ぜんぶ秦恒平文学の話

知識人として

歴史を読む 2009~2013年

  * 東大教授の竹内さん、かつて秦文学研究会を永く主宰して下さった人のメールに答えて。    * 拝復  わたくしは、この十数年来、バグワン・シュリ・ラジニーシに聴いています。いま、わたくしは、余生

歴史を読む 1999~2008年

  * 聖帝とうたわれた村上天皇までは、崩御後にみな「天皇」とおくり名していたが、次の帝からはすべて「冷泉院」というふうに院号であった。後白河天皇とか後醍醐天皇と呼ぶようになったのは、大正時代に入ってからの話で

老議員創設を

  *  「老議院」創設の声をあげたのは、十三年以前、西紀二○○○年に行った山折哲雄さんとの対談「元気に老い 自然に死ぬ」の中でであった。着想は、それよりもよほど先だった。あのころも参議院のひどさに呆れ果ててい

「大衆」と「知識人」

* 拝啓 ますますお元気なご様子心強いばかりです。『私の私・知識人の言葉と責任』(注湖の本エッセイシリーズ25巻)かたじけなく拝受早速読ませていただきました。どの講演でもつねに変らぬ貴兄の凛とした心の姿勢がうかがえ、文字

「私民」である

  今日、私は、この「私語の刻」に於いて初めて、「市民」という言葉に代わる「私民」を用い始める。「公民」という言葉のあるのは少年の昔から識っているが、「公・私」が上下関係に同義語化している日本の現実で、「公の(

知識人の言葉と責任    2002年講演

知識人の言葉と責任  今、なぜ、芹沢光治良作『死者との対話』が大切か。                       秦 恒平      お招きにあずかり、恐縮しております。芹沢先生とは、ご生前に、ご縁を得る機会は、一度も

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