ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2011年9月まで

* 朝いちばんに胸にしみるメールを戴いた。

 

☆ 秦 恒平先生

このところ真夏のような暑さが続いております。

思いもかけず 秦恒平先生からメールを頂き 大変恐縮しております。日々日録の言葉も、日課のように拝読させていただいております。

この度は

☆ 創刊二十五周年 おめでとうございます ☆

いつもご著書をお送りいただき ありがとうございます。

初めの一歩は 数年前あるHPで知った先生のご著書”茶ノ道スタルベシ・慈子”でした。

本当にうれしいご縁に感謝いたしております。(頂いた湖の本を数えたら 80冊近く)

あるとき ご本を読んでいた中に 《以前 何処かで読んだことが?》という短編がありそれが何処だったのか 大分後になって見つけました。

私が大切に取っておいた ”太陽”NO.195(特集:京の茶室)の中に・・・

ですから 初めの一歩は 《余霞楼:知ちゃんは池に落ちて・・・》でお目にかかっていたのです。(S.53.6月号) 嬉しかったです♪

先生の益々のご活躍をお祈り申し上げます。

~~~~~*~~~~~~*~~~~~

馬込でのご講演から名古屋途中下車のことを覚えていてくださり ありがとうございます。

後で穴に入りたいくらい無茶なことを! と恥じておりました。

お蔭さまでお茶の方はいろいろとを楽しませていただいております。

 

私事ですが 実家はいわき市(茨城との県境近く)の海辺ですので 3.11東日本大震災の影響をモロに受けました。(皆の命は大丈夫!)

その時 93歳の母は一人(弟夫婦は勤め先)家にいたのですが 首都圏にいる二人の孫からの続けざまの電話に 《おばあちゃん家の中にいてはダメ!早く外へ出て助けて誰かに貰いな!》と。

丁度通りかかった消防団の車で避難出来ました。母の話では 《気がついたら 手に子機だけ握っていたのよ!》と。

(その後放射能を恐れて母たちは一ヶ月ほど県外の妹宅に逃れていました。)

津波は実家の鴨居まで押し寄せられました。家こそ潰れはしませんでしたが 家財道具はどうしようもないほど。

(明治からの記憶でも津波が来たのは今回が初めてとのことです。)

常磐線が通常回復した五月末ごろ帰省して 実家の見納めをしてきました。

(今はもうすっかり解体されて 広い敷地だけに。。。)

亡父が”魚が美味しい!・津波も来ない・台風も来ない・温暖で風光明媚!

一番住みやすい所”といつも話していました。

* 学生時代は仙台。勤務先は相馬の高校。故郷はいわき。

7年間の行き来は 福島原発沿いJR常磐線。いつ回復できるか先が全く見えません。故郷を離れて遠く中部地区に住み着いてから45年の歳月を過ぎても 岩手 宮城 福島も私の視界の範囲なのです。

3.11以来 痛ましいことばかりことばかり。

でも 地震・津波は天災ですから どうしようもありません。

* 《福島:いつくしま》が 今は

世界用語となってしまった《フクシマ》

とてつもない魔物のような言葉になってしまいました。

科学が、 人が、 自然への畏敬を忘れてしまっていたことの恐ろしい結果となりました。

私をも含めて いつのころからか自然に対して傲慢な生き方をしていたのです。

《早く収束の道が見つかりますように。いわきを守って。福島を守って。東北を守って!》

と毎日 仏壇に祈っています。(祈ることしか・・・)

秦恒平先生が 原発問題でメッセージを載せてくださったことなどを嬉しく拝見させていただき感無量でした。

 

つい 私事の長いメールとなってしまいました。 ご容赦のほどを。

この夏も酷暑到来のようです。どうぞご自愛下さいますように。  愛知県

* 不幸中の幸いという使い古した言葉の意味が生きている、此の世。お元気に、この先を、と願わずにおれない。

 

* わたしも、またいろいろに思いめぐらしながら生きの緒を守り育てたい。

2011 7・1 118

 

 

☆ かえってご迷惑かと迷っておりましたが、気分転換にと香木をほんの少々お送りさせて下さい。

私は滅入ったときや、気持ちの塞いだときなど、よく、手持ちの香木を触って気分転換します。まして、 くと、心持ちがリフレッシュします。少し手軽な気分転換。

一粒、香炉の上に乗せ、机の片隅にでも置いて(時折手に受けて香りを聞く)、このうんざりする暑さや諸々の柵から少しは遠ざかり、涼風が吹くように感じていただければと。

私がお稽古している流派とは別ですが、インターネットに、簡単な き方が出ておりましたので、添えておきます。

① 香炉に、8~9分目ほど灰をいれ、香炭団を一個真っ赤に熾し、香炉に埋め、灰になるまで置いておきます。

これを1,2度繰り返すと、灰臭さが抜けると思います。

② 改めて、炭団を一個真っ赤に熾し、これを香炉の真ん中に埋め、(灰と炭団の高さが水平か、炭団が少々沈んだくらい)、周囲の灰を掻き上げ(円錐の頂点が炭団より1㌢くらい高く掻き上げ、頂点から炭団まで、火箸で空気穴をあけます)。

③ その円錐型の灰の頂点に銀葉(ぎんよう=雲母の板)を乗せ、ちょっと押さえ銀葉を安定させます。

④ この上に香木を一粒乗せて、これを聞き、お楽しみ下さい。

※ 香木は焦げないように、烟が出ないように、雲母の板に載せます。火が強くて、煙が出るようなら、銀葉をもう一枚重ねて、火力を弱めます。火が遠くて香りが立たないようなら、雲母をもう少し、押さえて、炭団に近づけます。この調整が、何年やっても難しいです。人の好みもありますし。

お送りする香木には、一応銘がありますが、流派でつけるものなので、そんなことには拘らず、たとえば「湖」「清経」「佐々貴山君」「慈子」などと仮銘を付けて、愉しんで頂くのもいいのではと思ったり・・・

香炉は夫の趣味の手作りです。(元々自動車関係の技術者ですが、こういったことが好きなので)

岐阜県土岐市で、素焼きにしてもらい、これに漆をかけ、なにやらいろいろ施して絵を描き漆で着色。

お送りしたのは、『源氏物語』を主題に、5つの香りの同異を聞き分けて遊ぶ「源氏香」の文様から「夕顔」の巻をしめす、文様です。(「胡蝶」「篝火」「紅葉賀」のデザインにも今挑戦中ですが・・・)

素人の手作りをお茶人の先生にお送りするのは、厚かましいのですが、お使いいただければ嬉しいです。

この暑さで、参っておりまして、新しい銀葉を買いに出るべきですが、とても町中へでる元気がありませず、手元にある物でごめんなさい。思いついたらすぐにお送りしたくて。(愚図のくせにこのせっかちな性格が作にも、推敲にも出てるよ、とご指摘を受けそう!)

今から、香木を選び、小さく刻んで(聞香の、香木の大きさは「馬尾蚊脚」馬の尻尾の毛か、蚊の足ほどの量で足れりと)、明日、発送いたします。ご迷惑にならぬことを祈りつつ。

くれぐれも、くれぐれも御身大切になさって下さい。

《追伸》 私は、先生は愛されることも愛することも素直に受け入れる方、思いも並々ならぬ深い方と作品から感じております。そして責任感が並外れて強い方のように思われます。責任感が強いからいい加減な態度、中途半端な態度はとれない。深い愛情を寄せてくる相手を敢えて上手にあしらわない。そういう方だと信じております。

お嬢様もいつか、必ず、父の愛に胸打たれるはず。それは間違いありません。

過日のどなたかのご意見に対して、感じた一言を申し上げたくて。    珊

 

* いかめしい仏壇を敬遠して、わたしは秦の父と母と叔母との位牌や愛したネコたちの写真を、ことさら身近に家の真ん中にうまく持ち出していて、いつも声を掛けている。いいのが手に入るつど妻はかすかに線香をたてている。身のそばにも香を薫きたい願いは若い頃からあるが。

 

☆ 鳶はまた尾張に。

先程こちらの郵便局から「 湖(うみ)の本」 送金しました。遅れて済みませんでした。なかなかメールを書くゆとりがないまま時間が過ぎていきます。心を萎縮させている,というのが本当の理由でしょうが。

梅雨どころか酷暑に今から身体が悲鳴をあげそうです。今日は携帯からの短いメールです。くれぐれも大切に。

 

* 老々介護は、大勢の人が過ぎて行かねばならないが。日々を安かれと願います。

2011 7・1 118

 

 

* こんなメールも届いていて、これにはとりあえず返事も書いた。

 

☆ 拝啓 東北大地震のあと、例年になく早い梅雨入り、と天変地異の様相を呈しています。

先日は湖の本『バグワンと私』下を御恵投下さり寔に有り難く感謝申し上げます。先生は「心」を全面否定されているようですが、私は、「心=知・情・ 意=精神活動」と捉えていますので、ひていすべきものとは考えられません。   編集者

 

* (前略) 心を「全否定」などしては、人間、社会生活も思索生活も出来ず、 死なねばなりません。バグワンも仏陀も老子もダルマも、心の働きを否認していませんし、私も。

只、「心」一字の中のマインド(分別・思考)サイコ(心理)偏重が、人間の魂(ハート)や身体を如何に損ない、ミスリードしているのかへの体験的な反省を欠いては、人間も社会も、学問や政治をも、不幸な偏りや脱線や不都合へ導くのは、現に導いているのは、明瞭に認められる人間にだけある混迷です。刻々に分別にも心理的にも安定を欠き動揺を重ねていながら、そんな心の「全肯定」にこそ問題があるのでは、と。さればこそ、よく生きたいと願う人ほど、無心や静寂を自身に願ってきたのではないでしょうか。不一   秦恒平

 

☆ 御無沙汰しました。 吉備ひと

政治の現状批判・脱原発推進について、私達普通の人間が感じていることを的確に代弁していただき、感謝します。

影響力をもつ人たちが脱原発・反原発の大運動を起こしてくださることを強く願っています。

湖の本『バグワンと私ー死の間近でー』にはほかのどこを探しても得られない中身が一杯詰まっています。

私事ですが左眼白内障手術を受け経過良好で、眼鏡合わせも間近です(右眼は10数年まえに終わっています)。

近く「晴れの国岡山」の清酒を少しお届けしますのでご笑味ください。

 

* 有難う存じます。

昨日は、いま會津で大学の学長さんを務めている、元医学書院勤務のの女性後輩が、「湖の本二十五年」を祝って、大粒の宝玉をぎっしり詰めたほどの桜桃一箱に熨斗をかけ、贈ってきて下さった。今年の桜桃のひときわ美味しいことは! 感謝しきれない。ありがとう。

2011 7・2 118

 

 

☆ 秦 君

メールを有難うございます。 油彩を始めて10年以上経ちますがいまだに自分で納得できるものがありません。

あの自画像は8号で或る公募展で入選したものですが、僕が描きたい絵にはなっていません。

またこれならと思える絵があればメールで送ります。

一人住まいの自炊生活ゆえ日々の買い物のほか2, 3のグループ活動や娯楽で、寧日なく暮らしています。車に乗らない日とアルコールのない夜はありません。

大阪や京都へは毎月2, 3回ずつゆきます。

近鉄と阪神電車が相互乗り入れしたおかげで神戸はおろか明石、姫路、赤穂などがぐっと近くなりました。

猛暑の折からご自愛を。  日本からは春秋が無くなりそうです。    孜

 

* はるか昔の学友が描いた自画像を、ときおり眺める。友達にもらった自画像を三人分、機械の中に持っていて、ときどき眺める。その一人には死なれてしまったが、生前によく、自画像を自画像を描けと奨めた。

わたしの画像は、上の三人とは別の二人の画家が描いてくれていて、一つは『お父さん、繪を描いてください』の下巻末の方に挿絵として入れた。

 

☆ 秦 恒平 様

拝啓 ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

また、日頃より大変お世話になりまして誠にありがとうございます。

ご著書「湖の本」をお送りくださり誠にありがとうございます。毎回、拝読し、秦先生の広く深いご教養、鋭い洞察眼、そして心地よい文面などに触れることが叶い、豊饒な時間を過ごさせていただいております。誠にありがとうございます。心より御礼申し上げます。

今後ともご指導、ご鞭捷を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 敬具    大学総合キャリア学部長  壽

 

* ではでは。

2011 7・2 118

 

 

* 「心の全面否定」を承えないと云ってこられたひとへの所感、もう一度、昨日とおなじに書き出しておく。自身の為にも。

 

* (前略) 心を「全否定」などしては、人間、社会生活も思索生活も出来ず、 死なねばなりません。バグワンも仏陀も老子もダルマも、心の働きそのものを否認していませんし、私も。

只、「心」一字の中の、マインド(分別・思考)サイコ(心理)への偏重が、いわば過剰な追従が、人間の魂(ハート)や身体を如何にしばしば、如何に多く損ない、生活や行動をミスリードしているのかへの体験的な深い厳しい反省を欠いては、人間も社会も、学問や政治をも、不幸な偏りや脱線や不都合へ導くのは、現に導いている事実・ 現実は、明瞭に認められますし、また不幸にして人間にだけある、混迷の有様です。

いかに多く、私をも含め「心定まらない」「心定め得ない」人や例に、この世間、溢れていますことか。刻々に、分別にも心理的にも安定を欠き動揺を重ねていながら、なんとか心静かにと己が舵取りに心労を重ねています。そんな頼るに頼りがたい「心」という「分別・思考」「心理」への、謙遜な反省を欠いた「全肯定」にこそ、人生の巨大な問題があるのでは、と。

さればこそ、よく生きたいと願う人ほど、「無心や静寂」を自身や他者の上に切に願ってきたのではないでしょうか。

不備ながら、怱卒ながら、当座のご返事だけとさせて下さい。なにしろ此の年になって尚私も不束な「途上の独白」に右往左往している最中です。恥ずかしながら。

 

今後とも、どうぞご示教を得られますように。お元気で。取り急ぎ。 不一  秦恒平

2011 7・3 118

 

 

☆ お暑いですね。  泉

お変わりなくお過ごしですか。私は家事の合間に歯科内科整骨院通いに明け暮れる此の頃ですが、七十も過ぎればコンナモンかなァと…

永らくバドから遠退いていますが時々新宿までランチに出掛けて元気な同年代の仲間から刺激を受けています。弥・レ達ともたまには〓〓で旧交を温めたりこぼしあったりと。

一日、一ヶ月、一年の過ぎ去るのが速いなァとつくづく感じます。

 

* 日替わりでお変わりの連続です。かならずしもそれが文学のムダにはならない点が、わたしの「仕事」のいつも利点です、活かせる活かせないはわたし自身の問題です。

この烈しい時代の波を泳ぎながら日々に書いて生きているわたしの日記すら読めないとはツレない人ですね。面白いのに。

ま、それはそれ。わたしに大事なのは視力・気力。運動しないからからだはカチカチに固まっています。インシュリンのせいで体重は減らない。美味いものになら食欲あり、不味いなら食べたくない。お酒も欠かしません。ただ、わたしは熱中症体質と言われているので用心してます、去年ヤラレましたから。涼しくて静かで喋らなくて良いところへ行きたいです。あの世は、どうかしらん。

いえいえ、往時にも先の短い未来よりも、「いま・ここ」を存分に生きていたい。故山は夢にあるけれども、東京の成れる果ても見てやりたい。

逢いたくなったら、元気にこえかけて下さい。お元気ですか。綺麗でいて下さい、むかしのままに。

2011 7・5 118

 

 

* 暑い。暑い。

 

☆ どうしていらっしゃいますか。  波

湖様  先日は懐かしいメールをありがとうございました。

娘が子どもを連れて帰ってきたりして、お返事がすっかり遅くなりました。

「私語」もMIXIもすべて沈黙されてしまい、とても気がかりです。

暑い毎日どうしていらっしゃいますか?改めてまたご連絡いたします。 どうぞどうぞおからだに気を付けてお過ごしくださいますよう。

* 笊に水を入れているみたいに用事が捗らなくて、津波のように押し寄せてくる。もう今夜は、もたない。

 

 

* 実は愛知の人から、それはすばらしい香具ひとよろいを頂戴している。香や香炉もとより、炭も灰もその他も聞香に大事なぜんぶが揃っている。出来合いの一式でなく、香炉つくりから香えらびも香の名付けも、みなその人の心入れで、とても美しい。

目下のわたしは、そうした美しい香や香具をしみじみ味わうにはじつは殺伐として奔命のていであり、御礼すら申し上げないままになっている。おゆるしあれ

2011 7・5 118

 

 

* 午前に、詩人と編集者とへ、必要な返信を二つ書いた。昨日もハガキで何通か返信・返礼を書いたが、怱卒なもので失礼した。ハガキは手書きだが、長めの手紙は機械で書かせて貰っている。手紙もハガキも久しくめったに書いてこなかった。メールの効く方はメールで赦して貰っている。

しかし、手紙やハガキをすこし復活させてはどうか知らんと、おそろしく筆まめな志賀直哉の書簡集にすこし惘れ気味に感心していた。さ、どうなることか。

 

* やはり当面、「心」に触れて下さった方には、お返事したくなる。今朝は、あらためて一通書き直した。

 

* (前略) 心を「全否定」などしては、人間、社会生活も思索生活も出来ず、 死なねばなりません。バグワンも仏陀も老子もダルマも、心の働きそのものを否認していませんし、私も。

只、「心」一字の中の、マインド(分別・思考)サイコ(心理)への偏重が、いわば過剰な追従が、人間の魂(ハート)や身体を如何にしばしば、如何に多く損ない、生活や行動をミスリードしているのかへの体験的な深い厳しい反省を欠いては、人間も社会も、学問や政治をも、不幸な偏りや脱線や不都合へ導くのは、現に導いている事実・ 現実は、明瞭に認められますし、また不幸にして人間にだけある、混迷の有様です。

いかに多く、私をも含め「心定まらない」「心定め得ない」人や例に、この世間、溢れていますことか。刻々に、分別にも心理的にも安定を欠き動揺を重ねていながら、なんとか心静かにと己が舵取りに心労を重ねています。そんな頼るに頼りがたい「心」という「分別・思考」「心理」への、謙遜な反省を欠いた「全肯定」にこそ、人生の巨大な問題があるのでは、と。

さればこそ、よく生きたいと願う人ほど、「無心や静寂」を自身や他者の上に切に願ってきたのではないでしょうか。

不備ながら、怱卒ながら、当座のご返事だけとさせて下さい。なにしろ此の歳になって尚私も不束な「途上の独白」に右往左往している最中です。恥ずかしながら。

今後とも、どうぞご示教を得られますように。お元気で。取り急ぎ。 不一

平成二十三年七月六日        秦恒平

 

☆ 梅雨明けがとうに済んでしまうような猛暑の日がつづきます。

過日は、『湖(うみ)の本』107-8 『バグワンと私』上下を御恵贈賜り、厚く御礼申し上げます。

バグワン・シュリ・ラジニーシ」 の名は大分前に聞いたことがありますが、素通りしていった憶えがあります。

「心の問題と心言葉」で、いかに「こころ」の言葉が多く、安易に使われているか、得心。また、腰の悪い小生が正座ができず、元禄の頃から(正座というモノが)日常的になったという御指摘に、今更乍ら安心しています。

毎晩、就寝前にバグワンを音読しつづけている事にも感嘆しています。

「下」の「私語の刻」の東日本激甚災害への「菅内閣の支持」は、自民党の過去の罪却に憤激しつつ、それにしても今の内閣の有様にいいようのないモドカシサを感じています。

五万枚を整理した読者の御努力にも感激しました。      大手出版部長

 

* よく読んで下さり、有り難し。

この最後の一行「五万枚を整理した読者の御努力にも感激しました。」に、頭を下げる。この読者のして下さったことは、口先の「ごあいさつ」で出来ることではない、数万枚を書いた私自身でもとても出来なかった。身の幸、思うべし。わたしからは、ほんとうに何のお返しも御礼もできない、街で道で出会っても顔も覚えているかどうか、あっさり行き過ぎてしまうだろう。

2011 7・6 118

 

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

 

わたくしは体調不良で救急のお世話にまでなっていました。やっと昨夜パソコンを開きましたら、「私語」が見られないという事態で、動揺しました。今朝は復旧していたので一安心いたしましたが、裁判の影響なのでしょうか。機械の一時的なものであってほしいと願っています。

判決については公表お出来にならないと思っていますが、個人的にはみづうみの書かれたもので今後読めないものが出来たのかどうか大変案じています。この先の訴訟の行方も心配です。

昨夜の「私語」の喪失は病み上がりの躰にはとても堪えました。わがままなお願いかもしれませんが、みづうみのホームページについて、今後何が起きるかわかりませんので、是非ディスクにコピーしたものをお作りいただいて、希望する読者の手にわたるようにしていただきたいと思います。早急にお願いいたします。

ご自分では難しいようでしたら、どうぞプロの手をお借りください。たぶん簡単なことです。今からでも始めていただけませんでしょうか。これはみづうみの読者への義務でもありますから、絶対にそうなさってください。

それから、以前にも申し上げましたが、みづうみの作品の海外向けの翻訳についてはどのようになっているのでしょうか。色々難しいかもしれませんが、どうかその方面にもお力を注いでいただきたいと思います。

また、湖の本全冊を海外のいくつもの拠点に置いてくださいますように。海外の大学の日本語科のようなところにおさめていただけないものでしょうか。力有るどなたか外国人のお力をお借りしても。そして翻訳されますよう可能な限りの手を尽くしてください。みづうみの作品を通して、日本のすぐれた文学、藝術が長く生き続けることが出来ます。

今、日本という国は存亡の危機にあると思わざるを得ません。原発の影響がここまで深刻化してくるとは、警戒していた私の想定さえ超えつつあります。小出さんの、もはや「冷温停止は出来ない」という判断だけでなく、アメリカやカナダの学者の解説を読むたび、「東京の成れる果て」最悪の事態を覚悟しなければならない場合もあろうと恐怖しています。

政治や外交で死に物狂いの対策をとるのは無論ですが、日本がその文化力で生き抜くことは遥かに重要なことです。文化を愛されることこそ、日本が存続できるかどうかの分かれ目とさえ思います。みづうみの作品を広く海外へ発信することはその大きな助けとなりましょう。

 

今月のカレンダーはみづうみのお好きな映画「グランブルー」の一場面を思い出させます。このカレンダーを見ながら、「戻る理由がない」などとお考えにならないか心配しています。わたくしでさえ、海の底の、言葉のいらない限りなく青い静寂の世界に強い憧れを感じてしまうのですから。

人間は誰でも、現世に戻らなくてもよい日がかならずやってまいります。それまでは楽しんだもの勝ちです。みづうみの新しい作品も大きな愉しみ。どうぞしぶとくしたたかに長生きなさってください。

みづうみと朝日子さんとの行く末も、誰も考えつかない想定外のことで解決がつく予感がします。なぜか、みづうみと朝日子さんが涙をながしながらも笑顔で抱きあっているイメージが湧いています。

どうぞご無理なさいませんように。楽しくお過ごしください。

壽を守るえんじゆの木あり花咲きぬ  虚子   槐

 

* 激励と思い、頂戴しておく。激励の欲しいときに激励されるのは、冥加というべく。

* さ、働こう。それがわたしの禅のようだ。そうだ、美しい無数の音楽にも聴きながら。

2011 7・6 118

 

 

* 有元さんに戴いた名酒、たちまち飲み干してしまった。うまかった。新座の詩人に頂戴した豪華に一つ一つが巨きな菓子の旨いことにも目をむいている。この人、和菓子のえらび上手で、感心する。

さ、そろそろ階下でやすもう、菓子か、ビールか。寝るまえにはインシュリンを注射します。

2011 7・6 118

 

 

☆ 『バグワンと私』下巻をありがとうございました。上巻を読み終え、またせ私の仲で整理はできませんけれど、ー死の間近でー思うことの多い内容でした。下巻ともども、何度も読み返させていただくと存じます。  ペン会員 作家

 

* 嬉しいです。

2011 7・7 118

 

 

* 実はいま気が付いた、制作に当たった井筒君にたいへんわるかった。見て欲しい、深夜なので録画してと頼まれていた番組を、

すっかり失念していた。言い訳をすれば、裁判の判決がでる二三日まえのことであって、ごく自然にそれに意識を囚われていた。三十日に判決があり、厖大な判決書が届いたのが一日だったか二日だつたか、一日は病院へ行ったので、事実上、二日以降は判決書を仔細に読みながら、また再開している「仕事」にも没頭し、また弁護士とも打合せ打合せながら、ま、忙殺されている日々がつづいて、たった今、あっと思い出し、日を調べて頭をかかえた。井筒君、堪忍して下さい。再放映の日かこの先に決まっていれば教えて下さい。 2011 7・8 118

 

 

* 世界的な絵本作家でもある染色の田島征彦さんに贈ってきてもらった祇園会、菊水鉾の繪手拭いを、もう始まっている祇園会を遠く想って、わたしのすぐ背中の高いところへ懸けた。玄関には、岸連山描く祇園社御手水場の涼しい繪軸を掛けよう。

2011 7・9 118

 

 

☆ 秦先生

昨日、そして今日、重ねてお書きになっている、先生の「到達点」と仰る言葉には、

ああ、そうなのか、と、思わず頷いたのですが、それは私のマインド、つまり、

分別の働きということなのでしよう。

書かれたものから、理解し、納得するのではなく、自身のハ- トで感じることができなければ、と。

 

達観なんて、到底私には夢のまた夢。死ぬまでバタバタと、もがき続けることでありましょう。

今、ふと浮かんだ詩があります。

たしか、先生もいつか触れていらしたと思うのですが。

三好達治の詩集「一点鐘」のなかの、『冬の日』という作品の第一聯です。

 

ああ知恵は かかる静かな冬の日に

それはふと思いがけない時に来る

人影の絶えた境に

山林に

たとえばかかる精舎の庭に

前触れもなくそれが汝の前に来て

かかる時 ささやく言葉に信をおけ

「静かな眼 平和な心 その外に何の宝が世にあろう」       愛・yaman

 

* 嬉しいメールだった、朝一番に読んだ。こういう友、こういう知己、こういう読者とともに、この空気を呼吸している静かな安心を喜ぶ。

2011 7・10 118

 

 

* 一度も目をさまさず、覚めがたにすこし夢をみていたが、十分永く眠れた。

 

☆ 風、お元気ですか。

事故も病気もなく、花は元気でに過ごしています。

 

☆ 秦 先生、

グループ展にいらして下さったのですね。私が席をはずしていた時でしょう。

芳名帳にお名前を頂いてなかったので、失礼致しました。

お忙しい中、ありがとうございました。

お気に召した作品が無かったようで、残念でございました。

「自信作」というのは、いつも有りませんよ。

いつも「これでイイのだ!」っと開き直って、展示する訳です。

でもいつも、新作が一番可愛いものです。

久々の展示だったもので、けっこう追加作品の注文などに追われ、

先生へのお礼も遅くなり、失礼致しました。

 

日常の生活に追われ、なかなか形而上のことを考える余裕がありません。

北海道の自然、季節の移り変わり、などに「神の存在」を感じています。  文

PS.  ことし65歳になります。

あちこち、老化現象が出て来ています。

 

* そうか。

ぼくより十若いのですか。

二十五ほど若いと想いこんでいた。お似合いだ。

2011 7・10 118

 

 

* とてもとても疲労した一日だったけれど、いいメールにも見舞われて嬉しかった。晴れやかな気持ちだ。

2011 7・10 118

 

 

☆ ご丁寧なおたよりをいただき恐縮致しております。いつも御本といっしょに、お心のこもったひとことをいただきながら 御礼のご返事もさし上げずにいて心苦しく存じておりました。

仙台市内は表面上は平常に戻ったように見えますが 少し海岸沿の方に出ますとまだまだ復興には時間がかかりそうです。

原発は、たとえ事故がなくとも最終廃棄物の処分がほぼ不可能である以上、決して運用すべきでないと思っていおります。

季節柄、どうか御身お大切に。   大学学長

 

* 夥しい放射能汚染瓦礫や廃物を、いったい、どうすることで安全へ半歩でも戻れるのか、その対策が立たないではないか、ということだ。経済国家をめざして大きな贅沢な住まいを建てようとしながら、汚物処理の場を、分かりよく謂えば家の、さしあたり「便所」を、ついではその先の大きな「屎尿処理場」を考えていない。プルサーマルといったきれいごとで片づける積もりが、ストレスに脆弱な建築で原発爆発の大量汚染瓦礫を積み上げてしまい、同じ危険は、列島の至る所にある。米倉某などという財界代表者のただ儲け本位の呆言などには理性の貧弱を惘れるばかり。

 

* いまや一番腰の定まっているのは菅総理一人ではないのか。彼は、「反原発」または「安易原発推進」には「反対」と、国民の目に見えてきた。そのために関連法案も国会に持ち出し、また「メド」を定めて与野党の協力を求めている。

他に、誰が菅総理の程度の具体的メドを立てて政治をになおうと政見を、政策を、メドを立てている只一人でもいるというのか、誰一人も手をあげていない。ツベコベと、ピーチクパーチクと無責任な放言と非難・批判だけに明け暮れている連中はうようよと右往左往しているが、「わたしならこうします」とは、ヒビってしまい口も利けない。

 

* 菅総理は公言し公約した「メド」を立て貫いた上で「反原発、または反原発推進、自然エネルギー開発へ国家的漸進を計る」主張で「解散」総選挙に打って出るがいい。

自民公明とその亜流は「原発の独占利益」を満喫してきたいわば「戦犯」である。徹底的に責めぬき攻めぬいて、民主党は眼を覚ましてもう一度顔を洗って出直せ。自民へ政権を戻したら、東日本大震災に学んだことは「無に帰すること明白白」である。

菅総理の筋を通してメドを実現するのを待つ。

目を覚ますべきは民主与党の議員なのである。あなたたちには政権党としての責任がある。総理総裁の脚をひっぱって、いやしい私的な欲望に道をまげては恥ずかしい。

2011 7・11 118

 

 

☆ hatak さん ベルギー&オーストリア

先ほど成田に着きました。

7月に入ってすぐベルギーへ飛んで、ブリュッセルから1時間ほど東にあるルーヴァンラヌーヴという大学都市に一週間滞在しました。小さな国際ワークショップがあり、心配していた私の発表も、なんとか内容は伝わっていたようでしたので安心しました。

その後、週末の二日間をウイーンで過ごし、モーツアルトのレクイエムと、シューベルトのロザムンデと、ドボルザークのアメリカを

聴いてきました。教会や王宮の広間は、これまで経験したことがないほど残響が長く、演奏が終わっても何秒も残響が空間を駆け巡っていて、いつ拍手をしたら良いのやら分からないほどでした。

ほぼ一日を美術館で過ごし、ルーベンスとコンサートとランチを楽しんできました。

日本に戻ってから気づいたのですが、上野には博物館も美術館もあるし、芸大もあるのだから、こんな催しがあってもいいなと思いました。

オーストリアのワイン、赤と白を今お送りしました。美味しいかどうか味見してみて下さい。

10日間日本語の読み書き、会話をしないでいましたので、日本語が少しおかしいかも知れません。今でも頭の中で、オランダ語とフランス語とドイツ語らしきものの響きが残っていて、感覚がまだ戻りません。

暑さが続きますが、どうぞお体をお大切に。  maokat

 

* 快い満腹の旅の味が伝わる。この年だからもう羨ましいとは思わないが、音楽にも美術にも食い気にもしっかり気のあるこの植物学者だからこの楽しい旅が創りだせるのだろう。今回は、上海でのようにお茶は点てなかったのかな。

 

* そして。瀟洒な瓶のワインが赤と白と、無事に着到、maokatさん、何語で御礼を言いましょうか。やはり日本語で。ありがとう。

☆ 秦恒平先生 梅雨明けの暑さ、本当にひとしおのものがあります。

ことしの夏は、本当に「厳しい」暑さで、気持ちが滅入りそうになってしまいます。

被災者の方々のことを想えば、そんな弱音を吐いてはいけないと思いながらも、気温のみならず、放射能のことや、政治のことを考える度、「厳しい」暑さだと嘆息しております。

この夏は、先生も奥さまも、くれぐれも例年以上にお体を労わられて、大事にお過ごしになられてください。心からお願い申し上げます。

さて、すっかりお送りするのが遅くなりまして恐縮ですが、私が担当しました「脱北者たち」のDVD をお送りさせていただきました。「ぜひご覧ください」と言える内容かどうかは、正直「?」マークがついている部分もありますが、久しぶりに単発の番組を担当いたしましたので、お疲れではない時にご覧いただければと願います。

脱北者の問題もさることながら、また色んな視点で、関西の、そして日本、世界の出来事や真実を追える番組を制作できるように、努力を続けたいと思っています。

東京にもお邪魔したいと思いながら、なかなか願いが叶わず残念ですが、お邪魔した際には是非、ご挨拶させていただきたいと願っております。

おかげさまで私の妻も妊娠7 か月日に入り、安定した様子です。先日の検診では、お腹の中の赤ちゃんの写真をもらって帰ってきました。顔の様子を見ていますと、妻にそっくりで、どうやら性別は女の子の模様です。しかし、ごつごつした手の感じは、私に似ているように感じました。とにかく元気に生まれてくれれば、と願っております。

この暑さの折、重ね重ねお体を大事にして頂きますよう、お願い申し上げます。

ひとまず、失礼いたします。  平成23年7 月11日    謙  卒業生

 

* 録画を失念してしまった「謙」君から、親切に録画盤が送られてきて、妻もともども恐縮し喜んでいる。今晩、仕事のあとで、ぜひ観せてもらう。

昨日からメールに書いているが、もうわたしは夏は暑いものと昔通りに思うことにし、なるべく暑さをボヤカないことにしようとしている。ただ、熱中症には厳重用意を怠らないと決めている。

わたしはもともと季節では夏が好きだった。クワアッと焦げるように熱い感覚を季節感としては愛しも記憶もしてきた。疎開していた丹波杉王での戸外の少年生活が、また京都では武徳会の水泳に通っていた頃の往還の熱暑体験が、のこりなく今に生きている。家の中の蒸し暑さなどがイヤだった。日盛りに出るのは好きだった。いまでもよく「黄金」「黄金色」と書いて「きん」「きんいろ」と好んで読ませているセンスには真夏の灼光の色彩をよろこんでいた好みが働いている。そう祇園会の神輿渡御。あのお神輿の「きんいろ」にはいつの年も感動していた。

2011 7・12 118

 

 

* 「脱北」し日本で苦闘し、呻きながら歩一歩を前向きに気張ってはる人たち、支援し続けている人達の「生き抜く」葛藤の至難とかすかすな希望と、もっともっと必要な「日本」という國と人からの手助けや施策・対策。それなくしては実は拉致被害者の救出・受け入れさえも出来ないのではないかという懸念の底暗さを見せつけたドキュメンタリーを見せてもらった。

「謙」クン、ありがとう。

 

* わたし自身の反省であるが、西欧の歴史も、中国の歴史も相応に興味も関心ももって勉強し立ち向かってきたのに、朝鮮半島と人達のことには、あまりに意識が薄く届いていなかった。「三韓」というぐらいしか知らず知ろうとせず、高麗、百済、新羅の位置関係は分かっていたも、それ以下のレベルでは都市の名も地名も社会構造も、まず全然というほど知りも知ろうともしてこなかった。だから「イ・サン」という宮廷劇を観ていても、じつはどの時代のどの國のドラマとすら的確に言えなかった。時代物には好奇心を満たす何かがあるが、現代ドラマや現代映画には見向きもしていない。現代の朝鮮半島人の文化や技術や政治にも知識をまるで求めてこなかった。

恥ずかしいことだと思いかけていて、兎に角も朝鮮半島史を現代まで通読の機会が欲しいと思いつつ、いい機会をもてていない。なにしろ著明な朝鮮半島の史上人の名前をと問われても、明確には、一人も言えないわたしである。近代へ来て、大統領クラスの名前がやつと数人。芸術家も文化人も学者も知らない。最近では二三の俳優や女優の名を記憶したばかり。ハン・ジミン。パク、ウネ。もうあとは出ない。

わたしが例外に属するのだとしたら恥ずかしいし、一般だとしても恥ずかしい。それでいて、わたしは愛しいヒロインの名で長篇の『北の時代 最上徳内』に「キム・ヤンジァ 金楊子」を書いている。わたしの書いてきたヒロインたちの中でもキム・ヤンジァへの愛はただごとではない。

2011 7・13 118

 

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 二十五年間のご継続、おめでとうございます。

今日の状況で、継続ということ、発言し続けるということの 貴重さを実感しております。

益々のご健筆をお祈り申し上げます。   中央公論社編集者

 

* 有難う存じます。

 

☆ 転送依頼の秦さんのメーッセージに

私にも菅総理を辞めさせる理由がわかりません。他の誰がどうしたいのか?? 菅さんをぺてん師と鳩山の口から出た時は、思わず吹き出しました。政界から引退するって言ったのは、何処の何方? 沖縄の事も…。

東電からお金もらっていないのは菅さんだけだそうですね。

私も電力は充分有る事知っています。

節電要請は東電の脅しと理解しています。停電が嫌なら原発認めろのロジックです。玄海町長の安全確認発言は「お金貰いました」としか聞こえません。

とにかく一致協力して津波の被災者、原発の被災者を1日も早く安堵させてあげてほしいと祈るばかりです。 横須賀  津

*  上野千鶴子さんと、メールで話す。上野さんに弟子達の「挑む」本はこのところわたしの毎夜の好読書なので。

2011 7・13 118

 

 

* 昨日の菅総理の記者会見に賛同し、菅内閣の継続を、断然支持する。

アレでいいのだ。「具体論がない」などというヘタなケチに動じることはない。時間に余裕のない総論と質疑応答は、あれでいい。棟梁が釘の打ち方、鉋のかけ方など喋るわけがない。それこそ大臣以下の仕事だ。

経産相の某政務官などテレビで喋っていても、何の作法も弁えていない。「自分に課された仕事」が何かをちっとも心得ないまま、大将のわるくちしか言わない。あんなのこそ愚鈍の邪魔者と謂うべし。

 

* 誰が「みっともない」と謂って、いま、民主党の幹事長以下の党人や一部閣内大臣の見苦しさ、あれは何だろう。

「おれに任せてくれ」、これほどの政見・政策を示せる、具体化策も出しているのだ、「俺ならこういう内閣をつくって、明日からでも確実にやってみせる」と国民に公約の上で総理退陣を求めるなら、分からぬでもない。

何一つ言わず、言えず、手も上げずに「自分で選んだ総理」おろしに狂奔するなど、菅の居座り・延命では全然なく、岡田幹事長ら以下全部むき出しの只の権力欲、地位欲以外のなにものでもない。恥を知れと言いたい。

今のままの民主党内ていたらくなら、たとえ支持率がどう低くなろうと、「メド」をすべてこなして、昨日の記者会見表明にもとずいた「解散」まで、少なくも延々とでも菅内閣の延命を、わたしは支持する。

 

菅直人総理が、「退陣」を表明したという言いがかりは、タメにする最たる不正確である。「メド」がついた段階では、若い人に委ねるという発言は、あたりまえに普通の述懐であり、これを「退陣表明」と飛びつく者たちの底意の程、憫笑に値する。

 

☆ 秦恒平様

前回と同様(=菅下ろし非難) ご提言に賛成します。

清水英夫  弁護士 青山学院大学名誉教授

☆ 秦さま (提言= )Tweet しますよ。  上野千鶴子 東京大学大学院教授

2011 7・14 118

 

 

* さて、平成十八年八月以来巻き込まれてきた「裁判沙汰」に、さきの六月三十日、「判決」が下された。

昨七月十四日二十四時が「控訴」期限であったが、わたし自身は、七月一日、判決文を受け取ってすぐ、七月三日の内に、「控訴しない」と決していた。原告側が控訴する・しないかは、週明け十九、 二十日ころまでは確実には判らないと、昨日午後、弁護士事務所から連絡があった。その時はまだ、原告の控訴如何、確認されていなかった。

 

なにはあれ、多年ご心配をかけ、ご支援いただいた皆様に、取りあえず。心より御礼申し上げます。

2011 7・15 118

 

 

☆ お元気ですか、梅雨が例年より早くあけ、長い夏が始まりました。

休むことなく、常に書くことに勢力を傾けていらっしゃる鴉を思います。

わたしの方はかなり「流動的」な日々を送っています。このようにありたいと願うことと現実の行動との間のあまりの落差、方向違いに引き裂かれる思いがあり、時に無力を感じます。わたし一人に限れば、なお沸き立つもののあり、できることならまっすぐ解き放し

たい。

そして夏はひたすら静かに暮らしたいものです。

とにかくこの夏の暑さを乗り切ってください。大切に。  播磨の鳶

2011 7・15 118

 

 

* 七月十七日  日 祇園会 山鉾巡幸

 

* 無道政治家・特権企業人の「社会的責任」を厳しく糺し、

菅総理のメド達成後の「卒・脱原発」「解散権」行使に期待する。

 

* 『荘子』に、「有機械者、必有機事」とある。諸橋の大漢和辞典は、「機事」とは機巧、機巧とは巧智、巧詐、策略とある。さらに続いて「機事有ル者ハ必ズ機心有リ」とし、「機心」とは「いつはり巧む心「巧詐の心」と教えている。

さらにまたこの際の「機械之心」とは世俗的なことに巧みにはたらく心、偽りたくらむ心、策略をめぐらす心、それが「機心」と教えている。

これらから転じて「忘機」とは、「世俗の機巧の心を忘れて、心静かになる」のを謂うている。

ついでに謂えば「機械」とは、「巧妙な構造の器具、機器、転じて巧智、世智、世俗的に働く智。又いつはり、たくらみ、巧詐」と解してある。つまり機械、機事、機心はみな天然自然なナイーヴなものとの「対概念」である。

 

* 『荘子』は語っている。ある老人が畔をつくり水を養(か)おうと、井戸に入っては出入っては出てはなはだ効率わるく働いているのを、通りがかりに孔子高弟の子貢が見かねて、「はねつるべ」という機械をつかえば、日に「百畦」を浸せるのにと教えた。老人は嗤って一蹴し、「吾は知らざるに非ざるも、羞じて為さざるなり」と。もうすこし精しく謂えば、「機械ある者は必ず機事(からくりごと)あり。機事ある者は必ず機心あり。機心、胸中に存すれば、則ち純白備はらず。純白備はらざれば、則ち神生(精神の本性)定まらず。神生定まらざる者は、道の載せざる所(道によつて支持されない所)なりと。」

 

☆ 唐木順三『「科学者の社会的責任」についての覺え書』より

 

「はねつるべ」を用ゐれば、いちいち甕で水をはこぶより、能率も上り、疲労も少いに違ひない。一旦「はねつるべ」を使へば、人はさらに便利なもの、人カの消耗の少いものを工夫するに違ひない。それが進歩には違ひなく、進歩は更に一層の進歩を要求し、希求することになるだらう。それが文明の進歩であるには相違ないが、この進歩をチェックするものがすべて失はれたところではどういふことになるか。

老荘はよく「無為」をいふ。無為自然をいふ。機巧、機心を離れて天然の素朴に帰れといふ。進歩などといふものは五十歩、百歩、進めば進むほど新たな欲望を生み、止まるところを知らない。缺乏感、不満足感が欲望を生み、缺乏がみたされれば、さらに一段の欲望を生んで、とどまるところを知らない。それが英語 want のもつ表裏の意味である。それが近代文明、近代産業、近代科学を生んだ基本構造といってよい。

そして、その進歩の極限に原子力エネルギイが、近代科学文明のなれのはてとして出てきて、それが人顆、また一切の生きとし生けるものの死滅につながるといふ畏れが普遍化してきた。」

 

* 今、まさに日本国はそういう瀬戸際へ追い込まれている。しかも、その根本の罪は原子力政策、原発推進政策&独占企業の「機械・機事・機心」に発していることは、自民党時代の政治、そして東電や九電がこの数ヶ月に見せつけてきた悪意そのものの隠蔽・虚偽の機心に露骨かつ高慢に見え透いて、いまやこれらを疑う国民はいない。

 

* 上に挙げた荘子の故事は、ただ唐木先生が著書に引かれたのでも、わたしが興味をおぼえたのでもない。世界の原子力開発に最も力を致した最たる一人のハイゼンベルグがとりあげて、以て自戒し以て「科学者の社会的責任」にうったえたのである。

そして今やこれは科学者だけでなく、権力にまぢかい政治家の、また権力と結託して無際限の利益に目のくらんだ特権企業人の、最大の「犯罪」に等しくなり果てている。

国民は、此処を見誤ってはならない。

 

* 放射性物質に汚染された食物をいちどぐらい食べても大事ない、などという指導者層の無責任発言は、歴史の未来に対する責任を完全に見落としている。日本民族の体質破壊が潜行して五年、十年、三十年、百年の後に惨状をもたらすことの無きをこそ政治や企業や子を持ち子を産み、その子に又健康な子を産んで欲しい大人達だれしもが真摯に憂慮し対策せねぎならない事態に、今、厳然当面しているのである。

 

* もう一つ、意識から落とし込んでいては困る大事がある。それは日本国が狭い島国であり、放射能汚染が拡大したときに、いかなる形ででも難民として避難できる外国が無いという事実である。

菅総理が浜岡原発の危険をいち早く回避したとき、わたしは、浜岡の置かれた位置に最も目をとめて、全面総理の決断に即賛同した。ここで福島級の惨害が起きたときの国土と政治と生活との被害は言語に絶する。

そしてその類比は、この狭い島国では、九州であれ、北陸であれ、近畿であれ、少しも差異はない。しかも現に大飯原発では「手動停止」という危機一髪の緊急措置で爆発をやっと抑えている始末。

 

* 菅総理が言明した、脱原発推進は、いやしくも「総理大臣の発言」であり、彼はいかなる時も只の「個人」ではない、憲法の示しているそれが常識であり、官房長官をはじめ司、司の政権与党人の反応は、憲法のもとでの大臣である使命感を忘れ去っている。そんなことでは、せっかく手にした政権も衆議院での多数も、たちまちに喪失して悔いを残すことになる。

菅総理は、仕方がない今や「卒・脱原発」を旗幟鮮明にした「解散権」の行使をむしろ繰り返し表に出し、不従順でモノの道理の分かっていないヘッポコ与党議員どもを「次回確実落選の恐怖」に曝してやるがいい。

 

* 今朝の新聞に報じられている、福島原発爆発のとき菅総理の「海水注入指示」があったなかった等で国会でも喧しく総理非難があったのを記憶しているが、あれらに関しては、東電から、自民党へ、いわゆる「ガセネタ」が送られていた、のだと。東京新聞がそう報じている。今日、わたしの見る限り東京・中日新聞の姿勢は信頼に値している。そういう東電の奸策が、だんだんに、あまりに数多く剥き出しになってきている。偏見と強欲に満ちあふれた政府と電力とが、再び公然と隠然と結託し癒着すればどういうことになるか、国民は日々に「歴史により教育」されている、しかも余りに高価な学習である。ムダにすまいぞ。

 

☆ 今回はご容赦下さい。  京都 圭

前回のご意見には賛同して多数の友人知人にメールを転送いたしましたが、今回の管総理発言には正直失望しています。

最近の管さんの言動はただの「個人的な、ええかっこしい」にしか見えません。

総理たるもの、その発言には個人的なものが立ち入ってはなりません。

国を左右するものとして発言は慎重にそして断固としたものでなければなりません。

あくまでも内閣を代表するものであって、決して独走になってはいけないのです。

大所高所からの発言がなく、本当に場当たり的で見栄っ張りの発言に終始してきました。

故に、先生の今回のご意見には賛同できずに、誰にも転送することは出来ませんので、ご容赦ください。

 

* お返事ありがたく。しかしながら、  秦恒平

お気持ちは分かる気もしますけれど、「圭」さんが、この、放射能の危害が目に見えず渦巻いている今、では誰に、どういうことを期待されているのかが皆目分からなくて。それでは、事は、菅総理の言うている万が一にも及ばぬママの、「只の菅不満」で済んでしまいませんか。

立派な「菅」神輿とは思いませんが、誰一人責任有る手も声も上げ得ない中で、菅「総理大臣」がした「公の場」での発言なのです、「私的・個人的」など有りうるわけなく、方向・方角を示し危機感を示して、今の今、他の誰もが言わない・言えない内容のことをハッキリ話しています。記者会見はせいぜい三十分、小一時間の中で、あれだけ話せたら内容として十分、むしろ、あとは内閣の「司・司」が具体化や方針化に粉骨働くべきなのであり、総理とはなんら「千手観音」である存在ではない。大棟梁は、鉋のかけ方や釘の打ち方まで言うべしとは、野次馬なみ聴衆の言いたい放題に過ぎません。そんな無責任放言には、未曾有の国難に喘ぐ「国民ひとり」としての真剣な痛みが響いていません。

他方、肝腎の永田町では、何が何でも総理をひきずり下ろしたい政局感覚だけで、国民に選出された代議士がたちが悪る調子に乗って自己の責務をまるで放擲しているとき、菅総理は「卒・脱原発」が「日本の将来の道」だと公の「総理大臣記者会見」で表明したのは、何が「只の思いつき」でしょう。むしろ立派な見識であり、事実は小説よりも奇なり重ねて「そこへ考え到った」と彼が言うのも、そう在って然るべき良い姿勢です。只の思いつきを無責任に言ったのではない。何にでも難癖が付けたい識者の大勢ですら、総理が記者団を前にまっすぐ打ち出した方向を、「正しい」とは言えても「間違っているとは言えない」と、認めています。近年の総理大臣で、こんな未曾有の危機に際して「国の行方」について、菅総理ほどの発言まで言い得たどんな総理がいたでしょう。鳩山の例の25%減目標すら、放射能危機の今にすれば小さく軽く、ましてや麻生、福田、安倍の類は政治責任をすら泣き言と一緒に放り投げたではありませんか。

それからすれば、菅直人は日に日にむしろ目覚め成長し、国難に対し刀おれ矢つきるまで頑張ろうとしている。国のため国民のため子孫のために「頑張っていない」のが、与野党の自覚のない無責任野次馬ではありませんか。

「圭さん」

未曾有の大震災だけなら、簡単とは言わないまでも、一事が万事もっと平和に捗り得たでしょう、ですか、「原発の爆発」こそは未曾有の国家的体験で、何十年、百年にも及んで日本人は、病気・病弱・体質いへんなどの被害のしつこさに悩むでしょう、それに今日にも「第二、第三の福島爆発」が起きないではない。福島の先はみえず、「もんじゅ」も「玄海」も「大飯」も累卵の危うきに在るのです。

火中に栗を拾わざるを得なくなった菅総理が、電力魔窟の大魔王たちから希に見る欲深い金銭支給も受けずに、このところ、一つ一つ危険の狭小化を願って、浜岡を抑えたのも、ストレステストを言いだしたのも、保安院と経産省の癒着を指摘したのも、玄海や九電にノーを言ったのも、どの一つをとってもみな時宜に適い、かつ、日本の今の政治家では、自民党の河野太郎や民主党の馬淵や細野ら一二以外に、誰一人も何の有効な提言も施策もしていない。手を上げて立とうとしない。

あなたなら、誰に何を言わせ何をさせたいのですか。それとも無政府でどうにか成ると思っておいでですか。

 

「圭さん」が、いったい何を見回した上で、上のように言われているのか、どうか私を、説得して下さると嬉しい。さもないと、上のお返事では、「ただの八つ当たり」と聞こえますが、如何。

 

* 明日、もう一日休日がある。英気を養いたい。颱風には来て欲しくないが。

2011 7・17 118

 

 

* 菅総理は「歴代の政治家とおなじ権力亡者、利権亡者のようにおもえてなりません。」という声をまた新しくもらっているが、そうだろうか。

総理の席にいる以上、亡者かどうかは別にして「権力」と無縁であるはずはない、使うべき総理権限はしっかり使えばよい。「利権亡者」という一点は彼のために一言無くて済まない。

「いま、菅さんはそうした利権構造にメスを入れるべきなのに、復旧対策や振興策、原発問題などの言動から透けてみえるのは、やはりかれも東電、九電の隠蔽体質やそれにからむ利権亡者にからめとられているということです。メディアはそれをわかっていながら報道しないのは、かれらも権力と共犯関係にあるからではありませんか。」と言われる。

この辺が、私・秦の菅を励ましている、むしろポイントです。

彼は、脱・原発推進を「考えるに到って」それを「総理」として「総理記者会見」で表明している。今最も必要で正しい大きな政見の一つであり、電力・原発・財界・金融・マスコミそして、自民党支配をむしろ待望している経産省を見据えて総理が発言し始めているのを、わたしは支持したい。

菅直人は、「政治と金」とでおそらく一等きれいに政治家をしてきた代表的な一人であり、「利権亡者」という非難は幸い当たっていない。こういうのを、ミソもクソも一緒にしていると謂う。いまの「菅非難」にはこのてのヤクザな放言が多すぎないか。

 

* 「圭」さん   秦恒平

これだけ話し合えて私の願いは達しています。感謝します。できるかぎり皆がそれぞれの言葉を用いて「実感」に支えられた発言を他へも届け合いたい時機です。あの安保デモの時のように国会をデモでとりまく元気が生まれ出ない今だからこそ。

わたしへの批評は頂戴しておきます。可能なら「圭」さんの声を外へもお伝え下さい。

「でももう管さんでは駄目です。」「ただはっきり言えます。もう管さんでやれないのです。」という「圭」さんの結語に、このままでは何の説得力も裏打ち出来ていないのを、わたしは雷同にちかい感情的・情緒的観察ではないかと感じています。

「菅」総理が 利権の亡者でないこと一つでも、わたしは政治家として「在り難く」感じています。いま国を動かそうとしているのは、相変わらず「金と利権」であるのを、電力・原発・財界・金融・与野党代議士そして経産省の原子力関連団体等に、わたしは観て、憂えています。菅総理に誰かを代えるには、自信をもって「そういう懼れのない人」をぜひ見つけて欲しいモノです。

さ、どうぞ、わたしでない人達とも意見を交わして下さいますよう。

わたしは坐禅を組む気持ちで、今はこういう発信をするだけでも働いていたいと願っています。

創作にも執筆にも読書等にも元気に力を注いでいますので、その辺、ご休心下さい。

 

☆ ではでは、早速。   花

風はHPで、「脱原発」を推進する菅総理を支持していらっしゃいますね。

 

花も、これまで、菅さんの再生エネルギー推進法案に期待するところがありました。

 

が、いつまでたっても「発電」と「送電」分離というシンプルな改革案が出て来ません。

 

電力会社を温存しておいては、抜本的な改革ができないのは明白なのに、菅さん、または民主党サイドから、そのような意見が出てこないのはなぜでしょうか。

 

再生エネルギー推進において、菅さんに協力しているソフトバンクの孫社長は、早速メガソーラー計画を打ちたてました。まずは北海道あたりではじめるようですが、中国のゴビ砂漠に巨大なソーラーパネルを作ると、孫さんは言及しました。韓国の大統領に会い、メガソーラー計画を、韓国と中国と協力してやりたい、とも言いました。

 

菅さんは、骨抜き法案で、東電の賠償の財源を国債や電気料金の値上げに求め、再生エネルギー利権を孫さんへ渡そうとしているのではないかと、花は危惧します。

 

メガソーラー計画が本当に日本のためになるのなら、応援したい。

 

でも、これまで、日本企業のどれほどの技術やアイデアが、韓国と中国にいいようにされてきたか考えると、孫さんの計画には賛同できません。朝鮮半島と中国は、従軍慰安婦や南京大虐殺といったプロパガンダに代表されるように、日本にとってはあらゆる面で対立する国々です。国策として反日を謳っている国と関りを持とうというなら、性善説は捨てなければなりません。

 

 

 

風は、菅さんと鳩山さんが、北朝鮮拉致実行犯とよど号ハイジャック犯の息子の関連団体に多額の寄付をしていたのをご存知ですか。

 

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110714/plc11071403040006-n1.htm

 

先日の国会で、自民党議員がこのことを菅さんに直接追及していましたが、ご覧になりましたでしょうか。

 

http://www.youtube.com/watch?v=YPrSWKwDdwQ&feature=related

 

北朝鮮拉致被害者家族の皆さんは、一昨日、アメリカの下院議員に、北朝鮮を再度テロ国家に指定してもらえるよう、直談判に行っていました。本来なら、わが国の政権に頼むのが筋だと思いますが、被害者家族の皆さんは、北朝鮮側の現政権に言っても無駄だとご存知なのでしょう。

民主党の目玉政策の子供手当ては、世帯主が日本国内にいる場合に支給されるものです。

 

たとえば、世帯主である父親が海外赴任している世帯の子供は、支給対象ではありません。なぜこんな内容なのでしょうか。また、本当に日本の出生率を上げよう、子育てを応援しようという政策なら、多くの人が指摘するように、保育園を増設することの方が優先ではないのでしょうか。

 

 

 

ほかにもいろいろありますが・・・。

 

民主党は、日本人と日本の国益のためには働いてくれそうにない政党だと、花は思います。

 

「菅おろし」とは、原発利権温存も含まれているかも知れませんが、菅さんが日本のためにならないと思う勢力の動きでもあるのではないでしょうか。

 

風、これもひとつの意見として聞いていただければ幸いです。

 

 

 

大きな台風が来ています。風、お元気ですか。

 

 

 

 

* こういう具体性に富んだ「意見」こそが出回って、議論が国民化して欲しいのだ。

拉致された家族がアメリカで活動していたニュースは見ていたが、鳩山と菅とが拉致実行犯関係者やよど号関係団体に多額の寄附という話は知らない。自民党からの指摘だけではいますぐにわたしは判断できない。例の大地震後の「海水注入」云々で菅総理が叩かれていたのも、実は、自民党へ売り込んだ東電関連からの捏造情報であったことも新聞で明らかにされているところだ。

孫某氏の中国で云々の話には、わたしは眉に唾しているし、軽率に企業人の宣伝には乗る気がない。中国などとの合弁などは危険だという「花」の指摘は、つねづねからの私の中国認識に一致している。

「民主党は、日本人と日本の国益のためには働いてくれそうにない政党だと、花は思います」に対し抵抗できる裏付けをもちにくいけれど、わたしも、もう少し以前から「民主党」に愛想をつかしている、しかし当面の「菅総理に」ではない。そうでなく、自分たちで選んで立てた総理を「立てきれない」民主党という党人の背・民主主義にわたしは愛想を尽かしている。

「菅さんが日本のためにならないと思う勢力」とはダレダレのことと、「花」は明言していない。わたしは、「それ」こそが菅総理に「脱原発」政策をとられては迷惑する、まさに「原発利権温存」の「勢力」だとはっきり言うし、そう観察している。党の協力の得られない総理自身に不徳も不足も有るのは事実だが、協力をはなから投げ出している「司・司の人間性に問題」が有りすぎる。

そして「花」に一つ問いたい。菅がいますぐやめても、成り行く先は、花が「日本人と日本の国益のためには働いてくれそうにない政党」だと思っている圧倒多数の「民主党」からしか「新総理」は出て来れないのだが、いったい誰に「日本人と日本の国益」を委ねていいと決心を付けているのですか。

2011 7・19 118

 

 

☆ 暑中お見舞い申し上げます    國夫通信

「命長ければ恥多し」だが、長生きはした方がいい、と近頃思うようになってきた。気力・体力相応に衰えて情けない有様なのだが、「知る」ことの悦びは衰えることがないからだ。

韓国歴史ドラマの質を高めた、イ・ビョンフン監督の出世作、宮廷医官への道『ホ・ジュン』を観た。ホ・ジュンを敬慕する医女イェジンが中国晩唐の詩人李商隠の、八歳の少女が十五の乙女に成長していく過程を詠った漢詩を誦する場面があった。恋情を内に秘めた、奥ゆかしく気品あるイェジンが誦んじたから、なおさら心を動かされたのだと思うが、私の燻ぶっていた抒情の源泉である埋み火が掘り起こされた。

李商隠という詩人の名は知っていたが、その詩はこの歳まで知らなかった。岩波の中国持人選集の背表紙で名を見覚えていたのだろうと、勤め帰りに岩波ブックセンターに寄ってみた。そこで、数年前に岩波文庫に入っていた『李商隠詩選』を手に入れることができた。イェジンの誦した漢詩、

 

八歳偸照鏡   八つになって、こっそり座った鏡の前。

長眉已能畫   長い眉も もう自分で画けた。

(六句 略)

十五泣春風   十五になって 春風の中でこぼした涙。

背面鞦韆下   うつむいてぶらんこ揺らしながら。

 

も載っていたし、高橋和巳ガ『詩人の運命 李商隠詩論』を書いていたことも憶い出した。一読、既存の漢詩世界のイメージではなく、「朦朧とした時空に透明な抒情を結晶」させた、ちゆたうような「愛のまぼろし」の文学世界がそこにはあった。

 

同じ頃に、秦恒平先生示らお電話を頂戴した。「書いていますか」と訊かれて、「はい、宗長をからめて、三部仕立ての‥‥」とお答えすると、「登場する女性は、現代にも魅力的な人ですか‥‥」と問われた。目から鱗で、書き手の自分が思い入れたっぷりに書いても、読み手になんの魅力も感じさせない女性では、小説としては成り立っていまい。昔、『横雲の空』を先生に読んで頂いたときに、血のにじむように朱筆で行間を埋め尽<すぼどに書き直して.「彩さんを救ってあげてください」とお言葉をいただいたときのことが、今更のように甦ってきた。

彩を救えず、香苗を生み出せず、そして今、純愛小説『蔦の細道』も「小説」として成り立たせるためには一層の時間が必要となった。許されるなら嫌でも長生きはしなければなるまい。

※ 宗長= 連歌師 宗祇の弟子。戦国時代駿河の人。

 

過日はありがとうございました。 ( 欄外に)

 

 

* 七十五のわたしから見てもそう若い人ではない、久しく教職にあって教職に堪ええなくなり転進していた。教職の昔から小説を書いていて、わたしの「弟子」にして欲しいと頭を下げられたこともあるが、わたしは弟子など、もたない。きかれれば頼りない助言をする程度のことだ。わたし自身も小説を書きながら誰の弟子にもならなかった。弟子にならなくてもおお真面目に無数の作品に接しつづけてきたから、莫大に学べたと思っている。「弟子にして欲しい」と言いあるいは「弟子にして貰います」と勝手に決める人も、長い期間に何人かいたけれど、ま、笑ってしまうようなモンである。わたしは弟子などもたない。

2011 7・19 118

 

 

☆ お元気ですか  播磨の鳶

遅い歩みの台風は太平洋を東に。そちらはまだ雨が降っているでしょうか。病院に行かれた様子。視力の衰えが進みませんようにと願います。酷使し続けているのは致し方ないのでしょうが、それでもなんと言っても視力は大事ですから。

暑さに負けてあまり外出したいとは思いませんが、先日、初めてプロ野球観戦に行きました。意外と思われるでしょう。冷蔵庫を買い換えたら抽選でチケットが当たって、甲子園の巨人阪神戦に出かけたのです。ほとんど阪神のファンで埋め尽くされ、七回になるとジェット風船がいっせいに飛ばされ・・テレビで何回もその様子は知っていても、いざ周囲のその様子、臨場感に圧倒されました。私自身はどのチームの熱烈なファンでもなく淡々と試合を見て帰ってきましたが。

もう一つは雨の中、びわ湖畔の佐川美術館へ。セガンティーニ、平山郁夫、楽茶碗、佐藤忠良。用事で行き帰りのあわただしい訪問でした。晴れて琵琶湖の景色を楽しみたかったですが、雨に煙る水郷のようなたたずまいも良かったです。

暑さに負けず佳き日々をお過ごしください。

 

* なかなか「佳き日々」というのが難しい。 理解不能のトンチンカンも幾らも起きてしまう。そして、雨降らず。風もなく。どうしたの。

2011 7・20 118

 

 

* お元気ですか、みづうみ。

 

眼科は如何でしたか。ご無事でありますように。

台風の影響の蒸し暑さはやりきれません。最近なにごとも楽しめなくて、気持が落ち込んでウツ傾向です。

予想されていたように、放射能汚染が目を覆いたくなる勢いで広がり、子どもの内部被曝のことを考えると毎日の食材探しが大きなストレスです。あれもこれもだめ、食べられない大好きな食材を見るたび、食いしん坊としては落胆し、それが通奏低音のような感じで日常をもの悲しくしています。

みづうみの裁判はまだ続くのでしょうか。決着がついてくれたらと必死に願っているのですが、やはりまだ泥沼は続くのでしょうか。もう一つのウツ原因です。

 

「私語」に色々な方の菅総理への意見がありましたので、私のこんな意見も付け加えさせてください。

 

奇妙な話かもしれませんが、私は民主党も今の政府も支持しませんし、菅総理も大嫌いですが、菅総理に頑張って続投してほしいと願っています。理由は、菅総理が辞めれば、その日から脱原発の動きは徹底的に封じこめられ、日本が再び原発推進に動くことが火を見るより明らかだからです。

現在菅総理の続投を支持している人間の大半は私と同じ理由によるものだと思います。

ですから、福島事故を他人事としてとらえられる地域の方々や、放射能汚染をあまり気にしていない人たちには、一日も早く辞めてくれと思われるのもよくわかります。

 

東京は、すでに子どもが住むのは望ましくないというのが私の認識です。先日も知り合いのお子さんの通う学校に東大の先生が来てガイガーカウンターで計測し「0・2マイクロシーベルトですからまったく心配ありません」と講義したと聞いて、びっくりしました。都内でも空間放射線量の低い地域にあるその学校でさえ、その値。被爆量を年間1ミリシーベルトにおさめるには空間放射線量が0・11マイクロシーベルトがぎりぎりの限界と、あるサイトで読みましたから、その学校の子どもたちが年間許容量を上回ってしまうことは確実です。これでは、都内に安心できる学校があるのかどうかも悲観的にならざるを得ません。五年後には子どもたちにおそろしいことが始まるというジャーナリストの言葉に、背筋も凍る思いなのです。

 

三月十一日から、私たちの世界は変わりました。放射能と無縁には生きられない世界になってしまい、安心して食べられるものは日本にはなくなりました。もう逃れられないとしたら、大人の責任としてあとは子どもをどう守るか、それしかありません。

 

最近の脱原発を阻止しようとする強烈な反動を見ていますと、どうしても早期に終戦に持ち込めなかった第二次大戦末期の日本のことを思い出してしまいます。

行くところまで行かなければ、夥しい数の国民が死んで死んで死にまくるまでどうしてもやめられなかった第二次大戦の愚かしさを思います。よくぞやめられたものだ、と半藤一利さんが書いていました。

もっと早い時期に、何度も負け戦を終える機会はあったのに、ずるずると続けたために、どれだけの命が阿鼻叫喚の中無惨に殺されたことか。ソ連の参戦も沖縄も広島、長崎の地獄も防げたはずなのに。

今すぐに脱原発に舵をとらなければ、日本の将来はありません。どんなに急いでも止められるのは何十年単位かかることです。その間にも稼働中の原発の老朽化と地震の脅威は増すばかり。

 

菅総理本人が脱原発を真剣に考えているのかいないのかはわかりません。単なる延命策か思いつきか人気とりなのかもしれませんが、私はそれでもかまいません。ストレステストなどやっても意味のないものであることはわかりますが、少なくともその間原発が停止していることは、ありがたいことです。今浜岡を止めていることだけでも、電力利権どっぷりの自民党では絶対に出来なかったことでしょう。

 

日本に今ある原発は震度6の地震が来たら全部壊れます。もともと震度5までしか想定されていない原発の安全性を、一体どこをどうすれば高めることなどできるでしょう。最初から建て直しでもしない限りいかなる方法をもってしても無理です。つまり住民を、根拠なしに安全と騙すことでしか、原発は再稼働出来ないのです。それをしたくてたまらない利権人間たちがたくさんいるのです。

予想される震災の余震は同規模の大きさになるともいわれていますし、想定される東海地震等もあります。もう一度どこかで原発事故が起きれば日本はほんとうに終りです。今回の福島事故でも、日本の半分近くは住むにふさわしい場所ではなくなってしまっているのに、もう一度事故が起きれば、国家破綻は免れません。

最終的に、日本が原子力発電に頼らない道を選ぶための、今は大変重要な岐路なのです。正念場なのです。菅総理には脱原発に道筋をつける義務があります。

国会議員で脱原発の人間は河野太郎氏と原口一博氏くらいで、この二人は今の力では総理にはなれません。消去法で現実に総理なのは菅さんで、千の欠陥に目をつぶっても、今はただ一つ、菅総理が脱原発へ方向転換してほしいと、もう祈るような日々です。

 

少し長いのですが、テレビ朝日の番組で、改革派の官僚、経産省で辞任を迫られている古賀氏へインタビューをしています。文字に起こしているサイトを見つけました。少し長いのですが貼りつけます。お読みいただけるといかに原発推進の動きが巨大かおわかりいただけるかと思います。

 

昨日の菅総理会見に関して

 

玉川: 総理が無能だというトーンで行われているんですけど 逆にですよ、唐突にしなければならないという方向の言及があんまりないんです

で、いろんな方に取材して聞いていると「なんかちょっと変だな」って思うところがずっとあるんです

唐突にしなければならない理由

佐賀県知事が何でこのタイミングなんだという、この理由

その部分を今日は是非古賀さんにお聞きしたいです

: 古賀さんは現役の官僚でしかも経済産業省ですから まさに担当官庁な訳ですけど、唐突にしなければいけない理由。根回しが出来ない理由ってなんかあるんですか?

 

古賀: まず、わたし、経産省を代表してお話しできる立場ではないんですけれども 個人的な・・

 

玉川: そうですよね。明日で辞めて下さいって言われてるんですよね

 

古賀: まぁ・・

 

: その話しはまたあとでしますが、

 

古賀: 要するに今、経産省だけでなく政界財界を含めて原発に大々的に頼って行こうと言う基本方針がありますよね それはいろんな形で非常に強い力を持っていて その中で一つずつ手続きを踏んで合意に持って行こうとやると おそらく電力会社の根回しや経済界の根回しで 政治家がどんどん反対の方向に転換していってしまって さぁ、決めるぞと言った時に、多数決を取ったら みんなが「やっぱり原発です」となっている可能性が非常に高い。

 

: 国会議員の人達はどういう方法で説得されていくんですか?

 

古賀: いろんないい方がありますけど 表の世界ではね。「電力供給はもう停電になりますよ」とか「電力料金が上がりますよ。」

「それによって工場はどんどん外に出ていきますよ」「雇用は無くなっちゃいますよ」 それから、裏の話としては そんなに直接言われる訳ではないんですが、各地域で電力会社は圧倒的に力が強いんです。 それで、経済界も企業が電力会社にいろんなものを調達してもらっているんですね 買ってもらっている

しかも電力会社には競争が無いので基本的にコストをカットするという考えがありませんから ものすごくいい商売をやらせてもらっている そうすると電力会社に楯突ける企業というのがいないんですね

そうすると、各地域の国会議員は電力会社を敵に回すと企業を敵に回すことになる という意識がとても強くて 非常に恐怖感を持ちます。電力会社に真っ向から向かって行くというのはですね。

こういう、「原発を止めましょう」みたいな話は 電力会社にとっては本当に根幹 自分たちの今までのやり方に対するアンチテーゼとしてはもっとも厳しいものを突き付けられるということになりますから 当然ものすごく反発をして根回しもものすごくやりますし 経済界も電力会社にものすごく依存しているので ですから今は経団連上げてですね、方針に反対しているのですね

もしこれを一つ一つ段階を追ってやっていこうとなると 途中で結局誰もついてこなくなったって事になってしまうので

 

: 会見もできないという事ですね

 

古賀: はい

まず先にもう俺は決めたぞと言っちゃって もちろん反発はものすごく広がりますけれど 相手の準備が整わないうちに先制攻撃して 既成事実化して無理やり引っ張って行こうという狙いがあるのかなという気がする

 

: 世論は、原発は止めて欲しいと思っている人が多いような気がするんですけれど 永田町とは随分ギャップがあるという感じですか?

 

古賀: 時間がたつにつれてどんどん後ろに戻っている感じがありますよね

原発事故直後はさすがに「もう原発はムリだろう」と思っていた人が沢山いると思うんです 政治家の中にも 国民の目線とかなり同じところまで降りてきてたと思うんですけれども

それが今また、すこしずつ、

「そんなこと言ったって電気料金が上がるぞ」とか 「節電とかなんか言ってると海外に企業が行っちゃうぞ」という経済効果、経済を重視する立場。安全よりもですね。 というのが徐々に、もうわずか数カ月ですけれど、あれだけの事故があった 「自分たちの安全神話は根底から崩された」っていうそのショックからですね どんどんそのショックが薄れてきて 「やっぱり経済だな」って言う方向にどんどん・・ こう、時間が経つにつれて行っていますよね

ですから、ま、菅総理としては、 国民はまだまだ納得していないんですけれど 永田町なり、経済界がどんどん「、やっぱり原発だ」という方向に戻って行くその動きが強まる前に 先に先手を打ちたいという そういう事じゃないかなと思います

 

玉川: 僕が聞いている話でも、浜岡原発を止める時あれは金曜日だったんですね 夜7時の会見だったんですけど 総理が原発を止めると決めたのは その2時間前だったそうです。だいたい5時位で、金曜日だったんで周辺は「月曜日の発表にしましょうか」という話しもあったらしいんですけど 枝野さんが「月曜日では潰される」と・・

 

: 土日で変わっちゃう

 

玉川: 土日で変わっちゃうから、もう、金曜日中にやらないとっていうことで あの会見になったんですけど ポイントはね 2日あればひっくり返されちゃうっていうことですよ。今の状況は。

だからそういう風な部分というのが実際あるんじゃないかと私は思っているんですね

: とすると、国民から見てそれはもうなくしていった方がいいとみんなが思っていても 実現するには菅さんだけじゃなくていろんな人の支えがなければだめじゃないですか どうなんですか?

今 古賀さんは経済産業省の考え方とはちょっと違うのかもしれないけれど  経済産業省はどういうふうにサポートしていこうと思っているんですか?

サポートしていくんですか?

 

古賀: 総理が言ったんですからまずは海江田大臣がそれにしたがって経産省を動かしていく責任があるんですけれども じゃぁ、経産省の官僚はどういうふうに思うかって言うと 真面目な話としては「全然準備が出来てないよね。どうするんだろう」と、今戸惑っている状況だと思うんですね

それとともに頭の片隅に、 自分達は原子力というものに依存して、老後の生活を含めた生活設計をしているんですね。天下りも含めてですね。 それが、「これじゃ、全部変えなくちゃいけないよ」と「どうするんだろう」というのが だんだん頭の中に広がってくる様な状況で かつ、菅総理には「辞任しろ」と、民主党内でも足を引っ張る動きがあって 「まぁ、多分そんなに長くないんじゃないか」とか、ということは「少し待ってた方がいいな」と あんまり簡単に、総理が言ったから じゃぁそっちだと切り替えても 菅総理がいなくなればまたゼロに戻るかもしれない

 

: もどりますか? 菅さんが終わったらもう、原子力の話しっていうのはゼロ.全く元に戻ってしまうんですか?

 

古賀: 戻る可能性。私は高いと思います

今原子力会社の仕組みについて法案が出ていますよね 最初は、国民負担を少なくするために 私が提言したんですけれども、 株主の責任を問う」とか あるいは「銀行の債権をカットしたりして4兆5兆国民の負担を小さくしましょうね」って話をした時に ものすごくそれが広まったんですね  ところが、時間が2.3か月経っただけで もう、自民党は「対案出さないでちょっとした修正で済まそうか」みたいなかたちで  今は、「すべてのツケを国民に回す」という法案がそのまま通っちゃいそうな感じなんです

それ位、電力会社とか経済界があげて「東京電力を守りましょう」という動きになっているので

 

: 人間としてはどうだろうと思っている菅直人さんって人が総理大臣でいることが ひょっとしたら世の中にとってけがの功名になる可能性もあるという事ですか

: なるほどね

 

古賀: やりかたはね、、菅さんのやり方には問題があると言われているけれど ただ、今 なかなか総理が主導権を握る事が出来ない仕組みになっているところが問題だと思うんです

 

: いろんな思惑が見え隠れする問題ですが  一方で孫社長のメガソーラー構想には全国で35の知事が賛同しました  いよいよ電力の発送電分離、そして地産地消といった具体的な案も出始めています  これについてはのちほど玉川さんの「そもそも総研」で詳しくお伝えします  古賀さんものちほどお願いします

: 古賀さん大丈夫ですかね

明日で辞めろって言われてるじゃない  その後の話しについてはどうなったんですか? 海江田さんに会ったんですか?

 

古賀:  とりあえず私の方からは「明日辞めると言う事はありません」と言うふうに申し上げています

 

: 今日これから経済産業省に行くじゃないですか  1日中言われ続けるんですか? 「明日だぞ。明日だぞ。」って

 

古賀: 言われ続けるかもしれないです  もう、何回も次官とか官房長官とかから言われていますんで

 

 

: 入れ替わり立ち替わり来て、「どうすんだ。明日だぞ」って?

 

古賀: 来てっていうか呼ばれてですね

 

: はー・・・・・

 

古賀: 早く大臣に会って辞めろと言われています  辞めるために大臣に会うというのも変だなと思うんですけど

 

: 辞める辞めないはアレですけど 会って話して気持ちを伝えたり聞いたり それしないと  1回も会って無いんですよね

 

古賀: そうです  ですから、私にとっては非常に重要なことなので  あまり、1日2日で決めろと言われても・・・

 

: それはそうですよね

 

古賀: よく考えながらやって行きたいと思います

 

 

最後に、ウツ状態ににトドメを刺されたのが不気味な動きです。

経産省が「風評被害」を防ぐために、不正確な原発情報を流しているブログやツィッターの監視を(国民の税金使って)始めたというニュースです。

明らかに真実を国民に知らしめないための動きです。これは国家による言論統制の始まりに感じられます。

つまり、そこまでするほどに、福島の現状が手に負えないということでしょうし、放射性物質の実害はないと国民を騙し続け、何がなんでも原発を続けたいというのが官僚と政治家の本音なのでしょう。

国民は第二次大戦中のように、言論の自由を弾圧されるのかと思うとぞっとします。経産省はこれから特高になるのでしょうか。負け続けているのに日本は勝てると言っていた軍部にそっくり。

日本ペンクラブは断固こうした監視に抗議すべきだと思います。

日本むペンクラブは脱原発に声明を出しているのかもしれませんが、少なくとも私はその事実を知りません。この福島の悲劇的惨状とそれを伝えようとする電子メディアを監視する国家権力を、もしモノ書きが無視しているとしたら、日本には文学者はいないということになりましょう。

 

ああ、なにか楽しいことを考えなくてはね。鬱々するばかり。暑いだけでも悲しくなっちゃうのに。

こんな気の晴れないメールお送りしながら申し上げるのもなんですが、みづうみの面白いメールでも読めたら、などと。

では、お疲れありませんように。   冷奴 隣に灯先んじて 石田波郷

 

* わたしは、さまざまな他所のウエブサイトを開いて読むほど余力はない、ので、上のように「読める形」にしてもらえていると、分かり好い。それに、このインタビューがテレビでのモノなら、わたしは観て聴いていた。共感し、その通りだろうと予測していた多くをしっかり指摘されていて、頼もしくもあった。「冷奴」さんの観測はも最もわたしの共感の範囲内にある、濃厚に。

 

* 菅の北朝鮮系への二億円献金のこと、報じているのがあくどい「菅つぶし」に躍起の経済団体寄りで知られた新聞一社、テレビ一社だけ。この両者は一心同体と誰でも知っている。そもそも菅個人にそんな金の動かせる資金源も当時権限もなく、金持ちの鳩山代表が動いて、菅は立場上くっついていた程度ではないかと、大方が見て知っているのではと思われる、むろんわたしは確言はしないが。

いま、マスコミの色はどぎつく偏向している。しかも故意に流すマスコミの言説に歪みの多いことも、作家デビューの昔から、近年の週刊誌記事まで、いくらか体験的にわたしは知っている。

 

* 自民党に政権を、またあの超タカ派の安倍晋三になどという声も聞くが、聞くもウトましい。

原発の安全神話をつくり電力という資金源に乗っかって自民党政権が何をしでかしてきたか、またも日本列島をもとの木阿弥の金権地獄にしたいのか、と怖気をふるう。上の古賀氏の警告をこそ聴きたい。

2011 7・20 118

 

 

* 五年に及ぶ私どもの裁判沙汰が終結したことを、読者・知友の皆様に御報告し、永くご心配・ご支援戴きましたことに、心より御礼申し上げます。 秦恒平

 

* 五年に及ぶ親族間の裁判沙汰に、今日、判決が「確定」した。

六月三十日に判決、「熟慮期間が二週間」で、七月十四日二十四時で双方の判断は出そろい確定するはずだった。それがたわいなく延び延びにされた。当方の代理人は、予告されていた六月三十日に判決書を受け取りに裁判所に出向いてくれた。わたしの手元には翌七月一日には届いていた。

それが今日二十日の零時まで「確定」が延びたのは、先方代理人が判決日に判決書受領に出頭せず、加えて土日休の三日がはさまり、裁判所からの書類送達に日が掛かったからだという。これは当方代理人のわたしへの説明で、実否は知らないが、つくり話はしないだろう。

わたしは惘れる。

裁判の最重要の一つは「判決」だろう。判決書「受領の正規の手続き」が決めて無いのかと。

もし判決日に受領するものと正式にルールが決まっていれば、代理人たちの勝手や連休で遅れようが、熟慮期間は判決日から二週間と、原告被告等分に決まるではないか。

万が一もし「熟慮内容」がきわめて微妙で、控訴するしないの判断が利害に深く関わる場合もあるだろう、一方の判断が先に決まり、それを知ってなお他方には数日の熟慮期間が与えられるなど、不公平は歴然としている。幸い我々の場合はさほどの問題でなく、結局双方が判決を受け入れたからいいものの、法の運用には形式的に厳格をきわめ、時代の趨勢を読めない法の不備が明らかで有る場合であっても、お構いなく形式的に出来合いの法文が運用されるというのに、こんな簡単な、而も大事なことに規則が無く、一方のルーズがただ看過されて、場合によりそれで利を得るなど、裁判を受ける当事者としても、私民感覚としても、やはり惘れると言うしかない。

 

* さて、いかなる「判決」か。多年、お騒がせもし励ましても戴いた方々に、わたしは、何を隠すことなく「判決主文」とそれを私がどう読んだかを、率直に、はっきり併記して、ご報告する。 六十日間「広告」せよという裁判所指示に準じて、判決とは無縁な此のサイトでも、「トップベージ」冒頭部へという要請どおりに其処へ、掲載する。

 

* ものすごい量の日記からの「削除」も、一応すでに済ませてある。削除といっても、平成十八年(2006)六月から十二月までの「日記」「「 mixi」 日記」中、裁判所が指定した個所に限定されている。文藝日記たる本来は少しも冒されていない。限定外の日記は原本のまま保存公開されている。限定外の日記は「原本」のまま保存・ウエブに公開されているし、電子版・「 湖(うみ)の本エッセイ39」 の『かくのごとき、死』も読んで頂ける。

 

* さて感慨というようなものは、無い。年老いた私だが、次、次に創作等の「仕事」が待っている。

闘いは済んだが、私の日はまだ暮れていない。戴いた奥能登の純米酒「千枚田」の口をあけ、静かに朱盃に酌む。

2011 7・20 118

 

 

☆  颱風

秦先生、名古屋は昨夜からかなりの雨量でしたが、午前中で雨もあがりました。久しぶりの長雨で、大地が冷めたのですね。今朝はひんやりするほどで、颱風一過、火照ったからだも一息ついています。私にとっては恩恵でした。そちらは颱風の被害はありませんか。関東、東北に被害をもたらさないように祈っています。

裁判が結審したとのこと。何よりです。ほっといたしました。

先生と奥様に平安の時間が戻ることなによりです。

先生に、先生らしい、静謐な刻が流れること、読者として切望していました。

ほんとによかった。  野宮

2011 7・20 118

 

 

☆ 暑中お見舞い申し上げます。   e-OLD千葉の人

約五年、なにはあれ、本当にご苦労様でした。

「京と、はんなり」の繪を目一杯拡大して、

都の人はいゝなあと眺めています。

夏も、とりあえずは元気でゆこうと思っています。

おだいじにしてください。   敬白

 

☆ 長い裁判が終り、ほんとうによかったと思います。安心いたしました。

これからはどうぞご平安な日々をお過ごしくださいますように。

取り急ぎ  水鶏  一つ家を叩くくひなの薄暮より  松本たかし

 

* お二人様 ありがとうございます。日々、お大切に。 e-OLD 湖

2011 7・21 118

 

 

* 有り難い読者のご厚意で、また新たに平成二十年(2008)の全日録「文学と生活= 生活と意見= 闇に言い置く私語の刻= 宗遠日乗」が、詳細に分類整備され、四十ちかいファイルとして電送されてきた。言葉も喪う、ただ感謝あるのみ。

わずか一年間だが我ながらのけぞる程の大量であり、懸命に心入れて書き残している。およそどんな項目として「分類」されているか。順不同だが心覚えに書いておく。

 

創作・執筆・仕事  湖(うみ)の本  e-文藝館= 湖(umi)   文学論  作家論  読書禄  詩歌・歌謡論  思想  述懐  バグワンと私  心の論  歴史観  ペン電子文藝館  日本ペンクラブと私  東工大と私  名言集  美術論  電子メディア  パソコン  文字コード論  政治  時事問題  音楽鑑賞  スポーツ  歌舞伎  能・狂言  演劇舞台  映画鑑賞  テレビ批評  家庭・家族・親族  東工大卒業生  読者  友人・知己  女  人物批評  京都  旅  外出・散策  飲み食い  健康  雑  補遺・追加

 

平成十年(1998)三月に始まって今日も欠かさない「宗遠日乗( そうえんにちじょう) 」であり、現在118ファイルめを進行中、現行の「秦恒平・ 湖(うみ)の本」で単純に刊行すれば、少なくも百数十巻に相当する。すでに、『死から死へ 闇に言い置く』 『かくのごとき、 死 死なれて死なせて』 『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』上下巻 『秦恒平が「文学」を読む」上下巻 『バグワンと私 死の間近で』 上下巻を刊行している。大方が、上記の、有り難い読者のご尽力が無ければ、到底そんな刊行は出来なかった。「宗遠日乗」は、わたしの「仕事」の最たる一つであることを、誰よりも正確に識って戴いていた。

2011 7・22 118

 

 

☆ 暑中お伺い申し上げます。   e-OLD 吉備の人

長期に亘る裁判の終結を迎えられ何はともあれよろしゅうございました。

御連絡が遅くなりましたが岡山のぶどうを少しお届けします。

 

* ありがとう存じます。

台風の被害など無かったでしょうか、お揃いにて日々益々お大事にと願います。 e-OLD 湖

2011 7・22 118

 

 

☆ お元気ですか    水鶏

昨夜はメールをありがとうございました。ファイルの未着はございませんでしたでしょうか。

 

いまさらですが、「茶の湯」のファイルを作っていなかったことに気づき、しまったと思っています。他の項目に、するりとうまく入ってしまっていたので、別にすることに思い至らなかったのです。不覚です。みづうみの大切な一部でしたのに、なんで抜け落ちてしまったかと。申しわけございません。二〇〇九年度分よりこの項目を加えることにします。

始めた頃に比べてずいぶん現在に追いついてきましたが、遅れをとりませんよう、引き続き頑張ります。

 

それから、「マーラーの恋」をお読みいただいて、「 mixi」 マイミクさんの音楽青年には心からの感謝をお伝えください。短い作品ならともかく、あのように長い素人の作をパソコン上で読んでくださる方がいらっしゃるとは、正直思っていませんでした。読んでくださってほんとうに嬉しいことでした。そして過分のお言葉も頂戴して大変励まされました。生き返るような気持になりました。

みづうみにもご指摘を受けたように書き直ししなくてはいけないのですが、どうしてもあの形式を変えることが出来なくて手こずっています。まったく違った一人称で作品を書くには気持が動きません。すべて完璧なフィクションなのに、思い出したくない過去を抉りだすような気持になってしまうのです。変ですね。たぶんあの作に自分の中の忌まわしいものを詰め込みすぎたのかもしれません。あきらめていません。考え続けているうちに、ある日道が開けると。

裁判がお済みになったからというわけではないのですが、みづうみに別の小説をお読みいただけたらなどと、また虫のいいこと考えております。

 

昨日も今日も涼しめですが、台風の影響で福島からの風が東京を覆っています。牛がダメなら、当然鶏も豚もダメ、魚はもちろんダメ、となると何を食べたらよいのやら。世界は変わってしまって、もう戻れないことがしみじみ悲しくなります。

 

今書いている小説の中で、自分で自分を奮い立たせる詩を書いていますが、詩って難しいものですね。もがいているところです。

みづうみ、今日もお元気にお過ごしください。

2011 7・22 118

 

 

☆ 帰国いたしました。

おじい様、おばあ様、 こんにちは。

先日無事帰国いたしました。

寮を出てから南仏を旅行し、就活の為1週間早くの帰国です。

 

今朝、おじい様おばあ様とご一緒している夢を見ました。

ブログを開いてみたら、判決が出たとありました。

5年間、長かったですね。

おじい様おばあ様は5年間ずっと、まっすぐ立っていらっしゃいました。

おじい様おばあ様は、やっぱりやす香のおじい様おばあ様です。

建日子さんは大きな力です。

 

お土産買ってまいりました。

粗末なものですが、お気に召していただけると嬉しいです。

お目にかかれる日を楽しみにしております。

 

昨日今日は涼しい気候でしたが、まだまだ暑い日は続きそうです。

おじい様おばあ様マーゴちゃん、夏バテにはご注意くださいませ。

 

真っ黒になって帰国した  芳

 

* 無事の帰国を心より祝します。

 

* 亡きやす香のお友達から、待ち受けていた便りがあった。

ありがとう。あなたこそ「大きな力」であって下さった。

 

* 心嬉しい便りが、さらにまた届いた。老境に花が咲いている。

 

☆ 元東工大一学生より

秦恒平先生  お久しぶりです。

先生は私のことを憶えてはいらっしゃらないと思いますが、それでも云わせてください。お久しぶりです。

1994年4 月から1 年間にわたり、東京工業大学で先生の「文学概論」を受講させて戴いた一学生でした。

 

先日真夜中に目が覚め、どうしても眠れず、ネットをふらふらと彷徨していたところ、偶然にも先生のウェブサイトに辿り着き、さらに偶然にも17年前の私自身の文章を発見し、思うところあり、こうしてメールを差し上げる次第です。

 

先生の授業には、出席日数ギリギリながら参加させて戴き、前後期通して単位を有り難く頂戴しているように思います。

先生の毎回出される質問に、殆ど題意を無視していい加減なことばかり書きまくっていたような記憶がぼんやりとあります。

さぞかし困った学生だったことでしょうね。

 

17年前、わたしは先生の「誇れる国」というお題に対して、次のような返答をしました。

先生のお手を煩わせるのは本意ではないので、長くなりますが引用します。

 

****************

 

* 「国」…カッコつきだと身構えますねーー。

日本文化と日本国とは違うと思うし、私自身括られるのは嫌いだから、「国」と括られたモノの立場を考えてしまいます。日本語を誇ると言ったら、それは日本に属するものかしらん、などと。

曖昧さを残していいのなら、私は日本が好きです。電車の中で眠れる平和や、一神教に縛られない、よく云えば懐の広さ、悪く云えばポリシーの無さ、食べ物の無国籍性…etc。でも「好き」と「誇る」とは違いますよね。

日本人で日本国を素直に誇れる人は少ないと思います。私は国を誇らない自分が好きです。私は、日本語の本が、今と同じ量質種で手に入れられるならどんな「国」でも構いません。(でも、そうすると言論・出版の自由が必須だな…と考えてしまうけど。)

「国」を誇りに思うためには、まず、自分がその「国」に属しており、一生属するのだという明確な認識が必要なのではないでしょうか。ところが私は「日本国」は滅んでもいい、とすら思ってるんです。嫌悪からではなく、滅ぶ可能性はどこの国にもある、それなら滅んだところで大した問題ではない、という考えからです。ローマ帝国もイスラム帝国も元も滅んだし、日本が私の生きてるうちに滅んだってアメリカが滅んだってフシギじゃないでしょう。

現にソ連という国は滅びました。でもロシア人は滅んでません。ロシアの文化も滅んでません。

国へのこだわりは、何か、身を重くする気がします。でもそれは私の価値感であって、誇れる人はそれでまた、こだわりにこだわる私のオモリから解放されているんだし、それでいいでしょう。ただ私は「国」を誇れない。「国」という概念を有していることも誇れません。そのくせ日本は好きだしな…。矛盾してますよね。

人間や地球が滅んでも「いい」んだが。 (女子)

 

****************

 

今思うに、この文章は20歳のわたしの本意です。

けれどどうしてこういうデカダン的とも取れる思想を裡に抱えていたのか、どうしても思い出せないのです。

 

2011年3 月11日。

あれからいろいろなことが変わってしまいました。

私たちは偽りの平和と安寧の上にあぐらを掻いていたという事実が明らかになり、様々な既知のものが壊れ、様々な未知のものが産まれています。

 

20歳のわたしはおそらく、その偽りの平和と安寧に倦んでいたのかも知れません。

けれど先週38歳になったわたしは、なんとかしてこの国のアイデンティティを護りたくて仕方がないのです。

このようにぼろぼろになってしまった国であっても。

 

今私はリストラに遭い、弁理士資格取得への勉強をつづけながら職を探しています。

正直、楽な道のりではありませんが、支えてくれる人達の存在で何とかやっています。

先日

「君は東工大卒で弁理士になりたいのか…亡国の首相と同じ道を歩くつもりだね」

とのお言葉をある人から頂戴し、横っ面を張りたくなったのを必死で我慢しました。

あの地震から、人々〈わたし含めて〉の心の中の余裕が失われているのを肌で感じています。

早く元に戻ればいいのですが…。

 

先生にアーカイブして戴いた20歳の私たちの様々なことばを印刷し、持ち歩き折に触れ読んでいます。

あの頃みんな、こういうことで悩んでいたんだ、でも口には出さなかった。なんで?

そんな思いでいっぱいです。

そして20歳の悩みと38歳の悩みの共通点と差異についても思いを馳せる日々です。

 

こうして私たちのことばを大事に保管し、公開してくださったことに、心から御礼申し上げます。

 

1994年はとても暑い夏だったように記憶しています。

確か大岡山本館の冷房が止まったはずです。

あの夏よりも今年の夏の方がずっとずっと厳しい気がします。

どうかお体には十分お気をつけください。   元生命理工学部: 学籍番号*******

 

* 東工大教授を退官する最期の年の学生、名前ははっきり記憶している。聴講の学生はわたしの教室は毎年満員だった。顔を覚えるのは教授室へ話しに来る学生諸君にほぼ限られるのだが、なにしろ四年間に単行本にすれば百数十冊にもなるほど学生諸君に毎時間モノを書かせ続け、克明に読んだ教授だもの、全員が鉛筆の書き癖までかなり記憶している。

それにしても、どうだろう、この嬉しい便りは。いま、秦先生は絶句している。懐かしいなあ!

2011 7・22 118

 

 

☆  安堵

ご報告に胸なでおろしています。ご夫妻のその間の並大抵でなかった、ご気苦労を心よりねぎらい申し上げます。

建日子さんのご協力や支えにも何時も感心していました。

皆さまに本当の平穏な日々が訪れますように祈っています。

新しい作品に打ち込まれているとの事。完成を楽しみにお待ちしています。

 

6月7月と、『バグワンと私』の本を読ませていただいていました。

声がよく聴こえたり、上滑りをしたりしながらも、繰り返し読んでいます。

そして、以前のエッセイの本「中世と中世人の(二)」で、法然と親鸞を中高校生向けに書かれた物があるのを思い出し、今そちらも読ませていただいています。

改めて歴史の中の宗教をすっきりとさせていただきました。

この頃の私にはちょうど良い理解の範囲の中にあるようです。そしてバグワンの近くにいければ嬉しいのですが。

 

「日本史との出会い」として出版されたときに我が家の息子に戴き、その後娘、孫などが読んでおりました。

それぞれに、どのように解釈したのでしょうか。

今話し合って見たい気がします。

 

大暑。長い暑さが続くでしょうが、迪子様ともに、これからの日々どうぞお大事にお過ごし下さい。 晴

* 感謝します。なおなお幾変転がありえましょうが、自然に、ゆったりと迎えつ送りつしてゆきます。すべき作業の全部ちかくとうに済ませてあり、慌ただしさはもうありません。楽しみも楽しみ、しんどいことも楽しみます。

2011 7・23 118

 

 

☆ メールありがとうございます。+お願い

秦恒平先生  突然のメールに、お返事を戴くことができ、とてもうれしいです。

また、先生がお元気そうで安堵しております。

まずはお返事に御礼申し上げます。

 

先生の力強い励ましのお言葉に、元気を戴きました。

(駅のホームでお手紙を拝見しながら、不覚にも涙を流してしまいました…)

これから先、先生の力をお借りすることがあるかも知れませんが、どうかお許し願いたいと存じます。

先生のお書きになった、「東工大「作家」教授の幸福」「青春短歌大学」というご本を、ぜひ読ませて戴きたいです。ご厚意に思い切り甘えるようで心苦しいのですが、お送りいただけると幸甚です。

連絡先は以下になります。

 

誕生日に友人からいただいた紅茶葉をつかって、今日はアイスティを淹れてみました。

こういう余裕をしばし忘れていた気がします。

毎日が日曜日なら、すこしは世間も丸くなるのかな、と考えたりします。

それでは、何卒よろしくお願い申し上げます。お体にはお気をつけくださいね。  彰

2011 7・24 118

 

 

* だれに貰ったのだろう、岡晴夫の「逢いたかったぜ」ほか田畑義夫の「玄海ブルース」まで、20曲のオリジナル盤CDをみつけた。いまは青木光一が「柿の木坂」を歌っている。ちょっと懐かしい。そして全く同じ20曲をもう一枚の盤で、ちあきなおみが全部歌っているのも併せ貰っている。一つのビニケースに二枚入っていた。今は平野愛子が「港が見える丘」を歌っている。なんと懐かしい。少年のわたしも歌った。なんとなんと。

次は田畑義夫の「すえり船」 エト邦枝の「カスバの女」 佐藤千枝子の「船頭小唄」 菊池章子の「星の流れに」 二葉き子の「水色のワルツ」 津村謙の「上海帰りのリル」 楠木繁の「緑の地平線」 バーブ佐竹の「ネオン川」 さくらと一郎「昭和枯れススキ」 扇ひろ子の「新宿ブルース」 ディック峰の「夜霧のブルース」 春日八郎の「別れの一本杉」 松山恵子の「未練の波止場」 三橋三智也の「りんご村から」 春日八郎の「雨降る街角」 田畑義夫の「玄海ブルース」 そして石川さゆりの「紅とんぼ」は録音盤。

ほぼ全曲覚えているし、よく聴いていた。この選曲では、19枚もオリジナル盤から選んでいるというのでは、京都の森下辰男君のプレゼントに想われる、が、千葉のe-OLD 勝田貞夫さんからもたしかちあきなおみの盤を選んで送ってもらっているしなあ。われわれ三人とも一つと違わない同年生。

いま二葉あき子が「水色のワルツ」をあの銀色の声を震わせて歌っている。日吉ヶ丘高校の入学式の日にはじめてバックグラウンド・ミュージックとして聴いた。上の何人の歌手が存命で健在だろう。

 

* さて各歌手のオリジナル盤とちあきなおみのライヴ盤を聞き比べると、ちあきの歌唱力は認め得ても溌溂の魅力は断然原曲が優っている。懐かしいという価値も加算されているが。

聴きながら身の回りの片づけをしていたが、なかなかかたつづいたと謂えないので腐る。捨てることを覚えないと。

2011 7・24 118

 

 

☆ お元気ですか   播磨の鳶

2,3日そのままあった裁判についての記事が昨日24日には既に削除されています。配慮あってのことと察します

気持ちはとうから整理してあり、決着にかなり満足と書かれていらっしゃいます。本当に「彼ら」は五年かけて何を得るところあったのでしょうか。

つくづく思います。今は鴉ご自身の日々を、時を、大切になさることが優先、です。ひたすら前を見て。

 

中国の高速鉄道事故、ノルウェイの殺人事件と立て続けに恐ろしいニュース。

あまりに急ぎすぎた経済発展のひずみ、根底からのひずみが中国を揺るがす可能性は大いにあるでしょう。

ヨーロッパに常にある極右の思想もわたしたちに決して無縁のものとも思えません。そしてこの日本の在り方も多くのことを抱えて・・。

 

暑さがいくらか落ち着いて、といっても30度を超えていますが、夏に弱いと自分を甘やかして暮らしています。なかなか軌道修正ができません。精神的には少々苦しい状況、わたしらしく生きてないな、と。

夏を乗り切って、お体大切に。

 

* 先ず裁判のことだが、わたしは、悪質なホームページーへの妨害( 全壊という前例がある。) があるのを考慮して、常に全面的バックアップを用意し続けてきた。判決のよほど前からは、公式の http://umi-no-hon.officeblue.jp  を大きく組み替え、かつ外への発信量を減らしながら、此のサイトをあえて多用してきた。

此のサイトでは判決されている「広告」などの必要は無いので、無用な記事は二日間だけ発信しておいて消去した。無用なのだから。

 

* 判決が出て、わたしが苦渋を嘗めているかと案じて下さる向きがあるか知れないが、それは、ご心配無用です。

 

先ず「お詫び」広告も、裁判所の作文に署名したまでで、内容は、書き添えたとおり、およそ無意味。そして、他に「詫びる」何一つ無い判決であった。

日記の削除など、およそ、わたしには何でもない。書くべきはその時に懸命に書き、しかも、はや五年も前の日記など、だれがわざわざ溯って読むわけがなく、ただ保存されていただけ。いずれ『バグワンと私』や『文学を読む』や『濯鱗清流』のような「本」になってこそ喜んで貰える、それら厖大な記事の「宗遠日乗」は貯蔵庫であり、削除個所などはおよそ今は無価値と化している。「 mixi」 日記でもそうである。

書籍本に関しては、指定個所を「削除しない限り」今後同内容での再版はできないという判決であるが、すでに「本」の役割は果たし終えている。ありがたいことに『かくのごとき、死』が電子版として残ることを判決は全く禁じていないし、「聖家族」などという紙の本は、もともと存在すらしていない。

「慰謝料」等は軽額とも謂えまいが、合算しても最初要求されていた「損害賠償」とやらの五分の一額にすぎず、いとしい孫の霊前に贈るものと思えば何でもない。そして「余の請求はすべて棄却」されている。

加えて氏名のマスキングなど事実上無意味と判決に加えられず、さらに、かかる近い親族間の多年の軋轢を起こした根本は押村高の暴発と裁判所ははっきり指摘し、判決文を結んでいるのである。

まことに上の「鳶」さんの謂うように、五年の歳月を掛けて娘や婿は「何を得るところがあった」のだろう。わたしにはほぼ穏当で負担の軽い判決なのである。勝った負けたなどはもともと論外の愚行であった。

2011 7・25 118

 

 

☆  全面的に賛同します。

身のうちに大変なことを抱えられ、そのご心情察するに余りあるものがありますが、しかし先日、建日子さんの『アンフェアな月』が版を重ねているという新聞広告を見まして、羨ましく思いました。 お体お大事になさってください。只今

 

* 「無道政治家・特権企業人の『社会的責任』を厳しく糺し、菅総理のメド達成後の『卒・脱原発』『解散権』行使に期待する。」「昨日の菅総理の記者会見に賛同し、菅内閣の継続を、断然支持する。」「菅総理を、もし、今日明日にも総理の座から引きずり下ろしたいと、賛成のあなた。」と題したわたしの次々の表明を挙げての全面的賛同が寄せられていた。「只今」さんは北澤の兄やわたしの家族のこともご存じの高齢の方で、同じ文藝関係の方に想われるが、実名は存じ上げない。ご賛同、こころづよい。

 

それもともあれ、私の終熄した裁判沙汰にお気をつかわせているらしく、恐縮です。それは、昨日に書いていますように、ご心配無用です。

2011 7。26 118

 

 

☆ 秦先生 ありがとうございました。  「謙」です。

先日はDVDをご覧いただきまして、本当にありがとうございました。ご感想を記していただいたにも関わらず、御礼が遅くなりましたことをお許しください。心から感謝申し上げます。

 

先日、秦先生がホームページで紹介してくださった、元生命理工学部の女性の「挨拶」を、私も読ませて頂きました。途中で思わず、涙が溢れてきました。決してノスタルジーだけではなく、同じ教室で学んだ仲間の挑戦に、胸が熱くなりました。

あの教室で学んでいた日々から、もう15年以上が経つんですね。教室の「熱気」や「匂い」は、今でも明確に思い出すことが出来ます。いや、まだ15年、と言うべきでしょうか。私たちは、まだまだ若いと、思っています。

 

判決につきましては、先生が記してくださった内容で、理解できました。私も、ほっとしました。

 

本日は、やす香さんのご命日とのことです。私なりに、やす香さんに思いを馳せて、一日を過ごしたいと思っております。

最近は出張も少なく、東京にも、一年近く行っていないのですが、また先生、奥様にお会いできればいいなあと思っています。

その日を心待ちにしながら、頑張ります。

ここ数日は暑さは少し和らいでいますが、湿度が高い日々が続いています。くれぐれもご自愛ください。

 

* ありがとう。赤ちゃんの元気な誕生を願っていますよ。そしてぜひ、また、逢って話しましょう、すこし、ゆっくりして。

2011 7・27 118

 

 

* 六さん

メール便は久しぶりなので、これで届くかなあと心配ですが。お元気のことと思います。いつも、有難う存じます。

さて今日、

「こころ」とはなにか  を郵便で受け取りました。「mixi」で書いてられるのもむろん知っていました。

率直に申して、この考察には、魅力を覚えません。

七十年、まさに心にかけてきた問題で、繰り返し繰り返し答案を書きつづけてきた実感をもつ私には、残念ながら「おおそうか「「そうであったのか」と新たに教えられる喜びが得られないのです。

今の私には、「心とは何か」という、いやほど繰り返しまた読んできた「辞書・辞典」水準での詮議穿鑿や一般論には、関心がもう無いのですね。何も得られない。己の死生に思い惑い苦しみながら、願わくは「心」になど煩わされたくない、どうしたらいいのだろうという、いわば「悲しみ」にこそまみれてきたからです。「もらひ子」の境涯を知った幼年から、漱石の「こゝろ」を読んだ中学生の頃から、『バグワンと私』の最近まで、輾転反側して「こころ」からの自由を願い続けてきた者には、物足りないというより索漠とした作文のように感じられるのです。ごめんなさい。

「mixi」を始めたとき、一機会かと、己れに強いてすぐさま、ぶっつけに、まる一ヶ月「静かな心のために」と題して述懐した数年以前も、わたくしには「心」のことは「なにか」ではなく、「いかに」して静かに無心へと深み行けるかという「死生」の問いでした。

おなじような、なまなましい「あなたご自身の呻きや歎きや煩悩」にまみれて「心」が問われているかと期待したのでしたが、「概念の処理に終始」されていては、所詮マインドという心の分別に過ぎず、ハートという生き生きとした鼓動のことばとは受け取れないのです。したがって結びに近く宣言されている、どんな「責任」を引き受けられるのかが、あなたの文章からは見えないのです。

率直に申しました。お気に障りませんようにと願っています。さらなるさらなる精到と透徹のご覚悟をいつかまた読ませて下さい。    私は、元気に過ごしています。   秦恒平

 

☆ おじい様、おばあ様、   芳

こんばんは。

今日二十七日はやす香の日でした。

あれから5年という歳月は流れましたが、私は何も変わっていません。

根底は高校生の時のままです。

やす香の優しい温かな想いに触れながら高校生活を送り、今の私はあります。

やす香は他の人に愛情を与えることのできる人でした。

学校では学ぶことのない、人としての素晴しさを、やす香は教えてくれました。

そうして一緒に過ごした高校生活は私の宝物です。

今日はやす香の所へ行けませんでしたが、後日友人たちと訪ねます。

大勢で行って、驚かす予定です!

最近は少し涼しくなり、過ごしやすくなりました。

そんな時に限って就職活動で外へ行くことはなく、家で履歴書を書いている毎日です。まだ就活を始めて半月ですが、早く内定をもらって気持ちを休めたいと思ってしまいます。

1 年後には社会人…になってるはずですが。

9月の建日子さんの舞台と、11月のアマデウス、是非ご一緒させて下さい。帰国してから藝術に触れる機会がなく淋しいと感じていたところでした。

もちろんおじい様おばあ様にお会いできるのも、とっても楽しみです!

では、お目にかかれる日まで、どうぞお身体をいたわってお過ごし下さいませ。

* やす香は、わたしのそばで、笑っている。

2011 7・28 118

 

 

* 四日間かけて書きましたというお手紙を、地元の、元図書館長さんから頂戴した。病気をされ怪我をされ、日々のご不自由などもあわせ、この数年、十数年の過ぎ越しを淡々と書いて下さっている。年の程は、わたしとほぼ変わらぬ方である。どうぞお大切にと切に願う、またわたし自身も要心あらねばなりません。

2011 7・29 118

 

 

☆ 秦 恒平 様   六

メール拝受しました。拙文を読んでいただけたこと、感謝しています。

 

「付記」に、・・・「こころ」とはなにかと、いままでに考えたことがなかったわけではない。折りにふれ思案して、わたしなりの像をぬり重ねてきた。しかし、それを人に説明できる言葉をいまひとつ、つかめずにいた。ある番組に触発されて、発語のきっかけを得た。そこから改めて、生まれた思索がこれである。一念をあかせば、責任を引き受けたつもりである。大袈裟かもしれないが、ひとりの思索者として、そう思っている、と、記しました。

 

「責任を引き受けたつもり」とは、たしかに、「大袈裟」なものいいで、「こころ」について発語することが、なぜ、「責任を引き受けた」ことになるのか、意味不明に感じられたことでしょうが、愛用の岩波「古語辞典」に解される「こころ」を思索点に据えて、その内実を明らかにすることは、それが「辞書・辞典」水準での詮議穿鑿であるにしろ、わたしにとっては欠くべからざる考察でした。それは、かねてからの難問であるサルトルの「想像力の問題」に近づくために避けて通れぬ峠でもありました。

むろん、秦様の言われる、「いかに」して静かに無心へと深み行けるかという「死生」の問い、ではありませんが、「私」とはなにか、それを今もなお問い続けているわたしにとっては、「こころ」とはなにかは、切実な(なにが、切実かと、おしかりを受けそうですが)問いでした。

「付記」の最後に述べたように、うかつに手は出せませんが、いったん発語した以上、「ひと」とはなにかの納得が得られるまで(それも、無理だよと、笑われるかも知れませんが)思索を止めるわけにはいきません。懲りずに、また、「作文」を送ります。 拝

 

* 書き継ぎ書き深められることを期待します。大勢の方の関心事として「こころ」のあることは常に事実なので。送って頂いた文章も、「 e-文藝館= 湖(umi)」に掲載させて貰います。大勢が読んで下さると思います。

おそらく、わたしが一等物足りなかったのは、「こころ」が、「語」として「思考・思索」されていた点にあるのでしょう。「あれが月だよ」と指さす「指」はなんら「月」ではない。月が真如であるとしてそれをさす「指」は「語」であり「思索・思考」という分別行為( マインド) にすぎなくて、そのままでは、とても月には達しない。よく謂われることです。

辞書的な「語」に頼んだ「思索・思考」という分別行為( マインド) で「こころ」を定義してみても、「こころ」はおろか「私」もたぶん「指さす」以上には、「概念」以上には捉えられない気がしています。

「指月」「捉月」のむずかしさに、人はくるしみなげいて来たと思います。 秦恒平

 

* お気持ちの動く方、ご遠慮無くご参入ください。

2011 7・29 118

 

 

* お互い文学に志のある同士なので、他にもそういう人たちは少なくないので、頂いたメールを、やはり公然の大事と思い披露します。「六」さん、ゆるされよ。

 

☆ 秦 恒平 様

文庫・湖(umi )に掲載された「「こころ」とはなにか。」のありかを探って、論攷欄に及んで、そこに、おもいもよらぬ見逃しのあることに気づいて、愕然としています。なぜいままで、そのことに気づかなかったのか、気づけなかったのか。怠慢を恥じております。

「小説の原初」、わたしが最初に送った原稿に差し替えてくれていたのですね。長さゆえに、ペンクラブ「読者の庭」では、やむなく前半に絞ったものを、もとの形にもどしてくださったこと、なによりうれしく、こころより感謝いたします。

と、同時に、告白しなければならないことが、ひとつ。

ひさしぶりに「小説の原初」を読み返して、ふと、かんがえこんでしまいました。自分は、いま、これと同じものが書けるだろうか。その内容はともかく、これほどに切迫した身構えで文学に向かい合えるだろうかと自身に問うとき、忸怩たるものがあります。いつのまにか、そこに刻んだ衝迫の意味さえ薄れさせてしまうところでした。

 

・・・「私」にこだわりつづけることに、なにほどの価値があるのか私は知らない。そして小説に、それに「私」を賭けるだけの値打ちがあるのかも解らない。だが、「小説の原初」に、かたくなな偏狭と他に譲れない信念をもって立ち向かっていた人のいたことだけは確かである。そのことだけは知っている。そうして、過日、そのような偏狭と他に譲れない信念をもつ人を秦恒平の「私語」のなかに見いだしたゆえに、ここに長文の論考をしたためた。拙論に惑わされて、小説の新たな可能性を探る人の出で来たらんことを期待する。そしてまた拙論に対する異論の招来を切望する。本論は端緒であり、森の探索はこれからもつづく。その道案内となる異論の寄せられることを私はわくわくと待っている。

 

末尾に記した言葉をかみしめながら、もう一度、原点にもどらなければと、そう感じています。 榛原六郎 拝

2011 7・30 118

 

 

☆ 秦先生

メールありがとうございます。お写真拝見。素人の手作りをこのように飾っていただき、ありがとうございます。

お香の香りが少しでも先生の慰みになればと単純に思ったほどのことで、このように、お心の籠もった写真をお送りいただき、恐縮、感激いたしております。さっそくプリントアウト。畏れ多くも観音さまと並ばせて頂き、しかもお軸前の中央に香炉。香炉の夕顔文様もきれいに写っていますね。なんと良い記念になったことでしょう。我が家の職人さん!も、作者冥利とにっこり。

「閑事」、良い字ですね。この伸びやかな、大らかな字の主、認得斎についても調べました。

「宗遠日乗」も拝読いたしました。

ご多忙な日々をお過ごしでいらっしゃるのに、先生は、実に丁寧に日々を送っていらっしゃると、今更ながらつくづく感じ入っております。今月の「寒山」や「方丈」の扁額など、毎月のお写真も、先生の美に対する視線にふれられ、とても楽しませていただいております。自分の雑な生き方を反省(なかなか改まりそうにありませんが)。

この秋の正倉院展に「蘭奢待」が出品されるむね、今朝の新聞記事を見ました。前回、平成9年に全浅香と黄熟香(蘭奢待)が出品されたのを初めて見た記憶がきっかけで、「瑠璃の香筥」を書いたのです。

さあ、もう一度、原点に戻って、推敲してみます。

先生、また暑さがぶり返しそうです。くれぐれも御身大切に。それにしても豪雨の被害も心配ですね。 珊

 

* 聞香具一式をていねいに揃えて頂戴しながら、判決の何のという雑事のゆえに騒がしく過ごしていて、ものがものであるだけに、うかとも触りにくかった。今日、ようやく身近の雑然をかたづけて、頂戴した中の、ご主人の制作になるという黒に夕顔模様の香炉を新しい小帛紗において「閑事」の軸前に飾らせてもらい、写真を送って怱卒の御礼に代えたのである。

 

* 吉備のお人から、すばらしい葡萄の大きな房を四つも頂戴し、妻と、歓声をあげ美味を吸い込んだ。下関の孤城山人の送って下さるとっておきの獺祭のよく冷えたのも楽しんだ。こんなにいろんな果物やお酒を芯からたのしんでいる糖尿病者っているだろうか。ありがたい幸せである。

2011 7・31 118

 

 

*  上野千鶴子さんから、メールが来た。打てば響く嬉しさ。

 

☆ 秦さま    うえの

おもしろい!です。

これ、ご本人(宮本直美さん)に転送していいですか。

酒井順子さんの「紫式部の欲望」もおもしろいですよ。

うえのとの対談がウェブにアップされています。

でも秦さんからうえのの読み間違いを指摘されるとこわいなあ。

***********

酒井順子さん著、『紫式部の欲望』発刊記念特別対談です。

詳細はこちらから。

http: //renzaburo.jp/yokubo/index.html

 

* 上野さん  ありがとう存じます。

宮本さんに転送、むろん差し支えありません。そう願っていました。私のサイトやメールを伝えて下さっても構いません。

現代学、近代学をする方たちに、いつも願うのは少なくも上古以来の日本史に根を下ろしていて欲しいということです。民俗学のレベルでなく、昨今の歴史学は、ご存じのように網野善彦の「無縁・公界・樂」や「中世の非人と遊女」などを先陣に、ジェンダーにも深く切実に視線・視野をひろげています。

上野教授に「挑む」人たちの論攷に、どれほどそういう長い線での歴史的連絡が把握されているかを、気に掛けています。今度の

此の本『上野千鶴子に挑む』はとても興味深く、おもしろくて、横から家内まで手を出しています。

わたしは京都で生まれ祇園町と***とのあわい、知恩院の新門前通りで育ち、新制中学いらい叔母の生け花と茶の湯の稽古場や、和歌をはじめ古典物語等から歴史的な「女文化」を大事にさぐり当ててきました。怒ってはいけませんよ、「男は嫌い、女バカ」というのが、少年の少なくも京都人観でした。嫌いにもバカにも、高い評価を隠しています。

上野さんは、わたしの実兄であった、しかしほとんど逢う機会なく、機会少なく死に別れた市民活動家北澤恒彦をよくご存じなのか存じませんが、兄晩年には幸せなメール交信や文通を重ねていました。ずいぶん違う道を歩いて来ながら、晩年の兄はよく私を見つめてくれて優しい理解をたくさんな手紙で送り届けてくれていました。

江藤淳の自決から兄の自決までをわたしは「死から死へ」( 湖の本エッセイ20) に書き残しておきました。

しかしいまの私は、やはり原発に注目し、唐木順三の遺書『「科学者の社会的責任について」の覚書』筑摩書房 とともに、科学研究の自由を問い直しています。

かなり脱線しましたね、ごめんあれ。お大切に。 八月一日  秦生

2011 8・1 119

 

 

☆ 風、お元気ですか。

週末は関西で義父の納骨式を無事に済ませてきました。

今週末はイギリス旅行です。一週間くらい行ってきます。

旅行から帰っても、まだ夏休みがつづきますが、今夏はもう夫の実家へは行かず、富士山を観ながらゆっくりすると思います。

確か、二十一日くらいまで長い夏休みです。

持て余しそう。

 

 

今、次の創作の構想を練っています。

構想って、難しいですね。

がんばります。    花

 

* 日本の大企業が、西欧なみになったというのか、そうではあるまい、病的な現場調整の必要から、一月ちかい永い夏休みをいわば強行しているようだ。深刻な破綻の危機が日本の経済を侵蝕していて、かならずしも電力事情などてはあるまい。電氣は足りているのだ。

2011 8・1 119

 

 

* 京都から東京へ来ている若い女画家が、旅先から、いや帰郷した京都から、銷夏の美味を贈りとどけてくれた。「紀州からあなたへ一粒の至福」と、福梅を、たっぷり。一粒一粒を和紙にくるんで、絶好の夏のお茶うけに出来ている。妻の両親は紀州の人、そしてわたしは少年の昔から梅が大好き、一度に五つも六つも酸っぱいのを喜んで食べてしまうことがある。中国へもロシアへも、梅干しをいっぱい携行して長旅の健康を保ってきた。秦の父は、梅干し嫌いだった、可笑しいほど。

阿部さんの送ってくれたのは酸っぱい梅干しでなく、京ふうのセンスでみごとな菓子にも成っている。菓子の「菓」の字が示す本来果実の精製であり、いい煎茶にも、抹茶にそえても、しっくりと美味い。「福梅」製、趣向の箱に二段に、たくさん。真夏に嬉しい、まさに、茶の「友」。ありがとう。

 

* 六時前に起きたので、やっと、九時前。朝飯前をこころよく。 2011 8・2 119

 

 

☆ 秦先生    エッセーのような素敵なメール、有り難うございます! お仕事落ち着かれたとの事。それでもやはり猛暑と闘われながらお忙しくなさってるやろうなぁ、と思います。私は向日葵なんかを描いて、夏気分満喫です。

あの梅のお店は、親友の実家なんです。親友は音楽の道を極めつつ、家業をしております。喜んで下さって嬉しい! 早速親友にも連絡しなくては。

うちの師匠にも喜ばれ、お中元は毎年此と決めております。

それでは先生、時節柄くれぐれもご自愛下さい。奥様にも宜しくお伝えください!  友

2011 8・3 119

 

 

☆ お元気でなにより

夏早々にうんざりの猛暑、熱帯夜に見舞われ、八月は神の恵みのように例年よりは幾らか過ごし易いのではないかな、と。

手枷足枷はありますが、老いを感じながらの平々凡々の日々です。

深く探求せず成るがママ、これは良くも悪しくも昔から変わらない本性だったなァ、と自己分析。

昨年、永らく会っていない心親しかった同年齢の友人夫婦の相次いでの訃報を聴いて以来、時々胸に冷たい風が通り抜けて行きます。    取りとめもなく。  泉

 

* ご同様、胸の痛むことがあります。

2011 8・3 119

 

 

☆ 闘うこと

お元気ですか、みづうみ。

 

身辺とてもゴタゴタしておりまして、メールもせずに失礼していました。

 

みづうみが少し落ち着かれてからと思っていましたので、裁判のことなどわたくしの思いは申し上げていませんでした。ほんとうに終わって良かった、嬉しいことです。

お金はずいぶんかかってしまいましたけれど、みづうみにとって一番傷の浅いかたちの判決ではなかったかと、ほっとしました。

作家がその作品で訴えられた場合、負けることは必至です。小説とはそういうものですし、法律も裁判もそういうものです。いかに少なく負けるかという点で、みづうみは耐え抜いてしっかり闘い、最善の結果を得られたと喜んで(へんな言い方ですが)います。みづうみの完敗でなく、朝日子さんらの完勝でもない今回の判決は絶妙な判決だったと思います。

 

しかしながら、サーバーのホームページの記事削除については、烈しい憤りを感じます。

 

 

 

みづうみにとってはふりかかった火の粉を払わないわけにはいかず、これからも不本意に闘い続けなくてはなりません。気休めは申しません。力の限り闘って負けないでください。闘いつつ、ご平安でありますように。

サーバーとの闘いは、じつはみづうみお一人の闘いではありません。権力に羊のように無抵抗に抹殺されないために、小さな人間がネットの中でも言論の自由を死守することはとほうもなく大切なことです。みづうみを蔭ながら応援している多くの読者のことをせめてものお力としていただけたらと思います。

正確な文言も誰の言葉かも忘れましたが、「あなたは生き続けるためには屈伏したほうがいいだろう。しかし存在し続けるためには闘わなくてはならない」というものがあります。

 

犯罪でない限り、サーバーはネット上で焚書することが許されないのは当然のこと。

みづうみのサーバーとの闘いは、現在日本で起きている重要なインターネット上の言論弾圧にもかかわっていることと思っています。

先日の国会での児玉龍彦先生の証言のYou Tube映像は20万件ヒットしたとたんにあちこちで削除されまくっています。風評被害を防ぐためという、国民の税金を使った原発情報監視システムによるものと推察されます。

東大教授の責任ある、それこそ満身の怒りをこめた良心の国会証言が、国家の監視システムによってどんどん消されていく事態に手をこまねいていてよいものか。どうして世間は黙っているのか。苛立ちます。家庭の主婦がどんなに憤っても、所詮ごまめのはぎしり。意見を発表する機会も、訴える場所もありません。唯一の救いは、削除を危惧していた数多くのユーザーが映像を個人的に保存していて、消されては復活させることを繰返していることです。

 

そのほか、あらゆる原発情報が監視され、いたちごっこで妨害され続けています。もはやテレビも新聞も真実を報道しないことが明らかになっている今、ネットだけが真実に近づける手段であるのに、それまで奪おうとする監視システムを許すなら、もはや民主主義国家ではありません。そもそも監視している自分たちとその子どもも、国策のもとに被曝するというのに、なんという愚かしいことか。

当然日弁連が監視に抗議していましたが、日本ペンクラブはなぜ黙っているのでしょう。(私が知らないだけで、もし抗議していたならごめんなさい)物書きである以上、ペンクラブの総力をあげて大抗議をすべきです。いずれ自分の身にふりかかる事態がくるに決まっているのに、危機感もなく他人事でよいのかと、日本ペンクラブには深く失望します。

科学も文学もジャーナリズムも金で買われる時代になったということですね。いやな世の中になりました。

わたくしののような家庭の主婦でさえ、日常生活で悪と闘わなければならないことはあります。昔から、ひとりぽっちで闘っていたなあと、苦笑しています。みづうみほど高尚な問題で闘っているのではないので、よけいに惨めな記憶ばかり。

 

『バグワンと私』の中の一節は、わたくしにとても痛く響きました。わたくしは次元の低い人間ですが、それでもみづうみの苦しさがほんとうによくわかるのです。

 

* 前夜、バグワンの『十牛図」 を読みながら突如動揺し、眠れなくなりました。

人は、「社会」に追従することで己が「決断」をすべて回避し放棄し、追従を拒んでわが道を生きようとする者をみな「狂人」として誹り、非現実的な「愚者」と嗤い、しかしながら、至福の静謐に至る者はみな狂人のように愚者のように遇され生きてきたのだとバグワンは言います。歴史を顧みれば、その通りだと思います。バグワンに出逢うよりもずっと以前から、わたし自身そのように生きたかったから、そう説かれれば本当に深く頷けるのです。

頷けるにも関わらず、そのように生きることでどんなに傷ついているか、耐え難いほどである自身の弱さに気づいて、あっと思う間もなくわたしは動揺し動転してしまった。寝入っていた妻を揺り起こして苦しいと訴えた。訴えてみてもどうなるものでもない、わたしは惑ったり迷ったりしたのではなく、ただ意気地なく辛く苦しくなっている自分を恥じ、情けなくなったに過ぎません。

1999  12・19

 

 

降って湧いた災難に、勝ち目のない闘いをしていると、どうしてこんな苦心しているのかと自分を呪いたくなることがあります。しかし、愛するもの、守りたいもののために動かざるを得ません。こんな生き方はごめんだと、何度も何度も思ってきました。

狭い世間でしか生きていないわたくし程度ですら苦しいのですから、大きな仕事をなさっている方々の闘いの厳しさにいたっては……。

少し世間を見渡せば、思想信条のために苦闘している方々はいくらでもいらっしゃいます。たとえば、経産省から退職を勧告されている改革派官僚の古賀茂明氏の孤立無援の闘いを思うと胸が疼きます。

近隣に停電はないのに、古賀氏の自宅一軒だけこの暑さの中停電し、復旧を頼んでもあれこれ理由をつけられ、なかなか東京電力から来てもらえなかった事実、ハクビシンの死骸が玄関前に棄てられた悪質ないやがらせ。議員から電車には気をつけろという警告を受け、ホームや階段から突き落とされないか、女性が近づいてくると用心するという日々。ストレスのあまり痩せておしまいです。正々堂々と言論で闘おうとせず、口封じに動く圧力に恐怖と憤りを感じます。

言論の自由は私民の唯一の武器です。小さな人間ひとりひとりがその最大の権利を奪われないように、決然と闘い続けなければいけないのです。言論の自由が、あらゆる利権によってつねに虎視眈々と狙われていることを、もっと多くのひとに気づいてほしい。関心を寄せて、立ち向かっていただきたいです。無関心ほど罪深いことはありません。

私たち日本人は児玉先生や古賀さんという「個人」を絶対に守らなければならないと思います。出来ることなら、お二人にあなたは一人で闘っているのではない、そうお伝え出来たらと思うのです。狙われるということは、その人間が敵にとって手ごわい、真の脅威である何よりの証明なのです。

 

みづうみが、みづうみご自身であるために、どれほど大きなものに挑み、静かに着実に闘い続けていらした方なのか、わたくしも、読者もよくわかっています。二十五年にわたる湖の本の出版はもちろんですが、他にも文字コードや電子文藝館でも、みづうみの超人的な孤軍奮闘から、わたくし達は多大な恩恵を受け続けてきたのです。

今後も、みづうみは諸々の闘いから解放されないのかもしれません。小田実さんが、闘う気持が萎えてしまうとき、ナチスに抵抗し拷問され虐殺された勇気ある人々の記念の場所にきて自分を奮い立たせると語り、思わず涙ぐんでいらした姿に震えるほど感動したことは忘れません。

闘うことは常に困難で孤独なのですが、何のためにどう闘い抜くかが人生なのでしょうし、それがそのひとの人間性を測る唯一の機会になろうと思います。

それにしても世の中の卑怯な奴らの高笑いを想像するたび腹が立ちます。時々眠れなくなります。勝てなくても絶対負けないから、今に見てろと、自分を叱咤しているところです。

 

お元気ですか、みづうみ。

気晴らししたくても、地震も放射能もありでは、なかなかです。震災ストレスというわけではありませんが、お蔭様でダイエットしてもいないのに痩せました。

在ることのしばらく喜雨の音の中   長谷川素逝

 

* こういう温かい毅然とした知己に、いつも身内として「そばにいて」もらえる有り難さ、わたしの闘いにはそれがある。

 

* 裁判に勝ち負けがあるというなら、金銭的にも条件的にもたいへん利のある判決をもらっていて、予想と確信どおりだった。日記から削除した一切歯に衣着せなかった箇所は、すべて予想通りであるとともに、なんら文藝的に削って惜しむ内容でない。

また作品二つの一つ『聖家族』は、判決よりずいぶん以前に長篇の一部として改作され完成されたフィクションとして、読者や各界の手に広く行き届いているし、名作だと褒めてくれた人も有る。もう一つのやす香挽歌『かくのごとき、死』も同様。しかも原作原文のまま今後もウエブサイトで繰り返しいつまでも読んで貰って差し支えなしという「判決主文」を得ている。原告の横紙破りに乗ってサーバーが勝手次第に作を抹殺するなど、トンデモナイ「反文化行為」なのである。

そしてその他の原告請求は、すべて明快に「棄却」されている。

「慰謝料」等の原告二人合算三百万円は、もともとやす香医療費として祖父母自然の負担と心用意していた金額。判決前の裁判所「和解」勧奨案があったとき、すでに申し出ておいた額であり、「損害賠償」等合算千五百万円の要求からは五分の一、優に想定内であった。

加えて、すべては「近親の喧嘩を裁判沙汰に強いて持ち込んだ争い」に過ぎず、そもそも「確執の第一原因も原告の一人にあった」と裁判所判決は正確に明確に認めてくれていた。申し分ない結着であったと思っているが、くだらない、勝ったとも負けたとも考えていない。

2011 8・5 119

 

 

* 捜し物は見付からず、それなのに我ながら面白いと思う書き置きの古証文がどっさどっさ現れる。紙屑になる寸前だが、みなまともに書いている原稿の類で、何処かへ活かしたか、放り出されていたのか記憶は容易に辿れない。割り切って謂えば荀子が曰く、解くべき「蔽」の類と思い捨てたがいい。

 

* なんだか割り切れない気分があり、すこし遊んでみよう、ただし自分で遊びきれないのが口惜しいけれど。

 

さて此処に、 大円に三角形が一つ内接している。その三角形にも小円(乙)が一つ内接している。また中(甲)小(丙)の二つの円が、同じ三角形の外・大円の内に接している。

そして甲乙丙三つの円の直径が、それぞれ甲は四十九寸、乙は二十八寸、丙が十七寸と判っていて、さて外大円の直径は「幾何(いくばく)ぞ。」

算題はこのように問うている。易しそうに思える。敬愛する最上徳内自身は「帰除術」で解いたというのだが、これが如何な術か、算盤を使った割算かとも辞書では引いてみたが、結局解法は見当もつかない。徳内さんの伝記著者も歯が立たなかったようだが、何に拠ったか、正解は「***寸」と挙げ、参考に、現代風の算法に直して、「読者・この算式に数値を代置し計算して御覧ぜよ」と興に入っていた。

 

 

 

私にもそれ位は出来る。で、試みたが、とんでもない答になる。幾度計算してもいけなかった。仕方なく、数学は現役の高校生にも負けない気の妻にからかい気味に手渡してみると、原題からは証明できなかったが、掲げられた参考の算式のミス、おそらく誤植はあっさり見つけてくれた。B式の一マイナス記号を、そうではなく、値の大の側から小の側をマイナスすべき(~)記号に替えれはよい。ピタリ正解へ導ける。

「えらいッ」と褒めあげたが、女房殿も最上徳内が解いている原題に算段はどうしても立たない。取りつく島がない。

「これ、どういうことなの」と妻は呆れ、私も笑い出した。  小説『北の時代』より

 

* 十数年前の東工大大教室で、毎年、この算題を出して、数学得意の学生諸君を挑発した。四年間で正解をもたらした学生は十人に満たなかった。その解式も二人と同じものがなく、長い解の学生はレポート用紙を何枚も使っていたが、いちばん短いのは美しいほど短かった。中国か台湾からの留学生だったと思う。

最上徳内は都内に今もある神社にこの算題を奉納し、当時の好き者たちを挑発した。そういうことが流行っていて、数学は当時のかなり上等の趣味であった。

 

* さて、何ほどのことや有ると思われる方、解いてみませんか。わたしは正解だけは知っている。

2011 8・6 119

 

 

* 同じ西東京の堀上謙さん、電話で「韓国料理」をご馳走します、出て来ませんかと。胃袋の方があまり歓迎しないようで、申し訳ないが辞退した。たいして何もしないで冷房の部屋で仕事をしたり遊んだりしていたいと、身体が言う。

片づけがてらの捜し物はまだ見付からない。大きな模様替えをこの一年に二度敢行したのはいいが、その際にかなりのモノをダンボール幾つにもつめこみ、隣の棟へも運び込んでいるのが祟っているかも。何は何と、目に見えるように記憶しているノート二三冊と書きためたもの。まだ諦めていない。

2011 8・8 119

 

 

☆ 7月に、ノウコウソクで倒れ 救急入院して1ヶ月が経過しましたが 左半身不随のまま リハビリを受けています 元気だけがとりえの小生でしたが 今は弱っています。「 湖の本」  次回からお断りしますと先日郵便振替にかきましたが、長い間ありがとうございました。益々御活躍とご自愛の程を。   茅野市 圭

 

* 小学校五年から今日まで、最も永い親交の友の、いたいたしく乱れたハガキの書字に泣かされた。どちらかというとわたしの方が大きいか知れないのに、彼は野球をするときは決まって捕手だった。勇気も元気もあった。中学ではことに仲よしだった。高校もいっしょだった。結婚後にもずうっと交際がつづき、太宰賞を貰ったときは、お祝いに、彼が結婚したさきの大きな商いである「金銀象嵌」のカフスやネクタイピンを贈って呉れたりした。湖の本を始めてからも、ずうっと欠かさぬ有り難い読者でありつづけてくれた。奥さんと二人で京都を離れ、蓼科にプチホテルを営み、わたしたちも一度二度訪れたときも、それは親切に歓待してくれた。

彼自身も言うとおり元気のシンボルのような少年から老年であった彼が、病魔に弱るとは、なんという不運だろう。

 

* ほぼ同年の病気になったり亡くなったりをこの一両年何度も聞かねばならなかった。重森  、大森正一、堤 子に死なれ、重く病んでいる、入院していたなどという報せが過酷につづく。平安なれと、こころより願う。

 

☆ 返信が遅くなり、失礼しました。

暑さが戻ってきていますが、お元気でお過ごしでしょうか。

こちらは、例年と変わらぬ毎日を過ごしています。

平日は仕事をし、休日は二人の息子の面倒を見ています。父子三人。

1歳と7歳は、喧嘩はできますが、一緒に遊ぶのが難しい。どこで遊んでいても一人っ子が二人で、体が回りません。

最近は、あまりの暑さや不安定な天気に、家で様子見することがありますが、下の子の昼寝に自分の方が長く寝入ってしまいます。

年齢を無視できなくなりました。

まだまだ夏は折り返し地点に来ていないと思います。くれぐれも熱中症にお気をつけください。  イチロー

 

* 自ら「イチロー」と名のって、東工大のころ意気軒昂のタフマンであった人の、この温和しさに少し戸惑っている。アメリカにいるイチロー、今年はやや不調をかこっている様子だが、彼はガンバルだろう、少しばかり祈る気持ちで観ている。

2011 8・9 119

 

 

* ふと寝そびれ、四時半に二階へ上がった。仕掛かりの仕事は、幾口もあり、少し急ぎのメールの用もあった。夜中に届いていたメールもあった。

 

☆ 「青春短歌大学」読みました。  卒業生

秦恒平先生  こんにちは。

就職活動と勉強との合間を縫って、氷枕の上に横になりながら、美味しいお酒を戴くように、すこしずつ「青春短歌大学」の上下巻を読み終えたところです。

38歳の今より、20歳のかつての自分のほうが、正解数は多分多かったような気がします…。

なんとなく、自分の感性も鈍ってしまったのか、それとも雑然とした物事をいろいろと憶えすぎてしまったのか…。原因はそのあたりだろうと思いますが。

読んでいくうちに、いつの間にか手許にあった付箋を貼り付けていた場所が、3 カ所ありました。

 

雲は夏あつけらかんとして空に浮いて悔いなく君を愛してしまへり    柏木 茂

 

ばさばさに乾いていく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ    茨木 のり子

 

あとのもうひとつは、伊藤整さんの『病む父』です。

 

(中略)

 

取り敢えず、種々の暑苦しさに負けないで、生きることを頑張る日々です。

現在は「東工大「作家」教授の幸福」を読んでおります。

先生に戴いた「追う」ということばの意味を探しながら、また少しずつ、味わせて戴いております。

夏休みは溜まった本を読みつつ過ごそうと思います。

もし先生がご負担でなければ、感想をお送りいたしたいと思っております。

酷暑が続きますね。どうかお体にお気をつけください。

 

* 悪戦苦闘している人たちの多さ。ひとごとではないのだけれど。

2011 8・11 119

 

 

* いまは亡き自称「押し掛け弟子」の石久保豊さんの「今様似せ物語」を、「 e-文藝館= 湖(umi)」「随感随想」の部屋に掲示した。卆壽を越えての希代のエロスにのけぞる。実は前歴の如何なるおばあさんとも知らずじまいであったが、映画世界に縁がありしかもかつてはかなりの重みで短歌界とも縁のあったお人かのように推察していたが、例の深くは尋ねもせぬうちに死なれた。妻と静岡まで病牀を見舞ったことがある。筆まめな人だった。

2011 8・12 119

 

 

☆ 残暑お見舞い申し上げます。  日本文藝家協会理事・作家

いつも御著をお送りいただきありがとうございます。御礼も申し上げず、たいへん失礼いたしております。申し訳ありません。

それにしても原発事故と放射能禍はひどいですね。もう脱原発しかないと思います。

日本ペンもひどいと思いますが! 秦さんは理事を辞められたのですね。残念です。残っていただければよかたのに。不一

 

* 元はペンの理事会で席を並べていた方だが、阿刀田会長に代わると、出て見えなくなった。わたしも阿刀田氏の二期めに入ると断然理事会に出ないと決め、そのまま押し切るように辞めた。時代と体制へ、烈々の批判、文学者団体としての反骨をなんだか骨抜きされてゆくペンクラブに、もう用はなかった。「 ペン電子文藝館」 を創設し、ペンのホームページを立ち上げ、電子メディア委員会を創設した。六期十二年の理事生活で果たしたわたしの仕事は今も生きている。足りている。言論表現委員会に、入会以来連続して二十年余も委員として無欠席だったことも思い出に残る。猪瀬直樹との久しかったコンビが今は懐かしい。そして、雫ほどの未練もなく身軽になれて嬉しい。

 

☆ 秦先生

超漢字,頂戴しました.

確かに驚きました.「次には手書き原稿の山をいただくのでは?」と思いました.いえ本当に,お急ぎでなければ入稿いたしますので

お申し付けください.一応,出版社時代は校正もしておりました.

原稿といえば,ふと,父の原稿のことを思い出しておりました.

59歳で亡くした父は,人工心臓の研究者だったのですが,晩年は歴史にはまっておりまして,古田織部についての小説を書きました.それを懸賞に送るということで,兄弟で清書させられました.

ただ,いかんせん,読んでいて面白くない.何故だろうと思うに,色気がない.小説中に出てくる女性が,誰かの茶碗の使いにやられた女性一人で,しかもその役どころが文字通り茶碗を運ぶだけ,というものでした.

学者らしく,大量の文献に基づいて厳密に考証しているという意味では真っ当な原稿なのですが,誰かが更に小説として書き直してくれたらいいのにと思いました.

 

さて超漢字でありますが,もちろん坂村先生のお仕事や日米摩擦,超漢字については知識としては存じておりました.OSマニア (主として Linuxや FreeBSDなどのUNIX系が多いですが) としても興味深いです.是非,インストールさせていただけたらと思います.

外字を使うことなく日本語を正しく計算機で扱うためには必要なソフトであると認識しております.超漢字は今の僕にタイムリーです.いえ,好時機です.思うに,「固有名詞の機能を疑わない」と竹西氏に指摘されておられた秦先生の,いかにも先生らしいソフトですね.

考えてみたら,妻が速記者をしていた衆議院では Windowsを使っていますが,足りない漢字などはどうしていたのでしょうか.妻の友人の共同通信社では専用の日本語入力装置を使っていたようですので,問題が少なそうですが.Windows 環境ではモリサワなど写植機のフォントを使っていると考えるのが妥当でしょうか.

まだ使っていないので,はっきりとは言えませんが,超漢字は( 日曜) 小説家や( 日曜) 詩人における( 日曜) 作曲家にとっての DTM (デスクトップミュージック) ソフトのようなものと考えたら良いのかもしれません.

何かを製作する環境という意味であります.

最新のバージョンといただいたバージョンとの違いは,どうやら VMware というWindows や Linuxなど別の OS 上で動く仮想環境がついているかいないか,というところのようです.僕は普段から Windows, Linux, Mac上で VMware を使っていますので,そこに超漢字を放り込むだけで基本的には良いはずです.

仕事で日本語を書いている雑誌などでは,たとえば「豊穣なイメージ」と書いたら「豊じょうなイメージ」と校正されて帰ってくるような状況ですので,仕事よりも( 日曜) 製作に使わせていただけたらと思います.

などなど,日本語について考えるきっかけとなりました.

しばらく実際に使用した上で,また感想をお伝えできればと存じます.

 

今は盆休みなのでありますが,来年度に立ち上げる研究室の計画書を月末までに仕上げねばならず,ドタバタしております.仲間が二人も立候補してくれて,少なくとも三人のグループが出来そうです.これはありがたいのですが,現役の研究者を二人引っこ抜くとなると,現在の彼らの上司筋への根回しが必要となります.技術論とは関係のない,疲労するやりとりを休み前まで延々としておりました.

 

私も先生とお会いしたいです.

こちら方面にお越しになることはあるのでしょうか? その際は,必ずご連絡ください.万難を排して参上いたします.

まだまだ暑い日が続きますので,ご自愛ください.

失礼いたします.   鷹

 

* ペンにいた間に、東大の坂村健さん、西垣通さんと 電子メディア委員会や電子文藝館委員会で、懇意になれたことは、精神衛生としても大きな喜びだった。坂村教授には、よく、ここぞという時に適切に激励し支持して貰えて心強かった。「 ペン電子文藝館」 の創設や開館またその後の運営に坂村さんのお弟子さんのたいへんな助力を戴いた。今も感謝して忘れていない。

2011 8・13 119

 

* クラスメートの森下辰男君の送ってくれる彼が編輯の音盤は、もう何枚にもなる中で、好きな一枚を聴いている。ご近所に漏れていたら思わず破顔一笑ないし怪訝な思いをされていよう。いま、二葉あき仔や高橋裕子らの「めんこい仔馬」を聴いている。ここまでに「軍艦マーチ」「父よあなたは強かった」「紀元二千六百年」伊藤久男の「暁に祈る」岡本一片作詞の「隣組」さらには「月月火水木金金」を聴いて、いま、お待ちかね、美声李香蘭の「夜霧の馬車」が堪らなく懐かしく歌われている。

全26曲もあるのだ、ああこういう時代があったなあと、胸が湿る。懐かしいと言うより胸がしめつけられる。

「朝だ元気で」についでいま「空の神兵」を灰田勝彦らが歌っている。なんと高木東六の曲だ。つぎは小唄勝太郎が「明日はお立ちか」を、灰田勝彦とヨヨッ…大谷冽子が「ジャバのマンゴ売り」を、高峰三枝子が「南の花嫁さん」を歌う。そして一転「加藤隼戦車隊」「ラバウル海軍航空隊」「若鷲の歌」「同期の桜」「轟沈」と勇ましくも悲しい軍歌がつづく。敗戦だ。

まだ国策の臭味ののこる「お山の杉の子」につづき、とうとう並木路子のあの「リンゴの歌」。そして田端義夫のせつない「かえり船」菊池章子の「星の流れに」と続けば、涙も煮えてくる。「泪の乾杯」「流れの旅路」そして吉田正曲の「異国の丘」に至る。「異国の丘」。何百千度と聴いた。苦しかった。

最後には甘い声の岡晴夫が「泣くな小鳩よ」だ、少年のロマンチシズムをどれほどか刺戟したのだった。

森下君のような友がなければ、わたしは此処に再録された大方の歌をうまく思い出せもしなかった。

だが聴いていると確実に我が身に擦り込まれた「時代の歎き」が甦る。忘れ果てていいとは思われない。無念に果てていった夥しい兵や私民の前に「ありがとう」と言わずにおれない。それにしても「歌」の罪深さもしみじみ思う。なんという、なんという詐術も行われていたかと口惜しく、怒りが湧く。

わずかに数曲、それも軍国の詐術の縛りを抜け出た敗戦後の幾つか真率の歌曲と歌声にわたしは、頭を垂れる。「星の流れに」とりわけ「異国の丘」では、覚悟していたがやはり声を漏らして泣いた。

* 世間は夏休み盛りだろう、わたしも幾らか暢気に好きに暮らしている。今日も、気の向くままいろんなことをしていた。好日というところか。

2011 8・14 119

 

 

☆ 鴉はお元気ですか。  播磨の鳶

取り急ぎ書いた先日のメール、それからの続き、です。

脳梗塞に倒れた友人のことが書かれていて、これは身につまされます。わたしの周囲でもさまざまなことが起こります。

作家は書くことしかない、書き続けることでしか作家でないと 身を賭して具体的な行動として、しかも七十半ばになって決して衰えない活動をされて、そして結果として多くを精力的に書き記し残されています。このことは、とてもとても大切なこと。

HPから考えさせられる多くのことを辿って、少しだけ書き出しても、たとえば菅政権の行方が急展開しようとしていますし、東北大震災に関連して16日の京都大文字送り火のこともニュースになりましたね。放射能汚染の可能性ありと市民から懸念の意見が届いたからと、東北からの薪をいったん燃やさないと決めて・・の騒動でした。何気ないかもしれませんが、それが「差別」の問題にまで及ぶ微妙さを考えさせられました。

友人は福島の孫を地震後に預かりましたが、親恋しさもあり低線量放射線被爆を覚悟しながら元の暮らしに孫たちが帰っていったと、無力を嘆いていました。

今もって行方不明者が五千人ほどという、あまりに酷い現実を、後ろを振り返るようですが、わたしはどうしても意識の第一に置いてしまいます。

原発の重さも重々に考えているのですよ。

シリアやリビアの情勢も、アフリカの飢餓も・・毎日思い至ります。

 

上野千鶴子さんに関わった人たちの本(『上野千鶴子に挑む』)に関連しての、「男流だの女流だのという『社会学』は文学の質的秘儀とは指一本触れてこない。」は明快すぎるほどで、快哉の声をあげました。わたしはフェミニズムの考えももちますが、それでも文学は独自の領域のモノ、毒持つもの、計り知れないものと思います。勿論論者の位置が僅かでもズレがあればたちまちにいくらも意見

が生じるでしょう、が、あくまで文学者、小説家の位置からは、この一点に尽きるのでしょう。

 

一篇の簡潔な「詩」を解釈することについての記述も、興味深く読みました。「12回読むまでは一度も読んだことにならない、外見上の意味は真の意味ではない。隠された意味は・・待たなければならないのだ。眞の旋律になって聞こえてくるのを。そしてそれが、いつ起こるかは、誰にも、けっして分からない。」「・・数えきれないほど読んだことのある聖書や他の書物のなかのある数行が、ある日さらにもう一読するだけで突然広大な新しい意味を帯びる・・」「隠された意味は待たなければならないのだ。眞の旋律になって聞こえてくるのを。そしてそれが、いつ起こるかは、誰にも、けっして分からない。」

一篇の詩の解釈にとどまらず、すべてのことは、生死はそのように解釈されるものと、そのように思います。

追い立てられるように、また自分を追い立てるように暮らしていると痛感するゆえ、いっそう言葉が滲み込みます。大いなる自戒・・。

 

更に一つ興味深く読んだのは「かわいい」論でした。評価判断の基準が「かわいい」に括られる場面に日常的に出会います。語彙の貧困や無知を指摘するのはあまりに容易です。けれど逆にそう思う側は若い人たちから「排除」され弾き出されてもいるのですが。

週末の夜遅くにNHK でかわいいを正面に打ち出した番組があり、時々無意識に見るのですが・・戸惑いと理解できない居心地の悪さも感じます。稀にさすが若い人には若い人の生み出すものがあるのだと納得させられますが。( 納得するのではなく納得させられ

るのです。)

モノに溢れかえった現在のどうしようもない平凡さや軽さかと憂うのは、こちらが、屈折して年取って最早存在が薄くなりつつある証なのでしょうか。子供たちとも世代のギャップの大きさを感じます。まあ、これは当然自然のことでしょう。

「優位の表現としての「かわいい」と劣位自認の「かわいい」が今日の女子文化に同居」というくだりに、新しい観点が見えてきた感じがします。

 

いつからかはっきりした記憶はないのですが、手指の関節が硬く、だるく力をうしなってきています。外出して帰ると下肢が痺れて長時間痛みや疲れがとれません。大した距離でなくても、これはつらいです。早く猛暑がおさまってほしいです。

 

* こういう便りが届くと、血の巡りに活性を覚えて有り難い。

京の大文字の薪の騒ぎに触れ、「差別」の二字を添えられてきたことに、わたしは反応する。話も場面もちがうのだが、私の生涯で強烈な怒り、憎しみに同じい怒りが湧いた一度は、広島で小児科学会があり編集者として取材出張したときだった。「あの街の一画」は原爆被災者たちが差別されて集住されているところ、と、誰からとは記憶しないが「指さして」教えられた瞬時だった。あのとき、人間として生きていることをわたしは嫌悪した。被爆者達が酷い差別を受けられた事実を、何度も証言されて知っている。同じ事が、今回の東北の原発危害ではどうか起きないようにと、わたしは祈る思いである。

2011 8・14 119

 

 

* 今日も小説に手をつけていたが、妻の機械が文章の読み取りスキャンに成功してくれたので、昔昔からこれがぜひ欲しいと願っていた名市大・谷口さんのまだ院生の頃の論攷「秦恒平『誘惑』の逆説 絵屋槇子をめぐる人々」という論文を真っ先にスキャンしてもらった、これは面白い論文なのである。

劣化している新聞の記事や原稿からスキャンし始めてもらえそうで、愁眉を開いている。

2011 8・16 119

 

 

* なんだか十六日なのか七日なのか、火曜なのか水曜なのかが分からない。

 

☆ 残暑お舞申し上げます。  靜

厳しい暑さの中、新しい小説を書かれておられるとの事、完了を楽しみにしています。

 

 

日頃は、湖(umi)の恩恵に浴しまして、家でPCの前で読書させていただけること、ありがたく思っています。

今月の観世九皐会で「佛原」を見てまいりました。

折り良く、山下宏明先生の「能と平家物語」が「 e-文藝館= 湖(umi)」招待席にご披露いただいているとの事で、著者名から明けて見ましたが、現在「妓王から仏原」と題名は出ますが、本文は出てまいりませんでした。しばらくお預けにして楽しみにしています。

ほかの作家や作品を見ていましたら、アーサー・ビナード氏の「忘れる先生」を見つけました。

5月練馬区で、氏の講演会を聞いてまいりました。

「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを考える」で九条を守る会の主催で、原発から憲法まで考えさせられる良い機会を得ました。ことばを大事にする詩人が人の命の貴さを憲法に話を及ぼし、熱く楽しく話されました。

氏のエッセイがうんと早くに湖に掲載されていたのですね。発見できて嬉しかったです。

ほかに近藤富枝氏の「紫式部の恋」は興味深く読ませていただきました。

この本は「私語の刻」に推薦されていたのを見て、直ぐに図書館で検索予約をしました。近くの図書館に届き、読むことができました。手元に欲しいと、直ぐにアマゾンに予約しました。数日を待たずして届きます。

まさにまさにPCは、シルバーの頼りになる「杖」です。

昔PCを始めると良いよと勧められたこと、感謝しています。

朝夕の涼風が待たれます。あと暫く、どうぞご無理をなさらないでお過ごし下さい。

 

 

* 有難う存じます。山下先生の論攷「校正」中です。谷口さんの面白い『誘惑』論も校正しています。

とにもかくにも、家の中で静かに過ごしています。

2011 8・16 119

 

 

* 六朝末、謝恵連に、「幽霊髣髴として我が犠樽を飮( う) けよ」の祭文がある。現れ出て、こう備えた酒を飲んでくれというのであり、怨みをふくんだ日本の幽霊とはよほど違って、生者と死者とのお付き合いがサラっとしていた。わが家でも、家の真真ん中に設けた秦の親達ややす香や愛猫たちの祭壇に、よくお酒の瓶がならびたつ。父はテンと酒は駄目な人だったが母は好きだった。しかし好きなのはわたしなのであり、自分の好物だから亡き人達にもさしあげてしまう。

いまは生駒在の理史くんから贈られてきた、純米吟醸「八海山」というとびきりの一升瓶がドンと立っている。ありがとう、 理史くん。若い友人の頂き物を、まさか「我が犠樽」はあつかましいが、わたしは「幽霊」大歓迎で。逢いたければ誰方であれ、いつでも「部屋」へお出まし願う。みなさん、あの世でお元気である。

2011 8・17 119

 

 

* 京都在住の久しい読者のお一人が、入院を告げてこられた。病状は重い。お見舞いを書いてポストへ走った。そのわずか往復で五分と掛からない間の猛暑に仰天した。七十五年半にこんな暑さ、覚えがないと思った。水を飲み冷茶をのみ、塩を嘗め、ビタミンを摂った。アルコールはいけない、すぐ睡くなる。

2011 8・18 119

 

 

* 文字ででも、見聞としても、まったく知らない「こそく」という日であるのでと、これは今朝の夢なのであるが、京都東山の剣神宮神官である友人から手紙が来た。「こそく」とは、いちばん遠くに暮らしている友人に手紙を書く日だと。

かつて聞いたこともない。見たこともない。

さしづめわたしなら、バルセロナの「京」かしらんと思いながら夢から覚めた。言うまでもない小学校から高校まで一緒だった京都に現住の桑山嘉三から東京のわたしが「いちばん遠方」とは思い難い。妙な夢である。「こそく」とはどんな字を書くのかそれが分かると調べてみる手がかりもつくのだが。

バルセロナの「京」は、お元気ですか。

2011 8・21 119

 

 

* 理史くんの送ってくれた純米吟醸の「八海山」の口をあけた。堪らない。吉田健一先生は籤とらずの常に「八海山」だったと聞く。

栃木県の真岡から、新鮮な葡萄が段に二箱も贈られてきた、一房をたっぷり冷たいミルクジュースにして、妻と有り難く分けた。  2011 8・21 119

 

 

☆ 「仏原」有難う御座いました。 晴

山下宏明氏の「妓王から仏原」を早々と「 e-文藝館= 湖(umi)」に。有難うございます。早速読ませていただきました。

先日観ました「仏原」の序の舞いに、妓王と仏御前の儚さを思い出しています。

「千手」も楽しみに待っています。

奥様の新しいPCでのご協力の恩恵に預かり感謝します。

来年のNHKの大河ドラマは「平清盛」とか。また別の面から平家物語を見ることが出来るでしょうか。

 

* 妓王も仏原も佳い能で、しかも清盛悪行の手始め。

だが、この女達、儚い存在であったろうか。物語り手も能の書き手も、むしろ稟烈に強かった女達と観ていたとわたしは読む、観る。この時代から伸び上がってくる藝の人たちの「無縁」のつよさに生きた、さきがけ のようにわたしは観ているが。

 

☆ お元気で何より。  泉

涼しさつかの間のお恵みらしく、家中の掃除に専念して滝の汗が流れないのは嬉しいけれど、体力が続かないので雑草は見えない事にします。家事は限りなくあり、眼を瞑りっぱなしです。

一昨日涼しかったので、娘と孫のお供をして江戸博物館の交通展を観に行き、スカイツリーを久々に間近に見てきました。多分一度は展望台にミーハーするだろうなぁと思い乍ら( ^o ^)

相変わらず、たまに友人と映画とお喋りを楽しみに出掛けます。最近は銀座一丁目でスペイン、フランコ政権時代の喜劇役者と孤児との絆を描いた「ペーパーバード」を楽しく観ました。

話変わって、永らく、打てば字が出る便利さに慣れ、たまの筆記で漢字がが書けないのに辟易  ヤレヤレ

 

* 老々介護と聞いている。楽しいことも日々に少しでも混じりますように。

2011 8・22 119

 

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

帰宅してみづうみからのメール、とても嬉しく読みました。ありがとうございました。

 

たった三日ですが、国内の旅行に出かけていました。ちょうど夫が海外出張中で、娘と姪をつれて東京から離れました。目的は若い娘二人に放射線量の低い地域でDNAの修復させるため。ほんとうは一月くらい転地しないと効果がないので気休めです。でも、のびのび深呼吸してせっせとおいしいものを食べて、気分転換くらいにはなりましたか。

わたくしは、最近痩せた上に、ストレス性蕁麻疹にもなり、精神的にもすっかり落ちています。

今回の原発災害で自分にストレス耐性がないことがよくわかりました。みづうみのようにお小さい頃からご苦労の多い生活をなさってきた方、戦争を経験した世代は、今度の原発事故程度では平常でいられるのですが、わたくしは不甲斐ない人間で、だんだんに疲れてきています。

 

最近自分があまりに世間とずれてる気がしてしかたありません。自分が異常に神経質なのか、それとも周囲が無自覚にすぎるのかわからなくなっています。日々報道の不誠実に憤っている自分はバカなのか。わたくしは愚民政策にのるまいとしているつもりなのですが、それとも妄想にとりつかれているのでしょうか。

みづうみにお訊ねしたいのですが、わたくしはおかしいのでしょうか。少し狂っているのかしら。

最近考えていることをつらつら書いてみます。色々書きますからこのメールは公開しないでくださいませ。面倒くさいと思われたらお読みにならないでかまいません。少し読んで、わたくしの頭がおかしくなったと思われたら、叱ってやってください。悪夢から醒めたいのです。  空蝉  拾ひ来しうつせみ卓におきしのみ  安住敦

* 以下、勘定してみると原稿用紙で二十枚余り。縷々書かれてあるのは、福島の原発事故の想像を超えて危険な、危険の去っていない、危険はますます広がるであろうという心配。よほど精微に情報のとれる、また自身でも海外からのとても日本では聴かれないニュースなど含めて書かれている。わたしはそのほぼ全部を、事実ないしきわめて近い事実であろうと信頼して読むし、 この人の不安を、過剰な神経不安などとは思わない。正常ならこれが普通なのだ。

原発が想定外の大津波でやられた、地震は無関係などと言う鉄面皮な公表など、真っ向わたしも信じていない、明らかに大地震で原発は破壊された上に大津波がかぶったのであり、メルトダウンもたちまちに起きていただろうし、爆発はかなり繰り返されただろう。周辺汚染の進行も浸透も拡大もたいへんだろう、避難している県民達の帰還など、ほぼあり得ないことも感じている。

幸か不幸か放射能危害は半年一年で現れない、が、疫学的にもそれが数字で現れ始めたら、悔いをさらにその後に永く永く遺す懼れがあり、何よりも小児と、未来の出産女性に、ひょっとしたら男性にも、深刻に被害があらわれる確率は低くないと思わねばならない。

なにより海外から日本をみつめている不安が、当事者である日本の国で隠蔽され誤魔化されている現実に、怒りを禁じ得ないのはわたしもこの人とまったく変わらない。

脱原発へ舵をきった、ないし切りかねない菅総理潰しの一切根底の理由が、経済優先、原発擁護にあることなど、国民の安全や未来の安寧には無いことなど、もはや誰の目にも見え見えである。口を開けば「経済」であり、「人間」は放り出されており、ますます放り出されてゆくのである。わたしたちは、もう程もなくこの世におさらばするけれど、若い人たちの未来を想うとかぎりなく剣呑で気の毒な気がしてならない。

メールの「空蝉」さんが、かりにストレス負けに近いのかもしれぬとしても、むりからぬ気がしてしまう。それほど、今の日本は曲がっている。「人間的」に生きたい人ほど、生き苦しい。文明の奴隷に甘んじて、文化を創りだす元気が人から薄れている。

現代人は文化には飽きたのであろう。本当に生きた言葉をみうしなって、機械にむかいツイートするだけでは、なさけない。一握りの経済人のために奴隷化されている「私民日本」こそが病んでいるのだとわたしは思っている。

2011 8・23 119

 

 

☆ いつもながら

微塵もイロケのないメールを二十枚も書いてしまい誠に申しわけございませんでした。書かずにはいられなかったのです。わたくしが悪いのではなく、東電が悪いと、東電のせいにしておきます。

(今日のニュースで東電は、福島5号機と6号機を再稼働するつもりと読んで、わたくしはいよいよ自分の眼がおかしくなったかと慌ててしまいました。この二つ、温度が上昇して再臨界しそうという噂もありますけど、この会社、どんな人間集団が運営してるのでしょうか。今年の世界びっくりニュースの一位ものです。)  「誘惑論」楽しみに読ませていただきます。評論読むのは大好きです。

お元気ですか、みづうみ。みづうみは気分転換のお上手な方です。どうぞ楽しんでお元気にお過ごしくださいませ。  絹雲

2011 8・25 119

 

 

* 昨夜おそく太左衛さんから明後日が花火なのでと誘っていただいた。あまり連年で迷惑ではないか、帰りに浅草から鶯谷駅までの徒歩も腰痛で辛いからとお断りしたが、迷惑はない、「お体しだいで」是非と再度誘って頂いた。なにしろ八月はベタ家にいる。天候と体調が調うなら出掛けたいなと思いかけている。今日の都心は猛烈な雨降り。明日はどうなのか。

2011 8・26 119

 

 

* 再度のお誘いがあり、気分も変えたく、隅田川の花火に出掛けた。鶯谷駅前からタクシーで浅草寺の裏まで。しばらく界隈を散歩した。夕刻以降はいろんな飲み食いの店があり、遊郭の見番もあり、風情ありげ。

花火は、独り毎年の定席に倚子をもらって、七時から八時半まで心静かに堪能した。ひとつも見落とさず向き逢い続けていた。夕景には目の前一時方向にスカイツリーの全貌がそびえ立ち、暮れてゆくに随い、その左天空で、花火は寂しくも美しくにぎわった。なぜか今年はひとしお身に沁み美しく眺めた。楽しみもした。

 

消えゆくをさだめと花火きほひ咲く  遠

 

八時半に盛大に花火は果ててまた心寂しく、ちかくの「登喜」という割烹で、七十前後の気さくな女将と柔和な大将と談笑しながら肴と酒と、ダツタン蕎麦というのを食ってきた。もう十時半、言問通りはまだ人波だったが、幸いにタクシーが拾えて。腰は軽かったのに、西武池袋のホームに上がる前に、異様に両ふくらはぎが張って痛み、あやふく攣るのを避けて、遅くなるのは覚悟で始発にすわってきた。『黄金特急』を読んできた。

2011 8・27 119

 

 

☆ 秦先生へ

ご無沙汰しております。残暑が続きますがお元気ですしょうか。

昨日は突発的な豪雨で、静岡は大変でした。東京も各地で浸水が起き大変だったようですね。先生のお宅は大丈夫でしたでしょうか。

最近先生のホームページも更新されないので、近況を知ることができず少し心配しております。

そろそろ秋で気候が良くなりますが、もし宜しければ東京お会いしたいと思っております。

お邪魔でなければ保谷のご自宅にもお伺いします。

私の空いている日程をお伝えします。もしお時間を頂けましたらうれしいですが、

もしお忙しい時にはまたの機会にお願い致します。

バグワンの本を読みました。先生が良く言っておられる「心は頼りにできない」というお話、良く分かります。特に仕事の時など、直感や感情だけで何かを決定すると失敗することが多いです。

ただ、すべてを捨てた悟りの境地は私には遠い話です。会社に勤めている限り、激動の日々は続くでしょう。悩み、もがいて苦しみながら、つかの間の充実感を感じて仕事を続けて行くことになると思います。  松

2011 8・27 119

 

 

☆ 秦恒平さま

いつも「日録」を楽しく拝読しております。

どこかで新しい場がつくられましたら 教えていただきたいと希望いたします。  樹

 

* 同じお尋ねをたくさん頂いている。ご免なさい。

 

☆ 残暑   播磨の鳶

隅田の花火は今年は震災の影響でしょうか、一ヶ月遅れですね。夏の終わりの花火を楽しみ、また複雑な思いも去来したことがHPから窺えました。

小説や、これまで書かれたものの整理、集大成など気力の充実を察し、祈る思いで遠くから応援しています。

八月に入って三週間ほど娘が帰国していたので、何やらわいわい忙しく暮らしていました。帰った途端気抜けやら気落ちやらしています。

昨日は友人に誘われて旧家でのほぼ同年齢の韓国の女性の美術展に出かけました。夕方雷雨の後の焼肉パーティで幾人もの人と言葉を交わし、日ごろとかなり違った雰囲気を楽しみつつも、それ以上に「引っ込む」自分を確認しました。いけないなあと思っても

、それがわたしの自然でした・・。

今日はあと数時間で民主党の代表選挙が行われますが、多くの人の思いとはかけ離れたものが動いているように思われます。

残暑に負けませんよう、眠い時は眠って体休めて、仕事励まれますよう。

 

* ありがとう。詩も絵も、よいお仕事の成りますように。

2011 8・29 119

 

 

* 月初めに卒業生の子松君と会うことが決まった。すっかり無音の人もいるが、みな、懸命に忙しいことだろう、まさにそういう年頃なのだ。

2011 8・29 119

 

 

* 夕刻、国立大劇場で舞踊、そして尾上菊之丞と染五郎との「船弁慶」を楽しみにしていたが、ひたすら寝入っていた。十時半、かろうじて機械の前へ来た。

 

☆ 鳶は飛びたい!

尾上菊之丞の家元襲名の舞踊、楽しんでいらっしゃる頃でしょうか。華やかに、そして厳しく舞台で繰り広げられるであろう踊りを遥かに遥かに目を瞑って思い描くことにします。と言ってもあまりに遠い世界です・・。

お父様、お母様の「敗戦」を書かれているとのこと、HPの記載から予測できることでした。つらい仕事でもあると、自分のことでないのにため息に似たものが思わず突き上げてきます。が、「すべては所詮私の敗戦」ではないと思います。あなたにはあなたの戦前戦中戦後の軌跡があり、そしてそれは「敗戦」ではないと思います。( 憮然としていると書かれていますので、いくらかの余裕があってこそ書き継いでいけるのだろうと察しますが。)

( 挫折のない人はいないと一般的に言われますが、何を敗戦といい、挫折というか・・同一の事柄を体験しても、ある人は後々まで黒々と世界を閉じるほどの屈服にひしがれ、ある人は何処吹く風とかわしていきます。鈍感ではありたくないですが、致命的な屈服はしたくないのが本音です。挫折を超えて飛びたい、です。)

「ホームページへの無道で強引な妨害」が続くというその具体や詳細は想像の範囲を超え、裁判の結果が出た後も状況が改善されないようでは一体何のための裁判と判決だったのか、口惜しいし嘆かわしい。具体的な解決方法はないのでしょうか。

 

わたしが以前送ってそのままになっている詩群、おそらく「ヴェネチア」「シチリア」「ギリシア」に関するものと思います。あれから後もいくらかの推敲改編もあり・・短くしたものが多い・・それどころか際限なく推敲改編になっていきそうです。

散文詩について友人たちが語り、その方向も模索していますが・・。

溢れるごとく書けるものではなく、平均したら月に2,3の詩が書ければといったペースでしか書けません。最近は日記を放棄して意識的に書いていません。

詩だけに賭けている方もいますが、わたしは詩人に徹しきれないものも感じます。ものの「あわい」を、言葉にならないものを書く、それが詩とも思います。同時に言葉として伝えることの意味を思えば、理路整然としたもの、伝えるべくして書かれるものを目指すこともまた大切と思います。たといどれほど言葉の曖昧さを認識したとしても。

そしてわたし自身は日常においては非常に「散文的」人間と自覚しています。

以前mixiに書いていたものの繋がりですが「レオンの宿」という一編を送ります。事実と虚構半々の物語・エッセイ? といったところでしょうか。

昔のシルクロードの旅行記に関しては、改めて読み返そうと思いますが、既に二十年の月日が流れ、ウルムチを再訪した時の感想もまた異なるものがあり追録しなければならないでしょう。同時に書いたものの未熟さをそのままにして提出するのに幾らかの躊躇いもあります。

 

九月は友人と奈良の浄瑠璃時に出かける機会がありそうです。琵琶湖周辺、湖東の寺々への旅も考えていますので佐川美術館にも立ち寄りたいです。

本当に本当に遠くに旅したい!!

一月のエジプト行き、その直後のチュニジア、エジプト、リビアの事態、そして今尚非常事態が続くシリアなど、リビア以外の国は行ったことがあるだけにその時の記憶や感慨が痛切に思い起こされます。再び行きたいと・・あまり恐いという気持ちはありません。

長々と書いてしまいました。が、鳶の拙いメールでも気散じになるなら、書きましょう。

良き九月を迎えてください。

2011 8・30 119

 

 

* 九度近い熱で昨夜も氷沈・氷嚢でも眠れず、明け方から浅い眠りに逃れたものの、熱のせいで腰や肩や膝など痛み身体の自由がきかないのに参った。排ガス、また不充分ながら排便があってややらくになり、思い切ってバファリン二錠で熱を下ろし汗を掻く戦法に出て、発汗・解熱。いまでも全身火照っているが。頭は曇っていなくて、その気になれば本は難なく読める、ただ疲れが来て、寝入ってゆくにまかせている。小林秀雄生誕百年「新潮」特別号巻頭の「感想」がすらすらと興味深く読めるので安心した。

* アメリカからお見舞いの電話を貰っていたという。高麗屋の奥さんからも、播磨の鳶からも。子松君からも。ご心配かけました。

 

* まだ発熱発汗が続いていて、けだるく、何にも集中しづらい。やすんで過ごす。

2011 9・1 120

 

 

☆ 感謝

ご不調なのにメールをありがとうございました。今後はメールからではなくここから作業させていただきます。復活できてほんとうに嬉しいことです。ありがとうございました。

それにしても心配で心配でたまりません。寝ているだけでは治りませんし、腹痛は体力が消耗するばかりです、何百回でも申し上げますが、どうかどうか、病院にいらしてください。お願いします。病院はこわくありませんから。みづうみは医学書院にいらした頃からナースにモテモテでいらしたでしょ。若くてきれいなナースさんを楽しみに、お出かけくださいませ。 山雀

 

* じつは東京へ出てきて、人間ドック以外に病院で一泊もしたことがない。編集者としては大病院・大学病院は戦場であったし有能なナースたちとも果敢に切り結ぶ機会があったが、「若くてきれいなナースさん」という感覚でなく、この人に「依頼して原稿が書けるか」が、主。律儀な編集者に肩入れして、お嫁さんをと云いだしてくれたえらい婦長さんもいたが、おあいにく、わたしには朝日子がもう生まれていた。

2011 9・2 120

 

 

☆ ご無沙汰しています。  京ののばら

ご体調がお悪いご様子ですが、心配しています。夏の疲れなどが重なったのでしょうか。

長引かぬうち医療にかかられますよう、どうぞくれぐれもお大切になさってくださいますようお願いいたします。

こちらは9月の声を聞いてほっとしたのもつかの間、大型台風が接近中で荒れ模様の天気です。明日は暴風雨で一日中閉じ込められそうです。

台風一過で秋らしくなるのを楽しみにしています。

ご無理されませんようくれぐれもお大切にお過ごしください。 従妹

 

* 京の秋というと、萩をなつかしむ。お見舞い感謝。

2011 9・2 120

 

 

* 蓼科の松下圭介君とまたメールがつながりそう。その気になれば七十年の話題がある。

2011 9・3 120

 

 

☆ Take Care Your Health

Photo of “hagi” flower from our garden. Just to wish you good health.   E Ike

2011 9・4 120

 

 

* 今日、珍しくもペン理事の言論表現委員長から、懇切な手紙をもらった。いい手紙で、しかも当然の内容であった。

* 愕き惘れるようなことが、いくらでも起きるモノだ。要するに、わたしの名誉を失墜させ、顔に泥を塗って呉れたいらしいが、わたしには仰々しい「名誉」も、泥の塗甲斐のある「顔」もない。わたしにあるのは、わたしの創作と著とでしかなく、そんなモノは書いたトタンにわたしの手を離れている。毀誉褒貶は読者がされる。

 

* 少し気力と体力とを上向かせたく、暫時休養する。

2011 9・5 120

 

 

* 期せずして石川県の井口哲郎さんからお手紙、金田小夜子さんから電話を戴いていた。

2011 9・5 120

 

 

* 「珠」さんから、ナースの目で容態を観察したまま最良の「水」そしてとても美味しい餡菓子を何種か選んで、手紙も添えて励まして貰った。ありがとう。手作りする最中の美味さ。ありがとう。手紙もありがとう。

 

* 同じ今日には、去年亡くなられた橋田二朗先生のお嬢さんから、奥さんの訃報が届いた。この七月二十四日に、と。ほぼ一年か。橋田先生とすこしも変わらぬほど中学卆業以降ずうっとお世話になりつづけ、今年になってもお手紙を一度戴いていた。さっぱりとした、少しも気の置けない恩師のお一人だった、同じ学校にはおられなかったが。その代わりこの得九三の母上が、橋田先生のお姑さん前田先生が、同じ弥栄中学の先生だった。橋田先生は前田先生のお婿さんに成られたのだった。

訃を報じて下さった先生夫妻の愛嬢は、染織作家として活躍されていると聞いているがお目にかかったことがない。

寂しい報せよ、少しは途切れてくれないか。

2011 9・9 120

 

 

* 久しぶりに林丈雄君がわが家まで来てくれた。二十一日、秋場所十一日目の向こう上面四列目という好席を撲用意してくれていた撲茶屋で

2011 9・11 120

 

 

* 昨日林君に来て貰い、秋場所の枡席券を上げたときは、そうとう調子が悪くて晩景にはまた蒸し返すかと思いかけたが、ガンと決心していて、途中病院に担ぎ込まれてでも「秀山会」九月歌舞伎の夜の部を見に行く気だった。頭痛と頸痛とがじんじん疼いていたが、おまけに猛烈な照りだったが、髯ぼうぼうのまま、杖をついてよろよろしながら、妻と二人でとにかく銀座まで行き、タクシーで演舞場四時半の開場に間に合った、たべられるかどうか少し危ぶみながらいちばん美味そうな弁当も二つ買った。高麗屋の番頭さんが心配顔で、しかし歓迎してくれた。座席に座り込めば、もう、肝が据わっていた。なにしろよほど歌舞伎に飢えていた。

頭痛と肩凝りは痛み止めでおさめるしかないが、弁当のなかなか美味かったのは当たりであった。そして少しも眠気に襲われず。

 

* 吉右衛門が担当で、播磨屋一門の歌昇が三代目又五郎を襲名、息子種太郎が四代目歌昇を襲名披露公演でもあり、夜の部に口上も。吉右衛門が芯をつとめ、藤十郎、梅玉、段四郎、魁春、芝雀、福助、染五郎、松緑、錦之助、そして親族の歌六などが和やかにいい口上で喝采をあびた。芝翫が病気で休演となり、手短に、ま、要領よく編輯した「沓手鳥孤城落月」 の淀君狂乱は福助のニンにあい、代役が楽しめた。どっちみち楽しい佳い芝居でないので、あんなところ。

「口上」あとは「車引」これは期待を裏切らぬ上出来で引き込まれた。だいたいこの芝居は歌舞伎味の濃やかないいものだが、桜丸がいつも貧相に弱くなりおかげで味が薄まるのを、今日は襲名又五郎力演の梅王丸に拝して御大の藤十郎が、これぞ桜丸というお手本の美しい行儀と気魄を見せてくれた。加えて吉右衛門の松王丸がすこぶる大きい。歌六の時平公がやや窮屈に軽いのが惜しまれたモノの、めったにないいい充実の「車引」が楽しめた。

大切りは染五郎の「石川五右衛門」に松緑がつきあっての「宙乗りつづら抜け」のサービスもあって、ことに三門の「絶景かな」が、初役とは想えず見えず豪快に高麗やの気魄満点、拍手し、喝采まではわたしの元気が足りなかったけれど、大喜びして劇場を出た。

ためらいなくタクシーを拾い、玄関までまっすぐ帰ってきた。

とても無理かなと危ぶんだが、往きの電車が銀座までらくに坐れたのが体力を温存し、劇場の気温は快適であった。なにより杖と、ふくらはぎのサポートが利いてくれた。劇場の中で、それでも数度よろよろした。よろよろよりも、ひげ面で五右衛門のような髪には、手洗いに行く都度恥ずかしかった。髯ぐらい剃ってこいと不快な人がいたろうな。

 

* 無理は無理なりに強引に決行したが、やはり楽しみごとで気が晴れたのは嬉しかった。

* たくさんのたくさんの人に病院へ行けとメールで叱られている。ごめんなさい。わざとガンコに臆病に受信から逃げている気ではないのです、が。

2011 9・12 120

 

 

* 今日はからだを休めようと思って暮らした。 頭痛、頸肩痛にほぼ限定されてきても痛いのはイヤで。しかし食欲もやや回復しているので、回復に任せないようにと。ふつうの思案なら昨日の歌舞伎など百パーセント、ダメでふつうであったが、強行できて、楽しめて、気が少し晴れたのはよかった。劇場の広いのも、佳い席を貰っていたのも、ほかとは違う。

 

* それでも今も頭の鉢はジンジンしている。

 

* もすこし辛抱して、元へ戻って仕事を追いたい。

 

☆ 秦さんへ

「漆黒便」「低血圧傾向」「疲労感」などなど… すぐ調べられる聖路加病院などへ受診されるようお願い申し上げます。

以下省略

ひとのこと言えませんが、見過ごすわけにいかず是非是非お聞きとどけください。

「…人生百年、ひとは学校と縁が切れておしまいではない。楽しみはこれからだ」です。

くれぐれも、くれぐれもお大切にされてください。  e-OLD 千葉

 

☆ 昨晩遅く東海から播磨の家に戻りましたが,ホームページの記載から、鴉の様子がうかがえて案じていました。新橋演舞場に行かれたとは!! そして楽しまれたと! 思いひとしおです。よかった,同時に大切に大切にと願います。今日も厳しい暑さです。ゆっくりなさってください。  昨夜の月は美しかったですね。  鳶

 

☆ 即刻、病院へ!

もうすでに行かれたでしょうか?

十日の記述を見て仰天しています。四月に母を襲った症状に似て。

出血性の胃潰瘍で危ないところでした。

すぐに処置の出来る専門医に診てもらってください。

お願いですから、お大切になさってください。私は一週間前に友人を亡くしたばかりです。お願いいたします。 碧 下関市

 

* 恐縮に存じます。ありがとう御座います。

 

* 或る過渡期にいる。落ち着いて。落ち着いて。とにかくも「いま・ここ」で生きる。

2011 9・13 120

 

 

☆ 病院へ!!!

先日の電話は、正直いって、私の過去の数少ない経験上、とても不安を感ずる声でした。ところがお会いしていた間はあまり感じられないので、お疲れも気苦労のせいかと思っていました。元気は一時のことだったんですね。気づかず恥ずかしい限りです。

 

割愛

 

上記をコピーしていただいた際もお辛かったのでしょう?

こんなのは単純作業です。ちゃんとできてます。

休んでください。   岳

 

* そう「休む」のが大事なのだと分かっている。全身疲労はひどかったのに、「口上」にも拍手したし、「車引」も嬉しかったし、天空を疾駆して行く五右衛門の染五郎、三門の染五郎と数度も目が合った気がした嬉しさにも、気持ちよく昂奮していたし、弁当も食ってきた。この三、四ヶ月、あまりに不愉快なことが多すぎて、また渾身の気力で耐え抜いてきたのが響いているのは確かなのだ。ああ、だが、わたしは休まないだろうなあ。これが病気だ、わたしの。バグワンが怒り出すわけだ。グハッ。

2011 9・15 120

 

 

☆ 残暑厳しく

お体にどれほどの負担かと気に懸かります。HPを開くごとに息詰め切ない思いです。

先日の往還に琵琶湖西岸の白髭神社、鵜川四十八体仏、湖北の己高閣などを廻りました。早や稲穂の黄色が濃くなろうとしていました。湖を、そして京都を訪れることができるよう、元気に元気になってください、と祈ります。

先のメールでファイルを添付すると書きながら遅れていました『レオンの宿』、で送ります。 播磨の鳶

 

* 躊躇いなく「 e-文藝館= 湖(umi)」にもらう。短歌でも俳句でもそうだが受贈の歌誌・句誌にも旅に取材した作のやたら多いこと、しかもそれが文藝としては殆ど自立しない、まるで手帖の書留め程度の杜撰な作が多いのにうんざりする。

この人は、身ぐるみ「旅」という人であり、旅にこころをさらして、かなり貪欲になにかしらを奪い返してくる。それがそのまま詩になるていの人である。

かりに此処に記録しておくが、わたしの体調が少しでももどった頃には、きちんと、「 e-文藝館= 湖(umi)」に搭載する。ありがとう。

 

* 囀雀さんから、どうしたことか一事に六七本も風流な日記が書き送られてきているが、いまは頭痛がして夜無いので、預かっておきます。

☆ しつこい、おやみない頭痛に

今はとにかく、休息をとることが最優先のようですね。

お大切に。 花

 

☆  頭痛のことは、さっぱり分かりませんが、私が夏に頭痛になるときはかならず脱水でした。

スポーツ飲料を、甘さがなくなるかなくならないかぎりぎりまで薄めるか(←運動に適した濃度のため、日常では濃すぎて吸収されないとのこと)、効かない場合は鶏がらスープのもとを溶かして飲んでいました。1日1.5リットル以上。  岳

 

* さしあたり視力を休めて、眠れる限り眠りたい。

2011 9・16 120

 

 

* 夜来、ギンギンと響いて痛む頭痛に眠れなかった。洗面所の温湯で患部を温め続けてもその場限りしか利かなかった。仕方なく床に坐り、本を読んで紛らわしても、痛み続けた。『ジャン・クリストフ』『バグワン』『源氏物語。若菜上』なとてもど面白く読んでいても、痛みはかすかにしか紛れない。六時前には起きてしまった。

わたしに医学上の診断などむろんつけられよう筈がない、が、目下の「痛み」に関しては頭頂部に発している「帯状疱疹」の気味が濃いと思っている。わたしの場合これはやや慢性頻発型になっていて、今回は執拗の感がある。

ただしそれだけではない、相当執拗な便秘が起きていて、腹部に膨満感を呼ぶと痛みに転じて不快感が滞留する。下剤や繊維果実のジュースなども、今回はガンコに働いてくれない。せめてこれだけでも快通してくれないかと待っている。

* なかなか思うに任せないが、タール便の域は脱したらしい、しかし極く少量の硬結便しか出ない。身体の疲労と眠りたさにまかせ、朝の九時前から午后の三時前まで断続、数度にわたり眠っていた。それも一時間半か二時間足らずできつい尿意に起こされてしまう、が、量は少ない。眠れるときに眠っておこうと。

メールでは、なぜ医者に、病院に、行かないかと激怒してくれる人もある。杖つきよろけながら芝居見物とは何事かと。医療をこぱむ理由を云えとも叱られている。有り難く感謝に堪えない、さりとて開陳もならない。興膳宏さんに聞くと、中国人は古来、 長寿、富、康寧( 健康) 、好徳、考終命( 安楽死) を以て「五福」と数えたそうだ。手をうって感嘆するほどではない。ま、やはり健康がいいとわたしも願っている。

 

☆ 台風のせいでまだじっとりと重い空気が続いております。

おからだ、どうぞ大切になさってくださいませ。

まだ三十路の名残の中にいる私ですら「休む」ことの大切さを感じる今日この頃。

先生、どうぞ休まれて下さいませね。   馨  卒業生

 

* ありがとう。

 

☆ 近況報告など

秦先生  お久しぶりです。

今日、mixiの退会手続きをしました。

時間がなくてログインさえすることも出来ず、何人かからは メッセージも頂いていながら返信も出来ず・・・・これでは かえって迷惑かとも思い、思い切りました。

仕事の忙しいのは今に始まったことではないですが、下の子の保育園の建て替えで、仮園舎が遠くなったり、新居の建築を今年の4月からはじめていたりで、平日はほぼ睡眠時間は3~4時間程度、体の方も少々やばいかなぁと思いつつあった今日このごろ、案の定、人間ドックで精密検査に引っかかり、緑内障の症状も安定せず再手術の検討も通告されてしまい、ずっと心に引っかかっていたmixiをもうこの際退会しよう! と思い 切った次第です。

mixiで交流の幅をと思っていたのですが・・また異動等で時間の出来る職場に行くこともあれば再会したいと思います。突然退会の手続きを取りましたので、ご説明と近況報告を兼ねてメールさせていただきました。

 

最近の先生のHP、体調がすぐれないようで大変気になります。うちのA さん、Y さんには「おじいちゃんは4人居るんだよ」と言っています。2人は、私と妻の父、もう一人は仲人を頼んだ高校の恩師、そしてもう一人は秦先生です。

お体をご自分でもう少し気にかけていただけると良いのですが・・・

 

P.S 本当は子どもたちの写真なども添付したいところですがアナログ家族なもので、未だにフィルムカメラを使っています。気軽に電子データの写真がありません。ご容赦ください。ちなみに、地デジ難民ですし(どうせテレビなど見る時間も無いので関係ないですが)・・・・   丸

 

* からだに異常の無いよう、視力のより健常に有りますようにと心より心より心より願います。

二人のお嬢達のこと、なんと嬉しいことを云うてくれるか。機械の中の写真を眺めて手を振っています。

「 mixi」 は、遠からずわたしも全面撤退するでしょう。ほんとうの人間関係にしてはあまりにバーチャルに過ぎます。意見の交換がきっちり出来るかどうか、微妙すぎますし。

2011 9・17 120

 

 

* 寝ていた間に、ロスからお見舞いの電話があったらしい。相撲茶屋の竹ちゃんからもメールのお見舞い。感謝。

2011 9・18 120

 

 

☆ 当尾の里に萩や彼岸花が咲いています。夜の彼岸会に参加して帰ります。三重塔の薬師如来さまに快癒を祈りました。 鳶

 

* 父方の里、わたしが極く幼児期を二三年過ごしたと思われる南山城当尾のことらしい。浄瑠璃寺や岩船寺や、石仏たちの当尾である。

 

☆ お元気ですか、風。

帯状疱疹ですか。精神的なストレスでなると聞いたことがありますが。

とにかく、お体をやすめてください。とても心配しています。

今日の花は、地区の敬老会のお手伝いに行ってきました。落語家さんが来たり、日本舞踊があったり。見たり聴いたりする暇はありませんでしたけれど。

ではでは。 花

 

☆ お相撲の竹です。

お世話になっております。先日、お振込を確認させていただきました。

お気持ちまでお振込いただき、本当にありがとうございます。

お知り合いの方がいらっしゃっても、しっかりとご接待させていただきますのでご安心ください。

先生の具合はいかがでしょうか?

ウィスキーを片手にお相撲を観戦されているお姿にお目にかかれないのは、非常に残念です。

よろしくお伝えくださいませ。

それでは。(竹)

 

* 白鵬申し分なく、稀勢之里と琴奨菊が追撃急。大関達は不甲斐なく、魁皇に残っていて欲しかった。ま、秋場所は、家で痛い頭をかかえながらテレビで。早く直って欲しいが。

九時半、もう少しやる。

2011 9・19 120

 

 

☆ 秦恒平先生、奥さま

**です。本当にお気遣いありがとうございます。

おかげさまでわが家に生まれ来る子の体重は、現在推定で2400グラムになっています。

診断によると「順調」とのことで、今から新生児のための肌着などを購入して、その時を楽しみにしております。

私も、可能であれば出産に立ち会いたいと考えております。

先日、建日子さんの新刊の広告が、新聞の夕刊に大きく出ていました。私も一ファンとして嬉しくなりました。

一方で、先生のご体調は大丈夫かしら…と、日々案じております。

のんびりとお過ごしになることはなかなか難しい毎日でしょうから、疲労がかなり蓄積されているのでは、と私なりに想像しています。

少しお身体をお休めになられて、くれぐれもお大事にされてください。

先生にお越しいただいた結婚式からもうすぐ一年となります。この一年は、お陰さまで、とても幸せな一年でした。

いつも励ましてくださった、秦先生・奥様のお陰と、妻ともども心から感謝申し上げます。

時々妻のお腹を触りながら、来月中旬の誕生を心待ちにする毎日です。

また先生にも、必ずご報告させて頂きます。   筒

 

* 元気なお子の誕生とご安産を願っています。

 

☆ 秦先生へ

ホームページを閲覧していますと、だいぶ調子が良くないようですね。

非常に心配しております。糖尿病を患うと血管が弱り、いろいろと病気を併発することがあると聞いております。

是非お時間のある時に、医師の診断を受けることをお勧めします。

もし調子が良くなりましたら是非、ご連絡下さい。お会いしてお話をしたいと思っております。

 

ところで、現在公開されている映画『アンフェアthe answer』を見に行きましたが、原作は秦建日子さんなのですね。遅ればせながら、シリーズ化されているというのも初めて知りました。

殺人事件が中心なので、背筋が凍るようなスリルがある映画でした。そして、映画を見ていただけではまったく予想できない結末が待っていました。観客をも騙してしまう見事な化かし合いでした。

また主演の篠原涼子さんは、影があり、弱い部分もありながらも、超クールな刑事役を見事に演じていました。

原作も是非読んでみたいと思うようになった映画でした。

 

残暑の次には大型の台風がまた、やってきます。どうぞお大事になさって下さい。  冨士の松

 

* ありがとう。秦建日子の女刑事雪平夏見第四新作『愛娘にさよならを』も、読み物としても成功していると感じました。読んでやって下さい。

2011 9・20 120

 

 

☆ お元気ですか、風。

駿河国はものすごい風雨です。

家が震動しています。外の植木鉢がすっとんでしまっているかも。

首都圏も激しくなると思いますので、戸締りをしっかりなさってくださいね。

さてさて、お具合は訊かないことにします。

ただただ、お大切に、と願っています。

とにかく横殴りの風雨です。凄まじい。

どうかどうか、無事平穏ですように。

元気な、 花

 

* 六時頃、よほど風雨烈しかったが、東京都心近郊はおよそ颱風を通過させたようだ。近年稀な豪風雨であった。林君のご家族には、秋場所、かえって気を使わせたばかりの結果に終わったこととお気の毒で申し訳ない。

2011 9・22 120

 

 

☆ 秦先生、名古屋は台風一過の青空とはならず、午後ようやく晴れてきました。

でも、爽やかになり、ほっとしているところです。

けさ、『湖の本』が届きました。芸術新聞社刊行の『秋萩帖』、拝受。ありがとうございます。

『湖の本』の「秋萩帖」と読み比べるのも楽しいと、わくわくしています。

今月は時間に追われる慌ただしい毎日を過ごしていますので(なにしろ仕事を捌くのが遅いので)、落ち着いてゆっくり読む日を楽しみにしています。(少しずつ楽しむことができず、読み出したら止められないのです。)午後、誌代(5000円)入金いたしましたのでご確認下さい。

秋は白。色無き風。まさに体感できました。

秋風と共に、先生の体調が整ってくること確信いたしております。でも、病院嫌いと、ご無理、なんとかならないものでしょうか。 珊

2011 9・22 120

 

 

* 朝、いきなり「訃報」と題名、発信者には弥栄中学時代「友人の姓」だけあって本文を欠いたメールを受けていた。家族からの報せか、本人が誰かわれわれ共通の知人の訃報を告げようとしたのか、分からない。カナダにいる田中勉君に問い合わせている。

もう、こういう報せは日常事になろうとしている。気を病みすぎないよう落ち着いて報せに聴かねば。

* 秦の母は九十六歳まで生きた。その伝にしたがえば、妻も私にも、なおまだ二十年二十一年もの余命がある。さすがに信じようがない。何をして、または何はしなくて、残る日々をどう暮らして行くか。それが窮屈な枠組みを自身に強いるのではなく、たぶんにふっくら柔らかい時空のなかで、なるべく心ゆく楽しい、おもしろい日々を味わって行きたい。なにより不要モノ、不要コトを惜しまず捨てて行くこと。もう広い世間は要らない。

2011 9・26 120

 

 

* 愕いたことに、もしかして福盛くんの訃報でもあるかと案じて、カナダの田中君まで問い合わせてみたのが、じつは当の田中勉君の訃報であったと、夫人光子さんから報せが届いた。なんという悲報か。言葉を喪っている。

田中君のことはもう繰り返しここにも書いてきた。新設新制の京都市立弥栄中学に文字通り新一年生として入学した年、同級生だった。以来六十年もの親交だった。高卒からのちにカナダへ渡って久しく。近年、重い辛い病気をしたという便りを貰っていたが、それも回復への道のりと想っていた。寂しい。五体、固まっている。  2011 9・26 120

 

 

* 左後頭一部に苦痛でない程度の、やや執拗な軽い鈍頭痛が残っている。鎮痛剤を入れなくて一晩の睡眠が可能な程度だから、だいぶ落ち着いているけれど、違和感ははっきりまだ有る。

勉さんのことなど、どうしようもなく想いを扱いかね、悲痛払うに払いかねる。家に閉じこもっていてはいけない。ゆっくりゆっくりでもいい、乗りもので遠い空の空気を吸ってくるといい。

日記に向かっていても、ほんとうに今日が九月二十七日かどうかすら自信がもてない。

 

* 訃報は混線していたのだが、いまさき、あらためてカナダの田中光子さん( 勉さんの夫人) から私宛に夫君逝去を報せるメールが届いた。言葉もなく参っている。付されて届いたトロントの日系新聞の弔意の記事等、残念ながら文字化けで読み取れない。

 

* re 言葉もなく

うちのめされ、固まっています。想いはただただ弥栄中学の昔の思い出に張り付いてしまい、勉さんの笑顔を食い入るように見つめています。いけません、今は、恥ずかしながら物書きが言葉をぜんぶ喪ってしまい、身震いばかりです。  奥さん。お悲しみ、お察しするばかりです、たくさんたくさん泣いて上げて下さい。ごめんなさい、よくない慰め方だと思いながら、わたしも泣いています。堪忍して下さい。今は堪忍して下さい。 秦恒平

 

 

2002.03.20     田中勉と。京・祇園・千花で

2011 9・27 120

 

 

☆ 願いをこめて。  吉備の人

長らくご無沙汰しました。おかけする言葉がみつからなくて今日まで過ぎました。体調のすぐれない方にふさわしくないと承知しながら敢えて清酒をお届けすることにしました。秋の気配も色濃くなりつつあるときなので、秦さんがお酒を口にできる日の早く来ることを願っています。

 

* 有難う御座います。嬉しく頂戴します。

2011 9・28 120

 

 

* 吉備の人から、名酒「八海山一升頂戴していた、なんと有り難いこと。嬉しいこと

2011 9・29 120

 

 

☆ 九月尽   播磨の鳶

九月が過ぎ去ろうとしています。八月末の「発病・不調」から一か月、やや安心かと胸なでおろしつつも、一昨日の記述、カナダの友人の訃報に接しての鴉の悲嘆を思います。どうぞ彼の分までも、まだまだ「執念」く書いてください、生きてくださいと願うばかりです。

先に送った文章(=ヨーロッパ紀行『レオンの宿』「e-文藝館= 湖(umi) 」に収録済み) に、「佳いよ。」といただいた一言は、本当に初めてのことでした。嬉しいと素直に受け止めます。鳶は救いがたく単純人間でもありますから。同時にいっそう心して暮らし、ものごとを見つめたいと自ら戒めます。

先日浄瑠璃寺に出かけた時のこともただただ備忘録として書いたのですが、そこからどう展開したものか、まだ時間がかかりそうです。

明日は神戸で詩の朗読がありますが、これは以前書いたものの中から選んでいこうと思っています。

何故か、メールの通信に問題があり、コンピューター不調。本当に機械音痴で途方にくれます。それにワードの使い方もこのコンピューターでは不慣れで困っています。

十月、元気に過ごせますように。鳶は元気ですよ。

 

* 昨日、漱石が初めて野上彌生子に与えた書簡、その冒頭で、読んだ、

「才の足らざるにあらず、識の足らざるにあらず。思索綜合の哲学と年が足らぬなり。年は大変な有力なものなり。》《余の年と云ふは「文学者」としてとつたる年なり。もし文学者たらんと欲せば漫然として年をとるべからず文学者として年をとるべし。」

「文学者として年をとれ、との言葉は私の生涯のお守りとなつた貴重な賜物」

というのが、痛切な妙薬のように頭で鳴っている。二十歳のモノに、まだ若い、三十、四十になってから書けなどという助言でも叱咤でもない。あくまで「書く人間としての覚悟で」日々を生きよ、「年をとれ」と漱石は忠告している。

 

* 八月二十九日に苦しみはじめ九月二十九日に久しぶりに独りで街へ出た。しんどかった九月が逝く。

2011 9・30 120

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