ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2009年11月まで

* 和歌山の三宅さんの電話をもらった、眼科手術で思いの外の長期入院から、ようやく退院帰宅しました、「湖の本」九九・百巻送って欲しいと。いろいろ話せた。声は衰えなくつつやかに元気に聞こえたが、奥さんに付き添われての辛抱の要る長期の入院生活はさぞ大変だったろうと慰める言葉もとぎれがちになった。でも、ま、よかった。
2009 8・1 95

* 城景都さんと連絡が付いた。わたしの執心している美しい繪を、自由につかってくれて良い、必要があれば自分が新たに手を掛け修正してもいいと。感謝。
2009 8・2 95

* 昨秋来、ずうっと愛してきた讃岐の岡部さんに贈られた吾亦紅の花、まだ十数顆のこって、造花の黄の小菊と絶妙のバランスで目を楽しませて呉れていたが、七月末で、残り惜しいが御用納めとした。
代わって妻が庭の秋海棠の花を翠の葉もろとも民藝ふうの小壺に挿したのが、佳い。

* 海棠の雨露をふくめるごとき人  と想いつき、さて、そういう「美人」は誰か知らんとさっきも妻と云いあったが、出てこない。
「御宿かはせみ」の女将・類を演じていた澤口靖子か、いまお茶「伊右衛門」のコマーシャルをしている宮澤りえか、などと、わたしは。
七十余年を顧みて、そんな風情の美しい人をそうは覚えていない。ひとりは小学校五、六年の教室にいた引き揚げの少女、そして高校一年のとき、「窓によりてふみ読むきみがまなざしのふとわれに来うるみがちなる」と幻想した同級生、しか思いうかばない。
2009 8・2 95

* ロサンゼルスの池宮さんから、夫婦お揃い純白の洒落たシャツを頂戴した。

* 滑り出すように八月がするすると、もう三日。夏バテせぬように。
2009 8・3 95

* 午前午後の仕事をひとかたヅケした頃、思い立って、石川県寺井の井口さんや、九州の歌人伊藤一彦さんや、京都の甲斐扶佐義クンや、地元の堀上謙さんなどに「電話」してみた。
井口さんはお留守で、奥さんと久々ちょっとお話し出来た。
伊藤さんとは面識もない最近のご縁だが、若山牧水の本を戴いていたし、雑誌「淡交」短歌欄の選をされてるのを見つけて、いきなり、ばっとかけてみたら電話に出られ、なんとなしとても懐かしやかに話せて楽しかった。こういう電話ってワルクないなあと思った。
堀上さんはお留守、奥さんとおしゃべり。
甲斐クンは、京都美術文化賞に推薦して授賞した「ほんやら洞」のカメラマン。欠席した授賞式の様子など聞いた。

* 今日はそういう日であったのか、父方従兄の広田氏夫人から電話で、「金婚」の心祝いに愛媛の桃を送るわと。電話で話したのはたぶん息子の就職のころ、彼が銀行に希望を持っていたので、夫人にすこし相談して以来。私から観て叔父さんほどの従兄広田氏が大阪支店長を経て日銀理事であった。
突然のことで、ちょっとびっくり。まずまずお元気そうで安心した。

* 晩、完全版ルキノ・ビスコンティの映画「山猫」に惹かれて観ていたが、寺井から井口哲郎さんの電話があり、久しぶりに和やかな話題でお喋りを楽しんだ。井口さんとは話したい話したいと思っていた。堅苦しくなく義務的にでもなく、なにか一緒にできること無いかなあと考えていた。メールと電話とをうまく使いこなせば、これからも話せる。嬉しくなった。
2009 8・5 95

☆ 秦さんの「湖の本」百巻にはむろん驚嘆し讃嘆していますが、それと並んで、「e-文藝館=湖(umi)」を、編輯者・秦恒平ただ独りの手で現在にまで編輯・実現されてきた「文学愛」の徹底に仰天し感服しているのです、その恩恵に浴してときどき好きな人の好きな作品を楽しんでいますと電話で聴かせてもらった。嬉しい。
このホームページに城景都の美しい「繪表紙」を通って入れる人なら、表紙の上をただクリックするだけで、大櫻の写真とともに右に「更新状況」、左脇には便利な秦恒平文庫「目次」が出てくる。ホームページの全容がそこで観て取れるなかで、「e-文藝館=湖(umi)」の「英」題字をクリックすると、すぐ平安神宮後苑の池の写真とともに、「著者名五十音別」「ジャンル別」の二つの索引のどちらからでも、やがて七百作・六百人に達しそうな多彩に選りすぐられた大図書室の全容が見える。
わたしの知る限り、「ただ独り」の選択と鑑賞と批評と校正とで、こうまで豊かに「日本近代文学の流れ」を各ジャンル網羅できている「文藝館」「文庫」は、他に一例も無い。苦労と尽力とをちゃんと分かって下さる人は、決して少なくないと想いつつ、時に気の挫けそうなとき、こう褒めて下さると、甘露をえたように立ち直れる。
この間までちょっと試みていた編輯者として「推奨」「紹介」の労を、面倒でしょうがやはり続けて下さると嬉しいというご希望もある。どれを読もうかと、あまりに厖大に充実した目次内容なので、「道案内」がつくと有り難い、と。
それは「ペン電子文藝館」の館長を務めていたときにも、ぜひ必要なことと思い私の名で試みていた。これだけの大読書室を創っている以上、読者へのそういう「親切」は私の義務ですらある。
2009 8・7 95

☆ 明日から  泉 古稀媼
明日から関西の孫に会いに行きます。植木を枯らさない工夫をあれこれと思案中です。大きな「ごーや」カーテンも出来、沢山実を結んでもいるし。
今回は娘一家も同行で賑やかな旅になります。鉄道大好き坊主に新幹線の初乗りをさせたくて。
暑くても週一の運動(バドミントン)は欠かさず、大量の汗を流しています。あなたはお元気ですか。

☆ ありがとうございます。  郁
メールいただき大喜びしております。有難うございます。いつもどうしておいでかと想いおります。
この暑い猛暑のなか 画会の制作に励んで? います。こんな暑い時にと自問自答している毎日です。
なかなかはかどらないのが現実です。お仲間も頑張っておられるうえ、80歳をこえられた先生も頑張っておられますので・・・。ダメな弟子はなにも言えません。
なんとか元気を保っておりますが、サプリメントをかかさず。休養をかかさず。食事をしっかりと。などなど私なりの努力をしながら描いています。これがすまないと「個展」の準備などもできませず気持ちがうまく進まずにいます。
恒平先生はいかがこの暑さを乗り切ってられますか? いつもお目にかかりたい気持ちです。どうぞお元気でおすごしくださいませ。
2009 8・7 95

☆ まあ、豊洲の居酒屋ですか? 東京湾べりですね! ゆめ
一度お連れください!!
幸いなことに、現在は選挙で休みがつぶれる、ということはなくなりました。ただ、8月の職場は事務所4名がそれぞれ夏休みをとるために、通常の勤務日でない日も交代で出勤したりと、イレギュラーな状態です。
「朗読サークル」を立ち上げましたので、それがらみでメンバーといろいろ連絡を取り合ったり、市のホールに後援・減免の要望書を提出したりと、なかなかこれが忙しいのです。他のメンバーを推薦したのですが、結局代表になってしまいまして・・・
今年の夏は雨が多くて、湿度が高く、天候不順ですね。ベランダにまいた朝顔の種が育ちまして、今朝は5つほど(紫の大輪です)咲きました。

* 従兄の夫人から、愛媛産のすばらしい白桃が十一贈られてきた。祝儀物は奇数で届く。
久しい読者からは、やはり桃をおいしくゼリーに包んだ豪奢な水菓子が贈られてきた。

* そして竹西寛子さんから、見るから手を掛けて精製された「ごま豆腐」をたくさん頂戴した。
2009 8・8 95

☆ 晴れ!  花
よく晴れています。
花がお天気を気にするのは、洗濯したいからなんです。
今朝は、たまっていた分を一気に片付け、気分すっきり。
晴れていても、夏は湿気があるので、パリっとは乾きませんが。
昨日(東京への遠足から)帰宅しました。
あちこち二人で歩きましたが、疲れはあまりありません。
九段下で油そばというのをはじめて食べまして、これがおいしかった。
秋葉原でうちのキッチンのペンダントライトを選び、月島でもんじゃを初体験。
月島には、星の数ほどもんじゃ屋さんがあり、いずれも賑わっていましたよ。
想像していたより、おいしかったです。
雨にあいましたが、軒下を伝って移動し、地下鉄や店舗の中に入ってしまえば問題ありませんでした。
宿は、いつもの晴海のホテル。
三年くらい前に泊まったときに比べ、周囲の高層マンション林立ぶりにちょっと驚きました。
短いあいだに随分変わりましたね。
以前は閑散としていたのが、真新しい高層マンションができ、東京砂漠ぶりを増していました。
あのあたりは、公園や街路樹など緑はあるものの、かなり殺風景ですね。
建設中のものもいくつもありましたが、住宅バブルは完全にはじけ、出遅れた感は否めません。
もんじゃ屋さんを出て、少し歩きましたが、月島の裏路地には、昔の風情が残っていました。
荷風は月島も歩いたかしらん。
さてさて、こんどは関西の夫の里へ。義母が、左手首を捻挫しているとか。
ではでは。風、お元気ですか。
花は元気です。

* 若かった昔の夏休みを思い出す。こどもたちを連れて、皆で京都へ帰った。都ホテルのプールでちいさい娘に泳ぎを教えたり。美濃吉で食べたり。嵯峨嵐山高尾の真翠を身に浴びたり、舟で嵐峡を溯ったり。毎晩、四条や河原町や祇園町を歩き回った。
2009 8・9 95

* 晴れ ありがとう   風
このまえ、歌舞伎座からタクシーで勝鬨橋を越えてあの界隈を走りました。月島を通り佃大橋からまた歌舞伎座へ戻りました。そのまえには独りで歩いて辰巳から東雲橋を渡り豊洲まで。高い建物や運河を幾つも見ました。豊洲で、五時開店の気に入った京割烹の店をみつけて楽しみました。新木場・辰巳・豊洲へは保谷から有楽町線地下鉄一本で往復できます。またふらりと出かけてみたいと。
とにかく荷風先生のもはや毛筋も感じられない開発地区ですね。多摩地区に慣れた目には異国のようでした。聖路加の近辺にちいさいマンションを買いたいなとも思うことがあります。
もっと昔に聖路加から佃大橋を渡って月島へ抜けました。もんじゃやお好み焼きの店のあるのに気づいていましたし、昔めく風情がまだ楽しめました。出久根達郎さんが集団就職で東北から出てきて働いた古本屋はあの辺にあったと読みました。「e-文藝館=湖(umi)」にも作品を貰っています。
もんじゃというの、浅草の奥で学生達と大騒ぎで食べたことがありますが、そんなに好きになれませんでした。
痛めたと書いていた膝や、首・肩はもう大丈夫ですか。わたしの膝傷、小さく乾いてきました。のーんびりとわたしも元気ですよ。夏ばてせぬよう、差し支えない限り朝寝もしています。夜の読書量もこころがけて減らす方へ持ってゆきます。ご主人のお里へもお元気で。ではでは。
2009 8・9 95

* 卒業生の井筒君、母方の甥にあたる深田健一君に、メール送る。用事のない、なにとなく懐かしくてのメールである。
2009 8・9 95

* 大阪の井筒慎治君がメールをくれた。東京へ出てきたときに、「酒」をいっしょにと。楽しみ。妻の従兄の濱靖夫さんもメールを。「癇癪の落としどころ」を読んでいますと。

*「濯鱗清流」を読んだペン会員の詩人からも長文のお手紙をもらった。「高村光太郎の戦争中の詩の掲載に関しては、私も一歌人として反対します」ときっぱり。一人の歌人として、ひとりのペン会員としては、「作品の文学的質を問いたいし、著者、作者を文学者として認めた上での掲載にして欲しいものです。その点、光太郎の件は異和感を覚えます」とも。正当なご意見である。大切なのは、「文学」への謙遜な愛であり掲載の「質」の高さである。「ペン電子文藝館」はもう功名心で焦らなくても、「質」の基盤は出来ている。掲載点数を何が何でも増やそうと軽率に逸り、「文学」の質や、「招待」作者の名誉や意向を軽視してはなるまい。
それより何より、「ペン電子文藝館」を、「不出来な会員作の安直な初出発表『場所』代わりに濫用」してはいけないだろう。最近掲載の作品の味が、やたら「水っぽく」なっていますと読者の辛い批評も耳にする。
2009 8・11 95

* やす香のお友達であった人の「mixi」メッセージが届いていた。あれから三年。つまりお友達はそろって大学を出、就職したり院に進んだりしている。この人は就職している。大学時代の友人が、秋に、建日子の作・演出の芝居に出るらしい。世間の狭さにビックリしていますといったこと。メツセージの人は、やはりカリタス卒で、わたしのマイミクのマイミクさんであった。建日子が秋にどんな芝居をするのか何も知らない。メッセージ、ありがとう。
こんなふうにして、もう一人の孫、やす香の妹の消息なども知れると、嬉しい。大学受験の筈。
2009 8・12 95

☆ 歌舞伎座 ♪ ♪ ♪
残暑お見舞い申し上げます。
歌舞伎、とっても楽しみです! 多分迷子にならずにお会いできると思います。
おじい様おばあ様とお揃いにしたく、私も白いTシャツを着て伺おうと考えています。三人でお揃い、嬉しいです。
最近私は、(研究目的で=)渋谷の bunkamura傍の映画館に通い詰めています。今日も行ってきました。
今上映しているのは古典名画シリーズで、(特に目的のある=)学生は600円で2本の映画が見られます。ハリウッドが中心ですが、今まで見てきたフランス古典映画とは違った面白さがあり、見飽きません。
作られてから70年以上経った映画でも笑いが色褪せないで残っているコメディーなんて、やっぱり映画っていいなと感じます。ハリウッド黄金時代は、やっぱり黄金です。
地震怖かったです!
母は私の部屋のクローゼットの棚からブーツの箱が落ちた! と騒いでいましたが、実は私が数日前に落して、知らんぷりしていたものでした。
うわー、直す前にバレてしまいました。
今、父から回ってきた (村上春樹の=)「1Q84」を読んでいます。
これが終わったら、志賀直哉の「暗夜行路」を読みます。母が二・三日前に読み終わりました。深くドップリはまったそうです。私が読み終わるまで感想は教えてくれません。ただ(清水焼の=)清水六兵衛が出てきた、とだけ教えてくれました。
同時に映画関係の本を3冊読んでいます。
今日から原書でロベール・ブレッソン監督関連の本も読んでいます。
冷夏で夏バテを免れている  光琳

* この時節に 志賀直哉に、『暗夜行路』にドップリはまれるなど、敬意を覚える。
昨夜阿川さんの本を読んでいて、前後のことは控えるが「男がいる」という言葉が、ある人たちの会話に生き生き書かれていて、心底共感した。
志賀直哉のある日常場面での発語であったが、ひいては志賀直哉に接している人たちのこころから志賀への讃嘆の言葉でもあった。
それは知るよしもなかったが、わたしも似た思いをある状況に迫られて口走った覚えがある。
大学に入るさいの面接で、お定まりのように好きな作家の好きな本はと聞かれ、「谷崎愛」のわたしが、ためらいなくトルストイの『復活』と志賀直哉の『暗夜行路』と答え、何故と問われて「男がいる」からと即答していた。そのことを書き下ろし谷崎論『神と玩具との間』の書き起こしに書いている。
わたしの谷崎愛の質を裏打ちしていたのは、志賀直哉という「男がいる」事実だった。その説明は、わたし自身にはいとも容易いが。
阿川さんの本で嬉しいのは、志賀先生と瀧井先生とのことがふんだんに書かれていること。阿川さんはたんに恩師である志賀直哉をめぐる事跡を記録されているのではない。直哉とともにじつに大勢の「人間」を彫り起こすように書いて、まさしく、そこに「人間がいる」と想わせてあまりある魅力を創り出しておられる。わたしはそれに惹かれて惜しみなく夜更かししている。
2009 8・13 95

* 竹西寛子さんの懇篤のお手紙を戴いた。病気のことを気遣いながらあの「ごま豆腐」を下さっていた。感謝。
2009 8・13 95

☆ あまり痛くないといいですね。 豊
子供や年寄りにありがち? 何かのバランスがうまく機能しないのでしょうか。お見舞い申し上げます。立秋のころ梅雨があけたこの暑い夏にも。そちらも暑いですか? お元気で。
2009 8・14 95

* 久しいお付き合いの宮下襄さんから、すばらしい力作「藤村研究のためのノート」が届いた。宮下さんの藤村研究はいまいまのものでない、腰を据えての多年の研鑽で。今回のものはしかも意欲ゆたかに『テーヌ管見 私の「英国文学史」』であり、大冊の単行本ほどの量がある。読んで行くのもたいへんだが、これほどの力作をわたしの細腕でいったい、どう励ませるかと思う。このままにしておく手はあるまい。ウーン。藤村学会がどう受け容れて力になってくれるか。昔なら藤村とはゆかりの筑摩書房編集者の胸をたたくところだが、いまは絶縁に近く、編集者を一人も知らない。
ま、読むのが先、と。
2009 8・14 95

☆ 六道珍皇寺  泉
京都は、こりゃトタン屋根や、と呟きました。
中の一日は、お墓参りと、京都をたっぷり散策しました。最近はコイン・パークがそこ此処にあり、車での外出が老人の疲れを半減してくれます。
高速を下りて、息子達が何時も行きそびれる東寺に先ずお参りをしました。一入心に沁み、頭を垂れる金堂の仏様達です。
そのまま泉山へ直行、父母達と語った後、今熊野観音寺で印を戴き、お住職様が、前のページの東寺をみて、続いて此処にお参りしたのは良い選択、とお大師さんの挿話をとくとくと話していました。
私は即成院に参るのは初めてしたが、息子達はお墓参りのつど立ち寄るそうです。
お昼は何時ものニシン蕎麦、私の口コミで今や家族中の好物になっています。
お盆の頃に六道の辻へ、は、かねてたっての願望だったので、チャンスでしたが、息子達の都合もあるだろう、と黙っていました。が、なんと予定に入っていたのです。人垣を掻き分け興
味深く観てきました。

* そうか。朝早やに京都へ走って、たん熊北店かひさご鮨で昼飯にし、晩に帰ってくる手もあるんだ。日帰りもなんでもない、車中で退屈どころかの「仕事」も十分あるのだし。そうかそうか。
2009 8・14 95

☆ hatakさん 終戦の日に  maokat
永く抱えていた論文の一つを、米国の雑誌に投稿しました。これから審査で安心していられないのですが、肩の荷は一つ下ろした気持ちです。
久しぶりに書いたものをお送りします。今日に間に合いました。
自転車転倒、よろしくありません。くれぐれもご注意ください。
たん熊北店で昼飯をごいっしょしたいです。機会ありましたら。
立秋も過ぎました。ご自愛下さい。

* 幸いいま用いている貼り伏せのゴムが優秀なのか、膝下も肘下も痛痒無く経過し歩行にも動作にも違和感はない。繰り返していると骨に損傷や大怪我が出るとまずい。注意します。

*  maokatの寄せられた長いエッセイは或る映画を語って、気が入っている。わたしは観ていないが映画好きの人は此処で「私語」を聴いて下さる人たちにも多いのを知っている。正確に言えば映画『愛を読む人』を語りつつ原作『朗読者』に入り、また映画を観てさらに思いを原作と映画とに注いでいる。「終戦の日に」の思いが戦争とも生とも死とも人間とも濃く関わっている。数日の内にさらに推敲が加わるかも知れない、「e-文藝館=湖(umi)」はよろこんで頂戴する。
若い友達には映画を勉強している院生もいる、刺戟になればして欲しい。
映画はわたしも大好き、だが、ここまで踏み込んで感想を書いたことは無い。それでも執拗なほど胸の思いを少しずつ吐露した感動作は幾つも過去にあった。『グラン・ブルー』が思い出せる。『蕨野考』もそうだった。いま一升瓶の空き箱にぎっしり入れて手近に運んである映画の録画板をざっと観ていたが百数十枚ある。階下に数倍もある。題名を拾うだけで胸がわくわくする。ことに日本映画は選りすぐっているので今すぐにもつぎつぎと観なおしたいが、そうは行かない。だが「蔵書」にならぶ「蔵画」とでも謂おうか、大切に思っている。
2009 8・15 95

☆ おはようございます、風。  花
休日は、早朝から、どこかで空砲だか花火だかの発射音が断続し、安眠を妨害されるのがいつもです。
河川敷あたりで行事のあるのを知らせているのかしらん。よく知りませんが、結構迷惑です。
お元気ですか、風。
「愛を読むひと」は、観るのを楽しみにしている映画です。北海道の方の感想を読みたいのですが、映画を観てからにしたいです。
今年の米アカデミー賞候補は、社会派力作映画が並び、いずれも観てみたいと思わせるものでした。こんなことは、久方ぶり。
「フロスト×ニクソン」は、イギリスBBCで放送されたデイビッド・フロストによる、ウォーターゲート事件後のニクソンへの息づまるインタビューを映画化したものだそうで、さすがはアーギュメントの国イギリス、と、まだ観ていないのに感心しましたし、
「ミルク」は、アメリカで初めて同性愛者であることを公表して選挙に立候補した実在の権利活動家の映画だそうで、アメリカでのキリスト教原理主義などによる同性愛差別の根強さを想うと、マイノリティのため命懸けのたたかいに身を投じた人の崇高さが描かれているのだろうな、と観たくなります。
作品賞を受賞したのは「スラムドッグ$ミリオネア」でした。インドのスラム街を描いた映画だそうで、監督はダニー・ボイルですもの、観るしかありません。
今年は、ノミネート発表前に日本公開されていたのは、ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット主演の「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」だけで、ひと頃の、大作はほとんど「日米同時公開」時代は、終わったのかなあ、と思いました。ハリウッド映画ならヒット必至ではなくなり、日本に配給することに慎重になっているのかな。
でも、今年のノミネートを見る限り、力作揃いです。アジアをはじめとする外国映画のリメイクに安易に走り、創造力低下を指摘されていた昨今のハリウッドですが、復活に向け、底力を見せ始めたのかな、と思いました。
ウーン、このパソコン部屋が暑くなってきました。
アイスコーヒーで、とっておきチーズケーキの残り半分をいただこうかな。
今は国木田独歩を読みながら、ああでもないこうでもないと考え、七転八倒していますよ。
花はこんなに元気です。ではでは。

* 国木田独歩に関しては福田恆存の、たしか文庫本解説の数冊分が出色の説得力でした。独歩は、他のなみなみの自然主義者たちと単純に並べては考えられない、或る型外れの作家で。作家以前の経歴も大切です「欺かざるの記」のような日記の、或る意味堪らなさも消化し認識しておく必要がある。
臼井吉見の『安曇野』(ちくま文庫五巻)という超大作を二度目読んでいますが、新宿中村屋の創始者で主人公のひとりの相馬黒光女史は、独歩恋人の従姉妹にあたり、図抜けた知性・感性の人で。気の烈しい、「女性」大事のこの黒光さんは独歩に対し厳しい。けれど、独歩は当時の新知識人、若い知性たちをすばらしく新鮮に刺戟していた人です。
ま、いまの時節、そもそも独歩読者はかなり払底していて惜しいけれども。私小説という観点からも課題をたっぷり孕んでいます。
本代、しっかり蓄えていますか。批評には、基盤になる蔵書がどうしても必要になります。何を買い、何は図書館でまかなうかの批評眼も大切。辞書や事典も殊に大事。勉強の裾野をかっちりひろく固めることが独創の沃野となります。その点さきの「安曇野」など、たいへん適切な日本の近代史物語でもあり貴重なんです。

☆ 夏の湖へ  波
湖様  ご無沙汰しています。
自転車転倒のお怪我はいかがでしょうか? 気がかりです。
休日が暮れようとしています。今日は家から一歩も出ないで、のんびりと過ごしました。
昨日 映画を見たい、音楽を聴きたいという思いで買ってきたDVD「グレン・ミラー物語」を見ました。グレン・ミラーの独自の音を創り出したい情熱が伝わってきました。
その後、CDでショパンを聴きながら、紅茶を味わっていたところ、2階から、5歳と1歳の孫たちが訪ねてきました。そこで「オズの魔法使い」を見ました。 1歳の子はまだストーリーはわからないでしょうに、食い入るように画面に見入っていました。
明日からまた仕事が忙しくなります。
新宿へお出かけの節は、ぜひお声をかけてください。

* みなさん夏休みを堪能されたようである。八月も後半に、今時分京都は大文字送り火を見送っているだろう。やがて衆議院選告示。隣室で妻のピアノがたどたどしいが楽しそうに鳴っている。平和は嬉しい、いつまでもと祈る。
2009 8・16 95

☆ まだ白川夜船?  泉
就寝時間が早く、朝6時過ぎには一人で食事を終えています。
涼しい内に草むしりを終えました。
大文字焼きを混雑の中へ観に行きたいとは思いませんが、映像を観ると、早や郷愁をそそります。動ける内に頑張って出掛けるつもり。

* 終日仕事をつづけ、此処へ来れなかった。
2009 8・17 95

☆ お早うございます、風
NHKBSの敗戦前後の証言番組は、ここ数年放送したものをまとめたものらしく、みおぼえのある証言が含まれていました。
数日間、昼間の長い時間を使って放送されていましたね。
花は見られるかぎり見ました。
当時を証言するのは、精神的にもたやすいことではないはずです。
でも、話しておかなければならないという強い意志で、話してくれるのだと思います。
だから、できるだけ見ますし聴きます。
北朝鮮がミサイル実験を盛んにやりだし、日本の安全保障の問題が現実的に議論されていますね。
防衛手段としても武力を持つべきか、持たざるべきか。
抑止力としても、世界に核は必要なのか、どうか。
正直、判断できませんが、生前の加藤周一さんが、「軍隊で国を守れるなんていうのは、幻想です」と、若い人たちを前に語っていたのが、印象に残っています。
お盆すぎて、急に秋めいてきたみたいですが、暑さはまだまだ。
風、お大事にお過ごしください。
花はシャンとしています。

* 抑止力としても、世界に核は必要なのか、どうか。有効かどうか、だろう。パンドラの筺には、ついに開くために「蓋」があるのではと懼れる。
「軍隊で国を守れるなんていうのは、幻想です」が、素手で国が守れるというのは、もっと幻想なのでは。そんな実例は世界史に無かっただろう。
人よりも凶暴なのが、国。国が欲と悪意とを持っている限り、恒久平和は空語かと。良い政治を「国」と政府にさせる聡明な知性と行動力がなにより必要かと。そのためには労働者の権利が圧倒的に確立され、学生たちを含む若者が真実戦争を懼れ憎まねば。
2009 8・18 95

* 讃岐の岡部さんに梨を頂戴した。果物は、「夏」が贅沢を極めて美味いと思う。梨、桃、葡萄、メロン。
やす香の病牀へ、果物持参で見舞いに行った。病院の帰りには、妻もわたしも泣いて泣いて。時に相模大野の駅階段に座り込んで、動けなかった。やっと池袋で食事をしても、妻は泣いてわずかのモノも食べられなかった。「やすかれ やす香 生きよ けふも」と祈ったわれわれ祖父母は、それでも言われた、孫・やす香の「命の尊厳」を傷つけた、名誉毀損で訴えてやると。通夜や葬式に来たら警備員の手で追い出す、と。そして三年、わたしは、今も被告席にいる。「名誉毀損」って、何?
2009 8・20 95

☆ お元気ですか、風。
いま花の楽しみ読書は、『モンテ・クリスト伯』です。岩波文庫の四巻まできました。
あと、オブライエンの『カントリー・ガール』というのが借りてあります。今、オブライエンに関心があります。
昨日、散髪しました。何ともいえない髪型になりました。ま、すぐ伸びるさ、と思っています。
確実に秋近くなっていますね。
富士に間近い窓から、風が、ひょっこりお顔を出して下さりそうな気がします。
ではでは。 花

* 最近に九十過ぎた母上に死なれた人のメールが来ていた。華奢な装身具などを金銀や漆でつくる女性の作家。ながい期間覚悟していたので、「辛くはない」「ほっとしています」と。
2009 8・21 95

☆ からす、からす、お元気ですか
メールいただいてから早や半月も過ぎてしまいました。今朝は久しぶりに涼しい朝です。コンピュータ使えない時間が長くなってしまいました。もう少ししたら通常に。寂しいですよー。 とび

* とびサン のんびりあれ
パソコンの毒がしみわたっているから、不自由が起きると渇くように寂しいのでしょう。天与ののんびり期間と思われよ。
いま、あれこれ自分で自分を追い回しています。「かたづけ仕事」と見える仕事が、新しい次、次を呼びこんできます。
あとかたづけが、得手ですか苦手ですか。
自身の「仕事」を、 詩篇 散文詩 散文 述懐・断章 紀行文 日記 の六つぐらいに「大別」把握して、きちっと機械の中でフォルダ化しておくぐらいの「後かたづけ」に、何年掛けている。
ごっちゃごちゃのママにしてあると、気が重く淀むばかりです。楽しく遊びまわりたければ、かたづけるものは、根気よく集中してかたづける。機械でしか出来ないとなれば、機械に投資。時間も気力も投資。まだ若いうちに。それとも、全部そんなの、棄ててしまうか。
からすは、日々に老い衰え行きますが。のんびり集中しています。カアカアカア

☆ とびは、のんびりし過ぎ
メール嬉しく。寂しいのはからすのメールもホームページも読めないからです。
月初め天候悪く予定の山登りは諦め,姑の家の掃除にお盆は終わり,後はひたすら濫読と昼寝の夏!
片付けは不得意ですよ。家事については努力しますが,書いたものの整理は少し勝手が違う。基本的には残さない方がいいと思ってきたのですから。からすのアドバイスについてじっくり考えます。繰り返し、メール感謝。元気に元気に。 とび

* 昼も、晩になっても、ひたむきに仕事していた。何になるだろうなどと思わない。何のためにというコトを一番考えなくなっている。
2009 8・24 95

* 作の翻訳を考えてはどうか、手伝えると思うと海外在住の人からもご好意をいただき、日本の読者からも熱心に奨めて頂いたことがある。ずいぶん日が経った。法廷のことなどあり、取り紛れて躊躇のママになっているが、どんな作をとも迷った。
その時、迷い無く「ディアコノス 寒いテラス」をと強く奨める人があり、作者の私がドッキリびっくりしりした。
この作は二十年も出ししぶり、やっと「湖の本」新刊の形にしたが、おそらく最も真剣で数多い読者の反響に恵まれた作に相違なかった。いま、わがのど元へぐっと突きつけた気分でいる。
読み直すことから始めねば。
2009 8・25 95

☆  お元気ですか、風。
BS2での「浮草」を、三十分くらい過ぎてしまっていましたが、見ましたよ。
これまでわたしの見た小津映画の中で、ベストでした。
なんだか、誇らしくなりました。今も、少し高揚しています。
どの場面も、隅の隅まで神経の行き届いた構図で、見ていると、それが窮屈でなく、とてもいい気持ちになってくるんです。
あの独特の棒読みみたいな台詞演出が、効果的に感じられました。
プロフェッショナルだなあ、と思いました。
空が、うろこ雲。早すぎる秋ですね。
一つ、一つ。元気にやります。ではでは。 花

* 「浮草」を観てしまうと、名品と評価された溝口健二の映画「雨月物語」すら、つくりものに感じられます。「浮草」は小津映画のなかでもひときわの名品で、ああ見遁さなくて良かったと、溜息が出ました。
あの会話、あれこそわれわれが日頃の会話ですよ、われわれは片言を繰り返しているだけで用を足しています。演説なんかしていない。文学では、久保田万太郎のほかにはあんな会話は書きませんが、映画での、小津の、人間と日本語への理解は優秀です。
京マチ子の国定忠治には笑っちゃいましたが、あれでいい。いい顔をしていました、あのラストのよろしさ、バンザイしました。
成駒屋は真実名優でした、映画でも。あの間のいい上方のことばづかい。杉村春子もさすが。
文化財に指定したいような好い映画でした。 風
2009 8・28 95

☆ 『文豪 てのひら怪談』  晴
『蝶』は怪談というより美しい幻想の世界。
針を持つ手の美しさ。  もう遠い世界です。
今年は夏の到来が遅く、怪談への出会いも後半から。
先日はTVで「嗤う伊右衛門」で小雪の美しいお岩さんを。京マチ子の「雨月物語」を見ました。
夏の寝床の読み物として、今年は「雨月物語」「春雨物語」を円地文子訳で読んでいました。
毎夏古典を語る会を開いている知人の、伊勢物語から「盗人」の段 「芥川」の段 野火止の平林寺近辺の説話とを織り交ぜて「語る」のを聴きました。
文豪の皆様方の怪談集を読みついで、夏の終わりにしましょう。迪子様共々夏のお疲れにご留意いただき、ごゆっくりとお過ごし下さいますように。
* ご大層な題の文庫本が私の手もとにも届いている。
夥しい「怪談」が集められていて、わたしの掌説「蝶」など、怪談ではないのにアタマから三番目に採ってある。漱石や直哉も入っているけれど、あまりに「文豪」だらけで大安売り。わたしは読まないが妻は全部読んで、わたしの「蝶」だけ、とびはなれて美しく変わっているそうだ。あとは千篇一律とか。御苦労なこと。
2009 8・29 95

☆ 風!
お元気ですか。
選挙の結果は大方の予想どおりでしたね。
圧倒的勝利した民主の人たちの表情の、引き締まっていたのは、よかったです。
台風が近づいているようで、昨日から、強風です。
穏やかな日もあり、涼しいときもあり、風の吹かない日はありません。
いつも風を感じて花は元気に勉強しています。
2009 8・31 95

* 秋。マチス原画の線はもっと 生命感があって見事なのだが。大学生のころから好きで。「お月様幾つ 十三七つ」の仙厓さんも佳いでしょう。千葉の勝田さんといっしょに出光美術館で出逢っている。勝田さん、お元気ですか。

* 石川能美の井口さんに近況の長いお手紙を戴いている。なさけないほど、わたしはもう手書きで長い手紙が書けない。あの方にこの方にと手紙を書きたい気がしながら、手書きでと思うとためらってしまい、そのままになりがち。井口さんや勝田さんのように幸いこの「私語」を見ていてくださる方は、まだしも、気が休まる。
今井清一さんから、「秘色」「畜生塚」「丹波」を注文する送ってくださいと、百巻を祝ってのお手紙も今日頂戴した。

☆ 長月   泉
昨日は土砂降りでチンマリと過ごし、今日は働きづめで一休みです。あなたは如何、お元気ですか。携帯の待ち受けにこれまでいた白い犬が居なくなり、今度は赤トンボが飛び回り楽しませてくれます。京の友人達から涼しくなったら遊びにおいでよと誘われ、許されれば何時でも行きたい気分です。行ける内と思うこの頃です。

☆ 今朝は、防災訓練がありました。
よく晴れていて、富士に近い街は暑いです。
家に戻りしなに、ご近所さんと、あれこれ情報交換。
先だっての地震のあと、防災グッズを買いそろえているのを見せてもらいました。
非常食なども、用意しておいた方がいいかもしれない、と思いました。
モンテ・クリスト伯のマクシミリヤン宅訪問にほっと息をついています。
風の九月は重い月なのでしょう。いつも風を案じています。
風がお元気でありますように。ではでは。 花
2009 9・1 96

☆ 鴉、お元気ですか
九月になって。やっと器械が使えるようになりました。持ち運びできる小型のノートパソコンを買い求めようかなど考えています。
関西も少しずつ朝夕過ごしやすくなってきました。
衆議院選挙。大勝の開票速報を聞く党幹部の抑えた表情が印象的でした。鴉のHPの記述が言葉少ないのもいっそ十分に、十二分に分かります。
大変なのは、腹を括ってほしいのは、これからです。
今日は大阪と京都、二つの「ルーヴル展」に行って戻ったところです。ドルチのマリアと天使の二枚の絵に出会ってきましたよ。
さすがに疲れました。改めてメールします。
元気にお過ごしください。 鳶

☆ 強風の一日でした。 花
お元気ですか、風。
今回の選挙は、事前の世論調査で、選挙に必ず行く、と答えていたのが、だいたい七十パーセントで、ほぼそのとおりになりました。
民主党がマニュフェストに掲げた政策の、財源を心配する声が多いみたいですが、とにかく一度、無駄遣い見直しをやってみてほしいと、強く思います。
さて、今日は図書館で、露伴を借りてきましたよ。
ほとんど読んだことがありません。ではでは。
2009 9・2 96

☆ 今日も、降りそうで降りません。 花
蒸し暑く感じるのは、花粉のせい。
反応すると、体が、特に手足が熱くなるのです。
ゆうべは割と涼しかったのに、花は暑くて寝苦しい夜を過ごしました。
昨日は強風でしたので、そのせいかも。稲穂が実っていますし。
今、マスクしています。
息苦しさをうまくやりすごせれば、就寝時もマスクをしていたい。
湿気でとてもラクになりますし、唇の乾燥も防げます。
風、具合が悪かったって、お大事になさってくださいね。
まだまだ蒸し暑いですが、眠れるときはよく眠って疲労を取り除いてください。
ではでは。
2009 9・3 96

☆ 月夜が続きます。  雀
ひさしぶりに京都へでかけました。清閑寺から将軍塚へ出て、天智天皇御陵、逢坂関、長等、唐崎、堅田、そこから融神社、途中、大原へ。
萩や水引が咲いていました。
御陵をたずねたずね、上賀茂、紙屋川、鷹峯。できたばかりの「六道の辻」の石碑に息を呑んだ化野。
気分直しに、と、タクシーのお薦めで、烏丸丸太町の生菓子店“花子”に寄りました。お薄と京番茶とお店でつかってらっしゃるという井戸水とあわせて、季節らしいシムプルな和菓子を二た色、おいしくいただきました。
中野美術館のパンフが置かれていたのでうかがうと、「同志社の美学の大先輩がなさったので」とのこと。
美術館もしばらくごぶさたしています。
この秋は道教展と日蓮宗の展覧会にそそられています。 囀雀

☆ お元気ですか。
「ダメージ」は、シーズン①を見ましたので、今週からはじまったシーズン②も録画してあります。性悪説で成り立つ社会ドラマですね。
サブプライムローン問題で世界中に露呈したウォール街の狂騒は、アメリカが物質社会であることの証明だったと思います。アメリカには、共同幻想がないのかな、と。よくわからないけれど。
抽象的なものを信じることができないので、金銭などの物質を求めてやまないように見えます。
優秀な頭脳が構築したアメリカのマネーゲーム理論は、最高級に洗練された狂気でした。日本のバブル景気など、比べ物にならない。
鳩山内閣への早速のアメリカからの「牽制」を見聞きし、日本とアメリカとの関係が大きく変わるかもしれない期待と不安を感じているせいか、とりとめのないことを書いてしまいました。
ではでは、風の交通安全を祈願して。
花は元気な毎日を過ごしています。どうぞ風も。
2009 9・5 96

* メールありがとう。 湖
雀のメールをもらい初めて、満十年。そのうち何年かは、250字ほどが限度で、それが雀メールを、精選された言葉と表現での「散文詩」のように光らせていたのを、この頃も読み返し「鑑賞」しています。みじかい字数のなかで雀が懸命に自身を表白し、言葉が息づいていた。内心が溢れるように佳い陰翳をメールが滲ませていました。
機械が便利になり、長く自由に書けるようになってからは、したこと、みたこと、しらべたことの「豊富なレポート」に変わりました。教えられてとても有りがたかった半面、意外なほどメールに固有の、個と個と、雀と湖との「対話」が減りました。熱心に喜んで読む一方、さて返辞する手がかりが無く、わたしからのメールが、うんと減っていました。それにも、気が付いています。
しかし、雀がご主人に車を運転してもらいながら、読者達も驚き羨むほど広範囲に見聞と調査とをひろげてゆくのは、すばらしいこと、昔々の雀になかったこと、でした。
お父上、お母上、ともいろいろありましたね。北陸と名張とのたくまざる二重生活が雀のメールを見事に彩っていたのを、今もよく覚えています。そして行動力。
わたしは本気で、雀に、水口宿での母方祖父の実家や、能登川在での母の実家や婚家のことを調べてもらえないだろうかと内心に願ったこともあるくらいです。もうわたしの余力では、水口や能登川へ探訪するのはムリですから。
雀に扇雀丈のメールを教えてもらい、あれから私の歌舞伎観劇の再開があり、今では一年に十度以上も歌舞伎座や国立劇場や新橋演舞場に出入りしています。今月も行きます。
成駒屋の高配で高麗屋とも濃い縁が出来、我當の縁と、成駒屋や、高麗屋とで、たいていの公演にツテが出来、いつも良い席をとってもらえます。これも雀の恵みでした。
京都の仕事からも、東京での役職からもみな撤退を考えています。自由な日々が過ごせるように、したい仕事にうちこめるように。
まずまず、わたしの日々はこんなもの。元気です。あなたも大切に。

☆ メール拝見しました。  龍
兄(けい)に持病があるとは知りませんでした。一病息災と言いますが私も卒業と同時に宇多野療養所で長年の病根とおさらばすべく、右肺を肋骨6本のおまけ付きで摘出手術しました。二度の手術で見知らぬ他人さまの血を4000cc 頂いたまではよかったのですが、これが因で血清肝炎に罹り肺病に代わって肝臓で闘病生活をすること六年、漢方のお陰で完治しその後今日に至るまで内科医にはとんとご無沙汰をしております。
医者嫌い、薬嫌いですから、健康診断も数年に一度ですが、肝機能も正常、身長170cm、体重62-63kg、血圧110-120/65-70 の数値をここ数十年堅持しています。日々の養生は漢方一種、クエン酸、アスコルビン酸の服用、これだけは三十年来欠かすことなく続けています。
「人生で、有っていいものは希望と勇気と少しのお金」と言ったのは鬼才チャップリンですが、凡人の私ならさしずめ、「酒と音楽、女の色気」といったところで、酒と音楽とは日々堪能していますが、残りの一つは現実味うすく、今までのところとんとご縁がありません。
数年前に網膜剥離で左目が殆ど機能しなくなってからは外出も億劫になりました。遠出は東京に年に一度の大学のクラス会に行く位で、今年は10/18 卒後五十年のホーム・カミング・ディの行事日に併催のクラス会にも出席予定です。
クラス会の宴席でも、酒を飲まずに薬ばかり飲んでいる仲間が年々増え、さみしい限りです。学生時代と酒量の変わらないのは私ぐらいで、肩書やキャリアで感じる負い目も、酒席では主席でえばっています。365日、度の強い酒は飲み放題、塩辛いものや脂っこいものも食い放題、余勢もマイペース、音楽三昧、酒一杯、それでハッピー。
兄は「いま、ここ」を大切に生きる」と仰る。私も「いまさら」を「いまから」の気概でまいります。
今後ともご交誼のほど、そして日々充分ご自愛のほど。

* 同い年となると、ま、似たことをみな体験しているわけで。
2009 9・6 96

☆ お元気ですか。
ぼくはほとんど毎日、湖の本を10-15頁づつ読んでいるので、毎日お会いしているように、どころか、ご一緒に生活をさせてもらっているようで、いろいろ勉強させてもらっています。先日も久しぶりに暗夜行路を読み返してみようと本棚や倉庫を捜しまくってくたびれました。まだ見付けていませんが、もう少しで発見できそうです。

* 染めや版画の展覧会案内を添えて、淡路島から田島征彦さんの筆つき旺盛なお手紙。

☆ 政権交代に   毅
まずは快哉を叫びました。
昭和一桁生まれの私は何よりも戦争をしないこと,そして戦争に荷担することも避けて欲しいと強く願っています。
新政権は初心を忘れないようにして欲しいものです。そのためなら少々の不如意には堪えてもいいとさえ思います。
日記の中にときどきハッとするような体調についての記述を見ますが,それにとらわれない明るさも読み取れて元気づけられます。
瀬戸内でとれたアナゴを少しばかりお届けしますのでおためしください。

* 有元さん 有難う存じます。

* 内閣首班指名もまだ定まらず、民主党は、その間を利して着々準備に励んでいる。我が世の今が春。短い春にならぬよう、政権の重みによく堪えてほしい。
わたしも、慌て急いだ成果を要求したりしない、じっとガマンして当分は観測していようと思う。
自民党のていたらくは、今もってヒド過ぎる。麻生が大敗の当日に自民総裁を辞して、決死の調整でいちはやく新総裁を立て、新たな政治マニフェストをたとえ「法三章」ほどでも呈示して手ぐすねを政策論争に対し引くほどであれば、国民もビリッとしたであろうに。麻生といい残党代議士達といい何という醜態を日々見せることか。
2009 9・9 96

☆ 秦さん ごぶさたしました。  貞
ぼやっとしていて幾日か、たまたま気がついて幾日か、はがき出そうかなとホームページの桜の笑顔を眺めてまた日が経ちます。秦さんの日常のご様子とは大違いでして、「今日も一日何もしなかったなあ」という有様です。
それでも、少しは役に立つかなと思いながら老人ホームの手伝いは何とかつづいています。
斎藤史の「死の側から照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも」が、身に沁みます。
もうお彼岸ですね。日が短くなって来て、虫が叫ぶように鳴いています。
「人問はばまだ生きている秋の風」(子規?)
インフルエンザなどなどくれぐれもお気をつけてください。拝

* 朝一番にうれしい勝田さんのお便り。お元気で。
2009 9・10 96

☆ お元気ですか  鳶
今月七日、気に懸かっていました。次は十一月と、まあずるずる過ぎていくなあと何処かで放念もなさって、できる限り静かに心強く暮らしていかれますように。・・もっともこんなことを書くのは余計なこと、逆に叱られそうですが、わたしの不器用なエールです。
「名誉感情」というのは法律用語でしょうか、普段耳慣れない言葉ですが、考えれば日常の軽い冗談、世間の噂話、毀誉褒貶、慇懃無礼、etcそこここに散らばっていることですね。どこかでスッと言葉をかわして馬耳東風を決め込み、近頃さらに忘れっぽくなったことを「幸い」としています。
法律の助けを借り、時間もお金も使って、それも中途半端なものでなく注いで訴える理不尽を「彼ら」が何故続けていくのかと,やはりわたしには理解できません。異なる解決方法があるはずですのに。
志賀直哉の話は考えさせられました。「ものを書く」覚悟。一度書いたものを隠せば「卑怯」、避けないという姿勢。勿論、社会も人間も変化していくもので、それはどうしようもないこと、そして社会も人間も時として大小さまざまな間違いも犯すもの。そのなかでどのように自分を見つめるか、内省するか・・もの書く人は殊に厳しくなければいけない・・ああ。
話が変わってしまいますが、シンガポール繋がりで。
シンガポールの博物館に行った時、目にした歴史資料のことです。
シンガポール陥落後、日本政府は他の占領地域と同様にさまざまな施策を出しましたが、その中で気になったのは融和を前面にした教育政策でした。何気ない言葉を連ねた小学生や幼児向けの「仲良くしましょう」という意味の日本語の歌が何とも皮肉に感じら
れました。
もう一つは「からゆきさん」に宛てた男の手紙。それも代筆屋に頼んで書いてもらった訥々としたもの。「これは今の俺の持金全部だが、受け取ってほしい。身請けできるほどない、自由の身にさせたいができない、せめて一月でも身を休めてくれ。・・」という内容の手紙。そしてそれに続くのは「俺は近々嫁を迎えることになった、すまない」という衝撃的なくだりでした。叶わぬ夢、叶わぬ情愛、所詮こうなるのだという諦め。彼は彼女は、何を思い、どう生きたのか。昔語りのように遠いことに思えましたが・・。今はもうからゆきさんはいないかもしれませんが、他の国や地域からの「からゆきさん」は今現在も厳として存在しています。
慌しい一週間でした。残暑厳しいのに京都、大阪、広島、神戸と四日間も出かけていました。
京都のルーブル展で念願のドルチの絵に出会えた事は既に書きましたね。受胎告知の絵は普通は一つの画面に天使とマリアが描かれているものですが、これは顔と組み合わされた両手の、上半身だけのいわば一対の肖像画。受胎告知を告げ、神意を受ける二人に集約された画面と言えるでしょうか。初めからこの構成で画家が意図して描いたのかどうか、分かりませんが、美しい絵でした。親指のマリアほど面長でないだけ若いように見えました。天使は普通の少女のように可愛らしく・・と書いてはいけないのかな・・受胎告知の絵は画家によっては驚き慄く表情で表現されているものも少なくありませんが、この絵はひたすら美しく優しく尊いものを示しています。
やっと昨日から、秋かなと気配を感じます。溜まりに溜まっているさまざまなことを少しずつ整理しなければなりません。機械も普段通りに使えるようになって、こちらもたくさん作業があります。
夏の疲れを早く早く取り去って、よき日々をお過ごしください。大切に。

* ありがとう。シンガポールでの話題も、ドルチ画のことも、ありがとう。

* わたしの不愉快な闘いにも、わたしは意義と主張をもっていて、たんに娘夫婦との「裁判沙汰そのもの」に打ち込んでいるのではない。そんなことは、むしろムダだと知っている。だが苦心惨憺言葉を用いて生きてきた作家として、また作家という人間として、こういう際に何が文学的に可能か、何が作家の当為で何が敢為で、作家が組み合わねば、向き合わねばならぬ眞の相手は何か。大げさに言えば命がけで、その、実の有る答えを探っている。と同時に、鳴り響くように自分でピリオドを打つことが出来れば、裁判の勝ち負けと言った行方には未練なく拘泥せず、すべて流して落としてしまえる。はっきり予期できている。

☆ 昨日は久しぶりの雨で、  花
乾いた土に少しのおしめりでした。
今日はまた、よく晴れています。
梅雨の延長みたいな短い夏のあと、空の高い秋晴れがつづき、紅葉は色づいていいのか判断がつかないようすで、赤くなる前に、早々に枯れ散ってしまった葉もずいぶんあります。
ソヨゴの木は、まだ新芽を出していますよ。
ご近所の木々も、おかしな陽気に混乱しているように見えます。
からっとしているから、街歩きにはいい季節ですね。
花なら、ウインドウショッピングするところです。ウインドウショッピングというのは、移動に加え、あれこれ吟味する眼力を使いますので、疲れるのですよ。いい運動です。
風は、どんな街歩きをなさるのでしょう。
風、不愉快なお仕事も、がんばってください。
花、元気にいろんなことを楽しんでいます。

* それぞれの言葉と仕方で励まして下さる。感謝。
幸い、やっと膝下の怪我も乾ききった。痛みも刺戟も失せ、あまり綺麗でない痕跡がのこっているだけ。性懲りもなく、少し自転車で駈けてこようか。
2009 9・10 96

* 岡山の有元さんから、りっぱな「焼き穴子」をたっぷり頂戴。長虫は大の苦手なのにわたしの好物には穴子も鰻も欠かせない。なにか美味いもの食べたいなとなると、指を折って選ぶ数のうちに、必ず入る。ちょっと気に入りの店の穴子饂飩、われ一人の隠し味になっていたりする。ご馳走様。
2009 9・10 96

☆ お元気ですか、みづうみ
ご無沙汰していました。
年寄りは相変わらず不調でそのために機嫌の悪い時が多く、そんな人にやさしくできない身勝手な娘でありました。私自身も八月は不整脈が長く続き近来にない夏バテを経験しました。秋から冬にかけて、どうしても必要な大きな仕事が二つ、三つと続いています。
こんなに長くメールをお送り出来なかったけれど、でも、昔々からの私語に読み耽っていますと、みづうみがすぐ傍に感じられ、お懐かしく慰められていました。
日差しに秋の気配を感じるようになりました。涼しくなるのは嬉しいのですが、新型インフルエンザが猛威をふるうのはいやです。くれぐれもお大切にお過ごしください。
ひどく眠くなってきましたので、これ以上乱文になる前に「おやすみなさい」と。 ゆふぐれ

* 歳歳年年人不同 というが、そういう人もあり、少々の無沙汰はあろうと、多年、すこしも何も変わらないで堅固な人もいる。身内と謂えるだろう。
2009 9・11 96

* 今は、勉強を底荷に生かして、本格に書き溜めること。ブログに、着眼や着想や覚え書きや感想を随意に書き記録しておく一方、仕事から仕事へ「繋ぎ」の利いた仕事を大きく積むなり太らせるなり。「さき」を夢見ないで「いま・ここ」を建立して。
もっと遠慮会釈なく「しやべってみる」ことも、大事です。遠慮しないで。文学魂は「答えをだす」ためにだけでなく、「優れた式を立ててゆく」ためにも。
ものの沸き立つように、せめて烈しく自問自答し、堪えきれなければ話してくれること。
名前と「名前」とは、別。そう成り切れるかどうか。がんばれ。

☆ 風、お元気ですか。
何より、書き溜めることが、今のわたしには大切なことと思います。
ありがとうございます。
花はがんばる。
日々思うことをブログに記録することも、はじめます。
優れた式を立ててゆくために。

* そう、「成心」なく「いま・ここ」を真剣に。
2009 9・11 96

* 東工大卒業生の「松」くんが、静岡から心温かい手紙に添えて、美味しいお茶とマリア ピレシュのピアノ曲(モーツアルト、シューベルト、ショパン)を贈ってきてくれた。ありがとう。

☆ 厳しい暑さも遠のき、夏の終わりを実感するようになりました。いかがお過ごしでしょうか。湖の本百巻発行おめでとうございます。文学だけでなく、政治や社会情勢、藝術など多岐にわたるエッセイを興味深く読ませて頂きました。
「心」に関して何度か書かれているのを読んで、はっと感じるものがありました。私もこの年になって「心は頼れない」「心に惑わされることのない冷静さが重要」と考えるようになりました。心のおもむくままに行動することは失敗が多いと本当に感じます。私の愛する音楽でもこころだけでは良い演奏にならないです。最近は冷静に、客観的に考えるように努めております。
私語の刻でピレシュについて書いておられたので、CDをお送りします。ピレシュの得意曲ばかりを集めたすばらしいCDです。よかったら聴いて下さい。
たまに東京にも帰っております。お時間がありましたら、お会いしたいと思っております。
いつまでもお元気でいらして下さい。
奥様にも宜しくお伝え下さい。  松

* 四国讃岐からは岡部洋子さん、新米に、季節のいろんな新鮮野菜や、鉢植えの「南蛮煙管」など珍しい草花、わたしの好きな吾亦紅なども贈ってきて下さった。有難うございいます。

☆ 両国橋   泉  e-OLD
お元気ですか。
車では何度も通っている両国橋を昨日初めて両国側から徒歩で往復しました。とんぼ返しなので、聴いていたちゃんこ屋さんは分かりませんでした。
今日も昨日と同じく娘と孫のお供で田町からレインボーブリッジの歩道をお台場まで歩きました。誘われて、今を逃しては後がない歳だと思い。
秋晴れで潮風が心地良く遠くまでの展望も楽しめました。歩数は一万五千歩でした。
追伸 10月にはバド仲間達と高野山と熊野古道を歩くツアーの予定ありその足馴らしをと。私は方向音痴、勘違いをしていて両国から橋を渡れば上総だと。反対に都心に向かっていると知って笑えてきます。
東京は広大で、交通手段も多く頭の中がぐちゃぐちゃで、地理をインプットさせるのが難しいけれど、街歩きは楽しい。
今、片目で映画「アメリカ多発テロ」を観ています。

* すばらしい。歩ける。それは、宝。
2009 9・13 96

* わたしが「その人の祖父の異父兄弟」にあたるのだという「mixi」メッセージを貰っていた。父方にはそういう兄弟はいない。母方にはウーンと年の離れた異父兄が二人有るはず。事実なら、嬉しい連絡であるが。

* メールが幾つも留守に届いていた。
2009 9・14 96

* 栃木産の新米をたくさん頂戴した。岐阜の読者からわざわざ取り寄せられたか清酒『獺祭』を二升頂戴した。

* 来年の五月、大学の百年記念に講演をと頼まれた。久しいお付き合いの友人で読者が、理事として理事会の意向を負い頼んでこられ、断りにくく、受けることにした。もうそういう役回りは受けまいと思っていたのだが。

* 夫君の、また母堂の病気通院に付き添ってきたというメールが来ると、つくづくお気の毒に思う。通院もしんどいが、通院の必要な家族の付き添いで病院通いもたいへんそうなのをわたしは聖路加の外来でよく見掛けている。
2009 9・15 96

☆ お元気ですか、風。
今日は新内閣が誕生しましたね。
首相の記者会見を聴きました。
当然ですが、麻生前総理のとはまったく異なり、内容・表情共に満足しました。
見守っていきましょう。
川嶋至の本は、おもしろそうですね。こっちの図書館にはないみたいです。
吉行淳之介についていろいろな人が書いた中で、川嶋さんのは、厳しいところを衝いていて、読ませました。
川嶋さんは、川端論で、『十六歳の日記』は、十六歳よりあとに書いたと追及し、川端を怒らせたとか。しかし、その追及は、『十六歳の日記』の私小説性、虚構性において、大事なことに思えます。 花
2009 9・15 96

* 厖大な「私語分類」にかかり切っていてくださる人を、お忙しい中呼び出して、ささやかに銀座三笠会館で昼ご飯を食べてきた。身近にご病人もかかえて自身もけっして堅剛な体調でないと聴き、恐縮。堀口大学さんの古いがすてきな限定本詩集を御礼に。
背広にネクタイで少し暑かった。食後、品川駅へ帰る人を送ってわたしはそのまま池袋へ戻り、かんかん照りの保谷から車で帰宅。
2009 9・16 96

* たぶん母方のいちばん上の兄の孫娘にあたるらしい人の再度のメッセージを貰った。「mixi」で願うのは、一つにはこういう「出逢い」である。
父方の従弟とも出逢えた。元気にしているかな。「また珈琲をいつものように見繕って送ってもらって」と妻に頼まれています。よろしく。
2009 9・16 96

* 昨日は鳩山新内閣の発足にたっぷり付き合って夜更かしした。それから本を読んで寝た。川嶋さんの本では高見順論を二本読んだ。安岡章太郎をはげしく追糾した論文のジンジンする余韻を抱いたまま。

☆  私小説は、
読む立場なら何とでも考えられますが、書く立場で考えると、どうしていいかわからなくなります。
安岡章太郎論は、川嶋さん以外のものも知らないのですが、吉行淳之介については、真っ向批判したものは、上野千鶴子さんらによる『男流文学論』以外に、関根英二という人の『他者の消去』しかないといってよく、批評めいたものは、遠まわしにしたり、奥歯にものの挟まった感じで書かれています。関根英二は、アメリカの大学教授だから書けた面があると思います。
花は、風の考えに賛同します。
吉行は、「モデルを扱うなら、自分をも刺し貫く小説でなければ」と言っていましたが。
ウーン、むつかしい。いろいろ考えてはいるのですが。
花の宿題です。
静岡では、江戸末期の浮世絵展をやっているようで、興味をひかれます。
夜の入館だと、入場料が半額とか。 花は夜の外出、好きだなあ。なんだか、ちょっとイケナイことするみたいで、ワクワクします。
2009 9・17 96

* 勝田さんとの十月の芝居見物がきまった。楽しみ。従弟から珈琲豆も無事、着。
2009 9・18 96

* 歯医者へ。
帰りの脚を上野へ向け、「ローマ・ポンペイ展」の西洋美術館に入り、まず「すいれん」で、樹々と枝葉と落ち着いた壁との庭を長めながら、ワインのある昼食。ついで展覧会を観た。ま、想っていた程度の出展で、絵画より彫刻、彫刻より工藝に目を向けた。超弩級のガラスの骨壺が在った。

* 都美術館へ。
上野の公園を妻と歩くと、きまって幼かった可愛かった朝日子が、ここで「突如、初めて歩いた」弾けるような嬉しい光景を思い出してしまう。いま目の前のことのようにくっきり思い出せる。

* それが目当てで来た一水会展で、堤彧子さんの入選作をとくと見る。
昨日案内をもらい、なかに写真が入っていて、出展作だろうがあまりに植物などリアルなので、繪だろうか、スナップ写真かな、ちがうのかと妻としげしげ観て、「繪」だと結論を出してみると、なかなか面白いので、ぜひ見に行こうと即決。
おもしろいモチーフも使って、繪は、在来の堤作品の域をグンと一段奥へ突っ切って深まり、コンポジションの興趣はこれまでで最良でなかったか、
「佳いねこれ」
「おもしろいわ、とっても佳い」
と二人とも満足してきた。画面中央で奥行きをつくりかつ前面を区切って印象を誘っている花など、もうちょっと上手でもいいのだが。
ま、とても満足して観てきた。出向いた甲斐がありました、秦さんの「佳いで賞」を献じてきた。

* もうこれ以上は疲れるので、鶯谷駅へ歩くこともせず、上野駅から池袋経由で帰ってきた。車中、わたしはせっせと校正し、妻は志賀直哉全集の初卷を面白そうに読んでいた。

* 日生劇場、歌舞伎座、歯科、西洋美術館、都美術館、上野公園の写真、みなよく撮れていた。
2009 9・19 96

☆ こんにちは 風。
『夜明け前』は、どんどん読めます。
江戸末期の行政の固有名詞につまづくことはありますが、関心のある時代なので、調べながら読むのが苦になりません。
木曽の山奥で、街道の庶民がどんな風に時代の変化を受け止めていたか知ることができ、とても興味深いです。幕末というと、江戸や京都や薩長や会津や函館などが中心に語られることが多いですからね。
歴史のただならぬ変革のあいまに語られる、半蔵の家族のほのぼのとした描写にほっとします。
ただ、勝本清一郎さんが言っていたように、藤村は、『新生』のテーマから、『夜明け前』で「歴史に逃げた」感じは受けています。まだ一冊目ですから、これからどうなるかわかりませんけれど。
勝本さん達の本、学ぶこと多く、読んでいて嬉しくなります。ではでは。 花

* 『夜明け前』は、
奥深く落ち着いた「大文学」です。なんともいえず、おもしろく興深く、吸い取られるように読んで行ける。青山半蔵に惹き込まれてしまい、それがまた嬉しい気持ち。
木曽という「山」の世界。しかし「馬籠」は山から里への際でもあり、深い山を負い開けた空ものぞめる天地でした。支配は尾張ですから、名古屋向きの気持ちと、木曾街道から江戸・東京へ望む思いとが交錯しています。藤村の故居、菩提寺、また講演してきた藤村記念館を思い出します。
『夜明け前』は、千数百年におよんだ「神と佛との闘い」が終熄する、ないし収束する時代の、嘆息や希望や混乱を主題にしていると読んできました。「歴史に逃げた」と謂うより、『新生』に至るおぞくも辛い「根」を確かめた「藤村の必然」を感じましたよ。 風

* 高田さんへのメールが届かなかった。此処で通りますと幸いですが。

* 高田欣一様
健康の方、お変わりなくお元気であればいいがと、ふと、懐かしさも手伝い、気になりました。
「興福寺の阿修羅蔵像」「美智子皇后の歌」など読み返していました。「古今和歌集をよむ会」はずいぶん進まれましたか。
わたしは、外へ出てするペンクラブなどの仕事を徹底的に省いて、日々、好きなように暮らしています。ま、そんなふうにして不快なことどもとのバランスを取っているのかも知れませんが。
余儀なく「私小説論」をたくさん勉強しています。いまは亡き川嶋至さんの安岡章太郎論などにみられる強烈な批判の批評を耽読の一方、ずうっと長い月日掛けて志賀直哉を読みに読み返してきました。
幸い、健康は、ま、なんとか…という按配です。好きなことを好きにして楽しむ、楽しんで書く、ようにしています。
「e-文藝館=湖(umi)」にいただけるような新しい珍しいお仕事があれば、読ませて下さい。
とにもかくにもお元気でと願うばかりです。 秦 恒平
2009 9・19 96

☆ こんばんは 風。
国会の初登庁の日、午前三時に議事堂前にやって来た新人議員さんのうちの一人が、「日本の『夜明け前』に来ました。ここで日の出を迎えたくて」と言っていました。
藤村を読んでいる真っ最中の花は、ジン、としました。
> 濯鱗清流  小さいよごれや哀しみを厳しく清拭しながら
風が吹いてきますと、花は洗われるんです。

* 堤さんが「佳いで賞」を喜んでくれた。
建日子もメールを呉れている。十月に新作の芝居を演出し赤坂で公演するとか、わたしたちも見にゆく。題は舌を噛みそうな、『くるくると、しとしっと』とか。やれやれ。しかし久しぶりに新作なのがいい。
十月には「女刑事雪平夏見」の第三作が河出書房から発売と聞いている。題は知らないが、最初のは『推理小説』つぎが『アンフェアの月』だったか。
2009 9・20 96

* 京都の従妹のメールが届いていた。近況と長い連休が済んでまた平常に戻る気持ちが書かれ、「八月には南座で玉三郎の特別舞踊公演を観てきました。息を呑むほど本当に綺麗でした。ルーブル美術展も長い行列でしたが、しっかり観賞してきました」などと。
平和ないい秋を過ごして欲しいとも。ありがとう。

* わたしの他に読者がいないというブログもある。ずうっと続いている。ブログがなければそのまま胸の内で噛んで棄てられる感想や述懐が、思い出が、書き残される。
沢山書いてはいけないが、一日に少しずつ。すると、何の為とも知れない或る蓄えになる。読む人が一人も無くてはつまらないが、そうかといって人にそうも知らせたくはない。だが書いてみたい。そういう思いが誰にでもあって、醗酵しようとしている。そのためのブログをもつのに、わたしは賛成。
マイミクのもっと限定されたカタチか。試みたい人、大勢いそうに思う。公開したくはないが読者が一人は欲しい。分かる。
2009 9・24 96

☆ 笑いと諷刺  悦
昨夜、『8時だョ! 全員集合』の番組があり、チラチラ見ていた。
江戸城松の廊下コントがよかった。
あの頃は、浅野内匠頭の刃傷のパロディを、誰でも笑うことができた。
『ドリフ大爆笑』でも、よく同じコントをやっていた。
かつては、年末になると、忠臣蔵の映画がよくテレビで放送されたが、この頃はほとんどない。
東映のオールスター忠臣蔵の大好きなわたしは、残念。
浅野内匠頭は、中村錦之助、大川橋蔵あたりで、吉良上野介は、月形龍之介、進藤英太郎あたり、そして大石内蔵助は、御大の片岡千恵蔵、市川右太衛門のどちらか。
昨夜のドリフでは、岡っ引きのコントもあった。
登場したいかりや長介さんが、「大川橋蔵です」と名乗っていた。
当然、『銭形平次』の放送されている頃である。志村けんさんは、長谷川一夫の真似をした。
今、このパロディを笑える人は少ないだろうなあ、と思った。
時代が変わっているのだから、仕方ない。パロディは、本体と運命を共にする。
ドリフターズに不満を言うとすれば、社会風刺の少ないこと。
ドリフターズに限ったことでなく、日本のコメディ全体に言えることで、それは日本という国の体質なのだと思う。
「笑い」だからこそできる風刺があるのだから、活用してほしいと思う。
小泉純一郎や安部晋三、福田康夫、麻生太郎らを、痛烈な批判を込めて真似していたコント集団、「ニュースペーパー」のような人たちが、もっと出てきてくれるといい。
2009 9・24 96

* 「鳶」は、熊本城の天守の上をとんでいるらしい。
2009 9・25 96

☆ 残暑  泉 e-OLD
本格的な秋はまだですね。自転車乗りはしていますか。暑いので重い買い物のあるスーパー行きだけ自転車で、サイクリングはお休みです。
先日涼しくなった時刻に娘達と勝鬨橋を歩きました。隅田川一の景観の佳い橋だと思います。
橋の袂から明石町を対岸に、良く整備された散歩道を月島や佃に向かうとお江戸の風情をタップリと味わえ、京鴨川の優しい流れと対照的に隅田川の深さに毎度声を挙げます。
彼岸の入りのお墓参りの後、浅草に立ち寄り、暑い上に揉み合うばかりの人出に音を挙げ、吾妻橋を尻目に地下鉄で退散しました。
お元気ですか。

* わたしも仕事抜きでぶらぶらあの辺を歩きたい。
2009 9・26 96

* 額に入れて大切にしてきた。
上京し就職した㈱医学書院社長金原一郎さんが、別館の社長室からこの日付の日、ひょっこりわたしのデスクまで脚を運ばれ、右の封筒に入れた真ん中の写真を手渡して行かれた。社長は「まむしのたわこと」と題し、業界にも読者の多かった囲みエッセイを「医学界新聞」に多年連載されていて、「ゲラ」とはその一回分をいうのであるともに、社長の述懐をわたしに読めという気持ちもお持ちだったろう。
ほかに、もう一枚社長筆囲みの文章も添えてあり、「告別式用の写真」と題されていた。すこし平たくなるが、文章はそのままに。
硝子はりの額に入れていたので、写真が幾分痛んだのが残念。しかし、たしかに金原一郎社長のこの写真、記憶するかぎり「最良の出来」で、上の文章の趣意にみごとに嵌っている。堪らなく懐かしい。

㈱医学書院社長 金原一郎氏遺影

☆  801 告別式用の写真
近ごろカメラを持つ人が多い。その人たちは屡々私を被写体にして撮影する。私はそういう時に「告別式用の写真を一枚とってくれ」と注文する。半分は冗談だが半分は本気で言っているのである。
×   ×   ×
どうしてそんな注文をするかと言うと実は後世に残すべき告別式用の写真が一枚も無いからである。どれを見てもお世辞笑いをしたり、カツコーを気にしたりしている。私はいつも自分の写真を見て苦々しく感じているのである。
×    ×    ×
私は元来 無愛想でスネモノで 趣味も風流もなくニヒリスティックでくそまじめな人間である。それを彷彿(ほうふつ)させるような写真
でなければ、後世に残すべき私のほんとの写真(真を写したもの)とは言えない。私は予てから心身ともに粉飾しないありのままの自分の写真を欲しいと思っているのである。
×   ×   ×
私の母親はいつも私に(男は心にもないお世辞を言ったり愛想笑いなどするものではない。いつも唖のように沈黙してただ実行するものだ)と言って私を教育した。
×   ×   ×
人間は五十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持たねばいけないと言われる。私は既にその年を遙かに越えているくせに、未だに無意味なお世辞を言ったりする自分を苦々しく反省している。こんなことでは告別式用の良い写真など当分撮れそうにもない。(まむしのたわごと 第八集より 一九七〇・七・一三)
×   ×   ×
この写真は一九七一年八月三十日、私の七十七回の誕生日に撮ったものである。本社の早川君が撮ってくれたものの内から四枚を選択し、そのうち二枚は愛想よく撮れているので失格にした。写真でないからである。残りの二枚が合格した。一枚は叱言を言いだす直前、他の一枚は叱言を言ってもダメだとあきらめた直後で、ともに写真である。これはそのうちの一枚である。 (一九七一・十二・一〇)
(㈱医学書院社長 金原一郎氏の遺文 801は連載の度数。)

* だいたい「懐かしがられる」ような社長でなく、わたしの先輩社員達、みな、いつもふるえあがって、前に出るとしゃちこばっていた。ところがわたしは、入社で面接試験を受けたときから、温かい人だと感じていた。
入社二年目から企画会議に出始めて以来、退社する日まで十五年余、わたしは社長に叱られたことも怒鳴られたことも抑えつけられたことも一度もなかった。息子の専務とはどうもソリがあわなかったが、社長とはいつも面と向かって前に立ち、仕事の上で、熱くも静かにも「発言しやすい」信頼できる人だった。よく聴いてもらえた。
わたしは会社のなかで、同僚とも、まして上司とはまるで仕事外に付き合わない、そんなヒマのない文学志望の編輯管理職だった。誰にも後ろ指をささせないために仕事は人より多く早く確実にノルマをこなしていたから、勤務時間内にどんなに自由に自分の創作に時間をつかっていても失策は起こさなかった。五時になれば、会議がない限りさっと退社する管理職だったし、そのために仕事が遅延することはなかった。何冊もの月刊誌もきちっと定日発行させたし、百数十という単行本企画も着々と本にしていった。
企画会議に毎週出席し、一年中、書籍企画を必ず毎週一点から二、三点も通すような荒技のできた社員は他に一人もいなかった。わたしには出版・編輯・書籍企画という仕事がよくよく向いていた。
上司にも同僚にもまるで好かれなかったと思うが、その方が文学に励むには都合がよかった。長谷川泉編集長は信頼してくれていた。著者の先生方にも「秦さん」はウケがよかった。そして、金原社長の存在はわたしにはいつも心温かいもの、いっそ慕わしいものだった。
一九六九年、太宰治賞を受けたとき、社長はわがことのように喜ばれた。長谷川さんも喜んで下さった。授賞式とパーティーにも満面の笑顔で出て下さった。
金原社長は「まむし」のように噛みつくと「自称」されていた。連載エッセイも「まむしのたわこと」を「自認」されていた。
しかし、どんなに多くをわたしはこの父親のような社長に学んだか知れない。出逢いは実に幸せであった。
いくらか、わたしはあの社長に似ているのだろうと思う。どんな彼の「たわこと」にも反感よりはいつも共感していたのだから。

* 一九七四年八月三十日、金原社長(当時相談役)はすっぱり医学書院の仕事から隠退され、わたしも同日付けで退社した。独り立ちの作家として再出発したのだった。
九月、長編『墨牡丹』を「すばる」巻頭に載せ、新鋭書き下ろし作品『みごもりの湖』も新潮社から出版された。船出であった。

* 読むようにいわれたもう一枚の「ゲラ」も掲げて読み返してみる。

☆ 冠婚葬祭のむなしさ  (まむしのたわごと) 金原一郎
長女寛子の葬儀は十一月十日東京国際会館で無教会キリスト教式により行なわれた。讃美歌と祈りに始まり、故人の略歴が長谷川泉君により平易に、しかも親愛をこめて報告され、次いで北川竜一君の病理解剖の結果と故人の長い闘病に就て報告があり、最後に風岡ときさんの追悼の言葉があって、五十分間で式を終った。
風岡さんは私の亡妻と女学校の同窓で、また寛子とは同じ無教会派のクリスチャンで母子二代に亘る親交である。
*  *  *
私はご承知の通り葬式を改革する会の会員であるが、寛子は既に半田家に嫁し、婚家の家風もあり、且つ寛子は病中に自分の葬儀に裁て、こまごま遺書があったので、その希望に従って執行したのである。細部に亘っては必ずしも私の主張と同じでは無かったが、私は簡素で厳粛で良い葬儀と思ったし会葬の人々からも、通常の葬儀と異り、行事の内容が解りやすく頗る好評であった。
*   *   *
私の妻は昭和二十年三月、戦争最も苛烈の時に神奈川県鎌倉で死去した。棺もなく霊柩車もなく、遺骸は手製の箱に納め、近所の工場から借りてきたリヤカーに乗せて私と子供たちで火葬場へ曳いて行った。私の母や兄や姉たちの葬儀は最近のことだから極めて盛大に施行された。
*  *  *
寛子が死んで今日で恰度一カ月になる。日をふるに従って、私の脳裡に残るものは、ただ死者と私との二人の交流である。諸々の盛大な儀式も悲痛な悲しみも、今はすべて夢の如く淡くむなしく、寛子と私だけの交流のみが,いよいよ強く思い出されるのである。この思い出は恐らく葬儀が簡素であるほど益々濃く、葬儀が盛大であるほど反って淡くなるように思われる。所詮 冠婚葬祭は心的のものであり、いかに物的に盛儀を行なっても、すべて空しいとつくづく感じるのである。  (1971.12.10)

* 「葬式を改革にする会の会員」とあったので「改革する」あるいは「簡素にする」と、と社長室へ返辞したことであろう。
社長は精勤無比に連載されていたが、どうしようもない病気の時、短期間、わたしに趣旨だけ口述して代筆を命じられた。三度、四度だけそういうことの有ったのを覚えている。校正を命じられたことは無いが、この日のゲラは、「告別式用の写真」とのかかわりからも、日頃の主義をわたしに説かれたのであろう。
全く同感であった、今も同感である。
娘の寛子さんをそれは愛されていたと漏れ聞いていた。「脳裡に残るものは、ただ死者と私との二人の交流である。諸々の盛大な儀式も悲痛な悲しみも、今はすべて夢の如く淡くむなしく、寛子と私だけの交流のみが,いよいよ強く思い出される」のは真実そうに違いない。父と娘の真実であろう。

* 思いがけず、懐かしい人と往時とを偲んだ。
2009 9・28 96

* 永年勤められた早稲田から定年前に東工大の特任教授に転じた高橋世織さんが、『濯鱗清流』をみて懐かしいと、手紙をくれた。東工大にはいまわたしの頃の助教授だった井口時男さんが文学教授、猪瀬直樹氏も特任教授で出張っていて、隣室にいた橋爪大三郎氏も健在というから、なんだか懐かしい。
学内の「世界文明センター」で催しが続くから来ませんかとも、お誘い。花見以外には出かけたことのない東工大。少し気が動く。
2009 9・29 96

* 日吉ヶ丘高校で二つ下にいて、学校の茶室でわたしに茶の作法をならっていた奈良の人へ、妻の手で、近くの松伯美術館招状を送っておいたら、ご主人と「観てきました」と手紙が来ていた。「湖の本」でながいお付き合いである。お兄さんが、わたしと同級だった。お姉さんがもう一つほど上だった。
妹が二つ下で、兄がわたしと同級というもう一人もいて、「正面」の辺に家のあったその人も、やはり茶道部にいた。この人は今どうしているか知らない、二人のお兄さんたちが今はどこでどうしているのか知らない。「正面」は地名で、豊国神社の門前町である。

* わたしの学年には秀才が大勢いた。いまいう二人もたしか京大へ行った。彼らとは中学がちがったが、同じ中学からやはり京大へ進んだのが何人かいた。日立に入った西村君、原子力へすすんだ藤江君らがそうだった。西村君は日立を退いてから悠々自適のようだ。藤江君はまだ健闘しているらしい。團君は、このまえ中学で同級の片岡我當の芝居を観に行ったら、同じ日、近くの席へ観にきていて久闊を叙した、というと大層だが慌ただしく立ち話した。それだけでも分かり合うものが互いにある。團君も昭和石油のしゃちょうだか副社長だかを退いてから悠々自適のはずだが、どうやらみんな、そうそうヒマにさせてもらえていないらしい。みんな理系で、先端エネルギーの開発や研究にかかわってきた。要職をひいてからも、ついいろいろ有るようだ。みんなわたしとはムキがだいぶ違うので、わたしは会えば顔を観て、にこにこ聴いていれば済むから気楽なものである。

* それにしてもむかし西村君の陣取っていた丸の内の「丸ビル」というのは、仰天のサマ変わりで、むかしだって一度二度しか入らなかったが、まったくの別物に成り変わった丸ビルの一棟にわたしは、今日、はじめて足を踏み込んだ。とんだお上りさんであった。目をまわしかけた。
ひとりで帰りがけ、目に付いた時計の店で、目に付いたデンマーク製とやらの腕時計を衝動買いしてきたのも、お上り現象か知らん。なに、身につけていた安物時計のベルトが弱っていたのを替えさせたついでであった。どこの国の製品などと観もしなかった。家に帰って箱をあけ、妻がデンマーク製よと言った。
それよりも、替えたベルトの高価なのにおどろいた。「ああそれがいいね」と、値も確かめていなかった。払うときも気づかなかった。家で領収書を観てたまげた。わたし、すこしボケテ来ているらしい。
2009 10・1 97

* インフルエンザに触れて医療のほうのマイミクさんが書いていた。少し以前の記事とはいえ、参考にしたい。

☆ 急に患者数が増えている。   珠
そして、ついに一緒に働く医師が発症。はからずも自分自身が濃厚接触者になってしまった。流行が始まって、出勤前の体温測定は全員実施していたけれど、追加して5日間のマスク着用・食堂の利用制限など。
発症する覚悟を決め、仕事の手配もして、引篭もり用食料などを買い込んで。帰宅するとスタッフから「発症」したと連絡、とうとう明日からの診療も厳しい状況になった。一週間、何とかしなくては。。。少ない人数でやれる方法を考えなくちゃと思うけど、連日の疲労感もつよく、ぼーっとして頭が働かない。まいった。
免疫が無いのだから、あっという間に感染する、と分かっていても、とにかく驚く感染力。次々の報告に、ため息がでる。多くが軽症で済んでいるが、問題点も多い。
気がついた点、以下に羅列してみる。
・ 通常季節に流行するインフルエンザより、ウィルスの増殖が遅いためか、発症までに時間がかかっている様子。(職場の発症者と最終接触から2~5日で発症者がでる。)
・ 感染から発症までの間、症状が乏しい。ちょっとした咳、軽い風邪程度の人が結構いる。その間、人に感染させている可能性がある。
・ 免疫が無いためか、若い人には高熱がでている。ただ、インフルエンザ゙判定キットで検査しても、ウィルス量が少ないせいか当初は陰性になるケースがあり、診断に苦慮している。(医療ニュースではキットの検出率は50%程度らしい)
・ WHOは、診断キットの使用は紛らわしく判断を遅らせる可能性があるので、疑わしければ積極的にタミフルなどを処方すべきという見解を示している。しかし、若い人へのタミフル投与は「厳重注意」となっているため、判定キットが陰性で基礎疾患もない人に、積極的に処方する事に医師も迷う。結局、発熱した患者で数回受診してようやく陽性となり、それからタミフル処方になるケースがあり、本人の肉体的・経済的負担が大きい。
・ 通常の季節性インフルエンザ゙では、解熱剤であまり熱が下がらない。だが現在流行しているインフルエンザでは、消炎鎮痛解熱剤で解熱している場合が多い。しかし、翌日には再び上昇するなどして、下がり続けてはいない。市販薬で解熱剤を服用して下がった、、という患者の説明に、それならインフルエンザではなさそうだ、、とされてしまう場合がある。
・ 現在出されている治療指針では、療養日について、発症から7日間または解熱した翌々日までとなっている。この両方の差が問題。タミフルなど服用すると半日~1日で解熱する。解熱が早いので、翌々日は未だタミフルなど服用中となってしまい、未だ人に感染させる可能性がありそうでも OK と言われるなど、復帰への判断に差がある。

皆さんも、密閉された空間や人混みには、くれぐれもご注意を。
ひとまず、体温チェックは相当有効。症状がなくても微熱が出始めた時は、要注意。今回は、かかることの怖さより、社会生活維持への問題点の方が大きいので、家庭や職場の危機管理体制見直しに良い機会と、、考えようと努めています。
何より大切と思うのは、怖がりすぎず、侮らず、少しの警戒心をもって日々丁寧に生活すること、でしょうか。
消毒もよいですが、こまめに流水で洗うこと、これが一番です。きれいな水が蛇口から流れる国でよかった、、と思いながら洗って下さい。
2009 10・2 97

☆ お元気ですか。 鳶
夏よりむしろ初秋に弱いと書かれていましたが、いかがですか。西日本と比べると東京はいくらか気温が低いようですが。
先月は(姑のお伴で=)熊本に行っておりましたが、30度以上の真夏陽気で大変でした。たいした「大役」は果たしませんでしたが、それなりの付き合いや墓参など気を使うことが多かったです。初めて天草にも出かけました。ここでも過疎化などさまざまに悩む人たちを知りました。今は八代海と地図にある海。やっぱり不知火海と呼ぶのがいいという地元の人の言葉が心に残りました。
出かける前、偶然テレビで「骨仏」・・骨を砕いて仏像にして供養するもの・・を見ま
絵のこと、宙吊りになっている「書いたもの」のこと、その他山積。暑さがもう少し落ち着いたら元気がでるかしらと思います。
政治の動向、地震のことなど長い時間ニュースに耳傾けています。
短いメールですが、近況報告? まで。
くれぐれもお体大切に、ご自愛ください。
2009 10・3 97

☆ 国立西洋美術館に行ってきました。 松
秦先生。 秋風爽やかな季節になりました。お元気でいらっしゃいますか?
先日の土曜日、友人が、音楽に関心のあるひとを紹介してくれるというので、上野で待ち合わせることにしました。
以前、先生に連れて行って頂いた国立西洋美術館のレストランに案内したところ、雰囲気良く、話もはずみました。良い場所を教えて下さり、ありがとうございました。
音楽や、絵画、京都や奈良の話など、共通の話題がいくつもありましたが、「歌舞伎」の話には、わたくし、さっぱりついていけませんでした。
歌舞伎は一度も見たことがないのですが、お勧めの舞台などあれば是非教えてください。
季節の変わり目ですので、風邪には気をつけてお体を大事にしてください。
またご連絡いたします。

* 朗報に数えたい心嬉しいメールで。新前に初めて見せる歌舞伎、いくらも有りそうで気をつかう。むかし同じ東工大の女子学生達を歌舞伎座へ連れて行ったときは、「白浪五人男」の通しを選んだ。あれは成功したと思う。
この富士在住の君を、むかし、何人もで山種美術館や西洋美術館に連れて行っても、彼氏、冷淡な顔つきだった。ところが院も卒業して就職後、登山とクラシック音楽の彼は、がぜん美術鑑賞にもうちこみはじめ、わたしを嬉しがらせてくれた。
さて、歌舞伎か。千葉の勝田さんとやがて楽しむ予定の国立劇場、高麗屋父子(松本幸四郎・市川染五郎)と中村梅玉、中村翫雀らの江戸川乱歩に取材した歌舞伎が、或いは恰好かもしれない。「市川染五郎宙乗り相勤め申し候」ともある。満席でなければいいが。

* 上方の小説家で、しかも歌舞伎通の、湖の本のはなからの読者でもある川浪春香さんに、新刊の『歌舞伎よりどりみどり』を戴いて楽しくもう読み終えたが、歌舞伎未見の人には話がまるで通じないだろう。
歌舞伎へ「本」から入ろうというのは「能」以上に存外ムリな相談で、「観る」「観つづける」のが何よりの本道。
家内は、俳優座や小劇場へは一緒に出かけても、歌舞伎などとんと昔は気の無かった人だが、今では歌舞伎座や国立のどの舞台ででも、ワキや端の役者さんまで顔も覚え名も諳んじ、大の歌舞伎好きになり切っている。そのおかげで他の新劇などもさらに面白く観られるようになっている。観て観て好きになれば歌舞伎は、まったくリクツ抜きにぞっこん楽しめる。
新劇を観ても商業演劇やアングラを観ても、歌舞伎や能に深く学んでいる技術や意想の例は、観れば観るほど舞台のはしばしからあれこれ看て取れる。いやいやまだ学び切れていないお宝が、おもしろい歌舞伎の舞台には真実贅沢なほど盛り込まれている。心ある作者や俳優や演出家達ほど、身に染みてそれを知っている。生きた勉強なのである。

* 十一月国立劇場の案内が、成駒屋から。西の坂田藤十郎、東の市川團十郎が顔を合わせる。歌舞伎十八番の「外郎売」、近松作の「傾城反魂香」、それに山城屋五変化の「大津繪道成寺」と花やか。彦三郎に加えて芝雀、翫雀、扇雀、弥十郎、市蔵、右之助らが揃う。歌舞伎座も顔見世、国立もりっぱな顔見世。楽しめる。
「松」君には、国立劇場の十月、十一月を奨めたい。

* さすが東工大の諸君とも、おおかた遠く無沙汰がちになった中で、こういうメールが舞い込むと、ほくほくと嬉しくなる。
2009 10・5 97

☆ みづうみ お元気ですか。
背中のどこかの筋をいためたらしく、動くたびに顔を顰めています。着物が着られません。発表会も近いというのに、困ってしまいます。
一、 久しぶりのメールで、ウォーミングアップにミーハーな時事ネタから。
元大臣の突然の訃報には驚きました。大臣への評価は脇において、アルコール依存症を抱えてきたご家族の大変さ、お気の毒です
みづうみはこういう噂話お嫌いでしたね。心地よいメールばかりを書かない主義なので、お許しあれ。
二、さて本題へ。
今月の述懐の、
あけぐれのほのかにひかり生(あ)るるとき
いのちましぶきわれにみごもれ
最初に読んだ時のけぞりました。直感的に「ましぶき」の意味はわかりました。何度読んでも(* 今月述懐の歌の、「ましぶき」は、もしや「まぶしき」かと聞かれた。「真・飛沫き」です。性的なエレクトと同義にとられてもかまわない。この歌で真向かうのは、天か、地か。)このご説明の意味に受けとれます。
三、もっと高尚だと思う話題。
みづうみの藝術の個性はグレン・グールドとよく似ていることに、最近気がつきました。以前、吉田秀和さんがテレビで、グレン・グールドは大勢の前で演説するような音楽ではなく、二、三人の親密な相手に語る音楽を好んだと話していました。その時も咄嗟にみづうみの文学者としてのあり方を思ったのでした。
グレン・グールドは同じような曲を繰り返し演奏してまわるコンサート活動が嫌いでした。聴衆との一体感を求めたメニューインなどとは違う行きかたを求め、レコーディングのほうが創造的だと考えて、とうとう演奏会から撤退してしまいました。
演奏会を既存の出版社の販売路線、レコーディングを「湖の本」出版に置き換えてみると、非常に共通した二人の藝術家の資質を感じます。湖の本という形態はきわめて個性的な創作活動で、みづうみしか成し得ないことです。レコーディングだけで音楽を追究するグレン・グールドの選択もまた彼以外に出来る演奏家はいません。
世間に偏屈と批判されるかもしれませんが、圧倒的な天分がなければ不可能な純粋世界の構築です。なるほど、二人の藝術家は一種の「身内」ではないかしらと思い至り、はなんだか一つみづうみの秘密を探り当てたようでご機嫌です。
四、 最後は例のわたくしの愚痴でしめましょ。ちゃんと読んでくださること。
みづうみはどのような状況にあっても、ブルドーザーのごとく突き進み、お仕事がはかどっていらして、さすがです。天才と書くとまた叱られるでしょうけれど、みづうみは全身全霊の文学者ですもの。長編小説、どんなに楽しみにしていることでしょう。
今年は火の粉がふりかかるように次から次にあたふたと過ごすしかなく、わたくしの書いているのは依頼状とかお礼状とかばかり。いやになります。自分の力で出来ることなんて家族の手助けだけ……それも満足に出来ず、自分に対する不甲斐なさと不満に悶々と過ごしています。
前々にメールで、あなたは根っからの批評家なのに、と言われた気がしますが、そのあと何を仰りたかったのか伺わなかったなあと思い出しています。ふつうに考えれば、批評を書いてみたらということでしょうが、……ほんとうに物書きになりたかったら、家庭を持ってはならず、子どもも産まず、若い時代にただ一心に勉強しているべきだったのかもしれません。それもこれも言い訳で。ガツンと喝を入れていただきたいものです。
今朝は肌寒さを感じました。お風邪など召されませんように、どうかお大切にお過ごしくださいませ。
歌舞伎の初心者にお奨めのものは、わたくしも教えていただきたいです。 渋柿

* 月々の「述懐むに触れてものを言って下さる方、かつてひとりも無かった。なんだか強要してしまったようで、恐縮。

☆ 秦先生  松
今日の富士は夕方から冷たい雨が降っています。秋が少しずつ深まっていきますね。
歌舞伎のご案内ありがとうございました。知らないお話ばかりですが、面白そうな話を調べて行って見ようと思います。
先々週、実はフェリーで北海道に行っていたのですが、その船上で映画『おくりびと』を見ました。納棺師という重いテーマながら、前半はコミカルな内容で観客をひきつけ、最後は感動させる、素晴らしい映画でした。愛する人は大事にしなければならない、悔いの残らないようにつきあわなくてはならない、と心の底から感じました。
また先生が以前お話をされていた、『親を許す』という言葉を、映画を見ながら思い出しました。
作曲家の久石譲さんの音楽も、映画にぴったりとあった素晴らしいものだったと思います。チェロの暖かく優しい響きには癒されました。
北海道は日本一とも言われる大雪高原に行ってきました。澄んだ青空の下、錦繍の山々を目の前にして、感動で胸がいっぱいになりました。一足早い紅葉の便りをお送りします。

* 大雪高原の美しい秋色を、二枚の写真で届けてくれた。ありがう。

* 猛烈な風雨のタイフーンが接近し、上陸し本土を縦断するとか。穏やかに通っていって下され。
2009 10・6 97

☆ どんぐりころころ  柚
どんぐりの皮を剥き、火を通して食べると、ほんのり甘くて、おいしい。
年配の女性が、そんな風に調理してくれた。
食感は、栗に似ている。
「熊が大好きなわけよね」
と。
子供の頃、通学途中や、遊びに行った神社で、どんぐり拾いに余念がなかった。
大きく、傷のないツヤツヤしたのを集め、宝箱にしまっていた。
大人になった今でも、足元にどんぐりを見つけると、つい手に取ってしまう。
人気のない小径の石段に、撒き散らされたどんぐりの中から、きれいなのを拾いながらついて来るわたしを、前を歩いていた人は、怪訝そうに振り返った。
あれは、クヌギの林だったのかもしれない。

* 「どんぐり」を食べると「どもり」になると、わたしたちは、何故か、大人に止められていた。「どんぐり」そのものは子供は好きで、わたしもよく拾ったが、食べなかった。食べたのは椎の実。
「椎の実煮てます 囲炉裏ばた」という歌も有ったように、椎の実は食料にしたようだが、なぜか「どんぐりは 食べると どもりに」と田舎暮らしの時も禁じられていた。勿体ないなあと子供心に分からなかった。
2009 10・8 97

* 和歌山の三宅さんの、眼科的所見が今一つ好転しないまま、また入院を余儀なくされていますと便りがあった。お気の毒でならない、ひとごととはとても思われない。
わたしの視力も、ムリを重ねると極度に眼精疲労で霞んでしまう。それでいて、眼科の診察ではたいして視力に変化がない、白内障も緑内障も顕著には進んでいないと言われると、ほっとしつつも、今にも劇的に悪くならないかと怯えもする。
三宅さんは、無類の「読み好き」。その楽しみをどうか、奪い去りたまわざれ。少しでも好転をと心底願う。お大切に。
2009 10・11 97

☆ 「マイガール」 第一話   薺
金曜にはじまったテレビ朝日のドラマは、音楽が澤野弘之氏と聞いていたので、音楽だけ目当てで観たのだけれど、思いがけず感じるところがあり、泣いてしまった。
今朝、寝覚めに思い出し、涙が出た。
留学する、と言い残し去った年上の女性を忘れられず、正宗君は毎日彼女に宛てて手紙を書くが、返事は一度も来ない。
別れから六年経ったある日、正宗君は、彼女が亡くなったとの知らせを受け、彼女の一人生み育てていた、五歳になる自分の娘の存在をも知る。
「六年も音沙汰なかったんだ、お前の娘のわけない」と諭す友人の言葉に、半ば頷きながら、戸惑う正宗君だったが、投函されなかった彼女の手紙を読んだ正宗君は、自分の娘だと確信する。
彼女のみごもっていた当時、正宗君は高校三年生。
「わたしが正宗君くらいのとき、いろんなものを見たいと思ってた」
彼女は、正宗君に家庭を背負わせるのでなく、一人生むことを選んだ、愛ゆえに。
「恐くてたまらない」
配達されなかった手紙には、彼女の正直な気持ちが綴られてい、正宗君は、別れた後の自らの愛の報われたことを知るが、彼女はもういない。
娘の存在が、なんとなく日々を消化していた正宗君を変えてゆきそうなのを予感させ、一話は完結。
何かにじっと耐えているような娘のようすから、経済的にも社会的にも容易でなかったシングルマザーとしての彼女の暮らしがうかがえる。
彼の将来を想い、一人で子を生む女性、という設定は、危ういとも考えられるが、わたしには、すっと納得がいった。
彼女は、千に一人、万に一人の、愛深き女性なのだ、と。
澤野氏らしい音楽を聴くことは、一話目ではできなかった。音楽担当者に、澤野氏と連名でもう一人いたことが関係しているのか。わからない。

* 東工大の学生君たちにも、似た物語を演じていたのが何組もいたなあと、思い出した。このドラマには気もついてなかったが、第二話に気づいたら観てみよう。
物語の設定には興味がある。昨日「グレート ビギン」とか謂った宇宙や生命の創始を美しくて凄い映像で観せる映画を半ばほど観ていた。「二つが一つになり三つになる」誕生の神秘と必然をナレートしていて頷いていた。
そのまえに「姉のいた夏、いない夏」という佳い映画も観ていた。まるで『みごもりの湖』だと妻と言いながら観た。大好きな姉の死を、その軌跡をふみに成長した妹が遠い旅に出て、昔の姉の恋人とも出逢い、姉の最期へ迫って行く。そして、Uターンして母の待つ家へ帰って行く。『みごもりの湖』で妹槇子が、失踪して杳として行方知れない姉菊子の足跡を辿って行く物語、人が人を知るということの計りがたい難しさを「生死」を見つめて呑み込んで行く物語。
映画では姉に恋人との間の子はなかったようだが、菊子には恋人幸田との間に子が果たしてあったか無かったのかも、作者は微妙に問題として組み入れていた。

* 「二つが一つになり三つになる」神秘。それは、生きものが生きて在るあいだの最大の課題だとわたしはいまも考えている。幾つも書いたわたしの物語は、はやくから執拗にその問題を組み入れながら書かれていた。
究極のフィクションであるが、人生のリアリティを問う困難で大事な課題だと思っている。上のドラマの筋を聞かされ、本筋が今後どうなるかは知らないし別ごとだが、「娘」を思いがけず得た(であろう)「正宗君」を羨む気持ちが、明らかにわたしには動いている。
2009 10・11 97

* 広島の理史君、薩摩の佳い焼酎「喜左衛門」と「赤兎馬」とを贈ってくれた。うまい。礼を言う前に少しずつ味見をして喜んでしまうところが、酒飲みは困る。困るけれども嬉しい。ありがとう。きっと元気に過ごしていてくれることと想います。ありがとう。

☆ 風、こんばんは。
いいお天気がつづいています。
今日で三連休は終わり。
そろそろ、床のワックスがけをしなければならない季節になったなあ、と、少し気が重い花です。
『夜明け前』は、幕末明治の動乱の中心なりその近くにいた人物でなく、馬籠本陣の一平民の立場で綴ってあるのが稀有だと思います。一般人である自分にひきつけて読み、想うことができます。
今回の衆議院選挙の前の盛り上がりですとか、後の改革を応援する気持ちには、直接どうこうできない一国民としての歯がゆさもありながら、一人ひとりの強い思いなしには国は動かないこと、同時に、強い思いで変革をもたらすことの可能なのを知りました。
それが、半蔵の熱い気持ちに共鳴するのだと思います。
藤村は、父親のこととしても、どんな気持ちでこれを書いたのかなあ、と考えながら読んでいます。
ではでは。 花

* 『夜明け前』はほんものの「大文学」で、露伴でも鴎外でもこういうのは書けなかった。偉いのは、藤村、漱石、潤一郎と、わたしに躊躇わせなかった拠点は、藤村の場合、『夜明け前』だった。興味津々、読書の嬉しさをたっぷりもらった。
読書の嬉しさ。鴎外なら『渋江抽斎』、翻訳の『即興詩人』。露伴なら『運命』『連環記』。花袋なら『田舎教師』『時は過ぎゆく』『百夜』。瀧井孝作の『無限抱擁』。鏡花なら『高野聖』『歌行燈』『海神別荘』。秋声なら『あらくれ』。直哉なら『暗夜行路』。

* お天気のいいのは嬉しい。
2009 10・12 97

* 自分もよくトンチンカンをやる。たまたま人のトンチンカンを見てしまうときは、なんともこっちも気恥ずかしい。

* 京都市で中学の校長先生まで勤め上げたらしいと聞いている昔の友人の、退職後は、同じく校長先生から退職した夫と二人で、ただもうひたすら毎月のように日本国中へ旅して歩いて、大満足しているとか。コンピュータもさわらず、ケイタイももたずと。
そんな噂話を聞くと、達人のようにも、途方もない気楽人にも想われて、けっこうやなあと思う。
昔も昔に、市内の学校ごとの「汚染度」という物言いで「被差別」の実態を伝えてくれた「先生」だ。あの頃は教頭先生だったと思う。「汚染度」という物謂いには驚いた。
そうか。旅行三昧か。分かるような、妙に気抜けのするような、へんな気持ちでべつの友人からのメールを読んだ。
2009 10・13 97

* いま十一時過ぎ、京都の奥谷智彦君の電話で、弥栄中学同級の三好閏三君の訃報を受けた。仰天。
祇園縄手で、鰻と京懐石の老舗「梅の井」を嗣ぎ、京の旦那衆のなかでも、ひときわ粋な茶人であった。遊びを愛し雅びを身に帯びていた。歌舞伎「助六」にも出演する君だった。雑誌「美術京都」の巻頭対談に引っ張り出し、いい話いい道具を披露してくれたのが、つい先年であった。「湖の本」も丁寧に読んでくれる有り難い読者であった。こころより生前の厚誼に感謝し、思いがけない逝去を悲しみ哀悼の思いを送る。
2009 10・15 97

* 明日は秦建日子「秦組」公演に行く。やす香のまた新しいお友達から、明日の晩に自分も観にゆくが、もしかして「湖さんも」とメールが来ていた。ウーン、残念、すれちがい。わたしたちは昼の部に行く。そのあと妻は昔からの親友とおしゃべりするらしいから、わたしは自由時間になるのに、惜しい。

* 堤さんの水彩展が横浜で始まろうとしている。横浜という街は、まるで識らないが。盛況を祈ります。
2009 10・16 97

* 劇場前に、ともだちと逢う妻を置いて、わたしは新橋から「横浜そごう」へ直行。
朝、届いた一部再校・三校ゲラを読みながら。
で、デパート九階へ五時に着いて、そこで、その場で、めざす個展オープンの日付をわたしが「一ヶ月読み間違えていた」のに気づいた。そればかりか、十一月「十八日」オープンなのに、今日は十月「十七日」だった。二重の阿呆な思い違いに思わず笑ってしまった。
十階にあがり「すし萬」で、初物の土瓶蒸しを添えて佳い鮨を食ってきた。冷えたビールがうまく、酒も。
昨日が休肝日だった。ゆっくり居座ってゲラを慎重に読んだ。六時過ぎにまた各駅停車の電車で上野経由、池袋へ。暑くて汗を掻いた。
2009 10・17 97

☆ がんばれ、東北楽天ゴールデンイーグルス  金木犀
クライマックスシリーズに、二位で臨んだ楽天が、ホームの応援にも力を得て、ソフトバンクに、二試合共、圧勝した。
結成当初、多いときは十点くらい差をつけられ大敗を喫してばかりいた弱小球団だったけれど、今季は、シーズン後期へ向かうにつれ、ぐんぐん追い上げ、三位争いで西武を突き放し、ついには二位でシーズンを終えるに至った。
少ない戦力で、よくここまで。
弱小と見做されているチームが、強いチームに打ち勝つのが大好きなので、楽天の快進撃が、面白くて仕方がない。
特に、クライマックスシリーズは、短期戦。
ここで打たなかったら、抑えなかったら、後がない、という緊迫感が、たまらない。
楽天がここまで来たのには、経験豊富で実績のある野村監督の力が大きいと思う。
早稲田実業の斎藤投手と激突し甲子園を湧かせた、駒大苫小牧の田中将大投手の楽天入団が決まったとき、あの逸材が弱小球団に、と思う反面、ノムさんが育ててくれるだろう、という期待があった。
その通りになった。
もちろん、マー君本人の努力がまずあったのだと思うけれど。
育成枠で伸びてきた選手たちも、活躍している。
日本ハムとの五連戦では、投手陣の層の薄さが心配なものの、打線は頼もしいし、この勢いのまま、おもしろい試合を見せてくれるだろう。

* わたしも野村が南海ホークスに入った頃からのフアン。長島や王のようなハイライトを浴びることなくテスト入団して、その後に抜群の働きをした。京都府の北の方から、丹後の方から現れ出た。初の三冠王になり、また緻密なデータを持っての采配ぶりには定評と実績があった。そして、ま、不遇というか、日陰道をこつこつ歩いて端倪すべからざる野球道を建設してきた。
わたしが、「総選挙で社会党が勝てばプロ野球は廃止になるんでしょうか」などと真顔で心配した大スターよりも。こういう人の方を好くのはあたりまえ。
だから今シーズンの「楽天二位」という成績でクライマックスシリーズに打って出ると決まったところでの監督「解雇」には、憤慨している。せめてシリーズを終えてからの話で良かったろうにと。
選手の奮起で二つ勝った。第一ステージ、ひょっとしてひょっとするかも知れないと、むろん応援している。
2009 10・17 97

☆ 企業努力  鰯雲
よく利用するスーパーストア「西友」の相次ぐ値下げに、驚かされる。
近隣の同業種との競合が過熱しているためか、主な野菜、果物などが、じりじりと、安くなってゆく。一円、二円であっても、客には、その差がアピールする。
昨年、市内に「イオンショッピングセンター」のオープンした頃から、「西友」の客足が、めっきり減った。
また、1、2km離れた場所に、「しずてつストア」と「COOP」の新店舗が、斜向かいで建設中。ほかにも、地元のスーパーが点在してい、市内は激戦の様相。
そんな中、「西友」に先頃、298円弁当が登場した。内容はそれなりだけれど、容器も人件費も含め、赤字覚悟の価格設定で。不況で低下した購買意欲に、どうかして火をつけたい企業の、身を削る努力がしのばれる。
以前、雑巾を限界まで絞り、最後の一滴を搾り出すテレビコマーシャルがあった。
画面に大きく現れた文字は、「企業努力」。
スーパーストア激戦は、今にはじまったことでなく、なんとなし、購買人口を無視しているような店舗乱立に、主婦たちの本音は、「スーパーばっかり、そんなにいらない」。
内心では、共倒れしないかを、心配している。

* 勤めていた昔、管理職の一端として、「前年同期*パーセント増」という年間目標を毎度会社に強いられた。いつまで続くものかと信じなかったし、曲のない、二枚腰のないワンマン専務経営だと感じていた。
やがてわたしは「書く」一本道へ足場をずらし、退職した。
上のような「安売り安売り」も、根はエゴイズム、ほんとうの健康な景気対策とは逆行する必然の自滅路線と考えている。

* わたしは人さまのウエブをほとんど覗きもしないで来ているが、それでもタマに目に入るもので、聡明そうな主婦のそれらが、実のところ、いま此処に挙げたのとかなり一様に似ていて、考えていること、言うこと、口調や論調までもだいたい同じなんだなあと、そのことに感心したりシラケたりする。時世という大きな掌の上でだれもが同じような舞を舞っている。
2009 10・18 97

☆ いつまでも暖かな、汗ばむほどの陽気が続いています。まだ金木犀の香りにであったりします。収穫の時期が遅れた野菜は今は安値で並んでいて、地球温暖化、異常気候かと嫌でも感じます。
「部屋で逢う」、久しぶりにmixiでの掲載に驚いています。もっともっと公開できる場が拡充されることを望みます。
詩の原稿を送ります。
何度読み返しても、本当に終局までいったと書けないのがわたしの弱さですが、現時点での区切りか、と。
「e-文藝館=湖(umi)」に収められているものもいくつかありますが、ヴェネチア、シチリアをテーマに纏めました。他にモロッコやウズペキスタン、日常、など書いたものは数倍になり、またこの春のギリシア旅行から得られたものは半ば纏まりつつあります。
東京の橋に関する本を送ろうと思います、お役に立てば幸いで、わたしの手元にあるよりいいでしょう。
どうぞ佳き日々を過ごされますように。  鳶
2009 10・19 97

* 高木さんのそれぞれに豊富な詩集『やさしい濾過』『シチリア』二冊分を、ひとまず「e-文藝館=湖(umi)」に入れた。何冊分もの詩集を預かっているはるか昔からの、優れた寄稿者。
掲載の仕方など統一してかからねばならない。「e-文藝館=湖(umi)」にも、初期と本期とで載せ方や紹介の仕方が異なるのを少しずつ統一している。まだまだ手がかかる。
2009 10・20 97

* 今日は、千葉のe-OLD小父さんと国立劇場で乱歩歌舞伎を楽しみます。

* 染五郎の鈎爪人間豹が、度胸満点、花道からわたしたちの真上、天上高く客席を斜めに渡って三階席の彼方まで宙乗り大暴れした。明智小五郎を演じる幸四郎の演出で、中村梅玉、中村翫雀ら。人形ぶりで人形「花筐」を演じたのが小ぶりに美しい娘役だった。去年より脚本の纏まりはよかったように思うが、所詮は無理な思いつき。通常の歌舞伎から離れるときの染五郎には、たわいないエンターテーメントでなく、脚本のよく煮詰まった、批評に富んで人間表現の厳しい、むしろ現代劇を演じて欲しい。フェイマスな役者に育って欲しい。最近、テレビで辺に馬琴の崩れたような「なんとか城のなになに」といった怪奇映画を観かけたが、観るにたえなかった。松たか子にわたしの解釈で「自傷する春琴」を、そして染五郎に徹底した佐助など、と夢見る。「傷つけられた春琴」なんて理解は子供のモノだ。春琴は自ら熱湯を浴びて、佐助をのっぴきならぬ闇の悦楽へ誘い込んだのである。

* はねてからバスで丸の内まで勝田さんを見送り、東京駅の中でお茶で少時歓談、またを約して別れてきた。
東京駅から、池袋経由保谷までうつらうつら眠っていた。タクシーをえんえんと待って帰宅。六時。

* 野沢利江さんから珍しいお菓子と手紙をもらっていた。
2009 10・20 97

☆ うれしくて  e-OLD 千葉
かえりは総武線の千葉止まりの快速で空いていました。駅からのバスも待っていてくれたように乗り継げました。家に帰ってからもうれしくて、何か思い切り無駄なことをしてみたくて、ニンテンドウのゲーム(ドラゴンクエスト9)をずっと遊んでみました。
一年に一度でも今日のようなたのしい日があると、また元気が出て暮らして行けそうな気がします。ほんとうにほんとうにありがとうございます。
小野竹喬・画「みごもりの湖」の本物も思いがけない出逢いでした。劇場からのきれいな“東京のバス”。工事中の東京駅、ビールとコーヒー(ごめんなさい)と秦さんの笑顔……。うれしくて、今日はまだ寝るのがもったいない気持ちですが、おそくなりました。
おやすみなさい。

* 年寄りが二人、ゆっくらゆっくら連れて歩いたり、喫茶店で話していたり、別れのお辞儀をしたり握手したりの図を、これまで幾度傍観してきたか知れないが、すっかりそんなような二人を演じていて、おかしくもあり、そういうもんだと思ったりした昨日だった。出会う機会があって互いに嬉しい、喜ばしい。なによりだ。
2009 10・21 97

☆ 秋晴れ  播磨の鳶
『凶器』の校正、いかがですか?
「さて何の用があって街をさすらうのでもない。漫然と空いた乗り物に乗り、窓外に移りゆく下町のわびしい景色を見るともなく観ながら、荷風を読み、そして池袋の書店で手に入れてきた、なんと、フローベールの「ボヴァリー夫人を読むのである・・京葉の一直線は往きも帰るもごく散文的に静かであった。」情景、周囲の風景だけでなく、鴉の姿までも浮かんでくるように思われました。沼津からの出店という東京駅構内のお寿司屋さんも、静岡出身のわたしには瞬時に納得できましたよ。
『ボヴァリー夫人』は読むごとに、自分の年齢によって変化してきました。文学の力は凄いなと・・この形容詞がお嫌いなのはよく分かっていますが敢えて書きます。
今、ドビュッシーのピアノ曲を聞きながらメールを書いています。プレリュードなども網羅された5枚組のCDなので、何の曲か確認しないで唯々聞き流しています。時代の雰囲気、パリが醸し出す雰囲気が偲ばれ、華やかに微妙に情感に溢れ、心地よいです。
同時に、例えばアフガンの大統領の決戦投票が決まったこと、アフリカの旱魃など長く厳しいさまざまなことに思いいたります。
今日、明日は友達との約束もあり外出、あとは少し落ち着いて暮らします。
くれぐれもお体大切に、ご自愛ください。新型インフルエンザ、いつも心配です。

魔法

ヴェネチアで 人は魔法をかけられて
立ち尽くす影になる
街を徘徊する影になる
波に痙攣する影になる

張り巡らされた水路が 潮の干満を告げる
毛細血管に 沸騰した血液が流れる
水が流れるように 血が流れるように
人の暮らしや愛憎が流れる

逸楽を愛するのは 人という生きもの
ヴェネチアは ひっそり高らかに 唱和し礼賛する
マスケラ・仮面の下で 戯れに
曝された欲望は 人の本性を露わにする
析出され結晶化された その本性
しかし より明晰であること 冷酷でさえあることを
ヴェネチアは 知らしめる

心して生きよ 金星が空にある
心して生きよ 心して
ゴルドーニ劇場のポスターがちぎれている暗い小路
魔法を背に貼り付けて ひたすら歩く

* 詩は、わたしには、むかしから「むずかし」かった。
ゲーテは、「大体、詩人として何か抽象的なものを具象化しようとするのは私の流儀ではなかったよ」と云い、「ほかの人が私の作品を読んだり聞いたりするときに、私と同じ印象をうけられるように表現する以外に方法がなかったのさ」と云うている。
「しかしながら、私が詩人としてある理念を表現したいと思ったときには、はっきりした統一があって、しかもそれが一目で見渡せるような短い詩でそれを試みた」とも云う。
詩を書かないわたしには機微のところが難しい。
「知性には理解しやすくなる、それによって作品として良くなったとは、だが、いいたくないな」とも、ゲーテ。むずかしい。そして「つまり」と彼は云う、「文学作品は測り難ければ測り難いほど、知性で理解できなければ理解できないほど、それだけ優れた作品になるということだね」と。ウーン。
2009 10・21 97

* 卒業生の「創」君が、奥さんと子供二人の写真を添え、久しぶりにメールをくれた。

☆ 秦先生、  創
ご無沙汰しております。創です。
ケータイメールから送信しています。
本日、当社設計施工で実験が行われているひばりが丘の公団団地の改装プロジェクトの見学会に行くところです。
西武池袋線に乗ったら、保谷とひばりが丘がお隣さんだということがわかって、メール差し上げることとしました。
HPはたまに覗かせていただいております。
こちらは未だに**社さんの巨大研究所の設計室で調整業務に追われています。
いわゆるデザインはせず、高性能建物の品質確保という技術的解法の確定と徹底の担当です。そういう意味での設計です。より重要な部分とも言えます。
大学時代からは想像も出来ないくらい遠くにきました。
時間を作って、お会いしたいのですが…
見学会後にまた連絡するかもしれません。

* 中堅社員に育ってきたらしい、落ち着いた行文。右往左往の旋回飛行だったのを、しっかり乗りこなし制御して来たのだろう、「大学時代からは想像も出来ないくらい遠くにきました」は、自信なのだろう。どのように「遠く」なのかは相対的な話で、孫悟空が仏陀の掌の上を飛びながらの感想に類するとぐらいに思って、忘れていていいだろう。元気なのが何よりだ。それが肝腎。
まだちいさな子達、可愛い。わたしからは、ま、孫にあたるような子達だが、曾孫のよう。今日辺り、妻から手紙を出していたと思う。それはこのメールとは行き違いになっている。
2009 10・21 97

* 岸野有美子さんからも、旅のお土産をもらった。野沢利江さんからの生姜糖、こざっぱりと、おいしい。藤田理史くんに戴いた薩摩焼酎の「赤兎馬」の瓶もおいしくアケてしまった。次いで「喜左衛門」を頂戴する。
昨日も勝田さんに話していたが、あれこれ戴いたご厚意にとかく御礼を申し遅れて、ご無礼が絶えません。申し遅れるどころか、つい、そのままにもなり、辛うじて日記の中で恐縮しながら感謝をお伝えしている。これは「お伝え」ではなく「お伝えした気」に過ぎないのだから、二重によろしくない。よろしくない。ご免なさい。
メールすらお返事をついしないまま。自分からメールを出すと云うことなど、ほぼ無いに等しくなっている。ご免なさい。

* 日記を書いても、転送を、いつも忘れてしまう。
2009 10・21 97

* 「抱き柱は要らない」とわたしは云ってきた、ここ数年か、それ以上か。要らないと云っても抱きついている柱が何本も有るのかも知れない。穿鑿はしていない。
次に紹介する述懐最後の要所、「人と同じでいる安心は、いらない。」は、上のわたしの思いに近似した強いマニフェストになっていて、ふと目が留まった。

☆ 人と違って   栗
小学三年生だったか、四年生だったか。
遠足で、同級生たちが、キティちゃんなどのかわいらしい柄のついたリュックサックを、大人っぽいナップサックに切り替える年頃は。
いつまでもリュックサックのまま歩いているわたしの背後で、
「*年生にもなって、リュックなんて、ねえ」
と囁く声が聞こえた。
音楽の授業で使う縦笛も、真白い新品を買ってもらっている同級生の中で、わたしだけ、家の誰かが使っていた深緑色のだった。
あれもこれもみんなと違うのに気後れし、新しいのが欲しいと母にねだると、
「まだ使えるんだから、使いなさい」
と押し切られた。
後になって、ナップサックも、白い縦笛も、買ってくれたけれど、しばらくは、周囲と違う古いものを使っていた。
今思えば、壊れたわけではないのだから、長く使えばよかった、と思うが、子供の世界で人と違うと、なかなかに周囲の眼が痛くはあった。
中学入学時、ねだって赤い自転車を買ってもらったら、中学に姉のいる同級生たちが、
「白い自転車でないとダメ。赤い自転車なんて、先輩に睨まれるよ」
と、盛んに諭しに来た。
世事に疎かったわたしは、中学生の上下関係の厳しさを知らなかったので、赤色の自転車を買ってもらったのだが、通学するのが恐くなり、そのことを母にうったえた。
母が、小学校の校長先生を通し、中学に通学自転車の色に関する校則などないことを確認してくれたものの、もう一人、黄色い自転車を買っていた同級生と、悲壮な覚悟で中学入学に臨んだ。
結果として、自転車の色のことで先輩の不興を買ったことは、わたしの実感では、なかったけれど、周囲と違うことにより、浮いて見えてはいただろう。
どうして人と同じが安心なのだろう。
ルールを守り、突飛な行動をしないことを求められる傍ら、成績は飛び抜けることが歓迎されるのに。
就職活動時、決まって訊かれたことは、
「あなたの長所は」
「人より優れているところは」
これまで同じ制服を着せ、靴下の柄や髪をしばるゴムの色まで管理しておいて、急に「人と違う個性を」といわれても。
考えてみれば、子供の頃、わたしが人と違ったのは、リュックサックや笛や自転車など、持ち物が、だった。
では、わたし自身は。
今は、自分の持ち味は何か、探す日々。
人と同じでいる安心は、いらない。

* 堅い意志でないと、これは云えない。「みんなで渡れば怖くない」「みんなそうしてる」「みんな云っている」「みんなが」「みんなが」とみんな「安心そう」に云って、常識だの良識だのと称するものが、臭く濃く醗酵している。それをまるまるバカにはしないけれど、いくらかバカげているという真実も見えている。
「人と同じでいる安心は、いらない。」
身内の思いがする。

* 「千人の多様な子供がいて、そして千人の多様な大人が出来るのです」と、凡庸な知ったかぶりをとくとく言い散らしている、五十年配の学校関係者がいて失笑した。
子供たちは「まずは多様な」存在であるが、これも甚だ疑問なことは、上のナップサックや自転車の色の話でよく分かる。
「みんな云うてはるし」「みんなそうしてはるし」と云いたがるのは、妥協に惑いかけた子供の正直であり、個性を喪いかけている、いや個性から怯懦に逃げかけているのである。それが子供だ。
その状態から起ち上がるか、その状態に狎れてしまうか。どっちつかずに、しかし、大人に近づいて行く。
そして世の大人たちときたら、世間一般、多様どころか、あまりに情けなく「かなり一様」である。ナップサックや自転車の色で分かるように、あるいは多様だったかもしれない子供が、小学校の高学年になり、中学・高校・大学になればだんだん個性的どころか進んで一様化し、すっかり大人になると、もう主夫も主婦も、男も女も一様に平均化されて、ながいものに平然と巻かれたがる。
だれかが謂った「人間もいろいろ」というのは、言葉の遊びに過ぎない。赤信号「みんな」で渡ればこわくない式にしか生きられないのが大方だ。
わたしの七十余年の人生で、大人が千人いれば、千人の多様な大人がいる、などといううそくさい実感はとうてい持てなかった。

* 上の人の、「人と同じでいる安心は要らない」という決意は、しかし、とびぬけて特異。すばらしい。大人達の九割九分は、とても、そんな毅然とした科白は吐けない。ま、おかげで世は平安、権力者は安泰なのである。
2009 10・22 97

☆ 曇っていますが、空気はカラカラ。 花
午前からワックスがけにとりかかりました。
今日は一階と二階の廊下だけ。
なのに、軽く半日はかかります。
きれいに塗るのは、難しいです。
風、おいそがしいのですね。
『夜明け前』読了しました。青山半蔵の最期は、涙なしには読めませんでした。
『モンテクリスト伯』は、六巻を終えそうです。
お元気ですか、風。

☆ お元気ですか、風。
今日もまたいいお天気なので、朝からワックスがけしました。
パソコンしてるこの部屋の、隣を、半分だけ。
ちょっと慣れてきて、早く済みました。
雑巾、バケツ、モップなどを洗って干したら、「ちい散歩」を見ながら、ちょっと休憩。
風はきっと、校正に集中していらっしゃるのね。メールの返信は、いいです、時間のあるときで。または、気の向いたときで。
お仕事がすすみますように。
花は、文学史など読みながら、風のエッセイも読んでいます。内容もそうですが、風の文章は、花にいろんなことを教えてくれます。
ではでは。
2009 10・23 97

☆ LEE と LEVI’S というだけでなく   フック
アメリカ映画「ウエストサイド物語」で、対立する不良軍団のどちらかがリーのジーンズを、もう片方がリーバイスを履いていたと、昔読んだ映画雑誌に書いてあった。
当時、リーの方が正統派ジーンズで、リーバイスの方は邪道というほどではないけれど、正統からは外れたイメージがあり、それぞれのグループのイメージに合わせた衣裳になっていたとか。
彼らが、日本の不良グループと違い、明確な人種間対立という背景を持っていると知ったのは、ずっと後。
「ウエストサイド物語」は、はじめ、イタリア系とユダヤ系の不良グループの話にしようとしていたが、当時のアメリカ社会の実情に即し、ポーランド系とプエルトリコ系にしたと聞いている。
とすれば、ポーランド系のジェット団がリーで、プエルトリコ系のシャーク団がリーバイスか。
先日観た「ロッキー」は、ロッキーとエイドリアンがイタリア系、セコンドのミッキーがユダヤ系、対戦相手のアポロが黒人で、舞台はハーレム。
やはりボクシングは、下層階級のスポーツなのだな、と思ったら、それは間違いではないけれど、事はもっと複雑で、当時のアメリカでは、黒人への優遇措置により、白人貧困層の不満が溜まっていたとかで、つまり、ロッキーは白人貧困層の星だったと。
青春時代に観た映画は、いつも、ただキラキラしていたが、人種問題の複雑さを知るようになると、映画に渋み、エグみが出て来る。

* 興味あるエッセイの、「やはりボクシング」と始まる一段落に、「は」という助詞が六つ行列している。「は」「も」の使い方、ラクでない。

* 疲れました。やすみます。
2009 10・24 97

☆ ご無沙汰しています。  珠
昨日は冷えたところに雨まで降ってきて、出かける気も失せて家で過ごしました。左膝は前日から少しひきつる感があって、朝から鈍い痛みに変わっています。
どうやら天気、、とも関係ありそうです。。湖の膝は、いかがでしょうか。その、古傷を思い出させる主張とでもいう信号に、湖の膝は、、と想うのです。これ、糸電話のようなものかと。
夏、鏡花の舞台の日、ブザー鳴るなかお見かけした姿に、もしや、、と思った嬉しさで、メールを書いたつもりでしたが。フェアでありたいから、黙っているより伺ってみよう、、と思ったのですが、あの日偶然あの場所でお見かけしたことを、出逢いと思うか、すれ違いと感じるか、、ですね。ささやかな出逢いを、心の張り合いに過ごすうち、時にその張り合いは自分勝手な感覚だと、ヒヤリ、と身に沁みる、そのようなことなのでしょう。
仕事は当に今、、とばかりに慌しいのですが、夏からずっと、多くの対策準備をしてきたので、今は忙しさの中身が主に肉体労働に変わってきました。これからしばらくは、昼間は体力、陽が落ちて後は知力を使っての仕事になります。私たちの慌しさは人の病に伴っているので、日日に、早く落ち着いた時が戻ってきてほしいと、祈りながらの仕事です。
湖は、来月1日から接種開始となる優先接種対象の疾患です。聖路加病院に問い合わせて、是非接種された方がよいと思います。予防効果より悪化防止のために、次回受診を待たず、早くをお勧めします。
私、兎どし、です。
ぴょんぴょん跳ねて飛ぶままに、、ですが、人から、実は兎は案外凶暴、と云われたことがあります。赤い目をして、哀しく怒る兎かもしれません。
湖。寒くなります。くれぐれも、お大事に。

* この人も、なぜだかわたしのと同じような位置で膝を怪我し、治り、そして治りきらないらしい。
予防接種は、困った。どうも以前の経験からオソレをなし、マスクと手洗いだけで乗り切ろうかと思っていた。
2009 10・25 97

☆ 負けた らしい。 楽天家
パ・リーグのクライマックスシリーズは、昼にあったらしい。
日本ハムが日本シリーズに出場、と、夕方のニュースで知った。
楽天を応援していたわたしは、残念。
楽天は、いい勢いでクライマックスシリーズに進出したのだけれど、一戦目、リードする中、好投していた長井をマウンドから下ろし、出した継投が、相次ぐ暴投に押し出しで、無駄に失点し、最後は最悪のサヨナラ負け。
予想したとおり、投手陣の戦力の薄さ、特に、中継ぎ・抑え不足が、モロに出てしまった。
楽天は必死に戦ったけれど、勢いは日ハムに移ってしまったか。昨日のマー君のこれ以上はないというほど気合の入った投球も空しく、楽天はノムさんの勇退を錦で飾ることはできなかった。
セ・リーグの試合はまだ残っているし、大一番の日本シリーズは、これから。
でも、もう面白くなくなってしまった。
野村監督に言いたいのは、
「お疲れ様でした」
それから、
「野球が面白かったです」

* 四点リードを逆転されて負けたと知ったとき、勝ちを信じてテレビから離れていた。あれはヒドかった。昔サッカー、ドーハの悲劇なみだった。
野村監督を両軍で胴上げしてくれた図には、ほろりと感動した。

* さ、弛んではいられない。
2009 10・25 97

* たくさんメールを貰っていた。中に、法律事務所からのも混じっていて、目の前がうすぐらくなる。まだ開いていない。さきに湯をつかってきたい。

☆ 雨の中  桔梗
私語を拝見しましたところ雨の中をお出かけのようでしたが、ご無事にお戻りでしょうか。インフルエンザのことを考えると適度なお湿りでかえってよろしかったのかもしれません。お元気ですか、みづうみ。

☆ 曇り空  鳶
mixiへの記事のお知らせが今しがたあったので、雨降りの中の外出は取りやめて家で仕事されているのだろうなどと察します。
忙しくなって、とあるので、昼前に本を送って却ってすまなかったとも思ったりしています。
東京の「橋」に関する本、いくらかでもお役に立てばと願っています。短歌や俳句が載っているのも楽しめるかと。ただし三十年も前の本ですので現代の地図などで補ってくださいますように。
そしてもう一冊はトーマス・マンの『ブッデンブローグ家の人々』、辻邦生氏が若い頃に影響を強く受けたという小説です。
本の発送、そのほかのこと、多忙のときは気もち引き締めて元気に元気に、そして無理しませんように。

☆ 秋深まって  ゆめ
雨ですね。黒いマゴくんはお散歩に行けず、おうちでウトウト・・でしょうか。
この4月から職場では人員削減され、ローテーション、なかなか厳しくなりました。一応出勤日は決まっているのですけれど、忙しいと応援に出たり、新型インフルエンザがらみで急遽出勤になったり・・と、本来休日のはずの木曜日も今月は全部出勤しています。市の職員1800人のうち、約600人が「嘱託」という名の臨時職員で、一年契約で五年の雇い止め、昇給・ボーナスなども一切なし、など。「雇い止めは法的には無効」と法律家は言っていますが、市は「仕事の機会を市民に平等に与えるため」と言っています。市職員組合でもそろそろこの問題に取り組み始めたようですけれど、市の歳入が一割以上減になっている昨今、なかなか難しいものがあるようです。
旅は、出発当日はまずまずのお天気だったのですが、立山七合目・室堂平の「ホテル立山」に到着した四時過ぎからポツポツと雨が降り始め、夜を通してざあざあ降り。朝九時過ぎまで降り続き、ご来迎を仰ぐことはできませんでした。それに雨は止んだものの濃霧で3メートル先も見えない有様。これでは弥陀ヶ原湿原散策は無理かとあきらめかけた頃、少しづつ霧は晴れてきて、念願の湿原を歩くことができました。
八月の終わりでも、高原はもうすっかり秋の気配。リンドウや吾亦紅、深山不知草(ミヤマシラネソウ・名前がわからない時、こういってうそぶきます)、ススキの穂もすっかり高くなっていて、このままこの湿原を吹き渡る風になってしまいたい、と思いました! かつて学生時代に、この立山に登り、ちょうど取材にきていたNHK富山取材班の人たちと一緒にとった記念写真一枚、手元に残っています。
朗読は月二回夜、仲間たちと続けていて、月一回現役声優の先生においで戴きアドバイスを受けています。七月から中島敦『悟浄出世』『悟浄歎異』に取り組みました。『西遊記』中の河童の沙悟浄が流沙河のほとりに住んでいて「我とはなんぞや」と悩み、様々な妖怪どもにその答えを求めてさまよい歩く話、玄奘法師に出会い、あの愉快な孫悟空たちと天竺まで行く話。中島敦の重厚ながら軽妙な才気に感動しつつ、楽しく勉強しました。
来月からは月当番を決めて、紹介したい作品を用意してくるという、いわばチューター方式で行こうと考えています。来年秋には小発表会もしたいし、できれば八月の市の平和のつどいなどにも「群読」で参加できたらいいね、とメンバーと話しあっています。
12月歌舞伎勘三郎出演、ぜひ私も行こうと思っています。でもチケットとれるかな?? 亡くなった母が先代の勘三郎さん、松緑さんの贔屓だったので、子供の頃からときどきお供させられました。いまの勘三郎さんがまだ五歳くらいで、町人の子供の役、「ちゃん」とかいって親子で釣りの場面を思い出します。
自転車のりあまりスピードを出されませんように。先生ほんとうにパワフルなんだから、心配になってしまいます。
2009 10・26 97

☆ 花は、今日も、ワックスがけのつづきをしました。予備室の残り半分と、パソコン部屋。
よく富士も晴れていましたので。
ずいぶん慣れてきまして、廊下にかけたときより、ずっと早く、うまくできました。残りは、寝室と、リビングダイニング。やっかいな場所を後回しにしてます。
今、通り雨があったみたいです。
さてさて、風はお元気ですか。ではでは。 花

* こういうたわいないノンビリしたメールに気がくつろぐ。
2009 10・27 97

* 二十六日、雨が明かって帰宅すると、ユーウツな用事と同時に、また、有り難い、わたしの往時の「私語」を今回は33項目に分類した、たいへんな仕事を送ってきて下さっていた。むろん全部ではありえない、今回で四度目になるが、2004年、平成十六年の一年分だけれど、それだけで、もう本にした初期三年分(「濯鱗清流」上下二巻)に匹敵する。よくもまあ…と、わがことをしていただきながら、感嘆して、それから、深く感謝。専業主婦とはいえ、お年寄りの介護もありまったくヒマな方でないのは承知している。だから、言葉もない。ありがたいことである。
書き飛ばしていたものではない、日々に心をいれて書いて書きためていたもの、それを悉く読み分けて三十三ものカテゴリーに分類し積み上げてもらっている。「言葉・文」を介しての「共生」と謂うも同じいこと。冥利に尽きる。
2009 10・28 97

* 上野千鶴子さんのメールをもらった。いつもは著作のやりとりに添えた書信で、メールでの交信は初めて。わたしのホームページを初めて観て、こんな「ハイテクな人」とは知らなかったと。「ハイテクな人」とは口が曲がっても自慢出来ない、用意してもらった構造体を初心に利用しているだけで、そのかわり、技術的に躓けばハイそれまでよ。
いまだにわたしはドーナツ版にコンテンツを保存する手順を知らないし、用いている親機では一切音声が出ないので、音楽は聴けない。それは子機のほうでやっと出来る。親機が何故音声不能なのかまったく理解できていない。
2009 10・28 97

* ロサンゼルスの池宮さんから、手紙と写真と、書籍のための前納分が送られてきた。このまえ来日の折さし上げた膳所焼の水指で、風呂中置きの茶筅飾りという写真がおもしろい。お弟子さん達も多く、みな見事に和服。写真を見ていてそこがロサンゼルスとはとても想われない。日本そのもの。
2009 10・28 97

☆ 而今   月見草
八十年代、芸能雑誌「明星」に、松任谷由実さんの創作の秘訣が、短く披露されていた。
ユーミンは、時代の三歩先を行っている自分を自覚し、「二歩戻って、大衆の一歩先あたりに足先を持っていっているのよ」と、語っていたと。
「家事はお手伝いさん任せ。料理だけは、クリエイティヴだからする」
などという発言と共に、ユーミンの記事は、まことしやかだった。ユーミンのような楽曲制作のスタンスには、自我を割り込ませる余地が、極めて小さく思われるが、ポピュラー音楽に、自己は注入しても、自我は必要ないのかもしれない。
そして、ユーミンの楽曲が、とてもわかりやすく人々に伝わり、ときに感銘深いのは、事実。
頑固一徹の職人、山下達郎さんにしても、楽曲が「売れるかどうか」は、大事中の大事らしい。
「売れる」ことに第一の意義を置いてしまうと、創作が自分の思いとズレていってしまうこともあるのではないか。
プロの創作者なら、この類のジレンマに陥るときが必ずあると聞く。
ジレンマとうまく折り合いをつけられる人は、「二歩戻って、大衆の一歩先あたりに足先を持ってい」けるかもしれない。しかし、それで、己の「今・此処」に、真実正直であると言えるだろうか。
これは、わたしの長年の疑問。
あるいは、「今・此処」に正直であり得るかどうかが、「藝術」と「商品」の違いなのだろうか。
「音楽でやりたいことがなくなった」
今月、自死した加藤和彦さんが、書き遺した言葉。
フォーク・クルセイダースやサディスティック・ミカ・バンドで、新境地を切り拓いてきた加藤さんは、「時代より早すぎた」と言われる。
ムーブメントの魁と見られていた加藤さんだったけれど、変化のめまぐるしい昨今は、そんな実感も得にくくなっていたのか。
反骨精神を持ち、時代におもねることなく表現活動をつづけてきたであろう加藤さんの自死以来、「今・此処」について、考えている。

* 「いま・ここ」は、それしかないようでいて、じつに捉えにくい一種の秘密に似ている。

* 昔勤めながら小説を一心に書いていた頃、会社から遠くない或る昼ご飯の店を借りて、昼の店仕舞いしたあと、二階席をひとり借りて「書いて」いた。そこに、お店ゆかりの書家の書かれたという「問一問」の扁額がかけてあり、太宰賞受賞のとき、お祝いにとその額をお店の姉妹から戴いた。希望したのである。

* もしただ一つだけを問うてみよ、何をお前は問うかと問われたら。
「いま・ここ」に立つとは、その問いかけの難しさに似ている。「月見草」さんはどう問いどう考えて行くだろう。
2009 10・28 97

☆ 今日もまたいいお天気で、動くと汗ばみます。 花
『モンテ・クリスト伯』は、最終巻。
『座談会』は、図書館で借りてきた文庫本で、谷崎のところを読み終えそうです。
湖の本エッセイは、『漱石「心」の問題』です。
週末はお天気崩れそうなので、明日のうちに、カーテンを洗おうと考えています。
いつも忙しい風、お元気ですか。お大切に。
2009 10・30 97

☆ 菊有佳色  花
お元気ですか、風。
今朝は寝坊しまして、小掃除は来週にします。
荷風『濹東綺譚』のようなつくり、風がお好きなの、わかります。
花は、『モンテ・クリスト伯』がついに最終巻なので、次にまたおもしろい本はないかなあ、と考えています。風、何かよさそうなのがありましたら、教えてください。
今夜は日本シリーズがありますが、楽天が出ないから、あまり気のりしません。NHK解説の大野豊さんによれば、鍵は「中継ぎと小技」とか。地味な試合になりそうです。
ではでは。
2009 10・31 97

* じつは、一昨日、昨日あたり気に掛けて思い出していた鎌倉の人から、卒業生から、短歌稿とメールとが、今朝送られてきた。作り続けているといいがと願っていたところへ。嬉しかった。「聞馨集」と題してあるこの人の歌集に、新作が加わった。よしよし。静かに拝見します。

☆ 秦先生  馨
すっかりご無沙汰しております。
HPはよく拝見しておりますので、なんとなくお会いしているような気がしておりますが、でもやはりミクシィにいらしていた頃より距
離があるような気がして、さみしくも。
私の方は7月末に仕事に戻りました。子どもが増えて、仕事にも家庭にも馬力が必要になっています。
年齢だけでなく、下の子たちを短い間隔で生んだというのも大きいのかもしれません。妊娠・育休、と二年間ずつ「走れない」状態が二回あると、ずいぶんと長いブランクです。
幸い、仕事の方はこんな私でも待っていてくれており、恵まれている、と思いながらも、「でも遠回りしたなぁ」とも思ってしまっている自分もいます。以前とは比べられないほどお財布から出ていきます。啄木になって手を見ちゃうわ、と主人につぶやいたりも。子どもはいつでも宝で、仕事やお金とは比較にならないものなのですが。でも、ありとあらゆる現実というものの重みが非常に密度を増してずっしりのしかかってきている年齢です。おそらく40代もこの重さは軽くなる気配もなく、ひたすらに増していくばかりとの予想が容易に立つのですが…。
そんな中で、一瞬の幸せを感じた時に「歌」という形にとどめておく方法をお示しいただいた先生に本当に感謝しています。
瞬時の幸福を記憶にとどめておくことすら忘れて、せっかくの幸せを浪費してしまうような余裕のなさの中、こういう形でなら日々の
中のやわらかな気持ちをいくばくかとどめておけるようになる気がしております。
ときどきに作っているだけですので一向にうまくならないのを感じつつも、また甘えてお送りしたいと思います。
お送りしようと思って読み返すと、どうやら私は子ども達の寝顔が好きなようです。寝ている子をよんだものが多いのに気づきました。
先生の日記の中で法律事務所からのメールをすぐには開ける気にはならず、と拝読したとき、あまりにもそのお気持ちが身につまされました。
一人の「島」を強く感じつつも、ともに立ってくれる人の貴重さをもまた強く強く感じるのが、私くらいの年齢なのかもしれません。
先生もお心を強くお持ちになって、奥様と人生の色彩を鮮やかにお過ごしくださいますよう。
冬に向かい体調を整えにくくなってきますが、どうぞどうぞご自愛くださいませ。

* 良夜かな赤子の寝息( )のごとく   富安風生  (漢字一字、入れたまへ。)
2009 11・1 98

☆ 江口  木守
友枝昭世さんも「江口」も観たことがなかったので、九月の発売日にずいぶん頑張って電話し続けたのですけれど、チケットがとれませんでした。素晴らしかったようで、益々残念です。是非ご批評を読ませていただきたいと思います。
皇室の名宝展、明日が第一期の最終日なので、午前中の用事がてら駆け込みで観てきました。混雑していましたが、入場に並ぶほどではなくて幸い。伊藤若冲の鶏たちの、画面を突き破りそうなほどの生命力に圧倒され、ふと荒ぶる魂という言葉を思い出しました。
肌寒くなってくます、どうぞ身も心もほかほかにお過ごしくださいますように。

* 昔風にいうと、明日は、明治節。明治節はいつも好天だった記憶がある。今年はどうか。秋冷え厳しいが。
2009 11・2 98

☆ 天才とは  白菊
アメリカの英才教育についてのテレビ番組を、チラチラ見ていた。
IQ100を超える子供たちを集め、独自の方法で学ばせ、能力を伸ばしているという学校への取材で、「今、関心のあることは」と訊ねていた。
「北朝鮮問題や、中国の外交問題」
「自動車などの排出する温室効果ガスによる温暖化の問題」
映し出された子供たちの、教科書的に模範的な答えに、大人たちは、感心するだろうか。
脳科学者の茂木健一郎さんは、十四歳まで読み書きのできなかった福沢諭吉を例に引き、
「子供が大人のようなことをするのが優れているという価値観は、少し違うのでは」と、異見していた。「子供の頃に享受する刺戟によってはたらく脳のメカニズムは、大人とはまったく異なる」とも言っていた。
遺伝子の研究をしている友人から、脳は、後天的な刺戟により、どんどん活発になってゆくと聞いたことがある。いかなる個体にあっても、脳のはたらきの限定的に語れないのは、確からしい。
アメリカの天才児たちの話に戻れば、たとえそれが何かの受け売りであろうと、自由に発言できる場のあることは、よいことに違いない。もし、日本の小学校あたりで、上のような発言をする子がいたら、孤立しそう。
かといって、アメリカでいつも自由な発言が許されているわけではないことは、マッカーシズムや、イラク戦争時の言論弾圧などで明らか。
自由な発言をしているようで、当局にとって安全圏内のことしか言わないよう、巧妙に馴致されていることだってある。それを見抜けるかどうかにおいて、また、馴致されないことにおいて、生まれつきの天才であるかどうかは、あまり関係ない気がする。

* わたしが、一字サゲで ☆ を打って紹介している文章は、もう云うまでもないがわたし自身の書いたものでなく、戴いたメールや、ブログの記事である。あるいは何らか、特に書き起こされ、転載をゆるされている文章である。名乗りは、わたしがそのつど好き勝手につけている。
共感して転載する記事もあれば、人はどう思われるだろうと批評的に転載するものも、ある。そういう取捨の中へわたし自身の思いを反映させ得ているだろうと思う。わたしの身近な世間や身近な世界もまたそこへ映し出される。ただ一途に書きつづられる私的に、個人的に過ぎた「日録」の単調や曲の無さを、少しでも避けたいとわたしは願ってきた。
2009 11・3 98

* 朝寝すると一日が短くなる。家を温めることへ気を遣う季節になった。機械の前で、薄着ではないのに、煖房しているのに、膝うえがひやひやする。

* 高校生にむかい「男は風邪をひくな」と教えた先生がおられた、と、東工大の教室で学生に聴いた。一緒に聴いた学生達もどよめいた。「男は」に意味はあるまい、男子高校であったのだろうし東工大では男子が女子の十一から十三倍だった。気力をうしなわず「油断無かれ」と誡められたと思う。感銘を受けた。
やはり高校生にむかい、「十七にして親をゆるせ」と教えられた先生もある。これにも満堂が揺れた。一人で「起て」と教えられたのであろう。すばらしい。生涯の思い出としてこの言葉を高校から東工大の教室へもたらしたあの学生クン、いま、どこでどう「起って」「歩んで」いるだろう。
2009 11・4 98

☆ お元気ですか、風。
発送前に、どんな風にお過ごしかな、と想ってみたり。
ベンジャミンの鉢、(屋内に入れるの=)重かったでしょう。
風は力もちなんですね。だから、運べるのね。
うちの紅葉、少し色づいてきましたよ。
ずいぶん背丈が伸び、幹太になりました。
葉が散ったら、カッコよく剪定してあげようと思っています。
花は、構想に悩みつつ、小説を書き始めています。今此処を自身に問いかけながら。
ではでは。花は元気ですよ。

* ひとり留守番しているところへ、こういう便りが富士山の向こうからぴょこんと届いていたのを見付けると、思わず「ありがとう」と声になる。
2009 11・7 98

☆ 低反発至上主義  少納言
肩こりがひどい。
美容院でマッサージしてもらうとき、
「張ってますね。どこが骨かわかりません」
とまで言われ、恐縮する。眼精疲労からくる首筋から背にかけての凝りだろうと思いながら、就寝時の枕が合っていないのではないかとも疑っていた。
昨夜、試しに、枕を変えてみた。
十年以上使っていた、いただきものの低反発枕から、来客用に買っておいた薄めの羽毛枕へ。
今朝、目覚めてみて、普段よりラクな感じがした。いつもは、半身を俯きがちに起こし、一夜のうちにカチコチに固まった背中の筋をしばらく伸ばさないことには、動き出せないのだけれど。
低反発素材は体にいい、という説に、違和を感じはじめた頃、低反発のベッドからスプリングマットに変えたら起床時の体の痛みがなくなったという記事を読んだ。
低反発素材は、体を沈ませるように受け止めるが、そこに、功があり、人によっては、罪もあるのではないか。わたしの場合、低反発枕に沈んだ頭が、寝返りを打ちたい体についていっていないせいで、無理な恰好になり、首に負担がかかっていると感じたことがある。低反発至上主義を、疑ってみなければならない時期が来ていたのだろう。
薄めの羽毛枕は、柔軟性があり、寝返りを妨げず、ほどよい角度で頭を支えてくれた。
このまま肩こりがよくなってくれるといいけれど。

* 「黒いピン」も関わっていようか。「枕」の厄介には多年悩んできた。一年ほど前から、妻が、当座の工作、手製というにも当たらない幾重にもモノを巻き、ちょうど昆布巻を叩いて平たくしたような低い長枕をつくってくれてからは、著しく首・肩の凝りが減退し、無呼吸睡眠からも抜け出した気がする。
それにしても、「低反発至上主義」という言葉のおもしろさに目をとめる。なんだか、広範囲の人に実例の認めうる「批評」語の気味。これ、使える。
2009 11・8 98

☆ 行政改革刷新会議  颪
政府による事業仕分けが、昨日からはじまった。
事業仕分けの作業は、割り当て予算をかすめとる小判鮫団体を洗い出し、構造そのものにメスを入れるものと思われ、国民が政府に実現してほしいと望む最高位の政策だろう。
会議場は、予想どおり、殺伐としている。
仕分け人たちは、会議に出席している官僚たちに厳しいなあと感じるが、やんわり接していたら、なんだかんだ言って煙に巻きそうなのも官僚。しばし、性悪説も仕方ないか。
発足から二ヶ月足らずで、早速、天下り問題に着手した政権を応援する。
すぐに成果が表れなくても、慌てない。
やる気マンマンの与党議員たち、激務で体を壊さないでほしい。

* そう。やることは、断乎、やってほしい。政府与党の身内から浅はかに水を掛ける真似、慎んで欲しい。これは過去の政権の絶対にやれなかった革新的な試み、有意義な断行。
2009 11・12 98

☆ 湖の本101 発刊おめでとうございます。 晴
城景都様の表紙の絵。斬新な美しさ。
秦様の若々しさを思はせられ、次なる100巻を期待して充分と嬉しくなりました。第1号を送っていただいたときの喜ばしい驚愕を思い出してしまいました。
ずっしりと手に重いご本に、封を切るのももどかしく、玄関から立ち読みしかねない有様でした。内容もずっしりと重く、読み止まれないのですが、先ずは、お祝いとお礼をとメール致します。
中仕切りと仰っておられます101号
次号からのためにもどうぞご夫妻のお身体お大切を第一にとお過ごし下さい。
追伸
余分なことかもしれませんが、本の表紙が上の方少し折れていました。新しい絵でしたので、チョッピリと悲しい気分でした。しっかりと折り目がついて折れていたのではないのです。表紙と次の緑の頁が袋にひっかかって出来たのでしょうか。初めてのことです。一冊だけであります様に。

* 感謝。 案じていた表紙の折れが出ていたこと、申し訳なく、残念。費用を掛けて封筒を新しいモノで送ったが、封なかのテボテボにわるく引っかからないかと、封入の折から気がかりだった。ご免なさい。「若々しさを思はせられ」にも、恐縮。

☆ 京都ののばらです! 従妹
こんばんは!
ずっしりと手応えのある新しい湖の本、
『凶器』届きました。
いつもありがとうございます。
「第百一巻」のご出版おめでとうございます。
早速に封を切って、美しい表紙絵にドキッ、 表題の『凶器』にドキッ、でした。
素敵な表紙絵ですね。
力強い若さと美しさの魅力に溢れていて、気持ちが引き締まるように感じます。
これからも回を重ねてご活躍されますよう応援しています。
こちらは少し気温も下がってきて、紅葉も見ごろになってきました。
また東京へ出向きました折りにでも、お目にかかる機会がありますよう願っています。
発送のお疲れなど出ませんよう、インフルエンザにもお気をつけて、どうぞお大切にお過ごしください。
2009 11・12 98

☆ まだ降っていませんが、
いつ降りだしてもおかしくない空と気温です。
お元気ですか、風。
ご本、ずっしりと、届きました。
ありがとうございました。
さぞ重かったでしょう、内容共に。
花、元気ですよ。ではでは。

* 夜の十時半。雨音はげしく降りついでいる。

☆ 馬籠から妻籠へ遊山しての帰宅です。不折装丁の初版本を見られたことだけで感激でした。
取り急ぎご本拝受お知らせまで。雨で冷え込んできました。どうかご自愛のほどお願いいたします。  湖雀
2009 11・13 98

* ずしりと重いものを届けたのへ、反響も届き始めている。

☆ 新刊 拝受しました。
表紙に、どっきり。加山又造の絵に金属の月が貼り付けてあったのを見たときのやうに。
読みました。「凶器」・・キヨウキ・・「狂気」。文学の力をかんじます。やはり稀有の作家であると。おげんきで。 嵯

☆ 怨と恨  金之助
「知るを楽しむ」といったか、NHKの番組で、戦後の日本の漢字政策を特集していた。
「当用漢字」が策定されて以来の、易しい漢字使用の原則を見直すきっかけとなった出来事は、水俣病患者たちの掲げた「怨」旗だったと。
石牟礼道子さんによって提案された「怨」は、当用漢字ではなかった。
「怨」に相当する漢字として、当用漢字には「恨」があったが、両者の意味は、深いところで異なる。
「怨」は、「他からの仕打ちを憎む」の意。
自分に対して起こる「後悔」の意を持つ「恨」とは、違う。
水俣の人々の意を汲むべき旗文字として、「恨」では、決定的に違う。事態を受け、当時のマスコミも、当用漢字使用の原則を逸脱し、「怨」の字を紙面に伝えた、と。
言語統制は、西欧諸国によるアフリカ、アジア、南米支配、また、日本の沖縄、アジア支配などをいうまでもなく、占領上重要な政策である。
GHQ主導の下に行われた日本の国語改革において、「恨」を残し、「怨」を外した当用漢字策定に、それぞれの漢字の深意を選別する意志のはたらきを思うのは、うがちすぎだろうか。

☆ 雨、止みました。
鏤月裁雲、鏡天払愁  お元気ですか、風。
肩こりは、枕の合っていなかったことがよくなかったらしく、昨夜、薄い羽毛枕の下に、バスタオルを折って敷いたら、さらに改善されました。
『椿説弓張月』の方は、筋を知らないので、読んでみたいなあと思ったのですが、『八犬伝』もおもしろそうですねえ。
さてさて。静かに、冬将軍を待ちながら、元気に過ごしています。花

☆ これまでにない重い本、お疲れ様。 泉
上野公園道筋に設置された華灯路、広重の「名所江戸百景」の行灯の一つです。面白く観てきました。
吾妻橋、言問橋、夕景の勝どき橋を渡りました。

* 「松」クンの「mixi」日記を貰った。彼はいまや「ホフマン」を読んでいる。彼が音楽を愛してやまないことは東工大の昔からよくよく承知。そこからついにドイツ文学へ手が届いてきた。べつに彼は夙に美術も愛し始めている。そして「山」もある。大学生、院生のころから扇をひろげるように生活を美しく豊かにしてきた、いまではむしろ珍しい一人になった。
わたしは音楽がすきだが、百人が百人なみの凡常の愛好に過ぎない。ホフマンの方は音楽によりも今少し身をまぢかに寄せてきた。『黄金寶壺』のような愛読書ももっている。

☆ ホフマンの『クライスレリアーナ』を読んで   松
ドイツロマン派全集No.13 ホフマンⅡ ㈱国書刊行会所収 クライスレリアーナ(クライスラー楽長) 伊狩裕訳 青柳いづみこさんの本を読んでいたらクライスレリアーナの話が出ていたので、久々に図書館で読み直した。
クライスレリアーナは、架空の楽長クライスラーの、音楽に関する覚書や手紙から構成されている。小説の形を借りた、作者の音楽論と言っても良いと思う。
楽長クライスラーは『音楽至上主義者』である。ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドンを讃え、音楽を理解しない人を罵り、音楽の素晴らしさを語る。文章は飽くまでロマンチックであり、精神的な高みにある者こそが真の音楽を奏でることができる、というような話が続く。
小説としてはあまりに突拍子も無い話だが、シューマンやブラームスが模範とした音楽観を知るためには面白い本だと思う。私自身も音楽で心の内を表現したい、と思っている方なので、面白く読むことができた。
このクライスレリアーナは音楽用語が飛び交う本だが、訳者は読みやすい日本語にしている。音楽の専門家の助けを借りているのだろうか。おかげで熱病にうなされて書いたような文章を分かりやすく読むことができる。
クライスレリアーナを基にして、シューマンが同名の素晴らしい曲を書いている。
第一曲目からして、異常な世界。絶望と、慟哭と、狂気すれすれの音楽が展開される。憧れに満ちた2曲目が終わると、悲劇的な3曲目になる。4、5、6曲目はひたすら内向的な曲。自分の内面の闇の世界に沈み込んだような曲だ。情熱的な7曲目は嵐のように過ぎ去る。最終8曲目は理想のために闘い、敗れ、失意のうちに死んでいくクライスラーの姿が描かれているように感じる。ホフマンの狂気の世界を可能な限り音として表現している名曲だと思う。
青柳いづみこさんは、『シューマンのクライスレリアーナを聞いても、所詮ホフマンの異常な世界は音には移せない。』と書いている。おそらく理性が強く、文学を愛する青柳さんだからこう書いているのだろうが、彼女はシューマンの曲以上の、狂気の世界を文章から読み取っているのだろうか。

* ホフマンを「狂気」と感じているのが面白い。存外に「凶器」であるのかも。
2009 11・14 98

* 朝一番に、或る著名な男性俳優氏から、『凶器』への礼と感想とを告げる佳いメールを戴いた。
2009 11・15 98

☆ 天皇制について
秦さま 今まで遠慮していたのですが、天皇制というのは「身分差別」ですよね。秦さんに一度お尋ねしたことがありますが、見ていると天皇制を認めておられるように見えます。なぜ在位二十周年を祝ったりするのでしょう?  某氏

* 某 様
私は、天皇制の「存在してきた」ことを「識っている」のです。
わたしは「生まれつき高い地位や権勢を持った存在」は、戦中少年の昔から「認めたくない」人でした。「認めさせられてきた」から、そのような制度の存在を、自分はたんに「識っている、学習を強いられてきた」と思っているのです。
天皇という文化が、制度が、日本国に実在してきた歴史を、少なくも「制度としては否定する大きな機会」を一度見失ったと思っています。
同時に、わたしをも含めてですが「日本人の愚かさ」からすると、天皇制に変わる人民支配の権力機構ははてしなく危険を帯びるとも感じています。
天皇制と関係なく、というリクツは説明不可能ですけれども、いまの天皇夫妻に対する人間的な親愛感は個人的に否定できないのです。伊藤博文このかたのどの総理大臣にも滴ほども感じられなかった、「平和な親愛」が持てるのです。たぶん同時代を同世代とし
て七十四年生きてきたという、一つの「シンボルとして」でしょう。美空ひばりなみなのです。或いはわたしのいう濯鱗清流の「一清流」にあたっていたという評価と好みの問題です。天皇制を肯定する、認知するのとは全然異なります。
制度として無くて済むならどんなにいいかと、いつも思う。しかし制度のない社会はあり得ないから、べつの制度が現れたときに、はたして何が現れるのでしょうね。信頼しにくい。
そういう、その程度のバランスにおいてわたしは「日本の國の天皇制の存在を識っている」だけです。「在位二十周年」といった制度的祝賀の気持ちはまったく、ゼロ。
わたしとほぼ同じく腰が曲がり、白髪と皺とのふえたお二人の健康にたいし、お元気でと呟くだけのことです。秦 恒平
2009 11・15 98

☆ 湖の本ありがとうございました。 郁
装い新たに 湖の本101号を拝受いたしました。有難うございました。 なんと!ドキッとするような、それでいて手にしたくなるような すこし恥ずかしいながら見つめていたいような すばらしい表紙でございます。さすが! レイアウトもすばらしく。
内容も今までの小説ではなく ドキュメンタリーな内容に身に迫ってくる気持ちになります。あらためて驚きを覚えます。
申しおくれましたがお元気なのでしょうね!! ご健勝をひたすら祈っています。

* 奮励、夕方には、とにかくも一段落して、あとは数日掛けて補充的に送ってゆく。いつもの倍の労働量で、しかも少し弱っていたので、妻にいつもの倍も助けてもらった。感謝。
夕食後、疲れて二人とも寝入ってしまった。数日、ゆっくりしたい。気分をかえにからだを優しく動かしたい。

☆ ご本届きました。 波
湖様  波です。ご無沙汰しております。 101号 「凶器」をお送りいただきありがとうございました。
まず、その厚みと表紙に驚きました。 表紙、なんと美しく官能的なことでしょう。
今日は暖かく雲ひとつないよい日でした。黒いピンをすっかり抜いて洗濯物をしたり、クリスマスローズの苗を植えたりして半日を過ごしました。午後は仕事が1件。そのあと母たちの所に寄ってきました。休日ももう少しで終わります。
どうぞお体に気をつけてご活躍くださいますようお祈りいたします。

* 誤記一箇所を見付けて頂いた。ウーン…。感謝。
2009 11・15 98

☆ 『湖の本』第一○一巻拝受、新たなる第一歩が長編「わたしの私小説」の書き下ろしとは!  秦さんらしい正々堂々たるご出発ですね。お身体お大切に、いつまでも、命ある限り歩みつづけて下さい。  元大手出版部長

* 清水英夫さんからは「今回の御作品は私にも関係深い小説だと存じますので、楽しみに拝読させていただきます」と。感謝。

☆ 記念すべき101号に弊社代表 城景都の作品を引き続き、ご利用いただき大変感謝しております。
以前、ご相談のメールをいただきまして、折れ山の件など、心配しておりましたが、とても美しく掲載していただき、安心いたしました。
代表も早速、嬉々として来客の方々にお見せしております。
今回の、表紙が一新された「湖の本」を弊社のホームページのトピックスとして紹介させていただきたいと考えております。毎回、お願いばかりして申し訳ございません。
掲載内容は表紙の画像と「湖の本」のご紹介を予定しております、是非ともお許しをいただければと願っておりますが、もし支障がありましたら、掲載はいたしませんので何なりとお申し付けくださいませ。
どうぞご検討のほど、お願いいたします。
今後ともJ.K版画工房を、宜しくお願いいたします。
2009 11・16 98

☆ 「クライスレリアーナ」
楽譜のまえに書かれていた解説はじめてをよんでみました。
むかしむかし、曲に取り掛かったころは、無頓着に、なんとか弾いて先生の「よろしい」をもらっていました。そのあとは有名なピアニストから、同門の人たちの演奏までたくさんの「クライスレリアーナ」を聴きましたが、「狂気」を持っている人と、もちろん、それを人に伝える技術もふくめて、持っていない人、いろいろな人の好みもあり、それにも影響されたりして、たいへんでした。
ホフマンは、小説、シューマンは、楽譜を残しました。シューマンは、自分で文章も残しています。自分の「クライスレリアーナ」の解説のようなもの。いろいろ説明していますが、もうそこまで。あとは奏者の「狂気」と、どのように響きあうか、奏者は聴く人の「狂気」を目ざめさせられるか、と、作品がひとり歩きをするようにおもいます。このごろは、「狂気」が体力を消耗します。やれやれ。ほね休みをなっさってください。 峨

☆ 朝夕の冷え込みも厳しくなってきました。
昨日は主人と黒谷さんから真如堂、法然院、銀閣寺と歩いてきました。
真如堂はお十夜法要結願の日で賑わっていました。
紅葉は来週あたりが最高の見ごろかと思いますが、連休なので身動き出来ない程の混雑になることでしょう。
娘は東大泉に居ります。来年の春に行く予定です、その折には連絡させていただきます。お目にかかれるのを楽しみにしています。
いつもにも増しての気力、体力をお使いのご出版と存じます。奥様共々お疲れが早く癒えますよう願っています。
ご本は折り目も付かずきれいに届きました。
それでは、お風邪など引かれませんようお元気でお過ごしください。 従妹
2009 11・16 98

☆ 湖の本 ありがとうございました。
昨日読み終えました。
すぐに読み始めたのは、「今・此処」でこの大冊を出版なさいました意味を重く受け止めたからです。「遺書」として読ませていただきました。途中ずいぶん泣いてしまったので、読むのに時間がかかりました。
感想は山ほどございますが、文学作品(フィクション)への感想なのか、書かれてある事柄への感想なのか今はまだ区別をつけられません。以前『かくのごとき、死』にぜひ続編がほしいと申しましたが、単なる続編ではありませんでした。父と、父の才能を濃厚に受け継ぐ娘とが、文学という、言葉という凶器をもって刺し違えていくさまに、ただもう読みながら呻いていました。凄まじいと思いました。
あとがきに書かれてあります現代文学とインターネットの問題についての洞察は、後々の指針となる優れたもので、感嘆いたしました。
この一冊を成し遂げられましたこと、深刻な内容、重たい発送作業でいらしたこと、どれほどお身体に障りましたことかと、色々ご案じ申し上げています。どうか、ごゆっくり休養なさることができますように。
表紙はとても気に入りました。難点は、電車に乗りながら読むにはちょっと周囲の視線が気になるかと。お笑いください。おやすみなさいませ。  霖雨

* 「いま・ここ」にソレがあり、書くべしと催すちからを感じて、書いた。それだけ。
方法としては、第一義が「伝達」という難しい枠組みであった。伝達には概念が有効だが、概念的になるのは文学ではモットモ忌むべきでありながら、概念を多用するのが前提の文書という制限は動かせない。とすると、制限内で、どれほど率直に「モノ・コト・ヒト」を造形し表現できるか。なにかの「続編」という感覚でなく、最も非文学的な制約を前提に「文学する」難しさに立ち向かうこと、それが今度の「実験」であった。

☆ お元気ですか。
ひさしぶりにHPを読みました。湖の本は先週届いていたようで、これから読み始めます。
表紙が新しくなって、いささかドキッとしました。官能的じゃなくて官能そのもの、と思いました。カバーをして読みます!
急に寒くなって十二月末あたりの気温とか、一日中雨で暗い室内です。
大きな蕪を買ったので、我流で千枚漬けを作ります。そして蕪蒸しなども。一緒に炊くものはその時のあり合わせですけれど。
くれぐれも風邪など引きませんよう。足腰大事になさって歩いてください。 鳶

☆ 今日は冷えましたね   花
お元気ですか。
朝からずっと冷たい雨です。
でも、用事があるから出かけました。買ったばかりのレインシューズを履いて。
さてさて、今度の表紙は、ちょっとドキッとしましたよ。
ああいう絵があったのですね。城景都さんのHPを見てみました。
とてもおもしろいと思いました。
風は発送作業にひと段落ついたのでしょうか。お体、いたわってください。
ではでは。

* 今度の「湖の本101」倍大書き下ろし長編小説『凶器』の美しい表紙絵は、むかぁし、城景都氏にもらって秘蔵していた繪を宛てたのだが、むろん、「湖」底の女と想いさだめていた。想い描かせる掌説をわたしは新聞三社連載の『冬祭り』のなかで、七曜の、「水」と題して書いている。サービスに、ちょっと掲げておく。

☆  水   秦 恒平

男はあむけに寝ていた。空はきれいに晴れていた。ちぎったような雲が大波にみえ、刷いたような雲は小波にみえた。
高いところを速い大きな鳥が翔んで行った。たくさんの鳩も、一度、二度輪を描いて翔んで行った。魚みたいだと男は想った。
雲が波で、鳥が魚で──、すると、あの真っ蒼な天ははるかな水面だ。男は波を乗せてゆっくり流れる水面を、気が遠くむなりそうにじっとあおむいたまま見あげていた。
男はまた想った。あのきれいに蒼い遠くが水面なら、自分は深い深い水の底に横たわっているのか。そうだと男は自分で自分に返事した。
男は愉快だった気分に、すこし不安なかげが落ちかかるのを感じた。あの遥かな高いところから、どうしてこう深々と沈んでしまったのか。男はしだいに息苦しかった。起った。地を蹴っては腕をあげ、物狂おしく揺った。天は高く高く、眼にしみる蒼さではればれと照っていた。
女が来た。
女は男の話を聴き、うす笑いを浮かべて、面白いじゃない、と言った。男はすこし青い顔になって女をにらんだ。
女は山へ遊びに行きましょうよと男を誘った。山には鏡のように澄んだ深い池がある。池には魚もいる。泳ぐこともできる。女は上機嫌で、笑談らしく言った、水の底がどんなか、あたし魔法を使って、あんたを小石にしてその池に沈めてあげる。
女と男は、それから、山へ出かけた。鏡のような池は、山ふところに蒼空を浮かべて、ひっそり崖のしたに沈んでいた。あれは空を翔ぶ鳥か、水を泳ぐ魚かと、きらきら光るかすかな影を男は指さして女に問うた。女もうしろから覗きこみ、自分でたしかめて来るといいわと笑い声ともども、男を池につき落とした。男は黒い一つの石ころとなって池の芯をまっすぐ沈んだ。
池の水はそれは澄んでいた。遠い水面が明るく蒼く輝いていた。雲か波か。魚か鳥か。石になった男はやはり分別をつけかねて、じっと、潤んで光る一枚の鏡を見あげた。その鏡を、女の顔が笑ってのぞいているのを、男は遠い想い出のようにつくづく見た。男は女を愛していた。
突如、白く燃えたかげが宙を飛んで、鏡はこなごなに割れた。だが無数の破片はやがてもとの一枚の鏡にみるみるもどる、と、さながら蒼空を舞う天女のように、裸形の女が悠々と、欣然と游ぐ姿をうつしだした。
身に水垢を生じながら、石になった男は池の底からまじろぎもせず、女のまぶしい姿態に見惚れていた。
水の底も住めば天国でしょう。
女は朗らかに笑った。男は女の声を聞いていなかった。
ああ、なんと美しい乳房の、水にさからいつむつむと盛りあげたあの、まるいはずみ。
大粒の真珠を見え隠れに光らせ、しなやかに屈伸する二本の脚のあわいに一条の翳を沈めて、なだらかにふくらんだ双つの丘。
だが──美しいその裸形に、へそがない。
男のくらい沈黙に気づくと、女は深く水をくぐって池の底から石の男をすくいあげ、そっと地上へなげ返した。
へそなんか、無くてもいいさ。
男は、池の芯へ大声で叫んだが女の姿ははやかき消え、一枚の、天上とも池底とも知れぬ澄んだ鏡が、刻々とひび割れて行った。

* こういう「掌説」が六十編以上ある。城景都氏の繪と競作の展覧会がいつか出来れば嬉しいが。誰か、スポンサーはいないかな。

☆ (前略) 七十五歳に近い方のお仕事とは思えません。私もその年齢まで仕事ができればと願っています。  歴史学者

* こういう感想もあるのだと、ふと仕事を見なおす目をもった。元気でなければ出来ないか、あるいはバカでなくては出来ないか、おそろしく緻密な力業であることはまちがいなく、ひょっとしてまだ気力があるのか、バカになってきたのかと、とまどう。
巻頭にかかげた清水房雄さんの短歌「思ふさま生きしと思ふ父の遺書に長き苦しみといふ語ありにき」という歌にかけてか、こんな感想も届いている。

☆ (前略)肉親とは   歌人
まったく厄介なものだと存じます。私は不惑を過ぎたころから、ようやく父親のことを理解できるようになりました。父は私の十九のときに亡くなりましたが、父に失望させてばかりおりました。現在の私を見たら、父は卒倒して了うのではないかと存じております。出来が悪いのは私の責任が半分、小谷野責任が半分と自ら慰めております。幸か不幸か子供はおりませんが、これも運命と、思い定めております。御著によっていろいろ考えさせられました。草々
2009 11・17 98

* 梅原猛さんから湖の本101への礼状が届いてビックリした。神坂次郎さんからも。大学の研究室等からも二十校ほどもう受領の礼信が。
読者の払込票も好調に。二倍大の大冊におどろき、「凶器」という題におどろき、そして城景都の、ある人によれば官能的というより「官能そのもの」の裸婦像にも、内々案じていたより、「ひょう!」と声を発しながら「美しい」「すてき」と目下好評で、ほっとしている。
心身健康でャンとしていなかったらとても書けない創作・フィクションと読んで下さっている。ありがたい。「新出発」とも認定されている。ありがたい。表紙製版もふくめて制作費の請求書もガーンと倍大であるが、読者のみなさんからも応援を戴いている。ありがたい。そして励まされる。

☆ 近頃、お目にかかりませんがお変わりなくお暮らしかしらと思っておりましたが、本日、『湖(うみ)の本』が届きました。ずしりとした手ごたえのご本に仕上がっていて、「ああ、障り無い日々をお暮らしだったんだ。お出ましにならなかったのは、このご本に心血注いでおいでだったんだ」と安堵しています。
今月から来月にかけて、担当の「ペンの日」懇親会や講演会がありバタバタと落ち着かぬ日々でございます。
いつもお心にかけてくださりありがとうございます。
まずは、メールにて御礼を申し上げます。  ペン事務局

* 読者のみなさんの共感と激励、降るように来る。
20-09 11・18 98

* もう東工大を退官して十一年半になる。
退任の平成三年卒業式にわたしも列席したが、その日に学部を卒業した学生達は、入学の年に、初開講のわたしの教室に姿をみせたヒトたちだった。新学年は、各学年生達が、どの講座に登録しようかと試験的にいろんな先生の所を聴いてまわるが、いまでも信じられない、わたしの所へ廊下にもあふれるほど群集し、なぜだか、とめどなく笑いの渦で教室が揺れるほどだった。そんなに面白いことをわたしが話せたとはとても想えないのだが。そしてその年度も次の年も、数百が限度の大教室に、千人近く、つまり学年生の全員近くが「文学概論」に登録してきた。仕方なく半分は聴講、半分は論文審査という方法を採らねばならず、成績をつけるために数百の提出論文を読むのは半期ごとの大仕事だった。講義には十分工夫をした。聴きながら書きながら考えるという、「ながら」方式を徹底することで「わたし」に参加して貰った。在任中に学生達がわたしに書いて提出した「思案」「挨拶」の量は、三百枚平均の単行本ならちょうど百冊分に相当するほどだった。
その延長で、いま以てときに「思案・挨拶」を書いて送ってきてくれる卒業生がある。会いましょうと言ってきてくれる人もいる。
2009 11・18 98

☆ 「湖の本」第101巻『凶器』 誠にありがとうございます。 女子大学長 作家
旺盛な御文業に敬服するばかりです。言論表現・思想信条の自由のために益々御尽力下さることと、心づよく存じております。

☆ 冠省 開封して、どきっとする作品名に   作家
度肝をぬかれました。それにしても六ヶ月でかかる大作を完成した大兄の筆力に敬意を表します。 私小説に非ざる私小説ではないか、と想像しているこの大作をゆっくり拝読します。

☆ 秦恒平様   ドイツ文学者  文藝批評家
分厚い《湖の本》『凶器』が送られてきました。
《湖の本》がいつか100巻を超えたことを、まずお喜び申し上げます。営々たるお仕事ぶり、またその早さ、量の膨大さに、怠け者
の小生など、茫然とするばかりです。しかも、それらの多くが、東工大当時に学生から教わったというパソコンでなされているという
こと、『濯鱗清流』によれば大兄のパソコンには無慮数万枚がまだあるとのこと。
ご覧のように小生もパソコンを使ってはいますが、それは翻訳とわずかな原稿と手紙に使うのみで、とても日録をパソコンに入れるなどということはできない。第一、小生には 「日記」をつけるという勤勉さがないのであります。ただ手帖に、ゲーテを読んだ日には 「ゲーテを読む」 と書くだけ。大兄の多産な筆力、想像力豊かな《文学作法》にはつくづくと頭が下がります。
《湖の本》というかたちでみずからの著作全集をつくり、また読者とじかに交渉をもつという大兄の《文学的生き方》は、文壇でもまったく独自なもの。すばらしいですね。
当方はますますドイツ文学者になってゆきます。たまに日本文学に関連してなにかを書いたり、話したりすることはあるけれど。
「私語の刻」 によると糖尿病がだいぶお悪いとか、大兄の文学魂がそれを抑えつけているのでしょうが、どうぞお大事に。
冬になります。風邪など引かぬように。  十一月十六日

* 東大教授の上野千鶴子さんにも手紙を戴いた。おなじ国文学の学会でお互いに参与に名を連ねている方からは、わざわざ電話で励まして頂いた。異色で緻密な作であり、ある新聞社に書評で取り上げるように薦めましたとも。恐縮。感謝。
2009 11・20 98

☆ まるで何かを祝福するように、よく晴れています。
さてさて、花はこれから、エアロバイクの組み立て。
初級者向けの小ぶりなものです。
風のサイクリングと同じことを、花は部屋の中でします。
今はヨガやエアロビなどのエクセサイズを何もしていないので、運動不足気味。体力づくりを少しはしなければ、いきいき咲くために。
ではでは、風、お元気にお過ごしください。  花

☆ 冠省  エッセイスト
このたびはご高著、湖の本『凶器』をご恵投いただき有難うございました。ウエブ時代のあたらしい「日記文学」と実験的私小説の可能性に挑戦された画期的作品と拝察しました。いつもながら、旺盛な執筆意欲に感服しております。

* 払込票での反応がすこぶる良い。
まだ追加で送りたい先がある。ほとほと宛名を書くのが気重いが、ゆっくりゆっくり根気よく。
2009 11・21 98

* 横浜そごう九階の画廊「ただ」へ、妻と、親友堤彧子さんの水彩画展を観に出かけた。きのうとはうって変わった好天。品川から東海道線を利用してラクに着。

* 水彩が本来の人ではない、やはり油絵渾身の作を観たかったが。水彩の二、三佳作もあった。水彩は水彩で、わたしは前から関心深い。何故か。日本人の、どうしても油絵で出せない、しかし日本画では描けない、そういう独自に質も技法も洋画や日本画と異なる「水彩世界の構築と探求」が、どう堅固な表現として絵画として結実するか、その期待。水彩画とはそういう探求の分野だと観てきた。異様なまで高度に難しい研究課題が「水彩」にはまだ残っていればこその、「水彩」の選択でありたい。大下藤次郎の昔からの日本水彩画が、日本画でも洋画でも遂げ得ないどんな特異な画面を新世紀の「文化遺産」として遺しうるか、それが仮題であり願いなのである。単なる「絵の具」の選択とは問題が違うと想っている。突破して行かねばならぬ隘路は、或いは「線」との交響あるかも知れない。この辺は、金澤にいる細川弘司くんに教わりたいものだ。
それでも、あれだけの個展へ作品を結集させたのは、たいした画家の努力であった。もうこれでオシマイなどと言わず、がんばってまた水彩も油絵も観せて欲しい。

* 天気はよし、せっかく横浜へ来たのだしと思えども、地理を知らない。偶然、海上の乗り合いバスのあるのを見付け、山下公園まで船で往復してきた。公園前のニューグランドホテルのレストランで遅めの昼食。ワイン。また横浜駅へシー・バスで戻って、東海道線で品川・池袋経由、帰宅。六時半。温かい一日だった。乗り物では、権田さんに戴いた『松本清張論』に読み耽っていた。
2009 11・23 98

☆ 暑いくらいの  花
晴れです。やたらと暖かかったり、寒かったり、変な天気。
お元気ですか、風。
湖の本『漱石 心の問題』を読み終えました。『こころ』は、もう、風の読み以外の読み方はできませんね。
谷崎のもそうです。『蘆刈』や『夢の浮橋』など、風の読み以外はできなくなりました。
プラトンの『国家』ですか。『饗宴』は読んだことあるけれど。
花のまだ読んだことない本は、たーくさんありすぎです。楽しみ尽きない。ではでは。お元気で、

* 広島の理史くんから「強力」「八郷」清酒二本が送られてきた、ありがとう。純米で、両方ともとても美味しい。ありがとう。
わたしは、理史くん自身がお酒を飲む人か呑まない人かをじつは知らないが。呑める人かなあ。呑めない人でもガッカリはしない。お元気で。ありがとう。
2009 11・23 98

* 角川文庫版は「注解」がていねいで、学問的には追究が出来ていてずいぶん勉強しましたが、日本語訳は時に、珍に過ぎました。「千夜一夜物語」では、なにかというと人が朗々と謡います、その歌の詞が破天荒に面白いのだけれど、日本語の詩にした翻訳は珍妙で奇天烈でした。それでも二十数冊読み終えたときは、宝物を、両腕に抱えるほどざくざく預けられたような喜びがありました。アラビアの人たちの、ヨーロッパ人とは別質のあかるさと人の好さと恐ろしさとを感じ取りました。
プラトンの「国家」は翻訳が上手で、頭を使うだけでソクラテスの弁論術に引き込まれます。
せっかくだから、それほど面白くはないけれども、『もらひ子』を読んで置いて下さい。「e-文藝館=湖(umi)」や「ペン電子文藝館」での「校正」体験でよく分かっているのですが、ちくいち「校正」しながら読んで行くと、文章文体の弱みや強みがよく読み取れ、ただ読み流して行くより興味深かった。できたら、「e-文藝館=湖(umi)」からダウンロードして、そんな風に「校正」しておいてくれると安心です。気が付いたことは、忘れぬうちにメモしておくと、なにかにつけ便利。ただし紙切れメモは無意味。機械の中へ積み上げメモにしておくと使い道がつきます。
いま人に貰った『松本清張論』を読んでいます。たくさん読んでいるという相手ではないのですが、菊池寛から入っていった、特異なザラツキの文学質に、余人の冒し得ないものがあると思う。現代物の推理小説に優れたものがある。歴史小説と時代読物の差異がアイマイかなあ、とも。清張は、明瞭に私小説嫌いです。 風
2009 11・24 98

☆ 裸婦   藤
心構えが出来ていないうちに冬になったようなこのところの寒さでしたが、今日の雨が上がった後はやっと暖かさが戻り、ほっとしました。元気です。夫は今月は二度も海外に出かけることになり、さすがに”ほっこり”しているようです。
新装なった101号をいただき、御礼のおたよりをと思いつつ、御作品のテーマの重さになんと申そうかと—–日が過ぎてしまいました。
で、そちらは置いておいて、以下は新しい表紙への感想です。
表紙を変えるとおっしゃったときの秦様の口振りから、なんとなく、今度は裸婦だろうと予感していました。
城景都さんはこのような素晴らしい裸婦をお描きになるのですね。
私も昔絵を習っていた頃に、一度だけ裸婦を描きました。
今思えば可笑しいほどのおくての女子中学生だったから、石膏像が生身になったくらいの感覚で描いていたものです。だからその美しさ(モデルさんは若い細身の方でしたが)に感動するよりも人体として見つめていたようで、帰りの市電の中ではまわりの人の裸体が衣服を通して透けて見えるように感じました。
裸婦を今ならもっと違った視点で描ける気がする、描きたい気持はあります(残念ながら機会が無いのですけれど)。
人体は美しい、いくつになっても裸婦を美しいと感じる感性を保ちたい。
みなさまの感想の中に、電車ではカバーして読むとあって、ふむふむ。
通信教育を受けていたとき、先生のデモ作品の裸婦のデッサンが抽選で当たりました。かなりの大きさがあり、とても気に入っているのですが玄関や居間にははばかられて、私のアトリエとも言えぬような汚い部屋にひっそり、こっそり置いて眺めています。
そうそう、モリジアニ展で買った裸婦を印刷したTシャツも、色も絵柄もお気に入りなんだけれど(自分に似合うと思うのだけれど)、客観的に見て、70過ぎたバアさんが着た姿をイメージすると気後れし、結局箪笥に眠っています。裸婦ってなかなか悩ましい。
どうかお身お大切にお過ごし下さいませ。

* こう観ていただけて、心を安くした。万々無いと思ったが、もし「不潔」と眺める人がいては困ると。健康で、まっこうケレン味のない充実した裸形とわたしは好感をもった。人魚ではない、しかし「湖底の女」像としてイメージにかなった。城景都氏のちからも若くみなぎって、過剰なものが無い。いまもそう思っている。
原画の背景はややダークにしてあるが、製版上の費用を節約したくて、思い切って真っ白に抜いてもらった。

* ためらいなく、こんな話題にも思うままを告げてきてくださるのが心づよく、すばらしい。カバーをして読んでいると言われると、いくらか笑って予期していたことなので構わないが、その人も繪の描ける人だっただけに、やはり、ふむふむと感じた。

* 広島の理史くんと電話で話した。元気な、シッカリした大人の声とことばとで、頼もしく嬉しかった。いつもお酒をよく選んで送ってくれるので、あなたもよく呑むのかと聞いたりした。それならばと、ちょっと思うこともあった。
2009 11・25 98

☆ 暖かい日です。
お元気ですか。
よく晴れているので、郵便局へのおつかいに、自転車でいけるかなあ。
先日買った新しい自転車を走らせてみたいのですが、まだ泥よけがついていないので、雨上がりは、水たまりがこわい。
今日は大丈夫かな。
お昼ごはんのあと、行ってきます。
電子版「もらひ子」、ワードにコピーしました。
紙の本と校異しながら読みます。
ではでは。元気にしている 花より

* この人は、このごろ何を買いましたとか、こんな運動をしかけていますとか、無印良品はどうだとか、英会話の勉強に出かけますとか、一般にはわたしの関心とよほどかけ離れた日々自身の暮らしの断片を、具体的に、具体の儘メールしてくる。何事でもない。特異でもない。知らせておくという目的でもない、その意味でわたしにとっては無意味な具体的であるが、感情の何も含まれていないから、神経にわるくひっかかってもこない。
そしてこういうことに気が付く、こう目に見えるようなタダの具体だけを、感情抜きにただ積み上げられると、この人の今暮らしている場所や様子がクリアに印象づけられる。
志賀直哉の文章が名文だと言われてきたのは、こういう効果がビビッドに生きた、伝わったということ。
なんだ、なんでもないではないかと思うが、モノ、コト、ヒトをほとんど無感情に目に見えるようにクリアに書き続けて文章にしたり創作したりするのは、じつはだれもがよくは出来ないことなので、わたしもできない。漱石ですら直哉のようにはなかなか書けないと言っている。
漱石も康成も極端な心理主義で、微に入り細を穿って心理を説明してくる。直哉には心理に介入する煩わしさが無い。あれば、彼自身が露骨に愉快か不愉快かだけよく分かると謂ったアンバイ。
上のようなメールは、タマにぽつんと貰ってもたわいない断片の記事でしかなくなる。或る程度、ヒンパンにもらうと、積み重ねが利いてきて、会ったことがなくてもなにかしらヒトが見えてくる。肩も凝らない。煙草をやらないわたしには、気楽な一服のかわりはしてもらえる。

☆ 大学入試と文学  塾児
「いまの文学部関係の学生たちのことを考えると、小島(征二郎)さんのときやわれわれ(勝本清一郎)の時代には、文学以外には役に立たない学生がいましたよ。ところが、いまそういう連中は絶対に大学に入れません。入学試験がむずかしくて入れない。そうすると、いまはどこの大学に行っても、みんな数学もできれば、社会科学もできればといったような、利口そうな顔して、それで肝心かなめの文学のことはちっともわからないといったような人ばかりでしょう。
もちろんそれで、金儲けの達者な、また新しい文学者のタイプというものも出てきているけれども、大正時代に、われわれの周囲にごろごろしていたような、ああいう人もどっかで救いとらないと、日本の文学の生産の場が豊富にも賑やかにもならないのじゃないか。ああいう文学にしか才能がない人をどうやっていまの教育制度の中で救いとるか、それは文学者が考えてもいいんじゃないかと思いますね。」(『文学』一九六三年二月)
これは、『座談会 大正文学史』に収録されている、勝本清一郎の発言。
「菊池寛と芥川龍之介」の回で、小島征二郎、平野謙、猪野謙二と、「菊池寛の生活第一主義文学など」について話したあと、上のようにつけ加えている。
昔の学制のことはよく知らないけれど、半世紀前には、すでに現行の受験制度に近かったことが、勝本さんの発言からわかる。
いずれの科目でもある程度得点しなければ合格できない今日の入学試験は、より平均的な学生を生みつづけているのかも知れない。
明治・大正の、綺羅星のような作家たちの多くは、東京大学で学んでいる。
それはそれは優秀な人たちだったのだろうけれど、その頃の大学は、確か、無試験(またはそれに近く)で入れたのではなかったか。
当時、大学に入る学生は多くなかったろうし、とりわけ優秀な、選ばれた秀才ゆえに無試験でもあったのかと、「帝大生」の登場する小説を読み、想像している。
「無試験」には、また、「文学にしか才能がない人」を「救いとる」側面もあったのではないかと、ぼんやり思う。
「昭和文学は大正文学を超えられなかった」と、某元文藝雑誌編集長氏が洩らしていたことを伝え聞いた。
どの科目も満遍なくできる昭和の学生が、「文学にしか才能がない」明治・大正の学生を凌駕できなかった、と、言い換えてしまってはいささか乱暴だけれど、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、志賀直哉、谷崎潤一郎らにつづく作家のこんにちに見えないことに、現代の教育制度は、僅かでも関連があるのだろうか。

* 難しい問題だが。これも、そう簡単な話でないぞと思う。
2009 11・26 98

* 「これまでの御著書で知悉しているテーマでしたので一気に拝読しました。ノンフィクションとしてとても素晴らしい作品だと存じます。理路整然とした筆致に感服致しました」と、わたしに『北の時代 最上徳内』の長期連載へ道を拓いて下さったベテラン編集者の手紙をいただいた。「ギリシャ悲劇の唱える運命というものの存在を否定し得ないのかな、という思いにかられ」るほど痛ましくも読みました、とも。
書いて、出して、こう読んでもらえて、不条理の渇きはいかんともしがたいなりに、作家としてたじろがなかったことを是と思うのみである。
2009 11・27 98

☆ 小春日和
気持ちいいお天気ですね。朝のあちこちのチャンネルで京都の紅葉を映しています。
青蓮院の青不動はぜひ対面したいですが。
どうやら弥栄中も白川小も統廃合で消えるらしいと聞きました。昭和も遠くになりにけり…
気温が下がり始めると、 持病の腕の付け根が痛くなり バドミントンはしばらく休止。日常にはさほどダメージはありません。
脚と口は達者なので、毎日用事を兼ねて15000歩を目標に歩いていますが、腕はシクシク痛む時があります。
まあ気楽にやり過ごし、元気にと努めています。  泉

☆ 今ニュースで電子文藝館のことを耳にしました。有り得ることながらショックです。  読者

* なにのことか、分からない。何があったのか、委員会にも理事会にも出ていないので、分からない。知らせも何もない。
わたしの「e-文藝館=湖 (umi)」を丁寧に育てて行きたいだけ。

* 「ペン電子文藝館」のことでいましがた事務局がファックスを寄越した。
http://www.abcoroti.com/-pczero/ なるサイトが無断で広告つきで「ペン電子文藝館」を複製しているとか。これを被告にペンクラブが阿刀田会長ほかで告発したという。相手方「複製サイト」被告の氏名等は一切不詳ともいう。
理事会に出ていないし委員会とは没交渉でなにもわたしには分からない。告発までにどんな経緯があったか、警告等の穏やかな手順も踏んだのかどうかなど、前館長であったわたしにも何一つ連絡はないのである。軽率な手順でなかったことを願うのみ。
2009 11・27 98

* 医学書院のころを記憶していてくれる人たちなら、わたしの、馬場一雄先生(東大から、日大病院長・学術会議議員へ。我が国未熟児学・新生児学のいわば生みの親であられた。)とのご縁は、覚えていてくれるだろう。
その馬場先生が、なにも心付かない間に、この八月に亡くなっていた。つい数日前に、お嬢さんからお知らせがあった。
天寿と申し上げるよりないご高齢であったが、確実に人生の師とも身内とも思慕してきた先生に死なれてしまった。今さら寂しいとは思わない、大自然のことと観じているが、思い出は尽きない。一巻の大冊でも書ききれないほど御恩を蒙ってきた。
2009 11・28 98

* 松本幸四郎丈が藝術院会員に。國内外、若くから多方面に活躍、この選考は納得できる。お祝い申し上げるより早く、逆にもうお歳暮を頂戴した。恐縮しつつ、乾盃。

* 劇作家の山田太一さんから、敬意の籠もった懇篤のお手紙を戴き、あまつさえ『谷崎潤一郎を読む』『漱石「心」の問題』『いま、中世を再び』を注文してくださり、嬉しく恐縮し感謝申し上げる。今回はじめて『凶器』をお送りしたのへ、低調にご挨拶戴いた。これも「仕事」をしてきたおかげと思う。
2009 11・28 98

☆ 昨日より  花
今日の方がいいお天気です。
お元気ですか、風。
自転車、上々です。
最寄の郵便局までは、比較的広めの自転車道兼歩道があり、安全に行けます。
さてさて花は、仕舞いっ放しのお布団を二階のベランダまで運んで干したり、日課の室内バイク運動などで、ちょっと疲れ、早くに眠くなります。
軽度の運動をつづけ、体力をつけなければ。
ではでは。

* やす香のお友達から妻へいろいろ贈り物を戴いた。なかに、黒いマゴがとびついて興奮する布でくるんだスマートなペンギンがいて。
妻も元気、マゴも元気だと、いつも安堵の息をつく。
2009 11・28 98

上部へスクロール