* やや茫然としている。「春眠」の候か。
☆ 辰野 隆の惚れた作家 2008年04月02日 17:58 瑛 e-OLD川崎
昔の仏文の大御所の文章に触れた。露伴を回想して滾々と思い出を語る。
『忘れ得ぬ人々』文芸文庫を読んでの今日の日記である。.
「太閤時代には一流の宗師、一流の先達であったかも知れぬが、それも、深厚なる知識教養趣味に於いて、清貧に晏如たる襟懐に於いて、我らの露伴に比すれば、畢竟、成り上がり者藤吉郎にぶら下がり過ぎて振り落とされたお茶坊主の観がある。、・・・蓋し露伴の日和下駄の塵を払う資格もなかろう」。
露伴翁は茶人を歴史のスパンで振り返り語る。先人は文章に質量がある。
* 辰野さんが露伴の文章を引用されていたのではあるまい、この口調は辰野さんご自身の露伴頌と思われる。やっつけられているのはどうやら、千利休のようだ。露伴自身が茶と茶人ないし利休をどう観ていたか、ふとモノに当たって調べてみたくなった。
露伴は、『運命』でも『連環記』でも、わたしをひっ掴んで酔わせた人だ。『五重塔』が有名だが、わたしは翁の随筆的な、史論的な作品や評釈が好き。
とはいえ、わたしの実父の所持本でと、異母妹らがわたしに呉れた暑さ十二㎝ちかい『露伴叢書 全博文館蔵版』が身近にある。この部屋を出た二階廊下の本棚にいつもある。明治三十五年六月十五日発行で、奥付には著者「幸田成行」とある。秦の父が五歳頃に本になっていて、露伴にはそれ以前にもうこんなに沢山な作品があったのだから驚く。目次をみると殆ど、題にすら馴染みのない五十五篇が上がっている。ウーン
わたしはこれを読まなくちゃいかんのであるなあ。実父の遺産であるからナア。
* 文体についてのやりとりが少し「mixi」であった。不充分だが、小さな感想を今後の踏み段のために書き留めておく。
* 文体は、指紋や独自の体臭に譬えられてきたと思っています。わたくしの理解でいえば、基本に、ことばの「発語」によって成される文学・文藝の本質的な「音楽」性が関わっていると。
いい書き手は、犯しがたく犯されがたい独自の「言語表現音楽」を入手ないし達成しているように思います。「恣意的に選び取る」というより、遅速の差はあれ「成熟の過程で成就されてきた、独自のリズムやメロディを発している表現力」として仕上がっているものでは無いでしょうか。
藤村の音楽と直哉の音楽とは明らかに異なりながら、それぞれに魅力や魅惑をもちます。訴求力をもちます。ファシネーションを持っています。
そして少なくも文学文藝を成そうとする人なら、そういう独自性を表してゆくべく、いい作品を書かねばならないでしょう。 湖
☆ 大きさ、世界一(ただし面積) 2008年04月02日01:43 光
日本史好きな親のせいだろう。子供の頃は、よく歴史の本を薦められた。いわゆる、子供向けの日本の通史の本だったと思う。ただ、かなり詳細に書かれた内容で大部だった記憶がある。
章ごとに、中心となる人物(聖徳太子とか中臣鎌足とか)が登場し、ストーリーが時間軸に沿って展開していく。
その中で、仁徳天皇の章で「世界一大きな墳墓(面積)に埋葬されている」という記述があるのに、ずっと気になっていた。
世界一 =(ピラミッドレベルで)すごい(ただし、面積)、という子供にもわかりやすいインパクトがあったからだろう。
本当だろうか。大阪の堺にあるのか。いつか行ってみたい・・・。(エジプトなんかに行かなくても)世界一を実感してみたい。と、夢見た10年後、大学生の時に友人と「仁徳天皇陵を一周する旅」に出た。
青春18切符で、その筋では有名な大垣行の夜行電車で、東京を真夜中に出発し大阪には朝方に到着した。
電車を乗り換え、最寄り駅は三国ヶ丘というところ。
駅を降りれば、樹木が茂った丘のようなものが目前に迫って来るではないか。
あぁ、これが10年来夢見てきた、世界一の・・・。
友人「どっち周り?」、私「やっぱり、時計回りじゃない」
どっちでも良いと思うが、やはり10年間のこだわりか。
長い方の辺の長さは、500 m弱である。
歩いても歩いても、樹木が茂った丘のようなものがずうっと続いているだけである。
私「どの辺が、世界一の前方後円墳なんだ?」
友人「てゆうか、これ、本当に前方後円墳?」
友人「あれ、あっちの小さい古墳の方が前方後円墳っぽい」
私「うーん、大きすぎるとわからないね」
ということで、ようやく長辺部分が終わろうとしたころ、次の駅が見えてきた。
友人「・・・一周する?」
私「うーん、いや、満足した。・・・電車、乗って戻ろうか・・・」
こうして、10年来の夢はいまだ志半ばである。
* 一日遅れのエイプリルフールみたい。
どこの国だか、ペンギンが翔んでいるという映像でかなり広範囲にダマシたらしい。発想も映像もリアルだった。
2008 4・2 79
☆ メール嬉しく 鳶
湖の本の発送作業、滞りなく終えられますように。
春をとび歩いていますか? と問われて、さてさてとび歩いていないのです。が、明日は友人の青春切符に便乗して京都に出かけます。何処に行くか、まだ決めていません。源氏物語千年? にちなんで宇治あたりはどうでしょうか。長いこと訪れていません。
何必館は一人で行きたいです。
『抱擁』は周辺の古本屋などにも見当たらないので、大阪や京都の大きな書店で探してみようと思います。面白くなったと聞けば、つい読みたくなります。
目下『中世の秘蹟』トマス・ケイヒル著という本を読んでいます。
チベットも以前読んだものや、チベット仏教、チベット死者の書など併読。
春の日々を楽しんで元気にお過ごしください。
☆ 千鳥ヶ淵 泉 e-OLD 多摩
バド(ミントン)の帰りに脱線して、九段下から千鳥ケ淵の桜を観てきました。
自分も含めて桜好きの多いこと。
今日の様な曇天では、染井吉野の美しさが半減するのは、淡い桜色がグレーに同化してしまうからかも、と想い想い、代官町通り(この通りの名前は初めて知りました)を竹橋へと下り、近代美術館近くの満開の紅枝垂れも付録のように観られて、充分堪能出来ました。
今日の第一目的は、毎日新聞社のロビーで開催中の書展で、**さんの仮名の書を観ることです。
墨書は佳いですね。心がとても落ち着きます。
2008 4・2 79
* 「mixi」に連載中の自伝にときどきコメントが入る。秦の母のよく歌っていた数え唄、
いちじく にんじん さんしょに しいたけ ごぼう
むかご ななくさ 「 」 くねんぼ とンがらし
「八」のところだけ忘れた。「はじかみ」だったか、「はっさく」かも知れない。そんなことを書いていたら、「はくさい」「はつたけ」なども考えられますねと。
秦の父も母もときどき、こういう昔唄を口ずさんでいたのを思い出す。
ヨイサッサヨイサッサ これから八丁 十八丁
八丁目の潜(くぅぐ)りは 潜りにくい潜りで
頭のてっぺんすりむいて 一貫膏薬 二貫膏薬
それで直らにゃ 一生の病いじゃーぃ
こんな歌はむしろ父のお得意だった。
☆ はなればなれ 2008年04月03日08:29 悠
息子は先週土曜に無事退院。保育園に通うのはしばらく様子見てからとなったのですが、私は研究会などでばたばた。
4月からは新しい保育園になるし、家の引越し(同じ町内)を控えているため、こんな環境の変化が続いては休めないだろうと、私の実家でしばらく預かってもらうことになりました。
月曜から離れ離れの生活。寂しいです!
毎日、冷凍宅配便で母乳を送り続けています。
気になるので朝晩電話で様子を聞き、時々写真を携帯に送ってもらいますが、心配!
早く元気になって!!
* 「悠」さんのお里は北陸ではなかったか。はやく、よくなれ。
☆ 携帯電話がない! 2008年04月03日06:52 馨
携帯電話がなくなりました。
気がついたのは一昨日の朝。最後に触れた記憶があるのはその前日の電車の中。そのまま充電もせずに鞄の中に入れておき、当然入っているものと思って翌朝出かけて、すっと青ざめました。
ただ、その時点では帰宅して探せば出てくるだろうと思っていたのです。
息子が携帯が大好きで、人の鞄を開けては持ち出すというイタズラをするので、たぶん家のどこかにあるだろう、と。
ところが、家に帰ってさがせどもさがせども出て来ない!
副産物として違うものはいろいろ出てきました。
ソファの後ろから櫛。台所の燃やすゴミの中から小さなボール。ビデオデッキの中からチャイルドロック。裏庭から娘の小物入れ。
これすべて息子の所業です。
が、肝心の携帯が出て来ない!!
もしやと思って、JR東日本にもタクシー会社にも問い合わせたのですが「お届けはありません」とのこと。
一年半前に電話会社を変更するまでは、家の中でほとんど電波が入らないこともあって持ってはいるもののあまり携帯は使っていなかったんです。
ところが、その後、おサイフケータイに変更してから頻繁に使いはじめ、今や携帯を使えないと出張も不便になってしまっている!
帰りの時間をキリキリに設定して行動するために、出先から予約できるシステムを多用していた自分に気がつきました。
やむなく、お休みまであと一ヶ月なんだけど、と思いながらも、新しくすることに決めました。
人間って、機械に狎れる(慣れるのではなく)のはすぐなんですね。これは堕落の一歩でもあるのでしょうね、などとも思ったりして。
そうそう、限りなく有罪に近い当の息子ご本人。
ここ数日、ことあるごとに「ケータイがない!!」と言いつつ探している私に、息子クンは「ケータイ」の単語が耳に入るたびに「あいっ!」と自分のブーブの中から自分の携帯を取り出してニコニコしながら届けてくれます。
だから、それはアナタのおもちゃ。お母さんの携帯はどこに隠したの~?
今日、新しい携帯に更新して、明日は京都に日帰り出張です。
* こういう日記をマイミクの範囲だけでは、勿体ない。そう思うほど、ハヤリの言葉で謂うと、癒される。頬がゆるんでくる。
☆ それでも 08.04.03 10:23 花
>二時間十五分
随分たくさん走られましたね。風を切るのは爽快でしょう。
お天気はいいけれど、ちょっと肌寒い陽気です。
汗をかいたままにしておくと、風邪を引くので、ご注意を。
月曜に設置してもらったうちのフェンスは、修正してもらうことになりました。工事業者のミスもあったので、そちらも。すんなりとはいかないものですね。
さてさて、一年前に植えた紅葉に、今年も小さな葉がつきはじめています。いつのまにか五十センチくらい背が高くなってい、びっくりです。
お元気ですか、風。
* パソコン以前には、家庭の主婦であろうとなかろうと、一般に「私民」生活にこういう表現の場も機会もなかった。「書いて表す」というある種の楽しみが全く普及していなかった。わたしは、よくそれを思う。
2008 4・3 79
☆ 焙煎 maokat
洗濯機の回る音で起床。目覚まし代わり。まだ目に新しい白い食器でゆっくり朝(昼)食をとる。珈琲は今、モカマタリとマンデリンを交互に飲んでいる。
今朝はマンデリン。先月送られてきた生豆は、端が割れて、カビや虫食いもあり、見た目の品質は最悪だったが、三四割を取り除いて焙煎すると、見違えるような美味になった。
焙煎後さらに掌に余るほどの豆を取り除くので、実質半量ほどになっているはず。しかし、この香りに部屋が満たされて朝を迎えられる幸福は何ものにも代え難い。
珈琲焙煎の奥義は畢竟このハンドピックという工程にある。雑味をいかに取り除くかということ。
☆ お花受信感度、良好に 2008年04月04日 00:42 光
幼少時代を都会で暮らした人は、花の名前系に弱いのではないか、との仮説を考えている。
特に花屋さんで売られていないような類について。
もしかしたら、私だけかもしれない。
回りくどい言い方だが、要するに、(地方でのびのびお育ちになられた)友人と歩いていて、花の名前を知らなすぎる点を指摘された、だけのことである。
マイミクさんの中には、ふと目にとまった日常の「お花」をデジカメで見事に活写してくださる方々がおられます。
私のような(仕事上)朝から晩まで部屋にこもりっきりの日々を過ごしている者にとっては、バーチャルお花鑑賞ができるという点で、いつも楽しませてもらっている。
へぇ~、今の季節には、こんな紫色のかわいらしい花が咲くんだ。
名前はなんだろうなぁ。
と、ある日、仕事場に向かう途中の道端を、ふと見ると、いつも荒涼とした茶褐色のイメージの場所に、紫色のものが目に入ってきた。
あ、マイミクさんの写真のお花と同じだ・・・。
毎日通っている道筋だけどなぁ?
いったい、いつ咲いたのだろう、・・・あれ? いや、なんで今まで私は、気づかなかったんだろう。
きっと、お花の方は、わかる人にはわかるように静かに咲いていたに違いない。
バーチャルお花鑑賞で、こころの「お花受信感度」が向上したのかも、しれない。
☆ トクサの花 2008年04月04日00:42 珠
春は大好きだが、どうも弱い。毎年花粉症から調子をくずす。身体も「萌える」季節に反応するのだから、、と勝手な解釈。季を待つしかない。それでも、花や、緑には引き付けられる。調子がどうであろうと、待てない。
先週末、稽古に行く道すがら、トクサに花が咲いているのを見つけた。このお宅のトクサは見事に美しく、腰辺りまですくっと伸びて、青々とある。昨年建ったコンクリート打ちっぱなしの現代的な外観、入口のスペースには一本の彼岸桜と、生垣としてトクサを配している。何ともすっきりと、意図された美しさを感じる。稽古の行き帰り、いつも立ち止まって見ていた。
そのトクサに花が、、初めて、見た。青く不器用に真直ぐで、愛想なくただ潔くすっきりとしているようなトクサにも花は咲くのか、、と思わず顔を近づけて、じっくり見た。たった一輪、真直ぐな太い枝から分かれた細い枝の先、紅い星のように開いた花弁には花火を想わせる黄色のオシベ゛。トクサ、トクサと真直ぐな緑の線にその紅く弾けたような花が、何とも映える。携帯だったが、写真に撮った。ぼけた写真だったが、珍しくて、「mixi」にも載せた。
それからずっと、トクサの花について調べていた。あちこち、あれこれ。
「珍しいトクサの花」として紹介されているのは、どれも違う。トクサの真直ぐの一番上、小さなクレーターみたいな所に、つくしと同じようなポッコリ、これがトクサの花だという。そう、それはいくつか確かにあった。所々、ハカマを付けたように伸びるトクサ、その先端に小さな小さな松ぼっくりを載せたような、そんなトクサが何本かあった。
でもあれがトクサの花だというなら、私の見た星型紅花はいったい何だろう。。。
今宵、仕事の帰り、師匠宅に用事で立ち寄った。そうだ、トクサの花を確かめよう、、満開の桜並木を歩きながら、トクサのお宅へ向かって歩く。街灯だけの暗い道、少し先にある桜が灯となってトクサに目をこらす。調べた「トクサの花」は、トクサのてっぺんにチョコリとある、ある。私の見た花は、、、ない。見間違いだったのか、、行きつ戻りつトクサの間に目をやる。
あー、あった。それは確かに見たままの、星型紅花。トクサに引っかかるように斜めにほろっと一輪、あるではないか。先日は「観て」とばかりに枝から伸びていた。思わずそっと手に受ける。桜灯に掌にのせた花をじっくりと見た。なんと、紅星型は「がく」ではないか。同じスペースにある彼岸桜、近隣一番先に咲いて、散ってしまったその桜の、花びらを喪った「はな」だった。星型紅花、そっと手に載せ家に戻る。明るさのなか、恥ずかしげだが、どの角度からも美しい五角形の花。花びら散りし後、美しさ遺す星型紅花。受けた緑がトクサでなければ、真直ぐのトクサでなければ、気がつかなかった。星型紅花、これは私にとってトクサの花。
* 朝のマイミク日記を三つ読んだ。前の二つが男性、おしまいのが女性。文章にもおのずと男女差はあるものだ。簡潔な文章意識はどちらかというと、男性にある、とも必ずしも言い切れないのだけれど。
2008 4・4 79
☆ お元気ですか、風。
診察の結果がまずまずでありますように。
家の玄関を入って靴を脱ぐとき、まん前に見えるようにポスターを飾ろうと思い、ビルダーにピクチャーレールを設置してもらったものの、肝心のポスターの決まらないまま入居一年が過ぎてしまいましたが、先日やっと妥協案を提出しましたところ、可決され、お店に注文できました。
それがバウハウスのポスターです。届くのが楽しみ。
もう一枚、並べて飾れるスペースがあるので、何にしようか思案中です。バウハウスのポスターとの調和を考え、決めたい。
花の第一希望は、ジャコメッティとタピエスを並べて飾ることですが、否決されっぱなしです。が、諦めていませんよ。
フェンス工事が終わったら、和室の窓から見える庭に、眼の保養になるような植物をいくつか置きたいと考えています。ちょうど花木店にいろんな種類の植物の出回る時期なので、楽しみ。
家本体は出来上がっているので、あとは、小物を飾ったり、植物を愛でたり、手を入れる余地を残しておき、長く楽しみたいです。
外の日差しは暖かいけれど、家の中はひんやりします。花冷えといいましょうか。
ではでは。 花
* 一戸建ての家を建てた新婚さんの暮らし楽しみ方が見える。いまどきむしろ恵まれた幸福感。
2008 4・4 79
☆ チェケラッチョ maokat
北海道の千歳空港からJRで札幌へ向かい、札幌の一つ手前に新札幌という駅があります。今日通りかかったら、改札入り口の真ん前に、「チェケラッチョ」という店ができていました。
「チェケラッチョ」って秦建日子監督の沖縄映画だよね? ってことは沖縄料理屋?
ところが、新札幌のチェケラッチョは、なぜかカレー屋さんでした。
今度行ってみます。
2008 4・4 79
☆ 診察 08.04.05 01:47 花
成績優秀だったようで、ほっ。
鰻においしいお酒というのも、よかったですね。
今朝は桜越しに富士を望みまして、花、ご満悦です。これで花粉がなければなぁ。
スギはピークを過ぎ、ヒノキがはじまっています。感じます。わたしは、スギよりヒノキの方の症状が酷いので、用心しています。
うちは、今月の二十五から十二日間の長いGW休みになります。
暖かな空気にやわらかな鈴の音を鳴らして、戸外を風がながれてゆきます。
ではでは、 風。
2008 4・5 79
☆ やさい+肉=おいしい? 2008年04月05 日21:18 光
子供の頃から私は、野菜嫌いにもかかわらず、なぜか鍋の白菜はOKだった。いや、むしろ、白菜がなければ「鍋」ではないような雰囲気すら感じる。(極度の)野菜嫌いゆえに、そのことが子供の頃から不思議であった。
縄文時代、土器でいろいろな食材を煮込んで食べていた「記憶」が残っているのかな、とそんな風に思っていた(過去の日記参照)。
*
最近、とある雑誌(1)を読んでいて、あ、これかぁ、ということがあった。
その記事によると、
・ 乳類の舌には、苦み、塩み、甘み、旨み、酸味 に応答するレセプターを発現する細胞がそれぞれ存在する
・他の哺乳類はアミノ酸を「旨み」として認識するそうだが、ヒトはなぜか2つのアミノ酸、グルタミン酸とアスパラギン酸だけ
・それら「旨み」は、核酸系旨み成分であるイノシン酸とかグアニル酸によって印象が強められる(数十倍?)
・これら「旨み」をおいしいと感じるためには、(i)ナトリウム塩であること、(ii)アミノ酸系と核酸系の旨み成分が共存すること、が大事。
要するに、
* 塩がないとおいしくない(=塩加減が腕の見せどころ)
* おいしい料理のポイントは、植物系の旨み成分(グルタミン酸)と動物系の旨み成分(イノシン酸)の組み合わせ方
ということ、らしい。
*
あるHP(2)では、各旨味成分の含有量の多い食品を挙げて、料理における食材の組み合わせは「旨み」の相乗効果を活かしている、と述べている。
例えば、
植物系の旨み成分(グルタミン酸)・・・こんぶ、チーズ、しょうゆ、みそ、トマト、白菜
動物系の旨み成分(イノシン酸)・・・煮干し、かつお節、畜肉類、魚肉類、イカ・タコ
だしを取るのに、かつお節と昆布の両方でとったり。
イタリア料理のトマトと魚介類の組み合わせとか。
そう、日本の鍋も白菜と肉系(鶏とか魚介とか)の組み合わせになってる!
*
いろいろな食材、やさいや魚肉類を食べ合わせることが、おいしさのひみつ、ということ。
逆に、食べ合わせを選択的に選ぶように「旨み」の相乗効果があるとすれば、生存競争においてヒトはいろいろ食べ合わせて栄養源をとるように進化した、と考えられ、この戦略は生存に有利だったということなのかもしれない。
厳しい時代を生き抜いてきた我々ご先祖様の知恵が、おいしさとして記憶されていた、と思うのもちょっとロマンがあっていいかな、と思う。
1 Nature, 444, 288-294 (2006)
2 http://www.kasoken.com/archives/01kitchen/umami.php
2008 4・5 79
☆ 異動 2008年04月05日23:37 司
タイトルの通り、4月1日付で異動しました。
これまでの出向先から親元の職場へ。
それで2月に書いた日記に色んなコメントがあって、それもしばらくぶりに読ませてもらって。
一方で、「mixi」の内容とは関係なく、4月1日から仕事を始めて一週間たってみてやっぱりこっちの職場の方が仕事がしやすいなぁと(仕事が面白いとか、充実しているとか、そういう事ではなく・・・です)妻と話をしていたりもするところで・・・・。
要するに、出向先の職場は、何となく不自由な仕事の仕方をしていたのかなぁと。精神的に不自由なまま仕事をしていたのかなぁと言う気がします。
それは明らかにトップの影響であることは間違いないのだけれども、一方で、今のトップがいるおかげで助かっている部分も多くあるわけで。
この辺は、どっちが良いとか悪いとかは何とも難しいというか表現し難いなぁという気がします。
色々なコメントを貰ったけれども、私としては公務員と民間はやっぱり違うんだろうな、と考えざるを得ないから。
少なくとも、トップは市民の信任を得た人であるという事実は動かし様のない事実であり、公僕たる公務員は、そのトップの舵取り、すなわち市民がこうして欲しいと思う事をすべきでしょう。
私たちは、議員の言葉はその選挙区民全員の言葉と思って聞け、とよく言われます。
そう考えると、出向先であった市民の人たちが望む事をしていたにも関わらず、精神的に不自由だったなぁと思ってしまう事自体が公務員としては恥ずかしい事なのかも知れませんね。
ただ、一市民としてはまた別だったりするわけで・・・
小さい市町村で働いている公務員の人って、自分が選挙で投票した人が落選しちゃったりすると、やっぱり働き難いんだろうなぁ・・なんて余計な事まで考えてしまいました。
ちょっと言葉足らずですみません。
ホントは違う事を書こうと思って、久しぶりにmixiを開いたんですが・
* 心新たにまた努めてくれるワケだ。健康を祈ります。
2008 4・6 79
☆ 黄金の花 2008年04月07日00:48 善
沖縄についていくつか。
3月24日
「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」北谷町で開催。雨の中6千人参加。仲井真知事、自民党は不参加。
3月26日
沖縄市内でタクシー運転手強盗致傷事件発生。米軍基地内の少年二人逮捕。抗議大会も役に立たず。
そんな中、高校野球沖縄尚学、聖光学院(福島)を破り初戦突破。
3月28日
沖縄戦で住民に集団自決を命じたと著書で虚偽の記述をされ、名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元少佐らが作家の大江健三郎氏と岩波書店を訴えた「沖縄ノート裁判」。大阪地裁は大江氏勝訴の判決。
「名誉を傷つけられた」元少佐と、「名誉」もなく死なされていった乳飲み子老人と、法の秤は、どちらに重きを置くのだろうか。人の秤はどうか。
沖縄にいてわかったこと。少なくとも私は、この「国」のためになど戦はしない。国といっても、所詮は軍や、政治家のためだもの。そんな輩のために命を差し出したり、取ったりするのはまっぴら。
4月1日
在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)に関する現行協定が、期限切れ。七千万の高級住宅を建て、資源乏しい沖縄で水道電気使い放題。ゴルフ場やボウリング場などの娯楽施設まで「思いやる」二千八十三億円は、社会保障費の削減額に相当する。まさに身を削っての思いやり。
4月4日
そんな中、高校野球、沖縄尚学、聖望学園(埼玉)を破り優勝。子供はがんばっているではないか。大人達よ、目を覚ませ。
* * *
素朴で純情な人たちよ
きれいな目をした人たちよ
黄金でその目を汚さないで
黄金の花はいつか散る
* こういう声や言葉が、若い人たちから絶えて聞こえてこない。
「mixi」でもどこででも、声を、ほとんど悲鳴を、あげているのは大人だ。私民の思いがどうにかしてリンクしないものか。福田内閣の支持率が四分の一をさえ割った。若い友達に、こういう意識を確かにもった人のいてくれる力強さを、わたしは冷え切ってゆく胸の僅かな温みとしていつも頼みにしている。
☆ 茶に酔ふ。 2008年04月07日00:06 珠
温かく、木洩れ日に風、心地よく。うえに若緑、桜吹雪に足元清く。もとめてもかなわぬ春の彩満ちた根津美術館の庭、茶会に。こういう茶もあると、初めて知った。
定家の字に目を奪われ、探幽は柳たおやかな風を味わい、光悦の和歌に金銀蔦からまるままに酔って、亀山切に目が覚めた。利休さんの書状も風にゆれ、なんとも、なんとも言葉なく。古銅曽呂利桃底の紅柏と延齢草、燃え立つように生き生きと、目の奥に、今も。「夢」の一日。
懐紙をとろうとふと目をやると、花びら一枚懐にあり。散華のような薄紅、今日の「夢」さそひし名残りなのか。大阪より移築の庵には、移築から40年ぶりに常什の炉縁「なぶり」力つよくおさまる。時のうつろひに目がくらむ、一日。
* こういう感性や体験は、わたしには「故郷」のようなもの。
根津美術館の茶席や池は、東京へ出てきたわたしのもっとも早い時期に知った、馴染んだ場所。もっとも最近に行ったのは雨の日ではなかったか、傘に隠れ池をながめ、声もなかった。光琳の燕子花を観たのだと思う。応挙の藤の屏風がまた観てみたい。
こういう世界をこゆるぎもなく胸に抱いていることの幸せを、また未練や執着をわたしは想う。
2008 4・7 79
☆ 屋久島の数寄の料理屋 2008年04月07日 00:47 松
屋久島での見所を少し紹介。
ガイドの人から非常に珍しい料理屋があると聞いた。お城のような石垣があり、その上に一風変わった小さな料理屋がある。料理は予約制で、お茶だけなら予約なしでも大丈夫とのこと。石垣とお店はご主人が7年の歳月をかけて手作りしたものだそうだ。
屋久島での最終日のお昼に寄ることにした。まず入り口の案内が小さいので非常に分かりにくい。ここだな、と思ったらあっという間に通り過ぎてしまった。戻ってきて駐車場に車を置く。しばらく歩くと立派な石垣と石畳が。とても手作りのものとは思えない。お店は落ち着いた黒い板で作られた数寄のお店である。
中に入ると奥まった二人席に通される。他にお客もなく、非常に静かだ。木々の奥に海が見える。風景にも気を配っている。料理は前菜、煮物、お魚、とびうおのつくね、デザートと地元の幸を生かした心づくしの料理だった。(写真をバシャバシャ撮るような無粋なことはできず、外見の写真しかありません。)
ふと外を見ると、漆黒のカラスバト(天然記念物)が枝に留まった。どうやらホルトの木の実を食べているらしい。他にも多くの鳥が集まる庭である。ゆったりとした雰囲気に満足してお礼を言って帰った。ガイドの方とは非常に仲が良くお互い行き来をしているとのこと。
今回案内してくれたガイドの方は山と高原地図(旧名エアリアマップ)作成者で屋久島の山岳に精通している。九州に住んでいたが、屋久島に惹かれ50歳を過ぎてから屋久島に移り住んだ方。現在はガイド、登山家、写真家として活躍し、旅館の経営を行っている。この方が作った写真集を見ると、一般人が見ることができるのは屋久島のごく一部でしかないことが分かる。写真の内2/3は普通の人では見ることができない奥深い滝や、雪深い山を写している。今回はその一部の滝や巨木を見せてもらって本当に良かった。
ガイドの方の旅館に今回は泊まったが、こちらも落ち着いた場所だった。3~6人泊まることができる独立したコテージが3棟ある。道路から奥まっているので、非常に静かな場所だ。そして、料理もおいしい和食であり、お酒がすすむが、肉をたっぷり食べたいと言う人には向かないかもしれない。
数寄の料理屋さんも、ガイドの旅館も少ないお客さんを十分にもてなしたい、という心意気が伝わってきた。もし行ってみたい人がいたらそっと聞いてください。
* まだ二十歳のころから十数年、この山男を見続けてきた。へんな表現になるがじつに正確に彼は小気味よく豹変しつつある。だれかこの男の嫁さんになる人はいないかなと、或る詩人のために佐藤春夫のしたと同じ嘆息を、わたしもしている。
2008 4・7 79
☆ 櫻は散り… 泉
上方の息子家族が二泊して、四家族が集まり、賑やかで騒がしい春休みが終りました。
四人分のお布団の始末や洗濯と、細腕を駆使したせいか、また腕が痛み出し、息子達の先ず医者への言葉に従順に、遅まき乍ら、今日整形外科医院へ行きましたが、まあ、予想通りに加齢による障害で、やれやれでーす。過労はいけないと分かっていながら、やってしまいます。今週も西からお客様です。
医院から自宅への道筋「グリーン道路」の桜並木を五日前のバド帰りに友人と歩いた折は満開で歓声を挙げたのに、花びらはみーんな散り落ちて葉っぱが出始めていました。
農家の庭先の枝垂れ桜はまだ美しく。 アハハの姥桜
2008 4・7 79
☆ アッシュとラモットは、 08.04.07 20:12
とあるサロンで出逢っていましたね。それで文通がはじまり・・・・・・となっていくわけですが、映画ではさらりと描かれていた印象でした。
小説では、二人の出逢いの必然性がもっと書き込まれているのかなあ、と、想像しています。機会があったら読みたいです。
久間十義の小説も、おもしろそう。ペン電子文藝館の『海で三番目につよいもの』で、大ファンになりました。
毎日少しずつ仕事を前に進める。そうすれば、確実に仕上がる。こう思いながら、評論の準備と創作の推敲をつづけています。
ではでは。 花
2008 4・7 79
☆ 春の花降って‥ 夢
花もそろそろ終わり、葉桜の季節となりますね。
自然公園(自然林が残っているだけですけれど)の裏手が私のすみかであるグリーンハイツです。
毎年桜の季節は年度末・新年度と重なるので、あまりゆっくりお花見もできずいつも残念な想いを抱いています。
今年は近くの農場まで、ひとりでお花見にいきました。この農場、岩手の小岩井農場に趣が似ていて、とても気にいっています。後楽園球場がいくつもはいるような広大な土地に実験農場や畑、森、昔ながらの古い木造の建物がいくつも点在し、ポプラ並木に風わたっています。これからの初夏の森では真っ白いハンカチをふわりと広げたような「ハンカチの木」の花や、エゴの花もいっせいに花ひらきます。
仕事の方もようやく一年が過ぎて一通り覚えたら、職場のPCシステムが5年のリース期間を終えて全リニューアルされることに。また覚え直しです。
システムが変わると当初はほぼ確実に混乱が起こるため、3月末や4月当初は休日出勤までしてそれに備えました。半年前の受付をする4月2日はなんとかやり過ごしたものの、まだまだデータがきちんと旧から新に移行していない模様で、毎日「これは???」の連続です。私の身分は市の嘱託員(月給制)ですが、いまどきのパートや嘱託というのは勤務日数や報酬がそれであって、仕事はまさに正職員と同じです。
ちなみにわが職場、館長のみ市職員で、あとは全員委託。市はサービス部門にはお金をかけたくないようで、舞台は舞台運営会社に、管理や清掃は管理会社に、現場はわたしたち嘱託員3名の交代という状態です。
ひさびさに先生のメールを拝見して、先生のお声を間近で聞くようでした。春秋に富んだ先生のお声・・・。やはり「文は人なり」ですね。
仕事も少しは慣れてきたので、今年はまた朗読など再開したいなあと考えています。「清経入水」の冒頭の部分など読んでみたいものです。
* どうぞ、お元気で。
2008 4・8 79
☆ 今日は、注意報の出るほどの強風で、まだ吹いています。
こうしてメールしている風ならいくら強く吹いてくださっても構いませんが、建物を揺らす風は怖く、一日家の中でちぢこまっていましたよ。
お元気ですか、風。
モット役は、ジェニファー・イーリーという舞台女優ですね(ウィキペディアより)。
少ない映画出演作の中に「オスカー・ワイルド」とあり、これは七八年前に観ましたが、ジェニファー・イーリーの記憶はありませんねえ。
風の鈴の音、いつも響いてきます。 では。 花
2008 4・8 79
* 「mixi」に、書かないでいるが、マイミクの日記は読んでいる。感じたまま、コメントを入れたり、メッセージしたりもしている。写真も最近のモノなどに取り替えたりしている。
わたしふうに謂えば「電影感触」ではあるが、基盤に人への信頼があるので、けっして浮薄な感触ではない。外出してじかに語ったり会ったりは誰もがそうそう出来ることでない、それは今も昔も同じだ。だが昔は、このような「電影感触」すらつかめなかった。「御無沙汰」という言葉が、事実その通りであった。
それからすれば基盤に人への信頼のある毎日のような「電影感触」は、けっしてバカにならないのをわたしは踏み込んで久しく体験してきた。それをある程度信じている。
* 「甲子」さんの小説『遠い春』の連載は、もう七十回になって続いている。およそ八十五歳のまさしく健筆であり、ご病気をかかえられたままの持続力のたくましさに感嘆する。小説が「書きたい」とだけ云う人は、掃いて捨てるほどいるが、「書いている」「書き続けている」実例は、海水の一掬いほどしかない。おそらくこのご老人の「書く」意欲は、青年の昔にはるかに溯って生まれていただろう、そして育ち続けて、いまも噴出している。尊いことといえば、わらう人もあろう。だが、ほんとうにわらえるかと、省みて問いたい。
ますますの健勝を祈ります。
付け加えるが「甲子」さんの「mixi」発表作は、『遠い春』以前にももう十指に届くほど在った。敬服。ご自愛ありますよう。
2008 4・9 79
* 次ぎの「珠」さんの発言も、多くを代弁してくださる。此の発言に感謝します。
☆ 混迷と不安 2008年04月09日00:44 珠
この国はどうしてしまったのだろう。現場は混乱している。
この四月から始まった後期高齢者医療制度‥‥、医療従事者でさえ先月半ばになって概要を知り、慌しく動いた状態。対象者である75歳以上の高齢者は、理解に程遠い様子だ。
四月に入ってもう十日になる。自分がいくらの保険料を納めた対価として、どの程度の自己負担で医療機関を受診できるのか、、こういった基本的な事も知らぬまま利用する医療保険が、不安でならないのは当然だろう。最近の、国・厚生労働省・年金のことを見ている側からすれば、国の年金すら詐欺のような実状があったのに、医療保険料を知らせて来ないなど、不信極まりないはず。
その上、月にたった一万五千円しかもらっていない年金からも天引きで徴収するなんて、、僅か数百円ですら死活問題になる人はいるはずだ。確かに負担の軽くなる人も、いるのかもしれないが。
国のことだ、細かい計算は、自然な余命など含めてされているはず。大きな問題は、その利用者に対する解りやすい告知・繰り返される広報・個別に合わせた説明といった「サービス」のレベルの低さにあると思う。この国の行政担任者たちは、公僕として国民にサービスを提供する機関でも人でも無くなっていると、痛感する。ここまで国民が、高齢者の実情が見えていないとは驚く。議論し考える人達の家には老人が一人もいないのか。目の見えなさ、耳の聞こえなさ、情報のとらえ方、忘れ方、、こういった高齢者特有の状況に合わせた上手い広報など、民間の広告会社なら今少し適切にやってくれたはず。選挙時に党のCMなんて作ることを考えつくのだから、実は分かっていてもやらないのではと思えてくる。空恐ろしい。
現場で日々、小さな心配り、ささやかな気配りもサービスとして提供するわたしのような専門職、医療関係者はサービスス業に分類されている。人に元気に、健やかに在ってほしいと願って関わる日々なのに、国は、人が生きてゆくという根源的なところに「不安」ばかりを与え、人を苦悩に突き落とす。われわれの現場はその不安感を受け止めるのに精一杯だ。
安心感の持てない暮らしの人たちにむかって、「さ、治療をしましょう」という言葉は、時に空虚であり、脅迫にすらなりかねない。弱い人たち、助けの必要な人たちほど、長生きしたくない国に、なってゆく。
*
・高齢者への医療制度なら、高齢者がきちんと解るように、解るまで説明してから始めればいい。
・高齢者自身に、広報チームに入ってもらえばいい。
・夫が被保険者、妻が扶養者だった場合、夫が75歳になったら妻は75歳にならなくても国民健康保険に加入する手続きをしなくてはいけない。誰も教えてくれないと吃驚している人たちがいる。会社の健保・国保・共済・後期高齢者医保など、医療保険間の移動は一元管理でサービスを知らせるようにしてほしい。
・保険証の字は大きく、高齢者が読みやすく携帯しやすい形を再考してほしい。
・保険証でサラ金からお金を借りられる時代、、せめて郵送するなら普通郵便でなく配達証明くらいつけて大事さを強調してほしい。再発行より手軽なはず。
*
年金を払っていない人が四割近くいるらしいから、払っていない人は年金をもらわないのだろう。その人達が高齢者になった時は、天引きする元金はなく、自分で振込み、期限付き保険証をもらうことになる。お金を払って国の医療保険を買う、、どうみても国民皆保険とはいえなくなる。もしや自然崩壊のための目論見かとも、思えてしまう。
アメリカのマイケル・ムーアの映画を思い出す。お金を高く払えば良い医療が買えるならば、いい。でも、医療はちょっと違う。世界をみて、高いレベルで質の高い医療を提供している国の医療費は自己負担は安いことが多い。但し税金や保険料は高い。国の考え方ではあるが、今の日本は医療・年金への不信を訴える人への対応に手をとられ、しなければいけない医療はどんどん遠ざかる。負担は増えても質の低下に歯止めはかからない。医療現場の収支は悪くなり、医療者はいつも忙しい。忙しいから続かない。そのうち、海外の労働力に縋らねば、高齢者ケアなど全く動かなくなるのだろう。そうなったらこの国は日本であって、外国だ。
国は、誰に、何をしてほしいのだろう。国民に、日本で生きてきた高齢者に、どうあってほしいのか、、それを聞きたい。聴いたらがっかりして、この国に見切りをつける人が大勢いたりして。。。
この国の病は重い。
誰もよい治療方法を持たないのかもしれない。ならば、ああ、どうなるのか。
* この国の病は重い。 ああ、どうなるのか。
☆ 三好達治の詩の一節に、 淳
花ばかりがこの世で私に美しい
というのがある。北川冬彦に、という序文が添えられていた。
私はこの詩の主題を、長いこと絶望に近い「苦悩」として取っていた。
何か自分を支える大きなものを失ってしまったり、道が開けなくて暗礁に乗り上げてしまっていたり、そうしたことなどによってがらんどうな、空虚な心になってしまった、「私」。
その「私」にとって、なにかの花(の生命)が、それだけが美しく、心にしみて来る。
人としての生に少しくたびれてしまった、それが「私」にとってのつらさであると、私は思ってきたのだった。
なぜかと言うと、自分が論文を書けないでいた時に、ふと、この一節が思い浮かんだから。
書けないのに書かねばならないし、締め切りはやってくるしで、苦しくて苦しくて、なんだか生きている心地がしなかった。
「あ~あー、花はいいなぁ。精一杯咲いているなぁ。それだけで美しいなぁ」
なんて思ったりして。
そういう心持ちの詩であるのと、私は長らくこの詩をとらえてきたのだった。
けれどこの間、満開の桜を見ていて思ったのです。
花がうつくしい、と思える、その感性が「私」に残されていることはすでに希望であり、救いではないのかな、と。
「私」は死んでいない。
同詩の中のもう一節。
私の上を雲が流れる。私は楽しい。私は悲しくない。
自然はどんなときも、「私」よりも大きくて、私をよみがえらせる。
と思いたい。
達治の詩には、人間のあり方への悲しみがあるのだけれど、なんとなく、希望を持ってこの詩を読むこともできるのではないかな、とこの春私は思ったのでありました。
桜の圧倒的な美しさは私に浸透してくる。
春は、やはり花があるから私が生き延びられる気がします。
吹く風に耳を傾けることもある
そんなとき思う 風の吹くのを聞くためだけでも生まれた意味はあると
――アルベルト・カエイロ
* 「淳」さんに。
三十四、五でしたか、初めての長いエッセイが『花と風』でした。七十二になり、「酒が好き・花が好き」という一冊を本にします。なに、これはたいしたモンじゃありませんが。
先日、病院の待ち時間を利して、人一人の影もないカソリックの教会に入りました。外の築地界隈、櫻が満開でした。会堂で瞑目してみても殺到する雑念に悩んで、絶望的な心地でしたが、堪えて、凝然とそのまま目をとじていました。眠ってはいませんでした。
と‥、ほの明るんだ目の底のが凪いだ池の面のようでした。わたしはまったく無にちかい状態でいたようでした。
目を明けますと、小一時間も経っていました。
教会の外は、日盛りに花と春の匂いでした。自然と自分とが対立しているうちは心は私を騒がせるばかりです。自然があって自分も在るのでなく、自分の外に自然があるのでもなく、波が海に溶けいるように、自然と自分とはトータルに一つらしいとその小一時間だけ、だけ‥、わたしは在ったようでした。幸せでしたよ。 湖
☆ ハーバードの春 2008年04月09日12:22 雄
・ 朝一番に、週一度のプログレスレポート。今日の担当は大学院生のシュシェン。このところ、彼がまともに実験しているのを見たことがない。
プログレスレポートの前に部屋にいると、ボビーが入ってきて、「おい、You。コーヒー飲みに行こうよ」というので、一緒にカフェテリアへ。「なあ、今日のプログレスレポートは、どうしようもなくなりそうだよなあ」とボビー。僕も全く同意見。
そして案の定、前回と前々回のスライドをそのまま並べただけの発表となった。同じ内容を話すにしても、せめてスライドくらい作りなおせば良いだろうに。
中に一つ、どうしても見過ごすことのできない、ひどいデータがあった。皆、回りくどく、実験条件の検討などをさりげなく指示しているが、それ以前の問題だと思った。たまりかねて、前提となる事実を確認したのかという内容の質問をしたが、シュシェンには質問の意図が分かっていないどころか、僕が内容を理解していないとでも思っているような返答。匙を投げた。
プログレスレポートが終わり、引き上げようとすると、技術員のサラが僕を小部屋へと迎え入れる。小さな声で「You有難う。シュシェンは全然分かってないわよね。Youにああ言ってもらって、本当に胸がスッとした」と言う。
・ 昼になり、ランチを食べにロースクールのカフェテリアへ。これまで雑草が伸びていた構内が整備され、ロープが張られている。おそらく、芝の種を蒔いたのだろう。栄養剤だろうか、緑色の粉末が蒔いてある。まさか、どこかの国と違って、大気汚染で枯れた芝の代わりという訳ではないだろう。この光景は昨年も見た。いよいよ、ボストンの冬も終わりを告げ、春に向けての準備をしているのだろう。
カフェテリアの建物に入ると、大勢の学生で埋め尽くされている。先週まではガラガラだったのだが、春休みを終えて学生達が戻ってきたのだろう。
何故か、カフェテリアの職員の大半が、レッドソックスのTシャツやユニフォームを着ている。考えてみたら、今日はフェンウェイパークでの今年のオープニングゲームが行なわれたのだった。夕方そのことに気づき、早めに仕事を終えて試合を見ようかと思ったのだが、デーゲームだったようで試合は既に終わっていた。
松坂が登板したようだが、今回は0点に抑え、まずまずのピッチングだったようだ。
日本でのオープニングゲームだけでなく、アメリカでの初試合、そしてホームでの初試合、これらの全てで登板を任されるということは、エースとして認識されつつあるのだろうか。
・ 午後は電気生理のセット作り。昨日、ようやくノイズがなくなったと思ったので、今日はマウスの標本を作ってみたのだが、またしてもノイズが入る。いったい何が悪いのか。
・ 日本のニュースを観ていたら、大阪の「くいだおれ太郎」で有名な「くいだおれ」が7月で閉店するという。お店には入ったことがなかったが、あの人形がなくなってしまうのは寂しい。あの人形と、新世界の「づぼらや」のふぐの看板、グリコの巨大電飾は大阪の「象徴」のようにさえ感じられる。どことなくユーモラスであり、大阪という街にマッチしている。たとえお店がなくなったとしても、せめてあの人形だけは何らかの形で保存して欲しい。
* 「雄」君のハーバード生活もすっかり落ち着いた感じ、述懐にも、歳月をめぐってきた視野の厚み・弾みが感じ取れる。
* ポーランドから「創」君は、無事帰ってきたろうか、もう新しい職場に着陸しただろうか、暮らしの場はどこに定めたろう。
2008 4・9 79
☆ 現場では皆、吐き出す場のない怒りに包まれています。高齢者は気力を失い、医療スタッフは無用な罪悪感を感じて、思わず言葉が溢れました。
この先を、この国の治療方針を、見せてもらいたい。
医療でいうインフォームド コンセント(説明と同意)、これは国の場合は、解散総選挙ということになるのかもしれません。選べなくても、それでも誰かを、厳しい目で選んで新たな治療を願う、もうもう、そういう段階だと感じています。 珠
* 同感。
2008 4・9 79
☆ 過分の措辞 冷汗三斗 穴あらば入りたい心境です。 甲子
わたしの文章は文字通りの「書き下ろし」で、下書きもなく推敲も伴わない「草稿」そのものです。人様にお読みいただくような代物ではありませんし、お読みいただく形式をとっていること自体、礼を失したことと存じております。人名・名詞・言葉遣いなど、遡ると大きく違っていたり、同じ文言が繰り返されていたり、いずれは手を入れ、何度も練り直さなければ、と考えております。ただ、今は、残りの時間が惜しく、がむしゃらに前へ前へと打ち寄せる波間を進んでいるばかりです。
その波が、近頃は強くなってまいりました。朝起きてコーヒーを飲むともう起ち上がる気力もなく、それでも気力をふるって朝食を摂るともう昼です。天気が良ければ洗濯し、食材の買い出しに出かけ、戻ると三時過ぎ。
先日、団地集会所で独居生活者を対象にした栄養士の講習がありました。あれとこれと、これとあれを揃え、塩胡椒に砂糖・味醂・味噌・醤油、マヨネーズに無塩バター、……
「バッキャロー、そんなに揃えて余った食材はどうするんだ。だいいちそんな手間と金をかけるくらいなら、外食の方がましだぁ(雨降ると困るけど)」
幸い、長女が一週に一度の割合で何かを作り、差し入れてくれます。
昨年、曾孫が生まれたことはお知らせしました。今年は、末の孫が大学を卒業できました。二年・三年ヨーロッパ・アメリカを遊び回っていて、単位不足で一年留年しましたが。
過去は記憶にすぎない、まったくその通りだと存じます。ただ、体感としての記憶は、話を聞いたり読んだりだけで得られるものではないと存じます。尤も、優れた文章や映像には人を感動させ、実体験以上の迫力を具えていることも事実であることを知ってはおります。しかし、こと戦時のこととなると、兵役の体験や銃後の生きざま、疎開生活や弾圧の記録ばかりが目に付き、わたし供、灰色の青春を綴ったものは少ないように思います。 MIXI に書き散らしているものはそういった想念から発したものが主体です。
MIXI にご招待いただき、ありがとうございます。もしご紹介いただかなかったら、暗い日常ののうちに、陰に籠もってキーボードを叩いているばかりだったでしょう。
もっと推敲して、まとめあげ、納得して載せるべきではないか、とちょっぴり考えたりしております。
ほんとうに、ありがとうございました。
* 今のまま、お怪我無く、ただただお怪我無く存分に過ごされますように祈っています。
それでいい、 と思います。
お大切に。 湖
☆ お元気ですか 鳶
本の発送など進んでいますでしょうか。無理なさっていませんか。檜による花粉症で苦しんでいませんか。
いつまでも青春ではないけれど、JRの青春切符を使って春のこの季節を楽しんでいる人の、かなりの人数が青春を遥かに過ぎた人たち。わたしもその一人。経済的なゆとりをもって優雅に旅したいとは思いつつ、「青春切符旅行」もやめられません。
関西は新快速、大和路快速など本数もあって便利、そして湖西線も敦賀まで直通になり、塩津で乗り換えれば長浜、米原方面にも上手に動き回れます。
この一週間存分に動き回って先週は京都、奈良へ。一昨日は滋賀県、昨日は京都御所の春の一般公開(4月9日から13日)に合わせて京都に行きました。
さすがにいささか疲れ気味、4月10日本日が切符を使える最終日でした。さすがにいささか疲れ気味で、あいにくの雨模様ですから半日横になって過ごしました。
円山公園の枝垂れ桜は年々見る者の心を竦ませ肝冷やすほど無残な姿になっており、思わずため息が出ました。桜疲弊の原因と言われる鴉は相変わらずカアカアと鳴いていました。有効な対策はないのでしょうか。(鴉と書くのは、鴉さんに気が引けますけれど。)
何必館にも寄りました。
「何必館拾遺展」 桜の季節ですから、自然に速水御舟の「春宵」に惹きつけられます。
色紙に金を背にして一枝の桜花。背景の金は上部が暗くなっていて、それが宵の時刻を表わしており、迫り来る宵闇に桜の花びらも灰色を帯びています。
梶川氏の文章の御舟の「事物そのものと対決する強靭な気性」という言葉が心に残りました。強靭な気性が、どれほどの強靭な気性がわたしにあるだろうか・・と問う声も聞こえてきます。
村上華岳の「太子樹下禅那」、入江波光、小林古径、いずれもいずれも心洗われ、身にしみ入るものばかり。波光の湖の風景などは、以前「日曜美術館」でお話しされていましたね。懐かしいです。
御所の一般公開に出かけたのはもう昔のことで本当に久しぶりでした。昨年初め、博物館で御所の障壁画の展覧会を見ていましたので、ただただ庭や建物の雰囲気を楽しみました。勿論やや盛りを過ぎた桜も大いに楽しんだのです。
丸太町まで歩き、東に向かいました。チベット史を学んだS教授のお宅が御所に面した丸太町通りにあり・・一度研究室の数人と訪れたことがありました。表札を確認しながら歩いて、結局見つけられませんでした。歳月を、去っていった時間を否応なく思うしかありませんでした。チベットの人名、地名など漢文で読むのに最初は苦しめられました。厳しく優しい先生でした。あの頃、チベット問題を中心に考えることなかった我が視野の狭さを思い起こします。
御所の桜の写真、携帯電話で撮ってそのまま送って不評をいただきましたが、戸外ゆえ画面が確認できないまま送ったのです。今此処に来ていますよというメッセージの代わり、と思って軽く受け止めてくださったらいいのですが。「詩人」という一語に考え込みました。およそわたしには覚悟がないのかもしれません、あるいは「何者」にもならないという覚悟、か。
どうぞお体大切に、元気に元気に。
* ありがとう。
☆ ためしてガッテン 08.04.10 10:28 花
それはおもしろい! そして不思議!!
細かい解説を知らないので、瞼を吊るだけでなぜ眼の霞み諸々がよくなるのかわかりませんが、花は今まさに、「瞼が腫れて」います。
鏡で見てはっきりわかるほどではないけれど、瞼がボワッと重たいです。
原因は、昨日、四時間ほど外にいたから、と、思います。
試しに、指で瞼を吊り上げてみると、確かにスッキリします。
早くからうがい薬でうがいをした成果が出て、花粉で痛めている喉の具合はかなりよいですが、瞼は重いです。お医者でもらった目薬でしのいでいます。
幸い、今、痒みはありません。
そんなことより、風の眼の霞みの改善したのが、花はとても嬉しいです。
花も、酷くなったら、絆創膏で瞼を吊ってみようかな。
お元気ですか、風。
昨日は、午前の英会話のあと、図書館に本を返し、借り、その足で花木店へ行き、庭に置くのに手ごろなシマトネリコと鉢を買いました。
帰宅し、植え替えにとりかかろうとした途端、お向かいの植物好きの奥さんが「おーい」と飛んで来ました。
鉢底網、鉢底石、土、シャベル、肥料など、一式用意していたものの、植え替え初めてのわたしのノロい手つきに黙っていられなかったのか、お向かいの奥さんは、服に土のつくのも構わず、シマトネリコの根を素手でどんどんほぐし、鉢に入れた土をかため、まだ頼りない幹を支えるための支柱まで貸してくれました。
そして、お向かいの奥さんは、植え替え終えたシマトネリコを、同じ分譲地内の別の植物好きの奥さんにお披露目するところまでオーガナイズ。
たいして働かなかったのに、花はやけに疲れました。家に入ってから、頭痛がし、ソファで横になりました。
今日は雨で、花粉が落ち着くかと、花はほっとしています。
ほんとうは、小さなオリーブを買いに出かけたいけれど、雨では植え替えがしんどいのでやめておきます。買ってあるローズマリーとワイヤープランツを植え替える鉢も欲しいんだけどなあ。
> 『母の死と新しい母』というほとんど随筆なみの短編がのこす文体と文藝の
>感動を、此の大長編読み物は与えてくれない。
とても大事な、大事な、風のことば。花は、励まされます。
2008 4・10 79
* 講談社の湯浅氏の電話で起きた。ゆうべも読書が夜中に及んだ。
こんばん、帝国ホテルで野間賞のパーティ。来ますか、とお誘い。出席の返辞はしてあるが。彼は日吉ヶ丘の後輩。歳を考えれば、もうエライ人かな。
2008 4・11 79
☆ ねんきん特別便到着 2008年04月10日16:02 玄
加入者全員に送るという「ねんきん特別便」が今日本当に届いた。届かないのでは? と疑っていたが。
共済組合加入月数も正しかった。今度は返送した「回答票」がきちんと事務処理されるのかどうかが心配になる。
こんなことを思わせるお役所とは困ったものだ。
「後期高齢者医療制度」にも怒っている。
☆ 笑顔 2008年04月10日15:45 悠
息子は順調に回復に向かっている様子。入院当初は泣き続けていたそうだが、昨日は満面の笑みでお医者さんを迎えていたとのこと。
息子の笑顔は健康のバロメーター。鼻の辺りにしわを寄せたクシャクシャの笑顔は絶好調の印。
明日はお休みをとりました。今から実家にむかいます。
また、忘れられているかも。
ニカッと笑ってくれるかなぁ?
* よかった。
* この数日インターネットの不調が現れ、今日はコトに執拗で回復しない。また困惑の季節が来たか。
2008 4・11 79
☆ 左の瞼が 08.04.11 21:02 花
三重になって一週間経ちます。
乾燥のせいなのか、なかなか直らず、二重の右目と見た目にアンバランスなだけでなく、違和感もあり、不快です。とはいえ、花は、健康に過ごしています。
外出を控え、出かけるときは大きなマスクをしています。
うがいが功を奏してか、夜中に喉の痒みで眼の覚めることがなく、助かっています。
> でも家中を植木鉢でいっぱいにすると、これもたいへんですよ。なにしろ手のかかることは確かだ
> し。何日も家を空けられなくなるから。
そうなのですよね。
でも、家にグリーンがあると、気持ちが和みます。気づくと、じっと見ています。
リビングに、一メートルくらいの背丈のパキラ(丈夫です)、ダイニングにフィカス・アルテシーマ(ゴムの木の仲間で、斑入りの大きな葉がきれいです)があり、この二つが室内でいちばん大きなものです。
洗面所と、階段の折り返しのところには、それぞれ小さな多肉植物、あと、リビングに十五センチくらいの鉢に入ったソレイロリアがあります。
家の中は、その五つだけ。
あまり増やすと、手入れが大変ですからね。
お元気ですか、風。
明日あたり、インターネットで注文した信楽焼きのカッコいい鉢が、大小あわせて三つ届く予定です。
楽しみ。
今はまだ、殺風景なお庭用に。
昨夏は、玄関前に植えたシマトネリコ、ソヨゴに、害虫がつき、苦労しましたので、外の植物のお手入れの大変なことは覚悟しています。
地球温暖化のせいか、虫も繁殖力が強くなっているみたいですよ。
ダライ・ラマ十四世が来日していましたね。
花は、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』という映画が好きです。風、ごらんになったこと、あるでしょうか。ジャン・ジャック・アノーという、フランス人監督の作品でした。
ナチ党員でオーストリアの登山家が、エベレスト登頂を目指す途中、イギリス軍だかの捕虜になり、脱走してチベットに逃げ込んだところ、チベットに西洋人が来たと噂を聞きつけたダライ・ラマ十四世が、西洋の学問を教えてほしいと、家庭教師を申し込む、という、実話を基にした映画でした。
映画の中の少年ダライ・ラマ十四世の聡明さは、時折ニュース番組で見かける現在のダライ・ラマ十四世の論理的・明晰な話し方と、自然に繋がりました。
眼を覆い、耳を塞ぎたくなることばかり起きますね。
ご本の発送、がんばってください。ではでは。
* なんでもない、たとえただのおしゃべりメールであっても、日々ささくれ立つ神経には、はるばる時空を越えて来る和やかな呼びかけが、理屈抜き良薬になる。たとえ短い間でも、ふと、思い和む。
2008 4・11 79
☆ 御徒町から三越院展へ 2008年04月11日22:53 瑛 e-OLD川崎
雨と晴れの天気が続いた。晴れた日に渋谷の八公前で友達と待ち合わせる。春の四月は都心へ向かう列車は午前9時台でも満員である。
友人は東横線の日吉から来る。約束の時間より二十分遅れた。「遅延証明書」の紙切れをひらひらさせて渋谷へ来た。
企業の新人配属まで教育が続くのであろう。
中央線の火災事故で数万の人が線路を歩くこともある。
便利な世の中だがしかし本当は思わぬ「脆弱性と背中合わせに」日々を過ごしている。
上野まで20Km 弱を歩く。
青山墓地、乃木神社、虎ノ門、新橋、丸の内、秋葉原、神田、御徒町へ。
終戦後を思い出す屋台のような店、上は山手線と京浜東北線が走るその下の店で、遅い昼のおやつを食べ飲む。電車が走るたびに「鉄粉が舞う」ような気持ちを味わう。
ここから日本橋の三越の「第六十三回春の院展」へ行く。友人は今日は無料といったがそうでありました。
平日だからか混んでない。午後も5時ちかくだからか。
後藤純男の「富士山の絵」と、福王寺法林の作品「ヒマラヤの朝」を観る。二人の画家を知ったのは石川県立美術館であった。
* 「上野まで20Km弱を歩く」に、どっと仰天、感嘆。脱帽。わたしより、ほんの少しお若いか。
2008 4・11 79
☆ 早起きの風、おはようございます。お元気ですか。 花
花の左目は、今朝洗顔のあと、治りました。よかった。
手ぶらって、いいですね。
移動時間にあれをしよう、待ち時間にこれをしよう、と、欲張り、つい大きな鞄で出かけてしまいます。
手ぶらのおでかけに憧れます。
風は、お風呂で読書なさるのね。
長湯なのかな。
花は、早く出たいです。お風呂はあまり好きじゃない。
正確に言いますと、お風呂に入るだけならいいのだけれど、出たあとのお手入れが毎日面倒なので、きっとお風呂があんまり好きじゃないのだと思います。
お風呂から出たあと、化粧水などを使い、髪を乾かし終わるまで、正味二十分はかかります。
風はもう、自転車でおでかけになったかも知れません。
鈴の音が聴こえる。
ではでは、風、お元気で。
2008 4・12 79
☆ 斎藤辞典の話 e-OLD吉備 玄
山東功著「唱歌と国語」のプロローグに、音楽家斎藤秀雄が英語学者斎藤秀三郎の次男だったと書いてあったことがきっかけで,久しぶりに「熟語本位英和中辞典」と「斎藤和英大辞典」を手にとってみた。
何年か前この両辞典をおおざっぱに通読したことがあるのだが,どちらも読み出したらその面白さに引き込まれ、時間の経つのを忘れるほどだ。例えば, 次のような都々逸訳がある。
惚れて通へば 千里も一里
會はずに歸れば 又千里
Love laughs at distance, Love!
A thousand miles is one to love;
But when I do not meet my love,
A thousand is a thousand, love!
漢詩の訳に次のようなものもある。
月落烏啼霜満天 The moon goes down, the raven calls,
江楓漁火対愁眠 And bleak appears the sky;
姑蘇城外寒山寺 The fishers’ fires by maples banks
夜半鐘声到客船 Salute the dreamy eye.
* 逢はねば咫尺も千里よなう である。
斎藤辞典、わが家にも祖父か父かが買い置いた、厚さ十数㎝もの斎藤英和辞典、枕になりそうないい一冊があった。紙がいいのか製本がいいのか、持って傾けると女の髪の崩れるように、サアーッと頁が流れ落ちるようだった。
2008 4・13 79
☆ 鮮やかな画面。 2008年04月 13日21:59 珠
肌寒く、身体を動かすと軋むようにぎこちない。昨日の転倒は、左肩から背部に少々の打撲で済んだようだ。目も覚めたし、打撲の後遺症への注意時間も大分少なくなって、安堵。
義弟と姪がやってきて、パソコンを更新してくれた。データ移行までしてくれる有難さ。。。姪はマンガ゛を読み、私は網戸外しに再挑戦している間に、パソコンはピカピカに準備完了となっていた。画面は大きくなって見やすく、色も鮮明!今まで画面が白くてはっきり見えなかった写真や地図が、鮮やかに美しい。自分の「mixi」日記の写真も、初めてしっかり見た。こうなると人の写真も余計に楽しく、思わずあちこち「mixi」写真の旅をしたくなる。
義弟へのお礼を兼ね、昼食は近くのお寿司屋さんへ。久しぶりに握りを堪能。未だ春遠し、、と思うように寒い。遊歩道には花弁の散った桜からパラパラ、蕊降る。時折名残か、ひとひら花弁も舞う。四月に入って仕事慌しく、春の嵐に、相次ぐ路線事故など何かと落ち着かなかった。ようやく網戸も外れ、修繕工事の準備も整った。蕊降り、肌寒くても若緑の季。さぁて、頑張りましょうか。
* 人様の機械でもピカピカに明るくなったと聞くと、妙に励まされる。
☆ 湖先生へ 昴
メッセージ、ありがとうございます。
湖の本の発送の住所ですが、今までと同じ住所でも届くようにしています。ですから、今までの住所で送っていただければ問題ないと思います。
今、古本屋でたまたま見つけた『みごもりの湖』を読んでいます。朱色の箱の中に本と、まだ読んでいませんが対談の小冊子が入っていました。
注釈が欲しいと思いながら、電子辞書と国語便覧を片手に、ゆっくり読み進めています。
新刊が発送されてくるのも楽しみにしています。 昴
☆ 湖先生へ 昴
こんばんは。
1年間だけになると思いますが、新しい住所は上記のようになりました。
郵便以外で発送される場合は、新しい住所でお送りいただければと思います。
北海道では、雪が降ったり、福寿草が咲いていたり、春になろうとして、頑張っている最中です。
東京は、桜が散りながら、緑が萌え出しているのでしょうか。
* ありがとう、昴 お元気で、昴 湖
先日、聖路加病院の待ち時間を利して、人一人の影もないカソリックの教会に入りました。外の築地界隈、櫻が満開でした。
会堂で瞑目してみても、殺到する雑念に悩んで、絶望的な心地でしたが、堪えて、凝然とそのまま目をとじていました。眠ってはいませんでした。
と‥、ほの明るんだ目の底が、凪いだ、池の面のようでした。わたしはまったく無にちかい状態でいたようでした。
目を明けますと、小一時間も経っていました。
教会の外は、日盛りに花と春の匂いでした。自然と自分とが対立しているうちは心は私を騒がせるばかりです。自然があって自分も在るのでなく、自分の外に自然があるのでもなく、波が海に溶けいるように、自然と自分とはトータルに一つらしいとその小一時間だけ、だけ‥、わたしは在ったようでした。幸せでしたよ。 湖
あなたはいま、パソコンに触れられるのですか。それがもし、あなたを慰めたり憩わせたりしているのなら、あなたの前に書いていた小説、物語を、ひとまとめにして、メールテキストのまま、私に送って、読ませてくれませんか。
あなたには自然な文才があります。それが構想のある文章でどう発揮できているか通して読んで見たいのです。いま、あれこれ手を入れたりしないで、現在あるがままで読ませて下さると嬉しい。
ただしからだに障るようなら絶対にむだなことはしないでください。
元気で元気でと、いつも祈っていますよ。いい春の到来、いい生の深まりを祈りますよ。 湖
2008 4・13 79
☆ 炭の音 2008年04月14日04:27 maokat
土曜朝雪降る。体調崩し、終日自宅。豆腐の味噌汁と白飯で夕膳。
メールで、茶の講習会のドロドロ。アンタはケイコにも来てないんだから役は辞退しろと。そうですか、こちらは忙しいのです。勝手にしてください。
日曜学校は休めず。研究室にいると体調が良いような気がするが、帰れば同じ。ホメオスタシスが崩れていて、方々に綻び。
更くる夜や 炭もて炭をくだく音 大島蓼太
前々から目に留まっていた一句。「炭もて炭をくだく音」は、炭の燃え尽きるまでの時間と、炭の崩れる一瞬の動きと、夜中の静寂と微かな音と、そして寒さ。またあるかなきかの仄かな火の色までを想起させる。
蓼太の句には、さらに、人のいたところに今誰もいない虚無をさえ感じる。昔々、夜中に便所に起きて、ふと誰もいない居間を覗き見たときの、妙に静かな感じを思い起こす。
炭の崩れる音。茶の湯でもまれに聞くことがあるが、そう多くもない。茶席というものは案外、雑音・俗塵に満ちているのだ。茶事ならば火の落ちる頃は、大層な箱書きを褒めて、騒々しく退席するところ。点前座を拝見しても、前後に人もいて、火相湯相はうかがい知れない。この音を聴こうと思えば、客の去りし後独座して落ちる火のかそけき音に耳を澄まさねばなるまい。
漱石の『行人』に「佐倉炭」というのが出てくる。昔は関西では池田、関東では佐倉が炭の産地だったとか。今の千葉県佐倉市よりさらに東の八街市あたりだそうだ。
二郎が下宿で寂しく夕食を済ませ、火鉢に「新しく活けた」佐倉炭は、樫。備長炭のごとく、カンと鳴ったものか、それとも、クヌギの茶炭のごとくカサッと鳴ったものか。その音によって、春先今頃のこの場面の印象は大分違ってくる。そしてこの場面の直後、二郎は嫂の不意の訪問を受ける。
* そうか、『行人』へ来ているのですね。
☆ マラカス 2008年04月13日22:58 悠
息子は金曜日に無事退院となりました.
まだ,レントゲンで肺にうっすら影が残っているのでこれが完全に消えるまでにはもう少し通院が必要とのことでした.でも一安心.
満面の笑みには先生,看護師さんがびっくりしていました.よほど入院当初の機嫌の悪さがひどかったのでしょう.
今回息子のところに行くときに”マラカス”を持っていきました.昔,雑貨屋で見つけて買った小さめのマラカス.引越しの片付けの際に出てきて息子に持たせてみたら、ちょうど良い大きさ.上手に振って音を出してくれました.ご機嫌な様子を思い出して持っていくことにしました.
病院のベッドの上で元気よく鳴らしてくれました.回診にきた先生の前でもご披露.で,”機嫌がいいね,帰ろうか”と退院となりました.
帰ってきてからも”どうぞ”と持たせるとマラカスを振って,周囲にいるみんなをウキウキした気分にさせてくれます.
ほっと一安心.でもまだ通院があるので実家に息子をお願いしてきました.今週もがんばってお仕事して週末息子に会いに行きます.
* よかった。マラカスが聞こえてくるよう。
☆ 水晶玉を通じて別の世界をのぞいてみたい 2008 年04月13日23:32 光
雑貨屋さんをのぞきながらブラブラ歩いていたときのこと。
あるコーナーに、水晶玉とかいろいろきれいな石が飾られていて、いい感じにライティングされていた。
パワーストーンのコーナーのようだ。
水晶は化学では無機物の結晶であるが、不思議なことに見ているとだんだん欲しくなってしまう(水晶のちからのせい?)。
大きな水晶玉は、(レンズ効果で)向こう側がゆがんでゆらゆら見えている。
なるほど、昔話に出てくるような占いのおばさんが呪文を唱えてのぞき込むと遠く離れた場所が見えてきた、と思うのもうなずける。
水晶玉を通じて別の世界をのぞいてみたい、昔の人はそんな道具を夢見ていたのだろう。
* * *
先日、アメリカで仕事をしている知人が一時帰国で遊びに来た。
たわいのない話題で会話もはずんだが、なぜか日本にいる私よりプロ野球ネタに異様に詳しい。
私が知らなすぎ、なのもあるが、やっぱりつっこまざるを得ない。
「どうしてそんなに日本のこと、知ってるのさ」
「毎日、ヤフーニュース見てるからね(笑)」
私も海外に行ったときには、日本のニュースをチェックするのにネットカフェなどで日本のサイトに接続する。
おそらく、「mixi」もOKだろう(やったことないが)。
液晶画面だけに集中してのぞき込んでいると、(当然だが)日本でネットやっているのと全く変わらない。その瞬間だけ、海外にいる感覚がなくなるのだ。
* * *
水晶玉の代わりに液晶画面になり、呪文の代わりにマウスのクリックになった。
占いのおばさんの「ちから」の代わりに、IT技術。
実は、水晶玉でやろうとしていたことは、パソコンで実現しつつあるのかもしれない。
便利な時代になったものだ。
* フムフム。
2008 4・14 79
* 朝から作業。そして理事会に出かける前に機械を開いた。
☆ 諸刃の剣 2008年04月15日08:22 ボストン 雄
ここ最近気になっていたニュースに、神戸大学での遺伝子組み換えに関するものがあった。
神戸大学の某研究室で、遺伝子組み換えをした大腸菌などが、廊下で培養されていた上、実験に使用した大腸菌などを、滅菌しないまま水道から流して捨てていた、という。
普通の人は、このニュースそのものに対して驚くのかもしれない。しかし、僕が驚いたのは、その処分について。なんと、全学での遺伝子組み換え実験の停止処分が取られるという。
こんなことを書くと、「そんなことを言う奴がいるから研究者はダメなんだ」とか、「研究者としてのモラルに欠ける」と言われるかもしれない。
が、しかし、あえて書く。この処分は、いくらなんでも重すぎはしないだろうか?
勿論、大腸菌を廊下で飼ったり、滅菌しないで下水道に流すのは良いことではない。遺伝子組み換えのガイドラインにも反している。
だが、僕が言いたいのは、実際に起こったこととマスコミの取り上げ方の間に、かなりの温度差があるのではないか、ということ。
通常、遺伝子工学実験に用いる大腸菌株は、K12株という株を元にした、非常に弱い菌株が用いられている。水道はおろか、人間の体内のような「過激」な環境で生き延びることは、ほぼ不可能に近い。それでも、「もし遺伝子組み換えにより導入した遺伝子が、たまたま大腸菌を丈夫でかつ毒性の強いものに変えてしまうかもしれない」という恐れがあるため、生きた菌を水道で流すことはせず、高圧、高温で充分に滅菌された後で捨てることとなっている。
したがって、多くの場合は、そのまま水道に流したとしても、何か有害なことが起こる可能性は、まずない。有害物質と分かったものを流す場合とは、事情がかなり異なる。
しかし、新聞ではその辺りのことは全く説明されていないので、読む人からしたら危険きわまり無い行為ととられても仕方が無いだろう。
勿論ガイドラインで厳しく取り締まられている以上、違反に対して厳正な処分が下るのは仕方が無いかもしれない。しかし、全く関係ない研究室の人たちにまで処分が及ぶというのは、あまりに厳しいと思う。
今、まさに論文の追い込みで、外国のグループと競っている人もいることだろう。大学院生で、学位取得のためにギリギリの追い込みをかけている人もいるだろう。昨今では、多くのポジションが任期付きとなりつつあるので、この停止処分が「死」に値するような研究者もいるかもしれない。全く関係のない研究室での行為により、このような処分が下るというのは、とばっちりとしか思えないのではないか。
僕が思うに、今回のことは「見せしめ」としての理由が大きいのではないか。
ここ最近、文部科学省は遺伝子組み換えのガイドラインを遵守を徹底させることに必死になっている。それでも守られない例があることから、「違反するとこういう目に遭うぞ」ということで、今回のようなことになったのではないだろうか。
さらに僕が気になるのは、今回のことが、いわゆる「タレこみ」によって発覚したという点。最近は分からないが、大学のスペース難のこともあって、廊下に大腸菌の培養振とう機が置かれていたケースは少なくなかったと思う。神戸大だけでなく、他の大学も抜き打ち検査してみればよい。おそらく日本の大学・研究機関の多くにおいて、研究停止に追い込まれるのではないだろうか。うがった見方かもしれないが、今回取り上げられた教授に対する私怨に端を発している可能性も無いとはいえない。
おまけに、このことが話題となった際、いっせいにマスコミは研究者の行動について批判したにも関わらず、「全学での研究停止」という処分については、どの新聞社のウェブサイトを見ても取り上げていない。あいにく海外ゆえ、新聞を手にすることができないが、ネットニュースだけで判断する限り、報道の偏りを感じてしまう。
今回の件に限らず、僕が日頃疑問に思うことに、「遺伝子組み換え」に関する過剰な拒否反応がある。
遺伝子組み換えによる大豆は絶対に口にしない、という人も少なくない。しかし、その根拠は何なのか? それを裏付けるだけの知識に基づいての行動なのか、それとも、ただ「良く分からないけど、ただ怖い」のか。
テクノロジーの進歩により、人は多くの恩恵にあずかることがある。しかし反面、テクノロジーを野放しにすることは非常に危険でもある。当初開発した時には予想もしなかったような弊害が生じることもある。テクノロジーには常にそうした両面性がある。
しかし、遺伝子組み換えに関しては、特に「罪」の面ばかりがクローズアップされ、「功」については取り上げられる機会が少ない気がする。同じ遺伝子組み換えでも、医療、例えば「iPS細胞」は世紀の発見のようにもてはやされるというのに。
勿論、今回の事件は良いことではないし、それに対して処分が下るのは当然のことだ。
しかし、その事件がどのように「利用」されるかについては、もう少し多面的な視野から判断して欲しいと、特にマスコミや行政に対して思わないでもない。
* どんなに環境が調っていなくても、よくないことは、よくないとせざるをえない。が、「雄」クンの指摘には無視しがたいことが書かれてある。発言のその思いは汲みたい。ことに報道の与えてしまう一面性について「報道」自身が甘えているという日本的な現実。
そもそも「報道」そのものに、「問題有り」という前提を持って報道に接する訓練が、日本人に出来ていない。そのために報道自体が甘えた記事を自己容認してしまう。現に、おおかたそうである。記事内容を相対化する努力や配慮が乏しい。日本のマスコミの不健全な弱点になっている。読み手が賢明で聡明な「現代人」であらねばならない。
ちがうのとちがうやろか。
この二枚腰が読み手に備わらねば自衛できない。
2008 4・15 79
☆ ご本とどきました。 08.04.16 20:38 花
お忙しくお過ごしになっていたことと想います。
お元気ですか、風。
新しい湖の本(エッセイ43)、ありがとうございます。短いトピックがたくさん収められていますね。
花は、いまエッセイ4『茶ノ道廃ルベシ』を、おもしろく読んでいるところです。
連載されていた「淡交」って、茶道の世界の人たちが読んでいた雑誌でしょう。風、かなり厳しいことをお書きになっていますね。ほんとのことばかりですけど。
創作の推敲と、評論の準備読書はコツコツつづけています。
気分転換は、嵐の大野君の出演舞台のDVD鑑賞です。
普段の大野君は、穏やかにポヨンとしているのですが、お芝居のとき、豹変するところが魅力です。大野君に与えられるのは、起伏の激しい感情表現を必要とされる、極限状態にいる役柄ばかりなので(そういう役で大野君が活きると思われているのでしょう)、普段とのギャップが、とても大きいのです。
人間の魅力って、いい意味でギャップのあることかなあ、と思います。
さてさて、風は継続して発送準備がおありになるのでしょうか。
明日、花は美容院へ行きます。美容師さんが、うまくカットしてくれるといいなあ。さっぱりした髪を、いちど風に見てもらえるといいんですが。
ではでは。
* 本が届き始めたらしい。「嵐の大野君」というのが、さっぱり分からない。
2008 4・16 79
* 秦建日子が脚色・脚本の「監修」とやらに任じているという『ホカベン』という連続テレビドラマが、今夜から始まっているらしい。「成り立てほかほかの女弁護士」が主人公で上戸彩が主演とか。上戸菜には明らかにオーラが看取できてわたしは好感をもっている。録画したのを明日にも観てみよう。
おやおや、もう第一回を観たという感想が出ていた。
☆ 初回に、旧傷が。 2008年04月17日00:56 珠
思わず見入っていた。
きっと、私にもこういう時があった。。
そんな想いに口の中は苦く、胸苦しい。今夜初回のドラマ「ホカベン」。
さて、さて、、という程度で見始めたが、主人公の真っ直ぐさと、理想に燃えるその若さに、初めは鼻につく大袈裟さを感じていた。でもその早い展開と、依頼人役を演じる富田靖子の抑えた感情に、気がついたら引き込まれていた。
仕事に就いた頃の自分を思い出す。
国家試験に合格し、看護婦(当時は、、)として病棟に勤務し始めてたった4日目には、既に受け持ち患者をもたせられ、右も左も、それこそナースコールもろくにとれないまま動いていた。患者さんに「痛い」「苦しい」など訴えられると、もうどうしていいかわからず、ただ楽にしてあげなくちゃ、、と、医師や先輩を必死に探してどうしたらいいか聞いていた。なかなか来ない医師を、患者さんの傍では自分も苦しくて、待てなかった。指示通りの注射をしても、効くまでかかる時間が申し訳なくて、その間がいられなくて、ほかの仕事に逃げていた。何とかしたくて、でも自分には誰かを呼ぶことしか出来なくて、苦しかった。
1、2週間たった頃だったか、準夜勤務で受け持ったお爺さんの痰を吸引したら、その後咳が止まらなくなり苦しそうになってしまった。側に付き添っていたお婆さんは、
「あなたがやったからこんなに苦しくなったのよ! もう来ないで! 誰かほかの人を呼んで!」と激しい口調で言った。
患者さんを苦しくさせてしまった、、、、このショックもさることながら、それよりも、良かれと思ってやった事を真っ向から否定されたのは、多分生まれて初めてだったと思う。
私はもう看護婦は無理なんだ、、お先真っ暗に落ち込んだ。先輩との反省会では、それでもあんたは看護婦なんだからやるしかないのよと言われたが、そう言われても無理だ、、と思った。
それから2、3日後だったか、再び準夜勤の時にナースコールで呼ばれた。病棟は48床、夕食時間はスタッフの休憩時間も重なって人手が少ない時間。たった2人で48床を観ているまさにその時で、先輩は休憩中、もう一人も手の離せない処置中だった。鳴り続けるナースコールにどうしようとオタオタしながら、とにかく病室の小さな扉から顔だけ出し、
「看護婦が今自分しかいないので、誰か他の人を呼んできますからちょっと待っていてください」と言った。するとお婆さんは私の腕を掴んで言う。
「あなた看護婦さんでしょ! 早く痰を採ってあげて! 苦しんでるじゃない! 早く!」
「でも、、、私でいいんでしょうか。。。」
「いいわよ! 早く楽にして!」
私は震える手で痰を引いた。看護婦免許はあるけれど、本当に自分が採っていいんだろうかと不安に脅えながら。。。痰を採ったら、お爺さんの呼吸は楽そうになった。お婆さんは笑顔でお爺さんに話しかけ、私には繰り返し
「ありがとうございました」と口にしながら頭を下げていた。私はほっとして、泣きだしそうだった。
否定から一転赦された事に、心から感謝した。部屋を出てトイレに行き泣いていたら、また別のナースコールが私を呼んでいた。
同じ行為でも
「私が楽にしてあげます」的な一生懸命さは、押し付けとなる。その結果、相手が望むことと違えば、×、バツ、あっち行け、だ。
「私が、、」「~してあげる」
この自分本位な傲慢さを、スパッと斬られた看護婦最初の出来事。今夜のドラマは旧傷を疼かせた。マゾ゛ではないが、こう記憶を揺さぶるには何かあるかも、と期待して。
でも、自分の真ん中が揺れてる時に観ると、ちょっと苦しいかもしれないな。
* 数十年前、医学書院の編集者だったわたしの最初の守備範囲は、看護婦、助産婦さんらの仕事であった。大勢の指導的なナースたちと付き合いがあった。そのご苦労もたくさん聞き識っている。そしていまもその頃の看護婦さん助産婦さんが何人も「湖の本」を読んでいて下さる。
☆ 落ち着き先ご連絡 創
秦先生、連絡が遅れ申し訳ありません。
3月31日に帰国いたしました。
ちょうど3年の海外赴任でした。
日本の人の密集度に驚きつつ、家族共々元気です。
落ち着き先は、 (略) となります。
保谷にだいぶ近くなりましたので、息子も連れてご挨拶に伺いたいと考えております。しかし、まだ引越片付けやら、会社の新環境への順応不足やらで、今すぐに、というわけにもいかないですが。
また、お電話いたします。
* 三年か。結婚式を挙げてすぐに赴任していった。ウーン、五六年に感じる。わたしの方が老い込んだということか。
2008 4・16 79
☆ おかえりなさい。 春
歌舞伎の余韻でご機嫌よくお戻りのことと思います。ご夫婦仲良く、昼夜通しでご覧になれるのですから、気力体力の充実してお元気なこと、大変嬉しく。わたくしなら昼か夜どちらかにしないと疲れてしまうでしょう。
湖と歌舞伎をご一緒できたら、歌舞伎の新しい楽しみ方や味わい方を色々教えていただけそう。所詮かなわぬ夢ですね。
「湖の本」は本日はまだ届いていません。明日か明後日か、楽しみにしています。また、昨夜はメールをいただきありがとうございました。ほんとうに久しぶりに長いメールをいただいたように思い、感謝の気持ちでいっぱいです。
湖の本届きましたら、本当に嬉しく読ませていただきます。
低血糖には充分ご注意ください。くれぐれもご無理なさいませんように。それではおやすみなさい。
2008 4・16 79
☆ 臘梅に再会 雀
本日ご本拝受。
なにかの記事ゆえ友人が知らせてよこした「サライ」が、「臘梅」の号でした。知らずにいたらよかったと(連載を見遁していたことに=)打ちひしがれたことをおぼえています。まさかのアリガタヤマ。嬉しいです。
夜になって一段と雨音が強くなってきました。おかわりございませんか。
昨晩から冷たい雨が手荒なまでに、散り花を打ちたたいています。いっそきれいさっぱり気も迷わず、好きな空模様です。今年は寒さがいつまでも芯に残って、雪の五個荘行き以降、ちんまりとこもりきり。晩秋、遅れに遅れた韓流の風が雀をうち、いまだそれが影響しています。
1622年に廃された朝鮮王光海君のテレビドラマ「西宮」で、たまたまモーニングショウから点け放していた画面に、「壬辰倭乱のあとこのかた」という字幕が映し出されたものですから、なんのドラマかと目を向け、毎朝努力して、そして楽しみに見続けました。
両班、册封、事大慕華、儒教国家内での差別、僧の位置、義兵など、風俗も含めて、活字だけではわからなかったことにずいぶんヒントを得ましたし、女性が文字を書く場面がほとんどなかったことから、ハングルについて知る機会にもなりました。
そして数年前に熱中して見ていた台湾製のテレビドラマが、徽宗と寵妃のストーリィだったこともわかって、日本と朝鮮が漢人王朝や非漢人王朝とどうつきあい、互いにどうしてきたのかと歴史の切り方つなぎ方を教わって、あれからこれへ、それからこれへと調べ始めたら、「世界史」のお勉強のまるでやり直し。いまもまだそれにひたりきりなのです。
こころのうちで話しかけているばかりで、ごめんなさい。
なにかとイギリスが、ナポレオンがかかわってくることと、西郷の征韓論が通っていたらどうなっていたかというのが、気になってきています。ひとまず近況のおしらせ。 囀雀
* 雀さんは、健在。この旺盛な関心と好奇心と探求心。知り合った初め頃には、こういう精神性のつよい人とは想像できなかった。あきらかにお見逸れしていた。この人の「おっかけ」精神はまっすぐ伸びて、いつも清新。いつまでも持続。敬服する。
☆ ありがとうございます 2008 年04月17日 23時18分 淳
ご本、本日届きました。
お心配りくださいまして、ありがとうございます。
最近加藤周一さんの文章を読んでいて、「桜」の日記と同じような趣旨のものを見つけました。
わたしなどが「同じ」などと言っては、加藤氏に失礼でしょうが、
氏の文章によると「論語」の中にも同じようなことが記されてあるようです。
読書の悦びというのは、私よりもずっとずっと大きな方々と、細い紐帯であれ、つながることができるところにありますね。
同時代の湖さんへと架かる実際の橋があることは、私には大きな喜びです。
大切に読ませていただきます。ありがとうございました。
歌舞伎座の観劇記録も拝見しました。
熊野はやはり能なのでしょうか。
最近は玉さまの思い(理想)と、受容体としての客席との間に、意識のずれが出てきてしまうのでは、と思ったりします。(僭越ながら)
勧進帳、見たかったです!
楽しく拝読いたしました。
こちらもありがとうございます。
それではおやすみなさい。
お体おいといください。
* 「熊野」が観たかったのに都合で行けなかったと残念がっておられた。代わりに観てきましょうと云ってあった。「玉さま」へのかすかな懸念は懸念としても、旺盛な演劇人である玉三郎の探求意欲は、冷めないでほしい。
しかし、今のうちに玉三郎の「歌舞伎」を観ておきたいという欲は深いのである、わたしには。たぶん多くのフアンも同じだろう。
☆ 湖の本 春
本日、楽しみに待っていたご本頂戴しました。
「エッセイ」に括られていますけれど、小説として読みたいような味わいの、不思議な魅力を湛えて、まさに秦恒平の世界です。浅学非才の身に少し教養も高まりそうですし……。これからじっくり味わいたいと思います。
夜だから一杯、といってもお酒に弱いのでショットグラスにほんとに一杯だけ飲みながら、幸せのひとときを過ごしましょう。
ありがとうございました。
2008 4・17 79
☆ 「観劇の記」,ありがとうございます。 麗
伯母の葬儀のために上京した際,3月公演・昼の部を見る機会を得ました。「藤十郎と団十郎夢の初競演」を,大阪と東京,2ヶ所で見るという,得難い機会を得たわけです。
それよりも,その場で知った4月公演の『勧進帳』の方に,心惹かれました。しかし,最果て住まいではそれも叶わず,その場で諦めました。
ところが,思わぬところで臨場感あふれる観劇の記を拝読することができました。重ねて感謝申し上げます。仁左衛門の弁慶に玉三郎の義経,そして,勘三郎の富樫など,意外性は大当たりだったようですね。嬉しくも残念。
ところで,出講している札幌市内の短大で,研究図書を購入してくれるというので,『湖の本』をお願いしたところ,70冊以上購入していただけました。今年はことに出講が楽しみです。
* ありがとうございます。「湖の本」刊行維持もなかなか容易ならぬおりから、嬉しいおはからい、感謝申します。 湖
☆ 湖 お元気ですか。
「湖の本」を送って頂き、ありがとうございました。
「私語」で「そろそろ発送」という言葉を見かけてから、ポストを覗く事が自然楽しみになり、仕事からの帰路も気がつくと普段より速足になっていました。(昨日=)今宵は、冷たい雨に出迎えられての帰宅でしたが、待ち人ならぬ「待ち本」きたる。お陰様で温かくなりました。
題にハッと魅かれ、まだ、ぱらぱらとめくらせて頂いただけですが、久々に盃を取りたくなりました。
今年は、桜の後蕊に新たな花も知りました。花も色々ですね。これから「湖の本」に花を愛で、香を聞かせて頂きます。
「mixi」 で「お雛様」のお写真を拝見しました。
とても立派なお雛様ですね。
品のあるちょっと頬のふっくらとした柔和な表情に、思わず目を奪われました。こうお聞きすると、苦しくなってしまったらお赦しください。お嬢様のお雛様なのでしょうか。
どうみても最近の洋風なお顔立ちのお雛様ではなく、特にその垂髪はふわっとしなやかにふくらんで、まるで本物のお髪のように自然です。今どきは、固く撫で付けられたような垂髪ばかり、どうしても扱いやすさが先にたってしまうのかしらと残念に思っていました。
また、冠の細工の細かさには驚くばかり!
私の実家押入れに眠るお雛様にも以前は冠がありましたが、母が忙しく、姉妹で適当に片付けたりしているうちに、冠の細工はポロポロと折れて失われてゆきました。これだけの飾りを綺麗なままに、緋扇も丁寧にお手にされているなど、大切に、慈しんで扱われてきたこと、見ずにいられません。
日本には、季にあわせ、目的にあわせ、出しては仕舞い、仕舞っては出す、そうして大切に繋げてゆく人の生活がありました。この作業、、どれほど大変な事だったか。それでも、繰り返されてきたその日々に、その心に、胸熱くなりました。
ご家族の大事なお雛様を拝見させて頂き、大変嬉しく、感謝申し上げます。(丁度機械の画面が綺麗になったところで、何よりでした。)
考えても、何をしても、時間はサラサラと音をたてて過ぎてゆきますね。
ありがとうございました、湖。
どうぞくれぐれも大事に。湖、大切にしてくださいね。 珠
* 「mixi」の歌舞伎座日記に添えてみたお内裏様たちの、少し角度をとって撮した写真は、少女の昔から、妻が大事にしてきた雛。
一昨年の二月二十五日、孫・やす香が、妹のみゆ希と二人で祖父母の元へ遊びに来て、欣喜雀躍飾り付けて行った、名残の写真である。
以来やす香はガン発病と孤独に闘い続け、七月末に亡くなった。
妻の雛人形はわたしが好きで、あの日も、ぜひ孫娘達に飾り付けを楽しませてやろうよと、用意しておいた。
珠さんにこう褒めてもらい、感謝。妻も感謝。
☆ あれこれ 2008年04月17日22:56 淳
「mixi」日記がしばらくぶりだ。
その間、いくつか記録すべきこともあった。
1 「北京バイオリン」
テレビで映画をやっていたので見た。最後が少しくどい気もしたけれど、人間の結びつきは血が問題なのではなく、人間自身の手によって、いかに作り上げていくかなのだなぁ…とつくづくと思った。
北京駅に捨てられていた赤子を拾って育てていく父は、少年のためだけに本当に必死に働く。
少年は音楽が好きで、バイオリンが好きで、バイオリンを弾いているのだけれど、実は父のための音楽だったのだな。父親のために弾くバイオリンでなければ、音楽は少年にとって意味はないのではないか。
そんな風に、私はとった。
泣けて仕方がなかったので一瞬、中国がらみのいろいろなことを忘れました。
2 「ルオーとマティス」
先週の日曜美術館ですね。またテレビの話題。
ルオーとマティスの絵が通い合うところは、一見すると全然なさそうなのだが、実は二人は心の通い合った友人同士で、かなりの数の手紙をやりとりしていたらしかった。
ルオーがマティスにあてた手紙の、なんと愛情にあふれていることか。
いいなぁ。
こういう人間関係は、やはりじんわりする。
ふと私も友のことを思ったりしました。
友人がいるっていいなぁ。
3 『なつかしい本の記憶』
岩波少年文庫50年記念で編まれた本。
池内紀さんと池内了さんの兄弟対談など、親しい者たちの何組かが本にまつわる思い出を語っている。
日本全体が貧しかった時代に、どれだけ人々が活字に飢えていたか。
また、むさぼるように読んだ活字からどれほど大きなものを受け取ったか。
一つ一つのお話が宝物のようにキラキラしていて、読んでいて切ないくらい。
(しかしまだ全部読んでいない)
* こういう日記、いいなあ。
☆ 山歩き、なめてはダメ 2008年04月18日02:29 光
最近、首都圏に近く気軽に山歩きを楽しめると、高尾山(標高599m)が人気なのだそうだ。最寄りの駅(京王線高尾山口)から山頂まで1時間30分ほどの行程だ。
ところが、道に迷って下山できなくなったりする「遭難」が相継いでいるという。
実は、私も低山遭難しかかったことがあった。
ダイエットを実行していた頃のことである。体についた脂肪は燃やすしかないと、近くを流れる川沿いに20kmのウォーキングを行ったりしていた。
もっと効率よく、脂肪を燃やせないものか。燃やすんだったら、酸素をどんどん取り込んで(有酸素運動)負荷をかければ燃えるはず。
これは山登りしかない、ということで、さっそく本屋さんで「首都圏近郊日帰りハイキングコース50選」的な本を購入し、週末には電車で付近の(低い)山々の麓に現れては、次々と制覇していった。
(低い)山登りも慣れたともんだと、高尾・八王子の山歩きコースはほぼ自分の庭のようなものですと、公言するまでになった。
そんなある日。
いつもの如く、気軽な普段着に手ぶらに近い格好で、今日はちょっと足を伸ばして奥側の山の方までやってきた。さすがに、ハイカー達もほとんどいない静かなコースだった。iPodでお気に入りの音楽(Atomic Kitten)を聴きながら、あとは駅に向かって下山するだけ、というときである。
途中、道しるべがあり二手に分岐していた。
(お手軽な本の)地図で見る限り、右側の道が最寄り駅への近道のようだった。
ちょっと道幅が狭いけど、まぁ、いいか。
近道なだけあって、ぐんぐん下っている感が実感できる。はやいはやい。ちょっと気になるのは、途中で見かけたベンチがぼろぼろだったことだ。こっちのコースは、余り人が通らないのだろう。しかも、誰一人、人がいない。すれ違わない。
杉林の間を、下っていく。気になるのは、道の跡が追跡しづらくなってきたことだ。斜面が急で、砂に覆われてかき消されてしまっているようだった。
砂の上をずるずると、滑り降りるように下っていく。
心にすっと、不安がよぎる。もう、後戻りはできないな・・・。iPodからは軽快なリズムの「If you come to me」が流れている。分岐点からちょうど30分である。
砂の斜面を下りきると、小川の岸に出た。
岩の上を渡っていける程度だが、はたと困った。
どこが道なのかわからない。向こう岸にも道らしきものが見あたらない。大雨のときに削りとられたかのようだ。
心拍数が上がる。iPodの音楽のせいだろうか。
今なら元の分岐点まで戻れば1時間のロスで何とかなるか。しかし、朝から歩きづめで砂の斜面を登り切る体力が残っているかは自信がなかった。このまま強引に川に沿って下れば、案外、道が見つかるか。そんな保証はどこにもない。目の前には、笹に覆われた薄暗い空間に、川の水がちょろちょろと吸い込まれていくだけである。
携帯に目をやる。圏外ですか。
遭難? 最悪のシナリオが頭をよぎる。果たして、何ヶ月後に発見してもらえるのだろうか。
時計は、14時30をまわったところだ。日没まで数時間。
決断しろ、こころの中の冷静な自分が叫ぶ。
タイミング良く陰影を持った「If you come to me」のサビの部分が流れてきた。
* * *
結局、あの時の私は、元来た道を戻る判断をした。
砂に足を取られながら斜面を登っている自分を支えていたのは、信仰に近い自分の判断力だけだった。
分岐まで戻ってきたときには、これが「安堵」というやつかと思った。
偶然にも、きちんと山登りの装備をされている(経験豊かそうな)ご夫婦2人組に出会い、ストーカーの如く下山するまで5mと離れずついて行った。
低い山歩きでも、なめてはいけません。
山登りは、一人ではしてはいけません。
今でも、Atomic KittenのIf you come to meを聴くと、あの時の光景が浮かんでくる。
* これはこれ、一編を成している。
わたしなど、たった百メートルほどの、蒲団着て寝たるすがたの京の東山でさえ、迷って慌てた覚えがある。ご用心。
☆ メールアドレス 2008年04月18日10:10 ボストン 雄
日本の研究所を退職して3ヶ月が経った。今まで、メールアドレスを残したままにしていたが、そろそろアドレスを削除しなくてはならないということで、昨日、削除をお願いした。
今朝、パソコンを立ち上げると、既にアドレスは削除され、メールサーバーに繋がらなくなったので、メールソフトからアカウントを削除した。
さすがにもう、このアドレスにメールを送ってくる人はいなくなった。送られてくるのは、研究所でのセミナーの案内から、落し物の案内、果ては食堂のメニューまで。どれも僕には関係ないものばかり。最近では、届いた端から削除してしまうことも少なくなかった。
今すぐに日本に帰りたいという気持ちは、もうない。今、どこでもいいから日本に職を見つけて戻ることが、バラ色の未来のように思える、などということはない。
ただ、延々とメールサーバーを探し続けるソフトを見ていて、ふと急に、寂しくなった。
* 寂びしみ、分かる気がする。
☆ 曇天ですが、元気な花です。
ウッドデッキに背丈五十センチくらいのオリーブの鉢植えを置き、ゴキゲンです。
推敲は、新しく書いたものの、です。早く読んでいただき、書き込みの足りないところを指摘していただきたい、と思っています。
『茶ノ道廃ルベシ』、おもしろいです。気概・気骨を感じます。
ではでは、風、お元気で。お大事にお過ごしくださいね。 花
2008 4・18 79
* 今日の発送分をいま送り出したところ。
☆ 秦(=恒平)さんの私語の刻を読んで 2008年04月18日17:01 玄
今日、湖(うみ)の本エッセイ43『酒が好き・花が好き』が届いた。
本文を読む前に、巻末の「私語の刻」に目を通して,日本国の現状を憂える秦さんの真情が心に沁みた。この優れた「憲法論」をできるだけ多くの人に読んで欲しいと思う。(この本は、「湖の本」で検索してアクセスすれば、手がかりが得られます)。
2008 4・18 79
☆ 湖の本エッセイ42 拝受いたしました。有難うございます。
興味をそそられる内容のよう、楽しみに読ませていただきます。
毎日 追われておわれて生活しております。絵のほうも追われる毎日で生活の中心にはしていますが、以前のような長い時間取り組めません。すぐ疲れてしまいます。これが年齢なのですね。この年齢にならないとわからないことも都度都度ございます。
時にはおばあさんもしなければならず 娘にもならねばならず 悪妻はまいにちですし、自分のからだをいたわりながらの生活をしています。
体調はいかがでございましょうか? ご健康を祈っております。 郁
☆ 京都 のばら です。
新しい「湖の本」届きました。いつもありがとうございます。
「花が好き」、早速いちばんに、薔薇、次に椿を。
先日、平岡八幡宮を訪れました。境内は二百種もの椿が咲き、花の天井の特別拝観もされていました。宮司さんのお話も趣きがあって、よい時間を過ごしてきました。
地蔵院の散り椿も今年は満開に出会えました。
桜の影でひっそりと咲いている赤い藪椿も好きです。
今日は美容院で髪を染め、すっきりとカットしてきました。
又、肌寒くなりました。
お元気でお過ごしくださいますよう。 従妹
2008 4・18 79
* 京都鳴滝の橋田二朗先生、お電話を下さる。二年ほど、入退院を繰り返されている。ながいあいだ「橋田丸」にあまりに多い荷を積んで航海されてきた。佳い底荷を適当に残され、身軽に潮に乗ってゆかれるといい。百までも。
2008 4・19 79
☆ もう午ですが。 08.04.19 12:26 花
おはようございます。風、お元気ですか。
花の土日の朝は遅いです。今朝は特に、おふとんの温度が心地よすぎて、ぐずぐずしていました。
昨日の東京は、荒れ模様のようでしたね。風におでかけのご用事がなくてよかった。
富士山でも雷が鳴りましたよ。
>が、意識的に日々を過ごし始め、意欲的に何にもまっすぐ向かって一心こめてい
>るうちに、胸の抽斗にたくさんなモノがたまり、言葉に変じていくらでも湧き出るよ
>うになりました。
風の、だいじな言葉です。一日一日が大切なのですね。
さて、花の最近の気に入りは、ウッドデッキに置いた白い鉢のオリーブ。それから、テラコッタに植えたユーカリの苗木です。
花、とても元気に元気に暮らしています。
ではでは。
20098 4・19 79
☆ 今日もボストン 2008年04月19日14:38 雄
・ 午前中、マウスの手術。少し前から、論文の追加実験のために1ヶ月限定でジェイがラボに戻ってきているのだが、彼女の実験には普段僕が使っているセットアップが必要ということで、交替で実験している。
というか、そうなるのならば、あらかじめ教えておいて欲しかった。僕が実験しようと思うと、彼女が既に使っていたりする。
昨日、相談して、午前中から昼すぎまでは僕が使うこととなった。期間限定なのだから、仕方がない。
昼少し過ぎ、遅めのランチを摂りに外出。このところ、ランチは大学のカフェテリアで食べることが殆どだったので、今日は久しぶりにハーバードスクエア界隈に出ることにした。向かった先はBrattle street沿いのCafe of India。ビュッフェ形式で、色々なカレーを楽しむことができる。満足。
帰り道、Bob Slateという文房具専門店に立ち寄り、実験ノートとクリアファイルを購入。こちらに来て、プリントなどを気軽に保存できるようなクリアファイルを探していたのだが、日本で探していたようなのが見当たらなくて困っていた。ようやく手に入れることができて満足。背表紙のところにITOYAとある。おそらく、日本からの輸入品なのだろう。
お茶が飲みたくなり、以前から気になっていたTado teaへ。お店に入ると、入口付近に色々な茶葉が置いてある。日本の煎茶もあるらしいので、これを注文してみた。
メニューにはIced TeaとBubble Teaの2種類がある。アイスでも良いかと思ったのだが、Bubble teaというのが気になり、良く分からないまま注文。出てきた商品を見て驚いた。煎茶には牛乳が入っていて、全体的に白っぽい。煎茶に牛乳は果たしてどうなのかと思ったが、考えてみれば抹茶ミルクは良く見かけるので、似たようなものだ。
驚いたのは牛乳の件ではなくて、下に茶色い粒が沢山沈んでいたこと。そういえば、台湾などで、ゼリー状の粒が沢山入った飲み物が流行しているというのを、以前ニュースで見たことがあった。どうやらbubbleとは、この粒のことだったらしい。
帰る際、お店の入口付近にSさんが外国人と二人でお茶を飲んでいるのを発見。軽く挨拶する。
・ 日本の元ラボの留学生が筆頭著者となっている論文が受理され、そのゲラが送られてきた。昼食後は、論文の校正。届いてから24時間以内に送り返さなくてはならない。いくつかミスを見つけ、元ボスにメール。
・ 夕方、共同研究者にメールを書こうかなと思っていると、ドアがノックされた。ラボのメンバーなら、すぐにドアを開けそうなものだが、中から”Hi! “と言っても、ドアを開ける気配が無い。ドアを開けてみると、立っていたのは2月にボストンを去り、日本の某製薬会社の研究所に戻られたTさんだった。サンディエゴでがん学会があり、そのままボストンでのシンポジウムに参加しに来られたという。
思わず、「今日、忙しいですか? もし予定が無ければ、飯でも食いに行きませんか?」と僕。本日二度目だが、ハーバードスクエアへ。
この1週間で、ボストンはめっきり春らしくなった。朝晩は寒い時もあるが、日中はコートは不要。今日は日が暮れてきても、まだ暑いくらい。
ハーバードヤードの一角から、大音量で何か言っている声が聞こえる。てっきり、このところ頻繁に駅周辺で見かけた、チベットへの中国政府の対応に関するデモかと思ったが、そうではなくて大学生のためのお祭りらしい。図書館の前には大勢の学生が群がっていた。IDカードにcollegeと書かれていないと、中に入ることはできない。ちょっと覘いて見たい気もしたが、残念。
駅周辺でタイ料理の店に行こうと2軒ほど覘いたが、いずれも満席。何故?
そこで、John Harvard’s Brew Houseへ。ここは「地球の歩き方」などでも取り上げられていて、観光客も良く訪れるバー。僕は一度しか行ったことがない。お店独自で作っている各種ビールがウリ。ブルーチーズの載ったハンバーガーを注文し、ハンバーガーをかじりながら話をする。
ちょうど今日はボストンレッドソックスの試合がフェンウェイパークで開かれていて、先発は松坂だった。
「ボロ負けしたら、生きて帰れないかもしれないですね。その場合はこっそり抜け出しましょう」と僕。それにしても、偶然とはいえ、バーの大画面のテレビでレッドソックス観戦をしながらビールを飲むことができて、かなり幸せな気分になる。Tさんも同じ気持ちだったのか、
「いやあ、やっぱりアメリカはいいですよ」と、何度も繰り返していた。
Tさんはダウンタウンのホテルに宿を取ったらしいので、ハーバードスクエアの駅でお別れする。本当に偶然の再会だったけれど、色々話ができて楽しかった。
* 「花」さんのも「雄」くんのも、 春……。
2008 4・19 79
☆ 今日もボストン 2008年04月19日14:38 雄
・ 午前中、マウスの手術。少し前から、論文の追加実験のために1ヶ月限定でジェイがラボに戻ってきているのだが、彼女の実験には普段僕が使っているセットアップが必要ということで、交替で実験している。
というか、そうなるのならば、あらかじめ教えておいて欲しかった。僕が実験しようと思うと、彼女が既に使っていたりする。
昨日、相談して、午前中から昼すぎまでは僕が使うこととなった。期間限定なのだから、仕方がない。
昼少し過ぎ、遅めのランチを摂りに外出。このところ、ランチは大学のカフェテリアで食べることが殆どだったので、今日は久しぶりにハーバードスクエア界隈に出ることにした。向かった先はBrattle street沿いのCafe of India。ビュッフェ形式で、色々なカレーを楽しむことができる。満足。
帰り道、Bob Slateという文房具専門店に立ち寄り、実験ノートとクリアファイルを購入。こちらに来て、プリントなどを気軽に保存できるようなクリアファイルを探していたのだが、日本で探していたようなのが見当たらなくて困っていた。ようやく手に入れることができて満足。背表紙のところにITOYAとある。おそらく、日本からの輸入品なのだろう。
お茶が飲みたくなり、以前から気になっていたTado teaへ。お店に入ると、入口付近に色々な茶葉が置いてある。日本の煎茶もあるらしいので、これを注文してみた。
メニューにはIced TeaとBubble Teaの2種類がある。アイスでも良いかと思ったのだが、Bubble teaというのが気になり、良く分からないまま注文。出てきた商品を見て驚いた。煎茶には牛乳が入っていて、全体的に白っぽい。煎茶に牛乳は果たしてどうなのかと思ったが、考えてみれば抹茶ミルクは良く見かけるので、似たようなものだ。
驚いたのは牛乳の件ではなくて、下に茶色い粒が沢山沈んでいたこと。そういえば、台湾などで、ゼリー状の粒が沢山入った飲み物が流行しているというのを、以前ニュースで見たことがあった。どうやらbubbleとは、この粒のことだったらしい。
帰る際、お店の入口付近にSさんが外国人と二人でお茶を飲んでいるのを発見。軽く挨拶する。
・ 日本の元ラボの留学生が筆頭著者となっている論文が受理され、そのゲラが送られてきた。昼食後は、論文の校正。届いてから24時間以内に送り返さなくてはならない。いくつかミスを見つけ、元ボスにメール。
・ 夕方、共同研究者にメールを書こうかなと思っていると、ドアがノックされた。ラボのメンバーなら、すぐにドアを開けそうなものだが、中から”Hi! “と言っても、ドアを開ける気配が無い。ドアを開けてみると、立っていたのは2月にボストンを去り、日本の某製薬会社の研究所に戻られたTさんだった。サンディエゴでがん学会があり、そのままボストンでのシンポジウムに参加しに来られたという。
思わず、「今日、忙しいですか? もし予定が無ければ、飯でも食いに行きませんか?」と僕。本日二度目だが、ハーバードスクエアへ。
この1週間で、ボストンはめっきり春らしくなった。朝晩は寒い時もあるが、日中はコートは不要。今日は日が暮れてきても、まだ暑いくらい。
ハーバードヤードの一角から、大音量で何か言っている声が聞こえる。てっきり、このところ頻繁に駅周辺で見かけた、チベットへの中国政府の対応に関するデモかと思ったが、そうではなくて大学生のためのお祭りらしい。図書館の前には大勢の学生が群がっていた。IDカードにcollegeと書かれていないと、中に入ることはできない。ちょっと覘いて見たい気もしたが、残念。
駅周辺でタイ料理の店に行こうと2軒ほど覘いたが、いずれも満席。何故?
そこで、John Harvard’s Brew Houseへ。ここは「地球の歩き方」などでも取り上げられていて、観光客も良く訪れるバー。僕は一度しか行ったことがない。お店独自で作っている各種ビールがウリ。ブルーチーズの載ったハンバーガーを注文し、ハンバーガーをかじりながら話をする。
ちょうど今日はボストンレッドソックスの試合がフェンウェイパークで開かれていて、先発は松坂だった。
「ボロ負けしたら、生きて帰れないかもしれないですね。その場合はこっそり抜け出しましょう」と僕。それにしても、偶然とはいえ、バーの大画面のテレビでレッドソックス観戦をしながらビールを飲むことができて、かなり幸せな気分になる。Tさんも同じ気持ちだったのか、
「いやあ、やっぱりアメリカはいいですよ」と、何度も繰り返していた。
Tさんはダウンタウンのホテルに宿を取ったらしいので、ハーバードスクエアの駅でお別れする。本当に偶然の再会だったけれど、色々話ができて楽しかった。
* 「花」さんのも「雄」くんのも、 春……。
☆ ご著書拝受 東大教授
秦恒平様 ご無沙汰しております。
このたびは「湖の本」をどうも有り難うございました。下戸のわたくしには羨ましいことばかりで……(笑)。
それにしましても、一時お体を悪くされたような噂を聞きましたが、お元気なご様子で、安堵いたしております。
一言御礼のみにて。 拝
☆ 秦さんへ こんばんわ 笠 chiba e-OLD
ごぶさたしております。秦さんのページは拝見しているので、こちらはさほどにも思わずに過ぎてしまいます。相変わらずのお元気振りによろこんでおります。
湖の本 エッセイ43 『酒が好き・花が好き』うれしく拝掌しました。酒飲みがうらやましいです。
さえない話ですが「八手」の思い出: セルロイドの下敷きの角にキリで穴をあけ、八手の実を一つとってその茎? を穴に通してひっばると、丸い頭がとれて遠くへ飛んで行きます。国民学校の頃授業中にそれをやったら、先生にひっぱたかれて廊下に立たされたのを思い出しました。
今日は、ほんのお礼? に作品? をひとつご覧ください。「瑛」さんのおかげで出来たものです。
http: //www.cc.rim.or.jp/%7Ekatsuta/a/a.html
ほんとにいい季節になりましたね。たのしみですね。
なるべく元気に暮らしましょう。勝田拝
* 「笠」さんの「アイヌの舟」と題した動画が、すてき。心より感謝。
2008 4・19 79
☆ 初物 2008年04月19日22:28 昴
昨日、カテーテル検査をしてきました。
生まれてからずっと続いている病気のカテーテル。
初めて心エコーをとった時は心臓が動いていると感動したのですが、カテーテルは、なにがどうなっているのか、さっぱり分かりせんでした。像影剤が入って、やっと心臓動いているのがわかりました。頑張って動いていましたね。心臓。
でも、結果はあまり良くなかったようです。
学生時代に、お金の無駄と思って病院に行っていなかったがいけなかったなぁ。
ちゃんと行ってなくてお医者さん、ごめんなさい。
* 昴のために、心より願う、平安を。奨めたい、「笠」さんの「アイヌの舟」をごらんなさい。
2008 4・19 79
☆ 舟 珠です。湖へ。
今しがた「私語」を読ませて頂いていました。
「笠」さんの作品ご案内をクリックしたところ、ゆっくり現れた舟に。
画面は静かに流れゆく川となって、ぼーっと行く舟を眺めていました。
あぁ舟がその小山の影にいってしまうぅ、、と見送ると、また次の舟もゆるゆるやってくるではないですか。胸熱く見入っていたら、落涙してました。
PC画面だってこと、忘れてました。
こんなこと、、、出来るの、ですね。
驚いて、そして自分の反応にも吃驚して、思わず書棚に向かい、久々、熊谷守一の本・画集を手にしてきました。
何とも温かくなっています。どう言葉にしてよいのかわかりませんが、とにかく、湖に、「笠」さんに、この作品に、ありがとうございました。
2008 4・20 79
* で、暁けの五時半に、目が覚め、起きてきた。
「笠」さんの「アイヌの舟」にはやくも魅された人のメールが入っていたのを、今しがた今日の「私語」はじめに書き入れた。
2008 4・20 79
☆ 今年も筍を頂きました 2008年04月20日10:44 巌
昨日19日は父の月命日 母の祥月命日で姉夫婦が墓参に来てくれました
花を持って貰ったり用意をしている所に 父の従弟が来られて 今年もまた 朝から掘りに行ってきたという筍を頂きました
一年前の日記にも書いたように 父は筍が好きで この時分の孟宗竹やもう少し後になる頃は真竹の筍を 春の後半は楽しみにしていました
姉が筍食べてから帰りたい というので 仕事の合間に あく抜きをして冷ました後 せっかくなので柔らかいところだけを贅沢に使って若竹煮をこしらえ 適当な焼き物を添えて 墓参から戻ってきた姉夫婦と しばし小宴会
今日は中くらいの硬さの部分で何か作って 明日は筍の残った部分と挽肉とでカレーにしよう
これもまた贅沢
* わたしも、筍が大好き。それゆえにも、佳い季節。
☆ 植物性のクリームが苦手 2008年04月20 日08:00 馨
小さい時から、植物性のクリームが苦手でした。
当時は市販のデコレーションケーキでも生クリームよりバターケーキのほうが多かった時代。
いわゆるスポンジケーキ類の上にもショートニングベースのきれいな色のクリームがほどこされていたのですが、クリームだけ手こずりながら食べていた記憶があります。
加えて父が化学系だったために、マーガリン・ショートニングについては「水添した植物油脂のトランス脂肪酸についてはまだ正確なことがわかっていないから」と、家庭内では使用禁止でした。
長じて現在、植物性のクリームが使われていたらかなりの確率でわかる気がします。
頂きもののおみやげやコンビニのお菓子でその手のクリームが使われていても別に素通りできるのですが(不思議なほど全然気にならないし。というか、割とおいしいと思うし)、「おいしいのよ」と薦められて自腹を切って買ったお菓子に植物性のクリームが入っていた時の衝撃はかなりなものに…。
最近のショックは、奈良の**堂という有名な葛のお店のロールケーキ。小麦粉を使っていなくて、葛粉だけで作ったロールケーキがとてもおいしい、といろんな人から教えてもらっていて、何ヶ月も期待を高めていき、先日わくわくしながら一口食べた瞬間のあの衝撃!!
もうなんというか、その場で崩れ落ちそうでした。
きちんとした生クリームに増量材として植物性生クリームを混ぜた、というレベルでなく、絶対に正真正銘の植物性100%生クリーム!!
食べ終わってからこっそり原料を確認したら、原料には堂々と「ホイップクリーム」とありました。これ、植物性生クリームの、それも既に泡立てた製菓材料ですよね。
葛粉はとてもとてもおいしいお店なのに、洋物はやっぱり苦手なのかなぁ。
こういうときはショックがおさまらずネットでブログ等を延々と検索してしまうのですが、この有名な「くずの子ロール」について、植物性クリームである残念さに言及しているのは、ほんの2、3人でした。
あとは皆様礼賛記事ばかり。
きっと私の味覚って、ほとんど共感を得られないんだろうな。さみしい…。
*
もう一つ、植物性クリームといえば、鎌倉市内にある某ケーキ屋さん。
本格的にバターを使ったバタークリームのロールケーキがおいしい、という評判なのですが、小さい時からケーキのバタークリームもどきを食べ終えるのに難渋してきた私には記憶のある味…。
でも、こちらのほうはいくら検索をかけても、植物性油脂関連の記事はなく、ブログでは絶賛記事ばかり。
一度しか食べたことないし、自分の味覚がおかしいのかなぁ、と自信がなくなってきて、探究心に打ち勝てず(?)先日久しぶりに購入しました。
自分で買ったものだからと、堂々と原材料を確認したところ、ありました!「植物油脂」の四文字!! 思わず飛び跳ねてダンナさんに、
「やっぱりそうだった!! 合ってた!合ってた!」と、報告。
お店の名誉のために付け加えると、もちろん、バターも使ってありました。
せっかく買ったものだし、と食べている最中には、クリームのみならず、一緒に巻いてあるシュー皮もバターではなくショートニングで作ったものだろう、という新たな発見も。(たぶん、ですけどね)。そうですよね、昨今のバター不足の中、そうでなければ、あの値段では売ることはできないだろうなぁ、と思いますもの。
実は鎌倉にはもう一軒、評判と私の感覚とが完全にずれているお店があるのですが、近いうちに確認したいなぁ。
でも、どのお店もきちんとしているなと思うのは、そういう材料をちゃんと明記してくれていること。偽装事件の影響もあるのかもしれませんが、そういう律儀さは、ホントにえらいな、と思います。
でもその律儀さのついでに、バターや生クリームを使ってくれると、もっと嬉しいんだけどな。
* 文化的な民度・感度がこまやかに深まっているとも、生活感覚の格差があるところでは豊かに落ち着き、あるところでは余裕なく落ち込んでいるとも見えている。
2008 4・20 79
☆ 法律って何? 2008年04月20日10:04 ボストン 雄
・ 久しぶりに家で日本の情報番組を見る。
このところネットニュースで気になっていたのが、日本のイラク派兵が違憲であったとする名古屋高裁の判決に対する反応。
中山成彬・元文科大臣が「最後っ屁」と言ったという。その後の釈明でも、「分かりやすく言っただけ」「裁判官の趣味で、こんな判決を出されるのは困る」と述べたという。その他にも、自衛隊の幹部だったか、「そんなの関係ねえ」と小島よしおのギャグを使って反論したとか。
これは「三権分立」を無視した暴論ではないか。
まあ、中山氏は「南京大虐殺は無かった」などと口にするような人であり、取り上げるに値しない人物なのかもしれないが、それでもちょっとひどすぎやしないか。
裁判には原告、被告を取り巻く様々な人々が議論を尽くし、その上で裁判官が判断を下すもの。その判決は重く受け取らねばならないはず。それを「屁」とは何事だろう。自衛隊の幹部の発言にしても、判決を無視して兵隊を戦闘地に送り込むという趣旨であり、大げさに言えば「軍部の暴走」だと思う。
政府、政治家、自衛隊も、もう少し判決の重みを厳粛に受け止めて欲しい。
・ もっとも、「趣味を判決に反映させる」ということが、全く行なわれないわけではないかもしれない。
22日に山口県光市での母子殺害事件の判決が下される。この事件で、弁護側は1,2審で認めていた殺害や強姦の事実を否定し、苦し紛れの弁解をしている。差し戻し控訴審で弁護を担当しているのは、いずれも死刑廃止論者の弁護士ばかり。
死刑を廃止したいという人々の意見を否定するつもりはない。しかし、そのために、起こった事実までを曲げて証言させるというのは、間違っていないか?
この裁判で終始感じるのは、この裁判の原告として闘っている本村氏の態度。僕より4歳も若いのに、本当に立派だなあと思う。何者にも屈しないという態度。しかし、決して冷静さを失わず、感情に走るのでなく、あくまでも論理的に主張を展開している。
正直言って、この判決がどうなるのか、僕には分からない。今までの判例からすると、無期懲役も充分に有り得るとも聞く。しかし、単に過去の判例のみにすがって、多くの人が「おかしい」と思う判決を下すのが、裁判所の役割とは思えない。法律・判例は大事だろうが、それが人々の常識からかけ離れてしまうとしたら、それはそれで問題だろうとも思う。
・ ニュースを見ていて、改めて腹立たしいのは「後期高齢者保険制度」の話。まさに「老人は死ね」ということだろう。この制度は2年も前に国会で採択されていながら、今まで殆ど耳にしなかった。2年前ということは、これも小泉政治の残した禍根の一つ。
ここ最近、日本のニュースを見るのが辛い。これらを見ていると、日本はどんどん魅力的な国でなくなりつつある。このままではいけない。何とかしないと、日本はさらに悪くなるかもしれない。お前は海外にいるくせに、偉そうなことを言うなといわれるかもしれないが、国外にいればこそ、日本のことを考えずにはいられない。
* 適確な指摘であり批判であると思う。
問題は、そこから、どう、こういう指摘や批判が「動的に」輿論化するか、運動体化するか。そういうことにこそ、インターネットでの連帯が盛り上がるといいのにと願う。
2008 4・20 79
* 「TAKE 1」が、息子の主宰している演劇塾だとは分かる。「美元」は分からなかった。なんとかヘアカラー化粧品の名前かなと思ったのは、ちがうらしい。いろんな世間があるものだ。
建日子。ときどき「笠」さんの「舟」にいっしょに乗ってご覧。そのあいだ、静かに呼吸…。妙薬です。
☆ 「舟」喜んでいただけて何よりです。 笠 e-OLD千葉
(舞台裏はけっこう苦労しました)
わたくしは、いつもホームページの「桜の中の秦さん」を見ています。‥池袋の改札口・鶯谷駅前の蕎麦や・浅草の米久・行きそこなった吉原近辺等々も‥ いっぱい行きましたね。
連休でも、何処でも、出かけて行きます。だいじょうぶです(と思います)。
2008 4・21 79
☆ 炭の声 2008年04月21日00:35 maokat
炭がはぜるという経験を、さて、近頃の人はしたことがないのではないだろうか。
そうすると、炭を洗うという陰の仕事も、全く知らないのだと思う。
ところで、
昔の人は、炭が炉の中ではぜてパチパチいうと、
炉の真上から大声で「山で言うた事忘れたか!」と怒鳴ったそうです。
そうすると、はぜなくなったそうです。
*
山で言った事って、何だろう。
ご存じの方、おられますか?
* ハテ。 うろ覚え、ありそうな…。
☆ hatakさん maokat
御本昨日到着しました。御礼申し上げます。
こちらでもようやく花が咲き始めました。白いこぶし、エゾムラサキツツジは紫、レンギョウの黄、木の元にも黄色いスイセン、一斉に咲き始めています。
酒はといえば、クリーンベンチの中で、70%の濃いやつを、吸うぐらいです。
忙中閑といかず、ゆっくり花を愛でる余裕なく、遠くで季節が動いてゆくような感覚です。そのうち、そのうち、と思いながら。。。
2008 4・21 79
☆ 岐阜で友達の演奏を聴く 松
週末の土曜日、岐阜に演奏会を聴きに行った。演奏するのは名古屋在住時代に知り合ったアマチュアのピアニスト達である。うまい人達ばかりで、いつも名曲、難曲に挑戦している。
今回のプログラムも、バッハ=ブゾーニの『シャコンヌ』や、ショパンの『幻想曲』、『舟歌』、『幻想ポロネーズ』、チャイコフスキーのピアノトリオなどの難曲が並ぶ。メラルティンという珍しい北欧の作曲家の作品を弾いた人もいた。
出演者は演奏会やコンクールの経験豊かな人達。技術的にうまいだけでなく、音楽を通して何かを伝えたいという人ばかりである。
演奏会が終わって楽しく打ち上げ、場所を変えながら3次会まで。音楽の話は広く、深くいつまでも尽きることがない。この会で1年に1度しか会わない人も多く、近況を聞いて驚くことも多い。自分自身も新しい仕事や町の話をする。
こういった演奏会に行くと、自分ももっとピアノに時間をかけていい演奏をしたいと思うが、いろいろとやりたいことも多く、うまくいかない。
また最近音楽に対しての情熱が少なくなってきたような気がする。昔は心の底から弾いてみたい曲がたくさんあったのだが、最近そういう思いをあまり抱かなくなってしまった。心境の変化だろうか。
* 人、それぞれの夢をみている。「松」くんの心境の推移、注目。
メールも、いろいろ来る。
☆ 連係プレー 2008年04月21日09:19 馨
娘がエプロンと三角巾を作ってほしいというので、土曜日に生地などの材料を買ってきました。
へたに出しておくとチビ怪獣がどこに持っていくかわからないので、翌日に縫い始めるまでは、と鞄の中に入れておいたのですが、待ちきれない娘は、翌朝からそわそわと生地を出して眺めたり。
「人の鞄を勝手に開けない!」と、口だけで叱って片付け物をしていたのですが、片付け物が終わってようやく作り始めようとすると、生地がない…。
娘を本格的に叱りながら、家中探したのですが、娘が「置いておいた」という二階の廊下にはなく、娘の歩いたあとにも全然見つからず、おもちゃ箱をひっくり返したり、息子が持っていきそうなところを探したり。
あまりにも見つからないので、手持ち無沙汰にクローゼットを開けてみると、なんと天袋の上に見覚えのある緑色の袋が…。
妊婦の私も子ども達も、絶対に置けない場所。
容疑は一気に、そこにあった五月人形を出してくれている主人にかかりました。
探し物疲れで思わず言葉強く、
「どうしてあんなところに入れるのっ!」と問うても
「クローゼットから出しておいた荷物の上にあったから、これもクローゼットの中にあったかなぁ、と思って」と、淡々と答える主人。
まだまだ気のおさまらない私は娘に、
「あなた、廊下に置いたって言ったじゃない!」
「廊下だよ、廊下にしか置いてないよー」半泣きの娘。
・・・ということは・・・?
そこにちょろちょろしているチビ怪獣が仲介したという展開?
鞄の中→(by 娘)→廊下→(by 息子)→荷物の上→(by 主人)→天袋
わずか数分の間のあまりにも見事な連係プレー。
さすがO型三人。大ざっぱな性格そろい踏み。
待ちきれず鞄から生地を持ち出すO型。
どこにでも物を持っていくO型。
自分が出した自覚もないのに適当に片付けるO型。
私もあまりA型には見てもらえないかなりいい加減な性格ですが、この三人には勝てません。
そもそも鞄を勝手に開けてはいけない! と娘を叱りつつも、見事な連係に思わず吹き出してしまい迫力無くなった母でした。
* こよない、わたしの「一服」です。
2008 4・21 79
* よく晴れて。息抜きに、日盛りの下を歩いてみたくなる。
☆ 秦先生 「湖の本」拝受。 英 新聞記者
ありがとうございます。
日曜のきのうも仕事、きょうもくたくたになって先ほど帰ってきましたが、いただいた本を手にすると、うれしくて、かなり元気がでました。
「酒が好き・花が好き」の「酒」の字につられて、さっそく、表紙をめくった次第…。
「ちろり」といえば、
すぐに思い浮かんだのが林芙美子の絶筆になった「めし」の中に出てくる、
「錫のチロリ」。
なぜ、
そんなことを思い出したかといいますと、このちろりの出てくる場面が、道頓堀の「くいだおれ」の店内なのです。
東京でも報道されているかどうか、60年の歴史を持ち、紅白の衣装をつけた人形で知られる、この「くいだおれ」が7月8日に閉店するというので、
関西ではけっこうな話題になっているのです。
下世話なことですみません。
なにか、
このようなことを書いていたら、肩の凝りも少しましになったような気もします。
いい香りがしそうな先生の本を脇に置いて、ほんわかとした心持ちでパソコンに向かっているためかもしれません。
まずは取り急ぎ、御礼まで。
* 妻と、道頓堀松竹座へ、まえの鴈治郎を観に出かけた日に「くいだおれ」に入ったように思う。阪神が優勝すると此処からフアンが堀に跳び込むという橋もそのとき見たか。それから御堂筋を歩いたか、と、うろ覚えなほどわたしは大阪をあまり知らないが、あの日の道頓堀の印象はのこっていて、「くいだおれ」が無くなるらしいと言う報道にもかるく目をむいた。
☆ 長距離出勤 2008年04月21日23:06 悠
週末,実家で療養中の息子のもとにいきました.
土曜日,午後から研究会があったため,夕方の新幹線+特急を乗り継いで向かいました.
実家に着いたころには息子はぐっすりお休み中.私もほど無く横で寝ることに.
夜中,ぐずぐずと暗闇で起きだした時,”はっ”と私が居ることにに気付いて,すごい勢いでハイハイで向かってきてくれました.で,真夜中の授乳タイム.息子の半分眠りながらも一生懸命飲んでくれる顔をみてうれしくなりました.
日曜夕方には戻る予定で居たのでたっぷり,べったりすごしていました.
夕方,帰り支度をしていると,TVのニュース速報で乗る予定の電車が人身事故で不通! なんと.ひとまず,予定通り駅に向かったところ,開通まで時間が掛かりそうだったので月曜朝の電車に変更.
思わず息子と一緒にすごす時間が増えました.
というわけで本日,(北陸から東京本郷まで)長距離通勤.
意外と快適でした.論文をじっくり読んだり,予定を立てたり,そして一眠り.
息子の体調は少し咳と鼻水が残っているけどすこぶる機嫌がよくて,つかまり立ちが素早くなっていました.あと,ご飯を食べた後,手を合わせて”ごちそうさま”が出来るようになっていました.
もう一息.
がんばって治そうね.また来週行きます.
* 優しい、いいお母さん。うれしくなる。
☆ きよ水の里 郡上八幡 2008年04月22日00:14 松
岐阜での演奏会の翌日、ホテルで目を覚ます。外は雲ひとつ無い晴天、雪を抱いた山が遠くに見える。朝食をコンビニで買い、JR高山線に乗る。途中の美濃太田で長良川鉄道に乗り換える。この路線は長良川を渡りながら上流へと登っていくローカル線で、車窓からの眺めは飽きることがない。長良川の清流は時に滔々と流れ、時に激流となり瀬を成す。山に目を移せば、山桜がところどころ白い斑点となっている。のんびりとして春だな、と思う。
まだ景色を見ていたいと思う頃、古い城下町の郡上八幡に着く。駅前で春祭りをやっていた。お囃子が笛を吹き、獅子舞が踊り楽しそうだ。ゆっくりと街の中心部へと歩いていくと『やなか水のこみち』という石畳の道が水路の脇に伸びている。おいしい水が引いてあり、旅人が喉をうるおすことができるように、カップが置いてある。石畳の道に木が立ち、涼しげだ。水路を過ぎ、裏道を抜けると日吉神社があり、満開の枝垂れ桜を見ることができた。しばし写真をゆっくりと撮る。
神社から少し歩くと乙姫川に出る、上流に滝があるとのことなので、草生した林道を歩く。しばらく歩くと二条の滝が見えた。片側は勢い良く落ち込んでおり、もう一つは岩の上から流れ落ちている。滝の落ち口には祠があり、水神を祭っていた。飯尾宗祇も汲んでお茶にしたというおいしい水を口に含む。冷たく甘い水だった。
昼時になったので、宮ヶ瀬橋脇の『そばの平甚』へ行き、もちもちざる蕎麦と、朴葉寿司を食べる。弾力があり非常においしいお蕎麦だった。満腹になり、店を出る。
少し離れた場所にある『いがわこみち』という水路沿いの道を歩く。ここは共同の洗い場となっている場所で、使っている人の名前がずらっと書いてあり、傍らには炊事道具が置かれている。水を大事にしている町らしい。
『あじさいの道』と書かれた道を登りお城に登る。ここは人柱になった人の話や、重い石垣を運んで息絶えた人の碑があり、かなり悲劇的なお城である。展望は良く、街と長良川が一望できる。石垣と新緑のもみじがとてもきれいだ。中腹にある岸剱神社の脇に満開の枝垂れ桜を見つけ、しばし写真撮影に時間をかける。一人だとこういうときは気楽だ
下山するとまた水飲み場があり、乾いた喉を潤す。町の中心部へ歩いて行くと、『積翠』というお酒を作っている店があった。以前も買ったことがあり、濃い目のおいしいお酒だと覚えていたので、さっそく四号瓶を二本買うことにする。
吉田川を渡り、慈恩禅寺荎草園に行く。ここは背景に岩山と滝があり、大きな池と庭がある素晴らしい庭園である。ちょうど紅白の石楠花が咲いていた。自分の他に誰もおらず、水琴窟のかすかな響きを楽しむ。(撮影禁止のため残念ながら写真はありません)
ゆっくりと歩きながら駅に向かうと、祭りの御輿や山車に出会う。名残惜しいが列車の数が少ないので先を急ぐことにする。旅の余韻に浸りながら、先日届いた本を読む。酒飲みの話など思わず笑ってしまいながら読む。本を読んでいるとうつらうつらしてきて、気持ちよく寝てしまった。
* てきぱき書いている。「松」くんの可塑的な才能がうかがえ、うれしくなる。
☆ クレジット・カード 2008年04月22日01:09 光
私は、現ナマ主義である。
しかし学生時代、初めて海外旅行に行く際に、カードを持っていた方がいいよと勧められ、○○○○VISAカードを作った。
結局、海外では使ったものの日本に戻ってきてからは、財布に入れたままであった。
当時は年会費無料などというカードはなく(知らず)、持っているだけで年会費がかかるので、カードに対してますます良い印象を持たなかった。
ただし、いざ、と言うときにはきっと助けてくれるお守りみたいなものなのだという、心の中に何となく淡い気持ちもあった、ことは否定できないが。
* * *
学生時代は、これまでの生活の中では極貧であった。
極貧レベルでは、いや、私の方が極貧度は高い、という人はもちろんたくさんいた。
まぁ、少なくとも、私の人生の中では当時は極貧であった。育英会奨学金の銀行への振込が、唯一の収入源であった。
奨学金の振込日まであと一週間。そんなときには、たいてい、パスタに丸○屋の「のりたま(or ごま塩)」を振りかけて食べていた。
しかし、金曜日にはすでに財布の中は\100以下。なんとか、来週の月曜日まで食いつながなくては。 銀行にちょっとくらい残ってなかったかなぁ。
数百円くらいあったような気が・・・。期待せずに通帳を見ると、なんと全財産¥1500も!
なんと、なんと。予想外は嬉しいものである。
さっそく、通帳を持ってATMへ。えぇい、全額おろしちゃおうっと。
ピッ、ピッ、ピッ、と。通帳入れてっと。
あれ、残金がたりない? おかしいな。
もう一度、やり直してくださいと、出てきた通帳を見て愕然とした。
○○○○クレジット年会費 ¥1312 残金 \188
* * *
予想外は衝撃も大きいものである。
あのとき、全財産が\1300だったら、引き落とせずに翌月に延期されたはずだ。○○○○のやつ、気を利かして残高確認してから引きおとしてくれたって・・・。
信じていた淡い気持ちは、霞の如く消えてなくなった。
この事件以来、ますますカード不信に陥った。
* 笑っちゃいけないが。いつも教室でみていた飄々としていた「光」くんの顔が思い出せて、うれしくなる。
☆ 学位審査会 2008年04月22日07:35 ハーバード 雄
・ 昨日までの陽気と比べると、今日は少し肌寒い。やはりボストンの気候を侮ってはいけない。セーターとコートを着てラボへと向かう。
途中、いつも通っている道に、桜のような花が咲いている木々を見つける。良く見てみると、樹の幹のあたりも桜に非常に良く似ている。まだつぼみがほころび始めたばかりなので断言できないが、もしかすると本当に桜かもしれない。ボストンで桜が見られるとは嬉しい。
今日、マサチューセッツ州はPatriots’ dayで祝日。そしてこの日はボストンマラソンの日でもある。そのせいか、ラボは若干閑散とした印象を受ける。
しかし、基本的にハーバード大学は、この日は休みではない。カフェテリアも通常営業しているし、セミナーなども普通に行われる。
そして今日は、うちのラボの中国人大学院生ジュ・リュウの学位審査会の日でもある。彼の審査会はメディカルエリアで開かれ、ボスと何人かのラボメンバーはメディカルエリアまで行ったようだった。本当は僕も行ってみたかったのだが、ケンブリッジキャンパスとメディカルエリアはバスで40分近くかかる。おまけに、今日はボストンマラソンで通行止めの場所も多いので、普段以上に時間がかかる。ジュには申しわけないが、僕は行かなかった。
・ 代わりに、同じ時間帯に開かれたbrownbag seminarに出席。演者はChildren’s hospitalのChinfei Chen。2003年のノーベル化学賞を受賞したロデリック・マッキノンの研究室でiイオンチャネルの研究で学位を獲り、その後Harvard medical schoolに移ってからは視床のシナプスの発達に伴う変化について研究している。
目から入った情報は、視床(ししょう)と呼ばれる脳の部分を通して、大脳新皮質へと伝えられる。生まれたばかりのマウスでは、網膜から複数の神経細胞がひとつの視床神経細胞にシナプスを作る。しかし、発達が進むにつれ、余分なシナプスは無くなり、1対1の投射となる。
生まれてからずっと暗いところで育てられたマウスでも、正常のマウスと同じように、この「余分なシナプスの除去」が起こる。ところが、生後20日位までは明るい状態で育て、それ以降暗い環境で育ったマウスでは、シナプスの除去が起きない。このように、生後発達の間に余分なシナプスが刈り取られるのに特に重要な時期があることが知られていて、「臨界期」と呼ばれている。
今日の話は、どのようにして視床のシナプスで臨界期が生じるのか、について。具体的には2006年に彼女らがNeuron誌に掲載した論文(Hooks,B,M and Chen C. (2006) Neuron 52:281-91)の内容がメインだった。
・ セミナーの後、サラダで簡単な昼食を済ませてから、実験を再開。週末に充分な休息を取ったせいか、仕事が捗る。午前中にも一仕事を終え、午後も順調に仕事をこなすことができた。
実験を終え、ちょうど実験室から出てきたところで、ジュ・リュウとボス、JCが立ち話をしていた。審査会から戻ってきたばかりらしい。ジュ・リュウは濃紺のスーツを着、ネクタイをつけている。
まず問題なかっただろうが、決めつけるわけにもいかないので、それとなく目で問いかけたところ、ボスが「ドクター・リュウ!」とおどけて言った。
「おめでとう!」と握手をし、肩を叩くと、ジュ・リュウは、ちょっと涙ぐみそうな顔をしていた。
自分が学位を獲った時のことを思い出した。他の人の学位審査を見ているだけだと、何も問題なく済むのが当たり前なような気になるが、自分自身の時にはそうではなかった。大学院生として研究している時、何度も「本当に自分は学位なんてもらえるのだろうか」と思った。学位審査を終え、本郷から白金台に戻って来た時、多くの人から「博士」と呼ばれた時、なんとも晴れ晴れしい気分になったのを憶えている。きっとジュ・リュウも、今、そんな気分なんだろう。
* おう! うれしくなる。
* 記者さんはわたしの後輩で。
つづく四人は東工大でわたしの教室にいた学生諸君の、十数年後。自分でダベっているよりも、こう聴いてこう読んでいる方がわたしは晴れやかにうれしくなる。何故って。
世界の、ひろがる心地がするから。
2008 4・22 79
☆ 死刑判決 ボストン 雄
昨夜、インターネットで日本のテレビを見ていた。山口県光市の母子殺害事件の死刑判決のニュースに、食い入るように見入っていた。
本村さんの会見も見た。いつもと変わることなく、正論を堂々と述べている姿に尊敬の念を抱いた。
本村さんもおっしゃっていたように、決して死刑になったからといって「ざまあみろ」とか、「仇を討って、せいせいした」などというものではないだろう。死刑とて、一人の人間の命を奪ったことに変わりはない。きっと、このことは本村さんの心に死ぬまで傷として残るに違いない。
弁護団は、「後から出てきた事実を全く認めないのは、著しく正義を欠いた判決だ」などと言っていたが、一体「ドラえもん」や「蝶結び」云々の言い訳に、どうして納得できるのだろう。一歩譲って、仮にそれらが被告が本当に自らの意思で述べたことだったとして、この弁護団が過去に最高裁での公判をすっぽかしたことを、私達は忘れてはいない。
テレビではコメンテーターとして弁護士らが盛んに、「永山基準」を持ち出しては、過去の判例に比べて重い処分であると発言していた。
しかし、そもそも「永山基準」とは何なのか? 確かに、最高裁が示した死刑の判断基準としては重要な指標かもしれない。しかし、逆にそれにとらわれて、なんでも杓子定規に処理するというのは、どうなのだろうかと思う。
朝日新聞の女性記者が、半ば挑発的に、「この判決で死刑のハードルを下げたことについて、どう考えるか」と発言していたのには、呆れた。
遺族の感情を全く考えられない人に、一体何を報道する資格があるのだろう。
本村さんもおっしゃっていたように、「過去の判決に囚われず、個々の事例に向き合って判決を下した」ということが今回の裁判では重要な点であったと思うし、それが実際に成されたということに、国民の一人として安堵した。
* 同感している。
* 数学を勉強していた優秀な学生が、大学院に推薦されているが、数学への進学は断念し、文学へ転進したいと相談にきたことがある。
わたしは賛成しなかった。
数学のもっている詩的本質、というとムチャクチャだと嗤う人がいるか知らないが、わたしは信じられる、に直面すればいいと。「文学・学」など自力でも学べるし、「文学・創作」にはまして大学院の必要はない。しかし数学の世界に分け入る能力があるなら、きみの文学志向に背くどころか、うまくすれば比類無いものを養うだろうと。
彼はのちに東大の博士課程に進んだ。表参道の蕎麦屋で、うまい酒を酌み合ったことがある。なんだか丸坊主だったような気がする。
2008 4・23 79
☆ 先生 すつかり、ご無沙汰してしまひました。
何やら「もののけ」にでも取り憑かれたよう、毎晩、金縛りに遭ふのがおそろしく、何やかやで、にっちもさっちもゆかなくなってをりました。
しばらく、友人が住職をしてゐるお寺と、うちとの間を行つたり来たりしてゐましたが、やつと、少し、落ちついて来たやうでございます。
お寺はたいへんな荒れ寺、本堂の床も傾いでゐるやうで、歩くと奇妙な浮遊感がいたします。
そこで、坐禅のまねごとをしたり、お経を読んだり、お掃除をしたり。
花を吹くかぜ中空に響みゐて坐禅堂に気の散つてゐる一人
五体投地する眼前に迫り来て禅堂の畳すなはち奈落
このドラマはフィクションですといふテロップ出して終らむ虚仮の一生
半年ぶりに、こんなうたができました。
少し、本も読めるようになりました。蕪村を読んでゐます。加藤郁乎の『江戸俳諧歳時記』なども。
「延若の二字のごとかれ」といふおことば、とてもとても、嬉しう存じます。 香
2008 4・24 79
* 参議院議長の江田五月さん、日共中央委学術文化員会、もと「群像」編集長で作家の大久保房男さん、東大教授上野千鶴子さん、代議士で俳優でペン理事の中村敦夫さん、染色・陶藝の三浦景生さん、ハードボイルド作家の中島信也さんら、大勢が新刊の「酒が好き、花が好き」に和んで一息をついて下さりながら、「あとがき」に入れた憲法感想にも満腔の共感と賛同を寄せて下さる。
この二年ほど、厳しい緊張と一歩もひかない姿勢を保ったまま「湖の本」を編み続け、みなさんにもある種の疲労を強いていた。支持と激励とはありがたいことに少しも絶えない退かない中で、今度のふたつの連載エッセイは、ひとも、われも、思い安らかにあれたということ。
緊迫も強迫もじつは引き続いている、が、わたしにできることは「今・此処」に一期一会をやすやすと生きることでしかない。
ありがたいことに、次の一冊も経費的にまた出版可能になった。
2008 4・25 79
☆ 鴉、お元気ですか。 鳶
聖火は長野へ搬送中、テレビのニュースを耳にして、それから・・ついつい一時間半ほどNHK.BS.HIでヨーヨー・マとシルクロード・アンサンブルに関する番組が再放送されているのに気づいて、今まで見ていました。
音楽は、わたしは楽器演奏ができないので、ああ、せめて何か一つでも楽器を奏でられたらと、これはもうため息だけ、思うだけ
で、ひたすら音楽は聴くに徹します。
音楽は直接人間の内部に迫ってきます、内部に音楽に呼応するものがあります。音楽に揺さぶられて身体も動きます。
先週末、「湖の本」が届きました。「酒は好き」は初めて読むもの、「花が好き」は雑誌を何度か手にして立ち読みしていました。いずれも古典と関連して趣き溢れるものばかり。書かれた時から十余年、その年月の分だけ鴉は枯れていますか?
花を選ぶ、その基準は何でしたか、必ずしもお好きでない花についても書かれているので、(例えば菫)ふっとお聞きしたいなと思いました。、
酒は好きなのに体質的には到底酒を飲めないわたしには、酒が好きで飲める人が羨ましい限り。一昨日久しぶりに街に出て友人と食事をしたのですが、彼女は酒に強い人で、夜は居酒屋になる、その店にある焼酎の銘柄を目ざとく吟味していました。その中に
「百年の孤独」というのがあり、ガルシア・マルケスを連想しました。
南米の作家にとても興味を引かれることがあります。ホームページの「薔薇は薔薇であり薔薇である」に引かれて、ボルヘスの「薔薇」という詩を送ります。
* *
ブエノスアイレスの熱情 ホルへ・ルイス・ボルヘス初期詩集成 p49より
薔薇
薔薇よ、
歌うわれを逃れる不滅の薔薇よ、
重さも香りも持つ薔薇よ、
夜更けの暗い園に咲く薔薇よ、
どこかの園に、いつかの黄昏に咲く薔薇よ、
吹けば飛ぶ灰のなかから
錬金術で蘇る薔薇よ、
ペルシア人やアリオストが歌った薔薇よ、
つねに変らず孤独な薔薇よ
薔薇のなかの薔薇でありつづける薔薇よ、
プラトンの説く老いを知らぬ薔薇よ、
歌うわれを逃れる、思慮もなく燃え上がる薔薇よ、
到達しえぬ薔薇よ。
バイアットの「抱擁」の本、まだ入手していません。今週末また本屋さんに行ってみます。想像通り、かなりの長編で、それを支えるには著者のさまざまな力量がなければ成り立ち得ない作品なのでしょう。そして読み、読み、読むと書かれた程の牽引力があるのでしょう。
ここ暫く機械が不調で、再インストールしたのですが、まだ問題がありそうです。このメールがスムーズに届くといいのですが。
連休が近づいています。庭の藤は早や花房を伸ばし咲き始めました。牡丹も山吹も咲いています。
良い季節を大いに楽しんでください。お身体くれぐれも大切になさってください。
* ボルヘスの詩は、原語で読めば独特の「隠喩」が音楽(うた)になって、切実に受け取れるだろう。日本語では、生きてこない。
あの連載で、花はおおかた自分で選んだが、ときどき編集室からの注文があった。よく覚えていない。
エッセイにもむろん文体ははたらく。話体の取り方で文体も動いてみてとれるが、音楽性はかわらない。
酒の方はぶっきらぼうに書いているし、花の方は穏和に語りかけている、が、雑誌という場のちがいを考慮した戦略差に過ぎない。酒には酒の香と酒好きの本音が出れば宜しく、花には、一種異性への情愛のような気味が働けばいいと思っていた。「酒」という雑誌と「サライ」という雑誌との付き合い方を生かしたかった。
2008 4・25 79
☆ 読むとは生きること 瑛 e-OLD川崎
送られてきた「湖」さんの本の題を読んで榊 莫山の筆と絵を連想した。
もしこの本を読む力量が中学か高校生のときにあり、形が違ってもそのような「場」があったら、僕は文系を志望していただろう。大学も伝統のある学校と駅弁大学ができたばかりの学問の府は、新しい時代に入ったばかりであった。
湖の本 エッセイ43『酒が好き・花が好き』。
「酒が好き したみ酒古典の味わい」の書き出しになんとも艶があり、酒を嗜むといった品格がさり気なく書かれている。露伴翁を思わせる。莫山が「莫山書話」の大和八景に吉野川清流の写真付きで書いている数行を思いだす。
「紙漉ク女(ヒト)は 裳裾ヲ濡ラシ 流レル水ヲ 神トイウ」。
本は、文章は、数文字でも、また一行でも連想へのヒントを与えてくれる。
竹西寛子著『言葉を恃む』の表紙の帯には、
「言葉によって生きることこそ自分の在り方を 知ること・・・」とある。
柳田邦男の著書の題名に『読むとは生きること』というのがありますが、静かに腹の底に響く晩鐘の響きがあります。勇気づけられる。
* 「このところ全く余裕なく過ごしており、(今度の湖の本を手にし=)ホッとしています」と江田参議院議長は葉書に達筆で書かれている。「ホッと」してもらえれば、嬉しい。
あとがきには「憲法」にふれて書いたが、これにも数多い「共感」「賛同」「感服」の反響が多くて、心強い。
* 「読む」という営為・行為は、だが過剰に評価されない方がいい。読むのが楽しい、どまりでいいのではないか。「読むとは生きること」と云ってしまうと「生きる」とは何だと難儀な問を生み、答え得ざる質問の前でいたずらな論がただ山積みになる。
2008 4・25 79
☆ お元気ですか。風 花
つつじの写真、きれいですね。
きれいな気持ちを呼び起こしてくれました。
今日はよく晴れています。
今、こうしてキイを打っている部屋の窓から、富士の上の青い空が見えます。
クレジットカードのポイントが溜まり、カフェ・ノ・バールとかいうお店のコーヒーと交換手続きをし、先日届きました。
薫り高く、おいしいです。
コーヒー好きの母が来たら、淹れてあげたいです。
シンプルで丈夫そうな密封容器に入ってい、計量スプーンもついているので、空になったら、別のコーヒー豆を入れて使いたいです。
さてさて、今日からうちはGWがはじまりますが、気にせず、花にお声をかけてくださいね。
花は、風に乗って声の届くのを、楽しみにしています。
ではでは。 いつも元気にしている 花。
* ロダンに『考える人』があり、京都の中学生だった戦後まもなく、その一体が京都博物館に送られてきた。いまも広い庭にあの姿勢で座っている。いまは上野の国立西洋美術館にもあり、おなじ前庭の「地獄の門」の真上にも同じ姿勢で「考える人」がいる。
「考え深い」「いい考え」「考えた末に」「考えあぐむ」等々、とにかくも考えること・考慮は、一つの模範の姿勢としても教育されてきた。
だが「考え」という行為や内容に対する信頼は、いまわたしの中ではすっかりガタ落ちしている。「考え込んではいけない」「へたな考え休むに似たり」。
考え・考慮は所詮は思う・思慮に及ばない。自身を、考える頭の、頭デッカチの、むりやり結論をつくるだけの無思慮な手先にしてしまってはならない。
「鳶」さん「花」さんのメールには、ムリに考えたことより、暮らしの「今・此処」で自然感じたり思ったりしたことがスックリと出ていて、こっちも寛げる。元気になる。
☆ 自転車 泉 e-OLD 小金井
乗っていますか。
先日の新聞に、黒目川で翡翠が巣作りをしている写真がありました。そんな写真が撮れれば、いいなあ。
翡翠は品のいい好きな鳥ですもの。
小金井公園の池にもいるらしく、アマ写真爺婆がたむろしてます。
* まちがっても古稀すぎた人が可愛い孫を自転車に乗せ、走らないこと。そう思いながらわたしの今の念願は、どうにかして黒いマゴといっしょにサイクリング出来ないかなあということ。
2008 4・25 79
☆ 自転車 泉 e-OLD 小金井
乗っていますか。
先日の新聞に、黒目川で翡翠が巣作りをしている写真がありました。そんな写真が撮れれば、いいなあ。
翡翠は品のいい好きな鳥ですもの。
小金井公園の池にもいるらしく、アマ写真爺婆がたむろしてます。
* まちがっても古稀すぎた人が可愛い孫を自転車に乗せ、走らないこと。そう思いながらわたしの今の念願は、どうにかして黒いマゴといっしょにサイクリング出来ないかなあということ。
☆ サイエンスセンターのライブラリーへ。 ハーバード 雄
これから始めようとしているプロジェクトに関連して、どうしても目を通さねばならない論文があったのだが、聞いたことも無いような雑誌の上、発表されたのが1965年と古いため、電子化されていない。ライブラリーのウェブサイトで検索した限りでは、ハーバードでも手に入らなさそう。
サイエンスセンターに限らず、ライブラリーに足を運ぶのは、これが初めて。今では、殆どの学術雑誌において、論文が電子化されているので、わざわざライブラリーに足を運ぶ必要がなくなりつつある。
おそるおそるサイエンスセンターのライブラリーに足を運んだのだが、専門のライブラリアンが非常に親切な人で、大いに助かった。3報の論文を入手したかったのだが、うち1報は既に電子化されているという。こちらの落ち度なのだが、親切にもタダでプリントアウトして渡してくれた。他の2報に関しても、どこに行けば手に入るかを教えてくれた。
1報は、サイエンスセンターのライブラリーの地下の書庫に、もう一報は、自然史博物館のある建物内のエルンスト・マイヤー・ライブラリーに、それぞれ保管されていた。
どちらのライブラリーにも、夥しい数の書棚が並んでいて、辺りは水を打ったように静か。図書館独特の臭いがする。僕はこの臭いが大好き。幼い頃から慣れ親しんだ臭いでもある。実家から徒歩5分のところに図書館があったため、図書館は僕にとって格好の遊び場であった。多くの本に触れ、多くのことを図書館で学んだと思う。
こういう雰囲気に浸ると、それだけで何ともいえない幸福な気分になる。
それにしても、こんなマイナーな雑誌まで大切に保管されているとは、さすがハーバード。
てっきり、取り寄せなければならないだろうと思っていたが、こんなにも簡単に論文が手に入るなんて。やはり、ここは学問の都なんだなあと、改めて思う。
* こういう話は、自分はあまりに遠い部外者なのに、たまらなく刺激され励まされる。こう有って欲しいと思うからである。
いま日本の大学の図書館では、保管に苦しんで多くの本を廃棄したり、廃棄同然に死蔵(殺蔵)したりしている。図書館というものの本質的な意義が、日本では、作家達のような本来知的世界の一環を担っているはずの人種にすら理解されていない。自分たちの本の売れ行きばかりを顧慮して、図書館機能の歴史性や超歴史性に理解が届いていないのを、イヤほどペンクラブの中で見聞してきた。
だいじなものは電子化を。そうプロに、助言され忠告されたことがあった。但し電子化した以上は、その財産権にあまり固執していると自己矛盾に逢着することも知っていた方がいい。
2008 4・25 79
* 夕方、銀座へ出て、人と会った。とくべつの用事はなかった、前に会って酒を飲みながら難しい話をして以来、十余年。
和食をという希望で、松屋の「つる家」にあがり、ゆっくり時節の話題で笑ったり怒ったり。有楽町駅までの喫茶店でもう少し話を次いでから、別れてきた。
地下鉄有楽町線でうまく座れたので、ゆっくり『酒が好き』を楽しんで、おしまいまで読んだ。笑ってしまう
2008 4・25 79
* 京都文化博物館の上平館長、前ペン副会長の三好徹さんや、懐かしい知人達からも「湖の本」に手紙が。
払込票の通信欄にも数え切れない有り難い便りが、ぞくぞくと。
ラボ教育センターからは『なよたけのかぐやひめ』に今も印税が振り込まれてきた。
舞踊家で美女の西川瑞扇さんからは、電話と郵便とで、わたしの作詞した荻江の「松の段」をまた舞わせてもらうのでぜひ夫妻でおいでをと。セルリアンタワー能楽堂は椅子席がひろやかで、いつも「金田中」酒肴の接待がつく。
日中文化交流協会からは中国出版代表団の来日歓迎の宴においでをと招状が来ている。山梨県立文学館からは芥川竜之介の特集展に招いてきていて、久しぶりに甲府への電車旅もいいなという気持ち。
2008 4・26 79
☆ こんにちは。 琳
ご本頂戴いたしました。ありがとうございます!
そうなのです!おっしゃる通り、お花、大好きなのです!
(色々好きなお花がありますが、何故か小さい時からずっと、ガーベラが大好きです。)
ご本、楽しみに読ませていただきます。
先日から私のゴールデンウィーク(13日間休み)が始まりました。
第一日目のイベントとして、“潜水服は蝶の夢をみる”というフランス映画を見ました。実話に基づいたお話なのですが、一篇の詩のようでもありました。原作本は未だ読んでいません。
映画は、静かで深く、日常のフッとした瞬間に蘇ってくるようなお話でした。とても良かったですよ☆ 一度ご覧になって頂きたい、私のお勧め作品です。
そして先週の19日には“細雪”を見てきました。市川崑監督の作でした。四姉妹は、岸恵子・佐久間良子・吉永小百合・古手川祐子です。
古手川祐子が美人とは感じませんでしたが、他の三人はとても美しかったです。映像自体美しかったです。
映画での吉永小百合の雪子は、ある意味ナルシスト? みたいな気もしましたが。。
京都も、着物も、本当に美しかったです。あれは美術品です。
そして、もうひとつ!
21日には、以前お話しした事のある藝大の友人が、なんと! 憧れの庭園美術館でヴィオラを弾いたのです☆
庭園美術館で今開催している、オールドノリタケ展主催のミュージアムコンサートの招待音楽家として演奏しました。オールドノリタケ展のチケットも送ってくれたので、二重に楽しんできました!
その前に、やす香に会いに行きました。
近くだから一緒にコンサート行く? と聞いたら、「行くよ~!」と言った気がしたので、一緒に聴きました。
オールドノリタケも楽しく見て、美術館の門を出たところで、やす香とお別れしてきました。
大学院に! 進む道を決めました。
以上、いろいろご報告でした。
花粉は随分楽になられたと思いますが、サイクリングお気を付けて楽しんで下さいませ。
* やす香が元気だったら、進路を、どう決めようとしただろう。「国連へ」と胸膨らませているだろうな。たくさん応援してやりたかった。
みゆ希はどうしているだろう。パフォーマンスの世界へいい翔をひろげつつあるだろうか。叔父さんのドラマや小説を観たり読んだりしているだろうか。元気だろうか。
2008 4・26 79
☆ キリストの墓 2008年04月26日01:00 光
驚いた。あまりの突拍子もない学説(当時はそう思っていた)に、畏怖の念すら感じるほどだった。
小学生の5、6年のときだったか。
友人の家に遊びに行き、別の友人を待っている間、ごろごろ本を読んでいた。友人の本棚にあった「日本のミステリースポット」みたいなタイトルだったと思う。文庫サイズの、今で言うところのオカルト系B級ミステリースポット的な話題を紹介している本だった。
何気に開いたその本には、小学生の冒険心(?)をくすぐる魅惑的なお題が満載であった。
巨大な石が池に浮いているかのように見える、兵庫県の生石神社の謎の浮石(石の宝殿)。
南アルプスの山中、しらびそ高原の御池山付近、日本にも隕石クレーターがあった?
戦国時代、武田一族の隠し金山、黒川金山の埋蔵金伝説。
そんな中でも異彩を放っていたのが、「イエス・キリストは日本で死んだ」というもの。えっ、ホントに?
まだまだ素直な小学生であった。
* * *
なんでも、茨城県の祖皇大神宮の竹内家に伝わる竹内古文書を解読すると、青森県の戸来村(現在の新郷村)にキリストの墓があるとの記述がみつかったのだという。実際に、竹内巨麿なる人物が突如やってきて、山腹の盛り土を指して「これがキリストの墓だ」と断言したのだという。
話はまだ続く。ゴルゴダの丘で磔にされたのはイエス・キリストではなく、実は弟のイスキリだったと。その数日後、イエスが現れると弟の遺髪をもって弟子と共にシベリアを東方し日本海を渡り、ついに東の果て、日本の青森県戸来村に到達したのだという。布教活動はせず、日本の女性と結婚して3女をもうけ 106歳で大往生したというのだそうだ。
もしこれが正しければ、数日後イエスが現れたことが復活祭の話の元になったと考えられるし、東北地方に美人が多いのも鼻が高く色白の混血によるものと考えればつじつまが合う。
「戸来」村は、「ヘブライ」が訛ったもので、この地方に伝わる盆踊り歌「ナニャドヤラ」はヘブライ語で「神を讃える」と言う意味があり・・・、と(小学生には)説得力のある文章がずらずら並んでいたように記憶している。
友人と2人で大爆笑(特に弟が登場するあたり)した後に、とにかく、こいつはすごい、これは青森に行かねばなるまい、と思った。
(その2に続く)
* 平家一門は渡来ペルシァ人というのも、蒙古のジンギスカンは源義経が奥州から大陸にのがれて大変身したというのも、流刑の源為朝は沖縄に渡って王になったというのも、あった。
2008 4・26 79
* インタネット回復せず、メールも「mixi」も開けず、この「私語」も転送できない。自然回復を待つしかない。
* 22:30 過ぎて回復。メールを点検し、私語も転送し、それから「mixi」をのぞいた。「麗」さんのが、内容もあり爽やかであった。
☆ 旭岳から後旭へ縦走登山のはずが・・・ 2008年04月27日20:08 麗
昨日,「最後の冬山」を狙って,道内最高峰旭岳2,290mに登りました。
姿見まではゴンドラで。例年今頃は白一色の世界,のはずが,眼前に山頂が,「黒々と」迫ってきました。眼下には,満開のエゾノリュウキンカとミズバショウ。
あぁ温暖化の波はここまでも。
9:30 登山開始
7合目までスノーシュー。これ以降は,ところどころ地肌が見えて,着脱を繰り返しました。これがけっこう厄介でした!8合目を越えると,完全な夏山モード。「雪が解けて川となって」,チョロチョロと山を下っていました。
12:15 登頂
頂上直下,再びスノーシューを着けるも,最後は地肌。昨年の今頃との差は歴然でした。
山頂からの眺望は,雲はないものの,全体的に霞がかった感じで,トムラウシ辺りはかすんで見えました。あの,いつもの今頃の,くっきりした眺めは,望むべくもありません。山頂征服の爽快感はあったけどね,うん。
12:25 後旭へ
頂上後方からまっすぐコルまで降りました。しかし,そこから雪が解けて地肌丸見え。そこを登山靴でというのは,自然保護的見地からも望ましくないので,引き返しました。
15:20 姿見駅
この日は,山頂までたどり着いたのは5人ほどだったと思います。GWの混雑とは無縁のぜいたくなひとときでした。しかし,異常気象の実態を見せつけられた思いもしました。
なお,本日27日は,強風20メートルのため,旭岳ロープウェイは運休です。
ラッキー
* わたしは、こういう「麗」さんの快哉・快適をしらずに果てることになるか。
2008 4・27 79
☆ 酒・花・憲法 慧
秦さま
とても気持ちがつらくて、久しくご無沙汰してしまいました。おゆるしください。平家物語で迷子になっていらっしゃるとか。何の知識も知恵もありませんが、思い出していただいた嬉しさに、勇気をかき集めてメールしています。
迷い道をご一緒させていただけたら、どんなに楽しいことでしょう。
新刊の「湖の本」 艶な酒、美しい花、そして締めくくりは憲法でした。不調法な私は「憲法」に反応しています。
*
憲法97条には、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」とあります。
そして、12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と言ってます。私の好きな部分です。
もうひとつ、13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」は、二年ほど前の自民党の新憲法草案で、「公益及び公の秩序に反しない限り」と書き換えられていました。
「公共の福祉」もあいまいな概念ですが、公益などにされてしまうと、国がこれが公益だ! と言いさえすれば、徴兵でも財産没収でもどんな権利侵害でもできてしまうんではないかと、ぞっとしたものです。改憲圧力は今は少し遠のいた感じですが、防衛庁が国民的議論もなく、あっという間に防衛省になってしまったりするんですから、油断できません。
*
私は戦後生まれですが、学校で憲法の授業を受けた記憶はありません。徳育だの言う前に、学校できちんと憲法と人権尊重の教育をすればいいのに、そうすればイジメも自殺も少しは減るのではないかと思います。
ドイツは素晴らしい憲法をもっていたのに、ナチスの人権侵害を止めることができなかった・・・一国内ではそうした暴走を阻止できなかったという反省のもとに、国際的な枠組みのなかで、人権侵害を監視し、人権を守っていくために「世界人権規約」がつくられたと聞いています。「社会権規約」と「自由権規約」がありますが、締結国が数年に一度、自国の人権実現状況を報告し、人権規約委員会が審査して、見解を出すという仕組みです。
日本も締結国であり、自由権規約について第5回政府報告を提出しており、今年10月に審査が行なわれる予定です。民間からも政府報告に対するカウンターレポートを寄せることができ、私たちは、大阪市がホームレスの人たちに行なってきた人権侵害、自由権規約違反を報告したいと思っているところです。
*
ほんとうに「国民の、国民による、国民のための」憲法・法律であってほしいと願っています。 大阪・松尾美恵子より
* こういう声々がうねる輪になり波になり不屈の民意として広がりますように。
昨日の山口県補選の自民惨敗はまさしく直近の「民意」であるが、自民や公明は「そんなの関係ねぇ」という態度で硬直している。
民意を受け容れない主権在民では、看板に偽りありというしかない。「天の声にも変な声がある」とは現福田総理の父・元総理の「変な声」であったのをわたしは忘れない。
こういう硬直した手前勝手しかいわなくなれば、ものごとは変わりようがない。情況に慣れて、いや狎れてしまって、国民は腰が抜けたたまま立てなくなっている。
セックス、スポーツそしてまたスクリーンやショウやソングと謂った幾様もの「S」強毒に痺れきった私民は、政治への関心と手段を、権勢にやすやすと奪い去られてきた、その結果がこうなっている。しかし昨日の選挙結果は、また前回参院選挙によるねじれ国会を実現させた民意は、ようやくにやっとやっと起ち上がって、自民の失政や暴政を是正したい意向を示し始めたとわたしは思いたい。
こういう声々がうねる輪になり波になり不屈の民意として広がりますように。
* 松尾さん 好いメールを下さいました。嬉しい限りです。
年々に衰えがちな「湖」ですが、「今・此処」の気力の持続をと願っています。
平家物語では、陵辱されたひとりの「人」の行方をミステリアスに尋ねているのですが。力及ばず藻掻いています。もう少しもう少しと掻き探りながら、弱音も出ています。いずれお知恵を借りに参ります。
どうか、お元気にお過ごしあれ。 秦
2008 4・28 79
☆ 育児休業中 2008年04月28日22:34 悠
週末,実家に帰り息子との時間を過ごしてきました.
めきめき発達を続ける息子.一週間ぶりの再開でもたくさん驚かされました.
朝起きて,私の母(息子の祖母)に向かい”ババ,ババ”と連発して向かっていったこと.うーん,”ママ”じゃないのね....このひと 月あまりの状況で、息子のほうも頼れる人はこの人! と早い段階で認識していました.当然の結果でしょう.
実家に居る2匹の犬とは仲良しになったようでした.家の中にいるヨークシャーテリアは追い回されていました.裏にいるゴールデンレトリバーは頭をたたかれても仕方なくおとなしくしていました.いずれもオス.実家では悪がき3人組と呼ばれています.
育児を休業中の今日この頃.”昔の”生活リズムに戻ってしまいました.つい,時間を忘れて(研究室での)作業に没頭したり,遅い時間の(研究仲間の)ディスカッションに気にせず参加できたり,送別会に出席したり.
しばらく,夕方以降の時間は無いものとして生活してたのに、”こんなにも色々出来るんだ”と実感してしまいました.
息子はばっちり回復したので,連休中に戻ってきます.連休明けには保育園生活をスタートさせる予定です.
息子が新しい保育園でもう一度,保育園での生活をスムーズにスタートできるのか心配ですが,それ以上に私が育児生活に戻れるのか...これがとっても心配です.育児のお休みはあと少しです.
息子との生活が楽しめるように気持ちに余裕をもってすごしたいと思います.
☆ こんにちは、風。 お元気ですか。 花
きのう、お酒のあと二駅も乗り越したんですって。
花も、ゆうべは、ソファで夜中まで眠りこけていました。でも今朝の英語は、ちゃんと行きましたよ。全力投球した爽快感があります。 さっき、市の主催するがんドック検診の予約をしました。人数に制限はありますが、格安の料金で受けられるようです。
知人が、つい最近乳癌になり、定期健診は大事だなあ、と、思った矢先、市から案内が届きました。
婦人科検診は含まれていませんが、それはまた自分で行くことにし、胃や腸や肝臓や肺のがん検診も大事なので、胃カメラは未体験でしんどそうですが、頑張ります。
検査の予約は、七月になりました。混んでいるのでしょうね。
さてさて、花は、新しく書いたものを推敲し終え、早く風に読んでいただきたい。
がんばります。
花は「いま・ここ」にいて、自分たちの家を、草木で飾りながら元気に過ごしています。ではでは、風。
* 健康な幸せを祈ります。
2008 4・28 79
☆ 湖へ 珠
こんばんは。少し前に帰りました。
お届け荷物にお手紙を、、と思いながら忘れてしまいました。
岡山、倉敷の旅はお天気に恵まれ、若葉美しく穏やかに過ごしてきました。
病気療養中の茶友は、茶会の前夜に外泊したとのこと。足を上げるのさえしんどい様子なのに、着物を着て、袴までも持参して時間をかけながら待合で付けていました。
つい先週の、急な誘いのメールで、病勢厳しいことと思っていたので、まさか本人が外泊までして共に過ごせるとは思いませんでした。それはきっと、何とか出かけたいけど、無理かな、、、と思うなか、ひとまず声にしてみた、、そんなところだったのかな、、と思います。
お互い一人の気楽さでしょうか、また寂しさでしょうか、奥々の柔らかいところはそのままに、良寛さん修行の円通寺に、「今・此処」だけのかけがえのない「茶」になりました。
ありがたいことに、風も、空も、花も、鳥も、穏やかな色に満ちて友を喜ばせてくれました。
無理をしたのかもしれません。それでも、一期一会であればこそ、それは友が自分で決めること。私は懐かしく、楽しく、共に美味しい茶を味わえたことだけに、感謝します。
酒の大好きな友に聞いた、倉敷の「森田酒造」。嵩じてお酒に合う全国の美味しい肴まで揃えるようになり、酒蔵隣に「平翠軒」なるお店までありました。お酒も、肴も、目移りするほどに。。
それでも先日頂戴した「湖の本」の題そのままのお酒に惹かれ、季節がらギリギリですが選んでみました。大吟醸の冷や、さて、いかがでしょうか。ゆるゆると盃、楽しんでください。
急な旅でしたが、一度倉敷へと言っていた母も連れていったので、夕食は地元評判の和食屋さんに足を運び、そこで、倉敷ガラスの猪口に一献。私も森田酒造のお酒を頂きました。
あと味のすっきりしたお酒でした。よいお酒は、身の奥まで清らかに沁みこみますね。
穏やかな春の旅、お届けできる湖のあることが、うれしく。
どうぞ、大事にして下さい。湖。珠は、旅に出ようと思えるほどに、元気に。
ありがとうございます。湖。 珠
追伸
「森田酒造」と「平翠軒」の写真を添付しようと思って、忘れました。いつも、こんなです。。どうぞご容赦を。
この写真(割愛)の奥深く続く酒蔵がありました。静かにゆったりとした時は、お酒にも伝わるのでしょうね。 珠
* 友がいて茶があり、母があってともに旅ができ、うまい酒、肴。
経済の豊かさではない、人の思いの豊かさ。いくらお金があっても出来ない人には出来ない。
☆ ゴールデンウイーク 鳶
四月が終わろうとしていますが、「四月の行方」はどのような状況でしょうか。良い方向に事の進むよう祈ります。
26日の、バイアット『抱擁』からご自身の文学に関しての記載、興味深く読みました。分かる、と書いては僭越、不遜・・になります。ただただ思いをいたします。
ゴールデンウィークの天候は良いという気象情報。その前半は変わらない日常です。今朝はセーターやら毛布やら、今期最後の冬物洗濯デーと頑張っています。と言っても洗濯機にかなりの部分してもらっているに過ぎません、合間にメールを書いている次第。
五月二日から十日過ぎまで忙しい日々になりそうです。姑のもとへ二往復、余儀ない用事のためですが、本当に怪我無く過ごせるように行きたいものです。
その間来客あり三日間泊まるということで・・今日から少し家事を増やして準備、です。四角い部屋を四角に掃除し清めること! 普段より念入りに作業するとやはり気持ちよいですね。但しいささかしんどい・・。
良き日々をお過ごしください。
* 友在り、遠方のままで即座に思いをかわして穏やかに語りあえる時代。
唐土過去の詩人達の手にもしパソコンがあったなら、あの気の遠くなるほど寂しい別離万里の詩情はどう表現されたろう。読者と作者というかかわりのゆえに、わたしはメールを交わしている殆どの人の顔を知らない。顔は、想像もしないようにしている。文は人。
2008 4・29 79
☆ 幼児教育は有効か? 2008年04月29日11:02 ハーバード 雄
・ 日本はゴールデンウィーク真っ只中だろうか。アメリカでは祝日がそんなに続くことは無い。もっとも自分が休みたいときに、勝手に長期休暇を取るのがアメリカ式だから、勝手に休めば良いのだけれど、貧乏性ゆえ、そう長期休暇を取る気になれない。今年はビザの更新があるから、それで日本に帰るのが長期休暇ということになるだろうか。日本のゴールデンウィークを羨ましく思いながら、重い体を起こしてラボへ。
・ 今日は週に1度のbrownbag seminar。今日の演者はハーバード大学のヘンシュ貴雄先生。名前を見ても分かるとおり、日本にゆかりの深い方。お父様がドイツ人、お母様が日本人であり、ご本人は幼い時からニューヨークで育った。そのため、お父様に話す時はドイツ語、お母様に話す時は日本語、外で話す時は英語というように3ヶ国語を自在に操ることができるのだという。
ただ単に日本人の血が流れているというだけでなく、ハーバード大学を卒業後、修士課程は東大医学部の伊藤正男教授(当時)のラボに在籍し、修士号を取得している。その後、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のMichal P. Strykerのラボで学位を取得。ふつう、学位を取得した後はポスドクとして経験を積むものだが、ちょうどその頃、理化学研究所に脳科学究センターが設立され、初代センター長に就任した伊藤正男先生の呼びかけで、なんとポスドク経験を経ないままいきなりチームリーダーに就任。若干29歳だった。
その後、前評判に違わぬ活躍ぶりで、様々な一流雑誌に論文を発表し、数年前にハーバード大学に教授として招かれた。ハーバードでも、ケンブリッジエリアとメディカルエリアの両方にラボを持っている。日本では、なんと天皇陛下の前で講義をしたことがあるという。
ヘンシュ先生が一貫して研究しているのは、「発達期において、脳が環境によってどのように変化していくか」について。特に、「臨界期」と呼ばれる、神経回路の再編成が盛んに行なわれる時期について着目して研究しておられる。やはり、ご自身の生まれ育った環境が大きく影響しているのだろう。詳しくはこちらを参照されたい。
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/55/research_21_2.html
臨界期の典型的な例としては、やはり言語習得が挙げられる。幼少期に言語を学ぶと容易に習得できるのに、大きくなってから学んでも、なかなかモノにすることはできない。「なのに、アメリカでは外国語を学ぶのは14歳になってからで、これは全くナンセンスだ」とヘンシュ先生。
・ しかし、いわゆる「早期教育」は、果たして意義あるものなのだろうか。確かに、音楽家になるためには4歳では遅くて、3歳からレッスンを始めなくてはならないなどという話も良く耳にする。しかし、幼い頃は神童の名をほしいままにしていたのに、大人になってみるとタダの人というのは、そう珍しいことではない。
ヘンシュ先生が臨界期の形成において注目しているのは、GABAを放出する神経細胞。このGABAは神経細胞の興奮を抑制する作用をもつ物質で、これを受け取った神経細胞は興奮できなくなる。
最近では、GABAの入ったチョコレートなんてものが売られている。この抑制性神経細胞が正しく働かないと、臨界期の形成が異常になるという。
http://www.katei-x.net/blog/2007/08/000319.html
今日はもっと踏み込んだ話もしていたのだが、これはまだ論文になっていない話なので、ここに書くことはできない。前から知ってはいたが、かなり意外な内容。
・ 午後は、他所のラボからbrainbowマウスを使って実験したいという人が現れ、一緒に実験。昼食も食べぬまま作業に没頭したので、終わるとどっと疲れた。帰り際、ちょうど今日の昼のトークの実験をやっているヘンシュ研の人にバッタリ出くわし、しばし立ち話。
<<前の日記へ コメント
抑制性神経細胞が働かないと どうなるんですか?
興奮しつづけると よろしくないんでしょうね?
<< 雄
神経細胞が過剰に興奮すると、熱性けいれんやてんかんになります。でも、脳の部位によっても色々と状況が異なりますし、本当にきちんとしたことは、もう少し研究が進まないと、分からない部分も多いと思います。
あと、上に書きませんでしたが、発生の初期では、GABAを放出する神経細胞は、抑制性ではなく興奮性で、発生段階と共に切り替わることが知られています。
* すこし見当は異なっているけれど、「幼児教育」に関して歴史的に最も早く深く微妙を極めて論を展開したのは、ジャン・ジャック・ルソーの『エミール』であろうか、むろん先蹤の何らかは在ったろうが。ルソーの論説ほど時代に対し、知識人達に対し、また宗教家や教育者達に対し刺激的な優れた例は、未曾有であったろう。
わたしは毎晩岩波文庫の『エミール』を蝸牛の這うほどの速度で読んでいるが、異様な刺激を受ける。速く読んでゆくには論旨の展開が細微に過ぎ、一行一行に立ち止まらされる。すばらしい洞察であり同時に理屈のための理屈のようにもときに訝しく立ち止まらされる。奇書である。
「雄」クンの日記の題を観たとき、反射的にわたしはルソーを思い出していたし、読み終えた今もルソーの方が頭に居座っている。
* さてこの数日お定まりのインターネット不調がまた起きている。昨日はこのまま晩おそくまで回復しなかった。今朝の「私語」途中で転送しておけばよかったが。
あきらめて他の仕事を始める。
2008 4・29 79
* 岩波の高本邦彦さんからもお酒を頂戴しましたわと、妻。とびきりの「一の蔵」。感謝。
2008 4・29 79
☆ 青葉若葉 2008年04月29日20:50 瑛 e-OLD川崎
五月の連休はどこへ行っても人の波である。混雑を厭わなければ新緑のこの晴天の下を、上野の薬師寺展その他へ行くか、山なら奥多摩か、丹沢かを歩きたい。最近は丹沢は「蛭」が出るので少しの注意が要るが、それでも薫風を全身に受けて二本の足を地面にしっかとつけて歩きたい。リュックに地図と好きな文庫をいれて、大きく息を吸いながら、吐きながら無理をぜず自分の地のまま山へ登る。
庭の花も満開、山の目に沁みとおる青葉若葉でありましょう。
☆ インターネットの具合が悪いのかなあ、と、想像しています。 花
パソコンが二つあるなら、一つには、お仕事用に、ワーキングソフトや、写真の加工ようにレタッチソフトなど、使いたいソフトをインストールしておき、もう一つには、メーラーとブラウザのみインストールするなどして軽くしておき、こちらを通信用にすると、不調が起こりにくいかも知れません。
それでもしょっちゅうネットに不具合があるなら、パソコン以外のところに原因があることになります。
風のように通信を頻繁にする方の場合、光ケーブルを引くといいですね。光ケーブルの工事は、してあるのでしたっけ。
ではでは、風、ネットが繋がらなくても、メゲないでくださいね。
花はいつでもここにいます。
* インターネットは夜の十時半まで動かなかった。ま、動かないならそれなりの仕事の仕方はある。
高麗屋の奥さんにわざわざ録画したのを頂戴していた、真山青果『元禄忠臣蔵』三ヶ月通し興行のディスクから、最初の吉右衛門内蔵助版をずっと仕事の傍で聴いて、観ていた。熱演である。歌昇の堀部安兵衛が水を得た魚のように力演で、小気味がいい。
2008 4・29 79
☆ おはようございます。お元気ですか、風。
吉右衛門版の真山忠臣蔵って、いいなあ。
群像劇である忠臣蔵には、いろんな要素があるので、いろんな演出・見方ができますよね。
> 朝のうち二時間ほど使えて、晩の遅くには使えるなら、
この症状は、つまり、昼のあいだは、大勢がインターネットを使っているので混雑してい、風のパソコンがネットに繋がりにくくなっている、ということだと思います。
よくあることです。
そうですね、ネットの混雑する昼には、その他の仕事をし、繋がりやすい早朝や深夜にネットを更新するのがよいと思います。
今日はこれからご近所にお呼ばれしています。 午後には、図書館と、あれこれのおつかいに出なくてはなりません。
そして、明日明後日と夫と東京へ買い物にで向きます。品川に泊まります。
気楽な留守番の一人暮らしは今日でおしまい。
風のお幸せな時間を願っています。
風、息がつまり、苦しいとき、こんな花のメールでも、息抜きになりますように。
ではでは。 花
* 午前十時半、まだインターネットは働いている。と、書いたとたんに不通となった。
2008 4・30 79
* 相変わらず朝の十時半にもなるとハタと、インターネットは不通になり、晩の九時半、十時にやっと自然復旧する。理由はまったく分からない。千葉や川崎の E-OLDさんとデートしたくても、メールが働かないのに、閉口。連休のうちでも、済んでからでも、十日まで、わたしは他の約束がありません。お天気のいいうちに鮨でもつまみませんか。
2008 5・1 80
☆ 湖様 波
人はそれぞれの島に立っているという湖様の「島」の思想を、改めて思い返す日々です。
同じ島に住む人であってもそれぞれ別に自身の島も持っていて、そこでは誰がいっしょに住んでいるのかを知ることができません。人と人は決してすべてをわかりあうことなどできようはずはなく、しかしわかりあいたいという願いを持つやっかいなものですね。
桜 枝垂桜 八重桜と次々に散り、さつきが一斉に開き始め、五月になりました。お体に気をつけて・・・。
* 早起きなりの仕事や用事をいろいろこなしたが、眠い。これではうっかり自転車も乗りにくいと、腹をきめて機械の前に。
文藝春秋の寺田英視さんの電話。しばらく雑談。寺田さんと仲良しの明野潔さん、定年退職されたとお知らせがあった。そういえば日中文化交流協会理事、一緒に中国へ旅した佐藤純子さんも。
「作家には定年はありませんからね」と寺田さんにいつものように釘をさされた。
むかしむかし医学書院で新米編集者だった頃、日赤本部産院のセンセイで呑み友達だった山本笑子さんからも「湖の本」に例の電話が来て、目をまるくした。山本さんの結婚退職以来、何十年も経っているが、もしかしてお元気かと、本が本、『酒が好き』とあってはと送っておいたのが、引っ越しもされず不幸もなく無事届いていたのが、めでたい。
医学書院の同期同僚でフェリス大学から明治大学へ転じた粂川光樹教授からもハガキが来た。少し後輩だが、物書きでは先輩の小鷹信光くんも懐かしい手紙をくれた。
今度の本はだいたい誰の目にも無難に親しんでもらえるので、転居や何かでの返送も気に掛けず、たくさん送り出した。北海道釧路でリハビリ療養中の「昴」さんの新しい宛先にはうまく届かなくて、宅急便は戻ってきたが、郵便切手に貼り替えて今日送り直したのがうまく着くだろうか、心配。
2008 5・2 80
* 今夜は十一時過ぎてもインターネットが回復しない。まいりました。いま、日付が変わって復旧。
☆ 湖様 波
母に愛されなかった子・・・。母の愛ってなんでしょう?
私は本当に子どもを愛したでしょうか? 愛しているでしょうか?
私は本当に母に愛されたのでしょうか? 父をまったく知らないし愛されたこともない。
親子やきょうだいはまったく別の人格なのです。
肉親の愛 というものはあるのでしょうか? 肉親の愛を求めること自体、不自然なことではないでしょうか?
肉親より分かり合える他人もいる。
親もまず健康 子どもたちもそれぞれなんとか幸せに暮らしています。
けれども私の心の波はいつまでも騒ぎ続けています。人が生まれ、人とかかわり、人と生きていく ということはなんと難しいことでしょうか。
人にとって安住の地 というのはあるのでしょうか。
年を重ねるほど悩みの多い日々です。正直、苦しい日々です・・・・。
* えりぬきのエリートで、事業にも大きく成功している e-OLDさんだが、心に、抜きがたい荷を負っていて、年若い人の波騒ぐように苦しそうだ。
親子やきょうだいが「別の人格」なのは、不思議でないあたりまえのこと。ここで一体化など求めては仕方がない。「人として安住の地」が、有ると思える人も思えない人もいて、それとてもおなじこと、いまわたしの読んでいる旧約の、「ダビデの子、エルサレムの王、伝道者」はなに容赦もなく、「空の空、空の空なる哉、すべて空なり」と云い、「我日の下になすところの諸々のわざを見たり、嗚呼皆空にして風を捕ふるがごとし」と云ってのける。
そうかなと居直ってもいい、そうだなとうけがってもいい。
なにかに抱きつける「柱」は、あるようで無いようだ、此の世には。わたしは、もう、たいがいのことは諦めている。すると不思議に嬉しいことも楽しいこともいいことも、無くはないらしいのだ。ただ「風を捕らえる」ようなものだと分かっている。捕らえてやろうじゃないかと思ったりする。
「抱き柱」にしてはいないが、バグワンには、ラクにしてもらっている。それとこのごろ、わたしは育ててくれた、とうの昔に亡くなった養父母や叔母の位牌と、わけもなく、小声でぶつぶつ喋っている。
2008 5・2 80
* 憲法の「前文」を読み返し、思いを新たにしたい。
「国民の国民による国民のための 日本国憲法」であらしめたい。
憲法を守る気のない総理大臣や代議士や都知事を恥じる。選挙で淘汰しよう。「民意」を新たにしよう。
☆ 「文学報国会の時代」から 2008年05月 03日13:33 玄 e-OLD 岡山
最近読んだ吉野孝雄著「文学報国会の時代」の中に次のような記述があった。
「日本文学報国会」や「大日本言論報国会」に拠った文化人たちが「聖戦」を説いて人々を戦争に駆り立て、軍隊では「戦陣訓」によって日本人の美徳である「恥」の意識に訴え、幾多の善良な人々が「玉砕」という美名のもとに死に追い詰められていったのであった。
しかし、そう教えた当の本人東条が敗戦後もいわば敵の捕虜の立場で生き残り、戦勝国に裁かれて死刑となったのは、何とも皮肉で不名誉な事実だったというほかない。
その東条の存在について、作家の尾崎士郎は戦後になって次のように述べている。
『(戦争責任について)私はひとり東条のみを非難するつもりはないが、あの実直な、そして、くそ真面目な、その上、生一本すぎる性格をひたすら憲兵隊の訓練だけを受けて成長してきた男が、正面をきってあの戦争の指導力の中心の座に坐ったということは、ただ意外であるというだけではなく、あそこまでいくと宿命につながる人間の悲劇だというよりほかに仕方あるまい。』
悪しき世になって、人間として優秀な人間がトップに立つことをためらって引いてしまったときに、本来はトップに立つべき器ではないものがその座に就いてしまう、そういうことはよくあることだ。傍観者にはそれは喜劇でしかないが、渦中のものにとってそれは取りかえしのつかない悲劇以外のなにものでもない。
この場合、事は一国の運命を左右する首相の器の問題である。国民の運命は国と一蓮托生、傍観者として笑って済ませられる問題ではない。指導者の不適切な判断によって国民はとんでもない過酷な運命に身をさらされることになるのだ。
戦争を回避し、平和な社会を維持していくためには、国際情勢に対する冷徹な情勢分析能力と、したたかな外交能力と手腕をもった政治的指導者と、それを支える有能なスタッフが不可欠だが、そうした指導者やスタッフ、そして彼らを理解し支持する国民の意識が果たしてそこまで成熟しているかどうか、このことについて太平洋戦争当時のみならず、今日の日本社会の現実をみてもはなはだ心許なく思うのは、筆者でけであろうか。
今日は憲法記念日であるが、朝日新聞の調査によると、憲法9条を守るべきと回答が66%だったという。この数字を70%、80%と上昇させなければならない。
* 共感する。こういう声が、若い世代からも、火箭のように飛んで欲しい。
2008 5・3 80
☆ 花たちは、夕方に帰宅しましたが、夕食をとったり片づけたりしたあと、テレビの「ルパン三世 カリオストロの城」を聞きながらソファでうとうと、真夜中に起きてシャワーを使い、今、こうして風にメールを書いています。
今日は、「イケア」という、北欧家具・雑貨のお店で、少々買い物してきました。
二日間、大好きなインテリアのお店を見て歩くことができ、楽しかったです。
明日、母と妹が午頃駅に着く予定ですので、午前のうちに買い物と掃除を済ませておかねば。雨の予報が出ていますが、午後には止むらしいので、幸いです。
『漱石 母に愛されなかった子』が、おもしろそう。
花も読んでみたい。
> 連絡がむずかしく、つい先送りしています。
わかるなあ、これ。逢いたい、と思っている友人が花にもありますが、連絡が難儀で。
花は、「幹事」肌ではありません。
さてさて、風は小説をたくさんお書きになっている。花もがんばる!
* 名の不思議ということが、この人のメールを読むつど、おもしろい。
もともと「名」の不思議は人の歴史にひろく浸透している。名の扱われようには昔から心して目をとめてきた。魂を嗣ぐかのように家の名字が嗣がれてきた。名字が信頼のもとに授受もされた。諱があった。替え名もあった。通称が用いられた。名を名乗るというのは相手に支配の力を譲ることだった。人の名を聞くのに自身が先に名乗らないのは無礼とされた。西洋人の風儀にも、「ボブと呼んでくれ」などと名で呼ばせるのを、相手への親愛と信頼の表現にしている。お互い名乗りや呼びようの定まらないうちは奇態に窮屈で他人行儀になる体験は、だれでもしている。まして敬称がしいて伴うときは困る。
わたしは名で呼ばれようが姓で呼ばれようが先生と呼ばれようが、「さん」であれ「くん」であれ、相手に任せて気を遣わない。そのかわりと云うのではないが、めったに、先生でもない人を「先生」といわない。ものごとを生徒として教わった学校の「先生」と、習慣でお医者さんだけを「先生」と呼んでいるが、「あなた」で済む場合はそうしている。頼んでいる弁護士も、ふつうに、姓で「さん」と呼んでいる。先輩作家や藝術家でも、明らかな例外はあるが、十分な敬意をこめてわたしは「さん」と呼んでいる。
* この「花」さんがはじめてe-magazine 湖(umi) = 秦恒平編輯に投稿してきたころのメールも手紙も、読むのが「痛い」ほどコチコチで閉口した。そんなことでは、意見も告げにくいし助言もしにくい。それで、ふっと思いつきで近くの額の二字をとり、そっちは「花」こっちは「風」にしましょうと取り決めたのだつた。
わたしの育った社会圏には事実「替え名」の用をなしていた事例や見聞が珍しくなかった。「花」さんはとまどったろうが、しかし徐々にその効果は目に見えてきた。名が「ペルソナ=仮面=人格」化していって、意思疏通は格別になった。
前例があった、それは「囀雀」さんだった。この人はコチコチでなく、まるで渋谷っぽいギャルだった、五月蠅さかった。それで上の渾名をつけた。ところが渾名が出来たときから目を疑うようにこの人のメールは変貌した。云うことも為すことも変貌した。このホームページで最も早くに、一種の贔屓を「書く文章」で得た人は此の「囀雀」さんであった、彼女のために、何であったか荘重な渾名を献じてくれた人さえある。
* 電子メディアはいわば「電影のリアリティ」を創造せざるを得ない世界。「電影のペルソナ」を有効に発揮できる世界である。
それで、わたしは、替え名のおつきあいを是としてきた。一つには個人情報をすこしでも被覆できる。一つには信頼や親愛にハバができる。そして、どうせといえば捨て鉢めくが誰とも事実のレベルで対面などむずかしい間柄、つまり逢わなくていい同士と心得あっている。「電影のリアリティ」が「現実のリアリティ」に遜色など無いと言いうるかもしれぬ、不条理な真実世界、が生まれているのかもしれないのだ。
* ま、そんなことだ。わたしは「おもしろい」と受け容れている。
2008 5・3 80
☆ Accept! 2008年05月03日07:17 ハーバード 雄
・ 朝9時から、マウス飼育室のオリエンテーションに参加。今まで入室が許可されていなかったエリアへ入る必要性が生じ、大分前から書類を提出したりしていたのだった。
朝9時に動物センターの入り口前で待っていると、担当者が現れた。既に他のエリアについては入室が許可されているので、あくまでも形式的なオリエンテーションで済んだ。もっと時間がかかるかと思ったが、所要時間はたったの15分。
これで、今日中には許可が下り、晴れて自由にエリア内に入れるようになった。今までは、既に許可を得ている人に協力してもらっていたので、気を遣うことも多かったし、誰も居ない時にはどうにもならなかったが、これでようやく自由になった。
・ オリエンテーションから戻ってくると、ボビーが「煙草吸いに行くから、一緒に付き合ってくれよ」と声をかけてきた。僕は全く煙草を吸わないのだけれど、ボビーは煙草を吸う際に話し相手を欲しがり、僕かケンかJCが犠牲となることが多い。僕も早くオリエンテーションが終わり、ちょっと気が抜けているせいもあって、快く応じ、外に出た。ボビーは、化学のdepartmentのある建物の前で、良く煙草を吸っている。今日もそこに行くと、背の高い、丸い眼鏡をかけた知的な雰囲気の男が、先客として既に煙草を吸っていた。
ボビーがポケットをまさぐるが、ライターは出てくるのに、煙草が出てこない。「くそー、置いてきちゃったみたいだ」と言うと、先ほどの男が親切にも煙草を1本、ボビーにくれた。「いや、本当にわざとじゃないんだよ」などといいつつ、ボビーは丁寧に礼を言って、煙草をもらう。
それがきっかけとなって、3人で雑談となった。この先客はダニエルといって、向かいのビルに入っている地学のdepartmentで働いているらしい。6ヶ月前に、チリからやってきたという。チリといえばうちのラボのポスドクJCの故郷でもあるのだが、JCのように下品なジョークを言うことはなく、英語も非常に綺麗。
チリの火山帯で岩石を採取しては、走査型電子顕微鏡で観察する研究をしているという。この冬にも1ヶ月ほど、岩石採集の名目でチリに帰っていたらしい。「この長いボストンの冬を、うまいこと逃れた」とダニエル。
二人とも煙草を吸いおえたので、握手をして別れる。ボビーと二人になってから、思わず「JCより、よっぽど英語が上手いな」というと、ボビーは爆笑して、すぐさまJCに告げ口をしていた。
・ 午後、Hさんに電子顕微鏡の試料の作製時のオスミウムの使い方を教わる。オスミウムは非常に毒性が強い物質なので、所定の場所で取り扱わねばならない。うちのラボで電子顕微鏡を扱っているのはボビーとJCだけであり、彼らはこの手の危険物の取り扱いは、あまり信用ならないので、ちゃんとした知識を持った人に教わることが出来て良かった。
・ 先ほど、日本でやった仕事が、無事、受理された。昨日の段階で、受理されるか否かの結論が出るはずだったのだが、ウェブサイトで確認したところ Pending Final Recommendationと書かれていて、結論が見送られていた。正直言って、昨日から気が気でなく、仕事が手につかなかった。
先ほど、ウェブサイトを確認したところ、現在の状況がManuscript Ready for Publicationとなっており、同時に掲載されたFinal discisionでも正式にacceptされたと書かれていた。
正直言って、この論文に関しては、色々と思うところが無い訳ではない。内容はそこそこ重要なことを取り扱ったと自負しているのだが、共著者が増える過程であれこれあり、そのたびにデータが削られていったのだった。最終的な原稿を見た時点では、「これはfull paperではなく、short letterとして速報誌か何かに送った方がよいのではないかと思ってしまった。
内容を説明するための最小限のデータに限られてしまい、ずいぶんと貧弱な図になってしまった。もっと色々出来たのではないかと、少々悔いの残る論文となってしまった。しかし、既にアメリカに来てしまった身としては、いまさら何かを追加できるという訳でもなく、なんとかこれで形になって欲しいとも思った。
したがって、先ほどウェブサイトで確認した時の気持ちは、「ホッとした」という感じ。勿論嬉しいのは、それこそ誰かれ構わず捕まえて話したい位なのだが、このラボでやった仕事ではないだけに、それもしづらい。一人でこっそりと祝杯を挙げたいと思う。
これで僕が積極的に関わった仕事で論文がまだ受理されていないのは、大学院時代の同期との共同研究を残すのみとなった。もうかれこれ10年以上もかかっている仕事だから、なんとか論文になって欲しい。
他にも、運がよければ共著者に加えてもらえるかもしれない仕事が無い訳ではないが、獲らぬ狸の皮算用は止めて置く。そう改めて考えると、まだまだ論文の数が少ない。やはり、今のラボで一花咲かせないことには、研究者としての将来は無いかもしれないなと思うと、喜んでばかりもいられない。また気を入れなおして頑張らなくては。
来週は、校正やら何やらの手続きで忙しくなりそう。来週には合唱のコンサートも控えているのだが、果たして大丈夫だろうか。今週も疲れる1週間だったが、来週、再来週は一層忙しくなりそう。
* よかったね。一層の研鑽あれ。元気に。 湖
2008 5・3 80
* 昨日来、インターネットが全く働かない。必要な連絡には電話を使うしかなくなった。電話は好きでない。いきおい機械での諸連絡やメール交信は不能にひとしくなる。記事は書ける、が、更新できない。
僅かな時間、偶然に復旧したとみると即時に更新また受発信するが、恒常的に可能なのでなく、不可能にひとしい。ま、仕方がない。音楽も聴けるし映画も観られる。ワープロ機能は問題ないから「書く」不自由はない。撮り溜めた写真をいろいろに編輯することも、機械が孕んでいる過剰なコンテンツを機械外へ保管して機械を身軽にしてゆく作業もできる。「mixi」と「mail」そして「ホームページの更新」だけが停頓。
いいじゃないか、それぐらいと思うことも出来る。
* ともあれ電話連絡で、明後日の夕刻、e-OLDさんと会うと決めた。いいお天気でありますように。
2008 5・4 80
☆ 童心と良寛 2008年05月04日16:27 瑛 e-OLD川崎
「フーテンの寅さん」こと車寅次郎の銅像のある柴又駅前に足を運んでから、映画(テレビ)を見る目線が変わってきた。
映画の中に、吹く風を感じ、寅さんの実家の二階の部屋、店の奥の座敷のなんともいえない大正・昭和の家族の団らんが、ひしひしと映画の画面から伝わってくるのである。
「湖」さんの難しい引用の文と「寅さん」。感銘しました。会社定年を過ぎてから寅さんの映画の真髄をわかりかけてきた気がします。「バグワン」に通じ、老子に通じ「己、おのれ」を知ることではないかと。
心を降して俗に順はんと欲すれば、則ち故(=自己本来の心)に詭(たが)ひて情(=自然)あらず。堪へざる也」と。(湖さんの日記から転用)。
映画「男はつらいよ」を古希を過ぎるころより何回も見ていると、荒唐無稽な発想をし、傍若無人に振る舞う天真爛漫の大人の幼児「寅さん」の『優しさと悲しさ』が胸を打つ。
☆ きのう、「ざる」の人が二人(母・妹)やって来まして、ゆうべはワインやらビールやら焼酎やらを散々飲み、今夜はシャンパンにしよう、などと話し合っています。
花は、ワインを一杯いただきました。
風の、朝の述懐。
花は、風の想いに接するのが好きです。
そして、HPなどに何でもお書きになっているかに見え、書かれない風の想いもまたあろうかと想っています。
お元気ですか、風。
今日は、これから二人を車で沼津港に連れて行くつもりです。魚市場に接して鮨屋・定食屋が軒を並べてい、休日は大変な混雑だろう、と、覚悟しています。
花は元気に元気に過ごしています。ではでは。
2008 5・4 80
* 今度の「湖の本」は、ま、総じて受け容れてもらいやすい本なので、昔なじみにもかなり贈った。大阪府で人権擁護委員をしている人からも絵手紙の自著にそえて手紙をもらった。東京霞ヶ関法務省での会議に出た写真も添っていた。それはそれでよろしい。
が、わたしが日本ペンクラブ理事であるのを、そこまで「のぼりつめられて」と手紙で慶祝されているのには、正直のところ閉口した。イヤな気分であった。
肩書を評価し、ましてそんなものを「のぼりつめた」地位かのように本気で祝われては、居心地わるいこと夥しい。そんな価値観から人の「人権」がどう扱われるのか。肌寒かった。
2008 5・5 80
* 機械復旧していたので、いそいで昨日の「私語」を更新し、メールを開いて読み、「mixi」を読んで日記の二三を保存。返信や発信は一切出来ないあいだに、律儀なほど、もう機械は不調。ルーター一番下のランプは、赤に。また明日までダメか。
* 今夕は、久しぶり二人の「マイミク」でもある「e-OLDS」と浅草で歓談の予定。
☆ コップに半分の水 ボストン 雄
日本ではインターネットを使用する際、同時にプロバイダーからメールアドレスがもらえることが多い。しかしアメリカでは、仮にもらえたとしても使い勝手の悪いものが少なくない。そこで僕は普段、フリーメールを利用している。
最も良く利用しているのはgmail。googleがサポートしているフリーメールであり、容量も6GBと充分。インターネットさえ繋がれば、どこでも見ることができるので、外出時にも便利(ただし日本語対応のパソコンでないと、文字化けしてしまうが)。このほかにも、用途に応じて、いくつかのフリーメールを利用している。
今日、普段開くことの無いフリーメールの一つを偶々開いたところ、夥しいジャンクメールに混じって、見覚えのあるメールアドレスからのメールがあった。昨年の1月から8月末まで住んでいたブルックラインのアパートを引き継いでもらった、Uさんからだった。車もこの方から譲っていただいた。
Uさんは、MGHとブリガム&ウィメンズホスピタルで働いておられた外科医。実に感じの良い方で、日本でボストンの物件探しをしていた僕にも、実に親切に何度も電話を下さったし、Uさんが帰国され、入れ替わりで僕がアパートに入ってからも、「何か問題はないか?」などの電話が入ったり、逆にこちらが分からないことがあった時には、電話やメールで何度もお世話になった。
Uさんご家族はボストンがお気に入りのようで、日本に帰るのが残念だとさえおっしゃっていた。昨年のクリスマスにはボストンに来るかもしれないので、その時にはお会いしましょうとお話していたが、結局ご連絡はなかった。
メールが届いていたのは5月2日。もしかすると、このゴールデンウィークを利用してボストンに来られていたのだろうか。だとすると、もう帰国されてしまったかもしれない。メールには簡単な文面と電話番号しか書かれていなかったので、とりあえず書かれた電話番号に電話してみた。留守電になってしまったので、とりあえずメッセージを残したが、ホテルの電話ではないようで、個人の電話らしい。
しばらくして自宅の電話が鳴った。Uさんからだった。
驚いたことに、実はUさんはボストンにポジションを得て、再び戻ってこられたのだという。お子さんの学校の問題もあって、しばらくは奥様とお子さんを日本に残し、ご自身はボストンで単身赴任するという。
*
外科医であるUさんにとって、日本に帰国した際、一番不安だったのは手が元通り動くだろうかということだったという。内視鏡は問題なく使えるだろうか、手術なども長いブランクを挟んで大丈夫だろうか、と不安だったらしい。しかし半年もすれば、自転車に乗るのと同じように、昔の勘が完全に戻ったという。
そんな折、ボストンの元ラボから、戻ってこないかというお声がかかったらしい。今度は、こちらで5年以上過ごすことを念頭に、グリーンカードの取得も視野に入れた上で働くという。
「日本の、とくに医者の世界は、2年位アメリカなどに留学して、「私はハーバードに居ました」とか「私はMGHにいました」といって、ふんぞり返っている人も少なくないし、自分もそうしようと思えば出来たかもしれない。でも、まだ自分は若いし、手術だって一度身についたものは、勘を取り戻すことはできる。そう思ったら、これから落ち着いてしまうのではなくて、もうひと勝負してみたくなったんです」とUさん。
30代後半になると、多くのスポーツ選手が引退する。研究者はスポーツ選手とは違うけれど、その気持ちは分からない訳ではない。大学院生の頃だったら何でもなかった徹夜でも、今では翌日以降しばらくの間、影響が現れる。過去の多くの優れた研究者たちを見ても、真に創造的な仕事をしているのは30代前半であることが多い。
良く言えば、今が脂の乗り切った時期なのかもしれないが、今後が下り坂なのだろうということは、容易に察しがつく。目を背けたいが、多分事実なのだろう。
僕が果たして何歳まで生きるのかは分からないが、いずれにせよ既に折り返し地点を超えているか、そろそろ差し掛かっている頃であることは確かだと思う。今後の人生で何ができるだろう。時々、そのことを考えると重い気持ちになるが、Uさんのように僕と同い年であり、これから新たに、ひと勝負しよう、という人を見ると、勇気付けられる。
コップ半分の水を、「あと半分しかない」と思うか、「まだ半分残っている」と思うか。要は気の持ち様だろうと思う。
Uさんとは、近々お会いする約束をして、電話を切った。
* 人生の微妙な重さ。次の一文にも、人生の鈍い痛みが一人の影像(シルエット)に感じ取れる。それは誰しもに他人事(ひとごと)ではない。
☆ ある影像(シルエット) ハーバード 雄
プリペイド携帯のチャージ額が残りわずかとなったため、ハーバードスクエアのCVSに行きがてら、Cafe of Indiaで遅い昼食を摂る。
外はまさに春爛漫といった気候で、まだ多少肌寒いけれど、陽の光が当たるとポカポカと暖かく、もはやコートは不要。ホットコーヒーではなく、アイスコーヒーを飲みたくなるような気候。
*
オープンテラスの店内でカレーを食べていて、ふと大学院時代の先輩Yさんのことを思い出した。Yさんは、僕が博士課程に入学してから1年間、僕に実験を教えてくださっていた先輩だった。
こんな気候の頃、研究所の向かいにあった「タンドール」というインドカレーの店に、よくYさんと行った。土曜日には生協食堂が閉まってしまうこともあって、土曜の昼下がりに「タンドール」でカレーを食べるのが、当時の僕の最高の贅沢だった。行く度に、「こんなに大きかったっけ?」と思うほど大きく感じられるナン。カレーの味も最高だった。
Yさんは、いつもくたびれた白いTシャツとジーンズを履いていて、同じような格好をしたもう1人の先輩と共に、当時の時代背景もあって「ラボの猿岩石」と呼ばれていた。
Yさんのご実家は病院なので、本当は御曹司なのだけれど、医学部卒業後すぐに基礎研究に進むことにお父様が反対され、半ば勘当状態で大阪の実家を飛び出し東京に出てきたという。たまに行く健康診断のアルバイト位しか収入もなく、当時は風呂無しのアパートに住んでおられた。隣の部屋に、良く借金取りが押しかけていたというので、どんなアパートかは想像に難くない。
ちょうどゴールデンウィークの頃の土曜日、ラボでコーヒーを飲んでいたYさんは、コップを倒して白いTシャツを茶色に染めてしまった。しかし、どうしても昼に「タンドール」でカレーを食べたくなったYさんは、上から白衣を着て、白衣の裾を一生懸命になってジーンズの中に押し込もうとしていた。
見るに見かねて、僕は上に着ていたYシャツをYさんに渡し、僕は中に着ていたTシャツのまま、二人で「タンドール」に向かった。通りすがりの知り合い達が、「なんだかいつもと逆だな」と口々に声をかけてきた。とても天気の良い日だったのを、12年経った今でも良く覚えている。
*
Yさんは驚くほどのハードワーカーだった。よほど何かの用事が無い限り、Yさんがラボにいないということは無かった。朝の8時から夜中の2時まで働いているという噂だった。
ある日、「たまには旨いものでも食べに行こうか」と言って、白金の高速道路下にある、「とんかつ すずき」に連れて行ってもらったことがある。そこで豚カツを食べながら、Yさんは「僕、卒業したら留学しようと思ってるんや」と僕に告げた。ちょうど博士課程最終学年だったYさんは、卒業後の進路をあれこれと悩んでいるようだったが、ようやく決心したという。
Yさんは尊敬できるサイエンティストだったが、唯一の弱点は英語だった。
ラボに実験しに来ていた外国人に”Thank you”と言われても、どう返して良いか分からず、ずっと”No, Thank you”で通したという。留学先のインタビューのため、初めてアメリカに行った時には、隣に座っている人に「ちょっとすみません」とどう言ったら良いのか分からず、なんとトイレに行くのをずっと我慢したと聞いた時には、もはや開いた口がふさがらなかった。大阪人のYさんは、それでも、「でもなあ。隣の外人さんは、多分、分かってくれたと思うで~。ユーはグレイトなジャパニーズのボーイや、ってな」と言っていたが。
*
思い出すと顔が赤くなるようなこともある。当時ラボの秘書だったKさんが、テニスをしていて足を骨折してしまい、入院してしまった。 ある土曜日のこと、
「これからKさんのお見舞いに行ってこようと思うんだけど、君も一緒に行くか?」と聞かれ、
「はい、行きます」と答え、入院先の横浜の病院にお見舞いに行った。
次の週になって、他の先輩にその話をしたところ、
「お前は馬鹿か?あの二人が付き合ってるのを知らなかったのか?」と言われ、あまりの無粋さに顔から火が出る思いをした。朝8時から夜中2時までラボにいるYさんが、どうやってKさんと付き合うのか、僕には想像もつかなかった。
見舞いに行った際にもそのことに気づかぬどころか、Kさんのお姉さんご夫婦に「飯でもどうですか」と誘われ、横浜名物サンマーメンまでご馳走になったとは、口が裂けても他の先輩には言えなかった。
ラボの先輩の言うとおり、Yさんは卒業と同時にKさんと結婚され、二人でアメリカに留学された。アメリカに行かれる際、僕は藤原正彦の「若き数学者のアメリカ」(新潮文庫)を先輩にプレゼントした。
*
アメリカに行って3ヶ月位経ったころだろうか、Yさんが一時帰国してラボに顔を出したことがあった。
「頑張ってますか?」とYさんに聞かれ、「はい。Yさんはアメリカ生活はどうですか?」と聞くと、「僕は相当へこんでます」とYさん。驚いた。今まで弱音を吐くYさんなど、見たことがなかった。
それから1年後、やはり一時帰国したYさんに、「今は、電気生理とかやってるんですか?」と聞くと、Yさんは寂しそうに笑いながら「今は1M Tris(緩衝液の一種)とか作ってるわ」と言った。本来なら技術補佐員がやるような仕事だ。
やはり、英語が苦手だったことが相当に厳しかったようだった。はじめはラボのメンバーと殆どコミュニケーションが取れなかったという。そのため、ベンチも与えてもらえず、しばらくたってからようやく、他の人の3分の1ほどのスペースをもらえたという。ハワード・ヒューズ研究所のラボでポスドクの数も膨大であったし、ボスもいちいち一人一人のポスドクに目が行かなかったのだろう。ヒューマン・フロンティア・プログラムという、留学助成金としては世界で最も権威のあり、且つ額も期間も恵まれた助成金を得ての留学だったというのにこの仕打ちでは、きっとYさんにとっては苦痛の日々だったに違いない。
帰国後は、研究室にゆかりのある先生のラボでポスドクをされていた。僕が愛知に居た頃、たまたま東京に帰省した際、ばったりと有楽町駅で会ったことがあった。二人して「どうしてここに?」と声を上げた。喫茶店に入り、お互いの近況などを話した。
留学する直前、とある先輩から、Yさんが研究をやめ臨床に戻るべく、研修医になったと聞いた。40歳という節目での決断だったようだ。お子さんも二人おられ、色々考えての選択だったのだと思う。40歳になってからの研修医は厳しいものに違いない。それでも、きっとユーモア溢れるYさんのことだから、患者さんから慕われる医師になるだろうと容易に想像できる。しかし、ああいう優れた研究者が研究の道を断念せざるを得なかったことは、僕にとってはなんとも寂しく、残念なニュースだった。
* わたしがこの一文をこうあつかましく此処にとりあげるのは、これが単なる噂話でなく、一人の「人」をしっかりとらえて自身を対面させながら、ほんものの物思いがきちんと書かれているからだ。その辺に転がった下手な小説にはとても出来ていない、藝以前の文藝なのである。
☆ 姉と弟 2008年05月06日00:57 光
4つ年上の姉がいる。
今から思えば、一風変わった感覚の持ち主だったかもしれない。
*
私もあまり覚えていないのだが、3歳くらいの時だっただろうか。
実家には、今のような薄型テレビではなく、当時は足のついた大きなブラウン管型の四角いテレビが畳の部屋に置いてあった。
高さはどのくらい。感覚的には、1mくらいあったような気がするが、それほどでもなかったかもしれない。
おそらく、姉と畳の部屋で遊んでいたときのことだろう。
姉曰わく、「高いところから飛び降りると、鳥になったみたいにふゎーってなるんだよ」
「・・・」
「テレビの上から、いっしょに飛び降りてみようか」
「手、つないで、1、2の3で飛び降りるからね。そーれ、1、2のさんっ」
ごきっ。
おそらく、体の大きな姉に引っ張られて、そのまま畳の上に落っこちたのだろう。足をくじいて、親がわーわー言って、病院に連れて行かれたのをうっすらと覚えている。
*
冬のある日、親がちょっと買い物に行ってくるといって、姉と2人で留守番をしていたときのこと。
居間に横長に置いてあった大きなFF式ガス・ストーブが、カンカンと音を立ててついていた。
ストーブがONになっていることを示す赤いランプがついている。
何を思ったのか、姉が赤いランプをのぞき込んでいる。
「ねぇ、何が見えるの?」
姉曰わく、「お父さんとお母さんが見えるよ。のぞいてみなよ」
「・・・」目を近づけると、赤いランプの光が目に飛び込んでくる。
ぼやーっとした光は、見つめているといろいろな形に見えてくる。
「あっ。ホントだ!」
確かに、あの時、人影っぽいものを見た気がした。本当に見えたと思った、のを覚えている。
*
のら猫に攻撃されたのだろうか。
庭に一羽の雀が横たわっていた。まだ、ばたばた動く元気はあった。
雀のお宿のお話を知っていたせいかどうかはわからないが、介抱することになった。
敷物を入れた箱に横たえてやり、祖母が餌を食べさせようといろいろやっていた。
しかし、介抱の甲斐なく動かなくなってしまった。
母親は、庭の隅に埋めてきてあげなさい、といい、姉と2人でシャベルで穴を掘った。
そっと横たえてあげる。
姉はポケットから10円玉を取り出して、雀のそばに静かに置いた。
「三途の川を渡るときに必要だから、お金を持たせてあげないといけないんだよ」
「うん。」姉の真似して、手を合わせた。
*
今で言うところの「天然」的な姉に振り回されたのも、小学校入学前までだったと思う。
姉は現在、デザイナーの仕事に従事しているが、姉の描く天然的な構図は、やはり姉でないとムリだと、弟の私でも思う。
そんな姉と共に、幼少時を「不思議ワールド」で過ごせたことは、何事にも代え難い幸せだと、信じている。
* こういう表現(力)を身に抱いて日々を過ごしながら、こういう話題をさりげなく温かく書き出して見せるのは、この人のすぐれたパーソナリティだと謂うしかない。
☆ 茶というもの maokat
連休が明けると、流儀の講習会、総会、周年行事、夏の茶会と茶の行事が続く。
夏に男性だけで実施する茶会、茶は愛知の「瑞鳳」というのを使ってみることにした。
明日は、この絡みで、外出する。胃が、痛い。
*
昨夜には、さる東山の道具屋さんから研究室に電話が入り、七月に大徳寺の老師を招いて札幌で茶会をするのだが、水屋に入ってくれないかとお誘いがあった。
当地での不文律は、こうなっている。
稽古>師匠の茶会>流儀支部の茶会・行事>他の茶会>他流の茶会
このシークエンスでは、重要度は左が高く、右へ行くに従い低くなる。今回お声がかかったのは、カテゴリーでいえば、左から四番目の「他の茶会」。
ところが私は、一番重要度の高いカテゴリーにある「稽古」や、「師匠の茶会」にもあまり顔を出していない。そんな私が、重要度4の「他の茶会」に大手を振って出るためには、毎週の稽古に顔を出し、師匠の茶会は皆勤し、支部の茶会にも必ず出て、ようやく「他の茶会」に顔を出すことが黙認される。もちろん、これは不文律だから、知る人は知り、知らない人は知らない。
沖縄からぽっとやって来て、この不文律をしらないが為にどれほど痛い目にあったか知れない。
こんな事を気にかけなければままならないのが、当地のお茶なのだ。
*
そういえば、先に訪れた松江の城主松平不昧公には、親しい者に宛てた「最近は江戸でばかり茶が盛んになって、京や大阪の茶がすっかり廃れてしまった」という述懐の手紙が残っている。
私の感覚では、茶は今以て「西高東低」だと思うのだが、将軍在府の文化文政期は、やはり柳営の茶が栄え、京大阪の町民茶は廃れていたのだろうか。
士農工商だった時代に、町民の茶はどんなだったろう?
* 執心出精の自然科学者にして、今日の「茶」の人。この人には「茶」の表現・表象もまた同じ。苦闘はつづくようだ。
☆ パリ! 琳
こんにちは!
昨日は姉が久々にお休みなので、小田原に樹齢180年の藤の花を見に行ってきました。
小田原城は昨日の北条5代祭りの余韻が残っていて賑わっていたのですが、肝心の藤はもう散りかけて、見頃が過ぎていました。
期待して行ったのに、ガッカリ。。。
新松田周辺で帰りの電車の中から見えた、他の木に絡まった野生の藤が満開でとてもキレイでした。意外な所でお目当ての藤に出逢えてびっくりです! 一瞬しか見えませんでしたが、今日一番の美しさでした。
先日、フランスの観光ガイドブックを購入しました。
八月早々から、1ヶ月程学校の寮に宿泊の予定です。
私の行きたいアンジェは、観光スポットが何もない所らしく、アンジェのアの字も載っていませんでした。。。
でも、パリには魅力的なスポットがいっぱいです!!!
ポン・ヌフ橋にテュイルリー公園、もちろんエッフェル塔や凱旋門!!!
行きたい所をピンクのマーカーペンでチェックしていたら、ほとんどピンクに染まっちゃいました。
今から行くのが楽しみで楽しみで、枕元にガイドブックを置いて毎晩眺めています。
語学留学の為に行くという事を忘れそうな勢いです。
今、家の玄関先には、コデマリと紫蘭と鳴子百合が咲いています。
小さな空間ですが、可愛く可愛く咲いています。
私のささやかな、小さな小さなお庭です。小さな玉石を入れた、和風テイストです。
本当は大きなお庭が欲しいのですが。。。
フランスのお土産、何かご希望の物はありますか?
楽しみに探してきます! 出来れば小さくてお洒落なもの、他で手に入らないものがいいです。
考えておいて下さい!
八月一杯はアンジェですが、その後パリに一週間程いようと思います。
* いいなあ。わたしたちも、いつかやす香の通訳と案内でパリに行ってみたかった。行きましょう、ぜったい! 顔を輝かせてそう言っていた、やす香。
わたしが行ってみたいのは、フイレンツェ。パレルモ。もう一度、グルジアの首都。
2008 5・6 80
☆ お元気ですか、風 08.06.06 12:36 花
もうお午です。
よく晴れていますので、母の使った蒲団を干しています。
妹は、なんと、二晩ともリビングのソファで寝ました。ヘンな子。
昨日の夕方、駅で二人を見送りました。
母の腰は小康状態らしく、沼津への出歩きに大きな支障はありませんでした。もっとも、だからはるばる来られたのでしょうけど。
沼津港は、大変な混雑でしたが、早めに着き、目当ての鮨屋さんの、目当ての限定地魚鮨を注文できました。
近辺のおいしいお魚の味に、少しは触れていた花でも驚くおいしさでした。
鮮度がいいのでしょう、鮪の赤身がとほうもなくおいしかった。
「赤身って、おいしいんだねえ」と、人生ではじめての味に、みんなで感嘆の声を上げました。
生しらすも絶品。口の中に入れたときの、清々しいほどの鮮度。買って帰りたかったけれど、市場には釜揚げしかなく、田子の浦なら、と思い、帰りがけに寄ってみましたが、お店の人いわく、「休日は漁がないので、生はありません」とのこと。
なるほど、やはり鮮度が命なのね、と、諦めました。
夜は、沼津港で買ってきた、家のグリルにやっと入るほど大きな金目鯛の干物を、ワインと焼酎でいただきました(花はワインだけ)。
母は元気に、大きな声でたくさん喋り、帰って行きました。
妹とも、一緒にDVDを見たり、話したりでき、よかったです。
花は、見送りから帰宅するなり、ゴロ寝。
今日も休日ですが、ゆっくりします。
そうそう、楽しみにしていたバウハウスのポスター、やっと届きました。
さっそく玄関前の壁に掛けました。
風。花は風のお顔が見たいです。
元気な元気な、花。ではでは。
2008 5・6 80
* 快晴、風すこしの空のもと、夕方ともまだいえない五時十分前に鶯谷駅の上野寄り改札外へ出た。お二人の e-OLDSにもう待ち迎えられ、恐縮。
わたしの拡張した胃袋だと、改札外の老舗蕎麦屋でざるを一枚ぐらいたぐっておきたい気分だが、ひと様の胃袋を勝手に自分なみに思うのはいけない。で、すぐ待っているタクシーに乗った。この駅のこの改札外はタクシーの便がいい。言問通りをすうっと走って、運転手に「高勢」でしょ、と駐められた。
それほどの店、ほかにこの通りに面しては鮨屋がないのかも。
表にきもちよく水打ちしてあり、五時きっちりの開店で、カウンターの真ん中に迎えられた。
お一人はお酒がダメで、もうお一人は大丈夫。例の若い職人にお任せで、備前の皿に、肴を切ってもらった。いい鮑を皮切りにいい肴が次から次へゆっくりした間で出て来るのを幸い、久しぶりの歓談。ま、行儀のいいおじいちゃん三人だから、騒々しくはならない。談論風発といっても風は春のそよ風で。
此処の鮨はわたしの好みで、魚しだい、鮨飯は魚素材の風味をひきたてるていどに小さく握ってくれる。はやく満腹するのが惜しいのである。それほど肴を楽しみ酒をよろこぶ。お二人とも、鮨はもとより酒の味にも満足して下さったようで、いかにも「おとなの店」の風尚、気分もゆったりした。
* お二人の帰路をたしかめ、それなら浅草寺境内をゆるゆる行きましょうと、ひさご通りから花やしき通りをぬけて夜の浅草寺境内へ。
人出の波はすっかり静まり、本堂も五重塔もまだ煌々とライトアップしている。静まった空気の中、人けのすっかり退いての明るい照明は、ふしぎにからんとした異界の風に膚接して想われる。三人ともすこぶる明るくて清寂な浅草寺夜景に満足。
こういう時空が在ったんだと驚きもなかば、いい時に来合わせた嬉しさもなかば。電燈ひとつ消えてないまぶしいほどの明るさながら、いならぶ店店はほとんどが店仕舞いのシャッターでくるみ込まれていた、が、シャッターの一枚一枚が画板になって、店店が趣向の繪で賑やかに楽しませてくれるから、なおなお珍しかった。あれは常の仲見世では絶対に観られない。
歌舞伎の吉原の書き割りを想いながら、三人とも機嫌良く雷門までを通り抜けた、というのはちがった、ちょいと横町の「甘味」の梅園に入ると、鮨を食ってきた老人達がここで甘いモノを食べ、また話したのである。お二人とも大きな鉢で蜜豆だか餡蜜だか。可愛らしい。わたしは蕨餅。若い店の娘達はなにものだと想ったろう。
で、雷門でまた写真をとり、地下鉄で、お一人とは千葉の方へそこで別れ、お一人とわたしとは銀座線に乗った。三越前から半蔵門線に乗られたか別れて、わたしは一人になり、帝国ホテルのクラブに寄るのは今夜はやめて、銀座の「きむらや」でちいさなパンを八色ほど買っただけ、有楽町線で保谷まで『嵐が丘』を楽しんで帰った。
この若い女性の手になる新しい翻訳は、なるほどエミリ・ブロンテといううら若き才媛の生涯ただ一作を訳するのに向いているんだなあと、むかしの角川文庫の訳との口調の差も楽しんでいた。ぜんたいに物語なのだから、いまの訳は適切な翻訳の方針を賢明に選んでいるのだろうと思う。
* 幸い、機械の調子は穏和に保っていて、安心して、機械の前にいる。
☆ ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭 松
ゴールデンウィーク後半は東京で過ごしていた。5/2は有楽町の東京国際フォーラムで開催されている、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭に行った。
この音楽祭は格安の値段で気軽に音楽を楽しんでもらおうという企画であり、もともとはフランスで始まったものらしい。東京でも今年4回目となり、人気が高い。今年のテーマは没後180を記念し、『シューベルトとウィーン』だった。
格安のため、本来のコンサートホールではないし、プログラムも短めだったりする。オーケストラも有名どころは来ない。しかし、一流ソリストも多く出演し、シューベルトの普段演奏されないような曲を演奏したり、当時の演奏会プログラムを再現するなど工夫をこらしている。
私が行ったのは5/2の夜の公演で、以下の二曲を聞いた。
<1.シューベルト ロンドD438> 庄司紗矢香さんヴァイオリン、ヤチェク カスプシク指揮、シンフォニア ヴァルソヴィア
シューベルトにヴァイオリンとオーケストラの為の曲があることを初めて知った。シューベルトらしいメロディーにあふれた良い曲。五千人も入る会議室で演奏されたにもかかわらず、ピアノからフォルテまできれいに音が響いてくる庄司さんの演奏は素晴らしい。独奏以外の部分ではオーケストラとぴったりと合わせていた。さらに冗長になりがちなシューベルトの曲をうまく表情の変化をつけ、魅力的な演奏にしていたと思う。
こんな若いのに、趣味も良く、独奏部分で突っ走ることもなく、合奏もうまいという素晴らしい演奏をしている。最近の若い人は本当にうまいなと思う。短い一曲だったが十分に楽しめた。
<2.ベートーヴェン ピアノ協奏曲第五番 『皇帝』> ボリス ベレゾフスキー ピアノ、ヤチェク カスプシク指揮、シンフォニア ヴァルソヴィア
ベートーヴェンらしい雄大な名曲。ベレゾフスキーも達者で音がとてもきれい。曲の随所で見せる名人藝には耳を惹きつけられる。結構独自の解釈もありおもしろい。3楽章最後のパッセージなど小さめの音から初めて、がーんと盛り上げていた。ブラボー!!
でも、ベートーヴェンなのだから、あんまりさらさら弾くのもどうかな、と思った。簡単に弾ける部分でももう少し情感がある方が好みなのですが。
オーケストラは小編成ながら堅実な演奏で良かった。ヨーロッパのオーケストラには、日本のオケにはない雰囲気がある感じがする。
こんな良い演奏を2,500円で聞けて大満足。
* 残念だが、謂われている音楽を知らない。ただ、いかにも「松」くんが楽しそう。その楽しさに薫染されるだけで、うまい料理の匂いだけかいで、それでもわたしの気持ちがよくなるから、それでいい。わたしの書くことだって、せめてそのように読まれたり伝わったりすればありがたい。
☆ ロシアの風景 2008年05月06日22:46 淳
またまたテレビの話で恐縮ですが、日曜美術館で東山魁夷の展覧会についてやっていましたね。
魁夷は青を貴重とした作品(の多さ)で知られていますが、その青い作品のうち、北欧を旅した直後に描いた風景画が印象的でした。
以前にもその絵を見たことはあったのですが、「北欧の白夜」についての解説を聞きつつ、テレビ画面に映るその風景画を眺めていて、ふと私は思い出したのです。
異国の風景を。
*
10年ほど前のことですが、ロシアを経由してドイツへ行ったことがありました。アエロフロートのひどくせまい座席に運ばれる長旅。
トランスファーというのか、モスクワで一旦飛行機を降り、そこで一泊して、翌朝再び飛行機に乗り込む。
当時ロシアは民主化の第一歩を踏み出したばかりでした。
空港で4時間以上待たされ、連れて行かれたホテルはずいぶんひどいところだった。壁紙はところどころ剥がれ落ち、浴室のシャワー口からは赤錆びた水がじょろじょろといつまでも流れました。
3人分の料金を払っていたのにも関わらず、私たちの部屋にベッドは二つしかなかった。(英語があまり通じず、面倒くさくてそのまま寝た。)
翌朝の朝食も、出されたティーカップにだれのものとも知れぬ口紅がべったりついていたり、ハムの一部はもはやカビているのかとも見まがわれる様相。
土地を包む雰囲気がずいぶん空疎で古びている印象で、「えらいところだなぁ」と感じたように記憶しています。
眠れない夜の客室に横たわりながら、外を走る車のタイヤの響きを長いこと聞いていました。
翌朝。
6時ごろだったか、7時すぎていたか、とにかくそう早くもない朝のロシアを窓ガラス越しに眺めて、私は遠い切なさを覚えました。
その時目にした風景は、魁夷の風景画のような静謐さと青白さによって、私に訴えたのです。
まさに異国の空気。
一日はすでに始まっているのに、時間は止まっているかのように感じられました。
遠くに広がる森林を包む、もやのような青白い空気は、私の知らない幻想の世界のようにも見えた。
朝はゆっくりと明けていきました。
*
ま、ただそれだけの話でございます。
* このお話しは、わたしにも、はるかに遠い物思いをさせる。
ホテルのひどさは想像がつく、が、わたし自身の実経験はこうまではなかった。それどころか、モスクワでもレニングラードでもグルジアのトビリシでも、招待客だからか、いつも豪華に落ち着いたホテルで、三人の連れが一部屋ずつ用意されていた。
わたしが感じるのは、ここに書かれたロシアの「風景」である。じつにこういう「感じ」だったと、いまも思う。わたしも、作家の高橋たか子さんらと三人で旅したのだが、帰国してすぐ持ち上がった初の新聞小説に、ためらいなくこのロシア旅行を、全面的に取り込んだ。わたしの旅のよろこびも、ものあわれも、あまさず表現されている。しかも民俗学や神話を駆使し、日本列島とシベリア・ロシアの秋を。千年の時空に溶かし込んでしかも現代の愛しい幽霊との「畢生(これは講談社の惹句)の切ない恋を書いた。『冬祭り』である。一箇所も一人称を用いなかった。
* 熱烈歓迎ということでは、それより前に招かれた中国での旅の日々は、すくなくも日々の料理だけでも素晴らしすぎるほどであったが、旅を楽しんだ点では、旧・ソ連時代のロシアの旅ははるかに自由に楽しめた。少なくも自由行動に尾行(ないし護衛)はなかった。
仰天する違和感も多々あったけれど、お国柄じゃのうと気にしなかった。むしろ風景を自分の脚でも歩いて、見て、実感した。自然の美しい国だと思えた。しかも寂しかった。
作中のわたしは旅の間じゅう、ひしと、わたしが死なせた「一組の母娘の幽霊」の深い愛に、護られたり脅されたりしつづけていたのである。
2008 5・6 80
☆ 本日初日 2008年05月07日08:42 悠
(病気静養していた稚い=)息子は、連休中にこちら(=東京の親の家)に帰ってきて、(母=)私の育児(の)休業は終了。
今朝から保育園にいきました。4月に入園した新しい保育園のため本日初日。
別れ際、ちょっとぐずってくれました。前のところではなかったんだけどなぁ。と、発達に喜びを感じつつ、出勤です。
今日は初日なのでお昼ごはんまで。一旦迎えに行って、夕方までは慣れていると思われる前の保育園に行く予定です。
元気で落ち着いて過ごしてくれるといいのですが。
☆ 初日前半終了 2008年05月07日13:19 悠
新しい保育園の初日が終了。
引き続き、三月までの保育園に連れていき、職場に戻るところです。
午後からの保育園に行く途中、寝てしまい、寝たまま登園。
目が覚めたときが怖いです。プロにお任せということで。
がんばれよ!
* がんばって!
☆ 秦さんへ 笠 e-OLD千葉
昨日はほんとうにありがとうございました。元気がはちきれそうな秦さんと元気が歩いている「瑛」さんに元気を沢山貰って帰って来ました。みつ豆も最高でした。
地下鉄浅草橋駅構内の自販機のドリップコーヒーがブラックで美味しく、腰掛もあったのでゆっくりしました。明日からまた頑張ります。
ライトアップなどはもったいない限りだと思っていましたが、浅草の観音さまはいいことにします。絶景でした。
余談ですが、寺尾聡の映画「雨あがる」で、雨に閉じ込められた宿で宴会が出来たとき、松村達雄が、「こうゆう事が年に一度でもあれば生きていけるんだよなあ‥」という場面が思い浮かんで来ました。
もう一つ、なぜかしきりに「‥あれはなじょのおきなども、そやいづくの‥」と秦さんの小説の場面を思い出していました。今日はゆっくり、その『神歌』(湖の本36)を読み直しました。「市田のおじさん」や「美代ちゃん」「寒谷(さぶたに)のひぃお祖父ちゃん」にも会えました。
宿題の、CD-Rに音楽を焼く方法は、別に「iTuneを使う」のファイルを添付しました。うまくいきますように。
「舟」の次作は自分で彫ったハンコを動かしたもので未完ですが。もう少しプログラムを勉強します。
一番過ごしやすい季節のようです。どうか引きつづきお元気で。またお会いしましょう。 拝
☆ 立夏過ぎて言問通り 瑛 e-OLD川崎
秦様、「笠」様
昨日は江戸情緒濃くのこる言問通り、気品ある鮨店「高勢」、露伴の五重塔、浅草寺、仲見世の裏の甘味処などなど、大変お御馳走になりました。人生の「林住期」での忘れ得ぬ最大の思い出と、心から感謝申し上げます。
江戸という地政学、文化を再認識する契機にしたいと思います。
それと、要らぬものは捨てていく、など、余韻嫋嫋のひと時でした。
写真をお送りします。
今夕は余韻に浸るべく「笠」さんに頂いた「ジャック・ルーシェ/プレイ・バッハ」を聴くつもりです。 拝
2008 5・7 80
☆ そんなわけでマイケル・ムーア 2008年05月08日01:02 麗
どんなわけで? …ハハハ
映画『シッコ』
アメリカにおける医療問題を取り上げたドキュメンタリーです。
133分。
率直な感想は
「興味深かった!」
しかし不満の残る部分は多々あります。
あまりに一面的でeasyな展開などもあったりして。
基本路線は『ルポ 貧困大国アメリカ』で報告されている内容とほぼ同じ。製作は2007年。
映画中面白かったのは、フランス、カナダ、イギリス、キューバの医療制度(国民皆保険)を取り上げていたところ。それらの国々では医療に対する支払いというのは「ゼロ」だそうで、映画ではその制度を褒めそやしていました。
が、各国国民の税金の負担率はどのくらいなのか?
それが知りたい。(勝手に調べるべし)
人口の多いアメリカで同様の制度を導入するのもずいぶん大変革だろう。
それでも何年か前に、ヒラリー・クリントンが保険制度を改革しようとしたらしいが、各方面から圧力がかかりあえなく断念。
アメリカでは保険に加入していても、医療を施してもらえずに亡くなる人が現実にいる。
イギリスやフランスでのインタビューが印象的だった。
政府が国民を恐れているから「国民のための制度」が手厚くなる。でもアメリカは逆でしょ。国民が政府を恐れて声を上げることができない。
支配には2種類あります。被支配者から士気を奪い、生存そのものに危機感を抱かせ、目の前のことだけを精一杯させること。
*
ところで日本は皆保険だけど、医療崩壊という問題を抱えています。
それに将来的に、生活保護とか医療費で必要とされる額というのは、飛躍的に確実に上がるだろう。
日本は日本で、大変だあ。
☆ 年金 2008年05月08日13:09 ボストン 雄
・ 今年の1月に、日本の研究所を退職したため、共済年金には加入できなくなり、代わりに国民年金に切り替えた。そこで1月の時点で両親に手続きをお願いし、僕の日本の銀行口座から毎月引き落としてもらうことにした。
毎月分は、その月の前の月に引き落とされる。しかし、手続きに少し時間がかかるので、3月末に2,3月分を引き落とされたのを確認したら、ブランクとなる1月分については所定の振込用紙で振り込んでくれと言われたという。振込用紙には2月末日までに振り込めと書かれていたらしいが、この用紙は5月くらいまで使えますと言われたという。
3月に2か月分が引き落とされたのを確認し、両親に伝えた。両親は、振込み用紙が5月まで使えると聞いていたので、書かれていた締め切りから少し遅れて1月分を立て替えて振り込んでくれたという。
・ ところが、この連休の間に、実家宛に社会保険庁から葉書が届いたという。聞けば、1月の振込み分が遅れたので、付加分は受け付けられないと言う。ついては、これまでに振り込まれた付加分についても返還するという。
この「付加」というのが僕には初め分からなかったのだが、本来の国民年金に千円ほど付加すると、将来的にもらえる年金額が増えるのだという。これは別に、両親が頼んでそうした訳ではなく、社会保険庁の人が勝手にしたのだとか。そのこと自体も妙な話だが、そもそも「用紙は5月まで使える」と説明しておきながら、勝手に付加を取り消すというのは納得いかない。
少子高齢化が進む一方の日本で、果たして千円程度上乗せしたところで、将来本当に年金がもらえるかなんて分かったものではない。しかしながら、勝手に付加をつけておきながら、ろくに説明もせず、あたかもこちらに非があるような物言いは納得いかない。両親に頼んで、社会保険庁に連絡を取ってもらった。
すると驚いたことに、これまでの年金が引き落とされておらず、未払い扱いになっているという。冗談ではない。すぐさま、インターネットで自分の口座情報を確認したが、きっちりと国民年金は引き落とされている。
・ 噂では聞いていたものの、これほどずさんな管理がなされていることに、改めて僕は驚いた。と共に、嘆かわしい気持ちになった。
世間では、「中国は大気汚染も酷く、政府も横暴で、中国製品など締め出せばよい」とか、「アメリカの労働者の質は低く、当たり前のこともまともにできない」などと口にする日本人は多い。しかし、果たして今の日本を冷静に顧みて、果たして同じことを胸を張って言えるだろうか。
社会保険庁のずさんな働きぶり。高級料亭が、客の残り物を平然と出す国。これが果たして、胸を張ることのできる国の話だろうか?
中国だって、もとはといえば東アジア一の文明国だったのだ。日本からは遣唐使や遣隋使を送っては、その文化を学んでいた。しかし、その中華思想のせいで、今なおプライドばかりが巨大化し、中身が伴わなくなってしまった。同じことが、日本で起こらないなどという保証は、何一つない。油断して、自らを磨く努力をしなくては、先が思いやられる。
* ああ、思いやられる。
2008 5・8 80
☆ 胡錦濤の来日 ボストン 雄
主席来日の様子を、最近ネットニュースで見かける。
朝食会で安倍晋三が、「チベット」問題を口にして、一時的に不穏な空気にしたが、森・元首相がオリンピックの話題に切り替えて事なきを得た、と。
福田首相をはじめとして、どうしてこうも今の日本政府は、中国に対して腰が引けているのだろう。
チベットでの事件以来、中国のトップが民主主義国家を訪れるのは、日本が最初。当然、日本は人権問題に対して、それなりの姿勢を示すべきであったはずなのに、福田首相との会談で話題に上ったのは、パンダの貸与についてとか。聞いて呆れる。
民主党の小沢代表も、ネットニュースで見る限りでは、自身の政治信念か何かを語ったそうだが、全般的には友好的に対応しただけのようだった。
安倍・元首相は在任当時からKY(空気読めない)と言われていたので、今回の行動を「KY」という言葉で片付けようとしているメディアもあるようだが、世界の民主主義国家に目を向ければ、果たしてどっちが「KY」だろうか。
小泉・元首相が欠席したことを「エライ」などと評価している声も聞かれるが、僕には全く理解できない。何も語らないことでメッセージを発信するなどという理屈は、国際社会では通用しないと思う。何もしゃべらないのは、何も考えていないのと同じことだ。
この一件に限らず、このところ小泉・元首相の存在感が増しているというのは、僕には全く理解できない。「自民党をぶっつぶす」などという言葉のもとに、実際には国民生活を「ぶっつぶした」のに、何故国民はかくも彼に対して寛容なのか。僕には理解できない。
* その通りだ。
2008 5・9 80
☆ 寝坊の花
昨夜はほとんど眠れず、昼間に眠くなってしまい、うとうと。
いかん、いかん、睡眠を調整し、リズムを通常に戻さねば。
お元気ですか、風。
蒸してきました。予報どおり、降りそうです。
降るなら降ってしまってくれた方が、涼しくなっていいですね。
早くも週末。
今度の月曜は英語の予習が要らず、少しラクです。
風、お大事にお過ごしください。
花、元気です。ではでは。
* 中西進さん、葉山修平さんらから『酒が好き・花が好き』にいいお手紙をもらった。
2008 5・9 80
☆ 北海道もようやく山桜や芝桜、こぶしの花が咲き始めています。たんぽぽも咲いていて、近くの学校の子ども達が下校途中、花の冠を作ったりしていました。たんぽぽの咲いている方を選んで子ども達が歩道を歩いているのがおもしろかったです。子ども達の人数が多かったので、私の方は反対側の歩道を歩くようにしました。春らしい体験をしました。
病院に通う日々ですが、仕事を休んでいる分、体は楽で元気に過ごしています。
ご心配、有り難うございます。
「湖」さんも体調を崩さないよう、お気をつけください。 昴
☆ 藤の花って、きれいですね。あの藤をごらんになれたのを、花は喜んでいます。
きのうは、暑過ぎず、降られもせず、よい日和でしたね。
さてさて、今日は雨です。お元気ですか、風。
花は、床にワックスをかけようと張り切っていたのですが、週末の雨予報に、気勢をそがれました。
湿気ていると、乾きが悪いですからね。
風、どうぞお大切に。 花
* 藤の庭で、タンノウしたなあ、素晴らしかったと、広大な公園を酔うように一巡してきた頃、突如砂嵐を巻きあげ、小卓や椅子や案内板を吹っ飛ばして一陣のつむじ風が園内を烈しく疾走し、去っていった。わたしは危険を感じる程ではなかった、珍しい目を見るぐらいに落ち着いていたが、だいぶ人は騒いだし懼れていた。通りすぎればウソのようであったが。さすが上州の空っ風だと、それも来た甲斐のように思った。
渡良瀬川の岸辺では、草萌え、雲雀あがり、空は晴れて暑くもなく、残りの酒をしたみ、妻とは大昔に行った長良川の岸辺の朝を思い出したりした。
東京から中央本線に乗って、諏訪や上松で途中下車して各一泊したこともあったし、岐阜で降りて一泊し、金華山の城に登ったり長良川に放たれていた牛と遊んだりした。倉敷へも行って美術館でブラマンクの青に出逢ったのも、あのころだ、ああいう旅が、いわば、新婚旅行だった。
* そういえば、昨日浅草に戻って入った天丼の店は、もう三、四年前、昔の学生君と、まだもやもやしていたらしい彼女とを花火に誘った夕方、腹ごしらえをした店だった。すごい人だかりの浅草寺を游ぐように通り抜けて、招かれていたビルの上へ二人を連れて行った。
せいいっぱい彼を彼女に売り込んだ、むろんウソもイツワリも掛け値も、無く。
あの花火のあと、あっというまに婚約が成り、結婚し、海外勤務に彼は飛び立った。奥さんも追っていった。そして親勝りにハンサムな赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんは日本へ帰ってきて、何語を話しているのかなあ。
2008 5・10 80
* 今日は雨です。 琳
こんにちは!
今日は雨でとても寒い一日です。
お花見が昨日で良かったです。
藤、素晴らしかったのですね、羨ましい。来年こそはキレイな藤を見に行きたいです。
千の風になって、たまには泣いても構わないと思うのです。
やす香は周りの人に気を使う優しい性格だったから、おばあ様の前で涙は見せなかったかも知れません。でも本当は、やす香自身が一番泣きたかったと思うのです。おばあ様の涙が溢れた時は、やす香も手を取り合って泣きたい時なのでしょう。
たまにはそんな時があっても、やす香は喜んでくれると思います。
うちの裏に、もの書き屋のおじいさんが住んでいます。
私の部屋の窓から、裏のお玄関先や門が良く見えます。うちの子はいつもその窓から外を眺めています。裏のお宅もネコちゃんを飼っています。
裏の方達は、うちの子を見ると声を掛けて下さいます。裏のおばあちゃまは、名前が覚えられないらしく、“おにいちゃん、おにいちゃん”と大声で声を掛けて下さいます。
先日も物書き屋のおじいさんに、ばったりお目に掛かったら、“お宅のネコちゃん可愛いですね”と言われました。
“そうでしょう、そうでしょう、可愛いのですよ!”と内心思いましたが、口には出せませんでした。
もの書き屋のおじいさんは、本を書いたり、ラジオのの筋書きを書いている方です。
お外でお目に掛かると、長身で足が長く、ジーパンを穿きこなし、白やピンクの縞々のTシャツなどをお召しになっています。お似合いで、とても素敵です。
ところが、我が家では人には言えない秘密を握っています。
なんと! 朝刊を取りにいらっしゃる時は。。。。。。。ステテコなのです。
姉と私は引っ越した時から、ひそかに “ステテコおじさん”と呼んでいます。もちろんいっぱい愛情を込めて♪ なんだかほのぼのして、それもいいものです。
でも、うちの父はまだステテコは穿いていません。
大きな声では言えませんが、面白くて大好きなご一家です!
昨日は久々にアルバイトに行ってきました。
年に一度のこの日はチャリティーで、募金をして下さった方にアイスを一つプレゼントします。2時間だけのキャンペーンでしたが、700人もの人が来ました。昨日は風が吹いていて涼しかったので、例年より人数が少なかったようです。
でも、おばあ様の藤の日には心地良い天候でなによりでした☆
いつもは、おじい様の自転車お気をつけ下さいませとだけ書きますが、今回から、おばあ様お庭のお手入れお気をつけ下さいませ、と付け加えます。
塀の上、心配ですもの。ウフフ☆
それと、私の国語力のない文章を、いつも素敵にして下さって、ありがとうございます、とおじい様にお伝え下さいませ。ほんの少しの変化で魅力的な文章に。。。マジック☆
天候不順の日が続きそうですが、体調を崩されませんように。
* まみいやおじいやんに、すてきな話し相手をブレゼントしてくれたやす香に、あらためて感謝している。「琳」さん、ありがとう。わたしもむろん、妻が、どんなに励まされているか、はかり知れない。
2008 5・10 80
☆ ご無沙汰しています。相変わらず海外中心の生活が続いているものですから。戻りましたら「湖の本」、『酒が好き、花が好き』が届いていました。あまりに楽しく、かつ納得させられること多く、一気に読み終えました。しかも、花と酒の間に巧みに「女性が好き」というエッセイも加えられているようで、一人合点ばかりしていました。
先生のご好意で、いつも只読みばかりでしたが、どうか次回から定期購読者リストに加えていただければ幸いです。
これからの2年間、日本ペンには獅子奮迅の活躍が期待されています。私自身は全くの門外漢ですが、何とかして海外における日本のスペースを拡大すべく努力するつもりですので、今後とも相変わらぬご指導をお願いする次第です。
総会でお会いすることを楽しみにしています。 ペン理事
☆ いつも恐縮です。
大兄は書くことの可能な限りを尽くし行く作家のように思いました。 ペン理事
☆ 万緑の五月。
お健かにご活躍のご様子、大慶に存じます。<湖の本>『酒が好き・花が好き』の御投恵に深謝します。先の『梁塵秘抄』『閑吟集』にも感心しましたが、このたびのものにも心を打たれました。古典への造詣が深いことはよく存じ上げておりましたが、加えて自在な思いが盛り込まれ、しばしば恍惚とさせてくれる世界でした。よい御本、ありがとうございました。 作家
☆ お元気でいらっしゃるでしょうか。
「湖の本」エッセイ43ありがとうございました。ゆっくり、ていねいに読んでおります。いつも、いかに、私は何もしっていないのだろうと思わせます。そしてこのように深く、しっかりとみつめた時に、何かが生まれるのだと思うのです。一つ、一つは、とても興味深く、考えさせられ、そして、おもしろいです! まだ半分ほどなのですが、秦様の本は、ゆっくり、じっくりよむものと思っています。 詩人
* 一日、機械をあやつって「書いて」いた。目が疲れた。
2008 5・11 80
☆ お元気ですか、風。
黒沢明の映画は、ひょっとしてNHKBS2ででも放送していたのですか。
「虎の尾を踏む男たち」「わが青春に悔いなし」「野良犬」どれも未見です。見たいなあ。
花は、高校生のとき、『羅生門』のおもしろさにびっくりして以来、好きです。
『蜘蛛巣城』の山田五十鈴には、とても感心させられましたし、『静かなる闘い』のストレートな正義感も好きです。『影武者』『乱』の頃になってくると、映像は美しいのですが、ちょっと凝りすぎな感じがしてきますよね。
きのうは終日雨でしたし、今日も家でゆっくりしていました。
ラーメン店の金券の期限が今日までなことに気づき、夕方でかけて、「こってりラーメン」を食べてきました。九条ねぎをトッピングする、京都発のラーメン店で、店員さんが、「おおきに」と挨拶してくれます。風を想います。
さてさて、このところ眠くてたまらない花は、生活のリズムを正常に戻そうと焦っていますが、とても元気にしていることに、変わりはありません。 花
2008 5・11 80
☆ 秦さま メールありがとうございました。思いやりのあるお言葉に、しばらくあったかな思いで過ごしました。
(あの古典の物語で=)陵辱された「人」って、どなたのことでしょう。(創作に=)興味津々です。
大好きな『梁塵秘抄』を、また読んでいます。
いいなあと思いながら読んでいるとき、「私は(このウタが=)好きです」とすっと書いてあったりすると、わけもなく嬉しくなります。
いままで違った読み方をしていたのが、「ふたつ」ありました。
ひとつは341番。
吾主は情けなや 妾が在らじとも棲まじとも言わばこそ憎からめ 父や母の離けたまふ仲なれば 切るとも刻むとも世にもあらじ
このうたを私は、あいそづかしをした女が未練がましく迫ってくる男に、父母の反対を口実にして絶縁を言い渡したうただと思っていました。「あんたは、情けないわね。私が一緒になるのがイヤだと言っているなら憎らしいでしょうけど、両親が反対してるんだもの、仕方がないじゃないの。切られても刻まれても一緒にはならないわよ。」と。
もうひとつは、426番
聖を立てじはや 袈裟を掛けじはや 数珠を持たじはや 年の若き折 戯れせん
「聖を立てないものか、袈裟を掛けないものか、数珠を持たないものか。でも、それは年をとってからのことで、若いうちはせいぜい、戯れをしようぜ」と。
これだと、「はや」じゃなくて、「やは」になっているでしょうか。「はや」は「早く」かも。
あるいは、「聖を立てないのはさ、袈裟を掛けないのはさ、数珠を持たないのはさ、年の若いうちに遊んでおこうと思ってさ」でしょうか。信心は、年をとってからすればいいというニュアンスがあるように思います。
こんな読み方はダメでしょうか。
12世紀は魅力的・・・。人間は平等だと、人間はどうして知るのでしょうか。目に見える世界は全然平等ではないのに。法然は、すべての人が平等に救われなければならないから、阿弥陀仏は誰でもできる口称念仏を正定の業としたと言っています。あの疫病、飢饉、地震、戦争の時代に日本の平等思想が醸成されたということ、不思議でなりません。どうお考えでしょうか。
福田首相が環境問題サミット用に何年後かにCО2の60%~80%削減を目標にすると、すごいことを言ってました。これって、たぶんクリーンエネルギー原発の推進とセットになってるんでしょうね。水力や風力・潮力発電ではムリでしょうね。
ほんとは、どっちが目的なんだか・・・イヤーな感じがしました。 大阪・まつお
* 梁塵秘抄から、先ず。わたしは自分の本でこう読んでいる。
* 三四一番。
★ 吾主は情なや 妾が在らじとも棲まじとも言はばこそ憎からめ 父や母の離けたまふ仲なれば 切るとも刻むとも世にもあらじ
「わぬし」は女言葉でしょうか、あなた、ですね。「わらは」は女言葉です、わたし。
あなた、情ないこと言わないでちょうだい。このわたしが別れましょとか、一緒に住まないとか言い 出したのなら、そりゃ憎いでしょうよ。でも、そうじゃないのよ。お父さんやお母さんが仲を裂こう となさってるだけ。わたしは、身を切られても刻まれても、あなたから離されたら、生きてなんかい ないわよ ──。
こう読めば、時代を超えた、これで、今どきの歌謡曲の歌詞にも巧くするとなりそうなくらいですね。
「わぬし」「わらは」と、この辺は、もうぎりぎりいっぱい「個人」が顔を出してきていて、私的な述懐を、私小説ふうに歌詞に表現しているのが巧い。「情無や」「憎からめ」「世にもあらじ」などと、この若い同棲者たち、どこか、ナウく、そして純情に、あなたは感じませんか。
* 親の反対を口実にしたあいそづかしの「だまし」とは読まなかった。「父や母のさけたまふ仲なれば」を挿入句に、これに多くの事情を籠め、男からの歎き節を和らげ、一貫してゆるがぬ女の優情と真情を酌んで無垢の感銘を得た、わたしは得ようとした。甘いか、な。どっちの女が好きか。わたしの場合、それで、決まる。いっしょに死ねるほどの人をわたしは小さい頃から求めていた。
歌舞伎の舞台にも、よしない「あいそづかし」ゆえに、妖刀の籠釣瓶に斬られる花魁始め、何人もがあえない惨劇を招いていた。意地悪は男であれ女であれ、感動に結びつかない。「謡ひ」「謡ふ」嬉しさに、あまり似合わない。
* 四二六番。
★ 聖を立てじはや 袈裟を掛けじはや 数珠を持たじはや 年の若き折 戯(たわ)れせん
歌っている中身は、むしろ簡単なんです。聖をとくに修験者と限ることもないでしょう。ともあれ禁欲の聖ぐらしをとおすことなんてするもんか、袈裟なんて着るもんか、数珠も持つものか、年の若いうちはさんざ色恋を楽しみたいよ、という宣言。
この歌を、あの「鵜飼は可憐(いとほ)しや」という「うた」の、「現世は斯くても在りぬべし、後生我身を如何にせん」という嘆きと一対にして眺めたい。「遊ぶ子どもの声聴けば我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」と幼な子の姿に涙をためた大人、親、老いたる古代に対して、あの嬉々と遊んでいた無邪気な子ども、新しい時代、中世は、もうはや、こんな「うた」を歌う若者にまで成長してきて、さらに、古き過ぎゆく世代をはらはらさせたことでしょう。そう思って読み直しますと、いかにも若い世代の声ですね、これは。
聖を立てじはや 袈裟を掛けじはや 数珠を持たじはや 年の若き折 戯れせん
「はや」という舌打ちとも嘆息とも非難とも聞こえてくる言葉にならない言葉の、批評!
* これらの「はや」は、「~なんかするもんか」という激意の表白、すてぜりふともなる意思表示の接尾語と理解している。後の閑吟集に至って、「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」と極まる思いの前蹤と受け取っていた。
「湖の本」版 梁塵秘抄、閑吟集がさらに世に浸透してくれると嬉しいのだが。
「まつお」さん、ありがとう。
* 「あの疫病、飢饉、地震、戦争の時代に日本の平等思想が醸成されたということ、不思議でなりません。どうお考えでしょうか。」
* わたしには「当然」に思われるが。下降史観を強いられ続けた日本で、それが極限へ来れば、恨みがち、歎きがちに切望されるのは「なぜ平等ではないのか」という呻きに裏打ちされた革命志向になる。しかし政治的に革命のエネルギーを持たない日本の人たちには、信仰という「抱き柱」は、それしかない幻想として魅惑の吸引力をもった。安定して幸福な人は、平等など意識もしないで我が世を謳歌するのが人の世の「常」なのでは。「無常」の思いは多くの場合極度の不幸の自覚にひきがねを引かれてきたように思う。
* 福田総理のCO2 削減案でサミットをリードしたいという魂胆の根には、かなりしぶとい「だまし」のからくりがすでに用意されていると、わたしも疑っている。ただの大風呂敷でなく、ほかに大きな犠牲や負担やひずみを強いながらの表面づくろいである、と。
2008 5・12 80
☆ 外の気配 2008年05月12日00:50 珠
雨降る母の日。街は賑わったのだろうか。
家の外壁塗りが始まって、窓が不透明なビニールで覆われている。家中の何処からも外が見えない。空の色も、雨の吹きつけようも、風に揺れる葉も、何も見えないと時間の流れが分からなくなる。何となく寒そうな気配。外出に何を着ようか、、、普段自然に外の様子を見て決めていたことに気がつく。着るものに迷い、外出も面倒になる。
外が見えないと、音に敏感になるらしい。ビニールの微かな揺らぎの音、雨の雫が風にのってビニールを叩く音、鳥の羽音。いつもよりも繊細に響く。見えないと、聴こえた音の源を目で追わずに、耳を澄まして音を追う。シャッターがガラガラガラと閉まるような音。でも周囲にシャッターなどない。しばらく耳を欹てていると、どうも茂った枝から雨の滴が一度に落ちてきた音らしいと分かる。ビニールも加勢した音の悪戯に、思わずドキドキしている。
見えると、まず目から求めるらしい。五感の感じ方には微妙な順序があるのだろう。見えること、見ていることに、気づかぬうちに依拠している。見えないことを選んだ『春琴抄』の佐助を思い出す。
* 急転直下の最後の一句に、惹かれた。感謝。
2008 5・12 80
* 次の、北海道の「麗」さんのレポートは敬服に値するピックアップで、有り難い。ここに紹介された『北帰行』の著者のことは、しばしば、思い出していた。優れた小説で称賛されながら、すずしやかに爽やかに新聞記者への道をえらんで東京から離れていった。優れた文学の香りがここには、この紹介記事からは、はっきり窺えて嬉しくなる。
☆ 『北帰行』から『新聞記者疋田桂一郎とその仕事』を経て「取材・文章論」に至る学習転移 2008年05月12日15:08 麗
「―ふるさとを読む― 北の人間 北の文学」編纂事業も終わった。
これに真っ先に推薦した作品が,外岡秀俊作『北帰行』だった。
この作品は,発表時,『限りなく透明に近いブルー』の陰に隠れてしまったが,作品としては,こちらのほうが上質,という評価もあったという。私も,当時両方を読み比べ,そう思った。その思い出が,迷わず推薦させた。
作者・外岡氏は,新聞記者への道を進み,一方で,報道関係の著作も,多数成している。私も,編纂事業に携わる中で,改めて,氏の作品をいくつか手にとってみた。その中で,「疋田桂一郎」という新聞記者の生き方が心に残った。
新聞記者 疋田桂一郎とその仕事 (朝日選書 833)2007
新聞社は,大事件や企画記事に取り組む際,「飯場」と呼ばれるチームが組まれるそうだ。残念なことに,その場限りの組織だが,そこでの経験は,その後も貴重な糧となって,記者を成長させる。外岡氏は,自らも属した「疋田飯場」の魅力や,疋田の記事や文章,「天声人語」,そして講演など,’50~80年代に渡る仕事を再録し,紹介している。
特に,’75年,エリート銀行員が障害を持つわが子を餓死させてしまい,懲役3年の判決を受けた直後に自殺した事件を,殺人事件として扱ったことを,「事件記事の間違い」,として背景を丹念に追い,分析した文章は,プロフェッショナルであるがゆえに落ち込む穴の底深さを示しており,印象深い。
疋田は最後に,「実際の出来事」と「記事」との差を少しでも縮めるためには,以下7点が肝要としている。
・ (警察の)発表内容を必ず一度は疑ってみる
・ 必ず現場で裏付取材を
・ 「警察情報はここからここまで」と記事中に明記する
・ 断定を急がずわからないところは「わからない」とはっきり書く
・ 上を受ける形で,書きっぱなしにせずもっと続報を書こう。
・ 警察や広報と馴れ合いで面白く話を作るな
ここまで述べた上で,「他社との競争を考えると上の主張は通じないと言われる。しかし,実際に部数で負けているのかなどを分析して,その思い込みが正しいのかを確かめ,従来の評価基準を再検討する必要があろう。」,と結んでいる。
この文章は,「社内誌」に掲載されたのみで,長く一般に知れることはなかったが,今回のこの本の刊行によって,ようやく我々の眼に触れることとなった。「ものを書く」立場の人間すべてが心してかかるべき事項を,静かに,しかし熱く,重く問いかけている。
また,文章上達のためには,自分の文章を読み,批評してくれる「異業種の人」を身近に持つこと,専門分野以外の文章を書いて「遊ぶ」機会を持つこと,などなど。疋田の主張は,取材論を経て,文章論全般にも及ぶ。「正しい文章」とは,「文法的に正しい」,「自分勝手で一方的な慣用表現のない」,「無味無臭の『真水のような』」,ものであると言う。このような文章が魅力的であることは,新聞記事に限ったことではない。
このように,知っていくことの楽しさが,次の学習をどんどん広げていく。教育用語で言うところの,「正の学習転移」というものだろうか。次に何か書くとき,「真水のような」文章が書ければ,その証明となるだろう。
* ボストンの「雄」くんがダウンしたと「mixi」に漏らしている。
ムリは利く 利くムリはある しかれども 利かぬムリするムリは ムリなり 湖
大事にしてください。
2008 5・12 80
* 国際ペンの堀さんにも、明大名誉教授でむかしの同僚粂川君にも、その他何人もの読者からもいわれた、今回のエッセイ『酒が好き・花が好き』には、はからずも中に「女が好き」の風情や情緒が匂い出ていると。ただしハッキリ云える、「女は嫌い」でもある。自分自身は、もっと「嫌い」である。無条件に人間が「好き」と思えたこともない。ただしこれもハッキリ言える。人間は好き嫌いに関わりなく「おもしろい」「興味深い」と。
2008 5・13 80
☆ 湖へ お元気ですか。
珠は静かな皐月を過ごしています。
まったく予定のない休日は、本に没頭する穏やかさで。湖のように、何冊も同時に読み進むことの折り重なる愉しみは、いつか味わいたく。
足利の藤、一度見たいと思っていたのですが、人混みをゆく元気なく、躊躇していました。藤見に、とあった私語に、湖の目を通して拝見できれば充分と、待ちました。からっ風に吹かれて房のまま泳ぐ藤は、まるで小さな鯉のようかしらなど思ったりして。
藤は、あの節くれ立った幹や絡まる蔓に惹かれます。時を経てきた幹、不思議な品、そして妖艶さ、手に取ってと誘うような、あの藤花をつける生命は、どこにあるのかと。岩場にも根を下ろす藤蔓、つよくこわく、惹かれます。源氏物語の「藤壺」は、藤の蔓そして花そのものに思えます。
紫式部は、先にあの生きようを想い描き、それから名をつけたのでしょうか。それとも、花の名からイメージをふくらませていったのでしょうか。珠の勝手な想像として、格調高い藤の花を眺めるうち生まれ出た「藤壺」、日々足元をふと濡らす朝露をのせたつゆむらさきを愛でるなか生まれ出た「紫の上」など、源氏物語は自然を精に、色濃く人に映していったお話しのようかと思うのです。
「逢花打花 逢月打月」 このままのように。
(以前に贈った帙は=)謡本入れのように作ってみたもの、「湖の本」に満たされれば嬉しく。あのうり坊、そして美しい色、織の柔かさ、珠の想う湖です。そして、勝手ながらもう一枚。若々しく輝く桃色に羊草を織りだした裂を手にしていて、いつか、湖の今を生きる大切なお孫さんに特別なご本お渡しの折に纏わせて頂けるといいなぁ、、など思ったりして。何かとお誂えの嬉しさから、押し売りかもしれませんね。どうぞ、お笑いにならずに。
また長々書いていました。
読んでくださることの、こんなことを書ける先のあることに、救われます。
どうも珠は言葉を連ねると、どの言葉も惜しくて削れず多くなるようです。出来事は、ことばよりも音よりも、色に感触になります。ただし、絵も深追いしすぎて、我ながらウンザリします。
なにもかも、珠なりらしく、同じ。。。残念ですが。
織目の美しく見えるような湖のことばは、憧れです。
ぽろぽろと美しい言葉紡がれるように。湖。お大切に。
くれぐれも、大事になさって。湖。
ありがとうございました。 珠
2008 5・13 80
☆ 大学への数学 ボストン 雄
先週、東京出版の黒木社長の訃報をネットで知る。東京出版といえば、月刊誌「大学への数学(大数)」「高校への数学(高数)」で、受験生の間では有名な出版社。
何を隠そう、僕は中学3年生の時、「高数」で読者モニターをしていた。ダメもとで応募したらラッキーなことに採用された。モニターの仕事とは、毎月二度ほど広尾にある東京出版へ行き、次の号で取り上げられる問題を解かされるというもの。各モニターがどんな解き方をしたかが、次の月の号に載るのだった。
家が厳しかったせいもあって、滅多に1人での外出は許されなかったので、山手線に乗って恵比寿に行くこと自体が僕にとっては新鮮だった。恵比寿の駅から15分位歩いて、広尾まで1年間通った。月二度行っていたにも拘らず、黒木社長を見かけた記憶は殆どない。いつも行っていたのは、お宅の隣にある倉庫の2階で、そこにある小部屋で5人位の他のモニターと一緒に問題を解くのだった。
ただ解ければ良いのではなく、「いかにエレガントに解くか」が重要だった。ゴリゴリと計算で押して行くのではなく、補助線一本で最小限の計算で答えを導くべく、あれこれと知恵を絞った。
中学生時代は「高数」、高校生時代は「大数」を愛読していた。毎週号の巻末には「学力コンテスト」(学コン)というコーナーがあり、4問程度の問題を解いて送ると、添削して返却してくれるのだが、この問題が本当に手ごわい問題ばかりだった。
「学コン」に応募して、優秀な成績をおさめると2ヵ月後の号に名前が載る。日曜日の午後など、たっぷり時間のある時に、「ああでもない、こうでもない」と頭をひねりながら、「学コン」の問題に取り組むのが何より楽しみだった。名前が載るのは励みになったし、「学コン」で名前が載るようになれば、数学にはある程度の自信を持つことが出来た。大学受験の時は、現役生の頃は最後まで「学コン」には歯が立たず、浪人生となってしばらくしてから、ようやく答案を送ることができるようになった。
浪人時代は、新宿にあるSEGという塾の予備校部に通っていた。この塾は、本来現役生を対象とした塾なのだが、僕が高校生の頃に予備校部を開講していた時期が数年間だけあった。この塾は、理数系の受験生の間では評判の塾ということもあって、予備校部にも全国から理数系に自信のある学生が沢山集まってきていた。
ここで僕は、それまで「学コン」の成績優秀者の欄で毎回のように名前を見かけた、数人の常連に直に接する機会に恵まれた。僕は、たまに「学コン」に名前が載るだけで満足していたが、彼らによれば、同じ点数でも名前が前にある人ほど、エレガントな解き方をしたことを意味するのだという。彼らは、名前が載ることは半ば当たり前なのであって、「今月は俺の方が前だった」とか、「いや、その前は俺の方が前だった」といって競っていた。
世の中には、こんなに数学のできる人間がいるのかと、圧倒された。できれば将来は数学科に進みたいと高校時代思っていたが、この経験により数学科への進学はあっさりと諦めた。
そんなに数学のできる彼らが何故大学に入れなかったのか? 答えは簡単で、文系科目が恐ろしく出来ないからだった。ある人は古文で「聖」という言葉が出てきて、僕に「これ、なんて読むの?」と聞いてきた。「ひじり、だよ」と僕。すると、「どういう意味なの?」と彼。そこで、「徳の高い坊さんだよ」と答えると、それに対する彼の返事は「なんでこの字で、そういう読み方で、そういう意味になるの?」。
彼は1年間、国語ばかり勉強していたが、結局第一志望の大学には入れなかったようだ。あんなに素晴らしい数学・物理の才能を持っているのに、1年間古文の勉強ばかりさせられ、挙句第一志望に入れない人を見ると、入試というものに対して考えさせられてしまう。
* 数学は悪夢だった。
反対に、国語や社会は、高校一年や二年のときでも、全校テストで上級生より上に出ていた。こんな簡単なものとこんなむずかしいものとが両極端だった。
大学などどこでもいいと思っていた。京都という京都をよく歩き回り、成績推薦で受験などせずに大学に行った。学校でもよく勉強はしたけれど。意欲にあふれた勉強は大学を出てから、作家になってから、猛烈にしたと思う。
2008 5・13 80
* お岩さんに魘されもせず、五時半に一度起き、そしてまた。九時半になった。小雨。冷えている。
群馬の阿部さん、きのうはお手紙を、そして今朝は名だたる美酒二升、頂戴。ありがとう存じます。京都の澤田さんから折良く酒菜に、京とびきりのお漬物を沢山。ご馳走さま。
2008 5・14 80
☆ 有難うございます。ありがとうございます。母のことお心にかけていただき感謝いたします。お陰様で手術のほうは無事おえたようですが食事が喉を通らずにいます。今は点滴で何とかなのでしょうが。高齢なので致し方ないことでしょう。ご心配をお掛けしてしまいまして申し訳ございません。 変わりばんこに見舞いに行こうと思っています。
水野さんはかつ子とおっしゃるのですが 漢字がよくわからないのであのようにお知らせいたしましたが 多分漢字が間違っているものとおもいます。また機会をつくっていろいろとお話してみます。なかなかの読書家でわたしなどそばにはお寄り出来ませんが。秦さんをよーく理解してくださる友人にめぐりあえて幸運です。何時の日かいっしょにお会いできると彼女は大喜びされることでしょう。
メールを打っている間にお目にかかりたくなりました。かなえられないことと断念しておりますが。希望だけは持ちつづけるつもりです。
足利の藤 見事ですね。よくご遠方までいかれましたね。よかったですね。 お元気でなによりです。
われわれはいつなにがあるか? 身体も、何も、わかりません。毎日が普通なのを感謝してすごしています。
車もまだ乗っていますが、もう高齢者で、判断がにぶくなるでしょうから。考えねばと思いながらの運転です。夫も自信もちながらも、ぶつけたりしています。
絵のほうも今がピークで、もう頭はいつもパニックです。水彩と油絵をかけもちでやっています。ときには展覧会の梯子もせねばならず予定で一杯です。
いつかお目にかかれますように! 郁
* 世間はおもしろい。友人の友人が久しい「いい読者」であったりする。嬉しくなる。「捷子さん」はお目にこそかかったことはないが、印象深くちゃんと記憶する有り難いいい読者です。「郁」さんも画家として忙しい日々の人になられた。よかった。
2008 5・14 80
☆ 今年の連休は日並びが悪かったので、どこにも出かけず、細々と家のことに明け暮れていました。袷の着物を手入れに出し、単と夏物を出して、温暖化用の早めの更衣するのも結構力仕事でした。
小猫が急に元気がなくなったので心配しましたところ、ハンストしていることが判明。獣医さん推奨の健康食キャットフードが気に入らなかったようで、一緒に少しだけ混ぜている好きなおやつフードだけを食べていたもよう。もともと食べ方にムラのある猫でしたので、気づくのが遅れました。マタタビ粉をふりかけたりして健康食をなんとか食べさせようとしましたけれど断固拒否。出自が野良の捨て猫ながら、「好きなもの食べさせてくれないなら死んでやるから。わたしが死んだらみんな泣くのわかってるの」という顔でじっと動きません。一も二もなく降参しました。
今はお気に入りキャットフードに鰹節をふりかけもらってとてもご満悦に元気にしています。 春
* こんなメールはまだしも無難だが、さて、猫の話。もしもこれに五月雨ざま愚痴が続いたりすれば、読んで気の晴れるはずはない。気の晴れるということが、この木の芽どきとても大切。
今日は幸いお天気は晴れやか、伊右衛門もお岩も、政治も行政も、大地震もサイクロンもおひきとり願って、街へ、いや郊外へでも一人旅としよう。人の声も言葉も、ときに無用に避けたくなる。声のない声、言葉にしない言葉が此の世にはある筈だ。
2008 5・15 80
☆ 京ののばらです みち・従妹
爽やかに晴れた初夏の陽気に誘われて、葵祭に。
加茂街道の新緑にあでやかな衣装が映え、久しぶりのお祭りを楽しみました。
今年は斎王代の十二単が25年ぶりに新調されたそうです。
木蔭は気持ちよかったですが。東京はいかがでしたか。
源氏物語千年紀で、こちらではいろいろな催しが行われています。
そろそろ薔薇が見頃でしょうね。植物園へ見に行かなくっちゃ。
また京都へおいでくださいね。 どうぞ、お元気で。
* 葵祭。季節のいろが薫ってくるよう。
2008 5・15 80
☆ お元気ですか 鳶
5.15
五月も半ばになってしまいました。月初めから忙しい日々が続いて、ホッとした途端に心が緩んだのでしょう。足腰の疲れを強く覚え、午後になると眠り、数日が過ぎました。連休の頃一度高くなった気温が寒冷前線の通過などで低くなったこと、これも体調に大いに影響しています。
介護など老人問題を、介護する立場であると同時に、次はわたし自身のことと実感しています。が、まだまだ元気に今を生きたい、暮らしたい。
ミャンマーの水害は、軍事政権によって復興さえ絞め殺されています。
そして中国の大地震。状況をテレビの画面に追って、さまざまに思わずにはいられません。三日過ぎた今になって日本や台湾などの救援隊を受け入れると・・。そうせざるをえない巨大地震・・それにしても対策が追いつかず、遅い!!
あまりに自分の時間がなく、本を読む時間もありませんでしたが、昨日『抱擁』の文庫本がようやく手に入りました。上巻650ページ、その始めから映画とは異なった構成を感じ取りました。
現代の物語、アッシュとラモットの書簡が字体の変化によって示され、またヨーロッパの異種伝説などもかなりの比重がありそうで、重層した構造とその内容とを読み解いていくには、かなりのエネルギーを要求されそうです。が、最重要な展開はやはりアッシュと
ラモットにあるだろうと思います。少しずつ読んでいきます、と書いても常のわたしのままに、恐らく不用意なまでの速さで読み進んでしまいそうです。
来週は教室の絵の展覧会があり、その方の用事で久しぶりに街中に出かます。
5.16
紫外線も強いでしょうが穏やかに晴れた空、『嵐が丘』を携えて外出なさっているでしょうか。何か面白いもの、美味しいものに出会っているでしょうか。
燻ぶり鳶もいくらか日常を変えないといけません。ただ現在は部屋に閉じこもらないと進まない作業のために時間が過ぎていきます。勿論そんなことを忘れてふらふら飛び立ちたい心境が本来の鳶? ですが。
* この人は、ケイタイのチョンギレよりも、やはり、こういう踏み込んだメールを呉れるのが佳い。わたしの見る限り原作の『抱擁』は、この人ぐらいにしか歯が立たないであろうなと思うほど。映画はほんの原作のシノプシス程度である、それでも佳い映画ではあったけれど。
原作は長大な二巻本のわたしはやっと上巻の十一章を終えて次へ移ったところ。だが、もう構想には手がかりを得たと思っている。面白いがこれは電車では読めない。急ぎ読みにも向かない。
『嵐が丘』は、通俗な読み物性を力一杯自ら打ち砕いて進んでゆく「徹底」の文藝力作で、ヒースクリフやキャサリンほどの人間を創作したうら若い女性作者は、うら若い世間知らずだから出来た奇跡ともいえるものの、天与突然のやはり天才の作というしかあるまいか。
この作者、たぶん、きわめて寡黙な詩人ではなかったろうか。世界文学の十指から外す気はちっとも起きない、嬉しい読書をしている。
☆ エミリ・ブロンテ 鳶
ご想像通りエミリー・ブロンテは詩を書いていました。妹アンも詩を書きました。二人の詩集が翻訳されています。『エミリー・ブロンテ全詩集』1995、『アン・ブロンテ全詩集』1997、いずれも大阪教育図書の出版で、手元にあります。エミリーの本は1ページに20行、約350ページに及ぶ作品群です。1836年から1848年にいたる作です。以下はヤフーの検索からの文章です。
1836年ころから詩を書き始め、アンと共に、大西洋上にある架空の島ゴンダル国での政争を描いた「ゴンダル年代記」を残した。これは現存せず、ゴンダル国の登場人物の作という設定で、『詩集』に抒情詩が収められている。有名なものに、「私の魂は怯懦ではない(No Coward Soul is Mine)」など。姉の権威によってシャーロットによる書き直しがあるという。
* ほんの小冊子詩集かと想像していたが大部のものらしく驚いている。妹のアンと共に、大西洋上にある架空の島ゴンダル国での政争を描いた「ゴンダル年代記」を残したというのも知らなかった。紫式部が仲のいい友人とつくり物語をひそひそと書きかわしていたことも思い合わされ、興味深い。
2008 5・16 80
☆ お酒をお送りしました 昴
湖さん こんにちは。
先日、お贈りしますと言った地酒を、昨日お送りしました。何を贈ればいいのかわからなかったのと、どこのお店で買えばいいのかわからなかったので、近くのお店で買った物になってしまいました。お口に合えばと思います。
明日着くようですので、ご不在の時に着いた場合は、申し訳ありません。そうならないことを、願っています。
『みごもりの湖』は、奈良・京都・滋賀の地図が欲しいなぁと思いながら読み進めています。
時間を行ったり来たりする手法にまた酔いながら、読んでいます。
* リハビリ専心の「昴」さんに気をつかわせていては、逆様だなあと、恐縮し、感謝。
☆ お返事をいただき有難うございます。早速かつ子さんに電話をかけました。とても喜んでおられました。旧富士銀行の阿部さんとおっしゃるかたから秦恒平さんのことをききましていらいの、大のフアンだそうです。愛読書として何回となく読んでられて、「作中に書かれたところを訪ねあるいています。」とのこと。 本当にいい読者。
母のことでも、重ね重ね有難うございます。
昨日は、白馬の妹が見舞いにいってくれまして、帰路 我が家で泊まって、先ほど帰って行きました。
母は、一見元気そうでも 食事は全く受け付けないで ただ点滴での栄養補給だそうです。
人間の一生! 壮絶なものですね。 お元気を祈っています。 郁
* 誰かがひとり壮絶なのでなく、気を入れて生きている人は、いろいろに壮絶にけわしい稜線を踏んで、時空の刃の上を渡っている。のどかなように、たのしそうに、余裕ありげに過ごしてゆくのは、それこそ人さまざまの心術というべきか。
四川省のとほうもない大震害、ミヤンマーのとほうもない大風難・大水難。そこに露出したアンフェアな政治の悪意。悪意の算術がはじく、とほうもない算盤玉の騒音、地球の行方。
2008 5・17 80
* 釧路の「昴」さんから、趣向優しい選り抜きのカップ酒二つが、ホタテのお肴つきで愛らしく包装され、贈られてきた。サンキュウ・ベリーマッチ。
ちょうどいま戴いている桐生からの特別大吟醸の一本も、清水をひくように旨い。日本酒は藝術品だとつくづく思う、日本列島のいたるところに藝術の酒が生まれる。日本の水の、そしてこれまた藝術品の米の恵みだ。
四川の地震禍、ミヤンマーの風水禍とその政治の無道、民衆の悲嘆と憤激とを念頭に、いまこんな美しい酒のめぐみにあずかっている平穏を、痛む胸ももろとも抱きながら、有り難い有り難いと思う。
2008 5・18 80
☆ 夜はなぜかまたもやマイケル・ムーアを見る。 惇
『ボーリング・フォー・コロンバイン』
1週間前に『華氏911』も見た。
ちょっと忙しかったのでそのままになっているが、チョムスキーの『金儲けがすべてでいいのか』も読み直している。彼等の立場は一貫しているから主張がわかりやすいし、しかも私にはそれがとてもまともな論議に思われる。
『ボーリング~』の中に、マリリン・マンソンのインタビューがあって、この方の言うこともあんまり的確なので驚いた。歌を聴いたこともないのだけれど。
いわく
アメリカは恐怖を生み出すことによって、消費を煽っている。恐怖と消費の一大キャンペーンの国だ。
この映画がソースなのか、アメリカでは一般的に知られていることなのか、アーサー・ビナード(詩人)もまた、映画で使われていたのと同じネタを使って、アメリカの現在を嘆いていたのを思い出す。
ハロウィンで子どもたちがもらうリンゴやお菓子の中に、(第三者の悪意によって)剃刀や毒薬が仕込まれているかもしれないという恐怖。そうした風聞が蔓延することによって、アメリカのハロウィンから、手づくりのお菓子はほとんど姿を消したようだ。
このように一般の人々の恐怖を煽ることによって、オイシイ思いをしたのは誰…? と、アーサー・ビナードは問いかけていたが、根本的な立場がマイケル・ムーアと同じ、ということだろう。
本編もさることながら、DVDの特典で見ることができた監督のインタビューが印象的だった。
イギリスが福祉国家から小さな政府へと移行したことに対して警鐘を鳴らしている。
アメリカのように堕落するぞ、 と。
このインタビュー中の「イギリス」を「日本」に置き換えても、同じことが言えるわ~とか思いながら見ていた。
国家うんぬんをあまり言いたくはないけれど、どこに生まれるかによって、生活や思考パターンや命そのものの重さ、そういったものが全然違ってくる、というのは恐ろしいですね。
時代だってあるし、そんなの分かり切ったことだけどね。
(インタビューは様々な問題を提起をしています。興味深いことは他にもたくさんあった)
* 「mixi」の日記が、当然かも知れないが、概して「自身」に膚接している。視野や視線がひろやかに、批評的に、他へ届いていない。連帯する気運が醸成されていない。
2008 5・18 80
☆ 秦さんへ 笠 e-OLD 千葉
出来ルウチハヤル/出来ナクナッタラアキラメル/百ニモナッテガタガタ言ウナ
この間、浅草の甘味処「梅園」で、「これからはどうしたらよいか」という言葉がありました。宿題のように頭をよぎります。もとより答の出るものではありませんが、くるしまぎれに自分への心境です。
茨木のり子著『貘さんがゆく』という本を図書館で借りて読みました。「詩人としてきたえた魂」というのはどんな魂なのか考えています。おかげさまです。
ねむくなるようないい季節ですが、いろいろお大切に。 拝
* 「出来ナクナッタラ」のタイムリーな好判断こそ、最もむずかしく、大方が失敗していそうな気がする。その伝では「出来ルウチハ」の自己診断がまた難儀を極める。体力だけならきまりはいいが、能力となると、甘えも誤信も過信も断念も、渦巻いてこよう。
出来ると思うな 出来ないと思うな それはオレの問題じゃない。したいだけ、やれ。 湖
こんなことではないかしらん。と、思っていますが、さきは暗闇です。
2008 5・18 80
☆ 空の郵便飛行 2008年05月18日21:12 瑛 e-OLD川崎
「mixi」の日記を読んでいると、この日記に何か書きたいという衝動に駆られることがある。本だとか著者だとか、歴史上の人物、旅日記ふうエセーであったり、美術館の絵画であったり、その他その他で琴線にふれると、何かを書きたい。・・・が書くための思考と蓄積が僕の「蔵」にはあまりない。積分は乏しいが「微分的発想」で「mixi」日記で読んだフランス人のサン・テクジュペリのことを書きます。
ただ書くだけで、この作家の今でいえば宇宙から地球を見ているような「詩的慧眼」を感じ、サン・テクジュペリが自分で操縦する飛行機から見下ろす下界の灯を見て感じたであろうことを、共感するのである。
老子、荘子の詩と共通するものが、「星の王子さま」にある。
夜間飛行のプロペラの飛行機の中で一人アフリカへ定期便の郵便物を運ぶ。
夜を飛んだのであろうか、昼だけの飛行であったのだろうか。
カセットに録音した「星の王子様」のフランス語の音、声を聞くと、王子様の声は子供、相手の声は名優ジェラル・フィッリップである。
月光にきらめく川の流れのような言葉です。
ドイツ語が第二外国語であったが、仏語への憧憬が残っている。
☆ 葉陰の月 2008年05月18日23: 24 珠
久しぶり、今宵は月が美しい。
桜並木の葉陰から、黄みがかったお月様が見える。
手が届きそうなのに、見つめていると雲隠れ。。。
早くあそこへ行きたいなぁ。
今日のお茶「壷切抹茶」は甘露に濃い碧、身に沁みた。苦味のない素直で高貴な味。甘みも、苦味も、生々しく思えるような、生れ落ちたばかりはこんな味か。今宵の月を愛でるには、ぴったり。
また明日から雨らしい。お月様を隠す雲も、雨も、キライ。
”ちらり”でいい、夜には其処に、いてほしい。
* おしまいの二行で、いい感じをこわされた気がする。月が好きでいて、雲や雨がキライなんて、ちょっと信じられないが。
2008 5・18 80
* 東大の「悠」さん、がんばっている。
☆ 慣れません 2008年05月19日09:16 悠
今朝も大泣きしてしまいました。新しい保育園にまだなれていないみたいです。先生にだっこされていても泣いてしまい、しばらく一緒に遊んで、おもちゃに夢中になっているすきに保育園をでました。後ろから息子らしき泣き声が。がんばれよ!
昨日は保育園の親子遠足。芝生広場であそんでお弁当を食べるだけでしたが、随分疲れたみたいで、昨晩は夕飯食べずにねんね。
ちなみに息子のお弁当。離乳食なので悩みましたが、普段食べているもで。しらす入り軟飯を一口おにぎりにしたも、ふかしいも、鳥のササミと野菜の煮物。豪快にたいらげていました。
* こどもを無事に健やかに育くむのは、とほうもなく楽しくも苦しくもある。毎晩ルソーの育児論『エミール』を読んでいて実感するのは、ルソーは、事実、自身の手と思いとで我が子を全く育てていないという、そのこと。
際限なく、とめどなく、リクツにリクツを重ねて重ねて論理は精緻に運ばれてあるようでも、誰の役に立つのだろうかと、半ば呆れながら読んでいる。書かれ言われていることが的を射ていないと云うのではない。が、上のお母さんの日々刻々の奮戦を片方に観ながら読んでいると、これこそ絵に描いた「机上の論策」であり、へたすれば読んである程度咀嚼するだけで一年はかかりそうな大部の本は、立派そうは立派そうでも、ルソーの旗印である「自然」ということから謂えば、ずばり「不自然」といわざるを得ない。わたしは世の若い親たちにこれを勧めない。
2008 5・19 80
☆ カモの算術 2008年05月20日00:52 光
川沿いのサイクリング道路を歩いていたときのことである。
この辺りの川は、市民、行政の努力あってか、比較的きれいな水辺環境を維持している。大きな鯉(ときには錦鯉など)や白鷺(っぽい鳥)など、見かけることができる。
ふと川の水面を見ると、カルガモ1羽と、なんと子ガモたちが楽しそうに散歩しているではないか。カルガモ親子だ。ちょっと得した気分である。
親ガモの周りを子ガモたちが、水面上でぱしゃぱしゃ泳ぎ回っている。
何羽いるんだ? 都合よく、親ガモを先頭に一列になった。ひぃふぅみぃ、子ガモは7羽。
川の流れは、結構速いところもある。子ガモ4羽が先に流れに乗って行ってしまう。親ガモがその後ろについて行く。
あれ、3羽は? と思ったら、親ガモは心得たかのように、後ろを振り向いた。あわてて、3羽がついてくる。
もしかして、カモは算数ができるのかも。
流れの速いところでは、親ガモの周りにぴったり寄り添うようにくっつきながら子ガモたちは泳いでいく。
子ガモさんちょいと動かないで。数えられないぞ。
ん?、1羽足りないんじゃない? 親ガモさん、気づいてよ。
親ガモさんは、知ってか知らずか悠々としている。よく数えたら、きちんと7羽いた。
私の方が、むしろ数えられていない。
気づいたら、私以外にもカルガモ親子のギャラリーが増えていた。自転車に乗った近所のおじさん風の人が、慣れた手つきでエサを与え始めた。
子ガモたち、エサ食べられるかなぁ、なんて楽しみに見ていたら、なんとちょっと離れたところにいた親ガモがものすごい勢いでやってきて、真っ先にエサをバクっと食べたではないか。
一瞬、親ガモの評価に? が点灯。それは、ちょっと大人げないんじゃないの。
ところが、親ガモが食べたのは、最初の一回だけだった。その後は、子ガモたちがエサを食べているのを後ろの方で見ているだけだった。もしかすると、親ガモは安全かどうか食べられるものなのかどうかを確認したかったのかもしれない。
親ガモ評価、急上昇である。
川辺の散歩は、こうしてなかなか楽しめるのである。
* わたしも楽しませてもらう。
☆ 対照的なセミナー 2008年05月20日13:12 ハーバード 雄
・ 朝からセミナー2つに立て続けに参加。一つ目は、うちのラボのポスドク候補のジョブセミナー。某有名ラボの大学院生で、9月に学位取得予定という。学位取得者のセミナーとしては非常に高いレベルのデータと思うが、結局何が分かったのか、結局何をしたいのか、僕には今ひとつピンと来ないセミナーだった。
二つ目は今学期最後のbrownbag seminar。演者はハーバード大学OEB(Organismic and Evolutionary Biology)のHopi Hoekstra。まだ若い女性で、カリフォルニア大学サンディエゴ校からAssociate professorとして最近ハーバードに移ってきたばかり。
OEBでは、比較的マクロな生物学を主体としたラボが多いのだが、彼女のラボで手がけている研究テーマのひとつは、「巣穴を掘り生活するネズミ」について。
アリにせよミミズにせよモグラにせよ、地中に穴を掘って、その中で生活する生物は決して少なくない。地中の温度は比較的一定しているし、何より外敵から身を守ることが容易だ。HoekstraはPeromyscusという種類のネズミが巣穴を掘ることに着目し、どのように巣を作るのかを研究している。
Peromyscusはネズミの一種であるが、マウスとラットが分岐したのが約1500万年といわれているのに対し、Peromyscusは2500万年前にマウスやラットとの共通の祖先から分岐したといわれているので、マウスやラットよりも大分遠縁ということになる。
Peromyscusの掘る穴は、くの字に折れ曲がっている (http//www.oeb.harvard.edu/faculty/hoekstra/Links/ProjectsPage.html#Behavior 参照)。
くの字の折れ曲がるところが地面から最も遠い部分であり、両端は地面に近い。しかし、地上に穴ができるのは片方だけであり、もう片方の端は地表すれすれとなっている。地上に貫通しない方の端は、避難口となっていて、外敵が入ってきた場合にはこの部分に隠れ、いよいよ追い詰められた際には、地面を突き破って逃亡することとなる。
彼女はPeromyscusを実験室の巨大なケース内で飼い、ケース内に土を大量に入れることで、形成された穴の形状を観察するという、実に地味な仕事をしている。性別との関連や、複数回にわたる巣穴掘りと巣の長さの関連などについて調べている。また、同じPeromyscusでも、更に細分化され、長い巣穴を作る亜種と、短い巣穴しか作らない亜種がある。これらを掛け合わせた際に、その子供はどんな巣穴を掘るか、といったことについても解析していた。得られた結果は、まさにメンデルの遺伝の法則を見るかのようで、ちょっと僕はびっくりした。
実験室での作業だけでなく、野生のPeromyscusが作る巣穴についての観察も行なっている。こうしたフィールドワークは体力的にもキツイだろう。二人がかりで、地上から穴に棒を入れては反対側からネズミを逃亡させ、巣穴にスプレーで泡状のものを吹き込み、中で固化させて巣穴の形状を調べるのだとか。固化された巣穴の模型の実物を持ってきて見せてくれた。
こういう実に泥臭い生物学の研究が、今なお続いていることに僕は深い感銘を受ける。日本の生物学教室の多くは、遺伝子や細胞といったミクロな研究に走りがちであり、こういう地道な研究をじっくりとやっている研究室は、決して多くない。そうした研究を日本でやるのは、非常に難しい。こういう地道な生物学でも、それをサポートしようという姿勢を見ていると、考えさせられる。
・ 今朝の二つのセミナーは、ある意味対照的だった。最初のセミナーは、最先端の遺伝子工学を駆使して、実に精度の高い情報を抽出していくような研究。しかし、そこから得られるメッセージは、あまりに機械的であり、「生物とは何か」という問いからはかけ離れているように感じられる。
二番目のセミナーは、まだまだ原始的なレベルであり、海のものとも山のものともつかないが、「巣穴を作る」という、一つの生物学的現象に密着している。どちらが良いかは、人によって意見が分かれることだろう。
個人的には後者のほうが圧倒的に好き。
* 教えてもらった。
2008 5・20 80
☆ 裁判のことで 08.05.20-2 21:10 花
風が落ち着いているように見え、花は少し安心です。風、お元気ですか。辛くない結果になることを、お祈りしています。
カモガヤのアレルギー症状なのか、しんどかったので、また薬を飲み始めたら、眠くてたまらず(副作用)、それはもうめまいのするほどで、午前は、ソファの上で、前後不覚でした。
ほんとうは買い物に出かけたかったのだけれど、体がいうことをききませんでした。
でも、無理に出かけなくてよかったです。眠気をおして運転するのは、危険ですもの。
雨のあと、強い日差しが窓から射していましたが、午すぎには雲が出てきて、涼しくなったので、出かけました。
雑貨屋さんやビデオ屋さんなど、あれこれ見て廻り、割引デーのスーパーで食料をどっさり買い込み、気持ちすっきりして帰宅。
風は、よく夢を見る方みたいですね。
夢を見る、というより、憶えている、というのが正確でしょうか。見ていても、憶えていなければ、見ていないようなものですものね。
花も、夢を憶えていることが多いです。
ではでは。
* こういうメールには、ともあれ、ホッと息がつける。ありがたい。
2008 5・20 80
☆ プレゼンテーションは難しい 2008年05月22日06:42 ・先ほどの日記の続き。 ハーバード 雄
先ほど、たまたまボスが暇そうにしていたので、昼に話してくれなかったプレゼンでの改善点について、何を言いたかったのか聞いてみた。そこで言われたのは次の3つ。
1.最初のスライドは真っ黒な、何もない状態から始めること。そして、2枚目以降のスライドでも、図を見せる前に、ある程度説明をすること。
いきなり図を見せてしまうと、聞いている人は、図のどこを見たら良いのか分からなくなり、図全体を見てしまうので、話を聞かなくなる。そこで、最初にあらかじめしゃべってしまうことで、聴衆の関心がそこにしかいかなくなるように仕向けることが大事。
2.一枚のスライドに情報を詰め込みすぎない。詳細を説明しようと思わず、そこで分かってもらいたいメッセージに絞って説明する。もし1枚に複数の内容を入れるなら、他を消しておいて順番に見せておく。これも理由は1と同じ。
3.レーザーポインター(どこを見て欲しいか指し示すのに使う)を動かしすぎない。今日のレーザーポンインターは電池が切れかけていたので、動かしてしまうと尚更光が弱まってしまって、見えなくなってしまう。
*
1と2については、スライドの全部の枚数が7枚ということで、かなり詰め込んでしまったのだが、その辺を見透かされてしまったかなという印象。3については、緊張していて手が震えてしまったのだ。それにしても、当日のレーザーポインターの電池のことまで考えなくてはいけないとは。。。
1はまさに目からうろこなのだけれど、英語の苦手な僕は、ついつい図に頼ってしまうので、先に説明するのは大変そう。でも、徐々にそういうことに気を配っていかないと、なかなか良いプレゼンはできないのだろう。
正直、かなり落ち込んだ。やっぱり質問が出なかったのは、皆、僕の話が理解できなかったからなのだろうな。タミリーは「全てのことを非常に的確に説明していたと思う」といってくれたけれど、大半の人にとっては何が何やらわからなかったのに違いない。
うちのボスはプレゼンの仕方についての講義を持つような人なので、プレゼンのプロフェッショナルと自認しているし、他の研究室主宰者達が彼のプレゼンに関するセミナーに参加する位なので、今できなくても落ち込むには当たらないと言っていたが、かなりへこ
むことに変わりはない。
* りっぱな指導だ、文字通りの。有り難い。
2008 5・22 80
* やす香のお友達から、近況を告げかたがた優しいお見舞いのメールが来ていた。ありがとう。春場所はいっしょに観たのだった。
今日もだれかと観るなら、それはもう、もう一人の孫の高校生みゆ希を連れて行ってやりたかった。
大人がなにをくだらなく争っていようと、みゆ希は「自由」にあらせたいと、そうしてやって欲しいと、わたしは法廷にも繰り返しそのことを願い出ている。みゆ希は日一日成人してゆく。その判断や行動は自由にしてやってほしい、夢にも親たちが縛らないで欲しい。
みゆ希はただ姉に引きずられて保谷の祖父母に会いに来ていたのではない。あれが最後になった二月の雛祭りのときなど、もともとみゆ希独りででも遊びに行きたい、行っていいですかと祖母に電話を呉れていたのだった。成り行きで、姉のやす香もいっしょに来ることにしたのだった。
もっとも、この孫娘がお相撲を好きかどうかは聞いたことがないが。この子は、小学校のうちに、囲碁の勝負のために中国へも行ってきた幼い女碁士で、この祖父を一回負かしているのである。
2008 5・22 80
* 以下、「雄」くんの日記をもらえば、書き疲れるだけのわたしの日記など必要がない。それほど、読んで心嬉しかった。ああ、よかったなとほっこりした。
☆ 近くのクジラ 2008年05月23日12:39 ハーバード 雄
・ 昨夜、今度引っ越す部屋に行き、今住んでいる方の家具一式のうち、どれを譲っていただくかを見に行った。結果としては、残すもの全てを引き取ることになった。
家具を引き継がせて頂いた方も研究者。大学院からアメリカに来られたとのこと。
昨日あったプレゼンの話と、それについてのボスのコメントを伝えると、
「その先生は本当に素晴らしい先生ですね。そういう指導は、特にポスドクになってしまうと、なかなかしてもらえないですからね」、と。
・ 確かに、そうだ。ポスドクともなれば、いちいちプレゼンにダメ出しを食らうことは、日本のラボでさえ殆どない。昨日のボスの指示は非常に的確だったし、決して叱ったのではなく、より良いプレゼンにつなげるために敢えて語ってくれたのだ。
今朝、ラボに来る途中、いつもの煙草エリアでボビーとJCが駄弁っていた。僕を見かけてボビーが「昨日のセミナー、ボスも褒めてたんだろ?」と声をかけてきた。
「いや、そんなことは無いよ。大体、アメリカ人は悪いことは面と向かって言わないからな」と僕。
すると、「いや、そんなことは無い。例えばお前の着ているシャツの色は良くない。あと、お前の髪型も良くない」とボビー。
少し真面目になって、ダメ出しをされた話をする。するとJCが、昨日ボスが指摘したのと全く同じことを口にした。
彼らは二人とも昨日の僕のトークには顔を出していないので、僕のセミナーを聴いた訳ではない。かといって、僕がいつもそうしたヘマをしていたという訳でもない(と思う)。
つまり、彼らが指摘したのは、彼らが自分自身のプレゼンに際して注意していることだった。この辺りは、やはりボスの指導の賜物なのだろうな、と思う。長年ボスと接しているうちに、直接的か間接的かは分からないが、こうした指摘を受けてきたからこそ、自然と注意を払うようになったんだろう。
・ ボストンに来て間もない頃の日記にも書いたが、留学を決めた理由の一つに、
「クジラを見たければ海に行け」という言葉があった。是非とも海に行って、クジラを見たいと思った。
実際、ボストンに来て、今まで名前しか聴いたことの無い著名な研究者達に数多く接することができた。
しかし、あまりに身近すぎて忘れていたけれど、まさにうちのボスこそ「クジラ」だったのだということに、改めて気づいた。あまりに優しく寛大であり、あまりに頻繁に接しているがゆえに、そのことに気づかなくなっていた。彼と一緒に仕事をできることに、改めて感謝の念を抱いた。
・ ラボに戻ってから、少し書類仕事をし、ようやく実験に取り掛かる。このところ、セミナーやら校正やらで、実験から少し遠ざかっていた。今週から来週にかけては、仕事が忙しくなりそう。頭を整理して、何を優先して進めるかを決めなくてはならない。
* こういう指導者、こういう後輩。どこの世間にもあるだろうが多くない。少ない。少なすぎるかも知れない。
2008 5・23 80
☆ 「どうぞ」 2008年05月24日22: 31 悠
今日は私の小学校からの友人が家族連れで遊びに来ていました.友人は,旦那さんの転勤で最近,愛媛から埼玉に引っ越してきたところ.5歳と3歳の2人の娘を連れて遊びに来てくれました.
出張帰りの旦那さんも駆けつけてきてくれて,大賑わい.息子はお姉さんたちが元気に遊んでいるのにニコニコ付き合ってご機嫌.”営業スマイル”を連発していました.
子供がいたのでゆっくりおしゃべりとはいかなかったのですがなんとも楽しい時間でした.
これまでも子供同士が会うような場面があると,その後急に出来ることが増えるってことがあったのですが,今回は、”どうぞ”でした.
自分のストロー付きのマグカップに入っている飲み物を、私やダンナに
「どうぞ」
といって分けてくれました.のんで、”おいしいよ”というと両手をたたいて喜びます.最近こんな風に他人が喜ぶのがうれしいのか,自分の食べ物,飲み物をやたら渡してくれます(とっても,大好きなものは絶対分けてくれない).今日はそれに「どうぞ」という言葉がついてきて、びっくり.良く出来ました!!
しばらくして,遊んでいると思ったら私に、「どうぞ」といって紙おむつを一枚渡してくれました.遊びでやっているのかと思いきや,おしりはとってもかぐわしいにおいになっていました.
失礼しました.オムツ替えなくちゃいけなかったのね.
本格的にしゃべりだすともっと楽しくなりそうです.
* 嬉しくなる。
☆ 箱根の神山 2008年05月24日21: 07 瑛 E-OLD 川崎
坂田金時伝説の「金時山」へ登った前日に、箱根火山群の最高峰「神山」の姿を見たいとケーブルカー駅「早雲山」で下車、久しぶりに快晴の天気の中を急坂の山道を登って行く。
新緑の山間は樹木が茂り過ぎて見晴は無い。木の太い根っこの山道を登ってやっと神山への分岐点へ着く。
観光地はこねの山をこれまで登る気もしなかった。ところがたまたま仙石原へ午後4時に着けばよいという時間の余裕があり、山々への謙虚な気持ちで、きつい厳しい山道をあるくことができた。
箱根の山々は奥が深い山である。観光客の絶えない喧噪の観光地と、山そのものとを、同じと先入観で思っていたことの恥を知った。
「冠山」のそばを通り「大湧谷」へ下る。
登山ケーブルで前の座席におばあさんと娘さんが居た。京都の左京区に住むという。申年。昭和7年生まれ。娘さんは奈良からお供をしてきたという。箱根は初めてだという。
親孝行を思いながら日記す。
2008 5・224 80
☆ カブトムシごろごろ 2008年05月25日20:12 馨
数日前に、近所の植木屋さん(であり、私の小中学校の同級生)が母と立ち話している私のところに来て、「カブトムシほしい?」
なんでも、近くの神社の森を手入れしている時に、幼虫が大量に出てきたのだそう。
のぞきにいくと、おびただしい数のでっかいイモムシがごろごろ…。100匹近くでしょうか。この大きさでこの大量さ!
こんなにたくさんのカブトムシの幼虫を見たのは初めて。壮観です。佃煮にできそう…。
イモムシ類はそれほど苦手ではないはずなのですが、なんだかお腹いっぱいというか、胸がいっぱいというか…うえっぷ。
なんでも、機械で土を掘り返していて出てきてしまったので、轢かれないように少しずつよけていったらこの数になってしまったそうです。このところ、ミニ開発が進む鎌倉ですが、いるところにはいるんですねー。
思えばその神社のすぐそばに住んでいた頃、やたら、猫が雌のカブトムシを捕まえてきました。
「どうして雄でなく、雌ばかりなんでしょう」と、当時カブトムシを大量に飼っていた知人に尋ねたところ、メスのカブトムシは昼間、落ち葉の中で休んでいるそう。オスは木の上で休むそうです。そういえば、その猫、やたら穴を掘るのが好きでした。これだけの量のイモムシが出てくるくらいの、あの神社。掘れば掘っただけカブトムシが出てきたでしょうね~、と今はいないその猫に向かって仰向いて話しかけてしまいました。
結局、娘がほしいというので、10匹だけもらってきて(それでもかなりかさばります)、バケツに裏山の腐葉土を入れて置いておきました。今日になってダンナさんがカブトムシ用の腐葉土(そんなもの売っているんですね)やら何やらで、娘と一緒にそれなりの環境を作ってくれましたが。
なんだかいそいそとカブトムシの世話をする我がダンナ。
もしかして、昔飼ってた??
「毎年飼ってたよ。男の子のお決まりでしょ」
・・・やっぱり。
おたまじゃくしやらかたつむりやら金魚やら、我が家にはなんとなく常に扶養家族がいたのですが、今年は人間の三番目という大きな扶養家族が一人増えるので控えめにしていたのに、ついに来ました、カブトムシ。
生き物が増えると、好き嫌いに関わらずついつい真面目に世話してしまう因果な性格を、見抜かれているような気がする…。
でも、卵を生んでも孵さないからねー、と、今の時点から宣言しています。大変なことになる、というのはあちこちから聞いているので(知人は3つがいから 200匹になった、と言っていました)。卵の状態でか、孵った後かに、腐葉土の林へ放しに行こうと思っています。
でも、そこに至るかな。本当になるのかな、成虫に。
今年は忙しくて、あまり手塩にかけられないぞ~。
* ふえーっ。
夏は東山へ、クワガタ、京都ではゲンジ(源氏)と謂ってましたなあ、とりに出かけました、汗びしょになって。
2008 5・25 80
☆ メールありがとサン 泉 e-OLD 花小
約半年間悩まされた痛みはさすがに治まり、やれやれと一息ついていますが、ぶり返えしを恐れてムリはしていません。週一の新宿行き(バドミントン)は気晴らしの意味もあり、オリンピックに行けるかどうかわからへんけど、皆勤です。明日は都内で**ちゃん達とデートです。
中入り後の相撲とバレーボールの試合に連日熱中していました。今の相撲、特にご贔屓はありませんが。強いていえば千代大海かな。
バレーボール、今日の日本はセルビアに惜敗したけど強くなったので、楽しんで観られます。選手達のチームワークや全力闘志の姿は観ていて清々しい。世の若者達、こうでなきゃ!
☆ お元気ですか、みづうみ。 春
ふつうの意味でお元気でいるのは難しいかもしれませんが、今のみづうみには、藝術家としての「情念の噴出」、あるいは殺気に近い迫力を感じ、こわいほどです。
今のみづうみに大切なのは、やさしい慰めと気の晴れる人、物、事、です。
まだ幼い娘さんと息子さんを抱く、幸福の繪の中のお写真の前で、しばらく息をのんでいました。
いつかお逢いしてお話しする機会があるでしょうか。
藝術家に安らかな人生のあったためしはありません、いま、みづうみにはその「時」が訪れているのです。
2008 5・26 80
☆ お贈りします。 昴
湖さん こんばんは。
お酒も花も無事に届いたようで安心しました。
* ありがとう、昴。こころより、お心入れに、感謝します。
櫻の満開に出会うのは、えも言われぬ嬉しさですね。毎年、毎年のことなのに。
あなたもまた満開を重ねて生きてゆく人です。胸の内にも花を育てて、しゃんとした勇気をもって日々お元気で。 湖
2008 5・26 80
☆ 充電 2008年05月26日21:15 悠
息子がいて,保育園に送り迎えする日々の生活のリズムがやっとつかめてきました.仕事(=研究)のほうは先月ほど進められずにいますが,もう少し,やることを整理して進めていこうと思います.
息子のほうもすっかり慣れたようで,今朝は週末の間に先生方が作ってくださった新しいおもちゃに突進して行き,私のバイバイにも応じてくれませんでした.
一日しっかり遊んでくるため,うちに帰って小腹を満たし,お風呂に入るともうトロンとした目をしてきます.最近,夕飯は少しだけで(保育園でたっぷり食べてきているみたい),両手を合わせてた”ご馳走様”のサインをあっというまに出してきます.
しばらく遊ぶと,いよいよ眠くなってきて目をこすり始め,やがて自動的に布団のほうにハイハイしていきます.まるで,自動的に充電器にたどり着くお掃除ロボットみたいに.
ただし,”急速充電モード”があるようで,1分ほどでまた布団から這い出してきます.またしばらく遊んで充電器(=布団)へ.急速充電はすぐに放電してしまうらしく,何度かやると本格的に寝てしまいます.
朝まで,ゆっくり寝てくれるかなぁ...
* みごとな日記。
☆ 沈黙の魅力 2008年05月26日21:40 瑛 E-OLD川崎
飛行機、特急に乗ると座席の前に「雑誌その他」があるが、まず見ません。
新幹線のグリーン車に現役のときに無理をして乗ったことがある。金沢から東京への「飛行機」と同じか安い運賃で、米原経由で東京へ往復した。新幹線の車中では数人であるが、あっと驚く文化人や皇族を見かけた。作家は車両でしばらくするとわかるが、皇族は東京駅に駅長が出迎えにきていることでそうとわかったのですが。
このころの新幹線の雑誌に「グッデイGOOD DAY」が座席の前にあり、ときどきではあるが楽しみに読んだ。そのことを書く。
漱石の句があった。
句は 『秋の江に打ち込む杭の響かな』。
季節は秋だったのであろう。大岡信のエセーで写真は十和田湖の紺深き入り江であった(僕の感じた風景ですが)。
漱石が生き返って十日ばかりしてできた句だと数年して知った。修善寺の大病のころ(明治43年(1910))。
遠出をするときは、山散策のときは、漱石の俳句の本が友となった。
「歌のある風景」大岡 信著のエセーの題名を、日記の題に借りました。
* 漱石句の、よろしさ。
2008 5・26 80
☆ お早うございます。 鳶
5.23
待っている、と近頃頻りに書かれています。何を待つか、何を語りたいか、間に合っていないのは何にか。おおよそを察することはできて、そのことはつらいです。
食べるのも呑むのも自在にされる、そのほかの楽しみも自在に・・・その境地を良い方向で楽しんで欲しい。また今月初め、5.6に「わたしが行ってみたいのは、フイレンツェ。パレルモ。もう一度、グルジアの首都。」と書かれたのを読めば、フィレンツエにもパレルモにも、グルジアにも出かけて欲しいと本当に思うのです。夢の中でね、と微笑むでしょうか。
5.27
HPの記述に切迫したものを感じること多く、心騒ぎます。お体くれぐれも大切になさってください。まず、そのことを書きます。
以前近江に旅したいと書かれていましたが、何処か特に行きたいと思われている場所があるでしょうか?
2008 5・27 80
☆ 晩年の輝き 謝寅 雀
桐の花が咲いています。急な暑さや激しい雨。お変わりなくお過ごしですか。
MIHO MUSEUM「与謝蕪村展」にいってきました。晩年の画号シャインをこのキャッチコピーと銀色の屏風で、いっぺんに覚えました。
ゴルフ場の看板ばかり目にたつ、くねくね道。雨降りしきるなか前を行く高級そうな乗用車3台すべてが、小さな看板の通りに美術館に向かうのに驚いていましたら、駐車場には既にかなりの台数が停まっていて、そこに石山寺駅からのバスが着いたかと思うと、ばらばらと十五人ほどの乗客が降りてきました。
館内は思いの外の混みようで、中高年、男性、外国人の比率の高さに蕪村人気はすごぉいと思ったら、なんでもミシュランに三ツ星観光地として紹介されたそうで、無農薬農産物を使った喫茶とレストランも有名なんだそうです。2月下旬に新名神自動車道が開通し、信楽にICができたことも拍車をかけているようでした。
奇想の系譜でしたかしら、辻惟雄さんが現館長さんなんですね。秋の「川端康成と安田靫彦」が楽しみです。
「天橋立図」、應挙との合作「蟹蛙図」、「花すゝきひと夜はなびけむさし坊」の「弁慶図」に笑みを誘われ、本邦初公開という「山水図屏風」に見入りました。
木村定三コレクションにはいつだってやられます。画家のイメージが変わるいい肩透かしを食らい、すきッとするのですよ。ですが、“蕪村の月”「峨嵋露頂図巻」が見られなかったばかりか、「夜色楼台図」「富嶽列松図」と揃って二日後から展示されると知って、腑が抜け、ぐったりとして帰ってきました。 囀雀
2008 5・27 80
☆ Memorial day 2008年05月 27日14:17 ハーバード 雄
・ 今日、アメリカはMemorial day。今日を境に夏といっても良いのかもしれない。日本の感覚からすると、夏というにはまだ涼しすぎる。しかし、この連休は、本当に良い天気だった。
あいにく僕は今日、顕微鏡の予約を入れてあり、朝から出勤。さすがに、この天気のせいか、ラボには2,3人ほどしか人がいない。朝からひたすら脳のスライスを切り続け、夕方スライドグラスに貼り付ける。
休日のラボ、悪いものではない。良く晴れた休日、ほとんど誰もいない部屋で、外の青々した草を時折見ながら、のんびりとスライスを切っていると、それはそれで爽快な気分になる。人生って、捨てたもんじゃないな、という気になる。
一旦自宅に戻り、夕食を摂り、車でラボへ来て、顕微鏡。
昨日、ぐっすり寝たせいか、今日はそれほど眠く感じない。
・ 午前2時40分を回り、ようやく最後の画像取得のセッティングを終えた。これで後は寝ている間に勝手に顕微鏡が画像を取り込んでくれるはず。
今まで気温が低かったので気づかなかったが、夜12時を過ぎると、空調が切られてしまうらしく、部屋の中が蒸し暑い。おまけに、先ほど雨が降ったようで、窓をあけても蒸し暑い。
さっと帰って、シャワーを浴びよう。
20078 5・27 80
☆ 息子近況 2008年05月28日05:42 馨
2歳を2ヶ月近くになって、ようやく息子から言葉が出始めました。
今まで、かなり複雑なことまで理解はしていたようなのですが、向こうからの発信は、指さしとコクコクッといううなずきだけ。
いろんな方から「こういうタイプは言葉をずっと溜め込んでいるから、出始めると一気ですよ」と言われていました。
「一気」が来たようです。
本が大好きなのは前からだったのですが、読んでいると文の語尾を必ず一緒に発音。
「~~しました。」という文だと、「たっ!」
「~~してね」だと、「ねー」
本を読み終わると、「おンまい!」(おしまい)
どうやら子音の発音は後回しのようです。
「はな(鼻)」は「な!」
「は(歯)」は「あー」
h がふっとぶということは、キミはフランスから来たのかな。
*
お遊戯みたいな動きも多くなりました。
最近のお気に入りはアルゴリズム体操。
おばあちゃんのお家に行っていた頃に見て、多少覚えていたようなのですが、家にいるようになってからは私があまりテレビをつけないので見ていなかったのに、なぜかなんとなくそれらしく動いて遊んでいるのを見て、家族で面白がってYouTubeを見せたのがいけなかったか、食事中でも突然やりはじめたり。
「こぶたぬきつねこ」なども、自分で歌いながらブタやタヌキの身振りをしています。
先日は洗濯をしている私のところに走ってきて、両手でそれぞれ、ほっぺをぐにゅっとつかんでいる。
思わず笑って「どうしたのー?」と尋ねると、手でおいでおいでの身振り。
連れられて行くと、お姉ちゃんの本棚の端にあった「あかんべノンタン」の本を見つけ出してソファに広げていました。
確かにキミのほっぺぐにゅっは、アカンベ! 初めて見た本なのによくわかったね。
その後もあまりにも何度も繰り返し読みたがるので、ついにノンタンシリーズを何冊か購入しました。今まで持っていたのは実は私が小さい時にご近所さんから頂いたもの。ページは落ちているし、破けているし、修理したセロテープですら変色して剥がれ落ちてるし、だったので。
保育園に行きはじめたのがきっかけになったか、2歳をこえて単にそういう時期が来ただけなのかわかりませんが、お母さんはようやく双方向コミュニケーションが成り立ってやれやれです。
ただ、お姉ちゃんほどは喋らなくていいからね。
娘は家では本当に喋りっぱなし。私は「ダダ漏れ喋り」と呼んでいます。
そうそう「ダダ漏れ」って言葉、かなりな流量がダーッと流れていく時に使っていますが、主人からは「それ、どこの言葉?」
どうやら関東近郊では使わない? 私もよく考えると関西圏の人とのおつきあいが増えて使うようになった気が…。
ともあれ、娘のおしゃべりは脳天に穴があいて漏れていくような延々としたおしゃべりなので、「ダダ漏れ喋り」。
こちらのほうは、「喋りすぎ!」と、年中叱ってます。
* 癒されている。
「タダ漏れ」は京都では、「馨」さんの謂う意味で常時用いている。
* 知識の提供と、日々の「今・此処」の生きと。人さんの日記は大きく二つに分かれる。どちらがどうということではない。日によっても気の惹かれかたがちがうかも知れぬ。が、後者の方がかけ離れていても胸に響いてくること、多い。知識は、よほど珍しいと好奇心が働く。
☆ アメーバも「学習と記憶」する 2008年05月28日00:52 光
「やーい、単細胞!」
こう言われて喜ぶ人はあまりいない。
大抵は「あまり頭がよくない」みたいな意味で使われるからである。
ところが、アメーバの一種である多核単細胞生物モジホコリは、どうも「学習と記憶」ができるようだという、驚きのニュースが報告された(1)。
*
ある研究チームが、このアメーバに一定の間隔でショックを与え続けたところ、そのパターンを学習し、次のショックを見越して行動するようになった、という結果が得られたという。
ショックを与えるのをやめた後でも、このパターンを数時間くらいは覚えているようで、しばらく中断した後に再びショックを1回与えると、このアメーバは以前覚えたリズムで次のショックがやってくると予期したらしい。
今回、注目されているこのアメーバは、形を変えながら1時間に約1cmの速さでじわじわと移動する、到底物覚えが早いようには見えない、という生き物である。
しかし、この奇妙な生き物が、迷路を最短距離で抜けたり、やさしいパズルを解いたりする様子が近年報告されており、「周りの状況を把握する」だけでなく、今回のように「学習と記憶」という知性も持っていることが明らかにされつつあるようだ。
*
我々も含め生物はみな、常に変化する周りの環境を受け止めて、理解・判断し、それに応答していく能力が要求される。
そうでないと、厳しい自然界で生き残るのは大変だらかである。
「固定と安定とは違う。安定とは変化しながらバランスをとることである」とは本田宗一郎氏の言葉だそうだ。
もちろん、企業経営についての言葉であるが。
『企業は時代適応業に過ぎない。安定成長したければまず変化しなければならない、ただしバランスにも気をつけよ』ということだ。
*
アメーバですら身につけている環境適応能力は、激動の世を生き抜く上で大事なものであることを、我々に示しているのかもしれない。
(1)Nature Digest 日本語編集版, Vol. 5, No. 3, pp34-36 (March 2008)
* わたしの(と謂うてはヘンであるが、)卒業生が、こういう日記を日々に読ませてくれる嬉しさひとつで、わたしは「mixi」をやめずにいる。自分の表現の場所としてはホームページも、むろんその他に本来の場所があるが、開かれた窓としての「mixi」の意味は無視しがたい。世に背きがちな性行のわたしには、その毒をいつも中和してもらっている。
よく書いてくれる人の全部が、日頃は高度の研究機関に属して自身の仕事の深化に余念無く、だから日記も欠かさないのだろう。教授時代、わたしは学生諸君にむやみと「自身」を書かせ、読んで倦まなかった、倦むどころかわたしの方が多く教えられていた。今も。
感謝している。
2008 5・28 80
☆ ペン退会のご挨拶 会員
秦さま、しばらく無沙汰ばかりで失礼しました。
このたび、ペンクラブ(及び**委員会)を退会いたします。長く、もろもろご指導、ご鞭撻をたまわりました、厚く御礼申し上げます。
どうぞ益々ご清祥にて過ごされますよう念じております。 略儀の挨拶にてお許し下さい。 拝
* 先を越されました。 湖
**さん お気持ちの正確なところは分かりませんが、気分的には同じ思いをしていますので、先を越されたという実感です。
お引き留めする気、ありません、この頃は入ってくる人より出て行く人の気持ちの方が分かる気がしています。
それにしてもペンでのお付き合い、何年に及びましょう、よくお付き合い下さいました。
しかし**さんとはペンを離れてもメルトモであり、e-OLD同士としても友人のお一人、ペンに左右されることのない気持ちを持っています。今後も仲良くしてください。お互いに気軽にものの言い合える仲は、有り難いものです。
一種清風のようにご挨拶を聴きました。ますますのご清適をと念じます。 秦 恒平
* 濃い眠りに落ちていた。午後二時。
2008 5・28 80
* 鳶さんに指摘されていた、「待っている、と近頃頻りに書かれています。何を待つか、何を語りたいか、間に合っていないのは何にか。」
* たしかにわたしは何度も何度も「待っている」と書いてきた。それは予期して期待して待ちかまえているのではないのだが、それでも「待つ」のはよくないと、バグワンに叱られている。「待つ」のも「エゴの欲」であり、それでは、とりにがすと。
まことに、しかり、言い訳してはいけない。
「それ」は「待つことなんかできやしない。結果なら待てる。が、成りゆきは待てない。成りゆきというものは、おまえにも、お前の待機にも関係ない。」「それ」は「ひとりでに起こる。お前は待つ必要さえない。なぜならば、待つことの中にすら、欲望があるからだ。欲望があっては、成りゆきはけっして起こるまい。欲望しないこと。そうしたら、それは起こる。求めないこと。そうしたら、それは与えられる」と、バグワンは言う。
ながく付き合っていて、まだこんなところでヤラレルのだ。バグワンが何を言ってくれたかは分かっている。「待つ」こともせず。ひとりで何にもつかまらず、ただ立って。
とても、寒い。
* イエスは「求めよ。叩け」と言っているが、老子はまったくちがう。「求めるな、そうすれば向こうから来る。叩くな、そうすれば扉はいつも開いたままだ」と。
イエスは抱き柱につかまれと言う。老子は、ただ目をさませと言う。
* こういうとき、ほんもののいいものに出逢いたいと思う、人でも物でも事でも。文章でも。
きゅっと胸が絞られ痛み走る。
2008 5・29 80
☆ サンプル ハーバード 雄
・ 新しいプロジェクトのために必要なサンプルが、ついに届いた。この日を今か今かと待ちわびていた。生き物だけに、輸送の途中で死んだりしないか、不安でならなかった。
Fedexからメールが入り、配達を終えたとの記録があったが、品物が研究室に届かない。そこで、技術員のサラにお願いして、二人で荷物の一時保管所に行き、無事にサンプルの入った箱を見つけた。
研究室にサンプルを持ち運び、はやる気持ちを抑えて開封した。
だが、しかし、サンプルは生きているものの、肝心の実験には使えない代物だった。季節によって変動するものなので、こういうことは容易に想像できたことだった。以前からその点を業者には再三確かめていたのだが、やはり自分の目で確かめないとダメなのだろう。
業者にメールを送り、次からは実際に目で見てから注文したいと伝えてみた。業者へは、バスで2時間も行けば着けるはず。許可が下りれば、次からはコンスタントに足を運ぶこととしたい。
* ガマンづよくこういうこととも付き合わねばならない。彼だけのことでない。
☆ バギー 2008年05月29日17:48 悠
毎朝、バギーに乗せて保育園へ。以前のだっこ紐に荷物大量の日々が懐かしいほど楽チン。(今のところはあんまり着替が少なく、食事のエプロンも用意しなくてよいので荷物はぐっと減りました。)
雨の日はすっぽりレインカバーを装着。息子は温室にいるみたい。あんまりすきではない様子。帰りは、時にグズッてだっこで帰ると言い張る。
バギーにわたしの仕事鞄をのせて息子は片手にダッコ。片手でバギーを押していく始末。結構大変。息子はご機嫌でバスに手を振りながら帰宅。
今からお迎え。今日は乗ってくれないと傘を差す手がなくなるからね。
* 可愛くて、ご機嫌で、ちょっとタイヘンかな。
☆ 京都案内に導かれて 静 e-OLD 練馬
このところ迪子様も少しはお気持ちが外へ向かれておられるご様子。藤見物。隅田川くだりなどを楽しまれているご様子にほっとしております。
ご一緒できなかった同窓会でしたが、その報告は迪子様に写真などメールしましたが、どちらが本命だったか分からぬ、京のお寺への訊ね歩きを、感謝しながら記しました。
大阪での高校の同窓会に出席することを決めたのが前夜。
日帰りか宿泊するかも決めず、慌しく用意したバッグの中に随分以前に秦様からいただいた「京都案内(案)」と青木実著の謡蹟めぐりの本を入れて雨の中出かけました。
旧い友人との話も尽きることがなく夕刻になり、新幹線の中で読んだ案内書の魅力に負けて、家にはメールを入れ、大阪梅田泊まりを決行。
山科の醍醐のコース・伏見の東福寺のコースと、どちらとも決めがたく眠りに付いてしまいました。
梅田から近い京阪電車に乗り、東福寺の手前で、伏見稲荷の壮大な数の鳥居の写真(確か昔に旅行記の本にエッセイを書かれていました)を思い出し、朱の鳥居を見たくなり途中下車。
鳥居の胎内は山高くならない途中で、気力がダウン。お狐様にご挨拶して、東福寺へと踵を返しました。
大きな山門に圧倒されながら、通天橋を渡り、昔、紅葉のときに訪れた折は橋に群がっている人・人でしたが、今日は広い庭を散策する人もまばらで、京都の柔らかい青もみじを堪能致しました。
謡蹟の本に、東福寺の南明院に、藤原俊成の墓があると書かれていましたので、和歌にお世話になりながらも一首も詠めなかったお詫びにと思い、ぜひ訊ねたいと思いました。
境内で若いお坊さんに聞いたところ俊成を知らなく、南明院だけは場所を教えられ、本堂から西へと遠い道を歩きました。途中いくつかの寺を通り過ぎ、たどり着きましたが、境内にはお墓はなく、離れたところにあると教えられて、急な坂を上がって行きました。ここは芦屋か夙川かと思うような瀟洒な住宅地の中の一角に、裏寂れた墓地がありました。入り口が分からず坂を上ったり下りたりして小さな入り口をやっと見つけました。
草が生い茂っている中に「五條三位俊成卿墓所」と柱が見えます。数段の石段の上に白塀に囲まれ、お眠りになっていました。
探し回ること小一時間。疲れました。
東福寺に戻りお庭を眺めてしばしの一服。タクシーで泉涌寺へ急ぎました。
謡曲で聴く「舎利」を奪って逃げた重文の韋駄天を拝見と思いましたが、折悪しく今日は月曜日、宝物館はお休み。
代わりに天皇家の御座所とお庭が解放されていました。秦さんが案内書に書いてくださっていた静寂の明浄処を満喫いたしました。御座所など各部屋の襖絵も素晴らしく、落ちつきました。皇室の方々の持仏が祭られて、神仏習合? 八百万の神々がおはします日本だと妙に納得。
境内に清少納言の歌碑「夜をこめて‥」にもお目にかかりました。
京都の人も知らないと書かれている、秘仏「丈六釈迦像」の戎光寺を見つけ、お堂に上がり合掌・拝仏いたしました。
夕日が射し込み始めた参道をくだり、バス通りに出るとスーパーが目に付き、ここで京野菜をと、主婦に戻りました。「万願寺ししとう」「柔らかい九条ねぎ」など青物を買いバッグに入れ、後は、京都駅へと。
こうして一日が過ぎると、まだまだ訪ね歩きたい処が残っていて、山科の醍醐コースへは、是非また案内書を持って出かけたいと思っています。
親切で明快な案内書きに感謝いたします。ありがとうございます。また活用させてください。
梅雨入りの前の冷たい雨、お体を、お大切にお過ごしください。
迪子様にもよろしくお伝えください。
* 懐かしいところばかり。お稲荷さん、あの朱の鳥居鳥居に「気力がダウン」とあるの、分かります。だんだん怕くなってくるもんなあ。
☆ 六本木の絵画展 2008年05月 29日23:10 瑛 e-OLD 川崎
朝から雨が降り止まない。
六本木の美術館へモディリアーニの絵を見に行く。ひと月前に岸 恵子をゲストに迎えた「日曜美術館」の放映を見ていたが、ゲストはモディリアーニを「感性」で知りつくしていた。この画家の絵を見たいと思っていた。
画家の展覧会は一回みているが、友人から声かかりうれしく今日は絵を見ました。
酒に溺れる画家のユトリロの絵はモーツアルトの曲が聞こえる。
同じく酒を友とするモディリアーニの絵は人物の目が無言で何かを語りかけ、長い首の線がそれほど長くはないと今日感じた。
モディリアーニは彫刻家を目指した時期があった。
雨で館内は来館者もそれほど多くはない。
印象深い作品は「C・D夫人」、数点の「ジャンヌ・エピュテルヌ」の絵であったが、死近き青年画家のモデルになった絵の主人公の当時の時代の息を聞きながら、画家とモデルとバーチャルな時間を共有した。
* 佳い感じ。
2008 5・29 80
* 何日か前、 「mixi」の「雄」君日記に、コメントを書いていたら、返辞が書き込まれていて、「馨」さんのコメントもつき、さらに「雄」訓が応えていた。いまいまの感想で、出口も入り口も不確かなまま困惑の課題でもある。そのまま此処へももらっておく。
☆ 船場吉兆 ボストン 雄
・ 今、船場吉兆の廃業の記者会見を、日本のテレビで見ている。この女将という人は、一体何を考えているのだろうかと、会見の度に思う。
一番最初に牛肉の産地偽装問題が発覚した際に、当時の社長にこそこそと耳打ちして有名になったけれど、先日、客の食べ残しを使いまわしていることが発覚した時点でも「食べ残しではなく、箸をつけなかった料理と言って欲しい」などとこの期に及んで言うのには呆れた。
今の会見を見ていても、あくまでも低姿勢に、「自分のことは考えられず、お客様に申し訳ない」などと口では言っているが、聞いていればそうでなくて、自分の身のことばかりを慮っているのが明らかだった。呆れ果てる。
僕などの貧乏人にとって、こうした高級な料亭は敷居が高い。確か、学位を獲ってポスドクになり、初めてお給料を貰った時に、両親と妹を連れて池袋にある某料亭に行ったことがあった。どの店が良いのか分からず、マイミク湖さんにアドバイスを頂いた。確かに料金は決して僕にとって安いものではなかったけれど、どの料理も美味しかったし、家族も満足してくれた記憶がある。
料亭に足繁く通う金持ちもいるのだろうけれど、そうやって目いっぱいの贅沢の気持ちで店に行く客だっているのだ。僕が行った店はそんなことは無いだろうが、もし船場吉兆のようなことが行なわれていたとしたら、怒り心頭といったところだろう。
* 京都嵐山の吉兆で予定の、六月会議に、欠席通知しました。食べ残しを食わせるとは、どうにも心証がよくない。
その一方、こういう高級店からコンビニの弁当類に至るまで、上に謂う「食べ残し」ではないが、毎日毎日「売り切れている」とは到底想われません。売れ残りはどのように処理されているかと想像するだに「もったいない」と思いませんか。なかには空路はるばる鮮度を慮りながら運ばれてくる青物・生ものもあると聞きます。
ハコもの行政の無駄遣いも言語道断ですが、食べ物の場合、ただの放棄でない有効な別途「配給」措置は不可能なんでしょうかね。飢えている人も現実にいる。人でなくても、と、いった予想をしてしまいます。
飢えて育ったわたしは、、飢えの苦しみも、勿体ないという痛みも両方知っています。 湖
☆ ボストン 雄 2008年05月29日 03:43
そうですね。コンビニ弁当の話は、いずれこの日記でも触れたいと思っていました。
アメリカにもコンビニとしてセブンイレブンがありますが、そう多くはありません。ドラッグストアなどは24時間開いており、コンビニ代わりの役割を果たしています。
しかし、アメリカのセブンイレブンにせよドラッグストアにせよ、日本のように弁当が沢山陳列されているなどということはありません。せいぜいセブンイレブンにサンドイッチが置いてある位です。
日本に居た頃、コンビニのない生活は考えられないと思っていましたが、こちらに来てみて、むしろコンビニのないことは良いことかもしれない、と思うようになりました。無駄にお金を遣うこともないですし、美味しそうな弁当についつい手がのびて食べ過ぎるということもありません。
売れ残った商品は、おそらく消費期限を過ぎると捨てられているはずです。実にもったいないと思います。
アメリカには「もったいない」という概念がない、と聞いたことがあります。だからこそ、ケニアのノーベル平和賞受賞者マータイさんの “Mottainai”キャンペーンが注目を浴びたのでしょう。確かに、レストランで出てくる料理の量は半端ではないですし、それらは残すことを想定した上で提供されているとも聞きます。
ですが、アメリカのレストランでは”doggy bag”を下さいと言えば、たいてい残り物を詰めてくれます。日本でそんなことをしたら、はしたないような気がしてしまいますが、そうやって残りものも持ち帰ることができれば、食べ物を無駄にしないで済みます。
色々考えてみると、一見行儀良く、ゴミ処理などでも徹底した分別をしている日本の方が、アメリカよりも、かえって物を無駄にしているのかもしれないなと思ってしまいます。
☆ 馨 神奈川 2008年05月29日 15:21
こんにちは。ご無沙汰しています。
doggy bagならぬ「お持ち帰り」は、日本のお料理屋さんでは断られることも多いようですよー。理由は、持ち帰ったもので食中毒等が出た場合に責任をとりきれないからだと聞きました。旅館の朝のご飯で、おむすびを作るのも昨今は厳禁になっていますし。
こういうのって、昨今、モンスターペアレンツ並みのクレーマーが増えたのと関連しているのかもしれません。
自分のやったことは自分で責任を取る、という態度を多くの人たちが取っていかないと、「もったいない」ということも増えるし、その状況の中で船場吉兆のような発想もでてきてしまうのかもしれないですね。
日本では、いま食品が(もっと言えば紙や燃料まであらゆるものが)どんどん値上がりしています。何かの足音が聞こえるような気がしているのですが、それがどんな方向に進んでいくのかは、まだ明確には見えていません。
☆ 雄 ボストン 2008年05月29日 22:21
持ち帰りが日本のレストランで断られるという話は、僕も聞いたことがあります。旅館の朝ご飯でおむすびを作るのが厳禁になったというのは知りませんでした。
小さい頃、民宿などに家族と泊まった際、民宿のおじさんやおばさんが、昼飯にといっておにぎりを沢山作って渡してくれたのを思い出します。もっとも、今は各地にコンビニがあるから、そこでおにぎりでも弁当でも買えば良いのでしょうが。
食品の消費期限についても、アメリカに来てから思うことがあります。
日本の消費期限は、短かすぎるのではないか、と思います。確かに、そこまでならば絶対に安心ということなのでしょうけれど、消費期限を過ぎても本当は品質に問題のないことの方が多いのでしょう。
アメリカですと、商品に貼られているシールは消費期限ではなく、”sell by…”となっていて、その日までに「売れ」ということなので、その後の判断は消費者自身にゆだねられているように思います。
もっとも、貼ってあるシールどおりに買ってきても、商品が悪くなっていることもあるようです。特に牛乳などは安心できないようで、こちらの人が牛乳を入れる前に臭いを嗅いでいるのを良く見ます。結局のところ、消費期限をむやみに信用するのではなく、あくまでも自分の目や鼻、舌を信用し、おかしいと思ったら口にしない、という姿勢が大事なのでしょう。
日本でも物価が上がっているようですが、アメリカでもここ最近のガソリンの値上がりはすさまじいものがあります。今にして思えば、それでも日本の方が食費は安かったような気がします。スーパーで売られているものも、日本の感覚からすると高く感じますし、レストランなどはどこも高いです。その分、量も多いのですが、こんなに沢山でなくて良いから、もう少し安くはあげられないものだろうか、と思ったりします。
* 福田総理がアフリカのエライ人たちをいっぱい呼んで、いろいろ振る舞った報道があります。関連して、見るも気の毒な本当に「飢えた」子ども達や人たちの映像がこれでもかというほど流されます。グローバルに食糧の逼迫が危惧されている今、日本中のコンビニで売れ残るあの厖大な量の弁当はどこへどう棄てられるのかと、胸がギシギシ痛みます。 湖
2008 5・31 80
☆ こんにちわ、風。 08.05.31 11:25 花
お元気ですか。
今朝は雨で、運動会が中止だなあ、と思いながら目覚めました。
ご近所のママたちは、子供の分だけでなく、見学者家族(祖父母含む)全員分のお弁当作りと、読みづらい天候のせいで、かなりのプレッシャーみたいでしたよ。入梅の頃の運動会って、どうなの?と思いました。
さてさて、ゆうべは、NHK教育で孝太郎・染五郎・松緑の「三人吉三」をちょこっと見て寝ました。
朝方、飛行機に乗り遅れそうになる夢を繰り返し見ました。
花は、フロイトの分析はあまり信用していませんけども、今の花の心理状況を表している夢だったかも、とは思います。
風のお顔の見られる機会のいつかありますように。
風、お体お大事に、元気にお過ごしください。
花はとっても、元気。ではでは。
* もう目が見えない。まだ、九時過ぎだが、今夜は機械から離れる。
2008 5・31 80
☆ 金山平三の最上川 2008年05月31日22:38 瑛 e-OLD川崎
写真(割愛)は、六本木の国立新美術館の館内を撮った一枚である。
黒川紀章設計のこの美術館の館内は、上野の美術館とはどこか一味違った空気がある。建物の中に一歩はいると土の匂いがなく、ガラスの風が心に無風の光を投げてくる。なにか身構えてしまうような。
二階へ三階へとエスカレータを登る。すると右半分の空間が、気品ある舞台の幕のような温かい空気が感じられ、「壁のデザイン」が目にはいる。
吹き抜けの空間の右に展覧会場が設けられており、絵画関係の図書を閲覧できる部屋がある。ここにはずっしり重い『画集』があり神戸出身で明治、大正、昭和を生きた洋画家、金山平三(1883-19)の絵を見た。この画家は唯我独尊の気のある、評論家でいえば小林秀雄にどこか似たところがある画家だと、僕は思う。先日のモディリアーニ展の帰りに氏の画集の絵を一枚一枚丹念に短い時間だったが見た。全集の通読といったような、(いや不遜にも、冗談ですが絵は概略つかめました) 作品のひとつひとつが、それぞれ世界をもっていくことになります。
金山平三が戦時中に疎開で滞在した山形県大石田町を描いた『大石田の最上川』があった。「最上川」を描く画家の絵は白く荒涼と寂しい雪景色があり、春でも夏でも大きな時間の流れに流されていく自分を知るような絵である。
山形県の大石田へは1980年ごろ斎藤茂吉記念館.を訪ねたことがる。
隣りか、同じ館内だったか、芥川龍之介文学館もあった記憶があるが、処女歌集「赤光」が高く評価され、芥川龍之介が茂吉の評価者だったことが縁であろうか。
今から半世紀まえの斎藤茂吉記念館であり、建物も敷地の観光衣装も今とは随分違うであろう。
全国一律に、小奇麗な記念館には、昔は纏っていた地元の土着の衣と匂いが無いのは、寂しいかぎりである。ネットで美しい建物と絵その他も見える時代の空虚さ。
☆ 昼のお月見 2008年06月01日01:26 珠
冷たい雨降る一日。ゆっくり起き、ゆっくり仕度。
気づくともう昼過ぎ、ようやく仕覆の稽古へ。仕舞いかけた冬物を必要とするほどに、寒く風も吹きつける。稽古道具を濡らさぬ様に、庇いながら行く。
萩茶碗のため、仮縫い完了。さて、どんなおべべにしようかな。。。
一番楽しい裂選び。格と品、後はどこまで遊ぶか。開けて吃驚も楽しいし、そっと醸しだすように雰囲気を伝える仕覆もいい。
師匠と、器に裂をあてては替え、相談。結局、小紋柄の青みがかった緞子にする。
次に人なら帯か、それともおしゃれな髪留のようなものだろうか。緒を選ぶ。長さと色。大振の井戸茶碗、裂をどしりと引締めるべく、長緒に濃い茶色を合わせることにした。
さて、あとは御仕立てばかりなり。雨が樋を伝う音を聞きながら、チクチク、チクチク。
今日のお三時、お菓子は「ひと声」という主菓子。月に時鳥のまま、葛外郎の皮はもっちりと、餡は白小豆、そして仄かに見えるは大徳寺納豆。目を閉じれば、まるで月見に一献。味噌の余韻ひろがって、これは菓子かと忘れるよう。そういえば、器は師の敬愛する京の児科医加藤先生の作品、うさぎの皿。五月雨冷たく、月を白磁の皿にうつして。 ありがたきこと。
* お二人とも、いい感じ。
2008 6・1 81
☆ こんにちわ! 郁 e-OLD藤沢
お変わりございませんでしょうか? 不順な天候が続いております。 体調もおかしくなりそうですね。
日本水彩展が今日から始まりまして、お陰様で入選いたしました。今回は第1 室に展示していただいているようです。遅ればせながら、さきほどチケットをお送りさせていただきました。
もし上野方面へいかれましたら、どうぞのぞいてみてくださいませ。酷評をお願いもうします。
今回の絵はどなたにもみていただかないで、自分なりに描きたいものを描きたいように描きました。すこし苦悩もありましたが、なんとか出品するところまで描くことができました。
油絵との掛け持ちでしたので気持ちばかりあせっていました。そのうえに母が倒れたりで ストレスも頂点でした。まだ油絵のほうはできあがっていませんが、こちらは15日が搬入になっております。神奈川一水会の先生がたといっしょに飾っていただきますので、やはり緊張します。
毎年のことながら、ぎりぎりにならないと出来上がりません。今回は本当にいい勉強をすることが出来た思いでおります。納得のいくまで描きました。このやりかたでしばらくできそうで、これからも生かせそうに、すこしばかりの自信をつけることが出来た気持ちです。
のぼせてはいませんが、真摯にむきあっていくつもりです。どうぞよろしくお願いいたします。
* おう、よかった。よかった。
どうしようもなく内気で内発的になりにくい、いつも先生にたより同行の人のうしろをにこにこついて行くだけのような人であったが、画家として、こういうことを言うように、自身に言えるようになった。
技術の基礎は美術高校での勉強から出来ていたといえばいえる経歴だが、意欲というものは、やはり湧くときにならないと湧いてこない。
2008 6・1 81
* あけがた、東工大の卒業生達、百人ばかりと賑やかに同窓会の夢を観たが、参加の全員が、手製の飛行機を持参して飛ばすのにビックリした。みな、歓声をあげていた。なーんでか?
2008 6・2 81
* 厖大な量の十年来のメールを克明に整理し、機械の外へ出した。数日かかって、疲れました。部屋を片づけたような快さもあるが。
2008 6・2 81
☆ 歳月 波 e-OLD 登戸
湖様 一週間の最初の日は疲れます。新人も入り研修もあり、一日働きづめでした。仕事は数年不調でしたが、持ち直しています。
七月出産予定の娘が体調が優れずに寝ていて、夫は海外出張中。家事と、もうすぐ四歳になる元気な男の子の相手で、おばあちゃんは家に帰ってもくたくたです。でも幸せな疲れかもしれません。
今年はぜひお目にかかりたいです。
お元気で・・・ お元気で過ごされますよう。
* 企業経営、学校講師、業界理事。「歳月」を越えて、ほんとうに、よく頑張る。「幸せな疲れ」に相違なかれと心より願う。
* 十時半、もう眼がもたない。
2008 6・2 81
* ただもうジリジリ仕事を前へ進めているだけ、黙々と。
気がかりは、お礼を申し上げねばならない先様の、どんどん増えていながら、メールが利かないと、ついつい先延ばしに手書きのお礼が書けずにいること。順不同に、色川大吉さん、今井清一さん、大岡信さん、竹西寛子さん、三浦雅士さん、久々に新刊を贈ってくれた千葉俊二君、また美酒二升を賜った群馬の阿部君江さん、さらに加えて実務上のことでもご相談したい原田奈翁雄さんにも、余儀ない事情からまだ返辞をさしあげかねている。もっともっと有るのである。こういうのが、肩にずしーんとのし掛かっている。
2008 6・3 81
☆ 花、シャンとしていますよ。 08.06.03 09.08
血圧の急降下、心配です。対処法があるといいけれど。
お大事になさってください、くれぐれも。くれぐれも。
今、雨は一時的に止んでいますが(あ、降ってきた)、千葉の海は荒れています。台風が来ていますね。
入梅してしまったので、外出には、少しよけいに天候への配慮がいります。いろいろお気をつけて。
風のお時間がふと空いたとき、花もすうっと出かけられれば。そんな機会があるといいなあ。利かぬムリですねえ、ハハ。お日さまのように、風の中で花咲きたいです。ではでは。
☆ お元気ですか、恒平さん。 バルセロナ 京
帰国。
そうですよね。どちらにも取れるとは気が付かなかった。
スペインに帰る、という言い方はするのに、「帰国」となると、頭に浮かぶのは決まって「日本」です。両親が生きてくれている間は、私の帰国先、きっと「日本」のままである気がします。
一昨日、日本からバルセロナへ「帰って」きました。
恒平さんを迷わせていたようで、ごめんなさい。何度か長い(これがいけない)メールを書きかけては、自分は喋りすぎている気がして、途中で止めていました。肩こり頭痛がひどくて、コンピューターに向かわないようにしているのも一因です。
私は恒平さんの日々を読んでいるから、恒平さんを身近に感じられても、その逆は成り立っていないこと、忘れがちです。
迷って当然ですよね。だから今日はまず、何をおいても、元気です、のメールをお送りします。 京
2008 6・3 81
☆ 掃き溜めに鶴はいない 2008年06月03日14:40 雄 ハーバード
・ 今週前半、ボスは出張らしい。明日のラボミーティングがキャンセルされた。何故かボビーの姿も見当たらない。隣のラボのボスはロンドンに出張中だという。そのせいか、ラボ全体が閑散としているように感じられる。
今日もひたすら脳のスライス作成。スライス作成装置は小さな共同実験室の入口近くにある。最初、部屋に入った時には、隣のラボの大学院生のエマがいたが、やがて出て行った。後で、再びエマが部屋に入ってきた際、まだ僕がスライスを切っているのを見て、「ずっとYouはここでスライスを切っていたの?」といって笑われた。
根をつめすぎたせいか、切ったスライスが多すぎたせいか、自分の部屋に戻ってからスライドグラスにスライスを貼り付ける作業を全て終える前に精魂尽き果ててしまい、少し作業を残して帰宅。
・ 途中、Kotobukiyaに立ち寄り、先週末から切らしていた米を購入。Kotobukiyaの中に貼り紙がされていた。昨今の食糧難に伴い、各商品の値上げをするという。本当にそんなに食料難なんだろうか?日本のニュースなどでは、最近食品の値段が上昇していると聞く。日本食品を扱っているからなのか?なんとなく僕には便乗値上げとしか思えないのだが。
・ このところ、なんとなく目がしばしばとしている。Kotobukiyaでうな丼を売っていたので、騙されたつもりで買ってみたが、これが中々美味しい。以前、鰻が食べたくなってクーリッジコーナーの「竹島」に行った際には、寿司ネタの鰻を敷き詰められたうな丼を出され辟易としたが、それよりはよほどうな丼らしい。食べ終えてから、たまらなく眠くなり、2時間近く、うたた寝してしまった。
・ ニュースで船場吉兆の従業員が解雇された時の話を聞いた。たった10分、紙切れ3枚の説明とは、いかにもあの女将らしいと思う。先日の記者会見でも、ずっと下を見たまま話続けていたのが、反省してしおらしくしているわけではなく、単に、予想される質問と、それに対する答えが書かれた紙を、机の下に隠していたからに過ぎなかった。
従業員の人達は突然の解雇に驚いただろうし、納得いかないのは当然だと思う。ただ、こんなことを言っては当事者の方々は怒るだろうが、実際に客に食べ残しを出していたのは、これら従業員ではなかったのか?たとえ上からの命令とはいえ、実際に食べ残しを皿に盛り直し、それを客のところまで運んでいたのだ。全くの被害者とはいえないのではないか。
知らなかったのならば仕方が無いかもしれないが、10年前から知っていたと、解雇を不服として会見していた仲居さんは話していた。ということは、悪いと分かりながらもバレなければいいや、と10年間も食べ残しを運び続けて金を貰っていたことになる。
突然解雇を言い渡され、途方に暮れている人達には大変申し訳ないとは思うが、社長の言うことが理不尽であり、なおかつ料理人としてのモラルに反すると思うならば、反論するなり、店を辞めるべきだったのだと思う。他に職が無いなどということはないだろう。探せば他にいくらだって職はある。「船場吉兆で働いている」というブランド意識と、給料とに目がくらんで、自分の良心を曲げてしまったのではないのか。「社長が怖かったから」という理由では、理由にはならないだろう。上司に恫喝されれば何をやってもよいという訳ではないだろう。
人間的に尊敬できないボスの下で仕事をせざるを得ない状況は普通に起こることだろうし、いちいちそれで仕事を辞めていたのでは、キリがない。ただ、どこまでが許されることであり、どこからが許されざることなのかという線引きはある。その線の引き方が、自己の利益だけを考えたことなのか、それとも道義的な観点からなのかを考えなくてはならないと思う。
これらは決して他人事ではない。研究室に所属していて、ボスと馬が合わないということは日常的に起こる。面白くないことを言われることも少なく無いだろうし、不当な扱いを受けたと感じることもあるかもしれない。それらはラボをやめる理由には当たらないかもしれない。だがしかし、ボスから捏造を指示されるようなことがあれば、僕はそのラボを辞めることを躊躇しないつもりだ。
バレなければ良いだろうと思って都合の良いデータを出せば、その時点では自分に有利なことが起こるかもしれない。ボスは自分の説に都合の良いデータを出す人間を優遇するだろうし、良い雑誌に論文が沢山載れば、独立のポジションを得る上でも有利になるだろう。だが、たとえ損得のみを考えたとしても、これは得とは思えない。いずれ捏造が明るみになれば、いくら「ボスに指示されてやりました」などと言っても、悪事に手を染めたことには変わらない。その時点で解雇されたとしても、誰も僕が無実だなどとは思わないだろうし、そんな研究者を雇おうなどという研究室は、もはやどこにも無い。
何より恐ろしいのは、そうした倫理観を持った人間を上司として働き続けることで、自分自身の良心が損なわれることだ。朱に交われば赤くなる。掃き溜めに鶴などいないのだ。自らを貶めたくなければ、多少一時的に不便を感じることになろうとも、そうした悪い環境に身を置いてはいけない、と僕は思う。
* そう。学生には、もと学生たちには、変わりなく、こう、「元気です」「シャンとしています」「掃き溜めにに鶴などいない」というメッセージが届けば、世間狭く生きている元・教授も、つられてだいぶ元気になる。なれる。有り難いこと。
どうしておるかな、他のみんなは。そう想う。
☆ 静謐という贈り物 2008年06月03日01:22 珠
空は暗い雲ばかりとなってきて、今にも泣き出しそう。雨が降りだすと、サントリーホールへの途中、傘をささなくては。自然足は遅くなるだろう。待っていた大事な電話を済ませ、急ぎ足に職場を出る。何とか、間に合うだろうか。今宵最後のアルバン・ベルク゛四重奏団解散コンサート。
ホールの入口で予鈴を聞く。仕事帰りの人が多いためか、少々遅れての開演らしい。おかげで席に座って、一息。今日の曲目も昨日と違うので、新たな楽しみ。
・ ハイドン 弦楽四重奏曲第81番 ト長調
・ ベルク 弦楽四重奏曲
・ ベートーウ゛ェン 弦楽四重奏曲第15番 イ短調
ハイドン、ベルクと、今宵も申し分なく。美しさに複雑さ、荘厳さ、そして単純さに。百年余りことなる時代を生きた作曲家の、様々な思いを聴く。さらにベートーヴェンへ。
プログラムによると、この曲は結成当時から彼らにとって「一つの挑戦」と見なされ、舞台での演奏を控えて勉強に勉強してきたそうだ。結成十年の頃から演奏するようになり、三十周年記念演奏会でも取り上げたという。ここで、簡単に口にしてはいけないが、、と前置きの上で、「この作品はこの世にある弦楽四重奏曲の中で最高のものだろう」と、カルテットリーダーーのギュンター・ピヒラー(第1ヴァイオリン)は言っている。今宵のベートーヴェンは彼らひとしおの別れの贈り物といえるだろう。
チェロの静かな旋律に、はじまる。重なる弦の旋律に、パイプオルガンンを聴いているよう。少し明るい様子をみせた後、第3楽章では静かに祈るような音に。
泪が落ちてくる。
こんなに感謝に満ちた音は、初めて。。ベートーヴェンは重い病に倒れて作曲を一時中断していたが、回復して再び筆をとれるようになったことを神に感謝し、この楽章を作曲したという。「病が癒えた者が神に感謝する聖なる歌、リディア調で」と記される。何と素直に、その想いを音にしたのだろう。この楽章を今に聴ける幸せに、その病にさえ感謝したいと思ってしまう。そして、繰り返される旋律に、不思議と昔よく歌った歌「、、こぶな釣りしかの川、、」を思い出す。懐かしい、、なぜかそんな第3楽章。
第4、第5楽章では力強く弦が弾かれる。前へ前へとしっかり進むように、勇気づけられて、終わった。
拍手喝采。ホールに興奮が広がる。皆立ち上がっての拍手、拍手。昨日とは拍手の熱さが違うよう。そして、アンコール。
日本最後、アルバン・ヘルク名残りの曲は同じくベートーヴェン、弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 第5楽章。
別れを惜しむ音、音、音。そのままに、熱く胸に沁みた。それは、演奏する彼らも聴衆全員をも、一つに、ただ感謝のひと時をもたらした。弦すら楽器を放れたくないかのように、ゆっくりと下ろされても、満場は静けさに満ちて。静謐…。
ただ、感謝。この音の美しさに。今・此処に。こんなにも美しいものが、この世にはある。誰もが、音のない感謝に満ちる。こんな力が音楽には、ある。
隣に座るおじさんも、反対側の青年も、ひげもじゃの男性も、若い女の子も、この瞬間共に在る誰もが愛しくなる。この美しさを感じ、享受し、そして沈黙を共有する。人の奥に同じ温かさを感じたようで、嬉しい。その余韻は共有する間だけ、一つ。それは17秒くらいだろうか。
人と通じた、一つになったと感じ、何の思考も入り込まずにいられる17秒は、恍惚感と呼ぶにふさわしい。私には、最長不倒記録のような気がする、今宵の 17秒。
熱い私に、帰り道、雨のお出迎えも名残りのようで。ありがたい、夜。
アルバン・ベルク四重奏団に、心から、感謝。
* この静けさより輝く宝玉は無い、のである。
「拍手という害悪」もあることを藝術体験者は心得ていたい。活字の案内文にとらわれず、きっちり自分の思いと言葉とで書かれた感動の一文には、嬉しいものがある。
2008 6・3 81
* 昨日、懐かしい名古屋市大谷口幸代さんの『川端康成「みづうみ」の図像学』を戴いた。「猿猴捉月図」の構図から、また構図へ、論の煮詰まってゆく谷口さん薬籠中の手法と洞察と想われる。京都への旅、車中の楽しみに持って行く。出だしをちらと見た限り、論文をいきなり中心へ運んで行く筆致は、涼しやかにみごとで、本来そうあるべき佳い文章でいい論考をという在りように、ピタリ嵌っているのが嬉しい。同世代の研究者ではたしかに図抜けた力量の人に思われる。これから先々の益々楽しみな人。感謝。
2008 6・4 81
☆ 京は、元気です。 バルセロナ
恒平さん 今年の帰国は、去年時間の避けなかった分、母父ともに喜んでくれたと思います。ややこしいのは、母は父と一緒がイヤ、父を置いて母と出かければ、母を置いて父とも出ねばならず、父と出れば出たで、今度は母にプラスαが必要、といった具合。私たち親子の関係も随分変わった、と思います。
それでも大相撲夏場所へ、母父一緒に招待しました。恒平さんご夫婦とご一緒したい気持ちもあったので、後日、恒平さんが券を手に入れられたと知り、嬉しく思っていました。お逢いできるかも、と秘かな期待もしたのですが、三日違いの19日、騒がしい両親が一緒でしたから、かえって傍にいらっしゃらなくてよかったかもしれません。でも、同じ土俵を一緒に見ている気でしたよ。
京都では鞍馬を、そして赤目四十八滝も訪れました。水のある山に大喜び、歩いて歩いて大いに楽しみました。私の肩には恒平さんが乗り、辺りには雀さんが囀っていましたっけ。 京
* 「囀雀」さんは赤目にちかい名張の人と、この私語の読み手さんたちはよく知っている。
鞍馬から貴船へ。町内会の遠足に、あれは母と参加した幼来、大学時代の妻とも、結婚後の家族とも、朝日ジャーナルに『洛東巷談』、中日新聞などに『冬祭り』を連載の頃には記者さん達とも、また一人でも、良く訪れた。ところがわたしは、赤目の瀧も室生寺も知らない。三輪山まで行きながら長谷寺へも詣でていない。
夏場所はじつに楽しかった。あの十二日目、あんな劇的な大相撲にじかにお目にかかれたのだから、隣桟敷などに「京」たちも一緒だったりしたら、それは賑やかだったろう。じつはあの日に何十年分もの声援を送りすぎ、ノドの調子がいまもって少し変なのである。
2008 6・4 81
☆ 「掃き溜めに鶴とカメ」 2008年06月04 日01:22 maokat
マイミクさんの「掃き溜めに鶴はいない」という日記は、身につまされた。船場吉兆従業員の倫理感から、研究者のデータねつ造に話が及んで、職業人のモラルが問われている。
身につまされた一つは、会席、懐石、茶事、茶道へと繋がる閉鎖社会の悪い面、弟子師匠の弊害が出てしまったなぁ、ということ。この方面に少し情報があるだけに、調理場のいやーな雰囲気が想像できる。相撲もそうだが、変に伝統や格にこだわるとろくな事がない。しかし、場合によっては、師匠を選べない場合もある。そういう時の選択肢は二つ。倫理に基づき、自分の好きな道を捨てるか、泥田にはまっても、胸の中に一輪の花びらを抱いて、のたうち回りながら好きな道を続けていくか。現在私は後者を選んでいるが、最近前者になりそうで、自信がない。
もう一つは、公的な研究資金を受けて運営されている組織では、行政にやれと言われた研究はやらなくてはいけなくなっていること。「バイオエタノール」しかり「組み換え作物作出」しかり。例えば昨年度突然資金が降ってきた「バイオエタノール」では、研究に参画した誰もが「バイオエタノールを作るためには膨大な石油資源を浪費する」という既成の事実に目をつぶってやっている。国会議員が立法してしまった「有機農業」も、気持ち悪い予算の付き方がしてきている。
「こんな研究はやらないよ」と断っても「あなたの組織、あなたの研究室はそれをやるのです」といわれることがある。(この辺は大学とは大分違いますが)長の特命という伝家の宝刀が抜かれることもある。そうなるとなかなか断れない。そういう意味では既に悪い環境に身を置いてしまっていると、身につまされた。
倫理観。私も老母を養っているので、簡単には職を辞することは出来ない。そうなれば直ぐに母の生活が立ちゆかなくなる。但し、そんな私でも、意図的に病原菌をばらまいて作物を枯らし飢餓におとしめるとか、生物兵器的な研究をやらされそうになったときには、迷わず辞表を書きます。そういう日が、こないとも限らないので、こわいのですが。
最後に。「掃き溜めに鶴」ということわざを読むと、お茶の「塵穴」というものを想い出す。客を招き茶事をする際、庭の隅に穴を掘ってゴミ捨て場を作っておく。そこに、青々とした竹の塵箸を入れ、青葉を数枚入れておく。利休はそこに椿の花一輪を入れておいたそうだ。「掃き溜めに鶴」ならぬ「掃き溜めに椿」。ちなみに椿はカメリア属。「掃き溜めに鶴とカメ」で、こいつは縁起がよろしい。
* 正直の頭に神宿る。
2008 6・4 81
* 今日中に京都へ入る。明日の夜にはこっちへ帰っている。京都美術文化賞の二十年か二十一年目の授賞式に、選者の一人としてお祝いに参加。それにしても清水九兵衛さんの顔の見られない寂しさ。
* せめて無事、雨にあいませぬように。
☆ オハヨーさん 泉 e-OLD 都下
京都行きいいですね。体調を崩してから永らく旅行をしていませんが、同窓の誰かとはおしゃべりしているので、京都はいつも傍にあります。
昨日は新宿からJRで旧古河庭園へ、我々のような(少し)旬を過ぎた薔薇を愛で、散策してきました。京都の植治の日本庭園もあり森林浴もしました。ちょっとした日帰り旅行気分を楽しみましたよ。
お元気て゛お早うお帰りやす。
2008 6・5 81
☆ 京都ののばらです。 従妹
お身体のご様子いかがでしょうか。たいしたことなく落ち着かれますよう願っています。
今日の京都は雨が降ったり止んだりでしたが、肌寒い一日でした。
恒平さんが京都へ来られると思うと、いつもなんとなく心嬉しく感じています。
早くお元気になられますように。くれぐれもお大切になさってください。 みち
☆ お見舞い 春
私語を拝見し、ずっと心配しています。
最近のような暑かったり冷えたりするお天気ですと、血圧が乱高下して安定しない方は本当に多いのです。母もそうです。
自分の親を見ていてもこのくらいの事態は想定内ですけれど、どうか病院にいらしてください。あんな低血圧で文章が書けるということは、根の体力が本当に強い証拠ですが、油断も過信もなさらず、ご無理も我慢もいけません。どうぞドクターに。
少しでも違和感あれば遠慮なく救急車を呼んでください。サイレン鳴らさないでと頼めばそうしてくれますし、皆さんとても親切ですよ。父も母も救急車のお世話になりましたし、自分で救急外来に運んだことも何度もあります。
ご年齢なら、一年に一度くらいは救急のお世話になることがあって当たり前です。是非診察を受けてくださいますように。安静に治療に励んでくださいますように。
頭を使いすぎているのでしょう、よく、撫でていたわってあげてください。
ゆっくり安心しておやすみください。大丈夫です。
* むろん大丈夫と思っています。しんどくなれば、やすんでいます。
☆ ちょっと一休み 2008年06月05日20:10 司
最近、自民党の無駄遣いプロジェクトチームなるところが無駄遣いをなくそうとばかりに、色々な資料を要求してきている。
その中の一つに、様々な公的研究機関に対して、本当に国の研究機関として必要なのか、民間に任せられないのか、というのがある。
以前、研究機関の企画部門にいたこともあるが、私も、組織全てとは言わないけれど、「本当に必要なの?」と思う事が、とても多くあった。
研究機関と言えども、国民の税金を使って仕事をしている以上、自分の研究ではなく、国家国民のための研究をすべきであって、そこに異論を挟む余地は、ほとんど無い・・・はず。
「国家国民のための研究」というのが何なのかという論点があるけれど、「これは国家国民のための研究ではない」というのであれば、そのことを、きちんと骨を折って説明をするのも研究者の仕事のはず。
これを言うと、「それは研究職の仕事ではない」と堂々と言う研究者の多いこと。
もちろん、そんな研究者ばかりでは無いことも事実だけれど、研究者には税金を使って飯を食わせてもらっている感覚の薄い人が多いなぁというのが、私の感想でした。
* これは、注目する人があるだろう。
2008 6・5 81
* たまたまヒョイと出てきた二年半ほど前の弥栄中学同期会の記念写真を、機械にとりこんだ。六十六人、在学当時からすると五分の一ほどの出席、多い方かな。先生方はお一人ももう姿がない。そして見れども見れども、三人に二人、四人に三人も、名前が思い出せない。こういう記念写真には氏名を入れておかないと意味が甚だ薄れる。
「古稀」記念の会としてある。どうみても満七十歳の面々には見えない。頭の中に子どもの頃から焼き付いていた七十のイメージとまるで一致しない。みな健康な表情であり姿態であり服装である。喜寿に「ま」たと云っていたが、もう五年。実感は湧かない。
* 六年前にカナダから帰っていた田中勉君を、祇園「千花」に招待した日の写真も目に触れた。田中君が送ってきてくれていた。彼は若い。我は、くらい。やれやれ。
2008 6・6 81
☆ Commencement 2008年06月06日07:35 ボストン 雄
・ 本日、ハーバード大学では卒業式(Commencement)が行われた。昨日はClass Dayといって、著名人を招いての講演会が開かれた。こちらの大学の行事などに疎いので、僕はcommencementという言葉もclass dayという言葉も知らなかった。
今年の講演者は連邦準備制度理事会議長のベン・バーナンキ。講演の様子が、今朝のテレビで繰り返し報じられていた。昨日はあいにくの雨で、卒業生達は全員レインコートを着て、講演を聞いていた。
今日もさほど天気は良くないが、赤いマントを羽織り、帽子を被った学生や、その家族と思われる人々が数多く、キャンパスを歩いている。きっと晴れがましい気分なのに違いない。
前にも書いた気がするが、大学の卒業式に出席するチャンスは、僕の場合、学部、修士、博士と3回あったが、結局出席したのは修士の時の1回だけだった。
学部の時は、3年生から修士課程に飛び級したので、そもそも出席できなかった(飛び級は中退扱いになる。したがって僕は正式には大卒ではない)。
後で聞いた話だが、当初、僕は送辞を読むことになっていたらしい。しかし研究室の教授が「今年で学部を出る人間が送辞を読むのはおかしい」と主張して、他の人になったのだとか。その年、答辞を読んだのが同じ研究室の先輩だったので、同じ研究室から二人出るのはまずいと配慮したと、後になって教授から聞かされた。
博士の時は、それまでの無理がたたってか、学位審査の直後に入院してしまい、退院して間もない頃だったので、式に参加できなかった。
修士の時の卒業式では、親と一緒に行動するのがどうもためらわれて、結局ほとんど別々に行動していた。今日、マント姿の卒業生と嬉しそうに写真を撮っている家族を見ていて、親に悪いことをしたなあと、後悔した。
・ 昼、久しぶりにDarwin’sのサンドイッチが食べたくなり、ケンブリッジストリートを歩く。ハーバードの卒業式にちなんでか、今日のメニューは卒業式スペシャルだという。そのうちの一つを注文し、ついでにコーヒーを頼む。コーヒーをコップに並々と注がれてしまったせいもあり、本当はラボに持ち帰って食べるつもりだったのだが、お店で食べることにした。
店の奥にはテーブル席がいくつかあるが、あいにく殆ど埋まっている。中央に集団客用の長いテーブルが空いていたが、さすがにここに一人で座る勇気はない。
ふと見ると、入り口近くのテーブルの一つがあいていた。隣にはかなり年配のアジア系の女性が座っていて、新聞のクロスワードパズルに熱中していた。「隣、空いてますか?」と2度ほど声をかけたが、パズルに熱中しているのか、耳が遠いのか、全くこちらに反応しない。黙ってそのまま席に着き、サンドイッチを食べ始めた。
しばらくすると、横の女性が急に、「あなた、向かいの学校に居たことある?」と聞いてきた。向かいはCambridge Latin Schoolという高校。
「いや、ないです」と答えると、女性が「そうなの。私はあの学校の先生の中に好きな人がいたのよ。もっとも殆ど話したこともないから、「校門の前での恋」って感じなんだけど」と言う。いきなりこんなことを話してくるなんて、ちょっと変わった人だなあと思ったが、また女性はパズルに熱中し出したので、黙ってサンドイッチを食べていた。
再び、女性が僕に話しかけてきた。
「あなたは、どこの学校を卒業したの?それとも、まだ学生さん?」。
これにはさすがに驚いて、思わず、「いや、もう働いていますよ。僕、何歳に見えますか?」と聞いてみた。すると女性は「そうねえ。20歳は超えていると思うけど、30歳までは達してないんじゃないかしら」。
僕が本当の年齢を伝えると、女性は唖然とした顔をしていた。さらに、この会話が聞こえていたのだろうか、先ほどまで黙っていた一つ先のテーブルの女性までが笑った。
隣のテーブルの女性は、中国で生まれ、アメリカで育ったのだという。僕にどの学校を出たかと聞くので、それに答える代わりに、「去年、日本から来た」と答えると、松坂の話を切り出してきた。
「松坂は、まだ英語をしゃべらないわねえ」と、その女性。
・ ラボに戻ってからは、ひたすら顕微鏡観察。
* こういう現地からのレポートに触れるのが、好き。あの彼がなあ、と、学部の頃を思い出すのも好き。
2008 6・6 81
* 谷口幸代さんの周到な康成作『みづうみ論』を読んだ。「捉月図」をきっちりきっちり読み抜いて、手堅い。論文が板についてよみやすく、間ダレしないのもさすがで、確かさに安心して教えられた。感謝。
2008 6・6 81
☆ アルバム 2008年06月07日07:14 ハーバード 雄
・ 以前所属していた日本の研究室が、他大学に正式に移転した。今回移ったのは教授のグループだけなので、助教授のグループは残っている。昨日、助教授グループのメンバーの一人が、研究室の立ち上げの頃から今までの写真をパワーポイントファイルにしたものを、送ってきてくれた。
これに先立って、色々な人から写真を募集していた。あいにく僕は殆ど写真を持っていなくて提供できなかった。今回ファイルとして送られてきたのは、それらの写真のうちの本当に一部に過ぎないが、懐かしい気持ちで一杯になった。
研究室立ち上げの頃は、全員で5人、研究に直接携わっていたのは僕を含めて3人だけだった。晩御飯も皆で食べに行くこともあった。年ごとに人数が増え、最後には、研究所全体でも上から数えた方が早いほどの大所帯となった。
「ああ、こんなことがあったなあ」と思い返しながら見ていた。最近のメンバーの中には、誰だか分からない写真も数人入っていた。
30代前半という貴重な時期を、4年半過ごした場所。今はまださほど実感は無いが、後になって振り返ったら、きっと、かけがえのない日々だったと思うに違いない。
ただ、それならば、悔いが残らないほど頑張ったかと言われると、残念ながらそうとも言えない気がする。その時はそれなりに頑張ったつもりではあったけれど、今にして思うと、「もっとできたのではないのか?」と思わないでもない。「いま、ここ」の精神を欠いていたのだろう。
今も似たようなものかもしれない。もっとできたのではなかったか、と、後になって思いそうな気がする。やるべきことをやっていない、という自覚がある。
十年後にはきっと、
「せめて十年でいいから、戻ってやり直したい」と、思うことだろう。
今やり直せよ。未来を。
十年後か、二十年後か、五十年後から
戻ってきたんだよ、今。
というのは、悪評高き「2ちゃんねる」から生まれた言葉らしいが、出典はどうあれ、素直に共感できる。
今のうちに「未来」を「やり直し」ておきたい。いざその日を本当に迎えてから、後悔しないためにも。
2008 6・7 81
☆ 晴れ曇りです。 花
お元気ですか、風。
明日から長い雨日だというので、今日のうちに蒲団干し、洗濯を済ませなければ、と、はりきって早起きしました。
ソファのクッションも干しています。
昨日の男子バレーは、ジュースになったセットはありましたが、セットカウント3対0で快勝しました。
今夜のアルゼンチン戦も勝ってほしいですが、相手も必死ですからね、ウーン。
風はお疲れなのだと想います。すこしお休みください。
希望を持ちつつ、花は元気な毎日ですよ。ではでは。
* バレーボール日本男子がアルゼンチンに競り勝って北京オリンピック出場を十六年ぶりに決めたのは、感動ものの大熱戦だったけれど、そのあとへ続いた三谷幸喜作の題もよく覚えない『有頂天ホテル』だか三時間半のくだらなさには、呆れた。
売れっ子が図に乗るのは構わない、が、そのかわり納得のいく藝を見せよ、そうする義務のようなモノがあるはずだと云いたい。
かつて検閲の珍妙を徹底的に捉えた舞台はすばらしかった。鈴木京香の新人女作者を悲惨な目に遭わせた『ラジオの時間』だったかも、すばらしかった。感動と呼んでいい「珍な笑い」が涙すら誘ったが、『有頂天ホテル』だか何かの薄汚いほど間抜けてノンセンスな作劇の低調さは、無意味にメイワクだと吐き捨てたい。好きな松たか子や、役所広司や佐藤浩市や西田敏行や、原田美枝子や戸田恵子や、さらにはYOUの歌に惹かれてムダな時間つぶしをしてしまったけれど、あくびを何度もかみ殺していた。見どころのない藝のないあざとい駄作であった。情けない。
2008 6・7 81
☆ 拍手喝采 2008年06月08日17:30 悠
金曜日,38℃の発熱の為,保育園をお休み.私も仕事をお休みしてしまいました.
朝,機嫌が良く,食欲もあり,さぁて,保育園に行こうか! と準備して,熱を測るのを忘れていて、計ったら37.5℃越え! 保育園はNG.
保育園に電話し,職場へはメールで連絡し,やらなくてはいけなかった仕事はメールで済ませました.発熱は夕方には下がってきました.暑かったのかもしれません.疲れたのもあるのかもしれません.
土曜日にはすっかり回復.元気だったので懸案事項の3種混合の予防接種(3回目)にいってみました.先生も”大丈夫でしょう”ということでチクン! 無事終了.帰ってきてからも調子が悪いことも無く大丈夫そうです.
土曜日は千客万来.
昼過ぎに後輩夫婦が3ヶ月の女の子を連れて遊びに来ました.近くに引っ越す予定で,現地確認に来ていたのですが,小さな子がいるということで,我が家を休憩所として利用してもらいました.久々,小さな赤ちゃんをみて息子の同じ月齢のころを思い出し,少し前のことなのに懐かしく思えました.
少しして,高校からの大親友も到着.我が家の引越しのときに大活躍してもらったので,片付いたので、ご招待をと、やっと実現.夜には旦那様も到着.ピザを生地からつくって焼いてみました.われながら良く出来ました! みんなで楽しく過ごしました.
息子はたくさんのお客さんの前でもマイペース.
突如出来るようになった”拍手”をご披露していました.うまく”パチン”と音が出るようになったので楽しくなったようです.
驚いたのが,人の拍手を見て真似していると思ったら,”拍手”という言葉にも反応して ”ぱちぱち”してくれること.周りにいる大人も楽しい気分にさせてくれます.
テレビでバレーボールを観戦していて,オリンピック出場が決まった映像をみて,状況がわかったのか ”ぱちぱち”と.
大変良く出来ました.
☆ 心配です。 笠 e-OLD千葉
秦さんのホームページにもご無沙汰していました。それで、「頸まわりの硬いのなど医者に診せるのも好いが、薬がふえるだけ・・・」を見つけました。
やはり主治医に診せてください。以下省略。
どうかそうしてください。どうかお大切にしてください。「未来」は長いです。 拝
* やがて定期の検診日にも。感謝。
* 夕燕我には翌(あす)のあてはなき 一茶
* おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼
2008 6・8 81
* 一期一会。
☆ 勤勉なる師。 2008年06月09日01:35 珠
午後には雨になるだろうと、傘を片手にお茶の研究会に出かける。
今日はお菓子当番。師匠を迎えに寄る道すがら、御菓子司「東宮」の開くを待って主菓子を。先月は青々とした色だったけれど、今日の「青梅」は季を映し黄色みがかった彩(いろ)。
干菓子も調えて、一路師匠と共に研究会に向かう。
年老いた師匠外数人の、気心しれた稽古。お茶を愛する人達ばかり。時に笑い、時に厳しく。私たちはいろいろなお許しものを稽古させて頂く傍ら、先生方は、長い時間を経て微妙に変わる点前の細かな動きを互いに確かめ合ってゆかれる。
動きには、目的から繋がる意味がある。それでも、人に習う以上、意味から導かれる動きにはふくよかな幅がある。生きた個性のようなもの。正しい、間違いではなく、解釈による差異といえる。師として人を教えるために、自分の常日頃教える所作の幅を確認し、弟子への指導を振り返る。茶暦60年以上という先生方、簡単に質問して答えてもらえるような場は、それこそ無いらしい。真摯に茶を求める姿には、心から頭が下がる。
茶の世界、先生方にも様々な人間模様をふと耳にする。贔屓や破門騒動、出逢いや別れ、、、それでも、髪がまっ白になっても、腰が曲がっても、正座ができなくても、こうして茶と共に、ある。出来る限りまで、時代に生きた茶の変遷を、受けとめ伝えてゆこうと力を尽くす。こういう茶の先達に出逢えたことに、深く感謝する。流派の力だけではないだろう、辛抱強く耐えて茶と在った、人ならではと想う。
小さな頃から習った師のことも想い出す。存生であれば、やはりこんな風に茶に没頭されていただろうと、想像に難くない。
30代前半、仕事の忙しさを言い訳に私は稽古のほとんどを休んだ。とても疲れていて、面倒だった。そのうち、そのうち、、と思ううちに、師は急逝。稽古の場を失って、茶は人の繋がりだと身に沁みた。茶を点てると、泪も落ちて、茶はもういい、、と思う日々、縁あって今の師に繋がった。謙虚に勤め続ける、その姿勢も同じく此処に。
導かれるまま、謙虚に、これからも茶と共に在りますように。勤勉なる師らに、幾許かでも繋がるように。ただ、ただ願う。
2008 6・9 81
☆ 鳶のたより 播磨
ほぼ十日振りにHPを読みました。携帯にメールを戴いて短いメールを送るのが精一杯の不器用さが悔やまれます。京都に行かれたとばかり思っていました。
京都行きが急遽とりやめになるほど・・と心配しましたが、昨日都美術館まで行かれたことが書かれてあって、ホッ!!
HPには書かれていないけれど、うっそり晴れ晴れしない状態、巡り合わせ宜しからず・・と。どうぞ少しだけでも晴れ晴れしてくださいな。
薬がふえるだけと思わず、大変かもしれませんが糖尿病、心臓、どちらの症状に対しても何かもっと根本的な療法を施せないのでしょうか? 食事療法など! 峻拒されるでしょうが、わたしは歯痒く悔しいです・・。
尾瀬は日帰りのバスツアーを友人が探してくれて一緒に出かけました。昨年も行きたいとわたしが言っていたのです。現地はほどよい曇り空、天候には恵まれました。雨になると気温が10度以下になって寒いそうです。四時間ほどの散策では尾瀬が原の半ばで引き返し戻ってくるだけでした。水芭蕉は花も葉やや大きく生長しすぎていましたが十分たのしめました。スケッチはもちろん、写真も満足には撮れず、それでもそれなりに大いに楽しみました。しかも足腰全く痛まなかったなんて!! 来年は一人でゆっくり時間をかけて行って見たい。
その翌日日曜日、あの通り魔事件の直前、わたしと娘は秋葉原で買い物をしていました。何処でいつ何に遭遇するのか、テレビ報道の悲惨な画面を見ながら複雑な気持ちにもなります。
『抱擁』読み終わりました。速すぎる! とお叱りを受けそうですが、わたしは同時に何冊も併読できないで集中して読む傾向にありますので・・。特に最後のほうになって強く衝撃を受けました。
現代の人たちの織り成すストーリーは、やや安直な解決を作者が図ったとも思いました。改めて所感を書いてみたいと思いますが、私のことゆえ偏見と独断と感情移入を滲ませたものになるでしょう。クリスタベル、アッシュの抱えた問題は重過ぎます。
☆ 東京漂流 恭 清水湊
東京に近づくにつれ 微量な一種の違和感が体の中に沸いてくる。違和感が膨張し始める。どうしようもなくなって逃げ出すことはない。が、何かに拒否されているのだ、といつも感じる。
かなり以前の流行歌に東京砂漠というのがあった。前川清が歌っていたと思う。「ああ、東京砂漠、あなたがいれば、怖くはないわ、この東京砂漠・・」危うい記憶だが、そのような歌詞。
東京砂漠、か。この砂漠は人に溢れ、物に溢れ、それでも砂噛むほどに白々しいか・・。
あなたがいれば、あなたがいても、やはり東京は砂漠か?
わたしの周囲にぶよぶよしたゼリー状の膜が張り巡らされ、徐々に包囲され纏いつかれる。それでも面白いよとわたしは歩き出す。空しさは空しさのまま、面白いよ、面白いよ、と。
JR上野駅から博物館への道、真っ先に目に入ってきたのは泰山木だった。
朝九時過ぎ、樹木の下のベンチにはホームレスの男の人が三人、まだ眠そうな顔をして座り、その一人はまだ横になって顔を腕で隠している。
人は誰しも些細なきっかけや境遇の変化でホームレスになる可能性がある。なりたくてホームレスになる人は稀のはず、いや皆無だろう。あの人たちは日々何を感じているか、何を思うか。いびつな思いに引き裂かれる。
東京はどうしてこんなにうようよ人がいるのだろう。びっしりと茎に葉裏に密集しているアブラムシと像が重なる。わたしもまたアブラムシの一人ならぬ一匹。
どこでもすぐに行列ができ、人々は「根気や辛抱」を学ぶ。それにしても並んで待つのは苦手だ、この瞬間はvipになりたい。
奈良から初めて日光菩薩様、月光菩薩様、聖観音様が東京にいらした。奈良ではもう何回もお会いしているが、光背なしの後ろからのお姿をやはり目にしたかった。背は思いがけないほどに明確に本性を語るというではないか。
人々は周囲を取り囲み、ためつすがめつ、嘆賞し・・しかし一人の中年女性を除いて誰も合掌していない。不思議なことだ。我ら自称仏教徒は、信仰の対象としての仏像ではなく、より美術的価値ある仏像として崇めているらしい。そう疑われても仕方がないほど、人々は祈っていない。見ている。
聖観音様、ライトを浴びたあなたは遠目には厳しいお顔。近づくにつれ少しづつ優しいお顔に女性的なお顔になった。奈良でお会いする時はいつも隔たりがあり、小さな静かなお姿という印象だったが。
横に回ると豊かな体の厚み、後ろに回ると微妙な衣の襞、瓔珞の垂れ具合。佇み佇み、崇め、自然に胸元で合掌する。やや高い位置に移動して眺め眺め、そっと斜めからのお姿をメモ用紙に描く。再び下に戻って仰ぎ見る。あなたは不動のまま、そこにいらした。
「聖観音様はですね、みなさんの心にある理想の異性のお姿なのですよ。」
薬師寺管長、故・高田好胤師は言われた。そう、本当に聖観音様の理想の若々しく凛々しいお姿がわたしの胸に脳に刻み込まれた。そして長い時間を貫いて、聖観音様に似た、現の異性の、男の姿が幻がわたしにはあった・・。
幻は失えば幻滅・・そのほの暗さは何に喩えようか。幻よ、生涯の果てまで消えるなと書けば、何を言うと人は笑うだろうか。
* わたしの脳裏に、いま、幻影としても「抱き柱」としても「拝」の対象としても、仏像が存在していない。神も存在していない。救いも無い。悟りもむろんない。からっぽの「いま・ここ」だけがある。それでいいのだ。ヤケクソでも何でもない。
しかし、いま、とてもムカついて、気持ちが悪い。とてもわるい。
2008 6・10 81
* わたしは、ほぼいつも、「コト・モノ・ヒト」と書き分けて「世界」を把握している。この三つからハミ出るような「何か」を、日常的には、ほぼ、持たないから。他に在るとすれば、「フシギ」である。フシギのなかに譬えば「カミ」「マモノ」などを入れたければ入れればよい、わたしの思いは必ずしもそうでないが。
動・植・生・鉱物が「モノ」なのは分かりやすい。「コト」の理解は人により揺れるだろう、が、事件や現象また社会や歴史と見切れば、ほぼ尽くせている。国もその中に在る。
「ヒト」は、人間という理解だけでは足りないはず。わたしのように「自分・他人・世間・身内」と「ヒト」を観ているヤツもいれば、男女や人種や、さらには才能や性質や言語でヒトを観ることも出来る。
あまりよそで出逢ったことのない把握なのだが、わたし自身は此の「モノ・コト・ヒト」という三分法を、便利な発明と自負して、よく利用してきた。わたしの「哲学」の入り口になっている。
* 小さかった頃は「カミ」「ホトケ」を混同しながら、「何でや」と疑問も覚えていたが、「ホトケ」は「ヒト」の内に含まれていい。新井白石のように「カミ」も「ヒト」の内だと見極めた人もいたが、ま、わたしは、カミ様は「フシギ」の範囲内に囲っておいていいと思い、あまり関わらない方がいいとも思っている。
* こんなこと書いていると際限がない、暫く、措く。
☆ シーラカンス(本物) 2008年06月11日01:29 光 東工大
実は、本物のシーラカンス(冷凍)をちょこっとさわったことがある。
なんでも、アフリカ大陸沖インド洋で捕獲されたものを、学術的な研究のために日本に寄贈されたものだという。
体長1m50cmくらい。
マグロのように、ステンレス製のテーブルにごろんと展示されていたのを、ちょっとつついてみた。
鱗っぽいもので、覆われていて表面は固かった。胸びれが足っぽい。
ふーん、これが「生きた化石」か。
*
シーラカンスは、4億年前に登場した魚類と陸上脊椎動物の分岐点にあたる生物とされ、1億年前に恐竜とともに絶滅した、化石のみが残る古代魚と考えられていたそうだ。
ところが、実は深海でひっそりと生存していることが20世紀になって明らかになり、化石とそっくりだったことから大騒ぎとなった。
彼は、1億年もの間姿を変えずにずっと生きてきたのである。
現代人の先祖であるクロマニョン人が出現したのが、4万年前。
シーラカンスにとっては、ぽっと出の新参者にしか見えないであろう。
進化するもの、しないもの。
2006年には、シーラカンスの泳ぐ姿が水中カメラによって捉えられた。
深海にゆったりと漂い、エサを食べる様子は自らエサを求めるのではなく、口を開けて入ってきたものをもぐもぐ食べる、そんなスローな生活を映し出したという。
生物の大先輩、シーラカンスは若造の人類に何かを伝えようとしているのだろうか。
* シーラカンスは、「モノ」である以上に、たいへんな「コト」に属している。べつに観たくも触りたくもないが、ふしぎに「いてくれて、ありがとう」という気分になる。「フシギ」だ。
☆ 新米先生 2008年06月11日09:28 悠
息子は今日も元気一杯。朝、5:30から絶好調です。
昨日は保育園でタンコブを作って帰ってきました。食事中に椅子の上に立ってこけたそうです。
先生が次々、謝ってこられたのですが、息子のクラス担当の新米先生は今にも泣きそうな目をして謝ってきました。昨日は息子の担当だったようです。
安全に子供を預かることが責務ですので、再発防止に努めてもらえればいいのです。息子も問題なく元気でしたが、新米さんには相当こたえたようです。少し、自信がついてきたかなぁと見えてきた矢先。
頑張って! やんちゃ坊主が今日も行きましたよ!
* 一言でこの「気持ち」を謂えば、「ありがとう」です。
☆ 変質 2008年06月11日08:05 ボストン 雄
・ 昨夜、秋葉原の連続殺人事件のニュースを、日本のテレビで見ていた。
被害者に対して話しても何も反応を示さないのに、自分の生い立ちについて話が及ぶと号泣する犯人。
あまりに身勝手に感じられる。先日、アパートの隣人を殺して死体を切り刻んでトイレから流したニュースもあったが、なんとなく似たものを、今回の事件の犯人に対して感じた。
事件そのものが極めて残忍なことは変わりない。
ただ、この事件は、異常な性格な持ち主が起こした異例の事件ではなくて、現代の日本人の多くが持ち合わせる、ある種の「自己本位さ」を端的に示している気がした。勿論、犯行を起こしたりするのとは同列に扱えないが、ニュースを見ていて気になったことがいくつかあった。
例えば、被害者の友人だった人がインタビューを受け、「初めは自分と関係ないことだと思って、写メールを撮って、みんなに話そうと思っていたのに、まさか自分の友人が被害に遭っていたるとは」と話すのを聞き、少なからぬ違和感を覚えた。自分の知り合いが被害に遭いさえしなければいいの?
この人以外にも、警官に取り押さえられている犯人を写メールに収めるべく、近づいて携帯をかざしているオタク風の若い男性の姿なども見えた。一体、何がしたいんだろう?
日本人って、こんな民族だっただろうか? 何かが大きく変わってしまったのではないか?
何か、ひどく間違っている気がした。
2008 6・11 81
☆ 梅雨 2008年06月11日17:05 慈
雨の多い五月でしたが たちまち梅雨ということに。
咲き残っていた君子蘭の一花 とうとう落ちて
遅め遅めのわたくしの庭の季節も移ります。
雨が多く 日差しが少ないと
草木の葉が大きいですね。
2008 6・11 81
☆ 梅雨の晴れ間 泉 e-OLD 北多摩
娘が子供を幼稚園に送り、お迎えまでの四時間半、山種美術館から東御苑の花菖蒲を眺めてと、予定をたてて出かけました。孫を連れると、おしっこ、喉渇いた、お腹空いた、駅構内では大好きな路線図から離れずで、大人の四倍の時間が優に懸るのです。
大抵の美術館行きは、重くなった今もママダッコで巡るのですが、幼児体験として美しいものを観せるのは悪くない筈とも思います。ただ山種のようなタイプの美術館は、常識的に幼児を避けねばなりません。
ところが山種がリンジ休館。ならばと人影のない工藝館でアールデコを中心の所蔵作品を、じっくり、観覧、織田一磨の1920年代の東京風景のリトグラフ等、満足しました。
すぐ向かいの北桔橋門から御苑に入り、こじんまりとした田の花菖蒲は満開。開館していた尚蔵館では献上の何点かの富士山の絵を展覧していました。
「キンシバイ」がきれいでした。ちょっと似た「ビヨウ柳」は信州等の高原の夏場、ピンクの小花が藤の花のように、但し垂れないで上
向きに咲く木で、好きな花でした。
梅雨ですもの。雨も降らなきゃね。 ほな又
2008 6・11 81
☆ こんにちは。 壽
タイトルの「モノ・コト・ヒト」に惹かれ読んでしまいました!?(平素は読み出すと際限なく時間をとってしまうので…失礼して時々読むことにしています)
私も(も、とは又、大胆にも失礼しま~す)15、6年前?から、 実は「モノ・コト・ヒト」で生きてきました。
スケ-ルも深みも湖さんには、及びもつかないものですが、自分で勝手に湖さんの仰る通り、わたしの哲学の入り口=生きる(生きている)ことを考えるときは、この三つに尽きる、この三つでいけるやろう、と。
カタカナで「モノ・コト・ヒト」です。
湖さんのカタカナ遣いが好きです。違和感なく、いつもぴったり。
* お久しぶり。ありがとう存じます。どうされてるかなあとときどき思い、「自由」に過ごされているだろうと安心しています。ユニークな日本語にミガキがかかっているだろうな、とも。
わたくしは、相変わらず煩悩の煩辱裡に起居して不自由を自嘲している次第です。喝
2008 6・13 81
☆ お元気ですか、みづうみ。 朱
お医者さんにきちんと診察していただくのはとても必要なことです。しつこいくらいに丁寧に診察を受けて、ご自身のお躰を愛していたわってあげてください。ご自身が、多くの「身内」から深く愛されている大切な存在であることを忘れないで。
私は元気ですが、楽しく暮らすなんて能天気なことはあり得ません。
先日梅若万三郎の「道成寺」を観てきました。
この日の舞台は前半乱拍子で、小鼓の声が耳障りに不調になり残念でしたが、今まで観た「道成寺」の中では一番でした。「道成寺」を観て初めて泣けてしまいました。
落ちた鐘楼が再び上がって後シテが般若の面で現れ、僧たちと争うなかで、一瞬般若の姿が人間の悲しみの極まった姿に見えました。梅若万三郎が意図して演じたものというより、無意識にシテの身体全体から滲み出た極北の悲しみと感じられました。以前どこかで、鬼は人間の悲しみの極まった姿という意味のことを書いていらしたのを思いました。
悲しみのあまり鬼にならざるを得ない人間という存在のあはれが、胸に突き刺さります。人が人である限り避けられない、鬼になるほどの悲しみに、思わず落涙したのです。この私自身もいつ鬼になるのかわからない。鬼になることから免れられる人間などいるでしょうか。
みづうみはお強い方です。さらに、お元気にお大切にお過ごしくださいますよう。
* ほんとうは京都から帰った翌日に此の同じ「道成寺」が観たかった、が、日程の詰まりにたじろぎ、招待を受ける返信が出来ていなかった。京都へは行かなかったのだが、能にも行かずじまいだった。
2008 6・13 81
☆ 湖へ お元気ですか。 珠
私語を拝読し、温かく凪いだ湖を感じています。
人の考えや行動には、それぞれ業というのか、拘る意味があるのでしょう。
それでも、どんなに大切でも、拘り続けると硬くなり、人を遠ざけるように思います。
生きている間だけしかできないのだから、ただ単純に、出来る限り素直に、そう向かい合う生き方してみましょうよと、色々思うこと多くあって。
今日は義弟のお母さんの三回忌法要でした。長く病んだ母に冷たかった父に、許し難い思いを抱えていた義弟の、様々言いたいことは胸に仕舞って体調思わしくない父を看る姿に、確かな時の過ぎ行くを見ました。
そういう彼の姿を、子供も存外見ていて、少し飲みすぎる様子に「ジジのことで大変だから、ね」と許容して。こんなことも、年齢ではないのですね。
赦し、赦され、今・此処を生きるだけ。精一杯、自分に出来ることをやろうとすれば、それだけで日々時間は足りないはず。複雑に生きるより、単純にどんどん伸びる、そんな枝葉がいいです。向かう夏、解れ解け、繁りますようにと。
帰り、三井記念美術館「三井家の茶箱と茶籠」に寄りました。
小さなお道具達に、もう吃驚。まるで玉手箱のようで!
殿方が、その一つ一つを愛しんで集めたかと思うと、何ともその様子を微笑ましく想い描いてしまって。。
三井家こその茶箱数々、初のお目見えとのことです。お時間あれば、是非一度、あの小さく品のある道具達に逢ってみて下さい。珠は、宗旦作の茶杓「ちゃべんとう」、細く艶よく、惹かれました。
惜しむらくは、総ての仕覆を見られないことですが、それでも、心弾み、裂を想い、満たされて、創りたい気持ちになって戻りました。
今日は父の命日になります。急にいなくなった人を心の奥に求めて35年、共に過ごした時間よりもうずっと長く過ぎたのに、未だ求める不思議です。
時間の長さではないのでしょうか。雨に泪を、月に笑を、星にやさしさを見て。
元気な一日を、過ごします。
大事にされますように、湖。
くれぐれも、無理なきように。湖。
* ありがとう。
2008 6・16 81
☆ 鴉に 鳶
昨晩いただいていたメール読みました。陰惨な気分、と書かれてあり胸衝かれます。そのようにさせている状況を推測し、共鳴しています。
状況はいくらか放り投げて頭をカラッポに、無心に。何よりも御自身のために。
鳶は空高くとはいかないで、低空飛行ばかりですよ。
健康状態が許す限り、思い切り気儘に、大切に。
2008 6・16 81
☆ 鴉、元気に! 鳶
先に急いでメールを送ったのですけれど、気に懸かります。
嫌なことは流れるままにさせてください。
HPに引かれていた『鬼面哄笑』の冒頭、
「切って落としたように外がくらくなった。」
この箇所こそ、何気ない書き方なのに的確で、ああこういう書き方もあるのだと大いに納得し作家の名前を記憶した始め・・このことは以前お知らせしたことがありました。本当に懐かしい。
「偽善者にちかく悪人にもちかいのではないか。韜晦すべく言うのではない。つまり、そうしか生きられないように生きてきた自覚が、世の常識を・枠組みをおよそ望ましい善と謂う以上は、とても人サマから簡単に赦されそうにないわるいヤツだという意味である。」
悪い、悪くないを分かつ基準自体が微妙だ、とも思います。ある意味で人間は偽善者、悪人であるのが本性なのかもしれません。わたしも含まれます。勿論、それでも同時に善意や慈愛、崇高なものを人間はもっていると深く信じています。
人サマも世間も人を赦す云々と言えるほどに立派なものじゃないと、わたしは些か開き直りに近い姿勢で生きてきたと思います。その結果生じる状況については、その多くは自分の責任だと受け止めてきました。自分の人生、人サマも世間も誰も責任とってくれ
ることなどないのですから。自分が引き受けるしかないのですから。
これこそB型の典型?! マイペース人間なのでしょうか。余談ですが、先日mixiの自己紹介の欄で初めて「湖」サンの血液型がBと知りました。血液型性格判断など非科学的ですと笑われても、同じB型のわたしは驚き嬉しかったですよ。何故か友人の多くはB型で、親しくなる人とは最初から意気投合して、話に倦むことないのです。
家の近くでは田畑がつぶされ宅地造成の工事が春からずっと続いています。先週から前の空き地で建築工事が始まりました。一日中なにやら音がして落ち着きませんが気にしないよう努めています。玄関先にあじさい、ブルースターなど青、紫、白の花をまとめ
て置きました。爽やか涼しげになりました。それにしても都会ではないのに、どこの家も敷地いっぱいに家と駐車場スペースばかりで庭に樹木や草花がほとんどないのは残念です。我が家の狭い庭は頑張って? うっそうと夏の気配になってきました。
どうぞ御自愛ください。
* ありがとう。
* よく太った小馬にまたがって地上数メートルをゆぅらゆぅら乗り回したまま、うとうとうと眠っている夢を、いま数分のまどろみの中で見ていた。たわいない。
2008 6・16 81
☆ お元気のことと存じますが。 菜
少し気になっていることが、やはり気になります。
私はかなり忙しい日々を送り、5月が過ぎ、もう6月になりました。
今日はいいお天気です。朝、一番に家中を開け放つと、隣の林の木々のにおいと、小鳥のにぎやかなさえずりと、田をわたる風とで、田舎の生活を堪能しています。 どこへも行かずに、ここにとどまっていたら、別荘ライフになってしまいました。
☆ お元気ですか、風。 花
洗濯のために、天気予報を気にしていますが、今日は外れまして、朝からいいお天気。
慌てて洗濯し、英語へ行ってきました。
爽やかに暑いです。
「うちわ」が活躍してます。
「神と玩具との間」の中巻の、中ほどを読んでいます。これまで読んだ湖の本のエッセイでは、『蘇我殿幻想』がいちばんおもしろく、『神と玩具との間』が、同じくらいお気に入りになりそうです。
さてさて、お腹が空いてきたので、お昼ご飯にします。
花はこんなに元気です。ではでは。
2008 6・16 81
☆ お早うございます、風。 08.06.17 08:50 花
風のインターネットはまだ通じているでしょうか。
朝は、何時くらいまでつながりますか。
花は、八時半に出勤するのを見送り、すぐにパソコンの前に来ました。できれば携帯ではなく、パソコンでメールを送りたいのです。パソコンの方が、文字を速くたくさん打てますので。
風のお時間が、陰惨なものに消費されることを、花は悲しみます。美しいもの・人をたくさん見て、どうか、楽しんでお過ごしください。
お元気ですか、風。
花のきのうは、友人にじゃがいもと枇杷をいただき、豊作でした。
花は、義母の送ってくれたたまねぎを進呈。
枇杷は、さっそく冷やし、夕飯時のデザートにしました。上品な甘さでした。
爽やかな甘さで、花は風を溶かしたい。
花の元気を受け取ってください。ではでは。
* 晩になってこのメールをもらうより、朝一番が一日励まされてありがたい。ビタミン愛のように服用。手紙では書けない。メールだから書ける。
電子メールの初期の頃、メールの文章は冷淡になりやすく、そのために仲良い人たちが喧嘩沙汰になることが多いとよく聞いた。それも一理ある現象だと思い、電子メディアでの人と人とのふれあいに、新しい風俗としても真情としても文藝的な関心をもっていたわたしは、逆に、メールこそは恋文に近い文章の書けるツールではないかと思うようになった。ちょっとした配慮と工夫と気持ちでそれが実現すると。
そういう意味の恋文をわたしから受け取った、受け取っている人は、変なハナシだが男女を問わずいっぱいいる。もらう方も同じである。大事なことは、それが虚礼でも虚飾でもなくなってゆく。互いの真情が生まれてくる、何の問題もなしに。これまたヘンな譬えになるが「現代の茶室」のように個々の「メール環境」がうまれ、茶は飲まないが思いを分かち合う「メール茶の湯」が楽しまれているのと、同じだ。
もっといえば、わたしが「世界」に連載した『最上徳内 北の時代』で多用していた現世と他界とのはざまに在る「部屋」にじつに似ている。その「部屋」でわたしは紫式部とも後白河院とも、清経とも、蕪村とも、新井白石とも、むろん徳内先生とも、自由自在に出逢っていつも歓談してきたし、それどころか紫上とも寝覚の中君とも、心の先生や奥さんとも逢ってきた。「メール」はうまくすると、この「部屋」に同じい。「個」と「個」とのとざされた部屋とも強いて謂えば言えるが、あの「部屋」よりは現世の俗により濃く触れているけれども。
* このサイトの私語に密かに耳を傾けて下さる人は、想像以上に広範囲に及んで、なかには悪意の検閲をこととしている人もいるようであるが、そんな中から、秦さんはモテますねえよく、などと俗なことを言いかける人もいる。モテルという俗語の意味本来をもし求めるなら、わたしは上のようなメールを此処へ転載したりしない。秘しておく。
わたしは、この私語の「闇」が、わたし一人の陰気に堅苦しい「私語」だけでよりも、華やぎ、ふくらみ、広がるのがただ心穏やかに嬉しい。それである。「身内」が見えてくるのである。
2008 6・17 81
☆ ベビーブーム 2008年06月17日08:56 東大 悠
近頃おめでたの話題がメールで沢山届きます。学生時代の研究室で一緒に過ごした先輩後輩の女性陣から、あいついで報告あり。結果、五人中三人が只今妊婦さん。私ともう一人がゼロ歳児のママ。みんな仕事をもちながら。頑張ってます!
来月、妊婦さんを我が家に集めようかと画策中。産まれるとしばらく自由がききませんから。
子供達が少し大きくなればみんなで遊ばせることができるかなぁ。楽しみ!
* なかには、「悠」さんもいっしょにわたしと歌舞伎座の席に元気に並んだ人もいるかも知れない。いま、こういう「たより」が、とても胸に温かい。
2008 6・17 81
☆ 給料 2008年06月17日10:58 ハーバード 雄
・ 朝一番にボスとのディスカッション。昨日解析を終えたデータを見せつつディスカッション。顕微鏡画像の評価についても、今まで知らなかったことを教えてもらった。
今日のディスカッションは、研究のこともさることながら、もう一つ気の重い相談事があった。来年以降の給料の件だ。
僕が現在貰っている留学助成金は2年間しか保証されていない。そのため、ビザの有効期限も2年間となっている。そして、アメリカ滞在において、ビザ同様重要な書類として、DS-2019がある。
ちゃんと勉強していないので、まだはっきりとは理解していないのだが、ビザの更新には、まず最初にDS-2019を更新する必要がある。その上で、アメリカ以外の国に行き、ビザの更新手続きをする必要がある。
いつも仲良くして頂いているメディカルエリアのラボのポスドクMさんによれば、DS-2019を更新する際に、どの程度の給料になるかを書く必要があるらしい。そしてその額に応じて、ビザの年数が決まってくるという。僕の場合はJ-1ビザというビザで滞在しているが、このビザは最長5年間まで延長できる。しかし、給料の額によっては、それに満たない年数しか保証されないのだとか。
実は、ハーバードや MIT などの有名大学では、ポスドクの給料はむしろ低いことが多い。NIH(アメリカの厚生省に相当する機関)が定めているガイドラインがあるが、それに満たない額の給料しか払わないラボが多い。というのも、それらの大学の研究室には、参加したいというポスドクが殺到するので、有名ラボであるほど買い手市場となるからだ。
うちのラボでも、ポスドクの給料はかなり安いと聞いていたし、実際、他の人から漏れ聞いた話では、僕の留学助成金に比べて皆の給料ははるかに安いようだった。だからこそ、少しでも生活費を切り詰めるために、今より安いアパートを探していたのだった。
・ 今朝、ボスに来年の給料のことに関して、ビザの更新の都合上、そろそろ考えて頂かなくてはならないということを説明した。
すると、「今もらっている留学助成金よりは多く出すから」とボス。
「でも、僕の留学助成金は、他の人達の平均の給料よりも大分高いんですよ」と僕。
いくら貰っているのかと、学位を獲ったのは何時かをボスに聞かれたので、正直に答える。
すると、ボスは「それならば、今の給料よりも高く出すことには何の問題も無いよ。学位取得後の年数で給料は決まってくるから、その位の額ならば喜んで出すよ」とボス。
有難い。これで何の心配もしなくて済む。正直、来年以降の生活については、貯金を切り崩さなくてはダメかなあと覚悟していただけに、予想外の嬉しいニュースだった。なんとか期待に応えられるような成果を挙げなくては。
* よそながら案じてもいたので、胸をなでおろす、佳い「たより」で。
☆ 新しい地下鉄に乗ってみようよ、と、 泉 e-OLD北多摩
皆を誘う。好奇心旺盛「婆」数名。いや、それが家路の人もいます。副都心線駅隣接の体育館(毎週定例、ウンドーの寄り)から渋谷まで初乗り。
長い工事期間で明治通りの渋滞が迷惑だったのをサラッと忘れて…
構内に一歩足を踏みいれまして、当然外からはちらりとも見えなかった駅内の明るさと広さに圧倒されるが、工事中に事故の一件もなかったらしく、先ずは安全に竣工されたのが喜ばしく。
壁面や天井等、全般がアイボリーというより白に近い色に統一され、70 over oldの目はハレーションを起して、ショボツクヨ。
座席の奥行きはやや短く、その分通路を広く設計されているのでは。
案内板で目的の出口ナンバーを辿るべく、顔を挙げっぱなしの渋谷駅でした。やれやれ
2008 6・17 81
☆ お早うございます、風。 花
風、お早いですね。
今日の風は、お出かけの予定でしたね。
雨はひどくならなそう。
きのう、おとといのうちに、洗濯と布団干しをしておいてよかった。
風は、お足元にお気をつけて、おでかけください。
富士山にはさきほどまで雨でしたが、今、止んでいるみたいです。
でも、今日は英会話がありますし、図書館に本を返さなければなりませんし、無印良品に注文したスツールが届いたと連絡があったので取りに行きたいですし、食品と雑貨の買い物もあります。
英会話では、毎週「What’s up ?」と訊かれます。
今日は、日曜に観た「キングコング 2005年版」の話をしようと思っています。
「指輪物語」を映画化したピーター・ジャクソン監督作で、東南アジアの髑髏島にいるキングコングが、ティラノザウルスと死闘を繰り広げたり、数メートルもありそうな蛭みたいなもの、蠍と百足の合体した一メートルくらいある甲殻類、ピラニアと鯉の合体したような巨大な肉食魚、などなど出てきて、ちょっと気持ち悪いのですが、自由な発想でアドベンチャーならぬ「venture」を見せてくれました。
髑髏島の巨大な生物たちに、人間がガブガブ食べらるごとに、花は「これはきっとR12だ」、「いや、R15だ」、「R18だな」と叫んでいましたよ。
エンパイアステートビルの場面では、ほろりとさせられました。
ナオミ・ワッツ、エイドリアン・ブロディといった、花の好みの俳優さんが出ていました。
ではでは、風、お元気で。花はとろとろに、元気でーす。
* 元気を、もらおう。
☆ 今日は卓球大会 2008年06月18日01: 40 松
今日の夕方、定時後に社内の卓球大会が開かれた。
この日に備えてここ一ヶ月ほど部署の仲間で終業後に集まって、密かに練習をしていた。しかし、うまい部署が多く結果は一勝一敗でリーグ戦敗退。
金曜日の決勝トーナメントに残ることができなかった。
後日打ち上げをすることを決めて今日は解散した。卓球はラケットは小さいし、コート(板)は小さいしなかなか入らない。しかも慣れた人は変化球を操り、打ち返すことは難しい。普段球技を何もしていない僕には大変だった。
でもスポーツをしていると仲間は増えるし、終わった後が気持ち良い。体を動かすのは気分転換にいいと思う。もちろんその後のビールもおいしいです。
今日は野菜炒めとと共においしくビールを飲みました。
* この卒業生も奇しくも富士山の見える麓町に暮らしている。なんでも楽しめる元気な人だが、独身。娘道成寺のうたにもある、「花」と「松」は似合うのでというシャレではないが、「花」さんが結婚するよりずいぶんまえに、「松」クンに紹介しようかなとちらと思ったことがある、が、時既におそかった。そんなぼんやりとした記憶がある。
2008 6・18 81
☆ ありがとう存じます。 紀
メッセージありがとうございました。今朝、通勤途中で携帯から拝読させて頂きました。
生きているだから逃げては卑怯とぞ幸福を追わぬも卑怯のひとつ
秦様からのメッセージに胸が熱くなり、込み上げ、電車の車内にもかかわらず、涙が溢れて参りました。
私は、おかげさまでつつがなく暮らしております。私の周りの友人、知人、そして何より両親のお陰です。本当に、「おかげさま」です。元気にやっておりますので他事ながらご休心下さい。
6月1日より、**県内の医療法人にて無事勤務しております。そして今は、両親の元で暮らさせてもらっております。今回のことで、両親には心配を掛けました。
これから、精一杯の親孝行ができたらと、思っております。
私は、ソフトボールを幼い頃から続けております。
高校時代には、全国大会にも出場いたしました。
東京都の選抜チームの代表選手にも選ばれ、 オーストラリアに東京代表として遠征もしました。
ちょっと、自慢話になってしまいましたね。ソフトボールが大好きです!! 元気満々に白いボールを追いかけています。
今月から、なんとか就職することもでき、やっと、社会復帰いたしました。今月の20日が、社会復帰して初のお給料日です。初のお給料は、みんなにお礼したいなぁ~と、早速ですが、使い道を決めています。
秦様からの前回のメッセージでも、私の新しい幸せを祈って下さってること、とてもとても、嬉しかったです。
ですから実は、秦様にも、そのころに近況をご報告させて頂こうと、ずっと思っておりました。秦様から先にメッセージを頂戴し、大変恐縮しております。
本当に本当に嬉しかったです。
ありがとう存じます。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。では、ご無沙汰をお詫びするとともに、秦様のご健康をお祈り致します。
* 息子のドラマのフアンだった人だが。わたしの誕生日まで綺麗なローズの花籠で祝って頂いた頃は、幸せになって欲しいなと想う若奥さんであった。人知れぬ勇断があったものと思う。元気に、ソフトボールをまた始めたと聞いて、ソフトボールはわたしの唯一楽しんだ球技であり、嬉しくなり、今朝早く励ましのメッセージを送った。
うろうろとためらっていないで、新しい幸福へ飛翔してください。
2008 6・18 81
☆ 勝手に子連れ 2008年06月19日05:49 バルセロナ 京
「国際離婚、勝手に子連れ帰国ダメ 日本、国際条約締結へ」 (アサヒコム5月9日掲載)
離婚する夫婦が、子の親権を譲らず揉めにもめている。という話、スペインでは珍しくない。「子」をもたずそのありがたみを実感しない私は、子は、離婚する親にとってむしろ「重荷」である、と思い込んでいたし、父親と一緒に生活した実感のないせいか、男親が、育児をまるまる引き受けてまで子供を欲しがるとは、ちょっと驚きだった。
スペインでは、子のある夫婦が離婚する場合、余程のことがない限り共同親権になる。子は一方の親と生活し、隔週の金曜の午後から月曜の朝まで、もう一人の親と一緒に過ごす、といったような策がとられる。3ヶ月ある夏休みも、二人の親に割り振られる。どちらの親にも、定期的に子供と会う権利があり、継続的に子供を養う義務がある。親も大変だが、あちらとこちらを往ったり来たりしなければならない子供もしんどいに違いない。ある小学校では、すでに「両」親と暮らしている子供の方が少なくなった、そうだ。
これが、スペインに住むスペイン人の夫と日本人の妻の間に起こるとどうなるだろう。
こういったカップルは、たいてい日本人妻に収入がない。育児に費やしてきた時間から、妻の方に子と住む権利の与えられることは多く、その場合、それまで住んでいた家に引き続き住める可能性も高い。今どき収入のない外国人に、家を貸す家主がいないため、これはかなり大切な要素である。妻に収入がなければ、子の養育費の大半は夫がもつことになるが、家賃の何割かに加え、自分の生活費は負担しなければならない。仕事を探しても、外国人であるがためまず見つからないし、見つかっても、あまりの安月給にその間子供を預ける費用すら出ない。頼る身寄りなく、言葉に不自由あり、たとえ精神的に持ち堪えても、事実八方塞だろう。子供を連れて日本へ帰る。私には、決して安易な選択ではなく、追い詰められ、追い遣られた結果に思えてならない。
それが、実は「誘拐」に当たる、と言われたらどうだろう。初めてそれを聞いたとき、私はあまりにびっくりして、しばらく意味が呑み込めなかった。育児を現に負っている母親に向かって、その言い様はあんまりではないか。弱い立場の人間を、さらに槍玉に挙げている気がして、やりきれない気持ちだった。
が、元妻に子を連れて行かれたスペイン人父たちの、絶望し、憔悴しきった顔を見るうち、彼らにとっては、ある日、突然子供が連れ去られたことに、なんら変わりないことも見えてきた。父親だって子供を育てたい。子供に逢いたい。無意識に育児を「女の仕事」と捉えている人間にとっては、理解し難いことかもしれない。私とて、育児を「自分のこと」として、当たり前にやっている男親たちを、こちらで何人も見るまでは、彼らの嘆きがピンとこなかった。
黙って子を連れ帰った親に、被害者意識はあっても、加害者意識は薄いことが多い。子の捜索に、元妻の実家が協力するわけはなく、「国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約」に加盟していない日本相手では、法の手も及ばないから、日本へ連れて行かれた子供とは、二度と逢えないと思っていい。
三年前、離婚の危機に直面した日本人の友人と、弁護士を訪ねたことがある。
友人は、話に聞いていた「誘拐」の件を、スペインの弁護士に再確認していた。
「(黙って日本へ連れて帰ってはいけないのは)結局、もう一方の親にも子に会う権利があるから、なのよね。」
分かったような口を利いた私に、向き直った弁護士は、意外なことを言った。
「そう、ではないのよ。親にも子に会う権利はあるけれど、これは、《子供に》親と会う権利があるから、なの。子が、基本なの。いくら親であっても、子がもう一方の親と会う権利を、子から奪ってはいけない、と。」
あっ、と声が出そうになった。
子の権利。考えもしなかった。
「国際離婚、勝手に子連れ帰国ダメ 日本、国際条約締結へ」
これによれば、上記の国際条約に将来日本も調印し、日本へ勝手に連れ去られた子供の捜索に、法が手を貸すことになるらしい。自分がどちらの立場になるかによって、意見は真っ向変わるだろう。私には、自国へ追い遣られた親の大変さの方が分かりやすい。でも私自身、三十年無関与だった父親と新たに関係を築こうとしている中、それを反射的に阻もうと体当たりしてくる母親へ、戸惑いのあることにも気付いている。
「親権」ばかりが問われる中、引き離される子の側の権利について、もっと話されてよい時期がきたのではないかと思う。
* 重い指摘だ。ありがとう。
2008 6・19 81
* 次のマイミク間の論議は、一度は自然に起こるだろうと思っていた。ことに今も「研究」生活をしているわたしの東工大の卒業生同士でも、また「真」さんのようなベテランの研究者からも。
ともあれ、わたしは少し引っ込んだまま、そのまま次の転載をゆるしてもらう。活溌な意見交換があるか、どうか。特許庁の人も建築会社の人も都文研の人も、東大の人も、東工大の人も、大手企業勤務の人も、研究者は多士済々。最初に発言してくれた人も、果敢に考えを敷衍して欲しい。とてもとても大事なことだ。
☆ 研究者と研究と国民と 2008年06月19日08:26 ハーバード 雄
・ 今日は一日中、脳のスライス作製。明日、顕微鏡観察するための試料を作っていた。昨日から作っていたサンプル作りの続きをしたかったのだが、なぜかJCの姿が見えない。サンプルが悪くならなければ良いのだが。
・ 僕は普段、firefoxをブラウザとして、thunderbirdをメールソフトとしてそれぞれ使用している。いずれもMozilla社のもの。 firefox3がいよいよリリースされたので、先ほどインストールしてみた。確かに少し早くなったかも。しかし、それほどとも思えない。
・ 新しいアパートにファイバーケーブルを利用したインターネットがようやく設置されたというので、先ほど契約した。来週の月曜の午前中に取り付けに来るという。果たしてうまく行くのだろうか。
・ さて、今日はここから長いです。長いので、興味の無い方は読まないほうが良いかもしれません。
・ 以前から、湖さんからの「宿題」となっていたことについて取り上げたい。勝手にホームページからの転載となってしまうことを、「司」さんと「湖」さんにお許しいただきたい。もし差し障りがあればおっしゃってください。削除いたします。
・ 以前、「湖」さんのホームページで取り上げられていた文章は以下の通り。
☆ ちょっと一休み 2008年06月05日20:10 司
最近、自民党の無駄遣いプロジェクトチームなるところが無駄遣いをなくそうとばかりに、色々な資料を要求してきている。
その中の一つに、様々な公的研究機関に対して、本当に国の研究機関として必要なのか、民間に任せられないのか、というのがある。
以前、研究機関の企画部門にいたこともあるが、私も、組織全てとは言わないけれど、「本当に必要なの?」と思う事が、とても多くあった。
研究機関と言えども、国民の税金を使って仕事をしている以上、自分の研究ではなく、国家国民のための研究をすべきであって、そこに異論を挟む余地は、ほとんど無い・・・はず。
「国家国民のための研究」というのが何なのかという論点があるけれど、「これは国家国民のための研究ではない」というのであれば、そのことを、きちんと骨を折って説明をするのも研究者の仕事のはず。
これを言うと、「それは研究職の仕事ではない」と堂々と言う研究者の多いこと。
もちろん、そんな研究者ばかりでは無いことも事実だけれど、研究者には税金を使って飯を食わせてもらっている感覚の薄い人が多いなぁというのが、私の感想でした。
・ おそらく、「司」さんの話しておられるのは、研究の中でも特に、基礎的な学問のことなのだろうと思う。基礎的学問の研究者以外にとって、上の文章は非常に的を射ており、一般的な意見を的確に表現したものなのではないかと思う。しかし、基礎科学の研究に携わる者としては、反論したくなる点もいくつかある。
・ まず、先日の日記にも書いたように、「きちんと骨を折って説明するのも研究者の仕事のはず」という点についてだが、これは現在では多くの研究機関において、近年改善されつつある。
多くの研究機関では、そのために専門の職員を雇い(もちろん研究機関全体の予算が増えるわけではないので、その分、他の研究者に皺寄せがある訳だが)、広報活動に重点を置いている。
また、近隣の住民や、科学に興味をもつ人々のために、定期的に研究所を公開して展示を行ったり、スーパーサイエンスハイスクール活動など、高校での授業を行ったりもしている。傍から見れば大したことではないかもしれないが、その準備には大変な時間と手間がかかる。それらを知らずして、一言で「努力していない」で片付けては欲しくない。
本心を言えば、僕もそれらは本来、「研究者の仕事ではない」と思っている。研究者の本分は、真に科学的に価値のある発見をすることであり、その成果を論文にまとめることで成果の報告には事足りていると思う。しかし、そのような論理がまかり通ったのは、かつて科学が貴族の遊びであった時代までなのであり、「職業としての」科学者には、それでは済まないのだということは分かっている。したがって、あくまでも「仕事」として、それらをこなしている。
・ さて、上の「司」さんの文章の中で、僕が最も反論したい点は、以下の一文。
「研究機関と言えども、国民の税金を使って仕事をしている以上、自分の研究ではなく、国家国民のための研究をすべきであって、そこに異論を挟む余地は、ほ とんど無い・・・はず。」
まず言いたいことは、「自分の研究」と「国家国民のための研究」と、はたして区別がつくだろうか?という点。自分の研究が何の価値も無いなどと思っている研究者は、世の中にはいない。価値があると思うからこそ、自分の貴重な人生を費やして没頭している。問題は、その価値が万人にとって見えやすいか否かにある。「万人にとって価値のある研究でなければ、その研究は価値が無い」と考える人もいるかもしれない。しかし僕はそうではないと考えている。
・ 一例を挙げる。
・ 最近では、ごく微量の血液さえあれば、そこから犯人を割り出すことができる。DNAを用いた鑑定の技術は目覚しい発展を遂げた。しかし、この技術を支えているのは「温泉に住む細菌の研究」である、ということをご存知だろうか?
DNAが二本のDNAの鎖がくっついて、二重らせん構造をとっているということをご存知の方は多いと思う。DNAは温度を上げると1本ずつにバラバラになり、温度を下げるとまた元の二本鎖になるということが知られている。
そこで、キャリー・マリスという研究者は、温度を上げて1本にしてからDNA合成酵素を働かせれば、DNAを2本に増やすことができるのではないか、と考えた。
この考え方は正しく、この手法を用いることで原理的には1本のDNA二重鎖さえあれば、温度を上げ下げするだけで無限にDNAを増やすことが可能になった。これにより微量の血液などからでも無限にDNAを増やすことができるようになり、犯罪捜査に大いに役立つこととなった。
これがPCR(polymerase chain reaction;ポリメラーゼ連鎖反応)法の原理で、この発明によってマリスはノーベル賞を受賞している。
しかしここで問題は、PCRを行う過程では温度を上げ下げしなくてはならないということにある。DNA合成酵素はタンパク質でできている。生卵を煮ればゆで卵になるように、温度を加えるとタンパク質は変性してしまい、もともとの性質を失ってしまう。したがって当初、PCRは温度を上げ下げするたびに、 DNA合成酵素を添加して行われていた。これは手間がかかるし、費用も膨大になる(なにしろDNA合成酵素は今でも数百マイクロリットルで数万円する)。
これを解決したのが、温泉に住む細菌の研究だった。温泉に住んでいる細菌は、高温の中でも生育できる。この細菌のDNA合成酵素を使えば、温度を上げて DNAをバラバラにしても酵素は変性しないのではないかと考えたのだった。
この考えが的中し、今では温泉に住む細菌由来のDNA合成酵素がPCRに盛んに用いられている。これならば、最初に酵素を1回加えれば、後は機械にセットして自動で温度を上げ下げするだけで、2,3時間もたてば充分な量のDNAが得られる。コストの面でも手間の面でも、大いに無駄が省け、PCR法の普及に大きな貢献した。
しかし、こうした温泉の細菌の研究は、なにも犯罪捜査を目的として始められたわけではない。「何故これらの細菌は、温泉などという過酷な環境下で生きられるのだろう」という、極めて素朴な疑問に基づいている。さらには、こうした極限下で生息する細菌は、原始地球に誕生した生命と類似していると思われる性質を有することから、「生命の起源」を考える上で非常に興味深い生物である。
こうした極めて基礎的な興味に端を発した研究が、思いもかけない形で実用的な応用を生んだのだった。逆にいえば、こうした真に学問的興味から進められた基礎科学的成果があったからこそ、いざPCR法が生まれた際に、その成果をすぐさま応用することができたのだ。
一体誰が、「犯人を割り出すためには、温泉の細菌の研究が必要だ」などと考えただろう。そんなことを言えば、「こいつは頭がおかしい」と思われるか、或いは「こいつはサボって温泉に行きたいだけなのではないのか?」と思われるだけに違いない。
「国家国民のための研究」という発想は、一見非常に正しいように思われるが、実は考え方を近視眼的なものへと硬化させかねない危険性を孕んでいる。もし一滴の血から犯人を割り出すということを真剣に考えて研究していたならば、温泉の細菌など研究しようとは思わないだろう。微量な血液からでも効率よく DNAを回収する方法や、微量なDNAをいかにして感度良く分析できるかの研究を行ったに違いない。
このように、科学研究においては、思いもかけないところからブレイクスルーがもたらされることを基礎科学者たちは知っている。そして、そうした基礎科学の発展に最良の方法は、「それぞれの研究者の好奇心に任せることである」と、経験的に基礎科学者たちは知っている。だからこそ、一見「自分のための研究」とも取れる研究に血税を使って平然としていられるのだ。
本当に自己中心的な欲求のみで、多額の研究費を税金からかすめ取ろうなどというほど、人間は強欲にはなれない。本当に自分の好奇心を充たすためだけに研究するということは、研究のモチベーションを維持する上でも容易な事ではない。人は誰しも、何がしかの形で、他人の役に立ちたいのだ。
・ 適切な喩えかどうかは分からないが、科学研究はサッカーに似ているところがあると僕は思う。サッカーは相手のゴールにボールを蹴りこむことで点を取ることができる。したがって、相手のゴールにボールを入れることがサッカーにおいて最も重要なことなのだから、シュートを決めるストライカーさえいれば、後のポジションは不要なのではないか、という論理が成り立つ。自分のゴールに点を入れないために、キーパーやディフェンダーは必要かもしれないが、中盤というポジションは無意味なのではないか。
しかしサッカーの試合を見た人ならば、その考えが正しくないことは容易に分かることと思う。ゴールキーパーから直接ストライカーにボールを投げ、シュートを打たせるという戦略では、かえって得点を得ることはできない。実際、そんな戦略を取るサッカーチームは、子供の遊びでもないかぎり、有り得ない。ストライカーがシュートを打つためには、自陣のゴールキーパーから放たれたボールを敵陣内にいるストライカーにまで、「適切に」運ばなくてはならない。ここでの「適切」とは、いかに敵の意表を突く形でストライカーにボールを渡すかということになるかと思う。
真に優れたミッドフィルダーは、たとえ自身の放ったボールが直接ゴールネットを揺らすことがなくとも、芸術的なパスをストライカーに送ることで、観客に大きな感動を与えることができる。ストライカーだけではサッカーは成立しない。より多くのポジションの選手がボールに絡み、より多くパスを回しあうことが、逆に効率的に得点を挙げる上で重要なのだ。
同じように、サイエンスの世界でも、一見して国家国民の利益に直結するような研究だけでは、思うような成果を挙げることはできない。巨大な基礎科学という土台の上に立ってこそ、真に国家国民の利益に適った研究成果を挙げることができるのだと僕は考える。
・ 残念ながら、科学の世界はサッカーのように万人が見ても分かるようなものではない。一見すると、「これ、本当に役に立つの?」と思われる研究も少なくないだろう。しかし、その価値判断は、傲慢とも取れるだろうが、どうか研究者にお任せいただきたい。
科学のテーマの中には、確かに無駄なものも無いわけではない。しかし、その研究が無駄か無駄でないかの判断を下すためには、それなりの修練が必要となる。一見「国家国民のためになる」ようなテーマが、実は研究するに値しないことは、決して少なくない。そしてその逆も少なくない。
それらを正しく見極めるためには、適切な指導者の下での長期間にわたるトレーニングが不可欠だ。何が真に重要であり、何がそうでないかを見極めることは、けっしてたやすいものではない。一朝一夕に身につくものでは、決して無い。時には、そうした訓練をつんだ研究者ですら、見誤ることがある。
おそらく、この文章を読んでも「司」さんは納得しないであろう。「研究者が自分にとって都合の良い理屈を並べているだけだ」と思われるに違いない。しかし、私利私欲からこのような文章を僕は書いているのではない。
僕が言いたいのは、本当に「国家国民のため」の研究をするためには、その何倍もの基礎科学的裏づけが必要になるということ。結果的に役に立たぬ研究も生まれるかもしれないが、それは不可避のことであるということを言いたい。
・ こう言う人もいるかもしれない。「確かに基礎研究は大切かもしれない。しかし現実問題として、日本は今、非常に厳しい経済状況にあるのだ。そんな状況で、好奇心だのといっている余裕はないのではないか」と。それは確かにそうかもしれない。
ならば、「司」さんの文章にもあるように、基礎研究を民間の研究機関で行うことは可能だろうか?これまでの歴史からいって、ほぼ不可能であると思われる。実際、そのような趣旨から作られた三菱化学生命研究所は、2010年3月に閉鎖されることが最近決まった。
民間企業の場合、どうしても利潤追求は避けられず、純粋に基礎研究を行うことは難しい。結局、基礎研究を民間に押し付けることは、企業をさらに弱体化させるだけであり、より国の財政を逼迫させるだけだと思われる。
さらに言えば、アメリカの場合、研究費の中には、国家予算から捻出されるNIHのグラントだけでなく、様々な企業からの多額のグラントも多数ある。企業に限らず、各種団体や資本家などによる寄付も膨大な額に上る。基礎科学に対する社会の理解が根付いている土壌だからこそ、このような寄付が得られるのであろう。
かたや日本の企業が行っている研究助成金では、多くて2-300万円、少なければ50-100万円といったところが相場だ。それらを得ることさえ熾烈であり、実際、教授たちは多くの時間を割いて、そうした民間助成金の申請書を作成しているのが実情だと思う。このあたりは文化の違いとしか言いようがない。
・ 研究費だけではない。研究者の収入も、最近では問題となっている。国立大学の教授でも、年収1千万円を超える人は、ごくわずかだろう。助教で額面 600万円弱、准教授で800万円弱というところではないだろうか。民間企業と比べて、決して多いとはいえないと思う。
しかしこれらの常勤研究職はまだマシなのであって、今一番深刻なのは、博士号を取得してから、上記の職に就くまでのポスドクの収入だ。ポスドクといっても年収には大きな幅があるのだが、平均は400万円弱程度であると思われる。
しかもポスドクは全て任期制なので、せいぜい長くても3年程度の任期であり、1年ごとに更新というポジションも、決して少なくない。任期が切れれば、ほかの職場へと転々としなくてはならない。もちろん転勤ばかりなので、家を建てるなどということは想像すらできない。
そして近年では、博士課程を修了し、博士号を取得しても、上記の常勤研究職に就くことのできないシニアポスドクが増加し続けている。40歳を過ぎてもポスドクのままという人は驚くほど多い。僕自身、全く他人事ではない。
研究員などというと聞こえは良いが、実質はフリーターと変わらない。「高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院」 (水月昭道・著、光文社新書)という本が出版されているのも笑い事ではない。
ポスドクの給料は、アメリカでも大して変わらない。しかし、独立研究者になれば給料は跳ね上がる。収入という点において、日本ほど研究者を冷遇する国も珍しいのではないかとさえ思う。その上さらに、「お前ら、税金で養ってやってるんだから、・・・」などと言われるのか。。。研究を続けることが、馬鹿馬鹿しくさえなる。
* お互いに日々に時間の足りない人もいる。それぞれのゆるす範囲内で、我が事として考えて見てくれる人から、また発言があれば、歓迎したい。あの教室で繰り返し繰り返した「あいさつ」のもう中年版になる。けしかけているのではありません。
2008 6・19 81
* 毎年の通りに、山形県のあらき蕎麦さんから、すばらしい「桜桃」をたっぷり四パックも頂戴した。病院から帰って、さっそく賞味、それは旨い。食べる手が止まらない。感謝し感激。
2008 6・19 81
☆ さみだれに 雀
鳰のうき巣を見にゆかむ
滋賀県水口町に行ってまいりました。
水口神社に参り、図書館に併設されている資料館と城跡の資料館を見学したら、町をゆっくりみて歩く時間がなくなってしまい、旧東海道を一見しただけで帰ってまいりました。
町の人が自慢する派手な祭りより、ひっそりと写真で展示されていた山の神の祭りや、正月飾りや、オコナイや、蛇巻きに似た祭りや、勧請縄にひかれます。
お励ましいただいたのにお返事もせず深謝のかぎりです。なんでもわぁわぁ囀りにかえられたらよいのに。息をごくんとのみこんでばかり。
月がまぁるくなって仲夏。
あさっては夏至です。ご平安をお祈りするとともに切にご自愛をお願いいたします。
「澪標」「最上川」「落日の光景」「夢幻抱影」を読みました。遅いでしょう! 囀雀
* 水口は、わたしの母方の祖父の生まれた宿場と聞いている。
鵜飼という本陣に生まれて「周三」といったと。のちに能登川の阿部家に養子に入った。わたしの生母はそのたしか三女であると聞いた。
いま鵜飼家は京都の山科に本家がある。脇本陣の小島家が水口にある。二度ほど尋ねていったことがある。水口は興味深い宿場であった、と想う。
雀さんが、独特の取材力でわたしのその祖父について調べてくれないかなあと前から願っているのだが。ほんとうなら、そういう仕事をこそ朝日子に頼みたかったが。
2008 6・19 81
* この「光」クンのトクダネは、お伝えしたいなあ。光クン、戴きます。
☆ ラスボス(iPhone)登場か、デジタル戦争 2008 年06月19日00:40
有史以前から物々交換が行われていたように、産業といえば「モノ」が基本。
同じモノでも、欲しい人、欲しい場所にモノが存在するだけで価値が生まれるように、モノを制することが成功への道でした。わらしべ長者は、そのことをよく理解していた代表的人物と言えます。
モノで世の中を制するという観点からみれば、他人よりモノをたくさんかつ低コストで作ることができれば良いわけで、生産競争時代に突入しました。
ご存じイギリスが、産業革命を通じて大量のエネルギーを利用し、大量消費時代を作り上げたのです。
モノがあふれるようになると、勝ち残るためには差別化が必要になってきました。
「モノ+技術」の時代の到来。日本が世界に躍り出た20世紀はまさにそんな時代であったと思います。
では、今は?
米アップル社製のiPodのヒットが示しています。
iPodも同じようなモノはすでにあったし、特別に難しい技術が必要だったわけではありません。
違いは何かというと、パソコンと専用ソフト(iTunes)と組み合わせて音楽の楽しみ方(スタイル)を提案したところではないかと思われます。
もちろん、デザイン性の提案も無視することはできませんが、そのこともスタイルに含めてもいいでしょう。
「モノ+技術+スタイル」、スタイルを提案し実現するために新しい技術が必要・・・。そういう時代になったことを実感させられたものです。
*
そしてついに、スタイル戦争とも言うべき争いが勃発。
パソコン vs 携帯電話のデジタル戦争です。
ハブとして「パソコン」を中心に添えてメールやウェブ閲覧だけでなくiPodやデジカメを楽しむ「パソコンハブ型」スタイルを提案したいアップル(米)やマイクロソフト(米)。
一方、アメリカ主導のパソコン勢力を排除して、日本のお家芸である「ケータイ」で情報端末から家電まで制御する「携帯端末型」スタイルを提案したい日本メーカー。
まずは、パソコン勢。手のひらサイズのデバイスにWindows CEなるOSを載せてきました。
対する、携帯組。ドコモがi-モード搭載機種を発売。i-モードは携帯電話機でメールやインターネット閲覧ができるサービスのこと。
軍配は、携帯組に。i-モードによって、メールするのに携帯で十分との認識が拡がり、多くのユーザーの支持を得ました。
残念ながら、Windows CEは使いづらくマニア受けしたくらい。
i-モードは日本が誇る大発明だったのです。
そして、その後の携帯端末のパソコンにも迫る高機能化は、皆さんもご存じの通り。
携帯端末でmixiを行っている人の方が、パソコン接続の人より多いというデータからも、携帯優勢であることがわかります。
勝負あったか、と思いきや、パソコン勢も負けてはいません。
米アップル社のiPodに続く大ヒット作、iPhoneの投入です。
iPhoneは、携帯電話といいつつ中身はパソコンと同じOSなのです。ついにパソコンで電話ができる時代になりました。
日本でも、この7月にいよいよソフトバンクから発売開始。因縁のドコモから発売されなかったのは、何か意味深です。
携帯組の次の秘策は?
この勝負、まだまだ目が離せません。
2008 6・19 81
☆ 梅雨の空もようがつづいていますね。気温が低いので、ラクに過ごせます。花はとても元気です。
風はまだおやすみかな。お元気ですか。
診察の結果が、悪くなかったようで、安心しました。お大事になさってください。
花は、髪が伸びたので、美容院に行きたくなってきています。
『神と玩具の間』は、下巻に入りました。おもしろくて、今日にも読み終えてしまいそう。
以前に読んだことがありますが、今回は、違ったおもしろさ、といいますか、前回よりおもしろく読めます。読むときどきに依って、作品が違った顔を見せる、と謂うことがありますが、作品は変りませんので、前に比べておもしろいと感じるのは、読み手である花の内面に、より違いが生じているのでしょう。
今夜から、またバレーボールの国際試合がはじまります。
先日は、全米オープンゴルフを部分的に見ました。世界トップクラスの選手たちが、バンカーやOBをばんばん出していて、「難しいコース」なのだなあ、と、感嘆しましたよ。
もうすぐウィンブルドンテニスがはじまります。
あれこれ、手に汗握る日々です。
ではでは、佳い風の今日を。 花
* 十時までやすんでいました。なにか克明な夢を観ていたはずなのに、けろりと忘れています。
タイガー・ウツズが骨折していて重症らしいのを案じています。つよい人には強いままを維持して欲しい夢があります。イチローにも。やわらちゃんにも。
むかし、橋本聖子というスケートの女子選手がいたでしょう、議員になった。あの人のプレーへの姿勢が好きでした。
谷崎先生達の手紙は、毎日新聞の担当記者から小説家になり佳い谷崎伝記なども書かれていた野村尚吾さんが、遺言のようなかたちで、わたしにぜひ活かして欲しいと遺していって下さったのです。
この本を書くのに、わたしは筆を枉げたくなくて、親しい松子夫人にも取材しませんでした。
この本は、関係者に、むろん松子さんにも、傷みを与えたはずですが、誰一人からも苦情は来ませんでした。わたしの「谷崎愛の純真」に免じてくださったのだと感謝しています。この本を乗り越えて行くことで「昭和の谷崎」論はのびて広がったと想います。
野村さんがわたしを信頼し、新しい谷崎世界をひらいたと認めてくださったのが、エッセイ33の、書き下ろし「谷崎潤一郎論」でした、処女単行本『花と風』 (筑摩書房)に入れたのでした。小説家だけでなく、評論家としての一歩も合わせて踏み出せたのが、わたしに「生活」させてくれました。原稿依頼が文字通り殺到したからです。しかし評論家で歩み出していたら、そうは行かなかった。その辺が微妙な世間でしたね、文壇とは。
出来れば、処女評論の入った『谷崎潤一郎の文学』そして後年の『谷崎潤一郎を読む』も、流れで、あわせて読んでみて下さい。作品論、作家論の「風」ふうが見えるでしょう。原作と拮抗するほど面白く興味深く書くものだ、作品論は、と心がけてきましたよ。
では、風の今日を始めます。
2008 6・20 81
☆ 時々子機で、お好きな音楽を聴いて気分転換なさるのは、よいですね。
素敵な花の写真など見つけてお送りできたらよろしいのですが……。今の季節ですと紫陽花などでしょうか。みづうみの『花が好き』の紫陽花の描写一つ読みましても、写真なんかではかなわないと思います。
紫陽花のよさは、やはり盛りの女の艶に麗しく、しかもはや崩折れも予感させるところにあるのでしょうか。それが少年の昔には息苦しくて、身を退いたのだと思い当たります。艶麗には少年は勝てない。清楚で可憐なものが少年を輝かせます。
紫陽花は臈たけた大人の印象で、時を追って色変わりしてゆくのが、また大人の女性の印象です。気がつくと天人の五衰のようにきたなくなっています。
言葉で花を描いて繪よりも写真よりも、花の姿を伝えられるひと。みづうみに描写される花々に少し嫉妬しています。 紫
* 今は、気を引き立ててやろうというこんな好意のメールにも、わたしは励まされている。
☆ とうどう 花
本訴なんて、ちっともよくないけれど、一つ前に進んだことで、見通しがついて、ホッ。
トントンと進みますように。
今日の花は、朝寝坊。
オリーブの鉢植えがしんなり枝を垂れてしまっていたので、雨避けのあるところへ移しました。
山椒の実の夢、おもしろいですね。
『神と玩具との間』を読み終えました。
風がそのままそこにある感じがして、その感じがあまりに強すぎて、以前は「谷崎論」として素直に読めなかったのです。今回は、「谷崎論」として読めましたし、論者である風の投影も、過剰も不足もなく受け取れたと、感じています。
「湖の本」の次は、順序をとばし、エッセイ33『谷崎潤一郎の文学』を読みます。
ではでは。
2008 6・21 81
☆ 掘り出し物? 2008年06月22日17:13 碧
今日は教会での昼食準備のない日、普段より早く帰宅した。
朝のうち霧雨のように降っていたのも上がって日が射してきた。ふと思いついて、倉庫の中を片付け始める。目的は二つ。木槌を探すのと、父の隠し煙草をみつけるのと。木槌は直にみつかったが、煙草はどこにもない。そのくせいつの間にか吸っている、現場を押さえたり、吸殻を拾ったり。父には「汚い」という概念が殆どないらしく(軍隊・捕虜生活の影響?)ほんとにどこにでも隠す。吸い指しもあちこちに、靴の中、植木鉢の下、ぎょっとするようなところでみつけることがよくある。
結局目的は果たせずじまい。代わりに古証文をみつけた。祖母の学業修了証書、伯母と母の成績表、種痘接種!の証明書に混じって、貸し金請求の訴状と判決書(昭和五年~六年、原告は曾祖母)。やれやれ、いつの時代にも、金銭は裁判沙汰になるのか。
私には伯母の遣った「尋常高等小学校国史教科書」の方が気になるけれど。
2008 6・22 81
☆ 雨の中 08.06.22 14:58 花
風、お元気ですか。
近くのイタリアンレストランへ行ってきました。
お味は、まあまあ、だったのは、花の体調がいまひとつのせい。
よく、女性は一流のコックになるのが難しいといいますでしょ。わかる気がします。
花は、風の分まで元気に元気にと心がけています。お大切に。
* さ、明日は明日、今日は湯につかり、酒を少し飲んで一休みしよう、十一時になった。
2008 6・22 81
☆ 宇陀の松山 囀雀
雨にみどりがあまりに美しく、薬狩から半月遅れの莵田野を遊山。大宇陀のふるい街を歩いてきました。週末に阿紀神社で蛍を放って能を上演するイベントが予定されていたそうです。
酒屋と和菓子屋が交互にあらわれる、両刀遣いにはコマッタ路で、雀は、最中、饅頭、葛桜と和菓子狩り。きみごろもでしられる店の葛桜は、葛の美味しさだけでなく絶妙な下ごしらえがなされた桜葉にも感嘆しました。
雨が続きます。おからだくれぐれもお大切に。
2008 6・23 81
* 以下に拝借するこういう「往来」は、身に染み、胸静まる。
☆ 茶の湯の講習会へ。 珠
今日は流派の資格者講習会に出席。
ここ暫く仕事は思わぬ慌しさ、出席は厳しいかなと思い始めていた。半日だけ出席して午後から仕事へ、、これがベスト。
でも、以前そのために洋服で出席したら、壇上から、着物で稽古する意味を厳しく問われた事がある。個々に理由はあるだろうにと思ったけれど、現状、その講習会での洋服は、針の筵を羽織ったものと解っていなければならない。そのツラサを味わう半日のために洋服で出かけるのは、億劫。
結局この2日間、終電まで仕事を続け、何とか休めるように、した。昨夜遅くに帰宅して、着物を調え仮眠。普段より早い時間の電車に乗って出かけた。何となく、朝から着物でお出かけなんて良い御身分、、など思われているのではなかろうかと。混雑した車内での着物姿は、乗り合わせた方にも迷惑だろう。少々被害的に感じるのは、睡眠不足のせいだろうか。出勤する人混みに馴染めぬまま、湘南新宿ラインで大船に向かう。暫くして座れた車内で、爆睡。着物で熟睡も恥ずかしいが、仕方ない。終点ですと大船で起こされて、下車。目覚めて小田原あたりだったら、一日は違う色になったのに、残念。
午前中は実技。
舞台上に設えられた茶室、宗匠の前で進む稽古を拝見する。懐かしい宗匠のお声。若い頃にご一緒したままというのは失礼だが、髪に白いものが混じられた程度で、穏やかに明るく説明される様子に変わりはない。お元気で何より嬉しい。
稽古の様子は映されているが、大写しの画面から手が震える様子を見てとると、苦しくなる。落ち着いて、とても綺麗な点前なのに、手だけ震える。途中、何度も息を整えてから物を取ろうとされるけれど、その震えは止まらなかった。自分の震える体験も蘇る。茶杓の細さを、茶入の口の小ささを、抹茶の粉散るを、何度哀しく思っただろう。これもまた、仕方ない。こういう時に優しく丁寧な宗匠の指導は有難く、心に沁みる。舞台上で稽古をされたい方はいらっしゃるらしい。そういう緊張に強い方は、適材適所、是非。役の方、ご苦労様と感謝。
午後は講義。「飾る」という古来の意味から現在の「飾る」在り方まで、今・此処の茶をする難しさを想う良い話しだった。
暑い陽の少し傾く頃、帰路へ。平日の夕、どうしてこんなに人がいるのだろうと驚くほどホームは混雑。電車も混雑、これでは終電と変わらない。夕方なのに、気分は連夜の終電模様。
お茶も、仕事も、学んで、実践して。そうして、そうして、さてこれからどう動いてゆくのだろう。動かして、ゆくのだろうか。
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湖| 流儀によるのかもしれませんが、かざる のを、 荘 の字で書いています。茶筅荘 というふうに。飾という字をあえて用いていないのか、どういうことかと、ふとかんがえてみたことがあります。 湖
tamae 飾る と 荘る。荘厳。 を勉強いたしました。 tamae
珠 お二人の一言から、ひらけました。「荘」は、荘厳(しょうごん)なのだと。サンスクリット語の分配という言葉を語源とするらしい「荘」。仏具で美しく飾るという意味。
茶筅を飾る、その行為の「飾」でなく、その意味では「荘」に違いなく。
茶筅荘の景色、知らなかった荘厳に胸熱くなりました。深謝。 珠
* 別荘といった世間の文字遣いから、「荘」の字がなにか邸宅のように合点されているが、いわれてあるように別の角度から気づくことが大切である。装飾という文字遣いが多用されているから、荘の字義はますます置き忘れがち。
* 一編のエッセイとしてしみじみ読んだ。思えば「香」さんとはもう十数年、公私のかかわりで親しくしてきた。こころしる人の有り難いお一人である。
☆ 父の海峡 2008年06月20日22:03 香 e-OLD 常陸
紋白蝶だとともだちは言つた。わたしは黄色い蝶々だと主張した。安西冬衛の一行詩、
てふてふが一匹 海峡を渡つて行つた
の、蝶のことである。中学生のときだつた(でも、わたしはほとんど学校へ行つてゐなかつた)。ともだちはこの詩の題が「春」だから、春まつさきに姿をあらはす紋白蝶だと言ひ張り、わたしが黄色の蝶々と言つたのは、北国の海の黒みを帯びた藍色と黄の取合せに、暖かさを感じたからだつたやうに思ふ。
安西冬衛のいふ海峡、間宮海峡が冬には凍結すること、その凍つた海峡を橇で渡つたことがあると父が話してくれたのは、たぶん、そのころだつたとおもふ。
父が凍結した間宮海峡を渡つて、沿海州へ行つたのは、いま流行つてゐる自分探しの旅とか冒険旅行などといふのんきな旅ではなかつた。特高警察から遁れるためだつた。ロシア文学の徒といふだけで、危険思想の持主とされて官憲に追はれる、さういふ時代だつたのである。
父が生れ育つた京都からどのやうにして北海道に、さらに樺太に行つたのか、聞いてゐない。話さうとしなかつたのかも知れない。
特高に寝込みを襲はれて、鞍を置くひまもなく裸馬にまたがり、雪の原野を駆けたり潜んだりして、辛うじて助かつたこともあつたといふ。父が二十歳を幾つか出たころといふから、大正十年(一九二一)前後といふことになる。
しかし少女のわたしは、たてがみをなびかせて疾駆しゆく馬にまたがつて、白皚々(はくがいがい)たる雪の原野を遁れゆく父を、あをくきらめきわたる氷の間宮海峡を橇でゆく青年の父を、物語の主人公のやうに想像して、胸をときめかせたものであつた。
樺太からロシアへ渡つたのは、ロシアの風土に触れてみたいといふ気持ちもあつたのだらうが、国内では特高に追はれ、外国では旅券もない密入国者の身とあつては、心の安まる時とてない旅だつたらう。
けれどわたしに話してくれたのは、泊めてもらつたロシアの農家でウオトカをふるまはれ、酔つた勢ひで外へ飛び出して行つて豪雪の吹き溜りに落ち凍死しさうになつたのを、犬がくはへてひきずり出して助けてくれたことや、ふだん乗りまはしてゐる馬とともに田舎の草競馬に出場して、ビリから二番だつたこと、そのとき、参加賞に大きな麻の袋(父は南京袋と言つた)に詰めた馬の飼料をもらつたけれど、きやしやで小作りの父は馬に積めなくてうろうろしてゐたら、通りがかりの大男がひよいと馬の背に投げあげてくれたなどといつた、たのしい話が多かつた。農家のおぢいさんとおばあさんが、畑から手を組んで歌ひながら帰つてくるとか、田舎の結婚式やお葬式のことなども話してくれた。
密入国者ゆゑ遭遇した容易ならぬ出来事も、どこか物語めいた感じに話してくれたやうに覚えてゐる。聞き手が娘、それもまだ少女だつたから、意識してつらい話は避けてゐたのかも知れない。
当時、南樺太は日本の領土になつてゐたので、ロシアとの国境に大きな石碑が立てられてゐたといふ。日本側には天皇家の紋である十六弁の菊が彫つてあつたが、ロシア側はロマノフ王家の紋章が彫つてあつたのを、ロシア革命のとき、赤軍が削り取つたまゝになつてゐたといふことも父から聞いた一つである。
旅券なしでどうやつて国境を越えたのといふわたしに、父は、鹿や熊はそんなもの無しで、勝手に行つたり来たりしてゐる、鮭や鱈が旅券をくはへて泳いでゐるかと笑つた。岡田嘉子の国境突破事件も、あゝ派手に国境線を越えたのは、多くの耳目をあつめる必要か目的があつたのかも知れないと言つてゐた。
父が凍れる間宮海峡を渡つたときも、その話をわたしにしてくれたときも、北方に広大な領地を有するかの国は、「ソビエト社会主義共和国連邦」と称してゐた時代だつた。けれど、父は「ソビエト」とも「ソ連」とも言はなかった。いつも「ロシア」であつた。
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湖(うみ) 読みましたよ。いろいろ書いて下さい。 湖
香 湖さん お読みくださいましてありがたうございます。tamaeさんの日記の「南極記」から、雪と氷の北国をさすらつた父のことがおもひだされて、長文の日記ならぬ日記になりました。
剥がれたる写真の裏におもひがけず見出せり父のロシア文字の署名
子われのため節を枉(ま)げしことなかりしや写真にルパシカの肩そびやかす
特高より遁ると馬に雪の原野を駆けしとぞわれの父となる前
偶然といふこともあるこの古書肆に父の手放ししチェーホフなきや
亡き父の知らざる逸楽ネットにてロンドンの古書肆をめぐりてあそぶ
☆ おはようございます 風。 08.06.24 09:12 花
お元気ですか、風。
体調はいかがですか。
ストレスを溜めないのは難しいでしょうから、せめて息抜きして、お体お大切にしてください。
「ある人」のメールは、風への批評なのかも知れないけれど、風のように妥協せず生きることへの羨望があると思いますよ。
風のようにできる人はすくないのですから。
降り続いていた雨が、今、小休止しています。
花は、風を想って、元気に元気に、今日も 又。ではでは。
* ありがとう。わたしの今日も、また。創作、日録、記録類の整理、読書、訴状の読み、自転車に乗って帰って、休息と放心。
☆ 被告 2008年06月24日10:09 司
実は、4月以降、裁判の被告に名前を連ねることになっています。
必要な書面を作ったり、裁判所に出向いて被告席に座ったり。(本当に“座る”だけで、メインの対応は法務省の方がやってくれますが)
幸か不幸か、これまで裁判という機会に接することは無かったので、全くはじめての体験。
行政はもちろん、国会(議会)に接する機会は、これまで山ほどあったので、これで3権全てを制覇!・・・なんて、軽口を叩ける程気楽では無いなぁと思っていたですが、4月以降3ヶ月間、正直に言うと、裁判とはなんとも不毛な(というと語弊がありますね。私が関わっている裁判は、という意味です)場なのだろう、と言う気がしてなりません。
裁判所に出向いた期日出廷では5分程度。もちろん、その前後に法務省の方との打ち合わせはあるのですが、実質的な目的たる5分のために、往復の飛行機代を使って(もちろん、公費ですが)、わざわざ遠くまで行かなければいかないなんて!
で、そのための準備書面やら証拠説明書やら・・・。数ヶ月に一回の単位で相手方から出てきて、こちらからもその単位毎に反論の書面を作成。前回、私達が書面を出したのが今年の3月。それに対する相手方からの反論が出揃うのが7月(の予定)。
で、更にそれに対して私達が出す反論が、恐らく9月・・・・・・。8月は裁判所が夏休み(!)なので開廷されないとか。
その上、訴えられたのは、私の前任者の時で、業務の状況や社会一般的な状況も違っていたのだろうけれど、「こんな話、裁判とかじゃなく、面と向かって議論すれば、どこかに解決の糸口があるんじゃないの?」という気持ちもあって・・・
ちょっと、最初のボタンの掛け違いがあったのかなぁ・・・・。
いずれにしても、公式に訴えられてしまったら、きちんと反論して受けて立たなければいけない。
しかも、そういった判断は社会状況等にもよって変わるのだと私は思うのだけど、様々な書面は「その判断をした当時」の社会状況を踏まえて、その当時の事について説明・解説をしなければならない。
過去のその判断が正しかったのか否かというのも、もちろん重要なのだけれど、私としてはもっと前向きに、次の事に向けた仕事をしたいというのが正直なところ。
そんなこんなで、数年前の資料をひっくり返して色々な書面ずくりに忙殺される日々。
しかも、今、本体業務としてやっているのは、その当時の判断の次の次のステップの作業。今更、その判断が「間違っていた」という事になったところで、どうなるのか。
市民が私達に対して、“モノを申せる”機会が裁判しか無いというのは、訴える人にとっても費用や人員的なデメリットが大きいのではないのかな、と。
聞くと、こういった裁判は結構多いとか。
行政と市民が、もっと色々な事を建設的にディスカッション出来る場がもっとあっても良いような。
こういった裁判はお互いにあまりメリットが無いような気がしてなりません。
☆ それとなく、肩を叩いてくれたのかな、司クン。
とにもかくにも、ハタの人にはバカげたことも、当事者は火の粉をはらおうと備える必要はあるんですよ。放っておいたら、なにを言われたりされたりするか知れない。
2008 6・24 81
* こういう「そそのかし」は、すこし気分として重いけれど、読者は有り難いなあと感謝する、こころより。要するに激励。喧嘩のつよそうなお人である。「追伸」だけが気になる。「美しくない」という指摘が痛い。身近な人の声を聴いてみよう。
☆ もっと、したたかに。 一読者 栃木
ここ数日の私語を拝見しましてあまりに胸が痛みますので、少しでも秦さんを励ますことはがないかと。不謹慎ですが聴いて下さい。
本訴になったからは、この忌まわしい騒動を、したたかに利用されますよう願っています。本訴も週刊誌沙汰も狡猾なほどに利用してください。
秦さんは不本意でしょうが、今、原告二人も週刊誌も、いわば秦さんの文学の宣伝に一役買ってくれていると思って下さい。この皮肉にも効果抜群の宣伝を、秦さんが自力でやろうとしたら、途方もない金がかかる。結果的に、朝日子さんは一風変わった父親孝行をしているとお考えになればいい。
芸能人は醜聞を巧みに操って、名前を売ります。「悪名は無名よりいい」というのは選挙に当選するための合言葉。出版社が時々品のない暴露本を出すのは、醜聞こそが、人々の関心を集めることをよくよく知っているから。遺憾にも醜聞になった秦さん話題の本・出版物の中身が、まさしく真実と読まれれば、かならず心を打つ。法より、ずっと強く伝わります。騒ぎになればなるほど、秦さんの作品が多くの人に読まれる機会になりましょう。
読む力のある人は、おこがましいが、世の中に大勢いますから、秦さんの問題の作を読めば、きっと腰を抜かしますよ。今までこんな作家こんな作品を知らなかったことに驚きます。
『かくのごとき、死』や『聖家族』だけじゃない。太宰治賞以来、膨大な著作があるのですから。益々評価されます。
この不幸な裁判は、今までどちらかというと一頃の泉鏡花のように、一部熱いファンのものであった秦さんの文学が、より広く知られる得難いチャンスなのでは。好機到来と、私などは考えています。秦さんの作品、そしてと文学は、かならず人間の真相と作家の思いとを明かします。作品が話題にのぼること自体が好機だと割り切って、逆手に利用してやるくらいの強い気持ちで突き進んでください。
もし、色々な媒体に書く機会や話す機会が出来れば、世渡り拒否の秦さんの信念をひとまず棚上げしても、依頼を受けて下さい。日本の言論のため、文学表現のため、建日子さんの将来のためにも、秦さん、もっとしたたかに広く知られてそして闘って欲しいと愛読者は思っています。
要するに「蛇の口から光を奪え」ということを申し上げたかった。どんな不幸や不運にもプラスの面はあり、それを強くしっかり奪い取っていただきたいと。
追伸
最後に一読者として、私語のトップにおいてあります「即時、衆議院の解散・総選挙を求める」は、今の秦さんの状況のプラスにはならないかも。マイナスかもしれません。なんとなく私語の世界に違和感を与え、美しくないと思うのです。
* ウーン。
2008 6・24 81
☆ 「即時、衆議院の解散・総選挙を求める」
hatakさん 私語、冒頭の「即時、衆議院の解散・総選挙を求める」は、朝日ジャーナル連載『洛東巷談』で秦文学を知った私には何の違和感もありません。
古い読者の一人としては、秘色の碗をこういう形で世にあからさまに出したくはないですけれど。 maokat
* 『秘色』の碗も『慈子』も、わたくし、『かくのごとき、死』や下書きした『聖家族』も、わたくし。歌集『少年』も、わたくし。国会解散を求めるのも、わたくし。分裂しているのでなく、トータルに、わたくし。秘め隠そうと思わない。隠す気なら、ホームページは持たない。
2008 6・25 81
☆ 世阿弥 晴
薪能の季節の佐渡島に歴史好きの人たちのツアーに便乗して渡りました。
自転車では流石お渡りになれないと思い、写真を添付させていただきます。
大膳神社の薪能は土地の人たちで「土蜘蛛」を演じられました。お年よりのなかには腰を支えてもらいながら、舞台にすすまれる方もありましたが、地謡を朗々と務められていました。素朴な迫力に圧倒されました。お囃子も見事です。
翌日は正法寺に行き、世阿弥が都より護身用に持ってきたと伝えられている「神事面べしみ」を拝観させていただきました。世阿弥が雨乞いに舞ったところ、雨が降り出し土地の人が救われたとか。黒々とした面は、物見高い私たちを睥睨するような威厳を見せながら、私には少し寂しそうにも見えました。
娘婿に宛てた「佐渡状」と、入江美法の昭和16年作の世阿弥像も見せていただきました。佐渡での晩年の像だそうです。流石、端整なお顔だち。静かに座っておられました。
世阿弥の最後は都へ帰ってからなのか、佐渡で迎えたのか、いろいろ説があるそうですが、晩年の静かな境涯を願うと、今度佐渡に始めて来て、都へ返してもらえなかったとしてもそれでも良かったのではと思ったりしました。
参りました頃はちょうどトビシマカンゾウが咲き始め、豊かな緑に蔽われている自然に恵まれた季節だから感じたことかもしれませんが。
自分も晩年を迎えているから思うのでしょうか。
島の港のみやげ物屋の店員さんたちが、ゆったりと関西のイントネーションで話される人が多く、佐渡島に好感を持った一つでもあるかも知れません。
この時期どうぞ「くすまず」にお過ごしください。
「湖の本」の発送ご準備にもお体おいたわりください。楽しみに待っております。
* 文面に過不足という過剰なく、ありがたい佳いメールです。
2008 6・25 81
☆ 大発明? 斜めカット 2008年06月25日00:21 光
線路沿いを駅に向かって歩いていたときのこと。
ちょうど駅から電車が発車し、こちらに向かって動き出した。
ぐぉーん、がたん、ごとん、がたん、と大きな音がするのかと思いきや、最近の電車は性能がいいのかすぅーと静かに動き出す。最初の「ぐぉーん」がないのである。
でも、さすがに線路と線路のつなぎ目部分を車輪がゴトンと通過するときには、がたんごとんと大きな音がする。これが改善できると、騒音も小さくなるし、振動も小さくなって乗り心地もよくなるし良いことずくめ。
音の出る原因は線路のつなぎ目部分に隙間があり、そこに車輪が一度落ち込むから。しかし、つなぎ目部分の隙間は、夏の暑いときに線路が膨張しても大丈夫なための「遊び」部分。「隙間」は大事な機能を担っているのである。
隙間はあるけど車輪が落ちないように、できればいいんだけど・・・。
あ、隙間を斜めにすればいいんじゃないか。
料理で言うと、キュウリやネギを「輪切り」にするのではなくて「斜め切り」にするように。これなら、隙間に車輪が落ちないんじゃないか。
*
実は、斜めカットには先輩がいる。
いつもよく見るコンビニのお弁当である。
お弁当を選んでいるとき、あれ、ハンバーグでかいぞ、これにしよ、と手に取ってみたらハンバーグが斜めにスライスされていたのである。なるほど、こうして切ると、確かに大きく見栄えもいい。なのに、コストは垂直に縦に切るのと変わらないという、何と素晴らしいアイデアなんだ。
まぁ、感心している場合でもないのだが。
しかも、斜めカットする角度が急であればあるほど、効果も大。
同じ斜めカットの手法を用いた、ウナギの蒲焼きを見たことがある。効果の大きさに笑うしかないくらい、ウナギの蒲焼きはでかく見えた。
*
ちょっとの工夫で世の中が幸せになるのなら、それはそれで「いい発明」か。
* なるほどね。
☆ 李賀の酒の詩 2008年06月 25日21:40 瑛 e-OLD川崎
「中国詩人選集14」の李賀を取り出して昨日から拾い読みをした。
湖さんの日記に27才で生涯をとじた夭折の詩人李賀の詩の文句に出会 ったからである。
「日暮聊か酒を飲む」。
この詩は「陳商に贈る」と題する厭世的な詩のようであるが、李賀の気骨のあるつぶやきが聞こえてくる。
先日の鎌倉の小雨の中の新緑が、緩やかに残照として残っている。
2008 6・25 81
* 朝、静かに雨。
* 妻の話では、「孫の死を書いて娘に訴えられた太宰賞作家」と見出しの、「週刊新潮」発売広告が新聞に出たそうだ。
* 正しくは、「娘夫婦に訴えられた」であり、原告筆頭は、青山学院大学国際政治経済学部教授の夫・★★★である。
妻・朝日子(私の長女)のかげに入り、ともするとこれは「娘と父との喧嘩沙汰」で、自分は妻の味方をしているだけという姿勢を装ってきた。しかし、世間にもザラにありみっともないことだが、いわば舅と婿との十数年の確執が、太い太い「根」である。
孫を書いた『かくのごとき、死』よりも、じつは長編小説のための下書き仮題であった『聖家族』というフィクションの方に、はるかに太い遠い「根」がある。
★★は、これがイヤでイヤで、なんとかウエブから消してくれと懇願し続け「仮処分」の法廷にも持ち込んだ。和解でもする気かと消去してやると、和解どころか、「千数百万円」を請求の「本訴」に持ち込んだのだ、自分が筆頭の原告で。
* わが家では、老妻も、わたしも、娘の「朝日子と争っている」気では、全然ない。『聖家族』に画かれてあるような男の、卑怯さ愚劣さを嫌悪して、十数年、二十年近く、婿の乱暴と無礼を「ゆるさなかった」だけである。それを、人目も羨む仲良かった娘と父との争いに仕立てて、わが家に対し、ある種のうらみ・ひがみの意趣晴らしがしたかったのであろうか、現に彼の妻に相違ない娘は、その夫と行をともにするしか無いのだ。孫の死を書いた『かくのごとき、死』なら、読んで下さった読者は、実の娘に実の親を名誉毀損で訴えさせるような悪意の産物でないこと、ちゃんと分かってもらっている。 (増刷するな、売るなと勝手なことを要求されているが、たとえば作家論目的で必要とされる方などには、よろこんで、いま、提供できる。)
* 週刊誌記者さんが、たぶん録音して纏めてわたしに伝えてくれ、感想を問うてきた「六項目」、夫・★★★の、終始「真っ赤なウソ(娘の母の即座の感想)」としか言いようない言葉は、まさしく「父娘の喧嘩」に「すり替え」た姿勢を、全面に押し出している。
逐条反駁しておいた終始は、この「私語」の今月、六月二十一日の「つづき」の項に、週刊誌発売より前に全部記録してあるから、読んで下されば事情は分かるだろう。
今朝発売の週刊誌記事の内容は、何も知らない。買いに行って読もうとも思っていない。それより、記者さんとメールでかわした文学談義などのほうが楽しかった。放たれた矢のさきへ奔っていって、受け止めることなど出来はしない。意味もない。
* 娘とわたしとが、どんな親子であったかを示す写真が、このファイルの末尾に載せてある。
ほんとうに仇同士のように仲の悪い娘、憎い父ならば、そんな父親と「同行」して、大手婦人雑誌の「旅」企画に、喜色満面でつきあうワケがない。まして娘は、母親のいわば「代理出演」であり、すでに結婚し子供も生まれていた。「弟の誕生」以後、「娘の死」まで四十年父に「ハラスメント」されつづけたなどと主張している娘なら、こんな「旅」を、こんな笑顔で、父親と二人でとても楽しめまい。「お断り」の一言で済む。
娘は、ウソをついているか、つかされているに過ぎず、どんな「ハラスメント」か、いつ、どこで、なにが、こういう物証が有ってなどと、「原告立証責任」の果たせるわけがない。何の立証も証拠も添え得ぬまま、その逐一が否定されていった経過は、すべて「民事調停」や「仮処分」の法廷がらみに、「記録」がある。むしろ、そんなことのあり得なかった証拠の方が、次から次へ出ている、データもしっかり添え、証拠の現物も付けて。そして一言半句の抗弁も出来ていない。グーの音も出ていないのである。写真は此処に一例として。
雑誌「ハイミセス」1991年3月号の「旅」企画に、娘・朝日子
を伴い、松山、柳井、厳島などに遊んだ日々のスナップ写真。
このファイル末尾参照。「ハラスメント」のくらい陰、ありますか。
* 一目瞭然、各時期の全ての写真が、全ての父や母への手紙の文面が、どんな「ハラスメント?」と呆れている。
また保護者たる親が小さい頃に子を躾けて叱ったていどは、どんな家庭にもある。わたしはも叱るべきと思ったときは叱る。「ばかか、お前」と一喝する。子供の意を迎えて子の顔色をうかがうような真似は、わたしはしない。それが「虐待」か、「ハラスメント」か。
物書きの弟息子は、はっきり言うている。
「朝日子は、ビョーキなんだよ。朝日子はお父さんがめっちゃくちゃ大好きなんだよ。その大好きなお父さんから、良きにつけ悪しきにつけて、例外というモノもコトも無しに愛されたいヤツなんだよね。是々非々の愛では絶対にダメ。しかしおやじは、いいときは手放しで褒める、しかしダメな時やモノやコトにはきちっとダメを出し、半端にはうけいれないでしょう。俺はそれでいい。朝日子は、それでは絶対に不満。そして褒められたことや愛され可愛がられたことは忘れても、ダメとつきはなされたことは覚えに覚えて、それが積もって、今では憎さ百倍、何としてでもお父さんに復讐し勝ちたい。そういうビョーキなんだ。仕方ないんだよ」と。
同じことは何人もの読者も観測している。口も揃えている。わたしは「ビョーニン」に訴えられているわけだ。
* 結婚前も結婚後も、娘は、父の作家生活にそれはよく協力してくれた。
連載の新聞小説のために、夫や娘と海外生活の間にも、自分で探して大きな写真集を送ってきてくれたり、リードを翻訳してくれたり、和やかな手紙、経済援助依頼と感謝の手紙をくれたり、それが、みな、結婚後のことだ、当然だ。家族でいるのに、手紙など書かない。
結婚後も、母親が疲れてしまうほどよく里帰りし、近所で笑い話になるほどだった。父親にデパートで服を買わせたり、食事を奢って貰ったり。大学に入ったときは、銀座の「きよ田」で祝われ、たまたま同席した懇意の編集者に張り込みすぎですよなどと笑われさえした。そういうのが朝日子は大好きで、有名人のいるパーティーにはよくくっついてきて、岡本太郎や井上靖や梅原猛と会話しては満悦であった。なにが「ハラスメント」か。
あげくはそういうお一人に、谷崎夫人に、きわめて難関の就職に口をきいて戴いたり、結婚式にも出て戴いたり。そんなこと、朝日子ひとりにく出来ることでは全くなく、すべて父を拝み倒さねば出来たハナシではなかった。旅の写真も、その延長である。小さいときからの可愛い写真は、一枚残らず父親が撮っている。嫌いで憎い憎い父親にあんな無垢な可愛い笑顔がどうして向けられよう。
その娘に★★★を引き合わせたのも父親である、完全なミステークではあったけれど、朝日子の方はニタニタに笑み崩れて悦んでいた。
その父に、その夫が、ものすごい暴言をあびせたとき、朝日子は直ちに夫の「暴発です」と謂い、夫の性格批判なども適切に手紙で親たちに書いて寄越している。このファイルのうしろに掲示してある、平成五年自分の三十歳誕生日に父に寄越している朝日子の便りの、なんとおちついて平和なことだろう。
★★★が暴発したあと、母親はつよく離婚を望んだが、私は、父は、賛成しなかった。夫婦には相性があり、そうでなくても孫娘二人のためにも離婚はすべきでないと。じつは、そのために、娘は帰る先をうしない、父を訴えるところまで、もう引き下がれない夫婦の道を歩いてきたのであろう。これは可哀想なことをした。夫婦が離婚の危機にあったこと、それをやす香・みゆ希ふたりが毎晩のように泣いて憂慮していたという「証言」もわたしたちは手にしている。朝日子は、父を訴え、「殺してやる」と叫ぶような、ありもせぬ「ハラスメント」を言い募ってでも、「夫婦」でいるしか行く先が無いのだろう。それを夫・★★★は利して、自分はこの争いに関係がない、妻がひどいおやじと争うのを応援しているだけだというフリをしている、それが「週刊新潮」に喋っていた六箇条に露骨に出ている。「孫の死」を書いた『『かくのごとき、死』にのみ触れて非難し、自身に立場がないと信じ切っているらしいフィクション小説『聖家族』には小指の先も触れようとしない。朝日子をインタビューに出さずに都合のいい代弁で、「真っ赤なウソ」に終始している
。わたしの妻は、記者の伝えた婿の弁を読んで、即座にこう叫んで呆れ返ったのである。
* あの夫婦には、このファイルの「旅」写真などが、目の上のタンコブになってしまい、「肖像権」侵害だとも訴え出ている。わが家でわたしの撮った可愛い孫の写真を使っても「肖像権」は親が相続した、訴えるぞと内容証明の手紙を送りつけてくる。「ハラスメント」などとバカげた捏造を取り下げるなら即時撤去してあげるよと、ツッパネてある。わたしにはわたしの名誉を、ひいては妻や息子の名誉を守る権利がある。
* 今日は、牧野総合法律事務所との打合せ。
* 妻や息子の話では、週刊誌の記事は、案の定、朝日子とわたしとの争いのように、孫の死を書いた『かくのごとき、死』だけ。私の氏名と顔写真は出ているが、★★★は、「仮名・高橋洋氏」になっているという。ガハハ。仮名でなければ、また大学の名など出さない約束でなければ取材に応じないということだったか。娘の名前すら出ていない。
核心は、しかし私の書いた小説の方にあるし、『かくのごとき、死』
は、内容のある「日記文学」なのである。かたちは事実の日録だが、構成上は「創作」され「趣向」されている。
なによりわたしは、陰口を叩かない、自分の氏名と文責を明らかにし、「書く」作家の姿勢で終始している。ウエブで書かれた新世紀の、特異な内容で満たされたこれは「私小説」の新種なのである。なぜこれが「仮処分」で抹殺されねばいけないか。わたしは承服しない。
私の作品リストには、『聖家族』なるものは存在しない、仮題の下書きに過ぎない。なぜこれを私の書斎であるウエブから躍起になって消去させたいのか、そんな必要があるか、義理があるか、これまた全く理解しない。わたしは趣向のあるフィクションとしての小説を、私小説を、ちゃんと書いてはいけないのか。理事であり会員である私のこんな受難に、「日本ペンクラブ」はどういう見解だろう。「日本文藝家協会」はどういう見解だろう。見て見ぬフリか。「週刊新潮」の記事はその辺にどんな見解をみせたか、わたしは読んでいない。
新たに別の取材が有れば、取材に応じるだろう、もし健康が許せば。
『かくのごとき、死』だけでなく、『聖家族』も提供する。「書いた」ものは、みな提供する。あいまいには喋らないが。
* 一昨年の民事調停で、賠償「五十万円」と主張た娘夫婦は、今回本訴で「一千四百二十万円」寄越せと言う。牧野法律事務所は「時間制」で請求書を出します、弁護士一人一時間、一万五千円ほどになる。家一軒分ぐらいすぐかかるだろう。幸い、息子には遺産の必要がない。妻は息子が面倒を見てくれるはずだ、頼む。
一字一字で四百字の原稿用紙を埋めて稼いだ血の汗が、こんなばかげたことに費消されるのは下らないかぎりだが、これがシャバという地獄の在り様さ、それにわたしの稼いだ金を、わたしが使う。底をつけば、スカンピンだった昔へ戻るだけ。命も、金も、ちっとも惜しくないし、仕事もしながら、惜しげなく自堕落そうな楽しみにも、高尚そうな楽しみにも生き生きと使い切ってしまおう。
* この数年余、メールでの年賀に腰折れを書き付けてきたが、六六郎の述懐がそのまま今の思いである。積んだのを齢に代表させたが、ま、あれこれいろいろ積んできたのである。ろくろくと積んできた。済し崩してもとの平らに。一代の男意気じゃなあ。
ろくろくと積んだ齢(よはい)を均(な)し崩し もとの平らに帰る楽しみ 六六老
来る春をすこし信じてあきらめてことなく「おめでたう」と我は言ふべし
ありとしもなき「抱き柱」抱きゐたる永の夢見のさめて今しも 六七郎
めをとぢてこの深きやみに沈透くなりねがはざれ我も我の心も
よきひとのよき酒くれて春ながのいのち生きよと寿ぎたまふ 六八叟
七十路(ななそじ)に踏ン込んでサテ何もなし有るワケが無し夢の通ひ路 古稀蔵
歩みこしこの道になにの惟ひあらむかりそめに人を恋ひゐたりけり 十六歳
熊谷じゃないが、みんな夢なのは知れてある。覚めるなら一日も早く覚めたいと、この十年、十余年、願ってきた。「間に合う」だろうか。
* 言うまでもない、こんなことだけに奔命しているのではない。
毎日「書く」「創る」仕事をしている。残り時間が惜しまれる。満身創痍、病気だらけの体で、いつどんなクラッシュが来るか知れたモノではないが、わたしの日々の「いま・ここ」は、この「私語」におよそいつも、これからも、明かされている、確かな文責とともに。
いつでも、だれでも、好きに覗かれていい。正しく引用されるなら、ご自由に。わたしは週刊誌もわざわざ呼んでくれたことだ、「太宰治賞作家」らしく、無頼に元気に、「書いて」生きる。ほかに何も出来ない。五メートル走る体力すらないが、幸い自転車はゆるゆるでも動いてくれる。「一瞬の好機」は、どこにでも有る。「青山」も欲しない。伊藤整さんのいわゆる「ごろつき」のように古くさい「書き手」の余命を好きにつかいたい。現実にベチャベチャして如才なく生きるオポチュニストにもソフィストにもならない。なれない。
* この追伸は、欠かせない。親しい気持ちを寄せて下さっている皆さん、ビックリしてどう慰めよう励まそうなど、考えられませんよう。
わたしは、秦恒平はまっすぐ立っていますから。
わたしが町田市主任児童委員であるらしい娘・朝日子や、青山学院の婿・教授を訴えて出たりするみっともないメに遭わなくて済んだのを、幸いに感じています。
もしこれが筆禍というものに属するなら、文士たるものの勲章かもしれないのです。子が親を筆の上のことで訴える、これは近代文学史で、ひょっとして最初例でしょうか。わたしは書いた作品をいささかも恥じてなどいないのです。
婿達が欲しいのは金で、なにも名誉なんかではない。婿・★★★は名誉など無いから書かれたのであり、娘・朝日子は「ハラスメント」の捏造までして、恥ずかしげなく実の父を訴えたことで、自ら名誉を剥ぎ捨てただけのこと。しかし私は娘をとうに赦していますし、「身内」でない知性もなさそうな婿は、眼中にないのです。裁判の上で応酬するだけの相手です。だから、あまり心配して下さいませんよう。
生まれるときも独りでしたし、死ぬときも独りです、たぶん。なによりも朝日子が恥ずかしくて死なないことを、心より願っています。
* べつだん今急に、わたしにして欲しいことは、弁護士側に無いそうだ。インシュリンと目薬さえ持っていたら、すこし長い旅も出来そうだ。あすは、ひとつ、うまいものを食いに行こう。
* これで、おしまい!
2008 6・26 81
☆ 独楽は今軸かたむけてまはりをり
逆らひてこそ父であること 岡井 隆 朝の一服より
昭和五七年『禁忌と好色』所収。現代の歌人を代表するすぐれた一人。時に含蓄に富んだ歌が、ずかりと出る。この歌も作歌の状況を越え幾重の読みにも耐えながら、父なるものと子なるものとの不易の相を想わせる。「こま」遊びのさまをまず思い出す。こまとこまとを弾かせ合っても遊んだ。鞭打ち叩くように回したこともある。地面でも掌でも紐の上でも回したことがある。父と子とでいま「こま」を闘わせているとも読める。父がなかなか子に負けてやらないでいるさまも見える。だが「独楽」の文字づかいから、子が独り遊びし、父は眺めながら、父としての現在と子としての過去を心中に思っているのかも知れぬ。
「軸かたむけて」は美しい表現だ。力づよくも力衰えても読める。どっちにせよ懸命に回っている。父は子とともに、子よりも切なく回っている。「逆らひてこそ父」と感じつつ心も身も子より早く萎えて行くさきざきのことも想っている。「こま」はもはや心象であり、象徴として父の心に回るのみとも読める。だが、気楽にくるくる回る「独楽」同然の子の世代に対し、なお父として鞭もあてたい、弾き合いたい、それでこそ「父」だという思いの底に、過ぎし日のわが父の顔や声や落胆の吐息がよみがえっても来ていよう。子への愛に父への愛が重なり、人生の重みに思わずよろけながら耐える。
秦恒平『愛と友情の歌』講談社刊 所収
* 肌身のずずぐろく汚されるような日々は、一昨年八月一日以来もう二年ちかくなる。慣れることは、ない。
慣れたら平気ですよと言って下さる人もあるが、わたしは「慣れて」平気になるより、このまま平気でいる。
ひどいことになっていますねと驚きながら励まして下さる声、声。感謝します。そのなかに、存知寄り同業の方のこんな初のメールが届いている。今朝も戴いている。ふーん、詳しい人は詳しいや、と驚く。
☆ 秦さま
双方弁護士がついていると思いますが、訴状を見ないと詳しいことは申せません。まず「告訴」という言葉ですが、これは刑事の場合ですので「提訴」にしてください。
「被告」といっても、民事の裁判などというのは、その気になれば誰でも、誰に対しても起こせるものです。
刑事事件の被告とはまったく違うものです。また週刊誌にも(原告の、)「作家ですから表現の自由はある」とありましたが、作家でなくとも、日本国民である以上表現の自由はあります。
名誉毀損は、事実であれば違法性は阻却されます。あとはプライバシーの侵害ですが、作家が自身の家族の死を描いた作品などいくらもあります。
法的にあちらの主張が通る可能性が高いなどということはありません。インターネット上に書いたことは、消してあればだいたい問題にはなりません。「湖の本」は、一般の書店などで販売しているものではないことを強調すればよいと思います。
ここで重要なのは、文学の専門家、たとえば東大教授などの肩書のある人に意見陳述してもらうことです。
私は教授ではありませんが、必要とあれば陳述書を書いてもようございます。
もう一つ疑問なのは、青山学院大学教授(国際政経学部 「週刊新潮」記事の仮名・高橋洋)といえば、公的責任を有する立場にある人で、そういう人が仮名を要求することに、私は社会通念上疑問を感じます。
後ろ暗いところがなければ、正々堂々と実名を名乗るべきでしょう。 *****
☆ 秦さま
私は裁判実務には少し慣れています。
もちろん、私の言葉はご自由にお使いください。
(原告の)「ハラスメント」というのがどのような行為を指しているのか分からないのですが、1980年代から、米国では、成長した娘が、子供のころ父親に性的虐待を受けたとして提訴する事件が相次ぎ、後にそれは、フェミニストカウンセラーによって捏造された記憶
だということが分かりました。これは矢幡洋『危ない精神分析』という本に詳しいです。精神分析というのは、神経症などの原因を、幼時の経験に求めることが多く、しかし実際には何もない場合、誘導して「父親から虐待されなかったか」などと聞くうちに、記憶が捏造されるのです。もし必要であれば、ご一読ください。
ジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』などは、まさにフロイト流「父親による虐待」説を推し進めた本です。詳しく調べようかと思っています。 *****
* さて、今日は、ほぼ小一年に達する「仮処分審尋」の日。
この間の大半は、先方債権者の「只今、用意」「用意」でべんべんと費やされてきた。その間に、マスキングも「聖家族」消去も、向こうの望みをかなえても、双方の合意がないかぎり「仮処分審尋」は終えるということが「出来ない」そうで、先方は果てしなくこの審尋を続けながら本訴も始めるという姿勢だと、昨日牧野事務所の説明と報告があった。なんというムダであろう。
審尋の日は、わたしは外出して気を晴らしてくる。幸いにというか、あるいは不都合にも湖の本の初校を終えて返す義務がある。旅に出るにも、それは一度果たしてからにするより、ない。今日はゲラを持って出る。ひどいあめでないといいが。ヘリコプターの爆音がしている。窓外はやや明るんでいるか。
2008 6・27 81
☆ こんにちは! 琳 やす香の大親友
あのメールでは決して曲がった事を書いていません、やす香から聞いた事、私が見た事そのままお伝えしています。
私もそうですが、皆様それぞれに自分だけのやす香、自分だけのやす香との想い出があると思うのです。
それを自分だけのものにする為に、やす香の人生とその想いを歪めてしまったり、またその為に他人を攻撃したり責めたりするのは違う問題だと思います。
19年と10ヶ月生きてきたやす香のそのままを、自然に受け止めて欲しいと思います。
やす香は愛と優しさの中でいきてきました。
それがやす香の人生でした。
私のつたない文章がお役に立つのであれば、気になさらず使って下さい。
文学もダメですし、ものも知りませんが、人を見る目と信じる力だけはあります。
おじい様おばあ様大好きです。
夏の留学は一人で行きます。
壮行会。。。本音はすごく嬉しいのですが、おじい様おばあ様の体力を考えると心配です。
でもお顔を拝見できると思うと、正直嬉しいです!!
ただただ今は、おじい様おばあ様のお身体が心配です。
今日は晴れ! 自転車走行、お気を付けて♪
とりあえず元気に行きましょう!!
☆ お元気ですか、みづうみ
足攣りの具合はいかがですか。瀬戸内寂聴さんは出家したからといってお肉を食べないと、まったく小説を書く気力が出ないと仰言っていました。みづうみもすきやき二人前召し上がって、さぞお仕事への意欲もりもりでしょう。でも、ナースのおせっかい。明日はお水をたっぷり飲んで食べる量を減らしてでも、きちんと節制なさってくださいませ。
毎日同じニホンイノシシのカレンダーと対面していますし。バイアットの『抱擁 POSSESSION ロマンス』、面白そうなので手に入れました。
湖の本のご準備と発送はゆっくりなさいますように。とてもとても楽しみにしていますが、ご無理なさらないでください。おやすみなさい。 舟
2008 6・27 81
☆ 暗がりに汝(な)が呼ぶみれば唯一人
ミシンを負ひて嫁ぎ来にけり 遠藤 貞巳 朝の一服より
おぅと声が出た。
破顔一笑。快い笑みに祝福の思いが湧く。
「呼ぶ」のがいい、声が聞こえるようだ。いじけた声ではない、貧しくとも心豊かに健康に、若い生活を倶に支え合って行こうという、気迫に溢れた「汝」の声だ。
女の、「ミシン」ひとつの愛と活気と決意とを受けて、迎える青年にも思わず一歩を力強く踏み出す気概が湧いたであろう。これが結婚だ。
「暗がり」を、人目を恥じてとは読むまい。決意して即刻に今夜から、と私は読む。そこに、「夫婦」の出発点がある。宵から朝へ。
原始の暦はそのように数えられていた。 「国民文学」昭和二六年四月号から採った。
* 件名無し、正体不明のメールが昨日から続いている。即座に廃棄。ムダである。
* 「珠」さんが京都で拾ってきましたと以前に送ってくれた木の種を、庭の土にもどしてやった。
* 私の「いい読者」たちにお願いしておきます。
* 私のこのホームページを、またも無道に全棄却されてしまわないうちに、全保存可能の方は、どうぞお手元に、しかるべく遺して下さい。「闇に言い置く私語」は、文章の改竄さえなければ、いかようにお手元で編輯して保存されてもけっこうです。原版は手元に保存しています。
残念ながら「電子版・湖の本」は、入稿時校正のままのものもあります。多くは勝田貞夫さんのご尽力で、紙の本版からスキャンされていますが、それとても校正未了がまだ多いのです。「紙の本版・湖の本」に拠って校正を全うしておきたいのですが、余力がありません。手伝ってくだされる方、よろしくお願いします。
* 私の「全文業」は、機械を実質使い始めたこの十年来のものは、ほとんど漏れなくこまかに分類し、保存されています。なるべくデータを副え、引き出しやすいように整理しています。
前世紀・平成初年・昭和期のものの主要な大方は、幸い殆どが百冊余の単行本・出版物になっていて、主なモノは、だいたい「湖の本約百巻」にも再録・収録されています。
初出本や雑誌・新聞も、ほぼ全部がたぶん漏れなく保管されていますが、一部古い新聞原稿や書評などは薄れて行きます。電子化しておきたいのですが、余力がありません。
* 蔵書は、図書館のキャパシティーに問題があり、寄贈が無になりやすく不安定なので、欲しい方にさしあげ、あとは思い切って全廃棄もやむなしと考えています。りっぱな全集やセットもの、辞典・事典類はもったいなく苦慮します。私の読者や研究者で、秦の手元にこういう本や作品(秦でない著者のもの。)はないかと問い合わせて下さり、うまく有れば、悦んで差し上げます。
* 書画骨董・茶道具は、同好の友もあり、機会をみつけて残らず差し上げて行く予定。すべて整頓し、いましばらく愛玩して処分します。読者のの方、こういう道具があるかと具体的に問い合わせて下さい。有れば、いいですね。
* わたしの著書類も、多年の必要に応じて余分に買い置いたモノがあります。ぜひ欲しいという本、幸い余裕があればよろこんで記念にさしあげます、署名はご勘弁下さい。
* けさ、また、信頼できる久しい関わりの出版人から、親切な助言と、何らかの支援を言ってきて下さった。感謝します。
* わたしは自分に「徳」があると想ったことがない。世界史的用語としてはとにかく、日本人の用いる「徳」の字を、むしろハッキリ嫌ってきた。「損はいや徳と道づれ」の処世が不快なのである。
「徳は孤ならず」という。誰の言葉であったかも覚えていない。わたしは、何度も何度も書いてきた、自分は、「不徳なれども孤ではない」と。わたしが極めつきの少数派であることは、どの世間に出てもほぼ明白だが、わたしの詩と真実は「不徳」にある。これは覚えていていただきたい。
「徳」の「不孤」とは、わたしからみれば、利益で大勢が「つるんで」いるだけ。日本では「徳」とは「損でない」「得」の意味であることは、中世の「徳政」をみれば一目瞭然、莫迦げている。
きわめて数少ないだろうが、わたしの「不徳」をかえりみず親切と情義とを尽くして下さる方、わたしの謂うそういう人たちこそ、「身内」と謂うに近い。その点は、わたしに数多くの著作がある。
* 婿・★★★の謂うように、親子だから舅婿だから夫婦だから当然「身内」じゃないか、などと、わたしは成人以来思ったことがない。そんな薄っぺらい理解はない。婿の考えていたそんなことなら、子が親を、婿が舅を法廷に引きずり出し、金をよこせと裁判沙汰は起こせまい。家族内で「話せば済む」ことだ。もしそんなことなら子が親を、親が子を、夫婦がお互いに殺し合うか。しかし世間はそんな惨虐例に満ちてきている。この青山の大学教授は、ハナからすでに自己矛盾を犯している。
このルソー学徒、十数年前の「暴発」事件の時も、仲人さん一緒の話し合いに、只の一度も顔を出さず、「叔父様」にぜんぶマル投げで、面と向かい一言も話し合えない弱虫の大人であった。わたしと妻とは、一度も欠かさず事態改善のために汗みずく渾身努力したのだが、三十半ばの健康な「学者」自称の男が、「叔父様」の袴の下に隠れっぱなしだった。なんだ、こいつ。わたしは何度も苦々しく嗤わずにおれなかった。
姻戚は「身内」なら、自分で出てきて自分たちの手と思いで解決に努力すればよい。あそこで、すでに彼は間違っていた。それでいてわたしに向かい、『エミール』を読めの、自分は「リベラルな教育環境で育った」のと、ごタイソーな。論語読みの論語知らずではないか。漏れ聞いたある東大教授が、言下に舅への「嫉妬ですね」と切り捨てたという話を思い出す。
☆ 土曜日朝で、ゆっくりやすみました。 花
もうすぐお午です。お元気ですか、風。
脚の攣るのが、よくなりますように。
すっきり晴れませんが、蒲団を干しました。暑すぎず、すごしやすいから、いっか。
明日は、町内会の運動会で、花も出ます。確か、綱引きと聞いたような・・・。雨が降りそうで、心配です。順延になると、翌週また拘束されますからね。
花の元気を風にお送りしますよ。ではでは。
2008 6・28 81
* 一日の終わりに、こういう久しい読者からの、以下のようなメールが届くと、歴史の大空へ解き放たれた明るさを感じる。
むかし、信長 秀吉 家康の年齢差のなかへ利休の年齢を置いて利休論や中世論を書いた。清少納言と紫式部とは、いわば同じ大企業の異なる部署に勤務したふたりであるが、少納言が退職した頃に式部は就職していたところから、二人を論じたことがある。また樋口一葉と上村松園とは同世代で、松園の方が早く脚光を浴びた博覧会にまだ小説も書いていない一葉は売り子として働いていたこと。しかも一葉は明治のうちに死に、松園は昭和の戦後まで生きで女性初の文化勲章をもらったこと。松園の方が一葉より文化界の先輩だったと承知している何人があるだろうとも書いて、時代を論じたこともある。
雀さんも、とうどう、そこまで歩いてきた。「軟骨を囓りながら」とは、よく分からないが。
☆ 軟骨をかじりながら 囀雀
何枚も書き、清書してみてやっと、年表の下に“世界のできごと”と併記されている理由がわかってきました。できあがってる年表をいくら“見て”いてもダメなんですね。それはその人の取捨選択でできあがっているものだから。自分でお手手を使って調べ調べこしらえてみて、自分で情報を取捨するから筋がわかり枝が見えてきます。そして枝ごとに年表を作ろうと意欲と必要が生まれてきて、それを重ねることで初めて「できあがっている年表」がどうしてそうなっているのかわかってきました。面倒で手間なようでそうするほうが胸に落ち、よくわかり、なにより面白くって、楽しい。
ふるいやり方なんでしょうねぇ‥
文芸年表、美術年表、クラシック音楽年表の下に“世界のできごと”“日本のできごと”と書いてあるのはそういうことだったのかぁとひとつひとつ「わかったランプ」が頭のなかに点灯していきました。
歌舞伎はみな江戸時代のものと思われていて、「暫」も近松も「白浪五人男」も「勧進帳」もみんな同時代に勘違いされているところがありますが、雀のクラシック音楽もそれです。音楽室に貼られていた年表と肖像画によってうつりかわりはなんとなく視覚情報ですりこまれていましたが、ナポレオンとベートーウ゛ェンが一つ違い、だから「皇帝」エロイカは進軍するナポレオンなんだったってことを知ったり、日本の有名人と年令合わせをしてみて、ブラームスの活躍は明治の前半で、マーラーが作曲を始めたのと滝廉太郎が世に出た頃は同じだとか、バッハ、ヘンデル、吉宗が同い年と知るたび、別世界ではなくなってきました。
それと、枝から枝へ飛び移ること、たとえば政治・戦争と文芸・文化を行ったり来たりすることと、そのときかの人は何歳だったかを知ることによっても発見や合点がありました。大塩平八郎と渡辺崋山とシーボルトと水野忠邦が同い年だということなど、日本の東西、また洋の東西を越えて、同年代の人を探す面白さも教わりました。
ペリー来航と同時に長崎にロシアのプチャーチンが来航していて、その2年前に「白鯨」が発表されていたこと。1876、アメリカに「トム・ソーヤの冒険」が、1872~76、日本には「学問ノススメ」。それは1865年のリンカーン暗殺と1871年のアイヌ倭人化徹底政策があったあとと知ったときは、ハックルベリーフィンとアイヌが重なりました。そんなことから喜びを得、ヨーロッパ文化へのコンプレックスを剥ぎ剥ぎ進んでいました。
政治・戦争の年表や西欧列強・中国の年表も見なければならないとわかりましたし、その土地の風土や地理、当時の教育、政治的にどんな環境におかれていたか…たくさんの枝をたどって葉や花を見なくちゃいけないってことも教わりました。それは「しなきゃならない」ではなく「したらおもしろい」ってことも。
それで、30年ぶりに『銀の匙』を読んでいます。
高校時代はこどもの心理とおとなの態度に面白みを感じたのですが、登場する物事や名詞、地理と気性、当時の教育と日清戦争など、読み取ることのできる情報がだんぜん多くなり楽しいだけでなく、心が暢びる文藝に、調べものが続いていた圧迫から離れて快いこころもちがして、ことばの流れやリズムに気分がすうっとします。
韓国併合、日中戦争、仏印進駐…滅入って、くたびれて調べものは中断。小説や山水画ににげたくてたまらないです。
こないだ森敦さんの「私の風土記」を読み、心が遊びに出ました。亀井勝一郎「大和古寺風物詩」は二度三度読み直してもつまらなかったです。 囀雀
* この人でも、昼にメールをくれた「花」さんでも、わたしの現在の事情なんか、テンと知らずにいる。たとえ知っていても、ああだ、こうだ。おもしろい。
2008 6・28 81
☆ こんにちわ。 花
大雨です。
お元気ですか、風。
町内の運動会は中止だと、朝六時半に電話がありました。
予期していましたが、早朝の電話に起こされ、二度寝したら、眼の覚めたのは九時。寝坊です。
さてさて、オリンピック前ですが、各地でスポーツ大会が開かれています。
ウインブルドンテニスは三回戦あたりを、女子バレーは、香港で、きのうイタリア、今日中国に、二連敗。中国は百八十、百九十の選手ばかりで、しかも体の厚みがハンパじゃないです。巨人ですよ。
サッカーの欧州選手権は、今夜決勝です。
あれもこれも、世界レベルは、高いですね。
大雨ですので、今日は家でおとなしくしながら、風に元気を送りましょう。
ではでは。
* オリンピック。楽しみ。ブブカのような選手に会いたい。
前回のお別れで、オリンピックの旗が中国北京に手渡されたときは、複雑な思いだった。一番は、もう四年か、オレは生きてられるかなあと本気で案じていた。二番は、中国でなければいいのになあ、不快な事件が起きそうな気がする、懸念はすっかり済んでしまうまで消えないだろうなあ、と。
いままでのオリンピックで、いちばんウキウキしていないのは、わたしの私的なわずらいからでなく、どうにも中国の今日が分かりづらいから。触れた肌が温まらない感じだから。
ま、すばらしいフェアな運営、暴動や暴発の絶対にない祭典でありますように。チベットのことも、聖火リレーの愚劣だったことも、忘れきれないで居るのだから。
2008 6・29 81
☆ 夏越 鳶
今日は夏越、、一年の半分が過ぎたとは、ただ唖然とします。気持ちだけはこの数日慌しく、文字通り心荒れて、ただし慎重にものごとを処理して暮らしました。今ほっとしたところです。
今週末スリランカに旅に出るはずだったのですが、コロンボでの爆弾事件から一転、旅行中止になりました。半分ほど準備も済ませていましたので、ぽっかり空いたものを日常のさまざまなことに向かわせようと努めています。夏はひたすら静かに過ごしなさいということでしょうか。その分、画材を買います。
夏の終わり、或いは秋・・風来坊になりたいと思っています。スリランカは当面は避けたほうがいいらしく、行きたいと思う所、たとえばイランやイスラエルもやはり一抹の不安。ユーロ高をものともせず、ヨーロッパに行こうかとも。お気楽鳶のつぶやきです。
慰めるな、励ますなと書かれてあれば、敢えて多くをそれに触れることなく。
28日の件で何かわたしで手伝えることがあれば、どうぞ遠慮なく連絡してくださいますように。
神経すり減らす多くのことに敢然と向かい合ってらっしゃる、そのエネルギーに驚きさえ覚えます。同時に何よりも何よりも無事にお体に差し障りないことを第一にされるよう。元気に、元気に。
2008 6・30 81
☆ 初めて出席した研究会、ある先生の言葉に震える。
「健康」は誰のものか、国がお腹の周りから人を選別して指導する「健康」とは何か、誰のものか。国民が細身ならいいというのか。基本的な議論が、ない。
そう、「病気でない」と「健康」とは一致しない。個々の求める、今・此処の「健康」を。国任せでは皆細くなるばかり。そのうち食事の配給まで指示されるような気がしてくる。
また東京での研究会でお逢いしたいと約束し、熱い時間の興奮を胸に宿のホテルに帰る。 珠 札幌で
* なんとなく、莞爾。自分につごうよく読みました。ハハハ
2008 6・30 81