ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2010年12月まで

* 京都の横井千恵子さんから、祇園萩月庵の、京煎餅を半畳もあるかいう大きな箱で、それはたくさん頂戴した。いろいろに焼いた二十種類に余るほど、その一種類ずつがたっぷり。京都の煎餅はこちらの草加のなどのように石のように堅くない。味も色も形もとりどりに優しい。ベリーマツチで、おおきに、ありがとサン。

* 札幌の真岡さんから超特大のマスクメロンを戴いた。大きい。重い。二キロをはるかに超えていると。しばらく、その辺に転がしておいてから冷蔵するようにと「指示」がついています。ありがとう。

* 凍えるような血縁・親族の悪意。温かく溶かす身内の友の優情。
2010 7・2 106

* 竹西寛子さんから、高野の美味しい胡麻豆腐をたっぷり頂戴した。有難う御座います。お元気でしょうか。

* 高麗屋の松本幸四郎丈からは、今年も浴衣地を戴いた。心涼しく。感謝。感謝。

* 下関の孤城さんからは例の名酒「獺祭」を二本頂戴し、このところ日本酒に飢えていて、早速賞味、肴も揃っていて、有り難い。感謝します。

* アメリカから、湖の本代、二万円も送金されてきて、びっくり。なにか美味しいものを食べて下さいと。ビックリしてにっこり。
2010 7・3 106

☆ 雨降り   鳶
早や半年も終わり七月に。
昨日から断続的に雨が降り続いています。庭の緑がいっそう濃さを増して薔薇はくりかえし花を咲かせ、時計草や藤が盛んに蔓を伸ばしています。
この七月の、鴉の緊迫感が何かしら伝わってくるようで・・ 根底では静かに頬笑んで、あるがままに過ぎていけばと思うのです。ただ法廷で(=娘や婿と) 直接顔あわせるのは、わたしがその立場だったら、やはり勘弁願いたいと。本当に嫌! です。どうぞ堪えてください。
そして敢然と 鴉の確固たる作家の信念で貫かれますように。さらさらと自然に流れるように暮らせますように。折りしも京都は祇園祭の頃、暑さは別として「京都」を思い起こして。
臼井氏の『安曇野』は読んだことがあります。あれは良い作品でした。
鳶はその後不整脈でやや心配しましたが、年齢を考え、この程度なら問題ないだろうと診断されてほっとしたところです。血液検査も全く問題ありませんでした。友人たちも何やらさまざまな病をもつようになっているので、やはり健康には気を使います。
明日は誘われてドライブ、そして美術館行きです。雨にたたられないといいのですが。
以下は最近見た「夢をヒント」に書いたものですが、京都弁にはまったく自信がありません。変な使い方があったらどうぞ教えてください。

とうに廃されたはずの京都市電が走る 北の広い通り
北大路か 西陣に近い今出川か 下って ふと両側に
遊郭の門構え 細い格子の家々が廃れ廃れ並んでいる
路はぎざぎざ折れ曲がり南に繋がって 東山が見えた
躊躇いがちに覗いた一軒の家 それとなく窺い知れる
布や鞣し革が吊るされている家中 それでもひょいと
暖簾をくぐって入っていくのは憚られた 降り出した
細い雨に背中押されて 思わず中に入ると 土間から
上がり框から玄関の三畳間至る所すべてびっしり人形
人形の着物 無心に縫い物をする 若い女一人がいた
ああまち子さんや もう若いはずないまち子さんやが
顔の瘢痕がぼおっと僅かに赤らんで 彼女の後ろには
天窓を通して 鬱の空がうっすら ねえ ジャズ好き
ふわふわまち子さんが市松さん作っとるん不思議やね
それにしても にんぎょのべべ綺麗やなあ 濃紫やら
紅やらほんま綺麗 こんなん着てうちは狂うてみたい
荒神口のジャズ喫茶 Champ Clair・シャンクレール
明るい空間 でも思案にくれる空間やテ駄洒落言う人も
あんたに教えてもろた 開店してまだいくらも経って
なんだなあ 明るい空間やゆうけど明るはなかったね
友禅染めてたまち子さんがにんぎょ作るんはけったい
なことやないけどなあ どうゆうこってにんぎょやね?
べつに特別なことない なんとのう、ね 足裏のぬくもり
うちは駄目 ぬくぬくは何や気持ち悪うて 気色わるい
腐るみたいで そやしふわふわ 深夜のラーメン屋台
ビールジョッキやお酒のビン連ね 雨降ればずぶ濡れ
風邪引かんほど強う産んでくれただけは 親に感謝や
在りようは光らぬ蛍です なにもんでもないこと まあ
そんなんも考えんと初めからそれがうちの本来やった
そう呟いて にいと笑うて まち子さんはすうと消え
てしもた 仕方なし わたしは通りに出て雨に濡れた
長いこと まち子さんを記憶の引き出しから出したこ
となかったけど まち子はん 今 何処にいはるん?

しぐれる日いは ほな何ぞほんわりぬくいもんを・・・
しびれる日いは たちまちしくじる恋の火や
しなびる日いは 小さいしわぶき

帆船の脳裏には

帆船の脳裏には黒海の記憶
その先に帆船は行けない
どんなに海図を諳んじても背骨が哭いた
陸這う旅に帆船は行ってみたい
潮風を裏切り 荒んだ山川草木を行き 歪んだ塵になってもいい

東方のアラル海は 干上がりつつあると渡り鳥が伝えた
オアシスは往来する人々で沸き立っている
麦の穂や葡萄や棗が輝き 娘たちが絨緞を織る
山の北側では緑の草を食むものたちが駆け巡る
幻が訪れる 帆柱も帆布も舵も夢を見る

親しい魚や鳥と声かわすこともなく
帆船は陸を眺め待ちわびた
帆船の脳裏にはジブラルタル海峡の記憶もあった
が、その先の暗黒の海・大西洋に船主は航路を取ることはなかった
海峡の夢は歪んで退行した

おまえは人や物を乗せてきたが
おまえを乗せるものはない・・海こそがおまえを乗せ運んだのだ
地中海の多くの海をおまえは航行してきたのに
それほどに陸に上がりたいか
岸壁で朽ち果てる過程にある、帆船よ
2010 7・3 106

☆ re: 特大メロンの御礼
秦 恒平様  ご連絡を差し上げようとぐずぐずしているうちに、先にメールを頂いてしまいました。
(略)
体調も、法廷の方も気になっております。
私はone by oneでしかものごとを進められないので、渦中にあっても芝居音楽美味を悠々と楽しんでおられる秦さんの精神力にただ驚くばかりです。
とりとめのないメールになってしまいましたが、ようやく懸案の論文が一つ片付いたので、少し気が楽になり、やっとご返信できました。
夜咄というより朝茶の時間になってしまいましたが、独服して、寝に帰ります。 maokat

* 特大のメロンに、お昼、恭しく庖丁を入れて、妻と二人で戴く。よく熟れて甘くて瑞々しくて。身に染みた。

* 横井さんの京煎餅で清酒「獺祭」を、ぐいぐい。そして「仕事」にも打ち込む。

☆ 有難う御座います。 郁
(入選作に=)ご丁寧に貴重なご講評を賜り有り難うございました。 その通りだとおもいます。写真(=で観る作)よりはもうすこしマシかもしれませんが、やはりもう少しの突っ込みが不足しております。
いいわけになりますが2点同時進行のかたちで進めていまして最後まで迷ってしまいました。 もう一点のは神奈川**会展に出品しました。やはり自身納得のいかない作でした。
仲間全員入選しましたので琴シシは名古屋まで懇親会に出席する予定です。これが済みますと今年いっぱい大きな作品の制作がありません。
裁判の件ですが、どう考えても私には理解できません。娘と婿が、父を訴える!! 名誉毀損? どんな名誉だというのでしょう。
娘さんの突然の死に衝撃をうけ、矛先を、孫を心から悼む祖父の切々とした著書に八つ当たりしているとしか考えられません。
一番わるいのは大学教授の婿殿です。本当に考えられない。どれほどのご心痛かと。だんだんと体力も弱ってくる親になんとした仕打ちでしょう?
どうぞ御身を第一にお考えくださいませ。世の方々は全員身方です。 平安を祈っております。

* 恐縮。

* 山形の日比野さんから、たくさん、立派な桜桃を贈って戴いた。ありがとう。

* アメリカから池宮さんの電話をもらう。写真では、差し上げた淡々齋短冊「萬事如意」を短冊懸けに綺麗に仕込まれて。また時代秋草の大棗をつかって、秋口には釜を掛けると。茶会は楽しい。
実は見失っていた昔の胸ポケット用の医学書院手帳一冊が、寝室の箪笥の隙間から見付かった。干物のように堅く乾いているが、一九六二年の分。あっちこちに、ちっちゃかった娘が鉛筆でラクガキしている。父親と同じように「字」が書きたかったのだ。七月二十七日の「朝日子 Birthday」には京都の祖父母達から祝電。電話はないから、電報だ。金はなかったから外食は出来ないが、ママがご馳走をつくった。この月、十二日から十八日まで、嬉しい夏休みで京都に。この祇園会の日々、をのちに『慈子』に書いている。
同じ年の五月七日に、さっきアメリカから電話のあった池宮さんの家を落合に訪ねている。お茶のパーティだった。この日のために貯金をつかい、迪子に純白のワンピースを買った。朝日子も可愛い帽子と服で参加している。写真が残っている。わたしはまだ小説を書き始めていない。

* 思いがけないものが見付かると、いっとき不快を忘れる、が、現実に戻ると、途方もない。
2010 7・4 106

* 昨晩遠く天童から贈って戴いた桜桃の美味さに絶句している。次から次、一気に食べてしまいそうで、あわてて、手の届かないところへ運んだ。糖分、豊富も豊富。ありがたい。力がつく。
2010 7・5 106

☆ ご丁寧な、おやさしいお便りありがとうございました。
ご本の代金早くと思いながら、遅くなっていました。申し訳ございませんでした。
実は、『当尾の石仏めぐり』をお送りするのが主たる目的でした。
古典の会の実地研修旅行の下見に、今年3月に京都南部を訪れました。
長岡京市(光明寺)と、木津川市(以仁王墓・浄瑠璃寺)です。
浄瑠璃寺の駐車場に着くとすぐ目に入った案内板があり、この地が先生のお作にでてくる「当尾」と知りました。
以前に2回ほど訪れたことがあるのですが、先生のお作に出会う前でしたので、土地の名前は記憶に残っていませんでした。
「当尾」を漠然と、嵐山の奥、亀岡の方のように思っていました。
ですので、浄瑠璃寺でこの文字に出合ったときは、旧知の人に思いがけない場所で会ったような驚きとうれしさを感じました。
3月に行ったときは、拝観時間を過ぎていて、お庭だけしか見られませんでしたので、 5月の本番では拝観時間や法話のお願いもきちんとして行き有名な九体仏を間近くで拝み、和尚様の深遠なお話を聞き、お土産も買うことができました。
(よく慣れた猫が数匹いて、しっかりなでさせてもらいました)
そのお土産の一つが「当尾の石仏」です。
あとで、もう一度訪れたいとそのときは思ったのですが、先生の最近号の最初の部分にある戸籍の地が、まさにこの石仏の里だとわかり、僭越とは思いつつ、お送りしたようなわけです。お読みくださっているとのメールにほっとしながら、うれしく思っております。
野菜のほうは、付録です。
道の駅や産直の店が好きなのでしょっちゅう行っては、季節の野菜や、珍しい野山の幸を求めています。
農家のおじさん、おばあさんが畑や庭先から運んできた、素朴さが取り柄の野菜たちで、お近くのスーパーで簡単によい品がお手に入るとは思ったのですが、季節の彩りをお送りしたくて詰め込みました。
ヤハズススキ(矢筈薄)(または、ホタルガヤとも呼んでいます)大事にしていただいてありがとうございます。
秋に、ナンバンギセルがにょっきり生えてきますように…。
では、時節柄、お身体お大切に。    丘

☆ 時は金なり、といいますね。
若いうちと年を経てからでは、時間の大切さが違うのはもちろんですが、ここ最近、お金より時間の方が貴重だという考えがひろがってきていると思います。
高額な機械を買い、かかる時間を短縮する、少し高くても、効率化できるものを買う、など、お金で時間を買っていると感じることが多いです。
「一日が二十四時間なのは、誰の上にも平等」と、小学生のとき、朝礼で校長先生が話してくれましたが、ほんとうにそう思います。
さてさて、きのうは、町内の運動会。
夜は打ち上げ。
今日は、近所のお宅でバーベキューがあるとかで、奥さんのヘルプをしてきます。
困ったときはお互い様です。
ではでは。取り急ぎ。

* !?  分からない。「ほんとうにそう思います」か? 風

☆ RE: ?! どういうふうに。  花
何時何分何秒という数え方で、二十四時間で一日でしょう。
風はどういうふうにわからないのですか。

* 人間の時間は「量」じゃない、「質」です。
時間を金で買って、買った時間をどう使うのか。
時間を買える人は買えない人よりどんな好いことが保証され達成できるのか。たんなる時間「量」のトクであってもトクをただ費消し無駄遣いしていたら、あたら時間を逆に潰してしまう。
「質」的に時間がどういう密度を持つかは、人によりピンからキリ。買えれば、どうだというのか。それが分からない。校長先生の曰くは小学一年生には分かり好いが、青年や大人の時間には役に立たない形式論です。
時間は「買う」ものじゃない、「創り」だすものです、わたしの確信。
きのう、わたしの「体調も法廷も気になっております。私はone by oneでしかものごとを進められないので、渦中にあっても、芝居音楽美味を悠々と楽しんでおられる秦さんの精神力にただ驚くばかりです。」とメールをもらっていましたが、たぶん「時間」を創り出して行くことに触れているのだと思うのです。われわれ普通人間にとっては「買える」時間など知れたものです。
そういうことです。第一義、何を生きるか。
「いま・ここ」をいつも見つめています。
老いてゆくわたしの場合、買う金もないが、喪う時間を惜しみます。生き生きとした時間が創りたい。ホントにしたいことのために時間を創りたい。
四十歳前、五冊もの月刊誌定日刊行を義務として守りながら、一人で担当する百冊以上の出版企画を推し進めながら、毎日五枚の創作を休み無く続けながら、休みなく勉強し読書していました。とても時間は買えなかったけれど、そのために、懸命に時間を創りましたよ。
ゆうべは四時間しか眠るヒマがなかった。今朝は六時に起き、今までぶっ通しいろんな事に打ち込んでいます。自慢でもなく真似をせよとも言いません、が、体力も若さも時間も「花」さんの方が恵まれている。「いま・ここ」という坩堝で何を精練するかの問題だけが在る。 風

* わたしはもう走れない。だけど、まだ歩ける。歩けなくなったら、這う。

☆ 今年は寒さ暑さが激しく体力的にずい分こたえました。
『湖の本』いつもご恵贈ありがとうございます。半分棺桶に足をつっこんだような状態で過していますので、
いつも、強い刺激をいただいています。
それにしても強く美しい文章ですね。    作家

* 娘がお茶の水女子大に入学した春、今は亡い尾崎秀樹さんに、いっしょに中国へ行こうよと誘われた。仕事の障りがあり、代わりに娘を連れていって欲しいと頼んだ。入学祝いに恰好だと思った。尾崎さんの娘さんらお連れもあって、娘は、老作家や若い書き手や編集者や美術史家たち大人に混じって、大学の方をサボッて、おおはしゃぎ大喜びで出掛けていった。上の手紙の作家も、一行のお一人だった。お元気になられますように。
中国から帰ってきたときの、娘の、跳ねっ返るような大興奮ぶりはたいへんなものだった。
そういえばお茶の水女子高を卒業したときにも、銀座の「きよ田」の鮨で祝ってやった。こんど、文藝家協会の会長になった当時小学館の篠さんとたまたまカウンターで並んだのを思い出す。娘はご機嫌だった。
「きよ田」へは、辻邦生さんに最初連れて行ってもらった。山本健吉さんと二人の晩もあった。文壇人には知られたそれは佳い店だったが、もう無くなっている。妻も何度も連れて行った。懐かしい店。
2010 7・5 106

* 今日、ある遠方の女性造形家からはるばる『私』への礼信があった。その文言に、
「今回の表紙は、一段と官能的ですね。そして、今回のテーマは「私」だったので、官能的私小説…? という印象で、ちょっとドキッとさせられました。
以前にも少し書いていらっしゃいましたが、興味深い生い立ちでいらっしゃいるのですね。」と。

* なるほど、「興味深い生い立ち」かと苦笑した。
むかし、あるアマチュアで小説を書いていた年かさの女性と対話したとき、会話の中にひっきりなしに「ちゃんとした育ち」「ちゃんとした普通の」という物言いが頻発するのに、いささかげんなりした記憶がある。
今度の作にも書いているが、就職の最終面接の席で社長が、わざわざ、「君は此の戸籍の記事を気にしているかも知れないが、ボクは気にしていないからね」と言われてビックリした。わたしは、むろん自分の原戸籍を読んで知っていたけれど、社長のわざわざの思いやりにビックリしてしまうほど、まるで念頭に無かったのだ、「そういうもんなのか」と初めて学んだ気がした。
「ちゃんとした」にも「興味深い」も、参りはしないけれど、軽く胸をおされる。
時任謙作の参るははるかに深刻であったろう。実の父上とながいあいだ不和でうまく行かなかった直哉の気持ちを思って読んでいた。
2010 7・7 106

☆ バルト海の入り日に   晴

白夜の季節といわれている北欧に6月末から7月初めにかけてデンマークのコペンハーゲンを出発し、ドイツのキール・スエーデンのストックホルム・エストニアのタリン・ロシアのサンクトペテルブルグとクルージングをしてまいりました。
船中での楽しみの一つは普段読みきれない本を持ち込み、ぼーと海風に当たりながら読書できることでしょうか。
先日山形を旅行しています際に、最上徳内さんの育った土地とかの案内を聞きました。
お墓は確か東京の駒込にあり、蝦夷地探検にあたりアイヌの人を差別することなく、理解しようと務めたた人ぐらいにしか覚えていませんでした。
確か、秦さんの「湖の本 32 33 34・北の時代=最上徳内」で書かれていた人だと。送っていただいたときには残念ながら読みきれていなかったので、船の楽しみに。
夜9時を過ぎても、海はまだ明るくサンセットが待ち遠しい毎日です。
「北の時代」の上巻終わり近く、作者が徳内さんの通った跡を追って、陸奥湾を船で渡られる場面で
『西日まぶしい左舷へまわると、秀でて美しい大千軒岳からまるでお神渡り、身幅にあまって金色の光の帯が胸もとへ、眼へ、くわっと奔って来る』に、出会いました。
作者は『強い期待に頬を染めて、じっと夕日にうたれていたー。』
繰り返し読みながら、徳内氏や作者の熱い喜びに満たされた抱負を感じつつ、私も同じ海の入日を眺めながら本を読める幸せを感じました。
上手な写真ではありませんが、バルト海の入日の写真を添付致します。

* 世界を観たかった徳内さん、ロシアへ入りたかった徳内さん、バルト海へ旅の友にしてもらい、大喜びであろう、感謝。
2010 7・7 106

☆ 湖様
ごぶさたしていました。ご連絡ありがとうございました。
さざなみはいつも湖の上に音もなく揺れています。
せめて七夕にはお逢いしたいのですが。
お体に十分気をつけてお過ごしください。
わたしも身も心も健康体とは言えないのですが医者に行く時間もないまま、あわただしく過ごしています。 さざなみ

* 「mixi」で久しく御無沙汰の人が、七夕に、久しぶりに帰ってきたので、即興の歌を寄せておいた。昨日。
さざなみの行方ひさしき七夕や天の川瀬の星影ににて

* こういう、ほっと一息もある。こういう「やりとり」はみな、父の妄想からする造作だと娘は書いている。そうでしょうか。

* 記憶している人もあろう、平成十八年八月七日ごろに、ある人が、わたし宛てにでなく直接わたしの娘に宛てて、かなり長い手紙を下さった。娘の弟もとても説得力があると言うので、「mixi」の日記欄に出したのが、今も、そのまま残っている。「mixi」当局も問題ないと認めてくれている。ところが娘はあれは父の捏造した作文であると攻撃している。その人は、娘に、お父様をしのぐ名作を書いてお父様にお勝ちなさいとも書いていた。わたしも、真実そう願う。

☆ お嬢さまの印象に残るようなメールではあったのでしょうが、内容のほうに少しも着目していただけなかったのは、筆の力の及ばないところでほんとうに残念でした。

なんとか訴訟を避けられないかと願っていましたから長いメールを、あのとき、お送りしました。まったくの無駄でした。
人品というものは自ずとにじみでるもの、一瞥でわかります。ふつうに法廷にお立ちになるだけで、裁判官には人間の誠がおわかりになることでございましょう。

頑固一徹に病院にいらっしゃるおつもりはないようですが、訊問がお済みになりましたら、かならず診察をお受けください。

お元気ですか、みづうみ。あまり心配させないでください。お大切にお過ごしください。  もじずり

* 創作でしょうか。
2010 7・8 106

* 『イルスの竪琴』の第1部を読み終えた。翻訳は脇明子さん、もうずいぶん昔だが脇さんが泉鏡花の著書を出された頃に文通があり、一度座談会で一緒になったりもした。その脇さんがこの訳本三部を下さったのは天与というべく、不動の愛読書になった。脇さんならと、翻訳の美しい安定にも信頼をもってきた。あれから久しく今はどうされているか知らない。お母さんが歌人で、『愛と友情の歌』のために一首をもらった。母子ともお元気か。

☆ プラトン   播磨の鳶
プラトンの『国家』のことを書いていらしたので、ついついメールを送ります。この一年近く、ギリシアをテーマに「旅」の記録を纏めたいと苦戦していましたので。
重力、と形容される、その重力。そして少しの異存。それはもう、時代の隔たりと思わざるを得ませんが。
同じ民主主義という言葉を使うとしても異なること、現代の民主主義にたどり着くまでの膨大な試みと挫折があったこと、現代にあっても尚あまりに多くの不条理が満ち満ちていること、に思い至ります。
ずっと以前に読んだきりですので確かなことは書けないのですが、正義とは何か、神話の否定、勇気が肝要であること、などが述べられていましたね。さまざまな比喩を使っての論旨は興味深く、ただわたしには国家や法律は苦手で、難しかったと正直に言わなければなりません。
パルテノンを建てたペリクレスもペロポネソス戦争開始一年後 死者を弔い、「アテナイの偉大さは勇気と義務の心と名誉心をもつ人々に拠る。幸福の秘密は自由にあり 自由の秘密は勇敢な心にある」と演説しています。

お腹の具合はいかがですか? 病院の検査ではよかったとのことで一安心ですが、どうぞ大事にされますように。来週は大変でしょうが乗り越えるべく・・いいえ、ある意味では淡々と過ぎ越されるでしょうか・・。
それにしても「とりまき」は実は架空の人物か? まさか!! まさかは真逆、と書くのです。
真逆!! 少なくともわたし「鳶」は実在の人間であります。
繰り返し、大切に大切に。

* ありがとう。身内の思いを強くします。『国家』には引き続いて組み合います。

☆  お元気ですか、風。
雨は止みましたか。
こちらは曇り空です。
風は歯医者さんでしたね。
降られないといいけれど。

随筆を、せめて思い浮かんだときに、書き残そうと思います。

明日は選挙ですね。
投票率の低くならないことを祈ります。
市民が平等に選挙権を得るまで、多くの闘いがあり、血の流れたことを想うと、決して無駄にできない我が一票です。
雨にならないといいです。ではでは。 花

* 思い浮かんだら書く程度の随筆では、ツウィッターでしかない。世間で良く謂う、銭の取れる文章、買ってもらえる文章には成らない。
随筆を書くなら、題をもらって、否応なく絞り出す、それも銭の取れる弾んだ文章で絞り出すのでなければ、ラクガキ程度のモノにしかなりません。
だから、題目無しの随筆依頼は、とてもコワかつた。はじめのうち、全然書けずにいつも泣きそうだった。これをと中身に注文のある方がよかったのです。
随筆は、論文でも批評でもない、厳しい枚数制限のある、短編小説なのです。そしてウソはだめ。面白く読ませなければ無意味。「思い浮かんだときに、書き残す」なんて気楽なことは、まるで不可能な、かなり難儀な「創作」です。顔色をかえて突貫しなくてはならない「文藝」です。
すてきな随筆が三本書ければ、小説の三作に繋がり得ます。  風
12010 7・10 106

* もう限界。
林君から、転送ソフトへの助言が届いている。が、やはりうまく行かない、言われている通り、が、出来ないので閉口。落ち着いてやらなくては。
2010 7・10 106

☆ 投票をすませて帰ってきたところです。投票率は前回をやや下回っているそうですが、こちらの投票所は並ぶほどでかなり混雑していました。
金曜日に病院にいらしたようですが、たぶん心配な症状(ニトロを飲んだとか腹痛とか)については黙っていらしたのではないかと推察しています。検査がいやで自分に都合のよいことしか言わないというのが、ある年齢からの患者の特徴ですから。
どうぞお大事になさって、一件のあとには、お時間をつくってきちんと診察していただいてください。  底紅
2010 7・11 106

☆ 大きな事が目前に迫りました。
おじい様はもちろんのこと、おばあ様も心騒ぐ時をお過ごしと思います。
何も言葉が見つかりませんが、おじい様がいつもどおりの平常心でいられますように。
おじい様の体調、どうぞおばあ様、いつもどおり優しくフォローしてさしあげて下さい。

* やす香のお友達の優しい言葉を、わたしたちは、胸に生きている「やす香の肉声」と嬉しく聴いている。ありがとう。
そして、わたしの伝えたい唯一の言葉は、伝わるかどうか、云えるかどうか、娘に向かい、
「朝日子。 やす香、可哀想だったね」と、
決定的な離別に到る前に、一言、いたわってやること、それだけ。その機会は無いであろう。ここに言い置く。

☆ 祈っています。  慈
今は帰宅中です。
落ち込まず、めげず、神様が守っています。

☆  (長い前略 のあとへ)
これを明日のみづうみへの一つの激励とお受け取りくださいましてお許しくださいませ。
お母上が猛然と闘い抜いたように、明日、どうぞ奮い立って賢い世間と闘ってくださいますように。
お母上に比べれば、まだらくな闘いかもしれません。
朝日子さんはもうもう大人です。愛あればこそ、全力で倒していらしてください。
今回の件、避けられた訴訟であったと今でもわたくしは悔やまれます。しかし、みづうみの命がけに書いて生きていらしたことは、絶対に正しいことでありました。みづうみは朝日子さんの誇るべき父親なのです。
祈っています。
急いで書いていてまとまりのない文面になってしまいましたが、みづうみのお傍にはいつも助けがありますことを感じていらしてください。   千巻
2010 7・12 106

☆ 鴉へ
お疲れのことと察します。
案じています。
心身ともに安らかに休息してください、多くのことの少しでも脇に置いて。
光が先に見えますよう。  鳶

☆ お疲れになったでしょうね、祈っております。  司

☆ 秦 恒平 様ご無沙汰いたしております。  ココ
ご無沙汰いたしております。
お変わりございませんか?
いつも 「湖の本」 ありがとうございます。
私は 変わらず元気に勤めております。
こちらに来て 9年目を迎えます。
指折り数えてみると まだ9年ですが もっと長いような気がします。
中三でこちらに来た息子も 今年無事に就職し 親の務めも なんとか終えることが出来ました。
50を過ぎて 今さらながら、自分自身をみつめなくてはと思っています。
私の軸は 何なんだろう
私のミッションは 何なんだろう
私は 何がしたいのだろう などなど。。。
定年まで あと6年余り
そのあとの道のりを 私らしく生きるために
自分と向き合っていこうと思います。
梅雨が明ければ 夏本番
ますます暑い日が続きます。
くれぐれも ご自愛ください。
ありがとうございます。
2010 7・13 106

☆ 秦先生、ホッと致しました。
日記がずっとそのままでしたので、体調を崩されたのかと案じておりました。ご連絡を頂き、安心いたしました。
『加賀少納言・或る雲隠れ考』『源氏物語の本筋』『みごもりの湖』読み終えました。静謐な湖の畔にたちつくしているような気分です。
一番楽しみにしていた『中世の美術と美学』がなかなか読み進めません。私には難し過ぎるのか、でも大切な一文一文を味わい、頁を行きつ戻りつ、読んでおります。
30代、40代にこれらの膨大な作品群に出逢いたかった。あの頃は、立原正秋さんの作品に夢中でした。もう62歳です。でも、良い作品に出逢うことは、遅すぎることはないと、そう思い返してきょうも、読ませて頂きます。
そして自分も書きたくなり、昔書いたものなど読み返してみたりしております。先生の作品から、何か潤いと美しさと、言葉にならない気配を頂いているのですね。美しい主人公達から。 野宮

* いい読者に出逢う有り難さ。
2010 7・14 106

☆ 秦恒平 先生   仁
ホームページ登録させていただきました。
充実した値打ちのあるHPですね。
友人にも紹介します。

☆ 秦先生 安心しました。  都
安堵いたしました。
今夜は、思い切って、お尋ねのメ-ルをするつもりでいましたから。
こちらは、連日の豪雨で長良川の水かさが増し、鵜飼も中止が続いています。
暑さはこれからが本番、どうぞ、お体大切におすごしくださいますよう。

☆ 秦様
メール、ありがとうございました。今回も秦様のすさまじいエネルギー、生命力に圧倒されました。これだけの生命力がどこから湧いてくるものか、拝読しながら考えました。 鋼

☆ ほっと致しました。  藤
梅雨明けも間近なようで、どうぞお身ご自愛下さいませ。

☆ 毎日、異常な天候が続いております。  史
日録の文に、お疲れのご様子が感じられます。心配です。呉々もご自愛下さいますよう。
必ず近いうちに、「朝日子」母子は、「朝日子」娘孫となって、ご両親の懐に庇護を求め、飛び込んでくるだろうと思います。
人間は本質的に、不義にあっても義を希求し、「真理」と「愛」に生きる幸せを、生まれながらに知っています。幸せが見えているのに、不幸で居続けることはできません。
「すべてよし」と最後に神が呟かれたように、秦さんのところにも「すべてよし」と言える日が、すぐ来るだろうと思います。確信されていいことだと思います。
バガワン・シュリ・ラジネーシも、結びは「Very Good!」と言っております。
僭越の段お許し下さい。「湖の本」新作お待ちしております。  2010 7・14 106

☆ ミクシーが続いているのに、と。安心しました。近くニューピオーネをと思っています。  吉備
2010 7・15 106

☆ 一山越えられて、少しほっとしました。
こちらは例年にない大雨が降って、鴨川も増水しています。
祇園祭の鉾もビニールで覆われていることでしょうが、巡行の日だけでも晴れて欲しいです。
次々とお仕事お忙しいご様子、くれぐれも体調にお気をつけてお過ごしくださいますよう。 のばら
2010 7・15 106

☆ 今か今かと待っていました。安心しました。  e-OLD 葉

☆ 二日ほど家を空けていましたので連絡が遅くなりました。秦健日子さんは確かご子息ですよね。先週、たまたま買った夕刊フジの一面全面に顔写真入りで記事が載っていました。作家とは聞いていましたが、視聴率の高そうなテレビの連続ドラマの原作者とまでは存じませんでした。秦さんとは大分作風が違うようですがご活躍ですね。
秦さんは未だインスリンを打ちながらご執筆に精を出されていらっしゃるとは存じますが、週末から猛暑がめぐってきそうな勢い、御身ご自愛ください。   謙

* メールありがとう。  秦 恒平
建日子(健 ではなく。たけひこ)は息子ですよ。亡くなったつかこうへいさんの劇作・演出の直門で、今は「秦組」を主宰し、もう十年ほど小劇場を何時も満員の客であふれさせ、つい数日前まで俳優座で「らん」といういい芝居をみせていました。また河出書房や新潮社、講談社から「推理小説」「SOKKI」「アンフェア」など小説のベストセラーを何冊も出し、つい最近新刊の「ダーティ・ママ」を出したばかり、親父が生涯で稼いだよりすでに上超していますよ。ハハハ。
テレビでは、「どらごん櫻」「ほかべん」「最後の弁護人」「ラストプレゼント」など人気の連続ドラマをもう十本ほど書いて活躍しています。
わたしとは方角の違う娯楽読み物系ですが、それなりにいい真面目な仕事をしようとしていますので、どうぞ応援してやって下さい。
息子の話をするのがご機嫌の老いたおやじをしています。親孝行な息子です。
わたしは、いま、生涯前半の谷崎潤一郎に学んだ藝術小説から、レーター・スタイル(晩年の作風)へ切り替え、自身の置き去りにしてきた人生をまっすぐ見つめようとしています。この数年、少年以来尊敬していた志賀直哉に更に傾倒し、今も時任謙作の「暗夜行路」を毎日熟読しています。そのつど謙作クンを思い出しているのです。
長谷川泉さん(編集局長。鴎外研究の泰斗。故人)もいっしょに雑誌「胃と腸」で鵜飼にゆきましたね。懐かしく思い出します。
長谷川さんが社におられたので、わたしは後ろ姿をじっと観ながら太宰賞へ歩み寄って行けました。
また会いましょう。 なにか書いていませんか。書いてみませんか。出来たら読ませて下さい。 湖
2010 7・16 106

☆ 小谷野敦さんの『男の恋の文学史』がとても興味深く、教えられました。
江戸のつくりあげた「色」の道、「恋」ではなく、「色道」の流れの中で、明治の開化期に、恋を語った透谷や四迷の新しさを教えてもらいました。
また、荷風の純江戸的な「色」の世界。
男は惚れるものではなく、惚れられるものだ、という助六然とした価値基準の樹立される中、醒めたまま擬似恋愛を愉しむ場所としての遊郭の洗練と発展の裏に、もだえ苦しむ恋は、どれくらい、どんな風に存在したのか、知りたくなりました。
一対一でする西欧的恋愛と、女という類型に対する日本の「色」の対比も、なるほど、と。
いろいろ刺激され、図書館へ本の予約をたくさんしました。
秦さんのお考えも、お伺いしたいなあ。  実

* 小谷野さんのこの本、わたしは知らないが、他の本からも察しがつく。
2010 7・16 106

☆ 秦先生、
前にお勧めのあった『源氏物語の史的研究』入手いたしました。
『中世の美術と美学』上がまだ読み終わっていませんので、まだ拾い読み状態です。作品の構想や成立年代、光源氏のモデルとか作品の準拠について深い考察ですね。
天徳内裏歌歌合と絵合の巻などの相関関係についても触れているようです。何かで、為時は幼いとき、殿上童として天徳内裏歌合で員刺の役を務めたというようなことを読んだような気がしますが、残念ながら出典がわからないのですが。 そうだとすれば、父為時から、式部は天徳内裏歌合についても詳しく昔話を聞くことができたでしょうね。
山中先生のこの御著書は『源氏物語』執筆に絞っての研究なので、紫式部の生家跡については触れていないようですね。廬山寺辺りといわれている紫式部邸の隣に、父為時の従弟になる章明親王の一家が住んでいたこと。章明親王は醍醐帝の更衣であった母・楓御息所を三歳で亡くしていること。風流の宮であったこと。(『蜻蛉日記』にも兼家・作者と章明親王との交流が出ていますね)
その二の姫・済子女王は花山天皇の伊勢斎王に卜定されながら密通発覚で、廃斎王となったこと。
花山天皇が愛妃藤原忯子を亡くしたときの悲しみ様が、桐壺帝が桐壺更衣を亡くしたときとあまりに似ていることなど、取り上げていらっしゃらないかと期待したのですが、それには触れていないようです。
ついつい、専門家が自分の発想と同じような意見を述べていないかと、勝手な期待してしまいます。
追い追いに読んで、知識を少しでも広げたいと思います。良い本をお教え頂きありがとうございます。
夢をよぎる幻の中のまぼろしと一人の名をば呼びてなげくも

胸の痛くなる歌です。どうぞ御身大切に。   野宮

 

* いい着眼が含まれて。こうして声を掛けて下さる人があること、苦痛の多いときほど、ありがたい。この畑では、以前は香魚さんや篠塚さんとよく話したが。お元気か。
2010 7・17 106

☆ お元気ですか。  泉
ギラギラの真夏に突入、暑いですね。毎年降られる祇園祭、今年は晴れたのかしら。
もう2ヶ月間も腰痛を抱えた家人の世話です。幸い、寝込まない程度なので、私の精神衛生上、運動は口実程度にランチとお喋りの週一の都内外出は欠かしません。気温高めの季節は比較的体調が良く、よく動き廻って、翌日は心地よい筋肉痛です。
ハイ、歳は弁えています故、心配ご無用に。 眠くて気だるい3時です。

* わたしも常習の久しい腰痛持ちですが、対症的には「ロキソニン」「バファリン」といった痛み止めが有効で、漢方薬もつづけて服用すると効きます。
またわたしの場合、右が痛ければ右へ敢えて負荷を懸け、後ろなら後ろへ、左なら左へ負荷を懸けると、やがて著しく緩解します。ずうっと逆へ、痛みの反対側へ負荷を懸けてかえって非道くしていました。体験的に観察を重ねて、見つけました。今は、腰痛とかなり仲良くできています。但し人により原因によるでしょうが。
今は攣縮、つまり、こむら返りに相変わらず怯えます。それでも、ゆっくりの街歩きや川沿いの橋わたりも楽しめています。
糖尿病にめげず、注射も薬も几帳面以上に励行しながら、酒も食い物もほぼ無制限に楽しんでいます。病院での診察時成績は悪くならずに、時に褒めてもらいます。
「書き」仕事は少しも変わりなく、むしろ楽しんでいます。次から次へ自分を見つめ直す新しい材料が目の前へやってきます。置き去りにしてきた自分の人生を今時分になって真っ直ぐ見つめています。
自転車は危険なので、ほとんどやめています、暑いからでもあるが。かといって他の運動もしていません。機械の前に腰掛けていても、少しも腰痛にならないので助かります。パソコンを今は三台つかい、スキャナもプリンタも屡々活動してくれます。
外出は、通院と歯医者と、芝居と、独り歩き。月に十回ぐらいかな。ステッキが欲しいな。似合わないけど帽子も。少しも変わらず旺盛に読書も楽しみます。人とは、ほとんど直には接しません。互いの安全のためにも、家内と二人一緒によく出ています。
息子は、小説本と連続ドラマと舞台「秦組」とで超忙しく、それでも親父たちを芝居によんで呉れ、新鋭の機械を買って呉れたり、法廷や弁護士事務所へも運転手なみに付き合って呉れます。すっかり、いい「創り手・作家」になりました。
どうぞ、元気いっぱいの老境を健康に過ごしてください。わたしのように、よれよれのよろよろでも、それなりの元気は可能なのですから。過去より「いま・ここ」の元気を楽しみませんか。
京都のもとの都ホテルでの講演も、たくさん拍手をもらってきたし、もう外向きの仕事などムダな疲れ仕事はやめて、好きなこと、したいことをして過ごしています。病気とも仲よく。   湖
2010 7・18 106

* 熱暑のさなか、卒業生の田中孝介くんが自転車で来てくれて、転送ソフトも新しいのにとりかえ、忽ちに不調を直してくれた。ありがとう。これで、もともとのサイトが、転送可能となった。ついでに親機と子機との相互移動も可能なようにもとへ戻してくれた(はず)。これは実用して確かめねば。まるで魔法使いだと、感嘆。
歓談して。かるい午食もいっしょにして、昼前には、午後も忙しい人に悠々帰ってもらえた。
2010 7・19 106

☆ いつも「湖の本」をお贈りいただき有難うございます。楽しみに拝読させて頂いておりますが、よく次々とこれだけ御執筆なされることに驚いております。
横須賀でお会いして以来、いつも美しい文と内容とに感激し、嬉しく読ませていただいております。今回の『私 随筆で書いた私小説』は、また、とくに清らかな文で、長い御文筆生活の結果が、ほのぼのし表現されております。そして幼い頃からの御生活まで明瞭に書かれており、只々感嘆致しております。心から御禮申上げます。  元東大教授

☆ 暑中お見舞申上げます。   神戸大学教授
お変りなくお過しのことと存じます。「湖の本103 私 随筆で書いた私小説」をご恵贈賜わり恐縮に存じます。三十二編の「随筆」と「補章」で構成された「私」小説は、どれだけ先生の思いをうけとめられたかわかりませんが、「京都はいつもこんなふうに僕に何かしら厄介なものを背負いこませる」と書かれてから、今日まで創作活動をつづけながら「母」と再会されたことの意味をユックリ考えてみたいとおもいます。

* 少し、心落ち居て
ご馳走の二いろの葡萄を、妻と、しみじみ今日お午に頂戴しました。上品のうまみ、玲瓏の趣、ただただ有難う御座いました。ご芳情も加わりひとしお美味しく賜りました。
昨日から、小説にも手をかけられるようになり、仕掛けの二作、今日は新しい仕事にも着手してこころよい昂揚感も味わっています。これもご厚意の賜と思います。
もの凄い熱暑が列島を直射しています。屈して仕舞わないで、出掛けられるときは出掛けて、楽しめることは楽しみたいと思いますが、ムリは禁物とも。ムリはなにごとでも宜しくありません。
お大切に、どうぞ。この夏をともにムリせず乗り切って参りたいと切に願います。お揃いで、お元気に。
ありがとう御座いました。  秦 恒平
2010 7・20 106

☆ RE: 少し心落ち居て   e-OLD 吉備

嬉しいお便り有り難う存じます。
私もこのところ体調万全ではなく不安を覚えながらの日々でしたが、昨日胃カメラの検査の結果何事もないと分かりホッとしています。
「mixi」の「リトマス試験紙」書き込みを読んで、PENクラブの方々にも体制順応派(?)が多いのか、なぜなのかと不思議です。
話は変わりますが、今「思想史家が読む論語 「学び」の復権ー子安宣邦」を興味深く読んでいます。私が在学した旧制閑谷中学では校長先生が毎週1回全校生徒に、国宝の旧講堂で、論語の講義をされていました。昭和17・8年頃ですが戦意昂揚などとは無関係で、生徒が身近に感じるような楽しい話でした。そのため今でも論語に親近感をもっているのです。
岡山も猛暑ですが東京はもっとひどいようですね。熱中症に御用心ください。

* 胃カメラ、結果がよろしくて、わたしも嬉しく安堵。
「論語」  わたしも久しぶりにまた読もうかな。「老子」よりは読めるし。

☆ 秦先生、暑中お見舞い申し上げます。
『中世の美術と美学中』に漸く入りました。なかなか進まず、暫し休息。漸く再び、先生の世界に入っております。この人は、小説家なのか、学者なのかと。
先生の世界は、素晴らしい知識、学術的に裏打ちされているのに、驚くような独自の歴史観で、とても、こうだと形で、大きさでくくれない。小説を読んでも、随筆を読んでも。

八年前、八月四日も酷暑でした。
日大名誉教授の田村豊幸博士が、西大寺の一角に建立された「この里は継ぎて霜や置く 夏の野に我が見し草はもみぢたりけり」という孝謙天皇の万葉歌碑の除幕式にも出ました。
万葉集にも目を通していましたのに、内侍の佐佐貴山君が、女帝にその「さわひよどり草」を捧げ持っていたことも詞書でわかっていたのに、佐佐貴山君についてはそれ以上何も感じませんでした。それなのに、あの壮大な『みごもりの湖』という作品が生まれるとは・・・
厳島の宝物も、「平家納経」も「平泉」も、ちゃらちゃらと、お上りさんの観光客の目でしか見ることの出来なかった、狭い小さな世界で生きてきた読者は、先生の世界の入口に佇み、ただ圧倒されております。六十代に入って、老後の慎ましい暮らしをせねば、と半ば人生に諦めを言い聞かせていますが、今頃になって、見るべきもの(読むべきもの)に出逢えてよかったと、長いこと忘れていた読書三昧の幸せ、読書の間は物語世界に生きる華やぎも味わっております。
「湖の本」の作家に深謝。
酷暑の折、くれぐれも御身大切に。  野宮

 

☆  北の海の入日に最上徳内を 舟
(バルト海)クルージングの楽しみに、持っていった本。何冊かのうち
北の時代ー最上徳内』上・中・下
秦恒平著 湖の本 32.33.34 を読んでいた。

最上徳内が国後島へと蝦夷の地を歩いたように跡を訪ねていく作家が、徳内ゆかりの地の野辺地港から、函館へとフェリーに乗る。
船の中から見た陸奥湾の入日を描写した箇所がある。

「秀でて美しい大千軒岳からまるでお神(み)渡り、身幅にあまって金色の光の帯が胸もとへ、眼へ、くわっと奔って来る。」

午後の10時を過ぎてもまだ明るい北の海。ずっと読む本を手にしたまま、バルコニーで遠くの海の入日を眺めていた。だんだんと太陽が大きく下へと。海の向こうから赤い日の光りが船まで続いた。
徳内氏の蝦夷への大きな思い。作家が描こうとする熱い思い。この光の帯が、神渡りのように希望の光に思えたのだろうと感無量だった。
最上徳内は読み進むに連れ、多方面に偉業をなした中々魅力的な人だったと、始めて知ることが多い。
お墓は、都内駒込辺りのお寺ににあるとか。

* 有り難いこと。
2010 7・21 106

* 野呂芳男さんの訃報が来た。四月二六日に亡くなっていて、五月二日には葬儀もうちうちに済んでいたという。
野呂さんは『慈子』に始まる久しいご縁で、熱心な読者というよりまさしく心友という長者であられた。わが家にもよく見えた。お目がわるいと聞いていたが、「長年にわたる闘病」とは聴かなかった。
りっぱな牧師さんで、すぐれた神学者で、仏教にも深く視線をさしこまれたユニークなクリスチャンであった。ほんとうに敬愛していた。ただ瞑目、温容を偲ぶのみ。
しらぬまに亡くなる人の多い事よ。馬場先生も、畔上知時氏も、野呂さんも。嗚呼。

☆ 秦 恒平 様    千葉大学教授
梅雨が明けたと思ったら、即座に猛暑に直結しました。
湖の本『私 随筆で書いた私小説』『宗園、茶を語る』お贈りいただき、誠にありがたく拝読させていただいています。随筆で書い
た私小説、私探究のまったく新しい文藝表現のジャンルと興味深く、「基点 私の原戸籍」 から 「母の敗戦 養子縁組」 にはさまれたそれらはいずれも秦文学の研究にかけがえのない資嚢と存じました。
また、私が茶の湯を習いだしたのは、……疎開先丹波で大病し、と読んだ印象を、もし中世の茶を 「男文化」 の達成とするなら、近世のそして近現代の茶はその 「女文化」 的な変容、という記述に響かせたりしました。
円地文子事典に玉稿いただけたこと、ありがたいことと慶んでおりました。円地文学─秦文学の連関に東京、京都の近現代文学の所縁を感じておりました。
さるにても、どうか、暑中お体ご大切におねがいします。

私は一夏の間の町の実にさびしくひつそりして居たことを思ひ
だして、この大暑を送らうとして居る (藤村「大暑」)

そんな夏もあったことをおもいつつ  草々    二〇一〇・七・二一
2010 7・22 106

* 高校以来の一の友達が、病気で入院すると告げてきた。あなたもかと、声をうしなう。朗らかに書いた手紙で、かならず生還するので安心していて下さいとある。深く深く頼みとしよう。こころより無事快癒を祈る。祈る。
2010 7・24 106

☆ 昨日の花は、一日外出で疲れました。
横浜の中古車屋さんへ行き、試乗するだけかと思っていたら、商談になり、結局買い換えることになりました。
夫の車です。
車が好きですから、いろいろ乗りたいのでしょうね。
帰りにららぽーとに寄り、きれいな色のガラス花瓶を買って帰りました。
今日は、車乗り換えの手続きに必要な書類を揃えに出かけてきたところです。
汗だくです。
お元気ですか。ではでは。 花

☆ 秦様 お暑うございます,お元気でしょうか。
こちらも,暑さを感じる日々ですが,本州の方々にしてみれば,笑止なものでしょう。贅沢は申せません。
さて先ほど,近所の郵便局から,道南・奥尻島のウニを送りました。来月3日の夜間に届く予定です。当初予定の殻つきではなく,無粋なパック詰ですが,衛生面と分量はお得かな,と思われます。
私見ですが,奥尻のウニは,道内では,一番美味しかったと記憶しています。郵便局から漁協に電話してくれたのですが,天候不順でシケが続いているので,発送はするが,衛生上の理由から,殻つきのは,今年は受けていないそうです。
ご笑納下さい。
暑さが続きそうですが,ご自愛のほど祈念いたします。 取り急ぎ。  麗

* 恐縮です。感謝。
2010 7・26 106

* 太左衛さんからお誘いがあって、行きますと返事。追っかけて「いま金澤にいます、すぐ帰ります」と。恐縮。
去年は草臥れ果てていて行けなかった。ことしは、花火のアトの帰りを急かず慌てず、浅草でゆっくりして、車が動いてくれるようになってから、上野か鶯谷を経て帰ってこようと思う。観音裏から鶯谷駅までの徒歩が暑くて遠くて腰が痛んで、いつも帰り道虫の息だつた。夜中に家に帰ればいいと思えばいい。

* 四年前は、やす香の送り火として花火を見上げ、泣いてきた。
それより前。卒業生の柳博通と彼女とを連れて行き、結婚へ、グイと、グズついていた二人の背中を押してやった。今では幸せにパパママしているが、忙しいのか、いっこうに無沙汰。

* わたしの浅草好きは、太左衛さんのおかげ。ながいあいだには、花火のあとさきに、一人ですきやきの「米久」や鮨の「高勢」にも馴染んできた。

* 早めに出て、やはり「高勢」でゆっくり一時間半、うまい酒とうまい肴。年に一回しか行かないような店だが花火の客ということで、顔なじみに覚えていてくれ、静かに親方と話し合える。
そして、金澤から急遽帰ってきてくれた太左衛さんと逢い、いつもの花火の席へ。しばらく立ち話していて、忙しい太左衛さんは次の用事の方へ。

* 七時から八時半まで他の大勢さんと花火を十分楽しんだ。視野の間近真正面に途絶えなく花咲く花火。豪快なのも繊細なのも眩しいのも燃え立つのも湧き起こるのも。しーんとした気持ちで目をあげ観つづけてきた。思わず何度も何度も拍手してしまう。
一人壁を背にいつも倚子を貰って独りで観る。他の人達は屋上に思い思いに席をこさえて、賑やかに幾つものグループが。
八時半に近づくと花火は最高潮の速射で、華麗に多彩に息も切らず打ち上がる。ああこれが「打ち上げ」という意味かと面白く興奮する。

* さ、どうして浅草で時間を過ごして行こうかと路上へ降りて、言問通りとは逆の方へぶらぶら歩いているうち、千束通りへ出てしまった。おやおや、もう少し柳通の辺で食べ物か飲み物かの店を探すかなと思案の目の前へ、ひょいと横丁からタクシーが現れ、奇跡だとばかり飛び乗った。
鶯谷から山手線で池袋。駅構内のパブでおもっきり冷えた外国産のビールをああうまいと呑んでから、西武線に乗り換えた。マキリツプの第三部を読みながら帰ってきた。腰痛もなく、予想も出来なかったほど快適で楽しい隅田川花火だった、太左衛さんありがとう。彼女は明日また金沢へ行き、京都へまわってくるそうだ、みな鳴り物の指導や新たな演奏会の打合せなどであるらしい。

* こと多かった七月も尽きた。濃い緑陰の葉月が来る。八月よ、平安であれと、人にも我にも、願わずにおれない。
2010 7・31 106

☆ 鴉へ お元気ですか。
先週メールを頂いていました。ありがとうございます。
日本列島、あと一週間は猛暑に耐えなければならないようですね。他の贅沢はしないからと、エアコンを使っていますが、それでも身体は疲れ気味です。夏痩せしないところが悔しいですが!
京都博物館の上田秋成展は今月の28日までです。鴉にとっては是非出かけたいところでしょうが、この暑さの折、そして何より懸案のお仕事があり、京都までは大変でしょう。図録はいずれここから送りますので楽しみになさってください。
七月は姑が夏風邪を引いたり、お盆のことなどありましたが、忙しいというような日々ではありません。わたしは忙しい商家に育ったから少人数の家の主婦業は忙しいと思ったことはありません。といいつつ、現在の我が怠惰を大いに自覚しています。
久しぶりに器械に向かい、そして今から外出しなければなりません。取り急ぎ  鳶
2010 8・2 107

* 札幌の矢部さんから道南、奥尻島の雲丹を頂戴した。フランスの白ワインをあけ、一とパック、妻と楽しんだ。じつに美味い。こんなに美味しい生ま雲丹、いただいたことないわと妻、真実感嘆。ありがたいこと。二人とも雲丹大好きで、鮨屋でも欠かさない。そこそこの雲丹は出されるが、今夜のこんなうまい雲丹に出逢ったこと、無い。
2010 8・3 107

* 丸山宏司君から、嬉しい佳い便りがあった。読んでいて、わたしも生き生きしてくる。心配りの利いた幸せな家庭生活。いい仕事がそれで出来る。がんばれる。
2010 8・4 107

* 林丈雄君から、ウイルスメールのことで、親切にいろいろ教えてきてくれた。感謝。ま、数に驚かず、ほっといていいだろうということか。なんとなく安心した。
2010 8・4 107

* 友達が、病院から手紙をくれた。朗報と受け取りたいし、これからの治療が順調に着実にありますよう、平安をこころより願っている。つらい厳しい治療の日々が当分続くであろう、挫けないで、しっかり、と心より願っている。

☆ 暑さに負けていませんか。  泉
連日の酷暑も昨日今日はややピークは過ぎたかなと思わせます。あと10日もすればお盆ですものね。
その熱暑の間、仕事とはいえ、焦げ茶色に焼けて外仕事をする職人さんには頭が下がります。接待の類は金額に入っているのでとの契約ながら、見るに見かねて冷たいボトルや塩分補給の梅干しの大きなオニギリを日々差し入れて、生き返ったと喜ばれました。
そんなワケでまだ一割方最後の作業は残っていますが、梅雨を挟んで飛び飛びに3カ月余り、非常に疲れましたが、ほっと一息ついています。
涼しくなったら旅をしたい気分ですが、取りあえず明日は娘や孫に便乗で、遠出してきます。では又
2010 8・6 107

☆ チケット  鳶
メール嬉しく。
まだ京都へ出かけていませんので、(上田秋成展の)チケットあれば喜んで頂戴いたします。ありがとうご
ざいます。博物館に早くに、と思いながら、この暑さに躊躇して日々をやり過ごしている状態です。
昨晩は姫路城で薪能があったのに、夕方出かければ間に合うのに・・見逃してしまいました。
鴉は、よほど積極的に外出されていると思います。くれぐれも大切に過ごしてください。大事になさってください。
今日からお盆の帰省ラッシュのようですが、わが家は夏休みなく多忙らしく予定は未定。
洗濯、濫読、少々の書きもの、日暮れ時になってようやく食料を買いに・・日常を淡々と暮らしています。

* 秋成展、せっかく長島弘明教授に券とお誘いを頂いているのだが、さすがに京都までとなると出がけに二の足を踏む。券をムダにはしたくなく、こういうとき「鳶さん」は抜群の咀嚼力があり、安心して委ねられる。姫路の山の中から京都までは御苦労さんであるけれど、この人は観たいとなれば外国へでも出掛けて行く方だ。
琵琶湖の東の佐川美術館では楽吉左衛門が外国の友人と展覧会をする、奈良では松伯美術館からのお誘いもある。みんな併せて「鳶」さんに送っておく。心涼しいと思われる方へ行ってきて下さい。図録を送ろうなどとムリをしないで下さい。
2010 8・7 107

☆ 残暑お見舞いです。    吉備びと
心倣しか天が高くなったような気もしますが、秋を感じさせる風の音はまだありません。
デパ地下で、森田酒造萬年雪の荒走りに目がとまりました。

* 「萬年雪」の荒走り、か。涼しい。嬉しい。
2010 8・9 107

* 「萬年雪」の荒走りを三本頂戴し、すぐさま深々と味わった。有元さん、有難う存じます。
2010 8・9 107

☆ 残暑お見舞い
お元気ですか、みづうみ。

珍妙な帽子と愛の首輪をつけて歩いていらっしゃるみづうみのお姿拝見したいです。ふふふ。
マーラー、いいでしょう。
わたくしは暑いのは勘弁で、必要最少限の外出、それも朝か夕方しかしていません。丈夫なだけが取り柄のわが家の猫まで初めて夏バテしましたので、今年の暑さがいかに異常かがわかります。
でも、出かけないのでクーラーの中で思い切り物書きに集中出来るのは幸い。週末からは夫の里で「お嫁さん」の予定です。
腹痛は如何ですか。痛み止めの効かないほどの時は、救急車を使ってでも診察にいかれますようお願い申し上げます。繰り返す腹痛なんて、自然治癒するものではありません。どうか色々お大切にお過ごしくださいませ。
早く酷暑が通り過ぎますように。 アベリア

*  湖の本の入稿を終えたところで、労力もいる仕事にうちこみ、ま、からだを壊さぬようにしよう。
2010 8・10 107

* 十三日の金曜日が、日本国の禁忌でないとは承知しながら、ちかぢか十三日の金曜が来ると頭の隅に有った。今日だった。
* 私の「生活と意見」を述懐している、此の、「闇に言い置く 私語の刻」は、言葉通りのもので、先ず「読者」を期待して書いているという性質のもので、ない。
どなたでも自由にアクセスされてよく、自由に去られてもよく、ただ私の「文責」だけは明らかにしてある。「作家・秦 恒平の生活と意見」である。
その上で今日あらためて書いておく、ここ当分は、余儀なく私の今置かれている迷惑な立場、即ち、実の娘(本人が地裁の証人席で認めている)とその夫とにより「裁判の被告席」に置かれてある現実に即して、余儀なく、去る七月十三日東京地裁で実施された原告・被告への「訊問と証言」とを、事実どおりに此処に掲示・保管して行くので、そういうのを読むののイヤな人は、(実に実に不愉快なものであることは、間違いなく請け合う。)どうか随意、アクセスしないで此の場から遠のいていて下さるよう。強いるのでも願うのでもない、ご随意にと言うだけのこと。
読まれてから不愉快だと私に小言を言われるのは、「私語」のたてまえ困惑するという、それだけの話である。

* 地裁の法廷は秘密会ではない。傍聴席は公開され、だれでも自由に入れる。禁止されていない。当日、私の妻と息子とが二人だけ傍聴席にいて、原告夫妻側は誰一人来ていなかった。
誰にも公開されていると云うことは、かりにマスコミが入っていて即日証言内容が報道されても構わない仕組みであり、日本ペンクラブの理事会に各新聞記者が傍聴していて、必要なら理事発言や決定事項などをすぐ報道しているのと、全く同じ。秘密会では無いとは、そういう意味である。むろん、裁判官からも代理人からも何らかの「制限する」申し渡しなど、何も無い。このことを先ず明瞭にしておく。「証言速記録」は、裁判所が厳格に内容を確認の上、公式に発行するもので、関係者の恣まな要約でも抄録でもない。これも確言しておく。

* 開廷されると、原告被告とも「宣誓」する。
「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います。」と音読し、氏名の項に「自筆署名し捺印」する。そして個々に証人席に立ち裁判長に対面したとき、改めて「虚偽証言をすると処罰される」旨、念押しがされる。これを先ず書き表しておくのは、以下原告夫妻の「証言」を逐一、「父」「舅」として私・被告が検討するにあたり、重要な大前提なので明確にしておくのである。

* 「私語」であるゆえ、初めに私一人の「ガス抜き」をしておきたい。
原告「★★★」「★★▲▲(証言中、すでに三年前十一月に★★「朝日子」から「▲▲」と改名届が家裁受理されているとのこと。)」の上記「宣誓」に基づく「証言」内容が、仰天するほど虚偽に満ち、真実憤怒し惘れ返っているという気持ちだけを先ず明記し、確認しておきたい。
もとよりそう云う以上は、言葉を尽くして逐一証拠等を挙げ、正心誠意「反論」「証言虚偽の証明」に尽くすという事である。不愉快極みなく、しかし落ち着いて事理を尽くして行く。

* 最初に原告が一人ずつ証人席に立ち、まず原告弁護士から質問し、次いで被告弁護士から質問する。裁判長は進行指揮にほぼ終始。次いで被告の私が立ち、先ず被告弁護士が質問し、次いで原告弁護士が質問する。弁護士は各二名付いていた。
で、断っておくが、ほぼ三人による長時間講演を細かく区切って記録したような「速記録」であり、それへ、私が逐条「反論」を書き加えて行くので、思いの外大量になる。
読む人の気持ち次第では、「事実は小説より奇でおもしろい」と読む人もあろうか。
いやいや、事実上、この私の「生活と意見 闇に言い置く私語の刻」は秦 恒平の「私小説」同様に読んでいるという反響は『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』上下巻(湖の本エッセイ47.48)の時に沢山戴いていた。

* 法廷の「速記録」が代理人を介して送られて来たのは、三日ほど前で、幸い「湖の本」104の入稿を果たしておいて、さて著者の「父」小説を進めかけた間際であったので、残念ながらそっちは延期。

* 先ず、「法廷速記録」を扱いやすくスキャン電子化しておき、文面内容はむろん変害せず、組体裁を明快に読み取りやすく整備しておいてから、原告「★★ ★」の「証言」を、徹底的に読み込んで行った。そのあと「★★▲▲」分を三分の一程度まで読み込み、妻とともに、あまりの虚言に満ちた「ひどさ」に言葉を喪い、それで、此の場への「掲載・保管」を覚悟した。私たち秦家の生活を多年にわたりよく知り、当時の娘・朝日子をよく知った人達も、まだまだ数多い。
で、先ずは「★★★」分を先に検討し、現在初稿のみ仕上がっている分を、もう一度よく読み返して、順にまず「★★★」分の全文を此処に、「闇に言い置く 私語」の内として、提示し保管すると決めた。アクセスして読む・読まれぬは、私の知るところでなく、アクセスする方の随意である。だからといって掲載内容を「いいかげん」なものには決してしない。

* 驚いたことに「★★★」は、証言のなかで、自分は「私人」であると明言、「青山学院大学国際政経学部教授」である「公人」の立場をはっきり・あっさり無視しているが、大学教授が「私人」で済むわけがないことを、体験からも確信している。大学教授であるが故に破廉恥な行為を公開追及され地位を失っている例は、まま有るではないか。
また「東京都町田市教育委員会」に勤務していると証言している「★★▲▲」もあたりまえに「公人」であり、夫も妻も、ともに学生や児童の教育・教導に責任を持つ「公人」であること、私は信じて疑わない。

* これまでわれわれの確執は、双方の言い分を一つの「場」で均等に付き合わせる機会を得なかった。噛み合わないでいるという「逃げ道」を持った按配で、アイマイと言えばアイマイに傍観・遠望している人も多かった筈だ。
だが「法廷」でのこのような「訊問と証言」とは、少なくも形式だけ調った「対等の場」での「宣誓発言」である。意味は明快で、重い。
この際を利して、双方の言い分を検討し合うのは一種の「対質」であり、「公人」同士の対論・討論が望ましいとしてきた私の希望・意見の、ともあれ一つの、十分ではないが、実現とみていい。
そのつもりで、アクセスして読み、関心を持たれる方は、それなりに大いに討議され批評され、場を広げて戴きたい。
ことに、私もまた「公人」である。私の場合は、著作家の団体や、読者や知人たちの場で、また原告の場合は、少なくも青山学院大学の理事者層、教授・教職員層・学生さん、父兄会らの間で、大いにこの不可解な裁判の実態認識を展開して欲しいと願うし、同様に東京都町田市市民、ことに教育関係者・父兄たちの間に同様の認識を展開してほしいと願う。

* また原告の二人も、われわれ被告家庭のアクセスを拒絶しておいて、こそこそと秘められた物陰で陰湿に中傷や捏造記事をふり蒔くのでなく、私たちにもしかと読み取れる公開の場で、堂々と、そのかわり一つ一つに極力データのある証拠を挙げて、自身への理解を世に堂々と訴えればよろしい。インターネット時代の典型的な一つの「事例」になるだろう。ペンクラブにいち早く「電子メディア委員会」設立を提案実現していた理事・私の予見も、そのようにして一つの時代の「証言」に結びつく。
適当なもし一つの場が出来れば、連載討論をも進んで私は受けて立つ。

* もう一つ、はっきり断っておくこと。

* 家庭内の私事ではないか、秦さんも「ほどほど」「いいかげん」に娘夫妻をあしらい、「黙殺」していれば好いではないかという類の善人ぶり・大人ぶりの勧めは、いま、この際は受けられないと云うこと。
もとより「それ」が私の基本の考えであった。婿が暴発した昔も、私は返事一つしないで黙殺しつづけた。そのあげく婿は「姻戚関係」を断つと通告してきたのである。
姻戚を断つだの裁判沙汰だのにする「何事であるのか」という大方の感想や感触は、当初から、私たち夫婦=両親=祖父母また作家である弟・秦建日子の共通した考えである。
だが、現実には、★★夫妻は私・秦恒平を「被告」として裁判に及び、紛糾は丸四年に及んだ果ての、此の「七月十三日」法廷での初対面であった。「抗争上の対抗措置」をふり捨て、ただ為されるがままに委せていれば、一度は蒙ったように「全文学活動の根拠地である私のホームページ」は壊滅され、またこの父親は「二十年四十年にわたる虐待・性的虐待者」と言いふらされ、そしてこの際の「証言内容」のような露骨な虚偽で穢され続けるのである。

* 私たちの家庭は、大様に遊んでいるのではない。ふりかかる火の粉どころでない損害と、「懸命に抗争」している。それも、それをかぶる理由は道義の問題として皆無と信じているのである。ただし、いずれ後期高齢者に手を掛けた私も妻も、体力衰えて「暴害」の前に崩れるであろうが、だから諦めて放棄することは、この裁判の収束まで断じてしないと云うことを、明記しておく。

* では、お見苦しい限りのケンカ沙汰で「私語」が無頼に満たされることを予告し、そういうことのお嫌いな向きはアクセスをお控え下さるようにと申しておく。

* 今日は、ここまで。
2010 8・13 107

* 萬年雪の荒走り

有元様    もう二本を頂戴してからの、御礼で、申し訳ないことですが、おいしく戴いております。有難う御座います。
夏の暑い最中に冷えたお酒はおいしいですね、名前も好いのでひとしお喜ばしく、頂戴して直ぐさま一本戴いてしまいました。有難う御座います。
お変わりなく、おそろいでご健勝のことと思います。わが家でも、老妻に頼り頼り、而もえらそうにモノ申しつけたりして落語のような夫婦をやっております。
楽しいことも、とても楽しからぬことも、ともども老境の景色とうけとめ、ま、半々、半々と呟きながら毎日を迎え送っております。ご放念下さいますように。
チョイト京都ぐらいまで行ってみたいとときどき思うのですが、熱中症も疲労も怪我もいけないと、つい慎重に。
億劫に引っ込まないようにしたいと願っています。
本もやはり読んでいますし、書く方も多すぎるほど書いてしまって居ります。
不徳ナレドモ孤デモナシと、せめて思って気を励ましています。   お大切になさって下さい。  秦 恒平
2010 8・13 107

* ***君
おめでたい席へお招き戴き有難う存じます。家内も心より我が事のように「ヨカッタワー」「おめでたいわ」「ほんとに嬉しいわ」と言い続けています。むろん、私も同様。
おめでたのご返事なので、心静に落ち着いてハガキを出したく、いま、少し気分の波高く、そのまま落ち着くのを待っています。
取り敢えず メールで失礼ながらあなたへまで、私 参上列席のことのみお知らせしておきます。心配させているかなと案じつつ。
この体に昔の式服が入るか知らんとそればかり私は案じています、呵々。
暑いです。大事の前です、健康と怪我には重々お気を付けられますよう。
では。お大切に。もう一度 おめでとう。もう一度 お招き有難う。  秦 恒平

* ありがとうございます。
秦先生
御列席頂けるとのご連絡、心から感謝申し上げます。
私どもの挙式・披露宴は文字通り「小宴」となると思われます。ほぼ家族のみという内容になるかと思われますが、秦先生は私にとって「人生の恩師」ですので、是非御列席頂きたいなあと常日頃思っておりました。
もし迪子様も御列席頂けるようであれば、式の直前でも大丈夫ですので、御検討ください。(神戸観光だと思って頂ければと願います。)
なお、もし礼服が少し小さくなっている場合は、是非いつもの先生御愛用の服装でいらしてください。HPに掲載されている御写真のイメージが、私にとっては最もしっくり来る秦先生のイメージですので。
お伝えしたいことは、私どもの式のことは、是非気楽にお考え頂きたいということです。
もし先生に急な御予定が生じて御列席が難しくなった場合は、私ども、喜んで東京に御挨拶に上がりたいとも考えております。少なくともこの旨だけは手紙に記すべきだったと、今さらながら反省しております。
いずれにせよ、先生にお目にかかれることを今から楽しみにさせて頂いております。
奥様にも本当にありがたいお言葉を頂きまして、感謝申し上げます。
酷暑が続きます。先生、奥さまともご自愛ください。
私はきょうは久しぶりに、帰省いたします。  *****

* つねの服装で好いなら、とても有り難いが、式服が小さくなっていても、宜しくない。服が、ではなくわたしの体型が宜しくない。
2010 8・14 107

* 栃木の渡邊さんから、みごとな大房を八つも箱で頂戴した。美味しい。有難う御座います。

* 市川市の矢口さんという読者から、湖の本103『私 随筆で書いた私小説』を読んで、私の「父」が勤務しまた近所に暮らしていた時期もある「理研」という会社、工場などの記憶を書いてきて下さった。むかしすぐ近くで暮らしておられたという。「父」は夥しく住まいを移動していた人立つと遺品から推量しているが、昭和十二年に就職し、兵役をはさんで二十年ほど勤め工場長の地位にも就いていた理研時代はいちばん永かったのではないか。ありがたいお手紙であった。この辺からも数奇な道を歩んで艱難の多かったらしい「父」へのアプローチが拓けると嬉しい。実の娘に悩まされているこの頃、もう無くなって久しいそんな「父」などが懐かしまれる。妙なことになっているモノだ。
2010 8・14 107

☆ 熱暑の先日  泉
西武線玉川上水駅より多摩モノレールに乗り立川へ。中央線で八王子に出、此処で出先の婿の車に拾ってもらい遠路保土ヶ谷へ。すべて七歳の孫君の趣味であるスタンプラリーに便乗のジジババで、ちょっとした旅気分でした。
今日は好きな博物館へ一人で行きましたが、惹かれる作品に出会えず、送信する写真も撮らずです。平日のような静けさがありませんが、歩数計は15000を指していました。花火大会があるのか大江戸線は浴衣姿の沢山の若者とすれ違いました。若い若い!
2010 8・15 107

* 「彧」さんの診療は順調に無事に進んでいるだろうか、心より平安を祈る。

☆ お元気ですか、風。
夏休みが終わりました。
高速道路は、史上最悪の混雑と予想されていましたが、これまでの帰省の中で、もっとも空いていました。
日本道路交通情報センターに脅されすぎて、利用者たちががうまい具合にバラけたのかもしれません。
**も暑いので、外に出ず、のんびりさせてもらいました。
お姑さんが料理上手で、ご馳走をたくさん用意してくださり、花は太りました。
いつもおなかいっぱいで、ありがたいことですが、食事と体のサイクルがおかしくなってしまい、元に戻すまで、ちょっと大変です。
留守にしていたあいだ手をつけられなかったことを、今日からどんどんやります。
残暑厳しいですから、お大事におすごしください。
元気な 花

☆ ご著書お願い
秦先生、残暑お見舞い申し上げます。
わが家の猫の額の、庭というより通路に置いた鉢植えの野牡丹。朝夕の水やりでも、暑さで悲鳴をあげています。夏の花は、白、青、紫、そして緑の葉と、決めていますが、この暑さではお花も可哀相。
「女文化の終焉」上まで読んで思考が働かず、ストップしてしまいました。私には難解過ぎかと。しばらく軽い本を読み、世の熟女より数年遅れで韓流に嵌って? DVDを借りてきては「善徳女王」というドラマを見続けました。
おかげで、全く知らなかった新羅の歴史が少し解り、同じ頃日本も皇極・斉明女帝朝だったこと、理解できました。その後、孫娘がふたり、滞在してお相手にぐったりしましたが、帰っていってからも彼女たちの言葉や仕草を思い出しては、ぎゅっと、抱きしめたい感情が拡がっていきます。
先生の御著書からはしばらく遠ざかっていましたが、「私語の刻」は私の日課のごとく毎日、何回も拝読してしていましたので、先生の肉親への深い愛情、またご無念、伝わってきます。どうぞ、くれぐれも御身大切に。
孫達を送り出し、静けさの戻ってきたわが家で、さぁ、「女文化・・」中 もう一度、読み直します。そして私自身何か書きたくなりそうです。
さて、そんな事情で、まだ「女文化の終焉」中、下、読み終えていませんが、御著書をお送り頂きたいのです。「清経入水」や「廬山」はインターネットで読み、感動しましたが、私はやはり印刷したもので読む方が大事です。もう一度、本で読みたい。
1, 清経入水

5, 蝶の皿、青井戸、隠沼

6, 廬山・華厳・マウドガリヤーヤナの旅

7, 黒牡丹上

8, 黒牡丹下

《エッセー》

1, 蘇我殿幻想・消えたかタケル

4, 茶ノ道廃ルベシ

以上7冊、お手数をおかけいたしますが、送料などもお知らせ下さいませ。  野宮

* 感謝。
2010 8・17 107

* 大府の門さんから大著『江馬細香』が復刊されると報せが来ていた。表紙のカバーに細香さんの風景画を使ったので、それだけでも「お慰みにご覧下されば嬉しく存じます」と。
門玲子さんは、普通の主婦から、ご主人の転勤先で手にした時間を利して古文書の勉強をはじめ、その刻苦精励の線上で頼山陽に愛された閨秀江馬細香の研究に入って、専門家も讃嘆した美事な成果を大著に纏めて栄誉を得られた。そればかりか今や江戸時代の女流文人研究の第一人者に。ずうっと久しく湖の本も支援して貰っている。

* わが家ではよく口癖のように夫婦で語り合うが、少なくも「十年」一つことを継続し没頭して学べばなんとかそこそこのところへ到達する、まして門さんのように才能と大きな運とに恵まれれば大輪の花が咲くと。
わが家の息子も、たしかに十年がんばって噴出した。
亡き井上靖はよく話された、人には生涯に二度の噴出の機があります。二度あります。これをのがさぬことと。だが、その前に十年の真摯でねばり強い勉強が必要だ。

* ちょっと驚いたが、朝日子が学生のむかしに書いていたものに、自分は井上靖のことをしばらく忘れていた、損をした気がすると。これには父のわたしもびっくりした、朝日子は漱石だの高橋たか子だの加賀乙彦だのとよく言っていたが、井上靖の文学に興味があったなどと知らなかった。
今からでも遅くない。井上さんの作品集が読みたいなら手もとにたっぷり揃っているのを送ってあげてもいい。そのかわり気まぐれなつまみ食いではダメ、何にもならない趣味の読書に終わる。むろんそれも好いけれど、まだ五十歳だ、裁判沙汰など放擲して六十還暦までに半チャラケで終えてある習作を完成し、また本当の文学作品を一心に心がけて、遅ればせの新人作家として栄誉を後世に望んではどうか。
凍り付くようにもし孤独に過ごしていても、文学への熱い志は胸の凍ても溶かしてくれる、愛読者という身方も必然迎えられる。親を訴えた裁判でたとえ親に勝とうとも、それでは人間としてみじめに大敗し、人に嘲られるだけのこと。門さんは頼年八十歳に。朝日子がそこへ行くのに三十年ある。三十年頑張る気なら、一作の名作に希望が持てる。

* H氏賞詩人の岩佐なを氏に「生き事」六号を貰った。数人の詩人たちの雑誌で今号も岩佐さんの「銅版画苦楽部」の10篇が巻頭に。みごとな銅版画10点とそれぞれ詩が見開きに置いてあり、どっちも楽しいし、ほろ苦いし、ほんもの。
なんだか、わたしもこんな詩人たちの仲間入りして掌説を書いてみたくなる。カナブンブンに描かれた沢山な人の顔繪表紙もケッサク。
岩佐さんも、はじめからの「湖の本」の人。「湖の本」の読者には門さん岩佐さんのような一人当千の優れた創作者や学者が今も大勢いて下さるのが嬉しいし、有り難い。
12010 8・17 107

☆ 秦様
ご無沙汰をしています。6月半ばからノルマンディーの家にいて今週東京に戻ってきて溜まっている郵便物の中に、湖の本103を見つけました。御本をお送りいただき有難う御座いました。ご連絡が遅れたことをお詫びします。ホームページの「私語の刻」とも重ね合わせ少しずつ拝読しているところです。
思うのは、人はそれぞれの事情の中で行動をし、それが周囲の人の行動を引き出し、そしてそれがまた元の人に跳ね返りつつ、その波紋が広がっていくということ。当事者には色々なしがらみがあり思うところがあるでしょうが、それがこの世の人の営みであり、何を憚ることがあろうかと思っています。
それにつけても生きていればこそのこと。どうぞご自愛くださいますよう。
御代は今回分まであるとのことですが、2500円を払い込みました。  澤

* 感謝。
2010 8・20 107

☆ お元気ですか、風。
風、難儀な用をなさっているとか。
花も、推敲のしんどいところをやっています。
つづけていたエアロバイクのエクセサイズを、何週間もサボッていました。暑くて、やる気が起らなかったんです。汗をかくので、夜の入浴前にやっていたのですが、夜になるとやる気がますます起らなくて。
今日は、思い立って、午前中にやってみました。
やっぱり疲れます。
同じ運動でも、夏にやるとぐったりします。
でも、つづけると、体が軽い感じがするので、できるだけやりたいんですよね。
さっき、軽くシャワーしました。

> 研究者が物質に探求的に向かうときのように冷静に立ち向かい、嫉妬心や好き嫌いを捨ててしまう修練が必要。

そうですね。
怒ったり、喜んだり、悲しんだりしながら、そのような自分の中にうつろう感情を、サンプルとして眺め観察するくらいでなくては、と思います。
日照りの下は危険です。お大事に。ではでは。
2010 8・24 107

* 小田原事件で訣別し、大正末に和解し、昭和五年に細君譲渡で騒がれた、谷崎潤一郎と千代子さんと佐藤春夫。その千代子さんと佐藤春夫の間に生まれた方哉さんが、電車のホームからの墜落事故で亡くなられた。いましも谷崎文学にまた思い入れてものを沢山読んでいて、驚愕した。わたしより三歳余年上の方だった
2010 8・24 107

☆  湖さん    瑛
ことのほか酷暑が続きますがご健勝の日々と日記で拝察しています。『バグワン』。バグワンのことが書いてあるとフーット安堵の気持ちがします。
老荘の風、道のかなたから吹いてくる風を感じます。ふと蝉の声を聞きながら昨夜は処暑の月を見ました。
明日は満月。
法師蝉しみじみ耳のうしろかな  少し暗い句ですが今の平成の世に比べればほのぼのとする句です。

☆ やや気温が…   泉
まだ地上は暑いので日が陰るまで大江戸線で一周中。
空いていて涼しいので本を読んだり軽く運動をしてきた疲れでウツラウツラ眠ったりと、快適。車中の殆どが寝ています。
気候が良ければ勝どきや両国、新木場辺りで脱線するのだけれど。
なが~い炎暑をお互い老体にむち打って乗り切りましょうよ。

* なるほど大江戸線にはこういう乗り方が可能。わたしの場合、練馬で乗れば、ぐるっと都内を一周してそのまま練馬へ又もどってこれる。この線の難は、地下走行の騒音があまりにひどいこと。  2010 8・25 107

* 国際ペン東京大会の成功を願って、寄付金を送った。送金のアト、珈琲豆屋の「ぺると」で久しぶりにマスターとゆっくり歓談してきた。
2010 8・27 107

☆ メールありがとうございます。  鳶
十八日のHP記載にわたしが過剰反応したとばかりは言い切れませんが、その後日常を積極的に緊張され充実奮闘されている様子を察します。(病院へ行けという=)わたしのメールに返信なく・・鴉は鴉の在り方を貫いているのだな、と、これは遠くから納得するしかないのでしょう、ね?
それでも尚第一にお体のことを尊重なさってください。
27日の「mixi」受信記録に「ハートはからだ。こころではない。」と鴉の記事の見出しが出ています。mixiを読んでいないのに引用したら片手落ちかもしれないのですが,ハートはからだ、本当に大事になさってください。
こちらも残暑厳しく、ひたすら怠惰を決め込んで暮らしています。外出した日は帰ってきて夕食を作るだけが精一杯。日頃は休む前に部屋も一通りは片付けて、翌朝起きて居間に入る時にはすっきりしていないと耐えられませんが・・やや乱雑になっています。何しろ本やら細々したものが溢れかえっているのですから。(定年退職後の=)住処のことは何れ引越しを考えますが、目下動きようなく、また考慮すべき微妙な状況もあり、具体化した段階で行動します。それまでは、家事より私事、です。今月は二回(老いた姑の住む=)**に出かけ、神戸に、詩の関係のことに参加した以外は、ほぼ逼塞。
スペインの詩人ロルカを記念する催しで、グラナダに行ったことがあるなら是非書いてと言われて、柄にもなくキャッチコピーを書きました。
書くことは一人の孤独な作業以外のなにものでもありませんが、書く人との交流はある種の刺激を齎します。プラスの面、同時に自分への疑問、逡巡、なども夥しく湧き起こります。新しいものを受け止め受け入れる柔軟さは持ち合わせていると思いますが、どんなに刺激を受け、変わろうと努め、実験を試みても・・現代詩の試みをわたしは捉えられていません。変わらない硬いものの存在、わたしはわたしと開き直るのでなく、ただこれがわたしなのだという感覚、でしょうか。才能ないことはもう十分身に沁みています。
遥か昔、鴉がわたしの書く文字がいいと褒めてくださったことがありました。が、書家になるつもりは全くわたしにはなかった。最近わたしの半分? エッセイのような文章を読んでもらった人は、詩より散文の方がいいと感想を述べました。直感的、情熱的なものが欠けているのではないか、寧ろ論理的なもの、理性に走ろうとする傾向が自然体ではないか、ということ。
他の人を見ていて確かにそうだと肯定もします。まあ、あまり気にせず拘らず、そして書くことをややサボっている近況です。これまでのものを見直す作業がまだ終わっていませんが、切り捨てる作業を優先させたほうがいいように感じています。
HPを通じてさまざまな感想があります、その時その時もう少し頻繁に素直にメールを書きたい、です。
明日、最終日に「秋成展」に行きます。
重ねて、くれぐれも大切に。

以下はロルカ祭のキャッチコピーです。文字数の制限もあり、むずかしいですね。

セマナサンタ「聖週間」にグラナダを訪れたことを思い出す。その夜、音楽隊、磔のキ
リスト、マリアの山車の行進をホテルの窓から見た。昼の雰囲気と異なり、女たちの衣
裳が印象的だった。黒い服 胸にクルス、髪を高く結い上げた頭頂からイスラムの影響
といわれるレースの大きな肩掛けマンティリャを垂らし、スペイン櫛でとめていた。行
列はゴメレス坂をアルハンブラ宮殿の方へ登っていった。これは・・葬列なのだ・・。
黒い馬と赤い月、ロルカの死を思った。アルバイシン、アルハンブラの夜空が薄暗かっ
た。

グラナダ、ロルカが少年期を過ごした街、マドリッドやアメリカに過ごした時も夏には
戻り家族と過ごし執筆に励んだ街。
1936年7月16日グラナダへ、18日内戦勃発 8月16日逮捕、19日銃殺され
た。何故フランコひきいる反乱軍の手により慌しく銃殺されなければならなかったか?
フランコ支配のスペインで久しく語ることさえ憚られた彼の詩と死。
ロルカ38歳の死の意味、・・当時の国際義勇軍と右翼フランコの対峙や主義思想以前
の問題として、もっともスペイン的なるもの、蔑まれ傷めつけられた人々の魂の声を代
弁していたからこそ彼は殺されたのだ。
最期の地は今「ロルカ公園」となり、荒地にオリーブの木があるという。その一本のオ
リーブの木にロルカをスペインの魂を重ねる。
自身の運命を予告するかのように彼は歌っていた。
「若々しい裸形の空想は身を焼かれるごとく・・」
わたしたちは思う、願う。裸形の空想は受け継がれ生きていく、と。
歴史を辿り記憶を這って 今なお繰り返され遠ざからない悪夢を超えて
ぺシミズムに絶えず馴らされるとしても 口噤まないこと、と
わたしたちは集う、ロルカ詩祭に。
2010 8・28 107

☆ ご報告
花火のあと、おかげさまで引っ越しも終えることができました
あの折お話ししたと思いますが、明日平等院で奉納演奏をさせていただく運びとなりました
平等院には8月に入りすぐ打ち合わせにうかがい、明日への段取りが決まっていきました
先生にいただいた南鐐鳳凰盆の彫絵を拝見し、平等院への御縁を後押ししてくださったと思いました
明日はしっかり演奏させていただきます
またお目にかかれる日を楽しみにしております
よろしくお願いいたします    望

* あの鳳凰堂のまぢかで、お供養の鳴り物演奏。みごとに鳴り響くことだろう。
病む人にも健やかな人にも、平安あれ。
2010 8・29 107

☆ ご意見を参考にさせていただきがなら推敲を進めておりますので、いましばらくお待ちください。
大変勉強になっております。しかし難しいものですね。
今日の新聞に亡くなった作家(=三浦哲郎)について、「句読点のひとつも疎かにしない」と批評家が述べておりました。
また昨日たまたま見た太宰に関するテレビ番組では、彼はある時期奥さんに口述させながら、ほとんど手直ししなかったと。才能なんですねぇ。
草々   清
2010 8・30 107

* 東大の長島弘明教授に戴いている『秋成研究』を読もうと決めて読み始めた。京都博物館での展覧会に行けなかったのを惜しんで。
長島さんとの出逢いは久しい。彼は未だ東大の学生だった。五月祭の実行委員をしていて講演を頼みに見えた。記憶に残るような話は出来なかったが、長島さんとの出逢いは永く記憶に残って、久しいといえば最も久しい東京での知友である。ことに彼は上田秋成研究をめざましく推進し、先達の高田衛さんの研究を大いに補足しかつ前進させた。わたしは秋成小説を書ききれず未だに落第生であるが、高田さん、長島さんの知遇をたいへん大きな宝のように感謝している。長島さんには「湖の本」も最初からずうっと購読して頂き感謝に堪えない。
先に高田さんの大著『春雨物語論』を読了したが、長島さんの此の大著にもまた心新たに向かいたい。

* 読み出すとやめられない。赤いペンを片手に要点に傍線を入れながら。なにししろ秋成の伝記では高田さんにしっかり知恵をいただき、自分でも考えたり書いたりしてきたので、その何倍も精微な長島さんの追究にも、乗り出すように読み進められる。出不精な私が、まだ勤務を持っていたかも知れぬ昔に、金剛・葛城の麓の名柄や増(まし)へ、たしか二度は足を運んで庄屋の末吉家を訪れていた。あの界隈を元気にまかせ、かなりこまごまと歩き回りもしたのが懐かしい。
どうしても秋成というと他人に思われない。この人は父を知らず、母には四歳で別れ、辛うじて死に顔を看取っている。秋成のために大阪や郊外をこれでかなり歩き回りもして、みな、よう役に立てることが出来なかった。長島さんの『研究』の最初の章の補注の最初に私の名前が出ていたりして、頸をすくめた。
じつにおもしろい。徹して精緻な「研究」成果で、実に安心してして読めるのも嬉しい。
2010 8・31 107

☆ 明日からは、9月になりますが、
今年は流石に田舎でも驚くような暑さが続いています。今年の暑さは特別といいます、十分ご自愛なさってお過ごしのこととは思いましたが、お伺いいたします。
昨年は暑いのもあまり気にできないまま、夏が終わり、秋になり冬を迎えました。
今年が異常にしてもやがて秋に移り、しのぎやすい気候になるでしょう。確かに虫の声やせみの声はもう変化しています、田舎では。
今年はあと4ヶ月しか残っていないことに気がつきまして、いささかがっかりです。全然計画したことが行われていませんが、まあ、なんとなく元気ですし、なんとなく仕事もできていて、この調子で、なんとなく元気に積み残しを沢山して、年の終わりも迎えられそうです。
涼しくなればあちこちへお出かけになられますか?
煩わしいことも沢山お抱えとは思いますが、お体がお元気なら、なんとなくうまく運ぶようにお思いになりませんか?
どうかこれからもお気をつけて、9月もお元気にお過ごしください。  畝

☆ 秦先生、メールいただきまして、ありがとうございます
おかげさまで平等院での演奏、無事終えることができました
源頼政の子孫の方がみえました
時を越えた御縁が回っています
東京でお話させていただきたいと思います
新住所は   (割愛)  です
よろしくお願いいたします  望

☆ 蝶の皿
秦先生、
「女文化の終焉」どうしても読み終える事が出来ず、吾が頭脳、感性、情けないかぎりです。
ひとまず、時間をおくことにして、昨夜は「蝶の皿」一気に読みました。集中して、一気に読むのが、本の世界に入り込めて、私には一番体質的に良いようです。
谷崎潤一郎の作品はほとんど読んでいませんが、谷崎と松子夫人、「蘆刈」、「細雪」などが浮かぶのです。
ふと思いついて、今、巻末「作品の後に」を読んで、やはりと思った事です。
幻想的で不思議な作品。一晩寝ても、目の奥に、「蝶の皿」の場面がまるでドラマでも見たように浮かびます。
谷崎潤一郞といえば、先生が「私語の刻」で書いていらっしゃった、佐藤方哉氏の不幸な事故もつい最近の事でしたね。
「青井戸」も楽しみです。しばし、酷暑を忘れ、至福の時に。    野宮

☆ 秦先生
生活と意見、25日より更新がないようですが、何かあったのではないか、と心配しております。
さて、毎年氏隅田川の花火になると、今年もご挨拶が出来ず、申し訳ないなぁと振り返ります。
来年こそは下の子も2歳になっておりますので、ご一緒できればと思っております。
天災(=失礼。天才の誤記でした。秦)の建築とは手厳しい。展才の建築はかなり大きな広がりと深度を一気に獲得しております。
藝としての建築というよりは、術としての建築に軸足を移して。artの技術的側面に焦点を合わす感じですかね。
今のプロジェクトが終われば、また、違った取り組みになるのでしょうが、勤続10年が過ぎ、学生時代からは遠くに来たな、としみじみ思い始めました。
仕事における勉強は意識せずにも出来てしまいますので、より面白い勉強を開始しつつ。  通
2010 8・31 107

☆ こんばんは
とうとう、明日が出発となりました。念願のパリへと旅立ちます。
昨日は、やす香のところへ行ってきました。今回は、一緒に行こうね、とは誘いませんでした。
途中から来てね、と言ってきました。だって、おじい様おばあ様をお連れして欲しいから。
留学中に、モナコとルクセンブルクへ行きたいなと思っています。
モナコにある、グレース妃のバラ園をお散歩したいのです。“秘密の花園”みたいで、とても憧れてしまいます。
パリでインターネットがつながり次第、またメールいたします。それでは、行ってまいります。
3人で写した金婚式の写真と、いただいた鈴と、おじい様のご本、持ちました。 稟

* ご無事で。すばらしい留学の一年になりますよう。いつも心より、やす香とも一緒に、声援を送ります。
健康で怪我も事故もなく、心健やかに、心穏やかに、元気で過ごしてください。
勉強の邪魔にならぬ程度に、いつでも明るい声を送ってきて下さい。老人は二人とも興味津々です。きっとやす香も。
きれいなあの鈴を持っていってくれるんですって。すばらしい。嬉しい。  秦 恒平
2010 9・1 108

* ものすごく大量の、2006年・平成十八年の「私語」を36項目に分類して下さり、津波のようにメールで送られてきた。感謝に堪えない。この年はやす香を死なせた年だ。詩の直後から★★夫妻が両親や弟を裁判沙汰で脅し始めた年だ。四十六歳の娘・朝日子が「mixi」日記で初めて父を指さし二十年ないし四十年の「虐待者」だと書き散らした年だ。以来四年、今も裁判が続いている、そういう頽廃の始まった年だ。整理してくださった人は、読んで行くのが顔を蔽う辛さであったと告げてこられている。さもあろう。
さ、これを、無事にまた保管しなければならぬ。

☆ 2006年・平成十八年の「私語」を36項目に

編集作業を終えましたので、明日より順次お送りしたいと思います。大量の文書のため、休み休み送らないと途中で機械の送信がストップしてしまいます。時間を見つけて少しずつお送りすることになります。大変申し訳ないのですが、長時間にわたりパラパラと届くと思います。お受け取りよろしくお願いいたします。
ご承知のように、今回は「家族、血縁」の項目が非常に多く三回にわけてお送りすることになります。ファイルの数は全部で36です。

二〇〇六年分と、二〇一〇年、裁判の現在進行形の「私語」を読むという経験は、たぶんわたくししかしていないでしょう。事の始まりと最悪の展開を同時に読むのは、毎日暗鬱な気持でした。渦中のお苦しみとは比較にならぬものの、二〇〇六年分は大変辛い作業でありました。途中でよく投げ出さなかったものだと思います。

わたくしの気持の整理のために、二〇〇六年から現在に至るまでの「私語」を読んでの感想をいくつか申し上げますこと、お許しいただけますでしょうか。
あくまで一読者としての感想ですが、お読みいただけましたら幸いです。

二〇〇六年以前には「私語」に朝日子さんの登場することは(誕生日などの思い出以外は=)ほとんどありません。そして私の推測ですが、朝日子さんは二〇〇六年よりずっとずっと以前から、回復困難なほど心を病んでいたのだと思います。やす香さんに「謎」と言われ、「わたしには無関心」な母と評されていることが一つの証拠です。
みづうみが朝日子さんについてお書きになっていらっしゃることは誰が読んでも正論でしょう。今朝日子さんのなさっていることは、ひどいことです。
しかし、一つだけ理解しかねていらっしゃることがあると思います。みづうみはこれまで、ほんとうに苦難の多い人生を歩んでいらっしゃいましたが、ただ一つ「異常な人間と暮らす」という経験だけはおありにならなかったと思います。人格に障害のある人間と生活を共にして、心か躰を病んでしまわない人間はいないと思います。これほど過酷な環境はありません。拷問の日々です。生き延びるためには、とてもとても正気で健康ではいられないのです。そんな人間と生活しておかしくならないはずがありません。生き続けるためには、心を病むしかないとすら考えています。それでも、娘のやす香さんが心を壊すことなく、あのように晴れやかに成長されたのは、やはり朝日子さんが翼を広げて守っていたのでございましょう。
長年にわたる拷問に耐えられる人間はいません。ひどい拷問を受けた人間は、解放されても一生そのトラウマから抜け出せないように、呪縛から抜け出せなくなってしまわれたのだと思います。なんという不運なことかと涙します。

もし、この悲劇を避けうる道があったとすれば、二つしかなかったでしょう。一つは離婚なさること、もう一つはご一家が徹底的に★★★氏の言う通り、望む通りに動くこと。礼儀も良識もない障害者と、話し合って解決することなど不可能なことでした。

朝日子さんがはっきり離婚を望まなかったことは、ほんとうに不可解です。娘さんが二人いて、ご両親の世話になるのは難しいと判断されたということもありましょう。その他色々な現実的な理由の他に、私の想像する理由は二つあります。

一つは朝日子さんが優等生であったためではないか、そしてもう一つは、朝日子さんと母親との関係にあるのではないかということです。
優等生は弱い。不謹慎かもしれませんが、**妃殿下の例があります。優等生は失敗に耐える強さがありません。何事もよく出来る優秀な人間は、開きなおって失敗してしまうことが難しいのです。成功願望から自由になれません。
朝日子さんの中では離婚という挫折は屈辱以外の何ものでもなかったのかもしれません。劣等生のほうが往々にしてスケールが大きいのは、失敗を恐れないからです。
そして、朝日子さんは圧倒的に父親への愛が深かった。
わたくしが二〇〇六年に書いたメールで、朝日子さんは伴侶として父親を選べない以上結婚相手は誰でもよかったのではないかという一文がありました。今でもそう思っています。朝日子さんは父を世界中の誰よりも愛していて、母がライバルだったと仮定しますと、離婚して実家に戻らなかったのも納得出来るのです。離婚して戻るということは、母親の軍門に降るということだから、幸せな結婚をしている母親に負けるということだから、絶対出来なかったのです。読者の勝手な感想といわれればそれまでですが。

みづうみのご家庭はそのへんのふつうのご家庭ではなかったと思います。特異でした。それはらしかたのないことです。たとえば谷崎潤一郎がつくったとんでもない家庭を考えてみてもわかりますように、みづうみもふつうの家庭に暮らすには過剰なのです。
圧倒的な力の父親が、病弱な妻を世間の波風から守り、二人の子どもたちの熱い庇護者となる。毅い父親が母親のすべき役目も兼ね備えてしまっているような家庭、そんな家庭は珍しいことではありませんが、その父親が天才であり、娘にも天分があるとなると、愛が効きすぎて副作用の凄まじい抗ガン剤のようになってしまったのではないかと思います。
「甘やかしすぎた」と書いていらっしゃいますが、そうではなく愛を表現しすぎたのだと思います。世の中のたいていの父親は「言葉のない」男です。子どもにうまく愛を伝えられないのが父親です。ところが、みづうみは天才的な文学者であるので、どうしても聡い娘にびんびんと伝わってしまったのです。そんな気がいたします。凡庸な能力の父と娘であれば起り得ない争いでした。

以上です。あまり感情を害されませんよう願っていますが、相変わらずのわたくしの長いメールですみません。

今夏は夜になっても少しも気温が下がる感じがしません。お身体の具合は如何ですか。病院にいらっしゃるご予定はありますか。
三菱の美術館で国宝の曜変天目茶碗を観てきました。佇まいは極上の貴婦人。眺めているうちにはてしなく青い宇宙を感じました。茶碗の置かれた四方までキンと澄み渡り、魂の清められる空間がありました。まだ目の奥に完璧な美の残像があります。
それでは、おやすみなさいませ。   糸蜻蛉

* うーむ。

* 司法官の風呂敷包み秋に入る   塚口理

* 病牀にしっかり堪えている人に、清い涼しい風が見舞うようにと願う。
2010 9ー1 108

☆ もう九月なのに  梓
本当にいつまでも暑いですね!市民会館主催11月の朗読フェスティバルに「朗読のじかんを共有しませんか?」と呼び掛けましたところ、プロ三団体を含む七団体から応募があり、この夏はその準備に汗を流しました!
この11月各土曜日に実施、最終日の11月27(土)には私たちのグループも出演致します。群読で谷川俊太郎氏の詩『みみをすます』、芥川作品『藪の中』のほか、メンバー八名による小作品朗読の予定です。その際にお願い致します。先生の『春蚓秋蛇』の冒頭作品『鯛』を、私に読ませていただいてよろしいでしょうか? よろしくお取り計らいくださいませ。
また来年は、市制10年となり、記念企画の募集が始まりました。朗読劇などの企画を出してみたいのですけれど、先生、お知恵
拝借できないものでしょうか?

* どうぞ、ご自由にお使い下さい。秋成「雨月物語」巻頭の名品『白峯』が三四人の役割で凛々と読み通せればたいしたものです。
☆ 待たれる秋  吉備人
秋の夜の酒とはいきませんが、李白という銘柄が目にとまり、その名に惹かれてお届けします。味は未詳ですが、涼風がたったら召し上がってみてください。蔵元が今日発送したと言いますから、明日あたり到着かと思います。

* ありがとう存じます。 挙頭望山月 低頭思故郷 静かに飲むべかりけりと少年の昔歌よむ人に教わりました。
2010 9・2 108

☆ 青井戸 隠沼
秦先生、
「青井戸」「隠沼」とても面白く読み終えました。
青井戸、お茶のお稽古から遠ざかって、数十年経ちますが、あの遙か昔のお稽古に通っていた日々を思い出しました。
でも、私のお稽古はあまりに浅く、薄っぺらで、ただの一通りに過ぎなかった。
読後に改めて、インターネットで、青井戸を検索してみたり、
・・・「青井戸」「隠沼」、凛とした空気が漂っておりました。
時折、珠子や、龍子に慈子の影が重なったり・・・先生は切なすぎる恋をしたのだろうかと、想像を膨らませたり・・・
でも、依田宗未は幸せな人ですね。素晴らしい師、御家元に巡り会えて。
深く磨き抜かれた芸道に出逢える、その道を学ぶことは無論素晴らしいことですが、それ以上に、その道で素晴らしい師に出逢えるとはなんという至福。
こうした伝統の世界は、「道」と称しながら、意外や、頂点に立つ人やその夫人たちの金品への凄まじい執着や穢らしさにうんざりしたり、嫌悪感をもったりすることがけっして珍しくありません。
でも、先生の作品に出てくる人々は、皆、真摯で、静謐、そして美しい。
「隠沼」のヒロインの名が「龍子」なのには、はじめ秦作品らしくない名前だとちょっと首をかしげましたが、龍文宋磁器が出てきて納得いたしました。
マジョリカの壷が真葛文夫で、宋磁の深鉢が龍子、と重なって思えます。
有り難うございました。  野宮

* 自作を「e -文藝館=湖(umi)」に投稿して下さると。ゆっくり読みましょう。
昨日も一編、別の投稿があり、読んだ。
2010 9・3 108

☆ ありがとうございます!
暑いのはニガテですけど、朗読のお稽古に、仕事に、せいをだすことにします!
『 雨月物語』ちゃんと読んだことがないので、早速図書館に行ってみます。
ところでどんな変わったお帽子なんでしょう? みてみたいです。  梓
2010 9・3 108

☆ 無事パリへ到着いたしました。
今日でパリ生活3日目です。さきほど、やっとインターネットが繋がりました。連絡が遅くなってしまいました。
学校はまだまだ始まらず、最近は散策や買い物をして過ごしています。
私の寮があるのは国際大学都市というところで、ここでは何棟もの寮が大きな公園内に点在しています。
メイン通りから少し離れていて自然も多いため、静かで過ごしやすい所です。
ただ、買い出しに行く際は、スーパーまで10分程歩かなくてはいけなく、少し不便! 日本で暮らしている時は、家から走って10秒のところにコンビニがあるのに。
それ以外は文句のない、本当に素敵な場所です。
写真を添付いたします。茶色い建物は、私がいる***館です。他の寮から比べると、駅から比較的近い場所にあり、この写真では分からないのですが、コの字型になっています。
他にはお城みたいな寮や、日本館もあります。日本館は、外観が少々暗いのですが、ちゃんと日本風の池もついています。ただ、池で泳いでいるのは鯉でなく、ただの金魚なのですが。
パリとは言いましたが、ここは外れなので、まだエッフェル塔も見ていなく、パリへ来たという実感が湧いていません。
明日は、やっとパリの中心へ出かけます。
第一日曜日はどこの美術館も無料で入れるので、人生2回目のルーブル美術館へ行ってまいります。思いっきり堪能してまいります!
それでは、またメールいたします。
木葉が茶色くなりかけているパリより  稟

* メールについて五枚の写真ファイルが一度に来て、しばらく機械がパニック。一つ一つの写真がきれいで、「稟」さんの弾む気持ちが伝わってくる。ルーブルか。羨ましい。
2010 9・5 108

☆ 朝方  花
ものすごい音を立て、にわか雨がありました。
降らないよりマシですが、極端です。
お元気ですか、風。
今、ちょっと曇っていて、蒸しているけれど、やや暑さ和らぎました。
午前、アメリカ土産のチョコレートをご近所さんに差し上げがてら、外での立ち話は、暑かったです。
2010 9・6 108

* 有元さんに頂戴した純米の「李白」一升、ちいさい瓶にうつしかえ、うつしかえ冷蔵庫で冷やして戴くと、李白の気分で有り難い極み。美味い。感謝。
2010 9・7 108

☆ 嵐
この雨風の中、英会話と買い物と車検でした。
車検は済み、マイカーを取りに行ってきましたが、間歇的にものすごい降りになるので、ヒヤヒヤしました。
台風が上陸していますね。
図書館でたくさん本を借りてきました。
早速読まなくちゃ。
台風は今夜にかけてひどくなるとか。
関東地方が大雨になると言っていました。
風のお宅のあたりが無事ですように。
どこもどこも、無事ですように。
ではでは。 花

* どこもどこも、無事ですように。
2010 9・8 108

* 名酒「李白」をしみじみ頂戴して、吉備なる人に、 拝呈一盃  秦 恒平

李白は振りかえった。たしかに誰かが呼んだのに、人の姿がなかった。李白は眼を惹く店先のひとつのさかづきを買った。わずかに掌にあまる、青みを帯びて美しい荊州の白瓷であった。
家に帰ると李白はすぐ酒がめを引き寄せた。眼を細め、李白はさかづきに酒を注いだ。とくとく、とく、とくとく、とく。酒はさかづきに満ち、満ちたかと見る間に美しい琥珀色は汐の乾くようにさかづきの底に沈んでしまった。
とくとく、とく、とくとく、とく。李白は眼を疑いながら徳利を傾け、燦く酒の艶を急いで唇に受けた。またもや酒は漏れるようにみるみる消え失せ、芳醇の香気がむなしく李白の鼻を打った。
これはひどい。思わず李白は呟いた。すると、答えるようにさかづきの底から酒が湧き溢れた。李白は大慌てで飲み干した。
三度めの酒は穏かにさかづきに波打って光った。李白は幸福そうに、盛りあがった酒の色香に顔を寄せた。白玉のさかづきの底に、李白を見て笑っている一人の男の顔があった。人の良げな男は、揺ら揺る酒の中で笑みくずれ、物言いたげな眼をしていた。
李白が問うと、さかづきの男はこんな事を言った。
自分は昔淅県の参軍まで務めた者だが、酒で官をあやまり市隠のまま一生を終った。好きな酒はやめられなかった。死に際に自分は人を呼んで、かならず我を陶家の側に埋めて呉れよと頼んだ。願わくは百千歳の後に化して一塊の土となり、幸い採られて酒壺とも成らば、実に実に我が心を獲ん、と。
さて自分はかようなさかづきの底に栖む事を得たけれど、不運にも久しく店頭にさらされて美酒に遇わず、今日貴公の眼にとまったのは千秋の僥倖、はなはだ有難い。毒味までに一杯お先に頂戴した──。
李白は手を拍ち大笑してこれぞ酒中の仙、莫逆の友と、それからは、先ず李白が一杯、つづいて男が一杯、仲良く代わる代わる飲みかわして夜の更けるのも厭わなかった。
李白が戯れて歌を所望すると、男はかがやき揺れる酒の下から、美声を張って朗々と唄った。
蘭陵の美酒は鬱金の香  玉椀盛り来たる琥珀の光
ただ主人をして能く客を酔はしめば  知らず何れの処か是れ仙郷
夢にも恋しい故郷の酒を   いざなみなみと酌みたまへ
この家の主の客あしらひに   酔うてうたへば花が散る
酒は百川をも吸う勢いでさかづきの底へ引かれて行った。李白は喝采して、そんな窮屈ところに居ないで出て来ないかと誘った。おうと叫んで、忽ち筋骨うるわしい精悍な武人が李白の前にどっかと坐った。
二人は庭上の春色をめでながら、今度は先ず客が一杯、次に主人が一杯、物も言わず泣きみ笑いみ応酬やむ所を知らなかった。
とうとう李白は盛んに酔を発し、ぐるぐると両手を振りまわして唄い出した。
両人対酌山花開く  一盃一盃また一盃
我酔へり眠らんと欲す君しばらく去れ  明朝意有らば琴を抱きて来たれ
花を浮かべて酌むさかづきに   夢も匂へや星あかり
酒がめ枕に寝たまへ倶に   明日も聴きたい君のうた
声の下で李白はそのまま酔い伏してしまった。男はひとり神色端然、しばらく美味そうに酒を口に含んでいたが、やがて皮ごろもを脱いで李白の肩に被せ懸け、かき消えたように春の夜のやみに去った。

☆ 秋風立ちました。
珠玉の一盃を繰り返し繰り返し心ゆくまで味わいました。今昔や上田秋成の世界をも思い合わせながら。
寸暇を惜しむ御多忙の中でのお心遣い心底有り難う存じます。長く厳しい暑さのあとどうぞお体をお厭いください。  吉備人
2010 9・8 108

☆ 拝復
確認いたしました。ありがとうございました。
畏敬する方々と名前が並ぶこと、畏れ多く存じます。
今回は、色々貴重な助言をいただき、大変勉強になりました。今後とも創作に励みたいという気持ちを掻きたてられた思いがいたします。
谷崎の「春琴抄」は、僕としては珍しく三度読み直しました。そんな本は、聖書と歎異抄を除いては、「夜と霧」と「こころ」くらいでしょうか。
ともかく今回は自分の不勉強をつくづく実感させられた次第です。
今後ともどうかよろしくお願いいたします。   草々 清

☆  秦先生、『茶ノ道廃ルベシ』拝読。
いにしへ人は「紅匂ふ」とか「紫の匂へる妹」と、愛しさや美しさを色で表しましたね。「にほふ」とは色美しく映える美しさが語源とは聞いた事がありましたが、「茶道の原初の心を語る本」ではと思って読み始めた『茶ノ道廃ルベシ』のはじめが「匂いと色と」というテーマにまずびっくり。
「薫る梅」から「匂う桜」への嗜好の移り変わり、「光源氏」「薫大将」「匂兵部卿宮」についてもなるほどと・・・、そこまで深い意味が秘められているのですね。
古今集 よみ人知らず
色よりも香こそあはれとおもほゆれ 誰が袖ふれし宿の梅ぞも
此の歌の意味もいっそうはっきり「匂い」ではなく「薫り」なのだと感じます。
先生が本の扉に書いて下さった「語是心苗」はじめは意味が解らなかったのですが、ぼんやりわかったような気がします。
すらすらというには少々難しかったのですが、とても面白く拝読。
私自身、茶道ではありませんが、行き詰まっている一つの道について、もっと原点に戻って学び直そうと勇気を頂きました。
「私語の刻」「李白」という美酒が、人格化したというか、また李白の美酒の詩が掌篇小説に化したようです。
思いがけなく楽しませていただきました。切ったばかりの朝露に濡れた青竹の盃も、白磁の盃も、玉椀も、李白や先生の口元には似合いそうです。野宮

* この二人の投稿された小説、一つはリアルな、一つは歴史小説。ともに力作。「e-文藝館=湖(umi)」に掲載し終えた。ちょっと間をあけてしまうと、「e-文藝館=湖(umi)」への掲載の手順を忘れてしまい、暫く戸惑った
2010 9・9 108

* いろんな夢を連続のような不連続のようにも、明け方まで観ていて、七時に起き、くろいマゴをテラスから中へ入れた。
血糖値は117。
夢では、なんでも歌舞伎の片岡我當が気楽そうにわが家に同居し、寝そべっていたりした。かと思うと、あれはたぶん「男でござる」の大久保房男さんと、石川県小松の井口哲郎さんとが、自転車でわたしを誘い出しに来て、京の新門前界隈を三人で乗りまわして寺ウラにまぎれこんでいたり、二人とも自転車をうちの表に乗り捨てて、家の中で将棋をさしていたりした。わが家にはなんとちいさな孫が五人もいるらしく、五人目の末孫など名前も覚えてなかったのをフイと抱き上げてやると、とても懐かしげになつくので、「ファイヴ」と綽名をつけて愛しがったり。
一貫していまの西東京でなく、京の新門前の家を芯にした夢だった。大久保さんと井口さんの取り合わせは、なんとも妙。
2010 9・10 108

☆ お元気ですか。
みづうみ、お元気ですか。
台風のせいではありませんが、やっぱり少しずつ秋が近づいている感じがいたします。
今もきっとお仕事でお忙しいみづうみに、少しでも休憩していただきたくて、詩のプレゼントを送ります。
お稽古仲間のブログのブックマークから飛んで偶然見つけました。その中から気に入ったものを少し抜き出してプレゼントします。
アマチュアの方が、少しも気張らずにしぜんに書いたもののようですが、思いがけず佳い詩を見つけたと思いました。言葉のセンスがわたくしの好みです。でも詩についての(他の藝術についてもいえますけれど)鑑賞眼には自信がありませんので、お気に召すかどうかわかりません。
もしお時間がありましたら、佳いか悪いか、お教えいただけたら嬉しく。なんだか、目利きのみづうみに佳い悪いの真贋を鑑定していただくようなことになりそうで恐縮でございますが……。どうぞ一服。

(詩の十編ばかりは、割愛。誰の創作か知れないので。)

自分が詩の書けない人間なので、詩人になりたいなどと夢にも思っていないひとが苦労なく書いたらしいこんな詩を読むと、羨ましくなります。

>秋、大にぎわいで有り難いが、体、保ちますように。

保つにきまっています。たとえ病気があっても人間の生命力はしぶとく素晴らしいのです。ということはピンピンコロリなんてことはまず望めないということです。
みづうみは出来るだけ良いかたちで身体を保つことを心がけてくださらなくてはいけません。つまり病院と仲良くなさることです。
次の聖路加の診察の時に原因不明の腹痛についてかならずご相談すべきでしょう。また急な腹痛がおありでしたら、絶対に救急車で病院にいらしてください。そうしてくださいますね? しない、するつもりない……ああ、そうですか。でも諦めませんから。
ご存じでしょうが脅かします。心筋梗塞の場合、背中なども痛むようです。発作が起きると痛みと共にかならずトイレに行きたくなるそうですが、大でも小でもその場で漏らしてしまえというドクターの説明がありました。絶対動かないで救急車です。新田次郎さんはトイレに行ってしまって残念でした。

新しい湖の本上、下巻のご準備が進んでいるようです。最近、みづうみが急ぎすぎていらっしゃらないかと不安になる時があります。今書き続けている作品を完成するためにも、多くの楽しみのためにも、何よりご家族のために、急ぎのお仕事より健康にご留意ください。生活の質が落ちるのは辛いですから、早めのお手当てしかありません。

* 上田秋成の浦島伝説観に電気に撃たれたように教えられた。なんという、ことだ。林晃平氏の大作『浦島伝説の研究』にも或いは書かれていないかも知れぬことを、秋成は電光で射抜くように語っていて文字通り仰天した。

わたくしは『あやつり春風馬堤曲』ほんとうに愛読します。とくべつな思い入れがあります。浦島朋子を自分のペンネームにしたいと思ったくらいです。二部、三部を読みたくてしかたなかったのに、お書きにならないので落胆していました。せめて構想だけでも読者に一般公開していただけないものでしょうか。
長々とお邪魔してごめんなさい。明日からまた暑さが戻るようですが、今日は爽やかです。どうぞお大切に。 鵙
* アイデアのような詩が書き上げてあった。
2010 9・10 108

* 朝、妻へ、堤さん自宅から電話があり、一時帰宅の由。放射線治療がまだ続くとか、どうか「快癒の着実であるように」と心より願う。ホームページに繪をあげ、毎日観て、平安を、元気を願っている。

* 朝、細川弘司くんの北国からの便りをもらった。相変わらず「思索」して、繪は描いていない。それでも旧作を地元の展覧会に請われて出すという。北国新聞のいい紹介記事を読み、喜んだ。
2010 9・11 108

☆ さてさて
お元気ですか、風。
今日は山並みもけぶる、モワッとした暑さです。
当地の図書館では「三階閉架」にあった『吉行淳之介全集』が、一階の一般書架に下りてきていました。
この一二年、花が借りまくったからかな。
ま、手に取って中身が見られるので、ラクになりました。
花はまた書きますよー。
今、やる気マンマンです。
風はお忙しいときにも、並行してたくさん本を読んでらして、バイタリティに驚かされます。
ではでは。お体お大切に。
2010 9・11 108

* やす香の誕生日。二十三歳になった、生きていてくれれば。昼に、赤飯でささやかに祝った。

☆ こんにちわ。
今日はやす香のお誕生日です。
パリから、おめでとうと伝えました。
ここへ来てまだ1週間ですが、やす香のパリを愛する理由が少し分かる気がします。
人々はとても明るく、ちょっとしたきっかけさえあれば、友人なんて100人ほどできてしまいそうな気さくさがあります。
常々日本人の閉鎖的な行動に疑問を持っていたやす香ですから、この雰囲気が心地よいのだと思います。
やす香の愛するパリ、素敵な魅力が溢れています。
前回のメールに、たくさん写真を付けてしまいました。
そのせいでおじいさまのパソコンが不機嫌になってしまったようで、すみません。
少しずつお送りいたします。
成田からパリへは、飛行機で12時間半ほどです。
機内食は2度、ぐっすり睡眠を2回、席に付いているミニテレビで映画を1本と、数独の遊びをしていたら、あっという間に着いてしまいました。
ただパリへの空路には、気流が悪い個所が3つほどあるようで、毎回飛行機が揺れ、少々ドキドキもします。

寮の部屋は、一人用です。
広さは、象が2頭入るくらいでしょうか、高さもあります。
シャワーの作りは簡単で使い勝手も悪いですが、他は文句のつけようがないほど快適です。
少しモダンな雰囲気のするお部屋で、部屋ごとに冷蔵庫も付いています。
食べることが好きなので、冷蔵庫が近くにあると何だか強い気持ちになれます。
料理は得意ではないので、中はがらんどうですが…

国際大学都市は、外部の人もお散歩をしに来ることができます。
晴れの日は、野原に寝っ転がってみんなが日向ぼっこをしています。
しかし私のお気に入りの場所はこの野原ではなく、近くの池のある公園のベンチなのです。
本を読んだり、曲を聞きながらアヒルたちを見たりと、そこにはのんびりした時間があります。
パリへ来てから毎日が目まぐるしく過ぎ去っていますが、ときどき自分のペースを取り戻したい時、そのベンチに座っています。
今回は写真を2枚添付いたします。
私の大好きな公園の池と、今回初めて行ったオランジュリー美術館のモネの睡蓮です。
本当に素敵な絵で、思わず見入ってしまいました。
私は今フランスの学生なので、美術館へは無料で入ることができます。
これから何度も見に行きたい絵です。

こちらでは、最近よく雨が降ります。
空気が乾燥しているので、とても助かります。

それでは、またメールいたします。  麟

* のびのびと、そして無事に。
2010 9・12 108

* 朝、早々に愛知の人から、「氷室」という名酒を頂戴した。遙かな古代に思いはせながら、嬉しく頂戴します。
2010 9・12 108

☆ 週末に報じられた、村木厚労省元局長の無罪判決にほっとしました。
審理半ばで、冤罪の線が濃厚だったので、期待していました。
ほんとうによかった。
NHKのニュースで、「自分の娘たちが同じ状況になったとき、お母さんが頑張れたんだから、と希望を持てるように」と、村木さんの語っていたのが印象深いです。
誰もが冤罪事件の被害者になり得るという実感が、村木さんの言葉の中に見えた気がして。
自分は冤罪被害者にならない、大丈夫と、今回のケースのようなニュースを眺めることは、わたしにはできません。
「冤罪がゼロでない限り、死刑はあってはならない」という冤罪被害者の方の意見には、どんな人道的な死刑廃止論より一理あると思わされます。
法廷で争われる事は、あくまで法律上のことになり、真実をかすめてもいない場合があるかも知れません。
でも、真実はひとつです。
風のケースにおいても。
きのうは風の亡くなったお孫さんの誕生日だったのですね。
「レスト・オブ・マイ・ライフ」を書きながら、早くに亡くなったために花の会うことのなかった伯父と、風のお孫さんのことを想っていました。
そこかしこに若い死はあり、生きている人の死者への想いで世界は満たされていると思うことがあります。
今日も暑いです。風、お元気ですか。ではでは。 花
2010 9・13 108

☆ 大江戸線より  泉
元気にお過ごしですか。
新宿で映画を観た帰りです。「瞳の奥の秘密」アルゼンチン映画ですが、全篇息つかせずの波乱また波瀾。大満足の映画らしい映画を楽しみました。映画はヤッパリ面白い!  仲良しの友人と、次に観たい映画も意気投合、決まりました。
大門で浅草線に乗り換えて高い塔を観に押上まで行ってきます。

* なんたる元気な古希過ぎサンであることか。
2010 9・13 108

*昼前、昼過ぎに郵便封筒に「湖の本」の住所印を捺した。予約読者用と、寄贈のものとは分けて捺さねばならない、寄贈先には「謹呈」とも捺さねばならない。それから宛名を貼り込まねばならない。とにもかくにも、しなくて済まぬ事はしなくてはならぬ。つまるとか、つまらぬとか、言うても始まらない。
疲れて睡いが、国立劇場での大きな舞踊大会で、わたしの「松の段 細雪」が花柳春、西川瑞扇らで舞われるので、それだけでも観て帰ってこようと思う。少し涼しいので助かるが、からだの芯は抜けたようにバテている。

* 外へ出れば車中ででも校正が進むと、夕方から三宅坂へ。けだるくて、保谷駅でも池袋駅でも帰ろうかと迷ったが、押して地下鉄に乗った。永田町から僅かな距離を大劇場までタクシー。
第五十八回舞踊華扇会は盛況、一回に座席有りませんから二階へどうぞと言われた。まさか。
それでも二階でしばらく息をととのえたくて、手洗いに。落ち着いたので、一階の前の入り口から入り、適当な空き席をみつけて座り込む。こういう会は、誰もがはじめからしまいまで座席にいるものでない。一人ぐらいの席は幾らでも見付かる。
三日有る初日の夜の部へ妻と二人の券が贈られてきていたが、妻は失礼した。
清元の「月」を藤間友が舞ったが、長丁場がもちきれず退屈させた。
長唄の「旅」は尾上菊紫郎が達者に踊り、花柳寿美女もよく連れて。今藤長十郎の曲もおもしろく。
次の清元、ベテランらしき藤見裕香の「柏の若葉」は、上半身の達者な分、下半身がいかつく太く運びも乱れて、よくなかった。

* 次いでお目当て、わたしが作詞の荻江「松の段」を平野啓子のナレーションを加えて「のちの細雪」に演出。
花柳春が現世の松子夫人を、西川瑞扇があの世の重子さんを舞い踊った。つけたしに可愛らしい花柳春百華の信子さん(こいさん)まで登場したのには愕いた。ああいう新演出の場合は、ちょっと事前にことわってくれるといいが。ま、演じてくれるのはけっこうで、重ね重ね工夫して貰っていい。
春の舞がやや重く、瑞扇の踊りが現世的に軽く明るく。いまいちだん、俗化しないで高雅に練って欲しい。
松子夫人の生前のつよい希望は、「松の段」は一人舞でと。それで夫人直々に今井栄子に頼まれ、小劇場で一人舞をさせられた。さすがに奥さんのセンスは「格」をよく観ておられた。登場人物をふやすと、説明的に俗になりショウになり、死なれて独り此の世にある松子夫人の悲しみが生きてこない。
それにしても荻江の二世壽友の作曲は美しい。荻江にはめずらしいとも。いろんな人達により、もう七度か八度も演じられている。最初にわたしに作詞を頼んでくれた藤間由子は亡くなった。娘の抄子ちゃんに舞って貰いたい、追善の為にも。

* 楽屋へ寄って、春と瑞扇に声を掛け、小雨の中を帰ってきた。
2010 9・15 108

* 栃木から新米を下さる。
印刷所は「下巻」の初校ゲラをもう組み上げてきた。
2010 9・16 108

☆ お元気ですか。  鳶
東京は雨でしょうか。お芝居や相撲観戦の予定など楽しむ様子が窺えて、読んでほっとします。
少し涼しくなり、それでもまだまだ・・。本当に長い夏でした、と過去形では書けません。
夏の間、播磨のこの辺りでは雷雨もなく雨も降りませんでした。昨晩、初めて雨らしい雨になりましたが、今朝はもう洗濯物を干し済ませました。
疲労、心身の疲労が這い上がり、風たちぬ、いざ・・とならないのが問題です。立ち竦む状態です。逃げませんが、ふわっとさまざまから解放されたいと、おそらく自分から解放されたいと。もっとも自分から解放されることなどあり得ませんね。
昨日は誕生日が一日違いの友人と遅まきの誕生祝で、イタリアンを食べに行き満腹になり、夕飯はあまり食べませんでした。
近所の田圃は黄金色が増し鮮やか、刈り入れ間近です。あっという間に生長して、これだけ雨が降らなかったのに水不足の報道が一度もなかったのは上流では雨が降っていたのか、治水が十分なされているのか、とにかく秋だと納得させられます。
くれぐれもお体大切に よき日々をお過ごしください。
2010 9・16 108

☆ 廬山 華厳 マウドガリヤーヤナの旅
陽射しは強いけれど、爽やかな風。やっと秋麗の気配が感じられるようになりました。
『廬山・華厳・マウドガリヤーヤナの旅』、もっとゆっくり読むはずだったのに、結局、夜な夜な深夜まで読みふけりました。
明日、予定があるからと、解っていても止める事ができず、睡眠不足の顔で、皺がまた増えたようです!
難しいと思いながら、一方で頭の芯が麻痺するまで読み続けました。
廬山は昔同様、清冽な美しさ、健気さ。
華厳は、祖父の遺業を必死に護ろうとした楊徳領の愛と哀しみ、孤独。
マウドガリヤーヤナに対しても、頭を垂れるしかない思いです。
慈子、恵遠、楊徳領、マウドガリヤーヤナ・・・先生の作品の主人公たちは時空を超えた世界生きる、己を全うする人々。
「妻よ、いとしい姫舟よ翔ぶのだ。高く遙かに華厳の世界へ翔び行け」
仏教の事も解りませんが、俗世に塗れて生きるこの日常は、やはり、地獄を這う亡者か。
地獄を這うか、華厳の世界へ翔ぶか、また、何回も読み返す作品だと思いました。有り難うございました。
気候が良くなりましたが、くれぐれも御身大切に。   野宮

* 歩いてきた道に、一つ、一つ、また一つと作を置いて、ゆっくり歩いてきた。
2010 9・17 108

☆ 風
お元気ですか。
空気が少しカラッとしてきました。秋っぽい。
風、お元気ですか。お元気ですか。  花

☆ 宗遠様
お元気ですか。
この度は、近代美術館のご招待券をお送り頂き、ありがとうございました。毎月目にする茶道雑誌などで出かけたいと思う展覧会はあっても、なかなか動けない日々を過ごしていました。券を目にすると、不思議に力となって身体を押し出したい気になります。愉しみに、出かけさせて頂きます。
また、同封して頂いた淡交増刊号の特集、面白い視点ですね。
かつて目にしたいくつものポスターもあり、その写真から受けた道具のイメージと、自分の目で見て感じたことなどを想い出しています。
夢中に、寸暇を惜しんで多くの物を見ていた頃でした。
最近は、物との対峙もかわってきたように思います。

今夏は、気候の不順からか体調不良で受診される方も多く、自分自身の体調管理にも苦慮して過ごしました。
また、春から体調を崩していた茶の師は、長年住まれた家を売って施設に入られることになり、稽古場での稽古も、残り僅かとなりました。
今は、毎週末、師のおいでの病院へ伺っていろいろ話す時間を大事に過ごしています。
茶のご縁ですが、底流にある人との関りざまを映すように、離れたり、道具を欲しがる人がでています。
師の不在の時に道具を持ち出す人もあり、繋がり方の汚れた道具にも哀れを感じます。
茶とは、何か。
長い間の稽古も残念に思う人がいる、稽古場最後の日々です。
また長くなってしまうのでこのあたりで。
暑さから急に涼しくなり、体力のいる季節です。どうか、くれぐれも気をつけてお過ごし下さい。
ありがとうございました。お大事に。  珠
2010 9・18 108

☆ 秘色 三輪山
『秘色・三輪山』読了。すっかり古代史の世界に入りました。
先生の作品は、私にとって、小説を超えた歴史書、歴史を超えた小説というべきでしょうか。崇福寺のこと全く知りませんでした。
昨年の秋、三井寺から近江神宮(初めて訪れましたが、あまりに鮮明な丹の色にびっくりしました)、琵琶湖を廻る機会が2度続けてありました。
堅田も通りましたが・・・読み進みながら、大津京跡を訪ねればよかったと・・・
十市皇女と高市皇子の若い恋について読んだ事がありましたが、私にとって十市皇女の知らなかった面にぐいぐい惹きこまれていきました。
十市の死後、後年、高市の年若い異母妹であり妃の但馬皇女は、同じ天武の子、穂積皇子を愛し、
人言を繁み言痛み己が世にいまだ渡らぬ朝川渡る
の絶唱を残し、但馬の死後、晩年の穂積皇子は若い大伴坂上郎女を妻とした。
天武天皇の子供達のことへあれこれと思いが広がってゆきました。
ずいぶん昔、葛城の一言主神社辺りを歩いて、土蜘蛛の遺跡にも行き当たったことがあります。
その辺りの地名が高尾張と知り、尾張氏のルーツはここ! 尾張氏と土蜘蛛も無縁ではないと、ゾクゾクした記憶があります。
そう思って気をつけてみると名古屋には、素戔嗚尊や饒速日尊を祀った神社がおおいのです。
自宅周辺の、薮のようなところに小さな祠があって、こんなところにも、と思うような荒れた村社跡にも素戔嗚尊や饒速日尊の由来書があったり・・・
尾張と出雲族は深い縁があるかもしれないですね。熱田神宮の御神宝・草薙の剣はもともと天叢雲剣ですし。
いつもながら難しいけれど、とても面白かったです。ありがとうございました。  野宮
2010 9・20 108

☆ 明日は
大雨の予報が出ています。くれぐれもご注意を。
昨日は、厚生省村木局長の冤罪事件の証拠改ざんの罪で、大阪地検の検事が逮捕されましたね。
マスコミは、このことが検察の信頼を損なったという言い方をしていますが、過去に警察や検察のでっちあげた冤罪や、警察がらみの事件を握りつぶしてきた数々の事例をおもえば、「それが彼らのやり方」で、もともと国民の信頼なんてものは(少なくともわたしの信頼は)ないのになあ、と、感じます。
逆に、証拠改ざんの罪で検事が逮捕されたことは画期的で、警察・検察の信頼回復の第一歩ではないかと思います。
警察や検察だって、追いつめられれば何でもしてしまう人間たちです。ウン、そうなんだ。
風はお元気ですか。花は勉強しています。

* 村木さんの復職が速やかに決まって、汚い検察が即座に逮捕されたのは、とにかくも、よかった。こういうことを検事正のクラスまでが組織的に承知して放置していたなんて、ぜったい赦せない。司法の者が人間的な正義の代表職だなどと、もちろん安易に信じてきたわけでない。花会でテラ銭を稼いでいた十手預かりの親分衆の系譜を受けているとは承知だが、それにしてもマサカマサカと思わせられることの引き続いて多さよ。
2010 9・22 108

* 雨の国技館そとへ出て、タクシーで月島まで。有楽町線に乗れば一気に保谷へ座って帰れる。すぐに来た小手指行きに乗り、車中、校正。仕事をしているときは、他の鬱陶しいなにもかも頭の外へ出ている。
仕事に打ち込むのがなによりわたしを元気にする。
雨は強かったが、駅前からのタクシー、二人目に乗れて、すうっと家へ。雨の秋場所もことなくて。
はじめて国技館に入ったのは2007年の秋場所、栃木の渡邊さんのご招待であった。そのとき、茶屋の竹蔵クンと知り合い、以来彼のお世話でいい席を用意して貰っている。
相撲場はしんから開放的で、どの桟敷も桟敷もみな大声を出して楽しんでいる。大声は男性だけでない、館内に響き渡る女性の声援も縦横十文字に行き交っている。今日の、白鵬・魁皇戦の空気はきもちよかった。

* そうそう。妻は友綱部屋のちゃんこ店「巴潟」で、かつて魁皇と握手したことがある。
さらに最近、三越劇場の客席で、目の前を通った横綱白鵬に思わず声をかけ、「うん」と応えてもらったそうだから、タイシタもんだ。

* さて、そんな気楽ばかりを云うておれる時期では、ない。そして十月が来る。結婚する井筒君からメールをもらっている。月半ば、心よりお祝いに、神戸へ出掛ける。
2010 9・23 108

* わたしの「父」を書き始めていながら、不快事件の煽りでつい手が止まっているところへ、メールが来た。

☆ 父親のことを書いて。
秦様  彼岸が過ぎてやっと凌ぎやすい気候になりました。
迪子様ともにお差しさわり無くお過ごしでしょうか。
この頃しきりに思う実父の事を知る限り書きました。
今日のHPでの「志賀直哉に聴く」の雑談の話を読ませていただいた後に送りにくいのですが、雑談として聞いてください。
添付いたします。ご批判いただければ幸いです。
急な気温の変動に夏のお疲れが出ませぬように。お二人ともどうぞお身体お大切にお過ごし下さい。 淳

* 心して読ませていただく。
「お父さん」をお書きなさい、なぜぶつかってみないのですかと私から奨めてきた人が、実は他にも。しかし、書けないらしい。わたしの娘は、「孫の死をあしざまに書いた」と父=私を裁判所に訴え、法廷への陳述書の中で、いかに自分の父が作家として、公人として、何の値打ちもない小さなみすぼらしい存在でしかないかを汚い言葉で書きなぐっているが、それだけでは、娘自身のためには何の意味も名分もなさないし、父親の仕事や地位にふうふしてケチをつけているなど、人間的に恥ずかしい真似でしかない。
それよりも、りっぱに「作品ある」文章でその憎い「父」を、存分書き表してみればいい、どんな「運」が舞い込むか知れないのだ。だが横綱白鵬が昨日の優勝インタビューでいみじくも話していたように、幸運は、それだけの「努力」をした人にしか来はしない。身に染み、わたしはそれを体験的に知っている。文学賞も教授や理事の地位も、わたしは自ら求めたことは只の一度も無いのである。自分で求めて努力したのは「作家」になるという、それ一つだけ。
2010 9・27 108

☆ 涼しくなりました。
如何お過ごしでしょうか。
友人と前から約束の映画「終着駅トルストイ最後の旅」を観に、雨の中を出掛けました。トルストイ役は「サウンド オブミュージック」あの大佐役の俳優と聞いて驚き、夫人役は好きなヘレン・ミレンで。相思相愛の夫婦乍ら、最晩年私有財産を持たないと全作著作権を放棄する遺言を書いた夫に反抗したりと、確執を描いて全篇隙間のない佳作でした。「戦争と平和は6回も清書したのにないがしろにする」等々悪態を付く、後のち世界三悪妻の一人と云われたらしい夫人役の体当たりの演技、さすがに迫力がありました。
家事に追われる老妻の私などは、何事にも邪魔されず映画館で観る、映画が最高。やっぱり映画は面白い。次回はフランス映画に決まりました。ほな   泉 e-OLD
2010 9・27 108

* このところ余裕無くてメッタにマイミクさんの日記をひらいてなかったが。

☆ 太陽の軌道    馨
ムスメ小学校4年生。

理科で太陽の軌道について習っています。
と言ってもそんなに複雑なことではなく、夏になると高度が高くなり、北側から太陽が出る、冬になると高度が低くて南側から出る、等、大人から見ると「あたりまえ~」な内容です。
その中で、「かんがえてみよう」的な問題があり
「1年中、太陽の軌道が変わらないとしたら、どのようなことがおきますか」というような内容。
模範解答としては
「一年中、昼の長さが同じ」
「影の長さが一日中変わらない」
「毎日、同じ方角から太陽が出る」など。

ムスメの解答。
「しょうぶ湯やおはぎやぼたもちやカボチャを作ろうと思わなくなる」

・・・・。

ハハとして、子どもの教育について、深く反省。
ムスメのアタマの中、季節というのはその折々に作って食べるもの or イベント企画で区切られているらしいです。
ちなみに、小さなツッコミどころとしては、日本語もおかしい。
しょうぶ湯は入るもの、冬至のカボチャは煮るもので、全部まとめて「作る」でくくるな!
と、もう親としてはどこから手をつけていいかわからないです…。

* ハハハ。上等です! いまにも後期高齢者になるおじいちゃんには「模範解答」が正しいのかどうかすら覚束ないが、「ムスメ」ちゃんの理解は腑に落ちます。もう一度こころよく笑いたい。ハハハ
2010 9・29 108

☆ 御前酒の鯖寿司セット   吉備人
辻本店から、次のようなメールが届きました。
「ここ勝山では10月19日・20日のお祭りに鯖寿司をあつらえる習慣があります。
お祭りは家庭にお客様を招いて,鯖寿司や煮しめなどでもてなします。もちろんそこには御前酒も登場するのですが、この鯖寿司とお酒の相性がとてもいいのです。
鯖寿司の鯖だけをちょっとお醤油につけて酒の肴にし、のこりの寿司飯の部分を最後に食べるのが通!
また、普通の鯖寿司の味に飽きてきたら、そのまま一切れずつトースターにいれて軽く焼きます。すると、鯖の皮が香ばしく焼けて,脂も溶けてなんともいえない美味しさに! ぜひお試し下さいね」
ついつい誘い文句にのせられて注文しましたので、7 日頃に届くと思います。田舎の食べ物でとてもお口に合いそうもありませんが、話の種に試食してください。

* 湖の本の新刊が届いたのを祝って下さるのだろう、感謝します。

☆ 御礼   朝
秦恒平先生
ご無沙汰しておりますが、その後、ご健勝のこととお慶び申し上げます。
苦しかった夏がやっと終わり秋らしくなってまいりました。わたしは花粉症に苦しんでいます。
さて、この度は『湖の本 秦恒平が「文学」を読む』をご恵贈下さいまして まことにありがとうございます。心から感謝いたします。
秦先生のご著作は何度も読み返し、読み返すたびに鋭いご指摘に気がついて唸らされるのですが、今回は谷崎を論じておられるので、こちらも威儀を正して拝読いたします。
こちらは相変わらず、口を糊するための仕事が多く、お見せできる本が出せません。
出版不況などと版元は他人事のように言ってますが、1980年代の終わり、町の小さな本屋さんが「ベストセラーをまわしてくれなくなった」と、こぼしていた時、同時に版元が何百冊も捌いてくれる大書店にだけ品物をまわしていた時から、目下の惨状は予想されていたことでしょうに・・・。
全盛時には四軒もあったのに、*町からはとうとう一軒の本屋さんも無くなってしまいました。**町に残ったのは雑誌と漫画の専門店一軒と、エロ本屋が一軒です。
アメリカのような文化の荒廃を目の当たりにして、これは断じてインターネットのせいなどではなく、出版界の怠慢と傲慢による当然の結果だと歯噛みしております。
それでも絶望はしておりません。
子どもたちが、本に、文学に親しんでくれはじめたからです。
大学二年の長男の愛読書はスタインベックです。昔から考えると、ちょっと頼りありませんが、アニメ絵のイラストで飾られたラノベでないだけ「諒」とすべきでしょう。
22歳の二女は、最近、町田康さんや花村萬月さんの作品に親しみだしました。
このような風潮が少しずつ20代の子どもたち全体に芽生えています。
明日に希望をつなぐのは、難しいですが、 大事なことですね。
とりとめのないことを書き散らしてしまいました。
まずは、御本のお礼まで。失礼いたします。  拝

* 大きなお子さんがおいでとは想ってなかった。ご指摘は、じつは、その通りなのである。その通りだと早くに気付いていたからわたしは「湖の本」へ切り替えたのだ。出版社から百冊も本を出したのだ、もう自分で「好きな本作り」をしてまた百冊出してもいいだろうと想い切ったのが、104巻になった。正直、30巻も出たらいい、出したいとわたしは思っていたが、身近な人達はよくて10巻どまりだよと云っていた。継続は、ちからなのである。

☆ 湖の本10
秦先生、 『秦恒平が「文学」を読む』上、届きました。有り難うございます。
10日ほど留守をしており、今日帰ったところです。数日中に入金いたします。
旅行へ出かけるのに、『墨牡丹』下 を持参。
クレムリン、エルミタージュ、ペテルブルク・・・一日千歩くらいしか歩かない日常から、一日一万五,六千歩も歩き回り、何が何だか解らなくなるほど膨大な油絵やイコンを見続け、食欲もなくなるほど。
夜になると、ホテルの部屋で『墨牡丹』を広げ、ひと掬い清泉の如くゆっくりと、私を潤してくれる・・・
モスクワ行きの機内で下巻を手にした時から、村上華岳と秦恒平が重なって行きました。久遠の女性像も、慈子が浮かび、重なって感じられ・・・私の中で、華岳の絵と秦恒平の文学が綾なす世界にひたりました。
これでもかこれでもかというような壁一杯の油絵を見ながら、モザイク壁画を仰ぎながら、これはこれ。
小品でも、墨の濃淡でも一歩も引くところない、日本の美を思ったことです。
『墨牡丹』は残念な事に、三日前に読み終えてしまい、『清経入水』か『蘇我殿幻想』も持ってくれば良かったと残念がることしきり。
他に持参したのは黒岩重吾の『道鏡』。この落差が私のちゃらんぽらんなところですが。孝謙女帝に興味があるのでこれはこれで楽しみました。
ロマノフ王朝の歴史は殆ど知らなかったので、ロシアに女帝が多いのにはびっくり。
また町を行く若い女性が、可憐で清楚なのにびっくりしました。日本も昔は可憐な野の花のような娘達が多かったと思うのは私も年をとったからかと笑ったり。
湖の本104、先生の「谷崎潤一郞の世界」楽しみでございます。  野宮

* ロシアとは懐かしい。新聞小説『冬祭り』はまさしくろしあの旅に拠ってこそ書けたロマンであった。「町を行く若い女性が、可憐で清楚なのにびっくりしました。」とあるのに、思わず微笑む。いやもうロシアの少女たち、娘さんたちの美しいのには、わたしも仰天したものだ、が、対照的に中年過ぎた女性たちのでっぷり太っているのにも仰天した。ウオツカの飲み過ぎなのですと「解説」されてそうなのかあと嘆息したのを昨日のように思い出す。
エルミタージュ、また夏宮殿、街中にのこっていたまだ生きていた正教会、イコンやイコノスタスの数々。懐かしい。

☆  秦 恒平様   靖
『秦恒平が「文学」を読む 上』を本日拝受しました。有難うございます。
花袋の作について、見解を変えられたことが述べられていました。
文学作品への見解(あるいは評価)は読む人の経験や知識あるいは感性の総合的な反応ですから、読む時期によって異なるのは当然で、なかなか決めつけることは出来ぬものと思います。まあ、小生などは浅学非才の身、どこかの首相ではありませんが 読むたびにコロコロ変わるのも致し方なしでしょうか。
このたびの御本に収録されている文章は、いくつか掲載時に拝読した覚えのあるものもあり、一種懐かしさを覚えます。
今後一層のご成功を祈念しております。  拝

* 本はもう京都へも届いていた。滞りなく次から次へと出版され続けるのを、「壮観ですね」と云ってくれる人も出てきている。しかし、量よりは質でありたく、作品に富んだ文学的な仕事でこそありたい。作だけではダメ、作品のある作にという自己規制の厳しさに負けてはならぬ。

☆ 秦様 湖の本104 届きました。  晴
「朝八時過ぎから、昼食夕食の短時間をはさんで夜の九時過ぎまで、妻と二人で本の発送という肉体労働に集中従事した。かなり能率を上げたが、もうへとへと。なにものも五体にのこっていないという疲労過度の有様。」
土曜日の日記を読んで申訳なく思いながら、それでいて届くのを楽しみに待っていました。月曜日には届きました。
以前の厚紙の封筒で損傷も無く。
この厚紙が、発送の労働を一層きついものにしているのでしょうが、より良いご本への配慮を感謝しています。
「文学」を読む 上 の、多大な論評に今更の如く驚き敬意を表します。今までに読ませて頂いた文章もありますが、これほど多くのしかも各方面に亘りご高説どおりの「作品」を発表されていたとは。
文学の香りを感じながら、じっくりと読ませていただきます。
幸い我が家の庭も、萩の花がこぼれ、金木犀が香りだし、やっと秋の風情が出てまいりました。読書浄土の世界です。
迪子様ともども発送のお疲れを癒してくださいませ。

* 感謝。とにもかくにも、「いま・ここ」に心籠めてと。

☆ 四時。
わ、お早いお帰りですね。風、お元気ですか。
上等の京料理だなんて、うらやましい。
今日など、ちょっと暑いくらいでしたが、秋っぽくカラッとしていましたでしょうか。
風の新刊、昨日届きましたよ。ありがとうございます。
ゆっくり読ませていただきます。
早速お仕事にかかってられるでしょうが、お体をやすめることも忘れないでくださいね。
ではでは。
花、元気です。

* 「わ」が、面白かった。 風

☆ 京都、のばらです。
新しい湖のご本届きました。
いつもありがとうございます。
もう京都からお戻りの頃でしょうか。
秋晴れの今日、よい一日をお過ごしになれましたか。
おかげさまでこちらは皆元気です。
いろいろとお忙しくお過ごしのご様子、くれぐれもお大切になさってくださいますよう願っています。

* 従妹の顔ぐらい見てくればよかったのにと、いつも東京へ帰ってきて思う。ごめん。
2010 10・5 109

* 「電子脳」の世界的な大家である東大坂村健教授から、「秦恒平先生」と思いがけない親しみの籠もった自筆のお手紙を戴いた。それだけでなく、中国お土産の一級の茶葉「美人茶」を一箱贈って頂いた。
坂村さんとは、ペンに推薦し入会して頂いて、さて有難しと、東大の研究室まで当時の事務局長と同道面会し、日本ペンクラブに初めてホームページをぜひ実現のための助言指導を願いに出向いた。結果、私が電子メディア委員会の責任者となり、日本ペンクラブにホームページが誕生した。
また、「ペン電子文藝館」を企画創設したときも、坂村さんのご紹介を得、技術面全面のお世話を願って、現在の「ペン電子文藝館」が発足した。わたしが初代の委員長に、そして梅原猛さんに次いで、井上ひさし会長から二代館長に指名された。
坂村さんには、電子メディア委員会の委員としてもいろいろご指導戴いたし、当時通産省系の文字コード委員会にペンを代表して私が委員参加したときにも、それは力強い後押しやらご指導・ご助言を坂村さんに戴いたのである。開発されてゆくいろんなソフトも幾らも頂戴した。わたしとしては、実にめずらしい方面の知己であった。十余年になるか。
湖の本を、いつもお送りしている。今日のお手紙は、新刊への思いがけない鄭重なご挨拶であった。嬉しいことであった。

* 作家で元中央公論編集長だった粕谷一希さん、元新潮の坂本編集長、歴史学の小和田哲男教授、笠間書院編集部の重光徹さんらからもお手紙を戴いた。
「スッキリした文学論をお送り頂き感謝に耐えません こうした時期こそ落着いて 文学、古典を読むべきでしょう 私も残り少ない時間をどう過ごすか 模索中です ご自愛下さい」と粕谷さん。
「『作品がある』とはの御指摘は大いに考えさせられました。私も現役時代から厖大な原稿を読んできましたが、『作品』は実に限られているなと改めて想起致しました。本文はそれぞれ題名が魅力的で、大いに楽しませていただきます。季候異変の今年、呉々も御体調に留意され、一層の御健筆、御発展をお祈り申し上げます」と坂本さん。
「齋藤茂吉『萬軍』についての御文はご発表より十五年経つ今なお一層の重みをもって小生の胸に迫ってまいりました」と重光さん。
「前の方に(子規と浅井忠のこと)南禅寺の塔頭金地院の話が出ていました。私も好きなところです」と小和田さん。

☆ そろそろストーブ  maokat
hatakさん
湖の本104巻今日届きました。御礼申し上げます。
帰宅が3時4時の生活をかれこれ一ヶ月、ついに疲れが出て寝込んでおります。2年前にも同じようなことをし、体力を過信して大変な思いをしましたので、今回は自重して大事に至る前に自宅で大人しくしております。
こういう時だけ、まわりの風景がよく目に映り、寝ながら窓越しに見た夕景の、白いビルに当たる夕日のオレンジ色が、とりわけ美しく感じられました。
編集者時代に(今もそうですが)、あんなに沢山の仕事を並行して進められていたのは、なにか秘訣があったのでしょうか?切り替えがうまかったのかなぁ。
私はマルチタスクがどうも苦手で要領が悪いのです。
食事にたとえれば、お向こうを食べてからでないと、椀ものの蓋を取れないし、香の物が出てからでないと、湯桶にいけないのです。この調子ですから、バイキングの皿にローストビーフもエビチリもサンドイッチも同時に載せて食べられる人と較べれば、時間がいくらあっても足りないのはあたりまえなのでしょう。
お向こうや椀ものの代わりに、特許の拒絶理由書、科研費の申請書、学会の開催準備と自分の講演要旨、学位論文の審査、などなどを枕辺に並べて一日を過ごしました。
再来週から国連の会議でインドネシアに出張します。行き帰りの飛行機の中で、今回の『秦恒平が「文学」を読む』か、前々作の『宗遠、茶を語る』を読めたらいいなぁ、と思っています。
暑かった今年ですが、札幌ではそろそろストーブを使い始めています。どうぞお元気でお過ごし下さい。

* 懐かしい、いいメールをありがとう。ハハハ。なんだか批評されちゃったかなあ。
何かしら一つ事にだけ根をつめていると、その仕事が絶対化されてしまいそうで、他のいろいろとの間で感覚的にも質的にも相対化しながら、同時に仕事の能率を挙げないと何も勉強できないほど自分が忙しいのを分かっていた。編集者の時、単行本企画だけでも常時百種かそれ以上を担当(自分で企画しパスしていたのだから当たり前であった。管理職の時はそのほかに月刊誌の定日発行責任を多いときは六冊分も抱えていて、そのほかに「作家・批評家」としての依頼原稿を抱えていたのだから。行儀良く順に茶懐石の馳走にあずかっているワケに行かなかった。
その流れで、わたしの仕事はとても「書く」だけで済まない、いつも「読んで」底荷を蓄えていなければならないのだから、本も一冊読み切ってから次をまた読むなどという真似はとても出来なかった。その鍛錬で、今でも毎日きまって多いときは十七、八冊を併行して読んで少しもこんぐらかることはない。但しまことにこう云うと、お行儀はわるく、雑駁に乱暴に騒々しく感じられる。それはむろん承知していたが、勤めていた頃のわたしの小説もエッセイも、勤務の時間を盗んで、喫茶店の相席であろうと、取材先の先生の教授室前の壁に凭れたままでも書き進めていたのであり、自分の書く文章がそれでも「静か」であるようにと気をつけていた。『畜生塚』も『慈子』も『蝶の皿』も『清経入水』も『みごもりの湖』も『墨牡丹』もすべてそういう場所、そういう勤務中に書いていた。家へ帰っては「書く」よりもむしろ「読む」仕込みに時を用いていた。なぜなら仕事場へ重い大きな本は持って歩けなかった。
ハハハ。言いわけしています。

☆ ご本を有難う御座いました。  正
秦様  湖の本をお届けいただき有難う御座いました。次回の代金の振込みを致しましたのでご確認ください。
今回のご本で、文章の巧拙と内容の良し悪しについて(尾崎)紅葉を素材に論じられているのを拝見し、まことにその通りと感じました。
その人の問題意識なり世界の切り取り方は、選ぶ題材に反映され、そこに書き手の品位が自ずと滲み出してきます。志賀直哉
のように。
文章自体を磨くことは大切ですが、それはあくまで技術論のような気がします。

* 文は人なりと謂われてきた。なかなかどうして、技術だけで文は磨けない。むしろ文を磨くのは気稟の清質であるだろう。瀧井孝作や吉田健一など、悪文と謂われる名文の事実在りえていたのは、その為、その証左なのである。かつての昔昔には美文と謂われた名文らしきものが盛行した時代があった。美文こそ技術の所産であったが、人間の感銘は籠もらなかった。

* 今度の新刊で、ちからをこめて書いた一つは、間違いなく「紅葉の文章」であった。それと、「あとがき」かなあ。
「漱石作『こころ』の先生は何歳で死んだか」や「斎藤茂吉の歌集『萬軍』」や「北原白秋の短歌にも、こんな」は、短いが刺激的な発言になっていると思う。
それにしても、わたしの文学生涯にいかに谷崎潤一郎が大きな存在であったかが、否応なく顕れたのも、一結果である。

* ところで、どおっと届いてきた新刊への反響の中には、こういう一文も含まれた。

☆ お嬢様と婿殿のこと、常にホームページで拝見しご心労をお察ししております。これは秦様の作家としての存在に深く関わることで、おろそかにすべきことではないでしょう。しかし僭越ながら敢えて申し上げれば、それはそろそろ水面下のことにしておいてもいい時期が来たようにも感じます。
秦様お二人にとって大きな問題であり、現実の訴訟に多くの時間と労力を取られることはわかりますが、その巨細を表現なさると、折角の明澄な水を湛えた「湖」が墨に汚されるような気がして、そのことに心を痛めるのです。そして何よりこのことはもっと別の形で高い調べの秦文学に昇華できるよう思っています。

私は家庭を捨て子供たちとは全く没交渉となっています。それぞれに十分以上の教育を受け、子供も授かっているようですが、やり取りはなく孫も見たことはありません。しかし子供といえ別人、それぞれが幸せであればそれで十分、そのことについて書く気持ちはありません。世の中にはもっと声を上げねばならないこと、すべきことがあると思うからです。

ご事情を知らぬまま勝手なことを申し上げることにお詫びします。お心に適わないときは一読者の妄言とお捨て置きください。

* まことに忝ない、ありがたいメールであり、先ず心より御礼申し上げます。その上で、落ち着いてやはり私として考えて見ねばならない。
前にも書き写した。直哉のこんな言葉。

☆  作者はどんなに変つたものを書いたつもりでも、真似でないかぎり、決して自分以外には出られない。安心してどんな事でもやつて見るがいい。

☆ 創作家の経験は普通、経験が多いと云つて、ほこつてゐる人間のやうな経験の仕方では仕方がない。経験そのものが希有な事だつたと云ふ事もそれだけでは価値がない。経験しかたの深さが問題だ。
「経験それ自身が既に藝術品である」といふやうな文句があるが、そんな事を自分で思つてゐるから、尚藝術品にならないのだと思つた。

* 「折角の明澄な水を湛えた「湖」が墨に汚されるような気がして、そのことに心を痛める」と言って下さる。「明澄な水」の①と「墨」の②との混合で「湖」が「汚される」というご心配のようだが、「湖」とは、もともと①と②とで出来ていて、表現方法の差であるだけ、所詮は「自分以外には出られない。安心してどんな事でもやつてみるがいい」と直哉の言うように、「いま・ここ」の視野にひたと目を向けて仕事をせざるを得ないしそれが創作者の正しい姿勢に思われるのです。
もとより②の方面と雖も「もっと別の形で高い調べの秦文学に昇華できるよう思って」下さるのは実に嬉しいし、実現の時機をぜひ得たいが、必ずしもそれが①のようであれば佳いとは限らない。
秋成の晩年にもう一度『春雨物語』でなくぜひ『雨月物語』をと望むのは自由だが、秋成の年齢と意識とはやはり『春雨』を必然とした。創作者の「次」にはどんなものが飛び出すかはほんとのところ読者にも作者本人にも分からないのである。
ただ、概して言えることは、読者からは今の②でなくて以前の①をになりやすい。
しかし作者の意識ではせいぜい「②の①のよう」で在りたいのかも知れぬのである。いずれにしても、むしろ①を①をに服従してしまってはかえって大きな間違いを犯しかねない。「墨」の世界を必然に歩みながら「明澄な水」に渇いていては自己矛盾に陥る。墨には墨の美と透徹を願えばよいし、そこでわるく藻掻けばおぼれ死ぬであろう。

* まして日録の「私語」について言うなら、「闇に言い置く私語」であり、現実から目を背けて光を仮象していては自他を偽ることになる。

* また御家庭の御事情については、一律のことは言えない。
人それぞれの最善が在るであろう、たまたま私の場合は一私民にも過ぎず、しかし作家・創作者でもある。それに私は「慈」という文字を「心あつきもの」と読み取りヒロインに「慈子=あつ子」と名付けたような男であるから、人一倍の熱をもつて人間と人間との関わりを大事に見ている。個性というものか。
だから「子供といえ別人、それぞれが幸せであればそれで十分、そのことについて書く気持ちはありません」とは言って済ます気はないのである。
私の場合、娘は明白に客観的に「不幸」であり、たぶんもう一人の「孫」もそうだと思って悲しんでいる。作家であり、かつそれを悲しみ心傷ついてそれを「書かない」というのは自己撞着である。書いて「悲しみ」をお互いに和らげて行けないだろうか、わたしの生きている内にムリでも、せめて死後にも機あつて娘が、あるいは孫が、父は、祖父はどう考えて生きていたろうと思って呉れるようなとき、よすがとなり足場や手がかりになるものは書いておきたい。それは、他の人にも奨めたり強いたりは決してしないし、わたしもまた強いられたくはない。
「世の中にはもっと声を上げねばならないこと、すべきことがある」のは仰せの通りだが、さて、人が人として最もせねば成らず、また声を上げておかねばならぬ事は、何であろうか。ひとにより異なるだろう、この方にとっては何か察しもつかないが、幸い自分のことは気が付いている。何をどんなに言うて見ても始まらない、ま、たわいない夢であるのは間違いないとして、それを承知で言うなら、するなら、「いま・ここ」で目前にあることに向かい誠実であることだ。
いま、政治も藝術も自然や人の美も大切だが、わたしは、その大切を、妻や息子や身内と思う人達や、また娘や孫娘から思いをわざとらしく逸らしたりしないで生き抜くことだと思い定めている。それらと別にわたしの「湖」が、また「文学」が、在るのでは無い。
2010 10・6 109

* やはり主題が「文学」のためか、文学の縁辺から反響や感想やお声が一斉に届いてくる。たった今も文藝春秋の寺田英視さんから電話でご挨拶があり、暫く歓談。このまえご馳走になったお店のはなしなども。現在は重い役員をされているが、まだ編集者時代の寺田さんに、「湖の本」のためにと、今の大きな印刷所そして優秀で親切な担当者を紹介していただいた。そのことなしにこの「作家の出版」という仕事ははやくに頓挫していただろう。このあいだ、百巻達成でしたのに、もう百四巻なんですねえと祝って頂いた。
本の絶版を歎いていると、文藝春秋の現社長の平尾さんに「秦さんのような道もある」と教わりました、「私もいずれと」と、澤地久枝さんの手紙も今朝届いていた。
「茂吉の『萬軍』についてのご指摘、「よくぞ書いていただけた」という感がいたします。岩波の全集はなぜか『萬軍』をいれていません」とは、歌人の持田鋼一郎さん、昔は筑摩書房の編集者だった。

落葉焚く煙の中の昨日今日  孝作

と紅葉の画で瀧井先生ご息女手作りのハガキでの礼状も。
「『読む』のはあくまで『文学』であることの一句、『作品』論、その品性について。一瞬目の覚める思いがいたしました。五十年に及ぶ私の文学研究を立ち止って検証したいと思います。『野ざらし紀行』の「ふかき心を起して」の一句が私の仕事の指針でした」とも、俳諧研究や一茶論で知られた黄色瑞華さん。
「着実なお仕事ぶりに感服致しております  吉村(昭)が亡くなって もう丸四年が経ちます」と、津村節子さんも。

* いまいまも批評やエッセイを現に書いている方たちからも、書かれたものも含めてたくさん頂いている。なかには重い病気と闘い克服して行かれながら、孜々として「文学」されている方も。凛とする。

* わたしが今も今不愉快で煩瑣で執拗な裁判沙汰に巻き込まれ苦吟していることが、いまでは、本当にひろく知られている。わたしがそんな中で書きかつ湖の本を出し続けているとももう知らぬ人の方が少なくなり、それとなく、またハッキリと激励して下さる。仕事をしていればこそと思う。
いやなことに関わっていると、世の中はなにもかもガチガチの法律づくめのように錯覚しがちだが、とても。そんなことは、ない。わたしには、文学もあり美術も歴史も、そしてまた大勢の人も、在る。誇りに感じている。

* 京都においでだった或る読者がこの夏に、亡くなっていて、娘さんからメールでご連絡頂いた。

* *****様 ご逝去の由、心よりお悔やみ申し上げます。 作家・秦 恒平
悲しいお知らせに、心傷ませております。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
ほんとうに長い間 **さんには「いい読者」としてお付き合いいただきました。親戚のお一人かのように私はお一人お一人の読者を、お名前もご住所も記憶して参りました。創刊から四半世紀というお付き合いでした。私も後期高齢者になろうとしています。悲しいお知らせに接することも多くなりました。寂しい極みです。忘れません。
仰せのように、お送りした本は、一冊2500円です。いつもいつもご送金頂いておりました。感謝申し上げます。
文学のお好きな**さんでした、「文学」の巻でお別れすることになりました。
有難う御座いました。 合掌

☆ 心温まるお言葉をありがとうございました。
秦 恒平様
早速のご丁寧なお返事、ありがとうございました。
先ほどのメールをお送りした後、昔一冊の「湖の本」を
「いつか読んでみ」と父から手渡されたことを思いだし、探しておりま した。
忙しさにかまけ、本棚に納めたままだったその一冊は
「死なれて・死なせて」でした。
遅ればせながら、読んでみようと思います。
104巻分は、近日中にご送金いたします。
長いおつきあいを、こちらこそ、ありがとうございました。
****子

☆ 京都 のばらです
こんばんは!
今回も慌ただしくお帰りになったのですね。
お疲れはありませんか。
恒平さんの京都が、心楽しめず、
人寂しい町に、故郷になっていると書かれていて、
なんとなく胸を衝かれる思いがしました。
新しいご本は「文学」の視野が広がるようで、ゆっくり読ませていただきます。
又お目にかかれる機会がありますように。
次回は心楽しめる京都でありますよう願っています。
お休みなさい。 みち (従妹)

* 井筒君
だいぶ季節も動いているのでしょうかね、錦秋の気配もやがて感じられることでしょう。
四日五日の京都ではまだ紅葉の気配はなく、紅萩と白萩との群れ咲いてうねるのを見て、とんぼ返しに帰宅しました。烏丸のホテルで、ああ、ここで井筒君とお茶を飲んだなあと思いながら、お向かいのサンケイ支局を眺めてきましたよ。

さて、十六日の心嬉しいご祝儀もいよいよ近づきました。

私は、二十日までに仕上げねばすまぬ仕事を持っていますので、十六日当日は、朝はやに東京を発ちます。十一時半頃に新神戸に着きますので、お式にも間に合うはずです。
宿泊のお心遣いはどうぞご無用に。それをお知らせして置きます。
お二方にお目に掛かるのを心より楽しみに、めでたくめでたく参上致します。  私へのお心遣いは一切ご無用に。
それよりも、どうぞお揃いで皆様元気に華燭の盛典をお迎えになられますよう願います。   秦 恒平

2010 10・7 109

 

* 新橋へ出る直前に、有元さんお心入れの「御前酒で鯖寿司を」の贈りものが届いた。お酒と寿司と。このご馳走をお芝居に持参しないなんて。
早速お酒も小さめの瓶に移し、寿司には切りを入れて適した器に入れ直して。ひときれ早速頂戴した鯖のうまいこと、驚嘆。
2010 10・7 109

* 幕間に、妻と、御前酒を味わいながら、美味しい鯖寿司を嬉しく御馳走になった。吉備びと有元さん、有難う御座いました。
2010 10・7 109

* 往復ともに、朝に届いた下巻の再校ゲラを読み耽って。この仕事、とても楽しい。

☆ 届きました。
お元気ですか、みづうみ。

ご連絡遅れましたが、湖の本届いています。ありがとうございました。
わたくしがみづうみを一言で表現するとすれば、「文藝愛」です。この一冊は、多くの作品を読んで読んで読み続けてきた文学者の、文藝愛の結晶です。文学者秦恒平がどのような文学をいのちの水として飲んできたのかという「索引」とも言えるかもしれません。この一冊はほんとうに読みたかったもの。これから楽しみです。
蛇足ながら、一つご本と関係ない感想。

谷崎が、運命の出逢いの最初にたまらなく惹かれたのは、そういう松子さんに貰った、おそらくは「玉章」の文字であったにちがいない。

ここを読みまして、自分の下手な字のことを恥ずかしく思いました。松子夫人と正反対で、字を見ただけで百年の恋も冷めるクチなんです。松子夫人はわが憧れの女人ですが、益々遠く仰ぎ見るお方になりました。
電子メールのある時代に生まれてよかったとしみじみ。もし手紙を書いていたなら、みづうみには読んでいただけなかったかもしれませんね。
メールをこちらからあまり書いてはいけないと自制して書かずにおりました。そうしたら、まあすっかり忘れられて! 情けないことです。時々思い出してくださいね。そしてメールでもいただけたらご機嫌です。よっぽど不愉快なことがおありなのだろうとひとり気を揉んでいたのです。
発送作業のお疲れでませんように。腹痛放置なさらず、是非病院に行かれますように。裁判ガンバレ。
では、歌舞伎の余韻のうちに、ゆっくりおやすみなさいませ。  砧
2010 10・7 109

* 大学以来の親友、重森埶氐(ゲーテ)君が、浴室の湯槽の中で急逝、もう十日ほども前のことですと、泣きながら夫人が知らせてきた。言葉もない。何を云うてもどうにもならないはかなさに負けている。
彼の、「ほんとに書きたいなら、書いてなあかんが。もし今日にも例えば「新潮」から話しが来ても応対がならんやろが」と云われた、それこそが背を押す刺激的な力になり、わたしは「書き」出した。恩人である。たいへんな恩人である。授賞式にも来てくれた。出版人として、仕事もたくさんさせてくれた。
おなじ美学の大森正一君も亡くなった。平安女学院だかの学長を、もう引退していたが。
このまえ女優の原知佐子を誘って妻と三人で芝居を観たとき、秋には自分も「芝居しますからね、それまで死んじゃいけないよ」と釘を刺された。その芝居が、あしただ。ウーン時間厳しいが、下北の小劇場まで行かざなるめい。

* 早稲田の紅野敏郎名誉教授の訃報も、今朝、新聞に出た。朝日子の結婚式にも来て頂いた。この人に声かけられ、谷崎学の新進学徒をどうぞ引き立ててやってと頼まれたのが、いま、早稲田の教授になっている千葉俊二君。お互い、年齢とったものだ。
馬場一雄先生にも橋田二朗先生にも死なれた。畔上知時さんも亡くなっていた。一昨日には読者のお一人の訃報が京都から。
訃報の届いたときは、たいてい、お身内だけで葬儀がとうに済んでしまっている。そういう時代になっている。私など、そのように年寄りを見送ったさきがけの方だ。
2010 10・8 109

* 重い病と闘っている堤彧子さん、病室から、新刊の湖の本着のハガキ。いつも、自画像の写真をひらいては、「がんばれよ」と呼びかけている。さぞつらいであろう、が。逆に励まされる気持ちで、わたしも、がんばらなくちゃ。
2010 10・9 109

☆ 「湖の本」毎巻御恵贈賜り有難うございます。 阿川弘之
特に今巻は志賀直哉先生に関しての御高著が三篇載ってをり感慨深く拝読致しました
右 略儀乍ら一と言御礼のみ申し上げます 草々不備  十月八日

* 東大の西垣通教授、メールで「文学論」を楽しみますと。坂村健教授とならんで、電子メディア委員会、また「ペン電子文藝館」でも、委員としてお世話になった。「ペン電子文藝館」を退くとき、この方にこそわたしは館長職に就いて欲しかった。東大教授であるとともに知られた作家であり。むろん電子メディアの社会性を極められた専門家である。「ペン電子文藝館」の責任は「文学」に実績があり同時に「電子メディア」に通じた人でなければならない。その辺の配慮がペンの現執行部に出来ていないのが、遺憾。

☆ 秦恒平先生 御礼 西垣通
ひどい暑さに参っていたのですが、あっという間に秋になってしまいました。
たいへんご無沙汰しております。いつもながら『湖の本』をありがとうございました。
拝受して、すぐ御礼を申し上げなくてはと思いつつ、「じっくり読んでからにしよう」と日をおくってしまう悪いくせがあり、申し訳ございません。
このたびはまた文学論ですね。ふたたび、先生の筆の冴えを楽しませていただきます。
御礼のみにて。

* やはり東大教授の上野千鶴子さんからも「御礼」のメモに添えて、新しい本が贈られてきた。なんと『女ぎらい』と来たモンだ、副題が「ニッポンのミソジニー」。「『性格悪い』系の本です(笑)」と。男の「女ぎらい」と女の「生きづらさ」を解剖したとある。「女ぎらい」は和らげた表現で、「ミソジニー」とは「蔑視」の意味でもある。これはまた上野さん、きついぞと身構えて頂戴した。

☆ 「文学」を読むの上巻、ありがたくいただきました。  山田太一
なんと丁度、渋谷の中村書店で「秦恒平の百人一首」をホクホク買って帰ったところでした。露伴の小説はあまり、、というところ、つまみ読み。私も正宗白鳥は大好きですが小説はあまり、です。下巻は買わせていただきます。ありがとうございました。で

* 石本隆一さん評論集の第十巻『続・短歌随感』は、最終巻。石本さん、かなり重いご病気の由、いろんな意味からもご負担であったろう、夫人の名で「謹呈」して戴いている。ご平安を祈る。

* 金八先生の小山内美江子さんには、ヒマラヤのピンク色した「塩」を一包み同封して「湖の本」礼状を頂戴した。精力的に海外救援活動を続けておられたが、「今年で大体卒業させてもらうべく、」「おそらく最後の遠征と思いますがネパールへ行ってまいりました」と。ほんとにピンク色した「塩」は調味料でなく「ガラスのきれいな瓶がございましたらば それに入れお机のはじにでも置いて頂ければ幸甚でございます もちろん 少々は舐めてヒマラヤを想像してくださいませ 東のはずれに学校をつくるつもりです」とも。嬉しいお手紙。

☆ 御恵与 恐縮に存じます。  早大教授
小生このところひとり辞典の追い込みでやっと息をしている始末。手がはなれ次第「志賀直哉の美しさ」や「細雪」関連の御文章を拝読いたしたく。庄野潤三、三浦哲郎と相次いで喪われ、昭和恋々の日々です。御礼まで。

* 京都の楽吉左衛門さんから、琵琶湖畔佐川美術館での「第二回吉左衛門X展」の招待をはじめ、「還暦記念展」や、「楽家の茶碗展」の招待状がどっさり来ていた。とりわけ佐川美術館はすばらしい明浄処で魅了される。そして楽さんの仕事がまたこの数年、鳴り響くように佳いのである。
京都美術文化賞で早くに推薦し受賞して貰ったが、今年からは選者としても加わって貰っている。今回の受賞者展の協賛出品作も、只一点の造形であったがそれは美事な力作であった。他の方の作が霞むかと見えた。
楽さんも、「湖の本」創刊以来応援して貰っている。
招待券を幾枚も頂戴している。ぜひにと云う方にはお裾分けしたいものだ。
2010 10・9 109

☆ 湖様 波です。
「文学を読む 上」のご本、手元に届きました。ありがとうございます。
「風運清秋」の四文字、直筆の添え書き、このひとひらのお便りを手に取るのを心待ちにしておりました。今回は静かな美しい装画の表紙で、ずっしりと重いご本でした。谷崎潤一郎を中心に湖の視点から書かれた文学論、拝読させていただきます。
金木犀の香る静かな秋の季節に、ざわざわと落ち着かぬ気持ちを文学の世界に導いてくださることに感謝いたします。
心の状態は投薬でなんとかバランスをとっていますが、仕事について考え始めると言い知れぬ不安に襲われることもあります。ウイークデイの夜はなるべくパソコンに向かわず、入浴して早めに入眠するように努めています。
湖さま、どうぞお体に十分気をつけて、日々お過ごしくださいますようお祈りいたします。
多くの読者が「下」を待っていると思いますが、どうぞ目など酷使されませんように。

* アメリカの池宮さんから、電話をもらった。わたしのこの「私語」を、ハズバンドがいつもプリントアウトして夫人に手渡して下さるという。有り難いこと。
2010 10・10 109

* 連休明けで郵便物、どっと。時間に追われていて、ここには少しだけ。

☆ 「湖の本」104 誠に有り難く拝受 厚く御礼申し上げます。  大久保房男
谷崎氏と佐藤(春夫)氏のところ大変興味深く拝読、 四十五、六年前、『日本文壇史』のために、伊藤整氏を誘ひ一晩 谷崎佐藤両文豪の話を聴きましたが、残念なことに伊藤さんの文壇史はそこまで行かずに亡くなられてしまひました。佐藤さんが「和解」のうれしさにウヰスキーを飲み過ぎて倒れ、半身不随になる前の「おそろしい鋭さ」がどんなものだったか、谷崎氏がいかにそれを恐れてゐたかの話など 又、千代夫人が初めて  (以下、貴重すぎるので此処には秦が割愛します。)

* 小さいペンの字でたくさん書いて頂いている。谷崎愛の書き手としては、うかと披露するには貴重な、また憚りもある内容を含んでいて。お願いすれば、もっと沢山を読ませて下さるだろうと思う。書かせて頂けるなら書きたいが、あまりに文壇の遠くにわたしは現住しているしなあ。

☆ ご丹精の「作品」を拝読しながら   神戸大学教授
「文学」を読むことの深さと恐ろしさ感じています。秦先生の述べておられる「品隲」とは何か。勉強不足で根底のところで理解できたかどうかわかりません。「読書百遍 義自ら見る」と信じて読ませていただきます。秋涼が加速するこの時期お身体ご自愛下さい。

* 単に字義のみいえば「隲」は定める意、「品隲」は品定め。私が今回の跋で触れた意味にいわば金額的な価値などは含まれない。この際ゆえその個所「湖の本104」の跋文「私語の刻」の冒頭のみを、此処へ再録しておく。

☆ 「秦恒平が『文学』を読む」とはいばった表題と眉をしかめる人もあろう、が、言葉以外の特別な意味は何も持たせていない。文責を明らかにしたに過ぎない。と同時に「読む」のはあくまで「文学」であると。書き手の一人一人に、書かれた作の一篇一篇に「文学」がどう働いているか、働いていないかを「読み取り」たかったという意味である。
では私・秦恒平に「文学」とはどんな値打ちであるか、片言にでも申し上げておく必要がある。

志賀直哉の全集に今も読み耽っていて、『暗夜行路』でも『偶感』でも『濠端の住まひ』でも、もっとあれこれ例に出していいが、ああ、ここに「作品がある」と私は思う。手近な谷崎潤一郎の随筆『きのふけふ』に読み耽っても、ああここで「作品が読める」と思う。それらは只の「作」でも「作物」でもない。「作」と「作品」とは、まるで異なるモノと値打ちである。まっさきに、これを申したい。
私も、ずいぶん永く、創作者の創り出したモノを「作品」と呼んできた。おそらく今日の読書人、いや殆どぜんぶの日本人が、「作品」の二字を、以前の私と同様に用いて怪しんでいないだろう。
明瞭に、間違っている。それが私の「文学」観である。
曲がりなりにも創作されたモノは、即ち「作」である、「作物」である。その作・作物に真実「作品がある」かどうかは、読んであとの品隲に委ねねばならない。
人に「人品」があり、画に「画品」がある。自ずと「気稟(気品)の清質」の有無や高下が生じてくる。その見極めを人はつける。品隲である。品定めである。「作・作物」から人の受ける感銘の如何により、初めて、この作には「作品がある」、これは「作品である」、もしくはこの作には「作品がない」、「作品とは呼べない」という喜びや落胆があらわれる。「作品」は、受け手・読み手の魂の、さも扉をあけるようにあけて、その人のハートに棲みつく。ともに生きる。凡庸な作や作物には「作品」という命はちっとも棲んでいないのである。

* 亡くなられていた橋田二朗先生の奥さんからもお手紙を頂戴していた。

* 九十すぎた三浦景生さんからは、ニューオータニでの今季日展オープニングパーティに出ておいでと招待状も。

☆ 牧水の「幾山河」についての   伊藤一彦
御文章、改めて拝読し更に心に残りました。嬉しい御文章です。『ぼく、牧水!』お送り致します。御笑覧の機会をたまわれば幸甚です。
2010 10・12 109

* 有元様 御前酒と鯖寿司

錦秋歌舞伎を観に出かけようという朝に、頂戴しました。一瞬思案しまして、このご馳走を歌舞伎といっしょに戴く、それが一等似合うと思いつき、即座に食べやすく切りを入れ、器に入れ、むろん御前酒も酒器にわけまして、晴れやかな嬉しさのまま新橋演舞場へ出掛けました。いま東京の歌舞伎は、歌舞伎座にかわり、専ら演舞場で上演されています。
最初、仁左衛門の盛綱に、団十郎、我當、秀太郎、三津五郎、魁春、孝太郎らが競演で、子役の小四郎役もたいへん上手な、なかなか佳い「近江源氏先陣館」盛綱陣屋でした、少し泣きました。
そのあと長めの幕間があり、そこで有元さんお心入れをしみじみ美味しく頂戴しました。鯖の豪快に美味なこと、鮨飯のとびきりのうまみにも舌をまきました。そして、いつもながら御前酒は飛びきり美味。
妻と、大いに喜び楽しみました。ご馳走になりました、心より御礼申し上げます。
必ずしも楽しいことばかりではなく、へとへとになるイヤな要事に追いまくられているこの十日余りでしたが、まだまだもう暫く、なんとしてもシッカリ立ち向かうしかないことに奔命します。その間には、神戸まで卒業生の結婚式にも参ります。京都でもしたことのない日帰りを、神戸まででします。からだをいためてはならないし、時間は惜しまねばならないしと、賑やかで面白いとも思う十月を送り迎えております。
どうぞどうぞ、お大切になさって下さい。 有難う御座いました。  秦 恒平

☆  御多忙の中わざわざのメール有り難う存じます。鯖寿司セットを美味しく召し上がってくださった由を、御前酒辻本店へ連絡しましたところ、関係者一同の励みになると喜んでおられました。
もう30年以上も前、評論集『花と風』を書店で見つけて以来 秦さんの著作を通じて新しい発見があり 大いに啓発されました。
それまで上っ面を撫でて過ぎていた作品や作家、例えば梁塵秘抄、閑吟集、谷崎潤一郎その他に触れ直すことが出来ました。
村上華岳を知って 心の世界が広がった思いでした。本当に有難いことです。息つく暇もない日々、どうぞお大切になさってください。 有元毅
2010 10・12 109

* さ、行くよ。親愛なる卒業生くんの晴の華燭の典にお祝いを言いに行くよ。
彼は、息子の芝居が下北沢であると、はるばる大阪から馳せ参じてくれるような人だ。待ちかねた慶祝を妻はわがことのように喜んでいる。だが神戸の式場まで日帰りなど妻には出来ない。いよいよ、式服にからだを入れてみる。入らなかったら新郎君は、このホームページ「私語」の扉に出た、櫻のしたの秦教授の格好が好きです、平服でどうぞと言ってくれている。学部でわずか二三年のつきあい、「パンキョウ(一般教養)」と婿や娘にわらわれた東工大「文学」教授のわたしを、親しく結婚式に招いてくれた学生が、井筒慎治君で十人めになるか。

☆ 風、お元気ですか。   花

風、お仕事に精を出していらっしゃることと想います。
当地は昼間暑くて、まだ扇風機が要ります。
東京はだいぶ涼しくなっていますでしょうか。
昨日は、ふらりと馬籠へ行って来ました。
風はいらしたこと、おありでしょうね。花ははじめて。
ふらり、というには遠く、高速道路で片道四時間ほどもかかりましたでしょうか、けっこう疲れました。
そう広くない道の両側に売店などのある、馬籠宿の風情を残している範囲は小さく、少し歩けば端まで行ってしまいます。
かなり急な坂でしたので、疲れますけれど。
『夜明け前』を読みながら想像していたより、道幅は狭く、本陣もこぢんまりしていました。
藤村記念館を、じっくり見てきましたよ。
行きの車の中で、藤村、『夜明け前』について(運転中のご主人にだろう=)語りに語った花は(独り言みたいになりましたが)、藤村についてのあれやこれやで頭の中をいっぱいにして馬籠に到着しました。
藤村はこんなのを読んでいたんだなあ、と、蔵書の背表紙を眺めたり、几帳面そうだなあと、しっかりした輪郭の藤村の直筆を見て思ったり、「女学雑誌」の目次に「厭世詩家と女性」を見つけ、内心「おお」と声を上げたりしました。
藤村をじっくり偲ぶには、あまりに時間が足りませんでしたけれど。
行楽日和の休日だったせいでしょう、馬籠はかなり賑わっていました。
野沢菜を買い、五平餅やアイスクリームをつまみ、帰って来ました。
藤村の作ったいろはかるたが復刻されていました。
「えだはより ねもと」が印象に残りました。
風、お元気ですか。
花、こんなふうに元気です。ではでは。

* 馬籠が思い出されて、こういうメールが嬉しい。講演に招かれたことがあり、法事にも加わり墓参もし、大勢の人と会食した。どんな道順で馬籠に入ったのかは忘れている。『夜明け前』を芯から愛読するには、やはり一度はあの風光に触れてきたい。
2010 10・12 109

☆ 鴉、お元気ですか。   播磨の鳶
今週末 神戸での結婚式にいらしてトンボ帰りされるとか、若い人の出発を寿ぎ、そして鴉ご自身はくれぐれもお体大切になさってくださるように。
昨日ようやく(湖の本の=)振込みを済ませました。
十日余り留守して帰路に実家のお墓参りや姑の用事をして家に戻りました。
久しぶりにHPを読み、既に多くの方が『文学を読む』について感想を述べていらっしゃる。目次を見るだけで、さすがやなあと。そして本当はもっともっと多くの埋もれた作者を掬い取る仕事をされている鴉だと、改めて思い至ります。
家に戻って日常が始まり、さて来週末にはアメリカ東海岸に出かけます。所用と招待・ボストンにも立ち寄る予定です。なんと慌しく、字の如く心荒れる日々を過ごしていることよと我ながら思います。どんな時も猛烈に本を読んでいますが・・正面から立ち向かう作業を進めているとは言えません。夏の間に点検しまとめたものを一端手放して、アメリカから戻った後は少々違うことに集中したいと考えています。アメリカ、はまだ意識の中心に入ってきていません。ただ懐かしさ、でしょうか。
HPの裁判陳述に関することを冷静に読みました。
「不当に訴えられている受け身を安んずべく、わたしは当然の抗争を、正当防衛を少しも厭わない。作家としても人間としても厭わない。とらわれもしない、ちっとも。」という感懐を凄いと思うのはわたしの弱さです。
劉暁波のノーベル平和賞のこと、尖閣諸島のことなど、わたしも強い懸念と主張をもっています。
取りとめないメールになりましたが思うまま書きました。
繰り返し、御身大切に。
お元気ですか、鴉。お元気ですか、鴉。
2010 10・13 109

 

☆ 冠省   作家
どうにか落ち着いた天候になってきました、ご健勝のことと拝察。またご本を拝受、ありがとうございます。
それにしても谷崎に対する大兄の思念の深さに感じ入りました。
そういう対象のない小生としては羨ましくもあります。略儀ながら御礼まで。

☆ 冠省   **社元出版部長
「湖の本104 秦恒平が『文学』を読む 上」を賜わり、有難うございました。いつものことながら、継続刊行、心より御労苦、察し申上げます。
(一)では、「紅葉の文章」「子規の絵ごころ」「漱石『こころ』の先生は何歳で自殺したか」「志賀直哉の美しさ」「若山牧水の『幾山河』」を面白く拝見しましたが、「歌集『萬軍』と斎藤茂吉」には、痛切な指摘がなされていて、この歌集も含めて、実に意義深く、身に沁みました。(二)は「小田原事件」をめぐっての谷崎潤一郎と佐藤春夫との数章は出色で読みごたえがありました。就中、「添田とお雪」の「猫」的存在は興味深く拝読しました。佐藤氏急逝の「朝日」での谷崎の文章は、印象的で覚えています。「下巻」の数多い作家・作品論が待ち遠しく。

☆ 『秦恒平が『文学』を読む 上」が届きました。  **社元出版部長
「作品」という言葉の重さに深く頷き、谷崎らに再会しています。
不順な気候が続いています。どうぞお大切に。

☆ 「湖の本」一○四巻を頂きました。  元「新潮」編集者
キチンキチンと刊行され、おどろきです。
幅広い文学論として、どの篇も的を射ていると思いますが、やはり谷崎に関する篇は面白く、含蓄があります。ずっと前に読んだきりの谷崎を読み返したくなります。
これから初冬へかけて良い季節ですが、どうぞお大切におすごし下さいませ。御礼まで、草々

☆ 「湖の本104 秦恒平が『文学』を読む 上」を   山梨県立文学館
御恵贈くださり心より御礼申上げます 様々な作家について示唆をいただいておりますが 中でも 谷崎潤一郎についての御文章 たいへん興味深く拝読しております 下巻の刊行も楽しみにしております
秋冷の心地よい季節を迎えましたが 御自愛のうえうお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。
☆ 拝啓  元「世界」編集者
十月に入っても平年よりは温ったかめ季候が続いていますが、先生にはお変りなくお暮しのことと存じます。
このたびの御恵投 寔に有難く厚く御礼申し上げます。本格的な文学作品の読み方を学ばせて頂き度、今から楽しみに致しております。 敬具

☆ 拝啓  周
金木犀の香るよき季節になりました。ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
「湖の本」104号まで拝読して参りまして、どれほど多くの恩恵をいただいたか計り知れません。
またホームページ上の時事問題に関する勇気あるご発言はいつも溜飲の下がる思いがして、励まされております。
今号の「歌集『萬軍』と斉藤茂吉」によって、「歴史観の狂った」茂吉について初めて知りました。
長い間短歌を続けて参りましたが、(私の不勉強にもよりますが)誰もこのような事実を明確にしてくれる歌人はおりませんでした。
同時代、荷風の「断腸寧日乗」にありますように、逸民作家を装いながら軍国主義日本を客観的に捉え批判していたことに比べると、同じ西洋帰りでも、「時代」の読み方がまったく異なることに驚かされます。
もうひとつ、茂吉の自選歌集「朝の蛍」をお求めになられたエピソードを書いておられます。私も、また或る友人も、この自選歌集を入手した時の喜びを書いたり詠ったりしています。そのことについて同人誌のなかに拙い文章を載せております。
やはり茂吉は一番好きな歌人です。
「e-文藝館=湖(umi)」に拙作「四重奏」の一作として新内作品「三囲三味線Jを掲載していただいておりますが、その後、正岡子規の「子規・のぼさん」、樋口一葉「一葉日記」などの詞章を作り、故岡本文弥師匠の後継者・岡本宮之助師によって何度も演奏公演しております。下町の文藝愛好家の域を脱せず、仲間と楽しんでいるだけというような次第です。
同人誌「YPSILONJ NO.23号をご照覧賜れば幸せです。
まずは御礼かたがた、ますますのご健勝をお祈り申し上げます。敬具

* 寄贈さきの大学、高校からも、いろいろに。感謝。
2010 10・13 109

* さて、要事の方も、全容をようやく把握して「一覧目録」も用意できてきた。
いまは、もうまっすぐ心身を神戸の華燭へふりむけている。明日、もう一日の余裕がある。明後日はごく早朝に出掛ける。
2010 10・14 109

* 滑るように月半ばに来た。

* 今日は、落ち着いている。明日、無事に出掛けたい、晴れやかに。
2010 10・15 109

* これは、「湖の本」と無関係。研究・教育者でもある東工大卒業生ママの、故郷富山で元気に続いている子育て『きみきみ、わが子』最近の一篇。

☆ お祭り男
三連休の中日,町内の秋祭りでした.
前日,息子を近所の祭事用品を扱う専門店に連れて行き,法被を調達.なぜかオレンジ色の鯉口シャツも一緒に買わされました.一応,江戸っ子ですので...
当日,戸数が少ないので,昼ごろからの獅子舞開始でした.
遠くから聞こえる太鼓と笛の音にそわそわした息子.身支度を整えて,探しに行くことにしました.見に行くと...やっぱりハマっていました.一軒終わって,次の一軒,しっかり”若連中”の後をしっかり追いかけました.
途中で,息子の保育園のお友達も合流.さすが生まれてから4回目の獅子舞のその息子の友達はお祭り大好き.手にはパパお手製のお獅子を持って参戦でした.本物の若連中を”メジャーリーグ”のようにあこがれのまなざしで見ながら,リトルリーグの2人(息子と友達)は脇で”自主トレ”していました.
夕方前に自宅にお獅子登場.家の中に入ってくるお獅子に息子は半べそ.
それでも,興奮冷めやらぬ様子で帰って行ったあともいろいろお話してくれました.
夜,”もう一回見に行く!!!”と再び鯉口シャツ&法被に着替えた息子.小雨のなか連れていくと....暗闇に現れたのはお面をつけた天狗役のおじさん.息子,号泣&悲鳴!!ライトアップされた天狗vs.獅子の姿に“おうちに帰る....”と泣きべそでした.
息子の中では怖い思いをさせた天狗が悪者.獅子は強いはず!と思っていたらしく,翌日町内だよりにあった”獅子殺し”の写真を見て“なんで?お獅子がねんねしたの?”と納得がいかない様子.
年々,若い人が減って,祭りの存続が危ぶまれた時期もあったようですが,小さなお祭り男たちが近頃増えてきているそうです.小さな小さな祭りですが,残していきたいものです.
2010 10・15 109

* 結局、今日も忙しく過ごしたが、もう、湯につかって早く寐る。明日は七時前には家を出るので。めでたく出向いて、めでたく帰宅したい。無事と天気を願う。
2010 10・15 109

* 六時前に起き、ネクタイぬきで式服を着てしまい、やはりゲラを持ち、用心の薬をたくさん持ち、六時台のバスに乗り、西武線から下巻の校正を開始。新神戸に着いたとき、ほとんど休み無く182頁の半分まで読み終えていた。

* 新神戸からホテルオークラ神戸まで、タクシー。美しい落ち着いた街だ。ホテルで、ネクタイをつけ、必要なモノだけ鞄から出して、鞄は預ける。メインロビー、東京のオークラと似ていた。

* 一時、チヤペルで結婚式。関西テレビの報道記者でアンカーをつとめている新郎、わたしの顔をみて感極まって泣いたのにビックリしたが、新婦のすらっと丈高く美しいのにも感動した。明朗で気持ちのいい挙式。

* 披露宴が始まったとたん、真っ先に祝辞に呼ばれてまたビックリした。

* 上手に赤い畑のトマト
わたくし以上に、妻がわがことのように喜んでいます、お二人に おめでとう を先ず伝えておきます。
そして、これは、新婦の**さんへの、私からお祝いの贈りものです。

よく知られた、俵万智という歌人の作った、こんな短歌があります。

親は子を育ててきたと言うけれど (漢字一字トバします。)手に赤い畑のトマト

東京工業大学に在職した私が、六十歳定年でお別れまぎわ、今から14年も以前に、今日の新郎・井筒慎治君ら学生諸君に出題した、毎度お定まりの「短歌」でした。井筒君らは、この短歌一首を話題に、いわば「子育て」観「親と子」観を書いて、教授の私に提出したのでした。虫食い個所に、漢字一字を補うだけでなく、「この一首にもとづき原作者の親子観を批評せよ」と。
どんな理解が出てくるか、虫食いを埋めるより、その方が私は読みたかったんです。むろん、本題の文学の講義とは、まったく別に出題していたんですが。

じつはこの歌を、この虫食いのまま、当時の学長さんにも呈してみました。
学長は「両手に赤い畑のトマト」と答えたうえで、これぞカンニングでありますが、作者である俵万智さんに、じかに電話して尋ねたんです。俵さんの弟がうちの学生でもあることは、当人がそう告げてくれていたので、私も知っていました。学長、ずるい!
むろん作者は、「勝手に赤い」ですと教えていました。

親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト 俵万智

ま、これしか無いという表現であり、こう言われてみると、ちょっと痛快な、だが待てしばし……ほんとかな……ほんとに「勝手に赤い」のかしらん……という気が、しないでもないんですね。
それにしても木村学長の「両手に赤い畑のトマト」とは、どういう意味じゃと思いました。想像もしてなかった。
ところが学生たちの回答でも、木村孟学長と同じに、断然「両手」が多かったんです。いやいや、「両手」のほかにも、「片手」「右手」「左手」「傷手」「軍手」まで、ありました。「握手で赤い畑のトマト」なんてのも。でも、これはねえ、いただけませんね。
ですが、皆、それぞれに、まんざらふざけたわけでもない。

なかに、「上手に赤い畑のトマト」とあるのだけは、ひょっとして、俵万智原作の、断定的やや挑発的な表現よりも、子育て、または親離れといった真実味を、よく自覚している気がして、「面白いな」「うまいな」と思いました。
要する所、親達には、ま、好きに言ってもらいます。逆らいません。けれど自分は、自分を、なにもかも親任せにはして来なかった。折り合いよく親にも満足してもらい、こっちも「上手に、」赤くて旨そうな健康な「トマト」に育ったつもりですよ、といった味わい、が、あるんじゃ、ありませんか。
なにもかも「育てて貰いました」というほど受身でない。さりとて「勝手に育ったんだい」と、ふんぞり返る子供でも、もう、ない。
此の、「親は子を育ててきたと言うけれど 上手に赤い畑のトマト」には、大人になってきた落ち着きもなかなか生かされ、なるほどと、日頃から思える学生の名前が、その回答には、くっついていました。 井筒慎治君でした。

井筒君はこう書いていました。

子どもの気持ちからすると、「親の気付かぬうちにも、子は自立しているのよ」と俵さんは言っているのでしょう、と。同時に、多少の「強がり」も含まれていて、それがかえって若い読者の共感を呼んでいる気がします、と。

今、この席に、慎治叔父さんを祝って見えているでしょうか…、

「私の姪も今年、(コレは、ずっと昔の東工大時代のことですが…、)もう四歳に成るので、私は、(つまり井筒君は)「オジさん歴4年」ですが、少しだけ「子を思う親の気持ち」が分かる気がします。直接育てているわけではないので、本当は間違っているのかも知れませんが、時々田舎へ帰って、姪の成長する姿を見ると、「子は、親がどうであっても育つものだなあ」と思います。同時に姪の母=私の姉の姿からは、「親にとって、子どもは、宝なんだなあ」と強く感じます。
俵さんが「勝手に赤い畑のトマト」と歌っていたのを、たまたま私は知っていたのですが、私は、この姪には、どうか「上手に赤い畑のトマト」に育って欲しいなあと思っているのです。

今日晴れやかな美しい限りの新婦の「**」さん、 あなたの「夫」として今まさに其処にいる井筒慎治君は、根から、そういう自立もし、また心優しい人であることを、教授であった、同時に小説家である私が、今・此処で保証しますよ。
お二人して、(これ、どうかな言っていいかな…)すばらしい「お母さん、お父さん」に、なられますよう。

井筒君 **さん おめでとう。

よき日ふたり あしき日も、ふたり…。  おめでとう。

* お姉さんも泣いてしまい、むかしむかし四歳だった姪がすっかり娘さんになっていて、わたしの話にびっくり。もう一人可愛い妹とデュエットした歌がじつにうまいのに、わたしが、またビックリ。

* とても気持ちのいい楽しい披露宴でした。ご両親も、井筒君も、ご挨拶の中でていねいにわたしに触れてくださり、恐縮。

* 六時四十五分の切符を六時十二分に切り上げて貰い、十時ちょっと過ぎ、無事帰宅。帰りの新幹線と西武線とで、下巻の校正182頁分きっちり完了、これが我ながらえらかった。三校したことになる。
新神戸まで日帰りし、部厚い湖の本の全一冊分を往き帰りに読み切ってきたのは、体力は費やしたに違いないが、気力旺盛の集中力でちょっと自分を見なおした。無事に、おめでたい、喜ばしい席へ出られ、怪我なく帰って来れたのが、いい。
2010 10・16 109

☆ 毎日が慌ただしく、
気が付いたらひと月が過ぎておりました。
最近の私はと言いますと、パリの生活に慣れてきて、日本での生活スタイルに戻りつつあります。
映画、勉強、ときどきお買い物、そして友人とのお喋り…
先日はオペラ座近くの“ブックオフ”へ行ってまいりました。
日本でも有名なブックオフですが、ここのお店はフランスに長く滞在した日本人が帰国する際、荷物を軽くするため本を売りに来るそうです。
そこで建日子さんの『推理小説』を2冊見かけました。
パリのお店に2冊もあるだなんて、本当に多くの人に親しまれ読まれている、ということです。
そしてもう一つ、日本語を勉強しているパリの人たちには、建日子さんのドラマ『ドラゴン桜』が人気のようなのです。
何人かが、「ドラゴン桜観てたんだよ、面白かった」と私に話してくれました。
海外の人にも楽しんでもらえる作品を作っている建日子さん、ステキです!

東京はやっと涼しくなったと聞きました。
これからあっという間に寒くなり、気が付いたら年末に…
少し気が早いですね。
お風邪を引かないよう、温かくしてお過ごし下さいませ。
また写真をお送りいたします。
パリで花粉症に悩まされている  パリ娘
2010 10・16 109

☆ 秦先生 ありがとうございました。
井筒です。昨日は本当にありがとうございました。
「結婚式や披露宴で新郎がぼろぼろ泣いてはいけない」と思い、「いかにして泣かずに結婚式・披露宴を乗り切るか」ということを、式までずっと考えておりました。色々と考えた結果、「私は俳優で、ドラマのワンシーンに出演している」と自己暗示をかけて結婚式に臨めばいいのではと思い、リハーサルに臨んだ結果、リハーサルでは全く泣かずに過ごせましたので、「この作戦は、なかなかいいなあ」と思っておりました。
しかし、式本番で、素敵な礼服に身を包まれた秦先生のお顔を拝見した瞬間、感謝と感激で胸がいっぱいになってしまいました。大変お忙しい中、ご出席いただきましたこと、心から感謝申し上げます。
披露宴では、私うっかりしておりまして、先生に御祝辞を頂く順などについてご相談申し上げておらず、大変驚かれたと思います。お詫び申し上げます。
俵万智さんの短歌は、秦教室で学んだ学生の多くにとって、忘れられない青春の一首になっていると思います。
実は、私自身は、あのような「生意気な」ことを書いていたことは、ほとんど忘れておりました。私のつたない文章を、先生の深い「解説」によって引き上げてくださいましたこと、感謝申し上げます。
先生のご祝辞に、快く泣かせていただきました。私も、姉も、同じ気持ちだったと思います。
トマトを育てるためには、多くの手間が必要だと聞いたことがあります。 先生の御祝辞を伺いながら、「トマトを育てた人たち」への感謝を忘れてはならないなあと思いました。特にここ最近、その思いが強くなっております。「感謝」を忘れずに、これからの日々を過ごして参ります。
また、私の学生時代のあの「挨拶」をお探し頂いたことは、想像を絶する大変なお手間だったと察せられます。
両親も、先生から湖の本を頂いたことや、貴重な原稿を頂いたことに感激しておりました。
先生、どうかいつまでもお元気でいらしてください。
是非、東京でも、京都でも、一度お酒をご一緒させて頂きたいと願っております。 妻も「またお目にかかるのを楽しみにさせて頂いております。大変お世話になりまして、ありがとうございました。くれぐれもお疲れが出ませんように」と申しております。 どうぞ今後とも、よろしくお願い申し上げます。
失礼いたします。先生が来て下さったことで、最高の挙式、披露宴となりました。  井筒慎治・**

* よかったね。
井筒君 **さん
すばらしい結婚式・披露宴でしたね、招いて下さったのを、しみじみ喜んでいます。
お似合いでした。二人の大喜び、ご家族がたの大喜びがよく伝わりました。
ご馳走さま。
神戸が綺麗ないい街なのも嬉しく、時間に余裕が有れば楽しめたのにと、ちょっぴり残念。
新幹線の往き帰りに奮励努力したので「仕事」もかえって捗り、それほどは疲れず、十時一寸過ぎには帰宅していました。
すてきなハネムーンを満喫してきて下さい。ケンカするな。
**さん、とても美しく、はんなりしてられて、嬉しかった。
撮った写真をみて、妻ともういちど大声で「おめでとう」を叫びました。
いろいろお気遣いいただき、皆さんにもよしなにお伝え下さい。    秦 恒平
2010 10・17 109

☆ 前略
いつもながらの力強く、そして知のご蓄積に彩られたご文章、口惜しいとは思いますが 一方でただ唖然としています。 谷崎潤一郎については どうも人格として近づきがたく、ほとんど読まずぎらいに終わってしまいました。若い頃は坂口安吾とかその手のモノを好きになり、友人は太宰治ほかが好きな人が多かったようですが、私としてはあの軟弱さがどうにもがまんならなかったのです。その程度の読み込みでしたので次第に文学の本筋から離れていき、ついには歴史の森に迷いこんでしまいました。といっても例の如く考えは浅いですが…
歴史の分野でも「日本の伝統」というようなことに自分勝手な興味を持つようになりました。となりますと、谷崎潤一郎は最も深く理解しなければならない人物の一人なのでしょうが、今さら不勉強を歎いても遅いですね。
それにつけても先生の深いご造詣、ただ慨嘆するばかりです。  歴史家
2010 10・17 109

☆ 文学(上)読みました。   作家
「湖の本」104 共感、異感あいあわせて興味津々。(下)巻105がたのしみです。
脚萎えで振込には近くの郵便局にタクシーで。年金暮らしにはなんとも贅沢。バチがあたりそう。
口ぽかんとあけ、よだれたらし、口きけばろれつまわらず、酔人のたわごとめく。
こいつ生かさぬよう殺さぬよう飯のたね。

* 体調の調わぬ友人が増えている。もうわたしの年齢ちかくでは、若い人でも、何かしらに突き当たっていない人が少ない。

* 医学書院以来、ずうっと激励して頂きつづけた名古屋の名誉教授鈴木榮先生の訃報も、ご子息から届いた。綜説研究誌「小児医学」を企画創刊したとき、日大の馬場一雄教授、札幌医大の中尾亨教授、鹿児島大の寺脇保教授と名大の鈴木榮教授を編集委員にお願いした。四人ともわたししの文学の仕事を終始一貫応援して下さった。寺脇先生が早く、次いで中尾先生が亡くなり、去年馬場先生が、いままた鈴木先生が亡くなられた。みんな「死なれて」しまった。鈴木先生は今でも「湖の本」にいつも送金してきて下さった。退官されるとき恐縮ながら謝恩と称されて編集長長谷川泉さんと私とを、桑名の船津屋に一夜招待して下さった。わたしが泉鏡花の仕事をしているのを声援して下さったのである。船津屋は名作「歌行燈」の舞台になった料理旅館の老舗。名古屋の「中村」の若女将も同行してくれてそれは楽しい一夜であった。その女将も若くして亡くなったのは寂しかった。

* 今年はついつい亡くなった人達の名を指折り数えてしまう年になった。私…。わたくしは、小説の中では、去年の誕生日頃に死んだことに、今年の誕生日が一周忌ということになっている。

☆ 風
おっはよーございます。
週末はお天気に恵まれましたね。
当地は昼間は暑かったですよ。神戸はいかがでしたか。
おめでた服は暑かったのではないかと想っています。
今朝の富士は、とてもカラッとしていて、いよいよ秋って感じです。
それにしても、神戸日帰り、しかもお忙しいお仕事のさ中、風はタフだなあ、と、感心します。
きっと、気を張ってらっしゃるのだと。
糸が切れないように、ときどき緩めてあげてくださいね。
風、おもしろくないお仕事もされているのでしょうが、がんばってください。
がんばっている風を想って、花もがんばります。
ではでは。

* そうです。おもしろくないことでも、なさねばならぬことは、なさねばならず。
2010 10・18 109

☆ ようやく秋めいてまいりました。   ペン会員
いつも「湖の本」を御恵贈いただき、ありがとうございます。
たまたま調査で宮崎の山奥へいくことが度々あり、その途中に牧水の旧家があります。久しぶりに歌にふれ、風景と共に思い出した次第です。
遅れましたが お孫さんのお話、胸にせまりました。
いつも本当にありがとうございます。

☆ お元気ですか、風。

源氏研究をお読みになったり、お芝居をごらんになったり、すこしは楽しみにお時間を使えているようすですね。
疲れがどっと出て、体調を崩しておられないかと心配しています。
花は最近夜の睡眠時間が減ってしまい、午睡で補っています。午睡は、夜の睡眠より効果的だとききました。寝すぎないよう、うまくバランスをとり、頭すっきり過ごしたいです。
十月末の一週間は、地元図書館が毎年図書整理で休館してしまうので、さっき行って、いろいろ借りてきました。
出かけてみると結構暖かく、ショッピングモールに寄って帰ってきましたが、汗ばむほどでした。
秋冬の洋服が売りに出ているけれど、食指が動きません。
来月の二十一日に、弟の結婚相手の家族と東京で食事会があるのですが、上に何を羽織っていこうか、考え中です。真冬のコートはまだ早そうですし、かといって何も羽織らないと寒そう。
春秋用のフォーマルっぽい羽織ものは持っていないので、新調しないとならないかなあ、と思案中です。
さてさて、こちらはすっきりしないお天気です。明日は晴れると聞いていますが。

* 白菊の夕影ふくみそめしかな   万太郎

* 風邪ぎみか。からだをやすめる。
2010 10・22 109

☆ 鵜沼に遊んできました。  湖雀
雪舟から等伯までのあいだに興味をもっていることと、万里集九が近江国安曇郡の速水氏と知ったこと、雀の実家近くを歩いていたと知ったことから、鵜沼を半日歩き回りました。
地元のおばあちゃま、おじいちゃまたちのおかげさまで有益な旅ができ、おいしい新そばとお惣菜にもありつけました。ほくほくの帰り路です。
颱風はなんともなくて雨粒ひとつ受けませんでした。
来週は堺を訪ねる予定です。
利休関連で一度訪れてはおりますが、法華宗、一向宗、油屋、日通、三好氏、尾和宗臨などなど‥さていかがあいなりまするや。

* 万里集九や近江の安曇川はともかくも、鵜沼は岐阜県各務原市、木曽川上流の北岸。「鵜沼を半日歩き回」るモチーフがもはやわたしには掴めない。雀の活躍がまた始まるか。

☆ お元気ですか、風。
内政も外交も、問題が山積みなのは、日本だけではないですね。
世界って、こんなにも問題だらけだったのかあ、と、頭を抱えます。
近隣の国々、遠い国々、それぞれと交渉してきた先人たちのことを想います。
中国に対し「日出づる処の天子」と大きく出た聖徳太子みたいな人が、今いたらなあ、と、思います。
先日、英会話の授業中、「ポルトガルからオランダに貿易国を変更したのは、賢かったね」と、先生(オランダ人)に言われました。
「キリスト教の布教と政治的軍事的支配はセットだよ。日本があのままポルトガルと交易していたら、ラテン・アメリカみたいに蹂躙されて、今、あなたは存在していなかったかもね」と。
花は、風の『親指のマリア』をしみじみ思い出しました。
つまるところ、人、ですね。人材。
これまで、窮地の日本には、人がいたなあ、と思います。
今日はファンヒーターを出しました。
ソファに敷くホットマットも。これを花は「魔法の絨毯」と呼んでいます。眠気を誘うから。
風邪を引かないで、花は元気。風、お元気ですか。

* 明治はまこと大時代であった、あのときに小泉・安倍だの麻生・鳩山だの菅だのしかいなかったら、日本のかかえた世界的不平等条約は今日にまでも拡大され固定化して、四分五裂の隷属国になっていたかもしれぬ。
明治政府は苛斂誅求の稀に見る圧制の悪政も恣にしたけれど、わるい政治家にも大物がいて、国家的な危機を捌きながら、富国強兵の道を剛直に切り開く欲の強さを持っていた。必ずしも国民は幸福でなかったが、外国の奴隷化に甘んじる不幸からは救われた。ときにそれにわたしは感謝もする。
蹂躙されたというラテンアメリカに土着の文化が無かったのではない。しかし、日本の文化とは質がちがっていた。日本人は相当早くから「神仏の神秘的な力を日常生活のレベルで見限って」いた。つまり都合のいい建前の信心・信仰を祭り持ち、たとえ神風は口にしても、四季自然の連鎖を体感できていた大勢は、颱風の季節をよく知っていたことも、ロシア人が冬将軍を見方にナポレオンを撃退したのと同様であった。
日本の文化の基盤には、幸いにも近世ヨーロッパと同じく、かなり質のいい「文」の文化が、随分末端では矮小化され歪形化されていても、ヒューマニズムふうの人間利己主義を育て活かしていたから、いかに神懸かりで西欧のキリスト教と軍事力とが襲ってきても、それを素早く学んで逆用しながら、欲に絡め絡め国の破滅を回避する「我意の強さ」をうまく育んだ、指導者層が我と我が身内に育んでいたのである。
ま、まだ勝たなくてもしようがない、が、負けず潰されない道をさぐることでは、独活の大木の中国よりも日本の明治政治家達は賢明であり、いまとなればそれが聡明に光ってさえ見えるのである。

* ポルトガルもイスパニアも、西欧では神懸かりに自らのしかかることで実は自滅していった。イギリスはオランダと並んで現実的に慾の深さに心性の価値と産出力とを信じていた。ま、儲かる間は儲けて日本を利用したかっただけで、悪辣なことではイギリス近代のの帝国主義がじつによく示している。フランスもドイツも跡を追って狂奔した。中国やインドやアフリカを彼らが蚕食している隙間に明治政府はその手口を必至で学習してきた、そのおかげで窮地を助かったとみていい。

* 今日は、卒業生ママの「mixi」日記を読む。お子さん達が生き生き育って行くのが目に見え、嬉しくなる。
2010 10・30 109

* きのう、ふと千葉のe-OLD勝田さんにメールしたことから、今日パタパタと十一月十日の行楽がきまり、川崎の同じく玉井さんも参加される。向島の百花園が候補にあがっている。

* さて、明日も。
2010 11・2 110

☆ 向島への行楽ですか、楽しそうですね。
好天に恵まれるといいですね!
バーブラ(・ストライサンド)は、「追憶」という映画に感動しました。あれはもう一度観てみたいです。
三遊亭圓生が名人だとは、聞いたことがありますが、実際の落語を見たことも、音声だけで聴いたこともないのです。
講談が割と好きで、テレビでやっているのを観ることがあります。
以前よく、「広沢虎造の名調子ボックスセット」なんていうのが、テレビショッピングで売られていましたが、ああいうのは聴いてみたいと思います。清水の次郎長、俵星玄蕃、赤垣源蔵などのストーリーが好きなんだと思います。  花

* こりゃ驚いた。講談というより、虎造なんて、そりゃ浪曲でしょうが。意外や意外。
ラジオ時代には仕方なく浪曲も講釈もたくさん聴いたけれど。表現が一辺倒で、「藝」として受け取れる「ことばの魅力」が無かった、人情に流れてシマリがなかったし、ノンセンスに堪えぬく藝の深みが無かった。
名人級の落語には、ノンセンスにはノンセンスの美と諧調があり、磨き抜いた話藝の多彩な輝きがある。数え切れない名品があった。いまは寂しくなった。
2010 11・3 110

☆ 鴉へ   鳶
久しぶりのメールです。HPを読み、いろいろな思いをもちました。
アメリカ東海岸への往復では時差ぼけに苦しむのが常でしたが、今回は何故か、現地時間にもそのまま順応して、日本に戻ってもすぐに慣れました。不思議でした。もっとも体は正直で疲労は肌に敏感に現れましたが。
それにしても関西から東海岸へのフライトは直行便がなく不便です。(今回は伊丹から羽田、成田からシカゴ、シカゴからプロビデンスと乗り継ぎました。)
ニューイングランドで一生分の紅葉を見てしまったと思ったのは随分昔の話でしたが、再び紅葉を楽しみました。
今回はマサチュセっチュ州の南にある、アメリカで最も小さな州ロードアイランドへ所用の旅でした。ボストンやケープコッドにもそれぞれ僅か一日でしたが出かけました。センチメンタル・ワンデー・トリップです。
その時の一つの思い

十月の

明るい光の中の紅葉
懐かしいクーリッジ・コーナー
馴染みだった中華料理店は跡形なく
フォーチュン・クッキー とろとろ湿気を吸って崩れ
椅子の張替えするおじさんの店も消え
ほつれた糸屑ぽろぽろの一すじ二すじもない
友人ミトラの住まいの窓は暗く
汚れた表札に文字はない
あなたたちに通う路は失われていた
・・無傷のものなどあり得ない
ぎしぎし曲がり ぎしぎし歩いた

日本に戻れば 再びさまざまな現実。
中国やロシアや・・北方領土の問題も何十年も抱えながら、さて日本国民は深刻に受け止めてきたかといえば必ずしもそうではなかったと。
熊や鹿などの出没する状況をテレビで報道していますが、身近にもあるのです。
一昨日夜九時過ぎに姫新線の電車に乗ったのですが、鈍い衝突音がしたら、それは何と鹿が衝突したのでした。
以前我が家の車に鹿が衝突して鹿は死に車もかなり壊れたことがありました。
猪の被害も深刻です。
東京の市街地に住んでいたら経験しないようなことが多々あります。
いろいろと、将来の転換点に差し掛かりつつあると感じる今日この頃です。
私事ばかり書き連ねましたがお許しください。近況報告です。
そろそろ冷えを感じます。どうぞくれぐれも大切に、風邪など引きませんように。

* なんとなく、ああそうか、そうなんだと思いつつ読んだメール。

☆ 久間十義です!
秦恒平さま
ご無沙汰を致しております。
いつも「湖の本」をご恵送いただき、ありがとうございます。
今日、105の『秦恒平が「文学」を文学を読む(下)』を有難く落手いたしました。
ところで、去年の暮れあたりから、昔の日活青春映画と韓流ドラマに凝りだし、ついに病膏肓に達して、Youtubeと連動させた〝60年代青春歌謡映画覚え書き〟のようなものを作ってみました。
酔狂ですが、一生懸命書いたつもりです。
冒頭に、覚え書きをつくるにいたった理由を述べてあります。
ご笑覧くだされば、有難く存じます。
ps: 現在、私は元気で、ただ怠け心と闘いながら暮らしております。

* ペンの言論表現委員会でながいあいだ同僚委員をつとめていた仲間で、若い三島賞作家。「ペン電子文藝館」に長編小説を寄稿して貰い、作に惚れ込んで全編を一気に掲載した懐かしい思い出もある。委員会が果てると帰りが途中まで一緒になることがあり、よく話しながら帰った。ルポルタージュ風の面白い読み物をこれまでに沢山もらって、みな読んできた。筆力のある人で、この「私語」でもときどき名前を書いてきた。
さて、この頂いた作を、とにかくも機械で文字だけは再現できるところまで処理したが、たくさんなURLサイトが開けるかどうか、試行錯誤の最中です。メールで話せるらしいのが心強い。嬉しい。

* 思いがけない人が第一番に「湖の本」下巻到着の声を届けてくれた。ピリッとした。
2010 11・4 110

☆ 熱中症のこと
湖 様   丸山君の結婚式でお会いした秦先生! と思い出すまでしばらくかかってしまいました。失礼しました。
今年は本当に暑かったです。ですから歳のせいではないのですと思いたいですが、実は3週間前、今度は峠の登りで生まれて初めてギックリ腰をやりました。
ギックリ腰までシンクロすることはないよう、ぜひお気をつけてください。  「mixi」

* 「mixi」の中で、東工大の卒業生と思しき人が日記に「熱中症」にやられた事を書いていたので、思わずメッセージしていたのへ返信である。こういうふうに出会えると「mixi」も楽しい。
「ギックリ腰」は何度かやっているが、今ではほぼ慢性化した腰の痛みとの付き合い方に、ああかこうかと智慧を絞っています。
ちょっと自慢ですら有ったほど雄大だった尻も太ももも膝下も肉が落ちて細々としてきているのが、頼りない。そのわりに上半身が細まらないので、不格好の度は飛躍拡大。誰に怒るワケにも行かない。
2010 11・4 110

* 重森ゲーテを「しのぶ会」の案内が来た、なんという悲しいことだ。
いま、ふと思い浮かぶ人の名は殆どが故人。あっちの方がよほどもよほども知人が多い。是が老いというもの。
「しのぶ会」に出たことは何度もあるが、なんとももどかしく悲しくやりきれなくて、もう久しく、みな失礼している。自分の知らなかった故人の像を思いに加える有意義がなかなか掴めない、故人への愛を攪拌し分散されてしまう歎きの方が濃くなってしまう。つまらない。死なれてしまえば、もはや重森はわたし一人の重森である。思い出はわたしが抱いていて、人に分かってみても、人から分かち与えられても、もう、どうにもならない。
2010 11・5 110

☆ お元気ですか。

秋らしい秋もないまま、もう十一月になってしまいました。お元気ですか、みづうみ。

こちらの病人は元気とはほど遠いものの、少しずつ回復しています。現代医学の力はたいしたものです。大好きなお菓子まで食べられるくらいになりました。
みづうみは以前、無責任なドクターに心臓でおどされたようですが、あれはあの時の医療レベルの話で、今なら状況は劇的に改善されているはずです。何しろ認知症も治るという番組が放送されていたくらい。
生活の質を保つ医療はみづうみの年代の方には必須のものです。もう二年近い腹痛の放置は怠慢ですよ。治療すれば治るのですし、悪化すると生活の質が最悪になることだってあるのですから、一日も早く、せめて年内には受診なさいますように。病院へついていって、みづうみの代わりにドクターに症状の説明をしたいくらいです。

この冬、新型インフルエンザの流行がないことを祈ります。湖の本の下巻も楽しみにしています。 懸巣

* 体調の違和には確かに時折見舞われて閉口するけれど、おおかたは要するに老いの鍛錬不足による体力低下だろうと観念している。自転車を軽く恐怖し始めたのが響いて、運動で筋骨を鍛えることを決定的に欠いている。からだが、実に硬い。散髪してくれる働き盛りの人が、どうしてこんなに硬いかといつも惘れるほど、肩や背に屈野の指がかからない。その硬いままに固まって、痛む。寝床に仰向けになって数分というもの、全身の呻く苦痛は凄い。数分でからだが夜具に馴染む。寝床から起つのに苦労するので、そばに、秦の父の使っていた杖を置いて、その力を借りて起き上がっている。爺むさいことだが、或る程度自然な成り行きと、驚いていない。だいじなのは精神がシャンとしていることだと、つまり、やせ我慢を張っているが、言い替えれば怠けている。
2010 11・5 110

☆ 御礼
秦恒平先生   ご無沙汰しています。
気がつけば今年も残すところひと月となってしまいましたが、お元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。
さて。
この度は『湖の本105 秦恒平が「文学」を読む 下』をご恵贈くださいまして誠にありがとうございます。
心よりお礼申し上げます。
未だ全然拝読しておりませんが、 沼正三の名を目次に見て、違和感と同時に「秦先生が沼正三をどのように批評するのか」と、いささかスリリングな思いに駆られました。
わたしのほうは目下の出版不況で、昔のような我がままな活動も出来ず、また幻想怪奇の世界も、すっかり心霊や虐待といったテレビのような話に浸食されて閉口しております。
そこで、まずは口を糊することに専念して、名前を変えて時代活劇を書いています。純粋に生活費稼ぎにはじめたのですが、皮肉なことに、こっちのほうが売れて大いにクサっております。
まあ、売れてクサることもないので、しばらくは活劇で子どもの学費を稼ごうと思います。
これから、いよいよ寒さが増してまいります。
どうぞ、風邪など召されませんようご自愛ください。
まずはお礼のみにて失礼いたします。    作家

☆ 風 お元気ですか。
十一月、顔見世ですね。うらやましいな。
短い秋でしょうから、いろいろお出かけになれるといいですね。
花も、この週末は、静岡まで開催中のラーメンフェスへ行ってみようと考えています。
ラーメン大好き。
そうそう、久間十義さんの日活映画と歌謡曲についてのテキストのこと。
あのあたりの固有名詞は、花はだいたいわかります。
経済成長などのぞめないほど肥大し飽和した現在の我が国で、高度経済成長期を懐かしむ風潮はあちこちでありますね。
物はなくとも幸せだったであろう時代。さらに豊かな暮らしへの展望のあった時代。
けれど、物質的に豊かな暮らしを得てゆく傍ら、失うもののあることに、1970年代の日本は気付いていました。当時のはやり歌を聴けばわかります。
さてさて。今の日本は、物質の豊かさが人心の幸せと直結するわけではないことを、身に沁みて分っています。
だからかつてのような上昇志向が、鳴りを潜めているのかなあと思います。
中国や韓国が、ちょうど今、日本のかつての高度経済成長期に似ていますね。経済成長に明るい未来を見ているという意味でも。
それぞれの国ごとに、内容やタイプはかなり異なりますが。

* 1969年に作家になり、1974年に二足のわらじをぬいで筆の一本立ちを果たしたわたしは、まさしく70年代の申し子のように幸運に原稿依頼を身に浴び、単行本を出しに出し続けられた。「花」さんの理解は幸か不幸か当たっていて、そして今の日本は精神も貧しい。
尖閣の海での中国擬装漁船の故意のツッコミ体当たり写真が、いわば情け無い国家機密の漏洩で国内外に広げられてしまい、閣議の菅総理の鬱陶しい顔は情けない限り。弱体国家そのものが「政局」にされていて、補正予算も足踏みするだろう。たとえ菅が投げ出してもだれが替われるか。下野して野党が自民でまたは連合で組閣してみても民主党の衆議院制覇の前では混乱は蔽いがたい。解散して選挙すれば民主党は虎の子の衆議院で今度は負けは必至。「日本」という国の舵をせめて「政局」のもてあそびにさせないためには、「大連合」の安定を待つ国民の声が沸くかも知れない。
なににしても今の菅総理には活気がない。向意気がない。沈着でもない。中日ドラゴンズの落合監督のようにベンチに鎮座して表情も動かさず指揮するああいう内閣の落ち着きが無い。ドサ回りの小芝居の座長ほども一喝が効かない総理では、国民もワッと沸きようがない。
2010 11・5 110

* 折口信夫の愛息春洋さんの戦死されたのは「硫黄島」であった。新刊の論攷で、「アッツ島」としたのは間違いで。折口先生の教え子である大久保房男さんに訂正して頂いた。感謝してお詫びします。ついでながらこの巻頭論攷「塩屋連鯯魚(しほやのむらじ・このしろ)──折口信夫=釈迢空」は、折口先生を知って頂く一つの入り口かと思う。読んで下さる方の多いのを願っている。

* 島尾伸三さんや市尾卓さんらからも手紙が届きはじめた。

* 各大学研究室、図書館また山梨文学館当の施設からも寄贈への挨拶が届きはじめ、読者からの送金も。感謝します。読者へは少しずつ送り出している。

☆ 秦 恒平様 拝受しました。  妻の従弟
『秦恒平が「文学」を読む 下』を昨日拝受しました。有難うございます。
小林秀雄に魅かれるのは、凡庸な読み手としてはその文章のリズムが与って力となっていると思っていましたが、
「その模索されつつある次の思想的概念的展開以上に、その以前の美しい表現に籠められている一種の呪術的な文章そのものの内面的なちから、内から膨れ上がって来て自ずと物の輪郭を極めて行くような凄みのあるちから、にこそ、真に「小林秀雄」の魅力が秘蔵されているらしいということだ。」という文章に触れ、深く首肯するところです。11/06/2010 拝

* わたしとも同年代。オッ、ここにも小林秀雄の愛読者がいたかと嬉しく。

☆ 本届きました。  泉
これだけのお仕事をこなせる気力体力に敬服。
小春日和の昨日、所用で娘と本駒込に出掛け、その脚で不忍通りを上野まで歩こうと娘の案内で歩き始めましたが、20分ばかりしてバスが反対方向に走っているのに気付き方向転換。珍しく娘の勘違い。
間違った分娘は帰宅時間を急ぐので、丁度来あわせた満員の都バスに飛び乗り、こんなルートを辿るのかと面白がり乍ら上野御徒町へ。
別れてからやはり東博本館へ脚が向きましたが、目当てのバーチャルリアリティコンテンツ「国宝聖徳太子絵伝」が満席で残念、出直したい。何度か他の作品を観ましたが、30分程の上映は休憩も兼ねて楽しめます。
因みにお散歩数は15000歩でした。

* この人も一つ若い元気なe-OLD。健脚ぶりは、十日に会う予定の玉井研一さんなみである。いつも娘さんと仲よく出歩いているようで、羨ましい。

☆ re:
向島百花園はこの春お墓参りの折りに遠回りをして車で通過しましたがまだ一度も入っていません。願望の場所ですが遠方のせいかチャンスに恵まれません。残念乍ら萩の花はもう終わりましたね。
父が新聞広告を見て泉涌寺の悲田院を終の住処と決めたのは眼下の絶景、此処なら皆が会いに来て呉れるから、それにお前の高校の傍だったからと。来月会いに行きます。
悲田院の歴史、興味大です。今「差別と日本人」を関心深く読んでいます。 今から少し歩いてきます。
2010 11・6 110

* 画家の松尾敏男さん、作家の澤地久枝さん、批評の高田欣一さん、青山学院大学のS教授、その他各地の大学から来信。

☆ 「ありがとうございます、静かな美しいご本ですね。長谷川泉さんを知りません、しかし、中野(重治)さんの『歌』にちなむ挿話、意外でした。『失笑』した若ものたちは、 今は詩の意味を理解しているのでは。いや、わかってほしいです。お礼にかえて──」と、澤地さん。「あれだけの著作を次々とお書きになる力強さと努力に本当に感心しております。今回の御本も楽しく読ませて頂いております。今年は冬も早いようですが、之から更に寒くなってまいります。呉々も御自愛の程祈り上げております。」と松尾さん。「比較的距離を置いた作家についてのご文に見るべきものが多く、特に『小林秀雄──「歴史」は「美しい」』の、「無常といふ事」へのご言及は、私とは全く違った立場からの御批評ですが、とても参考になりました。又巻末の阿部昭氏へのお言葉、私は好きな作家だったのですが、おもしろく読ませていただきました。気になること、二、三。芥川龍之介についてですが、少し点がからいように思います。(中略)太宰治にもそれがいえます。ただ近代ではこういう作家は必ず挫折します。(後略)」と高田さん。

☆ 湖へ  珠です。
こんにちは。
昨日「湖の本」、有難く頂戴しました。
‘秦恒平「文学」を読む ’上巻は、著名な方々の遺された作品を通して、今まさに此処に生きていらっしゃるかのように感じながら読みました。多くの方々と交わされた糸の、何と鮮やかな色でしょう。
下巻も愉しみ、ワクワクしています。
また、昨日は頂戴した券で国立近代美術館工藝館の「茶事をめぐって」にも行かせて頂きました。
思いがけず存じあげている方の作品もあり、その取り合わせに新しい可能性をみることができました。
最近、数寄の茶事をされる方が増えたようでしたが、作る方々もよく勉強されているようです。使う人と、作る人。使われてこそ生きる道具に違いなく、こちらも勉強しなければと。
作る方のなかで力強く引っ張ってらっしゃるのは、やはり楽(=当代・吉左衛門)さんと思いました。あのみなぎる力ある器をこの手に、一服さしあげたいと願ってきました。お陰で、開炉の気持ちあらたまるよい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
ここ数年、この季節は咳のきつい日々があったように思います。
乾いた空気は咽喉によくないので、湿度にはくれぐれもお気をつけ下さい。
冷えてきました。湖。どうぞお大事に。   珠

* 東京での知人で、茶の湯に執心出精の人と感じているほぼ唯一の人。こういう人に、少しずつでも事実上死蔵している茶道具を差し上げて置きたいと、このところよく思っていた。だが、出会ったことも実は無い人である。まずは出会って手渡さないと、荷造りして送るというマネがウカツに出来ない。
2010 11・8・110

☆ 下巻
土曜に届いています。ありがとうございます。
お礼が遅くなってごめんなさい。
明日、代金を振り込みします。
風、お元気ですか。
上巻、読み終えました。
いろんなこと考え考えさせられ、じっくり読みました。
齋藤茂吉の章、強く印象に残りました。
「無言が美徳」の谷崎言も。
花は、英語を勉強していますが、英語は確かにツールとして比較的習得の容易な言語に感じられ(なかなか習得できませんが)、世界各地で重宝されるのがわかります。
言語は概念を表す記号ですが、文化によって表現方法に差異のあるのは、考え方の違いを絶妙に包含していることの表れだと思います。
英語が共通語として広まることは、もともとの英語圏の概念や思想が広まることであり、英語学習者自らによる植民地化と言っても過言ではないのでしょうか。
和歌や連歌のように、教養としてため込んだ先人の仕事を、即興アレンジで一部自身の感情を乗せ流露していくような日本の行き方は、とても高度で洗練されているけれど、個人主義とは真逆なもので、日本に「私」の根付きにくい原因について考えさせられました。
日本の風土に根付いたものと、舶来の思想と、どちらがどういいのか。
日本人ならではの個人主義というものがあるのかどうか。
花は、もっと英語を学び、ここぞというとき、日本人の美徳を外国人に主張できるようになりたいです。
それには、日本についてもっと学ばねばなりません。
外国語を学ぶことは、別のアングルから日本を学ぶことですね。
ではでは。明日はお出かけですね。お気をつけて。
花は元気よく過ごしています。

* 郵便やいろんなメールのことは、みな、明日以降に。明日の午后には、百花園に。
2010 11・9 110

* 夜前は、歌舞伎界の便利帳のような本を買ってきたのを、読み耽っていた。夜中の読書は血糖値を下げるのか、三時頃ふと違和を覚え計ってみると、67。調整して、寝た。

☆ 吉備ひと
湖の本105号をお届けいただき有り難う存じます。
最初に「長谷川泉 毅い弓」「硬玉 長谷川泉先生」を読みました。
残りもゆっくり味わいながら読ませていただきます。
お腹の調子がよくないとのことですがお大事になさってください。お大事にと言いながら矛盾するようですが鮒寿司を少しお届けしようと思います。召し上がっていただければ嬉しいのですが。

* 有難う存じます。 湖

* むかし中央公論の、粕谷一稀さん、むかし新潮の、小島喜久江さん、いま笠間書院の、重光徹さん、歴史学者の小和田哲男さん、作家の小沢正義さん、神戸大学の馬場俊明さん、エッセイストの榊弘子さん、そして諸大学、順不同ながら、昨日、ありがたいお手紙などいただいていた。「機会があったら閑談致しましょう」と粕谷さん、「幅広い御関心の御成果に瞠目致します」と小島さん。「何より読むのが愉しい『批評』です」と重光さん。
榊さん、多年秘蔵の雑誌を七十数冊差し上げたいというお便りもあり、お気持ち、頂戴することに。

* 劇団昴の例の歳末の案内、参与として関わってきた芸術至上主義文芸学会の案内、銕仙会の「清雪忌」へのご招待なども。
わたしの掌説「鯛」を朗読しますと、朗読フェスティバルの岸野さんから案内も。
賑々しい昨日であった。
2010 11・10 110

* 今日は、千葉と川崎のお二人のe-OLDを誘い、向島の百花園に行ってみる。
送ってよい先へはもう九割九分、新刊の湖の本発送した。次の仕事へ切り換わって行きたい。

* 日暮里駅で途中下車し、上の売店で「玉ゐ」のあなご寿司の小さいのを三人前、「老稚園」の遠足用に買って、鶯谷駅へ。一時半、勝田さん、玉井さんと出会い、すぐタクシーで向島百花園へ直行した。
秋色の百花園は花々しくはなかったけれど翠と紅葉と池の水色に映えあって、真澄の空あくまで明るく、気持ちよかった。
まえに妻と来た春過ぎの園より、紅葉をふくんで爽やかな百花園、お二人にはどうであったやら、わたしはいと満足。自然に造られた亭に腰掛け、弁当のあなご寿司を食べた。写真も撮った。あれが、これが、どれがと選んで佳いのではない、秋色のシンフォニイがこころよい音色を流していた。たしかにもう一月も早ければ萩のトンネルなど美事であったろうが、花過ぎた萩の葉のうるんだ翠はまだ十分艶やかで。

 

向島百花園の秋色

園からそう遠くない白髯神社、壽老人に参拝してきた。三人の後期高齢者にぴたりの神詣で。
そして長命寺うらの桜餅の店へ車で。一人に一つの桜餅とお茶で、ゆっくり歓談。
店を出るともう夕方、黄昏ここちの隅田川、桜橋を三人でゆっくり渡った。真っ赤な遠い夕雲、みなぎる隅田の流れ、びっくりするほどまぢかにいよいよそそり立って大きなスカイツリー。櫻橋の風情は、隅田川のいろいろの橋の中でも出色の現代美。お天気に恵まれ気温もさほど低くはならなくて、最良。

 

隅田川桜橋からの夕焼け

そしてタクシーで上野駅までお二人を送って、遠足はおしまいに。勝田さんは一時間半も掛けて千葉へ。玉井さんは川崎市へ。もうとっぷり暮れていた。

* 上野の街をしばらく歩いて。御徒町から帰路につく。網野善彦『中世の非人と遊女』、そして自著の下巻を読み読みする内に、うかと豊島園まで乗り逸れて、帰りが三十分ほど遅くなった。
清々しくお天気に恵まれて「秋」半日の行楽は穏やかに終えた。
留守の内に、岡山の有元毅さんお心づくしの「鮒寿司」を頂戴していた。有り難し。
2010 11・10 110

* ぐっすり寝た。朝方、冷えていた。

☆ いいもんだな、遠足は。  千葉e-OLD
秦さんへ
桜(=子福櫻)も咲いていた百花園・あなご寿司弁当・白髯神社とさわやかな(道案内してくれた=) お兄さん・長命寺の桜餅・桜橋の見事な夕焼け・・お二人に逢えて「ふるさと」にも逢 えたようでとてもうれしかったです。
かえりの総武線でもずっと(あの、三橋三智也の=)「いいもんだな故郷は」のフレースが頭の中で鳴っていました。こうゆう「遠足」があればまた元気を出してやってゆけそうです。ほんとうにありがとうございました。

* 天気天恵
またまた歩かせまして、気の利かないことでした。
お天気に恵まれ、百花園の清適まことに愉しく存じました。お元気にお見受けしたのも嬉しい出会い、ますますお大切になさって、お元気にまた老稚園の遠足を楽しみましょう、なにはともあれ向寒の時季。上手に乗り切り、鬼が笑いますが春遠からじの時節まで冬場を日々益々ご健勝にと願います、お互いさまに。 秦 恒平

* 苦しい病牀から堤さん、手紙を呉れた。病状は波のように差し引きしているようだ。手紙の字はしっかり書いていて嬉しいが、辛いときは辛いのであろうと案じられる。平安、平安、平安の快方を心より祈る。
2011 11・11 110

☆ 秦 恒平様
暑い夏でした。そして急に寒くなり、もう年末が見えてきました。お変わりなく お過ごしのことと拝察します。
『湖の本』 三月に102巻を、そして以後今月の105巻まで、毎回ご恵与いただきながら、御礼を失礼してしまいました。お許しください。
底力、と申すべきか、地下のマグマの噴出のようなお仕事ぶりに、ただただ感嘆するばかりです。そんなマグマが地表に出、見る見る凝固して天然記念物になって行く、そういう瞬間に立ちあっている気分です。
最新刊におさめられた 長谷川泉氏に関する二篇、感慨無しには読めませんでした。長谷川さんには、本当にお世話になりながら、何のご恩返しもできずに終った、その心の痛みもあります。
当方、なんとか細々と生きています。娘の旦那が、***ワシントン支局の記者をしているので、家内は、七月から二ヶ月ばかり彼ら一家のところに行っていました。 私は居残って、相変らずの、読んだり書いたりの毎日でした。 今、並行して三種類ほどの著作に取り組んでいます。
とは言え、実は最近は、読み書きよりも、銅版画作りの方に のめりこんでいます。通っているのは藤沢市にある版画工房ですが、お遊びで、工房仲間の雑誌を編んだりしています。最近第2号を出したので、近況報告のつもりで、同封しました。「文章は苦手」という集団の落書き帖ですから、文学の香りはしませんが、ご一瞥いただければ嬉しいです。
では今日はこれにて。ご自愛ください。 2010年11月11日  粂川光樹

* フェリスや明治大学の教授をながく勤め上げた旧友、医学書院で、編集長の長谷川泉さんの同期の部下同士であった。氏の夫人も、同僚の先輩だった。つまり、永いといえば東京へ出てきて以来の、こちらでは最も永い期間の知己である。
もうひとり、新婚のアパートで隣室同士だった、画家の木下あづささんも久しいわが家の友で。やはり湖の本を支えていて下さる。

* 一茶研究の泰斗である黄色教授や、歌人の持田鋼一郎さんからも手紙を頂戴していた。

* 川崎のe-OLDさんから、「投稿」のメール。

☆ 向島百花園へ初めて行きました。男三人が集まる「鶯谷駅」へ午後一時半にやっと間に会ったが、皆さんは十分前には来ておられたと緊張しました。

鴬谷から言問橋を通り歩けば三十分ぐらいかと思ったが車で百花園へ行く。園内へ入る。
花、青い空の中をそぞろに歩く。僕は数年ぶりに会った元気なAさん、Bさんの姿をさがしながら後を追う。
東屋がある。ここで小休止である。
Aさんが三人分の弁当を用意していたのにはありがたく、恐縮と気配りにふと紺碧の空の雲を仰いだ。
色々と秋の花を見ていると池のほとりの櫻の木と会う。枝に「札」が下がっており読むと『子福さくら』と書いてある。いい名前の桜、「幹に白 小さく咲くや明日も秋」、・・・と句が浮かんだ。
百花園を出る。青年に道を尋ね「白鬚神社」へ行く。
白鬚神社は、天暦5年(951)に慈恵大師が関東下向時に、白鬚大明神の御分霊を当地に祀ったと伝えられています。天正19年(1592)には、時の将軍家より神領2石を寄進されました。隅田川七福神の寿老神としても親しまれていると説明がある。
Aさんが「櫻餅」の美味しい店へ案内してくれました。美味しい。一ついただく。 この店は隅田川のほとりであり店を出る頃は夕焼けが川面に映るなかなかの秋の音を奏でておりました。
この日の一日をBさんは書いた。無断引用でありますがご容赦下さる。
『桜も咲いていた百花園・あなご寿司弁当・白髯神社とさわやかなお兄さん・長命寺の桜餅・桜橋の見事な夕焼け・・お二人に逢えて「ふるさと」にも逢えたようでとてもうれしかったです。かえりの総武線でもずっと「いいもんだな故郷は」のフレースが頭の中で鳴っていました。こうゆう「遠足」があればまた元気を出してやってゆけそうです』。
Bさんの生まれた江戸を車で通ったのです。ふるさとはとおくにありて思うもの、・・・。

遠足の 言葉豊や七十青春   良久 tamae

* 写真も何枚も電送して下さった。

* ま、こんなふうに喜んでもらえれば、お誘い甲斐がありました。益々、お元気で。
新しいお連れさんが出来るようなら、それも愉しい。
何といってもわたしは東京は不案内な方で、それで新鮮にどこへ行っても面白く。ことに歌舞伎の縁で、隅田川の向こうの三囲社や長命寺も、その向島から眺める浅草待乳山も、なにやら懐かしい。白浪五人男の渡りぜりふで有名な「稲瀬川」というのが実は隅田川のことと聞いたのも面白い。
だが、そろそろ、怒られそうだ、おまえは小説は書かないのかアと。ハハハ
2010 11・12 110

☆ 安心しました。 吉備人
お届けしたもの(=鮒寿司)が召し上がれたと分かり、安心しました。 12月下旬にはお酒をと思っています。
「私語の刻」の中国論、まったく同感です。メディア,国会議員,テレビ出演者たちがもっと冷静にものを言ってくれたらいいのにと願っているのですが。

* 御礼を申し上げる前にメールを頂戴し恐縮しています。「私語」に美味をたたえただけで、つい、鮒寿司というと、壬申の乱の昔、弘文妃の十市皇女が吉野にある父大海人皇子に、鮒の腹に危急を告げる密書を入れて送った話が思い出され、小説『秘色』にも書いたその挿話が思い出されるまま、なにとなく上代の余韻を楽しんでいた。ズボラに御礼言上の遅れたのをお詫び申します。実に美味しかったのです。感謝申し上げます。

* 中国に関しては、ただの放言と思ってはいない。同感して下さる人の有るのも頼もしい。日中文化交流協会の友人からも、苦しげに述懐する手紙が届いていた。
2010 11・15 110

* 今日もまた久しい知己・知人二人の訃を告げられた。みな八十半ば九十ちかいのであるが、そんなことは関わりなく、悲しいし寂しい。悲しく寂しいであろう遺族やまぢかな人達のことも想われて、切ない。
2010 11・15 110

☆ 感謝   堀
秦恒平さま  いつも「湖の本」をありがとうございます。
今回はまた「文学を読む」上下をご恵贈頂きまして恐縮しております。
精力的なお仕事 ただただ敬服するばかりです。どうぞ健康にご留意ください。
2010 11・16 110

☆ 秋を通り越して   俳人
寒気の時季に入ったような今日この頃 ますますの御活躍 めでたく申上げます
湖の本毎回楽しく学ばせて頂いております いま「ご無礼 上村占魚さん」を読みなつかしくなりました 彼の『吟行歳時記』愛用していますので。

* 俳優座の川口敦子さんからも、礼の手紙。巡業中らしい。そういえば、作・演出・主演の芝居を観てもらい感謝しますと、やはり俳優座の女優美苗さんからも。
2010 11・17 110

☆ 「湖の本105」を   元「新潮」編集長
御恵贈下さいまして誠に有難うございました。いつものように「私語の刻」から拝読を始めましたが、親しくおつき合いなさった瀧井先生、小林先生、川端先生、山本先生などの「読み」を読み進めながら、教えられるところが数々あり、深謝申上げたく存じています。私は担当する機会がなかったのですが、常々畏敬していた唐木順三先生への「読み」は殊に出色で、「唐木先生への宿題」は作家の追悼文中最高の出来映えの一篇と感嘆致しました。
これだけの財産をお持ちですから、どうぞ呉々も御体調に留意され、マイペースの御健筆をお祈り致して止みません。敬具

* 『秦恒平が「文学」を読む』上下巻は、上巻の「一」に、森鷗外、尾崎紅葉、正岡子規、夏目漱石、田山花袋、樋口一葉、中島俊子、泉鏡花、永井荷風、齋藤茂吉、志賀直哉、北原白秋、若山牧水の十六篇を。「二」に、谷崎潤一郎、谷崎松子の十九篇を。そして下巻「三」には、折口信夫、芥川龍之介、瀧井孝作、芹沢光治良、中村光夫、川端康成、小林秀雄、唐木順三、山本健吉、井上靖、宮川寅雄、太宰治、齋藤史、長谷川泉、水上勉、上村占魚、辻邦生、梅原猛、沼正三、立原正秋、馬場あき子、阿部昭の四十篇を収めた。
下巻の跋にもいうように、みな「書く」機会があって書いたのであり、他に、書く機会には恵まれなかったけれど、もっともっと心親しく懐かしく敬愛する大勢の先輩・同輩の書き手が大勢おられた。福田恆存先生、永井龍男先生、円地文子先生、臼井吉見先生などと思う起こせば限りもない。
そしてこういう先生方とまともに向き合うためには、それ以上の「いい仕事」をする以外に道はなかった。
2010 11・19 110

☆ 今朝は
冷え込みましたが、昼間は暖かかったです。
あちこち、おつかいしてきましたよ。
湖の本にぴったりのブックカバーを無印良品で購入し、ほくほくして帰宅しました。
図書館では、『とりかえばや物語』と『好色五人女』を借りてきました。
『とりかえばや』は、ずっと興味があって、読みたいと思っていました。
川端の現代語訳ですこし読んだことがありますが、借りてきたのは中村真一郎さんの訳です。
『好色五人女』の方は、原文と現代語訳とが交互にあるタイプの本です。
どちらも文庫本で、持ち運びが楽です。
風はお元気ですか。花はこんなふうに元気です。

* 西鶴をわたしは不勉強だが、『好色一代男』『好色一代女』は立派な作品だと感嘆した覚えがある。「五人女」は歌舞伎の舞台などで馴染んでいる。印象に近松らの味わいが加わっている。
2010 11・19 110

* アメリカからの来客が銀座のホテルに着いたと妻に電話があった。明日、出掛けて会う。
2010 11・19 110

* 今日、アメリカから来ている池宮さんにさしあげるのは、裏千家十四世淡々齋が手造茶盌、銘「忘筌」の大物で、濃茶を練って、十数人は優に喫みまわせる。ずしっと重い。当時の楽吉左衛門が焼いて、堂々の函印と書付けをしている。面取りした箱の蓋に、「自作赤茶盌 銘 忘筌 宗室 十四世花押」の箱書がある。箱の底に贈先宛名は切ってあるが(=たぶん古門前の美術商林楽庵に贈ったと思われる。)字も筆力もつよく、「拙作 茶碗  千宗叔」と自筆の奉書が畳み込んである。この茶碗が淡々齋の若宗匠時代の作であると分かる。「宗叔」はその頃の名乗り。茶碗の糸底にも「叔」の花押と「造之」の刻印があり、紛れもない。
銘がいい。「筌」は、茶筌であるとともに利休実家の稼業であったという魚屋の由来、「筌」は魚を追い込む漁具である。それを「忘」じるとは、その意味や意義は銘々に思うべきであろう。

* 池宮さんはロサンゼルスでの裏千家茶の湯のもう久しい師範である。社中もあり、なによりも茶の湯の実践者。それが嬉しいし、道具も活かして貰えるのが嬉しい。使ってもらえてこそ、道具は生きる。それが何より。

* さて、街の気温はどうであろう。

* 有楽町へ出て、時間調整に帝劇モールでお茶をのみ、タクシーで三井ガーデンホテル銀座へ。池宮さんに会い、21階で三人で歓談。「淡々齋手造赤茶椀」をお土産に差し上げる。明日は京都へ、と。楽吉左衛門の大きな三つの展覧会や奈良の松伯美術館、祇園の何必館の入場券など、みな上げた。きっと楽しんでもらえるだろう。楽氏次男の展覧会の案内も今日届いていたけれど、それは師走。
余り永くはお邪魔せず。ホテル下まで見送ってくれた池宮さんは、路上で妻ともわたしとも熱くハグして、またの再会をと願いあった。歩行者天国の銀座通りをゆっくり歩いて一丁目まで。また有楽町線に乗り帰ってきた。

* むかしむかし、鉛筆がズボンをはいていたようなと妻の云うほど細かった昔に、池宮さん姉妹と撮った写真をもらってきた。こういうほっそりしていたときもあったのにと、なんとも今の体躯のでかい、見苦しいことに慨嘆。
2010 11・20 110

* 元岩波、「世界」の高本さんから美味しそうな缶詰をたくさん頂戴した。すぐ一缶あけてもらい、卵と和えて、ビールを一本。美味いものは美味いのです。嬉しいことである。

☆  湖様
湖の本をご恵送いただきながら、お礼も申し上げず、送金もまだという失礼を心からお詫び申し上げます。
実は早速手に取り、川端康成「廃器の美」から拝読させていただきました。
それにもかかわらず体調がすぐれず、メールを打つことができませんでした。
本当に申し訳ありませんでした。
今日は久しぶりに心地よい秋晴れの休日でした。
落ち葉の美しい色、香り、かさかさいう音、自分自身が人生の落ち葉のような季節を迎えているせいか、とても心なごみます。 8時ごろ、二人の孫を連れて実家から家に帰る途中、美しい月を見ました。月の周りだけ雲が途切れて、淡い虹の色に囲まれていたのです。
幻のような時でした。
大学の講師は来年から辞めることを申し出て、受け入れてもらえました。正直すがすがしい気分です。
湖様も体調があまりすぐれないとのことですが、美酒 作品 演劇など楽しまれながら、お元気に過ごされるように心からお祈り申し上げます。 波
* 手広い企業を経営しながら大学の雇われ講師など、ムリなしわ寄せが心身に来るのは、或る程度予測できた。まだ半年有る。大事にされますように。
若い人は、打ち込むという情熱も人生に対して支払わねばいけないだろう、ローリングして船は前進するのだ。「出来事にいたずらに振り回され」るのはつまらないが、激動に立ち向かって灼熱する、激しく打たれれば激しく響き返す根性の熱闘がないと、若い人はこぢんまりと小手先を頼って面白みなく縮みかねない。
打てば響く。その生彩は、五十までは、六十までは若い人に必要だが、六十すぎて孫も出来れば、自身をしっかり観察している眼のいつも大切なこと、云うまでもない。
若い人は、地上に十の成果を願うときは三百・五百の目に見えない地熱を燃やすこと。若ければこそ目の色を変え、自身を追い込み追い込み鍛えること。きついことを云うようだが、当たり前のこと。
ましてものを創り出す者は、らくにはとても生きられない。

* 月を浮かべるそういう静かな時間が波にはだいじなのです。
まだ半年有るけれど、それでも来年の整理がついたのは良かったと思います。
今日、海外からきたお茶の先生に、「忘筌」という銘の楽茶碗をお土産に贈りました。「忘筌」とは、すこし強引に謂えば「お茶」にも「仕事」にも支配されてしまわない「時」を大切にということでしょう。
「いま・ここ」の目の前に一義の仕事を大切に、むりなく静かに。波には波間も有って波なのです。
少しずつ時間を創り出して美しいものにも向き合って。
お元気で。 湖
2010 11・20 110

* 志ん生の「抜け雀」を聴いてから寐た。しばらく、五島美術館の贈ってきてくれた「国宝源氏物語絵巻」の立派な図録の繪や字を楽しんでいた。睡くなって、寐た。
あけがた、というよりもう昼前というほどの夢に、小松の井口哲郎さんらと自転車で街道を走っていた。
2010 11・21 110

* 機械の前へ来ると、昨日池宮さんの呉れた写真一枚、彼女の姉の当時大谷良子さんとわたしとがならんで写っている。わたしは大学生、もう三、四年生か。いずれ、池宮さんの家で夫のエディさんが撮って呉れたに違いなく、大谷さんはYの字に胸元をあけたドレス姿。二人とも至極ご機嫌の笑顔で。
もともと大谷さんが叔母宗陽のもとへお稽古に通っていた。池宮さんはべつの先生に通っていて、大谷さんは池宮夫妻の家に同居していた。わたしこの家でいわば「アメリカ」という異文化にはじめて接したのだった。エディさんの車で伊勢志摩までドライヴしたこともあり、その日の写真も昨日もらった。
大谷さんもわたしの結婚後に、アメリカにわたり結婚して、そして亡くなった。寂しかった。わたしたちより半回りほど年上だった。
この姉妹に、わたしたちの恋と結婚とは大いに励まされた。その心丈夫と感謝とがいまも我々に生きている。大谷さんとわたしとがまさしく姉と弟のように懐かしく一枚の写真に収まっている。ああこの人ももう向こうで暮らしているのだなと、あの世がその其処のように親しげに想われる。
2010 11・21 110

☆ 湖様
温かいメールをありがとうございました。
「忘筌」 深い意味のある銘のお茶碗ですね。
茶筌も家業の漁具も忘れる・・・ お茶や仕事の道具のことから心を解き放ち、支配されない時を大切にするということなのでしょうか。
今年は紅葉狩りの予定はありませんが、小さな庭にも、道すがらにも電車の窓からも はっとするような紅色や、あふれるような金色を見ることがあります。
まだ思うような言葉が指先から出てきませんが、お礼の気持ちをお伝えします。
お元気にお過ごしくださいますよう。 波
2010 11・21 110

☆ 鴉へ。 お元気ですか。   鳶
播州の晩秋、明るい週末を楽しんで、今日の月曜日は午後にも雨が降り出すとか。海外には出かけておりませんよ。ふらふらとどこまでも行きたいですけれど!!
この秋はまだ京都にも出かけていませんし、美術展も・・。
一昨日は友人と当地の文学館にある茶室での茶会に行きました。久しぶりの茶会で、建物も借景の市街地の眺めも十分楽しめました。
昨日は小京都、龍野を歩いてきました。暖かな日差しとイヴェントでいつもと異なった雰囲気の街歩きと山歩き。紅葉谷と呼ばれる処はあまり手入れもされていないので、日光を求めて木々が背伸びしており、根元は栄養不足。自然は人工との微妙なバランスの
上に成り立っているものだと感じさせられました。
友人、それも同性の友達には恵まれていますし、詩を書く人たち・・ただしわたしの知る範囲はとても小さな狭い範囲ですが・・からも多くを学んでいると思います。
出歩くようで実はほとんど部屋で過ごしています。淡々と、することは果てしなくありますが・・。
寒さに向かう折です、ぬくぬくほかほか暖かくして体を大事に大事になさってください。くれぐれも大切になさってください。
2010 11・22 110

* グレン・グールドの弾く、ベートーベンのピアノソナタ30 31 32 美しい音の冴えに、なにも手につかず魅了されている。いまは金澤にいる細川くんにもらったにちがいない、彼にはグールドとバッハを沢山教えられたが、こんなに美しいピアノ曲ももらっていた。身のふるふやうな美しさだ。むかしのレコードは余儀なく針からも盤からも劣化したが、今は音質のよさが保たれてこころ強い。それと機械が自身の中に保存してくれるので、いつでもすぐ選んで聴ける。
わたしは全く音楽の構成や理屈は理解できないが、おかげで音の面白さや美しさが、きもちよく無心に聴ける。批評なく楽しめる。文学より純粋に楽しめる。日本の古典音楽も西欧のも甲乙なく楽しめて有り難い。このベートーベンの三つのソナタがなにものであり、作曲家が何歳ぐらいの作でありなどといった何一つ知らないし、解説を読む気もない。ピアノが鳴りはじめて瞬時にもう美しさに降参した。それでいい。
2010 11・22 110

☆ 御健勝大慶に存じます。 文藝春秋局長
「湖の本105」有難うございました。
小林秀雄や唐木順三や立原正秋や 現状からすると何ときらびやかな文学の世界だったのかと 嘆息するばかりです。多謝

* 回顧すれば、おおかた、そういうものだ。
2010 11・24 110

* 漢詩とは限らず、箴に似て服膺している句に、そんな一つに「年々歳々花相似 歳々年々人不同」がある。これは真理だわと身に沁みて納得している。花は変わりなく、人は移りすぎて行く。モノモチの良すぎる手元に、五十余年に交換した厖大量の名刺があるが、完全に忘却している人が花紅葉に比較してどれほど多いか。
* この十数年の「闇に言い置く」日記でも、川の流れと人の身のいつとも知れぬ消長に  今さらに微笑ましくも惘れるように驚くことがある。黙々とこの日記に多年アクセスされてきた方でも、それに気付いている方、少なくあるまい。べつだん何も気まずい別れなどあったことはない、が、すうっといつ知れず影を消している人達が数えきれず、また新しい人影の訪れも確実にある。
よく話してきたことだが、わたしの大学生の頃に、京都発、鹿児島県の指宿行き各駅停車の便があり、酔狂なわたしはそれに乗って指宿の砂風呂とやらにと汽車に乗り込んだ、だが、言語に絶する旅であった。たしか熊本駅までに三十六時間かかっていて、もう堪えきれなくて下車した。
この長時間を一言で特徴づければ、向かい合いの四人席他の三席に、数え切れない長幼男女いろんな乗客たちが、来ては去り来ては去り、とめどなかったこと。今思えば「人同じからざる」人生の縮図をわたしは体験したのだった。
幼稚園、国民学校、疎開先、敗戦後、新制中学、高校、大学、叔母の茶や花の稽古場、医学書院時代、受賞して作家になってから、東工大教授の時代、ペンクラブの委員や理事としての、また美術賞選者としての二十数年、湖の本の時代、ホームベージの在る時代等々と小分けしても、夥しい人達と出会い、また互いに通り過ぎてきた。そんな小分けの大半はもう無く、それぞれの時期に出逢って今もという知友知己は少なくないが、互いに通り過ぎてきた人の数は、それに何倍何十百倍もしている。そういうものである。
そのなかで堅実なのはやはり「読者」、それも今では「湖の本の継続購読の読者たち」がいわば久しい親戚のように在る。東工大の頃からの元の学生諸君も、さすがに人数は自然減したが、まだ親しい人達が「湖の本」も介して確実に在る。

* 人生は各駅停車超長距離の長時間の旅であり、座席はきまっているが相席する人達は次から次へ同じからず異同がある。ああそうなんだなあと、思う。親子きょうだい夫婦でさえ必ずしも確実な相客ではないわけだが、想えばあの指宿までの汽車旅の向かい合い四人席こそは、よくわたしの謂う「島」なのであった。顧みてわが人生の各駅停車便を見てみると、幸いにも「席」を、一人しか立てぬはずの「島」を、柔らかに共有している人達は少なからず花相似の如くに「いる」のである。奇蹟のようである。
2010 11・25 110

* 早大名誉教授の中村明さんから、湖の本への礼状に加えて、岩波書店新刊の1200頁ちかい『日本語 語感の辞典』を頂戴した。じつに面白い。「ことば」のエッセイ集かのようにも手当たり次第に読んで楽しめもする。ふつうの語彙辞典とは、趣も意図もちがう。単語というより、物言いがかもしだす雰囲気の意味が読み出してある。労作である。
眉村卓さんからは文庫本になった『ボクと妻の1778話』を頂戴した。
2010 11・26 110

☆ 『「文学」を読む』は、
ひとつひとつが入魂の批評で、考え考え、思い思い、読みましたよ。
下巻では、折口信夫と瀧井孝作が印象に残りました。
綺羅星のような先達に直に接し、いろいろ吸収なさったのですね。
勉強不足なので、常に勉強していたいです。特に花に不足している古典について勉強したいです。
寿命が二百年三百年あっても追いつかない古今東西のテクストの膨大さに、速読ができればなあ、なんて考えたことがありますが、いい本は、いろんなことを考え想像しながらじっくり読んでしまうので、無理、と思いました。

* 古典は
ひたすら「読む」しかありません。付いておれば研究者による「解説」も。訳に頼るのもいい。しかし、やはり原文の「感じ」を汲み取りながら、が、妙味です。
古事記。これは訳でもいい。原文も読み取りやすく、苦労しない。
物語は、一つなら源氏物語。古事記や万葉集を除いて、日本古典文学全ての基本です。和歌の文化も此処で十分掴めます。物語の中の和歌や引き歌が「面白い」と実感できてきたら、ホンモノです。先ず優れた現代語訳を繰り返し読んで、「面白いな」と納得してから、訳を参照しつつ原文の花(ファシネーション) を味わう。身を寄せて読む。注も読む。
他に必読モノは、平家物語。読みやすい。
徒然草。読みいいとは言えないが、日本人の思想が溶け込んでいて実に面白く、深く汲み取ること。
とはずがたり。最上流貴女が遊女の境涯を生きた赤裸々な私小説。糜爛した宮廷の、また中世日本の被差別と遍歴の旅の、現実味が、奇蹟ほど濃厚に溶け込んでいる。古典日本の「女」を独り全身全霊で体現した後深草院二条。
江戸時代では、西鶴の好色一代女、山本健吉の新潮文庫「芭蕉」上下、そして秋成の雨月物語、春雨物語。可能なら、馬琴の八犬伝。
できれば、佳い能舞台と人形浄瑠璃とを、すこしでも。また、近松もの、南北ものの舞台。そして、民俗学。
2010 11・27 110

* 京都から東京へもどってきた池宮さん、お土産に一保堂の濃茶を送ってきて下さった。
たとえば初釜などで、十人ほどの濃茶が十分練れる堂々の重みと大きさの赤茶椀、普通の一倍半の豪快な碗で、十四世淡々齋が「宗叔」若宗匠の昔の手造りである。当時当代の楽家が「焼いた」と銘記がある。その用にと、とびきりの濃茶を、きっと京都で仕入れてこられたのだろう。アメリカでは、めったに「楽」と名の付いた茶碗を持った人が、淡交会支部あたりでもいないと洩れ聞いている。
初釜の本席床に、どんな軸が掛けられるだろう、茶入れは高取の肩衝を所持されている。元気にめでたい初釜が祝われますように。

* なんだか、もう一度も二度も、自分も釜をかけてみたくなる。昔は叔母のために用意した四畳半に床の間も置ききちんと炉も切ってあった。医学書院からはるばる通ってきて、稽古した人もいたのだが。やす香の生まれるのを記念して家を改造し、四畳半のかわりに「やす香堂」と笑って呼んだ、板の間に卓や倚子のダイニングキッチンに造り替えた。今は、そこが「湖の本」発送の作業場になっている。炉を切り直すなら六畳の茶の間しかない。
2010 11・28 110

☆ 冠省 御高著を頂戴して有難うございました。  元講談社出版部長
気になっていた阿部昭、立原正秋さんなど後ろから読みはじめ、途中から巻頭へ移りました。論じられる人と文学に、秦さんの文学観が筋目立って述べられて、美点を認めつつ、その特質が浮き上ってきて、とても清々しく拝見しました。瀧井孝作さんは小生も担当(「野趣」も受取り、先生の机の前で原稿を読み、直ちに感想を述べる緊張感、といって武張ってないので、安心感もあったのですが。)したので、懐しく思いました。いつも貴重な手造りの御本をいただき深謝申上げます。草々。

* 八王子の瀧井先生と差し向かいにいた昔が、静かに静かに甦る。

* 池宮さんもアメリカへ帰って行った。日本の師走は、さ、いかがなものになるか。
2010 11・30 110

* 晴れた青空をまぶしく見上げながら、歯医者へ。
このごろ交通機関に事故遅延や運航停止が多すぎる。時計を頼りに安心して外出がし難い。
途中、雲行きがまた悪しく、しかし治療終えて帰るときは、晴れやかな青い空と白い雲であった。
聖路加へ通っていても治療を受けているというより、検査データの変移を観察されている実感だが、歯医者だけはいつもみっちり治療されている。なにしろ当人がちっとも自分の歯の面倒をみないのだから、よほどヒドイのだろう。みっちり治療されたなあと傷んだり沁みたりするのを堪え、堪えきれないと随分麻酔されて、今日は女先生を長時間独り占め、ゆっくり口の中をさわりまくられた。どこやらの虫歯をどうにかして貰うらしく、金goldを使いますがと言われ、どうぞ宜しくと言ってきた。歌舞伎の好きな女先生も海老蔵事件に一言も二言もあった。
どこへも脚をのばさず帰ってきた。江古田で西武線に乗ると、目の前の席で「湖の本」を読んでいる人がいた。豊島園の方に住む、妻の昔からの親友だった。わたしのマイミクとも何人もマイミクになっている人で、先日百花園に半日を行楽してきた玉井さんは、会ったことはないがどこかの大学教授ですかと聞いていた。それほど、めざましいまで能も、美術も、文学にも、勉強家である。今度機会があったら老稚園の遠足にこの人も誘おうか。
2010 12・3 111

☆ お元気ですか。  播磨の鳶
敦盛・称名の面(=この私語頁冒頭の述懐に添えた能面)に圧倒されます。
お体のことが心配です。このところ腹痛という記載がやや遠のいていましたが、とにかく最大限の配慮で過ごされますように。
東京はもう雨があがったでしょうか? 昨日午後から日本全体が低気圧の前線通過の影響を受けているとか。この雨で庭の柿、藤の葉などが落ちています。
電子レンジで熱くしすぎたコーヒーを脇に置いて機械を立ち上げました。
もう十二月になってしまったとは、そのあまりの何気なさにいっそ驚きます。

天皇制の問題、海老蔵の事件、から実に核心に迫った考えを書いてくださっているのに目を見張りました。(テレビで普通の役者はこんな甘いことをしたらたちどころに終わりだと強い口調で述べていたのは、(役者の=)梅沢富美男でした。多くの人は諂いやらさまざまな処世訓を意識しながらものを言っているように思われました。)
強い共感があります。書かれていることはすべて紛れもなく長い長い間一貫して書かれ主張されてきた事柄です。HPの場から、さらに多くの人の目に触れるところでこの文章が読まれたらと思うのは、わたし一人だけではないでしょう。

容易ならぬことが容易に良い方向に進展できるように遠くから祈ります。様態の変わる月日を早く見定められたらと祈ります。

門玲子氏の『江馬細香』は図書館から借りて現在読んでいます。
つくづく思うのは引用されている細香の漢詩を読者がどこまで理解できるか、ということです。わたし(=中国史・京大卒)は比較的漢文に慣れているほうですが・・それでも彼女(=細香)の詩をわが身のものとして感じとることが、時にもどかしく難しい。江戸、あるいは明治のかなりの時期まで当然の素養としてあった漢文が、もはや遠い遠いものになってしまっています。この本とは別に『江馬細香
詩集』が出版されているようですが、そのいくらかでもこの本の中に「翻訳・解釈」されたものが入れられたなら、読者は彼女を理解できるでしょう。頼山陽はたとえば平田玉薀などとも交情あり、一度は彼から結婚の話も父親にあったという江馬細香は遂に誰とも結婚することなく生涯を終えるなど、深い事情も出来事も思いもそこにはあったでしょう。その痛切を超えて彼女の詩があるでしょう・・。そこにいっそう近づくためにも、読み下し文以上のものを求めてしまう、これは邪道でしょうか?
繰り返し くれぐれもお体大切に大切に。

* 鳶さんはかならずわたしの藝能観などに反応してくれると思っていた。

* 門玲子さんの『江馬細香』は、初版本のあと、最近藤原書店から読みやすい佳い新刊本が出ていて、こちらでも、点綴されている細香の詩作には、せいぜい読みくだしと簡単な語釈がついている。ま、わたしはそれで足りて、情趣はほぼ懐かしく汲んでいる。
門さんの作には、漢詩も働いている、が、この作品の妙趣は、地の文章の比類無い落ち着きと、温かみと、雅に美しいこと、表現のディテールに現実感と想像とがよく行き届いて、通俗でないこと、か。
漢詩として細香詩を見るときは、師の頼山陽らの当時江戸時代漢詩と同様同列に、どうしても脱色・脱臭しきれない語の斡旋上の和様・和臭を斟酌せざるを得ない。
わたしたちは、日本人の作る漢詩によりも、先に、ほんものの漢詩、それも陶潜ら以降、李白・杜甫また白居易以降等々の頭抜けた詩の妙味に先に親しんでいて、それからすると、弘文天皇や菅原道真、和漢朗詠集の倭詩や、下って中世の五山詩や、近世の新井白石の辺まではまだしも、江戸末期の山陽以降志士慷慨の漢詩などは、一寸は食してみても、はやばや「ご馳走さま」と言ってしまいたくなる。
細香苦心の詩句の斡旋にすらも、どうしても唐詩選等に親しみ学んできた者には、重苦しく粘った措辞がまま見受けられる。門さんの本に、はじめのうちどうしても目を向ける気がされなかったという吉川幸次郎先生らの感触にも、山陽詩等への異物感と辟易が先立っていたに相違ないのである。
その上でなおかつ、わたしは門玲子の筆に調理された、創作上の江馬細香女の味に触れて愛読している。
2010 12・3 111

☆ 今年ももう後、一月となりましたが、お元気でいらっしゃいますか。
過日は、ご高書をお贈り頂きまして、ありがとうございました。
もう十年も前になりますが、「ラーゲリから来た遺書」に出演したときに、秦さんが、誉めて下さった文章を、昨日、探し出して読みました。
それでは、お元気で、良いお年をお迎え下さい。  劇団俳優座 女優
2010 12・3 111

☆ お元気ですか。

『中世の非人と遊女』が、地元図書館にあるようです。今度行ったら借りてきます。
私語を拝見しますと、とても興味深い内容に思われます。
私の大学の卒論は、近代における歌舞伎に対する認識の変化について考えようとしたものでした。
民族や階級差別の数多くある中で、藝能はどうして差別から脱却できたのかを(脱却できた、は言いすぎかも知れませんが)。
神事にまつわるところから発生した藝能が、近世の身分制度で最下層に組み入れられ、近代以降、国策もあり引き上げられ、映画やテレビが登場してからは蔑視されることが少なくなったと感じます。
藝能は、ほかの被差別層と異なり、独自の変遷を辿っているようにも見えます。
近世の藝人差別は、身分制度上のことであって、たとえば歌舞伎役者は、実際には錦絵が売れ、やんやと大向こうのかかる大衆のスターだったからなのでしょうか。
私の卒論は、思い返せば、とてもとても論文なんてものではありませんでした。
卒論は、やり残した宿題のように、いつも引っかかっています。  花

* せっかくのメールに、いま話題沸騰の海老蔵暴行事件が触れられていないのは、物足りない。
こういう問題に一等必要なのは、徹して地道な通史の勉強だろうと思う。一例にして、「河原」とは、「河原で生きる」とは何事であり、何によりそれが強いられたり、可能であったりしたのか。簡単には言い切れぬ途方もない奥行きがある。そしてそんな穿鑿が今必要なのかという問題もある。
海老蔵個人の「思い上がり」を咎める声はすでに出始めている、が、海老蔵「個人の問題」ではない。彼は藝能全容を代表する一象徴的存在として、ほぼ確信的に叩きのめされたと思えるフシがある。もしそうなら、それは何故かを、海老蔵に代表される仲間内広範囲の人達も、その人達を過剰なまでに甘やかし持ち上げてきた国民も、この際、考えてみたが好いと、わたしは感じている。

* いま、能役者の能装束の豪華な美しさに感嘆しない人はいないが、あのような現実を超えた華美の衣裳の定着しはじめた慣例は、能よりも遙かに古い。大事なお使いなどの、駄賃というにはあまりであるが、なにかといえば女の衣裳を使者にあたえて酒を飲ませ、使者は衣裳を頭にかぶって一舞いして帰っていた源氏物語の頃の風習までは仮に言わぬまでも、南北朝以降の能役者達を「褒美」した何よりの授けものは、派手な装束や衣裳である事が多く、役者はその戴き物を身に纏うて御礼に舞ったり、それを身につけて新たな曲を創ったりもした。
すばらしい栄誉のようでもある、が、むやみと豪華に装わせる習慣は、貴族や武将達が下級の家来達にさせる一種「差別」の見せつけですらあったのだ。バサラの行列で、珍奇な装束をつけて行列の先を払うのは、そういう下級の家来連中であった。はでな能装束も、極端に言えば、その手のあてがい扶持の「御恩」に類していた。演ずる藝は「奉公」であったとも謂える。
そういうバサラが横行し始めたのも、十四世紀の中世末期であった。それらの褒美自体が権勢による卑賎視にほかならなかった。「千両役者」も、いわば政治的に黙認された「権勢自体の安全装置」であったといえる。いわゆる世界的に行われている「3S(ショウ・スポーツ・セックス)政策」なんぞと、なんにも異なりはしなかった。目を向く「榮爵藝人」も、根底では政治的にも社会的にも卑賎視されていた。
それが、今日では、卑賎視が幸い稀薄になり、藝の力を認めるところへやっと伝統の力で近づいてきたのだ。海老蔵暴行事件は一つ間違うと、藝を台無しに元も子も無くしてしてしまい、さらには「藝能職能人卑賎視時代へ自ら逆行して行く」ことになると、それにまるで「気付いていない」のが、つまり浅はかな梨園御曹司中の御曹司の「思い上がり」なのである。

* それにしても「近代における歌舞伎に対する認識の変化について」は、容易ならぬ大研究の主題である。
そもそも「近代」とはどういう時代規定で、そのなかに何期を分かたねばならないか、から始まらねばならない。役者だけでなく歌舞伎界は、座と小屋の基礎的構成から、関係する人的参加者の広範囲に大勢なこと、など、目次を展開するだけで厖大で、しかもそれを「外」の社会や制度や人達が「認識」し、それが変移・変質して行くのを、たとえばテレビ「以前」と「以後」とで正確に観測し論攷して行くにしても、むしろ畢生の大仕事に部類される。まだ誰一人として大がかりにはやれた学者も批評家もいないのではないか。だからこそ海老蔵暴行事件が「象徴の意味」を持つのではないか。 これを徹底的に一生仕事にすることも出来る。ウーン。

☆ 奇遇に感謝です。   晴
電車の中でお声をかけられ驚きました。
湖の本は佳境に入ってきていて、『親指のマリア』中巻です。新井勘解由が切支丹屋敷の内へ一人で来て、裁きの範疇を越え、通詞三人を交えて真剣に世界を、信仰を話し合っています。長助もはるもひっそりと登場していました。
著者の方と話している気持ちになりながら、読みふけっていて、声が聞こえ、著者ご本人。恥ずかしいやら夢心地やらでした。
最近は「最上徳内」を読み、次は「新井白石」と、「湖の本」をボチボチ読み返しています。
若いときに読みましたのは、ただ活字を追うが如くでした。本を読んでいることが嬉しい。楽しい。だけ。
老境の今「湖の本」やこのHPの「私語の刻」で触発されて、もう少しじっくりと深く読みたいと勉強させていただけて感謝しています。
読書する時間はたっぷりあるようで、残された時間の少ないのが淋しいです。
迪子さんとご一緒だったら嬉しかったのにとチョッピリ残念と今頃思っています。
今日のように天候が荒れますと身体もストレスを受けます。お二人ともどうぞお身体お大切に。

* 最上徳内や新井白石はわたしには親身にみうちのような人物。その人物像に「湖の本」で親しんでくださる人がある、嬉しいことだ。
2010 12・3 111

* 一週間が早すぎる。新世紀早々の日録を、何と言うことなく読み返していた。

* 夕刻、日比谷へ出て、ちょっと妻のために買い物をした。

* それから人に会い、今焼ながら「いらほ」の茶碗を進呈した。熱心に茶の道に精進され、道具も愛用してもらえる人ではないかと思って、初対面を願っておいた。勤務のある人なので週末に。夕過ぎて、クラブで食事し、とっておきの酒をおいしく呑み、七時に地下鉄銀座で別れてきた。
2010 12・4 111

* 手土産に戴いて帰った近江の産、小粒の酒塩饅頭が頗るうまく、アトを引いて困るほど。うまいものは、ほんと、美味い。
2010 12・4 111

☆ 小生、故(北澤)恒彦さんと同級だった者です。
いつもいつも秦さんのブロク愛読、ほっとさせていただいたり、はっとさせていただいています。
ところで、(仙石官房長官の口にした=)「軍隊は暴力装置」とは、マックスウェーバも言い、社会科学用語としては市民権を得ている用語であります。
ただ、発言の場所が悪かったと思うのですが、このためにシビリアンコントロールは存在すると思います。

* どういう方のメールなのか分からないが、軍隊が「威力行使の装置であるのは常識としても知識としても、その通りです。ただしこの言葉を用いた人物に配慮が有りませんでしたね」と答えておいた。
2010 12・4 111

* 新潟の名酒「雪中梅」、また上州の葱を戴く。
2010 12・6 111

☆ 播磨の鳶
武蔵の鴉、お元気ですか。
カンジンスキーと青騎士の運動についてちょうど一昨日の日曜美術館で特集していました。もしご覧になっていないのでしたら、次の日曜日12日の夜8時から再放送があると思いますのでどうぞ。
ゴッホは既に大きな展覧会が何度もきているので、やや見飽きてしまった感がありますが、それほどに日本人に人気があるということでしょうか。わたしもゴッホは好きなほうですが、時に見ていて苦しくなります。
美術全集の古代、中世、ルネサンス、近世まではよく見るのですが、近代、現代が却って「遠い」です。主体的にかかわる時、「描く」時は何よりも現代の動きに強く関心を抱きます。現代に生きているという点で。
もう二週間ほど風邪の症状、発熱こそしませんが咳、痰に悩まされています。庭の柿はやや渋いので干し柿に、卯の花をお鍋いっぱい作って数日かけてやっと食べ終わりました。
どうぞ日々大切にお過ごしください。風邪ひきませんよう。

* 風邪は引いていないと思うが、咳き込む人の街中に多く、つい自分もその一人になりがち。
2011 12・7 111

☆ みづうみ、お元気ですか。

この前は千住大橋あたりの散策をなさった由、私語で拝見しました。
さて、今年のお誕生日のお祝いにまためで鯛を用意させていただきました。二十一日は歌舞伎にお出かけのことが多いので前日の二十日に届くよう手配しています。ご笑納ください。
十二月は気ぜわしいですが、マイペースで過ごしています。母の世話は以前よりはずっとらくになってきましたし、おいしいものも食べています。『秦恒平が「文学」を読む』とても面白いです。
来年はお目にかかれますように。おやすみなさい。  綿虫

* 感謝。
2010 12・9 111

* 歳末のご祝儀を賜りました、御礼申し上げます。
今年も残り少なくなりましたが、有終の美をお健やかに心ゆくまでと念じます。
二十一日には、国立劇場での「御本懐」を楽しみに。当日、私、七十五歳になります、後期高齢者の枠へ取り込まれるわけですが、ちなみに、家内も来年四月早々私に追いつきます。ま、お互い逆に歳を取って行こうかねと、此の師走の、御父子生彩の漲るちからを、身いっぱいに浴びたく、心して劇場へ参ります。楽しみです。

謹呈一句  今・此処をつひの栖ぞ松立てて   宗遠

* 変わりなくお元気の様子、「mixi」日記の表題で察しています。
「すや」のお菓子をありがとう。家内もひとしお喜んでいます。
わたしの日常あまり変化無く、つまり楽しいこともイヤなことも半々のタイトロープです。ま、なんとか元気そうな顔をしています。
東京にいい展覧会などあって、招待券など送ってあげて無理強いに東京まで引っ張り出すのもいかんしと、躊躇ったりします。ゴッホ展もまだ行けずにいますが、超満員だろうと辟易しています。
芝居は相変わらずよく観ています。きみ、歌舞伎の機会が何度か有りましたか。これも誘ってあげたいと思いながら、さて土日がお休みだろうかなどと迷います。音楽はCDを機械に入れて随時にいろいろ聞いています。最近ではグールドのピアノソナタなど楽しみましたよ。
政治にもしっかりした批評眼をもって、「いま・ここ」の日本をよく導く手の一本になって下さい。
ますますお元気で。変わらず、きみの家庭人としての幸福を祈っていますよ。  湖
2010 12・10 111

* バスで目白駅まで行き、上野へ。上野の森美術館で「創画展」を観る。
黒いリボンの付けられた橋田二朗先生の遺作「佇(=鶴)」のまえで、泣く。
何の掛け値なく、秀逸の作品であった。
妻と、欲しい、買いたいと思わず言い合う。繪に深く一礼してきた。先生最良の気品と技術の結晶した鶴一羽が画面一杯に何の飾りもなく品位に満ちて佇っていた。
石本正さんの「薊」もよかった。例年に比べて会場も変わっていたけれど、創画会の出品作の全体レベルは悪くなかった。
ああ、とうとう橋田先生にお別れしたかと泣けた。弥栄中学からずうっと中信美術奨励基金の財団理事まで御一緒できた。何冊もの単行本を繪で飾っても戴いた。亡くなられたと今も信じていないのである。
* 上野公園内の清水観世音堂に参ってきた。紅葉まだ美しく、公園の巨樹の翠も明るい日射しに目映かった。
2010 12・11 111

☆ 秦先生   馨
ずいぶんと冬らしい寒さが近づいてきましたが、おからだにさわりのありませんよう。
私の方は一番下が二歳半をすぎ、少しだけ一息つくことができるようになりました。
とはいえ三人の子どもがいると三つの独楽を回し続ける生活になり、しかも自分も回りながら独楽回しもしていますと、どうしても
ほっこりとする時間が少なく、先生へもすっかりご無沙汰してしまいました。
少しずつ作っていた歌をお送りします。
心の中のやわらかな感情を形に残しておきたい、と思う時に歌に記録しはじめたのが始まりですが、それはほとんど子どもへの思いを中心としたもので、スイッチを切り替えている仕事のことなどは全く歌にできずにいました。
ようやく最近、仕事のことも少し詠めるようになりました。
きっかけは、気持ちよく仕事のできたある都市への出張で、帰る間際に、その町のまさにその場所が、父が十八まで過ごしたところだと気がついたことでした。
父は晴れ男で、葬儀の日も明るい日でしたが、その出張も小春日のほろほろとした日でした。
仕事に関わることでも、ふと顔を上げた時の感情をようやく三十一文字にのせられるようになりました。
キトラ古墳の壁画取り外しは、ようやくこの秋に終了しました。これも明るい日に最終日になりました。明日香の四季を七回見ました。
最後の歌は、自分の仕事についてです。格別に優秀でもないですし、家族持ちで自分の能力をすべて仕事に投入しきれるわけでもないのに、時折こわいほど都合よく仕事の出会いが転がっていくことがあります。
あとは言い訳も必要ないほど他愛ない歌ばかりです。
今年は珍しく男性から遠巻きな好意を寄せてもらうことの多い年でした。そんな誰にも言えない心の揺らぎも入っていたりします。
「情念」の歌は私のことではなく、研究者や頭脳明晰の方には知も情も目いっぱい持っている方が多く、その方達の情をくるんだ知の
戦いを見ているとため息がもれたり。
歌は、作るのもよいものですが、読んで諳んじていることが大切という気持になってきました。
この間書き込みました「かのときに」は、まさにあの夜の気持ちでした。
年齢のせいか、昔ほど次々記憶していくことができないのですが、それでもよい歌と丁寧に出会っていきたいと願っています。
しばらく明治以降の歌を読んでいましたが、昨日先生のmixi で但馬皇女の歌を久しぶりに目にして、しみじみと、「あぁ、万葉
集、佳いなぁ」と。
前にも書いたような気もいたしますが、穂積皇子の「恋の奴のつかみかかりて」は好きな歌です。
家でも学校でも毎日が不安定でぐらぐらしていた十代の頃を思うと、今こうして家族に恵まれている幸せを夢のように感じていま
す。私がいまこうしていられるのは、ひとえに主人のおかげですが、この状況になって初めて生まれ育った家族への思いを見つめ直
し始めています。
姉の心に寄り添うことがいつかできるはずと思いつつ、今は距離を置こうと思っているうちに死なれてしまい、いや死なせたのかもしれません、手を差し伸べなかった自分を思い、母への気持も母に死なれる前に濾過しておかねばと思うようになりました。
母から学んだことを一つ一つ意識して感謝を込めて、いま数えています。
今日書かれていた、「常」に該当する英語、私にとってはconstant もしくは equilibrium です。
equilibriumの化学用語訳は「平衡」なのですが、これはある反応とその逆反応が一定ずつ生じていて、系の中の状態としては一定を保っている、という状態を示します。
いまの私の毎日はまさにそのような気がしています。
またしてもとりとめもなくなってしまいました。
冬至十日前、一番日暮れの早い時期ですが、くれぐれもお体をおいたわり下さいませ。

* 懐かしい卒業生の、一年ぶりの短歌を、それはそれはと肝腎の歌ファイルを、開いても文字化けで。わたしに技の理解が有れば綺麗な字に変換できるのだろうが。も一度頼んで、送ってもらう。この人の歌稿は、わたしが勝手に「聞馨集」と名付けて、もうかなり数多く書き留めてある。
「equilibrium 平衡 ある反応とその逆反応が一定ずつ生じていて、系の中の状態としては一定を保っている、という状態」と。なるほど、生き生きした「いま・ここ」は、そういう「常」態に在るようだ。

* 聞馨集 に、また新たな作歌が加わりました、よろこんで読みます。
着実に、語の斡旋も情感も視力も加わっているように感じます。まとめてゆっくり読み進みます。
少し街を歩きすぎて、ではないナ、東京駅に出店の寿司で飲み過ぎ、今夜は、少し睡魔の誘いあり、あらためていろいろ言い送りますので、ゆるされよや。  湖

* パリへの留学生からも、妻とわたしへ、いい便りが届いている。ありがとう。
2010 12・11 111

* わたしの此の機械にもいよいよ末期の衰弱が来ているのかも知れない、ときどき、オヤと異様を覚える時がある。思えば、卒業生の布谷君が秋葉原を奔走して部品を買い込み、わが家で組み立ててくれた機械のまま、もう何年経っているだろう。
ひょっとして此のディスプレイやキーボードに限界が来つつあるのか。かなモードでの文字の転換にやや時間がかかったり、何度もコンコンとキーを叩いていたりする。
容量はどうかと調べてみた。ホームページで見ていると150Gもあり、まだ35Gも使っていないように機械は示しているから、容量過大で危ないとは思いにくい、素人考えだけれど。
2010 12・12 111

☆ 浄瑠璃寺は三度目です。  泉
妹が市内から離れた、人の少ないお寺、と選んでくれました。はんなりと拝観者がありました。

 

体力的にここへは最後かと思われます。好美ちゃんのお宅の前を通りがかりましたが留守だったのでメモを入れておきました。
お元気ですか。初冬、お大事に。

* 浄瑠璃寺は実の父方吉岡家が大庄屋を勤めていた南山城の当尾に在る。明治の廃仏毀釈で九体仏が危なかったのを、曾祖父かその前の吉岡らが身を挺して守り抜いたということを父は何度か我々に伝えていた。この紅葉黄葉のめでたさに目を洗われる。

☆ 秦先生    松
こんにちは。寒い毎日が続いておりますが、お元気でいらっしゃいますか?
栗きんとん、喜んでいただいてよかったです。木曽の中津川の銘菓で、余分な砂糖が入っていない素朴な味わいが魅力的です。先日名古屋に行く用事がありましたので、デパートからお送りいたしました。
いろいろとご心配頂いてありがとうございます。
秋に音楽仲間からチェリストを紹介してもらって、今度一緒に演奏会に出演することになりました。明るく元気で素晴らしいチェリストなので、うまく行けば良いなと思っています。
その演奏会のご案内をお送りします。
ポピュラーと聞きやすいクラシックばかりの演奏会です。もし宜しかったらいらしてください。場所は丸の内線、新高円寺駅からすぐです。
私はグルダ作曲のARIAという曲を弾きます。
本格的な演奏会ではないので、お誘いするのは少しためらわれるのですが、楽しい演奏会になるよう準備を進めています。もしお時間がございましたらいらしてください。

* 東工大の卒業生。師走十九日の演奏会だという、楽しそう。

* パリからの留学便りもすこぶる楽しそうであった。
2010 12・12 111

☆ 秦先生
お忙しい中、歌のご教示、ありがとうございました。
言いたいことを過不足なく表現するのは、難しいですね。言葉を積み上げていって伝わるもの、一瞬のシャッターの方が伝わるもの、いろいろと奥が深く、難しいです。
ただ三十一字という制約は、私にはちょうどよいようです。十七字だとすくないですし、散文詩だときっと私は厚塗りの表現をしてしまいそう。
その前に、「この言葉にこういう意味を持たせる活用があったはず…」と辞書をひいても中々見いだせないという語彙不足も深刻です。ただ、先生に(メールのなかで=)お送り頂いた歌二つ、その格の高さと表現の巧みさをしみじみと理解できる程度にはなりました。
少しずつ少しずつ精進していきたいと思います。
今日は河野裕子さんの本と、「旧石器遺跡『捏造事件』」という本 とを持って日帰りで奈良に行きます。
冬休みには美智子皇后の「瀬音」を拝読したいと思っています。
ありがとうございました。   馨
追伸
思い出しました、「湖の本」最近の上巻で、「白秋短歌にも、このような」と書いてらした白秋の、
道のべに雉あらはれ美しき(尾を曳き過ぎる春ふけにけり)
下の句があってもよい気がしました。
私が初めて雉を見たのが、まさに春の昼下がりでこのような情景だったこともあり、すこしひだるい春の午後と雉の尾を重ねた表現はあり得るのでは、と。
蛇足です。

* この卒業生がはじめてわたしに歌を送ってきたのは二年ちょっと前の秋だった。院を卒業し、希望通りの文化畑の研究職に就いてからでも十年ほど経ていて、もう三人の此のお母さんであった。
長短の性質(たち)は違えど大中小同じ顔して寝入りし吾子ら   馨
ともあった。短歌にこころ惹かれた動機などは聞いたかも知れず忘れているが、一時のことでなく、今回も含めれば百拾首ほどを何度にも分けて送ってきてくれた。奇特な志で、四年間、教室で「青春短歌大学」を開校していたわたしには嬉しいことの最たる一つ。
在学中から、やはり馨さんと同じに河野裕子の歌が好きだった女子学生の「小闇」さんも就職して少しの間いかにも理系の匂いのする、研究室の中から生まれた歌を見せてくれていた(「e-文藝館=湖(umi)」に入っている)が、編集者の仕事が忙しいかだいぶ無沙汰のままになっている。

* ところで上の「追伸」であるが、短歌では、下二句にまでちからが及ばず、無くもがな、無くても好いのではと思う作が、白秋ほどの人にも、いやいや著名な著名な多くの歌人にもあるものだと、湖の本104『秦恒平が「文学」を読む』上巻に、いわば「美句抄」(上句で足りた美句たち)の一部を挙げて置いた。「馨」さんはその一例に、もっともな異存を表明してくれたので、これまた嬉しいいいことである。
二、三例、挙げておこう。
冬青(もち)の葉に雪の降りつむ声すなり(あはれなるかも冬青の青き葉)
春日向ぬくむ手鞠は掌に乗せて(綾は見えずもほの光りさす)
聴くものに春はのどけき鑿かんな(昼の鼠のそことなきこゑ)
鐸(すず)鳴らす路加病院の遅ざくら(春もいましかをはりなるらむ)
2010 12・13 111

☆ お元気ですか。  珠
師走、走らないようにと思いながら、珠は忙しく転がってます。
意味は違えど師のために走ろうと、今日は仕事を休んで車椅子の師を案内し、昼のお食事会に出かけてきました。あちこち不自由になろうとも、師からこぼれ落ちるお茶の話は尽きることなく有難く。もう一度お稽古して頂きたいと、切に思いました。
いつか師はいなくなる、誰しも、なのでしょうが。淋しいです。
戴いた御茶碗、日々使っています。思ったより早く、内の釉は碧がかり艶がでてきたようです。
ゆっくりと変わる色を楽しみに、育てます。

☆ 事始め    晴

暖かい師走にほっこりとしていますうち、もう京都では事始め、鎌倉八幡宮ではすす払いとか。
日が過ぎていくのが恐ろしいような。お変わりなくお過ごしですか。
今日は冷たい雨に濡れ落ち葉が。インフルエンザの予防注射は今年もパスされたのでしょうか。どうぞ、人込みにはご注意を。私も電車の中や建物の中はマスクです。
明日は歴史を歩く会「古往今来」のお仲間と文京区周辺を歩き、最上徳内のお墓にお参りに行きます。

* 討ち入りのこと聴かざりき十四日 00.12.14

* 十年前の自句がそのまま役に立つ。
2010 12・14 111

* 広島の理史くん、よく選んだ名酒を二種、贈ってきてくれた。山口の孤城さんも美味い「獺祭」を。
2010 12・15 111

☆ 旅する女達
旅する女たち!! あまり深くそのテーマで考えたことはありませんでした。各地にある小野小町の伝説、更科日記の都上り、阿佛尼の鎌倉への旅、後深草院二条『とはずかたり』などこれまで読んできたものの中にあります。
現代のわたしたちが想像する以上に昔の人、昔の女たちも旅を、移動をしていたのだと記述から知らされることがあります。
鴉の指摘の、「中国人女性の古代中世の一人旅、また西欧古代中世での女性の一人旅の著名な例など」を即座に示せる知識は今のわたしにはありませんが、課題として受け止めます。高貴の身分の女の一人旅はまずないでしょうし、たとえば十字軍遠征には兵士の家族・女子供たちの集団が従っていました、ただし一人旅ではありません。
記録として残された一人旅となると具体的には極端に限定されるでしょうが、さて、どんなでしょうね。とにかく旅は観光どころか危険に満ち溢れ命がけの旅だったのですから。
旅する女たち!! 女が何故旅するかという問いから深くそのテーマを考えたことはありませんでした。わたしに限って言えば、むしろ旅の道程、出会う人やものへの好奇心・関心があまりに強く先行してきたからでしょう。他者の事例に目を向けることで、同時に自分の旅を追及することも可能、確かにそのように考えられるでしょう。しかし、わたしの旅程度では本当に旅したといえるほどの旅
ではないと客観的に思われます。歩き続けた昔の旅と異なり、飛行機などの手段で気軽に移動でき、しかもツアーなど「保障された安楽なお仕着せの旅」も含めての話ですから。現在、女一人で外国を旅しているのを見かけるのは決して珍しいことではありません。
「そしてなにより鳶の旅を性格づけている根源は何かです。」
これが実は一番厳しい問いです。改めて考えるまでもなく、未知への関心と同時に、自身の内部の更なる切迫した衝動があったはずです。それを説明することはあまりむずかしいことではないでしょう。が、あえて触れないでおこうというのが正直な気持ちです。
ごく幼い頃、小学生の頃から異国への憧れはありました。異国とまでいかなくとも知らない土地に好奇心はありました。何処かに行きたい、行きたい、と。癖という言葉で逃げ切れるものではありませんが、癖に辟易しながら、やはり癖。逃避、脱出への願望、日常生活の期限付き否定・・そしてそこに見出せる高揚、爆発。旅に限らず、故郷という根っこから離れることも、その後のさまざまな住所への変遷も、あるいは、むしろ孤立無援を願うようなところも旅への希求と同じ理由によるものでしょう。
こうして書いていると、どんなにいい加減で世に拗ねた人間かと思われそうですが、当人は到って平穏な平凡な人間。少々枠が外れて既成価値判断能力が欠如しているくらいではないでしょうか。
たとい言葉を尽くしてもこの衝動を表現できないと思います。
あまり書くと鴉と対極的に思われて、悲しい気分になります。いずれ細密な点検をしなければいけなくなるでしょう。自由に動けるだけの健康がどのくらいの年月残されているか、時間との闘いでもありますから。
とりとめなく際限なく個人的なことを書いてしまいそうになります・・。
志賀直哉の若い頃からの友人への思いを書いた短編、そして今日の随想、いずれも深い感想をもちました。
この年末年始は多忙を極めそうで、今から戦々兢々。せめてそれまで暫らくの間、楽しいことをしたいと思っています。
風邪ひきませんよう、よき日々でありますよう。   鳶

* むかし『風の奏で』と題して長い複雑な話を小説にしたとき、この題を「旅」と名づけてもいい「歴史」の意味と考えていた。人生も旅だが、人生などとまだ考えつかない少年の昔から「歴史は旅」だと想っていて、歴史に心惹かれた。「風」が歴史的なら「奏で」は歴史の歌声、あの場合は藝能が念頭にあった。
「女の旅」は今の仕事の関心ととても重なり合い、ひとつのヒントに「後深草院二条」の旅がいつも念頭にある。
この人は大納言の娘であり、母は後深草院に少年の性を手ほどきした添い臥しの貴女、いわば後深草天皇の性的な初恋の人であった。その娘と生まれた二条は生まれてまもなくから後深草に育てられ、後深草により女にされた。
その後深草のはからいで宮廷の何人もの皇族貴族たちとの男女関係を強いられたあげく、その後深草院により宮廷から追放された。その後、この人は、諸国を「旅」の境涯に流離い歩いた。
後深草院二条は貴族の女。だが、その私小説『とはずかたり』を読めば、彼女が貴族的であったかと読めるのは、遊女達の宿、宿を縫い歩いていた後半生であり、宮廷にいて天皇に寵愛され玩弄され貴族らの相手をしていた時期の方が、むしろ遊女のようであった。そして遊女が貴族的であり得た歴史は、日本では決して短くなかった。天皇や貴族の子を産んで、教養豊かに勅撰和歌集にも和歌を採られた遊女は珍しくない。教養素養だけでいえば江戸の花魁がそうであったではないか。女の旅といえば、奈良時代既に遊行女婦がいた。小野小町も和泉式部も遊女とよばれた「うかれめ」であり、小町や和泉にとどまらず清少納言にも遍歴の伝説がある。

* 旅する女達にはよかれあしかれ遊女の魂が宿っていた、日本の歴史だけで観れば。
今日、女の一人旅はグローバルな範囲で珍しくないが、いまもなお当然かのように危険もともなうと報道が繰り返される。日本の過去では、女一人の旅を男の襲うことは「めとり」と呼ばれて禁じられながら黙認ないし公認されていた。さればこそ女の旅には実に工夫と防備と覚悟が必要だった。後深草院二条の旅は奇蹟を縫い取るほどの難しい、而も自由闊達で誇り高い旅だった。希有も希有な象徴的な旅人。
2010 12・15 111

* 千葉大学の竹内清己教授過褒のお手紙をもらっていた。

* わたしの掌説「鯛」をとくに選んで、或る会で朗読したという岸野有美子さん、例年のように富山の鱒寿司と烏賊墨の「黒漬け」を下さった。腹も老酒でも、いまは足りているのだけれど、せめて大好きな烏賊墨で日本酒をちと戴きたい。モリア・ピレシュの美しいピアノが、静に終わるまで待って階下へ。
2010 12・16 111

* 富山市の読者から、「よね田」の「福丸かぶら寿司」を戴いたのが、旨さに驚いている。蕪と魚と米糀殿絶妙のバランス、なによりも甘みも出た蕪の味よさ美味しさに感動し、すぐ店へ電話して正月用に注文。
昨日は山口県から戴いた菓子「生絹(すずし)豆子郎(とうしろう)」の美味にも感動して、お店に再注文。これはそう日保ちしないが、まさしくアト引く旨さに、降参。
老人夫婦があてどなく街へ出掛けて買い物は、ムリ。おいしいものは電話して届けてもらう。すこし贅沢だが、体の負担を思えば簡便に済んで有り難い。
2010 12・19 111

☆ 遠 様
しばらく振りです、お変わりありませんか?
明後日のお誕生日おめでとう御座います。
色々とご活躍、うれしく思って居ります。
時々「私語の刻」開けて居ります、特に歌舞伎の項に力が入ります。
私は、春より体調が悪かったのですが、今は、何とか無理をしない様にしております。
今年は特に紅葉が美しく、東山連山歩いて来ました。
懐かしい写真を送ります。
新しい年に向けてお互いに健康であります様に!
無茶せんと、お元気でね!   翔

* ありがとう。この人もわたしから初めて茶の湯の作法を習った下級生で、作法の姿・形のいいこと飛び抜けていた。お茶の先生をしているかとも伝え聞いていたがさだかでない。お子さんがあるとも孫があるとも知らない。わたしが東京へ出てきて以来、数十年顔をみないが、「湖の本」はずうっと応援してくれている。学校友達では、中高校時代の人がいまも数多く応援してくれる。
懐かしい写真、か。歌の中山紅葉の清閑寺、石段を登っての二脚門。この人が初めて連れて行ってくれた。後の後の後に、新聞小説『冬祭り』のラストーシーンにこのお寺を大事に使った。
そして紅葉の照った清水寺の舞台。懐かしい。いま、清水寺、清水坂にゆかりの小説を書いている。『能の平家物語』の「熊野」にささやかに予告がしてある。
2010 12・19 111

* 朝一番に、めで「鯛の浜焼」を戴いた。
2010 12・20 111

☆ お祝い
お元気ですか、みづうみ。
お誕生日おめでとうございます。
天才とは世にもふしぎな美しい悪夢をみている人と言いかえることもできると、わたくしは思います。みづうみの掌説を読むと、とくにその思いは強くなります。
裁判の和解は遠いことかと拝察していますが、そのことも含めてみづうみの新しい一年の幸いの益々深まりますことを願い信じています。
そして、みづうみの悪夢のなかに、わたくしが少しでも安らかな夢として、忘れられずに存在できますように、そう念じています。
蛇足ですが、浦島太郎になるにはまだ早いですから。   海雀

☆ お誕生日おめでとうございます。
凛とした寒い朝は、先生に似合っています。
このところ、書くことに急かされ、しかも書けずに行き暮れて、年の瀬を迎えてしまいました。
でも、「私語の刻」拝読は就寝前の私の習慣になっています。
来年も、夢うつつのあわいの中に独自な世界を拡げた秦美学に遊ばせて頂けることを楽しみに。野宮

☆ ますますのご健勝を
お誕生日おめでとうございます。
「凶器」を拝読いたしました時には、御覚悟のほどが垣間見えて、ショックでしたが、今日の日をむかえられ、一読者として、ホッといたしました。
顧みれば、先生には、家内の死より、これまで身に余る沢山の御励ましをいただき、私も、今日まで生きてまいれたと有り難く、心より感謝いたしております。日々、いよいよ人の「人情け」を有り難く、身に沁みて尊いものに感じております。心より御礼申し上げます。
最近は、「古今」や「新古今」を読みましても、「老い」を詠った歌や辞世に心が惹かれ、しばし思いを止めてしまう年に、私もなりました。表面だけでは理解できない心ー内面の「老い」や「死」を、人はどのように受け入れてきたのか、(「凶器」にわたしは先生の生死観を、言葉ではなく心として感じました。)今は、それを学習する思いです。
志賀直哉にしても、60歳以降の日記や書簡に惹かれます。また正宗白鳥には晩年の旺盛な創作に感心し、思想の移ろいをたどる思いです。未熟な夭折の文学ではなく、真に大成した円熟の文学を、わたしは、日本文学に探しあてたいと思っております。中村真一郎の「老い木に花ー」はやはり円熟ではないと思っております。未完成ですが。やはり円熟としては失敗だろうと思います。
「円熟の文学」を、eー文庫で特集編纂いただければ、有り難いのですが・・・。
どうぞ、先生には、ますますご健勝でありますよう、そして、生命に触れる文学ー「湖」のような文学を、絶えることなく豊かに生み出され、一作でも多くの御作品をわたしたちが拝読できますことを、心より祈念し、お待ちしております。
拙い片言を並べた文章で申し訳ありませんが、ただ感謝の思いを申し上げたく、失礼ながらメールさせていただきました。 失礼の段がございましたら、お許しのほど、御願い申し上げます。  瀧

* ま、今夜はなんとなく甘えた気分のまま、前夜の寝不足を取り戻そう。
2010 12・21 111

* 吉備の人に、二た色特選の「御前酒」を頂戴し、加賀の人から名産の「棒茶と大福茶」を給わった。
共に私よりも年長の友であり、さかさごとで恐縮し、深く感謝申し上げます。
少し年若い方であるが、讃岐の人からも好物のうどんを三十食分も送って頂いた。年越しもできれば、正月も迎えられる。ありがとう存じます。
2010 12・22 111

☆  風、お元気ですか。
風邪の症状は、ファイナルステージです。
今シーズン、二回も引いてしまったから、もう引きません。
網野本、かなり専門的ですね。はじめて聞く用語がたくさんあります。
勉強しがいがあります。
風、いつものようにたくさんの本を並行してお読みなのでしょうか。
花も、風の真似して(風ほど数多くはありませんが)、いつも並行して数冊読んでいます。
さてさて、花は、先日BS2で放送のあった「日めくりタイムトラベル」を見ました。
「昭和33年」が特集されると予告されていたので。
赤線完全廃止の年です。
赤線のトピックには、少ししか触れられませんでしたが、代わりに、テレビ番組「月光仮面」製作裏話を興味深く聞きました。
戦後、アメリカ文化がどんどん入って来る中で、コンテンツ不足の日本のテレビ界は、アメリカのドラマを、貴重な外貨で買い入れ放送していました。
だったら日本で作ってやろうじゃないかと、川内康範は思ったそうです。
映画全盛期に映画会社と専属契約している俳優は使えず、大部屋俳優に声をかけ、少ない制作費ではじまったドラマが、またたく間に人気番組になりました。
シンプルな筋書き、月光仮面の悪人たちへの説教臭い台詞、など、今見ると、完成度は決して高くないけれど、「正義は勝つ」なんてことを、当時の子供たちは「月光仮面」に教わったといいます。
クサいくらいの月光仮面の正論は、眼の前の悪人の向う、未来を担う子供たちに向けて発せられていたのだと思います。
現在、そのような志の感じられるテレビ番組があるだろうか、と考えさせられました。
また、川内康範の死後、遺産を相続した息子さんが、インタビューに答えていました。
息子さんの幼いときに離婚し、母親の元で育った息子さんは、生前川内康範とは交流がなかったそうです。
父親に対してはいい印象がなく、もらっていた手紙も、未開封のまま置いておいたそうですが、遺産相続をきっかけに、開封してみると、そこには、確かな息子さんへの愛が綴られていました。
「君が成人したら、僕のことをいくらでも批判してくれ」というようなことも書かれていました。
息子さんは、「月光仮面」放送当時、11歳。
ひょっとして見ているかもしれない、会うことのままならない息子への、川内康範からのメッセージだったのかも知れないと、息子さんは、声をつまらせていました。
芹沢光治良の『死者との対話』を思い出しました。
かけがえのない愛する人へ語りかける気持で創作すること。
そのように創られたものが、時代を超えてゆく。
ウン、ウン。ではでは。 花

* わたしもチラと「昭和33年」を見掛けたが、月光仮面が出てきてテレビの前から離れたのだった。学部を出て院に入る年だったから、月光仮面とは縁がなかった。主題歌だけは耳にして記憶しているのだが。子供達のまだお唱歌合唱スタイルの歌であった。
あの手のモノでは、テレビではないが映画や紙芝居に「鞍馬天狗」や「怪人二十面相」などが先行していて、新時代の焼き直しとしか思わなかった、今もそう思う。
作者父子の胸に迫る因縁については、わたしにも体験があり、敢えてワキに置くが、「「正義は勝つ」なんてことを、当時の子供たちは「月光仮面」に教わったといいます。クサいくらいの月光仮面の正論は、眼の前の悪人の向う、未来を担う子供たちに向けて発せられていたのだと思います。」と「花」さんは肯定している。そうかなあ。
昭和三十三年生まれの人は、当然「月光仮面」は見ていない。見ていたのは当時五、六歳からせいぜい十歳、敗戦前夜ないし戦後早々生まれの人達であり、その世代は現在只今の日本ではほぼ仕事を「上がった」初老世代、つい昨日まで働き盛りだった人達だ。しかし、この人達が「日本」を任されていた戦後の五十年体制の中で、行政に、司法に、立法に、また企業に、マスコミに、どれほどの「正義の味方」という生き方で働いていたか、大いに大いに疑問だ。子供に対して「正義の味方」を押し出すのはケッコウで悪いことでないが、その子供がもう青年になったときはきれいさっぱり「正義の味方」であることに背いていたではないか。正義は行われ難く、各種の不正に根を生やしたバブルが栄えて潰れた。
「正義の味方」なんて、そんな口舌(口舌)は、うわすべりな口説に過ぎなかった、何の役に立ったとは見えていない。時代はますます悪くなった。便利になったというだけか。彼ら「月光仮面」児童が、青年時代より成人して親になり管理職になる頃には、ますます日本は精神文化的にはひどくなっていたではないか。所詮、低俗に作られた娯楽は消耗品であり、本当に一人一人の人の真に励まされたモノは、そこに生まれた深い感動で自身の内面や行為を律したモノは、ホンモノの価値高い藝術美術文学演劇等であったろうし、優れた人の優れた生き方から励ましと努力への糧を得た。また、美しい自然の静謐や、歴史からの恵み物から宝を得たのである。
「月光仮面」の懐かしい人達がいて自然当然であるが、それに類似した物は、どの世代の人達にも存在する。懐かしいこととそれが人生を励ました鼓吹したと謂えるのとは、異なったまるでべつものである。違うのである。
「現在、そのような志の感じられるテレビ番組があるだろうか、と考えさせられました。」という感想にも、わたしは、頷きにくい。そういう類似品なら幾らも在るのかも知れないし、在る無いの問題でなく、ほんとうにそれは「志」と謂うに値した意図かどうかが問題だろう。「志」とは、言語の尤も崇高なエッセンスである「詩」と、同意義をもっていた。凡千万の作物のなかで作品という品はその「詩」「志」で成される。それは「正義の味方」というような幼稚な概念からは生まれていない。
もっと露骨にはカネ勘定の受け狙いで企画されてきた広義の興行ものは、掃いて捨てるほど在る。そのどれが時代の「志」を成して人を奮い立たせたか。在る。かならず在る。が、ちょっと十、二十とはなかなか容易に思いつかないだろう、誰にでも。むろん、連日連夜の殺しドラマでも、正義の味方として悪を憎んで創っていますと謂えるのであり、たしかに中にはすばらしい作もある。だが、すばらしい作であればあるほど「正義の味方」などと概念的な姿勢では創られていない。概念が思想の顔をしても、人は、子供ですら動かせない、ないし悪く悪く薄く動かしてしまう。
謂うまでもないそういうのを「成心」と謂う。「成心」とは、前もってこうだと決めてかかっている心や姿勢、先入観、下心、せいぜい心中に、はなから目論んでいた気構えである。人を無心の内に感動させ、しかもそれが沈澱して人生に資するほどのものは、安直な成心からは生まれない。
大人が子供に向けて「正義の味方」型の説教をし始めるときは、危険なのである。そんな模型は小学唱歌にも童謡にも演歌にもあった、露骨な顔をして。

☆ 志賀直哉 若き世代に愬ふ(日本ペンクラブでの挨拶) 昭和二十二年六月二十六日より
日本は此戦争で若い人々を大量に殺してゐます。これが十年、二十年の後、人物の貧困時代として露はれるのではないかと私は心配して居ります。さういふ時代が実際、眼のあたり来た場合、吾々は手のつけやうもないと云ふやうな、変な空虚な感じがするのではないか
そして、今の世相は既にさういふ時代が来つつあるやうな印象を受けます。

* 直哉が会長として講演会で挨拶したこの年ぐらいに生まれた人達が、十歳前後で「月光仮面」を見ている。作者の「正義の味方」を将来に待つ成心と、直哉の戦争から受けとった日本の未来への不安とは、どちらが的を射ていたか。明瞭である。
2010 12・22 111

☆  風、忘れないでくださいね。  花
たくさん書いておしえてくださって、ありがとうございます。
直哉のことば、深く胸に刻みました。
正義は勝つなんて、上っ面かも知れませんね。
闇から闇へ葬られる罪無きものの多い現実社会でしょう。松本清張を読んでみても。
最近、花が個人的に、正義は勝つ、というような事象を体験したので、そんな気になってしまっていたのかも知れません。
年明けても、まだまだ法廷のことで気を病まなければならないようですね。
訴訟というのは長くかかるもので、終結がいつになるか、出口の見えないトンネルを覗く心境だと想いますが、風に負担のできるだけ少ない結末を祈っています。
また、法的に争われることと、「真実」とは、別の次元にあるということを、風を想う人たちは理解していることを、忘れないでくださいね。
お元気ですか、風。ではでは、風。

* 忘れていない。ありがとう。
2010 12・23 111

☆ こちらで最期の冬を過ごしています。

秦さん
メール、ありがとうございました。
「今しかできない勉強を」の一言、ありがたく、重く、受け止めています。
「龍勢」は竹原という古い小さな町のお酒です。私も、一本、買いました。今年はもう嗜む余裕がないので、年明けまで封を開けずとっておきます。もう、ご賞味くださいましたか。
仕事は、次世代の商品の立ち上げ準備で、忙しく過ごしています。
転職の決まっているとはいえ、まだ後任は決まっておりませんし、当然、同僚や取引先には知らせていません。
ここ数年、クリスマスは恋人と過ごしていますが、明日は仕事で取引先の工場に張り付きます。
十年、いや二十年に一度あるかないかの、大規模の新規開発が、ようやく量産にたどり着こうとしています。最後の一山を、なんとか乗り越えることで、ひとつ成長できると思います。
今年に入ってから、英米の小説を原書で読むことを日課にしています。
「かもめのジョナサン」から始めて、寓話や大衆小説を楽しんでいます。
今は「老人と海」を読んでいます。
老いた漁師は、カジキマグロを獲ろうとしながら、不思議と親しげに語りかけています。
生きるか死ぬかの緊迫感の中に、どこか愛嬌の感じられる、面白い小説です。
「こころ」の英訳版も読みました。
簡潔に訳してあって、ずいぶん前に読んだ原作をほとんど思い出すことができました。「先生」は、「私」に「静」を託していったのだなあ・・・と、頷きながら、読み終えました。
大三島の神社は、一度、訪れました。
推古天皇の時代に建てられた、と聞いた覚えがあります。
大三島は「しまなみ街道」に並ぶ島の中では、最も広く、意外に山も深く、表情豊かな島でした。
瀬戸内の海は、淡い水色の光る中を、貨物船やフェリーが行き交います。こちらに暮らして、一番、気に入っている風景です。
秦さんの創作で再会できる日を、楽しみにしておきます。
急に寒さが戻ってきました。来週には故郷へ帰りますが、飛行機の滑走路が凍らないか、少し心配です。
父と母は、少しずつ年を重ね、体調は気がかりです。
恋人は、日曜日から九州の実家に戻り、毎日、母親が入院している病院に通っています。
夜毎、電話をかけながら、そっと見守っています。
父のこと、母のことを、思っています。
秦さん、迪子さんともども、どうか、お体ご自愛ください。
よいお年を、お過ごしください。   理

* ちょうどいま、「龍勢」を一本、飲み干そうとしている。いい辛口で酔い心地に侠気のような活気がある。
この青年にいちばん望んでいたような勉強をしてくれていて、頬が嬉しく緩む。せいぜい、現代の選り抜きの「作品」に触れて欲しい。それと、彼らしい沈思と表現との時間も。
さもあろうか、彼が私に手紙を始めてくれたのは、中学へもまだかという頃だったろう。九大を出て、いい就職も果たして、大きくなっているわけだ。そして決意の新年が迫ってきた。視野にはご両親への孝行も組み入れられていると思われる。応援を惜しまない。
2010 12・24 111

☆ 秦恒平様    吉備ひと
御多忙のなか身辺の様子を手に取るように細かくお知らせいただき有難いことでございます。
秦さんのエネルギーはどこから湧いて来るのでしょうか、これまでの経験に裏打ちされた自信と気力によるところが大きいのでしょうね。私はいつも元気づけられています。
読書についても秦さんの私語の刻で触れられている本をよく読んでいます。長い間本棚でくすぶっていた本が日の目をみて喜んでくれていると思います。人並みに読書しますが上っ面を撫でるような読み方しかできないので身につきません。
若い頃ウイリャム・ブレイクに凝ったことがありますが難しくて中途半端に終わりました。少し心残りがあって最近あらためて読み直していますが魅力があるのにやはり難しくてすっきりしません。
今年は健康面ではあまり問題なく過ぎました。
耳鼻科で聴力検査を受けて老化による低下があると診断されました。
10月にはソケイヘルニアの手術を受けましたがごく簡単にすみました。
6年あまり前の肺がん手術も新たな問題は発生していません。
私は身長が低くて子供の頃からいつも一番前の席だったり,列の先頭だったりでした。1.6メートルの身長が今はさらに縮んでいます。体重も50キロ前後です。
東京都の神社数は1,398あると東京神社庁のHPに出ていました。
秦さんにならって私も何か新しい計画をたててみようかなどと思っています。
どうかお二人とも元気で新年をお迎えください。
2010 12・25 111

☆ お元気ですか、風。
元気は元気ですけど、咳が出ます。
昨日は、咳のせいで、ひどく消耗しました。
今日はだいぶいいけれど、少し苦しいです。
整えて呼吸するよう気をつけています。
それでも明日は予定どおり夫と小さな旅に出かけます。明日になれば、もっとよくなると思いますし。
昨日今日と、富士山麓はものすごい風が吹いていて、冷え込んでもいますので、明日も防寒をしっかりして行きます。
直哉ら白樺に対する藤村の予言、そのとおりになりましたね。
とても興味深いです。
藤村のように、常に後ろに道のない人と、「生活費はどうやって得ているのだろう」と、まず不思議に思ってしまう小説を書いている直哉との違いもありましょうか。
藝術家は晩年に向かって成熟してゆくのが当然の考え方と思っていましたが、「仕事の性質上」起こらないのではないか、と書いた直哉は、小説をどういうものと捉えていたのでしょうね。
ではでは。
今季の風邪は咳がつらいですから、ひかないでください。 花

* 「藝術家は晩年に向かって成熟してゆくのが当然」かという問題は、簡単ではない。「成熟」という言葉で云えば、「老年」との闘いは容易でなく、よく云う、佳い意味で「枯れて」ゆくのを成熟というならべつだが、富岡鐵齋の達成などはむしろ驚嘆するしかない異例ではないか。画家の場合は幸せに成熟し大成達成する人が少なくない。
しかし文学の場合雨月物語が春雨物語に「成熟した」と強弁すれば謂えるだろうが、印象はいい意味で「枯れ」て達成している。
芭蕉の俳諧などが「成熟」と「達成」の極と謂えるかも知れない、俳諧や和歌短歌にはありえても、小説家の場合、直哉の、ためらった表白は存外に正確で適切なのではないか。
むしろ「藝術家」は晩年にむかって「人間」として成熟するのではないかとなら、理想的に謂って直哉のようないい実例がある。露伴や鴎外にも感じる。漱石にも感じる。潰れて行く人もある。三島も川端も太宰も。文学も痩せて行く。
潤一郎は、その点、豊かな大輪として咲ききって亡くなったと思う。
2010 12・25 111

☆ 前略  蔵
このまえは『秦 恒平・湖の本』104105をご恵与下さりありがとうございます。まだ全部を読んだ訳ではありませんが、秦さんの日本文学への見識の広さ、とりわけ新鮮さに驚かされました。私は文学・文人の世界に無知な人間の一人ですが、定説を超えて作品と作家の本質に迫る秦さんのような姿勢が好きです。梅原猛さんとも通じ合うものがあるのもよく分かります。
先日。北澤街子さんのところの本をいくつか読んでいて、北澤恒彦さんの本の年譜に秦さんの項があり、ああ、ご兄弟なんだと知りました。
今回初めて秦作品を読み、お二人が随分違った道を歩まれたことにひととき感慨にふけりました。
なおご参考までに私が利用している最寄りの図書館のアドレスを記します。
我孫子市民図書館
どうぞ良いお年をお迎え下さい。

* 恐縮です。感謝。

* サンデーモーニングの話し合い番組を比較的健康で落ち着いたトークの故に信頼している。今朝の「特集」の話し合いには、つくづく身に迫るものがあった。
日本の、アメリカの、崩壊的な惨状。「豊か」と云うが物的充足と便利を求めるだけで、内なる深まりや安定とは関係なく、ひた走りに走ってきて、多くの人は孤立感に陥り、勝ち組意識の人達には福祉のセンスなく、家庭も家族も肉親も酷いほどバラついている。番組を聴いていて特徴的だったのは、愛、愛情という言葉が、誰からも一度も使われなかったことだ。

* 恋愛出来ずに、「付き合う」という言葉一つが即ち「性関係」の簡便な同義語となり、「付き合い」を求めるばかりの若者がうようよしはじめた頃から、へんな時代は加速してきた。いまや恋愛はおろか豊かに深みのある「性関係」すら払底しているのではないか、じつに簡単に付き合って別れ、また付き合って別れている。
愛情が人間的なものでなく、動物以下に生理的な一過性欲望だけに無化しているようだ、大学生達と接し始めたころ、わたしはしばしば彼らの恋の貧しさと不器用さに驚かされた。

* 滋賀県の久しい読者から、例年のように近江の名酒と、自家特製の梅干とを頂戴した。有り難い熱い読者であったご主人が、湖の本が始まってまだまだ早い内に病気で亡くなった。この人は、梅干しなどを漬け込む名人だった。奥さんはその遺志と技とを引き継いで、毎年丹精の梅干しを送ってきて下さる。「湖の本」も愛読し続けて下さっている。

* 社会にも家族や家庭の中にも人と人との繋がりが崩落し、孤立感と不安に苛まれている今日に、「湖の本」を介して、「仕事」を介して、おかげでわたしたちは、本当に豊かな気持ちに触れあって心豊かに日々過ごすことが出来ている。「湖」は広くはならない、狭まり続けているとも云わねばならないが「深く」なっている。感謝している。
「身内」という独特に意味づけたことばをわたしは文学的に久しく抱いてきた。書いてきた。創作や文章を介した「いい読者」「ありがたい読者」と「作者」の間柄こそ、「身内」というに一等近いという措信と愛とが、即ち「湖の本」という表現なのである、わたしにすればそれが渾身の「創作」であったのだ。
2010 12・26 111

* 心はずまぬ冷え冷えとした一日。

* 千葉の勝田さんがプリンターを新調し、機械で描いた「繪はがき」を送ってこられた。
ピカソのような面白い繪で。多才だなあと感服。

* 隣棟に片づけたままの茶道具を、大方こっちの家に移転した。眺め眺め、可能な人から形見分けして行きたいと思う。その為には、薄れている記憶に実物を自分の手に持たせ、感覚を取り戻さなくては。茶の間にもう一度炉を切ろうかとさえ思う。炉畳も炉壇も炉縁も保存してあるのだし。しかし、正座は出来ませんなあ、とても。
しかし、茶の湯に趣味のある人、東京では多くは出逢わない。出逢っていてもあまりお年寄りでは仕方がない。
2010 12・27 111

* 郵便事故かと二つ気がかりにしたのが、ふたつともちゃんと届いていた。連絡があり、ほっとした。
2010 12・28 111

☆ お元気ではないようですが、
お元気ですか、みづうみ。

>「身内」という独特に意味づけたことばをわたしは文学的に久しく抱いてきた。書いてきた。創作や文章を介した「いい読者」「ありがたい読者」と「作者」の間柄こそ、「身内」というに一等近いという措信と愛とが、即ち「湖の本」という表現なのである、わたしにすればそれが渾身の「創作」であった。

湖の本を通して、身内に一等近い場所に、みづうみと共に生きられることの幸せに深く感動しています。ありがとうございます。
世間は明日で仕事納めです。仕事納めはおありにならないのかもしれませんが、どうぞ年末年始くらい楽しんでくださいますように。(食べ過ぎ飲み過ぎはいけませんが。)

明日というより今日、火曜日BSハイビジョンでで夕方から小田実さんの番組が三本続けてやるようです。わたくしの感動した「世界わが心の旅」も。
どうぞご無理なさいませんように、お元気にお過ごしください。わたくし料理人はこれからが大忙しです。 蕪

☆  ありがとうございました。
一首ずつていねいに解説がついており、しかも上代から現代まで網羅したものがあるとは思いませんでしたので、本当に嬉しく、感謝申し上げました。
寒さが急に厳しくなり、お体に堪えると存じますが、どうぞどうぞご自愛くださいませ。
秦先生がいらしてくださるおかげで、日常で忘れていても歌に戻って来られます。戻る場所のあるのは嬉しいものですね。
よいお年をお迎えくださいませ。   馨
2010 12・28 111

☆ 秦さんへ
日が当たっているうちは暖かい年の暮れです。(両親の家が=)煎餅やの頃は、暮の二十九日は「ちん餅」を搗くのは休みでホッとしました。今毎年、暮れ正月に(医師として=)超高齢者と暮ら すとは思いもよりませんでした。投華得仏、これからも「出た目」を大切にしたいと思います。
来年の兎は、小林古径のが好きです。
新年も秦さんの思う存分のお仕事が出来ますようお祈り申し上げます。  勝
2010 12・29 111

* 桐生市の久しい読者から、葱で名高い下仁田の葱をたくさん給わった。ありがとう存じます。

☆ いつも湖の本ありがとうございます。
先生・迪子奥様 お変りございませんか。    私こと、
昨日(二十八日)午後五時まで会社で仕事をしておりました。
今朝主人と二人で下仁田まで葱を受け取りに行ってきました。
少しですがお送り致します。ご笑納下さい。
次回配本 心待ちにしております。
今後とも良きご指導の程お願い申し上げます。
平成二十二年十二月二十九日
秦 恒平様
迪子様           拝
2010 12・30 111

☆ 25日に市川の姉の夫がなくなり、葬式に参列するために、日帰りで上京しました。
年末のせわしさが一段落して何気なくひさびさにメールを開いて見ましたら、秦さんからのおたよりがありました。返信が遅れた事おわびします。
とりあえず受け取りのメールをしたためてみましたが、はたして無事にとどくかわかりませんので、同時に手紙も書きました。
お体お大切によいお年をお迎えください。奥様にもよろしくおつたえください。   哲

* ちゃんとメール届いていますよ。
「哲」さん  これで気軽に話しかけることが可能です。自身の悪筆を厭悪のあまり手書きの筆記具は手帳にぐらいしか使わなくなり、失礼を重ね続けてきました、許して下さい。
ときどきは、メールも御覧下さい。
もっとも、このごろではホームページの「私語」をいろんな意味でのメッセージとして用いています。ホームページ「私語」にはいろいろを順序もなくそのつどつど書き込んでいますので、お気持ちの動いたときは、割り込んでお気持ちなどお寄せ下さいますよう。
大晦日も晩になりました。例年大晦日には買い物の用に追い立てられるのでしたが、今年は昨日に済ませてしまい、おかげでゆったりと仕事なども出来ています。ハハハ。
では、お大切に快く新春をお迎え下さい。  秦 恒平*

* ロサンゼルスから、すばらしく温かで軽々としたカーデイガンが、妻のとわたしのとお揃いで贈られてきた。すてきな手触りのやわらかさ、わたしのは黒で、妻のは白で。一足早く届いたお年玉。ありがとう。ありがとう。
2010 12・31 111

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