* 湯上がりの全身を薄荷のいい匂いがつつんでいる。若い若いともだちが、脚の痛みにきっと利くと思いますよと、香水のようなスプレーを贈ってきてくれた。ふくらはぎに少し冷たく、気持ちよく、すてきな香りが舞い立つ。紅茶にも佳い
2007 5・1 68
☆ 花の日々,来る。 麗 北海道
我が家の向かいの桜を,勝手に「標準木」にしている。
今日,それが花開いた。
朝方一分咲きだったのが,夕方にはもう三分咲き。おそらく,明日は五分咲きとなろう。
というわけで,今日は,個人的に「開花宣言」。
周囲は,梅・桃・桜や草木の花が一斉に開き,同時に木の芽時まで迎えてしまう,北国の春。
これから,山が「うるうる」と盛り上がり,ライラックやスズランを経て,一気に夏まで向かう。
本州人にとっては,何度迎えても心躍る日々。それが今日,始まった。
* 目に見えるようで、わたしまで心嬉しい。
2007 5・1 68
☆ サバティカル ハーバード 雄
今朝も昨日と同じく4時過ぎに目が覚める.我ながら実に分かりやすい.6時半くらいまではベッドに入ったりパソコンを見たりしていたが,大学時代の友人から6時半にskypeが入って話始めたため,寝るのは諦めて家を出た.
今日は週1度のプログレスレポート.担当はライアン.開始を待って座っていると,赤いジャンパーを着た,40代後半位の白人が入ってきた.椅子に座ってジャンパーを脱ぎ始めた.見慣れない人だが,と思って,はたと気づいた.
サバティカルでドイツから来ているTBだ.マックスプランク研究所のディレクターであり,神経発生学の大御所.お父さんも有名な研究者だった.
サバティカルを取って,9月までボストンにいるらしい.普段は別のラボで過ごしているようだが,ときどきウチにも来ているらしい.
秘書のフィリスが,「みんなに紹介しないとね.あなたは,ポスドクではないわよね?」.知らないというのは恐ろしいことだ.
プログレスレポートが始まったが,やはり普段の生活がでてしまうのか,他所のラボの初めてのプログレスレポートにも関わらず,矢継ぎ早に質問していた.ボスが二人になったかのようで,ちょっと恐ろしい.
プログレスレポートの後は,いつもどおり,カルシウムイメージングと電気生理.やはり,昨日自分で言ったことが気になるのか,時々JCが見に来ては「どうだ,何か変化はあったか?」と聞いてくる.あいにく,昨日試した方法はダメであることがはっきりした.
電気生理も,標本を作製し,いざ測定と思ったら,何故かベースラインが安定しない.JCを捕まえて聞いてみると,「ああ,これは電極のメッキが剥げてしまったんだね.一晩,塩酸につけておけばいいよ」.おかげですることが無くなった.
7時に荷物を纏めていると,ドミニカ共和国出身のポスドクのグレッグが,冗談混じりに「もう帰るのか? お前にはがっかりだ.お前は本当に日本人か?」と聞いてきたので,「実は日本人ではない.ドミニカ出身だ」と返したら,中指を突き立てられた.
* 実験研究者の日々は、じっとガマンの辛抱の日々。まして雄くんの研究は、細胞学でも未開拓な最新最先端の、いまだ荒野にあると聞いた気がする。ルーチンワークで済む世界ではないのだ。
2007 5・2 68
☆ 関野貞と子規 雀
NHK「この人この世界」を毎週楽しみに見ています。宮脇昭さんを知ったのもこの番組でしたし、白瀬矗もそう。
先頃のアンコール・ワットのも、おもしろくて、よくわかるお話でした。
以前に、こちらのテレビ番組で、愛知か三重かちょっと忘れてしまいましたが、石材店を営んでおられるおじいさんが、アンコール・ワット遺蹟の保存・維持のために現地の人に石工の技術を伝えようと、店の敷地でお弟子さんを特訓して、ともに海を渡り、何年間も通われたお話を聞いたことがありました。そのときはぼんやりと石屋さんの技を見ていたのですが、アンコール・ワットの説明を聞き映像を見ているうちに、あのときの石工のおじいさんのお話が興味深く思い出されてきました。
アンコール・ワットのあと、藪内佐斗司さんの仏像修復のお話になり、奈良や京の仏像が映ることと修復のお話もたのしいし、つながって、よりわかることがなおうれしくて、毎週目が離せません。そして、先だって偶然に、小川さんとおっしゃる宮大工西脇さんのお弟子さんにインタビューした教育テレビ「こころの時代」を見つけて、これもおもしろく最後まで見入ってしまいました。
偶然というのは重なるもので、民放で、唐招提寺修理の進捗状況と、明治に行なわれたそれとを、重ねて紹介する番組にでくわし、長い工事でいつになったら見られるのかしらと思っていた唐招提寺が、2009年秋に修理完成予定とわかったこと、それ以上に、関野貞を知り、同じ年に生まれた伊東忠太、長野宇平治、漱石と子規の年譜を作ってみたことで、いくつもの発見をし収穫をたくさん得ました。
関野指揮による唐招提寺解体修理完了が、1899年12月といいますから、200余年ぶりの大修理なのですね。解体中の唐招提寺の柱のなかに宮大工が墨で自分の住所と氏名を書いたものがあるのをテレビカメラが映したとき、2回も新潟の地名が出てきたのに目を留めましたら、関野が、越後高田生まれの人というので、驚いて新潟の実家に電話で訊ねてみると、父もとっさには分からず、夜になって手持ちの本に載っていたと電話がきて、数日後にコピーが送られてきました。それを読んで少し手がかりがつかめたのです。
奈良在任初期に日本生命保険会社を、その5年後に奈良県物産陳列所を設計した以外、関野貞は、古仏像、古墳、古瓦、朝鮮・支那の古建築と陵墓、印度仏跡の研究に邁進した学者とのこと。
帝国大学建築学科名誉教授の初代は、辰野金吾(1854~1919)。二代目は伊東忠太(1867~1954)。そして三代目が関野貞(1867~1935)だそうで、まえの二人が有名建築の設計で華々しく名を残しているのに比べ、関野貞について雀は業績はもとよりお名前すら存じませんでした。
1935年7月に逝去したのち、1938~41年にかけて岩波書店から論文集が発行され、1940年11月には新潟県の高田図書館構内に「碩学碑」が建立されています。これは伊東忠太の碑文を、法隆寺貫主佐伯定胤僧正が揮毫されたものだそうですが、現在、高田図書館は郊外へ移転していて、碑は父も知らないといいます。
ちょいワルと称され、ファッショナブルでセクシィな面ばかり話題にされるパンチェッタ・ジローラモさんが、もともと古い建物の修理・復元・保存の仕事をしたくてイタリアの大学に建築を学び、念願の仕事に就いていたと話すのを聞いて、テレビで垣間見る彼の一面はそういうことからきていたのかと納得しました。イタリアの大学で建築を学んだ人がすべて最新の建築物を設計するわけではありませんものね。
それと同様に文明開化の明治期に帝国大学で建築を学んだ学生が、みな最新の建物を設計する仕事に名を残したわけではなく、ちょうど東西の有名建築家がなにかとマスコミに登場していた時期だったので、調べていて愉しかったです。 囀雀
☆ 般若寺の釣鐘細し秋の風 雀
子規が奈良を訪れたとき、今のような修復された社寺ではなかったのですね、般若寺は。
慶応2年7月、将軍家茂病死、12月孝明天皇急死。
慶応3年10月大政奉還、12月王政復古の大号令。その年、江戸に夏目漱石、幸田露伴、尾崎紅葉。松山藩に正岡子規。米沢藩に伊東忠太、池田成彬。越後高田藩に関野貞、越後高田の商家に長野宇平治。また斎藤緑雨、宮武外骨、南方熊楠、芳賀矢一、藤島武二も同じ年に生まれていた
のですねぇ。
漱石は卯年生まれでしたの! 同じ干支、同じ1月生まれというだけで親近感が違ってきますわ。すると6年後が酉年で、泉鏡花が生まれる…と…そういう時代でしたのね。
1877年、ジョサイア・コンドル来日。
1878年、アーネスト・フェノロサ来日。
東京帝室博物館、鹿鳴館、有栖川宮邸、岩崎家深川別邸、ニコライ堂と、コンドル設計の建築物が次々と建つさなか、岡倉天心がアメリカから帰国し東京美術学校を創立します。
そのあいだ、伊東忠太、長野宇平治、関野貞は通学を続け、伊東も関野も、帝国大学工科大学造家学科を卒業後、東京美術学校建築装飾術の講義を嘱託されています。
岡倉天心の美術品重視、美術品保護に比べて、建物については遅れていたそうで、もしも、関野に家計の都合から2年間授業生として西頸城郡(現・上越市能生)の小学校で働くというブランクがなければと考えてしまいました。
1895年、漱石は松山中学校に赴任し、子規は日清戦争従軍。4月講和。5月帰途船中で子規は喀血し神戸病院に入院後、松山に帰郷。漱石と同居し、彼にお金を借りて根岸に帰るその途中、奈良の宿で御所柿をたらふく食べていた子規の耳に、東大寺初夜の鐘がごぉん…だったのですって? この年に「夜行巡査」「外科室」で鏡花が文壇に登場しますわ。芳年が歿し、黒田清輝が帰国し、黙阿弥が歿し、高橋由一、仮名垣魯文が歿したそのあとで―。
関野が帝国大学工科大学造家学科を卒業し、辰野のもと日本銀行の工事に参加するものの興味が持てずにやめてしまった、その1895年に。
伊東は平安神宮を設計、前年に奈良県土木工事技師嘱託となっていた長野は、奈良県庁などその後の奈良市官公庁建築の様式を決めた奈良師範学校を設計していました。
そして2年後の1897年6月22日、29才の関野は奈良県技師として名勝旧跡臨時調査委員を命ぜられます。前年に伊東が、内務省古社寺保存会の委員となり、関野は奈良県古社寺保存委員に任ぜられていました。奈良へ赴任した関野は、3ヵ月間で仏像を含めた古社寺等を80件調査。それが終わるのとほぼ同時に「古社寺保存法」が制定され、法律施行後“修理第1号”に選定された唐招提寺の工事が、翌1898年3月に、前後して新薬師寺、秋篠寺が修理されたそうです。前便の、唐招提寺の番組は関西限定の放映かもしれません。大仏線の遺構映像から始まり、“関野貞は大仏線に乗ったかもしれない”というものでしたから。
明治31年、唐招提寺の修理が始まって間もない4月に、近江草津駅⇔奈良大仏駅開業。奈良駅への乗り込み許可が取れず、暫定的に大仏殿の近くに駅を建設して開業させた大仏線は、1906年8月、関野が清国・韓国に出張した年に廃止され、翌年、駅舎やレエルは撤去。わずか8年間の営業でした。ところが現在も駅跡や、使われなくなったトンネル、道筋を尋ねるウォーキングツアーが催される、関西屈指の人気廃線跡ですの。 囀雀
* こういう読者にわたしは支えられている。こういう情報を、まるでわたしは役得のように手に入れている。雀さんは、学者でも勤め人でもない。一人の家庭主婦。はじめてわたしに手紙をくれた十何年昔のこの人は、ヒッピーギャルかと思えそうな賑やか女史であった。実際は全然分からないが。
* じりじり、と。前へ。心に遊びながら。
2007 5・2 68
* わたしのいる町も鴉の多い町になってきた、しきりに鳴いてとびまわっている。
鴉は好きでも嫌いでもない。ときに嘴が不気味、ときに羽色の漆黒に魅される。丹波に疎開していた少年の頃、あの山村で記憶に残っている鳥は、鴉だけ。なぜか雀すら印象にない。
村の少年たちは、鴉をいくらか畏怖していた、賢いというのだ。一丁ほど向こうの街道にいても、田畑や畦にいても、
「よう観ててみ。ここで石を拾うただけで翔びよるで」と皆が言う。たしかに、そうだった。自分で石を拾って試みたが、いつもそうだった。
あれを賢いというか、要するに人が石で追っていただけの条件反射なみの話だろうが、相当な距離でも、反応はいっしょだった。しかし今、西東京の鴉がそうのようには思われない。時には一メートルまで迫って歩いていても、逃げて翔んだりしない。
前にも書いたが、鴉は、鳶とならべて、蕪村に、とても佳い絵がある。鴉の木にとまった姿は秋の夕茜に似合い、冬の降雪にもしんしんと似合う。必ずしも嫌われてばかりでない証拠に、鴉の童謡がいくつもある。「鴉のあかちゃん」なんて観たことがない。それでも「可愛い七つの子」があるから鴉はいとしがってよく鳴くのだと唄っていた。「七つの子」とは何じゃ? 七羽とも七歳ともとれて、よろしくない、と幼いわたしは批評家だった。
西国ずまいの鳶さんは、この連休にも絵を描いているだろう。
2007 5・3 68
☆ 眼鏡 ハーバード 雄
僕はとても目が悪く,裸眼だと両目0.04しか視力がない.普段はハードのコンタクトレンズをしている.家に帰り,寝る前にコンタクトレンズを外し,眼鏡に換える.
アメリカに来る前にインターネットなどで調べていた情報では,アメリカではハードのコンタクトレンズというものはほとんど普及していないそうで,もっぱらソフトらしい.したがって,ハードを利用している人は,洗浄液を持ってくると良いとのことだった.そこで,大量の洗浄液を荷物に入れて送った.2年間は優にもつことだろう.
普段はコンタクトレンズを利用しているのだが,花粉症の時期や,夜になって目が疲れてくると,コンタクトレンズをしているのが辛くなってくる.昨日も,顕微鏡の見すぎで目が疲れたため,夜になってコンタクトレンズを外し,眼鏡に換えた.
すると,同室のライアンが「おお,ciona.眼鏡姿がとてもセクシーだよ」.後からパソコンで作業をするために入ってきたグレッグも「ヘイ,ドクター.眼鏡をかけていると,インテリジェンスを感じるよ」と,二人とも妙に眼鏡をかけた僕を誉める.帰り際に擦れ違った,韓国系女子大生のジェイも「cionaは眼鏡をかけるととてもhotよ.これからは眼鏡をずっとかけた方がいいわよ」と誉める.
実物の僕を知っている「マイミク」さんたちは,これを読んで腹を抱えて笑っている(哂う?)に違いない.お世辞も多分に含まれているだろう.なんでそんなに誉められるのか良く分からないが,きっと平坦な顔なので,眼鏡があったほうが,顔にアクセントがつくのだろう.
僕自身は,あまり眼鏡が好きではない.すぐに耳や鼻が痛くなる.「ちゃんと合っていないからだ」という人もいるが,いくら合わせても,また,色々な眼鏡を試してもそうなので,おそらくもともと好きでないのだろう.しかも,眼鏡をかけると,十歳くらい老け込んだように見える.
さらに,鼻が低いために,頻繁に眼鏡がずり落ちてくる.そこで,ずり落ちた眼鏡を元に直す訳だが,この動作が良く哂われる.
別におかしな直し方をしている訳ではなく,眼鏡のフレーム近くの「つる」の部分を持って上げるか,鼻にかかる部分を指で押し上げるかのいずれかだが,どちらをやっても,「もう1回やってみせてよ.かっこいいなあ」とからかわれる.これ以外に,どうやってずり落ちた眼鏡を直すというのか,知っている人がいれば教えて欲しい.
今日も顕微鏡を覗きつかれて居室に戻ってくると,ライアンが「ciona,どうして今日は眼鏡にしないんだ」.まだ夕方だが,目が赤くなってきたのでコンタクトレンズを外し,眼鏡に換える.すぐさま,グレッグやマイク,学部生のデイヴィッドが「うーん,インテリジェンスを感じさせて,セクシーだなあ」と持ち上げる.
おだてられるとすぐに木に登る僕の性格を利用した,新手のからかいか.
* 可笑しいほどわたしが、今も、同じ。
いくらお金かけて調製しても、眼鏡がすぐ見にくくなる。鼻梁の高さと位置とが眼鏡とズレているのだ、雄くんの書いているその通り、「頻繁に眼鏡がずり落ちてくる.そこで,ずり落ちた眼鏡を元に直す訳だが」瞬く間にまたずり落ちる。別におかしな直し方をしている訳ではなく,眼鏡のフレーム近くの「つる」の部分を持って上げるか,鼻にかかる部分を指で押し上げるかのいずれかだが,どちらをやっても」キリがない。雄君のように「セクシーだ」「ホットだ」などと褒めてくれる人もいない。
信じられないだろう、今その鼻梁と眼鏡との大きなすきまに、妻の作ってくれたあまり効果のない紙束が差し込んである。鏡を見たくない。昨日は試みに葱の白根のところを切って細工して眼鏡下に突っ込んでいたが、本人も苦笑いする顔面で、ものの言いようがなかった。頭に来る、いや現実には、眼に来る。
* 雄君の日記、雀さんのメールを、わたしはよく此処へ頂戴している。具体的に事柄をきちんと書き、気負わずいたずらに飾らず澄ましかえらず、観念的でない。普通の日記や述懐のメールはこうこそ在りたい。自己主張のことばも殆どなく、感想に類する言葉も最小限にとどめてありながら、書き手の気持ちはちゃんと伝わる。空疎でない。公開の日記は自分だけわかる端折った独り言では意味がない。言い過ぎてもくどくなる。
2007 5・3 68
☆ John Harvard’s Brew House ハーバード 雄
今,日本はゴールデンウィークだろうか.今年は中に2日入ってしまったようだが,会社によっては休みだったところもあることだろう.
憲法記念日.このところ,ネットニュースで安倍首相が改憲に前向きとのニュースをよく目にする.
先日参加した日本人研究者の会で,アメリカ人のハーバード大名誉教授は,「今,文明国でありながら,自分達が作ったのでない憲法を使っている国など,日本くらいなのだから,自分達で憲法を作るべきだ」と話していた.しかし,その憲法を強要したのは,他ならぬ,貴方の先達なのですよ,と言いたかった.そんな発言は,偽善に過ぎないように思える.
試案を提出したグループもあるようだが,国家元首を天皇にせよだの,軍を持てだのという試案には,到底賛成できない.今頃になって,何故,戦前の日本に戻ろうとするのか.よほど戦前に甘い汁を吸った亡霊たちが,今なお政治の世界で幅を利かせているのだろうか.僕は断固反対だ.
とはいえ,僕は国外にいて蚊帳の外.たとえ,国内にいたとしても,この流れをどのように止められるのだろうか.口惜しい.
昨晩,台湾人大学院生のシュシェンがJCと,僕の実験器具や机を午前中使いたいと言ってきた.僕にとって興味のある実験だったし,生きた動物用の器具を持っているのは僕だけなので,OKした.朝9時に始まり,10時には終わるとのことだった.お易い御用だ.
今朝は,彼らの実験に遅れるまいと,朝8時半にラボに来た.しかし,JCもシュシェンもいない.ようやく二人が揃ったのは9時半だった.すぐに実験を始めるのかと思いきや,必要な溶液を作っていなかったとかで,実験が始められたのはなんと11時を回ってからだった.何故溶液一つを作るのに,1時間半もかかるのか,僕には理解できない.
その後も,必要な器具がなかったり,実験に不備があったりで,結局彼等の実験が終わった(というか諦めた)のは3時.かなり苦痛だった.
おまけに,シュシェンの新たな一面にがっかりさせられた.普段は,いかにも金持ちの実家で純粋培養されたような,気のいい青年だが,実験に関しては極めて自己中心的.自分の都合しか考えていないので,その後に僕が控えているということに気づかない.平気で予定を延長する.指摘しても,のほほんとしている.動物を解剖しながらも,必要な溶液を僕に取ってくれと指図する.Could you~?と言われるのならまだしも,You can~.と頼まれると,なんだか腹立たしい.もっとも英語のニュアンスが,直訳どおりなのかどうかは,僕には良く分からないのだけど.
やはり金持ち育ちで,今まで何一つ不自由なく,周りの人たちが世話を焼いてくれたからこうなったのだ,と考えてしまうのは,貧乏人のやっかみかもしれない.
おまけに使った後の片付けが何一つ出来ない.顕微鏡のライトなどがつけっぱなしだ.終わったことさえ僕に伝えないので,一体始めて良いのかさえわからない.
実験台を見た瞬間,凍りついた.動物を解剖したまま洗わず,血がこびりついた解剖道具が散乱している.マウスの毛なども実験机に散乱している.人の器具と机を借りておきながら,これはあまりに酷い.文句を言おうと思ったのだが,当人はのんきに遅い昼飯でも食べにいったらしく,姿が見当たらない.今度やったら,徹底的にとっちめなくてはならない.
夕方,コーリーが,「ciona,今晩飲みに行かないか?」と誘ってきた.彼は今の僕の状況が分かっているので,気遣ってくれたのだろう.ちょっと喉が痛いような気がしているのだが,好意をむげにしたくなくて一緒に飲みに行く.
今日行ったのは,「地球の歩き方」などにも載っているJohn Harvard’s Brew House.ビールは全て自家製だという.黒ビールと,やや色の強いビールの2種類を頼んだが,どちらも悪くない.食事にはハンバーガーを注文.こちらにきてハンバーガーを食べるのは,実はこれが初めて.
まだ東京にいた頃,土日にラボに行った時などに,目黒駅近くのT’s dinerでハンバーガーを食べるのが好きだった.アメリカに来たらこんな感じの店が多いのだろうか,と思っていたが,実際にアメリカに来てからハンバーガーらしいハンバーガーを食べたのは,来てからもう4ヶ月近く経つというのに初めて.肝心のハンバーガーだが,なかなか美味しかった.
* こういう「くやしさ」がうねりうねって、大きな連帯の力になって欲しいもの。
2007 5・4 68
☆ 仕事にも少し慣れて ゆめ
元気にしております。まだまだ覚えなければいけない事柄もたくさんあって、なかなか大変です。ぎりぎりの人数でやっていることもあり、忙しい日々です。
連休の好天に真冬の衣類の洗濯や、お布団干し、また昨日籐の敷き物を出しました。
つつじの花盛りですね。大好きな紫らんの花、咲き始めたのを見つけました。
* 名古屋市大の谷口さんから、脚のけがのお見舞いと、最近の研究論文数本が届いた。ありがとう。
2007 5・4 68
* 明治学院大学名誉教授の粂川光樹氏の大冊、最近笠間書院から出された初の単行本『上代日本の文学と時間』も贈られてきた。医学書院に同期に入社した四人の一人で、彼は一年もするかせぬかで退社し、わたしを大いにうらやましがらせた。フエリス女学院の先生の頃に、わたしを呼んで講演させ、中華街でご馳走してくれた。のちに明治学院大に移った。この方面の研究者とは識っていた。古事記、日本書紀をつづけて音読して間もないこと、楽しみにこの大著に敬意をもって向かいたい。
医学書院で、入社してすぐわたしが主任を務めていたデスクに配置された、中島信也君(筆名・小鷹信光)の、これも早川書房刊の大冊『私のハードボイルド』も、堂々の半ば研究書の印象すらある自伝ふう歴史本であった。彼も医学書院に初出社の日を顧みてあんな情けないイヤな日はなかった、一日も早くやめたいと思ったと書いていて、あまり似ていたので笑ってしまった。
彼は徹底したハードボイルド畑の訳者・筆者で、仲間も、著書もびっくりするほど多いはず。わたしとは、ピンからキリまで方面のちがう書き手で交叉点はなかったが、共通の知人である書き手は少なくない。ペンの委員会や理事会で、彼の本に顔を出していた書き手とも何度も一緒になっている。
退社は、どっちが早かったか覚えない。中島君は会社に入るより前から、大学時代からもうその方面に地歩をもち仕事し始めていた。彼がデスクにいたちょうどその頃、わたしは昼日中東大国文の研究図書室に身を隠し、夢中で徒然草文献に読みふけっていた。その勉強から、書き下ろし長編の『慈子(斎王譜)』が生まれた。無我夢中であのころは勉強した。大学の勉強などものの数でなかった。仲間など一人もいなかった、妻のほかには。いや、編集長重役に長谷川泉がいて、わたしは、長谷川さん、あんなに忙しくてしかも森鴎外はじめ三島や川端の研究と啓蒙者として沢山な研究書・著書を持っているのだもの、自分もやれると、いつも気を張っていた。幸せな環境だったと今にして思う。
他に医学書院からは、わたしの知る限り、後輩に評論家樋口覚が出ている。先輩で上司だった畔上知時氏も優れた歌人で、何度も自著で紹介している。
* 故福田歓一さん(東大名誉教授・法学部長)の夫人からこれまでの「湖の本」を永く愛読しておりました、今度の本を霊前にお届け頂き、早速供えましたと丁重なご挨拶があった。
そういえば、わたしも七十一を半年過ぎている。知己の人たちがいわばみな「名誉教授」なのも当然すぎるほどになった。現役の大学教授ともまだたくさんおつきあいがあるが、歳月の摩滅のはやいことよ。
* 名古屋の子松君、モーツアルトのバイオリン曲のCDを二枚贈ってきてくれた。いろいろと忙しそうだ、なにもなにも順調ですように。近いうちに会う機会もあろう。そんなことを言いながら、わたしの事情から会いそびれている卒業生が何人も。上尾君、竹下君にも会いたい、折悪しくのびのびのままの林君にも、剣道五段にすすんで元気に仕事中の西山君にも。藝大の油絵に転じた折戸さんの顔も久しぶりに見たいもの。
そういえばバルセロナが、帰国休暇とメールにあった。故国を楽しんでゆくように。
2007 5・4 68
☆ 非常識part2 昴
(「mixi」)147日目 高度が上がると、飛行機の中が心持ち暖かくなってきて、そりゃイカロスの翼も溶けるよ、と思った。
というわけで、また(北海道の北辺から=)東京に向けて旅立ちました。
何のために行くかというと、演劇「アルジャーノンに花束を」を平塚市まで観に行くためです。
非常識もいいところですね。
さて、飛行機から東京を見ると、雲の色が変わるのはいつも気づいていたのですが、今回は、川のそばに家が結構あることに気づきました。
あんなに川のそばにあって怖くないのでしょうか。
上空から見る、本州と北海道の景色は全然違うので、じいっと見てしまいました。
一日目は、東京に着いた時間が五時ぐらいだったので、八重洲のブックセンターに行って教育関係の、印刷してすぐに使えるような本を何冊か買ったぐらいで疲れてしまって、すぐにホテルに帰りました。今回の旅のメインイベントは明日なので、一日目は体力温存です。
二日目は演劇を観に平塚に行くのですが、そのまま行くということはつまらないので、由比ヶ浜にちょっと寄ってから行くことにしました。
なぜ由比ヶ浜かというと、鎌倉文学館があるからです! 近代文学に度々出てきている地だからです!
で、鎌倉文学館に行ってきたのですが、旧前田侯爵別荘だった建物はいかにもお屋敷、という感じがしました。三島由紀夫『春の雪』の舞台にもなったお屋敷だそうで、敷居の高い感じがひしひし伝わってきました。中の展示品も、川端康成の使っていた筆や作家さんの原稿などがあって、興奮してしまいました。
鎌倉ゆかりの文学ということで『平家物語』や『徒然草』などがあったのもおもしろかったです。あの『平家物語』の本が影印本なのか、原本なのかが気になるところ。写本に、前田家蔵本というのもあったような、ないような、御伽草子の方だったような…勉強しないとな。
電車に乗って由比ヶ浜まで来ましたが、このお屋敷とその周りの環境を見ていると、なんで文豪達が鎌倉に集まったのか、わかるような気がします。仲間が居たからっていうのもあるでしょうが…。
文学館から駅へと帰っていく途中、日本家屋の造りと思われる廃屋が、草木に覆われて辛うじて建っているのを見ました。『源氏物語』を読みながら、垣根が草木で壊されたりしている、荒れている家々のことが出てくると、「そんなわけないじゃん」と思っていましたが、そんな家を目の当たりにして、自分の考えを改めることになりました。北海道の、特に私が住んでいる場所の廃屋は、牧草畑や浜辺に、木も背の高い草も生えさせず、ぽつんと孤独に荒れているだけなので、この発見は貴重でした。
この後、電車に乗って平塚に行きましたが、早く着きすぎて、神社に行っておみくじを引いたり、公園で本を読んだり、鳩にビスケットをあげたりして過ごしました。
* 昴のこの日記を読み漏らしていた。文は人なりという。いかにも柔らかな人となりの「素」があらわれて、微笑ましい。川の側の家が怖いという、これは昴の、根の感性のように想われる。草生に荒れる籬についての発見も素直で美しい。そういう昴がはるばる、ほかならぬ『アルジャーノンに花束を』を見に行く意思。錐で揉み込まれるほどの感銘がある。
芝居の感想も転写しておく。わたしのこの「私語」は、ときに劇団昴を率いておられた福田逸さんの目にも触れている。
☆ 観劇 昴
さてさて、平塚市中央公民館で行われた「アルジャーノンに花束を」の感想です。
印象としてはオーソドックスな演劇を見た、という感じ。
チャーリー役の平田広明さんが、知的障害者をその人らしく(指先を奇妙に曲げているなど)演じていたので、「え、違うよぉ」という思いを抱かず、すんなり劇に入ることができました。う~ん、プロの人ってすごい!強いて言えば、もうちょっと子どもっぽかったらよかったのになぁと思うことかな。あ、あと間が変なところがあったなぁ。そのあたりが気になったぐらい…かな。
お話自体も、一人称の原作では書けない部分が書かれていて、おもしろいなと思いました。原作付きの演劇を楽しむ方法を一つ覚えました。
実は観劇後のアンケートに、「元に戻っていくことがチャーリーにとって必ずしも不幸ではない」と書いたのですが、一日経ってみるとそうだったのかがわからなくなってきました。だいぶ悲観的ではあったように思います。でも、「仕事しに来た」とチャーリーが言ってからは幸せになってきたのかな。最後のチャーリーのレコーダーに残した声は確実に喜びだったように思います。
原作を読んだときに、チャーリーは元に戻りたかったのではないだろうか、と思うことがあったんですけれどもいまいち自信が持てずにいました。今回、演劇を見てやっぱりそうだったのかなと思えました。
今回の演劇を見て、ダニエル・キイスが「二四人のビリー・ミリガン」を書いた作者だということがよくわかりました。
原作がある作品の演劇化などは、物足りなさを感じるのであまり期待を抱いていないのですが、今回のは作品の理解を深めることができたので、いい劇だったなと思います。
広い舞台ではなく、本多劇場ぐらいの大きさの所で見てみたいな、と思いますが、もう、東京に行く経済的余裕もありませんし、冬の公演も見に行けるような時期ではないので、無理でしょう。
今回の観劇は、鬼気というか、緊迫感というか、そういうものがもう少しあれば100%満足のいくものになったようには思いますが、充分、満足のいくものでした。
平田さんが言っていたように、「仕事しに来た」というセリフはこの劇で一番の見所でした♪
* とにかく観て感じて、そのまま書いている。本も芝居も景勝・古跡もそうだが、再見からが、真の体験になる。一度目は扉を開いて一歩だけ踏み込んだのと同じ。その一歩をどうつぎへ育てるかには、少なくも二つ道がある。その一歩を二歩に三歩にする、またはその一歩をかかえ持ちながら次の別の一歩に内的に加算する。
古社寺をめぐって社寺印を捺して貰ってくれば「行った、知っている」という人がいる。良い体験は、そういうものでない。二度立ち向かう気を起こさせないものは、概して、つまらない。但しこの際に、ぜひ覚悟しておきたいのは、作品がつまらないとは限らない、作品に比して当人の人間の方がよほど「つまらない」場合もある。作品を「つまらない」と投げ出すのは人間の勝手だが、作品の方からおまえは「つまらない」と言われるのはかなり恥ずかしい。
昴さんも次の雄くんにしても、みな年齢的にはわたしの「こども」世代。わたしはいつもそういう親愛感でこの世代の人たちに接している。
次の雄くんの日記も例によって、なかなかおもしろい。単篇の日記として読み流すのが惜しいほど、それも公団に展開すればするほど内容面白く、興味津々。なるほど理系の秀才じゃのう、この展開はと、また納得させられる。苦笑も快笑もする。
☆ かぐや姫 ハーバード 雄
エドに頼んであった電気生理の器具がようやくできた.エドがやってきて,午前中に一旦,顕微鏡まわりの部品を回収し,夕方,それらと共に新しい器具を持って再び現れた.今週の初めには出来上がっているはずだったのに,出来上がったのは結局,金曜日だった.
取り付けてもらったが,こちらの望んでいたのとかなり違う上,照明の当て方が適切でないために,像のコントラストが極端に低く,全く使い物にならない.結局,月曜に再度来てもらい,案を練り直してもらうこととなった.
ハッピーアワーのビールも手伝い,その際にもちょっと色々あって,夕方にはすっかりやる気が失せ,居室に戻る.居室では,ライアンが暇をもてあましてか,下らないアニメのウェブサイトなどを開いている.
ふと画面を見ると,「月からやってきた狙撃者」とかいう文句とともに,アニメのキャラクターのようなものが描かれている.ライアンも,こんな下らないものを見つかってしまった,という様子で気恥ずかしそうにしているので,思わず笑ってしまった.
「日本にも,そんな話があるよ」と言って,竹取物語の話をライアンにしてみようと思い立つ.が,実際に話してみると,自分の記憶がいかにいい加減であるかが分かる.
僕が話したあらすじは以下の通り.
「昔あるところに,おじいさんとおばあさんがいました.或る日おじいさんが竹林に竹を切りに行くと,一本の光っている竹がありました.おじいさんがその竹を切ると,中には可愛らしい女の赤ちゃんが入っていました.おじいさんとおばあさんは,その赤ん坊をかぐや姫と名づけました.かぐや姫はすくすくと育ち,やがてとても美しい女性になりました.多くの男がかぐや姫に求婚しましたが,彼女はそれに応じず,或る日,自分は月から来た者だと伝えると,月からの迎えとともに,月へ戻っていきましたとさ.おしまい」
これを聞いたライアンは,「ということは,そのかぐや姫は,それまで大切に育ててくれたおじいさんとおばあさんを置いて,月へ帰っていったというのか? なんて女だ!」
続けて,「で,その話はそれで終わりなのか?」
昔,子供の頃に聞いたときには,とても美しい話であるように感じたのだが,いざ説明してみると,どこが美しいのか説明に苦しむ.きっと僕の話し方が悪いのだ.
「cionaはストーリーテラーにならずに,サイエンティストになって正解だったな」と,ライアンにからかわれる.
インターネットで検索し,竹取物語のことが書かれているウェブサイトを読みあさっているうちに,すっぽりとぬけてしまっていた箇所がいくつかあることを思い出した.
例えば,最終的に5人の男が求婚したが,それぞれに無理難題を言いつけ,結局誰も願いが叶わなかったこと.「竹取物語」では,もっとも重要な箇所の一つであるはずなのに,ウェブサイトを読むまで,きれいさっぱり忘れていた.
最後には御門(帝)までが彼女に会いたいと言ったが,それにも応じず,月に戻る直前に御門に「不死の薬」を渡していったこと.御門はそれを日本で最も高い山の頂上で焼くようにと命令したこと.そのことから,その山は「不死の山(=富士山)」と呼ばれ,今なお煙を上げているのだということ.そんな最後のオチの部分などもすっかり忘れていた.
しかし,こんなのをライアンに説明しても,5人の求婚者の話は,かえって火に油を注ぎそうだし,最後の富士山のくだりも,日本人にとってはオチになるだろうが,外国人が聞いてもピンとこないに違いない.
小さい頃に読んだ物語などのあらすじを,いまなお良く憶えている人を時々見かけるが,僕は全くダメ.うろ覚えで,他人に説明するなど,もってのほかだ.
そうはいっても,どうしてこのようなあらすじの物語が,いまだに受け継がれているのかは,考えてみると謎である.単に受け継がれるだけでなく,古くは同じ名前のフォークバンドもあったし,竹取物語をモチーフとした映画やマンガ,果てはパチンコ台まであるそうだ.日本人の美意識にマッチしているのだろうか.
ちなみに,「かぐや」と名づけられたマウスがいることは,ご存知だろうか?
東京農業大学の河野友宏教授らが作製したマウスだが,なんとこのマウスは「父親を必要とせずに」生まれたのだ.そこで,竹取物語にちなんで「かぐや」と命名されたのだった.3年前のネイチャーに報告された.
色々な生き物の中には,単為発生するものもあるが,マウスなどの哺乳類は,精子からの核と卵からの核が,個体の発生に必要とされている.
何故なら,哺乳類の場合,父親由来の遺伝子には,同じ遺伝子であっても母親から受け継がれた場合と異なる働きを示すものがあり,胚が正常に発達するには,この父親由来のパターンが必要だからだ.
このように,親の性別によって,同じ遺伝子でも異なる修飾を受けることを,「ゲノムインプリンティング(刷り込み)」と研究者たちは呼んでいる.「インプリンティング(刷り込み)」とは,例えば,生まれたばかりの鳥は一番最初に目にした動くものを親とみなして後を追う,という生得的な行動のことを指す.
河野教授らは,マウスの遺伝子を操作し,雄に由来するDNAがなくても生殖ができるようにした.そのマウスは雌であるものの,DNAの一部が欠損しており,インプリンティングを受ける遺伝子のうちの2つが胚の中で雄由来の遺伝子のような働きをする.このようなDNAをもつ核を通常の雌のマウスの卵細胞に入れることで,受精卵に相当する細胞がつくられ,それを元に作製されたのが「かぐや」だった.
この実験結果だけを単純に考えると,動物界でオスはもはや用なしということになる.
ただ,そういうことを結論付けるために行われた実験ではなく,ゲノムインプリンティングを受ける遺伝子のうちのいくつがオス型になっていれば,胚発生が進むのかということを学問的に検証するのが本来の目的だった.
また,457個の同様の卵を用意したそうだが,実際に生まれてきた「かぐや」は,たったの2匹だった.このことからも,まだまだ分かっていないことも多いのだろう.
ただ,このマウスの場合,竹から生まれたかぐや姫とは,大分かけ離れている気がする.しかも外国人には理解されがたい美意識のようだ.果たしてこのネーミングのセンスが良いのか,僕には分かりかねる.
* 「かぐや」と名のあるネズミが、世界のトップ科学誌に論文として登場するとはね。
雄君も、かぐやひめの話が現代の今日にもまだもてはやされていることに奇異の眼をまんまるくしているのも、この私には、異様な刺激である。わたしの「湖の本」には『なよたけのかぐやひめ』一巻が含まれているのだもの。
この戯曲化した和英対訳の美しい絵本は、語学のラボ教育センターが出版し、いまも滞りなく印税がを届けてくれる。この絵本には英語での、日本語でのふたつのテープも、語ってくれるのは外人も、日本人も大塚道子ら一流の俳優さんたち。わたしの三つの講演録もふくむ手厚い解説本もついていて、このワンセットは、しばしば政府要人等が海外首脳へのおみやげとして利用されていると聞いている。またラボの全国支部ではいまもこの台本でこどもたちが大勢英語劇としても日本語劇としても演じていることが、読者からの便りで分かっている。
かぐやひめ伝説はグローバルな根と広がりとを持っていて、バリエーションは莫大な数にのぼる。雄君が必死であらすじを友人科学者に伝えようとしてくれたご苦労に感謝する。
* そういえばこの本をラボで出してまもなく、ある人がハワイに嫁いでいったので、はるばる贈ったことがあった。どうしているかなあ、と、ときどき懐かしく思い出す。なのに、咄嗟に名前が思い出せない。あんなに人の氏名をたくさん覚えていたのに、年々歳々、忘れて行く。昨日会ったような人の名も忘れている。やれやれ。
2007 5・5 68
* 自分が書くよりも、知友、読者、マイミクからの便りを喜んで転写できる日が嬉しい。それぞれに心動かした、動かされたのであるから。そういう日は人肌の温かさを感じる。次の雀さんのメールは、かなりハイな歴史エッセイで、追いついて行ける人は少ないだろう。
☆ 西行と重源、芭蕉と公慶 雀
露伴、紅葉、漱石、子規が同い年とは思いませんでした。前のふたりは昔の人、あとのふたりは今につながっているイメージがあるからです。それに「吾輩は猫である」が書かれたと、き既に紅葉は世を去っていたのですね。
伊東忠太、関野貞、長野宇平治、夏目漱石、正岡子規の五人に絞って、さらに主に三十歳頃までを比較した「年譜」を書き出し書き写していて、漱石に一番時間がかかりました。たびたび手が止まったからです。一つには西鶴の年譜を書いたときの思いと共振するところが強かったんですの。
師の没後俳諧から小説にうつったこと、むすめを喪った悲しみ。
西鶴は五十二年の生涯で四十一歳から小説を書き、漱石は五十年の生涯で三十九歳から小説を書いていて、なにかと取り上げられる有名な著作がその初期作品に大きく傾き、それが彼らのイメージの多くを先行形成してしまっている不幸も、同じです。
西鶴さん、ごめんなさいと謝りながら年譜を書き写していたあのときと同じに、漱石さん、ごめんなさい、です。
ときにファンというのは、贔屓の人と少しでも共通点や類似点を見つけるとたまらなくうれしくって、その人と一段とまた近くなった気がすると同時に、落ち込んでいるときなど、特に自分の価値を自分で上げるものと思うのですが、いかがですか。
雀は、ながく、西行=桜の人というイメージで避けていました。芭蕉さんが、西行が好き好き好きと熱烈にあらわすので、蟹歩きにすこぉし近寄って、「どんなひとなの?」とちらちら見ていたあんばいで、そこに正剛さんが、「しきりに桜の名歌を詠むのは、晩年になってから」。旅をして都をしのんで恋しくおもうときの西行は、月を詠んでいるというのと、「ねがわくば…」の歌が満月と桜と釈迦入滅の3つを結び付けた歌ということに、「月見西行」なら好きになれるかもしれないと、弘川寺の「西行記念館」にでかけてみたのです。
入口の西行像の上に彼が旅した場所を印した日本地図がかけてあるのをながめているうち、「俳聖」を括弧でくくって、「西行の大ファンで追っかけの松尾芭蕉」としていいですか? そうするとお気持ちがよりわかるンですけどと、芭蕉さんの背を軽く叩いてみたい気がおきました。
そして西行が晩年、重源から頼まれ、陸奥に東大寺再建勧進の旅をしたというでしょう。再建リーダー重源が六十歳を過ぎての大仕事で、さらに三歳年上の西行が陸奥に赴き、十月半ばに平泉到着という旅をするさのパワーに驚嘆しました。
五百年後の江戸時代の大仏再建のときは、ぐっと若く、芭蕉がお籠もりをしたお水取りを、参籠の最後に大仏殿再建に邁進した僧公慶は四十歳の勧進リーダー。ところが重源と西行に相似して、芭蕉は公慶の四歳年上なのです。芭蕉は百二十年雨ざらしにされたままの東大寺大仏に再建の許可が下り、なおかつ勧進のリーダーに公慶が任じられたと知って、飛び上がって喜んだのではないでしょうか。
1688年4月、公慶は大仏殿再建を始めます。芭蕉はその前年「笈の小文」の旅に出立し、伊賀上野で越年。翌年、伊勢内宮参詣後、新大仏寺~吉野~高野山~和歌浦~奈良~竹内街道を大阪へ出て、尼崎~須磨・明石~能因塚・山崎宗鑑屋敷跡~京。まさしく「西行好き好き好きの旅」ですわねぇ。
京~大津~鳴海・名古屋~美濃~姨捨で月見、そして~善光寺参拝。西行が妙高山に来ていたということは西行記念館で日本地図を見るまで知りませんでした。「おくの細道」では越後高田に滞在しています。あの時代、あの旅程のなかで高田は仙台に次ぐ大都市だったそうですが、妙高山に少しでも近づきたい思いがありそうに思います。
1688年8月下旬「江上の破屋に蜘の古巣をはらい」、年を越して1月17日付の兄への手紙に、「おくのほそ道」の予定を告げています。西行が勧進の旅をしたのが1186年、それから503年後の1689年。季節は半年違いますが、芭蕉にとって初めての陸奥、その上、秀衡のような人がいない平泉に10月半ばに着いて、そのあとを思うと、雀も、芭蕉を引きとめますわ。
3月江戸深川出立、8月大垣到着、9月伊勢へ。伊賀に帰郷し滞在ののち、東大寺参詣「雪かなしいつ大佛の瓦葺」。そして秋に、完成した嵯峨の落柿舎に弟子去来を訪ねています。
先月から嵯峨厭離庵が特別公開していますが、定家の時雨亭は、落柿舎のすぐ北でしたの? 嵯峨も芭蕉にとって西行の跡を慕うに気に入りの場所なのでしょう。
「おくのほそ道」前後の旅は、西行が重源に頼まれて勧進の旅をしたことをなぞり、西行もこうして再建を進める僧の仕事ぶりを見聞きしたり槌音響く古都奈良にたびたび立ち寄ったのかもしれないと思いをこらして、「西行さーん、わたしもこうして東大寺再建に立ち会い、頼まれませんが勧進のこころもちで旅をしています。公慶さんもなかなかがんばっているンです、みてあげてください」と話しかけながら歩いていたのかなと思います。
さて西行の昔、この大仏復興の為に招かれた陳和卿が、このあと将軍実朝に謁見し、渡宋船を造るよう命じられたのですね。進水に失敗してなかったら、実朝が渡宋していたら、あの時代はどうなったか…これは、雀の、定家卿への想いです。 囀雀
* これだけ書いて、書き手の経巡った歴史の「時空」は広大。天空に舞う凧の糸をしっかり手元に握っての随感・随想は、さぞ手応えがあるであろう。
2007 5・5 68
☆ 今日は兄夫婦とそのお友達が実家に来ました。 昴 北海道
兄嫁が摩周湖に行ってきたお土産ということで、ふくろう(コタンコルカムイ)の栞をいただきました。ありがとう、お嫁さん! 早速、『愛、はるかに照せ』のしおりにしました。航空券の半券が今までしおりでしたので、助かりました。
で、兄夫婦が帰ってからネットで「平家物語」の諸本について調べものをしました。そうしたら、「尊経閣叢刊」が実は前田家が自身の蔵書を保護するために創刊された本だということがわかりました。学生時代に習っていたことだと思います…。何勉強していたんだ、自分。
しかも、「平家物語(真字熱田本)」を所有していたらしいです。ああ、熱田本ね。演習で何回も聞いた名だよ…。なにしていたんだよ、ホント。
AERAの平家物語がわかる本をもう一度読もう。
このことから、鎌倉の本は貴重な原本でないことがわかりました。私が見たのは、漢字かな交じりで真字ではなかったので。謎がだいぶ解けたうえに、新たな知識を得ることができました。
ああ、マイミクさんの「モディリアーニを見た」とか「神奈川の文学館に行った」という日記を見ると、足が痛くても見に行けばよかったなぁ、と後悔します。いいな。
* もったいないミスチャンスを平気で繰り返している東京近郊のわたしたち。昴の、「いいな」に胸衝かれる。
「京の昼寝」という物言いがあった、今は言わないが。「東京の昼寝」はありそうだ。 昔は、京都の者が昼寝しながらでも身につけたものを、地方の人は不自由に勉学しなければならなかった。美術も文藝も、やはり優れた作品に触れることが、その後に大きい。それと、今ひとつ、ものの生まれ出てくる風土の実感が体験として大きい。物の色、物の音、ことば、山紫水明、空の色、風の声。そういうものが役に立った。
いま東京の者が東京のそれを活かしているか、何とも言い難い。
* いつも気に懸けてきた卒業生から、相当真剣な問題提起と相談とがメールできた。恋愛や結婚の相談ではない、もう少しお互いの仕事や日々とも関わってくるなかみなので、緊張している。自分に何が出来るかもよく考えねば、口から出任せに相談に乗ってはならない。
2007 5・5 68
☆ 連休は遠出しなかったので、たまには人混みに出ようと新宿に出かけました。
お上りさんよろしく、久々に中村屋のハヤシライスを昼食に、その後パソコンのSや、Yカメラを覗き、新宿通りのパフォーマンスを横目に伊勢丹、西口の京王デパートへ。
一保堂のくきほうじ茶を買おうと、お店に寄りましたら、お抹茶の初心者セット「はじめのいっぽ」のお手頃価格。お抹茶に茶杓、茶筅、オリジナルのお布巾付き。お茶の心得は全くないのに、たまにはおいしいお茶いただきたいものと…。向かいの金沢「森八」で美味しい和菓子「薔薇」と「菖蒲」も購入。
年金の戴ける年齢になるまで、いま少し頑張ります! ゆめ
☆ 近況 叡
秦先生 前回の湖の本はとても重くて、私はまだ途中までしか読んでいないのですが、とても辛く哀しく、しかし死の問題は私にとって重要なので(7年も経つ父の死、父の喪失を、私は今も引きずっています。)、送って下さった事、感謝しています。やす香さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
最新の湖の本もありがとうございました。
GW明け、奈良と京都に古美術の旅にちょっと永く行って参ります。京都ご出身だったと記憶していますが、京都奈良でお勧めの場所はありますか? わたわたと忙しく、荷物のパッキングもまだなのです。土門拳の「古寺巡礼」を図書館で借りてきたのですが、想像以上の大判写真と重さ、しかも5冊組み、ということでまだ予習が済んでいません。
制作の方はといいますと、去年の秋ほどから前兆はあったのですが、今年に入りとうとう筆が止まり、全く絵を描いていません。美術館には行けますし、外に出ることは活発にしていますが、とにかく自分で何かを作り出すことが出来ないのです。スランプ、と言ってしまうのはあまりにも簡単で、いやなんです。でも、そういうものかもしれません。混迷の極致。本当にやりたいのが何なのかもわかりません。日本画の方が顔料の色がきれいだと、近代美術館の常設を見るたび思いますし。でも、それも逃げのような気もします。
とにかく創作意欲がわかず何も出来ない状態の中で、ひとつだけ熱心に取り組めたテーマがあります。5年以上心の中に封印していたテーマを思い出したのです。
それは、「インターネットによって得られたものももちろん沢山あるが、失われたものもある」「インターネットはコワイ」「インターネットの罪」といった事柄です。上司にこの話をしたところ、「だって機会は広がったでしょう? 何の悪いことがあるの?」と全く理解をされなかったので、これは駄目だと、
そのまま心の奥にしまいこんでいたのです。
今更何を、といったテーマかもしれません。でも私が言っているのは、いわゆる個人情報の流出問題やネット犯罪の増加、あるいは、情報リテラシーの教育で既に言われていることではありません。もっと人間の成長と思考に関する問題です。既にこのテーマで何人かの方々に突撃インタビューを行いました。
秦先生にももしお時間があればお願いしたいのですが、何しろ5月はてんてこ舞い、6月はグループ展を予定しておりどうなるかわからず、という感じでして。
先生はお時間ありますか? 最短で1時間頂ければ何とかなります。本当はもっと深い話をしたいのでその場合はそれより時間がかかるでしょう。
こういった少し社会的な問題を、では藝術で表現するにはどうしたらいいのか、という視点で向き合っています。答えは自分で見つけるものですが、少し、ヒントになりそうな意見ももらうことが出来ました。でも、いまは目の前の古美術の旅をいかに充実したものにするかで頭が一杯です。
1/21に放送された、「Google革命の衝撃」というNHKスペシャルはご覧になりましたか? 私は見逃したので友人にDVDを焼いてもらいました。今の私の問題意識に関連する内容で、タイムリーでした。
先生はインターネットを活用されて執筆活動をしていらっしゃるので、もしかして、このテーマはご興味が沸かないかもしれませんね。私の以前の友人の中にも、この話をした途端、アレルギー症状を示した人もいます。私の言っていることは全部主観だし、新興宗教の人の議論のようないかがわしさを感じる、というわけです。でも私はインターネットをやめろとも、TVを見るなとも、携帯電話を使うな、とも言う気はありません。ただ、そこに潜む問題を追及したいだけです。
長くなりました。おとなしく絵を描いていればいいのかもしれませんが、そうもいかないのでいまはこれに取り組むしかないのです。よろしくお願いいたします。
このところ暑いので体調崩されぬよう。私も体調管理に気をつけて行ってきます。ではまた。
☆ 大田神社の杜若 泉
日にち薬が効いてヨカッタネ。もう普通に歩けるのですね。反射神経が後退している老人だから、気の先走ったサイクリングをしないでよ。
最近は、車にしても歩くにしても、ちょっとぐらい早うて何のタシがある、と思てます。
連休中はほぼ自宅を出ませんでしたが、一日だけ娘夫婦に便乗で、アクアライン経由で千葉の勝浦へ行きました。早朝五時出発、帰路は間違いなく渋滞にハマリましたが、海をのんびりと楽しみました。
大田神社の杜若がきれいやから、と京の上賀茂住人に誘われたけど。
「たった三時間新幹線に乗るだけやから」といとも簡単に言うてきゃはります。
☆ 連休の終わり 蘭
今日も休日です。思い切りリラックスしましょう。
朝目覚めて一番に外回りの掃除。そして植木鉢への水やり。
今日は雨なので その日課もお休み。
猫を洗ったら 冬毛がぼとぼとかたまりになって落ちてゆく。
湯上がりに震えないですむ陽気になりましたねぇ。
「猫はシャンプーすると とても疲労すると聞いたのですが」
「あなたの好きにすればいいのよ」 これ獣医さんの返事。
で 気が向くとこちらの都合でお風呂に入れます。
拾ったときは 湯に蚤が浮き タオルについた蚤をぷちぷち潰しましたが すっかり きれいです。
* 連休が終わる終わると聞いていささか恐慌。最初の「谷崎」話が、来週月曜。漫談ならいくらでも話せるけれど。講義はしたくない。
☆ 『月の定家』の 雀
“此旅の陸奥の旅”は、1186年の東大寺再建勧進の旅でしたのね。(弘川寺の西行)記念館で西行年譜の冒頭に「母は源清経女」とあるのを目にした瞬間、
「このひと…!」
と声を上げました。えぇっと、たしか、『面白い話』にと思い起こしてから、帰宅の道中のもどかしかったこと。読み返して、そぉかぁと、また声を上げました。
それから、西行の出家は10月15日。満月でしたのね。
讃岐墓参10月10日、最後の平泉への旅は10月12日到着。毎年10月の望月をどこで見上げていたのか、たとえば待賢門院が亡くなった年のその日は…、そう思うと西行が少し近しくなりました。
西行記念館は春秋のみの開館で、前回訪ねたときは真夏でしたから白くて小さなコンクリの建物という認識しかありませんでした。一度によほどの団体客があるようで庭と記念館の散策用に100足ほど履物が用意されていますが、学生が数人とぽつぽつ夫婦連れが来るだけでいたって静か。20人くらいの団体が、境内・桜の裏山・記念館を一通りめぐってさぁっと帰ったあとは、ふたたび鶯の伸びやかな声がきこえるばかりの静寂が戻りました。
桜花は終わりに近づき、樹齢300年という海棠が満開。睡れる花、ですか ― 陽光に対してつよく華やかに艶に、立ち去りがたくただ見上げるばかりでした。
往路は竹内街道を、復路は千早赤阪村の史蹟を巡って、水越峠越えに葛城~壺坂~明日香を通って帰ってきました。水越トンネルのルートが意外に短時間で至ることに驚きます。距離と交通について、しばしば想像のいたらなさを実感しますわ。
千早赤阪村の役場近くに “日本一かわいい道の駅” があると聞いて訪ねてみると、まさかこの村中の細い道を行くのという斜面をのぼった先に、正成生誕地、産湯の井、郷土資料館、くすのきホールなどとともに、普通のおうちといったそれが建っています。丁寧に淹れられたホットコーヒーをいただきながら風の通る二階の展望スペースから眼下のパノラマを楽しみました。
ところで、昨日、主人が桜井から王寺、さらに亀の瀬を通って高井田駅までJRに乗り、柏原市の史蹟を散策したあと道明寺から近鉄に乗って、弘川寺へ行くときに割愛した當麻寺へ寄って帰ってきました。
牡丹も藤も散ったばかりだったそうです。雀に、駅で見つけたといって観光リーフレットを差し出すので、なにかしらと思いましたら京都文博の催事紹介のところに、長野宇平治の名を見つけました。あの建物を設計したのが長野でしたの。経歴の「日本銀行技師」がわからなかったのですが、建築や建築士という名称ができたのは、彼らの尽力があったからなのですね。 囀雀
* ハワイへ嫁いだ人の大阪の家族から、「湖の本」に払い込みがあり、ビックリ。感謝。
2007 5・6 68
☆ 秦さん、 脚の具合が良くないご様子で心配しております。ずっと出歩かない訳にも行かないとは思いますが、どうぞご無理なさらないようにお過ごし下さい。
『愛、はるかに照せ』を送って下さり有り難うございました。
今現在気持ちを寄せて共感できるもの、まだ実感の湧かないもの、かつての感覚として記憶しているものと、様々で、まるで博物館のようだなと、一つ一つ楽しみながら読み進めています。
イギリスから帰国以来ずっと、仕事に追われる感覚が抜けない毎日です。身体的にも精神的にも。夜中2時3時に帰宅する日が続くと、知れず知れずに一本足でバランスの悪い自分になってしまうものですね。
メールを書きかけては消してを繰り返していました。今回は、中途半端ですけれどお送りしてしまいます。またゆっくり書きたいと思います。
ご都合の良い折がありましたら、またお目にかかりたいです。
くれぐれもお体をお大事になさって下さい。 敬
2007 5・7 68
☆ 東海道新幹線の南の席ゆえ、山は見えず。 叡
今のぞみに乗っています。平日指定席だというのに満席です。
頂いた京都案内を今から読みます。
今日はとりあえずガイダンスと興福寺です。古寺巡礼を見る時間はなかったので、それは復習用にし、まずは現物を見ようと思います。
近鉄奈良線への乗り換え時間が8分しかないので慌ただしいです。
京都のプランはまだですが、重森三玲の庭なども見たい気がしますが、少し軟派でしょうか。
☆ 鴉様 鳶
脚、少しずつ確実に治っている様子、良かったです。くれぐれも注意して大事になさってください。目の方、心配です。機械に向かうことは目に良いはずありませんが、鴉から書くことは奪えませんし、重大問題です。
連休が終わって、さて世の中が平常にと言っても、連休の方が忙しいのは主婦、今はホッとしています。
少し前のHPを読み返していて、さてわたしは古い友人「鳶」と書かれています! 改めて古株なんだと思い返します。それだけ年とったということ・・か。
フランス大統領選挙の結果を思うにつけても、現代の左派、進歩派とは何か、分からなくなります。反体制、というあたりがメルクマールになるのでしょうか。自民党vs社会党の図式がぎこちなく念頭にある世代だと痛感します。政治的社会的にどう向き合っているか、わたしの中では常に歯がゆい思いがあります。
今の日本の若者の中で、良い意味での競争心や野心、気概などが一笑にふされ軽視されているとしたら、憂慮すべきことです。彼らに左派や反骨を求めることには徒労にも似た虚しさがあるのも事実です。
連休、遊びまわりましたかって? 鳶は元気に飛び回り遊びまわりましたと書きたいところですが。連休前半の一日はベランダのペンキ塗り。二年に一度塗りなおします。白、緑と色を変えて、今度は何色? なんと青です! 婦人雑誌にバラの庭が紹介されていて、やや紫がかった青ペンキに塗られた柵やベランダがあったものですから、真似してみました。自然にない色がかえって色々な花の色、赤、黄、紫、白、ピンク・・何色とも合うようです。病気で弱った薔薇も注意していたら今年はかなり元気になって、葉の緑がつやつやして蕾も揃い、これからが楽しみです。
連休後半は姑の家で。
渋滞を避けて往復はいつも夜遅く。一人暮らしをどこまで維持できるか、際どい状況にあります。やっとケアハウスの見学に行きました。申し込んでも
勿論順番待ち、どのようになっていきますか。集団生活?? ・・わが身の将来を嫌でも考えてしまいます。
オデュッセイ、面白いですね。地中海世界に溺れている鳶は相変わらず夢という泡を食べています。
この春、坂本竜馬に興味あるという友人と高知に行きました。その後、吉村昭氏の『ふぉん・しいほるとの娘』なども読み、何故か江戸後期から明治の近世近代が問題意識に入り込んできました。随分久しいことです。さまざま分裂気味、収拾不可能を半ば楽しんで読んでいます。と、言っても本を読める時間がとても限られています・・。
まずは近況報告まで。お体大切に、大切に
2007 5・8 68
* かぐやひめは、月に。 竹取物語には現代が感じられる。世界も感じられる。
☆ 百人一首 雀
目崎さんの「百人一首の作者たち」は、“西脇順三郎先生のことばがきっかけ”とあとがきの、新潟のはなしにひかれて読み始めてはみたものの、何度も放り出した本でした。藤原氏系図が巨きく膨らみ始めるあたりから、ついていけなくなるンです。
松のとれたころ、つまり、書店やマスコミに百人一首関連の物事が目に立つ時期、電話で母と話しているうち自然そういった話題になりまして、あ、あの本を読み切って送ってあげようと思い立ちました。
そう決めてしまうと今まで幾度もくじけたハードルも、かじりついて越えようと俄然がんばっちゃったのですから、雀ってタンジュン…。
百人を腑分けするように解説されていたのが、雀がつッかえていたところを大いに援け納得に導き、今まで切れ切れに書き留めていた関係図が次々つながってゆくのも面白くて、封筒の裏など家中のありったけの裏白紙を使い尽くし系図を書き散らし、人物事典をひきひきそこに書き込みをし、それらを整理していくなかで、お作に登場する名に、幾度も繰り返し再会しました。懐かしい顔を思いがけず人混みにみつけたみたいで、遠くから見ていただけの人と、すこしはことばをかわせるかも、という気持ちで作業がすすみました。
六条家、葉室家、徳大寺家、西園寺家、土御門家、坊門家、宇都宮家。
大原三寂、寂蓮、証空、道元、明恵、親鸞。
鹿ヶ谷謀議、保元の乱、平治の乱、以仁王、頼朝また義仲の挙兵。
学校にすっかり置いてきたお勉強をあらためてし直して、しかもそれが“お勉強”でなく、感じるもののある愉しい “かかりッきり”でした。
俊成、定家の家系、彼らを取りまく人々、それらを広く知ることができたこともおもしろく、母系からみる大切さをあらためて考えました。
また、頼朝や北条氏について、鎌倉の地に疎いことと武家の成功譚が嫌いなことから興味がもてずにいましたが、実朝が作歌にのめり込んだ事情を知りたい、定家が彼をどれほど気にかけていたかを思うと、どういう状況だったのか知りたくなり、雀のオツムの容量が足らないために、しょっちゅう頭痛を起こしながら、比企氏、畠山重忠父子、牧氏、伊賀氏、名越氏、三浦氏、安達氏と滅ぼして、権勢が北条の一点に焦点を結ぶさまを知り、実朝に心寄せる気持ちになりました。
甲子園の高校野球大会が、何百何千かの野球部が敗れて一校の優勝校にライトが当たって、その優勝校も4ヶ月経たないうち県大会で敗れ去ってしまったり、初戦で敗退したりすることを聯想し、そして、どうして望月になってゆく景色より、虧けてゆく風情にひきつけられてしまうのかしらと思いました。
この本のあと、白洲正子さんと田辺聖子さんの百人一首についての著作を読んで、ともかく今はここまでと区切りにしました。偶然でしょうかしら、お三方とも60才前後に著していらっしゃるのですよ。
ときに、京の都から丹後の間人へ行く道は、単にその距離だけではなく、両脇をいつも山に迫られる景色のせいもあって、ホントに“いくのの道の遠ければ”…都から海って遠いものだったのねェと、実感しました。 囀雀
* 歴史がすき、古典が好き、文学が好きと、口にしたり書いたりする人は必ずしも数少なくない。「mixi」に足あとをつけてまわっても、そんな人と大勢出会う。しかし書いたり話したりしているのを、読んだり聞いたりすると、紙くずを空に浮かべたような塩梅で、いい趣味とすらいえない。
マイミクの中に「香魚」さんがいるが、この人など、中西進さんがほめるほど本格で、最近纏めて読ませて貰った『小侍従論』など、ひところの出版界ならとうに本になっていただろう。
文壇に身を置いて、たくさんの物書きとつきあってきたが、こと古典や国史となると竹西寛子さんや馬場あき子さん、なくなった中村真一郎さんやお元気な大岡信さんらのような人はすくないのである。むろん、持ち場持ち場というものがある。それでいいのであるが、何の持ち場もなさそうな「将来は作家を予定しています」なんて人の方が世間にあまりに多い。ナメてはいかんぞよ。
この雀さんの歴史や歴史地理への迫り方は、ただごとでない熱を帯び、熱だけでなく方法や手法を徐々に我流で見つけ出している。勘がよく利いている。
2007 5・8 68
* 本機インターネット破損。かろうじて不安定な旧機で。
講演用意に手が着かず、気分もひどく不安定。数え上げてみると容易ならぬ仕事の塊が、五つ六つも積み重なっていて。
食わず飲まず、この二三日、ときおりの、人のメールを一服がわりに、はなはだ不勤勉にかつ慌てています。のーんびりのつもりで、内心あたふたしています。目も霞んで、機械漬けは要用心です。
いまのところ「mixi」も、「私語」の更新も本機では不可能。この旧機メールが命綱です。
脚を治さないと。町歩きができるか、今日、街へ出ます。 風
☆ 届きますように、このメール。 花
ネットトラブルのこと、諒解しました。復旧に慌てないでくださいね。
お元気で、風。お仕事でお忙しそうですね。そうです、のーんびり慌ててください。花は、風のお仕事を邪魔しないよう、そうっとメールします。
今日は街へ出かけたとのことですが、脚の具合はいかがでしたか。
今日は暑かったでしょう。七月下旬並みの気温だったとか。うちの近所でも、光化学スモッグ警報が発令され、さっき解除されたところです。
風のところは大丈夫でしたか。
花は、GWの疲れがとれ、元気回復しています。
* さほど暑くもなく。脚も違和感はたっぷり、多少不自由ながら歩行可能でした。よかった。ムリが利くのかどうか分からないが、どっちみち多少ムリするしかない五月ですから、「ムリ慣れ」するようにします。
気がかりは十四日と二十一日とのおしゃべりです。谷崎を「語る」ことに飽きているのです。「読む」だけでよい。
なんとか意識を集中して、学生や先生に失望させずに済むように。十四日二時半まで話し、三時から電子文藝館の委員会。半時間ほど遅刻余儀なく、移動に脚が痛まないといいのですが。
2007 5・9 68
☆ 脚のお見舞いを申し上げます。 麗
観劇の記、有難うございました。私が行くのは25日最終日の夜の部のみですが,日記を拝読し,幕見で昼の部も…と思いました。TVで見たオペラ座の「勧進帳」に違和感を覚えたので,また生で観たいな,と。
舅は若い頃から一幕見席に通ったとのことで,今回の團菊祭も大変興味を示し,いろいろ解説をしてくれました。今は脚と耳が不自由になり,幕見席まで行くのはとても無理ですが,7月,札幌に来る吉右衛門は見に行くそうです。
「私語」の再開を心待ちにしております。「谷崎」の講演録などアップしていただければ幸甚です。脚,どうぞお大事に。
* 麗さん 湖
昼の部の山本周五郎原作「泥棒と若殿」は、人それぞれの身分と持ち分において励めという、現状保守の観点で原作も芝居も作られ、そういう思想はわたしの好むところでないので、劇場では大受けしていましたが、なんだくだらないという気分でした。松緑と三津五郎への好感でのみ楽しめました。こういうのが通俗時代小説や時代劇のやすいモラル押しつけ、臭い俗弊で、好きません。
お富と与三で、きれいな化粧に「化粧料」をたずねた助平な男客に、菊之助のお冨さん、澄まして「資生堂ですのさ」と返事したのには満場爆笑でした。
芝翫の女伊達、貫禄ではありましたが。絡む男伊達は翫雀と門之助でした。浪速雀の翫雀が、なかなかの江戸っ子で佳い感じでした。好い鴈治郎に成るでしょうね、背丈をもうすこし遣りたい、女形にはあれでいいけれど。門之助にはオーラがどうしても立ちません。
女暫は、ご愛嬌としては十二分楽しめます。松緑と三津五郎の所作事も、気分すっきり。
お父上のご平安を。あなたも。
もうすぐ、新橋演舞場で吉右衛門の法界坊を観ます。明日の昼は俳優座へ。
脚はすこし異常なようですが、様子を観察かたがた違和感とも仲良くしてゆきます。
* 夜の部を観る麗さんには遠慮したが、この「私語」は、どうせ当分更新出来ないのだから書いておく。大切りの『め組の喧嘩』はばからしい芝居で、なんでもかんでも劇団総員が参加できるというだけ。「喧嘩」自体がノンセンスで、いささかもお役に立つ喧嘩ではない。音だけ高い、においもしない屁のようなもの。
『勧進帳』では総員の芝居に涙を誘われるのに、そういう感動は「め組の喧嘩」にはしずくもない。無意味芝居の最たるもの。虎之介坊が熱演の芝居だから観たものの、わたしはこういう無意味芝居は好きになれない。「河内山」が好きになれないのも、あれもいうまでもなく悪いヤツの上にもっと悪いヤツがいたという、それだけの芝居ツクリが好きになれない。
2007 5・10 68
☆ 山容 雀
お誘いがあって京都市内観光をしてきました。
GWの観光客が去りお店もシャッターを下ろして休日です。
厭離庵の公開もGWのみだったようで、嵐山から高雄へ向かい、中川の集落を通って清滝川をさかのぼりました。鶉が、また、蛇が道を横切り、木に絡み付いた藤花がかすかな風に揺れ、地には一面の著莪。
惟喬親王供養塔があるという長福禅寺はあいにくとお留守でしたが道から宝筺印塔が見えました。
せせらぎ、早苗、残んの八重桜。青嵐の山を堪能しました。
また市街地に下りてきたとき、目に入る山のかたちが甘食に似ているなぁと思いました。お腹が空いていたからというだけでなく、これがきっと「都に帰ってきたンやなァ」と感じる山容なのでしょう。この山のかたちに日夜囲まれ、昇る朝日を拝み西山に沈む夕陽に照らされて暮らしてきた時間が、京の性格や生活をかたちづくってきたかと、ハタと気がつきました。
暑さにばてました。そちらも暑いでしょうか。今日は荒れ模様になるとのこと。くれぐれもお大切に。 囀雀
2007 5・10 68
☆ 研究者とお金 ハーバード 雄
一段と日差しが強くなってきた.行きのバスの中で汗ばむほど.日中は摂氏30度にまで跳ね上がったらしい.春を通り越して,一気に夏になってしまった.
今朝は予告どおり,JCのチリでのボスがプログレスレポートの時間を利用してプレゼンテーションを行った.朝9時前にお茶部屋に行くと,既にJCがいて,元ボスの横でプレゼンの準備を手伝っていた.
JCの元ボスがボストンに来た理由は,チリでベンチャー企業を立ち上げたからだそうで,企業活動としての一環らしい.チリは南半球の南北に亘って細長い土地を有しているため,様々な動植物があるのだという.特に植物から取れる様々な薬は,まだ手付かずのものが多いという.そこで,JCの元ボスは,これらを扱うベンチャーを立ち上げたらしい.
神経科学の世界では,色々な「天然の毒」を実験に使う.
以前日記にも書いたフグ毒のテトロドトキシンは,ナトリウムチャネルという神経にたくさんあるタンパク質に結合して働きを止めるが,同じように,例えば貝毒のω(オメガ)コノトキシンは、カルシウムチャネルのうちのN型(神経型)と呼ばれるものの働きを止めるし,サソリの毒であるカリブドトキシンは、細胞内のカルシウムイオンが増えた時に働くカリウムチャネルの働きを止める.
他にもクラーレという薬は南米産の植物から取られ,古くは原住民達が矢に塗って獲物を倒すのに使われていた薬だが,これは神経伝達物質の一種であるアセチルコリンの受容体(これもイオンチャネルの一種)の働きを止めてしまう.
こうした神経科学に使う毒以外にも,チリにしか生えていない植物の実には,例えば活性酸素を除去する強い作用を持つものもあるという.「ジュースにして売ったら?」とうちのボスが言うと,もう既に品種改良を始めているのだとのこと.なんでも手広い.
今日の話のテーマは,アルツハイマー病に関係すると言われている分子の,神経細胞の活動に対する効果についてのものだった.マイミクの「ぶんちゃん」さんは,この辺りの研究のエキスパートなので,僕がこの辺りのことを詳しく書くのは憚られる.
話の結論としては,「あるペプチドが,アルツハイマーの治療に効果があるかもしれない」というものだった.おそらく,彼のベンチャーでイチオシの商品なのだろう.質問もそこに集中していたのだが,僕には根拠としている前提があまりにも弱いように思えた.
セミナーから帰ってきてしばらくすると,JCが部屋に戻ってきた.「昼食を一緒に摂るんじゃなかったの?」と聞くと,「いや,彼はもう,今度はシカゴに向けて発ったよ」という.やはりタフな人だ.
「昨日は遅くまで,Jobのことで話してたんだよ.で,今朝は早く起きて娘のために食事を作ってからセミナーだろ? もう,くたくただよ」とJC.そんなに遅くまで話し込んでいたとは思えないほど,元ボスはハツラツとしていたが.
話し合いの結果は,必ずしも満足行くものではなかったようだが,今書いている論文が通れば,きっと見通しは明るいに違いない.元ボスとの関係も,かなり良好のようだ.「彼一人ではどうにもならない」とJCは言っていたが,それでも強力な後ろ盾であることは確かだろう.
今日のセミナーでも,元ボスは研究所の写真を示して,「JCは昔,この辺りで研究していた」などとポインターで示していた.広大な敷地に扇形の美しい建物が建っていて,それが研究棟だとのこと.なんとなくJCが戻りたくなるのも分からないでもない.
居室に戻ると,僕の日本のボスから,一緒に出している特許の出願書がFedexで届いていた.サインをして,特許事務所に至急送り返して欲しいという.
基礎科学の分野では,これまでは論文さえ書けば済むというところがあったが,近年はそうではない.必要に応じて,積極的に特許を取る事が推奨されているし,特許を全く取っていなかったりすると,研究所のお偉いさん方からお叱りを受けたりする.基礎科学一辺倒というのはダメであって,これからは,JCの元ボスほどではないにせよ,応用ということも視野に入れていないとダメということらしい.
まあ,この特許が通ったところで,お金になるとは思えない.至急送り返せとのことだったので,Fedexで日本に送った.こちらのラボの用件ではないから,自腹を切った.この代金を取り返すことは,この特許では到底無理だろう.なんだか馬鹿げているが,仕方ない.
特許を出願するのはこれが初めてではなく,東京にいた時にも一度ある.愛知に移る直前で,移ってからもしばらくの間,書類が送られてきてはサインをして返すということが続いた.
特許の出願書には、「甲は乙に対して云々」という記述がある.読みにくいのでろくに読んでいなかったが,ある日読んでみると,その中に,分かりやすく翻訳すると,「僕の取り分は全て教授に渡す」という内容の文言が入っているのを見つけた.まあ,この特許もお金になる特許ではなかったが,そうまでするか? と閉口した.
この仕事を選んだときから,金持ちになることはほぼ諦めている(それでも,もう少し給料が多くても悪くはないと思うが).しかし,この仕事を選んだ理由の一つは,「金の計算がしたくない」ということだったのだが,実際研究職についてみると,そんなのは全くの幻想だということが分かった.
確かに自分の懐に入る金は少ないだろうが,研究費その他,エラくなればなるほど予算のことで頭を悩ませる時間が増えるのは皮肉なものだ.研究室主宰者になれば,予算の管理や運営,助成金の獲得に多くの時間を割かねばならないし,研究所の管理職になれば,一日の大半はそうした仕事で潰れることだろう.
今はしがない貧乏ポスドクだが,一切金の計算をしなくて良いということは,考えようによっては今が一番幸せかもしれない.
* 学究も、いろいろとシンドイようだが、雄クン、健康そう。現実感のある感想に騒がしさがない。
☆ 花粉症がラクになってきたみたいで、薬に頼らなくても過ごせるようになりました。くしゃみは出ますけれど。
さっき、「ヒトラー~最期の12日間~」という映画を見ながら、唐辛子をまぶした柿の種を一袋食べてしまい、お腹いっぱいです。鰹のたたきを買っておいたのですが、入らなそう。
風は、講演の準備などでお忙しくお過ごしのことと想います。当日は、パリッと背広でいらっしゃるの。
もぐりこんで聴講してみたいな。なーんて、そんなこと、とてもできませんね。富士山をまるまる跨いでではね。残念。 花
* 絶不調、というより、やる気が全くわかず、何にも手が着かず、雨までが、通り過ぎていったみたいです。
右脚、ボターッと腫れています。指で押すとむくんでいます。痛み、立ち居、歩行はらくになっていますが。ふくらはぎから下、足首へかけて、へんに赤らんでいます。血流が欝滞しているようです。様子を見ています。
初鰹ですか。風は、もう真夏の素麺。
さ、少しでも何か用意しないと。頭、散漫な、風。
2007 5・10 68
☆ オハヨ 泉
六時間熟睡して五時起きです。すっきりと夜は明けていて、ゴミ捨てに出ると青葉が眼に沁みて爽やか。招かざる鳩もいたりして。嵐の落し物をきれいに掃除し終えました。
暫く私語が停滞していてどうしたかな、と案じていましたが・・・
外出が出来る程に回復したのですね。それとも一途のガンバリでかな。お大事に。
パンが焼けたようで。ほな又
2007 5・11 68
☆ 猛烈な風が通り過ぎて行きました。凄まじかった。カーポートがもげてしまうんじゃないかと心配なほどでした。
そちらの風はいかがですか。
> やる気が全くわかず、何にも手が着かず、
風にもそんなことがあるのね、と、ほっとしました。
とはいえ、ほっとしている場合ではなく、花も読みたい本は溜まっているし、英語の予習もしなければ。
洋書を輪読することに、だいぶ慣れてきましたので、毎週の予習がさほど負担でもなくなってきました。でも、先週休んでしまったので、次回の分はいつもの倍です。今から取り掛かります。
英語は、読む・書く・話す を併せて行うよう心がけています。少しずつだけれど、成果が出ていると思います。英語力は、勉強をやめてしまったら最後、すぐに鈍ってしまうので、どんな形であれ、つづけたいです。 花
2007 5・11 68
☆ Annual meeting ハーバード 雄
今日は一日中,脳科学センターの年次研究会に参加していた.
会場は「American Academy of Arts and Sciences」という場所で,職場から近いが,今まで行った事のない場所だった.何も考えずに行ったのだが,着いてみて驚いた.広い.建物もそうだが,門から延々と歩かなくてはならない.木々に囲まれた中に2階建てのホールがあった.
受付を済ませた後,中をぐるりと見て歩いた。「American Academy of Arts and Sciences」のメンバーに選ばれた人たちからのお礼の手紙が飾られていた.
錚々たるメンバーばかりで,初代アメリカ大統領ジョージ・ワシントンに始まり,歴代大統領の手紙(J.F.ケネディやクリントンのも見受けられた)のほかに,チャールズ・ダーウィン,アルバート・アインシュタイン,作曲家のショスタコーヴィッチ,’I have a dream’の演説で有名なマーチン・ルーサー・キング牧師のものなども見受けられた.古いものは全て直筆,比較的新しい人のもサインは自筆だ.
会は、研究室主宰者たちによるトークと,ポスドクを中心とするポスターセッションの2部構成.脳センターの構成員だけでなく,他の学部などからも,関連する研究室から講演者が呼ばれていた.
講演者の持ち時間は一人当たり10分間と極めて短く,質疑応答を入れても15分程度.話す方からしてみれば,とてもでない話し足りないだろうが,それでも講演が終わったのは夕方5時だから,これくらいでちょうど良いのだろう.
扱う生物も,マウスやサルから,線虫,ショウジョウバエなど多岐に亘り,中には鳥の歌の学習の研究者もいた.
今はあちこちの建物に散らばっているが,来年4月には,新たにできる建物に全ての研究室が集結するのだそうで,引越しの手間を考えると頭が痛いが,立派な研究所になることは確かだろう.
午前中のセッションを終え,昼食の時間となった.いつの間にか別室にテーブルが用意されていた.パンとサラダ,メインディッシュはチキン,デザートにケーキも振舞われた.ケーキは少々甘すぎたが,他は美味.これがタダとは信じられない.
食後のコーヒーが振舞われるのを待っていたが,午後からのセッション開始の時間となってしまい,やむなく諦める.
講演の中で圧巻だったのは,「Department of Chemistry」からの招待講演者であるSunney XieとXiaowei Zhuang.
Xieラボの「CARS(コヒーレントアンチストークスラマン)顕微鏡」は,絶大な将来性を秘めている.以前から共同研究をボスにお願いしていたのだが,ランチの時,ボスは、Xie教授と隣の席でずっと話していた.ポスターセッションの時にご挨拶をする.僕の研究目的への利用に興味を持ってくださり,是非一緒にやりましょうとのこと.うまく僕の研究目的に利用できるとよいのだが.
Zhuangは、僕と大して歳が違わないのではないだろうか.しかしもうfull professor.彼女の開発した「顕微鏡STORM」は,通常の光学顕微鏡の20分の1という驚異的な解像度を誇る.通常の顕微鏡では識別できない試料がはっきりと見える.圧倒的だった.
ポスターセッションでは,普段はメディカルエリアにいらしてお話することのできない日本人研究者2人にお会いでき,近々食事でもということになった.
夕食は、久々にCafe Sushiで、チラシ寿司.冷房が壊れているらしく,蒸し暑い.板前さんから「暑くなってきたので,これで精をつけてください」といって,「うざく」をサービスしていただいた.有難うございます.満足して帰宅.
* こういう具体的な日記のおもしろさは、格別。臨場感に満たされる。
2007 5・12 68
* 次なる卒業生クンの「愛」論という「愛」観は、ちょっと風変わりではなかろうか。
☆ 秦先生 臻
21日以降のお誘い、ありがとうございます。楽しみです。できれば、なるべく早い時期が助かります。27 (日)午後(三時ごろ)はいかがでしょうか? いつも先生のPC、気にかかっていましたが…また不調だったようですね。お役に立てるかどうかはともかく、またPCを拝見できればと思っています。
近況ですが、、去年から、我が家全員、常に誰かの調子が悪い状態が続いています。治りかかっては無理して、また病気をもらって、の繰り返し。先日の連休も、疲れが残る中、目一杯体を使ってしまい、後半は家族全員、寝込んでしまいました。典型的な貧乏性家族です…。
遅ればせのご挨拶ながら、ご本、ありがとうございました。
短歌・俳句は、大学の授業のときから、何がどう際立っているのか分からず、字面から離れない平凡なものにしか受け取れないことばかりでした。
が、今回のご本の一つ一つの歌への解説…とくに、言葉の選定に気が配られているものとそうではないものの解説をいくつも読み比べていくうち(作品ではなく、解説です。)、「なぜその表現にするのか」を、自分でも考えられるようになってきました。すると「青春短歌大学」にもあった句や歌が、途端に深みをもって浮かんできます。
私には、ようやく出逢えた「学習の本」になっております。
では、実際の私の生活の中での「愛」はどうなの? となると…、感じません。と書くと穏やかではありませんが…、日々「する」ことに終始しており、その「行為」に愛があるとは思えません。こどもと遊ぶにしても、愛のある遊び方なんていうものはないと思います。子供の体力と運動能力と体調と気分に応じ、自分も子供も楽しむ。自己満足に陥らないように翌日は必ず「振り返り」をする。そこまでが「遊び方」です。
時々子供と二人で遊びに行ったときの写真を見返すと、何度でも見たくなる写真があり、ここに愛があった、と言ってもいいかな、と感じます。その愛? は、「思想」というか「信条」というか、「行為の裏打ち」になっているものです。
愛は現在進行形で感ずることはできず、「過去形」として気づくもの。
だから皆さん、短歌や俳句にして気づいているんではなかろうか、と思います。
* 詩歌への感受性といい、愛への思いといい、よほどわたしの思いから逸れている。詩歌も愛も、このように、ハートならぬマインドで「分別」し「学習」し「振り返り=過去認識」していて、生き生きと喜びが心身に融け込むのだろうか。
篠塚純子の 産みしより一時間ののち対面せるわが子はもすでに一人の他人 という歌のはらんだ理性からは、刻々の「今・此処」を子と共生してゆ現在愛が感じ取れるが。「愛は現在進行形で感ずることはできず、「過去形」として気づくもの」とは、なんと、お気の毒。「過去形」で恋愛していたのかな。
他の方の、ちょっと感想が聞いてみたい。
2007 5・12 68
☆ 叡、高野山で凍える
高野山はとても寒かったです。PHSが圏外のため御連絡できず。昼過ぎ難波に着き、梅田で最近結婚した友人と会い、現在奈良へ。明日は東大寺から。5時半起きです。
京都の自由行動もあまり時間はなく、頂いた情報のなかで絞らなければなりません。
PCの不調は大変困りますね。私もバックアップをとっていないので不安です。
おととい雨の室生寺で凶のおみくじを引いてしまいました。がっくり。 叡
* 高野山の凍豆腐は美味いよ 山
ま、小さい頭にべらぼうな見聞をつめこんでも、海綿同様絞れば、キュッと流れ出てしまう。眼のレンズを深く絞って、印象深い相手を無心に吸い込んでくればいい、量ではない。一度見て触れて足りることは無いでしょうよ。
凶のつぎは吉ときまっています。まわるまわる世界はまわる。凶も吉も、外のもの。
勝手にまわらせ、内なる叡は、静かに深まれ。言葉にとらわれずに。
気をつけて、疲れすぎないように。はりきるほどのことじゃない。 お元気で、叡。
* 星野さん お志のええお茶たまわりました、恐れ入ります。ありがたく頂戴いたします。
不染鉄は、野さんの「三塁打」ですね。よくまあ。
いま東京藝大の学生が古美術めぐりで一斉に京都奈良で勉強しています。そのなかにわたしの東工大での教え子がいます。院を出て大企業に入り、一転藝大の油絵をめざして受験、三年目に合格していま二年生の女性。
もし京都で自由時間が出来たら星野画廊さんを探してゆきなさいと勧めてあります。顔を出したら、いいものを見せてやって下さい。
六月また蹴上での美術文化賞授賞式に出向きます。
ご活躍を。
絵を入れる余裕はないんですが、図版のいらない絵画論を、ペンの電子文藝館に出稿してくれませんか。奥さんも入会されませんか。 湖
☆ 花、遊びには出ず、家でのんびりしています。お元気ですか、風。
明日はわが家の三ヶ月点検があり、火曜には追加工事も予定しています。
天気がよいので、布団を干しました。ふっくらしますね。わたし、天気がよいと、「洗濯しないと損」と思ってしまいます。一人暮らしをはじめた十八のときからこうなんですよ、主婦している今も。
『男と女の詩(うた)』は見たことありません。先月、NHK-BS2で放送していたかしらん。機会があったら、見ますね。
『男流文学論』という本を読んでいます。十五年くらい前に出版されたもので、当時少し話題になっていたのを覚えています。上野千鶴子、富岡多恵子、小倉千賀子の三人の鼎談で、とてもおもしろいです。
吉行淳之介、島尾敏雄、谷崎潤一郎、小島信夫、三島由紀夫らについて討論しています。今、島尾敏雄のところを読んでいます。風はこの本、ご存知かな。
少し陽が傾きましたね。これから散歩に行ってきます。
2007 5・12 68
☆ 足の痛みのこと、気掛かりでしたが、少しずつ快方にむかわれているようなので安心していました。今日の「私語」を読んで驚きました。お仕事も大切でしょうが、一日も早く治療を受けてくださいますようお願いします。痛みに弱く怖がりですので、恒平さんの強いのには感心していましたが、やはり医療も必要かと。くれぐれも無理なさらずお大事にしてくださいますよう。 のばら 従妹
☆ 湖様 相変わらず忙しい日々を過ごしています。人の仕事はいつまで経っても厳しいものです。
早く開放されたい思いに駆られることもあります・・・。
足のご様子が心配です。早く糖尿病専門の先生にみていただいてください。お願い申し上げます。
海の見える宿で、湖とさざ波が碁を打つ・・・。そんな夢を見ながら、日々過ごしたいと思っております。 波
2007 5・12 68
☆ エメラルドネックレス ハーバード 雄
今日は,朝一番にムービングセールで頂くことになっていたコーヒーテーブルを運ぶ.
前にも日記に書いたが,同じアパートの別棟に住んでおられる方から頂くことになっていたが,先週の火事で延期になっていた.ちょっと傷などもついていたが,まあタダなので文句は言えない.これで,揃えたいと思っていた家財道具は,全て揃った.もしかするとビデオデッキやDVDプレーヤーを買うかもしれないが,今すぐに必要という訳でもない.
テーブルを受け取ってから,すぐに家を出て,久しぶりにクーリッジコーナーまで歩く.
ここ最近,一気に蒸し暑くなったのだが,日本からは半袖の服をほとんど持ってこなかった.そこで,今日はクーリッジコーナーのGAPに行き,ポロシャツを数枚買う.半袖のオックスフォードシャツも買いたかったが,ろくなものが無くて今日は見送る.
ラボに着いて実験をしていると,ボスがたまたま通りがかった.
実は昨日,研究会から戻ってメールチェックすると,マウスをもらうことになっているドイツのラボからメールがあり,今月か来月ならば来ても良いとのことだった.
至急行きたいのだが,とボスに話す.ボスは「分かった.旅費をどうにかするから,ちょっとだけ時間をくれ」と言う.ドイツまではそれ程高くないと聞いていたが,ウチのラボは,それほど困窮しているのだろうか.Xieラボとの共同研究の件についても,少しだけ話をする.
実験は上手く行ったのかどうか微妙な結果.いずれにせよ,望んでいたのとはちょっと違う結果になる.これでカルシウムイメージングで試そうと思っていた条件は全て試した.来週火曜日にボスとのミーティングがあるので,それまでには終わらせておきたかった.
4時過ぎにラボを出る.ハーバードヤードは,休日ということもあって,多くの観光客で賑わっていた.芝生も生えそろい,冬に来た頃とは大分雰囲気が変わった.冬に撮った写真とほぼ同じ位置から,新しく写真を撮ってみた.
最後のリスはおまけで,ハーバードヤードにはリスがたくさんいるのだが,今日,ラボに行く時に,すぐ横をリスが通り過ぎた.おや,っと思ったが,向こうも一端逃げようとしたものの,何故かこちらを見ている.写真を撮るチャンスと思いカメラを取り出したのだが,その間もずっとこちらを見て待っていた.おかげで綺麗に撮れた.もしかすると,えさでもくれると思ったのかもしれない.悪いことをした.
ただ帰るのは勿体無いので,いつもと違う道を通ることにし,ハーバードのメディカルスクールエリア行きバスに乗ることにした.Kenmoreの駅に差し掛かったところで,多くの人の群れに遭遇する.皆,レッドソックスのウエアを着ているので,試合帰りなのだろう.
Fenwayに停留所があったので,発作的に降りてみた.駅には試合帰りの人がごった返しているので,電車に乗ることは諦めて歩くことにする.
その前に,前から気になっていたFenway駅近くのBed Bath and Beyondに立ち寄る.今まで,「これがあるといいんだけどなあ」と思っていたものが,次々と見つかる.例えば,石鹸を入れる容器.氷を作るための枠.スポンジを置いておく入れ物など.
改めて見ると,この一帯には店が多く立ち並んでいる.今までは滅多に来ることがなかったが,車ならば目と鼻の先.これからはちょくちょく来よう.
駅から延々とriverwayと呼ばれる道を歩いて帰宅する.この辺り一帯はメディカルエリアがあって,立派な建物がたくさん立ち並び,車の通行も多く,歩くには向かないのだが,riverwayの周りは木々がたくさん立ち並んでおり,川や沼の周りの木々に葉が生い茂ると緑色の首飾りのようになることから, 「エメラルドネックレス」と呼ばれている.
確かに,歩いていても気持ちが良い.緑も豊かだが,野鳥の種類が豊富なことにも驚く.実際,自宅にいても朝方などは鳥の鳴き声で目覚めることも多いのだが,帰る道すがら,変わった鳴き方をする鳥がいたので思わずそちらを向くと,真っ赤な鳥がそこにいた.種類は分からない.カメラを取り出す間もなく消えてしまった.
職場からの距離などを考えて,以前から引越しも考えてはいるのだが,ようやく生活の基盤も揃ったことだし,木々が緑に包まれると,自宅の周辺はなかなか美しいなあと思うようになって来た.愛着が湧いてきたのかもしれない.そうなると,引っ越すのも惜しい気がしている.
* 着々生活しながら、其処をしっかり通って手にしてゆく発見や感想や感覚。これが尊く想われる。この青年には観念におぼれる不確かさがない。そのぶんゆっくり時間はかかっているけれとども、着地に確実さがある。ときどきうらやましく想う。
☆ 脚のこと、その他 雄
秦先生 「私語の刻」を読んでいて、足の怪我のことが気になりメールしました。
ご自分でもよくお分かりだと思うので、今までメールするのは控えていましたが、やはり先生の場合、糖尿病という病気を抱えていらっしゃるので、
傷の治りは普通と比べても遅いですし、その間に何があるか分かりません。聖路加の診療を早めてもらうか、もしそれができないのであれば、良い病院を聖路加のかかりつけの医師から紹介してもらう方が良いかと思います。
先生もご承知のように、足の怪我には細心の注意を払う必要があります。
いちいちうるさい、とお思いでしょうが、どうかよろしくお願いいたします。
さて、もう一つ気になったことが。
同じく「私語の刻」にあった、「愛を勉強している人」のことです。
違和感を感じられると先生はおっしゃっていましたが、僕はもう少し強い感情を持ちました。
僕もこの話題には決して偉そうなことをいえる立場ではありませんが、少なくとも「愛」を「どう表現するか」についてはまだまだ勉強が必要だとは思
いますが、愛するということそのものは、人間が持って生まれた性質であって、勉強する云々では無いような気がします。
これこれこういう理由だから愛している、というようなものではなく、ただただ愛しているのであって、理由は後付けではないでしょうか。
子供に対しても、異性に対しても、愛しているがゆえに、相手が嫌がると思っていても、ついつい言ってしまうこともあります。
愛について詠った短歌や詩を読んでも、共感こそすれど、勉強したという気にはなりません。
勉強して学んだ愛で育てられても、子供は嬉しくないと思います。
最後に全く違う話を。
松たか子さんのエッセイ、電子文藝館でようやく読むことができました。
お母様とお父様のエッセイも既に掲載されていて、こちらは読むことができましたが、松さんのは、先生が「私語の刻」でコメントされてから少し間があったようです。
お母様のエッセイは、なかなか読んで面白く感じました。
松さんのも確かに先生がおっしゃるとおり、非常に素晴らしいエッセイですね。
決して飾らず、具体的に、素の自分を出しておられるように思います。
ますますファンになりました。
僕は野茂選手についてのエッセイに特に共感したのですが、なんとなく野茂選手の飾らない偉大さにも似たものを松さんにも感じます。飾らずに自分を出すのは勇気が必要です。
それ以外に、これは引用ですが、ラ・マンチャの男の台詞の
「人生自体が気狂いじみているとしたら、一体本当の狂気とは何だ、本当の狂気とは。
夢に溺れてしまって現実をみないものも狂気かも知れぬ。
現実のみを追って夢をもたぬものも狂気かもしれぬ。
だが一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生にただ折合いをつけてしまって、
あるべき姿の為に戦わない事だ。」
という言葉が胸に沁みました。
良いエッセイを有難うございました。
くどいようですが、くれぐれもお体をお大事に。
* これも海外からの若い友人。感謝。思いよらずにきたが、海外でこうしてペンクラブの「電子文藝館」発信の作品を愛読していてくれていたんだ、有り難う。松たか子の「ひとりごと」なんてわたしもまだ掲載されたのを見ていなかった。ほんの昨日か今日かにとうどう掲載に漕ぎ着けたばかり。
全二十六七編から松さんが十編をえらび、わたしがもう五編を追加させてもらった。野茂選手に触れた一文、わたしも心嬉しく読んでいた。松本幸四郎、藤間紀子、松たか子と親子三人を順にペンクラブに誘った。親子三人の作品が、大勢の、もう七百人にも近づいた幕末以来の「書き手」たちの作とならんで「電子文藝館」に半永久的に掲載されてゆく。少しも違和感のない好い随筆でありエッセイであり、この人たちはいわゆる影の書き手などと無関係、自身で骨をけずって一編また一編書いている。「オール読物」に連載中の父と娘との往復書簡、最新の分は娘の番。これが、とてもよかった。
2007 5・13 68
☆ 秦さんへ 笠 e-OLD 千葉
ごぶさたしております。
お見舞い申し上げます。
ひさーしぶりに「ぱそこん」を開けて秦さんのほーむぺーじを拝見しました。いろいろな事が起きて大勢の方々が心配してくれてありがたいと思
います。どうかくれぐれもお大事にしてください。
やはり
(1)気軽に診てもらえる近くに「かかりつけ医」がいるといいと思います。
(2)だるまさんが自転車に乗るのはやめましょう。
(3)足は下げっぱなしにせず高くして、足の体操、マッサージ、保温:つまり血の循環をよくしてください。
ひとの事は云えず、横になっている方が多く(坐位保持困難)ぱそこんもmixiもご無沙汰しています。臥ながら操作できるパソコンはどうかと考え玉井さんに相談してみたりしまして(玉井さんはコンピュータ屋さんだったそうです)・・まだ考え中です。ぼんやり考える? だけが多くなりました。ほんとはもっと愚痴だらけなのですが・・少しでも元気を出そうと思っています。
暑かったりうすら寒かったりで困ります。どうかほんとうにほんとうにお大切にしてください。 拝
* わが事よりはるかに胸痛む。一の知友・知己なのに、これでは会うもままならないのか。わたしのいい加減で時機を逸したのであるか、いたたまれない。わたしと同い歳なのに。ご心配ばかりかけている。ちっとも言うことをきかない我が儘なわたしにさぞ懲りてこられただろうなあ。
2007 5・13 68
* 朝一番に好いメールがいくつか届いていた。今日はもう一時間余もすれば「谷崎潤一郎」を話しに出かけ、済んだその足で兜町のペンクラブへ駆けつける。電子文藝館、今期最期の委員会。その前に、まず、このメールを書き写しておきたい。わたしがグダグタ私語するより、よほどすばらしい。残念ながら錯視例の写真は割愛するが、察しはつけてもらえるだろう。具体的な記事でおのずとこの都市の魅力や誘惑が伝わってくる。書庫にじつはボストン市街の大きな写真集があったはず。あれを出してこよう。
雄くんに着実にマイミクが増えてゆく。日記が愛読されている証拠。マイミクに限っての日記にするつもりらしいから、もっと増えてくるだろう。すてきな友達が現れてくれるといい。
☆ ボストンの昼寝 雄
僕は、アメリカでは Bank of America という銀行を利用している.おそらくアメリカで最も大きな銀行の一つであり,ATMもそこら中にある.
このBank of Americaのイベントとして,’Museum on Us’というものがある.5月中ならば参加Museumのどこでも,Bank of AmericaのATMカードを見せれば、タダで入場できる.なんと素晴らしい企画だろう.日本の銀行も,こういうところを取り入れてくれればいいのに.
ここボストン地区での今年の参加Museumは,Museum of Fine Arts ,Museum of Science, Museum of Afro-American History,The Old State House Museumの4つ.
この機会を利用しない手はない.今日はMuseum of Fine Arts(いわゆるボストン美術館)とMuseum of Scienceの2つをハシゴしてきた.
どちらもかなりの規模なので,じっくり見ることはできない.タダだからというせいもあるが,かなり贅沢な見方をしてきた.ボストン美術館の方は,以前見たことがあるので,自分が見たい場所だけに集中し,なるべく早めに切り上げることとした.
ボストン美術館に以前来たのは,まだボストンに来て間もない,冬の頃だった.このとき気に入ったのが,ヨーロッパ近代美術のコーナーとエジプトやローマ・ギリシャの古代美術のコーナー.また,その時に見逃して悔しい思いをしたのが,浮世絵の数々と日本庭園.そこで,これらに焦点を当てて観る事にした.
今回分かったのだが,所蔵する浮世絵の中で実際に展示してあるのは.ごくわずかに過ぎないということ.それも,どういう訳かは知らないが,歌川国芳のものばかり.もっと色々な浮世絵師のコレクションがあるはずなのに,展示コーナーには「もっと見たい場合は,Museum of Fine Artsのウェブサイト(http://www.mfa.org/index.asp)を見ろ」と書かれていて,興ざめする.
また,前回見られなかった日本庭園だが,今日もダメだった.理由を聞くと「まだ天候が良くないので」.
確かに,今日はここ数日の中では気温が低く,コートなしでは肌寒いほどだが,それでも5月半ばにもなって、天候のせいで見られないとは,がっかり.
結局,ヨーロッパ美術とエジプト,ローマ・ギリシャのコーナーを中心に観たが,やはり、いずれも圧巻.お気に入りのモネのLa Japonaiseにも再会を果たしてきた.
今日,特に気に入ったのは、ゴッホとゴーギャンの作品.間近で観ることができるので,筆遣いまでくっきりと.どちらも素晴らしいが,今日は特にゴーギャンの絵に惹かれた.確か,サマーセット・モームの「月と6ペンス」の主人公は,ゴーギャンがモデルでは無かっただろうか.
古代美術コーナーには,書くべき言葉が見当たらない.ただひたすら圧巻.横たわる数々の棺やモニュメント.それらには象形文字が刻まれたものが数多く見られる.
こうした象形文字を1文字1文字刻むのは,楽な作業ではなかっただろう.今ならば,こうしてキーボードを叩くだけで,いくらでも好きに物を書くことができる.この1文字1文字を,古代の人々は何を思いながら刻んだのだろう.そして,近代のゴッホやゴーギャンは,あの荒々しいタッチの一筆一筆に何を籠めていたのだろう.そんなことに思いを馳せた.
昼飯時を大分過ぎ,腹が減ってきたので,ボストン美術館はこの辺りにして,Museum of Scienceへと移動した.途中,Government Centerで下車し,先週行ったにも関わらず何も食べられなかったクインシーマーケットに行き,遅めの昼食を摂る.
向かったのは,クインシーマーケット内にあり,「地球の歩き方」でも絶賛されている「ワルラス&カーペンター」.クラムチャウダーが絶賛されていたので注文.メインディッシュは,以前リーガルシーフードで食べて感動したLittleneck.今回は生ではなく,酒蒸しにしたもの(本当にsteamed with Sake and scallionと書かれていた).サミュエル・アダムスのビールと共に頂いたが,残念ながらどちらも,それほどとは思えなかった.値段は決して安くない.これならいずれもリーガルシーフードで食べた方が良さそうだ.特にlittleneckは,生の方がはるかに旨い.
気を取り直して,グリーンラインに乗りScience Parkで下車.駅の周りはチャールズ川と海に挟まれて,なんとなくお台場っぽい.さっそくMuseum of Scienceに向かった.
規模としては上野の国立科学博物館と比較すると,かなり小ぶりだった.展示してあるものも,それほどという訳でもない.説明する専門の職員たちが何人かいる.子供が色々と体験しながら科学を学ぶには良さそう.
中でも面白かったのは,「錯視」の数々.人間の脳は目から入る情報をそのまま脳に伝えている,と多くの人は考えがちだが,実はそうではない.目から入った情報は,人間にとって都合よく曲げられている.その一例が錯視.例えば,上の図で AとB が実は同じ色であることに初めから気づく人は,よほど周りに流されない冷静沈着な人か,あるいは相当なへそ曲がりだろう.(嘘だと思う方は,両手で他の部分を隠して見て下さい).
規模がそれほど大きくないので,あっという間に見終えてしまった.
せっかくなので,もう少し散歩をしようと思い,Charles/MGHまで地下鉄に乗り,ビーコンヒルをぶらつく.
ビーコンヒルに行ったのは、これが初めて.チャールズ通りが最も栄えているが,それでも大した規模ではない.街並みはヨーロッパに非常に似ている.景観を損なわないように,セブンイレブンさえもが,レンガ造りの建物で作られ,標識も黄土色のプレートにイタリックの文字で7-elevenと書かれていた.
プルデンシャルまで引き返し,copley place内にあるJ.crewで、夏物の服を買い足し,向かいのShawsスーパーで1週間分の食材を買って帰宅.
マイミク「湖」さんによれば,「京の昼寝」という言葉があるらしい.ホームページから借用すると,以下の通り.
「昔は京都の者が昼寝しながらでも身につけたものを、地方の人は不自由に勉学しなければならなかった。美術も文藝も、やはり優れた作品に触れることが、その後に大きい。それと、今ひとつものの生まれ出てくる風土の実感が体験として大きい。物の色、物の音、ことば、山紫水明、空の色、風の声。そういうものが役に立った。」
ボストンには多くの美術館・博物館がある.恥ずかしながら,僕にはそれらに対する知識が全く欠けている.「昼寝」という訳にはいかないだろうが,せいぜいこういう機会を利用して,あちこちの美術館・博物館に足を運べば,きっと自分の中に何かが蓄積されるに違いない.そんなことを期待している。
* 勤務怱忙の日々を懸命に励んでいる卒業生の一人は、また心を茶の湯にむけている人でもある。茶の湯ではときおり「閑事」の二字を床がけにみる。わたしも表千家六閑斎の二字を叔母にもらっている。小間の茶に掛けたこともあるる
☆ 秦さん、こんばんは。 卿
ご返信下さりありがとうございます。
恥ずかしながら「閑事」の掛け物は知りませんでしたが、文字そのものの意味は、内容のない事、つまらない事、ということになるのでしょうか。
取るに足らないように思われる事にも、よくよく心を澄まして向き合えば、何かしら価値あることを見出す事ができると、もしくは一歩進めて、本当に大事なものは、ぼうっとしていると見過ごされがちな、一見つまらない事の中に潜んでいるもの、と私は読みます。
お茶などは余暇の娯楽の一つに過ぎないという風に、ある意味「閑事」と捉える向きに対しての問題提起と思えなくも有りません。
追われるようにこなす仕事においては、初めの直観で大事かどうかを判断してしまい、「閑事」と思われる事にまで、きちんと向き合いながら進めることは難しいのが現実です。でも、もう少し心を研ぎ澄まして対する事が出来れば、きっと今この状況においてしか気付けない事、得られないものが、実は沢山有るのかも知れませんね。
6月に入ったらぜひお目にかからせて下さい。平日は直前に予想外の仕事が入ってしまう可能性があり、大事な予定を入れるのは怖いのですが、秦さんは週末などでもご都合大丈夫でしょうか。
* 会う日が楽しみだ。もう中堅の地位にきている人たちだ、なかなか休日や週末以外はむずかしい。それでよい。臻クンとも叡サンとも近いうちに会う。東工大は相変わらずまぢかに息づいている。
☆ お久しぶりです、湖。 珠
メール嬉しく、苦しい私の声が聞こえたかと驚きました。
穏やかな日々に、心の天秤が揺れ動きます。愛の詩華集は、愛の色々を映し出し、我が身に切り刻むように読んでいます。心の中で、愛はいとも簡単に素直に語られ、またむごく苦しく蠢きます。
私は、相手の思うだろう自分になりたくて、なれなくて、若い時のように、自分と戦っています。ありのままの自分を、、、などというのはいくつになっても有り得ぬ事と思います。変わりゆきたいという思いが灯るのは、恋も人生も同じなのでしょう。これが、今此処に在る私だと、生きている事だと信じ、満つるべく苦しみを見ています。
湖の足が心配です。その足、何か言いたい事があるのではないでしょうか。冷たく澄んだ湖の奥底で火照る其処、耳をすましてそっと聴いてみて下さい。
珠は静かに湖を、その足を見ています。
* 感謝します
☆ 生きています。 讃岐
仕事と、趣味でやってることとがからまりあって、あっぷあっぷしています。
今日、NHKのアーカイブスで「手塚治虫創作の秘密」を見て、また感激。やっぱり天才と改めて思いました。時間に追われて、かけもち同時進行で執筆、「創作の秘密」は完成したときの成就感と解放感だった。3日間の睡眠時間は、3時間あまり。最近の私の生活、ちょっとだけ似てるんかなあと思ったりして・・。でも、手塚先生、あと40年は描き続ける、アイディアは山ほどあると言ってたのに、60歳でなくなってしまった。
看護学校今年度がスタートしました。69人。中卒から国立大法学部卒、転職、主婦・・。いろんな年齢のいろんな経歴の人が、資格取得めざしてがんばっています。沖縄の人が今年も2人。
3時間連続授業のあいまに、「地口附け」をまねして、ことわざのパロディーバージョンにトライしました。こんな遊びにも、生活が出てるなあと感心。秀作(?)をご紹介します。思わず笑って、ちょっと、ほろりとします。
准看の上にも3年 確認不足は医療事故の元 肝炎患者に酒のギフト 時間たって血固まる 合わぬ職場は続かぬ 看護師が患者になる 嫁の笑顔も三年 旦那も動けば楽になる 家に帰れば母親任せ 冴えぬ彼はいらぬ メール隠して履歴隠さず やり遂げる看護の道
湖さんの写真の、モロー、去年神戸で見ました。画集より、ずっとずっと色美しく、繊細でした。
2007 5・14 68
☆ 講演はつつがなく終えられましたでしょうか、風。
風の脚を心配しています。今日のお出かけも、しんどかったのでは。
早くお医者に診てもらってほしいなあ、と、遠くでやきもきしていますが、風ご自身のこと、いちばんよくお分かりなのは風でしょうから、風のご判断を信頼し、お任せします。
(愛に関わる)若いお父さんのメールについて。
「学習の本」といってみたり、愛は「過去形」だったり、文字通り受け取れば、わたしとは随分違う考えだなあ、と思いますが、「この人、生真面目すぎて不器用なのかなあ」とも思いました。
まるで、「愛」という問いに対する正しい解答が存在するかのように、愛を定義づけようとし、わかりにくいことになっているのかなあ、と。
一期一会。だいじに、だいじに思います。 花
2007 5・14 68
* 臻クンが家まで来てくれる。月末の楽しみ。脚のことを気に掛けてくれたのだろう、ありがとう。長いメールは、読ませる。
☆ 秦先生 27(日)は午後から時間の都合がつきました。差し出がましいとは思いますが、この機会に先生の新PCを見たいと思い、予定の一つに入れていただけないでしょうか。
>今日のきみのメール、詩歌のことも愛のこともわたしには理解の届かないところ多く、首をひねりました。こんど教えてください。
今度の話のネタを減らすつもりはないのですが、そんなに驚かれるとは思いませんでした。
以下、ちょっと長くなりましたが、、、 臻
詩歌のことについて言うと、
乳房吸ふそれぞれの持つ癖のあり母のみが知る五人のわが子
うさぎ当番に行きていつまで帰り来ぬ子は遊べるか兎とともに
この二首。
前者には、クスリとしました。これは、最近の私の生活に近い内容なので、多少想像できた例です。子供への視線のほかに、お乳をやめると乳房は小さくなる、もしかして、そういう若さへの懐かしさもあるかもしれない…くらいに想像しました。
この一首への解説は、「いわばこれだけの事」「多くの母の思いを代弁しえていようが、『うったえ』の力は意外に弱い。多く、一般の歌はこの辺で力がとまりがちであるとの感想もふくめて、敢えて挙げておく。」とあります。
読んだときは、驚きました。
たしかに言われてみればそのとおり、とも思います。読むほうの私も知らぬ間に、クスリで留まっていたと気づかされたのかも。と、頭で理解しました。
そして、後者。
これを読んでも、ピンと来ません。そもそも、子供の頃、動物当番はなかったなぁ…そこ止まりの想像。
ところが解説では「これは一見、只事歌の見本のように読める。が、『子は遊べるか兎とともに』には考えさせる。『当番』の義務にかかずらわっているという風には見ない。」と始まります。
ここで「え?」と驚きます。
そして「『兎』は、学問とも仕事とも恋人とも取れてくる」。
読む方の、単純な言葉の置き換えではない、想像の膨らまし方。
こうやって読み替えてみると、なるほど、確かにこの歌は、読み替えによって兎小屋がどこまでも広がっていく。面白い。
こうなると、前者が、これだけの事、というのも強くうなづけます。
ようやく、解説がすんなり読めるようになってきました。
で、前者がつまらなくなり、後者が面白くなるのかというと、そんなことはありません。後者のような歌の、謎が解けだす面白さが加わったのです。
今回のご本を読んでいて、初見は大半が「クスリ」か「只事歌」にしか見えません。私には、分別以前なんです。
解説を通じて、広がっていくのが、実に愉快です。しかも、「いわばこれだけの事」という歌や、無駄な言葉との評のある歌の解説を読む毎に、(結果として)解説を、理解しやすくなっていきます。
いきなりワールドカップサッカーを見ても感動なく、その後日本のサッカーリーグを見て、ワールドカップの凄さが分かった時に似ています。
解説のような想像の広げ方を、自分だけでやろうとすると、簡単にはいきません。何度も解説を読んでいくうちに、コツが少しずつつかめているように思っています。
ジャンルは全く異なりますが、「こころ」の先生の年齢も、私はめちゃくちゃに答えた口でした。いまだにあのエッセイは読み返します。そして次第に、小説の行間に書き込まれたものや、あるいは、でたらめに、気づくようになって、小説を読むのが実に楽しい毎日です。
「想像」する、ということを、ただ思いついた脈絡のないものを呼び覚ますだけにしか捉えていなかったことを、今回のご本で改めて気づかされました。
さて続いて、「遊び」ですが、「反省」は、失敗を記録するためのものです。
以下は「平均的」な、ある「パパの日」の「遊び」の例です。先々週、近場の楽チンコースです。
まず自転車で20分。らくだ公園で砂場遊び。気の済むまで。息子は延々と電車を埋めては掘り起こす。もう百回以上やられてるので、私は片手間に相手。気づくと私はとてつもない砂山を。息子に踏み潰されました。
次に昼食のため隣の公園に移動。自転車で5分。高い木々に覆われ、適度に木漏れ日があります。木の葉ずれの音を聞いているだけでも新緑が見えそう。ベンチでピクニック。パパと二人の定番はメロンパンor焼きそばパン。
息子はパンを適当にかじると石の滑り台へ。幅1m、高さ2m。これが私も息子も一番のお気に入り。ここで、飽きるまで。最初は一人、上から、下から、スピードをつけ、ゆっくりと。そのうち二人で手を繋いで助走して、上ったり、上れず途中ですべり落ちたり。大笑い。
続いて息子にウソをついて、さらに別の公園へ。自転車で5分。最近は提案への口ごたえが多いので、現場を見せて判断させます。
「あれ?ここ、新しい公園?」そこには人工的な小川に池。その日は夏日。前日も水遊びに夢中でした。もう行く気満々。
人工池があります。直径10m、澄んではいますが妙な泡が沢山浮いています。こういう池は、夏に向けて6月下旬ごろ清掃されると、泡がなくなります。つまり今はきれいではないハズ。その池のふちに、やもりのようにはいつくばった小学生の男女5人。息子もあっという間に仲間入り。
アイスのカップを持った小学三年生くらいの子が「おたまじゃくし取れるんです」。水面の薄皮のすぐ下に、卵が全て孵ったのかというくらい、無数のおたまじゃくし。私はおたまじゃくしをみた記憶がありません。くろぐろとして思ったより大きく、目がはっきり見えます。表情まで見えそう。
「やる!」という息子に「難しいよ」というと、すかさず近くの子が「コケの栄養を食べに来ているから、下からすくうようにして取ると、簡単に取れます。」
何度かやらせます。予想通り三歳児の手は短く、コケまで届きません。池におっこちそう。私がやってみました。おたまじゃくしを触るのも、人生でこれが初。子供といるとそういうことばかり。緊張します。
何度も失敗し、ようやく一匹すくうと、息子の掌の中へ。プルプル動くおたまじゃくしをつぶしそうなくらい触ってから、みんなが集めているたらいに入れました。
しばらく続けていると、小学生達は母親達に呼ばれ、私達二人、広い公園に取り残されました。その後はなぜか泥んこ遊び。土をほじって、池の水をかけ、ぐじゃぐじゃにして、草むらに投げ込む。理解を超えた遊びにパパ呆然。息子は黙々。せいぜい「うまく掘れないのはどうしてかな?」などとアドバイスをする程度。
その後公園を離れ、通りすがりに初めて見つけた古民家を覗き、再びらくだ公園にもどり、パパとの定番ごっこ(そこにある遊具でごっこ遊び。鉄棒の上をカニ歩きだとか、雲のブランコで電車に乗っている酔っ払いごっこをするとか。)を一通りやって、帰宅。
この日の失敗は3点。
一つ目は、よくあることですが、自転車のルート選定振り返り。最低でも40分、長いときは2時間、自転車で走ります。予定外の場所を通ることがあり、後に用事が控えていたり、疲れていると、つい楽な道を選び、結果、一方通行(自転車除外)の逆送とか、交通の激しい道を通ってしまいます。単なる反省ではなく、どういう代替道があるのかの確認。
二つ目は季節モノ。息子は翌日から目やにが異様に出るようになりました。最終的には、近所で同じ症状があり、流行していた病気と分かったのですが、一年振りの水遊びについ手拭がおろそかになっていました。水遊び直後の手洗い励行。
最後は、石の滑り台を上りやすく、と裸足にしていました。思い返すと、滑り台付近には弁当ガラだとか、卑猥な落書きがあり、推察するに、ガラスの破片がおちていてもおかしくありません。(遊んでいるときは、私もつい夢中になって思いが至りませんでした。)とはいえ、息子が自力で登るためには、裸足でないと。ミニ箒持参することにしました。
これが楽チンコースですから、自然とパパと二人きりになります。最初からこうしようとしたわけではありません。片っ端から公園を回る中で、二人の関係がこういうコースを作り上げました。公園については(なぜ遠い公園、なぜ回る)話すとキリがないので省きます。
毎週こんな感じです。ただでさえ仕事して風呂入って寝る生活の上、最近は息子が早起きで、慢性的に睡眠不足。楽チンコースでも正直しんどいです。こうやって書くと楽しそうですが、遊んでいる最中、楽しいことは確かですが、親としてあと一歩引いて考える余裕がありません。目に見える危険に「イケナイ」「ダメ」を言う程度。自転車のひとこぎひとこぎにこめるのは愛ではなく、早く移動したいという一念。それが、危険なルートを走らせます。
やりすぎかな、息子の楽しむ顔見たさのエゴかな、と思うこともありますが、妻にその日の様子を話し、写真やビデオを見せると、意外な一面を目にするらしく、うらやましがられます。私も息子の成長に一役買えたか、と満足し家族で一番早く眠りに就きます。で、数日後、ふと、妻の評の言葉の中に愛情を感ずることがあります。
ですが、無理があるのは確か。自己満足で事故を起こしては元も子もないので、反省で戒めています。
> きみは奥さんと「過去形」として気づいてゆく恋愛をしていましたか。まさか。
そうですね。私もまさか、と思います。
ただ、このような様子の毎日で、「今」、が大きすぎ、思い出せない、というのが、(ふざけているわけでもなく)本当のところです。「今」のトップランナーである私の息子に追いつくのが、我々夫婦には精一杯です。 ではまた。
* 久しぶりの「アイサツ」を受け、フムフムと楽しんだ。
* 「臻」君 ありがとう。二十七日、昼飯はこっちで用意しますから、正午をすぎてもちっともかまいません、楽しみに待っています。
詩歌のこと 遊びのことなど、ずいぶん理解が進みました。
詩歌に触れていってくれること、とっても嬉しいです。ものが見えてくるとは、まさしくそういう熟し方なんですからね。
逢えるの、楽しみです。機械見て頂けるのも嬉しい。組み立て機械の方、音声が全然出ないし、LANは利かないし、機械間の移送もできないし、スキャナもプリンタも二台の機械の片方ずつにしかつながっていません。そして一台のインターネットはアウトです。
それでも曲がりなりに仕事に使っています。
元気に来てください。ゆっくり時間を抱いてきてください、話したいものね。 秦
2007 5・14 68
☆ 仏蘭西の野は火の色す… ゆめ
立川・昭和公園まで初夏の花をみに出かけました。広大な地にオレンジ色のポピーや紫のルピナス、赤いアネモネなどが一斉に咲き誇り、素晴らしい眺めでした。風の強い日で、少し喉の調子が悪いな、と思っていたら、てきめんに翌日から風邪気味になってしまいました。
2007 5・16 68
* 心嬉しいことがあった。
医学書院時代の後輩で、わたしのデスクに配属されてきた同僚中島信也君、筆名小鷹信光君が大著『ハードボイルドと私』で評論部門の推理作家協会賞を受けていた。新聞で見つけた。この著は十分それに値すると、もらったときすでに独り思っていたが、適切に実現した。推理作家協会というのはわたしには無縁世界だが、知人には大勢会員がいる。我が息子の秦建日子も現にそうであるらしいが、ペンの同僚の阿刀田氏も猪瀬氏も此の本に名前の見えていた権田萬治氏も、その他大勢が入っている。ま、仲間内、内輪の賞といえども、心ゆく心嬉しい受賞の報に胸が温かい。
2007 5・17 68
* この日頃を毎日のように心地温かにしてくれるのが、ハーバードのラボに籍を置いた最先端生物学の研究者である「雄」クンの日記であることは、もう言うまでもない。いつも、わたしが独占していたくない心境で、ここに再録をゆるしてもらっている。一つには、彼に早く……、と。いやお節介か。
☆ 研究を取るか,恋愛を取るか ボストン 雄
今日は週に一度のプログレスレポートの日.担当はポルトガル出身のポスドクの、M.
実は昨日まで知らなかったのだが,ミゲルは来月中にラボを去り,彼女が住むドイツに行くのだという.Mは,このラボでは3番目に新しいポスドクなので,びっくりした.まだ2年も経っていないのではないだろうか.
もともと,ボストンに来る前,Mはドイツでポスドクをしていた.その頃に知り合ったのかどうかは定かでないが,彼女もボストンにしばらく居たようだから,先に帰った彼女を追いかけるように,Mもドイツに戻るのだろう.
このラボを辞めるだけでなく,なんとサイエンスそのものも辞めるらしい.ドイツでは,コンピューターのソフトウェアの会社に就職するという.
Mがこのラボでやっていたのは,新しい顕微鏡の開発だった.そのため,彼には個人の部屋が与えられ,その部屋には最新鋭の機器が数多く揃えられていた.彼が使ったお金だけで,1億円は下らないだろう.しかも,まだその顕微鏡は完成していない.全く新しい原理の顕微鏡ならば話は分かるのだが,彼が作っていたのは,既に論文になっている顕微鏡だ.
そんなこともあって,うちのラボの中には,彼のことを面白くなく思っていた人は少なくなかった.中でも,顕微鏡のエキスパートとしてラボに雇われているSは相当面白くないらしく,「彼は結局,ラボで一番高いオモチャが欲しいだけなんだよ」と陰口をきいていた.
今日のプログレスレポートは,さすがにテンションも低く,未完成のままであることを申し訳なさそうに話していた(ように見えた).
2,3週間前からサバティカルとしてドイツからやって来て,プログレスレポートだけウチのラボに参加しているTBは,実はMの元ボスでもある.前のラボにいた頃,MはTBと折り合いが悪く,それでボストンに移ってきたのだった.きっとTBは今日のプログレスレポートには来ないだろうと思っていたが,定時きっかりに現れたのには驚いた.
そしてTBは,ミゲルが話しているのを時々止めては,えぐるように辛らつな質問を浴びせかけていた.最初はそれなりに答えていたミゲルだったが,途中からは質問を遮るように話し続けたり,質問に答える場合でも,真正面からではなく,かわすような回答しかしなくなった.正直言って,参加しているのが嫌になるプログレスレポートだった.
ただでさえ,今後使えるようになる見込みの全くない顕微鏡の作製過程など,聞きたくはない.いつもよりは短めの,1時間弱のプログレスレポートだったが,もううんざりだった.
別に,Mを責めるつもりはない.確かに,高額の機器を買い漁った挙句,作り上げもしないで,彼女がドイツに戻ったからといって投げ出していくのは,身勝手なように僕には思える.ただ,彼をラボに受け入れ,それらの機器を買うことを承諾してきたのだから,ボスにも責任はある.
むしろ,僕にとって驚きなのは,彼女がドイツにいるからといって,ラボもサイエンスも辞めてしまうということだ.
ボスの移籍により,ラボそのものが引っ越すというケースは,日本にも海外にも多く見られる.その際に,彼または彼女がいるので,ボスに付いて移籍することはせず,他のラボを探すという人は,実は少なからずいる.日本でも最近は,かなり多く見られるようになってきている.普通の会社でも,こういうのは今や当たり前なのだろうか? そして,あくまでも個人的な印象だが,女性よりもむしろ男の方が,そうした傾向が強まっている気がする.
まあ,確かに彼女(または彼)はこの世でたった一人の存在だが,同じようなことを研究しているラボは世界にゴマンとある,と言われれば,そうかもしれない.
ただ,僕には,それだとなんとなく,科学に対して不誠実なような気がしてしまう.
「もともと,そのラボがあまり好きではなかった」というのならば理解できるのだが,本当に自分のやりたいことをやれるラボであれば,もし自分ならば,たとえ一時的に遠距離恋愛になったとしても,相手には誠意をもって説得した上でラボに残り,なるべく早いうちに遠距離恋愛ではなくなるように行動すると思うのだ.
愛知にいた頃,やはり恋愛を優先してラボを移籍した人が身近にいて,そんな話題が上った時に,上記の自説を主張したところ,隣のラボの技官さんに、
「そんなことを言ってるから,先生はいまだに独身なんですよ」と一蹴されてしまった.まあ,そうかもしれません.
* コメント 05月16日 湖
理系の研究機構にいる研究者には、切実な、いつになってもキツイ話題・問題ですね。よそながら身につまされます。
幸運、天の配剤を何よりあなたのために切望しています。
この問題でわたしはあなたに、あまり大きな顔は出来ないんですよ、自然科学ならぬ哲学・美学の院を見限って、妻に成る人といっしょに京都を捨て、東京に駆け落ちしましたからね。念願の、創作人生に出会えましたけれども。そのおかげで、あなたがたとも出会えた、幸せでしたよ。 湖
☆ コメント 雄
湖さん,コメント有難うございます.
いえ,そういうことではなく,結局どのような選択肢を取るかで,その人の価値観が現れるように思うのです.先生の場合,いずれの選択肢を選んだにせよ,最終的に幸せな人生を歩むことができたというのは素晴らしいことだと思います.
ちなみに,上の文章を自分で書いておきながら,少なからず違和感を感じていました.そして気づいたのですが,研究室の移籍云々や会社に関しては,科学(または仕事)への誠実さ云々よりも,ボスや会社に対しての忠誠心が大きく反映される気がします.そういう意味では,あまり良いたとえではなかったかもしれません.ボスへの忠誠心云々は僕にとって,それほど大きい問題ではなく,恋愛相手を選ぶのはむしろ自然なことかもしれません.特に,既に相手がいて移籍先を選ぶ場合,お互いの興味を反映させつつ,最良の移籍先を探すというのはよくあることです.
確かにおっしゃるように,研究者どうしのカップルの場合,お互いにとって最良の行き先を選ぶということは非常に重要であり,かつ難しい問題でもあります.
* 天の配剤を祈る気持ち、それだけがある、わたしには。山之口貘の「求婚の広告」を彼がしているとは思わないが、その詩と詩集『思弁の苑』に佐藤春夫が附した序詞に、「枝に鳴る風見たいに自然だ しみじみと生活の季節を示し 単純で深味のあるものと思ふ 誰か女房になつてやる奴はゐないか」とある。もう一度「雄」くんに代わり貘のその詩をかかげてみる。お節介を怒るなよ、雄。
☆ 求婚の広告(1938) 山之口 獏
一日もはやく私は結婚したいのです
結婚さへすれば
私は人一倍生きてゐたくなるでせう
かやうに私は面白い男であると私もおもふのです
面白い男と面白く暮したくなつて
私ををつとにしたくなつて
せんちめんたるになつてゐる女はそこらにゐませんか
さつさと来て呉れませんか女よ
見えもしない風を見でゐるかのやうに
どの女があなたであるかは知らないが
あなたを
私は待ち佗びてゐるのです
* おそらく最高度ないし最先端の研究に従事しているラボの、ほんのかすかな一端を覗き見るおもしろさ。逆立ちしても現実のわたしは其処へ歩いては行けないのだから。だからといって無縁だとは思わない。わたしの学生が現にそこで生きている、一人の若い男として。
今朝のその男の日記も見過ごせぬおもしろさで、わたしの機械にとびこんできた。
☆ 衣替え ボストン 雄
この週末に夏物の服を買った.昨日から半袖のポロシャツで過ごしている.昨日の朝,天気予報を見ると,華氏81度まで気温が上がるとのことだったので,これは半袖でなくては,と思って着たのだったが,アパートを一歩出た瞬間,後悔した.
涼しいというよりも,寒い.周りを見渡しても,半袖の人など誰もおらず,ジャンパーを羽織っている人さえ見かける.しかし,引き返すとプログレスレポートに遅れてしまうので,やむなくそのまま家を出た.
朝は後悔したものの,昼になって予報が正しかったことを知る.半袖でちょうど良い.ポロシャツは,日本ではほとんど着たことがなかったのだが,皆が似合っていると褒めてくれてホッとする.
一日の中での寒暖の差が烈しい.朝晩は冷え込むが,昼は暑い.
加えて問題なのが,華氏の計算に慣れていないこと.計算に慣れていないので,当然ながら感覚的にも慣れない.温度を聞いても,暖かいのか寒いのか,実感が湧かない.
華氏の温度から32度を引いて5を掛け,9で割ると摂氏になるのだが,暗算能力が確実に低下していて,なんと32を引くところで,既に躓いてしまう.脳の中に汚れが溜まっているような気持ちになる.
ところで,全くどうでも良いことなのだが,ポロシャツの裾はズボンの中にしまうのが良いのか,それとも出すべきなのだろうか.
おそらく,外に出す人が(特に若者は)多いと思うのだが,アメリカではズボンの中にしまう人が多いように思う.Tシャツの裾をズボンの中に入れる人さえいる.
僕もさすがにTシャツの裾はズボンの中に入れないけれど,ワイシャツっぽいものの時は入れることが多い.体型のせいか,ズボンの外に裾を出すと,東南アジアの民族衣装のようになってしまうからだ.やっぱり外に出した方が良いのかなと思って,一時期外に出していたこともあるのだが,他所のラボの秘書さんから
「(太って)入らなくなったんですか?」
と言われて以来,意地でも入れない.
確かに少し前までは,若者は皆,シャツの裾をズボンの外に出していた気がするのだが,数年前から,東京ではそうでもなくなっている気がする.たまに東京に帰ると,裾を仕舞っている若者(といっても,僕と同じ位の世代だが)を見かける頻度が増えてきた気がする.むしろ地方に行けば行くほど,裾を仕舞っているとかっこ悪いといって笑われた.
ポロシャツの場合はどうなのだろうか.アメリカだと,僕がざっと見る限り,7割位の人が中に仕舞っている.日本では出している人がほとんどだったと思うのだけれど.
ファッションのことに全く疎い。気になってしまう.
* 大いに笑う。ハハハ
2007 5・17 68
☆ おはようございます、風 花
雨が小降りになりました。東京はいかがですか。
お変わりないですか、風。脚は、いかが。
昨夜ソファでひと眠りしてから、深夜にムクッと起き出して、お風呂に入り、二時半頃床に入りました。
まだちょっと眠いなー、という感じです。
燃えるゴミの日でしたので、雨の中、早いうちにステーションまで行って来ましたよ。
新しい玄関に、傘立てがほしいなあ、と思いました。
風もメールくださいね。
* 世情や政治や政治家に索然・殺伐とした気分にさせられるとき、わたしはこういう男女を問わない「恋文」たちに癒される。「私語」の「闇」ならではの安息である。
2007 5・17 68
☆ 美ら島ぬ軍艦 maokat
いまから六十二年前の今日、沖縄では首里城の西方で旧日本軍と米海兵隊軍がシュガーローフという丘をめぐる激しい攻防戦を戦い、旧日本軍の防衛線が破られた。
美しい東シナ海には、米第六海兵師団の軍艦が所狭しと列び、地形が変わるほどの艦砲射撃を行った。
破れた旧日本軍は首里城を捨て南部へ退却を始める。置き去りにされた住民のうち三人に一人が命を失っている。祖父祖母、親兄弟、妻、夫、恋人、身近に悲惨な死を見た沖縄県民にとって、六十年前の記憶はまだ生々しいものだ。
防衛省は、米軍基地移設予定地で反対派住民が行っている妨害行為を排除するため、掃海母艦「ぶんご」を沖縄に派遣した。
防衛「庁」が防衛「省」になってまだ半年も経っていないのに、もう、こういうことをする。沖縄に暮らす人にとっては、まさに悪夢の再来。無神経も甚だしい。というよりも、こういう無感覚な人間が「軍事」を操っていることを心底恐れる。
六十年前は敵国の軍艦がやって来た。しかし今度は「自国」の軍艦が意にそわぬ者の制圧にやってくる。それも、沖縄が日本に復帰した三十五周年記念日の、三日後。
六十年前の「軍」は住民を置き去りにして逃げた。今は自国民を標的にして向かって来ている。
もしかしたら防衛相は、沖縄県民を「自国民」とは思っていないのか? 同じことを、よもや大臣地元の佐世保や、首都圏の横須賀ではできないだろうから。
沈黙している在京メディアもなさけない。
一体沖縄県民にとってこの「六十年は何だった」というのだろうか。
* 胸を鳴らす。ふつふつと怒りがわく。
* 築地へ行きも帰りも、妻をとなりに座らせたまま、わたしは『フランス革命』に読みふけってきた。
なんという政治のエネルギー。国民の意思の多様にして激しく危うく強烈なこと。感動に息が詰まってくるのを、わたしはせっせせっせと赤い傍線を引きまくることで沈静させながら、感動する。右往左往する知識人たち。限界があり変節もあり、たしかに「自分でけしかけた大牛が、角を振り立ててこっちへ走ってくるのに慌てる」ような有様もあり、シエースもミラボーも、ラファイエットも、自分の目的をすでに果たして以降の革命の進展に振り回されてゆく。不徹底も撞着もあり、過激な制御不能も突発してくる。
だが、なんとこの革命の展開の「必然」でみごとなこと。わたしは、かれらが掲げた「憲法」の精神が、日本国憲法にも生き生き伝えられている真実に、心新たに感銘を受ける。アメリカの建国もフランスの革命にも、政治と人間の「理想」はうたわれていて、その価値は金無垢。その金無垢の理想を日本の憲法が、たとえ産婆役のよき示唆によったにせよ、受け継いでいて何がおかしいか、誇ってこそいいのである。
その理想の根本は人間の尊厳をまもるにたる「基本的人権の永久の確立」ではなかったか。今の日本の政治家は、これを蹂躙し足蹴にして、いわば第三身分の国民・私民の尊厳を奪い取り続けている。
安倍総理と内閣との、好戦志向の欺瞞・高圧政治を、わたしは憎悪する。
* 朝いちばんに「珠」さんのメッセージ、という連絡が「mixi」からあって、開いたが何もなかった。問い合わせのメールを返しておいて、演舞場へ出かけた。出かける直前に沛然と雨、そして雷。それがウソのように晴れたところで出かけられた。
☆ 湖へ 私、不快には思っていませんよ、大丈夫。
私語への転載不可の場合には、ちゃんと書きます。また書き忘れたとして載っても、それは私によるもの、、、湖に送ったものは、どうされようと湖の心のままに、おまかせしてます。気にかけて下さったお気持ち、それは嬉しく頂きますが。
以前もメッセージ゙の件、同じような事があったように思い出されます。私、削除も何も先日お送りしたメッセージ以後、誰にも、何も、メッセージを書いていないのです。機械の悪戯でしょうか。でも、機械にもご機嫌含め、ある種怖いような意思を感じる時があります。
先日のメッセージ゙の掲載は、ある意味、間違いなく珠の嘆きを和らげて下さいました。心の中に満ちた水が、今まさにこぼれようとしている時でした。豊かな生活感に満ちたボストンの「雄」さんの文章や、若いお父さんの描く息子さんとの一ッ時などの文章に囲まれて、珠の中へ中へと蠢くその気配は、なんと珠は我が身ばかりを見ているのかと、ぞっとしたのです。
繰り返し湖の「私語」を眺めつつ、穏やかに沈透(しづ)かになってゆく自分を感じていました。今の一時的でも穏やかな時間は、湖によってもたらされました。お礼、、というのもと思っていた矢先の、今日のメールです。私としては雷神さんのお取り計らいと思います。
湖、ありがとう。
大事に、足の声を聞いて、労って。
雷神さんと、湖に、心謝。
* つい今し方帰宅。脚、痛みましたが、びっこをひきながらも曲がりなりに痛みこらえて歩けます。
憤激した「珠」の罵詈を食いそうな恐怖を覚えていた、わけではないんですが、もしそうなら言うてもいいなと想っていたところを、「珠」が正確にふまえていてくれたと分かり、感謝しています。よかった。
「珠」は、もう少し広い場所へ視野をつくって、優しい柔らかい自身を発見して好いはずだと思ってきました。そしてそういう気持ちが「珠」の作文をいますこし具体的にヴィヴィッドにしながら、「珠」自身がよろこび「人」も心嬉しいような表白が可能になりますようにと。
このメッセージは、そういう「珠」のはずみがみえて楽しい。感謝。人が「珠」の書くものに思わず胸が開かれるように。それは好い「魂の看護」にむすびつくはずと。
それにしても 「珠」さんからのメッセージという事務局通知は、虚報であったにしても、このメッセージに繋がったのだから、「湖」は嬉しく。
☆ ありがとう、湖。 珠
心にふわっと漣たったように、言葉がやってきました。
ころころと好い音のする珠になりたいな。湖は珠を映してくれる鏡のよう、、深謝。
足、お大事に。 くれぐれも、無理せずに。
* ま、こういう声が時に往来しても好い。いろいろに見え、見えている世界。こわばりを脱ぎ捨てると、世界がきらきらし始める。「珠」などと名付けたことがちゃんと役に立っているか。
さらに一つ、見過ごせないメール。夫君はわたしの中学、高校の同級生。夫妻ともに、京大卒。
* ま、こういう声が時に往来しても好い。いろいろに見え、見えている世界。こわばりを脱ぎ捨てると、世界がきらきらし始める。「珠」などと名付けたことがちゃんと役に立っているか。
さらに一つ、見過ごせないメール。夫君はわたしの中学、高校の同級生。夫妻ともに、京大卒。
☆ <研究をとるか、恋愛をとるか> 藤
秦恒平さま
ご無沙汰しているうちに季節はどんどん移り変わりましたが、お陰様で一同かわりなく過ごしております。
湖の本、有難うございました。
私は和歌・短歌・俳句などさっぱり素養がないのですが、気持ちを惹かれたページから順不同で読ませていただいています。
何故か斎藤史さんの歌に惹かれます。
HPの方はせっせと拝読しています。
ボストンの「雄」さんの日記のからの引用では、その昔研究者を夢見た私としては、最新の研究内容の気配が興味深く、暮らしのご様子も楽しく読ませていただいています。
ボストンの街には昔二日間ほど滞在し、川をはさんだハーバードとMITを、あこがれの眼差しで眺めたものです。クラムチャウダーを食べました。
当時私たち家族はカリフォルニアにいて、夫の仕事出張にくっついて行き、5才の息子を公園で遊ばせて仕事が終わるまでの時間をつぶしたり。
今回面白かったのは、<研究をとるか、恋愛をとるか>という永遠の大テーマ? への「雄」さん、「M」さん、秦さんそれぞれの考え方、行動、感想です。
私もそこへ(女の立場から)割り込ませていただいて良いでしょうか?
夫は思いだしたように
「僕なんかと結婚せんとあのまま大学にいて学位取ったら良かったのに」とか
「(家に留めてしまって)かわいそなことしたなあ、後悔していないか?」などと、私に聞くのです。
「別にぃ—それに、後悔したとしてもあんたのせいやないし。自分で考え、自分で決めたことなんやから」と、私は答えます。
現代の、或いは他の女性はどうお考えになるかは知らないけれど、少なくとも私は、自分のために男がこれと決めた仕事を変えたりして欲しくなかった、だから自分がついて行くか、ついて行かないか、の問題でしかなかった、”女のために進路を変えるような男”に、私は魅力を感じなかった。というと、えらいカッコエエけど、本当は私が単に ”男に弱い根性なし” だったのかも。
と言う訳で、私は今風に言えば ”自分のキャリアを捨てて” ほいほいと、なんちゅうことない男に、ついていったのであります。
その男は原子力発電に夢をかけていて、私も一緒に同じ夢を見ることにしました。
たまたま私の父が当時の京大工学部長と中学時代の友達だったので、
「一人娘がかくかくの会社の男と結婚し東海村へ行くと言ってるがどないしたもんやろ」と相談したら、
「あの会社は三日でつぶれるかもしれん。大事な娘さんをドブにほかすようなもんやで。別の婿さんさがしてやろか?」といわれたそうな。
その ”三日で潰れるやも知れぬ会社” が、この秋、創立50周年を迎えることになりました。
私たちが結婚した45年程前は、原子力は「未来の希望のエネルギー」でした。
商業用一号炉の完成から終焉までを見届け、いくつかの現在も稼働中の発電所を作り、逆風にあったり、又ちょっと見直されたり—海辺の建設現場や、海外やらを転々としでも新しい技術で新しいものを作る仕事は楽しかったです。
夫婦で同じ夢を見るは良いものです。
きっと秦さんご夫婦もそうであり、奥様は私と同じ事をおっしゃるのではないでしょうか。
「雄」さんが良きパートナーにめぐりあわれるのを祈っています。
今にして思うのは、女が男に合わすのでも、男が女に合わすのでも、どっちも合わしたりしなくても、どの生き方でも二人にとって一番良いと思えれば
それで良いのではないでしょうか。
ちなみに長男は連れ合いに合わす生き方をして、二人はとても幸せそうです。
来週日帰りで京都へ行く予定、なんとなくわくわくしています。 2007/5/17
2007 5・17 68
☆ 「求婚の広告」 ボストン 雄
秦先生,いつも日記を読んでくださり,有難うございます.先生の「私語」のスペースを奪ってしまい,読者の皆様のお怒りを買ってはいないか,少々不安ではあります.是非,先生の「私語」も今までどおりお書き頂き,僕達を愉しませて下さい.よろしくお願い致します.
さて,ホームページにも載っていた山之口獏の詩ですが,面白いのを通り越して,笑えないのも確かです(面白いですけど).特に最近,まさに同じような気分でして,図星を指された心地です.
おっしゃるとおり,なんとかしないといけないのです.それはもう,大分前から,そう思っているのですね.しかし,中々思うようには行かないものです.
そもそも,東京から愛知に移った時もそうですが,今回ボストンに移ったことで,確実に出会いのチャンスは減っています.別に日本人に限る必要はないのでしょうけど,外国人の場合,言葉の問題,恋愛・結婚への考え方,そして首尾よくいった場合でも,どちらの国に残るのか,など,どうしてもハードルは高くなっていきます.
自分は結婚しない方向へ方向へと,ひたすら向かっているのではとさえ思ってしまいます.
僕の勝手な感想かもしれないですが,少なくとも僕の周りにいる(もしくは,いた)女性は,30代前半までは,「私は家事もするつもりは一切ないし,
仕事で離れ離れになるかもしれないけど,それでもよければ結婚してあげてもいいわよ」というスタンスの人が多かったです.
いまどき,家事を一方的に女性に押し付ける男というのは結婚できそうにないと僕も思いますが,かといって,家事を全面的に引き受けさせられるのも嫌なのです.
そうでなくなるのは,年齢的な問題もあるのか,あるいは世代での考え方の違いなのか,40代以上の女性ということになるようです.
おそらく,そうでない方も数多くおられるのでしょう.僕の周りに,たまたまいないだけなのでしょう.
「見えもしない風を見でゐるかのやうに
どの女があなたであるかは知らないが
あなたを
私は待ち佗びてゐるのです」
という箇所が,特にこたえます.
なんとかしないといけないのですけど,本当に,今は完全に白紙状態です.
* むかし、結婚を「科学」に喩えて所見を東工大学生たちに求めたことがある。多彩に「学問」の名がもちだされ、その理由がそれぞれにお見事で、ときにお見事すぎるのにも遭遇した。
面白いことに「経済学」にこと寄せて結婚を語ってきたのはおおかた女性で、その一人など、結婚相手になりうる男性のために詳細な「採点」項目を所持しており、「総得点」の多い方のを選ぶつもりですと書いていたのには降参した。男性の回答は内容豊富だが、ロマンティックに結婚を想い描いていて、すこし心配したが。
作家角田光代がわたしの教室にいた頃の早稲田文芸科で、学生に、年に五十枚、二十枚、五枚の小説を書かせて批評していた。角田さんもそうして前へと背を押したのだった。
男女半々ぐらい学生がいて、読んでみる小説からの総括の印象は、「男は坊ちゃん、女は猛獣(けもの)」という、そんなことはそれまで夢にも想わなかった実感だった。むろん例外はありましたが。
* これまた此処へ載せずにおれない内容。わたしは、こういう話がチンプンカンプンでも、好き。ヘエッと感嘆させられる話につい敬意が行く。
☆ セミナーはこうありたい ハーバード 雄
(昨日の)昼には,一昨日の日記にも登場した,ドイツからサバティカルで来ているTBのセミナーがあった.さすがに超有名教授だけあって,いつもは半分も埋まればよい講堂が,ほぼ満席となった.
テーマは「活動依存的な神経回路網形成」.
いわゆる普通の電気回路の場合は,色々な部品を導線でハンダ付けしていき,最終的に出来てからスイッチをONにするが,脳は違う.
脳の場合は,始めから,一つ一つの部品(細胞)に電気が流れている.そのうち,よく電気が流れる細胞どうしの継ぎ目(シナプス)は残し,電気が流れにくいシナプスは間引かれていくことで,最終的な回路が完成する.これが「活動依存的な回路網形成」な訳だが,どうやって,よく使われるシナプスだけが残されて,使われないシナプスが間引かれるのかの仕組みは良く分かっていない.
実は,僕自身の課題がまさにこれで,将来的にこの仕組みを明らかにしたいと思っている.そんな訳で,今日のセミナーは楽しみにしていた.
まず始めは,海馬の神経細胞の話.海馬は脳の中ほどにある,出し巻き卵を湾曲させたような形をした細長い部分で,左右1つずつある.ここは,記憶・学習に大事だと考えられている.
昔,H.M.というてんかんの患者から海馬を摘出する手術が行われたのだが,その後,H.M.は新しいことを何一つ覚えられなくなってしまった.H, M,には気の毒としか言いようが無いが,多くの研究者が彼を研究して論文を書いたので,彼は記憶・学習の研究者の間では最も有名な人物の一人である.
海馬の神経細胞にある決まった電気刺激を与え続けると,シナプスを介して繋がっている神経細胞同士が電気をよく通すようになることが知られている.この現象は記憶・学習と関係していると考えられているのだが,この刺激を与えたときの神経細胞の形を観察すると,シナプスを作るための突起が増えていくのが観察された.逆に,電気を通しにくくするような刺激もあるのだが,これを与えると,突起が消えていくのも観察できた.それらの様子をムービーで紹介していた.
さらに,目からの情報が,大脳皮質でどのように処理されるのかを調べるために,マウスの目にレーザーを与えて部分的に破壊し,その部分から大脳皮質のどこに情報が伝わるのか,そしてそのとき,他の部分から入力を受ける大脳皮質の部分がどのように変わるのかなどについても示していた.
日記では伝えるのが難しいのだが,非常に素晴らしいセミナーだった.
実は,この手の研究は最近の流行で,色々な研究室で既に手がけられている.海馬や大脳皮質というのはそれだけで興味深いし,しかも,それらの様子を観察するための顕微鏡も高額な最先端の顕微鏡を使っての成果だ.面白くない訳がない.
例えるならば,最高級の松坂牛のステーキや,大間の鮪のトロの刺身のようなもので,「素材が良くて道具が良ければ,料理人の腕は関係ないんじゃないの?」と,ひねくれ者の僕は考えてしまう.
今日,そのように思わなかった理由の一つは,個々のデータの質がとにかく高いこと.実現不可能なことではないにせよ,実際にやったら大変だろうなあと思われるようなデータがふんだんに出てくる.興味のあり方も非常に正統的で,古くからの課題に正面から取り組んでいる様に感銘した.
加えて,トークが非常に上手.しかも,口先だけの,話術の巧みさでカバーするといったものではなくて,非常に論理的にデータを積み上げていって,自分の主張を提示しているので,とても好感が持てた.
セミナーではこうありたいなあ,と思わされる内容だった.
* いろいろ、うろうろと、手が着いたような着かないような按配で。そのように時間は経ってゆく。退屈はしないのである。
2007 5・18 68
☆ ボストン「雄」さん日記のファンから 藤
秦恒平様 突然雨が降り出すことの多い日々—-安心して洗濯物が干せません。
おみ足の具合は如何ですか。無理しないでくださいませ。
ボストン「雄」さん日記の「活動依存的な神経回路網形成」のセミナー報告 とってもインタレスティングで、とっても判りやすくて、私の好奇心を刺激しました。
これを書き、伝えて下さった「雄」さん、「湖」さんに感謝します。
私の次男のようなダウン症の人の脳も研究者の興味をそそることが多く、ここに出てくる話とも関連してるのでは—とか思いながら、私はもっと知りたいな。
とても難解な領域の研究をこのようにわかりやすく(出汁巻き卵、松阪牛、大間マグロなど身近な喩えも加えて)説明できる「雄」さんは、”センスのある本当に頭の良い人”だなあと 今回の日記からだけでも私は”惚れ惚れする”のですが、もうすぐ70才の女に惚れてもらってもなんにもなりませんねえ—- -。
ついでに前回の”結婚したい”の話への感想。
こちらは、専門のお話しに比べると、ちょっとレベルが落ちる気がします。
1) そもそも「あなたと結婚してあげても良い」など言う(思い上がった)女と 「雄」さんほどの方は結婚してはいけません。
結婚は”してあげる”とか”してもらった”なんて言うものではありません。
対等に、堂々とやるものです。
2) 家事はどちらに押しつけるものでもなく、人が自立して生きるためのスキルであり、基本的には”自分でやって当たり前の仕事”です。
自分にまつわる家事を他人にやってもらえるのは、好意・愛情によるもの、さもなくば分業による義務又は経済活動(それがお金になる)からです。
結婚にはお互いの ”この人と一緒にいたい(物理的でなくても精神的にでも)” という気持ちが重要、家事はそのときにやれる人がやれば良いのです。
研究の最先端にくらべ、「雄」さんの女性観、結婚観は少し古くないですか?
「雄」さんファンとして残念。
「湖」先生はどうお思いになりますか? 2007/5/19 藤
* そうら来た。
「藤」さんにおおむね賛成であり、しかも「雄」クンの置かれている理系学生や青年たちの事情も、元教授、痛いように見聞してきて、現在もいつも感じ案じている。なかなか、「結婚してはいけません。対等に、堂々とやるものです」は、その通りであっても、現実にはつらい。「結婚は”してあげる”とか”してもらった”なんて言うものではありません」のは実に確かですが、その先へ、現実に歩を進めたい、その手順・手続きが幸不幸とも深くからみついて難題なんです。
同じことで案じている男子卒業生は、ほかにもいます、何人も。
むかしむかし、看護学生や看護婦さんたちと編集の仕事をしていたある機会に、東大の保健衛生の著名だった教授が、あなたがた今何にいちばん心の奥で関心をもってますか、と質問され、一同沈黙。
「死ですか」「知識ですか」「娯楽ですか」と問われても、沈黙。で、矛先がわたしへ回ってきた、編集担当者だから仕方がない、わたしは言下に「結婚」ですよと答え、それが彼女たちの大方の本音に触れていた。
わたしは知っていたのである。今なら「恋愛」とか「つきあい」とか謂うのだろうが、もう四十年も昔のはなしだ、が、若い人たちに、そうでないと見えてそうなのが「結婚」であり、但しそれが、昔は女性から、今はむしろ男性たちの身にいやに難しいことに変わってきている。それも見えている。
雄くんの、また見過ごせない面白い日記が来ている。
断っておくが、こんな気楽そうにしていて、日記など書いていて、研究者がこれでいいのか、脇目もふらずに没頭しないでいいのか と想う人は、誤解。
これはむしろ必要な気合い。精衛海を填める式の徒労の連続から、いい結果に出逢わねばならないのだろう。疲労・徒労また挫折感から来る危険な妄想や蟻地獄のような慣習に流されない、気のたしかな自己処理能力が必要なのだろうと想っている。
次の日記は、彼の文才を、ある種の余裕をみごとに示していて、笑える。
* 二人の韓国人女性 ハーバード 雄
昨日から,再び肌寒い気候になった.一月前に戻ったかのようだ.コートが手放せない.今日は朝から冷たい雨が一日中降っていた.
朝一番に,ハーバードインターナショナルオフィスに行く.ビザにサインをもらうためだ.来月の第一週にミュンヘンに行き,実験することになった.海外に行く際には,ビザに大学のサインが必要なので行ってきた.
帰ってきてからは,相変わらずカルシウムイメージング.昨日,顕微鏡担当のテクニシャンであるスティーブが,JCに向かって「カルシウムイメージングは時間の無駄だろう」とヒソヒソ話をしているのが聞こえてしまった.おそらく僕のことを話していたのだろう.
他人の噂をいちいち気にしても始まらない.しかし,スティーブの言うことはもっともで,あまり変わり映えのしない条件検討ばかりしていても,時間と金の無駄に過ぎない.特に時間は限られている.
興味本位なのか,本気で心配しているのかは分からないが,実験しているとスティーブが「カルシウムイメージングをやっているのか?」と聞いてきた.いくつか質問がてら,アドバイスらしきものをくれた.
周りの人たちを見ていても,皆,色々なテーマを並行してやっている.共同研究をやっている人も多い.僕の場合は一つのことをやっているだけだ.僕も,そろそろ他のことをするべきなのかもしれない.
そのためには,もっとこの分野での勉強が必要なことを,最近痛感している.プログレスレポートで他人の話が分かりにくいのは,英語のせいだけではないのだと,今頃になってようやく認識してきた.分からないのは,そこで使われているロジックに馴染みがないからだ.
どういうことを明らかにするために,どういう手法を用いるのか,そしてどんな結果が得られた時に,そこからどのような結論を導き出すことができるのか.それらが,今まで僕が経験してきたものと,かなり違っているのだ.今までとは畑違いの分野に飛び込んだのだから,違っていて当然であり,それこそ,僕がボストンに来て学ぶべきものなのに違いない.
そんなことを考えながら実験していると,僕の顕微鏡を挟む形で置かれている両隣の顕微鏡を,いつしか二人の韓国人女性が使っていた.
一人は大学生のジェイ.今年の9月にニューヨークのメディカルスクールに戻る.彼女は2歳の時からアメリカだから,ほとんどアメリカ人と言って差し支えない.英語の発音も綺麗だ.しかしご両親が韓国人なので,韓国文化にも詳しい.
もう一人は,隣のラボのポスドクのインジュン.彼女は大学(もしくは大学院)からアメリカに来た.大学院を終えてから,ポスドクとして今のラボに来た.アメリカ生活も,もうかなり長いはずだ.ただし,英語はいかにも外国人の英語であり,僕にとっては聞き取るのが難しい.
二人は雰囲気も,これまでの境遇なども全く違うが,二人とも喜怒哀楽がかなり激しいのは共通している.全くの偏見だが,韓国の女性は割合そのような人が多いように思うのだが,そういう意味では二人とも典型的な韓国人といえる.
二人と雑談をしているうちに,ひょんなことからインジュンが
「日本人の女性と韓国人の女性は,どっちが可愛いか」と聞いてきた.
ここで、
「そりゃ,韓国人に決まってるよ」と言えれば,ある意味正解なのかもしれないが,二人がそういう答えを期待している訳ではないことは雰囲気から充分わかっているので,馬鹿正直に
「うーん,韓国の女性はそんなに知らないから,どちらとはいえないよ」と答える.
インジュンは
「日本の女の子の方が可愛い」という.これを聞いたジェイが
「え~,韓国の女の子の方が絶対可愛いよ」という.
韓国人の女優は知っているか? と聞くので,
「チェ・ジウは知ってるよ」と僕.すぐさまインジュンが怪訝な顔つきで,
「あの子,可愛い?」.
どうやら,チェ・ジウをあまり可愛いとは思っていない様子だ.
「うん,綺麗だと思うよ」と僕.するとジェイが
「あの子は可愛いわよ.でも,きっと馬鹿よ」.
ジェイはいつでも女性に厳しいのだ.ウチのラボの女性で合格点をもらった人はひとりもいない.
「あとユン・ソナも知ってるよ」と僕が言うと,インジュンが
「ああ,あの子はちょっと日本人っぽい顔よね.顔がこう,小さくって...」と話し出す.またしてもジェイは
「どうってことないわよね」.
逆に僕から
「二人は,韓国の俳優だったら,誰が好きなの?」と聞き返す.インジュンが
「私はリュ・シウォン」と答えると,ジェイは爆笑して
「え~,信じられない.私はあの目が嫌い」.
ジェイも誰か名前を挙げていたのだが,発音が良すぎて僕には聞き取れない.もう少し日本語っぽい発音で言ってくれれば,韓流ブームの影響で,もしかしたら分かるかもしれないのに.顕微鏡についているパソコンでわざわざInternet Explorerを立ち上げて,僕に画像を見せてくれたが,リュ・シウォンとどこが違うのか,僕には良く分からなかった.
インジュンが言うには,
「私は本当は韓国の男は嫌いなのよ.保守的だから.でも,韓国にいた時は,他に選択肢がないから,仕方なくね.でも,アメリカに来て選択肢が増えて,大正解だわ」.
僕などは,言葉がろくに話せないというだけで,はなから外国人は無理だと思っている.この積極性が少しでも僕にあればいいのだけど.
インジュンが
「私の本当のタイプは**なのよ」という.ジェイがそれを聞いて爆笑しているが,発音が聞き取れない.インジュンもInternet Explorerを立ち上げて画像を見せてくれた.見て仰け反った.ショーン・コネリーだった.ずいぶんと年上好みのようで...
「こういう人を見かけたら,私に紹介してちょうだい」
ちょっと気分の塞いでいた今日だったが,二人の馬鹿話に,すこし疲れが取れた.
* わたしはチェ・ジウや、なんだっけ宮廷料理の達人のようなドラマのヒロインは覚えていて、美しいと思ってきた。研究の合間にインターネットでヒョヒョイと好きな俳優の顔を検索していたり。時代だなあと思う。「雄」クンの難しさにも同情してしまう。
2007 5・19 68
☆ 陽が高くなり、吹き抜け窓や天窓から、光がよく入るようになりました。リビングや玄関が明るいです。
うちの購入したのは、積水ハウスの分譲地十二区画の、売れ残っていた一区画でした。分譲地中、いちばん日照条件が悪いと思っていましたが、家を建てる向きや採光に気を配ったお陰か、かなり明るい仕上がりになってい、ほっとしています。
送っていただいたバグワン・シュリ・ラジニーシの言葉に、違和感は感じません。
勝負事で、「勝つと思うな、思えば負けよ」とよくいいます。
例えば、剣道では、勝敗への拘りを乗り越えたところに、「勝」があります。「無」の境地です。
この極みを尊ぶゆえに、稽古をしている人は世界中にたくさんいるけれど、あえて剣道をオリンピック競技にしないといいます。
わたしは子供の頃、剣道の稽古に通っていたせいか、武術における、またはそれ以外の所での「無」の希求に、すんなり共感できます。
「無」は、「何もない」ことの裏がえし、空に満ちた或る境地だと思っています。
うまく説明できたとは思わないけれど、うまく説明できなくていいのかな、とも思います。「無」は、説明や理屈の及ばない「極」だと思うから。
風は、どうしてバグワンの言葉を花にくれたのかな。お気を悪くなさらないでくださいね。風が、花に言ってほしいこと・してほしいことを、もっと具体的に教えてくれたら、何でもしてあげたい。
とりとめのないメールになってしまったけれど、花は元気に過ごしています、とても。 花
* バグワンの言葉はときどき堪らなく人と分かち持ちたくなる。しばしばバグワンに言われてしまう。今も、こんなぐあい。
☆ もし自然に逆らったら おまえの自我(エゴ)は強まるだろう それがチャレンジというものだ おまえが挑戦を好んできたのはそのせいだ 挑戦のない人生は退屈なものになってしまう 自我(エゴ)が空腹を感じるからだ 自我(エゴ)は食べ物を必要とする 挑戦がその食べ物を供給する それでおまえは挑戦を求めてきた 今も求めている もし何の挑戦もなかったら おまえはわざわざそれをつくり出す まるで川の流れに逆らって泳ぐように 障害物をわざわざつくり出すのだ 障害物と一勝負交えたいばっかりに。
「川」は海に向かっている それを、なぜ闘うのか? 「川」におまえの身を任せてごらん 「川」と一つになるのだ 「川」におまえを明け渡すのだ。
* 闘って勝つ、状況をコントロールする、そんなことに若い日々を投げ込んできたような気がする。いくら勝っても、いくら操縦できても、それだけだ。いや心はいつも騒がしかった。静かな心はもてなかった。もっと、もっと。際限のない自我(エゴ)の餌食に日々を貢いできた、欲心に溢れかえって。
2007 5・19 68
☆ ざわざわざわ 碧
先週あたりから、なんだか背中がざわざわして落ち着かない。機嫌は良いし、どちらかといえば浮かれ気味。でも、このざわざわは妙に気にかかる。 テレビで聞く「元・暴力団員」という表現がイヤ。どうして無職といわないの? あるいは「容疑者」だけで充分じゃない。
頭部切断の高校生。一瞬ギョッとしかけて、そのまま麻痺した感覚になる。いやなニュースが続いて慣れてしまった? それとも防衛反応? 実はそうではないらしい。こちらの想像を超えて彼自身が麻痺してるのだ。離人感覚よりもっと、もっと遠くにいるようだ。
岩国市への補助金三十五億円カット
地域格差~根室地域の医師不足
沖縄の基地調査に自衛隊派遣
集団的自衛権解釈見直し
専守防衛
愛国心
バブル期以来の高収益
北海道洞爺湖サミット
安倍はこのまま総理を続ける気だろうか。
憲法改悪までは皆、素知らぬ顔で突っ走らせるつもりなのか。
☆ 鳶が、鴉へ
メール嬉しく。外出は余儀ない仕事もおありでしょうが、一人博物館を楽しまれたり、歌舞伎にも行かれて・・少し安心しています。とにかくゆっくり、無理しないで気晴らししつつ養生なさってください。
姉娘はこの夏には結婚すると思います。具体的なことはまだ分かりませんが、既に海外にコンドミニアムを買いました。(勿論、ローンがこれから・・・)日本と違って価格の2割を支払った後、七月から内装工事が始まるとか。
詩のこと。文体の「固さ」に嫌気さしますが、放棄しようにも放棄できないもの、自然にあらわれてしまうものあり、どうしようもない、か。
「雄」さんとは二月から三月にかけて数回メールを交換しました。メールを書くと即座に返信をくださいます。律儀、礼儀正しさ、几帳面さを感じました。
「求婚の広告」に書かれてあること、とても現実的なこと。あるいは彼が心機一転、積極的に伴侶を探し求
め、現れた彼女も彼の現況に合わせていけるとしたら、結婚の可能性はありますが。「雄」さんに結婚の意志がある以上、決して心配はないと確信しています、期待しています。(余分ですが・・夫の研究室の助教授も助手も、今は準教授、副手と言うらしいですが・・いずれも独身。彼らにはあまり結婚願望がない様子。)
結婚を「科学」に喩えての所見! 面白かったろうと想像します。女性が「経済学」を取り上げるのは今も昔も変わらないでしょう。・・それにしても、いまどきの「男は坊ちゃん、女はけもの」という「総括としての印象」には絶句です。男のほうがロマンチック、詩的・・女は現実的でイヤラシイとも言われて、なるほどと半ば納得しても、昨今の若い女はけもの、ですか。
研究をとるか、恋愛をとるか、無責任な言い方かもしれませんが、研究も恋愛もとればいいのです。研究というと限られますから、仕事か恋愛かとします。わたしは棄てて幸せではなかったから、今となっては悔しさもこめて、たとい中途半端な結果になったとしても、両方頑張ってとればいいと思います。特に若い女性は経済的な自立を貫いて欲しいと願っていますので。
「藤」さんの、「自分のために男がこれと決めた仕事を変えたりして欲しくなかった」気持ちは十分分かります。が、ついて行くか、ついて行かないかの問題だと選択肢を二つに限らず、ついて行って、なお仕事を変えても新たに始めることは可能だと。
”女のために進路を変えるような男” に魅力を感じないこともあるし、逆に「女のために進路を変えるほどの男」に身震いするほど感激し惚れることもあり得ます。
夫婦で同じ夢を見られれば幸せですが、必ずしもそのようになるとは限らず・・こうして書いていると、わたしはかなりシニカルで嫌なおばさんだと嘆息します。
「女が男に合わすのでも、男が女に合わすのでも、どっちも合わしたりしなくても、どの生き方でも二人にとって一番良いと思えれば、それで良い」のが理想ですが、女が男に合わせざるを得ない状況が圧倒的に多いのが現実です。
とりとめないメールになりました。HPに載せないほうがいい内容が多いかもしれません。
絵の締め切りが近づいているので、この方に気持ちが焦っています。
2007 5・19 68
* 明日の約束が無くなり、拍子抜けして、気楽に寝坊した。横になっている方が脚が軽い。機械二台の回りにモノの溢れているのをかたづけ、「臻」クンの来てくれるのに備えねば。
好天。五月晴れ。
星川さんの訳に基づきながら、バグワンに聴こう。原本には「あなた」とあっても、わたしは「おまえ」と呼ばれて、いつも直接耳に聴くことにしている
2007 5・20 68
☆ いいお天気ですね。もう普通に自転車に乗れますか。お元気ですか。長崎のハウステンボスや西武ドームで多種のバラの花が初夏を謳歌しているのも観てきました。気分は青春で~す。
肉体年齢は古稀でも、気持の青春は、例え薬の力でも元気があってのこと。家に引っ込めばそのラクチンに馴れて老いてしまうもんね。数すくない周りの友人も、あっちもこっちも悪いと云いつつ、個人差はあるけれど、よく食べよくしゃべりよく遊ばはる。先が見え出したもんね。悲しい訃報も聞く機会も多く。 そんなワケで、精一杯元気にしむけていますよ。 泉
* 自転車は問題なし 歩行には痛みが残っています。痛みに慣れてかるくビッコひきながら過ごしています。
元気なようでなによりです。長崎まで行ったのですか。
わたしの状況は可も不可もない、フツー。自転車はさすがに少しこわくなり、自粛していますが、フツーにさっさと歩けないので、「歩く」運動ができません。ま、落ち着いて過ごしています。
むかしなら、古稀すぎて「気分は青春」なんて信じられなかったが、今になってみると、可能なんだとおどろきます。気分分かるよ。
わたしが言えたもんではないが、だけど 怪我、事故に用心あれ。
2007 5・20 68
* この、以下の日記には、自分自身の思いをかなり代弁してもらっている。そう感じるので読む。
☆ 分化(differentiation) ハーバード 雄
朝起きると,頭が痛い.風邪をひいたのかもしれない.ここ最近の寒暖の差のせいで,ラボの多くの人たちが風邪をひいている.しかし実験の予定があるので,薬を飲んで10時頃までベッドの中で過ごしてから,ラボに出勤.
途中,Pho Pasteurで昼食.最近,外食はここばかりだ.ここでは大抵フォーを注文するが,今日はチキンカレー.この間,来店した際,隣のテーブルの客が食べていたのが,妙にうまそうだった.
ナンプラーの香りと,レモングラスの香りがマッチして,いかにもアジアらしい香りがする.チキンだけでなく,ズッキーニやパプリカがふんだんに入っていて,野菜が豊富.スプーンではなく,なんとフォークで食べろというのだが,カレーの味が濃いので,これでちょうど良いのだろう.カレーは甘味が強く,ほんの少し辛味も感じられる.日本人の舌にはちょうど良い.なかなか美味しい.フォーに飽きたら,今後はこれを頼むことにしよう.
ラボでは電気生理実験.標本を作っていつもどおりトライするが,なかなか細胞に針が入らない.入っても,期待するような結果がなかなか出ない.
5時半に標本がダメになったので,続けるかどうしようか迷い,一旦休憩していると,昨日の日記にも登場したジェイが,僕の居室にやってきて,一緒に夕食に行かないかという.
先週の日曜日にビーコンヒルに行ったのだが,その際,ジェイが以前薦めていたイタリアンレストランFigsの前を通りがかった.翌日ジェイに会った際,「そういえば,昨日,Figsの前を通ったよ」と言ったところ,「あの店は私の家から近いのよ.今度一緒に行きましょう」と言っていた.
今日,僕の居室に入ってきたジェイは,Figsはちょっと遠いから,代わりにハーバードスクエアのどこかで夕食に行かないかという.何が食べたいかと聞くと,寿司が食べたいというので,すっかり馴染みとなったCafe Sushiへ.
僕はにぎり寿司,ジェイはちらし寿司を注文.ジェイがスプーンを店員に頼んでいたので驚く.「日本人は箸で食べるの?」と聞くので,そうだよと答えたら,せっかく持ってきてもらったスプーンを使わずに箸で食べていた.
来週の週末,彼女はカリフォルニアに行くのだという.彼女の親友が結婚式を挙げるのだそうで,式に参加するためらしい.親友はビジネスの仕事についており,その夫となる人は投資の仕事をしているらしい.3人は大学時代からの知り合いだという.
「私の友達には色々な職業についている人がいるの.みんな違う世界に住んでいるのよ.だから,私と友達とでいる時はいいけど,友達同士が何人かいるとダメ.あまりに世界が違いすぎて,話がかみ合わなくなってしまう」とジェイ.
寿司を食べ終えて店を出ると,「まだ顕微鏡の予約の時間まで間があるので,コーヒーを飲みに行こう」というので,スターバックスに付き合う.
スターバックスで延々と,このラボでの2年間のことと,9月にメディカルスクールに戻ってからの今後について,彼女は語っていた.僕の英語力のことを忘れたのか,途中から容赦ないスピードで話し続けたので,僕はひたすら聞き役に徹し,時折相槌を打つのが精一杯だった.
「このラボに来てから,他人の好意とか,善意といったものは,一切期待してはいけないし,いくら外面が良くても内心は利己的で野心家でないと研究者としては成功できないのだと思った」とジェイ.
確かに,僕の周りの教授たちを見ていても,いわゆる「いい人」というのは本当に少ない.性格が悪くないと教授にはなれないのだろうかとさえ,思ってしまう.認めたくない事実だろうが,おそらく正しいのだろう.
もともとそういう人たちだったのだ,と言ってしまえばそうなのかもしれないが,おそらく環境によって作られてきた部分も少なくないのだと思う.
僕自身のことを振り返っても,大岡山のキャンパスに通っていた学部2年生生の頃までは本当に気楽だった.大学に行き,講義に出席してテストさえ受けていればいい.しかし,学部3年からすずかけ台キャンパスに通い,さらに研究室に入ってみると,それでは済まされないことが分かる.
ごく限られた人達(しかも全て自分より目上)とともに狭い空間に閉じ込められ,朝から晩まで一緒に過ごすという,あまりに濃密な人間関係の苦痛.やる気に溢れて入ったはずの研究生活なのに,何一つ実験が上手く行かないことへの苛立ち.僕の場合は,これらに加えて生活費の困窮もあった.今思い返すと,この時期は今までの人生の中で,どん底だったように思う.
経験したことがないので分からないが,大学を卒業した人たちが会社に入ると,おそらく同じようなことを経験するのだろう.会社とは違うと言われそうだが,研究室とて一つの社会.やはり順応するのは大変だ.「職業は人を作る」というが,職業にあわせて作りかえられていく過程には痛みが伴う.
そうして異なる環境で2,3年経ってから再会すると,以前あれほど親しかった人たちなのに,全く会話が成り立たなかったりする.
はじめは1個の卵だったものが,細胞分裂を繰り返すうちに,それぞれ筋肉になったり神経になっていくことを,生物学では「分化(differentiation)」と呼ぶ.人間も同じで,生まれたばかりの子供はどの子も同じように見えるが,成長していく過程でそれぞれの個性が備わっていく.生まれつきの部分も少なからず存在するが,同時に環境によって変えられる部分も少なくないだろう.
僕自身は神経細胞がどのように分化するのかに興味を持って研究テーマとしているが,その背景には「人はどのようにして,個性を獲得していくのだろうか」ということへの関心がある.
ジェイはひたすらしゃべり続けた挙句,「そろそろ顕微鏡の予約の時間だから行かなくちゃ」と言って,店を出た.Tのハーバード駅で別れて,ジェイはラボへと戻っていった.もう夜の9時だというのに.きっと彼女ならば,メディカルスクールでのハードな生活にも順応し,うまく立派な医師へと分化してくれることだろう.
* じつを謂うと、東工大を終えて東大へ転じていった「雄」とわたしは、せいぜい数度しか顔を見ていない。わたしの覚えている顔は、学生の頃にバルセロナの「京」も一緒に、目黒駅地下で飯を食った「雄」の顔で、忘れなかった。
わたしは彼や彼女らの専攻学の指導教官ではなかった、バカなだれもがさげすんでかかる「パンキョウ(一般教育)」の「文学・作家」教授であった。だが、一学年に1200人程度だった学生の、999人がわたしの講義を聴こうと申告した年もあり、あれにはさすがに参ってしまった。そんな大教室は「講堂」しかなく、講堂ではわたしの思っているような授業は出来ないのだった。
そういう学生たちが、四年間にわたしに提出した課題への「アイサツ」「述懐」は、原稿用紙に換算して三万枚を超え、それは普通の単行本の百冊に相当した。学生たちはそのようにしてわたしにいわば「告白」し続けた。わたしもすべて読んで、次週には教室へ戻していた。それが学生たちの私の講座・教室へ集まってくる理由の一つだった。
わたしは、東工大の研究生に不必要としか思われない「文学概論」など、しなかった。だれもの魂がはらんでいる「文学感性」を開放するようにし向け続けた。そういう教授と学生として、われわれは今も多く「個と個と」して「友達」なのである。
2007 5・20 68
☆ はじめてのおもちゃ 馨
実は子どものおもちゃを買ったことのなかった私。
いま家にあるおもちゃ類は、頂き物・おみやげ(これは夫や私からのものもあります)・サンタさんからのプレゼント、という経由で到来しています。
あ、お友達の誕生日用にトイザラスに行った時に、ねだられてメルちゃんを買ったことはあるなー。でも、これはやむをえない仕儀でした。
・・・が、初めて主体的におもちゃを買いました。息子用おもちゃ(←あくまでムスメのではないところがポイント)。
いま息子のマイブームはなんとお片づけ。
目についたものはなんでもかんでもポイっ! ポイっ! ポポイのポイっ!
ゴミ箱に入れる場合もありますが、外に投げ出すことが圧倒的に多いです。我が家の裏口には猫用のドアがついているのですが、そこから次々に投げ出したり、昼間はベランダから投げ出したり。
捨てられたもの・・・私のスリッパ。ムスメのおもちゃ。テレビのリモコン。私の化粧品類。お財布。たたんだばかりの洗濯物。掃除機の口。積み木 etc… うち、今でも見つからないもの・・・テレビのリモコン。私のハンドクリーム。
で、考えました。
この片付け魔(いや捨て魔だな)、何か無害な方向に持っていかれないか。
というわけで、一念発起して初めておもちゃを買いました。
木のボックスにいろいろな形の幾何図形の穴が空いていて、同じ形のブロックをあてはめていく、というよくあるおもちゃです。
このおもちゃ、息子のニーズとマッチしていたせいか、購入後、延々と遊んでいます。入れたり出したり、入れたり出したり。ようやく少し目を離して家事をできるようになりました。よかった、よかった。
が、やっぱり。おもちゃ到着2日後、一連のブロックの中で扇形が行方不明となりました。そのときは締め切りのリビングに私と二人でいたのに、どこを探しても出て来ない~~。
息子の身の回りに四次元ポケットがぽこっと空いていて、そこをのぞくと、扇形のブロックやテレビのリモコンや使いかけのハンドクリームが浮かんでるんじゃないかなー。
紛失後3日して突然出てきた掃除機の口は、きっとそこからこぼれ落ちたんじゃないかなー。
なぁんて思いを馳せる母でした。。
ちなみに、ムスメにおもちゃを買わなかったのは、ちっこい時から「自分で作る」という子だったのが一番の理由ですねー。この前も「お母さんはDS買ってくれないに決まってるから自分で作ったの」と、工作物を見せてくれました(^^)。今はお人形(サンタさんより)用の二段ベッドを工作中。
安上がりな子どもです。
☆ 女の幼き息子に 佐藤 惣之助
幼き息子よ
その清らかな眼つきの水平線に
私はいつも真白な帆のやうに現はれよう
おまへのための南風のやうな若い母を
どんなに私が愛すればとて
その小さい視神経を明るくして
六月の山脈を見るやうに
はればれとこの私を感じておくれ
私はおまへの生の燈台である母とならんで
おまへのまつ毛にもつとも楽しい灯をつけてあげられるやうに
私の心霊を海へ放つて清めて来ようから。
* 夕方自転車でほんの少し近在を走ってきた。きつい風が奔っていた。
2007 5・20 68
* 早朝の宅急便で、栃木から、美術品のような大きなメロンが四つ贈られてきた。そういう季節なんだ。
また京都の二十歳過ぎのひとから「mixi」にメッセージが来ていた。高校のはるかな後輩なのかもしれない。
麻疹の閉校がなければ今日で、日大での谷崎話が放免になるところだったのに、六月初めに延期。やれやれ。
2007 5・21 68
* 昨夜、機械から離れる前、思い立ってこの二三日の私ごとを抜粋し、「mixi」日記に送った。人さまの日記ばかり読んでいて、ふと気がひけ、割り込んだ。日記をほとんど書かないことにしているのに、「足あと」は増え続けている。申し訳ない気もした。すぐ反応して下さる人も。感謝。
「mixi への久々のご登場,嬉しくお迎えします。こうしてお返事も差し上げられますし。長々とお許し下さい」と。
☆ 「私語の刻」毎日拝読しております。米国の教え子さんの日記,楽しみにしております。先日来の「恋愛か研究か」の記述は,結婚未経験者の,心の「立ちすくみ」がよくわかる,興味深いものでした。映画『グッドウィルハンティング―旅立ち―』や,自分の若い頃を思い出させました。映画では数学の天才が恋人と生きる道を選び,私は夫の転勤で仕事(高校教師)を辞め,といったように。彼の考えが,結婚によってどう変わるか(変わらないか)が,また興味深いところです。
「結婚て一度やってみると面白いよ」くらいしか私には言えませんが。
結婚に限らず,納得して選んだはずの道でも,心の揺れは絶対に出てきます。それと戦い,自分自身「ブレない」ようにするには,周囲の人の,「心」や「言葉」による助けが必要です。これは,「人」でなければなりません。ものでも,ましてや仕事でもなく。という点で,日記中の「人は、われ一人の思いこみでは、まっさきに、間違いなく自分自身を見間違え見失う。・・・わたしは大勢の人に手を貸していただきたいと願っている。」というお言葉には大いに共感しました。読み違いがなければいいのですが。
また,観劇の記や谷崎の講演の記録(5・14)を有難うございます。私のお願いを聞いてくださったのかと嬉しくなりました。
実は,25日の團菊祭は,新橋演舞場の切符が取れなかったので行くことにしたものです。うらやましくも悔しくもある観劇の記でした。
また講演の記,ご意図は,確かに「その場で」は伝わらなかったかもしれません。確かに,谷崎を読むには様々なものが要求されます。歴史や文学や芸能や古典や京阪神や東京の地理への知識,そして人間の心の襞の奥深くまで見ることも。しかし,それらの要求は,自分自身が時間の経過の中で「変わる」ことで,見えてくるものです。湖様の話に例えれば,聞いたその場で,商品のように「自分の変化・向上」が入手できるものでもありません。たとえば谷崎に触れる別の機会などに,はっとする経験となって生きる性質のものと理解しました。教育学では「アーハ体験」といいます。
自分の職業からの視点で申し上げて恐縮ですが,本来,教育は等価交換ではありません。時間が必要なものなのです。時間をかけて学び手が「変わった」とき,成果が現れるのです。にもかかわらず,最近,この時間軸を無視した「等価交換的」視点がどんどん教育界に広まってしまいました。「学ぶことの意味」を問うてくるなど,最たるものだと思われます。日大での反応がそのようなものだったとすれば,これはお辛いことだったと,お察しいたします。
本日の「私語の刻」も楽しみにしております。 麗
* 有り難う存じます。
ときどき、ひと様の日記や作品を読んでいるだけが、申し訳なくなると、割り込んでしまいました。
意識の流れのような「私語」で、もし「表現」していることがあるとしたら、「今・此処」で「生きています」という呟き、だけ。
平安神宮の桜をみるために『細雪』のひとたちが例年繰り返した「用意」の深さ・佳い意味の贅沢。谷崎をよりよく「読む」には、そういう「用意」が大事だとわたしは伝えたいのです。そのためにわたしの「谷崎愛」とは、と思い直す機会になりました。
週末には友枝昭世の能『邯鄲』そして狂言は『文蔵』です。能はこのごろは喜多の昭世、観世の栄夫ぐらいにほぼ限って、せいぜい歌舞伎や新劇に行きます。眠くて目の玉が「でんぐりかえる」から、お能は「勘弁」という家内なので、能には一人で行きます。
漱石の『心』の「先生」を翻訳する海外の人は、「sensei」としているそうです。教師と先生とは「兼ねねばならないべつもの」だなあと、わずかな体験で、よく思いました。とりとめなく。
お元気で。 湖
* 此処には載せないが、ニューヨークで勉強している若い若い孫娘なみのともだちの、真新しい日記も、とても面白かった。
☆ ドイツへ ハーバード 雄
来月の始めにミュンヘンに行くことが正式に決まった.6日にボストンを発ち,10日に帰ってくる予定.
今朝,メールを開くと,秘書のフィリスが明日から1週間休みを取るという.全く聞いていない.初耳だ.先週,出張の準備をしているときに,教えてくれればよいのに.慌ててドイツのラボにメールを送り,先週こちらが打診した予定で良いか確認のメールを送る.
先方からのメールを待つ間,取り合えずフィリスに頼んで,こちらではどういう出張手続きが必要なのかを聞き,航空券の予約を始める.
ついでにホテルの予約も始めようと,expedia.comでホテルを検索するが,一体どれが良いのかさっぱり分からない.土地勘がないので,いちいち地図をクリックするが,地図が小さすぎる上に拡大されすぎていて,縮小しないとさっぱり分からない.旅好きの人は,どのホテルにするかを決めるのも楽しみの一つなのだろうが,僕は苦手.時間がたっぷりあれば楽しめるのだろうが,仕事をサボっての作業なので嫌気が差す.おまけに予算も限られているので,洒落たホテルなど望めない.
途方に暮れた時,マイミク「ぶんちゃん」さんがミュンヘン在住であることを思い出し,メールでアドバイスを請う.
いつもだと先方のラボからのメールは中々返ってこないのだが,事情を説明して今日中にお願いしたせいか,昼には返事があり,予定通りで良いとのこと.どうにか航空券の予約を終えた.僕はこちらでヒストリーのあるクレジットカードを持っていないので,フィリスが立て替えてくれた.
今朝,こうなるとは全く知らずに,実家から送ってきた緑茶が飲みきれないのでフィリスにあげたのだが,それで機嫌を良くしたようだ.
さらに,先方のラボのボスが最寄りのホテルも教えてくれた.
早速予約しようかとサイトを開いたのだが,なんと予約のページが全てドイツ語.全く分からない.仕方なく,livedoorの翻訳ソフトのページでドイツ語を英語へと翻訳する.さらに,英語に訳しても分からないところを,英和辞典で翻訳.ヘトヘトに疲れた.
ようやく最後のページまで辿りついた時,怒涛のごときドイツ語が.さらには「来ても泊まれないこともありうるので,その場合の保険が・・・」とある.それを見た瞬間,一気にやる気が失せた.
ぶんちゃんさんからのメールでお勧めになっていたホテルのホームページを開く.なんと予約のページに日の丸のマークがあるではないか.
あっさり,日本語で予約してしまった.さっきまでの苦労は一体何だったのだ.最初に予約しようとしていたホテルより少し高かったのだけど,税込みだったので,トータルではこちらの方が安く上がった.やれやれ.
* 自分がこういうハメになったらと思うと、彼の動悸が伝わってくる。そういうふうに「書く」のは、なかなか。易しくない。
2007 5・22 68
☆ あんまりお天気がいいので、思い立ち、衣裳ケースにしまってあったTシャツを全部洗濯しました。夏に備えて。花は、とても元気です。
もっとも季節の変わり目だからでしょう、皮膚の具合が芳しくありません。特に顔の。基礎化粧品を変えてみようかと、考えているところです。
風、やっとお医者でみてもらったのですね。ちょっと、ほっとしました。
でも、診断はほっとしていいものではなく、花は、風ご自身の管理を期待します。期待します。どうか、少しでも長く、風のお作が読み続けられますように。 花
* 期待…か。応えなくてはね。
2007 5・23 68
* 「ムスメと息子の最近」と題して「馨」さん。そして「雄」クンが今日も。なんだか、自分のムスメと息子のことのよう。
この二人には、わたしのような走り書きの変換ミスが、ほとんどない。
☆ ムスメと息子の最近 馨
この一週間、毎日小児科に通ってます。
はじまりは、予防接種二人分。息子の麻疹・風疹混合とムスメの日本脳炎。息子の方は、お誕生日後すぐにポリオの集団接種が入ってしまい、その後の4週間をはしか大流行を横目にじりじりしながら数えて、いざ!と打ちに行きました。すると「日本脳炎の接種できます」の貼り紙が…。そうです、副作用があるのかないのか微妙な日本脳炎予防接種でしたが、ようやく「同意書があれば」打てるようになりました。ということで、即、ムスメに接種。
日本脳炎、副作用のないワクチンが開発されたわけではないのですが、ここ数年、予防接種を止めていたら日本脳炎の発症数が副作用の発症なんかそこのけに増えてしまったそうです。
こういうとき、私は「因果関係がまだ不明確な副作用の心配よりも、日本脳炎を避けるほうが先決。もし何かあった場合は覚悟しよう」と考えるタイプです。日本脳炎のワクチンはいま話題の西ナイル熱にも効くという話もありますし、日本の現状では、現在のワクチンを打った方が明らかにベターな選択だと思っています。
それで、一週間後に日本脳炎の追加接種をする、というのが唯一の小児科通いの予定でしたが、その後、息子は頭を打って特大のタンコブを作るわ、治ったと思ったら40度の熱を出すわ、ムスメは学校の検診でアレルギー性鼻炎の診断を持ってくるわ(お医者様には治療の必要はないよ、と言われました)、この一週間は結局小児科に通い詰めています。息子クンがまだまだお熱が下がらないので、もう少し通うことになりそうです。 ちょっとでも熱が下がってラクになってくるとすぐに起きて遊び始めるのが問題。
ムスメは40度までの熱は出したことがなかったので、噂に聞いていた「男の子は熱を出しやすい」というのを初めて体験しました。
そしてその小児科通いのついでに、今までわからなかった子どもたちの血液型も調べました。
娘の場合、心ヒソカに「あってほしくないなー」と思う血液型があって、でも行動を見ているとどう考えてもその血液型の気がして、直視したくない母はずっと血液型検査を受けて来なかったのですが、結果、はい、予想通りでした。
オマケに息子までその血液型。母一人、多勢に無勢のA型です。(とは言うものの、私もA型と思われることがほとんどないのは確かですが。)
がっくりする母を尻目に、帰宅コールをかけてきたダンナさんにムスメは嬉々として結果を報告。
「うん、そうなの。お母さん以外みんなおんなじ。お母さん? うん、お母さん、とぉーってもがっかりしてる」
ムスメよ、冷静にそういう報告をするアナタは何者?
このムスメ、小学校生活を堪能しています。
このひと月で彼女の野生児度が一気にアップしたよう。近くに同じくらい外遊びが好きなお友達がいて、毎日のように遊んでいます。いや、帰ってから遊ぶ以前に帰り道にどれだけ道草食っているのか・・・毎日1時間以上かけて帰ってきています。
竹の子を掘ったり(しかも、その竹の子を川で洗って食べたらしい。お腹はこわしませんでした)、崖によじ登ったり、靴を脱いでフジヅルにのぼってターザンごっこをしたり(そういう日に限って唯一持っている高いファミリアの靴下を履いていっていたりする)、桑の実を食べたり、とにかく読書が好きなおとなしい女の子だった私には想像を絶する世界。
昨日の海への遠足も帰ってきた時には靴と靴下が真っ黒。靴を波にさらわれて靴下のまま追いかけた、とのこと。帰宅途中からは裸足でした。もう何をか言わんや。言葉を失って母は無言で靴と靴下にタワシをかけて洗いました。
でも、よく考えるとこんなにとことん遊べるのも人生のうちで今だけなんだろうな、と思います。そう考えると、まぁ、命に別状がない範囲なら大目に見ようかと。
それでも、学校からのお知らせで「寄り道をしている子を見かけます」と書いてあるのを見つけたりすると、「うっ」と言葉に詰まってしまう母だったりもします。
みなさま、この日記、どうか学校には黙ってて下さいまし。
☆ 日記のこと ハーバード 雄
昨日,今日と,再び晴れ間が戻ってきた.気温は先々週ほど高くはないが,これくらいがちょうどいい.爽やかで気持ちがいい.
今日も一日中,電気生理.しかし,期待されるような結果が出ない.
以前,電気生理学の先生が,「生理学者は狩猟民族,生化学者は農耕民族」と言っていたが,うまいことを言うなあと思う.
カルシウムイメージングや電気生理といった生理学実験の場合,結果は一瞬で出る.しかし,何も出ない時は,本当に何も出ない.釣りで言うところの「ボウズ」だ.
生化学や分子生物学の実験の場合,DNAを切り貼りしたり,タンパク質を精製したりと,手間と時間のかかる作業が比較的長期間に亘ることがあるが,全く何も収穫できない,ということも少ない.
さて,タイトルに書いた「日記のこと」だが,今朝,カウンターを見たらアクセス数が1900を越えていた.6月前には2000に到達するだろうか.
マイミクの多い人から見たら,半年近くでこのペースは遅いと思われるかもしれない.しかし,僕の日記を読んでくださっている方は,(少なくともmixi を介しての場合は)ごくわずかの方だけなので,それらの方が定期的に読んでくださっての2000アクセス.とても有難く感じられる.いつも読んでくださって有難うございます.
この2000アクセスか,あるいは日記を始めてから6月でちょうど半年になるので,こうした区切りをもって,日記の公開をマイミクおよびその友達に制限しようかな,と前から考えていた.そこで,以前,マイミクへの登録のお願いをした.何故か,あの時期,ちょっと良く分からないアクセスが多かったのだ.
ただ,それも最近は収まっている.たまたま訪れて下さった方の中から,定期的に読んでくださるようになった方もいる.しばらくは,このまま様子を見ようかな,と考えている.
日記に何を書くかは,大体,帰りのバスの中で考えていることが多い.その日あったことを思い出しながら,何を書いたら良いかを,ぼうっと考えている.帰りのバスに乗っている時は大概疲れているので,そのまま,うとうとしてしまうことも多い.
書くことが決まってからは,比較的早い.どんなに長い日でも,大体30分あれば充分に書くことができる.割合,筆は早いほうだ.ただし,「日本語で」だが.英語の論文を書くときは,本当に遅い.英語圏に生まれなかったことを悔やむ.
ただし,書き終えた後で,読み返して推敲することは,ある.その間も日記のことを考えていたとするならば,かなりの時間をかけていると言ってもよいのかもしれない.
日記をつけるようになって変わったことは,それまで取るに足らないと思っていたことにも目を向けるようになったことだろうか.また,その日にあった悲惨な出来事でも,「日記のネタになる」と思えば,儲けた気分にもなる(ただし,あまりに悲惨な場合は,思い返すことすら辛くなるが).
そして,何より変わったのは,マイミクさんとして交流を持つ方が増えたこと.これが僕にとっては,何よりの収穫だったと思う.
さらに,「湖」さんがご自身のホームページに僕の日記を良く転載してくださり,色々とコメントを下さる.これも,大変に有難い.今後も,よろしくお願い致します >「湖」さん.
勿論,人目に触れる日記だけに,読む人のことは意識する.先週は少し長く書きすぎたので,日曜からは控えめに書いたりと,それなりに工夫はしている.しかし,日記を書き始めた理由が自分の備忘録ということなので,どうしてもあれもこれもと盛り込みがちで,結果として長文になってしまうことが多い.読む方には負担を強いてしまい,申し訳なく思っているが,どうかお許しください.
これまでで,一番反響が大きかった日記は,僕にとっては意外だったが,研究をやめて彼女を追ってドイツに行くポスドクの話だった.
こちらのコメントはそれほどでもなかったが,「湖」さんのホームページに転載されてからは,「研究の話に比べてレベルが低い」「結婚や恋愛に対する考え方が古い」と厳しいご意見が多かった.
まあ,こうしたご批判ではなくても,やはり皆さん,恋愛・結婚には関心が高いせいか,色々とご意見・ご感想を寄せられた方は多かった.
色々と読みにくかったり,不適切な発言などもあるかもしれないですが,これからもよろしくお願いします.
* 馨さん、雄君とも、心身共に「健康」にそして丁寧に「生きて」いる。わたしは自身をこのような「鏡」に映して、励まされるのである。
* 「mixi」にもういくつもの力作を連載し続けている、手術後の「甲子」さんから、思いがけず、山梨のすばらしく精製された葡萄ジャムの大瓶を二つも頂戴した。夕食していた途中に届き、わたしはすぐ飯米食を一膳でやめ、恵比寿駅で買って来たおいしい食パンにのりかえ、早速ジャムを賞味、うまさに唸った。
ありがとうございます、甲子さん。
続々と小説を書き続けられる健康な意志力にいつも励まされています。米寿をまずはめざし、粘り勝ちに「甲子文学」を確立してください。
やがてまた『e-文庫「umi」』をしっかり立て直して充実させたく、甲子文庫がよりよく満たされてゆきますように願っています。
2007 5・23 68
☆ > 孫の墓参に。
よかったですね。きのうは暑かったでしょう。
大事な人を亡くしたあと、してあげられることは何だろうと、考えることがあります。
忘れず、思い出してあげることかなあ、と。
風と一緒に、いろいろ行きたい、見たいこと、夢のようにあります。そのためにも、風の脚の痛いのが、少しでも和らぎませんとね。
風、眼もくれぐれもお大事に。
花も、近視気味で、乱視が少しあります。もう長いこと、ファンケルという会社の、「快視サポート」という、ブルーベリーエキス・ベータカロテンなどの配合されたサプリメントを摂っています。ブルーベリーエキス単体より、効果がある気しますよ。
風元気に吹き通しますように。 花
* 右眼の右隅にかすかにひきつれたような曇りが感じられる。この半月ほどいつも継続して感じられる。鬱陶しい。聖路加の診察を待たずに近くの眼科に観て貰いに行こうと思う。それにしても緑内障の朝夜二度、白内障の朝昼夜三度の眼薬のさしようが、なんでこう下手なんだか。
* 甲子さんに、すばらしいジャム壺のほかに、二足分の簡単履きというか室内履ききを頂戴している。いまも、履いている。ひたッと足に吸い付く感触。スリッパのように脱げ落ちないので階段の上がり降りに安心感も。感謝。
2007 5・24 68
☆ 何気ない一言 ボストン 雄
一昨日のこと,グレッグが僕の居室に入ってくると,「なあ,ciona.俺は今,猛烈に寿司が食いたいんだよ.ランチで一緒に行かないか?今日は忙しいから無理だけど,水曜日がいいな.行こうよ~」と言ってきた.寿司は先週土曜日にジェイと食べたばかりだが,無碍に断るのも良くないと思い,OKする.昨日,一昨日は自作の弁当持参だったが,今日はそのような訳で,弁当を持たずにラボに行く.
ある程度予想してはいたが,何も言ってこないのでグレッグに,「お前は月曜日に,俺に何を言ったか覚えているか?」と聞くと,「しまった!」とグレッグ.
「全くお前にはがっかりだ」と,普段言われているセリフをお返しする.しかし,グレッグは悪びれもせず,「俺は忙しい人間だから,忘れちゃうんだ」.
しかし,悪いと思ったのか,夜7時を回り,電気生理実験でくたくたになっている僕のところに来ると,「今日は,暇はあるか?うちの奥さんは今日,仕事で帰りが遅くなるらしいんだ.もし良かったら,一緒にセントラル駅の近くでビールとハンバーガーでもどうだ?」.
OKすると,「俺は良い夫だから,奥さんに電話してみてOKだったら行こう」.しばらく奥さんの返事を待つことにするが,「ダメだ.つながらない.どうしよう」とグレッグ.
「別に今日じゃなくていいよ」と僕.本当に,今日でなくても,良かった.今日はヘトヘトに疲れたので,ハンバーガーではなくて,もっとあっさりしたフォーが食べたかった.しかし,「いや,本当に君次第だよ」と僕.単に’It’s up to you.’という言い回しを使ってみたかったというのもあるが...
するとグレッグは,「うーん,でも,どっちみちセントラル駅の近くまでは,行かなくちゃいけない用があるんだ」と言うので,「それなら軽く飲んで行こうか」と僕が言い,結局飲みに行くこととなった.
行ったのはセントラル駅近くのThe Tavern in the Square.マサチューセッツアベニュー沿いにあり,テラス席もある.店の中には,大きなテレビが数台あり,ヤンキース対レッドソックス戦を流していた.ヤンキースの熱烈なファンであるグレッグが,この店を何故選んだのかが良く分かった.
最初は「俺は後で奥さんと飯を食うから,前菜だけでいいや」と言っていたグレッグだったが,注文する段になって,僕と同じハンバーガーを注文.「帰ってから,奥さんと一緒に食べるんじゃなかったの?」と聞くと,「奥さんは僕の性格をよく知ってるから,きっとこっちで食べてきて,軽いものだけ用意すると言ってくれるよ」とグレッグ.
サミュエル・アダムス・ラガーを飲みながら,ハンバーガーを頬張りつつヤンキース・レッドソックス戦を観ていると,グレッグの携帯が鳴った.奥さんからだった.
外に出て会話をし,戻ってくると「軽い前菜だけ用意しておくから,そっちでcionaと食べてきたら,と言われた」と.続けて,「僕らは,お互いの性格や考え方をよく分かってるんだよ」.
全く何気ない会話ではあるが,それを聞いて僕は,妙にグレッグがうらやましくなった.そんな風に自分のことをよく理解してくれる人がいるなんて,それだけで幸せな気がする.
この間の日曜日に,日本人ポスドクのMさんとSさんと一緒に食事をしたが,その際に同席されたMさんの奥様の,何気ない一言も印象的だった.
全くの偶然だが,僕ら3人は同じ留学助成金を頂いている.そこで,「助成金が切れたら,その後どうするんでしょうね」という話題が出た.あまり考えたい話題ではない.
僕などは真剣に「うーん」と考え込んでしまった.今,休職している日本の研究所の身分の問題もあるし,ビザの問題もある.学生時代の育英会からの奨学金の問題もある.しかし,今やっていることを放り出して,何も成果を挙げないまま逃げ帰るのも嫌だ.第一,逃げ帰ることができるかどうかさえ,わからない.
すると,Mさんの奥さんが,Mさんに向かって一言.「まあ,なんとかなるわよ」
本当になんでもない,それもたった一言だけだったが,その時,Mさんのことが心底羨ましく感じられた.
奥さんは精神科医だが,こちらではボランティアの非営利団体で働いているだけだから,収入源はMさんだけだ.もしMさんの収入が減れば,奥さんにとっても大問題であることは確かだ.それでも,一言,こういってくれる奥さんがいたら,どれだけ心強いことだろう.
独りで全てを背負い込むのは,仕方ないことかもしれない.一人の自立した人間として生きていくには,当然のことかもしれない.でも,そんなときに,お互いを分かり合えたり,励まし合えたりできる相手がいることは,やはりいいなあと思う.理想論に過ぎるかもしれないが,素直に羨ましい.勿論,一方的な関係ではない.奥さんがこう言ってくれるのには,日頃のMさんの奥さんに対する接し方が反映されているのだろう.
帰り際,グレッグは「これは奥さんの好物なんだ」といって,crab cakeを店の人に作ってもらい,お土産にしていた.
なんだか,妙に羨ましい気分になりながら,セントラル駅からTで帰宅.
☆ 雑記 碧
月曜に買った『京の和菓子』(辻ミチ子著・中公新書)序章冒頭に、「日曜日の朝、亀山さんへ仏壇に供えるおけそく(華足)さん、神棚に上げる星つきさん(おけそくの上に小餅がついている餅)を買いに行く」とある。
おや、これは。去年の暮に「湖」さんの書いてらした「ほしづきサン」のことみたい。
今日ようやくパソコンで検索してみた(その前に手元の仏教辞典と小さい国語辞典をみたけれど載っていなかった)。
「けそく」は華足・華束の表記あり。餅を供える道具。仏飯器、リン、高月などと共に写真もあった。我が家では高月にお正月の餅も、お盆のお迎え・お土産団子も供えている。省略したのかな。
「ほしつき」はそのまま平仮名で謂れまではわからなかった。
今月は豆月間。
えんどう豆・さやえんどう・スナップえんどう・おたふく豆を毎日のように食べている。どなたかに食べ助けをしてもらうつもりだったが、例年になく実入りが悪いしハモグリバエがわんさか付いているのでそれも憚られて。
先週その豆採りに出かけたら、またもや日焼けしたのか顔が赤くなって首の周りが痒くなった。皮膚科に行ったが「紫外線で、そんなまだらに出ることはない」と一蹴されてしまった。
「考えられる原因として 1.芳香剤」「置いてません」
「2.化粧品」「使いません」「化粧水や乳液も?スッピン?」「はい」
「あとは植物」「あぁ。豆採りに行きました」
・ ・・というわけで後半の豆上げ作業は手伝わず、いまはせっせと食べるだけ。
明日はここ下関で国民保護法に基づく訓練というのをするらしい。民間人も巻き込んで。六連島の住民でなくてよかった。(全市民で、といわれたって参加しないぞ。)
2007 5・24 68
☆ 慈雨 百
やす香さんのお墓が白金にあると伺い驚いています。十代のその昔、毎日のように通学で前を通っていました。今も、お願いしている呉服屋さん(店舗のない職人さん)が真ん前なので近くに行きます。付属の幼稚園もありました。
境内に入ったことはなくほとんど意識したことのないお寺でしたが、うちからこんな近い場所にお墓がおありとは不思議な縁のようなものを感じます。
お墓参りさせていただく立場にはございませんが、近くを通る時にはやす香さんのことを想いそっと手を合わせお祈りしたいと思います。
もうじき十回目の月命日です。
「わたしは今、二つの長い小説をゆっくり書き継いでいる。」
これほどやす香さんを、そして多くの読者を喜ばせている言葉はありません。やす香さんがお作のなかで「とわに」生き続けてくださいますように。
湖の本を注文させてください。エッセイシリーズから、
洛東巷談 9・10
死から死へ 20
私の私 知識人の言葉と責任 25
計四冊です。おついでの折にお願いいたします。『私の私』はプレゼントの予定ですので、ご署名はいりません。つまり他にはご署名が欲しいということみたいで、なんとも……ごめんなさい。
雨ですけれど、今日の雨は恵みの雨に感じます。お元気な一日をお過ごしください。
* 「お墓」でやす香の所在を再確認したという覚えではないのだが、それでも墓石の裏に「やす香」の刻字を観て掌にふれ愛おしんできた感触は、妻にもわたしにも言いしれぬ或る安心を与えてくれた。
こうして月命日を記憶していて下さる方々の数多いにも、胸を熱くする。
2007 5・25 68
☆ ついに ハーバード 雄
昨日,「夏休みにはまだ早い」と書いたのを訂正したくなるような,暑い一日だった.最高気温は優に摂氏30度を超えただろう.ラボの中はクーラーが効いていて涼しいが,一歩外に出ると,湿度も高く,むっとするような暑さに包まれる.
今日も朝から電気生理.刺激電極が壊れてしまったので,ハンダ付けをし,銀線にメッキを施す.苦手のハンダ付けも,大分上達した気がする.
ガラス電極を神経細胞に入れるが,細胞の調子の良い時に見られるような電位変化が見られない.標本を作りなおして再度トライしたが上手く行かず,諦めかけた頃,普段と違う電位変化に気づく.
JCにデータを見せると,「うん,これは確かに間違いなく,シナプスからのシグナルだよ.」
ようやく,見たかったシグナルが見えた.まだ,データのクオリティーは低く,科学的にも新しい現象ではないので,これで何かの発見になるとか,論文のデータになるという訳ではない.
しかし,4月にセットを作るところから始めて,ようやくデータを取れるところまで来たということで,感慨深い.それに,シナプスの応答を自分の目で確かに見たのはこれが初めて.
何度もJCが僕の背中を叩き,「Good Job!」と繰り返し言った.帰り際も,大きな声で「Good Job!」’と叫びながら,奥さんと一緒に帰っていった.少し嬉しかった.
すぐ追試しようと思ったのだが,溶液を切らしてしまったこともあり,気分の良いまま,今日は早めに切り上げて,帰ることにする.
帰りは回り道をしてポーターへ.歩くだけで汗が噴出す.
Kotobukiyaで久しぶりに日本の食材を買いあさる.暑さの余り,置いてあった「葛きり」を衝動買い.
* よかったね。
☆ 泣きました バルセロナ 京
恒平さん 泣きました。故国への往路は「夫婦の愛」に、帰路は「親への愛」に。
読み進むごと涙が嗚咽に変わりそうになり、幾度も幾度もご本を閉じて、目を瞑らねばなりませんでした。
愛ある夫婦がこうも普通に存在することに、私はほとんど驚愕しました。
自身の伴侶に回り逢うまで、私にとって「夫婦」とは、いがみ合い、貶し合い、互いに磨り減ってゆくものでしたから。
「**ちゃんの親はいつも一緒に出掛ける」とか、「**の両親は一緒に風呂に入る」とか。(十八にして、一緒に風呂に入る夫婦のあることを知り、仰天しました。)そんな話は実感の伴わない虚構の世界でしかなく、私にとって「夫婦」とは、あくまで私の両親だったのです。
「夫婦の愛」を読みながら、この幸せを知り得た人間が、今の私だけではなかったことに、大きな大きな安堵を、そして感動を覚えていました。
私にとってもうひとつ意外だったのは、夫の、妻を歌った歌の多いことです。
内職の終り待ちゐし夜の床に寒い寒いと妻が入りくる
湯上りの匂いさせつつ売り残りの饅頭を持ちて妻が寝に来る
しまひ湯をながくたのしみゐし妻が湯槽に蓋を置く音がする
常々、男の妻への愛など、あるのかないのか分からぬほどに聞こえてはこないもの、と思い込んでいましたから、こんな健やかな愛が聞こえて、とても嬉しくなりました。男の人って、こんなに優しく静かに妻を愛するのですね。
たすからぬ病と知りしひと夜経てわれよりも妻の十年老いたり
思ひきり生きてみよとぞ聴く哀し春の墓辺のきみは風にて
自らを重ねやすいものほど、喉元に込み上げるものを鎮めるのに苦労します。
膝にごはんをこぼすと言って叱った母が
今では老いて自分がぼろぼろごはんをこぼす
母のしつけで決してごはんをこぼさない私も
やがて老いてぼろぼろとこぼすやうになるのだらう
そのときは母はゐないだらう
そのとき私を哀れがる子供が私にはゐない
老いた母は母のしつけを私が伝えねばならぬ子供のゐないため
私の子供の代りにぼろぼろとごはんをこぼす 高見 順
「病む父」 伊藤整より
父は何でも知り
何でも我意をとほす筈だつたではないか。
身体ばかりは伸びても 心の幼い兄弟が
人の中に出てする仕事を立派だと安心してゐたり
私たちの言ふ薬は
なぜすぐ飲んで見たりするやうになったのだらう。
「父」を「母」に換えて、私の母への愛は上の二歌に言い尽くされている気がします。
あつかましく われ其の孫に なれたなら 京
* 一人のいつも思いあまっていた卒業生に、こういうメールを書いてもらえただけでも、『愛、はるかに照せ』を湖の本にしてよかった。すこしだけ、親をゆるしてあげなさい。あなた自身が幸せに。それでいいのです。
2007 5・26 68
* よく寝た起きぬけの暫くは脚が軽いので、出来るときはつい寝坊する。
午後一番に「臻」くんが機械を見に来てくれる。晴れていて気持ちが良い。腫れていてと、機械が、さきに謂う。気持ちわるい。
2007 5・27 68
* 意味の重いメッセージが入ってきた。大勢の人が一種のショックを受けつつ自分自身の問題へ転じて考え込むであろう。先日「聖」さんのくれたメールで語られていた或る「映画」のストーリーとも鋭く響き合う。
メッセージを読む。
☆ 湖さま 鏡
おみ足のお具合はいかがいらっしゃいますか。自転車で出かけるのは私も大好きですが、先生と同じ年の母が自転車で出かけるのを見ると少しはらはらするのも確かです。どうぞどうぞお大事になさって下さいませ。
今日メール差し上げたのは、ミクシイの友人を一人ご紹介をしたいと思ってのことです。私のマイミクさんで「桜子」さんと言います。彼女がいるのは、ミクシィの上のみ。実際には今はもうこの世にいない方です。
癌で亡くなりました。亡くなったちょうど一年後から、ご主人が、「去年の今日」を「いま」として一年遅れの日記を書かれ続け、桜子さんの一周忌に日記は終了しました。
それからもう一年半経ちました。(亡くなられてから二年半です。)
ご主人が私と高校の同窓だったらしく(当時、面識はありませんでした)、ミクシィ上でお会いし、その時に桜子さんのことも読み、「桜子」さんのマイミクに入れて頂きました。
私自身、姉と姪を相次いで亡くしたばかりで身につまされ、毎日、涙しながら読んでおりました。ちょうど一年前に先生のページを涙しながら読んでいたように。
そんなこともあり、「モウンニングワーク」をテーマとされている先生にご紹介したい、と、ずっと思っておりましたが、やす香さんのこともあり、何となくしそびれておりました。
今日、ようやくメール差し上げるのは、一つには、先生がお墓参りに行かれたとのことで、一つの区切りを感じたのと、もう一つはこの「桜子」さんのページがもうやがて閉鎖されることを少し前に知らされたからです。
その「閉鎖」の記事の中で彼は、今後ともに歩いていく女性と出会ったことも正直に書いてくれていました。あれだけ献身的に看病した後、心の整理をつけ、一歩を踏み出すのにどれだけ葛藤があったことでしょう。彼は強い意志の持ち主で、それをありったけ桜子さんに注いでいました。そんな彼が自分のいなくなったあと、誰かと巡り会うことを、桜子さん自身見守るような、そんな気配もありました。
でも、でも、それでも。
これを読んだ気持ちは「フクザツ」でした。
長い長い闘病生活の中で彼がどれほど桜子さんに尽くしているかを読んできましたし、そういう女性と出会って彼がふたたび歩いていくことは桜子さんもきっと望まれていたと思います。
でも、そう思ってしまった。
そして「伴侶ならまた選べるのよね」と呟いていたのです。
こんなこと思う自分が情けないですし、彼にとって桜子さんは桜子さんで、二度と出会えない存在であることもよくわかっています。でも私は「姪や姉の代わりはいない」と引き比べてしまいました。血を分けた家族の代わりはいないのです。桜子さんの闘病記の中で何度も桜子さんのお母様が登場します。闘病は彼とお母様の二人三脚で行われました。そのお母様の気持ちに思いを馳せていました。実際に桜子さんのお母様はこんなこと思う心の狭い方ではないでしょう。むしろ、その幸せを祝ってあげるくらいの気持ちでしょう。でも自分なら絶対に、「あなたはいいわよね。伴侶をもう一度選べて。でも私の娘の代わりはいないのよ」と思ってしまうだろう、と。
ミクシィの彼の告白に「おめでとう」というコメントがたくさんあるのも小さな違和感でした。
ミクシィという世界では、それ以上の付き合いは限界があるのかもしれない。他に思うことがあっても小さな言葉が増幅し、大きな感情を呼んでしまうネット世界では、「無難」というのは最低限の礼儀でもあります。
でも・・・。
私の母はいろいろな人生を見てきた人間ですが、安井かずみを亡くした後、加藤和彦が案外に早く再婚したとき、
「本当に仲のよかった夫婦は、死に別れた後に意外に早く再婚するものなのよ」と言っていました。
そんなことも思い出したりしています。
でも・・・。
一人の人間が亡くなったとき、親の思い・血の繋がった家族の思いと、伴侶の思いは微妙にすれ違います。再婚して数ヶ月の姉が突然亡くなった時、その再婚相手のとったモウンニングワークは必ずしも私たち家族にとって無条件で受け入れられるものでもなかったのも事実です。私は姉の生前に彼と会っていましたし、それなりに彼の行動を理解することはできましたが、それでも多少違和感がありました。
それを前提に桜子さんの死をめぐってネットの上では決して姿を現すことのない桜子さんのお母様の思いを考え込んだりしています。
でも、子どもの人生は子どものものです。子ども自身が選んだ伴侶こそ、何かの時に最優先するべきものなのでしょう。私もいつかそうやって「一人の他人」として二人の子を見送らねばなりません。
少しだけお酒がまわっています。千鳥足の文章で申し訳ないと思いながらも、やはりお送りしたく送信してしまいますが、HPに刻まれる時には少し手加減して頂けると幸いです。
ほととぎすの鳴く夜です。入梅前にご体調のよくなられますよう。 鏡 目黒区
* ふっと言葉を喪っている。
さきに謂う映画のストーリーを「聖」さんのメールから再録したおきたい。これは、吉野秀雄の妻への挽歌をわたしが新刊の『愛、はるかに照せ』でみせた理解への、根幹に触れた批評にかかわる部分である。当日の長い批評もこの「私語」に全文採ってある。
夫と妻、妻と夫。立場が入れ替わっても問題や感情は同じか。同じでないか。それも「問題」になることだろう。
☆ 聖
ずっと以前にテレビで西部劇を観ました。
題名も忘れてしまいましたし、名作とも思いませんでしたが、ストーリーが強く印象に残りました。
余命いくばくもないと医者に言われた妻が、夫に新しい妻、子どもたちに新しい母となる女を必死で探し歩くのです。あの当時の西部は女の数が少ない上に、子だくさんの、過酷な労働を強いられる農家だったか酪農家では、後添いに来てくれる女を見つけるのは容易ではありません。
やっと承諾をとったまじめそうな女を夫の元に連れていくと、もともと妻を愛していた夫は絶対いやだと拒否。妻が女手なしには一日だって夫も、乳飲み子を含む子どもたちも生きていけない切羽詰まった現実を説ききかせると、夫は後添えを迎えることを渋々承諾したものの、妻の連れてきた女はいやだといいます。妻がなぜだめなのかと問い詰めると金輪際「抱く気持ちになれない女」だからと。そこで後添え探しは振り出しに戻ります。
あちこち出かけ万策つきた妻は、道中たまたま出会った美しいけれど酒場の娼婦に「私の夫と結婚して」と頼むことになります。自分の生活に嫌気がさしていた娼婦はしばらく躊躇してからいいわよと答えます。女を連れ帰ると、夫は「娼婦じゃないか。正気か」とあきれたものの、前の女とどちらを選ぶかと迫られてしかたなく女を受け入れることとなり、夫と妻と娼婦との奇妙な同居生活が始まります。
妻は子どものおしめの替えかたからはじめて、家事労働を娼婦に仕込みますが日々病状は悪化し、ついにベッドから起き上がることもできなくなります。
そんなある夜、妻が死ぬことに堪えられなくなった夫が庭でひとり泣いていると、娼婦がやってきて慰めます。そして二人は結ばれます。
翌朝そのことを知った妻は娼婦に、夫とのセックスはどうだったかと訊ねます。妻は自分は夫との性に満足していたけれど、何しろ夫しか男を知らないから、そう言うと、娼婦は今まで経験したなかでも夫とのセックスはよかったと答えるのです。妻は満足そうににっこりして、そして数日後に亡くなります。
映画の結末はよくおぼえていません。たぶん、長い歳月が経って仕事に成功した夫とすっかりエレガントになった娼婦がとても幸せに暮らしているところで終わったように記憶していますが、定かではありません。私の関心は妻の死までしかなかったのでしょう。
* いくつかの実例もわたしは長い人生で見聞してきた。正直、たいそう意外に感じたことも、また再婚を奨めた場合もある。噂に聞いてやはり言葉を喪ったことも。そして大なり小なり、多くの夫婦は現実にこの「問題」と向き合ってきた、或る文化で社会を構成してきた人間たちの世間では。まこと古くて大きな問題だ。キリスト教では「死が二人を分かつまで」といったような誓詞を用いなかったであろうか、よく知らないが。生前と死後とで問題性は変動するのかどうかも問題か。
2007 5・27 68
☆ 昨日・今日と晴天だったが黄砂も飛来。しかも光化学スモッグのおまけつきで、北九州の小学校は運動会を中止したとか。
おととい金曜日の国民保護計画に基づく避難訓練。雨の降りしきる中、六連島の住民のおよそ三分の一(希望者だけ、歩行に不自由のない人だけ)が参加して行われた。
夕刻のニュースをいくつか見てみたが、「テレビ山口」編集のそれが、いちばん詳しかった。訓練に反対の被爆者団体が抗議したことも伝えていたし、山口大学の纐纈厚教授の評は的を射たものだった。
曰く、「通常の防災訓練と何ら変わるところはない、従って新しい立法も必要ない。それなのに敢えて行うのは<有事>を意識させるため、軍事訓練が必要と思い込ませるために他ならない」
テレビの取材に「市民の生命・財産を守るのが自治体として最大の任務」と答える江島市長。でも、どうやって?
「生命はともかく財産なんて守れるわけないじゃん」と母。
今日の新聞に載っていた島民の<本音>が可笑しかった。
「武装勢力が上陸したら自家用の船で逃げる。対策本部の指示なんて待ってられない」
さもありなん。 碧
☆ 夜はもうバタンキュー。
そして、このところ、早い目覚めでも寝直さず枕もとの本を広げている。
二日ばかり、ハーバート・リード(1893~1968.英国の詩人、文藝美術評論家)著、大沢正道訳『アナキズムの哲学』(法政大学出版会・叢書・ウニベルシタス。1968=だいぶ前の本で叢書の通し番号がまだ振られていない)を構えることなくゆきつ戻りつ頁をめくり、一日のよき目覚めとしている。
今朝は「自由の鎖」(1946~52)の一部「自由=フリーダムとリバティ」を読み、そしてあれこれ考えた。
「わたしは何のプランもたてていない。体裁はありふれた覚え書きである。わたしはいちいち日付をつけなかったが、大体、読書していった順か、過去の出来事に刺激されたものである。」(著者)
語義や文脈について原書を参照し確認したき点があるが、生憎手元にはない。が、覚え書きの中に、著者のすぐれて優しく強い思想ニュアンスを、訳文を通して、流されずに充分つかみとれる。
朝からきままな(フリーダム)読書を楽しめるのは、難解な哲学ではない読める文藝の筆致効果であろう。
(通読後、感想をまとめたい。だいぶ離れてしまった「ユートピア」論も復習しつつ)
☆ 色川先生のことども 俊
掲載写真(割愛)は、「秩父事件」の資史料(複写物)。色川大吉氏が昭和五十年代に女優の北林谷栄さんに送った、自稿の抜き刷りと明治の新聞(明治38、信濃毎日新聞連載記事)のコピーである。
秩父事件(秩父困民党)は、1884年(明治17年)10月31日から11月9日にかけて、埼玉県秩父郡の農民が政府に対して起こした武装蜂起事件。自由民権運動の影響下に発生した、いわゆる「激化事件」の代表例ともされてきた。
関心ある方は、地元の高校社会科教諭、吉瀬総さんのHPをご覧下さい。1956年生まれ。埼玉県秩父市在住。埼玉県立秩父農工高校全日制教諭(社会科)。 秩父事件研究顕彰協議会会員。
「圧制を変じて自由の世界を」 http://www.yasutani.com/ccbziken/
色川先生には、だいぶ以前、地元(東京経済大)の市民講座などでニ三度お話をうかがったことがある。
マイミクの「湖」さんが館長をつとめられる「日本ペンクラブ電子文藝館」〔招待席・主権在民史料〕に色川先生の記述抄編――「自由民権請願の波」 『近代国家の出発』より――が無料掲載されており、ぜひお読み下さい。「湖」さんが色川氏からじかに掲載をゆるされたとうかがっている。同室他編、ほかの多彩な分類コーナー作品もあわせ、一度立ち寄られるよう勧めます。
〔招待席・主主権在民室〕(館長の紹介文を転載)
色川大吉 いろかわだいきち 歴史学者 1925年 千葉県佐原市に生まれる。東京経済大学名誉教授。一貫して民衆の側から日本近代史を調査検討詳説し、民衆思想史の重要さをも夙に重く捉えた成果は、現代ないし未来に示唆と激励をなげかける。 掲載作は、昭和四十年代の大シリーズ中央公論社刊「日本の歴史」で、第二十一巻『近代国家の出発』を担当記述された一冊から、民衆の政治エネルギーの結集とはいかなるものであったかと、表記一章の掲載を特に招請した。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/index.html
「リバティは具体的、すなわち実存的である。
フリーダムは抽象的、すなわち観念である。(ハーバート・リード)」
自身の結論はまだ持ちえぬし、先は分からない。が、身近な事象、経験から何かをつかみとりたい。
数式の演繹ではなし。
因果の帰納でもなし。
シンプル、明快で優しく強い自由な実行メッセージが欲しい。
いや、手ずから導きだし造ろう。
be free as a bird
2007 5・27 68
* 一時、卒業生の「臻(いたる)」君、来訪。妻の手料理で昼食・歓談。大手の電機メーカーにつとめ、もう十年、そのあいだジャズダンスのレッスンに熱心に通っている。話し相手の出来る青年で、歓談にこと欠くことがない。彼の方からもいろいろ珍しい話題を出してくれる。わたしの話すこともよく聴いてくれる。
おみやげに銀色のてんとうむしのような自転車用ヘルメットを買ってきてくれた。サンキュー・ベリマッチ。夕食も一緒にして川崎まで帰っていった今も機械の前でヘルメットを冠っている、子供みたい。
* 「臻(いたる)」君に訊いてみた。 平等、安全、人権、所有。この四つに不等記号をつけるとして、日本国の政治では、「臻(いたる)」君自身は、と。彼、しばし思案して、自分は 人権>安全>平等>所有と。政権政治家たちは、畢竟日本の政治は、 所有>安全>平等>人権でしょうと。
フランス革命最初の憲法前文にあたる宣言では 高らかに 人権(自然権)、ついで平等、最後には安全を意味する友愛だった。フランスの誉れある三色旗だった。それが数度の憲法いじりからナポレオンに至ると、真っ先に「所有」の保障、ついで最高権力者のもとでの「平等」、そして軍の力による「安全」で、「人権・自由」などは国民には無用と切り捨てられていた。
* 有りがたい来客のおかげで、本機インターネットを回復し、本機・旧機に連絡がついた。ファイルの相互移送や、両方から外付けのスキャナやプリンタが使えるようにしてくれた。機械全部からの「全検索」が可能になるよう新しいソフトをダウンロードもしてくれた。いろいろ、こまごま、調整していってくれた。わたしはこれからおいおいに学習する。
結局、旧機の音声機能だけは回復できなかったが、機械環境は機動的にかなり回復された。感謝、感謝。
夕食後も歓談、六時には帰ると言ってたのを大幅に遅らせてしまった。申し訳ない。
2007 5・27 68
☆ トリュフォーの映画はあまり見たことがないのですが、「黒衣の花嫁」なら見たことがありますよ。どんどん復讐してゆく、淡々とした映画でしたね。
印象に残っているのは、トリュフォーの晩年の映画で「隣の女」というのです。
昔の恋人同士、今はそれぞれ家庭を持つ男と女が、家が隣同士になり、逢引をはじめるのですが、深みにはまっていってしまい、もう引き返せないと悟った女は、男を射殺し、無理心中するという、官能的でこわい映画でした。
映画はいくつも溜め録りしてあるのですが、一本に二時間くらいかかると思うと、なかなか見はじめられません。
最近は、小刻みに見たりしているのですが、それでも、なかなか・・・。
今日は暑かったですね。
機械を診てもらったのでしょう。いかがでしたか。 花
☆ 最近は孫絡みが少なくなって、解放時間が増えました。
今日はあまりに暑いので自転車は止めにし、ごく近くに東久留米行きのバス停があるので、始めてそっち方向に乗ってみました。朝から家事に勤しんで運動量は充分という事もあり。
大体自転車と同じルートですが、氷川神社前を通過するのに気が付いてなくて。今度の機会には下車して拝観してきます。三十分弱の乗車時間が懸かるけれど、池袋線に乗るにはラクだから、お見舞いに行こうかな、とホンキで考えていますよ。
日にち薬の効果は如何? とても心配しています。待ち時間と乗車中に打って送りまーす。お大事に ほな 泉
2007 5・27 68
* 黒いマゴが背後のソファで手脚をのばして、ときどきチラと尾を振って、ここちよげに眠っている。家中の好きな場所で憩ったりはしゃいだりしている。こちらも幸せな気分になる。
昨日来てくれた「臻」くんが、少年の晴れやかさをうしなっていないと妻がほめる。わたしの感想では、それは多年掛けて彼が獲てきたいわば成果なんであって、大学ではじめて会った頃の学生「臻」は、どっちかというと「うつむき」がちだった。それでも可愛いような笑顔をもっていた。しかも行動は超級アクディヴだった、まるでマニアックに。イチローとあだ名を奉ったものだ。
手を入れていってくれた機械のあれこれ、まだ、手があちこち届いていない。本機、旧機のファイル移送ができると聞きながら、手順など教わらずじまいに今、ウーンと唸っている。ま、よろしい。ボチボチやろ。
2007 5・28 68
* 久しぶりも久しぶりに、思い切った読者の長めのアイサツと告白とが届いた。家族親族のことを書いていて、その限りでは当人なりの覚え書きのようだが、そういうのをわたし宛に送ってきてくれた本意に、或る動機が働いているのではないかと思った。もっと長く丁寧に具体的に書きおきたい気が、機が、生じているのではないか。「斯くありし」とおりに書こうとしても書けるものでない。「斯くあるべかりし」真意を、飾らず、ウソにならず毎日続けて表現してみてはと奨めた。
忙しい勤務の母親である。しかし息子さんはもう大学生、やす香と同じ歳に生まれている。ムリをしても続かず、続けねば続かない。
続けるためには、たとえ一字二字、一行二行でもとぎらせず毎日続けてゆくといいし、粗い目次をつくって、書きたい範囲を自分で了解し、散漫を予防し、書き出しはよほど強く印象的な或る場面から初めること、と、奨めてみた。
☆ おはようございます。ココです。
今朝は、東海道線の遅れが、回りまわって総武快速も遅れ、出社が20分遅れとなってしましました^^;
しんどい 出勤でしたが、外に出ると爽やかな風で (ちょっぴり冷気を含んだ感じですが)気持ちいいです。
すみません。ファイル テキストにしました。これで、ダメなら 直接メールにします。
何から書けばいいのか。何と言えばいいのか。私の少ないボキャブラリーでは、どう書いても言っても、安易な上滑りになってしまいます。ただ 出てくるのは「無念!」です。
私の息子と同じ年の お孫さんに先立たれた と知った時、言葉がありませんでした。
今も同じです。ただ、ただ「無念」。
私の両親であれば、と考えるだけで、祖父母のショックは測り知れません。祖母にいたっては、立ち直れないだろうと思います。孫の成長を生きる糧としているような私の両親を思うにつけ、秦先生は。。。と 思うと お便りすることが出来ませんでした。
この春 両親が始めて上京しました。10日ほど我が家で過ごしました。
私が、東京に転勤する時に、
「東京へ、遊びに来ればいいじゃない。」と言えば、
「もう よう行かん。」と言っていたのに、孫が大学に行ったことが、嬉しくて嬉しくて やっと来る気になりました。一年浪人したことが、祖母は相当ショックだったのです。
少し、両親の話をします。
父 74歳 昭和7年生まれ
母 84歳 大正11年生まれ
昨年 金婚式を迎えました。
新聞社主催の式典に出席して、たぶん年が離れているので、取材をされて新聞に載りました。叔母が 切り抜きを送ってくれました。
(ここから長く、割愛)
あと少し、息子の近況を、報告します。昨年 東京農大(世田谷)に入学しました。環境工学の学部です。無事 2回生になりました。「よさこいソーラン」サークルに入っていて、北海道・名古屋・大阪・浜松・岐阜・茨城・都内各所 等 あちこちに踊りに行っています。
大根と鳴子を持って、お祭りオトコです。サークル活動が忙しくて、アルバイトは週一回の家庭教師だけです。せいぜい踊りに行く時の、旅費の足しぐらいのバイト代です。あとは、スネカジリです。
とはいえ、潤沢に賄ってやれるわけでもないので、いつも素寒貧です。でも、それぐらいでいいと思っています。
6月9/10日と、北海道へ踊りに行きます。おかげさまで、私も息子も、体は丈夫。(これも、両親に感謝です。丈夫に産んでもらって有難いことです。) 長々と、埒もないことを書いてしまいました。乱筆乱文 お赦しくださいませ。
今年の夏は 猛暑とか、梅雨の季節もそろそろです。くれぐれもご自愛くださいますように。かしこ
* 歳久しい「湖の本」の読者で、息子さんと、東京へはるばる転勤してきたとき、一度日比谷で無事の転勤を祝ったことがある。堅くなってコチコチの様子にあだ名をつけ、メールなどは「ココ」でいいですと笑った。大きいことでは日本一のような会社へのはるばるの東京転勤なので、相当のスキルの持ち主なのだろうと想うが、知らない。
☆ 休日の過ごし方 ボストン 雄
午前中,昨日買ってきたアーティチョークを早速,調理してみた.棘を切り取り,20分ほどレモンと塩の入った湯で煮る.
食べてみた感想としては,竹の子のような感じ.見た目は全く異なるが,茹でて灰汁を取り除くところや,皮を大量に向いた中に食べる部分があるところ,そして最も食べがいのある部分の食感が似ている.
食感に関しては,もう少し茹でると百合根に似ているかもしれない.揚げると美味しいというのも分からないでもない.しかし,大きさの割に,食べられる部分が本当に小さいのにはがっかり.
今日は天気予報では雷雨とのことだったので,家で本でも読もうかと思っていたのだが,それにしては余りに天気が良いので,午後から外出.外出したのは正解で,昨日までとは違って湿度も低く,気温も少し下がって爽快.
プルデンシャルセンターにあるスーツケースの店に向かおうと家を出たのだが,近くの沼があまりに綺麗なので,予定を変更して,少し辺りを散歩することにする.
犬を散歩させる人,ジョギングする人,ベンチで食事を摂る人,草の上にシートを敷き,その上で本を読む人.皆,思い思いに,のんびりと時を過ごしている.ガチョウの一種だろうか,沼から出てきて,草むらで餌を食べている.横を僕が通り過ぎても,全く動じない.
ベンチで昼食を取っている人をよく見たら,なんと先週,食事をご一緒したMさん夫妻だった.そういえば,先週会った時に,ここのことを聞かれたかもしれない.軽くご挨拶する.
沼の途中に橋がかかっているので,そこで折り返す.帰り道,2枚ほど沼の辺りの写真を撮った.エメラルド・ネックレスと呼ばれるだけあって,緑が本当に美しい.
Eラインに乗り,プルデンシャルセンターへ.スーツケースの店に向かう前に,本屋に立ち寄る.中ではCDも売っていたのだが,品揃えが割と良い.ポリーニの弾くショパンの「エチュード」,バレンボイムの弾くショパンの「ノクターン」のCDを買う.以前行った,キーシンのコンサート以来,すっかりピアノ曲にはまってしまい,同じ曲をホロヴィッツが弾いているCDをネット購入し,最近は実験しながらそればかり聞いていた.2枚買うと1枚タダになるというキャンペーン中らしいので,さらにサー・ネヴィル・マリナー指揮のバッハの「フーガの技法」をつけてもらう.
スーツケースの店は,やはり思ったとおり,かなり値段が高い.小さめのものはまあまあ安いが,わざわざ買う必要があるか悩む.仕方なく,プルデンシャルセンターの外に出て,ニューベリーストリート沿いの店を数軒覗く.
今まで来たときは,ニューベリーストリートがにぎやかな通りだという印象は全く無かったのだが,気候が良くなったせいで,どこの飲食店も皆,オープンテラスを開放するようになった.そのせいか,急に活気がみなぎった気がする.
場所柄なのか,それともボストンはどこでもそうなのか,他の店も安くはなかった.そもそも,僕が乗る飛行機の航空会社は,アメリカで最もlost luggageが多いと聞く.どうせ持っていくのは洋服と手術道具位だろうが,手術道具は手荷物に入れられないし,洋服はどうせ大したものは無いので,一番高いのはスーツケースかもしれない.そう思うと,わざわざ買いなおすのも馬鹿らしい.結局スーツケースは買わず終い.ただ,日本から持ってきたリュックサックが大分ボロボロに壊れてきたので,代わりになる肩かけカバンをThe North Faceで購入.
せっかくプルデンシャルセンターまで来たので,リーガルシーフードに立ち寄り,oysterとclamを軽くつまむ.ささやかな贅沢.だが,少量ならば,それほど高くはない.再びEラインで帰宅.
僕は元々,活動的な人間ではない.休日だからといって朝早くに起き,遠くまで出かけて,盛りだくさんの予定をこなして帰ってくるというのは,性に合わない.近所の,ちょっと綺麗なところを散歩して,本やCDを物色し,美味しいものをちょっと食べて帰ってくる,というのが僕にとっては理想的な休日の過ごし方.そういう意味では,今日は理想的な休日だった.
明日はメモリアル・デーといって祝日だが,ラボはいつもどおりフル稼働だろう.僕もこの2日で充分リフレッシュしたので,明日からはまた頑張れそうだ.
* この気散じなところが「雄」くんの真骨頂。休日の過ごし方など、どっちかならわたしも「雄」派だ。事実上のむりもあるからだが、なにも遠距離を出向いてゆくことはない、気に入った近間でも十分楽しめる。いま、三宝寺池や、そうそう堀切の菖蒲や柴又へまた脚をのばしてもいいわけだ、だが、歩けないからなあ。自転車でならいろんなところへ回れる。ヘルメット爺になって走るかな、怒られるかな。自転車だと脚はほんとうにラクなんです。
2007 5・28 68
☆ メモリアル・デー ボストン 雄
昨晩遅くにネットでニュースを見ていたら,二つの訃報が飛び込んできた.一つはZARDのボーカルの坂井泉水が慶應病院で階段から転落して脳挫傷で亡くなったというもの.もう一つは松岡利勝農水大臣の自殺の報.どちらも衝撃だった.
僕は特にZARDのファンという訳ではないが,決して嫌いでない.がんと闘っていたということも知らなかった.ご冥福をお祈りします.今日,実験をしながら,ZARDの曲が頭の中でずっと流れていた.
松岡農相に関しては,何とも言いようが無い.現役閣僚の自殺など,これまで聞いたことがない.僕がアメリカに来てから,光熱水費の問題が国会で激しく取り上げられるようになったので,僕にとっては今ひとつピンと来ない.ネットでもニュースは読めるが,やはりテレビから受ける印象とネットニュースとでは,大きな差がある.たまにlocation freeでニュースを見ても,一本5千円の水がどうした,というような内容ばかりで,正直言って馬鹿馬鹿しいと思っていた.しかし,まさか自殺するとは思いもしなかったが.
「生む機械」発言の柳沢大臣といい,今回の松岡大臣,そして何より首相の安倍晋三と並べただけでも,この内閣は明らかにおかしいと思う.
さて,今日はメモリアル・デーでアメリカは祝日.メモリアル・デーとは元々は南北戦争の戦没者を追悼する日であったのだが,現在では国のために命を落とした軍人全てを追悼する日となっているらしい.
祭日だが普段どおり家を出たものの,一向にバスが来ない.車の数もまばらだ.しかたなくTに乗って出勤.ハーバードスクエアで地上に出ると,昔の軍服姿をした集団がパレードをしていた.カメラを持ってなかった.
街もそうだが,ラボもどことなく閑散としている.次々とラボのメンバーが顔を出すので,休んでいる人はわずかのようだが,それでもがらんとした雰囲気.
そんなに重要な祝日なのかと思い,金曜日に休暇から戻ってきた同室のライアンに聞くと,ただ単に気候の良い時期の連休だから,皆,どこかに行っているのだろうとのこと.ゴールデンウィークみたいなものか.
祝日で思い出したが,今日,マイミクぶんちゃんさんより,僕がミュンヘンに行く日は,宗教的な祝日だとのこと.下手をすれば,金曜日も休暇を取って,4連休にする人も多いのではないかとのことで,本当にラボで実験できるのかどうかと焦ってきた.朝一番にメールを先方に送ったが,返事が来ない.頼むから,予定を変えてくれなどと言わないで欲しい.
実験は,やはり二日休んだせいか,勘を取り戻すのに少々時間がかかった.最後にようやく成功して記録をとる.祝日なので,早めに切り上げ,ハーバードスクエアに出る.
昨日,コメントで教えて頂いた,キース・ジャレットのCDを早速購入.楽しみだ.Pho PasteurでいつものDac Biet(牛肉入りフォー)と春巻きで夕食.
☆ 相変わらずです~。絵も、親のことも・・。 鳶
先週は疲れか、掃除をした時の洗剤でかぶれたのか、顔が腫れて四日ほど大変でした。相国寺で若冲展が開かれているので出かけるつもりが、見る活力気力が足りない状態では若冲に負けてしまいそうで見たくなく・・今週は行こうと漸く思えるようになりました。NEXT展も明日からです。
松岡大臣のこと、年金のこと、その前の改憲問題が吹き飛ばされそうな(決して吹き飛びませんが、)慌しさ。
日本人、日本社会の穏和さ、いい加減さ、ぐずぐず、ずるずる、どう表現してもいいですが、せめて、事、金銭にかかわる年金問題となれば、怒りにも火が付くでしょう。頭の中だけで政治的社会的な問題に深く関心をもち、さて行動として何ができるのか。わたしの日常ではゼロです。情けない話。
夫婦のこと、愛情のこと、その他、京さんや鏡さん、聖さんの思い。やはり容易には書けません。書かないことも一つの覚悟、と思います。
長女は七月に婚姻届を出します。その前にわたしも同じフライトでシンガポールに行くことになりそうです。
次女の再就職も決まりました。六月半ばから就労、その前に明日からNYに旅行だそうです。NYには友人がいるので、そこに泊まるとか。旅行費用も借りていくのですよ。末っ子は本当に甘え上手のちゃっかりさん、羨ましいほど。
今週末も姑の元へ。
鴉の脚の様態、気に懸かります。お酒もあまり飲んではいけません、食べ過ぎもいけません。負担にならないような運動もなさってください。体を本当に大事にしてください。くれぐれも大切に大切に。
* みな、国際的だ。じつに身軽に動く。
* 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ 室町小歌
☆ ジャムより、足袋 甲子
実のところジャムは付け足しで、室内履きをお送りするのが主でした。二年ほど前に娘が買ってきてくれて愛用しており、自転車事故のあと「足が冷える」という「私語」への書き込みを拝見、お送りしようと用意しましたが、陽気も暖かくなり、いかにも季節はずれ、と一旦断念したのでしたが、二・三日前にまた、「しんしんと冷える」との記事を拝見、翌日お送りしました。
お送りしたとたん「夏日」となり、またまた失敗。わたしの生き様のごとき有様、苦笑を通り越して情けない思いがいたします。
それにつけても、多勢のかたがた、事故についての心配り、よい友を多数お持ちで羨ましく存じあげます。
『愛、はるかに照せ』 もちろん読ませていただいております。それの読後感もさまざまあること、さもありなん、と存じます。
また、卒業生の方の日々の日記もすばらしく、堪能させていただいております。こういう文章に遭遇すると、「自分は何のために書くのか」という根の問題に引っかかってしまいますので、観賞だけさせていただいて深くは考えないようにしています。
「愛」について、よくよく考えると「自分は(自分以外の)誰かを愛したことがあるか(あったか)」という問題に突き当たってしまい、己れの浅はかさに気づくばかりです。
まだ、言い足りてはおりません。当然ですね。
日々のご健康、ご留意なされますように…。
* 室内履きは、ひたっと足に吸い付くように薄く軽く、しかも温かいので、いただいたのも忘れるほど早速に愛着している。足先が、ほかほかと熱くなってくる。かと思うと、それでもなにとなく冷たい感じが足先へ溜まってゆく。
甲子さん、有り難うございました。お大事に、日々を。「mixi」にお誘いしてよかったと思っています。旺盛な筆、羨ましいことです。
2007 5・29 68
* 「麗」さん、おもしろうてやがてさびしきお話なので、頂きます。 湖
☆ オバさんは日本の将来が心配だ 麗
5/27,学会発表が午前中で終わった。引き続き「営業」してもよかったが,麻疹が怖いのと,共同研究氏が「午後は?」などと大儀そうに言ってきたのとで,帰ることにした。
共同研究氏とは**で別れ,JRで実家最寄の山手線某駅まで,ひとまず戻った。
久々に履いたハイヒールの足を引きずり,資料の山をぶら下げ,駅から実家までの道のりは10分ほど。坂道を登る様は,「後姿の時雨れてゆくか」ではないにしても,「疲れているな」くらいの印象では,あったはずだ。暑い午後だった。
「すみません」
左後方上側という,いささか変な位置から声がした。
振り返ると,ロードレーサーに乗った,どう見ても20代の男性がいた。歩みを止め,無言で彼に見入った。
「迷子かしら」
いかにもオバさんらしい思いが,心中にはあった。
「あの,いきなりすみません。」 「?」
「突然で,何だって思うかという感じなんですが」 「??」
この男性、なかなか本題に入らない上に,こちらの不信感たっぷりの表情に気づいているだろうに,立ち去るそぶりもない。
あたりには人通りもない。「まずいなあ」と思い始めたころ,やっと男性が切り出した。
「その…そちらのお友達何人かと,僕の友人何人かと一緒にですね」 「!!!」
顔をしかめて手を横に,追い払うしぐさとともに駆け去った。
坂を上りきって振り返ると,ロードレーサーの姿はなかった。とうとうこちらからは,一言も発しなかった。
角を曲がると,実家が見えてきた。汗を拭きつつ,心配が萌してきた。
女の年齢(とし)も見抜けない,見抜けたとしても,臨機応変に立ち去る術も知らない,最初に考えたシナリオどおりにしか,言動を運べない…。牡の触覚も嗅覚も瞬発力も退化したような,そんな若者が増えているのだろうか。
オバさんは,日本の将来が本当に心配だ。
* オバさんは、オジーサンを相手にわずかな未来をアテにすべきなんですかねー。
☆ お元気ですか、風 花
夕方から雨だと、天気予報でいっています。ちょっと曇ってきました。東京は如何?
映画「博士の愛した数式」は、見たことありますよ。静かな、いい作品でした。
浅丘ルリ子の役は、漱石の『門』の女性をイメージしたと、監督が言っていましたよ。
サイクリング用のヘルメット、是非してください。ちっとも変じゃないと思います。なりふりより、怪我を防ぐ方が大切です。
花もエクセサイズのつもりで、散歩をはじめました。近所を一時間弱歩くだけなので、さほど疲れを感じませんが、歩いた日は、夜になると強い眠気に襲われます。なかなか心地よい疲労感です。
一昨日から、インターネットの画像サイト「You Tube」にハマってしまい、食事するのも惜しいほど、空き時間はパソコンの前に坐りっぱなしです。
遊んでいてはいけないとも思うのですが、こういう遊びは、我慢するより、逆にとことんハマッてしまうのがいいのです、花の場合。ハマッたあとは、ちゃんと浮上できるますから。今回は、もうそろそろ水面が見えてきましたよ。 花
2007 5・30 68
☆ 雀です 07.05.29 16:10
貸出しの代替機を返却。自分の器械に戻りました。
昨朝、藪内佐斗司さんご出演のテレビ番組で、日本橋三越の天女像と日光東照宮が取り上げられ、あの像のいきさつと作者について知りました。
お作『畜生塚』に、あの像を見たいと言った女性を案内する場面がございましたでしょう。
京都のアトリエで10年近い年月をかけて制作され除幕式は昭和35年とあって、京都から東京に出ていらして間もない頃…と、息をのみました。このあいだ、お作『みごもりの湖』などに書いてらした大きな倶生神が、宝積寺蔵のそれとわかって、ぽぉンと小豆のお手玉が放られて手の中に落ちた心地がしたところでした。
さて、「ひとコマ購入で映画作りを応援してください」「来月末に、奈良、桜井、五條で試写会を催します」ときいていた『殯の森』にカンヌ映画祭で大きな評価がくだされたことをよろこんでいます。
ロケ地が奈良市というので、森は春日山原始林と見当がつきましたが、茶畑が田原とは、昨日のニュースで聞くまでうっかりしていました。
薫る風が丘を巡りながらゆらゆらと通り、太安万侶や志貴皇子や光仁天皇の眠る、あの、のんどりとした地。このところ気象の変わり具合におたおたして自分のからだがよくわからなくなっていたので、若草山や田原の景気を思い出して、すっとしました。 囀雀
☆ 手がかり 07.05.29 雀
修理が済んだ携帯電話を受け取ったのは、名張に越して丸10年になる、前日。
友人の贈ってくれた銀座みやげの根付けを、翌日ストラップ代わりにつけ、新装開店・気分一新と、心にシャープペンシルで書いたくらいの細い輪郭線を引きました。
朝、目覚めているのを確かめ、2時間後、家事を終えて手に取ってみると、こときれていた、頓死といったていで、基板を交換されて戻ってきましたから脳を取り替えたようなもの。初期設定からやり直しです。
器械が記録していた情報、また器械に記憶させた情報、カメラ映像、それらすべてが消えましたが、ショックやパニックにはなりませんでした。呆気に取られ、ついで、ま、そんなこッたろゥと思ったよ、いつかはサと、さっぱりした気分になりました。
ナムバリングの器械が信用できなかった人のお話が印象深く心に残っています。『モダン・タイムス』につながるお疑いでしょう。電子情報はそれに勝る疑いです。情報の保護、保存などありえないし、変容、消去、改竄、介入は当たり前と思っています。
そして、真実より事実、記憶より記録という傾きが、もはや傾きどころではなく、明らかに前者が敗けています。自分の記憶が記録に影響を受け、記録ばかりを「気にしている」ことは堪らないことですし、器械が示す記録再生が少しずつ改竄されていって、それによって「記憶がこしらえられ変わっていく」のではないかという恐れがとれません。それは見た夢や脳の変化によって記憶がかわってゆくのとは、まったく違った気味の悪いことです。
また書き写しをしながら、縦書きで紙に手で文字を書いてゆく気持ち良さを取り戻し、理屈でなく自分が好ましいと幼い頃から感じてきたことが何だったのか、あらためて思いを凝らすことができました。
ペンタッチワープロの時代から、パソコンのキーボード、そしてケータイのボタンと、ハードは変化していますが、文字を画面でいちいち指の動きで変換させながら思いを綴るリズムと、画面スクロールの動き、指だけで操作するストレスは軽減されず、慣れることができません。最初は面白がって新しがって浮き浮きとした心持ちでしていた電子メールが、雀のなかでは錆びて色あせた「ツール」になってきました。文房四宝は空想的なぜいたくですけれど、藁紙に鉛筆でも、紙に手で縦書きで文字を書く手遊びが、雀の心身を安楽にしてくれる一法と感じているこのごろです。 囀雀
* 賢者の謂であり、共感する。「mixi」のマイミクにもしんそこ「読みたい」ほどの文章はなかなか現れない、おおかたはうたかたのようだ。ま、それでもわたしには小さいが世間への窓である。もうしばらく開けておこうか。
2007 6・2 69
☆ お久しぶりです 昴
永らく連絡せずにいて申し訳ありませんでした。
手術は成功しました。
今はばい菌を無くす治療を受けています。
北海道は、ベテランのお医者さんが少なくて大変な様子です。
和田先生のお弟子さんだと母が言っている**先生に手術していただいた心臓は、今日も変わりありません。
追伸
上手く表現できないのですが、こうやって病気になって、改めて、お医者さんがもっといてくれたらと思ったのです。そう思ったのです。ただ、それだけなのです。
* 愁眉ひらく 湖
えらいことになっているなあと、信じたくない「昴だより」でした。診断名を聴いて、悪性ではないだろうと希望を持ちながら、その後を案じていました。手術の成功は、なによりの吉報で、安堵。油断無く予後を見守り、ムリのないよう根気よく辛抱よく治してください、若い体力と気力とに期待します。
不安なことでしたろう。察するにあまりあります。医療事情もいくらか察しがつきますが、存外のいい医者、力のある医者に当たるものです。誠実に病巣や病根と向き合ってくれる医者が有りがたいのです。
> 上手く表現できないのですが、こうやって病気になって、改めて、お医者さんがもっといてくれたらと思ったのです。そう思ったのです。ただ、それだけなのです。
この思いは、昴から広い他者への、いま病める人たちへの愛情・同情の発露した言葉と思います。尊く感じます。
医療保険行政もまずく、医療体制行政もまずい。およそ大きな組織の上の方にいる人たちが、率先、人間としても技術者としても誠実な理想を持っていてくれたらと、しばしば思いますが、どうもうまくない。
つきつめていえば、働く人たちの支援体制や共闘態勢がゆるみきっていて、大切な思いや願いが選挙に反映しない。人間の不平等に対する怒りが政治に少しも反映しないのを、若い人たちのためにおそれます。
昴がはやく快くなり、日常生活そのものからしっかりムリのないものに建て直してくれますように。はやくよくなれ。 湖
2007 6・3 69
☆ 古稀の色 泉
何を想像しますか。
先日、村上華岳「裸婦像」をまた観たいと、山種美術館へ出かけました。
別格の展示、仏像に近い趣があり輝いていました。『墨牡丹』を読み返したく、手元に置きました。
程佳い気候、気心の知れた友人と二人連れでもあり、帰路は竹橋方面へ万緑の清風を受けて気持ちよく遠回り、そしてふらりと東御苑へ脱線。
池の乾いていた頃、花菖蒲の咲く季節に是非来ようと思うていたのを、「そやった」と思い出していました。 昔に行った明治神宮の菖蒲園は、溢れる人出で二度と行くまいと思ったものですが、ここは株数も人も少なく、はんなりとした風情で儲けものです。
「古稀の色」とは、古代紫の花に付けられた名、大好きな色。
京、嵐山でむかしむかしの友人たちと会う日が決まりました。
* 不意の夫の介護からすこしずつ幸運に手のぬけてきた、古稀夫人の、晴れやかな日々が想われる。よかった。
2007 6・4 69
☆ 暑い暑い 真夏のような気温です。軒端からまぢかに見上げる富士山が、陽炎にうるんで揺れています。お元気ですか、風。
先週は、年齢の近いご近所の奥さんたち三人と歓談の機会があり、おうちの中を見せ合ったりしました。
大層お金をかけていそうなお宅もあり、ほーっと感心しました。
今はまだ新しいからきれいだけれど、住み方如何で、いずれは違いが出てくるでしょう。丁寧に、できればセンスよく、暮らしていきたいと改めて思いました。
ヘアスタイルの載っている雑誌を捲っていたら、髪を切りたくなりましたよ。見てほしいです。 花
2007 6・4 69
☆ 火星の人類学者 ハーバード 雄
オリヴァー・サックス著『火星の人類学者—脳神経科医と7人の奇妙な患者』(吉田利子訳,早川書房)を読んでいた.日本を発つ少し前に,オリヴァー・サックスの著書にはまり,買いあさったものをそっくりボストンに送ってあった.一通り全部読んだが,改めて読み直すと新鮮に感じられる.
著者のオリヴァー・サックスは、『レナードの朝』の著者として著名な、脳神経科医.この本には,7人のそれぞれ実に不思議な体験をした人々が描かれている.例えば,事故を契機に全てのものが白黒に見えるようになってしまった全色盲の画家,激しいチックを起こすトゥレット症候群の外科医,「私は火星の人類学者のようだ」と漏らす自閉症の動物学者.
他にも,それまで目が見えなかったのに,手術によって視力を獲得した人が,かえって「見えているのに,それが何なのか「見えて」いない」という新たな問題に突き当たった話.自閉症で,言葉を全く話さないが,一度観た風景を異常なまでの記憶力で細部まで鮮明に描くことのできる,イディオ・サヴァンの話も収録されている.
イディオ・サヴァンの話は,同じ著者の『妻を帽子と間違えた男』の中にも出てくるが,こうした特殊化された,しかし極めて高い能力をもつ人の話を読むと,人間の脳のもつ潜在的能力の恐るべき高さをひしひしと感じる.よく,人は頭が良いとか良くないとか言うが,そんなのは,本来,脳が持っている潜在能力からすれば,誤差の範囲なのだといえる.
この本の冒頭で著者も言っているが,この本に登場する,「思いがけない躓き」を経験した人々は,一方では,「極端に変化した状況の下で生き延びた人たち」でもあり,彼等が生き延びられたのは,「人間がもつすばらしい再構築と適応の能力のおかげ」に他ならない.
著者は,このようにも書いている.
「発達障害や疾病の破壊力はたしかに恐ろしいが,同時に,そこに創造性が見られる場合もある.ある道が閉ざされ,ある行動様式が不可能になったとき,神経系はべつの道,べつの様式を見出し,思いもよらなかった発達,進化を遂げるかもしれない.私の見るところ,この可能性はどの患者にもある.発達障害や疾病が秘めているこの可能性について,本書で語りたいと思う.」
実際に現在,そうした発達障害や疾病に悩まされている方やそのご家族にとっては,「なんと悠長なことを言っているのだ」と不快に思われるかもしれない.
しかし,今の医学や科学では,脳はあまりにも複雑な研究対象であり,研究者が日夜努力しても,一人の研究者が明らかにできることは,本当に限られている.とりわけ,病気を治すということに関しては,時に絶望的な気持ちになる.
その中で,神経科学の研究者が希望を捨てないのは,脳本来がもつ,こうした「驚くべき適応能力」に,わずかな望みを託し,その仕組みを少しでも明らかに出来たら,これらの発達障害や疾病を理解する上で一歩前進することになるのではないか,と考えるからだ.
* 読んでみたい、わたしも。
2007 6・4 69
☆ いぎの葉 碧
今朝のJR車内で小耳に挟んだ会話。話していたのは予備校生らしい男子三人の中、いちばんだらしない格好で実はいっとうお洒落に見えた子。
「アイツがバカなんよ。山口県の恥やけ。アイツが庇うけん、追い詰められて死んだんよ」
おお。若者よ。わかっているではないか。
でもまだ選挙権はないのだろうねぇ。
帰宅したら柏餅が山のように出来上がっていた。いぎの葉(山帰来の葉)が採れそうと昨夜から小豆餡を拵えていた母。
「上新粉って何から出来とる?」ひとの『和菓子の本』を見ていたくせに、肝心の作り方は読まずに団子の粉で包んだものだから、べちゃべちゃ。
「あったかいうちが美味しいよ」ついつい二つも食べたら、あとで気持ち悪くなった。
「あぁ、そうか。六月五日ね」と頷く姉。なんのことかと思ったら「端午の節句」月遅れのそれだった。
* それでも美味そう。餡だけでも、わたしはいい。
2007 6・5 69
☆ オハヨ ちょっと時間がかかったけど、足、順調に回復してよかった! これからもお気をつけて。
栗の花、匂い始めました。華やかな額紫陽花と素朴な山紫陽花が満開で、爽やかな朝です。
年寄りの型通り、就寝、起床時間が早く、もう洗濯も済ませて一服です。
『墨牡丹』、以前に読んだ頃は、まだ華岳の作品を何点も観ていなかったと記憶します。その後、竹橋(近美)で華岳展を観せて戴いたのでは。上野博物館等でも何点も、意識して。当時と「読む」姿勢が違います。
初っ端、円山公園の矢場や馬場、あったあったと懐かしく、フイクションなのに、場面は目の当たりに、懐かしい。朝の楽しみに。
最近は快調でバドミントンのポイント上々、今日も元気に汗かいてきます。 古稀女
* 白状すると、「華岳」について原稿を頼んできた最初は「美術手帖」だったろうか、わたしは画家の名すらろくに知らなかった。原稿依頼を断る勇気のまったくない駆け出しの新人作家は、要するに臆病から執筆を引き受け、村上華岳に初見参したのだった。
だがその原稿を書いてから先の、感動と勉強とで、わたしは村上華岳という、近代で一という人もいた画家に、心血を注いでいった。そして長編『墨牡丹』を大判時代の「すばる」巻頭に一挙掲載の一九七四年九月、二足のわらじを脱いで独り立ちした。「NHK日曜美術館」が始まった第五回目「村上華岳」に出演し、あれで、多くの人がこの優れた画家に初めて出会われた。中央公論社の画集をはじめ何度も解説やエッセイを書いたし、その縁で福田恆存、梅原猛、立原正秋らと識りあった。国画創作協会の創立メンバーのうち、日曜美術館では、華岳についで、土田麦僊、入江波光にもわたしが出演した。その波光の子息酉一郎さんを今年の京都美術文化賞にわたしが推し選者一致で授賞を決めた。ご縁が深い。竹喬さんや紫峰さんのことも何度も書いた。いうまでもない華岳の繪に心底讃嘆したからのご縁だが、最初の原稿依頼で逃げ出さなくてよかったと、今では蛮勇の出逢いに大感謝している。
上のメールに「竹橋で」とあるのは、近代美術館で大回顧展のあったとき、特別講演を引き受けたのであった。会場で、奈良からわざわざ見えた歌人の東淳子さん、熱狂の愛読者だった横須賀の小林志津さんと出会っている。東さんにはみごとな香を頂戴したのも懐かしく、今も「湖の本」を支えてもらっている。
なぜそんなわたしに華岳原稿の依頼が来たか。たぶんそのときにはもう、『閨秀』で上村松園を書いていたのだ、吉田健一さんが「朝日」の時評でその一作をあげて賞賛して下さったのが大きかったのだろう。梅原さんと一緒に美術賞の選者や雑誌「美術京都」の巻頭対談をもう二十年余もつとめているのも、有りがたいご縁の一つ。
* 五月の「私語」をファイル68に一括した。
2007 6・6 69
* 夕刊に瀬戸内さんが小田実氏を病症に見舞われた手記が出ていた。どうか、小田さん、堪えて堪えて「生きている間」を永く強く、一編なりと多く書いて下さいますよう。
氏の意向をくみながら、わたしはわたしで、小田さん畢生の力作から電子文藝館の「反戦特別室」に長編の一章を抄録し丁寧に校正して今し方入稿した。わたしを「敬愛する」とまで信頼し、幾度も意向のたしかなメッセージを受け取り、電子文藝館に掲載し続けてきた。
今回の『百二十八頁の新聞』は氏の渾身のメッセージであり、またみごとな短編である。感銘の深さに於いても筆の運びも、小田文学そのものである。どうか、一人でも多くの人に読まれたい。丁寧に校正してくれた妻も、読了、身震いするように感動していた。
2007 6・6 69
☆ 卒業シーズン ハーバード 雄
今朝は週1回のプログレスレポート.担当はポスドクのムリカ.僕と1日違いで先にラボに入った新人ポスドクで,今日は初めてのプログレスレポート.あまり仕事が進んでいないとの話だったが,確かにデータといえるデータは無いけれども,かなりいいところまで来ている.正直,プレッシャーを感じる.これだけのプログレスレポートを自分がしようとしたら,どれだけ準備に時間を要するのだろう.
そんなことを,話を聞きながら考え込んでしまった.ふと気づくと,皆が僕を見ている.どうやら,僕に誰かが質問したらしい.ちょっとちぐはぐな答えをしてしまい,恥ずかしい思いをする.
プログレスレポートが終わってから,ムリカと一緒に,担当となっていた解剖部屋の掃除をする.ここは共通スペースの中でも特に汚く,単に汚いだけでなく,いらない器具の放置スペースとなっていた.ムリカと相談して,とりあえず机の上などを綺麗に整頓し,要らない器具に関しては,1週間の間に必要なものにラベルを貼ってもらい,それ以外のものは来週廃棄することにした.
ランチの時間になったので,ロースクールのカフェテリアに行くも,今週はお休みとのこと.ロースクールの前にテントが張られ,椅子やらスピーカーやらが用意されている.図書館には垂れ幕も掛かっている.そういえばここ2週間くらいに亘って,ハーバードヤードの中の至る所にテントが張られている.これは何なのだろうと思ってライアンに聞くと,今週,卒業式があるのだという.
かなり前から準備していることからも想像できるが,ハーバード大学の卒業式はかなり大規模なものになるらしい.今日見たら,普段広いと感じるハーバードヤードに所狭しと椅子やテントが置かれていた.当日は,ビル・ゲイツが来て講演をするという.
実は僕自身は,大学を卒業していない.大学3年生で大学を中退して,同じ大学の大学院の修士課程に入ったからだ.いわゆる「飛び級」だが,どうせ同じ大学の大学院なのだから,卒業にしてくれても良さそうなものなのに,正式には中途退学扱いとなる.従って,正式な履歴書には「中途退学」と書かなければいけないことになっている.そのため学士号も持っていない.学位授与機構というところに行けば,学士号だけはくれるらしいが,この仕事をしている限り,学士号はあまり意味をなさないので,まだ申請していない.
だから,大学の卒業式に参加したのは,大学院修士課程の時だけ.博士課程のときは,式の前後に高熱を出して入院してしまったので,参加できず,後から学位記だけもらいに行った.
修士課程修了時に参加した卒業式では,各学科ごとに修了証書を受け取りに行く代表者がいたが,皆,個性的な格好をしていた.普通にスーツ姿の人もいたが,アメフト部出身なのかアメフトの格好をしていた人もいたし,ジャージ姿でたすきをかけた人さえいた.スーツ姿で一見普通なのに,証書をもらう時にいきなり学長のネクタイを直した人もいた.
日本とアメリカでは,日本の方が形式を重んじる気がするが,こと大学の卒業式に関しては逆のような気がする.
ちなみに,卒業式の後,サークルの後輩に胴上げをしてもらったが,あれは実際にやってもらうと,思った以上に気持ち良いものだ(やる方は大変だと思うけど).
明日からドイツということで,6時にラボを切り上げる.廊下で擦れ違ったジェイに「気をつけて行ってらっしゃい」と声をかけられ,しばらく立ち話をする.するとそこにマントを羽織った学生が入ってきた.おそらく本番では,皆あんな格好をして大々的にやるのだろう.ちょっと見てみたかったが,ドイツに行ってしまうので見られない.残念だ.
(明日から日曜までドイツに行きますが,まだパソコンを持っていくかどうか決めかねています.ノートパソコンの折りたたみのヒンジの部分が壊れかけていて,下手をすると使えなくなる恐れがあるので.明日の朝,最終的に決めるつもりですが,持って行かない場合は日曜日まで日記の更新はできません.その場合,帰ってきてからドイツでのことを書こうと思います.)
* 気をつけて行ってらっしゃい。
2007 6・6 69
☆ 拝啓 向山肇夫
先日のペンクラブ総会でお会いした時、電子文藝館の館長を辞めると聞き、ビックリもし、思わず「淋しい」と言葉をもらしてしまいました。何にか一つの灯台の様なものが消えていく感じがしたからです。
秦さんには医学書院時代そして日本ペンクラブでも真とうにお世話になりました。不肖の弟子と思ってかんべんして下さい。
日本ペンクラブの電子文藝館委員会の委員に推せんしていただき、医学の世界とはちがった世界の人に接することが出来うれしく思っています。
委員になり文藝館収蔵の作品の選出には、なれないこともあり大変苦労しました。特に編集者の立場で「横浜事件」に関連した編集者の文章には、身を切られる様な思いがしました。
青地晨・他の横浜事件の作品を電子文藝館に入れることが出来たのは、私にとって思い出ふかいものになりました。
今期も委員として編集者の著書につき選出の努力をしようと思っています。
月並みになりますが長い間真とうに御苦労様でした。奥様にもよろしくお伝え下さい。 敬具
2007 6・6 69
☆ おはようございます、風 花
読書で夜更かしの風、お目覚めでしょうか。
お元気ですか。
わたしも、夜になると目の冴える方ですが、生活のリズムが狂ってしまうので、十二時か一時には床に就くようにしています。夜更かしは、お肌によくありませんからね。
とはいえ、夜更けにゴロゴロダラダラするのは、最高に気持ちいいのです!
空が曇っています。湿度も高いです。
もうすぐ梅雨ですね。 花、今日も元気です。
2007 6・7 69
☆ 「百二十八頁の新聞」 今朝「ペン電子文藝館」で読み上げました。
じつは小田実作品は初めてでしたが、思わず泣きながら読み、読了して興奮しています。感動しました。長編作品の一部抄録ということですが、一部だけでも作品の訴える力の強さに身震いします。なぜ戦争をしてはいけないかという問いに対する圧倒的な答えが書かれていると思いました。被害の立場だけでなく、加害の立場からも戦争の罪を描いて、読者の胸を憤りで熱くする作品です。
優れた作品は、それを読む前と読んだ後に人生が変わっていなければならないと常々思っていましたが、「百二十八頁の新聞」を読んで戦争の悪に対して奮い立たない者がいたら、まったくどうしようもない人間でしょう。
正義と信念に殉じて命がけで闘う人を深く尊敬します。日本は今小田さんのような心やさしい闘士を喪いつつあるのかと思うと、無念と溢れる涙でいっぱいになります。これは是非是非若い人に読んでほしいと願います。私は『終らない旅』を全部読むことにしました。
朝から素晴らしい一編を読み、書く人間はこれほどの痛切な動機をもって書かなければいけないのだと、身が引き締まる思いを新たにしています。
取り急ぎ感想送らせていただきました。 品川区
* こう書かれると、なんだか過剰な興奮のように取る人もあろうが、作品を読めば瞭然、長編中の短い一章分ではあるが、このメールの書いているとおり、力強い感銘作。
小田さんは、いつ何をわたしに送ってこられるときも、わたしが、さらにまたいろんな読者のもとへ、作家・小田実の真意を「伝え・広げ」てくれるという信頼を寄せてくれていた。そういうコミュニケーションが我々に有った。
作品は「ペン電子文藝館」に掲載されたばかりだった。打って返すほど早い、いちばん早い読者の反響。よしッと声が出た。大勢に大勢にこの作品、読まれたい。
こういう作品の掲載こそ「ペン電子文藝館」の存在意義、こういう展示の可能なのが「青空文庫」とちがうところ、わたしが館に遺してゆく強い意志でもある。新潮社刊の『終らない旅』で、作全編をぜひ読んで病症の小田さんにぜひ力を送って欲しい。
☆ ご退任さびしうございます。
秦 先生
電子文藝舘館長のお役を退かれましたこと、さびしうございますが、また、いつまでも、甘えさせていたゞいてよいものでもありません。今はたゞ長い間の御労苦をおもひ、御指導をおもひ、感謝申しあげるばかりでございます。
電子文藝舘にお手伝ひするやうお声をかけてくださいましたが、あまり、お役に立てず、かへつて、言ひ尽くせぬほどの恩恵にあづかりました。知らず過ぎてゐた名品や作家にもめぐりあひました。厚く厚く御礼申しあげます。
ずつと、電子文藝舘にと心に持つてゐましたものに、郡虎彦が英文で書いた戯曲があります。国会図書館のは、とても本が焼けてゐて読みにくゝ、早稲田の演劇博物館のをと心がけてゐるのですが、見るチャンスに恵まれず、たうとう、先生のご在任中には間に合ひませんでした。
それと、もうひとつ、慶應三年十一月、まさに明治の前夜に他界した野村望東尼の獄中記――勤皇派たるを以て投獄された――、これは最近になつて読みはじめたのですが、文藝舘に入れていたゞけるかどうか、ご相談したいと思つてゐました。「明治のふたとせといふ年のふみ月」といふ識語のある刊本もあるのですが。
いづれ、大原委員長にご相談したいと思つてをりますが、板敷で冬も火の気はゆるされぬ苛酷な状況で、毎月、人丸影供と道眞忌の神祭を怠らず、食べ物をとりに来る鼠と語らひ、島の女に足袋を縫つてやつたり、と、とても興味を惹かれる老尼の獄中記なのです。
もう、委員会にご出席なさることはないのでせうか。かうした話をお聞きいたゞく折りはもうないのでせうか。
ご健康のこと、お仕事のことをおもひますと、ご無理申しあぐべきでないと知りつゝこんなことも申しあげてしまひまた。 香 魚
2007 6・8 69
* 観世栄夫さんが亡くなったと新聞で知った。痛惜にたえない。こまやかに話し合う機会はなかったが、短い立ち話にも独特の親しみがあった。何といっても恵美子夫人は谷崎潤一郎のお嬢さんであり、つまり潤一郎や松子夫人にはお婿さんであった。それだけでなく保谷のご近所で親しくしていた喜多流の重鎮だった後藤得三さんのところに栄夫さんは永く身を預けて修行されていた。
後藤夫人はわれわれに気さくな好意溢れるお人で、栄夫さんのこともよく話された。『少将滋幹の母』の新聞全編切り抜きを下さったり、谷崎の限定本もいくつか後藤さんに戴いている。
そんな関わりから、栄夫さんのお能には、能界に復帰された頃から、毎度招いていただいた。「楊貴妃」「景清」「檜垣」そしてわたしとしては最期になった「邯鄲」など、すこぶる感銘を受けた。そして「子午線の祈り」や「東は東」など。懐かしい。
また一人知己を喪った、死なれたという寂しさ、堪えがたい。お通夜にもお葬式にも例により出ないけれど、観世栄夫という希有の藝術家とはこれからも、これまでより頻々と脳裏の「部屋」で談笑するだろう。喜多実、後藤得三夫妻、喜多節世夫妻。先代梅若万三郎。そして観世栄夫をいままた見送る。
* 叔母の十七回忌が来る。京都へ行ったら墓参にと予定していたが、脚の怪我でやめた。昨日から、位牌所のまえで読経している。阿弥陀経。栄夫さんのためにもと思う。
転鬼簿と題した芥川の作があった。古稀をもう二年すぎて、それをもし試みれば途方もない人数になる。谷崎夫妻、志賀直哉、中村光夫、唐木順三、臼井吉見、河上徹太郎、滝井孝作、中河与一、中村真一郎、荻原井泉水、森銑三、福田恆存、斎藤史、井上靖、永井龍男、立原正秋、辻邦生、水上勉、和田芳恵、野村尚吾、杉森久英、長谷川泉、藤平春男、村上一郎、江藤淳、上村占魚、古田晁、酒井健次郎、また上村松篁、森田曠平、麻田浩など、指折り始めればきりがない。美空ひばりも忘れることが出来ない。養父母、叔母、実父母、実兄、異父姉兄、そして愛する孫・やす香にも先立たれてしまった。身内と愛した妹にも死なれている。
* 心弱いことだが、こう数えていくと、なあんだ、あっちの方がずっといいなあと心底思ってしまう、いや、思いかねない。
* 一日、三度にわけ、阿弥陀経、観無量壽経を前後二度に、読誦。
2007 6・10 69
☆ 秦 恒平 先生 西垣 通 拝
まさにお疲れさまでございました。
声をかけて頂きながら、委員として何の貢献もできなかったわたくしといたしましては、ただ恥じ入るばかりでございます。老人介護などで忙しかったとはいえ、申し訳ございませんでした。
しかし、メーリングリストやご恵投たまわった「湖の本」などで館長の肉声を耳にし、その文学にたいする熱い志に感銘すること度々でした。
近ごろ、お金儲けは上手でも志のない人間が出版社と組んで「文学ビジネス」に乗り出してきおり、情けなく思っております。そういう中で、先生のお言葉はすがすがしく、勇気をあたえるものでありました。
電子文藝館にたいしては、これからも一ファンとして遠くから応援していくつもりです。
先生の一層のご活躍を祈りあげつつ、お詫びのみにて失礼いたします。
* 西垣さんは東大教授の激務のかたわらで優れた現代小説も書かれる。西垣さんに実務委員長は気の毒であるが、新しい館長にピタリふさわしいと思ってきた。電子メディァ研究会以来頼みにしてきた専門家であり、委員でもあり、親子二代、文学の分かっている人である。新・執行部から相談があればぜひ推したかったが、機を失した。惜しいことをした。今からでも、考えて欲しい。
☆ 湖さま、有難うございます。 閑
小田実さんの「百二十八頁の新聞」読みました。思うこと多くございました。
「ペン電子文藝館」歴代会長作品、まず藤村の『嵐』から再読しています(再校正も兼ねて)。
このところ、昔の美しい日本語、文章に触れたくて、いくつかじっくり、行きつ戻りつ読み進めています。それにつけても、ここ三四十年ばかり何と多くの佳き日本語、文章が亡くなっていったことか。
暮らし向きの相変わらずは相も変わらずですが、少し按配よく世事にうとくなり、交際も狭まり、縮みゆく身の丈を背伸びすることなく淡々とやっています。
閑居して整理して、かえってものごとが少し見え易くなったこともありましょうか。ま、けしからぬ向きにはどこかでガツンとやってやろうかとも思っています。
先の良き目を信じつつ、若いカミさんと相い携える、世間体をはばからぬ生活が文字通り「活」の「生」であって、その分、老いや憂いを押しのけてくれていますでしょうか。
おみ足良くなるとよろしいですね。いずれ。
2007 6・10 69
☆ ミュンヘン ドイツ ハーバード 雄
(前略)アルテ・ピナコテークに置かれている作品のほとんどは,キリスト教と密接に結びついていると思われる.そのため,僕には良く分からないものも多い.
ただ,分からないなりにも,ルーベンスのコレクションは楽しめた.柔らかいタッチで描かれており,肌の質感なども瑞々しく描かれていて,他の画家と比べて一見して異なる.構図も凝っているし,巨大なキャンヴァスに描かれた作品も数多く,果たして一人でこんなにたくさん描けたのだろうか,と思ってしまった.実際,彼の作品だけで一部屋以上のスペースが使われていた.おそらく,この美術館のウリの一つなのだろう.
その他,たった一作品だけの展示だったが,エル・グレコの作品も,色調が独特だった.レンブラント,ラファエロ,レオナルド・ダ・ヴィンチの作品も掲げられていたが,ダ・ヴィンチの作品はそれほど目を引くものでなかったのが少々意外.
アルテ・ピナコテークから,通りを挟んで建っているノイエ・ピナコテークへ.ここでのお目当てはゴッホの「ひまわり」.実際,この作品の掲げられている部屋,およびその隣接する二部屋程度以外は,大した作品はなかった.しかし,この「ひまわり」とゴッホのほかの2作品で充分,入場料の元が取れた気がした.この部屋にはゴーギャンの作品もあったが,ボストン美術館で見たものほどの感銘は受けなかった.
ノイエ・ピナコテークの中の休憩スペースで,次にどこに行くかを考える.寝坊したせいで,もう4時を回っている.悩んだ挙句,彫刻などの作品も置いてあるResidenz Musiumに行くことに決める.
ここは,昨日「ぶんちゃん」さんと待ち合わせた場所と近いので,既に前は通りがかっているが,博物館の中には入らなかった.受付でチケットを買う時,もう一つの博物館の名前もあったのだが,ガイドブックではResidenz Musiumと書いてあったと思ったので,こちらに入る.しかし,これは失敗だったらしい.僕が見たかったものは,隣の博物館にあったようだ.こちらは,王の宮殿そのもので,当時使われていた食器やら,家具,美術工芸品などが展示されているのみで,彫刻などは殆ど無かった.
隣の博物館に入りなおそうかとも思ったのだが,歩き回り過ぎて疲れてしまった.気温が高く,汗をかき,喉が渇いたせいもあるだろう.かなり早足で見終えて,そのまま外に出てきた.
同じResidenzの敷地の中にあるレストランに入る.焼いたソーセージとザワークラウトを注文.ビールを頼もうとしたら,ここはワインしか置いていないと言われて驚く.それまで目にした店では,ほとんどの店でビールが置いてあったのに.仕方なく一番安いワインを注文したが,これはこれで美味しかった.しかし,ソーセージは一本だけだったし,夕食にはちょっと物足りない気がした.
ResidenzのあるOdeonplatzからMarienplatz駅でと歩き,そこから中央駅方面を目指して歩く.この通りは,この辺りでもにぎやかな通りの一つであるらしく,多くの人々が散歩をしている.多くの飲食店が軒を連ね,皆,ビールを楽しんでいる.その中に,Augstinerという店があるのを見つける.ここは,ボストンの知り合いで,以前ミュンヘンに居た人が薦めていた店だった.早速ビールを飲みに入る.
普通のとピルスというのと二つ試したが,ピルスは苦味がかなり強かった.先ほど食事は済ませてしまったのだが,ちょっと物足りなかったので,昨日も食べた好物のホワイトアスパラを注文する.これも大満足だった.そのまま歩いてホテルに戻る.
この短い期間の滞在で感じたことは,ドイツは思った以上に日本に近い.おそらく,アメリカより,よほど似ているのではないだろうか.夜遅くまで飲食店は開いているし,多くの人がのんびりと夜の時間を楽しんでいる.アメリカでこんな時間にうろうろしていたら,危険なことが多いだろう.
アメリカは,大型店舗がモールを形成し,皆がそこに車で買い物に行くのが一般的だろうが,ドイツはそうでもない.小さなデパートのような建物を見たが,地下一階に飲食店が並び,スーパーまである.デパートの造りが日本と似ている気がする.
それに,テレビの朝の情報番組も,日本のそれとちょっと似ていた.アメリカのテレビ番組は同じニュースを延々と流すだけだし,その9割以上は自国のニュースだが,ドイツはそうでもない.
電車の車内もドイツは非常に綺麗だ.日本もかなり綺麗だろう.アメリカに行ったとき,電車やバスの車内のあまりの汚さに驚き,欧米ではそうなのかと思っていたが,どうやらアメリカだけがおかしいようだ.
僕の印象では,日本人にとっては,おそらくアメリカよりもドイツの方が(少なくともミュンヘンに関しては),過ごしやすいのではないかと思う.ドイツ語はさっぱり分からないが,なんとなく想像はできる.彼等の話す英語はアメリカ人よりも遅くて明瞭なので理解しやすい.
日本との一番の違いは労働時間だろう.皆,長時間働くのは嫌がるらしい.金曜は半日といった感覚だし,土日に働くことは珍しいという.しかし,それであれだけ豊かに生活できるのならば,それはそれで良いのかもしれないな,と思う.
街が美しいのも素晴らしい.Odeonplatzの辺りの建物など,見るもの見るもの,カメラを向けたくなる.ボストンはアメリカの中ではヨーロッパ的であると良く言われるが,実際のヨーロッパを体験してみると,かなり違うことが分かる.
明日はミュンヘンを12時に発つ飛行機でボストンに戻る.朝にはホテルを出なくては.なんだか,ちょっと後ろ髪を引かれる思いだ.
2007 6・10 69
☆ 電子文藝館の委員は大原さんから言われて、お任せしますと返事したら再任ということになりました。
秦さんがやめたことも、十分に委員としての仕事ができないことも、納得できないでいますが、少しでもできることがあればお手伝いするのが秦さんの希望でもあるかなと思い、そういうことになりました。
秦さんの発する膨大な情報のほとんどをリアルタイムに追うこともできず、何よりお体に気をもみながら毎日雑事に追われております。先生も奥様も出かけられるような体調であればいいなと願っております。
私のほうは夕方は忙しいときでも宅急便の締め切りが過ぎれば自由になります。またお昼でも出かけられるときは時々あります。まったく一人でやっているので月刊の流れの中で大体は調整できます。いつでもお声をかけていただければと思います。
お誘いしてはご迷惑かという思いもして逡巡しておりました。一度気軽にお目にかかればありがたいと思っております。 青田義正
* 委員の多くとペン以前からの久しいおつきあいがある。青田さんには中央公論社時代に中公新書『古典愛読』を、城塚前委員長には六興出版で『紙と玩具との間』を担当して貰った。青田さんは、著名な著者たち十数人で感謝の「青田会」をもったこともある。「お畳奉行」その他数々のヒットをとばしたベテラン編集者。多彩に企画する力、広くよく読んでいる人であり、まだ現役であまりに忙しいので次期委員長には遠慮したが、いつか適任者として活躍願いたいもの。
2007 6・11 69
☆ 雨月物語 雀
旅心を誘う夏景色の観光パンフレットが目に立つ頃となりました。
翠嵐にさざなみひとつない川の写真にひかれて取り上げた冊子を繰ると「苦しくも降り来る雨か三輪の崎―」ほか3首の歌が添えられて、新宮市三輪崎の案内図が載っていました。
み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へどただに逢はぬかも
ゆるいカーウ゛を描いて延びる海岸線、果てまで望める水平線、初めて目にする浜木綿の花、それらすべてがつよい陽光にくっきり境目を見せているのが、眼鏡のレンズを換えたときのようなよろめきを起こさせ、一瞬目を閉じ足を踏張った旅の日を思い出しました。
おうちがだんだんとおくなる♪ そんな歌がありますが、旧市街に暮らしていると年毎に公共施設も店も遠くなってゆきます。出水のような新刊本が積まれる枯野のような書店がつまらないと思い始めた頃は、すでにスタンダードな文藝ものを手に取って買うことが難儀な状態で、ようやく数年前、ある郊外型大型店舗が出店したことで解決しました。
十五分ほどてくてく歩いて行き、「雨月物語」を尋ねると店員さんはレジのキーボードを打って、「あいにくとこちらにはございませんが、本店に、一年前に初版の文庫本が1冊、ビジュアル本の藤本義一さんのものが1冊ございます。お取り寄せさせていただきますが、いかがいたしますか」と言うので、とりあえず文庫本をとお願いして数日後またてくてく受け取りに行きました。
鵜月洋訳注、井上泰至改訂。
表紙の鏑木清方の繪に喜んだ雀は「現代語訳付き」と書いてあるのに仰天。読んだと思っていたのは訳された文でしたの。「雨月物語」と背表紙にあっても現代語訳のみの本が相当あることを知りました。汗顔の至り!
「白峰」原文を書き写してみて、こんなに“中国”がつよく出ていたのかと驚き、230年前に出版された物語で、現代語訳でなければわからないほど読むのが難しい文章ではないと知りました。原文のほうがどれほどおもしろく魅力的なことか。
「原文はもっとおもしろいですよ」でなくって、「原文は難しくてきっとわかりませんよ」という本に最初に出会ってしまったのですね。大損してたわァ!
正剛さんの「日本数寄」の終わりが、関孝和、三浦梅園、麻田剛立、蔦屋重三郎、伊藤若冲、上田秋成、月岡芳年、九鬼周造の順なので、流れや位置など以前よりよほどつかみましたが、昨年暮れに夏目漱石没後90年といっていたのは、すなわち今年が、漱石生誕140年、つまり子規生誕140年で大政奉還から 140年ということなンですね。どこかからもたらされた情報でなんとなくイメージをつくり、その実ぜんぜんわかっていなかった。そういうことに出会ってばかりです。 囀雀
☆ 松よ 雀
そう語りかけるラストシーン(『秘色・ひそく』)がございました。
松山から菊にうつって軒端の松をよび桃の実でアシをヨシにかえ、松尾芭蕉、赤松、とふたたび松。そこから竹助、露が光る秋草とりどり、蒲生、そして会津若松。秋を水無瀬川に松の影を落とし裏表に葉が翻るように物語が続いていくのも、原文を読んでおもしろいと思ったうちのひとつです。現代語訳のみの本には九篇すべてが載っていないこともこのたび知りました。アブナイところだったわ。
ときに、40代最後の日に主人から贈られた電子辞書を2年半でこわしてしまい、不便ながら7年前に購入した別メーカーのそれを使っています。
人名もとりあえずこれで引いて、それでよしとするときは、それきり済ませてしまうのですが、先日、小山正太郎が越後長岡藩出身とわかってびっくりしました。小山姓ですもの、信州か越後と疑うべきでしたわ。うかりひょん。
“郷土出身の名士”好きの父に尋ねてみると、「さぁ…聞いたことないなぁ」という答え。退屈を持て余しているときがあると母から聞いていたので、先日の関野貞に続き、少しはなぐさみになったかしらん。
翌日、東北電力PR誌「白い国の詩」に一行、新潟市の私立美術館が小山正太郎の絵を所蔵していると書いてあるのを見つけたと言って、「今度
(実家に)帰ってきたとき、展示しているか電話して行ってみるか」と言うのに受話器の前で手を振り振り、雀は、図書館で人名辞典を引いてきました。
明治の日本洋画界をこれほど知ろうとするなンて以前にはまったく考えもしなかったこと。自分に驚いています。
渡辺崋山自刃から半世紀、浮世絵は沈み、フェノロサにひっかきまわされて日本画は歪んで、洋画は排斥の危機にあったのですね。フェノロサと天心にブッシュと純一郎が重なったのは軽はずみな聯想でしょう。
松園が一躍時の人となって、忠は「春畝」「収穫」を発表していた― 御作『糸瓜と木魚』を中心に据え、忠、正太郎、漱石、子規、伊藤忠太、関野貞、長野宇平治の年譜を作り、芳年を知ったときに、五姓田芳柳、川上冬崖、高橋由一よりも河鍋暁斎が若く、芳年はもっと年下だったと知った驚きも書き入れて、そんななかで、「雨月物語」から「高野聖」は、光琳から抱一を100年スライドさせた感じかなと、ひとり思いをしました。
1902年京都高等工芸学校創立、浅井忠京都移住。1903年聖護院洋画研究所開設。1906年関西美術院創設。1907年忠死去。1909年京都市立絵画専門学校創立。そして国画創作協会結成にいたる……。学校で習ったことと違うなぁ、東京で解説されてたのと違うなぁ、そうだったのかぁ、と、あんまり楽しかったので、書き直して父に送りました。
「貧福論」から「白峰」に戻って、ふたたびみたび読み耽る…そんな『墨牡丹』『糸瓜と木魚』また『閨秀』です。 囀雀
☆ 熊野の墓 鳶
昨日の記載に「熊野」がありました。熊野のお墓のある天竜川右岸の行興寺にこの五月にちょうど出かけたのでした。長藤というとおり花房は長く、熊野の墓石に垂れるように咲いていました。奥にある舞台では薩摩琵琶が奏でられていました。演目の一つは何と「戦艦大和」・・こういう演目があるのを初めて知りました。戦を語った平家物語のように、先ごろの近き戦を語り謡うものがあって当然と思いました。
慌しさに負けそうになることもありますが、物事に対しては実際的、行動的に向かっています。ただし自分が消えてしまうのはつらい。少しずつでも読むこと、書くことを繋げたい。
そうそう、先日は京都に寄り道して相国寺の「若冲展」を見ましたが、大変な混みようでした。名古屋の「若冲展」は見逃しました、この方が良かったらしい・・?
くれぐれもお体大切になさってください。
2007 6・12 69
☆ 今朝見た、田村正和のインタビューが印象に残っています。
今六十三歳の彼が最近考えるのは、「二十代に戻り、俳優を違った角度からやり直してみたい」ということだそうです。
彼は、「自分が俳優としてひとり立ちできる年頃まで父親が生きていたら、違った俳優になっていたのではないかと思う」と言っていました。
父親の厳しさを、彼は渇望していました。大いなる先達・阪東妻三郎の厳しさを。
父親も男兄弟もない花は、正和さんの発言を、とても重く聴きました。父親と息子の関係とはそういうものか、と。
世襲で受け継がれる古典芸能の世界、また、父親と同じ道を選んだスポーツ選手などに思いを馳せました。
風と息子さんのことにも。
ちょっと雲が出てきました。
やっと梅雨だそうです。
風、ますますお大事になさってください。 花
☆ 奥様とお二人の歌舞伎のお楽しみ、何よりでした。お幸せでいらしてください。お病気をなんとかやり過ごしてお元気に長生きしてください。それが一番の願いです。
みづうみは若々しい方です。みづうみに愛されていなかったとかそういうことは重要ではありません。みづうみの毎日が華やいで命輝いていらっしゃることのほうが遥かに大切に思われます。
昨日は古文書を習いに出かけていました。「血」を書くための勉強です。古い文書がたくさんあるのです。むずかしいけれどクロスワードパズルみたいで、面白い世界に踏み入れたとわくわくしています。
今日はお天気がよいので、午前中、部屋に風を通しながら着物箪笥の整理をしていました。着物の出し入れは案外力仕事です。腰を痛めていたので、ようやくの更衣ができました。脱がせてほしかった?! とても気に入りの、まだしつけもとっていない着物があり、しばらく眺めていました。 紫
* 風がものを鳴らしている。飛行機も飛んでいる。暑い部屋で汗ばんでいる。
あと二年は健康で元気にがんばりたい、それぐらい何でもないと思っていたけれど、二年の自信が一気に日一日うすれている。何のために生きているのかわかりにくく成ってきた。
健康管理のために生気を見失ってゆくなんて本末転倒のように思う。しかし健康を管理しないと体調が崩れ、それでは生彩ある日々も約束できない。「今・此処」が崩れかけている。バグワンが間に合いそうにない。世間を閉じてゆかねば。
☆ 新幹線 もうすぐ熱海でーす。鱧が美味しく青紅葉が美しい京都、佳かったよ。お元気ですか 泉
2007 6・13 69
* くだらない雑文ですが読んでくれるかというメッセージをもらった。よくある。「くだらない雑文には、興味も、割く時間もありません」と断った。遜っているつもりにしても、そういう姿勢は気持ち悪い。
☆ 鴉、お元気ですか 鳶
今日も「こころよからぬ日々をもさもさと過ご」されましたか?
わたしも考えてみれば、いえ、考えるまでもなくこころよからぬ日々をもさもさと過ごしています。
入梅らしい空模様です。家の周囲の田んぼも水がはられ、稲は日々生長、そして夜ともなれば蛙の大合唱です。
鴨川の鳶が悪さをしているとか。わが同類なれば思いも複雑です。
鴨川の川べりに一定の間隔をあけて二人連れの人たちが坐っている情景はたびたび目にしている。が、今その人たちの手にしている食べ物を獲ようと、飛びかかり襲う鳶が問題になっている。
鳶は旋回し急降下して人の食べ物を奪っている。あまりに見事なのでテレビの画面に呆気にとられた。危ない。そして実際、鳶の爪に手指を怪我した人もあり、危険を感じた。鳶に油揚げ攫われた、と笑って過ごすわけにはいかない。
わたしはここでの名乗りは「鳶」であり、思えば「鴉」も昨年は同じ京都で桜の木を枯らす原因となっていると指摘されていて、実に実に笑えない問題だなあと、半ば自分の名を恥じてしまうほど切実に感じている。(名乗りとは不思議な影響を及ぼすもの・・)
餌つけする人もあり、いったん人間が食べる食べ物を覚えると、鳶たちは・・鳶に限らず、鳥、獣たち、狸も狐も同様だろう・・これまでの「食生活」を急激に変えてしまうらしい。栄養価の高い人間の食べ物は鳶の生命力、繁殖力を高め、結果として鳶の数が増えているという。
鴉も鳶も人間の身近に生息する鳥たち、どのように係わっていくか、いい関係を保ってほしい。
お元気で。
2007 6・14 69
☆ おやすみのまえに 曙
どうしても申し上げたくて。
私語の「バカげた人生だった」の一言がとてもショックでした。
湖の人生ほど豊かに恵まれた歩みはありません。たとえ一時の感情でいらっしゃるにしろ、詮ないとかバカげたなんてお思いにならないで。
熟睡なさいますように。
* 気の奔りであった。わたしの人生はまだこの先は知れない、が、これまでは面白い人生であった。苦味も悔いも濃いが、それは誰しものこと、面白い曲がり角をたくさん曲がってきた。「曙」さんに心より感謝。指摘された箇所は削除した。
* さらさらさつと ふるよの
☆ 風 鳶
風吹く時
風が頬を撫でる時
かそけきものに触れられる
感じる 存在の不思議
風やむ時
風が身体を包む時
切ないものに縛られる
耳傾けて 一瞬を待つ
このように歌いながら、本当のわたしは、日常のわたしは強い風、冷たい風は嫌いなのです。暑いのも寒いのも苦手の日和見。それでも砂漠に行くのが大好きとは、どう説明したらいいでしょう。 あなたは前世では砂漠の民だったのよ と友人が言いました。
2007 6・15 69
☆ ご近所の紫陽花 慈
真っ青の玉 薄いピンクの玉 大きく咲いてゆらゆら。
お向かいのは 額紫陽花。
梅雨。静かに降ってほしい。
☆ 花も
夢をよく見ます。憶えていることの方がおおいかな。
いい夢を見たときは、寝覚めがいいものですが、半日もすると、余韻すらなくなっています。
碁のルールはわかりません。将棋なら、ちょっとわかるけれど。
祖父の碁石は、専らままごとに使っていました。
将棋は駒に名前があって、動きが決まっているけれど、碁は同じ石を使うでしょう。ちょっとおもしろそう。
でもね、花は、テーブルゲーム全般に夢中になれないのです。テレビゲームは特に苦手。
ブログは読みづらいって。簡単に通して読めるのだけれど。
今度、まとめて送ります。
でも、今書いているものを先に読んでほしいなと思っています。仕上がったら、すぐに送ります。
お元気ですか、風。
風と一緒に旅するのを空想しています。
目を閉じれば、たちまちに風と二人で歩いている。どこへでもいけます。 花
2007 6・15 69
☆ ボス ハーバード 雄
昨日から,ボストンはいきなり気温が下がり,最高気温が16度,最低気温が9度となった.コートを着るほどではないし,かといって上着無しでは辛い.こういうときに着る洋服を買わなくては.それにしても,もう6月だというのに,この気温は何なのだろう.
11時からボスとのミーティング.先日のドイツ出張での結果を踏まえてということで,かなり気が滅入ったが,腹を据えていくつかの提案をした.提案だけでなく,これらに付随して最近ずっと感じ続けていたフラストレーションを率直に話した.それらに対するボスの答は,僕をかなり奮い立たせてくれるものだった.
それらの提案の中には,政治的にかなり難しい問題も含まれていた.下手なことをすると,僕は日本に帰れなくなるかもしれない.あまり事を起こしたくないので,敢えて避けて通っていたのだが,日本の研究社会の現状も含めてボスに率直に話した.
ボスも僕の感じているフラストレーションを察し,大いに同情するとともに,バックアップを約束してくれた.詳しいことはここには書けないが,腹を括って日本の二人の大御所にメールすることにする.僕が考えるほど,大げさなことではないのかもしれない.しかし,逆に感情を逆撫ですることになるかもしれない.いずれにせよ,うまくやる必要があることは確か.
ミーティングの後,すぐにセミナーに参加.隣のラボ出身で,現在Duke大学でラボを持っているGFがトークをした.多くのラボから話を聞きに来ていた.
トークの内容は,神経系のある遺伝子を欠損したマウスを作製したところ,毛づくろいをする頻度が増え,ある精神疾患と非常に似た症状になったことについて話していたが,あまりにストーリーがシンプルな上,かなり疑わしいデータも多く,あまり感心できる内容ではなかった.
セミナーを終えてすぐに,大学院生のシュシェンが電気生理の実験をボスと一緒にすることになっており,先ほどのミーティングで僕も同席するようにボスから言われたので,後ろで作業を見ていた.
もう自分で実験できなくなってから20年近く経っているはずだが,事細かにあれこれと改善ポイントを挙げていき,目の前でいくつかを直していく様子を見て,改めてボスの偉大さに感動する.
夜はPho Pasteurで牛肉のフォーと生春巻き.
2007 6・15 69
* 望月洋子様 波響と松前、ことにアイヌとのかかわりようは、評価が難しいと思います。松前藩の露骨な密貿易や、場所・介抱政策の悪辣と非道、外交の無謀や無策隠蔽、アイヌへの人外の扱いようなど、さまざまな松前を暴く幕府民間の証言があり、それが蠣崎波響の文雅や人間にどう反映していたかは、無視もならず、検証もじつに難しい。
『夷酋列像』はみごとで、文句のつけようがありません。よほどのモチーフと見られます。生涯にあれ一つでも実に立派な画業です。事実あれ以外に胸を打たれた波響絵画はめったに見かけませんでした。
漢詩も、ま、江戸時代の和臭漢詩はたいていつまりませんが、波響も真に鳴り響くような措辞はもたなかったという印象です。やはり新井白石の詩などに遠く及ばないのではないでしょうか。
中村真一郎さんとは亡くなる数日 (という程の印象でした。) 前にお目にかかりました。私の『猿の遠景』を、言葉をきわめて褒めて下さり、ぼくもああいうのが書きたいんだよと言われたのが「お別れ」でした。むかしむかし太宰賞授賞式の二次会を仕切って下さったのも中村さんでした。俳優座の芝居でちょくちょく一緒になりました。わたしの『心 わが愛』で「静」役をしてくれた香野百合子さんがそのころお気に入りでした。なつかしい。
もう少しで、最初の校正を終えます。終えたらこのアドレスへ送りますので、校了しまた返送ねがいます。「今の川原町」が鴨川の「東」になっていたりします。東側に川原町があり、西が今の河原町なのかもしれず、そのままにしてあります。 秦生
2007 6・15 69
☆ 秦さんへ 千葉 E-OLD
拝復 案の定秦さんからも「瑛」さんからもメールを戴いておりながら、メールをあけるのは先日以来で、ご心配をおかけしたまま申し訳ありません。
「ペン電子文藝館」本当にありがとうございました。「館長」というのは大変な事だと思います。本当に本当にご苦労様でした。
小田実『百二十八頁の新聞』渡辺通枝『八十路生きていく』もありがとうございます。われわれよりも年上で、敗戦の時すでに大人の眼を持っていた方々は何かえもいわれぬ凄みがあります。印刷しておこうと思います。
ほとんど頑張らなくてもいい日々を何とか過しています。体は使わないと使えなくなるという困ったもので、頭も体の一部です。パソコンが無くとも暮らせそうで、キーボードがうっすらほこりっぽいです。
「街でやろう」とお声がかかれば行ける積もりでいます。秦さんがこんな田舎まで来てくれたら、そりゃあ面白いだろうなと思いますが・・ねっころがって美空ひばりでも聞きましょうか・・
変な梅雨のようですが、紫陽花はきれいです。今日は暑かったです。
くれぐれも、いろいろお大切にしてください。 拝
* お大切にと心より心より願っています。一度尋ねてゆきたいが、乗り物の便など教わらねばならない。どうも機械の案内ソフトがうまく利用できないので。
2007 6・15 69
☆ 思いがけない再会 ハーバード 雄
朝一番から電気生理実験.セットアップを大学院生のシュシェンとシェアしているのだが,彼が午後使いたいというので,1時まで、昼食抜きで,ギリギリいっぱい粘る.昨日ボスがセットを変えたことにより,確かに,格段使いやすくなっている.しかし,不慣れもあって,データは取れずじまい.
遅めのランチを摂りに,ブラブラとハーバードスクエアまで歩き,以前一度だけ入ったタイ料理のレストランへ.値段もまあまあ,味も良かった.
ラボに戻った時,向こうから,見たことのある人が近づいてきた.以前,科学研究費の班会議でご一緒したことのあるOさんだった.若くして独立しラボを持たれ,現在は某大学で助教授をされている.確か僕より3歳くらい歳上のはず.
思わず,お互い、「何でここに?」.
Oさんにしても,僕の留学は班会議の際に告げてあったが,どこへとはお話してなかった.
今回Oさんは,ボストンから間近くのニューハンプシャー州で開かれた研究会に参加され,その後,共同研究の関係で隣のボスに用があって,ハーバードに寄られたらしい.
隣のボスの教授室を教えてくれと言われる.何のことはない.僕の居室の斜め前の部屋が教授室なので,そのままお連れする.
しばらく,隣のボスやポスドクと話された後,隣のボスがOさんを連れて,「君のお友達を連れてきたよ」という.
「お茶でもどう?」とOさんは言われたが,あいにくカフェテリアは閉まっていた.Oさんは他のラボ(ここには日本人ポスドクHさんが所属している)のボスにも用があるとのことで,建物の前までお連れし,そこでお別れした.
しかし,一時間ほど経って「話終わったから,お茶に行かない?」と,また戻ってこられた.どうやら,今日はこれからホテルに戻るだけなので,暇らしい.で,ハーバードスクエアのAu Bon Painまで行く.
しばらく話していると,「そういえば,この辺で夕飯食べられるところ,知らない?」とOさん.いつも行くのは,昨日も行ったベトナム料理の店だが,Oさんにはピンとこなかったようだ.イタリアンが良いとのことで,二つほどお店を教えると,「良かったら一緒に行かない?」と.
結局,夕食をご馳走になってしまった.Au Bon Painも含めて3時間近くも話しこんでいただろうか.最初は,ご自分の業績のことや,ここ最近の景気の良いお話ばかりだったので,正直圧倒されてしまったが,その後はお互い共通の知り合いも多くて,色んな雑多な話題になった.もともとお話の面白い方なのだが,やはり今日も面白くて,何度も腹を抱えて笑う.
食事を終え,Tの駅までご案内し,そこでお別れした.まだ30代後半の若さというのに,なんだか自分との差に大いに落ち込む.と同時に,やはり,僕も気合を入れなおして頑張らないとダメだな,と大いに刺激された、発奮した.
* フツーにフツーの話が出来て、ギクシャクしない。「雄」クンの懐の明るさか。名文ではないが、共感できる。堅苦しい漢語も強調の飾り言葉も少ない、無いとすらいえる。ここがカンドコロか。
2007 6・16 69
☆ 潮 雀
新宮の陽光と潮風を思い出していた雀に、「梅雨に入ったけど元気?」と女友達が関西の美術館・博物館等の割引のしおりを送ってくれました。さっそくお礼をいい、興味あるのは兵庫県立美術館の「絶筆」展くらい、それも出展画家によるわねと返すと、たちまち画家名を印字したFAXが入りました。
展示替えで三橋節子が17日までとあるのに弾かれるように出かけてきました。
そしてお作に出ていた明治の洋画家について識ることの多い、時にかなった有益な展覧会でした。
会場を出たところ「ボランティアガイドによる常設展解説がこのあとあります」と館内アナウンスがあり、ちょうどそこが集合場所で何人か集まっています。
華岳をはじめ日本画をお目当てに訪ねる度び見ている常設展ですが、明治の洋画展示はわからなくていつも流して見ていたので、参加することにしました。追加料金300円。
「絶筆」展とかぶる画家も何人かいて、なおかつ、そちらの解説にあった絵が展示されていたり、なるほどなるほど、より易くわかります。
終わって人の去った展示室で、館内ガイドさんとお話して、またなるほど。
秦テルヲ「日月神」は、日光・月光菩薩に見えましたし、菊池契月の絶筆が「源氏物語」挿画とは思いもよらないことでした。「安井曾太郎が夜の景色を描いたのはすくないンですよ」と紹介された「巴里の縁日」は、一目見るなり華岳の「平野夜桜」を聯想させました。二人が同い年というのもそれがきっかけで知ったのですよ。
館内のレストランや喫茶のランチはすっかり売り切れていて、テラスで潮風に吹かれメリケンビールというのをいただいて、ひとごこちつきました。
小説が書けたら。それが私の小説だった。小説を書きたい、とかく小説風に想像してみる、小説でなら、だから小説が書きたい、……。「この子規が今にも死ぬ人だと、極端に言えば私はその時の至るのを息を詰めて待っていた。」それが小説『糸瓜と木魚』を書き出すトリガーでしたの―? 50年目の「よっしゃ。やるで――」はなァにかナ。
「野球のボールでもくれる方がいいのにと思った」が子規へのしゃれと、もゥも、おくれにおくればせにわかりました。 囀雀
追伸 短絡的な文になってお詫びします。
子規なら、ガラス戸同様、ブログの効用をわかってつかったでしょうね。海外にいた忠や漱石はそれに接触できる環境をつくっただろうか、できるとしたら接触しただろうかと思ったのです。そうしたら忠が子規論をあらわしたあの絵が存在しただろうかとも思いました。
子規と忠の数回の「刹那」があったように、あの小説の宏と鶴子にも、ナイフできったような交差があったので、小説が書かれたのかと、いまの雀の思いはそこまで。あぁ、やっぱり、だめ雀だわぁ。 囀雀
☆ 日本古寺美術全集 泉
新聞広告で見た集英社出版月一配本二十五巻を、矢も楯も堪らず、やりくりをして購入したのは、生活、教育費にアップアップしていた遥か昔でした。長閑な老後の楽しみにしようと想ったものです。
当時も帰京すれば、両親の好みに任せ、車で神社仏閣巡りに余念がありませんでしたが、私の場合、当然、頭を垂れて手を合わせますが、偶像崇拝の気持はそうありません。
でも、古の仏像には魅せられ、ハマリます。
その筆頭が興福寺の阿修羅像。私のアイドル。今でも大好きな人にやっと出逢えたよな高揚で胸キュンになり、この古稀すぎた老体にも若い血潮の残っているのに戸惑い、くすっと笑えたりします。
で、ある配本の月報で、あなたのエッセイを読みました。
先日、岩清水八幡さん近くの友人宅で一泊お世話になることになり、ご主人のご好意で「あんたの行きたい処へドライブするから何処がええのん」と電話があり、場所柄、咄嗟に、「ながれ橋と浄瑠璃時と岩船寺」と返事をしていました。
時代劇によく嵌るながれ橋の傍は幾度も車で通っていますが、機会があれば渡ってみたかった。風情の佳い橋でした。
奈良とは紙一重の位置にある加茂は、その昔に親達(親は初めてではなかったらしい)と車で訪れています。路線バスは一日四、五本のダイヤで、つまりは当時と同じ風情のたたずまいを保ち、当時は珍しかった無人販売の吊るした野菜などが、あの頃も百円だったのかどうか、友人は柔かいやろかと筍を、私は梅干とお茶を購入しました。
そうだ、と昔の愛読書「ミセス」に掲載されたあなたのエッセイを読んでみました。
そうそのまま、何も変わっていない、なと。
そんな交通事情の平日でも、さすがに国宝、阿弥陀堂、国宝、九体の阿弥陀様の拝観に、途切れながらも人影を見ます。再び来る機会はなかろうと、正座してしばし瞑目しました。
池を挟んだ薬師如来がおわす国宝三重の塔へ池を巡って散策をし、叢からの蛇の歓迎に大騒ぎをして、花ははんなり控え目、早や蝉の声を聴いたような・・・
理系のだんな様には、「ええとこを教えてもろた」と、えらい悦ばれました。
岩船寺は駐車場から少し登り、本堂でお住職さんにしっかりとお説教、いや苦情の聴き手かな、を戴き、つまりは「最近の学生や参詣人の多くはなんの知識もなく物見遊山気分で来る。花ばっかり追おて、雨が降ってきたら雨宿り代わりに本堂に入って来る」と。
鬱蒼とした池の蓮は開花寸前、紫陽花は色鮮やかに咲き、あの三重の塔の鮮やかな丹の色も塗り替えて日を経ないのか、木漏れ日の新緑に映えていました。
浄瑠璃寺を少し下った車道には猿群が出没していました。
* 尻枝という部落まで入ってゆくと、わたしの実の父生家の吉岡家が街道から大きく見える。
すごいほど巨きかった柿の樹は、まだ伐られずに在るだろうか。
吉岡は当尾の大庄屋だったとか。両親を見失っていたちっちゃかったわたしは、この父方祖父の屋敷で二三年も暮らしたのだろうか、よく分からない。
そしてある日訪れた秦の父と母とに手をとられ、京都へ。秦家に正式に入籍したのは戦後、新制中学入学のおりであったようだから、いわゆる里子として出されていたのだと想う。京都府視学も務めたという吉岡の祖父と祖母とは、何回か、わたしの顔を見に新門前の秦の家を訪れていたらしい、なにも覚えていない。
父と生木を裂かれていた生みの母は、必死でわたしを探し回っていたらしい。戦後の法手続き改定で、実父母の承認なしに養子縁組が出来ないことになり、余儀なく交渉の場へ母も探し出され加わってきたが、そういう陰の折衝はむろんわたしには一切隠されていた。自分がこの秦の家に生まれた子でないことは、しかし、人に囁かれて昔からわたしは知っていた。東京へ出て行く直前まで「知らぬフリ」をし通した。
浄瑠璃時も岩船寺も、むかしは吉岡で裁量していたんだと言いながら、亡くなる少し前の当主守叔父さんはわたしを両寺へ連れて行ってくれた。あの日の帰り、いちばん若かった恵子叔母さんと加茂駅のちかくの婚家で逢ってきた。その守叔父も敬子叔母も亡くなってしまった。
* こういう思い出は、ただ懐かしいというようなものでなく、時にはわたしを呻かせる。
2007 6・17 69
☆ 湖さん e-OLD 瑛
闇の一文が目に飛び込んできました。
「『Uボート』を観た。潜水艦映画には名作が多いが、傑出した作になっていて何度観ても感銘を受ける」。
録画したこの映画を観ました。三回目ぐらいですが、人間とは、男とは何かを語りつくして尽きない映画と思います。『眼下の敵』。ロバート・ミッチャムの駆逐艦館長とUボートのクルト・ユルゲンスも好きな映画です。
なぜ潜水艦の映画がこうも男心をひきつけるか。
戦争という使命で生きる『空間』が、山道を歩くように狭い一本の通路を行ったり来たりしている中に、閉ざされた空間の空気を感じるからでありましょうか。職人の集団でないと潜水艦はもたないと映画は描いています。この映画は米国映画『眼下の敵』を超えた素晴らしい映画と思う。
* 「瑛」さんとも久しい。今も山また山を踏破し、写真を撮り、またさまざまな文学に触れ、清泉泓泓の電子老。国分寺の「俊」老といい、千葉の「笠」老といい、それぞれの文体を以て書かれる。多摩の八十老「甲子」さんの健筆にも感嘆。いつも、とても励まされる。
2007 6・18 69
* パリから内藤昭一さんの絵はがきが届いた。金婚、そして八十のめでたい旅をされていると。羨ましい。内藤さんは青山学院大学の元の学長さん。もう十数年のお付き合いだ。夏にはよく桃を戴いたりする。湖の本をよく読んで下さる。
2007 6・19 69
☆ 思うこと 藤
秦恒平様 今年の梅雨は一体どうなっているのでしょうか—-
いつも「闇に言い置く」拝読させていただいています。そして思うことを二つ。
「百二十八頁の新聞」
小田実氏の『百二十八頁の新聞』読みました。
私は氏の「何でも見てやろう」に触発されて、昭和38年海外渡航が自由化した直後、当時夫が仕事で滞在していたロンドンへ勝手に出かけて行き、一人勝手にそれこそ何でも見てやろうとロンドン市中を歩き回っていました。
セントポール寺院(ここはドイツ空軍の激しい空爆を受けた)を見学したとき、案内人が第二次世界大戦中は空襲の中で多くの人がここで”戦勝を祈った” と。
そう聞いたとたんに同じ時日本の神社で”戦勝を祈った”自分の姿が重なりました。
皮肉なものだと思いました。神様もどうしてよいものかと困られただろうなと。人はかように愚かしいものと、私はその時はっきりと知りました。
その小田氏が病床にあられると知り、さみしいなあ。
「絶筆」
雀さんの項に兵庫県立美術館の「絶筆」展の話が出てきて、過日、麻田鷹司画伯の未亡人と交わした会話を思い出しました。
麻田さんとは同志社女子高時代のクラスメートで、久しぶりにクラス会でお会いし、亡き麻田画伯の絵をまた拝見したいという話になったら、
「絶筆展に出展を依頼されて、ちょっと困っているのよ」と。「(54才で劇症肝炎で急逝されたご主人の)絶筆と言える作品はあるけれども、
本人はまだ発表するところまで描いていなかったのかも知れない、それを私の判断で世間に出して良いものかどうか—-本人には不本意なのではないだろうか—–いろいろ考えて、既に発表した作品の中の最後のものにしようかと思っている」
とおっしゃいました。私も「それが良いのではないでしょうか」と。
同じ絶筆でも、亡くなってから長いときが経ち制作時を知る人もいなくなればともかく、(丁度秦様の奥様のように)いつも麻田画伯の側にいて制作を支えていた彼女がその様にためらうのはもっともだと思いました。 2007/6/19
☆ お元気ですか、鴉。 鳶
脚、現況以上にひどくならないでくださいね。絶対ですよ。これから家にいる時間が長くなると書かれていますが、これまでだってそうでしたもの。外出ままならなくなるなど、絶対だめですよ。
七月上旬五日から九日まで娘の結婚式に海外です。その後、東海の姑を見舞います。
お大事に。
2007 6・19 69
☆ お誕生日おめでとうございます 雀
どうかおん身なによりに干支の後半をお過ごしください。雨もあがりました。
「雨月物語」を辞書をひきひき読み返しては、そのたびごと、つぎつぎとつながりを見つけ、小説に含まれている情報の非常に多量なことにへたりこみ、乱反射にくらくらしています。だからこそ読み耽って愉しいのですけれど。
昨年の今じぶん、「日曜美術館」で甲斐庄楠音を取り上げていました。溝口の映画は一つも見ていないので彼の美術がどのようなものだったのかわかりませんが、番組で紹介されていた、何十年も格闘してまっとうできなかったという「畜生塚」の繪を、たびたび思い浮かべます。
秋成の旧姓が松尾でしたのね。
「貧福論」の蒲生氏郷が会津若松の前に伊勢松坂を治めていたのを思い出し、「仏法僧」の芭蕉から宣長につないで思ったり、聯想に遊んでいます。 囀雀
☆ 桜桃忌 瑛
書家の石川九楊氏が書いた『一日一書』を朝開いた。 太宰 治の『駆け込み訴え』は私の愛惜の一編とある。
学生時代にアルバイトで買った筑摩書房版第三巻(昭和30,12月20日、定価四百二十円)を取り出し、読みました。太宰というのは教養がありすぎる男ですね。才能に溺れる姿がいい小品になって綺羅星のごとく、「月見草」を美しくしている。文語の聖書を読む。イスカリオテのユダ。
* 今日が桜桃忌だったことを、すっかり忘れていた。三十八年も経ったのだもの。太宰賞を授賞して旬日も経ず「作家さよなら」という手記を筐底に書き残していた、わたし。ずいぶん長々と引っ張ってきた、受賞以前の気持ちと暮らしに、もう帰っていい時機だなあ。
☆ お元気ですか、風 花
日曜は、富士山の五合目まで車で行き、埃っぽい登山道を四百メートルくらい登り、フウフウいいながら下りてきました。
いやー、頂上まで行く人は偉い!
てっぺんは、すぐそこに見えているんですけど、実際の自分の歩みに換算すると、遥か彼方です。軽石に覆われた道は、ビー球の上を歩いているみたいにずるずる滑りました。本気で登るなら、しっかりした登山靴でないと、危ないと思いました。
昨日、インターネットで見つけた市内の英会話教室を無料体験しました。
五月でNOVAとの契約が終了し、継続しようか迷っていたのですが、これまでNOVAの勧誘のしつこさに思うところあり、別の教室へ行ってみようかな、とも考えていたのです。
そしたら、NOVAに総務省から業務停止命令が出て、新規生徒を募集できないことになったと、ニュースで知りました。これまでしつこく契約を迫っていたNOVAが、わたしとの契約終了間近になっても何も言ってこないので、妙な気がしていたのですが、ニュースを見て、なるほど、と腑に落ちました。
NOVAは、大きな組織でシステマティックにやっているので、緊張感があり、やる気のある人にはいい学校だと思いますけど。
昨日無料体験したところは、個人経営の教室で、和やかな雰囲気なのですが、NOVAに比べると、ぬるま湯に浸かっている感じがあります。感じのいい先生(オランダ人)だったので、受講しようと考えていますが、自己を律して頑張らないと、なかなか上達しなさそう。
でも、授業は自由な雰囲気で、話したいことを話せそうです。
外国語を学ぶときのモチベーションで大事なのが、「この人に、これを伝えたい」と思うことです。やる気がわけば、単語を調べる手間も、苦ではありませんから。
というわけで、日曜の富士山に、月曜は、英会話見学。ほかにあちこちで買い物と、手つかずだった二階の部屋の片づけで汗を流し、ちょっと疲れました。
それでも花は元気に元気に。風も、どうぞ、お元気で、お元気で。
☆ 蟻 慈
植木鉢の椿を 蟻が盛んに上下しています。
葉の裏に甲の堅い小さな虫? が動きもせず集まっていて 色は白から灰褐色まで。
そこに蟻も集まってせわしなくしています。
この蟻の変わっているのは 枝と葉柄の岐(また)を利用して まるで瘤なりに鉢の土を盛り上げることです。
水を遣ると たちまち蟻がわき出て来ます。
鉢の中は 蟻の中でもとくに小さいこの蟻たちの巣が しっかり出来ているかと思われ・・・・
青い小さなアブラムシが柔らかい芽にびっしりついて困るのは度々ですが このように堅い葉の裏に 毛虫でもなく まるで蟻の牧場の様な有様は 初めてです。
なんなンでしょう。
2007 6・19 69
☆ 一冊のノート ハーバード 雄
今日も朝から晩まで電気生理実験.ボスが改良したセットアップにも大分慣れ,何度か神経細胞に電極を入れることに成功する.しかし,相変わらず,期待するような結果が得られない.これは,セットアップのせいではなく,僕の標本作製に問題があるのだろう.
何か手がかりになるような文献はないだろうか,とネットで検索しているうちに,たまたま,こんなファイルを見つけた.
http://neuro.med.tohoku.ac.jp/Life_science/readings/yawo_Chapel%20Hill.pdf
現在,東北大学教授として活躍されている八尾寛先生の,京大大学院生時代の思い出を綴った文章.当時ノースカロライナ大学教授で,新たに京大に教授として赴任された久野宗先生の手紙を紹介している.
久野先生の学生に対する丁寧な文面にも驚かされたが,手紙の内容が現在の神経科学の中心的テーマとさほど変わらないことにも驚かされる.久野先生の目指していたことの新しさ,そして将来を見据えた目の正しさに驚嘆する.
久野先生の門下からは,多くの優れた生理学者が育っている.やはり,研究の系譜というのは,優れた師から優れた弟子へと受け継がれていくものなのだろう.多くのノーベル賞学者の師もまたノーベル賞受賞者であることが多いのも,同じ理由なのだろう.
八尾先生の文章を読んでいて,僕はある1冊のノートのことを思い出した.
そのノートは,高速超遠心機の使用記録簿.僕が大学院時代を過ごした研究室の機器分析室に置かれていた.この高速遠心分離機は,僕が師事した教授の前任にあたる教授から受け継がれたものであり,前任教授が退官された後も,共通機器として現役のまま毎日のように利用されていた.前任の教授は,日本でも最も著名な生化学者の一人であり,その研究室からは,著名な教授が数多く輩出されている.
頻繁に利用される機器ではあるが,使用記録はせいぜい1行で済むから,使用記録ノートもそうそう更新する必要がない.そのため,機器そのものだけでなく,使用記録ノートまでもが前任教授からのものが引き継がれて使われていた.
超遠心機は,スピードが安定するまで,そばに付き添っていなくてはならない.試料の重さのバランスが合っていないと,大惨事になるからだ.開発当初は,2階建ての建物の1階に置かれ,2階から操作したほどだ.
スピードが安定するまでの間,このノートをめくっていくと,色々と驚かされることが多かった.
使用者のところに「長田」とあるのは,今年から京大医化学教室の教授になられた長田重一先生.細胞死研究の世界的権威.「K.Arai」とあるのは,新井賢一・東大医科学研究所名誉教授.細胞増殖因子のインターロイキンの研究などで知られる.「N.Arai」とあるのは,奥様の新井直子・米DNAX研究所主任研究員.「渋谷」とあるのは,今年の3月に東大医科研を定年退官された渋谷正史教授.血管内皮細胞増殖因子の受容体研究の第一人者.よその研究室からも使いに来る人があったようで,「山本」とあるのは,東大医科研の前所長である山本雅先生.
こういう錚々たる名前が並んだ使用記録簿というのは,それだけで値打ちがある気がする.今は世界に冠たる研究者達も,サンプルを氷に突き刺して遠心機の前に立ち,このノートに自分の名前を刻み,遠心機が回るのをこうして待っていたのかなあと,思いを馳せたりした.
勿論,このノートを使用した皆が偉くなった訳ではないだろう.しかし,そこに名前を書くだけで,あたかも自分が連綿と続く研究史の1行に名を連ねているような錯覚に陥った.
僕の師事した教授も,日本で最も著名な神経科学者の一人だったが,この3月に定年退官を迎えた.僕の先輩に当たる方々の中には,現在活躍中の研究者も多い.先ほどのノートにも,それらの方々の名前が見受けられる.
おそらく,遠心機とその使用記録はまだ共通機器として残されていることだろう.次にそれらを受け継ぐ研究室が出来,そして,またそこに名前を刻んでいく人の中から,のちに大きな発見へと結びつく人が現れるのかもしれない.
* なんともいえず、こういう文章に背を押される。逆立ちしても知り得なかった世間だ。 日付が変わって、もう二時。これから寝床の本を読みに行く。
2007 6・19 69
☆ もう、絶望的 香
氣が滅入つてならない。
ひとり、氣を揉んだとて、氣を滅入らせた(へんな日本語)とて、どうなるものでもなけれども、この国(どなたかは美しい国といひ、どなたかは神の国とおつしやつてゐる)、あと十年保(も)つかしらん。
官僚だの政治家だのといふ種族にいゝやうにいぢくられ、喰ひものにされ、それをいゝことに、あるいはグルになつて、ハイエナの如き悪徳商人は跳梁跋扈。
一方で働く場も与へられぬか、与へられても生計を立てゝゆかれぬ低賃金しか手にできない人たちが増え……。これで、人心が荒れすさまぬはずがない。これが「うつくしい国」かい。聞いて呆れる。あゝいやだいやだ。
わたしは、政治に無関心ではないし、政治に参加できる唯一の機会である選挙にも一度も棄権したことはない。そして、政権を執る側に票を投じたことも、たつた一度の例外(村山内閣誕生のとき)を除いて、無い。それなのに、わたしたちの生活は、六十余年間の長きにわたつて政権を執り続けてきた一党の思ふがまゝにされてきた。
こゝに来て、一党支配、否、一党独裁はますますはなはだしくなつて来たではないか。もう、絶望的。
お酒でも呑めれば、ヤケ酒を呑むところだけれど、下戸にはそれも出来ぬ。ねこの曾我五郎時致を相手にぐちつてゐる。ヤボだなあ。
* もともとそうでしたが、ひとしお永井荷風が慕わしくなっています。
「政治的」という悪しき姿勢が、政治屋でないタダの人をもスポイルし、地位や権力に平身低頭すり寄り、なんとかおこぼれにあずかろうと右往左往する情けない世の中になりました。そのためには、弊履のごとくプライドも慎みもすてて陣笠を勲章かのように冠りたがるのです。じつにまんまと人間の質は、蟻地獄に吸われるように見苦しくゲスに落ち込んでゆく。広い意味では自身もそうなのかと思うと情けなく、それは政権与党の横暴のせいというより、自分が、われわれが、あまりにひ弱い日本人であるがためかと、出来ることなら日本人をやめたくすらなるのです。日本を出て行きたくなるのです。
あなた、ごまめの歯ぎしりも何の役にも立たないと嘆かれていましたね。投げ出すわけに行かないと思いつつも、永井荷風を慕わずにおれません。 湖
* 気の弾むことも気のくさることも、無い。ナンにもなく穏やかに過ごした。目先の用が片づいたので、明日は足任せに出かけ、帰るとも泊まるとも気儘にしてきたい。土日の前なので、泊まりがけは週前半に出た方が良いのかも知れない。
2007 6・20 69
* 甲子さんのきちんとした良いメールを貰っていた。毅然とした筆致で、我が国の某党が、某国の元大統領を日本人国籍があるからと参院選挙に引っ張り出そうとしていることに、嫌悪の念を漏らしておられた。なにをかいわんや。
2007 6・21 69
☆ 午後2時6分からの夏 ボストン 雄
今日から夏になった.
別に僕が決めたわけでなく,朝,テレビをつけたら,気象予報士が「今日の午後2時6分から夏です」と言った.日本にも立夏があるので,「今日から夏」と言われれば,ああそういうものかと思うのだが,午後2時6分というのは,一体どういう根拠に基づいているのだろう.「6分」とは,アメリカらしからぬ細かさだ.
別に何が変わったという訳でもない.気温はここ数日と殆ど変わらない.大学の夏休みは大分前から始まっている.先週,夏休みをとってビーチに行った人も隣のラボに2人いる.
今日まで夏でなかったということは,昨日までは春だったということか? とても、そうは思えない.そもそも,春は何時から始まったのだろう.寒い日が続いているうちに,少し暖かくなったかなと思う間もなく,気温がぐんぐんと上がって,いっきに夏の気候になってしまった.
日本は今年,空梅雨だというが,こちらでは梅雨もへったくれもない.梅雨のじめじめとした気候は好きでないが,2時6分から夏ですと言われるのも味気ないものだ.
今日は新しい実験手法を試すべく,韓国人ポスドクのヒューノにやり方を教わって実験したが,あいにく失敗に終わった.なかなか難しい.
ヒューノに実験を教わっていると,ニュージーランドからの研究者でヒューノと1年間居室を共にしていたフィルが,手を差し延べてきた.「明日,ボストンを発ってニュージーランドに戻るよ」と言ってきたので,握手する.ヒューノも少し寂しそうに握手していた.
「今戻ると,冬なんだよ」とフィル.確かにニュージーランドは南半球だから,今帰れば冬だろう.ボストンの長い冬の後に再び冬とは気の毒.
そういえば,先日のバーベキューパーティーを最後に,ポルトガル人ポスドクのミゲルもラボに姿を見せていない.おそらくもう,ボストンにはいないのだろう.先日ラボを解雇されたアンドレイも,先週まではラボに来ていて,今までよりかえって真面目に実験していたのだが,今週に入ってパタリと姿を見せなくなった.最後の追い込みだったのかもしれないが,何のためにあれほど実験しているのか,誰も結局分からずじまいだった.
ボスに用事があったので,秘書のフィリスのデスクの前で待っていると,フィリスが話しかけてきた.しばらく話していると,フィリスが「cionaはずいぶん英語が上手くなったわね」と言う.
とんでもない.むしろ僕自身の印象ではリスニングの能力が高くなったと思えないし,話す方に至っては,かえってたどたどしくなっている気さえしている.
「そんなことないわよ.来た頃はひどかったわ.本当にゆっくり話さないと理解できなかったし」.
ひどい...来た頃は ‘pretty good’ と言っていたので,あまり上手くないんだろうなとは思っていたが,そこまでひどく思われていたとは.
冬にボストンに来て,もう夏.気づかないうちに少しずつ,自分を取り巻く状況も自分自身も変わり始めているのかもしれない.
* 日々の自問自答がどんなに「雄」をリラックスさせているだろ。いい夏を迎え過ごし、どうか根気よく。
2007 6・22 69
☆ 伊勢海老や煮魚 ハーバード 雄
実験の途中に廊下に出ると,普段見慣れない女性が,別のドアから廊下へ出てきた.このドアは関係者以外知らないはずのドアなので,どうして知っているのだろう?と思っていると,同じドアから今度は男性が.
去年,うちのラボから独立してミュンヘンにラボを構えたトーマスだった.先に出てきたのは奥さんだった.初めてラボを訪れた際,奥さんにもお会いしたことがあったのだが,顔はすっかり忘れていた.
この時期,ボストンから車で2時間ほどのところにある,ウッズホールの臨海実験所ではサマーコースが開かれており,トーマスは講師として教えに来たのだとのこと.うちのボスも,来週,講師として参加することになっている.トーマスには,先日のミュンヘン行きに関して,準備段階で色々と世話になったので,礼を言う.
ボスがコロラドに出張に行ったせいか,トーマスが懐かしいせいか,皆,仕事そっちのけで延々とトーマスと話し込んでいた.僕は昨日の実験のリベンジがあるので,話にはあまり参加できなかった.
ウッズホールの臨海実験所は,イタリアのナポリ臨海実験所,日本の東大附属三崎臨海実験所に次いで古い臨海実験所であり,海産無脊椎動物の研究者にとっての聖地.ボストンにいる間に一度は訪れてみたい.
日本の各大学の臨海実験所は,いくつか訪れたことがある.最後に訪れたのは下田にある,筑波大学の臨海実験所.セミナーに参加しに行った.帰りに立ち寄った店で食べた煮魚の味が忘れられない.
一昨日,マイミク湖さんのホームページに書かれていた熱海の食堂の話を読んで以来,伊勢海老やら煮魚やらが頭の中でぐるぐると回っている.ボストンで,美味しい煮魚が食べられる店は,どこかにないだろうか.今ならば給料も入ったばかりだし,多少贅沢してもいい.多分,ないだろうけど.
2007 6・23 69
* 土曜日曜は閑散としている。こういう日にいいメールが届いたりすると、ニッコライなのだが。
のんびりしながら、湖の本の初校をおおかた終えた。もう少し、そして跋を書いてしまう。印刷所に戻してしまえば、発送への用意に追われ始める。
2007 6・23 69
☆ 湖様 瑛
いつも多くの話題、時事問題、文学、交友録その他を読ませていただいております。若い世代のかたがたの「生活スタイル、ものの見方考えかた、行動力」も、僕の視野を広げてくれます。
また「バグワンの言葉のある解釈」は大変ありがたく拝聴しております。
☆ 記憶のコーヒー 香
メジャーカップで量つてコーヒーの豆を挽く。明け方に見た夢をぼんやりおもつたり、テーブルにこぼれてゐるはなびらを拾つたりしながら、ミルの把手をまはす。部屋中にコーヒーのにほひがひろがつてゆくにつれて、夜型人間の頭にかかつてゐる靄も少しづつ薄れてゆく。わたしには朝のコーヒーは、毎朝、顔を洗ふのと同じ、缺かすことはできない。
子供のころ、コーヒーはあこがれの飲みものだつた。父の友人ちから「――君の腰巾着」といはれてゐたわたしは、父に喫茶店などにもよく連れられていつたが、コーヒーを飲ませてもらつたことは、一度もなかつた。
晩婚だつた父の四十歳過ぎての初めての子といふので、ずいぶん可愛がられたらしいが、遊び相手になつてもらつたり、やさしく手をひいてもらつたりした記憶はない。連れられてゆくところも、古本屋、骨董や古道具のお店、喫茶店など、およそ、子供にはふさはしくないやうなところばかりだつた。幼い娘が喜ばうが喜ぶまいがおかまひなしで、ただ、どこへでも腰巾着を下げてゆくといつたふうだつたのだらう。かびくさい店の中で長い時間ほつたらかしにされたことも多かつたし、歩くときも、わたしの歩幅にあはせてくれるやうなことはなかつた。大股にすいすい歩く父のコートや羽織の裾、ズボンの脇などをつかんで、わたしはいつも小走りだつた。
喫茶店でも、わたしに何が欲しいか訊ねてくれたことは一度もなく、注文はいつもコーヒーとホットミルクにきまつてゐた。今とちがつて冷房のない時代だつたから、夏の暑いさかりなど、一杯のホットミルクを飲むと、全身、汗びつしよりになり、くたびれてしまふほどだつたけれど、この注文が変へられたことはなかつた。
裾の方に金属製の透かし模様のカヴァーの嵌めてある、厚手で背の高いコップのミルクをふうふう吹きながら、父の前のコーヒーを羨ましくながめたことを思ひ出す。
父のカップの脇には角砂糖が二つ、きらめいてゐた。アンデルセンの「みにくいあひるのこ」がうつくしく変身したときの白鳥のやうなミルクポット、そしてカップには、子供は飲ませてもらへない飲みものが、とても飲みものとはおもはれない色をたたへ、刺戟的なにほひを放つてゐた。
父はせつかくきらきらしく整へられた角砂糖やミルクに手をつけないまま、コーヒーを口に運ぶことが多かつたが、時には、一つだけ角砂糖を入れ、ミルクを入れることもあつた。四角の白いかたまりがカップの中に沈むと、ややして、こまかなこまかな泡が浮かんで消える。スプーンをかるく揺らして混ぜる。ミルクをしたたらす。褐色の液体の表面に妖しい渦巻模様がゆるく動く。何度見てもそれは荘重な儀式であり、おまじなひだつた。
まれには、幼い娘の好奇と羨望のまなざしに氣づいて、角砂糖を一つ、わたしのミルクに落としてくれることもあつたが、たいてい、本を読むか、パイプたばこをくゆらしてゐるかで、相手をしてくれたことはなかつた。
それはいつもと変りない父の態度だつた。しかし、どこかちがつたものが感じられた。わたしは、それはコーヒー、あの、あやしくそそのかすやうな液体のせゐだとおもつた。そして、そのやうな不思議なものに親しんでゐる父に、また、父に微妙な変化をもたらしてゐるコーヒーといふ飲みものに、かすかな畏怖とときめきを覚えてゐた。
コーヒーを初めて口にしたのは中学生の時だつた。北原白秋の、
ニコライ堂この夜(よ)揺りかへり鳴る鐘の大きあり小(ち)さきあり小さきあり大きあり
を、教えへてくださつた先生に連れられて、その鐘の音を聴きに駿河台のニコライ聖堂に行つた時のことだつた。冬だつた。沈んだ草色の大きなドームの上に厚い雲が低かつた。そこだけ、べつの世界、べつの時代の空気に包まれてゐるやうな、ふしぎなあやさしさをただよはせてゐた。裾の長い僧衣を着た赤髭の司祭や、黒いヴェールに顔を隠した貴婦人があらはれさうにおもはれた。
鐘の鳴らされる時刻に間があつた上、たいさう寒かつたので、先生はわたしを連れて近くの喫茶店に入つた。父以外の人と喫茶店に入つたのは、それが初めてだつた。
そのころ、父は健康を害してゐて、コーヒーや煙草から遠ざかつてゐた。わたしをお供に、古本屋や骨董屋などを覗く習慣も失はれてゐたし、喫茶店の客となることもなくなつてゐた。
先生はコーヒーを注文なさつた。「何がいい」と訊かれ、わたしは「わたしも」と言つた。武者ぶるひするやうな氣持だつた。なぜか、はつきり「コーヒー」と言へなかつた。
コーヒーが来た。サイフォンのフラスコの中に球形をなしてゐるコーヒーが、目の前のカップに注がれる。わたしは動悸した。父の行つた「儀式」をなぞるやうに、スプーン一杯の砂糖を入れ、ミルクをしたたらせた。あこがれてゐたコーヒーは想像してゐたよりも苦く刺戟的だつた。舌を刺した苦みが身体中にひろがり、神経のどこかがツンとしびれた。今までに口にした食べ物、飲みもののいづれにも似てゐない不思議な飲みものだつた。ゆつくりゆつくり飲みながら、わたしは、初めてのコーヒーを父とではなく、ほかの人と飲んでゐることを、うしろめたくも、また、残念にもおもつた。
窓の外はみぞれになつてゐた。
* 好いエッセイ。
☆ お元気ですか、湖 司
お懐かしく。お懐かしく。
仕事はもとめられるまま、続けています。
いろんなことがありますが、なんとなく人の世話で時間を取られています。
欲が無くなっているような、欲を持たなければいけないと思うような、不思議な感情になります。
自分のためにすることは沢山ありますし、体力と気力は続かないし、人が聞けば単なる怠けでしょうし、悔しいし、と、複雑です。
今日は今東京から戻ってきました。
☆ ありがとうございます。 波
仕事も終章に向かって歩み始めています。
秋には下の娘一家と二世帯住宅にリフォームして同居する予定です。
お孫さんのこと 季節のめぐるたびに思われるお気持ち とてもよくわかります。
どうぞ お体に十分気をつけて 過ごされますよう。
熱海のハーブガーデンには、何年か前に家族旅行で行きました。
☆ 花はゆっくり、睡眠をむさぼってしまいました。
風は、熱海ですって。お疲れ残っていませんか。お元気ですか。
昨日は、夕方に駅方面へ散歩し、スパゲッティを食べて帰宅。バタンキューでした。
どんよりした梅雨空になってきまして、蒸しますね。
花は、風にそよいで咲いています。
☆ 梅雨らしく 泉
やっと降り出しました。相応に季節は往来して欲しいものです。
先週金曜に**さんと意見が一致して、映画『主人公は僕だった』を観てきました。彼女は映画通で、驚くほどよく足を運びます。好みは、80%は似通っています。
この映画、ダスデイン・ホフマン エマ・トンプソンとなると、想像も出来ます。
新聞にあったマーク・フオスター監督の話では、「現代人の健康志向、長生きは結構だが、心から何かを望み、それに向かって強く生きているかを自問して欲しい。漫然と生きる現代人に、愛に打ち込む姿を通して『真に生きること』を問うた」と。
また、「携帯電話や電子メールはコミュニケーションをやりやすくしたが、現代人の孤独感は強まっているようだ。恋愛のように体温を感じる心の触れ合いこそが人を救い、生の尊さを感じさせる」とも。
その奇抜な設定に拍手を送り、映画って、やっぱり面白いなと思わせました。
昼食をしながら、先日行ってきた浄瑠璃寺や岩船寺の話を持ち出す、と既に数年前に訪れていたと聴いて驚き、この秋にまた行く予定とか。
以前、浄瑠璃寺の阿弥陀堂に火を灯した美しい写真を観た事がありました。つい先日、テレビで偶然にそれを眼にして釘付けになりました。
春、秋、お彼岸の中日に点灯されるのは読んでいました。開かれる扉は下半分だけの物であり、お顔を含む上半身の部分は格子戸があるので見えません。ですから池越しに下半身は望めます、が、上半身はなんと、池面に幻想的に映っているのです。千年以上昔のこの素晴らしい演出に頭を垂れます。
今日は婿さんの所用の間、むべと孫との三人、手持ちのチケットで二十年ぶりに根津の弥生美術館へ行き、その足で不忍池を抜けて、むべが大のお気に入り、国際子供図書館で時間を過ごしました。此処は人さんに教えてもらって以来、随分人にも教えましたよ。子供より大人の閲覧者を多くみました。
本日は、よく歩きました。
映画っていいですね。
「オール アバウト マイ マザー」繰り返し観ています。
「トーク トウ ハー」 観損ねて心残りの映画。H・Pで非常に誉めていましたね。
「ボルベール(帰郷)」近日上映。
スペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督の女性賛歌三部作とあります。これは見逃しませんから。
ほな おやすみやす。
* みんな平和に、と。もう、わたしもやすもう。
2007 6・24 69
☆ 秦さんへ 千葉E-OLD
ふらりと(?)熱海 目に浮かびます。何ともいいですね。そうして方々へお出かけになるのですか?
ご心配ご厚情を戴き、本当にかたじけなく御礼申し上げます。おかげさまで少しは動けます。ほんとに「気を張って元気でいよう」と思っています。老人ホームへも楽なふうに行ってます。本も読めます。(根気がありませんが。)
>東京から何線・・最寄り駅・・少しお話します。
家は、千葉市の大宮団地です。( JR千葉駅から東へ約10km、もう20kmで九十九里へ出られます)
基本的に妻と二人です。
十年でも二十年でもお付き合いください。お言葉に甘えて秦さんに何がして貰えるか考えています。うれしい限りです。
奥様にもご心配を戴きまして誠ににありがとうございます。よろしく御礼申し上げてください。秦さんも奥様もくれぐれもお大切にしてください。拝
☆ 熱海の話 鳶
苦笑したり、嘆いたりしながら読みました。温泉地に行って温泉に浸かれなかったとは。いつでしたか、わたしも書いたことがありましたね。活気のなさ、悲しいけれども熱海の街には、陽気さも気概もなかった。北海道の夕張が赤字転落の自治体と騒がれ例に挙げられますが、熱海も全国に同じ状況にあるいくつかの (かなりの)自治体の一つだと報道されていたのを見たことがあります。
とにかく商店も温泉も観光地も・・また来たいなと思わせるものがなければ、必ず寂れていきます。商売とはそういうものだと思います。
まあ、最後に美味しいものに会えてよかった。これは第一に鴉のため、そして、せめて熱海のために。
おたずねの室津は、今は静かな鄙びた漁港。賀茂神社や秀吉が大阪に運ばせた大きな石の一つが何故か残されています。
シンガポールに行くのは7月5日です。以前行ったときもそうですが、絶対見たいものとかはないので、ひたすら食べることを楽しんで、そして勿論今回は、大切な祝儀があります。
2007 6・25 69
* 山形から、甘い桜桃がたくさん贈られてきた。熟が、こころもち遅れていたようだ。おいしい。美しい。嬉しい。
2007 6・26 69
☆ 蟻 その後 慈
雨が降り しとしと降り 椿の枝の蟻の巣?? は・・・
やっぱり少しこわれて 蟻は一匹うろうろしているだけ。放棄しますか? 蟻さん。
最初このつちくれを見つけたときは 乾ききっていて 指で触れると すぐざらっと壊れてしまったのです。
また出来たので あ 蟻の仕事だったのね? と。
☆ 花はここ二三日夜更かししまして、睡眠不足です。欠伸が出ます。
風はお元気ですか。
日曜、リーアム・ニーソン主演の「レ・ミゼラブル」を見ました。かような小説を生み出したフランスの社会と政治を想い、胸が熱くなりました。
ジェラール・ドパルデュー主演のフランスのテレビドラマも存在するらしいので、見たいです。映画より長く、ジャン・バルジャンとジャベールの対決をじっくり描いているそうです。
歴史ものの映画やドラマが好きです。きのうのエリザベス女王のドラマを見逃し、がっかり。今夜は忘れないようにしないと。
外の植木と室内の植物に肥料をあげました。
元気のないソヨゴと、瀕死のグリーンネックレスには特に、「がんばれ、がんばれ」と声をかけています。
伊勢海老、おいしかったでしょうね。ウーン、おいしかったでしょうね。
空想の風の肩に、空想で頭を乗せると、とても落ち着く花です。
* 四時に寝て八時前に起きている、わたしも眠い。いっそ自転車で走ろうかと思いつつ、機械に捕まっていた。
☆ 変なメールの発信者のアドレスにわたしのアドレスと酷似したものがあり、気味悪いので携帯のメールアドレスを変えました。何処からそのよ
うな情報が、と思うような嫌なことも常に気をつけないと、と思わされました。取り急ぎアドレス変更のお知らせです。
雄君の食物に関して。ベトナムのフーはとてもポピュラーな麺、それに限らずアメリカでは何でもある感じがします。確かにアメリカ料理はハンバーガーやステーキなどあまり洗練された料理はないかもしれません。が、逆説的に多民族国家アメリカには実に多彩な料理が身近にひしめいていると。食材も宗教上の規制があるからイスラエルやインドなど専門の店があります。食べ物を楽しめるのはその国に溶け込み理解するのに良い方法でもあります。それに雄君は若い!
眼科検診、とにかく眼は命、ですもの、大事に大事になさってください。そういうわたしの眼も悪くなっていますが。 鳶
☆ 谷崎愛 曙
いま、谷崎潤一郎を本気で読むために。掲載してくださいまして、ありがとうございました。
学生に化けられるものなら是非お伺いしたいのにとあきらめていた講演を読ませていただき、大変感動し襟を正す思いがいたしました。
先の「愛、遥かに照らせ』の感想に「文藝愛の人」と書きました。あらためて、文藝に命を賭けて生きることはこういうことだと教えていただいたようです。
「思うまま、心ゆくままに谷崎について語りたい書きたい、そのために先ず小説家になりたいという希望」をお持ちになった。そのことの純粋「谷崎愛」に胸うたれます。
>優れた論文は「正しくて面白い」と。
優れた評論は「面白くて正しい」と。
そして作家論も作品論も、その作家と作品とを未曾有に豊かに太らせるものでありたい、と。
>それなら、いっそわたしは奨めたい。作家の「年譜」を熟読なさるように奨めたい。良く書かれた「年譜」は、つまり「最高の研究成果」と謂える。
こういう視点での文学への接し方は、めったに書けないと思いました。
>谷崎潤一郎の文学のために最高に「いい読者」で自分はありたい。「谷崎愛」の三字は、その実意その覚悟であったと申したい。
谷崎ほどの文豪の読者にふさわしい、いわば海面下の氷山ほどの蓄えをもち、航海でいえば十分な船の底荷を積んで、「いい作者」の「いい読者」たるにふさわしい用意を常に怠るまい、と。
>私に言わせれば、それほどの「谷崎潤一郎」なのです。それにふさわしく常に「用意」して渾身の愛で「読みたい」というのです。そのためにわたしは勉強したし、そのために小説家に成ったのです。「谷崎愛」です。
個人的に泣けました。文藝に対してここまで謙虚に熱く愛を貫くことのできる人は、めったにいないでしょう。
水上勉さんはさすがすぐれた作家です。「隠し子」という独特の表現で秦恒平の真実を喝破なさいました。
湖は、谷崎と松子夫人の肉の子どもではなくても、霊的な意味の子どもなのです。ソウルメイト、トウィン・ソウルという言い方もあるかもしれません。谷崎と松子夫人の間に生まれるはずだったお子さんの生まれ変わりなのです。湖の求めてやまない「身内」とはつまり、肉の繋がりでなく、魂の繋がりだと思います。そう考えますと、湖の第一のお身内は文豪谷崎潤一郎でありましょう。松子夫人は湖の霊的母親という役より、湖の恋人のほうがよく似合う。明確な否定がない限り、曙は湖と松子夫人に恋人のような特別な関係がおありだったと信じています。曙が松子夫人の立場であれば、湖を誘うでしょうから。
秦恒平が谷崎潤一郎の最高に「いい読者」であるように、曙は、秦恒平の文学のために最高にいい読者でありたいとどんなに願っていることでしょう。いかんせん、自分の用意(勉強)の足りなさがただ恥ずかしく申しわけない気持ちでいっぱいです。船の底荷が軽すぎます。直感的に湖の文学に対して抱く愛と尊敬に間違いはなくても、評論を書くに力が足りません。凡才には限界があります。情けないことです。しかし、悲観する必要もありません。将来かならず若冲のように、ブームがきます。
それに、何より湖に隠し子がいる可能性あり……。二十年早く出逢っていましたら、何人かいる隠し子の一人の母親は間違いなく曙でありましたでしょう。せめて、谷崎にとっての松子夫人の何十分の一、何百分の一でも、曙がみづうみの世界を豊かにできたら、生きた甲斐もあるのでしょうけれど。
ところで、今日の私語の以下の部分気になりました。
* むかしなら、すぐ仕事に成ると思えば躍起になって書き起こしただろう材料を、今は私語のなかに溶きこんで、みんな流してしまっている。自分一人の満足だけをいえば、それで足りているから。
幾つもいくつも、いわばファイルを起こし大(題のことか?)もつけておいて、いま本を七冊も八冊も同時に読んでいるあのように併行して書いてゆけば、一つ一つが作品に成ってゆく。そんな功名心にかられるのが鬱陶しくて、その意味で「闇に言い置く私語」には功罪が問われるだろう。
天が許しませんよ、そんなこと。
他の人にない才能を与えられているから、その代償として湖は恐ろしい試練も背負われたのです。私語に「みんな流してしまっている」なんて天才の浪費です。私語ももちろん優れた作品ですが、小説ではありません。作家秦恒平には小説を書いてほしいというのが多数の読者の願いではないでしょうか。
功名心で書き始めたとしても、いつのまにか文学に渾身の愛を捧げている。それが湖です。いつでも才能のままにらくに書けるから書かないで満足するなんて、書きたくても書けない人間からしたら、信じがたい冒涜。
人格が偉大な文学の才能に劣るなんて言われませんように、小説を書いて書きまくってください。書いているうちに、作品は作者の手を離れ天の高みまで達していく。藝術とはそういうものでは。湖の最高傑作はいつも次の作品とみんなが知っています。
おそばにいたらお尻ひっぱたきたくなります。やす香さんに一日も早く小説を読ませてあげてください。
お元気ですか、湖。次回の配本待ち遠しく。熱海のカロリー過多を早く解消なさいますように。 曙
* 読者はみな「いい読者」だと思っている。けれど実にいろんな人がいても不思議でない。わたしがもっと若ければ「隠し子」の母親になり得たろうになどという超級のお世辞は、古稀をやがて二歳上越してゆく老人には、かなり刺激の強い好意満点の揶揄と思わねばならない。安全無害。やれやれ。
しかし老年の性は、老年の藝術である文学の最高主題だと中村光夫先生は言われたし、谷崎先生は『瘋癲老人日記』をみごと書き置いて逝かれた。お二人の先生とも、明らかに今のわたしより高齢であられた。まだ捨てたモンじゃないぞ、と書いておこう。誰かわたしの子を産もうという人はいないかな。
☆ 美男ではなかつた 香
新芽の、花かと見まがふ薄紅色やごく淡い浅緑、そして、頼りなげに蔓の先がふらふらしてゐる一鉢、「ビナンカズラ」の札がついてゐた。美男といふより美女といひたい風情だけれど、光源氏の美貌を褒めるのに、「女にて見たてまつらまほし」なんて言つてゐるから、ま、美男葛といふのも的はずれではないと、手もとにおくことにした。
けれど、幾年か経つうちに葉つぱはバリツと厚く逞しく、色も、花にも見えたあえかな色はどこへやら、濃いみどりになり、なかにはくすんだ朱色を帯びてゐるのもある。なよなよした美男はどうしちやつたの? これぢや百戦錬磨の強者(つはもの)ぢやない。
ところが、この強者が可憐な花を咲かせた。幾鉢かに株分けしたその一鉢にそれもたつた三りん、径一センチちよつとくらゐだけれど、けつこう、高い香を放つてゐる。わが家に来て五、六年にして初めての花である。
よろこんであつちこつちに、この、むかし美男の花を言ひふらしてゐたら、「それ、初雪葛ぢやないの?」といふこゑあり。慌てゝネットや図鑑で調べたら、美男ではなくて初雪でした。やつぱり美男はわが家にふさはしからずか。
* ハハハ。
2007 6・26 69
* あいかわらず右脚、痛い。
* 明日とまちがえて、危うく眼科検診をミスするところでした。午後で助かりました。
エリザベスの後半は、凄みもあり堪能しました、観ましたか。ヘレン・ミレンに脱帽。上下編を通してよく計算された構成でした、が、やはり後半が緻密でした。前半のレスター伯にくらべると、後半彼の継子のエセックス伯はちんぴらのようで、いま一つグッと差し込んできません。イングランドというのは凄い歴史の国です、議会制などの深く学びたい面も、いかにも食肉人種のすさまじい面も。「ジェントルメン」という歴史的にすすどい階級の、紳士というあやしき仮面が、もう素顔に張り付いて素顔そのもののようです。
病院がすんで脚が痛くなかったら、浅草辺を歩いてから帰ろうと思います。
2007 6・27 69
☆ 親切 もお国柄 バルセロナ
昨年、日本に帰ったときのこと。
ある製品を買いたくて、秋葉原のヨドバシカメラに行った。広々とした店内に所狭しと並ぶ商品、120度の視野に一瞬にして7~8人もの店員のユニホームが飛び込んでくる。素晴らしい! さすが日本。
あまりの品数と店員数に、うろうろするのは止め、直接、目当ての品を店員に尋ねる。新米さんは一瞥してから、私に断って上司を探しに行った。
「申し訳ございません。そちらの商品は現在扱っておりません。ハイ、確かに以前はお取り扱いしておりました。と言いますのも、以前はアメリカの××社様と日本の○○社様が提携しておりまして、我が社は○○社様を通じて××社様の商品の方もお取り扱いできたんですね、ハイ。それがY年M月をもちまして、 ○○社様と××社様の提携が打ち切られましたものですから、私たちの方でも××社様の商品を取り扱えなくなってしまったんです、ハイ。今現在、××社様と提携されている日本の業者様がおりませんので、××社様の商品を探されるのは難しいかと思われます。また、○○社様と××社様が今後再び提携されるかについては、今のところその見通しはないように聞いておりますので、ハイ、お客様の探していらっしゃる商品が今後こちらに入る見通しも、今のところないかと思われます、ハイ。あっ、ここにまだ××社の商品が出ておりますけれど、これは、交換用のパーツでして、○○社様と××社様の提携が打ち切られたとは申しますものの、昔この機械をこちらでお買いあげくださったお客様のために、こうして在庫分を・・・・・・」
腹の中で波打っていた笑いが、すんでのところで噴き出すところだった。
イタリアやスペインで道を尋ねると、ああだこうだああだこうだ実に親身に説明してくれるのに、いざその通り行ってみても、目的地に着いた試しがない。というような話を、よく聞く。
秋葉原のヨドバシカメラで、私は、その商品があるかないか知りたかっただけなのに、エラく長い説明を大層シンセツにされた。なあんだ、日本人だって同じじゃないか。私はそう思った。
それを、こちらに住む日本人の友人に話したところ、それは違う、という。
日本人が「お客様」にあれほど親切丁寧で、頼みもしない説明を十も二十もつけてくれるのは、それが「仕事」だからではないだろうか、と。どう? 往きすがりの人に道を聞いて、アナタそんな応対されたことないでしょう、とも。
逃げ腰に、関わりたくない素振り・・・タシカニ。
逆に、こちらの人々は、道端であれほどフレンドリーなのに、お店や仕事では手のひらを返したように無愛想だ。単に無愛想な人が多い、という理屈では当て嵌まらないものがある。どうも彼らは「仕事」だと思うと機嫌が悪くなり、無愛想になるのではなかろうか、と。
オモイアタルフシアリ。
ちなみに、この国は、客と店員の立場が、日本と見事に逆転している。
店員様は客からお願いされない限り動いてはくれない。それも、全身から《遣ってあげている》臭を放つものだから、いつの間にその横柄な店員様に二度も三度も礼を言っている。私用の電話が鳴れば、万事中断、十分二十分平気で喋るし、割り振られた休息時間が来れば、客が待っていても姿を消してしまう。50ユーロ札で4ユーロの買い物をしようとすれば、お釣りがないから売れないわ、と断られ、やりたくなければ、今忙しいの、とくる。仕事なんかに一滴の《愛想の果汁》だって注いでやるものか、そんな意気込みすら感じることがあり、「お客様は神様」の国からきた日本人にとって、これは、腰が抜け、開いた顎が外れるほどの驚きだ。
それが「私」の場では、別人になる。重いものを持っている人には自ら手を貸し、ドアを開けてあげる。道を聞けば、分からなくてもうんうん考え、それでもだめなら、別の人を引き留め、その人が分からなければまた別の人に聞き、気づくと道往く人々が皆足を止め、ああだこうだ議論している。こちらはすっかり恐縮して、ほとほと逃げ出したくなっているのに、待ちなさい、大丈夫、今解決してあげるから、と手まで握られることすらある。
「仕事」だから親切になれる日本人、「仕事」だからこそ不親切になれるスペイン人。
確かに、そんな印象がある。むろん、決め付けるつもりも、括りつける気もない。
今回一緒に旅行したこちらの友人は、日本人のあまりの親切さに、心底びっくりしていた。お店でも、レストランでも、ホテルでも、駅でも、課せられた仕事以上のことを進んでやってくれる。こちらでの生活に慣れた人が、驚くのは当然だ。(時折、その親切さを鬱陶しく感じるのも事実だが。)
日本で印象に残ったことのひとつに、彼女はこう話していた。こんなにこんなに親切な人たちが、どうして、電車で老人が倒れそうになって立っていても、平気で座席に座っていられるのだろうか、と。
そうか、「仕事」じゃないもんな。咄嗟に、そう思った。でも、きっと、それだけ「仕事」で疲れているのかも、と、ついつい弁解がましいこともつけ加えていた。
面白いな、と思う。
決まりごとを守らないと非難の目で見られる国があって、決まりごとに従っているとバカなやつと笑われる国がある。
年寄りに席を譲ると感心される国と、年寄りに席を譲らないと非難される国がある。警察が先頭切って交通ルールを尊重する国と、警察だからどんな交通違反も許されてしまう国がある。
私が今いる国は、決まりごとに従っているとバカなやつと笑われ、年寄りに席を譲らないと非難され、警察だからどんな交通違反も許されてしまう。今のところ。
でも、これは私のものさしで、測るものさしのスケールが変われば、振り分けられる側だって変わってくる。
ちょっと、とりとめない話になった。
* なるほど。
2007 6・27 69
☆ 外は暑かったでしょう。お元気ですか、風。
窓を開けると、家の中は涼しく、まだエアコンはいりませんね。
昨日まで蒸していたので、家の中に富士山からの風を通しています。
エリザベス一世は、録画しました。
フランスの歴史も興味深いけれど、イギリスもまた独特。深い関心を持っています。
花はモンティ・パイソンという、イギリスのコメディグループのファンです。彼らのスケッチは、イギリスの歴史や政治、社会階級の軋轢をネタにしたものがほとんどです。イギリスについて知っていると、彼らのスケッチを、より楽しめます。
コメディでも、映画でも、音楽でもいい、かような興味・関心が、異文化との対話のはじまりではないかと思っています。
日々、事故なくお過ごしになってください。 花
2007 6・27 69
☆ 秦 先生 「電子文藝館」メーリングリストからも去つてゆかれたのですね。とても、さびしい。いつも、おこゑをお聴きしてゐるやうな気で、メールを拝見してゐましたから。
おみ脚の痛み、梅雨どきといふことも手伝つてゐるのかも知れません。三十くらゐの時ですが、スキーで右足を複雑骨折して、二度、手術を受けましたが、そのあと、何年も梅雨どきや雨や雪のとき、痛んだり、異和感があつたりしました。一昨年、池袋駅で人に突き飛ばされて怪我をしましたが、やはり、今、ひどい目に遭つた右足が痛い、痛いと申してをります。
どうぞ、おたいせつに。
御目のこともお案じ申しあげてをります。お医者さんのことばをお容れになつて……と、どなたもおつしやり、耳にたこだと、お思ひなさるでせうことを、ほかになすすべも申しあぐべきこともみつからぬまゝ、申しあげる次第です。
拙文「美男でなかつた」に「ハハハ」と、かたかなの笑ひごゑ、うれしく承りました。 香
* メーリングリストは委員会運営には必須のツールで、文藝館では、かなり長い期間、盆も正月もなく昼となく夜となく活用してきたが、関わりが無くなるとこれほど煩わしい通信はなく、早くと頼み込んで、割愛してもらった。
2007 6・28 69
☆ パソコン回復し、嬉しくてメールを送った友人から、2001年の日付だと指摘されました。
牛の腹(どんなんやろか)と表現のふくらはぎ、象の足みたいなんやろか、しかとは分かりませんが、これ以上悪化しない為の飲食や運動は本人の認識以外にないしね。
やむを得ず仙人の様に蟄居する生活は、まだ十年は早よおっせ。運動がんばって。
私がウオーキングや自転車運動だけなら三日坊主請け合いですが、先に楽しい目的を持てば、ラクにこなせます。例えば映画は家のテレビでと固執しないで、映画館に運ぶ足を運動とすれば一挙両得。シニアは千円で、二時間はお邪魔虫なく大スクリーンで別世界に浸れます。
先月、ヘレン・ミレンの「クイーン」を映画館で観ています。エリザベス二世を演じてアカデミー女優賞を得ました。現存のエリザベス二世のダイアナ元妃の死亡に関連しての苦悩を描いた内容でしたが、楽しめました。日本の皇室ならば、とても撮らしてもらえるものではないでしょう。
二夜連続のテレビドラマ「エリザベス一世」を見逃す筈がありません。これは映画の次の作品だったのかしら。演技のうまい女優さんは惹き付けられます。
ゆうべは昼間の楽しい運動(バド)で眼がすぐくっつきました。 古希の泉
* 杜甫は日々心ゆかず役所の帰りには曲江畔で酔いつぶれていた。酒手の借りはどこかしこにある。しかし「人生七十古来希」と。生きているうちに存分呑もうと。こっちは七十も通り越してしまったことだ、酒債こそないが杜甫の詩情、わたしの思いにちかい。
2007 6・28 69
☆ タドタド・ドタドタ 甲子
大変ご心配をおかけしました。危惧しておりました元大統領が比例区からの出馬表明を、タドタドシイ言葉で話す姿をニュースで視ました。
ペルーには30%の支持者がいるから、とチリへ赴いて言っていたのに、何ということでしょう。
だいいち、あの日本語で日本の議員が務まるのかいな。
多くは申しません、投票には欠かさず行っていますが、わたしが投票した候補者はただの一度も当選したことがありません。日本人の政治感覚に呆れています。
戦時宰相だったチャーチルを戦争終結と同時にアトリーへ、さっと首をすげ替えた国とは較べようもありません。その意味で無力感におそわれます。 これでわたしの書く方向が決まりました。
ほかにもメッセージをいただきました。返信はしていませんが、書くことでお答えにしたいと思っております。
ゲリラシャワーのような天候。お身おいといくださいますように。
* 狐につままれたよう、信じられないバカらしさ。ペルーの国民にも日本国民にとっても、侮辱。ナンナンだ、これは。
羊頭狗肉をもっともっと悪辣狡猾に平々然と多年やってのけてなお平々然とした食品会社の会長だか社長だかの、あの顔。ああいう顔つきは、勘定高く、利用できる限りのもの・ごと・ひとをみなラクラクと踏みつけにし、ただただ腹中をみたす顔だ、下劣なまさに人を食った話だ。
☆ どうして「OK」というのかな、と不思議に思っていました。語源、おもしろいです。
今日も暑かったですね。花はまだ扇風機で頑張っています。
風は汗かきサンですか。
花は小説をかきました。これから推敲に取り掛かります。
じゃがいもと玉葱をたくさんいただいたので、これから炒め物を作ろうと思います。
* 「かき」「かき」と来て、「これから」「これから」と来て、あげく、文章の推敲とは上手に美味しい炒め物かのようで、無意識だろうが、変におもしろいメールだ。
2007 6・28 69
☆ 開店一ヶ月経ち 近況です 巌 ・従弟
梅雨もそろそろ半ばとなりましたか 身体・気持にはしんどい事も多い時候 大事無くお過ごしでしょうか。 ホームページはいつも立ち寄り読ませて頂いています。
こちらの小売店舗 六月一日に開店し一月が経ちました。 お客さんは少ないながらも毎日あり 元気にやっております。
お客さんに焙煎した豆を手でも触れるように 友人に焼いて貰った夏茶碗のような朝鮮唐津と 家に在った朱塗りの菓子皿に飾っています。
「今採ってきたのよ齧ってみるか」と胡瓜の差し入れを 持ってきて頂いたご近所さん それを見ておられてたのか 淡交社刊の雑誌「なごみ」の唐津の特集の号も。
それで今 「茶の道廃るべし」を読んで頂いていて
「金沢(=宗推・宗汀・宗也)先生の事が出てきてびっくり この叔母さんと書いてある方も秦さんというの? 私も金沢先生三代の一門なのよ ...」
父と同い年のご近所さん 長らくお茶を教えもされていて 今でも五条まで折々行かれているそうでした。
このご近所さんや従姉達にいろいろ助けをして貰って やっています。
近況も この拙いメールだけではなんともですので コーヒー豆を送ります 明日には届くと思います。
嗜好品ですので好みというのはありますでしょうが ちゃんと焙煎業者として出せる 楽しんで貰える物です なにがしか伝われば幸せです。
それでは またメールします。 拝
* 感謝。南山城の加茂駅にまぢかく、お店を開いたと。一度わたしも訪れたことのあるご両親の住まいを利しての開店。もし焙煎のコーヒーを買ってみようと思って下さる方には仲介したい。
2007 6・30 69
☆ 月夜と雨と雷と 雀
『雨月物語』にけりをつけ『武州公秘話』にうつりました。
九月半ば、城、かがり火、老女、若君、屋根裏部屋、月が照らす夜、生首に向けられるうら若き美女の微笑、白く細い指が梳く死人の髪…という冒頭が、あのような結末になるとは思いもよりませんでした。これから『聞書抄』にかかります。
「また青菜のお浸(ひた)しィ」は存じておりましたが、「さよならあんころ餅、またきてきな粉」は知らんかったわァ。夏越(なご)しの祓(はらい)です。赤いものを召し上がって、どうかどうかお健やかに。 囀雀
☆ ふりだしに戻る ボストン 雄
(前略) こちらに来て半年が過ぎようとしている.新しいアパートを見つけ,新しい環境に住もうとしている.これまでの半年は無駄だったとは思わないし,思いたくはない.アメリカでの生活に慣れただけでも,大きな収穫だと思わねばならない.日本は恋しいが,多分,いま日本に戻ったら,浦島太郎のような感覚を味わうことだろう.それくらい,アメリカの生活に慣れてきた.
前に日記でも書いたが,今は何一つうまくいかない.仕事は勿論のこと,色々な問題が山積している.正直言って,辛い.
しかし,考えようによっては,今は過渡期なのかもしれない.過渡期は決して心地よいものではないが,変わるには必要な時期だ.ここをどのように乗り越えるかで,今後が決まってくるのだろう.
人間の真価が問われるのは,何か成功を収めた時でもなければ,それによって表彰される時でもない.それらはあくまで過去の結果にすぎない.他人は結果で相手を評価するけれども,それは所詮,他人の評価だ.他人の評価がどのように変わろうと,その人自身の本質が変わる訳ではない.その人の真価が本当に決まるのは,逆境をどのようにして乗り越えていくかだと,僕は思う.
* まあただよ。もういいよとは言はれまじ。もういいよとは、もうおしまひぞ。 湖
2007 6・30 69