ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2011年12月まで

* わたしの体調を慮ってくださるあまり、息子のブログにまでもの申して行かれるのは、有り難くはあるが、また、息子にも、わたしにもメイワクでなくはない。当方も、コドモではない。考えも、事情もあって日々に処しており、その説明までは、いくらご親切に対してといえ、必要ないことである。感謝は深い。とても深い。が、こういうことは以後ご遠慮願いたい。家族も考えている。わたしも、考えている。死生観などということではない。平凡だが難儀で厄介な俗事とともに在って、とも謂うが早いか。

 

☆ 息災でなによりです。  泉

田中勉さんは名前も粟田の昔のお宅も存じてますが、お顔は浮かびません。近しい人の訃報を聴くのは辛いですね。

気温が下がり始めて後期高齢の老体には最適の季節です。

足枷を引き摺り乍らの日々ですが、偶には一人か娘と二人で町や公園をお散歩します。一年を通して食欲が落ちないので体重管理に気を遣いますが、これは贅沢な悩みですね。

まあ何事にもあまり神経質にならないで、ノホホンと過ごしたいものです。  お大事にお過ごしあれ!

2011 10・2 121

 

 

☆ I am reading “Sixteen”.

 

* 能面の写真「十六」にことつけて、日乗を呼んでいるよというアメリカからのお便りであろう、恐れ入ります。

2011 10・3 121

 

 

☆ さてさて

ノーベル賞の発表がはじまりましたが、その前に発表されたイグ・ノーベル賞というのがおもしろくて、興味があります。

人々を笑わせ、考えさせる研究に与えられる賞だそうで、1991年にはじまり、日本人が何度も受賞していることもあり、繰り返し報じられてきたのを、花は毎年興味深く聞いていました。

今年は、化学賞で日本の方が受賞されました。

「火事や緊急事態に、眠っている人を起こすワサビスプレー」が認められて。

聴覚障害者の方が火事に気付かず亡くなる悲劇を減らせたら、という、開発者のやさしさと、ツンとくるワサビスプレーの容赦ない厳しさのハーモニーがしゃれているなあと思いました。

ほかにも、洒落の効いた受賞がいろいろと。

「なぜ円盤投げ選手はめまいがして、ハンマー投げの選手はしないか」物理学賞 「数学的仮定と計算には、注意深さが必要だと世界に知らしめた」数学賞(世界の滅亡を予言した人たちへ) などなどありましたが、今年の花のお気に入りは、平和賞です。

「高級車の違法駐車を装甲車で轢きつぶし解決した」リトアニアのある市長が受賞しました。違法駐車という日常の紛争を、装甲車を出動させ決着した思い切りのよさ・・。

おもしろいのですが、平和とは何かを考えさせられます。

風、順調に回復のごようす。よかった。 花

2011 10・4 121

 

 

* 昨日今日つよい雨と聞いた気の天気予報に、ころりとダマされたような、心地よい秋晴れ。逆様でなくてよかった。

☆ 秋晴れ

今日は予報に違い、よく晴れました。

昨日は、雨の中、あちこち用事と、散髪に行きました。

さっぱりしました。

確かに、朝晩過ごしやすい気候になり、横になるとすぐに眠りに落ちますし、なかなか起床できません。

風が少しでもラクに過ごせるとしたら、いい気候です。  花

 

* 機械の前で、深々と眠っているのに、はっと気付いて上半身がグラぐら揺れる。「おどろく」という古語は「目が覚める」意味であった。「風の音にぞおどろかれぬる」もそう、「おどろかでぬるわれは人かは」も、そうだ。以前はなにかわるいことをしていて見とがめられた気になったものだが、今はそんな気は使わない。おう、寝ていたかとだけ。そしてそんな合間合間にも仕事は出来る。

2011 10・6 121

 

 

* 疲労が濃い。夕食後に二時間、からだを横にし読書していた。読書は次々に皆興深いのに、身を起こし機械の前へ来ると、気が付くとうたた寝している。もう休む。

林丈雄君から機械のことでいろいろ助言されているのに、どういうことをどうすればいいのか理解が届きかね、情けない。わるいアタマが一段とわるくなっている。

遠い遠い昔の亡き給田みどり先生の歌集に、身を沈透くように読み耽る

2011 10・7 121

 

 

* 投げ出せることは、いっそ、投げだし身軽になることを考えるべきときのように思われる。とだえない訃報などにも胸痛む。

 

* 出掛ける前二時間ほど熟睡し、夕刻、新江古田駅で、富士市の勤務先から連休帰宅中の子松時博君と会った。妻と三人、フランス料理の「リオン」で食事し、三時間ちかく、四方山の、歓談。コースのほかに美味いワインとチーズも。久しぶりのこと。楽しく。わたしの病気で、一月ほど遅れたが。

リオンは彼の家から遠くなく、わたしたちも通い慣れていてシェフとも親しく、気の置けないいい出会いの場だった。

* 帰宅のアトはテレビを観て、休息。

2011 10・8 121

 

 

* 好天。蒸し暑くならないといいが。

 

* 朝一番に、気がかりの用で印刷所へ詳細にメールを送り、あいついで追っかけ届けねばならない追加原稿のファイルの用意などし終える。

体調を案じて、二人三人とメールを貰っていた。感謝して読む。

 

☆ 鴉はいかがお過ごしですか。  播磨の鳶

歌舞伎にお出かけになったことなど、徐々に日常の暮らしかと思います。が、とにかく養生されますようにと老婆心(=わたしよりは、十は若い人です。) が先にたちます。

五六年前から平家物語の時代を追いかけた小説を書き継いでこられたとのこと。本当に今から楽しみです。『風の奏で』の本を初めて手にした時のことをわたしは今も鮮明に覚えています。

『慈子』と『風の奏で』、秦文学との出会いでした。

それにしても、「酒有り酒有り   (ひま)をえて東の窗(まど)に飲む」の詩を引用されていました。ああ分かるなあと。もっともお酒に弱いわたしなど半ば以上は羨ましいばかり。李白も陶淵明も懐かしく楽しめるのは、そういう人生のステージに達しているからでしょうか。勿論若い時だって好きな詩はいくつもありましたね。(=この人は、京大で中国史を学んでいる。)先日読んでいた本に、李白の詩からの引用? と記憶しているのですが、

 

今人不見古時月   今の人は見ず 古時の月

今月曾経照古人   今の月はかつて古人を照らせり

古人今人若流水   古人今人 流水の如く

共看明月皆若此   共に明月を看る 皆此の如し

 

人の、命あるものの儚さ、同時に宇宙の永さを想うのです。同時にその宇宙観さえとどまることなくかわっています。半ば好奇心に溢れ半ば呆然うなだれます。

中国映画『胡同のひまわり』は偶然わたしも見ていました。

一人っ子で、両親の愛情を一身に受けつつ、父の果たされなかった夢を背負わなければならない少年の屈折した思いも、文化大革命や中国社会のさまざまな状況に左右されていく人々の運命も淡々とリアルに丹念に描かれていました。

あの父親がわたしの親だったら? わたしは大いに抵抗していたでしょう、わたしの人生は違うと。

自分が良い親だったかどうか、子供たちが判断するしかないでしょうが、まあ、許してもらえる自信? はあります。厳しく叱れなかった、躾が甘かった、もう少し教育熱心であってもよかったなど悔いもありますけれども。

 

帯状疱疹は完治しがたいものですし、体調によって何回でもぶり返したりもします。わたしも帯状疱疹を病みましたから、どことなくヘンな痛みを感じると体を庇っています。早めに薬や注射、点滴など対処したほうがいいと思います。これもうるさい老婆心、です。

くれぐれもお体大切に、過ごしやすいこの季節を楽しまれますよう。

 

* じつは帯状疱疹がかすかにぶり返し掛けているような実感に襲われているところ。真後頭部辺に違和感がまた生まれつつある。勝手にしろという気持ちでいるが。

 

☆ 湖へ  珠

お元気ですか。

少し不調感は落ち着かれたご様子、ほっとしました。

半年待ちが普通の聖路加人間ドック、早くに予約できてよかったです。

私も変わらずバタバタしていますが、元気です。

先週、うまく起動しなかったパソコンを、漸く更新しました。届いたものの、新たに無線設定をするのなど手間取りましたが、やっと順調に使えるようになりました。電源をいれるとすぐに稼働することが嬉しくて、今日はちょっとしたことでノートを開け検索してみました。

便利さと、不便さ、設定しながら色々考えた一日でした。

昨日のような蒸し暑さでも、風は冷たく感じました。夜になると降る雨が、秋を冬へと背中を押しているようです。

くれぐれも冷えないように。気をつけて、お過ごしください。

どうぞ、湖、お大事に。

 

 

☆  ご丁寧なご連絡いただき恐縮でございます。

原稿、ご迷惑なばかりで申しわけないことです。どうぞ思い切りほったらかしにしておいてください。絶対にご無理はいけません。健康第一です。いつか読んでいただけるかもしれないと思うことが喜びです。

一番の願いは、お読みいただいて「佳い」と言っていただけるような作品を書きたいというに尽きます。

お元気ですか、みづうみ。新しいご本、一体どんなものを読ませていただけるのか今から待ち遠しい思いです。でも、ご体調を優先なさってご無理なさいませんよう念じております。   胡桃  どうすると云ふすべもなし澤胡桃

2011 10・17 121

 

 

☆ 秦 恒平様

すみません 一週間もこのメールを見落としたままでした

ご注文頂いていたのに 申し訳ありません 早速 コーヒー豆送らせて頂きます

変わりなく皆元気に暮らしております

子育てがそろそろ中盤に差し掛かってきたかな と思っています

恒平さんの「濯鱗清流」 また日々の事を拝見できそうなので 楽しみにしております  南山城 従弟

 

☆ おじいさま、おばあさま、こんにちは。

お葉書頂戴いたしました。メールをいただいていたなんて、申し訳ありません。私のパソコンのゴミ箱に自動的に入っておりました。

どういうわけか、頻繁に使わないアドレスからですと、勝手にゴミ箱に入ってしまいます。最新の機能も困ったものです・・・

今、探し出して救出、やっと読むことができました!

「アマデウス」の舞台、是非ご一緒させて下さい。その日は都合良く何も予定がありませんでした。

おじい様おばあ様とお会いできる素敵な日! 今からとても楽しみです。

その後、おじい様の体調は戻られましたでしょうか。あれから気になりながらも、バタバタしているうちに時間が経ってしまいました。

最近は、論文執筆とアルバイト、家の片付けで時間が過ぎておりました。

本当に大変失礼いたしました。でも、ネコさんの可愛いお葉書を頂戴でき、嬉しかったです。

本日は取り急ぎお返事まで。    莉

 

 

* 一年のパリ留学から帰ってきた、やす香の親友から。

 

* 機能ばかりややこしく新しくしながら、「頻繁に使わないアドレスからですと、勝手にゴミ箱に入ってしま」うようなものを高価に買わせるなど、本当にメイワクだ。わたしも、大事なメールが不良扱いされ、あわやボツにするところを救い出した経験がある。それと、最近は、機械に入っている普通のメールをめったに開かないという例も増えている。

昨日の妻の機械での大量原稿喪失は、妻だけでなくわたしの気も腐らせる。秦恒平の作に対する数十、それ以上もの、校正も済ませた「書評」原稿を瞬時に喪失し、呼び出せない。おそろしいほどの、妻の視力・体力ロスである。精査すればきっと見つけ出せ救出出来るのだろうとわたしは体験的に感じているが、遺憾にも妻の新機は、同じ会社の機械なのに已にわたしの手にとても負えないのだから、情けない。妻は泣く泣く一からやり直しかけている。

わたしは、人も呆れるほど昔の儘の機械を親機としてメインに使っている。ややこしい使い方はしない。古なじみの親しさで、ただ、容量はしっかり取ってある。しかしいくら「FACEBOOK」から連絡があり、開いて読んでくれと云ってきても、この機械が余りに古くて通用しないらしいと分かってきた。そういうソシアルへの興味も関心も実は失せていて、これ幸いと放ってある。

 

* 名張の囀り湖雀さんからもメールが来ていた。この前は腹痛と頭痛のさなかで、とても読んでいられなくて失礼したが。

 

☆ お星様 お月様

お健やかにいらっしゃいますでしょうか。大切なことを申し忘れておりました。パグワンのご本上下巻とも届いております。桜桃忌に下巻が、上巻は名張生活 15 年目を迎えたぴったりその日に。

震災以来、金子光晴をときどき読んでいます。大正12年の10月は暑さがいつまでものこっていたと書かれていました。

明日は志賀直哉の30回目のご命日になるのですね。25日は足穂、30日は抱影の没後34年。

夏負けに、残暑、颱風、残暑、連休、颱風、連休、さらには歯痛とへばっていたところへ、7 年近く使ってきた携帯電話に故障頻発。買い換えを余儀なくされました。

歯科医に通院する厭わしさと器械操作のじれったさもどかしさ。彼岸の雨が存外の冷たさで、一気に冷え込んだことにもあわてました。ところが、10月も下旬というのに昼間はT シャツいちまいで平気なほどです。

ただ一雨ごとに山の色が変わり、秋冥菊が杜鵑草や水引草にしなだれて白い花を枝枝に咲かせ、草の実をつけていた裾が露に濡れるようになりました。

 

星の所為かも知れぬ。しかしおれには造化の力だ。そのほうが事は簡単にすむ。(1923 「黄漠奇聞」)

 

1923年は、1 月に「一千一秒物語」、2 月には「黄漠奇聞」。7 月が「星を売る店」と「こがね虫」。

野尻清彦がわずか1 年あまりで外務省を辞め、1924「鞍馬天狗」で作家として生活し始めます。外交官を目指していたというので新渡戸稲造を聯想しましたが、吉野作造門下でしたか。明治文化研究会…パリ・コミューンは明治4 年なンですものねぇ。それに鞍馬山は暗部山、闇部山…夜明け前…藤村の「夜明け前」は「鞍馬天狗」の5 年後。なるほどォ。そしてその年の明治節に、正英清彦ご兄弟はお父上と死別されたというのです。

お盆のラジオアーカイヴス番組で、朗らかで明るくてお元気なお声の主が大仏次郎さんとわかって、図書館で取り急ぎカンタンに調べただけでもいいことがたくさんありました。

たとえば1949「宗方姉妹」。これがつい先日べつべつの場所ででてきたのですよ。

谷崎潤一郎記念館の「志賀直哉と谷崎潤一郎」掲載の志賀さんの写真、そして松阪市の小津安二郎青春館に飾られていた小津と入江泰吉のツーショット写真です。1950小津が監督をして「宗方姉妹」が映画となったということかしら。薬師寺ロケがあったそうで、翌年の「麦秋」では耳成山のふもとでロケが行われた、と、これは奈良市の入江泰吉記念写真美術館でこの夏得た情報。

ときに、ご無沙汰しているうちに歯科医院は待合室も診療室も東大寺の色紙・短冊・拓本が掛けられていて、うかがったところ、ご子息が東大寺の中学校と高校に通われていたときのものとのこと。父兄会のときに観光客が入れないところをお坊さんの案内であちこち見学させてもらったうえに僧坊のお茶室でお茶をごちそうになったことがあるんですよ、とのお話にうらやましくて、よだれが出そうでした。麻酔が効いてきたところでしたが。3 台ある治療台それぞれ目に入る額が違うので通院が楽しみになりました。 囀雀

 

☆ せいとくとせいはく

3/9 に飛鳥園に問い合わせ、仏像講座への参加を決めたあと、その週末は壺阪駅レイル& ウォークイベントに参加しようと予定を立てました。その日、3/12の朝、支度をして名張駅にまいりますとイベントはすべて中止というようなことが書かれておりました。雀は歩くことが目的で、イベントどうこうではありませんから、予定通りの電車に乗ったのです。

すると乗り換えるたびに同じような格好をした人が増え、そのほとんどが壺阪駅で降りたのですから驚きました。次に着いた電車からもたくさんの人が降りてきて、小さな駅はぎゅうぎゅう。

関西の知事が集まって「お互いにイベントの中止はやめましょうナ」と決めたとかで、東山花灯路も清水寺のレーザー光線もそのまま続けられましたし、レイル& ウォークもほとんど実施に戻されました。

とにかくテレビが一日中ああでしたでしょう。月に2 、3 度母と電話で話をするのですが、その都度、「まるで戦時中ね」と、連打されるスローガンに閉口しておりまして、テレビを消そう、本を読もう、と、本を積み、うでまくりをしたのですが、集中できず、レイル& ウォークにずいぶん救われました。途中で寄った和菓子店でおかみさんが「あぁ、それでようさん人が歩いてはるンやぁ…そゥやな、家におったかてええことないもン。歩くのがいちばんやわ」とため息半分おっしゃいました。

今年は寒の戻りが遅くまであって仏像講座のときの雪に驚いておりましたら、高槻市の博物館公開と継体天皇御陵見学に行った3/26などは越前国かのような吹雪に見舞われたのですよ。寒い代わりへたばらずに歩くことができましたし、騒がしいイベントもな

く人も少なく、哲学の道を上を見ながらぷらぷらと、花吹雪を浴びつつ歩いたのなどどれほど珍しいことでしょう。

イベントとして組まれているところに参加する一方、雨に誘われぷらりと

出かけたこともありました。リニューアルオープンから半年も経って大和文華館を訪ねたのも降り続く雨に誘われてのこと。「美人図」展のチラシには正直なところ魅力を感じていなかったのですが

祇園井特の美人画が3 点出ていて、しかも1 点は、あの『閨秀』で書かれていた繪でしたから、汽車には乗ってみよ、ミュゼは覗いてみよですわ。奈良県立美術館蔵と書かれています。2007年5 月頃「上方絵画の底ぢから」という展覧会に出ていたそうですが雀は見に行っていないのです。どうしてかわからないのですけれど。

リニューアルはバリアフリー化が第一で、駐車場から玄関まですっかり舗装されました。砂利道に雨の音が聞きたくて、庭へまわってみましたら、池は潤み、頭上からはらはらちらちら山桜のちいさな花びらが舞い落ちてきます。借用の多い特別展ということから吹き抜けの竹も池をのぞむ大窓も厚いカーテンが下がっていたので、うっとりいたしました。

鳥羽駅に降りたのも雨に誘われてのこと。改札を出てすぐのところに観光案内所があり、伊良子清白の診療所を兼ねた自宅が鳥羽駅近くに移築公開されていることを知りました。大正11年に鳥羽に診療所を開業し、疎開先の三重県大宮町打見に病歿したそうですね。お留守番といったていの女性から彼の人生をうかがいながら、ゆがみ硝子を通して雨の鳥羽湾を見ていると、アップデートな事柄はどこかに飛んでいってしまいました。  囀雀

 

☆ 平家星 源氏星

「私が死んだら行く星は…やはりオリオンときめておこうか?」

抱影さんの本を図書館に借りにまいりましたらパソコン検索で「星三百六十五夜」という随筆集しか“ヒット”いたしませんでしおれました。ところがさすがに星博士の随筆。たのしうございました。

奥さまが奈良市水門町に幼少の一時期を過ごされたことに目を見張り、明けの星が出てくることから「暗夜行路」のラストをほとんど暗記してらした抱影さんのご近所に、高畑町を引き払った志賀さんが一時期お暮らしだったということも驚きでした。

杉本健吉さんが昭和25年に「新・平家物語」挿画のお仕事を得て、志賀さんから原稿用紙にペン書きで「子沢山の苦労はわかるから、杉本くんのためにはよかったと思う」うんぬんとのお励ましが届き、杉本さんは額装なさって亡くなるまで机の前に掛けておられたそうです。杉本さんは8 人のお子さんがいらしたとか。挿し絵の仕事が舞い込んだことで生活が楽になり、吉川さんが亡くなられた年に初めて海外スケッチ旅行に出られたといいます。57才です。

その2 回目にナイルで不思議な月を目撃。帰国して岸田劉生没後以来師事していた梅原龍三郎と、志賀さんに手紙を書き、志賀さんは抱影さんに転送。木星の掩蔽現象で、世界中で目撃できた地域はそうなかったと判明して、志賀81才、抱影79才、杉本58才みな大喜びというくだりは愉快です。

抱影さんは「テレヴィ」と表記なさいましたね。

震災をきっかけに地デジ化を利用して、すっぱりとテレビをやめました。

とうから新聞はやめておりましたから、目耳やすらかになりました。

地デジ化のすぐあとに地震があったり大雨が降ったりいたしまして、CDやMDが出てきて仕方なしに買っておきましたラジカセを点けてみましたところ、 FM 三重とNHK-FMの名古屋局しか入りませんで、あわてて非常用のラジオを購入。雑音だらけのAMと、名張のコミュニティFMの受信を確かめました。これが颱風にどれだけ役立ったことか。

名古屋局は東海の情報になるので、奈良、滋賀、京都、大阪の情報が足りないのです。ですが、あくまでも非常用ですわね。しばらくの間聞いてみましたが、ニュースと天気予報を除いて、NHK の邦楽番組のほかはほとんどたえられる番組はございませんの。

インターネットは携帯電話でもかなりできるようですけれど、メールしか利用しておりません。新しい器械になったらなおのこと、濁流のように押し寄せるそれを、中身も見ず選択もせずすべてをシャットアウトしている状況です。   囀雀

 

* 一種「達人」の境涯で、しかもこれらが携帯電話から発信されているらしいことにも、携帯を全然知らない使わないわたしは愕いている。雀さんが、志賀直哉の近辺にまで関心や敬意を寄せ始めているのが嬉しい。

前にも書いたが、この人は、あたかも身動きの取れないわたしの代わりに、処々方々へ出歩いての見聞を送り届けてくれる。わたしは此の感性型の知性が呉れる便りに、楽しみ、感謝している。

2011 10・21 121

 

 

☆ ソファで居眠りの風、お元気ですか。

きっと夜更かしなさっているのでしょう。

花も、ついつい夜遅くなってしまいますよ。

で、この気候です。眠くて仕方がないです。困りますね。

さてさて、弥生子と勘助のお話、おもしろいですね。

>  勘助はむしろ男の方に親しむタチだったかと想います。

ああ、そういうのもあったでしょうか。

勘助が幼女をずいぶん気に入っていたようすが、富岡さんの評伝に克明に記されていましたが。性的に未分化なものに惹かれていたのか、どうか。岩橋さんの評伝には、弥生子と勘助のことにも触れてあるのでしょうか。

 

最近、灘中学の国語の先生があちこちで取り上げられていて、花も眼にしました。

難関大学に大勢卒業生を送り込む秘訣は、この先生の国語の授業にあるのではないか、といった切り口で伝えられていたのですが、先生は、三年間通して『銀の匙』だけを読んでいくのだそうです。「『銀の匙』とは、これはまた」と、ちょっと興味深いなと感じました。

宮沢賢治や内田百けんなど、文学史の中には、「○○派」などと系統付けにくい作家たちがいますが、勘助も特殊で、『銀の匙』だけでぽつんといる人で、その一作だけなのに名前の忘れられることのない、不思議な存在だと思います。灘中学の国語の先生が、三年もかけて丁寧に読む教材として『銀の匙』を選んだのはなぜなのか、花はとっても興味があるのですが、そこのところは言及されていませんでした。

 

巌谷大四の『物語女流文壇史』を、ほんとうに少しずつ読んでいます。

ほとんどが名前も知らない作家なのですが、それぞれの人生が激しくて、びっくりしながら読んでいます。『座談会明治文学史』や『座談会大正文学史』には出てこない名前がたくさん登場する本なので、「こういう人がいたのか」という資料として手元に残しておきたい本です。  花

 

☆ 雨

冷えます。湖、お元気でしょうか。

昨日は、私の誕生日でした。いつものように一日を、過ごしました。

この週末は、風炉で最後の稽古。中置ですが、もう少し近くに温みを感じたい季節。炉は、もうすぐ。

湖、頭の痛みがひろがりませんよう、祈ってます。くれぐれも、お大事に。 珠

 

☆ 川本喜八郎の平家物語

津市にある県立美術館で9/10から「藤島武二・岡田三郎助展」が始まりましたが、10/23 までということで、雀はのんびり冷房を効かせた部屋で古紙回収の荷くくりをしておりました。すると、パラミタミュージアムの写真入り広告「10/1~11/28<北大路魯山人展 >」とは別に、小さな活字で「~9/27< 川本喜八郎展> 」とあるのが目にとまったのです。そこへNHK 津放送局が「NHK 人形時代劇」「平家物語」をキィワードにそれを紹介したものですから、節電の交通機関も残暑もものかは急いで予定を立てました。

 

大河ドラマ「江」で、お市は子を連れて安濃津城に逃げてきたとして観光に利用している三重県です。続く「清盛」で、あれだけの繁栄ももとは伊勢平氏からと、ゆかりの地を探しだし観光収入にしたいのでしょう。

一方、藤島武二は、東京美術学校教授に招かれる以前、三重県の図画教師をしていたことと、晩年、ご学問所の画のために伊勢を再び描いていることから企画が通ったのかもしれません。

昨年は「橋本平八と北園克衛」、その前は「元永定正展」ではなかったかしら。元永さんが先日、逝去されたそうで、伊賀の文芸同人誌が、昨年10月に亡くなった榊莫山さんの追悼特集に原稿をお願いしたところ快諾され、9 月に校正のFAX に返信がなかったので案じていたとききました。莫山さんと同じ日に亡くなったようで、そういうことってあるのでしょうね。

 

ともかくも、川本喜八郎さんの人形は飯田市に行かなければ見られないしろものですし、津駅前にうなぎ店、県立美術館の向かいには手打ち蕎麦の店があるからと主人を誘い、次の休日、5 時起きで行ってまいりました。ニュースの影響か、開館前に6 、7 人待っていて、そのあとも続々と来館。大入満員です。

ところが人形はたった一室だけで、ジュサブロー展のときに来館したというおばあちゃまがうきうきと入館されるのと入れ違いに出て、電車で津駅に向かいました。

美術館受付のボランティアガイドさんに常設展から先にと案内され、常設展入口に立っていたベテラン学芸員さんからそのわけがわかりました。フォンタナージの繪から始まって、その時代の画家や藤島の弟子など関係する繪を展示した常設展で、事前学習をしてから企画展に移るしくみです。

お葉さんが大正末から昭和初に藤島のモデルをつとめたとか。来月19日に、京の国立近代美術館で海野弘さんが講演なさるというのでその日に「川西英コレクション『夢二とともに』展」を見て、国博の「細川家の至宝」とはしごしようと思っていたところでした。

< 明星> 表紙で一躍有名になった藤島武二。1901に家出、上京した竹久茂次郎は、彼に憧れて夢二と名乗り、さらに二男を不二彦と命名したとか…?

また鳥羽に行ったときに、乱歩とともに男色研究をし、乱歩作品の挿画も描いた鳥羽出身の岩田準一( 足穂と同じ1900生まれ) は、乱歩に出会う以前から夢二にぞっこんで、代作までするほど“日本一の夢二通”だったと知ったこともあり、たのしみができました。

それにしてもパラミタミュージアムは遠いですゥ! 片道2 時間以上かかりました。京博へ行くのと変わりませんわ。

 

今朝は雷鳴で起こされました。夜からの雨がときどき音を立てて降ります。  囀雀

 

☆ 元気ですよ。  泉

先日晴天を見越して、我が家から一時間の近場にある立川の昭和記念公園で四万本の満開のコスモスを友人達と愛でてきました。二万歩の歩行数にも満足。七十五歳、足と口は何とか達者に過ごしています。  お元気で。

 

失礼 秋桜は四万本ではなく四百万本でした。コスモスは昔から色も風情も大好きな花です。

 

* わたしも殊に好きな花である。 雨の日の雨うつくしき秋ざくら  という自句を小説『糸瓜と木魚』に書き込んだこともある。 2011 10・22 121

 

 

☆ 秋燕忌

志賀(なおや)さんが亡くなって40年ですね。暗算もできないお恥ずかしい次第です。

 

喫茶店や本屋で週刊ポストがあると手にとって、うしろからめくります。

松岡正剛さんの見開き頁を教えてもらって、前からくったらめんくらった☆

…とッ、と、つかれることばに濁世を離れ、息を吐きます。

 

河瀬直美監督も、そうです。最新作は「朱花の月」。その前は「狛(KOMA)」。「殯の森」はもう4 年も前になるそうです。

 

3 月初めに加茂町のボランティアガイドさんの案内で、加茂駅前から大仏鉄道跡を歩くツアーに参加しました。

大仏駅跡で解散したあと、コーヒーを飲もうとバス案内所の休憩室に立ち寄ったところ、いくつもあるラックの一番奥に「斉明天皇とその時代」という文字を見つけました。『明日香風』という冊子で、発行日は平成23年4 月1 日になっています。ツアーが土曜日でしたから、ゆっくり頁を広げたのは月曜も昼過ぎてのことだったかもしれません。

猪熊兼勝さんが、

①石の女帝と孫の死

②殯宮・仮陵と改葬陵

③漆塗木棺から夾紵棺へ

④雪隠から牽牛子塚への改葬

⑤四人の被葬者

⑥越智山陵の修理

との見出しで書かれ、雀は、殯と仮の墓と真の墓とがあって、それがそれぞれいつどこにつくられたかがわかる、と興味深いことを教わりました。「三人の女性の柩のどこかに少年の遺骨は置かれた、おそらく祖母の傍らに。」。

和田萃さんの文でも、たぶれごころのみぞ、征討、遣唐使、須弥山の造営などを、建王の年齢と合わせてみるよう導かれて、しばらくその想像にひたる日々を送りましたが、最後の論文、寒川旭さんの「地震考古学から見た牽牛子塚古墳」をよく読んでいたらよかったと、後日、読み返して痛恨の思いでした。

 

逆に、時期というのか、縁を感じて不思議なのが、先日『星の三百六十五日』を返したあと、思いついて借りた『星と祭』です。

遺体の上がらぬ“きれいな葬られ方”をした若い男女の殯のおはなし。

40年前の湖北。登場する寺名はほとんど覚えがあり、んーっと思っても地図を見たら景色とともにふわぁっとこころに思い出して、あの頃に戻ってぼんやりしてしまいました。湖北の家の書棚には最低1 冊『星と祭』があるといわれます。

『見仏記』で、いとうせいこうさんが井上靖の『星と祭』と水上勉の『湖の琴』をあげて渡岸寺の観音さんと石道寺の観音を書いているのですが、どちらも読んだことがないのです。

 

お盆もお彼岸も過ぎて、主人も毎週ほぼ規則的な勤務に戻って、ドライヴもしてもらえそうなので、余呉や雨森を再訪したいと、『見仏記』を読み返して、何気なしに、文庫本の最後にあった「角川文庫発刊に際して」と題された角川源義さんの文を読み始めた雀は、角川といったらカドカワでハルキでしたから、驚きもありましたし、震災とかさねて考えさせられる内容で、ときどき歳時記でお目にかかる源義さんてどのような方かしらと思っておりました。

『星と祭』の解説が角川源義さんで、読み進めながらうめきました。

連載開始のひと月後、末のお嬢さんが自死され、2 年後、琵琶湖畔の式内社をたずね、渡岸寺をたずね、小浜へ出て羽賀寺をたずね…この解説が掲載された文庫本が発行されたのが1975年3 月10日。

文庫化のおりには、解説をと井上さんから頼まれた日、就任を祝われていた東大寺新管長がふた月前に69才で入寂されていました。そして源義さんもその年の秋に。58才とは…お若い。

そういえば、岸田吟香夫妻が精神を病んでいたご長男の死の翌年に相次いで世を去り、劉生は中学校を中退し、受洗して、日曜学校の教師をしたとか。杉本健吉さんが憧れに憧れた岸田劉生となると、大阪市立美術館の「岸田劉生展」に行ってみようと思うのですから縁って不思議です。

ごくわずかな風にめくれて、なにかの拍子に触れて、べつのところにつながって、鈴が鳴るように露がぱらぱら散るようにこころに残していきます。   囀雀

 

* 「わずかな風にめくれて、なにかの拍子に触れて、べつのところにつながって、鈴が鳴るように露がぱらぱら散るようにこころに残してい」くのが、この人の「 詩」 のある処世。徹底して、しかも、具体的。だから経験や見聞が体験に成る。羨ましい。

2011 10・26 121

 

 

☆ 浜田、坂本、志賀直哉    雀

美術展に出かけることがとんと減りました。

京都国立近代美術館で開催された「没後100 年 青木繁」展は、一昨年の秋、奈良県立美術館「神話」展の、和田萃さんの講演を伺っていなかったら足を運ばなかったでしょう。

1944満州生まれ、田原本育ちの和田さんは青木繁の大ファンだそうで、ゆかりの地もモーラされたご様子。

開口一番「子供の頃楽しみにしていたラジオ番組がありました」と、「笛吹童子」から始まったお話は、当時の日本の考古学からみて、青木繁の調査研究能力と表現の確かさはたいへん優れていると締めくくられました。

浜田耕作は青木繁の1 才年上、そして志賀直哉は青木繁と坂本繁二郎の1 才年下なんですねェ!

樋口一葉と上村松園同様、早世した人と長寿を保った人が同じ青春時代を過ごしていたという印象はなかなか持ちにくく、ましてジャンルが違うと切り離して考えがちです。

青木繁の展示室に「若菜集」初版本が出陳されていて、1899年に上京する際、1897年刊のそれを荷に入れていたと知りました。

藤村は繁が上京する寸前に小諸に赴任していましたが、不折はまだ日本にいました。繁は不同舎に入り、翌春、美学に入ったのですね。―最初から美学ではなかったンだァ。

徴兵検査ではねられた1902年の晩秋、妙義山に写生旅行へ出かけ藤村に会っていたンですか。この年、「旧主人」が発禁処分をうけた藤村…。前年に三宅克己と交代に丸山晩霞が赴任しています。そして田中正造が天皇に直訴していよいよ鉱毒問題が沸騰したときでもありました。

常設展に、坂本繁二郎の油繪が出陳されていました。自画像が1 点、風景画、馬、静物画それぞれ5 点。最後は死去した年の「八女の月」。

志賀さんの「美術の鑑賞について」のことは存じませんで、「砥石」に、突風にあおられたような、鴨居に頭をぶつけて真っ暗な視界に火花が散ったような感じがいたしまして、立ち止まり、正面から眺めました。ナンダナンダコノシズケサハと不思議で、後ろ髪をひかれる思いで離れました。1943年製作…61才…昭和18年…そぉかぁとわかった顔もできず、わからなくもなく…と、そこに古賀春江の「埋葬」が掛かっていました。久留米市の寺の長男って、まさか繁が葬られた寺? と思いましたが違いました。

この繪も足を留めさせました。川端康成が彼と親しくしていてその死にショックを受けたときいておりまして、早世=肺結核と思っておりましたら精神疾患のようですね。同じ頃、辻潤が青山脳病院に入院したり徘徊で保護されたりしています―。

展望室で梅雨の雨がひとときあがった東山に息をつき、別の展示室に入りましたら、浅井忠絵付の茶器揃が出ておりました。

1909年の「それから」や1926~7 年の「嵐」、それと林芙美子の、なんていったかしら、小説が紹介されており、後日、「それから」「嵐」を借りて読みました。

藤村も子沢山でしたのねェ。  囀雀

 

☆ 板書に   雀

京大だけでなく京都教育大学で教鞭をとってらしたからでしょうか、和田萃さんは、ふーんという顔つきを見のがさず、すぐに板書なさいます。大きな字で、縦書きに。神話はもちろん、タテヨコナナメのお話に戸惑ったのははじめだけ。生徒時分、脱線する歴史や国語の先生の授業ほど記憶に残りましたから、時間があっという間に過ぎ、“青木繁愛”が伝わる、とても愉快なひとときを過ごしました。

配られたプリントに板書された人名やらなんやら、書き写したきりで、京都で青木繁展というので、読み返してみましたら、三宅米吉、高橋建自、浜田耕作、梅原末治、末永雅雄、森本六爾、吉井巌…。

先日、「古事記」1300年を記念して田原本町で安萬侶さんのお話をなさった際も、武田祐吉、中村啓信、西宮一民、秋山日出雄とこうですの。

松阪市にいらした折、“のりながさん”というのにびっくりなさったそうで、田原本でもオオノヤスマロでなく“安萬侶さん”はどうかとのご提案。

ところで、藤原京を発掘した日本古文化研究所を開設したのは黒板勝美で、雀は、ここから大杉栄や平泉澄につながりました。先日、白山平泉寺を歩きに行って早速役に立ったのですよ!

また、末永さんの宮滝発掘は昭和5 年で、昭和8 年に石舞台、昭和11年に鍵・唐古と続くそうですが、白洲正子さんの「かくれ里―吉野の川上―」で、先日、考古学の末永雅雄先生にお目にかかった時、( 中略) 昔、先生が宮滝を発掘しておられた頃、取材にみえた谷崎さんと出会った。( 中略) もし、あなたが行きたいなら、筋目の人たちに紹介してあげますよ、ということで、私は急に思い立ったのである。 とあります。

先月の颱風で熊野本宮は大斎原が水没、新宮ではお旅所が流され、那智は裏の大磐が崩れて景観が一変。貯水池決壊か!?というニュースを奈良県の地図を広げて地名を追い追い聞くうちに、「吉野葛」を出してきたら、つい読みふけってしまいました。そして確か鉄道が開業したのと関係があった、と、雑誌をひっぱりだし、六田の渡しと上市の渡しとがあって、上市の人が駅の誘致運動をして、現在の位置に橋を架けたのが昭和2 年。「花の吉野まで一時間半」「花の吉野へ九十分」と、2 社の私鉄が宣伝合戦をしたのが昭和5 年の夏と判りました。「吉野葛」の前年ですね。

後日、森敦さんが北山川のダム工事に従事していて尾鷲の電源開発に勤務したことを知り、ふたたび奈良県南部の地図を広げました。

東大寺の昭和大修復が完成して落慶法要が行われた朝、大仏殿を見上げていたら入江さんに肩を叩かれ、入江さんのうしろに杉本健吉さんが立っていたと敦さんが書いていたのを思いだし、図書館で「月山」を借りると芥川賞をあつめた本で、経歴がついていたことから事情がわかったのです。

関西の考古学者を調べていて、小川晴暘さんに同志社大学教授の光暘さんとおっしゃるご子息がおられたことを知りました。昭和22年に早稲田大学文学部史学科を中退され、同志社大学に入学。卒業後、東山高校や奈良高校の教諭をわずかな期間つとめられ、すぐに同志社に戻られ、69才で亡くなったとか。

ところで、歯科通いのたのしみが、もひとつできました。待合室で週刊囲碁新聞を見ることです。

碁が出てくる俳句を紹介するコラムがおもしろいのです。

先だっては碧梧桐の句で、囲碁、新蕎麦、新傾向と三題噺みたいでした。  囀雀

 

☆ 申年と猿沢池   雀

白洲正子「お能の見方」に、神社境内につくられた能舞台の写真が掲載されていました。奈良市丹生とあります。丹生の地名にひかれドライヴしたことがございます。神社境内の能舞台はいくつかいまも残っておりますし、部立は観光資源になって宣伝されています。

山添村岩屋地区を地元の方に案内していただいた折、中央で絶えてしまった物事が、こういう「へり」のところに残っているそうで、いろいろな先生方がおいでになるんですよということでした。目玉焼きのふちがフライバンのはしに焦げ残るように。

奈良市丹生の神社に立っていた説明板によると、このあたりは廃仏毀釈の嵐が烈しく吹き荒れた地域で、お寺がない、というのです。

廃仏毀釈の大国隆正、そして仏教界から島地黙雷。

1871年、大国隆正死去。

1872年、神祇省廃止。

1873年、宗門改め廃止。

1875年、大教院廃止。

富岡鉄斎が神官として大和などに赴いたのが1876年。1875年に太田垣蓮月が入寂したことが関係しているのかと思っていました。

黙雷は鉄斎の2 才年上で、1876年に西本願寺執行に就いているのですね。

1877年、西南戦争。

阿波出身の工藤利三郎という30才の男性が参じます。鉄斎のひとまわり下の、申年生まれです。戦争後、なんとか金というのをもらって東京に出て、のちに、利三郎は猿沢池の畔に写真館を開業します。45才のときです。廃仏毀釈から20年余。利三郎は寺や仏像の写真を販売します。寺にもちかけ、店としても差別化をはかって利にしたわけで、ビジネス成功譚として今でしたら本にテレビにもてはやされたのでしょうか。

家計のため新潟県の郡部で教員をしていた会津八一が、東京の淡島寒月から利三郎への“おつかい”を頼まれたのが写真集刊行の年。

夏休みを利用して初めて奈良にやってきた八一でしたが、27才の秀才は、還暦過ぎの利三郎に相手をしてもらえず、暑い奈良盆地をさすらい、そこで初めて短歌を詠んだ―とこれは雀の勝手な想像です―。

戒壇院の広目天、会津八一にも泣き泣き大和をさすらった若き日があったかもしれない。そう思うと、敬遠が剥がれていきます。

西南戦争から30年が過ぎ、還暦を迎え、利三郎は写真集の刊行を始めました。65才で明治をおくり、79才で大正をおくり、昭和4 年、明治でいったら 61 年に82才で世を去りました。写真集は昭和初年に刊行を終了していたそうです。

鉄斎は、昭和を見ずに亡くなっているのですね。勤皇の志士と同世代の鉄斎は、あのころのアイツやコイツの行く末をすべて見届け、ご維新とやらの行く末を見届けに日本各地を歩いて回った…ンじゃなかろうか。そう勝手に想像いたしまして、鉄斎の書画への印象が変わったとき、大和文華館リニューアル記念特別展「富岡鉄斎」はとっくに終わっていたのです。友人が行きたいと言ってきたとき、鉄斎ねぇとしぶった雀。へり、ふち、縁をつかみそこねました。    囀雀

 

* この雀さん、まさに囀る語り部のようであるが、おばあさんではない。わたしよりもよほど若い人である。この具体的な把握力そして調べて確かめて体験にして行く動力。いつも、びっくりさせられる。むろん誰にも彼にも面白くはあるまいが、わたしは、楽しませて貰っている。

2011 10・28 121

 

 

☆ 十月尽

晩秋というにはいささか可笑しなほどに暖か、汗ばむ陽気です。

今しがたコンビニから荷物を送りました。明日には届くそうです。本で溢れている家に本を送るのは半ば済まないような奇妙な気持ちにさえなるのですが、以前メールに書いてらした「おもしろい大作『イルスの竪琴』三部作のような。『ゲド戦記』のような。ナントカの指輪とかいうのは面白いのですか。」「マキリップの竪琴のように、埋没できる面白い他界小説」というご所望に、さてなかなか難しいなあと・・・やはり当人が実際に読んでみないと分からないですね。手元にあってわたしが読んだものもありますが、全く読んでいないものも取り混ぜて梱包しました。お手にとって読み始めて面白ければ、続き物に関しては改めて手配し送ることにします。

最近のHPを見ますと、漢詩や日本の古典への関心に傾いていることと察します。藤原高子と在原業平などあまりに取り上げられてきた話ですが、角田氏の著作ではどのように書かれているのでしょうか。

家の整理やさまざまな用事があり、家族の将来に問題もあり、それでも淡々と日々を過ごしているのは歳月のなせる業かという心境です。今週後半から再び(お姑さんの=)岡崎です。

どうぞくれぐれも大切にお過ごしください。取り急ぎ  播磨の鳶

 

* 鳶に「イルスの竪琴」三巻の英語本をもらって、奮発して読み上げたのは、なかなかの事件であった。それほどマキリップの脇明子訳を何度も何度も愛読したといううこと。訳本は脇さんに貰ったが。そのご消息を知らない。

さて、どんな本が届くのか楽しみ。

 

☆ あんき   雀

「春のうた」

桜の花の咲く頃は

うらら うららと 日はうらら

がらすの窓さえ みなうらら

学校の庭さえ みなうらら

 

河原でひばりの鳴く頃は

うらら うららと 日はうらら

乳牛舎( ちちや) の牛さえ みなうらら

鶏舎の鶏さえ みなうらら

 

畑に菜種の咲く頃は

うらら うららと 日はうらら

渚の砂さえ みなうらら

どなたの顔さえ みなうらら

 

春天ならば黒塚古墳から鍵・唐古、また箸墓古墳から布留といった道筋を、野口雨情のこの詩をうたいながら歩き回り、そぼふる雨には小泉の石州館から斑鳩へ「どうせ急ぐ旅でなし」とつぶやきつぶやき、遥かを眺め、頭上を仰ぎ、よろけつまづき立ち止まり。

黄色の浅春、練色の仲春、藤紫の暮の春。

なのはな、れんげ、ゆきやなぎ、さくら、れんぎょう、もも、萌え木。

ぷらっとsilly なレイル& ウォーク。

濡れた桜の花も散る。そんな煙雨につい誘われて大和へ向かう電車に乗って、赤目、室生区、榛原区(5年前に宇陀市になりました) 。けぶる山谷、うつろう景色。

「本日はァ、長谷寺に臨時停車いたしますゥ」。

ぼたんまつりです。

時期の長谷寺は敬遠しておりましたから、時刻は早い、夜から雨、これなら門前を歩くのも悪くないナとホームに降りたちました。

土人形を見に来たあといつ来たンだっけ…しばらくぶりの初瀬門前。

與喜天神が縁むすびの神社で境内のイワクラはパワースポットと宣伝していたのに、まずびっくり。

昨今流行の手がふたつ。

縁むすびは境内に散らばるイワクラにイザナギとイザナミとたとえられる

岩があることと“玉鬘”からきたもので、百人一首風の柄の御守が売られ、石段の参道もコンクリを流して歩きやすくしてありました。

お参りをしてまたびっくり。

裏参道を女性が歩けるように整備して、竹や樹木をすいて明るい道に変え、矢印や説明板が増えていたのです。

連歌とイワクラ、原始林と憤怒の天神像で知っていた天神社の変貌ぶりに驚いたのと、牡丹がまだぜんぜん早いとわかったことで長谷寺には寄らず、道すがら、ふかしあげた赤飯をパック詰めしている和菓子屋があったことを思い出して、来た道を戻りましたら、お赤飯は予約で、赤飯饅頭ならありますというのでがっかり。向かいの喫茶で一息入れて駅へ戻ることにしました。

“お庭を見ながら”がキャッチフレーズ。土蔵は版画美術館になっていますと小さな看板がかかっています。

谷中安規が長谷寺門前の生まれというので、装幀を手がけた本がならべられ、壁には版画がかけられていました。版画にまるでうとい雀は、後日、京の近代美術館「青木繁展」を見に行った折、売店に彼の絵ハガキが幾種類もあったのを見て、有名な人なンだーというていたらく。

豊山中学校ってブザン中学校でしたのね。

この3 か月後、奈良国博で「與喜天満神社の秘宝と神像展」が始まり、雀は3 日目に見てまいりました。

この夏の奈良博は大阪の藤田美術館からお宝を借りての特別展「天竺へ」とこの2 本立て。

猛暑の谷間しかも翌日は颱風襲来いう予報を聞いた夜、奈良行きを決めました。

入江泰吉記念写真美術館( 長いので、入江記念館と勝手に略します) 開館と同時に入り、喫茶のケーキセットでブドウ糖を補給して、「大和の暮らし―昭和 20 ~30年代」「京の庭」の2 本立てを見てから、近くの蕎麦屋で昼食を摂り、国博の「與喜天満神社の秘宝と神像展」「天竺へ」さらには常設の仏像を見る強攻策をとりました。夏バテになる前に済ませる! 道をはさんで飛鳥園や下々味亭などいい休憩場所があるのに、一時外出するとなるとメンドクサイのですよね。かといって館内の休憩箇所はぴりっとしたところがない。

へなへなになって博物館を出ると本降りの雨です。

半身を濡らしながら、ならまちまで歩き、気に入りの< 樫舎> で上生菓子をお薄でいただいて、ほっと息をつきました。 囀雀

 

☆ 夏の奈良 夏の京   雀

「京の夏の旅―庭園とお屋敷特別公開―」の6 ヵ所のなかに、並河宅があったことで、残暑を堪えに堪え、 9月も尽きようかという雨上がりの日曜日、いつもの名張発7:27→京都着8:47の特急に乗りました。

「バイオニック・ジェミー」の吹替以来大ファンである田島令子さんから、あの美声で「だんなさまは―」と並河靖之を紹介された「美の巨人たち」を見てしまっては…。

今回はウ゛ォーリズ設計という駒井卓住居も含まれていましたし、南禅寺大寧軒の庭園も時間が許せば見てみたいと思っていたところへ、たまらない写真を目にしました。高さ30㎝くらいの如意輪観音の石仏です。寺の名は宗蓮寺。10時~4 時、拝観料志納とあったので、駅につくなりタクシー乗り場に一直線。

寺の名を聞いた年配の運転手さん。

「秋明菊の寺ですね」。

??

かつてカメラ雑誌で有名だった、自分もカメラと三脚積んで行ったからわかりますと嬉しいお返事。すぐさま嵯峨野へ向かい、嵐山高雄パークウェイに乗りました。

毎日放送「美の京都遺産」で月輪寺と空也滝。NHK 大阪の旅番組で宕陰の集落が紹介されていたので、水尾の里から宕陰を走り、地の産物を揚げた天ぶらで手打ち蕎麦をとも考えたのですが、並河邸と駒井邸が期間限定時間限定なので気が急いて…。京都駅に着くと、なぜか欲張りになります。

三尾を過ぎトンネルに入るところで旧道をとり、バス通りから外れて北山杉のさとからさらに斜面を昇ってゆくたいへんな道で、知ったタクシーだったことに感謝しました。

門からの石段が傷んでセメントで固めちゃったもんだからカメラマンが来なくなって静けさを取り戻した…というていの、なんとも雀好みの寺で、嬉しくって境内を歩き回りました。ところが人の姿がなく本堂も閉まっています。失礼ながら、と、本堂の裏に歩いて行ったところ、正装のご住職がカメラを手にしたご夫婦にこれから法事があると話してらっしゃって、そこに、あの、石仏…!

どちらから? とご住職。

伊賀からです。タクシーは京都駅から、と話すと、「特別公開じゃ」とありがたいひとこと。

お寺を辞し、杉坂口まで出て、小野郷も寄りたいところではありましたが、鷹峯、西陣へと降り、お天気がよかったので正傳禅寺へ立ち寄ることにいたしました。いつもは雨の日を選んで京遊山しておりますから、ひさびさに借景を堪能です。釘抜き地蔵の石仏を見て、車窓から般舟院、白峰神社、冷泉家。運転手さんの解説もついて賀茂大橋を渡りました。常林寺がたしか萩の季節で境内公開中だったかと思いますが、通過して、駒井宅でそのまま待っていていただき、岡崎で下ろしてもらいました。

喫茶店で昼食をとり、星野画廊を見てから並河宅の見学に向かいます。

ボランティアガイドさんからたっぶりお話をうかがってのんびりお庭にいたにもかかわらず、外に出てみると南禅寺に十分間に合う時刻でした。

ですが、もうじゅうぶん。

白川べりをくだって、光秀首塚、辰巳大明神、なすあり地蔵尊と寄り、縄手通、花見小路。宮川筋をちょっと通り、松原通を歩いて「夕顔」、「金輪」、俊成邸跡、小督の琴、因幡の観音さん―おかげさまで主人を案内して歩けました―不明門通から地下鉄五条駅。京都駅には5 時ちょっと前に着きました。   囀雀

 

☆ 吉野文学   雀

吉野水分(みくまり)神社への上り坂に「一日文学館」というちいさなギャラリーがございます。

“いちじつ”とふりがながついているそれを、昨年のお花見バスツアーでみつけ、今年も同じツアーに参加して再訪してまいりました。

満員の電車もロープウェーも途中の渋滞もなしに、下千本に一直線。「花の吉野フリータイム4 時間」が売り物のバスツアーです。

人混みを抜け、景色を眺めて立ち止まり、水分神社の鳥居がすぐそこというところで、目に留まった「文学」の文字。

ご夫婦のコレクションのなかから明治・大正期の美しい装幀本を中心に展示された由。

前年は和綴じの本だったそうですから、ラッキーでした。

今春うかがうと奥さまが「あらァ去年とほとんど変わってなくて。申し訳ないこと!」と恐縮なさいます。

雀は一年の間で得た知識が嬉しくて子供のようにお話をして、それからこれとひろがってつながって、かけ足でバスに戻るはめにおちいりました。

知らないことを知る楽しみ。しかも吉野の花陰で。

来年もまた行こうかなぁ。  囀雀

 

* どこもかしこも楽しませてもらいましたよ。

2011 10・31 121

 

 

* 美しい保谷野の秋色を写真で入れたが、何故だか転送できなくて。どうしてよいのか分からない。わたし独りで楽しんでいる。

 

* ご夫妻 「脩士(しゅうじ)」君 誕生 おめでとう。

写真可愛いねえ、可愛いねえ。おめでとう!

奥さん ようがんばりましたね、おめでとう。

 

十月や 子生まれ親も生まれける  湖

 

良夜かな赤子の寝息( )の如く  富安風生

 

いつかいつかと、一日一日夫婦して気をもんでいました。よかった。

みなさんのお慶び、わたくしどもも。益々の ご平安祈ります。

 

いま、妻がささやかなお祝いの荷造りを用意しています。 秦恒平

 

 

☆ 七五三

週末,七五三のお参りに行ってきました.数え年ではなく満年齢で行く人も多いとのことでしたが,息子は早めに用意してあった袴のセットにあった草履がかかとをはみ出すほど.袴も今がちょうどの丈だったので今年でよかったかと.ダンナもこちらに来て親子そろってお参りに行きました.息子は着物,袴姿.なかなかよく似合っていました.

照れ隠しのためにかなりおどけてふざけていましたが.

近所の神社でお参り.息子はきょろきょろしながら玉ぐしも何とかOK. 碁盤の儀が用意されており,碁盤から大きくジャンプもさせてもらいました.

少々時期が早かったことと,一家族ずつ参拝していただけるところだったこともあり,ゆったりとできました.

神様が見てるよ,ちゃんとお名前も聞こえていたみたいだしね.というと背筋がピンと伸びていました.

息子は長ーい飴(ちとせあめ)をもらい,着ぐるみのクマと握手,ハイタッチ,抱っこしてもらってご機嫌.

着ぐるみはとにかくだめで,街中やお店の中でのキャンペーンなどで近寄ってくる着ぐるみに絶叫して逃げ回っていた息子も、”もう大丈夫だよ”とふつうに戯れていました.成長がはっきりとわかりました.

写真も撮りに行きました.出来上がりが楽しみです.  悠

 

 

* 親がいて子供ができるのではない。子が産まれて親が出来る。 2011 11・1 122

 

 

* 二十冊ほども、大小、摩訶不思議そうな本が播磨の鳶から送られてきた。みなそれぞれに、どうか面白く楽しめますように。

 

* トールキンの『指輪物語』第一部上巻が入っていた。楽しみ。

* 北の酒、純米大吟醸の「佞武多」と「じよつぱり」二升、札幌の友より贈られてきた。ありがとう。楽しみ。寸暇も無げな人がよく気を付けて下さる。御礼申し上げる。

2011 11・1 122

 

 

☆ 井上靖の本 戴きました。

秦先生へ

11月になりましたが、今日は暖かい一日でした。

昨日富士山は薄化粧をしていましたが、今日はすっかり普通の姿でした。

本を三冊贈って頂きまして、ありがとうございました。読んだことの無い小説ばかりですので、興味があります。

また感想を書きます。

今年は寒暖の差が大きいようですね。風邪などひかれぬよう気をつけて下さい。

変わらずお元気でいらっしゃることを祈っております。  時

* 時君 山みやげのストローベリージャムなど、美味しく戴いていますよ。

2011 11・1 122

 

 

☆ hatak さん 酒少々

先週より出張に出ており、つくばでワークショップ3日間、東京で打合せ1日、青森で学会2日間を終え、今日東京に戻りました。青森からお送りしたお酒が、お知らせする前にもう届いてしまい、順序が逆になってしまいました。ご体調をみながら少しずつお召し上がり下さい。

明日は母校で講義、明後日東大で学会、明明後日日大で講義をして、札幌に戻る日にようやく父の墓参りをします。

東京は暖かいですね。でも、くれぐれもご自愛下さい。   maokat

 

* 以前に呈した秋石描く侘びに侘びた「虫」の長軸が、北の国でも生きる頃おい…などと想っていた。そこへずしりと美酒が届いて嬉しかった。この贈り主は、しかし、お酒を上がらない。「酒のまぬ紅葉の客や さむさうに」という仕儀になる。忙しく動いているお人ゆえ寒くはあるまいが、出逢うに出逢えないのが残念です。学会や大学での講義なら、お仲間もいろいろ有るのかも。怪我なく東都の秋を楽しまれるように。

 

☆ 秦先生 ありがとうございます。

昨日、ご返信いただいていたにも関わらず、お返事ができず、大変失礼いたしました。

出産予定日まで、全く生まれる気配はなく、少し遅れるかなと思っていたところ、予定日の夜に産気づき、翌日の未明には生まれる、という安産でした。

とは言え、妻は本当によく頑張ってくれたなあと心から感謝致しました。

「”親がいて子が生まれるのではなく、子が生まれて親も生まれる”と秦先生が詠んでくださった」と妻にも伝えさせていただきました。

私も妻も、この句に気づかされるところが大きかったです。

 

良夜かな赤子の寝息( )の如く  富安風生

 

この一文字は悩みに悩みました。新米の親にとっては、微かに聞こえる赤子の寝息が「生きている証」のようにも聞こえます。「風に揺られる葉っぱの音」のようなイメージかなあ…などと思い「葉」かなあとも思ったのですが、どうも前後のイメージがマッチしません。

ギブアップ気味に調べてみると、「麩」とのこと。 (「 湖(うみ)の本エッセイ」29 を参照)

「麩」ならば、生活の様子まで垣間見えてくるように感じました。「深いなあ、私には思いつかないなあ」と思いました。

「良夜かな赤子の寝息麩の如く」

昨晩、妻の実家で聞いた、脩士の寝息を思い出しながらいま改めてこの句を見ると、「なるほどなあ」という気持ちにもなります。

秦先生、奥様に心から感謝申し上げます。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

また、お逢いしたいです。  慎

 

☆ 霜月二日    播磨の鳶

老弱法師のように杖をつく姿・・( あまり目に浮かびません。勝手にそう思いたくないのかな。) 杖をついて東京の街を歩くのは、乗換えなど場所によってはかなり長い距離を歩かなければなりませんが、それなりに気分転換にも大いにプラスです。人がどう思おうが気になさらず、気概に満ちて歩いてくださいと、遠くから鳶は祈ります。

何より鴉は安閑とは生きていないからです、闘っているからです。弱法師ではありません。勿論、安閑自在に生きることも弱法師もわたしは否定できません。人の姿のありのままを人と、互いに見つめたいと思います。

摩訶不思議そうな本、折りにふれて唯楽しんで読めますように。トールキンの指輪物語は映画化され、そのほとんどを観ました。戦争の場面がけっこう多くて、戦いの場面ではハリーポッターの画面の方が好きでした。年齢らしからぬ映画鑑賞かもしれませんが、この類の映画をけっこう見に行くのですよ。『ハリーポッター』のご所望はなかったので送りませんでしたが、いかがですか?

まだ暖かな日がいくらか続きそうです。外歩き楽しんで元気に元気にお過ごしください。

 

* ありがとう。ま、この鴉、あまりもう闘ってなどいませんが。「柿の木に柿の実が生りそれでよし」という少し以前の自句に身を添わせたいと願っています。

2011 11・2 122

 

 

☆ 天神さんと鬼   雀

老の手に酒わなわなと宵祭  ( 草間時彦)

伊賀上野では毎年10月12日に芭蕉祭が開催され、彼が『貝おほひ』を奉納した上野の天満宮の祭礼が10月23~25日なので、あわせて大きく宣伝されます。今年は藤堂高虎築城400 年ということで、いつにも増してイベントや宣伝に力をいれているらしく、6 月26日に、「怨霊の鎮魂」と題された文化フォーラムがございました。

菅原道真は祟りをなした怨霊でありながら、なぜ神としてまつられ、学問や書の神様とされたのか。

上野の天神祭で、山車とともに有名な鬼行列。節分のときは、鬼は外と追われながら、この行列では、なぜ、人々に幸いをもたらされるものとされているのか。

三重大学の山田雄司教授の司会で地元の研究家のお話をうかがい、皇学館大学の白山芳太郎教授の講演を聴いたあと、山田教授と白山教授のトークという2 時間ほどのイベントは、真夏のような暑さのなか開始されました。

集まった聴衆に白山教授は、節電の今年は霊魂や怨霊の話をしてほしいとあちこちからお呼びがかかりましてネ、歴史を知るとお墓や供養をいう悪徳商法にひっかからないからいいんですよと笑わせ、早良親王を例にとり、霊に謝す、「謝」の大切さを語られました。

恨みを抱いている霊によりそい、ともに悲しみ、はりつめた心を霊が自らゆるめ、せいせいと、はればれとした気持ちになって祟ることをやめる… 能の旅の僧がしていることですよね。

このちょうど3 カ月後、奈良で世界宗教者平和会議40周年大会が開かれ、奈良県新公会堂の能楽ホールが会場に使われたそうですの。

旅する宗教者がなにかを感じ、そこにとどまる。すると能の主人公がやってくる。ゆっくりと、すり足で。彼また彼女は宗教者に自分の過去を語り、受け入れられることで、ノッて、ついには舞いはじめる。そうこうするうち彼また彼女はスッキリして帰ってゆく。いや、帰るのではないのですね。未来へ、と、こそばゆいけれど、まぁそんな空間。先へ、行くんですよ、ね。   囀雀

 

* もし、日本列島の各地から此の雀さんのような囀りが聞こえてきたら、けっこうな「風土記もどき」に成るかもと。

2011 11・3 122

 

 

* 「鳶」さんの送ってくれたたくさんな本は、わたしの望みでもあったが、皆、幻想的なフィクション。いわゆる、ファンタジイ。中でも、念頭にあったためか、浩瀚な三部作で知られている『指輪物語』第一部上巻に、もうずぶと入り込んでいる。久しく繰り返し熱愛してきた『ゲド戦記』や『イルスの竪琴』の先駆作のように想像される導入のようで、懐かしみを感じる。大冊なので。外出時にも持ち歩ける文庫本でも気に入りを見つけておきたい。

『ライラの冒険』など、文庫本が六、七冊も送ってもらった荷に入っていた。ライラの『黄金の羅針盤』から読み出すだろう。

ル・グゥインの『ゲド戦記』には、明らかにバグワンの講話と通底する深い宗教性があってわたしを揺るぎなく引き付けるし、マキリップの長篇にも独特の世界観とともにそれがあり、ともに「他界」の魅惑に溢れている。『指輪物語』からもそうした深さや懐かしさが汲み取れるのを期待する。

最近ではよく『ハリーポッター』というのを耳にしていたが、知らない。原作も読まずに映画を観るのは遠慮した。だれだかの解説の中に、「ハリーポッター」と『ゲド戦記』とは両極の位置関係、としてあった。両極の意味は不明だが、あれほど『ゲド戦記』に心酔してきたのだから、「ハリーポッター」は喰わず嫌いに終わるのかも知れない。わたしが「他界」度の豊かな幻想的なフイクションに求めるのは、不壊の値で惹きつける、宗教性の豊かな「死生観」。

当分の間、「鳶」さんからの本を堪能するほど楽しませてもらう。むろん、毎日の読書のその上に、である。

源氏物語は、長篇「若菜」巻の下を。栄花物語は「御堂」道長の栄華の極みを。チェーホフは、チェホーシャからチェーホフへ飛躍してゆく時期の諸短篇を。ジャン・クリストフは、妻と離別してきたオリヴィエの再生がいましも語られている。瀟洒な、苦みにも富んだフランス現代文学、パトリック、モディアノ作の『ある青春』も軽妙に佳境を辿っている。

他方、北朝の意地に生き抜いた名子日野氏の『竹むきが記』を論じる歌人井上美地さんの追究も深まり、角田文衛博士の平安女性像彫琢も、当然のこと、たっぷり読み応えがする。さらに加えて、東大上野千鶴子教授に「挑む」門弟方の社会学も、我ながら地道に飽かず読み進めている。

高麗屋の手記はおもしろく興深く読了し、大西巨人さんの詞華集は「二度め読み」を楽しんでいる。

そしてバグワン。機械の前へ来れば、陶淵明や白楽天や『古文真寶』『老子講話』が疲れを癒やしてくれる。気の乗った読書とは、えもいわれぬ「美味」そのものである。幸い手近に美酒もある。

2011 11・3 122

 

 

* 送ってもらった本は、ほんとに沢山あり、残りも点検してみると、どれも面白そうで、しかも此の世ならぬ不思議の雰囲気に満ちあふれている。表紙カバー繪など刺激が強すぎるので、とり外して、心温和しく馴染みたい。わたしは、ル・グゥイン作こそかなりの数読みあさってきたけれど、必ずしもこの傾向の他の書き手のファンタジイには出会っていないし、特に探し求めたこともないが、さすが「鳶」さんの渉猟は広く深そうで感心している。数冊も併行して読みたいほどだが、さしあたりトールキンの『指輪物語』と、「ライラの冒険」とに絞って、もう引き込まれている。

2011 11・4 122

 

 

☆ 暑いので、今日も半そでです。  花

お元気ですか、風。

アルバイトしています。バイトの手を広げている、というより、臨時のヘルプです。困ったときはお互い様、といった感じです。

花は怠惰なので、予定が何もないとダラけてしまいがちですが、仕事があると、それ以外の自由時間を有効に使おうと集注します。

本末の「本」の重心が移行しないていどにアルバイトのある方が、時間を活かせると自分では思っています。

生活にうんと恵まれているわけでもないですし。

どう頑張っても、今後社会経済がよくなっていくとは考えにくく、漠然とした不安を抱きながら、かつがつやっていくしかない、と思っています。

『指輪物語』ですって。

映画の一作目を観たことがありますよ。

ではでは。

 

* 富士山の麓はそんなに陽気がいいのだろうか。暑いなんて。わたしのからだは、この十日ほど、むしろ冷えている。

2011 11・7 122

 

 

* トールキン作『指輪物語』第一部「旅の仲間」前半を読み終えた。序章のように、前に出ていた「ホビット紹介」も読んだ。

大変な大冊であるが、ものともせず、まさに旅、それも言語道断な危険から逃走の「旅」の描写を書き尽くし

て、しかも渋滞なく読ませてしまう。筆致は叮嚀で風格に富み、雅趣にさえ富んでいる。表現は具体的で観念や説明に堕していないのが佳い。しかしまた此処までではまだ事変は危険に満ちてかつ序の口であり、この今後を読まないというワケに行かない。播磨の「鳶」さんの手元につづきが在るなら拝借してでも読みたく、無いなら何処かで借りてでも買ってでも手に入れたい。ファンタジイがただのおはなしならこのまま抛ってもいいが、そうは思われない強い誘いを覚える。「鳶」さんに、申し訳ないが問い合わせている。

2011 11・10 122

 

 

☆ 本のこと   鳶

久しぶりにHPを読み、鴉が本を楽しんでいてくださる様子が分かりホットとしました。

『指輪物語』本日午前に郵便局より送りました。電車の中や寝転んで読むには文庫本のほうが手軽かと思い、文庫本にしました。ハードカバーの方は全巻は持っていませんので・・。明日あたりお手元に届くでしょう。買取り云々など考えず、ひたすら読書を楽しんでいただければ、それで十分です。

漢詩もじわじわと身に沁みてきます。

不喜亦不懼 應盡便須盡 無復獨多慮

まだその境地に達することはできませんが。

少し肌寒くなってきました。これから紅葉狩りの季節になりますが、中国四国など西に、そして冬になる前に山陰にも行きたいと思っています。来春移転したら遠くなりますから。兵庫県内もまだまだ訪れていないところがありますから意識して出かけたいです。・・と思うけれど、さてどこまで行けるやら。

どうぞお体大事に大事に、元気に元気に過ごしてください。

 

* 感謝。

 

* 千葉のお人へ

去年の今頃 百花園にご一緒したのではなかったでしょうか、思い出しています。ご機嫌いかがですか、お変わり有りませんか。

私は今年の四冊目をさきほど印刷所へ責了、二十五日の発送開始へ向け、発送用意に取り組みます。九月をまるまる寝て過ごした感じで、いまも、格好の上では寝て本を読んだり起きて機械の前へ来たりという按配で居ます。とくにどこが工合わるいというのでもなく、ま、相応に懶けて過ごしているのでしょう。好きな能会も、どうしても起きあがれず、二つ、欠席して寝て過ごしたりしました。

お顔を見たいと想いますが、秋冷えの街へ引っ張り出すのは、遠慮です。勝田さんは勝田さんならではの器用なお楽しみでお家で楽に過ごしておられることと想像しています。いっそ、私の方から、お近くまで出向いて会うのがいいかなあと想うときも有ります。

お大事にお大事にお過ごし下さい。  湖

 

☆ 感旧詩巻      旧詩巻に感ず     白楽天

夜深吟罷一長吁   夜深けて吟罷み 一長吁、

老涙燈前湿白鬚   老涙燈前に白鬚を湿ほす。

二十年前旧詩巻   二十年前の旧詩巻、

十人酬和九人無   十人の酬和九人は無し。

 

☆ うれしい、懐かしいメール、ありがとうございます。

秋冷えだろうが冬寒だろうが、ご遠慮ご無用です。

やはり東京がいいです。百花園程度は動けます(たぶん)。

よろしくお願いします。

「今年の四冊目」楽しみにしております。「廬山」「猿の遠景」…を拝見してから随分時が経ちました。

相変らずのそのそやっております。(以下省略)

陽気の変わり目です。くれぐれもお大切にしてください。

落ち葉降り止まず急ぐな急ぐなよ ?(楸邨?)   e -OLD千葉 拝

 

* うてば韻くなあ。お元気がなにより。

2011 11・10 122

 

 

* 雨を聴くのは嬉しいほどだが、冷え冷えとした雨のなかへ出掛けて行くのは、すこし、つらい。

冬を想うなど、まだ早すぎるが。四季の日本列島に、秋と春がすこしずつ短くなっているのか。

 

*  風邪けか。機械の前が冷える。何をしていても身に沁みない。かすかにヘンなにおいがする。

 

* 三鷹市の藝術センターまで、招待された声楽の会へ出掛けてきた。雨に負け、往きも帰りもタクシーになった。腰も痛くて。韓国から招かれた二人の男性、一人の女性の声楽。けっこうでした。

主催は、ピアノ伴奏の浅井奈穂子さん、湖の本の長老格読者の、お嬢さん。若くない。世界的な演奏家でありモスクワ音楽大学の博士号取得者です。

 

* 播磨から送ってもらった文庫本『指輪物語』は何冊あるものか、生憎わたしたちの留守に届いたらしく、残念。

2011 11・11 122

 

 

* 無事に『指輪物語』文庫本九冊 今日頂戴。感謝。  鴉

昨日の夕過ぎに届いていたのですが、雨の中、留守にしていました。

おかげで、引き続いて読めます。訳もよく、楽しめます。ファンタジイに没頭していると、ますます世離れて行きそうですが、わるくは思いません。

ぜんたいに、いま、心身活気が無く、本にも誘惑され、ともすると横になって読んでいます。睡魔も容赦なく襲います。

 

萬里路長在 六年今始帰 所経多旧館 大半主人非    白居易

 

当時歌舞地 不説艸離離 今日歌舞盡 満園秋露垂    無名氏

 

ついこういう詩に目が留まります。秋心ですかね。

バグワンは言ってくれます。じっと聴いています。

 

おまえは内なるものへと足を踏み入れなくてはいけない

現実リアリティはそこにある

おまえはもっともっと深く

おまえの実存の深みへ降りて行かなくてはならない

 

それが何であれ自分がいまいる場所を

いまの自分を

そして自分に起こっていることのすべてを受け容れてごらん

それではじめて

おまえは「ゆったりと自然に」なれる

さもなければそれは空念仏にしかすぎない

 

無理をしたり

自分の実存の中に緊張をつくろうとしたりしないこと

リラックスだ

ゆったりと自然にしていれば

間もなくおまえは

存在とのオーガズミックな絶頂( マハムドラー) に至るだろう

それはおまえに起こるのだ

達成できるものじゃない

それに手を伸ばすことはできない

それのほうがおまえのところへやって来るのだ

おまえはただ受け身で

ゆったりと自然にして

そして、しかるべきときを待つことができるだけだ

何ごとにもその時機というものがある

それはその時機に起こる

なんで急ぐ?

 

それはおまえに用意のできたとき不意にやってくる

足音さえ聞こえない

突然来る

おまえにはそれが来ていることさえもわからない

それが花開くと

突然、おまえはその開花を見

芳香に満たされる

2011 11・12 122

 

 

☆ 故郷  maokat

来週からの会議対策で、週末も研究室におります。

その後体調はいかがでしょうか?

「わたしの故郷とはどこだろう」として、京、丹波、新宿、保谷の四所をあげておられるのを読んで、びっくりしました。故郷は一個所じゃなくていいんですね。

そうなりますと私の場合はどこだろう、と考えました。生まれた長野、育った神奈川、赴任した帯広、転勤した茨城と沖縄、現在の札幌。十年以上住んだところは、長野、神奈川、沖縄、札幌ですが、故郷といえるのは、生まれた長野、育った神奈川、研究者として恩恵を受けた沖縄、ということになります。好き嫌いでソート(並べ替え)すると、沖縄、神奈川、長野ですね。移った先の方が気に入っているのですから、幸せなのかもしれません。

 

* 人は、何度でも生まれ変わっています。 hatak

2011 11・13 122

 

 

☆ 盃   珊

掌説『盃』楽しませていただきました。

晩秋、落葉を眺めながらの一献。そんな情景を浮かべながら。

美酒の薫りまで伝わってきそうです。さっと読んで、なんとも笑みのこぼれる作品です。

雑事に追われ、綱渡り的なこの頃、この掌編でちょっと、一呼吸。

体調も戻られたのでは、と、期待を抱いております。御身、大切に大切になさって下さい。

2011 11・16 122

 

 

* 裏千家十三世圓能齋の書になる細長軸「紅葉舞秋風」を、叔母の社中で、わたしも六十年來つきあってきた方に、今日謹呈した。

十四世淡々齋家元の箱書がある。古門前の林樂庵に宛て「又拙庵」が贈りものにした熨斗書きもついていて、由緒伝来の明瞭な品である。

叔母宗陽が終焉まで永く永く社中として出精し、叔母亡きあともわたしの「湖の本」を欠かさず購読しつづけてくれた、いわばわたしにとっても、少なくも五、六歳姉弟子に当たる有り難い人。何十年も顔を合わしていない人。

2011 11・17 122

 

 

* 贈った「紅葉舞秋風」圓能齋筆・淡々齋箱書の細長軸、さしあげた中村宗冨さんの、まさしく傘寿のお祝いに当たっていたと、喜びのお手紙を戴いた。叔母の稽古場で、多年に亘り何度も目にされていた一軸で、きっと記憶されていたろう、それはそれは喜んで下さって、わたしも嬉しい。叔母のお弟子たちも、あの人もこの人もと、思い出せば大方がもう亡くなられている。

八十の御慶ともあわせ喜んで貰えて、ほんとうによかった。

来年は辰歳。龍の繪を白く胴に描いた樂何代か、たしか惺入造の赤茶碗が、わが家のどこかに蔵われてあると想う、久々に見たいと思うが、さ、どこに在るだろう。叔母に借りてこの茶碗をつかい、誕生祝いにささやかに自宅で茶会をした人を思い出す。辰年生まれの龍ちゃん、愛らしいお嬢さんだったが、もう一、二年もすれば古稀を迎える京の人だ。同じ茶碗で古稀の茶をたててくれないかなあ。

2011 11・22 122

 

 

☆ こんにちは。

新しい湖のご本「光塵」届きました。

いつもありがとうございます。

ご体調のお悪い時も弛み無く頑張っておられるお姿に心配していましたが、素晴らしいご本が完成、手元に頂きましたこと、とても嬉しく思っています。

楽しみに読ませていただきます。

こちらは、猛暑も収まってやれやれの10月初日に、10歳の孫娘が虫垂炎から腹膜炎の手術で1ヶ月入院していました。

毎日毎日付き添いに病院通いで、キンモクセイの花盛りでしたが、香りを愛でるゆとりもなかったです。

おかげさまでやっと通学できるようになり、ほっとしているところです。

今年は東京へも行けずじまいになりそうです。

京都の紅葉も今年は天候不順のせいか遅れているようです。

製本や発送のお疲れなどでませんよう。

どうぞどうぞお大切にお過ごしくださいますようお願いいたします。     母方従妹

2011 11・27 122

 

 

☆ ご無沙汰しております。  作家

気がつけば今年も余すところひと月となりました。

わたしは三月の大震災以降、まったく書けず、そのため全く本が出なくて、難儀しております。

さて。

この度は、

「湖の本109 光塵・詩歌断想(一)」をお送り下さいまして有難うございます。

震災以降、静かに本を読む機会もなく、ただぼんやり暮らすことが多くなっておりましただけに、非常に嬉しく思います。

心して読ませて頂きます。

天候は不順で、世間には暗い雲が湧きたちつつありますが、どうぞお身体にお気をつけになられまして、いつまでも我々後輩の行くべき道を照らしてくれる光であって頂きたく思います。

今後とも宜しくお願いします。拝

2011 11・28 122

 

 

☆ 「光塵」感謝    晴

湖の本109届きました。

『光塵』発刊おめでとうございます。ご健康が勝れない日が続いておられましたのに、ご立派な著作になり、読ませていただけ嬉しいです。

和歌に詩にと読み進んでまいりますと、不思議に気持ちが落ち着いて静かな気分になってきます。URLに掲載されている「保谷野秋色」の写真のようです。

凛とした中にも華やいだ紅葉の彩り。重ねて味わいながら読み進んでいます。

時代を共に過ごせていることへの喜びを感じながら、哀しみも思います。

小学館に掲載されていた「秀忠の時代」をURLで紹介してくださいましたので、縦書きに変換してプリントアウトして読ませていただきました。ありがとうございました。

「江」の家康、秀忠の描き方にも納得いくものがありました。

もう師走になります。どうぞお身体を休め休みしながらお過ごしくださいますように。

そして良いお誕生日をお迎えくださいますように。

 

* 哀しみを新たにさせたのは孫やす香を悼む歌の幾つかであったろうと思う。

2011 11・28 122

 

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

 

湖の本新刊『光塵』頂戴いたしました。ありがとうございます。

詩歌集のほうを拝見しました。

婚約、結婚、お二人のお子の誕生、やす香さんへの挽歌と続くさまざまなお歌の並べ方をみて、みづうみのもう一つの私小説のような作品、とも思っています。

この一冊を編まれた文学者みづうみでなく、人間みづうみの真意、見える日が来るのでしょうか。

小春日や信号無視の鳩歩く 小口幸子   小春

 

☆ 『光塵』

届きました。ありがとうございます。ゆっくり楽しませていただきます。

今の私にとって、まさに「塵裡に閑を偸む」時間になることでしょう。    珊

2011 11・29 122

 

 

☆ 貴著拝受   辰

 

日々お健やかにご活躍のご様子何よりです。近著をお送り頂きまして有難うございました。左眼網膜剥離の術後以来読書の愉しみに替えて相変わらず音楽三昧に耽っております。

先月、小学校の有志会で田中勉君の訃報を聞きました。年末が近付くにつれ喪中葉書を今年もまた何枚も受取ると思うと心さみしくなります。

と同時に愉しみは減ったものの今の処は生活習慣病とは無縁で、休肝日なく心ゆくまで晩酌ができる身をよろこんでおります。

喜寿を迎える来年は中学の同窓会もあるようですから、元気に再会ができる日を楽しみにしております。

どうか充分ご自愛のうえ益々のご活躍をお祈りしております。

2011 11・30 122

 

 

☆ 光塵   花

富士山が雲の傘をかぶっています。明日は予報どおり雨なのでしょう。

師走になるというのに、ぽかぽか陽気です。この調子では、またうちの紅葉はきれいに色づかないでしょう。ではでは。

 

* 前回配本から五ヶ月余も間をあけたので、「とても待ち遠しかったです やはり体調をくずしていらしたのですね 群馬も日増しに寒くなって参りました 車の免許の書き替えが来年四月で 高齢者講習の通知が来まして ショックです」と、お便り。お大切に。

 

☆ 心珠自現  秀

からだの中から珠が現れるというより 心の珠の中にからだも含まれているのですね。

 

* 配本時の挨拶にこの四字を用いていた。

 

☆ 拝復   大学教授

ご著書拝受いたしました。

いつも「 湖(うみ)の本」 を拝読しておりますと、同時代のなかで先生が辛口に批評されているコトゴトが心にストーンと落ちてきます。 大阪の橋下旋風 どのようにお感じですか。向寒の折 ご自愛下さい。

 

* 人事は雲の往来に同じ、太虚は清明無窮の天。 湖

2011 11・30 122

 

 

* 井筒夫妻と生まれたて脩士クンの写真が、英勲の名酒「井筒屋伊兵衛」とともに送られてきた。こころより祝福、乾杯!

 

* 橋田先生ご夫妻のご遺族より、お歳暮頂戴した。恐縮です。

 

☆ 『光塵』拝受    靖

秦 恒平様  なんと多くの述懐を漏らされたものか。

新世紀 2001年元旦に

「大いなるものしづしづと揺れうごきはたと静まりなにごとも無し」と詠まれた21世紀は、此処に来て欧州危機を孕んでまさに天下大動乱の兆し。

如何に観じられましょうや。December 1, 2011

 

* 人事は雲の往来に同じ、太虚は涯なき清明の青天、と。

 

☆ 「 湖(うみ)の本」109光塵    県立文学館

ご恵贈心より御礼申し上げます。ジャンルを超えられた述懐の御作を味わいつつ また時代や場所を越えた作品への目配りに敬服しつつ 多くのことを学んでおります。今後ともご指導くださいますようお願い申し上げます。

 

☆ 永年「 湖(うみ)の本」 に親しませていただき、心豊かにさせて頂き、折々に元気を与えて頂き、深く感謝いたしております。今回の御本は、 格別な内容にて、じっくり味読させて戴き居ります。  国文学者

 

☆ 私も先生と同い年の75歳、年が明ければ76歳でございます。過去の足どりこそ全くちがいましても、ご本を読んでいますと同感することが多々あります。どうぞお元気でいらして下さいますよう念じております。  東京都北区

 

☆ 「私語の刻」で、今夏はご体調がよろしくなかつた由、知りました。もうよろしいのでしょうか゜。くれぐれも御自愛を念じます。今回の「 湖(うみ)の本」 は、是非、拝読させていただきたかった内容です。  名誉教授 詩人

 

☆ 「詩歌断想」楽しく拝読いたしております。   歌人

 

☆ 「詩歌断想」しみじみと目を通しています。  歌人

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 109  秦さまらしいー本、ゆるり拝読させて戴きます。  歌人

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 109 新年に向け 良きかな、佳きかな。全国の多くの方々が、そう思っていることでしょう。おすこやかにご越年の程 念じあげます。   大学教授  歌人

 

☆ 先生の書かれる本は私の日常生活の清涼剤でございます。どうか、呉々もお体ご大切に、「 湖(うみ)の本」 がこれからも ずーっと続きますように!! ご子息のご活躍も吾がことのように嬉しいです。  玉野市 読者

2011 12・1 123

 

 

* 「暫く御本頂かず お加減でも…と案じて居りました 呉々も御大切に 奥様も、」と福田恆存先生の奥様より。妻も大切にせよと仰って頂いたかと拝読。

「頻りにお体のことを考えておりました。やはりお工合が良くなかったのですね。お大切になさってくださいませ、迪子さんも。『光塵』涙して拝読。」と友より。これも同じに読ませてもらう。

「常に御文学を楽しく待っております。P69「あかきは椿しろきも椿」わかる気します。」と或る歌人。

 

☆ 第109巻『光塵・詩歌断想』を賜り、拝読し、これぞ「 湖の本」 の真髄、自在気儘のようでいて品格あり、秦さんがつまっている、このような形でこそ読者にまっすぐに届くものと感得いたしました。そうして同時になぜご恵贈いただいたかも。

秦さんは作家にして、骨の髄まで<うたびと>ですね。実作を(一応は)離れられても歌を愛すること深く、評価は知人などという関わりへの浅慮などまったくなくまっすぐに作品そのものに向かういさぎよさ。<不屈の物書き>魂が湧き出しています。『少年』を拝読した折の感慨を思い出します。

ご配慮にお礼申しあげます。今年もまた寒さに向かいます。ご病後の御身、どうぞおいとい下さいますように。 K社元出版部長

* 有り難し。

詩歌の読者は、眞の読者は、多いようで実は少ない。自前で短歌をつくります、俳句を作っていますというだけでは、読者としてどの程度かは分かりにくい。今度の本を出すにも読者本位でいうとためらいがあった。自在気儘だけが観られてしまうかもと。それでも、あえて編んで出した。まぎれもない作者の「地」が出ていると苦笑もされるが、筆は枉げていない。詩歌も文も、感応のもの。

 

☆ 前略失礼します。

昔、戦地に赴く時、師の釈迢空先生より歌の指導を受け、提出した歌を、河童が池から首を出して目を向いてゐるやうな歌と評されてより、その才なきを覚り、歌詠みを畏敬するゆうになりました。畏敬の念をもってゆっくり鑑賞致しました。葉書にて乍略儀取急ぎ御礼迄 不一    元文藝誌編集長

 

* 『光塵』をいただき恐縮しています。今度の御本は、もともと『青春短歌大学』で秦さんを知った人間で、こういうのは大好きで「お声」を含めていろいろ教えられもいたしました。楽しんでいます。ありがとうございました。   劇作・脚本家

 

☆ 歴史に残る厄災の年も残りわずかとなりました。ご無沙汰いたしておりますが、ご健勝のこととお喜び申し上げます。

このたびは、御者『光塵・詩歌断想』をご恵投いただき、有難うございました。「湖の本」も一〇九帙を数えるのですね。改めてご自身でおっしゃる古稀を過ぎての「根気と集中カの必要な粘り仕事」に感服、敬服いたしました。これからも末永く「湖の本」が継続、刊行されますことを衷心よりお析り申し上げます。

暖冬とはいえ、これからは寒暖の差が激しくなる季節、くれぐれもご自愛専一に願っております。ヒリ急ぎお礼まで。草々

二〇一一師走吉日   エッセイスト

 

☆ 今年は色付きが遅いと思っておりましたのに、ここ四五日の間に燃えるような彩となりました。毎年の事ながらこの庭隅の一樹をこよないものとして秋を送るのが慣いとなっておりますが、常照皇寺の枝垂の古木や、車返しの桜なども一入の色になっている事でございましょう。

いつも「 湖の本」 をお贈りいただきまして感謝しつつ拝読させて頂いております。お門も広うございましょうに私にまで御恵与賜り、申しわけなく心からの御礼を申し上げます。息子がいつかささやかな緑陰文庫を作りたいとの事でございますので その折には貴重な御本として並べさせていただく事になるかと存じます。本当にありがとうございました。

毎日四辺を細やかに書きとどめられていますのに感嘆しつつ拝読し、こうした日々の御精進にあやかりたいと存じますものの、雑事に紛れ怠けてばかり居りますのを恥かしく思っています。

御礼の言葉のみをどうかお汲みとりくださいませ。

月が変りましていよいよ気忙しい日々となりました。風邪も流行しておりますとか、友人も二、三人声が出なくなったと申し居りました。時節柄どうか御身御大切に遊します様 とり急ぎ御礼のみを申し上げました  かしこ

師走朔日     歌人

 

☆ 十二月になりました。    播磨の鳶

12.2  冬寒の東京ですね。寒暖の差が激しくお体に障らないようにと願います。こちらはまだ少しだけ緩やかな感じで、庭の柿の実を干し柿にと吊るしていましたのに黴が生じている始末。果実は成り年と成らぬ年( こんな単語あったかしらん?) があり、今年はレモンの実が素晴らしく結実しました。まったく無農薬、自然のままのレモンを楽しんでいます。

もう師走になってしまいました。相変わらず落ち着かない日々を過ごしています。

『光塵』では、『少年』に収められていないために初めて読む歌の数々に、そして俳句に、さまざまな思いをもちました。毎月巻頭に掲載される俳句の面白さに微苦笑し、深刻さに頷きながら、鴉の別の本領をも垣間見てきましたから、このような形で纏められた

ことを快く受け取りました。

先日、美空ひばりのことに触れていらっしゃいましたね。あの番組を娘は偶然見ていて、何より彼女の歌唱力の確かさ凄さに驚き感心していました。歌詞をしきりに記憶していました。「人生って不思議なものですね、悲しいものですね・・」とか、川の流れのようにとか・・普段歌謡曲にはおよそ興味を示さない彼女に美空ひばりは新鮮強烈だったようです。

徳川秀忠に関する記述も大いに納得しました。

ダヌンツィオの名前が出てきました。やや意外かと驚きましたが、日本文学との関連と考えれば、納得も。彼の文学は現在日本でどれほど読まれているのか、まったく疑問ですが、森鴎外の訳に始まって彼の文学を受容してきた日本文学の系譜も、殊に三島由紀夫

に関連して無視できない重さをもっていますね。イタリア・ファシズムの先駆としての彼の奇異なる生涯を思うと、その華麗さ、挫折、文学的力量にかかわらず、「敬遠」してしまいます。

三島由紀夫が生田長江訳の『死の勝利』をもとに『岬にての物語』を書いたこと、三島の唯一の翻訳出版はダンヌンツィオ『聖セバスチァンの殉教』であったこと。

そして楯の会の行動にダンヌンツィオの影響が強くみえること、市ヶ谷駐屯地の本部バルコニーから、三島がおこなった最後の演説がフィウーメを占拠した時のダンヌンツィオの演説に似ていること。改めて確認しつつ「あの日」を思い起こします。大学の構内で友人たちとニュースを知った時の衝撃・・今は昔の感さえある「あの日」が亡霊のように思えます。

ダヌンツィオが若い日に、パリでドビュッシーと出会ったのは一つの「救い」「宝石」のようにも思います。このところドビュッシーの「月の光」をしばしば聴いています。ベートーベンの「月光」とは異なる魅力、時代背景の変遷も感じます。

12.3   昨日の

伊勢うつくし逢はでこの世と歎きしかひとはかほどのまことをしらず

さらに百人一首の親しんできた歌

難波潟みぢかき蘆のふしのまも 逢はでこの世をすごしてよとや   伊勢

あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまとたびの逢ふこともがな  和泉式部

いずれもいずれも人の哀憐の愛恋の真実であると、そして「老境には胸に沁みる感懐」に至るまで、既に既にあまりに存分に過分に胸に沁みこみ侵食された感懐でもありましょう。

「うつくし」は、美しくもあるにせよ、より深く愛おしく共感する意味であると書かれています。そのようにありたいと誰しも、そしてわたしもそのようにありたいと焦がれてきました。月日の容赦ない経過は、わたしたち生き物の無残をくっきりと姿を浮かび上がらせてきます。それにしても和泉式部のようにまっすぐに愚直なまでに純粋に生きられなかった自分なのに、彼女のように生きたかったなどと、およそあり得ないことも暫し思うのです。

一人器械に向かえる時間が極端に少なくなり、メールを書けませんが、鴉の無事息災を遠くから祈っています。冬の寒さに負けず、暖かく「優柔不断」に楽しんで過ごされますように。

 

* このように書いたり書いてもらえるなら、メールという伝達捨てたものでない。「書く」だけの行為は容易だが、豊かに「よく書く」には容易ならぬ人格を要する。

ダヌンツィオのことなど、無関心でなにも知らなかった。

「優柔不断」に「無事息災」で、か。なるほど。

 

☆ 『光塵』

いつもなら、「 湖の本」 をいただくと、まず「私語の刻」を読み、秦さんの「いま」をうかがい知ろうとする、のに、今回の配本に限って本文を つい「拾い読み」してしまいました。

俳句がおもしろかったからです。俳味があって、いわゆる文人俳句の趣がうれしく、久保田万太郎の俳風をおもわせました(受取方が違っていたらお許し下さい。)

その中で、

月照つて心まづしき師走なり

に、いまの私の境遇を 私なりにあてはめております。

さて、「私語の刻」に目を移しますと、そこに自分の名前を発見しおどろきました。送金の通信欄を書いたとき、未読だったので「拾い読みしています」とのみ書いたのです。

国語の教師でありながら、秦さんほどの深読みはできないものの、陶淵明は、私の好きな「詩人」の一人です。その「守拙」は座右の銘にも、と思っているくらいです。

教師時代の友人で書家(本業は英語教師)に、それを色紙に書いてもらっています。戯れに、板に してさしあげたところ、それを主宰者がおもしろがって、なんと社中展に出させたということです。

同封の刻字は旧作です。家内は自分の字を彫れといいますが、私はやはりこんな型にはまった字になってしまいます。ーーと書きかけたのですが、やはり思い止まりました。

一方的に送りつけようと思ったのですが、この手のものは貰っても、「ありがためいわく」の場合がしばしばです。したがって、「同封」は写真にしました。タテ370Xヨコ305X暑さ15(ミリ)です。落款は「元亮」「哲」です。(もし受取可ならお送りします。モノマネの秀作ですからさしあげるとは申せません。)

(中略)

お二人のお体の塩梅を気にしています。もうお会いしなくなってずいぶんになりますが、私にとって秦さんは近い存在(ご迷惑かも知れませんが)です。 奥様にもくれぐれもよろしく お大切にとお伝え下さい。

(変らぬ乱筆お許し下さい)  十二月一日     前石川県立近代文学館長

 

* 自分を、果報の人と思える嬉しさである。

採菊東籬下 悠然見南山  の刻板。ありがたく頂戴したい。

2011 12・3 123

 

 

* お手紙嬉しく頂戴しました。    秦恒平

 

☆☆さん   ありがとうございます。また、おかわりない御様子で、なにより安堵致しました。

奥様のご平安、すこしでも着実なご回復を心底願い居ります、ご夫君のお心遣いはなによりの妙薬でありましょう。お疲れのないようにとねがいながら、どうぞご健闘をとも祈ります。

新刊はなかなか読者の深奥には届きかねる気儘なものと遠慮がちに本にしましたが、☆☆さんに俳味を汲んで頂けたのは本望でした。和歌短歌に身を隠すようにして俳句のようなものをそろりと提出したのでしたが、お目をとめて下さり嬉しゅう御座いました。前日にK社練達の読み手の方から、これでこそ「湖の本」と汲み取って貰えたのも有り難く、本にしてよかったと。病中病後にふと思い立ってあっというまの出版になりました。『少年』以来の小さな結び目と、仕事の間に思いも固まり、一冊が出来てしまいました。ほかの誰でもない☆☆さんには届いてくれるだろうと心頼みにしていました。

お手紙にたとえなくても☆☆さんが陶潛をお好きであろうとは察しがついていました。岩波の古い文庫本を手にし、好きに頁をくって読みつぐにつれ、☆☆さんを思い出していることが少なくありません。

採菊東籬下 悠然見南山  刻板、賜れるなら嬉しく頂戴したく。

つい数日前の日乗にも、

 

☆ 陶淵明 雑詩其七

 

日月不肯遅    日月あへて遅れず、

四時相催迫    四時 相ひ催迫す。

寒風払枯條    寒風 枯條を払ひ、  枯れ枝

落葉掩長陌    落葉 長陌を掩ふ。  長き市街

弱質與運頽    弱質 運とともに頽れ、

玄鬢早己白    玄鬢 早やすでに白し。  黒髪は

素標挿人頭    素標 人頭にさしはさみ、  老の標の白髪

前途漸就窄    前途漸く窄(せま)きになんなんとす。

家為逆旅舎    家は逆旅(げきりょ)の舎たり、  旅中の泊舎

我如當去客    我はまさに去るべきの客たり。

去去欲何之    去り去りていづくにゆくをおもふぞ、

南山有旧宅    われには 南山に旧宅のあるなり。

 

* 淵明に「南山」は、事実の故郷であったが、現実を飛躍した理想の他界でもあった。わたしから観れば、帰去来(帰りなんいざ)たる、「本来本然の家」にほかならぬ。この「家」のことは小説「 畜生塚」に夙くに書いた。

 

 

などと書いていたばかりでした。

いろいろに声のかかるお仕事、めんどうがらず踏み込んでお受けなさいますように。活気の素となりましょう。三つの学期に学ぶ現役の生徒と、卒業式もすませてきた卒業生とには、おのづと異なる、譬えればもっと俳味にも富んだ「把握と表現」が有るのではないでしょうか。わたくしも来年の今頃には喜寿を迎えようとしています、その辺がわたくしには三学期末の卒業式かと想えています。それからがまだ有ると言うてみたいところです、呵々。

奥様が、自身の言葉を彫るように刻むようにと仰るのは、金言ですよ。わたしは、毎年の☆☆さんの年賀状を、作品としてもたいへん珍重し敬愛していますよ。そういう作品で展覧会をなさるほどにと正直期待しています。

例年師走にはもうすぐわたくし事の祝い日が二度やってきます。今年はその二度の昼と晩とに、贔屓の染五郎、海老蔵、松緑の歌舞伎を、真実花形歌舞伎を楽しもうと待っています。昼に、「碁盤忠信」と「茨木」 晩に、「錣引」「口上」そして「勧進帳」。

この人達の時代が来ています。寂しいとは思いません、よろこんで励ましたい。

遠く離れていますが、いつも私達には身近な☆☆さんたちです。そちらの読者たちも変わらず応援して下さる方々多く嬉しい励みです。

お大切にお過ごし下さい、くれぐれも。

相変わらず機械書きの不調法はお許し下さいますよう。 師走四日晩に   秦生

 

* 十二月になったね。   鴉

鳶  お元気ですか。佳いメールをありがとう。

お嬢さんが、ひばりに開眼(耳?)してくれたというのが、殊に、嬉しい。

ダヌンツィオと日本の近代文学のことなど、なにも知らなかったなあ。上田敏 鴎外 花袋 郡虎彦 森田草平、白秋・萬造寺斉・木下杢太郎 有島生馬 島田謹二 三島由紀夫 筒井康隆 の名が目次に出ています。なるほどとも思い当たらぬほど この西欧作家とは無縁に過ごしてきました。腎臓病で死んでたかも知れないと脅された小学生の病牀では、「死の勝利」とか「ああ無情」という本の題は歓迎しかねたのだと思いますね。遅ればせに近づいてみたいとも、鳶の感想を信用するわたしは、思いませんが、平山城児さんの新刊には、論文集に倍する「年表編」が付されていて、この労作は優に表彰に値していると感じます。こんな歳末の出版とは気の毒です。本屋から本を出すときは一年の若い時期に出し、「去年の本」になるのの早いのを防ぎますように。それにしても、こういう労作は本そのものを外見で見ていても気持ちいいです。

ドビュッシーの「月の光」 街へ出たらさがしてみます。いいことを教わりました。

「秀忠」のこと、「大いに納得」してくれて、嬉しく。書いて置いた甲斐がありました。

『少年』のはるか後塵をあびる老境の『光塵』は、とても誰にも彼にもとは行かない性質の述懐ながら、よく見てくれる人には、おこがましいが、雨月のあとの春雨のように受け容れてもらえるものと思っていました。K社のベテラン出版部長さんや金澤の元文学館長さんの手紙をもらい、ああこれでいい、嬉しいと喜んでいます。思い切ってなんでもやってみるものです。志を、堪えてもちつづけること、それに尽きます。生活と歳月のなかで志を風化させ劣化させている例のなんと多いことか。おやおや、わたしだってそのように見られているかも知れんナアと首をすくめますが。

若いときはついセッカチです。老境ほどゆっくり歩めと思います。

伊勢うつくし  自分の和歌でひとつをと問われればこれでこたえる、カナ。

むろん、『光塵』でそろりと瀬踏みしたのは、俳句です。

現代俳句にはつよい批判をもってきましたが、では自分はとも心していました。心友である石川県の文学館長さんが、「俳」味をみとめて文人俳句の列に加えてくれたのは望外の喜びでした。

もうすぐ、七世幸四郎の曾孫たち染五郎・海老蔵・松緑の歌舞伎を、昼夜に分けて二日楽しみます。楽しみ、楽しみ。

鳶にも、たくさんな楽しみがありますように。  鴉

 

* 手紙など書いているあいだにも、思うことがある、思いつくこともある。あ、そういうの有りうるな、そうかその道行ってみようなどと。瞬時ふうっと身内が熱くなる。なにかが憑ってくるというか。

2011 12・4 123

 

 

* 長門から、大和から、よく選ばれた純米吟醸酒を頂戴。感謝。

 

☆ 『光塵・詩歌断想(一)』拝受、感謝しております。病魔とのはげしい闘いの中、何してこのような創作活動が続けられるのか、おそれいります。魔の方でほとほと先生の勢いに逃げ腰を見せているようです。ご回復を祈ります。  作家

 

☆ 『少年』は不識書院版で読ませて頂きました。その拾遺とその後のお作品、拝読いたしました。「詩歌断想」を厳しい気持ちで読ませていただこうと思っております。ご清栄をお祈り申し上げます。   歌人

 

☆ 湖の本109 一首、一句、大切に拝読しております。  俳人

 

☆ くれぐれもご自愛下さい。歌のほとんどわからない私ですが、じっくりじっくり読んでいます。やす香さんへの愛情に涙がにじみました。   京都市山科区

 

☆ 「現代百人一首」( 岡井隆撰 朝日新聞社) でお名前を拝見し、うれしく思った事がございます。 学生時代つまらない授業の時に百人一首を書きつけたりしたことなども思い出しました。

先生も奥様も、体調はいまひとつのごようす、くれぐれもお大事になさいますよう。 時代小説家

* なんでそうなるのか、読み違いをしてくる人も無いではない、「<私家版『少年』に始り文庫版『少年』で一結びになるかもしれない>という思い、良く解ります。その人にとっての最もなつかしい時代と言うのでしょうか。人間誰にもある振り返るときの想いの普遍性がこれなのではないでしょうか。……と考えつつ読ませて頂きました。」という水戸市の歌人の感想、何を以てこういう読みになるのか解りかねる。今回老境の述懐『光塵』で引き結びたかった、わたしは。

2011 12・5 123

 

 

☆ 昔の詩歌を愛情を以て拾い、編まれ、その情熱に感服致します。また「詩歌断想」も面白うございます。まことに、花鳥風月を以て、得も言われぬ情趣を湛えた古今集時代の歌はなつかしいです。有る時代の月と、今の月とでは、何と、開きがあることでしょう。当然のこ事ながら。御礼のみにて。  文藝S誌編集者

 

☆ 「詩歌断想」おもしろく、話題満載、日本語の用い方の指摘、社会批評、興味は尽きなく、読み耽ってしまいました。ありがとうございます。ご健勝を祈ります。  阪大名誉教授 国文学

 

☆ とくに、ここ十年間ほどに詠まれました短歌に感銘をいただきました。調べの高さはもとより、歳月の光を内包した、澄明な境地に惹かれます。同時に、それとは反対の、うつつと夢幻を自在に行き来する美しい境も味わわせていただきました。やす香様への思いの深さ、悲傷の深さにも胸を打たれます。

向寒の折柄、おたいせつになさって下さいませ。敬具   平林たい子賞作家

 

☆ 雨が止み  花

茜色の空が雲のあいだに覗いています。富士山麓は雪にはなりませんが、関東では雪になっているのではないかと空を見上げました。

風、お元気ですか。

今度の湖の本に、井上靖の詩がありましたね。花は「愛する人に」を、こよなく愛しています。この詩のように、人目につかぬ滴りのように、清らかに、自ら耀き、梅のように、香ぐわしく、きびしく、まなこ見張り、寒夜、なおひらき、壮大な天の曲、神の声はよし聞けなくとも、野をわたり、村を二つに割るものの音に、耳を傾け、白きおもてのように醒めてありたい、と、いつも思っています。

家庭も時事も大事ですが、花にとって文藝創作は自らの内面世界そのものであると、改めて確認する日々です。どうしたらいいのかわからなくなることがありますが、「愛する人に」のように、やるべきことに向き合っていたいです。 ではでは。

 

* 上に挙げられた靖のあの詩は、いまでは、少し甘くて観念・概念的な気がしている。詩は難しく、読み取りには、どうしても観念的でいいからとっつき易い概念詩にひかれるものだが。

西欧詩には言語から来る韻律が生き、日本語に翻訳してしまうとそれが味わえない、少なくも味わいにくい。翻訳詩で西欧詩をまねた、まなんだ日本の近代詩人の詩、現代語の詩には、概して韻律という詩の本来がほとんどはたらかず、観念や概念を弄んでしまうか、はちゃめちゃに語彙を玩弄して「うた」である境地をごまかしている。

わたしが和歌や短歌や蕉風俳諧に惹かれるのは、それらがいわゆる現代詩の雑駁を、たぶん「うた」として免れているからだと思う。

2011 12・6 123

 

 

* 井口哲郎さんの、陶淵明南山詩を大きく刻し燦然金彩された板を、頂戴した。機械のある此の、一日で最も永く身を置いている書斎に掛ける。荻原井泉水さんの「風 花」二大字、秋艸道人の「学規」も此処に在る。気持ちの一等暖かになる、部屋。

2011 12・7 123

 

 

☆ 本年は心ざわつく年でした。そんな中で湖の本を拝読し身の内が鎮まっていく思いがしました。慌しい日々ではありますが、「ゆつくりと師走を春へ歩みたし」と呟いている自分がいます。ご自愛の上、佳い年をお迎え下さいませ。   大阪府高槻市

 

☆ ご自身の悲喜の歩みをも、一つの作に編み上げる先生の執念に驚かされます。 続けていく為にも今以上ご健康を守って下さい。   東工大卒業生

 

* ときどきの塵に相違ないが光る塵と思っている。

2011 12・8 123

 

 

* 一日を半日で過ごしているほど、よく眠る。もったいない。それで良いとも思うけれど。

☆ 「老濫無頼の不良老年」なるお言葉は、奔放かつ深長な教養に裏打ちされて生み出された歌句かと拝察。年を経るごとにユーモアが滲みでている気がします。たとえば、「生きてゐるが死んでゐるのかもしれぬので………」 「夜のやみにしづみて妻の……」。若くして逝ったお孫さんのやす香さんへのつきせぬ思いや、「なにが不沈空母なものか原発を……」の激しい憤りに共感する「七十たび七つを加へて冬至かな」の老生です。

紅書房主・菊池洋子さんの師上村占魚秀句二百撰の話も気持良かったです。   K社元出版部長

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 109を読ませていただきました。中でもP43の「良夜かな子生まれ親も生まれける」 季語「良夜」をこのように詠まれた先生の一句に出会えたことは喜びでした。 P63の「柿の木に柿の実が生りそれでよし」も大好きです。  東京都練馬区

 

* 短歌にふれまた俳句にふれてそれぞれに挙げて下さる作の、一つ一つに思いが凝っている。忘れていない。読みとって下さり、感謝します。

『少年』の歌はみな「歌をつくっている」気持ちで創っていた。『光塵』はちがう。あきらかに「述懐」している、一つ一つ。わたしのなかみがほとんどナマに吐露されている。心境的には、それが生きた体温になっている。

 

* 今回本でなく前回の『バグワンと私』にふれて。

 

☆ 音読っていいですね、自分の声が語りかけてくれるようで。「バグワンと私」 手にした時むつかしい本だろう…ただ声を出して読んでみよう 理解出来ないところ多々、 そこはスート読みぬけ 興味が出れば又読めば、と思っています。  京都市西京区   2011 12・9 123

 

 

☆ 過日は湖の本「光塵」を賜りましてありがとうございました。詩、短歌、 俳句と、その自在さ。青年期から現在に至るまでの長い道のり。書くことへの熱い思いが、ひしひしと伝わって参ります。

虚子の句を噛むほど読んで力とす

「力とす」 何かを探し続けていきたいと思います。御礼まで申し上げます。呉々も御身お大切に。 かしこ   歌人

 

* 天文学では「衝突」という事象も概念も本質も実に大切とされている。

人もまた良き激しき美しき「衝突」を遂げたい生き物だと思う。「濯鱗清流」などはまだゆるやかな衝突に過ぎない、

2011 12・10 123

 

 

☆ 吉野川には筏を流す くだる筏に上る鮎    囀雀

昨日からひどく冷えてまいりました。おからだに障らないとよろしいのですが。

勤労感謝の日に大阪市美術館「岸田劉生展」が最終日を迎えました。二上山の麓を走る鉄道路線で行く方法を見つけて以来、道行きの楽しさに背中を押され、大阪市内の施設で唯一通い続けているのがこの美術館です。

秋は河内ワインと太子町のみかん狩りが風物で、車窓の葡萄棚やみかんの木々がのどかさを高めて、特にお気に入り。さらに気に入っているのは乗り換えの 2ヵ所とも駅構内に書店があり、奈良本、古代史本、仏像本など、品揃えがほかと違っていて、乗り遅れもまた楽し、なのですよ。

この日は「吉野葛」文庫本が何冊も目につく場所に置かれていました。

ときに、今朝の月には息をのみました。

旧暦11月16日。軽皇子一行が阿騎野に遊猟、旅寝していた日です。明朝が「かへり見すれば」。また、義経と別れた静が捕らえられた日がこの頃ですね。

遷都1300年のお祭りを終えた奈良県は、“記紀万葉”を観光産業とすべく予算を計上したそうで、それを利用して地元の観光ボランティアガイドと歩くイベントが、11/23(祝)26(土)27(日)12/4(日) とリレーのように行われました。

初日は御所市で、葛城古道を14㎞歩くというもの。2 日目は田原本町。稗田阿礼と太安萬侶を抱えた地域とあって、「古事記」関係7 ㎞。

3 日目は吉野町。吉野宮跡から桜木神社まで歩いて昼食のあと午後2 時から和田萃さんの講演あり。

4 日目は宇陀市。榛原を7 ㎞歩くというので、数ヵ月前に青いテントがかけられた旅籠あぶらやの修理完了をお披露目するのかもしれません。

雀は、一番距離の短い吉野町に参加してまいりました。

受付場所は吉野歴史資料館。2 階の展示品の解説を受けたあと、水分山、象山、象の中山、三船山を教わり、10人ごとに2 人のボランティアガイドさんがついて、斉明天皇の吉野宮跡、持統天皇の吉野宮跡、聖武天皇の吉野離宮跡、柴橋、夢のわだ、うたたね橋跡、象の小川と解説を受けながら桜木神社まで歩いて解散。講演開始まで2 時間弱の自由時間が与えられました。

雀の班を引率されたのは白髪の男性で、「吉野葛」の世界をうっとりと話してくださいました。後南朝、「太平記」、義経といった“教科書に載らなくなった”歴史の話、そして斉明、持統、6 人の皇子、万葉歌と俗を離れ、あそびました。

“めっきりと冷える朝ではあったが”イベントの最中は気温も上がり、風もなく、くっきりと晴れた空に何本もの飛行機雲が伸びては消える絶好の行楽日和。

川岸に建てられた施設が昼食会場に開放され、“風の当たらない、なごやかな日だまりになった一廊でランチをとる人、岩の上に敷物を敷いてとる人、桜木神社から先へ歩いてゆく人とさまざまです。

「吉野山」の人形を配した文楽劇場正月公演のチラシなど、会場に置かれたさまざなチラシを見ていて、犬養孝記念館が11/1~12/25 「入江泰吉展」を開催というので、明日、柿の葉寿司を買いがてら行ってこようと思っています。飛鳥資料館のほん近くに夫婦で営む小さなお店があるのですよ。

ところで、佐佐木信綱の生家と記念館が鈴鹿市にございます。

川喜田半泥子の石水博物館が津市垂水にこの5 月移転開館したというのも知っていながら、どちらも遠い気がしてしりごみ。三重県内の遊山は進展しませんわぁ。

松阪市の小津安二郎青春館がこのところの好きな場所です。

12日はご命日。癌をかかえながらお母様を看取り、映画を撮りながら、納骨と法要を済ませ、満60才の誕生日に、つまりお母様がこの世に送り出してくださった日にお母様のもとへ還られた、やっちゃん。   雀

 

☆ 栢森、入谷、芋峠、千股、妹山、吉野川   雀

わが行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にあらぬかも

世の中はなにか常なるあすか河昨日の淵ぞ今日は瀬になる

世の中…この物言いにもっと注目が集まっていいと思います。夢や癒し、絆に元気。それらを、貰った、与える、くださいということばと比べて。

和田萃さんの講演会場が廃校になった小学校のそれも図書室とあって、雀は、学校、図書室、黒板、白墨、和田さんと、ぴったりはまった組み合わせを称賛しました。

ホワイトボードはつまらない。電子黒板などおはなしにもなりません。

白墨のもろさ。

書くときのかすかな音。

さらさら落ち、かすかな風に舞う白い粉。

コール天の黒板消しではかなく消える文字…それが、佳いのですよ。

いまは寂れて想像がつかないかも知れませんが、吉野口駅東口にある広場はかつては人力車が溢れる吉野への出発点でした。六田駅にどうして特急が停まるかというと、六田駅はもともと吉野駅で、と、昭和5 年のお話から始まりました。吉野はいろいろなジャンルで昭和5 年がキィになります。

それから、記紀それぞれの吉野宮の初出はいつ? 斉明天皇以前に吉野へ行幸した天皇は?と投げ掛けられました。

斉明天皇の吉野宮の模型が資料館にあるんですが、ご覧になりましたか? 池のほとりに木が植わってたでしょ、あれはユズリハの木なんです、弓絃葉の御井はあれのこと、と言われて、数時間前に教わったばかりの、弓削皇子が額田王に贈った歌

  •  古に恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く

これが切々と迫ってきました。

額田王の孫である葛野王に怒鳴られた若き皇子でしょう、弓削皇子って。ぼくは長くないよ、そんな気がするんだという歌も詠んでいて、その通りに早世していますね。

兄さんは大人し過ぎるよと長皇子をなじったりしたかも…などと勝手な想像をして―。

前登志夫さんに師事した歌人でもある和田さんは史料に基づいて考える立場と歌人としての立場とをもってらっしゃるので、自分でも飛躍し過ぎかなと思いつつ、それをたのしんでいらっしゃるとのこと。

『万葉集』 始めてみようかなぁ。

そう思って帰宅したら、ポストでご本が、「おかえりなさい」と待っていました。

 

  •  顔見世や胡弓奏でて歌右衛門( 大橋敦子)

歌右衛門さんが亡くなって10年。

起きぬけに点けたラジオから「かずたろうの邦楽ジョッキー」とはきはきした声が流れ、あの壱太郎ちゃん!? と目を丸くしてから数ヶ月。

藤十郎さんが始めた「邦楽ジョッキー」はNHK でも屈指の長寿番組となり、前任が松也くんだったということも月日を感じました。

土曜朝5 時の再放送を愛聴しておりますが、南座改装から20年、21才の壱太郎くんが朝一の化粧坂少将からキリの上方版「らくだ」酒屋の丁稚まで5 役務めていると聞き、昭和も遠くなりにけりと身にしみて感じます。   囀雀

 

* 囀雀( てんじゃく) さんとは、わたしが名付けた。この人が、中村扇雀丈のメルアドを教えてくれた。十数年も昔の話。

2011 12・10 123

 

 

☆ 櫛田川   囀雀

吉野の宮滝発掘調査の前年1929年に「鞠と殿さま」がつくられていました。

 

てんてん手鞠は てんころり

はずんでおかごの屋根のうえ

「もしもし 紀州のお殿さま

あなたの お国のみかん山

わたしに見せて下さいな 下さいな」

 

てんてん手鞠は 殿さまに

だかれて はるばる 旅をして

紀州はよい国 日のひかり

山のみかんに なったげな

赤いみかんに なったげな なったげな

 

紀州の殿さまは紀の川をのぼり、吉野川をのぼり、高見山を越え、櫛田川をくだり、松坂へ出て、伊勢湾を尾張国へ渡ったとのこと。

聖なる場所が多い中央構造線に沿う道筋ですから、禊をしたり参詣したり、とまりとまりだったことでしょう。

櫛田川は小津安二郎が19才から1 年だけ代用教員を勤めた小学校の前を通ります。飯高町宮前のその学校には教え子たちにより教室の一部屋が記念館とされているとか。

櫛田川に湯谷川が注ぎ込みます。湯谷川をさかのぼり、湯谷峠を越すと川は栗谷川にかわり宮川に合流し、倭姫命を案内した真奈胡神を祭る多岐原神社( 御瀬の社) へと至ります。神社のあたりにはかつて「三瀬の渡し」があり、対岸の斜面に北畠氏の「三瀬館」があったとか。

この南に位置する伊勢内宮別宮の一、瀧原宮を雨上がりに訪ねました。内宮の雛形でありながら、清らかさ、しずけさ、丈高さが月とスッポンと、断然、雀は瀧原宮贔屓なのです。

ときに三重県内の有名観光地に出かけることが、電車でもクルマでも不便です。光が強くなると影も強くなるということなのでしょう。新幹線、特急電車、高速道路、自動車道、トンネル、パイパス、それらが発達すればするほど、近いところと遠いところのわけがわからなくなり、三半規管がオカシクなるようにオカシクなります。

亀山や関から自動車道で行けば大宮大台ICまで簡単に行ける大紀町大宮の瀧原宮へ4 時間半かかりへとへとになりました。

帰路は国道42号線で松阪方面へ出まして、県道やゴルフ場への道路を利用して、嬉野、一志、雲出川の河口頓宮址から青山町―阿保越えに―わずか2 時間ほどで、わたくし住まいの名張に帰着。

次回はこちらを利用して宮川に沿う旧い道に寄り道をして、伊良子清白が疎開した大紀町打見地区を通ってみようと思います。

雲出川の河口頓宮址から川をさかのぼってゆくとすぐ、雄略3 年のイオキの川伝承地、家城があり、その先で八手俣川が合流します。この美杉町八手俣( ハテマタ) は、小津安二郎の母のさとだそうです。八手俣川をさらにさらにさかのぼると、最後は丹生俣や木地屋という地名が出てくるので一度訪ねたことがございます。

丹生俣のお寺で出会ったおじいさんが「赤松塚には行ったか」とおっしゃって嘉吉の乱のあと赤松氏の残党がこのあたりに隠れ住んだものの見つかって斬られたという伝承を教えてくださいました。

3 ㎞ほど北に北畠氏の霧山城跡があります。さらに北へ行くと塚原卜全が逗留した館の跡もあって、卜全のことを調べてみまししたらなかなか興味深かったです。北畠氏の館跡は神社とかわり、庭園が残っています。この庭園の名が、朽木の旧秀隣寺庭園とともに、勝山市の白山平泉寺で案内のボランティアガイドさんの口から出たときは驚きました。

「伊賀の國地名研究会」のお招きで昨日フィールドワークに参加した主人が、会員のひとりが前日に吉野山、明日は阿騎野へ行くんだと言うのに驚いたそうです。義経静雪の別れを思わせるように吉野は雪がちらついていたとのこと。皆既月食もありますから、おおわらわ。でもたのしそうです。

今朝も金属をはりつけたような月の銀色。

タルちゃんこと稲垣足穂の小説を読みたくなりました。  雀

 

* 雀さんの意識に有る無いはべつにして、この十年にわたしに宛て送り続けてくれたメールの総量はハンパではない、しかもその内容は上に観る如く、「現代近畿風土記」なのである。これほど自ら足をはこんで見聞し把握した具体の体験を綴り続けられる人は、希有というより他にいるだろうかと、感心もし惘れもしてしまう。だれであったか、このホームページでこれらの記事を見つづけてくれたひとが、「いま女西行」とかいった綽名で呼んでいた。及ぶ限りこに紹介しているが、「 e-文藝館= 湖(umi)」のなかにしかるべく集積しておけば、また別の役に立ててくれる人も読者も現れるかも知れない。散佚させては惜しい気が以前からしている。だが、その総量ハンパではない。なにしろ一年365日にそれ以上のメールが来ていたほどの年もあった。愛読しているという人も何人かわたしは知っている。

 

☆ まっつぁか( 松坂) のやっちゃん   雀

良い夜だ。遠くに神楽の響が聞える。さわがしい神輿が行く。

青田を渡って来し涼しい夕風に風鈴が絶えまなく鳴っている。

細い運命を保って来た朝顔は参つ四つ此方にしほれている。

楽しい祇園(=祭か)も終わった。 ( 完)

松阪第二尋常小学校第六学年 小津安二郎

夏休みに書いた作文のさいごの部分だそうです。

本居宣長はのりながさん。小津安二郎はやっちゃん。やっちゃんはこののち伊勢の中学校( 現在の宇治山田高校) に進み、寮に入りますが、両親が学校から呼びつけられる事件や騒動をおこした挙げ句、停学退寮処分を受け、自宅から汽車通学をして卒業の日を迎えました。安二郎が9 年間暮らした松阪の家は、「松阪の一夜」で知られる宿があった日野の辻から、お城や三井本家や宣長さんちや日本橋に小津和紙店を開いている小津家ややっちゃんの本家とは、反対に曲がった先にあります。

小津安二郎生誕100 年の2003年。その家の跡地に「小津安二郎青春館」が開館しました。運営はボランティアグループ< 松阪 小津組> が担い、週3 日だけ公開しているそうです。

本家の子どもたちは“白亜の”松阪第一尋常小学校に通っていて、やっちゃんは松阪第二尋常小学校に通いました。中学校からは大きく迂回した通学路が指定されました。あいだに遊郭があったからです。東京と松阪を往復して不在がちの父親。3 才年上の兄は優秀で津の中学に入っていました。

東京で幼少期を過ごし、人生60年のうち40年近くアメリカ映画漬けだったやっちゃんは、母と妹たちとの松阪暮らしから伊勢での寮生活となり、皇国教育になじめずある教師と衝突します。さらには母が妊娠し14才年下の弟ができたことも一因なのでしょうか、母のもとに戻りたくてやんちゃを繰り返したようなのです。といっても停学退寮処分をくらった事件は下級生に付け文をした「お稚児事件」連座というもの。

汽車通学になったやっちゃんは、絵に凝り、読書にふけり、仲良しの庄屋の息子からカメラを借りて( ぶん取った!?) 熱中する一方、相撲・野球・柔道と仲間をひきつれ駆けまわり、芝居や映画の小屋通い。中学卒業式の日の日記に、「娑婆の学校とはおさらばだ。永遠に。」と記し、二浪して代用教員を1 年勤めたあと、深川の実家に戻りました。8 月、松竹蒲田撮影所に就職が決まり、翌月が関東大震災です。

六代目の「鏡獅子」を撮った翌1937年、7/7 に盧溝橋事件が起こり、9/10に三重県の久居駐屯地所属の兵としてやっちゃんは中国に渡り、2 年後 (1939) の7 月に帰国。1943には陸軍報道部映画班員として召集され、シンガポールへ。1943.6月に行って、復員したのは1946年の2/21だそうです。記録映画の撮影どころではない敗色濃厚なときで、暇さえあれば映画館へ行ってアメリカ映画を見ていたとか。

愛読書に「断腸亭日乗」があったというので、荷風の年譜を調べたらつながっていましたー。 囀雀

 

* こういうことは、わたしなど、逆立ちしても知る機会も無い。囀りさんに教えられている。

 

☆ 白山   囀雀

♪アルプス一万尺 小槍の上で アルペン躍りを踊りましょう

♪裕ちゃんナイスガイ 旭はマイトガイ そこにいる奴モンダイガイ

♪道元、白山  夢二は、榛名山 さえずり雀は物見遊山

 

日帰りバスツアー専門のツーリストが10月に勝山市の白山平泉寺、11月は永平寺と花筐公園散策という企画を出してきたので、飛びつきました。

白洲正子さんの「かくれ里」でかねがね憧れていた苔寺、越前平泉寺。

関、鈴鹿、甲賀、土山、永源寺、愛知川、ひこにゃん、浜ちりめん、高月、木之本、敦賀、気比、越前国府に九頭竜川…。

道元が京を追われ白山の麓に来た道筋。泰澄が平城京に往復したことでひろがった十一面観音信仰。その道筋を思いました。

永平寺の見学中、白山水という湧き水を教わりました。毎朝、その水を汲んで道元さんにお供えしているとのこと。

それにしても高速道路の威力ですわぁ、名張を出て4 時間半もたたぬうち、永平寺町のそば処に着きましたのよ。昼食をとり、

10月はここから永平寺、もともとの道場である吉峰寺を通り過ぎ、地元ボランティアガイドさんの待つ平泉寺で2 時間半過ごし、勝山城と勝山大仏を見ながら帰路につきました。

11月は永平寺で1 時間、花筐公園で1 時間半歩いて、名張帰着が21時。

花筐公園から帰った5 日後、NHK-FM「能楽鑑賞」が観世流の「花筐」を取り上げたのでびっくりしました。舞台は武生市味真野で、武生市には御所跡もあると聞いておりましたが、武生市は今立町を合併して越前市になったらしいのですね。

旧武生市には紫式部公園があるそうで、真野地区は蘇我倉山田石川麻呂の季子赤狛を祖とする山田家が栄え、石川麻呂の廟があるとのこと。

宝生流家元に「花筐のふるさと」と揮毫していただいた「花筐公園」は越前市今立町粟田部にありました。式内社「岡太( オカフト) 神社」が鎮座する山で、昔から眺望と桜の名所として知られ、昭和2 年には野口雨情( 当時45才) らが招かれ、園内にあった料亭に逗留して「今立小唄」を作ったとか。

ご即位1500年記念にゆるキャラ「おおとのん」を作った越前市。花筐公園には人形と顔出し看板が立っていました。―ー顔出し看板って好きなンですよぉ。

平泉寺は境内だけでなく国が発掘調査をしている僧坊跡や地区の旧家など、説明を受けながら歩き回りました。石川、岐阜、福井と3 本ある白山登山道入口のひとつなのに入山料を徴収しません。寺の拝観料も取りません。駐車場もトイレも無料です。

1778に建てられた寺の別当平泉氏の建物「玄成院」は、今もお住まいとのことで見学不可。お許しを得て庭園だけ入ることができるそうで、そこだけ拝観料が要るンですって。50円。

ガイドさんが子どもの頃、学校の学習会かなにかで平泉澄先生に宝物殿を案内していただいたことがあって「きょうはたいへんきぶんがいいッ」と神宝の刀をふたふりすらりと抜いて見せてくださったとのこと。逮捕しにきたGHQ が1778年からの家と知って、アメリカの独立宣言が1776年でしょう、尊敬の念をもって引き上げたというお話。

奥の院を参拝して、ここから白山への登山道という径を教わって坂道を下る途中、楠木正成の供養塔という五輪塔がありました。

なんでも彼の甥がここの僧になっていたため寺が南朝についたとか。あるとき案内した方がここでひとふし吟じられたことがありまして感激しました、とガイドさん。

また、顔なし顔なしの石仏がひしひしと並び重なる小さなお堂にも案内されました。タリバンがバーミヤン石窟を爆破したことに眉をひそめ「イスラムってこわいわね」と話していたけれど、日本も同じことをしていたのよねぇ、と思わず手を合わせました。

明治元年って辰年なンですね。来年は、それから12×12になるわけですか…。  雀

 

* 「真野地区は蘇我倉山田石川麻呂の季子赤狛を祖とする山田家が栄え、」とある辺りが『蘇我殿幻想』の作者として興味深く、ふっと尻が浮いた。

2011 12・11 123

 

 

* 帰国していたロスの池宮さんを二人で銀座のホテルに訪問。女二人が歓談のそばで、うとうとと。ほんの手土産にと、菊桐蒔絵の珍しい小棗をさしあげる。仕覆をつけて茶箱手前にもいいが、佳い小帛紗か木地の盆に飾るのもいいだろう。叔母の道具の中で、まるで貴人の幼子が迷子にでもなったあんばいに裸で紛れていたが、凛とした美しい蒔絵で目を惹いた。

お土産をあれこれ頂いて三時過ぎに別れてきた。お元気でなにより。

銀座を歩いて、松屋で妻が紫檀のスッキを買ってくれた。いままでのより、ほんの一センチほど短くした。少し早い夕食だったが上八階の「つな八」で。ビールはエビス。酒は八海山。

有楽町線で一気に帰る。途中眠っていた。

 

* 琵琶湖の鮒寿司を下さった岡山の有元さん、富山の鱒の鮨と黒づくりを下さった」田無の岸野さん、来信、ありがたく。文春の寺田英視さんも。感謝。

 

* 九十五翁清水房雄さんに戴いた新歌集に感嘆している。なるほどここまで来るのだな、来れるのだなと、境涯に嘆称を惜しまず。どの頁を開いても、把握と表現に痺れる。新短歌と称し口語短歌を作る人たちの歌詞ももらって読むが、そのような主義主張とはまったく似て非であり、自然に成った境地と謂うべし。

九十五年も生くれば様々の事ありき苦しみのみを実感として

何としても此だけはと言ひし人のこと覚えて居りて事は忘れぬ

明日もまた生きてあらむと目薬をさして眠るも昨日のごとく

庭草を詠み花を詠む心ゆとり羨(とも)しみやまず君が遺歌集

何でもない事を何でもなく歌ふのみ斯かる境地は思ひ知らざりき   清水房雄

 

☆ 12月20日か21日にお届けしてほしいと業者に(=鮒寿司届け)依頼していたのですが、手違いで早くなってしまい失礼しました。肖像画は悠揚迫らぬ温顔でしかも内に秘めた強さが汲み取れます。心惹かれてしばらく見入ってしまいました。

それにしても信じられない御奮闘、ただただ感嘆するばかりです。

お誕生日を心より御祝いし、お揃いで辰年の春をお迎えください。   吉備びと

 

☆ 今年もあと少しになりましたね。  ゆ

「くろづくり」「ますのすし」召し上がっていただいて嬉しいです。

富山人は「ますのすし」といい、他県のひとは「ますずし」といいますので、すぐに富山の人かどうかわかります!

今年の夏はずっといきたかった越中八尾「風の盆」にいくことができました。編み笠で顔を隠してしなやかに踊る様子は、聞いていた通りとても幽玄」で・・。ほんの2歳くらいから踊り始め、20代なかばには卒業するようなのです。(最後のまつりには編み笠の中で人知れず涙するとか・・) 町の中、鎮守の森、神社の階段、石畳の坂道、いたるところが劇場になっていて、すてきでした。

最近大好きになったものは、「古武道」です。チェロの古川展生さん(都響メインチェリスト・映画「おくりびと」のかげでチェロを演奏していたひと)、ビアニスト・作曲家の妹尾武さん、尺八の藤原道山さん。いずれもセンス抜群のスーパーユニットです!

最初図書館でなにげなく道山さんの「空」というCDを聴いて、あまりの音色のふかさに驚き感動し「ヒトミミボレ」してしまいました。今年の初夏の頃から、道山さんはもちろん、古武道のコンサートにもかかさずに通っています。年の暮れは三軒茶屋「世田谷パブリックシアター」での「古武道年末コンサート」で今年を締めくくりたいと思っています。少々嫌なことがあっても、「古武道のメンバーと音色に会える!」と思うだけで幸せな気持ちでいっぱいになる私です。

先日いただいた「湖の本109」の詩歌、すこしずつ楽しみながら読ませて戴いています。先生の歌も俳句もほんとうに好きです、私。

57頁の最後「花は春 春はさくらに匂ふ夜の・・・」「関の扉(と)をくぐれば闇に雪とふる桜のいろの・・・」美しい春ですね。冬がくればまたさきに春がくるのですね。

2011 12・12 123

 

 

☆ 私は 源氏物語は まずはじめに歌が出来て( かぎりとて の歌です) その詞書の様に文章が書かれたのではないかと空想することがございます。 御著にいろいろと御教示頂くこと多く忝うございます。

今年は福島の事件に打ちのめされて いっとき源氏物語さえ読めなくなり、何しに生きて来たかと落ちこんでおりましたが ようやく もう少し余命を生かしてみようかと思い直す昨今でございます。

どうぞ穏やかな新年をお迎え遊ばしますように 一筆おくればせながら 御礼まで  かしこ  源氏物語研究者

 

☆ 秦恒平様が 辛口の読み巧者であること、 つとに存じ上げておりましたが、このたびの ブログ 御文章 にやりとしつつ拝読させて頂きました。

同封のものは、最終号となります。おひまの折にでも、御笑覧下されば幸いです。

向寒の折 御大切にお過ごし下さい。   歌人

2011 12・13 123

 

 

* 亡きやす香の一のお友達の、就活に成功してすでに卒業後の職場が決まった由、報せがあった。おめでとう! この時節のこと、超級のクリーンヒット。よかった。一年留学も終え、卒論の仕上げも近いと。お祝いしたい。

やす香が元気でいたら、どんな就職活動に奮闘していただろう、国連に勤めたいと話してくれていた。願いを叶えさせてやりたかった…。妹のみゆ希がどうしているだろうと、祖父母は三日に上げず語り合い、どうか元気に堅実に日々を幸せに送ってくれていますようにと心から祈っている。わたしたちに手伝ってやれることがあるなら、どうか本人から声を掛けてきてくれるとどんなに嬉しいだろう。いまのところは、大学へ進んだのかどうかも全く知れないまま心配している。

それはそれとして、やす香のお友達の上のメールが、妻の機械で不正メール処理されていたそうで、あやうく削除前に見付けられたのは幸いだったが、こういうことがタマにあるのは、心配だ。

2011 12・13 123

 

 

* 新潟の黄色さんに碧壽久保田いただく。高麗屋にお蕎麦をいただく。ロスから見えた池宮さんにも菱川師宣ゆかりの銘酒見返り美人クリスマスプレゼントいろいろいただく。わたしの親類から、みるから立派なさつまいもを沢山、妻の親類からは紀州の干魚を沢山、いただく。

床に就く前、有元さんに戴いたたっぷり子持ちの鮒寿司で見返り美人を。両方相譲らず頗る頗る美味かった。血糖値もあがったけれど、それは注射して按配。

2011 12・13 123

 

 

☆ 設計   雀

奈良市高畑町の志賀直哉宅と、兵庫県魚崎の谷崎潤一郎倚松庵。どちらも昭和4 年建築。自身の設計とベルギー人の設計。それぞれがもつエピソードを知り、よろこびとたのしさを得ました。

杉本健吉さんの美術館と入江泰吉さんの美術館は同じ年の完成ではなく5 年の差がありますが、自身の設計と他人の設計という点では同じです。

すぎんちゃんは模型をこしらえ設計に熱中したそうで、図面を書き書き熟考した志賀さんを重ねてしまいます。一方、いりんちゃんの建物は黒川紀章。

1 階の喫茶で屋根を見上げながらケーキセットを食べていると、この地下に“ミスターウェット”入江ワールドが広がっているとは思えません。

「寒くなる1 月こそ、暖かい室内での絵画鑑賞はいかがでしょう。のんびり電車やバスに揺られてアートに触れる小旅行へ出かけてみませんか。」

昨年12月、こんなキャッチフレーズで鉄道会社のPR誌がチケットプレゼントをしておりました。応募した杉本美術館から、「大和路/ うさぎ展」のチラシとペアチケットが送られてきて、初めてこの美術館が元旦から開いていることを知りました。とはいえ油断していて最終日ぎりぎりに見に行って、植えられている数本の山桜が海からの風に花びらを散らすなかを次の部屋、次の部屋と観て回ったのですけれどね。

展望休憩室でお薄とおいしい地元のお菓子をいただきながら、窓枠を額縁に、日本画のような景色に胸ゆるび、展示室に戻って続きを始めたものの、これはとても一度では足りないと、お隣のうなぎやさんでうな重を食べて帰りました。

おいしい蒲焼きでしたよ♪

名古屋能楽堂の鏡板を手がけてらした84才のとき、駅の階段で転んで右手首を骨折。自分には繪以外ないと初めて気がついた出来事だそうで、入院二日目から左手で描く訓練を開始。左手で描いた画には「健吉」ではなく「左吉」と署名なさいました。また年齢ばかり質問されることにうんざりして「南斎」と落款を押しています。

1971年10月に志賀さんが亡くなって上司海雲さんや入江泰吉さん、須田剋太さんや水島弘一さんらと『七人の会』を結成し、「余技展」を開いたとき、余技がなかったというのが信じられない愉快でお茶目な美術館です。

幡を99枚作って愛知万博と自身の白寿祝をと、2004年2 月に亡くなるまで208 枚仕上げられたとか。

美術館を訪ねた翌週、片桐石州館から斑鳩まで歩きましたが、偶然、法隆寺聖霊会にあたっていて(4月22日) 、境内のあちらこちらに、お堂ののきさきに、塔の宝鐸のところに吊るされた幡を目にして、壁にかける繪はもういいんだ、とおっしゃった杉本さんの気持ちがわかる気がしました。

美術館のすぐ近くが伊勢湾をのぞむ内海温泉ですから、年末に宿をとって、海の幸をいただいて、露天風呂で星を見上げ、波の音を聞いて年を越し、すすいで洗ってうき世を忘れ、初空、初湯、初雀。杉本さんの美術館できよまり、しゃれに笑初め。あざやかで爽快なとしのはじめになりそうでうっとりします。経済の都合で電車での日帰り。ふた駅先の野間大坊で源義朝さんにお参りしてまいります。

12/30 ~1/31までの連続する三日間、近鉄全線乗り放題¥4000という企画切符が発売されていて、12/30 ~1/4 が休みになる主人と、 1/1は名古屋で名鉄に乗り換えて知多半島の杉本健吉美術館へ。1/2 は奈良市の入江泰吉記念館へ。1/3 は伊勢の伊藤小坡美術館と計画を立てておりましたら、小坡美術館は5 日からというので京都と名古屋の美術館を探し始めました。  囀雀

 

☆ 劉生と杉本健吉のはしご   囀雀

名古屋市の石材店五代目として生まれながら家業を嗣がずに浄瑠璃三味線を教えて妻と暮らした家の、二男として1905に健吉さんは生まれ、尋常小学校を愛知県と三重県で五回かわったそうです。

絵の前で立ち止まって動かない彼に両親が色鉛筆を買い与えたところ、教わりもしないのに重ね塗りの画を描き、それを見た父の友人が油絵の具をプレゼントしたそうです。10才にならないうちに油絵の具で色を重ねることをしたすぎんちゃん。1917年2 月に名古屋で草土会展が開催されたとき12才でした。 1921 年1 月にふたたび名古屋で草土会展が開催されたときは、名古屋高等工業学校図案科に学びながら、あちこちの公募のポスターやマークへの応募を続けていました。工業高校を卒業して、学費を出してくれた会社へ就職して半年後、関東大震災がおこり、憧れの岸田劉生がひと月近く名古屋で避難生活を送ります。すぎんちゃんは1925年に京に暮らしていた劉生を訪ね入門をゆるされたそうで、鉄道関係の図案の仕事をしながら夜行列車で京へ、鎌倉へ通った由。

劉生は幼い頃から長兄の精神病をを見ているのですよね。13才のときその兄の死を見つめ、14才のときには両親の相次ぐ死を目にしています。稼ぐぞー! おみやげたくさん買ってくるからなー! お父さんはそのあとパリに行くんだー! 待ってろよーモンパルナスー! そうは言わなかったでしょうが、劉生が満州へ渡ったとき、麗子は15才。

夢二がアメリカからヨーロッパへ渡ったのがその3 年後。日本にもパルナッソス山がある。榛名山だ。日本のモンパルナスを伊香保

につくろう― そう夢見たのかしら。

劉生の京都避難から80年後の2003年10月に京都市美術館が開催した「劉生と京都」展を見て以来の麗子像。

生誕120 年記念の大阪市美術館「岸田劉生」展で初めて彼の絶筆を見ました。

それから入口に戻ってもう1 周見て回り雀は駅へ戻りました。遷都1300年祭のために、昨春、神戸三ノ宮⇔近鉄奈良まで直通の列車ができ大阪⇒奈良へ乗り換えなしで行けるのを体験したかったから。阿倍野の美術館を11:00 頃に出て、12:00 には奈良駅に着きました。大阪市美術館と京博のはしごを以前にいたしましたが、奈良市の美術館ともゆっくりはしごできます。

奈良の気に入りの蕎麦屋でゆるりと食事をしたあと、初日に大急ぎで見て回った、入江泰吉記念館「入江泰吉・杉本健吉二人展」をゆっくり見て回り、別の蕎麦屋で早めの夕食をとって帰りました。入江記念館で、2002に開催された「入江泰吉・杉本健吉・須田剋太3 人展」の図録が手に入り、たのしみとうれしさが加わりました。

荷風の本を図書館で借りにいって、乱歩の小さな展示室を再訪しました。なるほど、なるほど、とうれしくてたのしかったです。

帰宅して年譜をくっていて、昭和20年の疎開のくだりに菅原明朗の名が出てきたので志賀さんの年譜をひっぱりだしました。そして荷風が谷崎さんの招きに応じ、すきやきと日本酒を楽しんだのが敗戦の前日だったというくだりでは、「谷崎・乱歩・横溝」展とつながってまた愉快でした。   雀

 

* 旺盛に「暮らして」いる、それは確かだ。わたしは賛成する。其の人、人で、生きている人間・個人として、出来ることなら元気にする。機械に後ろ手に縛られ、数珠つなぎにうろつく囚われ人のように日々を消耗するほど非人間的なことはない。

2011 12・14 123

 

 

☆ 『湖(うみ)の本・光塵』を賜り真にありがとうございます。それから体調を崩された由心よりお見舞い申し上げます。

「述懐」 も「詩歌」も必要だったのです、今の秦さんには。

この一巻には生き生きした精神が走っているではありませんか。二冊発注します、一冊は私に、もう一冊は送り先下記に。  詩人

 

☆ ずいぶんご無沙汰いたし、失礼いたしておりましたのに、『湖の本・光塵…』をご恵送賜わりまして、うれしく有難く御礼申し上げます。御作品。短歌・俳句・方陣詩他 さすが知・ 情共に とびきりのプロでいらっしゃると、存じました。故・師の全歌集などの校正他エンの下の仕事にうもれていますので、短歌以外のお作品にかえって多く魅かれます。

手にうくるなになけれども日の光

はな籠の花に水やる月夜かな

柿の木に柿の実が生りそれでよし

一筋の道などあらず寒の星

我は我はと言ふことやめよ 奴凧

避雷針を貫いて鴉寒に立つ

こころにもあらで浮世や鱧の皮

続いて短歌も味読させていただきたく、たのしみに致しております。ありがとうございます。

祝・湖の本百九巻

除夜の鐘に一つを加へ響き冴ゆ こと多かりし年の『光塵』     隆子  歌人

☆ 御体如何でしょうか 年と共に寒さが身に沁みてきますね。

一冊がとどくとそれ丈ですまず、前の本を又読み返すようになってきます。どうぞお大切にお過ごし下さいませ。  群馬桐生市

2011 12・15 123

 

 

☆ 落ち葉と黒猫    雀

11月19日( 土) 。 いつもの8:47京都駅着の指定席を前日夕方に確保いたしました。紅葉シーズン、しかも週末とあっては売り切れ間違いなしですから。いちにち雨という予報に小泉八雲「日本の面影」文庫本をおともにいたしました。初瀬には出雲から移住したゆえにその名をつけた地名がございます。それをいちいち思って通り過ぎているわけではございませんけれど、こと雨の日や霧が立ちのぼりますときには三輪の山が出雲の神山を聨想させます。

京都駅で存外の雨脚にタクシーを奮発いたしましたら、9:15には岡崎に着きまして、9:30開館まで売店を冷やかそうかしらと扉を押したところ、 11/19・20と< 関西文化の日> で、市美術館も国立近代美術館も収蔵品展を無料公開。9 時過ぎには開けていたようです。

京都市美術館の収蔵品展をゆっくり2 周して、お向かいの近代美術館へ。海野弘さんの講演整理券配布開始まで収蔵品展を見物とエレベーターで上りましたら、冒頭に、追悼「元永定正」と、2 点展示されていました。

No.3の整理券を手に入れ、安心して国立博物館へ向かい、「細川家の至宝」を見物。スゴイ人でアップアップ、退散~の体でした。

春草の「黒猫」が出ておりまして、前期が「落葉」だったとのこと。

近代美術館に戻り講演拝聴( ~15:30)。

企画展「川西英コレクション~夢二とともに~」と収蔵品展を見物いたしまして、館前に待つタクシーに乗り、祇園白川、「かにかくに」の歌碑にお参りして、寺町三条へ。近代美術館で整理券配布を待つ間、ラックにならぶチラシをチェックしておりまして、寺町通三条上ルにある画廊が明日まで「安野光雅」展を開催とあったので。明日香の万葉文化館に行かなかった雀に、主人があれやこれや聞かせるのと、「街道を行く」の挿絵も展示ということに誘惑されました。

町は黄昏、あれほどの雨が嘘のようにあがり、点り始めたあちらこちらの燈が濡れた石畳を光らせて吉井勇歌碑の界隈は去りがたい美しさでした。

また、安野さんの繪を見てから、燈をちらちら水面に映す高瀬川を横目に地下の駅に向かうとき、なんて野暮なことをしているンだと損失感に見舞われました。とはいえ八条の京都駅まで歩く体力はなく、京阪に乗り、京都18:45 発の近鉄特急に丹波橋駅で余裕をもって乗ることができました。   囀雀

2011 12・15 123

 

 

☆ ( 今回の『光塵』に表現された=) さまざまな型式のもの、おもしろく拝読しました。

新しい年が心やすらかな毎日でありますよう、ねがわずにはいられません。   埼玉越谷市

 

☆ 拝啓

いよいよ本年も残り少なくなりました。老いの現実を見据え、これと共存、老いの進行と競うようにして刊行された『光塵・詩歌断想』を先日いただきました。私にまで御恵贈下さり忝う存じました。**ならば斜め読みにして読み捨てまい、とのお考えで下さったのであれば大当たりです。一気に読むだけの時間にゆとりがあろうはずはなく、他の仕事の隙間を強引にこじあけて、私としてはめずらしく何日もかけて味読いたしました。表現者の迫力に圧倒された思いです。

「光塵」。感じの妙なる組み合わせ。われわれは、地球は、いつかは宇宙の塵となって飛散するにちがいない。光を浴びる塵。

旧約聖書では「塵」は両義的で、被造物たる人間のはかなさを象徴するとともに、「塵灰」の身であるアブラハムやヨブに神は真剣に応答する。

第一歌集『少年』への読後感集の一つ一つに納得、共感。

108頁、岩田正氏に関連しての、表現の名に値する條件には、心打たれました。

「こころ沈透(しず)く」。ことばの力に感動します。  ありがとうございました。 平安。   基督教大学名誉教授

2011 12・16 123

 

 

☆ 富士山の噴火   花

ご心配、ありがとうございます。

これまで、東海地震と同じくらい富士山噴火のおそれが警告されていたのに、東日本大震災が起きたら、みんな津波の心配ばかりで、海寄りの土地に買い手がつかず、一気に値下がりしたそうです。

山側に家を建てる人がぐっと増えているようですが、富士山噴火の際は溶岩の到達するエリアであることは念頭に置いているのかなあ、と、首を傾げます。うちを建てるときは、富士山噴火と津波のリスクを考慮し土地を求めました。既にわかっている断層を避けて。

ですが、今回の大震災のような、超弩級の災害が起こったら、どうしようもないな、と思っています。

それでも持ち出し袋はありますし、緊急の際に携えたいもののリストもつくって備えていますよ。

数千年、いえ、数万年(もっとでしょうか)そびえている富士山にとって、数百年なんて一瞬のことなんじゃないかしらん、だったらせめて、あと五十年くらいは誤差の範囲として噴火しないでいてくれるといいなあ、と、美しい山を毎日見上げていますよ。

さてさて、予防接種のあと、大きな反応が出ないといいですね。お大事になさってください。

2011 12・16 123

 

 

☆ 奥さま

今年の梅干しと初しぼり( 近江の美酒) をお送りします。行事のようで楽しんでいます。

今年初孫が生まれ忙しさの中で生姜を漬けられず 梅酢が多少残りましたので ほんの少しですが入れました。5cc位を2~3f倍の水に薄めて飲むと 疲れた時とか気分の悪い時によく効きます、おためし下さい。

良いお年をお迎え下さいませ。   敬美  湖東

 

* 愛読者であったご主人の亡くなられたのは、湖の本を出し始めて二、三年と経っていなかった。夫人は、だが、その後もずうっと今なお毎年、このようにご主人と二人して丹精された実に美味しい梅干しや生姜を贈ってくださり、湖の本も読み続けて下さっている。一度もお目にかからないが、親族とも変わりない久しいお人である。「初孫」と。亡き人もよろこんでおられよう、嬉しいお便りである。

 

* 四国讃岐の岡部さんからも、目をみはるほど大きく熟したお蜜柑をたっぷり戴いた。

 

* 島尾敏雄孫娘の、まほさんから、新著と写真本とを戴いた。父上の伸三さんからも、何かのつど便りがある。顔の合うことはなかなか無いけれど、格別に心親しい友である。

2011 12・17 123

 

 

* ありがたい極みのご厚意により、2009年の全「宗遠日乗」が35項目に分類され、読者から電送されてきた。ありがとう存じます。

2011 12・18 123

 

 

☆ ごぶさたをいたしております。   讃岐

今年はバタバタしていますうちに、梨もぶどうも柿さえも、時季を逃してしまいました。

やす香さんに、お供えのつもりですのに、遅くなってしまって申し訳ございません。

高松市郊外の昔からのミカンの産地のものです。でも、どこにでも、もっとおいしい産地も、品質もあると存じます。「感謝」など、おっしゃってくださると穴に入りたい気持ちです。

先日、生徒が、スピーチの作文原稿に「林檎」と「初恋」について書きました。確かに「みかん」と「初恋」ではどこかしっくりしません。

おっしゃるように、みかんにはどこか家庭的な温かさというのがある気がしました。あの「みかん色」は、冬の夜の一家団欒の色なのでしょうか。

今年の秋の「平家」旅行は、高知県香美市に行きました。

教盛か、教経の家臣平良種(後に伊和三太夫と改名)が落ち延びてきた柚木の里(ゆのき)に轟の滝(とどろのたき)というりっぱな滝があります。この滝の主に三太夫の娘玉織姫がさらわれたというお話が伝わるところです。この「玉織姫」というのが『一谷 軍記』に出てくる敦盛妻と同じ名前なのだそうです。

ややこしくてわからなくなりました。

また、そこからもっと奥に入った、阿波との国境にある物部(ものべ)には、「いざなぎ流」という平安時代から続く民間信仰が伝承されていました。「大夫」(たゆう)と呼ばれる、昔で言えば安倍晴明のような立場の人が200 種類以上あるという神のよりしろの「御幣」の切り方を、二つ、教えてくれました。とても興味のわく不思議な体験でした。

来年は、『瀬尾最期』の舞台を探しにいこうと思っています。

寒さの折、どうぞお気をつけられますよう。

 

* せっかくのご帰国にも

先日は、このところの睡眠不調などで元気な顔がみせられず、謝らねばなりません。食べないと元気が落ち、食べると妙に工合わるく、心身に活気のない日でした、いいわけにならないが、お許しあれ。

巨視的には、寝たり起きたりという按配の昨今です。すぐ横になろうとしてしまいます。出歩いた方が活性化のためにはいいのでしょうが。

たくさん、いろんなお土産を賜りました。「見返り美人」のお酌でおいしいお酒「菱川」は、二日で飲み干しました。ありがとう御座いました。

水曜二十一日には、七六歳になります。まだ若僧です。

いい春を、お揃いでお迎えになって下さい。  恒平

2011 12・18 123

 

 

* 絵本作家の田島征彦さんから新刊の絵本と手紙を貰った。

 

☆ 歳も暮れかかり やっと一息ついています。

いつも湖の本をありがとうございました。

今年は、浦嶋伝説の本もお借りしました お世話になりながらお礼もせず大変失礼しました。

全校児童35人の小学校へ瀬戸内海から日本海まで日本を横断して何十回も通いました。

来年からは自分の仕事だけに力いっぱい頑張ります。

今年は 国民文化祭に協力して 感謝はされましたが、充分に自己の作品制作ができていないので恥しい年でした。

良いお歳をお迎え下さい。 二◯一一年十二月十五日   田島征彦

 

☆ みづうみ

 

明後日のお誕生日には歌舞伎にお出かけと思い、明日お祝いの「めで鯛」が届くように手配しています。ただ、昨日はどうしても市場にちょうどよいサイズの鯛があがらなかったそうで、焼き上げた少し小振りのものが二尾届くことになります。貧弱でないことを願っていますが、お祝いの気持は倍とお思いいただき、何卒ご笑納くださいませ。今年もみづうみにお誕生日祝いの鯛をお送り出来ますこと、わたくしの何よりの幸福に思っています。

一日の身を置く石蕗の花明り  本田ちか子    冬菜

 

☆  幸いに   花

予防接種のあと、異常なしとのこと、よかったです。

ひきつづき、お大事になさってください。

 

>気持ち悪いのは、福島原発事故が収束されたという政府宣言です。なぜこんなでたらめな拙速に走るのか。

 

年内に冷温停止すると公約みたいなことを海外向けにしてしまったから、その辻褄あわせでしょうね。

ただし、海外のマスコミは、冷酷なまでに客観的に事態を見ていますので、野田総理の出まかせを真に受けることはありません。

野田という人は、そんなこともわからない甘ちゃんですよ。

国会の答弁を見ていても、その場しのぎの言葉しか口にしませんから、結局何がしたいのかわからないただの変な人になる。だから議論が成立しないのです。

あの人は、政治家になっていなくても、自分大事でその場その場で言うことをコロコロ変える、主張のない人だったでしょう。

今日はこれから、あちこち用事をしてこようと思います。いいお天気なので助かります。

ではでは。

2011 12・19 123

 

 

* 35項目に分類し送って頂いた2009年のわたしの全日乗を、無事に保存・保管した。1998年以来、各年別に宗遠日乗の記事内容が「分類」できている項目は、順不同に以下の通り。

バグワン  心  ペンクラブ  映画・テレビ  演劇・舞台  家族血縁  歌舞伎・能・狂言  茶の湯  京都  女  健康  湖の本  「 e-文藝館= 湖(umi)」・「 ペン電子文藝館」   仕事  政治  時事問題  雑  東工大卒業生  読者  友人知己  人物批評  電子メディア  パソコン  文字コード  美術  音楽  スポーツ  文学  作家論  読書禄  詩歌断想  思想  述懐  旅  外出  飲食  歴史  名言集  補遺・問題  追加   総量およそ五万枚と把握している。現行ホームページの「宗遠日乗」には、分類以前の日録のままを全部保管してあるが、いずれは、分類したかたちでも保管・掲示する。

「 湖(うみ)の本エッセイ」の20『死から死へ』 47 48 『濯鱗清流 秦恒平の文学作法 上下巻』 同じく、通算 107 108『バグワンと私 上下巻』 109 『光塵・詩歌断想( 一) 』は、上記分類から生まれている。

 

☆ 近況を一つ    都内

まだ、はっきり結論は出ていませんが、非常に悩んで、娘を東京から出す方向で動いています。色々調べて調べて、今の東京は子どもと妊娠可能な若い女性の住んでいいレベルではないと判断せざるを得ませんでした。首都圏はキエフどころかチェルノブイリレベルの汚染になると言う人まで出てきました。

東京が石原知事の暴挙のもと、汚染された瓦礫を燃やしはじめて線量があがってきていること一つとっても、安全という学者ではなく、早く逃げろと警告する学者のほうを私は信じました。

今の若い人たちは親世代ほど危機感がなく、気に入っている仕事と築き上げた人間関係を棄てることになるので、娘は渋っていました。しかし、健康被害が出てしまえばそんなものは何の意味もなくなります。出来ない理由をあげていたら手遅れになると思うのです。

本来は年内に脱出させるべきでしたが、親としても迷いぬいていました。細心の注意を払えば生活可能であってほしいと、そう願い続けていたのです。残念ながら、政府の放射性物質拡散放置、いえ推進ともいうべき愚かしい、愚かしい政策の数々により、事態は急速に悪化しています。除染も瓦礫処理もすべて利権が絡んでいるのだろうと推察しています。お蔭で本来なら安全でいられた西日本や沖縄まで、日本中に放射性物質が蔓延しはじめました。今後は住宅や家具などあらゆるものから放射性物質が検出されるようになるでしょう。(とめようとすればとめられるのに)子どもや若い女性は来年三月、事故から一年以内には何とか被曝を避けられる場所に逃げなくては……。戦時中の学童疎開のようなことをさせるしかないのです。

決断の最後の一押しになったのは、友人のお嬢さんが心臓に問題のある赤ちゃんを出産したことです。妊娠初期に福島の事故があったわけですが、東京の高線量地区に住んでいました。ふつうの妊娠出産でもこのようなことはありますが、まったく被曝の影響がないとも言い切れません。人類未踏領域のとんでもない災害なのですから、最悪を予測して行動すべきだと思って、親の強権発動のようなかたちになります。娘にはどうか健康な子どもを産み育ててほしいと祈るばかりなのです。

私はたぶん第二次大戦の初めはこんな雰囲気だったのではないかと想像しています。根拠のない楽観がはびこり、大本営発表がまかりとおっている。戦争当初に阿鼻叫喚の東京大空襲や広島長崎の原爆投下を大衆が予測していなかったようなものです。

 

今の状況は、日本が確実に負けるとわかっていて非常に悩み苦しんでいた一部の人間と、大本営発表を信じて日本は勝つと信じこまされていたのんきな大衆のような二極化とそっくりです。シンガポールやマレーシアのビザ取得が難しくなってきているほどに移動している日本人は多く、東京の人口も減ってきている反面、街を歩けばマスクして歩いている人間はほとんどいません。

私は数年後の日本が恐ろしくてなりません。子どもや若い人がどんどん死んでいくかもしれないのです。若くない人もあらゆる病気で死んでいくでしょう。このままいくと、日本という国は世界の核のごみ捨て場となるしかなく、それを望む他国もあるのかもしれず、日本という国も日本人も滅びるのではないかとさえ憂慮されてならないのです。それとも、私のこんな考えは被害妄想なんでしょうか。どうお思いでしょうか。

果てしない戦争が始まってしまいました。私はそう思ってこれからの時間を過ごしていくしかないと思っています。命ある一日、一日を愛しんで生きていくしかないのです。

 

これはおせっかいではございますが、一昨日久しぶりに建日子さんのブログを拝見して、心配しています。建日子さんもお若いので、ご健康を過信なさっているのかもしれません。

マラソンを始められたそうですが、私が家族なら猛反対いたします。今の東京で、大気中にふつうにストロンチウムなどの致命的核種が存在している中で、あのような激しく心肺を使うスポーツをするのはとんでもないことです。吸い込んだらどうなりますか。オリンピック選手とでもいうならしかたないかもしれませんが、健康のためのマラソンは東京では出来ません。運動なさるなら、ご自宅室内で出来るものになさってください。

もう一つ、建日子さんは移動に車をお使いのことと存じますが、万が一、まだエアフィルターの交換をなさっていないのなら、至急新しいものと交換なさってください。東京は福島由来の放射性物質で汚染されましたから、都内を走る車のフィルターからさまざまな恐ろしい核種が検出されています。洗浄してもとりきれないそうです。外国の学者は都内の車という車のエアフィルターを交換しないと、東京はホットスポットになると警告しています。肺ガンのリスクを低くするためにも、どうか、新しいものに交換してくださいますように。

 

百回輪廻転生しても、日本はまだ放射能汚染されていますね。ほんとうにとんでもないことになってしまいました。

 

*この人の、過剰かと思われるメールをわたしは、三月十一日の直後から何度も貰ってきたが、日が経つに連れてこの人から手にした情報のほぼ悉くが、その通り遅ればせの事実や問題点として報道され確認されてゆくのに繰り返し際会してきた。よほど良質な情報源をもたれているように思われる。ここで言われ憂慮されていることの全部がいまやわたし自身の憂慮となり、眼をむいて事態の推移を睨んでいる。

建日子がマラソンだ、走り込みだと勇んでいるのも、オコの沙汰ではないかと少し惘れていたが、まっすぐ指摘されている。息子にも知らせた。何方にも、それなりに判断し問題点を感じ取って欲しく、あえて此処にも転記させて頂く。

2011 12・19 123

 

 

* いちばんに、鯛の浜焼き二尾で、明日七六歳を祝って戴く。昭和十年( 1935) 冬至、夜の一等永い夜にわたしは生まれた。

 

めでたいと祝い鯛とぞ年の瀬のいや永き夜を壽きたまふ   みづうみ

 

* 感謝します。

 

☆ バースデイ・イヴ  鳶

メールを昨日いただきました。ありがとう、とても嬉しいメールでした。

『指輪物語』、残り百ページは、既に読み終えてしまったことでしょうね。わたしも追いかけるように読んでいるのですが、訳の読みやすさもあるのでしょうか、長大な物語の生き生きした魅力、楽しんでいます。

(学生時代を過ごした=)京都への深い思い、ことに今頃の初冬の、新しい年を迎える頃の京都、鴉の誕生日の終い弘法も終い天神も懐かしい。祇園の歳末から新年への夜も、すべてすべて、京都に住んでいる人が羨ましい、と書いてしまうのは些かわたしの病か・・。

鴉の京都への想いは重層的な複雑なもの、同時にとても静謐なものだろうと察しています。いつも「トンボ帰り」されているのが、いっそ不可解でした。京都の煩わしい人間関係や変化など勿論抜きにして、ゆったり京都に向き合って時間を過ごされたら素晴らしいことでしょう。

HPの記述にある、(創作を願いながら=)「生活と歳月のなかで志を風化させ劣化させている」、その例にわたしも漏れないなと嘆息しつつ日々を過ごしています。

鳶にもたくさんな楽しみがありますように、と先に書いてくださっていました。さてたくさんな楽しみとはいきませんが・・。冬になる前に山陰になど思いましたが、家人にはそのような気分は全くなく、京都もいつも車で素通り、立ち寄って楽しんだのは湖東の金剛輪寺の紅葉だけでした。わたしは二兎でも三兎でもバランスよく追及したいと思ってしまい、移転も旅行も本も・・みな並行して楽しみたいのですが。

そして先日は秋以来、唯一の美術館通いでした、奈良県立美術館でスペインリアリズム絵画に学んだという礒江毅の回顧展を観ました。これは東京の練馬区立美術館で開かれた後に巡回してきたものです。

礒江氏は1954年生まれ、2007年、53歳で死去。20歳から40過ぎまでスペイン、その後は日本にもアトリエを構えてスペインと往来。静物、人物を主なテーマとして油絵ないしは鉛筆画の極めて緻密な作品でした。およそ自分には不可能な技ですが、とても興味があります。年上の野田弘志氏に似て、また作風は異なりますが麻田浩氏にも通じます。

若い人たちにも凄い描写力の人が輩出、彼らがどんなものに興味関心を持ち、選び出すか、ものへの迫り方、描き手としての感性、色彩や線描への執念に眼瞠ります。或る人は病的に、或る人はアニメやイラストのように。日常の中に在り、潜む、さまざまなものをわたしも息詰めて見つめます。

 

家のこと、二月末には移転と思います。二軒の整理は容易ではありません。舅の本や資料標本、書類の整理がまだ終わりません。家具の処分も大仕事。こちら(=播州)では書籍と庭木の整理が大仕事です。

詩集の出版もその頃になるでしょう。最終稿を送った段階です。出版に纏わる事柄をわたしは理解しておらず、帯や跋文の件など未定。鴉が言われるように一人で、唯一人の宰領で貫けるものではないのか。

この一週間はこちらで、29日から1月5日あたりまで姑のもとで過ごします。元気に元気に過ごします。

鴉、よき誕生日を!!! どうぞお体大切に、風邪引かぬよう、ゆったりお過ごしください。

 

* いよいよ詩集が出るか。楽しみだ。跋は簡潔になるべく自身で書くのがいい。帯は…。いろいろと心労もあるでしょうが、お元気ですかと励ましたい。

 

* 明日は外へ出るので、イヴを、戴いた「めで鯛」一尾のご馳走になった。とても美味しい清潔な浜焼き。妻もよろこんで。いいお酒もあって。もう一尾、明日の昼に戴く。

2011 12・20 123

 

 

☆ だいぶ寒くなりました。   作家

お元気そうで羨しい限りです。

こちらは体調いよいよ悪化。字に書けなくなりつつあります。

『光塵』ありがとうございます。私も若い頃はもっぱら詩に親しんでいましたので、いく分かは詩藻の豊かさ わかるつもりです。

 

* ハガキのペン字がつらそうであるが、字粒は大きく力あり、どうか気づよく病勢を払って下さい。

2011 12・20 123

 

 

* トールキン作『指輪物語』巻末に誌す。

 

稀有の文学 宝玉の名品。 平成二十三年(二◯一一)十二月二十一日 七十六歳誕生日の午前一時二十分 感動して読了。

* 出逢いの喜びに満たされた。終幕の美しさ懐かしさに涙した。

同類の結びに過去二度出会っている、『モンテクリスト伯』と西鶴の『好色一代男』。それぞれに異なっているが、指輪所持者フロドの幸せな旅立ちは、老いし私は懐かしくも憧れを誘われ胸ふるえた。

出逢いを与えてくれた播磨の「鳶」さんにもお礼申し上げる。

2011 12・21 123

 

 

☆ 祝七十六歳

お元気ですか、みづうみ。

お誕生日おめでとうございます。

歌舞伎三昧の佳きお誕生日をお過ごしになったことと拝察いたします。

来年、お仕事にもお遊びにも充実の一年でありますように。何より、お正月早々の人間ドック無事に通過なさいますように。お健やかにお過ごしになりますように。  雪

 

☆ 湖へ

お元気ですか。お誕生日、おめでとうございます。

もう残り数分ですが、大切な一日が過ぎていきます。

どうか、くれぐれもお元気で、来る新年もと、願います。

明日になってしまいましたが、少しばかり甘い品をお送りしました。

ご一緒に、いつかお抹茶一服をと、叶う日を楽しみに過ごします。

私自身の体調もゆらゆら、難しい季節を生きています。

どうぞ、大事にしてください。お元気で。湖。  珠

 

* さ、日付ももう変わっている、やすみます。

2011 12・21 123

 

 

* 「珠」さんから和菓子戴いた。お茶を点て、妻と各二服。泡がゆったり盛って、よく点った。

2011 12・22 123

 

 

* 母方祖父の親戚、江州水口宿本陣鵜飼家からも、妻の親友からも、やす香のお友達からも菓子など戴く。

2011 12・22 123

 

 

* こころもち

 

お手紙ではしんどそうでもありましたが、大丈夫ですか。寒さも一段ときつくなってきました。大事にしてください。

小粒の美味しいお菓子をありがとう。お茶を、ふたりで十二服、そのつど美味しくお菓子を戴きました。お茶はわたしが自分でたてます、薬罐のお湯で、あまりお行儀は顧みずに、ふっくらと美味しくたてます。表さんの、泡たてないお茶は苦手です。

「閑事」と二字、裏千家柏叟の軸を敬愛し、このところ永く掛けています。「閑事」とは何か知らんと思っています。

肺炎の予防接種うけました。インフルエンザのに当たった苦い思いがあり懸念しましたが、すんなり大丈夫でした。

息子が正月を蓼科でしないかと提案しましたが、食べ物の無い雪にうもれた蓼科は遠慮しました。へんな虫の出ない春の早めか秋になら、また行ってみたいです。諏訪の湖も観たいです。あなたのお正月は諏訪でしたね。佳い春をお迎えあれ。 湖

2011 12・23 123

 

 

☆ 拝啓   大学教授

やわらかな冬の陽に包まれてみかんが一段と色あざやかです。

此度は「湖の本一◯九 光塵・詩歌断想(一)」御恵送賜りまして まことにありがとう存じます 早速拝読させていただきました 目がくらくらいたしました。

あけぐれのほのかにひかり生(あ)るるときいのちましぶききみにみごもれ

たまゆらのゆめなりしかなこのうでにだきてきみ在るはるのあけぼの

などがまず心にしみてまいりました。

またゆっくりゆっくり拝読させていただきます まずは御礼迄にて失礼いたします。

 

* 今度の『光塵』一冊は、総じていえば期待以上に受け容れてもらえたように思われる。妻の感想でも、そのようであるらしい。

ただ一つ二つ特徴的な点が認められる。

ひとつは、歌人俳人としてその世間で作を発表されているような方からの口が重かった。そしてこれは予期していた。このうるさい男にうかとしたことを言うのは止しておこうという反響であるのだろう。まして当人が、苦心の作物というよりも、ときどきの述懐、謂わば日頃物書きとしての発汗や排泄のようなものと称しているのだから、そのとおりに見送っておけばいい、と。それもわたしの願いに近かった。

ところで、もう一つ。

さ、これらがどういう工合に受け取られるだろうと暗に思い期待さえして編み入れた一群の作、上の大学の先生が取り上げてくださっている「恋和歌」ふうの作に関しては、ひたと何方からも言及がこれまで、 無かった。それが作者として失望というよりも実に面白かった。

言及するに足らざる駄作のゆえに通過されたのか、うかとした感想が洩らされぬと無難に通過されたのか、おいおいおい秦さん、大丈夫なのと剣呑がられたのか。

わたしは、わたしとしては当たり前だが、近代短歌と同等か以上に和歌に敬愛してきた。和歌的な自在にたいする興味と表現にいつも身をまかせていた。少年いらいのことで、まして後々に谷崎先生の「国風」としての短歌観にも賛同していたのだから、あたまのなかにいつも和歌から得た詩藻が小声を発していた。しかも和歌好みの芯には源氏物語や百人一首から呼吸し続けてきた「恋」「相聞」への愛着がつよい。

たとえば、わたしは、「これやこの」「あはれとも」「朝ぼらけ」など古人の歌の第一句に騎乗して和歌風の吟詠を遊んでみたい趣味のあることは、「光塵」に幾例も露骨なほど見えている。

上の先生が挙げてくださったような詩藻としての念頭の「恋」の発露はわたしにはいっそスポーツのような昂揚なのである。うまく乗ると、口を衝いていくらでも出来てくる。昔の名だたる歌人達が歌合わせに出るために用意した歌あるいは席に在って咄嗟に詠み上げた題詠の作など、と、似た気分になるとべつだんのことなくふわりふわりと出来る。だからといって真情とかけ離れた軽率でも巫山戯でも決してない。

『光塵』はこういう歌や句をいい塩梅に含んでいる点が、一つの遊びでも主張でも特色でもあるのだが、不良老年秦恒平のあたかも脛の傷や生傷に触れてやりたくないと思われた読者もあっただろう。そのご心配やご配慮はご無用である。みな、「口から出任せ」であり、しかも秦の本性にも深い位置できっちり結ばれて在る。

もうお一人奈良県在住の女歌人が、漱石山房の用箋に 秦恒平『光塵』と題するように三首を書きだして送ってて下さったのを書き写してみる。

よのふけのひとのことばはうつくしくふるへてゐるといふがかなしさ

とこしへのおもひのそこのみづうみよやへここのへにこのこひまもれ

さびしさのはてはひろののかぜにまひとほきやまべのつゆもわすれじ

こういう歌は、現代歌人は歌わない。歌えない。ふるくさい、時代後れだから、ではない。魂もことばも、現代の毒気で乾燥しきっているからかも知れない。わたしにもこんな和歌たちは楽しい余戯である。今日只今の本音を表現すれば、

なにが不沈空母なものか原発を三基もねらい撃てば日本列島は地獄ぞ

死神に答へて

この道はどこへ行く道 ああさうだよ知つてゐるゐる 逆らひはせぬ

2011 12・24 123

 

 

* 京都で育って東京で制作している日本画家に、和歌山のみごとな梅干しの樽を、東京で学んで東京で活躍している日本画家からは例年の自作の華麗なカレンダーを貰った。いずれも閨秀。

 

☆ メリークリスマス!!   やす香の親友

クリスマスの小包が無事届き、安心いたしました。

ごめんなさい、お靴はチョコレートではありません。

食べ物でもありません。

クリスマスのオーナメントなのです。

余りにも可愛らしいので送ってしまいました。

アマデウスの靴のようなイメージです。

どうぞ、齧らないで飾ってください。

えいたろうの飴は、伊勢丹オリジナルの限定品です。

クラウス・ハーパニエミというフィンランドの作家さんの絵です。

伊勢丹はここ何年も、クリスマス時期にこの作家さんの絵で飾りつけをしています。

可愛く、どこか神秘的でもあり、とても好きな絵です。

明日は下北沢でいろんな国のアニメーション映画を見てきます。

その後は私の家で一緒にご飯を食べます。

ローストビーフと鶏もも肉のハムを作っている最中です。

おじい様もおばあ様もどうぞ、お風邪を召しませんよう、温かくしてお過ごしください。

と言っている私が風邪をひいていますが・・・

それでは、楽しいクリスマスと素敵な新年をお迎えください。

 

* 感謝。お幸せに。

2011 12・24 123

 

 

* 喪中につき新年の挨拶を遠慮する旨を印刷したハガキが何通も届いてくる。胸がシンとする。

そんななかに、東工大卒業生、といってももう十数年、結婚して何人かのお母さんの手蹟で、ハガキの下の方に小さく小さく、「お元気でいて下さいね」と書き添えてあるのを、あわや見落とすところだった。ありがとう。教室で三年顔を合わせていた。以来、会っていないが「 湖(うみ)の本」 はずうっと買ってくれている。この人では、思い出がある。校門にまぢかい構内であった、うしろから駆け寄ってぶつかるように笑顔で声をかけてくれたことがある。「あ、秦先生の匂いがすると思って追っかけてきました」と。心嬉しくもあったけれど、わるく臭うのではないか知らんと、あとでちと気になった。なつっこい人だった。

 

* もう今年、残る五日になった。

2011 12・26 123

 

 

☆ 御無沙汰を重ねておりますうちに、例年どおりの寒い師走となりました。先生にはお変りなくご多忙におすごしのことと存じます。私も変りなく務めております間に二度までもお葉書を戴きまして恐縮の他ありません。丁度その頃遠くに居ります倅が帰宅しましたので、文藝館での私の俳句の事を話しますと、直ぐにごそごそしておりましたが、私の作50句などが面前に映りましたのにはいささか照れくさい思いがしましたが、その思いはすぐ消えて、私などの作句がインターネットに映るなんて勿体ないと思いました。その光栄に対して「もっと頑張って作句に精進ーー」と云う気持となりそれを誓いました。地方居住は「勝つ」ことより「負けない」努力と思っております。次ぎのお葉書では、お届けさしていただきました清酒のこと。僅かな品でどうもすみません。

また「「 湖(うみ)の本」 はいつも精読させていただいてをります。本当に勉強になりますので有難いです。亡き占魚師には「自己の俳句に栄養をーー」と教えていただきました。「湖の本」はその大きな栄養素であります。

年末となりました先生の御健勝を念じあげます。   下関市 俳人

 

☆ こんにちは。

いよいよ新年の準備一色になって参りましたね。

先日はクラブルームにお運び下さり、有り難うございました!奥さまもお元気でいらして、ご挨拶出来て幸いでした。

「湖の本」( 『お父さん、絵を描いてください』) の上下巻、昨日頂戴いたしました。お正月に実家でゆっくり拝読したいと思います。絵を描いてる身として、興味あるテーマのど真ん中でもありますから、いつも本当に一気に読んでしまいます!

今年は公私共に考えさせられる事が多く、制作に専念出来ない自分がおりました。不完全燃焼の感が拭えません。

「せっかく東京に出てきたのに!」。

その分来年は…!と期待しております。

展覧会も多くございますし、是非案内させてくださいね。

奥さま、ご家族さまと素敵な年末&年越しを! またお元気なお顔を拝見できる日を楽しみにしております。

時節柄、くれぐれもご自愛下さい。   画家

2011 12・27 123

 

 

☆ お元気ですか。  播磨の鳶

お誕生日の歌舞伎や皆様からのお祝い、良かったです。日々楽しんでくださいと願うばかりです。この九月からの鴉の体調を思い返すと、普通に行動できる、そのことが実はありがたいことなのだと思えます。

新しい年には予測可能な新しい変化と、同時に覚悟しつつも身構えて悩んでいる自分がいます。こんな時はあまり想像力を働かせない方がいいのですね。

例年のように喉の違和感に苦しめられた晩秋でした。加齢によるものと思うしかありません。血液検査などでは悪い数値は出ていないのです。少なくともその件に関しては感謝と安堵でした。

最近は本を読む時間もほとんどありません。霞を食べて生きていけたらと叶わぬことを思っています。

寒さが少し和らいで、穏やかな年末年始と天気予報は伝えています。移動する身としては一安心です。が、人の動きと交通渋滞はつきもので・・やはり大変です。明日はまだそれほど心配ないと思いますが。

どうぞ良いお年をお迎えください。

 

* 元気です。  武蔵の鴉

ヘマもやってますが。返事を書いている最中に、どんなはずみかこのデスプレイ画面に頭突きしてしまい、何もかも消えて往生でした。コードの接続が緩んで居るんです。

おとといは街へ出て、まんまと、懸念していたとおり杖を忘れてきました、それと気付いたのも遅くて、どこへ置き忘れたかさえ覚えていない。たぶん電車の降り際にメガネかマスクかをいじくるためドア際に立てたまま下車してきたのかも。父譲りの実用モノでしたが、無いと分かるとたちまち腰が痛みました。家内が、寸法も合わせて紫檀のを買ってくれていたのは家に置いていました。綺麗な鈴がぶら下げてあり、ネコみたいに歩きます。ニャアニャア

睡魔と、目下いちばん仲よくしています。そうも寝てられませんが、正月のために特に片づけるのも諦めています。晦日に、祝い蛤と年越しそばの天麩羅とを買いに出るだけです、そのころ息子も帰ってくると思います。

鳶は健気な嫁正月ですか、それとも播磨で迎えますか。嬢ちゃんも一緒に晴れやかだと佳いですね。

『指輪物語』とは、ほんとうに嬉しい価値ある出逢いでした。こういう嬉しいことが、まだまだ在るのは生きている頼もしさです。ありがとう、鳶。

正月五日に人間ドック入りします。

来年こそダレダレのためにも落ち着いた新年であって欲しい、切望します。わたしが、「仕事」できるように、つまり「小説」が書きつげるようにと。一度みな旧稿は捨て、新たに書き直すべきかとも苦慮しますが、出来ても出来なくても小説に取り付いていられれば幸いなのです。

お元気で。またいろんな予定なども知らせて下さい。あかるく頑張って。 カア

いい新年を。カア

 

* 吉田優子さんが、「書かなかったもの」「復讐のために」に次ぐ吉行淳之介論の第三弾「ファントム」を成し遂げた。前作に次ぎ丹念な追究がブレのない批評となって、この難しい現代作家のかなり急所に厳しく突き刺さっている。よりオリジナルな論の結び方も可能ではなかったろうか。表題ももう一思案欲しい気がするが。評論不作の現代に、こういう論者の相次ぐ登場が望まれる。論究の基盤をさらに「近代文学史」へ深く求め、この筆者の犀利な聡明な展開を期待したい。

2011 12・28 123

 

 

☆ 拝啓いよいよ押し詰って参りました。  名大名誉教授

益々 御健勝のことと賀し上げます。

「 湖(うみ)の本」 一◯九を御恵投にあずかりました。御礼を申し上げます。数々の思いをこめての御詠草に胸打たれます。老いの御心境もわが身の上です。

どうぞよいお年をお迎え下さい 敬具

 

☆ 秦先生    日野市 読者

真っ白に冠雪した富士の頂を窓越しに望みながら日々の寒さを実感しているこのごろです。秦先生にはますますご精励のご様子 なによりとお喜び申し上げます。

御著 湖の本「光塵 詩歌断想」拝受 まことにありがとうございました。

『みごもりの湖』を機縁に先生の御作に親しんでまいりました。以来 京都に触発されまして いくたびとなく足を運んでおります。京都市の友人からは こちらに住居を移したらと声をかけられるほどです。

こまたび109巻を頂戴しまして 嬉しさも一入なのです。感性豊かな御作に触れられることの喜びをあらためて感じております。

向寒の砌 ご健康にご留意なされまして 佳き新年を迎えられますよう心よりお祈り申し上げます。 拝

2011 12・29 123

 

 

☆ 『湖(うみ)の本 109』

お礼状遅くなりました。ご著書いろいろ、就中『梁塵秘抄』をよくひらいています。

◯ 来る春をすこし信じてあきらめてことなく「おめでたう」と我は言ふべし

こんな心境で新しい年を迎えたく思いました。

◯ 我は我と言ふことやめよ 奴凧

◯ 元日やタケルもグーも一つ家に

建日子君は早中でしたね。

「詩歌断想」たのしく読んでいます。    歌人・元早稲田中学教頭

2011 12・30 123

 

 

* 桐生の住吉さん、下仁田葱を新年のために下さる。感謝。

2011 12・31 123

 

 

☆ 秦恒平先生  御礼

本年もご指導賜りまことに有難うございました。生きる指針として御著をブログを拝読しています。

テレビ朝日のトーク番組で、コメンテーターの川村氏が、今年最も注目したひととして菅前総理をあげていたことについて、秦先生が高く評価されていましたが、私もその時たいへん感動しました。川村氏の興奮冷めやらぬ表情がまた印象的でした。菅さんは「脱原発宰相」として今後評価されてゆくものと思っています。

東電が、放射能被害者に対して「無主物」という概念を持ち出したことや、電気代値上げを「権利」と言ったことについても許し難いことだと思います。

原発事故後一年経過する頃には、政府の無策、東電の無責任な姿勢に対して、不満が爆発するのではないかと心配しています。そんなことのないように、早期の補償や明るい展望を示してもらいたいものだと思っているのですが。

ますますのご健勝をお祈り申上げます。よいお年をお迎えください。葛飾区 光

 

* 除夜の鐘を聴いて。

2011 12・31 123

 

 

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