京都につくと、荷物を部屋におき、すぐホテルを出て、四條大丸のわきから高倉通りへはいり、錦小路の店をみながら東行、錦天満宮に参る。錦を歩くのが好き、京都に今住んでいたら、やたらに買いたい食べ物があって困るだろう。分厚い鯛の切り身が盛ってありとても欲しかった。湯気の立っている卵の出汁巻きも、ホテルへ買って帰りたかったほど。そして河豚。見るから多彩にきれいな漬け物。
京極から裏寺町をななめに抜けて高島屋で、三浦竹泉展をみて三浦さん(美術財団の同僚理事、大学の一年先輩)としばらく立ち話してから、河原町の鮓の「ひさご」へに入り、主夫婦と久闊を叙した。季節の自慢の鮓で、おそい昼飯に。多めの銚子一つがうまくて、満腹。
三条の角の祇園画廊で低調な売り絵展にあきれ、となりの映画館で「有頂天ホテル」を七時から一回だけ見せるとあるのを断念し、三條大橋から北山、比叡山の薄墨色を眺めるうち、意を決して京阪電車で出町の菩提寺へ走った。前住夫妻としばらく談笑、墓参りし念仏。境内に、はかなくも水仙が二三茎きれいに匂い咲くのをながめてから辞した。
加茂大橋からの比叡、北山が、かなりまぢかに薄墨色していた。あれには心惹かれる、いつも。眼下では、高野川と賀茂川の出会う川崎で、若い女性二人が腰をおろし足を投げ出し、余念無く談笑していた。
「ほんやら洞」にはマスターの甲斐さんが選抜野球のゲーム実況を、つくねんとラジオで聞いていた。コーヒー一杯の間なんということなくお喋りして辞し、すぐ先の辻を北に折れて、出雲路神社の真ん前から西へ向いた。静かな同志社女子大の裏道を通り抜けて相国寺東の長い塀、塀の内に整然と北へ延びた大樹の列をじいっと眺めてきた。
相国寺門前へ出てゆくまでに、夕ぐれてゆく木々の遠くに、櫻かなと胸を轟かせた仄かな色は、あれは梅の満開のようであった。
広壮な、静寂な境内にはいり、堂々と大きな法堂を仰ぎ見ながら、西門へ歩いていった。同志社大学の裏道にもなっていて、境内をもう西へ出る間際に、水上勉さんの『雁の寺』が在った。あの小説は、あまり好きでないが。
烏丸通りへ出ると、すっかりたそがれ。ほどなく門跡寺に隣り合い、同志社のハイカラな、いいえシックな赤煉瓦の寒梅館がある。六時、ちょうどいいと思い七階にあがって、東へ眺望のひらけた窓辺で、うまい、メニュのめずらかでもあるフランス料理をコースで堪能した。紅いワイン。
八時までゆうっくり時間をかけ、本を読みながら、いささか行儀のわるいナイフ・フォークの扱いながら、シャーベットの口直しも、甘い三種のデザートも、コーヒーについて出たサービスのプチケーキも、のこさず食べて満腹した。のんびりした。
今出川から地下鉄に乗ると、すぐ四條につく。ホテルに帰って妻に電話すると、もうバアへも行かず、寛いでそのまま衛星放送のながぁい映画を見てしまった。スティーヴ・マックイーンとキャンディス・バーゲン。あれは中国とアメリカ軍艦とのトラヴル映画だった。途中からであったがなかなか見せた。そしてもう、風呂にも入らず八犬伝を読みながら寝入った。
冷蔵庫がカラッポというなんだか貧相になったホテルで、閉口。夜中の三時半ごろに一度目覚め、しかたなくバーブラ・ストライサンドの深夜映画を途中から見てしまい、苦労してまた寝入って起きたら、朝の十時。
2006 3・23 54
* おそろしい強風のなかを六義園まで歩いたが、夜櫻のライトアップは、昨日まで。今日は四時半閉園で、一歩も中へ入れなかった。
仕方なく駒込駅へ歩いて、以前にも入った風変わりな中華料理の店に入り、この店ならではのローストした家鴨半羽、強烈な担々麺、中身プリプリの長い春巻で、夕食。紹興酒とビール。
歩いている内に風の冷えからか、左足が攣り初め、脹ら脛の中に大きな石が入ったみたいにグリグリと痛み、とにかく体を温めたかった。その前、劇場へむかう徒歩のさなかからわたしは全身がけだるく息が上がり、一度は路端にすわりこむほど疲労した。血糖値が高すぎるのか低すぎるのか、観劇中も違和感は相当だったが、幸い舞台の好調に助けられた。
家には七時前に帰ったが、タクシーには人が行列していたので、途中ペルトの珈琲で温まり、家まで寒風に吹かれて歩いた。脚も胸も、気分がわるかった。それでも元気だった。
2006 3・31 54
* 帰りに久しぶり、二年ぶりに「車屋」で校正しながら食べて行こうと、新宿で降りたのに、ホテルごと取り壊していたのに呆れた。「美しい人」がいなくなってから、ふっつり行かなかった。良くしてくれていた「車屋」にやや申し訳ないと感じていたのからも、解放された。
2006 4・1 55
* 早めに出て、渋谷東急本店の「なだ萬」で昼食。春の彩りでうまかった。
* コクーンで「四谷怪談」北番。勘三郎のお岩のまたいちだん丁寧に気の入った芝居に感嘆、直助権兵衛もたいへんけっこうであった。扇雀丈の予茂七が好演、七之助がお袖にまわって、これも好演。三角屋敷の場が入って筋の通りがよくなった。南番は本水が入ったし、客席へ幽霊が現れたりして盛り上がったが、北番は芝居に重点が掛かるとともに、音楽は洋楽をふんだんに使って賑わい、最後は堕地獄の図になって役者達が盛んに宙を舞い降りた。
わたしには、勘三郎の真摯なお岩藝が胸に来た。面相が変わってからはこわくて顔をマトモに見たくなかったが、悪い薬を呑むまでのお岩を勘三郎はそれは丁寧に丁寧に演じて、微塵の弛みもみせない誠実な演技、歌舞伎の魅力満点。あとはみな、つまり楽しんだ。
* コクーンから、夕方の渋谷をNHKぞいに原宿まで散策、ひさびさ「南国酒家」で中華料理をゆっくり食べ、一路帰宅。ほっこりしたが、佳い一日であった。
2006 4・13 55
* 繰り返しになるが、それぐらいなことは許されよう、勘三郎の「四谷怪談」を、渋谷のコクーンで、南番・北番ともかぶりつきで観た。成駒屋サン有り難う。
中村屋勘三郎お岩の芝居ッぷりは、南・北とも、とても立派であった。
お岩という、零落はしたが武家の娘、世が世なら奥方であれた女の、位と品とを、あの不幸の中でも守っていた、あわれ深さ。四谷怪談は、伊右衛門の強悪とお岩さんのあわれとがしっかりつり合うときに劇的な深みをもつ。他は付け足しでもよいのである。
真っ白い褌一つの勘三郎が、ぷりぷりの綺麗なお尻をみせ、われわれの席の脇で直助権兵衛を演じてくれ、中村屋にいかれている老妻は大喜び。
芝居前に東急の上の「なだ萬」で懐石の昼食。芝居後は原宿の「南国酒家」でひさびさの中国料理に紹興酒二合、。血糖値もポーンとあがった、が、佳い一日だった。
2006 4・14 55
* 理事会散会の脚でまっすぐクラブへ行き、シャンペンをサービスされたあと、ブランデーをダブルで四盃、つまりボトルに残っていた分を綺麗に飲み干してきた。目の前でサーモンを切ってもらったのがやはり美味く、主食がわりに、子供みたいだと思ったけれど、料理長おすすめ、スフールのパンケーキを、階下のレストランから取り寄せて食べた。先日妻と来たとき、通りすがりに店頭で「写真」をみて、今度来たらアレを食べようと思っていたのであるが、クリームがつき、アイスクリームもつき、蜜の苺もついていて、甘い甘い食い物であった。平らげたけれど。
高田衛さんの『八犬伝の世界』がすこぶる面白く、読みふけってきた。そして一路帰宅。いやいや池袋の「さくらや」で道草を食い、帰宅は八時半。
2006 4・17 55
* 銀座へ、京の田舎料理を、また食べに行った。先日は「清滝」、今日は「大原」というのを食べた。「しめくくり」の料理にヒレ肉の炙ったのが出た以外は、京野菜ばかりであるのだから、わたしにはテンでむかないのであるが、妻は大気に入り。酒肴とおもえば、酒がうまく飲める。白い炊きたての飯もうまい。料理を出してくれる娘さんがすこぶる愛らしく、親切。わたしをちゃんと覚えていてくれた。
玉村咏の着物染めをもう一度妻と覗いてから、地下鉄で外苑前への馴染みの眼鏡へ。妻は二つ新調し、わたしは少し色の入った遠近両用をつくった。パソコンのディスプレイが眩しいので。白内障が進んでいるのだろうか。
* もう一度銀座へ戻って、木村屋でパンを買い、有楽町線でまっすぐ帰宅。六時間余りの外出になった。
2006 4・28 55
* 快晴。新装成った歯科医院へ、当る戌歳の香合を土産に持参。繪は、壁面の感じが分からないと、嵌らなければムダになる。われわれと同年配、少し上の父上は大先生になり、下のお嬢さんが新院長。ご両親はご安心。
* 新江古田ちかくのレストラン「リヨン」で昼食。メニュが大当たりで、質も量も好適、すこぶる美味かった。オードブルもメインの鶏肉もデザートも、そして赤ワインも、それぞれに思わず声を発するほど佳い調理で、こういう店を知っているのが、幸せなほど。この店を知ってからは歯医者の帰りが楽しみになっている。
駅近くのブックオフに、建日子の『SOKKI!』が安く出ているのが外から見え、妻が買った。保谷駅に戻って、こんどは、オレンジ色の涼しげな軽いニットのアンサンブルをみつけた。よろこんで、また買った。
2006 5・1 56
* たん熊北店で、「祇園」という料理をたべてきた。残念ながら、ほぼ同じ値段で歌舞伎座の吉兆に負けていた。
2006 5・8 56
* 「ペン電子文藝館」の委員会は、ま、顔合わせのようなことで終始した。
* たまたま帰りが一緒になった同僚委員三人と、兜町から銀座一丁目まで歩いて、例の「京の田舎料理」で歓談。店内繁昌の喧噪であまり静かな会話もなりかねたが、食べ物は気分良く食べ、わたしは石川県の酒を二合呑んだ。また叱られる。
* 銀座の路上で二手に分かれ、叱られついでに、森秀樹さんとクラブへ往き、とっておきクラブが自慢したブランデーを、うまいサーモンを切って貰って、しんみり呑み合った。ここは静かで、ほっと息がつけた。騒がしい店は閉口である。
十時まで話して、日比谷路上で別れ、満員の西武線で帰路に。
2006 5・15 56
* 四国から、新しい作・原稿といっしょに珍しい菓子が送られてきた。むかし「カンパン」などと読んでいた堅い非常食の味を温存し、甘味をすこし加工した菓子である。噛んで味わうと、えもいえぬ懐かしい味でもあるのだが、今日出先で、わたしよりいくらか一回り半ほど若いひとに食べさせてみると、うまくないと言う。おかしかった。
わたしは、紙袋のそれを鞄から一つ一つ盗み出すようにし、満員電車の中でも人混みでもこっそりと口に抛り込んではニコニコしていた。味な、一種の駄菓子である。
つられたわけでないが、帰宅時、池袋駅の構内で芋に飴味をからめた揚げ菓子を、パックで買って帰った。何となく、今日は協会の懇親会など失礼し、疲れていながら疲れ感に負けず、機嫌良く夕方の内に駅から早足で歩いて帰宅した。
2006 5・19 56
* 帰りに、新江古田駅ちかくのフレンチ「リヨン」で、少しおそめの、美味い昼飯を食べてきた。赤ワインの渋みもけっこう。妻も私も、この店が好き。保谷についてから「ぺると」でお茶。グーグルアースの素晴らしい「世界地図」を見せて貰った。ぐうっと近づくと、なんと「我が家」ですらキャッチ出来る。あれなら物干しで昼寝している黒いマゴですらキャッチできそうと、びーっくり。
「ぺると」のお兄さんがダウンロードできるようにすぐメールでURLを送ってきてくれたけれど、まだ成功しない。とにかくも、世界大の地図画面から、ぐうっとエジプトのピラミッドに、手に触れるほど近づいてパソコン画面で見てきた。あれは、こたえられない。なんとか、新しい機械へダウンロードしたい。
2006 5・20 56
* 火曜日は、湖の本の払い込み連絡が来ない。土日が挟まるからで、金銭のことはともかく、読者からの通信の来ない日になる。郵便の来ない日曜とならんで、わたしにはつまらない一日に数えられている。
で、午前、妻の眼科のお薬だけ貰い受けの役に自転車で佐藤眼科まで走り、そのさき、田無への道を保谷新道まで行き、保谷新道をひばりヶ丘方面へ走って、なんだか団地の中かワキかを走り抜けて、ひばりヶ丘駅のちかくの、或るお気に入りのビストロへ辿り着いた。以前に何度か妻と来ていた店だが、店が無くなったと小耳に挟んで落胆していた、が、そうではなかった。元通りちゃんと店は開いていた。
この店は、本格のソーセージ料理が出来る。ハンバーグもうまい。野菜はみな自前の菜園で無農薬で栽培し収穫しており、パンも店で焼いている。久しぶりにうまいソーセージを食べてきた。赤いワイン。パンのためのバターもジャムもこの店の生産だと聞いている。
マスターは、たぶん「話せる」相手だぞと見込みを付けていた。で、湖の本の新刊二冊を土産に持っていった。店は満員、わたしはカウンターに腰掛け、マスターを独り占めしてしばらくいろんな話が出来た。なんともヨレヨレのややこしい恰好をして汗まみれであったが、「話せ」て気分がよかった。
2006 5・30 56
* ペン理事会、総会には出たが、そのあとの立食の懇親会は失礼した。とても立ったままうろうろと飲み食いする気がしなかった。
* 空腹を感じていたので、一直線に銀座四丁目のフランス料理「レカン」に入った。
この店はとにかく行儀がいい。一人一人がプロなので、ワインといっても「料理にあわせて」とだけ頼めば済む。
食前にドライシェリーをストレートで。そしてあとは赤ワインにして、オードヴルからデザート・コーヒーまで、フルコースをゆっくり食べた。今日は涼しい感じのダブルでネクタイもきちんと。うまいものを、ゆったりと。そんな時はこの店が、いちばん、しっくりする。
開店して三十年ほど。せいぜい五度ほどしか来ていないが、最近にも一度、一人で本を読みに入っている。今日もフルコースかけて、大久保房男さんの新刊に読みふけってきた。いやもう、おもしろくて。
終戦後の作家達、文壇人達は、ほんとうに貧しかった。だがわたしはもっと貧しかった。
「レカン」とはと、書中に、どしどし現れる戦後の有名作家達には、小僧、生意気に贅沢なと怒られそうだが、なんの、たかが食い物ではないか。出来なければしないし、出来れば何のこれしきが贅沢なものか。
わたしもまた、今日という時代に痛切に個性的に思うまま生き、誰にも媚びない物書き文士の、まぎれない一人であると思っている。口だけ達者なとは言わせない。最低の貧しさから、自分の脚力と筆力とだけでゆっくり歩んできて、どんな先輩作家達にも出版社にも、媚びも諂いもしなかった。わたしはわたしだ、その自覚を喪っていない。けちくさい勘定はしない。ばかげた遊びもしない。
2006 5・31 56
* 晩の、嵯峨「吉兆」での理事会の前、ほんの僅かな時間だが嵐山の夕景色に心和ませた。いつ見ても、何度行っても懐かしい景色で。
評議員会・理事会は何度経験しても眠たい。宴会は、上七軒から、福助によくにた藝妓や、舞子・地方が席に入って、「吉兆」の料理。牡丹鱧おいしく、焼いた小鮎を四尾も丸かじりさせてくれたのがケッコウだった。隣の上原貢さんとで赤のワインをもらった。もう一方の隣には橋田二朗先生。すこし耳が遠くなられたが、あと、二人で例の、祇園の「貝田孝江の店」に。例によって、「ブラントン」をたっぷりストレートで。先生のご馳走になるばかりだが、分かっていてわたし甘えている。こういう甘えられる機会が、一年でも二年でも永いようにと祈っている。そんなことを言っているわたしが七十すぎたのだが、今夜の宴会ばかりは、スポンサーの役員達はともかく、わたしが最年少なのである。財団の初代西村理事長が九十一。選者の石本さんも清水さんも梅原猛さんもみな八十台に。この賞が発足して、もう十九回目を授賞したのだもの、たいへんなものだ。始まったときは他の選者たちが、今の私よりも若かった。 2006 6・2 57
* 「吉兆」と祇園とでかなりの酒量になったので、ホテルに帰った夜前十一時過ぎ、しっかり補充のインシュリンを注射し、補強薬ものみ、すぐ寝てしまった。
夜中一度顔を洗い、またゆっくり寝た。朝食もなにもかも省いて、さっさと京都駅で乗車時間をはやくし、正午過ぎには東京駅に着いていた。
車中では校正、校正。窓の外も見なかった。家から持って出たゲラは、全部読み通して帰宅した。
2006 6・3 57
* 夕食に妻を誘ってひばりヶ丘の「ビストロ・ド・ティファニー」へ。妻は生ハム・ステーキを。わたしは鶏のクリームシチューと、店特製のハンバーグを。赤い芋製のシャーベットをおまけしてもらった。赤ワイン。コーヒー。パンは蓬をまぜて、自家製のバターとジャム。二人でアハアハ笑ったり喋ったり。電車は一駅五分かからない。駅へ歩くのに二十分ほど掛ける。ひばりヶ丘は保谷よりよほど賑やか。
2006 6・12 57
* 梅雨の晴れ間か。街へ出た。蒸し暑さも堪らないほどでなく、持って出た校正も十分以上に出来た。今日の一のアテは、用を済ませたあと、いつも食べる帝劇モール店の香美屋ではなく、根岸の本店へでかけて本店の味を楽しむことだった。場所も聴いておいた。
すこし分かりにくかったが、尋ね宛ててみれば、そうでもなく。
端正に静かな洋食店で、藤田嗣治の小品や、有楽町にもあるビュッフェの繪など飾られ、料理も、デザート、スープ、魚は鱸、そしてビーフタンシチューがさすが本店の美味さで感心した。
店の行儀もじつにいい、校正など始めるとこっちの行儀が咎められそうな。
有楽町店はくらいほどの店内につくられてあるが、本店はからりと明るい。下町の、ごく庶民的な町通りも気に入った。食事は静かに、構われないのがなによりである。
2006 6・14 57
* 河出朋久氏の「白葉集第三」や、若い作家朝松健氏の小説を、戴いた。栃木の佳いメロンを五つも戴いて、一つ賞味、とてもうまかった。
2006 6・16 57
* 「湖の本」20年のお祝いをお送りいたします。名張のもなかと三笠、つぶあんです。明日、黒猫がお届けにあがります。お納めいただけましたら幸せ。 雀
* 餡ものは大の好物だけに、ウーンと呻きながら、明日が楽しみ。そして明後日は桜桃忌。太宰賞をうけて三十七年のいわば誕生日。山形から贈られるすばらしい桜桃が今年も楽しみ。
2006 6・17 57
* 地震に揺り起こされ、「また寝」がこころよからず、渋々起きて、歯医者に行った。お父上と入れ替わった若い女先生にひどい大口をあけるのは忸怩、しかし頬に触れる指はやわらかくて繊細で、けっこうなものである。痛くもなんともない。ハハハ
* 麻酔されなかったし、自分一人だったし、新江古田から大江戸線で御徒町に走り、上野の山上の満員かもしれない「プラド展」は敬遠し、鈴本演芸場に入った。ああ、E-OLDSと来たい来たいと思いながら果たせていないんだと思い思い、むき甘栗なんど買って、「さん喬」のおおトリまで、落語を多めに、色物と漫才一つずつ、のーんびりと椅子席に伸びきり、聴いてきた。特に秀逸もないが、不出来もなく。
「天壽ゞ」で天麩羅。若鮎がまさしく旬のうまさで、大吟醸の冷酒。主人とのおしゃべりものんびりと、けっこうでした。御徒町から一路、帰宅。
2006 6・20 57
* 永い時間電車に乗ると、校正がはかどる。有楽町へ出て、十一時「小洞天」に入り、定食ランチを頼んでおいて、どんどん校正。すごいほど分量の多いランチで、丼に山盛りの白飯は遠慮した。かに玉が小山のように出、これには満足満足。シュウマイも二つ付いていたが一つしか食べず、スープとざーさい。安くはなかったが正味が多く、中ジョッキの生ビールで、昼食は十二分。但し予想以上に昼過ぎには客が行列し、とても長居出来ずに一時間半で退散し、場所を移動。
おしまいは甘党の「つる瀬」で、白玉善哉。両脚が痙攣、痛みつづけていた。
それでも池袋で甘い飴をからませた芋菓子を買って帰る。
2006 6・29 57
* 歯医者へは暑かった。いつまでかかるだろう、この通院。妻の方はお金も相当(想像以上に)かかるらしい。歯医者へはかかるたびに何十万単位で支払う。それほどこっちの自己管理が悪かったわけで、お医者さんのセイではないが。
* 妻の治療の関係で、麻酔後三十分は食事できないというので、保谷までもどり、ひさびさにとんかつの頗る上等な「かつ金」へ、暑い中を少し脚を伸ばして、行ってみた。
なんと久しぶりだろう、それほど足場がわるいのだが、二人とも今日はぜひ行ってみたかった。お義理にもきれいな店ではない、店構えも内装も下の部類だが、ここのロースカツもキスフライもクリームコロッケも、そしてエピスビールも、都内でもめったにお目に掛からない、美味。肉が厚いし揚がりも軽い。昔の大将がいなくて息子に代替わりしていたが、幸い味も揚げも変わってなくて、大満足して久しぶりにトンカツらしいトンカツを満喫した。クリームコロッケも美味かった。満腹で動きたくなくなったほど。幸せ。
駅からタクシーで帰った。
そして心身の疲労を静めるために、おそい昼寝を。六時に一度速達に起こされたが、もう一度寝て、自然に目覚めるまで、午後八時頃まで、夢からはのがれられなかったが熟睡。指先まで軽い。
2006 6・30 57
* 讃岐うどんのおいしいのを昼にいただき、そのあと、一時間余自転車で走ってきた。田無の電波塔の北方に自然なままの大きな森林が残っているのにはじめて気づいた。鬱蒼という二字がふさわしい、少しコワイほどの樹林の中をぐるりと往復してきた。
今日は危なげなく、帰りにはひそかにお目当てにしてきた「保谷のかりんとう」を箱で買って帰った。
2006 7・6 58
* 浅草へは、やす香と一つ年下になるか、望月太左衛さんのお嬢ちゃんでこの春藝大に入学した真結(まゆ)ちゃんのお祝いに、小池邦夫から昔に買い、ずうっと身近に掛けてきた好きな絵を持参。やす香にかわって、元気に、天賦の音楽の才能を伸ばして欲しいと、祈念して。
太左衛さんと一門の人達に優しく迎えられ、ビルの屋上で、(見物のお客はいつもより大勢だったが、)ひとり、いつもの場所に椅子をもらい、花火を眺めた。
* 太左衛さんは、同じ浅草の雷門近くに新しい稽古場を開いたという。
わたしの事情をホームページでつぶさに知っている太左衛さんは、あえて花火に誘ってくれた。花火のあと、わたしをわざわざ見送って、しばらく、言問通りまで一緒に歩いてもくれた。ゆかりのお地蔵様に二人で、元気な真結ちゃんのためにも、他界したやす香のためにも参拝し、ひさご通りで別れてきた。
* 「高勢」はいい寿司屋だった、肴の吟味がすこぶる上等、備前などのいい食器(もの)を出してくれ、心地よかった。鮨飯は海胆にだけ添えてもらい、銚子の数は控えた。花火を観ながら酒もビールもお握りなども振る舞われていた。
2006 7・29 58
* 歯医者へは、今日妻と同行が、よほど大変だった。特別あつらえの照りと暑さとであった。診療後、やはり例の「リヨン」の美味しいランチで、休息しながら力を付けねばならなかった。
シェフがわれわれの顔を見て、特別メニュに切り替えてくれた。なにしろ毎週来ているから同じ献立になるのを避けてくれたのであり、オードブルは、妻とわたしとで料理を変えて二皿出してくれ、半分ずつ取り替えながら、いろいろ楽しめた。すてきに美味かった。メインの肉も鴨を使ってすばらしいソース。堪能した。
絶品はデザート、冷たいパイナップルのスープ仕立てにプリンが浮かんでいて、食べるのが惜しいほどの美味、大満足。赤ワインも、いいのをねと頼んだので、一段と美味かった。
それでも妻は疲労し、食後に少し、息ぐるしそうな肩を揉んでほぐしてやった。
電車の中が涼しくていいのだが、駅の階段は二人とも苦手。ゆっくり上がる。保谷駅からはこの頃はいつもタクシーを使う。この「熱い」と書きたい日照りの夏である、自衛するしかない。
2006 8・7 59
* 歯科医院に。そして「リヨン」で昼食して帰る。
わたしはメインに豚の料理を頼んだが、生まれてこの方、こんな繊細で品良く美味い豚料理を食べたことがない。感じ入った。
妻の真鯛料理も良かった。
オードヴルもシェフのはからいでそれぞれちがうものが出された。それもすてきだった。デザートはパイナップルのスープ仕立て。冷たくて美味。赤ワインも。
この中継点でご馳走を食べて、やっと妻は帰路に一息がつける。佳い店をみつけ、シェフやみなともよく馴染んで、最高。
2006 8・21 59
* 暫くぶりに夕方から新有楽町ビルの故清水九兵衛追悼展に出掛け、奥さん、ご子息八代目六兵衛さんにご挨拶してきた。京都でのご葬儀に弔辞を求められていたが、ちょうどやす香の永逝と時をともにしていたので失礼させて頂いた。ついこのあいだ、京都美術文化賞の授賞式や晩の嵯峨吉兆での理事会でもご一緒してあれこれお喋りを楽しみ合ってきたのに……、はかないお別れとなった。
会場は、さすがに文学系の人は一人も見かけなかった、そのまま失礼して久しぶりにクラブに行き、66年もののすこぶるうまいブランデーを、サーモンを切って貰って、たっぶり呑み、そのあとクラブの特製だという鰻重を頼んで食事にしながら、九大の今西教授にわざわざ送って頂いた、或る古典の、ながい研究論文を半分近く読んできた。
アイスクリームとコーヒーをゆっくりと。クラブは客が多かった。ホステスを二人も連れ込んでいる社用族もいた。
2006 8・25 59
* 奈良から、栃木から、素晴らしい葡萄をたくさん戴いた。わたしは、何でも美味しく戴いている。今日も八十分たっぷり、武蔵野を自転車で走り回ってきた。体重は少しも減らないが、体調はすっきりしている。
2006 8・27 59
* 歯医者に。やはり帰りに「リヨン」は外せない。前菜の、熱いグラタン風が嘆声を禁じ得ない美味さ、参りました。肉料理にした。デザートのエスプレッソ仕立てのアイスクリームも佳かった。赤いワイン。
昨日今日、心もち暑さも控えめで過ごしよい。それでも江古田駅の階段で妻はへこたれた。涼しい空いた西武線で息を吹き返し元気に話していた。パンを買って、タクシーで帰宅。
2006 8・28 59
* 素晴らしい葡萄のいろいろを相次いで頂戴する。妻の大喜びの健康食、わたしは糖の魅力をすこしずつ味わう。
2006 9・17 60
* 歯医者で、奥の臼歯にかぶせた冠をがりがりがりと削られた。噛み合わせが高くて具合が悪いので。だいぶ落ち着いた。歯が味覚を持っているかどうか断言できないが、味覚に影響する食べ物の堅さ柔らかさのようなものを歯で感触しているのは間違いない。一本の臼歯が疲労で浮いていると、他の歯までものが噛めない。
谷崎潤一郎の若い頃の写真をみると悪魔的な乱杭歯で、わたしより凄い。彼は天才のシルシだと自ら豪語していたものの嫌いな歯医者の手でよほど綺麗にした。彼の大正期の歯医者ものの作には、上出来のものはなく、しかし歯で悩んだことはよく分かる。歯で厭なことがあるとわたしは大いに谷崎先生の天才を意識して自分も慰めた。ククク。
* 帰りの「リヨン」は、お任せあれレとシェフの独断と洗練とで美味い昼食になった。オードブルき繊細に魚と野菜とをあしらって美術的、美味い。主菜は、妻が分厚に美しい焼いた鯛。、私はローストした豚に煮詰めて多彩な野菜の天盛り。赤ワイン。わたしは堪らず二杯。とびきりの美味は冷製のデザートで、微妙な素材を二層にミックスした上に軽い薄い香ばしいビスケットをかぶせ、砕きながらスプーンで。主菜の口当たりを、きれいさっぱり清めてくれる味と冷たさ。唸った。もう一つと追加したいほどだった。そしてうまい珈琲。お値段はいつものランチ代とかわりなく、実にリーズナブルに廉い。
店先の土間に焼いた小さなライオンを三つ置いていた。ああ店の名だ。見送ってくれたシェフに「きれいな街だねえ」というと嬉しそうににっこり。
2006 9・25 60
* 表参道から銀座へ出て、なんと京都の「つる屋」をみつけ、食事しながら、たくさん校正してきた。、静かなよい店でバカ高くもなく店員の行儀も静かでいい。文庫仕込みの何より献立も調理も、さすが「つる屋」で、「吉兆」「たん熊北店」にならぶ京の老舗の包丁、大満足。京料理は酒にうまい。開店してあまり間がないと。また佳い店に出会った。木村屋でパンを沢山買って帰ってきた。
2006 9・29 60
* もう日付が変わろうとしていて、やはり今日の心身に落ちている佳いものは、「つる屋」の熱い「貝真蒸の吸い物」「酒の肴各種」「かやくご飯」そして「白鶴」の酒。
2006 9・29 60
* 戴いた北海道の毛ガニの三杯目をおいしく、妻の隠していた日本酒を特別にもらって、機嫌宜しく。
2006 10・9 61
* 歌舞伎座に。幸四郎の熊谷、初役の髪結新三。先月、高麗屋が播磨屋と組み合った『寺子屋』松王丸を観てきた。今度は熊谷。「十六年は……夢だ」と嘆く熊谷蓮生坊に、また泣いてくるは必定。やすかれ やす香 いのち とはに。
団十郎久々に「対面」の祐経。 楽しみは菊之助と海老蔵の十郎、五郎。
* 日比谷のクラブに寄ってサーモンも切ってもらい、中華風の酒の肴で、振る舞いのシャンパンと、コニャック。疲れもなく帰宅したのが十一時。
2006 10・10 61
* 茜屋珈琲でマスターと談笑しながら休息。コーヒーが美味い。カップも、ニンをみて選んでくれるのが嬉しい。
2006 10・10 61
* 栃木から美味い新米が二十キロ贈られてきた。ご飯好きのわたしは、とても贅沢な豊かな気分にさせてもらっている。子供の頃、家の米びつにいつも米が入っているかと、母は心配し、父は感心に米を絶やさなかった。父は他のなにより米の飯の好きな人であった。梅干しはぜったいダメだったが。わたしは梅干し大好き。滋賀県の読者から毎年ご自慢の梅干しが贈られてくるのが、すばらしく美味くて、わたし一人が、つい摘んで次々に食べてしまう。残り少ないと惜しいなあと思いつつ食べてしまう。
2006 10・11 61
* 念願の<多摩川>土手へちゃんと着いて、夕風に吹かれて河原の土手を悠々走りぬけ、写真も撮ってきたのだから、これで念が晴れた。数えれば五度近くは失敗、尻尾を巻いて帰っていたが。もうあんなに遠くまでは走ることもしないだろう。さすがに少し草臥れたが、行きたかったところにちゃんと行ってこれたのは、愉快。
* 近所で買って帰ったエビスビールが、それは、うまかった。血糖値は、99。上等だ。体重は量らない。
* 岡山からお志の、すばらしい桜鯛を戴いていた。落ち着いて、明日、ご馳走になる。家にいま生憎酒が無いんだから。最良の酒を買ってきて、何よりも好きな魚の鯛を、心行くまでご馳走になりたい。
馬場あき子さんからも新しい歌集を戴いていた。
2006 11・2 62
* 「澤の井」純米、ほどほどに二千九百円という一升を買ってきて、桜鯛を片身戴いた。鳥追のような編み笠に畳み込んだ一尾の大鯛を、教えられたまま背びれを抜いたり皮を剥いたりして。
箸をあてるとしっかりしまった白い肉が大きくほどよく食べよくほぐれて、微塵の生臭みもない。歯ごたえ緻密に、純な鯛の身の美味さといったら…。酒は塗り片口から、萩の猪口に。「亥」と小さな一字を肌に刻してあるのは、わたしの干支。来年は当る「亥」歳。
酒・肴、酒器も揃って、昼飯には飯でなく、あたたかい頂き物の「にゅうめん」の椀、これにも白い鯛の身をたっぷり添えて。
備前の人、讃岐の人、ご馳走様。
午前中に一走り先にしていたら、もっとよかったか。食後、こころよく一時間ほど倚子のママ熟睡した。
2006 11・4 62
* ゆっくり歌舞伎座を出て和光をめざしたが、少し手前の英國屋のウインドウに女物の佳いオーバーコートを見つけ、妻に勧めて二階で採寸。ついでにわたしもスーツを新調すべく採寸。想わぬ買い物になったが、ま、いいか。和光で時計のバンドを新しくし、「レカン」でうまいフランス料理を食べてきた。食前のシェリーも赤ワインもうまく、この店の仏蘭西料理は、さ、銀座で一と言って二とくだるまい。じつにうまい。前にひとりで来たとき、主立った店員としっかり顔見知りになっておいたので、今晩も、万事親切に気をくばってもらえた。妻、大喜び。よかった。
2006 11・10 62
* 文藝家協会から来ていた事務局伊藤女史と、没後著作権「七十年」問題で、宴会場でそうとう熱い議論をした。折り合えなかった。
福引ではやばや湯布院や別府のラーメンが当たってしまい、すぐ会場からおさらばし、東京會舘からタクシーで帝国ホテルに移動、クラブでうまいコニャック、また痛烈なウイスキーを呑む、マスターにサーモンをきってもらい、そしてエスカルゴ。酒好し魚好し。千夜一夜物語を文庫本で読み進めた。今夜は客が大勢、わたしのように一人でゆっくり食事している人はいない、みな数人連れの懇談会で。
バニラのアイスクリームとコーヒーとで仕上げ、やはり『千夜一夜物語』を読みながら帰った。
2006 11・27 62
* 駅前のビルの高いところ、ロシア料理の「ロゴスキー」で妻と晩餐。懐かしい店だ。東京へ出て来て間もない頃、一度二度線路脇にあった「ロゴスキー」店で食べているが、店が別になり、表へ出て来た。このビルに入ってからも一度二度。千葉俊二と呑んで喰ったこともある。黒ビール、ウオツカ。美味かった。コース料理もこのところでは目先かわって、ボルシチも壺料理も、なにもかも、パン以外はデザートや紅茶までみな美味かった。お土産にボルシチを二パック買って、少し汗ばむぐらい満腹して保谷へ帰った。
2006 11・28 62
* 恵比寿駅まえで四時に建日子と会い、代官山の眼鏡店で、建日子のすすめてくれる眼鏡を新調した。妻も新調し、建日子も新調した。建日子の贈り物。店の持ち主はは女優浅野ゆう子だそうな。佳い店だった。
* そのあと西麻布で晩飯をご馳走してくれた。よく呑んでよく食べて、お店独特の野菜も、また魚も、鍋料理もその雑炊も、みなおいしかった。佳い店だった。帰りがけには満員の盛況だった。楽しんだ。嬉しかった。
* 家を出がけにふとその気になり、裏千家十四世淡々齋宗室好みの「つぼつぼ」の竹蓋置を土産に持っていって、建日子達に贈った。亡き叔母もわたしも愛して何度も茶会で使ってきた逸品、とてもお洒落。「拝見」を請われることも多かった。好みものの本歌である、けっこうお宝の筈。
茶の、道具の「取り合わせ」は微妙で、蓋置ほどのわきのモノに、家元のこのような「好み」ものを使うと、他の諸道具が自然それにそぐわねばならなくなり、相応に日頃の苦心も用意も必要になる。眼鏡にしてもそうだろう、眼鏡だけがひょこんとお洒落ではなるまい。さ、どんなふうに調製されてくるか仕上がりが楽しみだ。
* 恵比寿駅まで送ってもらい、山手線で池袋から家に帰った。
2006 11・30 62
* ゆめさんに富山の「鱒鮨」と「黒づくり」を戴いた。鮨の、魚も美味いが純白の鮨飯が美味も美味。それよりまた数段美味い珍味が、富山の「黒づくり」つまりイカ墨での塩辛。美味い。甘みすらあって、文字どおりの絶品。沖野さんから秘中の秘酒と名高い清酒も戴いたし、石川の吟醸元からの、粋の粋の清酒萬歳樂も戴いた。ほんとうは、まだまだ、とてもとても「これからが大変」なハラを括らねばならない来年を迎えるのであるから、引き締まってゆかねばならないけれども、今年も余す二十日というもの、ゆったり超然と遊んで暮らしたい。
「湖の本」新刊に、各地の読者からぞくぞく激励の声や応援が届いている。今度の本は、いわば「世間の常識」をはみ出たものをもっている。もしも事前に世間に対し相談をもちかけていたら、百が九十九まで自重をすすめられたに違いない。分かっていた。
わたしは、だから弧り決意し覚悟して用意し、決然出版した。出版するなら「今」でなければならない。来年では、まして二年三年五年十年後では「ダメ」なのである。「覚悟」とはそういうものだ
2006 12・11 63
* きのう元岩波書店におられた高本邦彦さん、河出書房の小野寺優さんからもお見舞いや励ましのお便りを戴いた。恐れ入ります。
また思いがけなく、先日理事会あとにふと暖簾をくぐった京料理「鈴木」の女将からも誕生日を祝う手紙や干支の品々を頂戴した。びっくりしました。感謝。二人口での料理の鴨鍋をわたし一人のために用意してくれたのが、それは美味かった。ちかごろあれほど満足した食事は珍しかった、雑炊まで、ほかほかと美味しく食べてきたなごりも失せぬ内の心づくしで、嬉しかった。ホームページをみたのであろうか。
2006 12・22 63
* そういえばこのクリスマスはケーキの一切れも縁がなく、ツイッギーなかりんとうを肴に酒ばかり飲んでいた。なんとなく気にしていると、すこしも前と変わりなく一升瓶は四日で明いている。主観的に適量なのか。適であろうわけはないのだが。
2006 12・26 63
* 佳い日でありますよう。
* 聖路加病院での妻の胃カメラ検査は、何事もなく済んだ。ほっとした。
* 快晴のもと築地から八丁堀をへて、茅場町の「日本ばし鈴木」でゆっくり鴨鍋を食べてきた。酒は「浦霞」で。思いがけず女将から誕生祝いなどもらっていたので、年内にもう一度食べに行きたいと思っていた。二度目にもかかわらず旨かった、野菜までも。鴨も、雑炊も、刺身の比目魚も。板さんも覚えていてくれて。
妻も満足、医者の太鼓判もあって、ふとるためによく食べた。奉書鍋で煮た鴨は牡蠣鍋よりあっさりとしつこくなく、卵雑炊も食べきれるかしらんと思ったのを二人でぺろり。ご馳走さんでした。年越し年忘れの佳い食事が出来た。新年早々の勧進帳などの座席代金も支払ってきた。
* 註文した医学書院の本も、小林謙作君の手配で家に届けてもらえることになった。
2006 12・28 63
* 快晴 血糖値101。昨日買って帰った金澤「森八」の菓子でお茶をたてて喫む。京都二条「柳桜園」の濃茶「鳳の昔」を贅沢に薄茶風にたてているのが、苦みのお茶と想えない、それは上品で優しい深いうまさ。最良のこの濃茶をこのところ夫婦して愛している。いい菓子を自然買いたくなる。
2006 12・29 63