ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2014年4月まで

☆ 謹賀新年

昨年一年間秦さんの日記に励まされそして楽しませていただきました。

お陰様で気持ちが若く保てたように思います。

優れた読書案内としても有難かったです。

同志と力を合わせて戦前回帰を阻止しなければと力んでいます。

秦さん御一家の御健勝をお祈りしています。    吉備 有元毅

 

☆ 年賀メール

あけましておめでとうございます。

昨年はメインの仕事は『川端康成伝』でした。高価なのであまりあちこちに寄贈できませんでした。新潮新書の『世界史入門』がなぜか私の著書では最も売れていくらか生活の心配がなくなりました。

三月には久しぶりに講演で大阪へ行き、帰りは琵琶湖畔の八景亭に行ってきました。

『かぐや姫の物語』はすばらしかったです。

最近は四年ほど前の昼ドラ『暖流』にはまっていました。  作家・批評家 小谷野敦

 

 

☆ 新年のご挨拶

謹んで新春の御慶びを申し上げます。

今年が佳き一年でありますようこころからお祈り申し上げます。 京幡枝 森下辰男

 

* びっくりするほど年賀状もたくさん戴いた。

 

* 近江の美酒に酔うて寝た。もうすぐ八時になる。

2014 1/1 147

 

 

* 何年もむかしになる、歌集「光塵」のなかへ

良き人のよき酒くれて春ながのいのち生きよと寿ぎたまふ

と詠んでおいた歌を、年賀状にきれいな筆跡で用いてくれている読者がいて、嬉しかった。「七宝教室で作りました♪」と愛らしい干支の祝い午が添えてある。京山科の人、母校の図書館にお勤めと聞いている。「寒さ厳しい折ご自愛下さりお元気で! いつもありがとうございます」とも。励まされる。

 

* 東工大、東大、ボストンへ、そして2011年にはボストンを離れ、今は東大医学部に帰っている岩崎宏英君が、結婚しましたと報せてくれた。 朗報!!

おめでとう。この五月には初のお子さんを迎える予定と。いい家庭を一基盤に、素晴らしい業績を挙げられるよう。

 

* 気持ちわるく、しんどい。戴いた年賀状をアドレスブックと照合整理した。疲れた。今年も年賀状を一枚も書かなかった。

2014 1・2 147

 

 

☆ 秦先生、

 

ご返事ありがとうございます。ホームページも拝見しました。私のことに触れてくださり有難うございました。

癌転移が少し残っておられるとのこと、心配です。抗癌剤治療はお辛いこととお察し致します。

私の父も昨年末に大腸に大きなポリープが見つかり、その中に癌細胞が見つかったとのことで手術を受けました。結婚式の2ヶ月前で、無事に出席できるかどうか不安もあったのですが、無事に結婚式にも参加し、幸い今のところ異常は見つかっていないようです。

本日のホームページを拝見しても、あまり体調が良くないとのことで案じております。先生と父は同年代ですが、先生も一日も早いご回復を心よりお祈り致します。

それではまたご連絡させていただきます。  東工大卒業生  英

 

 

* 東工大卒業生の年賀状が途絶えず届く。為我井さん、富松さん、宗高さん、堂免さん、林君、丸山君、井筒君、上尾君、竹下君、古澤君、岩崎君、柳君。湖の本を応援してくれている人はもっといる。

まったく思いがけず江藤淳後任として東工大工学部教授の辞令をうけたのが、平成三年(1991)十月一日、道草を食って大忙しに楽しんだ日々を六十歳(当時)定年退官したのが、平成八年(1996)三月末。

もう二十年たったとも、たった二十年ともいえようが、若い仲良しが元気よく声を掛けてくれるのは、正直、なにより嬉しい。なによりも皆が懸命にがんばっているのが頼もしい。も少し長生きし、この人達のさらなる努力と幸福とを観とどけたいと思う。

われらの合い言葉ですらあった、

生きているだから逃げては卑怯とぞ幸福を追わぬも卑怯のひとつ  大島史洋

こんな時代だ。ちからづよく、道をまちがえず生きていってほしい。

 

* 今日も諸方面からたくさんの賀状が届けられた。読者・知己、学友、文壇、詩歌壇、劇壇、美術界、学界、出版・編輯。仕事をし続けている御蔭だ。

2014 1・3 147

 

 

* 強い懸念のママ、ペン会長浅田次郎氏に質す文を、知友にも書き送ってご異見を聴くことにした。

しかし、問題が厄介で唇も寒いのか、理解が届きにくく難儀なのか、あるいはわたしの捉えようが根本で間違っているのか、全く、反応がない。

 

* けさも戴いた年賀状の多くを蔽っている願いは、「今年も幸あり平和な一年に」であり、その自覚と確認であるようだが、何割かには今日・明日・近未来への強烈な懸念を告げてこられる人がある。正月早々には言忌みを行儀とするならいも手伝っていよう、それにしても、危なっかしい国情であり外交ではある。

2014 1・4 147

 

 

☆ あけましておめでとうございます。

元気づけられるメッセージありがとうございます。

とりわけ、今回社会を騒がせた特定秘密法案に関しましては、私自身かってない不安を抱き、また、ペン(ペンクラブ)の役割についても強い懸念を抱いた次第です。その意味で戦後初めて国際ペン(理事)として積極的に関与、発言を続けてきました。どれほどの影響があったのか、それは別としてペンがこうした問題に関し常に原点にたちもどって、明確な理念を強調し続けることだけは今後も続けていきたいと思っています。

久しくお会いしていませんが、健康にはくれぐれもご留意のうえ、今後ともご指導のほどお願い申し上げる次第です。 堀武昭

 

☆ Re: ペン浅田次郎会長に質したく

新しい年も五日になり、明日からは普段の時間を紡ぎたいと心しています。が、( 略)  一年の最初のわたしのメールが思想言論表現の自由を守ることについてとは、唐突であり、あまりに意外なのですが、今しがた読んだ昨日のHPに、「全く、反応がない」とあり、知友の何人もの方々が何も書かれていないのかと一種の懸念さえ覚えました。

確かに微妙な問題ですが、本当はとてもとても重大な問題で看過できないことです。わたしは新聞を現在購読していませんので、浅田氏の全文を読まなければいけないと思いました。「東京新聞、浅田次郎、一月三日」をキーワードにしてネットで捜して読みました。

一読して当たり障りない書き方で、大方の人は納得してしまうかもしれませんが、あなたの指摘された箇所は批判されて当然と思います。

「明治-昭和初期は、政治家が国民を見下すようなことはなかった。今は裕福に育ったエリートばかりで政治が劣化した。」

この箇所は、日本の近代現代史をいくらかでも学んだら絶対に納得できないでしょう。歴史認識の甘さと言われても仕方ない。政治家が国民を見下す類のことはあり、たとい善意や熱意から出発した政治行動であっても国民を棄てることの方が多かったのが現実です。実に実に「欽定明治憲法」においては国の主権は国民ではなく天皇にあったのです。指摘された「大逆事件」や後の「横浜事件」

その他さまざまな事柄、治安維持法などが次から次へ思い起こされます。今回の法律がそのまま安倍政権が目論む憲法改正云々に直結している事が透けて見えてきます。暮れの靖国神社参拝からも彼の姿勢が窺えます。国際社会からも懸念の声が上がっています。

それでも私たち日本人は、景気の問題がまず第一だからと安倍政権を支持し続けるのでしょうか。

浅田次郎氏の、「書いても国のためにならないと思うことは、書かなかったり表現を曖昧にしている。われわれ国民は、そのくらいの常識は持ち合わせている。」と書いてある箇所は、明らかに「表現者」として失格です。

あなたの、「真に小説家なら、書くべしと思えば筆は枉げない、「国のためにならないと思うこと」も書くし、卑屈に国や政治家におもねって「書かなかったり表現を曖昧にする」ような真似はしない。文学者は、永井荷風のように「書かない」か、小林多喜二や宮本百合子のように「書くべきは書こうとする」のであり、浅田次郎氏のような迎合にちかい姿勢でなど、小説にも批評や論説にも立ち向かいはしない、少なくも絶対したくないのである。」

この姿勢こそ、決して、(悪しき強権と政治の前に)譲れないところです。

ネットの画面には浅田氏の文章の後に山口みつ子( 女性団体世話人) 、崔洋一( 映画監督) 、久保亨( 歴史学者) 、谷口真由美( おばちゃん党代表) 、平田オリザ( 劇作家) 、小林節( 憲法学者) 六氏の秘密保護法に関する意見も掲載されています。

多くの人が関心をもち、読んで欲しいと思います。

取り急ぎ   お体くれぐれも大切に。  愛知県  恭

 

☆ 東京新聞の浅田次郎氏の論説への

疑念を糺しながらご紹介いただきありがとうございます。元旦の日にも、考えなければならないと思いつつ読ませていただきましたが、自分なりの考えもまとめないまま、時間を過ごしてしまいましたことも改めて反省しています。

「憲法九条にノーベル平和賞」の運動も紹介いただきました。ありがとうございます。早速我が家の息子たち・娘たちや友人にも紹介します。署名してくれると信じたいです。

健康で過ごせている老夫婦にも、考え、実行できることをしなければと切に思います。ご健康のすぐれない日の多いお二人に励まされています。

お身体の不快さが少しでも軽減する時間の長いことを祈っています。 練馬区 晴

* ホームページを読んで反応して下さった。有難いこと。

秦建日子も、わたしの疑義提出に「同意見です」と、簡明に共感を寄せてくれた。

浅田次郎会長に直接伝えたいが、手持ちのペンクラブ会員名簿に氏の住所等が全く記載脱になっている。怠慢なのでなく故意に掲示していないと思われる。この事実も、かりにも当会会長であり、しかも我々会員はきちんと住所も電話もメールアドレスも提出し掲示されているのと比して、きつい違和感を覚える。少なくも会員として会長に直に連絡すらとれないとは、どういう雲上人であるのか。事務局なり、幾らかの理事なりには伝えてあたので、まわりまわっては通じることであろう。

あんないいかげんな原稿を、依頼したので余儀ない掲載とは思うけれど、東京新聞も適切にフォローすべきであろう。東京新聞日頃の論説・論調とも明瞭に齟齬しているように思われる。

 

*とにかくも心もち重い新年といわねばならぬ。年賀状に読み取れた寸鉄の苦言を読みとっておく。

 

 

☆ あらゆるメディアが権力に媚を売る時代。国の権力者がメディアを支配する時代。」学者

☆ 貪欲や怒りやこころをさわがせるもろもろを断ち切って、ただ独り歩め。(ブッダのことば スッタニパータ) 画家 (断ち切る、独り を可能とする機微をわたしはまだ掴めない。秦)

☆ よいお仕事を。 作家

☆ 子どもたちのためにも現行憲法堅持・非戦・反核を願っています。また一期一会・時々刻々を大切にしていきたい。 日立OB 同窓

☆ 時代に変調の兆し、そして危うさ  編集者

☆ 官僚の恣意的な秘密指定をもたらす恐れの多い特定秘密保護法が与党により強引に成立しました。国際的に合意したツワネ原則を無視し、罪刑法定主義を否定した非民主的な内容でもあります。公聴会で全員が異議を示した翌日に強行採決するという政府・自民党のやり方は、憲法が保障する民主主義を否定するものです。さらに年末には自らが定めてきた武器輸出三原則を破って弾薬を韓国軍に供与するなど、戦後の自民党政権が採ってきた政策すら次々に壊しています。圧倒的多数を得た政党がどうなるか、今年はそれを見続けたいと。日本社会が急速に右傾化に向かっていることに底知れない危惧を感じる新年となりました。 通信社記者 ☆ 「湖の本」 カール・クラウスの『炬火』を連想しつつ拝読しております。 翻訳家

☆ 酒の異名に「掃愁帯」(そうしゆうそう)があります。昨年はその愁(うれ)いを掃(はら)う箒(ほうき)がいくらあっても足りないほど、無念さを感じることの多い年でした。

年末には、懸念や反対の声をねじ伏せるような形で、特定秘密保護法が成立しました。原発も、いつの間にか当たり前のように再稼働への動きが進んでいます。被災地と東京との隔たりは、五輪開催決定などを契機にますます広がっているように感じられます。国や自治体の決定にどれだけ関われるのか、どう記録を保存し、検証と監視をしていくのか、市民の力量が試されています。このまま時代に流されずに、民意を反映させていく新しいしくみを、たくさんの人たちと考えていきたい。 ペンクラブ理事 大学教授

☆ 安倍内閣は、秘密保護法を強行し、消費税、原発、TPP 、米軍基地、憲法問題など各分野で危険な暴走を続けています。この暴走は国民各層、とりわけ学者・研究者や藝術家・文化人のみなさんとの矛盾を深め、新たなたたかいが広がっています。安倍自公政権の暴走と「対決」するとともに、自民党政治のゆきづまりを打開する「対案」を示し、一致する要求にもとづく「共同」に力をつくします。平和と民主主義、表現の自由、学問の自由をまもるために、全力をあげる決意です。 党学術文化委員会

☆ 体調すぐれないまま見事な作家根性に人間の底力をみる思いです。 教員 同窓           ☆ 凄いお仕事と驚嘆しています。 妻の従弟

☆ 多方面に亘る鋭いご論考に感服しながら拝読しています。 妻の従弟

☆ 昨年はお蔭でそれなりに健康で老人大学院生活を楽しみました。身に合った楽しみを見つけて今年も生きて行くつもりです。 妻の同窓

☆ アメリカ人の知人とよく教育・情報の話をしますが、国民が食いモノにされている点が一致します。 東工大卒業生 大手企業

☆ 編輯の仕事頑張っています。このところ心身に余裕が出てきましてボランティアを始めました。今年はさらに貧困問題に取り組みたいと思案中です。 東工大卒業生 編集者

☆ 小説の完成 心よりおまちしております。 愛媛今治市 元図書館長

☆ 岩手日報紙上で、頑張って書き続けています。 読者

☆ 湖の本 いつも楽しみです。 熊本 読者

☆ デュフィーだったか

テレビだったか

優美に疾駆する

一群れのなかを

異国の泥濘から

立ち上がり

硝煙と砲声をまとい

故郷の厩舎をめざし

永い時間をかけ

駈けてくるのは

忘れてはならぬ

おまえたちだ

目覚めて

瞼が痛む   仁科理 詩人・国文学者

☆ 自然も人間社会も荒れもようの一年になりそうです。くれぐれもご自愛のほどを祈ります。 仏文学者 同窓

☆ 生きることが 大変な 時代になってきたようです。 山形市 歌人

☆ 蒼穹は 寒々と見ゆ この国の 為政者という 宿痾抱へて 小夜子 作家

☆ 湖の本 楽しみにお待ちしております。いつもお優しい言葉をお副えくださり胸を熱くしております。先生が早くお健やかになられますよう心よりお祈り申し上げます。 さいたま市 画家

☆ 生きている事が本当に有難く思える毎日です。高齢者も又、楽し!! 湖南市 読者

☆ 選集、楽しみにしています。  紀の川市 読者

☆ 八十一歳になりましたが、暮に 窯をたきました。 東久留米 陶藝家

☆ まず歩く

それから走る

そして駈る

やがて跳ぶ 躍ぶ

そんなら飛べ!  元文学館長

 

* とにかく 見ているぞ。

2014 1・5 147

 

 

 

* 「非戦・不戦の憲法九条を守る日本国民にノーベル平和賞を」という運動が支持されている。そういう運動の起きていることを最近の東京新聞出田阿生記者の記事で知り、多くの署名を求めていたので、妻は各所の知人へ、熱心にメールで署名を求めていた。同日、わたしの方はペン会長浅田次郎氏の時局認識を咎めてやはり知友へうったえていた。こっちの方は問題として難しいか大勢の反応はなかったけれど、「九条平和賞」への署名とさんどうの声はわたしの読者や友人からももっと広くへも、波及的に輪を広げている。一つの運動として、むろん、わたしも賛成している。

 

☆ お久しぶりです。

メール頂いて大変恐縮しております。

先生のお加減はいかがでしょうか。時折、「生活と意見」をのぞかせて頂いておりますが 最近はなんとなく慌ただしくなっており、先生のことをご心配申し上げるだけになっておりました。

頂いた記事、Facebookでも友人からシェアがアップされていました。興味深いですね。もう少し調べてみて考えてみようかな、と思っております。

我が家は今朝、七草粥でした。摘草でお粥を作るのは考えてみるともう10年ほどになります。今年は下の息子達と摘み、娘からは世代交代したのだな、と感慨のあった母です。娘は中学一年、二番目の息子は小一、三番目が5 歳の年中です。昨春は小中のダブル入学で慌ただしく過ごしました。

おかげさまで中学受験で本人が一番行きたかった学校に行かれましたので毎日楽しくて仕方ないようで、羨ましいほどの中学生活を送っています。

下二人はまだまだお母さんっ子の時期ですが、これもあと数年かも、と楽しむようになりました。

仕事は年々増えていきますし、責任も増していきますが 仕事をするにはよい年齢になってきました。

母親業も研究も、時間が倍欲しいと思う毎日ですがどうにか綱渡りを続けております。

歌もほそぼそと作っています。

先生とおく様、よい一年をお送り下さいませ。  国立施設 主任研究員 東工大院卒

 

☆ 秦先生 おく様

ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますでしょうか。

憲法第9条についてのご案内、ありがとうございました。

今は過去の歴史を顧みない、安っぽいナショナリズムが跋扈し、マスコミもそれを増長するような報道を行っております。

これからの日本を間違った方向に向けないようにする努力が、今は求められていると思います。

第9条のノーベル賞への応募は、戦争をさせないための歯止めになる可能性があると思います。

http://www.amakiblog.com/blog/

 

末筆ながら、ご健康を祈念しております。

寒い毎日が続きますが、お体を大事にされて下さい。  大手企業研究職  東工大院卒

 

 

* 都知事の再選挙も候補が立ってきた。元防衛庁幕僚の立候補には絶対に応じない。彼の発言や態度には、東条英機なみの凶暴・危険を感じている。

思惑外れに自民党を飛び出してあえなく挫折した元厚労大臣の勘のわるさ、驕慢さ、見通しに欠けた政治力・企画力を、わたしは、昔からあの猪瀬直樹の半分も評価していない。タレントという短い尻尾を垂れた一種「イチビリ学徒」のかつがつ生き延びたテイタラクであり、しかも上から目線で庶民や女を口先一つで愚弄の悪趣味をしたたかに持っている。支持できない。

2014 1・8 147

 

 

☆ 秦 恒平 様

寒さが厳しくなって参りました。

今日から一段と寒いようです。

お元気でお過ごしでしょうか。

今日は、おやじのたまり場というサークルで、囲碁をするために出かけます。囲碁は下手なのですが、皆さんとの会話を楽しむために行っています。退職後は話をする人が少なくなり、サークルに行くようになりました。

平成21年の12月に大津(石山)に転居しました。

もうすぐ出かけますので、とりあえずご連絡まで。    川  母方の甥

 

* フェイスブックでどちらからと無く見つけ出していた。連絡先を尋ねていた。逢ったことは一度もない、母ほど年かさの異父姉の子と想っている。いつか碁を打ちたいものです。

2014 1・9 147

 

 

* 2013年の36項「私語分類13」を保存し終えた。

 

☆ 「秦恒平私語」36項

 

送信すべて終了しました。ご確認よろしくお願い申し上げます。

37ファイルと書きましたが、36ファイルの間違いでした。「外出、旅」というファイルを作成していたのですが、昨年は日帰りの旅もなさらなかったので、今回はなしにしてください。今年は、最愛の地京都にお出かけになれますようお祈りしています。

 

読者の一つの意見として、お心の隅においていただきたいことがございます。

 

長い間この作業をしながら、痛感していますのは「生活と意見」という「文藝連鎖」はこのままの形でも是非本にしていただきたいということでございます。長大なものになりますが、「私語の刻」全巻の出版を建日子さまと共にお考えいただけないでしょうか。

今回の湖の本「歴史・人・日常 流雲吐月」たしかに作家自身が「選びぬいて」「再編集」したテーマの濃密さがあり、このような形で読ませていただくことも素晴らしい読書経験です。

しかし、現在進行形の「生活と意見」は秦恒平という作家の、世界でも類のない「作品」として価値あるものです。電子メディア時代の新しい文藝表現ではないかと思います。それに秦恒平の傑作の一つであること間違いありません。

単なる「日記」文藝とは異なる、不思議な一つの生命体のような個性があります。その魅力を私ごときの拙い言葉で表現できるものではありませんが、秦恒平という作家の人生が、人間がこれほど生彩をもって「生きている」と感じられる場所は他には、そうそう、ないのです。

人間の「生」というのは無数の断片から成り立っています。この「私語」に描かれている日々の健康状態や読書記録や私信のやりとり、作家論、歌舞伎鑑賞や、歴史への洞察、悪政への憤り、短歌、俳句、家族関係などの断片の堆積でもあるこの「文藝」形態は、そのまま、秦恒平という作家の宇宙のような内面意識、その人生の有り様を見せてくれます。しかも読者のネット環境とも共生しているのです。多彩な断片が極上の文章と渾然一体となって、そこに紛れない一人の作家が「今・此処」に、多くの読者とともに存在していることを感じさせます。そして、この共生感覚は、十年後、二十年後、百年後の読者にとっても変わらないはずです。読者が一人の作家の人生に深くかかわって、同伴者となることをありありと実感させる作品に違いありません。

 

当たり前ですが、私はお世辞でこのようなことは書きません。私にもし一つでも取り柄があるとしたら、文学者としての秦恒平を正しく評価しているということだと自負しているのです。

わたくしは「秦恒平」と共に生きている幸せに包まれて、この作業を続けています。この作業にあまりに充たされているから、現実にお顔がみられないなどと嘆く必要が全然ないのかもしれないと、そう思うことすらあります。秦恒平の「作品」が実際生身の存在を凌駕してしまっているのかもしれません。

 

* どなたがどのように思いまた云われようと、あれもこれもそれもどれも、みな「私のようなもの」であるに過ぎない。きちっと生きるのは難しい。

 

☆ 秦君 メール有難うございました。

お元気に越年された由、何よりと喜んでおります。手術をされて早や二年近くになるのですね。高齢になってからの手術を伴う闘病生活、特に消化器系統の疾患は体調の維持・盛衰に直接関わるだけにさぞ大変だったでしょう。

私はお陰さまでここ40年近く内科医や合成薬品とは無縁ですが、13年前に網膜剥離の手術をした左目の視力がここ数年来めっきり衰えて

遠近感がとれず、少しの段差に躓いたり転んだりの上に昨年11月未に耳掃除に行った耳鼻医院で左耳の鼓膜に孔をあけられて、以来毎日通院していますが、電話の応対もできず不便な生活を強いられています。医者は必ず治りますと言ってはいますが、二十歳代から結核の特効薬の後遺症で右耳が難聴気味なだけに、頼りの利き耳がこんな有様では日常生活の不便さは勿論、音楽が愉しめないのが情けない次第です。

そんな訳で五感の内まともに機能しているのは口だけですが、元々美食には関心がうすく、3 365日、朝は玄米飯にワカメ、葱に麩か豆腐の味噌汁と納豆に半熟卵。昼はうどんかそば。夜は何でも肴にしては出来るだけ度の強い焼酎、ウオッカ、テキーラ等の蒸留酒等をストレートでクエン酸水を飲みながら休肝日なしに愉しんでいます。肴が無くなればゴマ塩を振り掛けた玄米飯をつまみに、飲んでおります。

そうしてまでも飲みたいのかなと女房は呆れていますが、お父さんなら病院に入れられても消毒用のアルコールでもきっと飲まはるで、と正月に集まった息子や娘に冷やかされました。アルコール類なら種類や銘柄は関係なく、ただ度の低い日本酒やビール、ワインは量が多くなり胃にも財布にも負担が掛かるので、好きですが晩酌には不調法です。この年齢になって甘いもの、塩辛いもの、脂っこいものなど何でもござれの食べ邦題、飲み邦題が出来るのがいちばん有難いと感謝しています。

昨秋も開催のクラス会に15名集まりましたが、若い頃と変わらず飲んでいるのは私ぐらいで、錠剤やカプセルの薬をテーブルの上に並べているのが殆どでした。企業戦士の若い頃から、どの君も美食家が多く、夜は接待の飲食や麻雀、週末や休日は農薬まみれの芝生の穴に球入れの生活では加齢と共に体調が狂ってくるのは当然と言えば当然ですが、市場経済の寵児達は合理性に欠けること夥しく、グルメに銭をかけ、出っ張った腹を凹ますジム通いに亦々銭を使いその悪循環のつけが廻っての医者通い。どの君も企業では夫々のスペシャリストで有能なマネーャーではあったでしょうが己の健康管理者としては余り優秀ではなかったようです。学生時代から今日に至るまで大差を付けられっ放しの私ですが学友達が学園生活を謳歌し卒業後は企業の最前線で奮闘していた17歳から28歳まで、宇多野療養所での三年間を含め11年間肺病と輸血による血清肝炎で病床暮らしをした見返りに、どの君よりも10年は長生きできる術が会得できたと感謝しています。

そんな仲間が年に一度は集まろうと始めたクラスの有志会や不定期の旅行会の記念に、PCをいじり出した2000年から作り始めたCDから、2 枚を、同封しましたので聴いて頂ければ幸いです。例によって五目飯的な盤ですが、どの君にも1 曲は喜んで頂けそうな選曲を毎回心掛けているせいか、結構本人やご家族にも好評なようですが、さて貴兄は如何でしょうか。

今年の会合までに聴力が回復しないと、現状のようでは心から音楽を愉しむ気にはなれませんので、通院を続けて一日も早い回復を待ちたいと思っております。

日吉ケ丘の同窓会も解散し、旧の洛東学区のメンバーが中心のような有志会ができていますが、今いち参加する気が起きません。

弥栄中の同窓会が待たれるところですが加齢とともに幹事役のなり手が中々ないようで、さみしい限りです。そんなことで貴兄とも久しくお会いしておりませんが、お互いに元気でさえ居ればその機もありましょう。お互いに爆弾を抱えているような体ですが、充分に自愛をして再会を心待ちにしましょう。

愉快でもない近況などを長々と書きましたが、悪しからずお許しください。

寒さもこれからが本番です。万病の元の風邪に気を付けて日々ご活躍ください。亦メールを入れます。 京・岩倉幡枝 辰

 

* 文字どおりいろいろの楽曲を混ぜた音盤二枚を頂戴した。

2014 1・10 147

 

 

* 死後のとまでは云わないが、そのまえに文学がらみの身辺処理がしたく、もし欲してくれる人が有れば、門外不出と思っていたほどの幾方面かの私的資料を差し上げてしまいたいと思い、この人ならばと信頼している人に、ともあれ声がかけてある。数日後にも一度会って、忌憚ない話し合いをしてみましょうと打ち合わせが出来ている。

2014 1・11 147

 

 

* 青田吉正さんの電話をもらった。とりとめなく長話になった。

☆ お元気ですか。

 

* 死後のとまでは云わないが、そのまえに文学がらみの身辺処理がしたく、もし欲してくれる人が有れば、門外不出と思っていたほどの幾方面かの私的資料を差し上げてしまいたいと思い、この人ならばと信頼している人に、ともあれ声がかけてある。数日後にも一度会って、忌憚ない話し合いをしてみましょうと打ち合わせが出来ている。

 

昨日の「私語」にこの記述を読み、とても羨ましくなりました。メールのやりとりこそしていても、今まで一度もお手紙も葉書も頂戴したことのないのをさびしく思ってきました。

笑って無視してくださいませ。ただ、そのような希望のあることお伝えするのはお許しください。

咳がなかなか治りません。風邪など召されませんよう、どうぞお大事にお過ごしください。  読者

 

* 「材料」は、やはり「方法」をもって批評し選別し、つまり評価を経て使用されないと、何らか意味のありそうなモノも呆気なく紙屑で終わってしまう。それを考慮すると、とりあえずは無方針に散逸や放棄を急ぎたくない、そういうことである。初源の段階では、先ずは「判断」「評価」され、その上で「処分」や「保存」や「使用」が検討される。そういうことである。それにはわたし自身もまだまだ健康で、処置・処分の決断に堪えねばならない。

2014 1・12 147

 

 

☆ 今日も寒い日のようです。

天気はまあまあです。午前中は、ほったらかしにしておいた記帳を少しし、午後は歩きに行こうと思っています。

仕事は定年退職しました。

定年後は息子の薦めで行政書士の仕事を時々しています。ぼけの防止でしています。

記帳は自分の確定申告の準備です。

今年の7月で67歳になります。

1 年が早くたつようになりました。

アドレスのnaoko は娘の名です。今は妻と2人で暮らしています。

寒い日が続きますから、どうぞお体を大切にお過ごしください。  大津市 芳

 

* わたしには、生母方にもこのように年齢のちかい甥がいた。ほかにも甥も姪もおり、それどころか実父方にはもっと大勢の従兄や従姉がいる。異母妹の二人には大勢の若い甥や姪がいる。ほとんど誰とも会ったことがない。父母をともにする唯一人の実兄北澤恒彦には早くに死なれてしまった。

2014 1・13 147

 

 

☆ お元気ですか。

松濤の観世能楽堂往復なさったとは素晴らしいご回復ぶりです。その上日本橋高島屋までまわられたとのことに驚嘆しました。とにかくご無事にお戻りになったことは体力の勝利でした。安堵いたしました。ですが、今後は慎重になさってくださいますよう切にお願い申し上げます。オバサンにもできないハードすぎる行程でした。ちょっと呆れて怒っています。無茶です。早く体力回復したいという焦りは禁物と申し上げます。

みづうみからは娘世代の健康な私でも渋谷から観世能楽堂の徒歩往復はいたしません。渋谷という街はとても疲れるからです。距離的には大したことはなくても、渋谷駅というのはすり鉢の底のような場所で、そこから観世能楽堂まではひたすら上り坂です。しかもあの雑踏を人にぶつからないように歩くのは神経を使います。傍若無人の若者たちがスマホ片手に歩く中を、よくぞ転倒もなさらず歩き通されたものです。渋谷ほど中高年にやさしくない街はありません。いたたまれないほどに居場所がありません。

今後観世能楽堂に行かれる時には、駅前からタクシーをお使いいただくか、東急百貨店本店行きの送迎バスで本店まで行き、そこから松濤住宅街を抜けて能楽堂までお歩きくださいますようご提案させてください。それからお出かけ場所は、できましたら一日一カ所がよろしいのではないかと思います。少しずつ少しずつお元気に歩かれるようになればよいのですから、一気に元通りなどとは決してお考えになりませんように。

蛮勇のお疲れがでていらっしゃらないとよいのですが。どうか毎日お大切にお過ごしくださいますように。 品川区

 

* あれで高島屋の画展を見終え、銀座線地下鉄のママ浅草に着いて、仲見世から浅草寺に参拝、そのまま境内を通り抜けて、肉の「米久」か鮓の「高勢」で食事し、ちょっと呑んで、タクシーで鶯谷駅へ戻り池袋経由で帰るのは可能と、かなりタカを括っていたのだった。出来なかった。展覧会の会場までで限界に来ていた。

かなり自信をなくした。

2014 1・15 147

 

 

* ほんとうに、ほんとうに久しぶりに人と会い、たくさん話し、また話し合ってきた。角切りのステーキと「デンデンムシ」を、クラブのサービスしてくれたシャンパン、そしてヘネシーとアイスクリームと珈琲を。作家の名前や作の名前をド忘れしていることの多いのにわれながら惘れた。昼過ぎから晩までかなり長時間、文学や研究や出版や著述のはなしを楽しんだ。わたしには食欲が無く、もっぱら話を聴いて楽しんだ。

2014 1・18 147

 

 

* ところでわたしが此処にこういう具合に、思いついたことを先後もとくに省みも顧みもせず書きとめている、これを「闇に言い置く 私語の刻」と称しているが、やや難しくいえばこういう筆記を「箚記」(さっき、とうき)という。大塩平八郎に「洗心洞箚記」がある。荷風に有名な「日乗」がある。日記であり、わたしも日記・日乗感覚で十七年も書いてきたが、有難い読者の整理してくださったように細かく分ければ三十五、六項にも分けられる多彩な、しかしまた断想でこそあれ完結した著述形式はとらない雑纂になっている。「文藝連鎖」と自称もしてきた。感想、着想ないしは癇癪の落としどころとして用い、しかも隠した陰口ではなく電子ネットの闇へ放った私語になっている。この筆述形式が、つまり「箚記」であり中国では「册記」とも書かれている。

このところ続けて試みてきた『湖の本』の何冊かはまさに「箚記」なのである。「有即斎箚記」(うそくさいとうき)と呼ばれても差し支えない。

2014 1・24 147

 

 

☆ 湖北

昨日は湖の本の入稿などに終日勤しんでらしたと、本当に文字通り懸命に、命懸けて仕事さ

れていらっしゃる。遠くから察し、ただただ大切にと願うばかりです。

寒さが少し和らいで、庭には既に春の雑草が緑の小さな葉を輝かせていますし、木の枝の芽は柔らかに膨らんでいるものもあります。

先日、湖北の高月にある向源寺を訪れました。十一面観音菩薩様に祈ってきました。

ここを初めて訪れたのは半世紀近くも前のこと。村の田舎道を伝って訪れた時、観音様は収蔵庫ではなく、ひっそりしたお堂にいらした・・。湖をぐるっと回って帰ろうと思い、近江塩津で湖西線に乗って今津に着いたのですが、堅田と今津の間が強風のため運転中止。ここは高架になっている箇所もあり、時々強風で不通になるそうです。仕方なく塩津まで戻り、霙と風吹きすさぶ駅で一時間ほど待ち、米原方面へ。伊吹山、比良の山々・・いつ見ても見飽きないのです。いつか近江の国にまつわるものを書いてみたいなと、ふと思います。

それ以外は普段の暮らしで一月が過ぎようとしています。楽しみは携帯に送られてくる孫の動画です。寝返り、お座りができるようになり、離乳食と言ってもリンゴジュ―スやお粥程度のものですが、初めて口にする瞬間の微妙な表情やら、ああ赤ちゃんの成長は何と微笑ましいものかと。今週から姑がしばらく同居します。夫の手術の日取りはまだ決まっていませんが、二月は慌ただしく過ぎていくでしょう。

改めて書きます。用事ができたようで・・

どうぞどうぞお体労わって大事になさってください。  鳶

 

* 湖北と聴くと心身がゆれるほど、このところ近江の湖に浸りつづけてきた。「みごもりの湖」「秘色」。昨日も今日もわたしは「秘色」を読んでいた。読み耽ることはゆるされず一字一字魯魚のあやまちはないか、仮名文字に間違いないかと気を付けながらであるが、それでも湖愁は骨身に沁みる。近江ではない大和を書いた「三輪山」でもおなじ事、この三作で「秦恒平選集」第一巻は成る予定だ、慎重に慎重にことを運んでいる。

そして今日は、たぶん「選集」第二巻を成すはずの「清経入水」をほぼ読み上げた。

こういう小説たちを書き置く、ただもうそのために自分は生まれてきたと、そんな思いがする。一抹の悔いも無い。そして幸いにわたしは、今もものを書いて暮らせている。このうえの何を望むのか、ただもう日本の聡明な平和のみ。

* メールをもらう嬉しさに、しみじみとしている。家の外へ出て、誰かと逢ってくる・これるという日々でなく、不快な「SMAP」メールは連日連夜瀧のように落ちてくるのに、鳶さんからのような胸の温まるメールは、このごろは、めったに届かない。それも道理、メールを貰っても返事を怠り続けたのだから当たり前の成り行きなのだが、そんな不行儀な慣いが出来たほど、一頃は毎日毎日メールの返事に相当な時間をとられた。これはいかんと思った。今では、極端に、遠くへ柔らかに開いてある窓の数が少なすぎる。しかも直に懐かしいいい声を聴いて喋り逢う機会もすっかり無くしてきた。寂しくはあるが、何よりも、自身に残された時間の少なさを大切に意識しているのだろう、そう思う。思わずにおれない。

それにしても、あんまりもみんなおじいちゃん、おばあちゃんに成って行く。懐かしい知り合いには、昔のまま若くいてて欲しいもんだなどと途方もない夢を見る。

2014 1・27 147

 

 

* 俳句の金子兜太さんから、「湖の本」では『梁塵秘抄』『閑吟集』に最も注目しましたと、賀詞に添えてハガキを戴いた。

2014 1・28 147

 

 

* 石川能美市の井口哲郎さんからお電話を頂戴した。それだけでも、嬉しい。

2014 1・31 147

 

 

* 「選集」①再校に入っている。②の入稿用意にも、「清経入水」「初恋」「風の奏で」「絵巻」の原稿づくりと、ルビ打ち。

一方「湖の本119 」初校進み、併行して発送の用意にももうかからねば。「120 」の心づもりも。

なによりも、新たな小説二つの進行も。

ゆりはじめさんはじめ、挨拶の御無礼もいろいろ重なっていて気になるが。

 

☆ 秦さん

今日で勤務校の中学入試が漸く終わりました。

ほっとすべきところですが、「闇に言い置く」が昨日から書き込まれておらず、心配しております。

杞憂であればそれでいいので、返信はご無用です。

井口さん、先月判子を彫って送ってくださいました。人と人は、どこかで繋がっているのだなぁと思いました。

明日は雪とか。

どうぞ、お二人ともお大事になさってください。  美

 

* 都知事選では、脱・ゼロ原発候補等はまたしても相討ちの愚をおかすと見える。なぜ適切で実現可能な政策協力を図らないのか。「負けて」は何にもなるまいに。

 

* 南相馬からかけつけた桜井市長の細川候補への応援演説の動画が送られてきて、聴いた。観た。そして友人達に転送した。

 

☆ みづうみ、お元気ですか。

毎日のご体調を拝見して、とても心配しています。そして、手も足も出ないことに、打ちひしがれる日々です。せめて何かのお仕事でもお手伝いできたらどんなにいいでしょう。お仕事を頑張りすぎないでほしいとお願いするのは、みづうみに生きるのをやめてくださいというようなものですが、少しばかりペースを落としていただけないかしらと、無駄と知りつつ切にお願い申し上げるものです。

こちらの高齢家族も毎日歯が痛かったり、爪が痛んだり、目が痒い、お腹の調子が悪い等々で、それでも病院には行きたがらず、また行ってもドクターの呆れるほど頼りにならないことで、お手上げ状態です。このような日々が加齢というもので、いずれ私の身にも訪れることと思うと、それだけでも鬱になりそうです。吉本隆明さんでしたか、老齢がこれほど過酷なものとは思わなかったと仰っていましたけれど。

「堪え、起ち、生きる」というお言葉、噛みしめています。最近のわたくしの気の滅入り方は、みづうみのご体調への懸念も加わって半端ではありません。ニュースを観ると吐き気を感じることすらあります。人類史上空前の(絶後でないところがさらに恐ろしい)凄まじい崩壊が起きているのに、テレビや新聞は恐ろしいほど情報統制され、無知無関心な人間を量産します。すでに被曝戦争が始まっている現実を隠蔽するためのオリンピック騒ぎでしょうか。このままでは日本人の国は終わってしまいます。

 

わたくしは原発事故以来「楽しむ」ということを忘れてしまいました。何をしても心から喜べない自分が、周囲の人生を暗くしているのではないかと、さらに自己嫌悪する悪循環です。ですが、みづうみのように、堪えて、起って、生きなくてはいけないのですよね。

久しぶりにフランクルの『それでも人生にイエスと言う』を読み返しました。みづうみの「堪え、起ち、生きる」と同じように、喝を入れられました。

 

私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそ問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。そして、それは生きていることに責任を担うことです。

こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。どのような未来もこわくはありません。未来がないように思われても、こわくはありません。もう、現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつもでも新しい問いを含んでいるからです。すべてはもう、そのつど私たちにどんなことが期待されているかにかかっているのです。その際、どんな未来が私たちを待ちうけているかは、知るよしもありませんし、知る必要もないのです。

 

 

以前みづうみの書いていらしたことを思い出します。ある高みに到達したひとの思索は共鳴しあうものなのでしょう。

 

 

そのときそのときに、どういうやりかたであっても、人生を、瞬間を意味のあるものにするかしないかという二者択一しかありません。ですから、そのときそのとき、どのように答えるか決断するしかありません。

……(中略)人生はたえず意味を実現するなんらかの可能性を提供しています。ですから、どんなときでも、生きる意味があるかどうかは、その人の自由選択にゆだねられています。人生は、「最後の息をひきとるまで」意味あるものに形づくることができるといってもいいでしょう。

 

自殺する人も、人生のルールに違反しています。人生のルールは私たちにどんなことをしても勝つということを求めていませんが、けっして戦いを放棄しないことは求めているはずです。

 

 

ご体調不良にもかかわらずお仕事に奮闘なさるみづうみの日々を読ませていただくと、じつはみづうみの現在こそ「瞬間を意味あるものにする」ために運命を真っ向から引き受けた文学魂の戦いであることに気がつきます。わたくしは、みづうみのことを一度も戦いを放棄したことのない勇気ある闘士だと思っています。

それに比べ、自分は意味のある「今・此処」を生きたことがただの一度でもあるのだろうかと、内心忸怩たるものがあります。気が滅入っても、絶望しても、「堪えて、起って、生きなくては」せっかく何かをする機会を与えられた人生からの問いに答えられません。 みづうみの足元にも及ばぬ日々ですが、このメールを(ご迷惑かもしれませんが)書いている今この瞬間、精一杯の想いをこめていたいと願います。

 

フランクルの言うようにけっして戦いを放棄しないことを求められているとしたら、とりあえず、これ以上愚かしい展開にならないための都民の都知事選でしょうか。最悪の選択だけは避けなければなりません。

自宅が火事であれば、信用しようがしまいが、少なくとも目の前の火を消す意志と力のある人間を選ぶしかないではありませんか。自宅が燃えているのに、景気がどうのなんて話が無意味なのはもちろんですが、正しい火の消し方は左からだ右からだとグズグズ分裂するのも大バカ。とにかく大量の水をぶっかけて消すのみ。すでに結果の出ているような奇妙な世論調査があるのはたしかですが、選挙が噂のような操作なく、公正に行われることを祈るしかありません。

 

みづうみの日々の決してやさしくないことを憂いつつ、それでもわたくしは、ふしぎに、私語の刻「有即斎箚記」に励まされてもいるのです。みづうみに心からの感謝をお伝えします。  冬

日脚伸ぶ夕空寒をとりもどし  皆吉爽雨

 

* 裸眼でも、読書用眼鏡でも、小ささい活字が幾重にも乱れて読めない。かろうじて、機械のキイが見えている。十時。休みがてら階下で、黒いマゴに輸液してやろう。マゴも堪えている。わたしたちも、みな堪えている。それでも起って生きねば。

2014 2・3 148

 

 

☆ 秦  恒平様

都知事選挙関係の情報、色々送って頂き、ありがとうございます。

貴兄の候補統一についてのご意見、賛成です。

都知事選挙、何としても、自民、公明の候補を破って脱原発の候補に勝ってもらいたいと思っていますが、一本化ができないのは本当に残念です。   権  ペン元同僚委員

 

* 何人もの友人から反響があった。「一本化ができないのは本当に残念です」と言うに尽きる。一本化すれば確実というに近く勝てるのに。弱小野党の迂愚と高慢がいつも結果を悪くする。

 

* 南相馬の桜井市長の演説を聴いて、熱弁には打たれたが、論旨をもっと東京都にも現に降りかかっている放射線の怖さ、また東京は東北の玄関と昔から言われてきた地理的な近さにも触れて、台所や座敷が放射線に現に痛めつけられていて玄関は無関係などということの事実問題としてあり得ない点などに現実的な警告も発して欲しかった。

 

* 同時に、演説でも触れられていた、東京のオリンピック事情に大きく左右されて福島東北での労務作業者が日毎に激減して行っている実情にわたしは胸を痛める。オリンピックへの騒ぎ過ぎ、過剰なバラマキなどは、じつに体のいい伝統の3S愚民化政策の一環に組み入れられている。スポーツ、セックス、スクリーン(ショウ)の3Sに民衆が浮かれてくれること、これほど政権には好都合な強権土壌は無いのだ、世界的に政権はそれを多用し利用してきた。

2014 2・4 148

 

 

* 昨日の晩、京都宇治の伊藤隆信さんから電話をもらった。京都へ帰ってきたら、というお誘いだった。伊藤さんは何十年も前からそう誘ってくれる。

今日は、伊原昭(あき)さん(梅光学院大名誉教授)から大著『源氏物語の色』を頂戴した。日本の色彩に関する第一人者。精緻な色彩大事典をはじめ大冊の研究をどれだけ頂き続けてきたことか。お目にかかったことは一度もないのに、久しくご好意を戴いている。

2014 2・6 148

 

 

* 「先生」の意味を取り違える人は少ないが、後生の逆で「先に生まれた人」と、ほぼ定まっているが、これまた逆に「先に死んだ人」の意味でもあり得ている。「先師」「先考」「先達」「先人」などみな「先逝」の意味を持っている。数日前に亡き「橋田先生」の夢を見た。亡くなった「先生」たちの多さを夢覚めたまま床の中で指折り数えてうたた今昔の思いに萎れた。

先生方は、それでもなお順に先んじた先輩である。世代をともにし、またこっちが先にもしていた後生・後輩の既に亡き数を数えるとき、今一段と心萎れる。孫のやす香、小学校の永田純治、中学の梶川貞子、田中勉、三好閏三、高校の富永いく子、大学の重盛ゲーテ、大森正一、そして何人も何人もの「いい読者」たち。

2014 2・6 148

 

 

☆ 寒い日

名のみの春です。今日は腫瘍内科診察の日かと察します。今どんな時を過ごされていらっしゃるでしょうか。良い結果でありますように。元気でありますように。          尾張の鳶

 

* ありがとう。腫瘍内科の検査と診察とは明日七日です。夜前、もう日付の替わっていた時刻に「明日は」と書いたのが紛らわしかったと謝りますが、とにかくも術後満二年になろうという初の本格的なCT検査、明日です。昨日の感染内科での血液・尿検査では貧血等その他のデータには問題点無かったそうでした。

二月十九日に眼鏡のための検眼と処方とをしてもらいに、また午後聖路加に出かけます。左眼の白内障手術をするか、まだちょっともったいないですがと。それには目下はわたしにも躊躇いがあります。

今は小説を少なくも二つ書き進め、選集第一巻を仕上げ、湖の本119を刊行のための日々です。

それに今月は松たか子のコクーンでの演劇、歌舞伎座での染五郎ら若手の芝居が待っています。

 

☆ 都知事選

こんな歎きを抱いているひとは多いようです。たとえばこんなツィート。

 

☆ 現代日本における最悪の政治家は、と問われれば小泉純一郎と答える。末代まで許せない。だから、細川は支持しない、という人達が多く居る。しかしあらゆる治療が不可能な中で、命うを救う可能性はモルヒネ投与だけとなったら、私は迷わない。再稼働申請中の16基、うち既に10基は安全認定。なんという、ウソ!

 

☆ 共産党の宿痾は、今回の都知事選でもよく現れている。舛添要一よりも細川護熙を批判する。右翼や権力には甘く、近い人間を潰しにかかる。そしてテリトリーの確保を目指す。今回の都知事選でも、党勢拡大(票数)が伸びたら、彼らは勝利の総括をする。だから決して一本化には応じない。

 

少し前に、澤地久枝さんが深夜に宇都宮氏を訊ねて一本化のお願いに行ったという話が出ています。もちろんうまくいかなかったようですが、あの澤地さんがそこまでする危機感はよくよくわかります。

共産党は以前から、裏自民党と言われていますが、票を割って自民党を助ける役割で、生き延びてきた政党でしょう。末端に真面目な人材がいても中枢は腐っています。

脱原発派はよほど賢くないと勝利できません。

脱原発運動の中には必ず原子力村からの工作員が入り、最初は味方を装いながらあらゆる手段で内部分裂を画策します。すでに、脱原発運動を国民運動ではなく左翼運動にみせることにかなり成功しています。

それにしても愚かしいことです。

フクシマだけでも本州の半分は終わると言われているのです。再稼働して別の事故が起きれば、国民全滅です。

推進派は自分たちだけは助かると思うのでしょうか。

ため息あるのみ。

 

まあ、こんな話はつまらないことです。愛するひととか、愛する藝術とか、汚染されていない土地とか、救えるものを救うことにいのちを捧げたいと思います。

明日の秦さんの検査結果が良好でありますように。   都内 読者

 

 

* 新井白石を書いたので、彼が六代将軍に仕えたときの富士山大噴火の様子は、かなり知っている。新たに大噴火したときの被害や避難についておおまかな推定や懸念が提示されていた。大噴火には地震もともなう。心配は大きい。幸い徴候は無いように言ってあるが東南海大地震や都の直下大地震と同時化したりすれば、予想の危険範囲や程度を大きく超すだろうと心配する。

2014 2・6 148

 

 

☆ 雪

日付の変わる頃から降り始めて今年初めての積雪です。今日は一日雪籠りです。東京も大雪警報が出されているでしょう。

何より病院での検査結果にホッとしました。日常では目の不具合や肩、腕、消化器官など山ほどつらい状態がおありで・・それでも腫瘍内科での医者の診断は心強く安堵しました。  尾張の鳶

 

☆ いちめんの雪景色です。

いかがお過ごしでいらっしゃいますか。

雪に加えて強い冷え込みが続きますね。どうか一層のご自愛をお願い申し上げます。

今年は1 月1 日が旧12月朔日にあたっていたため日付と月のかたちが半年ほど同じになるようです。暮れから毎夜のように月を眺めて、あらたまの年が新月から始まることと、ついたち、ふつか、と口にしながら月を眺めて暮らすことが、これほど落ち着いた気持ちをもたらすものかと感じ入っています。

身体の不調は、鉄欠乏性貧血と判明しました。鉄錠剤を渡されてそれでしまい。

昨年のお正月に初めて誂えた遠近両用眼鏡はなんの違和感もなく、必需品となっています。

両親は来週揃って満80才を迎えます。

和達清夫と倉嶋厚共著の気象の本を読んでいましたら、数頁にわたって38豪雪の被害について引用されておりまして、30才直前で初産だった母と見舞いにいった祖母がどんなに異常な状況のなかに置かれていたのかと50年を過ぎて改めて感謝しました。

その本には、裏日本ということばがいつごろから書物にあらわれ、いつごろNGワードになったかも述べられていました。

さて、今年のお正月はひさしぶりに琵琶湖大橋を渡るドライブをいたしまして、「みれどあかぬ」湖北の雪景色に幸先のよいスタートを切りました。

足立巻一「やちまた」は2 週間かかって上巻をなんとかむりむり読みました。なつかしい構成です。おもしろいのに進まない。これもなつかしい感触でした。

明日は竹喬美術館に出かけるつもりです。

昨年の2 月に、波光の展覧会を見たくて思いきって行ってみて、上薗四郎館長のおはなしも愉しいし、館のみなさんがあたたかくてのんびりと別世界をかもしだしていて、とてもよかったのですよ。

今年は華岳だそうです。

折り畳み式の座卓1 脚を作業スペースにしておりましたが、書き留めた紙やコピーなどが崩れそうになってきたため、朝の食卓を片付けたのち、夕方までそこを作業台にしています。

テレビなし。新聞なし。PCもタブレット端末もスマホもなし。

インターネットは二つ折りの携帯電話で得られる範囲に限られます。

雑誌購読は季刊の「明日香風」と「やまとびと」のみ。

ラジオは津放送局からのNHK-FMと、三重県唯一の民放FMと、名張のコミュニティFMしか入りません。

divide 、deviate 、devoid…

どれでしょう…?    名張の囀雀

 

☆ お仕事

くれぐれもご無理はなさらないでください。

昨日の検査の結果が良くて何よりでした。喜んでいます。

ですが、毎日の「卵納豆」は絶対にやめていただきたいと思います。あるいはみづうみのお腹の不調の原因であるかもしれません。

国産の大豆はもうだめです。健康に害しかありません。大豆はセシウム移行率が非常に高い食物です。納豆だけでなく、卵も濃縮されて危険です。それを毎日だなんて! とんでもないことです。ある納豆計測した人の情報では6ベクレルだったそうです。他の食品からの内部被曝も避けられない現状では、この数値のものを食べ続けることは論外です。確実に病気になります。

卵納豆はあきらめてください。強くお願い申し上げます。原発反対しているわたくしですら、この程度の内部被曝の認識しかおありにならないのですから、日本の今後は絶望的ではないかと暗澹たる気持です。どうか食べることに注意なさって生き延びて、今書いていらっしゃる小説を完成させてください。  反納豆

 

* メールというのは、やはり貰うと嬉しいモノだ。ムダを剥いだ囀雀さんの境涯、すっきりと佳いなあ。

 

* とはいえ、メールボックス開くと、不良メールが今も30 昼には50 朝には90。いやになる。

2014 2・8 148

 

 

☆ 秦 恒平 様

先日は病院帰りのお疲れの所、突然の電話にて大変失礼しました。

その時に話しましたミュージアムの企画展のチラシ下書きコピー 添付ファイルにてメール致しました。

体調他不安なお気持ち少ない状態であれば奥様とでも故郷京都にお帰り下されば幸いです。その節は2 月末から3 月10日まで位ならJR桃山かJR六地蔵駅迄車にてお迎えにまいりま

す。

何れにしましても無理は禁物かと思います。京都の空気を吸ってみようかというお気持ちになったらいらして下さい。

Feb. 8, 2014   アート影絵芝居   京都宇治 伊信

 

* 京都……。行きたい。

2014 2・9 148

 

 

☆ 今容姿既耆

吉田洋一の「数学の影絵」をつまみ読みしておりまして、戦時中から終戦後にかけて札幌で療養生活をしていたときに「雪は天から送られた手紙である」を口の中でくりかえした吉田さんが、昭和29年の東京の大雪の朝には、西東三鬼の「限りなく降る雪何をもたらすや」の句をくりかえしくりかえし口ずさんでいた、とありました。

東京で30センチの雪でしたら相当な“災害”でしたでしょう? 混乱はしばらく続きそうでしょうか。

どうかお怪我などなさいませんように。

伊賀盆地や隠国の泊瀬も立春から積雪に見舞われておりますが、夕方には土が顔を出す程度の雪で、昨日、新幹線で西へ西へ向かいながら増えてゆく雪に目を丸くしておりましたら笠岡ではあちこちの戸口にかなりしっかりとした雪だるまが立っていて、駐車場の隅にかまくらまでつくられていたので、まったく驚きました。

「裸婦図」「日高川」「聖者の死( 下絵) 」のない華岳展は、竹喬美術館という都市部ではない場ということと、昨年の同じ時期に同じ会場で波光展が開催されていたことで、雀はこの展示内容がかえってしみじみとして佳いと思いました。

さて、先週末に、「ワカタケル大王の時代Ⅰ」と題した和田萃さんの講演を聴いてまいりました。同じ会場で7 回を数えるそうですが、雀は昨年の2 月の「タケル王とホムチワケ」からの聴講です。「ワカタケルⅠ」は、万葉集巻頭歌と古事記に描かれたワカタケル。

来月に「Ⅱ」として稲荷山古墳出土鉄剣金象篏にみられるワカタケルのお話をなさるそうです。

長谷朝倉宮から初瀬軽便鉄道の話になり、日下の直越から近鉄の昔のトンネルの話になり、吉野の童女の話から原石鼎の話になり、阿波野青畝の名が出て、櫻花壇での対談がきっかけで弟子入りをゆるされた、と、前登志夫さんの名前が出て、先生が亡くなられてもう6 年経ちますね…と途切れる、そんな和田さんのお話ぶりが大好きで、たびたび聴講しています。

最初の出会いは2009年5 月。

場所は名張から駅で4 つ目の奈良県宇陀市榛原町。< あぶらや> のすぐそばの古いホールで、菅谷文則、千田稔、和田萃のお三方が揃うトークイベントがあるというので出かけ、雀はお三方のファンになりました。

その年の11月。

奈良県立美術館の「神話―日本美術の想像力―」展の企画で、和田さんが「青木繁と日本神話」と題した講演をなさいました。

美術館での講演といったら、美術関係者と思っておりましたから、古代学と神話と明治の洋画家青木繁をつなげてのお話は大層面白く、しかも和田さんが青木の大ファンでゆかりの地はモーラされたお話も驚きましたし愉快でした。

(2010 年3 月10日に「平城遷都1300年祭」が始まり、おんまつりの最終日に合わせるかのように、12月18~19日にNARASIA ~2010~ファイナルイベント」が開催されました) 。

和田さんの講演を伺った3 度目は、2011年10月。

田原本町観光協会主催の歴史講座で「古事記と安万侶さん~古事記完成1300年を迎えて~」と題した講演です。

11月27日には、県のイベント「記紀・万葉ウォーク~観光ボランティアと歩く・なら」吉野町篇に招かれて、宮滝遺跡近くの廃校で講演なさいました。

この2011年は、3 月13日に、橿原市のホールで、7 月にはルテアトル銀座で、「古事記完成1300年記念プレイヤーフォーラム」が開催され、関東が3.11の予震に揺れている9 月に、紀伊半島で大水害があった年です。

1889年の十津川村集団移住の話題が出るほどの甚大な被害でした。

11月に吉野宮滝界隈を歩く「記紀・万葉イベント」が予定通りに開催され、案内をしてくださったボランティアガイドさんが、大水で景観が変わってしまってとおっしゃったことを覚えています。

紀伊半島は、2 年後の9 月に再び水害に見舞われ、三重県では、今年から別立ての税金が徴収されることになっています。 囀雀

 

☆ 時無曾雪者落家留

高松塚古墳に彩色壁画が発見されたのが、浅間山荘事件の翌月。1972年3 月21日だそうです。

40周年を迎える2012年4 月から2013年3 月まで、1 ヶ月に1 度、12人の講師を招いて、飛鳥の郷土食を午食にいただきながら、午前中60分、午後70分の講演を聴く講座が明日香村の祝戸荘で企画されまして、9 回目が猪熊兼勝さん、10回目が和田萃さん、11回目が千田稔さんだったのです。

ところが、猪熊さんの日は小津安二郎ゆかりの地へのバスハイクがあり、千田さんの日は竹喬美術館で上薗館長の講演があって参加できず、たまたま和田さんの日だけ予定がなかったのですよ。和田さんの回は、2013年1 月19日。偶然にも雀が満50才を迎える日で洒落のようですが欣喜雀躍、明日香村へ飛びました。

受付でB4版10枚ものプリントが渡されました。

1 枚目には「文献から見た被葬者について」と書かれ、11月に明日香村で行われた記念フォーラムの新聞記事コピーも綴じられています。猪熊兼勝さんは被葬者に刑部( 忍壁) 親王(705.5/7歿) を挙げてらっしゃいます。和田さんは…? プリントには一切ヒントがありません。

午後の講演もいよいよ残り30分というところで、和田さんは、葛野王の名を出されました。父は、母は、祖父母は、外祖父母は、と話を進めてゆかれます。

おかげさまで、このあたりは、ノレる箇所。

和田さんが「鮒のおなかに密書を入れて」とおっしゃるのに、心のなかで“どうするどうする”。頷き頷き聞いていると、「あ、時間がきました」。

バスの本数が少ないためこの会は時間厳守なんです。

続きはまたのお預かり。

まず、本日はこれぎりィ。

そして

2013年9 月29日。

三重県松阪市で、本居宣長記念館の吉田悦之館長が「本と宣長」と題した講演をなさり、奈良県橿原市では、ウォークイベントのオープニングとして、和田萃さんが「本居宣長と『菅笠日記』」の講演をなさいました。

主人が橿原市、雀が松阪市と分かれ、聴講と資料見学をいたしまして、夕食を取りながら報告会です。

太安万侶を「安万侶さん」と呼ぶ理由から始まって、宣長さんはどんな人だったか、で、講演時間の半分が過ぎてしまった和田さんが、大きな字で縦書きに板書したのが「足立巻一『やちまた』」。

足立巻一も「やちまた」も知らなかったわたしたちは、携帯電話での検索で、「千夜千冊―1263夜―」に取り上げられていることを知って、う~ん、そぉかぁ!でした。

ちなみに、本居宣長記念館は、古事記1300年の2012から、昨年は、本居春庭生誕250 年、「松坂の一夜」から250 年、「もののあはれ」から250 年、足立巻一生誕100 年、折口信夫の没後60年で、今年は「古事記伝起筆250 年」と、話題が尽きません。

日が傾きしんしんと冷えてきました。

お大事になさってくださいませ。  囀雀

 

 

* 久々の囀り、高らかに、さえざえと。この「私語の刻」には、貴重な雀。

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

 

大雪の降った土曜日、なんとなく二・二六事件のことを思っていました。(もちろんまだ生まれてもいない時代のことですけれど)今の日本を覆う雰囲気が、あの当時と似ているのではないかと、陰鬱な気分の雪でした。

都知事戦は終わってみれば出来レースのようでした。それにしても九時からの開票の前、投票締め切り八時直後に、当確が出るシステムというのがふしぎでなりません。出口調査を経験したことがないということもありますが、もし投票先を訊かれても、ふつうは誰に投票したか秘密にすると思うからです。答えるのは、たぶん組織に属して投票した人間です。出口調査だけで結果がわかるなら、そもそも投票なんて不要でしょう。統計学というのは神のように正確無比なのでしょうか。最初に結果ありき、あとは辻褄あわせなんてことが本当にあり得ないことなのか。日本は選挙で民意を表現することが出来ない国になりつつあるような気がしています。負け惜しみと笑われそうですが、開票率〇パーセントで結果がわかるのはやはり奇妙です。せめて半分くらい開票してから当確を出してほしいものです。

 

冷えています。

暖かく、ご無理なさらないでお過ごしくださいますように。  嚔  つづけさまに嚔して威儀くづれけり  虚子

 

* いいメールにくっついて要削除のSPAMが、どっと80。イヤになる。

2014 2・10 148

 

 

☆ 横臼醸大御酒

今日は国栖奏。

本居宣長は15才までに謡曲を51曲修めたそうですが、13才の時にお礼参りの吉野行きから帰って最初に習ったのが「国栖」だったとのこと。

昨年、吉野町歴史資料館の池田淳館長さんが資料館からつきっきりで解説をしてくださった上、天候は穏やかで見物人も少ないという、ビギナーズラック、いえ超自然的な「国栖奏」見学をいたしました。

和田萃さんの講演が7 回を数えた講演会は、北葛城の施設にある小さなセミナールームを会場に、1 月と8 月などを除いて月に1 度開催されていて、2 月と9 月は和田さんと決まっているほかはその時々で講師が招かれているようです。

平城遷都1300年祭をきっかけに日本古代史の講演が続いていたらしく、雀が聴講した最初のときに、次回・次次回の申し込みをして帰られる男性が何人もいらっしゃって、たまたまお名前を存じ上げていた方が講師でしたので、雀もそのまま3 月4 月と聴講しておりましたら、5 月はお休み、6 月は2 回講演で、内容は谷崎潤一郎とのことで、申し込み用紙を記入して帰られる方がほとんどいらっしゃらなかったのですよ。

講師は、たつみ都志さん。

雀は、芦屋の記念館へ「谷崎、乱歩、横溝」を見に行く途次、倚松庵を訪れて、たつみさんの解説に遭遇して以来のお目見得です。

同じ会場で20年前に「吉野葛」についてやはり2 回にわたって講演されたそうで、「まさか、そのときの講演を」とおっしゃったとたんに、お二人の女性が手を挙げられたものですから会場がわきました。

芦屋の記念館へ行ったのは2011年10月。

昨年10月に企画展「狐と谷崎、そして歌舞伎」を見に寄ったのですから、丸2 年のごぶさたでした。

九代目(澤村)宗十郎が亡くなって今年で13年。NHK-FMで澤村藤十郎さんが始められた「邦楽ジョッキー」が、中村壱太郎さんになって3 年目を迎えます。

壱太郎さんのおしゃべりに、祖父、父、叔父、従兄弟、ゲストによっては外祖母の話題も出ますので、ついつい毎週スウィッチを入れてしまいます。番組は1985に始まったとのことですから来年で30年。歳月を感じますわ。

昼下がりの校庭にちらちら動く人影がありました。

男子学生がふたり、ブランコの立ちこぎをしていたのです。

室生の山がうっすら雪化粧をして、乾燥と低温と凍結の毎日というのに。

若いなぁ。トモシキロカモ。

明日からまた雪になるそうですね。

手術はもちろんですが、そのあとの検査や通院がまたたいへんな負荷でしょう。

日差しも増してまいります。お大事におすごしくださいませ。   囀雀

 

* 何度も云ってきたが、久しく久しい読者であるこの名張の人に「囀雀」とあだ名を献上したのは、わたし。わたしのために、大阪成駒屋の中村扇雀丈のメールアドレスを教えてくれたときのこと。「湖雀(うみすずめ)」と謂うときもある。十数年、雀さんのメールは一通も漏らさず保存してあるが、一年三百六十五日に三百六十三通も読んだことがある。北海道の植物学者のmaokatさんら何人もが「囀り」を聴くフアンで、間が開いたりすると心配してこられる。なみのお喋り雀でないから、ビックリもするし、じつはたくさんの見聞からさまざまに教わってもきた。若い人若い人と感じていたが五十になられたと先日のメールで初めて知った。やはり若いんだ。

2014 2・13 148

 

 

☆ お能

こちら(名張)に越してきて嬉しいことのひとつは大倉源次郎さんがすぐ近くで活動されていることです。名張には2012年3 月に梅原猛さんとともにお越しくださいました。

2000年8 月から大淀町で「能楽座」を始められ、2012年9 月の「能楽座」では、千田稔さん、池田淳さんと鼎談をなさったのですが、ポスターを目にしたのが翌日で、雀はへたりこみそうになりました。そうしたところへ、2013年の9 月は、梅原さんのスーパー能「世阿弥」上演とわかって、それは気をつけて観に行くことにしました。

梅原さんは2011年5 月に談山神社での「翁」奉納の際に講演をなさったのではなかったでしょうか。

源次郎さんが、どちらかで、鹿路峠の鹿路は轆轤の転訛で、ここの桜の木で鼓の胴を作っていた、と、お話しされていて、梅原さんが談山神社の翁の面と対面したことがきっかけで、談山能というのが始まり、第1 回が梅原さんの講演と「翁」の奉納だったような気がします。観覧人数が少なくて、その分、高価で、問い合わせもせず諦めましたが、若葉の談山神社でしょう…いいなぁ、と夢見る夢子になりました。

そして、梅原さんは、2012年3 月始めに奈良県天川村の天河大辨財天社を訪ねられ、元雅が奉納した面と対面されたのち、3 月24日に名張市にお越しになり、市のホールで講演なさいました。観阿弥研究のため名張に越していらした男性の活動で、名張市も「観阿弥創座の名張市小波田」と観光資源にしていることから、講演の前にエクスカーションをつける観光イベントに仕立て、客席に市長さんがいらっしゃいました。そのとき、梅原さんは、国立能楽堂開館30年記念に元雅を新作能に書き上げる、とおっしゃったのです。

新潟市でも上演された「世阿弥」は、残念ながら伊勢での上演がありませんでしたが、2013年9 月に奈良県吉野郡大淀町で上演され、梅原ご夫妻のごりんせきをたまわりました。

この公演では、天河大辨財天社での奉納能と天川村の料理旅館での昼食と「世阿弥」観劇という限定40名のバスツアーが企画され、夫婦で参加してまいりました。

天河の辨財天社は以前に訪ねたことがあります。(オッカケていた=)先代の桂文枝さんが最晩年につくられた新作落語を奉納なさった場所でもあります。

元雅奉納の面は、ここでの奉納能でしか使用しないということでしたから、幸運でした。また、この日はちょうど、源次郎さんの56才のお誕生日でもあり、神社の境内や、大淀町のホールホワイエで、たっぷりと源次郎さんを眺めてまいりました。

能の一番の印象は、ワキの石田幸雄さんのよさでした。

伊賀の地名こそ出ませんが、千早赤阪、大和、伊勢の北畠氏など、地理がわかるだけに、歴史ワイドショーというか、空想再現ドラマという感じで楽しかったです。

2 週間後、明日香村にある万葉文化館で、恒例の「万葉の日フォーラム」として、名誉館長の中西進さんが菅谷文則さんとともに壇上に並んで腰かけられ1 時間半おはなしをなさいました。「『遷宮』にみる日本―記紀・考古学の統合に立って―」というタイトルで

したが、途中で、中西さんが、能に「鵜羽」というのがありましてネ、とおっしゃったのです。10月に国立能楽堂で上演されたそうですね。

☆ 淡雪の中にたちたる三千大千世界またその中に沫雪ぞ降る

今日の昼休み(近くの=)の校庭は大勢が走り回り雪投げをしたり転げるようなはしゃぎっぷりが伝わって、これまた、トモシキロカモ。若いってすばらしい~。   囀雀

 

☆ 映画とピアノと七段目

2012年9 月に、名張市で3 回目の、ワンコイン名画座が開催されまして、市川雷蔵の「弁天小僧」と「眠狂四郎」、それに、(昔の=)中村錦之助の「反逆児」と「沓掛時次郎」の4 本を堪能してまいりました。トークゲストに招かれたのが大阪の方で、次の週末に、大阪歴史博物館のホールで、2 日で4 本、溝口健二の映画を上映すると知り、博物館の企画展「スキタイ」とはしごで、「雨月物語」だけ観てまいりました。

ワンコインシネマでも「雨月物語」でも、甲斐庄楠音が美術や衣装や風俗考証を担当というので気になりましたし、「雨月物語」は早坂文雄、「反逆児」は伊福部昭と、音楽にも気持ちが傾きました。

森雅之さんにはほれぼれです。

2013年に大阪で開催された「中谷宇吉郎の『森羅万象帖』」展を知らずにいて、7 月の真夏日に巡回先の常滑市まで見に行ってまいりました。名張市立図書館が図録を購入していて、新刊本の棚に展示していたのですが展覧会とは知らず、常滑のあとは東京巡回というので、ギリギリセーフ。

宇吉郎が太平洋戦争のために学会に出席できなかった1944年に、15分のフィルムを作って学会に送った、その「snow crystal」がテレビ画面に流れていたのが、雀にはとても貴重でした。製作が岩波ではなく東宝で、音楽は伊福部昭。サスペンスタッチな始まりかたでした。

中谷宇吉郎が北大に赴任したのが1930年。伊福部昭は北大林学実科を1935年に卒業しているのですね。

さて、2013年は、関西では溝口健二「雨月物語」から60年で、三重県松阪市では、小津安二郎の生誕110 年、松竹入社90年、没後50年というので、「松阪オーヅ会」とおっしゃったかしら、有志の方々が新聞を発行されたりイベントを行ったりなさいました。

小津さんもお誕生日がご命日というかたなのですね。雀は、没後49年のご命日の頃、小津さんが1 年だけ代用教員をなさった松阪市飯高町宮前の小学校跡を含むウォークに参加してみました。「飯高オーヅ会」の2 代目会長さんのご案内で、展示資料の解説に始まり、街道を歩きながら、小津さんの文章に出てくるあちらこちらを歩きまわり、後半は、ガイドさんが交代して、倭姫命伝説の地と春日大社に水を献上した赤桶地区を歩きました。

その3 日後、奈良県庁前から春日野の万葉歌碑をめぐるウォークイベントに参加したところ、正午に終了してしまい、奈良ホテルへ、アインシュタインが弾いたピアノについて訊きに行ってみると、調律から戻ってきて、これからピアニストのかたが演奏なさるところです、と受付嬢がおっしゃいます。せっかくですから、ケーキセットを注文して、始まるのを待ちました。思いもよらぬぜいたくなひとときを得たことでした。

アインシュタインは奈良ホテルに1922年12月17・18日と連泊したそうです。佐治晴夫さんが、松岡正剛さんとの対談本のなかで、パグウォッシュ会議の初期参加メンバーはかなりの確率で楽器をよくした、という話題になったときに、アインシュタインはピアノではモーツァルトのニ短調やピアコンの第2楽章を、バイオリンではメンデルスゾーンをよく弾いたとおっしゃっています。

そして、2013年8 月。お盆休み明けに、名張に桂米團治さんがいらして、昼夜2 席なさいました。雀は昼の部だけ拝見。ご自身と兄弟子とお父様をネタにしたマクラを聴きながら、なにをなさるのかしら、と、思っておりましたら、「七段目」です。

亡き團十郎丈の声色には泣き笑いでしたが、芝居噺の懐かしさにお腹をかかえて笑い転げました。

正午のニュースで、名張の積雪は20センチ、大雪警報が出ていますといわれました。夜半過ぎには月が出ていたのに。

東京もタイヘンなことになっていますか?

ご無事で! 囀雀

 

* 雀の囀りは、ただ聞きながすのでなく、まさしく同行同席している気持ちになれる「具体」の花が佳い。話題がきれいに匂ってくる。これは容易に出来ることでない。

2014 2・14 148

 

 

☆ 秦恒平 様

珈琲 ご注文ありがとうございます 佐川急便にて 先程こちらを発送しました

昨年は 建日子さんのタクラマカンの大阪公演を観に行き 建日子さんの作品らしい 優しさと苦難の織り成すものを楽しんできました

長男も春から大学生で ゲームソフト制作の関連学科に進む事になりました

そんなこともあって 近頃応援しているものに 誰でも、いつでも、自由に学べる無料のネット学習サイトのeboard[ いーぼーど] というのがあります

http://www.eboard.jp/

肩の力を抜いた 短時間の1コマを系統だてて作り 寄付と 動画サイト閲覧数の収入だけで 頑張っています。

一度見ていただけたら幸いです

それでは 今後とも宜しくお願いします

_/  coffee 豆 凛

_/  E-mail:k_iwata@pop06.odn.ne.jp

 

* 父方の従弟に珈琲豆を注文している。南山城の木津川市加茂町。今度の『選集①』で出す「みごもりの湖」の舞台にもなっている恭仁京に近い。父の一等末の妹、わたしには叔母の子。なつかしい叔母のことを「けい子」という作に書いている。

 

☆ 今日は第三土曜日で

日吉ケ丘(=母校茶道部)へ行って来ました。

昨日は大雪でしたが今日は雪も無くて良かったです。

関東の方は大変な様子をTVで見ました。

しばらくご無沙汰しました、寒さの中どうされてるかなと思っていました。

寒さの中、もう後一月ほど頑張って下さい。くれぐれも無理をされない様に願います。

我が家のロウバイが咲きました、写真を送ります。  京の 華

 

☆ お変わりなくて安心です。

只今雪かきの疲れで休憩中腰が重いです。

次男からの提案で、同じ場所に住み易いように、建て直します。

今年中は転居があったりとバタバタするので気が重いです。

目下、ゴミ家屋の整理に精を出しています。なかなかラク隠居になれない。 泉

 

* 東京都民はどうかしてるのでは、と、都知事選の結果に地方からのあきれ顔の声も届いてくる。

あんなむちゃくちゃな違憲総理にヘイコラの自民党にも嗤ってしまう。嗤っているだけでは。何にもならない。

 

☆ 秦恒平様

いつも大変お世話になり、ありがとうございます。

長編詩集『沈黙の季節』を掲載いただき、まことにありがとうございます。

この詩集は、日本ペンクラブにも、お世話いただき、小野十三郎賞の最終選考まで行ったものです。

第6詩集を現在、検討しております。

別紙詩集も「E-電子文藝館=湖(umi )」に掲載たまわれればありがたく、よろしくご検討をお願いします。 詩人 岡本勝人

2014 2・15 148

 

 

☆ 前略

千葉の市川に住む姉から昔がなつかしいほどの雪が降ったとの便りがありました。

「(選集)表紙の文字」はあれで善かったのでしょうか。気になっています。篆刻が必要なら彫ります。お急ぎでしたら時間をできるだけ早めます。ご案内下さい。

メールがうまく(出来)なくてすみません。

お体のこと気にしています。

**さんという方と、ちょっとしたやりとりがありました。秦さんとお知りあいだったそうで。ご縁を感じています。  濃美  哲

 

* わたしが手書きの手紙を書きわびるもので、いずれも様に失礼ばかり重ねてしまう。ごめんなさい。

お問いあわせには葉、いま、メールでご返事した。

2014 2・18 148

 

 

☆ お元気ですか。

 

あまりお元気そうには感じられないのですが、お元気ですか。

「白い石で日記を書きたくなる日」というのがどういうお心持ちなのか、無教養のわたくしにはよくわからなくて、お教えいただければとお願い申し上げます。

メールを書く気力もわかないくらい非常に落ち込んだ日々を過ごしていました。わたくしは今の日本に心底恐怖しています。

一体今この国に起きていることはなんでしょう。昨日今日のニュースどれ一つをとってもおそろしくてなりません。どうして世間は沈黙して、正気にしていられるのか、そのことがさらに絶望を深めます。

ニュースその一

福島第1汚染水が漏れた東京電力福島第1原発のタンク周辺=20日午前(東京電力提供) 東京電力は20日、福島第1原発で放射性物質を含む汚染水を保管しているタンクの上部で漏えいが見つかり、汚染水がせき外に流出したと発表した。約100トンが流出し、水からはストロンチウム90などのベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり2億4000万ベクレル検出された。

 

1リットル当たり2億4000万ベクレルが100トンです。総量でいったい何ベクレルになるか計算したら卒倒しそうです。たぶん東電の大本営発表であることを考えると、真実は凄まじく、人類未踏の天文学的数字になるはず。どうしてこの事実がNHKの、大新聞のトップニュースとならないのか、それが信じられないことです。やがて日本は、この汚染水の無為無策に対して世界中から凄まじい非難をあびるでしょう。海が、それも太平洋全域が死ぬ予感におののきます。

 

ニュースその二

三宅雪子(前衆議院議員)のツィートを拝借して

集団的自衛権「憲法解釈変更は閣議決定」~www3.nhk.or.jp/news/html/2014 …「御憲法解釈を変更する際は、与党との協議も踏まえて閣議決定する考えを示しました」何気なくすごいニュースをさらっと報じている。

 

以前ならこんなこと公表した時点で内閣が倒れていたのではないでしょうか。民主主義国家ではあり得ないことでは。国の根幹を激変させる凄まじいニュースではないですか。そこまでして戦争したいのは誰? そしてこれも大ニュースにはなっていません。

 

ニュースその三

共同通信速報「東京都内の公立図書館で『アンネの日記』が200冊以上破られた」

 

不気味のひと言です。日本にナチスを、ホロコーストを、良しとする勢力のあるということでしょう。『はだしのゲン』都内撤去の請願のニュースも含めて、この事実は、やがて間違いなく、ハインリヒ・ハイネの「本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる」ことにつながるものです。

 

都知事選も終わってみると、見えてくることがあります。

★ 結局、猪瀬が追放されたのは、東電の利権を侵したということが最大の原因だったようだ東京都が東電と契約拒否したことが、東電が支配してきた闇の権力の逆鱗に触れたということらしい

 

★ 東電「舛添が当選してよかった。猪瀬元都知事は当社の足を引っ張っていた。値上げ拒否や電力調達先を変更された」 saigaijyouhou.com/blog-entry-181 …桝添が東電のバックなしに当選できるわけがなかった

 

ツィートに散見する裏事情はこんな感じです。安全に生活したいと願う市民の側の大敗北でした。

 

このままでは、自分も含めた恐ろしい数の国民が死ななければなりません。身の毛もよだつ事態。迫りくるファシズムに戦慄をおぼえています。ご体調もこんな状況が影響していないはずがないと思っています。牡蠣を召し上がるなんて、早くあちらに行きたいという願望すら感じられてなりません。

 

そんなこんなで滅入ってばかりでしたが、今日は思いがけず励まされました。

どん底から、たった一日であそこまで立ち直った浅田真央選手に爽やかに励まされました。オリンピック、とくにその報道には腹立たしいことが多くて何の価値も見出せませんが、スポーツ選手に励まされたなんて初めての経験です。

浅田選手に不利になることを最大の目標とした審査基準の改定をされた時点で、彼女が金メダルに届かないことは明らかでした。それでも、腐らずに倦まずたゆまず努力を重ねて、彼女は自分の信じるフィギュアスケートを完成させました。

 

またツィートの引用で手抜きなのですが、あれだけのフリーの演技であってもジャンプの加点は殆どなかったことには驚きを禁じ得ません。

 

★ 歴史に記憶にも残る演技をした6 種8 トリプルの浅田真央には殆どGOE (加点)が付いてないんだぜ。びっくりだろ!ソトニコワ 14.11キムヨナ 12.2 コストナー 10.39ゴールド 8.93 浅田真央 6.69 素人でもわかる異常さ。馬鹿にしてる。

 

★ フリー得点浅田142.71キムヨナ144.19ソトニコワ149.96この3人の得点がこの様になるなら、トリプル・アクセルの意味は有るのかな。フリー演技の得点順が浅田、ソトニコワ、キムヨナならまだ納得できる。フィギアスケートと言う競技の評価点は難しいがこの様な現状では納得できない。

 

ですが、私は尊敬に値するほど立派なフリーだと思いました。金メダルをとったことではなく、素晴らしい滑りによって浅田選手は心に残るチャンピオンになってくれました。喧嘩に負けても勝負に勝ったと思っています。

中国のツィートにこんなものがあったそうです。

「他の選手は審判を征服し、Mao は観客を征服した!」

 

二十三歳の彼女にあきらめずに戦いなさいと、そう背中を押された気分でしょうか。今日は久しぶりにメールを送れます。現在の日本は国民の権利が侵され、浅田選手のように圧倒的不利にルールを変えられていく状況にあります。それでもまだ道はあると信じて勇気と希望を棄てないようにしなくてはいけませんね。

わたくしにもお手伝いできることはございませんか。何か少しでもお手伝いできることがありましたら、どうぞお申しつけください。

みづうみ、お元気ですか。   葛  うすめても花の匂ひの葛湯かな  渡辺水巴

 

* 真央のことで慰められた。その他は、まさに陰々滅々。

 

* シーボルトは、いいことがあった日は、白い石で日記を書くと特記して、その日、最上徳内と会ったことを喜んでいた。

昨日は、久しく食したかった美味い生牡蛎に出会えたのが嬉しかった。放射能汚染のことは考えなかった。美味いものは美味いと思える内に食っておきたい。卵納豆でも叱られたが、せめて、線量検査にかなり熱心と聞いている生協から卵も納豆も手に入れている。ことに納豆は免疫環境への好影響を念頭に置いている。

2014 2・21 148

 

 

☆ 寒さの厳しい今年の冬ですが、いかがお過ごしでしょうか

秦先生  ご無沙汰しております。

今年の冬は雪も多く、寒い毎日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。

私、不覚にも風邪をひいてしまい、自宅で休んでいるところです。

さて、先日名古屋に行く機会がありましたので、木曽の名物である栗のお菓子をお送りしました。お茶と共に楽しんで頂ければと思いますが、賞味期限の短いものですのでご注意下さい。

奥様にもどうぞ宜しくお伝え下さい。  富士市  松

 

 

* 栗菓子、蕎麦菓子を戴いた。音楽や美術展やまた冬山のはなしなども聴きたいもの。お元気で。

2014 2・21 148

 

 

* 祇園に根の生えた友だち、中学のクラスメート、から「伊織」の美味い和菓子をもらった。懐かしく。また美味しくお茶うけに戴いた。

2014 2・22 148

 

 

☆ むつの花    囀雀

淡雪の中にたちたる三千大千世界またその中に沫雪ぞ降る

 

雪はかなりの大災害となっているようですが、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。

 

○ 雪のほかは見る物がなき雪を掻く   ( 菅裸馬)

 

10日後は啓蟄。日射しは日に日に眩しくなっています。雪は眼を傷めますから、くれぐれもお大事になさってくださいませ。

さて、今年は世界結晶年とのことで、寺田寅彦、西川正治、中谷宇吉郎の名前が挙がっていました。

宇吉郎が北大に赴任したのが1930年。雪の研究を始めたのは1932年で、人工雪に成功したのが1936年。ウサギの毛が鍵なンですよね。

土井利位の「雪華図説」が刊行されたのが1832年というので、ベントレーの雪の写真が1931年に出版されたことがあったにしても、100 年後に研究開始というのはおもしろいことだと思います。

昨日は、三重県松阪市三雲町小野江で、恒例の「武四郎まつり」が行われました。寺で読み書きを学んだのち、津藩の儒学者が開いていた塾へ通った武四郎は、10代半ばで家を出て諸国を歩きめぐります。「雪華図説」刊行の頃です。武四郎は誕生日が2 月6 日で命日が2 月10日。それで生誕地では2 月に「武四郎まつり」を行っているんだそうです。

昨秋、静嘉堂文庫美術館で、武四郎のコレクションが初公開された由。三井美術館なら松阪だからとわかるのですが、岩崎家が所蔵していたのですね。

武四郎と儒学塾で知り合い、一生の親交を続けたのが、川喜田石水。半泥子の祖父です。津市にある石水博物館では館蔵品のなかから「松浦武四郎と川喜田石水―幕末知識人のネットワーク」展を開催しています。江戸にはない機密資料のような武四郎の資料も展示されていました。

昨日、中谷孝雄の生誕地、津市久居森町七栗に行って、氏神さんの神社と父の葬儀をしたという照安寺を訪ねたあと、石水博物館を見学して、武四郎は対馬から朝鮮に渡ろうとして失敗し、長崎で寺の住職をしていて、ロシア南下を知って蝦夷へ渡ったと知りました。

武四郎の繪や地図、そこに半泥子の繪に書に陶器でしょう。気持ちがすーっとする展示でした。

ところで雀も当世風に花粉症のようで、ぐすぐすかゆかゆ。向上前進右肩上がりタッタッタァ~とまいりません。

書きとめたなかから、京都遊山をまずは抜いてみます。   名張雀

 

☆ 京都   囀雀

2011年11月。

京博「細川家の至宝」、京都国立近代美術館「川西英コレクション―夢二とともに―」、京都市美術館「コレクション展」を観に行った日はこぬか雨が徐々に強まり、吉井勇の命日ということから「かにかくに」歌碑へ寄ったときには川面の細波とたっぷりと雨を吸ってくろずんだアスファルトがともりはじめた灯りをうつしていました。

このときから、いままでの、京都行きを書き連ねてみます―

2012年3 月。

夜半からの小雨に京都行きを決め、駅から一気に「野仏庵」へ向かいました。京都市内、しかも名の知れている場所でありながら、まさかの雀一羽ということが、しばしばあります。雨の日は特にそうです。

カセットテープのご案内にそって建物内を見学ののち、「雨月席」でお薄を一服いただきました。窓に寄ってみたり、離れてみたり、ぼんやりと雨の座敷でひとり、ひととき。

石仏ひしめく庭を歩き、地図を片手に、林丘寺宮墓、葉山一燈寺を訪ね、曼殊院前の弁天茶屋でお蕎麦の午食をいただいて、鷺森神社境内をぶらぶらと抜け、音羽川岸のミニ公園で小休止。東の高い山、氷室山の山々、谷向こうの松ヶ崎。雨にけぶり、止み間には靄が立つ山の景色に、何度も足を止めました。

橋を渡って禅華院の石仏にお目通り。満足満足。修学院離宮入口から坂を降りて叡山電鉄に乗りました。

2012年6 月。

二階建てバスが引退すると聞き、初めて駅前から京阪の京都観光を利用しました。おっとりとしていながらスーパープロフェッショナルなガイド嬢の案内で、平安神宮、天龍寺、嵐山、金閣寺、清水寺と、旗にくっついてめぐるうち、雀はおのぼりの初心にかえってゆきました。

2012年8 月。

夏の特別公開に初公開の木嶋櫻谷旧宅があるというので、上賀茂社家、荷田春満旧宅と3 ヶ所見学しに行き、帰りの電車に余裕があったので、勧修寺へ足をのばして真夏の京をめぐりました。このとき工事中だった櫻谷のアトリエが、昨年、公開されましたね。

2012年9 月。

京都国立近代美術館の「高橋由一」、京都市美術館の「京の画塾細見」、京博「大出雲展」を見物。

このときはまさか1 年後に日帰りで出雲大社参拝をすることになるとは思ってもいませんでした。

2012年10月。

京大の博物館に行ったところ、山中伸弥教授の受賞記念で無料公開中。受付で「山中教授にメッセージをどうぞ」と紙を渡され弱りました。

京都工芸繊維大学美術工芸資料館は、まだ入ったことがありません。

相国寺承天閣美術館「八一回顧展」で、10月、11月と、神林恒道さんの講演があり、2 度とも申し込みが通り聴講できました。タイトルは「會津八一の美学」「八一と御風と良寛と」。

神林さんは、大学入学以来、大阪で教鞭を執った数年間のほか、ずっと京都にお住まいだそうで、奈良市で講演なさった折に、わざわざ新潟からと言われて恐縮なさったとのこと。

10月22日。

京阪の京都観光バスを利用して時代祭を見物しました。

熱中症注意のアナウンスが流れる暑い日でしたが、いい席で、楽々と悠々とたっぷり見物できました。

翌日から6 日間、北村美術館の四君子苑が公開されるというので、数日後、再び京へ。お目当ては飛鳥の石。

北村美術館のガイドさんに案内されて建物や庭をめぐりましたが、ひとつひとつが雀には驚くものばかりで、ガイドさんについたり離れたりしながら2 周目に入り、飾られている繪のなかに伊藤小坡を教わったり、掛物は上司海雲とわかって小さな歓声をあげたりしているうちに、石工さんのグループや先生に率いられた建築の学生さんが見学にいらしたので、ついたり離れたりしながら3 周目の見学。

10時に受付をして、3 時間。それでも足りません。

こうなると南禅寺界隈の庭にあるという飛鳥の石を見たくなりますねぇ。

北村美術館から京博の「宸翰」展へ。

聖武天皇から昭和天皇までという広さも三筆と三跡の展示も存外で、ひさびさに墨と筆と文字の世界にひたり、心も頭もふやけました。リニューアルした文化博物館へ立ち寄り、常設展と建物を見学して帰りました。

2012年11月。

承天閣美術館での神林恒道さんの講演前に、京都市学校歴史博物館( ガクレハク) 「学校で出会う京都の日本画」へ。思わぬ日本画展でした。上村淳之さんが館長さんなのだそうですね。

2012年12月。

京都国立近代美術館「山口華楊」、京都市美術館「須田国太郎」。

華楊をたっぷり目にしたのは初めてです。

平安京最古の仮名文字というのを見たくて、京都市考古資料館に、藤原良相邸跡出土の墨書土器を見に行き、帰宅。

2012年12月。

京都駅ビルの美術館「レオ・レオニ展」。ただひとつ。「平行植物」が見たいばっかりに。「スイミー」やねずみのキャラクター人気で大変な行列だったのには驚きました。

2013年1 月。

この冬の特別公開は「八重の桜」がらみで同志社大学関連が多かったですね!

雀は三時知恩寺と宝鏡寺の見学をしてまいりました。駅からバスに乗り宝鏡寺最寄りのバス停で降りたものの拝観受付には早く、

近くをうろついていたところ、「薄雲御所」と刻まれた石柱があり、毘沙門堂と弁財天の祠があって、新しい小さな庭がありました。雀はそこに飛鳥の石を見つけしゃがみこんで撫でました。あの山田寺の石が蹲踞に使われていたのです。

冬の特別公開を見学したのち、清水三年坂美術館「鍛鉄の美」を観に行きました。鍛鉄も、その工芸品もちんぷんかんぷんで、館長さんの展示解説があるというので、それをたよりにしたのです。自在物というのも初めて目にしました。帰宅して主人に話すと、金属会社に勤めていたものですから、晩酌片手に講義が始まりまして、一緒に行けばよかったと思いました。

後日、宝鏡寺や薄雲御所から、後水尾天皇皇女他利宮により“谷の御所”こと椿で知られる円成山霊鑑寺が創建されたのが1654年で、“山村御所”こと普門山円照寺が八嶋に移ったのが1656年とわかりました。1156年旧暦7 月2 日に鳥羽法皇が崩御して、崇徳院が挙兵して、讃岐に流されて、憤死したのが 1164 年旧暦8 月26日。

1651年旧暦4 月20日に将軍家光が歿し、1654年は崇徳院の憤死から490 年、1656年は保元の乱から500 年の年だったと気がつき、円照寺界隈を歩いたとき目にして立ちすくんだ、アスファルト道の真ん中にある石を思い出しました。

1945年が645 年から1300年というので、近衛文麿が東條秀樹を殺害して東久邇宮を擁立しようとしたそうですね。

2013年9 月。

高麗美術館のバスツアーに参加しました。おはずかしい話ですが、高麗美術館を訪ねたのはこのときが初めてなのです。展示は8 月6 日に逝去なさった森浩一さんを追悼して「朝鮮文化と京都」。バスツアーは「京都のなかの“韓流”遺跡めぐり」。めぐった先は、平野神社、木嶋坐天照御魂神社、葛野大堰、広隆寺、蛇塚古墳、松尾大社、樫原廃寺、伏見稲荷大社でした。

申し込んだ当初、キャンセル待ちの4 人目と言われ、半分諦めたのです。ところが、定員を増やして、最新の大型観光バスに取り換えて実施してくださいまして、貴重な機会に参加することができました。

高麗美術館では、あまりの人気に驚かれたそうで、「近江のなかの“韓流”遺跡めぐり」を企画していますとのこと。

司馬遼太郎「街道をゆく」の文庫本に「甲賀・伊賀」と「大和・壺坂」が一緒に入っていたので、その1 冊だけ求めまていたのですが、そのなかにある「砂鉄のみち」に登場された方が高麗美術館をつくられたのですね。

2013年11月。

堂本印象美術館「梶原緋佐子、広田多津、三谷十糸子、北沢映月」の最終日にすべりこみ、高麗美術館「朝鮮通信使と京都」、京都市美術館「竹内栖鳳」「下絵を読み解く」、象彦漆美術館「高御座と御帳台―菊とNIPPON―」、京都市学校歴史博物館「近代京都画壇を育んだ人たち」と、タクシーを使い、市内をくるくる回って、時間一杯目一杯見て回りました。

紅葉の京都、しかも晴天というのに、これほど市内を動き回ることができるとは、京都も人出が変わってきたのでしょうか。

「竹内栖鳳」は途中で飽きました。

「山口華楊」や兵庫県立美術館の「橋本関雪」のほうがよほど気分よく、やわらかな気持ちで出口をあとにしましたねぇ。

このあとすっかり京都にごぶさたです。

今年は、伏見と松尾でおやま登拝をしたいな、と思っています。

○ 読みちらし書きちらしつつ冬籠   ( 山口青邨)      名張の雀

 

* 脱帽して、ひとつひとつの見聞満喫の余涎を舐めました。感謝。 ただ息をしている人ではない。               2014 2・24 148

 

 

☆ ミュージアム 一  名張の囀雀

展示が替わるつど、できる限り観に行っている奈良市の入江泰吉写真美術館と愛知県知多半島にある杉本健吉美術館、それと考古学、歴史、本居宣長記念館を除き、記憶に残っている展覧会を書き出してみました。

 

2011年11月。

大阪市立美術館「生誕120 年記念 岸田劉生」。

劉生展はしばしば開催されますでしょう。またか、と、悩んだあげく、最終日の朝に決めました。杉本健吉さんが憧れた画家ということで、このとき健吉少年は何歳だったか、と計算して、ひとつひとつ杉本さんにお訊ねする気持ちになって観ることにしたのです。これが、新鮮で、たのしくて、絶筆の前では鼻の奥がつんとなってしまいました。

『麗子の部屋』と“劉生の首狩繪”部屋がつくられ、油絵での芝居繪や大首繪はさほど強調されていませんでしたが、もし劉生が長生きしていたらこのスジの繪はどうなっていったかしらと思います。青木繁の油絵の日本神話画とならぶ思案です。

2012年4 月。

姫路市立美術館がリニューアルして、記念の企画展に京都市美術館所蔵品を主につかった「麗しき女性の美」を開催するというところへ、私鉄の企画切符で往復1700円弱で行けるとわかり、“乗り鉄”も兼ねて遊びに行きました。

城はテントの中にかくれ、桜は散り、空は降りみ降らずみ。たいがいの観光客ががっかりするこんな日こそ雀の羽ばたきどき。美術館がある公園を歩き回って、姫路駅名物というおうどんも味わいましたよ。

森浩一さんの追悼記事で知ったのですが、司馬遼太郎さんが亡くなった1996年、上田正昭さんは姫路文学館の館長に就任され、司馬さんの父方のふるさと姫路ということから、司馬さんの誕生日8 月7 日に、ゆかりの人を招いて対談されていらして、2012は森さんが承諾してくださり、7 月に、脚を手術したのでと欠席のご連絡があったそうなんです。翌年の8 月6 日―司馬遼太郎さんの誕生日前日―に逝去されたのですね。

大阪の小阪に司馬遼太郎記念館があって、そこで菜の花忌として行事が行われることは知っていましたが、姫路で誕生日イベントが行われていたとは初耳です。

 

2012年4 月。

108 点の寄贈を受けて、三重県立美術館が開催した「榊莫山展」。

榊莫山―1926年2 月1 日~2010年10月3 日。翌2011年の10月1 日に美代子夫人が、10月3 日には親友の元永定正さんが亡くなりました。伊賀古川村―現在の伊賀市菖蒲池―雀の巣からはクルマで20分ほどのところにお住まいで、若い頃は小野十三郎に似ていたという莫山さん。莫山さんの若い頃の写真も、小野十三郎の年を経た写真も、いまだ確認できずわかりません。

この展覧会の最中に、莫山さんのご長女榊せい子さんと、莫山さんに書道だけでなく諸道を習ったとおっしゃる東大寺220 代管長の北河原公敬さんの対談がありました。公敬さんは関西ホッケー協会の理事も勤めていらっしゃるとのこと。東大寺といったら法華会ですものね。

2009年秋、せい子さんは東大寺で得度されました。2010年5 月に公敬さんが管長さんになられ、莫山さんは大層喜ばれたそうです。その5 カ月後にこの世を去った莫山さんは、葬式不要と遺言され、せい子さんの読経でおくられたとのこと。この追悼展で作られた図録がご遺族のいちばん満足のいく図録になっているとのことです。

莫山さんが1951年に加藤千晴の詩「観音」を書いて賞を取ったこと、団体をすべて脱退するとき出品したのが同じく千晴の「石をたたいても」だったことから、せい子さんは、千晴のいくつかの詩と莫山さんの「石をたたいても」をコピーして会場に配られました。

この日は同じ津市内にある石水博物館へ、開館1 周年記念展を観に寄って、半泥子の作品をたんと目にして帰りました。

 

☆ ミュージアム 二   名張の囀雀

2012年4 月末。

ゴールデンウィークに、名古屋の美術館をめぐりました。

桑山美術館「水墨画の魅力」、昭和美術館「漆の魅力」、名都美術館「日本画に描かれた動物たち」、杉本美術館「『新・平家物語』さし絵の世界」です。

青梅の吉川英治記念館が季節公開に切り換えたと聞き、東京下連雀に暮らしていた頃、梅見の帰りに立ち寄ったことを思い出しました。江戸の人たちは大和の吉野に憧れを抱いていて、にているから吉野村と名付け、染井村で桜を売り出したときには、染井吉野と付けたの、と、バスの車内で教わったような気がします。あの記念館に飾られていた肖像画が杉本健吉さんの描いたものだったンです。

1960年の文化勲章は、吉川英治のほかに岡潔も一緒で、上京した岡は、中谷宇吉郎を見舞っています。1962年4 月に宇吉郎が、9 月に吉川英治が亡くなっていますね。

 

2012年5 月。

“正木美術館の考古作品を一同にお披露目する初めての展覧会”というチラシにひかれて大阪府泉北郡忠岡町へ。

正木美術館は春と秋に企画展が開催され、茶の湯関係の所蔵品が多いにもかかわらず中高年男性の来館者が多く、主人が気に入って、毎年出かけてはにこにことして帰ってくるのです。確かにおもしろくておッとなる展示でしたし、館内の雰囲気もよい加減に

緊張があってよかったです。

「日本一小さなまち」をキャッチフレーズとしキャラクターは「ただお課長」という忠岡町。面積は4.03k ㎡だそうです。

 

2012年5 月。

大阪市立美術館「契丹」展。

 

2012年9 月。

大阪歴史博物館「スキタイ」。

どちらも興味深く見て回りました。

 

2012年7 月。

飛鳥園の第103 回仏像講座に参加して、奈良博「頼朝と重源」と仏像館( 国博旧館) を見学しました。特に旧館は主任学芸員さんの解説つきで、立ち通しで痛む足腰と、もっと聴きたいという頭と目の、切ない悩みをかかえました。

仏像だけでなく、昔の展示状況がわかる写真の展示もあり、戦時中に杉本健吉さんが通って描いた繪が一層せまって感じられました。

このとき、飛鳥園の小川光三さんがずいぶん衰えてお具合の悪そうなのには驚きましたし胸が痛みました。2013年春の仏像講座は直前に中止になり、月刊「ならら」の連載が今年になって休載が続いています。光三さんは1928生まれ。長兄は早逝し、次兄は八一の早稲田に学んでいましたが終戦で帰郷して同志社大学に入り、1948頃に光三さんに飛鳥園を継がせた父晴暘は1950に他界。次兄光暘さんは同志社大学で日本美術を教授され、在職中に他界されたとか。

 

2012年8 月。

大垣市守屋多々志美術館「平清盛と源平の時代―守屋の平家物語」。3 度目の大垣です。桑名から養老鉄道に乗ったり、まちあるきをしたり、いずれも夏。

「おくのほそ道」で、曾良が病のため伊勢長島に帰り、芭蕉は葉月の末に大垣到着。曾良が合流したのが伊勢の内宮遷宮には遅く外宮遷宮には間に合うというとき。ですからなんとなくいつもそんな季節に出かけてしまうのですよ。

今回は、開館したばかりの、奥の細道むすびの地記念館を見学することも兼ねての遊山です。

記念館は、全国の芭蕉関連施設の情報や奥の細道関連の情報、そして、大垣ゆかりの先賢の展示に、地元の銀行、物産販売コーナーに休憩所と、観光イベントの拠点として建てられたようです。

先賢には、江馬蘭斎、江馬細香、飯沼慾斎、梁川星巌などの名がありました。

守屋多々志は1950年4 月から連載が始まった『新・平家物語』の挿絵を担当し、イタリア留学のため降板。36回から杉本健吉が担当したということでした。

前田青邨が担当した高松塚古墳壁画模写も、実質的には守屋がかかわっていたようですね。 1972 年3 月に壁画発見。青邨はその5 年後に他界しています。

明日香村の壁画館は青邨の揮毫でした。

 

☆ ミュージアム 三  名張の囀雀

2012年11月。

三重県立美術館「平櫛田中」。

国立劇場の『鏡獅子』は大きくて持ってこられなかったようです…。人生が長く活躍も長い分、展示品が豊富で、どれも並々ならぬ出来。敬服しました。2 階の常設展で橋本平八を見て、初めて平八の良さがわかりました。収穫です!

 

2013年1 月。

津市に県立美術館30周年記念のコレクション展と、石水博物館の名品&半泥子作品展を見に出かけました。

その翌週、天理大学附属天理参考館の新春展「古代日本の鏡」へ。参考館の常設展示には圧倒されました。おもしろいだけにへとへと。出直して再挑戦しなくては。

 

2013年2 月。

富山県水墨美術館の名品展が開催されているというので、愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館へ。碧南市は御初の雀。美術館のお向かいが清澤満之記念館でした。“三河大浜の西方寺”というのはここだったのです。

美術館のあと、お寺にお参りして、記念館を見学して、お墓参りをして帰路につきました。

同じ2 月に、これも御初の笠岡市。竹喬美術館「入江波光」です。館長の上薗四郎さんの講演と美術館見学で、昼食をとるため再入場許可スタンプをいただいて外出した以外、どっぷりと10時から4 時まで滞在しました。

大変に静かな展覧会で、と館長さんは苦笑され、なぜ京都でやってくれないのかと責められたり、1 点も所蔵していないのにやるのか、と呆れられたり、コレクターや美術館を各地に訪ねて借りにいらした際の反応など、波光の画業以外にもおはなしが広がり、暖房を切っているお部屋なのにアツくなって、ドアを開け放しての講演となりました。研究者や美術関係者の来館が多く、館長さんおひとりがやたらにお忙しい展覧会です。

今年の華岳展は隣の図書館の視聴覚室を借りて、ひろびろと空調の都合もよい講演会でした。ただ、入館料は取れないし、図録も販売できません。

竹喬美術館はつつましい。

 

2013年6 月。

リニューアルをしてコレクション名品展を連打しているメナード美術館へ。「近代日本画と工芸」の回です。規模といい、中身といい、ため息がもれる展覧会でした。

 

2013年9 月。

大阪の高島屋「高島屋と美術家たち」と、近くの高島屋史料館を見学。デパートでは催事場だけでなく、正面入口からはじまり、各階のエレベーター前などにも展示がされていて、「アレ夕立にローズちゃん」に導かれてデパート内を歩き回りました。デパートの作戦に降伏のていです。厳しい残暑に大阪なんばの雑踏も堪え、見学のみで早々に撤退。

 

2013年10月。

兵庫県立美術館「橋本関雪」。ひさしく来ていなかったわ、と、過去の展覧会図録を見ていて、蓑豊さんが館長に招聘されてから足が遠のいていたことが判明しました。カンフル注射のような展覧会が3 年間近く続いていた印象があります。

県立美術館の開館時刻にはかなり早く最寄り駅に着いたので、関西大学創設の地に建つ神戸文学館を先に見学しました。ここの閲覧コーナーは優れた図書室です。広さや数ではないのですよね。

芦屋の虚子記念文学館で開催中の「『ホトトギス』を飾った明治の画人―忠、為山、不折―」と、谷崎潤一郎記念館「狐と谷崎、そして歌舞伎」に立ち寄るよくばりをしていましたが、時間切れで、谷崎記念館のみ見学。

 

2013年11月。

石水博物館「川喜田半泥子がみた名品」。

五島美術館、畠山美術館、出光美術館、滴翆美術館、野村美術館、東京国立近代美術館から借りて、半泥子の作品と並べるというなんとも贅沢な展示で、期間中に熊倉功夫さんの講演も行われたとのこと。

 

☆ ミュージアム 四   名張の囀雀

201 3年12月。

「絵画と文学 1926~1936」展にかわった兵庫県立美術館へ行き、神戸文学館と虚子記念館に寄って帰りました。白鶴美術館へも足をのばし、美しいものざんまい。

県立美術館では、展示ケースにある初版本や限定本のなかで復刻された本を手に取って読める椅子席が展示室内に作られ、『盲目物語』『聖家族』『伊豆の踊子』『機械』など、読み出すと止まらなくなりそうなdangerな揃えでした。

『ホトトギス』初期の表紙と裏表紙を目玉に展示した虚子記念館に通ずる企画で、美術ざんまいでもあり、文芸ざんまいでもあります。

同じく12月。

大阪市立東洋陶磁美術館「定窯―窯址発掘成果展―」。

いつの間にか淀川の中之島に地下鉄が通っているんです。2008年10月の開業だそうで、なにわ橋駅では地下1 階のコンコースに

アートエリアB1と名付けられたスペースが設けられ、企業・大学・NPO 法人が協同で各種のプログラムが実施されているそうな。そのひとつ「鉄道芸術祭」というのがvol.3 を迎え、「松岡正剛プロデュース『上方遊歩46景―言葉・本・名物による展覧会』」を開催しました。

猛暑の8 月に取材に訪れた正剛さんが京阪沿線と大阪市内でどこを訪ねたか、数ヶ所聞くだけでも感じるものがあり、秀吉と幸村と織田作之助ばかり目につく大阪で(2013 年は織田作之助生誕100 年。2014~5 は大坂の陣400 年) なにを出してくるのか興味津津。

初日前夜の正剛ソロトークは無理でしたが、翌日の川崎和男との対談を見に行きまして、最終日間近の一陽来福京阪電車貸切“道行”と終了後の正剛トークに出かけたはずが、東洋陶磁美術館の展示とミュージアムトークに時間を過ごしてしまいました。

定窯も、ボランティアガイドさんの説明もよかったのです。ひさしぶりの東洋陶磁美術館コレクションも変わらない感動を与えてくれましたし。

気がつけば3 時。

お目当てにしていた中之島図書館も適塾も、耐震化工事につき休館中で、12月22日、しかも日曜日とあって、イルミネーションに集まってくる人混みと吹きつのる淀の川風に帰宅を決めました。

 

2014年1 月。

神戸市立博物館に巡回してきた「ターナー」。神戸市立博物館はかなりひさしぶりです。開館と同時に入りましたが、どんどん混んできまして、いやいやいや、まぁぁ、すごかったです。東京はもっとひどかったのでしょう。関西で観るありがたさはここにあります。

 

書きながら、京都行きがミュージアム企画展のほかに無くなってきたことと、ミュージアム見物そのものが減ってきたことに気がつきました。来館者数と売上 (図録、売店、飲食店) に苦しめられているミュージアムをお気の毒とは思いながら、こちらも自腹で出かける以上、雰囲気の好いところで時間を、つまり、人生を過ごしたいわけで、ごぶさたとひさかたぶりは今後も変わらずありそうです。

そういえば能も歌舞伎も落語も芝居も、雀は自腹が自慢で通っていました。

 

あッ、ながながとごめんなさい。

 

思い出しては囀ってしまって…。    名張の囀雀

 

* 気楽ならできる、裕福ならできる、健康ならできる、好きならできるという事でない。この真率な踏み込みは、そうそう真似がならない。他に、こういう人をめったに知らない。徳力冨吉郎さんが、あ、あの徽宗画が観たいと思うと、すぐ飛行機で英国へ飛びますと云われていたのを思い出す。

2014 2・26 148

 

 

☆ 駅のマクドナルドから

久しぶりに地下鉄の駅まで来て、これから知人に会います。一人になれる時間がなかなかなくて、絵を描いたり、メールを書いたりできません。目下人生修行中?? ということにしておきます。

くれぐれもたいせつに。眼、少しでも、とにかく良くなりますように。  尾張の鳶

 

* 老々介護時代。迎えるのも、卆えるのも、つらいこと。

2014 2・27 148

 

 

☆ 秦先生

少しずつ暖かい日が増えてきて、春が近づいてきた気がしています。

お身体のお具合はいかがでしょうか。

都知事選はあのような結果になりましたが、東京都だけではなく、日本という国自体がこれから一体どうなっていくのか、先が見えない気がしています。子供たちのためにも、おかしな方向へ進まないよう祈っています。

ありがとうございました。  卒業生  麻

2014 2・28 148

 

 

☆ 駅からハイキング   名張の囀雀

まちおこしが、マラソン、ゆるキャラ、B-1 グルメ、イルミネーション、そしてカメラ向きのあれこれに傾いています。歩くイベントも人気です。

良県では「平城遷都1300年祭」のときに「遣唐使の道リレーウォーク」という市町観光振興イベントが行われ、好評で、2 度繰り返されました。昨年からこの春までのリレーウォークは「聖徳太子」と「菅笠日記」です。「記紀・万葉プロジェクト」も追い風になって、講師の先生や地元のボランティアガイドさんと歩く歴史ウォークもずいぶん実施されましたし、街道ブームで、遷宮にちなんだ伊勢街道ウォークや、推古21年の大路にちなんだ竹内街道と横大路ウォークも行われました。

鉄道会社の「駅からハイキング」、バス会社の「バスハイク」も人気にかげりは見られません。

道標、常夜灯、石造物、地名、神社など、道草喰いの雀は、歩け歩けの健康式ウォークの方々には迷惑者で、それでも参加して楽しかったウォークが、抜き出してみるとたくさんありました。

 

2012年2 月11日。

法隆寺駅から観光ボランティアガイドさんの案内で安堵町内を歩き、廣瀬神社の砂かけ祭りを見学するウォーク。

法隆寺駅と天理駅の間を走っていた軽便鉄道は、戦時中の鉄供出で廃線となりましたが、安堵町歴史民俗博物館で、年に一度、この日の午後にジオラマ走行が実施されるのです。ウォークは法隆寺駅にのこる軽便鉄道法隆寺駅の名残を教わってからスタートしました。

鉄道が通っていた跡をはじめ、聖徳太子に芦屋道満、在原業平ゆかりの地を歩いて、富本憲吉宅前を通りすぎて歴史民俗博物館へ向かいます。

富本憲吉記念館は閉館になったようです。

 

2012年3 月。

八尾駅からハイキング。

八尾市は駅から各方向へのウォーキングコースを提案する観光マップを作っていて、「駅からハイキング」も毎年違うルートです。市では農地保存とまちおこしに若牛蒡栽培をすすめていて、八尾御坊に因んで「八尾の若ゴボウ」というそれを、駅前のスーパーでは色々とお惣菜にして売っていました。

物部守屋の邸宅や稲城伝承地に、今東光さんが特命住職をされたお寺など八尾駅から歩ける範囲だけでも物語がいくつもあって驚きます。野菜の砂糖漬けで知られる桃林堂の本店に寄ったあとで、中谷宇吉郎が晩年、「暮らしの手帖」に連載した随筆を集めた本に登場しているのを読んだときなど特に嬉しかったです。

 

2012年5 月5 日。

壺阪駅をゴールに、薬猟1400年記念の講演会と高取町羽内地区へのウォークの二本立てイベント。羽多甕井神社に着くと社殿の前に若い女性が2 人、薬草を入れた竹籠を手に、天平風の衣裳で待っていらしたので、わぁっとわきましたよ。

平城遷都1300年祭で天平風の衣裳を作ったのがこのようにあちこちで利用されているようです。

 

2012年5 月。

枚岡駅をスタートして日下町内を歩き、ゴールは石切駅というハイキング。近鉄が主催で、旧生駒トンネルと孔舎衛坂駅跡の見学が目玉です。

枚岡神社、石切神社、古墳、日下神社、正法寺跡、「パンドラの匣」に登場する健康道場跡、石上露子の母方の実家を見学することも、根津商店別荘の石燈籠の見物もコースに入っていました。

 

2012年11月3 日。

飛鳥駅を出発して、ゴールは橿原考古学研究所附属博物館の特別展という飛鳥遺跡見学ウォーク。博物館の学芸員さん3 人が案内係となり、博物館友の会の会員さんがスタッフについて、当日、受付時間内に来た人全員を案内する大変にご苦労な会でした。

考古学ウォークですから、「菅笠日記」よろしく田んぼの中をうろうろと寄り道したり、解説が他にはない内容で面白かったです。歩きながら友の会例会のようすを伺って、頭も身体も鍛えるかなりハードなスケジュールに仰天しました。

 

2012年11月。

畝傍御陵前駅から大福駅まで大津皇子を偲ぶウォーク。命日とはすこぉしずれていましたが、観光ボランティアガイドさんに引率

されて、記紀・万葉ゆかりの地のあちこちをめぐり、奈良文化財研究所を見学して昼食をとったあと、いよいよ磐余池跡と堤跡を目指します。吉備池に寄ってゴールという企画でした。

この日は、午後3 時から畝傍御陵前駅近くの市のホールで「壬申の乱と神武伝承」「天武天皇のめざした都」と二本立てのイベントがあり、雀はガイドさんに、聴講に当選しているから、と、お断りをいって、磐余池跡の見学をしたところでホールへの道をとりました。

大津皇子の歌碑は橿原市と桜井市のそれぞれにあって、桜井市は吉備池のほとりに中河幹子揮毫で、橿原市は妙法寺と御厨子観音傍らの池のほとりに入江泰吉揮毫で建てています。それぞれの市が出している「万葉歌碑めぐりマップ」は、市の境界線内にある歌碑のみの紹介なので、付き合わせてようやくそれが判りました。

イベントは和田萃さんの講演のあと和田さんと菅谷文則さんが対談するというもの。対談のため休憩をとって舞台転換にあて、舞台には応接セットが運び込まれました。背広姿の和田さん、菅谷さんと順番に登場して拍手が起こったあと、絶妙の間で、天平風衣裳をまとった玉城一枝さんが登場。

2 人だけで話をすると脱線するから、「藤原京跡を世界遺産に」とやっきになっている橿原市が玉城さんをお目付け役というか馭者役にして、「徹子の部屋」ふうに台本バッチリ時間厳守の対談にしたようです。案の定、最後に菅谷さんが「時間配分を間違えた!これだけは言わせて! 5 分で終わるから!」。

 

2013年3 月。

JRと阪急が協力した「乙訓の西国街道を歩く」。

山崎から西向日駅まで、島本町・長岡京市・向日市の観光ボランティアガイドさんがリレーしての歴史街道ウォークでした。話しても話しても尽くせない、ものがたり、ひとがたり。その合間に、ねじりまんぼをくぐって線路の反対側へ出たり、地元のガイドさんならではの昔話が出たり、楽しかったです。

 

2013年5 月。

恭仁京をめぐる歴史ウォーク。

加茂町のホールで受付をして、講演聴講ののち観光ボランティアガイドさんと出発です。昼食は、廃校を利用した集会所で地元の方の手作り弁当と手打ち蕎麦に舌鼓。さらに地元のお茶がふるまわれてまさにご馳走でした。観光ボランティアガイドさんも精鋭の歴史ガイドさんが揃っていましたし、参加者もかなりの歴史好きが多く、熱気と粘りと満足感が溢れていました。

 

2013年10月。

長谷寺駅から泊瀬谷へ降りて、狛と岩坂の集落へと上るツアー。

北に三輪山、穴師山、龍王山、巻向山、初瀬山をのぞみ、狛川上流から笠間越えに宇陀へ出る集落で、5 年ほどまえに、河瀬直美監督が韓国のフェスティバルに出品するため、大河ドラマ「直江兼続」出演中の北村一輝を使って短編映画「狛(KOMA)」を撮った地として雑誌に紹介されました。

以前には、観光バス2 台を連ねて犬養孝さんが峠越えをなさったそうで集落は行幸のような騒動だったとのこと。

この月の末に動悸と息切れがひどくなって、以来、おびえ気味の雀です。

2014 3・1 149

 

 

☆ 三月

お大事に、そして、今・此処のお仕事をグイグイ進めてください。

春の気配を感じます。

どうぞお体大切に、花粉症にならず、風邪引かず、花の春を迎えてください。  尾張の鳶

 

 

☆ 雛祭り

気候不順ですが順調に回復して頑張って歩いていますか。

老人にはウォーキングが最上の健康法だそうで、私は意識しています。

楽しみがあってのウォーキングならいいのですが、毎日あるわけも無く… 所用で都内に出掛けた昨日は、バスの区間を歩いたので「12000 歩」ホクホク  東京は広大すぎて、方向音痴の迷婆になります。

一周忌を過ぎた5月末頃に引っ越しの予定ですが、まだ住み家は決まっていず、毎日、果てしのない家中の整理です。

最近は、生まれ京都でも、決まった場所しか知らんのやなあ、と。  泉

2014 3・2 149

 

 

☆ ご無沙汰しております。

こちらは、おかげさまで息災です。

ひろ子の孫も10人になり 毎日忙しくております。

そのうちにお目にかかりたいと思っております。  昌

 

* 賛同と転送を求められて送った。上の返事をもらった。母のちがう妹の夫から。つまりこの妹夫婦のもとだけで、甥や姪が十人いるわけだ。同じ妹がもう一人同じ川崎にいる。ここにも何人もの姪や甥が出来ている筈。実兄の三人の子らに子どもが出来ているという話は聞かない。父のちがう兄が四人いた。一人は若くして病死した。姉と兄二人とにも甥や姪が何人かいる。そのまだ子等もいる。天涯孤独と思い決めて大人になってきたが、実の父方も母方も仰天するほど係累が多いのである。いいのかいいわけでないのか、わかりません。

 

☆ はや、3月ですね。

今日、都立中央図書館で( 毎日新聞書き下ろしシリーズの) 調べ物をしていたら、(武田)泰淳の追悼を特集した「すばる」に、ちょうど「誘惑」が。

このご本を頂いてから、もう何十年にもなるのですね。

明日はお昼過ぎで早退して、( 川端の全集未収録文が載っているらしい立原「剣ヶ崎」のパンフレットを確認するために )新座の跡見女子大学へ参ります。  美

2014 3・3 149

 

 

☆ バスに揺られて

昨日は若狭のお水送り。

奈良博では毎年この時期に「お水取り」展を開催しますし、月刊「ならら」も毎年2 月号はお水取り特集。

今年は入江泰吉記念写真美術館でも「入江泰吉のお水取り」展が開催されて夜じゅうの雨音に朝早く奈良へ出かけた雀は、奈良駅前の人出に驚きました。入江記念館もにぎわっていました。

  •  水取や良弁杉は天そそり  ( 鈴鹿野風呂)

京都に遊んでいて、観光案内所で配られるウォークマップに、重森三玲宅と野風呂宅が記されていたので訪ねてみたことがあります。地図によっては「町風呂記念館」と書かれているので、野風呂は吉田神社の社家出身と判って、このあたりかもしれないと、「鈴鹿」の表札が並ぶ町を歩いていて、ぶつかりました。門も玄関もするすると開いたもので、ごめんださい、こんにちは、と上がろうとしてミュージアムのように説明も案内もなぁんにも書かれていないことに気がつきました。そして奥から人声と笑い声がして句会が開かれていたから、するする開いたのだとわかって、あとじさりして失礼しました。

先日、芦屋の虚子記念館を見学した折、1924年の正月に東京の若手ホトトギス俳人が大挙して京を訪れて野球の試合をしたとありました。日野草城と山口誓子は同い年で同じ三高。外村繁が劇研究会の活動に熱中し、飯島正が映画館に通っていた頃、京大三高俳句会が発会し『京鹿子』が創刊されていたのですね。 1920 年は、日野草城が大阪に就職し、野風呂が九州勤務から戻ってきた年

とのこと。

さて、続いてバスハイクを書き抜いてみます。

あぁ、それにしてもよく遊んでます。    名張の囀雀

 

2011年12月。

能勢妙見山(660M)ハイキング。

初心者に親切なツーリストで、雀は以前に妙見山の北西にある剣尾山(784M)も登ることができました。数あるルートのうち一番らくなコースというのに、やすみやすみの雀です。かなり恵まれた気象だったようで、山頂で、あれが明石海峡大橋と、ツアーの添乗員さんが指差しながら感激のおももちでした。

妙見山は多田満仲の孫の頼国が1025年に妙見菩薩を祀ったのが始まりとのこと。眼病平癒を祈るご本尊と聞いて、しっかりお参りしてきました。

 

2012年1 月。

さった峠ハイキング。

妙見山と同じツーリストです。

親不知子不知の道しかなかった場所で、朝鮮通信使を通すために開削した道が参勤交代に重宝されたのだとか。

進行方向に富士山が見える、静岡市興津から由比に降りるルートで、富士山と駿河湾と斜面のみかん畑に、朝鮮通信使を思いながら歩きました。この日も気象に恵まれ、観光パンフレットのような景色に何度も歩みを止め、幸せな気持ちにひたりましたし、由井正雪生家前を通ったことで記憶に残るハイキングです。

 

2012年2 月。

南部と岩代の梅見。

南部梅林はウォーキングコースを外れないように、梅を詠んだ万葉歌を金属板に刻んで、そこここに立ててありまして、コースの終わり頃に、「かたやまのいももち」と染められた幟が何本も立っているものですから、おおとものやかもちにかたやまのいももち…何かしら? と思って歩いていくと木ッ端に墨黒々と「店主91才」と書かれています。店の名前が「かたやま」で、名物が芋餅なんですって。

また、南部の梅まつりでは「もちなげ」、岩代の梅まつりでは「もちまき」とすぐ近くなのに違うのも面白いことでした。

岩代梅林から高速道路への道すがら、海側に陣取って車窓に額をくッつけました。海は一面に小さな小さな黄金色の波。

見えました! 有間皇子の歌碑!

あのときの電子メールは忘れません。

 

2012年3 月。

馬籠宿。

妻籠や馬籠は何度かバスツアーで訪れていて、今回は「嵐」を読んで参加しました。

「たべあるきぶらぶら散歩」と題されたツアーで、降車時にクーポンや引換券つきの地図が渡されましたが、思ったよりも雪が残っていて、馬籠宿は坂でしょう、休業のお店が目立ちました。

この日は彼岸明け。雀はお墓参りをしてから「清水屋資料館」を見学してバスに戻りました。資料館には滝沢修さんなどの舞台や映画の写真も展示されていました。

島崎藤村のお父様は、別におひとりのお墓なのですね。

 

2012年5 月。

三国祭見物。

このツーリストは、「花筐」のさとや平泉澄の実家の神社といった、ひとあじ違う福井観光を企画していて、今回は継体天皇です。

山車が練るまでの間に、越前蕎麦をいただき、お薄をいただき、和菓子を買い、鉄道に乗って、と、さんざ遊びました。

町のあちこちに、丁寧な案内板が立てられていて、高見順生家、三好達治が愛した料亭、虚子の「虹」にちなんだ場所とめぐり歩くなか、H 氏賞のH さんが三国のご出身で、なぜ匿名なのかといういきさつも歩いて初めて知ったことでした。

後日、中谷孝雄と平林英子の本を読んで、三好達治の結婚と、三国へ来た事情がわかりました。  囀雀

 

2012年6 月。

多武峰から志賀。

  •  雲雀より空にやすらふ峠かな

芭蕉が杜国と1688年春に、1722年春には宣長一行が通った冬野越えです。談山神社駐車場からスタートして、鎌足さんのお墓に詣で、あの山が、あのこんもりしたところが、と説明を受けながら眼下の飛鳥に歓声をあげ、多武峰の西口からいよいよむかしの道へ入ります。

冬野から龍在峠を、滝畑からは志賀へおりました。滝畑から千股への道も、細峠にあるという芭蕉の歌碑への道も、荒れているからとご案内いただけませんでした。西口茶屋、四軒茶屋、雲居茶屋…みなほぼ廃村です。

 

2012年7 月。

飛騨古川。

騨高山から飛騨古川、白川郷から五箇山、京都市から美山、石舞台から栢森。ブームに乗って押し寄せては、波は周辺へと方向を変えます。

自由昼食のツアーでしたから、雀たちは中心部からやや外れた場所に蕎麦屋があるのを見つけて入ってみました。ほぼ満席。方言が飛び交う土間の椅子席を若い女性がひまなく動き回っています。上がりの座敷の一番奥に腰を下ろし、まずは地酒、できればぬる燗でね、あとでざる1 枚ずつ。雀夫婦の決まり台詞です。

アテは、と、店を見回し、飛騨つけもの盛合せってのをお願い。漬物はどれも吟味されたものでしたし、大根おろしも佳いアテでした。

お代わりをして、蕎麦湯をいただいて酔い加減になった頃には、ランチタイムのお客さんはすっかりいなくなっていました。お勘定をすると、厨房から若い男性が出てお礼をいわれます。ご夫婦きりでやってらっしゃるそうな。

 

2012年7 月。

野迫川村。

この村の「立里荒神」は、日本三大荒神の一で、タテリと読むそうですが、タタラの訛といい、荒神岳北麓の池津川地区には三菱マテリアルの鉱山があったとのこと。地名研究や鉱脈にお詳しい男性が参加されていていろいろ興味深いお話をお聞きすることができました。

南麓の平地区は「平維盛歴史の里」と塚の回りを造成してまちおこしをし始めたところへ2011年9 月の大水害を受け大打撃でしたし、荒神さんの近くにあるコンクリート製の大きなホテル「開雲荘」も閉業していました。

 

2012年9 月。

龍王山から長岳寺。

入江泰吉さんの写真で憧れていた龍王山と、石棺の蓋を利用した長岳寺の石仏、横穴式古墳群を歩き、しかも初心者コースというので参加を決めました。

龍王山の城跡2 ヶ所をめぐり、写真の眺望を堪能。大和盆地が一望できます。望遠レンズつきのカメラを三脚に据えて、シャッターチャンスを待っているカメラマンの女性が、みなに、覗いてみるよう勧めてくださいます。大仏殿の金色の鵄尾が見えました!

 

2012年9 月。

吉野町の山口神社から龍門滝へ、森林セラピーとやらのモニターツアー。

龍門寺跡へ行けるので参加しました。

 

2012年9 月。

大台が原ドライブウェイを利用して、ちょこっとウォーク数ヶ所。

 

2012年11月。

和佐又山ヒュッテから笙の窟へ。オプションで和佐又山山頂。

歩いてゆくと石碑が見えてきました。西行などこの窟へやってきた人を紹介する立て札と歌碑です。がぜん気が乗り、足元に注意を払いながら、ときどきは遥かな景色に目をやって歩みを進めました。指弾の窟、朝日の窟、そして笙の窟。岩の下で、ヒュッテで作ってくださったお弁当をひろげようとしたら、若い男女の3 人組がいらっしゃって、女性が身支度を始められたので、雀は場所を変えました。

おにぎりを口に入れようとして、手が止まりました。女性が山伏さんで、男性2 人を先達していらしたことが分かったからです。若くってぼちゃぼちゃっとして可愛らしい方が、皮を腰に巻いて業をなさるのですから驚きました。のちに冬の特別公開で聖護院を訪ねたとき、今日は行事で公開はお休みです、と、そのとき再び女性の山伏さんにお目にかかりました。

さて、笙の窟から鷲の窟へ進み、ここから急な下り坂でショートカットをして、和佐又山へ向かいます。この道が作られたおかげで雀のようなものが参加できたのです。午前中とはまた別の足元への集中が要って、目の奥は痛くなってくるし、膝と足首はかくかくしてきました。荷物も持ってあげる、待っててあげる、こんないい天気なんてなかなかないンだから、ぜひ、1344M の景色を見てごらんよ、と、添乗員さんも、ヴェテランの参加者の方も勧めてくださいましたが、緊張がもちそうになく、最後の最後で大きな怪我をすることをおそれ、雀はみなさんのあたたかいお気持ちをありがたくありがたくいただいて、ヒュッテへ先行。お弁当のお礼を申し上げてホットミルクを注文して、椅子に腰掛け、これでよかったと思いました。

あの眺めを西行も、そう思う経験をさせていただいただけでも、大感謝です。  囀雀

 

同じ11月。

上北山村の滝をめぐる、ほとんどハイキングなしのバスツアー。

上北山村河合から、北山宮、瀧川寺の前を通って、水分神社で東に道をとり、橡谷川を遡って南下します。又釼山を左にのぞむ展望台は360 °の眺望。色とりどりの紅葉に修験の山々。役小角が青い笠をつけて飛んでいそうなです。

サンギリ林道から国道425 号線に入り、尾鷲市の境にある「かくれ滝」まで行くと、対向車があり、「この先、通行止めですよ」とおっしゃる。森敦がダム工事に携わったのはこのあたりと、歩いていてもバスに乗っていても、空気を感じ風や木々の音に耳をすませたバスツアーでした。

 

同じ11月。

水分神社からそのまま小橡川に沿い、途中で降りて、小処温泉と滝までハイキング。

リニューアルしたばかりのところへ2011年9 月の大水害をくらって営業ができなくなった温泉の復興応援に連打されたバスハイクです。

前回、展望台の先客のおじいさんが温泉のご主人だったのですよ。まったくの偶然で、気晴らしに出かけてきたンだ、と、茶色い犬とご一緒に軽トラでドライブ中とのことでした。

普段は山登りの中級から上級編の吉野へのバスハイクが、初心者向け、紅葉、眺望、かくれ滝、温泉入浴、そして手軽な料金と、続けざま募集されたのは、水害復興を応援するため。バスツアーができるほどに道は復旧してきているし、温泉や町村経営のホテルもこのように営業しているから、ぜひ次は個人で、家族、ご友人を誘って来てくださいということで、地元のお店のお弁当をつけて、地元の入浴施設を使って、地元のホテルやお店に寄ってのツアーだったんです。車窓から目の前に山津波のあとが迫り、道路や橋が仮のものだったりもして、参加者はしばしば声をうしない息をのみました。

東北の震災地のようにくりかえし画像が流れることも写真をしょっちゅう目にすることもありません。マスコミの取材も地方的なものです。過疎と高齢化の山あいの集落が多く、陸の孤島となった地区もいくつもありました。東京から遠い、東京に暮らす人に紀伊半島出身者が少ない、そんなことがこの差なのかしらと思います。

 

2012年12月。

紀州道成寺への日帰りバスツアー。

門前のお店で昼食を取り、集合時刻まで自由散策です。お茶請けに「釣鐘饅頭」が出されました。

勘三郎さんが亡くなって間もないときで、お寺に取材する人を目にしましたよ。お寺では芸能関係者の奉納写真を見て歩くだけで時間がかかりましたねェ!

 

2012年12月。

赤穂城下ウォークと、明石散歩のバスツアー。

オプションで赤穂歴史博物館見学。赤穂も明石も初めてです。明石はゆっくり見て回りたい場所です。こけら落としに漱石が講演した公会堂や、荷風が疎開していたお寺が残っているそうですし、(稲垣)足穂の明石ですから。なんといっても。

このあとも続きます。明日にしますね。  名張の囀雀

 

* 生き生きと心豊かに「機会」を堪能し楽しまれている大らかさに、心底敬服する。出来そうで、とうてい誰にでも出来る生きようではない。金とヒマと。そんなものがいくらあっても、こうは咀嚼し楽しむことはできっこない。達人の境涯。

2014 3・3 149

 

 

☆ バスに揺られて   名張の囀雀

まず訂正とお詫びから。本居宣長一行の吉野行きは1722年ではなく1772年でした。訂正いたします。

 

2013年1 月

全3 回の竹内街道ハイキングに申し込み、雀は堺市から松原市までと松原市から羽曳野市までの2 回を、最終回の竹内峠越えは主人が歩きました。

犬養孝さんは台湾から引き揚げたのち大阪大学で教鞭を執られ、こんなふうにおっしゃったとか。「諸君、あの向こうに飛鳥がある。」

雀は、二上山を難波側から見ることだけでもはっとして、なるほどあの山の向こうが都かとアスファルトの道に時おり現れる道しるべやお地蔵さん、巨木や井戸跡に気分を引き立て、神社やお寺の木立に憩いながら、遅れぬように歩きました。

葛城市の長尾がゴールで、続けて横大路ハイキングをと参加を募っていたそうですが、足立巻一さんいわく「大和路はひとりブラブラ歩くのがよい。グループで歩くにしても、せいぜい五人まで。少ない方が好ましい。おおよその見当と、帰りの電車、バスの時刻ぐらいをマークしておいて、あとは足まかせに歩けばよい。」

河内の歴史散策は、建物がたて込んでいて見通しが悪く、道も複雑で、ハイキングイベントが非常にたすけになりますが、緊張もしますし、見聞学習網羅ウォークになりがちで、奈良や大和を歩くときのような発見の嬉しさやのどかさを愉悦することはありません。

 

2013年3 月。

石川県加賀市柴山潟へ三重県の松阪駅前から¥4500というバスハイクを見つけ、すぐに申し込みました。

片山津温泉に柴山潟をのぞむ現代調の日帰り入浴施設がオープンしたばかりで、ゴールはそこでの入浴ということでしたが、雀はその施設が中谷宇吉郎・治宇二郎兄弟の実家跡のすぐそばであることと、オプションに「中谷宇吉郎 雪の科学館」見学があったことで飛び付いたのです。

天気は晴天。大きなガラス窓が売り物の入浴施設ですから、さぞ気持ち良いことでしたでしょう。雀たちは科学館の見学に90分近くかかりまして、実盛の首を洗ったという池と首塚の脇を通って、中谷家の跡に急ぎ、バスが停まっているのを確かめたのち、大急ぎでお店を探し、缶ビールを買ってバスに乗り込みました。

記念館では館長さんが雪の実験をしてくださいました。

そしてグリーンランドの石が敷き詰められた中庭に水蒸気が湧き出して、「『霧の彫刻家』中谷芙二子」が宇吉郎さんの二女であることを知って、南無三、無念なり!でした。2011年11月に石舞台古墳を霧で浮かび上がらせたアートが、彼女の作品とわかったからです。現代アートの作家たちが明日香村を舞台に作品を披露する「飛鳥アートプロジェクト」と宣伝されたイベントのオープニングでしたから、アーティスト気取りの若いおねえちゃんか、草間弥生のような女性だと思い込んでいたのですよ。

 

2013年3 月。

栃原岳から広橋梅林。

吉野川を渡って、「すし屋」の下市を通り抜け、栃原地区のバス停から栃原岳(531M)へ登りました。栃原岳山頂の神社は式内波比賣神社。住所は奈良県吉野郡下市町栃原字黄金岳1807番地でした。銀峰山をはさんで、南の櫃ヶ岳(781M)を金の山、北の栃原岳を銅の山とよぶそうです。下りはそのまま樺の木峠を越え、広橋峠へ出て梅林のただなかを下り、下市温泉でゴールしました。

 

2013年3 月。

近鉄電車と奈良交通共催「幻の五新鉄道『バス専用道路ウォーク』」。40名の募集は早々に満員御礼。れいの八木駅前から新宮駅前までの「日本一長い路線バス」が50周年を迎え、八木駅前から五條市まで、現役のそのバス車輛に乗ってから、バス専用道路を全線歩き、終点の西吉野温泉で昼食と入浴というのがキャッチフレーズで、受付には期待が溢れていました。参加してみるとそればかりではなく、紀伊半島大水害復興応援にこのバスで十津川温泉へという宣伝と、始発の八木までの交通手段として近鉄をご利用くださいという宣伝、さらに「天誅組150 年」の五條市の観光宣伝と盛りだくさん。しかもバスガイドとして専用道路の路線バスの現役の運転手さんが乗ってくださったのですから車内は大いに盛り上がりました。

第二次大戦により未成に終わった五條市⇔新宮市を結ぶ鉄道工事の一部を国鉄がバス路線として使ったものの経営悪化で奈良交通が引き継いだ由。生活道路であるだけでなく、五條市の観光資源として大きな武器であるこの道路はトンネルの老朽化により時限もの。バスも朝夕一往復というあんばいです。

温泉入浴休憩のあとバスに乗り込み、ウォークで眼下に眺めた賀名生の散策へ出発、と、車内で地元の豆腐と厚揚げの宣伝と予約が始まりました。梅林の散策休憩90分の間にそれが届くという仕組みです。

 

2013年4 月。

玉置神社拝観。オプションで玉置山(1076M) 。

雀は2 度目の玉置神社でしたが、中の拝観も登拝も初めてです。日帰りでしたから往復するだけで手一杯というツアーでした。

 

2013年5 月。

護摩壇山。五條市大塔町から吉野郡野迫川村を通り、高野龍神スカイラインに入って護摩壇山まで行き、1372M の山頂まで田辺市と十津川村の境をちょびっとだけハイキング。野迫川温泉に浸かって帰りました。

 

2013年6 月。

伊根町。「舟屋の里公園」から千枚田を眼下に歩き、徐福伝説地の一である新井の神社で小休止。海を右手に本庄浜まで歩いて宇良神社がゴールというハイキングです。降り続く雨はウォーキングとしてはやっかいでしたが、冠島と沓島を浮かべた海はまるで水墨画のように幻想的で、びりっこを歩いてるくせに何度も足を止めては庇を持ち上げて彼方を眺める雀に、しんがりを務めてくださった添乗員さんはさぞリズムを崩してご迷惑だったことでしょう。

 

2013年7 月。

入笠山湿原。オプションで山頂(1955M) まで。富士見高原の西にそびえる山です。富士見高原のサナトリウムが取り壊しになると聞いて、その近くということで参加しました。

 

2013年8 月。

香住海岸「かすみ丸」遊覧、余部鉄橋、浜坂。

浜坂の海岸にジオパーク資料館が建てられていて、集合時刻まで間があったので冷房に当たりがてら見学したところ、そのあとの香住海岸遊覧がわかりやすく、楽しさが増しました。

 

2013年9 月。

出雲大社正式参拝日帰りバスツアー。

阿国の歌舞伎踊りから410 年。澤村藤十郎さんの躍りの会で、阿国顕彰会の方々から、ぜひいらして、と熱く言われたのが、はるか遠いことのようです。

ツアーの出発地は八木駅前。大和の地から出雲へ、道は高速道路でしたけれど、稲佐浜から右に折れて神体山を仰ぎつつ宮へとバスに揺られながら、雀は感慨にふけりました。

 

2013年12月。

廃線跡をあるく―和歌山県有田鉄道―。

金屋や御霊という駅名に興味をひかれて参加したところ、有田の金屋といったら明恵上人の生誕地なんですね。到着してやっとわかりました。うかりひょん!

 

ここ4 、5 年、

同じツーリストの吉野花見バスツアーに参加しています。12時から5 時までたっぷりとフリータイムがあること、昼食がつかないこと、そして寄り道がなく、格安なことが気に入って、毎年、天候と花の具合が違う「みれどあかぬ」吉野の春をたのしんでいます。

花見のバスツアーで、あるとき立ち寄った花見名所の3 ヶ所がどれも満開の染井吉野で、こりごりしたのですよ。

山桜は花酔いはあっても花疲れはなく、どんな咲き具合でも繪になりますでしょう。飽きないのですね。

フリータイム5 時間で、健脚の方は西行庵まで往復なさいますが、雀は水分神社がせいぜい。櫻花壇の店先を覗き、和紙店に飾られている色褪せた吉川英治の取材旅行の写真を見上げ( 杉本健吉さんも写っているからです) 、「新平家物語」初版本の装幀を見て、「一日( いちじつ) 文学館」で近代日本絵画のお話をうかがって、美しい装幀の本をたっぶり拝見したあと、気に入りの茶店で手作りの葛餅や甘酒をいただいたり、昔からのお店を探してお昼御飯を奢ったりして過ごします。

花の盛りに当たったときは、桜花の中をめくらめっぽうに歩きまわり、駐車場近くの食堂でおうどんをすすってバスに走ったこともありました。

昨春、櫻花壇に、岡野弘彦さんと長谷川櫂さんの色紙が飾られていました。2011年3 月8 日に、本居宣長記念館の春の企画展が始まり、4 月16日に岡野さんが「古事記と源氏物語~歌と物語の文学伝統~」のタイトルで講演なさったそうです。2011年は古事記撰進1300年のプレ・イヤーであり、宣長没後 210年でもあったのですね。そして岡野さんは、2012年1 月28日に、東京・品川で「うた・こころ・ものがたり」と題された奈良県のイベントにお出になり、3 月11日に歌集「美しく愛しき日本」を出版なさった由。岩波の「図書」誌2013年3 月号で、岡野さんと長谷川櫂さんの対談を偶然

拝見しました。

ずたずたの心で春を惜しみけり

敢へて飾るか旧暦の雛

流しやる潮路のはても霞むらん

黒木の御所に歌草を選る

山の端の月のしろがね錆びもよし

憂ひほのかな古酒の醒めぎは        名張の囀雀

 

* 1999年10月に初めてメールをもらっている。囀り久しく、おみごとと云うしかない。豊かな境涯、ただの遊び放題とはまったく異なる「生き」ようが見られる。こういう達人にはめったなことで出逢えない。

2014 3・4 149

 

 

* 写真を整理していたら、こんな綺麗な富士山が見えた。どういう狙いの写角なのか、よく富士山の写真をメールで呉れる富士市内勤務の卒業生君が送ってくれた一つだろう。観光絵はがきとはひと味違った暮らしの匂いがする。

2014 3・5 149

 

 

* 「みづうみ、お元気ですか。みづうみは『ソーネチカ』という現代ロシアの女流作家リュドミラ・ウリツカヤの作品をお読みになったことはあるでしょうか。彼女の出世作でもあるこの作品は、みづうみにお奨めする本ではありませんが、女が読むと他人事ではない痛い話の一つです。」

それだけのメールをもらったが、この作を、わたしは知らない。新刊の本をめったに買わないわたしには、探し当てる手だてもないが。今日江古田り眼鏡屋へ行った脚でいつものブックオフに立ち寄ったが、欲しい本はなかった、よほどフランスの『百科全書宣言と重要項目』をまとめた岩波文庫を買おうかと佇んでいたが、やめて帰ってきた。読みたい本は、手元に数限りなく積んである。

新しい眼鏡は、一つは次の日曜に、もう一つは、その先の木曜に出来る。機械用の眼鏡を新調のため預けてきたので、いまは機械には合わない眼鏡でキイを叩き、画面を見ている。すでに画面はギラギラと光ったまま文字は霞んでいる。仕事にならない。

2014 3・6 149

 

 

☆ 美杉の川上   名張の囀雀

理論物理学者山内恭彦さんの随筆集に松阪訪問の一編を見つけました。松阪に一泊、鳥羽に二泊され、牛肉と海の幸を満喫されたとのこと。1973年4 月。本居宣長記念館が開館して3 年というときです。宣長の旧居と記念館を見学なさってのくだりに、「宣長という人は、源了圓さんの本などから察すると、どうも女性文化の推進者だったらしい。封建、武家政治の男性至上の時代に、こういう反体

制思想を鼓吹したことは、まことに天晴れと申すほかはない。」とお書きになっていらっしゃいました。

 

2011年4 月。

松阪での鈴屋学会大会で、「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さようなら」の場に立ち会ったただひとりの方、岡野弘彦さんが招かれて公開講演をされたようです。

記紀・万葉か、3.11の歌集か、折口信夫没後60年だからかわかりませんが、昨年のいつでしたか、図書館のカウンター前に、岡野弘彦さんの本が何冊か並んでいるのに出くわしました。手に取ったのがたまたまテープ起こしの読みやすい本でしたので、ぱらぱ

らとめくっていくうち、えッ、ご実家はあの神社だったの?! と、びっくり。

雲出川水源…三重県津市美杉町川上に鎮座する、川上山若宮八幡神社…名張や伊賀でしばしば幟を見かける神社で、いったいどんなところなのかしらと、クルマを出してもらって、ドライヴァーの主人ともどもいっぺんで気に入った場所です。

名張川を遡り、伊勢地川から雲出川と、右に左に渓流と山の景色を眺めながら、1 時間かかるかからないかという近さで、岡野さんがご実家やお父上のことをおはなしになる箇所やお書きになっている箇所に、まことに、いかにもとたびたび頷きました。

先生に精をつけてもらわなければ、と、お父上から油紙に包んだ鹿が届けられて、添えられた紙を見ながら東京のお家でさばいたこともおありだったとか。

神社とその神体山が、昨年、雑誌の「三重で山ガールデビュー」ようの特集記事で紹介され、そういえばしばらくごぶさたしているね、と思いついて出かけたのが6 月30日( 日) 。

途中に、地域づくりの拠点としてオープンしたばかりの施設がありました。廃業した旅館を改装したもので、宿泊やお弁当などは予約制ですが、景色はいいし、空気はいいし、水はおいしいし、お茶もコーヒーも、ごはんもおいしい。地元産の卵を使った卵とじうどんとおむすびのセットを、山を眺めながら大きくて厚い一枚板のテーブルでいただいたり、広い和室にのびをして、中庭から広い玄関へ通り抜ける風の中にいたりしたら、「家に帰るがいやになったァ」となりそうです。

名張川が終わり、伊勢地川が始まる、と、鉄路が始まり、JR名松線の伊勢奥津駅に到着。東西に宇陀や曽爾と伊勢を結ぶ街道がのび、雲出川の谷が南へと始まる河合です。名張と松阪を結ぶ鉄道、名松線は、昭和4 年に開業して、松阪から嬉野、一志、八太、川口頓宮、家城を経て、昭和10年に美杉町奥津まで延びて、それきり。先は国道を走行して名張へ至ります。

2011年9 月の紀伊半島大水害で一時は全線運休となり、現在も家城から奥津まではバス代行中。地元の運動でようやく復旧工事が始まったところだそうです。「出雲」は漢文。ここはレ点のいらない、にほんごの雲出づる地。山頂から伊勢湾がのぞめ、石楠花が自生するという神社後ろの神体山は、この日も見る間に山頂へと雲が湧き上っていきました。一峰だけがそうなるのです。

 

☆ 神宮と川   名張の囀雀

社務所前の橋を渡り、拝殿への石段を上がって、茅の輪が見えて初めて、あ、夏越と気がつくぼんやり。

初めて訪ねたときも、橋のたもとに葉の束が浸されていて、端午だったと気がつくあんばいでした。

傍の社務所から「どちらから?」と声をかけてくださった神官さんが宮司さんで、そういえば岡野清彦さんとおっしゃいましたっけ。

茅の輪をくぐってお参りをして橋まで戻ってくると、社務所に岡野宮司さんがいらして、「どちらから?」。

人と車の形代をくださって、「3 時からお祓いが始まりますからよろしければその時間に祓社の前にいらっしゃい」とのこと。

下鴨神社の御手洗詣でなど観光見物ばかりで、形代の扱い方から始まって、祓戸社でのお祓いから茅の輪をくぐり拝殿でのご祈祷とすべて真ん中にはさんでいただき、思わぬ一日を過ごしました。宮司さんと氏子さんに心底感謝です。

昨秋、中西進さんが菅谷文則さんと対談されるなかで、どうして櫛田川が聖なる川ではないんだろう、高見山から流れているのに、とおっしゃったのが気にかかり、地図で水源地を確かめてみました。

水分の山となっている高見山から伊勢湾へ流れているのが櫛田川。中央構造線に乗って流れる川です。大台ヶ原から伊勢湾へ流れくだるのが宮川。伊勢市南端の八称宣山から流れ出ているのが、内宮の御手洗川となっている五十鈴川。五十鈴川と島路川との河合に内宮が鎮座しています。

それら3 本の川の北に位置するのが雲出川で、奈良県宇陀郡と三重県津市美杉村と三重県松阪市飯高町の境となっている三峰山( みうねやま) が水源とのこと。櫛田川のクシは水銀鉱毒も意味しているのでしょうか。

昨年の10月と11月に多気町の郷土資料館で2 回にわたって伊勢水銀についての講演が行われ、斎宮の対岸に寺が建てられたり、伊勢神宮の神宮寺が建てられたりしたのが、井上内親王と阿倍内親王にからんでいるのも興味深いことでしたし、「やまとはしきのとみのとよあさくらの」曙立王の名が出て、ホムチワケを出雲へ連れて行ったあの人! と思って身を乗り出したら、朝倉の近く、宇陀郡菟田野ではアケ( 朱) が採れたので、それと曙立王の伊勢佐那に関係がないかとのこと。曙立王は、伊勢の品遅部君と伊勢の佐那造の祖と「古事記」に記されています。

三重県多気郡多気町の近長谷寺が建つ山から、佐奈川が流れくだり、多気町兄国と弟国の間を通って櫛田川に合流していて、このすぐ下流に斎宮があるんですね!

菟田野の上で「菟上」? う~ん。

2014 3・6 149

 

 

☆ 神話考古学   名張の囀雀

2012年1 月。

鉄道会社の初詣切符を利用して、神宮美術館、神宮徴古館、伊藤小坡美術館を見てきました。いずれも初めての場所です。

小坡美術館は季節ごとに展示がかわるそうですが、一晩で済ませてしまうというので驚きました。ちょうど小坡を紹介するビデオができたばかりとのことで、入口脇の応接室兼資料閲覧室に入れていただいて、そのあとも一枚一枚解説してくださいます。お客様がいらして、応接室が閉じられてしまい、閲覧用資料や写真はまたの機会におくります。

外にある椅子でひとやすみ。かつてはあの山の樹木で遷宮がなされていた神体山を見上げる位置に椅子が置かれています。繪だけではない霊所の美術館でした。

神宮美術館では「国史絵画展」が開催されていました。ミコアレマシヌ1933年に企画され1942年に完成した全78点の絵画を、前年

に「神話・古代」、本年が「中世」、来年に「近世・近代」ですべて展示するものらしいです。

今年もこの初詣企画切符を利用して、伊勢へ行ってきました。

外宮に完成した「せんぐう館」を見学して、神宮徴古館と農業館を見学したところで時間切れ。78点の国史絵画をまとめた画集があるとわかり、後日、図書館で取り寄せていただきました。

高橋由一「日本武尊」が1891年。青木繁が「黄泉比良坂」「わだつみのいろこの宮」「大穴牟知命」「日本武尊」を描いたのが1903~1906。1920年に明治神宮が鎮座し、聖徳記念絵画が描かれました。それから13年後に、国家プロジェクトで国史絵画です。

神宮外苑の聖徳記念絵画館に展示されている絵画よりうんと広い範囲をうんと短い期間で完成させたものだそうです。

ところが橿原考古学研究所の菅谷所長に言わせると、上野の: 藝大出身の画家が上野の博物館のモノを見て描いてるから、土器や太刀や山のかたちが関東のものである、とのこと。

2009年に奈良県立美術館で開催された「神話」展では、明治の絵が多く、仕方ないかァという感じもありましたが、青木繁はあの時代によく調べよく考えて描いていたのですね。

国家プロジェクト国史絵画から、60年。万葉集の歌一首に一枚として描かれあつめられた、万葉文化館の154 点もの日本画は、考古学的な資料の豊かさを現す絵であり、絵としては魅力がないのです。びゅぅっと風が吹くような繪がないのですよ。

 

☆ イメージと模型  名張の囀雀

昨年9 月に、明日香村にある万葉文化館で、「『遷宮』にみる日本―記紀・考古学の統合に立って―」と題した、中西進名誉館長と奈良県立橿原考古学研究所の菅谷文則所長との対談を聴講し、翌10月には三重県明和町の斎宮歴史博物館で西宮秀紀さんの講演を聴講してまいりました。

「父の転勤で小学5 年のときに伊勢へまいりまして」と秀紀さん。西宮一民さんのご子息でいらしたのですね。現在は愛知県の教育大学で教授をつとめていらして愛知県在住とのこと。

出雲大社が60年に1 度、伊勢神宮が20年に1 度、それが重なった貴重な年だの、1300年続く伊勢のご遷宮だなどと観光や旅客運輸関係で話題にして騒いでと、お三方とも苦言を呈していらっしゃいました。雀も今年1 月に、今回の遷宮をきっかけに外宮前に建てられた「せんぐう館」を見学して、昔から続いている、昔から変わらず続けられてきたというイメージを持ちすぎていたことと、そういうイメージを宣伝して利益を得ようとする人たちに警戒しなければと痛感しました。

だいたい安部首相が1929年の浜田雄幸以来の首相列席ということからして20年ごとではないわけでしょう。いえ、それよりも、浜田雄幸が、翌1930年11月に狙撃され、1933年12月のミコアレマシヌで「国史絵」制作が企画され、1937から橿原神宮拡張などが計画され、1940年が皇紀2600年。そのあと…ツルカメツルカメ…背筋が寒くなります。

和田萃さんがあるとき、カシコーケンが現在の建物に建て替えられる際、絵画「かぎろひの朝」が宇陀市大宇陀の役場に移されたと話されて、「それから、 <和気清麻呂像> 。朝倉文夫のがあって、それは岡山の和気町に移されました」とおっしゃったので、あれ?清麻呂像って皇居前じゃなかったかしらと、後日、図書館で確かめましたら、皇居前のは佐藤朝山の作なんですね。1940に朝山が、1941 に文夫が< 和気清麻呂像> を作っているそうな。

「せんぐう館」には1949年の遷宮中止に関する資料も展示されていました。昨年の遷宮が第62回。第61回が1993年、第60回が1973年、第 59 回が1953。春日大社も戦後の混乱と窮乏で造替を1954年にずらしていて、そのため今回の伊勢と出雲の遷宮ブームに乗り損なったというわけなんですね。

1973年の第60回は田中角榮内閣時代で、遷宮のあとバブル景気がやってきて宮前はすっかり寂れてしまったそうです。1993年の遷宮にむけて、「赤福」が内宮前の「おはらい町」を振興しようとして断念。単独資本で「おかげ横丁」を造成したといいます。このときの遷宮では、列席者にバブル長者のような人々が物見高い態度を取って顰蹙をかったとか。

そしてバブル崩壊、1995年の1.17、2011年の3.11があっての2013年第62回遷宮。列席者の態度はもちろん、若い人たちが外宮から内宮と教わった通りに参拝する変化がいわれました。そして今回の遷宮では外宮前が大変貌を遂げ、お店で働く人も消費する人も若くて、雀はなどはディズニーランドに紛れ込んだ心地がして駅から手水舎までうつむいて早足で歩いてしまいました。

外宮→内宮が定着したので、斎宮→外宮→内宮の流れをつくりたいと、明和町では発掘結果に基づいた平安時代の斎宮実物大復元建物を目玉に据えた公園を計画して、この3 月にオープニングイベントと宣伝していましたが延期になりました。

平城宮跡に観光客がくるのはあの実物大模型があるから。斎宮もそうすればいいんだー…って…そうでしょうか?

 

☆ 京田辺も記紀万葉  名張の囀雀

「平城遷都1300年祭」は、観光客のほとんどが奈良市内を見物して終わってしまい、足をのばしてもせいぜい斑鳩くらいで、奈良市の隣の大和郡山市でさえ期待したほどの賑わいがなかったと、奈良県内の自治体に不満があったそうです。2012年から2020まで「記紀・万葉プロジェクト」をしますということになって、待ってましたという奈良県の自治体が続出。京都府南部でも記紀イベントが行われ、雀は京田辺市の全3 回のウォークイベントのうち2 回に参加しました。

日向隼人の松井地区と大隅隼人の大住地区を歩き、月読神社見学と隼人舞の解説という回と、高船、天王、水取、普賢寺地区を歩き、筒城宮伝承地をゴールとする回です。

同志社大学敷地内の下司古墳群の見学もさせていただきました。

京田辺といえばいつも酬恩庵で、最近は、女子大生おすすめの散策ルートとお店というパンフレットを目にしていたので、大山守命の「伽和羅」は京田辺市河原といわれているんですよ、とか、大住車塚古墳は5 世紀初めの古墳でね、というウォークは新鮮でした。

 

☆ 京都がもっと数奇になる   名張の囀雀

バブル景気の最中に、奈良では「なら・シルクロード博」(1988 年4 月開幕) 、伊勢では第61回遷宮(1993 年) 、京都は「平安建都1200年」(1994 年) でした。

大阪の人が、万博と阪神優勝の年をなにかれと基準年にするように、奈良の人にはシルク博。

雀は、JR奈良駅近くにある「なら100 年会館」が「なら・シルクロード博」のときに建てられて、それは奈良県再設置100 年を記念して開催された博覧会だったからということを昨年になって知りました。

また、「平城遷都1300年祭」が終わってしばらくした頃、「平安建都1200年」のときはどんなことをしていたのかしら、と、思い、図書館に借りに行きました。取り寄せになったのですが、1993~1994にかけて京都市内の3 ヶ所で開かれた「『伝統と創生』フォーラム」の報告本を読むことができました。松岡正剛さんはここに「京都がもっと数奇になる」と、スローガン―そういっていいのかしら―をのべていらっしゃいますね。

「ガラケー」「おかんの二つ折りケータイ」とあなどられる雀の携帯電話でも「千夜千冊」と「ひび」が読めるので助かっています。人名を検索すればWikipedia と「千夜千冊」。書名を検索すればAmazonと「千夜千冊」。

2000年2 月23日の1 夜は、中谷宇吉郎「雪」。500 夜がジャコメッテイ、1000夜に良寛、1500夜は柿本人麻呂。

東京に行きたかったのです。

「松丸本舗」に行ってみたかった! まさか3 年もたたずに閉店するとは思ってもみませんでしたから。比良八講に因んだ全8 回の「連塾」が2012年5 月末日に終わり、9 月末日に松丸本舗が閉店したとのこと。閉店日は旧暦の8 月15日でした。

あの特製の本棚を直に見たかった!“裳階”を引き出したり、引き戸を開けたりしてみたかったです。

 

* たくさんなことを初耳に教わっている。こういう情報としては希有の特色に富んでいる。

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* 上半身を起こし、着布団をはねるまえに、手の届く左に林立した抽斗棚の一つをあけ、一掴み一見紙屑を取り出し、あんまり面白いいろんな心覚えや書き付けや資料片がいっぱいなのに驚嘆した。

何十年も昔に、飯田健一郎さんがわたしのため幾つもの印を刻して下さっていた「印影」が見つかったり、仲良しだった歌人の篠塚純子さん第二歌集『音楽』からの純子自選85首が出てきたり。元気にいまも忙しがっているだろうか、忙しいのがお好きなこの人の短歌がわたしは好きだった。「e-文庫・湖(umi )」の「詞華集」室に、二冊の歌集から懇切に選ばれてある。懐かしく読み返した。 2014 3・8 149

 

 

☆ プラネタリウムとパイプオルガン   名張の囀雀

昨年の1 月、鈴鹿市へ佐治晴夫さんの講演を聴きに出かけました。「ときのひと」になられた当時、熱中して佐治さんの文章を読

んでいたという主人と、松岡正剛さんとの対談本「二十世紀の忘れもの」(1999 年1 月出版) を読んで、佐治さんのおはなしの仕様を好みに思い、男性はその成長期に年上の女性にどうかまわれたかが要という教えをおふたりから受けた雀は、3 列目真ん中で、「連日の寒さで喉を傷めまして本来の声ではございません」と詫びられる佐治さんの78才とは思えない若々しさと美声に感嘆し、2 時間があっという間に過ぎてしまいました。

会場は鈴鹿国際大学の視聴覚ホール。佐治さんは鈴鹿国際大学・短期大学部学長として2004年に三重にいらっしゃいました。養老孟司さんとの対談本「わかることはかわること」のあとがきが2004年11月で、佐治さんは、なぜまもなく70歳というときに三重に行ったのかを語られ、「僕にとっては始めてヨーロッパに行ったとき以上に、あそこは外国でした。」と述べてらっしゃいます。

この時期はまた「プラネタリウム解説コンクール」の参加を募集していた頃で、翌2005年2 月11日に「みえ こどもの城」という県の施設でコンクールが行われたようです。このコンクールは、プラネタリウム関係者は応募できない規定だったとか。

雀は、会場となったプラネタリウムを津か四日市か鈴鹿にあるとばかり思っておりまして、松阪市、それも宝塚古墳と山室山の本居宣長おくつきとの中間にあるとわかってのけぞりました。

天体観測施設ですものね。コンビナートの四日市やサーキットや遊園地の鈴鹿では観測しにくいでしょう。

また、佐治さんによれば、三重はパイプオルガンのないごくごく珍しい都道府県なのだそうで、佐治さんは大学のホームページに、三重にパイプオルガンが設置される日まで三重にいたいというような文章を綴っておられました。

プラネタリウムコンクールは講演の翌月、7 回をもって幕を閉じ、「次回はヒッグス粒子のことなどをおはなしできると思います。3 月頃に」とおっしゃった2 か月後、学長を退いてしまわれて、お話は伺えず仕舞い。パイプオルガンも設置されないままでした。

 

ところで

音せぬ朝のおそろしさ。

チェーンを巻いたタイヤの音がないのは幸いですが…積もりました…。

そちらも寒いのでしょう。

雪はいかがですか。

ご無事をお祈りいたします。

3.11 以降、寺田寅彦の随筆をきっかけに、彼の門下生や孫弟子の随筆集を読んでいます。

藤原咲平に引き抜かれて気象台へ入り、彼の公職追放により1947に台長となった和達清夫は三八豪雪の視察をしてその年に退官しています。名古屋生まれで、東京に戻ってすぐさまスケートに熱中。戦争末期に満州へ赴任しているので、北陸の雪は経験がおありではないかもしれません。

京都市生まれで北大へ進み、中谷宇吉郎のもとで学んだ樋口敬二は新幹線の雪害対策に関わり、1967年1 月から3 月に関ヶ原の降雪調査をしているそうです。1970に「全国新幹線鉄道整備法」が成立していますー。この年の正月には「新潟日報」が、「あすの日本海~雪国改造~」という連載を開始。雪氷研究をしていた樋口さんは、1/7 ・8 ・9 と招かれて新潟県の豪雪地域を連れ回され、初めて日本海側の雪を知ったようなのです。

「北海道の雪原を荒々しい原野にたとえれば日本海沿岸の雪は生産力に満ちた大地」「北海道とは“別種の文明”」「温暖型雪国」と感じたとのこと。そして日本海側の豪雪をなくす方法を求められて、ほかの研究者と「ヒマラヤを削る」と回答したんだとか。

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☆ 多支鹵    名張の囀雀

北葛城で続けられている定員50名の小さなセミナーで、「ワカタケル大王の時代Ⅱ―稲荷山古墳出土の鉄剣銘文―」と題された和田萃さんのおはなしをうかがってまいりました。

前回は『古事記』と『日本書紀』に描かれたワカタケル像。今回も最後に「雄略天皇は、ワカ、タケル、なんです」「タケルはヤマトタケルのタケルと同じです」。

“タケル”なんですよねェ。

鉄剣銘文を訳読したのは、京大の岸俊男教授・奈良国立文化財研究所( ナブンケン) の田中稔・ナブンケンの狩野久のお3 方で、記者発表の前に、当時、京大から京都教育大学の教壇に移ってらして紫野にお住まいだった和田さんは岸さんから明日○時に京大北門に来てくれと電話で呼び出され、三条の喫茶店の2 階で訳読を見せた岸教授はどう思うかとお訊ねになったそうです。

発表は1978( 昭和53) 年9 月19日。

この4 カ月後に奈良市此瀬町の茶畑から太安萬侶の墓誌が発見され、橿原考古学研究所( カケンあるいはカシコーケン) から前園實知夫さんらが派遣されて発掘調査開始。

「『古事記』撰進1300年」の2012年には墓誌に毛筆の痕跡が見つかり、発見した重見泰さんは喉を痛めるほどあちこちで講演などをされたようでしたが、和田萃さんと前園實知夫さんもあちこちに招かれていらっしゃいました。

多忠記宮司と中学で同級だった田原本の旧町出身の和田さん。太安萬侶墓誌発見の2 日後から発掘に携わった前園さん。おふたりだけの講演会は満員御礼キャンセル待ちの人気でした。カシコーケンには墓誌発見当時の写真や新聞記事が展示され、検討会議のパネル写真におふたりが写ってらして、講演会で、「若かったねぇ」。

1979年1 月、奈良市此瀬町の茶畑で、茶の木をやぶきたに植え替えていた最中に遺骨と墓誌が発見されました。土曜日で役所が休みだったため連絡がつかず、発掘は月曜日から始まったそうです。―茶の木は40年を過ぎると植え替えが必要になるそうで、このころ、やぶきたへの植え替えが盛んだったとのこと。 1970 年から40年を過ぎて、現在がちょうど植え替え時期になり、茶の産地や農家は選択を迫られているようです。

墓誌を発見された農家の竹西さんが晩秋に亡くなって、明けて2013年。榊莫山さんが題字を揮毫された「明日香風」という季刊誌の2013年春号、『飛鳥と吉野』で、前園さんは「吉野宮瀧遺跡と吉野宮」をお書きになり、名張の歴史サークルが9 月にお招きして市立図書館で公開講演会が開催されました。

「名張は壬申の乱と夏見廃寺の調査に来て以来です。なつかしい。お招きいただいてありがとうございます」と講演を始められました。

主催者の依頼は「水の祭祀」。

前園さんが1975年の吉野宮滝遺跡発掘をなさったからです。

1938年。宮瀧遺跡の発掘調査終了。

この年の7 月25日に浜田耕作が急逝しています。

1975年1 月。幼稚園建設に伴い、宮瀧の発掘調査がふたたび始まりました。ここに参加したひとりが前園さんだったのです。前園さんは、講演の4 日後に森浩一さんのお別れの会で実行委員長を務められました。―桂川が溢れた颱風の翌日です。お坊様でもいらしたのですね。ご実家が豊山派のお寺とか。

 

☆ 吉野と末長雅雄正雄    名張の囀雀

1931年に「吉野葛」が発表されますね。

1969年。白洲正子が「かくれ里」の連載を始めます。そのなかの一編『吉野の川上』に「三十年も前の頃から、一度は川上村をたずねてみたいと思っていた。」と書かれています。

末永雅雄が「もし、あなたが行きたいなら、筋目の人たちを紹介してあげますよ」と言ったことから、正子は丹生川上神社上社の隣に宿泊して、筋目の家の方々の訪問を受けます。

先日の土曜日に、橿原神宮の会館に、丹生川上神社の上中下3 社の宮司さんがお揃いになって、千田稔さんが基調講演をされたのちシンポジウムが開かれました。

大滝ダム建設により対岸の高台に遷座となった上社の宮司さんは、2011年9 月の颱風で斜面がくえたため国道では神社に入れず、着任した日がちょうど国道の開通日だったそうです。

もともとのお社はほかの2 社と違って川を背負うかたちで、目の前には磐座、その奥に白屋山が迫るかっこうだったそうですね。正子が泊まったのはその上社。入江泰吉の写真と白洲正子の文章に戻っていく雀です。正子が「三十年も前の頃から一度は川上村をたずねてみたいと思っていた」ように、雀は末永雅雄さんにお目にかかりたいと思っていました。

すると2012年2 月から3 月まで、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で、「末永考古学の軌跡」展が開催され、ポスターのお写真に一目惚れ。展示室ではお顔が写っているパネル写真ばかり探して歩きました。「かくれ里」当時、正子は60才前後。末永さんは70代前半。パネル写真でもその頃がいちばんステキで和服姿も背広姿も色気があります。残念ながら図録にはその種の写真が展示の何分の一も掲載されていなくて購入していません。

1912年10月25日、吉野軽便鉄道開業。

1927年、上市から鉄橋が架けられます。

1928年3 月25日、大和上市駅、吉野神宮駅、そして現在の吉野駅が開業しました。

1929年9 月に奈良県史跡調査会で、吉野町出身の中岡清一さんが報告をして、調査会の岸熊吉委員が派遣されます。熊吉の子が俊男ですね。熊吉は福井生まれで、俊男は京都市生まれ。

1930年9 月。奈良県史跡調査会で岸熊吉委員が報告をして、10月から本格的な発掘調査が始まることになりました。これを担当したのが末永雅雄さん。1930年10月から1938年まで宮滝の発掘調査に従事します。

それで谷崎さんを見ているンですねぇ!

ときに前登志夫さんは白洲正子さんの「近江山河抄」あとがきで、吉野びとである私はいつでもささなみの近江の国に、罪ふかい気分をいだいている。いうまでもなく壬申の乱による後遺症のようなものであるが、それだけにかえって近江には鎮魂の情と共に憧憬をもっている。とお書きになっていらっしゃいます。会の集まりではきまって「かくれ里」(1971 出版) が話題となったともあります。

前さんが「山繭の会」を結成したのは1980年。

和田萃さんが櫻花壇で前さんと対談したのが1988年。

旧制奈良中学に学ばれた前さんと奈良高校に学んだ和田さん。

安騎野志郎の名で歌を詠んだ前さん。

和田さんは俳句は本名で、短歌ではどういう字かはわからないのですが、「あきのあさお」の名で投稿されていたそうです。

 

☆ 吉野時間   名張の囀雀

2011年11月27日。

奈良県の「記紀・万葉ウォーク~観光ボランティアと歩く・なら」“吉野町篇”に参加しました。

9:20に吉野歴史資料館入口で受付開始。展示を自由に見学したのち入口に集合して、観光ボランティアさんのご案内で周辺を歩きます。―現在、資料館の入口には上野誠さん揮毫の万葉歌碑が建っています。

青根ヶ峰、三船山など、資料館から南に見える山々の名を教わり、斉明天皇、持統天皇、聖武天皇それぞれの宮跡発掘調査のあとをめぐりながら解説をうかがいました。

後日、わかったことには、配られた地図に印された3 つの宮の範囲を示す、丸や四角の線を引いたのが前園實知雄さんだったのです。

妹山。背山。吉野川。

橋を渡り、夢のわだの展望台で万葉集の歌の朗唱があって、柴橋、うたたね橋、象の小川、桜木神社と、かすかな風が吹く道を歩きました。

  •  歌書よりも軍書にかなし吉野山( 支考)

大海人皇子。後醍醐天皇。義経と静。桜木神社で引き返しながら、ボランティアさんも参加者もそれぞれに吉野からの聯想が口をついてはてがありません。ちょうど「吉野葛」で描かれた季節でもあり、和紙やずくしの話が出たのが橋のたもと。

「コーン、コーン」。

胸の中に音がします。橋を渡ろうとしたそのとき、バイクがパリバリと渡っていって、一同は言葉を失いました。

この日は好天に恵まれ、二百文岩北岸に建てられた「交流センター」が昼食会場に解放されていましたが、晩秋のおだやかな日差しに誘われて、めいめい好きなところに腰をおろし、持参のお弁当をひろげました。

  •  日あたりや熟柿の如き心地あり( 夏目漱石)

午後は宮瀧遺跡の碑と万葉歌碑が建つ旧中庄小学校の図書室で、和田萃さんの講演です。大和上市駅行きのバスが15:44 発ということで、講演終了が15:30 、質疑応答は時間次第というスケジュール。

和田さんは阪大の発酵工学科を受けて失敗し、社会科の先生になって母を養おうと、翌年、京大文学部に入学されます。京都教育大学で30年近く教鞭をとられ、“先生の先生”になられました。

ツウィードのジャケットに、学校、教室、黒板、白墨、黒板拭きが大層よくうつっておいでで、大きな文字で縦書きに板書をなさるたび、白墨の粉がさらさらと、大きなガラスから射し込む光を受けて落ちてゆくのをうっとりと眺めながら、雀は高見順の「黒板」を思い出しておりました。

 

病室の窓の

白いカーテンに

午後の日がさして

教室のようだ

中学生の時分

私の好きだった若い英語教師が

黒板消しでチョークの字を

きれいに消して

リーダーを小脇に

午後の陽を肩さきに受けて

じゃ諸君と教室を出て行った

ちょうどあのように

私も人生を去りたい

すべてをさっと消して

じゃ諸君と言って

 

パワポにホワイトボードさらには電子黒板などが講演会場に用意される時代ですが、雀はスライドと黒板が一番好きですねぇ。

何の話題か、和田さんが、「これに関しては館長さんのほうがお詳しい」と、会の冒頭で挨拶された吉野歴史資料館の池田淳館長に目を向けられ、ぼんやりしていた雀は資料をめくりましたがわかりません。

待てば海路のひよりあり。

2013年に池田館長さんの解説と案内で国栖奏を見学する限定40名のバスツアーが募集され、ぎりぎりで間に合ったのですよ。

池田淳館長さんのご専門は日本芸能史だそうです。まず資料館でニュース映像を映しながら解説をされ、参加者と一緒にお弁

当を食べながら吉野のおはなしをされ、浄見原神社に向かう車中でも、あれは、ここが、と途切れることなく吉野のおはなし。

壬申の乱で宇陀へ越えたルートに、谷治峠説と入野峠説があって、と言うや否や、「ここっ。ここです」と指さしてお教えくださる具合で、愉しくて世離れる「吉野時間を」過ごしました。

 

☆ 吉野線   名張の囀雀

2012年10月25日は吉野線開業100 周年の日で、11月に、吉野郡大淀町で歴史ウォーク、12月には「近鉄社員が案内する歴史的建造物を訪ねるツアー」と、どちらも人数が限定された小さなウォークイベントがありました。

大淀町の歴史ウォークは、大和上市駅に集合して、伊勢街道や水分神社など旧い道筋を歩きながら世尊寺( 比曾寺跡) へ向かい、ご住職のお話をうかがったあと、お弁当をつかわせていただいて、ふたたび吉野川へとおりていき、北六田の集会所で吉野線写真展を鑑賞して、特産のほうじ茶と開発されたばかりのほうじ茶マカロンをごちそうになって解散。

翌月の「近鉄社員が案内する歴史的建造物を訪ねるツアー」は、薬水駅から吉野駅まで、歩いたり電車に乗ったりして、点在する鉄道建造物を見学しつつ、鉄道写真撮影の人気スポットで特急や各停の各車輛がやってくるのを待ったり、と、雀にとって珍しい体験もありました。

吉野山ロープウェイでは、重厚な鋳物の鋼材が戦時下の供出を免れたのは吉野という“聖地”だったから、というようなおはなしと、現在のものと違うがっしりとした重厚な作りであるとのおはなしをうかがいました。吉野駅の駅舎デザインのおはなしでイベントは終了。アンケートを記入して、お茶とお弁当を受け取って自由解散となりました。ロープウェイに乗るもよし、歩くもよし、各停にのんびり揺られて帰るもよし、というわけです。

1910年に軽便鉄道法ができて、1912( 大正元) 年10月25日に吉野軽便鉄道が開業しますが、当時の終点は現在の六田駅だったのです、と、当時のホームや引き込み線などの解説を伺いながら遺構を見学しました。吉野口で乗りかえて吉野駅まで軽便鉄道、と、いう吉野駅はこの場所だったのですね。

「若き日の旅」と「寺の瓦」を読みますと、旅は1908年3 月から4 月のことですから、軽便鉄道法の2 年前で、吉野軽便鉄道開通にはまだ4 年半早かったとわかりました。吉野山の宿で19才の山内英夫が煙草はないの?と女中さんに尋ねています。1904年に煙草専売法ができて、わずか4 年後のこと。山ノが口にした「敷島」「大和」「朝日」「山桜」という銘柄は本居宣長の和歌からとられていたので洒落になっていたってことに気がつきました。―この1908年は、8 月1 日に新潟を発って會津八一が奈良へやってきた年でもあります。『吉野葛』の津村が最初に国栖へ出かけたのは、志&木&山の少し前ということになりますでしょうか。

 

* 地誌的な記述になると、貴重な参考度が横溢する。有難い。

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☆ 建王殯塚   名張の囀雀

松田度さんは、2013年7 月27日に、カシコーケンの土曜講座でひとつの発掘報告をなさいました。

大淀町今木の保久良古墳です。建王殯塚と言い伝えられてきた古墳で、2012年7 月に町指定の文化財となったことで町の教育委員会で発掘調査が行うことができ、8 月にマスコミ発表をしたそうなんです。カシコーケン附属博物館には、出土した琥珀の枕が展示されていました。

地元住民をはじめとしたボランティアで古墳の内と外を掃除して、階段と手すりと解説板を設置して一般公開開始。

古墳の地主さんがいちばん熱心で、土地を町に寄付したばかりか、見学者を認めると自宅へ呼んでビデオを見せたりしてらっしゃるそうで、県から表彰されたとのこと。

 

☆ 吉野は「野」   名張雀

2013年10月20日。

吉野歴史資料館が1996年の開館以来休まず続けている公開講演会を初めて聴講しました。定員80名の小さな会場です。

タイトルは「吉野の源流神―水分山の解釈をめぐって」。講師は大淀町教育委員会の松田度さん。

松田さんのパワポは久隅守景「夕顔棚納涼図」を表紙にしていました。

吉野は「野」です。山ではありません。大淀町こそが元吉野だと思っていますと、松田さんは水分山( 峯) は高見山(1248M) ではないかとおっしゃる。吉野川の北岸から南向きの斜面にひろがる大淀町。丘陵部に立って東方をのぞめばその山容を目にすることができます。

朴の花

たかだかと咲く

まひるまを

みなかみにさびし

高見の山は

こう詠んだ前登志夫さんは、天くだる聖水の「みなかみ」にある高水山かもしれないと『吉野紀行』のなかで述べておられるそうです。

講演から4 日後、大淀町から、一通の封書が届きました。

差出人は大淀町企画政策課の課長さんです。昨年の11月11日に実施された歴史ウォークに参加した雀にぜひ今年も、というご案内でした。

今年の11月は、16日( 土) 。

スポットガイド制にして、フリーハイキングになっています。葛駅から高取町丹生谷地区に流れる丹生谷川を遡って、小字奥山の分岐点を南へとると、長坂という上り坂になるそうで、これを越えると、大淀町鉾立( ほこたて) 地区。道は吉野川への下り坂にかわります。吉野山へ、また高野山へ、修験者が往き来したばかりでなく、国中( くんなか) から吉野への最短路として、軍事上、重要な古道なんだそうで、中世の城がいくつか確認されているとのこと。

丹生谷には、小字に「大入( おにう) 」や「ホコノキ」があり、山を越えたところは大淀町鉾立( ほこたて) 。「日本書紀」の皇極3 年11月に、蘇我蝦夷が“大丹穂山”に“鉾削寺”を建て、家を畝傍山の東( 下ツ道を見下ろす場所にあたる) に建て、池を掘ってとりでとし、武器庫を建てて矢をたくわえ、家を警備させ、自身には護衛をつけた、とある、その、“おおにほやま”が高取町丹生谷ではないかとのこと。曽我川の源流がここなんですよね。関係があるかなぁ。

天気がよければ高見山が見えますとあるのに主人が目を輝かせました。講演の際、松田さんがご自身で撮影された写真を見せてくださったからです。中央構造線、そして丹生は、主人のトリガーなのです。

当日は快晴。日が暮れる頃、峠を越えたところでバッチリ見えたよと主人が興奮して帰宅し、たっぷりとつぶ餡がまぶされた草団子をほおばりました。

駅からハイクにしたため、駐車場の心配は要らなかった分、あれこれ、大層なおもてなしだったそうです。

2014 3・13 149

 

 

☆ 櫻

桜の開花が告げられる頃になりました。穏やかな今日のあと、もう一度寒くなるとか。

先日「呆然としている」という記述を読んだ時は、遠くの鳶さえ些か呆然としましたが、今は本の発送やら選集の校正やら呆然としていられない状況ですね。くれぐれも無理なさらないようにと思います。

ウクライナもマレーシア機もSTAP論文も、次から次へとめまぐるしい。

理科系の論文に関しては発表までの苦労や慎重さなど身近にみてきましたので、やはり特別な思いがあります。

今日娘家族が来ます。一週間ほどの滞在です。

さまざまなことが重なり、身動きできない「浮かれ鳶」ですが、桜を精一杯楽しみたい。  尾張の鳶

 

☆ 秦 恒平 様 お体の調子いかがですか。

ようやく春を感じれそうな日々になってまいりましたが 其の後、お体の調子はいかがですか。

先日、病院の検査結果良く、気分良ければ京都に行けるかもとおっしゃってましたが、どんなご様子ですか。

源氏物語ミュージアムの女人抄・西澤静男展もお陰さまで無事会期の半分を終える事ができました。後半、4月20日まであと一カ月色々な人たちに楽しんで頂ければと思っております。

秦さんも御無理のないように、良かったら、おこし下さい。4月に入れば時間できますのでその節は長年労り合って乗ってます愛車にてご案内させて頂きます。

どうぞご自愛ください。  Mar. 19, 2014   京都・宇治   隆

2014 3・19 149

 

 

☆ 近況   茅野市

初夢で本年一月二日に麻痺していた左の足がじり自力でうごけるようになり夢をみているようでした次の奇跡を信じて相変わらずのリハビリに励んでいます。

孫が大学二回生になり次の子が高校生紫野に行きます湖の本今つきました。

続けられる御努力に感服しています。

私の富士登山も 来年に実行しようと思います その前に東やま36ぽうを歩く予定です。

今はスキーのイントラもできずにば割りんビック(=パラリンビック)をみていました。

昨日からの選抜野球に熱中していますます。お礼と近況です。  iPad から送信

 

☆ 圭介 脚が動いた!

(上記の=)息子が送ります。

 

先ほどのメールにあった足が動く様子(=動画)です。

歩行訓練の様子です。

左足が大きく出るようになり早く歩けるようになっています。  iPadから送信

 

 

*  えらいよ 松下君

涙が溢れそうに嬉しい「近況」です。じりじりとで良い、立ち向かい希望へ勝ち上がって行かれるように。

つらいときは泣き言を平気で言い、それでも、立ち向かってください。こころより応援しています。

わたしは杖をついて歩いています。疲れたら休み、欲しければお酒も飲んで、そしてしたい仕事、仕上げたい仕事を欠かさず続けています。

息子さんがうれしい画像を送って来てくれました。強く望んで立ち向かえば叶えられるのですね。がんばれよ、松下君。わたしもね。 秦恒平

2014 3・23 149

 

 

☆ 湖のご本届きました

こんばんは!

いつもありがとうございます。

お眼の不調の中でのいろいろな作業、お疲れのことと思っています。

今日は春本番のぽかぽかとした陽気で、お墓参りに行ってきました。

常林寺では、副住職さんにお目にかかりました。昨日東京から本が届いたとおっしゃってました。

新門前のラジオ店や、叔母さんのお眼が悪かったことなど、よくご存知でした。

お墓は草一本なくきれいでした。

また京都にお花見においでになれますよう願っています。

お大切にお過ごしください。    みち 母方従妹

 

* 墓参までしてもらい、感謝に堪えません。京都の花が観たいです。

2014 3・24 149

 

 

☆ 御本ありがとう。

近著有り難うございます。その後体調はいかがですか。

私は昨秋医師のミスで左耳の鼓膜に開いた孔も塞いだものの、音がひずんで聴力も以前の70% 位で趣味の音楽を心から愉しむまでには至っておりません。ただ有難いことに呼吸器以外の臓器は順調で、相変わらず酒だけは休肝日なしに愉しんでおります。

最近はどの同窓会とも沈滞気味で、貴兄とも滅多に会う機会がありませんが、毎秋大学のクラス会で上京しておりますのでそんな折に連絡を、と思いながらもトンボ返りで失礼しています。団、西村明男、藤江孝夫、箕中君らにも何時も同様なことを言いつつ今日に至っている次第です。

耳の調子が良くなれば亦、手持ち音源を掻き回して、面白いCDでも作り、ご本のお礼にでもさせて頂くつもりでおります。

どうか充分ご自愛の上 存分にご活躍ください。ほんとうに有り難うございました。 京都  辰

2014 3・25 149

 

 

☆ やわらかい

春の雨が朝からひとしきり降って、止んだところです。お元気ですか。

少し早めの十時のお茶を終えてからも、「私語の刻」を遡って読んでいました。

昨夜は早々に眠りに落ち、今日は昼過ぎに図書館に行きました。

日々に、好きな本と、思う人、思ってくれる人…欲しいものなど多くないのだと思います。

では。  優

2014 3・26 149

 

 

☆ 春らしい日々となりました。

わが家の狭い庭の野草たちは気温の変化に敏感で、イカリソウもヤマシャクヤクも芽を立ち上げてきました。0;0れも何度でも芽を立ち上げなければなりません。本日、「湖の本」119 堪え・起ち・生きる 流雲吐月2 をいただき、忝のう存じます。早速に頁をくり、驚いたり(明治十三年頃の東京の多数店の種類と数)、怒りに共振(私語の刻)しております。御健在にてこのようなご本を世に出し続けておられることを心からおよろこび申し上げます。戦いの日々を生き抜かれますように。平安  基督教大学名誉教授

 

☆ ご厚意を

いただくのは心苦しく、それでも、秦さんの「現在」を知り、内外へのぶれぬお考えに襟を正す気持になれることを幸せと思っています。どうぞご自愛下さり「湖の本」をお続け下さいますように。

厚くお礼申し上げます。  荒川区  ペン会員

 

☆ 大病を

すっかり剋服されました。

現状へのお怒りを同感いたします。あきれるばかりです。

能、狂言から太平記へ戻ります。

御自愛下さい。  国文学者

 

☆ 広い視野を以て

自由に御書きの事、羨望の至りです。これから楽しく拝読仕ります。 さいたま市 歌人

 

☆ 「箚記」として

書き継がれて来られました文言。過去即現在の感を強く持ちました。文学者こそ世の指針を常に明示すべきだとも思います。

ご闘病の中でも、更なるご活躍、感動しております。ご自愛も念じ上げます。  日高市  国文学者

 

☆ 毎回 励まされています。

本当にありがとうございます。

力強い先生の筆の勢いに先生のお体への不安が、まったくうかがえず、喜びです。 府中市 ペン会員

 

☆ 「私語の刻」は

いつも読ませられる。なるほどと思わせるところ多く共感もします。ほぼ同じ世代に京都に生まれ,京都で育った秦さんと共通したものがあります。

それにしても体が弱っているのに、これだけのもの書くのはえらいもんです。

その深さには驚かされます。  川崎市  画家

 

☆ 秦さん

春になったら、また、この絵はがきを出そうと思っていました。

湖の本119 「堪え 起ち 生きる」をうれしくき読み始めました。十年の月日を、もう一度、どかんとお送り頂いた心持ちです。

何とか元気を思い起こして、「e-OLD 」を頑張っていきたいと気持ちを奮い立たせています。

秦さん ほんとうにありがとうございます。どうかくれぐれもお大切にされてください。敬白  千葉市 貞

old

 

☆ いつも

「闇に言い置く」を読みながら、私も頑張らねばとムチ打っています。福島、沖縄にも心を寄せて己の務めを果たして行きたいと。

益々のご活躍を!  金沢市  作家

 

☆ 有難うございました。

浅田氏ばかりでなく、NHK会長しかり、なさけない時代になりました。

「蝶の皿」から「みごもりの湖」を再読了し、昔の感興を新たにしております。「牛は牛づれ」が最初のお出会いでしたが、今度田舎に帰り持ち出してこようと思っています。

お大事にしてください。  八潮市  作家

 

☆ 拙著

お読みいただきありがとうございます。

No119 浅田氏への質疑、お説のとおりと思います。

最近戦争を知らない、歴史を無省みようともしないおエライさんが多くて困りものです。  越谷市 ペン会員

 

☆ 10年前の

「箚記」がそっくり今日にあてはまっていることに、敬服。

お揃いでお大事に。   神戸市  名誉教授 国文学

 

☆ 秦先生

一日も早くおいしい食事の実感が味わえますよう 祈っております。  桐生市  江

 

☆ 感謝しながら

拝読しております。  調布市 ペン会員

 

☆ 隠れていた

もの・ことが表にあらわれてイヤな思いをさせられることが多いです。

「堪え・起ち・生きる」ことで浄化の時代へ流れていくと思いたい。  狛江市  樹

2014 3・26 149

 

 

☆ 前略「湖の本」第百十九巻拝受

有難く御礼申し上げます。巻頭の浅田ペン会長批判を拝読して驚いてしまいました。浅田氏は、私たち戦前の学生が、突然下宿の部屋に入り込んで来た警官に本棚の本を調べられたり、同人雑誌の相談を無届け集会と弾圧されたことなどは勿論、戦前の文士がペンクラブといふ国際組織に入って、何とか言論の自由を守ろうとしたことなど、全然知らないらしいのがわかりました。私は三十年ほど前、気に入らぬ人がペン会長になったのを機にペンを脱会したのはあまり間違ったことではないといふ気がしました。

葉書で失礼いたしました。  元ペンクラブ理事 作家

 

☆ 御本頂きました。

ありがとうございます。御病気になられても健筆を揮っておられることに頭が下ります。小生もがんばらねば……と思います。

「脱原発文学者の会」を立ち上げました。まずはブログを見ていただければ幸いです。とりあえず。

くれぐれも御身大切に。不一   ペンクラブ理事  作家

 

☆ 拝復

ご健勝にてのご活躍をお喜び申し上げます。

「湖の本119 堪え 起ち 生きる」誠にありがとうございました。

日々のご研鑽の結実に深く敬意を表します。 敬具  元内閣総理大臣

 

☆ 御礼申し上げます。

秦恒平先生の快活で鋭い筆致に毎回たくさんの励ましをいただいております。

梅の花の盛りが過ぎ 櫻の季節を迎えようとしております ご健康をお祈り申し上げます。 山梨県立文学館

 

☆ 浅田氏のコラムへのご不審

同感です。コラムを読んだ時のゾッとする違和感を思い出しました。  文京区 編集者  安

 

☆ いろんなこと

気にしています。いろんなこと、願っています。いろんなことが、永く続くように。 石川県 元文学館長

 

☆ 暗愚の長のために

ますます、いやな時代になりつつあります。若者の右傾化も気になります。 中野区 歌人・教育者

 

☆ 今年の私の目標は

部屋の整理をして湖の本のバックナンバーをそろえることです。  京都市  大学図書館司書

 

☆ 選集の『みごもりの湖』お待ちしています。

お妣様の歌碑へご報告に参ります。

古典、旧約、新約 なぜかユダ周辺のことにはまりこんでいます。マルコ福音書にも涙しました。 東近江市 ペン会員 作家

 

☆ 気力みなぎり

おからだ よろしいように拝見いたしました。

どうぞお大切に。  八王子市 ペン会員 歌人

 

* 早大図書館、親鸞仏教センター、川村学園女子大 中京大、東海学園大 神奈川近代文学館、ノートルダム清心女子大、広島大、皇學館大等々からの挨拶も届いている。

 

* こういう記録をあえて此処に残しているのは、わたしの仕事が騒壇の外で為されていようとも、孤独・孤立の自己満足ではなく、まこと、不徳ナレドモ孤でなく、大勢の人たちに励まされたり関心を持たれたりしながらの活動だと、だれよりも自身を励ましたいからである。

2014 3・27 149

 

 

☆ (前略)本日

「私語の刻」から拝読を始めましたが、通院されながらも「十年まえと気力は変わらない」と記していらっしゃる事に深く感銘いたしました。時局論、読書感想、「ビットコイン」論まで多種多様に洞察され、「勇気が大事で、勇気は結局は自己批評の傷み堪えて正すこと」との御感慨には非常に教えられるところがありました。やっと春になったようですが、申すまでもないことながら、呉々も御身お大切にされ、さらなる御健筆を心からお祈り申し上げます。草々不一   元文藝誌編集長 評論家

 

☆ 略敬

御健勝の事と存じます。「湖の本一一九」有難く頂戴致しました。

混沌とした世の中ですが、しつかりと眼をあけてゐるつもりです。

御自愛を祈りあげます。  文藝春秋 役員

 

☆ 「湖の本119」拝受。

感謝。

巻頭「(日本ペンクラブ)会長に質す」、(浅田)次郎氏はずいぶんとザツな文を書く人です。 ペン名誉会員

 

☆ 貴重な「湖の本」

ご健筆 敬服します。  ペン会員  俳誌主宰

 

☆ 暗くて重たい

この世の中を ビシバシと腑分けして歯切れ良い名文は私の元気の素です。

行動して行かねば、行きたいと思っております。   大阪市  祥

 

☆ 仕事上の

責任を終え、幸せな満足感一杯の春を迎えております。学びたいことが残っております。

お元気で 沢山のメッセージの発信をきたいしております。  那珂市  司

 

☆ だんだん

希望の消えていくような日本になっていきます。せめて、体を大事にと。  さいたま市 元出版社役員 駒

 

☆ 先生の

気迫に圧倒され 元気を身に浴びました。どうぞお元気で!!  群馬県 都

 

☆ 浅学菲才な

ペン会長の退任を求めます。  鹿児島市  作家

☆ 「湖の本」119

ありがとうございました。

たまたま開いた頁に「中西(進 ペンクラブ)副会長の二つの意見」があって、「ヒドイ」と思いました。ペンの意味を考えさせられました。書いて下さって、本当に良かったです。  元学長 文学者 ペン会員

 

☆ 湖の本

頂戴いたしました。ありがとうございます。『堪え・起ち・生きる』という題名──読む前から正直胸のふさがる思いがしています。みづうみの私語を読み、みづうみと共に生きてきた読者ですから、重さをわかっています。覚悟をもって再読し「堪え、起ち、生きる」力を少しでも分けていただくつもりです。

最初の「それがあなたの『常識』か?」浅田次郎ペンクラブ会長への文章をまず読みました。(私語で読んでいましたから再読ですが)これほど正鵠を得た批判もないと共感いたします。

この東京新聞の記事はすでに読んでいましたし、「国のためにならないと思うことは、書かなかったり表現を曖昧にしている。われわれ国民は、そのくらいの常識は持ち合わせている。」という箇所を読んだ時には思わず目眩(めまい)がしました。

国のためにならないと思うことを書かないということは、自分はその時々の政権の意向に添うという告白にひとしい。トーマス・マンが日記中で、ナチスに迎合した御用文学者を罵倒していましたけれど、当時「国のためにならないと思うこと」を書かなかった彼らの作品は今となってはあとはかもありません。

浅田次郎さんはあの記事で、自分は御用文学者予備軍であると語るに落ちてしまったわけで、ペンクラブ会長もついにここまで来たかと愕然とした次第です。あるいは浅田さんはペンクラブ会長として何かの圧力を受けて腰がひけてしまっているのでしょうか。

それでも、ペンクラブの会長として、秘密保護法に一応反対の立場を明らかにしただけ、まだましかと思い直しました。もともと現在のペンクラブに期待はなかったからです。最近は憲法九条に賛成の人間は戦争に行けとツイッターしていた売れっ子作家もいて、この程度のことでは嘆かなくなりました。(ちなみに憲法九条に反対の人間が戦争に行くのが筋だと思いますが、如何でしょう)

浅田次郎さんを、物語を構成することにおいてほんとうに大した才能の持ち主だと評価していました。『蒼穹の昴』などの作品はとても面白いし、心地よく泣かせてくれます。よく売れる質のいい娯楽作品を量産できる、出版社にとってはこの上なくありがたい小説家です。だから文壇という場所での権力も絶大になり、ペンクラブ会長にのぼったのではないかと想像します。ですが、惜しいのです。宝の持ち腐れなのです。才能の濫費なのです。これは私が渡辺淳一さんや宮本輝さんの小説についても感じることと同じなのですが、あれほどのストーリーテリングの才能があるのにどうして安易な結末に流してしまうのかと不満なのです。どこまでいっても、読書で傷一つ受けることのない、そこそこの作品で終わってしまっています。

読み終えるとああ面白かったでおわり。そのうち内容の記憶をなくしてしまいます。もっともエンタテインメント作家というのは面白い時間を読者に提供するのが目的かもしれませんので、それで充分といえば充分なのでしょう。出版社としては、名作であってもなくても新刊本は一度しか売れませんから、再読されるかどうかは関係ないわけです。

本来金儲けの道具にしてはならないものを売り買いしている出版業界や文壇の行き着く先というのは、こんなところなのでしょうか。藝術の高みなどを目指さないで、職業として成り立つための作家や利益第一の出版がこれほど幅を利かせる世相をみていると、日本文化の凄まじい劣化に鳥肌がたちます。何のためのペンクラブだったのか。権力と無縁の文学者たちが、死に物狂いで言論の自由を守るための場所がペンクラブだったのではないか。

百年前には森鴎外や島崎藤村や谷崎潤一郎や永井荷風が文学者として生きていたのに、ずいぶん遠い場所にきてしまいました。

 

ひとが苦悩すべきものを深刻に懊悩する、そんな作品たとえば『堪え・起ち・生きる』でなければ到達できないもの、安易な解決のない苦しみを読むことは、らくに楽しめる世界ではありませんが、その世界がなければ人間の生きる意味なんて何もないと、少なくとも私という読者は感じています。

 

ところで、桜バージョンのお嫌いなみづうみは夫婦花見のご予定なのですね。良く「堪え・起ち・生きる」ためにも、そのような幸せの一日をどうぞ楽しんでいらしてください。ホルター心電図は不整脈の検査でわたくしもつけたことがあります。くれぐれもご無理なさいませんように。

今日は春らしいうららかなお天気で、少し幸せを感じています。  芹  薄曇る芹動かずよ芹の中  芥川龍之介

* 大学・高校からも次々に反響がある。

2014 3・28 149

 

 

* 近藤富枝さん、興膳宏さんの編・著を頂戴したのに次いで、今日は、世界記憶遺産に登録され三好徹さんの代表作と謂うてよい文春文庫『チェ・ゲバラ伝』を頂戴した。初版時に戴いて愛読し感激したのを忘れていない。精神をチェ・ゲバラに寄り添うてある三好さんの剛毅をも尊いと思う。まだ若い小谷野敦氏からも『馬琴綺伝』と題した一冊が贈られてきた。

2014 3・28 149

 

 

* 「三田文学」や「明治学院大学白金図書館」等々からも収蔵の挨拶があった。

 

☆ 拝復

御高著「湖の本」次々御執筆になり本にされ、御造詣の深さにただただ感嘆敬服して拝読させていただいています。私一人のものにしてはと近くの大阪府立中央図書館へ既刊分揃えて寄託しました。ほんとうに有難うございます。今後ともお元気に御健筆下さいますように。敬具   ペン会員 詩人 文藝評論家

 

☆ 櫻の開花が

待ち遠しいこの頃でございます。

いつも貴重な御本をありがとうございます。

この度は 映画「写楽」の事を御書き下さいまして御礼申し上げます。篠田(監督)も喜んでおりました。

時節柄 御自愛下さいませ。 御礼まで    岩下志麻

 

☆ 「湖の本119」

寔に有難く感謝申し上げます。拝読していて、ミステリーなどで逸楽をむさぼっている我が身を叱咤されているような心持ちになりました。でも時々は日本の古代史関係の本などを興味深く読んでいます。

どうぞお健やかに過ごされますようお祈り申し上げます。  岩波書店もと「世界」編集者

 

☆ 湖の本119 拝受

冒頭から浅田次郎さんへの告発状。苛烈な文章ですね。

これだけエネルギーがおありなら…お元気な証拠と思うことにします。  東大名誉教授 社会学

 

☆ 拝復「湖の本119」

たしかに拝受いたしました。厚くお礼を申し上げます。

病と闘いながら喜怒哀楽の日々、「惑い惑い斯くありたい」 勇気をもらっています。 詩人 神戸大名誉教授 ペン会員

 

☆ 京都でも

櫻が咲きはじめました。観光の人々が又増える事でしょう。密かに守ってきた「すいば(=好きな場所)」は無くなりました。

此の度の御本 ありがとうぞんじました。「気」を頂いた気分です。が、ご体調はマイナス材料一杯の御様子にてお案じするばかりです。思い切って我が社の「飴」お届けさせて頂きました。のどあめ(黒糖と梅・きんかん・かりん・だいこん)医療関係の先生からもOKが出ている品です。  文

 

☆ 御不調との

闘いの中での貴重な御著書 本当に有り難うございます。

どうぞ御身お大切に。いつもお祈り申し上げます。   岡崎市 枝

 

☆ 湖の本、拝受致しました。

いつもご配慮賜り、ありがとうございます。

ご指摘のように、形だけの言論の自由主張の今の執行部には、もう、うんざりです。

ともあれ、大兄の健康と筆の冴えを祈念かつ待望しております。  ペン会員

2014 3・29 149

 

 

☆ いつも、

お心にとめていただき有り難うございます。

鳴滝の桜も咲き始めました。

まだまだ、朝晩冷え込みます、お体御自愛下さい。  有

 

* 亡き橋田二朗先生のお嬢さん、染織作家。お玄関さきの櫻の写真も添えてきて下さった。橋田先生、夢の中でいまもお元気だ。

2014 3・30 149

 

 

☆ 拝啓

御健康のこと案じておりましたが、「湖の本」をまた拝見し、これだけ現代の政治や文学についての御元気な批評精神を発揮されることで安心致しました。

私も長いこと御世話になりました「ペンクラブ」を老いた年齢ゆえに退会致しましたのが昨年で、はや、九十歳に近く 生きてゆくことでせい一杯の現実です。

「湖の本」も随分沢山な册数で私の書斎を飾っておりますが、長い年月ですね。先日は、前々から愛読していました『死なれて・死なせて』弘文堂、平成四年、先生が、未だ五十四歳の時の書を再読し感動を新たにしました。

とくに第二章の「ひとりッ子というのは、寒いくらい淋しいものだ」という箇所に、私と同じ運命をたどられました姿に思はず共鳴致しました。私も「貰い子」というののしりの言葉を受けながらの一生だったからです。

年をとるに従い、まだ私はこの自分の運命を悟ることできず、九十にして今、前以上にこの意識の解釈になやんで居ります。

(中略)

先生のさまざまな書物を読むたびに、貰いッ子の運命に共鳴し、親しみさえ感じたものです。

(中略)

目も弱くなり、小さな活字の書物は読めませんし、情けない毎日ですが、なんとか妻なきあとを一日でも多く生ききろうと一応、読書だけは心がけております。先生も身体御不自由のうえ、お歳も重ねられておられると思いますので、どうか日々を大切にお過し下さい、御健康になられることを祈念致しております。

観音の面ざしのごと妻なりぬ      文藝批評家

2014 3・30 149

 

 

* 梅原猛さん、聖路加の林田先生、画家の烏頭尾精さん、東大法学部長だった亡き福田歓一さんの奥さん、一茶研究家の黄色瑞華さん、京都橘大学の辻本千鶴さん、その他、関西学院大、武庫川女子大、立命館大、梅花女子大、作新学院大などからの「湖の本119」への便りが届いていたけれど、今日はもうほっこり疲れていて、払い込みの読者の皆さんのおたよりも同じく、有難くそのまま頂戴しておく。

 

* 今日、超特大に特筆したいのは、東工大出の親しい若い友人で、近畿のある県に国交省から出向している人から届いた「挨拶」で。(東工大では、学生諸君と秦教授との真剣な問答を、禅問答ではないが「挨拶」と称して大事にしていた。)この彼は、もう堅実な家庭のいい夫、いい父親であるが、いわば単身赴任の歳月を閲している此の彼が、久々に、私への「挨拶」をはるばる寄越してくれたのである。一行政官としての真摯な日常の努力を、すばらしい筆致で書き上げてくれている。学生時代、けっして傑出した文章力のひとではなかった、木訥にものを言いかけてくれてその言葉に真実感の有る学生だったが、今日もらったかなりの長文の筆力のたしかさ、簡潔で達意の文章になによりも先ず驚嘆した。そして、書かれていた内容の具体的で、血肉の温かみの伝わってくる県民への、私民への親切かつ深切に行き届いた配慮や苦悩のほどにわたしは打たれた。そして嬉しかった、彼の人間・人格の誠実な成熟が。

書かれている内容が具体的であるために、却って、いま此処へそのまま紹介できないのは残念であり惜しいけれども、彼の立場を窮屈にすることは避けねばならない。

こうも、人は、りっぱに成っても行けるのだと、いま、わたしは嬉しくて仕方がない。いまは、それだけを書き留めておく。

 

* 弥生三月も、かくて満開の櫻に彩られて過ぎゆく。「はんなり」と、胸ふくらむ佳い四月であってほしい。陰気なのはかなわない。

2014 3・31 149

 

 

☆ 青山墓地

じつは、昨日わたくしも青山墓地にお花見に出かけていました。姉は長い距離歩けないので、タクシーで花のトンネルを往復する花見です。

 

青山墓地はわたくしたちの毎年の花見の場所です。親戚のお墓もあります。姉が元気な頃は、青山墓地を存分に散策したあとに、青山斎場の前にあるウエストという喫茶店によく行きました。

椅子がゆったりして、クラッシック音楽が静かに流れ、化粧室には藤田嗣治の版画があり、長い時間いても大丈夫な、今では珍しい昔ながらの喫茶店でした。卵のサンドイッチや、メニューにはない生クリームがはちきれそうなシュークリームを注文したり、気前よくお替りのあるコーヒーなどでささやかな楽しい時間を過ごしていました。改装してからは殆ど行っていませんが。

墓地には桜がよく似合います。

 

最後に、教えてください。

 

「穆穆良朝」の正しい読み方がわかりません。漢文を素養として学んでいない致命的欠陥があるのです。(文科省を恨みます)門玲子さんのように江戸時代の漢詩を復権させてくださった方には感謝あるのみです。  世田谷  杉

 

☆ 陶淵明 「時運」第一節

邁邁時運  邁邁たる時運         移り行く四季

穆穆良朝  穆穆(ぼくぼく)たる良朝   うららかな季節

襲我春服  我が春服を襲ね        仕立てた春着を着て

薄言東郊  いささか東郊にす       ちょっと東の野辺に遊べば

山滌餘靄  山は餘靄に滌はれ      山は靄にあらわれ

宇曖微霄  宇には微霄くもる       空にあわい虹がかかり

有風日南  風有り 南よりし        そよ風が南より吹いて

翼彼新苗  かの新苗をたすく       わが田の新苗をはぐくんでくれる

 

* 「湖の本」裏表紙のヘソにわたしは、時に「念々死去」印を、時に「帰去来」印を用いている。「帰りなんいざ」と光孝の漢文教室で初めて習い覚えて以来、陶淵明は胸中つねに一点の灯であった。理屈ではなかった。

 

☆ 秦さんの馬力に

敬服しています。圧巻です。どうぞ御自愛されお仕事をお続け下さい。 前聖路加病院副院長

 

☆ ことしはお寒さの厳しい冬でした。

また春先も変りやすいお天気でございますが 先生にはご不自由なおからだにも拘らず精力的にご活動、執筆を続けておられるご様子、なによりと存じ、また勇気と力を頂いております。

私など さきの見えた無力な老人の一人ですけれども、これから日本はどうなっていくのか心配しております なによりも政治家やその他要職についている人たちの言葉の軽さ、前言を感嘆に取り消して平気なのや、私たち日本人が本当にものを考えなくなったのではないかと思うことが多くなりました。 想田和弘氏が書かれているようにいつの間にか「熱狂なきファシズム」が社会に蔓延していきつゝあるのではないかとさへ思うようになりました。 過去の歴史を知らない人が増えているのは案じておりましたものゝ 浅田次郎氏の発言ーー先生がご本の四頁で引用されているーーには大変驚き、ショックさへ覚えました。 八宗兼学でいらっしゃる先生のご本からまたいろいろ学ばせて頂きます。

どうぞおからだご自愛なさいまして執筆活動をお続け下さいますよう心から願っております。

一筆 御礼まで  かしこ    故福田歓一先生夫人

 

☆ お送り下さいました御本

昨日拝受致しました。ありがとうございます。時世への洞察がちりばめられた文章にふれ、興趣をかきたてられる思いでおります。

学生たちのの目にも触れる所に架蔵させて頂きます。  京都橘大学日本語日本文学科

 

☆ 最近は毎日

ホームページ「闇に言い置く 私語の刻」を拝読し、同感納得しております。『選集①』待っております。

くれぐれも お体を大切に。  愛知県知多郡 則

 

☆ 桜前線北上中

淡紅色の霞みがかった様子に、強風や雨に打たれないで! と願いながら楽しんでおります。

『堪え・起ち・生きる』も興味深く、得心しながら拝読しております。

どうぞ、ますますご自愛くださいますようお祈りいたします。 静岡市  鳥

 

☆ 「堪え」(特に肉体的な)の

少ない日々を祈ります。いつぞや「待つ」あいだ歴代天皇名を暗誦すると書かれていましたが、私は「桐壺」から「夢の浮橋」までをくり返します。   藤沢市  澄

 

* 源氏物語五十四帖の題を性格に順にいえれば、ほとんど物語を読み返したのと同じほどの興趣に浴しうる。与謝野・谷崎の現代語訳をふくめ、わたしは少年このかたこの物語をおよそ二十度の余は読んでいて、叙述や情景や人物の言葉や涙まで記憶しているが、桐壺から夢の浮橋まで巻の名を順に唱えれば絵巻のように物語そのものが脳裏に再現・再映される。おなじ事は平家物語の流布本についても言える。

2014 4・1 150

 

 

☆ 『湖の本119』を拝受しました。

御著冒頭で知ったコラムを書くような(日本ペンクラブ=)会長では困ります。

ご意見を(会員の一人として)支持します。 日本ペンが折々発表するリベラルな声明(私はこれに支えられてきた)とのあいだの大きな落差をどうすればいいのでしょう。  詩人

2014 4・2 150

 

 

☆ 「湖の本119」

有り難うございました。「ペン会長に質す」には 拍手、快哉を叫びました。ヘッピリ腰の男供には、後ろからケリを入れたい(わァ・ゲヒン!) 今日この頃ですので、久しぶりにスッキリしました。

P .90のL.9  アンネ・フランクに関し、「語られるべき歴史が知識化している」のご指摘には、サスガ先生の鋭い舌鋒と感じ入りました。  練馬区  裕

 

☆ 今日から4月

消費税アップアップといいながら、自分も含め日本人の鈍重な対質に情けない思い。せめて買い溜めした品物が無くなるまでは財布のひもを開かないぞと、独り抵抗。  京都市 桐

 

* そう言いながら、この人もそうだが、払込金額をだまって足してくださっている読者が多く、恐縮です。感謝。

 

☆ 中公版「日本の歴史」(初版)

折に触れて読んできたものには、ご意見うれしい限り。  杉並区  江

2014 4・3 150

 

 

☆ re: 徹子の部屋と今藤会

先生からの嬉しいメールありがとうございます。

おめでたいバースデー!

お二人揃って何よりです。

今月も我當さんとご一緒の一座で。「ういろう」をいつも頂戴しています。ご親切でありがたく思っています。

歌舞伎座でお目にかかるのを楽しみにお待ちしております。  紀

2014 4・4 150

 

 

* 国文学研究資料館の今西祐一郎館長からおたよりに添えて、勉誠社創刊の「書物学」① 「DHjp」① を頂戴した。前者には、「版本『九相詩』前夜」を、後者には日本古典籍総合目録データベースなどに触れながら「画像の効用」について書かれており、どちらも興味津々。おりにふれて館の刊行物や記念品などをよく送ってきて下さる。久しい歳月にたった二度しか会っていない今西さんだが親戚のような気がするほど心親しい。ま、だいたいわたしは自然とそのように人と出会い交際している。難しい、やりにくいヤツと思われている向きもあるかしれないが、百パーセント近くそれは誤解である。

 

☆ 自宅の一部を使って

小さな美術館を始めて四年目に入りました。ささやかな事業ではありますが、新しい出会いがたくさんあり楽しんでいます。秦先生との長いおつき合いに心から感謝しております。  千葉県山武市  春

 

* ご主人は佳い画家であられた。「湖の本」をだいじに迎えて下さる方だったが、創刊してほどもなく急逝され、奥さんがずうっとアトを守ってこられた。遺作の佳い一点をわたしたちも購めて大事にしている。

 

☆ 何かあっても

お変わりなく生活のご様子、その意思の力に敬服いたします。

昨年から今年 我が家も変化が起き、三月に私は退職、それを待たず 私の新生活を介護から解放するかのように母が亡くなりました。きょうから私の新年度が始まります。  世田谷  恵

 

* 久しく久しい読者。介護のかたわらジャーナリストとしても健闘されてきた。新たないい日々をと願います。

 

☆ 中国の首席が

ベルリンで、ありもしない南京虐殺(30万人)を日本軍が行ったと演説したようですが、日本の政府もマスコミもそれを批判しようとしないのが不思議です。

日本国内でまだ「行なった」という誤まった認識が払拭されていないのは困ったことですね。  早稲田大学名誉教授

 

* 主席とか、大統領とか、総理大臣とか、「外交=悪意の算術」と考えて物を言う立場の者は、平気でデタラメも言いまくる。中国も韓国も北朝鮮もロシアもアメリカも、そして日本の安倍「違憲」総理も、ちっとも変わり無い。東北大震災の不幸も原発爆発の大不幸もとうに無事復旧完了しているので東京五輪は何の問題もなく安全ですと大法螺も平気で世界向けに吹いてきた勢いで、原発を海外へ売ることにも国内で再稼働することにも平然たるもの、同じ日本の国民としては、この方をもっと厳しく咎めて責めたい。

南京で何があったか、過剰な数字が膨張し続けているのか、そのことをわたしは白とも黒ともとても断定できない。ただ、これは言える、類似の被害や迷惑を日本の軍国主義が執拗に中国や朝鮮半島に為していたこと。これは遺憾にも否定のしようがない。わたしは父世代の大人達の平生の談話からも、むごたらしい斬首刑の行列した手撮りの市街写真からも、信頼しうる文学や文献からも、それ自体を疑うことがとても出来ない。「誤った認識」と言いきる根拠を持ち合わせない、残念ながら、逆である。そして確かなこと、「虐殺」は一人でも十人でも三十万人でも、まったく同様の極悪である。

あの原爆死に対し、日本国政府はアメリカに向かい謝罪すら求めていない。それに比すれば、中国の主席や韓国の大統領が、あの大戦時の日本軍の悪虐悪事にともすれば繰り返し言及するのは、国民感情の代表行為としてもあながち不届きなことではないと謂える足場があるのだろう。

日本の知性のなかに、歴史に徴しても遺憾ながら「やって」しまってたことを、ただ感情的に、「やってない」「やってない」と子供じみた片意地を張りたがる大人がいすぎるのにも、わたしは恥じ入る。ことを「南京」の「30万人」に固定してのみモノ言うのも、やはり恥ずかしい。歴史とは、まずは反省ということでないのか。

2014 4・4 150

 

 

* お元気ですか

秦先生 ご無沙汰しております。

いつも「湖の本」をありがとうございます。

その後、お身体は如何ですか? ちゃんと執筆活動はなさっていて、感心しています。

私は元気ですが、制作活動は全然していません。制作以外のことで、とても忙しくしています。

とは言っても、年齢のせいか大分気力が薄れてきています。

とうぞ、御自愛くださいませ。  北海道  彩

2014 4・5 150

 

 

☆ <四月馬鹿>

というのは完全に死語になってしまったようです。なにしろ毎日のように、エイプリルフールとしか想えないような出来事のニュースをきかされているので、当然の結果でしょうね。

ご自愛のほどを祈っております。   府中市  仏文学者

 

☆ 拝啓

花の季節となりました。

先生にはますますご清祥のこととお喜び申しあげます。

「湖の本」 たいへんありがとうございます。興味深く拝見させて戴いております。また勉強もさせて戴いております。

今後ともよろしくご指導下さいませ。ありがとうございました。 敬具  日本ペンクラブ理事

2014 4・7 150

 

 

☆ 佳いお誕生日

お二人様。

5日には優雅なそして温かいお誕生日を過ごされたご様子。HPで読ませていただきました。

お身体の調子が優れられないなか、宝物のような時間を過ごされているようで、嬉しかったです。

選集も立派に心ゆくまでにできあがっていってるとか。おめでとうございます。私まで嬉しく誇らしげに思えます。

湖の本119巻を送付いただきありがとうございます。届きまして以来ボチボチと読んでいます。難しくて理解できなかったり、考え考えしながら読み進めています。

先日のHPで誉めておられました歴史学者の小和田哲男先生ですが、日本城郭協会の理事長をなさっています。

私はこの教会の事務局で、2・3年來すこしですがお手伝いをしています。

小和田先生は先月30日には、奈良大の千田哲夫先生方と一緒に「信長の城」のシンポジュームをしていただきました。武蔵野大学で大勢の城郭フアンに優しく、そしてお城好きになってもらえるように熱心に優しく話していただきました。

私も協会の事務員の一員として、その準備や後始末などに大わらわの毎日でしたが、先生のお人柄に触れることもできて良かったです。

明日から、メルボルンの娘の家族のもとへ一〇日ほど出かけます。「湖の本」は機中でもせっせと読み、あちらに何冊か置いてきたいと思っています。娘は日本にいるときよりはよく本が読めると喜んでいます。ロンドンの息子も同感していました。

今年は花が散る前から新芽の緑が初々しく出てきています。木の芽時は変調をきたしやすいとか、どうぞお二人におかれましてもくれぐれもご自愛くださいますように。 練馬区 晴

 

* 浴室でゆっくり読書。いま、嬉しくなるほど佳い本を手元に沢山置いていて、読み始めるとやめられない。浴室での読書は危険ですと、よく叱られている、読者からも。やめられない。妻の親友が小和田さんの学殖に惹かれているとのこと、嬉しいことだ。小和田さんも私も、中公新書を出している。担当編集者の青田吉正さんに感謝しようと、同じような著者の十数人で「青田会」を持った。そのときに小和田さんと始めて会った。それ以来著書の贈答が続いてきた。

こんど貰った自伝も戦国大名の読書体験もすてきに佳い著書である。

2014 4・7 150

 

 

メール嬉しく

HPによると今朝は循環器系統の診察とか。良い結果でありますように。

桜の季節、花に嵐の喩のごとく、今年は殊に寒くなったり激しい風が吹いたりしましたね。灰色の空を背景に桜はしらしら冷めて寂しい感じがしました。

今日は暖か、春うららになりそうです。私の家の桜はようやく蕾が開きかけたところ。

椿が盛りです。

家人が昨日腹部大動脈瘤とその下部の動脈瘤の手術を終えました。血栓症を避けるための前処置で先週から入院しており、以来三日に二日ほどの割合で病院に出かけています。片道二時間近くは遠いけれど、地下鉄ではもっぱら読書、バスの車窓からは桜を眺めています。

今年に入ってからの私は、失語症?に近いほど「書く」ことを避け拒んできたような状態が続いています。それはさまざまな状況に原因があると思いますが、書けないことはあくまで自分の問題ですから今は流れに任せています。鴉に「お叱り」をいただくことは十分に予測しているのですが。

確実に押し寄せてくるものの気配を感じ、書かずにいられない時間もまた到来しつつある、それも感じています。

今回の湖の本、私語の刻はすぐに読んだのですが、ようやく熟読し、本人が忘れかけていた十年近く前の中国に関する文章に驚きました。大筋では現時点でも間違いは少ないと思います。補足するならエネルギー問題に関わること、大気汚染の問題などでしょうか。

これから出かける支度をします。駅までの20分を歩くのもダイエット、ダイエット!

帰ってくると足から疲れが這い上がってきますが。

どうぞくれぐれもお体大切に。

校正、お役に立つには不足かもしれませんが、遠慮なく声かけてください。

 

* 2005.9.5だった、鳶の「中国」観を聴いたのは。わたしより十ほど若いが、豊富な読書量、繰り返し広く世界を尋ね歩いてきたこと、そして詩人として画家としての創作力等が、この人の見解を偏頗でなく相対化しえており、わたしのように激語しないことからも、安心し信頼して聴ける。

ご家族の病状の平安を心より願います。わたしの心臓、健全でした。安心して下さい。

2014 4・8 150

 

 

* 心臓に異変がないということは、すこしは過剰な動きにも堪えられるということか。本気で引っ込み思案から抜け出さないといけない。e-OLD の勝田兄と、一緒に百花園に遊んだ亡き玉井さんを偲んで、久々逢いたくなってきた。あれはまだ手術まえだった。勝田さんと別れてから玉井さんと上野までもどり、もうちょっとと「天庄」で美味い天麩羅を食べ、玉井さんは酔って真っ赤になった。あっけないほど急に亡くなるとは信じられなかった。奥さんから知らせがあったとき、わたしは動転してしまった。ろくに奥さんを慰めることすら出来なかった。

年齢でいえばずっと若い人にすら、あっと思う間もなく死なれてしまうことが、有る。無常である。

2014 4・8 150

 

 

* 東工大建築院卒の柳君から、自邸を建てたので見に来てと招いてくれている。五月の連休頃か。

2014 4・8 150

 

 

☆ 先生の「箚紀」は

一言一句、その通り。「國中を『ドイツの強制収容所』なみにしていた」ことも同感。この國の宿痾、「和の全体主義」は明治以来どころか、はるかにその以前から、そして現在も、未来も、変らず

、あらゆる社会現象を規定し続けていると見ております。くやしさ、無念さ、残念さは、言いようもありません。そして恥ずかしい限りです(現代人として)。  神戸市  大学名誉教授

2014 4・9 150

 

 

* メールというものを、機械を使い始めてから何万という以上に貰ってきたが、メールを自分も使い始めた頃、まだまだ利用者は、つまり往来の相手は極めてすくなかった。そのころ或る雑誌に頼まれた原稿に、メールは「恋文」を書く気持ちで書いた方がいい、さもないと却ってトゲトゲと感情のうえのトラヴルになりかねない、と。事実そういう問題がたくさん起きて行きつつあったようだ。もう一つ、メールに必ず経返信を期待しまま強要するようなことになれば、人の暮らしが機械に率いられることになる、それは不健康だと思っていた。所用の返事はすばやく、さもない消息の場合はむしろ間隔をたもって返信し、自分からは返信を強いたり要求したりはしないようにと態度を決めていた、決めていった。人が機械にこき使われていて、それに気もつかずに道を歩きながらのケイタイ、スマホとか、電車の中でも夢中の人などながめていると、いよいよますますマトリックス現象(機械が人間を飼育し使役し機械化して行く)へ堕落して行くと心から憂えてしまう。人間社会がそのような機械から得ている便宜や利益をわたしは決して無視も過小評価すらもしないけれど、精神の衰弱がますます機械主導で進行している事態には惘れも悲しみもしている。

 

* 数え切れない多数から何万と数えてもきかないメールをもらってきたが、明らかに上手下手があったなと思う。所用以外のメールが「恋文」とまで謂うのは刺激が過ぎるが、メールとは「呼びかけ」が基本なのだと感じている。「呼びかけ」上手にこっちの胸の内へ適切な言葉と呼吸とで飛びこんでくるメールは、読んでいて心もおどり、なつかしく、人柄まで嬉しく見えてくる。わたしは、もう十五、六年も昔から、程なく「メール」のなかから新たな「機械環境文藝」が起こってくると予見し言及して、じつはホームページのなかで文藝としてもみどころあるメール実例を記録し蒐集してみたいと試みかけた。それ自体は可能であったが、あっというまに往来のメールの数が山積してしまい、とてもそんな仕事は続けようもなくなった。だが、その見通しはまちがってなかった思う。

わざとらしくなく、知的にも行儀の点でもこっちの「胸を打って届く」メールは、明らかに「呼びかける命ぢから」に富んでいる。

返事だけのメール、自己紹介と主張 自身に関して呟くように書いてはいるが、読み手へ呼びかけていない陰気に弾まないメールもすくなくない、いや、これが多数ともいえるだろ

う。で、返事は省略しよう、となってゆく。貴重な時間は大事な仕事のために所用のために使いたい、使うべきだろう。

兼好がある女性に用を頼む手紙を送り、その女性からの返事に、今朝から降り積む雪へただ一言も触れてない味気ない頼みなど聞いてあげたくないわと有った。ここをはじめて読んだ中学三年のころ、わたしは何かしらだいじなことを教わっていた。兼好さんもヘコンダ、だからこそその人を誉める気持ちで書いている。名文美文の必要はない。「伝わってくる肉声」の温かみ。

いつもいつも「思ひ」という「火」を美しく聡くかきたてて人の胸に温かに「呼びかける」 そういう人とのメールを楽しみたい。

☆ 御本(=湖の本119 )の内容

10年まえより、いっそう迫力を増して怖いです。

『台所太平記』が六条院物語の戯画化とは 目から鱗でした。

どうぞくれぐれもお身体大切に。   京 美学教授  清

 

☆ 「秘密保護法」の

廃止を求める署名に取りくんでいるところです。

まともな意見がメディアに取り上げられません。

草の根だけでは、間に合わないあせりを感じています。 広島 庄原市  知

 

* 東横女子短大にたった一年「漫談」で責を塞いでいた大昔、それは愛らしい学生だった。故郷へ帰ってから熱心に熱心に活動しているようすを、「湖の本」支持の便りに添えてきて呉れる。こっちの方が励まされる。

たしかに草の根だけで闘いきれる相手でない。その実感を国民自身が「組織化」して行かない限り、悪辣なノウハウに長けた権力構造に対抗できない。「起て」とあえて言う、わたしは。

2014 4・10 150

 

 

☆ 湖の本、ありがとうございます。  バルセロナ  京

恒平さん

恒平さん、ご無沙汰しております。

しばらく書かないと、書くのがすっかり億劫になっていけませんね。

今日は、どうか「送信」まで辿り着きますように。

スペインの財政難の話、日本にも届いているかもしれませんが、我家には、話だけでなく、火の粉が実際舞い込んできました。

カタロニア州のラジオ局に勤めていた夫が、去年9 月に職を失いました。四、五年前から、労働時間は増し、給与は5 %、15%とカットが続いていたので、いつか来ることとは思っていましたが、去年の夏を前に、財政難によるテレビ・ラジオ局の一斉解雇が提示されました。交渉交渉交渉の結果、的になったのは《一番影響の少ないだろう》年配者たちです。夫はラジオで2 番目に年寄りでしたから、免れません。

語学に長けた夫は、欧州放送連合との窓口役を一手に引き受け、その仕事を随分楽しんでいましたから、えっ、と言う思いはあったと思います。それでも気持ちの切り替え早く、リタイア生活を楽しみに辞めていきました。

私は、迷いなく歓迎しました。

夫の歳になると、老いは年々加速しますから、夫と、それも体も頭も元気なうちに、共有できる時間が増えるのは、願ってもないことです。有り難いことに、住む家あり、私に職あり、特段贅沢にも興味はないので、十分暮らしてゆけます。

こうして始まった夫のリタイア生活ですが、いいですね。夫は、プール、英文学、仏文学、独逸語のクラスに通うほか、とりわけ読書に耽っています。楽しくて堪らないようです。時折、音読もしています。おかげで、映画を見る頻度が減りましたが。私は、週末を待ち侘び週単位で飛んでいっていた時間が、毎日ゆったり流れるようになりました。

「秋」、秋が来た、と感じています。私の年齢で「秋」は、ちょっと早いかもしれません。昔は、秋を「落ち目」と感じる気持ちが強く、人生は夏が長いほどよい気がしていました。恒平さんの(=教室での)問い掛けに、当時大学生であった私は、自分は人生の「初夏」にいる、と答え、私の夏は長いぞ、と秘かに誓った覚えがあります。

秋もいいじゃない、と思います。実りの秋なら、尚さらです。   京

自分の話だけで終わる失礼を、お許しください。でも、これで「送信」を押せます。

 

* すばらしいメール。東工大の卒業生もみな大人になり、力闘し苦闘もしているなかで、「京」は卒業してすぐドイツへ勉強にゆき、まる一年間「恒平さん」への約束通り週一回の便りを寄越し続けるうちにスペインの男性と恋をし結婚してバルセロナに暮らして今日に達している。この人だけが一貫して学生時代からわたしを「恒平さん」と呼んでくれる。「秦さん」と呼んでくれる学生はたくさんいたが。わたしに会いに来るときは、季節の花を一輪持ってきてくれた。そうそう、大教室で、いま、あなたは人生的に観て「一年」のどの辺を歩んで生きている気持ちかと皆に問うたことがある。仰天するほど千差万別だった。ゴールデンウィークの前と答えた学生が比較的多かったのは自然だったが、「京」は「初夏」と。かなり深い悩みもジレンマも抱いている人だった、恒平さんの授業に出てなかったら中途退学も考えていましたと話していたこともある。すべてを乗り切り、酷暑ものりきって新秋を迎えたならよかったねと祝福してあげたい。はるばるバルセロナから欠かさず「湖の本」も支援してくれている。教授冥利である。

先日は、建築大手で大きなマンションや研究施設などを設計施工している「天才」卒業生君が、こんどは「自邸」を建てましたので見に来てくださいと招待状をくれたし、同じ建築出の仲良しで国交省勤務の中堅君は、作家もおどろくみごとな筆致で、日々の行政活動の努力と成果、その機微と苦心とを、昔のママ教授宛に「挨拶」してきてくれた。的確な筆致と中味とにわたしは舌を巻いた。嬉しかった。

いったいいつごろ東工大にいたっけと忘れそうになるほど、教授就任は一九九一年十月だった。おかげで今こうして機械で文章が書けている。もう四半世紀ちかくも以前のとても貴重でありがたい「道草」であったが、おかげで今も昔のママにつきあっている若い諸君がすくなくも十数人はいる。嬉しいことにみな「湖の本」を応援して支えてきてくれた。少なくも十余人の結婚式に招かれたが、みな、お父さんになりお母さんになっている。年賀状には家族の写真がきまって届く。幸せ者である。

 

☆ 秦恒平様    2014・4 ・8

いつまでも寒い春ですが、お元気でお過ごしのことと存じます。

過日はたくさんの御本と心のこもったお便りを頂戴しましてまことにうれしい事でありました。半世紀前の自分が茫漠とした霧の中から姿を現したようでまことに驚きでした。それにしてもそれほど昔の取るに足らぬ私の名をご記憶願えたのはまことに恐縮でありました。

お送りいただいた「湖(うみ)の本」を読み進めておりますが、改めて貴兄が文学に対する正確な対峙の姿勢を貫いておいでである事を賛嘆とともに感得します。文学作品自体もまた文化論的な認識としてもまさに正論を構築しておられるのを実感しました。

学生たちとの対話もご自身の文学を深める要因となっておられたようで素晴らしいことです。

おそらく多くの蔵書に囲まれておいでで、ご迷惑とは思いますが本日はテーマを私がかかわった「大きい本」「小さい本」とを謹呈します。

横浜市の学童疎開では集団疎開が県内に行われたことが特色でそのためか該当者には疎開に対する反応が強かった経緯があります。教育委員会に談じ込み、われわれ体験者が横浜市から疎開したすべての当時の国民学校の体験談を網羅して編集するという方針でそれを実現しました。

戦後五○年記念ということでしてもうかなり以前のことになりました。

「小さい本(=笑いについて)」は私の唯一の小説集からの豆本です。その他もただただお恥かしいものですがお暇なおりにお目通しいただければ幸いです。

さてお手紙では何やら薬を飲んでおられるとのこと、どうかくれぐれもお大事になさって下さい。お元気で良いお仕事をしてくださることを願っています。

「湖の本」第119 号で「堪え・起ち・生きる」とタイトルをつけておいでのように残念ながら時代は最悪の状況を呈しておりますがここは堪えどころと感じています。

いろいろと書き連ねお時間を取らせてしまいました。

どうかくれぐれもご自愛されますよう念じます。    ゆりはじめ

 

* この年になって、なお新たな知己にまみえうるということ、喜ばしい。

ゆりさんはわたしより二三歳年上、もっと上の方もいくらもご健在。歌人の清水房雄さんは百歳に近く、九十歳に手の届く人届いた人も何人も。まだわたしは若い方と思うことにしている。

 

☆ 大空に

ゆったりと咲いていた木蓮も

はや春風のいたずらで

大きな花びらを 一枚また一枚と……

そして今日は、

散り落ちる直前に 筆をとることができました  (繪 木蓮の花)

秦先生

先日は、失礼いたしました。お便りも添えずお品物を、お贈りさせていただき、恐縮に存じます。

先生も、お体を痛めなさっている中で 次々と巻を重ねてのご出版、「大丈夫?」と案じております。 でも私のところへもお届けいただけ本当にうれしく拝見させていただいております。

ご子息さまも小説家におなり とか、「すごい」と、うれしくなりました。

先生のような 純文学の方は、少なく、尊いご存在と 遠くより誇らしく思っています。

先日「炭屋で一泊し、京の春をたのしんでまいりましたが、お迎えのお茶菓子は「末富」の  夜のデザートは「老松」の「夏柑糖」でございました。

いずれも私の好物ばかり、とてもうれしくなりました。

やっぱり 京都はいいですね。

夜の清水寺も「ご招待」していただき、

妖艶なさくらを愛でることが できました。  (繪 木蓮の花後)

どうぞ 先生 お体をお大切になさって下さいませ。 合掌    高石市  東

 

* 巧みな花の繪に、切り紙の櫻を散らし、大小の筆の散らし書きがきれいで、そのまま写真にしたいほど。祇園町で育った、わたしの母校中学での後輩。わたしが高校生から大学への頃、中学の茶道部へ先輩として教えに行っていた。文化祭には教室を茶室に仕立てて佳い茶会ができた。そんなとき、この人は頼りになる中心の生徒だった。祇園をあえて出て大阪府で高校へすすみ、いい学校の先生になった。絵手紙の美しい本など出し、歌も詠む。根はたしかな京おんなである。

2014 4・11 150

 

 

* 孫やす香の一の友だちが、元気に、変わりなくわたしたちを励ましてくれる。ありがとう。あなたも日々を幸せに、お元気で。

 

☆ おばあちゃま!

大変おそくなりましたが、

お誕生日おめでとうございます!!

私のお誕生日には、おばあちゃまはすぐメールをくださるのに・・・

本当にひどい私です!

今年も素敵なお誕生日を過ごされたのでしょうか。

可愛らしい桜が咲く中、おじい様と2人で仲良く歩かれている姿を勝手に想像しては、温かい気持ちになっています。

私の家の近くは、サトザクラが満開です。

ポンポンまるまって咲いた桜達がかわいらしく、それを見ながら会社へ向かうのが楽しみなのです。

明日は、やす香と私の親友の結婚式です。

サトザクラのような衣装を着て、式に参列する予定です。

それでは明日は、やす香と待ち合わせをして行ってきます。  香

2014 4・12 150

 

 

☆  天候不順の日が

長く続きました。体調 如何おすごしでしょうか。

生きて八十八年 生理的 そして身体のうごきに困難を感じる年齢になりました。 長い間お世話になりました「湖の本」 このあたりで辞したい と、お願いいたします。

深い内容の小説に 作者の学問の深さに 大変な学恩を受けましたこと あらためて感謝しお礼申し上げる次第です

種堂なお身体の不調に負けずご活躍の先生に感銘を深めつつ ここに長い間の佳き刻を頂戴したことのお礼 あらためて申上げる次第です。 四月九日  江戸川区  俳人  冽

 

* まだわたしは七十代の七十八歳。わたしの久しい読者にはこの方のようになお十歳も年輩の方々が大勢おられて、余儀ない心身の老境を抱きかかえておられる。わたしはそもそもデビューの頃から自分より年輩の先進たちの支持と愛読を受けてきた。支持者も読者も当然のことに減りに減ってきた。自然の理というしかない。多いときは三千人も送り届けた「湖の本」が、今日只今の少数に減っているのはどう考えてもあたりまえの成り行きでわたしは微塵もそれ自体は悲しんでいない。まあよく二十八年間も刊行し続けられている事よと感謝しているし、刊行に特別の不自由や失望など感じていない。二十八年も支えて頂いた実績が、なお今日から明日への継続を精神的に支えていてくれる。

2014 4・12 150

 

 

☆ 湖の本119

堪え・起ち・生きる  に元気づけられました。

お誕生日祝いを兼ねて 塩蒸し桜鯛をお届けします。 四月  毅

 

* 妻の誕生祝いを兼ね添えて吉備人からりっぱな鯛一尾を頂戴した。夜、ウイスキーの「富士山麓」オンザロックで頂戴した。愛しんで大きな半身を明日に残した。美味かった。いつもいつも頂戴し、有り難う存じます。元気にならねばと気を励ます。

2014 4・15 150

 

 

☆ 今週火曜日、

家人が退院。昨日娘の体調が悪くなり、まだ回復したとは言えない様子で落ち着きません。

鴉の日常、殊に目の不自由、困難を遠くから懸念しています。

「機械の前にこびりついて」いるのは作家にとって、鴉にとって、それが砦であり、武器でもあるのですから納得します。

めったに「人の顔を見ません。人の声・言葉を聴きません。」と書かれているのは気に懸ります。

おそらく状況としてはさらに徹底して人と接していないわたしです。黒いマゴちゃんならぬ孫ちゃんにインターネット回線で日々接していますが。

厭世観にめげず ニュースも さまざまな情報も 受け止めています。生きている証ですから。

取り急ぎ

どうぞどうぞお体大切に。 花粉症は如何? すべてすべて良い方向にありますように。  尾張の鳶

 

* 自分だけ年取って、ひとのことは相変わらず若い人と思いこんでいる。人はみな年取って自分は若い気でいるよりも、この方がじつは幸せな考え違いなのではあるまいか。みな、若いままに元気でいてくれると思っている方が世界が明るい。

胃袋をみな無くした頃から、例年きつかった花粉症をほぼ忘れている。これは有難いが理由は不明。ときどきくしゃみを連発している程度で。

 

* メールを交わしながら、秦さん **さん 私は あなたは では堅苦しくてすらすら思いも言葉も出てこないと暗に感じている人は大勢いることだろう。そのために妙に心にもなくトゲトゲしくキツく感じあってケンカさえする人が多いとまだまだメール流行以前から聞いたり感じたりしていた。「機械」「メール」に触れた稿を初めて依頼されたとき、わたしは「メールは恋文を書くように」と応えた覚えがある。それとともに、「maokatさん」「hatak さん」のような仮称を互いに用いる工夫をした。ごくごく初期に、わたしの閑吟集を手にした四国は徳島の読者が何度かのメール往来後に、自身を「花籠」と名乗ってきた。それならばと、わたしは「月」と応えた。

花籠に 月を入れて 漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な

を承けたこと言うまでもなく、さてこそ、それはセクシイな仲らいを謂い合うのと変わらない。一度の顔も合わさぬまま、その人はいまでも「花籠」となのっているし、わたしからも相変わらず「月」と署名して返事している。死ぬる日までも逢うことはない。それでいいなら、それでいいのである。心豊かとは、そういう思いを謂うのである。

上の「鳶さん」と「烏」とはわたしが押しつけた。海外の説話などでは「烏」も「鳶」もやや悪役を配されている。それも承知だが、好きな蕪村の繪の「鳶と烏」とが、いかにも佳いのでそれで通した。「カア」と一声でも名乗りになる。とても便利で「鳶さん」ももう久しく愛用? してくれている。

「みづうみ」「湖」と呼んでくれる人も何人もいる。わかりよくて、しかも「秦さん」の「先生」のなどと書くよりよほど気儘なのだろう。

最近、少し必要もあってメール往来のある相手の、あまり陰気に鬱陶しいのに参るので、いっそ「芋(薯よりも)」と呼んでみたくなった。ただし人を「芋」にしておいて自分は秦さんでは気が悪いので、だは「蛸」はどうかしらんなどと思うている。蛸は褒め言葉ではない、「タコ!」は吉本風には悪口に類していて、わたしに似合うのではないか。芋・蛸はともあれ「なんきん=南瓜」は苦手だが。芋も蛸も概して酒に合う。ただし、その人、酒も飲めそうにない。

2014 4・17 150

 

 

☆ 映画

何時もの映画の友に誘われて何年か振りに渋谷まで映画を観に行きました。行き馴れた筈の映画館への坂を間違えてトットと登って行ったのはお笑いでした。

「あなたを抱き締める日まで」 好きなイギリスが舞台で、好きな女優のシユデイデンチの母物ですが、ほのぼのといい感じの作品でした。

最近のテレビはお笑い藝人オンリーで、私好みの映画の放映もなく飢えていました。

(亡きあとの)整理仕事はウンザリですが、だからと言って誰かがやって呉れる訳でもなく…

これから、(二世帯住宅新築のため=)頭の痛い仮の住居探しも始める予定です。  泉                    2014 4・17 150

 

 

☆ こんばんは。

お元気ですか?

この度、ずっと目標にしていた自分の店を持つことになりました。

名前は

bistro&wine velvet

( フランスの郷土料理とワインを中心としたお酒を提供していきます)

open日は、ご報告が遅れてしまい急ですが、4/20( 日) を予定しております。

場所は

最寄り駅が豊島園( 池袋線、大江戸線2 線あります) です。すぐ近く。

20日はopen記念として、カウンター席を設けず、スタンディングでのご案内とさせていただきます。

( 通常営業時はカウンター席はあります)

その日は会費\3000 を頂戴いたしますが、その分、ワイン、フード共に食べ飲み放題とさせていただきます。

もしお時間がありましたら、ご来店下さい。

心よりお待ちしております。

open 17:00~close  26:00

p.s

メールでのご報告で申し訳ありません。   velvet

 

* こういう案内の来るのも楽しい。この人つい先日まで江古田のスタンドバー「vivo」を仕切っていた。歯医者の帰りに妻とももう何度も止まり木に止まってきた。

明日、雨でないといいがな。

2014 4・19 150

 

 

* 我ながら惘れるほど沢山な、ちょっと意地悪い、かなり答えにくい質問を、毎時間始めに胸ぐらをつかむように東工大生に突きつけていた。こんなに問い続けて、自分は答えないのかと思い直し、丁度一年余り前から自問に自答し始めていたが、いやもう難しくて閉口している。良くもこんな質問に学生諸君は答え続けたものだ、あれ以降コンナシビアな問いを突きつけられ答え続けたこと、無いのではないか。質問がどれほどの数か数えもしないがとてもハンパな数でない。わたしは一年掛けてまだ三分の一も答えたろうか。

ま、「* 故郷の「山」「川」の名前をあげ、今「故郷」とは何かを語れ。」「* 自身の「名前」について語れ。」など極く

最初の方はなんとか成っていたが、「* 何なんだ、親子って。」「* 今、真実、何を愛しているか。」「* 何を以て、真実、今、自己表現しているか。」「* 寂しいか。」「* 今、心の支えは在るか。」「* 真実、畏れるものは。」「* 不思議を受け容れるか。」「* 秘密をもつか。」「* なぜ嘘をつくか。」等々となってくると、容易でない。全部答えるのにもう三年もかかってしまいそう、生きていられるかなあと心許ない。「湖の本」にすれば何冊要るだろう。

前にも挙げたか知れないが、わたし自身の尻を叩くためにも、質問の全部を借用証書なみに以下にかかげて置く。お気持ちのある方は、自問自答されてはいかが。まさに「自問自答」の「白状」であります、ウソを書かない限りは。

 

☆ 資料・東工大学生が秦教授へ書いて答えた「挨拶」一覧  ( 順不同)

 

*故郷の「山」「川」の名前をあげ、今「故郷」とは何かを語れ。 *自身の「名前」について語れ。 *身にこたえて友人から受けた批評の一言を語れ。 *身にしみて学校( 大学は除く) の先生に言われた言葉を思い出せ。 *「別れ」体験を語れ。 *「父」へ。 *何なんだ、親子って。 *今、真実、何を愛しているか。 *何を以て、真実、今、自己表現しているか。 *寂しいか。 *今、心の支えは在るか。 *真実、畏れるものは。 *不思議を受け容れるか。 *秘密をもつか。 *なぜ嘘をつくか。 *信仰とは *もう一人の自分へ。 *「位」の熟語一語を挙げて所感を。 *「式」の熟語一語を挙げて所感を。 *仮面を外すとき。 *親に頼るか、子を頼るか。 *結婚と同棲 *死刑・脳死・自殺を重く思う順にし所感を述べよ。 *誇れる国とは。 *今、思うことを述べよ。 *自由とは。 *( 漱石作『こゝろ』の先生に倣って) 「恋は( )( )である。」 *漠然とした不安について述べよ。 *人間のタイプを強いて一対( 例・ハムレットとドンキホーテ) の語で示し、所感を述べよ。 *何が恥かしいか。 *「日本」を示すと思う鍵漢字を三字挙げよ。 *なぜ嫉妬するか。なにに嫉妬するか。 *セックスについて述べよ。 *絶対なものごとを挙げよ。 *家の墓および墓参りについて述べよ。 *わけて逢いたい「  」先生。 *科学分野に「国宝」が在るか。 *清貧への所感を。 *「性」の重み。 *いわゆる「不倫」愛に所感を。*「参ったなあ」と思ったこと。 *自身を批評し、試みに、強いて百点法で自己採点せよ。 *「挨拶」について。 *今、政治に対し発言せよ。 *東工大の「一般教育」を語れ。 *心に残っている「損と得」を語れ。 *他を責める我を語れ。 *報復したことがあるか。  *仮面をかぶる時は。 *結婚とは学問分野に譬えれば「 」学か。 *一生を一学年度と譬えた場合、あなたは現に何学期の何月何日頃を今生きているか。 *「脳死」「死刑」「自殺」の重みに順位をつけ、所感を述べよ。 *国を誇りに思う時は。 *嬉し涙・悔し涙を流した記憶を語れ。*「心臓」と「頭脳」のどちらI「こころ」とふりがなせよ。何故か。また東工大の他の学生がどう選ぶか、比率で推測せよ。 *「心」とは何か。 *何から自由になりたいか。何から自由になれずにいるか。 *生かされた後悔、生かせていない後悔。 *ちょっと「面白い話」を聴かせよ。 *話せるヤツ、または、因縁のライバル。 *今「思う」ことを書け。 *いま「気になる」ことを書け。 *疑心暗鬼との闘い方。 *あなたは信頼されているか。 *あなた自身の「原点」に自覚が有るか。 *自分の「顔」が見えているか。  *兵役の義務化と私。 *何が楽しみか。 *心残りでいる、もの・こと・人。 *Reality の訳語を一つだけ挙げよ。何によって・何を以て、感受しているか。 *「童貞」「処女」なる観念の重みを評価せよ。 *自分に誠実とはどういうことか。あなたは誠実か。 *何があなたには「美しい」か。 *何でもいい、上手に「嘘」を書いてみよ。 *あなたの「去年今年貫く棒の如きもの」を書け。 *「生まれる=was born」根源の受け身の意義を問う。*井上靖の詩『別離』によって、「間に合ってよかった」という、出会いと別れの運命を問う。*漠然とした不安、あるか。 *「魔」とは何か。 *「チエ」に漢字を宛てよ、何故か。 *「風」の熟語を五つ選び、風を考えよ。 *「死後」を問う。 *「絶対」を問う。 *「祈り」を問う。 *生きているだから逃げては卑怯とぞ( )( )を追わぬも卑怯のひとつ この短歌の虫食いに漢字の熟語を補い、所感を述べよ。 *上の短歌に補われた多くの熟語回答例から、もう一度選び直し、所感を述べよ。 *「劫初より作りいとなむ( ) 堂にわれも黄金の釘一つ打つ」という短歌に一字を補い、その「( ) 堂」とは何か。「黄金の釘」とは何かを語れ。 *落語「粗忽長屋」を聴かせて、即、「自分」とは何か。 *「春」「秋」の風情を優劣せよ。 *今、何が、楽しいか。 *「血」について語れ。 *集中力・想像力・包容力・魅力。自身に自信ある順にならべ所感を記せ。 *「事実」とは何か。信じるか。 *「絵空事」は否認するか、容認するか。 *「幸福」は人生の目的になるか。 *「惜身命」と「不惜身命」のどちらに共感するか。何故か。 *毎時間読んでいる井上靖散文詩の特色を三か条で記せ。 *五年後、新世紀の己れを語れ。 *今期言い残したことを書け。 *公園で撃たれし蛇の無( )味さよ この俳句の虫食いを補い、その解釈を示せ。 *命は地球より重いか。 *命にかえて守るもの、有るか。 *喪った自信、獲た自信。 *仮面と素顔の関連を語れ。 *漱石作『こゝろ』で「先生」自殺のとき、先生、奥さん、私の年齢を挙げよ。 *漱石作『こゝろ』で「先生」自殺後の、未亡人と私との人間関係を推定せよ。 *目から鱗の落ちたこと。 *「私」とは何か。 *あなたは卑怯か。  *自分が自分であることを、どう確認しているか。 *「情け」とはどういうものか。風情・同情・情熱のどれを、より大事な情けだと思うか。何故か。 *「死ぬ」「死なれる」重みを不等記号で結べ。何故か。 *「本」を読む、とはどういうことか。 *「恋は罪悪、だが神聖」になぞらえて「金は(  ) 、だが(  ) 」である。何故か。 *あなたにとって「大人の判断」とは。 *踏絵を、踏むか。何故か。 *人の「品」とは、どんな価値か。あなたに備わっているか。 *「自立」を語れ。  *むしって捨てたいほどの「逆鱗」があるか。 *性生活の、生活上健康な程度を、人生(10)に対し、どの水準に設定( 予定・願望) したいか。何故か。  *「未清算の過去」があるか、どうするのか。 *「神」は、(人間に)必要か。 *罰は、当たるか。 *あなたの価値観とは、つまり、どういうものか。信頼しているか。 *いい意味の、男の色気・女の色気を、どうとらえているか。 *二十一世紀は「 」の世紀か。何故か。 *みじかびのきゃぶりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ このコマーシャル短歌の宣伝している商品を推定せよ。 *秦さんに今期言い残したことを書け。 *「死後」は必要か。 *命とは。命は地球より重いか。 *運命天命未知不可知を「数」と呼び、その「数」を見出す・拓く方法や意思を「算」ないし「易」と呼んだ東洋的真意を推測せよ。 *迷信の意義、迷信とのあなたの付き合い方は。 *「情け」とは。「情けが仇」「情けは人の為ならず」「情け無用」のどの情けを重く見ているか。 *「縁」とは。 *「不自然」は活かせるか。無価値か。 *「工」一字を考えよ。 *「花」の熟語を五つと、好ましき「花」を語れ。 *「(  )品あり岩波文庫『阿部一族』」の上句の虫食いに一字を補い、かつ所見を述べよ。 *仮想敵を語れ。 *「父」とは。 *虚勢・嫉妬・高慢・猜疑・卑屈 自身の蝕まれていると思う順番に並べ替え、思いを述べよ。 *「常」一字を英語一語に翻訳し、日本語「常」の熟語を幾つか添えて、自己観照せよ。 *人生は「旅」であろうか。 *第一原因として「神」を信ずるか。 *証拠・証明が無ければ信じないか。無くても信じられるとすれば何故か。 *直観は頼むに足るか。勘・直感と直観とは同じか。例を添えて述べよ。 *日本のいわゆる「道」を考えよ。 *親は子を育ててきたと言うけれど(  )手に赤い畑のトマト一首の虫食いに一字を補い、作者(俵万智)の親子観を批評せよ。  *二十一世紀を語れ。 *最期に、秦さんに言い残したことを。

2014 4・21 150

 

 

☆ ご無沙汰いたしております。

ご執筆も続いて、お元気なこととお喜びしております。

はりきってはおりませんが、元気にはしています。

例のようにパソコンがXPでしたので買い換えたところ、使いこなせなくて大変不便していました。

あまり公表していなかった仕事ですが一応公の立場を離れたので気持ちが楽にはなりました。

気分の一新もかねて、茨城空港から一番便の福岡便にのってみました。

お目にかかる機会があればと願っております。 良

 

* ほっこり疲れてしまうと、つい、手近な勅撰和歌集を開いては読み開いては読みして、気の塩梅をとっている。

 

水そこにむらさきふかくみゆる哉

きしの岩ねにかかる藤なみ  大納言実季

 

たいした和歌ではないが、もう何年になるか、ふっと思い立って妻と足利学校の近くまで藤の盛りを見に行ったのを思い出す。藤は枝振りなどすこしこわいのだけれど、花の色よさ美しさに惹かれる。応挙が描いた優美な藤の屏風は、同じ応挙の雪松図とともに忘れがたい。あの屏風、根津美術館で観たか。花のすぎたあの根津の園池も茶室も懐かしい。館の真向かいで天丼を食べた。あのちかくに佳い喫茶店もあった。

どこかを飛行機が飛んでいる。障子の外に日射しがある。雨でなかったのなら街へ出てみたかった。

 

* メルボルンの友だちから、娘夫妻や孫たちらの晴れやかな写真が二枚送られてきた。オーストラリアかあ。

2014 4・22 150

 

 

☆ 四国の旨い物市で、

阿波和三盆糖と芋焼酎( お酒の効いたお菓子好きなのです) を使った鳴門金時のスイートポテトを買ってきました。

なかなか美味しかったです。

食欲、出てくるといいですね。

躑躅も見頃近いと今日のテレビのニュースで言ってましたが、近所の公園の藤棚の藤も、はや綺麗に咲いていましたよ。

季節は、先に先に着実に進んでいるのですね。  芋

 

* ウヘッというほど、甘そうなポテト。躑躅も燃え始める季節か。ほんとうに、花が佳い。四季、花が好きだ。

2014 4・22 150

 

 

*  小松の井口さんに、「選集①」の函、表紙、総扉等に使わせて頂いた刻字金圧し等の見本を速達で送った。久しい親交の一つの「形」が成ったのをよろこんでいる。ほかにも幾つか使わせて頂いた。神戸の木山蕃さんに頂戴した「湖の本」印も大事なところへ使わせていただいた。細川弘司君の描いてくれた肖像もきれいに収まった。

予定どおりだと、明後日出来てくる。

 

* 井口さんへの速達を投函しておいて、そのまま好天の下、自転車で近隣をしばらく走ってきた。花咲き、新緑萌え、風そよいでいた。泪の湧くのはドライアイ気味にはわるくないが視野がにじんで危なっかしい。自動車道路の狭い歩道を走るのはかなりヒヤヒヤする。

2014 4・23 150

 

 

☆ 昨日送信しましたメールが  (妻宛て)

何をどう間違えたのか、ご主人様のところに届き、そして、本文が送信されず、添付の写真だけ届いた様子。失礼いたしました。Windows  8.1に余儀なく変更後、時折首をかしげるような事態が発生します。原因が分からず首をかしげています。もう一度送ってみます。ご主人様にはどうぞよろしく誤っておいてください。

送りました写真は娘の家族で。一緒にメルボルンの国立公園のthe  grampians の岩山に登ったものです。孫が顔を隠していたので、彼一人を1枚。往復3時間以上の岩山で、枯れ枝の杖を頼りに孫たちにつられて登りました。下りの方が、足首をひねりそうで怖かったです。やはり広大な自然は素晴らしいでした。泊まったモーテルには朝、夕、野生のカンガルーや兎、鹿までがすぐ側までやって来て草を食べています。久しぶりの孫たちとの1週間はアッという間でした。留守居の主人もマー無事のようでした。

朝日新聞で漱石の「心」が100年前の同日4月20日から連載されています。

100年後も通じる批評として取り上げられたようです。毎日こころして読みたいと思っています。

秦様のコメントが出るかと期待していましたが、大江健三郎氏への取材記事でした。「湖の本エッセイ17」の『漱石「心」の問題』を取り出して読ませていただいています。

この1年はまずスマホに変わり、パソコンが新しくなり、次にプリンターと翻弄されています。

そして洗濯機。電子レンジ。ガスヒーターともうどれもこれも故障して新しくなると使い勝手が悪く、何かいつも説明書片手の毎日を余儀なくされているようです。

私たちもきっと世間とうまく調和できなくなっているのだろうと思いながら過ごしています。

メルボルン行で、城郭協会の手伝いも休みましたが、ボランティア仕事は変わりが少ないので、そう休みも取れません。

天候が不順な日々、どうぞお二人ともお身体おいといください。  練馬  晴

 

* 朝日が「こころ」を連載という話、ホホウという感じ。

 

☆ おじい様 おばあ様

先日は、温かいメールをありがとうございます。

(中略)

 

現在、休みは火・水曜日です。

そのうち1日は、びっくりするぐらい寝て過ごしますが、残りは活発に過ごしています。

おじい様おばあ様と、どちらかの日にお会いできたら嬉しいです。

おじい様から直接、体調が安定していると聞けて安心いたしました。

目だけがいけないとのこと。

何か私がお手伝いできないかなぁ、と思っております。  藤

 

 

* 亡きやす香に代わって、わたしたちを、こう呼んでくれる人。嬉しく、真実 感謝し愛している。幸せであり続けて欲しい。

 

やす香の妹の押村みゆ希はもう大学生かと想われるが、どこでどう暮らしているのかも全く分からない。両親が愛をこめて名付けた「朝日子」の名を改名してまでどこかで暮らしている「やす香・みゆ希の母親」は、健康な精神で生き生きと幸せにしているのだろうか。それなら良いが。

「真の身内」は、血縁やDNAが決めるのではない、と、しみじみ思う。妻がいて建日子がいて、黒いマゴもいて、いま、やす香の親友もいてくれる「身内」の有る、幸せ。そういう形而上的な実感を此のわたしに育ててくれたのが、漱石の『こころ』であった。一つ下のわたしに春陽堂文庫の『こころ』を手渡して戦後の新制中学を卆えていった人、その人」が生まれて初めての最初の「真の身内」であった、以来六十余年、昨日も今日も、明日も、わたしは「その人」を、今どこにどう暮らしているのか、元気なのか、何一つ知れずにいるただ「その人」を、生みの母よりも育ての母よりもまこと「母」であったような「姉」と、身に沁みて感じ、思慕している。お元気でと祈らずにおれない。

 

☆ 今夜は

勤め先の歓送迎会で、柚子酒と白ワインを少し。

蛸と里芋の炊き合わせにも柚子がほんのり。

ライトアップされた大神宮の境内の石楠花が艶やかでしたよ。 芋  2014 4・23 150

 

 

* 井口さん、お電話頂く。

いよいよ、予定通りなら明日に『秦恒平選集 第一巻』が出来て家に届く。460頁、函入り布装本で、けっこう重い。傷めないように送り出すのは手間も方法も難しくなる。いちいち手渡したいほどだが、相手のあることで思うに任せない、と、なると必要な分をもな送り出すのにたいへんな日数と手とがかかりそうだ。ま、それも良い、だれにメイワクをかけるでもない。売り物ではない。祝っていただくのである。

2014 4・24 150

 

 

*  十一時ちかく、『秦恒平選集 第一巻』がダンボール函入りで山のような嵩で届いた。玄関がまるまる塞がった。

美しく仕上がっている。佳く出来ていればいるほど、発送には気を遣う。正直のところ気が遠くなる。ともあれ、題字を刻して戴いた能美の井口哲郎さん(元石川文学館館長)に真っ先に郵送してきた。無事に届いて欲しい。

さ、あとのことは、ボーオッとしていてどう収まりがついて行くのか見当もつかない。豪華とは謂わないが美しい清潔な本になったという嬉しさを、妻とふたりで噛みしめながら、ワインと赤飯という妙な取り合わせでともあれ祝った。そのあとは全然手もつかない。

このあとは追っかけて届く凸版印刷の請求書に、気丈に立ち向かわねばならない。豪華限定本をどんどん創ってもらっていたのは三、四十年も昔、いちばん新しいのが、わたしの五十の賀に和歌山の三宅貞雄さんが渾身の力をこめて創られた、それこそ優美に豪奢な『四度の瀧』だった、あれが「秦恒平・湖の本」のいわば旗揚げ本になった。谷崎松子さんの題字、森田曠平画伯の版画など入って組みも刷りも装幀も函も完璧だったが、当然ながら高価についた。今回本は頁数にして、倍。ずしっと重い。あえて私家版の非売本にしたのである。

ではあるが、本の姿・形よりも、「作」を観てほしい、作が「作品」を備えているか、それがわたしの、物言いは変だが「勝負どころ」。その辺を読み取って是非してくださる、またできれば永く恵存ねがえる各施設、各界の先輩・知友に感謝をこめ贈呈したい。

所詮、これは私・秦恒平の「紙の墓・紙碑」である。どこまで私の寿命がもつか、どこまで資金がもつか、或る意味で楽しめるゲームのようなものか。息子の、やはり作家である秦建日子が「発行者」の名を副えてくれたのが嬉しく、有難い。

昨日詠んだ述懐歌を、此処に、置く。

 

* をしげなく花びらくづし大輪の赤い椿は地にはなやげり   恒平

 

* 咲き残る木瓜の紅しづかなりいましばしつよく生きてありたし  湖

2014 4・25 150

 

 

*  昨日以来の「選集①」発送作業に手間も時間もかけていた。郵便局へ運ばねばならず、自転車に積んで一度に運べるのは十册が限度の重労働、函に傷つけたくなくまた汚したくなく、記番を書き入れたり私印を捺したり、さらに雨などに打たれないよう丁寧に荷造りが必要で、しかも挨拶を手書きしたり、宛名もみな手書きするしかなく、妻と二人の分業でてんてこまい、危うく今夕の歯医者予約を忘れてしまうところで、着替えもせず鬚もあたらず大あわてでバス停の待ち時間にやっと間に合った。じつを言うと、昨日の今藤会のことも完全に忘却していて出かけずじまいに終えていた。アタマもボヤケて来ているのだが、なんともはや気ぜわしく働いていた。 昼過ぎか、能美の井口さんから今本が届きました、おめでとうと電話を戴いた。                        2014 4・28 150

 

 

* 能美の井口哲郎さん、 名酒「十代目」でお祝い戴いた。なんと嬉しいことか、越前の好きな盃で、ぐいぐいと頂戴した。わたくしから御礼申し上げねばならないところ、不調法を恥じ入りながら、お酒の美味さに身を任せている。一日に建日子が来てもかれには車の運転がある。二人分、しっとりと至醇の名酒を頂戴したい。ありがとう存じます。銘の「十代目」がおもしろい。有難い、が、それはいささか私書きかけの小説にかかわってくるので、この上は触れない。

 

* こころよく機械にむかい熟睡していた。宵の七時に目覚めた。 2014 4・29 150

 

 

☆ 手にとって

つくづくと眺めています。とても品格が高く、風合のよさを感じています。 ただ表題の文字は、ほんとにこれでよかった--私でよかったのかと、面映ゆく、ありがたく、秦さんのご好意を 心から嬉しく感じ入っています。(ことばに表し切れません、ご推察ください)

数日前、旧知の松本徹さん(現三島由紀夫文学館館長)からその著『天神への道-菅原道真』をいただきました。漢詩でたどる道真伝といった作品です。

その中の、宮中の女人たちを中心とする宴席で作られた漢詩を読んでいるあたりで、御本が届いたのです。 詩の一節に、「和風先導薫煙出」-松本さんのことばを借りますと「やうやく春の風が吹き、麝香を燻らした煙が先導して、舞姫が現はれ出る、」というのがありました。無理なこじつけになるかも知れませんが、タイミング的に私には、舞姫は『秦恒平選集』と重なってしまいました。

八十二歳(五月八日)のバースディープレゼントか、こんなことがあっていいのかと喜んでいます。

お礼というか、お祝いというか、別便で「祝酒」をお送りしました。お飲みになれるかどうかと思ったのですが、お祝いはやはりお酒かと思いまして。

実は「十代目」という酒が造られた時、そのラベルをデザインした西のぼるさん(さし絵画家・私の友人です)に頼まれ、私もちょっと参加したのです。それというのも、お酒の銘の字を書かれた(中村=)芝翫さんの落款を彫ったのです。印は、その俳号「梅莟」です。

後に、歌舞伎座の楽屋へ誘われ、福助時代からの贔屓芝翫さんにお会いする幸運にも恵まれました。下戸の私には、お酒の味はわかりませんが、そんなお酒ですのでお送りしました。

秦さんの(今回第一巻の=)お作、単行本、湖の本、そして選集と三度の出会いになります。 新たな思いで読ませていただきます。(そっと飾っておこうかな)

何もかもご厚志重く受け取っています。

妻が少し病んでいるのを助けていて、秦さんの奥様のお手助けのこと、いかばかりかと大きさをも深く感じています。どうぞよろしくお伝えください。

最後に 選集の巻の重なること、お元気でお過しのこと お祈りしています。

(午前中、一寸庭いじりをして手の力なく、ただでさえ悪筆の所へ乱筆が重なって失礼します)

四月二十八日      井口哲郎

秦恒平様

(追、 同封の篆刻「世短意恒多」は、旧作ですが、今の思いです)

 

* この嬉しいお手紙が頂戴したいばかりに此の「選集」第一巻を懸命に造ってきたような気さえする。

美酒「十代目」の銘を書いたいまは亡き芝翫丈については、井口さんも私も、やはり亡き富十郎丈とならんで「歌舞伎舞踊抜群」と感じて、手を伐つように歓談した思い出がある。文学館の館長室に訪ねたことも、講演に呼んで戴いたことも、すばらしい温泉や鏡花ゆかりの宿に泊めて戴いたことも、実盛の遺跡などへ愛車の運転で連れて行って戴いたことも。思い出はいっぱい、有る。私からは、およそ何事のお礼も出来ないまま、永く、小絶えなく背を支えて戴いた。嬉しかった。

井口さんをはじめ大勢の石川県のかたがたとご縁の生まれたたぶん一の契機は、今回「巻頭」におさめた、ちょうど四十年まえ、新潮社書下ろし昭和四九年の長編小説『みごもりの湖(うみ)』であった。ありがとうございました。

2014 4・30 150

 

 

* 「湖の本119」へも、今も、たよりが有る。

 

☆ 拝啓

不安定な春は、不安定なまま夏に向かうようです。

いつもお心に掛けていただき、ありがとうございます。秦さんの鋭い眼差しにいつも学ばせていただいています。

また、石の森章太郎の「家畜人ヤプー」も持っていて読んでいます。秦さんのアンテナの広さにも感服しています。

ゆっくり大切に

読ませていただきます。

拙詩誌「ERA」三次二号を送らせていただきます。

私も身近にいくつもの死を抱え作風も少し変化しています。  埼玉新座  詩人

 

* 故福田歓一(元東大法学部長)さんの夫人からもいつもの鄭重なご挨拶と静岡の新茶を頂戴している。恐れ入ります。

またロサンゼルスの池宮宗千さんからも、平安神宮のしだれ櫻をなつかしみ、差し上げた圓能斎筆・淡々斎極め書簡つき「四海皆茶人」の軸を掛けての初釜その他茶の湯の楽しみを伝え聴いている。チョコちゃんももう八十過ぎ。ご主人をなくされて一年と。時を同じくして花小金井に住む中高一年後輩・茶の湯の手ほどきもしことのある人も、ご主人の一周忌を迎えましたと。

だれもだれも生きてある人、人の平安を願う。

2014 4・30 150

 

 

☆ 作品集第一冊が刊行されたという嬉しい記載。

発送には無理なさらず、ゆっくり進めていかれますように。晴れれば晴れたで日差しは強いです、とにかくお身体大切を優先な

さってください。

日本は連休に入っていることでしょう。と、書いている鳶は、先週シンガポールに来ました。飛びたいでしょう、と書いてくださいましたが、確かに飛んでますね?! 飛んで、そして九カ月に入った孫の世話をしています。

在宅で仕事をして子育てもしている娘婿の海外出張、娘はその間出来る限り在宅勤務とやり繰りしているので、少しだけ手伝いです。つかまり立ちと這い這いに忙しく、片時もじっとしていないのを相手に奮闘中。四苦八苦?? 可愛いけれど責任も感じます。

改めて人が生まれ成長していく過程を、適切な表現ではありませんが、観察しつつ、思うこと多いです。生老病死行く末を切に思う年齢になっているからですね。友人にも病に倒れる人あり、悲しいこと多いです。

五月半ば過ぎに帰国予定です。

どうぞ、くれぐれもお身体大切に大切に。  シンガポールの鳶

 

* 孫。心底、うらやましい。

 

* 久しく「いい読者」であって戴いた方が、病魔に遭われることも多くなった。わたしよりも年輩の方がもともと多かった。自然の数というしかなく、お一人お一人のご平安を心より願っています。

 

* 四月が、信じられないはやさで過ぎゆく。

2014 4・30 150

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