☆ 夢見る頃を過ぎて 箭
父親の具合が思わしくなくて、毎週土日は実家に戻っている。母の具合が良くなかった時に、月一で様子を見に行っていたが、年末に帰省出来なかったら、正月に母はなくなり、死に目に会うことが出来なかった。あんな思いは二度としたくない。神戸と東京往復は正直キツイけれど、昔の友人に会ったり、子どもの頃の思い出の場所に出かけたり、忘れていたことを思い出したり。案外この状況を楽しんでいる自分がいる。
母に死なれた時、産まれて死なれて、二重の受け身を背負って初めて生きることの意味が分かった気がする。高校生の時に出会って以来、大切にしてきた秦恒平さんの小説に書かれていることが実感をともなって、本当に理解できたと思う。
父も同じ思いを抱いたようで、もともと父とは仲が良いほうだったが、母がなくなってから、絆が深くなったと思っていたが、今度は、その父の調子が良くない。
柱を何気なく見たら、子どもの頃、身長をはかるために、父が鉛筆で付けた記しがいくつも残っていた。4歳から13歳までの40本の線が残っていた。10 年間かかさずに3か月に一度背をはかってくれた。13歳で終わっているのは、それ以降は身長が止まってしまったからだ。何だか感傷的な夜に乾杯でもするか。
* 胸をしめつけられるようです、お二人の念々平安を心底祈ります。いま掌に珠玉の「時」を保たれています、どうぞお大切に。 湖
☆ 石の花 馨
最近、子どもに読ませるのによい本はないかな、と探していたときにふと思い出した本。
「石の花」。
小学校2年か3年の学級文庫にあって「石なのに花なんて、どんな話なんだろう」とわくわくして手に取った記憶があります。
内容はもうほとんど覚えていないのですが、石工の若者がすばらしい彫刻を彫りたくて、よい石を捜しにいき、そこで石の女王と出会い、という設定だったような気がします。
若者の、恋人との少し切ないエピソードもあり、オリエンタルな雰囲気の挿絵とともにとても奥行きのある物語で、ずっと借り続けていた本でした。
大人になった後もときおりその味わい深い雰囲気だけを思いだして「また出会いたい」と思っていた本でもあります。
思いついてネットで検索してみると、物語の中の「石の女王」は孔雀石だったのですね。ひらがなで「くじゃくいし」と読んだ画像がはっきり蘇ってきました。くじゃくみたいな石ってどんなものなんだろう、と物語のワクワク感がさらに深まった記憶も。
孔雀石。マラカイト。
思いがけず、今の私にはおなじみのものでした。
あの「手の届かない」「想像もつかない」どんなにすばらしい石なんだろう、と思ったあの女王の石。
いま、大人になった私があの頃の私に出会えたとしても教えないだろうな。
「緑青という、あの顔料の原石だよ」とは・・・やっぱり教えないだろうな。
マラカイトはとても美しい石だけれど、子どもの頃にワクワクしながら想像した「女王」たる石は、私の心の中でもっともっと美しくて手の届かない崇高なものだった気がするから。
孔雀石という言葉はもうすっかり目になじんでいるのに、「石の花」とは結びつかなかったのは、私の中で「くじゃくいし」は孔雀石ではなかったから。
緑青は、絵画の緑を描く時に古くから使われてきているもので、そのため実験室で絵画の修復試験を行う時に、私もしばしば使う材料の一つです。そのくらい一般的な材料となってしまっています。確かに数ある顔料の中でも高価な物の一つですが、でも、今や画材屋さんで確実に手に入れられる物でもあります。
私の考えていた「石の女王」や「石の花」はそんなお金であがなえるものではなかったから。
今回調べてわかったのですが、「石の花」はウラル地方の民話をもとにした話で、ロシアバレエにもなっているそうです。
ロシアの民話はなぜか大人になってから「読みたい」と思わせるものがあるようで、学生時代に「森は生きている」を唐突に購入したこともあります。
あれも不思議と余韻の残る話ですよね。
「石の花」にしても「森は生きている」にしても、四季や花を大切にする思いが、どことなく日本と通じ合うからかしら、などとも思ったり。
子どもの本を選びながら、自分の歩いてきた読書を思い出すのって幸せな作業な気がします。
* いい思い出がよみがえりました。 お変わりなくて。なによりです。 湖
* 美術の雑誌に依頼して書いてもらった論文以外、また学生の昔以外、「馨」さんのメールやメッセージは、ことごとく、この話しかける文体でもらってきた。この話しかける口調が、言葉の奔出や湧出を、ときに豊富にし、ときに抑制し、なかなか心がけた優しい効果になっている。この人は書き飛ばさない。インターネットに送り出す前に何度も読み返しているだろうと思わせるほど、修辞にいつも落ち着きがある。もしこの口調でなかったら、あるいはかなり辛口な文体になるのかも知れない、と、遠い昔の教室でのアイサツなどしきりに思い出そうとしている秦さんです。手の届く押入れのすぐ其処に、わたしは、あのころの学生たちがくれたアイサツを、一枚も散らさず保存している。
2007 7・1 70
* 孝一さん 包みをみるから香ばしい好もしい珈琲を、たっぷり頂戴しました、有り難う存じます。コーヒー好きの家内も大喜びしています。豆を挽く音までが楽しめます。お礼申します。
お店に、いいリピーターが定着し回転しますように。近くにいたらデスクを借りて書き仕事の出来るような佳いお店だろうなと想像しています。
つとめの昔、たしの「書き仕事場」は余儀なく街なかの喫茶店でした。性に合うお店を見つけるのにも苦労しました。初期の大方の小説も評論もわたしは喫茶店で書き上げてきましたよ。
でも、そういう客も困りものかなあ。
お元気でお過ごし下さい。芳賀や伊藤の妹たち、姪・甥たち、元気にしてるでしょうかね。 恒平
* 四国から讃岐うどんたくさん、金沢から純米吟醸の銘酒二本、京都からそれは甘いトマトたくさん、池上から蕎麦を山のように、そして従弟からは丹精焙煎の珈琲豆を七種類も、贈ってもらいました。感謝。
2007 7・1 70
* なにより先に朗報を記録したい。海外青年協力隊に加わって日本をはなれていた「慧」君から便りがあった。
パラオ ?! 咄嗟に、地理が分からない。
☆ 秦先生、約半年のご無沙汰です。 慧@パラオです。
今年1月より長野県駒ヶ根市の青年海外協力隊訓練所で 約2ヶ月班の訓練を経て 3月末に日本を出国し、早3ヶ月が過ぎました。
ようやくこちらでの生活にも慣れてきて、少しずつ地元のコミュニティに参加し始めているところです。
パラオは 第1次世界大戦~第2 次世界大戦終了時まで日本が統治していたことや、直通便であれば6時間程度で日本から来られることもあって日本人観光客も多いので、大抵の人は、日本に対して知識があります。
ケーブルテレビでNHKの国際放送やアニメを見られることも 日本の浸透に一役買っていると思います。
また、JICAの援助も色々と行われているため、「JICAのボランティアです」と言えば、
「おお、JICAかー」と言って親しく声をかけてくれます。
レストランやスキューバダイビングShopには”JICA割引き”というものがあり、地元の人と同じ価格でサービスを提供してくれたりしています。
話変わって、私が今現在住んでいるところは、新首都にあたるマルキョク州というところで、人口250人程度の長閑な村です。
幹線道路が工事中のため、最も発展しているコロールからかなりの悪路もありつつ、車で1時間というところです。
旧首都のコロール州の人口が10,000人を超え、スーパーマーケットや雑貨屋、レストラン、果ては価格は高いものの コンピュータパーツShopにも事欠かないのに対し、マルキョク州はまったくの”田舎”なのですが、独立当時の憲法の定めにより、昨年2006年に台湾からの援助を元に現在の地に国会・政府・裁判所の三権のオフィスを建てたのだそうです。
鬱蒼とした山林の中に突然そびえ立つビルは、ある意味異様ですが、その美しい外観から格好の観光スポットとなっています。週末にはコロールから観光バスでやってきて、海岸で一休みしていく台湾人観光客をみかけることも日常茶飯事です。
仕事は、当初は、財務省の予算統計局に属するため、税金や各種統計情報の収集・分析をサポートすることになると思っていたのですが、複雑な税制や各種制度に対する理解が足らないため、まだそこまでは手が回らず、まずは部署全員にMicrosoft Officeの使い方を教える講習会を開くことにしています。最終的には講義を受けた全員がMicrosoft Office Specialistという認定試験を受験し、合格できることを目標においています。
言葉の方は、通常使用されるパラオ語はまったく分からず、専ら英語で話をしていますが、ときどきパラオ訛りの英語を聞くと、思わず「???」となります。
例えば、千を表すthousand(=サウザンド)を”タウシェント”と発音したり、木曜日をThursday(=サーズデイ)ではなく、”ゾーズデイ “といったり、といった具合です。最初は聞き返すにも勇気がいったのですが、今は、「少々変に思われても仕方ない」と考え、開き直って遠慮なく聞き返しています。
ここまで活動はまだ3ヶ月目を過ぎたばかりなのですが、あっという間だった感じです。
様々な国に散らばって活動している同期隊員の中には、水道、電気もきていない、とか、気温50度の砂漠地帯、とかいう人もいますが、それに比べればパラオは本当に住み易い国だなーと思います。
それでは、また、折を見てメールします。
(添付写真は大統領の弟さんに連れていってもらったロックアイランドという無人島の砂浜と、首都、それに職場の同僚との写真です)
p.s. 道の両脇にはずっと椰子の木があるのですが、その木の下に車を止めていて、椰子の実が落ちてきて車の窓ガラスが割れたりしても、それは車を置いた方が悪い、というのがパラオのルールだそうです。かと言って、それを未然に防ぐために椰子の木を切ることには国民は大反対。
実際被害にあった人はたまらないでしょうが、自然を残すことを重視するパラオの面白いルールだと思いました。
* どうしているかなあと想い想い、便りを待っていた。よかった。
すてきな写真で、転載したいと思うものの、うまく出来ないのが残念。海と砂浜も、首都の建物も、慧クンの東京で会うよりも遙かに健康そうな笑顔も、とても佳い。
胸のつかえがキューッと下りた。
☆ HPに載っていたので驚きました。「ウズベキスタン5」はどちらかといえば寒々しいことを「殺風景」な散文の書き方で書いたからです。
「ただ一人の立場」「しっかり保って」それはいささか疑問の余地あり、気恥ずかしい思いです。ただ一人が不幸か、幸福か…、そう書かれる人がいつも見守ってくださいましたよ。だからただ一人とは言えないでしょう。
社会的な意味でのただ一人? 幸か、不幸か、それは私自身にも分かりませんが、多分そのような問題提起をしたことがないのです。それは社会的に何がしか評価され、あるいは文学の団体や人・創作に携わる人との繋がりができ、良い刺激を受ける場に近づけることでしょうか。
確かに素直な気持ちを吐露すれば、そのような場が開けたら嬉しいでしょう。いくらかの飢餓感は解消され、有頂天にはならないほどの充実感や自己評価ができたら、それは嬉しいでしょう。ただしすべては未知、です。
以前書いたかもしれませんが、私自身の弱さによって、引きずってきた屈折した思いがあります。そのためにただひっそり生きることが自分の生き方だと思ってきました。長い間、書くこと・・創作的な行為を突き放し、禁じてきたのです。
わたしの人生が、暮らしが幸か不幸かということは分からない。幸福になりたいか、不幸になりたいかと問われれば、ごく普通に幸福になりたいと答えますが、幸福が生きる目的と言えません。それは状況や結果だから。しかも常にあやうく、儚いものでしょう?
幸せへの途上? の現在、瞬間が圧倒的な意味をもっているでしょう。どのように取り組み、受けとめるか。それはまた常に語ってこられた[ 今、此処]でしょう。
このところ少し体調が悪かったので、今は痛みを意識しないですむ、単純にそのことが嬉しい、幸せです。 鳶
2007 7・2 70
☆ 秦さんが何事にも常に強い意志で取り組まれることに、ただただ感服しています。少しでも見習うことができればいいのですが、怠けてばかりです。
肺ガン術後3年を経過して肺と腹部のCT検査を受けましたが、異常なしとのことです。まだ脳と胃の検査が残っていますが。
安倍内閣に対しては腹立ちを通り越して、まともに向き合えなくなっています。参院選の結果によってすこしでも展望が開けることを願っています。マスカットとニューピオーネを、西崎ぶどう園を通じて今週中にお届けします。 玄 e-OLD 岡山
* 年配者だけでなく「昴」のように若い元気であるべき人も、治療のために入院していたりすると、無性に心細くなる。若きも老いも、みな恙なく晴れやかにいて下さいますように。
☆ お元気ですか 鳶
用事でこれからでかけます。明日はさらに忙しく、そして明後日はシンガポールヘ出発です。
昨日のメールで書き残してしまった大事なことは、書くこと・・書くことは内面のいくらかの噴出ですが、それは必ずしも自己確認や自分の癒しのためだけではないということ。何かを人に伝えたい、少しでも語りたい、からではないでしょうか。今更、ですが改めて思います。
自費出版のことは考えたこともありますが、今一歩踏み出せませんでした。「編集」が一番の問題です。
最近はコンピューターからの原稿で、かなり安い金額でも自費出版が可能になってきているとか。提案いただいたことに関して、踏み切るかどうかの答えは、イエス、です。その後の具体的なこと、今は真っ白です。
同人やグループに関して今は保留します。どのような人たちがどのような形で集まっているのか、それが自分にとって何をもたらすか、全く見当がつきません、本当に知りません。地方に住んでいる、ということもあります。
取り急ぎ、ここまで。
くれぐれもお体ご自愛ください。
* 書くということに、この人、なかなかここまで踏み込めない歳月があった。人が歳月を運ぶのか、歳月が人を押すのか。「イエス」は力強い一言。
2007 7・3 70
* 二時間、文字通り昼寝して生き返った。睡眠が不規則になると消耗する、要注意。梅雨らしいのか、梅雨になりきってないのか。明日は雨でも出かける用がある。
山形県村山市の有名な「あらき蕎麦」主人から一度来ませんかとお誘いが来た。もう昔に一度立ち寄ったことがある。校正刷りをかかえて出かけようかなあ。
2007 7・4 70
☆ 独立記念日 ハーバード 雄
今日は,アメリカ独立記念日.アメリカで最も大きな祝日と聞く.普段,花火を上げることは禁止されているそうだが,この日は花火を上げて盛大に祝う.
一体,どれだけ大きなイベントが行われるのだろうかと,少し期待していたが,僕のアパート周辺は至って静かだった.
今日は,一日中,自宅に籠もり,来週火曜日に当たっているプログレスレポートの準備をしていた.やはり今のラボに来て最初のプログレスレポートということで緊張する.ただでさえ緊張するのに,英語となるとなおさらだ.
昔,英語での発表が当たったときには,必ず原稿を書いて準備したが,さすがに今回はしない.本当はした方が良いのかもしれないが,仮に書いたとしても,今からでは頭に入らない.まして,原稿を読みながらの発表は最悪だ.
それに,原稿を書くとしても,僕の場合,音読してみることが重要だ.実際に声に出さなくても,頭の中で音読する.こうすることによって,文章の流れのおかしいところや,句読点の位置をどこに打つかが明確になってくる.これは,日本語で文章を書くときにも,必ずそうしている.
特に,英語の場合,フレーズのどこで区切るかは重要だ.どこで区切るかでリズムが生まれてくるし,リズムに乗った英語は,聞いていて理解しやすい.
実際に声を出すとなると,中々ラボでやるわけには行かない.今日は自宅で発表練習.
思ったよりは話せた.考えてみれば,ここ2年ほど,前のラボに外国人がいたせいで,プログレスレポートを英語でやっていたのだった.それでも,初めて話す内容のときは気をつけなくてはならない.まだ少しスライドに若干手直しが必要か.
発表準備の合間に,この間の日曜日に買ってきた食材を使って,お好み焼きを作る.こちらでは薄切りの肉は中々手に入らないが,Kotobukiyaには置いてある.薄切りの豚肉のほかに,長芋と卵を購入.こちらでは,サルモネラ菌に汚染されている卵が多いので,生で食べることはできないが, Kotobukiyaのものは品質が良いので,生でも大丈夫と聞いている(本当かどうかは知らない).
ちなみに,映画「ロッキー」で,ロッキーが生卵を飲むシーンがあるが,これを「精をつけるため」と解釈するのは日本人ならではの間違いで,スラム出身であることを表しているのだ,と、以前聞いたことがある.
実家から,長芋や出汁の入ったお好み焼き用の粉を,先日送ってきてくれたのだが,今回は長芋も買ってきてしまったので,普通の小麦粉を使って作る.やはり,前回の作ったものよりは,はるかにお好み焼きらしいものができた.お好み焼きにうるさい人にとっては,これでは満足できない出来かもしれないが,僕にはこれで充分.
それ以外の時間は,今まで取ったデータを,ひたすらパソコンで解析.ここ最近,ラボのパソコンのメモリーが壊れていて,データ解析をしようとすると,すぐにブルースクリーンになってしまっていた.
作業をしながら,時折外を眺めていたが,あいにく今日は天気が悪く,風も強く,夕方からは雨まで降ってきた.花火には残念な天候だ.余りにも静かに一日が過ぎてしまったので,アメリカ最大の祝日という気が全くしなかった.朝,ブッシュが演説しているのを少し見た程度だ.
それにしても,こちらの祝日は建国に関連したものが多い.それだけ国民が自分の国を愛しているのだろうか.傍から見ていると,アメリカは色々と問題を抱えているように見受けられるが,それでも国民が自分の国を愛することをできるというのは幸せなことだ.
翻って,今の日本はどうだろう.愚かな男がトップに立つと,これほど救いようがなくなるものなのだろうか.今の日本を,僕は愛せるだろうか.どんどん日本が遠くなっていく気がする.
しかし,僕自身も,そこから逃げるわけにはいかないのだろう.「国家が君に何をしてくれるかではなく,君が国家に何をできるかを考えたまえ」という J.F.ケネディーの言葉を思い出した.
* 雄クンの好いアイサツを聴いた。だいじなことを、スッスッとまっすぐ書いてくれている。気負ってもいない。好い。
* これで気持ちよく外出できる。
建日子は元気だろうか。しんぼうづよく通院してくれるように。アレルギーはなまやさしい病気ではないのだからね。
黒いマゴは夏やせしている。わたしの掌に顔をうずめて寝入るときもある。眼のちからはしっかりと、美しく光っている。
2007 7・5 70
* 紀田順一郎さんとはまず最初に電子メディア研究会を創った頃からのお付き合い。わたしなどより遙かに電子メデイアの世間では名の通った、蓄積の多い方で、あのころから何かにつけ教えられてきた。ほぼ同年配の先輩であるが、ご老人の介護などあり、委員会から早くに引かれていたが、「ペン電子文藝館」への出講や、なにかにつけ要所で頼ってきた。その昔にも池袋までお越しいただき、話したことも。この人など、もっと早くにペンでは働いて貰える場所があったろうにと、今頃になりもったいなかったと思うのである。
* 街はめっぽう暑かった。池袋で昼食し、ゆっくり時間をつかってから、都心へ移動。朝の脚の痛み、ほぼ脱けてくれていた、ホッとした。
2007 7・5 70
☆ 今年の山一番は 巌
三十六年ぶりに蘆刈山だそうですね。
先日のメールに書きました ご近所さん 当方の開店初日にお祝いも頂き コーヒー豆もよく買って頂いているのですが 先程
「本、もう少し貸しておいて ゆきつもどりつしながら ああか こうか と楽しませてもらってる」
と仰ってました。
お弟子さん達にも読ませてみようとの様子もあり そのご近所さんの「宗静」さんに贈りものとしてしたく
『茶ノ道廃ルベシ』
『死なれて・死なせて』
の2冊を 加茂の私の住所に送って頂けるよう御願い致します。
「湖の本」の送金先としては郵便口座のみで 銀行の口座はお使いではないのでしょうか 昼間なかなか店を閉めては出歩きにくいので もし銀行振り込みで許して貰えるのであれば 御願いしたいのですが。
* 「山一番」とは、祇園会巡行の、籤の順。鉾では長刀鉾が籤とらずの先頭を行く。籤引きは今ではなにか安っぽい福引き並みに思うか知れないが、神意を問う大昔はたいへん重い方法として、他国にも例は少なくない。
「宗静」さんというお茶名では、秦の叔母の友達で千家十職袱紗の徳斎ゆかりの方が、梶原宗静さんといいこの方も金沢宗推さんの同門だった。叔母が生きていたら百十歳前後、梶原さんも同年配であったから、もう他界されているだろう。わたしの愛用した何枚もの茶袱紗はみな梶原さんに戴いた。わたしの点てるお茶がおいしいと、よく所望された。いまも梶原さんから手に入れた茶通箱や盆点や臺天目など、ゆるしもの専用の佳い袱紗が手元にある。
2007 7・5 70
* ソロモンの指輪 ハーバード 雄
今週,電気生理のセットを3人でシェアして使っている.普段は大学院生のシュシェンとシェアしているが,そこへさらに,JCの奥さんのモニカが加わった.モニカは1階上のラボでポスドクをしている.
今日も午前中はモニカが実験をし,僕は午後から夕方まで実験.実験している時間は短いはずなのに,何故か妙に身体がだるく,予定していた終了時刻の30分も前にヘトヘトになって,実験を打ち切った.頭痛と肩こりがひどい.
実験の待ち時間の間に,記録したデータを動画にする作業をしていた.記録に用いたソフトは,あいにく僕のパソコンには入っていないため,他のソフトで読める形に変換し,来週のプログレスレポート用の発表資料ファイルに書き込む.
せっかくなので,その中の一つをここにも載せた(割愛).アップロードした画像は,マウスの神経節の中にある,グリア細胞と呼ばれる細胞の活動を,マウスを生かしたまま記録したもの.
グリア細胞には様々な種類があり,小さなものから大きなものまである.以前は,神経細胞と違って,回路を作ったり電気を流したりすることがないことから,グリア細胞は神経細胞のサポートをするだけの細胞だと考えられていた.
グリア細胞は日本語だと神経膠(こう)細胞と呼ばれている.神経細胞と神経細胞との間にあり,「にかわ」のように神経細胞をはりつけ,構造を支持するのだと考えられていた. (中略)
こうした細胞のカルシウムイメージングの画像を眺めていると,星の瞬きを望遠鏡で見ているような錯覚に陥る.私達の身体の中に,小宇宙を見るような思いがする.
地球から見れば近接して見える星どうしは,実際には遠くかけ離れている.それぞれの星の瞬きに,とくに関連は無いのだろう.
しかし,グリア細胞や神経細胞どうしはカルシウムや電流といった言葉を使って饒舌に何かを語り合っている.彼等はお互いに何かを語り合うことで,色々な情報を伝え合い,私達の身体の働きに大きな役割を果たしているに違いない.
神経科学者達は,これらの細胞が何を語っているのかに耳を傾け,彼等の発するメッセージが,何を意味しているのかを明らかにしたいと考えている.
旧約聖書に出てくるソロモン王は,魔法の指輪をはめることによって,獣,鳥,魚達と語り合うことができたという.神経科学者達は,神経細胞やグリア細胞たちが何を語りあっているのかを理解するための,「ソロモンの指輪」を手にしたいと,日夜考えている.
* 実験内容にふれた記事は割愛したが、おもしろい。動画、繰り返し動かして眺めている。
2007 7・6 70
☆ 湖の本の到着を楽しみに 玄
ニューピオーネは実が脱落しやすいので無事に届いたかどうか心配していました。
少し前「私語」の中で紹介されていた小田実さんの『終らない旅』を昨日アマゾンから送らせて入手しました。小田さんの貴重な著作にきっと強い共感をもって読めるのを楽しみにしています。
7月末の参院選に岡山県では自民党の片山氏に対抗して、姫井由美子氏が民主党から出ています。姫井氏はかつて私が勤務したことのある高校の卒業生ですが、タレント候補とは異なり将来に期待のもてる人物だと思っています。「mixi」へのメッセージありがとうございました。
* 桜桃の季が過ぎてゆくと、マスカット・葡萄の季節。嬉しい贈り物が届いた。お盆が近い。よく選ばれたお線香も奈良から戴いた。 2007 7・6 70
* むかし、東大の衛生学にたしか豊川行平という教授がおいでで、医学書院の仕事で何度かお目にかかったりお話を聴いたことがある。その一つに、「手当て」のことが有った。患部にただ「手を当てて」もらうその文字通りが、ちゃんと治療効果をもつことを昔の人は心得ていた、自分も軽い腹痛などは家内に手をじっと当ててもらって治します、と。
海外に行くと、「手のひら」を絵に描いた看板をみることがあるのは、一種「手当て」の医療行為屋さんですよと。
「手かざし」という医療行為でべらぼうに当てた人の出たのは、その話を聴いてのちであったが、わたしが『手さぐり日本 <手>の思索』という連載と本とを売ったのも、豊川先生のお話が強い一つの契機になっている。
* 東工大の教室で藤平信一君に逢った。彼は合気道の全国チャンピオンだったが、お父上が「気」による治療行為の大家で、藤平君はいまは学院を嗣いでいるはず。
このお父上の著書を戴いて、一つだけときどき試みていることがある。指先三本をかためて例えば痛む筋肉などに当て、「気を送る」のである。具体的には指の先が水道の蛇口のように「気」を流し送り始めるまで静かに待つ。肩こりなどは、これで軽減させられる。
黒いマゴや妻の寝入っているときに、そっと首や背で試みると、しばらくして必ず、ビクビクと肌の奥で肉か血かが動き出し、熱くなるのだろうか何も気づかずにきっと身じろぎする。必ずする。そんなとき、指先から水が流れ落ちているのと似た「気」の感触がある。
いま脚の痛んだり、硬結したりするのも、ちょいちょい指か掌かで緩解させている。
2007 7・7 70
☆ ジェノバより 馨
出張でジェノバに来ております。
今日からまたヨーロッパを転々としますので、いつまでネットに繋がっているられるかわかりませんが、但馬皇女の歌を取り上げられているのを読ませていただいて、思わずメール差し上げたく。
というのも最近、万葉集を読み直しており、今回の旅行にも持参してきたものですから。
海外出張には、普段は必ず川端の「古都」を持って行きます。日本が恋しくなったときの、栄養補給と言いましょうか、心のサプリメントとして。
文学作品としての「古都」の完成度についてはさておき、本を少し開くだけでも、やわらかく一気に日本の持つたおやかな部分に包まれることのできる作品です。言葉の一つ一つがすばやく体の中に吸収されていくのです。まさに心のサプリメント。
漢方薬のような奥行きがあるわけではありませんが、スーツケースの中にこれが一冊あると妙に安心するのです。
今回、万葉集も持参してきたのは、このところ読み直している中で、実は万葉集にも同じように言葉からのすばやい吸収力を期待できることに気がついたからです。
以前は、古典は背筋を伸ばして向かい合っていたものですが、万葉集はごく気軽に、それこそ葡萄を口に含んで糖分を補給するように、触れ合えるものですね。それでいて人工的なサプリメントの軽薄さは何もなく、味わおうと思えば上等の葡萄のように何層もの甘味や酸味を見出すことができる。
一度、国内出張にすでに絶版になった文庫本を持っていきホテルに忘れ、着払いにしてまで送り返してもらってからは、出張には、なくした場合に必ず再購入できる本しか持参しないことにしました。
万葉集や古都は、そういう意味でも安心して持参できる作品です。
話が逸れてしまいましたが、但馬皇女。
穂積皇子の「恋の奴」の歌が私は大好き。電車の中から外を見たり、自転車を飛ばしたり、と美しい景色を見るときによく諳んじていました。
昔は万葉集の中でも相聞歌のほうに心惹かれたもので、そういうものばかり拾い読みしていました。
でも、最近は雑歌を中心に読み直しています。
言葉の一粒一粒から湧き上るように、この国のやわらかな情景が浮かびますね。
そういうイメージの喚起力に気がつくようになったのは、子供たちと過ごした1年少しの間に、私の中での日本の情景がとても豊かになったからかもしれません。
以前から地面のあるところにしか住めない人間でしたが、それがさらに強まったと言うか。子供とともに鳥の声に耳をすませ、桑の実の実るのを待ち、蛍を見に行き、棚田の中でオタマジャクシやタニシを見つけ、などと暮らしていた1年間。
子どもたちが私に贈ってくれたすばらしい贈り物でした。
そんな恩人でもある子供を置いて異国の地にいる母は、いつも働きながら子どもたちに詫びているのですが。
一面の青田を見ても以前には「景色」に過ぎませんでしたが、そこに一苗ずつ植えた人がいるのだ、と思うようになった今、青田の中に昔の開墾の苦労まで含めて「日本」とそれを維持してきた先達を見るようになりました。
子どもとともに増えていった、こうした私の中の「情景の引き出し」を持って万葉集を読むようになって、粒だった言葉に気がつけるようになったのだと思います。
但馬皇女に惹かれてとりとめもなく書いてしまいましたが、どうぞ乱文お許しください。
もう少しして朝が来たら、外国の大きな松ぼっくりが見たいと言っていた娘のおみやげに、公園に拾いに出かけようと思っています。昨日、仕事先の近くでたくさん見かけたもので。(土のついたものを持ち込むのは本当は違法かしら)
娘や息子が私に与えてくれたもの以上のものを、この子達に返すことはとうていできないだろうな、と思いつつ。
お体、どうぞどうぞお労わりくださいませ。
身にも心にも「葡萄」の常備は必要ですね、と、北イタリアより。
* 東工大のわたくしの教室には、こんな学生がいたのである、嬉しいことに。ものごとに、いつもこの人は正対している。斜に構えたりしないのが、魅力。教室にいたのはよほど長くて、二年か一年半。以来、十数年が経っている。
穂積皇子の「恋の奴」とは、しかし、びっくり。但馬皇女はこの皇子のもとへ川を渡っていた。
家にありし櫃(ひつ)に鍵さし蔵(をさ)めてし 恋の奴(やつこ)の掴みかかりて
皇子が宴飲(うたげ)の日に、酒たけなわとなれば好んで謡った歌という。光源氏にはるかに先駆したような、色好む御子であったという。
* 譜に書けないのが残念だが、わたしは高校の頃から、自分の短歌や、多く古今の和歌や短歌を好きに歌えるように、専用の曲をつくって持っている。
「笹原のゆるごふこゑのしづまりて木もれ日ひくく渓にとどけり」という十七歳自作に曲を創ったのだが、どんな和歌にも用いている。「久方の光のどけき」にも「近江のうみ夕波千鳥ながなけば」にもひしと合う。歌は、いつも身のうちに在る。
2007 7・7 70
☆ きのうは、暑い中、駅までてくてく歩き、電車とバスを乗り継いで静岡県立美術館へ行って来ました。
企画展のヴェネチア絵画は、まあまあでした。所蔵展にモダンアートのおもしろいものがあり、楽しみました。平日はがらがらで、作品が見やすいです。常設展示のロダンの彫刻のあいだを、好きなように歩けます。歩き疲れたら、カッシーナの椅子で休憩し、贅沢な気分。
美術館を出る頃は、涼しくなっていて、日傘いらずでした。
さっき、外での用事を済ませ、買い物しました。
植木の殺虫剤と、蚊遣りを入手しました。蚊遣りは、渦巻き線香の中央に棒を通し、線香がちょうど観覧車みたいになるように、陶器に置くタイプのものです。
このところ、暑くはありますが、夜には涼しくなりますので、ぐっすり眠れます。
東京はどうですか。
今夜は七夕。せめて牽牛と織女みたいに一度くらいお目にかかりたいです。 花
* 太鼓腹で汗かきの巨漢をみたら、さぞ幻滅されることだろうと苦笑。そして感謝。
2007 7・7 70
☆ 水族館 ハーバード 雄
前から行ってみたかった,ニューイングランド水族館へ行ってきた.
もともと,僕は海産無脊椎動物を扱う研究室に所属していた.プライベートでも,ボストンに来る直前までの1年間ほど,カクレクマノミ(「ニモ」と言ったほうがわかりやすいかもしれない)とイソギンチャクを飼っていたので,海水魚や海産無脊椎動物には強い関心がある.
今,ニューイングランド水族館では,クラゲ特集をやっているのか,かなりのスペースがクラゲの展示に割かれていた.海水浴でクラゲに刺されるのは気分の良いものではないだろうが,こうして水槽に漂っているクラゲは美しい.ゆったりと水中を漂っている様は優雅でもあるし,時間の流れがそこだけ遅くなったかのような印象を受ける.
水族館の中央には大きな水槽があり,その周りをらせん状に取り巻いて,見学者のための通路が出来ている.中の魚はどれも大型のものばかりだった.
なんだか日本に残してきたカクレクマノミなどが懐かしく思われ,グッズコーナーでカクレクマノミやクラゲ,ヒトデなどのオモチャを衝動買い.ラボのデスクにでも飾ろうかな.
クインシーマーケット横に’Wagamama’という日本食料理店が出来ていた.なんでも,ロンドンから上陸したらしい.試しにモヤシソバを頼んでみたが,ラーメンのはずだが,麺が茹ですぎでドロドロになっていた.ボストンに来てからの外食では,最悪の一品だった.ロケーションは良く,店も流行っていたが,もう行かない.
☆ 風はお能に お出かけになったかしらん。 花
さっきまで、NHKの「プラネットアース」を見ていました。驚異の映像のオンパレードで、どうやって撮影したのかなあ、と首をひねり、ひねり。
生き物っておもしろいですね。ペンギンのヒナはとてもかわいい。
そうそう、うちのゴムの木の新芽が開きはじめました。 嬉しい!
2007 7・8 70
* 東工大の卒業生の一人が急に転職し住所も変わった。くわしいことは分からない。転職転進の例は男子にも女子にもこれまでにあったけれど。時世がなかなか読み切れないので、どうか成功して欲しいと願うばかり。
2007 7・9 70
* 好きなマドレデウスを聴き始める。歌声に吸い込まれて、全身の力がぬけ、官能も記憶もココアの色に溶き流されてゆく。何をうたっているのか言葉は分からない。
2007 7・9 70
* 二十年前、早稲田の文藝科の教室で出逢って、いまも連絡、あるいは連携のある人が四人。その一人、たぶん角田光代さんと同期であったろう松島政一君とは、間歇温泉のように間をおいては定期的に両方から噴き上げ合ってきた。湖の本エッセイ21『日本語にっぽん事情』のなかの「日本語で『読む』ということ 春琴と佐助」「再び日本語で『読む』ということ 名作の戯れ」で、わたしに呼びかけられている「M君」である。
その「M君」がまた佳い手紙をくれて、たくさんの「近況」も知らせかたがた、今しも関わっている仕事へ「招待状」を送ってきた。
井土紀州監督作品、三部作の映画『ラザロ』だ、チラシに角田光代が推薦している、「ざらついていて、乱暴で、毒気に満ちた作品なのに、私は至るところに静かな愛情を感じた。それがなぜなのか、映画を見てからずっと考えている。これはそんなふうに、心にべったりはりついてしまう映画だ」と。雨宮処凛も高橋洋もいまおかしんじもそれぞれ興味有るエールと感想を寄せている。
映画『チェケラッチョ』を創った秦建日子の感想もわたしは聴いてみたい。
松島君はそれだけでなく、その秦建日子の仕事への率直な批評も書いてくれているのが嬉しい。批評の向きはわたしにも分かる、納得できる。ちいさなお山の大将でいがちな、その意味では力量ある人との切磋琢磨、しのぎを削る戦闘の乏しいとわたしには見えている秦建日子には、ぜひ欲しい批評であったし、咀嚼してほしい。健康をしっかり回復して、折角、タケって欲しい。体力がゆるせば一緒に観にゆきたい、あるいはパートナーと一緒に観てくれるといい。
☆ 大変ご無沙汰しております。 松
『歌はうたえども、破れかぶれ』という冊子を、以前にプログに書いていただきました。覚えておられますか? その井土紀州が、同封チラシのように、それ以来の大きな仕事をし、私もその手伝いでパンフを作りました。肝心のパンフの方は、初日会場必着というギリギリの進行ですので、まだ手元にはありませんが。
同封しましたのは、ここ何年かに編集した冊子です。ご覧になってもいない映画の冊子、パンフですが、対談部分などパラパラ見ていただければ、と。
様々な出会いがありました。
自分の創作ということにも、正直、気持ちが残りながら、ものを作り出す人の持っている強さに触れることで、百分の薄弱さに40歳を越えてやっと思い至ったような有り様です。
今でも、『畜生塚』など、折に触れて読み返しています。『古典愛読』のように読んでいければ、と思います。
『こころ』は、読み返し観返すことはなくとも、深く心に刺さっています。
先日、ご子息が作・演出した『月の子供』を、本多劇場で拝見しました。ホームレス、ニートといった現代の棄民を、仰々しく描くのではなく、もっと小さく観客に下ろしていく姿勢には、いろいろ考えないことはなかったのですが、それが、80年代演劇的な狂騒や言葉遊びのレベルのポストモダニズムで描かれているようにも感じ、反復によって波のように染みてくる、でも、もっとストレートに、もっと直裁に! と、正直、歯痒いものも感じました。
作者にとっての、役者にとっての「今」は一回だけ。でも、「継承」ということがあるだろう、と。作り手にとっての一回性という以上のものが欲しいと思うわがままな観客ですし、また、その批判は、そのまま自分の送っている日々や、作っている冊子、パンフにも振りかかってくることだとも思っています。
ご子息が脚本を執筆された『ドラゴン桜』の原作マンガが、先日完結しました。情報マンガでありながら、嫌悪を秘めたマンガだと信頼して読み続けてきましたが、それでも大きなところで、体制の維持に加担している主人公であり、マンガである、と。でも、そんな中にも、人と人の絆が生まれていく。いや、さらにそれが、だからこそ、その甘さが毒なのか、とも。志賀直哉が抗い、「和解」してしまったように。
私自身、日々、塾生と接しながら、いろいろに考えます。考えながらも、進んでいかなければならない。考え込むことで、進むことをやめてしまった人も、身近によく見るのです。
徒し事を書き綴ってしまいました。お時間があり、全編3時間余の三部作ですので、体調のよろしい時に、ご笑覧いただければ、と。建日子様にも、お薦めいただければ幸いです。
変わらぬご発展を祈念いたします。
* おりしも毎朝に『ドラゴン桜』が何度目か放映されている。建日子のドラマで、もう一度みたいと思ってきたのは、わたしの場合、これで、原作マンガは知らないし彼も原作にのったのは設定だけと言っていたから、全体に建日子作品と受け容れた上で、やはりあの限りでは相当のところを代弁してくれたと思った。ディテールをいえば、ああいうラフな仕事では至らぬ隙間はいっぱい有るものだし、所詮は現代という体制の掌をはみでることは難しい。そうと知りつつどこまで表現しようとしたか、出来たか、が問題。
もっと他流試合して甘い狭いワクから勇敢に飛び出してゆくリキとハキとがすでに必要になっている。痛いほど磨かれ擦られイジられアプつかねばならないのは秦建日子自身なのだから。
このあいだ駒場でみた「リオ」のある種徹した冒険性にはアトのない潔さが感じられた。「アトのない」吶喊には、未完成な未熟と共に現代の先頭で沸騰する命がけの魅力も感じられる。
* じつはわたしの育った京都知恩院下の新門前、同じ町内にわたしの一つ年上のヤンチャ坊主がいた。その人は早くに東京へ出て、今もテレビドラマの「監督」を続けている。間断なく仕事をしているのでときどき画面に名前をみつける。長く続いていて、さてさほど知名でもないということは、手練れの職人仕事をして業界にしっかり落ち着いているという意味だ、わたしはその点でいつも敬服しているが、そのドラマは何度か見てきたかぎり、通俗な、どうしようもない通俗で普通のテレビ画面でしかない。それも一つの生き方だろうが、行き方でもあろうが、そんなところへ落ち着きたいのかとわたしはときどき内心に建日子の方へ聞くときがある。
そんな仕事ならさっさと、しないでやめるか、心ゆく会心作へねばり強く歩み続けるか、わたしなら、どっちかしかできない。後者をしっかり目指している建日子に今、一つ言ってやれることは、勉強して「伝統をしっかり盗め」ということ。「伝統」に何を読み取るかは彼次第だが、反語めくけれどこういうことだ、「伝統はいつも現代の最先頭で沸騰している」と。また「現代はいつも伝統の最先頭で沸騰している」と。
2007 7・10 70
* もう一つ、ドミトリ・ショスタコヴィッチのSYMPHONY No.10を小沢恵美子が二瓶龍彦らの協力で極限まで踊るSOLO DANCE WORK への招待状も届いた。作曲家の、「ひとつだけ言いたい。この作品で、私は人間的な感情と情熱を伝えたかった」という述懐はあまりに一般に過ぎるけれども、肉体の躍動する表現つまり舞踊や舞踏にかぎりなく興味と愛とを感じるわたしとしては、これまた見過ごせないお誘いだと喜んでいる。小沢さんはじめ関係者に知人はいないのであるが。いい出逢いであれと。
2007 7・10 70
☆ おはようございます、風。お元気ですか。 花
五月にうんと暑くなったので、盛夏が思いやられましたが、七月に入ってからは涼しく、寝苦しさもありません。
九州地方は大雨ですが、ほかは空梅雨なので、足元の心配も少なく、出歩きやすいですね。富士山もさわやかです。
どこかへお出かけになる際は、どうぞお気をつけて。
眼も、お大事になさってください。
花は、日曜のウインブルドン男子決勝の長丁場をまだひきずっています。ちょっと眠い。
いい試合でした。ナダルは昨年より明らかに強くなっていましたが、それをも凌ぐフェデラーの見事な勝利でした。
花はフェデラーを応援していましたので、彼の、ボルグと並ぶウインブルドン五連覇を喜んでいます。フェデラーは25歳、ナダルは21歳。あと数年でナダルへ世代交代がなされるのか、まったく別の新星が現れるのか、楽しみです。
☆ 昨日シンガポールから帰ってきました。 鳶
低血糖のこと、脚の痺れ感、攣縮など気に懸かる様子にハッとします。繰り返しくどいことは承知で、食事や運動に注意されて、どうぞお体を保ってください。
アラビアのワイン、ソロモンの指輪と誘われる響きの言葉が続いて、京の「イノダコーヒー」のメニューのようだと可笑しな連想をしました。生き物と語り合える魔法の指輪、欲しいですね。生き物の一番目にはヒトが入ります。
七夕の織女の解釈、微妙に深い。
明日は尾張へ。姑を見舞いに出かけます。
2007 7・10 70
☆ 京のひとり旅 瑛
比叡山散策の二日を終え、昨日で一人旅を果てた。
朝、牛若丸と弁慶のモニュメントの近くの宿屋から、鴨川沿いに青鷺を見ながら三条まで歩く。
青鷺は東山から朝日を受けてきらめく川面と実に似合う。
何故か。この鳥からは、宮本武蔵の絵を見るような孤独と、宇宙に一体となる無心とが伝わってくる。鳥になって空を飛びたい。
しかしどうも腹は空かしているのであろう、魚の獲にありつこうとしている。三条大橋で高山彦九郎の銅像をじっくり見てから、岡崎へ行き、哲学の道を歩き、初めて霊鑑寺、安楽寺、法然院を尋ねた。
細雪の著者のお墓を、墓守の元気なお爺さんがにこにこして教えてくれた。ここは若い綺麗な女性が多いという。このお爺さんは若さの精をおとなう女性からもらっている。
* 谷崎夫妻、空・寂のお墓のすぐ右隣が、優れた現代の日本画家福田平八郎の奥津城であったのに気づかれましたか。
法然院には永徳の子の狩野光信の檜林を描いたみごとな襖絵があります。東山では好きで馴染んだお寺でした。茶会にも行き、また茶会も茶事もしました。「或る雲隠れ考」「蝶の皿」などを法然院を舞台にていねいに書きました。
ご一緒したかったです。また気が向かれたら誘って下さい。うまく折り合えばごいっしょに京を歩きましょう、そう健脚ではありませんけれど。 湖
☆ 瑛さん いゝ旅をなさいましたのね。 香
旅のをはりに歩かれた道は、わたくしも何度か辿つたことがあります。好きなさんぽみちのひとつです。
谷崎潤一郎のお墓にお詣りして、すぐとなりの、湖さんのおつしやる福田平八郎のお墓に気づいてびつくり、もう、お線香は焚いてしまつて無かつたので、おみやげに買つたお香を少し、焚いたことがあります。
あの墓域をふらついてゐて、九鬼周三や河上肇のお墓にもめぐりあひました。
行きたいな、亡きひとをともなつて。
2007 7・10 70
☆ 外は流れるような深夜の雨降りの音。なぐさめの音楽に感じられます。
街に出る時は、偶然あえないかしら、などと思って歩いています。
おやすみなさい、みづうみ。 夏
* 雨を厭うていては 幾つかみすごしてしまうものもある。堤彧子さんの繪や、上村淳之さんらの繪など観てこようと思う。校正をもって出れば、一区切りまで行くだろう。
明後日は糖尿病の診察日。そして新・言論表現委員会。
2007 7・11 70
☆ 雨ですね。 花
やっと梅雨らしくなってきました。静岡県には大雨警報が出ています。
お元気ですか、風。
今日の午前は英会話でした。会話のクラスは、水曜の午前にあります。
台風が迫っているみたいです。思うようにサイクリングできませんね、風。
外出の際は、お足元にお気をつけてくださいね。
* 出かけるときは軽かった脚が、歩いている内に重く痛んでくる。攣らない限り気に掛けないでムリムリにでも歩いてゆく。具合がわるくなったり軽快したり、気まぐれな脚だ。
2007 7・11 70
☆ ホヤ ハーバード 雄
朝6時5分起床.6時に目覚ましをセットしたつもりだったが,止めた記憶がない.おかしいなと思って確認すると,何とPM6:00にセットされていた.危ないところだった.
身支度を済ませ,7時前に自宅を出る.Harvard SquareのAu Bon Painでベーグルを20個購入.レジの店員の表情が,いかにも不審そうだった.
ラボに着くと,既にジェイとライアンが居て,実験していた.プログレスレポートがあるので,その前に一仕事しておこうということなのだろう.エライなあ.
ノートパソコンをセミナールームに持って行き,プロジェクターと接続してpowerpointのファイルの動作確認をする.一部の動画が正しく動かないことが判明した.なんとか発表までに直す.さらに,思い切って話を簡単にするために,何枚かのスライドを省いた.
定刻よりやや遅れてボスが現れ,セミナー開始.ある程度準備しておいたおかげで,なんとか無事に終了.前半は,僕が今までやっていた研究の中から一つを紹介し,後半は今のラボでの実験経過報告.
前半の話の中で,研究材料として用いてきたホヤについて,簡単に紹介したのだが,どうやらこの部分が最もウケたようだ.プログレスレポートの後,何人かの人からNice talkとかThank you for good progress reportなどと声をかけられたが,お世辞を除いたとすると,ほとんどの評価はホヤへの興味によるものだったように思われる.
ホヤは,日本人(特に東北地方の人達)には,食材として馴染みのある動物.とはいえ,日本人でも,それほど多くの人が口にするわけではない.好き嫌いがはっきりと分かれる食材だろう.
世界で最も多くホヤを消費しているのは韓国人ではないだろうか.韓国には,ホヤを美味しく食べるためのタレがあるらしい.実際に食べたことはないのだが,ビビンパに入っている辛いタレと似ているそうだ.
良く「ホヤ貝」という人がいるが,これは間違い.ホヤは原索動物(正確には尾索動物)に属しており,軟体動物である貝よりも,進化系統樹の上では,遥かにヒトに近い.しかし,魚屋で売られている姿を見ると,一体この動物のどこがヒトに近いのだ,と思いたくなる.
店先で見かけるホヤ(正式名称はマボヤ)は成体(写真左、割愛)であるが,この状態では,2本の管が角のように出ている.片方の管から海水を吸い,もう片方の管から海水を吐き出す.この2本の管の間にエラがあり,エラで海水をろ過することにより,プランクトンを漉し取り,食している.なんともシンプルだ.
ホヤはいわゆる雌雄同体であり,一つの個体の中に精子と卵を持っている.しかし,非常に興味深いことに,同じ個体由来の精子と卵は決して受精しない.つまり,ホヤは精子と卵のレベルにおいて,自己と非自己を認識しているのだ.この現象に関係すると思われる遺伝子は既に明らかになっているが,その詳しい仕組みはまだ充分には分かっていない.
ホヤがヒトに近いといわれる所以は,オタマジャクシ(幼生,写真中央、割愛)の時期にある.ヒトをはじめとする脊椎動物の定義は脊椎,すなわち背骨を持つことにあるが,ホヤはオタマジャクシの時期に脊索と呼ばれる構造を持っている.
オタマジャクシは海水中を泳ぎ回り,岩などにぶつかると,それが引き金となって変態を開始する.変態して成体になると,そこに固着してしまい,植物のように,一生その場で過ごす.
変態して成体になる際に,脊索はなくなってしまう.なんだか進化に逆行しているかのような振る舞いだ.さらに,オタマジャクシの時期には脳にあたる構造もあるが,これも変態の間に壊されて失われてしまう.成体は,もっと少数の神経細胞から構成される「神経節」しか持たない.
精子と卵のレベルでは自己と非自己を識別したというのに,私達が普段考える意味での「自己」のよりどころである「脳」さえ,変態の過程で捨ててしまう.一生の間に,まったく新たな「自己」へと生まれ変わるなんて,なんという生き物だろう,と思う.
ホヤが学問的に有用な理由は他にも色々あるのだが,ここでは専門的になりすぎるので割愛する.
ただ,一つ面白いのは,ホヤの研究者は驚くほどホヤを愛しているということだ.生物学の研究者は数あまたいるが,ホヤの研究者ほど研究対象に愛着を持つ人々も珍しい.日本動物学会の年会には「ホヤの談話会」なる催しさえある.マイノリティーゆえの結束の強さなのだろうか.
たとえば,ホヤの研究者はいちいちホヤとは言わない.いちいち「ホヤ」とつけるのは,マボヤくらいかもしれない.ホヤにはもっと色々な種類があって,例えばユウレイボヤ(写真右、割愛)などというホヤもいる.しかし,殆どの専門家は「ユウレイ」と言う.従って,ホヤ研究者の会話には「幽霊の精子」などという,けったいな言葉が出てくることがある.
さらにマニアになると,実はユウレイボヤの中にはカタユウレイボヤと呼ばれるものと,ヤワラカユウレイボヤと呼ばれるものの2種類あるのだが,「ユウレイ」も省いてしまって,「カタ」「ヤワ」と呼んだりする.
僕はホヤを扱っていた割にはホヤに対する愛着が強くないので,ホヤ研究者と一緒に話をすると,非常に肩身の狭い思いをすることになる.もっとも,扱っていたというにはおこがましい程度の頻度だったので,無理もない.しかし,時々,「ああ,ホヤって,ホヤ貝だろ?」などと知ったかぶりをする人が現れると,思わずムッとして、「ホヤは貝じゃないです」と言いたくなるあたり,既に毒されているのかもしれない.
実は,mixiでの僕の名前は,ユウレイボヤの学名からとった.気づいた方はマイミクの中のお一人だけ.さすがです.
プログレスレポートが終わって居室にいると,ボビーがわざわざ部屋に入ってきて、「面白かったよ.それにしても,歳がいくと,ひとところに落ち着いて,脳細胞もなくなるなんて,まるでボスみたいだな」と言ってきた.なかなか上手い事を言うわい,と思ったが,ボスに聞かれてもいけないので,良く分からないふりをして,のらりくらりとかわした.
何人かのメンバーからもホヤの話は面白かったと言われる.誰も僕の仕事の内容を面白いとは言ってくれないのが,ちょっと寂しい.
しかし,愛知の研究所に居た頃は,医学部出身者が多かったせいもあって,ホヤなどというと顔をしかめられたり,鼻で笑われることが多かった.「ホヤにも精子ってあるの?」という教授さえいた.
このラボにも医学部出身者は多いが,今日のように面白がってくれるのは嬉しい.まあ,ホヤに負けたのなら仕方が無いか,と思わないでもない.
* ホヤホヤの研究発表の話、面白かった。よそながらホッとした。
2007 7・11 70
* アメリカから祇園会の宵山のために来たという池宮さんの電話をもらった。お元気でなによりです。
2007 7・11 70
☆ きのう静岡県は大雨でした。 花
>画廊のお姉さんに「おみそれしてしまいました」と。 おもしろーい! 眼に浮かびます。
家の玄関前のシマトネリコ、とても青々と元気にしていますのに、アオムシがたくさんついていました。やわらかい若葉がおいしいのでしょう。ぐんぐん成長し、短いあいだにまるまる太っていました。
イヤー、と悲鳴を上げ、ホームセンターへ走り、殺虫剤を入手。全体にプシューっとひと吹きしました。
今朝見たら、撃退成功。でも、殺生はいい気持ちがしませんね。虫のつかないよう、予防をしっかりします。
お元気ですか、風。発送作業は、日程を延長するかして、根をつめず、なさってください。
* 無心にかわされるこういうメールの対話で、わたしは一服する。不徳なれども孤でもない。
☆ 研究のオリジナリティー ハーバード 雄
気温はさほど高くないのに,湿度が高く,蒸し暑い一日だった.昨日のプログレスレポートで出た意見を参考に,最近やらなくなっていた類の実験をする.一日,顕微鏡やマニピュレーターと格闘.しかし,電気生理実験で多少なれたせいか,以前感じたほどの辛さは無い.ただし結果は今ひとつ.
実験していると,JCが「昨日のプログレスレポートはすごく面白かったよ.お前の見つけた〇〇は,すごく面白い」と言ってきた.僕の仕事の内容で誉めてくれたのはJCだけだ.しかし,そこからすぐに,「それにしてもホヤは面白いな」と,ホヤの話になる.
「独創的な研究はいかにして生まれるのか」などという偉そうなことを語るほど,僕は偉い研究者でもなければ,完成された研究者でもない.したがって,請け売りになるが,大学時代に講義を受けたことのある吉田賢右・東工大教授によれば,研究のオリジナリティーとは,大きく3つのタイプに分けることができるという.
まず一つは,扱う実験材料にオリジナリティーのあるもの.そして次に,実験手法にオリジナリティーのあるもの.最後に,アイデアそのものにオリジナリティーのあるもの.後に挙げたものほど,その研究者の頭脳に依存する割合が大きくなっている.
こういう観点からすると,研究者と料理人は似ているような気がする.新鮮で食べごろの素材を使えば,それだけで美味しい料理ができる.良い窯を持っていれば,それだけで一味違うピザを焼くこともできる.しかし,ありふれた食材や器具を使って,斬新な料理を作ることができる人もいる.
一概にどれが良いとはいえない.もちろん,斬新なアイデアで次々と独創的な仕事ができる人は素晴らしい.しかし,新鮮で食べごろの素材を使うには,それらをどのようにして手に入れるかを熟知していなくてはならないし,素材の良し悪しを見極める目も必要だ.最先端の手法を取り入れるにしても,それがどのような料理に優れているのかを人より先に気づかなくてはならないし,最先端の手法を自分のものにするための努力も必要となる.これらは,決してたやすいことではない.
おそらく,優れた研究者とは,これら3つの要素をうまく組み合わせて,独自の世界を築くことができる研究者のことを言うのだろう.
2007 7・12 70
☆ 降りますね。 泉
雷も聴こえています。台風の影響もあり雨の日が続くとか、自転車運動もムリですね。
変わらず多忙ですか。足の調子は如何ですか。
昨日は、疲労で寝付けないほど(バドミントンの)運動量が過ぎたので、今日は雨降りをいい事に、大人しく、ボヤッと過ごしています。
守宮(=家守り・留守番 )の静寂は至福の刻です。祇園祭のお囃子を夢の中で聴いています。
2007 7・12 70
* 群馬の渋川市図書館長の森田さんから電話、年末近くに講演に来て貰えるかと。森田さんとは、久しいお付き合いがある。承諾。
2007 7・12 70
☆ 早すぎる… 碧 下関
さきおととい辺りから虫の音が聞こえ始めて、今宵も繁く鳴いている。
鈴虫? 松虫?
ネットで確かめてみるけれど、どちらとも言い難い。アオマツムシというのに似ている気はするのだが、こんなに早く鳴き出すものだろうか。
そういえば先週の日曜日~七月の朔にコンサート会場でヒグラシが鳴き始めて…という話を聞いた、そのときも早いなぁと想ったのだった。
早いといえば台風の接近。先週末に植木の手入れをしに来てくれた姉の、「クモの巣が低く張ってるから台風が来るんかも知れんねぇ」という予想(名づけて<台風クモ予報>)、今年も当たりそう。
そうそう、先週半ばに「野生のサルが出没しています」と広報車が廻っていたっけ。どうなったのかしらん。
☆ (上にコメント) 巌 南山城
うちのあたりは 猿が 国道を集団で横切って行ったりします
アライグマが 西瓜を始めいろいろと荒らし回っています
猿とアライグマはとても利口で 作物の防衛は大変です
猟友会は 熊や猪の被害の時は嬉しそうに出動してくれますが 猿は 目が会うと撃てないと 空砲で威すだけ 猿はたいして怯えもしません
先日カボチャを猿に餌とされてしまった人の話ですが ネットで囲ってあっても 少し隙間があると そこから子猿を入れて 蔓をネットまで引っ張らせて 後は親猿が外から処理するのだそうです。
* 碧さんは湖の本の二十一年の支え手のお一人。巌君はわたしの父方の若い従弟。
こういうコメントの織物はいろいろにマイミクの繋がりで織り上がってゆく。瑛さん、香さん、湖では京の話題も。わたしは、ずいぶん気楽に気軽に失礼も顧みずにコメントを入れたりメッセージしたりしている。「mixi」のなかにわたしのいわば逸文がずいぶん遺ってしまいそうだ。
☆ 疏水沿いの散策 瑛 川崎市
京の五条大橋から鴨川の土手を歩いて、岡崎へ。琵琶湖疏水の豊富な躍動の流れを岡崎の仁王門通りで見る。ここまでは朝の通勤時間、通学時間滞の人の流れ流れをさおさしながら、五条大橋から一時間の足。疏水と、緑陰の近代美術館と、能楽堂の観世会館を見たかった。最近はやりのガラス建築に対峙する、古いが重厚な京都市美術館の姿も確認する。
京都の岡崎は「文化ゾーン」といわれている。湖さんの日記で星野画廊と秦テルヲの回顧展が取り上げられたことがあるが、星野画廊にも寄ってみたい。画廊はここからそう遠くはないだろう。
平安神宮の丹(に)色を左にして、東は朝の山気日佳の懐が大きい。
この地の、昔からの見聞は心の「積分」となり、今の見聞は「微分」でありましょうか。ターレスの言葉かも知れないと思いながら、哲学の道へ歩いて行きました。過去の多くの先人、先人を慕った同僚や後輩が、京都というこの地を歩いていると目に浮かびます。かたい口調の日記でありますが。読んでください。
* あの平安神宮の丹朱の大鳥居のまえ、疏水に架かったあかい橋。あの橋が、新制中学の頃のわたしたちの飛び込み台でした。真下の深い早い疏水へとびこんで游いでいました、水泳パンツでなく、褌でした。
危険な水泳で、ときどきあの疏水では事故がおきました。
あの橋をわたり、三条通へまっすぐ広道を戻って行き、三条へ出るすぐ手前の東側に「星野画廊」があります。ちいさな画廊ですが、この画廊の内懐は深く厚く、おどろくべき収集文化財でつまっています。機会があれば立ち寄って下さい。
此処で、気に入ったのを三点買っています。その一つが秦テルオのしんしんと降り積んだ雪景色でした。京の出町、我が家の菩提寺が描きこまれています。
能楽堂のまぢか、疏水から白川が南へ流れ出て町屋のなかを流れている辺、とても風情があります。あの岡崎一帯に壮大に六勝寺が建ちならんで栄華を誇った白河法皇時代の、その白川の顔が、三条通へ出るまで、昔ながらに見られます。ちょっとした秘処です。 湖
2007 7・12 70
☆ 水彩展 彧
失礼をどうかお許しくださいませ。
大抵 拝見させていただいておりますHPの内容が、あまりにハイクラスの方たちばかりで 私などとてもメールさせていただけない環境でして、ついついビビッて
遠慮してしまいます。お許しくださいませ。
さてこのたびは御脚もままならないご様子ですのに 私たちの水彩展へいらしていただき本当に有難うございました。厚く御礼を申し上げます。 評価はしていただけませんでして、これも申し訳ない気持ちでいっぱいでございます。すみませんでした。
やはりかるーい作品でしたね。
このままでいいから出品してくれませんか? とのことでしたので。気軽にだしてみました。ご案内まで差し上げてしまいまして 重ねがさねお詫びをもうします。
今描いております作品は、もうすこし重厚なものになるものとおもいますが、まだまだあと一ヶ月半はかかりそうです。この暑さのなか頑張らねばなりません。
いろいろとご心配をおかけしております母ですが、先日姉妹で榛名までいきましたところ あの時よりすこし元気を取り戻しているようで。ほっとしながらも複雑な気持ちで帰ってまいりました。やはり芯は強いのでしょうね。また会いたい来て欲しいと、電話ばかりあります。自分の将来をみているようでとてもつらい気持ちでした。
恒平先生 勤勉な毎日をお過ごしのようですが、くれぐれも御身をご自愛なさってくださいませ。
お目にかかれる機会を夢にえがいております。
2007 7・12 70
☆ お元気ですか みづうみ 夏
昨日は、上村淳之さんの繪を観にいらっしゃると拝見したので、どちらの展覧会かとあちこち調べたのですよ。結局わかりませんでしたけれど、東京會舘とミキモトでは、見つからなくて当然です。
行き当たりばったりというわけではなかったのですが、とりあえず銀座近辺に出ようと、用事もいくつかあって「慈子」のように? 日本橋の高島屋に出かけていました。
みづうみは、ネスプレッソというエスプレッソマシーンをご存じですか。東京では日本橋高島屋と銀座の三越、あと新宿でしたかにこのネスプレッソの専門店が入っています。
三万円くらいの小型のエスプレッソマシーンですが、簡単な操作でそれはおいしいエスプレッソを作ります。もちろんふつうのコーヒーも出来ます。なまじの喫茶店で飲むよりはるかにおいしいのです。味は申し分ないのですが専用の豆を使わないと淹れられないのが欠点といえば欠点。ネットでも購入できますが。
どちらかのデパートにご用事の折には是非お立ち寄りになって試飲をおすすめします。宣伝のため誰にでもただでおいしいコーヒーを飲ませてくれます。もしお気に召したら是非ご自宅に。コーヒータイムがぐんと楽しくなります。私は一息つきたい時、濃いチョコレートと一緒に味わいます。(私は決してネスプレッソの回し者ではありません。)
ほんとうはみづうみのお誕生日にプレゼントさせていただきたいと思ったのですが、安いものではないので、ご負担になりそうであきらめました。
みづうみに出逢うまで、校正というのが何度も何度も確認するほど心血を注がなければならないものとは知りませんでした。でも、校正できるというのは「本」になるという嬉しい前提あってのこと。わたくしも一度でも校正に身を削る思いをしてみたいものです。校正をなさるお姿が目に浮かびます。傍からは、きっとお幸せそうに見えるのでしょうよ。
みづうみ、お元気ですか。わたくしにとってみづうみはアタマの中にいるのではありません。熱く存在しています。
おやすみなさい。
* 夏は、夜。清少納言はそう書いた。一日を、心涼しく終えよう。ネスプレッソか。気に入ったら買ってこよう。豆のことは巌君か「ペルト」のマスターに相談しよう。
2007 7・12 70
☆ 京都ののばらです。 従妹
病院の検査、結果がよくてなによりでしたね。
こちら雨は降り続いていますが、まだ静かです。
鉾たても雨の中で行われましたが、台風接近に各山鉾町では風対策に大変なことでしょう。あの真木や真松、提灯や懸装品、どうかたいした事なく通過してくれるよう祈っています。七月の台風としては最強クラスとか、列島縦断の恐れもあり、そちらもくれぐれもご用心ください。
今夜は京都コンサートホールで京響のフォーレ作曲「レクイエム」の演奏会です。友人が合唱団の一人で出演します。雨風が強くならないうちに帰ってこれるように行ってきます。
ピカソのリトグラフはもう届きましたか。私だったらローランサンのが欲しいな、いくらぐらいするのかな、家は畳の間ばかりで、飾る所もないし…なんて、しょうもないこと思ったりして。
脚の方軽快な日が続きますようお祈りしています。お元気でいてください。
☆ お元気ですか、風。
きのうは、住宅メーカーの人が来て、リビング吹き抜け部分の窓に、バーチカルブラインドをつけてくれました。
夏になり、陽が高くなってきたら、吹き抜け窓からの直射日光が、カアッとソファ部分にあたり、坐っていると暑くて。このところは天気が悪いので、ブラインドは効能を発揮しませんが、ますます夏の暑くなるであろう今後のために。
大きな台風ですね。せっかくの三連休なのに。
「レオポルド・ブルームへの手紙」というアメリカ映画を見終えました。楽しい映画ではありませんでしたが、不思議にいい後味の、佳い作品でした。ジョイスの『ユリシーズ』の潤色映画らしいです。読みたいと思っていたので、『ユリシーズ』を図書館で借りてきました。伊藤整訳ではありませんでしたが。長そう。 花
2007 7・14 70
☆ ジョイス 花
読み始めましたが、全然頭に入ってきません。かなり独特です。
ただ、不思議につまらなくはありません。
お元気ですか、風。
東海地方は暴風域に入っているので、花は家から一歩も出ず、おとなしくしているつもりです。確か、午後にNHKで、ウインブルドンのダイジェストがあるので、熱い戦いをもう一度見ようと思っています。フェデラーとナダルの男子決勝は、見る価値ありますよ。
自転車の成果が出たのは、いいことですね。
風のサイクリングは長時間のようですが、遠くへ行って事故に遭いませんように。短い運動でも、こまめにすると効果あるそうですよ。
風のお声だけでも聴けると嬉しいけれど。
* ジョイス 風
ジョイスのユリシーズは、まさに二十世紀開幕の新しい文学手法として登場した画期の問題作として、カフカと並んで、前衛的なセンスの持ち主たちはしばしば議論や推奨の対象にしてきました。カフカとちがい、一段とユリシーズは読みにくいかも知れません。花も愛読したと思う『女王陛下のユリシーズ号』とはちがいますねえ。
集英社の現代世界文学全集は第一巻に象徴的にジョイスを置いていたと思います。この全集は意欲的な編集で、二十世紀文学の世界の精鋭を揃えているのですが、二段組みで活字小さく、訳もまちまちで、十八九世紀の世界文学にくらべると読みやすい全集ではない。しかしこの大方を読まないできたのを、いつも自身の怠慢のように気にしているのは確かです。
花の行き方で骨格的に参照できるのは、意外に思うか知れないが、『細雪』や『山の音』のようなつくりが示唆的かも知れない気がしています。大きさ、魅力、花。
台風が直撃している頃かと想います、万全の用意で怪我無く過ごして下さい。新しい家に傷が付きませんように。
* 幸い台風は東京からは南海へ逸れてくれた。たいした雨も降らず風もこなかった。うまくすると自転車で走れそうなほど。
* ボストンの雄くん、引っ越すようだ。ボストンで、もとの愛知の研究所関係の知人たちとも、偶然にまた必然の気味で出逢っているようす。世間の広さと狭さと。おもしろいことだ。
2007 7・15 70
☆ お元気でしょうか。 彧
先日は水彩展へいらしていただき本当に有難うございました。ご配慮に心より厚くお礼をもうします。私にとりましてはこれからのとてもいい力を与えていただいた感で一杯でございます。
まだ 個展のところまではいきませんが 大作が終わりましたら すぐそちらの制作に心を集中させていこうと考えております。
本日 搬出にいきます途中で 気持ちばかりのお礼に、「虎屋」の水羊羹をお送りさせていただきました。どうぞご賞味くださいませ。水羊羹は一番「とらや」のが美味しいようにおもいます。
どうぞ くれぐれもご自愛のほどを! 祈っております。
☆ あめがした知る五月哉 雀
霽れた夜空に花火が上がり始めました。
今日は旧暦六月二日。
関ケ原敗戦から三成が捕まるまでの道筋・地名が懐かしく、指で地図をなぞりつつ読み進みました。
不破関、関ケ原、姉川古戦場を見ての帰り、後鳥羽院が滞在したという名超寺の北に “石田三成生誕地” と書かれた柱が立っていたのを思い出しました。
小谷、佐和山、竹生島…湖北がまた呼んでいます。
順慶=彌市のように見えて、三成=彌市なのですね。 囀雀
* 暫くぶりに雀さん。潤一郎の『聞書抄』を散策しているらしい。これは目立たないが面白い作で、わたしは『盲目物語』以上に興がって読んだ覚えが今もある
2007 7・15 70
☆ 秦さんへ 笠 e-OLD千葉
ごぶさたしております。 現在の感想です。
{老人ホームを手伝って7年になります。殆どのお年寄りはご本人の意にそわない次善の策で入居されます。緊急の場合もあります。勿論ご自分の考えで来られる方もいます。
いずれにしても現在の不十分な制度での介護を受けながら「独り」で暮らします。多くの施設では現在の三大介護(食事・排泄・入浴)で手一杯で、日常の精神面での対応は十分とは言えません。
楽しそうな事もありますが、ご本人にとっての本当の満足度は「言葉では」なかなか聞くことは出来ません。長い長い日々があります。そして年月を経て天寿を終えられます。火の消える時には本当に「消え去るのみ」と見受けられます。
そこには「死の恐怖」はなさそうに思います。
もしそうなら、問題はそれまでの間に如何に辛くなく暮らして行けるかということになります。辛い時には(どこにいても同じでしょうが)どんな人にでも、楽になるのであれば、良い「抱き柱」(乃至「抱き枕」)を抱かせてあげたいと思います。言葉の「抱き柱」は先ず役に立ちません。わたしに力もありません。
浅草で買って貰った大きなお人形をずっと抱いておられたお母上は、きっと安楽になられたと思います。
「死の恐怖」は生きて行くのに必要な感情だと思いますが、必要以上に考えると(どこから以上なのかわかりませんが)バグワンさんに「おまえ、あのなぁー・・」と言われそうです。「恐れ」ても「おののいて」もそれは元気のうちですからいいと思いますが。}
{}括弧でくくった部分は削っていただこうと思いましたがきりがありません。結局何んにもならず申し訳ありません。
「抱き柱」について拝見した中で、久し振りに般若心経に逢えました。ずいぶん昔、山形出身の同級生が、国の言葉になおしてくれたのがありますので書き写してみます。
はんにゃすんぎよう(す:「す」と「し」の間の発音、以下略。文字では無理ですし、山形でもいろいろあるそうです。)
この世を見渡すかんぬんしゃまは どげんすたらえかんべかとすぎょうされた この世はすんべて空と見抜き いっしゃいの苦厄をのりこえりゃんした
これおんめ ものみな空だべし 空がものだべ 形あるものすんわち空で 空がすんわち色だべ すどの(人の)心もはたらきも こんりゃまたおなづく空だべし ええかにしゃら じぇんぶが空なんだら 生もねえべし滅もなえべし ばっちくもなかんべし ち(つ)れいもなかんべした ほんで増えたの減ったなんど問題でねえ 空の心にものなどねえ うれしぇ悲しみ 欲も分別も 目鼻手足も心もねえべし 姿形も思いもねえべし 見るもの聞くもの十八界も 心のおくまでねえとおなじだべ 三世の因縁や迷いもねえべが 迷いがねえわけではなかんべ ほりゃあのねこは 老死をなやまぬべけんど 老死がねえちゅうわけではなかんべ 苦もそのもともそれからにげるわけにはいかねべ しとの智慧など悟りがなんだべ じぇんじぇん問題さなんべえした ぼさつさまは それをよっく分かってけづかるから 心にわだかまりがねえ わかかまりがねえから 怖くもねえし 考えちがいも邪念もねし 心があんどして涅槃にいらっしゃるんだべ 三世のほとけさまも ここんところを身につけていられるべから 正しい悟りがあるんだべし ほんだから はんにゃはらみったは はかりすんねい言葉だべし じぇんぶを照らす言葉だべし この上もない言葉だべし くらぶべきなき言葉だべし まつがえなくくるすみをとる 真実てんつでない ほんで その言葉を教えんべ すなわちその言葉とは がてー がてー ぱらかてー ぱらさんがてー ぼーてぃー すばーはー
秦さん おひまーな時がありましたら、京のことばにしていただけませんでしょうか。
元気な「瑛」さんが多摩の山々、高野山や比叡山の素晴らしい写真を送ってくれ、元気を戴いています。
台風が通り過ぎ、夏が来そうです。みなさまどうかくれぐれもお大切にしてください。 拝
* 「抱き柱」は、大方誰にも欲しいし、必要にしているものだ。わたしもそう願いながら久しく生きてきた。「抱き柱」を一般一概に否認はしない。そんな権利はわたしにはない。ただわたしにはその効用の限界は見えたのである、だからもう「抱かない」でいかに寒々とでも自由に生きたいとということ。
* 笠さん自身の言葉で書き直された般若心経も、このホームページの文庫中に掲載してある。山形の言葉のにも驚嘆。
☆ 地震そして銀の匙 雀
お返事ありがとうございます。おんみくれぐれもおいといのほど。
新潟の実家も信州信濃町の主人の親族も被害なく無事でほっとしたところです。
先週、ひさしぶりに主人と郊外の大型書店に行ってきました。7月に入ると平積み&島売りが夏休み仕様のスタンダードやクラシックの文庫本になるので。
没後30年のせいでしょうか、稲垣足穂「一千一秒物語」が、漱石の「こころ」と一緒に並んでいるのに目をとめていましたら、主人が「銀の匙」を指差し「うちの近くにこの碑が立ってるんだよね」と言うのです。高校のときクラスメイトに勧められて読んでいた雀は、その友人が妙高高原の人だったことに思い至りました。
「この人の詩に、ほおじろの詩ってのがあるらしいんだ」と探す主人。「銀の匙」からちょっと離れた棚に「中勘助詩集」があり「ほほじろのうた」を見つけました。
それで、中勘助は野尻湖にゆかりがあり、闘病生活ながら81才まで生きて、彼の葬儀委員長を務めた人の家が主人の実家近くにあるということや昭和40年に亡くなったことに驚きました。
病弱な男の子の繊細な感覚が印象に残った「銀の匙」。
中島敦のような早世作家をイメージしていたので少しショックです。 囀雀
☆ 地震、大丈夫です。 理
秦さん ごぶさたしています。
ご存知と思いますが、新潟で大きな地震がありました。実家は、大きく揺れたものの、被害はなかったとのことです。
父は赤十字の支部で働いていて、急遽出勤して対応に追われているようです。まだ余震の不安はありますが、ご心配には及びません。
仕事は忙しい山場が落ち着いて、息をついているところです。秋にはまた大きな仕事の山が待っており、今は登山の支度をする余裕が少しある、といった感じです。
むしろひさびさの恋に悩んでいます。
前の失恋を長く引きずったことに自分で呆れていましたが、あるひとが、とざしていた気持ちを開け放ってくれました。
ところが、そのひとはいっこうに私の気持ちを知らないので、どう伝えたものか、ひさびさに悩んでいます。
悩みは楽しいものではありませんが、好きなひとがいること、それだけでこんなにも嬉しいものだなあと、あらためて感じています。
今年も夏は暑くなりますね。このところの涼しい梅雨が少しありがたいくらいです。
一昨日、広島のお酒をお送りしました。 今週のうちに届くと思います。 お食事にきっと合います、ご賞味ください。
迪子さんともども、どうぞ御身御大切に。
* こんなに的確で心温まるメールを呉れる青年の友が、わたしには、いる。なんと嬉しい安らかな事だろう。七十の爺は何の役にもたてないのに。だ甘えているだけなのに。
* 珍しい広島の秘酒ももらい、「虎屋」の水羊羹ももらい、黒いマゴとも仲良くしている。『マイ・ガール』という、死と生とをていねいに描いて落ち着いた映画を観た。やす香を想いながら。一年前の悲しかったこと。悲しがるのはよそうと妻と話している。やす香のために可愛そうだから。元気にやす香らしく向こうで生きているのだからと。
☆ 運転練習 ボストン 雄
ずっと懸案となっている運転免許だが,ペーパーテストには合格したものの,その後色々あって実地試験が受けられずにいた.来週の木曜日に実地試験の予約を入れたので,Hさんが試験の前に運転練習をしたいということで,今日,一緒に行って来た.
実地試験を受けるのは,ウォータータウンのRMVだが,ここの実地試験のルートはDr.Kazuのホームページに載っているので,そのルートで練習することにした.
実際に走ってみて,あまりに距離が短いことに驚く.2,3回曲がっておしまいとウワサで聞いていたが,あながち嘘ではなかったのだと悟る.
あまりに短い距離なので,練習にもならない.そこで,ウォータータウンのRMVから少し西に行ったところにある,Russo’sまで行くことにする.ここは,以前から,新鮮な野菜や果物が安く手に入ると聞いていて,一度行ってみたかった.
周囲にはこれといったものもないが,大勢の人達が来ていた.野菜はどれもみずみずしく,種類も豊富.日本の野菜もたくさんある.Hさんは白菜を買っておられたが,僕はレンコンを購入.人参とキンピラにすれば,弁当の良い付け合せになる.普段買わない果物も,あまりに美味しそうなのでいくつか購入.かなり大量に買い込んだが,それでも20ドル足らず.安い.
来た道を引き返し,さらにちょっと寄り道をして,Trador’s Joeで酒類を購入.ポーターまで引き返して,Hさんとはそこでお別れする.
僕はポーターエクスチェンジモールに立ち寄り,日本食レストラン「一兆」でビーフカレーを食べる.行く前は親子丼にするつもりだったが,席について急に気が変わった.美味しかった.
Kotobukiyaで多少買い物をし,駐車場の代金を払っていると,後ろから声をかけられた.ふりかえると,昨日,レストランツアーでご一緒させていただいた方がおられた.買い物に来られたのだという.また,ツアーでお会いしましょう,と声をかけて帰宅.
* 新潟・長野についで、東北・北海道や京都の日本海沖でも地震。東京も二度揺れる。
☆ 不安 碧
今朝は七時過ぎに雷鳴、間もなく降り出す。豪雨というほどではないが、かなり強い雨脚。
九時を回って日が差したかと思うと蝉の声。わしわしわし、と聞こえる、クマゼミ? ~どうも虫の音などの区別がつかない、名前と結びつかない~このまま梅雨明けするのかと思ったら、
十一時に新潟・長野の地震を知る。再び雷鳴。今度は地鳴りを伴って、稲光も凄まじい。ニュースと落雷との同時進行で泣き出しそうになる。怖いのと哀しいのと。約一時間。
台風。地震。津波。福岡市はオリンピック候補地にならなくてよかった、とつくづくおもう。
亡くなった方が少しずつ増えている。
安倍の対応の早さ、選挙結果に影響するだろうか。
* まさしく不安。
2007 7・16 70
☆ ジョイス 花
朝方の雨が止みました。お元気ですか、風。
『ユリシーズ』は、第二部に入ったら、ぐんと読みやすくなりました。その文体は、わたしの高校生の頃に多く見受けられた「ポストモダン」の原型と思われ、ジョイスが、十九世紀の小説と、現代の小説の、大きな橋がかりになっている、と、今までのところ、感じています。
創作についての風のアドヴァイス、ありがたく聴きました。
昔の人の作品を読めば読むほど、自分にできる領域は残されていないなあと感じたり、小説には思想がなければいけない、と悩んだり、そのうちに、何が何だかわからなくなってきたり、いろいろありましたが、初心にかえり(開き直った、という方が近いかも知れません)、「書きたいことを書く」しかないと、現在も創作を進めています。
風のおすすめの「細雪」や「山の音」とは、行き方が違うかも知れませんが、溢れるままに書きたいことを書いています。初期のフローベールみたいに。
創作を書き終えたら、次は評論です。
以前ニメールしましたが、吉行淳之介について、これまでに書かれた評論を読んでみました。直後は、「わたしの何か言える部分は、もう残されていないなあ」とがっかりしましたが、少し時間が経ち、落ち着いてみると、わたしの吉行作品に対して思い込んでいる解釈と同じことを、掘り下げて書いている評論のないことがわかってきました。
魅力的な評論とは、風の評論がそうであるように、筆者の「強い思い込み」とでもいった解釈の展開されているものではないでしょうか。勿論、その「思い込み」を裏づけする証拠固めは必要ですが。
小説も、評論も、「書きたいことを書く」、です。書きたいことを書いたものが、何より読む人にうったえるはずです。そのための「書く力」をつけるのに、わたしの場合、多くの鍛錬が要るようです。
また新潟で地震でした。
やっと元通りの暮らしができつつある、と報道されていた矢先のことでした。
東京も揺れましたか。
日本列島は地震から逃れられませんね。花は、東海沖地震の予想される駿河湾の奥の方に住んでいますので、地震に強い家が売りの住宅メーカーを選びました。自宅が大丈夫でも、隣家が崩れてのしかかってきては意味がありませんが、うちは同一メーカーの分譲地なので、その点も期待しています。大地震のないのが、いちばんだけれど。
風、もうすぐ始まる発送準備、がんばらずに、がんばってください。花もがんばっています。
* 書くことが、花の生き方に、豊かな糧となるように。
評論は遠慮してはいけません。また持って回って逃げ腰になるよりも、元気よく、むしろズバズバ断定的に。但ししっかり断定の裏をとること。引用を濫用・多用しすぎると読みづらくなりますので、引用したい大意をうまく自分の地の文に溶かしながら、肝要の要点を短く括弧に入れるように。これは技術です。この節度はむずかしいところですが、下手な論文ほど、地の文よりうるさく大量に引用を誇りすぎて、誰の論考だか分からなくしてしまいます。吉行淳之介を書くなら、書かれた主な論考はおおかた読んでおくこと。一冊書き下ろすなら百も百五十も読んで頭の中に溶かし込んでおくこと。
同時に、代表的な年譜を、暗誦できるほど頭に入れておくこと。作家は成長し変容してゆきます。そこで前後の見境をつけちがえると、滑稽な誤解をしかねないから、年譜は作家論の前には、必読の必読です。
ジョイス、わたしも好奇心を発動して読んでみます。ながいこと、逃げていましたから。わたしにはカフカの方がよほど読みやすく面白かったので。
書きたいことを書かなくては話になりません、が、書き手の意欲と読み手のよろこびとが、立浪のように盛り上がることが大切。その起爆力がストーリーにあるのか、文体と文章表現にあるのか、その判断がとっても大切なところです。書き手の自覚がものを言う。
発送用意はかなり好調にすすみ、数日の余裕ができそう。 風
* お返事おそくなりました。
『石火のごとく』は、心のこもった「悲哀の仕事」です、前にも読み感銘を受けました。一つには短歌のちからが重きを成し、作の気概に呼応し唱和し、父子の相い聞こえを為し遂げていました。今回もそう感じました。
よくなさいましたね。
せっかくだから「本」としてはこの厚さのまま少部数でもフランス装か何かの特製本を創っておかれたらよかった。
『五月』は詩と真実の長編作で、章を追って起承転転、温厚に静かに結ばれてゆきました。胸ぐらをとって揺さぶる物語であるよりは、端的なスケッチをフィルム送りするように押しだし押し出ししながら「境涯」を底流するものの述懐に真実感(リアリティー)を求められたと読みました。
ただ、叙事に洋構文ふうのまじりものが多く、あなたの日本語を説明的に混雑させているのは残念な気がします。
私は 私の 私たちは の多発、 などと のだが その あまり そして そこに なにか それにしても その といった十分整理できる過剰な説明句の多発、 のをいいことに 飲めもしないビールを 当を得ている 考えてみれば‥かんがえられない 気さえする といった手あか語スレスレの決まり文句めく表現の近接多発 など、これらがあなたの小説を無用にカサカサした日本語にしてしまっています。これは惜しいことです。或る意味で説明に克明のあまり、省略の妙が足りないのでは。文の深い音楽は言い尽くさない間隔、省略の中で的確に鳴り響くのではありませんか。
私が言ってあげられるのは、それしかなく、途方もなく文学性にとってそれは大切なカンどころではないでしょうか。ま、私の思い過ごしもありましょうが。
今日、ごく若い書き手にこんなふうに伝えました、「書きたいことを書かなくては話になりません、が、書き手の意欲と読み手のよろこびとが、立浪のように盛り上がることが大切。その起爆力が、ストーリーにあるのか、文体と文章表現にあるのか、その判断がとても大切なところです。書き手の自覚がものを言う」と。私自身、いつも気にしています、うまく行きませんがね。
やっとこれだけをとりあえずお伝えします。おそくなり、ゆるして下さい。投げずに書き継いで下さい。 湖
☆ バグワンのユニバーサル哲学英語訳は、表意文字の漢訳より分り易いですね、私の経験では、彼の地の聖者や修行者は、短い言葉を用いるなら、シンプルにストレートに説きますね。それでよーく伝わる。
三行目の dwe11s の’ll’(エルエル)が数字の’11’(イチイチ)になってます? ’ dwell ‘の原意は、一箇所にぐずぐず留まる、でしたね。
余計なことでごめんなさい。 俊 E-OLD
2007 7・17 70
☆ 初のメジャーリーグ観戦 ボストン 雄
経緯はともかくとして,メジャーリーグの試合を生で観るのはこれが初めて.メジャーリーグどころか,日本のプロ野球ですら,最後に観戦したのは小学生の頃だから,もう25年近くも前ということになる.夕方になるのが待ち遠しい.
Park Street駅でレッドラインからグリーンラインへと乗り換えてKenmore駅へ向かう.グリーンラインはB,C,D,Eラインと4種類あり,このうち Eライン以外の全てがKenmore駅に止まるのだが,来る列車来る列車,どれを見てもラッシュ時の山手線のような混雑ぶりだった.やはり試合のある日の,この時間帯はこうなるのだろうか.
やっとの思いでKenmore駅で下車し,フェンウェイパークまで歩く.あたりはボストンレッドソックスの帽子やTシャツ,ユニホームを着た人達でごった返している.
まずは腹ごしらえということで,球場近くにあるPOPEYESというファストフードの店へ.CHICKEN&BISCUITSとも書いてあるので,どんな店なのだろうと思ったが,ケンタッキーフライドチキンと良く似ている.アメリカでは(特に南の方で)有名なチェーン店らしい.ケンタッキーフライドチキンは嫌いではないのだが,もう高校生の頃位から食べていない.チキンバーガーとマッシュポテトのセットを注文.野球観戦と同様に,こちらも久しぶりだが,久しぶりに食べるとなかなか旨い.
入場する前に,手前のおみやげ屋さんで岡島と松坂のTシャツとボストンレッドソックスのロゴ入りの帽子を購入.実は大学院修士課程時代の同級生が,今,ボストンから車で2時間ほどの距離にあるウッズホール臨海実験所に実験しに来ているのだが,野球好きのお父上のために岡島のTシャツが欲しいとのことで,僕が代わりに買うことにした.土曜日に渡す.松坂のTシャツと帽子は僕用に買った.松坂よりも岡島の方が僕は好きなのだけれど,”Dice-K”と書かれているのにちょっと惹かれてしまった.
さて,球場内に入り,ビール片手に席へと向かう.試合開始前は日没間近ということもあって夕日がまぶしい.買ってきた帽子が大いに役立った.外野席だったものの,前から8列目くらいだったせいもあって,選手との距離が驚くほど近い.すぐ目の前でプレーしているようにさえ見える.もっともピッチャーやバッターは遠いのだけれど.
今日の先発ピッチャーはWakefield.ピッツバーグ出身のライアンによれば,ライアンが幼い頃,Wakefieldはピッツバーグの選手だったという.対戦相手はKanzas City Royals.恥ずかしながら,このチームは全く知らなかった.
まず,国家斉唱で全員起立し,テノール歌手がアメリカ国家を独唱.素晴らしい歌声に感動.周囲の観客も,何人かは歌っていた.日本でもサッカーの国際試合などで国家斉唱が行なわれる場合はあるが,アイドル歌手などが「君が代」を「オリジナリティー豊かに」歌っているのを見ると,とても興ざめする.
試合は,前半は0対0の攻防が続いたものの,中盤になって3点取られ,1点追いついたあとも,交代したピッチャーが打ち込まれて,瞬く間に9対1となってしまった.8回に2点返したものの,もはや完全に負け試合といった印象だった.客席はほぼ満席だったが,8回に入る前辺りから客がどんどんと減っていき,9回表にいたっては,試合に飽きた客席が,ウェーブを作って,もはや試合内容そっちのけで楽しんでいた.
一方的な試合ではあったのだけれど,レッドソックスがチャンスを迎えると,どんなささいなことでも観客は大喜びしている.この盛り上がりを体験するだけでも,レッドソックスファンになってしまいそうだ.
松坂や岡島の活躍のおかげで,レッドソックスの本拠地フェンウェイパークの話題は日本のテレビでも良く取り上げられるようだが,レフトスタンドは高い壁となっていて,「グリーンモンスター」と呼ばれている.
このグリーンモンスターの存在はテレビなどで散々知っていたが,今日改めて,この存在がホームランを阻むのに大きく貢献していることが分かった.今日,一体何本のホームランが,このグリーンモンスターによって阻まれたことか.反面,ライトスタンド側のフェンスが予想以上に低かったことにも驚く.
グリーンモンスターの存在のせいかもしれないが,今日の試合はホームランが1本も出なかった.惜しい当たりはあるものの,全てホームランにまでは至らなかった.自宅などで試合を観戦していると,ホームランばかりの試合は大味に感じられて,面白みが無いように思ってしまうのだが,こうして生で観戦すると,外野方面に飛んでくるボールには興奮させられる.この辺の臨場感の違いが,テレビと生との大きな隔たりかもしれない.
残念ながら一方的な負け試合になってしまったため,岡島は登板しなかった.ただし,こちらに来てレッドソックス関連のテレビなどを見ていくうちに何人かの選手の顔は覚えるようになったので,彼らの打席は楽しめた.
試合開始直後は強い日差しで汗が止まらなくなるほどだったが,回が進むにつれて,気温も下がり,涼しい風が吹くようになった.夜風に吹かれながら野球を観ていると,勝ち負けはどうでもいいような気になってくる.日本はドーム式球場が多いが,やはり野球の醍醐味の一つは,この開放感にあるように感じた.
良く晴れた夕方に,ビール片手に野球観戦をしていると,それだけで塞ぎこんでいた気分が晴れていく.このところ,引越し関連で気が滅入っていたが,これでずいぶんとリラックスできた.
フェンウェイパークから徒歩で帰宅.
* 山田健太さんに券をもらって、後楽園で、巨人と広島だったかの試合を、妻と並んで観たことが一度だけ。独特の陽気にアテられた心地でわるくなかったが、飲み物のペットボトルにもテロ対策の警戒厳重だった。ああいうもんなんだろう。
野球というゲームは概して退屈だが、ドームの広いこと、その密閉されて騒然とした陽気をあれで楽しんでいたかも知れない。ネット裏の小高いいい席にいた。どっちが勝ったかも覚えていない。遠いところで選手たちがこまごまと動いていた印象だけ残っている。
やはり歌舞伎の方が席はいいし、美しいし、興奮するなあ。
2007 7・18 70
☆ ほんとうに 地震が多いですね! 未来がわからないからこそ、のんびり暮らしているわけですけど、板一枚下は海の底、というか、なんというか…
古い日本家屋の自宅の下敷きになって亡くなる年配者の方々…お気の毒で。
今度輪島へいったら、以前観ていいなと思っていたお椀を買おううと思っています。素人目にもいいものははっきりわかりますし、そういった品はやはりお値段の「0」が一桁違うのです。私にできる支援といえばそれくらいかと思いますので、頑張って貯金しようと思っています。
お盆は法事のため、久々に出雲に帰ります。行きは米子空港から入り、その晩は皆生温泉、翌日は宍道湖のほとりに宿泊予定です。「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な境港にもいってみようと思っています。(笑) おいしいお魚もたくさん食べたいです! ゆめ
* 出雲の和菓子屋を尋ねまわる交通公社の取材旅で、宍道湖畔の宿に泊まった。奉書焼きの魚が美味かった。皆生温泉の露天風呂を出て、戸外の寒さに危うく心筋梗塞を起こしそうになったことも。
もっと昔には砂丘を歩き通したり、境港から美保の関へ船で渡ったり。山陰は山陰なりにとても懐かしい。能登は能登島までしか知らない。
丹後に行きたい。
2007 7・18 70
* 息子の愛猫を写真にしたら、うちの黒いマゴも出してやりたくなった。
* 写真の凛々しい美青年は我が家の黒いマゴです。つねは歌舞伎座で調達の音色すずしい鈴をつけていますが、思いつきで赤いタイを結んで澄ましています。甘え上手のボクです。 湖 (写真割愛)
☆ 数年前から『黒いマゴ』の存在は「闇」で知っておりましたが、初めてその「精悍なる」容姿に接しました。漱石の猫とは世紀が違いますから栄養も十分だし、人間へのなれあいと信頼も違う、「堂々と自己主張」をしています。明日の政治をうれうることもなく、清き一票など関係なく、今日の一日を湖さんのそばで「天運にまかせて」生きる。 楽しみました。 瑛 e-OLD 川崎
2007 7・18 70
☆ おはようございます お元気ですか、湖。読書で夜更かしなさいましたか。
お天気が涼しいと楽ですね。どこに行きたいかと聞かれたら、食いしん坊の私は鱧が食べたいと言うでしょう。じつはおいしい鱧を食べたことがないのです。京都で食べたい。もっとも国産の鱧より韓国産の鱧のほうがおいしくて、値段も高いと聞いて意外でした。
グーちゃんの写真良く撮れていますね。マゴは美猫です。かわいいので目が釘付けになりました。猫は被写体としてとても魅力的ですけれど、人間さまの撮影にはいたって非協力的な動物ですから、なかなかあんな風に撮影できません。何をなさってもお上手な湖です。
足元にひなが甘えてすり寄ってくると、そのやわらかい毛の感触とほのかな体温にぞくぞくっとします。猫って官能的な動物です。犬は尻尾ふって愛嬌よく突進してくる一途な可愛さですけれど、猫の、音もなく、すっと肌に触れてきて、誘いながらさらりと離れていく芸当には舌を巻きます。なんというコケットリーな生き物でしょう。極上の女に似ているかもしれません。
今日はお出かけですか、それとも発送作業の続きですか。午前中デスクワークをして、お昼にはごまだれのお素麺を食べてからお稽古の予定です。
楽しい一日をお過ごしください。 夏
* ガラスの向こうのどんな嬌態も、言葉も、非の不のパァ。一つのつもりなら笑える。ガラスをへだてた炎と炎は、ただの別もの。一つに溶け合い燃えることはない。それが、よのつね。普通のこと。泣くにも落ち込むにも及ばぬ、衛生無害のそれが凡常。
2007 7・19 70
☆ 今朝HPを見て、再び静粛緊張。
指摘されたこと、まだまだわたしには読みきれず、口惜しいほど。美しい森がわたしの胸奥に隠され蹲っているのでしょうか。
垂直の闇、それは喜びか、悲しみか、不安か、期待か、あらゆるものを潜ませている闇。そして一挙に虚に雪崩れ込む闇。優しい闇であって欲しいと思います。
夢を揺らし揺らしつづけて、お部屋で、機械の前で生きていらっしゃる。蛍籠どこから・・あるいは とうから・・今なおあなたの胸の奥でけじめがつかないと。
わたし個人の好みでは「とうから」になりますが、どこから、と云われれば少なくともその作者に従いつつ、やはり敢えて「とうから」を保留し続けます。これは勝手な一読者の読み、です。「どこから」は空間的な要素が前面にでていますが、「とうから」には亡羊とした時間的な広がり・時間軸と薄闇という亡羊とした空間軸があり、そしてそれを意識している人の存在とその影もまた亡羊と感じられるのですが。
千葉0ldさんからの山形弁による般若心経、東北弁に疎いわたしですが、読みながら抱腹絶倒、涙が出るほど笑い転げながら・・そう書くと東北の方には叱られますが・・実に味わい深く、実に分かりやすく、とても庶民的な感覚、これぞ仏の教え! わたしは東北の山形の人になって、スースーと言葉が身に沁み込んでいくのを感じました。oldさんありがとうございます。
京都弁ではどうなりますか、楽しく想像します。不謹慎かしら? 清
* 垂直の闇の中に、喜怒哀楽や優しさや不安や期待があるなら、そんな闇は日常と同じじゃないですか。しんしんと何も無い、だから明るい、何もない無際涯の大空のような闇でなくては。
とうから夢とけじめない現と、いくら知解しても、何の功徳にもなりません、それはまだけじめに抱きついた分別というもの。
部屋にいても機械の前にいても、どこにいても何もありません。けじめなどもとめていません。夢も焔 現も焔 炎と炎とが融け合って炎。セックスも生と死も夢と現実も、そういう炎。そういうなにもない青空。 湖
☆ わたしはやっぱりアホと嫌でも思い知らされました。あまりに強烈なので逆に笑ってしまいました。哂ったと書くほうがいいけれど。けじめに抱きついた分別、その境地でさえ到るのはかなり大変です。
でも書かれているのはそんなことじゃない。念仏修行している自分が耳にきこえてくる念仏の声を聞いている境地では、まだ駄目だってこと、無のすっかりなくなってなにもない青空、無際涯の青空、太虚の闇? 太虚の光に満ちた真っ白?
わたしの愚かな頭ばかりが真っ白なんて、ついつい本当を書いてしまう。それにしても辿りつけないからこそ、絶句。 清
2007 7・19 70
* 雄君の日記長大だが、やはり書き込む。
☆ 留学することの意義 ハーバード 雄
昨日,フェンウェイパークに行った際に買った,「松坂Tシャツ」を着てラボに行く.恥ずかしげもなく,良くそんなことをする,といわれそうだが,これでも散々迷ったのだ.しかし,着ていくなら,やはり今日だよなと思い,着ていった.
しかし,皆の反応は,驚くほど無関心.ごく数人から「それ,いいねえ」と言われただけで,後の人は何も言わない.どうやら,このTシャツがあまりに街に溢れているために,全く違和感がないらしい.唯一,ヤンキースの熱狂的なファンのグレッグだけが,「そんな恥ずかしい服を着て,ロゴの部分を手で隠して歩かなきゃ」と言ってきた.
今朝は週1回のプログレスレポート.担当はコーリー.彼は今年の秋には博士号を申請する.そのための,今までやってきた仕事の集大成を,一気に話した.それにしても,膨大な量のデータに改めて圧倒される.普段は下品ことばかり話したり,ラボの中でフラフラしていることも多いが,やる時はやる奴だなあと思う.
一つ,データが足りない図があった.そこはJCの担当らしいのだが,まだデータが出ていないらしい.
「僕は毎日「生理学実験はどうなった?」とJCに聞きに行くんだけど,JCは「ああ,ばっちりだよ.もうすぐデータがとれるよ」と言ったまま,数ヶ月が経っているんだ」とコーリー.
powerpointの図をクリックすると,JCの顔写真が画面下からゆっくりと動いてきて,空白のデータの部分に収まった.
皆は笑っていたのだが,プログレスレポートの後でJCは
「あれは,ジョークなのかなあ.それとも,本気で怒っているのかなあ」 と,密かに気にしていた.
横で電子顕微鏡担当の技術員のエリカが
「今度言われたら,私が毎日,あなたを煩わせているからデータが中々でないのだと,コーリーに言うのよ」といって慰めているのが,ちょっと微笑ましかった.
プログレスレポートの直後に,フランス人のポスドクのジョンが,正式にパリの研究所に永久職を得たということで,皆で軽く,シャンパンでお祝いする.
さて,午後になって実験を開始したが,やはりどうしても引越し関連のことが頭から離れない.今住んでいる部屋のことは一昨日の日記に書いたが,今度移る部屋についても,問題がある.まだ,大家が受け入れると言わないのだ.
それでなくても,外国人でクレジットヒストリーが無いからということで,銀行の預金残高の証明書やら,履歴書までFaxしている.そこに今度は日本からの収入の証明書と,保証人を誰かに頼んで書類に記入してもらえと先週言ってきた.
そこで,申し訳ないが保証人をボスに頼んだのだが,あっさりとOKしてくれて,書類を作成してくれた.ただ,書類の一箇所を指差して,「ここは,ちょっと不愉快だから,僕ははっきりとは書かないよ」という.見ると,保証人の年収を記入する欄があった.
いくらなんでも,これはひどすぎはしないだろうか?保証人を頼むだけでも気が引けるというのに,その人の年収まで明らかにしろとは,失礼にも程がある.
「ハーバード大学のFull Professorの年収と書いておいたよ.もし聞かれたら,「彼は大学のすぐ傍に一軒家を購入して住んでいるので,そのくらいの年収がある」と説明してくれ」と言われる.本当に申し訳ない.
さらに,ボスがハーバードの教授であることを証明するために,学部の事務に行き,署名と刻印をしてもらい,昨日の昼にFaxした.これで,必要とされている書類は全て提出したはずだ.文句はあるまい.
ところが,昨日の夕方になって,不動産屋から、「大家から質問があると言われた.貴方の収入は年間何回という形でまとまって振り込まれるのか?それとも毎週ごとに振り込まれるのか?」という.
そんなこと,どうだっていいじゃないか.毎月,決まった額の家賃を納めれば,文句ないはずではないか.実際,この半年間,今度移る先よりも高い家賃を払ってきて,充分生活できているのだ.その証明のために,銀行の預金残高の推移までFaxしたのではないか.疑り深いにも程がある.
今日になって,不動産屋から連絡があるかと思ったが,一向にない.そんな状態で実験していて,しかも人が動けるスペースはわずかに2畳ほどしかない実験室だが,JCに来客があったせいで,1畳ほどのスペースに3人が押し込まれることとなった.椅子を引くことも押し出すこともできない有様で,イライラが募る.おかげで標本作りを失敗してしまった.
そこに偶然,ボスが通りがかった.
「この間の保証人の書類の件だけど,学部の事務からの署名は無事に取れた?」と聞いてきたので,
「それは取れたのですが,まだ大家が決めかねているようです」と言うと,
「なんで? 君は日本ではAssistant Professorじゃないか.大家は一体,何が信用できないというんだ?」とボス.
そこから始まり,今住んでいるアパートの家具の引継ぎの件にも話が及ぶと,ボスは
「そんなひどい話は聞いたことがない.なんてことだ」といって,一緒になって憤慨してくれた.
「何か,僕に助けられることは無いか?」とボス.
これだけ忙しくしているボスに,サイエンスと無関係のことで,そんなに煩わせるわけにはいかない.
「強いて言えば,今,契約している電気やケーブルテレビなどの解約や,新しい住所を申請したりするのに時間がいるので,平日に1,2日お休みをいただけないでしょうか?」と僕.
「そんなのは当たり前のことだよ.断りなしに休んでもいいくらいだよ.こちらでは,1週間くらい休みを取るのが当たり前だよ」とボス.
「今住んでいる部屋の大家に,今度部屋に入ろうとしている人とのことは話したか?」 とボスに聞かれる.
「一応伝えましたが,多分,彼女は僕の言うことには耳を貸さないでしょう.家具はあくまで僕の問題ですし,彼女は家賃さえ払ってくれれば問題ないでしょうから.僕も色々と説明しましたが,やはり英語の問題もあって,充分に理解してもらえないようです」 と僕.
すると「君の英語はエクセレントだよ.君の言っていることで僕が分からなかったことは,今まで一度も無い.それに,来た頃に比べて,君の英語はどんどん上達している.英語の問題ということはありえない」とボス.
それにしても,この半年間,一体僕は何をしていたんだろう,と情けなくなる.渡米直後に生活のセットアップに時間がかかるのは仕方ないとして,またもや引越しで右往左往している.一向にデータは出ないし,何も進んでいるように見えない.
「データも出ないのに,こんなことばかりで,本当に申し訳ないです」と思わず口にしてしまった.
するとボスは次のように言った.
「確かに留学して,データを出したり論文を書くことは大事だよ.でも,海外に留学するということの意味は,それだけじゃない.今まで自分が暮らしてきた世界とは全く違う世界に身を置き,そこでの生活習慣の違いを体験したり,全く接したことのない文化に触れるということが大事なんだよ.
僕は日本に何度も行ったことがある.だから,日本とアメリカがどれだけ違うのか,僕には理解できる.おそらく,アメリカ人が日本に行くのと,日本人がアメリカに来るのとでは,日本人がアメリカに来ることの方が,はるかに大変なはずだ.
日本は民族的に均質だから,お互い何も言わなくても通じ合う部分が多い.それに比べてアメリカは多民族国家だから,実に色々な人がいて,色々な文化・習慣がある.それらは,アメリカの中でさえ,地域によって全く異なる.
アメリカ人である僕でさえ,南部から東海岸にやってきた時は,色々と大きな戸惑いがあった.だから,そんなことは気にすることはないよ.」
本当はデータを出すことをボスは望んでいるだろうが,あえてこう言ってくださるボスの優しさに感謝する.このボスのところに来て良かった,と思う.
確かに,昔は留学経験はポジションを得る上で有利に働いたのだろうが,今は時代が変わり,日本で若くして教授になっている人の中には全く留学経験の無い人も多い.早く教授に昇進するためには,留学よりも国内で実績を積んだほうが,名前も憶えられやすいし,コネクションも増えるのかもしれない.
しかし,やはり,人生それだけではないだろう.結果も大事だが,プロセスはなおさら大事だ,と僕は思う.いくらか願望も入っているが.
ボスとは,その他に実験室に関しても話をした.JCの部屋は,あまりに来客が多い上,スペースも少ないので非常に厳しいと言うと,コーリーが年末にメディカルスクールに戻った際には,彼の部屋をもらえることになった.小さいながらも個室になっている.JCのところにやってくる人達に煩わされることは全く無い.
「しかしコーリーがいなくなるまでには,まだ大分時間があるから,臨時のスペースを他にも作ろう」といって,ラボの中をあちこち見て歩く.候補として2箇所を挙げられる.どちらにするかは,僕次第とのこと.
結局,今日,新旧どちらの大家からも連絡はなかった.新しい部屋の担当の不動産屋に電話をすると,大家とは,明日話し合いを持つと言う.明日は運転免許の試験があり,その後は実験動物の講習会があるので,僕は立ち会えないよと伝える.
どういう結論になるのか.結論によっては,家具を手放さない方が良いかもしれない.もどかしい日々が続いている.
* たいへんやなあと思う一方で、なかみのある日々を堪能しているようだとも。のちのちに佳い記憶に結晶し、光り出すだろうなと思う。
2007 7・19 70
* 日付の変わる間際に、妻の親友からいいメールをもらった。
☆ 星野画廊さん 晴
祇園祭の山鉾巡行を見に行きました。一度は見たいと思いつつも、京都の夏は暑い、人が一杯と敬遠していましたが、何時までも先送りできないと、桟敷席が確保されているとのツアーに乗りました。
翌日は貴船の川床料理。目とお腹のお正月!
本来の目的より心に残りましたのは、星野画廊さんのことでした。
何度か秦さんのHPで星野画廊の星野さんのことを誉めておられた記事を読ませていただいていましたので、山鉾巡行を見た午後の自由散策の時間に、星野画廊を訪ねたいと思い、主人を道先案内にして知恩院より粟田口を通り、三条どおりへと行きました。
ありました。見つけた嬉しさに二人してためらうことなく入り口を開けて中に入り、絵を見ていました。
たくさんの花の絵に魅入られるようにして眺めつくしていて、美術館と錯覚を起こしそうでした。
画廊に入ることはこの年で初体験でした。銀座の画廊を外から覗き見ることはあっても、絵を買う事とは無縁と思い、入ることはありませんでした。でもこの画廊は入り口から人を迎え入れてくれる温かさがありました。
『石を磨く』の本の前で秦さんの帯を見ながら、やっと場違いの二人の説明をご当主と思われる方に致しました。「秦さんが常々この画廊のことを誉めておられるHPを読んでやってまいりました」と。
星野さんもHPを読んでおられるとの事。「秦さんはがんばりすぎですね。美味しいものも食べすぎ」と、こもごも健康を心配して話が弾み、お茶をご馳走になり、展示されている絵の話などもしていただき、今期の展示の図録まで頂戴して帰りました。秦さんの名を語り、いい目をさせていただいたはめになりました。ゴメンナサイ。ありがとうございます。
求めた『石を磨く』の本を、帰りの新幹線の中で夢中に読ませていただきました。1点1点の作品に、作家に対しての愛情や思い入れに、強く打たれました。作家が絵に思いを託すこと以上に、それらを集めて系統立てられることで星野さんの構想が人を打つ展示になる事を教えられました。
画家を育てる人たちの出入りする遠い世界と画廊のことは思い込んでおりました。このような良いお仕事をされている画廊をまた訪ねたいと思いますが、京都の遠さが恨めしいです。
目に焼きついた何点かの絵や陶器を反芻しながら、近くを流れる疏水に行き着き、おまけに観世会館も訪ねました。
先週の記事で疏水に沿って歩く「秘所」を読み、書き写していた文どおりに、町屋の風情も楽しませていただきました。
雨にも降られず日照りにもあわず、目と心の贅沢のできた良い旅でした。台風や地震の災害に遭われている方々には申し訳ないと思いつつ楽しんでまいりました。いろいろのことを教えられ感謝しております。
梅雨明けの暑さが思いやられます。どうぞ迪子様ともどもお体をお大事になさってください。
* 京都でええとこと聞かれると、人様にもよるけれど星野画廊に寄ってきたらとすすめる。取り澄ました美術館とはまったくちがう生きて呼吸している繪がみられる。但し広い広い店とはちがう。もっとこぎれいな画廊なら京都に掃いて捨てるほど有るが、そこに集まってくる作品は、ちょっと、そんじょそこらの売り繪とはモノがちがう。
よく立ち寄ってこられたなあと嬉しくなる。わたしもまた行きたくなったが、行くと欲しい繪が待っていて、これだけは懐とのきつい苦しい相談になる。このごろ繪の買い癖がつきそうで警戒している。
そういえば、この土曜で会期が終えると、有楽町の画廊から小品ながらピカソが送られてくる。お宝のつもりではない、掛けて楽しむのである。すでに和室ながら違和感なくダリの大作、そして息子も一目で欲しがったシャガールがあり、ピカソも思い切って同じ部屋に掛けようと思う。急に嬉しくなってきた。
2007 7・19 70
☆ 風邪の町 幌
6時55分に起き、身繕いをして7時15分に予約したタクシーへ乗り込んだ。南郷13丁目駅から7時29分発の東西線に乗り7時38分新札幌へ到着する。改札横の喫茶店でモーニング。トースト2切れ、サラダ少々、ゆで卵、コーヒーがついて380円。安い。8時10分発の特急スーパーとかち1号で芽室(めむろ)へ向かう。車内で40分ほど熟睡する。あとの時間は、資料を見たり、いろいろと考え事をしたり。10時20分芽室駅下車。快晴。寒い。一台だけ停まっていたタクシーに乗り北海道立の試験場まで、1200円。
試験場の病虫科長Sさんに、薬剤試験を仕込んだビニールハウスを見せてもらう。本当は広大な畑を使って実施するはずの試験。うまくいけば、頭を抱えているある病害の特効薬として年度内に登録がとれるのだが、諸般の事情により、畑での試験ができないことになり、やむをえず、植木鉢ほどのプランターを使ったポット試験となった。Sさんによれば、昨年寝る間を惜しんで開発し特許出願した検出法が、現場ではまだ使えないらしい。本庁で「公的機関の開発技術を何で金を払って使うの?」との意見があったとのこと。同じ質問を私もしたい。
しかし、今の独法は、金、金、金。この特許を、親方の○○省が使う場合でも、基本的にお金は頂くのだそうだ。独法儲けさせるために、寝る間を惜しんだ訳じゃないんだけどな。Sさんにも申し訳なく複雑な気分。
やりきれないまま、隣の独法研究所に移動。会議室でお昼に頼んでおいたお弁当をもらう。500円。領収書までくれた。メンチカツ、ひじきと大豆の煮物、切り干し大根の煮付け、ポテトサラダ。メンチカツとサラダにさりげなくジャガイモが入っているが、午後の会議は、ジャガイモの関係者が一堂に集うものなのだ。
会議にはジャガイモの品種を創る人、それを栽培する人、売る人、買う人、加工する人、製品を売る人まで集まった。北は地元北海道から、南は種子島まで、この人たちが扱っているイモの量は、ひょっとしたら日本のイモの半分以上を占めるかな、などと考えつつ、各自の発表を聞いていた。私が聞きたかったメーカーの執行役員のプレゼンは、大幅に時間を超過して、45分になった。私はプレゼン時間を超過する人が嫌いだ。自分が主催者側になれば、その苦労がよくわかる。しかし、45分熱弁をふるっただけあって、役員さんの言わんとすることはよくわかった。植物病理が専門の私としては、とうてい容認できない生原材料の輸入も、販売者側から見れば、それなりの理由があってのことだ。要は、私(この場合、組織の研究職員としてではなく、一植物病理学徒として)は、彼らの行為を、これからも注視し続けるということ。病原体はかならず外からやってくるのだ。
午後3時、バスに乗り、芽室町の畑作地帯を移動する。刈り入れ前の麦、紫や白い花を咲かせたジャガイモ。防風林で仕切られた畑が、パッチワークのように色分けされている。バスを降り、畑のきわに立つと、氷かと思うほどの冷たい雨が降り出した。気温はおそらく10℃を下回っているはず。しっかり背広を着込んできたが、それでも前をかき合わせる寒さだ。
ジャガイモを貯蔵する農協の貯蔵庫、2万トン。倉庫の中も寒くてかびくさい。5時過ぎて、研究所に戻ったときには、体が芯から冷えていた。研究所で帯広畜産大学のアルバイトをしている学生さんに、芽室駅まで送ってもらう。汽車を待つ30分の間に、駅前の喫茶店に飛び込み、熱いココアを注文する。7月真夏に熱いココアか。
18時9分の特急でいったん帯広まで行く。560円。帯広駅も雨。駅前の「ふじもり」という昔風の食堂で、体が温まりそうな、カレーを注文。しばし考え、ハンバーグをのせてもらう。左の席には、私服の男子高校生3人。チョコパフェを食べた後で、放心している様子。見れば部活の話などしながら、皆寿司屋の茶碗で茶を飲んでいる。パフェに緑茶? と不思議に思っていたら、我がテーブルの上にも、水、茶、それにソーダ水が少し。面白い店だ。カレーを食べ、水、茶、ソーダ水を順繰りに飲んでいると、体もやや温まったような気がしてきた。ハンバーグもタマネギのみじん切りまで手作りで、とても美味しかった。
帯広駅から、19時10分発の特急で札幌へ向かう。今度は30分ほど熟睡。そのあとで、鞄の中から書類を取り出す。4月にコピーして、イントロだけ読んだコムギの論文。1960年代のスコットランドの論文。2004年に同級生がアメリカの学会誌に投稿したピーマンの論文。いずれも、今日出張してきた道立試験場でやっている研究に関するもの。次に出てきたのは、一月前に書いた「これからの実験予定」というメモ。6頁にわたりびっしり書かれている。この一月で進んだのは、一行か二行だけだ。その部分を鉛筆で消して、ため息をつく。「これから」がこんなにある。
21時31分に新札幌に着き、地下鉄駅に直行して、南郷13丁目からタクシーを拾い、22時05分、自宅に戻る。一週間ほど留守にしていたような気分だ。
十勝の出張後は、必ずといっていいほど体調を崩す。私にとってはまるで風邪の町。一つには、十勝は寒すぎる。二つ、日程が詰まっていて疲れ気味になる。三つ、病害の現場が全然改善されず、帰路車中で自分の無力をまざまざと感じてしまう。これが重なって、たいがい風邪をひくか、お腹を壊している。今日も風邪の兆候があったので、帰宅後すぐ湯を沸かし、葛根湯を溶かして飲んだ。
ポストに、イルジ・ビェロフラーベク指揮日本フィルの『わが祖国』ライブ版が届いていた。「2006年ベストコンサート」にも推薦されていた名演。改装に入る前のサントリーホールでのライブだが、今日の気分にも合ってすばらしく、十勝の寒さと葛根湯の熱が混ざり合った体に、しみ入る演奏だった。ひさしぶりに、『我が祖国』をしみじみと聴いた。
* ひさしぶりにmaokatさんの声を聴いた。それぞれの悪戦があり苦闘があり、だから「これから」も「この先」も生まれてくる。だが現実に実在するのは「今・此処」だけ。この一点が、しかし途方もなく誰の肩にも重い。
2007 7・20 70
☆ 変な格好で眠っていたのか、腰から下がだるいです。何だろ。
おはようございます、お元気ですか、風。
富士山の空は一向に晴れませんが、風を想えば気が晴れ、花は元気になります。
カードショッピングをすることが多いのですが、指定したはずのないリボ払いで請求が来てびっくりし、今朝カード会社に確認しましたら、「カード入会時に一括払いを指定しないと、海外ショッピングは自動的にリボ払いになる」と言われました(リボ払いで請求の来たのは、日本の代理店で買ったものでしたが、海外扱いになっていました)。
早速「一括」に変更してもらいましたが、ほかのカード会社はどうなのだろうと心配になりましたので、手持ちのカードは全部確認しておこうと思います。
きのうは、固定資産税・都市計画税のための建物評価をしに、市役所の人が来ました。既に支払った土地の不動産取得税は返還されるとか。そのためには、書類を揃えて県税事務所へ行かなくてはなりません。
あれもこれもややこしく面倒ですが、損しないため、覚えねば、やらねば。
>書き手の意欲と読み手のよろこびとが立浪のように盛り上がることも大切。
>その起爆力がストーリーにあるのか文体と文章表現にあるのか。
よく気をつけて書きます。難しいけれど。 花
* ビタミン花。気鬱のときには有り難い。
2007 7・20 70
☆ 秦さんへ 近医の眼科では「眼底検査」をしてくれましたか? もしまだでしたら見てもらったら如何でしょうか。目薬のこともその通り話して相談してみてください。目はほんとに困りますから。
どうかくれぐれもお大切にしてください。取り急ぎ。 笠 千葉 E-OLD
* 聖路加でも近くのドクター(元厚生年金病院眼科の部長。昔から定評あり。)も眼底は必ず覗いています。痒みと目やにとからみて、わたしのかつて経験しなかった時季と型との新・花粉症では無かろうかと疑いかけている。二十六日に再度聖路加で検査があるので、念のためその前に近所の眼科へもう一度行って訊いておこうと思います。
2007 7・20 70
☆ 岡の風景 巌 従弟・南山城
そろそろ梅雨も終わりになり 昨日は 両親の月命日でもあり 朝から墓掃除に行ってきた
写真(残念ながら、割愛)は 恭仁宮址の方から その岡を見た風景。
横を縮めると秦テルヲの「黄昏」に描かれた風景にも見えるが 年代が違うか さて。
————————————————
彼は、かつてない、妻に、やがての致仕つまり退職願い
の意思のあることを、あらかじめ告げた。
妻はおもわず顔をあからめた。そのようないわば男の
秘めごとを夫が口にした、それに虚をつかれたのである。
「お宜しいように、なさいませ」
そう言うであろうように、妻はそう言った。彼は頷き、
そのことに就いてはそれ以上言わなかった。
————- 秦恒平 著 「親指のマリア」
こんなふうな場面があって 丁度一年経った。
* そんなこともあったであろうかと、想像していた。画家秦テルオの『黄昏』、なつかしい。彼は晩年を南山城に住んだ。
2007 7・20 70
* 次の長い一文はまだ完結していないが、読み甲斐がある。ああ、とうとう書き出したかという感慨がわたしに在る。書くべき、あるいは書きたいものを豊富に持っていて、しかし鎧が硬くてそとへなかなか表れないものがある人と、四半世紀近く書いたものだけを読んできて感じていた。この人を「mixi」に誘い入れたのは成功だと、そう思わせる何人かの一人、最たる一人と謂えようか。いまボストンに住む東工大の学生君にも読ませたくて、この小説になるかも、エッセイなのかも見極めきれない、しかし落ち着いて書き出された長文をここに書き留める。
☆ ローローチキン (一) 清
J, あなたに初めて会ったのはブルックライン・ヴィレッジのローローチキンの真ん前だった。夏の終わり夕方七時ごろ・・北緯四十五度の街はまだ暑気の残りに蒸しかえり、明るかった。
道で声かけられて、それからそのまま一時間、二時間立ち話をしてしまったなんて、これは後にも先にもわたしの人生で起こらなかたこと。決して広くもない歩道で、人の往来の邪魔になっているのは十分意識していた。けれど、あなたは近くのカフェに入ろうとも提案しなかったし、勿論わたしから言い出しようもないことだった。
「ちょっと君と話していいですか?」と言ったあなたが十歳くらい若い人だと瞬間的に「値踏み」して、逆に警戒する気持ちが薄れたのだった。
「どうしても僕の気持ち、考えを聞いて欲しい。あなたがアジア人だから。」
まっすぐ言葉が届いた。わたしはまだ約束の用事の時刻まで時間はもてあますほどあるし、この人の話をきいてみてもいいわ、英語の勉強になるし・・と言い訳めいた勝手なことを思って、気軽に「いいですよ、でも何のお話なの?」と応じた。
あなたは次から次へと人種差別のことなど、特にアメリカが抱えている問題を迸る勢いで話した。
「アメリカ社会はさまざまな人種の坩堝と言われるけれど、溶けてしまうはずない坩堝、ごった煮のお鍋、そう、それどころかガベッジ・ボックス、ゴミ箱。」といいながら、黒人やヒスパニックの差別について、さらに赤銅の肌の先住民、アメリカ・インディアンに対する姿勢や施策など、おおよそ半分だって理解できないわたしを相手に語った。歴史的かつ今日的な連綿と続く問題も、ああ本当に次から次へ話した。第一課が多すぎ、または第一楽章が長すぎ、お蔭でわたしの頭は大混乱だった。
わたしがアメリカ生まれのアジア系アメリカ人でもなく、ずっと居住して根を埋めて同化しようと努めているアジア人でもなく、やっとやっと英語を聞き取っている短期滞在の日本人だと納得させたのは、話もかなり佳境に入ってからだった。あなたは一瞬とまどった。が、
「それでもいい、君は僕の話を一生懸命聴いているじゃないか。」と答えた。
ローローチキンの店からおいしそうな匂いが鼻を刺激して、でもわたしたち、いや、あなたの話は真面目そのもの、辛辣な痛憤に満ちていた。
日本の街角で話しかけられて、社会問題の話に耳傾ける、そんなことはおよそあり得ない。
あなたが 興味ある黄色い、或いは赤い人種に常日頃どう向かい合っていたか、そして黄色い女のわたしに、その時、具体的にどんな好奇心で声をかけたのか、聞きただしてみたかった。
あれから何回も思ったけれど、結局ついぞ質問する機会はこないまま、わたしはあなたから遠く、日本に帰ってきてしまった。今となっては、知らせないまま互いに住所も変わって、もうどんな繋がりも見つけられない。
九月の終わりだった。ローローチキンの前で待ち合わせて、通りから外れてひっそりしているDラインの駅から電車に乗ってニュートンに出かけた。
ボストン郊外の閑静な住宅地。たっぷりした樹木と瑞々しい芝生、大きな家々。通りに沿った住宅の渋く落ち着いた町並みが続く。
そのウエスト・ニュートンのチエスナット・ストゥリートを15分ほど歩いていくとアンティークや古道具を扱うモールに行き着く。わたしのリクエストだった。
もし此処に生まれ育って、家庭を持ったら・・ああ、もう何処にも移り住もうなんて考え付かないかもしれない・・なんと単純だろうと我ながら苦笑するが、そんな気持ちは誰にだってあるだろう。
チエスナット・ストゥリートで思ったことは、勿論それが初めてのことではなく、普段の暮らしの中でも時折感じてきた。小さな住まいでも、どっしりした旧家でも、ふっとこの家が自分の家だったらと想像する。此処に暮らせたら、死ぬまで此処で暮らすのだと覚悟し、根を下ろせたら・・それだけで幸せかもしれない。現在の状況に安住できたら、安らえたら、それが一番の幸せかもしれないが、そんな安らぎはついぞなかった。落ち着いた途端に逃げ出しかねないのがあなたじゃありませんかと、遠くから声が聞こえそうだ。
外的な条件が満たされたら幸せ、ある程度は。それ以上に自分が何ナニモノか、何をしていたら自分であり得るか・・。
それどころか、日々の細々したことにやっとの思いでわたしたちは生きている。卑小な一人であっても、それぞれ一人の「煩悩」を生きている。
それにしても、何処に住むかは大問題、そう一人考えていた時、唐突に彼がが言った。
「此処、この静けさの中にいた人の、決して安住しなかった人のここでの営みを僕は思っている。ベニグノ・アキノ氏はニュートンにいたことがある。
帰れば殺されるかもしれないと知っても彼は帰っていった、そして予測どおりに、運命に従って運命に導かれるまま、覚悟して帰っていった。フィリピンの土に、舗装された飛行場の滑走路に足を下ろしたか下ろさなかったかの、あの際どいあわいに、撃たれて殺された。」
その衝撃的な事件はわたしの記憶にも残って生々しかった。白い服がフィリピンの激しく厳しい陽射しの下にしらしらと横たわっていたテレビの画面を忘れない。瞬時に命は、魂は彼の身体を離れ、身体は死体というものになった、あの場面。
「ボストンのニュートンの静かさ豊かさをあの人はどんなに呼吸していただろう。そういう人の心の内側に入りたい。僕にはそういう生き方ができるだろうかって、いつも考えてきた。波乱万丈がいいとは言わない。でも平穏無事だけが誰しも願うことと言い切れない。」
アキノ大統領の実家はフィリピンの大地主であり、重大な土地問題には手をつけられず改革は不十分なまま、またアメリカ軍基地を抱えて、これもまた多くの問題を抱えている。ベニグノ・アキノ氏が理想と現実の狭間で、フィリピン国民のためにどこまで考え行動していたか、それは知りようがない。暗殺されなかったら、どのような改革を実行し、その後のフィリピンがどのような軌跡を描いたか、それはすべて幻だ。しかしあの空港に降り立とう、祖国の土を踏みしめようと決意した、彼のその気持ちは尊く悲壮だ。
テレビの画面、というわたしの言葉に彼は反応した。
「テレビの画面はいくつもの線に分解されて送られる。その線を再合成して映像は作られる。人生の輪郭は画面にどう再合成されるか。自分のテレビの中で。あるいは君のテレビの画面の中で。細片をつなぎ合わせて・・それで、それが僕の人生? 違うよ。つなぎ合わせたって、それで満足などできない。つなぎ合わせて整合性を見出して、終わりよければすべてよし・・そうはいかない。画面の映像が実際の、真実の人やものでないことを考えれば十分じゃないか?・・」
切羽詰った口調に驚いた。わたしは彼の人生の整合性にどこまで入り込み介入するか・・ゼロに近い。違う、ゼロだった。 (つづく)
* 明日の日付の「要望」が届いたので、今日はこれでしめくくる。
2007 7・20 70
* やれやれ、弱虫ですね。そんな虫をだきかかえる懐なら持っていますよ。
あなたが男につまづくのは、たんに選択が悪いから、また期待するところに錯覚があるから、ではないですかねえ。意外にアホですねえ。社会へのこだわりや誤解も相当あるんじゃないですか。無用の「抱き柱」をもとめてしがみつきたいのですか、自由が怖くて。「抱き柱」の意味がわかりますか。
自殺なんか、十二分としをとってからしたければすればよく、妙齢の女のすることじゃない。
**さんの本は、いま、手に触れない方が良い。甘やかしかねない。それぐらいなら『モンテクリスト伯』を読み始めて、読み終わるまでは何も考えないこと。
じゃんじゃかメールをよこしなさい。 湖
2007 7・21 70
☆ 新居決定 ボストン 雄
昨日の運転免許に引き続き,こちらもかねてからの懸案だったが,新居がようやく決まった.今日,大家が僕を受け入れることに同意したと,不動産屋から連絡があった.
正確には,まだ契約書に僕とボスのサインをし,最初の月と最後の月の分の家賃を小切手で支払う必要があるのだが,ボスは来週月曜までボストンにいないので,契約書を持っていくのは来週となる.
大したことではないはずなのに,ここまで本当に長かった.まだ,今ある家具の処分や,引越し,そしてそれに伴う各種の届出など,あれこれとしなくてはならないことは残っているが,ひとまず9月からの住むところが確保できて,ホッとした.
実験関連では,ボスから言われて作っていた新しい実験装置用に,机の上に置く巨大な鉄板を入手する.マシンショップで手に入ると聞いていたが,どこにあるのかが分からず,そのままにしていた.
今日,色々調べた結果,物理学科のある建物の地下にあることがようやく分かった.地下に降りる階段が分からずに3回も建物の周りをぐるぐると回ってしまった.地下には工作室のような設備があり,学生さんが何人か,装置を自作しているようだった.
僕はマシンショップの担当者に頼み,鉄板を18インチx24インチに切断してもらい,それを持ってラボへ.これで必要なものはほぼ出揃った.これらを,僕の新しいスペースに置いて,いよいよ実験に取り掛かることができる.
色々なことが片付いて,ホッとした一日だった.
日頃,滅多に何も入っていない,ラボでの僕の郵便受けに手紙が入っているのに気づく.大学からで,先日のドイツ出張の際のホテル代などの諸経費を自分で立て替えておいた分が,小切手になって還ってきた.さっそくHarvard SquareのBank of Americaに行き,自分の口座に入れる.
早めにラボを切り上げて帰途に着く.Harvard Squareの近辺に,信じられないほどの長蛇の列が出来ていた.先頭付近を辿ってみると,映画館に繋がっているようだ.どうやら,「ハリー・ポッター」の最新作が公開されるらしい.
ひねくれ者の僕は,未だに「ハリー・ポッター」は,どの作品も観た事がないので,これが映画の最新作なのか,本の最新作なのかさえ,まだ良く分からないのだが,行列を作っている人達の中には,魔法使いのような帽子を被ったり,マントを羽織っている人の姿も見受けられた.
☆ Summer Shack ハーバード 雄
昼近くにラボへ.途中,Pho PasteurでいつものDac Biet.
昨日から培養していた大腸菌を,遠心して沈殿させ,フリーザーへ.ラボの遠心機の調子が悪く,1階上の他所のラボのを借りに行った.今まで使ったことのあるタイプと違っていて,戸惑う.
1階上のラボの研究室主宰者は,まだ若い女性.いつも綺麗にオーガナイズされた研究室だなあと感心していたのだが,遠心機の前に貼ってある紙を見て絶句.
「遠心し終わったら,必ず蓋を閉めること.さもなくば,I will flog you」.Flog=激しく(むちで)打つ.
うーん,恐ろしい.
‘flog’で,以前所属していたラボの(若干天然ボケな)秘書さんとの会話を思い出した.
秘書「カエルは英語でケロッグですよね?」
僕「ケロッグは朝食です.カエルはフロッグです」
秘書「フロッグは...旗じゃないですか?」
僕「それはフラッグ」
まあ,こういうことをflogから思い出す時点で,僕も秘書さんのことを笑えないのだけど.
さて,夕方になってラボを後にし,Porter駅に向かい,Tで終点のAlewifeに向かう.
今日は,大学院の修士課程時代の同級生がウッズホールの臨海実験所での3週間の実験を終え,ボストンを経由して帰国するということで,同じ研究室に在籍していたことのあるボストン在住の方(とその奥様)とで,食事をすることになっていた.
指定されたのは,Alewifeの駅近くにあるシーフードレストランSummer Shack.カジュアルな雰囲気だが,ボストンの老舗Legal Seafoofと比べても,ひけをとらないと聞いていて,少なからず期待する.
お味の方は,やはりLegal Seafoodの方が上品か.ロブスターは,今回は茹でたものを食べたが,やはりbakeした方が美味しい気がする.雰囲気がカジュアルなせいか,あるいは駐車場が完備されているせいか,大勢の客で賑わっていた.料理も,リーガルシーフードに比べると,いかにもアメリカンカジュアルなメニューが多かった.値段は,それほどカジュアルという程でもなかったが...
修士時代のラボの昔話や,アメリカでの話(英語その他)などで,あっという間に時間が過ぎた.食事を終えて,僕以外の皆さんは,御宅の方に向かわれ,飲みなおしとなったが,僕はここでお別れし,TでHarvard Squareまで出て,そこからバスで帰宅.
2007 7・22 70
☆ 停滞気味の梅雨、高湿のせいか体躯のがだるい一日でした。
それでも、所用で来訪の息子、呼び寄せた(もっとも夏休みの事、閑があればやって来ますが)娘、孫の三人の接待のため、近くの団地まで自転車で買い物に出たりして。夕飯前、娘達と、運動にと「境・狭山グリーン道路」を西武線萩山駅まで自転車で走りました。両側の小金井桜の葉影で思いの外涼しく走れます。サイクリングやウオーキングの人の多い道ですが、サイドは農地や整備された公園が多く、はんなりしています。
帰路、ちょっと横道に逸れて(気持ちは予定通り)中華やさんに立ち寄り、空腹を大満腹にしたので、ダイエットは夢の又夢、だる~い一日が無事に終了。あんなこんなで、元気なもんです。 古希の人 泉
2007 7・22 70
☆ お元気ですか、風。暑いです。ちょっと動くと、汗だく。
英語のレッスンから帰宅しまして、昼食を済ませました。パスタを食べたら、汗が吹き出ました。
ですので、涼みアンド食後の休憩中。
これから、県税事務所と買い物に出かけます。 花
* 暮らしぶりが見えるよう。電子メールという伝達手段の気軽さだ。東海でも近畿でも九州でも海外でも、こんな感じにお隣近所とのご挨拶と変わらない。電話ででもこう気軽でない。「拝啓」や「前略御免」の郵便では、こうはいかない。自己表現がうんと変わる。加えてわたしの「方法」で、本名を互いにわざと避け、替え名を利用すると、心理的な隔てはさらにほぐれる。もっとも「替え名」は双方で納得していないと通用しない。
2007 7・23 70
* 群馬から、お心入れの純米大吟醸「赤城山」二升頂戴した。うまい。有り難い。
☆ 今日は、きのうより、いくらか涼しいですね。お元気ですか、風。
オール電化住宅の我が家は、昼間(午前十時から午後五時まで)の電気量がべらぼうに高いので、エアコンを稼動したくなく、あんまり暑い日は、図書館へ涼みに行ってしまうつもりですが、今のところ、そこまで暑い日はありません。猛暑だった二年前に比べると、今年は過ごしやすいですね。
あ、夏はこれから本番かな。
BS2の『ナポレオン』は、はじめの方を見て、中断してしまいました。1920年代の映画でしたね。当時のテンポは、ゆっくりしてい、「もうちょっと早くならないかなあ」と思ってしまいます。何を焦っているのでしょう。ゆっくりしたものを、じっくり見たり聴いたりすることを避けがちなのは、イカンなあ、と反省しています。
映画『シャレード』を見ました。ケイリー・グラントとオードリー・ヘップバーン主演のかと思ったら、2002年に製作されたリメイクでした。ゴダールの映画で有名なアンナ・カリーナや、シャルル・アズナブールや、フランスの女性監督の草分け的存在のアニエス・ヴァルダなどがカメオ出演してい、楽しめました。
主演俳優たちは、ケイリー・グラントとオードリー・ヘップバーンとは比べ物にならない野暮ったさで、ま、仕方ないか、と思いながら見ていましたよ。
風、お体はくれぐれもお大事になさってください。お元気で、ぜひいつか逢えますように。 花
* 1927年(昭和二年)の映画『ナポレオン』は二部までやって、尻切れトンボであったが、モンタージュ技法はなかなかのもので、映像の造り方は侮りがたい巧緻さ。一種の「名画」を観たほどに感服した。なるほど無声映画はこういう具合に創るのかと時代を超えて感じ入った。
☆ ようやく夏らしく 馨
昨日から久しぶりのお日様ですねー。今日は洗濯機を5回まわしました。おふとんも干して、上の子の上履きも洗わせ、うーん、すっきり!
今年初めてのビニールプールも。
息子クンはビニールプールデビューですが、お姉ちゃんと一緒に1時間以上はしゃいでいました。・・・と、ムスメが「お母さん、Sがおしっこしたぁ!」
ビニールプールではよくある展開。
そこで子ども二人は回収してお昼ご飯にしたのですが、息子はまだ遊んでいたかったようで大暴れ。
今年はあと何回プール遊びできるかな。去年は雨が多くて、あまりできなかったので。
最近、笑ってしまったこと。
我が家の寝室には猫用のドアがついていて、ときどき猫がそこを使って入ってきて寝ることもあります。猫一匹分だけ通れる狭いドアです。
下が生まれてからはずっと閉じていたのですが、最近また開けておくようになりました。でも、ここまで気温が高いと猫は猫で勝手に寝ていてあまり来ないのですが。
先日、寝室で片付けものをしていたら、夕方で疲れた息子があまりにもダダをこねて、片付けの邪魔をするので、廊下に出してドアを閉めたところ、ワーン、ワーン、と廊下で泣く泣く。
そのうち、妙に声が大きくなったなぁ、と思って振り返ると、なんと息子クン、猫用ドアからずるずると入ってきたではありませんか!
息子は泣いていたのですが、私は爆笑。
どうやってあの幅を通ったのかしらん? もしかして肩の関節抜きをした?
ウサギの家に詰まったプーよりも上手に穴を抜けました。
もう一つ。
台所で家事をしていると、息子クンがなんだか犬が立ちションするような格好(失礼)で片足あげて、ウンウン言っている。
どうしたのかな、と見ると前夜に仕掛けたばかりのゴキブリホイホイに、つかまっていました。
足の裏にベタベタをくっつけたまま、片足をあげている息子クン。
これまた母は大爆笑でした。
ちなみにこのゴキブリホイホイ、ゴキブリは未だに一匹も入らず。息子だけがつかまりました。
ムスメを育てている時よりも笑わせられる回数が多いのは、男の子で動きが激しいからか、二人目でこちらが多少余裕があるからか・・・。
面白いなぁ、と笑うことの多い毎日です。
2007 7・25 70
☆ 秦恒平先生 大変ご無沙汰しております。**テレビの「晨」です。「生活と意見」で、やす香さんのことや、先生のお怪我のことを知り、東工大の秦教室で育った「一人の息子」として、折々にご連絡をしなければと思ってはいたのですが、本当に長い間ご連絡を差し上げておらず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今回ご連絡をさせて頂いた理由が、また全くもって私事で恐縮なのですが、実は弊社の7月の異動で私が東京に転勤になりまして、そのご報告をと思ったからです。
社宅が東急目黒線(今は目蒲線とは言わないのですね…)の***駅近くにありまして、つい最近、***での生活を始めました。東京に住むのは学生時代以来のことですから、実に10年ぶりとなります。
まだ実質作業には加わっていませんが、何より、各スタッフが「真心を込めて」仕事に取り組んでいる姿勢に驚きました。(実は、そんな当たり前のことに “驚いている”自分に気付いて、自分自身に不安を感じてしまった、というのが正直なところですが…)もう一度、初心を思い出して頑張らなければ、と気合を入れ直しています。
昨日、着任の挨拶をしました。以前に秦建日子先生とお仕事をさせていただいたことのある上司のいる職場に着任したことをとっても嬉しく感じております。
もしお時間を頂けるタイミングがございましたら、先生と久しぶりにお話をさせて頂ければと願っております。今後とも、変わらぬご指導ご鞭撻のほど、心からお願い申し上げます。
* おお、こちらこそ、よろしくよろしく。嬉しい便り。京都で一度会って話し込んだ記憶がある。出来れば建日子も一緒に一夕の歓をつくしたい。
☆ お元気ですね、風。ずいぶんたくさん走られたのですね。脚も治って、よかった!
でも、でもでも、自転車事故には注意してくださいよ。それから、走りすぎて、また脚を痛めないでくださいね。
今日、『モナリザ・スマイル』という、アメリカ映画を見ました。
1953年、マサチューセッツの保守的な富裕層の通う女子大に、美術教師として赴任したリベラルな独身女性教師の話でした。
優秀な大学で教鞭をとれることに大きな期待を抱き、遠いカリフォルニアから来た彼女は、そこが体のいい「花嫁学校」だとわかったとき、生徒たちに、自己実現の大切さを教えようとします。
決められた相手と結婚し、夫を陰で支えることが、女の勤めだと教えられる生徒たちの中には、新しい教師を受け容れない者と、「素敵」と慕う者とがいました。
教師の授業は美術。
「芸術の価値は、どこにあるのか、誰が決めるのか。」
教科書に載っていない問いを、彼女は生徒たちに投げかけました。現代の抽象画を見せ、「レポートを書く必要はない。ただ見るだけ。それが今日の授業」と言ってみたり。カチコチな生徒たちの頭をほぐし、誰かの引用ではなく、自分の言葉で絵画を批評させます。
生徒たちに大人気の彼女の授業は、しかし、父兄会の反発を買い、彼女はたった一年で、マサチューセッツを去ります。
女ばかりの世界は、ひがみ、嫉妬、足の引っぱり合いなど、穏やかではありません。「モナリザ・スマイル」を見ながら、以前見た、木下恵介の『女の園』を思い出しました。
「女の園」は、保守的な学校側・親側と、自由を求める生徒たちの対立を描いていましたが、「モナリザ・ズマイル」は、保守と革新の両者を、もう少し複雑に描いた、とてもいい映画でした。その清の面にも濁の面にも、「女って、そうなのよね」と、頷き、頷き、泣きました。
生意気な生徒が、教師に、「あなたを教育してるのよ」と言うワンシーンの、映画番組で紹介されていたときから見たいと思っていた映画で、期待は裏切られませんでした。
教師を演じていたジュリア・ロバーツが、いい感じの大人の女性でした。
そうそう、ジュリアの講義で、ゴッホについて語られたのが嬉しかったです。花は、ゴッホの絵と、生き方が好きです。とても切なくて。
暑くなってきました。
どうぞ、ご無事で。風の本到来を楽しみに、花は、とっても元気です。
* 心ある教師の学校当局や父兄の不評や不興を買って学校を去っていった映画物語はいくつか繰り返されてきた。
☆ 梅雨明けの気配もみえて。昨日の大照りは辟易でした。
お友達と一緒にスペイン映画「ボルベール(帰郷)」を観てきました。
眼科、点眼薬が多いそうですが、視力を持ち堪えるには面倒がらずに。悪化を防いでください。両眼失明以後、体は丈夫でその後二十年も生きた父の世話をした者としては、切に願います。しっかりしていただけに、父が不憫でした。
よく走っていますね。出会い頭に気を付けて。それにしても長時間の走行が気になります。
私は家事だけでも運動量は充分なので、一時間半が限度です。カンカン照りの時間帯を避けます。焼けるのは古希婆といえども美容に悪いモンネ。アハハ
本の発送ですね。ゆっくりと。 泉
* 高温で信じられぬほど大勢が亡くなっている、海外では。地球が自然発火している。京都議定書は既成の事実として一片の紙くずとなりつつある。日本が議定書を守る気なら、全マイカーをストップさせねばならないと或る試算は示唆している。日本が守れない、守らない京都議定書を世界のどの國が率先守るか。
人間の運命はあと五十年に窮まって行くのか。やっと三十すぎた若い友人たちの五十年後をどう祈ればいいか、古希とうにすぎた爺は。なるようになるさ‥と歌わせてくれるか。
2007 7・26 70
☆ 京は元気です。 バルセロナ
この絵(「mixi」に使用)、夫の同僚が(夫のパートナーが日本人と知って)ささっと描いて渡してくれたものだそうで、描き手がラジオの美術番組を担当していること以外、実は何も知りません。正面を向いた耳、こけた頬、尖った顎・・・私に似ていませんか。一筆描きのシンプルなところが気に入っています。
七月、恒平さんが西東京なら、私はインスブルック(オーストリア)からパッサウ(ドイツ)まで、自転車で走ってきました。
走りながら、ドイツ留学のこと、想い出していました。当時、ちょうど10年前です、恒平さんに(一年間)何を書いたのか、私はまるで覚えていません。ミュンヘンにいながら心はバルセロナにある疚しさから、恐らく上滑りのことしか書けなかったのでは、と。
一度だけ、悔しくて涙をこぼしながら寮に帰った日、恒平さんにお便りしたことを覚えていますが、手紙で具体的に触れる勇気があったかどうか。見栄張っていたんですね、きっと。楽しいとは言い難い留学生活を悟られたくなくて。楽しいだけがベストではないのに。
「雄」君の日記を読みながら、具体的に書かれてあることがどれほど貴重か、ミュンヘンで自分はその機会を逸したんだと思います。(これからでもいいから書けばよい、というお声が聞こえてきそうですが。)
恒平さんと「雄」君と、三人でまた食べに行きたいなあ。 京
* 一目見て、面白い絵なのである。ただものではないなと感じ、「解説」を請求した。こうは描けるものでない。三人で、旧目黒駅の地下のドサクサした店のカウンターに並んで天麩羅を食った。ああも食通の「雄」には物足りなかったであろうなあ。「京」が「恒平さん」と口にしたり書いたりするとふしぎに新鮮な名前に聞こえるから妙だ。
☆ 羅臼 昴
「mixi」166日目 今日は、海が泣きたくなるぐらいきれい。
緑の大地も、霞んでいる空も、ゆったりとした時間の中に浮かんでいるようでした。
* 病気に悩んでいる羅臼の昴。「海」への感想が縁ではるばると結ばれた若い読者、マイミク。元気になって下さいよ、早く。生徒たちも先生の復帰を待っているでしょう、きっと。
☆ boring ハーバード 雄
今日から大学院生のシュシェンが,母国台湾に帰った.戻ってくるのは3週間後とのこと.うらやましい...
同室の大学院生ライアンが,ポスドクのグレッグと,なにやら盛り上がっている.なんだろうと思うと,「シュシェンのやつ,ブログを書いてるんだよ」とライアン.タイトルは中国語だが,本文は英語で書かれているので皆も読める.
そこに隣のラボの大学院生のケイトが通りがかった.ライアンはケイトを呼び止め,シュシェンのブログを見せる.「この間僕らと一緒にやった,スカッシュの試合のことも書いてあるよ」とライアン.
しばし立ち止まって読んでいたケイトが一言.”boring”
横で作業をしていた僕も,つい思わず,声を上げて笑ってしまった.
僕もちらっと読んでみたが,登場人物は自分だけ.主語は全てIで,誰と対戦して,どんなことがあったかは全く書かれていない.プライバシーに配慮してかもしれないが,自分が何点負けていて,その後盛り返して何対何になった,など,そんなことしか書いていない.どんな試合だったのか全く分からない.
それにしても,「つまらない」とは,身も蓋も無い.
僕も毎日mixiに日記を書いているので言い訳じみているが,面白いネタなど,そうそう毎日転がっているはずがない.
こういうと真面目な研究者の方からは,お叱りを受けるかもしれないが,藝人と研究者は,ある意味似ている部分があると僕は思っている.
「つまらない」と言われると,全人格を否定されたような気持ちになる(もっとも,研究者の中には強者もいて,ゴーイングマイウェーを貫く人もいるが,昨今では研究費の獲得に苦労することも事実である).
もっとも,何が面白いのかというのはセンスの問題であり,必ずしも全ての人が理解しうるものではない.好き嫌いの問題も少なからずある.オリジナリティが要求されるところも似ている.そして,ヒットを出し続けないと,忘れられてしまうところも似ている.
藝人も研究者も,「ウリ」になるものが必要だ.この人はこれをやった人だ,というものがないと,認知してもらえない.かといって,同じネタばかり話していては,「またあの話か」と飽きられてしまう.
先日,おぎやはぎのラジオ番組のPodcastで,お笑い藝人になって1年目の,とある藝人が,おぎやはぎ宛に送ってきたメールを紹介していた.
そのお笑い藝人のメールは,以下のような内容だった.
「ライブなどでネタを披露するが,一向に受けない.そのうちに相方を責めてみたり,客のせいにしたり,挙句の果てに,自分の前の藝人が爆笑を取ったせいで,自分の分の笑いが減ってしまった,などと,妙なことまで考えたりする.おぎやはぎは,駆け出しの頃,どうやってモチベーションを維持し続けたのか,教えて欲しい.ネタを磨く以外に,何かやったことがあれば,それも教えて欲しい」
これに対する,おぎやはぎの回答が,なかなか興味深かった.
○相方を責めることについて
これは芸人の誰もがやること.当たり前.
○客のせいにすることについて
これも真実.(おぎやはぎは,「昭和のいるこいる」が同じことを言っていたので,あれだけキャリアのある人が言うのだから間違いない,と説明)。
○自分の前の藝人が爆笑を取ったせいで,自分の取り分が減ったことについて
これも真実.人間(=客)は,そうそう笑い続けることはできない.前の藝人が爆笑をとってしまえば,客は休みたいから,面白いネタをしても,そうウケない.だからこそ,トリは「この人の後に出てきても,もうこれ以上の笑いを取ることはできませんよ」という意味で,最も実力のある人が務めるのだ,と.
○どうやってモチベーションを維持し続けたのかについて
ゴルフ.おかげで,仕事が無くても,まったく退屈しなかった(むしろゴルフができて嬉しかった).お笑いのことだけしか考えないというのは,かえって良くない.
○ネタを磨く以外にした努力は?
これも,ゴルフ.ネタは散々だったのに,その後,プロデューサー達とゴルフの話で盛り上がり,番組出演を果たしたこともある.
おぎやはぎを僕が好きか嫌いかは置いておいて,なかなか含蓄のある言葉だと感じられた.
研究も,そうそう毎回ホームランを打つことは出来ない.そう面白い題材が転がっているわけではない.大事なことは,そうしたチャンスが回ってきた時に,それをモノにすることができるか,ということと,チャンスを待つ間,どのようにヒットを打ち続けるか,ということだと思う.
そして,僕が考える,もう一つの大事な要素は「長く続けること」.
最初の話題に戻るが,最近,日本ではルー大柴が再ブレイクしているのだとか.きっかけは,今年になって始めたブログだという.僕も読んでいるが,無意味な英語がちりばめられ,53歳という年齢にはふさわしくないほど,絵文字が多用されている.はっきり言って読みにくいが,オリジナリティーに溢れていて,面白い.
ルー大柴といえば,昔はアデランスのCMで「トゥギャザーしようぜ」などとやったり,一時期,話題になっていたが,あまりにも藝風がクドイということで,ここ最近まで,テレビでは滅多に見かけなくなっていた(その間も,僕は関根勤の主宰するカンコンキンシアターで毎年見ていたが).
今のルー大柴の人気を支える人々は,若い世代がメインで,アデランスのCMを見たことが無い人も多いらしい.彼らにとって,ルー大柴に初めて接したのがブログであり,そこで使われている無意味な英語と絵文字が人気を呼んだとのこと.
本人も,まさかブログがきっかけで再ブレイクするなどとは,思ってもみなかったに違いない.人生,どんなところにチャンスが潜んでいるのか,分からないものだ.長く続けていたからこそ,ひょんなことから再ブレイクできたのだ.
ルー大柴は,最近,Tokyo FMのPodcastで「試験に出る英熟語」なる番組をやっている.僕も早速ダウンロードして,実験をしながら聞いてみた.関根勤や小堺一機が一緒に出演している番組ならば,すかさず「くどい」とか「うるさい」と突っ込みが入るところを,Podcastのアシスタントが一つも突っ込まないため,聞きながら思わず自分で突っ込んでしまった.
* こんなふうに「雄」に、つまりドロをはかせているんやなあと、わたしは少しニタニタしている。理系とか文系とかいうが、一概な先入観ではわからない。「食う」だけでなく「雄」クン、なかなかマメで面白い。
2007 7・27 70
☆ 私語の刻を読んで ボストン 雄
昨日の日記,秦先生にはどう映るだろうなあと思いながら,書きました.
先ほど「私語の刻」を拝見したら,その日記が転載されていて,「ドロを吐かせている」と書かれていて,ちょっと笑ってしまいました.
そうです.理系も文系も,一人の人間であることに違いはありません.典型的な理系や典型的な文系という人もいることでしょうが,そうでない人がほとんどではないでしょうか?
僕自身,大学進学の際には,文系に進むか理系に進むか,ずいぶんと悩みました.浪人時代ですら,真剣に文転を考えたほどです.
mixiの日記を先生のホームページに転載していただき,それらを読まれた方の感想に,「いかにも理系の人が書いた文章」との評価があったのは,少なからず驚きでした.
自分でも気づかないうちに,理系的な思考に染まっていったのかもしれないですし,読まれた方の先入観も,少なからずあるのかもしれません.
そのように思わせる原因のひとつは,僕が「句読点」ではなく,「コンマとピリオド」を使っている点ではないか,と思っています.
以前,メールや横書きの公文書の場合は,コンマとピリオドを使うのが正しいと,何かの文章で読んだことがあり,実際,僕が購読していた専門雑誌でもそのようにしていたので,以来,この習慣を続けています.
何度かお話に出てきている「京」さんとの食事ですが,あれは,目黒駅の地下ではなく,池袋パルコの船橋屋であったと記憶しています.たしか,ホテルメトロポリタンのロビーで待ち合わせ,3人でパルコに向かいました.先生は茄子が苦手とのことで,茄子のてんぷらはしっかりと僕が頂きました.
目黒駅の地下へ行ったのは,僕と先生が目蒲線でばったりお会いした際に,二人で寿司を食べたのだと思います.先生にとっては雑然とした,なんということはない店だったのかもしれないですが,大学生の僕にとっては,考えられないような贅沢だと思いました.てんぷらも,外で食べたことがほとんどありませんので,贅沢としか言いようがありません.
「ああも食通」と書かれていたのは,少々意外でした.確かに食べることは大好きですが,まさか食通の先生から,そんな風に思われていたとは.
先生の「私語の刻」を読む楽しみの一つは,「うまいもの」の話に接することができることです.僕が一昨日「寿司ネタの鰻が敷き詰められたうな重」をかきこんでいた頃,先生は「きく川」の鰻を召し上がっていたとのこと.羨ましいというか,恨めしく拝読しました.
「きく川」の鰻も,先生のホームページで知り,どうしても食べてみたくなり,愛知にいた頃に,東京へ帰ってきて2,3度,足を運んだことがあります.
もちろん,僕にとっては決して安いものではなく,かなりの覚悟をきめて店に入りました.「キャベジン」もしっかりと注文しました.僕の場合,懐事情もあって,「B級グルメ」に走らざるをえないのが,残念です.
結局,また食べ物の話になってしまいました.
これから東京は益々暑くなることと思いますが,どうぞ御身体を大切にお過ごしください. 雄
* そうかそうか。目黒の地下が印象に残っていた。白金台の医科研に縁のあった君なので、目黒はまさしく東工大との中間点だったし。池袋もまた君には実家から便利なところで。むしろ「京」が、千葉から遠くまで脚を運んでいた。「京」とは池袋でもう一度二度会ったか。一度は一輪の薔薇の花を手にしてきたのを忘れない。
なにしろ一視同仁のわたしは、男女とも、学生たちとは学内学外でどれほど歓談し飲食しているか、とても数え切れない。記憶に混同も生じかねないが、存外間違えずに覚えている。給料はみな学生たちと使っていいと思っていた。食べ物でも観るものでも、きちんとしたものがいいと考えていた、彼や彼女たちが一人ではたぶん行かないだろう、食べないだろうと想うものへ誘っていた。なにかにつけて固定化してしまう学生風スケールの目盛りを動かし揺さぶっておくことが大事と思っていた。いずれみな社会の中堅をつとめる人たちだと思っていた。
* 「雄」が今朝メールをくれたのは、少し予測していた。というのは、昨日の彼の「mixi」日記を、夜分の時間もせまっていたために「理系・文系」程度の話題でとめておいたのだが、彼の意図はもう少しちがっていたはずだ。「仕事」の評価ということにむしろ重きを置いてわたしの感想を誘っていたのだろうと、今でも思う。答えるにはたしかに重い話題で、わたしはもう少なからず疲れていたので触れなかった。
「雄」君の問題提起は、下記に集約されているだろう。
☆ 「こういうと真面目な研究者の方からは,お叱りを受けるかもしれないが,藝人と研究者は,ある意味似ている部分があると僕は思っている.」
「『つまらない』と言われると,全人格を否定されたような気持ちになる(もっとも,研究者の中には強者もいて,ゴーイングマイウェーを貫く人もいるが,昨今では研究費の獲得に苦労することも事実である).
もっとも,何が面白いのかというのはセンスの問題であり,必ずしも全ての人が理解しうるものではない.好き嫌いの問題も少なからずある.オリジナリティが要求されるところも似ている.そして,ヒットを出し続けないと,忘れられてしまうところも似ている.
藝人も研究者も,『ウリ』になるものが必要だ.この人はこれをやった人だ,というものがないと,認知してもらえない.かといって,同じネタばかり話していては,『またあの話か』と飽きられてしまう.」
* 彼の昨日の日記には、下に藝能人の言説に触れた多くがあり、それで「藝人と研究者」の対比があるともいえるが、彼が自身を「研究者」とみているのは当然で有りつつ「真面目な研究者の方」をも意識しているように、「藝人」とはいいつつ例えば「藝術家」も念頭に置いているのは明らかだろうし、置いて当たり前なのである。
彼の言うていることは間違いなく創作者たちにも関わってくる。「秦さん」もこの話題で部外者ではありえないのである。そう自覚してしまうと、彼の提起は批評辛辣ということになる。私にして忸怩たるものの無いわけがない。おいおいおい、言うてくれるなあと。それでニゲて触れなかったのではない、そもそも私のことというより、彼の真面目な研究者たる意識がしばし立ち止まって自問自答の姿勢に入ろうとしているわけだから、それを見過ごさずに見守ろうという気持ちになったのである。
東工大でわたしに膨大な量のアイサツを書いていた学生諸君が、あれから十年余をへて自分自身にもアイサツをしているのである、そういう心境の人たちがさぞや数多かろうと想う。
こういう反応を、彼は暗に、無意識にでも期待していただろうか、と想ったのである。
2007 7・28 70
* 湖の本新刊の搬入が十時。三時過ぎまで五時間、発送の作業に奮闘、一便を送り出しておいて、招かれていた浅草の花火に。
2007 7・28 70
* 浅草花火
満月も待ちかねている花火かな
満月を上客にして花火かな 宗遠
* 鶯谷から言問通りをタクシーで。鮨の「高勢」で下車。
去年のわたしを覚えていてくれた。去年は、やす香告別の日だった。花火の後、太左衛さんに見送られ、「道引地蔵尊」に二人で手を合わせてやす香のために祈ってから別れたが、悲しみに堪えられず、みちすがらの「高勢」に飛び込んだのだった。
白身は鱸、平目。そして中とろ。伊勢鯖。烏賊。あなごの白焼き。蛤も焼いて。塩辛も。美味い玉も。そして握りは、しゃこ、うに、もう一つは珍しいネタで名前は失念、すべて、じつにうまかった。すっきり江戸前の、なにもかも潔い鮨店。特長のひとつによく選んだ備前ものが目について、酒は二合。去年の親方をわきに、気持ちの良い青年の職人が細心にたねを吟味してくれた。
大満足して、そしてお目当ての花火のよく見える、太左衛さんお招きの屋上へ、六時半に上がる。例年のように、ビニールシートの席は避けて、うしろの壁際に椅子をもらう。「特等席」です、感謝。
まだ明るかった、が、七時に近づくにつれて、から打ちがはじまり、雨を案じた大空はあおやかに晴れながら黄昏れて行き、満月が徐々に色濃くなる。あの満月が、今年のやす香だなあと見上げていた。去年のように息くるしく胸くるしいことはない、が、一緒に花火を観る気持ちは同じ。
太左衛さんのお弟子さんたちが、飲み物や食べ物を気遣ってくれる。飲む方は缶ビール一つに控えた。つまみものは、少しずつ甘えて戴く。
花火は、八時半までおやみなく色も形もとりどりに美しく夜空を染めつづけた、「ああ美しい」と手を打つことが多かった。終始一人で観ていた。屋上には大勢の浴衣の客が歓声・歓談、涼風もたえず渡って、蚊のわずらいもない。間合いのいい爆発音と、鮮麗な火の色・光のおおきく空にひろがりそして闇に消え落ちて行く音楽的な絵模様に、飽きず心打たれる。ときどき、とろりとうたたねに引き込まれて、ちいさな夢をつぎつぎに観る心地も、花火の効果なのである。そして、ぴたりとすべて終える。
* 太左衛さんに今夜も途中まで見送ってもらい、「リスト」の洋菓子を妻への手土産にもらって、群衆の波の言問大通、ゴロゴロ会館の前で別れてきた。
さ、それからが、タイヘンだった。
おっそろしい暑さ。気温と体熱と疲労とが集中的に腰の痛みになって表れ、ゆらゆらと一足一足ずつしか歩けない自分を路上に発見。乗り物は絶対に拾えないから鶯谷駅まで歩くしかない。この足取りと痛さでは、鶯谷までが気の遠くなる遠さ。店に入って食べて休むという余力は腹にのこっていなかった。
こらえきれず、何度も路上ものに腰掛けて休んだ。休むと痛みはおさまりらくに歩き出せるが、長く持たない。
なさけないなあ、花火は今年でもう諦めねばならんなあと侘びしがりながら、タクシーなら十分もかからない街通りを、一時間もかけとぼとぼと鶯谷駅へようやくたどり着いた。花火のにぎわいで幸い街の表情はさながらのお祭り、それを楽しむ視線や気分は失せていないので、腰の痛いだけを苦に、時間は気にしないでゆっくり歩いたのである。ペットボトル百五十円のカルピスを二本買って、一本はすぐ飲んだのが冷たくて美味かった。「初恋の味」などと昔のうたい文句を思いだして楽しんだ。
山手線も満員だったが、幸い席をゆずってくれる若い人がいた。感謝。池袋始発の西武線は座れる電車をえらび、保谷ではタクシーが待っていて、スイと帰れた。帰ってしまえば、からだは元の元気に。
ややふがいない日本の対韓国サッカーの敗戦ぶりを観てから、機械の前へ。
2007 7・28 70
☆ 携帯から短いメールを送りましたが届きましたでしょうか。今日久しぶりにHPを読みました。
発送作業始まりましたか? ゆっくり、無理なさらず。
やす香さんのことに触れては却ってすまないと思いますが、日々思って暮らしてきました。寂しい日々であった、その一年を越えて、少しでも心安らぎますように。
海外へ一度、その後姑の家に二度出かけて、慌しく七月を過ごしてきました。ケアハウスに移ることを姑が決心して、春からいくつかの施設を見学して来ました。ある程度納得して決めましたが、それでもいざ契約を済ませ、来月から現実となると多くの戸惑い、躊躇、寂しさこもごもののようです。家の中の整理などまったく手をつけることもなく、年をとるというのはさまざまな事柄を始末できなくなることと、自分の親のことも思い起こしながら強く考えさせられます。
この一週間、一人の時間を紡ぎます。明日は選挙、もう期日前投票も済ませてしまいました。 播磨鳶
* 「家の中の整理などまったく手をつけることもなく、年をとるというのはさまざまな事柄を始末できなくなることと、」の一文にわたし自身の実感が強力に接着する。我が家は始末のつかない「未整理の山」で、いやが上に混乱している。妻のためにも奮励努力してやらねばいけないのに。嗚呼。
ケイタイのメールは届いていないように思う。SPAMに紛れたら、機械的に消去されてしまうが。
2007 7・28 70
☆ 千の重み 瑛 e-OLD川崎
湖様 お早うございます。
「mixi」をご紹介いただき半年ほど経過いたしましたが、奇しき哉、僕の日記への「足跡」が湖さんで1000回目となりました。一千回目はどなたの足跡かと数日前から数字占いの気分に浸っておりましたが、月面に記す痕跡の重みを感じ、感謝と満足感を味わっています。「一年」の光陰のはやいことを感じると同時に、明治・大正・昭和の作家の魅力のご紹介を拝聴しております。
やっと関東も夏らしい天気になりましたが、お体を留意されて今年の夏を過ごされますように。「笠」さんも元気になりますように。 .
* 「mixi」にお誘いしてよかったと思うお一人で、生き生きとした日記を読ませて下さる。「笠」さん「瑛」さん「香」さんと四人で東京會舘で食事してから、もう何年になるだろう。
わたしのところへの「mixi」の「足跡」は、十七ヶ月で15500ほどになっている。日記を書かなくなっても、マイミクさんたちの「足跡」だけでなく、少しずつ覚えのない人の訪れがある。
2007 7・29 70
☆ 好きなこと、得意なこと ハーバード 雄
日本のテレビを見ていたら,マイミク「重太郎」さんからskypeが入った.しばらく話していたが,その中で言われたのが「Ciona君というと,いつも思い出すのが,学生実験の時の或る実験が一人だけできなくて,みんなが笑っていたこと.いまだに思い出すと可笑しくなる」と.なんとも不名誉な話だ.
散々実験の話を日記に書いているが,元々僕は実験がそれほど好きな訳ではない.不器用だし,要領も悪い.新しい技術もなかなか習得できない.実験しないで色々なことが分かるのなら,はなから実験などしないのだが,本当に自分の知りたいことは本に書かれていることではないから,仕方なく苦手な実験をしている.それでも修士課程1年生の頃は,絶望のあまり,研究者になるのを諦めて,どこか一般企業に文系就職しようかと真剣に考え,資料請求の葉書を出したりもした.
結局,「別に企業に就職したからといって,それが得意なことかどうかも分からないのだから,それなら好きなことをもう少し追求してみたほうがいいのではないか.どうせなら,自分で納得のいく研究室に博士課程から入りなおして,そこでダメだったら,その時に本当に諦めればよいや」と考えて,博士課程から他の研究室に進んだ.
好きなことを職業にしようと思った時点で,多くの廻り道をすることになることは覚悟していた.好きなことと得意なことが完全に一致している人は幸せだろうなと思う.そういう人達と同じ土俵で戦うのは大変だし,この先,本当に研究者としてやっていけるのかは,まだなんとも分からない.
ただ,博士号を取得し,研究でお給料をもらい,今まで食べることに不自由はしていない.その間,こうして留学するという経験もできたし,国内外の著名な研究者たちと親しくしたりもできた.そのおかげでシンポジウムや学会などで,色々な国に行くこともできた.修士の時点で文系就職していたら,こういう体験はできなかったわけで,それだけでも自分にとっては良かったと思っている.まだまだ先が長いので,一体どこまでいけるのかは分からないが,なんとか騙し騙しでも,定年まで研究に携わっていけたらいいなあと思っている.
いまだに,決して実験は得意ではないし,もともと体力のあるほうではないので,長時間実験しているのはシンドイ.しかし,機械と違って,自分の代わりはいないわけなので,取り替える訳にもいかない.不満を抱えつつも,欠点を理解しながら,なんとか使っていくしかない.
ひとつ自慢してよいのは,自分が実験が下手で,色々な失敗を繰り返してきたので,初心者がどういうところで躓きやすいのかは熟知しているし,少しでも実験を簡単にするには,どうしたらよいのかも分かっている.それなりに工夫を重ねることで,自分の欠点をカバーできるようになってきたと思う.
国立遺伝学研究所の前所長の堀田凱樹先生が,以前,面白いことを言っていた.今,手許に本が無いので,記述は正確ではないが,大体の内容は以下の通り.ちなみに堀田先生とは一度学会でお会いしたことがある.僕の高校の大先輩でもある.こちらの堀田先生のインタビュー記事も面白い(http: //www.brh.co.jp/s_library/j_site/scientistweb/no42/index.html).
「研究者というと,好きなことを職業にしているので,自分の得意分野で勝負しているように思われます.しかし,或る人は実験は好きだけれども論文を書くのは得意でなかったり,またある人は語学は達者だけれども実験は苦手だったりします.またある人は実験も上手だし,論文を書くのも上手だけれども,女性関係で足元をすくわれたりする.つまり,研究者は一見,自分の得意分野で勝負しているように見えつつ,最終的にはその人の不得意なところがネックになるのであり,その不得意な部分をいかにカバーするかで勝負しているのです」
研究者に限らず,どんな職業にも当てはまることかもしれない.
2007 7・29 70
☆ 選挙 ボストン 雄
今朝8時ごろから日本のテレビを見ていたが,やはり自民党の大敗は確実なようだ.中川幹事長と青木参院会長は辞任,片山参院幹事長にいたっては落選ということになっているが,肝心の安倍首相は早々と続投を表明しているという.どこまで図々しいのだろう.
このまま,解散・総選挙ということになるのだろうか.
帰宅し,日本のテレビをロケーションフリーで見たが,やはり自民党は大敗.40議席を下回り,与党だけでは過半数は取れないようだ。強行採決や閣僚の不祥事ばかりが目立ったここ最近の日本の政治。これを機に少しでも状況が変わってくれると良いのだが.
* 幸い、発送は順調に大きな山を越えた。
☆ 小田実さんが亡くなられたこと哀惜の念一入です。参院選での自公大敗がさらに大きな変化への序章であることを希っています。
秦さんの体調が少しでもよいほうに向かっていると分かると、ホッとします。岡山の鰆の味噌漬け(これは好き嫌いが分かれるようです、本当は刺身がおいしいのです。)を少しお届けしてみます。数日のうちに到着する予定です。 玄
☆ ほたる 瑛
小田 実。鶴見俊輔。魅力ある男。小田さんは逝く。
お二方の共通点はただ、こんなことを言ったと思う。文学青年へ。「君たちはじぶんの道は自分で探せ」。
優しい言葉ですね、ぼそぼそと。
小田さんへの俳句をさがしました。
夏ではありますが、この句が似合う。
たましひのたとへば秋のほたる哉
「芥川龍之介氏の長逝を深悼す」とある飯田蛇笏の句です。 昭和二年作・「山廬集」所収。(秋螢・秋)
☆ 訃報に 曙
この選挙戦の最中に私の頭に何度も何度も小田実さんのイメージがちらついていました。私は時々自分でもこわいほど直感することがあります。小田さんはこの選挙を見届けてなくなるだろうと、なぜか予感していました。そして、もしこの選挙で政治の流れが少しでも変わるとしたら、小田さんの力だと、そんなはずないのに、強くそう思えてなりませんでした。自分でも不思議なくらい小田さんのこの世での最後の大仕事という予感がしたのです。言いかえれば、小田さんの人生にきっと天が答えるだろうと思いました。サムシンググレイトな存在が、今の危機状況のままで小田さんを死なせたくなかった。小田さんを少しでも希望のある中でお召しになりたかったのだと思いました。
「権力者は小さい人間を使わないと戦争できないんだよ。小さい人間が声を上げることはすごく大事なんですよ」
日本に、この世に、失望はしたかもしれませんが、絶望しなかった小田さんを支えていたものはこの言葉の中にあるのかもしれません。
よく知らない人で、愛読者でもありませんでした。しかし、ただ一度のテレビ番組で震えるほど感動して以来深く尊敬していました。
今朝の訃報を知り、自分の予感が当たってしまったことを嘆き、思わず涙を流しました。世界をより良いものにしてくださった、より良くしようと闘い続けてくださった気高い魂に、心から感謝し、拍手とともにお見送りしたいと思います。小田実さんありがとうございました。
みづうみ、お元気ですか。
湖の本を出し続けるみづうみもまた小田さんと違った意味でのすばらしい闘士です。長く粘り強く闘い続けて、これからもずっと文藝の至福の境地にお導きくださいますように。
最近事務的な手続き等でやたらに忙しく飛び回っていますが、いつもご健康とお幸せをお祈りしています。
早くご本が届きますように。 あけぼの
* わたしも、なにとなく同じような感慨を予感のように抱いていた。
* 初めて会ったとき、小田実さんは、「あんたのお兄さん(北沢恒彦)、えらい人だよ」と話しかけてくれた。べ平連その他での市民活動を評価して呉れていたのだろう。そのころ、まだわたしはほとんど兄と顔も合わしたことがなかったが、北沢と私とが実の兄弟と知っていた文壇の人は、ことに関西には何人もいたらしい。
その後もペンの理事会で同席したり、著書や手紙の交換がなんどもあった。本の見返しに「敬愛する秦恒平さんへ」と献辞をもらってビックリしたこともあった。信頼されているという嬉しさを何度も感じさせてくれたとても剛毅な、しかも細かに気のつく兄貴分であった。
よくない病気だとあけすけな手紙を貰ったとき、わたしに出来た最初のことは、貰っていた『終らない旅』から感動の一章をぬいて、すぐ「ペン電子文藝館」の「反戦・反核特別室」に掲載することであった。彼の遺言のようないくつかの作や記事を、わたしは何度も「電子文藝館」に送りこんできた。
もうそれも出来そうにないと悲しく諦めたのが、電子文藝館から全面退いた理由であったと言ってもいいほどである。
2007 7・30 70
☆ はじめまして、「琳」ともうします。
松岡正剛コミュ→油屋源兵衛さんの書き込み→湖さんという経緯で遊びに伺いました。足跡を返してくださったので自己紹介をさせていただきに参りました。
ある秋の午後、高校の図書館で「先輩の作品よ」といってすすめてもらった「慈子」を手にしたのが、秦恒平という作家との初めての出会いでした。
本を読み出すと読みきらないときがすまず、その日も授業をサボって、美術コースのある校舎の裏にある見晴らしのいい、お決まりの小高い丘に腰を下ろし、ゆっくりとじっくりと、
ああ京都に生まれてこれてよかったわぁ、
そんなことを感じながら読み終えた記憶があります。そのときの枯れ草の焼いた香りまで、はっきりとおもいだせます、不思議ですね。
理系人間だったのに、なぜか源氏物語の世界にハマって自分が住んでいる町が、ついこの間、源氏の舞台に登場する人たちが賑やかに住んでいたんだと思うと、ぞくぞくしてきて
「あ、このあたりが夕顔の館やったんかな」と散歩するだけでたのしい私なのでした。
その後、日本語のルーツ、中国語をおさめようと大阪外国語大学に進学し、教育実習で日吉が丘に帰ってみれば,制服ができていてびっくり!
自由が丘といっていた私たちの高校が、まるで召集令状を待つ学徒のように思えて、、、(大げさですみません)
とにかく、、、わたしは秦さんのことをとても誇りに思っておりました。こんな綺麗な文を編み出せる先輩と同じキャンパスで過ごせたのですから。
これからは、時々遊びにいかせて頂きます。
どうかよろしくお願いします。
(クラブはギターマンドリンオーケストラで、マンドリン三昧の3年間でした。)
* 何年ほどの後輩さんであるのだろうか、「慈子」の産んでいた孫か娘ぐらいかなあ。うれしい。こういう出逢いがあるか。仲良くしたい。
☆ ご本拝受 雀
あきらめていたご著書。しかも2作続けてなンて、と、息がとまりました。お疲れの出ませんように。
書くことができるならば、とおっしゃっていたのに‥やすらかな気持ちで心がいっぱいです。
どうかどうかお大事に!!
谷崎さんを読んでいると葛粉や生麸の和菓子が食べたくなります。 囀雀
* 葛粉や生麩の和菓子か。佳いなあ。太左衛さんに頂いた「リスト」の洋菓子がじつに美味しかった。
* 雨がざあざあ降っている。もうやすもう。
2007 7・30 70
* 夜中、雷鳴轟いていた。
* 清水九兵衛さんの一周忌がすぎ、ご遺族より記念の品を、朝一番に戴いた。九兵衛さんの意匠のままに当代の六兵衛さんが制作された、一対のみごとな汲み出し碗。掌にのせてしっとりと心地よく持ち重りする淡青・端正な品。俤を目のあたたりに。合掌。
2007 7・31 70
☆ ありがとうございます。湖様 琳
わたしのほうこそ、早々にお返事いただけて恐縮いたします。ホームページへは、どんどん遊びに伺わせていただきます。
うみ、ですか。
私の名前も「潮の香りのする子」という意味で 海にあこがれた京都人の祖父がつけてくれたと聞きます。
こんなふうにお便り差し上げられるとは、たのしみができました。じつは作品の中のことで いろいろ想像していたことがあったのです。不躾ですが
これからは、お聞きしに伺います。とはいえ、まだ人生経験が浅く、伺っても理解できるというものではないね、といわれるかもしれませんが、、。
いづれよろしかったらお話を伺いに参りたいし、出来の悪い後輩だけど末永く(細くても!)関わってあげようと思ってくださったら、いっぱいいっぱい甘えに参りますので、ときに遠慮なくメールにお便りさせていただいてもよろしいでしょうか?
実在の先輩だった、と驚いているものですから、、。
ps
本来ならば、秦先生、とお呼びすべきところ、長年「想像の中の先輩」で居てくださったので とってつけたように、そうお呼びできない私が居ります。
呼び名は自然に変わるかもしれませんが、湖(うみ)さん、と今は呼ばせていただけたら幸いです。
高校にある湖さんの作品には、私の名前が記名されているはずです。
(わたしのことは、なんとでも およびください。)
メッセージ、本当にありがとうございます。
明日は一日中忙しい日ですけど、がんばれそう!!
2007 7・31 70
* 安倍政権に怒りのノーを突きつけて、心友であった小田実さんに昨日死なれ、亡き九兵衛さんの魂の籠もった一周忌の美しい湯呑みを今朝頂戴し、心ゆく一日を街で過ごして帰宅、嬉しいお便りを目にした。
そして、もう一つ。転記させて下さい。
☆ スウェーデンの巨匠、イングマール・ベルイマン監督、死去 麗
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=264523&media_id=14
初めて好きになった人は忘れられない。遠い日の思い出でも,こうして昨日のことのように,語ることが出来る。
当時私は小学生。ふと目に留まったTVの洋画劇場の「予告編」が,1週間頭から離れなかった。題名は『沈黙』。翌週,教育上悪いと言う母親と大喧嘩の末,ラストシーンのみを見ることが出来た。列車の故障で,言葉のわからない外国に足止めを喰った,姉妹の話。妹の息子も一緒だ。
若く水気の多い(瑞々しいではない)母親と少年が,車窓に向かい合って座る。病気で外国に居残ることになった少年の伯母であり母親の姉である女性からの手紙を少年が読む。
「この国のことばをひとつ,あなたに教えます。―ハジュク(精神)―。」
後に全編を見た。ことばの通じない外国という閉塞状況の中で,病弱でストイックな姉と奔放な妹との反目が,どんどん煮詰まっていく息苦しさ。欲望は,耐えて抑圧することで様々なものに昇華する,ただし,悲しみや苦しみを伴うけれど。逆に,欲望を解き放っても,生み出すものや得るものは何もない,などと感じたのを覚えている。
ベルイマン映画との出会いだった。初めて好きになった監督だった。
それからなぜか,この監督の映画を,しかも白黒の隠々滅々としたものばかりを選んで観る日が続いた。神保町の岩波ホールには,若い頃,手弁当で通ったものだ。『冬の光』『恥』『ペルソナ』…。ベルイマンの故郷,北欧には,白夜のような明るい夏と,太陽が出ない暗い冬がある。そして,ベルイマンは,この「夏」と「冬」のような,対照的な映画が作れる稀有な監督だった。『ファニーとアレクサンデル』やオペラ映画『魔笛』が夏の白夜なら,私が好んだ方は,さしずめ北欧の冬だろう。もちろん夏のほうも,いい映画だと思ったが。
もう,そのどちらも観ることは出来ない。
遺作となった『サラバンド』は未見だが,夏と冬,どちらの部類なのだろう。追悼の意も込めて,早く見る機会を持ちたいものである。
* 白皚々の雪原から、高貴で柔美な魂が青草のほつほつと見える映画ではなかったろうか、戦慄にも似た旋律の啓示に、息を呑むことの多い映画世界であった。わたしはそう感じた。訃報は一つのまたも啓示のごとく届いた。
* かくて、七月尽。
2007 78・31 70
* 今日の東山ほどの山稜、樹木の間々に壮烈に石の大仏像が、来迎仏のように横にいならぶ夢を観て、目覚めた。
☆ 葉月 露も明け 碧
湖さん ようやく関東も梅雨明けだそうですね。これからのひと月、どれほど暑いことでしょう、ご用心なさってください。
昨日『閑吟集』届きました。NHKブックスで開くよりずっと開け易く、「ながく便利に愛読・愛蔵」と仰る通りになりそうです。ありがとうございます。通信欄にも書いたことですが(下関まで一度)「逢いに行きたい」とお書きくださったこと、嬉しく勿体なく、けれどもそれに相応しくない自身で、恥かしくなります。
七月は御本の中から主にエッセイを、谷崎・中世・美術など読んでいました。買ったままにしていた(ごめんなさい!)『顔と首』や『美の回廊』なども取り出して。一度読み出すと次々関連して読み返したくなります。まさに阿片・・・。
今月は『親指のマリア』『墨牡丹』など読み返すつもりです。
並行して古典も、と想いながらこちらはなかなか進みません。そこで思い切って『太平記』を毎日一巻(=句)ずつ、と決めました。『谷崎源氏』は「若菜」の途中です。
マキリップの三部作、翻訳のハヤカワ文庫は現在、第一部しか発売していません。でも読み進むうち続きがどうしても読みたくなって(地元図書館にもなかったのです)、ネット古書店で探して手に入れました。第三部は品薄、みつけるのに時間がかかり値も三倍になっていました。原書も思い切ってアマゾンで注文したら、三部合本の特別版が届きました。
ご命日の前後は、眼の不調と週末の教会行事のために用心してパソコンは開けませんでした。わざと、だったかもしれません。怖い気持ちがありました。
隅田川の花火を「去年のように息くるしく胸くるしいことはない、が、一緒に観る気持ちは同じ」と書いていらっしゃるのを読んで、少しほっとした気持ちになりました。もちろんお寂しいのは、もっと尚のことでいらっしゃるでしょう。それでも一年を無事に(多少の難儀はあっても)お過ごしになった、喪の仕事を大切になさったのだと感じました。
先日、「巌」さんからマイミクのお申し出があり、嬉しくお受けしました。色々なことを教えてくださり有難く想っています。
今度の台風はまた厄介な風向きで、クモは益々低く木陰ごとに、巣を張っています。
それではどうぞお大切に、くれぐれもご用心お願いいたします。
迪子さんにも、よい日々でありますように。
* 気の遠くなるほど久しいご縁。下関は二度三度通過したことはあるが、下車していない。いろいろ在るはずの下関だが、先ず思い出すのは「碧」さんの名前と「ふく」で。お顔は存じ上げないが久しい読者は、みなさん親類のように感じている。
マキリップ『イルスの竪琴』を和英本揃えてを手に入れられたのが嬉しい。あまり評判にはならなかったが、ル・グゥインの『ゲド戦記』とも深く呼応する構成力抜群のフィクションで、魅力満点。
『太平記』の一節一節を語り物の平曲なみに「句」と呼ぶかどうかさだかでない。「太平記語り」というように、語られたには違いないが、太平記読みともいう。読み本の性格も濃い。一節がずいぶん長いのもあります。源氏物語の「若菜」上下ほどではないけれども。
「巌」くんとマイミクとのこと、よかった。奥の深い従弟です。
☆ 秦 恒平 様 梅雨はまだ明けないといいながら、今日はきびしい暑さとなりました。
このたびはまたまた『湖の本 エッセイ41』をご恵投たまわり、まことにありがとうございました。
つつしんで拝読させていただきます。
気候不順のおり、ご自愛を祈りあげます。 東大教授
☆ ようやく梅雨明け ゆめ
私は暑さに弱いので、実は夏は少々苦手なのです!
新刊の湖の本戴きました。NHKブックスの『閑吟集』は書き込みや線、付箋でいっぱいなので、これは綺麗な予備ということに…。家族の寝静まった夜更け、ぱらぱら頁を開いてたのしんでいます。
さらさらさやけき夏の朝早く、朝顔の鉢に水をあげるのが日課になりました。
☆ 秦さん、あいかわらずお達者ですね。
面白い「新茶の若立ち」本が届きました。ニヤリ、元気と色気を有難く頂戴します。
「男歌女歌みなエロスなく身を焦がしえず独り寝の夏」
ずいぶん昔、馬場あきこさんに採っていただいた、当節の短歌について詠んだ腰折れ(少しうろ覚え)ですが、馬場さんから、お師匠さんの話にも触れ共感するとの評をいただきました。
いままで断片的に鑑賞しただけの「閑吟集」の「小歌」を、粋で熱い言の葉紡ぎを、これから涼しげに楽しみましょう。
どうぞ快適に夏をお過ごし下さい。 俊
* もう少しずつ追加して送本をつづける。
☆ ナサケナイ 玄
参院選における自公大敗を受けて安倍首相(自民党総裁)の記者会見が行われ、その発言の中に「人心を一新する」という言葉があった。この「人心を一新する」という言葉の意味がよく分からない。記者会見の間首相の目が泳いでいて自信のなさがもろに見て取れた。こんな姿が世界中に流れたのだから恥ずかしい限り。有権者の資質が政府の資質に繋がるといわれるのがナサケナイ。
2007 8・1 71
* 秦恒平・湖の本エッセイ41 『閑吟集 孤心と恋愛の歌謡』の跋
好色古典の第一等に西鶴の『好色一代男』を挙げられて異存はない。元禄の世之介が恋の手習いについわたしも見習い、思えば想えば空恐ろしいほど「恋の手管」を学びましたといえばむろんウソであるが、日本の古典全集につねに加えられる、すてきに粋にポルノグラフィクな室町小歌の『閑吟集』からは、もっと深く、もっと懐かしく、「恋愛の孤心」を悩ましく教わったのは決してウソでない。愛読して真実面白い歌謡の集では閑吟集の右に出るものは無い。
よほど心嬉しく繰り返し書いてきたが、どうしてももう一度書きたい思い出がある。
医学書院の頃の上司で殊に鷗外研究者として名高かった長谷川泉と、作家のわたしを、名古屋大学の小児科教授であられた鈴木栄先生が定年退官の記念に、わざわざ、伊勢桑名の「船津屋」に一夜招待して下さった。船津屋は泉鏡花の名作『歌行燈』の舞台になった料理旅館で、そのころ名古屋の老舗「中村」が経営していたが、鈴木先生の招待に終始付き添って賑やかに晴れやかに宴をとりもって呉れたのは「中村」の若女将であった。鏡花の作から抜け出てきたような美女であった。美女はみずから襷がけ勇壮に大太鼓まで堂々と打って聴かせ、一夜明けた翌日は千本松原へ案内してくれた。木曽、揖斐、長良の大河が一つに落ち合う窓外の見晴らしもみごとなそれは佳い宿であったが、美しい人の面影はもっと魅力深く胸にのこった。
わたしは東京へ帰ると、簡略ながら葉書で中村の若女将にも礼状を書いた。そしてその奥に、ただ「三六」という数字を添えたのである。
折り返しやはり葉書できちんとした返事があり、これにも「一二三」とただ添えてあった。
その暫く前にわたしは「NHKブックス」で『閑吟集─孤心と恋愛』を出版しており、それが宴席で話題になっていた。閑吟集は「思無邪」の詩経にならい三百十一の歌謡歌詞をを聚め、市販のテキストはみな番号を振っている、即ち三六も一二三も言わず語らず閑吟集の小歌を示していた。
さて何とせうぞ 一目見し面影が身をはなれぬ 三六
何となるみの果てやらむ しほにより候 片し貝 一二三
この相聞こえの応酬は、イヤ間違いなくわたしはきれいにフラレたのであるが、この返辞の妙にすこし説明を加えないと読者は理解されないであろう。「船津屋」で歓待にこれ努めてくれた若女将の実名が「なるみ」さんであった。またそれは愛知県の鳴海という女将の地縁をも意味していた。むろん「あなたの仰せにしたがえば、末はなんと成る身でございましょう、片想いのままで堪えさせて下さいまし」と謂う仕儀に相成る。真に一流の女将はこういう聡い藝と才と美貌とを兼ね持っていたのである。惜しいことに、天魔も魅入られたか「なるみ」さんは、若くして天涯の鬼籍に奪い去られ、逢えない人になってしまったと、もう、とうに風の便りに。
こういうこともあった、何人かから寄せられた本の感想の中で、便箋裏の隅の隅にいと小さく算用数字で、307 と。走り書きに。うそかまことか。
泣くは我 涙の主はそなたぞ 三○七
小説につかってもいいなと思った。
閑吟集とは、こういう、今日ただ今のセンスでもとても面白く受け取れる室町小歌でいっぱいである。オウと、おもわず声を放つほどアケスケな性(セックス)の表現にも溢れていて、しかも読み解けば解くほど小気味よく、表現は清潔で純情、纏綿の情趣と風雅に満たされている。そして全編の奥底を流れて、
ただ人は情あれ 槿(あさがほ)の花の上なる露の世に 九六
世間(よのなか)は霰よなう 笹の葉の上の さらさらさつと ふるよなう 二三一
といった感懐がある。みごとにある。閑吟集の真価は、背景にある「中世」を豊かに批評しながら、その次元も超えた男女の愛、人間愛に満たされていること。わたしは、それを縦横無尽に心をいれて読みほぐしてみた。わたしの読み・解きに拘泥される必要はない。またそれだけに、この本では前冊『愛、はるかに照せ』とちがい、思うさま自由自在に読んで悔いをのこしていない。文字通り閑吟集はわが座右最愛の愛読書であり、気恥ずかしいほど一体化している。願わくはそれがこの本でプラスに成っていて欲しいものである。
作者は「不詳」としておくしかない。連歌師宗長の擬されたこともあること、何の確証もないことのみ言い置くにとどめるが、小説家の恣に別世界を思い描き、ひとり楽しんでいることもある。
よくよく性にあっているのか、わたし自身のもの思いをこんなに代弁してくれて多彩な詞華集はほかにない。ひとつには、閑吟集の置かれている時代、中世というよりその後半分、かつては、あるいは今でも「暗黒」などといわれかねずにいる室町時代に、わたしは、不思議と子供の頃から、つまり国史を愛読し始めた頃から、暗黒どころか「花ごころ」のような明るみや希望やぬくみを感じていた。むしろ鎌倉時代や江戸時代の方に息がつまったのである。この本の中でも繰り返し書いているが、わたしは、日本の中世を、室町時代を、武家封建制度の「確立してゆく」経過とは評価してこなかった。ちょうど逆様に、武家封建制度の成り立ってゆくのを「渾身の力で妨げ続けた」時代と読んできた。そこに京都と公家と擡頭する民衆の力との「合作」を感じ「花」を感じ、可能性や希望を感じ取ってきたのである。わたしが、日本の「藝能」とそれを担い歩いた人たちへの共感や興味を持ち続けてきたのと、そういう時代の「読み」とは、いつも表裏を為しまた成していた。
梁塵秘抄を書き平曲を書き能を書き閑吟集を書き茶の湯を書き、そしてタケルや赤猪子にはじまる敗北者や、蝉丸らに始まる藝人や、切支丹やアイヌや朝鮮人や、また葬制にはじまる被差別への観察と批判とを書き続けた強い催しもまた中世と京都に集約された貴賤都鄙の軋轢や葛藤にあり、民衆・平民の希望と鬱屈とにあった。その思いの行きつくところは、所詮、安土桃山時代を指さして「黄金の暗転期」と憎むほどの歴史観になる。鎌倉時代、南北朝時代、将軍の時代、守護大名の時代、戦国大名の時代を通じてあんなに武家封建制度の成るのを懸命に妨げ続けた希望を見捨てた者たち、特権の富ゆえに政治的エネルギーを武家に売り渡し民衆の時代を裏切った特権町衆。彼らの手で「中世」は「近世」武家封建制度の贄とし差し出され、さながら黄金色の繁栄がきたかのようであったけれど、実は黄金色の暗転期を招いたのだと、わたしは嘆いた。おそらく閑吟集の著者も、「桑門」にして「狂客」であった彼の胸裏にもまったく同じ歎きが忍び寄っていただろうと、わたしは共感措くあたわざるものにより胸奥を濡らすのである。
「四度の瀧」「三輪山」「冬祭り」「みごもりの湖」「秋萩帖」「古典愛読」「加賀少納言」「或る雲隠れ考」「花と風」「梁塵秘抄」「清経入水」「女文化の終焉」「趣向と自然」「初恋(雲居寺跡)」「日本史との出会い」「風の奏で」「能の平家物語」「慈子」「閑吟集」「茶ノ道廃ルベシ」「親指のマリア」「最上徳内 北の時代」などのわたしの仕事は、およそそういう感懐に膚接して創られてきた。そうありたしと願ってきたのである。
高校の頃、国語の先生であった碩学岡見正雄先生の名著に『室町ごころ』がある。わたしはそれをかなり年がいってから読んだが、いうに言われないはんなりと柔らかな歴史観であった。精到隈なき軍記や藝能研究者であられた、亡くなるまでよく読んで気遣い引き立てて下さった。作家になってからもわたしは先生に答案を出し続けていたのである。小心な生徒であったわたしも、はや七十余。
なお壮年の詩人杜甫は、日々の務め帰りに曲江のほとりで酒に憂さを晴らし、酒手の借りの尽きぬのを侘びつつ人生七十古来希と放歌したのは、いまのうちに心ゆくまで酔いしれたいということであった。同じ言葉で閑吟集の著者が、いや同時代を生きた閑吟集中の民衆も挙って感じていたのは、
何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ 五○
何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来希なり 五一
であった。「何ともなやなう」をこう繰り返すのは、歎きか居直りか絶望か希望か。全く同じ表現で二十一世紀のわたしは日々呻いて、歎き、居直り、絶望し、だが希望も捨てまいと足掻いている。藻掻いている。みなさんは、どうであろうか。
いずれ引き続いて、同様十二世紀の『梁塵秘抄』もお届けする。『閑吟集』ともども、安価に手に入れておいでの方の多いのは存じているが、どうか重ねて「湖の本」でもご支援下さらばとても助かります。出血止めに、分冊にしたいともよほど考えたが余分のご負担かけたくなく、ながく便利に愛読・愛蔵していただくには一冊がよいと決めました。
いま新ためてこの一冊を編み、繰り返し読み返して気づくのは、まるで自分で自分を出し抜くかのように、閑吟集をダシにして、隠れ蓑のようにして、わたし自身をアケスケに、あまりにアッケラカンと暴露してしまっていることだ。誰の感化だろう、昔男か、光源氏か、世之介か。もう遅すぎる。
ところで「湖の本」は、さしあたり白壽、百壽を数えあげたいとながい歩みを少しも止めずに来たが、このところ、右脚を事故で傷めたこともふくめ、糖尿病の悪影響が、緑内障にも白内障にも皮膚神経にも腎臓にも露表し、体力的によほど覚束なくなってきた。そんな中、今年、また日本ペンクラブの理事改選があり、選挙された。十年務めてきた。落選したらたとえ会長推薦があってもやめると決めていた。だが会員の意向はもう二年やれと。京都美術文化賞の方の理事もまた二年の任期延長が決まったようだし選者もつづけよということらしい。しかし「電子文藝館」からは自身で退いた。十分やった。作業を続けるには視力は衰え、句読点がまるで読めない、魯魚の見錯りも防ぎようがない。せめてわずかな視力は自身のために大事にしたい。
もう二年で金婚。「湖の本」もうまくすると九十九巻ぐらいに到達するか知れない。頑張ってみるかねと決めた矢先、運動がわりの自転車で怪我してしまった、見通しのない坂と坂の底で自転車同士衝突、奇跡的に双方がゆっくり起きあがり、わたしは右脚を傷めただけで済んだが、いつまでたっても歩行に痛みが脱けない。脚が腐り始めている気がする。
うかつなことだがそうなって、ハタと気がつく。なんてちっぽけな世間に跼蹐して十年もああよこうよと働いてきたか。文藝家協会やペンクラブの会員であることすらてんで意識になかったむかし、わたしはもっとひろびろと生きていた。教授でも理事でも、なまじ頼むと言われると精一杯打ち込んで、あげく、いやがられる。損な性質なのである。
最近も、つくづく述懐している、賢い人は嗤うだろうと。おまえはあまりに矛盾していると。
例えば一方で小田実さんの『百二十八頁の新聞』を心から電子文藝館に推奨し、掲載し、また言論表現委員や電子メディア委員をつとめて発言し提案し、小泉や安倍政権を非難し、野党ぶりを批判し、現代史や世界史の読書に熱中し、私生活でもガンとしてガンコに暮らしている。
が、その一方で「静かな心」を求め、バグワンや鈴木大拙に無心を聴き、心=マインドという分別・理屈を嫌い、言葉の虚妄にしばしば飽いて「闇」に沈透 (しず)く沈黙と静安を好み、観劇と読書と、時にこころよい飲食に安らいでいる。そしてすべては夢と、ほぼ信じている。
おかしいよおまえ、と、面と向かって言う人もいた。どっちかがウソだと。それならいっそどっちもウソだと言うがいい。所詮は、夢。
自分が、いわば乱れた麻糸を神の掌でまるめられたような存在であるのを、身のそばにおいた一葉の肖像画を見ていて感じる。わたしの小説『お父さん、繪を描いてください』を手近に置いている人なら、下巻の百四十二頁の繪をみてください。自殺した「お父さん」が有楽町地下道のラーメン屋でものの二三分とかけずに描き遺してくれた顔だ。あらゆるモノはこういうすけすけの無にひとしい存在なのだと「お父さん」は教えていった。
おつに澄まして山の中で隠者のように生きていたいと思わない。十牛図の第十の境はヒマラヤではなく、人の行き交う街市の雑踏なのである。
その雑踏にいて、何といってもわたしを励ますのは文学だが、その「文学」というものが、すっかり変わって来た。ひとつこんな時代の証言をお耳に、いやお目にかけよう。
わたしの文学修行の一端が、講談社版『日本現代文学全集』百何巻かを毎月一冊ずつ書架に揃えてゆくことであったことは、何度も書いた。第一回配本が谷崎潤一郎集であったから買い始めたのである、谷崎と藤村と漱石とは二巻を配本の予定だった。一人一巻には明治このかたの錚々たる作家が並んでいたし、詩歌も評論も戯曲も随筆も緻密に収録され、さながらに「近代文学史」であった。
わたしは作品も読んだが、数百人の著作者たちの「年譜」を繰り返し繰り返し熟読した。作品に対し先入観を過剰に持たずに、作者へのいい理解が得られた。よく書かれた年譜は最高度の研究成果に等しいのである。
こういう大全集の最終配本はふつう「現代名作選」ということになる。鷗外や露伴や漱石や藤村や潤一郎や志賀直哉らからみれば、まだ遙か下界に近いところで頭を擡げてきた若い有力な作者たちの作品がそこに揃う。講談社版の「現代名作選」は上下二冊、第百五・百六巻に用意されていた。二の方が最も新しい作家たちである。
いま手近にその最終巻を持ち出していたので、目次をご覧に入れる。年配の方には懐かしく、若い人には最後の最後に大江さんの名前など見て驚かれるだろう。
阿川弘之『年年歳歳』金達壽『塵芥』大田洋子『屍の街』山代巴『機織り』島尾敏雄『夢の中の日常』耕治人『指紋』埴谷雄高『虚空』井上光晴『書かれざる一章』三浦朱門『冥府山水図』西野辰吉『米系日人』杉浦明平『ノリソダ騒動記』長谷川四郎『張徳義』小島信夫『小銃』安岡章太郎『悪い仲間』吉行淳之介『驟雨』霜多正次『軍作業』松本清張『笛壺』有吉佐和子『地唄』石原慎太郎『処刑の部屋』小林勝『フォード・一九二七年』深沢七郎『楢山節考』大江健三郎『死者の奢り』開高健『パニック』城山三郎『神武崩れ』福永武彦『飛ぶ男』大原富枝『鬼のくに』で一巻が編んである。
前巻の最後が芝木好子の『青果の市』だった、昭和十六年下半期の芥川賞作品。つまり前の一冊は明治の嵯峨廼屋御室いらい太平洋戦争までの忘れがたい文藝秀作を盛り込んでいた。
そう思って後の一冊を見ると、水上勉も曾野綾子も瀬戸内晴美の名前もない。直木賞作家はたぶん一人も入っていない。それが文学不動の常識だった、読物作家、エンターテイメント作家、推理作家などは此処に全く「文学作家」たる市民権を得ていない。本巻に吉川英治も直木三十五も山本周五郎も当然脱けている。ただ一人井伏鱒二の直木賞というのは、誰の思いにも見当はずれの授賞だった。
この最終巻の発刊は昭和四十四年六月、この年この月にわたしは小説『清経入水』で第五回太宰治賞をもらっている。選者は石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫の満票であった。作家として登録されたちょうどその頃の、上の人たちがなお新人作家であったことになる。むろん、わたしはこれら全編を読んで鼓舞された。そこに「文学」があった。
たまたま手近な同じ第九十二巻を手に取ると、河上徹太郎、中村光夫、吉田健一、亀井勝一郎、山本健吉の五人で一冊。批評家五人、すばらしい顔ぶれだ、熟読し勉強した。いま河上先生の『私の詩と真実』巻頭の一文を読み返しても、清水を顔にあびるよう、凛乎とする。批評が文学になってる。
もう最期を予感されていたころの中村真一郎さんが、ある人に、一点を凝視し、「こんな世の中になっちゃあ、文学はもう終わりですね」と溜息とともに吐き捨てて去っていったという文章を読んだところだが、わたしが十年間日本ペンクラブ理事会に出ていて感じ続けたのが、それであった。文学はめったに話題にもならない。
そんな評価は時代後れのアナクロだという議論もあろう。だが文学をダメにしたのは時代後れのせいか、ミソもクソも読物もやみくもに儲けの種にし、文学はお払い箱にしたせいか、答えは明らか。
加えて電子メディアの猛毒にあてられ、ますますことはひどくなっている。「くだらない雑文ですが」読んでくれというメッセージを最近も「mixi」でもらった。「くだらない雑文には、興味も、割く時間もありません」と断った。遜っているつもりにしても、そういう姿勢は気持ち悪い。
ペンクラブに電子メディア委員会を企画し創設したときから、わたしには以下の根本的危惧があった。
一つは、市民使用のインターネットは遠からず国家権力の忌避するところとなり、陰に陽に個人のインターネット運営は、監視や警戒の対象として法規制が強化されてゆくに違いないこと。
もう一つは、似而非の文学・文藝が氾濫し、「文学・文藝」の真価がもう問われることもなく無惨に崩潰し、立ち直りには想像を超えた長期間を要するだろうとこと。
さらにもう一つは、放埒な自己表現の麻痺薬にアテられ、若い世代の精神に多大の毒がまわってしまい、未来の日本は幾世代にもわたり軽薄きわまりなく頽廃してゆくだろうこと。
そしてさらに、(きわめて陰険な)サイバー・ポリスと(きわめて広範囲な)サイバー・テロとの死闘の時代が、もうはじまっているが、いっそう熾烈になり人間の精神的環境と機械的環境とを不可逆に汚染・荒廃させてゆくだろうこと。
あえてもう一つ、インターネットに限らずパソコンは、概していえば老人のための「電子の杖」としては甚だ有用だが、自堕落に若い人たちに広がっていいツールではなかろうというのが、早くからの私の大きな危惧であった。のみこむには毒があまりに強いのである。
と、まあ 毎日、溢れるようにわたしは書いている。ことばが湧いて奔出を求めてくる。「今・此処」に生きている、その証のようにことばが波になって攻め寄せる。変な譬えだが若い母親の乳が張って吹き出してくるように。疼くように。すこし意図してこのことばを「演出」してやれば小説、私小説は積み重ねられる、が、そうしない。原料のまま自身をただたんに順序も秩序も演出もなしに此処に置いておく。いわゆる「原稿」に置き換え「仕事」にするといった欲はもう持たない。そんなことにたいした意味はない。「闇に言い置く私語」そのまま。それでよろしい。自身で創った「作品」は小説も評論も詩歌もエッセイももう百冊以上積み上げてある。「私語」は無秩序に原料のまま此処に積んでおく。わたしがやがていなくなっても、映画のように誰かが死後もう暫くのあいだ此処に「わたし」を見ていてくれるだろう、そしてその人たちもいずれ消え失せる。ぞっとしない話だが、今の人間たちみんなが一斉に消え失せるかもしれないのだ。
荀子は「解蔽篇」で、人は文化に生き、もろもろの「蔽」つまり襤褸を着込んでゆく。脱がねば純真も静かな心もないと教えている。漱石は『心』を書くとき、荀子の解蔽篇を識っていた。そして岩波本の第一号にあたる『心』を、望んで自装し、表紙にわざわざ窓枠を入れて荀子の心の説を掲げた。それに初めて言及したのは、東工大でわたしの先任教授であった亡き江藤淳である。
謂うまでもない「襤褸にひとしい言葉」を物書きは書いている。書いている。書いている。商売だと居直って書いている。誇りをもって書く者も誇りなどかなぐりすてて書く者もいる。襤褸は日々に厚い。
一期は夢よ。無秩序の自由や自在にわたしはみな、明け渡す。「抱き柱」は、要らない。
2007 8・1 71
☆ 閑吟集 玄
NHKラジオの文化シリーズで放送された「梁塵秘抄」を聴いたのが1977年、30年前のことでした。中世の歌謡の魅力にすっかり引き込まれてその後出版されたNHKブックスを何度も繰り返し読みました。
1982年に同じNHKブックスで「閑吟集」が出版されました。何百年経っても人の心は変わらないことを実感としてくみ取ることがでました。
今回「湖の本」を届けていただき、改めてページをめくっています。ありがとうございます。
☆ 閑吟集届きました。 夏
以前にどうしてもNHKブックスの「閑吟集」「梁塵秘抄」が欲しくて、古書を苦労して手に入れ、夢中で読んだことを思い出します。
これは大変な名著ですし、何より色っぽくて面白い。いつも手元においている愛読の一冊です。今回湖の本として甦って、新しいものが手に入りとても嬉しく思います。ありがとうございました。
「閑吟集」は秦恒平の文学だけでなく、人となりを理解するために最重要な、必須の、文藝評論と思っています。この一冊を読むことなしに秦恒平は語れない。わたくしはそう思います。
ですから、「文字通り閑吟集はわが座右最愛の愛読書であり、気恥ずかしいほど一体化している」「よくよく性にあっているのか、わたし自身のもの思いをこんなに代弁してくれて多彩な詞華集はほかにない」「閑吟集をダシにして、隠れ蓑のようにして、わたし自身をアケスケに、あまりにアッケラカンと暴露してしまっていることだ」というお言葉を読んで、やはりと納得いたしました。
それにしても、此の「閑吟集」はなんだか読んでいて疼くようにムラムラさせる作品。わたくしはすっかり涸れてしまっているので、こんな若い時代がとってもなつかしいです。
あとがきで一つ感想がございますが、それはまた後日に。
長かった梅雨も明けたということで、明日からの暑さが気になります。自転車にはよろしくないシーズンです。戸外で運動なさる場合は水分補給を充分に熱中症などご用心ください。
☆ おはようございます、風
台風が来ているらしいですね。西の空が暗いです。
お元気ですか、風。
昨日も走られたの。暑かったでしょう。
花は、今日こそ図書館に籠りたいです。でも、家でおとなしくしていたい気もします。
今度は『閑吟集』でしたね。
NHKブックスを持っているけれど、湖の本版は手を入れられたのかしらん。比べてみるのも、楽しみです。
いつか風にお逢いできるよう願っています。いつも元気にしている 花より。
☆ 月様 昨日、御本が届きました。月様(湖の本)とのご縁ができました、懐かしい本の、湖の本版ですね。忙しさが一段落する盆明けからじっくり読ませて頂こうと思っております。ありがとうございました。御身おいといくださいませ。 四国の花籠
☆ 新しいご本「閑吟集」届きました。 のばら
いつもありがとうございます。
「閑吟集」一冊に纏まったのははじめてですので楽しみに読ませていただきます。「湖の本」のお陰で未知の分野にも親しめて感謝しています。
木曜日は加茂の八百屋さんが来られる日です。船岡に居た頃はリヤカーに積んで、母がいつも冷たいお茶でもてなしていました。今は軽トラの荷台に採れたての野菜を満載して。今日はまん丸の加茂茄子を買いました。
お茄子お嫌いでしたね。私は牛乳が苦手な以外あまり好き嫌いはありません。
お盆には東京の娘達も帰って来ますので賑やかになります。
どうぞお身体も目もお大切にお過ごしくださいますよう。
* すこし機械の中を片づける。
2007 8・2 71
* 岡山の鰆の味噌樽をいただいた。到着後三日は待てと指示がある。明日にはと生唾をのんでいるところへ、群馬と山口から清酒到来、香川からはすばらしい葡萄も頂戴した。息子は大きな車を借りて袋田へ瀧を見に行こうよと誘ってくれている。山形からはうまい蕎麦を食べに来ませんかと深p切にお誘いがある。来週には松たか子主演の『ロマンス』そして言論表現委員会。『閑吟集』の評判も上々で、梅原猛さんら大勢の便りがある。ぎらぎら照る暑さの中で、体調は体調としても生気みなぎっている。元気に過ごしたい。
2007 8・4 71
☆ 蝉が朝早くから鳴きしきっています。
ご丁寧なメールをちょうだいし、まことにありがとうございました。
安直に引き受けた仕事が錯綜し、充実してはいるのですが、毎日忙しく、負担感を感じたりもしています。パソコンの故障もあり、しばらく「mixi」からも遠ざかっておりました。ごぶさたをお許しくださいませ。
夏7月は、私の誕生日の月でしたが、去年から、忘れられない「梨忌」になりました。
早くお届けしたいと思いつつ、私の好きな山あいの産直市場へ足を伸ばす機会がなかなかなく、ご命日には遅れ、また、梨には早すぎました。お便りもせず、突然お送りしました失礼をお許しください。さっそくのおたより、ほんとうにうれしくありがたく拝見しました。
また、『閑吟集』ありがとうございました。巻末『私語の刻』懐かしく拝見、お心弱りが少し感じられて、泣きました。お元気でいてくださいませ。
お知らせしたいことがあります。
『能の平家』にある、「藤戸」へ行ってきました。「藤戸合戦」が封じ込められているような、今はひなびた港町に行き当たり、感慨一入でした。公民館の皆さんと行くのを楽しみにしています。『湖の本』のご縁です。お礼申し上げます。
では、暑さの折、お体お大事になってくださいますよう。 讃岐
* ディスプレイの棚に、このキーボードの奥に、戴いた讃岐の「磬」が据えてある。いろいろの思いの去来するとき、「磬」を打っている。二十七、八センチの左右不整形、波打つ凹凸もある石であるが、打つ位置により力により音色が多彩に変わる。少なくも、カン キン クン ケン コンと音色が変わる。深くも浅くも、軽くも重くも変わる。「讃岐」さんとはやす香のかなしみにひしがれていた頃に「mixi」でご縁を深めたが、お目にかかったことはない。
☆ いまさっき、ご本を届けていただきました。ありがとうございます。サインまでご丁寧に書いていていただき恐縮です。
閑吟集、こんな歌が詠まれていたのですか、
歌はさもさらりと軽く書かれているけれど、そのころの社会を反映していて なんだかんだと考えさせられます。
歌を詠った作者の背景がだれだれとわからないのが 謎解きのようで、中世の職業細分化の有り様が見て取れますね。平安には測れなかった庶民の暮らしぶり、感覚が迫ってきて日本の歴史は確かにここから息づいてきた、と実感できる中世です。
今から紐解いてよませていただきます。
(お礼がメールというのは少々抵抗がありますが 取り急ぎ、頂きました旨お知らせいたしたくこちらに参りました。) 琳
2007 8・5 71
☆ お元気ですか 鳶
8.3 台風が宮崎に上陸して、こちらでも風が強く吹いていた夕方、本が届きました。今朝、台風は既に日本海に、とはいえ暴風警報が出されました。寝苦しい嵐の夜のあと、背中が胸に倒れこむように疲れています。(ヘンな表現ですが。)そして昼前漸くいくらか風がおさまりました。配達されるのを待っている郵便物があり気持ちが少し落ち着きません。
懐かしい『閑吟集』
手元にある『枕草子』の放送カセットテープを聴いていると、声のやや高いこと。これは声の若さでしょうか。そして、マイクに向かって語る、その時どんな表情やしぐさをなさっていたか、想像します。内部の叫びにも似たものを声に託す生身のあなたがいらっしゃるはず。
残念なことに『閑吟集』のラジオ放送は聴いていません。が、文字としてみる時と異なったものをきっと感じ取れるでしょう。・・テープの録音はお手元にありますか? 聴いてみたい。
8.4 最近、ザビエルに関するものをいくつか読んでいる時でもあり、閑吟集の15世紀という時代と重なって、わたしには嬉しい再々読書になっています。鴉の、壮年期の鴉の思いが籠められた大切な著作です。
ザビエルは日本での布教公認を求めるために堺から都に上ることを望みましたが、都の荒廃ぶり、無政府状態に銷沈して空しく九州に戻って行きました。当時室町幕府の権力が強く、都での布教が浸透していたら・・? ザビエルの日本滞在、僅か二年。その後の日本でのキリストの困難な歴史を思わずにはいられません。
三様の挫折と書かれていること、特に世阿弥の幽玄が、後に次第に変容変質を迫られ傾(かぶ)きの要素が浸透してくる、という指摘に関してこれまであまり思い至らなかったことに気づかせられました。激動の時代は、戦国時代はさまざまな可能性にみちていた、しかし指摘されているようにその先にあったのは安土桃山の黄金の暗転期だったのですね。以前、NHK日曜美術館に出演された際の主張でもありました。重ねて思い起こしました。
8.6 昨日の記載に、今の日本の重い課題として「世襲」に触れていました。先の三様の挫折とも深く関連すること。伝統文化の継承という名の下に構築されていった「世襲」にはいくらか譲歩するとしても、政治や医療など、露骨な言い方をすれば金銭や地位での格差を保持できる「世襲」が蔓延している社会は、やはり納得できません。
天皇制はもとより、と書かれてあり、その祭祀を司ることに由来する天皇は歴史的に連綿と存続し実に実に深く重い存在。天皇制に触れることはタブーに近く、普段あまり考えもしないのですが、やはり時折突き当たらずにはおれません。
こりゃ、なんじゃ?!
と「mixi」にコメントが早くにありましたが気づかずに、日が過ぎてしまいました。さりげなくわたしもコメントを書けばいいのですが、やや胸につかえたものが溶けませんのでそのままになってきました。どの部分に対して、なんじゃ、と思われたのか・・。
「書く姿勢を問われて、恥じらい、躊躇、立ち竦んでいるようでは失格です。」と指摘されても当然でしょう。が、それぞれの人の性格や感じ方なので「恥じらい・・」と感じているのは、わたしの謙遜でなく、ポーズでなく、ただ自然のわたし、わたしの自然なのです。
「小説になるかも、エッセイなのかも、書いている当人は厳格に考えていない。強いて書けば、小説になりたいけれどなれない文章か。純粋にエッセイとは思っていない。」
これもいささか「挑発的」? 開き直り? と感じられたのかもしれません。あれから書いていても、やはり小説と言い切れないのです。情けないけれど、それが実情。
そしてエッセイへの間違った態度・・。
たとい短い文章でも、書くことはすらすら書けるものでは決してないことを、痛く痛く知る日々です。
* 『閑吟集』はラジオ放送していない。先に出版していた『梁塵秘抄』がラジオ放送そのまま。それに倣うていで『閑吟集』を一気に書き下ろした。たぶん霞友会館でうまいカンヅメを喰いながら、窓の下の女子大・女子高のテニスコートの嬌声を一服がわりに聞きながら、おそろしい早さで書き下ろしたと思う。『枕草子』『梁塵秘抄』『中世の源流』『日本語で書くこと・話すこと』その他、わたしはラジオの録音室に一人とじこめられて話すのが性にあっていた。テレビにも日曜美術館はじめ二、三十度も出てきたが肩が凝る、が、ラジオは時間さえ狂わさねば気楽なもんであった。亡くなった吉村昭さんや伊馬春部さんらも聴いていて下さった。
わたしは話すように書くのが好きだ。
2007 8・6 71
☆ おはようございます 風 花
お元気ですか。
まずまずのお天気です。「うちわ」を使っていますよ。
暑さにも慣れてきたのか、だるさが減りました。
風、お体お大切にお元気で。
☆ 「贈る言葉」なぞを女の立場で読んでしまったものですから、あの無残さに、性的接触を長らく避け、しかしもういい歳になってからそれが不本意な形で崩され、以来ヤサグレ気味でございます。
性行為は女の何割かがそうであるように私にとっても全く快楽ではなく、従って相手が満足するための奉仕でしかありません。
ただ、そばにいてくれる誰かを毛布のように求めているだけなのです。
しかし、全てに於いて疲れ、男の手のひらを返したような対応にひどく傷つきました。
結局私を受け容れてくれるものなどないのです。どこの世界にも。
それが絶望。 一読者
* こういう文脈のメールを受け取った。「疲れ」て「絶望」しているというのだが、かなり分かりにくい。受け容れるということをこの人は知らないのではないか、「奉仕」という姿勢でしか。そして他者は「毛布」。最初の一段落、わたしには意味もよく読み取れない。
* 少しずつ、少しずつ……、という気持ちでこの日頃を過ごしています。
2007 8・6 71
☆ 解剖男 ハーバード 雄
先日,お笑い芸人の爆笑問題がNHKで定期的にやっている、「爆笑問題のニッポンの教養」をロケーションフリーで見た.科学的な話題を扱った番組としては,ここ最近では久々のヒットだった.
この番組は,爆笑問題の二人が,専門家を訪ねては色々な話を聞くという番組だが,僕は今回初めて観た.
今回は,京大霊長類研究所の遠藤秀紀教授を訪ねたのだが,この遠藤教授の個性に全て持っていかれたといっても過言ではない.
少し前の秋葉原にいそうな服装.電車マニアにも,いかにもいそうなタイプだが,実際,筋金入りの電車マニアとのこと.爆笑問題の二人と同い年ということで,会話も弾んで,なかなか楽しいインタビューだった.
遠藤教授は幼い頃から動物の「形」に興味があり,色々な動物の死体をひたすら解剖してきたという.
主な発見は,パンダの手にある「7本目の指」.それまで,5本の指のほかに,突起がもう一つあることは分かっていたのだが,それ以外にもう一つの突起があって,これら二つの突起が,竹を支える上で重要な役割をしているという.
番組では,パンダの骨の実物も出てきたが,頭蓋骨がファンファンのもの,手はフェイフェイのものだという.小さい頃,テレビで姿は見たことがあるが,まさかこんな形で彼らに再会することになるとは思いも寄らなかった.
パンダが可愛い理由として,頬骨が他の熊などに比べて高いからだと遠藤教授は言うのだが,その説明に,「松たか子さんみたいに,頬骨が高いと可愛く見えるんです」と言っていたのが印象的だった.その他,アリクイが殆ど顎を開かない理由についての洞察も面白かった.
それにしても,パンダにせよ,アリクイにせよ,昔から存在していた以上,それらの骨は見ようと思えば見られたわけだし,事実,遠藤教授以前にもパンダやアリクイの骨を見た人は,大勢いたに違いない.にも拘らず,これらの骨を見て,何故,新しい発見があるのだろう.
独創的な発見・研究というのは,誰もが今まで見てきたものを見て,誰も気づかなかったことを見出したり,誰も考えもしなかったようなアイデアを思いつくことをいうのだ,と僕は思う.
パンダの骨を見た人は大勢いても,誰も遠藤教授のように考えた人がいなかったからこそ,新しい発見がある.簡単なようでいて,なかなか,誰にでもできるものではない.
夏目漱石の「夢十夜」の中に,運慶が仁王像を彫る様子を眺めている夢の話がある.「ああやって像を彫るのは楽じゃないだろうな」と思っていると,見物人の中に「いや,あれはもともと木の中に埋まっているものを,ノミとツチを使って掘り出すだけだから,別に大したことではないよ」と言う人がいたので,早速家に帰って自宅にある木材を片っ端から掘ってみたが,どこにも仁王は埋まっていなかった.それで今日まで運慶が生きている理由が分かった,というようなあらすじだったと思う.
研究にも,この話と似たものを感じる.「仁王」は木の中に埋まっている.しかし,それを誰もが掘り起こせるかというと,そうではない.やはり,いかに「仁王」が埋まっていようとも,「運慶」でないと掘り起こすことはできないのだ.
話を元に戻すが,遠藤教授はこれまでに色々な本を出版している.新書として出版されているものも多いし,タイトルもそのまま「解剖男」というのもある.日本にいたとき,実はちらりと見かけたのだが,購入しなかったことを,今になって悔いている.読んだら,きっと面白いに違いない.
* 「独創的な発見・研究というのは,誰もが今まで見てきたものを見て,誰も気づかなかったことを見出したり,誰も考えもしなかったようなアイデアを思いつくことをいうのだ,と僕は思う.
パンダの骨を見た人は大勢いても,誰も遠藤教授のように考えた人がいなかったからこそ,新しい発見がある.簡単なようでいて,なかなか,誰にでもできるものではない. 」
まったくこの通りだとわたしも思ってきた。文学の「読み」にもそれが、ある。学者の読めなかったところを、素人が読み抜くことも決して不可能でない。また見慣れてそんなものと思ってきたことが、まるで別の顔で見直せることもある。元禄より以前、「正座」していた日本人など、罪人以外にはほとんどいなかった。
2007 8・7 71
☆ 真実を傷つけぬ彫琢 俊 e-OLD 多摩
一ヶ月の早いこと
一週間はなお早い
不思議なことに
夜の刻みだけは早く感じない
楽しい
艶っぽい
そして
まだ冒険の
夢を見る
忙殺ではない
おっとどっこい
殺されてはいない
殺しも
殺されも
しない
やはりまだ生きている
このところ
「真実を傷つけぬ彫琢(ちょうたく)」について
夢のごとき己と
うつつのごときドッペルゲンガーが
よく論じ合っている
創作
小説
随筆
詩文などなど
そして人生
玉の光りを放つ原石は少ない
柔らかいのは磨耗が早い
気づくと
かろうじて
アンパンの芥子粒臍になっている
* おもしろい。お若い。
☆ おはようございます、風。 花
パソコン部屋が蒸し風呂のようです。 お元気ですか、風。
明日の夜、山陽の夫の里へ発つので、今日明日は前準備にチョコチョコ走りつつ、時間の許す限り、富士の見える図書館に籠ります。エアコンが効いていて涼しいということもあるけれど、図書館はやはり集中できます。
家にいると、「あそこ掃除しなくちゃ」 「夕飯の下ごしらえしておこう」などと、気が散ってしまいますので。
今は、図書館で推敲するのが気に入っていますが、ブログは、作業場として、気分を変えたいときに、これからも使おうと思います。
「あなたのそばへ」は、一応「了」としましたが、わたしの中ではまだ途中でして、現状のものとはまったく違うものに仕上げたい気持ちがあります。
今は、風に読んでいただきたい別のを書いていまして、八月中には送れるようにと、進めています。
「述懐」は、いつか直接風に伝えたいな。いつも風に逢いたい、花。
* 「逢いたい人がいつでも有る」と書いて、日々の生きの「活性」かのように感じていた時期が長かった。「逢いたい人」の一人もいない日々はあまりに索漠、と。その意味ではこの言葉はいわば自身への激励にも似ていたかと思う。昨今こう老境の感覚に生理として迫られると、「逢いたい人」が「逢っておきたい人」に変わりかけていて、少し情けない。反動で、「花」のように「逢いたい」といってもらうと、それがやはり激励に感じられる。自分で自分を激励していたのが、いつか人に激励されているようなアンバイで、ありがたくはあるがいささか心弱くもある。ま、「逢いたくない」などといわれるより、ただの激励であろうとも「逢いたい」と言ってくれる人のあるあいだは「生きている」心地がする。こん、汚いジイさん、「逢わぬが花」の心地もする。
☆ 母の歌集――「子なき娘」に―― 麗
母は短歌をたしなむ。5月に上京して会ったとき,私家版を作るのだ,と表紙に使う写真を選んでいた。それができたと,先週土曜日に届いた。
母が短歌を作るのを知ってはいたが,そのものを目にしたことはなかった。結構なページ数に,昭和59年,今から23年前から現在までの作品が並ぶ。夫と娘2人と孫2人と,自分の母への思い,たまに出かける海外旅行の思い出,自宅の窓から見える副都心の眺め,など,所謂,身辺雑記風な題材からなる。
歌の師匠と思しき御仁が,「平凡といえば平凡,しかし,その気持ちが大切。」などと,「平凡」さを扱いかねたような讃文を寄せていらした。
平凡な題材でもいいではないか,装わず,偽らず,取り繕わず,歌に作れば。しかし,そんなことば選びが出来れば,もはや平凡とは言わない。装い,偽り,取り繕い,結果的に平凡に堕する歌が何と多いことか。そして,母の歌は…。師匠の御仁は,題材ではなく,ことば選びの点で「平凡」と言ったのかもしれない。
いちいちの歌を引くことは差し控えるが,私のことを詠んだ歌に,唯一,「装わず,偽らず,取り繕わず」,歌に作ったと思われることばがあった。「子なき娘」。
このことばは,私を特定するものとして,繰り返し登場する。確かに,語呂はいい。
歌によると,この,「子なき娘」は,勝手気ままに生き,来年は不惑だなどと言いつつも表情には幼さを残す,らしい。他人が,世間が,自分をどう見,どう思うかを知る機会はありそうでないことだが,自分の母親の作った歌にそれを見つけるとは,さらにない。そういう意味では貴重な経験である。
だから,我ながらしつこいと思いつつも,続けて書く。
私が学生時代に,前田夕暮のご子息,透氏自らのお誘いを受け,歌誌『詩歌』に参加していた頃,「『詩歌』の飼い殺しにされてもね」と,母は言い放った。進学,就職,結婚,などなど,私が「気に入らない選択」をしたと,母から投げられた悪し様な罵りは数多い。悪罵に関することば選びの的確さは,一種の才能と言えるかもしれない。その才能が,対極のことばを選ぶ際には,少しも効かない。皮肉なものである。
ことさらに「子なき」と形容するところに,娘の私に対する,「子をなした」母の優越感を感じる。しかしその裏からは,それ以外のことに対する,妬み・嫉み・僻みが透けても見える。これらは,母の慈愛とは対極の感情であるが,それが自ら(みずから)の内に在ることを,このことば選びで,母は自ら(おのずから)認めている。認めた以上,再び,取り澄ましたことばで覆い隠してはいけない。中途半端という,平凡以下の出来になるだけである。いいではないか,娘を妬ましく思う心の葛藤を詠んでも。作品としてよいものができれば。
「芸術は必ずしも清浄な心から生まれるものではない。(佐藤愛子(2002)『私の遺言』新潮社 p.241)」
* この一文にわたしは感心した。母上の歌集へ、最良の賛辞になっている。他人はなかなかこうは書いてくれない。
ほとんど会ったことのないわたしの生母も歌を作って、一冊にして遺していった。わたしが国民学校の頃に短歌を一つ二つ残し、新制中学では田のドノジャンルよりも熱心に短歌のノートを作で書き埋めていた頃、高校ではのちに歌集『少年』に成るほど一心に歌に励んでいた頃も、じつは生母と短歌とのことなど何も知らなかった。知るすべもなかった。いま、わたしは母のためにもう一度母の短歌をわたしの思いで再編集してみようと試みている。
* 佳い一文ですね、これ以上の賛辞は他人には書けないでしょう。
現代の歌は、ことに「私性」の所産です。「私史の玉」たらんと歌われてそれで良しとしうる所産です、たとえ「歌史の瓦」に過ぎなくても。そういう歌集をたくさん戴きます。
「子なき娘」を歌う例も、娘に「子をなすな」と戒める母の歌も、まま、ありますね。
岡井隆さんは、短歌は「ことば」という「パーツ」を選び選びつくる構造物かもしれぬと書いていました。わたくしが東工大や「ミマン」で試みていた「虫食い短歌」の記事を読みながらの感想のようでした。
詩歌がたんなる言葉選びであるわけはありませんが、言葉もよく選べない例はすくなくありません。
根底には、日本語の「内在律」を適確に見つけ創り出す「詩性」が「生命」なのだと思います。詩は「うた」であり「うったえ」なのですからね。
前田透さんは、わたしの歌集『少年』を、歌壇から声を上げて真っ先に称揚し推賛してくれた歌人でした。懐かしい昔話です。そのご縁で秦野市での夕暮記念の大会で講演したりしましたよ。 湖
2007 8・7 71
* ボストンの「雄」君の「独創」なる説に南山城の「巌」君が人類史上の独創にひろげて、コメントしていた。咄嗟に、以下をいま思ったので挙げてみる。どうでしょう。異説を待つ。
* 神の発見 数の発見 手順・手続きの発見 AはAである発見 モノに名前をつけるという発明 人は死なれ・死なせる存在であることの発見 地球が奇跡の惑星であるという発見 諸悪の根源としての愛と心と言葉の発見 諸価値の発現としての愛と心と言葉の発見 「私」の発見
* 昨日、医学書院での同期入社、のちにフェリスや明大の教授になりいまは悠々自適の友人の長い手紙をもらった。『かくのごとき、死』を新世紀の新しい「私小説」と読んで、わたしを葛西善蔵ら日本の私小説の正統に置くという論旨を含んでいてビックリした。あの一冊に限ってはしかし、意図において二十一世紀私小説の可能性を追求したに相違なかった。ただ小説たる洗練をむねとはしなかったので、エッセイの一冊に容れた。それはそれで、よいのである。『罪はわが前に』『北の時代』『お父さん、繪を描いてください』『逆らひてこそ、父』『かくのごとき、死』と並べれば、『畜生塚』『慈子』『清経入水』『みごもりの湖』『初恋』『四度の瀧』『冬祭り』『秋萩帖』などと綯い合わされている一つの傾向がみてとれる。彼の指摘は私自身にも興味深い。
2007 8・8 71
☆ お暑うございます 泉
暦の上では今日、立秋。
なるべく日中は、ぎんぎらの外には出ないで、ガマン大会のように、クーラーは午後四時頃からと決めています。そのせいか体は暑さに馴れ、食欲旺盛、元気にしています。
孫が日参、電車ごっこのお客さん役を仰せつかり、ここで下りて、ここで乗って、と命令に従順。やれやれ。
夜は扇風機だけで熟睡が出来て、五時過ぎには起きます。
今日も蒸しますが、(追い羽根遊びで)楽しい大汗を流してきます。 古希過ぎ婆
* 中学の校庭で、女子野球部のスラッガーであったような朧な記憶がある。健康優良婆に、脱帽。
☆ お元気ですか、風。
今夜(車で山陽へ)発ち、十六日に帰宅する予定です。長い滞在ですので、準備がいろいろあります。
外は暑いですが、二年か三年前の猛暑に比べると、穏やかに感じますね。
夏休みの図書館は、賑やか、といいますか、ざわついています。一人二人がうるさいと気になりますが、全体的にざわざわしているので、街中にいる感じで、さして気になりません。
昨日、本館二階の学習室をはじめて利用したら、机と椅子の高さのバランスが悪く、背中が痛くなってしまったので、早々に退散し、書架の脇の椅子で読書しました。
『ユリシーズ』は、文章がさっぱり入って来ません。
そこで、『ユリシーズ』読みを中断し、『昭和初年の「ユリシーズ」』という、日本における『ユリシーズ』の受容を述べた本を借りました。コッチはわかりやすいです。
パソコンを持って行きますので、メールはいつもどおりできます。
お元気で、風。風のこといつも想っています。 花
2007 8・8 71
☆ 湖へ 珠
いつも不思議なほど、息継ぎを必要とする頃にお声が届きます。湖の感触にちからがぬけます、ありがとう、珠は元気です。
6月から毎日人の心をノックするような仕事を抱え、緊張感と時間的な制約で通常業務は滞るばかり。。。おまけに休日・夜間に仕事をしていたら急に入った冷房にやられ、今年2度目のひどい風邪をひいてしまいました。元来のアレルギー体質からか、冷たい空気や埃に弱く、咳が止まらなくなり、商売道具の一つである声を使って相手と会話する状況もままならなくなり落ち込みました。プロとしての自己管理、自分の弱みが仕事上の大事な道具と重なる事、今更ながらよく判りました。仕事・私生活、振り子のように振れてバランスをとるにはまだまだですが、、でも少しずつ、と思いながら過ごしてます。
「湖」のご本、ありがとうございました。
熱き想いの表現にどきんとしながら読んでいます。「想い」の生々しさを語る多くの言葉・表現は、私の奥にある感情、今まで言葉にしていない「何か」を求める呪文か地図のように思えます。繰っては戻りまた進みと、ゆるゆる文字をたどり探っています。この夏の暑さ、本には汗を染み込ませ、私には本を染み込ませて。。。
まるで幽霊のようにぽっとでて消える私のmixiですね。
ディスプレイはまさに幽霊状態で、白がとんで、書いているうちに薄くなっていきます。そろそろ限界と言いながら、何ヶ月も働いてくれるので惜しくて。動かなくなるまではこのままと決めましたので、幽霊mixiお許し下さいね。
湖の「私語」は朝に夕に読んでます。湖はもてますね、女性がたくさん登場。届きそうで届かぬ奥深い湖、ひややかに透んだ湖は、まるで蛍が水をもとめるように寄りたくなるのかもしれない、ちょっとジェラシー。
お元気で、湖。
いつも、だから、湖。
* 液晶が消耗しきっているのでしょう。とりかえるしかないでしょう。この夏に風邪はよくない。
☆ ごぶさた致してをります。 香
突然、襲ひくるゆゑなき不安に悩まされ、精神安定剤でしのいでゐました。
おくすりの副作用でせうか、「まあ、どうなつてもいゝや」と、かなりなげやりになつてしまひました。さんざんぐだぐだしたあげく、かくてはならじと、お裁縫を始めましたら、間違へて、お袖を四枚、裁つてしまひ、あゝ、縫ひものもできなくなつたと、落ち込んだり。デスペレートにかたむいてゆく自分をもちあつかつてゐました。『閑吟集』をお送りくださいましたことにも気づかずをりました。
けれど、昨日一昨日あたりから、少し、落ちついてきました。
どうしやうもなく散らかつた机まはりを整理しはじめて、封を切つてない「湖の本」を見つけました。『閑吟集』。折りもよし、やつと、何か読みたいといふ気分になれたところでした。うれしい。
NHKブックではない新しいご本。気持新たに、なつかしい歌謡とそれを語る湖先生の世界にひたりませう。ありがたうございました。
☆ 酷暑です 真夏
お元気ですか、みづうみ。
こんなに暑い時には一歩も外に出たくありませんが、毎日毎日用事に追いまくられて仕方なしにサウナと化した東京を歩いています。裸で歩いても毛皮を着て歩いてもこれじゃ同じことと悪態つきたくなります。頭もぼーっとして忘れ物頻発。
お気に入りのブログで、京都のかき氷屋さん中村軒が紹介されていました。ふわふわの氷にたっぷり黒蜜と練乳をかけて、湯がきたての白玉を入れて食べる……その写真を見てうらやましくて。クーラーの効きすぎた喫茶店で食べてもちっともありがたくないので、外で京の風に吹かれながらきんとするほど冷たいのを食べてみたい。ついでにビアホールに行って夜風の中で、みづうみが大ジョッキをあけてにこにこなさるお姿が見られたらなあ。ため息つきます。
暑さボケで湖の本の送金、すっかり失念。遅くなってしまい申しわけありませんでした。本日完了。金額は間違えではなく、単純に二冊分のボリュームでしたから。
明日はお稽古ですが、気乗りしなくて。めったに汗をかかない真夏サンですが、この時期のお稽古はさすがにいけません。帯下にタオル一枚巻いていますが、すっかり汗になります。
みづうみはエアコンの中で涼しく名作に没頭なさいますように。運動は室内でラジオ体操くらい。くれぐれもこの時期ご無理なさいませんように。 お元気で。
* 会議のほかには、劇場等でのたまたまの出逢いぐらい、めったに個人的に人と会わない生活をしているからねメールはわたしには外気を吸い込む嬉しい「窓」であり、それ以上でも以下でもない。だれもかもとは行かないが、こうして此処へ書き込ませてもらえるメールは、またこの「私語」の単調をはんなりさせてもくださる。海外からでも近所からでも、まるで耳元へのように声が届いてくる。安心もあり安息もある。感謝。
2007 8・9 71
* 『ロマンス』への感想にコメントを戴いた。
☆ 説明 麗
チェーホフの舞台,一度だけ見たことがあります。青山円形劇場ができたての頃,『桜の園』を。若輩者でしたので,「小説より分かりにくいなあ」と思ったのみでした。
ませた中学生だった頃,読書感想文に『犬を連れた奥さん』を選び,「不幸な恋愛はしたくない」と書いたところ,「こういう恋愛もあるということを,いつか君も分かるかもしれない。」と,教師から誠実なコメントを付けられました。恥ずかしくも懐かしい思い出です。
以下の御説に共感しました。マインドのみで説明している仕事をしている身には,見逃しがちな視点です。気をつけなければ,と自戒する反面,「狙って出来るものでもない」と思いもします。
> 「説明」というのは面白いモノである。マインドでのみ分別しようとする者には、「説明」が良くできていればそれ以上の「劇的表現」は要らない。しかし「ドラマとは表現」なのである。言葉でも指摘でも説明でもない。マインドという思考的な心では、ハートという「なんだか分からないけれどもとてもおもしろい深い」心は描けない。感動として描けない。「なんだかとてもハッキリわかってしまう」説明だけで「事」が運ばれてしまう。
・・・・・・巧まずに決まったときは,最高の気分でしょうね。
2007 8・9 71
* みなさん、ご注目。 ボストンの「雄」君の日記に端を発し、咄嗟・即座の「思いつき」でわたしの書き入れた「十」箇条へ、修正意見が、「雄」君からも「巌」君からも出されている。面白い。難しい。藤江さん 鴉さん 芝田さん 馨さん 上尾君 そしてmaokatさん 俊さん 瑛さん みなさん、いかがですか。
☆ 生物学10? の独創的な発見・発明 ハーバード 雄
午前中,居室に来ていたグレッグが日本語を教えてくれというので,「おはよう」「おなかすいた」「ありがとう」などの簡単な日本語を教える.
「どうも」という言葉も教えた.或る意味,日本を象徴している言葉かもしれない.
昼すぎラボに戻ると,グレッグが嬉しそうに近づいてきて,隣のラボの日本人ポスドクのMさんに「元気?」と言ったら通じたよ,と言う.
さて,一昨日の日記からの宿題にもなっている,「十の独創的な発見・発明」なのだが,全ての事象の中でとなると,中々難しい.「湖」さんの挙げているものも,かなり偏っているように,僕には見受けられる.
例えば,「諸悪の根源としての愛と心と言葉の発見 諸価値の発現としての愛と心と言葉の発見」であるが,これらをこう分けるべきなのか,表裏一体としてみるべきなのかは,難しい.
あるいは,人文系の事柄に偏りすぎてはいないだろうか? 「万有引力の発見」は? 「相対性理論」は?
バスに乗っている間などに,あれやこれやと考えてみたが,うまく考えが纏まらない.
そこで,卑怯ながら,分野を大幅に狭めて,専門の「生物学」に絞ってみた.勿論,人によって意見は大きく異なるだろうし,後で振り返って,「あ,これが抜けていた」というのもあるかもしれないが,思いつく限りで、以下の通り.
顕微鏡の発明(レーウェンフック), 進化の発見(ダーウィンその他), メンデルの遺伝の法則, セントラルドグマ(クリック), オーガナイザーの発見(シュペーマン), 神経細胞の膜興奮モデル(ホジキン&ハックスレー), 化学浸透説(ピーター・ミッチェル)
思いつくままに挙げてみたが,まだ7個しかない.もっと単発の仕事でよければ沢山思いつくのだが,生物学に大きな衝撃を与えた仕事となると,選ぶのに躊躇する.
例えば,PCR(polymerase chain reaction)の発明.単に,温度を上げ下げするだけで,DNAを無限に殖やすことができるという方法.最初に発表されたとき,分子生物学者の誰もが「何故これを,自分は思いつかなかったのだろう」と思ったという.その位,簡単な原理に基づいているが,今や分子生物学の研究室で,この技術を使っていないラボは皆無だろう.犯罪捜査などでも,血痕から犯人の特定に至るには,この手法は欠かせない.
この発明で,発明者のキャリー・マリスはノーベル賞を受賞している.ちなみにマリスは、彼女とデートでドライブしていて,車の中で彼女が寝てしまったとき,暇をもてあましているうちに,ふとこの方法を思いついたという.
マリスは,ノーベル賞受賞後に日本に来たことがあり,園遊会にも出席した.その際に美智子皇后から、「では,今日ご一緒に来ていらっしゃるのが,その時の彼女ですか?」と聞かれ,「いえ,彼女ではありません」と答えたらしい.しかし,美智子皇后はすかさず,「ならば,ノーベル賞が,もう一つもらえますわね」と言ったとか.なかなかウィットに富んだことを言う.しかし,実はマリスは4回結婚しているのだが...
それはともかくとして,僕が「独創性」という観点から最も気に入っている科学上の発見は,実は生物学ではなくて,地球物理学者ウェゲナーの「大陸移動説」.もともと地球上の大陸は一つだったのだが,それが分かれて,大きく移動した結果,いまのような地図になった,という説.
ウェゲナーがこの説を思いついたのは,ただ単に,アフリカ大陸の西側の海岸線と,南米大陸の東側の海岸線が,合わせるとピッタリ重なる,という,極めてシンプルな理由に基づいている.
したがって,生前は科学者たちから殆ど相手にされず,死後になって,色々な方面から,ウェゲナーの説が正しかったことが証明されてきた.地磁気の研究,植生の研究,土壌の構成要素の研究など,多方面から,徐々にウェゲナーの説の正しさが確かめられていく様子を,竹内均先生がNHKブックスの1冊に書いておられ,中学2年生の頃,貪る様に読んだ.まるで,推理小説で犯人が絞られていくのを読むように,身体中がゾクゾクとした.その本を読んだことで,将来科学者になりたいと強く思った.
一昨日のコメントに「ケイ」さんも書かれているように,独創的であるためにはタフでなければならない.ウェゲナーの辿った道は,独創的な研究者の,或る意味,典型的な道でもあった.突拍子もない説だと哂われ,皮肉たっぷりに揶揄され,挙句は無視される.その後,評価されれば良いが,結局それはウェゲナーの死後となってしまった.
大事なことは,その間にブレないことなのだろう.どれだけウケが悪くても,自分が正しいと思ったら,言い続ける.これは,タフでないと,なかなかできない.世間の評価が,嘲笑・中傷,無視,再評価と変わっても,それによって本人は変わってはいけない.
☆ 人類史上の独創十指 巌
人類の独創性の顕れた「史上十指」となると やはり科学技術のようなものは どんなに独創的に見えても 先人からの積み上げの上にあったり 同時代やそれ以降の追試がないとどうにもならないという事があり その進歩の過程・歴史が伝わっていたりすると 十指にどれを「とる」というのがまた難しい
誰がいつどこでというのを考えなくていいような 人類が人類となったのは「これを手に入れたから」というものに目をつける。
人類の目的が 人類が存在するこの世界を表現することにあるのなら その目的を進めるために大いなる物であったものが 人類の独創性が顕れた発見であったとして、
「十」は、
神 (一体を考える事)
私 (疎外を考える事)
暦 (時間的連続性 時空間を考える事)
言葉 (名付ける事 事象を表現する事 伝達保存する事)
数字 (量を抽象化し表現する事 伝達保存する事)
音階 (音を抽象化し表現する事 伝達保存する事)
愛 (量化できない価値の根源)
物語 (事実だけでなく 虚構で表現する事 伝達保存する事)
おばあさん (成長・生殖から自由な人 元祖スペシャリスト)
貨幣 (物の交換や蓄積への時間的自由)
* 聞いてみたい人たちが、たくさん。
2007 8・9 71
☆ こんにちは 雪
秦さん こんにちは,ご無沙汰しております.**です.お元気ですか?
お送りいただきました湖の本,受け取りました.ありがとうございました.近日中に送金いたします.遅くなって申し訳ありません.
先月,無事男児を出産いたしました.
ちょっと大きめだったためか,ちょっと大変になってしまい,緊急帝王切開での出産となりましたが,無事わが子と対面することが出来ました.
只今実家で両親の助けを借りながら育児初心者奮闘中です.(昨日,こちらに訪ねてきた主人に湖の本を持ってきてもらったところなのと,まだ出掛ける機会がなかなかなくて送金に伺えないので、少しお待ちいただければと思います.)
まだまだ授乳の間隔が三、四4時間で,夜中も起きたりと少し大変ですが,少しずつ(お互い)慣れてきました.毎日が発見の連続で楽しんでいます.
暑さの厳しい折ですが,どうぞお体に気をつけてください.
また連絡いたします. **(**) 雪
* 北陸からの、心待ちにしていた朗報。博士課程を終えて、いまは東大の先生をしながらの、おめでたい出産。優れた研究者・妻で母で・この人には専門外の世界への視野も余裕もある。遠くから眺めていて「安心」がある。ご家族揃ってますます幸せでありますように。
* 栃木の葡萄をたくさん戴いた。からだが要求するのか、食欲が落ちると云うことは無い。
2007 8・11 71
☆ ストアド・プログラム方式 瑛 e-OLD 川崎
人類の独創性の顕れた「史上十指」を選ぶとなると、なかなか おいそれと選べない。が、三つなら僕なりに選べる。
現代世界を制御している電子計算機の方式『ストアド・プログラム方式』を、その1としたい。ジョン・フォン・ノイマン(ハンガリー人)の発明で今のコンピュータは「ノイマンコンピュータ」であり、技術はこの域を出ていない。
哲学ともいえる『零の発見』が、その2。思想、史観、その他へ通じる。インド人の発見である。位相代数、無限大の定義など『人間の脳の世界』が働き生み出した文化遺産でありましょうか。
その 3は、「林檎が木から落ちる」ことの原理の発見。英国の産業革命に始まる現代産業への道しるべ。
ニュートンは、フランシス・ベーコンとデカルトとともに、諸悪の根源を創造した。バグワンはこれらを「知恵」とは言わない。「業」である。地球は何年もちますかね。
☆ 今週美術館三つに行ってきました。 純
大学生のころはこんな感じだったな~。懐かしいな~。
一つ目は念願の金比羅宮展。
応挙も若冲もみんなよかったんだけれど、一番びっくりしたのは邨田丹陵という画家。こんな人がいたなんて、私は全然知らなくて、ものすごく興奮したのだった。鹿狩の様子を襖絵にしているのだけれど、構図の取り方、構成、余白、そうして画力。すべてが抜きん出ている感じで目を引く。
昨日の新聞(朝日・夕刊)にも載っていたので、ご覧下さい。
抱き合わせで歌川広重展もやっていて、こちらもものすごく面白かった。やっぱり構図の取り方が非凡。
二つ目は諏訪のサンリツ美術館。
茶道具(特に焼きもの)の展覧会をしていたのだけれど、本阿弥光悦の国宝「不二山」が出ていて、こちらも大興奮だった。思わず展示ケースに極限まで近づいてしまって、ゴツン、と額をぶつける。
他の楽茶碗も、長次郎、了入とはずさないセレクションで、その上、15分くらいの展示説明VTRがよかった!
ミュージアムショップで牧渓の眠虎図の絵はがきを買ってきて、先の応挙の虎と見比べてみるのもまた一興。
三つ目は岡谷のイルフ童画館。
やはり全然知らなかったけれど、武井武雄という童画家がいて、この方の作り出す世界の美しさ、妖しさと言ったらなかった。大人のための童話って、こういうものを言うのだろうな~という感じ。ため息がでる。
蔵書票なんかも版画作品で作ってらして、それがまた素晴らしい。私もこんな蔵書票が欲しいなー…と、やはり展示ケースに極限まで近づいてじろじろ眺めてきた。
ただし、絵葉書に欲しいものはあまりなく、仕方がないので作品集を購入。商売上手? なミュージアムショップであった。
で、興奮しすぎたか、また体調を崩し気味で、一日臥せっていた。
そんな、オチ。 情けない。
* わたしは、京都の頃から、博物館の静かさのフアンで、コツコツと自分の足音をたしかめるように蟹歩きに作品を長時間掛けて観た。体力に自信がなくなって遠方へよう出かけないが、上野の本館の常設展がいちばん落ち着く。東博の収蔵品を全部観たいとよく思ったが、とてもムリ。
しかし美術賞の選考のためにも京都系の現代美術にもできるだけ目配りが必要で、なにしろ書と建築とをのぞく全ジャンルを選考対象にしているだけに容易でない。「純」さんのように楽しんであちこち観て歩きたいが。座って観ていられるので、つい劇場におちついてしまう。
* どこかしことなく夏休みムード。わたしも、のんびりしている。こう焦げそうに戸外が熱暑では、あまんじて家の中に落ち着いているしかない。けっこうなこと。
2007 8・11 71
☆ 『僕はパパを……』読みました 香
あのご本、キワモノと言ふのは失礼かも知れませんが、それに近い感想をもちました。調書の引用どころか丸写しといひたいほど、わるく言へば、事件が世間の耳目をあつめてゐるうちにと、大急ぎでまとめあげたもののやうに思はれます。
著者は、調書といふ資料の紙背を読みとる努力を惜しんではゐないか、とも思ひました。
「調書をもとにして、自分のことばで書いたのでは、真実と信じてもらへない」といふやうなことを、草薙さんは口にしていました。これは物書き、表現者としての自分を貶めてゐるやうなもので、わたしは、がつかりしました。紙背を読みとる努力を惜しんだのではなくて、その力がなかつたのかと疑ひたくなりました。
こんな粗雑で薄手な書物のために、官憲の容喙を招いたとは。いかにも口惜しい。
先生の、この「僕はパパを……」に対するお考へ、また、官憲の態度に対するお考へは、「湖」でうかゞつて存じあげてゐたつもりでしたが、お話ぶりに、それに加へて、「僕はパパを……」如き一冊が、こんな重大事を惹き起して、といふお憤りのやうなものを感じましたが、間違つてゐましたら、おゆるしください。
事あらば、と、虎視眈々、狙つてゐる官権の牙を剥かせたのが、読みごたへのあるものだつたら、心にずんとひゞくものであつたら、わたしだつて、女の細腕まくつて、あつちこつちに、この度のオカミのオオカミぶりを、黄色い声で、わめき散らすところなのですけれど……。なんて、のんきなことを言つてゐる場合ではありませんが、こんなこともつぶやきたくなります。
* 共感する。
* 草薙さんは、「真実・真相」とは何だという質問に「事実」を積み重ねることだと答えたが、それでは幼稚では無かろうか。事実なら積み重ねられると思うのだろうか。「事実」ですら容易に特定できるモノではない。たとえば殺意が有った無かったの事実すら確認しにくばかりか、心理の内容となれば事実としてはとても把握しにくいことは、本人ですらそうなのだ、まして他人が曖昧な「ことば」を頼りに詮索しても表現しきれない。最期は推測推断になり、それが余儀ないことであるならば、よほど誠実で精緻な推断でなければならず、「供述調書」をどうマル写しに並べても可能性は稀薄、説得力はもっと曖昧になる。
真実を書くのに、事実は「斯くありし」という方途で書くのが、ほんとうは不可能に近く難しいと知っているから、書き手は「斯くあるべかりし」を必死に創作し表現して伝えようとする。事実にお安く拘泥すると、事実に裏切られて惨敗するのである。そういう事実の書き手ほど、新聞雑誌や手紙のたぐいを無検討に妄信してまんまと間違える。何度か間違えを犯しながらそのへんのつらい隘路に気がつくのであるが。
会議の席上で、「真実」という形而上学の話など関係がない、「やめましょうと」叫んだ参加者たちがいたが、形而上学どころか、ドキュメンタリーやルポルタージュを話題にして目の当たりの「真実」観を頭越しに看過し、何を話題として考えようというのだろうと、「ペン」を持つ身として呆れてしまった。供述調書に絶大にオンブして「勧告」されてしまったのも、著者なりに「真実感」がそれで補強できると考えたからではないか。表現の本質論の出来ない「文藝」の議論なんか、空疎である。
☆ 熱暑 泉
ご機嫌如何。婆も、人並みに盆休みを貰っています。なんの事はない若い家族の団欒からはみ出ているだけの事。
暑くても食欲は減退せず、只、台所に立つのは非常に苦痛。なるべく朝涼によく働き、後はノンビリと。
近々、平成館の「京都五山禅の文化」展と大好きな本館をフカフカソファーで寝そべったりして楽しんできます。心親しい五山を一同に拝観出来るなんて他方に住む者にとっては何と贅沢な、楽しみ!
喘息の吸入薬を使いながらも、古稀婆は、元気です。ほな。
☆ お元気ですか、風
山陽路は暑いです。東京も暑くなって来たみたいですね。お大事になさってください。
本当は、パソコンでメールを書きたかったけれど、これは携帯からです。出先では、パソコンを繋ぐより、携帯の方が、やはり手軽です。
九日深夜、高速を走り、朝方無事に到着したら、二時間ほどでお坊さんが来てしまったので、朦朧としながら説教を聞きました。今回最大のおつとめが終わり、以後、ゆっくりさせてもらってます。
風のことばかり想っていますよ、 花は。
* 東海からも、九州からも。
2007 8・12 71
☆ Tax free day ボストン 雄
新居での朝を迎えた.心配していた,幅の狭いベッドだが,思いのほか快適.ベッドの良し悪しは寝てみればすぐに分かる.このベッドは,一見華奢だが,相当良いベッドだ.大家の家具に対する並々ならぬ思い入れが伝わる.
今日は,Tax free day.マサチューセッツ州の税金がかからないらしいので,買い物するにはうってつけの日.朝から引越しおよび,その関連商品,さらには全く関係のないものまで買いあさりに,一日中奔走した.
10時頃に部屋を出て,前のアパートに行く.もう,殆ど全てのものを運びいれたつもりだったのだが,改めて行ってみると,積み残したものが沢山あり,結局,車一杯に荷物を積むこととなった.
最後の荷物を積もうとして出てきたら,車のワイパーにタグが挟まっていた.慌ててセキュリティーに行くと,これはあくまで警告で,次回やったら罰金だとのこと.しかし,今までも中庭に車は散々停めているが,こんなものを挟まれたことはなかった.
本当は,今日はライアンに椅子とじゅうたんをあげることになっていたのだが,僕の荷物だけで一杯な上,椅子を車に積もうとして分解しようとしたら,ネジ頭が崩れてしまい,取れなくなってしまった.仕方ないので,ライアンに電話を入れ,2時半にライアンを拾って前のアパートに一緒に行き,どうするか考えることにする.
今日は絶好のドライブ日和.strrow driveを飛ばすと気持ちが良い.
結局,椅子はネジをはずさなくても,ギリギリ僕の車に積めることがわかった.じゅうたんと共に積み込んで,ライアンの自宅に直行し,再びライアンをラボへと送り届ける.
途中,フェンウェイパークの横を通りがかったのだが,お土産屋さんが開いていた.この前行った時は,試合がないせいか閉まっていたのだが,土日は試合がなくても開いているらしい.野球好きの妹夫妻に松坂Tシャツと岡島Tシャツを送ろうと,Kenmoreまで地下鉄で向かう.
自分用に岡島Tシャツも1枚余分に購入.そのまま引き返して,ニューベリーストリートを歩き,買い物をする.ニューベリーストリートに来るのは久しぶりだが,多くの人で賑わっていた.
帰りに,ビーコンヒルのピザ屋Figsに立ち寄り,ピザを食べようとCharles/MGHで下車.しかし,Figsは順番待ちの列ができるほどの混雑だったので,あっさりと諦め,来た道を引き返す.駅近くの酒屋で焼酎を購入したのが,せめてもの収穫.
Harvard Squareで下車し,いつものPho Pasteur(いつの間にか名前が変わってLE’sとなっていたが)で,いつものシンハービール+生春巻+牛肉のフォー.一日中,散々歩き回ったせいか,ビールが旨い.蘇る気がする.徒歩で帰宅.
* ポーランドの柳君たちはどうしているだろうな。先日の花火の日にも、ああ花火を一緒に観たなあと懐かしかった。
2007 8・12 71
☆ 大掃除 ボストン 雄
今,日本はお盆の帰省ラッシュだろうか.
朝,新居に来て初めて,パンを焼き,コーヒーを入れる.美味しい.前のアパートには,古いトースターはあったが,使ったことが無かった.コーヒーメーカーは無かった.新しいアパートには両方ともあるので,試しに使ってみたが,なかなかいい感じ.昼には焼きそばを作る.ソースを入れた途端,予想外の匂いがしたので,おや?と思い確認すると,ソース焼そばではなく,カレー焼きそばを買ってしまっていた.どおりでカレーの匂いがした訳だ. 早めに昼飯を食べてから,新居を出て,今日もまた前のアパートへと向かう.一旦荷物を置き,ニューベリーストリートを歩く.ビーコンヒルと並んで,この辺りの雰囲気は,ちょっとヨーロッパっぽい.せっかくなので,写真を撮る.
前のアパートに戻り,部屋の掃除をする.荷物はほぼ,片付いた.ガス台や風呂場など,汚れやすい場所を丹念に掃除する.前の住人からの汚れもあるので,全て落とすのは無理だが,まあ,やるだけのことはやった.要らないものを,片っ端から捨てた.どうしてか分からないが,捨てるという行為は気分が良い.ストレス解消になる.
必要なものを少し持って,帰路に着く.途中,寄り道をして,Russo’sで野菜類を購入.
これで,生活の基盤は完全に新居に移った.明日からは研究に打ち込みたい.
☆ 「新居」の字 ふとなまめかし きみがために 愛(うつく)しき日の吉き兆しなれ 湖
* 卒業生の一人が転職して愛知県から静岡県に移り住んだ。卒業生ではない読者夫妻にも、近年同じ例の転居があった。愛知県から東京への転勤もあり、大阪から東京への転勤記者クンもあった。ボストンでも、これは単なる転居だが「新居」に引っ越した。若いときにはあること。
京都から東京新宿へ「新居」を得て移り、北多摩保谷町の社宅へ移り、そして同市内の下保谷に家を建てて、わたしも都合三度転居した。もう、したくない、が、もう一度ぐらいしていいか知らんとも心の内でちょっと思う。
2007 8・13 71
* 真夏バテというのか、ひっきりなしに眠い。
朝六時に起きて、昨日来の「一太郎」整理をしとげた。信じられないほど厖大なファイルで満たされていて、フォルダ化して整理しておかないと利用しにくく、欲しいファイルを探し出すのがとんでもなく不自由になりかけていた。それを五十余のフォルダに整理して取り纏めた。書きおいた作品を探し出すのにはそのフォルダを開ければともあれ、以前よりは、早くラクに見つけられる。仕掛かり途中の仕事もすぐ拾い出せて、それぞれに前進がはかれる。今までだと、埋没してしまいがちで、ちょっと油断すると何処へ行ったやら、迷子を捜すような手間がかかった。完璧と云うにはほど遠いけれど、二千近いファイルがあらまし相応の抽斗を造って蔵われた。強いて夏休み気分に自分を誘い込めばこそ、出来たことである。しておかねば収拾がつかなくなる是非必要な作業であった。
それとても「一太郎」という一部門だけの話で、機械の中には、別に、「ホームページ」も「文庫」も「マイドキュメント」に蔵われた一切合切も在る。消耗品ではないので、保管されてゆく数は日々に増えてゆく。
それにしても整理してやれば、パソコンは、らくらくとその全部をのみこんで、保存してくれる。バックアップには万全の気配りが必要だけれど。これにはハラハラする。
* いまパラオにいる布谷君が、以前に造ってくれた親機と子機との相互に自在なファイル転送の装置はじつに便利であった。いとも感嘆に大量のコンテンツをあっちへこっちへ移して作業出来た。布谷君が頼めなくなり機械の故障を業者に頼んでいじらせて以来、親機は今も音声が全くでないし、両機の連携も壊れてしまった。かろうじて親機から子機への移送だけが出来るが、逆は効かない。わたしのように字だけ書いている者には、機械で音声が使えなくても静かでいいが、大きな不具合には相違ない。子機のノートパソコンの方で音楽も映画も楽しめるのだからいいといえばいいが、機械環境が自在に完備していないのは残念といえば、残念。で、親機で書き仕事と写真の編集、子機はもっぱらバックアップと休憩の楽しみ用に「棲み分け」ている。それも悪くはない。
2007 8・14 71
* 青山学院大の元学長内藤昭一さんに頂く、例年の、韮山産の美味しい大きな桃がよく冷えていて、六十二年目の「敗戦の日」を夫婦共々平和に締めくくらせて頂けた。幸せなことである。
☆ 花は せみは 鳥は 香
花は、ゆふがほ
せみは、ひぐらし
鳥は、せきれい
木は、萩
風は、魔風
幽霊は、能
きものは、麻のちゞみ
花火は、線香花火
金魚は、黒の出目金
お菓子は、葛きり
お酒は、
と、続けたいところですが下戸。コップ一杯のビールで、足の裏まで、赤くなつてしまふ。
2007 8・15 71
☆ ピアノ ハーバード 雄
今日も電気生理のセットアップ.ノイズが中々取れない.ちょっと良くなったかと思うと,すぐに強いノイズが入る.夕方になり,疲れ果てているところへ,ライアンが「Hiro,ピアノを弾きに行かないか?」と声をかけてくれた.
最近ライアンはピアノを習い始めたのだが,ハーバード大学には,IDカードさえ持っていれば,タダで好きなだけ弾くことのできるピアノが20台もあるのだという.喜んでライアンについて行く.
サイエンスセンターを抜けると,裏手に古めかしい建物があり,その地下1階にピアノがあるという.建物の1階入口には専門の職員が座っていて,IDカードを見せ,名前などを記入すると,IDカードと引き換えに部屋の鍵を渡してくれた.ピアノは一台一台個室に入っており,鍵がかけられるという.さすがに完全防音とはいかないが,これだけでも充分だ.
部屋は小さいが,中にあるのはグランドピアノ.なんとスタインウェイだった.
僕は小学校の1年生から4年生まで,ピアノを習っていた.中学くらいまでは何とか弾けたので,合唱コンクールなどでは伴奏したりしていた.しかし,高校に入ってからは,そんな機会もなくなり,めっきりピアノを弾かなくなってしまった.
大学院修士課程に進学し,大学から近くのアパートに下宿を始めてから,なんとなくピアノがほしくなり,貧乏な中からお金をひねり出して,電子ピアノを購入した.たまに弾いたりしていたが,やはり音もタッチもピアノとは大分違う.
愛知県にいた頃,ふとピアノが懐かしくなり,実家に保存してあった電子ピアノを再び送ってもらったのだが,保存状態が悪く,鍵盤どうしがくっ付いてしまい,全く使いものにならなかった.
そんな訳で,まともに鍵盤に触れるのは修士課程以降ということで,10年以上もの年月が経っている.アメリカに来る際,楽譜集を2冊ほど持ってきてあった.両方ともNHKのテレビ講座のテキストで,1冊はショパンばかりを集めたもの.もう一冊はバッハからプロコフィエフまでと幅広い.この本がたまたまラボに一時的に置いてあったので,持参した.
小学生の頃に弾いていた曲でも,今では全く手が動かず,どうにもならない状態だった.ショパンのワルツでは7番と10番が僕の十八番だったのだが,どちらも思うように手が動かない.3番はゆっくり目だし,楽譜も前述のテキストに載っているので,なんとかなるかと思ったが,冒頭の左手のトリルで躓く.
他にも有名なショパンのノクターンも試してみた.練習次第ではマスターできるのではないだろうかと甘い考えを抱く.バッハの平均律クラヴィーア曲集第一集の1曲目を,つっかえながら,なんとか最後まで弾き終えることができた.弾き終えたというよりは,なんとか最後まで辿りついた,というべきかも.
ライアンは途中で実験があるということだったので,そのまま僕一人で30分もの間,ピアノを弾いていた.集中していたせいか,とても30分経ったとは思えないほどだった.
ふと,ドアの外から,ショパンのピアノ協奏曲第一番の冒頭部を弾く音が聞こえてきた.目の覚めるような鮮やかなピアノで,しばしあっけに取られる.本来は,こういう人が来る場所なのかもしれない.ちょっと気恥ずかしくなり,鍵を返却する.
それにしても,久々にピアノを弾いた.実験で行き詰ったときなど,気分転換にちょうどいい.月曜から木曜は夜9時まで,金曜日は4時まで利用できるという.新学期が始まれば,夜12時まで利用できるらしい.これからは頻繁に利用しよう.
帰り道,大幅に寄り道をして,久々にCafe Sushiに行く.今日はさほど客がいなかったせいもあって,シェフとゆっくりと話をすることができた.色々と有益な情報を入手できた.
* 東工大出の男のピアニストと、これで二人付き合っていることになる。最近転職して愛知から静岡へ移った子松クンは、大学の頃からわたしに何度も大教室でピアノを聴かせ、我が家へも来て弾いて行った。「雄」クンのピアノははじめて識った。あの大学にはりっぱな交響楽団もあって、わたしの学生で男女何人も参加していた。バイオリンもフルートも、大きな楽器を扱う人もいて、何度か演奏会にも誘われた。
いま我が家では妻がきまって宵の七時になると、一時間あまりピアノを楽しんでいる。音楽を楽しんでいるというより楽器に触れているという風情だが、ま、いいことだと、ときどき冷やかし半分に耳を傾けている。
2007 8・17 71
* 内藤昭一さん、宮脇修さん、但馬征彦さん、伊吹和子さん、持田鋼一郎さんら次々に大勢の方らの「閑吟集」へのお手紙を戴く。本は出せば出したで、蔵は建たんが、気は引き立つ。「梁塵秘抄」もまたとても面白い。
* 明日からまた歯医者に通う。
2007 8・17 71
* 久しぶりに江古田の「リヨン」へ寄った。マスターと久闊を叙して。しろい鳥の胸肉を二種類の和え物と洋風の漬け物とで食べたのが、上等の味であった。南京の冷製ポタージュも口触り気持ち良く、さてメインは骨ごと食べる綺麗な鮎の姿焼き。これはよかったけれど、添えて煮物の長茄子はいけなかった。そっくり残したが見ているのも気味がわるい、閉口した。はじめに白の、つぎに赤のワイン、この店はよく吟味して出してくれる。世界史の本を読みながらたっぷりのデザートと珈琲で、しばらくぶりの「リヨン」の味に満足した。マスターの、『逆らひてこそ、父』がおもしろかったです、というのに少し照れた。読んでくれただけで有り難い。
2007 8・18 71
☆ お礼と注文 元・大学教授
秦恒平 様 過日『閑吟集』、頂戴いたしました。ひさしぶりに硬質にしてつややかな秦文に魅惑され、日本古文の歌の調べにたゆたいました。有難うございました。ついては、1,2の友人に贈りたく、3部ご送付下さい。なお、代金につきましては、銀行口座の方が、インターネットにて便利に送金できますので、よろしければ、銀行口座をお知らせ下さい。
昨年、一、二自費出版にて公刊しましたが、恐るべし、出版社が勝手に増刷・販売をしていました。弁護士を立てて取りやめさせましたが(実際にはまだインターネット各販売店で売られています)、何ともたまりません。どうせ趣味ですから、向後は完全に自費出版で文藝世界を楽しもうと思っています。今年中には、2著とも再版しようと思っています。
その点一流作家(秦恒平)ともなれば「湖の本」で、いくらでも読者を振り向かせることができるのですから、当然のこととは言え、うらやましい限りです。私など、市販したいと思っていても、引退した身ではなかなか出版元ができず、これも自費出版してしまおうかなどと、今、あれやこれや思案中です。といって、現役中のように、名誉欲など不純な動機やせっぱ詰まった状況もないので、こんなこんだが、ハッピーリタイアなのかな、と行きつ戻りつを楽しんでいます。
それにしても、秦さんの文学論考諸作品は、かりそめには書けないものばかり。文学研究者で、近年、芥川研究に力を注いでいる友人の贈ってくれる論考物と比べながら、小説を書きながらよくぞここまでと感じ入っています。
ますますのご発展を祈念いたします。
* 「湖の本」という器を用意しておいたのは、自在な文学活動のいつも受け皿になってくれていて、たしかに有り難い。趣味ではない。営利活動でもない。命取りになるほどの出血はしないので、一冊出せば、次の一冊が可能になる。一冊一冊がわたしの「今・此処」になる。難しい時代になって行くのが目に見えていた。出版社に従属しなくて済む道は、仕事の質と量と、そして読者の支持。それだけであるが、それが容易でなければこそ、同じようにしてみたいという書き手はいても、この二十余年、「湖の本」に後続する今のところ誰一人も現れていない。
2007 8・18 71
* 家に戻りました。 花
暑い中、車を走らせ、おとといの夜遅く、静岡県の自宅に戻りました。
お元気ですか、風。
ちょうど一週間、夫の里の山陽滞在でした。
ゆっくりさせてもらいましたが、気は張るものです。
帰宅した翌朝から夜まで、胃が痛くて、痛くて。幾度か経験のある、疲れからくる症状です。
今日は、すっかりよくなりましたよ。
家に戻った途端、夜風の涼しさを感じ、山陽は断然暑かったなあと思いました。
海がそう遠くはないせいか、こっちは寒暖の差が少なく、過ごしやすい土地です。
向こうにも海があるけれど、西日本ですね、焼ける暑さでした。
伊勢崎や熊谷、多治見では、最高気温を更新していましたね。山に囲まれた内陸は暑くなるようです。
それに比べれば、此処はしのぎやすいけれど、津波はどうかしらんと、ペルーで起こった地震による津波が、日本の太平洋側に届くニュースを見て思いました。地震は、日本列島どこにいても逃れられない気がしますが、内陸には津波の心配はありませんね。
文字通り灼熱のグランドで熱戦を繰り広げる高校野球を見たり、日本を東から西へ、西から東へ長距離移動したりしながら、日本列島のこと、地球温暖化のことなど、いろいろ考えました。高校野球は、選手や観客に熱中症などの事故の起こる前に、日程をずらした方がいいんじゃないかなあと思ったり。
朝方ちょっと雨が降り、今、曇っています。
どうぞ、風、お大事になさってください。
2007 8・18 71
☆ skype ボストン 雄
昨日の朝からskypeの調子がおかしい.原因はソフトウェアにあるという.
ご存知の方も多いと思うが,skypeはパソコン同士でインターネットを利用して電話のように話ができるというソフトで,マイク付きのヘッドフォン(または電話機のような形態のもの)をパソコンとUSBケーブルでつなげ,ソフトをダウンロードするだけで,世界中のどこでも無料で話ができる.
実家や友人とのやりとりは,ほとんどskypeを通して行なっている.マイミクさんの何人かとも,skypeでやり取りしている.特に両親にとっては,無料で話ができるというのが何より助かるようだ.国際電話となると構えてしまうが,skypeならばどれだけ話してもタダなので,気楽なのだろう.それに,相手のパソコンがネットに繋がっているか否かも表示されるので,いつかけてよいのかが分かりやすい.
そんな訳で,留学が具体化した頃から,実家とのやり取りはskypeを使っている.カメラもつけられるので,親にとっては,画像も送って欲しいだろうが,部屋が汚いだの,また太っただの言われるのは嫌なので,あえて付けていない.
夜になって,完全復旧したように思っていたのだが,今見たら,また接続に問題が生じているようだ.と思ったら,また復活した.
普段頼り切っていると,いざ障害が生じたときには,困ってしまう.接続が異常だったのは,2日かそこらなのだが,オオゴトのように感じられる.
* skype とやら。興味がある。建日子とも話しやすくなるようなら。
2007 8・18 71
☆ 熱海 泉
ご亭主のダイビングに付き合う母子に、さらに付き合う古希過ぎのバアバです。取り敢えず水着を携えましたが、若い頃ならいざ知らず、万事請われた孫のお世話役に徹し、海で遊ぶ気などさらさらなく。日焼け止めを塗っても、真っ赤になるし、オマケに、海の家の狭い更衣室での気恥ずかしい着替えなんて考えただけでもまっぴらゴメン、というてパラソルの下で待つのも苦痛、と。
ですが、婿殿の提案により、半日、「スパ熱海」で大いに楽しめました。水泳は七年ぶりかしら。25メーター以上をクロールで泳げた筈なのに、タッチに5メーターを残して息切れ、歳ですね。
多種多様のプールに加えて、最後は素晴らしい展望温泉に浸れて満足できました。
この前、予約なしで熱海の温泉に入れなかったと嘆いていましたが、ここなら手ぶらで入っても、すべてを借りて、泳いで温泉に浸かり、尚、いいことは、海は殆どが若者と子供の独占ですが、ここは老若男女、0才児までが。白髪爺婆もタクサン、タクサン。
と、まあ、残暑厳しい折柄、元気にしています。
* 懲りずに、今度は予約して行くかなあ。海にも泳ぎにも気はない。温泉、そして美味い魚。少しだけでも佳い酒。
☆ 脚のお怪我の具合は如何ですか。 秋
まだ痛みはありますか。
すっきり治ると良いですね。
どうぞ、お大事になさってください。
お元気になられて、ご都合がよろしかったら、お目にかかりたいです。
* 幸い、脚の痛み重みは、熱暑の効果もいくらかあってか忘れている。はるばるのお見舞い、嬉しく。
2007 8・19 71
☆ 残暑お見舞い申し上げます。 ゆめ
本当に毎日暑いですね!
暑さに弱い私としては、かなり暑気当たり気味で、仕事以外は必要最低限のことだけして後はゆっくり休むようにしていますけれども、どうも疲れがちです。秋来訪を心待ちしている状態。
お盆は一週間出雲に帰ってきました。
裏日本といっても、境港市、米子市、松江市などの海辺はフェーン現象も手伝って暑いこと、暑いこと。日中は皆冷房のある室内に避難して、通りを歩いている人はわずか。
宍道湖畔にたつ県立美術館で「竹久夢二展」をみてきました。宍道湖の夕陽が一番綺麗にみえる地点に建てられており、素敵な美術館です。
松江では老舗「皆美」で名物「鯛めし」も食べてきました。ご飯と別皿に鯛のほぐし身や卵の黄身、薬味などが美しく盛られて運ばれて来て、特製のおだしをかけていただきます。松江にいらっしゃることがあれば、これはおすすめです。
* 「皆美」の鯛、これは松江に行った昔の最も記憶にやきついたご馳走であった。松江の和菓子を取材したのだが、和菓子はかなり甘かった。茶どころで、抹茶とあわせての甘みの調整であったろうが。「皆美」の、奉書に包んで焼いたか蒸したか鯛の風味は「絶」妙であった。交通公社の仕事であったから、何処へ泊まっても贅沢であった。それよりはるか前に大学生として出雲から境、美保の関まで、さらに砂丘へも一人旅した頃は乞食旅行に近かったが気軽で楽しめた。
以来山陰はご無沙汰である。一度目も二度目も山陽から山陰へ胴切りに北行したと思う。
2007 8・20 71
☆ Violation ハーバード 雄
新居に備え付けの洗濯機を初めて使ってみたり,昼食・夕食とも自炊したり,一週間分の食料を買出しに近所のショッピングモールに行ったりしているうちに,あっという間に一日が過ぎてしまった.
もっとも,それ以外の時間は日本のテレビをロケーションフリーで見ていたので,決して時間が無かったわけではない.要するにダラダラしていたのだ.色々な番組を見ていたが,特に面白かったのは,「爆笑問題のニッポンの教養」シリーズ.先日,この日記にも書いた,「解剖男」の出演したシリーズの番組で,どうやら夏休み特集として,それまでの分をまとめて放送したらしい.ロケーションフリーが勝手に録画していた.
特に面白かったのは,東工大の井出茂教授の「宇宙人は存在するか」の回,そして東京理科大の田沼靖一教授の「人は何故死ぬか」の回など.
井出先生の回では,東工大大岡山キャンパスが映されており,懐かしかった.学生達がオシャレな格好をして,男女ともになかなか美形の学生が出ていたのも,僕らの頃とは大分違うなあという印象を持った(当時学生だった方,ごめんなさい).
田沼先生も,東京理科大に移る前は東工大におられ,僕は講義を受けたことがあるので,そういう意味では,偶然ではあるが,お二人とも東工大関連の先生であった.
井出先生の研究は,生命が誕生するような条件を持つ星が宇宙に存在する確率を,シュミレーションなどの手法を用いて,理論的に導き出す,というもの.田沼先生の研究は,細胞が自ら死ぬという,「アポトーシス」という過程を研究することにより,細胞が生きるということがどのような意味を持つのかを明らかにしようというもの.
全くの偶然であり,またそれは,番組制作者の意図とは大きく異なるかもしれないが,これらの井出,田沼両先生の回を見て僕が抱いた感想は,「今,繁栄しているヒトの未来は,決して明るくはない」という悲観的なものとなった.
全ての人とは言わないでも,多くの人は「今,地球で最も繁栄している種はヒトである」ということに賛同してくれるのではないかと思う.しかし,今繁栄している種がヒトであることは,決して必然的なものではなく,むしろ偶然による要素が多いに違いない.
たまたま地球という環境に水が存在し,その中で様々な化学反応が起きた結果,タンパク質などの生体高分子が作られ,そのうちに生命が誕生した.そして,何らかの偶然により,生物は陸へと上がった.しかし,恐竜の繁栄した時代があったことなどを思い起こしても,ヒトという哺乳類の1種類が繁栄しているのは,ごく最近のことに過ぎない.
恐竜は,何らかの環境変化により絶滅したが,おそらくヒトは,自らが招きつつある温暖化により絶滅するのだろう.今年,日本は酷暑であるので,地球温暖化がテレビ番組などでも頻繁に取り上げられるようだが,もし来年,気候の関係で冷夏となったら,マスコミは地球温暖化をこれほどは取り上げなくなることだろう.
アメリカでも,環境問題に対し真剣に取り組もうという人は増えている.しかし,ゴミ収集や,アメリカ人の生活習慣全般を見ていて,CO2削減やエネルギー問題に積極的とは思われないことも多い.今,アメリカは地球上で最も栄えている国だろうが,それとて何時まで続くわけでもない.そのことにアメリカ人は気づいていないように思われる.
過去の歴史を振り返っても,今,必ずしも栄えているとは思われない地域も,かつては文明の最先端であった時代であることがわかる.文明というものは,地球上を吹き抜ける風のように,吹き抜けていくものなのだろう.ボストン美術館で,各地域の展示品などを眺めていると,特にそれを強く感じる.文明が未来永劫,ずっと自分のところにあるものだなどと思うのは,傲慢なのだろう.
アメリカの次に栄える国があるならば,おそらくそれは中国だろう.経済的な発展を考えても,地球総人口の4分の1を占めるという中国の人口的なポテンシャルを考えても,おそらく次に中国が栄えることは間違いない.そして,その途上にある現在の中国のやり方を見る限り,工業的発展にいそしむ余り,地球の環境破壊には目をつぶっているように思われる.おそらく,相当な環境破壊が,既に中国で起こっているように思われる.
これら,アメリカと中国が環境問題に真剣に取り組むことがない限り,おそらく地球の温暖化は止まらないだろうし,それはそのまま,ヒトを含む多くの生物の絶滅につながるに違いない.そして,そのうちに,温暖化後の地球に適した生物が繁栄することになるのだろう.
僕は現在,アパートに駐車場がないため,路上駐車しているのだが,先日,ワイパーのところにViolationと書かれたオレンジ色の紙が挟んであった.通常,違法駐車をした場合,オレンジ色の紙がワイパーに挟まれており,ケンブリッジ市に罰金を払わねばならない.僕が車を停めている場所は,違法ではないはずなのに,おかしいなあと思って,挟まれている紙をよく見たら,それは違法駐車のチケットではなく,環境保護団体がチケットに似せて作った紙で,そこには「SUV車(僕はToyotaのRav4に乗っている)は環境に悪いから,ハイブリッド車に乗れ」と書かれていた.
環境保護団体のメッセージは,どうしても説教じみたものになりがちであり,なかなか皆,耳を傾けようという気にはならない.生活習慣病になっている人に「あれを食べるな,これを食べるな」という医者のようなもので,「そんなこと,分かってるよ.うるさいなあ」と言いたくなるのが当たり前ではないだろうか.五体満足に生んでもらっても,その人の弱い部分が引き金となり,死に至る人は多い.生活習慣病もその一つだし,煙草の吸いすぎでガンになる人もいるだろうが,だからといって,そのことでその人を責めることは,果たしてできるだろうか? 人というのは,そういう生き物ではないのか.人は,自分ができることでは簡単に他人を責めることができるが,自分が守れないことに対しては、「いいじゃないか,そのくらい」と思うものではないだろうか.
やはり,僕は法的な規制以外に,環境問題を解決する術はないのではないかと思う.上に挙げたViolationの札はシャレていると思うが,拘束力はない.僕もこれを見たからといって,車を買い替えるかというと,申し訳ないが,その予定はない.第一,それだけのお金がない.やはり,法律で規制されない限り,実際の行動に結びつけることは無いのではないだろうか.
* 「雄」クンの提言は、たいへん難しい、大事なところへ及んでいて、本気で考える人には議論のわくところだ。「環境」問題は、個々人の善意と聡明とに発する賢い行為で動くかも知れないが、ほとんど効果が上がらないかもしれない。そういう個々人の行為もとても大切だけれど、これだけは、政治力と法制とがタイアップしないとグローバルな改善へはとても結びつくまいとい気が、個人的にはしている。「雄」クンもそうらしい。
人類は予想外にはやく滅びるであろうと、わたしは悲観している。人類にはそれを地球規模でくいとめる政治的な聡明が無いであろうと、今のアメリカや中国や日本やあれこれを観ていてムリだなと想う。残念だが今希望は持てない。
2007 8・20 71
☆ お休みのおじさんファッション 麗
昨日まで,我が家には無関係だったが,世間的にはお盆休みだった。
新幹線のホームや空港や道路や行楽地ばかりが報道されたが,我が家の近所,書店やレンタルDVD店やスーパーにも,「私服」の中高年男性があふれ,行き交っていた。彼らに目を向けるたび,
「背広を脱いだ日本の男性,もっと素敵になってほしいなぁ。」
と思えた。何かしら,所在無げな印象を与える方が多いのだ。
偏見かもしれないが,街行く中高年男性で,おしゃれ! という方は,そうはいないように思われる。若い頃は,髪型や服装に高い関心を払っていただろうに,就職すると,背広以外の「私服」が決まっている,という男性には,あまりお目にかかれない。お盆休みは,ファッションセンスがバレバレになる時期であるが,それに気づき,意識している男性は,果たして,どれほどいるだろう。
最近は,クールビズやウォームビズなど,背広という型にはまった男性が,個性という型に出でるのを,試される機会も増えている。ピーコやドン小西が鋭くチェックする対象は,ギャルやマダムに限らず,お盆の時期は,中高年男性に絞っても面白いかもしれない。お盆休みでTVを見ていたら,自分と大差ないのがいろいろチェックされている。そんな光景に,いささか意識も高まるのではないだろうか。
いえ,お仕事で大変なのはわかりますよ,でも,「あっ,素敵な男性(ひと)!」という視線を感じることで,明日への活力も湧いてきません?
以上,街行く素敵なオジ様で目の保養をしたいなぁ,と思うオバさんでした。
* 困るなあ、こういうオバさん。
☆ 夏祭り 巌
親戚が取りまとめ役になっていて ぜひおいでとお誘いを受け 近くの当尾小学校で行われた、子供向けの夏祭りに家族で行ってきた
いろんな出し物もあり 「おかげ踊り」という 幕末の ええじゃないかのおかげまいり の名残のものも この時初めて見た。
猿害に苦慮する大人住民を前に 演じられた猿回し 親方は過去に吉本新喜劇で活躍されて 被害にあっている世代はみんな知っていた人気者。この親方は 被害の事も知っていて 少し前口上でも触れられ 皆苦笑しつつも 猿の藝は目出度き物で 親も子供も拍手喝采。
この当尾小学校 在校生総勢32名という状態ではあっても 内戦の続いたカンボジアなどへ児童書を贈るボランティア活動を行うなど 視野の広さを持つ事での地域の核ともなれている でもこのままでは存続も難しい。
住民を増やす事は 簡単にはいかないので 「小規模特認校制度」の適用による広域からの学童受け入れを並行し推進しているグループもあり その方(実はうちの店のお客様でもあり)とも 従姉を交え そこで今後の町興しの事へ少し話しもできた。
最初 小学校に着いた時はまだ設営中で 始まるまでに一時間ばかりあったので 近くにある母の実家でお茶を頂いて時間待ち。
子供達はそこへは初めてで アマガエルが部屋に入ってきたりするのがめづらしく よろこんでいた。
* 旧当尾村には、浄瑠璃寺 岩船寺 また石仏などがある。わたしの初期小説で、語り手に「当尾宏」という少年や青年のあらわれるのは、巌君の掲げている写真の家、巌君の「母」なる人=わたしの叔母の実家、わたしの実父の実家でもあった家で、ごく幼年期の二三年? を暮らした記憶に拠っている。ほかには何も知らない、こうしてそれとなく教えてもらい、ああそうかそうかと想っているばかり。
☆ 敦盛そば@須磨浦公園 直
平敦盛を供養するために建てられたと言われる大きな五輪塔がある敦盛塚に寄った。
山陽電車須磨浦公園駅からに西に5分ほど歩いたところに敦盛塚がある。
その手前に平成十七年四月から十年ぶりに再開された「敦盛そば」が佇む。
平敦盛は、平安後期の武将で笛の名手と伝えられる。一ノ谷の戦いで熊谷直実に討たれるが、このとき敦盛は弱冠十六歳だったので一層の悲しみを誘うこととなった。
もともと店は戦後間もなくに開店し名物そば屋として知られたが、先の震災で閉鎖になっていた。
敦盛塚に人が来ても、何もないのは寂しいと再開になった。
平敦盛を偲んで、ひさしぶりに敦盛そばをいただきました。
* 敦盛と聞くと懐かしい。『修羅』や『能の平家物語』で表紙写真や口絵につかった面「十六」の苦心の撮影を思い出す。蕎麦が食べたい。須磨焼という珍しい窯がむかしあった。それだと箱書きのある面白い茶碗を祇園石段下にあった茶道具屋でみつけ、都ホテルでの叔母の茶会、能松風の趣向のために買ったのを思い出す。その茶碗はアメリカの友達に進呈した。
2007 8・20 71
☆ おはようございます、風。 花
長いお休みがやっと終わりました。お元気ですか、風。
夫の里では、毎晩ごちそうでした。
外は暑くてたまらないので、ちょっと出ただけ、ほとんどクーラーのきいた家の中にいましたから、お腹まわりが大変なことに!
「じょじょにでも元に戻ってくれよー」と祈りつつ、思い出したように、引き締め運動をしています。
それにしても暑いですね。毎日ノースリーブで過ごしています。二の腕に肉がついてるから恥ずかしいだのと言ってられません。
今日は、これから、郵便局や市役所へ行ったり、あれこれ用事をしてきます。
風、どうぞ、お大切に。
☆ オハヨ 泉
蚊に寄り添われながら、砂漠化した庭の水撒きをしてきました。
今年の亜熱帯気候で異常に発生して悩ませるのが、蟻。
「蟻とキリギリス」では、働き者で人生のお手本となる蟻んこ、最近の我が家は、何時かこの蟻に崩壊される恐怖が現実、薬を撒いてもイタチごっこの蟻地獄で~す。
心地よい地球環境を取り戻す手立ては、早急にはムリでしょうが、端的にいえば、「全世界の個々の自意識・自己防衛」以外にないのは確かです。
京都に住まいしてクーラーも扇風機もなかった昔、母は、お盆が過ぎれば涼風が吹く、それまでのシンボウや、とよく呟いていました。
気がつけば、明日は秋風を感じるはずの、地蔵盆。さてさて
* 「お腹まわり」やら「蟻んこ」やら、ささやかにも人はそれぞれの問題を抱えていて、わが周辺ではまだしもそれが平和であるのが有り難い。『父と暮らせば』の画面で、限りない悲しみと一抹の幸せな予感とで静かに立ち働いている宮沢りえの演じる福吉美津江の「平和」には、拭いがたい「ピカ」の恐怖や悔恨や苦悶がびっしり裏打ちされていた。「花」や「泉」さんらにそれの感じられないことを現代のよろこびとしなければなるまいか。
* きのうボストンの「雄」くんは、人類の先行き不安を実感するように、不安回避にどんな方法が可能かと模索気味に感じられた。上の「泉」さんは、「心地よい地球環境を取り戻す手立ては、早急にはムリでしょうが、端的にいえば、『全世界の個々の自意識・自己防衛』以外にないのは確かです」と言う。わたしは、この言葉の無意識の背後に「政治不信」の働いていることを想う。たしかにムリもない。しかしながら、その政治自体がもうはや暗々裏に政治力の無能を自覚しながら「人独り一人の「自意識・自己防衛」に荷を掛けようとしてきていることに怒りを覚えている。「私民の自意識・自己防衛」の良識は絶対に大事で肝要である、それに間違いはないが、それを有効にするためには大きな大きな政治力の誘導と大作が無ければどうにもならないであろうという危惧をわたしは捨てられない、捨ててはいけない、その方向へ政治家を立ち上がらせねばいけないのである。この「大事・大患」にくらべれば、たいがいのことは「かすり傷」なみである。いくらかは放っておいても治る。しかし「地球環境」は、そうは行かない。バラバラになされる一人一人の力だけでは一足す一が三や五や十には決してならない。
2007 8・21 71
* 少し続けて「横綱・朝青龍」の鬱陶しさや弱虫ぶりにジレていた。その部分を「mixi」に送り込んでいたら、それぞれにコメントが来ていた。数少ないのであるから反応一般とはいえないけれど。
☆ こんばんは。「困るなあ、こういうオバさん。」です。
上の(朝青龍関の)お話,冥界のわが祖父に,私の「部屋」に来てもらったら,どんな話が出来るかな,と思いました。
祖父は,大正時代,平幕の関取でした。高校時代に大学相撲と某部屋から誘われ,本人は進学するつもりでしたが,実兄が親方に篭絡され,支度金を in my pocket してしまったとかで,入門のやむなきに至ったそうです。
巡業も,外地にまで渡った当時,相撲取りになるにしては「まとも」な家の子だった祖父は,寄ってたかって兄弟子にたかられたのを初めに,世の中の裏の裏まで見ることになったそうです。26歳で馴染みの藝者と「でき婚」したのを機に,さっさと足を洗って「堅気の衆」に戻った…というのは,本人の弁ですが。
さっき,祖父と思しき声が,こう言っていました。
「親方や兄弟子の言うことが聞けねえ様な奴ぁ,さっさと叩き出しちまえ!」
「どうせ,横綱の落とす金が惜しくて,親方も迷ってんだろうが!情けねぇ野郎だ。」
蛇足ですが,祖父は,当時の相撲界に反発し,独自の巡業を打つなどした「天竜」関に同調していたこともあります。 麗
* 男どもの夏場のファッション鈍感を撞いてきた(まだ若い若いらしい)おばさん、から。お祖父さんと話し合う「部屋」とは、相撲部屋ではあるまい、「麗」さんのことだ、わたしが「徳内」さんとよく出会っていた、あのような「部屋」でであろう、懐かしいこと。
2007 8・22 71
☆ 胸のつぶれる思いで、ため息をついています。沈黙の半年は周到な訴訟準備のためでありましたか。
何も申し上げようがありません。才能と可能性の将来をこんな歪んだ形で破滅的に浪費なさるとは、心から悲しみます。
でも、創作者の運命は、このように困難に流れる必然なのでしょう。凡庸な人生も退屈な人生も送れないものと思い知り、身震いします。小説を書くことを選んだ人間には、避けられない毒あるみづうみの人生です。
一つたしかなことは、親としての悲劇は必ずしも文学者としての悲劇ではないということ。プルースト曰くの、花からも糞からも蜜をとる蜜蜂が文学者です。みづうみにとって悪いことばかりでは絶対ありません。
今みづうみから奪おうとしているものを二人がかりで奪ったところで、それは早晩必ず失われることになります。みづうみが与えたもの、たとえばお歌、たとえばふり注いだ愛、それだけが後世まで残ることになりましょう。
これからも少しも変わらずみづうみを応援し、そしてより良い解決を切に切にお祈りしています。
以前にも書きましたが、ロンドンでレンブラントの最後の自画像を観た時の名状し難い感動を忘れません。晩年悲惨のどん底にあったレンブラントの描く、苦悩と諦念のはてのやさしさや安らぎにみちた自画像に畏敬の念を抱きました。
どうぞレンブラントのように書いてください。裁判の行方ではなく、それがみづうみの勝利です。 東京都 読者
* 落ち着くこと。さしあたり丁寧に次の『梁塵秘抄』を送り出したい。よく体力を整えたい。
* 今朝寝起きに夢中まさぐった「抽象」という二字、これは私の生活でなにやら大きな図像を描き出しそうな気がする。
2007 8・22 71
* 忙しくしている。涼しくなってくれるといいが。
☆ 「瑛」さんの驥尾に附いてのコメントでございます。 香
ずつと前、お相撲を観る(テレビでですが)のが、好きでした。自分が小さくて力無しですので、舞の海と、あんこ型ばかりの今のお相撲さんの中ですつきりした筋肉質で美男の寺尾が、好きでした。
二人の関取が土俵を去つてから、お相撲に興味を失ひました。たいした相撲ファンではなかつたのです。
それでも朝青龍騒動には、腹が立ちます。朝青龍にも相撲協会にも。
湖さんの「鬱陶しくなってきた」「弱虫」を、弱虫連中(相撲協会も弱腰、弱虫)に叩きつけてやりたい。
2007 8・23 71
☆ お元気ですか、風
少しは眠れていますか。
根をつめすぎないでくださいね。
日の暮れるのが早くなり、夕方の散歩で、蝙蝠に会います。
バッタ、蛙、蜥蜴などの生きものにも。
水路に、鴨がプカーと浮いているのを「ひょうきんだなあ」と眺めたり。
富士川の土手では、ひぐらしやつくつくぼうしの声を聞きました。
風は休息を取れているだろうか、と想いながら、歩いていました。
どうか、お体を壊さないよう、お気をつけください。 花
* ありがとう。
2007 8・27 71
* 思うところあり本日のこの記事以降、「私語」の一部を更新しない。別処に忌憚なく書き継いで、発信しない。いつか公表できるのを希望している。
* 原稿を書かねばならない。今が今、「近親の死に接して、死なれて 死なせて」を主題に書くのは、息がつまる。
☆ 秦先生 今日、夕方から、「闇に言い置く」が、拝見出来なくなつてゐます。
また? それともわたしの器械の機嫌?
「湖」のすべてがといふのでなく、「「闇に言いおく」だけのやうです。わたしの器械の不具合ならよろしいのですが、いつぞやのやうな理不尽な扱ひによるものかと、心がふるへてきます。 香
☆ 昨日夕方、鴉のHPの「私語の刻」が画面に現れない時間がありました。まさか、と思いながら急速に事態が動いているのかと案じていました。それで mixiの当時の文章を読み返しましたが、むしろ抑えて抑えて書かれていらしたのを再確認しました。何故そのような部分まで「糾弾」されるのかと納得できませんでした。
朝になってHPを読めたので安心しました。
今日はまだ依頼原稿にねじり鉢巻でしょうか?
残暑も今日あたりから一段落と天気予報は言ってますが、今朝は蒸し暑くて体が悲鳴をあげそうです。
くれぐれもお体ご自愛くださるよう。 鳶
☆ 人間の作った、不備だらけの「法」に、その「人間」が振り回されるのは、おかしなことです。振り回そうと躍起な人もへんです。
刻一刻と変化しながら走る世の中の背中を見失わないよう、うんと後ろから追いかけているべき「法」であるのに。
風にダメージが少ないよう、祈っています。
暑さが少し和らいできましたが、植木の水やりと玄関掃除をしただけで、汗だくです。
風は、いつもどおりの生活を、徐々に取り戻していってください。
お元気ですか、風。 花
2007 8・28 71
☆ 花 元気です
さっき、英語から帰ってきました。お元気ですか、風。
きのうは、午前中に、二階のパソコン部屋のエアコンの噴出し口から水が逆流し、大変でした。
連絡し、業者の人に来てもらいましたが、はっきりした原因はわからず、ともかく、本体を点検し、ドレンから屋外へ水の出ているのを確認して、帰ってもらいました。
> 最少の舞台、最少の道具立て、最少の人数の劇のように科白と言葉をつむぐ。
信長が義元へ向かったように、一点にグッと突き進む、そういう風に書かれたものに惹かれますし、そういう風に書きたいです。
しかし、四の五の言ってもはじまらない、書いたものを見てもらうのが最良、という思いがあります。
八月中に仕上げようと、推敲中のものがありますが、状況が落ち着いたら送ろうか、それとも、今、気分転換になるかなあ、と思案しています。
花は、いつも風のことを、想っています。
☆ 悲しい日も,楽しい日も,人生。 麗
路上にチョークで大書してあった。夕暮れ時,郵送する書類を抱えて郵便局に向かっていたときのことだった。
顔を上げると,小学生くらいの男の子が数人,外遊びに興じていた。死語になりつつある「ギャングエイジ」が,ここでは生き残っている。そんな光景だった。
「貴方たちが書いたの?」もう少しで聞きそうになった。
悲しい日も,楽しい日も,人生。
このことばは,彼らの心の琴線に触れたのだ。無邪気な笑顔と泥んこほっぺの奥に,繊細な感性が,ちゃんと育っているのだ。
何も言わずにその場を離れた。夕風と虫の声が涼やかに流れてきた。
* 胸にしみ入った。感謝します、麗さん。
2007 8・29 71
☆ 鴉、お元気に 鳶
気の張る依頼原稿からとにかく「放免」で、よかったです。つらすぎましたね。
抜歯はいつですか。たかが抜歯ではなく、やはり人体の中枢部に近い所に、歯も目も耳もあるのです、十分注意が必要です。
メールに、脱水症状と消耗・・転倒して杖を使われていると。当日より痛みが激しくなっていませんように。打ち身や筋肉疲労など後になって響いてきますから、当面用事のほかはひたすら養生です。
建日子さんの存在がどれほど心強く頼もしいか、本当にありがたいことです。彼の知名度や影響力が、事態に対し一定の力を与えてくれるだろうと思えるのも。大変でしょうが壮年期の力があります、そして表現者としての譲れない姿勢もあります。良い方向に進まれることを切に切に願っています。
昨日は思い立って京都に行き、麻田浩展を見ました。今回のようにまとまったものを見たのは初めてで、圧倒されました。殊にフランス滞在から京都に戻って藝大教授をしながら製作した作品群は、ぐいぐいと力ずくで引き込まれていく凄みがありました。自分には絶対到達できないものには、圧倒されるしかありません。
体はまだ今ひとつ冴えませんが、少し涼しくなってきたので徐々に元気になるでしょう。海外で生活を築いて行く長女は、昨日でこちらの会社をやめました。十月から次女は一人で暮らすので目下新しい住まいを探しています。地震のことなど考えれば、もっと西の方にといっていたのですが、慣れ
た地域がいいのでしょうか、職場に近く通勤が楽なところがいいようです。
鳶はシャンとしています。
* 麻田浩は、声も出ないようなすばらしい画家であった、早く亡くなったのは日本の損失であった。京都美術文化賞のたぶん二回目だったか、強く推して、問題なく選考会で授賞を決めた。親しい交際がそれからあった、亡くなった後々まで奥さんとも。その奥さんも亡くなられた。
ちょっと日本人離れのした画面を、優れて繊細で新鮮な日本人のセンスで、創造された。鳶さんが圧倒されたのは、圧倒されて正解だ。
麻田さんは友人たちのグループの指導的な人であったらしく、この展覧会に是非と誘われていたのに。行けるかな、期間中に。
「美術京都」の巻頭対談に、今度は至文閣の田中周二会長とと計画している。田中さんは、紳助主宰の「お宝鑑定団」の日本の古美術鑑定に活躍している田中社長の父君である。九月か十月には対談を京都で実現したく、麻田さんの繪も観られるといいのだが。
☆ 風、ゆっくり休んでください。 花
世界陸上で、プロのアスリートたちが、競技中に脱水症状で痙攣を起こし、次々とアクシデントに見舞われています。暑い盛りが過ぎ、気の張っていたのが弛んで、疲れのどっと出る時期なのかも知れません。
花も、昨日は、金縛りにあったみたいに微動だにできず、ソファで寝入ってしまいましたよ。
「耳に目にタコ」といわれれば確かにそうで、けれど、風の基本的なことを知り、理解している喜びがあります。
花は、どうかして風の声をほんとうにこの耳に聴きに行きたいです。
お元気ですか、風。
* 感謝。この年であるから、大阪で敢闘しているアスリートたちのようには行かないが、この熱夏、選手が駈けている途中で脚を痙攣させる姿をみるとあの激痛を想い、身が縮まる。福士香代子の五千メートル健闘は気持ちよかった。
☆ 闇ではなく声と光とがあった 瑛 e-OLD
湖さんの宣言で、もう「声」が聴けないのかと観念しておりましたら、そうではなく饒かに会話が飛び交い、安堵しました。
法律、刑法、民事、訴訟、憲法その他、法治国家には法がクモの巣のごとく張り巡らされています。大変なご試練の中で、どうかご健康でお体をご自愛されますように。
晩年の「レンブランド」をたとえて応援の言葉を「闇」で読みましたが、ある時はいなおり、あるときは「バグワンの神秘なる叡智」の秋風にあそんで、湖さんの声を続けていただきたいと思っております。
* 極端にいえば、世界中にわたしを見守って下さる視線が、声が、感じられる。ここへ取り上げさせて貰うのは、むろんそれをゆるして下さる方に限定しているが、わたしは、見知らぬ大勢の知性と感性とに背を支え手もらっている。ありがたい。
* 一週間余、不快で、忙しかった、が、渾身の力で、なしうることは為し、悔いをのこさなかった。むなしくても、むなしくなくても、とにかく、するだけはして、静かにいたいのである。
明日は、第一回の「審尋」と。
すべて専門家に依頼してある。短期間にご苦労を願った。ありがたい。
わたしは、ゆっくりと、ふだんの生活のテンポを得て行きたい。書いてはいけないと言われたことだけは、此処に書かない。
2007 8・30 71
☆ こんにちは 香
この(当尾の=)お写真、「巌」さんの日記にも掲げられてゐて、『清経入水』の冒頭に……と、教へていたゞきました。
今、改めて、この写真に、この風景に見入つてをります。この風景が、こゝを吹いてゐた風が、をさなごのたましひに及ぼしたものをおもつたりしました。まだものごゝろつかぬ童子が、養母となるひとに手をひかれて、この繪の外にあゆみ去る姿がおもはれました。
今日の先生の日記を拝見してゐて、なみだがこぼれました ――と、申しましたら、いや、ちがふ、と、おつしやいませう。
それでも、わたくし、なみだがこぼれてならない。
* 人の「今・此処」は、つまり「今・此処」なんですね。その「今・此処」は、なるべく静かに受け容れて生きるものです。人は「今・此処」の積み重ねの中にいろんな風景を抱き込んでいます。過去は、しかし過去とすべきでしょうね。
2007 8・31 71
* 九月になった。
* 朝一番、亡き麻田浩画伯ご子息のマイミクのお誘いが届いていた。「mixi」にはこういうことも、ある。よろこんで、ご縁をまた深めたい。
ご両親とも「湖の本」の有り難い読者であった。画伯には、星野画廊で繪を買うときによこで助言と太鼓判をもらったり、奥さんには、秦テルオの講演会場においでいただいたりした。疏水の流れ、白川のせせらぎを眼裏におもう。
☆ 秦 恒平先生 突然のメールをお送りする失礼をお許しください。
私は麻田浩の倅の**といいます。
偶然、先生をmixiで見つけまして厚かましくも
マイミク申請させていただいています。
両親とも亡くなりましたが
これからもお付き合いいただけると嬉しいです。
まさか先生がmixiをやっておられるとは思わず
びっくりしました。
現在、京都近美(=近代美術館)で浩の回顧展をやっております。
遠いですが、時間があえば観ていただけると
光栄です。
PS 気が向けばマイミクになっていただけると
嬉しいです。日記では馬鹿なことばっかり
書いており恥ずかしいのですが。。。
* もうわたしの学生ともいってられない親戚のひとりのような**君も、「mixi」を訪れてくれて、早速「マイミク」の約束をした。ビビッドに日々の仕事のみえる日記を書いている。官僚君、そこまでシャキシャキ書いてくれて、有り難いけれどもいいの、ダイジョブかいと心配もしてしまうほど。
ま、そういうところはよほど慎重にこっちで気を配りましょ、と。で、少しのどかなところで。
☆ 金曜日 司
今週末は、妻の両親を連れて野球観戦をメインとした1泊2日の小旅行。
と言っても私が毎日通っている職場周辺に来るだけなのですが。
義父が根っからの野球好きで、ちょうど土曜日にデーゲームがあることもあり、(産休後の=)妻の仕事もまだまだ本格稼働していないようなので、少しのんびりとしようと思っています。
野球の方は、1歳と3歳の子連れなので、2時間持つかなぁ、1時間かなぁと・・・。
こんな機会も滅多になく(私も20年振り位だと・・・)、遠くで何やっているか分からない様な席だと、子供達も余計に飽きてしまうと思って、一番高い席を買ったんですが、まぁ致し方ないですね。
* あの子たち。ますます可愛くなったろうな。
2007 9・1 72
☆ 男の脳 女の脳 ハーバード 雄
今朝,最新刊のネイチャーを見ていたら,同じ学部のCatherine Dulacのラボからの論文が掲載されていた.
Dulacは現在学部長を務めているが,ぱっと見はタダのオバサンである(ホームページの写真と,あまりに違うので,時々うちのラボに顔を見せるおばさんが,まさか,あのDulacだとは思わなかった).
今回掲載された論文の内容は,「メスのマウスからフェロモンを感知する能力を取り除いてしまうと,オスと全く同じ性行動を取るようになる」というもの.詳しい内容は,このホームページに,よく纏められている.http: //rate.livedoor.biz/archives/50403264.html
Dulacは,嗅覚系に関する研究で少し前にノーベル賞を受賞したRichard Axelのラボで、ポスドクとして在籍していたことがあり,マウスのフェロモンの研究を中心的に進めている.
人のフェロモンはまだ完全に明らかにはされていないし,存在そのものを含めて,まだ確定的とは言えないが,マウスではフェロモンの存在ははっきりと確かめられているし,どこでフェロモンを受容するのかも分かっている.マウスの鼻には,匂いを感知する嗅上皮の他に,鋤鼻(じょび)器官といって,フェロモンを感知する部分がある.
Dulacらは,数年前に,TrpC2という名前のイオンチャネルを生まれつき持たないマウスを作った.このチャネルがなくなると,鋤鼻器の神経細胞が,フェロモンを受容しても活動しなくなってしまうため,フェロモンの情報が脳に伝わらなくなってしまう.したがって,脳の回路の配線そのものは変わらないのに,電源そのものが入らないので,結果的に回路が全く働かなくなってしまうのだ.
このマウスの行動を調べていて,著者らは面白いことに気づいた.
普通,オスのマウスは,メスのマウスと同じ檻に入れると交尾をしようとする.逆にオス同士を同じ檻に入れると激しく攻撃しあう.ところが,TrpC2を生まれつき持たないオスの場合,中にいるマウスがオスであろうとメスであろうと構わず交尾しようとするらしい.フェロモンを感じられなくなってしまったオスは,相手の性別に構わず性行動を取ろうとするらしいのだ.
前回の論文ではオスの行動に焦点を当てていたが,今回の論文によれば,どうやらメスの行動もおかしいらしい.詳しくは上記のホームページを参照して頂きたい.
この中にも書かれているように,この論文が面白いのは,鋤鼻器という,情報の「窓口」が働かなくなるだけで,行動パターンがメスからオスになる,という点だ.このことは,メスの脳にはオスの行動回路が生まれつき備わっており,鋤鼻器によって普段は抑制することでメスとしての行動パターンを取らせている,という可能性を示している.
よく「男は地図に強いが女は弱い」とか、「男に比べて女の方が,語学能力に優れている」などと,男の脳と女の脳は区別されがちであるが,実は入口そのものが違っているだけで,脳そのものはそれほど差がないのかもしれない.
* しばらく「雄」クンの日記も、目を通すのがセイいっぱいだったが。楽しみました。
2007 9・1 72
☆ エアコン除湿水逆流の原因ははっきりしません、ドレンの出口に虫が入ったのかも知れないと、そういう例がこれまでにあったと、サービスの人が言っていました。
今日は午後になって陽が出てきました、風があり、湿度が下がっているみたい。秋めいて来ましたね。
今朝は、防災訓練があり、近所のスーパーの駐車場に集まりました。久しぶりにご近所の人たちみんなの顔を見ました。立ち話して解散、という、緊張感のない訓練でしたが、こちらでは来る来るといわれている東海沖地震を、みな意識して生活していますよ。
作家の全集は、嵩張りますね。揃えたくても、住宅事情が許しません。日本人は、みな小さい家に住んでいて、家に本を好きなだけ置けないのではないか、それが、本の売れない理由のひとつになっているのではないか、と、本気で思います。読みたい本が家にあったら、どんなにいいだろうと思います。でも、思い通りにはいきませんね。「荷物を増やさないで」と、家の人に言っている手前、自分だけどしどし蔵書を増やすわけにはいかず・・・ウーン。
川上弘美の小説が、わたしは好きです。創作のことを考えるとき、いつも頭に浮かんで来ます。「あんな風に書けたらいいなあ」と。でも、実際自分で書いてみると、違います。持ち味(というのもおこがましいですが)違うのでしょう。
風が谷崎の『吉野葛』や川端の『山の音』に感心しながら、ご自身の小説を書かれたように、道はある、と思うのですが、具体的な道が見つかりません。
風、目薬や抜歯など、お大事になさってください。脚の痛いのも、ようすを見ながら、回復していってください。
きのう、風の無事なメールが来て(私語も更新されてい)、ほっとしました。花がそういう気持ちでいることを、伝えたいだけです。 花
*どういう操作からそうなったか分からぬまま、愚直に、もとどおりに訂正して行き、現在、わたしの『闇に言い置く 私語の刻』は「71」のファイルの全部が復活している。全部の「ダウンロード」保存を希望されている読者が何人も復旧を求めてこられ、技術いたらず難渋していたが、コケの一念よろしく時間をかけ、やっと全面回復させることが出来たと思っている。
錯覚かも知れないが。これの「全削除」を暴行した「ビッグローブ」への抗議はすさまじく、この問題で通産省で話し合ったときも、また専門家を委員会へ呼んだときも、あまりに無茶なやり方だと、そんなことがあり得たのかと容易に信じて貰えないほどであった。そして、適正な法改正が必要とは、多くの識者が当然視している。
2007 9・1 72
☆ 緑 司
午後から市内のある開発についての議員説明。
メインは開発計画の中身についてで、私は風致地区関係のみの担当ということで気軽に行ったのだけど地元の人も居て、ちょっとびっくり。
概して、よくあるパターンで、「高さをもっと低くできないのか」「緑をもっと残せないのか」等々。
こちら側も、制度概要を説明して、その制度に則して計画手続きを進めている、ということでこれもよくあるパターン。
ただ、基本的なスタンスは地元の方々と行政とでは同じ方向を向いているので、あまり対立的になることもなく建設的な意見交換・情報交換ができたのでは。
まだ先の計画案なので決まっていないことも多く、今後行政からも事業者に確認すべきこと、指導すべきこととして終了。
緑を保存する話は、全国的にも色々話題に上ることが多いのだけれど、ホントに難しい。
ただ「保存、保存!」と言うは易し、行うは難し。行政には緑地を買うお金もなく、仮に買えるお金があっても、維持管理の費用と人手間まで措置できる事はほぼ皆無。
かといって、土地を持っている人にその費用と手間を負担させ続けている今の状態は早く解消しないと問題の先送りでしかなく、将来的に全面的な開発計画に発展する可能性が高まるだけ。結果、今、事業者に対してある程度の開発を許容しつつ、残りの緑を担保させる、という手法が取られることになるのだけど、緑地の部分を沢山残しつつ、事業採算性を上げるためには、狭い土地に高い建物を許容してあげないといけない・・・とこうなるわけで。
行政だって緑は残しておきたい、でも・・・・というこういう上の様な状況を理解して頂いた上で議論ができれば、税金や管理方法などについて結構色々なアイディアや方策が見えてくるのだけれど、上の様な状況を理解していない(とにかく「高い建物はダメだし緑も全部残せ」という議論)方々とは、なかなか折り合いがつかない。
たぶん、ここ半年から一年以内に同じ様な(というより、もっと規模の大きい緑地を開発する)話が2件ほど予定。ただ、ここまで大きい話になると、行政としてのスタンスが問われることにもなるので、トップ判断で「緑地を保存しろ」という事にもなることもある。個人的には、それまでに開発されてしまった小さい緑地も残したかったなぁとは思うのだけれど・・・。
* たぶん勤務自治体の「議会」から、発語してもらっているのだと思う。何処のということは、言わずにおく。この人らしく、いろいろに努めていてくれることを、わたしは微塵疑わない。頼もしい地の塩である。
2007 9・5 72
* 教室以来、仲良くしてきた卒業生が、また新たに二人、マイミクに。「湖」をめぐって、新しい静かな出逢いや交流があればいい。母校の、東工大の、京都の、ペンの、湖の本の、そして「mixi」で出逢ったひとたちの輪に柔らかに包まれている。輪は、自然に生まれてくる。
☆ 開発 司
昨日の午後は、駅前での再開発事業を目指している地区での地元個別相談会へ。
駅前広場も小さく、進入路でバスもすれ違えない様な昔からの街。近年、周辺の丘陵地での開発に伴って人口増大、結果、朝晩の駅前は事故が起こらないのが不思議な程の混雑。
そんなところでの再開発計画なので、基本的には地元も総論賛成。
「再開発は良いけれど新しいビルのどこに店を構えられるか分からない。リスクが大きいからやだ」→「(うーん、もっともですねぇ・・・)でも、駅前がこのままではまずいでしょ?」と。
「再開発に乗るより、隣のビルと一緒に建て替えちゃった方が早いんじゃない? 立地も変わらないし。」→「(そりゃそうですけど)再開発でやると、色々と補助金が貰えますよ」と。
これまで何十年も再開発の検討をしてきて、そのたびに「再開発とは」という説明を受けてきている方々なので、再開発事業の事はよく知っておられるんですね。だから、すごい「ごもっとも!」というご意見が多くて、こちらもあの手この手(というと言葉は悪いですが)でご説明。
ただ、最終的にはそれぞれのご判断なので、ダメならダメでその意見を反映させた再開発計画に修正しなければいけない。行政としては、どの時期にその最終判断をするのかの見極めが重要。同意が少なければ、再開発自体を止めるという選択肢もあるし、一部区域を変更するとか、あるいは、じゃぁもっと時間をかけて引き続き説明しようかとか。極端に言えば、道路と駅広は必要だから再開発ではなく道路事業などで(半ば強制的に)やっちゃおうか・・・とか。
その辺の判断をするのはまだ先なのだけれども、やるからには出来るだけ色々な人に賛成をして貰えるようにしたい、というのは私たちも地元の人も一緒。このスタンスさえ間違わなければ、大丈夫と思います。
将来、あの街を訪れるのを、実は今から楽しみにしています。
2007 9・6 72
☆ 合唱 ボストン 雄
昼過ぎにパソコンで作業をしているとメールが入った.3月頃にコンサートに行った合唱団の団長からで,今日から練習が始まるのだけれど,良かったら来ないか,とのこと.
夕方3時からボスとのミーティングがあるが,その後はハーバードスクエアにあるKinko’sに行かねばならず,その後には受け取り損ねた郵便物を受け取りにセントラルスクエアの郵便局まで移動しなくてはならないので,そのまま練習に参加してみることにした.
グリーンラインCラインのWashington squareから2つほど先に行った駅で下車し,向かいの教会に行く.最初,入口が分からず右往左往してしまったが,教会そのものではなく,横の建物であることが分かり,そちらに向かった.早く着きすぎたので,僕が最初に着いたメンバーとなってしまった.
その後,女性の方が来られたが,この方も初めてとのこと.しばらくして,演奏会で見かけた白人の男性が来たので,地下の練習会場に降りる.
今日の練習は,森山直太朗の「虹」を合唱用にアレンジしたもの.去年の合唱コンクール中学生の部の課題曲だったとか.
いやあ,難しい.久しぶりのせいもあって,高い音域が全く出ないし,テンポにもついていけない.原曲を知らない上に譜面を初見で歌ったせいもあるが,全くついていけない.なぜか胃と背中が痛くなる.
休憩を挟んで,またも練習は続く.休憩の間に,色々な人が声をかけてくださる.僕以外にも見学者は大勢来ておられたのだが,男は僕だけだったせいか,やはり目立つのだろうか.特にベースは不足しているから是非入ってくれといわれるが,全く音量が足りないし,足を引っ張るだけなのではと恐れている.
練習終了が9時.グリーンラインに乗って帰路に着いたが,途中から野球観戦を終えた人達がどっと乗り込んできて,満員電車になってしまった.
2007 9・6 72
☆ 台風の夜 松
今日は台風が迫っていて富士市はすごい雨と風。
車の運転も見通しが悪くてこわいので、夕食は冷蔵庫と相談して作った。明日は東京出張。天気は回復するだろうか。
【今日の音楽】 ドヴォルザーク、 エルガー チェロ協奏曲
早世したチェリスト、ジャクリーヌ デュプレの演奏で聞いた。ドヴォルザークはいい演奏なのだが、オケの音が入りきらず、バリバリと音がして聞きにくい。
エルガーのチェロ協奏曲の録音は、いつになってもこの演奏が最高だと言われている。自分自身何度も聞いてしまって、他の人の演奏を聴くと違和感がでるぐらい。
それくらい若いデュプレはエルガー晩年の作品にのめりこんでいる。老人の繰言のような哀愁ただようメロディと、昔を思い出してふつふつと盛り上がってくるような情熱的な部分と、どこをとっても作品にぴたり、とはまっている。
途中高音部で歌うところなど、狂気すら感じられるほど。
最後の部分は人生の決別のように終わる。
たまにしか聞かない重い曲だけど、やはり名曲、名演奏。
* きみの、「mixi」で聴く初の述懐。歓迎。新しい職場には馴染んで来たろうか。健康でありますように。
* 北海道の「麗」さんも胸に迫る日記を書かれている。が、わたしはいま、書き写し読み直す元気がない。いま、わたしの肌も神経も、出雲の兎のよう。落ちてくる焼け石をだきとめていた、あの若い弟神のよう。それでもその兎は癒された。それでもその神は癒された。
わたしは癒されたいのか。それとも癒えるまではどんな苦痛にも耐える気か。
2007 9・7 72
☆ 台風です 慈
ゆっくりだからか 大きいからか
連日降って降って降って
もうそろそろ行ってくれるでしょうか。
風はさほどでなかったのか 植木鉢横転三個ですみました。
よかった~~~~~!!
2007 9・7 72
☆ お元気ですか、風。 7:23 花
最近早起きの花です。
台風では、何事もありませんでしたか、風。
こちらでは、台風が来ると、高速がたいがい通行止めになります。
国道一号のバイパスと、東名と、東海道線とが、並んで走っているので、海が荒れると、水びたしになってしまうのです。高速を回避した車は、一号バイパスに来るので、支線を含め、大渋滞でした。
うちは、木の倒れることもなく、カーポートの屋根の吹き飛ぶこともありませんで、ほっとしています。
残暑がぶり返し、じめじめした日がつづきますが、お体お大切に、風。
* 花に怪我なく、よかった、よかった。
なんだか雨ばかりジャージャー降っているみたいだと思いつつ、台風にあまり実感なく、閉じこもって、用事を捗らせていました。役に立つという励みはあまりなくても、これだけはと思うことは、仕上げておきます。気の芯をまっすぐ保つのに、そうして自身で自分を励ましています。無用に気を刺激することは避け、日から日へ元気に過ごしています。
今日は抜歯です。明日は予後の診察。明後日は息子と会います。その後京都へ行き、午後おそく対談。一泊して、たぶんその日の内に帰ります、うろついてくる余裕はたぶん無いと。いまは、本拠に落ち着いて在ることを大事にしています。 風
2007 9・8 72
☆ 富士山 松
富士山登山についてはいくつかの格言がある。
『富士は見る山。登る山ではない』
『(富士山を)一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿』
南アルプスの遠くから富士山を見ることが出来た時、なんて立派な山なのだろうと感激する。富士山を見つけるとはしゃいだりする。
それにも関わらず登るのは面白くない、という話が出回っている。3年前に初めて登頂した時も、当分登ることはないな、と思っていた。景色は確かに良いにしても、道が単調な瓦礫で、つまらない。おまけにかなりの急登で厳しい。
登山客も多く、山の風情がない....
今回は職場の山仲間3人で出かけることにした。富士市に引越して来たことだし、もう一度行ってみるのもいいと思った。
一人は初挑戦、もう一人は三度目、私は二度目。
ついに二度登る馬鹿に名を連ねてしまった。
2007 9・9 72
☆ コインロッカー ボストン 雄
遅い時間になってしまったが,ラボに行き,少し実験をする.その足でハーバードスクエアに向かい,ハーバード大学の生協で,妹夫婦から頼まれているT シャツを購入.
さらに,レッドラインでサウスステーションへと向かう.
実は,今月末に大学時代の友人がボストンに来るのだが,問題は,観光の間,巨大なスーツケースを持ち歩かねばならないという点.どこかにコインロッカーがあればいいのだが,僕はボストンでコインロッカーを見かけたことがない.おそらく観光するのはダウンタウン近辺なので,どこかにコインロッカーが無いかと思い,サウスステーションに行って見た次第.
サウスステーションにはコミュータートレールやアムトラックの駅,長距離バスのバスターミナルなどが集まっているので,ここならあるに違いないと思ったのだが,見当たらない.
バス会社の案内係が暇そうにしているので,ロッカーがないか聞いてみた.すると係は「9.11以来,撤去されてしまったんだよ」とのこと.9.11というのは,それほどまでに大きな影響を及ぼしたのかと改めて思う.それにしてもロッカー無しで荷物を運びながらあちこち出歩くのは辛いに違いない.確かにテロは怖いが,もう少しなんとかならないものか.
* あッ、そうか。なるほど。日本でもオームのサリン事件のあと、街なかや駅の構内などで、ゴミを捨てるところが塞がれていた。 2007 9・9 72
☆ 富士宮焼きそばと、マーラーと。 松
富士登山の後、天母の湯(あんものゆ)で一風呂浴びたあと、富士宮焼きそばを食べに行くことになった。
場所は『ゆぐち』という場所。富士宮出身の後輩が紹介してくれた。いかにも町の定食屋さんという感じの場所。カウンターに席を取る。
焼きそばは柔らかめだけど、コシがしっかりしている。
鰹節の香ばしさもいい。味は程よい。
お好み焼きは独特。蒸し焼きにすることによりもっちりするお好み焼きを、折りたたんで出してくる。
好みが別れるが、かなり気に入った。九州出身の友人が頼んだ豚足もなかなか。また来て見たいお店だ。
【今日の音楽】 モーツァルト 弦楽五重奏 3番(ハ長調)、4番(ト短調)
スメタナ弦楽四重奏団+ヨーゼフ スーク(ヴィオラ)
モーツァルトの晩年は傑作ばかりだが、この二曲もその中に入る。3番のハ長調は明朗な始まりだが、だんだんと不安でさびしげな雰囲気に変わっていく。明るい一辺倒ではなく、影があり不安な中をうつろいゆくところがモーツァルトの魅力だろうか。
4番のト短調は交響曲40番を予想させる、短調の傑作。さびしい時に聞いたら、涙が出てしまいそうです。寂しく悲しい曲でも絶望で終わらずに希望を感じることが出来るのがモーツァルトらしい。
マーラー 交響曲第6番 『悲劇的』 バーンスタイン指揮 ウィーンフィル
悲劇的なマーラーの交響曲の中でも絶望の中で打ちのめされて終わってしまうのは、この曲だけ。オーディオの性能を試したかったこともあるが、たまに聞いてみたくなる。
バーンスタインののめりこんだ指揮と、暖かくそれについていくウィーンフィルの面々。弦楽器が素晴らしく、マーラーの狂気を良く表現できていると思う。また、オケ全体が鋭くなりすぎないのも良い。
実演に接した時に思ったけど、このオケの団員はノリノリの演奏が好きだと思う。音楽に没頭させてくれる指揮者を好み、そのなかで全力で自分たちも楽しんでいると思う。
* この卒業生クンは、化学者である。山男である。独身です。見ようによれば美男子。
2007 9・10 72
☆ お便り恐れ入ります。ありがとうございました。
2日ほど家を留守にしておりまして、ごあいさつもせず、たいへん失礼いたしました。
私の行きつけの産直の店で見つけました。ほんの気持ちばかり、恥ずかしいくらいですのに、ご丁寧なお言葉、身にしみました。
梨を見ると「レモン哀歌」のように「写真の前に」「今日も置かう」と思ってしまうのです。
どんなにか悲しく、痛ましく、いつ思っても涙ぐんでしまうような思い出ですのに、また、なんという残酷なことが続いて起こっているのでしょう。ご心痛お察しするに余りあります。
理不尽な現実に対しては、巌のように毅然としていてやらなければなりません。でも、それ以外は、「楽しいことだけ」をなさってください。
時間とご体調が許されるなら、「讃岐うどん巡り」にお誘いしたいくらいです。
季節のかわりめをどうぞお元気で乗りきられますよう。
(私は、所属のシルバー合唱団の今年の定演で「方丈記」(作曲を依頼した初演の曲)を歌うので、今は、頭の中が ”ゆくかーわのー流れはー、流れは絶えずしーてー・・・” で、いっぱいです。定演は10月13日です。平均年齢69歳、がんばっています。) 町
☆ 午前中に差し上げましたメールは、先生のお志に対するあまりのうれしさに、昨日戴いたメールを拝見せずにお出ししたものでございます。
南山城というと、京都でございましょうか。
何か、地名そのものが情緒を宿しているように響きます。
古き良き文化に包まれながら飲むコーヒーは、さぞかし美味しゅうございましょう。御親族のお店の御成功を心よりお祈り申し上げます。
先ほど、私の舌にはもったいないと存じつつも、息子の入れたコーヒーを賞味させて戴きました。何とも言えぬ良き香りが、全身に染み入るようでございました。
また一つ、新たな幸せに巡り会えた思いです。
家族一同、衷心より御礼申し上げます。 文 栃木
* お顔をみたことのない方々との久しいお付き合いに、わたしはどんな作家達よりも数多く恵まれ、その方々に命をわけていただき生きている。
☆ たくさん眠りましたか。 花
寝溜め、といいますが。まとめて睡眠をとると、少しラクになりますよ。お元気ですか、風。
読書は、愉しいです。
月並みですが、「体験」だなあ、と思います。
『ユリシーズ』では(ギブアップしましたが)、ダブリンの街を歩き、『ボヴァリー夫人』では、満たされない女になり、『復活』では、恋人との逢引に行きたくて公判を早く切り上げたい判事や、野心満々の検察官、カチューシャが被告人へと転落するきっかけを作ったと自責の念を抱きながら陪審員席に坐っている男らのいる法廷を、俯瞰したり、彼らそのものになったり。
人が一生のうちに現実に体験することの、数百、数千倍の「体験」を、読書はもたらしますね。
「想像」することは、人に与えられた大切な能力だと思います。
人の痛みや悲しみを、「想像」できるのが人間である、とも言えるかと思います。
与えられた「想像」力の素養を、わたしたちは、育て、鍛えていかねばなりません。誰もが、デュマのように想像力に溢れていなければならないわけではなく、せめて、身近な人の痛み悲しみに気づけるよう、せめて、実際に原爆が落ちなくとも、語り伝えられる被爆者の物語や、残っている写真・映像を見て、かような悲劇の起こったのはなぜ か考え、同じ過ちへの道を辿る社会を、見誤らぬように。
* いま、わたしが書き始めると、自分の皮膚を剥くような文章になる。そういう文章がかなり本物に近いとは思うが、気分との相談になる。
呼びかけて下さる声をわたしは有り難く聴いている。
此処へ置かない書き物は、べつの場所に。いつか公開できるだろう。
☆ 抜歯の痛み、少し和らぎましたか? ゆめ
残暑がまだ残っているというのに、はや「秋雨前線」だそうですね。「二百十日」は台風の時期。きちんきちんと季節の巡る日本の四季が不思議でうれしい!
8月末に演劇ワークショップの発表があったので、暑い夏を蝉のように汗を流してがんばりました。
新しい職場の仕事にもだいぶ慣れてきましたけれど、まだまだ緊張感のある毎日を過ごしています。
2007 9・11 72
☆ 辞意? あきれた男 ボストン 雄
日記の更新は一日一回と決めているが,突然のニュースにあまりに驚いたので二度目の更新.
安倍総理が辞意を表明したとのこと.改造内閣を組閣し,所信表明演説までしておきながら,代表質問の直前に辞めると言い出すとは,一体どこまで情けない男だろう.もっと早く辞めるべきだったのだ.もともと愚かなのだから,総理などになる器ではなかったのだろうに,しがみついておきながら,今頃になって「やっぱり辞めます」なんて,情けないにも 、ホド!。
せっかくやる気になっていた舛添厚労相はじめとする新閣僚達は,一体どんな気持ちで聞いているのだろうか.さぞ無念に違いない.年金問題は?ムコ多糖症の新薬承認は? 厚労省の役人達は,きっと胸をなでおろしているに違いない(再任されなければ,だが).
しかも辞める理由が「小沢党首が会ってくれないから」.情けない...
こんな男を後任に据えようとした小泉にも責任がある.勿論,総裁に選んだ自民党の議員達にも責任がある.
一体,政治を誰のものと思っているんだろう.
☆ 議会、そして七五三 司
先週からしばらくは9月の議会モード。
私も、担当の地区の状況などについて議員からの呼び出しで説明をする機会が何度か。
あまり知られていないのかも知れないが、議会でのやりとり(特に本会議)は、議員からの質問内容と行政からの答弁内容があらかじめ調整されていることが基本路線。
後は、議員によって(あるいは党派によって)様々なバリエーションとなるが、「俺はこの質問をするからな」という様に一方的に質問通告をして、答弁内容についてはほとんど関知しない議員も居れば、本会議で自分が読み上げる原稿まで行政側に作らせて、行政側の答弁内容まで確認する議員まで様々。
前者のパターンの場合、変な答弁をしようものなら事前通告にない質問までバタバタと畳み掛けられることがあるので、実際の議場でのやりとりでも、それなりの緊張感がある。後者のパターンの場合、実際の議場でのやりとりでは、後ろに座っている事務方は予め作られた原稿の文字を一言一句追って確認するという、何とも緊張感のないやりとりがだらだらと続く事になる。
ちなみに、私が説明を行った議員は後者に近いパターンでやろうとしている様だったが、質問したい項目に対して、行政側で答弁する内容を概略説明したところ、「それくらいの答えしか貰えないのであれば、質問する意味が無いから止める」という事で終了。
個人的には「そんな答えじゃダメだ!」「俺はこの質問をするから、もっと答弁を考えておけ」「本会議上でそんな答弁したら、もっと追求するぞ」と言われる期待(?)も若干あったのだが、そこまで気合いの入った議員は、ここではほとんど見たことありません。
* *
上の子の七五三の準備のため、色々と着物を見て回っています。
「着物は仕立て直しをすれば、三歳の時でも七歳の時でも着られるから」と義母から言われて、子供も2人だし“じゃぁ作ろうか”と検討をしているのですが、デパートの呉服売り場に行ってびっくり。「昔はできたんだけど、今はそういうことができる人が居ないので、ウチではお受けできません」と。
「それより、このセットの方が安くて良いですよ」と言われても・・・・ねぇという感じです。
幾つか回ったデパートでいずれもそんな感じなので、仕方なく祖母の知り合いの呉服屋さんに電話をして聞いたところ、「昔はウチも自前でやっていたんだけど、出来る人が居なくなったので今は京都に出している」とか。うーん、こんなところで伝統技術の衰退を感じることになるとは・・・という思いですが、まぁでも何とかやってくれそうなので一安心。
私も妻も着物を作るなどは初体験なので知らない事ばかり。伝統技術の衰退を憂えるのであれば、私たち自身も頑張らなければいけないことが沢山ありそうです。
2007 9・12 72
☆ 明日は京都ですか? うらやましい! もう何年も行ってないです。 おっかけたい心境です。 どうぞ楽しんでいらしてくださいませ。
麻田浩展いいですね。拝見したいです。
フェルメール と ムンク ですか? どちらも観たいですが どちらかといえばフェルメールです。
ムンクはだいぶまえですが ノルウエーで ムンク美術館をしっかりとひとりで 長い時間をかけて見て回りましたし。感動しました。沢山の作品がありました。2回 地下鉄にのって行った思い出があります。
入選した**会は初日にいって またご報告させていただく積りです。明日は**先生を囲んで お礼会があります。その節にそれぞれの絵についての解説をしてくださいます。
では、どうぞ京都を楽しんできてくださいませ。 郁
* ああ、もう十一時。わたしはこのところあまり寝ていない。明日の車中での勉強のためにも、もう今夜はやすもう。
2007 9・12 72
* 「mixi」のマイミクさんに、「人を許せない」心は醜いという題の日記が出ていた。抽象的な話題ではなく、ご自身の身辺実話が体験として語られていたのである。
このような題目でなら、わたしにも日ごろの物思いは有るので、ちょっとコメントを添えさせてもらった。ここには、もう少し手が入るかも知れない、書き写しておく。
* 久間防衛大臣が、アメリカの原爆投下は「しようがなかった」と発言したとき、日本人のかなり多くが、怒りました。発言を暴言としてゆるしませんでした。あれは、どれほどの実感を伴った怒りようであったでしょうか。
あの無残な原爆投下に対し、日本の国会は、政府は、日本人も、公式の怒りを結局は一度も発してこなかった。心優しく美しく、既往の咎として、もうアメリカを「ゆるして」あげたのでしょうか。それは称賛されることなのでしょうか。
学問的には異説無くはないのですが、ホメロスの『オデュッセイア』 あの叙事詩の英雄「オデュッセウス」という名は、「怨みの子」という意味を帯びています。ながいながい海洋彷徨の苦難の旅の果て、彼は辛うじて故郷に帰りつき、留守を守った妻子達のために、彼らの屋敷を占領し無道で無礼なふるまいをし続け居座っていた者達に、じつに徹底的に「怨み」を晴らし「復讐」します。
そういう名作が、人間の歴史の初原にちかい昔にあり、人々は感銘を、感化を受けてきました。
ハムレットは、怨みと怒りとを母にすら向けました。
古事記のヤマサチは、兄ウミサチへの怨みを、何容赦もなく徹底的に晴らして服属を誓わせ、犬のように遇しました。
『嵐が丘』二代を生きたそれぞれ真の男と女とは、怨みや憎しみを、精神の濃いエネルギーに、執念深く怨みを晴らしながら、ついに深い真の愛への浮揚と清冽とを得てゆきました。だれも、生半可にゆるしたり、仇に感謝したりはしませんでした。しかも物語は妄執の暗さ重さからみごとに立ち上がっています。感動は、ゆるし にではなく、ゆるさなかった事から沸き上がって、昇華されました。
『心』の「先生」は、父の遺産をよこしまに奪った叔父を、徹底的にゆるしませんでした。あるいはそのような業苦が彼の頽落を招いたかも知れぬにせよ、彼は、ゆるすべきでないものをゆるさないことに、人間たる命の意義すら認めていたのではないでしょうか。
『モンテクリスト伯」は、あれほど愛したメルセデスをすら許さず、怨み憎んだ全員への徹した復讐を完遂して、愛するエデとともに汚い世界から、遙か遠くへ去って行きました。
ゆるしてはならぬものは、徹底してゆるさなかった彼は、そのことで人間の真価を喪っていたでしょうか。醜い男として生きたのでしょうか。
赤穂浪士の面々は、吉良上野の高慢と強欲と小心を憎み、幕府の無道な片手落ちを憎み、ゆるすなどという考えは微塵もなく復讐を完遂して死んで行きました。
かれらが、もし吉良や幕府を如才なくゆるしていたら、いったいどういうことになっていたでしょう。脱落武士の運命はあまり美しくは無かったようです。
武士道なんてものにわたしは惑わされませんが、人間が、最期の一筋で守る ゆるす ゆるさない「気概」の真実にこそ、心をひかれます。
ゆるすべきをゆるす美しい勇気、ゆるすべきでないものを徹してゆるさない美しい勇気。
ごっちゃに、甘くいい加減にひとしなみにすることは、人間の奥の底の気稟の清質そのものへの冒涜にならないでしょうか。
ひ弱な通俗の道徳や、社交的な行儀の良さや、そんなものから出てくる ゆるし、あるいは ゆるさない には、ともに醜いものを感じます。
社会や、教育や、政治や、時代の強い力で一律に押しつけてくる「ワク組」、損得の思いや、つまり無意味な妥協がつい作りあげてしまう「枠組み」。こういう「モラル」ともいえない惰性の強圧に背中を押され、安易に受け容れてする ゆるし ゆるさない など、わたしはイヤですね。
自身の内奥からわき出てくる、何の「枠組み」への追従でも妥協でも屈服でもない ゆるし ゆるさない そういう決断なら、すばらしい。
与えられ 押しつけられ 従わせられている「ワク組」に対する、強い批評、疑問、不審や葛藤から、ぎりぎり選ばれる ゆるし ゆるさない でありたいです。そうでないとイヤだなと、わたしは願っているのですよ、「麗」さん。 湖
* 三好徹さんの電話があった。かなり長時間離された。
井上靖先生の思い出話など、あれやこれやいろいろ聴いた。とびきり面白いけれど此処に書けないような逸話もあった。
三好家の現況などもうかがい、ちょっとお気の毒で絶句したり。思えばもう四半世紀にもなるお付き合いだ。
気骨の太い人で、理事会から外れられたのはとても惜しい。
2007 9・15 72
* こんなのの書ける人はザラにいない。秋の気配、少しずつ身に生じて。
☆ 幽霊は秋 菊
すゝきなんぞを庭に入れたら、のさばられてあとで往生します。植よしがさう言ひ張るのを、無理矢理説き伏せて植ゑさしたすゝきが、今のところは「一むらずゝきの、穂に出づるは」といつた体(てい)で、さのみ嵩高にもならずいゝ塩梅(あんばい)だ。二、三、ぱらりと開いた花穂が、ちやうど、こないだ観た音羽屋(ろくだいめ)の、「色彩間苅豆」(いろもやうちよつとかりまめ)の累(かさね)が着てゐた振袖の模様をなぞつたやうでおもしろい。
小女(こをんな)の菊が蚊遣りを持つて来た。こゝいらの蚊はいつまでも元気のいゝことだ。氣がつくと部屋の中は薄暗い。
「電氣つけてつとくれ」
部屋が明るくなつた分、外はぐんと暗くなつた。芒の穂も定かには見えない。
累はさる家中の腰元だから、高島田に振袖といふ御殿女中の拵へだ。着附けの地は藤色か深川鼠(ふかがはねず)、柄(がら)は秋草と流水といふのが決りだ。それも秋草の中に必ずすゝきを入れる。この所作事は川つぺりでの話ッてことになつてゐるし、終ひには殺されちまふ累が、たちまち幽霊になつて、自分を殺めた徒し男に「おいでおいで」をするからだ。
一口に決りの模様といつても、肩や胸に菊なんぞを派手に置く役者もゐるにはゐるが、先だつての六代目のは、すゝきの穂を肩先と袖にあしらつた、いかにも江戸前のすつきりした拵へだつた。ひやひやした秋の夜風が舞台に吹いてゐるやうな心持ちがしたものだ。
幽霊だからッて夏に演(だ)すことが多いが、これは秋のものだらう。振袖の柄だけぢやァない。斬りつけられて片肌脱ぎになると、襦袢は白地に血しぶきのやうな真つ赤な紅葉。どうでも秋だ。
「牡丹燈籠」のお露の幽霊も秋草模様の着附け、カランコロンと下駄を鳴らして新三郎の所へかよつたのが盂蘭盆のころだからこれも秋。
井戸から「恨めしや」の皿屋敷のお菊は、夏場ッてことになるか。菊ッて名から言やァ秋だが。
障子の開く氣配がした。
「菊かい」
返事がない。
ひやつこい風に振り向くと、すうと障子が閉(た)つた。
2007 9・15 72
☆ 秦 恒平様
湖の本 つねに 敬意と興味を持ちつゝ 読んでいます。また お努力にも感嘆しております。
とくに詩歌集の評釈語には 教示されるのを覚えます
わが國では稀な仕事ですね。
とくに、(詩歌は=)学者のなぶりものになったあとなので こういう少数のよい感性で すこしづゝ 回復してゆくほかない。 しかしそれを受け容れる人々は絶えない、どこかにいる──これは あなたが私以上に実感されている事でしょう 匆々
九月 加島(祥造)拝
* いまもっとも興味深く具眼の境涯を表現し続けている、「伊那谷の老子」の、和紙に墨書のお手紙を頂戴した。詩集二冊頂戴した。
2007 9・16 72
☆ 秋 慈
風が・・秋です。
秋海棠と水引草が まぜまぜ・・群れて赤い花を。
夏の直射日光で火傷しやすい葉には 葭簀で半日陰を用意していましたが もう外しましょうか。まだ早いですか?
2007 9・17 72
☆ 今しがたペリカン便で本を送りました。明日には着くそうです。麻田浩の図録はそのまま受け取ってください。こちらでまた京都に行く機会
に買い求めます、簡単に手に入りますからご心配いりません。ついでに本二冊、いずれも映画化されたものですので既に映画でご覧になったかもしれませんが、それぞれに面白いものです。ディーネセンのゴシック物語のシリーズなども。
麻田氏の展覧会に関してお知らせしたことから、急の京都往復が実現して・・残暑厳しくお体に差し障りなかったかと心配でした。それでも期日が迫っていたので仕方がなかったですが、あまりに重いものがあなたの中に沈澱しませんように。
地獄変相図、そうか、地獄変相図かと、先日奈良博物館で見た地獄草紙を思い起こしながらメール読みました。
あまりに現代的、ヨーロッパ的、キリスト教的・・という指摘もあり得ましょう。
同時に彼の絵にも出てきたボッシュ、例えばボッシュの絵を思うと、ボッシュの絵はいかにも醜悪・終末的なテーマに満ちていながら、根底には彼のしたたかさや笑い、遊びの精神が息づいています。ブリューゲルについても同じようなことが言えます。骨太な強情な精神。ただし権力の審問・介入なども考えながらの危ない作業ではなかったでしょうか。キリスト教世界の求めるものの底辺で、何がしかの息抜きや自己欺瞞が存在しなかったら、人間社会は存続できなかったでしょう。
あなたが麻田浩をご存知だったからこそ、震え泣く思いで作品を見つめ、「凄惨の美はあるが、絶対に画家の魂の健康な救済はあり得ないことを」痛切に感じられたのでしょう。その前ではわたしもまた、ただただ圧倒されるしかなかったのです。
上の階にあった「麻田辨自、麻田鷹思その他の作は目にも入らなかった」、それは素直にわたしの感想でもありました。「ごく当たり前の平凡なものの中に素晴らしさ・偉大さがある」とは、しばしば言われることですが、その当たり前が吹っ飛んでしまう、そういうインパクトを麻田浩の絵はもっているのです。 鳶
☆ 秋が待たれます 玄
岡山はまだ夏本番のような暑さです。心身ともにバランスが崩れそうです。
桃は当たりはずれが多く味に自信はありませんが、姿を消す直前なので少しだけお届けします。
岡山以外の物産をお届けしたいと思うときがあるのですが、届け先の電話番号記入が必須となっていることが多いのです。お差し支えなければお知らせください。
日々お大事にお過ごしください。
2007 9・18 72
* 岡山から美しい桃を戴いた。
* ただいま、お心入れの桃果、色好く到着、美しく魅入られております。有り難うございます。
まだまだ蒸し暑く、風も雨もしばしば来て、政界同様落ち着かぬ事ですね。安倍内閣には愕きました。
当然直ぐにも総辞職して野党に譲るべき政権は自民党がにぎったまま、総理は入院したまま、緊急時の対策も放置されている有様です。日本の民主政治が少しも大人に成熟せず、退行現象ばかり見せて幼児化しているのが情けないではありませんか。
老人党が本格発足しないと、七十すぎれば時代のお荷物扱いは論外の心外です。なんとかならないでしょうかねえ。
どうぞお大切に、グワンとして時代を睨んでいてくださいませ。私も、なんとか。
桃って、ほんとうに美しいですね。嬉しいです。
* アカデミー賞で九冠を獲た映画『イングリッシュ・ペーシェント』の原作、M.オンダーチェの『イギリス人の患者』、まアイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』を友達に貰った。
麻田浩展の画集も手に入った。小さな写真になってしまった写真は写真だが、会場の大作が目に甦り、おもわず歯の根を噛む心地がする。
古くからの元気旺盛な繪を描く友達が、過労で入院したと。七十になってグループなどの過剰な人付き合いに振り回されていては、体も堪ったモノでない。聡く一人になることに、勇気をもちたい。
2007 9・19 72
☆ お元気ですか、風。
正午頃、風にメールしたくてたまりませんでした。虫の知らせだったのかも。
けれど、来客や工事などあり、手が放せませんでした。
今日も晴れて、暑かったです。
深い青い空と富士山を見上げ、風を想っていました。
風の事態は、花の母・祖母・叔父の膠着しきった関係に相通ずるところがあり、いつも身につまされます。
気の萎えたときは、花を想って、闇に沈透くいてください。
花は、風に向かって、いつも元気を送っています。
* きのうのお相撲を楽しく思い出し出し、気を励まして日を暮らした。或る意味では希有に実の入った日々ではある。堪えて、為すべきは為すしか、ない。奮起してまた無心に泥の中へ潜り込まねばならない。明日朝目覚めても、いやな気分のまた数日がつづくけれど、それが我が「体験」だ。財産のようなモノだ。
* 佛は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢 に見えたまふ
2007 9・21 72
☆ やすみなく 花
おしごと、おしごとの風。お元気ですか。
睡眠はきちんととってくださいね。
昨日の風のメールは、これまで幾度も眼に耳にしてきた風の思想でした。花は、風の創作から、いろんなことを学んでいます。
人間の力。法や常識を乗り越えて踏み込まなければならなかった人たちの歴史が、そのまま文学であると思います。
『レ・ミゼラブル』で、法の番人・ジャベールは、ジャン・バルジャンをゆるすことができずにい、ゆるしたいと思ったときに、自らを罰しました。そうすることでしか、ジャンをゆるせなかったジャベールの頑迷さを、ユーゴーは、「社会」の象徴として描いたのではなかったでしょうか。
一方で、不透明な金の動きを指摘され、「法律に抵触していません」と空とぼけた赤城前農水大臣を、国民はゆるしませんでした。
法では裁ききれないものが、人間の世界にはあると、多くの人がよく知っています。
また、その法が、潔白の人間に悪くはたらくことのあるのを、電車内痴漢冤罪事件の報道などで、わたしたちは思い知らされています。
富士山は聳えています。東京は、日本は、元気なんでしょうか。 花
2007 9・25 72
* イギリス在住の人から、暫くぶりに、的確な「お尋ね」のメールを貰った。わたしとすれば、折しもそれに答え切れたかと思った所であったので、歯医者へ出かける直前にお返事した。二、三例のヘンチクリンな転換ミスも残っていたが、判読して頂けたろうと思う。
* MAOKATさんの暫くぶりの消息も「mixi」で読めた。よかった。親切な思いやりや激励の手紙は、春さんほか、幾つも戴いている。
2007 9・26 72
* おそくまで読書し、七時半には起きて。イギリスの人のメールのおかげで、頭の中の整理がすすむ。
☆ 植え替え 慈
鯛釣り草の株分けは九月に と NHK趣味の園芸でみて さてこそ九月と思いながらまだ出来ていません。
まずは大きくなったヒバを 大きな鉢に移して・・(今日はここまで)
空いた鉢は洗って 株分けした鯛釣り草にあてましょう。
もう地上に何もない鯛釣り草は 土の下で はやくも寝ているのでしょうか。
2007 9・27 72
* 『聖家族』を「読みました」という読者のメールが、けっこう届く。
せめてもっと出来のいいものにしたいと、作者としては忸怩とした気持ち。だから「未定稿」のままであり、完成作ではない。いつでも手がかけられるように、長編作品の「ファイル8」に常住、置きっ放しに掲載してある。わたしのホームページは、わたしの「書斎」なのであるから、あたりまえの話。まだ仕上がっていない草稿である。
* それでも読んだ人は、「人物」把握の強烈さを存外に正しく読み取ってくださる。感謝もし、照れもする。小説はやはりそれ、だ、やはりそこ、だ、と思う。
私小説だか何だか断定できずに読んできたが、作中の若い男の性格が、あんまり「胸糞」わるく、途中で読みやめていますという人もある。作品の、それが得点でもある、作者の正確な「批評」である、と言うてくださる人もある。
早く単行本に、待っています、と催促してくださる人もある。
きっぱりと、「もっと良い作品」に有効に再構成し、すみずみまで推敲し、問題の「男」像を峻烈に造形し表現して、「胸糞」のわるさはわるさのまま、「典型像」として現代史にのこる一人を彫琢したい。言うまでもない、「小説」作品として。
2007 9・27 72
☆ オムライスでランチ、いいですね。学生街のレストランは、ボリュームがあるのではないですか。
おもしろくない上に、気の張るおしごと、お疲れさまでした。明日もお出かけなのでしょう。お気をつけて。風は、体力ありますねえ。
花は、花屋さんを探して市内を車で町をぐるぐる回り、やっと目当てのお店を見つけたら、定休日でした。明日、また行ってみます。
お庭のちょっとしたコーナーに置きたいのですが、薄い黄緑の葉のオリヅルランにしようか、プミラかワイヤープランツのような葉の小さなものにしようか、香りのするハーブにしようか、考え中です。 花
2007 9・27 72
☆ ばった 慈
おー 今日は涼しいこと
だんだん元気のないマリーゴールドに バッタが二匹。
どうしてこの葉がいいのか・・・
毎年 バッタを見かけ コンクリート打ちっ放しの車庫に どうして暮らしているのか不思議に思っているのですが・・・
☆ 赤 巌
赤 で
随分たちますがお伺いした折に
日本の歴史や文化の中に現れた 「赤」というものには いろいろ面白い 重要な事がある という意味のことを 言われていたのを 思い出しました。
* そんなハナシもしましたっけね。
2007 9・29 72
☆ ボストン美術館 ボストン 雄
腹ごしらえを済ませてから再び車に乗り,ボストン美術館へ.途中,前住んでいたアパートの前を通り過ぎる.前のアパートからは近かった上に地下鉄が利用できたので車で行ったのは今回が初めてだが,やはり駐車代金がかなり高い.30分ごとに4ドル取られる.
1時過ぎに美術館到着.中に入ろうとすると,駐車場と美術館の入口の間に門が.ここが岡倉天心の日本庭園「天心園」らしい.以前来たときは,シーズンオフのために開放されていなかった.せっかくなので写真を撮ったが,庭園そのものはいまひとつであった.
館内に入り,真っ先にヨーロッパ印象派のコーナーへ.どれも教科書などで見た事のある画ばかりなので,(ボストン来遊の友人=)Aも興奮してシャッターを切りまくる.ゴッホ,ゴーギャンの絵も良かったが,今日はなぜかモネの絵に強く惹かれた.睡蓮もすばらしいが,特に風景画が素晴らしく感じられた.このコーナーに来るたびに,その都度,異なる画に感銘を受ける.毎回,新鮮な驚きを感じることができる.
その後はエジプト美術,ローマ・ギリシャへと進む.これらについて述べる言葉はもはや無い.今までに書いた感想がすべてと言ってよい.しかし,来るたびに思うのだが,写真右にも掲載した,頭が動物で身体が人間の像は,あまりに大胆で独創的に思われる.一体,何を考えてこんなものを作ったのだろう,と思う.
幸いにも,ちょうど日本の浮世絵などの特設展示もしているようで,菱川師宣の浮世絵や葛飾北斎のものも展示してあった.しかし,残念ながら,これらは正直言って今ひとつだった.
1階に降りて,アメリカ美術のコーナーへ.ここは正直言って,あまり興味がもてないコーナーなのだが,今日は特別展示ということで,これまた偶然にも,村上隆率いるKaiKai Kikiの展示をしていた.外国人たち(当たり前だ)が真剣に見入っていたが,悪いが僕にはこれの何処が良いのか,さっぱり分からない.これが日本のアートです,と言われることに少なからぬ抵抗を感じる.
ただ一つ,寿司屋の壁にあるような,寿司ネタを書いた札が掲げてあったのは面白かった.「まぐろ」「はまち」「玉子」などに紛れて「妹もえ兄」だの「くるぶし」だのと書かれていた.面白いので写真に撮ろうとカメラを向けたら,すぐさま職員に止められた.通常の展示品は,フラッシュさえ使わなければ写真に撮っても良いのだが,これらは特設展示なのでダメなのだという.
ほぼ全ての展示をざっと見て,二人とも疲れて中庭で休憩.心地よい風が吹いていて,暑すぎもせず寒すぎもしない.とても心地よい.空をぼうっと眺めると,雲がかなりのスピードで流れていた.こんな風にぼうっと空を眺めるのは久しぶりな気がする.
* 東工大の教室で出逢って十数年、いまもマイミクの「雄」くんも「松」くんも、ともに音楽に(雄君は声楽、松君はピアノ)長けていて、こうして美術にも親しんでいる。「松」くんはその上に山男である。研究と豊かな趣味。彼らが昔教室で話してくれた「Π パイ」二本脚は、しっかり確保している。三本脚なら机に成る。四本脚なら食卓になる。
2007 9・30 72