ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2013年12月まで

☆ 先生、ご意見拝見しました。

とてもユニークにして、選挙の理想を語っていらっしゃると思いました。

参議院が衆議院の「おまけ」化している現在は本当に情けない!

ただ実際問題、現実的にはかなり難しいと感じます。

ありきたりのことばかり申しあげて本当に申し訳ありません。

①ネーミングがあまりよくない

元祖中国での「老」という漢字には「熟成」という意味があるのでしょうけれど、いまの日本では先生のおっしゃる通り「老」についてあまり良いイメージがないですね。

気分のままに乱暴な言葉をまき散らし、うまくいかないとすべて他人のせいにする某元都知事の例を出すまでも無く、「老害」もかなりあるかと思います。

②年齢でくくるのはどうか

数少なくても若くてしっかりしている人もあり、年をとったからといってちゃんと人間的に成長しているとはかぎらないのが実態では? やはり人は年齢ではないのではないかと思います。

それに議員さんたちの年齢平均は、最近は少しずつ変わってきているとはいえ、もともと相当高いような…。

③立候補者はでるか?

全国区で党の推薦を受けないとなれば、相当に有名人でなければ、なかなか難しいですね。

また、ほとんど選挙活動をしないのに当選したA元東京都知事の例もあります。

選挙は、供託金、宣伝費、通信費、事務所費、雑費などかなり費用もかかるので、当選すればよいけれど、落ちた場合、借金を背負う場合も少なくありません。

実際問題個人ではなかなか大変だと思います。

④供託金の問題

日本の供託金は世界一高いですね。

参院選(選挙区)で300万円、参院選(比例代表区)で名簿単独600万円、重複立候補者300万円。

そして一定の票を取れない場合、没収されてしまいます。

☆供託金没収点(参院選選挙区の場合)

有効投票総数と議員定数の商の八分の一(約一割弱程度)

誰でも立候補できるよう、供託金はもっと安くしなければいけないのですが、その場合立候補者がかなり増えて、票が細かく割れすぎるケースがでてきて再選挙の可能性などが高くなる?? というのがあちらの理屈らしいのですけれど。   西東京田無  岸

 

* 感謝。

① 参議院の「改組」が大切なので、名前は「参議院」のままでも適切に改名しても良いかと。枢密院や貴族院はぜったい願い下げですが。  ② 優れたわかい方には、その気概があれば「衆議院」で白熱して欲しいと思っていました。一般にわかい人達は、智慧も力もある人ほど、いろんな方面で社会的現役が多いはず。そこで機能豊かに働いて貰いたい。このまま放っておけば「引退・隠居あつかい」に棚上げされてしまう健全な老人たちの叡智と実力を見殺しにして欲しくない気持ちが、私の「発想の根」にあります。 ③ 労害と有能とを見極めて行くには、一つには間近な推薦者の真の信頼と尊敬、もう一つは投票し信任する国民の意識が必要ですね。知名・有名もやはり全国的に必要でしょうし、暴走老人の悪害も全国区での投票で希薄化出来るかと。 ④ 供託金は無しにとは無理かと。同時に、推薦名簿による信任という最高裁判事の信任形式にちかい「投票」方式も工夫しうるのではと。

 

☆ 声明拝読、

決然とした声明ですね。

老人党のなだいなださんの追悼文を書いたので(読書人)ご照覧ください。

ペン調査委員会はなかなか言を左右にして結果がでませんが、最低、三好委員長が強く求めた財務室を財務委員会に戻しチェック機能強化をうけいれてくれたのが 目下 目に見える成果です。

友の理事をひとりを理事会から失い無念です。

ペン調査委員会もご支援ください。  ペン理事 小中陽太郎

 

 

☆ メールありがとうございます

今の日本では、「老」という字にマイナスイメージがあると思います。

中国語で「老師」は先生という意味です! と聞いた時、この感覚を日本人も持つといいなと思いました。

「老」は知識、智慧の代名詞!「老はすばらしいこと」です。

私たち伝統藝能の世界では、50代はまだまだ半人前です。

本当の知識、智慧を持って舞台をつとめさせていただける「老」をめざしています。

おっしゃる老議院のように、「老」を尊重する国になってほしいと思います。    望

 

* 種を蒔いて すぐには芽は出ない。

ほんとうに、それが良い種であるなら根気よく育てること。それに尽きる。わたしは、よく思い出す、子供の絵本に出ていた逸話か、楠木正成が少年多聞丸の頃、大人にも揺らせないほどの釣り鐘を「指一本」で動かせるといい、事実、動かしたという。途方もなく粘り強く指一つで押し続けている内に釣り鐘は揺れ始めたと。

わたしは、半信半疑に絵本を読み、しかし、結果として「半信」の方へ、いわば人生観を肩入れした。ものごとを可能にし実現して行くには「その道」しかないと信じたのである。

2013 7/1 142

 

 

☆ 老議院の創設について    国家公務員

秦先生  いつも湖の本、ありがとうございます。

また、HPでの日々のご意見、興味深く読ませて頂いています。

今回は「老議院の創設」というご意見を、HPと、メールでも頂きました。HPを読ませて頂くと他の方のご意見もあったので、タイミングを逸してはとも思い、取り急ぎ私の意見を述べさせて頂きます。

正直に申し上げると、老議院の創設という意見には、私は賛成しかねます。

幾つか理由があります。

まず、述べられている「参議院の改組の必要性」については、私も賛成いたします。

その一方で、年齢構成が老齢増の傾向を示していることを理由の1つとして述べられています。

私は、年齢構成という観点から老議院の必要性を言われるのであれば、「女性国会議員の増を何よりも優先」して取り組むべき課題だと思っています。半分冗談、否、半分以上は本気ですが、男性にしろ女性にしろ、自分がやがて老いることはある程度の想像、予想はできます(と私自身が思っているだけかも知れませんが)が、男性と女性の間にはそれを超えた違いがあると感じており、「国全体の方向性を決める国会議員に女性が少ないのは非常に問題」と感じています。

また、保有資産についても、その理由として挙げられています。

私は、保有資産を理由として挙げるのは適切ではないと感じました。

現在の世の中において、「アベノミクスで何が問題」と感じているかと言えば、各企業や各個人が1企業=1意見、1個人=1票という対等な立場に立っていないのではないか、と感じていることです。大企業の意見が中小企業の意見より重視され、高所得者の意見の方が低所得者の意見よりも重視され・・・。どちらかと言えば、先生はこういう風潮に対しては否定的ではなかったか、と感じていたのですが。

老議院創設の1理由になり得ることは否定はしませんが、2や3番目に挙げられるべきような理由ではないと思いました。

私が何より老議院の創設に賛成しかねるのは、今の日本の国のかたちを作ってきたのが、まさに65歳から上の方々ではないか、と感じているからです。

過去の日本の方向性について良いか悪いかはこの際別としても、今求められているのは戦後復興から高度成長期の様々なしがらみを捨て去り、成熟期(というと聞こえは良いですが、実際には停滞期だと思います)のこの国のあり方を地に足をつけて、新たな頭で考えなければいけない、と思っています。その上であえて「老議院」と言うのであれば、その議員に対しては「過去に対する自覚とそれに立脚した新たな意見」を求めたいと思います。

老議院の創設に賛成しかねる理由はもう1点あります。

先生も楠木正成の例を挙げて述べられているように、この取り組みは直ぐには成就しないと思います。何年か何十年か、つまりは何世代かにわたって取り組まなければいけないと感じています。

つまりは、きちんと次の世代に繋がるような取り組みを行わなければいけないのではないでしょうか。老議院の創設では、次の世代に繋がりません。

老議院と言われるくらいであれば、壮年にもひとしい健康体とその判断力・経験力をそして場合によってはその資産で次の世代の国会議員を支えて頂きたい、と思います。

あえて言うなら、老議院ではなく“若議院”を創設し、その議員の政策秘書は必ず65歳以上の者ではなくてはならない、とか。

父に、「お父さん達がつくってきてくれた今の世の中で不自由なく生活できている。とても感謝している。でも、そのために原発を受け

入れると決めたのもお父さん達の世代。今は、そうやってできた世の中の仕組みを変えなければいけない。私達の世代では実現できないと思うからこそ、私達の世代は自分達の取り組みだけではなく、もっと下の(=若い)世代にそういう事をきちんと伝えていかなければいけない。結構大変だよ。」というような趣旨の話をしたのを思い出します。

色々と勝手なこと、失礼な事を申し上げている様な気がします。

申し訳ありません。

(職場を超えて、)あくまで、個人的な意見ということでお聞き頂ければと思います。  東工大卒業生

 

* こういう声を待ち望んでいた、自分の思いと言葉とでしっかり話す若い力ある声を待ち望んでいた。

また別の観点からも唱和し発言してくださる人、討議して下さいますよう。若い人も、女性も、問題の65歳以上の方からも。

 

* この今や責任ある地位にある国家公務員クンの提言に、私なりに応えておきたい点を、メール行文の流れに副って応えておこう。

率直に書くので、御免あれ。

① 「参議院の改組の必要性については、私も賛成いたします。」と、ある。これがわたしの提言の最重要率先の願い。この点への「賛成」が澎湃と起こってほしくて一つの突飛とも受けとられるだろう「改組」案を持ち出した。そのように理解して欲しいし、「参議院改組」が重点、名称「老議院」に拘泥はしていない。しかしまた新時代感覚からの「老人力」起用には期待と信頼を寄せていたのも確かと、前提しておく。

② 老人よりも、「女性」をと言われている。「よりも」かどうかは別としてわたしは「女性」政治力の結集と有効な国政参加を、この「老議院」発想と併行して新世紀に入って継続「私語」してきた。固有名詞はともあれ、田中真紀子やこの前の嘉田由紀子への支持にはいつもこの卒業生クンの願いと等質のものを籠めていた。しかし「女議院」をとは思わない。思いようが無い。せいぜい政党でも、機関の要職でも、議席数増でもいい、はっきり言って若い現役の能力として「衆議院や官界でこそ」活躍して欲しい。しかも恐れる、そういう「期待」が国民のなかの広汎な「女性」自身からも「男性」からも殆ど沸いていない「現実」。これには失望している。若い女性層の政治的意欲も力量もあまりに希薄なことは、若い男性層のそれと情けないほど同様としか思われない。「若議院」どころか、歴史的に見て政治エネルギーのマグマであって欲しい男女学生達の無気力と臆病とを見ているかぎり、「女議院」も「若議院」も存立の動機が全く出来ていない。「国全体の方向性を決める国会議員に女性が少ないのは非常に問題」というのは全くその通りなので、なによりも現行「衆議院」にこそ、そういう若い優秀な知性と実践力が参加してくれることを望むより無い。つまりは卒業生クンの言う「老人」よりは「女性」をとの提議は、社会の現実も実現可能力も、まるで欠いているように、わたしは思う。

③ 老人層に豊富な「保有資産」が有るとも無いとも数字の認識はわたしには無い。まして、それを担保に「老議院」をなどと言ってはいない。老齢層にたとえ私有資産が過去の努力相応に有るにしても、即ちそれで国を動そうなどとは全然考えていない。しかし老人にはせいぜい持ったカネを費わせて経済の活況にといった軽薄な政策に諂うぐらいなら、老齢層はそれなりの権利行使を、「老齢層」全体として考えていいとわたしは考えている。

「アベノミクスで何が問題と感じているかと言えば、各企業や各個人が1企業=1意見、1個人=1票という対等な立場に立っていないのではないか、と感じていることです。大企業の意見が中小企業の意見より重視され、高所得者の意見の方が低所得者の意見よりも重視され・・・。どちらかと言えば、先生はこういう風潮に対しては否定的ではなかったか、と感じていたのですが。」

これは全くわたしが『ペンと政治』三册でも言い続けてきたこと。そしてそれは、今回の提言とは切り離れていることと思う。問題は、会社定年年齢後の「高齢者」が国民人口の何割を占めているか、それにもかかわらず高齢者はもう人生の建設から引退した隠居であり若い者のお世話になって晩年をただ余生として生きよといった現実は、まさに「現実離れ」の誤認識ではないかというのが、わたしの考えていること。老人には智慧があるなどという傲りをわたしは持たない。老人が社会構成に人口比としてどれだけの存在かを政治が政党に斟酌するのは当たり前だとわたしは言うている。

④ 卒業生クンの指摘で、いちばん重い強い矢は、こんな時代を作ってきた責任は、いましも老齢層に達した皆さんにこそ在りはしませんか、そんな人たちが「老議院」で何が出来ますかという「批評」に有るだろう。

この議論には、今すぐ立ち入らない。原発の失敗について触れられているが、わたし個人は安全神話の真っ盛りのなかでそれを批判し受け容れなかった。一例だけを言い置く。

⑤ わたしの提案は百年河清を待っても成らないだろうと妻は言っている。卒業生クンもほぼ同じ意味から賛成していないが、それについては、「つまりは、きちんと次の世代に繋がるような取り組みを行わなければいけないのではないでしょうか。老議院の創設では、次の世代に繋がりません。」と言ってしまうことこそ、全てを妨げてしまうただ無策の姿勢ではないのか。

そもそも今の「違憲国会」の政治は、また行政は、経済は、わたしたちから見れば、まさしくわたしたちの「次の世代」が担当しているのであり、例えば「戦争」を知らない議員達の国会ができ上がり、そんな彼らが、率先して憲法を弄りまわそうとし、戦争できる日本にしようとし、核廃棄物の最終処理不可能の国土的現実に厚顔にソッポを向いたまま、原発再稼働の、新設の、死の商人なみの原発売り込み等々に狂奔している。

そしてそんな彼らの「次の世代」に相当する、即ちこの卒業生クンたちの若い働き盛りの世代は、では、どんな良識と実行力とを自身の手に繋ぎ止めている気か、さらにきみたちの「次の世代」へ何を確かに手渡そう・手渡せると自負しているのか、逆にそれをわたしは問い返したい。ただなし崩しの先送りで「現状日本のまま」を手渡して役を上がる気なのか、そこに真の信頼が措けていないからこそ、わたしは、突飛な発想に見えても、また今すぐどう成って行くとは見えないにしても、絶対必要な筈の「参議院改組」の「一案」を持ち出してみたのです。

それに本当に、成らないことかしらん。もし、議論に参加してくれる人がどんどんネット世間に出てくれれば、ほんとうは「革命」ですら成った事例も世界にはあるではないですか。

⑥ 「老議院と言われるくらいであれば、壮年にもひとしい健康体とその判断力・経験力を、そして場合によってはその資産で、次の世代の国会議員を支えて頂きたい」と卒業生クンは、言う。「壮年にもひとしい健康体とその判断力・経験力」を役立て得ないか、可能だろうという思いがわたしの提案を支えている、それは認める。しかし「その資産で、次の世代の国会議員を支えて頂きたい」とは理解しにくい。前回の「ペンと政治」を介してわたしはかなりの国会議員に触れあってきたが、その能力や知性をわたし達の「資産」でどう支援できるのか、想像に余る。彼らの充実は彼らの良識と誠実と品性でこそあがなわねばならない。問題は誠実な自覚・勉強と不退転の決意であって、人の資産で支えられても、東電マネーに踊る連中のようにしか働けないのではないか、それをアテにしても何一つ充実しないどころか、そこからまたもや政治精神の腐敗が広がらないか。

 

* ま、そんなふうに考えてみました。年甲斐もないとわらわれるかなあ。どうか、若い人からもお年寄りからも、文責明記の遠慮会釈ない辛辣な批判がわたしの手元へ届きますように。

2013 7・2 142

 

 

☆ 星合さんの「似たひと」を

ほめていただけたこと、感謝しています。わたしも同感で、「・・・想像していた展開とはことなっていましたが、ひきこまれました。

すみずみまでこころのこもった、貴方にしか書けない作品と感服しました。」とのメールを、すぐ送りました。「滴の会」に入会以来、二度ほどお話する機会がありましたが、星合さんは上品なものごしの方で、推測では先生とほぼ同年代か少し上の、こころやさしい先輩です。

「同人誌はプラスしていますか、実感として。」とのことですが、答えは複雑です。いまはただ過去を活字にしただけのものを十数人の身近な人たちにおくって、さまざまな感想をもらうだけのことですが、それでも小学校の恩師から懇切な葉書が届いたり、昔の仲間から「おもしろかったよ」の電話が来たりする、それはかけがえのないことのようにおもえます。

ただそれを「創作者」としてプラスしているかと尋ねられたら、プラスもマイナスもないというのが、実感です。

励ましの言葉をいただいたこと、ありがたく感じています。

天候不順、政治不信の毎日、どうぞ無理をなさいませんように。  2013/07/02  香川県 六

☆ 不順な天候が続きますが、

如何お過ごしでしょうか。らっきょう漬や梅仕事も無事済ませ、庭の達磨萩も花をつけはじめています。

さて、社中の会が終って一月も立ちますが、気の昂りが収まらないうちに、七月下旬にある太鼓の会(清響会)に西王母=待謡より=のシテ(⇒これは毎年初心者が舞っているようです)を務めることになりました。この会のシテはすべて我が社中が引き受けて、嘱託の方が多く出演しますが、私の出番がなんと、一番手の方の次になっていて、唯でさえ、ドキドキなのに、一難去ってまた一難! です。

師は「相舞の時は合わそうとガチガチに舞っていただろうけど、今度は天人だから、”クルリ・クルリ、スルリ・スルリ、ふんわり大らかに”舞いなさい。」と、おっしゃり、ウーンどうしたものかとウナっている毎日で睡眠不足は解消されそうにありません、

”考えるよりは身体を動かすべし”と駅近くの、お稽古場へ。

当市では、五月の「お旅祭」の時に、各町内が持ち回りで子供歌舞伎を二つ出しています。(故団十郎様は去年まで毎年一度は指導に来て下さいました。今年は奥様が激励に来て下さいました。)その舞台となる曳山を展示する会館が今年五月にオープンしたところです。幸いにも三間四方ギリギリの舞台も作ってあり(奥の幕を引けば鏡の戸になっていて型をチェックできます。) 私のお稽古に貸してくれるのです。そこへ週二回位通っているところです。見所もあり、曳山を見学にやってきた人が、椅子に座って・・・・・途中でやめるわけにもいかず・・・・といった環境ですが・・・・・ハハハ!

「鶴亀」については、毎月発行の会誌「篁宝」(師の姓が*氏から命名)に載せてもらいました。拙い文を、お読みくだされば幸いです。締め切り間近かだった

のでMRI I検査を終えて、病院のカフェで慌てて書き、Faxで送ったものです。校正もなしで、文が削られたり、直されたり、改行の部分も違っていたりしますが、時間がなかったということで終りになってしまいますが・・・・。(そういえば今までに差し上げた手紙は誤字脱字、間違い表現など多々、おまけに西暦と年号の数字を間違えたり、見るに耐えないものだったと思います。頭で思っていても手では違っていたりして、お出ししてから”ありゃ”と思うこと再三再四、集配時刻までにと急いだから、手術のせいで脳も縮んでいるし・・・・、認知症かもなど何かのせいにして、文に厳しい秦様にお出しするようなものではないと思いながら、下らない御喋りでも読んで下さるならばと甘えてお出ししていますことお詫び申し上げます。)

面もつけず、詞・謡もなく、学藝会のような趣でしたが、DVDを見るたびに今でもその時のことを思い出してドキドキします。

DVDを見ると自分の欠点がよくわかり、次回の西王母に活かそうと思っていますが、どうなりますことやら。

写真もできましたし、お恥かしい限りですが、その雰囲気がわかっていただけるかと思いまして、お送りします。

乱筆乱長文にて    季節柄お気をつけになさってくださいませ。

平成二十五年六月三十日   石川県  啓

秦恒平様

奥様

PS 楽屋で(宝生流の人間国宝=)近藤乾之助様をお見かけし、思わず声をおかけしてしまいました。とても上品な方でふわっとした雰囲気を漂わしておられる方でした。

 

 

* 祇園育ち「樅」の横井千恵子さんに、素麺一函を頂戴した。永らく麺類が口に入らなかったが、最近は、素麺も饂飩も蕎麦も、中華麺も食べて、吐かなくなった。ありがとう。「樅」へは、甥の黒川創も北澤猛も、また写真作家島尾伸三さんらも、それに妻も、連れて行ったことがある。連れて行ったみなが、その時々に盛んに歌を唱った。島尾さんが大声で話し始めると店の誰もかもが嵐のように大笑いした。創も猛もべらぼうに歌が上手だった。昔のクラスメート横井さんは、かれらに倍して上手に唱ってくれ、励まされて妻もなんだかんだと唱っていた。わたし一人がいつも聴き役で酒を飲んでいた。飲むだけは負けなかった。

このごろは、また酒が、和も洋も華もみな美味しくなってきた。「樅」をよく思い出している。昔の友だちもよく集まっているだろう。

2013 7・2 142

 

 

☆ 鬱陶しい梅雨の毎日ですが

お加減はいかがでいらっしゃいましょうか

いつも御著書をご恵送いただきながら 御礼も申し上げぬ不埒を致し居り申し訳もございません

また此の度の『湖の本』(ペンと政治)には特に心打たれ共感いたしました。 ぜひとも皆様にも知っていただきたく存じましたので お断りもせずご紹介いたしましたこと御詫び申し上げます 「九条を守る歌人の会」の方々にも「藝術と自由」誌を御送りして居りますので広く知っていただければとの思いです。

世の中の不条理にストレスをため込む一方です。

良い御著書を拝読出来ましたこと心より御礼申し上げます  どうぞくれぐれもご養生を第一にあそばしまして お大事にお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。  「藝術と自由」 発行人 梓志乃

 

☆ エッセイ  秦 恒平著『湖(うみ)の本』 ペンと政治

- 満二年、福島原発危害終熄せず - によせて   梓 志乃

まだ5 月だというのに夏日があるかと思えば、4 月初めの陽気の日もあるなど、自然の摂理さえ狂い始めているとしか思えない日々

が続く。東北大地震からすでに二年を越えたというのにいまも、地域によっては遅々として復興は進んでいないと言われている。事実

いまも仮設住宅に不便な生活を強いられている高齢者も多い。それなのに国の指導者たる内閣は、すでに震災の危機を忘れたかのように原発再稼働・改憲に必死である。弱者の切り捨てに等しいのではないか。復興資金が行き場を失って宙に浮いているともいい、

以前に義捐金が日本赤十字に止まったままというニュースが流れたことがあったが、その後これがどうなったのかの報道も耳にした覚えはない。単に私が聞き漏らしただけのことだろうか。原発は汚染水の漏れを起こした。構造上の不備かとも言われているが、詳しいことは分かっていない。それらの情報は国民の耳には入り難い。メディアの責任かはたまた東電の秘密保持なのか。私たち国民は何を信じたらいいのだろうか不信感は募る一方である。経済成長とやらも雇用促進も総理大臣が声高にかたっても、大多数の国民は政府も大企業をも信じられないでいるのではなかろうか。アベノミクスが確実に景気を回復しつつあると総理は言うが、中小企業・零細または個人業者にはかかわりが感じられないのが現状である。この矛盾した社会観がいつか人間不信につながって行き兼ねないと危惧していた矢先、作家・秦恒平氏から湖(うみ)の本116 巻が先日届いた。湖(うみ)の本は創作・古典研究・エッセイ・評論・詩集・歌

集と広く藝術一般にと、その知識の広く深い理解のもとに執筆された秦恒平氏の生涯をかけての著作で、折に触れ頂戴している。

秦恒平氏は元・東京工業大学教授で日本ペンクラブ理事を6 期12年つとめられ、京都美術文化賞の選者も24年つとめられた。作家としての活躍では第5 回太宰治文学賞(1969年) を『清経入水』 で受賞されている。

今回頂戴した湖(うみ)の本は 『ペンと政治』 として<一・新世紀へ 崩壊の跫音>を始めとし<二上><二下>の三巻で、このたびのは<二下>で<満二年、福島原発危害終熄せず 野田総理の惨敗・居座る安倍「違憲」内閣・迫る国民最大不幸>の副題のもと刊行された。その巻頭「序にかえて」には次のように記されている。一部を紹介しよう。

 

この稿は、作家・秦恒平の 「ペン」に相違ないが、論攷でもエッセイでもない。歳月を追うて、政治・時事へのとめどない不安・不

信、噴き出す嘆きの批評・要望、その堪えがたい失望・憤怒がさせてきた文字通りの 「日録・日記」に他ならない。この『ペンと政治』

の特に 「二の上下」巻は平成二十三牛 (二〇一一)三月十一日、あの東北大地震・大津波、加えて悪意の 「安全神話」に帰因したまさに人災の「原発大爆発」という未曾有の国難を、作家である一私民 (市民というやや偏った言葉を私は使わない。)の眼と思いで見定め続けた、市販本なら千頁を越す、後代への「我が証言録」 に他ならない。 もとより「政治・時事」への向き方や考え方にさまざまな異りのあるのを十分承知し、しかも、いや、だからこそ私は、忌憚ない自身の「ペン」に我とわが性根を傾けた。ご異見は、聴きましょう。

 

とある。ご自身は癌による胃全摘・胆嚢切除、抗癌剤の副作用、黄斑変性、白内障手術など多くの病との戦いのなかで、くじけることのない「ペン」による反原発・改憲反対を訴え続けて来られた秦氏の作家魂といえるのだろう。「ペンと政治」には見過ごすことのできない政治・時事の問題の数々が、作家の眼を通して分かりやすく解説され、批評精神が確固として存在している。私たち国民がもっとも心すべき問題も提起されているのである。この 「ペンと政治・二下」 の最終ページに近く次の言葉がある。この言葉に力を得て、著作権侵害にならぬかの恐れをあえて無視して、著者への前もっての許しも請わず、ここに紹介しようと考えたのである。全文をここに掲げるのは頁数の関係で無理があるので、大要のみを紹介することにする。

 

「どうか次頁に掲げる、居座る安倍「違憲」内閣を告発する声明に、大勢の方の同調してくださるのを希望しています。 13・03・11

作家、秦 恒平は下記を声明します。賛同者には転送をお願いします。

 

・ 複数の高裁で、明瞭に前回衆議院選挙は「違憲」であると判決された。即ち安倍内閣は「違憲内閣」に他ならない。

・ 「安倍達意内閣」は、近く予定の「参議院選挙」を「違憲」のまま強行しかねない。「憲法改悪」「憲法無視・蹂躙」を許してはならない。

・  広島高裁は先の総選挙での広島一、二区の選挙を猶予期間をおいて、「無効」と判決 した。

・  広島高裁岡山支部は「違憲」と断定のうえ岡山二区に対し「猶予無し、選挙結果無効」と判決した。無効とする混乱よりも、「法」のまえに 「平等な選挙権こそ当然」とする明確な判断である。当然の帰結と、私はこれら判決を支持し歓迎する。

・  立法府、行政府の「怠慢であり、司法の判断に対する甚だしい軽視というほかない」という各高裁の共通した指弾も当然。

・  国会と安倍「違憲」内閣とが、誠意を持って「合憲」へ対処・対応しなければ、「法治国家日本」の「立法府」は実質崩壊する。これは「国会全体の責任」である。

私は声明する。

断固、国民はその帰趨を監視し、「投票権1 ‥1 絶対平等」の合憲実現を迫り、最高裁訴訟で先延ばしを計っている安倍「違憲」内閣の居座りを、指弾しつづけよう。

真に憲法下の国民主権・民主主義を樹立しよう。13・03・26  秦 恒平

 

以上が秦氏の声明の主な部分を抄出したものである。ここには秦氏の怒りと嘆きとともに強い意思が感じられる。抄出した部分だけ

では理解に至らない部分があるかも知れないが、被災地の現状はいまも改善されず、中小企業の復興には、こころざしの前向きな頑張りだけではどうにもならないという声が日々聞こえるが、耳を傾ける人々がどれほど居るのか。メディアは一部で報道はするものの積極的な政治批判も政策への危惧にも言及のない有様である。この国も二極分化、貧富の差のよりひどくなる国家に成り下がったのかと嘆くしかないのだろうか。ペンの力、言論の力がどこまで届くかは不明だが、私たちも言葉・ペンにかかわるものとしての批判は常に心掛けなければならないだろう。文学が政治の世界に介入するということではなく、あくまでも文学としての衿持を持ちながら、社会批評の精神を失わずに己の文学と向き合っていきたいものである。

秦氏の「私語の刻」として次の一文がある。

 

この三巻、現代を生きる一老作家の黙しがたい「批評」として編んだ。現実を、直に、具体的に、観測し批評した。

-中略-

ただこの三巻、是非にも「文学」の道に逸れぬよう心して書いた。「ペン」とは、わたしにとり「文学」以外のなにものでもない。そして「気概」。この三巻のばあい、気概は、ともすれば嘆きや怒りゆえに揺れ動いた。だが眼は逸らさなかった。

-中略-

字生たちは意識を失い、労働者は臆病をきわめ、共にひたすら利己的に隘路をすりぬけよう、すりぬけられると儚い夢を見ている。

解雇を拒めず非正規身分で働く大多数国民のための政党は、今や解党寸前、瀕死のていたらく。

しかもあの 「東電」を見よ、あの経済団体を見よ、なにが「アベノミクス」 か。電力等の特権独占ブルジョア階級に、保守政治がひ

たすら奉仕している図にほかならない。

目覚めて、いま、決然起たねばならぬのは誰であるか。知れた話ではないか、と、今回わたしの「批評」の、これが「結語」である。

 

真の文学者としての秦氏の想いが痛いほど伝わってくるとともに、私たちが常に苛立ちと不安とに攻められている現状を、もう一度

検証し深く考えなければならないと示唆されていると感じるのである。何よりも大震災の復興である。復興以前、復旧さえままならな

いのにと言った被災地の声も聞く。老いた人々にとっては復興という言葉以前に復旧と言うのが真実であるだろうと痛ましい。にも関

わらず活断層も汚水漏れもそっちのけの状態で原発再稼働、新設の声が囂しいのはなぜなのか。廃炉にするのでさえ四十年を要するというのに…。改憲にしてもそうでこのまま強引に改憲が成されれば、行く行くはあの苦い戦争中に、先輩たちが味わった苦悩、言論の自由の束縛に発展しないとは言い切れまい。「ごまめの歯ぎしり」「蟷螂の斧」に過ぎなくても私たちは声を上げるしかないのだ。

先頃、現代歌人協会編『東日本大震災歌集』が刊行された。歌人たちの切実な声である。幾つかを紹介しておこう。

 

・ 蜃気楼のやうに映りてわが国の原発建屋消えてはくれぬ       足立 敏彦

・ ヒロシマの廃虚と重ね東北の原発事故のぬけがらの街        石橋 妙子

・ 放射能汚染の水を幾百年溜めおく地下の闇に怯ゆる         荻本 清子

・ 原爆は許すまじ 原発は許し来し わが闘争史恥ず          金子 貞雄

・  刈られざる麦の畑にざんざんと雨降り誰も勝たない戦         久々湊盈子

・ 万葉の世はつい昨日プルトニウムの半減期二万四千年先      下村すみよ

・ 大震災復興予算流用のたんかんおりら恥じないやから         田村 広志

・ みづからが招きしもあれこの今の傷だらけなる日本を愛す       橋本 喜典

・ 想定外・単純が生んだ放射能漏れ・人間の遺伝子が晒さるる世紀  平山 良明

・ 町ぐるみ立ち入り禁止のままの秋 泡立草のみ風にそよぐ田     水野 昌雄

* ありがとうございました。 秦

 

☆ 「湖の本」第116巻を拝受。

御気概に、脱帽致します。

しかし「眼」の御不自由は、残念ですね。 私も眼が悪く、その為、「パソコン」も「メール」も「やらない主義」です。時勢から逸れてみると、少しく気分も気持ちも変り、念頭から遠のいていた”旧”日本の良さがしみじみ思い出されます。時に、そういう、同じ思いの友人もいて、”カンカンガクガク”ではない会話に心を和ませています。

御身お大切におられましたか。 御礼のみにて。   元・文藝誌編集者 文藝批評家

 

* ”旧”日本 とは、いつ頃だろうなあ。昭和初年? 明治大正? もっと昔?

 

☆ 梅雨の候 いかがお過ごしですか。

今年の川端学会の年報にも小文「川端康成と囲碁 全集未収録文「坂田名人に捧げる」から遡って」を書きましたので、お送りいたします。実は囲碁は全くわからず、父に基本的な事などを教わりつつ、文献を読みました。

また小谷野さんが「共著に近い」と記して下さった無『川端康成伝』も刊行されました。私のパソコンも、一年程前からようやくネットにつなげられ(それまではワープロ機能しか使っておりませんでした)、『川端伝』で先日検索をしていましたところ、秦さんのブログ(で、いいのでしょうか)を見ることが初めてできました。有難いお言葉を思いがけず見つけまして、小谷野さんにも伝えた次第です。

岩波「文学」にも「星を盗んだ父」論、六十枚、二段組二十一頁を書き、校了となりました。七、八月号に掲載されますが、実はこれは前編で、後編と合わせると百枚の大部のものとなります。

八月には川端康成のふるさと大阪の茨木大会で講演をすることになっております。(手元にある講演のちらし、コピーですが同封いたします。)  中略

どうぞ、ご自愛なさって下さい。  深澤晴美

 

* 多聞丸(楠木正成)流に、はっきり深澤さんの指ぢからで釣り鐘が動き出している。中学・高校の先生をされながらのすばらしい努力の積み重ね、こつこつと。立派だ。十二分に大学の講壇に立ててしかも魅力的な先生だとわたしは信頼している。じっと堪えてますますの研鑽と活躍とを願います。「川端と囲碁」の論文、も読みました。

参与としてわたしも名を並べている学会でも七月は、李聖傑という人の研究発表、川端作『美しさと哀しみと』論が予定されている。会場が大井町。ちょっと、しんどい。

2013 7・4 142

 

☆ HPでの渾身の作業を

息詰め、そして讃嘆の思いで見つめています。

老議院について

全人口のほぼ三分の一に達しているという65歳以上のその一人にわたし自身が達しています。幼い頃、年とっていると思えた人たちに今のわたし自身を比べてみると、格段に健康であり、何より「気が若い」気力も好奇心もあると些か自負したいほどの思いがあ

ります。

「その判断力・経験力は国民全体の大きな財産とすら謂えるのに、適切に活用されず、昔ながらの安易な常識で、さも「引退者」「要保護者」かのように社会から棚上げされている。理不尽の極と云わねばならない。」と指摘されれば、確かにその通りですと叫びたい。この点に関しては十分理解できます。

が、引退者、退場したものとして分相応に生きよう、個人生活の充実、その基盤が年金や物価が安定さえしていればよいというあたりで安住している人たちの多いのも事実です。

年金制度が支えられなくなるから少子化は困ると「直接的」に言う人もいます。

資産が多いのも老後が不安だからこそ備えたのであり、あればあるで、ない人はないで、そこにはエゴイスティックな要素も感じ取れます、少なくとも多くの例を見聞してきました。

老議院は一つの理想論であり、しかしこれが具体化されるとしても、できあがるのは従来の00委員会の構成メンバーのごとき「識者」面々の相も変わらないものになるのではないでしょうか。若い方が指摘されていましたが、立候補するだけで既に高いハードルがあります。幅広く多くの人が参加できる者でなければなりません。また議院だけでなくさまざまな産業分野での機会も提示される必要があります、若い労働力と才能の開花を妨げるものであってはなりませんが。

政治への不信感をあまりに多く抱いています。老齢の方々、また若い世代の人々の政治的関心が場当たり的な瞬時の対応になっていることも否定できません。

原発の問題に限っても、東北は、福島は、「捨てられつつ」あり、声高に東電は原発稼働再開を求めています。放射能の恐怖、個人的なレヴェルでただ逃げ出すことだけが可能なことと言い切れない、大きなジレンマを人々は抱えているでしょう。

こう書いてしまうのは東北、関東に住んでいないわたしの温度差でしょうか。そうであってはならない、怒らなければならない、関心を持ち続けたいと強く願います。

アベノミクスに幻惑されることなく問題を見据えなければなりません。

数日来、参議院選挙のことが頻りに報道されています。先日の東京都知事選の結果から推し量るなら極めて悲観的な思いに陥ります。

 

メールの最初に、些かわたしには場違いな、政治的なことを書きました。

 

>>文学は(絵画である以上に)音楽です。文学の根は詩歌ですもの。優れた文体は、音楽です。「音楽」と書いて「音学」と書かなかった幸せを感じるとき、「文楽」と書かずに「文学」と書いてしまった不幸を思います、と。

 

詩歌、詩、和歌、俳句などすべてを含めて人々は改めて思いを馳せなければならないですね。

沈復『浮生六記』を読まれたとのこと。

この本は中国文学の中でも実に特異な位置を占めるもの。官職につかない市井の一知識人が「夫婦」のことを書いて文学として在るものは中国文学の中では他に殆ど例をみないのではないでしょうか。後には魯迅が妻の許広との間に交わした書簡集『両地書』がありますが・・。

小林秀雄について? 高校生の頃、読みました。と言っても限られています。よく国語の試験問題に出されるので、逆に敬遠する気持ちが強かったと思います。当時、彼の影響力は大きかったのだと改めて思います。わたしの小林体験はドストエフスキーに関する

事柄がかなりを占めていたでしょう。当時実存主義的なものに惹かれていた、その分だけドストエフスキーに関心が強かったのは当然でしたが、当時読んだのは『罪と罰』あたりで、ドストエフスキーをまともに読んだのはまだ後のことでした。

小林秀雄本人に就いては、中原中也との経緯や戦後の彼の言動も絡めて一種の距離を意識していました。

また評論という分野より小説そのものへの偏愛、嗜好が強かったことも大いに作用しています。

ゲーテの『イタリア旅行』について。現在手元に本がないのでおぼろげな記憶に頼るばかりですが、一番記憶に残っているのは彼がフィレンツェに殆ど関心を示さず、記述せず、通過したということでしょうか。旅行記では書簡などは排されているために淡々と記述がなされた感を受けました。その記述からゲーテという人はとても合理的な考えをする人という印象を受けました。老年になっての少女への恋などいくつかの逸話を思い描いたとしても、創作の雄大さ自在さを考慮しても、実際の行為の在り方として彼は節度を知った人でした。

イタリアの主要な都市はほとんど行っていますが、長く滞在したのはフィレンツェだけで、やはり長く暮らしてみたい。次に住むとしたらローマねと娘と語っています、ただし実現はできそうにありませんが。

 

上野千鶴子さんの著書からの感想で、「性的な関係性や対称性を大きく超えたもっともっと感動に結びついた人と人との愛憎や理解や共感や行動が在る。・・純然「人間同士・生き物同士」としての感動や愛憎を人は共有し分有しつつ、みごと「交ぜッ混ぜ」に家の内でも外でも生きている。」「人が人として生きる「血・肉」的な全像は複雑で、豊富で、容易に割り切った見方で「分別」しにくい。出来ない。」と書かれているのに留意しました。

同時に、彼女のメッセージは無視しがたく、しっかり受け取りたいと思います。

最近の日々はつらい試練の日々ですが、萎れないで生きたい。

やっとメールを書きました、読み返さないで思い切って送信します。

どうぞお体大切に大切に。  尾張の鳶

 

* こういう智慧と実感のある言葉から、わたしは自分を眺めまた修整して行ける。ありがたいことである。

 

☆ 昨今の

軽佻浮薄、何とも言えぬ浅薄さは忿懣の極み。先生のご心中 深くお察し申し上げます。

一体何のための戦後の数十年だったのだろうかと。

梅雨空の日々、何卒 お大事にと念じ上げます。  神戸市 名誉教授

 

* わたくし自身がだれよりも軽佻浮薄なのだと思うようにしています。その上でしっかり考え、しっかり努めねばと。

 

☆ 振込みが

遅くなりまして、申し訳ございません。

最近 おもちゃ(カメラのこと)を買ってしまい、そちらに気を取られております…。

また、近況などご報告いたします。

どうぞご自愛下さいませ。  横浜市大準教授  東工大卒業生

 

* この優秀だった人を懐かしむつど、紅梅の凛と咲きそめた蕾を想う。いい研究をいくつも積んだろうなと頼もしい。

2013 7・5 142

 

 

* 昨日、小松市の八代啓子さんから、お手紙を追うように、金沢の、見る目も涼しい名菓、それは美味しい冷菓を頂戴した。

また四国高松市の星合美弥子さんのお手紙を受けとった。

メールは送っても、機械をあけて見ない人がよっぽど増えていると想われる。手紙や葉書でないと用の足りない時代へ逆戻りなのか、それもあろう。メールを送るのも受けるのも鬱陶しいと感じ始めている人の多さを感じる。分かる気がする。

「facebook」から五月蠅く、明けてみよみよと報せてくるが、明けられないのだ。それでもマグレのように少々人の書いている記事の読めるときがあり、ところが何とくだらない譫言ばっかりか。メールではまだ「文藝」の芽が育たぬではないのに、唾でも吐き散らすような「twitter 」や「facebook」の物欲しげな独りごとのバカらしさ、幼稚さ。いまの世の中を軽薄にしているのは、キミたち自身じゃないですか。「濯鱗清流」にほど遠い濁世間よ。

 

* 作家の近藤富枝さんから、御見舞にと涼菓を頂戴した。恐れ入ります。

 

☆   この頃は逢ひたい友の多けれどわけて逢ひたい新島(襄)先生  徳富蘇峰

 

生涯に「先生」とお呼びした先生方で、「わけて逢ひたい」先生。とはいえ、お一人に限るのは、正直、難しい。そんな難しいことをわたしはむかし東工大の学生諸君に問うたことがある。

2013 7・7 142

 

 

☆ みづうみ、お元気ですか。

 

視界の歪みの原因はメガネのせいとお分かりになった由、少し安心いたしました。

今日も酷暑は相変わらずですが、如何お過ごしでしょうか。

先日多磨霊園に墓参に行きました折に、横長の大きめの石に「倶會一處」とだけ刻まれた墓を見つけました。新しい墓ではありません。広大な霊園の中で偶然にその墓と出逢って、雷に打たれたように動けなくなりました。

その墓の下に眠るひとと、この墓を建てたひとの、来世にも、そのまた来世にも、何度生まれ変わろうと倶に生き続けるという覚悟のさまが、怒濤のように胸に迫りました。みづうみの言葉をお借りすれば「身内」であったひとたちの存在をありありと感じたのです。

猛暑にしんと静まりかえった墓地の中で、〇〇家の墓とも、埋葬されたひとの名もない墓でしたが、墓の所有者の名などは所詮記号でしかありません。ひとの建てる墓の中で、これほど墓らしい墓はないでしょう。死なれたひとの痛嘆に涙を禁じ得ないと同時に、この世に生を受けてもっとも価値ある愛に生きたひとたちの、その悲願に、わたくしは烈しい羨望を感じました。ほんとうに愛し愛された人生においては、決定的な死別でさえ、なにほどのものでもないのだと、その墓は語りかけているようでした。

「倶會一處」を誓ったこのひとたちは、みづうみの小説世界の住人だったのかもしれません。

 

やす香さんのご命日も近づいてまいりました。みづうみを想い、蔭ながら悶え苦しんだあの夏のことは忘れられません。みづうみの作品の中で、やす香さんは今もみづうみとご一緒に生きていると思っています。

 

この夏はどうか少しでも涼しくお過ごしくださいますように。

眼科にも早めにお出かけください。  星   音だけの花火や老いて飾職  変哲

2013 7・12 142

 

 

☆ 遠様

このところ暑い日が続いていますが、体調はいかがですか、目の不調はどうですか?

変わらずがんばっておられる様で心配してます。

昨日四条へ行ってきました、懐かしい祇園祭 鉾の写真を撮って来ました、送ります。

まだまだ暑さが続きます くれぐれもお大事に。  華

 

* 新しい写真をホームページに取り込むことが、どうしても出来ない。機械に触れる楽しみが半減してしまう。

 

☆ 暑いです。

今日は盆の入り 簡単に用意をして今夜は迎え火を焚きます  来週は二度お寺に行きます。

この暑さを乗り切り、秋を迎えたいです。

当然、好きな映画館は長らくご無沙汰です。  「ブーリン家の姉妹」は映画館で観ています。一緒に行く友人も歴史物に限らずイギリスが舞台の映画が好きで、気が合います。「巡り会う時間達」は暗いですが、好きな女優さん達が出演し、何度も観たくなる映画の一つです。

お元気そうですが、季節柄呉々もお大事に。  泉

 

* ご主人を亡くされ、新盆になる。年中のいろんな「けじめ」をだいじにし、長男の妻としてお寺やお墓もだいじに守ってきた人である。この炎暑の墓参や法事などたいへんだろうとお察しする。

 

☆ 暑中お見舞い申し上げます。

今年も猛暑の連続で、政治の狂気が影響しているかと疑われるほどです。

精力的に継続なさっている『ホームページの窓』に、元気づけられています。

マスカットとニューピオーネを、ほんの少しですがお届けします。

お口に入ればよろしいが。   吉備ひと

 

* 恐れ入ります。有り難う存じます。

 

☆ 後拾遺和歌集 源順

秦先生、名古屋はおしめりがあり、少し楽になりました。

先生の体調、視力がどうぞ安定なさいますように。

『後拾遺集』をお読みになっていらっしゃるとのこと。

私は歌集を読むことなどなかなかできず、一首、二首拾い読みするだけですが。

源順は「拾遺集」に縁が深いですね。

以前、源氏物語成立前を書いた小説に、「天徳内裏歌合」を取り上げました。その時はうかつにも気がつかなかったのですが、源順が左方、つまり藤原氏方の歌人として詠進し、「二番 鶯」「八番 款冬」のお題で、どちらも右方の平兼盛に勝っている。あれはいわば、雅を賭けた「藤原氏」対「源氏」の闘いだったと認識していましたが、順は、なぜ左方の歌詠みになったのか。順は縁戚になる源高明のサロンに出入りし、高明の引き立てがあったというのに。だから安和の変以降、長く散位に甘んじたというと、やはり何故、順は藤原氏方についたのか。今頃になって気付き、疑問がわいています。

「天徳内裏歌合」は、世に云うほどに「藤原」対「源」ではなく、順は単に、和歌所寄人として長官の藤原伊尹の命を受けて左方に付いたのか、もっと考えて書くべきだったと思っています。

何かの資料で、紫式部の父藤原為時は当時「殿上童」としてあの歌合に参加し、員指童(かずさしのわらべ=左右の歌の勝敗の串を挿す役目)の役目をしたというのを読み、その父の見聞したことを聞いて紫式部は「絵合の巻」を書いたとしましたが、殿上童は上流貴族の師弟のすることなので、道隆や朝光だったかも。

先生の後拾遺和歌集のお話から、あれこれと連想を広げました。

いつも刺激的で貴重なお話をありがとうございます。   夜琴

 

* 立ち入った感想は、心ゆくまで「拾遺」「後拾遺」の撰歌を終えてからにしたい。父為時も娘紫式部も歌を採られている。ほう、こんな人もと思う歌人の名前に出逢えるのも楽しみの一つである。先月の歌舞伎座で観てきた「土蜘蛛」の、あの頼光の名も一人武者保昌の名も見えている。栄花物語をしっかり読んできたし、むろん大鏡も読んでいて、この時代の大勢の歌詠み達の名前が頭にある。まるで知友のあつまった会合に踏み入った心地でもある。ま、和歌の楽しみ方とも謂える。

 

2013 7・13 142

 

 

* 二三日まえに京都の田村由美子さんから突然、佐相勉編著『溝口健二著作集』と題した大部の一冊を受けとった。手紙もなにも付いて無く、またその本は或る意味でレイアウトに「わる凝り」してあり字も小さく、眼のわるいわたしには甚だ読みにくいものだった。左相氏は妙な言葉をつかって申し訳なく間違っていたら謝るが、「溝口健二」の人と仕事を徹底的に「追っかけ」尽くした人のようだ、わたしより一回りほど若い「映画研究者」。

で、読み始めてみると、この希有の映画監督の温かい血肉が「ことば」と化して各編に溢れていると見えた。詳細な年譜とエッセイや作品紹介その他との協奏曲のように佳い音楽が次第に聴こえてくる本であった。

溝口健二はわたしが言うまでもない、黒澤明と兄たりがたく弟たりがたい、或いは優るとも劣らない、そしてあの小津安二郎とともに大きな日本映画の黄金時代を高く高く構築した映画監督で、わたしは大好きであり尊敬してきた。ま、その一方でわたしは映画を観るこそ大好きだが、映画を語ることも映画人を語ることも出来ない一門外漢にすぎない。

視力と時間とがゆるすかぎり読んでみたい。しかし、またわたしよりも息子の秦建日子が謙虚に読んだほうが、きっと莫大に教えられるのではないかと思っている。

ありがたい頂戴物であったと、ずしっと重い左相勉氏労著たる一冊を手にもって、わたしは喜んでいる。田村さん、ありがとう。

左相氏へも感謝しつつこの労著を大勢の映画そして溝口監督のフアンに紹介させてもらいたい。

 

☆ 佐相勉編著『溝口健二著作集』巻頭より

 

ある夜のこと   『日活画報』一九二四年二月号初出

あんまり音楽には智識がないのだが……

京都へきてから廿日にもなろうが、ある晩のこと、祇園の石段下に近いあたりだったと考えているが、カフェーレーベンと云う店へ、京都名物である時雨空の宵、伊藤君とはいった。

二人とも莨をくゆらしながらほろ苦い、紅茶の香に軽い気持になってしまったので、酒を味うと云うような心にはしょせんなりきらなかった。

広いところではないが部屋の周囲には何放かのきわめて新らしい傾向の油画がかゝつている。

「これが普門氏の画だよ、君」

伊藤君の言に一枚一枚私は眺めていった。--臆病な心は--光りと影--だけしかしらない私等なんだから、色盲にでもなってしまって居やしないかと、常に危うんでびくびくしていたんだ。ところが、凝視めたとき、

「ほんとうに久しぶりだ」

と台詞口調でつぶやくほと、感歎してしまった。--

「踊りくるう若い女」「靴下をはいているらしい肉体」「うごめきながら飛ぶ虫」

ぴったり、うちこめられたような気持になってかなり長い間、黄色い壁のなかにぽっかりはめこまれたように浮んで見える、画を凝視めていた。

それは批評すると云うような冷やかな、静かな時間のある、心もちではない。

カンヴァスの、糸のなかへ、「心」が織りこまれでしまった瞬間なのだ。

--と--突然--

どこからか音楽が流れてきた。--

蓄音器がかけられたのだ。音のなかった部屋に、--それもきわめて乏しい智識で解らないが、度々聞いたものであることを思うとかなり有名な曲であるらしい。

画から瞳をはなして音のする方を眺めると、若い給仕女が蓄音機のふちに手をかけてぐるぐる回っている音譜をみている、むっくりと肥った手首には腕時計が光っていた。--

このとき

私の心はだんだん画からはなれて音律のなかへ吸いこまれていった。

曲がおわりに近づいた頃、はじめてそれがカルメンであることを知った。

「ビューゼとか云う人の有名な曲だな」と思っているうちにおわっで次の曲がかけられた。

解らない。静かな淋しいものだ。--

羊飼が吹く角笛など聞える。

「地震以来、はじめてですねこんな気分に浸ったのは」

「好いな、おいウイスキーだ」

卓の上に置かれたジョニウォーカーのコップはすぐからになっでしまった。

「もう一杯くんないか、君」

給仕女がまた一杯ついだ。

「君すまないが、もう一度カルメンをかけておくれよ」

二杯目のコップをあけながら、ほてってきた顔を動かして頼んだ。酒をつぎおわった女は蓄音器のそばへ近づいて板を選っていたが捜しあてゝかけはじめた。

「これだな、とこかの舞台ではじめて上演された時、イプセンだかだれだかが感激して作者に抱きついたと云うのは」

瞳はまた、画を眺めていた。

「--色調と--音律か--幸福なやつだ--観たり聞いたりすることができて」

コップをあけながらそんなことをつぶやいたときは、かなり酔ってたんです。--

 

註 当時『日活画報』の編集長をしていた伊藤和夫のことであろう。彼は日活向島時代からの溝口の知己であり、溝口の『813 』には懇切な批評を書いているし、一九二四年には「溝口健二私論」という溝口の人と作品についでの興味深い文も書いている。

註 普門暁(一八九六-一九七二)のこと。一九二〇年に未来派美術協会を設立するが、一九二二年に除名される。一九二三年春には京都で個展を開いており、溝口が普門の絵を見た一九二三年の末頃は祇園辺りに住んでいた。  (以下割愛 秦)

註 溝口は戦後の一九四七年の作品『女優須磨子の恋』において劇中劇としでカルメンを流している。

 

☆ 紅燈 『日活画報』一九二四年八月号 註は割愛

旅に来てまづよろしきは祇園町花見小路の灯ともしの頃

白足袋の似合ふは河内屋与兵衛ならで祇園町ゆく仁和寺の僧

鴨川の流れは耳になれたれど歓楽の酒われになれざる

恋知りし舞妓の笑は淋しかり若き役者の扇持つてふ

木屋町の茶屋の女房の鉄漿つけて眉あほくそる夏姿かな

 

* ちなみにこの文や歌の成されたより十一年余も遅れ、一九三五年師走にわたしは京都で生まれた。四、五歳ごろから養家の秦に入ったが、育ったその家は祇園の郭にぴたっと背中合わせの(知恩院下)新門前通りにあった。「カフェレーベン(人生)」なんて、いかにも時代を懐かしく感じさせる。

そして、溝口の短歌よ。まさしくこういう空気のなかに染まってわたしは少年時代、大学時代を過ごしたのである。

2013 7・15 142

 

 

* こんなメールが届いている。と、簡単に紹介したが、折り返し「とり急ぎ」とメールの送り主からまたメールがきた。ので、削除しておく。

2013 7・16 142

 

 

☆ 夏のご挨拶申し上げます。

こちらは梅雨明けもせず猛暑がつづいております。先生、奥様お元気のことと存じますが、東京の暑さは格別と思われますのでくれぐれも、ご自愛下さいませ。

いつも強い叱声に励まされ私も頑張っています。この選挙が気にかかりますが、絶望のあとでも希望を繋ぎもち活動していきます。

些少ですがお品別送しましたのでご賞味いただければ幸いです。

小説楽しみにしております。  金沢市 小夜

 

* その小説だが二つ手がけていてやや先行の「ある寓話 ないし猥褻という無意味」は、あまりに愛読者たちの心を騒がせそうであるが、なんとか健康で作品の備わった作にしたいもの。とにかく、落ち着いて落ち着いて、烈しくと。

 

☆ 七月も半ばとなりました。

毎日毎日 お暑い日がつづいておりますが、先生には いかがお過ごしでしょうか。

癌による胃全摘やその後の体調不良、眼の病気というたいへんな中で、「ペン」こそ「我が闘病」と 書き続けていらっしゃる精神の高さにこころから励まされ感動いたしております。

私も憲法九条は絶対に守っていきたいと思います。 また、原発を再稼働させようとする今の政治に怒りを感じております。結句 選挙でみんなが、その意志を表明しなければ、この国の政治はどうなっていくのでしょう。

「湖の本」の『ペンと政治』で勉強させて頂き、ありがとうございました。

先生、どうぞ御体を大切になさって下さいませ。御自愛なさり、酷暑をのりきられて下さいませ。

心ばかりの御礼を同封させて頂きます。御笑納下さいませ。 かしこ

私の長兄 (故)芦部信喜は、憲法学者(東大名誉教授・元日本憲法学会会長)でしたが、憲法九条を守るために努力いたしました。   歌人 玲  西東京

 

* みな、手を繋いで 根気よく諦めず 立ち向かって行きたい。五年半前にこう書き留めている。

* 寒ければ寒いと言つて 立ち向ふ  湖   2008 2・1

同じ年の師走最終句として俳優小沢昭一さん、こんな句を句集に置いていた。

☆ 凩へ一徹の老い立ち向かふ   変哲

「今でしょ!」 何より大事なのは、ふかく白詩夜前の真意も酌んで、「立ち向かう」ことでしょう。

 

☆ 白楽天「友を招く」

久雨初晴天気新    久雨初めて晴れて天気新たなり

風煙草樹尽欣欣    風煙草樹ことごとく欣欣たり

雖當冷落衰残日    冷落衰残の日に當るといへども

還有陽和暖活身    なほ陽和み暖活くる身あり

池水溶溶藍染水    池水は溶溶として藍は水を染め

花光焔焔火焼春    花光焔焔たり火は春を焼く

商山老伴相収拾    商山の老伴たちよ相ひつどへよ

不用随他年少人    あへて年少の人をわずらはせじ      2013 7・17 142

 

 

* 昨日あたりから、「FACE BOOK 」 との連携がほぼ可能になったらしく、しかしまだ勝手がわからず全面的に受け身のママ。しかし東工大時代の学生諸君の何人かと繋ぎがつきかけている。三田大介君、中野智行君、柳博通君等々。文章の送り入れ方など分かっていないので、このままに推移する。気分はけっして暢気でない、レマルク「愛する時と死する時」の爆撃の惨状・惨劇などが今のことのように胸を揺すり立てる。過去の史実では済まない、今日の覚悟こそ問われている。

2013 7・17 142

 

 

☆ おはようございます。

何年かぶりで声をかけますので、気恥ずかしいです。

今朝の千葉は日差しがありません。湿った風が強く、書類が飛んでしまいそうなので窓を閉めました。一番いいのは、風をブワブワ浴びながら仕事をしないこと、ですが、なかなかそうもいきません。  旗  千葉

 

☆ ご無沙汰しております.

Facebookもお使いになられるようになったことをホームページで拝見しまして,リクエストさせていただきました.

秦先生でしたら,従来通りホームページにお書きになられた方が,内容,分量,読み手の範囲,あらゆる面から良いように思います.

それほどメッセージ性の強くない写真や愚痴を掲載するにはFacebookが適当というだけだと思います.

宜しくお願い申し上げます.

ご承認くださいまして,ありがとうございます.

お言葉もありがとうございます.

目は,お辛いことと拝察します.

眼科というのは,もっと画期的な治療がありえるのではないかと,いつも思います.

ともかく,先生のホームページを拝読するのが日課ですので,楽しみにしております.

老議院についても,いろいろ思うところはあったのですが,考えがまとまらず,失礼しておりました.

今年の夏は暑いようですので,ご自愛ください.失礼いたします. 鷲 愛知

 

* 手探りで試行錯誤していた「FACEBOOK」で東工大の卒業生諸君から「声」が掛かってきたのは懐かしい嬉しいことであった。手続きがまだ読み取りきれないので、わたしの方からは自覚的になにもまだ出来ていないし、「鷲」くんの助言を有難く聴いている。今日一日で七、八人もと連携できたようだ。

2013 7・18 142

 

 

☆ こんばんは。

メールは便利ですが、日々、塵の積もるような量にウンザリしています。家のPCメールチェック回数は段々に減って、最近は気が向いた時だけになりました。

仕事は、パソコンの電源onで始まり、パソコンoff で終わります。今では業務の多くの時間がメールのやり取りになりました。便利なツールですが、思いのほか細やかなやり取りで疲れます。

最近は目の不調を理由に、せめて自分の時間はパソコンやメールに生活を支配されないよう、むしろ意識して離れようとしている、そんな私です。

また暑さが戻ってきました。冷房の生活もあり、咳や食欲不振など不調の方が増えています。

最近、湖を傷めつける苦い液は消化液の逆流のご様子ですが、この季節、食欲は絶対に守りたい砦。粘膜保護剤や消化剤は効能違いで多種類ありますので、次の診察時に主治医に症状と頻度を必ずお伝えください。消化剤は案外よく効いて、ささやかなのに大胆で驚くことがあります。

「美味しい」は幸せなことですね。これからはそんな一時を積み重ね、元気な免疫増やせますように。祈っています。

くれぐれもお大事に、湖。     珠

 

* 「せめて自分の時間はパソコンやメールに生活を支配されないよう、むしろ意識して離れようとしている」のは聡明なこと。スマホやケイタイやパソコンでのメールに占領されてしまい、日増しに「マトリックス」世界に人間が奴隷化され、凶悪な心ない犯罪環境にも無神経に濫用されている。電車の中でも半数以上がメールをしたり読んだり遊んだりしている。こういう機械は世間の狭まり行く老人には電子の杖として有効だが、年幼い子、若い子には「毒」になると十数年前から繰り返しわたしは書いてきた。業務上の有効や必要や進展はともかくも、無用の「毒」を無反省に呷っているなど、いい大人の場合、知性の衰弱としか思われない。

2013 7・19 142

 

 

* ペンクラブ会員のつかだ・みちこさん、ポーランド文学研究者で詩人、また小説も書かれる。お手紙を戴いた。諏訪部夏木の名で新作新刊の小説本『ヴィルニュスまで』五つの物語と、ポーランド土産のお酒とチョコレート、京の宇治の茶菓子も頂戴した。恐縮です。「いつもすばらしい湖の本いただきながら、特にペンクラブのことや、政治問題に対する先生のご意見には大きな共感いただき乍ら、お返事を差し上げず、」また 「ポーランドもすっかりきれいになり、生活も改善されているサカナののですが、まだ失業者15% 肥満者が多いのに驚かされて、帰ってきました。」と。知己のお一人である。

 

* 亡き恩師金田明夫教授の奥様から、旨そうに燻製した北海道のお魚を頂戴した。滋賀県にお住まいである。お元気であられますように。

 

* 備前伊部の川井明子さん母子から暑中見舞い。もう何十年昔のことか、女流陶藝展で文部大臣賞を受けた川井さんの大壺を貰ったのは。その壺が、いまもわが家の玄関にシャーンとして鎮座している。「是非わが家に避暑にいらして下さい」とある。

 

* 吉備の有元さんより、「バグワンと私」上下巻をお知りびとに送ってほしいと注文があった。湖の本のすこしでも永い維持のためにも有難いこと。お礼申します。x早速にお送りします。

2013 7・20 142

 

 

☆ 御著(「ペンと政治」)

同感同感と思いつゝ読みました。あまりにのんきな為政者に惘れる毎日 21日の選挙もこれという党も人物も無くがっかりでございます。 益々の御活躍を念じ上げつつ かしこ  滋賀県 八十五歳

2013 7・21 142

 

 

☆ 感謝 秦恒平様

 

お騒がせして本当に申し訳ありませんでした。有難うございました。

過半数を取られましたが、共産党が盛り返したので、「めでたさも中くらいなり・・・」です。しかしこれからの政治が案じられます。

先月、世田谷で「松本清張を読む」という生意気なトーク(2時間)を依頼されてやりましたが、都議会議員選挙中の里吉さんが聞きに来てくれ、それから彼女に「清張さん」と呼ばれています。

9月には朝日カルチャーで「O.ヘンリーと歌舞伎」、10月には宮本三郎記念館で「川柳講座」(いずれも90分)をしゃべる予定ですが、身体と頭がそれまで保つかどうか。

改築が出来、落ち着いたらまたメールをいたします。

暑いのでどうぞご自愛下さい。  川柳家  速

2013 7・22 142

 

 

☆ 歩ける食べられるは

老人にとって体調保持の基本だとつくづく思います

それプラス、頭脳も駆使されているようで あなたは長寿間違いなしでしょう。

私は持病でもある睡眠障害が少しありますが、食欲はしっかりあるので体力が維持されているかと思います。

まだまだ(遺された)沢山の屑のような品物整理(取り敢えずは目を通さないといけないので)があり、気が遠くなります。

友だちに会いがてら、8月のお盆過ぎには京都へ出向きたいと想っていますが…

眼の調子が悪いとか 身近でも聴く話ですが、転んで寝たきりにならない様に気を付けて下さい。  泉

 

* もし私の遺して行くものも、大方こびりついた垢同然の「屑」に見えることと思う。なるべく処分しておきたいと思うのだが。

 

☆ 花火

おはようございます

いつも御本をお送りいただきましてありがとうございます

今週土曜日はいつもの(浅草の)花火大会です

もしご都合がよろしければお出かけくださいませ

よろしくお願いいたします   望月太左衛 ☆彡

 

* 太左衛さんのお誘い。行きたい。

が、行きはよいよい、帰りの雑踏にまじり浅草寺裏から鶯谷駅まで歩くのは、元気な昔でも腰を痛め、途中でしゃがみこんだことがある。言問通りでタクシーを拾うのは不可能。大通りからよほど吉原よりの奥を歩いていてタクシーに出逢えたこともあったのだが。

二十七日は、亡い孫やす香の命日、やす香の母、わたしたちの娘朝日子の誕生日である。

いまの頼りない体力では、ムリか。浅草まで行ければ、気に入りの鮨の「あらせ」も、肉の「米久」もあるのだが。

2013 7・25 142

 

☆ 元気出して!

鴉の「目の不調とめどない」という状況を嘆きます。眼鏡はこの二十一世紀になっても完璧ではないのですね・・揺れを解決できる処方はないのでしょうか。晩になるといっそう霞みだすのですから目の疲労度が大いに関係しているのですね。

この暑さに加えてさらに腹部や肩の不快感、どうぞ堪えてください。

隅田の花火は心に咲かせて、家の中をゆっくりゆっくり歩いてください。

わたしも暑さ故 殆ど外出もせず暮らしています。問題は多く抱えて・・まだまだ守らなければいけない人や事があります。

今日は神戸に行く予定でしたが、やはり行けません。

七月が終わろうとしています。朝、取り急ぎ   終わりの鳶

 

* ありがとう。鳶も、お元気で。

2013 7・28 142

 

 

* 下記の「激励」を受けとめる元気が必要だ。こういう日本人が、日本の女性が、現に斯く「在る」ことに励まされる。百人の九十九人が、しかし、こうではない現実の軽くて薄い重苦しさ。

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

 

最近のご体調不良をとても心配していますが、どうか上手にやり過ごしてお元気にしていらしてくださいますように。

今のみづうみと私たちに必要なのは、残念会ではなく、激励会ではないかと思っております。

 

私の母はみづうみと殆ど同じ年齢ですから、第二次大戦の被害は少なかった世代です。そんな母から聞いた戦争中の話で、印象に残っている話がいくつかあります。

 

日本中が真珠湾攻撃大勝利の祝賀に沸き立っていたその日に、母の通っていた小学校の美術の若い男の先生が、授業中に生徒に向かって「この戦争は、日本が負けますよ」ときっぱり言ったそうです。当時の戦勝気分一色の中で、日本が負けると公言した大人がいたことは、母に刻まれた最初の異様な戦争の記憶でした。

当時としては珍しく自由な校風の私立小学校であったため、その先生が非国民と連行されることはなかったそうですが、その後の先生のたどった道はおそらく戦死であったと思うと、母は言います。

母の育った家庭でも、日本が負けるということは自明のことであったそうですが(周囲もみんな負けると言っていたそうで)外向きの物言いには非常に神経を使って気をつけていたといいます。当時何より恐ろしかったのは敵襲ではなく「特高」だったからです。

東京大空襲の三月十日、空襲警報で母は自分の家族とともに防空壕に逃げました。幸い山の手に住んでいたため爆弾は落ちてきませんでしたが、防空壕から首を伸ばして見た下町方面の空が今まで見たこともないほど強烈に真っ赤に燃えていました。凄まじい何かが起きているとわかりました。あたりは静かな夜でしたが、母はその時生まれて初めて「声なき叫び」が聞こえてくるという経験をしました。

母はこの東京大空襲後の疎開先で、機銃掃射の爆撃を受けて人が死ぬのも見ています。明日の朝まで生きているだろうかと毎晩思いながら寝ていました。

母より十歳年上の父が語る戦争経験はいつも「軍隊」経験でした。戦地に行く船が全部撃沈されていたために内地での軍隊経験です。こちらは要するに最初から最後までひもじかったという話ばかりで、飢えを知らない私には想像しにくい切実な経験で、どこか滑稽さもありました。(自分は差し入れの豆を分けてやったのに、〇〇は=父の友人で後の衆議院議員=は自分の差し入れを分けてくれなかった等のいじましいレベルです)悲惨な話は山のようにあったでしょうが、父はそれを語らなかった。語れなかったのかもしれません。詩人とはほど遠い感性の父が「戦争中は海を見てもどうしても青く見えなかった」と言っていたその言葉が、父にとっての戦争を象徴している気がします。

叔父は戦争中はほんの子どもでした。実家は大きな料亭旅館で、出撃前の特攻隊員の宿になっていました。特攻隊員のお兄さんたちが、なぜか、みんなみんなトイレで隠れて泣いているのがふしぎでしかたなかった、今でも忘れられないと話してくれたことがあります。

 

2013年、人間はどうあがいても、時代の流れ、巨大な歴史の要請に逆らうことは出来ないものと、再び思い定めるべき時がきたようです。

あの当時、少数派であっても、日本の開戦をなんとしても阻止したいと必死に闘った日本人はたくさんいたでしょう。負ける戦争だとわかっていた日本人はもっとたくさんいたでしょう。でも、どうしても戦争を止められなかった。そして三百万人以上の国民が名もなき犠牲者として死んでいった。

 

今回の選挙結果について、インターネットの中では歓迎から落胆まで、ほんとうにさまざまなことが書かれていました。太平洋戦争前にインターネットがあれば、今回の選挙に絶望した感想、たとえば「なんともおそろしい結果だ、日本の破滅のはじまりだ」とよく似た言説があちこちに流れていたかもしれません。今ほど、あの悲惨な暴力の荒れ狂う時代を生きた日本人の状況が胸に迫ることはありません。個人の力ではどうしようもない歴史のうねりです。

私の気持に一番近いものは「自分の目で、母国が崩壊していくところを見るようになるとは、思わなかった」という見知らぬ人のツィートでした。他にもネット上で胸に響いた言葉をいくつか拾っておきます。

 

「地震の後には戦争がやってくる」忌野清志郎

 

【戦争よりも酷いことが、進行してるのに、まだ殆んどの人が、気付いていない】小出裕章

 

『今、求められているのは、戦死者達の血であがなった憲法を変えることではなく、人間らしい暮らしが出来る憲法を適用させることだ。』元沖縄県知事大田昌秀さん慰霊の日の言葉

 

原発事故がおきたら、ファシズムになる。ベラルーシをみたらわかります。

憲法変えて、独裁ができるようにするだけでいい。

基本的人権の削除、表現の自由の削除。プラカードのとりあげ。

日本の場合は、首相の任期がないから、永遠にできる。

みんな嘘つきで、寄らば大樹の陰、長いものにまかれろ、ことを荒立てるなと、日本人の欠点が一挙に丸見えになってしまった。民主主義というのは、本当に国民一人ひとりが、賢くなければ、なしえない。      野呂美加

 

怖がって黙っている場合じゃないよ!頼む!貴方達の活動は早晩できなくなる。作家も音楽家も漫画家も評論家も学者も記者もジャーナリストも映画人も演劇人もテレビ関係者も俳優も芸人も、ぜひ「自民党改憲草案」を読んでほしい。その上であなたの意見を発信していただきたい。

 

日本が終わっても、日本人のオイラは変わらず生きていくよ。絶対仕返ししてやるさ!誇りは棄てない。

みづうみがレマルクのことを書いていらしたので、久しぶりに本棚から『凱旋門』をひっぱりだしてきました。初めてこの本を読んだ時のため息をつくような感動を今もありありと思い出します。

みづうみのほうがよくご存じですが、レマルクは自身も戦争とファシズムの恐怖の時代に翻弄されて生きた作家です。彼の世界的名声など、吹き荒れるナチズムの前では蟷螂の斧でした。ユダヤ人ではありませんでしたが、反戦主義者としてナチスから弾圧を受けてスイスに逃れたものの、ドイツ国籍を剥奪され、著書は焚書にあい、妹は強制収容所で拷問死です。

 

『凱旋門』をずっと以前に読んだ時には、レマルクの描くナチスから逃亡した無国籍難民たちの追い詰められた絶望と不幸を、悲劇的な歴史の一頁、要するに他人事として読んでいました。あんな狂気の時代は過去の悪夢だと信じていました。まさかファシズムや難民が将来わが身にふりかかる事態かもしれないとは、想像もしませんでした。わが身の不明を恥じています。

今度の臨時国会に提出される秘密保全法が与党多数で成立し、国民の知る権利が損なわれ、益々インターネットの検閲が進み、憲法改正が自民党の草案のように進んでいけば、日本社会は自由にものの言えない恐怖の坩堝となるでしょう。

国民の基本的人権を奪い、拷問、戒厳令さえ可能にし、言論の自由を封殺したい理由の一つは、被曝の惨劇を隠蔽し巨額の賠償を握り潰して、どうしても原発を続けたいからです。未来ではなく今のカネのため、核兵器のためです。老朽化した原発五十基についても、今後何も起きないという根拠なき安全神話で何がなんでも再稼働したいのです。

チェルノブイリたった一基の事故に徴用された軍隊が八十万人とも言われ、自衛隊は二十五万人。足りません。原発徴兵は目前です。そして、ファシズム国家のもとで藝術としての文学はもう存在できない。

 

もちろん、この最悪の国民の不幸も、ナチスのようにいずれは終わるでしょう。しかし、そこまで待てない状況が私を絶望させてしまいます。独裁に向かう政権が滅びる前に、今も天文学的に拡散され続ける放射能汚染で日本という国家が崩壊してしまう可能性が高いからです。

汚染水が23億ベクレル流出しているニュースは、なんと一リットルあたりの数値です。これがどういうことか、つまり将来の海の壊滅です。三号機の格納容器の蓋がないニュースは、日本以外の世界中で驚きとともに大きく報道されています。これは本当に恐怖の現実で、処置なしの恐るべきダダ洩れです。自分はあとどのくらいまともに生きていられるでしょうか。

 

大半の人には私の考えは極端で悲観的すぎるとして冷笑されるでしょうが、そのくらいの切羽詰まった危機感を持つ人間は、山本太郎さんとその支持者のように、この日本に一定数は存在しています。インターネットの中にも日本が崩壊してしまうという警告や歎きは無数にあります。それが日本の唯一の希望といってもいいくらいです。

はっきりしているのは、一人一人の国民が無関心だったり、諦めた瞬間からすべてが終わるということです。正直、強大な政権にも原子力利権にも勝つことは難しいです。しかし、精一杯の抵抗をして、絶対に負けないという気概を持ち続けなくては、人間の尊厳まで失ってしまいます。何ができるわけでもありませんが、それでも日本人は立ちあがれるはずなのです。たとえテレビや新聞や政治家への抗議の匿名電話一本でも、数が集まれば効果はあります。

誰かがやってくれるでは間に合わない。自分が今すぐはじめなければ日本はほんとうに終わってしまいます。私がこんなことを言うのは、私が人一倍臆病で弱い人間だからです。私は拷問にも耐えられませんし、弾圧国家と真正面から闘う力などありません。ただふつうの生活がしたい庶民なんです。いざとなったら国家の命令に従って沈黙する卑怯者となるでしょう。だから、そんな事態になる前に、今、国家の非道を押し返したいのです。

このまま手をこまねいていては、阿鼻叫喚の中、防空壕の中で蒸し焼きになって死んでいった人たち、熱湯となった隅田川の中で死んだ人たち、トイレで泣くしかなかった二十歳そこそこの青年たちに申し訳が立ちません。福島はじめ汚染地域の子どもたちを避難させ、第二次大戦の犠牲者の血と涙で勝ち得た日本国憲法を、一日でも、一時間でも長く守りたいと願っています。

おそらく日本人にとってはこれが最後の闘いです。キリングフィールドである福島に県民を押しとどめ、汚染瓦礫を各地で燃やし、汚染食糧を全国に流通させ、海に膨大な汚染水を流し続け、国民に最大限の被曝を強いるという亡国の政策がとられている現実をみれば、私たちの行く先はわかろうというものです。逃げられる人はもう逃げています。大半の国民は棄民された満蒙開拓団の立場にいるのです。

 

レマルクが『凱旋門』の中でこう書いていました。(山西英一訳)

 

……運命は、泰然自若としてこれに直面する勇気よりも強力であることはけっしてない。ひとはもはや運命に耐えられなくなれば自殺することができる。このことを知っておくことは、よいことだ。だが、人間は生きているかぎり、完全に失われることはけっしてないということをしっておくことも、またよいことである。

ラヴィックは危険をしっていた。彼は自分がどこへ向かっていっているかをしっていた。明日はまたふたたび抵抗するだろうということもしっていた──

 

まだ若かった頃、泣きながら読んだ主人公ラヴィックの、この世に生きた甲斐ある恋の終わりの場面を書き写させてください。七年目のご命日を迎えたやす香さんにも読んでいただきたいような気がします。

 

「きみはぼくを生かしてくれたんだよ、ジョアン」彼は目のすわった顔にむかっていった。「きみはぼくを生かしてくれたんだよ。ぼくはただの石塊だったんだ。そのぼくを、きみは生かしてくれたのだよ──」

「Mi ami」

それは眠りにつこうとする子供の問いだった。それはあらゆる疲労をこえた最後の疲労であった。

「ジョアン」と、ラヴィックはいった。「愛という言葉ではいいあらわすことはできないよ。それでは足りないのだ。愛は、ほんの小さな一部分だけだ。川の中の一滴の水、木の中の一枚の葉っぱだ。それは、もっともっと、はるかに大きいものだよ──」

「Sono stata sempre con  te ──」

ラヴィックは女の両手をつかんでいた。だが、その手はもはや彼の手を感じはしなかった。「きみはいつでもぼくといっしょだったんだよ」と、彼はいった。だが、とつぜん自分がドイツ語をしゃべっていることには気づかなかった。「きみはいつでもぼくといっしょだったんだよ──ぼくがきみを愛しているときでも、憎んでいるときでも、無関心なようにみえるときでもだ──そんなことはなんでもない、きみはいつだってぼくといっしょにいたんだよ──いつでもぼくの中にいたんだよ──」

いままでは、ふたりとも、借りものの言葉で話しあっていた。いまはじめて、それとしらずに、どちらも自分自身の言葉を話した。言葉の障壁はくずれ落ちて、ふたりはたがいに、いままでよりももっとよくわかりあった。

「Baciami ──」

彼は女のかわいた熱いくちびるに接吻した。「きみはいつでもぼくといっしょだったんだよ、ジョアン、いつでもだよ」

「Sono──stata ──perduta ──senza  di  te ──」

「きみがいなかったら、ぼくはもっと孤独な人間だったんだよ。きみはいっさいの光明であり、快い歓びであり、つらい思いだったんだよ──きみはぼくをゆり動かし、きみ自身とぼく自身をぼくにあたえたのだ。きみはぼくを生かしてくれたのだ──」

ジョアンはしばらくの間、じっと静かに寝ていた。ラヴィックは女をみ守った。女の手足は死んでいた。何もかも死んでいた。ただ目だけがまだ生きていた。それから、口と、呼吸が。いまは呼吸作用の補助筋肉もしだいに麻痺していくことが、彼にはわかっていた。女はもはや口をきくことがほとんどできなかった。すでにはあはあ喘いでいた。歯はかみあわされ、顔は痙攣していた。女はまだ話そうともがいていた。咽喉はひきつり、くちびるはふるえた。咽喉がごろごろいう音。ついに叫び声がほとばしり出る。「ラヴィック」女は舌もつれしながらいった。「助けて!──助けて!──いますぐ──」

彼は注射針を用意していた。すばやくそれをとりあげると、女の肌の下へ突き刺した。つぎの痙攣がこないうちに、早く。何ども何ども、間をおいては、しだいしだいに空気が吸えなくなって、徐々に、苦しみながら窒息させてはならない。意味もなく苦しめてはならない。彼女のまえには、ただ苦痛があるだけだ。それもおそらくは何時間かの。

眼瞼がぴくぴくした。それからじっと動かなくなった。くちびるがゆがんだ。呼吸がとまった。

 

このあとに、ついにドイツの宣戦布告があり、『凱旋門』の結末は、ラヴィックがフランス警察の手でどこかに連行される場面で終わります。レマルクのあえて書かなかったラヴィックの運命が、当時のドイツから逃れた多くの難民のように、フランス警察の手でゲシュタポに引き渡されドイツの強制収容所で虐殺されるようなものだとしても、私はラヴィックの、狂気の時代に敢然と抵抗した孤独な闘いの勝利、人生の輝きを確信し、「ブラボー」と拍手するでしょう。

 

みづうみは名のある文学者として、わたくしは名もない私民として、ご一緒に精一杯抵抗しながら滅びてまいりましょうか。歴史という大河の流れが劇的に変わる幸運が、奇跡のように訪れるかもしれませんし、そうならなくても、とにかく死ぬまで生きていくしかありません。

平凡な一日一日を大切に、共に生きることのできる今生の幸福を感謝して。

蟻   蟻をみてものほろぶことおもひをる 下村槐太

 

 

 

* かくもちからづよく励まされている。ほろびの火は、いたるところに燃えている。見えない、また見ようとしないだけのこと。しきりに映画「マトリックス」が眼に蘇る。どう闘うか。どう闘うか。三十歳いま若ければなどとむなしく思う。むなしく思う。

 

☆ 失題   朱文公

少年易老学難成  一寸光陰不可軽

未覚池塘春草夢  階前梧葉已秋声

2013 7・29 142

 

☆ 水菓子

hatak さん

札幌もこの夏は蒸し暑い日が続いています。東京は猛暑と聞いております。体調はいかがでしょうか。

私は四月から研究を離れて事務職になり、ハンコを押す毎日です。二十年以上盆暮れ正月なく寝ても起きても研究のことが頭から離れない生活をしてきて、結局体を壊して所内異動となりました。

これまでは夜中に帰ってすっかり日が昇った頃に重い体を引きずるようにして出勤していましたが、今は朝六時過ぎに起きて、登校する小中学生を見ながら出勤し、八時から仕事という健康的な毎日を送っています。

上役や部下がいて、飲み会があり、書類の締切や監査がある仕事は、ある意味新鮮で、初めて社会に出たような気分ですし、春には****院に出頭し特*担当**官の取り調べを受けるという、普段なかなかできない経験をすることもできました。役職名で呼ばれるのも、初めてなので面白く感じます。

最近になって、これまで自分がどんなに特異な勤務をしていたのかがわかりました。とりあえず二年は今の事務職を続けることになりますが、その後、現役復帰するのか、このまま管理職でいくかは、まだ誰にもわかりません。でもなんとなく来年の今頃には、自分の研究を抱いて苦しんでいた日々を懐かしく思っているような気がします。

今日札幌駅前の合同庁舎で会議がありまして、帰りがけにデパ地下の青果のコーナーでとても美味しそうなメロンをみつけました。明後日あたりにつくと思いますので、冷やしてお召し上がり下さい。

目を休ませ、無理をせず、暑い夏を乗り越えて下さい。

いつかまた、お元気なhatak さんにお目にかかれますことを楽しみにしております。  maokat

 

* ご病気があったと聞いてビックリしています。環境の変化にも適応して行かれる様子、またちがったお疲れもありましょうが、お勉め下さい。七月に、下のようなメールを送っていたの、うまく届いたかなあ、此処に書き写しておきます。ぜひ、機会を得て東京で歓談をと楽しみにします。

 

 

MAOKATさん

家内が、どう手を掛けたのか分かりませんが、それは可憐に美しい 姫鬼百合とでも謂うのでしょうか、花が咲きました。えのころ草ととりあわせ、唐銅の瓶に挿したのが清やかで、わたしは大喜びして観て愛でています。家内はそんなふうに草花や葉を挿すのがじょうずで、わたしのお気に入りです。

お元気ですか。あいかわらず大忙しですか。暑い季節になります。大事にして下さい。

わたしはよほど回復しているのですが、しかも芯のところで気弱にもなっているか、元気旺盛とはいえません。もっと躰を動かして鍛えねばいかんのでしょう。

眼はさんざんの有様、加えて、抗癌剤の一年の内に、歯が五本も欠けたり落ちたり、入れ歯に辟易していますよ。やれやれ。 ま、気を奮い立たせ、なんでも楽しもうとしています。

 

お大事に。   HATAK

2013 7・30 142

 

 

* 昨日、元の恩賜京都博物館館長だった興膳宏さんから、文庫本『荘子 内篇』を戴いた。少年の昔より、秦の祖父の蔵書だった久保天随注釈『荘子』に手なれてきたが、故福永光司氏と興膳さん共著の至れり尽くせりの文庫本は嬉しい限り。最近にも、こんどはまた『荘子』を読もうかなとどこかに書いていた。もう早速昨夜から「交響する読書」に加えた。

「荘子」は老子よりはるかに近づきやすく気宇広大におもしろい。おもしろいだけでなく、散々に俗性をいびられる。まさしく濯鱗清流の有難いかつ破天荒の古典で、詩とならんで中国古典の第一等と敬愛してきた。それでも久保天随の注釈じたいが容易くはなかった。頂戴した文庫本はじつによく出来上がっている。共著とはいえ興膳さんがすみずみまで責任を全うされているのが心強く有難い。福永氏の「内篇解説」も懇切、興膳さんの文庫版あとがきも親切。 2013 7・31 142

 

 

* 亡き実兄・北沢恒彦が、或る陶藝家をインタビューして成った「五条坂陶工物語」という晶文社の一冊を、京都の廣瀬さんから送って戴いた。感謝します。そんなことがあったらしいとは兄のメールで聞いていた気もする。いまぶんは、五条坂の陶工物語よりも、北沢が、どう清水焼の世界へ切り込んでいたかを、幸い直接話法の肉声で聴き取りたい。彼の生涯にあって、わたしたちバラバラに他家で育てられた兄弟は、記憶の限りわずか数度ないし十度足らずしか顔を合わせていないのだ、腰掛けて話し合えたのは、さ、二度有ったろうか。そして兄は育ててくれた老父も妻子もおいて自ら先立って逝った。

 

永きにわたり手紙はたくさん貰っていたし、最晩年はようやくメールでの交信が、ま、頻繁に可能だった。だが、兄の市民活動家としてのユニークな仕事や交際や死にいたる孤独な思索など、ほとんど全部をわたしは知らぬまま死別したのだった。兄に愛されていたという思いだけが遺された。

わたしは不思議な離ればなれの生涯をかすかに交錯させただけの兄への思いを、純に抱いていたいと、葬儀にも、大勢での偲ぶ会にもあえて加わらなかった。悼みかつ送るのは独りで足りる。それが、わたしの思想なのだ。「(江藤淳の)死から(兄・北澤恒彦の)死へ」と題した「湖の本エッセイ20」は心して建てた我が「紙の墓碑」であった。

それでも、せめて兄の著作には今少し触れてみたかった。兄の著書を、わたしは書庫に三册と持たないのである。廣瀬さんはそうと知ってこの本を送ってきて下さった。ありがとう存じます。

甥や姪たちが父・恒彦をどう書いたり語ったりしてきたか、まったくそれは伝わっても来ず、わたしは何も知らない。いずれわたしはわたしの「兄のこと」を書き置くであろう、いや、もうそのヒマは無いかもしれぬ。

2013 7・31 142

 

 

* もう休もうかと思い、兄のインタビュー本を読み始めたら、面白い。わたしは市立日吉ヶ丘高校の生徒だったが、此処は当時日本でも唯一の「美術コース」をもっていて、美術一般ももとより、場所が場所で清水焼の釜場である五条坂とも泉涌寺ともいろんな近縁ができていた。それが後年の京都美術文化賞の選者を二十四年も務める下地になった。選者のお一人であった清水九兵衛(六兵衛)さんとも仲よくしてもらい作品を幾つも頂戴していたし、亡くなったあと代替わりされた現在の清水六兵衛さんとも親しくしてもらっている。まえの九兵衛さんとは日曜美術館で話し合ったこともあった。

それだけでなく、わたしは清水焼の世間を背景に小説も幾つか書いてきた。ひょっとして兄よりもよほど早くから清水焼に関心があったのである。その清水焼の五条坂や渋谷や泉涌寺をめぐって兄は、実に兄らしいつっこみで陶芸家の藤平長一氏とはなし合っている、いや討議すらしている。わたしはこの藤平氏の万珠堂も知っているし藤平伸氏を京都美術文化賞に推して受賞してもらってもいた、この対談のことは知らないままに、である。

そんなこんなで、対話の話題がよく分かる、たぶん一般の読者の何倍も分かっている気がする。これは引き込まれそうである。廣瀬さんに重ねてお礼を申さねば。

2013 7・31 142

 

 

☆ おひさしぶりです、いとうです。

大変、大変ごぶさたしております。

建日子さん家のぐうちゃんが亡くなったと知りました。

会ったことはないけれど、ブログで見る可愛らしいぐうちゃんに幸せな気持ちをもらっていました。

最後まで可愛く凛々しいぐうちゃんは、たくさんの愛情をもらってきた幸せな表情に見えます。

きっと今頃はやす香に可愛がってもらい、ゴロゴロ喉を鳴らしているんでしょうね。可愛いぐうちゃんが、これから嫌というほどやす香に可愛がられることを祈っています。

先日テレビを見ていると、ハーバードの学生が発明した、発電サッカーボールの話題をやっていました。理系に疎い私には何とも説明が難しいので、インターネットのページを貼っておきます。

http://wired.jp/2013/04/25/soccket/

何となくですが、この発明はやす香が考えそうなことだなって思ったんです。

人が困っていたら誰よりも先に気がつくと思えば、どうしたら喜ぶかもちゃんと知っているやす香。本当に同じ年なのかな? と今でも思うほど、すること言うことがしっかりしていました。

(もちろん、愛らしく抜けている?部分も時々ありました)

そんなやす香だから、きっと考えつくと思ったんです。それに、きっとやす香なら発明した人達より5年は早く考えついたと思います☆ハハハ

最近の私は少し仕事も落ち着き、変わらない日々を過ごしています。

2年前では普通にあった夏休みを懐かしく思いながら、会社に行っています。

最近は、世間の流行と同じく、ドラマ「あまちゃん」にスッカリはまっています。「あまちゃん」を見てから出社するのが日課で、放送のない日曜日は元気が出ません。

脚本を書いている宮藤官九郎ことクドカンの第1回目ブームは、私達が高校生の時でした。

やす香も1つや2つ、クドカンのドラマを見ていたと思います。

でも、それよりも三谷幸喜と建日子さんのドラマのほうが好きなようでした。クラス内で建日子さんのドラマ「ラストプレゼント」ブームが起きた時は、本当に嬉しそうだったのを覚えています。

久々にメールをお送りするので長くなってしまいました。

また、連絡いたします。

暑い暑い夏になってしまいました。

どうか水分補給をしっかりなさってくださいませ。

私は大好きなスイカとアイスを食べてこの夏を乗り切ります。  琳

 

* わたしの胃全摘や術後感染と脱水や黄斑変性手術や抗癌剤副作用との闘いなど、すっかりわたしたちからも御無沙汰し気に掛けていたので、亡きやす香の一の親友からのお便りは爺婆夫婦を心から喜ばせてくれた。なるほどなるほど、建日子の「ぐう」はやす香と仲良しになるのか、それはいい。メール、ありがとう。

 

☆ 変わりやすい天候が

続いています。疲れが出ませんよう、この夏を乗り越えますよう、まずそれを願います。

わたしは今月下旬、あるいは状況によってはそれより早く長女のお産でシンガポールに行きます。約一か月の滞在かと思います。

今は来迎図の中の菩薩一人を「模写」しています。

細かく視ていくと本当に気が遠くなりそうですが、描いて初めて分かることもあります。並行して二つの画を進めていますが、いずれも小さなものです。

その後は気分転換して大きな画面と向き合いたくなるでしょう。  鳶

2013 8・1 143

 

 

*maokatn メロンに刃をいれた。夕張メロンのうまさに、びっくりの嘆声。感謝。

2013 8・4 143

 

 

* 玄関に、松子夫人の軸装された夫君谷崎潤一郎の歌短冊を掛けた。

涼みにと川辺にいづる吾妹子に

蛍もそうてわたる石橋   潤一郎

歌は潤一郎、書はよく似てはいるが夫人の筆かとも想われる。余人はおくも、此のわたくしには松子夫人の筆であってひとしお懐かしい。きちんと箱に収まった雅な軸は、松子夫人が手づからわたくしに下さった品、愛蔵してきた品である。

2013 8・4 143

 

 

* 千葉の勝田e-OLD から、細字の読みやすい「コ」の字ルーペを頂戴した。

むかしむかし、日本初のラジオ技術検定試験に合格して電器屋へ果敢に転職した秦の父は、それ以前は宝石や貴石の錺職人だった。微細な瑕などを見極めたものか父も小さな「コ」の字ルーペを仕事場の抽斗に後々までしまっていた。ちっちゃかったわたしは、それで独り遊びに時を忘れたこと、よく有った。

頂戴したのはさすがに父のよりずっと立派な品。「コ」の字にして感謝し、思いがけず亡き父を懐かしんでいます。

勝田さん、お疲れが溜まりませんようにお大事に。涼しくなったらまた会いましょう。

2013 8・4 143

 

 

☆ 残暑お見舞い申し上げます。

突然のお手紙をお許し下さい。医学書院でお世話になりました****です。

6月11日(火)、歌舞伎座の第2部の幕間にお見かけしました。

杖をついておられましたが、お元気そうで、背筋を伸ばし、ゆっくりと真っ直前をみて歩いておられました。声をかけようかなと思ったのですが、一寸 ためらってしまいました。それから ずっと気になって……。

ひょんなことから向山**さんに連絡をとりましたところ住所を教えていただきました。

思いもかけない場所で、もし間違いでなければ偶然てすごいです、興奮です。

年をとりますと(71歳)、昔のことはただただ懐しいです。 1人暮らし( 10年前に夫に先立たれました) をしておりますと ネェネェ…と言う相手が(ツウカーでなくては)いないことが手紙などを書きたくなる理由でしょうか? …

お変わりなくお過ごしのことと…と常套句を書くところですが、大病をなさったと伺いました。「病気になるのは仕方がないが、病人になるな」という言葉があります。秦さんの日常が病人でないと確信しています。

お見かけしたことによる興奮を伝えたく、とりとめなく書きました。 ご寛恕の程。

この頃の気候は身にこたえる変化をしてくれます。くれぐれもご自愛下さいますように。2013.8.7    美

 

* お久しく。

お手紙ありがとう。お元気なご様子、喜ばしく、懐かしい。年久しくなりましたね。

歌舞伎座で、というのも心嬉しく。

わたくしは、もう久しく歌舞伎はほぼ欠かさず観ています。22キロも痩せて、貧血でひょろひょろしていても歌舞伎だけは、たいてい昼夜通しで観に行ってました、これからも行きます。

医学書院には、退社後は一度か二度、大昔に行ったかなという程度ですが、金原一郎昔の社長や長谷川編集長とは、亡くなられるまで良いお付き合いがありました。

向山は、退社後が寂しかろうと思いペンクラブに推薦して入会させ、わたしの理事仕事や委員長仕事の手伝いをしてもらっていました。入会できて彼は喜んでいると思います。

大病の前には、隅田川にかかった大橋を、全部、歩いて渡ろうときめ、ほぼ完遂しました。のんきなものでしょう。

そういえば歌舞伎の他に、大相撲の本場所桟敷席を、家内と二人だけで、昼間から時間かけてゆっくり楽しんでいます。

仕事は、まったく、わたし流に休むことなくつづけています。

「秦恒平・湖の本」はすでに二十七年へ向けて、117巻めの出版を九月に予定しています。

では。 お元気で。 七十七爺

2013 8・9 143

 

 

* 近藤富枝さん、眉村卓さんから、新刊の著書が贈られてきた。 2013 8・9 143

 

 

* 先日、歌舞伎座で見かけましたのでと突然便りをくれた元医学書院勤務の後輩、なんと「助六」河東節十寸会御連中に名を連ねていた。そうなっている事情は全然分からないが、あの無粋な医学書院の職場の印象を塗り替えるような話で吃驚仰天。御簾の奥に隠れている人たちゆえこっちからは見えないし、たとえ見えてもこの人らしき昔の同僚の顔もしかと覚えていない。おもしろい、不思議なことがこの世間にはあるもんだ。『ペンと政治』三巻を送ったが、「市井の片隅でいい加減に生きている私にとって身のすくむ思いがする内容です。襟を正さねば……」と。「又、どこかでの偶然の出会いを期待しています。今度は声をかけます。お元気でいて下さい」とも。はいはい。

2013 8・13 143

 

 

* 東工大に在職していたあいだに、私・秦教授は下記のような質問を毎時間学生諸君に挨(お)し拶(つ)け、その時間時間に必ず回答を提出させ、それを出席票とも成績資料とも強要しつづけた。学生諸君はよく音をあげず、むしろ回を重ねるつど熱心に書いて提出してくれ、その総量は四百字原稿用紙300枚で単行本一冊とすれば、百冊分に相当するほど自分自身の言葉で「書きに書いて」くれた。じつに興味津々の「青春の告白」であった。

当時六十歳定年で退官以降もう十七年になり、その間に、わたしはずうっと学生諸君に対し重い「借り」の感覚を育んできた。全く同じ「問い=挨拶」に、私・秦教授自身も答えるべきだと。そして、今年の三月十六日から私自身をはだかに問いかつ答えることを始めた。まだ三分の一程度しか書けない、それほど一つ一つの問いかけは答えにくい。だが、続けている。かつての学生諸君もいまでは社会の中軸にありまた親でもあり先生もしている。彼や彼女たちはまた往時とちがったことを答えるであろうか。

質問は、厖大。以下にあらためて「資料」の意味でもそのまま、全くそのまま列挙しておく。

ちなみにわたしの教室は、一年生(特講)、二年生以上(文学概論)、三年生以上(特講)で、主力は大教室での文学概論だった。多いときは千人に四人足りないだけの聴講希望があり、どんな大教室にも入り切れなかった。わたしの話している教卓・教壇の上にまで学生諸君は犇めき、しかも以下のような質問に、講義を聴き聴き、書いて答えて提出していった。

資料・かつて東工大学生が秦教授に書いて答えた「挨拶」一覧  ( 順不同)

 

*故郷の「山」「川」の名前をあげ、今「故郷」とは何かを語れ。 *自身の「名前」について語れ。 *身にこたえて友人から受けた批評の一言を語れ。 *身にしみて学校( 大学は除く) の先生に言われた言葉を思い出せ。 *「別れ」体験を語れ。 *「父」へ。 *何なんだ、親子って。 *今、真実、何を愛しているか。 *何を以て、真実、今、自己表現しているか。 *寂しいか。 *今、心の支えは在るか。 *真実、畏れるものは。 *不思議を受け容れるか。 *秘密をもつか。 *なぜ嘘をつくか。 *信仰とは *もう一人の自分へ。 *「位」の熟語一語を挙げて所感を。 *「式」の熟語一語を挙げて所感を。 *仮面を外すとき。 *親に頼るか、子を頼るか。 *結婚と同棲 *死刑・脳死・自殺を重く思う順にし所感を述べよ。 *誇れる国とは。 *今、思うことを述べよ。 *自由とは。 *( 漱石作『こゝろ』の先生に倣って) 「恋は( )( )である。」 *漠然とした不安について述べよ。 *人間のタイプを強いて一対( 例・ハムレットとドンキホーテ) の語で示し、所感を述べよ。 *何が恥かしいか。 *「日本」を示すと思う鍵漢字を三字挙げよ。 *なぜ嫉妬するか。なにに嫉妬するか。 *セックスについて述べよ。 *絶対なものごとを挙げよ。 *家の墓および墓参りについて述べよ。 *わけて逢いたい「  」先生。 *科学分野に「国宝」が在るか。 *清貧への所感を。 *「性」の重み。 *いわゆる「不倫」愛に所感を。*「参ったなあ」と思ったこと。 *自身を批評し、試みに、強いて百点法で自己採点せよ。 *「挨拶」について。 *今、政治に対し発言せよ。 *東工大の「一般教育」を語れ。 *心に残っている「損と得」を語れ。 *他を責める我を語れ。 *報復したことがあるか。  *仮面をかぶる時は。 *結婚とは学問分野に譬えれば「 」学か。 *一生を一学年度と譬えた場合、あなたは現に何学期の何月何日頃を今生きているか。 *「脳死」「死刑」「自殺」の重みに順位をつけ、所感を述べよ。 *国を誇りに思う時は。 *嬉し涙・悔し涙を流した記憶を語れ。*「心臓」と「頭脳」のどちらI「こころ」とふりがなせよ。何故か。また東工大の他の学生がどう選ぶか、比率で推測せよ。 *「心」とは何か。 *何から自由になりたいか。何から自由になれずにいるか。 *生かされた後悔、生かせていない後悔。 *ちょっと「面白い話」を聴かせよ。 *話せるヤツ、または、因縁のライバル。 *今「思う」ことを書け。 *いま「気になる」ことを書け。 *疑心暗鬼との闘い方。 *あなたは信頼されているか。 *あなた自身の「原点」に自覚が有るか。 *自分の「顔」が見えているか。  *兵役の義務化と私。 *何が楽しみか。 *心残りでいる、もの・こと・人。 *Reality の訳語を一つだけ挙げよ。何によって・何を以て、感受しているか。 *「童貞」「処女」なる観念の重みを評価せよ。 *自分に誠実とはどういうことか。あなたは誠実か。 *何があなたには「美しい」か。 *何でもいい、上手に「嘘」を書いてみよ。 *あなたの「去年今年貫く棒の如きもの」を書け。 *「生まれる=was born」根源の受け身の意義を問う。*井上靖の詩『別離』によって、「間に合ってよかった」という、出会いと別れの運命を問う。*漠然とした不安、あるか。 *「魔」とは何か。 *「チエ」に漢字を宛てよ、何故か。 *「風」の熟語を五つ選び、風を考えよ。 *「死後」を問う。 *「絶対」を問う。 *「祈り」を問う。 *生きているだから逃げては卑怯とぞ( )( )を追わぬも卑怯のひとつ この短歌の虫食いに漢字の熟語を補い、所感を述べよ。 *上の短歌に補われた多くの熟語回答例から、もう一度選び直し、所感を述べよ。 *「劫初より作りいとなむ( ) 堂にわれも黄金の釘一つ打つ」という短歌に一字を補い、その「( ) 堂」とは何か。「黄金の釘」とは何かを語れ。 *落語「粗忽長屋」を聴かせて、即、「自分」とは何か。 *「春」「秋」の風情を優劣せよ。 *今、何が、楽しいか。 *「血」について語れ。 *集中力・想像力・包容力・魅力。自身に自信ある順にならべ所感を記せ。 *「事実」とは何か。信じるか。 *「絵空事」は否認するか、容認するか。 *「幸福」は人生の目的になるか。 *「惜身命」と「不惜身命」のどちらに共感するか。何故か。 *毎時間読んでいる井上靖散文詩の特色を三か条で記せ。 *五年後、新世紀の己れを語れ。 *今期言い残したことを書け。 *公園で撃たれし蛇の無( )味さよ この俳句の虫食いを補い、その解釈を示せ。 *命は地球より重いか。 *命にかえて守るもの、有るか。 *喪った自信、獲た自信。 *仮面と素顔の関連を語れ。 *漱石作『こゝろ』で「先生」自殺のとき、先生、奥さん、私の年齢を挙げよ。 *漱石作『こゝろ』で「先生」自殺後の、未亡人と私との人間関係を推定せよ。 *目から鱗の落ちたこと。 *「私」とは何か。 *あなたは卑怯か。  *自分が自分であることを、どう確認しているか。 *「情け」とはどういうものか。風情・同情・情熱のどれを、より大事な情けだと思うか。何故か。 *「死ぬ」「死なれる」重みを不等記号で結べ。何故か。 *「本」を読む、とはどういうことか。 *「恋は罪悪、だが神聖」になぞらえて「金は(  ) 、だが(  ) 」である。何故か。 *あなたにとって「大人の判断」とは。 *踏絵を、踏むか。何故か。 *人の「品」とは、どんな価値か。あなたに備わっているか。 *「自立」を語れ。  *むしって捨てたいほどの「逆鱗」があるか。 *性生活の、生活上健康な程度を、人生(10)に対し、どの水準に設定( 予定・願望) したいか。何故か。  *「未清算の過去」があるか、どうするのか。 *「神」は、(人間に)必要か。 *罰は、当たるか。 *あなたの価値観とは、つまり、どういうものか。信頼しているか。 *いい意味の、男の色気・女の色気を、どうとらえているか。 *二十一世紀は「 」の世紀か。何故か。 *みじかびのきゃぶりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ このコマーシャル短歌の宣伝している商品を推定せよ。 *秦さんに今期言い残したことを書け。 *「死後」は必要か。 *命とは。命は地球より重いか。 *運命天命未知不可知を「数」と呼び、その「数」を見出す・拓く方法や意思を「算」ないし「易」と呼んだ東洋的真意を推測せよ。 *迷信の意義、迷信とのあなたの付き合い方は。 *「情け」とは。「情けが仇」「情けは人の為ならず」「情け無用」のどの情けを重く見ているか。 *「縁」とは。 *「不自然」は活かせるか。無価値か。 *「工」一字を考えよ。 *「花」の熟語を五つと、好ましき「花」を語れ。 *「(  )品あり岩波文庫『阿部一族』」の上句の虫食いに一字を補い、かつ所見を述べよ。 *仮想敵を語れ。 *「父」とは。 *虚勢・嫉妬・高慢・猜疑・卑屈 自身の蝕まれていると思う順番に並べ替え、思いを述べよ。 *「常」一字を英語一語に翻訳し、日本語「常」の熟語を幾つか添えて、自己観照せよ。 *人生は「旅」であろうか。 *第一原因として「神」を信ずるか。 *証拠・証明が無ければ信じないか。無くても信じられるとすれば何故か。 *直観は頼むに足るか。勘・直感と直観とは同じか。例を添えて述べよ。 *日本のいわゆる「道」を考えよ。 *親は子を育ててきたと言うけれど(  )手に赤い畑のトマト一首の虫食いに一字を補い、作者(俵万智)の親子観を批評せよ。  *二十一世紀を語れ。 *最期に、秦さんに言い残したことを。

 

* いましも私が自分で若い人たちに突きつけた質問に、自分で回答を書き続けているのは「何故」だろう。ものを書いて現に生きている秦建日子への「遺書」なのかも知れぬ。もうそんなに余裕はないと自覚している。

2013 8・13 143

 

 

☆  秦 恒平 様

残暑お見舞い申し上げます

暑いというより猛烈に熱いという感じのする今夏です。

お身体くれぐれもご自愛くださいますように。

秦先生の日記をとおして、北澤さんの姿がまた思いだされます。

私が京都市中小企業指導所に席を置いた数年間、北澤さんは、行政の中ではわが道をゆく反骨の中小企業診断士で、そして百万遍の養父母の世話をこなしながらの大阪市立大学社会人大学院生でもあり、何よりも三人のこどもさんを気に掛ける父親でありました。

先生が北澤さんを中小企業指導所に訪ねてこられたのはそんな時期で、お帰りになってから、「弟だ」と誇らしげにはにかんだ顔でおっしゃった…

京都にはべ平連時代の北澤さんのお仲間や北澤さんも執筆されていた「思想の科学」という本の投稿者もたくさんおられます。

私は仕事場で知り合い、北澤さんの社会活動に立ち会った人はほんの少し存じ上げる程度です。

思い出話ができました。ありがとうございました。

繰り返しになりますが、お身体くれぐれもご自愛ください。  瀬

2013 8・14 143

 

 

☆ 相変わらず暑い毎日ですが、

今日は4時起きで娘家族に誘われて、楽に富士山五合目まで行ってきました。スバルラインが出来てすぐの昔、息子と娘の三人で気まぐれにドライブをした当座は、建物など一つとしてないガラーンとしたガレ場で、確か六合目迄登ったけれど、登山の準備をしていたワケではないので、すぐに下山して、伊豆までお寿司を食べに行ったの思い出していました。

都心のラッシュ時顔負けの今の混雑振りには驚きでしたが、天然の涼しさばかりは離れ難いものがありました。

やや離れた伊豆の海辺から頭に雪を頂いた富士山を望むのが最高かな、と。 泉

* それは良かった!

富士山 好きです。登りたいとは一度も願ったこと無いですけどね。遠くから麗峯をふり仰ぐのが好きです。

一昨日 渋谷で海老蔵を観てきました。

毎日、世界陸上を楽しんでいます。イシンバエワの棒高跳び優勝、喝采しました。 湖

2013 8・14 143

 

 

* なにか息苦しい。何かが胸に閊えている。何だろうと想っていた。仕事か。仕事はいつもいつも順調というワケには行かない。発送作業か。これまたトントン拍子に進む用でないのは四半世紀以上も体験してきた。

どうやら、かつて東工大の学生諸君に突きつけ続け回答を強い続けた夥しい数の「問い」に、まるで罪滅ぼしのようにいま自ら答え続けているのが苦痛なのだ。よくもまあこんなことを若い若い諸君に強い続けたものだ、それをまあ仕方なくでもあるが彼や彼女らはよく答え続けた。

「問い」の、途中ほんの一つかみの例を挙げても、 * 何から自由になりたいか。何から自由になれずにいるか。 * 生かされた後悔、生かせていない後悔。 * ちょっと「面白い話」を聴かせよ。 * 話せるヤツ、または、因縁のライバル。 * 今「思う」ことを書け。 * いま「気になる」ことを書け。 * 疑心暗鬼との闘い方。 * あなたは信頼されているか。 * あなた自身の「原点」に自覚が有るか。 * 自分の「顔」が見えているか。  * 兵役の義務化と私。 * 何が楽しみか。 * 心残りでいる、もの・こと・人。 * Reality の訳語を一つだけ挙げよ。何によって・何を以て、感受しているか。 * 「童貞」「処女」なる観念の重みを評価せよ。 * 自分に誠実とはどういうことか。あなたは誠実か。 * 何があなたには「美しい」か。 * 何でもいい、上手に「嘘」を書いてみよ。 * あなたの「去年今年貫く棒の如きもの」を書け。 * 「生まれる=was born」根源の受け身の意義を問う。

こんなのに、いま、毎日仕事の合間にわたしはわたし自身の問題であるとして、「答え」続けている、根かぎりに。生皮を剥ぐほどの苦痛がつづく。しかしやめるわけに行かない。

 

* たった只今の問いは、こうだ。

* 井上靖の詩『別離』によって、「間に合ってよかった」という、出会いと別れの運命を問う。(先ず、詩を読む。)

 

別離  井上靖

 

中学時代からヨット・ハーバーという言葉を耳にすると、すぐ眼に浮か

んで来る風景があった。ひっそりした小さい入江、真夏の陽が落ちてい

る静かな海面、マッチの軸で作ったような桟橋、その向うのヨット溜り、

入江の口の向うは荒い外海で、鏃形の岩礁に波が白く砕けているのが見

える。

 

三、四年前、ギリシャの地中海に沿った漁村で、私ははからずも私のヨ

ット・ハーバーを見付けた。ホテルの庭の裏口から磯へ降りて行くと、

崖っぷちを埋めている雑木の間からその入江の碧りの潮が見えた。桟橋、

ヨット溜り、外海の鏃形の巌、--ああ、こんなところに匿されていた

のかと、私は思った。

 

そのヨット・ハーバーの磯に降り立った時、丁度一艘のヨットが帆を張

って、外海へ出て行くところだった。ヨットには黒人の娘がひとり乗っ

ていて、私のほうにやたらに手を振っていた。私も夢中になって彼女に

応えて手を振った。私は( )に( )ってよかったと思った。ヨット

がすっかり視野から消えてしまっても、私はそこから立ち去りかねてい

た。相手の顔かたちすらはっきりしていなかったが、紛ろうべくもない

別離の悲しみだけが私の心にはあった。

 

* 詩にわたしが設けた「二つの虫くい」を漢字で埋め、それだけでなく、その埋めた文字による詩の「読み」を書いて示すよう学生諸君に求めたのだった。何故その文字を入れたか、その結果として「別離」という詩の題意を明らかにせよと。

試験ではない。当日の私の講義を聴き聴き、書いてもらうのであるから書くほうはたいへんである。ちょっと混乱する。それさえもわたしの教室では意図のうちにあった。頭も目も耳も言葉も思いも同時に使えというわけである。やれないわけでなく、けっこう、やってくれる。

四一六人の教室で、一四六人。圧倒的に「間に合ってよかった」と正解した者が多かった。「港に寄って」「磯に立って」「浜に残って」よかった、式のいろんなのが、合計して一〇九人。「娘に会って」「君に会って」「人に会って」式のいろんなのが、合計して二四人、いずれも詩をごく平凡にしてしまう。

ちょっと気をひくものもあった。「昔に帰って」「昔に戻って」「夢に巡って」「幻に会って」、また反則の二字になるが「少年に帰って」「童心に返って」と。

その他にも何十と変わった解答が出てきて、整理するのに汗だくになった。

 

* 虫食いには原作は、「間」に「合」ってよかったと思った と表現してある。「間に合ってよかった」とはどういうことか。それを自分自身の上に置き換え、自分の言葉で「出会いと別れの運命」を書き示せという出題だった、途方もないことだ。「学生」達に問うた以上は「教授」も答えねば成らん。いつの頃からか頻りにそう自身に強いはじめた。なかなか手が出なかった。思い立てなかった。はっきりとは言えないが死線を践む病気をしたのが関係しているのかも知れない。これに答えられなくて「ペンと政治」も「作・作品・批評」も無意味ではないか。そう追いつめたらしい。今年の三月十六日に全部の質問を書き揃えて、たぶんその日から、すべてその順に一つ一つ書き始めたようだ。まだ、半分にもよほど足りない。ボディブローのようにジワジワとこれが神経に堪えかけているらしいと、やっと気が付いた。だが、已める気は無い。

2013 8・17 143

 

 

☆ 残暑お見舞い申し上げます。

処暑もすぐというのに暑さは一向に衰えを見せませんが、その中を一時間ほども自転車を漕がれたとのこと 秦さんの氣力体力に驚嘆しました。

21日頃になると思いますが岡山の清水白桃を少しお届けしっますので召し上がってください。  吉備ひと

 

* 嬉しいこと。葡萄といい桃といい、岡山の季の果実の美しいまでの旨さ、有元さんの日頃のご厚意でしみじみ身に覚えた。ありがとう存じます。

2013 8・19 143

 

 

☆ 酷暑

如何お過ごしですか。自転車で外出など書かれていますので驚きました。くれぐれも用心なさってください。

わたしはあまりの暑さにひたすら家で過ごしています。そのお蔭か?・・絵二枚がもうじき仕上がります。菩薩と修道院の回廊の絵です。( この取り合わせに私自身の自然なる「矛盾」があらわれていますね?)

いろいろな都合から今年は神戸での朗読にも参加せず終わり、シンガポールには来週出発することになりました。

暑さと体力に、そして気力にも負けて・・秋涼しく、いざ生きめやもと思い立つ時を待ちます。  尾張の鳶

 

* この人に以前に写真でもらったどこか修道院の回廊、何度も何度もこのホームページで使わせてもらっている。

菩薩ですか。何菩薩さまでありましょうか。詩も書いてください。

そういえば、わたし、院展の伊藤髟耳に、まったく抹香臭くない清楚に美しいお地蔵さんの色紙繪をもらっている。見つけ出して色紙掛けに掛けてみたくなった。

2013 8・20 143

 

 

* 岡山から、すばらしい白桃五つが到来、冷えた桃の美味は言い尽くしがたい。楽しみに冷えるのを待っています。有元さん、有り難うございます。

2013 8・22 143

 

 

☆ シンガポールより

22日急遽日本を出発。2500グラムの小さな可愛い男の子が授かりました。

日本の暑さはいかがでしょうか。

元気に過ごされますよう。  鳶

 

* 祝句  鳶の子が鷹を生んだと朝ぼらけ   鴉

 

☆ 手術後と云うのに

この暑い中をお元気なサイクリングで結構です。

私は食欲だけは落ちなかったのを幸いに、体力維持の為と、ひたすら食べていましたら(何故か体重は横ばい)、昨日から腸の調子が悪くなり、自粛しています。

日に五千歩を目標に歩くようにと、電車一駅乗って木陰のある遊歩道を歩いて戻ったりと、マアマア達成。

片付け(没後整理)は、暑いのと、飽きてきて、進みません。

月末に関西で気分転換をしてきます。

ご無理なく体力作りにお励みを。   泉

2013 8・24 143

 

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

 

それにしましても、毎日なんという暑さでございましょう。外に出ると熱気で窒息するのではないかと思うくらいです。

それにしましても、一日に病院を三科もまわるのはやり過ぎのように思えます。付き添うだけでも寝込んでしまいそうなハードスケジュールです。二日にわけたほうがお疲れが少ないのではありませんか。ご検討いただきたくお願い申し上げます。

わたくしは必要最低限の外出以外はクーラーの中でまあまあ快適に生活しています。

 

この夏一カ月ほど一番の愉しみだったのは、駐車場に出来たツバメの巣の観察でした。巣が出来て親ツバメが卵を温めていると思ったら、ある日ピンクの頭の小さな小さなひなたちが誕生。毎日ぐんぐん成長していく可愛い姿に心底慰められる思いでした。親ツバメは餌をさがしてきては電光石火の給餌に大忙しで、その愛情深さも感動ものでした。

先週無事に全部のひなが巣立ちました。三羽のうち一羽のひなの生育が遅くて、それはそれは気を揉んでいました。適者生存が自然界の掟ではありますが、どうしても三羽ともに元気に巣立ってほしくてガンバレと念を送る日々。万が一そのひなが巣から落ちたり落とされたりした場合に、どうやって育てたらよいかネットで検索して色々対策を勉強していました。(世間には同じようなことを考えるひとがたくさんいるみたいです。懐きすぎて渡り鳥にならなかった例もあったくらい)幸い先に元気な二羽が巣立って時々出戻ったりしているうちに、親ツバメの餌が集中したのか、みそっかすの一羽も急速に成長が追いついて、一人前の若ツバメとして飛び立ってくれたようです。

空の巣症候群とはよく言ったもので、ひなが消えたからっぽの巣を見た時、安堵と同時にさびしくて涙が出そうなほどでした。家族に呆れられるほど入れ込んでいたので、心に空いた穴を埋めるのに少し時間がかかりそうです。あまり健康的な精神とはいえませんが、思い屈する日々に、自然からのやさしい贈り物でした。

 

以下はとっても長いメールですので、お眼の調子がよろしい、お手空きの時にでもお読みいただければ幸いです。読んでいただかなくてもよろしいのです。わたくしの精神的近況報告をかねた読書記録として書かせていただきます。

 

お盆休みには、みづうみの「交響する読書」を真似て、五冊の本を並行して読み進め、これはとても良い読書の愉しみ方だということを実感しています。みづうみにお礼を申し上げなくてはいけません。

 

先日のレマルクの読書に刺戟されて、最近遠ざかっていたドイツ文学を読もうと思い立ち、古本屋で手に入れてもう十年近くも放置していた『トーマス・マン日記』を読みはじめています。読みはじめた瞬間にガツンときて、なぜ今まで読まなかったのか後悔しましたが、今この時期だからこそ読むにふさわしい一冊かもしれません。

たまたま他に読んでいた一冊の中に、彫刻家高田博厚の自伝『分水嶺』があり、この二冊はほぼ同時代の激動を生きたヨーロッパ知識人たちの貴重な時代の証言として万感胸に迫ってきます。『分水嶺』は以前読んだ時にこれという部分に線がいっぱい引いてあるのですが、当時は過去の歴史、他人事として読んでいたことを痛感します。今回は、他人事ではなく、明日は、この日本のわが身の状況になるかもしれないと、読みながら気持が沈んでいくのをどうすることもできませんでした。

 

紀伊国屋書店出版、岩田行一、浜川祥枝、森川俊夫共訳『トーマス・マン日記』は1933年3月15日から始まっています。この1933年はヒトラーが首相に就任しナチスが政権獲得、二月にはドイツ国会議事堂放火事件、3月23日にヒトラーの全権委任法が可決されるという、悪夢の始まりの年です。

トーマス・マン夫妻はたまたま講演旅行で国外(スイス)にいて、友人たちから危険なのでドイツに帰ってくるなという警告を受けている状況から日記は始まります。極度の興奮や不安で眠れない日々の中で、最初は妻子ならドイツに住むことも可能と思っていたトーマス・マンが、もはや家族共々祖国に戻る道がないことを覚悟していきます。みづうみの私語に今まで『トーマス・マン日記』の記述がでてきたことはないと思いますので、みづうみもご興味がおありかもしれないと勝手に想像しまして、記述を少し抜粋してみます。

 

「ターゲ=ブーフ」および「ヴェルトビューネ」が発売禁止になったという報道。「ルントシャウ」のことが心配だ。明らかに当局は、あらゆる教養手段を国民の手から奪おうとしている。パーペンは小学校制度に反対しているではないか。教養とか自主的な思考とかが歓迎されないのは当然で、(ナチの=)目標は、近代的暗示術の助けを借りて、大衆を愚鈍化し、機械的、画一的に支配することだ。(3月17日)

 

嘔吐を催すような、犯罪的な気狂い沙汰について、よそからの批判を許さない絶対的な支配権力を手中に収めるという目的のためには常軌を逸した破廉恥な手段に訴えることも辞さないサディスティックで病的なタイプの権力者たちについての、いつ果てるともない、延々と続く会話。……政権が崩壊する可能性は二つある。経済的破局か、それとも対外摩擦か。どんな犠牲も、どんな苦難も厭わないから、ぜひそういう事態が来ることを熱望する。この下賤のなかの下賤がもたらす荒廃を取り除くためなら、いかなる荒廃も甘受する用意がある。理念を欠き、理念に反し、すべての高いもの、よいもの、まともなものに反し、自由と真理と法とに反するような、前代未聞の革命を引き起こす役割が、ドイツ人のために用意されていたのだ。人間社会が始まっていらい、これに類似したことは絶えて起ったことがない。しかも、一般大衆は、それは本当に自分たちが望んだことだと思い込んで、物すごい歓声をあげている。まだ自ら認めることは出来ないでいるものの、実際は度外れの狡猾さによって騙されたに過ぎないのに。しかも、保守主義者、国民党員(カールドルフ)含めて、知識階級は、すべて恐ろしい破滅に向って進みつつあることを確信しているのだ。(3月27日)

 

破局が突発したさいK(マン夫人カタリーナ)といっしょに国外にいたという点では自分は特別な幸運の星のもとに生まれた人間といっていいということも理解できる。(3月30日)

 

ヘッセが、私が持っている酷い翻訳のレクラム版『戦争と平和』の代りに、自分のインゼル版を貸してくれた。就寝まえ、かなりの時間、第一巻を読み進める。ボイコット運動、人質政策、馬鹿げた戦争事態宣言、愚劣さと卑賤さ等々──ドイツのことをとつおいつ考えていたため安眠できず。新たな興奮と意気消沈。(3月31日)

 

ドイツの独裁制はどう仕様もない連中の手に握られており、議会制民主主義の復活という事態は起らないにしろ、あの連中の蹉跌は必至だ。いまは熱狂に取りつかれて仮の幸福に酔っている不幸なドイツ国民は、この先どういう幻滅の苦汁を飲まされることか! 証券市場は暴落状態だ。いまの政府は経済ないしは外交が原因で破滅するだろう。(中略)

こうなっては、インテリは、もう何の役割も演じはしない。声を挙げる者は、リンチされるか「吊るされる」。問題は、インテリがどう生きていくかであり、そして影響力を行使するのがいまや不可能である以上、自分たちが批判的な態度をとっていたという事実を少なくとも歴史に留めるためにはどういう方策が残されているだ。──(4月5日)

 

毎夜のことだが、就寝まえにトルストイ。いつも物すごく惹きつけられる。眠くて目が塞がりそうになるまで、巻を措くことが出来ない。そのくせ、すぐ目は塞がりそうになるのだが、だからと言って続けて長時間眠れるという保証はない。(4月7日)

 

こうした権力者どもが、「ふたたび獲得された国民的尊厳」などという言葉を使われて、自尊心をくすぐられ感謝感激している様子は笑止千万だ! そうした尊厳など、百パーセント主観的なものにすぎないのに。(4月13日)

 

こういう混乱状態にあってのひそやかな慰めは、常にずっと読み続けている(トルストイの=)『戦争と平和』だ。きのうの就寝まえ、第二巻を読了。(5月4日)

 

ただ無念なのは、どう転んでも、そしてどれほど用心し、祖国に忠誠心を抱き、自己抑制しようとも、家、家具、蔵書を含め、ミュンヒェンにある私の全財産を、ほとんど絶対的な確実さで諦めなければならないことだ。── (5月5日)

 

しかし、これら下劣な国家破壊者どもにそれ相応の恐るべき罰が下されるようにというのは、まさに人間として当然の願望だ。(6月2日)

 

アルトーナの共産党員裁判で四名に死刑の判決。ナチに同調させられてしまった裁判官たちの恥ずべき卑屈さ。ポテムカの殺人者どもは大手を振って歩き回っているというのに。性根が腐りはてた国。そんなところへ戻るなど、どうして可能であり、許されようか。(6月3日)      以上

 

まだ六月分までしか読んでいませんが、訳註も隅々まで丁寧に読んでいます。そこには日記に記載されているさまざまな人物の略歴が書かれているからです。ドイツ国内、亡命先で自殺している人間がそれはたくさんいます。ナチスと壮絶に闘って処刑された人間も、うまく亡命して生き延びた人間も、レマルクに人違いされて殺された人間もいます。ファシズムの時代を生きるしかなかった多くの人生が数行の解説に凝縮されていて、せめてそれを読んで知ることで、彼や彼女らの供養になればと願うのです。

 

書き出しているときりがないのですが、(亡命する)アインシュタインから悲痛な手紙が届いたことや、信頼していたものに裏切られた失望。マンの子どもたちが無事にドイツから脱出できるかどうか気が気でない日々。不安、焦燥、怒りに揺れ動き、財産の心配もする決してタフではない、神経を消耗しているトーマス・マンの人間味に共感し、最悪の状況のなかでも必死に自身の生活を建て直して文学者として執筆を続けようという姿勢に、運命と真っ向対峙した人間の毅さを見ます。

みづうみのよくご存じのことですが、トーマス・マンはナチスと闘ってこなかった卑怯な作家ではなく、1930年の「理性に訴える」という講演では過激なナチス批判を展開しています。トーマス・マンはドイツ国内における知識階級の反ナチ派の急先鋒でした。ナチスにとって、ノーベル文学賞受賞者のトーマス・マンを拘束してダッハウに送ることは、国内の知識階級を恐怖で黙らせるためには一番効果的なことでした。

旅行先からまったく不本意に帰国の道を閉ざされて、結局トーマス・マンははドイツ国籍を棄てることになりますが、この日記を書くためだけでも彼が生き延びてくれたことは、後世の読者の大きな幸せでした。

 

このトーマス・マンの亡命にいたる日記の始まる1933年に、日本では小林多喜二が逮捕され拷問死しています。高田博厚の『分水嶺』にこの件についての興味深い内容の記述があるので要約します。

 

フランスに滞在していた高田博厚のもとに、1933年のある日、厳重な封をした郵便物が届いた。そこには小林多喜二が拷問獄死した追悼号の赤旗新聞があり、遺骸を囲んだ同志たちの大きな写真が載っていた。同封の手紙には、この事実をフランスの同志に伝えてほしい、抗議の文を『ユマニテ』紙に掲載してほしいと書かれていた。高田博厚は政治活動にかかわったことはなく、共産党シンパでもなかったが、フランスの友人に相談すると是非出すべきだ、まずスイスのおやじさんに相談しろと言われる。高田博厚は親しくしていたスイスのロマン・ロランに手紙を送った。ロランから即座に「私が全責任を負う。今フランスは反動政府だから、君(高田博厚)の名をだしたら、いっぺんに追放されてしまう」と返事がくる。そこで高田博厚は記事の大意をフランス語で書き新聞といっしょにロランに送った。『ユマニテ』紙は全面をあげて、ロランの抗議文と小林多喜二の遺骸の写真を転載した。  以上

 

恥ずかしいことに、私はこの記述を読むまで、1933年の小林多喜二の死に関心を寄せて、抗議の声を上げた異国の人々がいたことを知りませんでした。当時の日本人に、ヨーロッパの尊敬を集めていたノーベル賞受賞者ロマン・ロランの抗議文が伝わることもなかったと推測しますが、私はロマン・ロランに心からの感謝を捧げたいと思いました。

高田博厚と同じく私自身も共産党とは無縁の人間で、しかも小林多喜二の作品はまだ読んでいません。ですが、思想信条、言論の自由を弾圧し、一人の作家を暴力的に殺害する政治悪は絶対に許せませんし、これこそがみづうみの仰る「国民の最大不幸」に他なりません。(戦後の日本は憲法で「拷問は絶対に禁止」とされたため、小林多喜二のような拷問死はありません。しかし、今後はどうでしょう。改憲されれば「絶対に」という文言が削除されます。)

 

高田博厚は妻子を置き去りにして渡仏していますが、その渡仏へのやみ難い一念のなかに、彼曰くの「窒息しかけている日本に対する絶望感、というより、自分との無縁感」があったことは間違いないでしょう。関東大震災のどさくさの中で大杉栄、伊藤野枝が締め殺され、多くの朝鮮人が虐殺された世相。原敬、浜口雄幸の暗殺、満州で張作霖が爆死、そんな時代に彫刻家として自由に創作するための場が高田博厚には必要で、それがフランスでした。

友人片山敏彦が帰国する前に、二人のこんな会話があります。

「だけど、フランスで僕たちは自由に呼吸できるんだ。自分の呼吸ができるんだ……日本に帰ると、君のいう重圧さえ感じられない。自分と全く縁のないものの重圧しかないんだ」

「僕たちは社会的な自由よりも、あるいはそれ以上に『精神の自由』を求めているのだよ。それが日本にはない……」

 

三十年間のフランス生活のあいだ、高田博厚はロマン・ロランはじめ、ヴィルドラック、マルティネ、アラン、ルオー等、当時のすぐれた知識人たちと交遊し愛されていました。ロラン邸にただ一人招かれてガンジーとも会っています。粟津則雄は「フランスに渡り、そこで暮らした芸術家や文学者はいくらもいるだろうが、彼のように、多種多様な個性をそなえた第一級の精神とのあいだに、時として友情と呼びうるほどの親しいまじわりを結びえた人は稀なのである」と評しています。

ロマン・ロランは、片山敏彦に連れられてきた初対面の、まだフランス語も不自由だった無名の彫刻家高田博厚の彫刻写真を十数枚みただけで、数日後片山敏彦に「タカタに伝えてほしい。彼に私の像を作る気はないか? 私はこの十五年誰にも自分の像を作ることを断ってきたが、彼には作ってほしい。彼は内部を引き出す……」と手紙を書いてきました。

 

私のように高田博厚に興味のある人間には『分水嶺』は大変面白い本ですが、誰にでもお勧めするものではありません。話の時系列があっちこっちに飛んで、翻訳したような文章が読みにくいかもしれません。猛烈に濃い中味のごった煮のような本です。西洋美術論として読んでもその洞察に感嘆するし、時代のドキュメントとして読んでもフランスのレジスタンスに関わったりして誠に波瀾万丈、日本人論として読んでも痛烈で、ラブストーリーとして読んでもせつない。ロランやマルティネやアランやガンジーの記録として読んでも、一場面一場面が彫刻のような浮き彫りになって目に浮かんでくるのです。

 

1930年代は世界の大変動期であり、右翼国家主義の時代でした。ドイツのヒットラー、イタリアのムッソリーニ、スペインのフランコ将軍がヨーロッパを荒らしました。しかし、羨ましいくらい大いなる知性の時代でもありました。トーマス・マンもヘッセもツヴァイクも、ロマン・ロランもいた。ガンジーもアンドレ・マルローもいました。

彼らのような天才、誠実も叡知も気高さもある魂が束になっても、ナチスもファシズムも第二次大戦も阻止することはできませんでした。歴史のうねりに飲み込まれてしまう知識人の無力を感じ、絶望してしまいたくなります。反面、彼らのような魂、そしてそれを支持した無数の個人がいたから、あのような未曽有の惨禍を克服して、人類はまだ滅亡していないということもできるのではないかと、私は希望を持ちたいのです。

ロマン・ロランもガンジーも高田博厚もトルストイに深く感化された人間で、トーマス・マンの救いもトルストイの『戦争と平和』の読書にありました。トルストイの胸に抱いたものが滅びるときに、人間という存在がほんとうに滅びるのだと思っています。今の日本そして世界に、トルストイのような魂に感化される人間がどのくらいいるか、それが人類存亡を決めるような気がしています。

 

遅ればせながらの歴史の勉強だったこの二冊の他に、何度目かの島尾敏雄『死の棘』、初読『讃岐典侍日記』帚木蓬生の『蠅の帝国』を読んでいます。『讃岐典侍日記』が哀切なテーマにもかかわらず読んでいて一番平和で心安らぐなんて、我ながら気の晴れぬ重たい本ばかりよくぞ選んだことと呆れています。子ツバメに入れ揚げるわけです。バカじゃなかろか。でも、すべての本の中に、与えられた運命と命がけで向き合った素晴らしい「人間」がいるし、それこそが今を生きる私に必要なことではないかと。

『蠅の帝国』は日本医療小説大賞受賞作品。戦争中の軍医ばかりを主人公にした短編集ですが、読み物のつもりで期待しないで読み始めすっかり感心しています。帚木さん、ご自身も医師とはいえよくぞ膨大な資料を調べて、ここまで戦争を記録してくれました。原爆を描いた「蠅の街」など、国民必読にしてほしいくらいです。戦争終結のために原爆投下はやむを得なかったというアメリカの主張を百歩譲って認めたとしても、アメリカ人にこの短編だけでも読んでもらって、それでも人間としてなお同じ主張ができるか問いたいと考えてしまいました。

あんまり深刻な読書ばかりなので、倉田茂さんの詩集を二冊見つけて読みました。以前みづうみが私語にとりあげていらした倉田茂さんの詩にとても惹かれたからです。『平野と言ってごらんなさい』と『ルノワールの部屋』。倉田さんの他の詩集も手に入れて読んでみたいと思っていますが、なかなか見つかりません。

みづうみに長々と駄文を読ませてしまいましたので、わたくしの感動した倉田さんの詩を書き写して、最後にみづうみの眼を清めていただきたいと願います。

心太  ところてん煙のごとく沈みをり  日野草城

 

☆ 平野と言ってごらんなさい  倉田茂

 

 

利根川下流沿いの平野にある自分の町を

案内することがある 江戸時代は河岸で栄えた町

みなさんには まず

ブローデルの喩(たと)えを聞いてもらう慣わしだ

 

「山と言ってごらんなさい。するとこだまは、

峻厳さ、厳しさ、後れた生活、まばらな人口と答える」

「平野と言ってごらんなさい。するとこだまは、

豊饒、容易、豊かさ、甘美な暮らしと答える」

 

こだまが返すのは 事実と逆の中味

おだやかにみえても水害に襲われることの多い湿地が平野で

昔から人が住み始めるのは小さな丘や高地や山の周辺であった

誤った思い込みがいかに堅いか──こだまは欺く、のだ

 

房総半島の北部一帯に広がる下総台地

私の町は 川に向かって台地がとぎれ

一挙に低地となったところ 平野と川だ

発掘される奈良時代の役所や倉庫跡はみんな台地の上

 

大昔には 魚を捕り水を汲むときだけ

人々はこの低地に降りてきた

そういうところでしたと言うと 集まった人は

世界の地勢まで頭に入ったという顔をする

 

地理的な条件を正しく記憶すると歴史が見えてきて

史跡の説明もうまく受け取ってもらえる

『地中海』を心ゆくまで見せてくれた

ブローデルの方法である

 

ところで二十世紀末から二十一世紀初頭のこの国の

指導者たちが示す地理をしっかりと記憶しておこう

「日本と言ってごらんなさい。するとこだまは、

美しい山河、清貧、安心できる暮らし、公平、思いやりと答える」

 

──こだまは欺く

私たちは悲しみを記憶するのである

夢中で支えた時代、あれは何だったのだろう

 

* こんなにすばらしいメールがもらえる私を、喜んでいる。機械の操作ができて「e-文藝館・湖umi 」を稼働できるなら、すぐにも取り入れたいと願うのに。私の勝手で、一部を太字にした。機械で長文を読むのはしんどいものだから。少しでも筆者の意を広く遠くまで伝えたいのと、太字の文面を通して、この筆者と倶にじつは私自身の、現・安倍「違憲」自民党政権への断乎批判と警戒をゆるめない真意を突き出しておきたかったのである。

2013 8・25 143

 

 

* 朝刊社説で不妊治療に関する記事をよみ、重ねて暗い重い気持ちに沈んだ。経費がかかること、採卵のとてもつらいことは知っていた。受療者の死亡率の高かろうとも察していた。しかし子供の欲しい夫婦の、家族の希望はつよい。放射線瀰漫と不妊増加についてもわたしは指摘してきた。苦痛だけでなく死も覚悟しなければならないとは。悼んで、余りある。

2013 8・26 143

 

 

* 青山学院法学部名誉教授であった清水英夫さんが亡くなった。ペンの言論表現委員をながく一緒に勤めていた。お互いに其処を離れてからも、清水さんはわたしの議論や意向によく賛同して下さり、お手紙や著書も戴いていた。年齢はわたしよりもずうっと上で、余儀ないお別れとはいえ残念なこと。

一緒にロシアを旅した高橋たか子さんも亡くなった。なだいなださんも亡くなった。永年著書を送っていた知己がつぎつぎに亡くなってゆく。どこへ顔を出してもわたしが一等若かった時期も永かったのに、いまでは先輩・同年輩の知己が心細いほど少なくなった。若い人たちの多くをわたしは識らずに過ごしてきた。

2013 9・5 144

 

 

* 伊勢崎の杉原康雄君からF10号の油絵「薔薇」が届いた。電話で送ってくれるように頼んでおいた。妻は一目見て大喜びしている。おなじ杉原君の季節外れではあるが、美しくて確かで好きな、淡彩「紫陽花」を掛けていたのと掛け替えた。起伏の激しい気の病にもだえ家人にも背かれて苦しんでいる才能のある画家。すこしでも応援したいと申し込んだ。抗うつ剤にもつよい副作用があるのだろう。可能な限り繪を描いて、それを薬にしてほしい。

2013 9・5 144

 

 

* 今朝、猪瀬直樹の名で、いよいよ五輪開催都市が決定されますというメールが届いていた。努力を尽くしましたという広範囲への同報であったろう。彼の才気と根気との勝算もひめた述懐であったろう。よく頑張った。

2013 9・8 144

 

 

* 夕方、聖路加の前の副院長林田先生、お電話をくださる。山折さんとの老いと死との「対談」を読んでのことと。例の朗らかな声でいろいろ気遣って下さった。二十日地元での妻の冠動脈検査手技についても、検査結果を報せるようにと。有難く、心強いことであった。

2013 9・13 144

 

 

☆ その後順調に回復してますか。

お彼岸も間近く心地よい季節が待たれます

(夫君逝去後の=)実残務はまだまだありますが、息子が仕事の合間に出向いてくれたり、娘の手助けもあり進んでいて、有り難い事です

実家の墓参りを兼ねて、仲良し達と存分にお喋りした二泊の京都旅行以降、何気ない会話や外出が精神衛生上や認知症予防には不可欠と実感し、友人達とランチをしたり博物館の常設を一人で観て歩いたりと、出掛ける努力をしています

お大事になさって   泉

 

* そのまま

京都に居着いたかと想っていました。どっちへ向いても心通った友だちの多い人だから安心です。

わたしは、「読書近用」「機械近用」「室内近用」と三つの眼鏡のほかに「外出遠用」三つ、「老眼補助レンズ」までとっかえひっかえして、不安定な視力視野を支えながら仕事したり読んだり書いたりしています。そろそろ体重のリバウンド気味に脅かされています。いま、67キロ台です。20キロほど減っていますが。

食欲は出ていますが、肉や魚のうまみが戻りません。美味しいと感じて食べたいです。胃袋がないので腸へ直行し、量が食べられない、腹がすぐ張って仕舞います。やれやれ。 お元気で。  湖

 

* 手伝ってくれる息子や娘のあるというのが、じつに羨ましい。

肉体労働が、老夫婦ともに、苦痛という以上に不可能になっている。こうすれば、ああすればどんなにかいいのに、助かるのにと願っていること多々有れども、手助けの手が皆無なため、家の中が荒れるまかせて窮屈に古びてゆく。

 

☆ 順調で結構ですね。

リバウンドを心配する状態、なんて幸せな事。こんなにも美味しい食物が溢れている時代に胃が受け付けずに栄養失調で命を落とした人もいるのですから。

頭脳明晰歩行可能食欲ありで安心ですが、視力だけは気になりますね。

我が家に続いて、中学友だちも含め、知り合いの八十過ぎの旦那さんが二人相次いで他界されました。

実を申せば、親友の一人が大手術の末、無事生還、目下静養中で、今回はそのお見舞いとお悔やみも兼ねての旅でした。

お元気で。

狭い京都では何処へ行っても落ち着きますが、もう移り住む事はないなあ、と思いました。あなたは如何。

つきしろくしぬべきむしのいのちかな

が、口をつきます。  泉

 

* 明日ありと

思ふ心のあだ桜 というでしょう。

いつ急変がくるか知れない爆弾をかかえて、今日を、今日を、今・此処をやり過ごして生きています。

たとえ昨日や去年や昔は記憶にあるとしても、明日明後日なんてものは実在しない。

この道はどこへ行く道 ああさうだよ知つてゐるゐる 逆らひはせぬ

一日一日、どうぞお元気に。    湖

2013 9・15 144

 

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

今日はタイミング良く湖の本の新刊『作、作品、批評』が届きました。何よりの誕生日プレゼント、と嬉しく頂戴いたしました。ありがとうございます。   萩  低く垂れその上に垂れ萩の花   素十

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

今日はタイミング良く湖の本の新刊『作、作品、批評』が届きました。何よりの誕生日プレゼント、と嬉しく頂戴いたしました。ありがとうございます。   萩  低く垂れその上に垂れ萩の花   素十

 

* 発送した本が雨で濡れてないといいのだが。中国四国九州が気にかかっている。

2013 9・16 144

 

 

☆ お礼

ご無沙汰しています。

大雨があがったら突然肌寒くなりましたが、ご健勝のこととお慶び申し上げます。

さて。

「湖の本」117 号、拝受いたしました。

いつも有難うございます。

深くお礼申しあげます。

参院選後の日本の空気がまことに怪しくなってまいりましたね。

奇しくも同じ頃、私は、ヴィゴ・モーテンゼン主演の映画『善き人』を見ました。

これは大学でプルーストを講義する教授が趣味で書いた安楽死をテーマにした小説をヒトラーが読み、「ナチスの掲げる恩寵としての安楽死の思想そのものだ」と気に入って、大学教授を親衛隊の大尉・ナチス党の御用学者に取り立てる、という物語でして、

「前向きに反対しなければそれは賛成したのと同じ」

というテーマが重くのしかかって来ます。

今の日本の風潮が、実に、この当時のものそのままと感じられて、私は暗澹たる思いにとらわれております。

エンターティンメントはいよいよ売れず、文学はもっと売れず、版元も相当に大変そうですね。

目下はなるようにしかならぬと覚悟を決めて日々書き続けております。

今後とも宜しくお願いします。

取り急ぎお礼のみにて失礼します。 拝   松  作家

2013 9・17 144

 

 

☆ ご心配頂きありがとうございます。

テレビ、新聞で報道される嵐山の無残な姿に言葉もありません。

この春には末の孫娘の十三参りで渡月橋を渡りました。

被害にあわれた方々の一日も早い復旧を祈っています。

最近は日本中どこかで災害が立て続けに起こっていますね。

自然も恐ろしいですが、人による危害もそれ以上です。

又、京都へもぜひおいでくださいね。

お彼岸ももうすぐ、そろそろ萩も咲くころですね。

又、お便りします。

お元気で。  みち  母方従妹

☆ 雪の嵐山、雪の渡月橋、私の心から一日も消えた事ありませんのに、昨日の嵐の様子はショックでした。

(怪我から=)一年半過ぎて杖無し生活ですが、老残の日々を送っております。  津

 

* わたしの小説があんまり読みづらく腹が立って本を壁に叩きつけたほど元気だった読者が「老残」とはうら悲しい。せめて「老境」を、もちまえの元気をちからに朗らかに生きていただきたい。

この人、壁に叩きつけた本に、惹き込まれ惹きこまれ、最も熱い読者のひとりに変貌してくださった。元気でいて欲しい。みんなみんな八十周辺(アラ・エイティ)とはいえ。

妙なもので、現実にはもうすぐ七十八になるわたし自身が、いまだに「少年」の心地にさまよっているためか、同年輩知友の男性も女性もみんな堅固に妙齢のままに想えている。これって、滑稽だけれども妙に嬉しく有難いことでもある。

 

☆  新刊

秦先生、『作、作品、批評』届きました。ありがとうございます。ゆっくりと味わいます。

昨日まで博多へ出かけていて、留守中の郵便物が心配でしたが、名古屋は颱風も大過なくすぎてくれたようで、先生のご本も郵便受けで無事でした。

博多から初めて太宰府へ行き、天神様にお詣り。博物館も覗く事が出来ました。先生が書いていらっしゃる日記、天神様は菊もお好きとのこと。

香道では、今の季節によく「菊合香」という香りの相違の当てっこをいたします。主題は道真公の「秋風の吹上に立てる白菊は花かあらぬか波の寄せるか」というお歌です。前もって、「秋風」という香りを憶えておいて、「秋風」三つに覚えのない「白菊」三つを加え、打ち交ぜ、四つの中で、「秋風」「白菊」それぞれを当てるものです。このお歌は古今集に載っており、寛平の后宮(宇多天皇の母班子女王)主催の歌合の折、同時に菊合(最古の菊合)が行われたとき、和歌浦を写した洲浜に立てた菊を詠んだものとか。天徳内裏歌合ではありませんが趣向をこらした歌合だったのでしょうね。

時代考証のきちっとした歌合の場面のあるドラマを見てみたいものです。 夜琴

 

* 「歌合」については幸田露伴が嚆矢となった「在民部卿家歌合」をはじめとして詳細かつ臨場感も豊かに考証している。岩波文庫に『露伴随筆集』上巻「考証篇」があります。

2013 9・17 144

 

 

☆ 「湖の本」117

有り難く 拝受仕りました いつもいつも恐れ入ります。

今回の117 読書領域の広さに 驚き入りました。 (御目 御大切に願います。)

小生も九十八歳という齢となり、恐らくはこれが最後かと思う十七冊目の歌集編みました。

出来上りましたら 御笑覧願うつもりで居ります。(九月十五日)  清水房雄  歌人

 

☆ 拝啓

このたびは湖の本『作・作品・批評 濯鱗清流(三)』のご恵贈に与り、厚く御礼申し上げます。

品格の問題、先生のご意見に賛同いたします。

気候の漸く過ごし易くなった時節、ご高著を楽しく拝読させていただきます。いつもの厚恩に感謝いたします。

ご闘病の日々の中にも明日への光明をかかげられる先生のご活躍に感動しております。

時節柄ご自愛の上お元気にお過ごしなされますよう記念申し上げます。敬具  国文学者

2013 9・18 144

 

 

☆ 帰国

昨日帰国しました。湖の本が届いていました。

家人が入院したために予定より早く帰国しましたが、フライトが一日早かったら台風上陸の当日になって、さてどうなっていたことかと思いました。

京都の桂川や鴨川の増水、あんな光景は初めて見ました。

疲れ残っています・・夜のフライトは眠れなくて・・家事が降り積もっています。

短い「夏休暇」のあと、宥め宥め大切に過ごされますように。   鳶

2013 9・18 144

 

 

☆ 『湖の本117』をご恵送賜り

恐縮いたしました。

読み取ること、<創作が湛えた「品」をみてとる>ことを日常とし、肉体化なさっているこの記録を拝讀していると、自分の汚れた鱗を秦さんの清流で濯われているような気がいたします。

新世紀を迎えても(その後も)ぶれない精神の奇跡をまぶしくみつめています。ありがとうございました。

難関にもめげることなき方とは存じますが、どうぞお身体はお大切になさってください。9月18日  元文藝出版部長

 

* 有り難う存じます。

 

☆ 啓上

やっと涼しくなりました。御清祥のうちにお過しのことと拝察します。

『湖の本117』拝受しました 御好意有難く御禮申上げます。御本いただくばかりで、仕事の面では御禮もできず申わけなく存じております。し

昭和三十五年十月に発足した和歌史研究会のお蔭で古典和歌の研究に関しては大学の壁が壊れて風通しがよくなったのを享受したのでしたが、その運動をリードした藤平春男、井上宗雄のお二人も故人になってしまいました。秦さんをお迎えしてお話をうかがったのは藤平さんの企画だったと記憶しますが、あの時初めてお眼にかかって以来、清径入水、秘色、慈子、畜生塚といった作品群に魅せられてきました。

中世文学についての色々な御発言も大きな指針となってきましたが、私自身の関心は資料書誌学に傾きがちでとてもお目にかけられる代物ではありませんでした。

特に昭和末年以降の人文系大学研究期間の改変に際しては、全うな文献資料の学的な保持のために没頭せざるを得ぬ立場に立たされましたので研究もほとんどできぬ状態になってしまいました。

やっと公務から離れ、さあ、という時になった折も折、 (中略)

どうも弁解に終始しているようですが、やっと昨年頃から研究の方にも頭が向くようになりましたが、 はや老境、机に向かうこともできなくなりました。

昨年、旧稿を整理して本に纏めるということを重ねました。

そのうち「千載集」の方を笠間書院から送らせます。

お収めいただければ幸甚に存じます。 不尽 九月十八日  松野陽一 拝 元国文学資料館館長

 

* 東京神田の生まれ、わたしと同年齢の碩学。早稲田の文学部長また建日子が進学した早稲田中高校の校長だった藤平先生に呼び出され、早稲田での、錚々たる顔ぶれの和歌史研究会へ顔を出したのは太宰賞受賞後まもない頃であった、懐かしい。まだ建日子は数歳ともいえなかった。

松野先生のお手紙を追いかけるようにして笠間書院から大著『千載集前後』が送られてきた。有り難う存じます。去年湖の本で纏めた『千載和歌集と平安女文化』上下巻が、門外漢なりの謂わば「千載集前後」だったのを思いだして下さったのである。論考九篇にさらに「書影覚書」が加えられ、「研究」とはこうだという勝れたお手本になっている。有り難く頂戴しました、今日から、すぐ読ませて頂きます。

 

* 懇意の笠間書院編集長の橋本孝さんは、『千載集前後』と一包みの荷で、なんと、田能村竹田の画論『山中人饒舌』を「訳解」された竹谷長二郎著も贈ってきて下さった。まだあった、新刊早々の「コレクション日本歌人選」の一冊も、「リポート笠間」の最新の二冊も送られてきた。恥ずかしいが笠間書院で本を買ったことはめったにないのに、中世物語全集などたくさんの本を貰っている。わたしの申し訳としては、貰ってみんな「読みましたよ」と言えることだけ。感謝に堪えない。

そういえばわが家の玄関には、ほかに場がなくて、小学館から全て戴いた日本古典文学全集の百十何巻がならんでいて玄関に入る来客をなかば威嚇しているが、これをほとんど全巻に近いまで「読みましたよ」といえる読者は、日本中に十人とは居ないだろうと思う。古典は、わたしのこよない精神安定の糧になっている。

 

☆ 拝啓

その後御病状案じておりますが、少し健康回復の由、安心致しました。

「湖の本」二十七年百十七巻とは大変なことだったと思います。

私も長い間御世話になりました日本ペンクラブを脱会いたしました。八十九歳になり歩行も困難のうえ、すべての力を失って、ただ読書にいそしむのみです。 僧侶という宿命で小さいながら寺をもっておりますので、必要とされる折のみ、息子の車で田舎の寺まで行っております。

芹沢(光治良)、井上(靖)、大岡(信)さんと同じ沼津の中学校出身ですが、(略)

これからじっくりと先生の御著を読ませて頂き、最後の人生の総まとめをしたいと念じております。

どうかくれぐれも御身体大切にされ、御仕事も完成されますよう心から念じております。

湖の本の御礼、心より申しあげます。 敬具   文藝批評家

 

☆ 前略ご免下さい。

「湖の本117」のご恵投に与り、まことにありがとうございました。今巻もまた秦様の文学に対する凄まじいエネルギー、情熱に圧倒されつつ拝読しております。G.ギッシングの『ヘンリイ・ライクロフトの手記』を座右の書にしている私にとっては、半ば共感、半ば反発しつつ引き込まれて行くアンビヴァレントな世界、毎巻、愉しみにしております。

今回はまだ読み切っておりませんが、一○○ページの四福音書について触れた部分に惹かれました。この辺のご考察のさらなる展開を大いに期待しております。

また歯に衣着せぬ「秦節」といってもいいご文章に敬服いたしております。(後略)  草々

近什一首

人生を捨てた酔ひどれ電柱に凭れて眠る祈るごとくに    翻訳家・歌人

 

☆ いつもお言葉を

ありがとうございます。元気にしています。

HPでご紹介の本を読んでいくのも楽しみの一つです。残念ですのは品切れの多いこと。近くのブックオフに岩波文庫扱いは少なく、『猟人日記』も家にあった全集版の抄訳でがまんしています。

『薄暮の京』10年前に挙げられていたのですね。最近読みました。

字が小さくなってごめんなさい。どうぞお大事に。迪子さんもお大切に。  下関  碧

 

☆ 117册目ありがとうございました。

秦さんのおかげで ツルゲーネフの『猟人日記』を識りました。一篇一篇楽しみに読みすすめています。

どうぞ目を酷使されずに、また、時を忘れる書物を教えて下さい。  狛江  秀

 

☆ 湖の本116 ペンと政治(二下)

秦先生らしい考え方に一つ一つ頷きながら 楽しく厳しくページを繰りました。

今後ともよろしくお願い申し上げます。  桐生  繪

 

☆ 濯鱗清流

(四)もお待ちしております。  八潮  瀧

 

☆ 抗癌剤の服用

予定一年を終わったということで、とても嬉しく思います。私ごとですが、アメリカのホストファミリイの孫は四歳で白血病にかかりましたが、つい最近「finished!」という嬉しいメールが届きました。七歳の男の子です。皆、いっしょうけんめいに闘病している姿に感動しています。「秦恒平文学選集」予約をお願いします。  群馬県  都

 

☆ 闇に言い置く

私語の刻を毎日拝見しております。元気そうで何よりです。

「秦恒平文学選集」の計画 お知らせいただければ幸いです。  愛知県  則

 

* 今回117巻「あとがき」の最後を、こんな一文で締めくくっておいた。

 

「秦恒平・湖( うみ) の本」も、いま仕掛かり幾つかの「小説」脱稿を念頭に、いつか収束を考えねばなりません。その前に、分冊で刊行してきた代表的な長編小説の「一冊特装保存本」や、作柄を同じくする小説の「合冊特装保存本」を、各「少部数」造っておこうと用意しています。『秦恒平文学選集』とご記憶ください。もしご希望の方は、計画の進行につれご報告しますので、あらかじめ、どうぞご一報下さい。  秦恒平

 

希望者が有ろうと無かろうと、体力と気力のあるかぎり、私家版としてごく少数ずつ創って置きたいとは、妻の願いでもあって、無計画的計画で成るところから楽しみ楽しみ手をかけ費用もかけて行こうと、思うだけは思っている。

今日の払い込み用紙をみていると、「希望する」と書き添えてきて下さった方が何人もあって、嬉しくもあり、ビックリもしました。一冊規模がどれほどかも朧ろに想っている現状だが、例えば「秘色・三輪山・みごもりの湖」で一巻にすれば、けっこうどっしりした一巻になるかも。「蝶の皿・閨秀・墨牡丹・糸瓜と木魚」「清経入水・絵巻・風の奏で」に今仕掛かり新作をというのも思案できる。なんにも決めていないが、乱作は厳しく避けながらけっこう沢山書いてきたといっそ戸惑うばかり。

2013 9・19 144

 

 

☆ 『露伴随筆集』

ご教示ありがとうございました。すぐに、アマゾンで注文、きょう午前中に届きました。仕事に出かける前だったので、今、帰宅して荷物を広げたところです。

さっと目を通しました。ありました。菊合香の証歌。「菊合香」がいっそう楽しめます。

露伴という方が、こんな随筆を残していたなんて。我が無知。先生のおかげで、良い本が入手できました。楽しみに読みます。ありがとうございました。

良師。良書 良夜。名月。   愛知県 夜琴

 

* 幸田露伴は明治の文豪たちの中で、森鴎外とならんであるいは凌ぐほどの精通者であった。夏目漱石はやや別格であった。

2013 9・19 144

 

 

☆ 奥様ともども

お身体 どうぞ大切になさって下さい。

お仕事がいつまでも続きますように。

御本が郵便受に届く日はいつも夫婦揃って歓声をあげます……  鎌倉  橋

 

☆ ありがとうございました。

「文品」「文位」という言葉、強く印象に残りました。

ご自愛下さい。   名誉教授 学会長

 

☆ よい方について

よい方にぐんぐんといきますように。

蕎麦は花盛りです 一面真っ白です。

穏やかな四季のうつりを願っています。

 

☆ お会いしたいという思い、

お会いして何をお話できるかという思いが、こもごもです。現実には(精神的に)あんまり出歩けません。

本当にお大切に。精神力 あやかりたいと思います。  能美  井

 

* 今日も数人の方から「選集」希望のおたよりがあった。うかうか出来なくなってきました。

 

☆  先生の生きた業績

117巻めの湖の本、拝受しました。

私など 小説本を二十冊ほど出して息たえだえですが、先生は一年に二千枚ほどの原稿を活きた字、活字にしてみぎから左へ……文章の神か鬼、いや双方に魅入られたのだと思います。これは天然ものの文章家、文学研究者です。速成・即製が時の流れの中、悠々と突進しておられる。まねられない偉業、まことに恐れ入ります。

少しでも体の痛みが和みますよう祈り居ります。多謝。  府中市  作家

 

☆ 颱風18号は大丈夫でしたか。

すっかり秋の気配となりました。苦しい闘病の日々を過ごしていらっしゃることに本当に頭が下がります。

参院選後のお話も。なるほどと共感させていただいております。

「秦恒平文学選集』の購入をお願いしたいと存じます、よろしくお願い致します。

ますますご自愛くださいませ。  静岡市  鳥

2013 9・20 144

 

 

☆ 曾野綾子さんからいま評判のベストセラー『人間にとって成熟とは何か』が贈られてきた。扉に、

「秦恒平様  お元気でいいお仕事をお続け下さいますよう  曾野綾子」と、書かれてある。有り難く、恐縮している。

 

☆ 颱風一過

朝夕急に冷え込んで参りました。

「湖の本」御恵贈頂き有難うございます。

頁をめくるといきなり「作・作品 全く別もの」

そのまま絵画にも当てはまりドキッと致しました。処々 拾い読みさせて頂いております。

どうぞ呉々も御自愛の程を。先づは御礼迄。  画家  池田良則

 

* 池田遙邨画伯の孫にあたる画家。京都新聞朝刊に連載の『親指のマリア』挿絵を担当してもらった。

今回の本では「作と作品」は全く別ものというところに批評軸を置いていたので、こういう感想がいっとう有り難い。

 

☆ 今回の配本で

「品」ということを考えさせられました。

また秦さんの読書量のぼう大さ、文学への真剣な想いに感心尽きません。

次回本を期待しています。御身体お大切に。  横須賀市  敏

 

☆ 朝夕は

秋口らしい涼気を感ずるようになりました。

変らぬ御好意に浴し、深く御礼申し上げます。 (中略)さきほどようやくご本を読了いたしました。二〇〇一年の一年間の読書、所感を数々の幅と奥行きに、感服するばかりでした。たくさんのことを教えられたことを感謝いたします。表記で一つだけ気になるのは「カトリック」を「カソリック」とお書きのことでした。

179頁、谷村玲子『井伊直弼 修養としての茶の湯』の博士論文には副査として参加しておりましたので、彼女の感覚と才能、気力はよく知っております。そう言えば彼女から「湖の本の会(=正しくは「秦恒平文学研究会」主宰は竹内整一東大名誉教授)」のことを聞いた覚えがあります。

平安をお祈りいたします。  国際基督教大学名誉教授

 

☆ 拝復

ご恵贈賜わりありがとうございます。

本日別便にて心ばかりのお礼と御見舞をかねて京菓子をお贈りいたしました。ご笑納いただければ幸甚です。

くれぐれもご自愛を。

ケータイもスマホも拒み頑なに

生きてこの世の空の青さよ  俊 神戸大学名誉教授

 

* みごとに大粒のまさに栗そのものの名菓を嬉しく戴いた。栗が大好き。

 

* 「秦さんの本ならなにでも買います」と言ってくださっていた多年の「有り難い読者」東宝の後藤和己さんが亡くなったと、娘さんからお知らせがあった。帝劇の芝居にたくさん招いてくださり、とくに忘れがたいのは大好きな沢口靖子の『細雪』上演のおりは特別席に招かれ、さらに楽屋へまで連れて行ってくださったこと。ご冥福を祈ります。

選者の頃、京都美術文化賞に推し受賞してもらった漆藝家望月重延さんから、秋の新匠工藝展への招待が届いた。二十四年もの選者体験の中で、毎回三人の授賞者中、五十人近くはわたしが、あるいはわたしも、推して受賞してもらってきた。あの人、この人と思い出せばみな懐かしい。早くに強く推した楽吉左衛門さんには、わたしの退いたあとの選者を引き受けて貰っている。まだまだ若かった截金の江里佐代子さんは惜しくも亡くなられた。選者同士で仲よくして頂いた清水九兵衛( 六兵衛) さんも亡くなられた。わたしを選者に、財団理事にと推された橋田二朗画伯も亡くなられた。選考会を主宰されてきた梅原猛さんが幸いお元気なのが喜ばしい。

 

☆ いくつものご病気

克服しつつたくさんのお仕事 敬服いたしております。くれぐれもお大事に。

拙歌集にあたたかいお言葉ありがとうございます。   歌人  郁

 

☆ 私の母は

94歳の今も元気で 自分の足で歩き 自分の口でおいしく食事しています。元気な姿をみると 娘としては本当にうれしい!

生きていれば楽しい事がいっぱい。

長生きしましょうね、先生!   各務原市  真

 

* 京都の陶藝家である松井孝・明子夫妻から手紙と小品とをもらった。手紙は奥さんの筆であろう。

 

☆ きびしい暑さのこの夏も、

御病中ながら一日としてお休みのない毎日をお過しの御様子 なかなか出来ることではございません。いつも御本をありがとう存じます。はげまされて毎日を二人ですごしております。

心ばかりの(やきものの=)紙風船お手許にと思い送らせて頂きました。どうぞ御大切に、益々お励み下さい。

昨夜は満月、そちらの月は如何でしたでしょうか。

今朝五時すぎの西空に やはり満月がありました。 九月二十日  松井 孝

明子

* 孝君は日吉ヶ丘高校での同窓同年で美術コースにいた。明子さんは、わたしが早い時期の女流陶藝展で河北倫明さんとともに選者をつとめた会場で、備前の川井明子さんとならんで大きな賞を獲たときが初対面であった。何年か経て、あの清少納言が仕えた定子皇后の御陵をたずねていったときに、松井夫妻の工房にはじめて立ち寄ったことがある。そのときにも数点の小品を貰ったが、その中にもソフボール大の美しい紙風船があり、もう歳久しくわが家でいつもどこか目につく場所を占めている。今日貰った紙風船は両掌につつんで愛翫に堪える色彩と触感に溢れている。感謝。

いまいう女流陶藝展との一度だけの授賞選者としてのお付き合いから、いまでも、川井、松井二人の明子さんだけでなく、姫路夢前窯の原田隆子さん、また西東京田無に窯をもち人形作家として著名な可部美智子さんとの交際が続いている。川井さんのみごとな大壺は今日もわがやの玄関を飾ってくれている。わたしから頼み、原田さんが丹精して贈ってくれた金銀彩のうつくしい「骨壺」と松井さんの可憐に異彩をはなっている紙風船は、居間の棚に座を占め、上に淡々齋筆「語是心苗」の懐紙軸が掛かり妻が父から伝えもつ十二面の鐵観音像とならんでいる。

2013 9・21 144

 

 

☆ 作の批評を

拝読し感服いたしました。一層の御活躍を祈念申し上げます。  名大名誉教授

 

☆ 秦さんの

「交響する読書」に引き込まれています。

どうぞ一層お体大切にお過ごしください。   詩人

 

☆ 前略

先生の御批評の明晰さ、鋭さに感服しながら興味深く拝読致しております。

どうか御自愛下さい。  編集者

 

☆ 秦恒平様

いつも沢山のことを教えていただける湖の本をありがとうございます。(中略)なんだか毎日全力疾走をしているようで、くたくたです。そういうねんれいなのかと思います。

人生の極意を教えていただきたく、湖の本をみつめています。お礼まで。  ジャーナリスト

 

☆ 私語の刻を

まず拝読。わが意を得たりの感がしています。  国語学者

 

☆ 拝啓

今夜は十五夜 満月の仲秋名月です。

「湖の本」ありがとうございました。

既刊本がたくさんあって、どれを読ませて頂こうかと楽しみが増えました。

中身の濃い、装丁の軽いご本は何よりうれしく存じます。

「秦恒平が『文学』を読む」上下巻

「バグワンと私」上下巻   を、お送り下さい。

お眼を御大切にと念じおります。 かしこ    高松市  作家

 

☆ 秦先生

先日は湖の本をありがとうございました。

「椿説弓張月」に「ちんぜい」とルビが振ってありましたが、あれは「ちんせつ」です。 小谷野敦

 

* 小谷野さんに質問

椿説弓張月の椿説が「ちんせつ」と読まれてきたことはよくよく承知していますが、馬琴自身が「ちんせつ」と「読まねばいけない」とした「本説」があるかどうかをわたしは知らないので、教えてください。

あの話の主人公は、「強弓」の、通称「鎮西= ちんぜい」八郎為朝です。馬琴がそれを無視してあえて「椿説ちんせつ」としたかどうか、馬琴自身のたしかな言及があれば、ぜひ教えてください。

「椿説 ちんせつ」の読みも語義も十分承知の上、でわたしはあえて鎮西八郎為朝に即して「ちんぜい」の読みを推測しています。椿説を「ちんぜい」と読めることは、遊説を「ゆうぜい」と今日でも普通に読んでいることで明らかです。

だれもが「ちんせつ」と読んできたらしいのを否認する気はありませんが、「馬琴本人の思い・意図」が知りたいとわたしは思う。馬琴に何の明言もない以上は、わたしはわたしの持説として「鎮西ちんぜい」なみに「椿説ちんぜい」の読みを唱えるだけのはなしなんです。

重ねて願います、馬琴自身が「ちんせつ」と読まねばいけないとした本説があるかどうか、明確に教えて頂ければ潔く承伏します。教えてください。  秦恒平

2013 9・24 144

 

 

☆ 先日はご高著

『湖(うみ)の本』百十七巻をご恵贈賜りまして本当にありがとうございました。夫(=元東大法学部長・名誉教授)が逝きましてからはや七年の月日が流れ ご無沙汰のうちに過ごしてしまいました ちっとも存じませんでしたが

先生もいろいろと病いにお苦しみになり、今なお右眼がご不自由とのこと心からお見舞い申し上げます 文筆のお仕事だけにどんなに大変かと拝察いたします。

私が元気でいるかとご親切におたずね下さり恐縮でございます。 私も八十代の半ばに達し、(略)杖をつきながら歩いております。

今の世の中の動きに怒りや不安を感じることが多くなり、戦争で死ななければならなかった方々にくらべて、ここまで生きてこられたのは全く恵まれたことですのに長生きしすぎてしまったとつい考えてしまいます。

奥様はお変わりございませんか どうぞよろしくお伝え下さいませ

季節の変わり目でございます どうかおからだをくれぐれもご自愛なさいますよう  かしこ

九月二十二日 夕  良

 

* 亡くなられた福田先生は、お届けする「湖の本」の各巻にかならず読んでのお手紙を戴いた。励まされた。一度もじつはお目に掛かったことがない。「展望」での受賞作『清経入水』を楽しみましたよとお手紙を戴いたことも。奥様にもなにかとお心づかい戴いた。

 

☆ 急に

秋が深まった気配です。ただ今、『湖の本117 作・作品・批評』を毎晩数十ページずつ拝読しております。

左記の「湖の本」購入いたしたく、お送りください。

6 7 8 神と玩具との間 昭和初年の谷崎潤一郎(上・中・下)

15 谷崎潤一郎を読む  夢の浮橋 蘆刈 春琴抄

28 猿の遠景・母の松園ほか

以上、5册、よろしくお願い致します。  江東区   歌人

 

* ご注文戴いて嬉しい本ばかり。励まされる。

 

* 「秦恒平文学選集」(限定特装本)刊行の粗案を書いてみた。建日子ともよく相談したい。凸版印刷とは十月に入って、具体的な進行を相談することにしている。「晩年」の大きな仕事になる。気力と体力さえあれば、可能。気力は有る。立ち向かうまでである。

☆ 秦先生

(=馬琴の) 版本にそのようにルビが振ってあるのです。説をぜいと読むのは、遊説、勧説、説苑など、人に説いて従わせる時に使う読みで、椿説は「奇妙な話」という意味で、「小説」「巷説」などと同じなので「ちんぜい」とは読めないのです。むろん馬琴が鎮西をかけたのは否定できませんが、正式な題名自体がご覧のとおり「鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月」です。  小谷野敦

 

* 小谷野さんにもう一度だけ

>  版本にそのようにルビが振ってあるのです。

それは承知の上です。稗史に類する流行本のことで、ルビ自体馬琴その人の内意・真意に即応したはからいであるかどうか、不明です。註釈大好きな馬琴その人が、きちんとした言葉で「椿説はちんせつと読んでくれないと困る」と明言していますか、それを御存じなら教えてとお願いしたのです。なぜなら「椿説」はあきらかに「鎮西」と倶に「ちんぜい」と読み得るからです。馬琴の真意まで酌んで、

> むろん馬琴が鎮西をかけたのは否定できませんが、

とあなたも強い物言いで承認されているとおりなのです。

それに、「椿説」の語義もよくわたしは承知しています。その上で謂うのですが、「椿説」もまた

> 遊説、勧説、説苑など、人に説いて従わせる意向を明らかに持っています。小説」「巷説」「本説」などもみな同じ

なことは、「演説」しかり。椿であれ、珍であれ、奇妙であれ、おおかた「説」示行為は、当然 「人に伝え同意や共感を求める」のが普通です。小説家でもあるあなたが知らぬわけがない。

「椿説」が「ちんぜい」とは「読めない」などと聞いたら、馬琴はさぞ驚くでしょう。かれの稗史小説中での、無数の「ふりがな自在」を容認しているわれわれ読者は、「人に説いて従わせる」目的が、演説、勧説には在り、椿説・珍説・小説には無いなどという決めつけは馬琴に向かっては通じない。漢字熟語を自由自在なまで「宛て読み」させることの達人馬琴が、「椿説」に「鎮西」を重ねていたのは、あなたも認めざるを得ないように、「むろん」「否定できない」姿勢なのです。

> 椿説は「奇妙な話」という意味で、「ちんぜい」とは読めないのです。

というあなたの断定は、寸の短い早合点ではないですか。読めると実は思ってられればこそ、「むろん馬琴が鎮西をかけたのは否定できません」のでしょう。

『八犬伝』をいま仔細に再読していますが、馬琴の漢字や熟語へのあまりに縦横自在な使用・利用・活用は、いまさらわたしの言うことでない。

だからこそ、あなたが最後に決然と掲げている

> 正式な題名自体がご覧のとおり「鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月」です。

と言われる「それその事」自体が、馬琴の真意を明かしている。即ち、強弓を謳われた「鎮西八郎」の「椿説弓張月」であるぞよと、あなたも「否定できない」ように、作者馬琴は強烈に示唆しているのではありませんか。

「読み取れる者だけでいい読み取って興がってくれよ」の謂いを体した「題名」であると、わたしは、平凡な「ちんせつ」より、何倍も興ふかくこの題名を読んで楽しむのです。そういうことを許す、いや求めているかも知れないのが、「馬琴の文藝」であり「稗史小説の面白さ、味わい方」でしょう。

わたしはそう思い、これ以上あなたのお手数を取らぬ為にも、これでこのメール往来は打ち切ります。

応えていただき感謝しています。 お元気で。  秦恒平

 

* わたしの「読み」に触れて触れておける好機会を小谷野さんがメールで提供してくれた。有り難かった。二往復で十分であり、鉋屑を削り続けても仕方がない。この件ではわたしは「私語の刻」のなかで以前にも一度ならず思いを漏らしている。「ふりがな」がふってある程度のことでは、少なくも、いや誰でもない「馬琴」の話題は放っておけないのだった。「むろん馬琴が鎮西をかけたのは否定できません」ことを問題にしているのである、わたしは。

2013 9・25 144

 

 

☆ 彼岸が過ぎ、急に秋めきました。

27年もの結晶の最新刊、新世紀2001年一年間の「文品」求めての作業、日付を追って拝読しました。

それにしても、連日の読書=「交響する読書」の仕方に、圧倒されました。12年前、66歳。古典から最新の寄贈される書物にまで、一々「率直、忌憚のない」姿勢は、本統の文学を求めるお気持が溢れていて、説得ある一本になっているのだろうと思います。谷崎「小野篁妹に恋する事」 上司「鱧の皮」 秋声「或売笑婦の話」川端「山の音」など、再読、初読せねばと痛感します。

猪瀬直樹氏への御指摘は、都知事での生き方に活かされねば……。

右眼の不自由な中での読書、くれぐれも御自愛をされんことを 切に祈り上げます。御礼のみ。  元出版部長  徳

 

☆ 「湖の本」

一一七と数字を拝見しただけでただ仰天。

私もこの二、三年ほとんど横になり、入院を繰り返したりしていましたので、ここはひとつ、最後の屁とやらをちゃんと考えねばとオダをあげています。  宇治市  作家

 

☆ お彼岸に入ってもこの暑さ、

夜も、きこえていた虫の音もこことだえています。

本日は、湖の本 ありがとうございました。今も読ませていただき小休止に入ったところです。相変わらずの語り口、小気味よく…。

それにしてもお目お悪いとか、酷使しないで まだ先あるのですから。

くれぐれも お大切に まずは御礼まで   京都市  元中学校長

 

☆ 今回の『湖の本』も

面白く刺戟をうけて読んでいます。

82歳になりましたが、長生して、もっともっと読みたいと欲ばっています。お大切に。  岐阜県 作家・文学史家

 

☆ 闘病生活お見舞申上げます。頑張って下さい。

拙僧、88歳、只今、総本山知恩院執事長にて、月、3、4回、京都へ往復しています。只今、御影堂(大殿)工事中です。

一昨年、法然上人800年大遠忌の仕事の責任を果たしました。   鳥越  長寿院主

 

☆ とかく

「賢く」なってしまおうとする自分を我から「おちょくる」ためにも付き合う価値のある弥次喜多のお話、勉強になりました。

どうぞ 皆さまお身体大切に。  京都  大学教授  清

 

☆ 大兄の

爆発的エネルギーには、毎回、脱帽。

とくに119-120頁、思わず「本物」の発する言葉。  花巻市  医師

 

☆ さわやかな時候となりました。

御執筆なさりながら、さらに厖大な読書をなさり、只只おどろかされます。 気持のよい御批評に感じ入って居ります。私自身の怠惰をつくづく思います。   堺市  歌人

 

☆ 「秦恒平文学選集」

ぜひ手にとりたいと思っています。どうか無理はなさらず、少しずつ、ご準備進めていただければと存じます。

奈良で元気に暮らしています。新しい生活が始まろうとしています。

迪子さんともども。お体 ご自愛ください。  奈良市  理

 

* 昨日 竹西寛子さんより 大徳寺の胡麻豆腐を頂戴した。お元気か知らんとつねづね気に掛かっていたおりだけに二重に嬉しく頂戴した。

また妻の友だちから洒落た味噌汁を頂戴し、今日も美学の同窓が祇園松葉屋の鰊蕎麦をたっぷり送ってきてくれた。早速お昼に頂戴した。南座にくっついた松葉屋の「鰊」の美味、さすがに京の逸品で。

2013 9・26 144

 

 

☆ 地域の「九条の会」に入っています。

ミニミニ通信に 秦恒平の「八策」として八箇条の声明を載せさせていただきました。最近「ひろしま 関川監督」「ひめゆりの塔 今井正監督」の作品を観ました。この悲劇を又おこしてはならないと。  京都市  桐

 

☆ 毎日の日記の

更新だけでも そのエネルギーにおどろきますが、その一方で創作はもちろん、テレビもかなりご覧になり、読書も複数並行…さりげなく淡々とそれらをすすめていらっしゃる日常に驚嘆です。 お大切に。  世田谷区  米

 

☆ 「生活できるって

楽しいことじゃない」(=私語の刻に引いたレマルク「愛する時と死する時」のなかで。)

どきっとする言葉ですね。

「湖の本」117を二册追加で送っていただけたら幸いです。  沖縄県  名嘉

 

* 作家の津田崇さん、小田原の美味しい蒲鉾を御見舞にと下さる。ありがとう存じます。

2013 9・27 144

 

 

* 故三原誠の秀作本を二冊、奥さんに拝借していた。繰り返し読み、電子文藝館にももらい、返し惜しむほども永く十数年拝借したままだったのを、やっと礼と詫びの手紙を添えて返却した。今日、娘さんから電話で、三原夫人も今春に亡くなっていたと聞いた。三原さんはわたしより五つ、奥さんは三つ年配であったと知った。あんなに心に掛け合った同士なのに、顔を合わせたことはいちどもなかった。電話をもらった娘さんにももう十九歳の息子さんがあると聞いた。

電子文藝館には、芥川賞候補作の「たたかい」や、「ぎしねらみ」「白い鯉」などの代表的な作品がもらってある。読み直したくなった。

2013 9・27 144

 

 

* 滋賀県湖南市の小田敬美さんから今年はとびきり出来の良いという梅干し、そして梅酢や紫蘇や生姜を贈ってきて戴いた。毎年嬉しく頂戴し、今度ももうたちまち美味しい三粒もを味わった。秦の父は梅干しからは走って逃げるという人だったが、わたしは幼くから今日まで梅干し大好き人で、奇妙に甘い味付けなどより純粋に秘術を尽くして漬けられた梅干しに感嘆する。中国やソ連から招待されてすこし長い旅をしたときも、わたしの荷物には自分用の秘薬かのように梅干しの器が潜んでいて、それは安心な健康薬になってくれた。

小田さんの亡くなったご主人が天才的な漬物名人で、私の熱い読者だった。奥さんは一切を愛豊かにひきついで来られた。

 

☆ 前略

別便にて今年の梅をお送りさせていただきました。

今年は大きな粒が大半を占めて例年と比べて数が少ないために沢山(?)お送り出きませんでした。

昨年の梅も一緒に入れてありますので今年の出来の良い梅との味くらべにお召し上がり下さいませ。

この十年は以前に比べ 春の天気 夏の天気と 気にかかることばかりで梅仕事も試行錯誤の連続でしたが、その甲斐あって 今年は自分でもよく出来たと満足のいくものになっています。

梅酢は少しばかりですが御利用下さいませ。

又 生姜を漬けている梅酢も利用できます。きゅうりの拍子木や千切りにしたものなんか よく合います。

どうぞ今年の味を御賞味下さいませ。

まだまだ不安定な気候が続くようですが どうぞ御自愛下さいませ。

乱筆乱文お許し下さい。 H25   9  26    敬

2013 9・28 144

 

 

* 建日子がとうに脱ぎ捨てていったどこかの国の三色旗みたいな長袖を着ています。真夏から一気に秋へ。去年もこうだった。

 

☆ 秋晴れが続き

9月が過ぎようとしています。武蔵の鴉の、日々の様子はHPから窺え、感心、応援しています。

迪子様の経過はいかがでしょうか。

9月12日の記述 (「ブッダのことば」より)

「・・他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。」

「仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。」

「四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め」

読みながら唸るほどの気持でした、覚悟でした。人はやはり孤独、厳しく孤独な存在なのですね。

また、鴉の、

「信仰、信心ということばに身を預けきれないものを抱いてきた。・・こころから褒め称え驚嘆し共感し得て、身をなげ入れるほども愛し憧れ得ても、『信じる』という世界では『ない』と思ってきた。信仰を教える、または強いてくる宗教からは危ぶみ身を避けていた。」という件(くだり)に共感します。信じるか、信じないかと二者択一を迫られれば、優柔不断なわたしは態度を決められないで立ちつくし取り残されるだけです。それでも常に不可思議なもの、大いなるものへの思いは確かに内奥に在ります。

2500gで生まれた孫は昨日にはもう4000gまで体重が増え、起きている時間も長くなってきたとか。アイフォンの画面でほぼ毎日「婆バカ」になって話しかけています。

帰国して十日ほど、日中はまだまだ汗ばむほどですが、庭の片隅に彼岸花が咲き、秋の薔薇が日差しを受けて輝いています。庭の雑草採りも一人ではなかなか大変です。ススキがはびこって往生しています、根が深いのです。頑張ると後で体が痛みます!

一日おきに(=見舞いに)病院に通っています。車で行けば30分ほどですが、モノレール、地下鉄、バスと乗り継いで片道二時間。全身の**疾患はほぼ平静を保てるようになりましたが、***の治療についてまだ知らされていません。

くれぐれもお体大切に、本当に大事になさってください。  尾張の鳶

 

* 毎日を人は生きている、それぞれに。とうとう「孫の婆になった鳶」よ。あなたこそどうか大切に元気に平安にと願います。

 

* 松野陽一さん、橋本孝さんに、本のお礼を申し上げた。

 

* 札幌のmaokatさん、高梁(たかはし)の箱入りの大吟醸「白菊」を下さる。不可思議なことに、食欲はあれどまだ食味のよろしさは品により十分味わえない、のに、かなり早くから酒類は、ストレートのウイスキーを少しずつ、そして日本酒が追いかけて美味くなり、ワインもOKだった。お酒で食事をしていたことが日記の記事でもよく分かる。ありがとう、MAOKATさん。高梁のお酒とは何となし、懐かしい。出雲へ、はじめて一人旅したときは山陰線からだったが、旅行雑誌からの取材の旅では、岡山県からまっすぐ北上するすてきに良い線を利用した。高梁の名にも感慨を抱いて窓外の景色をしみじみ見て行ったと覚えている、とんでもない記憶違いでなければ。津山の方へもテレビの仕事や講演で出かけた。あのときも同じ線に乗らなかったろうか。久しく旅をしていないなあと思う。

是真描く白菊の葉書に、

惚(ほう)けたる老いそれなりに花やいで   と、MAOKATさんに、お礼を言う。

 

☆ hatak さん  岡山にて

湖の本お送り頂きありがとう存じます。どこを開いて読み始めても秦さんの声が聞こえてきます。

新世紀2001年は、猪瀬現東京都知事はまだ作家で、秦さんは東京と京都の間を慌ただしく移動していたのですね。私は、札幌に移った2 年目で、前の年とこの年に相次いで上司に先立たれ、同僚とどうしていいかわからず途方に暮れていた年でした。

先週末に岡山大学で学会があったので、それにあわせ遅い夏休みをとって小旅行をしてきました。鳥取空港から海づたいに西に進み、因幡の白兎の伝承の残る白兎神社や、羽衣伝説のある倉吉という街、二十世紀梨の栽培地帯を通り、山深い三朝温泉で温泉三昧の三日間を過ごしました。

ちょうど稲刈りの時期で、北海道や関東ではもう見られなくなった、稲束を田圃で干す天日干しの風景を目にしました。収穫後の稲は今はほとんどライスセンターというところで機械乾燥するのですが、天日干しは、天日でゆっくり乾かすため、お米が美味しくなるともいわれています。ちなみにこのあたりで作られている品種はこしひかりで、旅館で新米を頂きましたが、北陸産のものに較べ、粘りが少なくあっさりとした味がしました。

幹事をしている学会も無事終わり、岡山から帰る前に、高梁の蔵元の大吟醸を一本お送りしました。こうしてまたお酒をお送りできることをとても嬉しく思います。

武蔵野も朝晩は涼しくかえって体調を崩す人も多いようです。どうかお体に気をつけられ、奥様共々お元気にお過ごし下さいませ。

休みも終わり、私はまた明日から、ハンコと会議の毎日です。  maokat

 

* 尾張の鳶といいマオカットンといい、心優しいメールが届くと、胸に灯が入った気がする。

 

* 宇治の伊藤隆信さん 御見舞の電話下さる。宇治の景色をいろいろ瞼に思い浮かべながら、しばらく歓談、とはいえ前の三本入れ歯が浮いて浮いて、滑舌容易でない。なかなか「老いそれなりに花やいで」とも言うてられません。

 

* 国文学研究資料館の今西祐一郎館長に、帙入り上下十巻の『湖月抄』を献呈した。若い学究のお役に少しでも立てばお使い下さいとお願いした。秦の祖父鶴吉の蔵書で、ちいさいころから、長持ちから引っ張り出しては帙を解き、ほおっほおっと息を吐きはき頁をくってきた。木版の、容易に読める本ではなかったが源氏物語註釈として聞こえた北村季吟の名著。

もう私のものにしておいて良いとは思わなかった。送り出して、嬉しくほっとした。

2013 9・29 144

 

 

☆ 冠省

「湖の本117」を拝受、いつも、本当にありがとうございます。

葉書に礼状を書いたのですが、読み返して、いいたいことの半分も申し上げていないことに気がつき、乱筆で申訳ないと承知で、手紙に致しました。

前から思っていたことですが、文学評論は、いわゆる文藝評論家と称する人たちには書くことはできません。それが可能であるのは作家なのだ、と私は断言したい気持です。(中略)

日本という国家の陰の支配者たちは国家による統制を批判する文筆家を、何らかの手段で取りこむようです。大岡昇平さんは、文化功労者も文化勲章(いずれも三百五十万円つき)も蹴りました。それを思うと*****が功労者に喜んでなったときに私は大落胆で、彼から貰っていた本は全て処分しました。***はデビュウしたころは警職法反対の声明にサインしたこともあったが、アメリカ留学から帰ると、コロリと右になりました。彼には、「核状況下の文学」に同調した連中は、ソ連や中国の回し者だというわけでした。

大兄のいう「文品」に賛成です。体制側からうまみのある仕事(例えば一時間の講演に100万円)を月に一回も貰えば、その品性の下劣さを世間に知られずに評論家の看板で世間を渡れるわけです。(中略)

ともかく、本当の文学批評や評論は、一行書くのにも、場合によっては30分も考えこむ作家によってのみ可能な仕事でしょう。大兄の文章を読んでいて、つくづくそれを感得いたしました。敬服致します。もともと西のジョン・ガンサーの向うを張る東のガンサーになるのが志望だった人間で、文学論はできないのですが、「文品」のある書き手か否かはわかります。出版社の編集卒業生らがしきりに作家論と称する裏話を書いていますが、どうも悪しき風潮です。

勝手なことばかり書きました、さらには乱筆できっと読みにくかったろうと思いますが、どうかご海容下さい。

末筆ながら向寒の季節となりました。どうか御身お大切にお過し下さい。 (略)   敬白   作家

 

* 評論家にもいろいろ、作家にもいろいろということです。

わたしのように自身の意志でまっすぐ「騒壇余人」になりきった作家は、いっそ幸せであった。「騒壇」と、は文・創作筆をこととする人たちの世間、ま、文壇・詩歌壇を意味するが、わたしは、一仕事二仕事を遂げておいて、よりその先を願う思いからそんな壇をさっさと降りて離れた。

2013 10・1 145

 

 

☆ みづうみ

 

秋めいてまいりました。お元気ですか。

左肩や背中の痛みお辛いことでしょう。原因がないかどうか、念のため一度受診していただけますようお願い申し上げます。内科的問題がなければ、整体や鍼の世界の腕利きの先生をお探しくださいませ。

マゴ君のお加減は如何ですか。

地面に近い場所を歩き、線量の高い植え込みや吹き溜まりの好きなペットの犬猫に、被曝を疑われる健康被害増えているという話は、以前から、よくネットに出ています。知り合いのワンチャン二匹入院しました。

どうぞ、お大切になさってください。   蜩  ひぐらしは寂しと幼な心にも  上野泰

 

* 「地面に近い場所を歩き、線量の高い植え込みや吹き溜まりの好きなペットの犬猫に、被曝を疑われる健康被害増えているという話」 わたしは信じる。もっともありえそうなことと案じている。 2013 10・1 145

 

 

* 国文学研究資料館の今西館長より、資料館編の『古典籍研究ガイダンス 王朝文学を読むために』と題した大冊を頂戴した。「わからないからこそ、きっと研究は面白い。自分の力でどう調べどう考えればいいか」と表紙や帯にある。研究者達の内懐を覗かせてもらう面白さ、わたしのような外野が無心に楽しめそう。感謝します。

 

☆ 拝復 やっと涼しくなってまいりました。

この夏の酷さには、私もかなり弱りましたが、ご療養中の先生におかれてはいかばかりかと、ひそかにご案じ申し上げておりました。しかるに先日は、「湖の本」117 を賜り、強烈な 「私語の刻」に接して、驚愕するとともに安堵した次第です。

本日はまた、ご所蔵の明治版『湖月抄』をわざわざお送りいただき、恐縮の極みでございます。

まだ近代国文学の樹立もおぼつかない時期に、この種の活版印刷本が多種、版を重ねていたことには、かねて驚異の思いを抱いておりました。猪熊夏樹増註の『湖月抄』は昭和に至るまで形を変えて出版され続け、『源氏物語』に対する国民の関心の深さを雄弁に示しています。この本は。国文学研究資料館でもすでに所蔵しておりますが、明治時代の酸性紙で、 館蔵のものも痛みが激し

いと思いますので、帙入りの完本として、当館で所蔵させていただきたく存じます。

同封の書物は、国文学研究資料館の共同研究の成果として出版した、古典研究の入門書のようなもので、雑多な寄せ集めの感を否めませんが、私も求められて一文を草しましたので、恥ずかしながらお送り申し上げます。

過ごしやすくなりましたが、くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。 敬具

十月一日

秦恒平 先生      今西祐一郎自署

 

☆ ご本のご恵送に恐縮しております。

「湖の本」コーナーを作り楽しみに読んでいます。大変なパワーを感じて居ります。

秋到来の候 炎暑の夏でしたのでホッと一息です。ご無理なき様にと存じます。  奈良明日香  画家

 

☆ 略啓

御健勝大慶に存じます 「湖の本」117有り難く頂戴しました。

御文中 五味康祐拝読 実に納得致しました。

改めておめもじの機会を。 不備   出版社役員

 

☆ 呉々もお大事に

格別な読書家でいらっしゃる秦さんの(=眼の不調)ご心痛を拝察するばかりです。 早大名誉教授

 

☆ 湖へ

お元気ですか。 少しずつ増えた体重に、体力は食欲と体重と思う私は安心しています。

厳しい夏の後でからだはなかなか落ちつきませんが、短い秋の季節を味わいたいです。

お大事に。  世田谷  珠

 

☆ 遠くより

ただただ祈るばかりです。

どうかお大切にーーー   千葉山武市  春

 

☆ いつも

ありがとうございます。

颱風等 激しい気候ですが 無事にお過ごしになられていらっしゃいますでしょうか。 港区  倉

2013 10・2 145

 

 

☆ お元気でいて下さい。  浦安市  雅

 

* 上のこの読者と出会ったのは、たしか地下鉄銀座線だった、つり革を手にわたしは立っていた。ふと、前にすわって本を読んでいる人の本が、新刊のわたしの著書なのに気がづいた。そういう巡り合わせは、わたしのような地味な作者には希有に珍しいことだ。電車を降りがけに、たまたま別の新刊本を鞄に持っていたので、礼を言い差し上げてきた。もう三十年にはなるだろう、嬉しいことに「湖の本」の最初からの購読読者になってもらえた。

 

☆ (先生の)声明文は、

九条の会メンバーや身近な人に配っています。

まったく同感です。   広島庄原市  知

 

* 二足の草鞋から、作家として一本立ちしたあと、熱心に推薦してくださった医学部教授がおられて、わたしは極く暫く、一年間だけある短大に毎週話しに行った。上のこの人は、その時の学生で、それ以来の本当に久しい作者と読者の間柄である。庄原と東京では、あまりに遠くて、もう街で出逢ってもまったく分からないだろうが、短大生の時の佳い面影は忘れていない。「湖の本」はこういう人に、もう二十七年も、助けられている。

 

☆ 病いに

これほどにまで打勝ってのお仕事、敬服を重ねるばかりです。  出版社主

 

* 自分の病に安心しているのではない。明らかに胃全摘と胆嚢切除八時間の手術をうけて癌がのこりなく排除されたのではなかった。一箇所と雖も転移は否定できなかった。一年間の抗癌剤が奏功したかどうかわたしにも医師にも分かっていない。どんな変転があるか。無ければ有り難く有っても仕方がない。

術後も、その後二度の入院後も、「仕事」は続けてきた。それ以前よりも強い気持ちで続けてきた。そのおかげでわたしの意気はしゃんとしている。「仕事」の出来る、したい「仕事」が途絶えなく有る、その幸せを思う。

2013 10・3 145

 

 

☆ 秦恒平様

今夏の酷暑を乗り越えられて お元気になられていらしたとのこと 何より嬉しく存じました

一つ覚えですが クッキー 送らせていただきます  道  村上開新堂

 

* 心より御礼申します。 秦生

2013 10・5 145

 

* 階下で、コーヒーをいれ、山本さんに戴いたクッキーで息を入れる。そうかと思うと玄関へ出て、杉原君から買った黄色い野の薔薇の繪を楽しむ。むごい病気に喘いでいる後輩だが、繪は立派に美しい。日々に観れば観るほどむしろ佳さが深まる。わたしがそうして観ていると妻もキツチンから出てきて横に立つことがある。「佳いわね。美しいわね。」妻はこの薔薇が大好きだ。瓶にいけた花でなく大地に根をおろして立派に咲いているのが佳い、嬉しいと言う。力強い「命」を感じるのだ、画家は、この繪に「命」と題している。病み苦しみながらでも繪が描ける幸福を杉原君は必死に抱き締めている。がんばれよとわたしは応援したい。だんだん善くなる繪を描きながら烈しい病に冒されて亡くなった友もいた。杉原君は、劇症に襲われるのは辛いだろう、が、まだまだ描ける力と腕とをもっている。

長編小説『お父さん、繪を描いてください』の「お父さん」は高等な画論なら文章でいくらでも書く。だが、繪が描けない。そして杉原君と同じ病に沈みかけている。画家にとって書き言葉は遁れようのない中毒に陥る猛毒なのだ。いま、わたしのすぐ近くにこの「お父さん」が西銀座の地下の小店で、わたしにつよく請われて即座にボールペン一本で描いたわたしの「顔」の繪がある。ものの三、四分間で、めまぐるしい線の舞が描き出したわたしの顔は、どんなに善く撮れた写真のわたしよりも生き生きと生きている。中学生のころから天才をうたわれ高名な先輩画家達から賞賛され入選し入賞してきた洋画家だ、なのに描かなくなってしまった。描けなくなったということか。グレン・グールドを聴きサイードを読み、西洋美術史を汲んだ斬新な画論なら執拗なほど熱心に書いて寄越すのに、年々に繪は描けず、年々に鬱の海に沈んでいる。気の毒でならない。

2013 10・6 145

 

 

☆ 湖の本117 「作・作品・批評」を

一気に読みました。採り上げてある作品で未読のものがたくさんありますが、なかには本棚で待っているものもあるので先ずそれから読んでみます。

秦さんの「撰集」楽しみにしています。

お体お大切になさってください。    吉備の人

 

* 第一巻は、奈良時代の長編『みごもりの湖(うみ)』 近江朝・藤原京時代の長編『秘色(ひそく)』 雄略天皇時代の短篇『三輪山』 歴史に深く踏み入りながら、それぞれに「現代」の愛の小説を書いている。時・空をはるかに超えて行くのが、初期のわたしの特色の作風で。

そして神代の昔を語るエッセイの処女作、さらには大化の改新より昭和までを通した長編『蘇我殿幻想』。

どの一編も、未読の方々には珍らかな世界と文藝をお見せできますけれど、今回特装の『選集』は極く少部数を製本の限定一応非売品であり、もし頒価を定めたりすれば、相応に美しくかちっと製本するつもりではあるが、かなり高価につくのは避けられない。

まったくの同じ作を、もし、読んで下さるだけのであれば、創刊以来二十七年を継続出版中の「秦恒平・湖(うみ)の本」版をご希望下されば、ごく安価に、すぐにもお手元へお送りできます。お申し入れ下さればすぐ対応させていただきます。

2013 10・6 145

 

 

* 今日も決めた「仕事」はそれぞれに漏れなく打ち込んで出来た。眼はもやもやと霞んでいるが、もう十一時半。やすもう。書きかけの小説ともじっくり付き合った。『みごもりの湖』とも、しみじみ付き合った。maokatさんからの名酒「白菊」も楽しみ、開新堂さんのクッも戴いた。今週には、国立劇場の歌舞伎がある。久しぶりに染五郎「春興鏡獅子」、弥生も獅子も、それに金太郎クン團子クンの蝶の舞いも楽しめる、そして幸四郎の熊谷直実。

幸四郎は連載した履歴書を、テレビで率直に真摯に語り直していたのがとても善かった。共感した。

2013 10・6 145

 

 

☆ 拝復

秋たけなわの候、御清祥にて御過ごしの御事大慶に存じ上げます。いつもいつも御学恩にあずかり忝けなく存じております。此の度も『湖の本』を頂戴仕り衷心より厚く御礼申しあげます。

『ペンと政治』も読みごたえがあり、大いに参考になりました。

今回の『作・作品・批評』も平成十三年の徒然日記書簡、楽しく骨太のものとして拝読仕りました。秦先生の鋭い観察眼、ただ感心いたしました。

どうぞ御自愛専一にと願いあげます。 匆々    志木市  大学教授 日本思想史

 

☆ 爽やかな季節になってまいりました。

いつも「湖の本」に直筆のお言葉嬉しく拝見させていただいております。

御本にて 大変なご病気のことしり、おたよりをとも思いつつ 遠慮申しおりました。

くれぐれも御身お大切に ご養生くださいますよう願いおります。

さて、このたび 私の歌集上梓のはこびとなり、 もし御身体におさわりなく お時間をおさきくださるなら ありがたく存じ 同封させていただきました。

また先日着きました「湖の本117」に 『秦恒平選集』なる企画のある由。ご出版のおりには 是非購入させていただきたく、 よろしくお願い申しあげます。

それでは くれぐれも御身お大切にお過ごし下さいませ。    奈良市  歌人

2013 10・9 145

 

 

☆ お元気ですか。

体調はいかがですか、奥様も如何でしょうか。

HP、時どき見ています。病院等一人での外出とかハラハラしています。

私は中学、高校の学年会が有り、忙しくして居ます。

我が家は今日から白蟻の工事が始まりました。こんな事で結構忙しくして居ます。

近日はまだ夏の暑さですが、お大事に。  京 日吉町 華

 

* 颯爽とした高校生だったが。茶の湯を一から教えた一人で、生涯茶の湯を楽しみつづけている一人でもある。

2013 10・10 145

 

 

☆ 久しぶりに美術館に行きました。

(病後、怪我のあとで=)とても不安でしたが、思いきって行ってごらんなさい、とPTの先生に背中を押されて、(上野)駅から近いし…と、西洋美術館でミケランジェロ観てきました。翌日ぐったりしましたが、すぐ回復しました。

12月はツィマーマンのベートーベンのソナタを聴きに行きます。好きなピアニスト、好きな曲、足の便の良い好きなホール( みなとみらいホール) という三拍子揃ったチャンスはもう無いと思い、前売り券買いました。

来年早々にはラファエロ前派に行きたいです。何年か前に文化村で観ましたが、又行きたいと思っています。

後押し効果すごい!

三年近い(病気や怪我等々の=)ブランク、少しでも取り戻したい気になってきました( 笑い) 。有難うございます。 横須賀市 林

 

* あんまり元気の失せた落胆メールを受けとったので、ハッパを掛けておいた。その後なにもないので、役に立たなかったかと気落ちもしていたところ、元気な声が返ってきた。わたしのような者でもなにかの役に立つならケッコウだ。

* 新聞、テレビのニュースは、だが、反射的に顔を背けたいようなことばかり。

高校生女子が二十一歳の男に、自宅内の押し入れに入り込まれていて、予告通りに殺された事件など、ことが若者の無残さゆえ何倍も胸のうちを黒ずませる。この事件についてはぜひ書いておきたいことがある、のに、気が進まない。ひとことでいえば。ああ、言い出すのも疎ましく情けなくて言葉がのどもとで焦げ付いてしまう。

電子メディアを遊具にしてしまう文明の愚。ろうじんにこそ電子の杖と助けになり得ても、若い人たちのためには猛毒になってしまうと、このホームページを開いた前世紀末にすでにわたしは深い濃い懸念を書いたり話したりしないでおれなかった。

ま、今日は書く気がしない。

 

* ロサンゼルスから池宮さんが帰ってきて、妻に電話があった。エデイさんが亡くなって、アメリカで暮らすか日本へ帰るかと迷っていたが、わたしはアメリカで築いた今までの生活を同様に京都や東京で繰り返すのは難しいのではないかと思っていた。ただ自動車の運転が自在に出来るかどうか、それがネックとは聞いていた。どうやらアメリカで、という気持ちに落ち着いてきたらしいが、それは日本でという目論見へのかるい失望や落胆のせいかもしれぬとわたしたちは案じている。明日には京都へ。そしてまた東京へ戻ってくる頃に、会うだろう。

 

* このところ、夫君を亡くされた友人・知人がじつに数多い。しぜんとその人たちは老齢の境にある。

ところが、若くして落命した、したのかも知れないような人もいる。いつも湖の本の払い込み用紙には夫妻の名があったのに、夫君の名だけで来ているのにも今日気づいた。無事を願わずにおれない。

2013 10・11 145

 

 

☆ 拝啓 清秋の候、

ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

いつも『湖の本』を送付いただきまして、ありがとうございます。

文学者としてのするどい視点を日常の出来事の中で研ぎ澄まし、発信しておられることに感動しております。

中勘助さんの名前を見て、銀の匙の論から県立博物館の展示のストーリーをつくったことを思い出しました。

山折哲雄さんとの対談『元気に老い、自然に死ぬ』、山折ファンとしては、興味があります。ぜひ機会があれば読ませていただきたいと思います。

「みどりの党は甘い観念に陥っていた。明確に、伸び上がる現実女性の権利政党をめざすべし。」「参議院のねじれ解消選挙などと一斉に叫んでいた日本のマスコミの、見識の無い違憲政権への阿諛迎合、情けない姿勢に失望した」「糺すべきを正さぬ日本大方のマスコミ報道の無責任と偏向には惘れ果てる。」など私も共感させていただく点が多いです。上野千鶴子さんの『女ぎらい』も、女嫌いが多い政治の世界で、私自身も同じように思っております。

いただきました書、また時間をみつけてゆっくり読ませていただきます。

秦様の今後ますますのご活躍をお祈りいたします。

時節柄、くれぐれもご自愛下さい。  敬具

平成25年10月9日      県知事

 

☆ 「湖の本117」

「私語の刻」に大いに共感しております。

くれぐれもお大事になさって下さい。   奈良県 大学教授

 

☆ 度々お邪魔して

お仕事に差し支えるのでは…と思いますが、質問?のお答えだけ。

14年の独居老人生活。 14年前、夫が胃癌で亡くなりました。胃全摘手術から10ヶ月。ですから、胃の無い方の食事の苦労が痛いほどわかるのです。最期はほんと可哀想でした。

それに対して姉は、一気に逝きました。古墳の発掘を見に行く途中、道に蹲踞ってそのまま。多分死の恐怖を感じる暇もなかったのでは…と、みんなに羨ましがられました。彼女は血圧が高かったけど、薬で調整していました。

姉と違って私は内臓に異常ないので、ヘレンケラー状態でだらだら生きなければならないのかと恐ろしい! 日々外堀を埋められて行く感じです。

黄斑変性怖いです。苦労なさっていらっしゃるのですね。お仕事柄文字を見ないわけにいかず、どんなに大変でしょう。

ずっと前、朝日の連載で東大病院の柳?先生が専門とか読んだ記憶があります。iPS 細胞が最初に臨床に使われるのは黄斑変性とか…それまでの辛抱です。

私は緑内障と、涙嚢なんとかです。

緑内障は近い将来失明します。点眼薬と、気休めにカシス( 高価ですが失明の恐怖にはかえられない) を飲んでいます。

涙嚢なんとかは、涙が落ちていかず目に溢れるのです。薬で、左眼は何とか溜まらないようになったのですが、右眼は相変わらず貯まって、溢れます。薬がだめなら手術しかないそうですが、かなり大変なので、Drはおすすめしないとおっしゃったし、私もお断りしました。

文字さえ読まなければ、日常生活にあまり支障ありません。入院時に断った新聞まだ復活してません。こうしている間も涙拭き拭きです。

右耳は完全失聴、突発性難聴です。聞こえる左も遠くなってきました。

だんだん壊れて消えて行くのですね。仕方ないですね。  横須賀  林

 

* お気の毒。とはいえ、謂わばそれやこれが、つまりはわたし自身の「老境」であること、否みようがない。否もうとも願わない。あるがままに「いま・ここ」を生きて生きてゆくだけのこと。

2013 10・12 145

 

 

* 今日は特筆すべき一日であった、東工大時代の柳博通くんが奥さんと二人のお子さんを連れて、車で家の前まで訪ねて来てくれた。わが家は今はキッチンも居間もとてもとても人さまを迎えられない有様なので、玄関と戸外とで話し合うような無礼なことになってしまったけれど、とても気持ちよく懐かしく嬉しく出逢えた、なによりの喜びであった。可愛い二人の上は一年生の少年、下は五つの色白のお嬢ちゃんだった。楊君も奥さんもみるから元気そうで、繪に描いたほど幸せな親子と見え、わたしも妻もこころから嬉しく、立ちながら歓迎した。

来月にも自宅の新築が成るという。なにしろ柳君は建築設計の「天才」で、いまや竹中工務店の中堅。どんな「匠」の自宅に成るのか楽しみである。

柳君と一対の仲良し、奈良に出向している国交省の丸山宏司くんも、もう遠からず本省へ戻ってくるだろう。彼等みんなの元気な活躍は、わたしたちを途方もなく励ましてくれる。退官後も東工大がわたしに呉れている大きな余録といわねばならない。

2013 10・13 145

 

 

☆ 格別に

厳しかった暑さもようやく和らぎ、キンモクセイが香るころとなりました。台風一過の今日、空が晴れわたりさわやかな秋日和です。先生にはご体調いかがでございましょうか。

「平家物語」の購読「維盛都落」まできました。それにしても小松一族の運命の哀れさが身にしみます。「清経入水」をもう一度読み返したいと思っています。また会員の皆さんにも紹介したいと存じております。秋の研修旅行は「妹尾最期」の舞台を訪ねたいと計画しています。

涼しくなって、季節のおいしいものが出まわってきます。郷土のお菓子お送りします。

ご体調と相談され、お好きなものを たんと召し上がって体力をつけてくださいますよう。  かしこ  讃岐

 

☆ Re: 元気にしていますか、心配しています。秦

秦先生  ご無沙汰しています。

ご心配をおかけして申し訳ありません。また、日々ご病気と闘われる中、御本を送って頂きありがとうございます。

PCが不調で、修理する余裕もなく、緊急の連絡は電話で来ると割り切り、放っていました。

日々気の滅入ることばかりで、酒を飲んでみても一合で蕁麻疹がでますので(遺伝) 憂さ晴らしは難しく、たまに泳いでごまかしています。

通勤時間の読み捨てだけは続けています。

児島襄氏の『太平洋戦争』を読んだ際、冒頭に、関東軍二十万人が戦争のきっかけの一つ、という言葉がありました。

二十万人が、他国に駐屯? (在日米軍は四万人弱) 一体なにがどうなるとそうなるのか?

そこで児島氏の『日中戦争』(四百頁三冊組)を読み始めたところ、もともと氏の著作が日中の公式記録を丹念に突き合わせて細かい上に、中国軍閥同士の対立、日中のプレイヤーの多さに、とても全貌が把握できません。しかも、この本は日中にフォーカス、満鉄を潰そうとしているアメリカがどこで何をしていたのか分かりません。

概説を求めていまは、人物往来社の『東洋の歴史』を読み合わせています。(2000年に中公文庫で『中国文明の歴史』として再刊行。2000年にこの本を再刊するのはさすが。)中国に利権を持たないアメリカが満州を狙っていたとか、ロシアと向かい合い規模を増す一方の関東軍とか、少しずつ関係が見えてきています。

史実を一つ一つ追うことで疑問が解けてくる楽しさもありますが、中国人にますます興味が沸いています。仕事柄、中国や華僑のサプライヤーと良く会話し、もともと興味はありましたが。

わき道にそれて、華僑の本を読んでみると、90年以降、かれらがポーランド、ルーマニア、ハンガリー、東欧各国に身一つで乗り込んで、根を下ろそう苦闘している。ハングリーだけでなく、国家に囚われず縛られていないように見えます。それでいて行き先では中華料理店を開き、豆腐がないなら豆腐工場を造り中華料理店に供給したりと、どこまでも中華流でいます。

清朝末期から、無能な官僚が各国の侵略をなすがままにし、軍閥に作物を奪われ畑を荒らされ動員され何十万人も無謀な戦闘で死に追いやられ、第二次大戦後も、やりすぎにも程がある社会実験(文化大革命)と、いつまでも国家に国を荒らされてきた中で、それでも中華文化を受け継いでいく。

日本の製造業の先行きが厳しく、自分の製品はあと何年続くかという状態で、三年、五年後自分はどの国にいるだろう、ましてわが息子達は…、こんなことでクヨクヨするのが小さく見えます。

ただ、自分は息子に何を受け継がせられるのか、何を受け継いできたのか。。。

とりとめもなくなりました。

いよいよ本格的に寒い日々が始まりますが、お部屋は暖かく、時には寒空の下 散歩もして、どうかお元気で。 イチロー

* やれ、ひとまず安心した。中国への関心が、リアリスチックな国民性や華僑風へ向いているようだが、イチローには、中国文化の精神性の巨大さ深さ・美しさへももっと関心を広げて欲しい。「魂の栄養が足りない」と疲れやイライラも増すばかりになりますよ。 2013 10・14 145

 

 

☆ 秦さん

選集をご計画と。そのころに、妙なことを思い出しました。

ヒロインの、「細い金のくさりが、ちりちりと、音をたてた」、というのを読んで、わたしが、手のひらにくさりを、とぐろを巻くようにおとしながら、くさりは、音をたてないと誰かに云ったことです。

曖昧な記憶で、本の、右側のページ3、4行目に、と覚えているのですが、気になって、御作をつぎつぎに、確かめるというよりは、ついつい、幻惑されて、読んでいます。

「音をたてそうな」だったかもしれないし、どうでもいいことかもしれないし・・。

近頃は、捕まえようのないことが、たくさんあって、そういうことにやっと気づくようになったのかも、とも。

みなさま、ねこちゃんも、どうぞご無事で。  美

 

* 余念の有れ無かれ読み返して下さるのが嬉しいこと。さて、次々に校正して行きながら、そういう箇所に出会ったとき、どう推敲するのかしないのか。出逢ってみたいもの。『みごもりの湖』はもう十七頁読めば、読み終わり、校正もひとまず終える。

2013 10・18 145

 

 

* 関西から東京へもどってきたロス住まいの池宮さんと電話で話した。声音はっきりと、わたしよりも若い感じに安心した。わたしたちとちがい、友だちや親類の多い人で、日本での滞在は楽しいであろう、京都でも東京でもホテルがとりにくく、向こうでは琵琶湖にまぢかい宿をとり、こちらへ帰ってきてからは九段だとか。すこし気温が冷えていて、わたしがかすかに風邪っぽいこの一両日なので、いっそ国立劇場で染五郎の春興鏡獅子を観ていらっしゃい、上出来の舞台ですからねと薦めておいた。一人か二人なら席があるでしょうよと。

もう明後日にはロスへ帰る人である。

2013 10・19 145

 

 

* 旅中の池宮さんから「シーバス・リーガル」を宅急便で頂戴し恐縮している。昨日妻が電話で話していた。今回は会えぬままになるかと心残りがする。

2013 10・21 145

 

 

* 今日また、もう帰国機上の人である池宮さんから、妻に珈琲が、わたしには京の名菓が送られてきた。今回は、折悪しく何の歓迎もして差し上げなかったのに、かえって頂戴ばかり。心苦しいこと。

元気な再会をぜひ期したいもの。

2013 10・22 145

 

 

☆ 創画展

今日観てきました。有り難うございました。何年ぶりかの創画展でしたが、以前に比べて華を感じる作品に出会えなかったのは残念です。

その足で博物館の常設展も覗きました。

上野公園がリニューアルされてから行きましたか?

噴水が無くなり池は花壇に囲まれ、全体に小綺麗に整理されました。休日などは動物園へ行く子供連れも多く、花見時の様な混雑振りです。浮浪者はボイコットされたのか見かけなくなり、私などは歩き易くなりました。

お元気でお仕事にお励み下さい。  泉

 

* 気も晴れようかと、新匠工藝会展も一緒に招待券を送っておいた。

上野公園などもう久しく見ていない。噴水が無くなったか。あの辺は小寒くなるころからは少し淋しすぎた。

わたしもこの展覧会へは行ってみたいと思っているけれど、妙に腰が重い。せいぜい出かけた方がいいのだ従前のように。久しぶりに根岸柳町、香美屋の洋食が懐かしい。

そうこうしているうちに十一月になる。早々に、友枝会、橘香会に能のお誘いがあり、紀伊国屋での俳優座公演にも招かれている。国立劇場での山城屋、成駒屋を芯の「伊賀越道中双六」通し狂言は、妻がさっさと松嶋屋の番頭さんに頼んでいた。息子の翫雀が老け、老体の藤十郎が美しく若く演じるのが楽しみなんですと。

 

* なんとしても矛盾と撞着の暮らしようではあるなあ。

 

☆ いつもありがとうございます。

年齢を重ね、色々な判断をする機会が多くなりましたが、批評はとても難しいです。批判となることが多くなります。そして客観的な言い方でなく、個人的な意見として表現してしまいます。逃げているのかも知れません。

本を読ませて頂き、そんなことを感じ、反省させられました。  東工大院卒 国家公務員

 

* きみの反省はわたし自身の痛いほどの反省です。ありがとう。奈良の空を想いうかべ、きみの活躍をも想いうかべて健康を願っています。 秦

 

☆ ありがとうございます。

秦先生  先日、メールをお送りしたのですが、Yahoo からのメールは迷惑メール扱いにされている可能性がありますので、再度、会社メールから送信させていただきます。  柳

——–以下既送信部分——-

秦先生

昨日は突然の訪問に快くご対応いただきありがとうございます。

連絡しようしようと思いつつ年月ばかりが経ち、音信なく申し訳ありませんでた。

体型はうらやましいくらいに(笑)ほっそりとされていましたが、お話は昔と変わらずしっかりされていて安心しました。まずはお身体をご自愛いただき、鋭い感性の宿る器をお保ちください。私も来年あたりから少し運動を始めようと思います。

お伝えした通り11月末には自邸が出来上がります。

(東工大=)学部2年生になった時に、最初の設計課題で「藝術家の住まい」として秦先生を想定し、茶室のある住宅を設計したことが思い出されます。実質、私の生まれて初めての設計でした。茶室についての基本をいろいろと教えていただき、それを通して建築の形式、所作と建築の関係を考え始めました。

その中で露地、待合、手水、躙り口と展開していく空間感を学びました。

また茶室には必ず複数種類の天井が趣向として存在することを教えていただきました。

そのせいで私の建築の興味は今でも動線と天井形状及びその高さに集中しているのかもしれません。(先日お送りした雑誌に発表した建築も一部斜め天井を用いました(周囲には反対されましたが( 笑) )) 。

自邸は是非お越しいただき、批評を、作家の批評をお願いできれば、と思います。

うかがった時の写真を添付いたします。彼らにとっても先生として、いろいろ教えてあげてください。

私の大学時代は建築を文学が支えていたのだと、今になって思います。我々、秦先生の回りにいた人間はみんなそういう体験をしたのだな、と思います。

工学という再現技術の学問をやるとしても、その基礎には文学のような形にできない何かが必要ではないか、と感じることが出来ました。そういう体験を彼ら(=子供達)にもしてもらいたいと考えております。

まず自邸を見ていただく準備が出来ましたら、連絡差し上げますので、ご準備よろしくお願いします。  東工大院卒 建築家

 

* 嬉しいことを言ってくれるね、きみは。きみたちは。ありがとう。

お子たちの可愛く元気なのにくらべると、写真のわたしは、まだ、ひ弱い。追いつかなくちゃ。嬉しく頂戴、保存しました。ありがとう。みんな、元気で、元気で。

先のメールは、届いてなかったよ。「SPAM」扱いになっていたのかね。もらった「Yahooメール」で、二、三度不良扱いだったのを経験しています。気が付いてくれてよかった。

そうそう創作がらみ、ちょっとナイショで教わりたい、助言の欲しいお尋ねが有り、いずれ別便で。きみにこそ尋ねるべきだった、ウカと思い及ばなかった。まだ間に合いますので。       奥さん、いい感じにお元気で、嬉しかったです。みんなみんな、お元気で。 秦

2013 10・24 145

 

 

☆ 秦先生

ご無沙汰しております。

お体の具合はいかがでしょうか?

先日は湖の本をお送りいただき、ありがとうございました。いつも楽しみに拝読しております。

お礼状をお送りしたいと思いつつ、ずいぶんと日が経ってしまい

大変失礼いたしました。

私は9 月2 日に無事次男、大翔(ひろと)を出産いたしました。

1 時間半というスピード出産で、母子ともに健康に産後も過ごせております。

今は毎日、ミルクや抱っこに追われておりますが、それもまた楽しく、子育てを満喫しております。

寒くなってまいりました。お体に応えるのではないかと心配しております。

くれぐれもお大事になさってくださいませ。

またお会いできる日を楽しみにしております。   東工大院卒  麻紀

 

* おめでとう。健康の不安を克服しつつたくましくお母さんになって行く。凛々しく弓を引く人であった。中村吉右衛門が好きですとも。研究している主題を教授室へきてにこにこと懇切に教えてくれる人でもあった。とても楽しい、はれやかな結婚披露宴だった。 2013 10・25 145

 

 

* 経産省から理不尽な退職を迫られ、ついに蹴って出た、当代出色の「良吏」古賀茂明さん、ご自宅から、新刊の『利権の復活 「国民のため」という詐術』( PHP新書) を頂戴した。

 

☆ 秦恒平様

「湖の本」お送り頂きありがとうございました。

御礼が遅れて申し訳ありません。

私も新刊を出しましたので、お送りいたします。ご笑覧いただければ幸いです。  古賀茂明

2013 10・28 145

 

 

☆ 秦先生

書籍安着のご連絡、まことにありがとうございます。

少しでも先生のご故郷の香りを思い出していただければと思い、本をお送りいたしました。京都は、本当にすてきな喫茶店が「普通に」あるところがとてもすばらしいと思っています。

『濯鱗清流(三)』も頂戴いたしております。ご挨拶が遅くなりましてまことに失礼をいたしました。

いまの折、あえて2001年の文学論・藝術論をおまとめになった秦先生のご気概、感じ入った次第です。

いろいろ印象的な文がございましたが、ご子息の建日子さんに言及された

「公開する文章は、よほどの覚悟できっちり書くべきだ、自身の誠実と蓄積の全容を賭して」の一節に、改めて襟を正す思いになりました。

ちなみに、ちょうどお送りした『京都の喫茶店』(木村衣有子著)の前身にあたります本『京都カフェ案内』も奇遇にも2001年の刊行でした。

眼のご不調が続いていらっしゃるとのことですが、お酒は楽しまれているとの由、安堵いたしております。

お誘いのお言葉、本当にうれしく、またありがたく存じます。ぜひご一緒できる機会がございましたらと思っております。歌舞伎でこちらへいらっしゃる折など、ご連絡いただければ幸いです。

急に寒くなってまいりました。

引き続きお身体どうぞご自愛くださいませ。  平凡社  洋

 

* イノダの本店や、ソワレ、フランソア、六曜社など、京都に暮らしていた頃から馴染みの喫茶店だった。大学の教室にいるより、やがての妻と京都中を歩き回って、文字どおり「京味津々」の寺社や茶席や、山や野や川や、御陵や墓地や、飲み食いの街を楽しんでいた。金のかかることは東京へ出て以降の帰省時だったけれど。しにかく歩きに歩いていた。喫茶店ぐらいならナントカなった。

 

☆ 秦先生  お返事ありがとうございます!

子によって親にしてもらえる、ということ、心からそう思います。

私も、子供の成長を見守りながら、自分の言動を顧みるようになりました。

子供に恥ずかしくない親になろうという気持ちになることで、人としてそれまでよりも成長できた気がします。

二人目の子を授かり、家族みんなが幸せな気持ちになっています。特に長男は、嬉しくて嬉しくてたまらないようで、弟を見るたびに身もだえしています。そんな長男の姿を見るのも、私たち親にとっては本当に幸せな瞬間です。

これからしばらく大変な日が続きますが、そんな大変さも、忘れずに記憶にとどめたいな、と思いながら過ごしています。

秦先生もお身体、お大事になさってくださいね。

いつもいつも先生のご健康をお祈りしております。   麻紀

* こんなお祝いの返事をあげていた。

 

 

良夜かな 子生まれ親も生まれける  秦恒平

 

赤んぼが わらふ

あかんぼが わらふ

わたしだつて わらふ

あかんぼが わらふ    八木重吉

 

お兄ちゃんも お父さんも 喜んでるでしょう!

わたしも嬉しく。

おめでとう。

三日つづけて東工大の若い友だちが佳いメールを呉れました。

励まされています。ありがとう。

 

からだ大事に お母さんも ますますお幸せに。

2013 10・28 145

 

 

* 四時半、歯科へ。左下奥にまた一本差し歯が入った。帰り際、「あふひ」先生と歌舞伎談義に小さい花。そのまえに、里帰りお姉さんの「らんこ」ちゃんとも話した。「らんこ」ちゃんは往時の娘朝日子と、お茶の水女子高の同級生。わたしはその頃、むりやり請われてPTA会長を務めていた。思いだすだに、やれやれ。「らんこ」ちゃんも五十半ばか。元気だった。はやりの「ブログ」なるものに機鉾鋭い的確な批判・非難の弁を聴かせてくれたのは、わたしにも収穫であった。「あふひ」先生には信州の立派な栗をたくさんお土産に頂戴して帰った。

帰路、新江古田駅前でバスを下り、「リオン」でソース濃厚の美味いフレンチ。満腹をかかえて帰宅。

2013 10・28 145

 

 

* 各務原の山中以都子さんより、栗菓子を頂戴し、近況もうかがった。思えばペンの会合で一度、以来久しくお目に掛からないが懐かしい。新しい佳い詩をまた読ませて欲しい。

2013 10・29 145

 

 

庄司さんは先年亡くなりました。晩年まで、はがきにびっしり書かれた拙文の感想をいただいておりました。ここに書いた拙文はたしか鈴木貫太郎のことで、坂本忠雄さんがこれを読まれて、お手紙を下さったことから、氏との十年を超すお付き合いが始まりました。あれやこれやで、とても懐かしく思いました。

また84ページに川端康成の 「山の音」 のご感想があり、私の思うとおりのことを、お書きになられており、これも喜んで拝見しました。じつは、昨年 2012 年に、急に「山の音」が読みたくなり、あるところに同封のような文を載せていただきました。さらに「千羽鶴」 「雪国」「古都」などを続けて読み、「千羽鶴」にも同じような感想を持ちました。最近はなぜか、初期の 「浅草紅団」などの作品を、いくつもの瑕瑾を見つけながら、とても懐かしく愛読しております。昭和の、ことに私の知らない昭和初期の空気を感じます。「雪国」もそうです。

「エッセイ通信」はその名前はよしましたが、いろいろ書いているものを皆様にお読みいただいているうちに、2011年から「三田文学」にご縁をいただき、評論やら随筆やら書評まで、短い間に4 回ほど書かせていただきました。西行・芭蕉中心ですが、これに満足せず、もっと高い所をめざしたいと思っております。

現在は、「『驢馬』の人びと」と題して、佐多稲子・堀辰雄・中野重治などのことを書きかけており、藤原定家の歌の評釈もはじめています。十年、和歌のことを勉強しているうちに、西行より定家が好きになりました。

最後になりましたが、おからだはいかがでございますか。    私は2008年の一月に、ステージ3 の初期と診断された大腸がんの手術を受け、今年の初めに満五年経過ということで、やっと定期検診から解放されました。大腸の三分の一を切除し、リンパもとり、転移があれば諦めなさいという意味のことも言われていたので、ややホッとしている状態です。

ご本には、谷崎戯曲を読まれた感想もお書きになられており、私も幸い谷崎全集を持っており、奏さんの読みにしたがって、ひとつずつ読んで行きたいと思っております。

前にも書いたかもしれませんが、高校生のとき演劇をやっており、谷崎の「お国と五平」を上演しようとして止められ、とんでもない不良学生ということになり、その後、学校の謙堂が焼けた際は、恨みで私が放火したのではないかと疑われました。     高田欣一

 

* この高田さんとも久しい。久しい間に、この人もわたしも癌に見舞われていた。書かれた物もよく送ってくださりみな読んでいる。「e-文藝館・湖(umi )」に戴いたのもある。掛け値なし、いつまでも若々しい文学青年の香を筆致に籠められている。ときどき「三田文学」で名前を見るようになり、発表の場としていい舞台を踏まれたなと喜んでいた。

川端さんの「山の音」に触れてもらっている。『作・作品・批評』でそこのところ読み返した。谷口さんのことも出ていてとても懐かしかった。お茶の水へ華やかに栄転された。どんな講義をされているかしらん。

高田さん、どこかに書かれた「『山の音』を読む」のコピーも下さっていて読み終えた。

2013 10・30 145

 

 

* やはり久しいお付き合いの歌人恩田英明さんから文庫本歌集『白銀乞食』を戴いた。第1歌集文庫とある。歌人の第1歌集を寄せ集める企画本なのだろう。恩田さん三三歳の初版だという。宮柊二さん、玉城徹さんに師事されてきた。宮さんも玉城さんも亡くなった。わたしにもお付き合い懐かしい名前である。

思えば、わたしは文壇をさらっと我から降りて「騒壇余人」を名乗って三十年近くを好き勝手に「文学」してきた、これた幸い人であるが、それの曲がりなりにも出来た大きな支えの一つは、数えきれぬほど各界広範囲な達人・大人方との「お付き合い」が有ればこそで。しかもその殆どの方と一度もお目に掛かっていない。つまり、お互いの「仕事」が繋いでくれている久しいご縁ばかりであった。わたしから差し出せるものは、ただもう刊行本の作や文章、発表紙誌の仕事、湖の本、講演・対談等々を介し通してだけの交流・交歓・昵懇であった。徹底して「淡交」であり、淡交ゆえに敬愛の実味が持続していると思っている。

2013 10・30 145

 

 

☆ 秋日

御心配かけました。ごめんなさい、そしてありがとう。

何とか暮らしています。傍目にはおそらく元気に映るでしょう。家族の病気のこと、九十半ばの姑のことなども、そして来月初めから半月日本にやってくる初孫のための準備なども。

これまであまり実感しなかった老いを意識しています。肩や指の関節に昨年の引越以来トラブルを抱え、夏から膝も痛みます。

それ以上に一番問題なのは精神的なこと・・。わたし個人に関しては今は「休暇期間」なのだと。ただしどこかで自分を叱咤激励、鼓舞しなければとも思います、焦りではありませんが。

HPに載せられている 東淳子さん、清水房雄さん、北沢郁子さんの歌に共感です。みな人生の先輩で、そして身に沁みる歌の数々です。そして八木重吉の「赤んぼがわらふ・・」の詩が何ともいい感じでした。

ミルトンの『失楽園』はなかなか分かりませんが、先日来ブレイクの書いたものの中の失楽園に関する部分を読みました。同時に読んだフランス人ドレの挿絵による『失楽園』は理解しやすく、却ってそれが弊害かもしれないと思いつつも楽しみました。

ブレイクもミルトンも、とにかくキリスト教の世界観がドシッと根底にあり、私たちには峻拒され閉じられていると感じつつ。

テレビで染五郎の一年を撮ったドキュメントを見ました。大変な一年だった、それを乗り越えてきた彼の強運と今後の活躍を願うのみ。

書きたいことの十分の一も書けませんが・・。

お体のさまざまな不調を強い意志と努力で日々暮らしていらっしゃるご様子が伝わってきます。

今日はあまり寒くもなく秋日和、やわらかな日々を楽しんでください。

くれぐれも大切に大切に。   尾張の鳶

 

* 老境を感じながら家に病む人がいて手が掛かればどんなにシンドイか、わたしが入退院を繰り返し通院を余儀なくされていたときの妻の苦痛を察しれば、よくよくよく分かる。どうかその上に怪我をしないで、事故に遭わないで、健康をわるく損ねないでと祈るばかり。叱咤激励も鼓舞もむしろ負担になる。そう、休暇でいい。とはいえ、やむにやまれず、したいことが衝き上げてくるそれを少し少し楽しむようにすること。

わたしは、今、 ①創作 ②私語の刻 ③自作の校閲・選集への用意 ④湖の本刊行の全方位作業 ⑤最低五冊の交響する読書  の五項目を立て、日々励行している。それが出来るほど回復しているのが有り難く、それが出来るほど妻に幸い助けられている。わたしの方から何を助けているかと思うと申し訳ないが。本は、たいがい十册以上楽しんでいる。眼のためにこれを抑えるべしとは思いつつ、ついいろんな本の世界他界に遊びたくなる。

鳶は、いま、そんな風に頑張らないことがむしろ薬であり必要であるのだろう。ただ「立ち向かう」気概だけは大切に。泣き言もよくベソをかくのも少しも構うことはない。

2013 10・30 145

 

 

* 梅原猛さんから、湖の本受領の挨拶があった。わざわざ、恐れ入ります。

2013 10・31 145

 

 

☆ 「小柴錦侍と宮代四之介 『暁星』のあとをたどって」(島崎藤村研究 第41号)

六月に書き上げたものです。お読みいただければうれしく思いますが、いつものような、久しぶりのご挨拶と思って下さればと存じます。

実際は長々としたものを用意していたのですが。残念なことに、これまで尽してくれた パソコン プリンターが共に、病み衰え、ほとんど使用不能になりました。手脚をもがれた巻がります。

又 いつか お便りしたく存じます。

どうぞ お大切にと念じています。 襄

 

* 藤村研究の論攷も読みました。周到かつ深切な興味深い探索・探求でずううっと一気に面白く読ませて頂いた。嬉しくなる。襄さんに「島崎藤村学会」を紹介してほんと善かったとそれも嬉しくなる。水を得た魚のように研鑽・追究の成果が論攷として発表されて行く。専門の研究者のための研究といえる水準のもので、学問的に得難い肥やしを畑に与えておられる。評論ではない、文字どおりの探求。

よく似たいい仕事を深澤晴美さんがしている。

 

* 小説を書いている、評論を書いているという人をこの四半世紀に何人も何人も知ってきたが、此処を踏ん張って乗り越えなけあという手前で、やめるか、ちいさく自己満足して、だあっと後戻りしてしまう。惜しいなと思う何人かを今も惜しいと思っているけれど、あくまで当人の問題でありいたずらな手は貸せるものでない。

2013 10・31 145

 

 

* 昨夜は井口さんと久々に電話で話せたのが嬉しく、興奮気味で寝付けなかった。寝る前に文庫本を六七册読み、夜中目覚めてまた読み耽った。

2013 11・6 145

 

 

☆ 学会・ゆり根・『百人一首一夕話』

hatak さん  札幌は昨日初雪。山も雪化粧をして、いよいよ長い冬の到来です。

今日は週末の休みを利用して帯広で開かれる小さな学会にいってきます。

夏頃に文庫本の『百人一首一夕話』と『千載和歌集』を買って、寝る前に拾い読みをしています。

帯広まで約3時間、今日は車中に持ち込んで、ゆっくり読書します。

『百人一首一夕話』の「○○の話」は面白いですね。

はじめの巻一では蘇我入鹿、大友皇子、家持と血なまぐさい話が続きますが、巻二からは雅やかになり、僧正遍昭の五条の若菜のあつものの話、伊勢の勅使伊衡をもてなす話(これも五条)など興味深く読みました。

陽成院というお人を知りませんでしたので、狂乱の話はびっくりしました。

挿絵も凝っています。巻二冒頭には小間席入で裃を着けた男が初座の花を拝見している絵があり「濃茶に初音の昔あり云々」と詞書きがついていて、「はてなんだろう」と頁を繰ってみると喜撰法師の「世を宇治山」が出てくるといった具合です。

江戸後期の町人も、私と同じように血暗い話に眉をひそめ、挿絵の趣向に乗せられて、面白く読んでいたのでしょう。今なら江戸末期に行っても、どこかの商家のご隠居と、火鉢を囲んで『一夕話』を肴に日がな一日語り尽くせそうな気がします。百五十年の隔たりなど、さほど長くはないのかも知れません。

さて、先日ゆり根を見かけましたので、一箱お送りしております。月末には届くと思います。昨年よりも美味しく召し上がって頂けそうで嬉しいです。

季節の変わり目、奥様共々お元気に過ごされますよう。  maokat

 

* こういう若い友に恵まれ、思わず「嬉しく息伸びる」心地がする。

「百五十年の隔たりなど、さほど長くはないのかも知れません。」という感想にも我が意を得た心地がする。わたしはもともと時と空とが大きな風船のなかで溶け合っているという時空観の持ち主で、であればこそどんな昔びととでも「同時代」感覚のお付き合いが出来ると思ってきた。時空を大きく一と呼吸したような小説をだから書いてきたし書けたのだと思っている。

札幌はもう初雪ですか。日一日と、冷え冷えしてきましたね。

2013 11・9 145

 

 

* FACE BOOK の「友だち」をほぼ全面削除した。「友だち」とはそんな軽薄なものでないからだ。事実上FACE BOOK からは脱退した気持ちで居る。

2013 11・9 145

 

 

☆ 雀です。

木枯らしに二日の月の吹きちるか( 荷兮)

朝起きて窓を開けたら、正面にオリオンの星星がまたたいていました。

左上の赤いのが源氏星で、右下の白いのが平家星と、野尻抱影さんの随筆にありましたっけ。

なによりお礼申し上げます。

お薬ご服用でご気分のすぐれぬなか、雀一羽へあたたかなお心配り、まことに恐れいります。

ここ数年でいちばん意気消沈していた日に、電子メールを受け取りましたので、大変驚きました。

酷暑以外、月に10日はあちらに遊びこちらに歩きしていましたが、先月末に、目的地へ歩き始めて間もなく、右足が腫れて熱を帯びてきた上、発車時刻が迫った電車に駆けたところ、息苦しさにホームで動けなくなり、みすみす電車を見送るはめになって、1 年以上続いてきた身体の状態は運動不足ではない、なにかがあると気がついて、近くの循環器内科医を訪ねました。

そこで初めて、動悸・息切れというのがこれかと知ったあんばい。

10年来、歯科医以外の医者にかかったことがなく、データ 0 の雀に、なにもわからんのだから薬は出せん、と、健康診断の検査をひとつづつ始めることになりました。

肝機能も血糖値も悪くないし、動脈硬化も年相応と判りひと安心しましたが、頻脈と心臓肥大、心電図もおかしいとのこと。

雀の囀り、休業。

「運動不足だ。歩け歩け!」と無罪放免になる日を信じ、明日も検査にいってきまぁす。 囀雀

 

* そんなことではないかと想っていた。ま、容態が掴めてきたこと、良しとしなくては。お大事に。

若い若いと想っていた人たちが、予想もしなかった病気や怪我でジレンマに陥ってある例が増えに増えている。ま、わたしもその一人であったし今もあるのだけれど。「気」を何より大事にしています。

2013 11・10 145

 

 

* 小松から有り難いお手紙と「書」を頂戴した。一目見て、すぐさま、嘆賞し頂戴した。心より御礼申しあげます。

2013 11・13 145

 

 

* 高松市の糸川君から、「湖の本」継続しての購読料11万円が追加送金されてきた。創刊以来ずうっと読んでもらっている。ありがとう。奥さんもお子さんもお元気だろうか。

2013 11・13 145

 

 

☆ 近況

その後如何ですか 私より複雑な病ですから色々と難しい問題を抱えてられることだろうとあんぢております。わたくしのほうは補歩行訓練で右手に杖、左手にリハビリの先生がついてくださりあるいていますが いまのところ4-5 ○m ほど歩いています。

為せば成る なさねばならぬこともあり 何事も千里の道も一歩からの心境です。

あなたはまだまだぶんがくかいではひつようなひとです がんばつてください。iPadから送信  K

 

* 病に向き合う人の多いこと、それに気づくことの多く広くなっていること。ただただ平安を願い快方へと願う、みなお互いに。心挫けそうなときは励まし合うこと。

2013 11・14 145

 

 

* さ、いよいよ師走上旬での湖の本118発送へ、忙しさが増してくる。う十日ほどのうちに責了にしてと頼まれている。選集のことも堪えず頭にあり用意怠りなく。

手が痺れて震えて書字に難渋している。連絡等はメールで済まさせてもらっている。小松の井口さんへの昨日のメール、機械を明けて観て頂けますように。

2013 11・14 145

 

 

☆ お元気ですか

お寒くなりました。お変わりなくお過ごしでしょうか。私は幸い風邪もひかずにおります。

相変わらず週1のリハビリと 1日5000~6000歩歩く事にエネルギーを使い果たしています。筋肉を付けるように言われていますので。

特に何を…ということもなく、時間が過ぎていきます。来月は二回コンサート聴きに行く予定です。 横須賀 津

 

* わたしの場合 きょうはシンドイほどよう歩いたと思えるときでも 5000歩を越したこと一度もありません、この一年余のこと。

過剰に動いてかえって足腰を痛めないようにと気遣いし懼れています。疲れ切ってまた転べば元の木阿弥になります。

筋肉強化とともに、精神や心理も楽しませてやりたい。それで、せっせと楽しむことを楽しんでいます。

横須賀という街も海もみたことがない。泉鏡花にゆかりの場所があるとよく聞いていましたが、お宅からは遠いのですか。わたしこそ、もっと動かないといけないのでね。

お元気で。

2013 11・15 145

 

 

* 久保田淳さんに頂いた久保田さん訳注の鴨長明『無名抄』をとても面白く興趣を覚えながら丹念に読み終えた。系統立てた議論でも批評でもなさそうで、思い出すママに和歌詠みや読み批評のカンどころや伝聞を簡潔に要点をつまんで書かれていて、たいそう読みやすい。ただことが和歌であり、昔の和歌をくっきりと意味を通して読み取り味わうことは、千年を隔ててもいて言葉の上でも表現のうえでも嘗めてかかれない。和歌は嘗める程度で美味を味わうにはてごわいのである。その点、引用されてある和歌のかずかずを久保田さんはきちっと現代語で意味を通してくださっているのが有り難い。

じつに詳細な補註があり、これが短篇と謂うも可な本書での美味なるご馳走である。こまめに箸を動かしている。

久保田さん、さきの文化の日にはおめでたい受勲の報があった、この場をかりてお祝い申し上げます。

2013 11・16 145

 

 

☆ とり急ぎ

嬉しいおばあちゃん、同時にお疲れおばあちゃんをしています。やはり育児には体力気

力が必要です。  メール嬉しく、感謝、鴉こそお元気に、お元気に。 尾張の鳶

 

* 山口市の横山さんから、『センスdeポエム』贈呈用の注文に添えて、初めて見るそれは美味い純白巻物の蒲鉾を五本戴いた。酒に、すばらしく合い、夕飯を楽しんだ。感謝感謝。

札幌maokatさんに戴いたりっぱな百合根も、甘煮にしたり、美味しく食しています。ありがとう。

2013 11・17 145

 

☆ 前略

「小柴錦侍と宮代四之介」 (『島崎藤村研究』41号)と一緒にと思っていましたが、パソコンなどの不調から遅くなりました。いつものようなご挨拶代わりです。

今回は余計な事は考えず、目にした資料に沿って、それだけを紹介しようと心がけました。それがそれほど資料のない若者への礼儀であろうとも思いました。とは言え、若くして亡くなつた人を思えば、気になることも多くありました。

そのためもあつて、何度か 「宮代」という青年の影を求めて、学籍簿にあつた横浜日ノ出町周辺をさまよいました。今の日ノ出町はもちろん、回想で古老たちが語ったような明治・大正の町とも違いますし、そこに何かを期待したわけでもないのですが、それでも、そこに暮らしていた人々を思い浮かべるだけで、充分に幸福な時間でした。

今度の文では宮代青年のほんのわずかな事を知っただけなのでしょう。今でもまだ、青年がどこで生を終えたかという事すら分かつていません。

藤村が書く文との微妙な差異をどう考えたらよいかと思う事もあるのです。

旧教の教えを求めて巴里に来た青年の志も、表向きの事かもしれませんが『暁星』では、「大学課程の研学をせられんと」となつています。「羅馬旧教に身を委ねようとして白耳義の修道院の方へ」という藤村の文も、宮代の文に従えば「私の健康は長く巴里に止まる事を許しませんでした」と、暑い巴里の夏を避けてベルギーの田舎へと、巴里の僧様が気を配ってくれるのです。

そのほかにも、藤村の文で宮代青年は、帰国を促す母の事を何度も語りますが、父の事はありません。青年の父政之介は、暁星の学籍簿には「養父」とありますが、この養父と宮代はどのように向き合っていたのだろうかとか、(学籍簿では「宮代政之介」の「政之介」の名が二本の線で消されているのは何故なのかとか)、子を暁星に学ばせたのは、横浜で商いに従事する人としては、目先の事業のための外国語修得にあつたのではないかとか、そういうお宅だつたら息子を上級学校に進ませるよりはすぐ実務に就かせていたのではないかとか、(卒業後四年間の空白はそういう事ではなかったのかとか)、あるいは、船の中でも病み、パリでも健康が勝れず、再三病に悩むのは、宮代は長い病いをもっていたのではないかとか、いずれも想像だけの事で書く事ではありませんが、それでもひたすら内を見つめるような宮代の長い文は、暁星の他の青年とちがつて、何かこの人の孤立というか、孤独な翳が気になるのでした。

ベルギーのコルチイルという村も調べれば分かるのかもしれません。

古い戸籍を尋ねて区役所も訪ねましたが、当然の事、今日では見知らぬ他人への情報開示は断わられました。親切に教えてくれた人が、震災や空襲で古い戸籍も曖昧な事もあつて、むしろお寺さんの過去帳などのほうがよくわかるのではないかという事でしたが、最期の地もお寺も知らず、お寺探しなども霧中をさ迷うかのようです。

明治・大正の横浜の人名簿などから「宮代」という名や、「宮代政之介」の名を、あるいは縁のありそうな方を探しましたが、これも思うような結果を得る事なく終わりました。詮索ばかりしているようですが、私はただ、許されるなら青年の墓前に立ってみたいと思うだけなのです。

等々、また長々と書いてしまいました。

最初の日付は十一月五日でしたが、それから一週間も経ちました。五日の頃は、やっと暑さも去り、家の周りでは柿も色づき、桜の紅葉も染まり始め、外を歩くと道路の脇は落ち葉で埋まるようになつた。つい先日は夏でしたのに。……などと書いていましたが、今はもう完全な冬になりました。寒さばかりでなく、心落ち着かぬ事の多い毎日ですが、どうぞお大切にと念じています。

十一月十三日     宮下 嚢

=ふと道端で

蟷螂が蟷螂のまま轢かれ居り

 

* 「藤村研究」所収の論考はこのまえにもらっていた、その追伸。人が人を慕うようにして調べることの難しさ、また誘引力が察せられて。こういう境涯に身を置く人のゆかしさも覚える。大雑把に言い立てれば堪らないような今日の世情であるが、深層ではこういう静かに心ゆかしい営みもある、それが人の世。

 

☆ 秋はどこへと思うほどの冷え込みで

山口盆地でも十四日の朝 最低気温四・四度となりました。

先生、お具合如何でございますかお見舞い申し上げます お食事がおいしく召し上がれるようにおなりですとか 本当によろしゅうびざいました。 でも視力に少しご不自由がおありですとか、ご案じ申し上げております。

過日は「湖の本117」 まことに有難うございました。大好きな文藝批評で、本の読み方を学び、又、読み返したい本もございます。 大切に拝読させて頂いております。

私は 今年の猛暑、残暑の厳しさ等で、少し体調をくずしました。先日、漸く毎年一回のがん手術後の検査を済ませました。今、五年半が過ぎました、結果はすべて異状なし、全治ということで一安心しているところでございます。手術一年後に始めたハイクの勉強も四年半経ち、毎月の三句提出ですこしはよい評価の句ができる様になりました。「センスdeポエム」の当時、俳句の勉強をしていたらと今さらながら赤面しております。

庭の手入れ、旅行、読書、コンサートや美術鑑賞等気儘に暮しております。パフィオペデラムが一鉢に四本のつぼみを伸ばしております。蘭の世話も疲れ、いつのまにか鉢の数も少なくなって参りました。 山茶花が八重、ピンク、白と何種類かが次々と咲き続き散った花びらはそのまゝにして眺めています。

今年の寒さはいかがなりましょうか。

先生、奥様 お揃いでお体大切にお元気でお過ごし下さいます様お祈り申し上げます。

先生、山口の蒲鉾お送り致します。 お気に召して頂ければよろしいのですが どうぞご笑納下さいませ。

一筆 御礼申し上げます。 かしこ   山口市  艶

 

☆ 秦先生

私の本 お読み下さったとのこと大変うれしく存じます。

いま 歌集「少年」読ませていただいています。

私に大変むづかしい本ですが この冬にかけて湖の本を読みたいと思っています。

私には他に送るものがありませんので 私の作っているセロリーを近々送ります。 十三日 安曇野市 秀

 

* 妻が声をあげて驚嘆し讃嘆したほどの瑞々しいそして巨きな大きな美味しそうなセロリ二株を今日戴いた。わたしと歳も変わらない方が手づから栽培し養育されている特級のセロリー。恐れ入りました。有り難く戴きます。

 

* 丈、一メートルもありそうな瑞々しいセロリ一株を妻が抱きかかえて、歯の女者さんに持参。喜んでもらった。

帰りに、江古田の蕎麦「甲子」でゆったりと食事。この店は、ちょっと吹聴したくないほど落ち着いた佳い店で、蕎麦もうまいが、いろんな酒肴ができる。それらの器がよく選ばれている。酒の「甲子」が美味い。店内の繪も書も花も花生けも佳い。指折り数えれば、もう二十年ちかく前から時折立ち寄る。東工大での講義の帰りにわざわざ下車して立ち寄っていたこともある。

2013 11・18 145

 

 

* 京は祇園の何必館・京都現代美術館から、没後45年の「山口薫展」の招待が来ている。好きな画家で、館の梶川芳友にたくさんみせてもらったこともある。何必館には思い入れの画家であり、そぞろ懐かしい。明けて一月下旬まで、それまでに京都へ行く元気が出るかなあ。

金沢の細川弘司君が東京藝大のころの恩師と聞いている。彼と京都で久々に再会など楽しいのだがな。

歯医者へ行って帰ってきて、それでもけっこう疲れるのだからな。これでは、いかんのです。冒険心を振り起こさないと。だれか誘い出してくれませんか。

2013 11・18 145

 

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

 

ご無沙汰いたしておりますうちに、勤勉なみづうみからは次の湖の本が届きそうで楽しみにしています。

ここ数ヶ月の間、トーマス・マンの日記とともにナチス時代のユダヤ人の人生を描いた本を何冊か読んでいました。あの時代と今の空気の類似にぞっとしながらの読書でした。

 

ホロコーストから逃れたユダヤ人の中にはドイツ最高の詩人のひとりパウル・ツェランやノーベル賞詩人のネリー・ザックスがいます。この殺戮の時代を生きのびた二人は、愛する人々を死なせて自分だけが生き残ったという深刻な罪悪感から、生涯立ち直れませんでした。結局精神を重度に病んで狂って死んでいったことを初めて知り、衝撃を受けました。単純に虐殺された人数だけが歴史にカウントされていますが、その蔭におそらくこのような苦悶の人生と悲劇の死が無数にあったことを思い、戦慄をおぼえました。

『通訳者ダニエル・シュタイン』も、ゲシュタポで通訳をしながらホロコーストを逃れた実在のユダヤ人神父をモデルにしていて、大変感銘を受けた小説でした。この主人公も両親の犠牲の上に生きのびたのでした。

「人間の心理にはびっくりするほど不可解な側面があります。ユダヤの老人たちは、一生の間に数多くのポグロムや広場での集団銃殺を経験してきたのに、ユダヤ人絶滅作戦が計画的に組織されているということは信じようとしなかったのです。」

『通訳者ダニエル・シュタイン』の中のこの一節は、たとえば津波から逃げそびれた震災犠牲者の心理にも共通するものがあるように思います。人間は本物の危機の渦中にあると身動きがとれなくなり、一縷の望みにすがるものかもしれません。作中で、ユダヤ人はナチスが政権をとった時にすぐ逃げるべきであったと書いてありました。

 

いずれの本を読んでも一つ教えられることは、虐殺から助かった人間は時期を逃さず避難した人間だということです。逃げなかった人間は全部死んでいます。逃げそびれた人間はもう唖然とするほど殺されまくっています。アンネ・フランク一家が父親の判断の遅れで逃げそびれたと言われているように、避難の時期を逸してはだめなのです。

 

今まで過去の出来事としてどこか他人事として読んでいたファシズムの話ですが、やはり歴史は繰り返してしまいます。今この時、日本国民にとってファシズムの恐怖はすぐそこに在る事態であり、再び戦前、戦中の悪夢が始まろうとしています。

日本はこれから恐ろしいことになりましょう。暗黒の時代となってみづうみにこのようなメールを書くこともできなくなると危惧しています。

今ならまだ海外に逃れる道もありますが、今後は北朝鮮のように自由な出国が不可能になる恐れもありますでしょう。検討されている出国税などで事実上出られなくなることもありましょう。ですから、出来るだけ早く若者、子どもだけでも逃がすべきと、このような読書からも教えられた気がしています。

しかしながら、世界に安心安全な場所などないのも事実です。ただ、日本よりややましな場所があるだけです。これからの若者は、その時々で少しでもましな場所に移動して生き抜いていくための機動力と覚悟が必要なのでしょう。世界のあり方が恐ろしい勢いで変化しています。資本主義の行き着く先が「命よりカネ」になりつつあるためではないかと考えています。

 

東京オリンピック開催が決定したことに沸き立つ報道をみながら、真珠湾攻撃の勝利のときがまさにこのような感じであったろうと想像しました。真珠湾攻撃が勝目のない戦争をごまかす打ち上げ花火であったように、オリンピック開催決定もまためくらましに思えます。フクシマの災厄隠蔽と経済破綻の先延ばしでしかないと感じています。日本もIOCも狂気としかいいようがありません。そのくらい国際原子力ムラというのは強大なのだと思い知らされました。オリンピックで経済が好転しないのはロンドンでも証明済みですし、貧相な仮設住宅と豪華な選手村を考えただけでも、税金の使い方の本末転倒ではないかと思う自分と、祝賀一色の報道とのギャップに心が折れました。

 

さて、話題かわります。

 

広瀬隆さんが講演会でこのようにおっしゃったという記事もありました。

「食べて応援? 本当なら是非にと言いたいけど、それはやめてください。日本では死んだら荼毘にふされます。環境放射能汚染で子供や孫に迷惑かけちゃいかんのです。」

では今日はこのへんで。かわいい三獣士君たちによろしく。

木守    深秋といふことのあり人も亦  虚子

 

* ありがとう、メール。

2013 11・23 145

 

 

☆ 自邸に関して

秦先生  昨日ですが、内覧会を行いました。

建築関係者を呼ぶのが通例なのですが、現在住んでいる社宅の方々や今後ご近所さんになる方々も多く来られて、和気あいあいと過ごすことが出来ました。「建築」という世界だけでなく、いろいろなつながりを大事にしてきた結果かな、と思っています。

室内にはアーチストの鳴海暢平さんに絵を描いてもらいました。近隣の成蹊大学の森に多く育つどんぐりをモチーフに色鉛筆で描かれました。

大学院時代は、アートとのコラボレーション等は建築の純粋性を損なうと考えがちでしたが、会社に入って建築の実施をやってきた中で、アートの価値を再認識したという感じです。

秦先生とご一緒させていただいていた学部時代は、茶碗等の展覧会のチケットもいただいて、美術館に行ったりしていたので、またそこに戻ってきた、という感じもします。

純粋な建築的な文脈だけで語れる建築も大事ですし、建築に対する厳しさも大事ですが、やはり楽しさがないと。自分で語りえない部分をどう含みこんでいくかを、ノーコントロールでなく含み込めたら、それが楽しさにつながっていくのではないか、と絵を描いてもらいながら考えました。

秦先生は家具が入って普通の生活が始まってからご招待したいと考えております。

心のご準備をお願いします。   楊

 

* 残年のほぼ尽きてきたわたしには、住まい新築という希望はとうに失せていて、結局わたしは、生涯六畳より広い間取りを持たぬ家で過ごすことになる。

育った京都の家では、京間の四畳半が家中で広い部屋だった。父の仕事場も、茶の間も、わたしの勉強部屋も、三畳だった。昭和二十年、丹波の田舎に戦時疎開し、農家の隠居を借りたとき、初めて八畳間で暮らした。勿体ないほど広く感じた。叔母は京都の家の離れに住んでいたが、そこも四畳半と三畳だった。

東京へ出てきて妻と暮らした新居は、江戸間六畳が一室だけのアパート。社宅へ移っても、六畳と四畳半だった。

作家生活を始めたのは、家を建て、社宅から移り住んだ二階家の今の家だが、親子が四人の上に、京都から引き取る父母と叔母との用意を要したので、六畳間以上の部屋はとうてい造れなかった。幸いに垣根ひとつを隔てた地つづきの隣家が買い取れたが、その家一軒がそのまま書庫、物置になっていて、そこでは暮らせていない。家が建ち、まだ老人三人が京都を動かなかった頃は、一日に十回ぐらい「おお広いな」「広いな」と嬉しがっていた。新居というのは、嬉しいものだ。茶人の叔母のための部屋には、半間の床の間をつけ炉も切ったが。とてもとても実際には七人の家族が一緒に住める広さでなかった。狭くて狭くて今も苦労している。

思わずも妙な回顧に落ちた。

妻は千里山で三百坪もの広い家で育った。どうも生涯狭苦しい家に閉じこめてしまうようで、ときどき申し訳なく思っている。

ま、気持ちは、ごく豊かに暮らしているつもりだけれど。

2013 11・25 145

 

 

☆ 冬ですお元気ですか。

ご無沙汰しておりますが、如何お過ごしでしょうか?

私は少し仕事をやすみ、ひとつきヨーロッパに出かけ、また新しい気持が持てました。

どうかお元気で、お過ごしくださいませ。

お目にかかれる機会があることを願っております。  司

 

* 秋のアだけで冬になったかと、惘れ心地。

季節としての京の「冬」が好きであった。底冷えの盆地であったが、冴え返る寒気の魅力があった。小説のヒロインに名を与える仕事は創作者の喜びでも権利でもまた義務でもあるが、『冬祭り』の「冬子」は、ひとしお忘れがたい。たんに季節のご挨拶であれ、「冬です、お元気ですか」とメールで呼びかけられると、ふと、ときめく。町子、慈子、紀子、直子、菊子、槇子、雪子、彬子、冬子、京子、頼子、敦子等々、みな典型的なむかしののままの「子」らばかり。簡明で気品に富んで想えるのは、やはり「…子」だ。

それにしてもいくらかは羨ましいが、ヨーロッパに「ひとつき」とは。疲れるだろうなあ、大仕事だなと想うばかりで、機動性が五体から抜け落ちている。ほんとうにもう、どなたとも「お目にかかれる機会」など恵まれまいと思ってしまう。気が弱っているのか。逢いたい人は、いつでも、何人でもあるのだけれど。

2013 11・29 145

 

 

* 私より年輩の尊敬する或る名誉教授からお葉書を戴いた。ご趣旨ありがたく、当該箇所も確かめた。

 

☆ 御本(=湖の本117)をありがとうございました。

「私語の刻」の187頁188頁のご発言に「全面的に」同感する者です。私も何かの会合があれば、同じ事を発言しようと思うのですが(うまく言葉が出ないのです、秦さんのように)口の先まで出かかって止まってしまうのです。

この御文を力にして、私なりに発言してゆくつもりです。ありがとうございました。 衛

 

* 当該箇所には、「私語の刻」部分として、もう旧聞には属するけれど、今にも余響を帯びて、こうある。

* さて、此の(平成二十五年2013)七月二十一日、参議院の「違憲」選挙が強行された。一作家として『ペンと政治』三巻(千二百枚 湖(うみ)の本114 115 116 begin _of_the _skype _highlighting 114 115 116無料  end _of_the _skype _highlighting)を出版した私なりに、即日「総括」しておく。

① 東京で、反原発の山本太郎を勝たせたこと、共産党も勝たせたこと、最低限の歯止めは打った。

② 安倍政権は明らかな「違憲」政権である。内閣および自民党には、危険の日々に迫る原発の「トイレ」はどこに、いつまでに、だれが、どう建設するのかを、一切に優先し誰もが執拗に徹底的に問いつめねばならない。また放射線による病害・生命不安が、東北と限らず列島中にひそやかに増長蓄積されて行く疫学的事実への不断の検査と対策・対応を厳しく要求しつづけたい。アベノミクスごときは、かならず墜落する。経済に不動の右肩上がりのあるわけはない。ムリと傲りはかならず綻びる。安倍「違憲」政権による「国民の最大不幸」は確実に迫っている。特権の独占を意味する「国益」の謳歌でなく、広範囲に明確な「民益」のために政治せよと求めつづけたい。

③ 海江田・細野執行部をかついだ民主党の惨敗はあまりに当然。海江田執行部の無力な居座りを許さず、すみやかに馬淵澄夫、古川元久、辻元清美らの覚悟きわめた蹶起なくては、「解党」に到るよりない。看板になりうる田中真紀子に比例での復活をさせなかったのも失敗の大きな一つ。筋を通して大河原まさこ候補を応援した菅直人元総理の政治家たる気概こそが、党再生には必要不可欠だ。この際、無策に「連合」頼みの民主党は一旦解党して出直すべき時機にあるのでは。

④ 「労働者」を見棄てたまま「憲法」しか叫ばない福島みずほ社民党の、とうてい「票と議席」に結びつかない無反省な無力は、蔽いようがなかった。惨敗当然。「野党の意義」を率先壊滅へ導き続けた「責任」の自覚を欠いている。ものが見えていない。山本太郎を党首に迎えるほどの英断しか此の党に延命の道は無い。

⑤ 「政権を担う」ことを一度も目標としない共産党の政治姿勢は物足りない。つねに「政権から遠い外野」に甘んじ、ただ大声をあげているだけでは、到底国民の幸福をゆだねられない。

⑥ みんなの党のある種の頑なさが野党の大同団結を妨げる大きな障りになっている。小さな独善に陥っていないか、渡辺党首の器量の小ささか。

⑦ 大阪維新の会は、すみやかに石原慎太郎と訣別し、初心に戻るとともに黴の生えた党名を清新に一新し、小さくても強烈な政治姿勢の再生・再建をはかるべし。

⑧ 生活の党は臥薪嘗胆を覚悟し、善き政治の火種を列島のすみずみに地道に植え続けよ。またの日がある。

⑨ 公明党には、ただただ自民党に対し、憲法改悪・海外参戦への無用な手出しをさせない強い防波堤たるを期待する。

⑩ みどりの風は甘い観念に陥っていた。明確に、伸び上がる現実女性の権利政党をめざすべし。

⑪ 六十五歳から八十歳までの「老人たちによる政治勢力の結党」または参議院にかわる「老議院の実現」へ歴史的な舵をきる時機ではないか。

⑫ 口を開けば「参議院のねじれ解消選挙」などと一斉に叫んでいた日本のマスコミの、見識の無い「違憲」政権への阿諛迎合、情けない姿勢に失望を倍々増した。糺すべきを正さぬ日本大方のマスコミ報道の無責任と偏向には呆れ果てる。 (以上)

 

* 関連して今日只今の思いを語っておく。

① 山本太郎の「お手紙」事件は一つの「発想」として、余人には出来なかったプラスマイナス付き「珍」プレーだった。人々は無意識へし沈めきってはいるが、日増しに募る安倍自民「違憲・強権」政権への不満、「迫る国民の最大不幸」への不安を、考えられなかった・考えてはならない筈の「天皇への直訴」、「天皇の非道政権に対するある種の拒否行為」等を期待しかけている動きと山本の「珍」プレーは連動していたのかも知れない。あくまでも限定して謂うことだが、現在の天皇ご夫妻への国民の尊敬や信頼はすぐれて人格的・人間的な優秀への感謝に裏打ちされている。主権在民の大原則は絶対に守らねばならぬ時、その主権在民を先頭に立って蹂躙しこくみんを奴隷化して行こうと憚らない「悪・違憲」政権への「拒否行為」を天皇さんにお願いしたいという動きは、これから先に膨らんでくるだろう。政権は、国会は、司法は「その前に」謙虚な善政へ立ち戻るべし。

② 民主党に曙光はみえない。菅直人に、もっと元総理としての気概と責任感から積極的・刺激的な「発言」と同志の「結集」を図ってもらいたい。鳩山・野田二人の元総理は、どうにもならない落第総理として忘却してよく、誠実な政治家魂をもった若い気概の人を盛り上げねば何一つなし得ないまま、理の当然として、ジリ貧が進むであろう。

③ 共産党が、「政権党」への前進を委員長の言葉で公言に到ったことを、高く評価したい。わたし自身が共産党を無条件で支持するという表明で決してないことも断っておく。

④ 公明党への祈るほど悪政への防波堤希望は高まっている。どうか、悪く折れて迎合も阿諛もなく自民党と対峙・対決して欲しい。

⑤ 政治をひたすら「我私(われわたくし)」する政権は許さない。政権の「権」の字義は、国民から謂えば、時期を限って政権に対し「国民主権を分割して貸し預けただけ」の意味であり、政権として謂えば、国民から「託された、大事な仮り・借りもの」に他ならない。それをよく国民は記憶していたい。それを政治家・行政官はよく記憶し、誠実に理解して勤務するのが義務である。

⑥ 小泉元総理は、かつて自身が持っていた「原発推進」説を真反対の「原発即時ゼロ」説へ切り替えた。過ちを改めるのを憚らなかっただけではない、確信をもってその危険と損害を認識し力説している。その論拠の真っ先に大きな一つは、私が、さきの参院選集約の中で言っていた、即ち、「内閣および自民党には、危険の日々に迫る原発の「トイレ」はどこに、いつまでに、だれが、どう建設するのかを、一切に優先し誰もが執拗に徹底的に問いつめねばならない。また放射線による病害・生命不安が、東北と限らず列島中にひそやかに増長蓄積されて行く疫学的事実への不断の検査と対策・対応を厳しく要求しつづけたい」という言葉に、事実上、呼応したものである。その回心に敬意を惜しまない。

2013 11・30 145

 

 

* 昨晩、弥栄中学生の頃から、京都美術文化賞選者・理事の時代まで、親戚同様に目も心もかけて下さった亡き橋田二朗先生のお嬢さんから、思いがけず美味しいケーキ菓子を頂戴した。一度もお目に掛かった記憶はないが、染織作家とうかがっていた。恐縮した。じつは、もう久しくわたしは身の側に一枚の扇楽茶碗を所持していて、それはいわば即興、四人のわが先生がたの寄せ描き茶碗である。橋田先生が磊落な裸婦図を、わたくし担任の西池先生が「死生命あり」の書を、もう二人の先生方が書や繪をかかれている。橋田先生の大の仲良し先生達で、しかもそんな茶碗をわたくしが貰っていた。今し方までもその茶碗はこの機械のまぢかにすぐ目に入るように置いてあった。

この茶碗を、お礼に差し上げたいと思い、もう荷造りもした。

 

*  思いがけずすてきなお菓子を頂戴し、美味しいことに歓声をもらしました。

ありがとう存じます。

お目に掛かったことは一度もないと思いますが、いつも、どうなさっているかと心懐かしく想っておりました。ご芳情恐れ入ります。

 

前々から、折あれば差し上げたいと思いつつ、座右にいつも置いて懐かしんで参りました「おもしろい」お茶碗を、あり合わせの古箱を利し、ぞんざいな荷造りながら、心こめてお贈りいたします。

なき先生のお繪は、まこと先生のご気象を生き写しの筆致で、一種の名品と眺め飽かず愛翫してきました。寄せ書きは、私担任の西池先生をはじめ、みなさん、橋田先生が弥栄中学時代の大の仲良し先生方です。先生ご霊前にお返しすれば、どんなにか懐かしく想って下さることでしょう。どうぞご受納ください。思いようでは妙なものを寄越すとお叱りかもしれませんが、お許しを願います。

 

いつか、一度お目に掛かりお話を聴かせてほしいと今も願っています。

 

橋田先生一代の名品である「鶴」の繪を、また給田みどり先生の歌集にかかげられた扇子繪の「牡丹」を、写真にして身の側に飾っています、そのうえ何册もの著書に先生は何度もはんなりと美しい装幀をして下さいました。ありがたく、大事に大事にしております。

 

どうぞ日々お大切にお元気にお過ごし下さい。私は、文字どおり少しずつ少しずつ回復しています。この後も先生のお教え「自然に」を、胸に畳んで生きてまいります。  秦恒平

 

* 橋田先生は橋田先生、西池先生は西池先生、中学時代の先生であり、お人柄も尊敬してきた文字通りの先生である。ひろく世上の習慣にしたがいかかっているお医者さんは「先生」と呼んでいる。それ以外は、面と向き合っているときは除き、お人もお仕事でも尊敬できる方にかぎり「先生」と呼んだり書いたりしてきた。信愛ないし親愛できる方は「さん」と胸の内で敬っている。

わたし自身に対してはどうか。何かに書いているが、わたしは人様がわたしをどう呼ばれようと一切構わずにきた。「秦先生」「秦さん」「秦君」「秦」その他名前でのいろいろ。わたしには恒平以前に宏一と仮称されていた時期があり、秦の家でさえ祖父と叔母とは「ひろコ」「ヒロさん」とわたしを呼んでいた。父と母とは「コーヘイ」と呼んでいた。馬琴とちがい名詮自性の信仰は持たないし、敬称を求める気もないから何でもいいのだ。むしろ呼ばれ方しだいに呼ぶその人のことが分かりよかったりする。

習慣上編集者や読者の皆さんが「先生」と呼んで下さることはむしろ普通の慣習だった。それが「秦さん」でも何でもよろしく、東工大では学生諸君に「秦さん」でいいよと最初に告げ、今でも「秦さん」と呼んでくれるもとの学生君が何人もいる。

 

* ついでだから、書いておく。

わたしに向かって「弟子」にしてほしい、「弟子」になります、「師」と慕いますなどと、あからさまに言いもし書いても来た人が、過去に何人かいた、それには、今も苦笑してしまう。学校での学生をすら若い友人だと思ってきた。門弟何千人などと謂われる文壇人を内心軽蔑してきたわたしは、深く深く尊敬する谷崎潤一郎先生に、真実「弟子など」一人もなかったと確信しているように、文学上の弟子持ちになど、成るわけも、成りたいわけも、成れるわけもないと思っている。

弟子にして下さい、師弟の礼を取らせて下さいなどと言われては、むしろ、気味わるかった。そういう人が、永い過去に、思い出せば男性三人、女性が二人いた。むろん書いた作も送られてきて感想などは遠慮無く告げていた。

男性の二人は、あっさりしていて、いまでも少しずつ書き継いでられる。

「押しかけ弟子」と自称されていた女性の一人は、わたしよりはるかに高齢の実に個性的な歌人で婦人で、もうとうに亡くなっている。忘れがたい人で、「押しかけ弟子」の名乗りも、むしろ破顔一笑の心もちで面白く聴いていた。

もう一人は、ペンの会員に推薦し、同じ委員会にも属し、数百千ものメールを長期に亘り貰ってきた。わたしのこの日録のことを、いつも「湖のご本」と謂うふうに言い、感想などもしきりに寄越された。そんな例はこんどの新刊「湖の本」にも顔を出している。

しかし、はっきり言うが、この人を「弟子」にした気など全くない。わたしに弟子など、当たり前の話、一人もいない。そんな尊称を投げかけられるよりも、その人、人なりに誠実に文学への素志とお人柄とを愛しみ磨いて貰いたいと願うだけだ。無意味なお追従など願い下げにしたい。

2013 12・2 146

 

 

☆ 十二月

「小倉百人一首にからめた戯れ歌」をつられるように微苦笑しつつ読みました。たっぷり溢れる豊かさが鴉の中には詰まっている、実に実にうらやましいです。

戯れ歌や川柳には時として辟易もしますが、正面切っての真情が差し出されます。同時に突き放して書くほどの距離の置き方や批評精神がなければ書けないとも気づかされます。嫌いではありません。

この続きを、百の戯れ歌を、ぜひ作ってくださいな。ただし眠れぬ夜の苦しさに、ではなく、何より安眠を願っています。

先月は神戸の詩の集まりに出かけました、何か月ぶりか、半年ぶりか。数歳とはいえ、わたしより若い友人の病状に驚き、予測できることとしても、胸ふさがる思いに追われ続けています。

初孫が帰って行って約十日が過ぎました。いる間に首が据わり、テレビや携帯の画面、鏡に映る姿などに反応し関心をもつようになりました。とにかく日々成長していく早さに新米ママは母性本能に揺さぶられ、成長をもっと時間をかけて味わえたらいいと言うようになりました。

新生児の頃は不慣れと夜中に起きる疲れで、可愛いという余裕さえなかったのです。彼女が自然に可愛い可愛いと言えるまでわたしは何も言わないで見守りました。

わたしは以前から婆バカになると「宣言」していました。気持ちの余裕も十分に、ただし体力の衰えも痛感しました。姑、親類、娘の友人など入れ替わり来訪宿泊で大忙しでした。さすがに疲れて、この一週間わたしは風邪気味、肩の痛みも和らぐことなく、何もしたくない、不調の鳶です。

『選集』の注文をまだしていなかったと思います。よろしくお願いします。

現在書きすすめられているものが形成し姿あらわすのを待ち望みます。

くれぐれもお体大切に、大切に。  尾張の鳶

 

* いまは、心なごむこういうメールに静かに慰められる。ありがとう。

2013 12・3 146

 

 

☆ この度は、

想い出一杯のお茶碗を、お贈りくださいまして、ありがとうございます。

懐かし方々の御名前と父の絵 若いころの父(=橋田二朗先生) が浮かんできます。

西池き季昭先生も、つい最近までわが家へ畑仕事をしに来られてたみたいな、錯覚をしてしまいます。

何時までも、父の事を忘れないでいて下さりありがとうございます。

早速く、父のもとに置かせて頂きます。

私もお会いできる日を楽しみにしております。

寒い日が続きます、どうぞ、お身体を御自愛下さいませ。

取り急ぎ御礼まで    有

 

* 悦んでもらえてよかった。落ち着くべきところへ寄せ描きの楽茶碗が落ち着いてよかった。私にしても残り惜しさは十分に有る、それでもよかったと思う。

2013 12・3 146

 

 

* 一の朗報は、理史君の結婚。高千穂から神酒とおぼしき二本が今朝届いたとき、あ、新婚旅行だなと感じた。午後には推測通りの知らせのハガキが届いた。

おめでとう。

中学生の頃からわたしに手紙を呉れ続けたもっとも年若かった友人であり読者である。新潟から九大に入って卒業、いまは奈良県で勤務している。愛妻とは九州時代の人であろうから新婚旅行は九州だろう想っていた。どうか幸せに、心身健康な家庭を築いて下さい、もちまえの個性も人柄も大切にして。

さっそく、乾杯した。メールが通わないので相談しにくいが、心からのお祝いがしたい。

2013 12・5 146

 

 

* いもとせを寧楽(なら)と祝ふぞ千歳まで  遠

「妹と背」に「五百年」を重ねて、奈良県の理史君たちにお祝いの品を贈った。

 

* 昨日には高麗屋から歳暮のごあいさつに、飾り物も添うて大きな樅の樹を頂戴した。樹はいずれ地に植えて育てられよう。感謝。

 

* 弥栄中学いらいの友人、日立の役員まで務めた西村明男くんから「両口屋」の銘菓をいろいろに頂戴した。やはり中学での友だち横井千恵子さんからは千枚漬をたくさん頂戴した。しきりに昔の同窓生たちや京都が懐かしい。新幹線に苦もなく乗れるようにはやくと願うのだが。尾張の鳶さんからは「気落ちしないように。元気で元気で」と活をいれてもらっている。気が沈むのは、何と言っても、世情の先行き。

明後日の、また誕生日の、歌舞伎座を楽しみに待とう。歳末、松本紀保の芝居もある。

2013 12・8 146

 

 

☆ 拝復

本日は御鄭重にも「湖の本118 」を御恵送下さいまして実に有難うございました。すでに二十七年間の「継続刊行」とは驚異的ですが、「序にかえて」の 「歴史を書くこと」「歴史を読むこと」で「自分自身を問うことを忘れていては本末顛倒になる」の御述懐はまさに「歴史」の本質を衝いておられ、感慨深く拝読致しました。又、「私語の刻」の「『私民・万民』の言葉と文字で記述し吟味しあう『日本人の歴史』こそ持ちたい気持ち」がおありのことは、紫式部にも直結していて、真正の文学者の言と感銘致しました。 又末尾の「幸い、少しずつ元気を取り戻しています」を拝読して御恢復を心から嬉しく存じ上げました。異常気象はおさまらぬようですが、呉々も御体調には留意され、佳き新年をお迎えになりますようお祈り申し上げます。

右、取急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。九日 敬具   元「新潮」編集長

☆ 拝啓

いよいよ年の瀬も近づいて参りました。ひととき病のことで案じておりましたが、「湖の本」の執筆も続けられ、次々と出版される御様子に安心致しました。

とくに今回「流雲吐月(一) 歴史・人・日常」は興味深く読ませて頂いております。私自身九十歳を目の前にして脚の不自由に苦しんでおりますが、あと何年生きられるかと思いつつ自分自身をなんとでもして問わなくてはならぬと思いつつおります。

湖の本も随分私の本棚をうめて参りました。たえざる御努力敬服にたえません。私もペンクラブを引き、その他すべての会合に出席する脚力もなく、毎日家にこもって書を読み、何かを書き続けております。このことが一番心の安定につながり平穏に生きる道だと思い、俳句や短歌など、更に詩などを作り続けております。先生の御著書もこれからゆっくり読み続けるつもりですが、小さな漢字にはだんだん弱くなって参りました。読み残した書のみ多く、でも最後まで文学の道に精進したいと思っております。

失礼かとは存じますが、何か御送りする気持ちで同封致しました。御受納下さい。

御執筆の日々を心よりお祈り申し上げます。  新宿  文学研究者

 

☆ 厳しい闘病のなかでの

政治(現代社会)への批判、感激の楽しみ、日々の記述は、平成版「断腸亭」として拝見しています。

日本社会は、明らかに幼稚化しています。  藤沢市  澄

 

☆ お元気ですか

姉の*子は姉弟の中でも一番元気ですよ。いつも会う度に 恒平ちゃんの話をしています。

小さい頃がなつかしい……    京・縄手  凱

 

* 心より懐かしい。

 

☆ ご無沙汰いたしております。

「ココ」でございます。

「湖の本」に いつもメッセージをいただき、うれしく 有難く、お便りしなければと思いつつ、日々の暮らしに流されてしまって 申し訳ございません。

少しずつお元気になられているとのこと ほっといたしました。

私のほうは 定年まであと3 年 早くもカウントダウン体制で 仕事に行っております。

息子は 今年3 月に転勤になり 岩手で元気にしております。

おかげさまで 今年90歳の母と80歳の父も 何とか二人で、それなりに元気でいてくれています。

年末始は、息子と二人で帰省いたします。両親とも いつどうなるか分からない年齢ですので

「あの時帰っていれば・・・」という後悔はしたくないので帰省するのも 子の務めと思っています。

創刊される「定本・秦恒平選集」 是非拝読させていただきたく 申込みいたします。

私が先生のお書きになったもので、一番最初に手にしたのは 「みごもりの湖」でした。

よろしくお願いいたします。

私ごとばかり書き連ねてしまい すみません。

寒さもこれから厳しくなって参ります。くれぐれもご自愛くださいますよう。。。

それでは 失礼いたします。 品川  胡

 

* 久しい以前に幼い男の子と、決然高知から東京への転勤を求めて出て見えた、女性の読者。いつしかに少年は大学を出て、とうに社会人に。時空にかかわる人の世の営みの、いと堅実な精神例に敬服する。三世代のご平安を切に願う。

 

☆ おじい様 おばあ様

ご婚約記念日、おめでとうございます。

お二人のこれからの一年が、さらにステキなものになりますように。

少し前になりますが、フランスの旅行から帰国しました。やはりパリは何度行ってもため息がでるくらいステキなところです。日本にはない刺戟があふれ、いるだけで幸せになります。やす香(=秦の死なせた孫娘)の大好きなパリ、私も大好きです。

先日、やす香と共通の友人に女の子が産まれました。また別の友人も。来年四月に結婚します。きっとやす香は、かおをフニャフニャにしながら喜んでいると思います。☆

それでは、風邪に気をかけてお過ごし下さいませ。  香

ささやかですが、クリスマスプレゼントです。

フランス土産の紅茶やさんのアメと、今さらお渡しするのはお恥ずかしいのですが…以前購入したオルゴールのCDです。生のオルゴールの音色を聴いて感動し、おじいさま おばあさまにもぜひ聴いていただきたいと思ったのです。渡すタイミングをのがしておりました。よろしければ、きいてみて下さい。  香

 

* やす香のお友達がこうして欠かさず途絶えなく、懐かしやかにお便りを下さる。ありがたい、ことだ。嬉しいことだ。

実の娘「朝日子」は、押村宙枝と名を替えどう暮らしているのだろう。実の孫、姉のやす香が愛していた妹のみゆ希は、今はいったい何処に住んでどう暮らしているのだろう。京都の立命館大学に入学したともかすかな噂に聞いた気もするが。心ゆく日々を幸せにすごしているのだろうか。そうあって欲しい。

 

* 恩師金田教授の奥様より北海道の鮭を頂戴した。恐れ入ります。

 

* 西山松之助先生の奥様西山ふみ様より、先生三回忌を記念、熊倉功夫氏編輯の『茶杓三千本』を贈って頂いた。下村寅太郎先生、西山松之助先生、両碩学に可愛がって頂き、銀座で鼎談させて頂いた往年を懐かしく思い起こす。

 

* 妻の妹より、亡き兄で放送の構成マンでもあり作詞家でもあった保富康午の、少年時代手書きの詩集が贈られてきた。妻等の父保富茂がてづから清書したりしてあり、妹流美子自身は自身も詩集を出版しており、またじつにユニークな細密絵画も描いている。兄妹等の母親も短歌を作っていた。

 

* 妻の親類やわたしの異母妹からも歳末の挨拶があった。

2013 12・11 146

 

 

* 菅直人元総理や写真家の島尾伸三さんらの手紙をもらった。

 

☆ 安倍首相は

(前略) 権力行使に酔っているような愚かな政治をしています。

良い新年をお迎え下さい。 敬具   岩波書店編集者

 

☆ 「歴史を読む」ことの

重みを受けとめつつ拝読しております。

秦先生のご健康とますますのご健筆をおいのり申し上げています。 山梨県立文学館

 

☆ 先生の

精力的なご執筆を見るにつけ励みになります。

良い年をお迎え下さい。  横浜港南  作家

 

☆ 遺すもの

有る人ありてうらやまし 己が手箱をまさぐる冬の日  哲

 

☆ いつも

はらはらしながらHPを拝見させて頂いております。

いよいよ人の心だけが救いの暗闇の時代になってきました。

秦さんのお声がもっともっと広くいき渡ることを願っています。  瀧

 

☆ 機密保護法に抗して

金沢でも座り込みを続けました。今後も諦めずに頑張ります。  戸

 

☆ 『みごもりの湖』楽しみに

待っています。どうか佳いお年をお迎えください。

秦恒平さんという作家は もしかしたらマンデラさんのような心の持主ではないかとふと思ったりしています。  近江 民

 

☆ もうすぐ

秦先生の78歳のお誕生日ですね、おめでとうございます 益々のご活躍を祈っております。創作物はもちろんのことですが、テレビに関する先生の見方が正直で、とても共感する部分が多くて楽しいし、うれしいです。 桐生 一

 

☆ 湖の本118『歴史・人・日常 流雲吐月(一)』

ありがとうございました。視力のご不安と闘いながらの精力的なお仕事に心から敬服しております。私も関心のある歴史へのご言及、特に興味深く存じます。(中略)

私どもの世代は江戸時代までで学校の歴史の授業はストップ、後はイデオロギー的な文書としか呼べないような歴史書を随分読みました。というより読まざるをえない状況でした。(中略)

また秦様がご指摘なさっている、また実践されてきた「紫式部も後白河院も新井白石も最上徳内も、わたしと同時代人」というお考えに接し、イタリアの歴史家クローチェの「すべての歴史は現代史である」という一節を思い出し、深い共感を覚えております。

今後も「湖の本」を通じ、いろいろとご指導いただくことをありがたく、かつ嬉しく存じております。

最後になりましたが、お体をお大事にされつつのますますのご健筆を心からお祈りしております。 草々  元筑摩書房編集者

 

☆ 湖の本118 拝受しました。

秦 恒平様

2000年の記述「國は守らねばならず、極東の近未来は危険に満ちている。( 略)近隣近国との間に生じる軍事的緊張のさほど遠からぬ事態には、備えねば、やはり、どうにもなるまいとは怖れている。」という卓見が遂に生かされぬままに来てしまったのではないかと。

そして、2004年の記述「米沢藩改革で、先ず真っ先に手をつけた一つは、人口激減からの徹底した回復策であった。」にあるとおり、迂遠ではあるがこれこそが未来への確かな保証であり、既に遅きに失したかもしれないが、必死で取り組むべき課題でしょうね。次世代に我々が生きてこられた幸運を受け継いでいくためにも。  濱

2013 12・12 146

 

 

* 清水房雄さん、寺田英視さん、三好徹さん、小和田哲男さん、烏頭尾精さんら、また多くの大学研究室や図書館から、「湖の本」新刊へのお手紙やご挨拶を戴いた。

 

☆ ありがとうございました。

幅広い視野と、ものすごい読書量に圧倒されています。  歴史学者

 

☆ (前略)北朝鮮の核について

小生は今でも北にそんな工業力も実力もないと考えています。実験もミサイルも中国の製品の払い下げでしょう。あるいは中国が材料を与え、実験させているのです。不備   日本ペンクラブ役員

 

☆ アトリエに

ご本のコーナーを定めておりますが、そのぶ厚さに敬服致しおります。  画家

 

☆ 今年もあとわずか

一年があっという間です。

一番絞りのお酒が出来ました。近いうちにお送りします。

ありがとうございます。      湖南  敬

 

☆ 物騒な世の中になってきました。

巻頭の談話「憲法は抱き柱か」 共感します。  鎌ケ谷  仁

 

☆ 秦さんの

息災が 私の無事に響きます。

いつまでも若々しく 記録更新をお願いします。  狛江  秀

 

☆ 湖の本118

有難う存じました。

もうあまり遠出も出来ませず、読書だけが楽しみとなりました。

御平安を祈り上げます。 福田恆存先生奥様

 

☆ ありがとうございました。

先生と、お目にかかっている夢を見ました。お元気なご様子、うれしく存じました。  紀の川市 貞

 

☆ すばらしいご回復力、

精神のお力に勇気づけられております。

当方 相変わらず 老・老・老介護中ですが それができることはありがたいことと思っております。そして自分自身、前向きにではありますが、身辺を身軽に、片づけものをしたいなあと思う毎日です。

それによって精神ももう少し軽やかに…と。  上北沢  恵

 

☆ 秦先生

湖の本118 お送りくださいまして,ありがとうございました.

先生の幅広く深い「私語」が現在時点に追いつくのも大変な道のりと拝察しました.

それにしても,拝読していますと,時が解決してくれる問題,というのは意外に少ないのかと思います.

僕は先日,誕生日が来まして 43 歳になりました.

昨年自分の研究室を開始して,さらに京都大学の研究者を兼任するようになり,これまでは (理論屋のためほぼ) 一人で勝手に研究できて楽だったのだと実感しました.

同時に,一人ではとても達成できない研究ができるようになり,幸福です.

 

話が変わりますが,大河ドラマを見ていたら,山本覚馬の妻時枝が若い書生と不倫をして放逐された,とのことで.ふと思い出したのが,シェーンベルクの妻マチルデ・ツィムリンスキー( 旧姓) が若いゲルステルという画家と不倫をした話です.シェーンベルクの場合は,若造を自殺に追い込んで一件落着したわけです.

秦先生の読みによる漱石の「こころ」では,先生は若造に妻を託すという,別の展開であったと記憶しています.

この話をネットに書いたところ,知人の中年男性から、「あなたも実体験してみては?」と言われ,咄嗟に,「僕は体験するならもう \” 先生\”側しか想像できないので辛い」とお答えしました.

同じ年の幼なじみの女性からは,「つまり年上の女性好みではないの? 」と言われ,一瞬何のことか判らなかったのですが,いえいえ,そうではなくて,誰かに師事する自分というものを想像できなくなった,とお答えしました.

43歳とは,いかにも中途半端で特色がない年齢ですが,誰かに師事しない,ということは驚くべきことではないかと思うのです.

そこで,そもそも師とは何かと思うのですが,文学の師,音楽の師,科学の師という感じに分野限定で手ほどきをしてくださる方,もっと突き詰めると人生の方向性を変えるきっかけとなる方,という大まかに二つの意味があろうかと思います.

そのどちらの意味の師にも,20代までに出会い終わっている感じがします.

あとは自分で突き詰めなければならない,そうでなく次々と師を増やしていくのは,どうも節操がない気がします.

そこで秦先生の 12 月 2日の、「わたしに弟子など一人もいない」というお言葉を拝見したとき,なるほどと思いました.「その人、人なりに誠実に文学への素志とお人柄とを愛しみ磨いて貰いたい」の、前半は分野限定,後半は人生の方向性ということかと思います.あとは,磨くことを続けようと思います.

ますます寒い日が続きますが,先生におかれましては,ご自愛のほど,お祈り申し上げます.

追伸: 先日,妻が振り込んでくれましたが,名義が妻の名のままだったそうです.宜しくご査収ください. 尾張旭市 仁

 

* 停滞を心地よくすこしも感じさせない人、東工大の卒業生。教授室で初めて話した頃の面影も話し方も忘れない。目黒駅の地下でいっしょに天麩羅を食べたこともあったなあ。

 

* わたしには「弟子入り」を願った「先生」もいない。深く尊敬し推服した方ならそれは大勢さんが記憶にある。それがわたしの幸福であり力となった。「濯鱗清流」をただ願うのみであった、むろん今も。わたしは行儀も悪いし世間的な礼儀にもおうおう随わないが、敬愛したお一人お一人への思いはいつも深い。いまも目の真ん前に谷崎潤一郎先生の一等善いお顔写真がある。鏡花全集があり森銑三著作集があり、会津八一先生の「学規」も井泉水先生の「風・花」二字額もある。階下の居間には志賀直哉全集があり、書庫の正面には島崎藤村全集や谷崎全集や柳田国男全集、折口信夫全集が在る。ただ飾りのように在るのではない。いつでも読むためにある。

☆ 湖の本118

秦 恒平さま  寒くなってまいりました。

第118巻、ありがとうございました。

病院通いしながらの出版、おめでとうございます。ありがたく思っております。

ちょうど同じころ、先生のことを思いだし、高島屋から心ばかりの物を送らせていただきました。いつもお手紙をつけられず、悪しからずご了承くださいませ。

病院とリハビリにあけくれ、書くという動作もしんどい日々で、今回やっとメールアドレスを見つけることができました。

向寒の折りから、くれぐれもお気をつけて、新年をお迎えくださいませ。  江東  恭

2013 12・13 146

 

 

* 梅原猛さん、高田衛さん、関口忠男さんらからお手紙を頂戴した。

 

☆ 拝復

『湖の本』118巻(お手紙付を)拝受しました。いつも感銘を受けています。

「憲法は抱き柱か」は警世のの言です。私は旧制中学二年の時、学徒動員の工場の中で、終戦の日を迎えました。それ以来の、長い年月のなかで、今というアベノミクスという右翼の日を迎えています。アベの呪詛をこれから始めます。 都立大名誉教授

 

☆ 拝啓

今年も師走を迎えました。

「湖の本」118 歴史を読むことの重要性が、たしかなものとして理解されました。

結局、自分自身が問われるというところをはずしては成り立たないことを教えられました。現今の社会情勢がいかなる歴史をつくり上げるのか、予断を許しません。「文学」の力の必要性を痛感しております。

ご自愛の上、良いお年を迎えられますよう念じ上げます。   日高市 国文学研究家

 

☆ いつも秦さんの日録に

啓発されています。

黒いマゴも含めて皆さまお元気で新年をお迎えください。  吉備  毅

 

☆ その後お加減は

「湖の本」を静かに読む時間を確保しようと思います。

一日も早い全快をお祈り申し上げます。 東工大卒業生  横浜国立大准教授

 

☆ いつも有り難うございます。

嫌な 息苦しい世の中になりましたが、沈黙せず、否は否と、また希望に生きよと発信する教会に通っています。

どうぞ お大切に。よい年をお迎え下さい。  下関  碧

 

☆ 『歴史・人・日常』拝受

あらためて肝銘。

小生、生意気にも、小五の頃から、人類史の近代をコロンブス(の新大陸発見1492)から一貫して「インティアンの味方」を標榜して眺めております。そうすると、思想や立場の一貫性が保てます。「歴史を治療」しなければ、近代が依然として抱えている問題は、何ひとつ、根本的には解決しないでしょう。たぶん先生と同じ立場に立っていると思っております。 神戸市 大学名誉教授

 

☆ お元気の由

何よりと存じます。湖の本新刊冒頭の「談話・憲法は抱き柱か」に共感。「私語の刻」以上に秦さんの謦咳に接した思いです。

よき新年をお迎えください。  我孫子市 詩人

 

☆ (秦建日子脚本の)『ダンダリン』

歴史に残るドラマだったと思います。毎回楽しみにしていました。(11/20 の朝日の記事に納得しています。)視聴率は関係ないです。いいものは、何たっていいんです。

私も「歴史を読む能力」を身につけられるように自分の五感を磨く努力をしたいと思います。また真に尊敬するに値する若い国の指導者の出現を待ち望んでいます。多くの人がそうであるように!

秦先生 どうぞますますご自愛下さいますように お祈りいたします。  静岡市  鳥

 

☆ 12月21日は

私も誕生日で還暦を迎えます。(秦さんと誕生日が同じ事は私のひそかな自慢です。)

母の介護のかたわら、御作を少しずつゆっくり読み返しています。

どうか御体を大切にお過ごし下さい。 鎌倉市  美代

 

☆ この半年、

「黒いピン」が抜けなくて悩んでいます。     神戸市 章

 

☆ 今回の

秘密法案も 原発も、決して忘れることなく、継続して批判してゆきたいものです。

それにしても、はがゆいです。 広島県  知

2013 12・14 146

 

 

* 「ペン電子文藝館」の同僚委員だった方からおいしそうな肴を戴いた。じつは、このかぜ気味の中で食味をほぼ全く喪いかけ、食欲すら失せていて参ったなと思っていた。おいしそうなものに、どうかして美味しく手が出るようにと願わずにおれない。

2013 12・15 146

 

 

* 読書の楽しみは少年の昔から、ほぼ生来のもの。もう一つの楽しみ、能・歌舞伎・演劇などり舞台好きは、いわば人生の所産。ことに、いつ頃からであるか、妻が、ほとんど見向きもしなかった歌舞伎にぐんぐんと身を乗り出してきてからで、観劇は一人でよりも隣席に連れのある方がなにかと喜ばしいのである。海外へも出ず国内の旅さえ控えがちにしてきた我々が連れ立って楽しめる歌舞伎や新劇は格好のばになった。

太宰治賞を受賞し作家生活に入ると程もなく、わたしは、本間久雄さんという読者とのご縁から、俳優座劇団の公演を観に行くようになり、いつしか劇団から毎回の公演に招待されるという嬉しい慣いが今日にまで続いている。それどころか加藤剛主演での漱石原作「心 わが愛」の脚本まで書かせてもらった。たいそう興味深い体験だった。後には、つかこうへいの弟子としてデビューした息子秦建日子が自作・演出する小劇場超満員の芝居も応援と批評かたがた楽しんで観に行くようにもなった。

俳優座との縁よりなお少し早く、歌人で喜多流の馬場あき子さんの手厚い手引きで、まず喜多流から、東京での能・狂言を楽しむ生活も始まった。喜多(実・得三、節世、昭世ら)、観世(榮夫)、梅若(万三郎)らの能をそれは沢山楽しませてもらってきた。

歌舞伎は作家生活に入ってからときおりには観ていたが、妻が一緒に歌舞伎座や国立劇場に着いてくるようになって、一気に爆発的に歌舞伎づけになった。歌舞伎を観ないつきなど無いほどよく歌舞伎座へ、国立劇場へ、演舞場や明治座まで、さらには大阪・京都・名古屋へまで脚をのばすこともあった。

わたしは、いわゆる通ではまったくない。能でも歌舞伎でも新劇でも、何の蓄えもなくただ好きで観るだけのど素人の分際で、好き勝手に褒めたりくさしたりの好き勝手をさせて貰っている。最低限、妻と二人で面白かったりつまらなかったりするそれだけで楽しんでいる。多年、がんばってきた自分たちへのボーナスだと思っている。幸い高麗屋さんとも松嶋屋さんとも親しみのご縁が出来て、なにかと有り難いお世話になっている。お世話になるのをさえ喜んでいるような次第。

大病の前は、もう一つ、飲んで食うというたのしみを大事にしていたが、これが、まだまだ情けないほど回復していない。案外にそれが善いことかも知れないし、よくないのかも知れない。

ともあれ、十九日には松本紀保らの「治天の君」という芝居を楽しみ、誕生日には歌舞伎座へ。

もう一月歌舞伎座の通しの座席券も届いている。二月には染五郎らの昼夜二つの通し狂言が待っている。中村福助の七代目歌右衛門襲名は実現するのだろうか、からだをしっかり直して溌剌とした出世襲名を期待する。三津五郎にも仁左衛門にも早くよくなって復帰して欲しい。

2013 12・15 146

 

 

* 週明けで、たくさんなお便りを戴いた。

 

☆ ことしも残るところ半月ほどとなりました。

このたびはまた『湖の本118 歴史・人・日常』と題するご高著を私にも賜り本当に嬉しくありがたくこころからお禮申し上げます。

まだ「憲法は『抱き柱』か 談話」を読ませて頂いただけですが、読み書きにご不自由な先生がまさに博覧強記の方でいらっしゃるのに敬服いたしました 一気に読ませて頂き、

「若者こそが声を上げ……」

この先生のご意見には全く同感なのですが、読後、なにかす重い気持が残りました 気持というか ずっと抱いていた疑問と云った方がよいかもしれません 何故、そして何時から、若者-学生たちのデモがなくなったのでしょう 今度の特定秘密保護法案反対のデモでも 中高年が(もちろん若者も入っていると思いますが)リードしているように私には思われ、学生デモは久しく日本では見られなくなったのではないでしょうか。  私など犬の遠吠えのようで虚しさ悲しさを感じることの多い政治や社会のありように若者たちが目を向けて(=立ち働いて)ほしいと切に願います。 「平成十一年(一九九九)八月-十二月」から先を興味を持って読ませて頂きます。

貴重なご本を私のような者にまでご恵投下さいましたこと 重ねてお禮申し上げます 厳しい冷え込みが続いておりますどうぞおからだご自愛なさいましてご活躍下さいますようこころからお祈りいたします  かしこ  良

 

* 元東大法学部長福田歓一先生の奥様。福田先生も生前はいつもこのようにお手紙を下さった。「若者」のこと、心底嘆息にたえない。一九六○年代は「若者の時代であった」と東経大名誉教授色川先生はいい御本を出され、わたしも頂戴して感銘深く読んだのがもう数年前だ。五九年に上京、就職結婚し、六○年には国会を取り巻き、また朝日子の父ともなった。六九年には太宰治賞に招かれ、小説『清経入水』や『蝶の皿』で作家生活に入った。以来四十四年が過ぎ、来年の桜桃忌には作家生活四五年になる。わたしはまだ「若い気持ち」で生きている。

金八先生の脚本家 小山内美江子さんからは、「JHP・学校をつくる会」の児童画絵はがきに添えて、ご挨拶があった。

 

☆ ありがとうございました。

ご不自由をおしての継続刊行に頭が下がります。

冒頭の「憲法は『抱き柱』か」に感銘を受けました。秘密保護法案も呆気なく通過させた現在、その抱き柱すら風前の灯です。それでも若い人々の間からの声が聞こえてきたのに一縷の望みを託しています。

寒くなりました。どうぞお身体お大切に、いい年をお迎え下さいますように。  講談社元出版部長

 

☆ 同封のスリップによりますと

視野と視力の動揺が収まらない由。私も加齢により、原稿提出日が迫るなど焦りを覚えると、本の活字が見えなくなり、一層あせりをつのらせるという情けない体験を重ねております。こころから同情を申し上げます。

そのような状況の中から、負けじとばかりまたも『湖の本』の刊行を積み重ねる。その気力に脱帽です。

また巻頭の一文、「憲法は『抱き柱』か」は、はっきりとした憲法をこの日本の宝と見る立場です。永田町でコピーを配りたい。未読いたしました。感謝まで。  国際基督教大学名誉教授  浩

 

☆ ごぶさたしております。

大兄の多読多筆に頭が下がります。

小生、今年前半に入院、今は元気になりつつあります。二、三の雑誌に小文を書くのがやっとで、大兄の恩文章にはとても及びません。なんとか生きてゆけたらと思うばかりです。来年はもう少し書けるかと思っておりますが、よき刺激をお与えいただいて、ありがとうございます。

不文乱筆で失礼いたします。よいお年を。  哲学名誉教授  神戸市 芳

 

☆ 投票する側の

責任痛感。

お揃いでお大事にと念じています。 神戸大名誉教授  周

 

☆ 「視野・視力の動揺おさまらず

不自由な読み書き」にもかかわらず 通算118巻の執筆上梓 敬意脱帽です。

さらに多種精読のお仕事ぶりは 凡人の私には及びもつかない奇才秀逸の筆術には 学ぶべき事多々あります。分けても「歴史・人・日常」の観察力は総合事典ともなります。ありがとうございました。  国立市 作家 益

 

☆ (前略) 憲法九条の話は、

同志社の住谷会(故住谷教授の教え子の会)でよく出てきます。心して読ませて頂きます。少しずつ元気も取り戻しておられる由、これ以上嬉しいことはございません。ありがとうございました。もっともっと無元気な新年を!!  神戸市 澄

 

☆ いつまでも

現役でいらっしゃいますように お祈りします。  岡崎 山

 

☆ 私も77歳

先生のご健筆に刺激を受けて居ます。

奥様共々益々ご自愛下さい。  豊島区  可津

 

☆ 充実した日々を

お過ごしの様子 安心し、嬉しく思います。

この度は、息子に、温いお気持を寄せていただきました。ありがとうございます。親の手を離れ、地に足をつけて、歩いてほしいと願っております。御自愛下さいませ。  新潟市  鶴

 

☆ 近隣諸国との緊張がたえないこの頃、政治のたしかさを望むことは可能なのかと考えています。

ご健勝にすごされますよう お祈りいたします。

 

* 政治の確かさをそんな今だからこそ心より願わねばならぬと思います。秦

 

☆ 先生は

まだまだしっかりとメッセージを送って下さいます、うれしい限りです。

どうぞお元気で 新年をおむかへ下さい。

いつもスマイルを忘れず、がんばります。  群馬県  都

☆ シンフォニックな

流れに浸りながら、一気に読了しました。  花巻市 医師 照 2013 12・16 146

 

 

* 『ペンと政治』三巻を送っておいた著名な市民活動家から、新刊の『歴史・人・日常』へ的確な反応の手紙が来た。例の三巻を出し終えたちょうどその頃から、わたしの「私語の刻」に相当するブログ活動を始められていた。甲斐があったと喜んでいた。妻は熱心にそのブログを毎日読んで、いろいろ聞かせてくれる。

ホームページやブログでの発言は、浮薄でも柔弱でただの自己宣伝でもいけない、真摯に自身の言葉・物言いに誠意を注ぎ込まねば。ピラヒャラと浮かれているばかりでは、ことに創作者や文藝の徒として恥ずかしい。

 

☆ 御著『湖の本』を

いつもありがとうございます。

警世の言葉を書き続けておられる営為に励まされます。

「正座」と「論理」(p95-96)に衝撃を受けました。   清瀬市  慧

 

☆ お礼と依頼

秦恒平様  このたびは「湖の本118 」をありがとうございました。おとろえぬご活動、驚きです。

私も、昨年末からの翻訳作業ですっかり目をやられ、加齢とはこのようなことかと,またしても実感させられています。

それでも、大きな国家的犯罪の糾弾は「湖の本」にゆだね、思念は小さくとも、私誌「琅」を支えに、さまざまな「公私」の小悪を指弾し続ける作業は、身体の続く限り続けたいと思いおります。

知人に此の第118 巻を贈りたいと思います。ネット送金しておきました。よろしくお願いいたします。

お元気な年末・年始でありますように。  批評家  宗

 

* 先月文化に貢献の栄誉を受けられていた久保田淳さんから岩波文庫新刊の『西行全歌集』を頂戴した。ついこの間やはり久保田さんから贈られた『無名抄』を面白く読み終えたばかり。それ以前にも新書や文庫本を新刊のつど頂戴してきた。わたしだけでなく、花に触れた文庫本などは妻が先に熱心に読んでいた。嬉しくお礼申し上げます。

西行の和歌については岩波文庫の『山家集』にながくお世話になっていたが、今度の新刊『全歌集』は厳密な網羅も嬉しく有りがたいし、久保田さんならでは明るい分かりよさで註や解説の豊富なのもとても有り難いのです。

 

* 後輩であり読者でもある同志社大教授の田中さんからも、新刊の『鏡花紀行文集』が贈られてきた。おうおう。なんと嬉しいことか。鏡花は論じたくない、しみじみ感じ入り味わい尽くしたい人。連れだっての旅路を感じ味わいながら耽読させて貰います。

2013 12・17 146

 

 

* 伊勢崎の杉原君が、病と闘いながら、数枚のデッサンをコピーして送ってきた。とても丁寧に果実が描かれている。すこし慎重すぎるかも知れない、が、コピーではやはり性根は分かりづらくもある。しかし繪を描こうと立ち向かってくれると嬉しい。どうかして気の病に負けないで描きつづけてほしい。

2013 12・17 146

 

 

* 黒田茂樹という十八、九わたしより若い練達の版画家がいる。日動グランプリ展や日本現代版画大賞展などで若い頃から受賞してきた人。この人のモチーフの一つと謂うことのできる走る車輪の繪を、若い友人の結婚祝いに贈った。

ブッダの転法輪ではないが、結婚とは、或る輪のごときを左右から支えささえ転がし続けてゆくようなものとわたしは思っている。黒田茂樹の、素敵にモダンな彼青年期の代表作をどうか新婚の日々身近に眺めてほしい。

2013 12・18 146

 

 

☆ 政治屋どもが

いつか来た道を突ッ走ろうとしています。

マスコミの声も小さくなってきたように思えます。

日本はこれからどうなるのでしょうか。  越谷市  教育者 光

2013 12・18 146

 

 

* TWITTERに、猪瀬直樹都知事について「秦恒平は何を考えているか」という書き込みがあったと報せてきた人がいた。「T witter」でつぶやけるには字数の限度があり、また「TWITTER」で「つぶやく」そのことにそもそもわたしの関心は薄い。「つぶやく」という日本語には「かげで誹る」意味がある。かげで誹るよりも、誹るべきは文責を明かして自分のホームページ上でなるべく意を尽くして書く方が善い。

猪瀬君に関しては、友人としても都民の一人としても既に繰り返し書いている。

2013 12・18 146

 

 

* 湖の本の小説を10巻纏めての注文などあり、遅れ気味の払い込み送金も着々届いている。

 

☆ 拝啓

初冬の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

このたびは『湖の本 118』をお送りいただきまして、ありがとうございます。

今、特定秘密保護法の成立というおぞましい世の動きがありますが、この本を読ませていただき、まさに今の社会のことを書いていただいているのかと思いました。歴史的にすみきった考察ありがとうございました。

『憲法は「抱き柱」か 談話』が、2008年であることをも、今の安倍政権の出現を予知していたのでしょうか。

ゆっくり読ませていただきます。

時節柄どうぞご自愛くださいませ。  滋賀県知事  嘉田由紀子

 

* 一冊の本には「適量」という制約がある。わたしのホームページ「私語の刻」は一九九八年三月から書き始められていて、まるまる十五年経っている。テーマを限って絞っても、せいぜい新世紀の初め頃までで一冊量に満杯になる。

それでも、面白いほどに今から十何年も昔に書いていた当時が、ほぼそのまま今日只今を批評ている感じに読んで下さる方が多い。私の先見性という以上に、時代がいっこうに変化し改善されないで相変わらずな情けなさを示しているようだ、いやいや相変わらずどころか着々と悪く危なく滑り落ちて行く。地滑りの方向だけが変わらないので、要するに昔に嘆いていたのと同じ歎きをいままた繰り返しているというワケ。情けない。

 

* しかし、よくよく思い起こしておきたい、少なくもこの十数年の間に、国民は確実に参議院で、衆議院で、自民党の横暴政権を引き摺り下ろしてきたのだ、すぐまた奪い返されたけれども。諦めてはいけない。

 

☆ 本年も残り少なくなりました。

「湖の本118」 本当に中味の詰ったご著書で、今回は『源氏物語』について示唆を頂きました。公家世界以外についてはほぼ描かれていないこと。同時代の男性の漢文日記に源氏物語のことが記載されて「無い」ことなどです。ありがたく読ませ立て頂いて居ります。

お寒さきびしい折り、くれぐれも御身お大切におすごし下さいませ。  堺市 歌人 郁

 

* 和歌山の梅干しや梅菓子を頂戴した。金沢の海産珍味を頂戴した。

 

* 雨しとど。雪の地方も多いという。

始終苦の七七歳を今日終え、明日、七十八の誕生日を迎える。

 

☆ 今朝から昔の本を読み返しています。  吉備ひと

 

学生の頃『人間』という月刊誌があって加藤周一の「ある晴れた日に」が連載されていました。毎月楽しみにして読んだ記憶があります。岩波現代文庫から出版されていることに気付き読み返してみたくなりました。

加藤周一の著作は今の若い人たちにぜひ読んでほしいと思いますがどうなんでしょうね。

体調とお天気のせいで芝居を断念されたそうで、健康管理をきちんとなさっていることが分かり安心しています。

お誕生日おめでとう存じます。

日持ちがしてすぐ口にしなくてもかまわないものということで清酒を送りました。

お二人おそろいでよい新年をお迎えください。

 

* ありがとう存じます。

2013 12・20 146

 

 

* 瀧津瀬の奔るように大勢さんからお祝いやご挨拶を頂いた。岡山の有元毅さん、名酒「八海山」で祝って下さり、嬉しく妻と一献。今井清一先生からは『浜口雄幸伝」二巻、ゆりはじめさんからは谷崎論ほか数冊もの著書と心嬉しい手紙を頂戴した。宮下襄さんには見事な「枯露柿」を沢山とお手紙、沢田文子さん、田村由美子さんには正月へのご祝儀ものと賀詞を戴き、大久保房男さん、徳島高義さん、金田小夜子さん、野沢利江さんらから誕生日に佳いご挨拶を頂戴した。新刊への払い込み通知も。青田吉正さん、高木冨子さんにはメールで祝って戴いた。心よりお礼申し上げます。

いまから歌舞伎座へ出かけるので、帰宅後にとっくりいろいろ拝見する。

2013 12・21 146

 

 

☆ 秦 恒平様

相変わらず仕事に追われる生活から抜け出せず、時たまホームページを拝見するのが精いっぱいなのですが、先生がまだまだ体調が思わしくない中で、肉体的にも精神的にも驚異的な活動をなさっていることに、ただただ頭が下がるばかりです。

先日は「湖の本」118 号とともに、飛び上がるほどうれしいお言葉をいただき、まことに忝いことと思いました。さっそくお電話をと思いながらも、敷居の高さに思い煩っているうちに、年末進行でまったく身動きできない状態となってしまいました。

本当に、本当に申し訳ないことながら、年明け早々にお電話させていただいて、お目にかからせていただければと思っております。

小生は今、ちょうど体重も血圧も先生と同じですが、元気にやっております。(略)

ちょうど七十八歳のお誕生日とのこと、まことにおめでとうございます。

お風邪をひかれたようですので気を付けていただきたいと思います。

来月元気なお顔を拝見できることを楽しみにしております。

それではよろしくお願いいたします。   元中央公論社 編集者

 

☆ 21日

お誕生日を迎えられましたね。

数日来、寒い日が続いていますが、風邪の症状はいくらか軽快されたでしょうか?肩の痛みなどについても時折書かれていますが、わたしも肩や腕の痛さに閉口しています。医者に行っても顕著な回復は見込めないような感があります。とにかく宥め宥め、けれ

ども気力だけはできる限り保ちたい。

鴉の奮闘には誰もが驚き、感服します。作家魂なのだと痛感します。葛飾北斎が百までも生きて絵を描きたいといったように書いて書いて書き続けてください。

家族の手術や姑をこれまでより近い施設に移すことなど来年早々忙しくなります。同時に娘の結婚も具体化しそうで( 年内に挨拶にと・・お掃除やら準備が大変!) 、物事は重なるものだと実感しています。

早く風邪を治して、お元気に。  尾張の鳶

 

☆ 秦 恒平様

寒さも本格的になりました。お元気でおすごしの事を喜びます。

また、この度は「湖の本」118 号をご恵送いただき恐縮です。

ご活躍の秦さんがこういう形でこの社会に発信を続けておられるとは知りませんでした。

御本拝見して、憲法の問題をはじめとして様々触発されることが多くありました。

1 秦氏のことは、特別の関心です。両親の生れた町が神奈川県の西部秦野町(現秦野市)で、そこへ疎開したわけです。実朝の首塚などが近くにあり静かなところでしたが、最近はまた急激に変化しております。

2 桶谷秀昭の虚妄を素早く見抜かれた事はまことにお見事です。戦後政治の根幹に触れることを、江藤も桶谷も安易に流してしか見られない愚をおかしているようです。

3 岩瀬忠震のことを評価されておられますが、横浜人の多くは彼の正当な価値を知っております。かつて私の通った小学校の近くには井伊直弼の銅像があり横浜港を見下ろしていました。

4 私も谷崎の事跡をたずねて秦さんの本拠地の長浜や湖北の風物に触れたくて、潤一郎が関西に行ってすぐのころ夫人とともに訪れた宿を当たりをつけて訪れたり、「吉野葛」のなかにある南朝の最後のといわれる川上村三の公谷まで行ったりしたものです。

5 谷崎の若い日に焦点をあてて書いたものがあり謹呈します。谷崎家末弟の藤平さんとは知己をえておりました。映画に熱中していたころには谷崎潤一郎は山手の大正括映撮影所などで横浜と非常に関係が深かったといえるでしょう。

谷崎好きの美意識の権化のように思っていた秦さんからのご厚意にせめてのお返しに手元の拙著を遅らせてください。お暇なおりにでもお目通しくだされば幸いです。

寒さに向います。社会にもおかしな風が吹いております。

どうか健康第一で、日々生越くださるよう。    西伊豆   作家

 

☆ hatak さん

お誕生日おめでとうございます。

東京も初雪があったとか。

暖かくしてお過ごし下さい。

今年もあと数日。どうぞ、良いお年を。  maokat

 

☆ 湖へ

お誕生日おめでとうございます。

どうぞお元気で、これからも、日々をお大切にすごされますように。

お目にかかれずとも、いつも想っております。先日お送りくださった「湖の本」は、この慌ただしい師走の先の楽しみに、傍らに置いて過ごしています。いつもいつも本当にありがとうございます。

どうかお大事にと、祈っています。  珠

追伸 歳の暮れになりますが、わずかな品を送らせて戴きました。お口に福を。

 

☆ 天候にも恵まれなかった此の一年を

通り過ぎて下さいましたこと、唯々嬉しく有難く存じ上げて居ります。如何に励まして頂きましたことか…。

お祝いと共に心より御礼申し上げます。

余りにささやかな品をお届け致しますこと どうぞお許しの上、ご笑納下さいませ。良いお年を…  下鴨 文

 

☆ 秦先生 奥様

いつも御本をありがとうございます。

私はなんとかやっております。

北野天満宮で梅を買いましたので、わずかですが送らせていただきます。  嵯峨大覚寺 由美

 

☆ 寒さも厳しくなり案じておりますが、

お風邪一日も早い回復を祈念しております。食欲が戻られると良いのですが、手頃にこちらの酒肴少々お送りしますので又ご賞味くださいませ。

選集を刊行されます由 電子化も進んでいますので、時宜をえたお仕事、どうぞ順調に進まれますように。

私、所属しております会でいろんな勉強をしておりますが、この国の行く末がどうなるのか注視して 時に皆で活動していきたいと思っています。

どうぞよいお年をお迎えください。   金沢市 戸

2013 12・21 146

 

 

☆ 前略

「湖の本118」有難く拝受いたしました。島津氏も長曽我部氏も秦氏といふところまで拝見してゐた時に入院することになり、御礼が随分おくれて失礼いたしました。今日退院して参りましたがどうも元気が出ず、そろりそろりとたのしませていただきます。

いつも葉書で甚だ失礼でございますが御礼まで。

よいお年をお迎へ下さい。   元「群像」編集長

 

☆ 一気に本格的な冬の到来です。

このたびは「湖の本118」 いつもながら深謝申し上げます。

巻頭の「憲法は『抱き柱』か」が,本巻の基本的な姿勢と思いつつ拝読しました。

猪瀬直樹氏の『黒船の世紀』の面白さを徹夜で読み読み返した条りは、何たる皮肉、今日の都知事辞職と裏腹でした。

それにしても、中公文庫『日本の歴史』を連日読解しながら、日々に十種を越す読書には脱帽するのみでした。

敗戦前後も、自分の在り方に照して考えたりもしました。

少しでも良き年をお迎え下さるよう祈るのみです。御礼までに。 元講談社出版部長

 

☆ 甲州の小さな山や、

笛吹川を溯って教科書にもあった田部重治の文のように、奥秩父の峰をこえて佐久の方に出たりしました。

町でもおそい秋になると、恵林時から一歩奥に入ったような道ぞいの農家の軒先は、軒ごとに干した柿で埋り、夕陽に紅くそまって見事なものでした。 その向うの 遠い山々……

 

健康な歯にめぐまれた家人は大きなままで、 そうはいかない私は小さくさいて (枯露柿を)いたゞいています。

お茶請けのように薄く切っていただいたという方もいました。

お好みかどうかわかりませんが、甲州から送ってもらいました。どうぞ召し上ってみて下さい。

もう十二月 寒くなりました。お大切にと念じます。

最後に、 御本を有難うございました。 十二月十九日   藤村研究家 元学研編集者

 

* ご厚意も嬉しく、大きな枯露柿もそれは美味しく、それよりもなおお手紙の筆致筆韻を有難しと思う。お元気で。

 

☆ ワイマアル憲法のもとに

生まれたバウハウスを思い、先生の言葉が 今、いっそう切実に感じられました。

どうぞお身体 大切に。皆さま よいお年を。  京都  美学教授

 

* ゆりはじめさんから、「小田原事件 谷崎潤一郎と佐藤春夫」「疎開の思想」「あしたの雪」「戦後文学の解明と自分史」「太宰治の生と死」を一度に頂戴した。この、わたしより三つ年上の、作家にして詩人でも俳人でもある批評家ゆりさんの文学上の「仕事」に接するのは、じつは今回が最初で、これまではお名前しか知らなかった、そのお名前を或る私小説的ななつかしさで記憶していて、それはわたしの秘密の一つになっている。湖の本もこれまでは送っていなかったのだろう、ただゆりさんなりに私の名や仕事は見知っていて下さった。興味も好奇心ももってこれから著作を拝見する。少なくも小田原事件、太宰治、そして疎開というわたしとして見過ごせないキイが揃ってもいる。

2013 12・22 146

 

 

* ああ、栃木のペン会員渡辺通枝さんが、一昨日、九十一歳で安らかに逝かれたとご子息よりお知らせがあった。印象深いエッセイストであった。心からの悼辞をすぐ送った。葬儀の場で朗読させて欲しいと重ねてメールが届いた。

2013 12・23 146

 

 

* 画家竹内浩一君から「星星会展」の案内に添えて手紙と画集が送られてきた。メンバーは他に、下田義寛、田淵俊夫、牧進の三氏。竹内、田淵両君には選者時代に京都美術文化賞を受けて貰っている。竹内君は日吉ヶ丘高校の後輩でもあり、当代きっての俊英と知られている。

 

☆ 秦恒平先生

ごぶさたお許し下さい。

お体の加減はいかがでしょうか。

師走に入って随分さむくなりました。呉々もご自愛ください。

「星星会展」は各年おきに開催し五回展をもって終了いたしました。この度、五回展をまとめた全作品、80点を日本橋、高島屋8Fホールで展覧会をいたします。

正月のこと家庭でゆったりされているところですが、是非ともご覧いただきたいと存じます。 竹内浩一

☆ 秦恒平様

お誕生日 おめでとうございます。

お祝いの品という訳では勿論ありませんが、川端康成「星を盗んだ父」の続稿を載せましたお茶大の紀要が刊行されましたのでお送りいたします。二年半がかりの調査研究がこれで一段落いたしました。今はお正月明け〆切りの論文「川端と沖縄  幻の長編『南海孤島』と米国統治下の沖縄行」執筆中、その次は川端とハンセン病療養所機関誌関連のものを準備しております。秋から何度か全生園のハンセン病資料館の方へも(何度か)通い、保谷を通過する折には、秦さんのお加減はいかがかなと想っておりました。

よろしかったら、今書きかけのものが終わりましたら、一月の中旬か下旬頃にでもお目にかかれればとおもいますが、いかがでしょうか。 (中略)

お誕生日のお手紙に、死について書くのはどうかとも思いつつ、生と死について、死なれること、死なせることについて深く深く考え、書き続けてこられた秦さんですから、お許し頂けることと、今の思いをそのまま書かせて頂きました。乱文乱筆となりましたが、書き直さずお送り致します。

今年もはや残り数日となりました。寒さも一段と厳しくなって参りました。どうぞ、お体を大切に大切になさって下さい。

来年もよい一年となりますよう、心から願っております。  川端文学研究家

 

*「国文」に載った論攷も読んだ。深澤さん入魂の追究めざましく、面白くいろいろ教えられた。感謝。

 

☆ 秦恒平様

文学から政治、時代状況まで熱く語っておられる姿をいつも目に浮かべています。

視力・視野の不安よくわかります。

わが母親 右眼は光を失い左眼(視力0.3)だけで拡大鏡片手に新聞を読み日々暮らしています。白壽へ余年わずかとなりますが

…。  同封のお守りは母が信じている地蔵尊であります。   京山科  神戸大名誉教授

 

* 京都祇園町「目疾地蔵 仲源寺」のお守りを頂戴した。育ったわが家からものの数分、四条縄手、南座の東寄りにある名高い「めやみ地蔵」さんとは。懐かしい限り。幼稚園から国民学校にかけて二年ほどもこの仲源寺へ「お習字」の稽古にわたしは通った。「略縁起」の一文も添うてある。聞き覚えのところでは、「雨やみ」を祈った地蔵尊とも。「雨奇晴好」の扁額が桃山期と目される唐門に掲げてある。お守り大切に身につけます。ありがとう存じます。

 

☆ 寒いですね。

体調のせいか、今年はとりわけ寒暖がひびきます。

「湖の本118」ありがとうございました。繰り返しになりますが、文章のお力、本当にものすごいですね。いまあらためて実感します。放念と明恵とを対比して考えてみたいと願っています。 京都宇治 作家 百

 

☆ すてきな絵画と、

お手紙、ありがとうございました! 秦さんのお言葉と歌をいつも胸において、二人の幸せな暮らしを築いてまいります。家内の名前は、優(ゆう)です。 またおたよりします!  奈良市  理

☆ ご家族様のご多幸を

お祈り申し上げます。

「和食」が無形文化遺産に登録されました。その中に寿司も入りますので 頑張ります。

楽しみにご来駕お待ち申します。 京都四条河原町上ル西側  「ひさご」寿司

 

* 亡兄北沢恒彦に誘われて二階でめずらしく対座し、この店の美味い寿司をご馳走になった。以来久しく、兄の死後もわたしたちはこの店を大の贔屓に親しんできた。とても良心にあふれた誠実な勉強家ご夫婦のお店で、評判も高い。どうぞご贔屓に。

 

☆ 残り少ない日々になりました。

お元気にお過しの御様子、なによりうれしくてなりません。どうぞ御無理なさらずに新しい年を迎えて下さい。

新しい本が届くたびに古い本を持ち出してよみ返すようです。楽しみです。

新しい年、御誕生日と重ねておめでとうございます。くれぐれもお大切に。  桐生市 君

2013 12・24 146

 

 

☆ お健やかにお過ごしのことと存じます。

いつもいつも何かと有難うございます。

秋の国立能楽堂にて初めてお目にかからせて頂き、湖の本など読ませて頂くのが一層楽しくなっております。

(梅若)万三郎も今年の六月 病気と診断されびっくりいたしましたが 良いお薬に恵まれて 昨日は無事に「当麻」の舞台を勤めることが出来ました。

四月には「江口」をいたしますりで 是非お出掛けくださいませ。

寒さも日毎に増しますので 御身 御自愛の程 お祈り申し上げます かしこ   梅若夫人

 

☆ 前略

ご無沙汰ばかり、失礼いたしております。

体調 いかがでしょうか。小生 夏以後少し健康を悪くして 診療に第二日赤に通っています。

本日、二十一日、京都新聞朝刊で 「誕生日 おめでとう」の記事を見ました。

お体 十分の上にも十分、お気をつけてください。

小生ももうちょっと頑張るつもりです。 早々    エッセイスト 元京都新聞記者 博

 

* もう昔になる、京都新聞朝刊に、小説『親指のマリア』を連載させて貰った。

2013 12・26 146

 

 

* 染織作家渋谷和子さん作のテーブルセンターとお手紙を戴く。

☆ 度重なる御芳情拝受し乍ら

御無礼のまま今年も余日一週間ばかりとなりました。

御不快の中での次々意欲的なお仕事ぶり、いただく新刊書を私の気つけ薬として拝読させていただき乍ら、 余りに不甲斐なく過ぎる己と闘う日々の私です。お赦し下さい。

何とぞ 何とぞ御自愛ひたすらに 良き春をお迎え下さいます様、来る年が地球上に平穏をもたらします様、祈りつつ、有難うございました。

間の抜けた御礼迄  合掌

秦恒平先生    渋谷和子

 

* 渋谷さんにはむかし、新潮社新鋭書き下ろし作品としての『みごもりの湖』の装幀をしてもらった。ずっと後年、梅原猛、石本正、清水九兵衛さんらといっしょにわたしも選者の一員だった「京都美術文化賞」を受けてもらっている。久しいお付き合いになる。

 

☆ 国の内も外も

不穏な気配の漂う嫌な時代になって来ました。重苦しい気分で過ごす日々です。

ご体調はいかがですか。寒い季節到来の中お大切におすごし下さい。

来春三月には28歳になるうちの娘ですが、相変らず大学で楽しく演劇の勉強にかまけています。二月上旬にはドイツに芝居をしに行く予定ではりきっています。今日は研究室でクリスマスパーティをすると おにぎりをたくさん握って出かけたようです。かげりゆく時代の中でも若者は屈託ありませんね。では又   大阪生野区  祥

 

☆ お目のこと案じています。

そう申す私も だいぶ霞んできまして 老眼鏡に拡大鏡を重ねている仕末です。

でも もうしばらくはがん張るつもりです。  歌人  幸

 

☆ これからますます

寒い毎日となることと思います。

どうぞお身体御大切に。

よい新春をお迎え下さい。  葛飾  典

 

* 医学書院を退社した翌春からの一年、熱心に口を利いてくださった当時「ガマ先生」のあだ名で知られていたお医者様の紹介で、東横女子短大に毎時間「放談」に出講した。書く方が忙しくなり一年でやめたが、その時の生徒がいまも「湖の本」の継続読者として変わりなく応援してくれる。この人は、その一人。久しく久しい読者の一人である。もう一人は遠く広島県に。懐かしい。

2013 12・27 146

 

 

☆ 昨日は私語の更新がなかったようなので、

ご体調如何かと心配していました。くれぐれもご無理なさいませんように。

 

今日も気持の晴れるようなことは何もありませんね。

テレビはなるべく観ないようにしていますが、ネットでもニュースは流れますから、イヤでも目に入り憤死しそうでした。

東電再建(なんで破綻させず再建なのか)のため柏崎原発(重大事故を起こしたあの断層上の原発)再稼働とか、原子力規制委員会に政治家の意見も聞けと圧力をかけたり、沖縄基地のこととか(沖縄の民意は無視の、小泉政権時代に削減された補助金が復活しただけの条件闘争だったとは)、靖国参拝(日本の経済をだめにして中国と本気で本気の戦争する気か)とか、午前中だけで不愉快てんこ盛りでストレスいっぱい。

ほかの国民の皆様はご機嫌麗しいのでございましょうか。

そうでもないようにお見受けしています。  朱  南無帰命冬眠の亀もくちなはも  占魚

 

* 安倍晋三が総理になった即座にわたしは、「迫る! 国民の最大不幸」と何のためらいなく断言した。その当座は実証のない過剰な物言いと受け取った人であっても、この直観と洞察の正しいこと、不幸にしてますます正しいと認めざるを得なくなるだろうことを容認されるだろう。最悪の選択をしてしまったのだ。

2013 12・27 146

 

 

* 小松の八代啓子さんからめでたく桐の大箱におさめたそれは立派な松前昆布を、近江の小田啓美さんからも毎年の「近江の美酒」に添えてみごとに美味しそうな漬け物いろいろを頂戴した。ただただ戴くばかり、恐れ入ります。

 

* ヨーロッパの旅から帰国まもないピアニストの中村紘子さんからも手紙を貰っていた。

 

☆ そして帰ってきた日本は

明るい夕暮れの雲海に富士山が美しいシルエッを見せていました。暗く冷たい北ヨーロッパから戻って、ああ、日本てなんていい国だろうと日本人に生まれた幸せをかみしめているところです。

では、どうぞよき年末年始をお送りくださいませ。

庄司(=薫氏)からもくれぐれもおよろしく と申しております。 中村紘子

 

* ヨーロッパの旅から帰国まもないピアニストの中村紘子さんからも手紙を貰っていた。

 

☆ そして帰ってきた日本は

明るい夕暮れの雲海に富士山が美しいシルエッを見せていました。暗く冷たい北ヨーロッパから戻って、ああ、日本てなんていい国だろうと日本人に生まれた幸せをかみしめているところです。

では、どうぞよき年末年始をお送りくださいませ。

庄司(=薫氏)からもくれぐれもおよろしく と申しております。 中村紘子

 

* お元気で、なにより。

☆ 湖の本小説の①から⑩

お手数をおかけ致しました。

初春にひらくつもりが、一巻(「清経入水」)は読み出して とまりませんでした。

御大切になさって佳いお年をお迎え下さいませ。  高松市 星  作家

 

* 送られてきた同人誌のなかで、あ、これは佳いと読めた未知の人。こうしてわたしの創作にも目を向けてもらえるようになった。

 

☆ 現在

「憲法は『抱き柱』か」「私語の刻」のみを読み終えたところで申し訳ないのですが、全文もキッチリ拝読致しますので、お許し下さい。

天皇の傘寿のご発言に感銘を受け、両陛下(この国の最高のリベラリスト?)のご心痛に気づかぬ”バカドモ”に喝を入れたい心境です。  練馬区豊玉  裕

 

* まことに。こういう感懐をもらす人たちがますます増えるだろう。長い目でみれば絶対に軽率には言えない、言ってならないことだが、あんな安倍「違憲・凶暴」内閣に支配されるぐらいなら、せめて今上ご夫妻の今なら、天皇の政治発言をどうかお願いしたいと思いたくなる。それほどに日本の今は危ない。安倍靖国参拝のあのでたらめなパフォーマンスや弁明には怒りを禁じ得ない。十余年前の小泉内閣の時はわたしはペンの理事として、詩人の木島つとむさんらとも協力して、靖国ではない、千鳥ヶ淵へという運動をした。天皇は靖国へは決して行かれなかった、いつも千鳥ヶ淵の国民的な礼拝所で慰霊の祈祷をささげられた。この事実のまえに立ちたい。

せめて民主党政府にはこの一つだけでも片づけていって欲しかった。

 

* 阪大名誉教授・国文学の島津忠夫さんからもいいお手紙が届いた。わたしの此処のところの「湖の本」は、この島津さんのような読みようで読まれることが、わたくしの、何よりの願いでした。感謝します。

 

☆ 拝啓  秦恒平様

本年もあと数日を残すのみになってしまいました。その後お身体の方はいかがですか。いつも 『湖の本』お送りいただきありがとうございます。

今回の「歴史・人・日常」ようやく最後まで読み切り、感銘を受けました。私もワープロに日常を残しておりますが、ほんの記録と男ひとりの食事のメモだけで、もっと感想を書くべきだと思いました。

いくつか思いつくままに。

能村登四郎の句 「明日への信いくらかありて種子を蒔く」。私もわが身に則して感心しました。

力士のしこ名同感です。昔ならほかに綾錦、鯱の里など、今なら隠岐の海ぐらいでしょうか。「演劇界」の澤村田之助の記事、「武蔵山の引退で男女の川が横綱になった」とありますが、私の初めて大相撲の中継を聞いた時は、武蔵山は休場していて、すでに東の玉錦に対し、男女の川は横綱で、清水川がひとり大関だったと思うのですが、記憶違いだったのでしょうか。双葉山は関脇で全勝優勝して、とんとんと横綱まで駆け上がったのでした。武蔵山の全盛は知りませんが、再登場して弱い横綱で痛々しいばかりでした。引退したのはその後まもなくだったと思います。

本居宣長と上田秋成、宣長は文法学者に徹すべきだったと思います。歌人としてはとうてい真淵に及びません。秋成は稀に見るセ ンスのある人です。私はその秋成が高く評価した西山宗因をもっと世に知らせたいと思って、その全集完成に努力しています。

「わたしは、やはり若い元気な猪瀬直樹君らが「公」に向いてもしっかり発言していって欲しい」、私もそう思っていました。今のような姿を見るとは思いませんでした。それでも私は、彼は犠牲者だと思っています。

「日本は渤海との国交にかなり意を用いて使節の往来もやや頻繁であった」。昔、歴史でちょっぴり習って、渤海ってどういう国だったのだろう、と思ったことがありました。四、五年前に、卜純という連歌師が松前まで渡っていることを調べようとして、北方の歴史に ついて、あれこれ調べてみたことがあり、その時、はじめて気づいたのですが、渤海の使節が来たころは、日本海を内海と感じるほどの北朝鮮、樺太、北海道の海の道が開けていたことを知り驚いた次第でした。これはあとの方にも 「シベリアやオホーツクからの、またダッタンからの北要素が、雨に降られたように日本列島に広く認められる」 と書かれている通りだと思います。

角田文衛氏が明子、静子らの読みについで言われていることには私もその通りだと思っていました。ただ、はっきり決められないので、便宜的に音読していたに過ぎません。高等学校の文学史のテキストを作った時に、「彰子」「定子」に「しょうし」「ていし」とルビを振るようにという要請には抵抗し、教師用書にその理由を書くに止めたことを思い出しています。日本史の方はそういうことには普通は無関心で、「国人」などを「こくじん」ということで通用していますが、これは 「くにうど」 と読むべきなのです。

『源氏物語』は、四十年来、名古屋の「源氏の会」で読み、放談を繰り返していますが、私も高齢ゆえ、できたらその放談を一冊にまとめておきたいと思うようになりました。部分部分読んだのではこの物語の面白さはわかりません。私も講読で音読する機会を持ったことをありがたく思っています。

「源氏物語には、村上の治世の大きな特色であった放火も火災も一切書かれていない」 と。言われて見ればその通りですね。源氏と藤氏の政治的な葛藤はちらちらと見えていますが、どこまでも公家の世界での話ですね。「同時代の男達が書いた数多い漢文日記に、只の一度として記載また証言されたことが 「無い」」というのもそうですね。

受領層についての土田直鎮氏の見解もいかにもと思い読みました。土田氏の部分読み返してみたいと思います。

「歴史年譜をひらたく文章に書き起こしただけで本にしたような本を人にもらうこともある。そういう本が、存外に売れたりしている。おどろく、ツマラン」。 同感。歴史に限らずそう感じることが多いのです。

当たり前のことが書かれて売れてゐる 『親と上司は選べない』 とさ   忠夫

「「室町ごころの明るさ」とともに希望にも火のついていた時代と読み続けている。」

「室町ごころ」は、京大の旧制大学院の頃、研究会で岡見正雄先生から初めて聞いたことをなつかしく思い出しています。

「御用学者や悪政の徒らがどう言い繕おうと原発核爆発の恐れやサイバーテロのおそれに戦く今の我々よりは、核爆発や宇宙開発など夢にも知らなかった時代の人の方が不幸だった後れていたとばかりは、あながち、いやいや、けっして、言いにくい。言えない」。

まさにその通りだと思います。

「N H K 、政治討論会を聴き終わってから、機械の前へ来た。民主党の岡田克也氏を篤実で精悍な論客であると感じ、小泉総理は、相変わらずその場限りの詭弁を弄している、それがかすかな表情の揺れに透け透けに見える」。

これは私も見ました。その通りに感じました。結果は、まっとうに論じた岡田が大敗し、小泉のはったりが大勝しました。この時ほど、日本人の一般大衆を情けなく思ったことはありませんでした。その小泉が、いま原発ゼロを叫んでいます。これはもっともっと叫んで欲しいと思います。

「日本の歴史」をずっと読みながら感想を綴られているのを私もあれこれ思い出しながら、たのしく読みました。

最後に、「米沢藩主上杉鷹山 嗣子へ 三箇条の教訓」に、括弧内の安倍内閣への指摘、同感です。ついに悪法が通ってしまいました。こんなことも書けない世の中が来ることを憂えています。

「 マグマ」 平成二十五年七月号に珍しく時事詠を纏めて発表した拙詠、コピーをしに行くのが遠いので、原稿を打ち出し添えておきます。お笑いぐさまでに。 平成二十五年十二月二十六日  島津忠夫

 

奢れるもの久しからず   兵庫 島 津 忠 夫

声高に国益叫び突き進む為政者の危険幾たり見しや

デフレよりインフレの方が恐ろしい戦後経済を今に思へば

奢れる者久しからずと呟きぬ傲慢首相の答弁聞けば

突つ走る首相の首に鈴付くる人なきやかつての後藤田氏のごと

虎視耽々首相の答弁聞いてゐる隣に座るこれも策士が

いまに財閥やがて軍閥も出で来べしアベノミクスの最果ての世は

脱原発どこ吹く風と沈黙す参議院選挙にただ勝つまでは

活断層もし動けばの放映に原発の被害抜けゐる不思議

いま思へば拙劣なれど脱原発真剣に考へしは菅首相のみ

フクシマの収束目処も立たぬまま首相は原発売りに外遊

自民党にも首相にしたき人がゐる河野太郎氏公選なれば

 

* 泓々と湧き上がる力を戴いた。

 

* ふんばって、なんとか元日に息子等が雑煮を祝いに来て畳に座れるようにと、姑息きわまる片づけをした。草臥れた。このごろ、腹部不穏に無力・脱力感を覚えることが多い、水分を飲んだり、食ったり、服薬したりしているうち、腹が鳴り出したり力なくなったりする。気にしないことにしたいが、気にならぬとは言えない。

 

☆ 鴉、メールありがとうございました。

今日は初雪が降りました。午後ひとしきり吹雪いた雪の中を来客あり。暮れの大掃除もかねてと、いつになく( !!) 丁寧に日常性が消えるほど整理して客を迎えました。今しがた帰られたところでホッとした途端に、用事を放棄して返信を書いています!

明日は「歳末の寒空を」関西に用事で出かけますが、悠々飛翔とはならず、三十日、大晦日は正月迎えに大わらわになるでしょう。できることなら新年を迎える準備も何もせず過ごしたいものです、怠け主婦の叶わぬ思いです。

それにしても一年があっという間に過ぎていきます。

鴉の風邪が治まりつつあるとのこと、本当に良かった。寒さが続いていますから、意気盛んになど動かず室内で養生なさってくださるよう、そして少しずつ書き継いでくださるよう、願っています。

「政治も世間も世界もオカシすぎ」と鴉は嘆かれます。昨日一日のニュースを箇条書きするだけでもあまりに多すぎる、それが毎日ですもの、怒って泣いて狂っても足りないほどおかしなこと、不条理に、満ち満ちています。具体的に述べ始めたら、おそらくわたしは過激なほどに書いてしまうと思います。そして同時に無力も痛感するでしょう。ただ無力感の先であっても、「見ざる、聞かざる、言わざる」はわたしにとってはあり得ないことです。

「みごもりの湖」の舞台には二回出かけたことがあります。また関西への往復に何度も近くを通り過ぎることがあり、思いを馳せます。今日はきっと白い風景の中です。

「みごもりの湖・秘色・三輪山」そして先日テレビで見た、西本願寺の能舞台で演じられた『清経』に触発されて、『清経入水』を読み返したいです。

新しい年、淡々と静かに迎えましょう。   鴉、鳶を見守っていてください、いつも、いつも。

お体、大事に大事に大切に大切に。    尾張の鳶

 

* みんなみんな たれもたれも お体、大事に大事に大切に大切に 佳い春を迎えてください。

 

* 府中の杉本利男さんに水仙を数十本も頂戴し、家中を冴え冴えしく飾ってくれている。居間も、妻と懸命に整頓して、なんとか迎春の空気が籠めてきた。黒いマゴが元気でいてくれますように。

2013 12・28 146

 

 

☆ 押し詰まってまいりました。

すっかり御本復の御様子に安堵いたしました。「湖の本118」を御恵贈にあずかり有難く御礼申し上げます。 当方、

家内ともども高齢にはあらがえず難儀します。

やっとのことで『平家物の能狂言を読む』の最終チェックに着手しております。

どうぞ良いお年をお迎えください。  名大名誉教授  山下宏明

 

☆ 二○一三年もいよいよ押しつまりました。

色んなことがあった年でしたが、最期の最後に靖国と辺野古とは…。今年を象徴するできごとだったかも知れません。

ご本ありがとうございました。お礼が遅くなりすみません。帰宅したら見覚えのある文字で、サテと思って手に取ったら久しぶりに先生のお名前が…。市田忠義さん(共産党書記局長)から先生とのやりとりをお聞きし、驚いたり喜んだり。

ペンの理事をひかれたので、どうされていたかと案じておりました。

秘密保護法強行--。憲法抱き柱ではすまなくなりました。一方で若い人たちの頑張りは希望です。

お元気で新年を!!   京都民報主筆  林信一郎

 

☆ 年の瀬を迎えて

こんにちは。

昨日は夕方から初雪になり、積もるかと思いましたが今日は良く晴れています。

ご体調の方はいかがですか。迎春のご準備整えられたご様子で何よりです。

実は、すぐ下の一人暮らしの妹が、6月に突発的な怪我で入院、手術、現在もまだ病院にいます。

猛暑の最中から寒風の今も、病院と嵯峨の自宅へ物を取りに行ったり、右京区役所へ手続きに行ったりと、落ち着かない半年でした。なんとか元気で世話が出来て幸いと思っています。

肋骨骨折の怪我はすっかり良くなっていますが、頭を打ったらしく頼りない様子が気がかりな現在です。

秋には東京に行きたかったのですが・・・

つまらない私事のメールで申し訳ありません。

私も娘達を迎える準備にかからなくちゃ。

来春にはお会いできますよう願っています。

よい年越しと新年をお迎えくださいますよう。    みち  母方従妹

 

* 大事ないといいが。怪我が怖い。用心に用心していても危ないのだから、更に用心を。

2013 12・29 146

 

 

* もと保谷市図書館長を永く務められた黒子さんが、パーキンソンの身をかろうじて支えながら突如玄関へ見えた。ビックリした。起立すら危ういひとを玄関の内へともかく招き入れてしばらくお話ししお話を聴いた。そして妻がハイヤーを呼んで、なんとか無事におかえしした。手みやげと貴重なご自作の私家版数冊も頂戴した。会える内にとわたしの顔を押して見に来てくださったのである、感謝感激すると同時にご無事を祈らずにおれない。

 

* 写真家の井上隆雄さんから美しい写真集を頂戴した。京都美術文化賞を受けてもらった。写真が深い感覚の「詩」に成っている写真家。有難い写真家。

 

* 「珠」さんから、歳末お心入れの美味しそうな珍しいご馳走を頂戴した。ありがとう。

2013 12・30 146

 

 

* 有元さんに頂戴した「八海山」を九日で、しかと頂戴した。美味かった。

今日、小田さんに頂戴の「近江の美酒」の封を切った。美味い。ひょっとすると今日飲み干してしまいそう。気分良く酔って、いまはキイを押しながら半分余はまなこを閉じている。

いま隣の大画面では映画「ディープブルー」を映し続けている。好きな、しかし半ばは深い畏れをさそうあまりに美しい海の映像である。よくも撮ったと思う。

今真向かっている機械「NEC LaVie」と、映画を映している大画面の「DELL」(子機)と、ソニーの小さい精鋭機(別機)とを、いちおう「併用」しているが使いこなせているのではない。子機も別機もさしたる役には立てられずせいぜいバックアップにしか使えていない。いつまで機械を使い続けるのか、なにもかも一切手放してまったく別の最老後を迎えるのか。

 

* 機械の前でいつしか居眠りしていた。

2013 12・31 146

 

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