* 源氏物語の映画を観、妻が煮たうまい椎茸と高野豆腐と蒟蒻とで、藤田理史くんのはるばる送ってくれた美味しい酒を呑んでいた。そばで京都から帰ってきた建日子がもくもくと機械で仕事をしていた。親子三人と黒いマゴと。静かだが温かい。
メールの賀詞も、数十。賀状も、昔ほどではないが二百近くか。まだかなり世間に繋がれている。
2009 1・1 88
* 朝、親子三人で雑煮を祝う。『マウドガリヤーヤナの旅』の前半を読む。
* 午後建日子は用事で出かけ、留守にひとしきり片づけ仕事して、夕過ぎ、入浴。
建日子が連れをつれて戻り、夕食。
昨日は、注文の洋風料理を食べ、今晩は和食のお節料理。
五十年にして初物づくし。
夫婦二人で元日の祝雑煮というのは、娘が生まれて以来初めてであったし、ずっと自家で妻がしていたお節料理も、ことし初めて和・洋とも予約注文にした。正直の所、妙に心寂しいうえに、ナンと言っても出来合いの冷え冷えした注文料理は、贅沢であって贅沢な割に代用食めいた。
2009 1・2 88
* 枕元の灯を消したのは四時半ころか。五時間寝て、四日の澄まし汁雑煮を祝った。熊本へ行っていた「珠」さんから、お土産の酒と菓子とが贈られてきた。感謝。
2009 1・4 88
* コクーンのあと、東急本店の八階「タントタント」でイタリアン。妻は甘いめのシェリー、わたしはドライシェリーを食前に。あとは赤ワイン。そこそこの献立ながら、イタリアンの味わいとしては、銀座三笠会館中二階のほうが、わたしは好き。
妻は、このごろアルコール二種類でも楽しめるようになった。元気がいい。街を歩いても、なんとわたしの方が置いていかれるほど。わたしの運動能力は目立って払底気味。やれやれ。
2009 1・7 88
* 新年早々、夫婦して歯医者さん。治療中は痛くなかったのに、夕方から痛みかけています。
* フレンチの「ラ・リヨン」で春一番の昼食。天光正春、けれど風はびゅうびゅう。シェフにおみやげ「オリーブの瓶詰め」もらう。
2009 1・10 88
* 初春大歌舞伎。昼夜を通して、水も漏らさぬ上出来の舞台がつづいて、大満足。舞台の評判は明日のことにする。
高麗屋の番頭さん達、「幸四郎からです」「染五郎からです」とそれぞれにお年玉を呉れた。恐縮、しかし目出度い。福祝いに、館内の売店で、黄金の小槌を二つ買う。
幸四郎の「俊寛」が最高の出来。幕切れまで、ピシッとみごとに。通俗な「置き去り俊寛」でなく、崇高な「居残り俊寛」の境地が静かに深い眼光に生きて、鳥肌だった。今まで幾度も色々に観てきた「俊寛」の最高傑作になった。昼弁当の「吉兆」へ入っても夫婦とも涙が乾いていなかった。
名も吉兆のご馳走にご祝儀の盃が出て。三十分の幕間では、もったいないが食べきれなかった。
昼夜のあわいにいつもの「茜屋珈琲」で、今年もよろしくと。うまい珈琲をすてきなカップで。ご祝儀にと「花びら餅」を夫婦にもらい、福祝いにと「折り鶴」も二つ。
夜の部にまた歌舞伎座に戻ったところで、藤間さんと顔を合わせ、夫婦とも機嫌よく少し立ち話。先日のコクーンでも。歌舞伎座でも。顔が合うだけで、とても気持ちの寛ぐ夫人で、妻もいつも会うのを楽しみにしている。
さて夜の部では、名酒「白鶴」を買っておいて、勘三郎の「春興鏡獅子」にうっとり、またはげしく惹きこまれながら、呑む。
大満足で果てて、タクシーで日比谷のクラブに入る。もうお腹も宜しく、妻はフレッシュジュースと抹茶のアイスクリーム。わたしはブランデーをすこし呑み、ほんの少しグラスに残したのをバニラアイスクリームに掛けて。
ブランデーと十八年の「山崎」とを置いているが、新年用にブラントンの佳いのを置き酒に買っておいて引き上げてきた。地下鉄と西武線とでゆっくり帰って十時半。まずまず。
2009 1・14 88
* 痛くなるかもしれぬとロキソニン十錠がついた。若い女先生の治療はやさしい。顔に触れる手があたたかい。冷たい手だと今日のような日はこたえるだろう。
帰途、やはり「ラ・リヨン」で食事した。好く流行っていた。赤いワインといっしょに妻もわたしも満腹。
やはり『生と死を考える』日本仏教の啓蒙書を熱心に読み続けていた。
2009 1・24 88
* 作業中断して聖路加眼科の予約による検査と診察に出かける。検査が午前中、診察は午後と。こういうのは時間ばかりたくさん必要で叶わない。ま、遊びに行くぐらいの気で。今朝も冷える。
* 病院に入って病院から出るまで五時間。検査と診察に要したのは、三十分か。おかげで前田愛氏の力作『樋口一葉の世界』を半ばまで読んだ。
検査から診察までの空き時間が三時間。仕方なく銀座に戻って「御蔵」でうまい昼飯をゆっくり食った。食ったというと物言いが荒いと感じる人もあろうが、誰であったかえらい学者が、せっかく「食う」といういい言葉があるのに、なんで「たべる」などと元々意味の違うことばを丁寧語のように謂うのだろうかと呆れていた。賛成する。「たべ」は、ものをもらいいただくいわば女言葉である。
京野菜を調理する店である、「御蔵」は。どっちかというと苦手なのだが、なぜともなく今日は洋食も中華食も、鮨ですらも重く感じられ、焼き魚と京野菜とうまい白飯の「御蔵」に執着した。ゆっくり本も読んだ。
2009 1・29 88
☆ 今日、宅急便をお送り致しました。 光琳
先日家で食べて美味しかったので、福豆の形をした白あんのお菓子です。
頂く時に楊枝で目を描くと、お顔みたいで可愛いです。
私は爪で跡を付けて、笑っている顔にして食べました。
お疲れの時に甘いものをお一つどうぞ ☆
今日は昨日と打って変って、青空です。
風は強いですが、スッキリさわやかです!
お疲れ残さず、お風邪も召しません様に。
* とても美味しく。わたしは和菓子を肴にお酒の飲めるぐらいどっちも大好きで、糖尿病のくせに食事の後、なにか甘いモノと催促する。いただいた菓子は上品で、美味しくて。嬉しく。
2009 2・1 89
* 校正を以て昼前から夕方まで、街に出る。それなりのことあり、帰りがけ足任せに入ったうどん屋で活き〆穴子うどん、鰤刺身などに鳳凰美田という旨い酒で、空きっ腹をやや満たして。
帰ると、さらに新たに単行本等の全書誌再校が届いていた。さ、しゃにむに進める。
2009 2・19 89
* わたしの娘は、大学の入学祝いに、中国にやった。尾崎秀樹夫妻ら「歴史と文学」の同人達の中へ、尾崎さんの娘さんら同世代が三、四人加わった。わたしは同人ではなかったが、長編の『風の奏で』をこの雑誌に二回分載したことがあり、一緒に行きませんかと誘われていた。代わりに娘をと、お願いした。
そういえば銀座の「きよ田」で、人に、娘なんかには「過剰サービスですよ」と言われたほどの鮨店でも祝ってやった。いまはない「きよ田」は、伝説的なみごとな鮨店であった。わたしが最初の中国訪問から帰国した打ち上げの食事会の後、同行した辻邦生さんが、井上団長をのぞく他の一行を「きよ田」へ連れて行ってくれた。
その以降、怖いモノ知らずのわたしは、よく「きよ田」で食を奢った。妻も連れて行った。店主が病気で店仕舞いになったあと、ながく、寂しかった。
2009 2・23 89
☆ 春は名のみの… ゆめ
週末には3月になりますから、少しは暖かくなって欲しい所ですけれども、東京では案外3月になってから、雪降ったりしますね。ここのところ、何回も風邪をひいたり、団地のいざこざに巻き込まれたりして、散々な私でした。(仕事も朗読も休まずにいっております。)
一月は誕生月だったので、千駄ヶ谷「五万石」にいってきました。お昼の「おまかせ懐石」でしたけれど、これがほんとうに美味!! 突き出しの「ブリ寿司」(鰤をこうじにつけたもの)にはじまり、「鰤のおつくり」など。とても感激したのが、目にも美しい「かぶら蒸し」で、温かく繊細なお味でした。どれも富山湾・氷見直送の品々で、海の向うに聳える銀嶺の立山連峰を想いつつ、しみじみ戴いたことでした。
いただいた『いま中世を再び』、職場にもっていって、昼休みに少しずつ勉強させていただいています。『湖の本』をいただくと、まず「私語の刻」から読み始めるのですけれど、先生おげんきでいらっしゃるなあ、と安心します。
* 「五万石」は国立能楽堂の帰りに一度立ち寄って美味しかったので、能登にぞっこんのこの人にもメールで教えておいた。一度いっしょに行っても佳いなあと想っていた。ここしばらく千駄ヶ谷を敬遠しているが、一度また行ってみたい。
2009 2・24 89
* 多年の友の持田夫妻からおてがみで、ちかづく金婚を祝って戴いた。栃木から巨大なほどの苺「とちおとめ」を、また所属学会の会長さんから四国のみごとな文旦を頂戴した。感謝。
2009 2・25 89
* 夕飯に、好い牡蠣で、鰹節と鶏卵をたっぷりつかい、粥を煮てもらった。旨かった。この昨今で、断然旨い晩飯だった。うまいものを食うと機嫌もよく気もはずむ。
2009 2・26 89
☆ ご結婚五十年をお祝い。 毅
まことにささやかですが、御結婚50年をお祝いして岡山の庶民的な和菓子「大手まんぢゅう」をお届けしたいと思います。
50という数字にこだわってみました。
お二人のお健やかな行く末を祈念します。
追記 リーフレットにも書いてありますが、冷凍庫に保存できます。電子レンジで10秒~15秒(?)温めれば柔らかくなります。
* 恐れ入ります。お菓子って、戦時育ちの昔少年にはたまらない誘惑で。甘いものなど金輪際見当たらない時代であったなあ。
今日、北さいはての美酒「鬼ころし」も、若い友達から贈られてきた。ありがとう。わたし、二刀流の達人なんだなあ。
2009 3・6 90
* 岡山から、五十をびっしり二段積み、櫻の匂いのそれは美味い備前名物「大手まんぢゅう」を戴いた。頬が落ちそう。すばらしい。妻が歓声をあげて感謝し、すぐ戴いた、お茶があとになってしまった。ありがとうございます、有元さん。
2009 3・7 90
* 和歌山の三宅貞雄さんから名酒「羅生門」、桐生の阿部君江さんから、名酒「起龍」と「赤城山」とを頂戴した。持田夫妻に頂戴した「金婚」と銘打った「美意延年」を、今しも、したむところ。そのまえに若い人からの北海道北の果て國稀の「鬼ころし」を賞美。感謝。
どういうのだろう、もう何年も何年も糖尿病の診察と投薬とを受けていながら、お酒も甘いものも、むろん気遣いながらだが、好きに戴いている。五十頂戴した岡山の「大手まんじゅう」も美味しく戴いた。心身、元気にしている。
2009 3・16 90
* 恐れ入ります。頂戴の名酒「美意延年」文字通り舌鼓うって一滴くもあまさず頂戴しました。お礼申し遅れましたこと、お許し下さい。 湖
2009 3・18 90
* いつもの宿が「満員」ということで、スポンサーが別に室町通りに用意の宿は、食堂もない簡易な宿。
それなら自前でたのしもうと、木屋町の「たん熊北店」に五時にとびこみ、いつもと違いカウンター席になったけれど、主人が土間に出ていて、あれこれ和やかにいろいろ話しながら、板さんたちが腕によりをかけた春料理、最上のコースで、究極という京料理を満喫した。満腹した。「熊彦」という店独自の酒もうまく、二本、家に送ってもらうのも頼んだ。
あいなめの鍋のかわりにすっぽんを薦められたのが、目の前でつくられた顎の落ちそうな美味で、座敷で床の間を背負ってちんと独り食べるよりも、にぎにぎしい佳い席をもらったと満足、大満足。
店の表まで主人や板さんに見送られて恐縮。機嫌よく河原町を歩いて、昔なつかしいカメラの「さくらや」をひやかしたり、店員と昔語りしたり、喫茶店の「六曜社」で昔ながらの超大カップのうまいコーヒーを呑んだりした。何十年ぶりに入ったが、昔と同じごく若いお嬢さん等が三人ほどで店をしきっている。昔のままだねと笑うと、昔のままなんですと笑う。そういう店なのである。
2009 3・23 90
* 朝飯の用意もろくろく出来ない宿で、コーヒーとパンだけ。チェックアウト。
晴天。しかし空気はきゅんと冷えていた。柔らかい軽いチョッキを背広の下に着込み、会議のスポンサーのもとへ荷物を預けると、すぐタクシーを拾った。
* 五条から山科へ。
静かな随心院で、紅梅の残りの色を晴れ晴れした日光のもとにながめ、次いで醍醐の三法院へ。門内の枝垂れ桜がもうはんなり咲き満ちていて。嬉しくて声が漏れた。
庭園も、しみじみ眺めてきた。晴れやかだった。廊下を行く足の裏は冷えたが、豪華に贅沢な嬉しさの満ちたこの寺に来ると、いつも胸が暖かに膨らむ。分厚い動感と達成があるのだ。
足を伸ばし日野の法界寺へ。人ッ子ひとりない。阿弥陀堂をあけてもらい、定朝の大佛さまにひとり向き合って静座し、念仏百遍。ありがたい像容の、こうまぢかに阿弥陀如来に真むかっていると、もう宇治の鳳凰堂まではいいだろうという気がしてしまう。それほどよく似ておわす。
宇治川も見てみたくはあったけれど時間にせわしく追われたくない。で、一路、御蔵山越えに黄檗山萬福寺へ車をむけ、そこで車は返した。
なに、わたしのは萬福寺参詣でなく、門前、普茶料理の白雲庵に久々に入りたかった。すっかり空腹になっていた。ここも晴れ晴れと明るい出迎えで。開店の十一時に十五分前だったが上げてもらい、眺望のいい大広間をひとりじめに、若い仲居さんのこまごましたサービスに与りながら、なつかしい精進料理に、人肌の銚子酒を一本、舌つづみ。窓から遙かなこんもりと青山や大竹藪がじつに春そのものの色よさ。風が流れている。日は照っている。
絵に描いたような多彩な「健康」食の普茶料理で。洗練を尽くした調理、配膳。申しわけない、ちいさな茄子だけ一つ残したが、さよう、用いられた山菜やあれこれは百種類にも及んでいただろうか、みな旨かった。吉野葛をつかった煮合わせの味良いこと。
黄檗といえばわたしはお寺より普茶料理で、さらには庭園みごとな小仙郷の白雲庵。昔も何度も、妻も朝日子も連れて来ているが、なぜか、今日の料理がひとしお旨かった。
* ひとつには、わたしの中に、京都とももう半ば以上お別れになるのではないかという寂しみが流れていたのだと思う。みーんな歳をとって、橋田二朗先生もご入院と。気力を落とされていると聞く奥さん電話口の声にもわたしは、しんみりと心萎れていたのである。
2009 3・24 90
☆ 湯島・本郷の食べ歩き 1998 11・21 「食いしん坊」
* 地下鉄で直通だということに気がつき、ゆうべは、乃木坂で五度目の電子メディア研究会のあと、湯島の「天庄」へ足をはこんで天ぷらを食べに行った。
天ぷらが好きで、いろんな店にはいるが、気取って高価な店と、さばけていて比較的安い店との、味の差はあまりない。高くて窮屈な分、前者は敬遠したい。「天庄」は雑踏の表通りにも二階の店があり、上野広小路へ行くとそこへ二度ほど寄ったことはある、が、境内脇の、本店らしい「天庄」は、場所柄でちと憚ってきた。だが、地下鉄の経済に乗せられて、初めて行った。カウンターの席で、客すじも健康で、味もよろしかった。
近くに故宮川寅雄先生の色紙などかける寿司屋のあるのも、もう大昔になるが人に教えて貰った。「天庄」が直ぐ近くなのは知っていた。
本郷に会社勤めの昔から、この近くにすき焼きの「江知勝」のあるのも知っている。一度行ってみたいと思いつつ果たせないでいるが、すき焼きは連れ次第で味が変わる。この店のすぐ斜め向かい辺に、間口の狭い、しかしいい肉をつかうステーキの専門店がある。本郷三丁目から春日町へ下りて行く途中に「天喜」があり、珍しい江戸前。北の崖下へ降りて行くと樋口一葉の住まいの匂いがする。
フレンチの老舗、画家甲斐庄楠音の屋敷跡の瀟洒な「楠亭」も近い。
1998 11・21
2009 3・28 90
* 群馬渋川の森田比路子さん、妻の従弟の敏夫君、名酒・銘菓頂戴。
2009 3・30 90
* 高橋由美子さん、小田敬美さん、ワイン、お酒(梅干しと紅生姜も)下さる。
2009 3・31 90
* 奈良の阿部さんに戴いた41度強、ノルウェー産のスピリッツで、焼売の昼食。ウオツカなどと同じ。そして睡魔に襲われている。
* 夕食もしないで、七時半まで寝ていた。
2009 4・2 91
* 最初の藤村夫人の縁者で久しく湖の本の読者である北海道の方から、おいしいチョコレートの箱を二つ頂戴した。毛筆の美しい長い手紙が添うていた。
2009 4・8 91
☆ はち巻岡田 1999 6・21 「食いしん坊」
* 幼なじみの、築山幸子の店が青山で見つからず、銀座へまわって、松屋裏の「はち巻岡田」で岡田椀や菊正の樽の美味いので、十分に満足してきた。
この店へは昔に巖谷大四、杉森久英両氏に連れてきていただいた。以来一人で、時に妻と、くる。いつ来てもしみじみと美味い。酒も椀も美味い。仕合わせな気分で帰れる。
この頃は銀座から有楽町線一本で保谷まで帰れるので、なんとも銀座が近くなった。「はち巻岡田」「こつるぎ」「三河屋」「銀座アスター」「シェモア」「いまむら」「ベレ」「やす幸」そして鮨の「きよ田」「寿司幸」また「ピルゼン」など、銀座にも好みの馴染みが何軒も出来た。
まだ杉森さんが元気だった頃、秦さんに助言するとしたら、「銀座へもっと出ていらっしゃい」と言われた。巖谷さんも傍におられた。銀座へは妻とよく来るが、奥さんといっしょじゃダメと言われた気もする。
1999 6・21
(10年後の嘆息) 杉森さんも巌谷さんも亡くなってしまった。ならべた店も、「こつるぎ」「シェモア」「ベレ」「きよ田」「ピルゼン」が銀座から無くなった。十年一昔とは、厳しい。 湖 2009.04.19
2009 4・14 91
* 二た月近く休ませてもらっていた歯医者へ、行ってきた、妻と。好天、暖ッたか。帰りにこれも久しぶりの「リヨン」でゆっくり昼食。家々の花や草など眺め眺め帰ってきた。昼食のいいワインもまわって、うっとりと疲労感。駅からはタクシーをつかった。
2009 4・19 91
* 聖路加から日比谷線への帰り道途中に「福音」という鮨の店のあるのは久しい病院通いで見知っていたが、入ったことがなかった。「ふくね」なのか、聖路加の近くだから「ふくいん」と読むのかななどとラチもないことを思うばかりで横目に通り過ぎていたが、築地市場にごく近く、旨かろうと初めて暖簾を潜った。丁度午で、たちまちカウンターはいっぱいに。近所の勤めの人たちの昼飯場のようだったが、みたところネタはよさそうだった。
で、定番定食はさけて肴を切ってもらい、八海山の冷酒を頼んだ。鯛が出て、いい烏賊が出て、赤貝が出て、初鰹がずしっと出て、それからこはだを頼み、中とろ一貫を小さく握ってもらいさらに大トロを切って貰ったのが、よろしかった。八海山は二本目になっていて。で、鯛といくらと雲丹とを一貫ずつ握ってもらい、キリに玉を切って貰った。満足した。値段はナイショ。
2009 5・1 92
*ときどき小雨にもなる都内へ出れば、わたしがいちばん落ち着くのは、人けの殆ど無い国立東京博物館の本館常設展で。企画展でなら目玉になるような名品逸品が無数に、静かに、展示されている。蟹歩きさえシンドくなければ、ここが最良の美と放心との時空。
疲れて食べたくなると、西洋美術館のレストランに席をとり、ステーキの定食で、静かな庭へ向いて本を読む。そして小雨の音を傘に聞いて少し公園をあるいて鶯谷へ出る。蕎麦の公望荘で少し酒を飲む。足下から電車に乗れば池袋へまっすぐ。
帰りの西武線が蒸し暑くて汗になった。
2009 5・7 92
* 二三日前から時折歯が痛んだので、今日の診察日を待っていた。葵先生は、手当てして抗生物質を注入し、抗生物質の錠剤と痛み止めも出してくれた。
この歯科医院へはバスを降りて数分、寺院住宅と一般住宅の間を通ってゆく。広い道で、静かで、庭前の手入れなども宜しく、心地よい。夫婦してもう四十年は通っている。
葵先生はうちの息子よりせいぜい一つ二つも上か。先生のお姉さんがうちの娘とお茶の水女子高の同学年。お父さん先生は亡くなった。思えば東京へきて継続して一番永い永いお付き合いである。
今日のような好天の日は、保谷からは一時間足らずで、ちょっとした散策。治療のガリガリはもう慣れっこ。二代目の葵さんに代わってからは治療が優しい。
* 帰りには江古田でフレンチの「リヨン」に寄るのが、ほぼ決まり。今日の料理は、デザート、コーヒーまでの全部が珍しくて美味しかった。二時間もゆっくりかけて、妻と漱石や芥川を語り合う。そしてのーんびりと保谷へ帰った。お天気がいいとこんなに気持ちがいい。
2009 5・9 92
* 日比谷のホテルで、金婚の日に撮った写真を受け取った。そのままホテルの「パークサイド・ダイナー」ですこし早めの食事。佳いメニューに惹かれて、飲み物はキールロワイヤル、これが旨くて妻もご機嫌。デザートには、何故そんな気が利いたものか更に「おめでとう」とチョコレート書き。よほどおめでたい顔をしていたのだろう。
五階のクラブへ上がり、わたしはブラントンをもう少し呑み足した。妻は紅茶。昼の部だけだと、さほど疲れもなく、八時には家に着いた。
車中、文庫本で、ずうっと漱石の講演「道徳と文藝」を聴いていた。
2009 5・12 92
☆ (吾亦紅)いつまでも見ていただいて、ありがとうございます。 讃岐
ワレモコウはドライフラワーになるくらい、花がかさかさになってもその特徴をよく留めています。これで、「バラ科」というのは驚きです。
私のほうは、先日、黒くかさかさになったナンバンギセルをミョウガとタカノハススキの根本にほぐして蒔きました。秋、にょきにょきと煙管が出てきてくれたらいいのですが・・・。
パソコンを変えたのと、機械音痴とが重なって、もう、歯がゆいことだらけです。ごぶさたをしまして申し訳ございません。
『平家物語』やっと巻三まできました。岩波の文庫本で一冊ぶんです。約3年かかっています。月一回の講読会では、こんなもので、全部読み終えるまで命がもつだろうかと冗談でなく、みんな思っています。でも、1字もとばさず、原典を読むのは、一種快感でもあります。
先日、みんなで岡山に校外学習に行きました。
行き先は、治承のクーデターで藤原基房が流された、備中湯迫(いばさま)の関白屋敷跡・那須与一が恩賞で与えられた井原庄(岡山県井原市)の永祥寺・袖神稲荷・・ここにはなんと、与一が的を射るとき破り捨てたという右袖が祀られているのです。もちろん見られませんでしたが、子孫が建てたという曹洞宗のお寺は、それは見事なものでした。
もう一つおまけに、ここで生まれたのを記念して作られた平櫛田中美術館も行ってきました。
国立劇場にある「鏡獅子」の制作に関係した習作がたくさんありました。
中でも、六代目菊五郎が快くモデルになったという裸像はすばらしかったです。顔は隈取りし、手足にもおしろいを塗っていますが、衣装を着けたのと全く同じポーズを裸でとっています。力のみなぎった彫刻に見とれてしまいました。
先日八百屋にソラマメ(私のほうではなぜか、「新豆しんまめ」と言います)が出ていました。
季節感のある色と香りを味わっていただきたく、宅配便を頼みました。まもなくそちらに着くと存じます。
莢ごと、グリルで焼いて、蒸し焼きにする食べ方もあると聞きました。おためしくださいませ。
* 袖神稲荷ですか。八百年の時空がすうっと縮まって想われる。
新豆、色美しい内においしく頂きます。
2009 5・14 92
* 栃木のみごとなメロンを五つも頂戴した。季節の匂い、しみじみ。
2009 5・31 92
* 名古屋から、小気味よく清い干魚などを頂戴した。ご馳走さま。感謝。
2009 6・1 93
* 校正を持って出ていた。柳通の、気に入りのレストランへ、車で。
スープと鱸が旨かった。デザートも。ワインの赤も。夏至まで日が長い。機嫌良く家に帰って七時半。
2009 6・2 93
* 昼前の予約が都合悪しくなり夕刻五時に変更してもらい、小雨の中、歯医者へ二人で。
帰り、フレンチのデイナー。シェフのサービスで、赤ワインのコースメニューが、前菜も魚も鴨も、デザートも、とびきり美味しく満腹。白ワインで一品おまけのチーズが旨かった。静かで、音楽もおもしろく。ゆっくり、いろいろ話しながら。
そしてやはり小雨の中を保谷へ帰ってきた。
2009 6・5 93
* 遠慮会釈なく酒を、たん熊北店であつらえてきた「熊彦」を呑んでいた。
機械の前でしたたかうたたねもした。
目が覚めると機械の前で今西祐一郎さんの『蜻蛉日記覚書』を耽読。蜻蛉日記の原作は丁度三度目をいま読み進んでいるが、おもしろい。訪れぬ夫を泣きの涙で空しく待つ妻の日記かのように何となく思いこまされ、それで敬遠して、大古典としては著しく出逢いが悪かった、遅かったが、初読みして、いきなりわたしはそのような思いこみを捨ててしまった。これはしたたかな知性の女の感性豊かな私小説であり、自己主張であると読んだ。それを更に二度読んで確かめているところ。
作品『四度の瀧』のヒロインのために作短歌を借りたことのある女歌人が、たしか蜻蛉日記を大学ででも講じていたのではなかったか、本ももらっていると思う。書庫から持ち出しておこう。
いまは専門中の専門家である今西名誉教授の研究書にのめり込んでいる。
2009 6・6 93
* 十時過ぎのバスで駅へ。そして歯科医へ。
夫婦して治療を受けると、沼袋の草花、木の花など一つ一つ観ながら、また帰りのバスを、今度はフレンチ「リヨン」の前で途中下車。二時間ほど掛け、ゆっくり昼食。きまって赤いワイン。
またぶらりと界隈を歩いては、家々の花など楽しみ、江古田駅から電車で保谷へ。
なじみの喫茶店で、ゆっくりパソコン談義や「心」の議論などして、また畠中の路を通り抜け、この花はあの花はと、写真に撮ったりしながら家に帰ってきた。四時。
2009 6・13 93
* いつも大相撲本場所の桟敷など面倒を見てくれる相撲茶屋の「タケちゃん」が、いま、南海の島でウミガメ産卵の保護や保育のボランティアをしていますが、島に珍しい果物が生っているので送りますと、たっぷりの贈り物。枇杷の実を幾回りも大きくしたような、或いは無花果大のような、みたこともない、名前も知らない不思議色の果実で、上の方を輪切りにすると中に種混じりのどろりとした水分が。それをスプーンで掬って食べる。柑橘類に似たサッパリした味で美味しいと、妻は大喜び。感謝。
2009 6・13 93
* 甲州の美味しい、美しい桜桃をたくさん頂戴した。口に含んでいとおしいようなサクランボ、びっくりするほど美味しい。「惇さん」さん、嬉しく戴いています。
2009 6・14 93
* 戴いたサクランボの美味さに、もう、降参した一日だった、食べた食べた、夫婦で。感謝。
2009 6・15 93
* 朝一番に、山形の「あらき蕎麦」さんから、毎年の、紅滴る美しい桜桃が大きな筺で贈られてきた。うまい。おいしい。有難う存じます。
2009 6・19 93
* 美味しい桜桃をたっぷりいただいて、心嬉しい受賞四十回目の桜桃忌であった。
2009 6・19 93
* 開演前にちゃんこの「巴潟」で昼食し、はねたあと、妻と両国橋を渡って押し返してくる海からの夕波や川鵜の浮き沈みなど眺め、柳橋を渡って亀清楼の前の小松屋で評判の佃煮を三種買い、浅草橋駅で帰りの電車に乗ってきた。
帰って、手に入れたばかりの「萬歳楽」の純米大吟醸の一升瓶の口を切り、買って帰ったばかりの柳橋「小松屋」の一口穴子の佃煮で。
穴子の絶品、清酒の美味。よしよし。
2009 6・25 93
* 出張してきた関西からの人と東京駅で会い、簡単なイタリアンとワインとで四方山、歓談。いろいろと現下の政情世情を歎きあうことと、不如意がちの健康問題とが、つい双方の愚痴になるのはなさけないが、それでも、人語をかわし、耀く目の色やはずむ思いをかわし合えるのはいいことだ。話題を懐旧にながさず、互いに今の仕事に絞られて行くのもいい。限られた時間で目一杯を話し、楽しんだ。この先に、今度の新刊のことなどでいい話題が生まれてくるといいが。ま、とりとめないといえば、とりとめないのだが。
* さよならしてからは、わたしの街歩き。久保田淳さんに本を戴いたし、昨日は両国橋、柳橋を渡ったし。先ずは川面と橋とを見覚えたいと、浅草の方へ方へ足が向かう。慣れないので確かな見当を持っては歩けないが。そして最後は食べるところへ落ち着く。駒形橋畔の「むぎとろ」で健康食の、薬膳。これは気取りすぎたかも。酒は「黒帯」の冷酒。米久のすき焼きへ行けば良かったかなあ。
終始、往復の電車では自分の本を読み返していた。
2009 6・26 93
* 萬歳楽の純米大吟醸がうまい。柳橋の小松屋で買ってきた佃煮が、三種ともとても美味く、萬歳楽によく合ってくれた。
2009 6 30 93
* 視野検査は、なんだか新式であった。いつもよりいろんな光点でしらべられた。いつもは暗闇の光なのに今日はおおかた薄明のなかで光の点の点滅を把捉させられた。検査士は親切であったが、時間もいつもより長く掛かり草臥れた。ただし予約より一時間早く検査室につき、幸い検査を早めてもらえたので、終えて解放されたときはちょうど予約時間の三時半だった。ただしわたしの時計がアテにならないことがあとで分かった。
病院を出て、有楽町線の新富町から家へは逆方向に乗り、月島、豊洲を通り越して辰巳駅で降りてみた。なぜ辰巳で降りたかは問題外に願いたい。
地下から路上に出ると小雨に強い風。辰巳小学校の前からの眺望は、かつてわたしの東京暮らしで観たこともない高層ビルの林立、広い運河、閘門、群だつ灰雲の空。自分が、さて東京都何区の何処に立っているとも分からない。
結果として、吹き飛ばされるほどの風雨でなく、多少の濡れも厭わず傘をおさめて歩いた。辰巳から運河越えに東雲の高層また高層の住宅街を通り抜け、東雲橋を渡って、深川五中まえから豊洲駅まで。荷風先生の「か」の字も感じ得られるなにも無かった、超開発の成果らしいまさにイマイマの集団住宅街であって、それはそれなりに河有り運河有り大きな閘門も船の行き交いもあり、水辺の風情、有るといえば豊富にあり、しかしあまりに今日の淡泊とも雑駁ともいえる殺風景ではあった。予期していなかったのではなく、予期からすれば街は相応に小綺麗であった、いや小綺麗すぎるのが期待はずれであった。
* いちばん期待はずれなのは、粋な風情など滴もないこと、それにつれてそれらしい飲み食いの店がテンと見当たらない。憮然として歩いていたら、深川校のすぐさきに、よく見過ごさなかったと思う、なんと「京都紫野」の売り言葉を看板にした「おおもりや」という割烹の店をわたしは見つけた。覗いてみると店内も落ち着いて小綺麗。ただ時間は早い。主人に聴くと五時にあけると。わたしの時計はあと二十分で五時。で、地下鉄の豊洲駅ちかくをぶらぶらして佳い喫茶店を見つけた。キリマンジャロを四百五十円、お変わりは半額と。目の前で若い娘さんが一心に珈琲をたてていた。カウンターで本を読みながら、おかわりもして二杯のキリマンジャロを美味しく飲んだ。
始めて来た辰巳、東雲、豊洲で、せめて佳い店でおいしく飲んで食って帰りたい。
で、五時過ぎたと見て、また「おおもりや」へ。ところが五時どころか、まだ四時半だと云われた。わたしの時計がどうもおかしかった。ま、入って下さいと云われ、カウンターに落ち着き、「おおもり月の桂」という純米吟醸の酒から始めた。
若い店員が男女とも気散じな人たちで、気持ちよく落ち着けたので、次々に美味く煮た鰊、冬瓜となにかの柔らかい肉、椎茸や鶏肉や蓮などの煮染め、鯛の薄造りなどを頼んだ。酒が旨くて食べ物もよかった。もう少し飲みたかったが、ぐっと引き締めて、とにかくも佳い店を見つけたのを何よりの満足に引き上げてきた。よかった。
清瀬まで直通の電車に豊洲駅で座れて、保谷駅までずうっと本を読んだまま帰ってきた。駅からの車からおりて玄関へきっちり七時だった。
* さて今日、自分の脚で何という橋を幾つ渡ってきたのだろう。「東雲橋」というのだけ覚えている。便利な良い地図を買わねばならぬ。多摩地区とはまるでちがう景色がある。雨も風もたいしたことなくて良かった。気は晴れた。
2009 7・8 94
* 岡山の有元さんから、アレキサンドリアとピオーネとの熟れて大きな二房ずつをお贈りいただいた。観るから美しく、花も褒めそやすが果物の美しさにはひときわの豊かさが耀いていて、嬉しい。有難う存じます。
2009 7・9 94
* 文化村コクーンの下で、「だまし繪展」も観てきたが、好みでなく、むしろ不快感に負けて気分を損ねた。妻がここで体力銷沈し、あわてて上の喫茶室で休息した。水分を入れ、強壮剤をのみ、小食。わたしはコーヒー。
そのままもうどこへも脚を伸ばさず一路渋谷から保谷へ。駅で、いいショートケーキとパンを買ってかえり、とっておきのフランスワインをあけて夕食にした。
金澤の戸水さんからちょうど贈られてきたご馳走の中からからすみを戴き、また讃岐の岡部さんに頂戴したすばらしい桃の冷やしたのを、頬の落ちそうにおいしく戴いた。
これで、上下巻とも恙なく百巻を送り出した内祝いにした。よかった。
2009 7・14 94
* 睡かったが早起きして、聖路加へ。十二時半の予約だったが十二時前に診察室に入った。幸い今朝は血圧がむしろ低いめに安定していた。血糖値等は前回に変わりなく。体重を減らせとだけネジを巻かれて失礼してきた。十二時すぎには病院を出て。
鮨の「福音」でゆっくり酒と肴。鰈の薄づくり、烏賊のつくり。秋刀魚のすてきに脂ののったつくりがすばらしく美味かった。赤貝、エンガワ。それから一貫ずつのにぎりで穴子、雲丹、大トロ。いい店のいい昼飯だった。
* 築地から千代田線で北千住へ隅田川を越え、さらに東武伊勢佐木線に乗り換えて堀切でおり、広大な荒川放水路の土手に上がった。
ここは隅田川と荒川とを二、三百メートルもあるかないかの綾瀬川が繋いでいる。隅田川は千住大橋からまっすぐ東へ来て、この汐入でほぼ直角に折れて南流する、その角のところで綾瀬川が東を流れている広大な荒川放水路と、ちんまり結ばれている。
ぎらぎらの夏の日ざしをあびながら、墨田という地名の土手下をしばらく歩いて、多聞寺の毘沙門天に参ってきた。区の最も古い建造物だと云うが、境内は爽やかにこぢんまりと静かであった。
そこから小路を西へ抜け出て、夏日の申し子のように黄金色の日光を全身に浴びて墨堤道路へ出、白髯公園に添って水神大橋まで歩いた。梅若塚や木母寺などへ寄りたかったが、左脚が痛い上に腰も痛くて、そろりそろり歩いていたので、上に下に広らかな隅田川汐入の眺望を橋から楽しみ楽しみ、さて、もう歩きつづける元気なくて、来たタクシーに乗り、浅草へ戻った。女の運転手、梅若塚も知らず待乳山聖天も知らず、これにはガッカリした。
雷門から仲見世は例のたいへんな雑踏、どう帰ろうか知らんと思案のうちにも足はそろりそろりお寺の方へ向いていたので、何を急ぐこともないとゆっくりゆっくり人波のなかを泳ぐようにし、ワキ道へも逸れて、伝法院通りで大黒屋に入った。
残念ながらここの天麩羅は好みの揚げ方でなく、大海老三本と大きなかき揚げがいまいち口に合わなかった。このごろ何故かビールも口に合わない。
店を出てひさびさに古書店に入った。なかなかの店で本が揃っていた。なんとわたしの豪華本で無検印の『四度の瀧』も澄まして書架に並んでいた。まっさらではなかった。
目に入った阿川弘之著上下巻の『志賀直哉』がきれいな本だったので買った。前から欲しいと思っていた。
もう歩けそうになかったので国際通りから鶯谷駅へタクシーで行き、保谷までも幸い坐って帰った。駅でタクシーが待っていてくれた。
2009 7・17 94
* 広島の藤田理史君が、うまい焼酎を二種特選して送ってきてくれました、美味いんです、少し味がちがうのを二本とも口を切って、京都の田代誠さんが焼いて送って下さった粋な蕎麦猪口で、クイッ、クイッと味わっています。うまいんだ、これが。ありがとう、理史くん。元気ですか。
* 酒飲みの勝手なリクツなんですが、いま、と言うても一昨日から、炭水化物を断っています。但し酒や焼酎が炭水化物かどうかは判断停止です。さっきから煮豆と奈良漬けを肴に絶品の焼酎を戴いています。感謝感謝。感謝。
2009 7・23 94
* 理史くんに貰った九州の焼酎「博多小女郎」などうまくて。二本とももう飲み終えて。飲むとじつにここちよく昼寝や宵寝が出来る。今日の午後はよほど烈しい雨降りらしく感じながら、すうすうと、黒いマゴに足の先を囓られ起こされるまで、寐ていた。
夕食後の妻のたどたどしいピアノが隣室でしている。八時に終えたら、太左衛さんに戴いた花火でやす香を迎えまた見送ろう。町田から、ママも妹も思い一つで来るが佳い。
2009 7・27 94
* 真岡市から送って戴いたりっぱな梨が、すばらしい。冷やしておくと、清々しい口当たりに甘みが溢れる。いま、炭水化物を控えているので、主食がわりのように美味しく頂戴している。水菓子の粋の粋。感謝。
* 歯科医へ。左方にやや違和感と痛みの起きるのを自覚して。いずれ歯周病の問題だと思われる。
* 「リオン」で、旨い昼食。「暑中見舞い」に風味のおもしろいフランスワインのロゼをサービスされた。わたしはさらに赤をもらう。炭水化物をよしているのに、つい惹かれてパンを、オリーブ油で。デザートまでおいしく。ゆっくり保谷へ帰った。
2009 7・28 94
*午後ずっと仕事していたが、夕ちかく郵便局へ自転車で走ったついでに、道路建設の都合で近く閉店する酒類専門のスーパーで、日本酒と焼酎とウイスキーとビールとを買って帰った。在庫を「売り尽くして閉店」という。もうかなり減っていた。酒を買うのは妙にうきうきする。店内の音楽につられてか、七十三爺は軽くステップを踏んで棚から棚へ物色していたらしく、レジのおばさんに笑われた。
2009 8・1 95
* 山口の出口孤城さんからはわたしの好きな名酒「獺祭」二本を頂戴した。
2009 8・2 95
* 長編の前半をもち、「読む」ために外出。プリント原稿は読み返しやすい。
昼はキャラメルと水で。夕過ぎて行く頃、居酒屋の焼酎と酒で、炙り鴨、地鶏とにんにくの茎、穴子の一本揚げげなど。炭水化物は食べない、酒の他は。ハハハ、酒は別。
2009 8・3 95
* 歯医者に行き、「リオン」でゆっくり昼食。妻は九九年ものブルゴーニュのロゼ。わたしにはアルゼンチン産ながらシェフ自信の、赤。実にうまく昼間からたっぷり二杯。わたしは鯛、妻は牛肉。スープも、デザートとエスプレッソも美味かった。
* 機嫌良く、六時過ぎまで三時間ばかり寝る。入浴。露伴や紅葉の文章をおもしろく読み、さらに今井邦子の辛辣な「一葉の噂」話も読んだ。てっきり今日は、休息のようなもので。
おいしく食べて呑む。ゆっくり寝る。湯を浴びる。おもしろいエッセイをほろほろと読んで過ごす。できることをして楽しむ。それでよい。
そろそろ日付も変わる。まだ梅雨なのか明けたのか。天気はめまぐるしく変わるが。
2009 8・4 95
* 従兄の夫人から、愛媛産のすばらしい白桃が十一贈られてきた。祝儀物は奇数で届く。
久しい読者からは、やはり桃をおいしくゼリーに包んだ豪奢な水菓子が贈られてきた。
* そして竹西寛子さんから、見るから手を掛けて精製された「ごま豆腐」をたくさん頂戴した。
2009 8・8 95
* おそい朝食に大きな桃を食べた。
2009 8・9 95
* 竹西寛子さんの懇篤のお手紙を戴いた。病気のことを気遣いながらあの「ごま豆腐」を下さっていた。感謝。
2009 8・13 95
* 茜屋で一休みしてから、日比谷のホテルへ直行し、晩餐は気軽に。飲み物は三人ともキール・ロワイヤル。クラブへ上がってもう暫く歓談、歓談。
八時半頃に友達を見送り、有楽町駅から一路帰宅した。疲れもなく、快い「夏休み」を楽しんできた。
2009 8・18 95
* 膝下の怪我が小さくなって。体液を出すのを密閉してあるが、密閉のかすかな隙からあふれ出ることが、無くなってきた。肘裏は、密閉を剥がすとウソのように治っていた。
炭水化物の摂取を抑えていると、食べものが払底する。買い出しに行く。減量効果は、不明。ながい体験でいうと、減量に有効だったのは炭水化物の遠慮だけ。お酒、炭水化物ですよと笑われているから、あまり期待できない。クク
* 昼過ぎの一時間、駅近くまで用事もかねて食料を仕入れに。腕二本に持てる嵩は知れていて、日盛りを歩く勇気はないから、往きはバスで、帰りはタクシー。ま、美味い鯛のやきもの、浅蜊の汁など、こましな晩飯にありついた。美味い「獺祭」の二本目もカラに。
2009 8・19 95
* 讃岐の岡部さんに梨を頂戴した。果物は、「夏」が贅沢を極めて美味いと思う。梨、桃、葡萄、メロン。
やす香の病牀へ、果物持参で見舞いに行った。病院の帰りには、妻もわたしも泣いて泣いて。時に相模大野の駅階段に座り込んで、動けなかった。やっと池袋で食事をしても、妻は泣いてわずかのモノも食べられなかった。「やすかれ やす香 生きよ けふも」と祈ったわれわれ祖父母は、それでも言われた、孫・やす香の「命の尊厳」を傷つけた、名誉毀損で訴えてやると。通夜や葬式に来たら警備員の手で追い出す、と。そして三年、わたしは、今も被告席にいる。「名誉毀損」って、何?
2009 8・20 95
* 六時半の血糖値、101。よく冷えた甘い梨で、朝食。 2009 8・21 95
* 六本木から地下鉄日比谷線で一路築地へ。妻を鮨の「福音」へ。
「こち」にはじまった刺身のオンパレード、若いハンサムな親方にみんな任せた「さかな」「さかな」の、美味かったこと。妻は途中からお任せのにぎりにのりかえ、海老、あなご、雲丹、こはだ、中とろなど、満足の極みという笑顔。
肴も美しく、器も、みな祥瑞ふうの落ち着いたいいものを出してくれた。あがりの「玉」まで、申し分なし。新富町から有楽町線で一路保谷へ。家に帰って八時すぎ。佳い半日。
2009 9・2 96
* 盛大にカーテンコールを繰り返したあと、久しぶりに「鳳鳴春」の中華料理で早めに夕食し、紹興酒二合がとびきりうまかった。妻も美味しいと、珍しく口にしていた。どこへも寄らず、六時半すぎには帰宅。
2009 9・8 96
* 岡山の有元さんから、りっぱな「焼き穴子」をたっぷり頂戴。長虫は大の苦手なのにわたしの好物には穴子も鰻も欠かせない。なにか美味いもの食べたいなとなると、指を折って選ぶ数のうちに、必ず入る。ちょっと気に入りの店の穴子饂飩、われ一人の隠し味になっていたりする。ご馳走様。
2009 9・10 96
* 栃木産の新米をたくさん頂戴した。岐阜の読者からわざわざ取り寄せられたか清酒『獺祭』を二升頂戴した。
2009 9・15 96
* 家を出る前に、家でしか出来ない仕事を二時間ほど励んでおいて、校正ゲラを持ち、ぜひ早く読みたい本を持って、好天の街へ出かけた。暑いほど照っていた。
日暮里駅の構内にあなご弁当の専門店があるとテレビで言っていたのを確かめに下車した。なるほど日本橋の「玉ゐ」が出張っていて、大箱は香物とお椀がついて三千八百円といい値段だが、美味い。日本橋店はわたしには便利でない、小さい店出したがこの駅なら降りるだけでいい、改札の外へも出なくて済む。
この駅から乗り換えで北の方へ東の方へ好きにいろいろ行ける。「千住大橋」は、将軍江戸を去る最期の橋だった。
押上線へ乗り換えて行くと「押上」からは浅草線に連絡する。要するに空いた電車がけっこう、窓外、空は晴れやかな秋の空だ。
小さな半月をかかげた浅草寺五重塔
* 油濃いなあと我ながら感心したが、淡泊な「高勢」の鮨でなく、浅草ひさご通りの「米久」で、特の肉を二人前食べてきた。
2009 9・25 96
* 蒸し暑い。昨日は食べ過ぎ。血糖値ハネ上がる。
2009 9・26 96
* 小さな缶ビールの二本に身を任せ、寝てしまった。大相撲の三役揃い踏みに間に合い、本割り白鵬の快勝、優勝決定戦には朝青龍の決勝、二番にそれぞれ敬意を覚えたままテレビの前から離れてきた。
2009 9・27 96
* 昨夜、血糖値55に降下、糖分を補強して寝た。今朝七時半の血糖値105。晴れて明るく風もない。
* 聖路加での糖尿診察、諸数値良好で、ドクターは「よしッ」とご機嫌。積極的に現状維持して、次は新年の診察になる。「福音」で八海山の冷酒、少量のうまい肴と鮨で昼食した。雲丹などのにぎりの美味かったこと。
直ぐ足もとの築地から銀座まで出て、今一度、「ライオン」でビールとソーセージ。コーヒー。
思い立ち、車で勝鬨橋西づめまで行き、念願のまま歩いて勝鬨橋を越えた。橋から上流へ超高層ビルが林立し、空は台風後のまだいささか荒っぽい雲行きが大きな景色をつくっていた。しばらく見飽きなかった。
渡り終えやがて左折して、月島橋、もう一つ新仲橋を歩いて渡り、月島商店街を佃の方へ通り抜けた。聞いたとおりの「もんじゃ」「もんじゃ」「もんじゃ」の店ばかりが並んでいて呆れるばかり。とはいえ植木や植木鉢のみずみずしい翠に繍い取られたような長い細い抜け路地なども通り抜けまた通り抜けて、おもしろかった。一軒ぐらいあの店通りに洒落た汁粉や善哉や蕨餅など甘党の店があったならきっと足を休めたのになあと思う。
長い長い佃大橋を築地明石町の側へ歩いて渡った。今日は隅田川の橋を新たに四つ越えてきた。地下鉄新富町の駅構内でコーヒーを呑み、頼まれていた食パンを買って、一路帰宅。
終始車内では、臼井吉見『安曇野』第三部に読み耽り、余すは数頁。
風はすこし、天気はよろしくて、まずまず好散策。
2009 10・9 97
* 広島の理史君、薩摩の佳い焼酎「喜左衛門」と「赤兎馬」とを贈ってくれた。うまい。礼を言う前に少しずつ味見をして喜んでしまうところが、酒飲みは困る。困るけれども嬉しい。ありがとう。きっと元気に過ごしていてくれることと想います。ありがとう。
2009 10・12 97
* その足で、有楽町線を利して辰巳駅まで行き、美しい落日の、クリアな真紅を林立のビルの合間に嘆称しながら、夕風にふかれて東雲水辺公園を、妻と散策。東雲橋をわたり深川第五中学前をとおって、めざす「おおもりや」のカウンターでたっぷり魚や牡蠣や煮しめを堪能してきた。酒は「月の桂」で。楽しめた。
帰路も有楽町線で、ひと筋に保谷まで。黒いマゴが嬉しい嬉しいと玄関まで出迎えた。
2009 10・15 97
* 劇場前に、ともだちと逢う妻を置いて、わたしは新橋から「横浜そごう」へ直行。
朝、届いた一部再校・三校ゲラを読みながら。
で、デパート九階へ五時に着いて、そこで、その場で、めざす個展オープンの日付をわたしが「一ヶ月読み間違えていた」のに気づいた。そればかりか、十一月「十八日」オープンなのに、今日は十月「十七日」だった。二重の阿呆な思い違いに思わず笑ってしまった。
十階にあがり「すし萬」で、初物の土瓶蒸しを添えて佳い鮨を食ってきた。冷えたビールがうまく、酒も。
昨日が休肝日だった。ゆっくり居座ってゲラを慎重に読んだ。六時過ぎにまた各駅停車の電車で上野経由、池袋へ。暑くて汗を掻いた。
2009 10・17 97
* 東京駅へもどり、八重洲のキッチン・ストリートで、一昨日についで、沼津からの出店でまた旨い鮨を腹くちくならぬ程度食べてきた。酒も旨かった。結構な夕食。旨い食い物と飲み物とがあり、読んでおもしろい本を二冊も鞄に持っていれば、どこにいても気に入りの自分の場所。
七時前に元気に家に帰ってきた。
2009 10・19 97
* 居酒屋で赤海老のさしみで酒と焼酎を呑んでから、山手線に乗ったつもりが京浜東北線だった。気が付いたら王子を越えていてヘキエキした。酔っていたのでも寝ていたのでもない。朝一番に貰っていた上野千鶴子さんの『男おひとりさん道』に読み耽っていたのである。
この本、憎らしいほど面白い。ただ面白がっているわけに行かないのが少なからず憎らしいが、良い本である。かなり参る。
2009 10・26 97
* 颱風一過ふうの晴天、血糖値は103。このところ数値を安定させている。今日は、わたし、暫くぶりに歯医者へ。用は、要。すべて堪えて、済(な)しておく。
* 歯医者の帰り、「リヨン」て゛うまい昼飯。前菜、スープ、主菜、デザートそして赤ワイン。どれも申し分なかった。シェフともすっかり馴染みになり、とても落ち着く。
2009 10・27 97
* わが家ではめずらしく、白ワインを晩にあけた。あっさりと旨く。余韻のまま、いま中村光夫昭和九年、わたしの生まれる一年前に書かれた『永井荷風』を読んでいる。
2009 11・3 98
* 九時過ぎ、本が届いた。受け容れるだけで腰が曲がった。バファリン二錠で和らげる。すぐ作業を開始する。
* 夕方までの分、送り出した。十の六を妻に手伝って貰った。感謝。
百巻という中仕切りは、ある面で今後の「湖の本維持」をより厳しく難しくするだろうと予期していた。「百巻も、よくお付き合い下さった」と感謝申し上げる。
作品として、もう百巻出せるかと言われて、首を横には振らないが、なにより体力、ついで採算で、いずれ行き詰まるだろう。わたしとしてはまだ赤坂城を護っている気持ち、千早城への移転がいつになるか、そろそろ考える。
疲れたのでごく近所のレストランへ、サンダルとラフな服で食べに行く。やす香や妹も連れて食べにきた。学生クンらとも。
佳いメニュで、満腹を怖れずにおいしく食べた。鱸の欧風の調理も、豊富な前菜もよかった。清潔に仕立てた生牡蠣がよかった。デザートもあまさず食べてきた。
出来たばかりの新刊を点検したり。さ、この思い切ったる表紙繪は、とにかくも受け容れてもらえるかしらん。
帰り、三仁酒店でビールを半ダース買った。雨も降り出さず。
帰宅後、さらに、郵便局から送るしかない分の荷造りをみなし終えた。
2009 11・10 98
* さて今日のこと。
* 夕方まで小寒い雑踏を歩いて、カウンターの鮨店にこしかけ、好き放題にイッカンずつ握りの上種を九つか十。酒は二合。きげんよく、中国お色気の古典を読みながら、満員電車で家に帰った。帰る途中で、ある忘れゴトを思い出し、思わず呻いた。明日にも埋め合わせられるだろうか。
2009 11・20 98
* 歯医者通いを鬱陶しい一に数える人が多いが、何十年も通い続けていると、場合により散髪よりあっさりと気持ちがいい。
季の歩みはやく、何処の家の庭先も垣根や塀の中も秋過ぎての風情閑散、薄澄んだ空の青を日の光が静かに流れていた。
「リヨン」で昼食、マスターがボジョレーヌーボーをご馳走してくれた。前菜の生ハムも小蕪の泡立てスープも主菜の海老も美味しかった。
保谷へ戻って、めずらしく本屋に入り、なんと古典の中の古典、プラトンの『国家』上下巻を買ってドキドキ。この年になってプラトンを読むかなあと。チラと見て訳がとても読みやすかったので、ためらわず手に入れた。これって、存外元気なのかなあ。
2009 11・21 98
* 広島の理史くんから「強力」「八郷」清酒二本が送られてきた、ありがとう。純米で、両方ともとても美味しい。ありがとう。
わたしは、理史くん自身がお酒を飲む人か呑まない人かをじつは知らないが。呑める人かなあ。呑めない人でもガッカリはしない。お元気で。ありがとう。
2009 11・23 98