* 平静な、さらさらと来たお正月である。そのような一年でありたい。
☆ 2008年
新年を迎えました。あけましておめでとうございます。
今年は穏やかな年でありますように、と祈っております。
お元気でと祈ります。 菜畝 茨城
* 元日や タケルもグーも一つ家に 遠
* 天神社に初詣。
2008 1・1 76
* 年賀状をたくさん戴いたが、大方は湖の本で一年の内に繰り返しご挨拶を重ねているので、返礼もその際にとおゆるし願って、今年はのうのうとラクをさせて戴いている。
建日子が、バーボンのとびっきり、ブラントンを持ってきてくれたのを昨夜から今夜まで、ほぼ半ば、ストレートで楽しませてもらった。
暮れは、頂戴したたくさんな日本酒を、もののみごとにみな平らげてしまった。毒だなどと勿体ないことは思わなかった。
* かくて平成二十年の元旦も過ぎてゆく。今夜は、早く床について、ゆっくり眠りこけたい。
2008 1・1 76
☆ 明けましておめでとうございます。 遼
年初にふさわしく晴れ晴れした陽気ですね。
ご挨拶遅れましてすみません。年末年始は夫の実家、私の実家と渡り歩き、先ほど帰宅いたしました。
ご無沙汰しております。
昨年は**新聞社の文庫の仕事に携わり、現在全14巻の名著を担当しています。幕末から明治に
かけて来日したイギリス人外交官アーネスト.サトウの日記ほか数々の手記・資料を通じて激動の時代を描いたものです。百数十年むかしを生きた人の力強い生活ぶりと、歴史的人物たちの人間模様に目を見張ります。
また、父の本の第二弾が決まり、2月に出版予定のため、これからゲラ読みに取り掛かる予定です。
やりたい仕事が形になる、生活の手ごたえと幸せをおぼえています。
昨年は趣味の音楽活動も充実し、小さい頃から憧れだったベートーベンの「運命」や、かつてアーネスト・サトウも繰り返し聞いたメンデルスゾーンの「宗教改革」を演奏いたしました。
人生どう生きるかというよりは、日々の生活で精一杯ですが、昨年は一昨年より「自分らしい」年でした。
今年もそうありたいと思います。
秦さんもどうぞお元気でいらしてください。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
* ずいぶん心配させた卒業生だが、元気に身の丈にあった仕事に手が着き、もともと堪能の音楽でも、満ち足りている様子、なによりと安心、安心。
2008 1・3 76
* 漱石を初めて読んだ(らしい)人の『三四郎』『それから』体験のようで、とても面白い。当然ながら『門』まで行き、さらに『彼岸過ぎ迄』『行人』『こころ』『明暗』まで到達すれば、この人にはこの人らしい漱石文学像だけでなく、この人ならではの女性観が構築されるだろうと、わたしは楽しみにしようと思う。
『三四郎』以前に『草枕』『虞美人草』も読んで貰いたいが、それは『明暗』まで吶喊してそのあとでいいだろう。そして仕上げに『吾輩は猫である』がこの人の漱石世界を仕上げるだろう。野々宮さんの前景がここにもうひらけているのだし。
この人は、もう知る人は知っている、植物の研究者で、理学博士である。大学教授である。文人でもあり茶人でもある。
☆ 馬鈴薯(ポテトー)と金剛石(ダイヤモンド) maokat
三が日、ほぼ同じく、起床、食事、出勤、仕事、食事、読書(書類添削含む)を繰り返した。
出汁を引いておいて出勤し、帰ってから、元旦は澄まし、二日は味噌で、雑煮を祝った。具は、餅とかしわ、大根、人参、三つ葉。餅は同僚の北関東の里から届いたものを分けてもらった。紅白なますも作り、元旦は紅い楪子、二日は白い柿右衛門の小皿に盛った。黒豆は、何年か前に失敗して以来、出来合いを買っている。三日目の今日は、おせちもやめて、虎杖浜産の新鮮な鱈子を使って、パスタを茹でた。
『三四郎』の後、元旦に『狭き門』『それから』を読み始め、今日の朝、布団の中で読み終わった。私がマークしていた『三四郎』の宗八、つまり穴蔵の中で光の研究をしていた貧乏な学者は、『それから』には登場せず、残念なことだった。漱石先生でも、あれだけ単純明快に研究に打ち込んでいる人を、美禰子やよし子にかこつけて、穴蔵の中から引っ張り出せはしなかったようだ。おそらく宗八は研究に忙しくて、細君を貰うこともせず、まだ『三四郎』の中で、穴蔵に入って光の振動を調べているに違いない。美禰子を譲った人は、『それから』では、何もしていない遊民となって、ストーリーを引き継いでゆく。
『三四郎』でも『それから』でも、意外に空の描写が多い。ストレイシープの雲や、代助が朝な夕な縁側から見る空模様。東京にはまだ広い空があったのだ。今は、見上げるべき空がない。空がないので、人はポケットから携帯を出して、俯くのだ。
『それから』は、八重の椿が畳の上にぼたりと落ちる印象的な場面で始まる。椿はツバキ科。その後登場する重要な花は、なぜか香りが強いユリ科ばかり。鈴蘭を水盤に放ったり、百合を活けたり。三千代は、この鈴蘭を漬けてある鉢から水を汲んで飲んでしまう。たしかスズランにはジキタリスと同じような強い毒性のある物質が含まれていたはずだが、三千代さんはびくともしない。そればかりか、今度は百合もぶつぶつと剪って、鈴蘭の鉢に放り込んでゆく。鈴蘭と百合が浮いている水盤はどんなだろう。この場面は意図するところがわからない。
『それから』には面白い比喩表現がそこここにちりばめられている。
「印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をする」
「鍍金を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する」
秀逸は「もし馬鈴薯(ポテトー)が金剛石(ダイヤモンド)より大切になったら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考えていた。・・・万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも金剛石を放り出して、馬鈴薯に囓り付かなければならない。そうしてその償いには自然の愛が残るだけである。その愛の対象は他人の細君であった。」
「自然の愛」よりも「金剛石」よりも「馬鈴薯(ポテトー)」を大切に正月から嬉々として働いている私など、いったいどうしたらいいのだろうか。
『三四郎』『それから』までは、煎じ詰めると金と細君の話。これから『門』を読んでみるがどうなることだろう。
* 人それぞれに漱石にすでにくわしく接してきた読者達には、いろんな感想が湧くことだろう。それはそれである。また一つのユニークな漱石体験が達成されて行くんだなあと、わたしは楽しみに心待ちにしている。
* もう一人の理学博士で絶対音感の持ち主は、ボストンの希有の寒気の中で、新年を始動している。
そういえばアイオワで、オバマがヒラリーを凌いだらしい。ウーン。どうなるだろう。「雄」のレポートが待たれる。
☆ 寒いにも程がある ハーバード 雄
今朝,ついに華氏7度まで気温が下がった.摂氏だとマイナス14度くらいか.身支度を済ませ,外に出たが,冷凍庫に顔を突っ込んだような気分.
もともと寒いのは嫌いではない.ゆだるような暑さよりは,寒い方がマシだ.ピンと張り詰めた空気の中に出て行くと,凛とした気分になる.しかし物には限度というものがある.さすがにこれだけ寒いと,10分も歩くと顔が痛くなる.
ラボに着き,居室にいると,ボビーが声をかけてきた.「おい,なんだよ,この寒さは.こんな寒さは人生で初めてだよ」とボビー.
ボビーは,このラボがアメリカ南西部にあるワシントン大学からハーバードへと移転してきた時からボストンに住んでいるわけだから,もう3年は経っているはずだが,それでもこんな寒さは経験したことがないという.
「くそ,なんでこんなところに移って来たんだよ.ボスがここに来る時,ハーバードとUCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)の両方からオファーがあったんだけど,サンフランシスコにしてくれれば,こんなアホみたいな寒さを経験しないで済んだのに」とボビー. 「でも,もうすぐ他に移れるだろ」と僕.ボビーは輝かしいpublication listを持っているので,独立しようと思えばできるだろう.「いや,でも,今やってることは金がかかるから,中々外に出られないんだよ」とボビー.確かにそうかもしれない.
「この年末,実家に帰ったらさあ,親に怒られちゃったよ.お前はなんでまだ独立できないんだ,って.そんなこと言われたって,しょうがないよなあ」とボビー.ボビーはまだ32歳だから,ポスドクでも何の不思議も無いのだけれど,他の職業の人から見れば,なんでそんな歳にもなって,自分の研究室をもてないのか,と思われるかもしれない.
ランチを食べに,カフェテリアに行こうと外に出たが,朝よりも寒くなったのではと思うほど寒い.サイエンスセンターのカフェテリアに行ったが,今日も休業中.今日から営業だと思ったのでがっかり.ロースクールのカフェテリアへと歩いたが,それだけで凍りつきそうに寒い.食べ終えて居室に戻り,部屋にいたジョンに「外,寒かったよ」と言うと,「知ってるよ.Hiroが入ってきただけで寒いもの」とジョン.冷え切ったコートが寒気を運んでしまったらしい.
寒さのせいだろうか,時計の液晶が消えてしまい,リセットされてしまった.去年,ボストンに来たばかりの頃,やはり同じようなことが何度かあって,安物のデジタル時計だからだろうと思っていたのだが,どうも寒さで液晶がいかれてしまうのではないかという気がしてきた.
時計だけではない.寒さのせいか,最近,肩が凝って仕方がない.今日は特に,実験していて首の凝りがひどい.
帰り道,Kotobukiyaに立ち寄る.店までの道のりだけで,身体が凍りつきそうになる.キムチの素を売っていたので購入.夜はキムチ鍋にした.こういう寒い日には鍋が一番.暖まった.
* 東京は、暖かい。
2008 1・4 76
* やす香のお友達から、また京都の従妹から、新年の便り。また「甲子」さんから、美味しいジヤムをたっぷり頂戴した。感謝。
2008 1・5 76
☆ 明けましておめでとうございます。よいお正月をお迎えのご様子なによりと存じます。
こちらも穏やかな新年で、初詣、お墓参り、娘たちとのお祝いなどで、さんがにちが済みました。今日(四日)もよいお天気なので主人と出かけてきました。八坂さんの西楼門が改装されて朱の色が鮮やかでした。円山公園から知恩院へ、大鐘楼を眺め、青蓮院を経て、平安神宮へ。
また東山通りへ引き返して何十年振りに新門前を歩いてきました。秦ラジオ店がどこにあったのか見当もつかず、なんとも寂しい気持ちでした。
明日は初のゴミ出しです。日常の生活に戻ります。
お身体お大切に。 みち 従妹
☆ あけましておめでとうございます。 花
昨夜遅く、富士山麓に戻りました。九時間のドライヴでした。
夫の実家では、することとてなく、というより何もできず、気ばかり遣っていました。疲れました。
体を働かしたのは、二日に、満員電車のような金毘羅さんの参道を歩き歩き、いちばん上まで登ったことだけでした。
溜まった洗濯ものを今朝済ませ、ほっとしたところです。
月曜から、通常モードにしたいです。
風を想っていました。
* 喜び勇んでいつも妻や子を連れ毎年の暮れに京都へ帰っていた。勤め人の昔のこと。
妻も、さぞ老人達の家で疲れていただろうなと、今時分、ふと申し訳ない。
わたしは親類づきあいというものを殆ど経験したことがない。年賀のために他家をおとのうたことも、まず、無い。
☆ 花びら餅・月世界 馨 鎌倉
すっかり遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
今日はまだお正月気分で、のんびりと花びら餅を頂きました。
鎌倉は美鈴さんが有名だけど、個人的には美鈴さんよりおいしいな、と思うお店があって、今年はそちらのを年末から予約しました。昨年はうっかりしているうちに買い損ねたもので。
写真、ボケていてわかりにくいのですが、牛蒡が二本入っていて正統派なんですよね。牛蒡がとてもやわらかく炊けていて、中も品のいいお味噌の味で幸せ~。
実は年末から和菓子の神様が私の周りをうろうろしているらしく、大掃除しながら「二人静が食べたい! 月世界が食べたい! 中京の亀末さんのお干菓子が食べたい!」と、延々と和菓子を思い浮かべていました。
なんとなく後味がふわっと軽い品のよいお味に心惹かれていたみたいです。
とはいえ、二人静は名古屋だし、月世界は富山だし、お取り寄せするしかない。
亀末さんのお干菓子なんて、取り寄せどころか風呂敷もって買いに行くしかないわけで、悶々と、豊島屋の豆楽や大くにの小菊らくがんでごまかしていましたが、後味が違うー!
と、一人でブツブツ言い(和菓子の神様のお通りを家族は遠巻きに眺めていました)、結局月世界を注文しました、大晦日に。
先ほどようやく届いたので、これも花びら餅と合わせて頂きました。
う~ん、幸せ。
今年も食いしん坊の私はおいしいもの食べていられれば幸せみたいです。
でも、健康で、体を動かしていないと何を食べてもおいしくないですよね。
今年も念願はやっぱり「健康」かな。
本年もよろしくお願いいたします。
写真1が花びら餅で、写真2が月世界。
娘が生まれるまでちょこっと習っていたお茶は表だったのですが、干菓子の神様の到来とともに最近、裏のような泡の多いクリーミーなお抹茶が好きになっています。
* 裏千家ではお茶は、茶筅で十分たてる。最盛期! のわたしの茶筅は、静かなモーターのように繊細華麗!! にお茶碗の中で舞った。たったお茶は微塵と化した泡のママむっくりとふくれたものだ、くちざわりも、のどごしも、まさに「クリーミー」に真みどりのお茶が美味かった。作法のことはともあれ、たったお茶だけは裏千家ふうが佳い。半月にのこすゆるいたてかただと、どうしても茶の粒子が舌にさわる。
花びら餅、暮れのデパートでは、老舗に長い行列が出来ていた。ときどき、どうしても美味しい和菓子がほしくなる。
2008 1・5 76
☆ アイオワ州党員集会,音楽の好み ボストン 雄
今朝も寒い.テレビをつけると,ニュースは昨日のアイオワ州でのオバマの勝利と,ここ数日の寒波の話ばかりを繰り返していた.
ラボに着き,ライアンに「オバマ,勝ったねえ」というと,ライアンはわざとらしく「やったー」と叫んだ.エドワードやクリントンと僅差ではあったが,一応勝ったことは嬉しいようだ.
とりわけ,エドワードはアイオワ州での活動に重きを置き,もう4年も前から,アイオワ州の至る所をくまなく「二度ずつ」回ってきたのだそうで,オバマが勝ったということには大きな意味があるようだ.やはりアメリカ国民は,変化を求めているのだろう.
一方で共和党のハッカビー候補については,「あいつはどうしようもない」とバッサリ.こちらはキリスト教右派を支持団体にしたのが功を奏したらしい.
昼,ライアンとジョンと3人でランチを食べに行く.向かった先は,Biological laboratoryの中庭に面して最近できたカフェテリア.メニューはさほど多くないが,雰囲気も良いし,今日のランチメニューの白身魚の焼いたものと,クスクスは中々だった(サイドメニューのカボチャの焼いたのは今ひとつだったが).空いているので,また来ようと思う.
ランチを食べながら,音楽の話をする.
ジョンがライアンにも「マタイ」のCDを貸したのだが,どうやらライアンは気に入らなかったらしい.しかし,その後借りた「ブランデンブルク協奏曲」は気に入ったらしい.僕は特に第2番が好き.「スイングしているのがいい」とライアン.
「スイング」という言葉から派生して,ジャズの話になり,ポップスの話になる.
僕もポップスを聴かないわけではないが,詳しくはないし,あまり良く分からない.
「Hiroはポップスは聴かないの?」とジョンに聞かれ,「聴かないことはないけど,日本のしか良く知らないし,外国のでも古いのしか知らないんだよ」と答える.
ランチから戻り,お茶をいれていると,ジョンも入ってきて再び音楽の話に.
「Hiroはどんな作曲家が好きなの?」と聞かれ,「特にといわれると難しいけど,バッハやベートーベンかなあ.あとはブルックナーとかワグナーとか」と答える.
「モーツァルトは?」とジョンが聞くが,僕はモーツァルトがあまり得意ではない.「ごく一部の曲を除いては,そんなに好きではないかな.レクイエムの前半部分は好きだよ」と僕.
モーツァルトはレクイエムを完成させる前に亡くなったので,「ラクリモーザ(涙の日)」までは本人の作曲だが,それ以降は弟子の手により完成した.だからというべきかどうかは分からないが,後半の出来が良くない.前半だけで完結している印象を受ける.
ここ最近,実験をしながらPodで聴いているのは,ヴェルディのレクイエム.トスカニーニ指揮NBC交響楽団の録音.
もともとヴェルディのレクイエムは大好きで,色々な指揮者のものを聴いてきたが,やはり僕にとってはトスカニーニのがベスト.これを聴いてしまうと,他の指揮者の演奏が間延びした,気の抜けたものに聞こえてしまう.ソリストやオーケストラの上手さも素晴らしいが,やはりトスカニーニの指揮に圧倒される.ギリシャ彫刻を思わせる造型美.凄まじいまでの集中力.その先に現れるのは,ひたむきな「祈り」の世界.僕自身はクリスチャンではないが,自然と頭を垂れたくなる.
この演奏の唯一の弱点は,1951年の録音であるために,合唱パートが聞こえにくいこと(ただし合唱そのものは抜群に上手い).合唱パートが綺麗に聞こえる最近の演奏で,これに匹敵するものを求めてきたが,なかなか見つからない.
唯一匹敵すると思えるのが,アバド指揮ベルリンフィルによる2001年の録音.癌を克服して復帰したばかりのアバドの指揮が素晴らしい.
妙な言い方になるが,カラヤンを引き継いでベルリンフィル藝術監督とウィーン国立歌劇場音楽監督を兼任していた頃のアバドはあまり好きではなかったが,このCDを聴いて、僕の中のアバドのイメージが激変した.
「Hiroは自分や他人に厳しい,厳格な感じの音楽が好きなんだね.バッハやベートーベンもそうだし,トスカニーニが好きというのもそうだよね」とジョン.
確かにそうかもしれない.
☆ 豊かさってなんなのでしょう 羅臼の 昴
中学生の頃、図書館の司書のお姉さんに頼んで、サー・トマス・マロリーの「アーサー王の死」という文庫本を買ってもらったことがある。
その本の中で、ギィネヴィア王女と騎士のランスロットが森に逃げ、夜にランスロットが剣をギィネヴィア王女との間に置いて眠る場面がある。
本を読んでいる時はサラサラと読み進めていた場面だったんだけど、後で、ラファエロ前派か、その次の時代の絵でその場面を見て、とても綺麗で忘れられない場面になった。
なんだか、その絵を再び見たくなっている。
その本を買ってくれた司書のお姉さんは、「イメージシンボル辞典」というマニアックな本まで買ってくれました。どんな思いで買ってくれたのでしょうか。
その本の中で、百合の花が大天使ガブリエルを象徴しているということを知りました。後々、受胎告知の絵には百合の花が描かれていることを知り、受胎告知の絵を見るたびに百合の花を探すようになったのですが、こういう絵の楽しみ方を間接的に教えてくれたのは、司書のお姉さんだったと言ってもいいかもしれません。
生きていく上ではあまり役に立たないかもしれないですが、ちょっとだけ豊かな人生を送れるような知識があるのは嬉しいですね。
* 優しい述懐。
☆ 初釜 maokat 札幌
今日、社中の初釜。今年は本格的な仕事の始動前に土曜日があったので、出席できた。午前中半端に仕事をし、午後二時半会場に到着。去年稽古をサボった罰として、正客。否とは言えぬ。
午後三時、席入。
床には結び柳と椿。
一閑の高麗卓に、桶側の水指が簡素ですがすがしい。
袴を着けた大先輩が、奉書を敷いた炭台に輝くばかり堂々とした胴炭を載せ、点前座に出る。眼前に上げられた大振りの天猫(明?)釜。地紋が優しく美しい。近江八景か。見事な炭点前を見せてくれた。しかし、大きな手から拝見に出された香合は、可愛く「宝珠に鼠」。ちっこい鼠が俵の影から覗いている。
菓子が出て、濃茶。流儀の正月菓子は「えくぼ」という。薯蕷饅頭の頭に小さく紅が打ってある。嶋台の重ね茶碗で桜柳園の茶を飲む。上座に男子四人が並んだので、服紗に載せられた茶碗は手から手へ継ぎ送られてゆく。菓子より茶が甘く感じられた。服紗は宝尽しに鼠の文様。
俵の焼き印を打った味噌煎餅に、鼠の打ち物が近左の干菓子盆で出て、薄茶。
場所を変えお膳が出る。燗鍋、朱盃で一献。三段に盛られた料理は美味しかった。碗の海老真薯はやはり料理人でなくては出せない味・姿・歯触りだった。八寸に大きな数の子あり。
食後に福引きもあり、終われば五時。一時、二時間の至福。
* 床に、書は、あったろうか。
2008 1・5 76
* 朝いちばんに、ボストンからの声を聴いた。気がシャンとする。つまりこういう話題が好きで乗れるということ。わたしには、逆立ちしてもこういう日記は書けない。すこし長いけれど、読んで下さる人も多かろうと想う。
☆ 恐怖のメール ハーバード 雄
Mu-ming pooという名前は,僕の日記を読んでくださっている方の多くには,馴染みが無いかもしれない.しかし,神経科学者で彼の名を知らない人はいないのではないか.それほどの有名人であり,現在カリフォルニア大学バークレー校の教授をつとめている.
神経細胞は軸索と呼ばれる細い突起を持っている.神経細胞が回路を作るとき,軸索の先端は成長円錐と呼ばれる扁平な扇型に広がっていて,この部分で標的となる細胞を認識し,正しい標的細胞に向かって突起を延ばしていく.逆に標的以外の細胞に近づけば,その細胞を避けるようにして方向転換することもある.この成長円錐の挙動を制御する仕組みが分かれば,どのようにして神経細胞が回路を作るのかを理解する上で,大きな手がかりとなるだろう.Mu-ming Pooは,この分野での第一人者で,カエルの神経細胞の初代培養系を用いてオリジナリティ溢れる研究を展開し,この分野をリードしてきた.
この分野の第一人者であり,著名な学者であるが,それにしては名前がちょっと可愛らしすぎる.
カタカナで書けば「ムーミン・プー」.なんだかちょっと締まらない.おまけに風貌もどこかユーモラスであり,セミナーで大きな身振りを交えて話す様子は,ちょっと愛嬌がある.
Mu-ming Pooが日本神経科学会の招待講演で話したのは,1997年だったか.もう10年以上も前になる.その時,自分の研究内容の話をする前に,こんな話をした.
「実は,今回,日本に来る直前に,アメリカの学生達が主催するセミナーに呼ばれ,色々な質問を受けてきた.その際に1人の学生から,こんな質問をされた.「常にサイエンスの最先端にいるためには,どうしたら良いのですか?」と.」
こう聞かれたPooは,「サイエンスの最先端に居続ける研究者は,大きく分けて二つのタイプに分類できる」と答えたという.
一つは「ボストンマラソンランナー型」.このタイプの研究者は強靭な肉体とスタミナとを備え,常に誰よりも速いペースを保ったまま,ひたすら走り続けることでサイエンスの最先端に居続ける.しかしながら,悲しいことに人は歳を取るのであり,それと共に後から来る研究者に先を越されることになる.
もう一つは「ジャパニーズ・ツアー・コンダクター型」.今でこそ(少なくともボストンでは)めっきり見かけなくなったが,昔は日本人の海外旅行客が団体旅行をする光景は,あちこちで見かけられただろう.今は日本人が海外旅行慣れして単独行動が増えたのか,あるいは不景気になったからか,日本人の団体観光客を見かけることは滅多に無く,代わりに韓国人や台湾人,中国人の団体客を,ここボストンでは良く見かける.
それはともかくとして,これらの団体旅行客を率いるコンダクターのように,旗を持って歩き出せば,その後ろから付いて来る人が現れる.そうすれば,旗を持って歩き出した人は,あたかも行列の先頭を歩いているかのように見える.そして,(「これが大事なのだが」とPooは前置きし),一旦先頭を歩き出したら,なるべくゆっくり歩くこと.これが常に先頭を「維持する」上では重要(<勿論ジョークです,多分).中には体力の有り余った人が,自分より先を歩くかもしれない.しかし,その時は,旗を持ったまま,くるっと方向を変え,今度はそちらに向かって歩き出せばいいのだ,と.
勿論,僕もその話を聞いて大笑いしたし,オリジナリティ溢れる論文を沢山書くPooならではの話だと思った.
ところが,Pooが自分の研究室のメンバー全員に向けて送ったメールというものを,最近知った.読んでみてびっくりした.全文はこちらをご覧下さい.
http://my.opera.com/DarrenWONG/blog/2007/02/25/mu-ming-poo-s-letter-to- his-students-in
内容をかいつまんで書くと,以下の通り.
1.一流の研究者は最低でも週60時間は働く.君達はせめて,最低週50時間は働きなさい.
2.上記の時間には,ネットサーフィンをしたり,私用のメールを書いたりする時間は含まれず,純粋に科学の研究(=実験)をする時間のみ.論文や本を読む時間も含まれない(それらは家に帰ってから読みなさい).
3.休暇は年に20日以内.病欠や,あらかじめ長期休暇を取ることが分かっていれば,前もって報せること.
4.以上が守れない研究者は,1ヶ月以内に,この研究室から出て行く準備を始めること.
まあ,日本の研究室の多くでは,この程度のことは当たり前かもしれない.条件も,メチャクチャ厳しいという程ではない.かつてイオンチャネルの研究で世界をリードした沼正作・京大教授のラボなど,夜中の2時でもラボのメンバー全員が働いていた,などという,とんでもない例もある.そんなのから比べれば,労働時間そのものは大したことが無いかもしれない.
しかし,ここまではっきりと明文化し,メールという形でラボメンバー全員に送るというのには,ちょっと驚いた.アメリカでここまで時間のことをうるさく言うのは,研究者社会では珍しい気がする.
アメリカでも,あまり働いていない研究者に,こっそりと口頭で忠告するくらいならばよくある話だとは思うが,ラボメンバー全員にメールで送信というのはちょっと怖い.ある日メールチェックしたら,突然,こんなメールがボスからメンバー全員に届いていたら,ちょっと引く.
内容の厳しさ云々よりも,日本神経科学会であのような話をしたMu-ming Pooが,自分のラボのメンバーにはこんなことを言っているということに,むしろ僕は驚いた.
しかしながら,この手紙の中で思わず僕が笑ってしまったのは,「上に挙げた条件通りに仕事をしなかったのに成果を挙げることができたのはFlorian くらいだ.みんな自分が彼と同じ位ラッキーだと思ってはいけない」というクダリ.ここに出てくるFlorianというのは,ハーバードの同じ Departmentに所属しているFlorian Engert(http://www.mcb.harvard.edu/Engert/)のことだろう.
たまにdepartmentの主催するセミナーなどでEngertを見かけるが,明らかに常人ではない.人々がコートを羽織るような時期でもタンクトップと短パンで歩き回り,移動は常にローラースケート.セミナーだと,大体開始10分過ぎ位に会場に現れ,堂々と発表者とプロジェクターの前を横切り,(そんな時間だと席が埋まっていることが多いため)机を飛び越して最前列の中央付近の席に座る.目立ちたくてわざとやっているのではないかと思うことが良くある.
たまにキャンパスを歩いていてEngertを見かけることもあるが,いつ見ても人生を楽しんでいるかのように見える.Engertはドイツ・ミュンヘンにあるマックスプランク研究所のTobias Bonhoefferのラボで大学院生として働いていたが,TobiasもPooと全く同じことを言っていたというから,やはり相当に自由を謳歌していたのだろう.一般にドイツ人は良く休暇を取り,金曜日も午後3時頃には仕事を終える人が多いというから,そのドイツで「あいつは自由だなあ」と思われるということは,よほどなのに違いない.それにしても,そのBonhoefferのラボでもPooのラボでも,それぞれネイチャー誌に筆頭著者として論文を出しているのだから,よほどの天才か,(二人の元ボスによれば)よほどラッキーな人かのどちらかだろう.
話を元に戻すが,やはり研究では,どうしてもある程度の時間,働かないと成果は挙がらない.他の職業の人から見れば,研究者は頭脳労働者に映るかもしれないが,実際にはアイデアを思いつくのは一瞬であり,実際には,それを証明するために多くの作業をこなさなくてはならないのであって,肉体労働の方がむしろ大きかったりする.
また,人間の思いつくアイデアなどはタカが知れているので,いかにそれを早くこなすかが重要であり,そうなるとラボにいて仕事をする時間が長いほど有利になるのは確かだ.
かといって,長時間働いてさえいれば良いなどという訳では,勿論ない.長時間ラボにいることで,「自分は頑張っている」と酔いしれている人も時折いるが,実際には長時間お喋りに興じていたり,ネットサーフィンで暇つぶしをしていたりして,実際には大したことをしていないことも多い.
自分自身を振り返ってみると,やはり頑張りが足りないかなと反省しきり.もう遅いかもしれないが,せめて今年から心を入れ替えて,頑張るとするか.
追記: この「恐怖のメール」を,なんとPoo本人に直接聞いて,本人が書いたのかどうか確かめた人がいるようだ.なんとも度胸のあることだが...それに対し,Poo本人からの返信が,再びネットに曝されていた.こちらも併せて掲載した方が,Pooの名誉のためにも良いかもしれない.
http://www.mitbbs.com/article3/Biology/26503001_1_p.html
2008 1・6 76
* 甘露の凝りし ジヤムを給わりました、有り難うございます。家内とともども、喜んでおります、有り難う存じます。
甲子さん御気象の迸った、日々の創作に、私も激励されています。どうか御大切に、ますますの健筆を待望します。そのためにも、お怪我無く、事故無く、くれぐれもご用心願います。 湖
☆ 餅とおせちと懶惰の三が日を過ぎ、ふと日常の食生活が懐かしくなり、(こんなことを、おせちを作ってくれた長女の耳に入ってはまづいのですが、)四日目にはパンを焼きました。そこでふと、ジャムをお送りした次第です。他意はありません。
作品と言えるのかどうか判りませんが、わたしはわたしの「失われた青春」が返す返すも惜しく、いつまで経っても無念さが残って、そのこと一筋に書いております。
歴史とか藝術とか哲学とかの高踏的なものではなく、一庶民からの告発に余生を注いでいまして、それが文学・文藝に値するか否かは二の次、と思っております。ただ、より正確を帰する故にフィクションを借り、描写するための文章を綴っているにすぎません。これが小説という分野に入れられるなら、まさに「私小説」に他ならぬ、と存じます。
と申し上げながら「私小説」だの「文学」だのと、およそわたしには似つかわしくないことを申し上げてしまいました。ご憫笑下さい。
たとえば、原爆投下の問題一つを取り上げても、原爆そのものは残虐の一語に尽きますが、あれは平和時に何の関わりもなく投下されたものではなく、ポッダム宣言のあったとき直ちに受け入れていれば投下はなかったかもしれない。
だいたい外交交渉の最中、真珠湾への奇襲がどれほど相手を怒らせたか、そうしてその魚雷攻撃の様をニュースで観た99%の国民がどう反応したか。圧倒的な装備で大陸へ押し入った時の民衆の歓喜はどれほどのものであったか、その予兆はあったのに、と、わたしは自らを省みずにはいられません。
たたかいすんで日がくれて、己れの居場所を探す老残の旅半ばです。
励ましのお言葉、ありがとうございます。
死のときまで、己れ探しです。 甲子 都下
☆ 私の義理の伯父,杉森(久英)氏との思い出,懐かしく(「mixi」日記で)拝読しました。私にとっては,もうかなり昔ですが,赤堤のお宅に連れ合いと遊びに行くと,やはり遊びに来ていた息子さんやお孫さんたちに囲まれて,ご夫婦でニコニコと出迎えてくれる方でした。
また,書籍・論文と電子メディアとの関係,興味深く拝読しました。
このご説から10年,今や,電子メディアは完全に著作や出版の中に入り込んできました。引用論文などを探す際も,以下のサイトを使用することが多くなりました。ご存知のことと思いますが。
http://ge.nii.ac.jp/genii/jsp/index.jsp
利用する立場としては便利なことですが,それだけではすまれない問題が大きく,多く含まれていることも,改めて感じられました。著作権などの点では,ご心配のことも多いことでしょう。また,「ケータイ小説」に代表される,作品の質の低下や「売らんかな主義」も顕著になってきている,と感じられます。
おっしゃるように,「困る」,「嫌だ」,「とんでもない」,という視点で見ることが,必要です,これからは。 麗 北海道
☆ 岡井 隆『現代百人一首』 惇
アンソロジーは、それを編む人の個性や眼差しが見えて面白いです。
岡井さんは今年80になられる短歌界の大家。『現代~』に取られている作品は幅が広く、非常に面白い。
「皇后美智子」妃の歌
音さやに懸緒(かけを)截(き)られし子の立てばはろけく遠しかの如月は
この歌は長歌と対になっていて、それだけで
ひぇ~!!すごい!
と思うのだけれど、実は歌そのものに力があって、音の調べの美しさ、万葉調のおおらかさ にぎゅっと惹かれてしまう。
岡井氏の解説抜粋
上の句でまず、白い緒が冠から頬を伝って顎の下に結ばれ、その懸緒の余りの部分が「音さやにさやに絶たれ」(長歌の一部)たさまをもう一度繰り返してうたっている。そして下の句で、皇子生誕の20年前を思い起こすという構造をとっている。第三句で「立てば」と言って、ただちに「はろけく遠し」という。山もあり谷もあった二十年のわが子との歳月を調べ豊かにうたっておられるのである。
岡井氏は最後に、戦後50年の日々を「はろけく遠」く感じると述べている。
ある「時代」と切り結ばれている私たちの、そうした感慨が、強い主張ではなく、しかし丁寧に歌に読み込んであるのがいいなぁと思う。
(私はそういう歌も好きである)
ちなみに、マイミクになってくださっている湖さんの短歌も収められています。
優雅でたおやかな歌でいらっしゃいます。
* 恐れ入ります。
2008 1・6 76
* 七草の粥を祝う。
☆ 七草なずな 馨 鎌倉
もう七草ですね。
今年は、今までで一番多く揃えられて、ホトケノザ以外はすべて摘めました!
ちょっと嬉しい!
摘めたのは、ナズナ・ゴギョウ(母子草)・セリ・ハコベです。これに買っておいた大根とカブで六草。
このうちセリとハコベは、昨年摘んで葉の形を覚えた娘が探して、摘んでくれました。セリは昨年は少し遠くの水場まで行ったのですが、今年は近くの彼女の遊び場所で摘んでくれました。
ゴギョウは暮れのうちからこっそりたくさん見つけておいたので、すんなり摘めたのですが、苦労したのがナズナでした。ペンペン草特有のあの花を出している時期ならその辺でホイホイ見つかるのですが、この時期はロゼットで地面にべったり張り付いていて、同じようにロゼットになっている草と見分けがつきにくい。おまけに葉の形もこの時期は楕円ではなくて貧相なタンポポみたいなギザギザだし。
でも、「あ、これだ!」というのが見つかって、わーい・・・。
ホトケノザ、いわゆるタビラコ(本当の名前はコオニタビラコらしいです)は、小さい頃はこのあたりで花を見かけたのになぁ、と思うけど、あれは絶えやすいですよね。なんでも種を真下に落とす植物なのだそうで、そのときに生えている場所を掘り返されるとサバイバルできないのだそう。タンポポみたいに飛ばしたり、スミレみたいにはじけたりする種なら他に行けるのに、不器用な植物なんですね。これはいつか、どこかの田んぼとかで種をもらってきて育てようかなぁ、なんて思います。
七草と十五夜って、身の回りの自然とお話ししながら食べ物を用意するので、ゆったりした優しい気分になれて、とても好きな行事です。
* 主婦も母も研究者も、悠揚せまらず。
☆ 久しぶりにHPの文章に浸りました。ゆったりした年の初めが伝わってきました。
無数の未練。モノを捨てなければならないこと、これは中年を過ぎたらほぼすべての人が抱えているはずで、よくよく分かります。そしてムリの多い数年の不快のこと。環境問題など世界のこと。
でも何よりもお体を気遣ってゆったり過ごしてください。
暮の27日に届いていたメールも読みました。もう十日ほども過ぎてしまっているとは!
弦をはなれて翔んだ矢は、「想っていた以上にこのことが気に掛かっていた」と自覚されたあなたから放たれて、その行き先のどこまで見定められるか・・それ自身の運命に従っていくでしょう。
大晦日の31日から、八人、といっても特別多い人数とは言えませんが、師走、正月の主婦は多忙でした。姑は自分の洗濯以外全く家事をしなくなっているので、用事の殆どをこなして、いささか体力も神経も疲れました。娘たちは振袖を着て・・慣れない和服を半日だけでしたが楽しみました。そして今頃娘夫婦は、フィンランドでオーロラを眺めていることでしょう。
わたしは家に戻って、さて期日の迫った絵の仕上げもあり、気持ちを引き締めなければなりません。
元気、外見上は元気。現実的な面でのわたしは主婦としての仕事をこなしながら、さてさて同時に「浮遊」しているらしい。 鳶
2008 1・7 76
☆ 小堀遠州 碧 長門
マイミクの「瑛」さんのおかげで小堀遠州なる人物が急に近しくなった。昨日の朝刊TV欄を見たら「新・日曜美術館」で採り上げられている。朝は慌しいのでそのまま出かけたが、再放送を録画することが出来た。
偶然は他にも。教会からの帰りに寄った書店で熊倉功夫氏の『小堀遠州茶友録』(中公文庫)をみつけ、雑誌の棚で、ふと目にした『目の眼』2月号も、彼の特集。なんと嬉しい日だったろう。
これも前日に家にあった雑誌(以前「ずいひつ」を書かれた方からの贈りもの)の背表紙を見ていなければ、手に取らなかったかもしれない。
今日はお午から録画を観た。面白い。いや面白い。
*「小堀遠州」のたしか四代ほどの「孫」に、あの小説家上田秋成があったという画期的な研究が世に出たことがあります。都立大学の高田衛さんの犀利な研究成果でした。
少なくも当たらずとも遠からぬ関わりが二人に認められていて、わたしも四半世紀前に金剛・葛城山の麓まで調べに行きました。残念ながら小説には出来なくて、わたし自身の実父・生母を探索する長い旅になりました。九百枚ほどの草稿が今も放り出してあります。
わたしの育ちました京都新門前通りの東の末が袋町になっていて、秋成がはじめて大坂から京都に移り住んだとき、その袋町に住みました。袋町界隈は久しく「こっぽり」とも通称されていまして、小堀遠州ゆかりの故地であったと想われます。 湖
2008 1・7 76
☆ みづうみ わたくし
お元気ですか、みづうみ。
かなり出遅れましたが、謹んで初春のお慶びを申し上げます。何より美しい一年でありますよう切にお祈りいたします。
今年はみづうみから新年のメールのない幕開けでしたが、春雪の曙のお写真を拝見し、ほのぼのと幸せでした。
年始の休日がやたらに長かったので、主婦業はかなり疲れました。頑張ったので今日から休養と言いたいところですが、年明けの雑用が色々で。
このお正月三が日は意地になって着物で過ごしました。着物の製造に携わる方々は相次ぐ倒産廃業に追い込まれて、危機的な状況です。西陣など風前の灯火で一度滅びたらあれほど複雑に高度な技術は二度と復活できないと言われていますので、着物をできるだけ着て応援しなくてはと思うのです。わたくし一人が着物を着たくらいでどうなるものでないにしても、日本の大切な文化を守るために個人の出来ることは何でもしてみなくては。
着物の命運も純文学の命運と共通するものがあるような気がしています。職人の手描きがシルクスクリーンの安価で粗悪な着物になる過程が、藝術から通俗読み物が主流になる出版界と似ているような。
それにしても、着物を着て歩くとつくづく昨今の洋服の流行は色がないなと感じてしまいます。関西ではもう少し華やかなのでしょうが、東京は妙に地味好みの土地柄のせいか、道行く人たちのコート姿が遠目にはお煮しめみたいな黒、灰色、茶色、ベージュ色。『細雪』の姉妹なら、お煮しめ色で歩いたりしないでしょう。着物の衰退とともに、お正月に文字通りの晴れ着で着飾るという習慣が薄れてしまうのは少しさびしい気がいたします。豊かな黒髪を日本髪に結った若い娘さんたちにも断えて久しくお目にかかりませんし。
一日に今年の目標を並べたらあっという間に十個。欲張りですが、「できるだけ着物を着て出かける」「腰痛を治す」という目標だけはどうしても達成したいものです。
蔵書の処分をお考えとのことですが、もしほんとうに処分なさる時にはわたくしのことを思い出してください。一冊でも二冊でも送料着払いでと……。みづうみのお読みになったご本が手元にあるのは、素敵な贈り物で、宝になるでしょう。
新年早々つまらぬお喋りをしたかもしれませんが、どうぞお元気でお過ごしください。明日の聖路加の結果が○印でありますように。
* もう「着物」や「純文学」どころでない、地球破壊と人間達の生存の危機が如実に近づいている気がしている。もう現状や近未来の指摘だけでなく、出来ることは、いや、すべきことは、これだ、これだと具体的に実行して行かねばならぬ時期が来ている。マスコミの役割が本当の意味で大事に成ってきているのに。ゲーノー人を電波に乗せてバカ騒ぎさせダダラに遊ばせてやっているようなマスコミなど、真っ先に不要にしたいが。
2008 1・8 76
* お嬢さん(松たか子)の結婚にもふれ、メールで、藤間紀子さん(高麗屋の奥さん)新年のご挨拶があった。
初春大歌舞伎はもう佳境を迎えようとしている、高麗屋は昼が『魚屋宗五郎』で、夜が染五郎との『連獅子』は楽しみ。染五郎はほかにめでたい『猩々』を梅玉と、そして父と気のあった魚屋の小奴三吉が楽しめる。
吉右衛門の『一条大蔵卿』雀右衛門の『女五右衛門』団十郎の『助六』は揚巻に福助が、期待大。団十郎は『お祭り』も。そして御大芝翫と冨十郎の『鶴壽千歳』に豊かに祝って貰う。
歌舞伎は外題と役者。そのアンサンブルでとことん楽しむ。リクツ抜きで佳い。しかも見馴染むとしぜんと手前の理がからむ。それが贔屓であり、ときに贔屓の引き倒しになるのも、おもしろい。
2008 1・9 76
☆ 長浜の孤篷庵 瑛 e-OLD川崎
正月も終わりふと心が真空になる。
真空に春を呼ぶmixiの声があった。小堀遠州のこと。
琵琶湖の東、湖東長浜の孤篷庵はいつ行っても心が和む。
この地を調べますと
『遠州の生家が近くにある総持寺(滋賀県長浜市)は小堀家ともかかわりが深く、小堀家より寄進された用地に造られた池泉回遊式庭園では、春は不動岩を囲むようにきりしまつつじが咲き、初夏にはピンクの睡蓮が水面に影を映します。冬は亀島におりたった鷲に霙が降りかかる眺めもみものです』とある。
男を魅了するなにかがある。
孤篷庵の鯉の色はなにか美しい。
* 「瑛」さん手練れの写真も美しい。「mixi」で、下関の「碧」さんとすこし小堀遠州の対話があった。
2008 1・9 76
☆ 湖。 お咳の具合はその後いかがでしょうか。 珠
今日は新年パーティで、少々遅く帰宅しました。
さて、帰宅して何故かふと気になってしまい、どういうところから探ってゆくとよいか、湖にご相談させて下さい。
大切に毎日心に刻んでいる言葉、「逢花打花 逢月打月」
花は生、月は死、その逆でも、、と書いていらっしゃったと思います。
茶の稽古でも七事式というのがあり、その一つに「花月」という点前の稽古があります。「花」の札をひいたら点前、「月」をひいたら茶をのむ、これを繰り返してゆきます。
この札の意味がどのように決まったのかも、調べてみたいと思っているのですが、「花」と「月」とはいろいろなところで共に表現されることが多く、いったい「花さん」「月さん」はどのような頃から共に表現されるようになってきたのでしょうか。「月」「花」でなく、「花」「月」が多いのにも意味があるのだろうか。。。などと。
私なりの「花」「月」もとめてゆきたく思っています。
湖。いい休息、そして心地よい目覚めでありますように。
* すこしとりとめなくて、答えにくいが。
この人は表千家の門流と想われるが、裏千家でも「七事式」の習いがあり、つねの稽古日でない臨時の日に叔母も、社中と、「花月」とか「且座」とか、とくべつないわば茶遊の式を教え、また遊んでいた。それ自体はここに謂われる禅語と直接の関係はないだろう。だが茶の湯の道が禅の趣味にまぢかくうまれたのは歴史的に言い切れるのであり、それとても花が好き月が好きの生得の日本人好みに出ているだろう。
花鳥風月ともいい雪月花ともいう。日本人の好尚とはいえ、根は「柳緑花紅」の大陸に生うたものか。
裏の、茶箱点前に、卯の花、花、雪、月があり、表流ではどうか知らないが、たぶん同じだろう。
わたしの早い時期の著に『花と風』がある。わたしの世界観や歴史観の基本の足場を成している。『古事記』の認識には、「花と岩」という対比もあって、四谷怪談にまで手をのばしている。
2008 1・9 76
☆ 湖。 真夜中のとりとめもないメールに、お返事をありがとうございました。
「湖の本」いくつか頂戴しようと思っていたので、『花と風』読ませて頂きます。
長い時間が、「花」にも「月」にも流れているとは感じながら、その様々なふくよかな艶のようなものが言葉と共に溢れださなくて、残念。まだまだ引き出しが少なくて。
表千家流には残念ながら茶箱点前がないのです。個人的には小さな世界が大好きで、茶箱の中にいろいろ仕組めるような道具を揃えたり、仕覆を作ったりします。
裏千家さんには茶箱点前があると聞いていましたが、花、雪、月とあることは初めて知りました。真、行、草のような違いがあるのでしょうか。花、雪、月とは何とも可愛く、茶箱らしいですね。
気楽に、楽しく、美味しい一服、茶箱で点てて頂きたいなどと、夢見てしまいます。
お手数をおかけ致しますが、以下の「湖の本」を頂戴したいと思います。
創作シリーズ 2、こゝろ
7、8、墨牡丹
エッセイシリーズ 2、花と風・隠国・翳の庭
36、花鳥風月・好き嫌い百人一首
以上です。体調のよい時に、天気のよい時に、お願い致します。
毎夜、私の枕元には、「湖の本」と香袋。
寝付くまで、読み、夢の中でも続きを。。。楽しませて頂きます。
湖、明日からまた寒くなってきそうです。夜中の読書で肩、冷やしませんように。肩を冷やすと咳がでますので、大事にして下さいね。 珠
* 茶箱の点前は瓶掛けでするので、比較的場所を選ばない。盆をつかわず、茶箱だけでする作法もあり、そのほかに茶箱もつかわないお盆点ての簡素な作法もある。簡素なのは滋味深く、おいしいお茶にはそれで足りている。平点前とお盆点てとだけはいつでも出来るようでいたい。他のいろいろは、わたしにはもう思いだしても出来ない。その気もないが。
2008 1・10 76
* 次の「雄」くんの日記を、気も新たに転写しておきたい。
☆ レモンをレモネードへ ハーバード 雄
今日は、1時からいよいよボスとミーティング.このために,最近,ナーバスになりながら準備をしていた.
たかがボスとのミーティングではないか,大げさだと思われるかもしれない.いつものミーティングなら,ここまで身構えない.しかし,今日のミーティングは,今までのデータを総括して,どういう方向性に進むかを決断するのが目的.それだけに,やはり色々と考えてしまう.
ノートパソコンにデータをコピーし,教授室に持参.今までのデータを見せながら話をする.
データといっても,当初の予定からすれば完全にネガティブなものだけに,気が重くなる.今までのデータを見せただけで,予定の1時間が過ぎてしまった.どうしようかと思い時計を見ていると,「今日はこの後予定が入っていないから,このまま続けて」とボス.
新しく何をやるか,自分なりに色々と考えたのだが,考えようによっては,今までのネガティブデータは,全く他の目的のための実験として扱えば,それなりに解析する意味があるように思えてきた.
そこで,そうした観点から,自分なりの方針をボスに話してみた.
ボスの今までの研究からすれば,こういうテーマは好まないだろうと思っていたのだが,意外にもボスは興奮して、「いや,それは面白いよ」と乗り気の様子.結局,僕の方針通りに進むことになった.
新しいテーマについてはボスも考えていたはずだが,どんなことを考えていたのだろうと思い,それとなく聞いてみた.するとボスの答えは次の通りだった.
「僕がラボのメンバーに期待するのは,ここを出て次に自分でラボを持つとき,どういうことをすれば自分の世界を築けるか,その芽となるものを掴んで欲しいということなんだ.そのためには,多くの人がやっているようなことをやったんではダメだ.例えば,もしYouが、××や〇〇について研究したい(<やっている人が読むかもしれないので,敢えて伏字にしました>)と言ったら,それはやめろと言っただろうと思う.でも,Youが今,提案したテーマは,You が自分で工夫して,その結果自分で見つけたことだ.それは誰もやったことが無いことだし,そのまま発展させれば独自の世界が築けると思う」
確かに,ボスの言うように,決して新奇性に富むという訳ではないが,この一年間でやってきた実験から分かったことは,自分で一から試行錯誤して,自分なりに見つけてきたことであり,今日提案したのは,それらを踏まえてのテーマ.決してネイチャーやサイエンスに載るような実験ではないが,それでも論文にする価値はあるだろう.
mixiのトップページにも掲げてある言葉だが,「運命がレモンをくれたなら,それでレモネードを作る努力をしよう」という言葉が,僕は好きだ.研究していると,本来の目的どおりに行かないことなどしょっちゅうだ.しかし,レモンを単にレモンとして終わらせるのではなくて、(英語ではレモンには「嫌なこと」というネガティブなイメージがある),そこから新しく研究を展開することも大事なことだと僕は思う.
何より,僕にとって理想的なサイエンスのスタイルは,「自分の手を動かし,自分の目で見たものを,自分の頭で考える」というもの.立場が変わっていけば,これらの全てを行なうのは難しくなるのだろうが,できることならば上のサイクルをどんどんと回していって,独自の世界を切り開いてみたい.そういう意味では,今の展開はむしろ好ましいかもしれない.
さらに,上記のボスの言葉を受けて,最近僕が漫然と考えていた,将来の方向性について話してみた.もしその端緒となる実験をここで始められたならば,それは自分のラボを持ったときに生涯のテーマになるかもしれないと思った.
しかし,これもボスの好みからは反しているかもしれないとも思い,口に出すのがためらわれた.しかし,話してみると,こちらもボスは大賛成で,あっさりとOKが出た.おまけに,来月でラボを去るジョンも,近い分野での研究を目指しているのだが,独立してからもウチのラボとしばらく共同で実験したいので,誰か協力してくれる人を探してくれないかと,今朝,ジョンから申し出があったばかりだとのこと.まさに渡りに舟だ.
さっそくボスとのミーティングが終わってから,ジョンと話す.ジョンも乗り気になってくれて,さっそくお茶部屋でお茶を飲みながらディスカッションをする.
彼はこのラボでも1,2を争う良い奴なので,人のアイデアを盗んだりとか,人を出し抜くようなことは一切しないから,僕も安心して共同実験できる.筆頭著者云々はともかくとして,彼との共同研究から,将来の核になるような「芽」が得られれば良いと思う.
ディスカッションの後に,留学助成金をもらっている機関に中間報告書を作成.その後,いよいよコーリーの使っていた部屋への引越しを始める.コーリーがテレビゲームをするのに使っていたテレビを地下の倉庫に運び,代わりに実験機器を入れる可動式棚を倉庫から頂いて,電気生理用機器をセッティングする.この部屋には防震台ががあるので,その上に顕微鏡などを設置する.もっとも,コーリーはその上にタオルケットを敷いてベッド代わりに使っていたようだが.
大分実験室らしくなった.マウスのアレルゲンが舞っているのは確かで,思い切ってamazon.comで格安の空気清浄機を購入した.
帰りは久しぶりにLE’sに行き,いつもの鶏肉のフォーと春巻き.
* よそながら、わたしは、こういう日記に、興奮もし励ましもされ、心嬉しいのである。芝居の話は、明日で十分。
* お元気ですか みづうみ 17:03
ただいま小猫が足元に寝ているので、暖房代わりに触ってぬくぬくとしています。おやつには柚子風味のラスクとほうじ茶。年末年始にあれこれ食べ過ぎてそろそろダイエットしないといけませんが、相変わらずの食いしん坊で。
のんきなことばかり書いているとお思いでしょうが、実は身辺慌ただしく心労もあり、なかなか大変です。ですからみづうみにメールを書いているこんな時間は以前にもまして貴重なものです。どうぞ、つまらぬメールでも受け止めてくださいますように。
今朝、NHKで八坂神社と知恩院が放送されていました。胸が騒いで観ていました。みづうみの場所は京都しかないとも思いながら。
労働に明け暮れてきた天才さんが、茫然と過ごされるのも良いことです。お休みになる時にはゆっくりなさって、どうぞお風邪の予後を大切にお過ごしください。 わたくし
☆ 風、お元気ですか。 17:03
今日の昼間は、前後不覚に熟睡しました。
きのうまで、暮れ正月の延長で気が張っていたのでしょう、微かに体調の不和を感じていました。よく眠りましたので、もう大丈夫です。花は元気です。
きのうは、図書館から帰るとすぐに、久しぶりに顔を合わせたお向かいの奥さんにお呼ばれし、たっぷり三時間おしゃべりしてきました。楽しかったけれど、気疲れはしていたようです。
糖尿の検診結果に問題がなくて、よかったですね、風。
2008 1・10 76
* ゆっくり寝た。せっかく、今日は用事を前へ進めよう、一つでも二つでも。そのためには隣棟の室温八度を先ず煖房しなくてはならぬ。温まる間に、マイミクe-OLDの「うた」を聴こう。
☆ 雨 慈 e-OLD多摩
久しぶり
半ば霧になり、たちこめる…雨。
冷たく 寒く。
電線に一羽のカラス。一声二声啼き 首をすくめる。
空が低く雲たれ込めて 景色が鈍色に曖昧に沈むなかの
黒いカラスだけが 色。
カラス 寒いか?
☆ Jan と May 優 e-OLD多摩
東京は年明けて初のお湿りだったか
春を迎える甘雨ではない
六畳の座敷牢の天窓を打つ雨音にはいささかも
温度を感じない
リズムも感じない
こういう日があってもいい
冬(ふゆ)の語源には諸説あっても
やはり「冷ゆ」から来ているのではと
今朝は外で触れた景色を思い出せないが
ふと
燗(かん)よりも冷やで愛でたし冬椿 優
尻と下半身だけを温める唯一の暖房
二畳の電気カーペット
介助を受けて三度目の冬を過ごす
きのう見た公園の寒椿は塵埃で薄化粧していたが
冬枯れに一点の紅ではあった
英国風物誌にこんなくだりがあった
May and January
ふつう順序からいくとJan. が先ではと読み進む
January(爺サマ)とMay(若い娘っ子)の結婚の比喩だった
いうまでもないが
英国の厳冬はまさに「ふゆ」「老人」
Jan. である
Mayには一気に
重い冬の名残が崩れ落ち
八千草薫るのだ
日本もさほどは違わぬとは思っても
彼我にはやはり温度差があって
そこから生まれる風物誌やポエムや文藝や風土精神はおのずと違う
時代差もあろう
そこが微妙で難しく
また比較が楽しくもある
(略)
さてと
昼餉に帰宅しようか
あの寒椿を見てみよう
* わたし自身は、「冬」は冬祭り由来、ものの「殖ゆ」という民俗学の説に馴染んでいる。
☆ 稽古始めに稽古を思う。 珠
昨夜は稽古始め。帰り際になって持ち込まれた話に手間取って、稽古始めなのに師匠宅の門を開けたのは夜9時だった。
83歳になる師匠は最近不調の訴えが多くなっているので、夜遅い稽古が申し訳なくて仕方ない。遅くなってしまった旨を電話するが「大丈夫だから、とにかくいらっしゃい」と昨夜も仰って下さった。遅い時間の年始挨拶に、すこぶる元気に明るい笑顔で迎えて下さって、お元気さに安堵した。稽古というよりも、仕事の疲れを癒してもらいにきていると、あらためて感じる一瞬だ。
来週、社中揃って初釜があるからと、竹台子に皆具で稽古。東宮製の梅薯予饅頭がむっちりと美味しく、薄墨色のこし餡ともさらりと馴染んでいる。ほのかな桃色が目に可愛く、思わず笑みこぼれる中、一服。後片付けをして、師宅を辞したら11時をまわっていた。師には今年も元気でいて頂きたい。
仕事が忙しくて仕覆の稽古を休んでいた時期に、ふと会った先生の息子さんに言われた言葉を思い出す。
「稽古したい時には師はいないっていうでしょ。いつかは、、ないんだよ」ドキッと胸にきて、その後何とか稽古時間を作るように頑張った。それでも、もう一度私は思い知ることになった。
数年前、子供の頃から25年茶を教えてくれていた師が、急に逝ってしまった。
師匠を喪う直前、仕事が忙しくて初釜以後、私は稽古を休んでいた。そして夏、人から師匠が病に臥せっていると聞き、慌てて会いに行った時には、何とか話しができるという状態。
「あなた、聞いたら心配するでしょう、黙っててごめんなさい。でも見れば、どういうことか分かるわね。待ってたの、、よかったわ、間に合って」と細い声で言い、痩せ細った手で包みを指した。
私の名前が書いてあるその箱は、軸だった。「青松寿色深」いつだったか、新宿御苑での茶会で掛けた、師匠愛蔵の品。落涙烈しくて、寝ながら書いたと思われるメモは読めなくて、暫く傍らにいて、私は帰った。混乱した思考で、明日から毎日寄ろうなど思っていた。その翌早朝、師匠は逝ってしまった。
茶が好きで、大好きで、厳しかった。その生き方が私には茶の師匠、最後の稽古が何時だったのかも思い出せない不真面目な弟子に、「一期一会」身をもって刻みこんだ。
その後3年間ほど、お茶が出来なかった。泣けてきて、駄目だった。そんな私も、その後また人の言葉に背中を押されて景色がひらけ、今の師匠と出逢った。
大切な人を喪うと、「限りある」を、感じすぎるのかもしれない。今やっておかなければ、、できる事は出来る限りやっておこう、、私はちょっと脅迫的に頑張りやすくなったかもしれない。
今日、正月からの片付けの続きをしていたら、師匠の震える字で書いたメモが出てきた。何度も目にはしたけれど、いつも泪で霞んだ文字しか見えなかった。もう泣かずに読める。いくつか書いてあるが、先生の言いたかったことは多分これだろう。
末永くお茶を愛してくださる○○さまへ
お茶をする。
独りでも、友とも、社中とも。
そして、末永くするために、無理せずに、心地よく、楽しく。
感情の波に茶碗を浮かべるのでなく、どんな場でも茶一服清々しくあるように。
力が入るばかりの私は、今年も、力をぬいて稽古に通う。
* むかしの、叔母の稽古場を想い出す。
☆ 歯医者さんはスッキリしたけど 昴 羅臼
歯医者さんから退院したあと心臓の病院に行ったのですが、驚いたことに、「心臓、問題ないね。」と言われました。
どうも、カテーテル必要かもと言われた時は一時的に心臓の調子が悪かったよう…。
なので、夏のカテーテル検査はなくなりました。
良かった良かった。
でも、問題が出るときもあるようなので、ちょっと心配。
お医者さんも、「何かあったらいつでも病院に来てね」と言うしなぁ。
ま、気を失ったら行きます。
心臓は、歯を抜いたときのようにスカッと「治った!!」と言えないので消化不良の感じがします。
具合が悪い時は、心臓の何が悪いんだろう。
羅臼にいると、具合が悪い時にすぐにかかりつけの病院に行けないので不便です。
* 若い「昴」の容態を、いつも心に掛けて案じている。用心しながら、元気でいてください。
* マイミクがいま五十一人いる。みながみな毎日日記を書くとは限らない、が、たくさん読める。そのごく僅かをわたしは此処へ貰っている。貰える人からだけ貰っているので、日記はもっとたくさん読んでいる。わたしにとって、心安まる「窓」の景色である。いい窓をもっていたい。
2008 1・13 76
* やす香のお友達からメールをもらっていた。妻は何度もやりとりしているが、今日、わたしも返事を書いた。
2008 1・14 76
☆ お元気ですか、風。
たった今、厚い雲の隙間から、日差しが射し込んできました。
冷え込んできていますが、風、お風邪を召しませんように。
花は、なんとなし、胃のムカムカする感じがとれず、正月疲れが今頃出ているのかなあと思っては、それにしても後を引くなあ、脂っこいものを食べると胃がもたれるようになったし、二十代はこんなことなかったなあ、歳のせいかなあ、なんて、風に叱られそうなことを考えています。
とはいえ、体は動かしていないと動かなくなりますからね、昨日バッティングセンターへ行きました。はじめてでしたが、その割りには当たった方だと思います。とっても楽しくて、また来たいなー、次回はもっと当たるよう、家で素振りをしよう、と、帰りがけにバットを物色。バットって、結構高価なんですね。
手ごろな新品から中古品までよく見て回り、買うつもりです。
二ゲーム(一ゲーム十球)ほどしまして、今日は、右肩から背中にかけ、ちょっと筋肉痛になっています。
花は、腕立て伏せ二十回を日課にしているので(たまに忘れますが)、筋肉痛がちょっとで済んでいるに違いないと思い込んでいます。
正月に金毘羅さんに登ったときも、筋肉痛はまったくありませんでしたしね!(自慢)
心がけないと、体を動かすことって、減る一方です。
大人が一日のうちに両手を肩より上に挙げる平均って、四五回らしいですよ。
花は、体力づくりに励みます。
朝晩冷え込みます。風、あったかくしてお過ごしください。
花は、毎日富士山を見上げて風を想っています。
* 夫婦で仲良くバットを振ってかっとばすなど、元気いっぱいに想われる。
わたしもバットを振りに保谷地元のセンターに通ったことがある。しかし、もう眼が見えない。遠用の眼鏡では手元ではやい球が見えないし、近用では球の出てくるタイミングが全く掴めない。バットを振るのは快適な運動感で好きだけれど、へたに力んだりしたら、背中が捻れて攣ってしまうだろう。
会社時代、東大の運動場で、ソフトボールをボカスカと場外へはじきとばしていた頃は、体力横溢、景気が良かった。
運動神経がいいとはお世辞にも言えない不器用モノだが、走るのも百メートルなら早く走れた。高く跳ぶのも遠く跳ぶのも得意だった。だれも信じてくれないが、大学で体育の実技点は、満点だった。
今は、ダメ。散髪に行くといつも親方から、この「からだ、まるで石ですね」といわれるほど硬い。「鉄ですね」なら毅い印象だが、「石」では、ただ硬いのである。もう揉みほぐすのもムリな感じ。やれやれ。
2008 1・14 76
☆ 父の成人式 ボストン 雄
今日は午前中は部屋の片付けをし,午後から隣の市であるベルモントに行って来た.先日,合唱でも共演して下さった,マリンバ奏者の布谷さんがベルモント市の図書館でコンサートを開くというので聞きに行った.
最初はアストル・ピアソラのタンゴを演奏.2曲目はリベルタンゴ.ヨーヨー・マがチェロで演奏したものがCMにも利用されていたから,馴染みのある人も多いだろう.
圧巻だったのは,4曲目に演奏された,バッハのシャコンヌ.本来はバイオリンの曲.バイオリンは3音以上を同時に弾くのが不可能なので,和音も同時に鳴らすことはできず,アルペッジョとして弾かざるを得ない.それが故にシャコンヌの演奏は難しいし,逆に演奏者の腕の見せ所となる.ピアノ用に編曲されたバッハのシャコンヌもあるが,10本の指でいとも簡単に和音が弾けてしまうピアノの演奏では,バイオリンで聞きなれた人にとっては邪道に聞こえるだろう.マリンバの場合は片手に最大でも3本しかマレットを持つことができないので,バイオリンほどではなくとも制約がある.今日の演奏は,そんな制約など全く感じさせないほど,自在にマレットを操って繊細な情感を出したり,逆にダイナミックかつ正確に,テンポの速い箇所もこなしておられた.素晴らしい演奏だった.
演奏会を聴き終えてからポーターに戻り,最近できたTavernでお茶を飲み,Kotobukiyaで買い物をして帰宅.
さて今日は,日本では成人の日で3連休だろうか.最近は,3連休にするために,やたらと色々な祝日を動かしてしまったので,何が何やら良く分からない.この歳になると,20歳といっても子供のように見えてしまう.とても「成人」という気がしない.
自分自身のことを思い返しても,当時はまだ大学一年生だっただろうか.本当に精神的にも幼稚だったと思う.高校を出てすぐに就職した幼馴染と待ち合わせて一緒に成人式に行ったが,社会人を2年した友人は,とても大人びて見えた.
新調してもらった背広を着て,成人式に行ったが,今ほどの荒れ様ではないにせよ,誰も区長の話など聴く者はおらず,会場にはガヤガヤとおしゃべりをする者が大勢いたので,終始騒がしいまま式が終わった.確かその後,高校時代の同級生達と,京王プラザホテルだっただろうか,新宿のホテルのロビーで待ち合わせて会ったはず.しかし,記憶が全く残っていない.成人するということについて,それほどの感慨が無かったのかもしれない.
成人式のことは覚えていないが,20歳になった誕生日のことは良く覚えている.塾講師のバイトを終え,自宅に戻ると父がチキンラーメンを作ってくれた.バイトに行く前に夕食を済ませていたので,腹は減っていなかったのだが,父が食え食えと言うので,箸をつけた.チキンラーメンを食べていると,父がボソッとつぶやいた.
「お父さんは,20歳の誕生日をこれで祝ったんだ」
3歳で父親を亡くした父は,女手一つで育てられた.しかし,学費の援助を母親がしてくれたのは高校卒業まで.「あとは,学校に行きたければ,あんたがなんとかしなさい」と言われ,大学の学費の面倒は,みてくれなかったという.
そこで,しばらく地元の電気屋で働いた後,金を貯めて上京してきた.働きながらの受験準備だから,いわゆる難関校などを目指すことは不可能だった.それに,父が学びたかったものを専攻として有していた大学は,東京でもわずかに3校しか無かった.そこで,父はその中でも学費の安い私学の大学に進んだ.
父の大学生活は困窮を極めたという.昼は大学に通い,夜は小学校で宿直のアルバイトをして,学費と生活費に充てていたらしい.そんな当時の父にとって,チキンラーメンはご馳走であったという.とりわけ,お湯を注いで作るチキンラーメンは,最高の贅沢であった.光熱費も切り詰めていた父は,そのままバリバリと食べることが多かったそうだ.
きっと,そんな苦労をして迎えた20歳の自分の誕生日のことを,チキンラーメンという形で,父は僕に伝えたかったのだと思う.決して裕福とはいえないかもしれないが,20歳になるまで,僕は金で苦労したという思いは無い.そのことを,僕は両親に深く感謝する.逆に父も,そうして20歳になるまで子供を養えたということを,その時きっと誇らしく思ったに違いない.
僕が面白いと思うのは,そうまで貧乏をしながら父が東京で学んだのが「書道」であったということ.いわゆる大家と呼ばれる人が,どれほど稼ぐのか僕は知らないが,おそらく多くの書家にとって,書家という職業は決して儲かる職業ではないだろう.つまり,父が苦学をして学んだのは,学んだことを元にして金を儲けたかったからではなく,純粋に自分のやりたいことを選んだ故だったのだと僕は思う.
そうした価値観は自分にも確実に受け継がれている.僕は金儲けのために何の学問を専攻するかを考えたことは一度もないし,今後も無いと思う.大学の同期が次々と一流企業に就職し,自分よりも多い月収を得ていることは分かっているが,そのことで自分のことを恥ずかしいだとか,負けているなどとは,これっぽっちも思わない.自分にはこういう生き方しかできないのであり,そのことを思うとき,僕には父の血が流れていることを強く感じる.
* 「お父さんは,20歳の誕生日をこれで(=チキンラーメンで)祝ったんだ」に、涙がこみあげた。この青年科学者にどうか恰好の伴侶をとわたしはいつもいつも願っている。
* 秦の日録が無関係な人様の文の転写にかたよってきたのは「良くない」と思う人もあろう。
だが、まちがいなく、どういう人のどういう言葉に、言葉のなかみにわたしが共感しているかは、わたしと「無関係」でなど、決してない。
手間を掛けて転写しているのは、私自身の「関心と表現」に他ならないからで、こういう人や文との「いま・ここ・これ」を、わたしが大事に意識しているということである。
行間や紙背に秘めて匂っている「人間」「生活」を大事にしている。
以前、誰であったか、こういういろんな人の文章も、わたしの「自作自演」であろうと邪推した人がいたが、幸か不幸かわたしはそんなに奔放な人ではない。自分には無い、出来ない、気づかない、知らないことに比較的謙遜な敬意と好奇心とがあるというだけのことである。
☆ 戌の日 馨
五ヶ月に入って最初の戌の日が11日だったので、おんめさま(大巧寺)に行ってお守りと腹帯を頂いてきました。
腹帯は、上の子のときは結構律儀にさらしのを巻いていたのですが(ガードルっぽいのとかは体質に合わなくて、帯と同じで締め具合を自分で変えられるさらしが好きです)、下の子のときはほとんど巻かず。今回もどうしようかな、と思ったのですが、縁起物ですし、あとお守りについては、ちょっと楽しみにしていることがあって頂いてきました。
このお守り、中に入っている妙苻を包んでいる紙の折り方が二種類あるそうです。兜に折ってあったら生まれてくるのは男の子、金魚に折ってあったら女の子。
ところが、下の子の時は赤い紙で金魚に折ってあったのに見事に男の子でした。
家中で大笑いしましたが、それでも「今回はどうかね~」と、なんとなく期待してしまうのが不思議ですね。
お参りに行ったその足で検診に行って帯を巻いて頂いた後、開けてみました。
またしても金魚。
でも、紙は白いんです。
前回は写真も撮っていないし、記憶違いかなー、と思いつつムスメに「何色だったか覚えている?」と尋ねると「真っ赤だったよ」。
う~ん、折り方だけでなく色も時々変えるのかしらん。
金魚が今回は当たるかどうか、楽しみにしていようと思っています。
今回の検診では、始めて4Dの超音波を撮って頂きました。本来なら4Dはまだ撮らない時期なのですが、後に患者さんがいなかったのと、赤ちゃんの角度がちょうどよかったのとで、先生が「面白いもの見せてあげよう」と、撮って下さいました。
4Dは日本ではまだ数台、しかもこちらの医院のが輸入第一号だそうで、わざわざ遠くからこのためだけにいらっしゃる方もいるのだそう。それをこんな時期に撮って頂けてラッキーでした。普通の3Dに時間軸が入るので、映った様子は本当の写真のように立体的でした。まだ大泉門が思いっきり開いている様子などが見えたのですが、一人前に手を動かしたりもしてちょっとかわいい。
顔もしっかり見えるのですが、なんとな~く上の子に似ていました。
またしても私に似たのは出て来ないんだなぁ…3回目のクジ(!)なのに。なぁんてちらと思ったりして(上の子は父方の祖母似、下の子は父親似)。いや、別に自分に似ていてほしいとはあまり思わないんですけど、確率的に興味深いなぁ、と。
もう数ヶ月すると一番かわいいとのことで、普通はその頃に撮るそうです。次回、どんな様子になっているか、金魚と同時にこちらも楽しみに待っていようかなと思っています。
(写真は妙苻の入った金魚です)
* こういう「日本」の「家庭」がきちんと記録される大事さも、わたしは思う。「馨」さんね平安を祈ります。次のe-OLD「優」さんのも、同様に。
☆ 粉餅の夫婦ぜんざい 優 e-OLD多摩
粉餅の夫婦善哉小正月 優
正月用の旨い餅パックはとうに新玉の糞として押し出したが
おっと、ひとつだけ残っていた
あとは99ショップの粉餅五個パック
これは私の非常食
今年は鏡餅も供えなかった
ありあわせの足るを知る毎日に
にわかに冬が、冬らしくなった
早出のカミさんの腹ごしらえに
パック餡で汁粉をこしらえた
私は甘党ではないが
最近はまったく贅沢はいわぬ
あるものはナンデモござれ
口に入るものは按摩の笛でものクチ
計六個の餅をはじめ仲良く三三で分け
むろん旨い餅はカミさん用で
めでたく重ねるつもりだったが
しぜん
カミさんの椀には四ケ入っていた
私は二つで充分だ
あったまった
旨かった
塩ひとつまみの工夫が効いた
カミさんは満ち足り顔で
元気に
元気すぎて大事なケータイを忘れて跳び出した
あとを追ったが
すでに豆粒になっていた
仕事部屋兼居間兼寝室のエアコン・パイプ口の窓に
前から隙間があって
冷気が容赦なく忍び込む
夜間はエアコンを消す
換気にはいいと別段目貼りもしないが
冷え性のカミさんには毛布を一枚足して
電気カーペットを下に敷く
私は寒さには――暑さにも――強いほうだから
寝て一畳をさらにくぐもりホカホカ丸くする
* 電メ研創立の一昔前からの同僚委員、いまもこう、マイミクで仲良くしてもらっている。ご覧のように、人情「綿」のごとくホカホカと、ふかふかと、俗でなく、温かい。
☆ まったりと 昴
今日から研修で札幌へ行きま~す。道徳の勉強です。勉強ばかりだ。
今は喫茶店で汽車を待ってます。カプチーノとか、キャラメルシナモンとか甘いコーヒーをすっんごく、飲みたいです。でも、我慢します。歯が痛くなるから。
駅や学校に洞爺湖サミットのポスターが貼られています。今年ですね、サミット。何事もなく終わって欲しいなぁ。北海道の自然に暴力は似合わないよ。
* 「昴」は学校の先生。
* 「まったり」という形容が若い人たちにつかわれているらしい。
幾昔かまえは「まったり」は「はんなり」以上に理解されていなかった。いまは、どうなのだろう。
「はんなり」は、「花あり」または「花なり」の語源で、わる口のじつに達者な京ことばの使い手のなかでも、希に見る純真な褒め言葉だろうと思って、早くから小説につかい、講演や読書会では盛んに質問された。『京と、はんなり』という本を書いて以降、類似題の本がつぎつぎに出たのを覚えている。
しかし「まったり」は、意味するところ、つかいみちは承知しているが、「はんなり」とはやや筋のちがった批評語で、裏千家に学んだわたしたちは、主としてお茶のいかにもよく点った感じに用いてきた。どちらかというと、味覚にちかづけて用いていた。悪口ではない、むしろ感触のよろしさを褒めていた。
上の「昴」の文によれば、安息してゆっくりした気持ちで「汽車を待って」いる「気分」を表現しているようで、最近耳にする用例は、これに近いのかなあとふと思う。
2008 1・14 76
* 卒業生からのメッセージがあった。在校時から、一風ある論客であったが、「母親主婦」に落ち着いているらしく、おやおやと思っていた。
「太陽のエネルギー」云々に何かわたしの気づいていない情報があるのだろうか。
☆ 先生、こんにちは。「佳」です。
今日ホームページを拝見しました。
以下、引用させていただきましたが、本来人間の持っている感覚が、先生は鈍っていないんだと思います。
私自身が、直接見たり聞いたりしたのではないですが、漠然とこれは正しい、と感じていることがあります。特に妊娠中は感覚が研ぎ澄まされ、いろいろなことを感じ取れました。(赤ちゃんから、生まれてくる日などのメッセージを受け取ったりもしました・・・実際その通りの日と時間にうまれてきました。)
今は同じようなことを感じている人がとても多く、その人たちが言っていることですが、現在太陽のエネルギーが強くなってきています。そして、地球は実際うめき声をあげているんだと思いますが、その太陽のエネルギーを使って、膿出しをしようとしており、2008年正月明けからいよいよ本格的になっていくだろうといわれております。
先生が今その気にならないといっている経済や政治は、膿、ということだと思います。
また、太陽エネルギーの増大にともなって、時間が触れ幅を伴いながらどんどん加速しているのだそうです。眠くてしょうがない、というのも、そのためだそうです。
> いま、わたしの心身はあまり現実的でない。芯のところで疲労がすすんでいるのだろうか。すべき事のいろいろがちゃんと分かっているのにそっちへ手も足も出す気がしない。茫然とあるがままに謂わば怠けている。歌舞伎は楽しいし、読書にも引き込まれる。が、その先へ行かない、動かない。
そして、ものすごく眠い。その気になれば、すうっと寝入っている、座ったまま。
いましがた、「mixi」でメッセージをもらった、が、どうしてもどういう方か、何も思い出せない。
(中略)
> 昨日今日の新聞が読めず、政治や経済のニュースが読めない。その気にならない。その気になって耳を澄ますのはむしろ地球があげている呻き声の方だ。どうも調子が狂っているようだ。
2008 1・15 76
☆ 「山を甘く見ていた」 吾妻連峰遭難男性謝罪会見 麗
私が,おバカな「迷い道」をクネクネとさまよっていた頃,この記者会見が福島で行われていた。
生きて帰れてよかった,などとお気楽な笑顔で帰宅し,TVをつけると,遭難男性の記者会見が始まっていた。男性は,直立不動でカメラを凝視し,関係各位への謝罪と登山からの訣別を,一気に述べた。
見ていて,思った。
「もしものときには,ここまで言う覚悟が必要。」
まさしく,最高の遭難会見。
「夏も冬も山をやめる」
経験も知識も体力も勘も,そして,山を愛する気持ちも,大ベテランの「山男」が,全国に向けて宣言するのは,どれほどの覚悟か。見ていて辛くなった。
「他山の石」などではない,どんな近場でも,山に登るときには,覚悟してから行こう。
生きて帰れたことに感謝。
* よく生還できたと、わたしも胸をなでおろした。
☆ またしても雪 ボストン 雄
ギリシャ神話によると,人間に火を与えたプロメテウスは,ゼウスの怒りを買い,カウカソス山に磔にされ,毎日肝臓を大ワシに喰われるというバツを与えられた.日中は大ワシに肝臓を喰われるが,夜になると再生するため,その苦しみは未来永劫続いたという.このギリシャ神話から,古代ギリシャ人は肝臓が高い再生能力を持つことを既に知っていたことが伺える.
何故,こんな話を書くのか.
またしても今日,ボストンは大雪に見舞われた.昨日までは綺麗に雪が道路からなくなっていたというのに,今朝起きて外を見ると,既に水墨画のように辺り一面雪に覆われていた.雪は激しく降っていて,ニュースでは繰り返し各地の雪の様子,それによって起きたと思われる事故などを報道していた.
確かに雪は美しいかもしれないが,こうも続くとうんざりする.先週のクレイジーな暖かさのおかげでようやく雪から解放されたというのに,またしても雪に閉ざされるのかと思うと,たまらなくうんざりする.大げさだが,プロメテウスのように,自分は未来永劫,この雪にまつわる苦痛(ツルツルと歩きにくい歩道,雪解け水が溜まった道,雪かき...)が続くのではないかと言う気持ちになる.
激しく雪の降る中,ラボに行くのは気が重かったが,そうも言っていられないので家を出る.雪が降ると知っていながら,この週末に,何故自分はスノーブーツを買わなかったのかと,自分の愚かさに嫌になる.外は人もまばらで,しんとしている.昼飯用にと,途中,サンドイッチ屋に立ち寄り,ローストビーフと玉ねぎのサンドイッチを購入.
今日はジョンと一緒に実験.彼のやり方を見学するだけなので,気楽といえば気楽.大半を新しい居室で過ごした.週末ラボにいなかったせいか,今日は妙にアレルギー反応が強い.鼻の奥がヒリヒリとする.
雪は昼過ぎて,ようやく小ぶりになった.
ジョンとの実験が早く終わったので,自分の実験を始める.しかし,いざ観察しようと,いつも使っている顕微鏡の前に立ち,呆然とする.対物レンズが全て取り除かれている.レンズが無ければ顕微鏡など何の意味もない.うちのラボは気のいい奴が多いが,唯一許せないのは,こうして人が使っているものを勝手に拝借して,戻さない奴が多いこと.セットを初めに組んだヒューノに聞くと,「先週,ジェイが使っていたみたいだよ」とのこと.ジェイを捕まえて聞いてみると,やはり彼女が勝手に対物レンズを取り外して別のセットで使い,そのまま忘れていたらしい.謝っていたので許したが,そのせいで実験は失敗してしまった.
早めにラボを切り上げ,自宅に戻り,またしても雪かきを行なう.今日は気温が高かったせいか,雪がかなり融けていて,おかげで大きな水溜りができていた.いくらシャベルで掻き出しても,水はすぐに他所から流れ込んできてしまう.車の回りの水を掻き出し,ようやく道路に出て雪かき.今日の雪は水を含んでいて重い.もう雪かきは沢山だ.僕は雪国には住めそうにない.日本海側や北海道などの豪雪地帯に住む人のことを,心から尊敬する.
* 京の都びとの多くは、「雪」を風情風雅の友と観ていた。
徒然草に、雪の朝、兼好が用あって或る人、女人、にものを頼んで手紙をやったところ、「今朝の雪はいかが」と風流の一言もないようなお人の御用はおことわりという返辞をもらってしまったとある。
しかし豪雪に悩まされた国の人には雪は時に憎いほどの敵である。何度も書いているが、むかし呑み友達の助産婦さんにきらくに雪の話を仕掛けると剣幕で怒られた。北国の出の人であった。
2008 1・15 76
☆ 冬めく好日 優 多摩e-OLD
蝋梅(ろうばい)はまっ盛り
このうち
どれだけ実をつけるのか
歳を重ねた乾果がぶーらり揺れていた
むめ(梅)は 蕾(つぼみ)が少しふくらんで
はよ咲きたいと待っている
今朝は光りあふれ
ずいぶん気が晴れた
一日おだやかに過ごせそう
☆ 昼酒@京都王将 直 神戸e-OLD
帰宅すると鍵がかかっていて入れない。
無断で鍵をかけた者が悪い。
電話すると時間つぶしに王将で待っておれとの命令。
これはありがたい。
定番のギョウザ+ビール。
ついで牡蠣ふらい。
それでも迎えが来ないのでポテトと冷酒。
わはは。たまにはいい気分。
☆ 声字実相義 瑛 川崎e-OLD
年男の僕は年初から山へも行かず家にとじこっもている。
新年会、同期会はこれからである。
新年の「テレビ」を見ていると玄侑宗久(「中陰の花」著書)が現れ NHKの女性アナウンサーと25分間の対談があり見た。
坊主とあだ名をつけられ自分への関心をおぼゆ。
バーのフロント・マネージャなど職をてんてんとしながら、ある年に 出家への道にはいる。
氏の本はひろい読みしているが、まだ読んでない『まわりみち極楽 論』をここ数日読んだ。
声を出すことの『体』との微妙な響き合いのことを知った。読経。
音読。呼吸。この本で空海の本に「声字実相義」があることを知る。
「湖」さんがよく、ろうろうとバグワンを読んで床に就くことも。空海。
* e-OLDのマイミクさんはみな、写真自慢。割愛でごめんなさい。
2008 1・16 76
☆ 湖へ 珠
「湖の本」整えて頂き、ありがとうございました。
本が届くことを楽しみに、通勤そして勤務してきます。
先週末からの底冷えで咳がまたでているのではないでしょうか。まだまだ今週は寒さ厳しい様子ですので、くれぐれもお気をつけください。
NHKでの、坂東玉三郎さんの特集を見たのですが、気づくと正座していました。
何と全てに力のぬけた、淡々とした生き方かと、感じ入りました。「無意識の美」という言葉で表現されていましたが、その言葉の使われるさまに、湖が「私語」に以前書かれた「逢花打花 逢月打月」を思っていました。ご覧になられたでしょうか、湖。
もうこんな時間、今宵はもう寝ます。
湖も、休息は充分にとってくださいね。
正月があけたといっても、この季節、身体は冬眠中を無理に起こしているようなものです。急にエンジンふかしませんように、湖。
* 卒業生の中には、妻にあててメールをくれる人もある。
☆ ご丁寧なお返事をいただきまして、 松
>
> 思いがけなく お茶を頂戴いたしました。
> 有り難うございます。
> お手紙も入っていて お心づかい おそれいります。
> 秦も 有り難う お元気で と申しております。
>
> お元気でいらっしゃいますか??
> いつかお出かけいただいて ピアノを聞かせていただいた折
> ギロックの楽譜を頂戴して
> 聞いたことのないお名前で 興味津々
> そしておそるおそる 挑戦しましたが
> とても新鮮で 随分楽しみました。
> とても嬉しいプレゼントでした。
> これを言いたくて 秦に このメールアドレスを教わりました。
> 本当にありがとうございました。
>
> ピアノは ほぼ 毎日 鳴らしていますが
> 冬に入って? 歳をとって? 指の動きがいよいよ悪く
> せめてミスタッチをなくしたい一心です。
> 脳の老化予防が 第一の目的ですから
> いわば指の運動の様で 音楽からはちょっと遠いです。
>
> では 良い新年をお迎え下さい。
> ありがとう ございました。
こちらこそ、恐縮です。
静岡はお茶がおいしくて安いところです。またおいしいものを見つけましたら、お送りします。
楽譜、喜んでいただいて良かったです。
ピアノ曲は簡単でも良い曲が多いので飽きることがありません。
また、ピアノは他の楽器に比べて少ない力で音を出すことができるので、指の動く限り続けることができるとおもいます。
ホルチョフスキーという人は100歳まで演奏会を続けることができたといいます。私も生きている限り続けたいと思っています。
楽譜が細かくて見えないこともあるかと思います。周りの方を見ていると、片面をB4ぐらいに拡大コピーして、貼り付けて楽譜を読んでいます。
もしよろしければ試してみてください。
今度お会いするときにはまた良い曲を探して行きます。
秦先生にはいつも私の結婚についてご心配していただいています。
新しい仕事も徐々に慣れてきましたし、紹介してくれる方も出てきましたので、少しづつ人に会っています。
何とかここ2年ぐらいで結論が出れば良いなと思っております。
寒くなりましたが、どうぞお体には気をつけて下さい。
秦先生にもどうぞ宜しくお伝え下さい。 松
* わたしが「卒業生」と書くときは、おおかた「東工大」の卒業生のことで、わたしが在職時に教授室や教室や時に学外で、またわが家ででも、親しんできた元学生諸君のこと。この人も、「mixi」のマイミク。
卒業生ではないが、広島にいる、もう久しい若い友の「mixi」日記も、読みたいな。
2008 1・16 76
* 元、東大教授の山中裕さんから、人物叢書の新装新著『藤原道長』を頂戴した。山中さんとは、四半世紀も前か、横須賀へ講演に出かけた会場で声を掛けて頂いた、それ以来の仲で。いつも励まして頂く。有り難うございます。
2008 1・16 76
* 東大の研究室で女先生をしている仲良しの卒業生が、マイミクに加わった。洋弓の達人らしい、が、学生時代には、何人か友達も一緒に、歌舞伎座で弁天小僧の遠し狂言を観ながら、前三列目ぐらいど真ん中の席で、売り出しの「菊之助」に一斉に乾杯したりした仲間である。いいお母さんでもある。
☆ どうなるか?? 悠
記録代わりにこれまで書いていなかった日記を活用しようかと...
小学校のときの”宿題”の日記はばっちり6年つけていたけど,自発的に続けられるものか.読み手がいれば続けられるかな..と
ただ,自分にとっては昨年からの出産・育児という”激変”を、なにか残しておきたいとも思っていたので...
07年6月上旬からとった”お休み”を日曜に終了し,月曜から職場復帰です.前とは同じ働き方は到底無理.保育園の時間を軸に生活リズムが決まりそうです.
ただいま、慣らし保育3日目.
1日目は私同伴で2時間(検診+離乳食トライ+入園説明会)
2日目は10:00~12:00の保育(母と離れても泣かない子でした)
本日3日目は9:30~16:00と昨日より一気に長時間.
伸びた時間のほとんどに”ねんね”の時間が入っているので大丈夫だとは思いますが.どうなるでしょうか?
子供を預けて一人保育園を出るときの身軽さはちょっと寂しいものです.
せっかくの時間.復帰に向けて仕事の整理をと思っていたけど,つい家事をやってしまいました.こんなことができるのもあと数日.
仕事にちゃんと復帰できるのか,心配です..
2008 1・16 76
* 日射し、晴れやかに。寒いが、心持ちがいい。
☆ ちょっと低い血圧ですね。
花と同じくらいです。上が100くらい、下が60くらい。
上が96で、下が55なんてときもありますが、ふつうにしていれば大丈夫です。
寒い寒いと言っていたら、ポカポカ陽気になりました。
今朝は、風花が舞いまして、雨のあとのように地面が濡れていますが、空は青く、日がさんさんと照っています。
どうして風花というのでしょう。
風に乗って飛んで来る山の雪が、花のようだから?
胃のムカムカはもうありません。
花はいつも元気、元気。風、お元気ですか。 花
* 元気だという便りは、気が明るくなる。
2008 1・17 76
* 市大で活躍している若い女先生の「年賀状」に、名古屋へ来たときは、ぜひお声をかけてくださいと。東工大へわたしの授業の手助けに、お茶の水の院生として来てくれていた。いまは、もう立派なもう教授であろうと想うが、さらに大きな飛躍の期待できる人。再会の、楽しみな人。
* 年賀状を一通も書かなかったのに、戴いたのは、去年よりも五割り増しくらい、容易でない住所録への記入に追われている。大方は印刷物だけれど、手書きの書き入れは多い。ありがたい。美しい創作のもあった。
中で、松本幸四郎丈の素人ばなれした「子」の畫が、まちがいない直筆で、びっくりし、また嬉しかった。「K」のサインは間違っても恒平の「K」でなく、高麗屋松本幸四郎直筆の「K」である。先代萩のねずみを想いだした。
2008 1・17 76
☆ なまけ鳶
1月9日のHPに「ほんまもののナマケモノになって、茫然と暮らしている感じ。これって、いいンじゃないか。」と鴉は書かれています。
本当にそうできたら、それは理想? 茫然と暮らしている感じは・・どこかで他者に世話も迷惑もかけているような側面もありそうですよ。たといそうでなくても、シャッとしたことこそよいと常に書かれていらしたでしょう? シャッとした、ほんまもののナマケモノ。これは稀有貴重な在り方、至難の在り方かもしれません。
そう書きながら寒い朝にはいつまでも布団の中でぬくぬくして、思い切りナマケモノになっていたら幸せだなあと鳶は思っていますけれど。まあ、シャッとできないで、ふらふらグズグズ日が過ぎています。
絵の、肝心の「顔」を描くのに失敗して足掻き続け、そういう時は足掻くほどうまくいかず、描いている絵を放棄したい状況です。並行しているもう一枚も納得がいきません。充実した気持ちで絵に向かいたいのですが、思うようにはいきません。
昨日は京都に出かけ、駅ビルで『鏑木清方の芸術展』を見ました。泉鏡花の小説の挿絵、「朝涼」「早春」「妖魚」など。
午後三時頃してきました。雪景色には残念ながら出会えませんでした。
斑雪の比良山、時雨後の村落に懸かる虹、雲に覆われた伊吹山。周りの山が明るく見えているのに、伊吹山は何故か雲に隠れて
。特別な場所に位置する神秘な山だと思います。
風邪ひかぬよう、くれぐれもお体大事に。今週はまだまだ寒くなりそう、繰り返し大切に大切に。
* 湖西線に乗って琵琶湖を一周。猛烈、うらやましい。
☆ 先生 ごぶさたしました。 香
年始めのお祝ひも申しあげず、失礼いたしました。
この秋から冬、どこへも出てゆけず、何も読めず、あ、蕪村をちらちら見てゐました。
長いトンネルをどうやら、抜けられさうでございます。意気地がなくておくすりに頼つてかへつて副作用に苦しめられたりしましたが。
今日、一月ぶりに外出しました。国会図書館にまゐりました。出掛けるのが億劫で億劫で、やつとの思ひで出掛けましたが、やはり、とほんとして
をりました。
でも、帰りに東京駅の大丸に寄り、「近代日本画・美の系譜」といふ催しを見て来ました。大観から又造に至る六十点の作品の中に、松園の「夕べ」「かんざし」がにほつてゐました。とても、疲れてゐましたので、あまり、よく見られませんでした。もう一度、出直して見たいとおもつてゐます。
久しぶりに「湖」を拝見しました。お目のコンディションが、芳しくないご様子、お案じ申したとて、何のお役にも立たぬことながら、お案じ申さずにはゐられません。
でも、お芝居をほんたうにたのしんでいらつしやるご様子、こちらまでほくほくしてまゐります。
この初芝居から芝居見物再開の予定でしたのに、その気も失せてぐづついてゐましたが、先生の観劇記を拝見して、ゆきたいな、といふ気になつて来ました。
ミクシイへのアクセスは相變らず、うまくゆきません。今月末に、器械のセンセイが来てくれさうなので、それを待つてゐるところでございます。
風邪がはやつてゐるやうでございます。どうぞ、おたいせつになされますよう。
* 心配していた。すこし安堵。
* 「mixi」に「オルセー」さんの「足あと」がついていた。この人の「マイミク」は二人で、一人は、なんと亡くなってもう一年半の孫・やす香(=思香)と「むらっち」サン。「むらっち」サンの「マイミク」は「オルセー」さんが只一人。二人とも、わたくしからはアクセスが出来ない。日記は書かれていないと「mixi」は教えている。
プロフィールは無いも同然。ロゴ写真も、無い。
こういう、「思香」がらみらしい半端な「足あと」が、ときどき、永く断続して、ついてくる。やす香の友人たちとは、とても、思えない。
なにかわたしに尋ねたいことがあるなら「遠慮無く尋ねてください」とメッセージしておいた。こういう例は、他に何度もあったが、反応は全く無い。悪意すらつきまとった「アンフェアー」で、陰気な感じ。
2008 1・17 76
* 地下鉄丸ノ内線に「茗荷谷」という駅がある。ずいぶん、いろいろな思い出がある。
降りて直ぐ、茗渓会館というのがあった。
医学書院をやめたあの年の春闘は物凄い荒れようだった、オイルショックもあった。強硬な労組ストライキに社屋を占拠され、数十名の管理職は都内を転々し、その日暮らしだった。
ある日は茗渓会館の広いティールームを借り切って管理職一同が退避し仕事をしていたところへ、労組が察知し急襲。蜘蛛の子を散らすように管理職は次なる退避場所へ路上を四散遁走したが、三四人が組合員たちに捕まって社屋へ拉致され、一昼夜烈しい吊し上げを食った。逃げのびた連中は、たしかホテル・ニュー・ジャパンの一室へ集まったと覚えている。あのころは金原専務も長谷川泉編集長も健在だった。
こんな記事を読んでも理解できない、想像もつかない人が今は多かろう。わたしの三部作小説『迷走』は、今では信じられないであろう激越な当時の「労使紛争」をありあり、まざまざと同時期に書き留めている。その一九七四年八月末日にわたしは医学書院を退社し、九月一日、作家として独立。当日に、旧版の季刊誌「昴 すばる」巻頭に三百枚の『墨牡丹』を一挙掲載され、また新潮社の新鋭書き下ろしシリーズに、衆目の代表作と観るらしい『みごもりの湖』を出版した。
* 大学の集まっている場所で、茗渓会館がどこに所属の会館か詳しいことは知らないが、近所にはもと教育大があり、駅のすぐ先にお茶の水女子大や付属の学校がかたまっている。私立の女子大もある。
朝日子が高校からお茶の水に通い、わたしは一年間高校のPTA会長を仰せつけられたので、私自身も何度か茗荷谷駅で下車したのである。朝日子は七年間、大学を出るまでこの駅で乗り降りしていたことになる。
* この駅近くに、歌人でペン会員の篠塚純子さんが住んでいる、たぶん今も、と思う。
この人の歌集『線描の魚』を自在に利用させてもらって、小説『四度の瀧』を書いたことから、駅の近くの喫茶店で、何度か篠塚さんと話しこんだこともある。歌人であるが、日本の古典にも海外文学にもくわしい人で、最近までたしかどこか私大の教授もしていた人、あの頃は近在の高校の先生であったようだ。文学での議論や対話では、よく噛み合って手応えのある、優れた話し相手であった。わたしの文学もよく理解してくれた。
茗荷谷駅からも篠塚さんの家のある小日向台からも、江戸のむかしの「切支丹牢」跡が近く、新聞の朝刊小説『親指のマリア』でシドッチ神父と新井白石の対決を書くためにも、茗荷谷駅は、その当時下車の機会が少なくなかった。
そして、東工大時代に教授室や教室でわたしを手助けをしに通ってくれた名古屋市大の谷口さんも、またお茶の水の院を出て、優秀な国文学の研究者・指導者としてますます世に知られてゆくだろう、大岡山の大学からの帰りに、『山の音』をめぐって話し合った日など、今も懐かしい。
* 寒い街なかではあったけれど、出歩いてみると、街には街の刺激がある。つい出渋って家に籠もりきりだけれど。
2008 1・18 76
* 猫 慈
もう暗くなってから ちょっと近くの酒屋まで駆けて出て 帰路。
チンチンと鈴が鳴る。
うちの猫(こ)だ。ご近所の庭うちを私と平行して走って。
ドアを開けるときにはもう足下に控えている。この寒いのに・・・
* 妻も、いつも似たようなことを話している。
* 町田市から、また一人「マイミク」さんが増えた。
☆ 内田光子 ボストン 雄
二日ぶりにラボへ.朝,遅めに家を出る.ラボまでの距離は大したことがないはずだが,二日間もベッドで横になっていたせいか,歩くだけでヘトヘトになり,額に大汗をかく.
昼からポスドク候補のセミナーがあり,それまでの間,ジョンと一緒に脳の切片を作る.セミナーの開始時間ギリギリまで作業をし,セミナー室に行くと,ボスが「おお,調子はどう?」と声をかけてきた.’I’m fine’と言ったら,ボスを含むラボメンバー全員に笑われた.明らかにfineには見えないらしい.’Better than yesterday’と言い直す.ボスの奥様も風邪を引いているとか.やはり流行しているのだろう. セミナーを聞き終えてから,ジョンと一緒にサイエンスセンターのカフェテリアに行き,慌ててブリトーを胃袋に収め,再び切片作製.最後に,絵筆を使って切片をスライドグラスに並べるが,昨日まで寝ていたせいか,目が回って仕方がない.顕微鏡酔いしてしまった.
夜は,今シーズン初めて,シンフォニーホールへ.曲目はモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」,ピアノ協奏曲23番,シューベルトの交響曲第2番.指揮はサー・コリン・デイヴィス.考えてみれば,昨年ボストンに来て,初めて聴きに行ったのもコリン・デイヴィスの演目だった.去年と変わらぬ,端正な音楽作りで,優雅なモーツァルトとシューベルトを聴かせてくれた.
オーケストラのメンバーは,去年に比べて若干アジア系の演奏者が増えた気がする.オーボエの方は日本人.昨年,シンフォニーホールで第九を演奏した際,偶然楽屋裏で擦れ違い,少々お話させて頂いた方だった.素晴らしい演奏だったが,そんな素晴らしい演奏をされる方とお話をしたことがあると思うと,不思議な気分になる.
しかし,指揮もオーケストラも素晴らしかったが,なんといっても今日の目玉は内田光子のピアノだった.もともとモーツァルトのコンチェルトでは世界のトップといっても,何ら誇張ではないだろうが,今日の演奏はこれまでCDなどで聴いたよりもはるかに素晴らしいものだった.特に第二楽章は,静寂の中,ピアノだけがひっそりと演奏を始めるのだが,この緊張感といったら,たまらない.ピアノの演奏を受けてのオーケストラの演奏も,ピアニッシモの中に緊張感がみなぎっている.第3楽章を弾き終えると,たまらず観客のほぼ全員がスタンディングオベーション.
風邪が治りきらないのに,わざわざシンフォニーホールに足を運ぶなんて,馬鹿じゃないかと思われるかもしれないが,このピアノコンチェルトだけのために足を運んだとしても,ちっとも惜しく感じられなかっただろう.
シンフォニーの駅から,途中地下鉄を乗り継いで,ポーター駅へ.駅を出ると,再び雪がちらついていた.今週末は,また一段と冷えるらしい.
☆ 冷えています。お元気ですか、みづうみ。
今日はお稽古でした。先生が腰痛に配慮してくださったので、立ったり座ったりの動作のない「萩桔梗」を舞っています。
腰痛は物書きの持病らしいですが、パソコンの前に座っているだけでプロにもなれない人間なので、誰も同情してくれずお恥ずかしいかぎり。 わたくし
* パソコンは、ほんとうに、無数の物書きを生み出している。
ほんとうは「パソコン学」と謂う「人文社会学」が成立して行かないと、この野放図な機械からたちあがった、いろんな生き物たちのすばらしさも異様さも醜さも、行方知れずに混淆して混濁して行くだけだ。
成立しているかのように錯覚している学者達もいるかもしれないが、へんな譬えになるが、柳田国男の行動と蒐集・観察、折口信夫の洞察と構想力とを兼ねたような、天才的な学者が「人間」を基底に、「学問」自体を「創作」しなくては、とても歯が立たないだろう。
2008 1・18 76
☆ 柔雪夜 maokat
今週はほぼ終日零下で生息していました。冷凍庫の中で寝たり起きたりごはんを食べたりしているわけです。昨日は札幌で二年ぶりに零下十度を下回ったとか。
一日で雪が二三十センチ降ったとみえ、夜中の帰路は、街路樹も路面もすべて白一色でした。交差点には排雪車が黄色いライトを輝かせて長蛇の列。
音ももこもこして、静かな夜です。
菓子の上を 歩くがごとき 柔雪夜
☆ 今日は陽射し明るくさしていましたが、厳しい寒さに震えました。
湖はお出かけされましたか。冷えていないとよいのですが。
「湖の本」を確かに頂戴致しました。お手数をおかけしました。お言葉と共に、「湖の本」抱きしめました。
若い頃には夢中になって読んでいた本ですが、大学受験の時に本を読んでしまって勉強が進まず、最後の手段と泣く泣く「本絶ち」を決意し、勉強に集中しました。合格発表を見た帰り道、本屋に寄って心ゆくまで本を買い込みました。でも、久しぶりに読み始めた本は、なかなかすっと入ってこなくて、「なに、これ、、」と呆然としました。
内容というよりも、集中の仕方のような、本との距離感を感じたようでした。本に読ませてもらえない、可笑しいですが、そんな風に思ったのです。 勤務についてからは、専門書を読むことがどんどん増えて、余程の本でないと私の「眠さ」に負けてゆきました。
最近は、逃げ込むように読んでます。あの受験直後ほどではありませんが、ゆっくりしたペースで、入ってくるまで待って読み進めています。本への集中は、私に穏やかな時をもたらし、違う世界に運んでくれます。
これから暫くは、頂戴した「湖の本」を楽しみます。この本は、紛れもなくその出版された時からやってきた、著者自身から頂戴した玉手箱のような贈り物でしょう。20 年前後、その書棚にあったことを思うと、よくぞ我家へ、、と不思議で有難く思います。
大事に、読ませて頂きます。ありがとうございました。
明日は、夜には雪との予報。 どうぞ足元にはお気をつけ下さい。湖。
猫は炬燵で丸くなる、、さて湖は。。。 お大事に。 珠
* 熊本の読者から、南瓜より大きい、見たことのない「晩白柚・ばんぺいゆ」を頂戴した。巨大。黄金(きん)色で、芳香が部屋に立つ。
感謝。親たちの位牌の前に、そしてやす香の写真の前に置いて写真を撮った。
2008 1・19 76
* 次の「雄」君の日記、二度読み返した。ひとの思い出なのに、わたしも同じようになんだか胸が熱かった。
誰のむねをも熱くさせる時期・世代・環境つまり青春が語られているからだろう。わたしも、なんだかいっぱい思い出してしまった。誰が書いても、この年代への思い出話はひとの胸にもせまるということ。
東工大での元の学生諸君には、あるいはとても恰好のタイミングかもしれない、この辺で「いま・ここ」の関心として、青春を振り返っておくことは。
☆ 茗荷谷 護国寺 ハーバード 雄
昨日,マイミク「湖」さんのホームページを拝見したところ,茗荷谷の話が載っていた.「茗荷谷」の3文字を見ただけで,なんともいえない懐かしい気分になり,来週のプログレスレポートのためのパワーポイントの図をラボで作りつつ,茗荷谷のことを思い出していた.
高校3年間,僕は茗荷谷の近くにある高校に通っていた.実家が営団地下鉄有楽町線沿線だったせいもあり,護国寺駅から通った時期の方が長いかもしれない.護国寺駅から,キツくて長い音羽の坂を登って,毎日登校していた.
茗荷谷や護国寺は,それこそ学校しかないような場所だから,特に何か目立つ店があるという訳ではない.しかし,一つ一つの建物,店に思い出がある.
生まれて初めてコーヒーというものを飲んだのも,茗荷谷駅前の「Tohoパーラー」だった.小学校の5年生だっただろうか.初めてのコーヒーが苦くて,砂糖を入れすぎて親に叱られた.
高校生になってからも,小遣いが少なかったせいもあって,買い食いなどは滅多に出来なかった.帰り道,高校時代の友人が,「ちょっとコーヒーでも飲んでいこうか?」と言うので,茗荷谷駅近くの「ドトール」に一緒に入ったことがあった.その時の僕には,それが妙に大人っぽい行動に感じられた.今思うと,笑ってしまうけど.
昔の歌ではないが,「こんなのが青春だったら,たまったものではない」と当時は思っていた.しかし振り返ってみれば,高校時代はまさに青春だったんだと思う.今でもあの頃に戻ってみたいような気分になることがある.
とはいえ,具体的に何があったかを思い返してみると,ロクでもないことばかりだ.
高校二年生の春,文化祭の実行委員をやらされた.毎晩のように帰宅が11時以降になり,丸の内線の終電に飛び乗ることが何度もあった.土日も登校することさえあった.もともと身体は強い方ではなかったのだが,これがよほど身体に堪えたらしく,文化祭が終わると同時に風邪をひき,あっという間にこじらせてしまった.
激しく咳き込んだ後,息が吸えなくなるという症状が続き,夜中にベッドでもがいているところを親に発見された.この発作が収まらなくて,しばらくの間,夜は自分の部屋ではなく両親と共に,夜9時までには床に就かされるようになった.あれ以来,僕の体質が変わってしまったのか,以前にも増して病気がちになった気がする.
ちょうどその頃,数学で、「代数・幾何」と「基礎解析」が始まった.「指数・対数」の最初の授業を聞き損ねた辺りから,数学がさっぱり分からなくなった.以来,あれほど好きだった数学でオチこぼれてしまい,数学と理科の不出来を国語でカバーするという,妙な理系受験生になってしまった.結局,数学の苦手意識を克服できたのは,浪人生になってから,それも入試直前の時期だったと思う.理科は最後までダメだった.学問としてのサイエンスは好きだったけれど,受験問題はさっぱり解けなかった.
東工大は僕にとって最も似つかわしくない大学だと思っていたのに,そこに行くことになるなんて皮肉な話だ.僕が受かったのは,後期試験で小論文が得点の半分を占めていたからに違いない.
きっとこの日記を読んで下さっている方の中には,僕のことを典型的な理系人間だと思っている人もおられるかしれないが,元来,僕は文系人間です.もし僕の文章が理系的だと思われるとしたら,それは「東工大出身者」ということで,そう思いこんでおられるのかもしれないです.
あるいは僕自身が変わっていったのかもしれない.それは「理系」として暮らしてきた年月の方が長くなって徐々に理系的になったか,そうでなければ,文系人間として当然身につけているべき教養を,僕が身につけていないかのいずれかだろう.
それはともかくとして,高2の春から夏にかけて悩まされた風邪の症状がなくなっても,その後しばらくの間,まるでエレベーターに乗っているかのように耳の奥に圧迫感が残り,あちこちの病院に診てもらった.しかし結局,原因は分からず,「精神的なストレス」の一言で片付けられた.
医師の勧めで運動部に入ることになり(この方が,僕にとってはよっぽど精神的なストレスだったのだけれど),空いている曜日の関係で卓球部に半年ほど在籍した.音羽の坂を下り,音羽通りを江戸川橋方面に向かって走り,鳩山邸の脇の坂を登り,小日向の辺りを回って学校に戻るというコースを練習の時に良く走らされた.
体育の授業でも,このコースを良く走らされた気がする.高3の頃,当時体育の担当だったS先生に,「お前ら,今が人生で体力のピークなんだからな.今より上がることはないんだから,今のうちに鍛えておけ」と良く声をかけられた.当時は「こんなのがピークだったら,僕の人生は終わっているよ」と思ったけれど,今にして思えば,確かに先生の言うとおりだった.
走らされたのは決して良い思い出ではないけれど,卒業して大分経ってからこの付近を通りがかると,ゆっくりと歩いてみたい気分になる.
高校を卒業してからも,この近辺に来ることはちょくちょくあった.
茗荷谷駅裏の目立たないところでひっそりと営業していたイタリアンレストランは,まだ残っているだろうか.僕にとっては,とても大事なレストランだったのだけれど.とても尊敬し,密かに憧れていた人と,たった一度だけ二人きりで,あの店でランチを一緒に食べたことがあった.学位を獲るちょうど1年前,失意のどん底にいた時だった.あの時,元気をくれたおかげで,立ち直ることができたような気がする.
昔から,食べ物の好みも本の嗜好も全く合わないのに,僕が本当に孤立し,落ち込んだ時には,そっと手を差し延べてくれる不思議な人だった.
* お店が三つほど出ているが、どれも覚えがありそうに想われ、こんど見確かめに途中下車してみたくなる。
2008 1・20 76
☆ 雲厚くなって、じっと見ていると、今にもはらはらと舞いはじめそうです。何とはなしに、待っているように、しょっちゅうカーテンを開けては空に目をやっています。
雪の静かさが好きです。豪雪地に住む方々には怒られるのでしょうが、やはり、雪の冷たくも静かな怖さには、埋もれてしまいたいと魅かれます。
『青井戸』 静かな茶室の世界が、そのまま小説になったようでした。このヒロインのように、殿方の大きな手の中で大切に慈しんでこられたなら、、、と思いました。
何必館は、珠の大切な場所の一つです。何度も訪れているのですから、いつか湖ともすれ違っているやもしれないのです。何必館を建てている頃は丁度骨董などに魅せられていて、三交代勤務をよいことに、深夜勤務明け新幹線に飛び乗って毎月京都に行きました。新門前などのお店をうろうろして少し疲れた頃、あの静かな雰囲気に魅かれて、必ず寄りました。
絵を見て過ごしてから上の茶室前にある坪庭に、おちる陽射しのかわりゆく様に目をやりながら、ゆったりとソファで過ごします。
村上華岳、何度も目にしてきました。湖の『墨牡丹』という作品を知らなかったので、読んだ後、再び華岳に逢ってこようかと思っています。
どんなに冷えても湖、凍らないでくださいね。
雪もまた湖はのみ込んでゆくのでしょうが。
どうぞ、お気をつけて。湖。 珠
☆ 寒中お見舞い申し上げます。
凍る朝と小雪がちらつく昼が続いていましたが、いよいよ雪が積もり始めました。
先日、琵琶湖大橋を渡って、朽木と安曇川町で小休止しながら、雪景色の遠敷に遊び、若狭の海を見て帰ってきました。
神宮寺北門からのびる参道の景色が心に残っています。
琵琶湖の夕景をお送りします。なによりおんみお大切に。 囀雀 名張
* すばらしい写真なのに、技術的にここに紹介できないのが残念。
2008 1・20 76
* また一人、教授室時代の常連、若い友人が、「mixi」のマイミクに加わった。
☆ 秦さん、こんばんは。 琢
mixiへのご招待ありがとうございました。
早速登録して少しだけ覗いてみましたが、随分と内容が盛りだくさんのページですね。少しずつ読んでみようと思います。そのうち自分でも書き込めれば良いですが。
1月で職場の部署が移動となり、毎日午前様という生活からはひとまず脱却しています。家にいるときは、赤ん坊三昧という感じの生活です。子育ては、思った以上にエネルギーがいるものですね。ゆっくり食事も出来ない、という状況からはようやく脱却しつつありますが、落ち着いた自分の時間をもつことは、かなり難しい状況です。時間のやり繰りが下手なのかも知れません。
「子を持って知る親の恩」を、今更ながらに痛感しています。子育ての苦労をほとんど語ることのない両親ですが、随分と迷惑をかけて育ってきたんだろうなあと。ありがたいものだなあと。自分が同じ立場にならないと分からない事って、やっぱり多いですね。
きっとこれからもこんな風に、子供が色んな事を教えてくれるのでしょうね。一つ一つをおろそかにする事なく、楽しみながら学びながら子育てしていきたいです。
では寒さも厳しくなってきましたので、くれぐれもお身体を大切にお過ごし下さい。
またお時間のある折に一度お目にかからせて下さい。
☆ 毎日,毎日 悠
今日で長期のお休みが終了となりました.明日より職場復帰です.
とても楽しくまたありがたいお休みでした.楽しかったです.
明日からの生活.どうしよう? と,どうなるのか? ということで頭がいっぱい.
でも,出産以降 ”なるようにしかならない” という開き直りがすんなり受け入れられるようになったような気がします.
さて,先週の慣らし保育がスタートして毎日やらなきゃいけないことが増えました.翌日の準備や連絡帳といったことに加え重要なのが,冷凍母乳の準備.
これまで,粉ミルクなしで育ててきました.
特段気合を入れて,そうしたい!とやってきたというよりも,生産過剰気味で,粉ミルクを必要としなかったというほうが正しいと思います.そういえば,私,粉ミルク調整したことがありません.(今,気がつきました)
せっかく準備できるのであればということで,お願いして冷凍母乳に対応してもらうことにしました.足りない場合は粉ミルクを足してもらうことにしていますが,慣らし保育期間の様子を聞いてみると,どうもあまり飲まないようなので,せっせと時間を見つけて準備してきました.
私の体にしてみても,子供に飲んでもらうのが一番楽なのですが,そうできない場合,時間を見つけて採らないとつらいんです.子供が要らないというまでがんばってみようと思います.
必要な量は一日,約200ccx2=約400cc.
完全に凍らせたものを保育園に預けます.(3週間保存可)
何とか日中に1回と夜中または明け方に採って保育園での必要量を確保しないといけません.でも,子供が飲みながらなので,なかなか難しいものです.一日の必要量の6割程度が取れれば上出来な状態です.
土日がストックのチャンス.現時点で1.5日分ぐらいは確保できました.
乳牛は一日30Lぐらい出るそうで..うらやましい...
子供のほうは,目やに大量発生であわてて昨日病院につ入れていきましたが,塗り薬で落ち着いてほっとしたところです.
前髪が目にかかっていたので,お風呂の前にカットしてやりました.
さぁ,明日からまた新しい生活がスタートです.
* 覗いてみると、今朝はマイミクの何人もがそれぞれの、それぞれらしい元気な日記を書かれている。わたしのためには、それぞれに眺めのちがう景色いい「窓」だ。「mixi」の上では共有しにくいかもしれず、おゆるしを得て此の「私語」の方へ転写すると、その窓ははるかに多方面に元気に開いてゆく。この「私語」の頁をとおして愛読されている何人もの人の文章がある。インターネットでの「佳い表現」を探訪したい、また読み手も得たいという久しい希望が、少しずつ多く広く酬われてきている。
2008 1・21 76
* 今日は、これから築地、眼科の診察。
* 病院へ出がけの寒かったことは。ダウンのフードをかぶりたくなった。『世界の歴史』は、「鉄のカーテン」「冷戦」そして「朝鮮戦争」勃発まで来た。
:検査無しの眼科診察ははやくすんで、よかった。両眼とも「眼圧」問題なく、かすかなアレルギー(花粉症など)がみられるが、しつこかった「結膜炎」は良好に治癒傾向と。三人目の医師で卓効を得たのがありがたい。「ドライアイ」はなんとかかわして行くしかあるまいが、点眼薬は四種類に、二つ減った。
空腹の快感をかかえたまま、寒さにも背を押され、街歩きはやめて一直線に帰ってきた。「ひとりから」の原田奈翁雄さんの電話に、あやうく間に合った。久しぶりに元気な声を聴かせて貰った。
2008 1・21 76
☆ 眼科検診、寒かったでしょう。富士の裾野も冷えました。この冬いちばんだと思います。
温暖な富士にいますと、体がなまってしまいそう。たまには寒くなくっちゃ、冬だもの。
雪、雪、と予報していましたが、降りませんでした。
東京も降らなかったようですね。風の足元には、いいことでした。
自転車ノハンドルにつるした鈴二つ、どんなふうに「すずしく」鳴るのかしらん。
* 「鈴しい=すずしい=涼しい」というのが、わたしの発見である。
2008 1・21 76
* 次の一文、もし、秦さんはなにが面白いのと問われたなら、一生に一度も経験したことのない類だから面白いんですと返辞する。
☆ プレゼンテーションあれこれ ハーバード 雄
今日は一日,気温が摂氏零度以下だった.アパートの部屋から外を眺めると,リスたちが元気よく,隣の家の塀の上や庭などを駆け回っていた.奥に見える公園では,犬たちが,こちらも元気良く駆け回っている.僕はといえば,こう寒くては外に出る気が全く起きない.一日中アパートの部屋に引きこもっていた.
明後日のプログレスレポートに使うためのパワーポイントの資料作成に取り組み,先程ようやく完成した.同時に,話すべき内容も,ほぼ固まった.後は,細かい点を直したり,話し方を少し練習すれば,なんとか乗り切ることができるだろう.
研究者にとって,研究した成果を発表することは,大切な仕事の一つ.最近は,学会でもポスター発表が多くなってしまったけれども,口頭発表も重要であることに変わりはない.発表に用いられるツールも,時代と共に移り変わっていく.
僕が研究室に所属した頃は,パワーポイントなどというものは無くて,発表は全てスライドを使っていた.学科によってはスライドではなくてOHPを使うところもあるようだが,生命科学系の研究室はスライドがメインだったのではと思う.
研究室にも拠るが,僕が最初に所属した研究室では,カラースライドを除いては,スライドは基本的に自作するものだった.原図をつくり,カメラで撮影した後,暗室に篭ってフィルムに焼くのだった.青焼きなどというのも,まだ健在だった.修士課程を終える頃,パソコンから直接フィルムに焼くことのできる機械というものが出来,皆,画期的だといって興奮していた.
パワーポイントが博士論文の審査会でも使われるようになったのは,僕より1,2年位下の学年からだった.従って,僕の学位論文審査も,スライドを使っての発表だった.当時,研究室の近くにはフィルムを現像してくれる店が無く,いちいち電車に乗って恵比寿まで行かなくてはならなかった.いちいち図を直すごとに,フィルムに焼いては現像に持っていく.暇な時ならば気分転換になりそうだが,学位審査会の直前となると,この時間すら惜しかった.
マイクロソフト社によるパワーポイントの出現は,研究発表会にとって画期的だった.今の学生さんや,学位を取りたての人には知らないかもしれないが,スライドしかなかった頃は,発表者が手許でスライドを変えることができないことが多く,多くの場合は学生がスライド係としてかり出され,演者が「次のスライドお願いします」と言うたびに,スライドを切り替えていた.
単に発表の形態だけではない.パワーポイントならば,発表の直前まで,スライドの訂正をすることができる.さらに,動画を用いる発表の場合,以前はいちいちビデオに録画したもの持参して,発表の際にスライドとビデオを切り替えたりしていたが,パワーポイントならば,パソコン1台あれば,全て事足りる.
パワーポイントを使ってのプレゼンテーションには,だが,欠点もある.多くの場合,発表者は自分のノート型パソコンを持参しなくてはならないし,アダプターなどのトラブルで,パソコンが認識されないこともある.動画が思うように動かなかったりすることもある.特にマッキントッシュのパソコンを使っている人がセミナーをする際には,アダプターの形状がパソコンの機種によって異なったりすることもあり,なかなか面倒.全てウィンドウズに統一されれば良いのだろうが,マックユーザーは,阪神ファンにも匹敵する愛着を持っているので,そんなことは恐ろしくて言えないだろう.
発表の際に気をつけなくてはならないことも増えてきたように思う.先日,とあるホームページを見ていたら,Youtubeのこんな動画が紹介されていた.(注意:音が出ます)http://www.youtube.com/watch?v=HLpjrHzgSRM&eurl=http: //www.kenkyuu.net/whatsnew/2007/12/how_not_to_use_powerpoint.html 内容は,「パワーポイントを使った,ダメなプレゼン」について.話しているのはコメディアンらしいが,もともとはIBMの技術者だったとのこと.そのせいか,コメディーというよりも,なんだかプレゼンに関する真面目なレクチャーを聞いているような気分になった.
このコメディアンが挙げる「ダメなプレゼン」の例は以下のとおり.
1.話す内容を全部,文章形式で書いてしまっているスライド.
2.誤記の多いスライド.
3.箇条書きがやたらと多く,何がポイントなのか分からないスライド.
4.色使いのおかしいスライド.
5.枚数が多すぎるスライド.
6.1枚の中に,盛り込む内容が多すぎるスライド.
7.アニメーションの多用されたスライド.
8.適切でないフォントの使用されたスライド.
ざっとこんなところだろうか.確かに英語の場合,しゃべることを忘れないように,
全部書いておこうとして,盛りだくさんなスライドを作ってしまうことは多々ある.
7については,以前のボスが,良くやっていたのを思い出して,失礼ながら少し笑ってしまった.スライドを作っているときには,アニメーションにしたのに,発表の時になるとそれを忘れて口で全部説明してしまい,次のスライドに行こうとした瞬間,色々なものが動き始めることが良くあった.
5については,人によって意見が分かれるところであり,なかなか難しい.平均的には,1枚のスライドに1分くらいというのが標準ではないだろうかと思う.僕の大学院時代のボスは,大体1枚あたり40秒くらいで,テンポ良く次々とスライドを説明していくといったプレゼンテーションだった.逆に,今のアメリカのボスは,1枚のスライドに5分かけることも珍しくない.それどころか,特別講演の時などは,真っ黒な画面からスタートし,何も映さないまま10分くらい話して,聴衆をひきつけておいてから,やおらパワーポイントを使うことさえある.二人のボスとも,話が上手いと評判の人なのだが,そのスタイルによって全く正反対の結論になる.僕の印象では,次々と早いスピードでスライドを切り替えていくプレゼンは,外国ではウケが良くないようだ.
僕自身はというと,なんといっても,スライドの図のセンスが悪いのが欠点.分かってはいるのだけれど,「センス」の問題だけに難しい.センスが良くないことは自分でも分かるのだが,どうしたら良くなるのかが分からない.
スライドとは話がずれるが,未だに僕ができないのが,正面を向いてのプレゼンテーション.照れもあるのだろうけど,どうしてもスライドの方に顔が向いてしまい,聴衆に向かって話せていない.こちらの人達はこれが普通にできる.スライドに完全に背を向けて話すことのできる人が多い.これは,文化の違いもあるかもしれないが,スライドに書かれていることをきちんと把握しているからなのかもしれない.発表ギリギリになってスライドを作っているようでは,まだまだ無理ということか.
Youtubeにはpowerpointを使ったコメディーなるものも載っていた.下らないけど,これもちょっと面白い.
2008 1・21 76
* 一昨年の「mixi」日記をつらつら読み直して、「つらかった一年」でしたと妻は涙する。その通りだった。作為のないその日その日の日記だが、いつわりなく情況を反映し、さながらまた「一編」をなしているのに驚く。
電話をいただいた原田さんは、たじろがず対処してきたことに、作家魂と作家の冥利というものを認めてくださった。そういう声は文壇の諸方からきこえてきた。だが、ことなかれと穏便に受け流していいのではという思いで見守ってくださった方も少なくあるまい、その方がこの世間のおおかたの知恵であるかも知れないのをわたしは承知している。
2008 1・22 76
* 予想外に年賀状をたくさん戴いていた。住所録への書き入れをやっと終えた。機械の大破の折、いったん住所録も形を喪っていたので、あらたに作らねばならなかった。年賀状が来たらやろうと放っていた。
数百人の氏名・住所・電話番号・メルアドをとなると、何よりも目への過酷な負担。しかし放っておくのも気持ち悪く、ひとまず遂げたが、もっと夥しく漏れがある。補って行けばいつ果てるとも知れないので、一段落とする。次の湖の本も手を拱いてはおれないし、仕事の途中でわたしの「手出し」を待ってくれている「書き」仕事が幾つも幾つもある。意識するとパニックになるし、放念していても、チリチリと尻を灼かれる気分。ままよと、要するに自分のペースを大事にする。
2008 1・22 76
☆ お元気ですか 泉 e-OLD多摩
明日は雪が降るとか、寒いですね。そのせいか血流悪く、肩痛の回復、今いちです。
パソコンもまた立ち上がりません。
気晴しに映画「レンブラントの夜警」をUさんと観て談笑してきました。
朝一回目でも、広い映画館が満席。17世紀のオランダの話は暗く重く、それでも気が抜けず抜かず。
携帯からは面倒で詳細には打てないですが、映画はやっぱり手軽で面白い。
手持ちの新聞切り抜きの、ピーターグリーナウエイ監督の言葉、「描くべきモチーフは、これまで通り、セックスと死以外に何があるんだ」と。
* 手軽で面白い、という感想には、『蕨野行』を観たあとでは、頷きにくい。
今夜もずうっと千住さんのパガニーニを聴いていた。
2008 1・22 76
☆ プログレスレポート ハーバード 雄
朝9時から,プログレスレポート.7時に起床して,近所のベーグル屋に行き,ベーグルを2ダース購入.ベーグル屋に向かうだけで,足が凍りつきそうに寒かった.ベーグル屋からラボまで急ぎ足であるくと,逆に汗が噴き出してきた.
セミナールームでパソコンをプロジェクターに接続するが,画面が切り替わらず,プロジェクターに何も映らない.このノートパソコンは日本から持ってきたものだが,プロジェクターとの接続端子の部分の構造に少々問題があり,こういうことが頻繁に起こる.30分近くトライしたが,諦めて2階の居室からデスクトップパソコンを抱えて運んだ.重たかった.
時間までにセットアップは完了したのだが,ボスがやってこない.秘書のフィリスが「あと5分待ってと言ってるわよ」と言う.しかし,5分経ってボスがやってきて,「ごめん,あと15分だけ下さい」と言う.今日がグラント申請の締め切りなのだそう.
待っているとフィリスが「プログレスレポートって,どんなプログレスをしたの?」と余計なことを言う.おまけに,日付を略して080122と入れておいたら,「その数字は何?」と聞いてくる.もう,タイトルのスライド全部を捨てたい衝動に駆られた.
15分待ってもボスは戻ってこず,もしかしてプログレスレポートは中止になるかと思ったが,ほどなくしてボスが現れた.発表開始.
1時間半,たっぷり話す.望んでそうしているわけではないが,ムービーファイルが多いし,皆あれこれと口を挟むので,どうしても長くなる.おかげでヘトヘトになった.
発表が終わると,皆口々に「いいトークだった」「面白いよ」などと声をかけてくれるが,内容が乏しいことは何より自分が一番自覚している.さっさと自分のアパートに戻り,布団をかぶって寝てしまいたい気分になった.
意外だったのは,僕がこれまでやってきた「失敗」としか言えないデータについては,概ね好評であり,これからジョンと始めようとしている面白そうなテーマに対しては,セミナーを終えてからJCとボビーから「何であんなことやるんだ?やめたほうがいいんじゃない?」とこっそり言われた.ジョンとやろうとしていることは,今僕がやっていることよりも,明らかに多くの研究者が研究していることなので,今更やるのは意味がないと思っているのかもしれない.
今日話していて,いかに自分が光学的な知識を欠いているかが良く分かった.確かに,それを勉強しにアメリカまで来たのだが,こんなことではダメだ.自分で自分が情けない.自分で実験していながら,自分のやっていることを良く理解できていないことに腹立たしさと情けなさを感じる.解析も,今までのものでは不十分だった.やはりもっと勉強しなくては.
これまで発表の準備で実験できていなかったので,今日は実験するつもりだったのだが,いつも使っているヒャーノのセットを使いに行くと,ムリカに占領されていた.相談の末,木曜日は僕が一日使うことにする.
なんだか虚しくなり,部屋でデータ解析の本を見ながらデータを解析し直す.そうしていると,「ああ,あのムービーではなくて,こちらを見せるべきだった」というものが次々と出てきた.悔しい.
* こういう話題がわたしには、無性に興味深い。「いま・ここ」「いま・ここ」を真剣に呼吸している人の汗の香がする。わたしはいま自分の言葉と感情とにヒマを与えているので、その空白へこういうしっかりした言葉を汲み入れる。
2008 1・23 76
☆ お元気ですか
朝方の雪は雨に変わったようですが、ずいぶん冷えています。生まれて初めて雪を見た我が家の小猫は、よほど珍しかったらしく窓にはりついて空から降るものを一心に眺めていました。
鈍色の空を見上げながら、暖かい部屋で好きな音楽を流し、たっぷり甘いココアを飲みながらささやかな幸せのひととき。大きな幸福には大きな不幸が伴うものですから、この小さな幸福を大切にしなくてはいけませんね。
野良猫になったことのない小猫は凍える寒さも飢えも渇きも知りませんし、濡れて震えることも危険に怯えることもない。そして、真実自由に生きることもない。わたくしのも似たような人生を送っているのかもしれません。
外に出ようという声をどこかに聞きながら、自分にはとても耐えられまいと諦める。そんな自分を不甲斐ないと思い、ただひたすら書く。書けば窓を開けて外の空気を吸うことくらいできると思う。こんな生ぬるい生き方で佳いものが書けるはずもないけれど、書く場所もなく飢えて野垂れ死にするより、せめて書くことだけはしていたい……。
寒空のように鬱々としてしまうのは、息をする間も何か考えずにはいられない人間の愚かさ。小猫はストーブの前でぬくぬくと無心の昼寝。外に出ようなんて想像もしないで、幸福も不幸もなく、ただ「今・此処」の心地よさに浸っている。猫のしぜんにはかないません。
あら、また雪が舞いだしました。みづうみ、お元気ですか。みづうみは雪ではなく、文学の蜜をわたくしの上に降らせてくださいました。 わたくし
☆ 寒かった 花
お元気ですか、風。また寒いですよう。
ぬるい気候では、体がなまちゃう、と文句を言いつつ、寒くなると、「寒い」と言いたくなります。
裏富士は雨です。
東京は雪でしょう。ニュースで見ましたよ。おうちでおとなしくしていてくださいね、風。
『わらびのこう 蕨野行』という映画は知りません。テレビで放映していたのですか。見てみたいなあ。
目の具合が、だいぶよくなってきましたか。
きのうは、外出の用事と図書館へ。やっと集中力が戻って来ました。
* 眼が渇いてくると眠くなる。目を閉じたくなるということ。
2008 1・23 76
☆ 雪 慈
玄関を出ると 道は白くなりはじめて 足跡だけがくっきり残る。おや 「ふらの」さん出掛けましたね と 人にも知れる。
小一時間で戻ってみると 私の足跡はもう消えていて がっちりと大きなべつの足跡が郵便受けに近づき 去っている。
雪でこそ見える人の動き。 面白いこと。
☆ 雪 昴
札幌の雪は、融雪剤の影響で、踏むとしゃくしゃくいっていたけど、羅臼の雪は風と寒さで固まって、キュッキュッという。羅臼の雪は、たぶん砂の音に近いんじゃないかなと思う。地域によって雪の鳴き方が違うのはおもしろい。
今日は、国語の授業はまだましじゃなかったのかなと思う。予定していた範囲までいかなかったのはいけないことだけど、子どもの中には授業の内容が残ったんじゃないかなと思う。今までのテンポよりはよくなったけど、もっと速いテンポで授業を進めたい。
今日の問題は家庭科だ。授業の流し方を思いっきり間違えてしまった。昨日あんなに、この部分は間違えずに流そうと思ってから寝たし、朝もこの部分は間違えずに流そうと思っていたんだけれども、間違えてしまった。すっかり頭の中から抜けていた。もっとしっかり頭にたたきつける方法を考えなくては。
と思っていた矢先、帰りの会でいうべきことを、一瞬忘れてしまった。ほんの数秒前までこのことを言おうと考えていながら、言うときになって忘れてしまった。子どもに、ちょっと待ってといいながら、言う内容を思い出したのだけれど、記憶力が低下するのには困る。
疲れがあったのだろうか?
頭の中は、少しボウッとしている。
このままじゃいけない。
昨日、先輩の先生に今にも泣きそうな瞳で、「今変わることができたら、同じ思いで苦しんでいる子の気持ちを理解して助けることができる先生になれるんだよ」「今がんばらないと、先生やめても同じだよ」と言われた。
とにかく具体的に動いて、がんばらなくては。
☆ 洗濯物が乾かない 和
ずうーーっと、曇りか雨で、たまに晴れた日には洗濯するのを忘れてしまし、洗濯する機会を逸してしまった。今日室内干ししてみたけどやはりまだ乾かない。
今年に入って麻雀は放縦しまくるわで、収支はおもいっきりマイナスだ。うまくアガれば門前清一色一気通貫平和一盃口ドラのひっさびさの3倍満を9順目で張ってwktkしてもあがれないのには、涙がでてきた…。
日経平均下がってるしな、就活おわるまで景気もっててほしい。
そういやマイミクの人もいろいろ本を読んでるらしいので、俺も対抗して今年に入って読んだ本をリストにしてみようか。。
オープンビジネスモデル ゼミの課題の本。
草枕 夏目漱石
経営と国境 試験で出そうだから図書館で借りた 伊丹敬之
群集心理 19世紀フランスのル・ボンって人の本
経営財務入門 経営財務の試験勉強のため。ってか公式の証明見ただけ。
存在と無 サルトル
親族の基本構造 レヴィストロース
ローマ帝国衰亡史第…何巻か忘れた。 ギボン
為替がわかれば世界がわかる 榊原英資
動物農場 オーウェル
ナポレオン伝説とパリ 杉本淑彦
こんなもんだな。しかし、俺が読む本は何にも脈絡がないのばかりだな…。一回優良雑誌と巷で呼ばれる
「セ レ ビ ッ チ」
っていう雑誌を是非読んでみたいけど、どこに売ってるのやら…
それにしても、ローマ帝国衰亡史って、アイゼンハワーとかもよく読んでたんだね。あれはおもしろいし。けっこう前から読んでるけど、巻数が多いからなかなか読みきらん…。
でも、アイゼンハワーが言うように、薄っぺらなビジネスモノや戦略モノ読むよりも、人間社会というものを深く知ることができると書評にも書いてあったけど、やはり古典とよばれるものに勝る本は世の中にはそうそう無いのではないだろうか…
もと軍人であるにもかかわらず、軍産複合体に対する脅威を退任演説で訴えかけた知性とバランス感覚は古典を読むことで培われたものなのか…
と、あまりにも暇なバイトの読書の合間につくづく思う1月であった。
それにしてもセレビッチはどこに…。
☆ 朝がけや霧の中より越後勢 囀雀
有明の月が冴え、しきりに猫がうなっています。夜明けまで陣風が吹き荒みました。
そちらは雪が積もったり、かなり冷えているようですね。いかがお過ごしでらっしゃいますか。くれぐれもお風邪などお召しになりませんよう。お怪我にもお気をつけられどうか日々ご無事で。
この日曜に終わってしまう「鏑木清方展」を京都駅ビルの美術館に、16日から始まった「川端康成と東山魁夷展」を文博に見るため出かけまして、渋川春海が天文観測をしたという梅小路の円光寺、釘抜地蔵の三尊石仏、地蔵院の「椿樹」を見るため寄り道をし、漬物や五色豆、また薯蕷のおまんなど買い求め、あつあつのおだしにひたった細麺のおうどんをふぅふぅすすって、帰ってまいりました。
石仏に感激と笑み。
京のこんな町中にこれほどのブツがあるとはと驚きましたわ。
冷たい雨の降るなか、おばあちゃんが何人もお茶している町のお寺という風情にもほっとしましたし、境内に渡岸寺の十一面観音をうつした観音さんが立っておられるのには、後ろの暴悪大笑面を確かめにおもわずのぞいてしまいました。
ときに、前回、清方の絵を目のあたりにしたのはいつのことでしょう。江戸の川や不忍池を吹きしきる風、ひるがえる江戸好みのきものなどなつかしく、ほっととろけて堪能いたしました。山種美術館で見慣れた魁夷の繪も、京の空のもとでは閉じ込めた京の空気と、にじみ出し、放たれてゆく京らしさがキリキリせまってみえました。
明日は抽選で当たった「京の日帰り初詣バスツアー‐嵐山~平安神宮」に参加してまいります。
日々ご自愛のほど。 雀
* みな、おもしろい。
2008 1・24 76
* 幸い晴天、しかし強風の中、両国国技館の桟敷に正午過ぎに入り、打ち出しまでゆっくりゆっくり大相撲を楽しんだ。三段目の途中からずうっと取り組みをみつづけ、十両と幕内の、また両横綱の土俵入り、も胸をわくわくさせて見入った。
見終えてみると今日は珍しく両横綱も大関も、目星を付けた人気力士達がみな勝って、白星を積んでいた。「座布団を投げたい」と言っていた若いお客さんも、その点は肩すかしを食ったけれど、四時半に桟敷入りし、幕内の取組みはほぼ全部観戦できたのはよかった。
館内と土俵上の熱気は、前回の秋場所より何倍も爆発し、喊声のるつぼ。陽気の炎が広い国技館を焦がしそう。
白鵬に朝青龍が追いついて星数を揃え、緊迫の度を増している。桟敷は西花道にまぢかく、土俵へも、秋場所より数段近い西表。、両横綱の力の入った土俵入りが、綱の白さも目にしみ、なにもかもきらびやかに、美しく見えた。
* 相撲茶屋からのお土産も重いほど、お客さんもわれわれも、二袋、三袋。はねてからは送り太鼓に背をおされ、総武線で新宿へ一本道。
高島屋の十四階「鮨源」で白ワインとお酒で歓談、八時半に駅で別れた。佳い一日だった。
☆ 今、お相撲に酔っ払い、帰宅しました! 鈴
とっても楽しかったです!!
まだ興奮が醒めません。。。
ついでに酔いも醒めていません。
嬉しくって嬉しくって。
まだ酔ってるので、とりあえず無事帰宅したご報告と、お礼まで。
2008 1・24 76
* 新しく加わってくれたマイミク卒業生たちが、それぞれに趣味のある「アイサツ」を書いてくれている。
昨夜遅くに息子の秦建日子が用事を持って顔を見せた。二時間ほど話し込んでまた仕事場へ戻っていった。
彼も、タダ原稿はつまらないと思うか知れないけれども、「mixi」に、それこそプロフェショナルな連載エッセイを書き、自分のマイミクやわたしのマイミクを通して「評判」をとってみるといいがなあ。
☆ 蜘蛛の糸、切れたのは必然? それとも偶然? 光
理系離れが深刻だとニュースで報じられてもうだいぶ経ちます。
子供たちに、科学のおもしろさをアピールする動きも多々試みられています。
もっと、理系の人を優遇するべきだ、という意見もあります(そうだそうだ)。
しかし、何か根源的な問題があるように思われます。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を引用してみましょう。
● 切れたのは必然? それとも偶然?
蜘蛛の糸のあらすじはご存じでしょうか。
昨今は便利な世の中で、Web上で「蜘蛛の糸」と検索すると数秒後には全文をパソコンのモニターに表示することができます。
主人公は、カンダタ。地獄の底の血の池にいます。生前は「人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥棒」だったようです。そんな彼の目の間に、「遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸」が現れます。彼は、極楽を目指して蜘蛛の糸を伝って登り始めます。途中、だいぶ登ったところで、「ふと」下を見ると「数限りもない罪人たちが」蜘蛛の糸を伝ってよじ登ってくるのが見えます。彼は叫びます。「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちは一体誰に尋(き)いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」
蜘蛛の糸が断(き)れるのは、その途端です。カンダタは再び「暗の底へ」落ちてしまいます。
子供向けのお話しですから、「自己中心的な行動(発言)について考えさせられた」で国語のテストは対応できると思われます。
しかし、彼の失策は本当に「自己中」のせいだったのでしょうか。
●合理的判断は世間に受け入れられない?
彼の生前については、ここではとやかく問わないことにして、「あの日」の彼の行動をチェックしてみましょう。
まず、行動力。 どこに続いているかもわからない細く切れそうな蜘蛛の糸を登ろうとした行動力は評価していいのではないでしょうか。研究者に向いているかもしれません。
判断力。 蜘蛛の糸は丈夫であることを知っていたのかどうかはわかりませんが、人一人分の重さには耐えうると判断している点で(登り始める前に確認しているでしょう)、あの状況においては比較的冷静な判断だったのではないかと思われます。
そして、例の問題の発言です。
ここで、目標である極楽への道が途切れてしまった点では、失敗だったということになりますが、もし問題があるとしたら、それは表現力だったのではないでしょうか。
細い蜘蛛の糸には、「耐荷重制限」があるはずです。極楽へ続くかもしれない唯一の手段を失っては、罪人ともどもメリットがありません。実際に、蜘蛛の糸は切れています。限界以上に荷重が掛かれば、偶然というより当然の成り行きです。切れる直前に彼が叫んだ点を見ると、その時ぎりぎりの張力が掛かっていたことに彼は気づいていたと推測されます。観察力もあったようです。
合理的に判断したら、一人ずつ順番に登っていくのがいいと言うことになります。
あの状況で、「仕切れる」としたら、もはや彼しかできません。彼は、本当はそのことを表現したかったのではなかったのでしょうか。
もし、本当に自己中であれば、さっさと自分の足下辺りから蜘蛛の糸を切断すればすむことですから。
理系の人たちは待遇が悪いと思う前に、表現力を身につけて世の人すべてを幸せに導くべきです。
一部始終をご覧になっていたお釈迦様が、最後に悲しそうな御顔をなさったのは、そうしたところだったのかもしれません。
P. S.
「蜘蛛の糸」、あの文字数であの世界観。何度読んでも頭が下がる思いです。
☆ お気に入り 悠
朝から息子は運動会かの様に元気いっぱい動き回って大変です.
頼みの綱のダンナは、昨日大学の研究室のOB会に出席し,ずいぶん楽しい時間をすごしてきたようで,ダウン...
昨夜,ご機嫌で帰ってきたときの話では,いつものごとく,来春就職を控えた後輩学生を捕まえて,”技術者として会社でどうやっていくべきか”の持論を” 押し付けて”きたようです.
もともと同じ学科出身のわれわれですが,専門分野も違えば,かたや開発に重きをおいた企業の研究所勤務.こちらはどっぷり,教育を含めた研究者.話が合わないこともしばしば.素直に聞いていくれる純粋な後輩学生は大のお気に入りなんでしょう.
ところで息子のお気に入り.
最近は”ひも”ですが,生後間もないときから,どうもお気に入りらしい物がひとつ.
実家にあった片岡球子さん(先日,103歳でなくなられた画家)の赤富士の絵です.
実家にあったいくつかの絵のうち,赤富士の絵は凝視してました.何度も試してみましたが,ほかの絵では見せない反応を示してました.力強く大胆な絵ですが,本能的に受け入れられる何かがあったのでしょうか?
わたしはその絵を見るたび”あっぱれ”という言葉が思い浮かびます.
期間が開いてのち帰省したときも,おんなじ反応を見せました.実家の母が気に入って購入したものですが,息子はいずれ譲ってもらうつもりでいるようです....
私は山本容子さんのユーモラスでやさしい感じの銅版画がお気に入り.
勤めたら小さくてもいいからほしいいなぁと思い,数年前,念願かなって手に入れました.息子はあまり興味を示しません.
好みって,こんなに小さいときからはっきりしているものなんでしょうか?
☆ スカシカシパン 雄
昨日の歓送会は朝3時半まで続いた.こんなに遅くまで飲んだのは,こちらに来て初めてだった.飲んだといっても,ずっとお酒を飲んでいたわけではなくて,もっぱら食べたり話したりだった.招いてくださったDoppyさん,有難うございました.参加されていた他の方々も素晴らしい方々ばかりで,本当に楽しい時を過ごすことができました.
Aさんの車で送って頂き,仮眠を取ってからラボへ.行きしなにトマトとモツァレラチーズのサンドイッチとコーヒーを買い,昼食にそれを食べた以外は,ずっと顕微鏡に張り付いていた.
一昨日手術しておいたマウスを観察.今まで試したことのない方法で神経細胞を染めておいた.機械のトラブルもあり,かなり原始的な手法を用いたので,正直あまり期待していなかった.しかし今日,観察してみると,思いのほか良く染まっている.さっそく神経節の標本を作って神経細胞の活動を測定する.
あれこれと視野を変えるうち,刺激電極の電源をオンにした途端,クリスマスツリーのようにピカピカと光出す細胞群を見つけた.しめた,と思い,焦点を合わせようとした瞬間,刺激電極につながっているゴムチューブに誤って触れてしまい,視野がずれてしまった.しばらく粘って探したのだが,あいにくそれらしいものが見つからず,最後まで見つけることができなかった.惜しかった.
帰り道,久しぶりにフォーが食べたくなり,LE’sで夕食.ポーターまで電車に乗り,Shaw’sとKotobukiyaで食料を買って帰宅.
家に帰り,テレビをつけると,サウスカロライナ州の予備選挙で,オバマがヒラリーに倍近い差をつけて勝ったとのこと.サウスカロライナ州は,前からオバマ優勢と聞いていたが,これほどの大差がつくとは驚いた.
ところで,先程ロケーションフリーで「サンデージャポン」を見ていたら,「スカシカシパン」という言葉が出てきてびっくりした.なんでも,中川翔子がローソンと一緒になって開発した菓子パンだという.(http: //www.lawson.co.jp/recommend/shokotan/index.html)
スカシカシパンというのは,ウニの一種で,本物はこんな形をしている.(http: //www.aquamuseum.net/aqua/uni/kasipan.html).中川翔子がこのウニのことをブログで取り上げたのがきっかけで,このようなことになったのだとか.確かに菓子パンの形もスカシカシパンに良く似ている.
何故これがウニ? と思うかもしれない.ウニやヒトデなどの棘皮動物の特徴は「五放射相称」.ヒトデは言うまでもないが,実は普段良く見かけるムラサキウニなどの棘だらけのウニも,割ってみると五放射相称になっている.(例えば http/www.souya.pref.hokkaido.lg.jp/ss/sis/soyaweb/untiku3.htm)
スカシカシパンに良く似たウニで,タコノマクラというのもいるのだけど,そのうち,こんな形の枕もできるんだろうか
(http://www.chiba-muse.or.jp/UMIHAKU/shizen/iso/kyokuhi/takomakura.htm).
* 東工大 東大 ハーバード大の揃い踏みを楽しませてもらった。東工大「作家」教授の幸福というもの。
2008 1・27 76
☆ 春待月 雀
芭蕉が去来と鉢叩きを聞いたのは、もう少し押しつまった頃でしたね。バスツアーを楽しんでまいりました。
京都東I.Cから清閑寺前を通り、嵐山で昼食とのことで、一時近くに渡月橋北の駐車場で降ろされました。二時間半の自由時間を与えられ、雀は食事もそこそこに、北へ。
線路を渡りさらに北へ、六道町と井頭町をめざします。灰色の雲がかかり、細かな雪がさらさらと舞い続ける昼下がり。小倉山もうす化粧をしています。
小野篁が使ったという井戸はもちろん遺っていませんが、後宇多皇后御陵を拝し、売地の立て札が立つ井頭の空き地の前を通ったとき、鐘の音。化野(あだしの)念仏寺の方角から、もう一度。鐘冴ゆる…一句…いいえ、人の子ひとり猫一匹いない径(こみち)に化野の鐘が、隠に籠もって、ごぉぉおんという具合で、灯ともし頃ならきゃっと飛び上がって走り抜けています。
人家の庭には臘梅がさかりと咲き、落柿舎の萱葺屋根に雪が残っていました。
お豆腐お揚げ、橋のたもとで桜餅を買ってバスに戻り、次の目的地、平安神宮へ。
一時間弱の自由時間では庭園を見るほどひまはなく、辺りを歩いただけでしたが、「吉田の節分」「須賀神社懸想文売り」のポスターが目にとまりました。
天智天皇御陵の前を通って、京都東I.Cへ入りました。
そちらも寒いことでしょう。今日の名張は雪や霰の一日でした。
寒さももう底。あとは春に向かうばかりです。花粉の心配が始まりますか。
どうかどうかおすこやかに。 囀雀
* 雀さんの冴えた囀り。健在をよろこぶ。
われ、不徳なれども孤ではない。元気にしていると、遠富士の花も。
2008 1・27 76
☆ 木の実 慈
ユズリハの木は 沢山実をつけ 青黒く熟すると 小鳥がやって来ます。
上手に啄めず 落とした実を 私は拾い集めて 濡れ縁の籠に。木に、もう一粒も無くなると 鳥たちは 籠の実を食べ散らかすのです。
乾いて堅い実のなかの まれにまだふっくら柔らかなまま残っているのを 探すのでしょうか。
ひょっとして 今が一番空腹? 小鳥さん
2007 1・27 76
☆ 初稽古、ちくちく。 珠
晴れてはいるけど、寒さいっそう厳しい日曜。仕覆の初稽古へ。お三時には花びら餅を頂き一服。温かさが腑を満たす。老若揃って口も手も、賑やかな稽古。
黒楽の小茶碗のため、採寸、仮縫、生地選びなどをする。知り合いの作家さんから、竹の楊枝いろいろが届いた。煤竹の色濃く艶のある、節しっかりした楊枝を選び、めくら縞(今では怒られそうだが、そう呼ばれる細かい縞)で楊枝入れを作ってみた。切っ先が美しく鋭くて、小刀めいて密かに懐中に、ある。女人なればこその楊枝、誰のためでもなく、我が身の為に。そんな白昼夢想いつつ、敢えて地味な縞模様を着せてみた。
明日は毎年実家近くで開かれる「だるま市」の日。仕事なので、だるまや御札は母に頼んだ。だるまを買った時、魂を入れてもらうあの瞬間が好きだ。明日は晴れの予報、人多く出て景気のいい魂が入るといいな。
* 現代医療の最先端で、患者の「こころ・からだ」に日々文字通り直面している人の「お稽古」であり、茶の湯なのである。稽古が生きている。
次の「雄」日記は長編だが、だれもが一度は吐き出したい話題で、特別吃驚はしないが、身につまされる人は多かろう。
☆ 塾長先生 ボストン 雄
今日もまた,ボストンは雪.激しい雪ではないが,止んだと思ってしばらくすると,また小雪がちらつく.一日中,洗濯機と乾燥機を回し,待っている間,以前から読みたかった生理学の専門書を読んで過ごした.
先日,ネットニュースに載っていて気になったのが,「三角形は一つの曲線と二つの曲線に囲まれる」などと教えて分限免職になった教師のニュース.非ユークリッド幾何学だったら,これは間違いではないと思うのだけど,そういう問題ではないのだろう.
こうした「教師の質の低下」は,実は今に始まった話ではないと僕は思う.僕自身,小学校・中学校では酷い教師達を何人も見てきた.
「麦秋」は「秋」の季語だと言って最後まで譲らなかった中学校の国語の先生などはまだマシな方で,二人の先生で作成した数学の試験問題で,片方の先生が出題した問題をもう一方の先生が解けなかったなどということもあった.
同じことを何度も話しすぎるために,教科書の3分の1しか毎年終えることのできない理科の先生など,他にもいくらでも例を挙げることができる.
教科のことだけではない.小学校では,教科全般を教えることができず,毎日サッカーばかりさせていた先生がいた.
授業中,寝てしまうからと言って,教壇にポットとインスタントコーヒーを置き,飲みながら授業をしている年配の女性の先生もいた.
極めつけは,僕が小学校に入学して,初めて接した担任の教師だった.はっきりいって,この人は少し頭がおかしかったのではないかと僕は思う.入学してすぐに,給食が始まったのだが,飲んだ後の牛乳瓶をラックに戻すのに,皆を教室の端に一列に並ばせ,瓶をラックに綺麗に並べさせた.誰かが少しでも乱すと,また瓶を持って,一からやり直させた.えんえんとこれを繰り返すため,午前中だけの授業のはずなのに,夕方になっても下校できなかったことさえあった.
道具箱にしまって教室の後ろに収納してあるものを,競争で取りに行かせたりもした.敏捷性に欠け,いつも人より遅かった僕に対して「オンボロ機関車」とあだ名をつけ,クラスの皆にもそう呼ぶように強要したこともあった.
一番酷かったのは,5月の「こいのぼり運動会」だった.クラスごとに「こいのぼり」の絵を描き,運動会の時に掲げることとなったのだが,その際,目を塗っていた誰かが,少しだけはみ出して塗ったことに激怒し,誰がやったのか名乗らせた.
怖いから誰も声を上げなかったのだが,30分ほどして,**君という同級生が勇気を出して名乗り出た.今思うに,本当は彼がやったのではなく,自分が犠牲になることでこの場を納めたかったのかもしれない.まだ小学校一年生だったけれど,正義感や責任感の強い人だった.すると,この教師は**君にビンタを浴びせた上に,彼を高々と持ち上げると,いきなり教室の床に叩きつけた.
こいのぼりの目から,少しはみ出したくらい,別に良いではないか.少なくとも,小学校一年生に対してすることではないだろう.今,こんなことがあれば,新聞沙汰だ.
この教師は夏休みを機に,学校に来なくなった.生徒ではなく,教師が登校拒否になったのだった.2学期の間,僕のクラスは授業がなく,毎日教頭がやってきては,「先生はお休みです」といって,自習をさせられた.新しい先生がやってきたのは3学期になってから.おそらく定年退職された後であろう,年老いた先生が臨時教員としてやってきた.
いちいち書き出すとキリが無いので,これ以上例を挙げることはしないが,どう考えても,僕の通っていた小学校・中学校には,こうした問題を抱えた先生が集まりすぎていたように思う.
最近,ニュースで,杉並区の和田中学校では,通常授業の後に,意欲的な生徒のために塾と提携して補習授業をすることになったということを知った.このこと自体はとても素晴らしいと思うが,ひとつ気になるのは,このような試みが,教育熱心で優秀な生徒の多い杉並区で行なわれるという点.もし,地域によって,こうした教育レベルの格差が生じているのだとしたら,それは由々しき問題だと思う.もっと他の地域の学校でも同様の試みを始めるか,そうでなければ補習授業については越境での受講も可能にして欲しいと思う.
そんな訳で,僕は学校の授業に何一つ期待していなかった.小学校5年生の時,そのまま地元の公立中学校に進むのが嫌になり,親に頼んで中学校を受験することにした.
中学受験にあたり,地元の塾に通うことにした.月謝が高かったせいもあって,それまで続けていたピアノと水泳をやめ,それらの月謝を塾の月謝に充てた.
この塾の塾長は,強烈な人だった.たまに新聞に折り込みチラシを入れていたが,塾に関することは,表に,ごくわずかに書かれているだけ.裏一面に,過去の偉人にまつわる話などを,細かい文字でびっしりと書いてあった.それらは,塾の宣伝ではなく,純粋な読み物であった.
この塾長のことを両親が面白いと感じたせいもあって,この塾に通うこととなった.塾では,塾長のことを皆,「塾長先生」と呼んでいた.これはひとえに名前を名乗らなかったからだった.後になって「光男」というお名前だと知った.名乗らなかったのは「自分は光っていないので,名前負けしているから」という謙遜からだった.
塾長先生は,国語を専門としていた.入試問題などを良く解かされたが,たまに分厚いコピーを生徒に配ることがあった.入塾して間もない頃に渡されたのは,中島敦の「名人伝」のコピーだった.小学校5年生になりたての子供には,かなり難解な読み物だった.(このホームページで読むことができます.
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html
しかし次第に,その文章の面白さに惹かれ,両親にせがんで,「山月記」や「李陵」も一緒に収められた新潮文庫の文庫本を買ってもらい,これらの作品も読んだ.
入試のための塾ではあったが,塾長先生は,入試のためのテクニックを教えるなどということは一切しなかった.なるべく本格的な本や,優れた文章を題材とした問題に数多く触れさせてくれた.解答の説明もほとんどしない.選択問題の解説でも,「「ア」じゃないよ,「ウ」よ」の一言でおしまい.題材となっている文章を書いた作家のことは,色々と話してくれた.それらの話を聞くだけで自然と身についたのか,文学史の問題は勉強せずとも解くことができた.
残念ながら,僕の中学受験は失敗に終わった.国立中学の試験にはくじ引きがあり,試験すら受けられず,門前払いとなった.唯一受験した私立中学では,どういう訳か入試でひどく緊張してしまい,問題文を読み間違えたり,名前を書き損ねたりした.同じ塾で,テストでは一度も負けたことのない奴が,二人も揃って同じ中学に合格し,僕だけが落ちた.悔しかった.小学校の担任は,僕のことを「こまっしゃくれた,嫌なガキ」とでも思っていたのだろうか,僕が入試に落ちて学校に帰ってくると,クラス全員に萩本欽一の「万歳ナシよ」をやらせた.
屈辱的だった.悔しかった僕は,親に頼んで中学校一年生の英語,数学,国語の参考書を買ってもらい,それらを小学校6年生の2月,3月に独学し,中学に入学するまでに全ての問題を解き終えた.続けて中学2年生用の参考書を買い,勉強を始めたのだが,「連立不等式」の解き方が分からず,塾の先生に質問していると,塾長先生は僕を一学年上のクラスへと編入させてくれた.「空いている日は,本来の学年の授業にも出なさい.そちらの月謝は要らないから」.そうして中学校2年生の終わりまで,ほぼ毎日,この塾に通っていた.大学に入学してからは講師として採用して下さり,大学2年生の終わりまで,アルバイトをさせてもらった.
塾長先生は,今から十年以上前に亡くなられた.
もし,塾長先生と出会わなかったら,たぶん僕は「井の中の蛙」として,適当に勉強をし,それで満足してしまって,さらに上を目指そうなどとは思わなかっただろう.
塾長先生は常に僕らに「本物」と接するようにと仕向けてくれていた.何事も「本物」に接することこそ一番の近道であり,王道なのだということを教えてくれた.亡くなられてから,お線香を上げに御宅にお邪魔した際,「私はあんなに勉強する人を見たことがありませんでした」と奥様がおっしゃっていた.努力は無限だということを,身をもって教えてくれた.
塾長先生は大変な本好きで,夕方塾に行くと,いつも決まって入口近くの椅子に座って本を読んでいた.塾には夥しい数の本が,所狭しと積まれていた.確か中学生の時だったか,「何か面白い本は無いですか」と聞いたところ,快く貸して下さったのが,杉森久英氏の「大風呂敷」だった.同じ塾に通っていた妹には長谷川時雨の「近代美人伝」を貸して下さった.これらの本のチョイスが,今思うと興味深い.
* よく人を呼んで「先輩」「先輩」と遣っている図が、わたしは好きでない。しかしまた、先輩・先達をこころよく受け容れるのはとても大切なことで、それの出来ない人は、性格的な歪みをかかえていることが多いと眺めてきた。今でも、そんな図はいくらも眺められる。
仕事師といえるような人で、よく出来る人ほど、その道での先輩・先達の名と業績とその意義を、「歴史」として謙虚に心得ている。感銘を受けることが多い。歌舞伎のような伝統藝能でだけの話ではない。文学・文藝の道でも殊にしかりとわたしは思っている。
2008 1・28 76
* 帰宅。懐かしい賀来敦子さんが主演の映画、原作者の一色次郎さんも懐かしい、『青幻記』後半を観た。
賀来さんとは、惜しくも亡くなってしまうまで、ずうっと「湖の本」を介して親しくしていた。すばらしい感性の演技者だったが、すっぱり引退された。一色さんは太宰賞での先輩受賞者。いわばご近所ずまいで、尋ねていって二人で関町辺のサウナへ行ったりした。だいぶ年かさで、早くに亡くなられた。
2008 1・29 76
☆ お元気ですか、風。
目は、お大事になさってください。
ドライアイの治療最前線というのをニュース番組で見ました。
悲しくても涙が出ない、光を眩しく感じる、などが主な症状で、風がよく「眩しい」とおっしゃるのは、やはりドライアイなのだなあ、と思われます。
涙の出が少なくなってしまい、眼球を保護している皮脂膜などが失われてしまう病気なのですね。
涙は、通常、目頭にある小さな穴から鼻腔へ流れていってしまうので、そこを塞いであげると、眼球の上に留まる涙量が増え、症状が改善するそうです。小さな小さなプラスチックのような栓を、涙穴に埋め込んでいましたよ。患者さんは、とてもラクになったとおっしゃってました。
風のかかりつけのお医者さんは、どうおっしゃっていますか。 花
* 機械の前で、闇に吸い込まれるように睡魔の誘いに身を任せている。ふと気づくと画面が前のママに。
2008 1・29 76
☆ Brownbag Seminar ハーバード 雄
今日は12時から脳センターのセミナー.先週の月曜から始まったセミナーで’Brownbag Seminar’と呼ばれている.耳慣れない言葉だが,「昼食を各自持参し,食べながら聞くセミナー」という意味.
日本人の常識では信じ難いことだが,未だにこちらでは茶褐色の紙袋が使われている.たまにスーパーのレジで’Paper or Plastic?’と聞かれるが,これは「紙袋にするか,それとも(コンビニなどで使われているような)プラスチック袋にするか?」という意味.サンドイッチやブリトーなんかは,小さな紙袋でもいいが,うちの近所の酒屋では,黙っているとビールなどでも紙袋に入れられるので,持ちにくくて困る.
それはともかくとして,要するにこれは気楽に聞けるセミナーであり,誰でも話の途中でも自由に質問を挟むことができる.もちろん,無理に昼食を食べる必要もない.
今日の演者はBoston Universityのkamal Senで,「自然の複雑な音を,脳の神経回路がどのようにして区別するか」という内容で話した.Kamel Senは,ブランダイス大学のLarry Abbottのラボで学位を獲り,その後カリフォルニア大学サンフランシスコ校のAllison Doupeのラボでポスドクをしてから,6年前にBoston Universityにポジションを得て独立した.その間,一貫して研究に用いてきたのは,ゼブラフィンチという鳥.
一般に,鳥類は聴覚系が良く発達しているので,聴覚系の神経回路の研究に良く用いられている.しかも,ゼブラフィンチをはじめとする多くの鳥は,歌で鳥どうしのコミュニケーションを取るので,人間の言語研究のモデルとしても良く用いられている.
「カクテルパーティー効果」という言葉をご存知だろうか?
カクテルパーティーのように,大勢の人々がガヤガヤと話していても,人は話を聞きたい相手の声を認識することができるし,ふいに誰かから名前を呼ばれれば,それに気づくこともできる.同じような大きさの音でも,雑音はカットして,自分の聞きたい音だけを認識することが人間には可能なのであり,このことを「カクテルパーティー効果」と呼んでいる.
講演などをテープに録音して,後から聞き返した経験は誰しもあるかと思うが,実際に講演を聞いているときには気にならなかったのに,あとでテープに録音して聞き返してみると,驚くほど多くの雑音が録音されていて,良く話が聞こえないことに驚かされる.
確かに,唇の動きなどの視覚情報によるバックアップが無いからというのも理由の一つであるが,それだけではない.理由の一つは,音源の方向性が変わったことにある.講演を聴いているときは,様々な方向から発せられていた雑音が,テープに録音され再生されると,聞きたい情報と同じ方向から発せられるようになってしまう.これが大きな理由の一つと考えられる.
本来,聞きたい情報だけを選択的に聞けるように備えられた神経回路の特性であるが,逆にこれが災いとなって,補聴器を利用している方にとっては非常にやっかいな問題にもなるのだとか.いかに感度の良い補聴器を作っても,雑音も同じように拾ってしまうからだ.
心理学などでは「カクテルパーティー効果」は人間固有の現象として説明されているのだが,Senによると,ゼブラフィンチも集団で行動するため,カクテルパーティー効果と同じことが起きているものと考えられるらしい.
セミナーそのものの内容は,異なる音源から異なる泣き方で発せられたゼブラフィンチの歌に対して,どのような活動を示す神経細胞がゼブラフィンチの聴覚野(L野)に存在するかについてがメインだった.
セミナーが終わってからは,先週土曜日にやった実験の追試のための下準備.久しぶりにロースクールのカフェテリアで夕食を摂る.
* 受け売りする気も機会もないが、小説の中で効果的に使ってみたいなと思う、我々には耳寄りの新知見が、「雄」日記に、惜しげなく現れる。
2008 1・29 76
* 録画しておいた『青幻記』を全編、観なおした。何度も泣いた。
一色次郎さんはこういう小説を書くべき故郷・故旧を胸に抱いておられた。
賀来敦子さんは、こういう女、こういう母親を映画の中で生きるべく真摯であられた。
そしてやはり亡くなるまで「湖の本」を受け取り文通して下さった田村高廣さんもまた、このように母を恋い慕う息子の人生を、映画の中で体験しておられた。
懐かしまずにおれようか。
2008 1・29 76
* 化けたかと想われるほど、文章表現が的確に具体的に、清明にすらなった例は、「松」君だ。教室のアイサツこの方、十数年もメールや手紙をもらってきた。今は「mixi」で日記だ。
句読点が適切に打ててきた。それで印象がクリアになっている。以前はそうでなかった。
☆ 雪の白川郷 松
先週末の土曜日、名古屋の友人達と白川郷へ行ってきた。
小牧で友人二人を拾い、東海北陸道を通り荘川インターで高速を下りる。しばらく行くと雪道になり、慎重に運転する。途中ダム湖の脇に荘川桜が見えた。深い雪に覆われてひっそりとしている。翌日思わぬところでこの桜に再会し、驚くことになる。
冬の白川郷は人影もまばらで静かだった。一面雪景色で、合掌造りの屋根も真っ白。空は明るく、軽く雪が降っている中を気持ちよく歩く。静かな山村の雰囲気を味わうことができた。
お昼には『飛騨牛』を食べようということで、白川診療所近くの『あらい』に入る。ここは話好きの女主人が出迎えてくれる。さっそく『飛騨牛の朴葉味噌焼き定食』を注文する。柔らかくてコクあり、非常においしい。2年前にもここに来たことを話すと非常に喜んでくれた。
昼は秘境の雰囲気を味わえたが、だんだんと人が増えてくる。今日は年に数回しかないライトアップの日で、地元も人も準備に忙しそうだ。日が沈み、山村がライトに照らされると、家々がうっすらと浮かび、まるで日本昔話を見ているようだ。鄙びた味わいがある。ただ人が非常に多く、展望台への道などまるで神社の縁日のように混雑している。あまりに寒いため一通り見た後、飛騨牛串焼きや、みたらし団子などを食べて休憩する。
混まないうちに早めに帰ることにしたが、夜の凍結した雪道は来るときより厄介だった。それでもタフな愛車のおかげで安全に運転ができ、無事名古屋まで戻ってきた。帰ったら洗車とメンテをしなくては。
☆ 縄文人は毎日鍋を食べていた=鍋大好き縄文文化説 光
縄文土器を見ていたときにふと解説を読んでみると、縄文人はこうした土器で煮炊きして食事をしていたのだろう、とある。土器に火の跡があるからである。
ふーん、一体何を煮ていたんだろうか。
魚? 獣(シカ、イノシシ)? 貝?
これらは、貝塚から見つかっているものである。
土器で煮炊きしていたのは、今でいうところの「鍋」だったのではないかと推察される。竪穴式住居の真ん中で、鍋の火を囲んで家族で食事をしている、そんな日常であっただろう。
その後、大陸から北方弥生系が渡ってくる。弥生時代のはじまりである。稲作のはじまりもこの頃(すでに縄文時代に行われていたという諸説有り)。その頃の日本では、すでに先住民として暮らしていた南方縄文系の人たちと北方弥生系の人たちが、それぞれ村をつくっていたが、平和的に徐々に混在していったようだ。
土器で「鍋」を食べている縄文系の家族。
北方弥生系の家族が遊びに来たら、やっぱり「あの、ご飯入れてみます?」というのではないだろうか。
現代日本人は、平均として、およそ北方弥生系7~8割、南方縄文系2~3割の比率で混血しているというのが、最近の人類学の報告。
鍋の後の、締めのおじやで幸せを感じると、「縄文時代の血がさわいでいるなぁ」とつい遠くを見てしまう。
溶き卵を入れるようになったのは、いつ頃からだろうか。
☆ お元気ですか、みづうみ
今日は少し寒さがゆるみました。昨日は冷えましたね。寒がりのわたくしはマスクして歩くという方法を活用しました。世間さまに顔をさらす面積が少ないのも迷惑にならないことですし、誰かのせいで泣いても目立たない。
話題を変えて。
みづうみにたくさんのことを教えていただきましたが、その一つが物事をじりじりと進めていく大切さです。
たとえば読書。難しい歴史本も聖書も経典も、退屈なところで躓く長い長い小説も、倦まずたゆまず読み続けていつのまにか読破なさってしまう。ただ読書好きというだけであれほど広範囲に深く読めるものではありませんもの。
少しでも見習って、とにかく毎日古文書の勉強をしています。読みにくいわが先祖の歴史も読み続けています。じりじりと進めています。書くほうも。そして、私語の読み直しから、みづうみの文学論を拾うことも。及ぶべくもない頭脳なれど、追いかけてまいります。(リップサービスじゃなくて、本気なのですよ。) わたくし
* 真冬が寒いはあたりまえだが、当たり前の底の方に、なにかしらこじれた大きな違和が感じられて、おそろしい。体調を崩したという知らせや訴えが届くと、懸念が騒ぐ。
☆ ヴロツワフ(ポーランド)→シカゴ(アメリカ) 創
突如、業務出張でのアメリカ行きが決定しました。2月初旬-3月中旬の約7週間です。その後4月からは東京への帰任も確定しました。
妻子帯同出張という変則出張で。
先週末クラコフへ、日本人会新年会出席をかねて、ポーランドでの最後の(?)かもしれない旅行をしてきました。
ヴィエリチカという岩塩炭鉱で、地下100m前後のところまで歩いて下りていきました。
そこには、宗教(藝術)的とも民藝的ともとれる美しい教会があります。当時の暗さを想像すると、単に美しいとは言い切れない悲惨さが思われ、このような救いが必要とされた切実な美というものを感じました。
*「創」君の顔が見られるのは嬉しいが、久しくなった任地への心残りない満足感も携え帰ってくれますように。家族親子三人、つつがないことを祈ります。
☆ 繪を観る 松
せっかく名古屋まで来たので、開催されている日展を見に行く。日本画、洋画、彫刻、書と多くの作品が展示されている。
ちょうど作者による日本画解説を行っており、聞くことにした。若々しい絵だと思っていたら、かなりご年配の方だったり、重厚な絵だと思ったら、実は若い人だったりして驚く。
その中のお一人がこんなことを言っていた。
「絵は自由に各個人の感性で見て欲しい。良いと思う作品、つまらないと思う作品は人によって違うし、それで良いと思う。この展示会の中で一つの作品でも良いと思うものがあれば、たとえ自分のものでなくてもうれしいと思う。絵の解説を、ということでここに来たが言葉で完全に説明できるのであれば、絵を書く必要がないだろう。」
非常に共感できる話だと思う。作者のひらめきに対して、鑑賞する人は別の受け止め方をするかもしれない。作品となった以上、どう受け取るかは鑑賞者に任されるものであろう。そして見た瞬間何かきらめくようなものがあれば、それは良い作品であると思う。
音楽においても完全な解説などあり得ない。言葉で説明できない感情のほとばしりが音楽にはあると思う。
日本画の展示の中で満開の「荘川桜」を描いていた人がいた。薄桃色に染まる桜の姿を描き、華やかながらも、ほんわりとした柔らかい感じがする絵だった。
昨日の雪に埋もれた桜の木の姿を思い出した。
* 画家のいいお話であるが、一つ間違うとつまらないことにもなってしまう。
作品の真価というものを、人により受け取り方がちがうので、良い、つまらないは一概に言えない、と。
こういうことを、享受者も創作者もわりに平気で言う。相対化の可能な、つまりは観る人も創る人も「わたしなりに」という言い訳をしてしまう。
それはちがう。
何が何であろうと、衆目の差をとびこえてより大きくより優れた秀でた作というものは在る。それを創り、それを見分けて行く、それが創作者の意気であり、それを享受者の真の喜びにしないといけない。「解説」の域とはかけ離れたことで、自己満足は赦さないそれが厳しい藝術の誇りなのである。
いいモノだとおもって美術や骨董を買う。幾つか買う。ところがそれらを束にしてもそれよりもずっと優れたものに出会うことがある。出会わねばいけないのである。
そしていいと思ってきた全部を売りはなってなりとも、さらに積み増してでも、より優れた作品をわがものにする。わがものにする、買うというのは、この際の方便で言うのである。
「絵は自由に各個人の感性で見て欲しい。良いと思う作品、つまらないと思う作品は人によって違うし、それで良いと思う」などというのは、創作や鑑賞の厳しさを舐めたはなしであることに、だんだん気づいてくる。
藝術の達成には、厳しく言えば上には上がある。上をはなから見捨てていては、鑑賞も創作も、つまりその程度でおわるだけだ。
そうなんだよ、「松」くん。
☆ 椿 慈
白い椿が咲きました。
霜柱がたち 冷たい北風もふき 人はしっかり冬を感じているのに
もう節分が季節を春へ 進めようとしているのですね。
むくむくと クリスマスローズも首をもたげ・・・一月が果てます。
* さ、日付が変わる。今日わたしは何をしたろう。夕食前に二時間ほど、ぶっ倒れそうに寝入っていた。怠けています。
2008 1・30 76
☆ フェロモンの神経科学 ハーヴァード 雄
今日から隔週に一度,4つの研究室で合同のミーティングが開かれることとなった.1回につき2人の演者が発表する.
今日の演者のうちの1人は,最近ハーバードにやってきたそうで,それまでデューク大学で行なってきたフェロモンの電気生理学的研究について話した.もう1人の演者は隣のラボのポスドクのトーメックで,シナプスが形成される過程について話した.
以前の日記にも書いたとおり,マウスでは,フェロモンの受容は鋤鼻(じょび)器で行なわれる.鋤鼻器で受容された情報は,副嗅球と呼ばれる脳の部分へと神経細胞によって伝えられる.
フェロモンは尿の中に多く含まれており,今日の演者はマウス副嗅球に測定電極を置いて,同性および異性のマウスの尿でそれぞれ刺激した場合の,副嗅球での神経活動を測定していた.同性のマウスの尿では副嗅球の神経細胞は活性化されないが,異性のマウス(しかも発情中のもの)の尿で刺激すると神経細胞の活動が見事に活性化されていた.
興味深かったのは,この演者は,他の動物の尿を用いて同様の実験を行なっていた.すると,マウスにとって天敵となるような動物の尿で刺激すると,フェロモンの時と同様に,副嗅球の神経細胞が活性化されていた.つまり,鋤鼻器-副嗅球を介した情報伝達は,フェロモンによる情報だけではなく,身の危険を察知するなどの,防御行動にも関わっているらしい.
ちなみに,多くの方が興味を持たれるのではないかと思うが,人間にフェロモンがあるか否かについては,まだ最終的な決着はなされていない.
山元大輔・東北大教授の著した「男と女はなぜ惹きあうのか」(中公新書クラレ14)には,この辺りの事情が詳しく書かれていて,読んでいて非常に面白い.中々手に取るのがためらわれるタイトルであり,文章もくだけすぎていて気恥ずかしくなるが,書かれている内容は科学的にしっかりとしている.しかも文章も上手なので,読んでいて思わず引きこまれる.
この本によれば,ヒトでもフェロモンの候補となる分子はいくつか見つかっているらしい.例えば,男性フェロモンとしてはAND,女性フェロモンとして ESTと名づけられた分子が挙げられる.これらの分子をかがせても,匂いを感じることは無い.しかし,例えば歯科医院の待合室の椅子などにANDをかけておくと,女性はANDのかけられた椅子を好んで座り,男性はむしろその椅子を避けて座るという.また,脳波を取ってみると,異性のフェロモンをかがせた場合,アルファ波が多く見られ,リラックスした状態になっているという.
ただ問題なのは,ヒトの場合,鋤鼻器から情報を脳へと伝える神経細胞が存在しない.胎児の頃にはあるのだが,生後発達に伴って無くなってしまう.また,鋤鼻器にフタをして,フェロモンが届かないようにしても,ANDなどのフェロモン候補分子で刺激すると,フタの有無に関わらず女性の脳波に影響が出るらしい.したがって,何か別の経路がヒトの場合には存在するのかもしれない.今のところ,その科学的根拠は無いようだ.
ちなみに,この本の著者の山元大輔氏自身の研究も面白い.山元氏はショウジョウバエをつかって行動遺伝学の研究を行なっているのだが,氏の発見した突然変異体にsatoriというものがある.この系統のオスを,メスと一緒にしても性行動を取ろうとしないことから,「きっとコイツは悟りを開いてしまったのに違いない」ということで,このような名前がつけられた.
しかしsatoriのオスは,実はオスのショウジョウバエと一緒にすると,性行動を取ろうとする.つまり,satoriは決して「悟った」のではなく,単に同性愛になっていたのだ.この原因遺伝子は既に明らかにされ,fruitlessという名前がつけられている.この遺伝子を破壊したショウジョウバエのオスでは,神経回路がメスに特徴的なものとなるらしい.
*湯冷めしてきた。明日は聖路加の医師診察日。
2008 1・31 76
☆ 週末、西伊豆の松崎にいってきました。 ゆめ
繁忙日に出勤した代休の貯金がありましたので。
夕陽の綺麗な小さい漁村で、温泉もあります。子どものころ、家族旅行で熱川や稲取温泉にいったことはあるのですけれども、西伊豆は少し交通の便が悪く時間もかかるので今までいったことがありませんでした。昔読んだ小説にこのあたりの景色のすばらしさが書き込まれてあって、一度いってみたいと思っていたのです。
この松崎はかつてかなり栄えた港だったそうで、重厚な漆喰なまこ壁の町並みがそっくり残っています。入江長八という鏝絵(こてえ)の名人の生まれ故郷とあって、美術館もありました。浅草の浅草寺や祐天寺の装飾もてがけた名人ですが、あの戦争でかなりの作品が失われたそうです。狩野派の絵画も学んだ人物でその作品は完成度の高いユニークなものばかりでした。
仕事のほうはサービス業ながら、年度末に近づいてかなり忙しくなってきました。昨日も2時間ほど残業しました。
2008 1・31 76
☆ 雪ふる屋根に待つ梅信 雀
冷雨降りしきる舗道にたたずみバスを待つお姿を夢に見ました。
お元気でいらっしゃいますか。ご平安を心よりお祈りいたしております。
2008 2・1 77
* 心惹かれる「mixi」日記があったけれど、つい此処へもらわないまま夜が更け、もう機械もしまいかけてから、東工大で先生をしている「光」君の日記を見付けた。
何でもない記事のようで、わたしの不出来な頭には「円錐」と出てきたあたりで、そこが、あたまに来て、そこが、おもしろくて、貰うことにした。なるほど鉛筆の芯は「円錐」だ。なるほど、削るとね。
☆ シャーペン vs 鉛筆 光
小学生の頃までは、筆記具といえば鉛筆だった。
鉛筆削り器でがりがりやるのが、勉強の合間の(密かな)楽しみだった。
結局最後まで、あこがれの電動鉛筆削り器を買ってもらうことはなかった。
小学生も高学年になると、シャープペンシルが鉛筆の地位を脅かす。
ずっしりしたメタルな感触、メカニカルな機構、芯を追加すればいくらでも使用できるという半永久性は、大人的な雰囲気を醸しだし、鉛筆以上の魅惑を子供心に感じさせてくれた。
しかし一方で、小学校教師のいかにも「子供は鉛筆を使いなさい」的な視線と、シャープペンシルの芯を使い切ったときにでる、あのどうしても余ってしまう部分を捨てざるを得ない後ろめたさが、その使用のたびにつきまとった。
小学生ながら、自問自答する。
鉛筆だって、ちびたら捨てざるを得ないじゃないか、何もシャーペンだけがもったいないわけでも悪いわけでもない。
しかし、心の中の悪魔はすかさず囁く。「鉛筆ならばキャップをつければまだまだ使えるぞ。」
シャーペンの芯の最後の5分の1は、始めから捨てられる運命なのだろうか。
格好の良さのためには何かを犠牲にせざるを得ない、そういうことを暗に教えてくれる筆記用具なのだろうか。
鉛筆はいいお爺さんで、シャーペンは悪いお爺さんなのか。
鉛筆の尖った芯を見つめながらため息をついたとき、あれ、鉛筆の芯はよく見たら(習ったばかりの)円錐じゃないか、体積は円柱の3分の1ではなかったのか? それでは、残りの3分の2はどこへ?
鉛筆削り器の削りかすを入れるケースを、そっと引き出して覗いてみた。
これまで、鉛筆の芯のうち3分の2を知らず知らずのうちに一生懸命、粉にしていたらしい。
鉛筆をちょっと使っただけで、すぐに削ろうものなら3分の2どころの話ではない。
なぜなら、芯の円柱の半径が小さくなったことと同じことだからである。
装着した芯の5分の4を使用できるシャープペンシルは、何と完成度の高い筆記具なのだろうか。
(現在は、残り3.5 mmまで使用できるものも市販されているようだ。)
それ以来、心おきなくシャープペンシルを愛用している。
最近は、キーボードにとって変わられつつあるが。
* さ、また本をよみに、階下へ行こう。
2008 2・1 77
☆ みづうみ
聖路加の診察、ご無事にお済みで何よりでした。悪くならないことが一番大切ですから、ご無理なさいませんように。
三笠会館でお食事になったそうですね。三笠会館の道を隔てた斜め向かいに「ロイヤルクリスタル銀座」というこじんまりしたホテルのようなビルがあります。一階にヴァレンティノブティックも入っていたかしら。草履の与板屋さんも近くです。
ロイヤルクリスタル銀座ビルは上から下まで飲食店が入っています。一つの階に一つのレストランです。最上階はお味もいいけれどお値段も抜群の中華の名門福臨門で、他にイタリアンとか和食とかそれぞれ選ばれた接待にも使えるお店が入っているようです。
お仕事をなさる時には、地下のティールームがお薦めです。銀座の真ん中と思えないほど静かで、土日でも空いていて、コーヒーもお代わりできて、熱帯魚の泳ぐ内装がきれいで、ソファや椅子の座り心地もよく、じっくり校正したい時など落ち着くことができます。ここに入った時、みづうみとご一緒したいお店と思ったものでした。
もう二月。うかうかしているとすぐ三月になってしまいます。一日一日心して生きたいと。
お元気ですか、みづうみ。 わたくし
* そういう建物はたしかに見えていた。知らなかった。一度入ってみよう。三笠会館のいいのは時間制限されていないので、いつでも入って食事できること。一階に喫茶室もあるが、すこし暗くて本も読みにくい。
いまもしわたしに少しの程度贅沢できるとすれば、飲食と、芝居や相撲しかない。家があけられず、妻の健康にも配慮すると、旅行もついとりやめる。糖尿病というお連れがあるので飲食も問題有りだが、なんとかむりやりバランスしている。綱渡りのようだけれども。
2008 2・2 77
☆ たのしみ 2008年02月01日 悠
息子は今日も元気に保育園に行ってきました.
周りでばたばたと発熱してお休みするお友達が多い中,元気です.
大分生活のリズムが固定してきて,何とかやっていけるかなぁという感触が出てきました.
毎朝同じバスに乗車するようになって,ご近所のお姉さんと顔見知りに.で,帰りのバスでも偶然一緒になりおしゃべりして帰って来ました.息子はわかったのかにっこりごあいさつ.そのお姉さん.息子に会うのを楽しみにしてくださっているようで,朝出社するのがいやだなぁと思っても,バス停に待っている息子に会えるのを楽しみにがんばっているとか.
我が家での最近の小さな楽しみは保育園の連絡帳.
園での生活を先生が書いてくださいます.
担任の先生自身も小さなお子さんをもっていらっしゃるのでいろいろとアドバイスをいただけて毎日楽しみです.ダンナも帰ってきてからの楽しみにしていて,内容を話そうとすると”読むの楽しみにしているんだから”といってニヤニヤしながら読んでいます.
毎朝預けて職場に行くときにぐずらずニコッとして送り出してくれる息子.保育園のほうが楽しいのか???
お仕事のほうは、来週,修士論文の発表会があります.
研究室では3名の修士課程終了予定者がいます.まだまだ実験と平行しながらの状態.データをアップデートしながら何とかまとめていかなくては....でも本人たちはいたって余裕の様子.大丈夫か??
卒論は一週間遅れのスケジュールなので4年生はなれない執筆活動中.
研究室は毎年恒例のあわただしい季節になっています.
☆ みかんとカラス 馨
冬になると静岡の知人や親戚から届く段ボールみかん。
我が家はみんなみかん好きなので(息子は剥くのだけが好きですが)かなりの消費スピードで消えていきます。
ご近所やお知り合いにももらって頂いたりして。
それでも、四人家族なので、さすがにこの時期まで、ちょこっと残っています。
しぼみかけたりカビが出始めたりするので、ジュースに絞るなど、手を替えてみるのですが、イマイチ消費しきれません。
そこで「そうだ! 小鳥にやろう!」
メジロをはじめ、みかんの好きな小鳥は多いですよね。
お向かいのピラカンサスに小鳥の混群が群がるこの時期、あまりおいしそうに見えないピラカンサスまで食べるくらいのこの時期、みかんが木にさしてあれば喜んでもらえるはず。
というわけで葉の落ちた桑の木に半分に切ったみかんをさしてみました。
最初の二日間は素通り。ピラカンサスを食べ尽くしてちょうど群れがいなくなってしまったこともあるようです。
が、三日目、メジロが来ました。つがいです。
喜んでいたのもつかの間、次の日の朝には二つさしたみかんのうち一つが皮ごと消えていました。カラスだ!!
翌日、今度は深めにさしてみたのですが、今度も朝には二つとも消えていました。
「カラスって、五歳児くらいの知恵はあるらしいよ」とのダンナの忠告は無視して、カラスに奪われないよう、今度はタコ糸でみかんを木に縛り付けました。
昨日は一日中、つがいのメジロが交代で食べにきていて、ちょっとした勝利感。
カラスは私が家の中から見ているのがわかるらしく、窓から遠のくと近くの電線に寄ってきます。でも、夕方まで二つのみかん、しっかりと桑の木についていました。
「カラスに勝ったよー」と、大人げない報告を家族にしてまわる私。
が、今朝雨戸を開けると……みかんのうち一つが姿を消していました。
がっくり肩を落とす私に、
「お母さんって、カラスと知恵比べして負けたわけね」と、追い討ちをかけるダンナさん。
あれほど枝に深くさしてタコ糸でくくりつけたのに、どうやって持っていったのかと観察すると、なんと、タコ糸をほどいた上で、枝ごと折って持って行っていました。
カラス、知恵だけじゃなく馬力もあったとは…。
残ったみかんにメジロがやはりつがいで飛んできて、みかんの小さな粒を一つずつ一生懸命ついばんでいるのを見ると、なんとかしてメジロの口にだけ入れてやりたいと思って、ただいま思案中です。
だいたい、持っていかれたみかんをほかのお家に落としたりされたら大迷惑ですしね…。
何年か前、ムスメはウッドデッキの上からお菓子を袋ごとカラスに奪われましたが、ホント、カラスってあなどれない。
でも、カラスだけでなくて鎌倉の海岸沿いではトンビも相当に人間の食料を狙っているらしいですが……。
なんとかして、「五歳児レベル」との戦いに勝利を収めるんだ! ちょっと熱くなっています。
* 初めての赤ちゃんのお母さん。おなかに三人目のお母さん。研究生活と育児と、ダンナさんとの日々と。
2008 2・2 77
☆ 雪ふりてやさしかりふと五臓六腑 瑛 e-OLD川崎
節分の豆まきをする。鬼を豆で外へほうりだす。
鬼は巣食ういごごちのいいところへ。
こころのおにもなかなかでてこない。
* 夕食の前、わたしも例年のように豆撒きした。鬼は外、福は内。福は内。
☆ タンジブル・ビット ハーバード 雄
今日はMITに行き,講演を聴いてきた.演者は,日本人でMITメディア・ラボ教授として活躍しておられる石井裕氏.
石井裕氏は,NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」にも出演されたことがある.「出すぎた杭は誰にも打てない」というサブタイトルで放送された石井氏の回は好評を博し,同番組の昨年末の特別企画での視聴者アンケート「心に響いた流儀」でもランクインしたという(詳細はhttp: //www.nhk.or.jp/professional/backnumber/071225/index.html).
氏の提言した「タンジブル・ビット」が何かも知らぬまま,興味本位で話を聞きに行ったのだが,非常に面白かった.コンピュータ科学に疎い私がタンジブル・ビットについて解説するのは危険なのだが,今日聴いた話を私なりにどのように理解したかを書きとどめておきたい.
石井氏の一連の研究の根底にある哲学は、「ややこしい,敷居の高いコンピュータ科学を,いかにして人に近い存在にするか」にあるように思われる.
講演の中で,氏が例に挙げていたのが「そろばん」.そろばんは,実際に自分の手を使って操作することができ,途中の計算過程なども全て見ることができる.これに対し,パソコンは数字を入力するだけで,途中の計算過程はブラックボックスだ.また,計算にそろばんを使うことのできない人でも,音を出して遊んだり,背中を掻いたりすることはできる.そうしたことについて,いちいち取り扱い説明書を読んだりする必要もない.
氏が目指しているのは,このように「必ずしも一つの機械で色々なことが出来るわけではないが,人間にとって接しやすく,直感的で,マニュアルなど読まなくとも誰にでも簡単に操作できる技術」ということだった.そのような概念が「タンジブル・ビット」に結実したのだろう.
例えば,pinwheels(http://tangible.media.mit.edu/projects/pinwheels/)(ビデオファイルがリンクされています.以下同じ).株価の移り変わりなどを,風車の回るスピードで直感的に理解できるようにしたもの.あるいは,Legoのように,複数のブロックを使って様々な形を作るだけでなく,そこに動きを学習させることで,作った物体が動き出すというtopobo
(http://web.media.mit.edu/~hayes/topobo/videos.html).
あたかもパレットにある絵の具をとって画を描くように,その辺にあるものを刷毛の先端で触れることで色を吸い取り,それを使って画を描くことのできる I/O brush
(http://www.metacafe.com/watch/66123/i_o_brush/).
それらはアートのようでもあり,最先端技術でもあり,不思議な世界であり,僕にはこれがどのように役に立つのかは理解できなかったが,見ていて楽しいことは確か.世界の様々な美術館から招かれて,展示することも多いらしい.
MITに招聘される前,石井氏はNTTヒューマン・インターフェース研究所で「クリアボード」という機器を開発した
(詳細はhttp://www.glocom.ac.jp/project/chijo/2001_08/2001_08_36.html参照).
これが認められ,アメリカで講演をしないかと声をかけられ,その際にMITへの招聘を打診されたという.給料はピザの入っていた箱の裏に書かれたとか.その際に言われたのが,「今までやっていたのと同じ研究はするな」.
勿論一からのチャレンジは大変だったが,その結果としてタンジブル・ビットを生み出すことができたという.
氏が意識しているのは,「パソコンの父」として名高いアラン・ケイの「未来を予測する最良の方法は、未来を創りだすことだ」という言葉.氏にとって未来とは予想することではなく,実際に作っていくものなのだ,という.そのために氏が必要と考えるのは「燃料(飢餓感),屈辱,誇り,情念(passion),問い(Ask deep question)」とのこと.
氏が最後に話していたことが僕には印象的だった.
「私はおそらく20年後位には亡くなっているでしょう.そして,誠に失礼だが,ここにおられる皆さんも,50年後位には亡くなっていることでしょう.私が常に頭においているのは,もう少し先,つまり2200年頃にいる人間が,私のしたことをどのように捉えてくれるか.それを意識して私は仕事をしています」.
講演に行く前は,コンピュータ研究者ということで,なんとなくとっつきにくい人を想像していたが,実際にお話を伺ってみると,ざっくばらんにお話してくださり,非常に気さくな方という印象を受けた.講演の後の質問コーナーでも,非常に気さくに様々な質問に答えておられた.
講演の中で,氏の開発したmusic bottle( http://tangible.media.mit.edu/projects/musicbottles/)の話をされる際,こんなことを話しておられた.
「これを思いついたのは,母のことを思ったからです.実家に居た頃,毎朝彼女は家族のために料理を作ってくれました.毎朝醤油の入った瓶を開け,醤油を出していた.彼女が料理を作るために,わざわざwindowsを立ち上げ,internet explorerを立ち上げている姿は思い浮かばない.毎朝醤油の瓶の蓋を開けるような気軽さでもって,蓋を開け閉めするだけで音楽がオンになったりオフになるようなものを作ってみようと思ったんです」と.
技術というのは人間と遠い,冷たい存在に感じられがちだが,本物の技術というのは,人に対する温かい心から生まれるのだろう.
2008 2・3 77
☆ 童心の絵と人生 瑛 E-OLD川崎
幼稚園の子供が描く絵と、最初に見たときは思った。
画家は熊谷守一。今年はじめに丸善で目について、文庫を買った。
その話を 「笠」 さんへした。琴線が響く。・・・。以下氏の断りもな く僕の日記に記載。
『丸善にも行ってみたいですね。東京駅の地下街のお濠寄りに?石ふうのゴムの印材を売っている店があったのを思い出しました。もう何年も前なのですが行ってみたい。
「熊谷守一」。絵は本物を見たことはありませんが、パソコンには数枚保存してあります。たしかこの人だと思いますが「良寛は字がうますぎる」と云ってたような話を憶えています。
mixi の友人。湖さんと縁あればまた会いたいと思いつつ節分の日記。
* ああ、わたしも逢いたい、「笠」さんにも、「瑛」さんにも。体調はどうだろうかと、「笠」さんを案じない日は無い。暖かく、暖かくなって…と思う。
2008 2・3 77
* いわゆるメールを私が極力出さぬようになったため、来るメールも減った。外の声は「mixi」のマイミクさんたちの日記を読んで漏れ聞いている。メールが全く来ないのではない。「mixi」とは無縁の人で、少しも変わりなく声を届けて下さる人。
☆ 冬はつとめて 雀
東京は“大雪”で大そうな騒ぎになっているようですね。
巻き込まれ事故や、もらい怪我など、くれぐれもお気をつけください。
雨音を聴きながら眠りにつき、払曙の暖かさに積雪など思いもよらず、田舎に帰ったかのような雪景色にびっくりしました。氷点下に下がる日が続いていましたが、この日は気温が高く、夜明けの早さや日脚の長さとともに春を感じる雪でした。
正月の大雪は豊年満作とのこと。よい年になりますように。 囀
* 壽詞=よごと、祝言=ことほぎ、ほぎこと。こういう声を届けてくれる人は、いて欲しいもの。ありがたい。
* 「mixi」で、私にとってと限定するのは、礼としても当然だが、佳い日記、心惹かれる日記に次々出逢う日は、心嬉しい。
しかしそんな日ばかりではなく、幾ら読んでも、いろんな意味で、琴線にちっとも触れてこない文章にばかり出くわすと、ふと空しくなってしまう。ことに、身振りのほうが、書かれている中身より大げさに活躍? しているのは、往々にして空疎な一人ダンスに終わっていて、惹きこまれない。
むろん、たんにガサツに感じられ、胸に届いてくる真率を覚えないのも嬉しくない。卒業生達の文章に、つい気を惹かれるのは、かれらは、佳い意味で等身大に落ち着いて自分をながめながら、具体的に把握し述懐していることが多いから。
2008 2・4 77
* 手が冷たい。
わたしの言葉が、此処へむけて、ほぐれない、働かない。私の言葉は今、べつの場所での表現に、顔を向けている。そんなとき、人の言葉に温められるのは有り難い。
☆ inspection ハーバード 雄
今日は年に何度かのlab inspectionの日.日ごろ,ラボでは危険な試薬や器具を使っているので,それらが適正に使われているかどうか,査察を受けなくてはならない.そんな時にマウスに麻酔をかけたり解剖したりしていては,色々面倒なことになる.そんな訳で,午前中の実験は諦めた.
その代わり,自分の車のinspectionを受けに行くことにした.日本では最初の車検は3年目,以後は2年に一度だと思うが,ここアメリカでは州の inspectionと保険のinspectionとがあり,保険のためのinspectionは2年に一度,州のinspectionは毎年受けなくてはならないことになっている.今月で期限が切れる,行かなくてはと思っていた.
日本の車検と違って,こちらのinspectionは値段も安い.大体30ドル位で済む.近所のガソリンスタンドでやってくれるので,車を持っていった.しかし,このガソリンスタンドでは,以前,部品をあれこれ換えられてしまい,ものすごい額を請求されたことがある.果たして今回は大丈夫なのだろうかと,心配しながらガソリンスタンドに向かった.
長くても30分と聞いていたが,案の定,1時間近く待たされた.ナンバープレートを照らすランプが切れているというので,交換することに.またボッタくられるのではと恐れたが,幸い全部で20ドル.車検代を合わせても50ドルで済んだ.
前回,ここで修理をしたことも幸いした.あの時僕と費用のことで言い争った男が居たのだが,どうやら自分が修理したことを覚えていたようで,「うん,これは俺が修理したから大丈夫だ」といっていた.こちらが文句を言ったことは忘れているのか,my friendを連発して,やたらと機嫌が良い.
やれやれ,と思って帰ろうとすると,その男がやってきて「My friend,これはsafety testはOKなんだけど,今,州のパソコンとつながらなくて,inspectionそのものは終わってないんだ.2ヶ月間有効のステッカーを貼っておくから,来週また車を持ってきてくれ.そうしたら,2分くらいでタダで手続きをして,それで終わりだから」.
また来週来なくてはいけないのかと思うと,うんざりする.まあ,目と鼻の先だから,いいのだけれど.しかし,こちらには何の落ち度もないというのに,仮ステッカーを貼られ,inspectionに落ちたと書かれているのは,なんだか納得いかない.憮然としてガソリンスタンドを去る.
ラボに着いたのは,思っていたよりも大分遅くなってしまった.ほどなくして査察官が数人現れた.ラボの技術員のデビーが案内役としてついてきた.
「この部屋は,前はコーリーが使っていた部屋なんだけど,ずいぶん変わったでしょう」とデビー.査察官たちは「ホントだ.綺麗,綺麗」というと,拍子抜けするほどあっさりと帰っていった.これで良かったのか.
後でデビーと会うと,「あの部屋は,前にコーリーが使っていた頃は,規則を守っていなかったから,査察官達に目の敵にされていたのよ.綺麗に使ってくれて有難う」と礼を言われた.
午後からは,ジョンと一緒に顕微鏡でbrainbowマウスの脳の写真を撮る.先週,顕微鏡の簡易マニュアルをダウンロードして読んでおいたのだが,それではとても追いつかないほど,あれこれと高度なテクニックを駆使して写真を撮った.おかげで,こちらは予習したことでは全然歯が立たず,必死になってジョンの説明をメモしながら写真を撮った.
せっかくの記念なので,期間限定で,brainbowマウスの脳の写真のごくごく一部を,ここに貼っておく.左は共焦点レーザー顕微鏡で撮影した1枚の光学切片.右は,焦点深度を変えて何枚も撮影した写真を重ね合わせて立体的に表示したもの.
この写真で,右側にたくさん並んでいる糸状の構造は,軸索(axon)といって,1本1本が神経細胞から出ている細長い突起.これが他の神経細胞と結合し,シナプスを形成することで,情報を伝えていく.真ん中辺りに強く光っている小さな粒粒は,軸索を縦に輪切りにしたもの.そして,それらの間に丸い形をして写っている赤いものは,1個1個の神経細胞の細胞体(soma).その上に,水色や黄緑色をした突起が取り巻いているが,これがシナプス.こんな風にシナプスが目で見えると,それだけで感動する.
* 志賀直哉のような表現者だと、これだけで、そう大きく何も変更しないで短編の一つにしてしまうだろう。微妙に話材に首尾の配置があって、一つの「 inspection」という英語が働いている。
肝腎の写真二点だが、わたしには幸か不幸か転写の腕がない。なくても構わない。写真の妙味は全く理解できないが、妙味や感動を書いた雄君の「言葉」は、「表現」は、読み取れる。わたしにはそれが、その方が、面白い。
☆ まめまき 悠
息子は今日,保育園で豆まきをしてきたそうです.とはいえ,ちびっこすぎるひよこぐみさんに,先生が小さなペットボトルに豆をつめたものを用意してくださいました.豆入りマラカス..がらがらならして遊んだそうです.
昨夜,我が家でも一応,豆まきをしましたが,息子に豆入り枡を持たせたらひっくり返してあっという間に豆まき終了.鬼が外にも福がうちにも入らないような...
明日から修論の試問が始まります.
帰宅直前まで学生に捕まりました.
明日,発表の学生が最後の議論で堂々巡りを始めてしまい,ほかの部分の練習もままならない様子...帰宅後に電話とメールで話し合いましたが,まだ不安要素たっぷり残っています.大丈夫か??
* わたし、修論は、修士論文は、書かずに大学院を退散した。試問は卒論でだけ受けた。学部のそれも美学の卒論と、東大の理系の修論ではモノが違いすぎるけれど、わたしへの試問では、聞かれたことより、聞いた先生方の顔つきばかり覚えている。論文の題は「美的事態の認識機制」だった。ハハハ。
論文のなかみより、この題の方がサマになっていた。
* マイミクの一人に、皇學館大学の博士課程後期に志して、中国からみえた人らしい、日本で「神道」を真剣に学んでいる若い「紅」さんがある。きのう、たまたま李清照のいわゆる「宋詞」にふれた記事を日記に出しておいたら、コメントをもらった。
こういうすばやい反応が、李清照についてまっすぐ出てくるなど、「mixi」では思いよらなかった。
この人も、この一月末に無事修論を終えたという。
2008 2・5 77
☆ 立春雛 巌 南山城
節分は日本中雪の所が多く 1枚目の写真は奈良の猿沢池を西側から見た所 中央上部の山頂近く 雪が残って三角になっているのは 奈良の大文字の場所です (小さくてすみません) (割愛してすみません 湖)
この日はおさそいを頂いて 「春鹿」で有名な今西家の酒蔵を見学し しぼりたてもありの春めでたき利き酒
楽しく過ごさせて貰いました
翌日 立春ということで 久しぶりに古い雛人形を引っ張り出して 店の中に飾ってみました
江戸の末期か明治のはじめ頃のものか とにかく痛みは激しい けど 雰囲気はあります
* 香り立つ。
2008 2・5 77
☆ チョコレートに溶け込んだメッセージ 東工大 光
職場に来られたお客さんが、つまらないものですが皆さんでどうぞ、と菓子折を置いていってくださった。
せっかくなので、テーブルの上に開けてみんなで食べられるようにしておいた。
コイン状のチョコレートが個装されて、箱に二列に並んではいっていた。いわゆる標準的なチョコレート色のものと白いミルクチョコレート。
パッケージには、ROYCE’の文字。
私は、ふーん、どこか有名どころかね? くらいの反応しかなく、持ってきてくださった方ガッカリの認識度である。逆の見方をすれば、先入観がなかったとも。
(再現)
1枚目、ひょいっと食べてみる。 あれっ、おいしい。チョコと言ってもいつも食べてるコンビニのものとは別物だな。
2枚目、へへっ、今度はミルクの方を。 うーん・・・このチョコ、レベルが違う。
3枚目、・・・、何? いったい何が違うんだ? 口の中で溶けていく、ミルク感が口いっぱいに・・・。あれ、終わっちゃった。
4枚目、(続き)・・・なのに、後味はさっぱり。ん、Tm? 融解温度が絶妙なのか・・・。
おいしいものには、きっと理由があるはずだ。
そこに到達するまでには、職人さんのどれくらいの努力があったのだろう。
計算され尽くしたかのようなチョコレートの余韻の中に、彼らのどれほどの努力を私は想像できていただろうか。
※Tm=melting Temperature (融解温度)
* ただの手土産ではあるまい、何か具体的な研究と繋がっているのではないか。
☆ Super Tuesday ハーバード 雄
アメリカに来るまでは,和菓子は殆ど食べなかったのだが,アメリカに来てから,和菓子を見つけるとついつい買ってしまうことがある.昨夜遅く,よせばいいのについつい惹かれ,小さな最中を口に入れて,もぐもぐとやった瞬間,口の中に違和感が走った.
歯の詰め物が取れてしまった.
これは,去年,ボストンでも一度取れてしまったことのある箇所だった.あの時は,森永ミルクキャラメルを食べていたら,キャラメルに絡まって取れてきてしまったのだった.以来,キャラメルの類は買わないようにしている.しかし,まさか最中で取れるとは思いもしなかった.
去年,この詰め物を元に戻してもらう際,ひどい目に遭ったことは,以前日記に書いた.顔に水を二度もかけられ,回りにこびりついたセメントを取り除くのに2時間もかかった上,費用は100ドル.こんな目に遭ったというのに,1年も持たずにダメになるとは,腹立たしい.
他の病院に予約を入れたが,診てもらえるのは早くても明日の午前.虫歯になっている場合は,来週,また通わなくてはならない.一体いくらかかるのか,今から不安だ.
アメリカのサイエンスは楽しいし,日常生活も悪くないが,やはり不安なのは医療.技術そのもののレベルは世界トップなのだろうが,何しろ高い.問題が山積しているアメリカの医療保険制度は,この国の最も深刻な問題点の一つだろう.
今日は週に一度のラボミーティング.雨の降る中,ラボへ.いつも通勤に使っているオックスフォードストリートは,かつてないほど多くの車でごったがえしていた.今日は,マサチューセッツ州の大統領予備選挙が行われた.マサチューセッツ州以外にも,20以上の州で一斉に選挙が行われた.いわゆる「スーパーチューズデイ」だ.投票所である,オックスフォードストリート沿いの小学校の前では,雨にも関わらず多くの人が「ヒラリー」や「オバマ」と書かれたプラカードを掲げて,道行く人々に愛想を振りまいていた.
医療保険制度は,ヒラリーとオバマとで意見の食い違いがあり,争点の一つとなっている.国民皆保険を掲げるヒラリーに対し,オバマは高額な医療保険料そのものを引き下げるべく,国家が支援することを提言している.果たしてどちらが有効な手段なのだろうか.
個人的には,僕はあまりヒラリーが好きでない.あくまでもテレビなどで受ける印象といったレベルにすぎないが,好感を持つことができない.そういう意味ではオバマに期待しているが,一方でオバマも人気が先行している印象があり,果たして彼が大統領になったらアメリカは好転するのかどうか,僕には良く分からない.少なくとも,日本との関係については,民主党である限り,今より良くなることはないのだろう.
今日のラボミーティングは,ジョンが発表した.フランスに帰国する前の,最後のセミナー.しかしセミナーとはいっても,話の中身はサイエンスとは殆ど無縁のものだった.
ミーティングルームに入ると,机の上に,美味しそうなクロワッサンとチーズが並べられていた.魅力的だが,日曜から腹痛が続いている僕には,食べられそうに無い.残念.
初めにジョンが話したのは,何故自分はこれからフランスに帰るのかについて.
初めに示したスライドは,フランスの悪い点ばかりを列挙したもの.人々が無造作に駐車しすぎること,ストばかり行われること,満員電車などの写真を見せて,「これがフランスだ」とジョンは言う.
ならば何故帰るのか? そこで挙げた二つの理由が,テーブルに載せられていたクロワッサンとチーズだった.どちらもアメリカでも手に入るが,やはり本当に美味しいものにはフランスでないと出会えない,とジョンは言う.
この気持ちは,僕には痛い程分かる.日本食だって,アメリカで手に入らない訳ではないが,美味しい蕎麦やラーメンにありつくことなど不可能だ.
続いて彼が見せたのは,brainbowマウスの美しい写真の数々.様々な画家の絵と対比させながら,彼が撮った美しい顕微鏡写真を見せた.最後は,これから就職することになるフランスの研究所の話.
一つ意外だったのは,ボスの「美しい顕微鏡写真は魅力的だが,我々は科学者なのであり,アーティストではない」という発言.ボスがこれまで手がけてきた研究には,常に美しい顕微鏡写真が載せられていた.きっと,そうした美しい写真を論文に載せることがボスは好きなのだろうと僕は思っていた.しかしボスの真意は「美しい顕微鏡写真は,自分の主張したい科学的発見を,できるだけ説得力を持たせてアピールするための手段にすぎない」ということらしい. brainbowの写真に対し,あちこちの美術館からリクエストが殺到しているので,そうした現状に対する戒めもあるのだろう.
ミーティングが終わってから,大学院生のシュシェンに頼まれて,マウスの横隔膜の標本作製を見せ,標本を彼の実験のために渡す.久しぶりにやったので,少々手間取る.
昼を過ぎても腹痛が治まらず,昼食はベーグルと小さなスープで済ませる.
午後,ようやく自分の実験に取り掛かるが,思うような結果が出ない.ついつい,ヒャーノと雑談をする.
ヒャーノは日本のドラマを実に良く見る.「SP」という,岡田准一主演のドラマのDVDを先週貸してくれた.1話だけ見たが,中々面白かったので,礼を言った.高校時代に日本語の授業を受けていたヒャーノは,日本のドラマの3割位は字幕なしで理解できるという.
ついでボストンの日本食レストランの話題に.「風雅居」というレストランはボストンで最も高級な日本食レストランなのだが,中国人が経営しているらしい.以前,「恋を何年休んでますか」というドラマで,黒木瞳がバイトをしているレストランという設定で,撮影にも使われたと聞いている.
もしかして,日本のドラマ好きのヒャーノならば,黒木瞳のことも知っているかと思い聞いてみると,「そんな歳上の人には興味が無い」とバッサリ.ならば誰のファンなのかと思い聞いてみると,長澤まさみとの答えが返ってきて,思わず絶句した.ヒャーノは僕より年上なのに,気が若い.他にも竹内結子や篠原涼子がお気に入りなのだとか.
ヒャーノがこれだけ日本のことを良く知っているというのに,僕は韓国のことを何も知らない.せめてハングル文字だけでも読めるようになろうかと,ふと思った.
こちらでは韓国食材店が日本食材を扱っていることが多い.以前,カレーに違いないと思って,ハングル文字で書かれたレトルト食品を湯で温め,ご飯の上にかけたら真っ黒なソースが出てきてびっくりしたことがあった.ハングルが読めれば,そんなことにはならなかっただろう.ヒャーノによれば,これは韓国では非常にポピュラーな食べ物だそうで,普通は麺の上にかけて食べるのだとか.今度,一緒に韓国料理を食べに行こうという話になる.
世界には色々な国がある.アメリカの大学には,実に色々な国々から研究者が集まっている.アメリカの文化を享受し,それを楽しむだけでなく,色々な国から来た人たちと接することで,様々な国の文化にも接することができる.これもアメリカならではなのだろう.そしてもちろん,同時に母国への愛着も常に感じながら暮らしている.クロワッサンやチーズが理由で母国に帰るなんてバカみたいだと言う人もいるかもしれないが,それは自国を出たことの無い人の考えだと思う.僕にはそれが身に沁みて良く理解できる.食ほど,母国を強く意識するものは無い.
さて,今日,アメリカ人達は,自国をどのような方向に向かわせたいと意思表示したのだろう.大勢は明日の朝には判明することだろう.
* 長いエッセイだが、内容がさりげなく、あるいは無意識に構成されているので、読み終えて、一つの作品に触れた気がする。寺田寅彦や、中谷宇吉郎といったか、雪の博士の随筆を思い出す。上手に書こうなどと考えていないから、天性のものが出てくる。一種の花である、ファシネーションと謂うか。
米民主党の候補選びは熾烈に混迷気味だが、ヒラリーの分がだんだんにわるい。わたしには二人ともよく分かっていない。だから興味がある。
こんなにたいそうな手間をかけるからよい大統領が生まれるとは、ブッシュという悪例が否定し尽くしている。
2008 2・6 77
☆ 蕨野行 毛沢東 そして、闇 鳶
郵便局から書籍小包で本を送りました。明日あたりお手元に届くでしょう。
先日来、HPで映画『蕨野行』についての思いを書かれています。わたしの手元の文庫本、そして何年前の録画か不明なのですが、舞台で演じられた『蕨野行』のビデオ。 映画の印象にどのように作用するか、いっそマイナスの作用をしないかとも案じますが、送りました。
作者村田喜代子氏、彼女は福岡県の人、作品の持つ不思議な魅力に同じ九州の森崎和江氏や石牟礼道子氏の名を思い出すのも自然な流れかもしれません。何やら土着の、巫女的な微妙な、しかし力強い牽引力があります。九州にこのような女たちが生息することの意味を考えさせられます。
映画『蕨野行』、そして『青幻記』 どちらも以前見て、今回は懐かしく懐かしく、そして悲しく悲しく涙流して見ました。涙の量が多い分はそれだけ歳月がわたしに流れた分でした。
もう一冊は中国現代史の理解の一端になればと思い、二段組みの小さな文字が難点ですが、興味のある箇所だけでも拾い読みされたらと思い、送ります。
現代史は、蝋山氏の本から既に三十年以上経ても、なお確かなものは書けないでしょう。が、書き直されなければならないでしょう。アメリカ人ジャーナリストの記述が普遍的なものでなくとも、何がしかの視点を与えてくれると思います。
毛沢東の、中国共産党のあり方に私自身はかなり批判的な思いをもっています。
ムリをしている、頑張っていると鴉は案じてくださいますが、わたしは多忙な商家に育って親たちの働きを見てきたせいか、自分が苦労しているとは思えませんし、頑張ってもいないと思います。最近の心身の不調は・・突き詰めたら甘えではないか。今はその甘えを認めてゆっくり過ごすしかありません。
眼をとじ、無際限の闇になって闇をみる体験を。これはとてもむずかしい!
「闇は眼そのもの、その眼は意識。他は、無。日ごろ想ったり考えたりしている何ひとつも、じつは「無い」と分かります。すこし静
かになれるでしょう。」
静穏安らぎの境地?
目を閉じひっそり体を休めて回復を願って耐えている時、それでも闇は漆黒の闇ではなく、さまざまな色彩やありとあらゆる光の筋や束の限りない形を眼裏に出現させます。
幼い頃からその闇は脅威の闇ではなく、驚異の闇でした。
「無い」と否応なしに感じつつ、それでもそれでも「無い」と覚悟することは、愚か鳶にはむずかしい。
今日も冬の空、時折時雨れます。
どうぞくれぐれも、お体大事に大事になさってください。
* からだを働かせて動くことは、できるだろう。自分で自分と果てしなく相撲をとっていると、疲れる。
2008 2・6 77
☆ Unbelievable ボストン 雄
昨日の大統領選挙だが,民主党の候補については予想通り熾烈な争いとなった.勝った州の数ではオバマがヒラリーを上回るが,ヒラリーが勝った州は代議員数の多い重要な州ばかりなので,獲得代議員数だとヒラリーの方がオバマより上となる.
なんとなくではあるが,今回ヒラリーが勝っている州の分布を見ると,前の大統領選挙でケリーが勝った州の分布と似ている気がする.つまり,東海岸と西海岸はヒラリーを支持する人が多く,内陸部ではオバマを支持する人が多いようだ.
さて今日は,朝一番に地下鉄に乗り,ニュートンセンターにある歯科医院に行ってきた.僕のアパートからだと1時間はかかる.車で行けば,その半分で済むのだが,初めての場所で土地勘が無い上,雨が強くて運転する気が起きなかったので地下鉄を利用した.しかし,地下鉄の駅まで歩く間に,ズボンの裾がびっしょりと濡れてしまった.
このニュートンにある歯科医院は僕の家からは遠いが,日本人の先生がやっておられ,ボストンではとても評判が良い.実際,病院の人達も皆,感じが良く,先生の説明も非常に丁寧だった.
だが,しかし,先生から告げられた言葉は,かなりショッキングだった.歯の詰め物が取れたのは,その下の部分が虫歯になっているからで,しかもかなり深くまで虫歯になっているらしい.7割くらいの確率で,神経を取らなくてはならないのではないかとのこと.
更に驚いたことに,こちらでは神経を取り除くのは専門医でないとできないのだそう.さらに,その上で土台を作り,さらにそこに金属を被せるという.トータルでかかる費用は,なんと3000ドル以上だという.たかが虫歯一本で30万円以上とは...信じられない.
今日の先生によれば,おそらく1年前に詰め物が取れたときに,既に虫歯だったのではないかとのこと.去年のあのヤブ医者は,詰め物の取れた痕などろくに確認せず,無造作にセメントで戻しただけだった.あの時,手を打っていれば,こんなことにはならなかったに違いない.返す返すも腹立たしい.
ラボに戻ってから,色々な人に話を聞いてみた.皆,自分なりに色々な方法で保険に加入していることを知り,ちょっと驚いた.そんな手があったのか,というものもあったが,どれも今の僕にはちょっと難しそう.
夜,合唱の練習に行く.なんとついに男性は1人だけ.最後の方になって,もう1人やってきたが,かなりの時間は1人だけだった.辛い.
メンバーの1人が,タフツ大学の歯学部の教授の奥様ということで,相談してみた.練習後に迎えに来られたご主人に色々アドバイスを聞く.上に挙げた値段は決して高くはなく,こちらでは極めて良心的な値段だとのこと.ただし,大学のデンタルスクールで診てもらうと,もっと安く上がるらしい.しかし治療にあたるのは,デンタルスクールの学生らしい.果たしてどちらが良いものか,悩む.
* 湖 幾昔も前ですが、パリに家族で暮らしていた婿が、日本の歯医者にかかりたいので、わたしたちが久しくかかりつけの歯医者を紹介して欲しい、治療のため一時帰国するといってきたとき、なんでやねと驚きました。
きっと同じようなことだったろうと想います、今は。
わたしらのように歯医者通いをルーチンワークのように心得ている者にはビックリですが、タイヘンですね。同情を惜しみません、が、同情だけじゃね。
* 羅臼の「昴」さんが病状に押されて、倒れた、と「mixi」に告げている。とても心配。とても心配だ。
2008 2・7 77
* ヒッタイト王国の興亡を、考古学や文献解読の苦心とともに、巧みに劇的に解説しているテレビ番組にも、惹き寄せられていた。
『世界の歴史』のなかで、その頃の諸国のはげしい浮沈のさまも読み通してきた。
この数年、わたしの毎日は、『日本の歴史』二十六巻ほぼ壱万三、四千頁、『世界の歴史』十六巻ほぼ八千数百頁の「縦列の読書」で括られて来た。
日本人の、そして人類の「歴史」を、わたしは絶対視はしないけれども、謙虚に尊敬せずにおれなかった。それが基本にあるから、たとえば『蕨野行』の深さやすばらしさや特殊さが、理解できる。
いくらものを識っていても、じつは仕方がない。そう腹をくくった上で、ものと向き合う「らくな姿勢」が出来る。そう大きく間違わないですむ姿勢が出来る。
* 話はちがうか同じかは問わないが、例えば、漱石原作のあの『こころ』で、あの「私」は、なぜあんなに「先生」の過去が知りたかったか、また「先生」はなぜあんなにことこまかに「私」のために遺書をしたため、自分を物語ったのか、と思うときがある。
* わたしは、おそらく、大勢の人に嫌われたり憎まれたりバカにされたりしているだろう。同時にわたしのことを認めて愛してくれているたくさんな視線や思いにふれ得て、心を温めてもらってもいる。
前者の方は余儀ないことであり、また常平生は忘れていて、それは今も問題にしない。
後者の方で、ときどき気のつく一つのことがある。
例えば、人も訝しむほどこの「私語」はもとより、いろんな形でわたしは「自身」をあからさまに「書いて」吐露いや吐瀉し、時に必ず顰蹙を買っているだろうことも承知している。だが、それも今は問題にしない。
それよりも、わたしを愛してくれている人たちの中でも、例えば一切この「私語」などを「読まない」と決め、ただ個と個とのメールや交信で触れあい、それで足る人たちと、すべて残りなく「克明に読ん」で共有してくれている人たちとが、分かれることに、気づいている。
これが一つ、人間「関係」の課題かのように、わたしを時々かきたてる。どっちがいいという問題ではない。
2008 2・9 77
☆ 二つのパーティー ボストン 雄
今日は二つのパーティーに出席することとなっていた.一つは,留学助成金を頂いている団体が主催のパーティー.主に,助成金を受けている人達が参加する.もう一つは,来週でラボを去るジョンのホームパーティー.
どちらも外すわけに行かないので,パーティーのはしごをしてきた.
夕方にラボを抜け出し,ニューベリーストリートへ.会場のスペイン料理屋に行く前に寄り道をし,ワインを買う.これは,ジョンのホームパーティー用.お酒を飲めない人のためには,明治の「メルティーブレンド」のチョコレートを,昼にKotobukiyaで買っておいた.
夕方の会では,思った以上に多くの知人に会えた.1年前,こちらに来て間もない頃に一度だけお会いした方も見えていた.お互い,もう、1年をボストンで過ごしたわけだ.
昨日,ラボの見学に来られたスタッフの方々(特にアメリカ人の女性)に,英語の発音が良いと褒められ,少々調子に乗る.
このパーティーは7時半まで.もう少し居たかったし,話してばかりで食事をあまり食べられなかったので,できればもう少し食べたかったが,次があるので早々に切り上げる.
ハーバードスクエアまでバスで向かい,Garden streetをひたすら歩く.途中,道が不確かになり,地図を広げていると,`You!`と声をかけられた.近所のラボでポスドクをしているナディーンだった.彼女はこの界隈に詳しくて,大いに助かった.
ジョンのアパートに入る直前に,すぐ近くに住んでいるライアンに会った.3人でジョンのアパートに向かう.ジョンの部屋には,既に多くの人がいた.後から続々と人が押し寄せ,30人近くが集まった.座る場所などない.先程のパーティーも立食形式だったので,さすがに疲れる.先刻英語を褒められたが,ここに来れば,僕はこの中で最も英語の出来ない人間となってしまう.
疲れたので早く切り上げたかったが,タイミングを逸し結局最後までいた.パーティーの終わったのは,12時近かったろうか.おみやげに奥さんのイザベラが作った、ラタトゥイユとチョコブラウニーを頂いて,ジョンのアパートを去る.
ずっと立ちっぱなしで,しゃべりっぱなしだった.疲れた.
* 疲れたろうが楽しそうで、読んでいて気が晴れる。わたしは、ホームパーティの経験はすくない。宴会か大きな会のパーティーか。気が向けば行き、たいていは不参。酒も、食も、妻以外は「見ぬ世の友」を迎えて、ひとり酒。現世ではよくて二三人どまりに願いたい。ながらく、付き合いから、毎月の「うまいものを食う会」に会費を払っているが、ここ数年参加していない。よくて念に一二回。
2008 2・9 77
☆ 中国産食品 ボストン 雄
ここ最近,日本のニュースをネットで見ていて気になるのは中国産食品の問題.特定の国を非難することは良くないのかもしれないが,僕は以前,このウェブサイト(http://blog.livedoor.jp/safe_food_of_asia/)を見て以来,中国産食品は極力買わないようにしている.この手の問題は,今に始まった問題ではない.
極力気をつけているつもりではあるが,しかし避けようのないこともある.特にアメリカにいると,日本食材というだけでついつい手がのびてしまうが,その多くは冷凍食品だったり,中国製だったりする.自分では気をつけていても,外食で使われていると,防ぎようがなかったりする.
今回のニュースで分かったのは,これまで,日本の輸入食品受け入れ時のチェック体制が極めてずさんだったこと.水際で食い止めない限り,この種の問題が生じることは避けられないだろう.
今日,ヘアーカットで美容師さんから聞いた話だが,これは果たして本当なのだろうか.
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20060608/103900/
それにしても,食の問題だけでなく,上記のウェブサイトの映像が本物だとすれば,隣国である日本にとっても,全く「対岸の火事」という訳にはいかない.
* 「mixi」が、みな、こんな日記に溢れているわけではない。これは私の信頼するマイミクだからの「ハナシ」で、マイミクさんたち以外についてくる沢山な「足あと」には、嬉しい出会いもタマにあるけれど、とんでもない不良風俗まがいも軽薄を極めたのも山のようにまじる。
なにしろ数百萬人の会員所帯なのだから、千差萬別どころではない。一日に百人前後の「足あと」だけでは判断できない、判断してもならない「世間」がここにはあり、たいへんな宝も隠れていると、希望はある。
「ああ、秦さんですね、見付けましたよ」という嬉しい知人や読者たちからのメッセージが、フイと飛び込んでくるのを、楽しみに待つことも出来る。
2008 2・10 77
* おお早速、そうかい? そう思わせたのは新大阪府知事の、岩国市長選挙を応援しての言い草だ。地方は中央政権の指示に誠実に従う義務があると。
法的な杓子定規は問題にしていられない。地方分権は中央集権とは対等の思想であり、それこそ誠実に反応しなくてはならない。この若い法律家知事のセンスは、県民や市民の生活を守り抜くべき誠実な政治家のものではない。岩国の米軍基地化は国策としてやむを得ないという認識には、歴史的な洞察も反省も憂慮もない、権力主義であり帝国主義への無批判な阿諛ですらある。
次ぎに転載したマイミクさんの実感と怒りに溢れた声を聴こう。
☆ また「二度とこういうことがないよう」 maokat
昨夜沖縄キャンプ・コートニー所属の米海兵隊員が女子中学生を乱暴する事件が起きた。仲井真沖縄県知事は「女性の人権を蹂躙する重大な犯罪で、特に被害者が中学生であることを考えれば決して許すことはできず、強い怒りを覚える。これまで悪質な暴行事件が発生するたび米軍などに強く申し入れてきたが、またこのような事件が発生したことは極めて遺憾だ」と述べた。
高村外相は今日、「極めて遺憾なことで北米局長から二度とこういうことがないように綱紀粛正を申し入れたところだ。事実については日本側において、法と証拠に基づいてきっちり対応する」と述べている。
問題はこの「二度とこういうことがないよう」だ。
高村外相も仲井真知事も「二度とこういうことがなくなる」とは思っていないし、綱紀粛正も効果がないことは分かっている。これまでの沖縄の歴史を見れば明白だ。
沖縄米兵少女暴行事件というのを憶えているだろうか? 1995年9月に沖縄キャンプ・ハンセン所属の米海兵隊員3名が、12歳の女子小学生を拉致した上、集団強姦した事件だ。翌月宜野湾市で行なわれた抗議集会には8万5千人もの県民が参加し、沖縄に集中する米軍基地の整理・縮小や日米地位協定の見直しを求めた。
本土でも終戦直後の進駐軍が駐留していた一時期には、このような事件も起きていたことだろう。
だが今、東京や千葉や埼玉の繁華街で他国の軍人が子供を拉致して強姦するなど聞いたこともないし、もし仮にそういうことが起きたら、マスコミ上げての大騒動になるだろう。
しかし沖縄ではそういったことが、まだ、まだ、頻繁に起きている。
1953年に起こった「由美子ちゃん事件」もそうだし、上の抗議集会後にも、2000年7月に沖縄市で、米海兵隊員が女子中学生を襲う事件が起きている。
2003年にもキャンプ・ハンセン所属の米海兵隊上等兵が未成年の女性の顔面を殴り、強姦している。
5年前の衆議院沖縄・北方特別委員会で、外務省は過去30年間の日本全国における女性暴行事件のうち、およそ7割が沖縄で起きていると答弁している。
危険はこれだけではない。2004年には普天間基地所属の大型ヘリコプターが、沖縄国際大学の校舎に墜落、炎上した。ヘリが落ちてこないまでも、基地周辺は日常的に騒音被害を被っている。
こちらに住んでいると実感できないのだが、生活圏に米軍が駐留するということは、こういうリスクを常に背負っているということなのだ。
先の市長選で基地移転推進派が勝利した岩国の市民は、ほんとうにこのことを理解しているのだろうか?
沖縄を離れて8年経つが、沖縄で生活しなければ見えてこなかったものが今でも見えている。
アメリカという国の良さと悪さ。そして、日本という国の甘さである。
* なぜ、まっすぐ怒らないか。政治に怒りは禁物なのか。
当と不当は別にして、チャーチルは、怒りまくることで英国民を危機から鼓舞し得た。
日本の政治に、凛然とした怒り、適切な行為や反応を伴った即座の怒りが完全に失せている。ただの言葉としても失せている。それが政治手法だと錯覚している。
いま、福田内閣の中に、わたしの最も信頼しない大臣は、高村外務大臣と町村官房長官。二人とも、福田総理のコピーのように、いつも、口先で言葉を玩弄し、うつろな眼をキョトキョトさせながら、仮面紳士の薄笑いに無信念を隠蔽している。あの中国の食品テロに等しい無道に対しても、国民にもしかと見える怒りを中国に対し伝えていない。そのうちに言われ放題に、あたかも日本側に事故や害意の理由がありそうにまで言われかけている。
怒ることに似而非の行儀を覚えて、国民性までが、偽善者めいて来ている。怒るべきは怒り、同時に対策し、痴呆的な健忘症になどなってはならない。
2008 2・11 77
☆ 初チョコ 馨
我がダンナにはかねがねわだかまりが一つあって、それはバレンタインデー数日前の自分の誕生日とバレンタインデーが一緒に片付けられること。
人生に一度はモテモテ期が到来すると言いますが(私には来たことない。そろそろ来てもいいような…)、その時期がダンナさんは中学だったらしいです。
その中学時代、バレンタインでチョコをもらって、ドキドキしながら開けたところ、中には「お誕生日おめでとう」と書いてあってがっくりしたのだとか。
女である私には理解不可能ですが、「バレンタインのチョコ」をもらったのと、「誕生日のプレゼントとしてのチョコ」をもらったのとは、男として「価値」が大きく違うようです。以来、バレンタインと誕生日との明瞭な線引きを提唱してやみません。
(でも、私にはその女の子の気持ちがわかる気が…。きっと、バレンタインでチョコを渡すだけじゃなくて、「お誕生日だって知ってるのよ」と、アピールしたかったんだろうな~。女心はいつの時代も男には理解されないんですね。)
夫の誕生日どころか自分の誕生日まで忘れるような相手と結婚したせいで、この手の混同が家庭内では引き起こされたことはないのですが、
「なんだか、今年も誕生日忘れ去られていなかった?」と、誕生日数日後に思い出して(本人だって忘れていることが多い)ブツクサ言う、という事態はまま引き起こされています。
今年のダンナの誕生日、珍しく私が、お昼前くらいに気がつきました。
「あ、今日誕生日だった! おめでと、おめでと!! ケーキでもプレゼントでも、何でも好きなもの買って下さい」
雪が降るという天気予報だったので、もはや自分が出かける気は全くない、私。
ため息をつくダンナを無視して、
「あ、大町に新しいケーキ屋さんがあるみたいだよ」と自分が食べてみたいお店を、レコメンド。ダンナもちょこっと気になったらしく、お店のホームページを開いてみたものの、「はぁー…これだよ…。バレンタインフェアだよ」
いや、世の中みんながあなたの誕生ケーキを用意しているなんてことは、あり得ないんですけど…。
理屈ではわかっても多少気がそがれしまったようで、買い物のついでに別のお店にケーキを自分で(気の毒に)買いに行ったダンナでした。
思春期のトラウマは大きい。
そんなダンナがさすがに気の毒になったこともあり、冷蔵庫にクーベルチュールのチョコの塊があるのを思い出して、ガナッシュにすることにしました。このチョコ、なぜか出入りの魚屋さんが配達のついでに下さったのですが、私がツワリの時期だったのでそのまま死蔵されていたもの。
「今年はチョコを作ろうと思うのー」と宣伝し、
「それはもしかしてバレンタイン?」と確認するダンナに、
「いいえ、チョコが酸化し始めてダメになっちゃいそうだから早めに処分」と、ほとんど、夫婦漫才。思えば、私も乙女であった昔はせっせとチョコを作った気がしますが、ダンナ様に作ったことは一度もないかも。ごめんよ、愛はちゃんとあるからね。
最近料理をやってみたくて仕方のないムスメに指示すると、チョコを刻む以外、ほぼすべて(といっても温めた生クリームにチョコとラム酒を入れて冷やすだけ)やってくれたので、夕飯のあとにココアを用意して、二人で一口サイズに丸めはじめたのですが、ここで、頭の黒いネズミ、登場。
小さな手を下から出してチョコを掴もうとして、アブナイアブナイ…。そしていつの間にか、
「おかあさーん、S(息子の名)の口見て~」
まるで、チョコレート色の口紅を塗ったような口の、息子クン。
息子が初バレンタインは、姉と母との手作りチョコ、でした。 それにしても、ムスメには3歳になるまでチョコレートは食べさせなかったのに…。
こうやって下の子はゆるく育ってしまうのねー。と、反省しきりの母です。
* こういう「筆致」に気を惹かれて書いている、満たされた日々。誰の日々であっても大事にしたい。『大草原の小さな家』を英語で楽しんでいる気持ちにちかい。
☆ 細い杖 珠
ゆっくり寝坊。起きた時が起きる時という幸せ。何も考えず、ゆっくりぼーっとしながら、出かける準備。出来た時が出かける時、これも幸せ。昨夜の名残り、雪景色は其処此処に、それでも陽射し温かくて風もない。外出日和。
半蔵門の国立劇場小劇場へ向かう。大好きな「文楽」第二部を観る。
(略)
最後に期待の『壺坂観音霊験記』 住大夫さんが語るのは、沢市内の段の切。
楽屋でご挨拶した時おっしゃていたのは、夫婦二人だけの場面で難しく、また、夫沢市は盲目なので、盲目のように語る難しさがあるのですと。盲目の人を語る、、どういう事か。「耳から聞きにいきますのや」
そう、その言葉通り、舞台観て聴いていたら、よくわかった。妻お里とは違う、相手が見えない夫沢市は、自分の声や話を耳で聴きながら妻へ語りかける。
毎晩七つ(午前4時)に出かけてゆく美しい妻お里へ、疱瘡の痕が残る盲目の自分でなく、ほかに誰かいるなら言ってほしいと迫る。見えないなか、お里の心もみえず不安、けれど今こそ、、と迫る沢市の、意を決した様子が語りと共に桐竹勘十郎の遣いで生きる。今日の勘十郎さんはとてもよかった。上手い人形遣いは、人形だけが生き生きと目に入り、遣う人は見えなくなる。お里は沢市の目を治したいと、祈願に壺坂寺の観音様を毎日お参りしていた事を告白。一旦夫婦になったからには来世までも夫婦だと、疑われたことの悲しさを訴えて。
住大夫さん、声量は確かに落ち、長い語りは体力がもたないとのこと。納得。されど、声色でない「語り」この奥深い浄瑠璃の藝を他に繫ぐ大夫さんが見当たらない。もうしばらく、、、出来る限り語ってほしいと祈る。
お里の気持ちにうたれた沢市は、細い杖を細い心の頼りにしながら、気を取り直して夫婦で壺坂寺参りへ。お里が言い付かった用事で離れた間に、自分がいなくなればお里は何処かへ縁付きできると、沢市は谷間へ身を投げる。戻ったお里は、残った細い杖を見てそれを知り、形見の杖はこの世を去って渡すと後を追って身を投げる。最期、観音様現れてお里の信心などから夫婦二人の寿命延ばされ、三十三所順礼へと出かけてゆく。
芝居としては、心弱く気鬱な夫に貧しくも献身的な美しい妻、大きな感情の山場を越え心深く結ばれるという分かりやすいもの。でも、俗な私は、目の見えるようになった夫の、二人の、その後に興味がある。芝居ではその後なぞあるわけないが、「見える」がもたらす「見えなさ」に、二人はどうなってゆくのだろう。ふと「春琴抄」を思い出した。
今日の舞台の細い杖、春琴抄で佐助が肌で温める草履。二人を繫ぐ「小物」も、「語る」ようだ。
☆ Don Giovanni ボストン 雄
午前11時,車でCambridgeside galleria mall近くにあるホテルへと向かう.日本の某研究所でポスドクとして働いている大学院時代の後輩が,MITにジョブセミナーをしに来た.ホテルのロビーで彼と数年ぶりの再会を果たす.何も変わっていないような気もするが,近づいてよく見ると,しわやシミなどが,お互い経てきた年月を表している.
彼は1年後輩だが,年齢は僕より一つか二つ上.大学時代,休学して世界中の山々を登りまくったという山男.大学院時代でも,その腕力は健在で,なにしろ道路標識を掴んで身体を地面に平行にすることができたほど.細身なのに,人の二倍食べ,二倍働く人だった.
ハーバードスクエアまで車で向かい,ラボの近くに車を停め,ラボを簡単に案内する.その後,ハーバードスクエアに出て,いつも行っているベトナム料理の LE’sでフォーとチャーハン,春巻きをご馳走する.食べ終えてからは,Au bon painでコーヒーを飲みながら語る.
やはり話題になるのは,ポスドクを終えた後のことや,論文のこと.抱える悩みは共通だ.おまけにお互い独身であることも共通している.
もう少しゆっくりと話がしたかったのだが,僕は午後からオペラを聞きに行くので,再び車で彼をホテルへと送る.帰り道,雨が降ってきたなと思ったら,あっという間に雪になり,猛烈な吹雪となった.なんとか自宅前まで辿りつき,車を置いてポータースクエアへ.
地下鉄で会場へと向かう.Park street駅でグリーンラインに乗り換えようとしていると,合唱でご一緒しているKさんとそのご主人とばったり会った.なんでもレッドラインに乗っている時,僕の隣に座っておられたらしいのだが,僕は全く気づかなかった.ポーター駅で電車に間に合うようにと必死になって歩いていたので,電車の中で放心状態だったようだ.グリーンラインEラインのLongwoodで下車し,会場へ.
今日の演目はモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』.スペインの伝説的な放蕩者ドン・ファンの物語.
ドン・ジョヴァンニは,世界中のあちこちで女性をひっかけ,その数たるやイタリアでは640人,ドイツでは231人,スペインでは何と1003人.騎士長の娘アンナの部屋に夜中に忍び込み,乱暴を働こうとするが,その際,アンナの父親である騎士長を殺してしまう.ドン・ジョヴァンニに捨てられ,つきまとうドンナ・エルヴィーラ.結婚式を挙げているマゼットとツェルリーナに言い寄り,ツェルリーナを口説いて落としかけるが,エルヴィーラに邪魔をされる.アンナとその恋人のオッターヴィオ,マゼットとツェルリーナ,エルヴィーラなどの恨みを買い,殺されそうになるが,最後には墓場に作られた騎士長の石像がドン・ジョヴァンニを地獄へと連れて行き,「悪い男もついに地獄に落ちた」ということで最後はハッピーエンドとなる.
あらすじを書くと,本当にたわいも無い話だ.いとも簡単にドン・ジョヴァンニに口説き落とされる女性達,あくまでも自己本位で,自分のためには犯罪も厭わないドン・ジョヴァンニ.内容は下らないのだけれど,モーツァルトの音楽そのものは美しい.有名なアリアもいくつかあるが,歌詞の内容がこんなに下らないとは知らなかった.
今日の演奏はセミプロ達によるものであり,オーケストラの規模も小さく,舞台も学藝会でもやるような小さなステージであったので,不備は色々とあった.しかし序曲の時には気になったオーケストラの力量も,いざ歌手達が舞台に登場してからは気にならなかった.歌手も全てがプロではないのだが,皆,声が良く,表情たっぷりで素晴らしかった.4日間続いた演奏会だったが,今日が最終日だというのに,声も枯れず,素晴らしい演技を見せてくれた.
実は,オペラを生で観たのはこれが初めて.DVDなどでは見たことがあったが,こうして間近で見られるのは嬉しい.今度は是非,ニューヨークに行ってメトロポリタン歌劇場でオペラを観たい.
帰りは同じ合唱団におられたOさんの車で,Kさん夫妻と一緒に自宅まで送って頂いた.Strrow driveを走ってケンブリッジへ.Strrow driveから見るボストンの夜景は本当に美しい.
もう少しでハーバードスクエアというところで,昼にあったようなブリザードに突然見舞われた.あっという間に道路に雪が積もった.車で送って戴けて,ラッキーだった.
* 「珠」さんは大忙しのナース、「雄」君は極微の世界を見つめて実験に明け暮れる科学者。文楽や文学が、またモーツアルトが、輝いてくる。
☆ お元気ですか、風
今日は、市の国際交流展へ行ってきました。
市内に住む外国人らのグループが模擬店を出していました。民族衣装を着た知人がちらほら。ブラジルのシェラスコといいましたか、牛肉とソーセージの串焼きがおいしかったです。
帰りしな、バッティングセンターへ。以前より、球が見えるようになってきましたよ。
『蘇我殿幻想』を、半分より後ろまで読みました。とってもおもしろいミステリー! 流し読みせず、じっくり理解しながら読むと、こんなに面白い本はない、と思います。
人物相関図が頭に入っていませんので、辞書を引き引き、頭の中で流れを組み立てながら、ゆっくり読んでいます。
権力を握った者は、自身の都合のいいように書物を作りますものね、ほんとうはどうだったのか、考え考え『記紀』を読むのは、おもしろそう、と、『記紀』にまで興味をかき立てられます。ざっと触れたことはありますが、ざっとではもったいない、じっくり触れてみたい。
風、お元気ですか。 花
2008 2・11 77
* 二月七日、柴又帝釈天で撮ってきた写真に「かくれんぼ 鬼のようすを窺っているのでしょうね。ちょっとマヌケな後ろ姿です」というメールが来ていた。
「マヌケな後ろ姿」には、がくっと来た。むこうから鬼サンかのように捜しに駈けてくる少年とのコントラストをみてくれれば、せめて「ユーモラスな」とか「無邪気な」と言う欲しかった。プンプン。
2008 2・12 77
☆ 若さは七難隠す? ハーバード 雄
今朝は週に一度のプログレスレポート.担当はボビー.以前から手がけている,脳の連続切片作製機の話.まだ色々と問題も多く,それらのトラブルシューティングに関して話した.それにしても,こんなことを思いついて,それを実行に移すなんて,本当に大した奴だと思う.普段はいい加減なことしか言わないけれど.
昼からはセミナー.ニューヨーク郊外にあるコールドスプリングハーバー研究所のポスドクがやってきた.おそらくジョブセミナーなのに違いない.内容は「恐怖などの感情が記憶にどのように影響を与えるか」について.
痛い思いをすると,そのときのことを良く憶えているものだが,これは脳の中の青斑核とよばれる部分から延びている神経細胞からノルアドレナリンという物質が出て,これが記憶をつかさどる海馬の神経細胞に働いているためと考えられている.今日の演者は,ノルアドレナリンが分泌されると,記憶に重要な働きをすると言われているグルタミン酸受容体という分子が海馬の神経細胞の表面に沢山現れ,その働きが増すことで記憶が強まることを明らかにし,Cell誌に論文を発表した.
話のストーリーはシンプルだし,恐怖と記憶という身近な現象を,遺伝子レベルで明らかにしたという点は素晴らしい.だが,トークを聴いた印象では,彼女のオリジナリティーが見出せなかった.解析手法そのものは,彼女の所属するラボのお家芸のようなものだし,様々な行動学習実験なども,心理学の世界では既に確立されたものだ.そのせいか,質問は批判的なものが多かった.
この手の実験では動物の行動を研究する必要があるので,心理学的な手法が多く用いられる.単に恐怖といっても,色々な恐怖の与え方があり,色々な種類の恐怖がある.”Learned Hopelessness”なんてものもある.演者が具体例として,「5回以上やっても,一向に成功しない実験とか・・・」と言ったので,皆笑う.全くその通りだ.
セミナーが終わってからは夕方までひたすらマウスの手術.その後,予約してあった顕微鏡を使う.夜10時まで予約を入れてあったので,実験を終えて先程帰宅した.これでもまだ足りない感じ.顕微鏡の予約がもう少し空いていれば良いのだが.
いつの間にか雪が降っていた.かなりの降り方なので,この分では積もりそうな気がする.
さて,今日は複数の州で大統領予備選が行なわれた.オバマがヒラリーに比べて圧倒的大差をつけて勝利し,獲得代議員数でも逆転したようだ.先週末も複数の州でオバマが圧倒的に勝っていたので,このまま一気に差が開くことになるのかもしれない.
僕もヒラリーよりはオバマが良いだろうと思うし,ましてや共和党のマケインよりは遥かに期待できると思う.ただ,今更なのだが,果たして本当にこの人で大丈夫なのだろうか,と思うこともある.
演説が上手いと評判だが,僕には月並みな言葉を並べただけとしか感じられない.具体的に彼の公約の何が優れていて,それをどの程度実行できると考えられるのかが見えない.
確かに若いということは魅力的かもしれない.特にアメリカではJ.F.ケネディーの影響も強いのだろう.しかし,若ければ何でもいいのだろうか?と,最近思う.ただしこれはアメリカだけのことではない.
大阪で橋本弁護士が大差をつけて知事になった.自民党などの応援も必要とせず,純粋に知名度だけで圧倒的な差をつけたようだ.しかし,こんなことでいいのだろうか,と思う.大阪は前の前の知事で,タレント知事には懲りたのではなかったのか?
確かに橋本知事は若いし,弁護士ということは頭脳明晰で弁も立つのかもしれない.しかし,テレビなどで見る限り,この人は言っていることをコロっと変えたり,すぐにキレたりする.そういう人に知事という職業は向いているのだろうか?
近年の「若いことはいいことだ」という風潮は,ちょっと行きすぎなのではないかと,僕は思う.もっと「経験」というものの価値を重要視すべきなのではないだろうか.大阪知事選の場合,民主党の候補も新人候補だったと思う.もっと政治経験の豊富な候補者を立てるべきだったのではないか.民主党の判断ミスだったのではないか.とはいえ,経験とは名ばかりで,単に長く政界にはびこっているだけの,老獪な政治家が多すぎるのも事実なのだけれど.
橋本知事の一連の行動で,唯一僕にも共感できたのは,NHKに対する言動.かねてから官僚的で高圧的なNHKという組織には反感を持っていたので,ちょっと胸のつかえが下りたような気がした.
橋本知事が今後どうなるのか,まだまだ分からない点も多い.しかしオバマには,もし大統領になるようなことになるのならば,せめて安倍晋三のようなことにはならないで欲しいと思う.
* いきなり、かなり思い切り、オバマらへの思いを「雄」君が代弁してくれた。
2008 2・13 77
☆ 映画監督の市川崑さんが死去 麗
在宅で仕事をするときは,たいてい映画を、BGM代わりに流す。昨日は,市川昆監督の『雪之丞変化』だった。長谷川一夫の藝の幅広さ,若尾文子の儚い美しさ,そして,市川雷蔵の軽妙な味,さらに,大映映画の「隠し味」のような伊達三郎の演技などに,仕事そっちのけで見入っていた。「訃報」に接したのは,まさに,その翌日。
例によって,勝手に縁を感じて,続けて書く。
市川崑作品は,雷蔵出演の映画を中心に,いくつも見ている。しかし,最も印象的だったのは,『東京オリンピック』。初めて泣いた映画だった。椅子に座った足が,まだ地につかないほど小さかった頃。長尺のあの映画を,封切館のテアトル東京で,身じろぎもせずに見ていた。どこで泣いたかは忘れたが,忘れられないシーンが,いくつもあった。
会場建築工事で,埃の渦巻く首都・東京。
大混雑の会場で開幕を待つ,ねんねこ半纏に日和下駄の母親。
開会式では,今井光也作曲の『東京オリンピック・ファンファーレ』,そして,入場行進とエンディングは,古関裕而作曲の『オリンピック行進曲』が,颯爽と流される。
しかし,ベラ・チャスラフスカの華麗な演技のバックには,流麗なピアノ曲ならぬ,「ドシン・バタン」の地響きを流す。
マラソンでは,沿道の民家の2階から見物する住人の目線で,アベベ・ビキラや円谷を追う。
随所に挿入された,実況中継の音声が臨場感を添える。
一方で,アフリカ某国から,たった一人で参加した選手の一日を追うなどの,ドラマツルギーも織り交ぜる・・・。
ドキュメンタリーのパラダイムを,様々な点で打ち崩し,見るものを安心させない作りの,「ドキュメンタリー」だった。
先日,縁あって全編を見直す機会があった。ファンファーレと行進曲を聞いて,全身が粟粒立った。泣いたのは,この場面だったかもしれない,と思えた。
この映画は,当時は必ずしも高い評価を得なかったという話もある。しかしこれは,オリンピックのみならず,オリンピック開催地・東京の当時を活写した,記録映画でもあった。往時の回想と感動に浸るには,『ALWAYS』にはるかに勝る,と私は思う。
アントニオーニ監督のときもそうだが,最近,何気なく映画を見ると,翌日あたりに,その関係者が死去する。しかし,市川監督は,つい先日,インタビューに答える姿を見て,その元気さに,「次回作が楽しみ」と思ったばかりだ。
一寸先は闇,なのだなあ。
* 合掌。
* 市川崑の才能に最初に痺れたのは、テレビで、あの伊丹十三の「光君」で源氏物語を見せて暮れたときだ。唸った。
個人的に有り難かったのは『細雪』。貞之助と雪子とのあやうさをおそれず表現してくれた。この映画で、わたしは個人的にもいい機会をもらった、新潮社から華麗な写真集を出したとき、撮影に立ち会い、ちょっと面白い解説を書かせて貰った。吉永小百合とも知り合った。
市川崑の特色は、斜に切り込める批評の冴えが、みごとに美しい映像を、皮肉なほどまっすぐ鋭く立たしめる魔術だった。お若いと思っていたが、残念。もう一つ二つは新作を見せて戴きたかった。
2008 2・13 77
☆ 記憶に刻まれるのは 光
高校の数学の授業では、いろいろ公式を覚えさせられた。
結局、それらが役に立っているのかどうか疑問であるが、今だに覚えているのも不思議である。
三角関数の加法定理というとピンとこないかもしれないが、コスモスのあれ、と聞けば、あるいはご存じの方も多いのではないだろうか。
咲いたコスモス コスモス咲いた
sin (α+β) = sinα cosβ + cosα sinβ
コスモスコスモス 咲いた咲いた
cos (α+β) = cosα cosβ – sinα sinβ
私は、この語呂あわせで覚えたものである。
ところが、いろいろな人に聞いてみると、いろいろな覚え方があることを知った。
咲いたコスモス 今夜も咲いた
sin (α+β) = sinα cosβ + cosα sinβ
今夜もコスモス 盛んに咲いた
cos (α+β) = cosα cosβ – sinα sinβ
まさか、語呂合わせが一篇の詩になるとは思いもしなかった。
しかし、さらに上手がいた。
刺すぞ殺すぞ 殺すぞ刺すぞ
sin (α+β) = sinα cosβ + cosα sinβ
校長校長 死んだ死んだ
cos (α+β) = cosα cosβ – sinα sinβ
忘れ得ない、強烈なインパクトである。
記憶は、美を選択しないのであろうか。
* こりゃあ、お手上げです。こんなのが堪らんので、解析Ⅱへは近寄らなかった私です。よその庭の花は紅いなあと面白がっています。
2008 2・14 77
☆ なるほど 本郷 悠
高熱と認可保育園の入園前健康診断で、2日お休みした保育園に、今日は元気に登園。さっそく、ずり這いで友達の輪へ突進していきました。
最近、うちのダイニングテーブルの下を縫うようにはいずり周り驚いていましたが、今朝、保育園に行って納得。木製のジャングルジムの下をくぐって遊んでいる息子の姿が、写真にとってありました。すごくゴキゲン。
家でも復習していたのでしょう。
お陰で目が離せず家でのお仕事は寝ているときにしかできません。
職場(大学の研究室)では、久々実験モード。ちょっとウキウキでした。
* もう一度、こういう赤ちゃんをまのあたりに、一緒に暮らしてみたい。
2008 2・14 77
☆ みづうみがブルーでないのは何よりでした。
男には女心はわからないし、女には男心がわからない。男と女では大切なものも微妙にずれるもの。当たり前です。
それはともかく、お元気でいらしてくださいね。やさしいチョコレートのプレゼントに囲まれ、お幸せなバレンタインデーでいらしたのではありませんか。昨日は寒かったし、外出から引き返されたのは正解。調子の悪い時には無理をなさらないのが一番です。
今日も寒そうですが、暖かくして血圧があがらないようにして、お気をつけてペンクラブへお出かけください。湖の本楽しみです。
才能が角逐していないので批評は書けませんが、感想を書きましょう。 わたくし
* カナダから帰っているらしい田中勉君が大阪の新松竹座、上村吉弥の楽屋から、我當とも並んで三人の写真メールを送ってきた。
2008 2・15 77
☆ コップ半分の水は十分か 光
とある国家公安委員会委員長の言葉だったか。
水が半分入ったコップをイメージするのだという話を、テレビのインタビューでしていた。
何かに備えて準備するときには、「まだ半分しかはいってない、何とかしなくては」とがんばるのだが、いざ本番と言うときには
「まだ半分ある、大丈夫」と思うのだそうだ。
問: 200cc入るコップに半分、水が入っています。水は何ccですか。
学校の算数のテストだったら、答えは一つ。
問:200cc入るコップに半分、水が入っています。十分ですか。
そんなテストをする学校の先生はいるのだろうか。
小学校教育から、「問題には必ず答えがある」とすり込まれた我々の世代は、答えのでない問題を、無意識的に避けているのではなかろうか。
一度の自分の人生に、答えも何もない。
現実はむしろ、「答えのない選択」の連続である。
「最近の若者は、なぜ結婚しないのか」
そんな疑問を呈する前に、学校教育の抜本的な改革が必要かもしれない。
☆ 偶然と必然 ハーバード 雄
ここ最近一緒に仕事をしていたフランス人ポスドクのジョンが,ついにこの日曜日にボストンを発ち,パリへと帰国する.
今日はそのお別れ会ということで,ランチを食べにGrafton Street Restaurantへと向かう.ジョンの人柄ゆえか,隣のラボなども含めて総勢20人ものメンバーが参加した.
レストランへ向かう道すがら,大学院の見学にやってきた学生の話をボスがする.
今朝来た学生は,なんでも北京大学で一番の成績という女子学生らしい.生物学の専攻だが,数学でも物理でも一番ということで金メダルをもらったのだとか.
「基本的に僕らがやっていることについての知識は無いんだけど,僕が話す前に、自分が言いたいみたいなんだよね.面白かったよ」とボス.
こういう人が研究者に向いているかというと,一概には言えない.勿論,飛びぬけて優秀な人なのだろうとは思うのだが,常に自分が一番でなくては気がすまないという人だと,他人から学ぶことに苦痛をおぼえたり,自分に科したハードルを越えられず自滅することも,少なくない.
「その人はウチのラボに来るんですか?」と僕.
「いや,分からないよ.そもそもハーバードに来るかどうかさえ分からないから.色々な大学院を見て歩いているんじゃない?」とボス.
昨年から比べると,ラボは随分と人が減った.クビになった人もいるが,去年の年末から今年にかけて,コーリー,ジェイ,そして今回のジョンと,僕と仲の良かったメンバーが次々と抜けていく.確か夏にイスラエルから1人ポスドクが入ると聞いているが,それにしても随分とラボが小さくなった.
「近い内に,誰かポスドクで来るんですか?」と僕.
「いや,僕はもう少し小さいラボの方が好きだから,夏に1人加わる以外は無いよ」とボス.ボスの知名度からすれば,今でも充分小さいと思っていただけに,ちょっと意外だった.
ランチを食べながら皆あれこれと話しているが,バックミュージックや他の客の話し声などがうるさくて,なかなか会話が聞き取れない.
最近ボビーとケンが成し遂げた快挙,ハーバード大学が今ヘッドハンティングしようとしている著名な研究者などの話をボスがして,それに皆が色々と口を挟む.
更に,現在建設中で,夏には我々が引っ越すであろう建物の話でも盛り上がる.その規模は膨大であり,聞いているだけでも夢が膨らんでくる.
コーリーの時同様,今回もボスが全員分をおごってくれた.いくらボスが高給取りだからとはいえ,そう毎回みんなの分を払っていたのでは大変だろう.ボスというのも大変だなあと思う.
ランチの間,皆が楽しそうに話しているのをぼうっと眺めながら,ふと僕は、「何故自分はこのラボに入れたのだろう」と思った.
大きな仕事を成し遂げてフランスに帰るジョン,大きな仕事を成し遂げつつあるボビー.ラボの他のメンバーも,殆どが「コイツはすごいなあ」と思えるような人ばかりだ.それに,このラボにちょうど合ったバックグラウンドを持っている人が多い.
僕は全くの畑違いといっても良い分野で研究していたし,僕のバックグラウンドをボスが必要として僕を受け入れたとは思えない.前のボスと今のボスが知り合いだったわけでもない.
自分の興味の赴くままに論文を片っ端から調べ,その中で「いいな」と思ったラボを5つほど選び,いきなりEメールを送りつけた.その中に,今のラボがあった.
今にして思えば,これだけラボを縮小しようとしている時に,しかも畑違いの僕を良く受け入れてくれたものだと思う.勿論,留学助成金をもらってきた事は大きかっただろうが,ボスがラボを縮小しているのは,予算のためというよりはメンバー1人1人に目が届くようにするためという意図の方が強いと感じられるので,単にお金だけの問題ではないだろう.
唯一いえることは,きっと僕は相当ラッキーだったのだろうということ.それも,「道を歩いていたら百円玉が落ちていた」とかいうようなレベルではなく,おそらく信じられないほどラッキーだったのだろう.
「来てもいいよ」と言われた時には良く分かっていなかったのだが,今になって,そのことが良く分かる.この運を活かすも無駄にするも,全ては僕次第ということなのだろう.
人生にとって,どこまでが偶然で,どこまでが必然なのだろう.僕は普段から,こんなことを良く考える.
生まれ育った環境,卒業した学校,就いた職業,伴侶...それらは偶然といえば偶然といえるかもしれない.しかし,考えようによっては,それらは必然であったとも思えるかもしれない.無限の可能性を秘めているように思えることでも,考えてみると実はそうではなくて,人は自分のごく身近な世界で判断し,選択するものだ.自分の意思で決めたつもりでも,実はその背景に,ある種の必然性を秘めていることも多々あることだろう.
逆に,ちょっとしたボタンの掛け違いから,予想だにしなかった方向に進むことさえある.不思議なものだなあと,ことある毎に思う.
僕が神経回路網の形成のメカニズムを研究しているのも,こうした疑問に端を発している.神経回路は遺伝子によって,ある程度必然的に決まっている.
しかし全てが必然的に決まっているわけではない.少なくない部分が偶然によって左右されている.しかし,偶然だけで決まっていたのでは,まともに機能する神経回路を作ることはできない.どこまでが必然で,どこまでが偶然か.偶然と思える部分の中に,必然は潜んでいないだろうか.そんなことを考えている.
ランチから帰り,自分の部屋で実験していると,ドアをノックする人がいた.ジョンだった.
「僕は明日もラボに顔を出すつもりだけど,もしYouが週末ラボに来ない場合は,今日がボストンでは最後だからと思ってね」とジョン.
「フランスに帰っても,頻繁に連絡を取ろうね」と僕.
「勿論だよ.Youとは研究でもこれから一緒にやっていく訳だから,そのうちにフランスにも来てよ」とジョン.
仕事でパリに行けるのなら,それも楽しそう.固い握手をして別れる.
夜は,ムービングセールでヒーターを売ってくださる方の御宅へ伺う.バックベイにある御宅で,ヨーロッパ風の煉瓦造りの建物が立ち並ぶ中の一つ.こんなところに住んだら,また一味違ったボストンを満喫できるのだろうなと思う.
帰りはプルデンシャルセンターに立ち寄り,イートインコーナーでインドカレーを食べてから帰宅.
* わたしが、こういう若々しい世代の述懐を、こうしてわざわざ手を掛け、何故何度も何度でも転載させてもらっているか。何故でしょうね。
☆ お元気ですか、風
お天気がよく、ポカポカ陽気です。
東京も暖かいことと思います。
今、四つ全部のタイヤを新品に交換してもらっているところです。パンクしたタイヤのホイルが、ちょっと傷んでしまっているので、使えるかどうか心配です。
きのうは、安いタイヤを探し、あちこち電話をかけました。まあまあ安い店が見つかり、ほっとしました。
明日は、建てた家の一年点検があります。
書き忘れ
そうそう、今、『花と風』を読んでいます。
「三、花と三島由紀夫」のところで、思い出したことがひとつ。
吉田健一と三島は、晩年、仲たがいしていたと、サイデンステッカーさんだか、ドナルド・キーンさんだかが書いていました。理由は、二人共が、「あいつは日本を理解してない」だったとか。
おそらく、三島の「日本」とは、「菊と刀」で、吉田健一の「日本」とは、「花と風」だったのではないか、と、想います。
日本人は、大きく、この二つのどちらかに分類できるのではないか、と思います。
例えば、小泉純一郎、石原慎太郎は「菊と刀」型。
(「花と風」型政治家なんて、いないかも知れませんね。)
上記のことを、前のメールに書こうとし、失念しました。 花
2008 2・16 77
☆ 除雪 maokat 札幌
週末にかけ雪風ともに激しく、暴風雪波浪警報も出ました。
今日の昼になって、中休みのように雪が止み、除雪の入らない私道には、各家から色とりどりの除雪スコップを持った人が一斉に出て、屋敷の回りの雪をはねて行きます。
我が家の窓からは、道一本挟んだお向かいの町内を見下ろせ、止むのを待ちかねた人々が、早速雪はねをしている様子が見えました。
大雪に閉じこめられて、ようやく外に出られた気持ちが、小気味良く動いている除雪スコップの軽やかな動きに感じられます。赤、青、黄、人工的なスコップの皿の色も、真っ白な雪の中では、鮮やかに映えて見えます。
☆ 除雪 昴 羅臼
咲いてしんしん 雪の花
人が見えなきゃ 嵐かな
ふと、朝起きたときに浮かんだ言葉です。
昨日、バスに揺られながら羅臼に来て、部屋の掃除をしていました。
朝は地域の方の除雪の音で目覚めました。除雪をしていただけるのは有り難いです。
* 病気で休職を余儀なくされているらしい年若い「昴」さんの、こういう柔らかな「表現」を、愛(め)でたしと思う。
2008 2・17 77
☆ タンパク質ダイエット・その1 光
「BMIが25超えてますね。もっと下げないと・・・」
健康診断の問診風景である。
確かに、太りましたよ、認めます。
しかし、点数でばっさり宣言されると、不合格の烙印を押されたようで、ショックである。
BMI(体型指数)など余計なもの、いや便利なものを導入しおって・・・。
悔しいので、ダイエットを始めることにした。
「ダイエット」で検索すると、あるわ、あるわ。
運動しましょう、から始まり食事系ダイエットに、痩せるツボ(押す方です)まで、いろいろな方法が紹介されている。
中では、低インシュリンダイエットやらアミノ酸ダイエットなどは、「科学」っぽくて良さそうだ。
いろいろ調べて、(独自解釈により)納得できそうなのが「タンパク質ダイエット」である。
・過剰の炭水化物が血中にあると、脂肪になる(夜寝る前に食べると太るのはこのせい)
・必須アミノ酸はつくれないので、外部から取り込む必要がある(タンパク質は食べないとダメ)
・アミノ酸から、糖質と脂質はつくることができる(炭水化物はとらなくてもなんとかなる)
結論:タンパク質だけ食べれば、太らない
要するに、日々の食事で、おかずだけ食べ、ご飯は食べなければいい、ということである。
説明によれば、はじめはご飯をやめ、その分おかずは好きなだけ食べてもいいらしい。
やせてきたら、ごはんをこれまで食べていた半分くらいに戻す、という手順で、10 kg減量は夢でないという。
たいがいのダイエットは、我慢するのでリバウンドしてしまうらしいが、この方法だと大好きなおかずをどんどん食べていいので、その心配がないそうだ。
無精な私にも、何とかなりそうだ。
目標、-10 kg。
翌日から、脱炭水化物生活がはじまった。 (その2へつづく)
* わたしの素朴な体験でも、炭水化物を目の敵のように摂らないでいたときは、けっこう効果的に体重が落ちた。但し、タンパク質だけでいいのかどうか、不安があった。(その2へつづく)に期待。
* 今日のマイミク日記、何人もあったが、目下「光」君のこれだけ。
白状すると、ここへ持ち込ませてもらうのは内容に生活のセンスが反映しているだけでなく、やはり文章。少々推敲を加えて、なお、ガサツに乱雑なのは遠慮する。
2008 2・18 77
* 近くに、こんな家(アパート)が昨今建った。赤いよと、評判芳しくないけれども、わたしはこの色、そんなにイヤでない。朝日子やみゆ希が帰ってくる道しるべには、恰好。よく晴れていた先日、撮ってみた。ゴッホなら絵に描くんじゃないの。
2008 2・19 77
☆ President’s day ボストン 雄
今日はPresident’s dayでアメリカは三連休.President’s dayには色々な表記があり,Presidents dayと記載されることもあれば,Presidents’ dayと記載されることもある.
元々は,初代アメリカ大統領ジョージ・ワシントンの誕生日である2月22日を祝うものだったらしいのだが,エイブラハム・リンカーンの誕生日が2月12日であることから,一緒に祝ってしまえということで,2月の第3月曜日ということになったという.さらにニクソン大統領の時に,ワシントンやリンカーンだけでなく,歴代大統領そのものを祝うという趣旨に変えたのだとか.自分自身を含めた歴代大統領を祝うと言い出したニクソンには鼻白む思い。
ニクソンはともかくとしても,アメリカにとって大統領の存在は非常に大きい.アメリカでテレビニュースを見ていると,大統領がどこに行ったとか,何を言ったかといったことをしつこいほど何度でも報道する.
まして,今年は大統領選挙の年.新しい大統領にかかる期待は尋常でない.
何故日本に大統領制が導入されないのだろう.議員内閣制を敷いているからという説や,大統領は元首であり,皇室がある以上,大統領制を敷くことはできないという説があるようだが,詳しいことは僕には分からない.何より国会議員がそれを望まないからなのではないかと勘繰ったりもする.しかし不甲斐ない首相達を見ていると,日本でも大統領制を敷いて,総理大臣を国民が直接選挙で選べるようにすれば良いのに,と思うこともある.
しかし石原・東京都知事や橋本・大阪府知事などを見ていると,直接選挙をしたところで仕方がないのかなとも思う.東国原・宮崎県知事は県民の評判が良いようだが,あんなふうに県の物産をPRするためにテレビに出まくることが,果たして知事の仕事なんだろうかと思ったりもする.他にも知事の仕事というのは沢山あると思うのだが,テレビや人前に出ることばかりに熱心なような印象を受ける.知事になる前のタレントの頃よりも,今の方がはるかにテレビでの露出が増えたのは皮肉な話だ.
実際のところ,国民が総理大臣(または大統領)を直接選ぶとしたら,とんでもないことになりそうな気がする.この手のアンケートは良くメディアでも見かけるが,少し前はビートたけしが筆頭に挙げられていた.最近ではテレビ番組の影響か,爆笑問題の大田光なんていう答も見かける.今度,フジテレビで木村拓哉が総理大臣になるというドラマをやるらしいが,本当に国民が直接選挙をしたら,相当の人数がキムタクに投票しそうな気もする.ここアメリカでもレーガン大統領は元・俳優だったし,現・カリフォルニア州知事はシュワルツェネッガーだから,日本だけで起こることではないのだと思うが,国民直接投票も、考えモノかな.
2008 2・19 77
* 「七十年生きてきて、どんな気分です。よかったですか」と聞いてみた人から、返事を貰った。
☆ この質問って、中学生のころの、レポートとして書かされた、「ルネッサンスについて」とか「宗教改革について」のように、とまどいがあります。折々に思うことはあっても、総括はできません。
いま、よくおもうことは、捨てなければということ。ものをよすがに想い出すことが、さも好い事のようにいわれていますが、ソウカナア。
子供の成長がそうであるように、老人の衰えもはやいと実感するこのごろ、できれば、ああ居ないな、というように無くなりたいと、いま、は思っています。
* いい日本語だ。わたしの学生諸君は、この調子でいつも突如問われ、否応なしに書いて応え続けてくれた。さぞ難儀な演習であったろう。
2008 2・20 77
☆ 秦先生 ご無沙汰してしまいました。 シカゴ 創
まず第一に湖の本を送っていただいているにも関わらず代金を支払っておりません。それも一冊二冊ではないでしょう。大変申し訳ありません。海外から郵便振替ができませんので、なんとしたものか、と思っているうちに年月だけが経ってしまいました。
銀行への振込にてお支払いが出来るのであれば、その口座をお教えください。もしその方法がなければ、4月の帰国後にまとめて払わせていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
ご報告が遅れましたが、現在シカゴにいます。妻も子も連れだっての7週間の長期出張です。
2月4日にヴロツワフ(ポーランド)を出て、3月20日前後に戻る予定です。そして忙しいですが、4月1日付の辞令で東京本店に帰任です。
任期の3年はあっという間だったとも言えますし、その間手がけた仕事の数からすれば充分必要な時間だったような気もします。しかし、帰ります、東京へ。
ヨーロッパでの設計は、世界中どこへ行っても我が社の「品質」という姿勢と、世界中どこへ行っても「その地域の建築のあり方」がある、という事実との「せめぎあいと調整」でした。実は会社も地域もどちらも確固とした何かがあるわけではないのですが、実際の作業の中では、こうあるべきという固い決意がなければ、通例や慣例など簡単なほうへ流れていってしまいます。そうすると何をやっているのかさえ、すぐにわからなくなってしまいます。
具体的なものは、私と、今、目の前に存在しそうになっている建築、だけ。それぞれの建築で、せめぎあいの結果の「着地点」を見つけることになるわけです。その「見つけ方」に私なりの解法(デザイン)が見出せるわけですが。
ここシカゴでも、新しい設計をしています。やはり何か新しいものを創り出すために、会社の慣例、地域の慣例、技術の慣例にぶつかっています。その新しさが何なのかはまだわかりませんが、この建物の「あるべき姿」を出現させられればと思います。建築は、試しに作ってみるということが出来ませんから、設計者の仕事は建築主をはじめ、すべての工事関係者を、誰も見たこともない建物へ向かって「引っ張っていく」ことだと思います。
見えないものを見る力と、それを信じる強い意志、とでも言いますか。これはすべての創造行為に当てはまりますね。
なぜか、大上段に構えた文になってしまいました。もっと頻繁に連絡すべきですね。肩に力が入りすぎました、です(笑)。
* 「創」くんの天才に男っぽい自立と磨きとが加わったつよい文章になっていて、頼もしい。怪我もなく事故もない、ご家族ともどもの平安を祈っていますよ。
* 親しい、新聞社文化部の「次長」からも、一時期健康を損なっていたのが回復し、東京からまた関西本社にもどって頑張っていますと、佳い便りが来た。よかった。「落語、浪曲から美術、団塊の世代に関することなど、いろいろ」やっていますと、楽しそうだ。若い友人達の元気な活躍、嬉しい、いいことだ。
☆ よいお天気でした わたくし
やたらに出歩く用事が重なっていますけれど、元気に過ごしています。
紙の花をけなされましたが、紙の花というとなんとなくティッシュを連想します。幼稚園でピンクと白の高級なティッシュでお花を作ってお遊戯に使ったものです。手首につけた牡丹みたいな紙の花が嬉しくて、得意で踊っていたそんな可愛い時代もあったなあとなつかしく思い出しました。
二十代の頃は、パーティーの時にアクセサリーとして本物の花を使うこともありました。蘭とかバラとか百合をコサージュにしたり、髪に飾ったり。(当時は長い黒髪を結ったりしていましたから)一日限りですが生花はどんな宝石にも負けない豪華さがありました。でも、これははちきれんばかりの若さがあってできること。
今はもっぱら言葉の花を求める「湖の本」の読者です。
最近グレングールドをよく聴いています。音楽は本来生演奏に勝るものはありませんが、グレン・グールドは演奏会より録音に情熱を注いでいた天才。魔法で紙の花に命を与えてしまったようで、生演奏でなくても、聴くたび心清められるようです。
もうじき桃の節句。大好きな桃の花を見に行きたいものです。みづうみは桃の花を見ながら歩くなんてつまらないとお考えでしょうけれど。
みづうみの霞眼、気になります。花粉などの影響が出始めているということはありませんか。酷使しているというせいもありましょうね。パソコン時間が長すぎるのもよくないので、充分休みながらお仕事なさってください。母は最近眼が悪くなって昔のように本が読めないとぼやいています。それに比べたらみづうみの読書三昧は大したものです。
暖かくなるだけでなんとなく希望を感じます。どうぞお元気でいらしてください。湖の本も新しい小説も待ち遠しく。
2008 2・22 77
☆ 秦先生 新
ご連絡ありがとうございます。
落ち着きましたら、必ず、気楽にご連絡させていただきます。
私は今(ボストンの「雄」さんも話題にされていた)知事の取材をしています。府政記者クラブの“しばり”が厳しく、思うように撮影できずフラストレーションを溜めております。
いや、府政記者クラブの“しばり”ではなく、今一歩踏み込めていない自分自身へのフラストレーションが溜まっているというのが、本当のところです。
東京に転勤になったはずなのに、今年に入ってから半分以上を大阪で過ごしております。
学生のころ「上岡龍太郎のように“きょうは東京、明日は大阪”という生活が送れればいいなあ」なんて、ぼんやりと考えていた時期もありましたが、
いざそういう毎日を過ごしてみると「なんだかんだ言ってもやっぱり自宅の布団で寝るのが一番気持ちいいなあ」なんて思っております。
またご連絡申し上げます。
先生にお会いできる日を、楽しみにさせていただいております。
* 楽しみが、先に一つ又一つと有る。それ以上の何が望みであろう。
2008 2・22 77
☆ おみごと 悠
日々活動範囲を広げる息子.
今日は廊下への扉についているペット用の出入り口から脱出しました!
扉の反対から声をかけてみたところ,最近甘えん坊の息子は必死になり、見事にするっと出てきました.おみごと!
あまりにもよく動くため,疲れてしまうのか,最近は朝の登園途中に寝てしまうことが癖になってしまったようです.
そこそこ混雑しているバスの中で、いつも決まったバス停付近からうとうと.降りて電車に乗り換えても起きる気配なし.そのまま保育園に到着.私が荷物を片付けて,連絡事項を記入している間にパチッと目をさまして,友達の輪に入れてくれるようにせがんできます.
寝ながら登園って..
でも,私も昔からどこでも寝られるので仕方ないんでしょうね.
いまも横ですやすや寝ています.
明日は予防接種だよ!! 内緒だけどね.
* お見事な「mixi」日記。クリアに把握され表現されてムダがない。志賀直哉の作品の魅力は、長編の『暗夜行路』だろうが短編の『母の死と新しい母』であろうが日記であろうが、こういうふうにクリアに書かれていて、神品なのである。その魅力がだんだんものを書く人たちにも理解されなくなり、じだらくなトンだりハネたり、しかも事理不明瞭な独り満足や独り合点が晒されてくる。
2008 2・23 77
* と、いっこうにオモシロイ話題が、古希すぎた爺からは絞っても出てこない。で、助けて貰うのである。
☆ 姉妹は似る? 馨
お葬式があった関係で、このところほぼ毎日、姉の家族と顔を合わせる日々。
普段はあまり気がつかない細かな共通点に、気がつく機会にもなりました。
実家で苺を一山出してくれた時に、母が私の苺の上にコンデンスミルクをかけようとするので、慌てて、
「あ、私、苺には何もかけないの」と押しとどめていると、横で姉が、
「アンタも…?」
姉も苺には何もかけない派のよう。父も母もコンデンスミルクに抵抗のない人たちだったので、
「どうしてだろうねー」と。理由まで二人とも同じで、
「苺の甘みが消えちゃうんだもん。」
翌日、大学生の姪が娘と自分たちの飼い猫について話し合っていて 、
「でもね、うちの猫が鳥をくわえてきても、うちでは、誰も片付けたくないからお父さんを待ってるの。お父さんが帰って来ると、お母さんが、『ユーちゃん…鳥かたづけてほしいんだけど…』」
上手に声色を真似ているのを聞いて、思わずむせ込む、私。わが娘が、しれっとして、
「あ、うちもそうなんだよ。お父さんをずっと待ってて、『あのぉ、お願いがあるんだけど…』ってお母さん言ってる」
自分のやりたくないことをこうして極力避けようとするセコい性格、どうして似てるんでしょうねぇ・・・。
ちなみに、母はこういうのは躊躇なくてきぱきと片付ける人です。
似ているのは私と姉だけかと思いきや、先ほど、昼寝していた私の頭の上で娘が、
「お母さん、お母さん、大変だよぉ~」。
また息子が何かやらかしたか、と薄目を開けると
「おひなさまの髪の毛、ぐしゃぐしゃにしたーー!!」
・・・娘よ、それはアナタという先達がいるのだよ。
娘が二歳だったか三歳だったか、お人形遊びが大好きになり始めた頃、おひなさまの髪の毛を梳かしてしまって、ぐしゃぐしゃにした過去があります。
人形の修理をしている知人に直し方を尋ねて、教えられた通りに濃いめに溶いた膠を用意し、一本ずつ髪の毛を埋め直し、
「なんで私、家でまで修復作業してるのかしらん」と、煩悶したのも遠い記憶。・・・となっていたのに、またやるんですか!! 息子のイタズラがひどいので、今年は用心して高いところに出しておいたのに、どうやら椅子を持ってきてよじ上ったよう。はぁ・・・。おひなさまにどうしても手を出したい気持ちというのは、この姉弟の共通点なのかしらん。
でも、その直後に見つけたトイレの便器の中にトイレットペーッパー半本分をつっこむ、という所業は、娘にはなかった新規事業だぞ。
私たち姉妹も、苺だの鳥片付け以外にも、きっと母や父を嘆息させる類似点が数々あったのだろうな、と思う最近です。
* よそさまの家を覗き込むって、やっぱりオモシロイんだなあ。
も一つ。これは高尚な方。
☆ アルフレッド・ブレンデル ボストン 雄
天気予報どおり、今朝からボストンは雪に見舞われた。予報によれば8インチも積もるという。昨年末の大雪と同程度の雪が降ることになる。
午前中は大した雪ではなかったのだが、午後になってから次第に勢いが増してきた。勢いは増してくるが、雪そのものはあくまでも軽やか。
ボストンに来るまで、雪にこんなにも多くの種類があるということを僕は体験したことがなかった。
ぼたん雪、もち雪、しめり雪、べた雪、水雪、風花、どか雪、細雪、沫雪(あわゆき)、小米雪(こごめゆき)、吹雪、はだれ雪、雪しぐれ、雪あられ、みぞれ・・・。
雪を表現する語彙は一体どれだけあるのだろう。しかし、雪にこれだけの種類があれば、それらを表現するための語彙が数多くあるのも、当然なのかもしれない。
こんな日はさっさと仕事を終えて帰宅するのが一番。しかし今日は、仕事を終えてから外出してきた。向かった先はシンフォニーホール。アルフレッド・ブレンデルのピアノリサイタル。
日本に居た頃も、ブレンデルのCDは何度か聴いている。中でも、リストの「巡礼の年 第一集」は文字通り何度も。しかし、例えばその中の「オーベルマンの谷」は、ホロヴィッツが1965年にカーネギーホールで行なった神がかり的な演奏と比べると、退屈で分別臭い気がした。決して嫌いなピアニストではないが、それほど好きという訳でもなかった。
しかし、そんな印象は、去年、モーツァルトのピアノコンチェルトを聴いたとき、吹き飛んでしまった。なんて綺麗な音なんだろう。春の陽だまりのような、幸福感溢れる、まばゆいばかりの音に、すっかり僕は魅せられてしまった。あの美しい音色はCDには収まりきらないものなのだ。
残念なことに、高齢のため、ブレンデルは今年でピアニストを引退するという。実は今週は日曜にも別の演奏会を聴きにシンフォニーホールに行くつもりでチケットを買ってあったので、ブレンデルのリサイタルのチケットを買うかどうか、悩んでいた。しかし、これが最期と思うと逃すわけにいかない。先週、急遽、ブレンデルのチケットも購入した。
大雪の中、若干不安ではあったが、幸いハーバードスクエアからシンフォニーホールまで一本で結ぶバスがちょうど来たので、それに飛び乗った。
ホールのチケット預かり場でチケットを受け取り、少し買い物をしてから、近くのタイレストランに入る。この店は入りやすい雰囲気で値段も安いが、味は悪くなく、シンフォニーホールに来る時には良く利用している。今日はPad Thai(タイ風焼きそば)とTaro roll、トムヤムクンを注文。
ホールに引き返すと、普段から親しくさせていただいているポスドクのMさん夫妻と、ホールの前でばったり出くわした。「もしかして?」と思い、聞いてみると、やはりこの演奏会を聞きに来られたとのこと、なんと座席も隣同士だ。Mさんは1ヶ月も前にチケットを買ったというから、あまりの偶然に三人ともびっくりした。
今日の演目は次の通り。
ハイドン「変奏曲 ヘ短調」
モーツァルト「ピアノソナタ へ長調」K.533/K.494
ベートーベン「ピアノソナタ 変ホ長調」Op.27 no.1 “quasi una fantasia”
シューベルト「ピアノソナタ 変ロ長調」D.960
実はどれも良く知らない曲だったこともあり、演奏の良し悪しを評価するのは難しい。ベートーベンのソナタも、1番違いの”Op.27-2″は、いわゆる「月光」なので馴染み深いが、こちらは聴いたことがなかった。
個人的にはモーツァルトのソナタが一番気に入った。やはりブレンデルのピアノには、モーツァルトが一番合っているように感じた。今日の演奏会は、ピアノ独奏のせいもあってか、前回ほど「まばゆい」という印象は受けなかった。しかし、独特の艶のある、高音の美しさは特筆するに価する。
それにしても、こんなに素晴らしいピアノがもう聴けなくなるなんて、なんと勿体無いことだろう。まだまだできるのに、どうして今辞めてしまうのですか? と聞きたくなる。
もっともブレンデルは1931年生まれだそうだから、今年で75歳となる。いくら演奏は完璧でも、そのために海外を飛び回るのは、さすがに体力的に辛いのかもしれない。実際、ピアノの前では溌剌としていたが、ステージ袖から出てくる際の歩き方を見ていると、もうそろそろ辞めたいと思うのも無理ないかもしれない。晩年のホロヴィッツが来日した際の演奏はミスタッチだらけでボロボロだったが、今日のブレンデルの演奏は、全く衰えを感じさせない、素晴らしい演奏だった。
アンコールを3曲も演奏してくれた。残念ながら2曲目と3曲目が分からないのだが、1曲目はバッハの「イタリア協奏曲」の第2楽章。慣れ親しんだ曲ということもあってか、これが一番身に沁み入った。
ホールの出口でMさんご夫妻と別れる。なんと日曜の演奏会も来られるそうだから、またお会いするに違いない。
雪は益々勢いを増して降ってきた。Symphony駅から地下鉄で帰宅。この雪だというのに、地下鉄は多くの人でごった返していた。
* よそながら、心豊かにして貰う。感謝。
それはそれとして、わたしは今年末には七十三になる。ブレンデルより四つ若いだけだ。ピアノ演奏のような力仕事ではないけれど、わたしもじりじり衰えて行くのだ。気力をだいじにと思う。願う。
☆ きぶんよく 悠
今日は午後から職場へ。
風邪の治りきらないダンナと、午前中に三種混合の予防接種を大泣きで終えた息子は、遊びにきた義母にお願いして。
土曜は、忙しい上司とたっぷりディスカッションの出来る数少ないチャンス。投稿準備中の論文のめどがたち、いくつかの事務的な雑用を済ませることができました。
滞在時間は三時間あまりでしたが、懸案事項が一気に片付けられた充実感で、気分が軽いです! ただいまいい気分で帰宅中です。
残している仕事を冷静に考えると、これは勘違いだとすぐ気が付くと思いますが。
* このお母さんは飛び級で大学院に進み、東大の院で博士になったのではなかったかと思う。いま大学の先生の階級はややこしくて分からないが、少なくも東大の院生の卒論指導もしているらしい。
* このところ卒業生の諸君とのメールや「mixi」での接触が続いていて、なんとなくわたしも元気になっている。
☆ 孤独の人 淳
まろまろと昇る月見てもどり来ぬ狂ふことなく生くるも悲劇 大西民子
狂うことができれば楽になれるのに、と思ったこともある。そのころは夜中の散歩が日課だった。
真冬。
作者の孤独はわかるような気がする。
やはり人がたくさんいるところは苦手だ。
やはり、学問を愛する人が好きみたいだ。
* 大西民子の歌としては上乗の作とは思わないが。つらい境地を潜ってきた真摯な歌人だった。
* 一つ「淳」さんに聞いてみようかナ。
「作者の孤独はわかるような気がする。」と「作者の孤独はわかる気がする。」とは違う。違うけれども、それでも、ぜひ「ような」であるべきでしょうか。「わかる気がする」と言い切っては間違いでしょうか。
「やはり人がたくさんいるところは苦手だ。」と「やはり人のたくさんいるところは苦手だ。」とは違う。違うけれども、それでも、ぜひ「人が」であるべきでしょうか。「人の」ではいけないでしょうか。
「やはり、学問を愛する人が好きみたいだ。」と「やはり、学問を愛する人が好きなようだ。」とは違う。むかし「新潮」のベテラン編集者に原稿を見せていました頃、「~みたい」と書くと、黙って、きっと、鉛筆でスイと下線を引かれていました。なぜでしょうね。
2008 2・23 77
* 嬉しいことに「笠」さんのしばらくぶりのメールが読めて、機嫌を直した。
☆ 秦さんへ 笠 e-OLD 千葉
又々ごぶさたしてしまいごめんなさい。いつも膨大なホームページを拝見しながら相変わらず馬力満々のご様子、何よりと喜んでおります。
何をしてるわけでもないので、少し古い近況報告です。
浅草知らずになってしまいましたが、大晦日にすぐ上の兄貴夫婦と築地の本願寺に集まり、増上寺から浅草寺へ廻ってお参りして、葵丸進で天丼を食べました。子供の頃兄と遊んだ鐘突堂をまわり、「てのごえや」で今年の干支のを一枚買って帰りました。
今度は花まつりの日がおふくろの命日で、五重の塔が開く日で、又行く予定です。あそこへ位牌を納めておくと中へ入れてくれるのです。みんなが来てくれるし、明治の向島生まれは考えたなあと思います。
美空ひばりのこの「唄入り観音経」如何でしょう。
http: //jp.youtube.com/watch?v=PfnT83NxiPc
週三日の務め仕事は何とか頑張っています。
ひとの事は言えませんが、うがい手洗い転倒等々、くれぐれもお気をつけてお大切にしてください。 拝
* まずまず変わりなく過ごされていると知れて、嬉しい限り。お仕事さえ続けられているとは。有り難いことだ。
ひばりのこれは、どうするのだろう。音楽だろうか、すると、わたしのこの機械は、じつは、ウンともスンとも音の出ない機械になりはてていて、音楽もダメなら映画も観られない。連結した子機のほうへこの青い字を写さないといけないのだろう。わたしは音楽も映画も子機で再現させておいて、こっちのヘンテコな親機で仕事をしています。
☆ 週末は、花も朝寝坊。お元気ですか、風。
とはいえ、土曜は朝から住宅の細かい修理がありました。一年点検のときに挙げた箇所の対応に、これからもちょこちょことメーカーの人が来てくれるでしょう。
昨日今日と、強風ですね。春一番とか。
風を聞きながら、家の中でじっとしています。こんな日は、映画を見るのがいいですね。市川監督の「細雪」は、数年前にレンタルして見ました。キャスティングがそれぞれはまっていましたね。あの長い話を上手にまとめ、また、原作の奥へよく踏み込んで撮られていたと思います。
* わたしは昨日は、『ナバロンの要塞』を観た。もう五六回目になるだろうが、いつ見ても裏切られることのない緊密な出来の面白さを、グレゴリー・ペック、アンソニー・クイン、デビット・ニーヴンらが持ち味十分に創りだしてくれていて、科白のすみずみまで記憶しているほど観ていながら飽きない。佳い映画の持っている魅力は佳い文学と同じで、繰り返し接すればするほど、味わいに発見と磨きとが加わる。堅固な把握がいい脚本で提供され毅然とした表現が監督と俳優とカメラとで出来上がる。
しかし日本製の『三匹の侍』なんてものはお話にならない。なんでこんなものを造るのだろう、観るのだろうと、まず半分も行かずに逃げ出してしまう。志が低い、気が低い。低俗そのもの。
そんなとき、わたしは反射的に映画と舞台と活字との『蕨野行』を対照に思い浮かべる。下らない俗悪なものは忽ちに木っ端微塵にふきとぶ。
2008 2・24 77
* 一通の親切で心暖かい、有り難い、しかし、衝撃に満ちた内容のメールが届いた。
正直の処、わたしの予期しない内容ではなかった、それどころかそうに違いあるまいと独り胸傷めて想像していたが、やはりそうであったかと思い当たり知らされもすれば、衝撃であるに違いなかった。
露わに書けない、書く必要もないが、わたしにも妻にもこの後、胸から離れることは無い。それだけではない、出来ることなら、出来るそのことを心尽くしてしなくてはならぬのではないか。だが、間違うわけに行かない。
2008 2・24 77
☆ おすわり 悠
息子,一人でお座りできる時間が長くなりました.
“自然にお座りするようになるから,無理にさせなくてもいいよ”
と保育園でアドバイスされ,家でお座りの体勢をとらせることはほとんどしてきませんでした.まだ少し上半身がふらふらしていますが,時々得意そうに両手を挙げてこちらにアピールしてきます.
保育園に預けてから,日中に向き合う時間がなくなった分,息子の成長がよりはっきりとわかる気がします.私のほうも集中して見ているのかもしれません.
息子のほうも私といる時間がぐっと減ってしまったのを理解したのか,家ではべったり.ちょっと私の姿が見えないと,ダンナに抱っこされてもダメで,私のいるところまで連れてこられてピタッと泣き止みます.なんだかうれしいけど,やっぱり我慢しているのかと思うとちょっとつらいです.働く目的を日々考えてしまいます.
* こういう赤ちゃんを目に浮かべていると、気持ちがラクになる。家の中に黒いマゴがいるだけでも助けられている、ましてこんな赤ちゃんがいたら、そのためにも励むなあ…などとバカなことを思う。
それにしても科学の先端にいる「悠」さんも「馨」さんも、夫君を「ダンナ」と書いている。これって、ハヤリなのかな。
* ボストンからは、すばらしい音楽の感動が伝わってくる。
わたしの身の回りにも音楽好きの人は何人もいるし、多年楽器に触れてきた人もいる、が、音楽の喜びや感動をこのように「体験」として表現できる人は数少ない。「雄」君はいわば電子顕微鏡の世界を日常生きている人だが、こういう体験に日々を養われている。けっこうなご身分なのではない、これは優れた「生」そのものの表情なのである。気が入っているから行文もピンとしている。わたしなんぞのちまちまとした歌舞伎の感想とはモノがちがっている。
☆ Thomas Quasthoff ボストン 雄
昼からシンフォニーホールに行ってきた。今日の演目はトーマス・クヴァストホフによるシューベルトの「冬の旅」。ピアノ伴奏は、なんと、ボストンシンフォニーの首席指揮者であるジェームズ・レヴァイン。
クヴァストホフは、この世代では世界最高のバリトンとの誉れの高い歌手。レヴァインがピアノを弾くというのは意外かもしれないが、実は彼のピアノ演奏は大変素晴らしい。以前、アルゲリッチの誕生日を祝うコンサートの映像をYoutubeで見たことがあったが、素晴らしい腕前だった。そして、数ある歌曲の中でも、僕が最も好きなのが、シューベルトの「冬の旅」。これでは聴きに行かないわけにはいかない。
ケチって一番安い席を取ったのが災いして、今日の席は2階の桟敷席で、最もステージから遠い右側の2列目の席。身体をひねってもステージが良く見えない。一昨日お会いしたMさん御夫妻は、同じ2階桟敷席でもステージに最も近い場所で、しかも一列目。もう少し奮発すれば良かった。
やがて場内が暗くなり、ステージにライトが点ってクヴァストホフとレヴァインが登場したのだが、僕は少し驚いてしまった。実は後になって知ったのだが、クヴァストホフは母の体内に居た時のサリドマイドの後遺症で、身長も低く、手足も小さいのだった。今まで音と顔写真でしか接したことが無かったため、全く知らなかった。
しかし、一旦歌いはじめれば、そんなハンディキャップは全く感じさせないほどの豊かな声量。かといって、その豊かな声に頼り切るのではなく、適度に抑制された、知的なシューベルトを聴かせてくれた。
最初の曲”Gute Nacht(おやすみ)”のピアノ伴奏が始まった時、「おや?」と思った。僕はディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウがジェラルド・ムーアと録音した「冬の旅」を愛聴しているのだが、これよりも一音低く演奏されている。実際の楽譜を見たことがないので、どちらが正しいのかは分からない。
今日の演奏を聴いた印象では、クヴァストホフの声は、特に低音部が鋼のようにしなやかで美しい。逆に、フィッシャー=ディスカウの声は、高音部が特に伸びやかで美しい。そうした、それぞれの歌手の特性を生かして、どちらかが少し変調したのだろう。曲によって、フィッシャー=ディスカウと同じ調のものもあれば、半音から1音下げてあるものもあった。しかし、聴き進むうちに、調のことなど全く気にならなくなり、シューベルトの「冬の旅」の世界に浸ることができた。
レヴァインの伴奏も素晴らしい。柔らかく、時に激しく、しかし決してクヴァントホフの歌を邪魔することなく、ひたすら裏方に徹する。こんな風に引ける伴奏者は、一流ピアニストの中でも極めて稀だろう。
「冬の旅」はヴィルヘルム・ミュラーの詩に曲をつけたものだが、いずれも暗く、苦しい内容のものばかり(実際の歌詞は、
http://www.damo-net.com/uebersetzung/schubert/d911/all.htm)。
聴きながら僕は、去年の初夏に訪れたミュンヘンの風景を思い出していた。ミュンヘン市内は都会であり、「冬の旅」の世界とはかけ離れている。しかし、空港から市街地までの間には、原野のような光景が見られる。僕が訪れたのは初夏だが、僕はドイツの原野に樹が一本ぽつんと生え、そこに激しく雪が降りしきる風景を思い浮かべた。いや、クヴァントホフの歌を聴いているうちに、そんな風景が見えてきた、といった方が適切かもしれない。
ふと我に返ると、最後から4曲目の”Das Wirtshaus(宿)”に差し掛かっていた。目の前の風景は、激しく雪の降るドイツの原野ではなく、昼下がりのボストンのホールに戻った。右に思い切り身体をひねってステージの方を向くことは、もはや諦めていたので、目の前に見えるのはステージを見つめる大勢の観客達。そんな光景を見ていて、ふと「幸せだな」と思った。日曜の昼下がり、ゆったりとした気分で極上の音楽に浸る。これが幸せでなかったら、何が幸せだというのだろう。
終曲の”Der Leiermann (ライアー回し)”が、ひっそりと終わった。ステージ上のクヴァントホフもレヴァインも、その余韻を名残惜しむかのように、なかなか観客の方を向こうとはしなかった。
やがて、性急な観客が、その静寂を待ちかねるかのように拍手しはじめると、ようやくステージ上の二人も我に返った様だった。場内は、瞬く間に、割れんばかりの拍手に包まれた。
やはりボストンの客は耳が肥えている。ここ最近僕が接した中では、最も熱狂的な拍手喝采となった。ほぼ全ての客がスタンディングオベーションで迎えたのは勿論のこと、感極まった客達が、通路に出てステージ前へと押しかけ、惜しみなく拍手を送った。普段の演奏会でも、演奏者や指揮者がステージ袖に一旦引き返してはステージへと戻るというのを3回は繰り返すものだが、今日はそれでは収まらず、4回繰り返されてようやく拍手が収まった。
すっかり満ち足りた気分になって、ホールを後にする。シンフォニーホール横のWhole foods marketで少し買い物をし、ハーバードスクエア行きのバスに乗った。途中、チャールズ川に差し掛かった。僕がボストンで最も好きな風景は、このチャールズ川からの眺め。夕日が川面を照らし、まぶしい。氷はもはや見られない。辺りは一昨日の雪がまだ残っているが、確実に春に向かいつつある。
* 一編のエッセイとして、うちこんで読める。
☆ いそげ! 悠
只今保育園にお迎えに向かってます。
実は少々遅刻です。
職場を離れる直前、修論(=修士論文)修正版の作成に追われている学生に捕まりました。
彼は明日から運転免許の取得のため合宿に行ってしまい、提出期限も不在に。
ほぼ完成していますが、きちんと計算していなかった格子定数が、やり直してもうまく合わず、白旗を上げてきました。
えー、ひと月前に同じこと話をした気がする! と思いつつ、要点だけで失礼させてもらいました。
頼むから、ちゃんと仕上げてからでかけてね! いそげ!
で、わたしは、お迎えを待つお迎えを待つ甘えん坊のもとに急いでます!
* 簡要の妙。
☆ さすが♪ 花籠
包丁の切れ味が悪くなって久しい。
砥石を買おう、買おうと思いながら ついつい買い忘れてしまう。
お茶碗の糸尻や、大谷焼きの一輪挿しの底を利用して その場しのぎに研いでいた。
家から歩いて十分のところに100円ショップが出来たのは去年の9月。何度か買い物に足を運んでいるが、砥石に思いが及ばなくて買い忘れる。
今日は「砥石を買う」気で出かけた。昔ながらの砥石だけど、荒砥と中砥が裏表に合わさっているのを買った。手ごろな大きさで砥ぎよい大きさだ。
早速包丁を砥いで、野菜サラダ用にキャベツを千切りにした。
シャキシャキと切れ味は抜群!
本当にもっと早く買えばよかったのにって なのに、つい買い忘れてしまうのは
「多少切れ味が悪くても使える」
「当面は困らない」
「代用品でしのげる」
からだろうね。
* 「花籠」さん、久しぶり。
2008 2・25 77
* 「光」君は、ユーモラスに、途方もない視野をわたしの目の前に提供してくれる。以下の一文、唸って、頂戴した。
☆ ハイジのブランコ 光
(ネット上の)私に影響を与えている作品がある。
はじめに紹介しておかねばならないのは、柳田理科雄氏の「空想科学読本」である。ご存じの方も多いと思うが、アニメなどの空想世界を氏独特の科学的分析力でばっさばっさと解説していくもの。
その中の「アルプスの少女ハイジのブランコは時速68 km!」は名作の一つである。初めて読んだときは衝撃的であった。
もう一つ、紹介したいのは、やゆよ氏の傑作「痛みの基準は鼻毛」である。やゆよ氏は、新聞記事風、あるいは社説風な文体で「嘘」をネタに非常にウィットに富んだ爆笑ものの作品を次々に作り上げている方である。
そんな両者を(勝手に)組み合わせたらどうだろうか、と実験的に行ってみたのが以下である。やはり、両巨匠は偉大である、と感じずにはいられない。機会があれば、原文を読んでいただきたい。
「ハイジのブランコは時速68km」
● オープニングの歌に合わせてアルプスの少女ハイジが乗っているブランコが、実は時速68kmのスピードであったことが、このほど日本遊園地乗物安全協会(遊安協)の調べで明らかとなった。
これは、東京都内にある某有名遊園地が新しいアトラクションとして「ハイジのブランコ」を導入しようと遊安協にその建設の打診をしたところ、「ハイジのブランコ」に詳しい横浜技術工科大学の拝路 義彦助教授(48)が待ったをかけたことがきっかけ。これまで、ハイジが異様に長いブランコをこいでいたことは知られていたが、実際のスピードが明らかになったのは今回が初めて。
● 拝路助教授によれば、ビデオ画面で見る限り「ハイジのブランコ」は前方の空中で一瞬停止してから後方で止まるまで、6秒もかかっているという。これに、ロープの重さやハイジの体重が40kg前後(推定)であることを考慮すると、「ハイジのブランコ」の長さは27mと見積もられるという。
さらに、ブランコが最も高く上がった地点で垂直方向からの角度は70度もあった。これは明らかにこぎ過ぎと、拝路 助教授は指摘する。
● ブランコの落差18m。最高速度は、6階の窓から飛び降りたのと同じ、時速68kmに達する。ディズニーランドのジェットコースター・スペースマウンテンでさえ最高時速50kmだ。しかもシートベルトもなんにもなく、頼りになるのはシリの下の狭い横板と両腕だけ。
こんなブランコに何人の子供たちが耐えられますか、と拝路 助教授は憤慨する。
● しかも、ビデオをよく見ると、ブランコに乗っているハイジの足もとのはるか下界を教会の尖塔が行ったり来たりしている。どうやら100mぐらい上空で遊んでいるようなのだ。
歌の中でハイジは「口笛はなぜー遠くまで聞こえるの」などという素朴な疑問を漏らしているが、「それはアンタがそんなに高いところにいるからだ。」と拝路助教授は看破している。音は全方位ドーム状に広がっていく。ヒバリやトンビの声がよく聞こえるように、障害物のない上空では、地上より音が伝わりやすいという。
● 地上から100m上空を時速68kmで振子運動する「ハイジのブランコ」。子供たちに夢を与える一方で、その夢を一瞬にして奪ってしまう危険なアトラクション。今後、こうしたアトラクションに対する安全基準の見直しを迫る声が高まることは必至であろう。
* わたしにとって東工大の居心地よさは、こういう学生達の目新しさ・珍しさにあった。教授室へ押しかけてきて双方未熟な文学論なんか仕掛けられていたら、わたしは早々に逃げ出していたに違いない。学生達が今日はどんな話題で教授室をノックするだろうと、わたしは授業のあともよく、帰宅を急がずに待ちかまえていたもんなあ。
☆ 火曜日は 花
終日フリーです。
お昼どき、図書館が空くので、早昼を済ませ、夕方まで市の図書館で過ごすことの多い曜日です。家にいると集中するきっかけが見つけにくいので、なるべく図書館へ行くようにしています。図書館には、テレビも、おやつも、掃除しなければならない場所も、夕飯の材料もありませんからね。
たくさんある本の誘惑をコントロールすれば、集中できます。
『蕨野行』の原作は、村田喜代子でしょうか。『鍋の中』が、賞をとっていたかも知れません。山に暮らす人たちをよく描いていたと思います。好きな小説家です。
風のエッセイの感想を、帰宅してからゆっくり書きます。
☆ 久しぶりのスコア 巌 南山城
といってもゴルフが上手くいったとかではなく 大学を卒業して以来本当に久しぶりに譜面を買った (ゴルフは一度も マージャンもパチンコも今はしません)
去年友人に手持ちのヴァイオリンを使って貰っていて 年末にそれが戻ってきた
長らく弾く事なく痛んでもあり これを機会と オーバーホールに出し 使って貰っていた 良くした物で 上手な人がある程度の期間弾いてくれたので 楽器がとてもバランスよく鳴るようになって戻ってきた
せっかくだからこの良く鳴る間だけでもと まずは音階の練習からかなと弾いてみる
部屋に音が一杯になる 顎には振動が伝わってきて とても気持ちはいいけど普段使わない筋肉を使うのか 翌日からあちこち痛い
それに 以前は教本のスケールシステムで音階練習でも 長時間弾いていると 無心になるというか単調なりに 面白くなっていったような(ランナーズハイ?)記憶があるが 今はそんなに指も体もついていけないし そんなに時間をとって弾こうとも思っていないので これじゃ すぐ続かなくなるなぁと
ちょっとの時間弾いても楽しみになるものをと 名曲選のスコアを買った すごく久しぶり パラパラとめくっていると それもまた楽しい さて少しは続くのか?
* ひきずられてモーツアルトの297b と 364を贅沢に鳴らして(聴いてとはいえない。)いる。先のが、バイオリンとビオラのための、後のはオーボエとクラリネットとホルン、バスーンのための Sinfonia concertante。錚々たる演奏者であるらしいが、それは猫に小判。
2008 2・26 77
* いいメールが届く。しんそこ考えさせられるメールも届く。頼まれごとも届く。久しいペンの事務局勤めを退職しますという挨拶も届いた。いっしょに食事をして見送りたかったが。
2008 2・26 77
☆ ひといき 悠
今日も息子は元気にお友達の輪の中へ這っていきました。片手をひょいと上げた、彼なりのバイバイで見送ってくれました。これから職場に向かいます。
このところ、地下鉄に乗る前にコーヒーショップで一息いれることにしています。ここで一人ミーティング。ちょっとモードチェンジ。で、携帯から日記を書いてます。
さて、今日も頑張りますか。
* 身構えも、気取りもない。必要がないのだ。意識の流れと言葉の流露とが自然に同調している。なまじ文学・文藝など意識してしまうとヘンなカッコや臭みがついてしまう。
☆ 雀右衛門の居眠り 麗
舅は歌舞伎に詳しい。
金沢から大学進学のため上京して以来,歌舞伎座の一幕見に通ったと言う。それは,老いて足が弱り,歌舞伎座の階段が登れなくなるまで続いた。
そんな「一幕見」を初めて体験した。前売りでは無駄になる可能性があったからだ。
羽田から,キャリーケースをゴロゴロと引きずり,歌舞伎座へ向かった。一幕900円也を支払い,重い荷物を持ち上げて,赤い絨毯のはげかかった階段を登る。この急な階段を,舅は何十年も上り下りしてきたのだ。しっかり見てきて,伝えようと思った。
「そんなこと,僕は全部知ってますよ。」
と返されるのが,お約束だが。
二月大歌舞伎の「一力茶屋」から,「寿曽我対面」,「白鴎27回忌追善口上」まで観ることができた。傑作だったのは,最後に観た,「口上」。
幸四郎が,「身内だけでシンプルに」と言う。舞台には,雀右衛門,幸四郎,吉右衛門,染五郎,松緑の5人が並び,主に幸四郎が述べた。
稽古をつけられた子ども時代。絵を描くのが好きで,背景の襖絵の「松」は,白鴎の原画を元に,松竹の大道具の皆が描いてくれたこと。闘病時,妻が痛む足をさすってやりながら,
「バレンタインデーにチョコを差し入れたのは,巡業でどこに行っている時だったかしら。」
と語りかけると,
「松江だよ」
と,意識を取り戻して応えたこと,そのときの二人が,新婚時代のように微笑み交わしていたこと。などなど。
「この親子,兄弟は,同じ楽屋で一言も口をきかないほど仲が悪い。」
という噂は,はたして本当なのかしらん,と思われるような,ほのぼのした挿話が続いた。
幸四郎が語る間,他の4人は平伏しているのだが,ふと,向かって右端の,雀右衛門の肩が目に留まった。
ほんの少しずつだが,下がってゆく。
まさかと思ううちに,手の甲が,これも少しずつだが,前に出てくるのも,目に付いた。
まさかまさかと思って,隣の松緑を見ると,平伏しているはずの頭が,雀右衛門をうかがうように,ほんの少しだが,傾けられている。幸四郎をはさんであとの二人は,「お辞儀福助」人形のように,正面向きで平伏したきり,微動だにしない。
雀右衛門に気を取られたためか,このあとの幸四郎の話は,残念ながら記憶にない。
幸四郎が声を張り上げた。
「皆様がたには,隅から隅まで,ずずずいいいいと,」
拍子木! ここで全員が,「お辞儀福助」の姿勢から,ぱっと上半身を起こした。もちろん雀右衛門も。
「…おん願い,奉りいまあすううう…。」
全員,再び平伏。幕が引かれた。
重い荷物を提げ,階段を下りつつ思った。舅にこのことを話したら,何と答えるだろう。
「なあに,よくあることですよ。雀右衛門も,もう80過ぎなんだから。」
と,軽くいなされる,だろうか。
* ハハハ。能を観ても、歌舞伎を観ても、いねむりは、つきもの。観客だけが ねむい。まさか。舞台の真ん中で、ひとり、えんえんと、じいっとしたままの役にいる、たとえば「十種香」の武田勝頼なんか観ていると、気の毒になる。
「口上」のときなど、ひょっとするとチャンスじゃあるまいかと想像している。あの日はただの五人列座というイキな趣向でラクであったろうが、それでも雀右衛門丈、うとうとされたでもあろうなあ。
追善の記念に戴いた扇子はあの松の繪で、佳いものだった。高麗屋は、大勢さんに口上で居並ばせるのを、きっと遠慮されたに違いない。襲名ならいいが、追善はあれで気が利いていてよかった。
いつもいつもわたしの勝手な感想なんかと今回二月の遠し観劇感想は「mixi」へは遠慮したが、「麗」さんに思い出させてもらった、ありがたい。染五郎の「鏡獅子」も観て欲しかった。
2008 2・27 77
☆ 辛味と痛覚 ハーバード 雄
神経科学では、味覚は4種類または5種類とされている。それぞれ、酸味、塩味(えんみ)、苦味、甘味、そしてうま味。4種類か5種類かで意見が分かれるのは、最後の「うま味」を認める学者と、そうでない学者がいるため。えてしてアメリカの科学者は、「うま味」を味覚として認めない人が未だに多い。
実際、うま味成分の一つがグルタミン酸であることを発見したのは、池田菊苗という日本人であるし、英語論文でも「うま味」は”umami”と表記される。昨年あたり話題となった”mottainai”と同様、欧米には無かった概念といえるかもしれない。
さて、上に挙げた中には、「辛味」は入っていない。実は、辛味は味覚ではなくて、痛覚なのだ。辛味を感じるカプサイシン受容体はTRPV1(トリプ ヴィーワンと読む)という分子なのだが、この分子は痛みを感じる神経に存在している。したがって、「辛い」と感じるのと、「痛い」と感じるのは、実は感じる場所が違うだけであって、起きている現象そのものは一緒なのだ。
このTRPV1という分子は、僕の日記に何度も登場している「イオンチャネル」という分子の一種。イオンチャネルが開くと、イオンは、その濃度に応じて高いところから低いところへと流れるのだが、TRPV1の場合は、カルシウムイオンやナトリウムイオンなどが、細胞の外から中へと流れる。
イオンチャネルは、何かの刺激によって開いたり閉じたりするのだが、TRPV1の場合、それは「熱」である。大体、42度を越えた辺りから開くと考えられている。これは、熱さが痛みとして認識される温度と、ほぼ一致している。
つまり、本来TRPV1は熱さを感じて脳に伝えるための分子なのだが、辛味成分であるカプサイシンがあれば、体温程度の温度でも開くことができるので、辛さを伝えることが出来る。英語では「辛い」ということを”Hot”と表現するが、これは極めて理にかなっている訳である。
*
このTRPV1を発現している神経細胞は、舌にある神経細胞だけではない。たとえば、腸にある神経細胞にもTRPV1は発現している。したがって、辛いものを食べ過ぎれば、お腹も痛くなる。
ちなみに、同じ「辛い」という言葉で表現されるが、ワサビやカラシを感知するのはTRPV1ではない。ワサビやカラシの辛味成分はイソチオシアネートという物質なのだが、この物質の受容体はTRPA1という別の分子。ただし、TRPA1もカプサイシン受容体TRPV1と同じ「TRPファミリー」と呼ばれるイオンチャネルの一種であり、TRPV1と同じように、痛みを伝える神経細胞に存在している。
TRPA1はTRPV1と同じ神経細胞に存在しているのだが、異なる点は温度感受性にある。TRPA1も温度によって開閉が制御されているのだが、 TRPA1の場合は低温になると開くことが知られている。「熱い」のが痛いと感じられるのと同様に、「冷たい」ことも痛いと感じられるが、この場合には TRPA1が働いている。
つまり、TRPV1は高温、TRPA1は低温から、身を守るための手段と考えられる。
ちなみに、メントール受容体もTRPファミリーの一種で、TRPM8と呼ばれている。こちらは8-28℃の低温刺激に応じて開くのだが、TRPA1や TRPV1とは別の神経細胞に存在していることや、28℃では「痛い」とは感じられないので、上の二つとは少し意味合いが異なるようだ。
では、インド人や韓国人などは辛いものを食べても平気なのは何故なのか?あいにく僕はその答えを知らないのだが、大きく分けて二つの可能性があると思う。
1.遺伝子の違い
TRPV1やTRPA1の遺伝子が、インド人や韓国人などの辛味に強い人々と、日本人などとでは違いがある、という可能性。
同じ人間であっても、遺伝子の配列には、ごくわずかに違いが見られることが少なからずある。こういうのを「多型」と呼ぶのだが、もしかすると民族間において、これらの遺伝子にわずかな違いがあり、そのことで辛味に対する感受性が異なるのかもしれない。これについては、もう少し研究が進まないと、確かなことは言えないだろう。
2.脱感作
辛味に強い人とそうでない人との遺伝子の差は大きくなく、むしろ辛いものを摂り続けることで、辛味に対して鈍くなる、という可能性。
このように、同じ刺激に対する応答が鈍くなっていくことを、生理学では「脱感作」と呼んでいるのだが、実はTRPV1が脱感作を起こすことは、既に証明されている。驚くべきことに、辛味成分であるカプサイシンは、少量だと鎮痛剤として作用するのだ。これも、少量のカプサイシンにより、TRPV1が脱感作を起こしたため、痛みを伝える働きが鈍くなるためと考えられる。この説によれば、辛いものを食べる民族では、子供の頃から辛いものに接する機会が多いので、自然と辛いものを食べられるようになるのかもしれない。
したがって、昨日の日記に僕は「もうこのカレーは食べません」と書いたのですが、むしろ食べ続ければ、お腹は痛くならないのかもしれません(実行するつもりはないけど)。
* 辛いは、hot 。分かります。わたしはいま、辛いに鈍感というより、平気になってきている。ときに快味を覚える。度がすぎないようにと気をつけている。
☆ 湖さん 朝
早速のメールうれしく存じます。
間近にいると解らないことも、最近では冷静に見つめられるようになりました。
母が60歳で亡くなり、4年になりました。
居てくれたらどんなによかったろうと思うことも、居たら、どんなにけなされただろうと思え、また、要らぬ心配をさせずに済んだことも(あちらで嘆いていてもそれはわからないです…)、よかったとさえ思えるようになりました。
今日も湖畔は小雪舞う寒い一日でした。
最近、初めて当地で友人が出来、今日も夕飯を一緒にして、只今帰宅したところです。いいことのなかった当地ですが、これだけでも財産と思えます。
乗り越えられないことは人には起こらないと、クリスチャンの友人がいつも申します。その通りと思います。
年末に腰まで痛め、身体ももうあかん…と思いましたが、気持ちの整理とともに体調も戻りつつあります。
時折、メールを差し上げてもよろしいでしょうか。
ミクシィを通じては、イヤなことも多々ありましたが、湖さんのような先輩と知り合えたこと。プラスでした。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
* 「mixi」を引き上げて行く人がいる。よく分かる。今日もたくさんついていた「足あと」の中には、途方もない、猥褻な写真で誘っているモノもあったり。大群衆が犇めいているのだからムリもないが、一部上場会社のキリッとした自己管理を願う。
2008 2・27 77
☆ 15年越しの研究テーマ ハーバード 雄
今朝は隔週で開かれる、他研究室との合同ミーティング。今日の演者は、うちのラボのボビーと、かつて隣のラボに在籍していたアルバート。ボビーのトークは「さすが」というべき内容。質問も多く出て、トークの後の質疑応答も活発だった。僕も5月末に当番が回ってくるのだが、そのことを考えると今から頭が痛い。
ミーティングから戻り、実験していると、ボビーが僕の部屋に入ってきた。
「いいアイデアを思いついたんだよ」といって、僕の研究テーマに関係する新しいアイデアを話しに来た。実はこの話は先週もしてきたのだが、ちょっと僕のテーマには使えないアイデアかなと思い、保留していた。
「やっぱり、これは試さないのは惜しいアイデアだぞ、You」とボビー。今のところ、画期的な打開策が無いだけに、試しに来週やってみることにする。
逆に、今日のトークに関係することで、僕が思ったことを伝えてみた。するとボビーは興奮して、
「そうだよ。それは是非ともやるべきことだ」。
実は、これに関しては、既に共同研究を申し込んできた人がいるのを僕も知っているのだが、ボビーは乗り気でなかったし、ボスは
「それは良いアイデアだね」というものの、「すぐにやるべきだ」という訳でもなければ、積極的に共同研究者にコンタクトを取ろうとするでもないので、できれば僕にやらせたくないのかもしれないなと思っていた。
そのことをボビーに伝えると、
「ボスが『それは良いアイデアだ』と言った時、次にボスが期待しているのは、同じアイデアを繰り返して話すことでなくて、それに関する実際のデータを持ってくることだ。だから、ともかく実行すべきだよ。共同研究者は、ボスと共同研究したいんだ。だから、このラボのメンバーなら、誰でも大丈夫だ。俺は他にやることが沢山あるから、コーヒー1杯おごってくれたら、このプロジェクトをそっくりYouに譲るよ」とボビー。それはちょっと考え物だが、僕があれこれアイデアを説明するたびにエキサイトしたボビーは、早速、その共同研究者に向けてe-mailを書き上げ、あっという間に送ってしまった。ということは、もう後戻りは出来ないわけだ。
ちょっとこれは軽率と思われるかもしれない。
しかし、実はこのテーマは、今思いついたことではない。大学院の修士課程の時にボスに申し出て、あえなく却下されたものだった。つまり15年も前からの、因縁のテーマなのだ。
確かに当時の技術では、とても修士課程2年間で終わるようなテーマではなかっただろう。当時のボスが却下したのは当然といえる。しかし、ボビーが開発した新しい技術を用いれば、わずか一日でサンプルは出来てしまう。データ解析に取られる時間を考えても、1ヶ月もあれば充分だろう。本来、この研究をしに、このラボに入ったわけではないのだが、これも何かのめぐり合わせなのだろう。 ボビーとのディスカッションを終えてから、車で合唱の練習へ。今日はフォーレのレクイエムのSanctusを練習。初めから予想されたことだが、高音が多くて僕には上手く出ない。おまけに、ボビーと熱く語りすぎたのか、喉がヒリヒリとして、なおさらシンドイ。
唯一良かったことは、1年前まで団に所属していた高校生の男の子が再入団したこと。男声が増えるのは嬉しい。
帰りは、サウスエンドに住んでおられる方が家まで送って欲しいとのことだったので、ぐるっと回り道をしてお送りしてきた。
シンフォニーホールの前を車で通ったのも、これが初めてかもしれない。都心部を走るのは不慣れでドキドキするが、なんとなく新鮮で楽しい。
* 「希望をもちたし」とコメントした、すぐ、わたしは。
☆ お元気ですか 曙
いつもどうしていらっしゃるかと想っています。お具合も心配もしています。
二十四日の私語にありました文面が、とても気になりました。衝撃に満ちたメール、しかも予期しない内容ではない、というのは、もしかしたらやす香さん、あるいはみゆ希さんに深く関係しているのでしょうか。
話題を変えます。
ハーバードの雄さんが「冬の旅」について書いていらした。
「冬の旅」は失恋によってこの世のすべてから疎外され、自分を閉ざし、野垂れ死に向かう旅路の恐ろしい音楽。「冬の旅」に荒れ狂う絶望や孤独や美しい思い出や敗残の姿はあまりに苦しくて、よほど力のある時でないと私は聴き通すことができません。心弱い時に聴くと色濃い死の影と悲しみで立ち直れないのです。覚悟なしに聴ける音楽ではありません。「リア王」を気楽に観られないようなものです。重すぎて時に耐え難い。日頃はほとんど封印している音楽です。それでも「冬の旅」は節目節目に聴かざるを得ないものです。私の人生の同伴者なんです。私の愛も報われないし、報いることもできないものだから「冬の旅」を共にしなければならない時があります。
ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウは好きな歌手。稀にみる完全無欠な歌手ですが、「冬の旅」に限っては何か足りないといつも感じてきました。(ジェラルド・ムーアのピアノは神業のように素晴らしいですけれど)歌として、音楽として非の打ち所ない出来なのですが、どうしても「冬の旅」であって「冬の旅」でないものを聴いたように、違和感がつきまとうのです。他の曲でこういうことはないのにふしぎだと思ってきました。
たぶん、ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウは「冬の旅」の作曲者の対極にいたせいではないかと想像しています。恵まれた才能、知性、美声、堂々とした体躯や輝かしい成功は、「冬の旅」の作曲者の人生とはあまりにかけ離れています。シューベルトは貧困や病気や劣等感や孤絶を抱えた心やさしい敗残の人生でした。成功者のディスカウには今一つ迫りきれない世界ではないかと思います。
優秀な頭脳で精一杯思い描いた失恋と、わが身をもって死ぬほど傷ついた失恋の違いと書いたらいいでしょうか。
ですから、私はハンス・ホッターの「冬の旅」のほうを好みます。美声でないことがかえって身につまされる深い感銘を受けるのです。雄さんの聴いたサリドマイド禍のクヴァストホフの歌は聴いたことがないのですが、その身を切る痛みはたぶん迫真のものであったろうと想像しています。
天才の人生はたいてい悲劇的なものとしても、少なくとも一度くらいは幸福な時期があるものですが、シューベルトの短い人生には華の時代など一度もなかったでしょう。シューベルトの苦悶にみちた生涯を描いたあちらのテレビドラマ(日本未公開)を見た時、私は震え上がりました。こんな人生があってよいものかと。
今でも最後の場面が焼きついています。今日あたり死ぬだろうということで、周囲が床屋を呼んでひげそりなどをさせ、本人も静かに死ぬ前の身支度として受け入れているにもかかわらず、数時間後には痙攣しながら、歌い狂い死んでゆくさまには言葉を失いました。音楽以外何も手に入れられなかった人間の、凄まじいドラマだったのです。私は天才に生まれなくて、なんという幸福であったろうと、とりあえず結婚できて子どもをもてた平凡に心から感謝しながら、思わず娘を抱きしめたものでした。
* 指揮台にたってタクトを振っているような…はでやかなメール。
2008 2・28 77
☆ チャイナ・フリー ボストン 雄
例の「ギョーザ事件」は予想通りの展開となった。
<続報><ギョーザ事件>中国で混入の可能性「極めて低い」、日本人記者がメタミドホス持ち出し図る ─―中国
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=419294&media_id=31
この国の政府や国民性からして、こうなることは、捜査が始まった時点で、充分予測できたこと。日本政府は、もっと迅速かつ露骨に対応すべきだったのではないかと思う。
それにしても、メタミドホスを購入して、中国政府につけ入る隙を与えた記者は、なんとも愚かなことをしたものだ。
かつて狂牛病騒動で、米国産牛肉を完全に締め出した時のような対応を、どうして今回、日本政府は取ろうとしないのか。狂牛病に罹った牛の肉など、米国産牛肉のほんのわずかでしかなかったはず。今回の冷凍食品では、次から次へと、さまざまな薬品が検出されている。そもそも、牛の変異プリオンが人に感染するかどうかは、まだ決定的な証拠さえないのだ。薬品の場合は、初めから有害であることがわかっているのだから、なおさら厳しく取り締まるべきだと思う。
ニュースを見ていると、日本に中国産食品が溢れているのは、自給率が低いからだということになっている。しかし僕は、そうは思わない。アメリカは食糧自給率100%以上を誇るが、それでも中国産食品で溢れかえっている。これはひとえに「安いから」なのだろう。
しかし、中国産食品や玩具が有害物質を含み、危険であることは、アメリカでも知られるようになっており、それらを明確に排除しようとする動きが広まりつつある。このような動きは「チャイナ・フリー」と呼ばれている。
実際、アメリカの大手スーパーチェーンであるTrader’s Joeでは、今月半ばから中国産食品を完全に締め出した
(http://www.todayonline.com/articles/237118.asp)。
最近では、ヒラリー・クリントンが、「中国から鉛入りの玩具、有毒のペットフード、汚染された魚が入り込んでいる」と発言し、「私は中国製品は食べないし、子どもを病気にするおもちゃはいらない」と、今後輸入品に対して規制することを示唆している。これは勿論、選挙対策だろうと思うが、ここまで明確に発言しているのは驚くに値する。
おそらく中国は、「どうせ日本は、中国産食品を輸入せざるを得ないのだ」とナメてかかっているのだろう。政府が弱腰である以上、唯一の対抗策は、とにかく自分自身が気をつけて、中国産食品を極力避ける以外、手段は無いだろうと思う。
外食で利用されていると防ぎようが無いのだが、いずれ日本のレストランでも、中国産食品を利用して原価を下げることよりも、むしろ中国産食品を使用しないことを明記して、安全をウリにした方が、結果的に利潤を生むことになれば、こうした粗悪品は、いずれ駆逐されると思うのだが。
* よく代弁してくれている。
2008 3・1 78
* うちでも造ってもらおうと思って。ことに「バタ丼」を。
☆ バタ丼とオイルサーディン丼 馨
学生時代に合宿所でうんざりするほど丼ものを食べたせいか、あまり丼ものが好きではないのですが、結婚した相手はなんと丼もの好きでした。
鰻丼やいくら丼と言った素材を堪能する丼ものは好きですけど、中華丼・麻婆丼・ホイコーロ丼等、炒め物を上に乗せるものはやっぱり合宿所の記憶とあいまって食傷気味。
いきおい、合宿の記憶がなく、かつ休日のお昼に作るのに適した、ラクで安くておいしい丼物を探す結婚10年間でした。
最近登場することの多いのは、バタ丼とオイルサーディン丼。
バタ丼は藝大の大浦食堂で昔から出しているもので、美術館に変わってからちょっと値上がりしましたが、豆腐ともやしをバター醤油で煮ただけのシンプルな丼。正式名称は「豆腐のバタ焼き丼」だったかな。
上にのせている「バタ煮」とご飯とを分けてオーダーして、オプションでバタ煮の上に卵も落としてらって半熟と一緒に食べるのもおいしい。
職場が近いし仕事でも出入りするので時々食べに行っていて、家で作ったら子どもまで含めて大好評でした。簡単な上にみんなが大好きなので、最近はしばしば登場しています。
オイルサーディン丼は、森瑶子さんの小説やエッセイにしばしば出てきたもので、これもオイルサーディンを油ごとあたためて醤油を落として煮詰めるだけの簡単ドンブリ。でも、主人は大好きです。ただ、娘があまりオイルサーディンを好きでないので、バタ丼ほどは登場しないかな。ちょっと大人の味、というか、飲んべさんの好きな味かもしれません。
今日のお昼は久々のオイルサーディン丼に茹でほうれん草添え。
結婚後、いろいろ丼物を試していて気がついたのですが、丼もの、上にのせる物も大事ですが、結局はお米のおいしさで決まりますね。
合宿所のお米、標準価格米だったからなぁ…。 今うちで作ったら、麻婆丼も好きになるかも。
2008 3・1 78
☆ 七回忌
数日前に、友人のご主人の七回忌に行きました。
春浅い、東京近郊の寺は、七年前と同じように芽吹き始めたばかりの木に囲まれてひっそりとしたたたずまいを見せていました。
友人と年のあまり違わないご主人は、五十台後半で亡くなったわけで、そのころの友人の落胆は想像を超えたものでした。
しかし七年の歳月が流れる間に、さまざまな変化がありました。
亡くなった方の弟さんも数年後になくなり 友人の長男と次女にそれぞれ一人ずつお孫さんが生まれました。
親戚の中に、独身のままできて 七十歳を前にして婚外子が生まれる予定の人もいるという うわさも聞きました。
次は十三回忌。
人生模様は 人の生死は どうなるのか想像もつきません。
血縁という 糸の絡みて 春法会 波
* 「独身のままできて 七十歳を前にして婚外子が生まれる予定の人もいるという うわさ」に刮目する。インタビューしてみたい気持ちがある。
2008 3・2 78
* さ、午後の会場に出かけるとするか。憲法は、どうなることやらん。
* 用意しただけを、静かに、諄々と話してきた。人数は少なかったが、よく聴いて貰えたし、あとの話し合いも熱心で、興味深かった。親愛にして敬愛する原田奈翁雄さんも来てくださり恐縮した。雑誌でも、九条の会でも用意していた原稿を利用してくださるという、どうぞ、宜しいように。
* 原田さんと「ぺると」でコーヒーを呑み合って別れてきた。昔のようにわが家まで来ていただき酒を酌み交わせればいいのだが、わが家に座布団を出せる畳の余分すらなく、それに二人とも糖尿病でははなしにならん仕儀で。
で、当面の用事を済ませ、気が軽い。も一つ必要なのは、眼鏡の新調。今週はもう一度二度と出かける機会がある。
暖かかった、今日は。このまままっすぐとは行くまいが、手袋無しで自転車のハンドルが持てるのだから、またサイクリング再開だ。
2008 3・2 78
☆ 時の流れを「感じる」 東工大 光
職場の売店のお弁当コーナーは、昼食時には人だかりができる。
ちょっとでも時間が遅いと、あらかたのものは完売しており、「今日もカップかぁ」となる。
久々に、新発売の弁当を真っ先にゲットし意気揚々と自分のデスクに戻ってきたときである。
机の上のメモを見て、驚いた。
「ノートかってくる」
お弁当ではなくて、当初の目的はノートを買いに行ったんだっけ。
ショックである。すっかり忘れていた。なんとか健忘症とかいうやつか。
以前に何かで読んだことがある。
ロシアに記憶力がずば抜けて優れた人がいたそうである。
10年前の何月何日の夕食のメニューを覚えているくらい、らしい。
はじめはうらやましいなぁ、と思った。
ところがその人には悩みがあるという。
「すべての記憶が鮮明なのです。夢で見たことも現実のように鮮明なので、私は夢と現実が区別がつかないのです」
「あれ、やったのっていつだったっけ? ほら、えーと、だいぶ昔かなぁ」
そんな感じの私とはずいぶんと違うものである。
もしかしたら、(生物は)記憶の「薄れ加減」で時間経過を感じているのではないのだろうか、とふと思った。
忘れていくことも、生物が生きていく上で大事な「時間認知機能」の一つなのではなかろうか。
そう考えると、忘れることは、そんなに悪いことではないように感じてきた。
「時間」という見えないものを感じるためには、むしろ、必要なことなのだ、と。
10分前に、自分が書いたメモ内容を忘れることは、生物学的には意味はないとは思うけれど。
☆ 山中効果 ハーバード 雄
昨夜遅くから、天気予報どおりに降り始めた雪は、朝になると一層強さを増していた。
朝、日本のテレビを点けると、教育テレビの「サイエンスZERO」という番組で、京都大学再生医学研究所の山中伸弥教授が出演していた。思わず、見入る。
皮膚から取ってきた細胞に4種類の遺伝子を導入するだけで、多分化能を有するようになるというiPS細胞(induced pluripotent stem cells、人工多能性幹細胞)は、再生医学でも画期的な成果。
これまでの方法と異なり、受精卵を必要としないことから倫理面での問題も生じないし、自分の細胞からできている組織・臓器を移植するので免疫拒絶反応を気にする必要も無い。日頃、サイエンスにそれほど関心の無い人でも、この話は良く知っている人が多い。
山中教授の講演は、以前、何かのシンポジウムで聞いたことがあった。少なくとも、そのシンポジウムではiPS細胞につながる研究の話はしていなかったが、その時の印象では、やたらと元気の良い先生だなというものだった。今日の番組で知ったが、学生時代は柔道やラグビーに熱中していたという。いかにも体育会系といった雰囲気だったのは、そういう訳かと納得する。
もちろんiPS細胞の成果は画期的であり、今後、精力的に解析されるべきことだと思う。ただ、思わぬしわ寄せも出ている。
今回、文部科学省はiPS研究に膨大な予算を計上し、集中的に研究を進めていく予定だという。そのこと自体には賛成する。しかし、科学研究費そのものが大幅に増額されるわけではないので、実は、他の分野の研究者にとっては、予算が減ることになるのだ。昨年末、日本に一時帰国した際にも、この「山中効果」を嘆いている先生と少なからずお会いした。
iPS細胞の研究は、是非とも予算を奮発して、大いに加速して欲しいと思う。とくに、特許との兼ね合いから、日本が本腰を入れないと、あっという間に多くの特許をアメリカに取られてしまい、日本での医療費が跳ね上がる可能性も無いとはいえない。これを防ぐためにも、先行投資として、多額の研究費を充てて欲しいと思う。
ただ、だからといって他の研究にしわ寄せが行かないようには、してもらえないものだろうか。
山中教授の話に触発された訳ではないが、今週、あまり仕事が捗らなかったこともあって、今日は土曜日だが出勤。カフェテリアが閉まっているので、弁当箱に炒り卵と野菜炒めをご飯と共に詰めて持参。出勤する頃には、雪は雨へと変わり、うっすらと積もった雪の上に無数の穴ができた。
土曜日だというのに、ウチのボスと隣のラボのボスは出勤している。あるプロジェクトのグループでミーティングがあったようで、関係のあるポスドクが数人、ボス達と一緒にお茶部屋でディスカッションしている。
淡々と実験をこなす。
実は、今週半ば頃から、気になるデータが得られている。ここにそれを書くことはできないが、当初僕が期待していたのとは全く異なる形だが、僕が見たかった現象に関係しているのではと思われる結果が見えている。
今日も、その確認を行なったのだが、どうも見えている現象そのものは間違いないようだ。ただそれが、どのような意味を持つのかが、まだ頭の中で整理できていない。うまくすれば良い結果につながるかもしれない。
6時頃、仕事を切り上げて帰宅。既に雨も上がり、太陽さえ出ている。驚いたことに、6時近くでも、まだ空がうっすらと明るい。確実に日が延びているのだろう。
夕食の後、猛烈に眠くなり、先程までうたた寝していた。
* わたしが普通に作家生活をだけしていたら、わたしは「光」君とも「雄」君とも出逢えなかったし、こういうハナシを聴くことも出来なかった。吾が学生君達のハナシの有り難いことは、この口うるさい私にして、概して、一言も異議や疑義を挟む余地のないこと、信じがたいほどそれが有り難い。頭が安まるとでもいうか。
2008 3・2 78
☆ 良薬は口に苦し ハーバード 雄
(前略)そもそも、この手(味覚)の研究を進めるのは、そうたやすいことではない。手技的には難しくないのだが、人種間での遺伝子の差について議論することは、人種差別に繋がる恐れもあり、慎重を要する。
例えば、「アングロサクソンの<うま味>受容体には欠損がある」ということを調べるのは、大きな抵抗を生むであろう。「うま味」が未だに味覚の一つとして完全には認められないことや、「フランスやイタリア、スペイン料理などは旨味があるのに、イギリスやアメリカ料理にはそれが無い」ということからしても、科学的事実としては真実なのかもしれないが、仮に事実であったとしても、イギリスやアメリカの科学雑誌が好んで載せてくれる話題とは思えない。
しかし、種を超えての議論ならば、異議を唱えられることも少ないだろう。実際、そのような研究は、<苦味>において既になされている(Go,Y. et al. Genetics. 2005;170(1):313-26.)。
苦味受容体としてT2Rという分子が知られている。実は多くの生き物において、この遺伝子は一つではなく、複数あることが知られている。このような現象を「遺伝子重複」と生物学では呼んでいる。
ヒトの場合、T2R遺伝子は25個あることが知られている。さらに、遺伝子としては良く似ているのだが、機能に大切な部分に突然変異が起こり、実際には苦味を感知できなくなっているようなT2R遺伝子の「残骸」も11個ある。
これだけ見ると、多くのT2R遺伝子がヒト染色体上にあるように思われるかもしれないが、他の種と比較すると、この数は少ない。例えば、マウスには41 個のT2R遺伝子があり、そのうち機能しない残骸は6個に過ぎない。他の霊長類と比較しても、ヒトの持つ苦味遺伝子は圧倒的に少ない。
つまり、ヒトは進化の過程で苦味に対して急速に退化したと考えられている。
苦味を持つものには、毒をもつものが少なくない。例えば、植物のアルカロイド類もそうだし、動物の肝にも毒が蓄積されやすい。したがって、多くの動物では、苦いものを摂らないようにすることで、毒から逃れるようになっているのだろう。これに対し人間は、発達した脳で何が毒かを学習することができるため、このような遺伝子を必要としなくなったのだろう。
魚のハラワタやコーヒーの苦味が「大人の味」であるのも、そう考えると頷ける。
むしろ、苦味を持つ物質であっても、ときとしてそれが有用であることさえ、人間は知っている。その一つの例として、キニーネを挙げることができる。味覚研究において、苦味物質の標準物質として用いられるほど、キニーネは苦い。
人類が誕生して以来、もっとも多い死因は、実はペストでも戦争でもなく、マラリアであると言われている。熱帯地方では、今なお約100万人が毎年この病気で亡くなっている。
マラリアは、マラリア原虫という原虫が赤血球内に入り込むことにより引き起こされる。周期的に(大抵は真夜中から早朝にかけて)激しい高熱を出す。これは、マラリア原虫が、赤血球を食い破って血中に出るからであるが、この発熱が周期的になるのは、メラトニンが関係していると言われている。メラトニンは睡眠に関係するホルモンであり、時差ぼけ解消にサプリメントとしても最近では用いられる。マラリア原虫にはメラトニンの受容体があり、宿主であるヒトが作ったメラトニンを受け取ることでライフサイクルを進め、最終的な形となって溶血を引き起こす。このため、メラトニンが活発に作られる夜間に、発熱が多いと考えられている。
それはさておき、このマラリアの特効薬として昔から知られていたのが、キニーネ。これはキナという木の皮に含まれる成分なのだが、マラリアに対して効果があると言われている。このキナの木の皮を浸した水は「トニックウォーター」と呼ばれている。カクテルの「ジン・トニック」のトニックであり、あの苦味はキニーネによるものなのだ。イギリス人がインド経営に成功したのも、イギリス人が頻繁にジントニックを飲んでいたからだ、などという話さえある。
このようなマラリアの特効薬キニーネを合成しようという化学者が現れるのは当然だっただろう。その先駆けといえるのがイギリスのパーキン。1856年にキニーネの人工合成に着手したパーキンの試みは、結果的には失敗したのだが、その過程において偶然、美しい紫色の化合物ができた。これが世界初の合成染料「モーヴ」の誕生であり、化学工業の幕開けでもあった。
パーキンの後にもキニーネの合成に取り組んだ化学者は多く、多くは挫折したのだが、その過程で作り出された「ピリン系」と呼ばれる化合物は、解熱鎮痛剤として今でも多くの市販薬に配合されている。
最終的にキニーネの全合成に成功したのは、1944年、ハーバード大学のロバート・ウッドワードによってであった。有機化学に疎い僕ですら「ウッドワード則」などでウッドワードの名前は知っているほどなので、おそらく有機化学者で知らない人はいないであろう。
ただし、この全合成はいわくつきでもあった。1944年にウッドワードが合成に成功したのは、全合成の一部であり、あとはそれ以前にパウル・ラーベによって報告されていた手法に従えば全合成できるというものだったのだが、このラーべの手法の妥当性について意見が分かれていた。その理由の一つには、ラーべの報告の記載がいい加減で、他人が追試できないところにあったと言われている。
しかし、昨年になってコロラド大学のロバート・ウィリアムズらが、ラーべの合成の追試に成功し、当時の機器や手法で充分に実現可能であることを示した。こうして約1世紀にも亘って、様々な科学者たちが、このキニーネという化合物に関わってきたのだった。この辺の話が、今週号のネイチャーに紹介されていて、この日記を書きたくなった。
ちなみに、現在では、人工的に合成されたキニーネを添加した水がトニックウォーターとしてアメリカでは売られているが、日本では劇薬指定されているため、未だにキナの皮の抽出物を添加した水がトニックウォーターとして売っている。いずれにせよ、キニーネを含む水は紫外線を当てると光る性質がある。もしジントニックを作るときにでも、トニックウォーターのボトルを手にする機会があれば、一度試してみてください。
* <興味>津々。これは、母校で教鞭をとっている研究者「光」君の畑でもあるかも。
☆ 秦先生 楡
大変ご無沙汰しておりますが、お変わりございませんか?
先日、弓道の師が亡くなり、気落ちしておりました。師の葬儀には、**さんも仕事・子育ての両立で忙しい中、駆けつけてく
れました。
弟子がこんな状態だったので、師の奥様(この方も私の師です)におかれては…と思い、練習に伺うのは控えておりました。でも、亡くなった翌日から、通常どおり道場を開場して指導に当たられていたそうです。「道を究める」とはこういうことなのか、と思いました。
さて、最近の私は、研究の第一線から離れ、のんびりと自分のやりたいことに専念できるようになりました。興味は尽きないので、何から先に始めようかと困っています。
しかし、大学という最高学府が教育・研究において二極化している現実を目の当たりにしております。
そもそも、最近の学生の質というか、意欲というか、物足りなさを感じていて、彼らは「大学生活が楽しければいい」と思っているようです。
大学って高校の延長…?
この意見、人事部で忙しくしている***さんも
「最近の学生、会社で何をしたい? って聞いても答えられないんだよね」
と言っていたので、彼女も感じていることのようです。
こんなことを言うのは、私たちが年を取った証拠でしょうか(笑)
* 大の仲良し三人が、いまも変わりなく声を掛けたり行を倶にしたりしているのが見えて気持ちがいい。この人はすうっと博士になり、大学で研究職の先生になっている。親友の二人は大企業でやはり研究職の、指導的な立場にいる。そんな三人を今も繋いでいるのが、わたしの教室の頃からの、弓道。そういえば、娘・朝日子も、「よっしゃー」とか「ちょいやー」とか気合いを入れてお茶の水で弓を射ていた。かけ声は流儀で少し違うと思うけれど。
2008 3・3 78
☆ 大枝の柿 讃
奥様から、昨年末に、ご丁寧な「柿」のお手紙をいただきました。
早速、いきさつとともにご返事をと思いながら、公私のめまぐるしい忙しさにかまけて、失礼をいたしておりました。
あの柿は、昨年末に娘と孫と3人で京都に行ったときにお送りしたものでした。
四条大橋を河端通りから渡ろうとしましたら、阿国の銅像のそばに、リヤカーの上に商品を並べた、八百屋のおばさんがいます。
もう夕暮れで、荷物のこまごまとしたのは判別できませんが、「大枝の柿」という箱の字ははっきりと認められました。
桂にいた大学時代、よく出かけた柿の里です。すぐに自己流の郷愁に結びつける、私のわるい癖が出て、いっしょに大枝に出かけていた友人に送って驚かそうという名案(?)が即座にわきました。
そして、同時に、”秦先生に京都の柿はうってつけ”と、これも、ひらめいたのでした。
八百屋のおばさんは、宅急便の用紙も、送料の価格表も持っていません。
でも、そこは、おばさんの人相・気性から判断、信用して、「そこに書いといて」という、柿の箱の上に、街灯の薄暗い明かりの下でお二人の住所を書いたのでした。梶井基次郎が、丸善の画集の上に「檸檬」を置いてこっそりそこを出たときの気持ちに似た楽しさを味わいながら・・。
で、帰宅してしばらくたって、音沙汰無いので、松戸に住むその友人におそるおそる安否を問うてみました。
案の定届いてないとのこと、翌日には着くはずなのに、と不安になりました。
聞いてメモしておいた、リヤカーのおばさんの電話番号に何度かけても不通。全然見も知らない、屋台のおばさんを信用した私の不注意と思いながらも、ささやかな楽しみが、こんな形でつぶれたのかと思うと悲しくなりました。京都にいる友人に四条大橋まで行ってもらおうと思ったら、帰郷中でだめ。そう言えば、橋を渡ったところの先斗町の入り口のところに交番があったっけ、あそこのお巡りさんに確かめてもらおうか・・とまで考えたりしていました。
でも、実行する前に、松戸から、「今届いた」との連絡。ゆうに1週間は過ぎていました。
先生からもお便りをいただき、ほっとしたようなわけでした。食べていただいてありがとうございました。
私の勝手な思いつきから、起こったこのハプニング。
いろいろなことを考えさせられ、反省させられました。
でも、「人は信じるに足る!」
それから、今日はもう一つ送らせていただく物のお知らせです。
ずっと前から、「小豆茶」が血糖値を下げる隠れた名薬と聞いていました。そのお茶を、先日見つけてきました。
ぜひお試しになってください。話によると、一回目から効き目が現れるということでした。
当地のお抹茶と季節の干菓子も、召し上がってくださいませ。
季節のかわりめ、また、今年は花粉も相当飛散するよし、どうぞお大事になさってくださいませ。
☆ 京都の のばら 従妹
この冬はよく雪が降りましたが、3月に入って寒さもやわらいで日増しに春めいてきました。
天神さんの梅も五分咲き、買い物の足をのばして楽しんでいます。
昨日は関西で活躍のカンツォーネ歌手「加藤ますえ」の弥生コンサートに行ってきました。今回は会場が金剛能楽堂なので楽しみにしていました。お能は観たことはないのですが、能楽堂には興味があったのでよい機会でした。床はマットで養生されていて、ギター伴奏での日本の歌や懐かしいカンツォーネを堪能してきました。
こちらは今年「源氏物語千年紀」というので、いろいろなイベントが企画されています。先日は紫式部が生まれ育った地域をめぐるウォーキングに積雪にもかかわらず1500人もの参加者があったそうです。飛行船で空から京都市内を観光するという企画もあるそうです。
春休みには長女と高校受験を終えた孫娘が帰ってきます。拓殖大学の高校に進学が決まりました。心身共に健やかに成長してくれるよう願っています。
それでは又、くれぐれもお大切にお過ごしくださいますよう。
2008 3・3 78
☆ 校長に会いに 昴
海上に、小さな流氷がいくつかプカプカ浮かんでいた。
羅臼よりも野付湾の方に流氷が多かったのは、なぜなのでしょう?
自然はふしぎです。
さて、今日は兄夫婦の車を借りて、父母と一緒に、校長先生に病状の説明と今後のリハビリの予定について話してきました。
校長先生は、「そうかい…」と言いながら、今後必要になってくる事務的なことの説明と、「産休で休んでいるのと同じ感じでいいんだよ」というようなことを話されました。
改めて、教員って育児や病気に関してはしっかりとした制度が整っていて守られていると思いました。もちろん、ボーナスはカットになりますけどね(当たり前)。
今後どうなるか分からないけれど、とにかく、リハビリに専念して丈夫な体を手に入れたいと思います。
それが、これからの私の仕事になります。
最後になったけど、兄夫婦&お父さんお母さん、仕事で忙しい中(牛の子いつ生まれるか分からない時期なのでは?)有り難う。
* 「昴」さん。気をはずませ、心静かに、リハビリという学習の期間によく馴染まれるように、みんな、応援しています。元気で。次の「馨」さんの一文も、応援の声だと思って読んで下さい。
☆ どこまでもどこまでも歩いていけるよ 馨
娘が二歳前後だったか。夕方一緒に外に出た時、とことこと歩きながら「あーちゃん、どこまでもどこまでも歩いていけるよ」と言いどんどん坂を下りて行ったことがあります。
家からの道はちょうど西に向いていて、夕焼けに向かって一生懸命歩いていく娘の背中を、夕飯の仕度を気にしながらゆっくり追って行きました。
ちょうど今の息子くらいの時だった気がしますが、息子はまだ二語文どころか、単語も十あるかないか…。人の言っていることはよくわかっているようなのですが。
その息子に昨日、妊婦検診の帰りに新しい靴を買いました。外遊び大好きな息子が冬中で一足履きつぶしてボロボロになってしまったので。
帰宅して足を合わせてサイズを確認し、脱がせようとすると激しく抵抗。
そのまま玄関に下りて外に行く、と指差し。
「お外はクライクライだよー。」と言い聞かせても聞かずワンワン泣きわめくので、夜に靴を下ろすのは…と思いつつもやむなくドアを開けました。
とことこと歩き出し門も開けて、と指差し。
開けると、またとことこ歩き歩き、結局近所のおばあちゃんの家まで行きました。
おばあちゃんに新しい靴を大いに褒めてもらうとようやく満足し、またとことこと自宅まで帰ってきました。
途中で私が抱っこしようとすると嫌がるところを見ると気分は「どこまでもどこまでも歩いていけるよ」なんだろうな。
夕焼けの中、同じような背中を見ていた気がします。
家に入ってもまだ靴を脱ぎたがらない息子。新しい靴がとてもお得意でアンヨしたくて仕方ないよう。
そうだ、そうだ。
二人とも自分の足でどこまでもどこまでも人生歩いていっておくれ。
☆ 徹夜 maokat
徹夜が身体に悪いことはわかっている。
でも、六千万円の税金を使ったプロジェクトの成績書が、まだまだ校正を必要としている。
大学の院生の実験計画が修正を必要としている。
**大学の先生に持って行く資料がまだ真っ白だ。
年度末の報告、多数。
いつもちゃんとしているのに、またやってきた殺虫剤の管理状況報告書。
寝る暇は、やはりない。
そして、三時間後に会議の座長だ。
明日は温泉に行こう。
温泉に行ってお風呂に入ってテレビも見ないで、ニュース番組が始まる前の時間にふとんに入って寝てしまおう。
朝は早くに目が覚めて、散歩などしてから、光るお米の朝食を食べよう。
では、もうちっと、がんばります。
☆ 週末は乗鞍高原で演奏会とスキー 松
週末乗鞍高原に行ってきた。土曜日朝ゆっくりと出発し、芝原荘という奥まった民宿に着く。非常に静かでしんしんと降る雪の降る音が聞こえてきそうだ。こたつに入りながら楽譜を読んでいると、名古屋の音楽仲間が着いた。初めてお会いするヴァイオリン修理師のご一家ともご挨拶をする。
落ち着いたところで『マドンナ』というピアノのあるペンションに行く。少し合奏で遊ぼうというつもりだったのだが、その夜にスノーウォーキングの集まりがあり、そこで演奏したらと勧められる。さっそくヴァイオリニストとリハーサルを行う。細かいテンポ変化を支持されるが、自然に合わせて欲しいとのこと。ゴセックのガボットは初めて弾く曲なので、何度か弾いて指を慣らす。さらに遊びでモーツァルトを弾くが、みっちりとレッスンになってしまった。
夕方一旦民宿に戻って夕食に。ここの夕食はおいしい和食で、マツタケご飯、川魚の塩焼き、煮込み蕎麦、山芋の煮物など食べきれないほど料理が出てきた。非常に満足。
一息ついて観光センターへ行くと50人ぐらい人が集まっていた。翌日のスノーウォーキングの説明があり、その後に飲み会となったが、さすがに演奏前に飲むと大変なことになりそうなので、止めておく。
宴会の終わりでペンション、旅館の方々で『三四郎』というバンドの曲が演奏された。その後ヴァイオリニストがコブクロの『永遠にともに』を無伴奏で演奏。その後一緒にゴセック作『ガボット』、モンティ作『チャールダッシュ』を演奏した。観客席を回りながら華麗な音を披露するヴァイオリニストに拍手喝采。素晴らしい盛り上がりでアンコールをもらった。
今回の曲ではピアノの出番はあまり無かったけど、喜んでもらえて本当に楽しかった。演奏して拍手をもらえると次もやってみたいと気力が沸いてくる。伴奏者として起用してもらったヴァイオリニストに感謝。
終わった後は民宿で楽しくワインを飲んで、夜が更けるまで話し込んだ。
翌日はスキーを楽しんだ。乗鞍は標高が高くさらさら雪で非常に滑りやすい。長いコースはないけれど、急斜面のコースもあって飽きない。しかもすいていて好きなように滑走できるのもいい。
名古屋のヴァイオリニストに次はモーツァルトを是非共演しましょう、という話をして帰途についた。充実した週末だった。今週も頑張って仕事ができそうだ。
【モーツァルトのK.378(第34番)の演奏について】
遊ぶつもりで持っていったが、しっかりとレッスンとなってしまった。モーツァルトは調和と上品さを保ちながら、みずみずしい音楽に仕上げなければならないので演奏家にとっては非常に気を使う曲ばかりだ。以下のようなありがたい指摘をもらった。
・難しい分散和音でも正確なリズムを刻むこと。
裏拍も意識しなければ、正確にならない。
・緻密なモーツァルトの音楽を再現するように努めること。
・音色、アーティキュレーションにムラ無く演奏する。
・すべての部分で音楽的であるように意識すること。
・毎日少しづつでも良いから、正確に弾くこと。
普段慣れた友達と弾いているとなんとなくでも合奏になってしまい、それ以上を求めなくなる。人を感動させるにはまだまだ課題が多いとおもった。
K.378は華麗でありながらもピアノ、ヴァイオリンが頻繁に対話を行い、演奏する方も大変楽しい曲である。とても活気があり、内容も充実している。1楽章の展開部がほのめかすような短調に変わり、だんだんと緊張が高まっていくと、演奏しながらもいろいろな思いが込み上げてくる。モーツァルトは悲しい時でも大声で号泣することなく、そっと涙を見せる程度であった。その上品さが素晴らしい音楽になっている。
さらに素晴らしいのはK.379(第35番)である。一楽章の途中で突然短調に変わり、そのまま第一楽章が終わる。ドラマチックでオペラの1場面を見ているようだ。この曲もいずれは演奏したい。
2008 3・4 78
* まこと光陰は矢の如く。昨日もある人へのメールに、「奔るように毎日が過ぎて行きます。ときどき怖くなります」と書いた。「暖かくなっていますが、まだ、三寒四温の揺り返しでしょう。そして花が咲く」と。いい春が待たれもし、いいよゆっくり来てくれてとも、声かけたくなる。
2008 3・4 78
* 松永伍一さんが亡くなったと妻に聞き、なぜなんだと意外さに吃驚。随分久しく気持ちの通い合った、いわばまた一人の知己であったのに。テーマは「老い」であったろうか、長時間の対談をしたこともある。イスラエルへ一緒に旅しないかと誘われ、お断りしたのも記憶に新しい。合掌。
2008 3・4 78
☆ 将来の甥っ子? ハーバード 雄
(変な夢見の=)嫌な気分のまま、部屋に篭って実験していると、外から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「おや?」と思っていると、僕の部屋のドアがノックされた。ドアを開けてみると、隣の部屋を使っているポスドクのボビーと、その奥さんのエリザベス、そして二人の子供で、昨年産まれたばかりのオスカーが乳母車に乗せられていた。
先週の中頃だが、ボビーが、
「そうだ、今度、エリザベスの妹がセントルイスから来るんだけど、You、結婚したらどうだ?」と言ってきた。ボビーは人をからかうことに関しては天才で、ありとあらゆる方法で僕をからかってくるので、
「またかよ」と思った。
「お前の奥さんの妹と結婚したら、おれは日本のしきたりでは、お前のことを『兄さん』と呼ばなきゃならなくなるから嫌だ」と言うと、ボビーは、
「そうなのか? 日本のしきたりだと、俺が兄さんということになるのか。それは面白いな。うん、これはいいアイデアだな」と、一人で盛り上がっていた。
今日は、どうやらエリザベスとオスカーが、散歩がてらラボに来たようで、ボビーの実験の終わるのを待って3人で帰るらしい。普通の会社では考えられないかもしれないが、大学などではポスドクが奥さんや赤ん坊をラボに連れてくることが、しばしばある。
「そうだ。エリザベスの妹を、Youに会わせようと思ってるんだよ。どうかな?」と、ボビーがエリザベスに言う。
エリザベスを困らせても悪いので、
「僕は、妹さんには年寄りすぎるから」と言うと、
「あら、私も最初はボビーのことをそう思ったけど、今は関係ないわよ」と、エリザベス。
そんな会話をしている間、オスカーが乳母車からずっと、僕をジロジロと見ている。なんだか、
「お前、なんだよ」と言いたげな顔つき。前に会った時は、顔も良く分からないような赤ん坊だったが、久しぶりに見たら、はっきりとした顔つきになっていた。整った顔立ちは、エリザベスから受け継いだものだろうか。前に会った頃には、赤ん坊に出来やすいという大きな瘤が目の上にあったのだが、それも随分と目立たなくなった。
そのうちに、エリザベスはトイレに行ってしまい、ボビーは自分の実験をしに行ってしまった。その間もオスカーはずっと、
「なんだよ」といった表情で僕を見ている。自分に子供がいないせいもあって、僕は赤ん坊の相手が苦手。どんな表情をして子供をあやしたら良いのか分からず、オロオロする。できることなら、自分の実験に戻りたいのだが、親二人が姿を消してしまったせいもあって、これで僕が消えて、そのせいで大泣きされたら嫌だなあと思い、実験に戻れない。ほとほと困る。
すると、オスカーが急に背中を反らせ始めた。一体どうしたんだろう、何か良からぬことの前兆では? と不安になる。
しかし、良く見ると笑っているように見える。口を尖らせて、キスをせがむような仕草をする。やがて戻ってきた両親にも、同じ仕草をしていた。どうやら僕を味方と見なしてくれたらしい。なかなか可愛げのある奴だ。
「オスカー。このYouは、お前の叔父さんになるかもしれないんだぞ」とボビー。
ボビー一家のおかげで、なんとなく、少し、気が晴れた。
* 成るべくして成ってくれますようにと、わたしも嗾したい。
2008 3・4 78
☆ 蕨野行 笠 e-OLD 千葉
秦さんへ
団地の図書館で借り来て「蕨野行」を読みました。おかげさまです。
「テラ」(=兄嫁より年かさの弟嫁)がいいですね。
・ 「されば人はワラビ野発ちを、様々にかなしみたるが、ヌイや、おれは今からたのしみて有りよ。伊作とおれと、一生の仕舞いは、どちらが強うて有るか観物なるべし」
・ 「彼方にある月日はきっと訪れるものなれば、その日のためのおもいのたすけとせよや」
私には『廬山』恵遠の言った「この世の事は夢まぼろしと思せよ」の場面に通ずると思われました。
・ それにしても「男は必定、気細の者ならんか。女子は腹の座ったる者なるか」
その通りだと思います。
「衆生所遊楽」の経文は法華経の如来寿量品に見つけ、こういうことはほんとにあるのかも知れないと思い直しています。
(=また、蕨野に最期を迎えたレンとトセとの次の会話)、耳を澄ますと聞こえそうです。
・ 「トセよ。身が軽うなったか」「おう、おう。軽うなった。やっと現世の務めを果たしつろうか。今はふわふわと雲のよな心地せるよ」
紀伊の義姉が、この作の、「~よい」のように、よく「~のし」と言っていました。どちらもいい日本語だと思います。
春が参るよい。
陽気の変わり目、くれぐれもお大切にしてください。 拝
* ああ、ありがたいこと。
* 四国の「讃」さんから、糖尿病に効く「小豆茶」また抹茶と品のいい美味しい干菓子とを頂戴した。妻と、行儀悪くお茶を点てるより前に大好きな松露に両方から手を出した。甘いモノはおいしいです。感謝します。
2008 3・4 78
☆ 花粉症になる理由、ついに明らかに? 光 東工大
くしゅくしゅ。あれ、風邪かな。
毎年、3月になると目がかゆくなったりするけど、まさか、花粉症では、ないよね。
と、自分に言い聞かせて数年経つ。
病は気から。認めたら負け。無意味な戦いが今年もはじまる。
花粉症は、アレルギーの一つだが、そもそも昔(例えば縄文時代)の人達は花粉症になったりしなかったのか。もちろん、ハウスダストのアレルギーをもつ縄文人はいなかっただろうが。
アレルギーは、外部からの侵入物に対して免疫(兵隊)が「過剰」応答してしまうことが原因である。もちろん雑菌やウイルスから身を守るためには、免疫システム(軍隊)はなくてはならない大切なシステムだ。
ではなぜ、雑菌やウイルス以外の「望まないもの」に応答してしまうのか。
その理由は、周りが「きれい」になりすぎたため、ではないかと思う。
かつて人間(例えば縄文時代)は、常に一定量の雑菌やウイルスなどの外部からの侵入者(危険)にさらされていたのではないだろうか。それらに対処するために、一定量の免疫システム(軍隊)が用意されていた。
ところが、この数十年あまりの間に生活環境は劇的に「清潔(安全)」になり、免疫システム(軍隊)はその能力を持て余し気味になった。そこで、免疫システム(軍隊)は雑菌以外の侵入者(花粉やハウスダスト)に対して自分の活躍する場を見つけてがんばっている、そんなシナリオが浮かんでくる。
本当にそうなら、花粉症にかからないようにするには簡単だ。(子供の時分に)どろんこになって、遊べばいい、ということだ。免疫システムに(本来の)仕事を与えてあげればいいということである。
人間は、これまで経験したことのない「きれいな」環境に戸惑っているのだろう。
くしゅくしゅ。
花粉症になった後でも、どろんこになったら、治るのだろうか。
時には、子供と一緒にどろんこになって遊ぶのも、大切なことなのかもしれない。
* 昨日しばらくぶりに外出して、保谷へ着いた頃から、おや、少し痒いかしらんと気づいた。寝入るまで痒みがあって、久しぶりに温湯で洗ったりしたが、今朝は、まず元へ戻って、どうもない。少し怖くて、つい自転車乗りを控えている。
人類に貢献する薬を創りたいと教室で書いてくれていた博士くんの言うことだ、えらく分かりやすいなあ。
☆ つかまりだち 悠
おすわりがずいぶん上手になってきた息子.ほぼ同時に,つかまり立ちも始まりました.
ソファーにつかまって得意そうに振り返り,あっという間にコテン! バランスを崩します.自分で転んだことがわかっているときには泣きません.めげずに再度チャレンジ.頑張ります.
お風呂の湯船の中でもつかまり立ち.ただいま約70cmの身長は胸のところまでしかお湯に浸かりません.”肩まで浸かって”と抱っこしてもダメ.体をよじって逃げ出し,湯船の壁面をつかんで再び立ってしまいます.仕方なく,背中からお湯をかけてやっています。
* 末尾の「立ってしまいます.仕方なく,背中からお湯をかけてやっています」と書く呼吸・気味が、この全文をピュッと立たせる。瞬間風速のよさである。
2008 3・5 78
☆ おたよりありがとうございます。さっそく試食してくださってくださってありがとうございます。効果があってお役に立てばどんなにいいかと思っています。
今日は、陽射しが明るく、春が近づいていることを感じさせてくれる陽気です。
庭の桃の枝に手製のえさ台を取り付け、砂糖水とミカンを置きました。
まずメジロ夫婦がやってきました。
初めは、ミカンにしか来なかったのに、ミカンがなくなったとき味見したらおいしかったのか、今は砂糖水ばかりに来ます。ちょこまかと枝を移りながら、首をかしげたり、あちこちと見回したり忙しそうにしながら水を飲みます。プリンのカップの水が1日で空になります。
ミカンの余ったのを、地面に棒で差しておいたら、まあいろんな鳥がやってきました。
なんと、あるときなんか、メジロとウグイスが差し向かいでミカンをつついています。
ウグイスは用心深くて、姿を見るのも難しかったのに、今年は、じっくり観察を楽しめています。お礼に、きれいな声で鳴いてくれます。「ホーホケキョ」もだいぶ上手になってきました。
例の、ヒヨドリも来ます。なぜか、彼はえらそうにしてほかの鳥たちを追い払ってしまいます。でも、ヒヨがいなくなるとすぐ戻ってきます。
「シロハラ」というツグミの仲間も来ました。これは、地面をひょいひょいと両足で跳んでやってきます。とても臆病で、こちらのちょっとの動きで逃げていってしまいます。逃げ足も、「ひょいひょい」なので笑ってしまいます。
野生の動物を飼い慣らしてはいけないと聞きましたが、かわいくて、楽しくて、やめられません。また、ミカンを買ってきます。
金比羅歌舞伎のチケット購入券が当たりました。3月9日の発売日に朝から(夜から?)並んで買ってくれる人がいるのでお願いしました。
今年は海老蔵が『暫』を見せてくれます。
歌舞伎好きの先生に、金丸座を見ていただきたいなあと思っています。 讃
☆ 随感随想 優 e-OLD 多摩
湖さんがHPで書いていたが、「mixi」にはほどほどの、あたりさわり無い日記、身辺雑記に留めた方が無難かも知れない。交際、アクセス少なく、書く暇なければ、自分のように自然そうなるかも知れぬが、しっかりやりたい事は別に考えている。
毎日、相も変わらず小忙しくはあっても、待ち望む春にもなったし、元気を戻し、まともな創作準備を進めているところだ。
Social Networking Service(SNS)の「ソシアル」(ソーシャル)とはいささか硬く、義務をともなう社会参加を意味すると思うが、ミクシィなどは「ソシアブル」つまり、互いに人を楽しませ気分をなごませる社会参加、交際に近く置くべきではないだろうか。
余計なお世話だから、人さまのことには触れない。
「ソシアル」には植物界では「群生する」動物界では「群居する」という限定義もあって。これなぞは、そのまま、ごちゃ混ぜの人間界、ひいてはこのソシアル・ネットワーキング・サービスにあてはまる。そしてこれら通称ソシアル・サービスが――隅々までは達しないが、やたら肥大すると、必ず鵜の目鷹の目のビジネス症候が顕れてくる。
それならSNB=ソシアル・ネットワーキング・ビジネスと言い換えてもいい。
商いあってのこと、ニュービジネスとして成立、成功させるのは大前提であろう、と、起業家、企業家、投資家、株主らがはなから期待して何ら不思議ではない。ほとんどのサービスがロハであるからして、不都合云々とも言わない。
「ソシアル」は「スノビズム」にもつながる。
また「内輪」の意味も強い。さらに「社会奉仕、社会福祉」、欧米のよき良心的伝統であるべき、主にキリス教広布の精神にもとづく――フィランスロピー、カリタスなど「無償のサービス」も含意される。
オバマは――私の外戚のご先祖、祖父母と縁が深い小浜市や、長崎の小浜町は盛り上がっていると伝わるが――、イメージ先行で未知部分が多い。ひらりクリントンは、ヒステリーが怖い。共和党に負けることもありえる。
ここ二三年、幕末、維新の国事記録、伝聞、風説(攘夷問題中心の内政外交)の古文書を多数拾い読みし、整理してきた。明治期~戦前の古資料も少なくない。
振り返り、改めていまの「中・露・朝」の存在に置き換え、日本の在り様を考える。
かの国々に共通するのは、軍事、行政集団が事実上絶対に近いことである。民主、民権主義はなお存在しない。
日本には無い資源をたくさん保有し強権外交を拡げる難儀で手ごわい相手である。経済発展クライマックスの中国もオイル成金ロシアも鼻息荒く覇権を推し進める。北朝鮮は疲弊していてもしたたかである。韓国にはない(日本にもない)核を装備し、レアメタルを埋蔵している。林業資源も豊富。日本はかつて北朝鮮の林鉱業に目をつけ開発を進め技術を残した。いま北はその遺産で食い始めている(中国もつい最近まで大日本帝国時代の投資遺産で食ってきたことは歴史的事実である)。
この期に及び、覇権、出征、拓殖、占領統治の歴史の復習は有意義ではなかろうか。
2008 3・5 78
☆ 大岡山 悠
午前中,若手の研究会の打ち合わせがあり,久々に大岡山へ行きました.
大岡山駅,ずいぶん変わっていました.大きな変化は駅舎の上が東急病院に!
その外観がちょっと妙な感じ.縦にたくさんのワイヤーが張ってあり,まだ小さな葉っぱの蔦が絡めてありました.時間がたてば緑の外壁になるのでしょう.でも今日見た感じでは”工事中”といった感じ.
十数年前,大学入学当時は本当に工事中.仮設の駅舎とホームでした.
ずいぶん変わってきてしまいましたが,なんだか大岡山駅はほっとします.
* わたしでも、大岡山と聞くとほうっと深い息をする。もうすぐ、櫻だ。このファイル冒頭の写真は、その櫻に埋もれての、私。
たぶん、この「悠」さんたちの入学した四月から、マル四年、わたしは東工大で工学部「文学」教授をしていた。その四年目、この人はもう飛び越え院にすすんでいた。相談をうけてわたしは、「(四年生という)一年間を損するんだという気で」と、励ました。ここでマイミクの卒業生諸君は、ぜんぶがその四年のうちの出会い。いまでも三、四十人と親しく連絡が取れている。
2008 3・5 78
☆ 友人 瑛 e-OLD川崎
九州から高校同期の男が来たので東京駅の八重洲であう。
小学校四年のころいらいである。
あって何を話すか、先生の『悪口である』。 いや、・・・自分は何でこの道を選んだかである。
『師』というのは海の「みおつくし」、大阪のマークである。
人生に死ぬまで「悪口を言える」。いい仲間である。しかし
襟を正す そんな気持ちの朋と春。
☆ エレベーター・コミュニケーション 光
私の住んでいるワンルーム・マンションは、一人暮らしが多いようだ。
学生さん、都心につとめるサラリーマンやOL風の人。
かつて仕事をバリバリこなしていたというおばさん。
越してきて数年経っても、隣の部屋にどんな人が住んでいるのか今だにわからないコンクリートの箱ではあるが、エレベーターだけは唯一(十数秒の)コミュニケーションの場であった。
以前、同じ階に、80を超えているのではなかろうかと思われるのに歩く姿は元気そのもののおばあさんがいらっしゃった。
ご近所に息子夫婦が住んでいる、というような話をしていたこともあった。
息子が、心配だから一緒に暮らそう、というので引っ越すことになりました。
そうですか、御達者で。そんな会話をしたこともあった。
それから数年が経ち、再びその同じ階だったおばあさんの後ろ姿をマンションで見かけるようになった。
「嫁さんとうまくいかなかったのかねぇ。」かつて仕事をバリバリこなしていたというおばさんは、タバコを吸いながらそんなことを言っていた。
そんなある日、元気なおばあさんと同じエレベーターになった。
「お久しぶりですね。いつ戻られたのですか。」
私は、日々のお天気あいさつ程度のつもりであったが、返ってきた言葉は予想していなかったものだった。
「どちらさまでしたかね」
その日以来、ちょっと後ろめたい感じで、マンション近くの道ですれ違っても何も知らない他人のふりしてすれ違うようにした。
そうしてしばらく経ったが、この日、再びおばあさんと同じエレベーターに、なった。
エレベーターといっても3人乗ったら一杯になるくらいの小さなものである。
私は、何となくエレベーターの階を表示するインジケーターを見つめてやり過ごそうかなぁ、としたときである。
「今日は、風が強いわね。」
私は、はっとして横を見た。そこにはにこにこした小さなおばあさんが、いらっしゃった。
何と言うことか。
私はコミュニケーションとして一番大事なものをすっかり忘れていたではないか。
「そうですね。もう春の風ですね。」
「はい、ありがとう。お先に。」
私は、自分の小ささを感じた。まだまだだな、と思った。
春が、もうすぐそこまで来ている、そんな日のことであった。
* マイミクさんにも、それぞれの朝が来ている。
2008 3・6 78
☆ バタ丼 ボストン 雄
たまにこの日記を読んでくださっている「馨」さんのページに載っていた「バタ丼」を作ってみた。
豆腐を1センチ角に切ったものともやしをバター醤油で煮て、白いご飯の上に載せたもの。
シンプルな料理だが、なかなか美味しい。濃い目に味付けたつもりだったが、もやしや豆腐から出る水分で、少し薄味すぎた。次は上手く作りたい。
それにしても、醤油、塩、味噌と、どうしてこんなにバターと良く合うんでしょうね。
* わが家でも即、試みた。やはり水分に味を薄められたが、基本のバター味を生かして幾らも別メニュが可能だろうと、次回も心用意している次第。
2008 3・9 78
☆ お元気ですか、風
いいお天気。
名古屋国際女子マラソンを見ています。
日本女子のマラソンランナーは、誰がオリンピック代表に選ばれても不思議のない、優秀な選手が揃っていますね。
きのうは、内藤選手の初タイトル防衛戦を見ました。
フェアな、いい試合でした。
さて。
きのうは、外構屋さんと打ち合わせをしたり、室内洗濯干しを取り付けたりしました。
富士の雪まぶしく、花粉の影響をかなり感じましたが、今はラクに過ごせています。
オバマもクリントンも、日本には関心が薄いと思います。ですが、二人とも、大統領になったらイラクから撤兵すると宣言していますので、どちらかが大統領になった暁には、少なくとも、日本の給油問題など、日米軍協力を名目に制定された法律には、変化をきたすのではないかと期待しています。
では、お元気で。 花
2008 3・9 78
☆ 雨の日は 悠
今朝は、雨。
息子を前にだっこひもで抱え、背中にノートPC(パソコン)の入った仕事かばん。肩に息子の保育園バッグ。週はじめはシーツ類があるので若干多め。で、手に傘。うーん、我ながら凄い姿。
四月になれば近い保育園に転園し、ダンナが送ってくれることになっているので、この姿もあとわずか。
そう思うとこの状況がなんだか楽しく思えます。
今週も「熱」で呼び出しがきませんように!
* わが家は、あなたの日記の、愛読者クラブです。老夫婦で感心したり面白がったり。怪我のないように、みんな、お大切に。 湖
2008 3・10 78
☆ 東大寺二月堂のお水取りに来ています。円地文子の作、コピー明日送ります。 鳶
* ぜひ読んでおきたかったもの。いつもながら助かる。
☆ 晴れたり曇ったりです。お元気ですか、風。
さて、ご質問への答えですが、画面の明るさには、モニタ本体にボタンがあると思います。電球マーク等のついた(機種によっていろいろです)、それらしきボタンはありませんか。
この週末、暖かかったせいもありましょう、花粉が飛びましたね。体内花粉センサー(感度良好)が、強い反応を示しました。外出しなければラクです。花粉は飛ぶけれど、暖かくなるのは歓迎です。
再来週くらい、関西から夫の家族たちが遊びに来ますので。あんまり寒いままだと、予備のお蒲団が足りない。
修善寺温泉に案内する予定です。
では。風、風、風。 花
2008 3・10 78
雑誌「春秋」に処女評論『花 風』を連載していた最中、突如として
荻原井泉水さんのファンレターに引き続いてこの揮毫の額を戴いた。
朱印によれば八十八歳の賀の祝であられた。今この機械から十時
方角に見上げた位置に、もう四十年近くわたしの仕事を観ている。
☆ 見入っていました。 花
見たいなあ、と思っていました。ありがとうございます。
ウン、いいですねえ。画像は、花の保存版です。
「化身」は、黒木(瞳)さんが宝塚を退団して間もない頃の映画だったと思います。大胆な脱ぎっぷりについて訊かれ、「後悔するくらいなら、やらないほうがいいでしょう」と、ニコリともせず答えていたのを憶えています。男らしい人です。
「化身」の映画はまあまあ、原作はだめです。
東陽一監督は、「ザ・レイプ」という映画がよかったです。題名はポルノ映画みたいですが、とんでもない、落合恵子の原作で、レイプ事件の被害者の女性が、刑事裁判の場に立つことで受ける二次被害を問題にした、いい映画でした。主演の田中裕子が抜群によかったです。彼女は、この映画で、とても評価されたと記憶しています。ご覧になりましたか。
今月、グィネス・パルトロウの出た「抱擁」がテレビであるようなので、見ます。おすすめでしたね。
さて、うちのモニタの場合、左から「AUTO」「MENU」「SELECT」「▼」「▲」とボタンが並んでいます。明るさを調節するには、「MENU」ボタンを押します。すると、設定項目が現れるので、「Brightness」に合わせ、「SELECT」ボタンを押し、次に現れるパーセンテージを「▼」「▲」で上げたり下げたりします。
ノートパソコンですと、ファンクションキー(F1~F12など)にモニタの設定が振り分けられているものもあります。風のパソコンがデスクトップなら、モニタの方に設定ボタンがあると思いますよ。
京都へお出かけになるって、いいなあ。花がきれいでしょうね。
* この、「花がきれいでしょうね」にも、思わず笑ってしまった。
☆ コピーそして本 鳶
今日は春らしい一日でしたが、その分花粉症に悩まされているのでしょうね。
円地文子全集は最寄の図書館になかったので、隣市の図書館から取り寄せてもらい入手しました。ご希望の作は全集第14巻に収められていました。
今日コピーを送る前に映画「抱擁」の原作本を一緒に送れたらと思い、本屋に行きました。新潮文庫にあるのですが、現在絶版になっているようで。系列店舗に在庫があったとか、直送してもらうよう手続きしました。一週間ほどで届くということでした。上下二冊で価格から想像しますと各巻500ページくらいの長いものです。映像だけで想像力を膨らませた方が、いっそ感銘深いのかもしれず・・原作がどのような作用をするか分かりません。
それに、いま以上、目を酷使されることも心配ですが、とにかく、お手元に届きます。
昨晩の二月堂のお松明は、場所取りの位置をやや誤った感がありましたが、低気圧通過後の夜空に厳しく美しい炎でした。もっと冷え込んでいたら、春の到来を強く強く祈ったことでしょう。夜の東大寺の境内を歩いたのは初めてで良い体験でした。
くれぐれもお体大切にお過ごしください。
* 『蕨野行』、『イルスの竪琴』の英語版、『メリー・スチュアート』など、この人から贈られた本、探してもらった本は、優に手が四つ五つもないと指折り数え切れない。感謝に堪えない。お舅を見送り、お姑を見舞い続けながら、娘達を世に送り出し、詩を書き繪を描き、ひとりシルクロードやヨーロッパやインドを旅してくる、達人。京大卒。
* 映画『抱擁』を、今日も観ていた。よく出来ている。映画を先ず観てから原作に触れるのは、『蕨野行』もそうだったが、おそらく、その方が、映画化作をあとで観るより佳い気がする。『氷壁の女』も少し見かけた。
脇の機械で映画が観やすくなった。
なーんにもしないで、強いられないで、好きに書いて好きに観て好きに食べて暮らす日々が来ている。薔薇は薔薇であり薔薇である。
2008 3・11 78
☆ 源流 ボストン 雄
湖さんのホームページを読んでいたら、川の源流の話が出ていた。思わず、愛知県にいたときのことを思い出した。
僕のいた三河地方には、矢作(やはぎ)川、菅生(すごう)川(男川、乙川ともいう)、豊川が流れている。この三つの川から「三河」と名づけられた、という説がある。ただし別の説もあって、矢作川は「御川(みかわ)」と呼ばれ、尊ばれていたことから、これが転じて「みかわ(三河)」になったという説もあり、どちらが正しいかは分からない。
いずれにせよ、この地区には三つの川が流れていて、その源流の巴山には「分水嶺」となる石が置かれている。この石は先端が尖っており、三面から成る三角柱となっている。雨水が、この石の先端に当たり、三方向のどれかへ流れることによって、その水が矢作川になるか、菅生川になるか、それとも豊川になるのかが決まるのだと、以前、聞いたことがある。
* なんとなく、人間の運命にも似たものを感じる。
☆ 今日の夕食は 松
日曜日に作ったおでん。
三日目になり、大根に良い味が染みてきた。
熱いおでんをふうふう言いながら食べるのはいい。また作り置きができるので、忙しい平日に向いている。
今回は大根、こんにゃく、ゆで卵、つみれ、にんじんと牛蒡の揚げ物、豆腐の揚げ物、はんぺんを入れた。それぞれの味が合わさり、深い味わいを醸し出している。「すじ」をスーパーで見つけることができなかったのが残念。
お酒は先日諏訪で購入した「高天」純米酒。
力強くしっかりした味のお酒だと思う。1合ほど飲んでほろ酔い気分になった。明日も早起きしなければ。
* 平和だもの、いいじゃないか……
☆ チュチュン、チューシュン 囀雀
教育テレビの「高校講座」のうち日本史と世界史について、時間のあるかぎり見てきましたが、欧米列強の植民地支配からアジア進出になって両方が同調してきまして、さらにそこに音楽家や文藝を差し挟んでゆくため、毎回毎回かたくなってしまった頭の畑を耕しているようなあんばいで、お手手で書き書きさらっては心を飛ばしたり遊ばせたりして日を過ごしています。
例年にない余寒の厳しさでした。
仲春に入りひばりの初音を聞いたり暖かな雨や濃霧の朝を迎えたりと少しらッくりしています。
先月末、(五個荘に=)外山繁邸を訪ね、降り積もる雪のなか震え上がりながら資料を見ていて、稲森宗太郎の名が出てきたのにびっくり。
帰宅してからあわてて図書館へ行って梶井基次郎や中谷孝雄、川端康成のことから1900年前後の文藝について調べてみたり、我ながらハッスルしています。
八雲の「怪談」にぼんやりするひとときもありました。
おだやかな日々でありますよう心からお祈りいたしております。どうかおんみおいといのほど。
* 雲雀の初音か。なつかしや。
☆ はなかんざし 泉 e-OLD 京都
匂いも形もタンポポに似て花芯は黄色、小さな白い幾重もの花びらが重なり、花数が多く、次々と咲くとても庶民的な鉢で、この時期楽しませてくれます。何より、この和名がいい。
映画「いつか眠りにつく前に」は、死が間近く、二人の娘達と看護師の看護を受けるベッド上の老女が、夢現に50年代の溌剌とした若き日と今とを行きつ戻りつして。
ベテラン女優、メリル ストリープやグレン クローズ、歳老いてのヒロイン役は、ヴァネッサ レッド グローブ。ベッド上だけの演技なのに存在感は大。さして大きな事件もなく、強いて云えばあの恋人同志の離別の原因は、分からなかった、美しく撮影された風景に眼を奪われて見落としたのかな、なんて思いつつ。そう遠くなく来る自らの終末をひしと感じながら、エンドロールで、佳い映画だったと。
肩腕の痛みは、家事をサボるのと気温の上昇とが快方に向かわせる、これ、確かです。ほな又
* 「いつか眠りにつく前に」とは。老人のお念仏も、サマを変えてきました。
2008 3・12 78
☆ 松花堂 maokat
毎月送られてくる雑誌に、「松花堂」が載っていた。
弁当ではない。男山八幡の境内に松花堂昭乗(=寛永三筆の一人)という坊さんの建てた二畳の茶室。
堀口捨己博士の起こし絵と、平面図、写真によれば、松花堂さんはこの二畳で、寝起きし、煮炊きもし、さらに客を招いて茶の湯をしていたそうだ。
図面を見ているうちに、半間の床を踏込み床にしたらどうかな、と思った。そうするとその隣の袋棚も取っ払って、少し広々としたい、土間の方は勝手との仕切に今風のキッチンカウンターを設け、ちょっとした食事や、冷たい麦茶を飲めるように、などなど考えていたら止まらなくなって、結局家一軒分の図面を引いてしまった。
しかしこの家は、さまざまな点でいびつだ。
居住スペース(二畳)の十倍以上の物置(蔵)がある。こうしないと、季節の設えや道具を収納しておくことができない。
トイレには、ドアが二枚あり、客は外から、亭主は内から使うことになる。なんか、無駄。
ふとんを収納する場所がない。これは、畳の下に収納庫を作るか、はたまたボタン一つで畳がひっくり返って、ベッドが出てくるという趣向にでもするか。
非常に不用心。外との仕切は、戸板一枚。シリンダー錠などはどこにもない。すきま風で冬は寒いだろうな。
冬は寒いだろうな、と考えたところで、私の方丈は、胡散(くさく=雲散)霧消した。
やっぱりあったかいところがいいです。住むには。
* さあホンモノかどうか、わたしは、松花堂書と「極め」の付いた「蝸殻」と大きな二字横書きの軸を持っている。隷書。字は隷の得手であった松花堂でもいいが、そばに添えた拙劣な不釣り合いに小さい署名は、後生の愚行としか思われない。二大字はあきらかに時代の汚れが洗ってある。ま、道具屋のまともな売り物にはならないが、二字はみごとに柄大きく丈高く、わたしは叔母にぜひ買っておけばと奨めた。まだ大学生だったろう。
叔母がいかほどを懇意の道具屋に支払ったかは知らない。カタツムリの殻ほどの部屋で生涯過ごすさだめを自ら買い込んだようなものかと、後々も苦笑されたが、その大軸も大隷も、気に入っている。六畳の壁に掛けると威風あたりを祓うのである。ホンモノでなくてもキズモノでも、構わない。
2008 3・13 78
☆ Seeing is not believing ハーバード 雄
朝一番に、他ラボとの合同ミーティング。今日の担当者は、うちのラボの顕微鏡担当テクニシャンのスティーブと、他ラボのポスドク。スティーブは話下手だが、彼の顕微鏡写真は美しいので、皆熱心に聴く。後半のトークは、まだ何もデータが出ていないらしく、簡単に終わった。僕も5月に発表を控え、何もデータが無いので頭が痛いが、今日の発表を聞いて少し気が楽になった。
ミーティングの後、ラボのメンバーと共に、脳センターの新しい建物を見学。まだ工事中ということで、ヘルメットを被らされ、蛍光色の上着を着させられて、建物内へと入った。
とにかく大きい。工事現場の外から眺めていた時には分からなかったが、奥にかなり大きなスペースがあり、全体を通してみると、巨大な建物となっている。 MITのPicower Instituteも近代的で巨大な建物だが、ハーバードの脳センターの方が、はるかに巨大。
我々のラボが移るであろう場所を見学したが、個々のスペースそのものは、多少減るようだ。僕も、おそらく誰かと部屋をシェアすることになるだろう。しかし、今は個室でかなり孤独でもあるので、相手にも拠るだろうが、誰かと部屋をシェアするほうが良いように思う。
地下にある講堂も見学したが、大きな講堂が2つもある。黒板が既にセットされていたが、まだ新築の建物だというのに、なぜか黒板はずいぶんと古めかしかった。しかもアインシュタインの相対性理論の数式などが書かれていた。一体誰の仕業?
とにかくハーバードの他の建物とは全く異なる、現代的な建物。階段の手すりなどは全てガラスでできているし、天井も吹き抜けなどがあり、開放感がある。しかし、殆どの部屋には窓がない。これは、顕微鏡を使うために日光を遮る必要があるので仕方が無いのだが、圧迫感があることは確か。電子顕微鏡のテクニシャンのエリカなどは、それが嫌だからといって、新しい建物に移る時に仕事を辞めると言ってきたそうだ。
さすがに僕は、部屋に窓が無いからなんていう理由で仕事を辞める気にはならない。でも、僕も今の建物の方が好きだ。
唯一、手放しで喜べるのは、ヒャーノが彼の部屋にある顕微鏡セットを、そっくり僕にくれると言ってきた。「このセットを一番良く使っているのはYouだから」とヒャーノ。これまでは、自分の部屋で作製した標本を、いちいち階下にある彼の部屋に持っていって観察していたが、自分の部屋にセットがあれば便利だし、なにより標本にとっても良い。
午後からDuke大学のDale Purvesのセミナー。実はPurvesは、僕のボスの大学院生時代の指導教官。当時は分子や細胞、組織といった、ミクロなレベルから神経回路の研究を行っていたようだが、最近では研究テーマをがらりと変えて、個体レベルでの脳の高次機能、とりわけ視覚や聴覚に関する研究を行っているらしい。著名な研究者となり、一流大学にラボを持ってから、これほどまでに研究テーマを変えるのは、かなり度胸の要ることだろう。
今日のトークのテーマは、「動き」の錯視について。実際に、Purvesラボのウェブサイトで体験することができるので、是非試して頂きたい。 (http: //www.purveslab.net/seeforyourself/index.html?4.00)
このウェブサイトで、”motion”の項目を選択すると、斜めの線が左から右へと移動する画面が出てくる。この画面の左下に、■のボタンと、その両脇に三角形のボタンがある。右向きの三角形のボタンがplayボタンで、■のボタンはstopボタンとなっており、これらをクリックすることで、線を動かしたり止めたりすることができる。
さて、これらのボタンの右側に、円の中に斜め線の入ったボタンがある。これを選択すると、円の中に斜め線の入った画面に切り替わる。これはちょうど、先ほどの線を小さな穴から覗いたのと同じように見えるはず。しかし、ここでplayボタンを選択して線を動かすと、先ほどとは違って見える。先ほどは、左から右に向かって動いていたはずの線だが、円の中の線は右斜め下に向かって動くように見えるはず。
さらに、二本の縦線と斜め線から成るボタンを選んでplayボタンをクリックすると、今度は斜め線が上から下に向かって動いて見えるはず。いずれの場合も、斜め線の動きそのものは変わらないはずなのに、動く方向が変わったように見える。
これと同じものを、私達は既に、日常的に目にしている。理髪店の前にあるマークがそれ。実際には、青と赤と白の縞模様のマークが斜めに描かれたものが筒状になっていて、ぐるぐると回っているだけだが、あたかもこれらの縞模様が上に向かって動くように見える。
Purvesラボのウェブサイトには、「動き」以外の錯視の例も沢山載っていて、なかなか楽しい。例えば、 “Lightness/Brightness”の中で僕のお気に入りは、中段左から2番目にある”Craik-O’Brien-Cornsweet effect”。縦に長方形が二つ、ちょうど携帯電話が折りたたまれる途中のような形で描かれている。この図で見る限り、上側の四角形の方が暗く見える。だが、実際には、これらは同じ色なのだ。携帯電話の「蝶つがい」に当たる部分を指で隠して頂けば、納得して頂けるかと思う。
つまり、私達の視覚は単にレンズで光を集め、それをそのまま脳で受け取っているのではなく、その途中途中で様々な情報処理がなされ、バイアスのかかった情報を「見て」いるのだ、ということが分かる。
人間は、自分の見たものを「真実」と思い込みがちだが、実はそうではない。
* こんなおもしろいことを教わって好いのかなと、感謝。追試を。
2008 3・13 78
* うって変わって、好天晴朗。
* やす香の親友から、来年は金婚ですねと気の弾む優しいメールをもらった。すぐそばの、やす香の写真に伝える。
2008 3・15 78
* 昨日終日留守にしていた間に、太左衛さんから十代目望月太左衛門追善の会のお誘いが来て、浅草の雷おこしまで頂戴していた。富十郎父子の特別出演もある。ぜひ、行きたい。
おこし菓子が、とても食べやすくおいしく出来ている。ゴロゴロ会館でも売っているのかしらん。
* 望月太左衛様
偲ぶ会のお知らせを頂戴し、また懐かしい美味しいお菓子も頂戴しました。有り難うございます。
偲ぶ会 嬉しく有り難く拝聴拝見にあがりたいと、あつかましくお願い申し上げます。連名のなかの太左さんとは、もしかしてお嬢さんでしょうか。(=実は母上)
昨日は歌舞伎座で昼夜、長左久さんにおめにかかってきましたよ。歌舞伎座には毎月のように通っています。老いの一の楽しみです。
ちょうど昨日は私どもの結婚して四十九年めでした。「春の壽」に、言祝いでもらってきました。
これやこの四十九年つれそひて春待つ老いの弥生歌舞伎座 湖
ご活躍をこころよりおよろこび申し上げます。 秦 恒平
2008 3・15 78
* 四国の「六」さんからも留守に宅急便があったという。
一昨日には「鳶」さんからの円地文子作品のプリントが届いて、すぐ読んだ。すくなくもわたしの今書いているものとは差し支えが無いと分かった。まったくムキが違ったし、気に掛けるまでもないモノだった。気に掛けてきたので閊えがおり、また自分の仕事が前へ運び出せる。
2008 3・15 78
☆ もう一人の「自分」、こんなところに 光
学生時代、3ヶ月間だけオーストラリアに留学していたことがあった。
いろいろな人と出会い、その度に自己紹介をしていた。
英語で説明するのも大変なので、「自分」の方が簡略化されていった。
「日本では実は○○で、まぁ、○○ってことで、今は○○なんだけどね。」:私
「ふーん、そうなんだ。」:オーストラリアで知り合った友人
そして、思った。あ、そうか。最初から、全く新しい「自分」を作り上げることもできたのではないか、と。
* * *
そんなこともあり、「mixi」を始めるにあたって、こんな試みをやってみようと考えた。
新しい人格をweb空間に作り出してみよう、と。
そうして、いろいろな「日記」を書いてみた。ずぅーと、心の中にあったことを書いてみようと思った。家族にも友人にも職場でも、話したこともないようなことを、書いている。
もしかしたら、職場の人達がみても、同一人物だとは想像もつかないかもしれない。
職場の人達の中には「mixi」をやっている人がいる、ことはもちろん知っている。しかし、私が「mixi」をやっていることは、まだ誰にも話していない。
* * *
「mixi」を始めて2ヶ月経った、ある昼のこと。
職場でお昼を食べながら、ふと思った。
今の「自分」と、mixi内の人格はずいぶん違うなぁ。
・・・いや、待てよ。むしろ「mixi」内の人格の方が、本来の「自分」に近いのではないか・・・。
私は、愕然とした。
職場での「自分」の方が、すでに新しい「人格」として作り上げられてきたものだった、という事実に気づかされた瞬間だった。
* * *
こころの中の「自分」は、職場の「自分」をマイミクにしてくれるだろうか。
* この昔の学生君を「mixi」に誘い込んで、たしかに、また一人のハツラツとした「光」君にわたしは楽しみ楽しみ出会っている。自意識に負けないで精神をかなり生き生きと自由にし始めていると察しられて。
* むかし教授室にあらわれる学生諸君をみながら、「栗の実」君「柿の実」君と感じ分けていたのを思い出す。すこし微妙すぎるなら「栗」君「苺」君かもしれない。
そういえば、人間を思いきって二つのタイプとして弁別してみよと、書いて貰った日の学生諸君の「アイサツ」は興味深かった。ずいぶん教えられた。押し入れの奥に蔵っとくには惜しいものが、山のようにあれらの「アイサツ」には有った。
ルソーの『エミール』をじっくり読み継ぎながら、栗君や柿君たちの咄嗟に絞り出した多彩な「アイサツ」をよく思い出す。
2008 3・15 78
☆ 秦 恒平 様 讃岐 六
同封の「梅が枝餅」は、半世紀以上、奇矯なはどにその味も形も変らぬ郷土の、米の餅に砂糖と肉桂で味付けしただけの、素朴な、いってみれば駄菓子ですが、薄く剥いで軽く火にあぶるとほのかに甘くやわらかく、摩訶不思議なひとときを味わえます。子供の頃は、近所の八百屋で売っていました。練炭火鉢で焙っているうちに焦がした記憶があります。小学生には少々高い買い物でしたので、遠足のバナナと同等の贅沢感がありました。遠い昔の話です。
県境の辺辺鄙な菓子屋で、代は替わっても、頑固に味も形も変えずに作り続けていてくれます。なにぶん田舎の菓子です、京菓子のまろやかさには到底及びませんが、ご賞味あれ。
雪におどろいているうちに、はや桜の季節。花を見て、いっときなりとも、こころを空にできれば、などと日々を慰めております。
ときに大きなカンシャク玉も破裂させて、いついつまでも「秦 恒平」でありつづけてください。いつかお会いできる日を楽しみにしております。 拝
* 送り主が友人と並んだ写真が一葉、荷に入っていた。おうおう。こういう人なんだ。
戴いた「梅が枝餅」は、雛飾りの優しい三色の餅と同じ色づかいで、不思議な味わいの、クセになりそうな「うま味」餅で、感嘆。
「六」さんの下さる自称駄菓子は、これまでも不思議な味わいの郷土色横溢で、日本は「深いな」と感じる。感謝。お願いした頼みモノを頂戴の上、なおお菓子まで。わたしの好きな餅菓子まで。ありがたい。
2008 3・15 78
☆ 文化の力 ハーバード 雄
* 結局、昨日は夜中の2時過ぎに実験を終えることができた。朝までやるつもりではあったが、もう観察すべきスライドが無くなったことと、今日も朝からやるべきことがあったので、早めに切り上げて睡眠を取ってから出てきた方が良いだろうと思い、実験を切り上げる。 家に着いたのは3時近かっただろうか。もうそんな時間だから、誰も歩いていない。
さすがに歩いている人はいないが、車はたまに走っている。すると、一台の車が右からやってきた。先に車を通そうと立ち止まると、車も止まって発進しない。マナーの良い車なのかとも思ったが、角を曲がって僕の歩く方角にターンすると、ゆっくりと走り、やがて去っていった。まるで僕のことを、じろじろと見ているかのようだった。
しばらく歩くと、次のブロックの角で、先ほどの車が再び走ってきた。怖くなったので、道路の反対側に渡り、歩いていたが、その次のブロックの角でもまた、その車を見かけた。どうも、この辺りを、ただひたすらぐるぐると回っていたらしい。あれは一体、何だったのか。女性目当てなのかもしれないし、金目当てなのかもしれない。
そんな訳で、気味が悪くなったので、今日は一旦自宅に戻り、車を大学の近所に停めてから、顕微鏡での観察を始めた。僕の家と大学は、本当に近いので、小心者とラボのメンバーに言われそうだが、しかし、ここはアメリカ。やはり夜中は、用心するに越したことは無い。
* 午後、ボビーが「You、コーヒー飲みに行かないか?」と言ってきたので、一緒に隣のビルのカフェテリアへ。
「なあ、サイエンスのことじゃないんだけどさあ」と、ボビーが切り出した。
「この間さあ、友達と話してたんだけど、今、アメリカはイラクに派兵して、戦争をしてるだろ?この戦争で、何千人もの人間が亡くなっている。きっと、イラクや中東の人達はアメリカを憎く思っているだろうと思うんだ。どうしたら彼らはアメリカを許すようになるだろうと思う?」とボビー。
いつものボビーらしからぬ話に驚いていると、続けてボビーが言った。
「昔、アメリカは日本と戦って、原爆を2個も落としただろ?でも、今、日本はアメリカと友達だ。ドイツも同じように、かつてはアメリカと戦ったけど、今はそんなに悪い間柄じゃない。でも、今のイラクを見ていると、とてもそうなるとは思えないんだ。だから、かつてアメリカと戦った日本が、どうやってアメリカと友好関係を築けるようになったのか、日本人であるHiro に話を聞きたいと思ったんだ」。
残念ながら、その時、ボビーに用のある人が現れてしまい、僕も仕事で忙しかったこともあって、充分に答えることはできなかった。
僕自身も、正解を持ち合わせているわけではない。
勿論、肉親を原爆で亡くした人や、自分自身がひどい目に遭った人の中には、依然としてアメリカを嫌っている人も少なくないだろう。ただ、全体としてみた場合、アメリカは日本の友好国であり、そう考えている日本人も少なくないだろうと思う。
過去のことは「水に流そう」という、日本人の国民性の問題もあるかもしれない。あるいは、日本はアメリカと友好関係を築かざるを得なかった、という政治的理由もあるかもしれない。しかし、それだけではないだろう。
本当かどうかは分からないが、戦後GHQは、いわゆる3S政策(Screen,Sports,Sex)を日本に敷いたと言われている。GHQの差し金によるものか否かは別として、実際のところ、今の日本人の関心の多くが、この3Sに向かってしまっていることは認めざるを得ないと思う。
こういうと日本はアメリカに「スポイルされた」ということになるのだろうが、逆に言えば、日本人がアメリカの文化の良い面に惹かれるようになり、次第にわだかまりが解けたということかもしれない。
翻って、アジア諸国の中には、いまだに強い反日感情を抱く人々も少なくない。日本政府の戦後処理は、どう贔屓目に見てもお粗末だったと思うし、逆に中国などには外交カードとして利用されているふしさえある。
しかし、僕が直に接するこれらの国の人々は、必ずしも反日的ではないし、日本に対するわだかまりは減りつつあるように感じる。これは、勿論、年月が経ったためでもあるだろうが、それだけではなくて、日本の文化に親しむ人々が増えたせいもあるだろう。文化といっても高尚なものではなくて、マンガやドラマやゲームなど。
現に、うちのラボの韓国出身のポスドクのヒャーノは、簡単なひらがなならば読むことができるし、日本のドラマは僕よりずっと良く知っている。台湾出身の大学院生シュシェンも、僕よりずっと、日本のマンガやドラマのことを良く知っている。
日本は、ある意味、彼らを「スポイル」しているのかもしれない。が、しかし、彼らが日本の「文化」の良さに惹かれるようになったことで、次第に打ち解けるようになったのかもしれない。
果たして中東が、アメリカの文化に「スポイル」されるかどうかは、僕には分からない。ただ、一ついえることは、ボビーのような考え方をするアメリカ人もいるのだ、ということは、僕にとって新鮮であり、嬉しくもあった。アメリカに来るまで、アメリカ人は他国に傲慢であり、自国の価値観を全ての国に押し付けようとしているのではないかという印象を僕は抱いていた。しかし、ボビーのような考え方をするアメリカ人もいるのならば、中東とのわだかまりも、やがては解消されるのかもしれない。
* 少し前にやった実験で、どうも気になるデータを得ていた。
データが出た時には気づかなかったのだが、ふと、この現象は、大学院時代の同期と共同で進めてきた研究と関係しているのではないかと思い、彼にメールを先程送ってみた。
すると、かなりエキサイトした調子のメールが返信されてきた。どうやら、大いに関係しているどころか、まさしく「そのもの」のようだ。全く別の研究テーマとして、全く違うことをやっていたはずなのに、気づいてみたら背中合わせになっていたようだ。
幾何の問題で、一向に証明できそうにないように思えていたことが、補助線を一本引いただけで、目から鱗が落ちるように明らかになるのにも似ている。こういうところが、研究の面白さでもある。
先程、帰宅。今日も忙しかったが、昨日と比べると、随分と楽な気がする。ただ、帰り際、顕微鏡のレーザーの電源を落とす手順を1箇所間違えてしまった。
明日、おかしなことにならなければ良いが、と少し不安。
* どの段落にも心を惹かれる。友人にメールするとすぐ返辞があり、視野が大きく動くところなど、電話すらままならなかった昔の研究者には、ウソのようだろうなあと驚く。
GHQの「3S」にも、今の日本の若い人たちの政治的な去勢にからめて、わたしには大いに強い関心が前々からあったのである。
☆ おしごと 悠
午前中、耳鼻科に息子を連れていき、お昼の離乳食を食べさせて午後に職場へ。
昨日準備するはずだった、EPMA用の樹脂埋めした試料の研磨、学生の研究発表練習、2件。
最後に保育園の“卒園”文集の編集。
たった、三ヶ月でしたが、四月から転園するので、今の園は卒園ということに。文集といっても、園児が書けるわけがなく、親の文集。プリンターから出力するためにスキャンしてPDFファイルで統合、保存。月齢順で並べました。息子は後ろから三番目。
あと一名の原稿が揃えば、印刷、簡易製本で完成。来週土曜の卒園式で皆さんのお手元へ。頑張ります。
* お母さん先生は忙しい。
わたしも、波のひたひたという感じで忙しくなってきた。十八日には、また歯医者、そして近用専用の眼鏡を受け取りに青山へ。太左衛さんお招きの「偲ぶ会」も、目前の楽しみ。そしてすぐ、「美術文化賞」の選考のために京都へ行く。往き帰りの切符も予め。
連日、湖の本新刊の発送のためにも、いろいろ。からだを動かすのはいいこと。
2008 3・15 78
* 伊井春樹様
青陽の春、花もまぢかく感じられます。いまは、私、花粉に悩んでおりますが。
お元気にお障りなくいらっしゃいますことと存じます。ますますお大切にと祈りおります。
このたびご高配賜りまして、おどろくべき高著(仰木政斎著『雲中庵茶会記』)ご恵贈に胸打たれております。御礼を申しますより早く、惹きき込まれまして拝読してゆくに従い、ますます嘆賞嘆美のおもいにとりつかれました、すばらしい文化財であるなと真実舌を巻いています。記事の克明も深切もさりながら、悠揚とした「茶味」の妙趣が筆者のお人を表現し得ていますかと、ゆかしくまた羨ましく思われます。えらいものをお遺しに成りました、またえらいものを能くお創りになりました。時代と文化とのために心より慶びます、また感謝します。
まだ、頂戴しました方へのご挨拶が出来ておりません、なによりも中を幾らかでも拝見してから、また真っ先に伊井様へ御礼申し上げてからと存じました。こういう時、電子メールの使えますことは有り難く助かりますね。伊井様からも、どうぞ秦のおどろきと喜びと感謝とを御鳳声願い上げます。
おそらく、この大著、活字で「紙の本」にすることは容易ならぬ難事ながら、すくなくも当面、電子文字にして保存されますことの絶対的な必要を覚えます。「読み通し易く」仕立てれば仕立てますほど、この著の文化史的資料的価値はえらいものになります、喜ばれる方々もずいぶん有りましょう。その道の専門家の監修がなければいけませんが、電子化はお急ぎいただきたいと私自身も願います。意外に速やかに成りうる作業かと思われますし、半永久的に、コンパクトに収容されて保存されれば、利用者はのちのちまで絶えまいと思われます。
松屋会記、天王寺会記、槐記などに接したときのよろこびと等しいものを得ました。望外の大慶でございました。御礼申し上げます。
平成二十年 三月十五日 夜 秦 恒平
* 望月太左衛さんからもご親切なお招きのメールを改めて頂戴した。恐縮し、喜んでいる。
* 高麗屋の奥さんからもメールがあった。四月の帝劇『ラ・マンチャの男』に触れて、幸四郎初演の昔の思い出話など聞かせて貰った。
これも楽しみ。
また五月には、新橋演舞場で、播磨屋組の歌舞伎一座があり、昼夜に染五郎が四役で出る。観たい。
ことに夜は『四谷怪談』の通し狂言。伊右衛門は、中村吉右衛門。お岩はいま期待の中村福助。前に中村屋で観て、彼はあわれ深くお岩さんを演じたが、若い福助は、いま意欲的なこの成駒屋は、情味の奥の凄絶なお岩を、まっさらのチューブから絵の具を絞り出すように演じそうな気がする。まさに怖い物見たさに、予約したのである。
昼は所作事のほかに初めて観る『一本刀土俵入』がある。
2008 3・15 78
* チベットが動いている。
理は、歴史的に明白にチベットにある。「暴動」という報道は中国の視点に偏している。支配に抗した「自治権(独立)運動」のまたも露頭と観ている。
「共産党支配」という古服のままでは、とても中国は事実上もうもつまいところへ内から変容しているはずだ。チベットと新彊地区とは、中国の明日明後日を揺すぶり続けるだろう。
こう書いたところへ、ボストン発の鋭い声が届いた。
☆ 革命の起きるとき ボストン 雄
どうやらチベットで暴動が起き、中国政府がこれを武力で制圧しようとしているらしい。ロケーションフリーでTBSの「サンデーモーニング」を見るまでは、ここまで大きな騒動だとは思っていなかった。ネットニュースで見出しには気づいていたものの、インターネットのニュースは、テレビと比べると、やはりどうしても臨場感に欠ける。
「暴動」などと報じられていたが、明らかにこれはチベットではなく中国政府に問題があると思う。「制圧」などと言っているが、既に多くのチベット人を殺戮しているようだ。到底許されることではないと思う。
これまでも、決して良いとはいえなかったのかもしれないが、ここ最近の中国の様子は、明らかにおかしいように思う。食品の問題もそうだし、大気汚染もひどい。自分の国を自分達で壊してしまって、将来いったいどうするつもりなのだろう。
高校生の頃、世界史の先生がおっしゃった言葉の中で、いまだに覚えているものがある。
「革命は、とても充ち足りている時には起きないが、同時に、極度に酷い状況でも起きない」と、その先生はおっしゃった。極限まで追い詰められた状態から少しでも改善され、わずかな望みを持つことができるようになった時に、人は初めて革命を起こすのだ、と。
北朝鮮で、あれだけ国民が虐げられながら、未だにクーデターが起きないのは、おそらく希望を持つ余裕すら国民に無いからなのだろう。それに対して、今の中国政府は、おそらく崩壊の一歩手前にあるのだろう。それを察しとったからこそ、このような暴動がチベットで起こったのに違いない。既に「共産主義」が破綻をきたし、ソ連も崩壊した今、このような政治体制を維持しようとすることに、諸悪の根源があるのだと僕は思う。
ここ最近、日記に何度も書いているように思うが、そういう国に「食」を預けてしまうのは、極めて危険だと思う。自給することが困難なのであれば、せめて他の国に乗り換えるべきだと思う。いざ事が起きてからでは遅いような気がする。
それにしても、今日の「サンデーモーニング」でのコメンテーターの発言は、僕には納得しかねるものばかりだった。国際政治学者の浅井信雄、日本総研の寺島実郎などは、「今年は中国でオリンピックが開かれるというのに、こんなことが起きて気の毒」とでも言わんばかりの口ぶり。そもそも、そんな国でオリンピックをすることの方が、おかしいのだと思うのだが。ただでさえ、これら二人のコメンテーターの発言には、以前からくだらないと感じられるものが少なくなかったのだが、今日のは特にひどかったように思う。
唯一、それに反論していたのはジャーナリストの江川紹子くらいだったが、その発言を受けた関口宏の対応も冷ややかなものだった。「サンデーモーニング」の後の「サンデージャポン」に至っては、取り上げすらしなかった。最近のTBSの中国に対する報道姿勢に、僕は違和感を感じる。
2008 3・16 78
☆ 旅抄: じゃがいも・ケーキの寄進・職家 maokat
* ジャガイモの原産地がペルー近辺だということはご存じだろう。大航海時代にヨーロッパへ持ち込まれるが、1845年に疫病という病気で一度壊滅的な被害を被る。この大飢饉で食い詰めた多くの人々が米国へ移住し、現在の米国の繁栄の礎となったこともご存じだろう。
さて、ジャガイモの遺伝子配列を調べると、1845年以前にヨーロッパへ持ち込まれたジャガイモ(第一波)と、1845年以降に入ってきたジャガイモ(第二波)を区別することができるというのだ。
ではわが国はどうかというと、慶長年間(1596~1614年)にオランダ人によって長崎に伝えられたのが最初だといわれているので、この時伝えられたのは、第一波のジャガイモということになる。このいもは、長崎からじわじわと全国に伝播したが、明治初期に欧米から近代品種(第二波)が導入されると、次第に姿を消していった。
しかしよく調べてみると、中央構造線という地層に沿った、山間の奥地の平家の落人などの集落で細々と伝承されていることがわかった。昨年私が調査したのは、山梨の丹波山、長野の清内路、売木、天竜、下栗、静岡の井川など、いずれも山の奥の奥にある古い村の在来ジャガイモばかりで、これはおそらく第一波のものではないか、ということをH先生に確認したかったのが、神戸を訪問した第一の目的だった。
さらに、第一波と第二波のジャガイモが遺伝子配列で区別できたように、第一波のジャガイモ(慶長)と第二波のジャガイモ(近代)に含まれているウイルスについても、遺伝子配列で区別が出来ないか、もし両者に違いがあれば、大航海時代やさらにその前に遡って、ジャガイモとウイルスがいつどこで出会い、どんな変遷を経て極東の日出づる国までやって来たのかを、壮大に考察できるのではないか、というのが第二の目的なのだった。
この話をH先生にすると、大変乗り気で、すぐさま、四国などから収集された第一波と思われる古い品種を、保存庫から出してきて分譲してくださった。これからこれらのいもに含まれるウイルスと、男爵薯など第二波のいものウイルスを比較してみる。
いもに歴史を載せて料理できるかどうか、腕の見せ所だ。
* タクシーを飛ばし大徳寺へ。塔頭を訪れ若和尚に会う。昨年暮れの茶会の御礼。昨年お土産に頂いた大徳寺納豆を、研究室でお土産に配ったら、料理のプロ級で、育種家から新品種の調理レシピの依頼まで受けている同僚が、何と愛知の八丁味噌と合わせたシフォンケーキを焼いてきた。味噌松風を名古屋風に強烈にしたような味で、松風のように胡麻も散らしてあり、あまりに完成度が高かったので、彼女に頼んで自信作を焼いて京都まで送ってもらい、大徳寺に持参したのだ。
若和尚の話で、大徳寺納豆は夏に作るものであることをはじめて知った。祇園祭が終わった後の、最も暑く寝苦しい頃に、一気に作って天日で乾燥させるのだそうだ。この塔頭では毎年大豆百二十キロを仕込んでいるという。さらに驚いたのは、室に土着している天然菌を使った自然発酵で仕込むとのこと。
私のように試作品を持ち込む人も結構いて、和食中華フランスイタリア、あらゆる料理に大徳寺納豆が使われていることも知った。但し、これまでシフォンケーキを焼いて持ってきた人はいなかったということだ。開山大燈国師以来のお初ものを寄進する栄誉に悦に入る。
* 今回の京都訪問は、お茶関係の師、知人には知らせていないが、道具職家の友人にだけは、とりあえず一報入れておいた。午後七時にロビーで落ちあい、木屋町へ。五条あたりの店で高瀬川を近く見渡せるカウンターに座る。
私がよっぽど疲れた顔をしていたのか、いきなりすっぽんのキモの入った土瓶蒸しを食わされた。しかしこれで本当に元気が出て、あとの品々を美味しく頂くことが出来た。友人に感謝。明石の鯛がとびきり美味しく、頭もバラバラに分解して全部頂いた。ふぐの唐揚げもさっぱりしており、季節外れの鱧のしゃぶしゃぶをしたあと、そのスープで雑炊を作ってもらった。これがさっぱりしているのに滋味深く、二人でおかわりをして打ち物の鍋を空にした。
店を出て、四条大橋を歩いて渡り、祇園のお店でさらに一時。
ずっと前から聞いてみたかった「自分の中で職人と作家の相克は無いのか?」という問いに、彼の答えは今ひとつはっきりしない。京都人のものいいか。
「そやおもうときもある。そやないとおもうときもある。そんなもんやないんやろか」てな調子。そのくせ
「じゃ、大金持ちがガンダムの茶釜を作れといったら作るの?」と振ると
「そりゃつくりませんわ」と、これははっきりしている。でも話をするうちに、だいたいのイメージは掴めるようになった。
職家さんという業態は、広告代理店とだいたい同じなのじゃないか。つまり、クライアントがあって、これこれこういうものを作ってくれといわれたら、それに最大限かなう範囲で、創作活動をする。クライアントが無いのに、勝手に広告など作りはしないのだ。こう考えることで、私のイメージは大分すっきりしたものになった。
* maokat style とでも謂えるモノが、この「私語」世間にほぼ確立されて、愛読者が出来ている。今日の三話など、そのまま「e-riteraly magazine 湖(umi)」にもらって嵌るだろう。名張の囀雀さんにも読者ができている。ハーバードの雄くんにも読者が出来ている。このわたしの「私語」は毎日ほぼ必ず書きくわえがあり、アクセスする人をその点では満足させているので、「mixi」でのマイミク+アルファどころでない広範囲、それも各界の人に読まれていることが分かっている。読まれて困る人には迷惑をかけてはいけないが、そうでない限り、此処に転写されるのは、ちょっとした雑誌に原稿が掲載される感じと似ている。恥はかかせていないと思うし、極力配慮もしているつもり。
☆ ブログ インターネット ボストン 雄
昨日、遅かったこともあって、今朝は久しぶりに朝寝坊。ラボに行き、夕方から買い物へ。久しぶりにリライアブルマーケットに行き、日本の食材や豚の薄切り肉、キムチなどを購入。
この店には、Aさんという、ボストンでは名の知られた六十歳代の女性が働いている。この方は、この店で働くだけでなく、僕のように日本からボストンにやってくる人の生活のセットアップを手伝う仕事もしている。日本にいる間にアパートを探してくれたり、家具や電化製品などをそろえたりするらしい。最初は僕もお願いしようかと思い、一度だけメールを送ったことがあったのだが、結局自分で全て行なうことにしたので、お願いすることはなかった。
たまたま、この方のブログを見つけて、母にその話をしたところ、どうも母はそのブログを愛読するようになったらしい。他にも、いくつかボストン在住日本人のブログを読んでいるようだが、Aさんのものが一番しっくりくるのだとか。さすがに、僕の日記のことは伏せている。別に読まれて困るようなことは書いていないと思うが、それでも両親に読まれるのは、ちょっと嫌だ。
レジでカードを出し、レシートが出てくるまでの間にAさんが、
「ご出身は九州?」と聞いてきたので、
「いえ、違います」と答えた後、思い切って、「Aさんですよね?」と聞き、上記の話をした。母から
「なんだか、毎日ブログを読んでいるから、知り合いのような気分になっているのよね。今度行ったら、よろしくお伝えしておいてね」とリクエストされていたので、初対面で失礼と思いながらも、お話した次第。
「あまり変なこと書けないわね」と言って、Aさんは笑っておられた。
先程Aさんのブログを見たら、早速そのことが書かれていた。きっと母も満足に違いない。
僕の日記も、ある意味、ブログのようなもの。僕の日記を読んでくださっている方は、殆ど面識が無いに等しい方も少なくない。だけれども、毎日「あしあと」が残っていたり、コメントを寄せてくださったりすると、なんとなく親近感が湧いてくる。不思議なものだ。
昨日の日記を読んで、「湖」さんが、
「友人にメールするとすぐ返辞があり、視野が大きく動くところなど、電話すらままならなかった昔の研究者にはウソのようだろうなあと驚く。」と、ご自身のホームページにコメントされていたが、全くそうだと思う。
確かにインターネットには、犯罪などの裏社会に通じるものもあるし、心して利用しなくてはならない部分もあるだろう。しかし、インターネットの普及による恩恵もまた、計り知れない。
色々と難しい問題はあるけれど、巧く使いこなしたい。
リライアブルを出てから、フレッシュポンドモールのWhole foodsと酒屋で買い物をして帰宅。
* 電子の杖は、ことにお年寄りにはむしろ貴重で、これからははっきり必要とさえいいたいほどの、利器。ことに子弟を海外に出されている親御さん達はどんなにか安心で心落ち着かれているか知れない。
「mixi」の「足あと」群をその気で観ていると、ホームページを不時に「アクセス」させる回数に応じてなんらかペイバックしながら、妙な商売をしている「業者」の利用意図が透けて見えている。このごろ機械をさわると「お金になる」方法があると、しきりに奨めながら、このサイトを開け開けと誘導している類の「足あと」は、「プロフィール」の書き方にも自ずと類同性が読み取れる。それなりに工夫をしているんだと苦笑しつつ、そういうサイトは決して、物好きにも開かない。広告も、俄然として品のないモノが「mixi」に蔓延しだし、不愉快度はとみに高まっているが、見えれども見ずに、マイミクさんたちとの交歓にアクセスを限定している。マイミクを申し込まれても、暫くはその人の日記やコメントを観てからということに慎重になっている。
2008 3・16 78
☆ ドル安、円高、どうなってんの 優 e-OLD多摩
今週は気分を変えて空元気でも明るくやるぞーと奮い立ったら、なんとワンダラー96円台に突入。円高株下落はひどいもんだ。ため息がうなりに変わって、そのうち酸欠、無呼吸症候群になるのは必至。
円高ではなく、大元凶のドル安にやむなく引きずられているのが問題なんだ。
これじゃ日本も簡単にドル買い介入できないぞ。すでにたっぷりドルを抱えているから。80円台もまさかではなくなった。輸出下請けの倒産がバタバタ出始めるぞ。
塩漬けドル建て金融商品じゃ、虎の子は手も足も出せない。トホホ
インチキ米国経済と彼の地のバブリー消費に目くらまされ、気がつけばこの有様だ。
そこで、緊急提案だけど、日本はドルと心中する覚悟を世界に示すことだ。役人と政治家と日銀マンの給料や資産をドル建てにし、三分の一は三年ぐらい引きおろせぬ塩漬け定期にしたらどうか。こうすれば彼らは死に物狂いで滅私奉公する。損切りもへったくれもないし、ドルが持ち直すかも知れない。
個人レベルでは、メリケンへ行って、バッタ売りの不動産やら会社やらホテルやら絵画やらレアメタルやら何やらかにやら、キャッシュで買いまくったらどうか。底値で買ってしばらく寝かせたら、必ず円は安くなる。そしたら売れば大儲け。遊びだけのアメションでも行かぬよりましだ。
株はちと難しいかな。
つまりこのまま日本経済が混乱下落を続けると、大黒柱の輸出産業が不況になって、結果、日本の信用ガタ落ちで、GDPも大いに下がり円安が進み、それで1ダラーが150円ほどに戻すことにはならないだろうか。
突然の外貨下落リスクをどう避けるかなんて、保証はまったくなし。
ましてこの際、対ユーロまで考えが及ばない。
ま、アメリカも困っているからどんどんモノを買ってやったらいい、円建てで。きっと彼らも恩にきるぜ。ただし戦闘機や軍艦はドル建てだぞ。
ま、いつ底になるかの見極めは大事だが。
ま、早く何とか手をうって下さいよ。
* 反射的に福田総理の嘴をとんがらかした仏頂面が目に浮かぶ。ダメだ、こりゃ。
☆ ドル安、円高、どうなってんの 優 e-OLD多摩
今週は気分を変えて空元気でも明るくやるぞーと奮い立ったら、なんとワンダラー96円台に突入。円高株下落はひどいもんだ。ため息がうなりに変わって、そのうち酸欠、無呼吸症候群になるのは必至。
円高ではなく、大元凶のドル安にやむなく引きずられているのが問題なんだ。
これじゃ日本も簡単にドル買い介入できないぞ。すでにたっぷりドルを抱えているから。80円台もまさかではなくなった。輸出下請けの倒産がバタバタ出始めるぞ。
塩漬けドル建て金融商品じゃ、虎の子は手も足も出せない。トホホ
インチキ米国経済と彼の地のバブリー消費に目くらまされ、気がつけばこの有様だ。
そこで、緊急提案だけど、日本はドルと心中する覚悟を世界に示すことだ。役人と政治家と日銀マンの給料や資産をドル建てにし、三分の一は三年ぐらい引きおろせぬ塩漬け定期にしたらどうか。こうすれば彼らは死に物狂いで滅私奉公する。損切りもへったくれもないし、ドルが持ち直すかも知れない。
個人レベルでは、メリケンへ行って、バッタ売りの不動産やら会社やらホテルやら絵画やらレアメタルやら何やらかにやら、キャッシュで買いまくったらどうか。底値で買ってしばらく寝かせたら、必ず円は安くなる。そしたら売れば大儲け。遊びだけのアメションでも行かぬよりましだ。
株はちと難しいかな。
つまりこのまま日本経済が混乱下落を続けると、大黒柱の輸出産業が不況になって、結果、日本の信用ガタ落ちで、GDPも大いに下がり円安が進み、それで1ダラーが150円ほどに戻すことにはならないだろうか。
突然の外貨下落リスクをどう避けるかなんて、保証はまったくなし。
ましてこの際、対ユーロまで考えが及ばない。
ま、アメリカも困っているからどんどんモノを買ってやったらいい、円建てで。きっと彼らも恩にきるぜ。ただし戦闘機や軍艦はドル建てだぞ。
ま、いつ底になるかの見極めは大事だが。
ま、早く何とか手をうって下さいよ。
* 反射的に福田総理の嘴をとんがらかした仏頂面が目に浮かぶ。ダメだ、こりゃ。
☆ Wellesley college ボストン 雄
昼2時半過ぎに家を出て、ボストン郊外にあるWellesley collegeに行ってきた。この大学で日本語の授業を担当されているOさんとは、昨年、合唱でご一緒した。昨年末のコンサートで共演してくださった、マリンバ奏者の布谷史人さんのコンサートをOさんが企画され、直にお声をかけてくださったので、20マイル弱離れたWellesleyまで車を走らせてきた。
Wellesleyはボストンの南西にある都市だが、僕には全く土地勘がない。そこで、初めてGPSを使ってみることにした。
GPSを利用するのは初めてなので不安だったが、いざ使ってみると、やはり便利。GPSが無かったら、おそらくたどり着いていないだろうと思う。しかし、前方は勿論のこと、バックミラー、再度ミラーに加えて、もう一つ見なくてはならないものが増えたことで、運転に集中するのが大変。わずか30分足らずのドライブだったが、少々疲れてしまった。
疲れてしまったのは、高速道路を利用したせいもあるだろう。GPSの言うとおりに走っていたら、いつの間にか高速道路に乗ってしまった。できれば下道でのんびりと行きたかったのだが。高速道路だと、当たり前だが後ろから来る車のスピードも半端ではないし、少しでもこちらが遅いと煽られたりするので、血圧が上がりそうな気分になる。オプションで、高速を利用しない道路なども選択できると良いのだが。
初めて行ったWellesleyは、こじんまりとした綺麗な街だった。大学内のゲストパーキングのスペースも充分広いし、タダ。今回行くまで知らなかったのだが、Wellesley collegeは女子大なのだそう。しかも、今まさに大統領選を戦っているヒラリー・クリントンの母校でもある。構内の建物はレンガ造りの瀟洒なものばかりで、いかにも品が良い。
早めに家を出たせいもあって、僕は一番乗りだった。Oさんとご挨拶する。早く着きすぎて、会場のJewell auditoriumは開錠されていなかったので、廊下のベンチに腰掛けて、論文を読む。やがて人も集まりだして、場内へ。
肝心の演奏会だが、個人的にはベルモントの図書館でのコンサートの方が好きだった。音響や観客は今回の方が圧倒的に良かったたのだが、選曲は前回の方が僕は好きだった。
ベルモントのコンサートで良い演奏を聴かせてくれた、バッハの「シャコンヌ」や、アストル・ピアソラの「リベルタンゴ」などの曲を、来月末に Natickでのコンサートでは演奏するらしい。ちょっと僕は行けないかもしれない。
合唱関係での知り合いも数人来ておられた。昨年まで参加しておられ、今年に入ってからは参加されていないPさん&Dさんご夫妻も来られていて、久しぶりに挨拶。
僕の隣には、同じく合唱関係のKさんがお座りになったのだが、帰り道、駐車場まで戻る間、お話させて頂く。このWellesley大学には、Kさんの娘さんも通っておられるのだとか。ご自宅から大学までは、わずか20分だというが、娘さんは寮に入っているという。大学に入ってハメを外すのは、洋の東西を問わないのだそうで、とても付き合っていられないからといって寮に入れたのだとか。僕の大学時代を振り返ってみると、あまりハメを外すようなことは無かったなあ。男女比19:1で、毎週のように山のような宿題が課される東工大では、ハメの外しようが無かったかも。
☆ 春のひとときとF1開幕 東海 松
週末は春の陽気だった。自転車で買い物をしながら、日頃気になっていた史跡を回る。近くの吉原商店街には「東海道 吉原宿」の碑があり、近くの「鯛屋旅館」は清水次郎長や山岡鉄舟といった歴史上の人物の常宿だったそうだ。「平家越」という碑が小さな川のほとりにあるが、源平合戦の時に水鳥の羽音を夜襲と勘違いして平家が逃げた場所だそうだ。他にも歴史上の史跡などが近所にあるので、徐々に紹介していきたい。
夕食はあっさりしたものでまとめた。ご飯と卵焼き、ほうれん草とベーコンの炒め物、そしてインスタント味噌汁に葱をたっぷり入れた。今日のご飯はうまくいったので満足。
今日からF1グランプリが開幕した。初戦はオーストラリア。22台中7台しか完走できないという波乱の展開だった。王者フェラーリはマシントラブルで2台ともリタイア。優勝はマクラーレン=メルセデスのハミルトンだった。去年わずか1ポイント差で年間優勝を逃しているので、今年は気合が入っている。
頑張って欲しい日本勢はホンダの二人がリタイアと失格。トヨタ、スーパーアグリは2台ともリタイア。唯一のニュースはウィリアムズの中嶋一貴が6位入賞でポイントを獲得したことぐらいか。
量産車では世界的なレベルにある日本車だが、F1ではまだまだ世界に及ばない。フェラーリやマクラーレンほど資金をかけることができないという面はあると思うが、技術的なノウハウの蓄積が違うのだろうか?それともドライバーの差?
是非今シーズンは一度ぐらい優勝して欲しい。
☆ シャワーカーテン:技術革新 vs ビジネス 光
家はユニットバスなので、シャワーカーテンを使っている。
気をつけているけれども(ウソ)、どうしてもカビてしまう。端の方からグレー領域が徐々に広がり、だいたい1年くらいで、これはあかんと降参して新しいものを購入する、そんなことを繰り返していた。
どうせ1年経ったら買い直すのだから・・・。特にこだわりもないので、お店に行って安いもので間に合わせていた。
*
そんなある日、お店でシャワーカーテンを物色していると、ふと目にとまったものがある。抗菌防カビ仕様シャワーカーテン。これは私のような人向けのカーテンか。
しかし、抗菌防カビというのも本当だろうか。世の中、うさんくさいものも多いし。しかも、お値段は通常品と比べて1.3倍という微妙な設定。ダメでも仕方ないね、という人の心理を捉えている。
うーん、その手にはのらないぞ、と思いつつ、買ってしまった。その、抗菌防カビの技術力とやらを見せてもらおうじゃないか。
*
そして、数ヶ月。なんと驚いたことに、全くカビが生えない。技術の進歩は、すばらしい。その感動だけで、購入した価値があった。
しかし、これだけカビが生えないと、カーテンの買い換え需要がなくなって、商売あがったりなのではないか。技術の進歩で、シャワーカーテン・メーカーは自らの首を絞めているのでないか。
お節介にも余計な心配をしてしまう。
ところが、購入1年近くなってさらなる驚きが待っていた。
突然、カビはじめて、あれ、抗菌効果がなくなったのかなぁ、などとのんきなことを言っている間もなく、あっという間に降参レベルまでに達してしまったのである。
*
結局、抗菌防カビのカーテンでも1年で買い換えるサイクルは同じだった。
それでも、11ヶ月はカビが生えないのであれば、消費者は技術の恩恵に与れる。
すべてが丸く収まっている。
一枚のシャワーカーテンは、私にいろいろなことを教えてくれた。
* 同じ年に同じ教室にいた三人の、十余年後の述懐である。
e-OLDさんがいちばんハゲシいのが、面白くもあり考えさせもする。
2008 3・17 78
☆ 花粉 花
お元気ですか、風。
さて、風邪はなんとか治ったのですが、風邪薬を飲んでいるあいだ、花粉症の薬を止めていたせいか、症状が酷く、きのうは完全にへばっていました。風邪の症状と似ているので、混同しがちですが、花粉症は、わたしの場合、体が熱く、特に手足の末端が熱くなります。常に微熱のある状態で、とてもだるいです。結核って、こんな感じかしらん、と思います。
花粉症だったのが、「にがり」を味のしないくらい薄めて飲み、薬いらずになった人の話を今朝聴き、わたしも試してみたいと思いましたが、スーパーで「にがり」を買い忘れ、ガックリ。これから、歩いて近所のスーパーへ行ってこうようかなあ、と考えているところです。
風、風邪にお気をつけになってください。
花粉症プラス風邪は、キツイです。
ではでは。花
2008 3・17 78
* 声が届いてくる。
☆ チベットの叫び 2008年03月17日20:23 恭 e-OLD播磨
長い間「mixi」に文章を書かなかった。が、チベットの暴動のニュースを聞き、今日は思い立って一市民わたしの感想を書く。
地を低く這う唸りは 既に既に確かに聞こえていた
10日 ラサ市内のデプン寺の僧侶のデモが始まった
11日 同じくラサ セラ寺の僧侶のデモ 翌日はハンガーストライキに入った
14日 同じくラサ ジョカン寺で抗議行動
そして群集が市内の中国系銀行や商店を襲撃、暴動発生
15日 中国政府は死者10名と言う
16日 中国政府の発表はいぜん10名 亡命政府に依れば30名
17日 午前のニュース 中国政府の言う死者は13名
夕方のニュース 中国政府16名 亡命政府は80名と
四川省でも15名の死者という
チベット自治政府代表は軍は一切兵器は使っていないと語っているが 日本人旅行者が撮った写真にはラサ繁華街北京公路を占拠する戦車、一軒一軒虱つぶしに家を捜索する警察や軍の映像 そして密告、摘発を奨励する通達 「あなたたちチベット人よ またこの地に根付いた中国人よ 当局に密告せよ 五族共和のこの中華人民共和国に何の恨みか! チャンパ・プンツォク自治区主席は言う 中国政府の対応は正当である 暴動、叛乱を起こす破壊分子は排除されなければならぬ、と。」
北京オリンピックのマスコット人形の一つは、おお、チベット山羊だった。
それにしても各国は生ぬるい思惑ばかり 。
オリンピックは開催されなければならぬ。
中国経済が失墜すれば さらに世界は震撼するぞ。
日本政府も穏便な意見に終始する。
そして同じ仏教徒が弾圧されているのに 日本仏教会は何の対応か??
チベット自治区に限らない。
チベット族は既に分断されてきたのだ。
河西回廊蘭州から遥か南に連なり 四川・貴州の山々から西に幾筋も幾筋もうねり突き進むカム、アムドチャンタン高原の荒涼 カイラス抱くンガリの地 広大な大地チベット文化圏は軽んじられ、陵辱され・・
亡命政府の活仏ダライラマ14世は語った。
文化的虐殺が行われています。
我々は自治権の拡大を求めているのです。
独立ではありません 。
叫びは 空高く 谷深く 届け。
民族の誇り・自由 そして平和。
ひたひたと滲みわたり 燎原を渡ることを。
* この「mixi」の声に、自分は「当事者ではない」「胸の痛みに沈んでいるより、自分の『生』を全うしたい」という趣旨のコメントがくっついていた。わたしは共感しない。
2008 3・17 78
☆ チベット暴動のこと、 鳶
いつでしたか、以前にわたしも書いたことがありました。
今年行きたいところにチベットとギリシアを考えていたので一層ショックでした。が、わたしの希望など何処に吹き飛んでもかまわないのです。彼の地で今現在大変な思いをしている人たちのいること、それが問題です。
青蔵鉄道は中国のチベット支配の太いパイプであり、中国資本が雪崩れ込む強力なパイプです。チベット族を上回るほどの漢族がチベットに流入しています。昨年テレビで見たラサの中国人の企業活動にとても薄気味悪いものを感じました。チベットの人を踏みつけ利用し・・
同時に新疆での貧しい人たちの群れも思い出します。
今更わたしの書くことでもないのですが、何処に行っても弱肉強食の世の中、か。
ミモザが黄色になりました。シチリアの野一面に咲いていた黄色のオキザリスを園芸店で見つけて買いました。色々な花が庭で咲いています。この明るさ眩しさに一時安らぎます。春らしい穏やかな日が続いています。
☆ アメリカ出張終了 2008年03月18日06:38 創
二月上旬から一ヶ月半続いた出張も終わり、やっとポーランドの家に帰ってきました。異国のポーランドと言えども「家」は「家」。落ち着きますね。聞いてわかる英語より、聞いてもわからないポーランド語のほうが耳に落ち着くようになってしまいました。
ポーランドはいい国、いい人々です。
さて、
アメリカ出張時に多くの建築を見てまわる機会がありましたが、今回はあまり有名ではない建築家、建築を。
エーロ・サーリネンのミルウォーキー・ミュージアム旧館です。
丹下健三と同世代のアメリカの建築家で、日本ではあまり有名ではありませんが、どちらかというと家具で有名かもしれません。
さて、今回その建築自体は知らず、昨年(一昨年?)サンティアゴ・カラトラバによる新館が出来、それを目的に見に行ったのですが、旧館の建築としてのたたずまいは、やはり数倍素晴らしいと感じます。
構造と空間構成、アプローチ、空間配列と、洗練されつつも未知の空間を提出しています。特に四方に飛び出された上部ヴォリュームと中庭を形成する方形のピロティ配置は出来上がってはじめてバランスする形態として、建築の構想力としてすばらしいものがあります。
数多く輩出されたアメリカの建築家(ジョンソン、カーン、ヴェンチューリなど)の中で、「アメリカを代表する建築家」とは誰か? という問いに、「サーリネン」と、答えたいと思い始めています。
2008 3・18 78
☆ 雨が降ってきました。来客に備えてお蒲団を干したかったのに、困るなあ。
お元気ですか。
花は、評論のため読書の毎日です。その傍ら、創作の推敲も、ちょっとずつ進めたいです。
「手」のエセーも、少しずつ読んでいます。
さて、花粉のために「にがり」を飲みはじめましたよ。飲み物などに、一二滴垂らすだけ。ものは試しですから、手軽にできることは、やってみるのです。
では、お元気で。ほんとに風に一度逢いに行きたい、花です。
* わたしの花粉もこの三日間は容易ならぬ痛苦。
☆ すねてる?? 2008年03月19日15:57 悠
本日お昼に呼び出しがかかりました.38.2℃!
これまで高熱でも機嫌よく遊んでいたのが今日はご機嫌斜め.大好きな食事もやっと食べている状態ということで,早退して迎えに行きました.
保育園に着くと,珍しくぐっすり寝ている状態.昨夜,熱を出していたのですが,朝は平熱だったので連れていたったのですが..残念.
昨日,研究会があり,朝も夕方も時間的に厳しかったので,有給をとったダンナに保育園の送り迎えをお願いしました.(二人とも)頑張っていたようですが,息子としてはなぜ?? という状態だったのかもしれません.
帰宅後はいつもよりもじっくり母乳を飲み、やっと落ち着いたようです.しばらく抱っこしているといつものニコニコの笑顔が戻りました.熱も37.6℃に下がりました.
中耳炎,風邪,とすっきりしていないものを抱えていましたが,今日は”すねた”が正解でしょう.
明日は休みだからね,べったりしてあげるね!
* 生母の記憶を全くもたないわたしには、こういう母と子との場面はまぶしいように温かい。わたしはいま「mixi」に長編の書き下ろし自伝『もらひ子』を再掲連載中。読んでいて下さる人も、少なくないようで、半分恥ずかしい。
2008 3・19 78
☆ 黄砂 2008年03月20日12:24 優 e-OLD多摩
北京五輪開催を支援はせぬが、それよりなにより、黄砂にギョーザ事件と同成分の農薬毒が混じっているのがコワイ、環境汚染がコワイ。
雨が上がればもろ降ってくる。雨にもたっぷり混じってる。花粉症、アトピー、アレルギーもろもろ無関係では有り得ない。
<中国の五輪ボイコット史>
1949年 中華人民共和国 建国
1952年 ヘルシンキ五輪 参加
1956年 メルボルン五輪 開会式直前にボイコット(理由は台湾問題)
1960年 ローマ五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1964年 東京五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1968年 メキシコ五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1972年 ミュンヘン五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1976年 モントリオール五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1980年 モスクワ五輪 ボイコット(理由はアフガン問題)
1984年 ロサンゼルス五輪 参加
1988年 ソウル五輪 参加
1992年 バルセロナ五輪 参加
1996年 アトランタ五輪 参加
2000年 シドニー五輪 参加
2004年 アテネ五輪 参加
2008年 北京五輪 開催予定
(ネット情報より転載)
☆ チベット 2 2008年03月20日13:59 恭
決意をあなたは伝える
これ以上暴動が広がるならば わたしは完全に引退すると
あなたの影響力はあまりに大きい
生涯の大半 半世紀以上を闘い続けるダライラマは非暴力を訴える
目前の危機を回避すること 犠牲者がこれ以上出ないことを訴える
無力に思えるか 非暴力 無抵抗
稀有至難の姿勢 それを貫くこと
屈辱や悲嘆を伴い そして死さえ同じ椅子に座っている
完全に引退することの意味は・・?
これ以降も新たな動きは生まれるだろう
状況は・・変わっていないのだから
ごわごわの茶褐色の衣の人々 恐ろしさ悲しさに縋りつく女たち
鮮やかな紅や朱の布をまとう僧侶たち
どの衣も塵に泥に粘液にまみれている
銃弾を浴び 夥しい赤い血を流して死んだ人たち
凝固した血は訴えている
未だ雪がれていないものの行方を
生きている人間は見定めなければならない
* 隠蔽と欺瞞と暴圧とでチベット問題に蓋をし、海外ジヤーナリストの取材を中国政府が不当に拒み続けるなら、オリンピック開会式を全世界がボイコットするようなことが有っても仕方がない。守られねばならないのは人命と人権と人間的な理性である。日本国政府も毅然とした姿勢を見せよ。また国連も動き出すべきである。
☆ 以前書いたことがありますが 2008年03月20日20:31 昴
昭和の三~四十年代頃だと思うのですが、アイヌのおばあちゃんが物語を語っている途中に、突然語るのをやめたことがあるそうです。
そして、「こんなの語って何になるの。もう聴く人もいないのに」というようなことを言って、やめたそうです。
豊富にあったアイヌの文化や言葉が徐々に消えていっていた時期のことです。
自分の使っている言葉がなくなるということは、使えなくなるということはとても怖いことだと思います。自分のこととして、ちょっと考えれば分かることだと思います。
チベットの人達も、文化や言葉が失われるという恐怖があったのではないかと思います。
日本の江戸時代や昭和期に起きた出来事が、現在起きていることに、驚きます。
想像力を育むこと、歴史を学ぶことの大切さを感じます。
教育力が決して低くない国であるだけに、残念でなりません。
* 雨。もうやむか、これから降るか。
☆ 雨ですね 2008年03月20日07:00 馨
ここ一週間ほど気の滅入ることが多かったのですが、少しずつ解決が見えてきて、今日くらいはどこかのんびり出かけようかと思っていたら、この雨。
とどめのように主人は夕べから熱を出しているし・・・。
今日はおうちライフするしかないかな。
昨日は妊婦検診。
普段は個人病院で検診を受けているのですが、そこは出産はできないので、分娩する大きな病院でもそろそろ検診を受け始めました。
ここは流れ作業になっていて、お医者様の問診、超音波検査、助産婦さんの検診など、受診の要素が全部小部屋に分かれていています。
最初の問診で担当して下さった女医さんがカルテを見ながら「あら、前回の出産、私が担当しているわ」。この病院は分娩は助産婦さん主体ですが、胎盤の処置などにはお医者様がいらっしゃいます。でも、もうこの頃には疲れ果てているし、あまりお顔を覚えていないんですよね。女医さんだったのは覚えているのですが・・・。
ところが、助産婦外来の部屋に入ったらこちらでは「あ! ご無沙汰しています」と、思わずご挨拶。
助産婦さんも下の子を生んだ時、担当して下さった方でした。こちらの方はお顔を明瞭に覚えていました。まだ産前の意識が明瞭なうちにご挨拶していますし、明るくてチャーミングな覚えやすい方でしたし。
助産婦さんのほうはやはりカルテを見ながら「そうですね、私が担当したんですよね」という感じでしたけど、相変わらず明るくて素敵な助産婦さんでした。
年間千件以上分娩を扱う病院で、お医者さんも助産婦さんもかなりの人数いる中、この組み合わせでお目にかかれたのは嬉しいびっくりでした。
いろいろなことがあって気が滅入ったまま行った病院でしたが、こういう小さなことでもちょこっと救われたりします。
ちなみにこの病院、未だに「助産婦」と名称を統一しています。巷では「助産士」や「看護士」といった言葉が席巻しつつあるけれど、やはり私は「助産婦さん」や「看護婦さん」という言葉が好きです。蛇足ですが、曾祖母は「お産婆さん」でした。
そのあと娘を迎えに行った科学工作教室で、久しぶりに幼稚園のママ友さんとばったり。相変わらずふわっとした優しい笑顔で、こちらまでふわっと気持ちが軽くなります。このお教室、主催している方が娘の同級生のママで、気の滅入っている私はこの方ともお話しできて、また気が軽くなり。
ママさん二人に助けてもらったな、と。
いろいろな小さな出来事に支えられて、人生って歩いてゆけるんだなー、と思います。
でも、声をかけられないくらい辛そうな方も見かけました。
昨日の病院で超音波室の前で待っていると、前に出てきた方がもう一度呼ばれて入り、暫くして出てきたあとは、ソファの端でずっと静かに泣いていました。
まだ妊娠初期かな、ほとんどお腹は目立っていなくて、ほっそりとしてきれいに髪をブローしている方でしたが、その髪が彼女がすすり上げるたびに揺れて、そばにいるこちらまで辛くて。
彼女の赤ちゃんが無事に生まれてきてくれますように。
雨だといろいろなことを思います。
* わたしは儒教の徒ではないけれど、惻隠の情という教えにはやはりながく頷いてきた。バラバラに一枚一枚一枚に過ぎない盾、盾、盾を繋いでゆく接着剤のようなものでもあるのではないか、惻隠の情とは。
☆ レッドソックス イラク開戦五年 ボストン 雄
・レッドソックスが、今年の開幕試合を日本で行なうことになっていたが、コーチなどのスタッフへ手当てが支給されないことに選手達が抗議し、日本へ行くのをボイコットするというニュースが入ってきた。結局、スタッフにも手当てが支給されることとなり、日本へ向けて発ったとのことで、ホッとする。
25,26日に試合が行なわれるようだが、時差のことを考えると、自宅のテレビでの観戦は不可能か。ロケーションフリーの入ったノートパソコンをラボに持って行けば、日本のテレビ放送でレッドソックスの試合が観戦できるかもしれない。さすがにそこまでする気は起きないが、日本からの中継で、レッドソックスの試合を見てみたいという気持ちはある。
いずれにせよ、もうメジャーリーグのシーズンが始まるのだな、と思う。去年は、初めてボストンに来て、いきなり優勝し、チームの勢いやファンの熱気、フェンウェイパークの雰囲気に、すっかりレッドソックスファンになってしまった。去年は1回しかフェンウェイパークに行けなかったが、今年はもう少し行きたいな。
・さて、今日でイラク開戦から5年が経つ。振り返って、いったいこの戦争は何だったのだろう、と思う。もっと言うならば、ジョージ・ブッシュが大統領の間にしたことというのは、いったい何だったのだろう。つまるところ、彼が大統領としてやったことは、父ブッシュが大統領在任中にやっつけることのできなかったサダム・フセインを仕留めることだったのか?そして、たったそれだけのために、これほどまでの人命が奪われ、莫大な金が費やされたのか?
今日、ブッシュは開戦の正当性を改めて演説の中で説いたそうだが、今更そんな言葉に耳を貸す人がいるのか、甚だ疑問。こんなにも希薄な根拠で8万人以上ものイラク国民を殺してきたアメリカに、チベットの民衆を弾圧する中国政府に対して、偉そうなことを言う資格など果たしてあるだろうか?
いずれにせよ、この問題が大統領選に影響を及ぼすことは間違いないだろう。イラクからの早期撤退を表明している民主党の候補者が勝つのか、それともイラク戦争支持の立場を明確に打ち出しているマケインが勝つのか。少し前ならば、民主党の候補者が勝つのは疑いないようにさえ思えた。しかし、人々のイラク戦争に対する関心は薄れつつあるようにさえ映る。実際、今日、全米各地で行なわれた反戦運動は、極めて小規模だったようだ。オバマとクリントンがお互いに潰しあいを行なっているうちに、気づいてみればマケイン大統領誕生なんていうことになるのかもしれないなと思ってしまう。
☆ お元気ですか、風。
花粉、酷かったですね。お大事になさってくださいね。
今、空が少し明るくなってきました。
>カードの書き抜き、日記風のノート、絶えず問題を頭の内でころがしながら、
>閃くものをすばやく掴まえて断片でも言葉にして書き留めること。
これは遂行しています。
以前は、メモ紙・裏紙やノートを使用していたのですが、エコ発想とはいえ、メモ紙・裏紙は保存しずらく、清書するのは二度手間になるし、ノートは、思いつくまま書きとめてゆくと、内容の纏まりがつけにくいなあ、と思っていました。
で、ルーズリーフを使うことにしました。これが、便利です。紙が本体から外れるので、書きとめた内容の纏まりごとにページを入れ替えればあとで見やすいです。
バッグに入れて持ち歩くため、A6タイプの、小ぶりなものにしました。
携帯パソコンに書き付け、必要なものだけ印刷すればいいかな(これもエコ発想)、と思ったこともありましたが、気のついたことをちょこっと書きとめるのに、いくらすぐ起動するとはいっても、キィを打って文字を書きデータとして保存する、という一連の工程を思うと、敬遠しがちでした。
ルーズリーフなんて、学生のとき以来です。
ケチケチせず、もっと早く使っていればよかったなあ、と、ちょっと後悔しています。
そうそう、今使っているルーズリーフは、先日、市内の「無印良品」でささっと買ったものです。よいと思ったことは、即実行の花です。
さてさて。
「あー、さてぇー」でニュースを読む口癖を物まねされていたアナウンサーは、小林完吾さんだと、今、思い出しました。
ではでは。
2008 3・20 78
* 家に帰ると、岡山の有元さんから、備前焼を頂戴していた。これから荷を開かせてもらいます。ありがとう存じます。
2008 3・20 78
* 心落ち着けて、昨日頂戴した備前の花瓶を見せて頂いた。作者は若い。有元さんがきっと応援されている気鋭の作家なのだろう、「気鋭」という二字がみごとにフィットするシャープな造形に、備前の特色である火色が、幾重にも表現されている。たまたま手近で盛りの草花を挿してみたが、おもしろい。
高さは二十数センチか、口作りを手厳しいほどの力で三角にまとめ、下ふくらに胴は手触りもまろやか、安定が佳い。愛用させてもらえる新しいまた一つ花瓶が手元に生まれた。作者にも感謝したい。
有元さん、有り難う存じます。
2008 3・21 78
☆ パラレルワールド(1/2) 2008年03月20日23:19 光
高校生の頃、習い事として「書道」をやっていたときのことである。半紙に書いた私の書を見た恩師に言われたことがあった。
「墨で書かれたときにできるこの白い部分、これを活かしなさい。」
私は、はっとした。それまでは、一生懸命、黒い墨汁で如何に整った字の形が書けるかどうか、に気を遣っていた。ところが現実には、それと同時に半紙の中に「白い形」も自分はつくっていた、ということに気づかされたからである。
デジカメで撮った写真をパソコンの画面で見ていたときである。
いたずら心で、左右反転してみた。そこには、いつもとは異なった風景が広がっていた。
別の世界? この世界はもともと存在しない、デジカメのシャッターを押すと同時につくられた(非現実な)世界、ということになる。
何か行動すれば、いつの間にか別の世界がつくられていく。
これは、パラレルワールドの入り口なのだろうか。
* 茶碗などの器ものを鑑賞するとき、器体の造形に目を取られてしまうものだが、わたしは器体が囲んでいる、或いは捉えている塊(マッス)としての内形をも想像してみる。「光」君の云うている墨書を包んでいる「白地」もそれに相当するか。
「余白」の美と盛んに云われてきた、書でも絵画でも。それは写真のトリミング効果にも関係している。
もう一つの「左右反転」にも、強い印象をもっている。いつの昔とも不確かだが、デジカメでの人の顔を、反転ではないが左に、また右に横倒しにして見てみると、普通では(失礼!)さしたる印象も持たない顔の造形美が、五倍にも八倍にも美しく輝いて見えるのを発見することがある。何度繰り返し実験(!)しても、横倒しの顔が通常の顔よりみごとに美貌に見えることがある。
そういう例もタマにあるということに過ぎないが、以来、わたしのデジカメの楽しみは、トリミング効果と横転・反転効果の「お遊び」になっている。
☆ 人の心を読み取る ハーバード 雄
今週号のネイチャー誌に、ちょっと驚くような論文が載った。内容は、「他人が何を見ているのか、その人の脳の働きを見ただけで、ある程度予測できる」というもの。既にネイチャー誌のオンライン版に掲載された時点でニュースになっていたようだが、今週になって雑誌に掲載された。
あいにく僕は、脳の高次機能に関する知識が乏しいので、論文を読んで分かりやすく解説することができない。
詳しい情報はhttp://wiredvision.jp/news/200803/2008031022.htmlを参照していただきたい。
これまでも、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いて、人が本を読んだり、写真を見たりしているときの脳の活動を記録し、それと全く同じ事をさせて、その際のfMRIのデータから、何をしているのかを当てることは可能だったらしい。
しかし、今回の論文は、1750枚もの写真を見せ、その際に大脳皮質の視覚野から記録したfMRIのデータを元にモデルを作っている。こうしてできたモデルを用いることで、「全く新しいものを見たときでも」、そのfMRIの記録から、その人が見たものをかなりの精度で当てることができるという点で、画期的。
ある意味、他人の心の中までも読めるということになるわけで、「そんなことができるようになったのか」と神経科学の進歩に驚く反面、あまり好ましくない目的にも応用されそうであり、ちょっと怖いようにも感じる。
* かなり怖い。
☆ メールありがとうございました。 遼
(父上の著『「民」富論』朝日新書=)2冊目も一冊目と同様、日本の現状・今後に危機感を抱いての執筆です。
生活保護やネットカフェ難民の増加、経済事由自殺者の多さ、それにもかかわらず「好況」とされていること。
自助努力に責任が求められ、「構造改革」によって格差が広がっていること。
日々のニュースに胸を痛めます。
秦さんもお元気でお過ごしください。
皆さまのお幸せをお祈りしております。
☆ 強風で 08.03.21 10:58
眼が痒いです。お元気ですか、風。
今朝もごみ収集所の立ち当番がありました。其処は、強風の抜け道で、何度も吹き倒されそうになりましたよ。
さてさて、空は晴れ、暖かい陽が射してきましたが、依然強い風です。
でも、今夜、関西から夫の家族が来ますので、お蒲団を陽に当てておきたく、様子を見ながら外に出しています。普段なら、こんなときには干さないけれど、ずっと押入れに入っていたお蒲団にそのまま寝てもらうのは、ちょっと。
さっき、飛ばされた敷布団が、お隣の外壁を直撃してしまいました。気をつけねば。
日、月と、伊豆の温泉へ遠来の家族を連れて行きます。接待に気の張る週末です。
ではでは。風のいいお仕事が成りますように。 花
2008 3・21 78
☆ 戻れるなら 2008年03月22日13:56 昴
小学生の頃に戻りたいなぁと思うことがある。
何も知らなくて、友達とひたすら遊んで、疲れて、時々けがをして泣いて、でもすぐにコロッと忘れて笑って遊んで、そんな頃に戻りたいと思うことがあります。
勝手気ままな、自由な生活を送る猫が帰ってきません。
寂しいです。
さて、午後は国木田独歩の恋文を文字の練習で書いて、その後、古事記の中巻でも読もうかな。日本書紀を読みたいとも思う。
万葉集も読みたい。でも、車を運転できないから図書館にいけないんだな。これが。
そうそう、ある会社に行ってきたのですがそれはどうだろうということがありました。担当の人はすごくいい人だったんだけど、他の人がいきなり玄関をほうきで掃き出したのにびっくりしました。いや、会社の信頼失いますよ、そんなことしたら。担当の人がすごくいい人である分、残念でなりません。
信頼を得るのって、難しいことですよね。
偉そうなこと言えないですけど。
昔に戻れるのならば、昔に戻りたい。
何も分からない子どもに戻りたい。
そう思う時がある。
* 元気な元気な社会復帰をこころより願う。
2008 3・22 78
☆ And most important, have the courage to follow your heart and intuition. ボストン 雄
今日は、昨日のディスカッションに基づいて、新たな実験手法を模索すべく、文献を探していた。幸い、「これはいけるかも」というものを見つけることができた。満足したので、昼食を挟んで午後は、昨日やり残した脳のスライス作製。
夕方にラボを出て、MIT近くのポルトガル料理の店Atascaへ。マイミクDoppyさんのご紹介で、お二人の方とご一緒した。あまり具体的なことを書いてご迷惑がかかるといけないのだが、お一方は司法の仕事に携わられている I さんという女性。もうお一方は、こちらの製薬会社のvice presidentをされている K さん。K さんは、実は、先週のコンサートでお隣に座られた K さんのご主人でもある。お二人とも個性的。I さんは非常にシャープな、頭の回転の早い方という印象を受けたが、K さんの強烈な個性には、すっかり圧倒されてしまった。
実はDoppyさんと I さんがお店に来られるまでに、しばらく時間があって、K さんと二人で飲んでいたのだが、K さんのこれまでの人生についてお話を伺って、そのスケールの大きさに圧倒された。
大学院修了時に助手として研究室に残るように教授に言われたにも関わらず、「自分のしたいことは、こんなところではできない」といって企業に入られた話。日本の企業で収まり切れずに、アメリカに留学し、こちらで会社を立ち上げた話。そして、ご自分の日本での出身研究室から教授として戻ってこないかとお話があった際、ご自分の作られた会社を見せ、「自分のやりたいのは、このような規模のことだから、とても大学などには戻れない」と一蹴された話。日本の大学のポジションのことなどを、ちまちまと考える自分がとても小さく感じられた。
そんな話だけでなく、何でものめり込んでしまう性格に関するお話、日常に関する下らない話なども可笑しく、大笑いさせて頂いた。
料理も美味しかった。こちらで、これだけの魚介類を口にしたのは初めてかもしれない。イカなども、こちらではカラマリといって、イカフライのように油で揚げたものは良く見かけるが、僕は実はこれが苦手。だが、今日食べたイカは輪切りにしたものを茹でてあり、ソ
ースがかかっているもので、これは僕の好物。イワシを塩焼きにしたものなども、こちらに来て初めて口にすることができた。ワインも美味しかった。なんとK さんが、全員の分をおごって下さった。申し訳ないと思いつつも、有難くご馳走になる。
K さんが繰り返しおっしゃっていた言葉で印象的だったのは、
「自分を枠に填め込もうとするな。自分の好きなことを、好きなようにやれ」ということ。
今年の1/26の日記でも紹介した、AppleのCEOスティーブ・ジョブズの講演の言葉を思い出した。
“Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don’t be trapped by dogma ― which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.”
* これら先達・先輩の教えは、有効で尊い。だが、また、成功者の気炎でもあり、よく聴いて考えれば、この人達のこういう言葉にすら囚われてはいけないよと云う意味にもなっている。それでも、「自分を(社会や世間や時代の強いてくる=)枠に填め込もうとするな」という一言は大きい。
「枠」とはいわば悪しき教育の強いてくる、牢獄。そこへ安易に進んで落ち込めば、もう立ち上がれなくなる。出られなくなる。
わたしもこの「枠に填らないでいたい」流儀でやってきたと思っている。思っているが、「自分の好きなことを、好きなようにやれ」という流儀は、あまり安易には人に奨めなくなっている。「我は我と云うことやめよ 奴凧」と、年初に述懐した。自分で自分の口に轡をはめて得意そうな人はいるのである、この世間には。大勢いる。
全てのコーチから縁を切って大事のマラソンに臨んだ高橋尚子の、あの失敗もあった。適確なコーチの助言を真摯に聴き、世界の頂点にしっかり立ってきた、モーグル上村選手の偉業もあった。
「名伯楽」は、いる。しかし出会うのが難しい。その気がなければ絶対に出会えない。
2008 3・22 78
☆ つかの間の休息 08.03.22 15:22
きのう夕方、新幹線で無事に着いた義家族は、今日の午に一人加わり、今、市内のドライブに行っています。
皆の出かけているうち、花は食材の補給に歩いて二分のスーパーへ行ったり、掃除したり、干した蒲団を取り込んだりを済ませ、パソコンの前に来ました。
さて、今日はとても穏やかな日です。お元気ですか、風。
日々を過ごしながら、チベットの状況に関心を向けています。
テレビ画面に映る現地の暴動のようす、見飽きた感のある中国の首脳・プレスの厚顔と、わたしの周りの平穏な日常が、別物とは思えなくて。
明日、昼に伊豆へ出発します。あさっての夕方には戻ると思います。ではでは。 花
* 人妻の日々の暮らしを覗かせてもらっているワケだが、ふしぎに一服の安楽がある。こういう気軽で暖かなメルトモは、カサカサした今日の社会生活では、ちいさくても水澄んだオアシス。
2008 3・22 78
* 「mixi」に連載の『もらひ子』が、何人もの読者達を得ていると、実感できる。気恥ずかしいが。一回ごとに思いつきで写真一枚ずつを添えているのも、わたし自身の気の弾み。
☆ チベット、中国、日本 2008年03月22日17:17 優 e-OLD 多摩
「チベットの真実」に関する、東京では見られないTV(とくに10CH、中国べったりの加藤解説委員の「報道ステーション」では絶対ありえない報道内容の)番組、ラジオ番組の一般公開URL(画像、音声)が、仲間から回ってきたので紹介します。ここでは特に論評しません。是非はご自身でご判断下さい。
続いて、5月来日予定の胡錦濤中国国家主席の経歴(Web専門情報)を紹介します。
関西ローカルの「アンカー」という番組で、青山**氏が解説したチベット蜂起がYouTubeで流れていて、ひじょうに説得力があります。
いつ消されるかわからないので、興味のある方は早く御覧になってください。
1. http://jp.youtube.com/watch?v=obbFja9-sVY
2. http://jp.youtube.com/watch?v=6u5_zDb2UWE
青山氏は、毒餃子事件の直後にも同じ番組で、その後の展開をみごとに言い当てる名解説をおこなっていました。
TBSラジオ「ストリーム」での勝谷**氏の解説も流れています。
3. http://jp.youtube.com/watch?v=h5YBtZxSSHw&feature=related
4. http://jp.youtube.com/watch?v=LMZctkPQwDU&feature=related
関西のTVや、ラジオというマイナーなメディアで流れた情報は一昔前では、狭い範囲で終わってしまったのですが、今はネットのおかげで共有することができるようになりました。
東京の大マスコミが権威を失うのは当然でしょう。
* 「中国共産党によるチベット虐殺史」
1951年中国共産党人民解放軍がチベットに突然侵攻、無差別に民衆を大虐殺。人民解放軍がチベットに侵攻支配後には、侵略した中国に対して当然のごとくデモが起きていた。
しかし1987年9月、1988年3月とラサで大きなデモが発生すると、たびたび起こるデモにたいして、歴史に残る残虐な大虐殺が実行された。この大虐殺を実行指揮したのはチベット自治区の書記(チベット自治区総督)として新たに就任した、胡錦濤という人物。
後に、このチベット大虐殺が江沢民に認められ、江沢民の後継国家主席として江沢民より今の中国国家主席の地位を譲り受け継いだ。今年、北京でオリンピックを開催する中国国家主席、胡錦濤がそのチベット大虐殺を指揮した人物である。
* いろんな仕事をした。仕事をして、思って、惟って、想って。太極拳の呼吸のように静かにことばを吐く。
☆ 春の一日 2008年03月22日23:34 珠
気の滅入る週だった。先週後半から何となく嫌な予感のしていた出来事が、週が明けた頃から小さく燃え始めた。
仕事上のこと、相手は病を持っている、だからその攻撃にも心に白衣で受身をとるが、飽くなき口撃やその行動に、ほとほと疲れた。いろいろ考えて行ってきたことも、向けてくれた笑顔も、一瞬にして攻撃に変わる。
これもサービス業、そうならないようにするのがプロのケアなのだから、予測が甘かったと言える。何故そうなるのぉぉ、、、という展開に、あれこれ手を打って、ひとまず収拾はつけた。多分、ついたはず。
無力感。現場で人に学び、落ち込み、反省して、考えて、また向かい、そうして何度も繰り返してきて。大事な経験だけど人は皆違うから、この経験も役に立たないこと、未だ多くある。
何かできると思ったら大間違い、何もできないから、できたらと願って、やる。ずっと、そう思って続けているけど、できないことばかりをズラーッと並べ、思い知らされるような時は、こたえる。
テレビ゛をつければチベット。
ここでも自分を思い知る。怒りを、憤りを、哀しみを、祈りを、自分の感情を、どう行動に表したらよいのだろう。これをすれば社会の為になる、人の為になる、わかるならやります、と思う。
自然に息ができ食べて寝て、失敗して学んでまた失敗するような仕事をして、こんな幸せをただシアワセと受けとっていてよいのだろうか。罰があたるようで、いけない気がする。でも、どうしたらよいのだろう。考えてはいけないような、考えなければいけないような。
こういう重さをふと忘れてるのは夢中な時。
一昨日、そして今日。忘れてたのはこれらの時。
* ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 「パレルモ・パレルモ」
もう20年も前に初めて舞台を観た時から、魅かれて欠かさず足を運んでいる。穏やかな表情になってきた、ピナ。舞台も激しさから柔らかさに満ちてきた。なぜだろう、どんな人をも、「あなたでいいよ」と言ってるように聴こえる舞台。
* オランダ・バッハ協会演奏 「ヨハネ受難曲」
教育テレビで流れていて、片付けながら聴いていたら手が止まっていた。バッハの作曲した頃のようにと、室内楽のように。教会では自分の歌う時に立って一歩前にでて歌うという、そのように。教会の礼拝に出かけるように全員背広とネクタイで。奏でられる音は歌声に寄り添って静かに響き、沁みた。
* 当流家元古稀記念 好み物展
青竹の花入に様々な花が生き生きと。千家十職さんの作られた家元好み物「今」に添えてあった。会場の三分の一には、大福茶や二条城観桜の茶会、祇園会の茶会や還暦の茶会道具が展示されていて、宗旦の短冊や葵の紋の入った茶碗など、時を過ごしてきた道具に魅入られたようで、身体のちからが抜けていた。
皆、自分のできることをしている。
先月逝った友も、土に還った。生きている間だけでいいのだから。わたしは、できることしているか。春の一日に想う。
* この人の日々の「仕事」は、想像を超えた難しさ、苦心苦労の多さであるに違いない。この人自身がバランスするのに懸命であることが察しられる。地の塩である。
2008 3・22 78
* マイミクさんたちの日記は、一つには楽しんで、一つには文藝としての一定の批評意識から毎日読み取っている。いかにも日記、いかにも記録、というのでなく、一文としての興趣と纏まりを愛しているのは云うまでもなく、長いか短いかは問うていない。むろん、お人により此処へは転写できないと判断している人も、転写をゆるしてもらえる人もある。
☆ 十年 2008年03月23日11:31 馨
昨日の朝のこと。前日に2時まで起きていたのでいつもは家族で一番早起きなのに、つい寝坊。
カラカラカラ…という音で目が覚めました。
見回すと、音はトイレの中から。開けてみると息子が、にかっと笑顔でご挨拶。カラカラという音は、息子がトイレットペーッパーすべてを便器に突っ込んでいる音でした。ご丁寧にスペアのロールまで!
他にも、目覚まし時計は分解されて床にあるし、洗濯物は全部バラまかれているし…。
大慌てで着替えて、朝ご飯の支度をして息子の面倒をダンナ様に任せると、今度は娘へのお説教。(ここのところ片付けや言葉遣いなど、我が家では強化期間です。)
その後、片付けものをしていて、はっと気がつくと庭でお友達と遊んでいる娘と一緒にいたはずの息子がいない!!
慌てて夫婦二人で探しに出ていると、暴れる息子を抱えながら主人が帰ってきました。
聞けば、ご近所のパン屋さんのお姉さんが連れてきてくれたとのこと。
あぁ……。
*
先週、生け垣の隙間から脱走したので、大急ぎでその穴は塞いだのですが、今度はどこから抜け出したのか!?
門の周りでどこだろう、と考え込んでいると、息子がまたしてもにっこり笑ってバイバイと私に手を振り、そのままクルリとしゃがみ込んで門の下の30cmほどの隙間にずるずるずる…とオシリから突っ込んでいく!!
こらぁ~! と、つまみ上げて家の中に連れ込んだのですが、窓や玄関の鍵を簡単に開けて自分で靴を履いて出て行ってしまうので、門の内側にもう一つ出入りの柵をつけるしかないようです。
主人曰く「これじゃぁ、『どこまでもどこまでも歩いて行けるよ』じゃなくて、『どこまでもどこまでも歩いて行っちゃうよ』だよ」
ごもっとも。
男の子って、どうして一瞬でも目が離せないんでしょう。
これって、我が家だけなのか、男の子一般なのか…。
娘が2歳の時はこんなにはらはらしなかったし、いたずらなんてたかが知れていたような…。それとも過去が美化されているだけかしらん。
こんなのがまた一人増えるんですねー、六月に。(どうやら三番目も男の子らしいです。)
*
午後から主人は息子を連れてラティスや柵を買いに行ってくれ、娘はお友達と遊びに出かけ、私はようやく一息。
気がつけば、昨日は十年目の結婚記念日でした。
それなのに、朝から息子の後始末と娘の説教で一日が暮れようとし、一人になれる瞬間が最大に癒される時間、というこの現状。
結婚記念日を祝おうにも「これ連れて行かれるお店なんてある?」と、息子を見ながら話し合うしかない状況。
それでも、一度だけ行ったことのある中華街のお店に行くことになりました。それほど高級店ではないのですが、味だけは確かだし、子連れOKなお店なので。
家族で外食っていつ以来だったかしらん。
お腹を減らした息子は、珍しく着席して食べ続けてくれたのも、ほっ。
子どもが座っている、ということくらいで幸せを感じられるなんて、幸せの閾値が低すぎるとは思いつつ…。
午後に一人の時間をプレゼントしてくれたダンナさんに、お礼に「好きなだけお酒をどうぞ」ということにしました。つまり、帰りの運転は私です。
運転は嫌いではないのですが、動体視力の悪い私は高速だけは苦手で、横横を使う帰り道の運転を私がする、というのはかなりドキドキ。
アルコールが入っていたはずの主人もしゃっきりと助手席で目が冴えたようで、後ろの娘にも緊張が伝わったか、喋りっぱなし。
そして一人で眠りこける、ここでもマイペースな息子。
十年前は、こんな家族になるとは予想もつかなかった…。
十年後はどうなっているのか、せめて落ち着いて食事ができているといいなぁ。
* 懐かしさと憧れとが、こういう「文藝」につい引きよせられる。これは記録である以上にそれなりの「表現」という藝を得た一文と読み、楽しんだ。
☆ 雑誌のスタイル、マタイ受難曲 2008年03 月23日14:58 ボストン ハーバード 雄
朝一番に、日本の元ボスからメール。先週送った、大学院生の論文の改定稿がJournal of Biological Chemistry誌(略称:JBC)無事に受理されたとのこと。ようやく論文が通ったということで、僕もホッとした。僕自身も第二著者として名を連ねているので、そういう意味でも嬉しい。
先日の日記にも書いたが、この日記の筆頭著者は、西アジアの某国からやってきた留学生。研究室に加わるまでは、全く異なる専攻だったこともあり、生物学のことを本当に何一つ知らなかった。そんな彼がJBCの筆頭著者になったというのは、何とも感慨深い。
今では多くの日本人がネイチャーやサイエンス、セルなどの超一流雑誌に論文を発表しているので、JBCのことを良く言わない研究者も少なくない。それでも僕は、この雑誌が好き。自分の学位論文もこの雑誌に掲載されたし、自分の送った原稿がJBCフォーマットのゲラとして編集部から送られてきた時は、本当に嬉しかった。JBCに限らず、自分が苦労して通した論文が、ゲラ刷りになって編集部から送られてくると、本当に感慨深い気持ちになる。最近はJBCに限らず雑誌の個性が失われる傾向があり、多くの雑誌のフォーマットが似通ってしまいつつある気がする。少し残念。
*
夕方からシンフォニーホールへ。実は今日は、こちらでお会いした日本人の方々の歓送会が大々的に開かれ、僕も是非参加したかったのだが、申し訳ないと思いつつ参加を断念した。こんなことならば、平日のチケットを買っておけばよかった。
このコンサートは、シンフォニーホールのコンサートシーズンが始まった昨年の秋にスケジュールを見て、いち早くチケットを入手したコンサート。このシーズンの中で、これだけは外せないと思っていた。
演目はバッハの「マタイ受難曲」で、指揮者はベルナルド・ハイティンク。1929年生まれだから、来年には80歳になる。今、生きている指揮者の中でも僕が最も敬愛する指揮者の1人であり、特にウィーンフィルとのブルックナーの交響曲8番のCDは素晴らしい。特別なことをするわけではないのだが、丁寧な音楽作りが素晴らしい。
ボストンシンフォニーのオーケストラのメンバーもハイティンクを敬愛しており、毎年客演してもらっているらしいが、あいにく去年は聞きそびれてしまった。おまけに演目がマタイとあっては、どうしても外すわけにはいかない。
ご存知の方も多いと思うが、バッハの「マタイ受難曲」は、新約聖書「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの受難を題材にした作品。実は明日はイースター(復活祭)。だからこそ、この演目をぶつけてきたのだろう。全曲の演奏時間は3時間にも及ぶ、超大作。
冒頭のコラールから、既に圧倒される。タングルウッド合唱団の実力は、やはり抜群。ハイティンクのテンポは、想像していたよりもかなり速めだった。逆にいうと、リヒターのものが遅すぎるのかもしれない。
正直言って、ちょっと残念だったのはソリスト達。特に福音史家とイエス、そしてアルトのソリストが、ちょっと期待はずれだった。特にアルトには、「憐れみ給え、わが神よ」というアリアがあり、これこそマタイの中でも名曲の誉れの高いものなので、かなり過大な期待をしていただけに残念。ただ、幸いなことに、この曲はヴァイオリンのソロにのせて歌われる曲なのだが、コンサートマスターのソロが抜群に巧かったことにも助けられ、感動的なアリアを聴かせてくれた。
このアルトの有名なアリア以外でも、ソプラノのアリアではフルートのソロが伴奏を務める曲もあるし、バスのアリアではチェロのソロが伴奏を務める曲もある。今までCDを聴いているだけでは気づかなかったが、これらの伴奏は信じられないほど難しい。特にチェロに関しては、この伴奏だけを務めるチェロ奏者がいたほど。こんなに難しい曲だったのかと、あらためて驚いた。
後半に進むにつれ、合唱の演奏は益々素晴らしく、力強くなり、感動的だった。特に、終曲の「われらは涙流してひざまずき」は、この大作を締めくくるに相応しい、素晴らしい演奏だった。
全体を通して感じたのは、ハイティンクの棒の確かさ。実に明確に、彼の意思が伝わる指揮ぶりだった。とても来年で80歳とは思えないほどの力強い指揮だった。指揮台には椅子が用意してあったが、ハイティンクは一度もそれに腰掛けなかった。
演奏が終わり、ほぼ全員がスタンディングオベーションで迎える。このときも、裏方から譜めくりに至るまで、多くのスタッフにハイティンクは気を遣っており、彼の誠実な人柄が伺えた。
もう少し僕にキリスト教に関する知識があったなら、もっと愉しめたに違いない。これは、こちらの美術館で中世ヨーロッパの作品に触れる際にも感じること。そうしたことについて書かれている本でも読んで、少しずつでも知識を増やしていけたらと思う。
* 残念だが、わたしはバッハの『マタイ受難曲』を知らない。聴いたことがあるかどうか、分からない。しかしこの曲に触れてメールを呉れる友達がいなかったわけではない。わたしの音楽は、その程度に行き当たりバッタリの域を出ていないということ。
わたしはかの有名すぎるほどのビートルズとやらについても皆目認識がない。求めて聴いたことが一度もなく知識はゼロに近い。むしろわたしはバッハやベートーベンなどを好んできた。クラシック音楽は好きだと言って間違いないが、やはり行き当たりバッタリのフアンに止まっている。愛好といっても、美術でも工藝でも演劇でも、ま、そういうものだろう。能と歌舞伎と、日本の古典文学と、近代文学とぐらいか、専門なみに、ま、触れてきたのと言えるのは。
「雄」君の感想を読んでいると、音楽の美味に舌づつみを打っているようで羨ましい。妻も、そう云う。
2008 3・23 78
☆ ご無沙汰しています。 福
「mixi」に日記を書くことはしなくなりましたが、元気ですよ。
全くの他人とも思えず、親しみを感じています。
機嫌良い風に暮らしてはいますが、相変わらず自分のなかで吐き出している言葉は多々あって、ホントは機嫌を損ねている! 部分を解消するのが難しすぎて困ります。
縁もゆかりもないようなあるような先生あたり(とは失礼な!? ですね)に心情報告して、愉快な話に摩り替えられたらいいのかも知れません。顔も見ずに書き散らすのももどかしいし、会って笑いとばしてもらうのも、東京ではちとスグには叶いそうにないし…。
台所の窓辺にチューリップを植えていたら、すぃーと伸びて、真っ赤なのが昨日咲きました。ちょっとどぎつい赤い色でびっくり。
家の前の桜はぷくぷくに芽が膨らんで、開花寸前、歓声間近。
秦さんもお元気でどうぞ。
2008 3・23 78
☆ 秋艸道人の書。初めて見ます。 瑛
「性を養うべし」。字を正確に読む自信はありませんが、「習う」ことへの原点の筆。美しきものを観る。
* 八一の愛弟子であった宮川寅雄先生に頂戴しました。一日に何度も目を上げて、読んでいます。 湖
☆ なんとまあ 案山子
偶然にびっくり。わが家の手洗いにも同じカレンダーがかかっております。エゾナキウサギかわいいですが、足をあげていることには気づきませんでした。毛並みの乱れかと思っていたので。なんでもよく見ている方ですね。それにしても、作家のお宅に全く関係なさそうな企業のカレンダーがあるのは面白いこと。
毎日同じカレンダーを同じ場所で見ていたふしぎな相性ということで、それだけの他愛ないことがなんとなく嬉しくてメールしました。
2008 3・24 78
☆ 東京 街で。 2008年03月24日00:28 珠
休日は、用事がなければ稽古ぐらいしか出かけない。人ごみは疲れる。以前は街や店をウロウロするだけで楽しかったが、あまり目まぐるしく街も店も変わるので落ち着かず、もうほとんど出なくなった。だから出た時にはキョロキョロする。
研修で、昨日久しぶりに新宿へ行った。帰り、都庁から新宿駅西口方向へ歩くその前方、建築中の高層ビルが目に入った。
不思議なビル。
形はまるでお琴を縦にしたようで、茶道具「ぶりぶり香合」そっくり。四角い窓はなく、白い紐をぐるぐる巻きつけたようで、そのちょっとした紐と紐の間が窓らしい。上の方には、まるで仮面ライダーの目のような、透明に膨らんだところがある。他のビルとは全く違う。銀座にある高級ブランド゛の入るビルがこういうモコモコした形だったが、大きさが違う。イメージ゛は竹を巻いた感じなのだろうか。それにしても周りのビルとはそぐわない。いったい中には何が入るのだろう。久々の新宿で、らしからぬビル目撃、驚いた。
西口地下街には人の列ができていた。若い女性ばかり、警備員さんまで出ている。たどってみたら「ゴディバ゛」のチョコレートショップだった。今時どのデパートにもあるのに? と思ったら、アイスクリームとショコラドリンクをその場で買って食べる? 飲むショップ゜だった。濃い茶色に白いクリームという彩りもお洒落な飲み物を、皆嬉しそうに手にしていた。
うー、甘そう。でも、一口だけ味見したいと思わせる笑顔ばかりだった。
*
先日、小田急線の新百合ヶ丘駅近く「テアトロ ジーリオショウワ」という昭和音楽大学のホールでピナバウシュを観た。新しく出来た音楽大学のホールというので期待したが、今ひとつピンンと来なかった。音楽大学のホールなのだから、音響は良いのだろう。今回は舞踊、古いピアノ6台でのチャイコフスキーは清んで行き渡っていたように思う。
それにしてもホール内の動線が悪すぎる。女子トイレへの長蛇の列が、そこしかない狭いエントランス兼ロビーにのび、パンフレットを購入するための列もできて、もう混乱・混雑。おまけにグラスワインなども販売し、手にした人が其処此処に立つ。寛ぎのスペースはほとんど無く、カフェはすぐ外に見えるが雨に濡れなければゆけない。道の行き止まりにあるホールで、車寄せも駐車場もない。このホールで今後コンサートなどが開催されそうだと聞いていたが、これでは大変だ。高齢者も多く住む地域、歩かなければ着けないホール、中も階段ばかり。
ここは元気な音大の学生さん向けホールにしておいた方が、いい。
*
新百合ヶ丘へは車で行ったが、駐車場が無くてホトホト困った。駅近くの複合ショッピングセンターの駐車場に何とか入れたが、帰りはその混雑に降参した。急な坂道発進での出庫に車が連なり、漸く出庫した挙句、駅のロータリーを一周して戻る以外帰りようがない。駅のロータリーへは、バス・タクシー・一般お迎え車全て一緒に一車線だけ。渋滞するのは明らかだが、其処しか道がない。急行の停まる駅、昔は無かった駅を計画的に開発して出来たはずだがどうしてこんなことになったのだろう。実家近くの駅なのだが、驚くほど動線の悪い、澱んだ駅周囲になっていた。
街の開発とは難しいものだとつくづく思う。
* 東京という街への自ずからな批評。巨大さに呆れたように慣れていると、視野が鈍に無感覚になる。
2008 3・24 78
☆ お元気ですか 湖 2008 年03月24日 13時56分 鳶
> 鳶の視野にはいま、何が。
目に見えるもの?それとも? 視野という時は、さまざまに思われます。本当にさまざまなこと。
東京は雨? こちらは昨日雨降りでした。一昨日土曜日加古川近くの山、標高300メートルほどの山ですが、縦走したので、登ったり下ったり三時間ほど、久しぶりの山歩きで少し脚が痛んでいます。当日に痛くならないで後で痛くなるのは老化現象の一つの証拠とか。
昨日は絵を描いていました。
不思議なことに、鳶らしからず?・・一人でいると閉じこもってばかりいます、桜が咲いたというのに。
2008 3・24 78
* けさもエゾナキウサギくんを見上げていて、この魅力は、「円満」の二字の体している魅力なんだなあと感嘆しきりであった。同じナキウサギくんと対面している人の、昨日の「案山子」さんばかりでないのに、思えばアタリマエだが、びっくりしている。同じカレンダーを愛用している人が多いということ。このエゾナキウサギの保護を民間運動している北海道の人からも今朝メール・メッセージをもらった。嬉しくなった。
カレンダーというと、つい一年分の写真や繪をさきに観てしまうのがつねだが、というのも二ヶ月分ずつ六枚カレンダーが多いからだが、この新日鐵カレンダーは、十二ヶ月ぶん一枚ずつで、一枚目の一月の写真がとてもよかったので、堪えて一と月経つのを待って、楽しみにめくることにした。だからやがて四月になって何があらわれるか知らない。三月のエゾナキウサギには痺れるほど嬉しくなった。
* ナキウサギの写真
ごきげんようお過ごしのこと、なによりです。
エゾナキウサギのこと、わたくしの文章はいかようにもお使い頂いて構いません。写真はもともと私の撮影でなく、ある企業のカレンダーの三月分として然るべき写真家の著作権のある写真を拝借しているので、そのてんだけ念頭においていただかねばなりませんね。
円満ということばが好きですが、このエゾナキウサギくんの嬉しさは姿態のまさしく円満にあるのだなと対面のたびによろこんでいます。
大切にしたい愛すべき命そのものです。
「mixi」日記で、あなたの、読み応えする文藝と述懐やご意見に触れ続けたいと願っています。 秦 恒平・湖
* 空の遠くで爆音が尾をひいている。観もしないで白い雲が目に浮かんでくる。春が来ている。
そうは云うがヒマラヤの氷河が目に見えて消えてゆくというではないか。大河の起源が涸れてゆくと想像するとゾッとしてくる。あれもこれも、それもどれも、ヘンなことばかり世界中で起きていて、しかも春はまだ春の容貌をして近寄ってくれる。四季の神よ、八方の風神よ、方神よ。安らかにあれ。
2008 3・25 78
* 空の遠くで爆音が尾をひいている。観もしないで白い雲が目に浮かんでくる。春が来ている。
そうは云うがヒマラヤの氷河が目に見えて消えてゆくというではないか。大河の起源が涸れてゆくと想像するとゾッとしてくる。あれもこれも、それもどれも、ヘンなことばかり世界中で起きていて、しかも春はまだ春の容貌をして近寄ってくれる。四季の神よ、八方の風神よ、方神よ。安らかにあれ。
☆ 遠野ユースホステル 2008年03月25日00:26 光
自動車の免許を取り立ての頃、車でどこまで行けるのか、急に旅に出たくなった。
学生の特権、長い夏休み、目的地なく、北へ行ってみよう。東京から東北道でひたすら北上する。
仙台も過ぎた辺り、高速道路の単調な運転にも飽きた頃、ふと、遠野に寄ってみたくなった。
遠野物語、カッパ淵の、あの遠野である。
*
遠野はのどかな風景だった。
人もいない。私一人、カッパ淵でブラブラするくらいである。
ふと気づくと、私と同じように観光できたのであろうか。
旅してますよという格好の、学生風の女の子2人組がカッパ淵をのぞき込む。
今でも不思議に思うほどである(一人が寂しかったのだろうか)。
コミュニケーション下手の普段の私なら絶対しないであろうことを、あのとき何故したのか。
「旅行ですか? どちらから?」
お互い学生ということもあるし、今から思えば、遠野に来るくらいだから何となく趣味があったのかもしれない。
3人で話が盛り上がる。
彼女たち二人も遠野で初めて出会ったのだという。
彼女たちはいう。「今日はどこに泊まるの」
「まだ決めてない。車で一泊かなぁ。」
「それなら、遠野のユースホステルに来ない? 私たちも泊まってるし。」
彼女たちは親切にも、ユースホステルに連絡を入れて部屋を予約してくれた。
ユースホステルは、安さと気軽さでバイクのライダーさんとか一人旅の人が多く利用しているという。
私は、ユースホステルは知っていたが、利用は初めてであった。
林間学校的な、お酒ダメ、消灯時間あり、シーツ交換はセルフ、みたいなイメージがあったが、他にあてもないのでご厚意に甘えてユースで一泊することになった。
*
私は、いまでも「遠野」のユースホステルしか知らない。
でもきっと、「遠野」のユースホステルが一番なんだと信じている。
「談話室」があり、夕食後、宿泊している一人旅のみんなで集まってのワイワイがつきなかった。
「どこから?」「へぇ~」「あそこ、行きました?」「あれ、お勧めですよ~」「そろそろお休みなさい」「おやすみ~」
翌日、朝食後、みんなそれぞれ次の目的地へ旅立っていく。
自然と外に出て、みんなでワイワイお見送り。「気をつけて」「またね」「元気でね」
彼女たちも、それぞれ、次のユースに向けて旅立っていった。「ありがとう」「じゃあね」
当然、目的地のない私が最後になった。
ぽつんとまた一人になり、自動車に乗り込む。
「東京へ戻ろうかな」
*
高速道路を南下する。一人、静かな車内。
そういえば、結局、連絡先も何も聞いてないなぁ。もう二度と会う方法もないんだ・・・。
楽しかった、昨日の談話室。もう二度とないんだ。
そう思った瞬間に、高速道路、運転中なのに、涙が溢れてしかたがなかった。
* 「光」クンが学生だったのは、遠野へこういう旅をしたのは、もう十数年前になる。君はいまでは博士であり母校での「先生」だ。その人のこういう思い出を聴くのは、「空の遠くで爆音が尾をひいている。観もしないで白い雲が目に浮かんでくる。春が来ている」という感じで、嬉しいいい気持ちだ。
この人の、アンコールワットを訪れた旅日記を読んだのはもうよほど前だ、「e-literary magazine 湖(umi)」に投稿してくれた。
あれもユースホステルといったのだろうか、わたしが『北の時代 最上徳内』のために北海道の海縁を東へ東へ、そして北へと経巡っていったとき、尾岱沼の「牧場の宿」へやはり「光」くんと同じ、こんなふうにして泊まった。
あの一夜の心優しく楽しかった思い出は、宝のようにいまも光っている。あの出会いをわたしは大胆不敵に小説に作りあげることが出来、おかげで徳内さんとの二人旅がすばらしい三人旅に成っていった。
「もう二度とないんだ。そう思った瞬間に、高速道路、運転中なのに、涙が溢れてしかたがなかった。」
その通りだった。あの人は、いまは。いやそれは知らないままでいいのだ。
☆ 我がことのように ―教師の感性― 2008年03月25日08:05 麗
他人の痛みや喜びを我がことのように捉えられる感性 これが一番求められる職業は,「教師」かな,と,そして,実際,そうした感性を持った人が集っているな,と思った。
土曜日の夜。
『北海道の文学』は,『北の人間北の文学』という題名で,いよいよ今月中に刊行される。22日,最後の編集会議があった。
校正刷りを回覧して,しばし感慨にふける。いつしか,編集会議は販売戦略会議へと移行する。いかに,全国の中学・高校の副教材として「売り込む」かなど,高校教師という素人集団が,ない知恵を絞る。そして,最後はお約束の懇親会。
「ビッグニュースがあるんです」
と,もと同僚が言った。半端でなく「手間ひま」をかけた教え子が,去年末にラーメン屋を開業したと言う。
「まだ30前でしょ,彼は。」
正直,驚いた。
私も,彼のことは覚えている。聞けば,中学卒業後,すし職人の修行に入り,先輩が独立するのについて行ったのだが,その計画が頓挫。やむを得ず,ラーメン屋に路線を変え,機会を狙っていたとか。
「すごいもんですね,ぜひ一度行かなきゃね。」
2人で相好を崩しっ放しで語り合った。その間,乾杯を交わすこと,数回。
別の人は,教え子からの手紙を見せてくれた。もらってからずっと,持ち歩いていると言う。
その教え子は,まだ20代だが,現在,某出版社で,***賞作家を担当しているという。和紙の便箋に,恩師との思い出や,その作家との関わりなど,万年筆でしっかりとしたためてあった。
その作家の***賞受賞作は,北海道東部(道東)の,***を舞台とする。教え子の,編集者の故郷だ。作家がその地に関心を示し,取材旅行にも共に出向いた,と言う。それが,受賞作に,結実した。
「彼も,在学中は新聞部にいて,相当文章は書けるんですよ。」
やはり,我がことのように,嬉しげに語っていた。
2人の教師は,まったく同じ顔で語った。教え子の旅立ちや成功を,我がことのように喜ぶ顔だ。決して自慢ではない。純粋に,喜び。
これが,正反対の話題なら,純粋に悲しんで語るだろう。笑止と言わば言え,これが教師だ。この詩のような感性を持った人間を,教師と言うのだ。
—–
「夕焼け」 吉野弘
いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりがすわった。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘はすわった。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
また立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘はすわった。
二度あることは と言うとおり
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
かわいそうに
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッとかんで
からだをこわばらせて――。
ぼくは電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持ち主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
なぜって
やさしい心の持ち主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇をかんで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。
——-
この夜は,大いに盛り上がって夜半に帰宅した。
翌朝登った盤渓山は,完璧な「二日酔い登山」。下戸の家族から大顰蹙を買った。・・・嗚呼。
* こういうメールに朝ばやに出逢えるのは、一日を言祝いでもらうようである。この「私語の刻」が、そのまま青空の白い雲のようにふわりと宙に浮かぶような気もだ。
2008 3・25 78
* 幸四郎と松たか子父子の「往復書簡」が完結。
最後をしめくくるお父さん高麗屋の分が、いましがた、奥さんの手で贈られてきた。幸四郎丈自筆の手紙が入っていて嬉しく、恐縮している。
「日ごろでは話せない事 又 伝えたい事など書簡でたか子と交流が出来ました事 ありがたく思っています」とはさこそと思われ、羨ましい。
「秋には一冊の本にまとまるそうでございます。 先生がお気づきの所などございましたら お教え下さいませ。」また「四月は帝劇でお待ちしております 奥さまにもくれぐれもよろしくお伝え下さいませ」と。
2008 3・25 78
☆ ご無沙汰しております. 杜
メールいただいておきながら,もう二ヶ月も経ってしまい,大変失礼しました.
今,家族一同,健康です(私は花粉症に悩まされていますが.)それが救いというところです.
会社でも家でも,山道に迷い込んでいるような毎日です.道らしい道がありません.歩けば歩くだけ傷がつきます.そして自分を追い立てる明確なものがあります.立ち止まれません.進んでいるのか逃げているのかわかりません.引き返せず,元いた場所がもうないことだけは分かっています.
孤独ではありません.だからか,Give Upしない自分がいます.
*これはもう、一度わたしのところへ現れてくれた方がいい。会いたいと思っていた。
具体的には何も書かれていない。東工大の男子卒業生では、珍しい筆致。文学部系ではちっとも珍しくないのだが。
☆ お元気ですか、風。 08.03.25 14:57 花
伊豆は、修善寺温泉へ行きました。
修禅寺は、立派なお寺でしたよ。風、おいでになったこと、ありますか。
上の方まで形よく刈り込まれた大きな松の木、散り始めの桜、梅、竹林など、手入れの行き届いたお庭でした。
街には古い建物がたくさん残っていました。
千二百年前に弘法大師の開湯したという「独鈷の湯」、その近くには、源頼家の小さなお墓と、頼家の冥福を祈って政子の建立した指月殿がありました。
修善寺の街は、小ぢんまりしてい、よく手入れがされてい、花はとても気に入りました。 日曜の夜に修善寺の宿に泊まり、月曜は、お土産など買い物し、義家族とは三島でお別れし、月曜の午すぎに帰宅しました。
金曜夜からのおさんどん、伊豆往復の運転などで疲れたのか、夕食後、ソファで爆睡し、そのまま夜中まで眠っていました。
今日は天気がいいので、使用した蒲団をおひさまにあてています。
富士の天気はよく、みんなに富士山を堪能してもらい、一安心。
修善寺宿の食事もおいしく、買い物好きなお義母さんご要望の「沼津の干物」も買うことができ、これも、ほっ。
疲れましたが、心地よい達成感があります。
さてさて、今度は風が京へ。
お気をつけておでかけくださいませ。
ではでは。 花は、元気に元気に。ではでは。
* 結婚したとき、妻の両親は亡くなっておられ、何の孝養もならなかった。両親の代わりにも妻は大事にしてきたと思いは思うものの、実際は不逞な、ロクな夫でなかった、か。
2008 3・25 78
* これはもう専門家のレベルの日記だが、動画を観られる・読める人にはトクダネものかも。わたしの友人なら、ミセス藤江さんなどはご覧になるかも知れない。東工大の卒業生達には親しいものだろう、但し専攻学が精微に異なっていたから、どうなんだろう。
しかし学問的に縁のまったくないわたしでも、少なからず心惹かれるのである。「雄」くんが承知してくれなければわたしの「私語」だけの読者はこういうのに接し得ないと思うと、ありがたい。
☆ Bernardo Sabatini、「非線形科学」 2008 年03月25日13:58 雄
* 今日は週に一度のbrownbag seminar。今日の演者は、ハーバードメディカルスクールのBernardo Sabatini。Harvard大学からHarvard Medical Schoolに進み学位を取得、ポスドクを経て再びHarvardに戻ってきた秀才。
ポスドクとして働いていたラボは、ニューヨーク郊外にあるCold Spring Harbor LaboratoryのKarel Svobodaラボ。二光子励起顕微鏡を使って、脳のシナプスの構造機能変化を見ることに関しては、世界最高のラボといって過言ではない。
現在Svobodaは、Janeria Farmという研究所に移っている。
ここは、ハワードヒューズ財団が最近作った研究所で、膨大な研究費と設備の揃った研究所。しかし、名前の通り、周囲には何も無い。去年、ここでのシンポジウムに参加してきたライアンが言うには、「科学者のための監獄」とのこと。科学だけできれば、後はもうどんなところでも構わないという人にとっては、地上の楽園だろう。
今日のセミナーは、スパインの形態と細胞内シグナル伝達との関係について。海馬などの神経細胞を二光子励起顕微鏡で見ると、突起の部分に細かいトゲがあるのが見える。ここはス(パイン(棘)と呼ばれ、別の神経細胞が軸索を延ばしてきて、このスパインの上にシナプスを作るのだが、スパインの形によって、シナプスの性質も色々と違うことが知られている。そこで、このスパインの形をどのようにして制御しているのか、というのが今回の話のテーマ。
この問題は、ミクロなレベルでの神経科学では、最重要課題の一つであり、多くの研究者が研究している。
話そのものは、普段のマクロな神経科学に比べて僕にも理解しやすかったが、少々聞き飽きてきた内容と言えなくもない。重要なのは分かるが、もう少し違った話が聞きたいなあと思ってしまう。
* ここ最近、蔵本由紀・著「非線形科学」(集英社新書)を読んでいる。昨年末に日本に一時帰国した際に買ってきてあって、ずっと放ってあったのだが、少しずつ読むと面白い。この本が出版されたのは比較的最近だが、もしこの本を大学生の時に読んでいたならば、間違いなくこの分野に進んでいたのではないかとさえ思う。
例えば、有名な例としてベルーソフ・ジャボチンスキー(BZ)反応と呼ばれる反応がある。その類似反応の動画として、
http://www.youtube.com/watch?v=Ch93AKJm9osを見ていただきたい。
初めオレンジ色だった溶液に透明な溶液を加えると、溶液は濃い藍色となる。これだけならば、良くある化学反応だが、驚いたことに、更に溶液を混ぜ続けると、溶液は次第に透明になっていき、再びオレンジ色に戻った後すぐに藍色になる。以降、このサイクルを繰り返していく。
普通の化学反応ならば、二つの溶液を混ぜ合わせて色が変わると、そのままで落ち着くはずなのに、この反応では藍色、透明、オレンジのサイクルを繰り返すのだ。この反応をシャーレの中でやると、縞模様となって面白い。本来のBZ反応をシャーレで行なった動画はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=8DYhk-SjL2c。
その他にも、振り子時計の同期現象や体内時計の話など、読んでいて飽きない。数式を極力使わないようにして書いたとのことだが、それでもやはり内容は難しい。大学教養レベルの化学の知識があったほうが、読みやすいかもしれない。
しかし、そうした知識が無くとも、面白い実験を見るのは手品のようでもあり、観ていて飽きない。
それらの面白い化学実験の動画が
http://wiredvision.jp/news/200803/2008032123.htmlに載っている。先程の周期的に色が変わる動画も、ここに載っている。
個人的には、第1位に選ばれた「ドライアイスの塊の間でマグネシウムを燃焼させ」た実験が面白かった。第9位の「クマ型グミキャンディー」も、可愛そうだけれども笑ってしまった。哀れなクマ。。。
ここには載っていないけれど、ダイエットコーラとメントスの実験も面白い。例えばこれ
(http://www.youtube.com/watch?v=zxl4eGio95A)。
このネタは、以前、「探偵ナイトスクープ」でもやっていた。「探偵ナイトスクープ」というと、僕は「爆発たまご」を思い出すのですが、これも実際にやるのは危険ですけど、見ている分には面白いですね。
http://jp.youtube.com/watch?v=qsMpRrlZe9c
* 秦さん一人と此処で付き合っていても、こういうのには全く出逢えない。なんだか元・作家教授の職権発動かのように厚かましく「紹介」させてもらっているが、楽しんで下さる読者があれば嬉しい。
写真の転写もゆるされるなら、ポーランド発の「創」くんの撮影と解説になる美しい「建築」も紹介したいのだが、どうも写真の扱いは難しい。
☆ なんと 2008年03月25日16:21 悠
大変でした。
昨日、息子が入院しました。
長引く熱が下がらず、ダンナと揃って休みをとり、大きな病院に連れていき、精密検査の結果、乳突蜂巣炎で入院となりました。
耳というか、鼻というか、近くにある空洞に膿がたまって細菌が増えていたようです。ここが熱の原因だったようです。
抗生剤と膿だし(鼻水を沢山出してやる?)で治すことに。
慌てました。実家の母に応援にきてもらい、今日は出勤。
昼休み、連絡するともう点滴もとれて元気いっぱいとのこと。よかった!
昨晩は、度重なる発熱でも強い子と受け流していた事を、深く反省しました。
* よかった、元気になって。ほっ…
2008 3・25 78
☆ まっかり 2008年03月25日23:23
札幌の積雪がゼロになった。例年より早い雪解け。送別会と引越の季節。
年度末で研究予算を使い切ってしまったため、休暇を取って出張する。羊蹄山の麓にある農場。場長さんに会い、近年のジャガイモウイルスについて情報提供。この農場から出たジャガイモが回り回って日本中の種いもになっている。川の源流をきれいに保てば、水系全体の透明度が増す。大事な仕事の一つだ。
毎週研究室を訪れている人は、ここの職員。一年で進んだ研究の概要と、次年度の予定についても話し合い、秋には学会で口頭発表ができるよう頑張ってみようかという線で落ち着いた。毎週末片道二時間、よく一年間通ったものだ。受け入れ側もしっかりしなければ。
夕方農場を辞し、札幌方面と反対側に走る。十分ほどで真狩村にある村営真狩温泉に着く。食事をして入浴。やや白濁した天然温泉で、体に優しい。露天風呂からは、目の前に雄大な羊蹄山が見える。
前回ここを訪れた際には、館内は元気なお年寄りで大混雑だったが、今日は人影少なく、食堂や土産物売り場も縮小されていた。お風呂の方もやや客層が代わり、ニセコが近いせいか、オーストラリア人と思われる大柄な男が、地元の農家のおっちゃんと露天風呂につかり、片言の英語で天気の話をしていた。
お風呂を出てから汗が引くのを待ち、留寿都、中山峠、定山渓と山道を走って札幌に戻る。一日がかりのドライブだった。
明日は、仕事の後に送別会を兼ねたお祝い会。私とNさんの受賞も含まれるが、メインは同僚の育種学会賞受賞祝いだ。
* 題の、「まっかり」が、探りにくいなあ。
2008 3・25 78
☆ 朝方 08.03.26 18:38 花
強い雨の音を聴きながら、目覚めました。
カーテンを開けると晴れていましたが、ベランダがびしょ濡れなので、布団干しは諦めました。
お元気ですか、風。
とても暖かい日でしたが、英語のレッスンを終え、表に出ると、雨がパラパラ。
午後は強風になりました。春の天気も、なかなかに変わりやすい。
「抱擁」の映画を録画してあるのです。見なくては。
推敲作業や読書に時間を割いていると、なかなか映画を見る時間がとれません。が、さっき、注文していたDVDが届いたので、ひとつ見ました。とある舞台劇のDVD化されたものです。
独身のときはよく他県から東京まで舞台を観に行きましたが、こちらに住んでからはそうもいかなくなりました。
演劇文化が、地方にもっと分散しているといいなあ、と思います。文化施設や商業施設が、東京に集中しすぎてい、とても残念。
さてさて、よい風の京都でありますように。傘、お忘れ無く。
花はいよいよ元気です、ではでは。
2008 3・26 78
☆ のんびり昼下がり 2008年03月26日 15:15 優 e-OLD多摩
午後は珍しくのんびりやっている。小散歩もした。
暖かさに尻を押されて、三四分が一日で七分ほどになった早咲きさんもいる。
桜守の話では、最近、樹々に瘤(こぶ)病がはやっているとか。ばっさり伐るしか防ぐ手はないようだ。
そういえば昨年、そんな老桜を小金井公園で見たような憶えがある。
☆ 櫻 泉
お元気ですか。京都の桜は東京より少し遅い筈だけれど、今年は早いので運が良ければ逢えるかも。 私の分も観ておいて。
今日の西武新宿線沿線は、満開に近く。
京都は疏水辺りの染井吉野と、岡崎の別荘地辺の枝垂れ桜が綺麗で、穴場どすえ。
お元気で、おはようおかえりやす!
2008 3・26 78
☆ 発見、あのワイワイがミクシィに 2008年 03月27日00:52 光
ミクシィの楽しさは、いる人の数だけさまざま。
ミクシィでは、いろいろな人と出会い、文字情報をやり取りする。
文字情報が飛び交うそこには、なんとまぁ、温かいコミュニケーション(=ワイワイ)があった。
見つけた。
想像もしなかった。
遠野のユースホステルの談話室で。一人旅同士集まって時間を忘れた、肌で感じたあのワイワイの温かさが、なんと電子媒体上のミクシィの中にあったとは。
*
心に感じる温かさ。
その正体は、熱源から発する赤外線ではなく、温かな人の心から発する情報なんだと確信。
* 一面ではあるが、こういうふうにもたしかに成るし、成りうる。軽い「ワイワイ」だけでいいとは思わないが。
教授時代のむかし、「ワイワイ」の和やかさとしか見えない思えない学生仲間内から、「ほんとうは、も少しカタイはなしがしたいんですけど」という呟きをいくどか聴いた。そういう一面もあると分かりながらの「ワイワイ」の楽しさにはこたえられないモノがある。それでよし、それだけでなくても、よし。
2008 3・27 78
☆ もののけ姫の森 屋久島へ 2008年03月 28日00:39 松
3月20日から24日まで、映画『もののけ姫』の舞台となった、屋久島に行ってきました。
今回はひさびさ、父親との二人旅。父が素晴らしいガイドと知り合いになり、案内をしてもらう手配をしてくれた。まる1日そのガイドに案内してもらい、道の無いところにある『お谷ヶ滝』や屋久島最大のヤクタネゴヨウ(屋久島、種子島にしかない松の木)、巨大なガジュマルの木など、一般人だけではとても行けないところに案内してもらい、非常に感動した。屋久島は森深く、谷は断崖絶壁の連続で道の無い良い場所が多く残っている。その一部だけでも目に焼きけることができて本当に良かった。
別の日にはガイドなしで淀川(よどごう)経由で黒味岳を往復した。まるで水がないかのような清流淀川、そして屋久杉の林を抜けていく登山道、途中にある湿原花之江河(はなのえごう)、360度の展望が味わえた黒味岳など素晴らしい景色の連続だった。屋久島の山は白骨化した屋久杉が立ち、多くの巨石が点在していており、一種異様な感じがする。ここの山にしかない独特の景色だ。
父と歩いていてやはり衰えているな、と感じた。私より30歳も上なのだから当然なのだが、子供の頃からずっと一緒に歩いているとその変化が良く分かる。同世代の人と比べたらずっと体力はあるのだろうが、無理はできなくなっているようだ。
あと自分自身の体のキレがなくなってきていることにもショックを受けた。昔は当たり前のようにあった体力が、ここ2年ぐらいで徐々に落ちている。今週など遊び疲れで風邪気味で、仕事をやっていて体が重かった。生活の仕方を変えないと、これから先が不安である。
父より先に衰えることは、何としても避けたい。
* おしまいの一行が嬉しい。うちの息子君に聴かせたい。
☆ さくら 2008年03月27日17:42 悠
入院中の息子は一気に回復。土曜の血液検査がOKならば、退院です。
付き添いは母が引き受けてくれたので、私は病院経由で家と職場を往復しています。
今日は都内で行われている学会に参加。最寄りが尾山台だったので大岡山乗換えで大井町線で向かいました。
大岡山駅を出ると東工大グランドの桜が見事でした。
帰り道、東工大に寄りたい衝動にかられましたが、元気一杯で待っている息子のもとに急ぎたく、車窓からのお花見としました。
* 東工大へ行ってみたくなった。あの櫻は、いまも胸にじんじん燃えているほど。このファイル冒頭に、わたしをとり包んでいる櫻が大岡山の櫻です。ほんのほんの一部です。
2008 3・28 78
☆ Two body probleml 2008年03月28日14:54 ハーバード 雄
毎週木曜日にはdepartmentの主催するセミナーがあるのだが、今日の演者はハーバードメディカルスクールのTim Mitchison。細胞分裂に関係する細胞骨格の研究での世界的権威。おそらく、生物学の研究者で知らない人はいないのではないだろうか。普段、 departmentのセミナーは分野外なので参加しないのだが、今日は参加する。
会場でぼうっと待っていると、後から見覚えのある人が入ってきて最前列に腰を下ろした。なんと大学院博士課程時代の先輩Mさんだった。何故ここに? 向こうも僕に気づいて、後で話をすることに。
セミナーそのものは、正直言って少々期待はずれだった。今日の内容の多くは、既に確立された教科書的な事柄が多かったし、質問をされても「それは実験した彼じゃないと分からない」の一点張り。やはり要職についてしまうと、研究の最前線からはむしろ遠ざかってしまうものだろうか。
セミナーが終わってから、Mさんと一緒にロースクールのカフェテリアで昼食。Mさんは僕が大学院生の頃にサンフランシスコに留学し、その後ずっとアメリカにおられると聞いていたのだが、実は既に昨年帰国して、今は某研究所でポスドクをされているらしい。
今回はどのような用件でアメリカに来られたのだろうと思ったのだが、実は奥様がボストンにいらして、急に病気になられたので看病に来られたのだとか。奥様はピアニストと聞いていたが、ボストンで学校に通っていらしたとは知らなかった。
Mさんはボストンの雰囲気が気に入られたようで、「俺もサンフランシスコじゃなくて、こういうところの方が良かったなあ」とおっしゃっていたが、それは真冬を経験していないからだ、と思わず僕は思ってしまった。ただ、レンガ造りの建物が並ぶハーバード周辺は、やはり趣があって学問をするには良さそうな雰囲気を感じる。
「こんな最高の環境で研究できて、いいじゃない」とMさん。「これこそ、学問をするのに最高の環境だよ」。確かにそうかもしれない。
Mさんは、あと1週間ほど奥様の看病をされてから帰国されるという。もう既に奥様の体調は大分回復したらしく、今日は学校にいってしまったので、暇だからセミナーを聞きに来たのだとか。来週も、良さそうなセミナーがあったら来るとおっしゃっていた。
それにしても、ご本人は日本で奥様がボストンとは、なかなか大変だ。夫婦共に研究者というケースは良く見かけるが、やはり職探しなどでは相当大変なようだ。これを “two body problem” というのだが、この問題、今後益々多く見られるようになるだろうなと思う。
* 北海道のマイミク「麗」さんがレポートされている、学校カリキュラム等の真新しい動きに強い関心があるが、今日、すぐさま反応を書き記すのは、もう疲れてもいて、かえって粗略になってはいけない。
* そうそう、京都へ出かける直前に若い若い友達から、先日maokatさんの書いていた日記の題の「まっかり」が分からないとぼやいていたのに対し、教えてもらっていた。
「まっかり」とはじゃがいもの一つの通称らしい。ああそうなのかと脱帽した。「男爵」のようなものか。そういえばじゃがいもの話題だったんだあれは。なにかしら、「まったり」とか「なんどり」とか「はんなり」といった類の形容詞かと想像していたが、ピンとつかめなかった。感謝。
☆ おまけの話です☆
おじい様のブログ。。。“まっかり”です。
もしかしたらもうご存知かもしれませんが、北海道羊蹄山の麓、真狩村です。
すご~く美味しいじゃがいもの採れる所です。
以前札幌三越から送られてきたじゃがいもが、まっかり産でした。
ずいぶん前の事なので、今もそうかは分かりませんが、じゃがいものトップブランドでした。
まっかり=じゃがいものカリスマみたいです!
おじい様がご存じなくて、私が知ってるなんて一生に一度のチャンス! と思い込み、声を大にしてお伝えしたくって!
もしかしたら、真狩村をご存知だけど、タイトルと本文のミスマッチを指摘されていたのなら、赤面ですが。。。
。。。庶民的な事なら、私にお任せ下さい。 琳
2008 3・28 78
☆ 追伸 琳
真狩村は、まっかり村と読みます。
じゃがいもストレートと言うより、地名なのかもしれません。
私の書き方が不十分で申し訳ありません。
一番大事なことでした!
おかえりなさい☆
雨に当たらなかったご様子、一安心です。
京都はおじい様の故郷、おかえりさないで良いのでしょうか???
私の立場から、やっぱりおかえりなさい、にします。
どうぞお疲れを残しませんように。。。
*「『真狩(まっかり)』とは北海道後志支庁管内虻田郡にある村の名前です。ジャガイモの名産地で,歌手・細川たかしの出身地でもあります。」と教えて下さった人も。感謝。
☆ (京都=)ご無事で。晴れで。よかった。
雨になったのではないかと、お足元を心配していました。
京の花はまだとか。
東京ではソメイヨシノが満開を迎えていましたようで。
富士山麓、うちの近くにも桜並木があり、淡い色がとてもきれい。
季節柄、強風の日が多く、花はくしゃみを連発。
チーンと洟をかんで、色気がなくて。
さてさて、今週は、お隣とのあいだのフェンス工事があります。
エイプリルフールもあります、ご用心。
風、ではでは。 花
☆ 少し肌寒い京都でのお仕事、お疲れさまでした。
腰の痛みは大丈夫ですか。
白川沿いでは桜もご覧になられたことでしょう。
御所の近衛邸跡のしだれさくらを見に行ってきました。大木が見事に満開になっていてそれは綺麗でした。
もう来週あたりはどこも薄紅色に染まることでしょうね。
ちょうど娘たちも帰ってきますので、一緒にお花見ができますのを楽しみにしています。
お身体お大切にお過ごしくださいますよう。それでは、また… みち 従妹
2008 3・28 78
* 「mixi」で連載中の『もらひ子』によくコメントを入れて下さる川崎のe-OLD「瑛」さん。こんな対話がときどき生まれる。
「mixi」の「足あと」に、風俗営業紛いのヒャラヒャラしたのが増えてきているので、不愉快を解消すべく、日記の公開範囲を制限縮小した。ほんとうなら、それをしては「mixi」の意味は薄れるのだが、運営がそれらを野放しに受け容れている以上、自衛の他はない。
☆ 瑛 e-OLD川崎
幼稚園では「キンダーブック」、小学校は国民学校になりました。
校門をはいると(ご真影の=)拝殿があり帽子を取って最敬礼をして教室へ行きました。
国語教科書最初の頁は、「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」に変わっていた。「サイタ サイタ サクラガ サイタ」から変わっていた。
咲く桜の匂いから、東から昇る赤い赤い朝日へと「言葉が、語句が変わる」ことの違和感が心にのこりましたね。サクラはひ弱いといった。
本居信長を書いた小林秀雄を(このごろ=)やっと読めるようになりました。イザヤ・ベンダサンの小林秀雄論を読みながらですが。
(連載に挿入されている=)「写真」の川の洲は、どこか「パリのルーブル美術館界隈の川」を連想させます。
* 2008年03月20日 23:27 河合川崎の写真は、京都の東北からくる高野川と西北からくる賀茂川との合流点で、この中州にあたるところに下鴨神社があります。合流のこの地点から「鴨川」と名が改まります。この鴨川も、先へ行って木津川や桂川と合流して淀川に流れ込みます。
キンダーブックが大好きで、配本を首を長くして待ちました。幼稚園のいい思い出の三つとない中の一つが、キンダーブックでした。
国民学校へ入学の日、運動場に櫻が咲いていたのを思い出します。我が校にも御真影の奉安殿が運動場の真東にありました。 湖
☆ 瑛 03月22日 08:46
コインシダンス。幼稚園も国民学校もいい先生に恵まれました。
国破れて山河在りの昭和21年の先生は 永山 勝先生。戦地から復員されて「教育ということに」全生命を漲らせていました。「古事記」、「漱石」をまた「ギリシャや長靴のような国」の話をしてくれました。
小学校は大げさに過ぎますが、人生の正師に出会いました。
* 2008年03月22日 12:03 瑛さん 幼い恋もしましたか。 湖
☆ 瑛 2008年03月30日 01:49
国民学校一年生の机は二人で一つの「机」でした。
初めて一緒に机を共有したのが立野さんという女の子、でありました。
恋が芽生えたのは六年生のとき。中学への進学で受験勉強をした後に「講堂(:舞台がありグランドピアノがある全校生徒の集まれる建物)」で彼女と「ピンポン:卓球」をしたときは、何かほのぼのと祖母か母親のような包容力を感じました。中学は女子校へ彼女は進学しました。あわいがなかなか宝のような瞬間の恋であり、今でも温かい体温、余熱があります。忘れえない思い出であります。.
* 六十五歳ぐらいから、わたしは勝手に、「e-OLDS 我が仲間」パソコンという電子の杖の適齢と思っている。声を迎えたいと思っている。
☆ ピナ・バウシュ ブッパタール舞踏団 「フルムーン」Vollmond 珠
先日に引き続いて期待の新作を観るために新宿文化センターへ。
家の前は桜満開、白いお花のトンネルになっている。我家近くの公園へお花見に向かう多くの人に逆らって、私は駅へ向かう。お花は好きだが、人が多いのは好きじゃない。お花は帰り道、独り占めの予定で。
新宿文化センターは、大学時代に初めて独り暮らしをしていた場所のすぐ近くにある。街並みは大分変わったけれど、とても懐かしい。よく歩いて新宿に出かけた、その道筋に今もかわらずある。レンガ色の外壁も落ち着いて、雰囲気も含めここはとてもよい舞台だ。
*
舞台中央には大きな岩。空気の音で舞台が始まる。男性ダンサーが棒を振る、プラスチックボトルを振る、ヒュッビュッと空気が振動し、響く。月明かりを思わせる光、そして男と女、様々な交歓。抗いがたい力、存在のように降りしきる雨、そして川となる。舞台横幅いっぱい川となり、とめどなく降る雨のなか、ダンサーそれぞれが踊る。男として、女として、独りで、二人で、睦まじく、喧嘩しながらと色々。
時折、科白。「今夜はフルムーンだから酔っ払いはだめよ」「どっちがいいかしら?いっぺんにくる大きな愛と、毎日毎日ちょっとずつの愛と?」、、、
*
にっこりと微笑んで腕を伸ばす女、男は抱きしめようと近寄ると叩かれる。装った女がツンと腕を差し出すと、男は厳かに口を寄せ、寄せる男は段々増えて、競って噛むほどに口寄せてゆく。繰りかえし、そして誇張、削ぎ落とされた人間の関係は単純化され、鍛えられた肉体の動きになる。男は筋肉を顕に力強く、女は髪長くその身体を魅せるドレスを纏う。肌の色、髪の色、背の高さ、違いを顕に男と女。くすっと笑いが洩れるほど、男と女のやり取りにすれ違いを見せる。行動は、すれ違う、でもそんなもの、と思わせるように。容姿や見栄えでなく、ちょっとした出来事によって単に行動が変わる。人と人との関係を、男と女に映し出し、雨・川・月という自然に際立たせる。
*
こんな風に文にするのは難しい。書いてみるとそれがよく分かる。観て感じたことを、下手に文になどせずそのまま自分のなかにそっと置くのがいい。
舞踊など身体表現は、そういう表現芸術なのだろうと思う。その自由さは、多分私が舞踊、とりわけ現代舞踊を好きな理由だ。舞踊や彫刻(これも好き)など、観るのはいつも独り。誰かと話すことはしないので「ことば」にする必要はない。いや、ただ「ことば」にする難しさを回避しているから、独りなのかもしれない。
単純さに憧れるが、日常生活でさらっと見せられる単純さにはイライラすることがある。そんな私が舞踊でも彫刻でも魅かれるのは、どこまでも削ぎ落とされた単純な美しさ。こういう時を求めていると思い知る。
今までのピナ作品で1、2を争うほどに今日は良かった。記憶に刻み、「ことば」にしてみた。
帰り道、夜桜トンネルに目を凝らしても、本物に見えなかった。舞台や店先の作り物と同じに見えてしまう。あまりにみな同じく、白く盛りと咲いているからだろうか、それとも動きがないからだろうか。
鳥は枝から花を啄ばみ落とす、芽吹いた葉は風にそよぎ、花びらは雪のように舞う。桜は満開、これからに美しさがある。
* 「ことば」「表現」とのこのような内心の葛藤、そしてやはりことばで表現してみる。このパソコン時代になって最も特徴的な一つとして市民をとらえている課題のこれはひとつなのにちがいない。
☆ earth day 2008年03月30日14:39 ボストン 雄
帰宅してパソコンを見ると、インターネットが繋がらない。再起動してようやく繋がった。大家に確認した訳ではないので定かではないのだが、もしかすると “earth day”ということで、一旦電源を落としていたのかもしれない。
おそらく世界中での試みなのだと思うが、今日の夜8時から1時間、電気を切るという運動があった。環境保護のための試みなのだとか。1時間電気を切ったところで温暖化に大きな影響が出るとは思えないが、エコ後進国アメリカでも、こうした環境保護の運動は日増しに強まっているようだ。
実際、こちらのスーパーチェーンWhole foods marketでは、プラスチック袋の利用を止め、商品は全て再生紙を利用した紙袋か、あるいは何度も再利用できるエコバッグ(90セント位で売られている)に入れることとなった。
ハーバード大学でもグリーンプロジェクトという環境保護運動が始まっている。こうした動きが全米に広がれば良いと思う。
2008 3・30 78
☆ 先週の日記「まっかり」では、マイミクさんにご迷惑をかけたようです。著者より先に、「まっかり」がなにものであるかを湖さんに教えてくれたマイミクさん、ありがとうございました。真狩村はじゃがいもや百合根が美味しく、銘水が湧き、羊蹄山を望む温泉地です。その道では有名な「マッカリーナ」というレストランもあります。機会がありましたら、ぜひ一度お出掛け下さい。 maokat
* 一件落着。
☆ サプリ的ライフ 2008年03月31日00:26 光
都会ではシングル・ライフの人たちが多いせいだろうか。外食でも、コンビニでも、お一人様向けのものが充実している。
そんな中での食生活は、私の場合、(意志が弱いので)自分の好みのものにどんどん偏っていく。もちろん、栄養が偏っているのはわかってはいるけれど。
その後ろめたい気持ちを察してくれたのか、コンビニには、野菜ジュースやマルチビタミンなどのサプリメント製品が並べられるようになった。
好きなものだけ食べたら、後でサプリメント。
*
都会の電車の中の人たちは、iPodで音楽を聴いているか、携帯をいじっているか。
「話しかけられるのが、うざいから、音楽聞いているふりしている」と、年下の知人は言う。(素直に「今時の若者」と言い直そう)。
そんな彼女は、実は「mixi」をやっている。
なんだ、コミュニケーションが嫌いなわけではないのか。
あぁ、そうか。
彼女にとっては、「mixi」はコミュニケーションのサプリメントなんだ。
*
これからは、サプリ的な時代なのかもしれない。
* 関心を持って読んだ。いいところを突いている。こういう「感想」の、すらり、すらりと出てくるのが「光」クンのおもしろさ。
「mixi」では、羅列・記録型の「日記」より、こういうセンスでの「述懐」や「感想・感覚」に、つい心を惹かれる。当然である。
とはいえ、難しい。
人の胸に届く質的な「述懐」と、われひとりの「吐出し」とは自ずと異なる。わたしは、述懐や意見や感想はこの「私語」に置いて、「mixi」では、作品をとだいたい決めている。
2008 3・31 78
☆ 育児休業中 2008年04月28日22:34 悠
週末,実家に帰り息子との時間を過ごしてきました.
めきめき発達を続ける息子.一週間ぶりの再開でもたくさん驚かされました.
朝起きて,私の母(息子の祖母)に向かい”ババ,ババ”と連発して向かっていったこと.うーん,”ママ”じゃないのね....このひと 月あまりの状況で、息子のほうも頼れる人はこの人! と早い段階で認識していました.当然の結果でしょう.
実家に居る2匹の犬とは仲良しになったようでした.家の中にいるヨークシャーテリアは追い回されていました.裏にいるゴールデンレトリバーは頭をたたかれても仕方なくおとなしくしていました.いずれもオス.実家では悪がき3人組と呼ばれています.
育児を休業中の今日この頃.”昔の”生活リズムに戻ってしまいました.つい,時間を忘れて(研究室での)作業に没頭したり,遅い時間の(研究仲間の)ディスカッションに気にせず参加できたり,送別会に出席したり.
しばらく,夕方以降の時間は無いものとして生活してたのに、”こんなにも色々出来るんだ”と実感してしまいました.
息子はばっちり回復したので,連休中に戻ってきます.連休明けには保育園生活をスタートさせる予定です.
息子が新しい保育園でもう一度,保育園での生活をスムーズにスタートできるのか心配ですが,それ以上に私が育児生活に戻れるのか...これがとっても心配です.育児のお休みはあと少しです.
息子との生活が楽しめるように気持ちに余裕をもってすごしたいと思います.
☆ こんにちは、風。 お元気ですか。 花
きのう、お酒のあと二駅も乗り越したんですって。
花も、ゆうべは、ソファで夜中まで眠りこけていました。でも今朝の英語は、ちゃんと行きましたよ。全力投球した爽快感があります。 さっき、市の主催するがんドック検診の予約をしました。人数に制限はありますが、格安の料金で受けられるようです。
知人が、つい最近乳癌になり、定期健診は大事だなあ、と、思った矢先、市から案内が届きました。
婦人科検診は含まれていませんが、それはまた自分で行くことにし、胃や腸や肝臓や肺のがん検診も大事なので、胃カメラは未体験でしんどそうですが、頑張ります。
検査の予約は、七月になりました。混んでいるのでしょうね。
さてさて、花は、新しく書いたものを推敲し終え、早く風に読んでいただきたい。
がんばります。
花は「いま・ここ」にいて、自分たちの家を、草木で飾りながら元気に過ごしています。ではでは、風。
* 健康な幸せを祈ります。
2008 4・28 79
☆ 湖へ 珠
こんばんは。少し前に帰りました。
お届け荷物にお手紙を、、と思いながら忘れてしまいました。
岡山、倉敷の旅はお天気に恵まれ、若葉美しく穏やかに過ごしてきました。
病気療養中の茶友は、茶会の前夜に外泊したとのこと。足を上げるのさえしんどい様子なのに、着物を着て、袴までも持参して時間をかけながら待合で付けていました。
つい先週の、急な誘いのメールで、病勢厳しいことと思っていたので、まさか本人が外泊までして共に過ごせるとは思いませんでした。それはきっと、何とか出かけたいけど、無理かな、、、と思うなか、ひとまず声にしてみた、、そんなところだったのかな、、と思います。
お互い一人の気楽さでしょうか、また寂しさでしょうか、奥々の柔らかいところはそのままに、良寛さん修行の円通寺に、「今・此処」だけのかけがえのない「茶」になりました。
ありがたいことに、風も、空も、花も、鳥も、穏やかな色に満ちて友を喜ばせてくれました。
無理をしたのかもしれません。それでも、一期一会であればこそ、それは友が自分で決めること。私は懐かしく、楽しく、共に美味しい茶を味わえたことだけに、感謝します。
酒の大好きな友に聞いた、倉敷の「森田酒造」。嵩じてお酒に合う全国の美味しい肴まで揃えるようになり、酒蔵隣に「平翠軒」なるお店までありました。お酒も、肴も、目移りするほどに。。
それでも先日頂戴した「湖の本」の題そのままのお酒に惹かれ、季節がらギリギリですが選んでみました。大吟醸の冷や、さて、いかがでしょうか。ゆるゆると盃、楽しんでください。
急な旅でしたが、一度倉敷へと言っていた母も連れていったので、夕食は地元評判の和食屋さんに足を運び、そこで、倉敷ガラスの猪口に一献。私も森田酒造のお酒を頂きました。
あと味のすっきりしたお酒でした。よいお酒は、身の奥まで清らかに沁みこみますね。
穏やかな春の旅、お届けできる湖のあることが、うれしく。
どうぞ、大事にして下さい。湖。珠は、旅に出ようと思えるほどに、元気に。
ありがとうございます。湖。 珠
追伸
「森田酒造」と「平翠軒」の写真を添付しようと思って、忘れました。いつも、こんなです。。どうぞご容赦を。
この写真(割愛)の奥深く続く酒蔵がありました。静かにゆったりとした時は、お酒にも伝わるのでしょうね。 珠
* 友がいて茶があり、母があってともに旅ができ、うまい酒、肴。
経済の豊かさではない、人の思いの豊かさ。いくらお金があっても出来ない人には出来ない。
☆ ゴールデンウイーク 鳶
四月が終わろうとしていますが、「四月の行方」はどのような状況でしょうか。良い方向に事の進むよう祈ります。
26日の、バイアット『抱擁』からご自身の文学に関しての記載、興味深く読みました。分かる、と書いては僭越、不遜・・になります。ただただ思いをいたします。
ゴールデンウィークの天候は良いという気象情報。その前半は変わらない日常です。今朝はセーターやら毛布やら、今期最後の冬物洗濯デーと頑張っています。と言っても洗濯機にかなりの部分してもらっているに過ぎません、合間にメールを書いている次第。
五月二日から十日過ぎまで忙しい日々になりそうです。姑のもとへ二往復、余儀ない用事のためですが、本当に怪我無く過ごせるように行きたいものです。
その間来客あり三日間泊まるということで・・今日から少し家事を増やして準備、です。四角い部屋を四角に掃除し清めること! 普段より念入りに作業するとやはり気持ちよいですね。但しいささかしんどい・・。
良き日々をお過ごしください。
* 友在り、遠方のままで即座に思いをかわして穏やかに語りあえる時代。
唐土過去の詩人達の手にもしパソコンがあったなら、あの気の遠くなるほど寂しい別離万里の詩情はどう表現されたろう。読者と作者というかかわりのゆえに、わたしはメールを交わしている殆どの人の顔を知らない。顔は、想像もしないようにしている。文は人。
2008 4・29 79
☆ 幼児教育は有効か? 2008年04月29日11:02 ハーバード 雄
・ 日本はゴールデンウィーク真っ只中だろうか。アメリカでは祝日がそんなに続くことは無い。もっとも自分が休みたいときに、勝手に長期休暇を取るのがアメリカ式だから、勝手に休めば良いのだけれど、貧乏性ゆえ、そう長期休暇を取る気になれない。今年はビザの更新があるから、それで日本に帰るのが長期休暇ということになるだろうか。日本のゴールデンウィークを羨ましく思いながら、重い体を起こしてラボへ。
・ 今日は週に1度のbrownbag seminar。今日の演者はハーバード大学のヘンシュ貴雄先生。名前を見ても分かるとおり、日本にゆかりの深い方。お父様がドイツ人、お母様が日本人であり、ご本人は幼い時からニューヨークで育った。そのため、お父様に話す時はドイツ語、お母様に話す時は日本語、外で話す時は英語というように3ヶ国語を自在に操ることができるのだという。
ただ単に日本人の血が流れているというだけでなく、ハーバード大学を卒業後、修士課程は東大医学部の伊藤正男教授(当時)のラボに在籍し、修士号を取得している。その後、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のMichal P. Strykerのラボで学位を取得。ふつう、学位を取得した後はポスドクとして経験を積むものだが、ちょうどその頃、理化学研究所に脳科学究センターが設立され、初代センター長に就任した伊藤正男先生の呼びかけで、なんとポスドク経験を経ないままいきなりチームリーダーに就任。若干29歳だった。
その後、前評判に違わぬ活躍ぶりで、様々な一流雑誌に論文を発表し、数年前にハーバード大学に教授として招かれた。ハーバードでも、ケンブリッジエリアとメディカルエリアの両方にラボを持っている。日本では、なんと天皇陛下の前で講義をしたことがあるという。
ヘンシュ先生が一貫して研究しているのは、「発達期において、脳が環境によってどのように変化していくか」について。特に、「臨界期」と呼ばれる、神経回路の再編成が盛んに行なわれる時期について着目して研究しておられる。やはり、ご自身の生まれ育った環境が大きく影響しているのだろう。詳しくはこちらを参照されたい。
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/55/research_21_2.html
臨界期の典型的な例としては、やはり言語習得が挙げられる。幼少期に言語を学ぶと容易に習得できるのに、大きくなってから学んでも、なかなかモノにすることはできない。「なのに、アメリカでは外国語を学ぶのは14歳になってからで、これは全くナンセンスだ」とヘンシュ先生。
・ しかし、いわゆる「早期教育」は、果たして意義あるものなのだろうか。確かに、音楽家になるためには4歳では遅くて、3歳からレッスンを始めなくてはならないなどという話も良く耳にする。しかし、幼い頃は神童の名をほしいままにしていたのに、大人になってみるとタダの人というのは、そう珍しいことではない。
ヘンシュ先生が臨界期の形成において注目しているのは、GABAを放出する神経細胞。このGABAは神経細胞の興奮を抑制する作用をもつ物質で、これを受け取った神経細胞は興奮できなくなる。
最近では、GABAの入ったチョコレートなんてものが売られている。この抑制性神経細胞が正しく働かないと、臨界期の形成が異常になるという。
http://www.katei-x.net/blog/2007/08/000319.html
今日はもっと踏み込んだ話もしていたのだが、これはまだ論文になっていない話なので、ここに書くことはできない。前から知ってはいたが、かなり意外な内容。
・ 午後は、他所のラボからbrainbowマウスを使って実験したいという人が現れ、一緒に実験。昼食も食べぬまま作業に没頭したので、終わるとどっと疲れた。帰り際、ちょうど今日の昼のトークの実験をやっているヘンシュ研の人にバッタリ出くわし、しばし立ち話。
<<前の日記へ コメント
抑制性神経細胞が働かないと どうなるんですか?
興奮しつづけると よろしくないんでしょうね?
<< 雄
神経細胞が過剰に興奮すると、熱性けいれんやてんかんになります。でも、脳の部位によっても色々と状況が異なりますし、本当にきちんとしたことは、もう少し研究が進まないと、分からない部分も多いと思います。
あと、上に書きませんでしたが、発生の初期では、GABAを放出する神経細胞は、抑制性ではなく興奮性で、発生段階と共に切り替わることが知られています。
* すこし見当は異なっているけれど、「幼児教育」に関して歴史的に最も早く深く微妙を極めて論を展開したのは、ジャン・ジャック・ルソーの『エミール』であろうか、むろん先蹤の何らかは在ったろうが。ルソーの論説ほど時代に対し、知識人達に対し、また宗教家や教育者達に対し刺激的な優れた例は、未曾有であったろう。
わたしは毎晩岩波文庫の『エミール』を蝸牛の這うほどの速度で読んでいるが、異様な刺激を受ける。速く読んでゆくには論旨の展開が細微に過ぎ、一行一行に立ち止まらされる。すばらしい洞察であり同時に理屈のための理屈のようにもときに訝しく立ち止まらされる。奇書である。
「雄」クンの日記の題を観たとき、反射的にわたしはルソーを思い出していたし、読み終えた今もルソーの方が頭に居座っている。
* さてこの数日お定まりのインターネット不調がまた起きている。昨日はこのまま晩おそくまで回復しなかった。今朝の「私語」途中で転送しておけばよかったが。
あきらめて他の仕事を始める。
2008 4・29 79
* 岩波の高本邦彦さんからもお酒を頂戴しましたわと、妻。とびきりの「一の蔵」。感謝。
2008 4・29 79
☆ 青葉若葉 2008年04月29日20:50 瑛 e-OLD川崎
五月の連休はどこへ行っても人の波である。混雑を厭わなければ新緑のこの晴天の下を、上野の薬師寺展その他へ行くか、山なら奥多摩か、丹沢かを歩きたい。最近は丹沢は「蛭」が出るので少しの注意が要るが、それでも薫風を全身に受けて二本の足を地面にしっかとつけて歩きたい。リュックに地図と好きな文庫をいれて、大きく息を吸いながら、吐きながら無理をぜず自分の地のまま山へ登る。
庭の花も満開、山の目に沁みとおる青葉若葉でありましょう。
☆ インターネットの具合が悪いのかなあ、と、想像しています。 花
パソコンが二つあるなら、一つには、お仕事用に、ワーキングソフトや、写真の加工ようにレタッチソフトなど、使いたいソフトをインストールしておき、もう一つには、メーラーとブラウザのみインストールするなどして軽くしておき、こちらを通信用にすると、不調が起こりにくいかも知れません。
それでもしょっちゅうネットに不具合があるなら、パソコン以外のところに原因があることになります。
風のように通信を頻繁にする方の場合、光ケーブルを引くといいですね。光ケーブルの工事は、してあるのでしたっけ。
ではでは、風、ネットが繋がらなくても、メゲないでくださいね。
花はいつでもここにいます。
* インターネットは夜の十時半まで動かなかった。ま、動かないならそれなりの仕事の仕方はある。
高麗屋の奥さんにわざわざ録画したのを頂戴していた、真山青果『元禄忠臣蔵』三ヶ月通し興行のディスクから、最初の吉右衛門内蔵助版をずっと仕事の傍で聴いて、観ていた。熱演である。歌昇の堀部安兵衛が水を得た魚のように力演で、小気味がいい。
2008 4・29 79
☆ おはようございます。お元気ですか、風。
吉右衛門版の真山忠臣蔵って、いいなあ。
群像劇である忠臣蔵には、いろんな要素があるので、いろんな演出・見方ができますよね。
> 朝のうち二時間ほど使えて、晩の遅くには使えるなら、
この症状は、つまり、昼のあいだは、大勢がインターネットを使っているので混雑してい、風のパソコンがネットに繋がりにくくなっている、ということだと思います。
よくあることです。
そうですね、ネットの混雑する昼には、その他の仕事をし、繋がりやすい早朝や深夜にネットを更新するのがよいと思います。
今日はこれからご近所にお呼ばれしています。 午後には、図書館と、あれこれのおつかいに出なくてはなりません。
そして、明日明後日と夫と東京へ買い物にで向きます。品川に泊まります。
気楽な留守番の一人暮らしは今日でおしまい。
風のお幸せな時間を願っています。
風、息がつまり、苦しいとき、こんな花のメールでも、息抜きになりますように。
ではでは。 花
* 午前十時半、まだインターネットは働いている。と、書いたとたんに不通となった。
2008 4・30 79