☆ みづうみ、お元気ですか。感謝。
選集第一巻の完成おめでとうございます。見ても読んでも、別格に美しいご本に仕上がったことでございましょう、と書きはじめていましたら、ポストに入らなかったと郵便局の方が玄関先に重たい一冊を届けてくださいました。
もどかしく包装をとくと、想像していたよりさらに美しい、思わずため息のでるようなご本が現れました。函からすっと出しやすく、頁もめくりやすく、開いてしっかりしていて、字体も字の大きさも、本好きの人間には理想的、そして濃紺に金の刻字の見事さったら……。
ここに初めて、みづうみの絶佳の名作『みごもりの湖』『秘色』『三輪山』に真にふさわしい装丁の、まるで美術品といいたくなる、品格ある選集が完成したのだと思いました。文学を愛する人間にとってこの一冊こそ垂涎の的でしょう。何度も抱きしめています。
選集の創刊を知って以来、もちろん欲しいと熱望していましたが、数に限りがある稀少なご本と思っていましたので、嬉しいを通り越して、胸いっぱいです。一生の宝物です。みづうみ、ほんとうにありがとうございました。
取り急ぎ御礼を。 茂 茂山に在り隠然と古道場 松本たかし
* 十七八年、何萬枚にもあまるホームページの全日乗「闇に言い置く私語の刻」を主題に分解し整理して下さったことは、どんな感謝をもってしても報いきれない。あらためてお礼申します。
2014 5・1 151
☆ 秦 恒平様 ありがとう存じます
此の路やかのみちなりし草笛を
吹きて子犬とたわむれし路 (阿部鏡= 秦恒平生母)
何と申し上げていいのやら、言葉が見つかりません。
お母様の歌碑の前にご恵送賜ったご本をお持ちし、ご報告し、お祈りしてまいりました。
ご縁とはいえ、格調高いすてきな玉著こころより御礼申し上げます。
自転車でも行ける山裾に、これからは度々ご報告にと涙ながら何やら嬉しゅうございました。
五箇荘図書館へも行ってまいりました。下記の宛名です。担当の方が恐縮しておられました。
〒529 -1421
滋賀県東近江市五箇荘竜田548
五箇荘図書館 ****様宛 です。
先ずは取り急ぎ御礼まで。
どうかどうかご無理をなさらずに・・・。お母さまからです。 東近江 五箇荘 川島民親拝
* ありがたいことだ。
故郷を石もて追われた生母阿部ふく(歌名 鏡)のためにものちにわたしの異父長姉川村千代が、母ふくの歌一首を刻して佳い歌碑を建ててくれていた。川島さんは五箇荘の人、早稲田を出て、のち、故郷に帰って創作もともに郷土愛の仕事に精出されている。「ペン電子文藝館」に所収の「わたしの昆虫記」は傑作である。お宅に、何度か泊めて戴いたこともある。
2014 5・1 151
☆ あっという間に、
五月です。七十過ぎの旅を、京都や東北の春満喫の四月でした。
『湖の本119』御礼遅くなり失礼申し上げました。
2005年の小泉政権が、今のアベ内閣につづくことに唖然、恐ろしささえ感じます。
お変わりない読書に感嘆しつつ、ペンクラブの品格の希薄さを歎かざるを得ません。大岡信、竹西寛子、中村真一郎、山本健吉氏等々の理事会不在、良い意味での文壇がなくなったこと、淋しい限りです。
新潟・村上の「町起し」の市民だけの粘りある活動の興深さを知り、元気づけられました。
御健勝をお祈りいたします。 元出版部長 義
2014 5・1 151
* 色川大吉さんに頂戴した『追憶のひとびと 同時代を生きた友とわたし』 を読み終えた。他人様の知人等の話を読み通せる物だろうかと思っていたが、色川さん造語である「自分史」という視座の確かさにひかれ、加えてわたし自身にも心親しい人たちの名前も散見されて、不思議に懐かしく全部読み終えた。『六十年代の主役は若者だった』というやはり色川さんの本を、わたしがその六十年代の若者の一人だった自覚もあり面白く励まされて読んだ記憶があり、それとの自然な推移と接合の感覚がもてた。
歌人の玉城徹さん、作家の井上ひさしさん、同じく松本清張さん、辻邦生さん、木下順二さん、つかこうへいさん、など、皆さん、大なり小なり接触や校章や敬愛がわたしにも合った。同時代人と感じていた。
高峯秀子、淡島千景、北林谷栄、千田是也らも、まるまるの他者ではありえなかった。
小田実、三島由紀夫、宮田登、奈良本辰也、網野義彦といった人たちにもわたしなりに強烈に接してきた。
なるほどなあ、人は人とふれあい、はじきあい、はなしあい、泣き笑いしながら一生をいきるのだ、そして「死なれる」「死なせる」のだ。それでも、いや、だからこそなお生きて行く。
2014 5・1 151
☆ 早、
欅の新緑に移りました。ご体調その後いかがでいらっしゃいましょうか。
この度は立派な選集のご出版、まことによろこばしく、心よりお祝い申し上げます。又、早々にご恵与いただき、ありがとうございました。(中略)
平素の失礼をお詫びいたします。
略儀乍ら一言 拝受御礼のみ申し上げます。 竹西寛子
* 新潮社の新鋭書下しシリーズで『みごもりの湖』が出たとき、竹西さんが対談で花を添えてくださった。あのときが初対面で、後に有楽町の大ホールで源氏物語の対談をしたり、折りにふれ珍しいご馳走を送って戴いたりしてきた。
心より日々のご平安を、御健勝を祈ります。
☆ 前略
たった今、何とも素晴しい御本をお届け賜りました。 唯々、嬉しく有難く、感謝の念で一杯です。
実は、昨日、ふと目にした新聞記事を切り抜いてはみたものの、斯んなのをお送りするのはどうかなあ…と案じて居りました処に、インターフォンが鳴りました。受け取って唯々びっくりです。ほんとうに有難う存じます、 で 取り急ぎ御礼の言葉と共に勇気を出して(?)切り抜きを同封申し上げました。どうぞ失礼をお許し下さいますようお願い申し上げます。
日々お平らにお過ごし頂き、二巻三巻と恙なくご上梓なさいますようお祈り申します。
取り急ぎお礼まで。 失礼をお許し下さいませ。四月三十日夕 京下鴨 文
* 比較的母校同志社に冷淡な顔をしてきたわたしだが、長編『みごもりの湖(うみ)』は、同志社大学時代を色濃く反映し記念した作になっている。物語に気をとられていたが、今度再三再四校正読みしていて、これは同志社という空気を囲い込んでいたのだと心底思い当たった。「文」さんの手紙は私と妻とへ連名で書かれている。妻の親友なのである。
切り抜きの新聞記事にも驚いた。
祇園石段下の元市立弥栄中学は、新設の第一年昭和二十三年に私の新制入学した母校だが、過疎化のあおりで近年に廃校されていた。その旧母校が、再来年の開設予定で「漢字博物館・図書館」に成るのだと。驚きもし、なにかほっとした気持ちにもなっている。わたしは事実上の第一期生で、卒業まで生徒会を代表しつづけていた。おー、そういうことになったか…。感慨深い。場所はすこぶる良い。いい働きが出来ますように。
* 静岡大学の歴史学小和田哲男さんからも「恐々謹言」の葉書が届いていた。
2014 5・2 151
☆ 秦恒平様
拝啓 新緑の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
『湖の本119 堪え・起ち・生きる』をお送りいただき、ありがとうございます。いつもペンを持つ人の思いの深さに感銘をうけております。
「少年の昔から信仰心をもって『不思議』をうけいれてきたが、神は観なかった。」「それでもなお、わたしの内で強い『信仰心』は生きている。自覚も実感もある。『抱き柱』にしないだけ。」このあたり、わたしの心にすっと入ってきます。信仰心を抱き柱にしないという思いが、秦様の生きる力なのでしょうか。
また、「なんとわれら日本の蓄えてきた文化力はすばらしいか。そのすばらしい文化が、「我私 われわたくし」に溺れた悪政の毒で、活気を奪われて行く。なんとおぞましい時代か。」というところ、大変共感します。
今は私も悩み多いときですが、どこかでお会いできることを楽しみにしています。
時節柄ご自愛ください。 敬具 滋賀県知事
* 多忙の中からのおたよりに感謝します。響き合うものを覚えます。
* 文藝春秋の寺田英視さんから選集「発行人」秦建日子の留守中へ電話が入ったと。寺田さんは、「湖の本」制作のために、二十八年前、凸版印刷をご厚意から紹介して下さった恩人である。
☆ 拝啓
「選集」 誠に有難く拝受。装丁・造本共にしつかりした御著書を手にし、「三輪山」の題名にひかれ、改めて拝読して昭和十七年秋、折口信夫先生に連れられて五日間、大和を歩いた万葉旅行を思ひ出したりしました。中学生の時は古寺の仏像と古建築に魅かれ、山城、大和を歩きまはりましたが、齢九十を過ぎあちこちを患ひ、家にとじ籠つて、あゝ歳はとりたくないものだと思つてゐます。
葉書で失礼いたしました。 大久保房男
* いつも鄭重にお声をかけていただき、有り難う存じます。
☆ 冠省
秦恒平選集第一巻、ご刊行まことに おめでとうございます。早速、ご恵贈にあづかり、本日、無事落掌いたしました。有難く感激の極みです。
厚く 御礼申し上げます。
先生のご本の中に、また大きな宝物が加わりました。格調高く、しかも堅牢で、私家版としても、個人選集としても歴史的な出版と存じます。井口哲郎氏の刻印による表題は、此の選集に相応しい重厚な表情を表わしています。
作品はそれぞれに懐かしく、初出時、本・誌を求めて書店に走ったことが昨日のことのように想い出されます。
本文にはルビが付されていて読みやすくなったようで 時間をかけて拝読させていただきます。
有難うございました。
機会がありましたら 上京して祝盃をと楽しみに存じて居ります。
季節柄、先生も奥様も 建日子様もお揃いでご健勝にと存じあげます。
なお甚だ失礼ですが、選集ご出版のお祝いに 心ばかり同封させていたゞきました。どうぞ お納めください。
御礼のみにて失礼致します。 敬具 和歌山 三宅貞雄
* 五十歳になったとき、三宅さんは私の『四度の瀧』と書誌・年譜・年表を一冊に、精工舎等で目のさめるような美しい特装限定本を出して下さった。題字は谷崎潤一郎夫人、装画は森田曠平画伯、装丁は出岡実画伯だった。まっさきに大江健三郎さんから感嘆の手紙をもらった。
久しく久しい読者で友である。感謝しています。
☆ 御本をありがとうございます。
謹啓 秦恒平 様
思いがけずもすばらしいご本を頂戴いたしました。
玄関先で郵便局の方から手渡された家内が嬉しい悲鳴を上げました。
思い起こせば40年以上も前、音楽大学のキャンパスで生意気な文学論などを語らって以来、秦恒平という作家の本は、私たち夫婦の数少ない共通の愛読書でありました。
家内は歴史書や評論を、私はSFや紀行文などをもっぱら得意ジャンルと心得ておりましたが、正月休みのたびに私が開くのは『冬祭り』 「そんなにもてるわけないわよねぇ?」などと笑う家内のことばに生返事をしながら、私は、蛇の化身や、凍てつくロシアの風景に思いを馳せていたものです。
やがて新聞紙上で「湖の本」発刊を知り、これだけは全部読みたいね、と躊躇無く会員となりました。爾来28年、今では共に老眼鏡の上から相手の顔をうかがいながら、活字を拾っております。
音楽を聴けばその演奏者や作曲家を識りたくなる。一方でそんなものはどうでも、音だけを纏(ひろ)っていたいという、その二つの想いのハザマに身をおきます。文学には無論門外漢ではありますが、作品の世界だけに浸りたい気持ちと、その作者のひととなりにまで惹き付けられ同化したいと恋情のようなものがあるのでしょう。
どちらが良いも正しいもなく、ひとのココロに触れる作品は、繰り返し聴き読むたびに、ある座標が定まってくるものと思われます。
家内は更新されるたびにHPを読み、私は「作者のことなど知りたくない」姿勢を確立しておりました。
思えばこれも、はたから見れば同業者の夫婦が、個としての姿勢を護り、併せて、夫婦としての生活をも護るための生き様であったに違いありません。本の読み方、ニュースの捉え方、等々すべての生活に30余年の仕組みと積み上げがあること、語るほどのことではありますまいが。
それでも、互いの言葉の端々に、ガーデニングに没頭する家内の、剪定時期やら肥料の配合、はてはチューリップの学名やらが、レンガひとつ動かすことのない亭主の心の一画に浸潤するのはやむなきこと。耳をふさぐのも大人気ないと知らぬ顔をしている間に、いつの間にやら門前の小僧。
いわく「ハタコウヘイはこれこれこんな歌舞伎を観に行った」とか「グルメぶりもほどほどにしないと奥さんも大変よねぇ」と、仲良しの叔父の話題を振るかのよう。
おかげで、先日奥様より配本ミスを確認するお電話を頂戴したときに、「え? コウヘイ先生の奥様ですか!」と慌てて受話器を渡した家内は開口一番
「あら! ミチコさん?」
作家や政治家をセンセイ呼ばわりすることなど金輪際あるまい、という私のアイデンティティの脆さを噛み締める間もなく、「ミチコサン」とは何事ぞ!
何をかいわんや、でも何もいえない。いつの間にやら「妖しげな物書きの叔父貴」
そして二日前でした。
「今度こそあなたが書いてちょうだいね」
「おいおい、マツコ風とか江戸落語風になら書けようけれど、まともなお礼状なんぞ書けるもんかよ! 叔父貴への陣中見舞いとか、近況報告でいいなら書くが、四の五の文句は言わねぇな!」
さすがに「よぉオジキ! 開くのもったいねぇような本、ありがとな、でもカラダぁだけは大事にしてくれよ」とは書けますまい。それでも40年来夫婦の生活の一部になっている作品群と、その作者に、それ以外の言葉は思いつかないでおります。
奥様もどうぞご大切に。 鎌倉市 橋本靜一・美代子
* 不徳・不埒のカタマリのような私だが、このご夫婦のような多年の「いい読者」に励まされてきたのです。感謝も感謝。嬉しいことです。血縁に恵まれなかった私に、こんな嬉しい新しい甥や姪が出来た。なんという……
☆ 謹啓
新緑の候、我が家のベランダからも濃淡さまざまにいろどられた山なみが眺められます。
「秦恒平選集第一巻」を早速にご贈呈賜わり誠にありがたく心よりお礼を申し上げます。もったいなくて涙が出るほどに嬉しく存じました。
秦さんの「私語の刻」からは多くのことを教わりました。おかげ様でこれまで読んでいなかった作品に触れることができ、私の日常が大変ゆたかになった気がしています。
秦さんに出会うことができた幸せをしみじみと感じています。陶淵明全集(岩波文庫)を求めて少しずつ読もうと思っているところです。
ご平安をお祈りしています。 敬白 岡山市 有元毅
* 南イタリアのすばらしいワインにお手紙を添えて下さった。ワインも嬉しいが、お手紙が身に沁みる。久しく、歳々に移りゆく季節をどんなに心嬉しく励まして戴いてきたことか、言い尽くせない。心新たにお礼申し上げます。
2014 5・3 151
* 五箇荘から、故国の清酒三種六本を戴く。「試みに酌めば百情遠」し。
☆ (妻宛て 義妹より)
素晴らしいご本『秦恒平選集』第一巻をご送付下さり 有難うございます!
限定版なのに 私にまで頂いていいのでしょうか? 価格も書かれてないので 少し困っています。
それにしても体調の良くないなか よく頑張られましたね。
シンプルな美しい装丁で、上品な濃紺の色も素敵です。きっと佳い布を使われているのでしょうね。手触りも素晴らしいです。
活字も読みやすい大きさと形、しっくりとした紙とその色…とさすがです。
そしてあのデッサン! どうしてこのように描けるのか 改めてしばし眺めてしまいます。
お二人とも 今はほっとされていることでしょう。妹として何もお手伝いせず、申し訳なく思います。
私も これから大切に読ませて頂きます。
とり急ぎ、御礼まで迪っちゃんにメールします。
秦さんには くれぐれもよろしくお伝えくださいね。
貴重なご本を本当に有難うございました。 藤沢市 琉
お二人共、お体を大切になさって下さい。
* 神秘的といえるみごとな画筆と画境に住んでいる義妹。詩集ももっている。去年、何十年ぶりかに再会した。妻とはひっきりなしに交信している。「湖の本」も応援してくれている。
☆ 秦恒平様「選集」誠に有難く。
突然 「ポストに入らなかったので」と郵便局の方が店に上がってこられ 受け開け見てびっくりです。
選集第一巻の完成おめでとうございます
貴重な一冊を 母(=亡き叔母けい子)と私へ送っていただきありがとうございます
添え状 いつも見られた線の躍りがない風なのは 長い病との並走 ぜひぜひお身体お大事に。
文尾に ご笑納下さい などと秦さんらしくもない
「作」を観よ と読ませていただきます
重ねて ありがとうございます。 木津川市 実父方従弟 孝
☆ 素晴らしいご本をありがとうございます。
この度は、ご立派な選集のご出版まことにおめでとうございます。
先ほど郵便局の方が届けてくださいました。飛び上がるほど嬉しいのですが、こんな貴重なご本、私が頂戴してよろしいのでしょうか。
本当に素晴らしいご本でしみじみと眺めています。
宝物が一つ増えました。
大切に読ませて頂きます。
本当にありがとうございました。
奥様共々お大切にお過ごしくださいますよう。 京都 養母秦従妹 みち
* わたしは人さまのご厚意を存分に戴きながら、怠惰にも、ほとんどモノを差し上げたり贈ったりする習いを持たない、出来るのは著書に限られる。ほんの稀にお茶をなさる方に叔母から伝え持ってきた茶道具を差し上げているのが例外に属するか。妻には、しばしば衣服などを見立てて勝手に買って帰ったりするが、それはわたしの趣味に類し、しかも絶対的に見立てに自信があり、事実似合わなかったりしたことは一度も無かった。
そのほかは、子供達にもことごとしくプレゼントなどということを習いにしなかったし、お互いまるで気まぐれにしかもごく些少の品を、時に互いの古着などをやりとりするだけ。むかし、娘がマオタイ一瓶を買って帰ってきたなど、まことにめずらかに嬉しい土産だった。
要するにわたしは一心に本を書いて出して、なかば押しつけがましく 人さまに差上げる以上の何もしない、できない人なのである。それとても湖の本本は読者のみなさんにお買いあげ頂いている。なんという果報者であるか。
☆ ご無沙汰しています。お元気ですか。
私は様々な忙しさに加えて体調コントロールの難しさから、今年になっての記憶すらはっきりせず、春が過ぎました。
こういう時期なのでしょう。ただただ時間のあることが嬉しい最近です。 用賀 珠
* 大事に静養されますよう。
2014 5・3 151
☆ 風立っています。
今日は昼前から、今も家に一人です。( 多分、夕御飯時まで)
それから、わたくしは、護憲、反原発です。
朝からはずっと、取り掛かりの仕事でパソコンの画面を睨んでいて、さすがに目も疲れたので、秦さんの年譜を再読していたところでした。それにしても、本当によくこれだけのお仕事を次々となさってこられましたね。
単行本に収録されていない著作、コピーを取ったものもあるけれど、読んでないのが多数あります。 蔵
2014 5・4 151
* 向山肇夫くんが千疋屋のとびきりのマンゴーを送ってくれた。医学書院のむかし、わたしの下へ配属された新入社員であった。定年退職したというので、ペンクラブに「編集者」資格で入れてあげようと推薦し、館長をつとめていた「ペン電子文藝館」委員会を手伝って貰った。彼は今も委員会にいる。
その向山クンの添えてきた手紙に、いま「ペン電子文藝館」では「国際版」を志向しているという。
ネット配信であり、当初からグローバルに届けられている。国際版とは「翻訳」するというのか。
「上質の日本語で表現された日本文学を世に送り出すのが文藝館の使命」であり、掲載される日本語作品の「質の高さ」を維持することが何より肝要のはず。わたしが提案し創設し館長として最も苦心し配慮したのが、「ペン電子文藝館」の「文学の高質の維持」だった。
正直なはなし、現会員の作が好き勝手に持ち込まれれば、よほどもよほど文学の質の落ちることは、目に見えていた。理事諸公の寄せられた作をはじめ沢山な会員作をつぶさに読んで取捨していたのだ、よーく分かっている。だからこそわたしは、館に「招待席」を充実させ、近代の優れた過去の作と作家との紹介に懸命に努力した。それがなければ、なんじゃこれはという程度の作であふれそうだったから。
「ペン電子文藝館」をただ「機械技術的な実験」で弄くるより、根源、掲載される「日本文学」の「上質」を堅固に維持すべく、むしろ厳しい「編輯機能」をこそ高めるべきであろう。
一に、館長には文学作家としてキャリアも実績もある、信頼に足る人を置くべきである。二に、文学の優れた編輯敬虔会員複数による作の編輯選別機能が働くべきである。
現在の委員会をみて、肝心要の文学の実作者も文学編輯経験者もほとんど顔がみえない。機械弄りの得意が先行するようでは本末転倒も過剰である。
2014 5・5 151
☆ 高雅な
『秦恒平選』、御出版おめでとうございます。
貴重な私家蔵本を御割愛御恵贈下さいまして 恐縮、厚く御礼申しあげます。
「湖の本」が秦様の哲学の発顕なら、今回の「選集」は秦様の美学の結実かと掌上に拝見いたしております。
奥付発行秦建日子様の御名にも、篤い父子のご縁を感じました。
何より小生は拙刻印を今回も御使用いただき至上の喜びと励ましでございます。この四月 小事雑件のうち傘壽になり、印刀を握りましたが任意に動かせず気儘に「八十」を彫りました。
ペンに、カメラにもこれが老、病いと自覚いたしましたが、その時々の力一杯の表現を心掛けたいと思っております。
秦様のお仕事には、いつも感激と感動を頂戴いたしております。
新境地に入られる御健筆を祈念申しあげます。 神戸市 八十 木山蕃 拝
* 歌人で、民俗信仰や鬼の研究者、みごとな印を刻される。ずうっと使わせて戴いている奥付「湖の本」の印を、発兌の頁でも使わせて戴いた。御志も頂戴し、恐れ入ります。
「八十」は妻にもわたしにも一つの目標。「その時々の力一杯の表現を心掛けたい」とあやかり、願っている。
☆ 立夏というのに
今日の雨は肌寒く感じました。沖縄は、はや梅雨入りしたそうです。
朝の地震は、大丈夫でしたか。( わたくしの部屋では、本が何冊か落ちました。)
縦揺れではなかったのでそう怖くはなかったけれど。
六病息災を心から願っています。
写真は、咲き始めた今朝の庭の薔薇です。ではでは。 蔵
* はるか遠くから電話での贈呈本お礼が来た。かえって恐縮。
2014 5・5 151
* 柳君がこの連休にも新築の自宅を見に来てくれ迎えに行くと言ってきていたが、なにとなく流れていた。
明日にはわたしはまた歯医者に急行しなくては。そして八日は明治座で久しぶりに染五郎奮励の「伊達の十役」を見に行く、週明けは月火水と医療の日がつづいて木曜には俳優座公演に久々に招かれて行く。五月の後半はカレンダーが白い。そろそろ旅に出られないモノか。
2014 5・6 151
* 出がけに連休明けの郵便どっと。殆どが「選集①」へのありがたいご挨拶。一束、鞄に入れて出かけた。
2014 5・7 151
☆ 内外情勢の
厳しさをよそに五月の光はまぶしく 只今この辺(=大磯)では櫻に代ってつつじや花水木が華やかに咲いております。
この度は「秦恒平選集」を御恵贈頂きまして有難うございました。
実に見事に美しい本で丁度わが家に来合わせていたゞ町内に住む若手の編集者(求龍堂と大月書店道)二人共造本にうるさい方のようですが、交々にため息をついてためつすがめつしておりました。
老・病・死を見据えての秦さんの御活躍、大分老化の進んで参りました八十二歳の私共 いつも尊敬と感嘆の念を持って観て参りましたが さても見事なこの「紙碑」 少ない部数の中 私共にまで賜るのを恐縮しつゝ 本当に見事なお仕事と感動するばかりです。
改めて初心を持って読ませて頂きます。奥様と御子息様のご協力の下でのこの偉業、夫は大変羨ましいと申しております。
心から御礼も申しあげ お祝いも申し上げたいと思います。
私共の慶びとお礼のこころをどのように表したらいいのか迷いましたが、他に手段もなく御無礼と思いつつ花一輪お祝いの心をささげ同封させて頂きます。
秦さん 奥様 どうぞどうぞお大事にこの立派な御本を出し続け 私共のような世の人々を励まして下さいませ、こころから念じております。
夫と共々 とりあえずの御礼を申し上げました。 合掌 高 史明 岡百合子 作家
☆ 立派な選集ですね。
発行者が建日子さんで よき協力者を得て よかった。
御自愛を。 猪瀬直樹拝
☆ 久しぶりに小さな旅に出て
帰ってきたら、堅牢瀟洒な函入り、本体布装金刻字の もったいないような
『秦恒平選集第一巻』が届いておりました。先の「湖の本」でご上梓のことは存じあげていましたが、まさかご恵贈いただけるとは思ってもいませんでした。
いまは ともかく外に向いた窓を次第に閉じてひっそりと消えていこうとしているのですが、予期せずさしこみ続けたご厚意の光を有難いことと感じ、ご病躯をおしての常に変わらぬご活動に力づけられてもおりました。
この貴重な私家版を頂戴する資格などないのですが、大切にゆっくりと拝読していきたいと存じます。衷心よりお礼申し上げます。
どうぞお身体お大切に、選集の完結にとどまらず、生涯現役の作家生活をお続け下さいますように。 天野敬子 編集者
☆ 拝啓
御著『秦恒平選集』第一巻を思いがけず御恵贈賜わり、厚く御礼申上げます。
御体調不全の中を「湖の本」の連続刊行、今回は一層心のこもった立派な御本をいただき、大切に所蔵いたしたく。
秦さんの文学世界が選りすぐって収録されたものと拝察、ゆったりと読ませていただこうと存じます。
御身、あくまでも大切に祈り上げます。 敬具 徳島高義 編集者
☆ 拝啓
風のさわやかな季節となりました。ご健勝のことと拝察申し上げます。
この度の「選集第一巻」ご出版心よりお祝い申し上げます。また御恵与賜りましたこと 嬉しく存じますとと共に、もったいなくありがたい思いでいっぱいでございます。
思いますと既に三十数年前、高等学校の教師でしたが そのおり同僚に
先生の作品の愛読者がおりました。当時その友人とは最も多くさしで酒を飲むことが多く、さまざまな議論などしており、この友人を通して私は先生の御著作に接するようになり 『秘色』『慈子』「みごもりの湖」等々の作品に魅了されました。
先生の古典的な世界と現代とが融合して語られる淡くにじんで織りなされる そんな雰囲気のの中にひたりこむ思いで拝読いたしておりました。
また『蘇我殿幻想』との出会いは 私なりに房総半島にある大友皇子 田原神社 小櫃川等の伝承に関心を持ちながらその地を歩いておりその頃拝読いたしたことを今改めて強く思い出します。
『みごもりの湖』の初版本を今ここに開き、この度ご恵与賜りました「選集」とを合わせ拝見しつつ これをしたためております。
まことに蛇足でございますが、少々 私の現況などを述べさせていただきます。 (中略)
先生の益々のご健勝とご健筆を祈念申し上げます。 敬具 横浜市 相原精次 作家・ペン会員
* お手紙から略したかしょで触れられている相原さんの「文覚」と「古墳」という一見立ち離れて見えも想えもする二つの主題の絶ちがたく作家魂の奥で結ばれてある在りようにわたしは注目している。古墳を追究した相原本は、わたしよりも咲きに妻が耽読していた、そういう引力が有る。『湖の本」もずうっと支援して下さっている。感謝します。
☆ 拝復
このたびは貴重な『秦恒平選集第一巻』をご恵送いただき、誠に有難うございました。
「みごもりの湖」に始まるご文業を改めて拝読できる喜びを、大切にさせていただきます。
私が編集委員長を務めました『京都近代文学事典』が、昨年、刊行されました。すでにご覧になっておられるかもしれませんが、遅ればせながら1 冊送らせていただきます。京都を原点とされる秦様からみれば、いろいろな不備が目立つことと思います。お気づきの
ことがございましたら、ご指摘ください。
今後ともよろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。草々 近代文学研究 田中励儀 同志社大教授
* 上の「事典」は、さきに、「秦恒平」の項を執筆の筆者永栄さんに貰っていた。大勢の人を取り上げた中でも破格の筆者用いて掲示されており、有難くも恐縮したことであった。田中さんは鏡花の研究者で、久しいお付き合いになる。
☆ 思いがけず、
秦恒平選集第一巻をご送本いただき恐縮いたしております。
端正で清楚な ”ご本”。この本に触れていると、静かな感動につつまれます。ありがとうございました。
先生のご健康を心よりお祈りいたしております。 香川県 木村年孝 元図書館長
* 木村さんには、私、小説の宿題を負うています。もう一息二息 がんばります。
☆ 秦恒平選集
御恵与厚く御礼申し上げます。
一期一巻の語の重さを慎んで反芻しています。
御安寧を祈りつつ 不尽 谷地快一 国文学者 教授
☆ 御高著
秦恒平選集第一巻の恵贈に与り、恐れ入ります。
すばらしい みごとなご本、あかずページを繰って居ります。
大切に致します。
ほんとうにありがとうございました。どうぞ、日々御大切になさってください。
御禮まで申し上げました。 文学研究者 矢部登
☆ 秦先生
奥様
このたびは選集第一巻の御恵贈を賜りまして、まことにありがとうございました。心よりあつくお礼を申しあげます。
ホームページで知ったときから切望していましたが、非売本を買いたいともいえず、残念ですが諦めておりましたので、思いもかけず分厚いご本の届いたときには「あっ」と思わず声がでました。
先生のお手になる宛書きをしばらくみつめ、テープをゆっくりナイフで開き、薄い茶色の紙に包まれたポリ袋から白い函入りのご本があらわれたときには、胸が締めつけられるような心地に襲われました。いま、息を詰めるように私が続けたひとつひとつの手順を、先生と奥様は、一冊ごとに重ねられ、郵便局まで運んでくださったのだと胸が熱くなりました。あらためて御恵与に深く深く感謝いたします。
ありがとうございました。
厚い本なのに、ハラリときれいに開いて読み易いのも嬉しく、好きな『みごもりの湖』からゆっくり頁を繰らせていただきます。
前の山からこの春はウグイスの声がよくきこえました。放射能に地震と怖いものばかりですが、先生も奥様もどうかお身体を大切になさってお元気におすごしくださいまいよう。
別便にて岐阜の酒少し、お祝いに。
十日に着くよう手配しましたが、下戸のメガネゆえ、味の方は?でございます。 各務原市 山中以都子 詩人
* 詩人とのお付き合いではもっとも早く、深いたしかな詩作を介して識りあった懐かしい友人。ペンの会でたった一度会っただけだが、人とのほんとうの出逢いはそれでもいい。つなぐものは、作と作品。
☆ このたびは
「選集」第一巻をたまわりまことありがとうございました。
造本の美しさはまさにすばらしい美術作品で、手に持つこともためらわれるような輝きを放っています。それでいて手にしたときの質感もこころよく、実に読みやすい組み方もすばらしいと感じ入りました。まさに電子書籍では絶対味わえない本の醍醐味にしびれる思いがいたしました。
本当に貴重なご本を頂戴できまして感激いたしております。 元中公文庫編集者 青田吉正
☆ 秦恒平 様選集拝受いたしました。
平凡社の岸本です。少々ご無沙汰してしまいました。
ゴールデンウィーク明けに出勤してきましたところ、函入クロス装の、いまどき大変めずらしい、とてもとても立派な本が届きました。
本当にありがとうございます。貴重な本をご謹呈いただきましたこと、とてもうれしく思っております。
近畿を縦横無尽に駆け巡る物語、この本の造りに見合うじっくりとした速度で味読できればと考えております。
安倍政権が長期化してきそうな様相を呈し、とても憂鬱な日々ではありますが、憲法問題など、自分のできることを考えていきたいと思っています。
本当に近々お会いしたいものですね。こちらへお出ましの際には、一声おかけいただければ幸いです。
まずは取り急ぎ、拝受の御礼まで。
引き続き、今後とも何卒よろしくお願いいたします。 平凡社 岸本洋和 編集者
☆ お二方が
手塩にかけられた「選集」をいただき、ありがとうございます。
「湖の本」出版の当然の行き先として、ご自身で「選集」をつくられた事を、およろこび申し上げます。
梱包をまた元の通りにして、お二方のおこころ入れを想い、日にさらされたりしない処に、まずはしまい込みましたよ。おわらい下さい。 豊中市 安川美沙 著者夫妻友人
☆ 謹啓
先生の選書、ご創刊おめでとうございます。
ありがたく落掌いたしました。 私にまでご恵贈下され お心尽しもったいなく感謝に堪えません。
福田恆存先生の奥様から湖の本をいただいたのが初まりでした。 どれほどの歳月がたったことか、 たくさんは読めません 私の読めるものだけを読んで楽しんでいます。
お蔭さまで私達は元気です。連休に入っていますので忙しいです。老妻はこゝが一番に気が楽ですと釜前に立っているのです。時たま娘と交替しているのがみえます。
近頃の気象はこんな山間まで激しい変化もみせます。それだけで何か不安があります。穏やかな四季のめぐりを願っています。
湖の本は私が読めない分は若いもの達が読むかも知れません。
先生のご健康 ご健筆を念じ上げます。 敬白 山形村山市 あらきそば主人
* どれほどの歳月か、毎年桜桃忌の日を、いわばわたしの二度目の誕生日がくると、きまってあらきそばの芦野さんから美しい珠玉の「桜桃」がどっさり届く。どんなに心嬉しく戴き続けてきたろう、そしてその向こうに、福田恆存先生と奥様のわたしへの有難いご厚意とご支援とがあった。
☆ 拝復 秦恒平 様
『秦恒平選集 第一巻 みごもりの湖 秘色 三輪山』
なんともまことに有難く拝掌致しまL た。とてもよく似合う篆書体の題名を見つめ、函からするりと抜け出た本の背中を見つめ、こういう本がこうして出来上がって、ここまで届けていただき、これはすごいことだと感激しております。あつくあつく御礼申し上げます。
これは、昔の煎餅屋の長半纏を着たまゝねそべって読んでいては申し訳けないなぁと、この幸運をかみしめております。こんど浅草寺へ行けたら、観音さまに言うてやります、「おれ、秦さんに また すげぇ本もらっちゃったんだ」って。
秦さん くれぐれもおだいじにしてください。
わたしはなんとかがんばっております。 敬白 千葉市 勝田貞夫 e-OLD友人
☆ 秦恒平様
この度は限定本「秦恒平選集」の御刊行おめでとうございます。
立派な装幀で小説を読まして頂くことはまた格別な心地です。
今後もお身体お大切にお元気にお過ごしなられますようお祈り申し上げます。 妻の従弟 濱敏夫
2014 5・7 151
* 朝、早々に、たくさんな郵便を受け取る。「選集①」の造本、装幀、印刷等々、ほぼ絶賛というにちかく、中途半端なことをしなかったのをわたし自身も喜んでいる。健康がゆるしてくれれば、巻数を増して行くことは当然のように出来るし、恥ずかしくない作を十分用意してある。心静めて、ただただ文学のことを思って努めたい。
陶淵明の劉柴桑に和した詩の結びちかくにこのような詩句が読める。わたしの胸にもっとも当然のようにしみ込んでくる。
☆ 陶淵明の詩句を読む 「和劉柴桑」より
栖栖世中事 栖栖(せいせい)たり 世中(せいちゆう)の事、
歳月共相疏 歳月と共に相疏( あひそ) なり。
耕織称其用 耕織は其の用に称(かな)ふ、
過此奚所須 此れを過ぎては奚(なん)の須(もとむ)る所ぞ。
去去百年外 去り去りて百年の外(ほか)、
身名同翳如 身名 同(とも)に翳如(えいじょ)たらん。
世の中はあわただしい動きを見せているが、歳月の推移につれてわたしはますます世事と疏遠になり、世間もわたしを忘れてしまった。畑仕事と機織りとで日常の用は足りるのだから、これ以上、何を求めるところがあろう。百年の一生が過ぎ去ってしまえば、このからだも名もひとしく消え去ってしまうのだ。
(栖栖)あわただしく不安なさま。(称其用)必要とする費えにぴったり合う。(翳如)湮没して跡かたなくなる。如は形容詞の語尾。
* つまりいまわたしの生きて為し成していることは、浮幻の道化にひとしい自若の楽しみに過ぎない。あっはっはと笑うているのである。
☆ 拝啓
このたび選集第一冊を恵贈くださりありがたくお禮申します。立派な重厚な造本にて、自費出版のこと、おこころざしを感じました。
また御體調のこと、年齢からやむを得ないとも思ひますが、飼ひならすやうにして、くれぐれもお大事にねがひ上げます。
小生はお蔭さまにて、三年前の心臓手術の餘後を小康にて過してゐます。
右、簡單ながらお禮まで 匆々 批評家 桶谷秀昭 藝術院会員
* 桶谷さんは亡くなった村上一郎さんといっしょに最も早い時機に出逢っている。受賞はしたもののさくふうの落差などからほぼ文壇に諦めを感じていたとき、「畜生塚」を大きく賞賛してくださり、その後も「慈子」等々こもごも引き立てて下さった。著作の交換も永く永く続いていて、大きな恩人先達のおひとりである。「おこころざしを感じました」の一句に桶谷さんとの久しい歳月が汲めて嬉しい。
☆ 拝啓
緑の美しいこの頃ですが先生には如何がお過ごしでしょうか ご無沙汰致しておりまして申し訳なく存じます
この度は豪華な「秦恒平選集」第一巻をご恵送賜りまして誠にありがとうございました 心より御礼申し上げます
この数日、選集の造本の美しさにみとれながら 大好きな「みごもりの湖」を拝読いたしておりました
新潮社の新鋭書下ろし作品シリーズの一冊として拝読した時の、昂奮をまた味わいました 新潮社版に入っておりました竹西寛子さんとの対談を、再読させていただきました 楽しく充実した数日でした。
先生がこの選集を「私家版・非売本」として刊行されるお気持を考えておりました ただこういうかたちでの刊行が、とても貴いことのように思われて、何か勿体無い気持ちになってまいりました
「創刊に際して」でお書きになっている「一期一巻」のお言葉も、「紙の墓=紙碑」というお言葉も胸に鋭く刺ってまいりました。
ただただ御礼を申し上げるつもりでしたのに、不作法なことを書きつらねました どうかご海容下さいますようお願い申し上げます
大切に大切にさせていただきます。
変化の激しいこの頃の陽気でございますので くれぐれもご自愛下さいますよう祈念申し上げております 敬具
詩人 馬渡憲三郎 藝術至上主義文藝学会会長
☆ 秦恒平先生
五月の連休も終りの日ですが少し肌寒い天候です。お元気でしょうか。
先日は私家版一五○部限定の美しい御本を御恵贈下さり誠に有難く御礼申上げます。読みやすい活字で、また御作を読ませて頂きます。只今は「湖の本」119を拝読中ですが、柳田国男の『先祖の話』について言及されており、たいへん嬉しく、また参向にさせて頂きました。 私の仕事「小鶴女史詩稿」はようやくまとまり編集に送りました。柳田は小鶴女史の没後に生れていますので、性急に関係づけることは出来ませんが、それでもやはり「血は水よりも濃い」と感ずることがありました。本になりましたらまたごらんくださいますようお願い申し上げます。
不順の気候ですが、何卒お体をお大切になさってくださいませ。 私も83歳になり、一日一日を大切に生きております。
先ずは心から御礼申上げます。 大府市 門玲子 近世女流文学研究家
* 家庭の一主婦から志を興して名著『江馬細香』で絶賛され、そのご近世女流文学を精力的に開拓して一人者にまで成っていった希有の人、湖の本の久しい読者である。
* 謹啓 秦恒平先生
新緑が一気に色増す頃となりましたが、秦先生におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、この度は『秦恒平選集 第一巻』のご上梓誠におめでとうございます。一五○部限定というこの貴重な御本を私などにご恵贈いただき、ただただ恐縮致しております。
それにしても何と品格の高い、美しい御本でしょう。装幀、函、資材、書体、余白、どこをとっても細やかな神経の行き届いた見事な仕上がりに「これは我々の携わる商業出版では決して出来ない作品だ」と、いささか複雑な思いがこみ上げて来たほどです。
そして何より、「発行者」には「秦建日子」の文字が。
誠に失礼ながら「作家」として人生を過ごしておられるお二人にとってこの上ない、いわば記念碑となるような一冊だと拝察いたします。建日子様もさぞお喜びのことでしょう。
これからこの御本の重み、手触りを味わいながら一頁一頁、大切に拝読致します。本当にありがとうございました。
おかげさまで建日子様との仕事は,私にとって何より刺激的で、胸躍るもので、今もまた新たな作品をお願い致しております。今後ともよろしくお願い申し上げます。
五月に入り急に暑くなりました。これから梅雨に向かいます。くれぐれもご自愛下さい。
とり急ぎ心からの御礼まで。 敬白 小野寺優拝 河出書房新社社長
☆ 拝復
先日は御鄭重な御言葉と共に『秦恒平選集第一巻』を御恵贈にあづかりまして、誠に有難うございました。「創刊に際して」を拝読致しまして、御上梓に到られた経緯がよく分かりましたが、改めて見事な刻字、造本を拝見して、御恵贈下さいましたことを非常に恐縮しながらも、光栄に存じました。
相変らず慌しいひびを過しておりますが、一段落致しましたら、冒頭よりじっくりと拝読致します。御芳情のほど心から厚く御礼申上げます。
併せて呉々も御体調に御留意され、さらなる御健筆をお祈り致して止みません。 敬具 坂本忠雄 元新潮編集長
☆ このたびは
著作選集第一巻、恐縮しつつ拝掌いたしました。心から感謝申し上げます。なつかしい名作をこれから楽しみ乍ら再読できますことありがたく存じます。
それより何より一五○人にお選びいただきましたこと 幾重にもお禮申し上げます。 歌人 松坂弘 歌誌「炸」主宰
* 岡野弘彦さんの高弟で、師の歌風をつきぬいてからっとした現代生活の機微を情けある表現で歌にされ、愛妻歌に快い旋律が生きる。そして短歌史にも確かな視野を持たれている。湖の本もずうっと手厚く応援して下さる。選集にもお祝いを頂き恐縮しています。わたしより少し年輩で、歌誌を堅固に創られている。
☆ Hatak さん 遅ればせながら
大変ご無沙汰しております。この度は美しいハードカバーの撰集をご恵贈下さりありがとうございました。『みごもりの湖』久しぶりに読んでみようと思います。
昨年度末に勤務先が不名誉な内容で新聞に載ってしまい、 御作『迷走』の一場面を地で行くような毎日です。
『百人一首一夕話』は行きつ戻りつしながら楽しんでいます。
あの「清少納言」が老後零落して「鬼女の形の如き女法師、顔を差し出して駿馬の骨を買はずやと」という話は、その前の「香炉峰の雪の話」の後に読むと哀れながらも、人の性格変わらないなぁ、清少納言の人となりを端的に現した話だなぁと妙に感心しました。
最近読んだところで気にかかったのは、「後徳大寺左大臣 内侍有子入水の話」。希代の琵琶の上手にしてあてやかなる内侍が、住吉の沖まで来たところで「 はかなしや」と「波の下に入」ってしまった気持ちを、短い文から読み取ることができませんでした。いまだに「なんでやろ」といった感じです。
いろいろありますが、連休には満開の桜を愛でて、桜餅に自服でお茶も楽しみました。今は稽古にも行っておらず、気の置けるセンセ方とのお付き合いもすっかりおっくうになってしまいましたが、初風炉に水差の運びで、赤楽で平出前やりたいな、と思ったりもしています。
とりとめのない話になりました。奥様共々お健やかにお過ごしください。御礼まで。
maokat 東京農業大学大学院農学研究科
(今春から母校の大学院の教授も兼任することになりました。)
* 気楽なお喋りがともに楽しめる「いい読者」で、植物病理学の研究者でありながら、古典も茶の湯も自在に話題に出来る。ときにはわたしのミスも突っ込んでくれる友人。
☆ なんとも美しい
御本をいただき ありがとうございます 限られた私家版をいただく中に加えてもらえて光栄でございます。大切に手にとらせていただきます。
ホームページで御身体のご様子も拝察し、どうかお大事にといつも願って居ります。
御陰様で私方は一同元気に変らぬ日々を過しています。 私は昨年頃から薬用植物の花を描いています。地味な小さいはなをの多い中でボタンは大きくてはなやか。もうすぐ咲くシャクヤクと共に別格です。 杉並区 藤江孝夫・もと子 中高校來の友人・読者
☆ みかんの
白い蕾が一斉に咲き出しそうに五月雨に打たれています。
秦先生、奥様「秦恒平選集」のご創刊おめでとうございます。そして早速お送りくださいまして本当にありがとうございました。
立派な装丁のご本を手にしたとき、何とも言いようのない幸せ、暖かさ、うれしさでいっぱいになりました。
ベージを繰ってひと通りパラパラとさせていただいてから、「みごもりの湖」から音読させていただきながら、言葉の響きの心地よさを実感しております。それとともに、湖の本を創刊された頃、溯って横浜でのご講演を聴きに出かけたこと、さらには集英社文庫「慈子」に出会ったときの感動やら、”徳内さん”を「世界」に連載されていらした頃、お宅へおじゃまさせていただいたこと………、懐かしい思い出でいっぱいになりました。
先生が癌と闘いながらも創作活動なさっていらっしゃるお姿に、逆に私の方が勇気をいただいている毎日です。どうぞ、ご無理なさらずに、ますますご自愛くださいますよう、オ祈りいたします。 かしこ
乱筆乱文をお許しくださいませ。心ばかり送らせていただきました。
奥様、ステキなお便りをありがとうございました。 静岡市 鳥井きよみ
☆ 昼間は
汗ばむような陽気になってきました。
御高著『秦恒平選集』第一巻拝受致しました。心から御礼申しあげます。格調高い一巻で、観ているだけで、嬉しくなります。別便にて寸志をお送り致しました。第二巻も楽しみにお待ちします。 歌人 藤原龍一郎
* 「非売本」と決める前からご希望のあった湖の本読者があった。不公平があってはいけないので、そういう方からは「お志だけ」を頂戴することにした。
☆ かお吏です。
おじいさまの選集、ありがとうございます!
こんなに立派な本を頂戴していいのかしら、とドキドキしながらページを開くと、おじい様の似顔絵が。
いつもと違い、作家の顔をされていますが、とっても素敵な絵です。
後書きには、おばあ様のこともチラホラと・・・
何だか、この本をすごく愛おしく感じます。
大切に読ませていただきます。
お2人にお会いしたい、と主人が言っていました。聞いたら、5月**日または**日の昼は空いているとのこと。
初めて会う方には緊張する性格の主人ですが、ご迷惑じゃなければ、4人でお会いできますでしょうか? 亡きやす香の親友
2014 5・8 151
☆ 前略『湖の本』119
興味深く拝読。当初は幅広い読書歴に感心。やがては数册の書物を、つねに並行して読み進めることに感服。近頃では読む端から忘れて行く我が身の劣化に比し、五歳程年長の貴先生の記憶力に驚嘆。そして読後には、読書が「はんなり」と「幸せ」と言い切り、通院・闘病の中にも、気力は衰えず、「書き」「読み」読けていこうというお言葉に畏敬。
ありがとうございました。 敬具 歴史学 二木謙一 名誉教授
* 小和田哲男さんと同じに、やはり編集者青田吉正さんに感謝の青田会で知り合った。大和田さんも二木さんも、戦国歴史劇の考証支援などよくされている。
☆ 秦先生
先生が新宿の河田町にお住まいのころ茶道をお教えいただいた***直*です。
おはようございます。
4 月 25日15時に母 **子が永眠しました。
91歳です。
なぜか、父 伯 と同じ年齢で亡くなりました。
前日まで元気でした、倒れているのを姉 *子が朝発見して救急搬送でかかりつけの慶応病院に搬送してもらいちょっとあんしんしたのですが、意識を取りもどすことはなく息を引き取りました。
落ち着きましたらお会いしたいと思っています。 直
*わたしたちが京都から状況のその日から新婚生活を送った新宿区河田町「みすず莊」の大家さん一家とはとても親しくしていた。お子さんが二人、姉が中学生だったか、直クンは小学生。しかも私を師匠に裏千家の茶の湯点前を習って、二家族でささやかな茶会すら楽しんだことがある。物静かな大家さん、奥さんは元気いっぱいのいい人だった。二人姉弟とも結婚のときにはお祝いに加わっている。ふたりとも、もう孫もあるのではないか。
長寿の奥さんのご冥福を祈り、ひさしぶりに直クンやお姉ちゃんとも会いたい。
2014 5・8 151
☆ 『秦恒平選集』第一巻
お送りいただきありがとうございます。
「みごもりの湖」 筋がこみ入っているので、はじめはなつかしい地名などにひかれて読み進みゆくうちに、おもしろくなり、あとは一気に読んでしまいました。
近世の小説のないまぜを、現代に生かした作品と言えるのではないでしょうか。
八日市から君ケ畑への道は八*街道からさらに折れてゆくのを地図でたしかめています。 島津忠夫 古典文学 名誉教授
☆ 秦恒平様 みもとに
緑の美しい候となりました。ご無沙汰して居りますが 御健康を取り戻された御様子を およろこび申し上げて居ります
本日は 此の度 御上梓の 美しい御本を賜わり 誠に有難うございました
何事にも 時間のかかる年となりました。少しづゝ ゆっくりと読み通させて頂きたく 存じ居ります
御門多い中 お心づかいに 厚く御礼申上げます かしこ 五月六日
姉も 元気にして居ります 京都現代美術館 何必館館長 梶川芳友夫人
* 巻紙に毛筆の美しい手紙をもらったのは、亡き谷崎先生の松子奥様いらい。追書き 有り難う存じます。
☆ 前文ご免下さい。
選集第一巻ご恵贈いただきありがとうございます。刊行開始おめでとうございます。
珠玉の三作品なつかしさが先に立ってしまいます。
お禮のみで失礼いたします。ご無事のことお祈りしております。 元平凡社編集者 出田興生
* 「展望」に『閨秀』を書き、その月の朝日時評で全面を以て吉田健一先生が絶賛して下さった、それより何日も前に、突如として勤め先の医学書院へ、平凡社刊二大册の『大辞典』を背負って会いにみえたのが出田さんだった。「閨秀」を読んでどうしても会いたくなりまして、と。何十巻を二巻に縮刷した「大辞典」はおみやげにと。びっくりし、嬉しかった。その後は、出田さんが平凡社を退かれるまで、またその後も、家族ぐるみで仲よくしてきた。お嬢ちゃんが三人いて、よく遊びに来てくれた。いちばん上のアオちゃんは、いま中日東京新聞で大活躍の記者生活をしている。受験してパスしましたと報告に来てくれた日を忘れない。
「選集」をお祝い頂いた。感謝。
☆ 選集御恵賜感謝
お心のこもった選集をいただき、またお手を煩わして送っていただきまして大変感謝しています。
選集をご用意されておられる様子を読ませていただいています折、まさか私共へまでご贈呈いただくとは夢にも思いませんでした。
ご本を手にしてもまだ夢のようで、嬉しく恐るおそる包装を解きました。
皆様が異口同音に感嘆されているとおり豪華なご本に思わず声をあげて主人を呼び立てたことでした。そして二人で口々にお祝いを言わせていただきました。
主人からもお祝いとお礼をよろしく伝えて欲しいとのことでございます。
分厚いご本もすっと手に馴染み文字もすっと目に入ってきました。
しばらくは立ったまま思わず読み進んでいました。
「みごもりの湖」を始めて読ませていただいた時の気持ちが甦り、哀しみの感動まで思い出されてしまいました。
奥様、建日子様のお力添えのもとのご誕生本当におめでとうございます。、
本棚より新潮社の若い日の箱の横のお写真も懐かしい「みごもりの湖」や、筑摩書房の「秘色」を取り出しました。
45年発刊された「秘色」には「一草一花」とサインをしていただいていました。
また何時も新しいご本の発刊の折には時々の言葉をいただき、かみしめて味わせていただいています。
「清経入水」のご本以来、秦様の作品に導かれるように、歴史やその近辺、そして能の世界、謡曲へと興味を持つことができました。私の日々に彩を与えていただきましたことを改めて感じました。感謝いたします。
連休にはお二方にお目にかかれる機会を私の不養生で断らせていただき大変申し訳ございませんでした。
おかげさまで、体調も元に戻ってきたようです。少しの間にも庭の草などがはびこり、、今朝は雷などが来ない前にと草抜きなどをして過ごしました。ありがとうございました。
奥様の検査が恙なく終了しますように。これからのご健康の日々もお祈り申し上げ
ます。 練馬区 持田 晴美 妻多年の学友
* わたしの知る限り、半世紀の余も、この人ほど意志的に向上心を燃やして意欲的に生きてこられた女性を多くは知らない。能を習い舞い、城郭に関心を寄せて勉強し旅も重ね、海外へもためらいなく行かれている。ただの遊楽でなく、ひとつひとつ実践の意義を身内に積まれて、口はばったいが、しっかりとしかも謙虚にぐいぐい成長されていることに感じ入る。わたしの仕事へも、途切れることなく支援を戴き続けた。感謝して余りある。
☆ 選集第一巻刊行
おめでとうございます。しっかりと函入りで、格調高い重厚な装丁、造本は本当に素晴らしく、我家の大切な宝です。
我家には昭和49年9月20日刊行のみごもりの湖初版があり、竹西氏と対談も写真付きで添付されており、若き畑先生の意欲あふれるお写真を久しぶりに取り出し、なつかしく拝見しました。本当にありがとうございました。 愛知知多郡 久米則夫
☆ 秦先生
梅雨前の束の間、花も緑も美しい、さわやかな季節となりました。
その後ご体調はいかがでいらっしゃいますか。
年齢を重ね病を得てもなお、たぶんそれだからこそ尚なのでしょうが、ますます冴えわたる社会への感度・精神力・気力にいつもいつも感服しております。
さて私事、本年3月末をもちまして退職、それに伴いまして、メールアドレスがほんの少し変更になりました。「g.」が追加されます。
お知らせすべきか迷うところではありますが、なにかの折、アドレス不在となるのもかえって失礼かと思いました。よろしくお願いいたします。 米
* こういうご連絡、有難い。どういう成り行きか、いつのまにか有ったと思っているアドレスの消えたり違ってたりすることがある。ご手数、感謝。
* 能美の井口さんから懇篤のお手紙に添えて、此度選集の「発行者」に印稿を添えた「秦建日子」「建」の印を、私に吊って飾れる「秦恒平選集」の刻板二種ならびに、用意して頂いていた各刻字五印を、頂戴した。布装そのままの色板に置かれた金の五字が映え映えと美しく、柱に掛けている。やす香の写真と御舟画の牡丹にはさまれ、さらに奥に谷崎潤一郎の筆になる「鴛鴦夢圓」のめずらかな揮毫が一連を成してダイニングを飾っている。井口さん、有り難う存じます。お誕生日の御健勝を心より嬉しくお祝い申します。
☆ 五月八日、八十二歳になりました。
この誕生日に、いい思いをさせていただいたことを、しみじみと感じています。
連休中に集ってきた子や孫たちに、あの本を見せびらかして、得意になっています。
さて、過日表紙の見本を見せていただいた時、仕上りがとてもきれいにできていましたので、強くは申しあげませんでしたが、あれは「印稿」のつもりだったのです。あの字を印字して、篆刻に仕上げればと思っていたのです。お電話でそのことを申しあげたのですが、そのご依頼もなく、そのままの方がいいように思い、結果をお待ちしていました。
実は、『選集』のあとがきーー「創刊に際して」を拝見しましたところ「刻字を表題に頂戴した」とありましたので、動揺しました。そこで刻字がなければならない思い創った次第です。字体は、印稿よりやや太めになっていますが、木が損いやすいのでーー技術が至らないせいもあります。
表題のご依頼があった時(案として)お示ししたのは、篆刻によるものです。いつでも応じられるように石を準備していたのですが、前述のように、「見本」の出来がよかったので、折角材料もあるし、印稿も認めてもらったので、自分なりの記念に、彫ってみました。
額は、以前に短冊用に作ったのですが、計算違いで寸足らずになってしまったのを利用しました(ありもので失礼ですが)。ガラスまで取りはずせば、「刻字」の方も入れることができます。拙い作を飾ってくれと申しあげているわけではありません。決して私の遊びに入ってくださいと申しあげるつもりもありませんので、そこをご理解ください。
同封のハンコ二顆は、発行者へのごあいさつです。建日子さんには、ハンコの趣味はないかみ知れませんし、あくまでも、私の一方的な押しつけなので、私の気持だけお受取りくださって、適当に処置してくださるようにお伝えください。
当分このいい気分が続きそうです。本当にありがとうございました。どうぞ巻が重なること、お体お大切にとお祈りしています。
奥様、御子息様に、よろしくお伝えください。
五月八日 井口哲郎
秦恒平様
* わたくしが、いかに果報者であるかを、だれもだれもが分かって下さるだろう、心底、ご芳情に御礼申し上げ、数々のご無礼をお詫び申し上げます。
わたしはまだ手先がしびれて震えているので、まして、たださえ昔からハンコを捺すのが下手であったので、実は「印稿」を有難く使わせて頂いた。「印稿」は理想的に印影が仕上がっている。わたしが不出来な私用の印肉を用いてあり合わせの紙に捺してでは、作の出来をずれたり揺れたり損ねてしまう。また印刷所の人たちにいいように捺して下さいとは言いたくなくて、美しい「印稿」に感謝してこのように製版をと依頼した。結果的には大成功であった。その上に、今日のような品品にして頂戴できたというのは、冥加に過ぎる嬉しいことであった。井口さん、有り難うございました。『秦恒平選集」の「短冊額」、それは映え映えと私達の身近か間近かに輝いています。それも、いつかは建日子に預けて後事を託し得ればと願っています。
2014 5・9 151
☆ すばらしい
特装限定の御作、私如きに、とただ恐縮しております。元々、御縁のない身で、ただ御作に敬服して片言をさし上げただけの一読者、喜んで拝読、たいせつにいたします。
ありがとうございました。 劇作家 山田太一
☆ 若葉 青葉が日の光にかがやく美しい季節になりました。
このたびは いよいよの『秦恒平選集』のご出版 誠におめでとう存じます。 また貴重なご本を頂戴することが出来ました 身のしあわせ、本当に嬉しく存じます。 ありがとうございました。 私が
はじめて先生のご本を読ませていただいたのは 思えばはるかの昔、 『清経入水』ではなかったかと記憶いたします。 すごい作家が出たから 読んでみよと言われ、 それからはずっと お作品 注目して拝読してまいりました。
このたび選集第一巻の『みごもりの湖』『秘色』『三輪山』も拝読しているはずですが、 昔 おいしいお菓子をたべて そのおいしかったという味だけがしっかり残っているーーといった感じで、内容はぼやけてしまいました。 このたび あらためて しっかり読ませていただきたいと考えております。
それにつけても このたびのご本の装幀のご立派さ、このような みごとなご本 最近 なかなか手にすることが出来ません。私の
本棚の特等席、『漱石全集』のとなりに並べさせていただくつもりでおります。
最近は うみの本がとどくたびに まず あとがきを読んで おからだ おさわりないかと思い、お元気なごようすであれば 安心いたします。
くれぐれも 御身お大切に、奥様とお二人で お元気におすごし下さいますこと お祈り申しおります。 歌人 東淳子
* 国立近代美術館の村上華岳展で特別講演したとき、奈良から来て下さり、あとで豊かな薫りの大きな匂い袋を頂戴したのを覚えている。お目にかかったのはその時ぎりだが、東さんの短歌には、出会いの当初から深く心惹かれ、その歌境といい表現といい質感のただならぬを覚えつづけてきた。世間でもてはやされる高名な親分・姉御型の人ともお付き合いがあるが、東さんの哀情をたしかな言葉で精錬された静かさ毅さみごとさをわたしは殊に敬愛してきた。
☆ 謹啓
立派な御本をお贈りくださいまして 誠にありがとうございます。
五月三日は私の誕生日でした。その日に大きな大きなプレゼントを頂戴し 早速 主人にも報告いたしました。
夫と別れて二十五年の間 彼の残してくれたものを大切にしながら生きてきたつもりです。まるでその御褒美のように思いました。
本当にありがとうございます。
先生と奥様がいて下さいます事が大きな励みになっています。
どうぞ御自愛下さいまして、一日でも長くいらして下さいませ。
御本はこれからゆっくりと心の糧にさせていただきます。 ありがとうございました。 敬具 滋賀湖南市 小田敬美
* ご主人は『湖の本』創刊以来熱烈な愛読者で、またみごとな趣味の人であった。ことに、漬け物の名人。亡くなられてからも奥さんはご主人の思いをついで熱心に応援して下さり、加えて毎年丹精のじつに美味しい梅干しなどを送ってきてくださる。近江の湖国は生母の故国。滋賀の酒は美味いのである。小田さんは、こころにくく見つくろって美酒もとどけて下さる。一度もお目にかからないが懐かしいありがたい読者である。
☆ 前略
ゴールデンウィークに十日も続けて店をお休みいたしました。 主人の故郷の富士宮で休みの大半を過ごし 帰宅いたしましたら御本が届いておりました 非売本 特装限定本の貴重な一冊を賜るにはあまりに資格不足まことに到らない読者です
走り書より長く書きますとボロが出てしまうので日頃失礼しておりますが 今回は拙くてもと心を決めました。
形容しがたい御本 品位と存在感のひしひしと迫ってくる外函 人の温もりを感じさせる表紙の手触り 何度もさすってしまいました
心より御礼申し上げます
どうぞ御身御大切にお過ごし下さい 村上開新堂主人 山本道子
* 「湖の本」を創刊したのは二十八年前の桜桃忌。三巻ともつまいと嗤う人多く、わたし自身もせめて十巻もと薄氷を踏む思いだったとき、この「志」を応援しないでいることは出来ませんと言ってきて下さったのが、大きな励ましになり前途へ立ち向かう気力を戴いた。忘れられない。病気の間も、本を出すつど此の有名な老舗のクッキーがびっしり詰まった御見舞を戴き続けていた。半蔵門まえに「ドーカン」という洋食の小粋な店を出してられた時期もあり、じつは、雑誌等にもよく登場されていた海外料理のシェフでもある。根は京都にあったお店で、一度ゆっくりお話ししたいと思うお一人である。
2014 5・10 151
☆ 「湖の本119}
最大に共感、感銘、敬意をもって一行一句 拝読いたしました。
ありがとうございました。 元「展望」「文藝展望」編集長 原田奈翁雄
2014 5・10 151
☆ 拝復
秦恒平選集第一巻
御恵贈下さいまして 深く
感謝申し上げます 私こと
金沢ふるさと異人館と鈴木大拙館の館長を勤めておりましたが、昨年退任し、この一年はぼんやり過していました 「これからだ」というのが信条であるはずなのに、何だか これまでだ、のような一年でありました。
ご出版には、大きなムチを頂きました。
まことにささやかながら、金沢のお菓子をお送り申し上げます 敬具 劇作家 松田章一
* 井口哲郎さんとともに数々のご厚意を戴いてきた。金沢市で、国語の先生方に平家物語から「院と女院」の講演をしたときだったか、講演ひとつではもったいないと、金沢大付属高校千人の生徒のあつまる大講堂での講演会を松田さんがご用意してくださった。その講演が、「手・私・外」の三点からあえて若い人たちにぶつけた「私の私」であった。「湖の本エッセイ25」に入っている。講演の晩には市内でご馳走にもなった。
松田さんは大学高校の先生であると同時に多年歴戦の劇作家としても活躍されてきた。「湖の本」にもずうっとお力を添えてきて頂いた。「これからだ」の信条でまだまだご奮発願いたい。
金沢や小松には知己が多い。それだけで限定本の大半がなくなるだろう、涙をのんでご辛抱願っている。
☆ 秦先生
新緑が眩しい日々、お元気のことと存じます
先日は夜分お電話で失礼致しました。
嬉しくて、ついお声を聞きたくて。ありがとうございました。
改めて 選集のご出版おめでとうございます。
思いがけず、私にまでお贈りいただき、本当に夢のようで厚く御礼申し上げ伸す。近くに置いて、ながめては読める幸せを噛みしめております。
早いもので、私が二十代半ばで先生の作品を手にしてからもう四十年がたちました。明日五月十日で六十五歳になりますが、その間の学恩、書恩の深さに心から感謝して、でも大して良い読者ではなかったなーと反省しきり、冷や汗がでます。子育てや仕事に追われ、今も市民活動に肩入れして文学の方はお留守になっています。反原発、沖縄支援と問題山積の日本ですが、その思想を形成する源になったのは、やはり先生の強固な政治への批判に育てられたのだと思っています。人間として動かねばならないとの一念で頑張っています。幸い仲間に恵まれ、沖縄への連帯ツアーにも行き目を開かされました。読書会や政策研究など多忙な日を送っていますが、これが私の性に合っているようで、健康に留意して今後も活動していきます。
先生も少しづつ、お元気になられて安堵しておりますが、あまり無理なさらず、お仕事を楽しまれますように、小説の方も心待ちにしております。
積ん読なりがちですが、時間を見付けて読み進めていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。
和菓子がお口に合うかわかりませんが、奥様と二人 お茶をたてられる時にでもご賞味をと、こちらの干菓子をお送りします。京都にはかないませんが…。
そしてお祝い 些少、是非ご嘉納下さいませ。今回は決して「湖の本」の書籍代にあてないでとお願い致します。
では私の誕生祝いとして先生の本をありがたくいただき、もう一度お禮申し上げてご挨拶とします。
どうぞ奥様にもよろしくお伝え下さいませ。 金沢市 金田小夜子 作家・市民活動家
* 金沢の和菓子は京菓子とならんで天下一品、それが一日に二箱も戴けて、酒と同じほど和菓子好きのわたしはほくほくと喜んでいる。感謝、感謝。久しく久しい「いい読者」にも感謝。
2014 5・11 151
☆ 秦恒平様
『秦恒平選集』の創刊をお慶び申しあげます。
選集の第一巻をご恵贈賜りながら、お礼状が遅くなりまして、何卒おゆるし下さい。私、ここ三週間ほど福岡ですごしておりまして、一昨日こちらへ戻って ご高著を拝受しました。
この選集のことは、「湖の本」第百十八巻の巻末に予告で知らされ、わが身の(私は昭和九年生れ)気力、意欲の低下にひきかえ 秦さんの強靱な作家魂に圧倒される思いでした。 いつも「湖の本」を拝読しながらお礼状を怠っております私に、こうして貴重な特装限定本を贈っていただきまして感謝もひとしおです。
そのうえ、わざわざお優しいお手紙を、「湖の本」につづいてこのたびも添えていただきまして、ご厚情ほんとうに嬉しく見にしみています。拙著・野上弥生子は、あれぽっちの評伝に五年以上も手間取ってしまい、自分でもあきれています。
第一巻に収めてある三作のうち「三輪山」は、「太陽」で印象深く拝読しましたが、あとの長編二作は未読です。叮嚀に読みたいと思います。生来の遅筆に加えて遅読になってきているので、とり急ぎお礼状を先にしたためます。お礼が遅くなりましたことを、くり返しおわび申しあげます。
ご安泰を、心よりお祈りしております。 岩橋邦枝 作家
* 岩橋さんの評伝「野上弥生子」は思わず羨望の思いがしたほど優れていた、簡明でかつ感銘に富み、批評も的確で感心した。受賞されたのは当然である。いい仕事に出会うのは嬉しいものである。
☆ 拝啓
過しやすい季になりました。ご闘病のこと案じておりますが、脱原発・非正規雇用等々の厳しい告発の意気に感服、正論がどうして正論として通らないのか不思議でなりません。
この度は思いもよらず、私家豪華版ご選集お送りいただきありがとうございます。「死なれて・死なせて」が迫って しみじみ人間の業について考えこんでしまいました。大変光栄なことと身にしみてありがたく、ただよき読者でありえないこと恐縮です。
父母の郷里は秋田で母方の祖父は小杉天外の友人でした。天外さんがご帰省の折はしばらくご滞在、秋田の物お送りすると(物資不足の時代でもありましたが)喜んでくださったとの話思い出し、うどん少々お届けしました。お口にあえば幸いです。
味読重ねたうえでお礼言上すべきところ 「風の奏で」につきお問い合わせのこともあり、同封。 枕頭の書として参考源平盛衰記あげていらしたこと思い出し、盛衰記の緻密な考証を試みられている早川さん以下国文畑の方々(早川さんは抜刷お申し込みいただければ送ってもらえます。)及び 参考本未収録の延慶本のこれまた緻密な考証ご担当の佐伯さん以下の名簿(担当の方多く赤丸印の方が編集責任、他にも多くの名前が載っています。) とりあえず、註釈に絞った名簿です。
ご健筆、ご発言に接したのもしいかぎり、どうかお揃いでお大事に。
着到、ご返書ご放念ください。 信太 周 神戸大名誉教授
☆ 前略
このたびは「秦恒平選集 第一巻」をお送りいただきました。このように美しい本を それも百五十部刊行の本の一部をいただいて、心より名誉なことと感激しております。
どうぞ、お健やかにおすごしください。 関川夏央 作家
☆ ご清祥の御事とお慶び申し上げます。
この度は恩高著『秦恒平選集』第一巻をご恵贈賜り、心より御礼申し上げます。
愉しみに拝読させていただきます。
益々のご自愛、御健筆をお祈り申し上げます。 瀬戸内寂聴 作家
☆ 貴重な御高著を
お送りいただき、有難うございます。恐縮しております。「秘色」を読むと、大津界隈に旅に出たくなります。
秦さんの古典の強要の深さには頭が下がります。
ここ何年か、谷崎についての仕事をしているのですが、秦さんの谷崎論をよく拝読しております。 川本三郎 作家・批評家
☆ 緑の美しい季節になりました。
この度は 素晴らしい「特装限定本」を御恵贈下さいまして、誠にありがとうございます。
大切に拝読させて頂きます。
篠田も くれぐれもよろしくと御礼を申しております。
気候が不順な折 御身体 御自愛下さいませ。 御礼まで 篠田正浩・岩下志麻 映画監督 女優
* 神奈川県文学館も法政大学からも 受領挨拶あり。
☆ 秦恒平様
緑の鮮やかな季節になってまいりました。
ところでこんなにすばらしい布装函入りの少数限定本を私が戴いていいのでしょうか ただただ恐縮しております。
『みごもりの湖』は冒頭の部分を読むだけで胸がキュンとしてしまいます。やはり私にとっても原点だったと思います。病をかかえてもなおこんなにすばらしいお仕事をされるとは ただただ尊敬するばかりです。
何かお礼にと考えまして 主人と相談して 我が家でも愛用している国産ハチミツにしました。郡上の古今伝授の里で買い求めたものです。 毎朝ヨーグルトに入れて食べています。
御本は 大切に 石井家のお宝にさせていただきます。
本当に 心よりお礼申し上げます。 岐阜各務原市 石井真知子
* 湖の本創刊のずっと以前からの久しい有難い「いい読者」で、湖の本は欠かさず三册ずつ買い上げて頂いてきた。感謝しきれない。酒だけでなく甘みのいつも恋しいわたしは、いいハチミツをいつも頼みにしている。有り難う存じます。
上越市の光明寺さんから、りっぱな筍を二本、頂戴した。筍は子供の頃から大好き、ことに出汁のきいた筍飯、大好き。嬉しく頂戴します。
2014 5・12 151
☆ お元気ですか。
お元気ですか、みづうみ。
選集はもったいなくて、何度も取り出しては頁をめくり、書物の宝石のように、色々眺めて一人悦に入っております。二十巻揃ったら最高でしょう。想像するだけでアドレナリン全開。どうかどうか長生きしてくださいませ。
みづうみにお訊ねしたいのですが、わたくしにお送りくださったご本の記番を教えていただけますでしょうか。立派な刻印すぎて何と読んだらいのか迷っています。「参」でしょうか? いくらなんでも調子に乗りすぎ? 教えていただけると安心して眠れます。こそっと教えてくださいね。
少し前の話ですが、日経新聞に梅若万三郎の「江口」について「品位高雅な万三郎」と激賞記事が掲載されていました。その中で面白かったのは、能役者は力量が落ちると決まって顎が出るものだという一文でした。みづうみはこのようなこととっくにご存じでしょうけれど、わたくしは初めて知りました。万三郎は「過不足なく顎が引けて面の表情に締まりがある」という解説に、能の見方の一つを教えられました。たしかに能面は顎の位置一つでまったく表情が変わってしまうものです。
能に限らず、舞でも、ファッションモデルでもほんとうに顎の位置は大事で難しいものです。武原はんが若き日に稽古をはじめた頃、顎が出る癖があってそれを直すのに大変苦労したと読んだことも思い出しました。
それから、「かほどの名手がこれまで公的表彰に恵まれない不思議。いつの時代も俗世の栄典は巡り合わせか」という演劇評論家村上湛さんの義憤は、わたくしが文学者秦恒平にいつも抱いている感想です。
今の日本にいいニュースは何もありませんが、ささやかな朗報は、昨年と同じ巣にツバメが戻ってきたことです。人間が近づいてもちょっと小さな黒い頭を傾げるだけで、じっと卵を暖めているようすです。それはそれは可愛らしいのです。でも、昨年のように生育の遅いヒナ(かならずそういう一羽があるらしいので)に気を揉んで一喜一憂するのだろうと思うと、嬉しいばかりでなく複雑な心境でもあります。今年もどうか全部のヒナが元気に巣立ってくれるように今からお祈りしているところです。
最近鳥や動物や花ばかりに心惹かれています。不健康な精神ですが、もう人間界にはバカばっかり多くて、自分もその中に入るとはいえ、うんざりしています。
静かに狂っていく祖国をどうしたら取り戻せるのか、まさに巨象に踏みつぶされる蟻のように途方にくれています。たとえば、明治大学や慶應大学で学生が憲法改正反対の集会を開こうとしたら禁止されるというニュース。現行憲法を守ろうとすることは当然の正義であって、決して反社会的な運動ではありません。深刻な学問の自由の危機にありながら、当事者の大学そのものが憲法改定を是としているとは! 憲法を変えようという今の自民党議員の某は立憲主義は国を滅ぼすといい、別の議員は国民に主権があるのは間違っていると言っている状況で、危機に無関心な国民が多すぎます。
安倍総理はイギリス金融街でのスピーチで年金128兆円を株投資にと表明し、この年金運営の関係者を安倍首相の友人らに変更するというニュースにも驚きました。国民の年金で博打打ったら、将来年金がなくなると心配するのはおかしいのでしょうか。国民がそのような大事を一任したおぼえはないはずです。
ここまで来たら日本が崩壊するまで長生きしないのが一番ですが、こればっかりは自分の意志ではどうにもなりません。「死ぬまで生きる」ことの困難さにどうやって立ち向かっていくのか、今ほど問われていることはないでしょう。孫・子の世代に放射能にまみれたファシズム国家を残す罪におののきます。この異様な流れを押し戻すことは可能なのでしょうか。「堪えて起つ」どうやって?
みづうみはすでにこの現世に達観の境地に達していらっしゃるかもしれません。わたくしの日々はツバメの再訪を喜ぶしかないくらい絶望していますが、今はたとえ祖国が滅びても、せめて日本語、日本文学だけは滅ぼさないために、自分のようなものでも出来ることはないか考えています。
さて、みづうみのご出版記念のお祝い何にいたしましょうか。考えているときはちょっと幸せで、その幸せを大切に生き続けるしかございません。
お元気でいらしてくださいね。 蕗 あらはれて流るる蕗の広葉かな 素十
* すこしウツケていると、すかさず「喝」が来る。芯に当たってくるので堪える。だが有難い。とろとろしていられない。こういうメールこそ、恐縮の「祝ぎごと」と感謝しています。
2014 5・12 151
* 市内の堀上謙さんの在宅を確かめてから「選集①」を届けに自転車で走った。壱岐対馬のいい焼酎がある、いらっしゃいと言われたが飲むと危ない、ではお茶をと訪ねていったが、やはりお茶では済まず、わたしの方から奥さんにその「壱岐対馬」の「ジンク」とか「ジンタ」とかいう焼酎をねだって、二、三杯いただきながら歓談、無事に帰ってきた。おみやげに韓国製のジンロ酒などもらってきた。ま、わたしがそんな風に訪ねて行けるのは堀上家だけ。
* 帰ったら竹西寛子さんから上等な胡麻豆腐をたくさん戴いていた。恐れ入ります。
* 昨日から食事らしい食事が出来てなかったが、今夕は、上越市の光明寺さんから戴いた、妻曰く「すてきに柔らかい」筍飯が食べられるようだ、炊けている佳い匂いが狭苦しい家中にしている。狭いながらも我が家である。「辺幅をかざらず」が佳い。
2014 5・13 151
☆ 秦先生 ありがとうございました。
「選集」第1巻落掌。
私のような者にはもったいない立派な本で、 すぐに御礼のメールを送信するのも臆したほどです。
こんな時代だけにISBNがついていない、 内容、装丁ともに豪華な本は希少で貴重で、何とも感謝の申し上げようもありません。
パソコン通信の時代から、ネットでの活動を続けてこられた先生のご著書だから尚更です。
ずいぶんメールもご無沙汰してしまって申し訳ございません。
「湖の本」を拝受するたびに、せめてメールでもと思いながら、文章を拝読して、いざ感想などを書こうとすると、先生の前には何を申し上げても空虚な生意気でしかないような気がし、延び延びになって今に至るというお恥ずかしい次第です。
最後にメールをさし上げたのはまだ、民主党政権の時代だったかもしれません。
結局、福島第一も、 誰もこれといった責任が問われないまま、時間が過ぎています。
つくづく、この国の「エリート」というのが、誰がトップに立っても同じロールプレーで椅子取りゲームをしてきた現状を、浮き彫りにしている確信すら覚えました。
元NHK の経済学者・池田信夫氏が、
<日本軍は「将校がバカ」というより「調整型のバカしか将校になれない」組織に問題があったのだ>
とおっしゃったような国の構造は戦後も同じだったわけで、実は日本は明治から今まで、ほとんど何も変わっていないのではとも思ってしまいます。
戦後の「反省」ですら、その場しのぎだったことは今になって露呈してきたような気もします。
どのように反省すれば、周囲から正解だと判断されるのか、ばかり気にしてきたり、自己満足の懺悔ばかりをくりかえしたりして、自分も含めて本当の反省とは何かがわかっていなかった…。 わかろうとする「空気」が希薄だったような気もしています。
もう僕も51歳です。
そんな言葉が非エリートの負け惜しみにならないよう、残りの人生を使っていきたいと考えています。
そういえば、大学での在籍期間は重なっていませんが、ゼミとサークルの先輩で、メールなどでやりとりをさせていただいていた山本兼一さんが亡くなったのは、堪えました。「早い」という言葉のあとに繋げる言葉がいまだに見つかりません。
人生が儚いものだ、というのは、いろんなことに例えられますが、私のように馬齢だけを重ねると、「儚い」という言葉に申し訳のないような気分になります。
とはいえ、まだ何事もできていない自分には、時間が足りないという焦りだけは募ります。
このまま空回りで終わるかもしれない、と時折、呆然として客観的に自分自身をみてみると、またそれも一興かとも、慰めにもならぬ気分にもなります。
先生はあす、聖路加なのですね。お気をつけて。
久しぶりですのに、一気にとりとめのないことを、書いてしまいました。ご容赦いただければ幸いです。
では、またメールかお手紙を差し上げます… というのも不遜な感じですね。
こんな場合は何と言えばいいのか、考えてみます。
岡崎秀俊 産経新聞大阪本社総合企画室 (「産経関西」編集長)
* こんな時節なればこそ ご健闘くださるように。そしてまたお声聴かせてください。
2014 5・13 151
☆ 拝啓
ようやく過ごしやすい季節となりました。日々お健やかにと願っております。
このたび貴重な御本の御恵投にあずかり望外の幸せを味わっているところです。
奥書によればまさに仕上ったばかり、しかもよりすぐりの作品が集められた豪華さを収めた見事な書物です。書斎の珠玉としてうれしく拝受いたします。
まずは御礼をとしたためました。
秦恒平様 ゆりはじめ 作家・批評家
☆ このたびは
選集刊行遊ばし 私まで頂戴し、恐縮しております。老齢の力もなき私、 いつもお心を寄せていただき 申し訳なく存じます。
ご病気もおさまり めでたづくめの春 お祝い申します。
私共 継ぎ紙の方たちも御病気の方多く、でも作品に熱心な方ばかりです。
これからもますもますよいお仕事を遊ばしますよう お祈りいたします。
奥様によろしく とりあえず御礼のみ かしこ 近藤富枝 作家・継ぎ紙作家 また美しい装幀で
☆ 拝啓
このたびは ご高著『秦恒平選集』ほご恵贈くださり心より御礼申し上げます 当館の資料として大切に保管してまいります
また 美しい装幀で
秦先生の作品を拝読できますこと まことにありがたく存じておれます
当館で開催中の「村岡花子展」展示図録を同封いたします ご高覧いただけましたら幸いに存じます。
今後とも当館の活動にご支援 ご協力を賜りますようお願い申し上げます
新緑の潤しい季節を迎えましたが ご自愛のうえお過ごしくださいますよう お祈り致し申し上げます。 かしく
山梨県立文学館 中野和子
* 立命館大学図書館から「選集①」受領の挨拶があった。やす香の妹、ただひとりの孫娘となった「押村みゆ希」が、立命館大学のたぶん文学部に遊学しているやに風の便りにもれ聞いているのだが、どんな一人暮らしを京都でして居るのであろう。
* 木津川の父方従弟から、京都国立博物館で開いた、海住山寺など『南山城古寺巡礼』展の大きな図録などを送ってきてくれた。今度の選集の長編『みごもりの湖』のいわば主要舞台の一環を成している。物語は、まさしく京都博物館の展示に、あり恵美押勝を湖西勝野の渚に斬った石村石楯ゆかりの供養経を語り手が見付けたところから始まっているのだ。従弟は、気づいているのだろうか。
☆ 秦恒平様
先日 京都国立博物館に、わが家の檀那寺である海住山寺からも出展している「南山城古寺巡礼」と銘打った特別展に行ってまいりました。 時々の戦乱をこの地の彼方此方で離れ避けた仏像等が 一名刹であるかのように京博の展示室に置かれていますのは不思議な体験でした。 もうすでにお手元にあるかもとは思いましたが 図録をお送りします。
併せて テレビの録画DVDも二枚。
一つは関西ローカルでのみ放送された番組での 街かどめぐりのコーナーで木津川市加茂町が紹介され、えちの店が数分登場したものです。 度々購い頂いているコーヒー豆 こんな様子で商っております。店舗は二階なのですが、少し一階の扉の所も映っております。(恒平の訪れた=)32年前と殆ど変わっていないかと。 まず二階に移した 守伯父(=恒平らは叔父。父の異母弟)の描いた吉祥天の油絵も一瞬映っています。
もう一枚は、 今、話題の富岡製糸場と加茂をつなく 横浜三渓園についてのものです。 岩田孝一拝
* ぜひ恭仁京 海住山寺などをめぐって、藤原仲麻呂、橘諸兄、聖武天皇、光明皇后、孝謙・称徳天皇、恵美東子、沙々貴山君仲子、石村石盾らの凄絶な古代的闘争、それに加えて現代の近江・京都を舞台にした繪屋菊子・槇子姉妹と幸田康之・迪子夫妻との死生と人間を懸命に問う物語を、読んで欲しい。
☆ 秦恒平様
この度は 大変貴重な「選集」をお贈りいただき、ありがとうございました。
『みごもりの湖』は 私共華族にとって文学の原点ともいえるものです。
これを機に今一度 じっくり拝読させていただきます。
気持ちばかりの品ですが お送り致します。しょくせいかつのお供に加えていただけますでしょうか?
このところ気候も目まぐるしく変化しているようです。
奥様とお二人 どうぞ どうぞご自愛下さいますように。 新潟 藤田千鶴 奈良 藤田理史
* ご両親は、はやくはやくから一貫して私の文学に声援を送り続けてくださり、ご夫妻ばかりか、じつに小学生、中学生いらい理史クンはわたしのもっとも年少かつ適確な「いい読者」としてたくさんの手紙を送って来つづけてくれ、九大へ入り、卒業して就職し、奈良県で久しい恋人との結婚生活に入った。希有かつ大事な貴重な読者であり友である。故郷へ帰ったら、ご両親のお手元でわたしの心こめた新刊を手にして祝ってください。
お母さんから頂戴した有名な加島屋のご馳走で、もう早速岐阜の「三千歳」一升瓶を傾けています。
2014 5・14 151
☆ 拝啓
青葉が風を染める季節になってまいりました。
この度は、『秦恒平選集』を賜りまして、まことにありがとうございました。
風格にみちた、まことに美しい造本の、特装限定本を私にまで賜りましてたいへん恐縮しております。
『みごもりの湖』を再拝読しているところでございます。
現世と常世を往還する作品世界のスケールの大きさに感銘を新たにし、深い識見に裏打ちされての、描く対象と交感した御文章の、力づよさ清冽さに息をのみます。
槇子の視点で描かれる世界と、幸田康之の「此の世」の章とが、別々に進むかに見えて、つよく溶け合う構成の、絶妙にも、主題がいっそう鮮明に共鳴して、神秘の境を味わわせていただきました。
健勝にてのご栄硯を心より念じ上げます。 敬具 平林たい子賞作家 梅原稜子
* 「婦人公論」に『みごもりの湖』にも趣意を汲んだ「長女論」や「化身論」を書かせてくれた編集者としての昔から、力在る作家になられて以降も、文学上のおつきあいの最も久しい親しいお一人。親友と一緒に温泉につかってのみながらわたしの『蝶の皿』を語り合いましたよと聞いたこともある。こういう過褒とは知れていても作の無いように踏み込んで感想を下さる嬉しさを満喫させて頂いた。
☆ 立派な私家版の
選集を頂きまして、びっくりしました。
良い装幀ですので、昔の(新潮)社の出版部の、装幀にはうるさかったのを思い出し、今時、こんな良い造本とは……と驚きです。
かべてご自身のご意志のままをお通しになるのにも「敬服」の他のことばもございません。
どうぞ、お大切に、御意志を貫かれますよう、お祈り申し上げます。
御礼のみ申し上げます、 かしこ 元「新潮」編集者 文藝批評家 小島喜久江
* 小島さんは、はやくに亡くなられた酒井健次郎編集長とともに、文藝出版の図抜けたプロとして最初に私の創作原稿を読んで種々指導してくださったいわば師匠にあたるお人で、「蝶の皿」「畜生塚」「青井戸」などを気持ちよく受け容れて頂いた有難い編集者だった。「意志を貫け」と。ありがとう存じます。
* 梅原猛さんからも、「選集」受領のご挨拶があった。作物を完璧に保管してくれる天理大学からも鄭重に。
☆ 拝啓
御無さたに打過ぎ失礼しておりますが、お変りなく御元気に御活躍の段 大慶に存じます。
この度は大変立派な御著作の御本をわざわざ御恵送賜わり恐縮に存じます 有難く拝受させて頂きました。
(藝術界一行としての)中国旅行のおかげで この様な御縁を頂いておりますことに感謝の念を抱いております。
御本はこれからゆっくりと拝読させて頂きますが 取り敢ず略儀ながら御礼申し上げる次第です。まだまだ気候の変化が不規則なこの頃ですが、呉々も御自愛の程祈り上げて居ります 敬具 藝術院会員・日本画家 松尾敏男
* 笠間書院編集長橋本孝さんから、激励をかねてミツバチの「巣」を頂戴した。びっくり! こんな珍しい頂き物は初めてで、何一つあまさず食べるようにと。感謝。
2014 5/15 151
☆ 秦恒平先生
初夏の気配さわやかな日々となりました。いかがお過ごしでしょうか。
私は都心でも立川でも、まぶしいばかりの新緑に慰められて日を送っております。
このたびは布装貼箱入りの豪華な『秦恒平選集』の御恵投に浴し、ありがとうございました。常々、「湖の本」を頂戴しておりますことすら、身に余る光栄と感謝しておりますのに、このような非売品で限定わずか百五十部という貴重な御本、そのような貴重書を私ごときが頂戴していいものか、と驚きかつ恐縮しております。 .
拝読したのはもう三十年以上も前のことでしょうか、『みごもりの湖』、『秘色』、なつかしいタイトルが眼に飛び込んできました。ご高配に心より御礼申し上げます。
依然としてご療養中とのこと、くれぐれもご自愛なさるよう、『選集』の完結をお祈り申し上げます。 敬具
五月十五日 国文学研究資料館館長 今西祐一郎
☆ 十日ほど前から
境内に鴬が来ています。東側と西側の両方でほぼ終日競い合って(鳴いて=)います。例年盆過ぎまで続きます。
今般も亦ご高著を恵投被下、ありがたく頂戴いたしました。私ごとき弱卆は、未使用の原稿紙を積み重ね、ためいきをつくばかりです、敬服、尊敬のほかありません。
先月七十八歳になりました。残り時間を思ってはまた、ため息という生活です。
境内産のタケノコ 総代に掘ってもらいました。
失敬おゆるしくださいませ。 合掌 上越光明寺 黄色瑞華拝
☆ 秦恒平先生 拝復
このたびは選集第一巻をご恵与下さいまして誠にありがとうございました。
このように美しいご本で先生の作品を拝読することができ、本当に幸せでした。
拝読してからお礼状をと思いまして、大変遅くなりましたこと何卒お許し下さい。それに致しましても このように貴重なご本を頂戴してもよろしいのかと恐縮しております。重ねて厚くお礼申し上げます。
以前頂戴したメールに最後の選集とありましたが、今後ともご健筆の程 お祈り申し上げております。
またお目にかかれます折を楽しみにしております。 お茶の水女子大学 谷口幸代
* 東工大の頃、お茶の水の院生として副手のように大岡山まで手伝いに来て戴いていた。名古屋市大の先生をされ、昨年だったか母校へ栄転帰還された。優れた研究論文の抜き刷りを欠かさず送ってきて下さる。わたしの作を検討された論攷にも教えられた。
☆ 拝啓
新緑の美しい季節となりました。お変りなくお暮しのことと存じます。
このたびは思いがけなくも先生の選集の第一巻を御恵投下さいまして 寔に有難く深謝申し上げます。
先生の初期の作品を立派な造本で集中的に拝読できる機会を与えて下さったことを改めて感謝申し上げる次第です。
暑い夏を迎えようとしています。くれぐれも御身体をお大切になさって下さい。
とりあえず御礼まで。 敬具 元岩波書店「世界」編集 高本邦彦
* 岩波の「世界」に招いて長編『最上徳内 北の時代』連載の道をつけて頂いた。優れた編集者との出会いこそが作を生む。書き手はそれを忘れてはならない。
☆ 秦恒平様
新緑の美しい季節になりました。
その後 おかげん いかがでいらっしゃいますか
先日は御本を頂戴致しましてありがとうございました。 豪華で もったいないような気がしますが 大切に拝見致します
初めて先生の御本を手にしました頃からの年月を長くも、また短かくも感じています
私はとりあえず無事で、学校時代の友人達と奈良や京都を歩いています。 昔のように。ではあるのですが 故障のある人が少なくなくて。 ゆっくり、 がんばらない を 心がけています。
お忙しくていらっしゃると思いますが、無理をなさいませんように、 お大切にお過ごし下さい。 尼崎市 井上温子
* わたしのあらゆる創作・著述をすべて事ともせず読み味わってくださる久しく久しい有難い読者。奈良や京都の文字どおりお似合いの人と思う。東工大に教授就任の時、何十ほんという紅薔薇の花束を贈ってきてもらったのを覚えている。
2014 5・16 151
☆ お元気ですか、みづうみ。
昨今の情勢を鑑みますと、とんでもない不幸へのカウントダウンが始まっています。思い残すことのない日々を過ごすことを考えなければなりません。
通販生活という雑誌の中で、なかにし礼さんが野坂昭如さんあての書簡にこう書いていました。
今の日本は四十四年前『沖縄ノート』の中で、大江健三郎さんが、「この国家で、民主主義的なものの根本的な逆転が、思いがけない方向からやすやすと達成される可能性は大きいだろう」と予言したとおりのことがまさに進行しております。私はただ悲しく泣きださんばかりに毎日過ごしております。
絶望しているのは、わたくしだけではないのです。たくさんのひとがどうにもならない事態を嘆いています。
みづうみ、あまり急がないでお仕事なさってください。
ご無理はなさいませんように。 忍 大岩にはえて一本忍かな 村上鬼城
* 甘くても苦くても、おもわず顔のほころぶメールがいい。
2014 5・16 151
☆ 秦恒平様
お元気でいらっしゃいますか。
大分以前に、編集室宛に、ペン会長浅田次郎氏宛の御文章、「それがあなたの常識か?」をいただきました。
大変きびしくまっとうな御批判、全面的に共感いたすところでありました。
よろしければ、ぜひこの御文章を、次号(六月刊)『ひとりから』に掲載させていただきたく存じております。
さらに欲を出しまして、「湖の本」119、「死後の刻」195頁4行目以下、196頁末行に至るまでを、併せ御紹介させていただきたいと願っております。
実を申せば、今回の御本『湖の本119 堪え・起ち・生きる』は、全巻貴重な御文章に溢れており、いたく感銘を受けました。
小誌の読者にも、ぜひこの巻を手にするよう、おすすめしたいと願い、そのための御紹介に資したいと願ってのことでございます。
なにとぞお許しをいただけますよう、心からお願い申し上げます。大病たくさんなされたにもかかわらず、秦さんのものすごいお仕事ぶりには、全く頭が下がります。 編集室ふたりから 原田奈翁雄
* 恐れ入ります。お申し越しの拙文、宜しいようにお使い下さいませ。日々お大切に。 秦恒平
☆ 有り難うございます。
呼鈴が鳴って
「宛先名前に間違いないですか?入らなかったので」と言われました
もう一時間近く経ちます
仏様の前で包みを開き あとはため息ばかり
うっとりと 眺めて あぁ と 思わず声が出て
ありがとうございます
ただ ただ 感謝です
どうぞ迪子さんもお大事に
* アドレスブックに該当のメールアドレスが無くなっていて、見当はすぐついたが、クリスチャンの筈だがと、返信メールで問い合わせた。返事が直ぐあり、見当はむろん逸れていなかった。
その前に、妻の方へもメールが来ていて転送してくれていた。
☆ ごめんなさい。
(下関の)大庭緑です
以前も、この携帯から発信したことがありましたので、ついそのままになりました
改めて、ありがとうございました
☆ 感謝 (=妻に宛てて)
選集をお送り下さいまして、ありがとうございます。
思いがけないことで、本当にもったいないことと、感謝です。
受け取って、「どうしよう、どうしよう」と言いながら仏間に駆け込みました。クリスチャンですのに。
あとはもう、ためいきばかり。
『みごもりの湖』は、夏に仏間で読む、のが習いになっています。
今年はこの立派な本を、いつもより一層うっとりしながら読むのです。
お身体の痛み、少しは軽快されたでしょうか。どうぞ、お大事に養生なさってください。
どんな言葉も追いつかないと思いながら、この感謝の気持ちをおふたりにお伝えしたくて。
ありがとうございました。 下関市 大庭緑
* 湖の本全巻購読はもとより、もっともっと以前から有難い読者のお一人で、われわれが不幸な悲しみにひしがれていたときにも、遙々と、たびたびよく励まして下さった。筑摩書房の日比幸一さんが、秦さんにはこういう読者もいらっしゃいますよと、社からの出張先から帰って、知らせて下さったのをよく覚えている。「いい読者」こそは「身内」という気持ち、変わらない。
2014 5・17 151
* 信太周先生のご紹介を戴いて、今日平家物語研究の第一線にある研究者に、『風の奏で』上下巻を謹呈し批評を仰ぐ事にした。明日にも発送できる。在庫の湖の本を、惜しまず、然るべき研究者・研究機関に贈ることにしている。読者に向けた「湖の本」活動は峠を越した。在庫を最も効果的に諸方に送り出したい。研究者、また学生で卒論や院の卒論に利用したい人たちには、可能な限り在庫を提供したい。
読者には、まだお持ちでない単行本を、ご希望に副って適宜にお頒けしたい。残部少なく要望に応えきれないものもあるが、百種にあまる単行本の手持ちに余裕有る本もかなり取りそろえている。お申し越しくださらばご相談に応じたい。
2014 5・18 151
☆ ご体調平穏にてお過ごしのことと存じます。
このたびは『秦恒平選集』の刊行開始おめでとうございます。ご家族挙げてのご協力の賜物でもありましょうか。
また、私にまで大切な『選集』の一冊をご恵与下さりありがとうございます。
うれしく、また恐縮しています。私の生きてる間、書棚の中の宝の一冊です。
美しい御本です。手に取り眺めていて、みすず書房創始者の一人小尾俊人の本に対するこだわりと情熱を思い出しました。
子息の小尾眞(東京芸大付属高校教諭)によれば「ふつうは本を手に取ると、目次をみたり中をパラパラ眺めたりするでしょうが、父は違うんですね。まず手に取った本の中を開くことなくいろいろ回して、外見をあらゆる角度から見るんです。家にいるときでも持ってきた本をテレビの上に置いて、まず存在感を確認し、これまた色んな角度から眺めるんです。そうして、タイトル文字の大きさや書体、図版や写真の選定や大きさについてあれこれ言い、わたしにどうだっ、てきくんですね。」
またある関係者は言います。「小尾さんがいかに本をオブジェとして考えていたか。しかし本はたんなるグッズではない。内容がまずあり、それにふさわしい活字・紙・造本・装丁、その他もろもろが備わって、初めて(本) になるということです。本とは内容と形式の一致である、というのが小尾さんの理想だったのではないでしょうか。」(ともに月刊『みすず』2014.4月号))。
秦さんの選集第一巻について私もそのように眺め、触れ、収められた小説との調和を思ったことでした。別な言い方で、ご本の造りには中身と照応した (和) のセンスも工夫され、独自の風味を出しているようです。
『秘色』『三輪山』と短い方を先に読了、『みごもりの湖』はパラパラと眺めた程度でこれからの楽しみにしてあります。
秦さんは奈良、滋賀、京都の歴史、地理、慣習、言葉等々を熟知、季節ごとの川の音、湖の匂い、風の向きを見分けることもできるのでしょう。それらが知識や教養を超えた実存として作品の柱となっていることを知りました。
これらは秦さんにしか書けません。
各種の小説において、奈良~平安の登場人物が現代に生きるかのように動き、また現代の登場人物の意識も古代人に及ぶ。この新旧二つの時代の往還ないし意識的な複合を目指すところにたぶん物語作りの核心があるのだろうと考えましたが如何でしょう。
古代への強い関心そして一体化は、秦さんの生育環境がもたらしたのかもしれません。
五月早々にご著書を頂戴しながら御礼申し上げるのが遅れてしまいました。
家内がたまたま腰を痛め、私が食事を用意することなどもあり、疲れ気味でした。ご容赦いただきたく。
天候不順もあり政治の右傾化もあつて、ハイネが書きシューマンが曲を付けた
「妙に美しい月、五月」
とはなかなか言えない昨今ですが、
どうぞお体大切にお過ごしください。 二〇一四年五月十八日 我孫子市 倉田茂 詩人・ペン会員
秦 恒平 様
* 懇篤のお言葉に打ち重ね、ご支援も賜った。お礼申し上げます。
☆ 秦恒平様
立派な選集第一巻をお送りいただきありがとうございます。
「三輪山」は長兄の豊嗣が橋田先生の装幀で美装本を出版したことがあるので、懐しく読みなおしました。その豊嗣も鬼籍に入ってもう五年になります。
亡くなった友人たちのことを考えると 我々も結構長生きをして得難い人生を楽しんでいるものと思います。苦しいことも多いですが、秦さんはほんとうにがんばっておられますね。
先週 同窓の集まりがあり一日早く行き 奈良に二泊三日で行って来ました。早く行ったのは福盛君に会うためでした。目が悪くなり新聞も読めないと年賀状に書いて来ましたので心配したのですが、近鉄奈良駅まで来てくれ、楽しく話し合うことができました。まだ元気で 大丈夫と感じましたが いろんなことを話し合える友人と行く末についての覚悟の程もよくわかりました。
さて貴重な本を送っていただき 心ばかりのお礼を同封いたします。
選集の発行者に建日子さんの名前がありました。
建日子さんの著書は最近できたばかりの函南町図書館に10册ばかりあり 借りて読ませていただけておりますなに。親孝行な息子さんと 褒めてあげてほしいです。 早々 南箱根 西村明男 元日立役員 中高同窓
☆ 前略
雨の間に 樹々の葉がまぶしいこの頃です。
過日は素晴しい御著をお届け下さりまして 真にありがとうございます。
その日は 御著の選集第一巻を手にとり ただただ嬉しく ご厚情に深く感謝いたします。
思へば 初めて手にした御著が 奇しくも 『みごもりの湖』でした。
以後 様々な御著をひもとく時、 「湖の本」発刊を知り 全作読めます喜びは 今も憶えて居ります。
『清経入水』により 「平家物語」から古典の世界に入りました事は 感謝あるのみです。
何かお礼をしなければと思いつつ 何をと思うと惑うばかりですが、 本の心ばかりの品ですが、どうぞ御笑受下されば幸いです。
乱筆・乱文で失礼とは思ひましたが、何かお礼が云いたく 下手な筆で失礼を重ねます。
どうぞお元気になり 選集の続刊が続きます事をお祈りいたしております。 世田谷区 鈴木定幸 MHK
* 名古屋大学、日本近代文学館からも寄贈受領の挨拶があった。 2014 5・19 151
☆ ご報告
秦先生、大変ご無沙汰しております。いかがお過ごしでしょうか?
今年の年賀状でも既にお伝えしていたかと存じますが、先週の水曜日に、長男が誕生しました。
この季節に産まれたこともあり、薫と名付けました。
かなりの難産で、妻は辛かったと思いますが、今は母子ともに順調で、明日には退院できるのではと思います。
退院してからが本格的な子育てですが、何をするにもおっかなびっくりで、期待と不安の入り混じった気持ちです。
それではまたご連絡させて頂きます。 卒業生 英
* とうとう、此処まで来たんだ、おめでとう、おめでとう。久しかった胸のつかえが、こころよく新緑の薫りに溶けて行きました。みんな、みんな、お健やかに。赤ちゃん、きみによく似ている。可愛いね。
花ややに匂ひしづかに木も草も潤ふ慈雨のとき薫るなり
正法寺と尊き名ある門の前を行き過ぎがてに風薫るなり 湖 2014 5・19 151
* シンガポールへ可愛いマゴを可愛がりに出かけていた「鳶さん」 もう帰ってくるのかなあとご機嫌窺いすると、打ち返して、「驚きました! 名古屋セントレア空港9時、帰国したところです!」と。おもしろい。
欧米・東洋の、じつに広範囲をひとりで翔びまわる図抜けたインテリ鳶で。何十年、いろいろと教わってきた。
☆ 美しい五月を迎え
ご順調な日々をお過ごしのことと存じます。
少し家を離れ、旅行から戻りますと、立派なご本を賜っており、お礼を申し上げること遅れ 大変失礼いたしました。勿体なく存じております。
娘の家に残り、春の北欧と、ローマに住んでみました。
公の仕事を離れ、身心共にホッと致しまして、少し楽しみました。自分の時間が出来、好きなことを学びたいと思っております。
ご活躍を心から祈り楽しみに致しております。有り難うございました。 茨城那珂市 下司良子
* わたしに小説「四度の瀧」を書かせるキッカケを呉れたありがたい読者で、それが五十歳記念の豪華限定本に成った。歌人篠塚純子の歌集『点描の魚』を下敷きに、思い切り上古と現代と呼応のロマン仕立てが可能になった。此の作はいま「茨城県の文学」に収められている。
下司さんは、「湖の本」を創刊からかなり永い期間、シリーズが軌道に乗るまで、毎回20册ずつ買い上げて下さった。どんなに「湖の本」が助けられたか、わたしが励まされたか、いま思っても計り知れない。
* このところ、短歌がふと溢れるように口元へ寄ってくる。ま、いちいちは書き記していないが、そういう時が、間々やってくる。 2014 5・20 151
☆ 拝啓 秦恒平先生
早くも夏の陽差しがまぶしくなって参りました。
以前より『湖の本』を頂き拝読して居りましたが、このたびはたいへん貴重なる御高著をご恵投たまわり、恐悦至極でございます。まさに先生の御生涯が集約されているような御本で、文章の一つひとつから香りが立ちのぼり、まだ日本にこういう文化が残っていたのか、と感激いたしました。厚く御礼を申しあげます。
今後も人々のために一層の御健筆、御活躍を心から念じ上げます。
どうかお元気で。 敬具 東大教授 作家 西垣通
☆ 夏めいて来ました。
暑い!! とわめく日が、続くと思います。
ステキな、御本、感謝です。
今年は、コンサートに通っています。ギターとか、ぴあの六連弾とかオーケストラとか、邦楽、何でもありです。
御身体如何ですか。お大事に! 原知佐子 女優
* 大学入学いらい同窓の友であり、彼女は在学中には日活スターとして小林桂樹との共演「黒い画集」などで銀幕をかざり、わたしの太宰賞授賞式に参加して花束を贈ってくれた。気の置けない仲間。彼女が舞台に立つときはやはり同窓の妻といっしょに観に行く。席をならべて歌舞伎を観ることも。
* 神戸松蔭女子学院大学から挨拶があった。
2014 5・21 151
* 原知佐子 生国土佐の小夏ちゃんをどさっと送ってきてくれた。ありがとう。土佐には文旦のような大きいのも小夏ちゃんのような愛らしい柑橘類もある。美味しい。
2014 5・22 151
☆ 帰国して。
先日は(ナゴヤ の空港でのメール=)ドンピシャリに驚きました。
さておばあちゃんを「熱演」したわけでもなく、孫をまごまごと可愛がってきたのですが、夜のフライトで一睡もしなかったために疲れが噴出してしまいました。漸く「まとも」に時間を過ごしています。庭の薔薇が今年はとても元気に見事な花を咲かせています。
お送りいただいた選集、装幀の篆書の文字やしみじみと冴えた紺色の布地が真っ先に目に入りました。勿論、勿論、一番重要なのは書かれ、推敲の限りを尽くした文章、作品自体で、その重さを受け止めたいと思います。早くに送っていただいて、留守していた
ためにお礼のメールが遅れて、ほぼ最終に近くなってしまったこと、お詫びします。
『みごもりの湖』などが第一集に入ることは以前から知らされていましたから、自然に飛鳥や滋賀の歴史、十市皇女と深い関わりの額田女王や高市皇子あたりの本を読んだりしていました。近江を歩いてみたい、この気持ちはいつもありますが、特に五箇荘を再
訪したいと駆り立てられます。
六月には友人の誘いで浄瑠璃寺に出かけます。HPでも言及されている「南山城の古寺巡礼」展も京都博物館も楽しみです。昔、蟹満寺や観音寺、岩船寺など交通事情に苦労しつつ廻ったことも懐かしい、そののちも何回か歩いているのですが、やはり若い時の新
鮮な気持ちが今も鈍い輝きを保っています。
シンガポールのこと、中国をめぐる様々な事件、その他、頭の中では書きたいものが沸騰するごとくありますけれど・・。
何よりも先ず鴉の無事を、選集や湖の本のこと恙なく進めていけますことを。
大切に、大切に。 尾張の鳶
* 作にふれて関心や心入れを深切に伝えてもらえる嬉しさは、書き手の冥利。感謝します。
2014 5・23 151
☆ 速やかな
快癒を祈ります。鴉もお身体第一に、栄養あるものを摂取して。 尾張の鳶
☆ ご回復を祈ります。
HPを読ませていただき昨日の入院、手術を知り驚いています。
心臓の検査入院では、良い結果と聞きホッとしていましたのに。がまん強く痛みをこらえておられたのでしょうね。
手術の予後は如何でしょうか。
木曜日に、このような事を想像もせず、ご自宅に花を送ってしまいました。日曜日に着くとの事でしたが、大変な時にご迷惑をおかけしました。
切り花ではないので、お時間の都合がつくまで運送業者に預けておいてください。
ご看病の秦様にもご無理のなきよう、お身体お大切に。
後遺症などがなく、すっきりとご快復されますように祈っております。 晴
持田 晴美
2014 5・24 151
* 青田吉正さんから「お祝い」の名酒頂戴。
持田晴美さんから同じくりっぱな「お花」を戴いた。とりあえず、深い大きな函から出し、玄関に置いて写真を撮っておいた。
2014 5・25 151
☆ 選集の第一巻
ご恵送賜り実に嬉しく思っております。150人の一人に選ばれるなど望外の喜びです。
大昔に(医師紹介で=)たいへんお世話になった家内は私より一足先に八十の坂を越えましたが、まだなんとか日常生活や庭いじりをこなしています。私も細々と文筆活動をつづけております。おそらく最後の長編ミステリの翻訳にも目下とりくんでいるところです。この仕事が終わったら、秋に家内と二人でアメリカ旅行を考えています。計画だけで実現はしないかもしれませんが、計画できるだけでもしあわせなのでしょう。
お元気におすごしください。 中島信也(小鷹信光) ミステリ研究者 翻訳家
* 中島君は、医学書院での主任時代、わたしの係りに配属され、「脳と神経」「神経研究の進歩」など担当していた。早稲田在学の頃からハードボイルド、ミステリ等の翻訳など文筆活動を始めていて、「書く」世界ではずっと先輩だった、ただ純文学を志していたわたしとは「書きたい」「書いている」分野がまったく異なっていて、交叉する機会はなかった。わたしより少し早く退社したのではなかったか、わたしの太宰治賞は少しあとだったと思う。頼まれて、ごく親しくしていた都立築地産院の院長先生に、中島君の奥さんを紹介しお願いしたことがあった。幸い、赤ちゃんができたと聞いた。彼のペンネームもわたしの掛かりにいた頃につけた。小高光夫君が同じ係りにいて、その氏名を借りながら自身本名の一字を生かし、「小鷹信光」に成った。そう成るその場にわたしも居合わせた。その小鷹は、近年にミステリの歴史的な研究で佳い仕事をし、受賞した。半世紀前からのつきあいだ。友人が元気でいてくれると心強い。
☆ ごぶさたしております。
先日、新潟の実家の方へ、豪華な選集第一巻を送っていただきありがとうございました。両親、たいへん喜んでいました。私も帰省のおりに拝見いたします。
今、『慈子』を読み返しています。何度か訪れた京都の景色を目に浮かべながら……旅先の蒲郡にて。 奈良 藤田理史
* 理史君、元気そうで、嬉しい。しっかりと佳い家庭を築いて下さい。
* 病院へ出向く気だったが、テレビの前で坐ったまま寝入っていた。「寿司」屋へは電話が通じない。これも何かあったかと逆に心配。詩人の山中以都子さんに頂いた名酒「三千盛」二升を飲み干した。ご馳走様でした。お酒と、あまいものと、塩辛や生味噌で食生活している。ぼーッとしているので、寝るが何よりか。黒いマゴもまぢかで安眠している。
2014 5・26 151
☆ みづうみ、お元気ですか。
「冠動脈の検査手技を受けたとき、穿刺の針が動脈を突き抜いていたらしい」と読みました時は、何たる下手くそと猛烈に腹が立ちましたけれど、奥さまの手術も無事お済みで退院もお決まりとのことにほっとしています。一日も早いご快癒お祈り申し上げます。
それにしても奥さまがいらっしゃらないとちゃんとした食事もとれないとは、生活の自立のできない高齢男性の典型みたい。情けないこと! 奥さまにはゆっくりご養生していただかなければならないのですから、しっかり遊ばせ。
さて、話題代わりまして。
> 読者には、まだお持ちでない単行本を、ご希望に副って適宜にお頒けしたい。残部少なく要望に応えきれないものもあるが、百種にあまる単行本の手持ちに余裕有る本もかなり取りそろえている。お申し越しくださらばご相談に応じたい。
みづうみのお言葉に甘えてよろしいでしょうか。もしお差し支えなければ、わたくしにご本色々いただけましたら幸いでございます。
昨年フランスの知人に、翻訳者か日本文学研究者を見つけてほしいと、湖の本六冊を託していました。彼女自身が早速全部読破してくれて(感想文を送ってくるらしい)私のお願いしていた翻訳者も一人見つけてくれて、湖の本を渡す約束をしたそうです。
先方がどの程度の力量の翻訳者かまだ何もわかりませんし、何も期待できる状況ではありませんが、とりあえず第一陣として六冊の嫁入り先が決まりました。
色々思うところあり、湖の本はどんどん海外進出目指すべきと活動を続ける予定ですので、ご無理のない範囲で何卒よろしくお願い申し上げます。
では、しっかりお食事なさいますように。 紫蘭 庭先の紫蘭に魅かれ弟子となる 神戸光子
* はいはい。 家事万事、仕事も、「しっかり」したもんです。ただ、今と限らず、食べることに意欲がない。食べないで居る方が腹の具合がよろしい。酒や水分は通ります。胃のないせいでしょう。
2014 5・26 151
☆ 美しい五月
爽やかに、お過ごしでいらっしゃることと思っています。
茨城も、いづれの地でも美しい五月です。
簡単にお話しが出来ないのは残念なことですが、ご健康を祈っております。 那珂 良
☆ 老春の候
いかがお過ごしでございますか
過日は選集第一巻 確かに落掌、ありがとうございました。
さて、本日まで学会で上京しておりまして さるお店に職を得ました娘にも会って参りました。私の名前をつかえば余分に送れるよと
申しますので、「***」という名で御菓子が届きます。なにとぞ御笑納のほどお願い申し上げます。
御身 御大切にされますように。 不一 山口市 平野芳信 現代文学研究者゛
2014 5・27 151
☆ 選集第一巻を
ありがたく ちょうだいしました。
豪華な(今の時代 函入りの本はめったにありません)、それでいて瀟洒で すっきりとした装幀に しばらく見惚れておりました。勿体ない贈り物です。活字も大きく読みやすく至れり尽せりの一冊です。
大切に「永久保存」いたします。ありがとうございました。心より暑く御礼申し上げます。
ご自愛 一層のご活躍を願っております。 出久根達郎 (直木賞作家)
秦恒平様 玉案下
* 出久根さんは、いわば「本」のプロ。創刊いらい「湖の本」も継続購読して下さっている。今回の選集刊行が、念入りの美意識の所産でもあることを大勢が証言して下さっている。「本」は紙屑ではない、文化なのだ、出版文化。「紙の本」時代の最期を飾る光芒と、それを終始願っていた。
2014 5・28 151
☆ 秦恒平様
先日は貴重な大著、それも私家版のものノを、私のような人間にまで、御恵贈下さり、誠に有難く光栄に存じます。
御収録の三つの作品は いずれも一九七○代のものであり、それぞれ感慨深いものがありました。
わたくしも 文学部史学科に在籍しておりましたころ、京都、奈良、飛鳥の地を さんざん歩きまわったものですから、作中の地理に親近感をおぼえました。
当時は日本古代史、とくに奈良、平安時代史を専攻しておりました。古事記や万葉集その他は 必携のものでした。それは戦時中でもそうで、入隊するときは万葉集の文庫版を持ってゆきました。 戦後は 一首の古代ブームがありましたので、 社寺の巡礼などに のめりこんだこともあります。
ですから、「三輪山」「秘色」など なじみ安かったのでしょう。 京都もよく歩き回りました。 「みごもりの湖」という長編を読みはじめ、随所に 印象深い叙述があり、ことさらに親しみをおぼえました。 作家のご苦心は素人のわたしどもには判りませんが、強い牽引力で ひきこまれます。
とにかく、久々の読書三昧、ありがとうございました。
御礼の遅くなりましたことを お詫び申し上げます。
平成二十六年五月二十六日 色川大吉 歴史家 東京経済大学名誉教授
* 昨日の出久根さんといい、今日の色川先生といい、胸のふくらむほど嬉しいご挨拶であった。
☆ 米沢女子短大の学長をこの三月末に退任された遠藤恵子さん、日本ペンクラブ顧問の三好徹さんからもご挨拶があった。遠藤さんは医学書院勤務時代の後輩で、ともに社宅住まいの頃、わたしたちの部屋で茶の湯の稽古をされていた。わたしより遅れて退社し、東北女子大学の教授のあと米沢の学長として活躍されていた。心優しい人であった。
下関の平野芳信さん、娘さんが東京でお勤めの菓匠「とらや」の名菓で祝って下さった。
2014 5・29 151
☆ 拝啓
ご無沙汰いたしております。
先日はすばらしい装幀の秦恒平選集をご恵送下さり、ありがとうございます。御礼が遅くなり、申し訳ございません。
先日たまたま奈良の県立医大に行って腎臓移植の先生からお話を伺う機会があり、大和橿原に一泊しました。周囲が耳成だの香久山だの飛鳥だの、北海道生まれの山がつの私には驚くことばかり。選集中の「三輪山」をそのこともあってすぐに拝読しました。
登場人物の三輪君の巧みな先導もあって、興味津々。神社の階段を登って夢幻の世界に入ってゆく結末部には陶然となりました。
本当に面白かったです。ありがとうございました。
福島県立図書館より受領の礼信あり。
* 石牟礼道子さん、転居通知あり。
2014 5・30 151
☆ 拝啓
このたびはご高著『風の奏で』をお送り下さりまことにありがとうございました。現代と平家の世界がせ不思議に交差した世界を楽しみながら、ご造詣の深さに感服させられました。
『古典遺産』で梶原先生たちが座談會をされたというのにも納得した次第です。(その頃はまだ大学院に進んだばかりの頃で、「古典遺産」も購読しておりませんでした。)他のご著書についてもぜひ読ませていただきたく存じます。
なお今後ともよろしくご高配をたまわりますようお願い申し上げます。まずは御礼まで。 敬具 秋田大学教授 志立正知
* 神戸の信太周さんに十数人をご紹介願って「風の奏で」をお送りした、ご返礼で、有難い。一般の読者には正直言って難しいのかも知れないが、その分、平家研究の専門家には文藝春秋からの初版以来かなり深くうったえてきた。学者も世代交代があろうかと、信太さんに若い勝れた研究者をご紹介願った。信太さんとの久しい御縁も『風の奏で』いらいのことである。
2014 5・31 151
* 昨日、
ジュリエッタ・ビノシュとジァン・レノの「シェフと素顔と、おいしい時間」を、二度観つづけ堪能しました。ひさびさに仏映画の魅力を満喫しました、映画好きのあなたをちょっと想いながら。
お元気ですか。新築前のいい仮の宿が見つかりそうですか。なにもなにも、宜しく収まりますようにと願います。
わたしは、もう残り少ない人生、新しい家をといった欲望はまったくなく、畳一枚在れば寝床は造れるぐらいの気で、家の不自由より、乏しいながらも適当にお金をつかって過ごそう楽しもうとしています。贅沢は不可能でもあり無用なことですが、楽しみは楽しんでいます。自分の「紙の墓・紙碑」といえる「文学選集」を人も驚くほど豪華に美しい私家版限定非売本で造り始めたのも、老境の気儘な励み楽しみになっています。もう三巻目の入稿用意にかかっています。湖の本も、28年、120巻めの「随筆選(一)」が進行中です。結局、文学以外には何にもできない人生でした。
そろそろからだが動かせるか知らんと旅心もうごめくのですが、家内も、猫の黒いマゴも、わたしも、いろんな健康の引っかかりがあり、半ば諦めています。せいぜい町歩きや相撲や芝居を楽しんでいますが、食べるという意欲が薄れています。胃袋がなく、すぐお腹が張って気分が悪い。お酒は飲めますが。
お元気で。いつでも声かけて下さい。 湖
☆ バタバタの毎日
相撲、お芝居見物にと外出可能な、なんて優雅な絵に描いたような幸せな老夫婦なんでしょう。(夫に先立たれた=)私は、目下bk(後始末という=)労働から解放される日を心待ちに頑張っていますが、私が働かない事にはラチが開きませんからね。
(新築して、子供と同居までの=)仮住まいは、ラッキーな事に極く近くの狭いけれどきれいなアパートがみつかりました。
この建て直しは次男が私の老い先を念頭に、娘との同居を前提に提案してきた話で、それはそれで願ったり適ったりですが、あまりにも早急だったのであたふたしているワケです。
新築に関してのアレコレは建築士だった息子と娘にほぼ任せています。
気晴らしに外出もしますし、まあそんな日々です。6月半ば過ぎをメドに引越す予定でいます。 泉
* 戦後の新制中学以来の友だちが、歯が欠けるように亡くなって行く。年齢を想えば当たり前かも知れないが、彼がいたら彼女が生きてたらと想うことは、ある。せめて、生きている方がシンドイ、ツライなどという世の中であって欲しいし、そのためには憎んで諦めて投げ出してしまうということは適切でない。
☆ 秦先生 奥様
このように遅くなりましたことお許し下さい。
大へん立派な先生のご本が届き、しかも非売品で一五〇部限定ということを知りおどろいています。ほんの気持ちばかりですか、一緒に送らせていただきます。
小包の中には今話題の「ラスク」が入っています。ご賞味下さい。又、一冊書籍が入っていますが、ほんの数頁ですが都澤が担当した箇所があり、生まれて初めての体験をしました。ご笑納下さい。
現在、義母は93歳で、介護2から介護1に認定され、ますます元気です。
マーガレット幼稚園では、学校法人玉村学園理事長の交替で大へん忙しい思いをいたしました。私は(園長に加え=)園の経理も兼ねていますので、よく自分でも頑張れたと思っています。
来年度から「新子ども子育て支援」で、何やら子どもが置き去りにされ、「公定価格」導入で私立幼稚園は徳に地方の弱小園では、先が見えず、悔しい思いをしています。いつも笑顔で園児とともに、共感し、父母の信頼を得ることしかありません。
何やらまとまりがつかない文章ですが、また都澤は元気で活動していることを先生にお伝へしたいと思いました。
便箋も手許に無いありさまでほんとうに申し訳けございません。
五月三十一日 お元気で 都澤しづ子 幼稚園園長
* 都澤さんからは、湖の本で刊行をつげたとき、いちはやく欲しいと注文があった。いつも元気に闊達なおたよりの絶えない園長先生で、「湖の本」をずうっと購読し、お知り合いにもひろげて戴いている。ありがとう存じます。お気を遣わせて申し訳ありません。
☆ 秦恒平様
突然のメールをお許し下さい。
一人の脳神経外科医です。
秦さんが編集者の時代に医学論文の受付順が、雑誌掲載時に故意に入れ替わっていたことがあり、
小説にお書きになったと思います。たぶん 「疑惑」というような漢字2文字でした・・・。投稿者の大学講師***先生の論文が筆頭になるべきところ、、
細工した相手は***大学教授でした。
その大学講師だった方は 最終的には***大学脳神経外科教授から 学長にもなられました。
25年以上前に 他大学の者として、初めてお目にかかったときに、秦さんのその小説のコピーをいただきました。(***先生は
よその大学の教授から、君の話が掲載されているよと聞いて、知ったそうです)
その***先生が4月末に亡くなられ、家族だけでお別れ会があったそうです。
先生の業績や日常を懐かし思い出しつつ、ご連絡したいと思った次第です。
秦さんの短編小説のリストの中に見つけ出せませんでしたので、ご教示いただければ幸いです。
不躾なお願いですみません。 原
* ちょっと驚いた。それらしいことのあったとは朧に覚えていたが、わたしの課での出来事ではなく、社内の見聞に属していた。
医学書院の頃の編集者生活をストレートに小説にした例は実はたいへん少なく、「文藝展望」に三部作として四回連載した『迷走』ぐらいなもの。「亀裂」「凍結」「迷走上下」と分かれている。筑摩書房から出版した。本流の作風とは大いに異なっていて吃驚した人が多かった。縁の無かった小中陽太郎などが書評してくれた。いまは、「湖(うみ)の本」の第40・41巻になっている。
その他「清経入水」「秘色」「三輪山」や、長編「慈子(あつこ)」「風の奏で=寂光平家」なども、語り手はみな医書編集者だが、物語は古典の世界と密接して、医学書院はダシに使われたに過ぎない。
お尋ねの問題に触れていたのは上の三部作冒頭の「亀裂」であろう、むろん小説として作ってある。そもそもこの三部作も、医学というより当時本郷台で有名だったほど激しい我が社の労使闘争を描いて、中間管理職という存在を批評したのだった。退社した1974年の歳末から翌春への連載だった、四十年も大昔の作だ。明らかに作風からすると当時は異物かのように観た読者もいた。書いて置いて、だが、よかったと思っている。たしかに一つのそれはステップであったと思う。
2014 6・1 152
☆ お元気ですか? みなさん
望月太左衛です。( ^- ^◎
浅草の三社祭に引き続き、6月の東京はお祭り真っ只中です。
今年は山王祭が行われます。山王祭は江戸三大祭であり、日本三大祭の中にも入っていて、まさに日本の祭!!であります。
神幸祭は6 月13日(金) 7:45 ~17:00 齋行される、山王祭メイン行事です。御列は供奉員総勢約500 人・300 メートルに及び 御鳳輦二基・宮神輿一基・山車三基が氏子区域を巡幸します。
皇居坂下門にて麹町囃子の皆様とバトンタッチをして、私たち山桜会と京橋一丁目婦人部のみなさん、城東小学校のみなさんと
日枝神社まで祭囃子をしながら進みます。
6 月14日(土)は各町会神輿渡御
6 月15日(日)は下町連合渡御
となり、東京の中心部が江戸時代にタイムスリップしたようにお祭り一色となります。
ぜひ山王祭にお出かけください!
そして次の週、
6 月21日(土)は滋賀県大津市坂本の日吉大社にて演奏、楽器体験レクチャーを奉納させていただきます。
翌6 月22日(日)は奈良県桜井市談山神社にて、私の創作「音語りさくらさく」を奉納演奏させていただきます。
各お祭りでの演奏、そして神社での奉納は 現代では劇場やホールで上演している芸能の原点の形、もともとの姿です。
奉納演奏を通して私達の演奏、舞台の本来の有り方をみつけてゆこうと思います。
応援よろしくお願いいたします。
望月太左衛
* 久しく太左衛さんらの演奏を聴いていない。いかにも楽しそう。藝大へ入ったお嬢ちゃんももう卒業したか院へ進んだか、お母さんをたすけて大活躍しているだろうな。
太左衛さんというと、繋がりは無かったろうが早くに無くなってしまった舞踊の藤間由子を思い出す。荻江の作曲でわたしの「細雪 花の段」を最初に独り舞いで国立劇場で舞ってくれた。二人舞いのときは娘の抄子ちゃんが連れて舞ってくれた。抄子ちゃんは今は新橋の芸者になり音曲の名手になっている。懐かしいが、新橋へ繰り込む元気はないな。ハハハ。
☆ 紫陽花の季を飛び越えて、
もう夏が来てしまったような暑さでしたが、先週來のお疲れは癒えたでしょうか。
私の部屋は三方が窓の上、天窓もある二階なので、暑く、今日は一階の居間でパソコンに向かいました。
読みたい本はいっぱいあるのに、読書の時間は今は通勤電車の中だけです。湖の本は一冊、常に鞄に入れています。
取り組んでいる根気仕事を早く仕上げて、先に進みたいと思います。 雨
2014 6・1 152
この度は御著を賜り、誠にありがとうございました。貴重な選集にて、恐縮しております。
函入り、布装、かっちりした存在感のある御造本にて、どこかなつかしい香りがしているように思いました。
このところ身辺あわただしく御礼を申し上げるのも遅くなり大変失礼いたしました。
改めて じっくり読ませていただきたいと思います。
どうぞ御身大切にお過ごし下さいませ。 かしこ 横浜 稲垣みゆき 元中央公論社編集者
* わたしり殊に気に入りの単行小説集『閨秀』出版を担当してもらった。昭和四十八年(一九七三)暮れだった、四十一年も昔だが、お互いに若かったなあと感慨深い。賞をえた筑摩から本が出るのは自然だが、できれば中央公論社、新潮社、講談社、文藝春秋からも創作を出版したいと、念頭に置いていた。谷崎先生ゆかりの濃い中央公論社には憧れもあった。嬉しかった。すばらしい装幀だった。念願は着々と果たしていった。
稲垣さんは退社されてからも、いちはやく『湖の本』を応援してくださり、今日に至っている。
ふしぎなことだが、もともと私には母なる港であって自然な筑摩書房とは、今、全く縁が絶えている。
今晩は、文藝春秋の寺田さんが「選集」創刊のお祝いにと、わたしと発行人の建日子とをご馳走して下さる。思えば、みな久しく久しいご縁が絶えないでいる。秦建日子も各社のお世話になって活躍している。
2014 6・2 152
☆ 早速のご回答に感謝します。
確かに 「亀裂」です。思い出しました。読んでみます。
『迷走』は、江東区の図書館にありました。
その文芸雑誌を見つけたのは、***教授で、赤坂のホテル火事で亡くなられました。その息子さんは今、医師で作家です。
登場する***講師(最初は外科で、後に脳神経外科専攻)だった方は、*大生体解剖事件で自殺した外科教授の同門の方々から、数年後に 教授の胸像を作ろうという話が出たときに、一人反対されてもいます。上坂冬子さんは、その医局での記録も読んでおられたそうです。
追悼文を『脳神経外科』が掲載するなら、そのエピソードも欠かせません。
ところで、秦さんの小説のことを、国立小児病院時代の小児科(内分泌)の日比逸郎先生に20年も前にお話ししましたら、「あの方は突出した才能の持ち主でしたね。作家になられるのは当然です。締切りを過ぎた論文の催促の葉書を 10枚もらったとしたら、短いのだけど 全部違う文面でしたよ」と応じられました。そんなこんなで、お名前は深く記憶していました。
ご連絡が取れ、ラッキーな気分です。有り難うございました。
ご著作は、これから拝読致します。
どうぞ お元気で。 原
* 日比先生かあ。懐かしい。原稿のおそい先生で、しかし原稿仕事のほかでも何となくおもしろくお付き合いしていた。ご健在だろうか。
2014 6・2 152
☆ 拝復
すっかり夏らしくなりました。ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、このたびは、御高著『風の奏で 上・下』(湖の本)、ご恵送賜り、誠に有り難ぅございました。以前、大変話題になり、私もまだ大学院生だった頃に拝読して感銘を受けた御高著の再刊、うれしく拝見しました。
改めて拝読して、自分がこの小説に強く影響を受けていたことに思い当たりました。同封した拙著の『建礼門院という悲劇』の末尾に 「女院は『平家物語』を知っていたか」の節を立てたのは、(自分でも明確に意識してはいなかったのですが) あるいは御高著の影響だったのかもしれません (その他、もし御高著に通うところがあるとすれば、おそらく「T 博士」 ならぬ角田文衛氏の影響も大きいと思いますが。)
昨今の出版不況や社会全体の古典離れはいうまでもなく、さらに、文学研究の 「文学」離れと申しますか、文化研究へのシフトなどによる創作との乖離も、動かしがたい状況ですが、それ故にこそ、古典研究と現代をつなぐ試みは、多様になされねばならないと存じ
ております。私も、及ばずながら、それなりに試みを続けているつもりではあります。同封のものなど、こちらこそ、ご叱正いただくことがあれば、誠に幸いに存じます(但し、これはお礼ですので、重ねての返礼などはご放念ください)。
とりあえずお礼までにて失礼いたします。 草々
六月一日
秦 恒平様 佐伯真一 青山学院大学教授
* 編著・人生をひもとく「日本の古典」四『たたかう』(岩波書店)、佐伯さんの著『建礼門院という悲劇』(角川書店)を頂戴した。さっそく読みたい。
そうさくという名での著書が、専攻の研究者からも顧みてもらえる、そういうことにもわたしの喜びはある。ことに「風の奏で」は、もし一点に絞って謂うなら「わたしの建礼門院徳子」を産んだことに、意義も喜悦もある。「清経入水」では「わたしの清経」を、「雲居寺跡」では「わたしの源資時」を、「絵巻」では「わたしの待賢門院」をまさしく産んだ。小説家として新たに産んだ。創作とはそんな仕事だ。
* 神戸の岡田昌也さん、海胆を下さる。
2014 6・3 152
☆ 元気にしてますか。
真夏のような暑さが数日続いてお身体に堪えていませんか。お元気でありますように。
この春はシンガポールで過ごして夏の暑さには慣れてきたはずのわたしですが、やはり疲れています。
「畜生塚」……瀬戸内から「町子」の寄越した手紙……あの手紙から数十年、いえ、半世紀が過ぎて、現在の「町子」はどんなことを書き送ってくるでしょうか。
ヴラマンクと言えば黒を思い起こしますが、「町子」は手紙で、倉敷の美術館でヴラマンクの青に出逢ったと書いています。その青、青といってもおそらく藍色と察しますが、青の引き込む深さに揺れ、生きる陰鬱さえ逃げられないと若い「お茶目な町子」は既に感じとり悟っていましたね。
ヴラマンクの作品にシャルトルのカテドラル裏手にある美術館で出会ったことを思い出します。雲垂れ込めた午後でしたから、いっそう彼の絵を烈しく暗く感じました。
青春の日々から遠く離れ去ったはずでも、内なる様々な思いは諦観や疲労の堆積に紛れて燻ぶり、時として鮮烈な痛みや、あの世まで引きずっていくものの底知れない重さに驚かずにはいられません。
久しぶりに『畜生塚』を読み返して、ああ、何も解決などしていない、根底にある「人生観」、わたしの人生観など少しも「進化・円熟」していないと気づかされます。
これは蛇足ですが、作中に「松ヶ崎の圓通寺」とありますが、松ヶ崎ではなく、岩倉幡枝の圓通寺です。深泥池から山道を越えて行けたのを、覚えていらっしゃいますか?
詩や絵のこと、目下「停滞」していますが、時の流れに任せています。リルケの書簡集を少しずつ読み進めて、その他の本は乱読に近く・・。
娘のこと、姑のこと、などなど気に懸ること、「小事件」も山ほどありますが、まずまず無事に暮らしています。
今週は、浄瑠璃寺に行きます。
どうぞお体大切に。くれぐれも大切に。 尾張の鳶
* 作の世界を介して、「いい読者」と作者とはじじつの次元にとらわれず、ふしぎに共生する。ふしぎな、だがあたりまえのことでもある。「研究者」や「批評家」は絵空事の不壊の値を読みきれぬまま、事実の次元へ引きずり込むようにともすれば小説を捏ねまわしてしまう。その意味では、ごくふつうの読者、これは「事実ですか」と聞きたがる読者らと、ともすると変わりない関心から熱心に議論してくれる。
2014 6・3 152
☆ (元国立小児病院小児科の)日比逸郎先生と
電話が通じました。懐かしんでおいででした!
3人で会うなら、ご自宅近くの五反田なら、とのお返事でした。
是非とも 機会を見つけたいものです。
木曜日 もしくは金曜日が 最も時間が作りやすいのですが、7 月にいかがですか? 原
* まだまだ、杖をついてもよろよろの足どり、お目にかかるまでの元気が出ない。なにしろ何十年もの昔話になる、会話がちぐはぐしてしまうだろう。思い出は思い出として育むのがいいだろう。
☆ Hata san,
Ogenki na koto to omoimasu. Narubeku hayaku Nihon he iki masu.
Natsukashii shanin ga dete kimashita. Dakara okuri masu.
Aida ni suwatteru futari no josei wa daredeshou? Watashi no shiranai hito desu????
Tanoshin de kudasai.
Michiko san nimo yoroshiku. Chiyoko .I
* ロスの池宮さんが初めてのメール。機械に触れるようになったらしい。大進歩。
写真が四枚送られてきた。大谷・池宮姉妹のほかにも何人か写っていて、わたしも入っていたりする。三條上ル木屋町の李家(りのや)さんの家だろう。立礼の茶の場面もあり、わたしの叔母宗陽も、社中の何人かも識別できる。稽古場の茶室でわたしがとても可愛がっていた少女も、当時叔母の弟子で美しいこと「ピカ一」さんと呼ばれていた小畠芳江さんも見分けられる。みんなわたしより年かさの人たちだった。わたしは茶法をその人等に教えることはできたが、それ以外ではただの少年だった。池宮夫妻と姉の大谷良子さんとに誘われ、車で伊勢参りに連れて貰ったこともあった。その時の写真があり、わたしは鉛筆のようにひょろっと細くてひ弱い。写真を撮って呉れているのは、みな、池宮さんのハズバンド。その池宮氏も、義姉の大谷良子さんも、大谷さんと仲良しだったピカ一の小畠さんも、みんなもう亡くなっている。あの当時大谷・池宮姉妹は颯爽とお洒落で若い美しい人たちだった。妻を妻にという気持ちで最初に会わせたのもこの姉妹だった。苦境にもよく応援してくれた。六十年も昔話である。
2014 6・3 152
☆ 拝啓
木々をわたる風にもそこはかとなく初夏の気配を感じるころとなりました。
時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
先日は、『秦恒平選集』をご恵贈いただき、誠にありがとうございます。秦様の温かいお心遣いに感謝の気持ちで一杯です。
じっくりと拝見させていただきます。
秦様が学ばれた弥栄中学校につきましては、平成二十八年に漢字博物館へ生まれ変わります。祇園、花街、八坂神社を有し、歴史と伝統の息づく弥栄学区が、さらに活力とにぎわいに満ちたまちとなることを私も確信しております。
末筆ながら、くれぐれもご自愛いただき、今後ますますの御活躍をお祈り申し上げますとともに、今後ともご指導賜りますようお願い申し上げます。 敬具
平成二十六年五月吉日 京都市長 門川大作
* 謹呈
若葉の山にほととぎすの鳴きとよむ頃となりました。
先生のご日常、そのめぐりは如何かと思い居ります。
ところで、此度は御選集その第一巻のご上木、まことにおめでとうございます。
永らくの御文業。
その涯てに到り着かれた先生のご境地、先生の心姿が、その初心とともにおのずと匂い立つかのような、風格堂々の一巻と拝察申し上げました。また、その貴重なる限定本を小生にまで賜わりましたお心づかいに ただただ恐縮、御礼の申し上げようもなき幸せと存じ上げております。そして、今更ながら先生のご快癒が待たれてなりません。
なお、御礼の仕様もございませんが、本日 ほんのわずかばかりのものを越前からお届け申し上げるべく手配致しました。ご笑納賜りますれば幸甚に存じます。 少し留守をしておりましたので、拝受の御礼が遅れ、申し訳ございませんでした。
日々のご清祥、心よりお祈り申し上げております。 頓首 六月一日 神戸市 岡田昌也 名誉教授・歌人
2014 6・4 152
☆ 秦さんのお祝い
送料の一部にでも使って下さいね。 まだまだ現役でお仕事されて 嬉しく思っています。
頑張って下さいね! 藤沢市 琉 妻の妹
2014 6・6 152
☆ お元気ですか。
ご無沙汰しております。お気遣い頂戴し、申し訳なく、そして嬉しくて。。
先日は素晴らしい装丁の想いこもった選集を私にもお贈りくださり、ありがとうございました。お心の入った貴重な一冊、手の届くところに置き、折々触れて、その裂(きれ)から力を頂戴している私です。
自分の不調は減るより増えるばかりで、書くと愚痴になりそうなので控えます。
ここ数日は先月急変した叔父が亡くなり、葬儀に出かけておりました。
春には母が入院し、出来るだけ実家に帰るようにしています。
家族にいろいろある時は、不思議と仕事もざわつくようで、、あちらもこちらも混沌なので、考えないように過ごしています。そういう年回りなのでしょう、流されて行き着くところを眺めます。
不思議ですね、メールを戴いて、ご本を撫でてしまいました。感謝しています。ありがとうございます。
ご連絡すると、甘えてイヤな私がでてきそうなので、しばらく静かに沈んでいます。
どうかお元気でいてください。 野沢利江
2014 6・8 152
☆ 食欲がないのも眠いのも、
やはり疲れが溜まっているのでしょう。
ひと頃に比べると体力も随分回復してきたということですが、何かとつい蛸のように手をひろげ頑張り過ぎるのが、心配です。
食事のあとにはいつも苦しくなるのでしょうか。
お天気にも恵まれ、仕事も何も一時忘れて、ゆったりした気持ちでお出かけを楽しまれればいいなと思います。 芋
* むかし銀座の「おた幸」のようなおでんが食べてみたくなってきた。
2014 6・11 152
☆ お芝居は楽しめましたか。
降られませんでしたか。
勤め帰りにセンター街のブックオフで、『眠られぬ夜のためにⅡ』を買いました( 『Ⅰ』はありませんでした) 。725 円。
今夜から、寝る前に少しずつ読んでみようと思います。
早くも暑くなるようです。くれぐれもお気を付けて。 芋姉ぇ
* ブックオフで、725円とは高すぎるなあ。基督教に関心ないし信仰をもっていたいと、ヒルテイは、かなりしんどいですよ。
2014 6・12 152
☆ 秦 恒平さま
すっかり遅くなりましたが、『秦恒平選集』第1巻、確かにいただきました。
私も来年3月で龍谷大学を定年になりますが、最終年度も学内雑務や論文執筆に忙殺され、お礼が遅くなってしまいました。申し訳ございません。
いただいたご本は、内容もさることながら装丁もすばらしく、久しぶりに本らしい本を触っていると感じています。
改めて、楽しみながら読ませていただきます。
京深草大亀谷 田尻英三 龍谷大教授
2014 6・13 152
* 「珠」さんから、「お父さん」への選集創刊お祝いとして、十二種の清酒一合瓶に枡と肴を添えたのを頂戴した。「お爺さん」でもいいものを「お父さん」とは恐れ入ります、ありがとう。
大患後、ひとしお各種のお酒が口に馴染み、他の食味に優っている。飲酒に溺れてはいけないと確かと思っているが、今日の昼も冷や奴と枡酒で、いと快適。
☆ お元気ですか、みづうみ。
わたくしは無事生きております。帰国しましたら、日本はすっかり梅雨でした。ツバメのヒナ三羽が今年も無事に巣立ってほっとしましたら、別のツバメが近くに新たな巣をつくり始めました。まだ楽しみも、心配も続きそうです。
相変わらず出たり入ったり慌ただしく過ごしておりますが、「私語」は毎日しっかり読ませていただき、みづうみの猛烈に勤勉な日々に圧倒されています。ふつうの人間は締め切りがなければ、みづうみのように動けません。
先日「リア王」を観劇なさった時の私語の中で。シェイクスピアとトルストイとは、後者が前者をほとんど嫌いであったと。
トルストイがシェークスピアを「ほとんど嫌いであった」とは知りませんでした。みづうみに教えていただくと、なるほどとわかる気がします。毎日の読書に「私語」があることで、わたくしはかなり物知りになります。
もう一つ、以前みづうみに、みづうみご自身の「リア王」が書かれるべきとお願いしたわたくしのメールを憶えていてくださいますでしょうか。(あれは今までさしあげたメールの中で、みづうみにとって一番不愉快で、わたくしには最も痛切な表現であったメールと思っています。)『凶器』よりさらに凄まじいもの、みづうみが「リア王」でもあることに迫る「娘難」の小説をお書きいただきたいと、勝手に切望しています。あれこれとわたくしの妄想は広がるばかり。お許しくださいませ。とりあえず蒸し暑い今日を、涼しく爽やかにお過ごしくださいますようにお祈りしています。 緑 万緑のなかや吾子の歯生え初むる 草田男
* そのメールというのを覚えていない。いずれ「あの頃」の物だろうが。わたしは先日も書いている、「わたしは「リア王」という劇がツライほどカナシイほどナサケナイほどニクイほど、好きなのである。四代悲劇では一に好き。不自然であろうが底知れぬ阿呆な父王であろうが、父親をあれほどに裏切る娘たちを、わたしは憎んで余りある。それだけに末娘のコーディリアには想いが添うのだけれど、今日の肝腎のコーデイリアは科白があまりに力不足で残念だった」と。なるほどわたしの「リア王」は書けぬものではない。『凶器』よりさらに凄まじいものを、か。不可能ではない、むしろ書くべきなのかも知れぬ。
とはいえ、今わたしは、「畜生塚」「慈子」「隠沼」「隠水の」など懐かしい「身内たち」の世界へ甦って、優しい気持ちにひき戻されている。阿呆な父なのかも知れないが、自愛に溢れていたその父に無礼の限りを働いた恥知らずな娘や婿の小説を、徹底的に書くには、相応の用意が要る。
☆ テレビニュースも
新聞記事も不愉快になるばかりですが、秦さんの「私語の刻」に日々元気づけられています。
いま岡山で旬を迎えているマスカットとニューピオーネ一房ずつを、一週間以内にお届けします。
平安をお祈りしています。 吉備の人
* ありがとう存じます。日々お大切にお過ごしください。いただいたワイン、美味しく戴きました。
2014 6・16 152
* 情けないほど眼が見えない。十時だけれど、もう休もう。少なくも機械から離れよう。
メールを下さる方、速い反応を望まれる方は、夜はせめて十時か半頃までに下さい。
* 村上開新堂さんから、みごとにぎっしり詰められた美味しいクッキーを頂戴した。食が進まないときに、有難い。いま、絹ごしの豆腐にいい削り鰹をかけての冷や奴が、最良に近い主食になっている。卵納豆、赤ワインを薬として毎日欠かさない。
銀座のごく新橋寄りにおでんの店があると百味會の広告誌でみつけた。むかしの「やす幸」のようだといいが。夏場は、むしろ晩景に外出したい。
2014 6・17 152
☆ わたくしも、
わたくしにしか書けないものを書きたい。そして、誰よりもまず秦さんに読んでもらいたい。
丑のわたくしはまさに牛の歩みですが、なんとか其処まで辿り着けたらと思います。
その為にも、今の仕事をきちんと、でも出来ればなるべく早く纏めたいと思っています。
長い梅雨も、暑い夏も、へこたれずに乗り越えなければならないと改めて思いました。 沼
* このようなご挨拶は何度も聴いてきた。だれにでも苦もなく出来る挨拶であり、また、ほとんど実行成就されたことがない。例の「私なりに、私なりの」である。河上先生流に言い返せば、「そんなものが、あるの」である。書いて書いて書いてから、こういうことは言うたほうがよろしい。
2014 6・17 152
☆ お元気ですか。
今日は早朝から清々しくお仕事なさったのですね。
同じ頃に目が覚めたのだなぁと、ちょっと嬉しくなりました。( いつも6 時頃に起きて、朝食の用意を整えてから、家族に声をかけています。お寝坊の寝顔はどんなのだろうと想像します。)
佐藤錦を食べながら( 昨日買ってきた時もですが) 、明日は桜桃忌だなぁと秦さんの二度目の誕生日を思っていた頃に、「原稿・雲居寺跡」を書き起こしていたのですね。
太宰は、やはり一時期はまりました。
「正義と微笑」等、自分だけに呼び掛けてくれているような、自分のことを語ってくれているような魅力を感じたり。
その反面、一種のポーズが鼻につき始めると一気に背を向けたくなるようなところもあるかと思います。
「女生徒」のような女性一人称の作品群等には、川端康成の「女学生」や「むすめごころ」に近接したものを感じます。川端は「女性的なるもの」の大切さを繰り返し言いましたが、そうした作では、男の目から見た女でなく、自分の内なる女を描き出そうとしていたように思いました。
夕方、時々見かける黒猫が、まるで私の帰りを待っていたかのように我が家の前にいました。
動かずに、じっとこちらを見るのが可愛くて写真に撮りました。
実家の猫( 母の誕生日にプレゼントしました。今、10歳くらい) は豹柄で、母は末娘と呼んで可愛がっています。
早起きした人に、青野季吉「玉堂と明烏」の話もしたかったけれど、長くなってしまったので、また今度。
これから入浴します。 眸
* 一日の、もうおしまいの時に、こういう晴れやかなメールが届くと、清々する。
2014 6・18 152
* 桜桃忌の吉例、素晴らしい佐藤錦の桜桃が、山形からたくさん贈られてきた。ことしのは、ひとしお甘く美味しい。「清爽」そのもの。「あらき蕎麦」さん、ありがとう存じます。
2014 6・19 152
* ロスの池宮さん、伊勢崎の杉原君から、手紙。
池宮さん、八十三になったと。まだまだ元気に、お姉さん夫妻の分も、ご主人の分も長生きして欲しい。
杉原君、いまはウツの時期か。手紙の文言はしっかりしていて、描けない描けないと歎いているけれど、書字もシッカリしている。泣き言は幾ら言っても構わない、泣きの涙ながらも立ち向かって佳い繪を描いて欲しい。いま、彼から買い取った「黄の薔薇」の群れ咲きの繪を玄関に懸けている。力に溢れた魅力の制作で、胸を張っていいのだ。かなり劇症の躁鬱症だが、病気はいわば賜り物に過ぎない。つらければつらいと言って立ち向かえと励ましたい。
2014 6・21 152
☆ 出張帰り夫の
洗濯ものをわたくしの出勤前に済ませて、2杯めの珈琲を飲んだところです。
そろそろ起きられた頃でしょうか。
今は少し空が明るい。
雨にあわずに通院できるといいですね。お気をつけて。
湖の本、待っています。 川崎 眸
* もう一時間半して、聖路加へ向かう。糖尿と血液の検査。
2014・24 152
☆ こちらは空梅雨 尾張の鳶
お変わりなく、精一杯動いて暮らしていらっしゃるのをHPから窺い、時折怠惰に鬱々に落ち込んでいるわたしは励まされています。
一人になれる時間が限られていて、メールを書く気持ちが削がれていました。メールに限らず、書くこと自体が膨大なエネルギーを必要としています。
中東、ウクライナ、南シナ海、国内、さまざまに悲憤慷慨、あまりに悲憤慷慨。そのような日々日常が実は常に人類の在りようだったのだと思わずにはいられません。
だからこそ、たとい括弧つきの平和であっても平穏な日常こそが人々の切なる願いだと改めて強く感じます。勿論、それが自国、自分だけの利害に基づくものであってはいけませんが。
シリアとイラクの国境近くに行ったことがありますが、そこで撮った子供たちの写真を改めて取り出して、彼らが今現在どうしているのかと思わずにはいられません。
今朝はテレビで都議会のヤジ問題が報道されていました。女性を尊重すると個人的には誰も誰も言うでしょうが、意識的、無意識的いずれにしても根強い両性のズレは理解することも乗りこえることも容易ではありません。振り返るまでもなく女故の悔しい思いはわたしにもいくつもあり、不信感も底深く抱えています。今更という感もありますが、今更、と言って終わってはいけませんね。
いずれにせよ海外メディアが伝えた云々以前に、国内でヤジを飛ばしたのは誰かで終わらせず、瑣末に終始せず、深く沁み徹っている差別意識や制度を考えてほしいと思います。少子化や年金の問題も行きつく根は同じ、ではないでしょうか。
日本の上代美術、古仏像、古仏画を見たいと書かれています。
良い季節を選んで、京都や奈良で是非是非ゆっくり、たっぷり楽しまれたらと心底思います。そこは鴉の「原点」なのですから。マゴちゃんのことも気に懸るかと察しますが・・。
わたしに限って言いますと、以前は飛鳥奈良あたりのものが一番でしたが、今は平安の仏像や仏画に気持ちが向かいます。
京都博物館の仏画展示のコーナーは殊に圧巻です。「信じられない」のにあの世や来迎仏への安らかな想いがあります。絹絵を習って最初に描いたのは来迎図のなかの一人の菩薩様でした・・。
先日訪れた浄瑠璃寺は鴉に所縁深い処、当尾の里にもいらしてください。奈良の市街から徐々に住宅も近くまで建ってきましたが、まだ規制されて静かな里の面目を保っています。
小雨の中、石仏を求めて歩きました。そしてお寺の九体仏様とも長い時間お会いできました。
今年は四国霊場開創1200年ということで巡礼ブームとか。ブームと言われると天邪鬼なわたしはやめようと思いますが、できることなら巡礼の旅も足腰に自信がなくなる前に再びしてみたい。頼るものを求めるのではない、信仰心薄いわたしでさえ、そのような気持ちがあります。
夏を迎えて無理せず、体力を養ってください。くれぐれも大切に、大切に。
* ありがとう。大事に深切にお過ごしください。
2014 6・24 152
☆ お元気ですか、みづうみ。
先日は、シェークスピアとトルストイについて色々教えていただきありがとうございます。わたくしの印象では、シェークスピアは絵画のダヴィンチのような、あらゆる時代を超越した魔物の天才。トルストイは生理的にシェークスピアほど悪人になりたくなかったのでは……。ああ、この話はおしまいに。
みづうみが「リア王」について書いたメールを憶えていてくださらなかったのは残念です。あのメールにはみづうみの読みたくないことも入っていたでしょうが、わたくしにはほんとうにほんとうに大切なメールでした。
苦しいのであの内容を繰り返すようなことはいたしませんが、あのメール内容の一部をみづうみへのエールとして、もう一度簡単に書かせてください。
英文学三大悲劇の一つでもある『リア王』の悲劇は、『ロミオとジュリエット』のような外的要因による悲劇ではありません。リア王に内在する要因によって起きる悲劇です。(ハムレットもオセロもマクベスも同様に、)『リア王』は邪悪な娘に裏切られたゆえの、被害者の気の毒な悲劇ではない。リア王自らの、過剰な愛の招いた悲劇であるからこそ、時代を超えて私たちの肺腑をえぐるのだと思います。
たとえると、『凶器』は『ロミオとジュリエット』の悲劇です。みづうみには『リア王』の悲劇に匹敵するもの、日本の『リア王』ともなる凄まじい悲劇を書いていただきたいし、書くべきでは、ということを書いていました。あの恐ろしい日々は、みづうみの『リア王』の完成のために用意された運命であったと、そうとすら思われてならないのです。
わたくしごとき凡女が、なんと偉そうなことを申し上げていたのかと、お恥ずかしい限りですが、それでも全くの間違いではないと今も確信しています。
ひとはその欠点からではなくその美質によってより大きな悲劇にひきずりこまれる、とは、アリストテレスがギリシャ悲劇について書いていたことだそうですが、みづうみがみづうみであるゆえに招いた悲劇という視点が、わたくしにはあります。つまり「他人に見えていて自分には見えていない」みづうみご自身を求めて、赤裸々に描いてほしいのです。
それは、かならず日本の新しい『リア王』になるでしょう。もしみづうみのその作品が達成されたら、初めて不幸な愛が真実の居場所を見出すのではないかと思っているのです。
病膏肓にいる愛読者の戯言とお聞き流しいただいてよろしいのですが、せめてこういうメールが届いたことくらいは憶えていてくださると幸いです。
新しいツバメの巣ができて喜んでいるのですが、今朝巣の近くに二羽の大きな烏を発見しました。目立つ場所にある巣なので、狙われていることは明白。まずいなあと心を痛めています。烏にも子育てはあるし、食べなくちゃ生きていけませんけれど、都会には人間の残飯もたくさんあるのだから、卵や雛は勘弁してあげてねとお願いしました。通じたかどうか?
調べてみると、カラスは自分のテリトリーのツバメの巣を全部認識していて、雛が巣立ち間近の食べ頃になるまで待って襲撃するとわかりました。雛を守るために果敢に闘う親鳥まで食べられることがあるそうです。寿命のとても短いツバメはただ子孫を残すためだけに生きているとさえ言えます。どうすればツバメ一家を守れるか今対策に頭を悩ませています。
つくづく、誰に対しても何に対しても余計なお節介オバサン、凡女の深情けのような自分に呆れつつ、最後にもう一つ。
外食産業すべてが不況に苦しむ状況で、天麩羅店も材料費を落としています。油の質が悪い店では胸焼けや消化不良の原因になる可能性が高いです。どうぞお気をつけて。
毎日お大切に過ごしてくださいますように。 槐 寿を守る槐の木あり花咲きぬ 虚子
* 感謝。なんとか立ち直って立ち直って、立ち向かいたく。
☆ ご無沙汰いたしております。
お変わりなくお過ごしのことと存じます。ご不調であるはずはないと思いながらも、お伺い申し上げます。
間もなく梅雨明けかと思うような雷が鳴りますが、この数年の気候変化ではあまりあてにならないでしょう。
田舎の生活は、今は伸び行く緑と、うるさいまでの小鳥の声とカエルの声に一番いい季節を迎えております。
自分のことに時間を使えるようになり、豊かな生活感を感じながら、今は生活パターンを模索しております。
気楽にお会いできたりすれば一層楽しいことでしょうね。
今日は体力テストをいたしました。はりきっています。おかしいです? 那珂 良
* 孫のあるご婦人はみなさんお元気そうで。うらやましい。わが家にも黒いマゴはいますけれど。可愛いけれど。
2014 6・25 152
☆ 発送の
作業が始まって、慌ただしくされていることでしょう。
少し元気がないようで、心配しています。
お疲れが出ぬようにと願っています。 眸
2014 6・25 152
☆ 秦 恒平 様
拝啓 初夏の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
150 冊限定の『秦恒平選集 第一巻』をお送りいただき、ありがとうございました。
高島や五個荘など、奈良や平安時代から今につながる歴史絵巻を 近江の町々に刻まれている記憶とともに紡いでおられる見事な仕上がりに感動しました。
昭和49年の作品ということですが、その年は、私が本格的に滋賀の村を歩き始めた頃でもあります。湖(うみ)の本ともつながる時代であります。
私は7 月19日をもって、知事職をひかせていただきますが、琵琶湖岸に住まいをうつし、琵琶湖と語りながら次の人生を考えてみたいと思います。
また、どこかでお会いできたら幸いです。
時節柄ご自愛ください。 敬具 滋賀県知事 嘉田由紀子
* 岡山の有元毅さんに、山口の名酒「獺祭」を頂戴した。とびきり美味い日本酒のひとつである。いま日本酒は、技術的にも質的にも歴史的に最も洗練されていると教わったことがあるが、さもあらんと実感している。しかも造られる土地土地のよさがかなり顕著にうかがえるのが嬉しく、だからこそ多彩な銘柄にその意味と美味とが生まれている。
むかしは贔屓のお酒を一つに決めている知名の人も多かったが、わたしは、そうはしないで、無心に酒はうまいなあと喜ぶ。
* 大学の同窓、妻の親友から、こころづくしの香をたっぷり頂戴した。心地安らいで、香をしみじみきくのは嬉しい。
2014 6・27 152
* 機械の前へ戻ったら、追っかけるように妻から転送されてきたメールが有った。筆者の藤原正樹さんは、妻の従姉の子、と謂っても(会った記憶がないので顔かたちも分からないが)おそらく六十前の男性。どこにどういう形で文章を書き込んでいるのか、ブログでもあるのか、妻はそれを読んでいるようだがわたしは全く見知ったこともなく、ときどき妻から噂を聞く程度だが、今日は、当人のわたしへの直接話法的「文面」のためか転送されてきた。全文なのかどうかも確かめていないが、箇条のようにも読めるので、番号を附しておいて、若干コメントしておこう。
☆ 目に触れた、藤原正樹さんの記事ないし質問。
① 文芸誌の形になった「太宰賞」というのをはじめてみた。そういえば、なぜ岩城ケイについて秦恒平氏は言及されないのだろうか。
② 秦氏といえば、隠し味的な読書については絶対言及されない。たとえば、「親指のマリア」のあとがきでも加賀乙彦には言及しても、遠藤周作や矢代静一には触れられない。もちろん、尋問する側が「沈黙」と「親指」ではだいぶ違う。白石という人物は井上筑後のルサンチマンとは無縁である。
③ シドッティその人についていえば・・・・・・カトリック作家からは当然批判が出てくるかもしれない。ただ、作者がカトリックと直接に衝突せずに済んでいるせいか、えらく好青年なのだ。まるで同志社に留学に来るアメリカ人青年じゃないか、と思ったことがある。こんな感想は見当はずれかしら。
④ 秦氏の作品発表の舞台でもあった「展望」には矢代静一が「あらい・はくせき」という戯曲を書いたことがある。これなど、どう摂取されたのか。あるいはまったくノー・カウントなのか。
* 上記に、わたしの感想ないし返事
① 「文芸誌の形になった「太宰賞」というのをはじめてみた。」という事が分からない。わたしが受賞したのは45年も以前で当時は「展望」に発表された。文藝誌ではなかった。現在の筑摩書房に「文藝誌」が在るのかどうか全然知らない。「岩城ケイ」という女性らしい人名についても何一つ知らない。もしかして今年の受賞者なのか、しかしもう何年も筑摩書房から「太宰賞」「受賞者」「受賞作」「授賞式案内」など知らされたことも、受け取ったことも無く、何も分からない。社の役員人事の変更だけが時折届くだけで、PR誌「ちくま」も近年は届いていない。わたし自身は筑摩書房をいわば「母港」と今も思っているけれど。
② 「隠し味的な読書」の意味が取りにくい。創作や執筆の参考にした書籍の意味か。それなら「「絶対言及されない」どころか、むしろ言い過ぎるほどで。「親指のマリア」に触れて遠藤周作や矢代静一の名が出ているが、わたしは遠藤さんの「沈黙」さえ読んでいない。ペン電子文藝館に頂戴した芥川賞作のほかに遠藤さんの作は短篇を一二読んだかなと謂う程度。矢代さんの著書も仕事も知らない。概して、わたしは、自分が書きたい人物について書かれている先行後発の創作物には「接触しない」ことにしている。
③ 強いて露わにいえば「シドッチは私」である。「作者がカトリックと直接に衝突せずに済んでいるせいか」は憶測であろう、わたしのキリスト教との「接触」は単に知識からだけでなく浅くも間接的でもない。「親指のマリア」は白石にだけ関心があったのでないことはハッキリしている。その「白石も(やはり)私」である。
④ まったく「カスリ」もしていない。わたしの創作以前の矢代作で噂でも聞いていたら読んでいたか、読まない。以後ならば。読まない。時代小説の人が白石を書いた噂は聞いたが、むろん読まなかった。
ついでながら、わたしは日本浪漫主義にもヤスダ・ヨジュウロウにも、少年の昔から関心よりも、不感心に徹してきたのを付け加えておく。
* 筆致から察して、この親戚でもある藤原さんはわたしのホームページ「私語」を読んでいるかと窺い知れる。「湖の本」も差し上げていて、ホームページもメールアドレスも御存じと思う。(わたしは知らない。)直接に率直にわたしあてにメールを寄越して下さればことはもっと明瞭になるのにと思う。「短歌」に関心深く歌誌「地中海」に属していたとも妻から聞かされている。わたしの歌集や詩歌感想も差し上げてある。
2014 6・27 152
☆ バテて
いるのではないかと、心配しています。
痛い左肩や指の痺れは、大丈夫ですか?
お仕事が一段落したら、花でも葉っぱでも、ゆっくりと愛でてください。
くれぐれも無理はなさらぬようにと願います。 眸
* 思いがけず早くにやすめなかった。
ついでに原稿づくりに「誘惑」も読み進んで三分の一ほども。こまかに幾重にも仕掛けを掛けた創作であったなと思う。「隠しわざの読書」など無い。
2014 6・27 152
☆ もう
パソコンも閉じて、休んでられることでしょう。これを読まれるのは、多分朝なのでしょう。お疲れがとれているといいなと思います。
「戦場のピアニスト」は、わたくしとしては珍しくスクリーンで観た映画です。
細かい記憶は残っていませんが、ドイツの大軍や廃墟と化していく街等の迫力のある映像や、切なく美しいピアノの音色といった、文学では表現できないものに魅力を感じ、それらを通じて訴えてくるものの重さに打ちのめされるような思いで観終わったのを覚えています。
加藤周一「文学の仕事」に、ゲシュタボの前で「マクベス」を誇り高く演じて射殺された老俳優を描いた木下順二翻案「巨匠」への言及があり、ポーランドを「詩人の国」( 芸術の国) と呼んでいたのも思い出しました。劇団民藝が演じたそうで、80歳を越えていた大滝修治が演じたと聞いたことがあります。 眸
2014 6・28 152
☆ 秦先生、
ご無沙汰ばかりで恐縮です。健康のほうはいかがですか。梅雨時でもありますので一層ご自愛のほどお願い申し上げます。
私のほうは例年にないほど海外が多く、それも一番安い方法での出張ですのでひどいときは10日の日程のうち6日間は飛行場での待機、それも深夜便と早朝便とのつなぎが多く、体力的にはもはや限界状態です。あと2年の任期と口癖のように言いつつ自分を奮起させるこの頃でもあります。
前回帰国した折、大変立派な装丁( もちろん内容についてはページを繰るごとに目から鱗の状態で感激することしばしでした) にもビックリしました。ただ、お祝いとお礼を早々に申し上げることができず申し訳ございませんでした。
現在はスペインのジローナを訪問中で、(国際ペン)言語・表現委員会に新規会長選出という極めて政治的な交渉に巻き込まれています。ただ、いろいろな翻訳者と話していると、京都弁、琉球語などの同翻訳するのかなあ、といつもながら素人なりに考えさせられます。YesとNoの間を英語でどういう風に表現していけばいいのか、またその逆をどう説明すればいいのか、純粋科学の専門書を京都弁で満足に表現できるのか、主語なしで自分の前に座っている7人の京都人に時間系列を勘案しながらそれぞれの退席を促すことができるそうですが、それなら、その感情の伝達をどのようにして英語に直すのか、まああまりに幼稚な考えにはまってしまい抜け出せません。
そんな折、秦先生に一度こうしたことに関して講演なりをしていただけたらなあ、と勝手な夢を見てみたりしています・・・・・。
裏声で歌え、日本国家なども、もっと広く海外に広めるべきでしょうか。
いずれにしましても先生の「選集」出版を、心からお祝い申し上げるとともに、少なくなりつつある純文学の系譜を維持するためにも先生のご健勝を心から祈るばかりです。
今週から再度ロンドンに立ち寄り、7月上旬にはいったん日本に戻る予定です。 国際ペンクラブ理事 堀武昭
* 海外で連絡の飛行場での飛行機待ち、わたしですら、ソ連の招待旅行のおり、トビリシへ飛ぶために当時のレニングラードで九時間もひたすら待ちに待った体験がある。こんなこと、普通にあるんですよと案内役のエレーナさんは笑っていたし、旅行慣れした同行の作家高橋たか子さんも観念したという顔でじいっと堪えていた。日本文学にくわしいエレーナさんに訊ねられていろんな問答をしたものだ、なかで辟易したのは「チャンポン」という日本語のいわれを聞かれたこと。むちゃくちゃな迷答を敢えてコジつけたのが今でも恥ずかしい。しかし正解はいまも知らない。辞書も引いていない。わたしが、なんと答えたか、わかりますか。
* 堀さんのメール、「湖の本」120も届いたという最初のものか。
2014 6・29 152
☆ 亀戸天満宮
藤の季節に行きました。
スカイツリーがそこからも、よく見えました。 春
2014 6・29 152
☆ 秦先生
「日乗」を拝読するだけで、ご無沙汰いたしております。
『櫻の時代』、拝受。
香道でも「難波津」の歌は覚えなさいということなのか、「難波津香」があり、「難波津」歌の五句をそれぞれ一つの匂いとして覚え(「此花」は二度でてきますから、四種の匂いですね)当てる「難波津香」、「難波津」の歌「浅香山」の歌を主題にした「鳥跡香」があります。
「難波津」の歌は、「千字文」をもたらした王仁が梅の開花にことよせて弟と位を譲り合っていた仁徳天皇に即位を促した歌であり、連綿の字の練習にはまずこの二つの歌を手始めに勉強したということ。さらに文字は三つ目の天才、蒼頡が砂浜の鳥の足跡をみて考えたものという伝承も織り交ぜ、主題にして遊びます。
「いにしえの奈良のみやこの八重桜~」伊勢大輔の歌、関わりで、「古今香」という遊びがあって、これは参加する人が、それぞれ古今集の歌人の札名をもらい、答を紙に書いて出すのではなく、札を打って聞き当てっこをするのですが、その中になぜか「伊勢大輔」の名が入っているのです。大輔は古今集成立以降の人。これはあきらかに「伊勢」と「伊勢大輔」を混同してしまったのでしょうが、何時の時点でこんな間違いが発生したのか、私の様な素人では調べようもありません。百人一首で親しんでいる歌の作者の名がつい出てしまったということなのかしら。古今香に上げられている歌人が、それぞれ、四季・雑の各巻の巻頭、巻尾を飾っている人々というところまで拘っていることを思えば、原初からの間違いとは到底思えません。
宇多帝や敦慶親王、仲平、時平とそうそうたる男達と戀におちた伊勢。紫式部に替わって奈良の八重桜を受け取った折りの当意即妙の歌の評判と、これらの要素が混同を招いたのか・・・こんなことを発見すると、伝統芸能が、それに遊び興じた古人たちの笑い声が、何より考案した人々の拘りを肌で感じ、これもまた楽しみの一つになっています。
『櫻の時代』を読みながら、私の夢想はまた拡がっていきます。
時節柄、御身大切に。 桔梗
2014 6・30 152
☆ 水無月祓え
俵屋吉富の水無月を買ってきました。
いまどきお好きな和菓子は、これかなぁと思いつつ。
みそぎ( 身削ぎ) の夏、今年ももう半年が過ぎたのですね。
世界も日本もわたくしも、心の大きく揺すぶられた半年でした。
今は祓うべき罪や汚れは想わず、六病息災を祈ります。
「述懐」のうたも、七月に変わりましたね。今日の退けは明るいうちだったので、寄り道して、立葵の写真を撮りました。
けふもまたこころの鉦をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれて行く
あくがれていくのは、魂でしょうか。
お元気ですか、秦さん。 眸
* 京都ではかならず懐かしい夏菓子を「みなづき」と謂うていた。わたしは今はひとかどの酒飲みになり、「生涯在酒」の印まで用いているが、甘い物も大好きで、ことに上等の和菓子は堪えられない。京、金沢の菓子は極みなく良い。東京では聖路加病院の近くに塩瀬の総本店があり、和菓子は観にゆくだけでも美しく懐かしく美味しそう。まして「俵屋吉富」と聴くと、直ぐにも京都へ行きたくなる。 みそぎぞ夏のしるし と百人一首にある。茶の湯では春秋でなく夏冬というけじめがだいじで、柄杓など、「夏のしるし」に竹すその身が削いである。
引かれているうたは牧水のように覚えている。わたしの「鐘」の述懐への反響か。
2014 6・30 152
☆ お変わりありませんか。
秦君 しばらくご無沙汰していますが、その後体調はいかがですか。きょうは又新著を送って頂き有り難うございました。ゆるゆると読ませて頂きます。去年の暮れ近くに耳鼻医院で耳垢除去中に左鼓膜に孔を空けられ、それ以後通院を続けていますが、孔は塞がったものの元の聴力には未だに戻らず、音楽がステレオで愉しめない情けない日々を過ごしております。二十才台に纏めて内科と外科医のご厄介になったせいか、ここ四十年近くも内科医とは無縁でいますが、首から上は予防の仕様もなく、時折眼と耳医者の世話になっています。脳もいずれはアル中ハイマー ? に罹るかも知れません。何しろ365 日休肝日がありませんので。特に数少ない愉しみの読書や音楽が満足に楽しめない近頃は、酒への依存度が余計に高くなりつつあります。
ところで、あなたは、今も美空ひばりの歌を愉しんでおられますか。私の妣もひばりの熱烈なファンでしたので、生前は親孝行のつもりでせつせと音源を集めたりテープに取込んで聞かせていましたが、逝ってからはその音源も未整理のままだったのを、今年の年忌を機に少しずつCD化しようと整理を始めました。お馴染みの薄そうな曲があれば、お送り頂いたご本のお礼にお聞き頂きたいと考えております。今までに二、三枚はお送りしたと思いますが、さてどんな曲であったかメモも取ってありませんので、ダブるかもしれません。テープはカビが生えたり伸びたりしていますので中々捗りませんが気長にお付合いください。
それでなくても梅雨時で鬱陶しいのに、政治家の先生方の行状にもうんざりですし、ボール蹴りもご贔屓早々の敗退で興ざめですが、適当に暑気払いをしながらお互いに自愛して日々を過ごしましょう。ほんとうに有り難うございました。 洛北 辰
* 音楽大好きの君が耳を損じたとは。何と言うていいやら。年齢のせいには、ばかれ、お互い、したくないが。
☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 120 櫻の時代 秦 恒平随筆選(一)」を拝受しました。
作家としてのご活躍に加え、世情にも鋭敏に、深くコミットされてきた軌跡を、まことに興味深く拝読しております。 練馬 靖 2014 7・1 153
☆ 湖の本 届きました。
「櫻の時代 秦恒平随筆選」 このような一冊の編まれることを待っていました。まだ読んだことのないものがありますから、毎日読み進むのが楽しみ。嬉しいです。
それにしても、みづうみが書いて書いて書きまくっていらしたことがよくわかります。優れた藝術家は夭折しない限り、仕事量が恐ろしいほど多く、しかも質と量が比例するところが共通しています。
今日から七月です。今年の後半に入って、予定していたことの何も出来ていない自分に焦ります。みづうみは湖の本二冊発行、選集第一巻創刊なのに……。
わたくしはメールだけは、みづうみに読んでいただきたい一心で大量に書いているかもしれません。まるでメールが創作物かのようです。あとでまた長めのメール送らせていただく予定です。読まされるみづうみには申しわけなくて先にお詫びを申し上げておきます。 お元気ですか、みづうみ。 紙魚 月明の書を出で遊ぶ紙魚ひとつ 林火
2014 7・1 153
☆ おはようございます。
水無月、白と黒糖では黒糖の方、より好みの味でした。
昨日の歌は勿論、牧水。
宮崎の牧水記念館で牧水という名前だったか和菓子と一筆戔を買った覚えがあります。
あくがれいづると言えば沢の蛍が連想されます。
父母の里で蚊帳の中に放ってみた幽かな光や、思いきって勤めも休んで行った温泉で見た、この世のものと思えぬような怪しく美しい光の群れが思い出されます。
こんなメールを打っていたら、旅に出たくなってしまいます。 眸
☆ 天候の
厳しい変調が続いておりますが、お身体の方 如何でしょうか。くれぐれもお大事におすごし下さいますよう。
小説への対い方の新しい眼 歴史を読み取る正しい姿勢 詩歌の読み取りを那辺に求めるか尊うご教示頂いた恩恵を 今更のように肝に銘じて感謝している次第です。
大きな病いをものともせずご活躍の姿 まことに美事と申すほかありません 鏡として 小生も余年を楽しむことにいたします 有難うございました。 江戸川 俳人 冽
☆ 拝復
先日は又 御鄭重にも「湖の本」を御恵送下さいまして誠に有難うございました。いつものようにまず「私語の刻」から拝読致しました。御体調如何と気になっておりましたが、歌舞伎座、能楽堂、国技館と積極的に足を運ばれていることに感銘いたしました。
殊に「今日はウイスキーを美味く呑んだ勢いで、大声で盛んに声援を送った」の一文には同世代者として思わず笑いを誘われ、かつ励まされました。相も変わらず色々な小説を読まれておりますが、最期のグレアム・グリーンの言葉の深遠さには頷き、感銘致しました。
異常気象の日々が続いておりますが、奥様御一緒に呉々も御体調には留意されますよう、御自愛の日々、お祈り申し上げます。 敬具 元「新潮」編集長
☆ 本日は
『湖の本』120 櫻の時代 お送りいただき有難うございました。
(東工大生を書いた)「青春有情」のところから読ませていただいています。 恐々謹言 静岡大教授 歴史学 和
* 久保田淳さんには、いつも新刊のご著書を頂戴していて、あれもあれもと数え切れないほど。「無名抄」や「西行全歌集」についで、いま「富士山の文学」を興味深く楽しんで耽読している。
また、このところ、へええと驚きながら、かつて耳にも目にもしたことのなかった「マビノジョン」というのを、吃驚しながら、面白く読まされている。ブルフィンチ(野上弥生子訳)『中世騎士物語』の前半は「アーサー王とその騎士たち」であり、ともあれ「アーサー王」の名や王妃グネヴィアだの騎士ランスロットだのの名によって、ま、お馴染みではあるが、この本のちょうど後半分を成している「まびのじョン」という言葉も意味も、恥ずかしいというか当然ともいうか、まったく未知であった。これは「ものがたり」という言葉の複数形というか集合名詞とでも謂うものらしい。日本語でなら「お伽噺」だの「昔話」だのの類で、やはり「アーサー王」の名や彼の騎士達の名も頻出するものの史実を踏んだものとはまるで思われない。アラビアンナイトの「ウエールズ版」みたいなものか、それらがけっこう面白いのである。わたしは、この手の物語や語り口をやすやすと受け容れる素地を性格的に持っている。「マビノジョン」なるものの存在が知れてよかったと思っている。
2014 7・1 153
* 躊躇ってもおれない、総選挙要請の意思声明をひろく転送を願って発信した。
☆ 秦さん
今、官邸前にいます。 ペン会員 原
☆ 今日は娘と、
久し振りにランチに出ました。
フレンチは満席だったので、北欧料理へ。( メインは少なめでも、オードブルやデザートが色々あるのが好きです)
アミューズからデザート( さっぱりとライチのソルベ) までしっかり食べたのに、帰りに寄った新しく出来た駅ビル内のケーキ屋さんのケーキが美味しそうだったので買いました。
娘が予約していた本を受け取りに図書館にも回り道。借りてきたのは、『憲法学の世界』『行政法概説』等。
奇しくも今日、集団的自衛権の行使を認める閣議決定案が遂に了承されてしまいました。( 打っているさ中に届いたメール、同じ思いです。)
帰宅したら、『櫻の時代』が届いていました。
私語の刻だけ読みました。後は、明日からの通勤時の楽しみにとっておきます。 澤
2014 7・1 153
☆ 同調
「安倍「違憲」内閣は、国と国民の平和を危殆・破滅へ導く、安易で好戦姿勢の集団自衛権を、「閣議決定」一つで決めた。
断乎、これを拒否する。
かかる大事を、かくも独裁強行するならば、解散・総選挙で「民意を問え」と、私は声明する。
同調の声の燃えんばかりに広がるのを期待する。
平成二十六年七月一日 作家 秦恒平」
諒承致しました。 茨城県 司
☆ 秦先生
賛同します。
とりあえず、『平家物語』編者一同ニ転送しました。
ご報告まで。 国文学 真
☆ 今日は
朝から自分の無力に苛立っていました。
秦様の声明文に賛同し転送させていただくことで、少しは政治に物申せたでしょうか。
声が広く広がりますように。
若者たちへもと。 練馬 晴
☆ 「櫻の時代」が届きました。
ありがとうございます。
述懐歌の、「天の川を越えて ……」の歌をよみ、ご夫妻の哀しみの7 月を思います。
年が経っても、一層の事痛いほどのお辛さが襲ってくるのでしょうね。
秦さんも奥さんもお加減が悪い折に、ご本の発送にお手数をおかけして恐縮です。
たくさんの新聞紙上に掲載された随筆を古今を問わず一度に読ませていただけること、感謝です。
以前に「私語の刻」で読ませていただいた文も、また違って迫ってくるものもあったりして、読みついでいます。
今日はこの一文 「親に頼るか、子を頼むか」
年数が経った今この言葉がしみてきます。、
「子を頼む」ことのできなかった私の母の哀しさ。
親に頼らせなかった子の自分の醜さが見えてきます。
素直に申し訳なかったと10年近くなっても過去にまだできないのです。
「湖のほん」が手に軽く馴染んで、電車の中で読ませていただけるのが楽しみです。
天候の突然の異変に戸惑われる様な日々でしょうが、
お二人ともどうぞお身体お大切にお過ごしください。 高松 美
* この読者のお便り、身にしみる。昨夜おそく、自作「誘惑」を入稿の必要あって読み返していて、苦痛と不快を覚えて五体の違和に悩んだのが、この方のこのお便りと同類の慚愧であった。起きていられず、安定剤を服して寝入った。
夢に、めずらしく亡き唐木順三先生のために世界地図をしらべまわすという妙な夢をみた。亡き医学書院社長金原一郎さんの夢も見た。
* 濃厚に暗く粘った空気を蜘蛛の巣を掻き払うようにして毎日生きて行かねばならぬ。どう苦しくても。
☆ 御高著「湖の本」
有り難く拝受仕りました。慎んで御礼申し上げます。
種々の随筆篇、心楽しく拝読仕ります。 白壽歌人 房
☆ 前略ご免下さい。
今度は「湖の本」120 櫻の時代 のご恵投に与り、まことにありがとうございました。毎巻、愉しみに拝読しておりますが、今巻は花と歌についてのご感想が多く、ことに愉しく拝読しております。
また「源氏物語」の書かれた時代の社会的現実は、筆舌に尽し難いほど暗く悲惨であったというご年来のご指摘、改めて想像を刺激されました。私は晶子源氏を読みましてから、漸く源氏の本文を読了したのが五十代、何ともおく手な読者ですが、言辞の時代背景はまことに興味深く、これから勉強しようと存じております。
秦様の「湖の本」は、現在の私の怠惰を鞭打って下さる貴重な冊子です。
今月、作品社からホフマン「ウイーン」を刊行いたします。お送りいたしますので、笑覧いただけたら幸いです。 草々 歌人・翻訳家 鋼
☆ 梅雨らしい日々です。
昨日は「湖の本」120『櫻の時代』の御恵贈にあずかり、早速に魅せられつつ読みはじめました。
日本語という象徴言語を築き駆使し磨いてきた古人の努力と美意識に接して驚いております。
読み切るまでに時間が相当かかりそうです。まずは御礼まで。
平安をお祈り致します。 国際基督教大学名誉教授 浩
☆ ご本を
ありがとうございます。どこをめくっても 思わず読み始めてしまいます。
今日 ちょっと使っていたゞけたらと思う物を見つけ お届けしたいと思います。ご笑納いたゞけたら嬉しいです。
暑さに向って お二人様とも くれぐれもご自愛下さいますように。 秦野 明 妻の従妹
☆ 疲れた
と云うところに陥らないように お願い申します。 山形県 又
☆ 御活躍
うれしく拝読しています。
一昨日は、盛岡で、啄木の講演をしました。 現代文学教授 ペン会員 紀
☆ Vol 120以降も
継続して購読致したく、申し込みます。
秦先生のご健康をお祈り致します。 横浜 蓑
☆ 秦恒平選集
第一巻 一部 第二巻一部 ご送付宜しくお願い致します。 八千代 実
☆ このところ
ご本を手にすると『私語の刻』から読み始めます。そして、秦先生が どんな風に過ごしていらっしゃるかに思いを馳せます。
向暑の砌、ご自愛の程お祈り申し上げます。 高槻 厚
☆ いつもありがとうございます。
雨や暑さで関東はたいへんですね。お出かけも難儀でしょう。
どうぞ おふたりともおだいじに。痛み 和らぎますように。 下関 碧
* 元都立墨東病院で脳神経外科医長をされていた藤原さんから、わたしの旧作『迷走』三部作の内最初の「亀裂」にもこまかにふれたエッセイの「薬事日報」に載ったのを送ってきて下さった。医学論文のオリジナリティに関わるある不正事件をも書かれている。「医師像を紡ぐもの 脳神経外科医・木下和夫先生を偲んで」とあり、木下先生は不正の被害を受けられた。往時とはいえ、今更に感慨を覚えた。
2014 7・2 153
☆ わが家のフェンスに(手作りのアピール・写真で)
安倍内閣よ
憲法と命を守ろう
集団的自衛権の行使で
国民を戦争に巻き込むな
自民党よ
公明党よ
よくよく考えて
今日、取り付けました。
母の制作です。 山口県 翠
☆ も一つ
武器で
国は守れない
軍隊は
人を護らない
昨日のうちに わたしも こちらを。 山口県 翠
* なるやうに なるも ならぬも なるやうに
ならす鐘こそ うつくしくなる 湖
☆ 安倍政権への抗議と拒否 全面的に賛成です。
サッカーやAKB の魔術から早く冷めて、お互いに大きな声を出していくことを願っています。
特に高齢者は関係ないとの考え方を捨てて、ヤングに歴史を語る責任があります。
もちろん出来る限り檄文転送します。 川柳作家 速
☆ 秦さん
ご体調はいかがですか。
喪失の哀しみの7月です。私は父親を亡くした月です。
秦恒平選集の刊行、おめでとうございます。
久しい読者の一人として、4月刊からの選集全巻購入を希望します。引き続き送って下さい。
「紙の墓」の墓守を志願します。 ペン会員 倉
* 不徳なれども孤ではないと、有り難く思う。
2014 7・2 153
☆ 朝からバタバタと過ごしました。
ようやく一息。
昼前から耳鳴りが少し。
夏至から11日目の半夏生の今日も、よく日が照りましたね。
夕食にさっぱりと蛸の胡瓜もみを一品添えました。秦さんはバテてないかなぁと相変わらず心配してました。
食欲も、回復してくるといいなぁと思います。
不快と言って済ませられない日々ですが、堂々とどうぞ元気で長生きしてください。 花
2014 7・2 153
☆ 全く同感です。
戦後70年のこの時期に、こんな法案が苦もなく通ることを絶対に阻止しましょう。 編集者 雅
☆ 有難うございます。元気にしております。
確かに今朝は地震がありましたが、震度5以下では何も起こりません。今朝は近くで、震度4でした。これくらいでも東京では大騒ぎしますね。いつも。
運転は以前よりむしろ多くなりました。、
車は好きで、毎日です。つい空港へ向けて走りたくなり、そのままチケット買って、神戸に飛びたくなります。気まぐれができるようになりました。 菜
* 実費と送料だけでも支払うので、「選集」全巻頒けて欲しいという申し入れが相次いで来ている。有り難いこと。
☆ 湖の本120「櫻の時代」を
拝受いたしました。当方の三十代以降のそれぞれの時代の<不易>と<流行>が随筆という文藝の形で表現されていて、変らざる秦さんの芯と新しいものもいち早く受容される柔軟な有り様の併存しているのが魅力的です。お宅への訪問を許されたような、小説・評論とはまた違った楽しさです。
それにしても、けんのんな時代になりました。こういう時こそ書き続けていただきたいと心から願っています。
どうぞお身体お大切になさって下さい。 元講談社出版部長 野
☆ 庭の草取りをしていますと
早やきりぎりすの鳴き声。今年も夏がやってきました。
「湖の本」120 熱くお礼を申し上げます。たのしんで随筆集を読ませて頂きます。
「集団的自衛権行使・容認」のニュースを聴き悶々としています。
ご子息様にしきし「 啄」を贈られた文を拝読して、私が子供に遺せる物は何か、考えさせられました。御礼まで。 神戸 市
☆ 「私語の刻」に
ございました「 啄」のおことば 深く心に刻まれました。
長雨の季節 ご自愛のうえお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。 山梨県立文学館
☆ 本日(七月二日)
「湖の本」120の振り込みとともに、「秦恒平選集」の第一巻・第二巻を戴きたく申し入れました。「選集」は全巻いただきたく、よろしくお取り扱い下さい。 三鷹 唐
☆ 「秦恒平選集」
制作実費負担で申し込みます。 池上 正
☆ 今年の梅雨は
東京は烈しい雨の様子、ナゴヤ方面はほとんど降らず、どちらも心配しています。
いつも湖の本をありがとうございます。今回は120巻めとのこと、おめでとうございます。随筆のさいごの年月日を確認しながら、あのころこのころと思いをはせております。
どうぞお身体無理なく。益々楽しませていただけることに感謝致します。 愛西 逵 ペン会員
☆ ご体調如何かと
お案じするなか、御本お届け頂けるのは唯々嬉しゅうございます。どうぞ御自愛の日々をとお祈り申し上げています。
半年が過ぎました。
「茅の輪」も「水無月」も縁無く過ぎましたが、「ノーベル平和賞」署名集めに頑張っております。お礼まで 下鴨 文
☆ 前略
その後先生にはお変りなくお元気でいられますでしょうか。「櫻の時代」ありがとう存じました。
エッセイしりーず17「漱石 心の問題」から永らく読ませて頂いていましたが、去年は体をこわしてしまいやはり入院したり、いろいろありまして終りにさせて頂きました。
買い物から帰りましたらテーブルの上に御本がありましたので、ビックリしたり懐かしかったり致しました。
多分先生と私は同年だと思います。お互いさまに、お体には充分お気をつけて下さいます様念じさせて頂きます。ありがとうございました。
TBSテレビにご子息さん作の作品をよく観られ とても嬉しく存じております。 かしこ 赤羽 岸
* 文藝春秋専務寺田英視さんの退任ご挨拶があった。われわれの大きな久しい時代に、コンマが打たれた。寺田さんのご紹介がなければいまの「秦恒平・湖の本」はあり得なかったのである。大恩の有り難い優秀な編集者であった。なおひとしおの新乾坤が真実期待される。ご健闘とご健康を祈る。
☆ 早速に随筆集送付いただき
拝読させていただきました。
「自殺」という言葉が使われていますが、モーリス・バンゲの著作の邦訳「自死の日本史」(筑摩書房、1986 竹内一夫訳)において竹内さんは mort volon taire を自死と訳されました。 suicide という言葉は18世紀ごろにフランスで生まれ、もともと無色のものであったが、キリスト教の断罪と西洋を風靡した近代精神医学の許し難い偏見が結びついてネガティブな色合いをもつようになった由です。
私はほとんど本を読まずに医師としての時期をすごしましたが、ただ一冊、心をゆさぶられたのが、深沢七郎氏の「楢山節考」で、何の縁かこの本が上述の自死の日本史を出版したガリマール社から仏訳されているのを後に知りました。秦さんの「笛吹川の母の声」を拝読して、きっと私も少数派なのではないと思うことができそうです。 品川 逸 元国立小児科病院医長
* 今日も 10校 大学高校等からの「湖の本」への挨拶が届いていた。
* 吉備の人お志のピオーネ・マスカットの一函が届いた。なんという美しい果物だろう。両親や父母の位牌の前にまず置いて、岡山の人にじっと頭をさげた。さきに戴いていた「獺祭39」の美味しかったことを残り惜しいまで感じながら、夏の風味をまずは眼で愛でた。
* 高麗屋のご夫妻からも、日本橋で選り抜きのめずらかな冷凍スープを頂戴した。
2014 7・3 153
☆ 庭の百日紅が咲き始め、
今朝は蝉の鳴き声も耳にしました。
通勤電車では「孤・病・兵・貧の何が」の辺りを読みました。
活字の向こうから、先生の声が聞こえてきます。 眸
☆ 湖の本
ありがとうございました。私もなまけていてはいけないなと思いました。
最近の不穏な情勢といい、声を出さねばと、新聞紙上の働きバチと化した我家の長女さん、どうなりますやら。それに比べて子を持った次女さんの落ちつき振り。親になるという事は大変なのですね。
お身体 ご自愛下さいます様。 保谷 眞
☆ 櫻の時代
ありがとうございました。拝見し、刻々の情勢と併せて、日本の将来を考えさせられました。心に沁み、迫ってくる重いご著書、さらにじっくり拝見いたします。
お暑さも加わって参ります。くれぐれも御体お大切にお過ごし下さいませ。御礼まで申し上げます。 堺 歌人
* 鎌倉の粂川光樹さん(明治学院大名誉教授・上代学 昔、医学書院で同年同僚)が、「『明暗』を継ぐ」と題したおもしろいエッセイを送ってこられた。すでに彼は漱石絶筆「明暗」のその後を書いた創作がある。それへ到るこもごもの情熱的実践を整理的に追懐されている。「いつも『湖の本』お送りいただき、ありがとうございます。120巻、ほんとに驚異の達成です。ますますのご健筆をお祈りします。」とも。感謝。
* 立教大名誉教授の平山城児さんからも、興味深い論攷「『陰翳礼讃』の陰翳」「『細雪』を読み直す」を戴いた。地道に追究して下さる。こうした踏み込んで力ある、かつ肩肘を張らずに真率な谷崎論が、ないし創作であれ学術論文であれ、望ましい。
☆ メール、
ありがとう。感謝、です。気づかっていただくだけで感謝です。
差し迫って悪いことは起きていません。
姑の衰え、新しい施設への不満、夫の黄斑変性症、娘のヘルペス、などなど続いていますが、わたし自身は時折鬱になる以外は元気です。
暮らしは工夫してやりくりし、それはどこの家庭でも同じことでしょう・・。
一日三食、自分でもよく作っているなあと、これは苦い思いも含めて。ただし不味いものは誰だって食べたくないですね。
家事のために他のことに集中するのが困難になる場合も確かにあり、用事を済ませる間にいろいろなものが消失します。消えていくものは消えていくに任せるしかありません。勿論懸命に「追跡」することも忘れてはいません。
それにしても無力に近いわたしの状況です。
湖の本、届いてすぐに読みました。
選集の方も着実に進んでいる御様子、納得いく形で、愛着ある作品を纏められるのは鴉本人の渾身の力あってのことです。
同時に大変な負担かもしれませんが、現在進行形の小説が健やかに形整えられることを切に願っています。
HPでは志村ふくみさんのテレビ番組に触れていらっしゃいました。彼女は何冊も味わい深い随筆集を出版されています。わたしが傾倒するリルケについても、彼の書簡集から感じ取ったものを『晩祷:リルケを読む』という本に纏めています。リルケの膨大な書簡は否応なく彼の生きたリアルを炙り出しており、彼の生きる術なさ、不如意に苦しむ足掻き、時に悲哀も感じとらずにはいられません。
今週の世の中の動きは実に嗟嘆の極みです。閣議決定の後いくつもの法案がむくむくと頭を擡げてくるでしょう。恐ろしいことです。
安倍総理の顔も、兵庫県議員の顔も見たくありません。嘆かわしいことばかり!
来週は姑の世話、下旬には再びシンガポールに行くことになるかもしれません。
取り急ぎ書きました。
どうぞ元気にお過ごしください。
・・体重70キロを超えたのは糖尿病にとって良くないのでしょうか? とにかく大事に、大切に。 尾張の鳶
* じつはもう以前から、リルケを読みたいと思っていた。隣棟の書架に、昔々の新潮社版リルケ一巻がほぼ買ったときのままになっている。同時に買った同じ編輯でのカミュ「異邦人・ペスト」は大事に読んだのに、リルケは詩の一部だけを読んだ。「マルテの手記」などにはとりつけなかった。
それでも読んだ詩からは確実な影響を受けている、それは万物が絶え間なく限りなく落下して行くのを、受けとめる「手」があると歌って胃いた詩だ。わたしの「手の思索」は具体的には茶の湯の点前作法や盆踊りなど舞踊の手や相撲の手などからも具体的な刺激を受けていたが、リルケのその詩は、もっと深いところからわたしの思いを受けとめてくれた。
そもそもその当時としては洒落た装幀の新潮社の文学全集を、わたしはいつ買ったか。高校時代ではなかったか。カミュの大いに騒がれていた頃だ。では、リルケは何故。たぶんに「リルケ」という名に惹かれ、彼が「詩」人であることに惹かれたに違いない。
隣から持ち出してこよう。偶然ながら今わたしはカミユの「ペスト」をじっくり熟読している最中なのだ。
☆ あまり
外出なさらないようになられましたか? 簡単です。特急で、上野から水戸。常磐線。
これは便利ですが、このさき茨城は広くて不便ですね。
来週末にかけて検査入院し、18にちから一週間ほど、関西にいきます。京都なので今回は新幹線を使います。私はいつも予約しないで適当に乗り降りするほうなのですね。
地震などこわがらず何時でもいらっしゃってください。
でも暑くなりますから、随分お気を付けてください。 那珂 良
☆ 随筆選(一)櫻の時代
ありがとうございました。私共(夫妻)は今大学の合唱団のOB会で信時潔作曲の「いろはうた」を練習しております。
また、長女の名は まゆみ と申します。立春の生れなので春の枕ことば 白まゆみ 張るまゆみ から名付けました。もちろん蓼科のまゆみの実も大好きです。 神奈川二宮 城
☆ 元気です。
そろそろ家の後始末を思いながら 元気です。老いるに従いなぜか過激になっています。過激に先生に習って幾種もの本を読んでいます。今どきの学生さんはなぜ大人しいのでしょうか。
一ヶ月以内にPC購入予定。勉強部屋の整理からです。
どうかお健やかに。あ、それからこの払い込み分の余りは美しい選集にお役立てください、わずかですが。 東近江 民
☆ 声明の転送 了解いたしました。
本当に腹立たしく、憂鬱です。60年安保のとき、あれだけの国民の反対を押しきって通したことを苦々しく思い出します( 私はまだ小学生で、一家中テレビ画面に釘付けでした。)
ときどき朗読ボランティアにいっていた世田谷区のデイケア施設から、人手がたりないのでしばらく来てほしいと誘われ、4月から週三回働いています( まったく性懲りもなく、笑) 。片道一時間半以上かかるので、朝は5時起きです。あまり長く続けると止められなくなりそうなので、一応12月までの心つもりなのですけど。
外国人のためのテキストCD吹き込みも並行して続けていて、まだあと4、5本ありそうです。 田無 梓
2014 7・4 153
☆ 毎日
暑い日が続いていますが、お元気ですか?
先日は本をありがとうございました。
私ももう67歳、足腰が弱らないようにと、できるだけ歩くようにしています。
今日は京都にウオーキングに行ってきました。
蒸し暑い日が続いています、お体大切にご活躍ください。 大津 治 母方甥
2014 7・4 153
* 島尾伸三さんから、「『湖の本/落手。ありがとうございます。暑い日が続きます。ご自愛のほど」と書き添えて送られてきた、神戸の文学同人誌「タクラマカン」創刊号、二号、三号の復刻。昭和二十五年の創刊でいまも続いている。伸三さんの父君島尾敏雄さんをかこむように成った同人だったが、島尾さんが東京へ去ったあと、「島尾の残党」といわれながら仲間たちがあたかも死守してきた。いまは伸三さんも参加している。かつては母堂島尾ミホさんも参加されていた。
わたしは、こういうグループでの文学活動に全く無縁で今日まで来た。短歌会にも入らず、同人誌とも無縁だった。
どの世間の人とも(伸三さんも然り)想像以上に大勢の方々と懇意にしているけれど、わたしが文藝家協会やペンクラブの会員であるという以外の、特定の仲間内というものは持たないし、一度も持とうとしなかった。ま、強いて謂うなら「妻との二人三脚」でずうっとやってきた。いまは秦建日子も身近にいる。「選集」刊行にも力を添えてくれている。
それでよかったと謂うのも可笑しい。それで悪かった不味かったとは、ゆめ、思っていない。
☆ 梅雨に入っても
全然雨が降りません。やっと今日の午後くらいから降るらしくホッとしています。
今週末、孫と京都へ行きます。とても楽しみにしています。
今回の本、楽しそうで 一気に読めそうです。
お体 お大事に。 各務原 真
☆ 政治に絶望してますが
あきらめたら終わりなので 動ける限りはデモや署名や会合や…小さな一歩を集めてつなげていくしかないと思っています。やれることをやっていきます! 名古屋 智
☆ いつもありがとうございます。
先日梅を漬けました。
今年はとても良い梅でいつもよりも多目にしました。お盆頃にはお送りできればと願っています。 湖南市 敬
☆ ありがとうございます。
HPを読みつつ、保谷のお二人に心を馳せています。どうぞお元気で大切なお仕事をなされますよう祈念しております。
私も平和憲法を守るため頑張っています、希望を捨てずに!
又、金沢の品 お送りしますね。 金沢 小夜
☆ お疲れのところ
色々とお心づかい下され ありがとうございます。
まだ見ぬ御作 次々とたのしみに拝読申し上げます。 館林 久
☆ いつも湖の本
ありがとうございます。ラッキョウを洗った手の匂いを気にしながら 私語の刻 読み終わりました。 歌人も病気と付き合いながら 五月に79歳を迎えました。先生と同年うまれです。 桐生 吉
☆ 過日は
立派な御本の御恵送をいただき有り難く存じました。
私もまもなく満90歳。持病の緑内障が進み盲目に近くなりました。 横須賀 幹 父方従兄
☆ 「穆穆良朝」を
ありがとうございます。いつものどかな春が来たと思って過ごしたいです。
陶淵明を読んでいます。
「どうぞ、お元気で!」の励ましが こだまのように還って行きます。 狛江 秀
☆ 湖の本120
ありがとうございました。お身お大切に、湖の本お続け下さいませ。 杉並 藤
☆ 今年の梅雨は
関東の方が大変のようです。こちらは、カラ梅雨の様子、でもまだ油断はできませんが…。そろりと気温が高くなりました。ご無理なさいませんように。お二人どうぞご自愛下さいませ。 新潟 鶴
☆ こんにちは。
**です。湖の本120 号いただきました。メモ拝見しました。本当に久しくなりましたね。
**が倒れてから丸11年余りですから、おそらく12、3 年になると思います。ぼくも、お目にかかれたらとても嬉しいです!
火曜日の午後であれば、ご自宅へでも、どこへでも出向けますが…お身体に差し障りのない程度の短い時間をご一緒できれば幸い です。 元筑摩書房編集者 幸
* 懐かしい限り。はやく会いたい。
☆ ありがとうございます。
上野、浅草、根岸、池袋のどちらでも、時間的にそんなに変わりなく行けます!
奥様にもお目にかかれたら嬉しいですね。
120 巻分の在庫! 目に浮かぶようです。ここまで続けてこられたことに、本当に敬服いたします! 幸
2014 7・5 153
☆ 『秦恒平選集』ありがとうございました。
この度は ゆるりと音読させていただいております。
『みごもりの湖』からは、最初に読ませていただいたころ、同志社大学で「デザイン論」を講義し、終ってから図書館で本を読み帰るのを楽しみにしていた昔を想いだしました。
小説に触発されてはじめたお茶のお稽古は、茶名をいただくほど精進したのですが、今では、すっかり忘れて 米寿を迎えた先生とのおしゃべりを楽しんでいます。
二度目の読書から、奥さまが何人もの女性に変身して登場されるさまなど、容易ではない小説創作の秘密を探り 小説もどきづくりを遊んでみたい……などといっているうちに 人生が終ってしまうようです。 七十になってなお、講義やレポート添削に追われているとは思いませんでした。
「日本」という国が失せてしまう可能性について考えました折、「S」という名が「H」になり、新潟の言葉や文化が否定され怒り悲しみ、けれど少しづつ新しい習慣を学びはじめた過去を想いだし、異国の文化、その火の粉の中を生きてみるのも悪いことばかりではないかもしれないと空想し、そんな時間は私に残されていないだろうと気づいてほっとしたりいたしました。
何かと不穏な世の中、でも、どうぞ
奥さまと お元気で楽しい毎日をおすごし下さいますように 美大名誉教授 羽生清
* 母校でのすこし大きめのハーティー会場ではじめて羽生さんを見た。どこのどういう方とも知らず、言葉も、たぶん会釈すらかわさなかったろう、しかも、すばらしく感じのいい、品のいいひとやなあと一目惚れしていた。かなりの後に、京都から東京までわたしをインタビューに行きたいという申し入れが或る大学からあった。その当日に初対面のつもりで会ったら、なんと「あのひと」だった。記事は湖の本27の「誘惑」の後ろに出ている。羽生さんとは、以来一度も会わないが、いつも懐かしい、また逢いたいお一人である。
上のお手紙も控えめなしかし佳い紙の封筒・便箋を使われて、文面もホンワカと柔らかい。
これも懐かしい永楽屋のご馳走を送っても戴いた。
☆ 秦先生
ご無沙汰してます.
御本お送りいただきありがとうございました.
ご家族で病と闘われる中で編まれお送りいただき,頭が下がります.
昔の授業を思い出しました.
とても辛い毎日を送っています.
昨日ようやく一休みでき,久しぶりにアメリカ人の知人と会ったのですが,先日の官邸デモの写真を見せてくれました.参加の理由を聞くと,このままではアメリカのような国になると思っていたところ,( 前日の)29 日に新宿で60代の男性が集団的自衛権の反対を唱えて焼身自殺を図った事件に憤って参加したとのこと
<http://matome.naver.jp/odai/2140402135341516201>
私はこの事件,昨日初めて知りました.新宿駅前の事件をほとんど全く報道せず,くだらない嘘泣き議員を追及するバランス感覚って何なんでしょう.(建前上は,自殺報道にガイドラインがあるとのこと・・・規制に従う報道は,もはや報道ではない.)
幼い息子は集団的自衛権の閣議決定後,朝のニュースかなにかを見て,これから戦争が始まるの?と真っ青になって聞いてきました.英語を勉強しろとしかいえない自分も情けない. 東工大卒業生 丈
* Re: とても気になる「とてもつらい毎日」とは。
遠慮しないで、わたしを聞き役に用いなさい、活路があるでしょう。
とにかくも情けながってないで、堪え、起ち、生きなさい。
わたしたちは、年相応にバテテはいますが、成る限り、自殺などしないで、なにもかも見届けてやろうと思っていますよ。
遠慮しないで、顔をお見せなさい。どこへでも出かけて行くよ。 湖
* 元筑摩の日比さんと八日会うことに。うちは、二人で出かける 2014 7・6 153
☆ 無事に
今日のイベントを終えました。疲れたけれど、お客様にも喜んで頂けたように思えます。
帰りに白山神社に寄りました。紫陽花はもう終わっていましたが、ここでも黒猫が待っていてくれました。
不思議ですね。
なんだか、佳い夢を見ることが出来そうな気がしました。
お仕事、捗りましたか。 眸
* 我が家の黒いマゴは、いたるところに出張しては路上で哲学しているようだ。「猫あるき」という佳い番組にもそしらぬ顔して登場している。テレビへ呼びかけるとこっちを向くから不思議だ。
2014 7・6 153
☆ 梅雨があけますと
今年も暑い夏になりそうです。くれぐれもおからだお大切にお励み下さいますようにと願っております。
秦恒平選集 よろしくお願い申します。
本棚に立派な選集がずらりと二十余巻ならぶ日の壮観、想像するだに楽しいことです。
右、お願いまで。 奈良 東淳子 歌人
☆ 秦恒平選集
紙碑 お供え 10,000 呉々もご自愛下さい。 総本山知恩院執事長 北川一有
☆ 通巻120号
発行、おめでとうございます。選集、第二巻もご送付お願い致します。
お体に気をつけて 大切にお過ごしください。 愛知知多郡 久米則夫
☆ 選集ご刊行
おめでとうございます。 第一巻まだ在庫あればお送り下さい。なければ第二巻分として送金します。 苫小牧 林晃平
☆ 湖の本の
読者が何人なのか存じませんが 私などのはがきもちゃんと読んで下さっているのに感激しております。
選集第一巻誤植のことですが、
七九頁 八行目 「夕燈んで」 → 「夕澄んで」です。秦
一七七頁 一行目「燃ゑ」は「燃え」ではないでしょうか。「もゆ」はヤ行下二段活用だと思いますので。新潮社で出たのも湖の本も、たしかめました。 (ごめんなさい。迷って、わざわざ最終稿で弄ってしまいました。秦)
それにしても『みごもりの湖」は傑作ですね。 花巻市 及川恵美子
☆ 第120巻 随筆選(一)
最近のあってほしくない政治の動きに不安でいっぱいのところへ、一つひとつホッとする随筆を拝読して、心の中から温かくなっていく感じがしました。ありがたかったです。
選集第二巻も楽しみにお待ちしております。お大事に! 静岡市 鳥
☆ ハンゲソウ(ドクダミ科)が
まだきれいに咲いています。早朝、夕ぐれ時、ガラス越しに眺めることが多々あります。いつの頃からかわかりませんがもう4-5念楽しんでおります。時節柄 ご自愛下さいますように。 京 西京区 桐
☆ 「桜の時代」有り難く。
『牛は牛づれ』 田舎から持ち帰り再読致しました。掌説かのように読んだ昔を懐かしく思い出しました。
どうぞ日々お大事にお過ごしください。「四度の瀧」「風の奏で」再読了致しました。 八潮市 瀧
☆ お身体が大へんなのに
直筆のおことばいただき申し訳けありません。
先生どうぞお心を強くもって下さい。
私の義母は車イス返上で、杖をついて歩いています。(98歳!) 群馬佐波郡 都
☆ 『湖の本』120j巻刊行は
お体の回復と相俟って大きな節目ですね。どうぞお元気で。 我孫子 倉田茂 詩人
☆ いつも一言
はげましのおことば、 嬉しうございます。 東久留米 可部美智子 陶藝家
☆ 七月
ギオン祭の行事が始まりました。今年も暑い夏が始ります。
体調悪い中 大変だったと敬意を表します。御大切にして下さい。 京・今熊野 華
☆ 日頃のご無沙汰を
お詫び申し上げます。
その後、お身体の方は如何でしょうか こうしてお便りを拝受しますと安堵致しております。
呉々もお大切にお過ごし頂きますよう念じ上げております。 平安仏所 江里康慧
2014 7・7 153
* ひさびさ親切な編集者であった昔の友人と昼食する。食べるよりも会うのが楽しみ。もう何十年になるか、とうじまだ駆け出しのアーサー・ビナードに会ってやって呉れませんかと頼まれ、妻も一緒に、日比さん夫妻も一緒に、東武の「美濃吉」でにぎやかに食事した。あれ以来かも知れない。台風が来ているようだが、東京へはまだ遠い。
明日午後には聖路加内科での診察がある。台風は近づいているだろうが。
* 鶯谷駅で日比幸一さんと出会い、タクシーで柳通りの「香味屋」に入った。わたしとしては、よく食べた。呑めない日比さんを前にして、赤ワインもたっぷり二杯、妻も一杯。この店を好きな理由は、こぢんまりと静かなこと、ビュッフェや藤田嗣治らの佳い繪を惜しげなく美しく掛けていること、そして美味いワインを大きなグラスにたっぷり注いでくれること、二杯目はことに気前よく、加えて店員の行儀が佳いこと、さらに校正などの「仕事」にも好都合に或る程度外光が静かに満ちていること、で。有楽町の出店を閉じてこの本店に店が戻ってもう十数年、何度この店へ通っているだろう、柳の色の美しい柳通りにある。おまけに今日は入谷朝顔市の最終日で、お店のサービスで朝顔の鉢をお土産に呉れた。ありがとう。
ま、香味屋で問題はというと、往きは駅から車がつかえても、帰りはつい鶯谷駅まで歩いて戻る、その途中で、よく腰痛を起こしてへばってしまった。もうそこの駅へ戻って行く登り石段と陸橋の登り傾斜によくへこたれた。幸い今日は、日比さんとの時間が楽しくて、妻もよく頑張って、すたすた歩けた。途中に、細い、ちょっとした近道裏道もあるのだが、今日は柳の翠に心ひかれ、ずっと表通りを歩いて帰った。むかし早大の小林教授に教えられた鴬泉楼とかいった、これも懐かしいほどの中華料理店が無くなっていたのには驚いた。
日比さんには「選集①」をお土産に差し上げた。筑摩書房時代にはごくごく親切に仕事を手伝って戴いたが、わりと早めに退職された。
パナマ産の素晴らしくお洒落な瓶にたっぷりつめた紅茶と、なんだか貴重そうな化粧品とを妻は戴いた。亀有の方へ帰る日比さんとは日暮里駅で別れてきた。昼間の空いた電車で、「風の奏で」の校正もよくはかどった。
* 上越市の光明寺さんから、自然薯そばを何キロも頂戴した。この夏の主食に涼しやかに頂く。感謝。この前は境内の柔らかなとても大きな筍を二本頂いた。季節の香に満たされた。
2014 7・8 153
* フェイスブックを介して母方甥の川村芳治さん、画家の桑原盛行さんからメッセージが入っているらしいが、不慣れを極めていて、読めない。パスワードを請求されてもまったく覚えていない。メールアドレスをご承知の方は直接メールを下さいませ。(但しこの節は「個人のメールアドレス」を売り買いする悪弊すら云われている。わたしは、聞かれても、人様のアドレスは教えない、じかにご本人に聞いてくださいと答えている。)
電子器機の上だけのアドレス交際という浮薄な耽溺から、いまや数々のすさまじい犯罪、そして人間自体の情けない腐蝕も進んでいる。集団的自衛権の安易容認という憲法蹂躙も恐ろしいが、機械に支配されて魂を抜かれたように茫然・惘然としている若い人たちを車内でも戸外でも、ソーシャルネットでも、至る所で見かけるのは、こちらまで毒を呑んだように苦痛である。機械は「使う」ならまだしも、機械に「使われて」性根を喪ってしまうなど、(その長所に類する連携の半面をよく承知しつつも、) 九分九厘はそれこそ自死ならぬ「自殺」行為かのように恐ろしい。
むかし「北の国から」という佳いドラマがあり、そのかなり後篇の方で、あるハイティーン少年が、どこの誰とも知れない偶然に機械で触れ合った女の子からの「返信メール」を待って待って待ちながら精神崩壊して行くサマを如実に描いていたとき、この超長編劇中の最も強烈な「時代への適切な批評・批判・憂慮だ」と特筆して指摘したのを想い出す。わたしが、日本ペンクラブに「言論表現委員会」と別に、世界のペンでも初の「電子メディア委員会」の必要を称え、そして委員会が創設されたとき、もっとも予期しかつ懼れていたのは、うえに云うような、いわば「機械に呑み込まれてしまう」もっぱら若者たちの「人間崩壊・腐蝕熔解」であった。ペンには「環境委員会」もあったが一つ覚えのように「自然環境」ばかりを言挙げしていた。しかし自然環境だけが環境ではないとわたしは理事会で云い続けた、むしろこれからは、「機械環境」が人間の心と体とを目を覆いたいほど腐蝕して行くだろうと、ほんとに繰り返し発言したが、理事会は失笑を繰り返し、ついにはそれを悟れなかった、理解しようともしなかった阿刀田会長・浅田次郎専務理事の体制は、無意味としか云えぬ理由で「電子メディア委員会」をあっさり潰してしまった。「言論表現委員会」で足りていると。
しかし「機械環境」の強圧と猛毒とが腐らせていくのは、「言論表現」というよりも「人間の精神」なのである。言論表現はむろん大事で大切だが、健康な精神でそれを護りまた圧制と闘うことも出来る。「機械に魂を抜かれる」とは「人間の卑屈と死」とに繋がるのだ。文学における、言語表現における「精神や命」を軽く観ている売り物派の物書きたちには、それが分からないのだった。
だが、わたしは、そのとき頑張らなかった。ペンクラブという活動体の理解力の浅さ軽薄さからただ身を退いてしまった。理事など務めているのがバカらしくなった。ま、あまり、いい姿勢でなかったなと少しは思っているが、おかげで自分の「仕事」に戻れた。
2014 7・8 153
☆ なんとなく
台風が心掛かりな毎日です。
お蔭様で7、8、9月とおやすみをいただき、連日家の片付けやら、軽井沢にいったり、ぶらぶら過ごしています
先日戴いた「湖の本」 主人が何度も繰り返し読ませていただいてます。九段目をお誉め戴いて嬉しかったとお伝えしてと横で申しています。休み続きでボーッとしないように、せいぜい体を動かさねばと話しています。
奥様に呉々もよろしく。 高麗屋夫人
* 九月の歌舞伎座は秀山(初世吉右衛門)祭。染五郎が昼一役、夜二役。「御所五郎蔵」を演る。当番の吉右衛門奮戦は当然として、仁左衛門と孫千之助の「連獅子」がある。秀太郎もなにかと応援。「通し」はしんどいが、ま、坐っているだけであり、眼が見えさえすれば楽しめる。
☆ 雨もようの
七夕から一転、昨日は強い日差しが照りつけましたね。
「櫻の時代」読了。
「青春有情」、東工大生の感想も興味深く、同じ大学生の息子にも読ませてみたいと思いました。
「櫻の時代」、第一随筆集の巻頭も飾った表題作は、再読なれどやはり面白く、作家として立って以来、変わらぬ( 変わりようのない) 秦さんの姿勢が既に明確に打ち出されていたことを改めて思いました。
「風は道をもち、~しかもいつか尽きるちからである」という言葉が、胸に響きます。
3日続けての外出、お疲れの出ませんように。 眸
2014 7・9 153
☆ 選集ご出版おめでとう存じます。
非売品の由。「みごもりの湖」の入った第一巻も「清経入水」などの第二巻も、なんとか、と願っております。
別に、湖の本「みごもりの湖」上中下(14 15 16巻)を6セット お手数ですがお送り下さいませ、送金させていただきます。
日々、どうぞお大切になさって下さいませ。 高松市 弥
* ありがたいことです。心より感謝申し上げます。 湖
☆ 京都の
祇園祭が 今年からむかしのまま前祭と後祭に戻りました。
ぜひ京都にお帰り お待ち申し上げます。 河原町 ひさご寿司
☆ いつも湖の本を
有り難うございます。
本を受け取るとお元気なのだと嬉しく思います。
夏に向けて、どうぞお体大切になさって下さい。 琉 義妹
☆ しばらく留守を
しておりまして送金が遅くなりました。申し訳ございません。
先生のご病気をご案じ申し上げております。 相模原 壽
☆ 季節はずれの暑い日
大雨などの続く日ですが、お元気にお過ごしのことと存じます。
(出張先の)郡山で三ヶ月過ごしましたが、何かと疲れが残ることはありますが、新しい環境になれようと頑張っています。
選集も 湖の本も 今後の刊行に期待しています。 横須賀 敏 妻の従弟
☆ 「櫻の時代」
ありがとうございます。楽しく読ませて頂いています。
雨も上がり 又 晴れ間がのぞいています。
お大切にお元気でお過ごし下さい。 秦方従妹 道
☆ 国民の「最大不幸」は
確実に 日毎に身に迫っています。実感です。 千駄ヶ谷 肇 ペン会員
☆ 「湖の本」第120巻出版され
嬉しいです。有り難うございます。
義父母の悔悟のあき時間に、***公民館図書室の電算化(予定)らより、除籍本の指導をボランティアでしております。
亡き尾崎秀樹氏に贈呈された先生のサイン入りの『牛は牛づれ』を見つけとても嬉しかったです。
呉々もご自愛下さいませ。 渋川 路 元図書館長
* 感謝しながら購読者のみなさん通信欄のおたよりを敢えて引かせて頂いている。「秦恒平・湖の本」は三十年近くも、ただわたしのコケの一念だけで成ってきたのではないことを、喜びまた誇りにしているということ。
こういう文学活動、これほど永く多く刊行し続けている読者と作者との「世界」は、日本はおろか世界にも類があるまいと思っている。幸せなさくしゃなのである。
* 小松の八代啓子さん、金沢でもとびきりの名菓店から、観るから涼しい「くずきり」を沢山下さった。食の進まない季節、ありがとう存じます。
2014 7・9 153
* 梅原猛さんから「桜の時代」受け取ったと、独特の自筆で礼状が来ていた。
☆ 秦 恒 乎 様
暑さのお見舞い申しあげます。
異常気象に加えて、政界の異常とも言うべき暴挙、不安定な国際情勢など、いろんなところで怪しげな空気がながれています。
その後お身体の調子はいかがでしょうか。
「湖の本」をお送りいただきましてありがとうございます。拝受するたびに、逆に、お元気でいらしゃるのだと安堵している次第ですが、あまりご無理をなさるとよくないのではないかと心配もしています。
それにしても120 号とは、出版され続ける情熱もさることながら それの出来る作品の量のあることに驚かされます。
いつもながら、先生の文学に対する執念に似た強い気持ちを感じます。今後、少しでも見習って頑張りたいと思います。
さて、お礼が遅くなりましたが、5 月には豪華本『秦恒平選集第一巻』を小生のような者にまでお贈り下さいましてありがとうございま
した。「湖の本」の中から、特別に精選されたものを、このような豪華限定版として残されることには格別の思いがございます。装丁、活字、製本などへの気配り、先生の書物への愛着、こだわりが伝わってきます。
大切に大切に所蔵させていただきます。
早くに頂戴しながらお礼が遅くなり申し訳ございません。正直なところ、ご厚意にどのようにお礼を申しあげたらよいのかわからず戸惑っておりました。
天候不順の折り、くれぐれもお身体ご自愛くださいますように、心からお祈り申し上げます。
平成26年7 月6 日 五条市 永栄啓伸 研究家
* この篤実の研究者に手持ち多くの関連資料を託したい気ももっている。会ったことのないひとだが、大学の後輩に当たっていた気がする。何点かのわたしの作品論も、また事典の記事も書いてもらっている。
☆ 季節の巡りとともに
相変らず、能仕舞発表会のお稽古にあけくれており、御無礼をしております。
このたびは「秦恒平選集」創刊おめでとうございます。第一巻ございましたらよろしくお願いいたします。
気候が不順です。お気をつけてお過ごし下さいませ。 小松 啓
☆ 「湖の本」120
有り難うございます。以降もお願い致します。
「秦恒平選集」も希望します。第一巻はまだ在庫ございますか。是非お頒け頂きたいと存じます。入手可能でしたら、すぐに必要なだけ振り込みますのでお知らせ下さい。よろしくお願い致します。
どうかくれくせれもご自愛くださいますように。 中野区 恭
☆ 「湖の本」次回も
継続して配本して下さいますようお願いします。
「秦恒平選集」第一巻 有り難うございました。第二巻以降もぜひお送り下されば幸いです。 世田谷 定
* 京 嵯峨の田村由美子さん 涼しげに水出し煎茶を下さる。
2014 7・10 153
☆ 暑中お見舞い申し上げます。
過日は 「湖の本」 120 「櫻の時代」 の御恵投にあずかり、ありがとうございました。
幾つもの新聞御連載は、ほとんど拝読しておりませず、楽しみです。
「私語の刻」を拝読しますと、観世能楽堂や国技館などへお越しになつておられるよし、ご健康大慶に存じます。
先頃、館蔵の古い狂言絵を影印本として刊行いたしましたので、お送り申し上げます。能狂言には暗い私ですが、専門家の言によると、貴重な資料のようです。楽しみいただければ幸いです。
暑くかつ不規則な気候の時節、何とぞご自愛ください。
御礼かたがた一言申し上げます。 敬具
七月十日
秦恒平先生 国文学研究資料館(館長) 今西祐一郎
* 館の影印叢書、これまでもいつも頂戴してきた。今回はその「6」にあたり、函入り大判『狂言繪 彩色やまと繪』と題されてある。
今西さんの序を読むと、この館の二代館長が小山弘志さん、三代目が佐竹昭広さんだったと思い出せる。小山さんとは能楽堂での顔なじみで『湖の本』を購読もして下さっていた。偉い先生だが「仲良し」というほどの親しさでいつもお目にかかっていた。初対面は館の招待で講演に出向いたあとの会食だった。そのときお呼び戴いた初代館長さんは、たしか同じ保谷の泉町にお住まいだった碩学小西先生であった。佐竹さんとは岩波書店の「文学」で、亡き恩師岡見正雄先生と三人で「洛中洛外図」をめぐる鼎談でお目にかかっている。そして今西さんとは、おもえば久しい、九大助教授教授時代を通しての有り難い先生であり読者でもあって頂いた。今西さんに戴いてきた貴重な研究書や論攷は数え切れない。あらためて、こころより御礼申し上げます。
で、その影印本ですが。いやもう、涎の垂れるような貴重な繪と解説とデータに満たされていて、頁を繰りながら唸っている。近所で狂言の稽古をし舞台にも立つ趣味人堀上謙さんが観れば嘆声を漏らすだろう。勉誠出版が制作している。
2014 7・11 153
* 製作実費・送料を支払ってでも「選集」第一巻に残りがあれば是非にという希望が届いて、否をこの数日に五、六册も送った。今後も継続して頼みますと、有り難い愛読者の声に励まされている。
昨日入稿した第二巻の跋のアタマだけを参考までに挙げておく。第四巻まで「構成作」を決めてある。第二巻は、たぶん、八月末か九月初めにはと目論んでいる。まだ慎重に再校しなくてはならない。
* 秦恒平選集 第二巻刊行に際して
第一巻 「みごもりの湖」「秘色」「三輪山」 いずれも奈良・近江・大和の上古と現代を馳せめぐり、人が、人に、死なれ・死なせて生きて行く意味を問うています。
第二巻 「清経入水」「雲居寺跡= 初戀」「風の奏で= 寂光平家」「繪巻」 太宰治賞作をはじめ、いずれも、保元・平家物語の時代と現代とをうち重ねながら、秦恒平ならではの平清経、建礼門院、後白河院、生仏、また待賢門院などを書き切り、「平家物語(平曲)の成立」自体を「主人公」かのように追究、人と生まれた死生の深淵を表現しました。
第三巻予定 「畜生塚」「慈子」「隠沼」「隠水の」「月皓く」「誘惑」 独自の「島」の思想に基づき、「真の身内とは何か」を追い求め問い極める代表的な「愛と倫理」の小説集です。
第四巻予定 「蝶の皿」「廬山」「青井戸」「閨秀」「墨牡丹」「華厳」 美と人間とを感動と批評豊かに描いて大きな賞賛をえました。文学が音楽を奏でた「美しい」美術小説集です。
小説集およそ二十巻、著者らの健康が及ぶかぎり心籠めて刊行しつづけて参ります。
2014 7・11 153
☆ 漱石の
鏡子宛書簡(明治34年1月22日付)の一節
顔の造作は致し方なしとして背丈は大きくなり度 小児はなるべく倚子に腰かけさせて座らせぬがよからんと存じ候 花巻市 照井良彦 医師
* 「湖の本120」のなかの「正坐」観に触れてのお便りと思う。ペンの三好徹さんもまた、少壮時の剣道稽古の後先に「静座」したとお便りを下さっている。明治には「静座」の名で座禅に似た修養法が盛行したのである。いわゆる「正坐」という行儀とはいささか精神を異にはしているが。
☆ 今の安倍政権の
やっていること、もっと日本中が大さわぎしなくてはいけないのではないでしょうか。
メデイアには期待できません。
安倍さんは、国民が、忘れ、あきらめ、行動しないことを望んでいるでしょう。
ですから、その真逆をやろうと思います。 広島庄原 知
* たった一年漫談しに出ていた東横短大の学生、いらい、ずうっと湖の本を応援してくれ、こういう便りをいつもはるかな広島県北から呉れる。容貌も忘れたことのない愛らしい人であった。安倍「違憲」内閣には、云われるとおりである、国中が大騒ぎに異をと不信とを唱えてやまぬ覚悟で立ち向かわねば。
2014 7・11 153
☆ 台風一過
蒸していますが。お元気ですか。
今日で職場のいろいろ有った難儀なお仕事も、一段落へ漕ぎつけました。
『櫻の時代』が届く前に再読していた『光塵・詩歌断想( 一) 』も、新たに印を付け、線を引っ張りながら読了しました。
( 一) とあるからには、是非とも( 二) を、それも燠火どころではない命の炎そのもののような歌を、と望んでしまいます。 眸
* いろいろに不調、痛みなど。そんなこと気にしていたら何も出来ない。明日は出来れば午前中にもどこかへ出て一区切りの校正を仕上げてきたい。環状線を三回りでもするか。
2014 7・11 153
☆ 前略 失礼します。
お好みに合わないかも存じませんが
お口汚しまでに 御笑納下さいませ。
これからの暑さに 御身御大切になさって下さいませ。 京白川 安藤節子
* 中学高校の同級生、京に創業、元禄二年「半兵衛麩」の、麩と湯葉の一包みを御見舞に下さる。感謝。
品に、「五観の偈(げ)」とある栞がついていた。禅の修行僧が食を受けるとき胸奥に想念の、反省と感謝を含んだ「偈文」だろう。
☆ 五観の偈 (括弧の中は私に略解した。)
一には功の多少を計り、彼の來処を量る。 (食が、いかに多くの人手と働きによっているか、ひいては自然の恵みを思う、と。)
二には己れが徳行の全欠を忖(はか)って供(く)に応ず。 (全欠とは努めて完成する意。意をよく省みつつ食を戴け、と。)
三には心(しん)を防ぎ、過貪等(とがとんとう)を離るるを宗とす。 (雑念に染まらず過や貪の愚痴のまま食してはならぬ、と。)
四には正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。 (食事こそは心身の良薬と感謝して受けよ、と。)
五には成道(じょうどう)の為の故に今此の食を受く。
2014 7・12 153
☆ 台風一過の
猛暑日、コタえます。
このたびは『湖の本120』(櫻の時代)を御恵送いただき、有難うございました。お躯のことがあるのに、絶ゆまぬない御発刊に頭が下がります。
「東京」「朝日」「産経」「日経」まで、性格変る各紙に、性格変らぬ一貫した姿勢でのエッセイ、読み易く考え深いものでした。
それにしても、(渋谷松濤の)観世能楽堂→「まつ川」日本橋高島屋での「四人展(小生も皆、好きです)。更に浅草まで足を伸ばす予定とは!吃驚。脊椎間狭窄症とやらで、散歩もキツくなった身には素晴らしい行動です。とはいえ、これからの季節を考え、お互いに無理は禁物。ご自愛を。 元講談社出版部長 義
☆ 社会に、お仕事に、
心魅かれる藝術・藝能に、そして日々の生活に 常に真摯に向き合い続けるエネルギー ただただ敬服……退職して3ヶ月「淀んでいる」自らに比しても…… 世田谷 米
* なんの。日照りに懼れて外へも出られず、狭い場所での仕事に疲れて数時間も寝入ってしまったテイタラク。そしてまた「風の奏で」の初校に励み、仙台への旅、現代と平家との二人の徳子、後白河院の凄み、そして阿波内侍と源資時らの時空を超えた語らいに我ながら吸い込まれていた。原善君がこの作を論じていた抜き刷りをみつけた。どう読んでくれていたか、読んでみたくなった。今度の「選集」第二巻で大きくひとまとめに括った小説が、あらためてどう読まれるか。「秦さんの小説は、むずかしい。むずかしい。むずかしい」と言われ続けたその焦点に固まっているのが「雲居寺跡」と「風の奏で」だろう。しかし、もしどれかを自分で代表作とえらべと云われたら容易に承諾しないけれども、胸の奥ではこのへんを想うのではふるまいか。
見つけ出した「原稿・雲居寺跡」の手書き原稿を電子化しているまだ先の見えぬ徒中だが、「風の奏で」にはやはりその先を窺わせる物語が書かれていた。この「原稿」を傍らに、わたしの創作世界の展開や手法や祈願のようなモノを適確に解析してくれる若い力有る読者・研究者が欲しい。原作『斎王譜』を『慈子』と改題したのは結果的にこの作がひろく愛される理由ともなった。それからすれば『風の奏で』の副題を「寂光平家」としてきたのを、はっきりと「徳子」にしてもよかった。それほどにわたしは建礼門院を書きたかったのだが、その副題では後白河院はじめ他の大きな存在の影を隠してしまいかねないのをわたしは惜しんだ。
2014 7・12 153
* 早稲田の「文藝」教室での教え子で、はっきり背を押し出した角田光代原作のドラマを、ちょっとだけ観ていた。原作は知らない。ドラマの配役はいいが、演出に冴えもテンポも無く、永くは観ていられなかった。
* FACEBOOKで、染織の人間国宝志村ふくみさんとの親縁が出来た。
2014 7・12 153
☆ 夜空を
見上げたら、朧な満月。
今夜はスーパームーン。地球と月が近く、今年最大の月だそうです。 眸
2014 7・12 153
* 嘉田由紀子さんの後任、滋賀県知事選挙では嘉田さんと二人三脚の三日月氏が自民候補を一万票余抑えて当選。好かった。嘉田さんからはわたしの「選集①」へ叮嚀な感想に加えて、知事を二期満了で退任するむね挨拶があった。願わくはなお一層の新乾坤のあらんことを。
朗報であった。「三日月」氏という姓は珍しいが、「朏(みかづき)」さんという姓もある。同じ滋賀県にも有る。わたしの母方祖父の出た水口宿本陣筋にあった。水口の朏家は京都市へ出られている。このおそらくは血縁もあるかと窺える朏健之助さんから、わたしは祖父阿部周吉の書軸を受け取って大切にしている。
2014 7・14 153
☆ 湖の本「随筆選(一)」
読ませていただきました。p123-125「もっと大事なこと」では、「センチメンタルに過ぎないか」と、「総じて<時代>が、甘ったれていないか」に共感(極!)しました。又、p184. の「 啄同機」を、オコガマシクも私の場合は、今年二月に孫(高二・男)のーーと言ってもババの片想い?ーー一通の手紙が運んでくれました。
建日子氏のご活躍をウレシクは意見しております。 練馬 裕
2014 7・15 153
* 尾張の鳶が、京の祇園会、鉾の写真を送ってきてくれた。京都か。京都だよなあ。いつになれば行けるかなあ。
2014 7・15 153
* 「選集」に署名や識字を望まれる方があるが、これはご勘弁願う、折角美しく出来た本をかな釘流でただ汚すようなもの。講演に呼ばれるようなときも、字は書きませんよと先に断っている。湖の本にぜひと頼まれても、ボールペンで済ませている。「選集」造本時の打ち合わせでも、署名用和紙一丁を巻頭に入れるのはわたしから断ってわざと省いた。
識字印なら、好みの幾つもをもっている。それで宜しければ、「生涯在酒」とでも「念々死去」とでも「宗遠」とでも「有即齋」とでも、捺しましょう。
☆ 昔の
静かでしっとりとした梅雨が懐かしく想われます。
どうぞお身体 お大切にお過ごしを。 港 浜松 裕 2014 7・16 153
☆ 今、
NHK.BSで祇園祭巡幸の中継をしています。ご覧になっていますか?
巡行中継NHK ではなかった、ごめんなさい。 尾張の鳶
* 黒いマゴに輸液のあいだ、稚児さんが長刀鉾に入御の式を観ていました。すぐ、機械の前へ移動。
祇園会は、総じてみな胸奥に在る。なにもかも見え何もかも聞こえてくる。
2014 7・17 153
☆ きびしい暑さになりました。
八十歳を過ぎてからは年ごとに衰えというかきびしさを毎日感ずるようになりました。
病で大変な毎日と思いますのにますますお元気にお過ごしの様子、うれしく思います。どうぞ御大切になさって下さい。
少しずつしか読めなくなりましたが 楽しみです。 桐生 君
2014 7・17 153
* 十時過ぎて、ほんとうに良い意味での凄いメール、長いメールを受け取った。心より共感し共鳴し敬意をこめて読み終えた。大勢の人にもどうぞ心して読んで頂きたいと切望する。
じつは「カティンの森」のことは、ペン会員のエッセイを感銘深く読んでいて、いくらか識っていた。関連の映像や言及にも出会っていた。今日の日本人なればこそ、「これ」は一人残らずわが体験の如くに反芻されていいこととわたしも信じている。
じつは今日、しめきり間際の頼まれ原稿に、間に合わせなのだが、下記の短文を送った。戴いたメールの内容と交響する一言及似すぎないが、深いところで響き合う懼れとして先に、読んでおいて頂ければ。
* 日本の明日
大竹しのぶが主演の映画『一枚のはがき』を観て、胸のつまる辛さに堪えていた。没落農家の長男に嫁いで夫は応召そして戦死、老いた両親に請われて慣習のママ夫の弟と再婚し、それもまた応召し戦死。老父は死に老母は自殺。残された嫁は、村の世話役から妾になれと強いられていた。大竹のうまさに凄みがあった。
どうかして、こんなことは繰り返したくない、強慾な利権「違憲」政治にこんな悲劇をむざむざ繰り返させてはならない。こんど、こういう事が起きれば、悲劇の度は地獄に同じいだろう。
何度でも繰り返し言うておく。政治と外交と軍事をこんど一度び謬れば、日本列島が、沖縄は台湾に、九州四国は朝鮮韓国に、西日本は中国に、東日本はアメリカに、北海道はロシアに「分け取り」にされ、「日本」という国家は失せかねない。まさかそんなと馬鹿嗤いはよも成るまいと、わたしは真実予感している。そんなハメに万に一つも我々の「日本」を壊滅させてはならない。 秦恒平(作家)
☆ カティンの森
お元気ですか、みづうみ。昨夜、とうとうみづうみの登場する夢をみてしまいました。
蒸し暑さに体調をくずされていないか心配です。遅くなってしまいましたが、先週「湖の本」と「選集第一巻」の心ばかりの金額をお振り込みさせていただいております。
(中略)
わたくしは日常しなければならない仕事以外は、読んで書いている時間を何よりの幸せと思って暮らしています。今の日本に尋常でない危機感を抱いているので、よけいに早く自分の書きたいことを色々書いてしまわなければと焦っています。(ただし読んでくれるひとがいませんの。)
本日は近況報告かねての、映画のつたない感想メールなど、送らせていただきます。
カティンの森の惨劇については、歴史にお詳しいみづうみに今さら申し上げるまでもないことですが、みづうみが「戦場のピアニスト」について書いていらしたので、同じ撮影スタッフの別の映画、アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」のことをみづうみに書きたくなりました。
みづうみがこの映画について言及している文章を読んだことがありませんので、たぶんみづうみはまだご覧ではないと思って書きます。もしすでにご存知でしたら、釈迦に説法でごめんなさい。
「戦場のピアニスト」も戦争映画の名作の中に入るでしょうけれど、「カティンの森」を観てしまった後では、所詮作り物だなあと思います。アンジェイ・ワイダ監督は「映画というのは、あの時何があったかを記録して、見せる手段である」と考えていたそうですが、私には観る前と観た後では、人生が違ったものになる映画でした。あまりの、あまりのことに声を失い、一滴の涙も出ない。そんな映画でした。
私はこの映画を岩波ホールで観なかったことを幸いに思います。もし大画面で観ていたら、間違いなくラストシークエンスで気を失って救急車のお世話になっていたと思います。
何気なくつけた深夜テレビで放映されていました。映画の途中から観始め、画面から伝わる異様な緊迫感に釘付けになり、今観ているものがカティンの森についての映画と気づいたときには、手も足も出ない状態で全身固まっていました。
そして、私はこの映画を結局最後まで見届けることができませんでした。これ以上観ていたら頭がおかしくなる。正気を失いそうで耐えられなくてテレビを消したのです。映画の終盤の言語を絶した凄まじさ。私はありありと後頭部に銃撃を受けたような脳髄の痺れを感じました。この映画を観る前には決して感じることのなかった痺れの感覚は、今もまだ私の体内に残っています。
その夜は寝つけるとは思えなかったし、うとうとしてもひどくうなされるのがわかっていたので、海外旅行用にもらっていた睡眠薬を飲んで寝ました。
誤解のないようにいいますが、この映画は拷問シーンがあったり、生首が飛び手足が千切れ血しぶきが噴き出すというような、目を覆いたくなる残虐シーンがあるわけではないのです。その程度の怖さなら目を閉じて通りすぎるのを待てばいい。一切の感傷を削ぎ落として、淡々と静かに凄惨の極みが進行するのです。今まで生きてきてこれほどまでに恐ろしい映画を観たことがありません。
この映画は名画だ、いや映画的カタルシスがないなど、さまざまに批評されているようですが、私にはこの映画は、なまじの批評など入る余地のない、映画という形をした映画を超えた何かでした。
おそらくカティンの森という映画は、私の「経験」になったのだと思います。たとえ一部分にせよ、カティンの森の真実にたしかに触れた。なまなましく経験させられた、そう思います。登場人物とともに、戦火に逃げまどい、スターリンとヒットラーに祖国を分割占領され、最愛のひとを喪い、挙げ句後頭部に銃弾を受けジェノサイドの犠牲者となる。つまり絶対にしたくない物凄い「経験」を強いられたのです。
この映画を撮ったアンジェイ・ワイダ監督の入魂の、その覚悟のさまはいやでもわかりました。カティンの森で殺された将校とその遺族たちが、アンジェイ・ワイダ監督に憑依していたのではないかと思うほどです。アンジェイ・ワイダ監督はこの映画は殆ど実話を基にしていると言っていますが、記録映画では絶対に到達し得ない神か悪魔の領域に達していました。
後でこの映画についての解説を読み、彼の製作動機もわかりました。アンジェイ・ワイダ監督の両親に捧げられた映画なのです。彼の父親はカティンの森で虐殺されたヤツク・ワイダ大尉であり、母親は夫の生存を信じて、待って待ち続けた妻でした。
構想五十年、アンジェイ・ワイダ監督八十歳でようやく完成させることの出来た生涯の集大成です。カティンの森の真実を語らずして死ぬことは絶対に出来ない、事件の真相を闇に葬ることは許さないという執念の成し遂げた、戦争映画の極北でありましょう。
アンジェイ・ワイダ監督は、「この映画が映し出すのは、痛いほど残酷な現実である。主人公は殺された将校たちではない。男たちの帰還を待つ女たちである」「特に、多くの女性の話を書くことが大事だった」と述べています。
男の生存を信じて必死に待ち続ける女の愛の描かれることなしには、カティンの森という歴史的犯罪の真実をあぶりだすことは不可能だったでしょう。女の「愛」を打ち砕いたカティンの森の虐殺を記録し尽くし、「正視」させることこそ、アンジェイ・ワイダ監督がこの作品で目指したことであったと思います。
登場する主な女性は三人、夫の帰還を待つ大将夫人とアンナ、ワルシャワ蜂起の生き残りのアグニェシュカ。
登場する女たちは、深く愛するがゆえに、男の死を信じないし断固受け入れない、そして愛するものを殺した存在を赦さないのです。
おそらくアンジェイ・ワイダ監督の母親がモデルになっているだろう女たちは、夫の生還を信じて待ち続けました。彼女たちは絶望に屈することなく、ひたすら待ち続けます。待つことは愛です。この世界に、夫が生きて帰ってくると信じる以上に深い女の愛がどこにあるでしょう。
大将夫人ルジャは、ドイツ占領下のクラクフでドイツ情報機関に夫の死を知らされます。そこで大将夫人としてソビエトを非難する声明を読み上げるように強要され拒否します。勇気は愛からしか生まれません。だから、彼女はどんな政治的圧力にも敢然と屈しないのです。しかし、別室に連行されてカティンの記録映像をみせられた帰路に、ついにはりつめていたものが切れて、彼女は道端で思わず崩れ落ちます。ナチスとソ連の罪のなすり合い。彼女はどちらも赦さない。戦後、ソ連の支配下にカティンの犯罪が封印されるポーランドの街を、孤独に彷徨い歩く彼女の壊れた姿は救いようがありません。
アンジェイ大尉の妻アンナはソ連の占領地域にいました。捕虜の妻という身分のために、クラクフに戻れない。国境を越えられません。そんなアンナの危機に赤軍将校のポポフ大尉が、ある秘密を打ち明け、自分と偽装結婚すれば、KGBの追求を逃れられると助けを出します。アンナは夫の死を認めず、私は結婚しているからそれはできないと拒絶し通します。遂に夫の友人から夫の死を知らされて、アンナは「アンジェイは死んだ」と義母に(大学教授の義父はナチスの収容所で死亡)ひと言い放ち、自分の部屋に入った瞬間卒倒するのです。
兄の墓碑に「1940年4月。カティンにて非業の死」と刻んだアグニェシュカは逮捕され、カティンはナチスの犯罪であると認めろと恫喝されます。ポーランド政府人民委員に「生きるのが嫌か」と脅されると、彼女は怯むことなく「私はドイツと五年間闘った。その私を五分で説得できるとでも」「教えて、私はどこの国にいるの?」と答えます。そしてすぐに、彼女は死の地下室へと連行されていきます。地下に向かう階段をおりながら、彼女は数秒立ち止まりこの世の見納めのように頭上を見上げ、そして二度と地上に戻ることはありませんでした。彼女はソ連の傀儡政府と折り合いをつけている姉に向かって「私は殺される側の人間とともにいたい。殺す側ではなく」と言ったとおりの道を選びました。
そして映画は終盤クライマックスシーンに突入していきます。一縷の望みをつないでひたすら「男たちの帰還を待つ女たち」の愛は、カティンの森で戦慄の結末を迎えます。映画がこのような終わり方をするとは、映画という娯楽に馴らされていた観客には想像もつかないことです。
戦後、アンナに秘密裏に届けられた夫アンジェイ大尉の最後の日記にはこう記されていました。
「5時。何か変だ。囚人用自動車で移動。森に運ばれる。保養地のような場所。持ち物検査。結婚指輪は発見されず。ベルトとナイフを取られる。次に時計。8時30分を指していた。ポーランド時間で6時30分。我々はどうなる? 」
大将たち高位の軍人は名前確認のあとに室内で、アンジェイ大尉、アグニェシュカの兄ピョトル中尉のような将校は名前も確認されず森の中で殺されていきます。彼らは自分がなぜ殺されるかすらわからないまま射殺されます。
ソ連の兵士たちが将校を一人ずつ車からひきずりだし、後ろ手にロシア結びで縛り、数人で動かぬようにおさえつけ、抵抗の叫び声をあげさせる猶予もなく後頭部に一発銃弾を打ち込む。即死。血を洗い流す。死体を穴に放り込む。人間を扱う処刑ではなく、家畜の屠殺そのものの手順で次々と処理していきます。その見事に機械的な、ベルトコンベアーのような、手際のいい作業と化した殺戮が、静かに延々と積み重ねられていきます。
あの美しい女たちが命がけで愛した男たち、大将夫人にとって、アンナにとって、アグニェシュカにとって人生のすべてであった、彼女たちの気高いまでの愛に値した存在、かけがえのないすぐれた男たちが、こんな人間の尊厳のかけらもない凶暴な力で、十把一絡げに一人数十秒で殺処分されていくさまに肌が粟立ちます。人間をこのように死なせてしまう衝撃。屠殺という酸鼻な地獄図。
さらに、見続けるうちに、一度も表情を映されることのない殺害する側の兵士たちへの同情を抑えられなくなってくるのが不思議です。殺されるという最悪の経験は、何の慰めにもなりませんが、それでもただ一度で済みます。ですが、殺すという体験は何百回でも出来る。ソ連兵士の中で、降伏した無抵抗な捕虜を望んで殺した人間がいたとは思えないのです。殺すことを拒めば、自分も同じように殺されるから仕方なく殺すしかなかった。殺害を強いられた彼らも、「罪を赦したまえ」と祈って殺されていったポーランド将校と同じ祈りを、弾丸を打ち込むたびに切実に祈っていたであろうと思えてくるのです。
映画の終盤十五分とも三十分ともいわれる映像の中で(十分ほどは目を瞠いていましたが、最後まで見届けられなかったため長さがわかりません)どれだけの数の男が殺されていくのか想像してみてください。脳漿の飛び散るような残虐な映像は一つもない。でも殺される将校たちの、身に憶えのない理由で殺害されてゆく、そのあまりに人間的な恐怖の顔と思わず囁かれる祈りの言葉に胸がかきむしられます。そして規則的な銃声の音が、静まりかえった深い森に途切れることなく続くのです。一万数千人がこのようにして屠られていきました。銃声の度に観ている私の後頭部にも鈍い音がずきんと響き、喉がからからになり頭が痺れてきます。
この迫真の、殺戮につぐ殺戮の場面こそ、アンジェイ・ワイダ監督のそれまでの生涯の、抑えに抑えていた憤怒、瞋恚の爆発ではなかったかと思います。
このクライマックスシーンには徹底して打ちのめされます。平気で見通せる人間がいるとは思えない。もう人間なんかでありたくないと呻くしかないのです。
私の逃げ出した、見尽くせなかった映画の結末はこの夥しい殺処分のまま暗転。まったくの無音で終わるそうです。カティンの森の殺戮地獄のあとに流せる音楽など、世界のどこにもないと訴えるように。
これはもはや映画の終わりかたではありません。一筋の光明もない。そもそも、アンジェイ・ワイダ監督は観客に感動してもらう商業的意図など微塵もなかったと思います。
アンジェイ・ワイダ監督は「カティンの森」で、このジェノサイドを見尽くせ、スターリンがポーランドに何をしたか、人間が人間に何をしたか、暴力がいかに愛の息の根を止めたのか。さあ直視しろ、正視しろ、徹してそう突きつけているのです。
スターリンはポーランド占領にあたり、武装解除したポーランド軍の兵士は解放し、将校のみを捕まえました。つまりカティンの森の虐殺は、ヒステリックな狂気の所業ではなく、最初から悪意をもって計画された大虐殺であったのです。
カティンの森について、ネットでわかりやすい記述を見つけましたので引用します。
1939年9月にナチス・ドイツとソ連の両方に侵攻されたポーランドは敗北し、武装解除されたポーランド軍将校インテリ民間人層・軍幹部がソ連軍の捕虜になり、強制収容所へ入れられそのまま全員消息不明となったのです。
当時のポーランド共和国の徴兵法で、大学卒の知識人は全員予備役将校とされ、戦時には自動的にポーランド軍将校として招集されることになっていました。
ポーランド軍将校のほぼ全員を捕虜にすれば、大学卒ポーランド人を全員逮捕したことに等しいことになり、将来ポーランドを再び植民地とする際に、まっさきに邪魔となる知識階級を根絶やしにする目的でスターリンがソ連赤軍に命令して実行された大量殺戮がカティンの森です。
彫刻家高田博厚は著作の中でスターリンについてこのように評価しています。まだ第二次大戦の結着していない時期でのことですが、あの時代に予見していた人間もいたのです。
「左であろうと右であろうと、スターリンという男はヒトラーが及びもつかない、たいへんな奴だよ。狂言の甘さの代りに、鉄みたいに冷たく堅い人間だよ……戦争に勝つ負けるの賭はともかく、辛抱強さで勝つ奴だ……」
宣戦布告もなしに侵略して捕虜にした、一万数千人の無抵抗で非武装のポーランド将校を、家畜のように屠り、あげくその罪をナチスになすりつけ、戦後この犯罪を糾弾もされず天罰もあたらず、絶大な権力を握ったまま死んだスターリン。スターリンとは、はたしていかなる悪魔であったのか。そしてそれを支えた世界の悪意の集積とはいかなるものであったか。
カティンの森がナチスの犯罪ではなく、スターリンの犯罪であることを戦時中に充分知りながら、その報告を握りつぶし、小国ポーランドを冷酷に見棄てたチャーチルやルーズベルトはスターリンよりましかもしれませんが、まったくの無実といえるのか。彼らは、多くのアグニェシュカのような死刑の加担者ではなかったのか。
松本清張は小悪は滅んでも巨悪は生き延びるという思想を持っていたと思いますが、世界には正真正銘の巨悪が残念ながら存在して、たぶん今この瞬間も世界を牛耳っています。国家が国民に牙を剥き巨悪に変貌したとき、いかにまともな個人が無力であるかを思うと絶望しかありません。
反ソ姿勢のためにポーランド政府に弾圧され続けたアンジェイ・ワイダ監督は、ガンジーとは方法がまるで違いますが、個人で巨悪に挑み続けた稀有の闘士です。五十年という長い年月、カティンの森の映画化を待ち続け、冷厳な映像でカティンの森という巨悪を描き切った彼の強靱な意志と勇気には驚嘆するしかありません。もし人間にまだ希望があるとすれば、アンジェイ・ワイダ監督のような闘士がこの世にいることです。それにしてもなんと凄まじいモーンニングワークが完成したことでしょうか。
映画「カティンの森」を「経験」したあとに、思い知らされるのは、この歴史的犯罪が決してよその国の過去の、特殊なホロコーストではない事実です。人間はカティンの森を度々繰り返してきました。ナチスは言うに及ばず、ポルポトや毛沢東のしたことはまったく同じことでした。今もガザで、スーダンで、世界中で、そして私の愛してやまない祖国「日本」でも、現在進行形で行われているではありませんか。
歴史を知っている私は、モスクワから囚人列車に乗せられるポーランド将校たちが、西の収容所に移送すると嘘をつかれて殺されにゆくのを知っていますから、映画を観ながら彼らに逃げてほしいと願いました。あと五十年先、百年先の日本の歴史を知る人間も同じように、今の日本人に向かって早く逃げろと、言うでしょう。
福島はキリングフィールドだ、アウシュビッツだと表現する人間がいます。現在の大半の日本人はそう告発する人物を、福島を差別する流言蜚語を垂れ流すけしからぬ輩と見るでしょう。報道はそう洗脳を続けます。風評被害の払拭をと言い続けます。
しかし、歴史はたぶん少数派の正しさを証明するのです。
福島で甲状腺癌の手術を受けた五十人ほどの子どもたちが過剰診療で手術されたという批判に対し、福島大学が大半がリンパ節や肺に転移していたもので決して過剰診療ではないと反論した、という小さな扱いの記事がありました。私はこのニュースにパニックにならない日本に戦慄をおぼえます。かわいそうに、癌が肺に転移した子どもたちは天寿を全うできるでしょうか。親は胸が張り裂けそうにちがいありません。
百万人に一人という確率の子どもの甲状腺癌が、実数を大幅に下回る政府発表でさえ五十人以上も発生していることが、アウトブレイクの異常事態であり、その上すでに転移しているというのは、チェルノブイリより被害の展開が早く、福島が居住してはならない環境であることを実証する以外の何ものでもありません。
政府はそんな場所に避難民を戻そうとしている。これは住民を死なせる、直接手を汚さず緩慢に殺すという別のかたちの「カティンの森」です。
他にも日本の未来を支える子ども世代を率先して被曝させる政策が強力に進められています。全国的に給食に福島などの汚染食材を使う。日本各地の学校に福島への修学旅行をよびかける等々。正気の沙汰とは思えないことばかり。
福島で起きている被害はやがて必ず東京でも、他の地域でも起きるでしょう。汚染瓦礫の広域焼却、埋め立て、セメントなどへの再利用、汚染食材の大量流通、汚染穀物や魚粉を使用した汚染肥料の全国流通、汚染車両の大量移動。海、地下水のとめどない天文学的数値の汚染。人間は放射性物質を解毒する技術をもっていませんから、深刻な汚染はこのまま日本全土に広がり続けます。
チェルノブイリでは厳重に禁止されていたことがすべて国策として進められています。全国民に最大限の被曝を強いる政策を実行している理由は一体どこにあるのか。少なくとも日本政府が日本民族の百年後の存続を目的としていないことだけは明らかなのです。
要するに、私たち日本人はモスクワからカティンへと囚人列車で運ばれつつある、処刑を知らされていない非武装無抵抗の捕虜なのです。大半の無関心な国民は、いざ処刑場についたときどんなことを思うでしょう。
以前から、原発事故のあとにはファシズムが来るといわれていました。その通りのことが猛烈な勢いで展開しています。秘密保護法からついに集団的自衛権まできてしまいました。常識で考えれば、武力の限定的使用などあり得ません。必要最小限の武力行使などしたら必ず戦争に負ける。勝とうとしたら常に不必要最大限の武力行使しかない。それは日本に最大級の壊滅のふりかかることと同じ結果をもたらすでしょう。
三年も経つのに、福島の原発事故に収束の道筋さえつけられない低能な日本政府が、目先の利益のために戦争を始めたら、泥沼のまま収拾がつかなくなるのは目に見えています。いたって強欲で何十倍も賢い強大な軍事大国相手に、ぬるい日本が勝てるはずがない。過去にルーズベルトやチャーチルがポーランドを見棄てたように、国連含めて日本を助けてくれる国などないでしょう。アメリカにとって、世界にとって、中国やロシアとの関係が日本より大切なのは自明のこと。どうせ独裁者に支配されるなら、せめて民草枯れたら、自分の権力も終わることくらいは理解できる頭脳の独裁者に支配されたかったと思います。
アンジェイ・ワイダ監督のこんな言葉は今の日本人への警鐘かもしれません。
歴史認識を持たない社会は、人の集合にすぎません。人の集合はその土地から追い出されるかもしれないし、民族としての存在をやめるかもしれません。今日、歴史の果たす役割は以前よりずっと小さくなっています。人間の意識に歴史が占める場所を取り戻すために戦わなくてはならないのです(映画パンフレット「カティンの森」事件より引用)
それから名もなきひとのツィートから。
日本でこれから起こることは、イラクもコソボもシリアもアフガンもパレスチナも、公園の散歩に思えるぐらいの大惨事だろうね。派手な音も戦車も登場しないけど、病院のベッドでのたうちまわる。
このツィートを風評を煽ると攻撃する人間は、東京大空襲や広島や長崎を予想していなかった戦前の人間と同じではないかと思います。少なくとも、福島の子どもにはこのツィートのようなことは始まっています。
おかしいのは世間ではなく、自分であってくれと時々祈ります。私の危機感が単なる被害妄想で終わるのならこんなに喜ばしいことはありません。
事態がここまできて、私に出来ることはあるのだろうかと暗澹たる思いで毎日生きています。せめて日本人が抵抗したと歴史に刻まなければ、汚名に亡びてしまう。
私にできる抵抗があるとしたら、日本語で書かれた最高の文藝を世界に遺しておくために、その能力のある人間を探し続けることだと思うようになりました。
しかし、みづうみも書いていらしたように、結局私に残された道も見届けることだけかもしれません。祖国と同胞、そして自分自身が亡びていくさまを正視することしかきっと出来ないのでしょう。せめていのちの最期の瞬間まで誇りをもって、日本人と日本語と日本の美しいものすべて、私の愛の終わりも直視していたいものです。
気の晴れない長ったらしい近況報告で、申し訳ございませんでした。
真実と格闘すること、それだけを糧として読んで書いて、愛するひとを愛し、犬猫雀ツバメを可愛がって、ベランダの植物に水をやりすぎて、たまにあと数年で亡びゆく技術の良質の着物を着て、日常生活をふつうに愛しんで過ごしております。まだなんとかそれが可能であることを感謝しつつ。 絣 白絣着てまぎれなく老いにけり 西島麦南
* 今の今、これほど真剣にこういうことを書いて読ませてくださる主婦がおられることに、わたしは敬愛の思いを深くする。、
* 本気で畏れ懼れねばならないことを、軽薄にごまかしごまかし日々を費消していていい今日ではない、われわれは、実に危険な現実を、一つは監理のじつは不可能と謂うべき事態の放射能危害から、今一つは、安倍「違憲」政権の傲慢と認識不足の好戦姿勢から、心底悟らねばいけない事態に面している。
もとより、人それぞれの生活と意欲と責任感からいろいろに為されねばならぬことながら、見誤ってはならぬことは断乎として見誤って成らないのである。わたしの健康では、身をつよく働かせて闘うことは難しいが、思って、感じて、書いて働くことは、書いて訴えることは出来る。根限り、それをして行きたい、上の「絣」さんとも連携して生きたいと思っている。なんら過剰なことをこの人もわたしも云っては居ない。
2014 87・17 153
☆ お早うございます。
今朝のニュースで、行方不明だった女児が無事保護されたと知りました。
女児の通学している小学校は私の母校( 中学の時に市の中心部に引っ越しましたが) で、懐かしい地の映像を思いがけぬ形で見るにつけ、他人事ならず案じていたので、幼い命が助かったことに先ずは安堵しました。
涼しい風が吹いています。梅雨明けも、もうすぐですね。
暑い夏になりそうですが、お疲れを溜めないようになさって下さい。
( 送信前にホームページを見ました。
私も2 時過ぎに眠って5 時に目が覚めましたが、二度寝していました。) 品川 澤
* ともあれ保護されてほんとうに良かった。
2014 7・20 153
* 荒い雨が西東京にも降り始めた。大過無ければ雨はむしろ歓迎するが。
* 染織作家渋谷和子さん、作「南国の果実」を下さる。玄関に飾った。
2014 7・20 153
* 豊中の大学友だちから、「いちど きいてみて下さい。お大事に 大切に おすごしくださいますように。」と書き添えて、アルヴォ・ペルトの「アリーナ 鏡の中の鏡 アリーナのために」CDを送ってもらった。「黙考する音楽詩人ペルトの70年代重要作品の新解釈」とある。何だろう。安原さんは、美学にいた妻の同期生のなかでとびぬけた知性と感性の人。ピアノを弾き繪を描く。湖の本も最初からずうっと応援してくれている。「アリーナ」 何だろう。機械に入れて、聴いてみる。
2014 7・22 153
☆ 六月に
それはもう久しぶりで、太子町山田の仏陀寺(ぶったいじ)に行ってきました。ご住職がかわらず秦さんでした。 雀
☆ 梅雨も
終りに近づいて、むし暑さが増してまいりました。過日は「櫻の時代」ありがとうございました。
かつて、東工大で教えておられたことは、存じておりましたが、今回は(青春有情で)学生さん達のいろいろな言葉を聞き、改めて、自信のその頃を思いだしておりました。
私も理系出身(同志社の工学部を昭和46年卒業)でしたので、彼らのまっすぐ悩んだり、尖った気持ちで理屈が先行したり… の様子に「わかるわぁ…」と思いながら読ませて頂きました。
その次に、とても嬉しく、楽しかったのは先生の沢口靖子さんの好きっぷりでした。私も大好きで、関西ではときに木曜日の八時から放送される科捜研シリーズを楽しみにしております。生れ変ったら、私も科捜研に就職したいと言っては、娘に笑われております。
梅雨が明ければ さらに暑い日々がまいります。先生も どうかお体に気をつけられて、お元気でお過ごし下さいますようお祈り申し上げます。 大阪 淀川 能
* 雑誌「ミマン」での連載で知り合えた人だが、大学の後輩で、沢口靖子がお好きで未来は科捜研に就職と。こういう嬉しい風も吹いてくる。それにしても科捜研のマリコさん、じつにいい人柄の優しさ品のよさ行儀の明るさで、申し分なくなっている。身についた品と知性。それもわざとらしくなく静かに明るい。声音もいい。騒がしいモノの微塵もないところ、こころより惚れ込んでいる。
☆ 秦 恒平 様
前略 このたびは、豪華限定本『秦恒平選集』ご恵与にあずかり、ありがとうございました。ご厚情に深く感謝いたします。
巻末の「創刊に際して」をまず拝読、「今生の終焉も・・」の感想は、数年年長の私にこそふさわしいと感じながら、医学書院以来の長い年月を振り返り見たことでした。
「みごもりの湖」「秘色」「三輪山」、あらためて、ゆっくりと読ませていただきます。年月を経た今、どのような風景が新しく私の眼前に展開するのか、それも楽しみの一点です。
井口哲郎氏の「説文」風の刻字、細川弘司氏の達者なべン画、いいですね。
表紙の紺地と金箔が、あか抜けていて、お酒落だと思いました。
御礼が遅くなったことをお詫びします。先日の抜き刷りでも触れたデッサン会仲間のグループ展に出品するなどのことがあり、雑事に追われておりました。
やがて猛暑の季節、ご自愛ください。 草々
2014年7 月19日 粂川光樹 (明治学院大名誉教授)
追伸 同封のものは、私が所属する銅版画工房の仲間内の落書き雑誌『工房万華鏡』に連載中のエッセイの一部です。馬鹿話ですが、笑っていただければ、と思ってお目にかけます。感想を頂戴するほどのものではないので、ご放念ください。
* 入社同期のよしみで口癖につい粂川君といってしまうが、その粂川さんが上の手紙に添えてくれたエッセイの一つが、このまま通過できない意義を帯びているので、関連の箇所だけ、ちょいと書き抜かせてもらう。
☆ 閑話休題(それはさておき)第十話 スケッチ・デッサン・クロッキ-
(前略)
すべての少年かそうであるように、少年の日の私は女の人の裸をぜひ見てみたいと思っていた。でも少年には無理な願いだ。魔法の透視眼鏡はないものかとニキビ面の十代は考えた。着衣を通して、中のヴィーナスがそのまま見える、そんな眼鏡だ。それを掛け、ドキドキして街を行く。女性の群と擦れちがう。お、見える、見える、というわけだが、もちろん、そんな眼鏡があるはずもなかった。
しかL 、日進月歩と言うべきか、以来半世紀以上が過ぎた今日に至って、私はようやくその不思議眼鏡を我が手に掴んだと感じている。そこに少年のドキドキがないのは致し方ないとして、なにしろ、とてもよく「見える、見える」だ。あそこにもここにもヴィーナスがいる。街が楽しい。電車が楽しい。そして実はと言えば、これもまた、幾らかはリン版画工房のお陰なのである。だが、万華鏡ならぬこの不埒眼鍍のことは、この文の最後で物語ることにしよう。
(中略)
閑話休題(それはさておき)、冒頭で触れた裸体透視のことに話を戻そう。リン版画工房にお世話になって、私はすでに10年を越えた。だが、なかなか思うような銅版が彫れない。下手である。なぜだろう。才能がないのか。それはそうでも、そう思いたくはない。やはり絵の基礎が出来ていないのが原因だ。その部分を怠っているからだろう。それをしみじみ悟ったのは、三年ばかり前だった。以来、改めて描画の練習を始めた。日課として毎日ともかく一枚は「何か」を描くことに決め、中断していたヌードデッサンも再開した。今は毎月計2 回、固定ポーズと、ムーヴィング・クロッキーの会に出て、勉強している。その効果は版画の上にまだ現れないが、自分の中ではいくらか手応えを感じるようになっている。手応えの一つは、人物の裸の線がどうやら掴めるように思えることだ。着衣の男女を見る。すると、その着衣を内側から支えている、骨格や肉付きの様子も透けて見えるようになって来た。
「お、見える、見える」
である。このことを女房に話すと、
「ああた、それは幻覚ですよ。いよいよね」
と言った。.彼女によれば、これは最近注目を浴びている「DLB (レビ-小体型認知症)」というものだそうである。
「何? でえ・、える、べえだと? 馬鹿言うな」
でも、こういう認知症なら悪くない。もっと進行してもいい。私としては、桃源郷をさ迷う気分の日々である。
* 粂川さんは東大出の、謹厳な日本上代学の一権威であり、漱石「明暗」未完の続編を書いた小説家でもある。さらに挿繪も描き銅版画も彫る。そういう人の、これは、たんなる笑い話ではないエッセイらしいのでこう書き出してみた。
じつは同様の話題で先日も、わが書きかけの小説がらみに上の述懐と似た、いやもっと徹底した実感をしゃべってしまって妻と秦建日子とに大いにわらわれ軽蔑されてしまったのである。
わたしは、と謂うのは避けておくが、いましも「ヰタセクスアリス」を物語っている主人公は、少年時代から、その気なら着衣の女のすっぱだかが丸見えに見える。その体験的な下地は幼時から母に連れられた銭湯の女湯で、少年はむろん性欲からではなく物珍しさと感嘆の思いから、ただもうひたすらに女体というものを観察し嘆賞し手で触りこそしないが徹底的に眼で愛でて成長した。上の粂川さんが憧れていたことぐらい、特段の難しさなどなしに、洋服からであれ和服からであれ、ほぼ何でもなく透けて見ることが出来たし、古稀をとうに過ぎた現在でも何でもなく見えている。それが嬉しい楽しいなやましいなんてことはちっとも無い。
しかし妻も息子も噴飯のていで嗤いとばした。だまっていればよかったのだが、小説は進んでいるのかと、何を書いているのかと聞くので一端を話してやったまで。
粂川さんの述懐は、すこしは、わたしの、ではないその作中老人の才能を弁護し擁護してくれそうではないか。
2014 7・22 153
☆ 通院で
難儀されてはいないかと案じていました。
居心地のよい場所を見つけて、暑さが和らぐのを待ちつつ校正を進められてるかなぁ、それとも好きなお相撲が見たくて真っ直ぐ帰られたかなぁとも想像しながら。
通院を忘れていたこと、お仕事に打ち込んでうっかりというなら、( わたくしもも、歯医者の定期検診をうっかりしたことが何度かあります) 、ご自身がさして気に病んでないなら、それでもいいのですが。
記憶力云々ではなく、この猛暑が心配です。
どうぞお元気で。 小雨
* 電話してみたら、今朝十一時までに聖路加へ来て初診手続きせよと言われた。九時半に電話で聞いて十一時に聖路加着はとてもムリ。その上の蒸れたような熱暑。
薬だけが欲しいので、仕方がない薬局で類似の売薬を買うことに。要するに利尿薬。この殺人的な真夏に、息急ききって保谷駅へ、また築地の日照り道を病院へ急ぐのは賢明でない。診察日を完全に失念したのがわたしの責任である。
2014 7・24 153
☆ 梅雨明け宣言の後の
今が一番暑い時期。梅雨明けといってもこちら(尾張長久手)は空梅雨で、時折雷雨があったけれどという状況でした。今日は35度くらいになるようです。
選集、湖の本、そして創作活動、HP!!! 本当にお体のことが心配になります。精一杯生きていらっしゃる、無理は承知・・中途半端に老婆心を述べても駄目ですね。
14日、関西に行き、詩の集まり、友人とのお喋り、15日、友人のお墓参りをすませ、祇園祭の「宵々山」に久しぶりに行きました。四条通りの長刀鉾の写真を送りましたね。下手な写真・・荷物を抱えていて思うように撮れなかったのです、これは弁解。
この時、年賀状だけは絶やさなかったのですが、ほぼ40年ぶりに友人に会いました。
日盛りの中、三条の文化博物館で黒田清輝の展覧会を見 ( これは友人のリクエスト) 、六角の宮脇賣扇庵に立ち寄りました。
京都大学に来たのは、ていのいい家出やったねえと彼女も言い、わたしもそうだったと。以来ずっと京都で暮らしてきた、そのことだけは羨ましい。
四十年ぶり、その四十年という歳月が長く、ただしとても曖昧なものに感じられました。お互い、基本的には昔と何も変わっていない、話しやすさがありました。
帰宅して、週末からは姑が滞在。今は一人の時間が貴重です。
粂川さんのエッセイで語られる少年、ついでに成人男性の女性の裸に対する思いは、そうでしょうかと半ば頷き、半ば苦笑? それ以上に見られる側の女性としてはハッと胸衝かれるものがあります。
鴉の幼児経験、銭湯の経験も、微笑ましい日常の情景でありながら、怖さも感じます。
わたしは下宿して初めて銭湯に行った時の衝撃を今でも忘れません。温泉も全裸になることへの抵抗感が強くて好きではありません。
それにしても「特段の難しさなどなしに、洋服からであれ和服からであれ、ほぼ何でもなく透けてみることができた・・」と鴉は書かれています。
男性として、また作家としての目の鋭さ。
わが身は振り返るまでもなく、自分の老いを強く感じている今現在、さらに老いを痛感していくであろう未来が横たわっています。
身体を裸を、リアルに素直に認めることは恐いです。
何だかヘンな話になりました。
くれぐれも大切に大切に 尾張の鳶
* 鳶のメールには、「曖昧」とはいいなから、意識たしかにものを観、ものに感じ、ものを思い続けて満たされてきた力ある「体験」を感じさせてくれる、いつも。知性にも趣味能力にも溢れている。それが、読むわたしのビタミン効果になる。感謝している。
枯れ木の寒鴉、わたしは、まだまだ励まされて生きて行かねば。 2014 7・24 153
☆ 秦恒平選集第一巻、
嬉しく拝受致しました。ありがとうございました。
何とも上品で飽きのこない装丁、手にずっしりと馴染む感覚。そして活字の大きさと余白との絶妙なるバランス。久しく素敵な本に巡り合えなかった私としては、嬉しい限りです。
初期の三部作、出版された当時、感動して読んだことが思い出されます。改めて、当選集で味読したいと思います。
是非二巻以降もお頒け頂きたくお願い致します。
暑い日が続きます。くれぐれもご自愛くださいませ。 中野区 安井恭一
* 備前焼 伊部の川井明子さん明美さん連名で、窯だしや横浜で個展の案内がきた。「又、お会いしたいです。暑さ厳しい折柄、ご自愛下さいませ」と。りっぱに出来た大壺を玄関に飾っている。横浜の個展へも一度出かけた。備前らしい焼きの美しい花筒や瓶が忘れられない。いまは息子が持ち帰って愛している。
☆ 笠の下吹いてくれけり土用東風 (一茶)
前売券を買っていた兵庫県立美術館の展覧会が7 /21( 祝) で終了してしまうのにあわて、20日( 日) に観てきました。
昨年11/2 から12/29まで開催された「“小林多喜二から梅原龍三郎まで”昭和モダン『絵画と文学』1926―1936」と同時代を取り扱った「東京・ソウル・台北・長春『官展にみる近代美術』」です。
どちらも巡回しなかったのではないでしょうか。
二度と観られない、企画もされない展覧会だと思って大事にゆっくり観て回り、館のレストランで海を眺めながら1 時間かけて昼食を楽しみました。
『絵画と…』を観に来たのは12/1 のこと。
半年余りのご無沙汰で、両日とも屋上の“美かえる”がお休みなのは残念でした。
阪神なんば線が開業して近鉄と阪神が相互乗り入れを開始してから5 年を過ぎ、名張8:03発の大阪難波行き特急に乗ると、難波駅のホームでそのまま数分後に三ノ宮行きの快速急行に乗る継ぐことができて、途中で各停に乗り換えて、岩屋駅到着は10時半頃。
便利で涼しくてらくチンで、嘘のようです! 助かります。
嘘のように便利で楽チンになったのは、先月出かけた大阪府立「近つ飛鳥」博物館 ( 大阪府南河内郡河南町) もそうです。
この春、奈良市で金関恕さんのお話を聴講した折、いい展示ですよ、是非、と薦められたのがここの開館20周年記念の第1弾「ヤマト王権と葛城氏」。せっかくなら館長さんの講演がある日にと、6 /22( 日) に、主人に頼んでクルマを出してもらいました。展覧会が6 /29( 日) で終わるのでぎりぎりです。
初瀬街道→横大路→竹内街道を基本に、自動車専用道路や広域農道、バイパスを利用したら、2 時間余りで着いたのには、主人も驚いていました。
電車で来たときは、なんべんも乗り換えもして、最後は1 時間に2 本のバスでしたもの。
講演会の整理券配布が12:00 。講演は13:30 ~15:00 。館は17:00 まで見学可能ですから、聴講後に展示室に行っても大丈夫です。
午前中があくので、途中にある太子町立竹内街道歴史資料館を見学して、資料館近くの< 道の駅> で昼食をとり、山田の仏陀寺を再訪しました。
近つ飛鳥博物館の駐車場は80台分。講演会場は定員200 名だそうです。
ところが、この展覧会では毎週のように開催される講演やミニシンポジウムが毎回300 人をこす人気だったそうで、白石太一郎館長の講演が行われたこの日は、1 台きりの券売機を使用中止にして、カウンターで購入する仕組みにしていました。整理券は雀の10人前で終了。館への道すがらでも、館内でも、「こんなン初めてやァ」という声を耳にしました。後日、450 人を超えたと知り、葛城氏と古墳と白石太一郎が重なるとこんなに人を呼ぶのかとびっくりしました。
5 月の夏日続きでバテたと思っていたのが、どうにも苦しくて、ぼんやりというよりうすのろになってなにもできないので、昨冬、循環器内科から紹介されていたレディースクリニックを受診。1 日に検査、翌週は隣市の市民病院へMRI 撮影に行かされ、鉄欠乏性貧血がかなり悪化していたことがわかりました。
新しいご本は初めてクリニックに行くとき、受けとりました。
どうにか家事もできるようになり、神戸へひとりで往復してみたわけなのです。
あれこれ囀りたいことがあって文章を入力していじっていたものの、どうにも冴えず、ぜぇんぶ消去して、土砂降りの雨のなか、市民病院へひとりで出かけ、数日後、身体の大儀さに髪をベリーベリーショートにきってきました。赤ちゃんのとき以来の短さです。
秋のお彼岸までまだ2 ヶ月。涼しくなるのにかなりかかりそうな酷暑の日々。
突然の激しい雨もあり、検査や通院のご負担も大きいこととおからだ ご案じもうします。
いっそうご自愛くださいますようおねがいいたします。 名張 囀雀
* 一茶の昔も夏はきつい暑さであったらしい。雀の貧血は何十年も昔から。油断大敵ですよ。大事にしてください。
2014 7・24 153
☆ ご無沙汰いたしております。
過日は 立派な御選集を 頂戴しながら 礼状もさし上げず また湖の本の方もとどこおっておりまして まことに申しわけございません 不徳義漢になってしまいました 何卒 おゆると下さい。
脳出血に倒れて以来 しんしんに一寸不調をきたし おまけにここ数ヶ月目の焦点がおぼつかなくなってしまいました。 一昨日 眼鏡をかえどうやら筆を執ることができるようになりましたが、長い間はつづきません まことに歳はとりたくないものですが 外村繁の「一日喜び」という言葉を つぶやきながら その日暮しをしております。
御選集 題字 造本 装丁等 すみずみまで 心が通っていて このように見事な御本には 最近めったに出逢えません 元出版社の社員として恥じ入るとともに 御志の広さ 深さに感嘆するばかりです
暑さも本格的になります どうぞお身体 おいとい下さり おすこやかに お過ごし下さいますよう おわびとともに お祈り申上げます 元文藝春秋 潔
☆ 先日は
「湖の本120」をありがとうございました。
先生のご健康を願い「老松」より「夏柑糖」をお届けさせていただきます。ご笑納下さいませ。 高石市 東
☆ 月様
湖の本120 送金が遅くなりまして申し訳ありません。
二月に、わが家にとって、はじめての女の孫が生まれました。三ヶ月の産休明けに仕事に復帰した娘( 嫁) のかわりに しばらくは孫育てをしていました。三月末に仕事を退職したのも都合のよいじきだったと思っています。
暑さ厳しき折り 御身ご大切に御無理なさいませぬように くれぐれもご自愛下さいませ 花籠 徳島市
* 今日は、もう一通、嬉しい手紙が届いた。娘がひさしぶりに帰ってきたような思いで、夫婦して喜んだ。
☆ 大変ご無沙汰して申し訳ございません。
このたびは「湖の本」に記事(「憲法九条にノーベル賞を」)の引用をいただき身に余るお言葉までおかけくださり、うれしく もったいなく、本当にありがとうございました。
これまでの不調法をどうおわびしてお礼を申しあげようかとうろうろしておりましたら 今度は「ひとりから」をお送りいただきまして もう何と御礼申しあげてよいやらです。 幼少時からお宅におじゃまし かあいがっていただいたことは片時も忘れたことがございません その大恩人のご夫妻に娘のようとおっしゃっていただいて、こんなにうれしいことはありません 私などには過分なお言葉ですが 新聞記者になってよかったとしみじみ思いました
思い返してみれば、その新聞という仕事に就いたのも 高校生のときにいただき、お話をしてくださった中世の藝能民のところに原点があると感じております
秦先生が、「彼とか彼女・あの人たちと言った時点で 自分とはちがう人間として遠ざけているともいえる」というご趣旨のお話があり、自分の中の差別や偏見の心に気付かされました。
学生のときも 社会に出てからもずっとその問題を考え続けている気がいたします。
今 自分がここにおりますのも、お二人があたたかなまなざしで見守ってくださり、育んでくださった賜物と、どれほど感謝してもしきれない気持でいっぱいです。
本当に ありがとうございます。
来月から現在の部署を異動となり、文化部に配属されることになりました 少しは落ちつけるだろうかと (単純に深夜勤が減るという物理的な意味ですが) 新しい仕事に不安もありますが がんばりたいです この社会の問題をどうやって切りとて伝えていくか 貴社の仕事は「イタコ」」と信じているのですが…。
湖の本を拝読しながら お体の具合がいつも心配で お健やかであられますようにと お二方のことほお祈りする日々です またお目にかかれますのを切望しております
つたない文で 申し訳ございません どうぞお元気でいらしてくださいませ 御礼をこめて
二○一四年 七月二十一日 堀船 阿
* 新聞社に受かりましたと伝えに玄関までかけつけてくれた時、アオは同じ保谷でお母さんと二人の妹たちと暮らしていた。早稲田のキャンパスで健闘していた。それは聡い、たくましい、いい子だった。あの日も、家まで送ってやるよと自転車の尻にのっけて走った。思えばあれから会っていない。新聞紙面で記者としての名乗りをばかりをみてきた。ああ、娘が帰ってきたよと、喜んでいる。
2014 7・25 153
☆ 東京は
昨日雷雨で大変だったとか。西東京はいかがでしたか? 今日こちらでは気温38度を超えたと報道されていますが、日本列島全体がこの夏一番の暑さなのでしょう。わたしなど全く戸外に出ないで 横着鳶を決め込んでいます。
鴉、あなたご自身こそ、御身大切に 元気でいてください。 尾張の鳶
☆ 秦先生
今年も隅田川花火大会がやってきます。
明日お天気大丈夫そうです。( 去年は雨でした)
もしよろしければ浅草にいらしてください。
いつも間際で申し訳ございません。
よろしくお願いいたします。 望月太左衛
* 明後日はやす香の命日。花火をみあげながらもう天上のやす香を見送った何年も前を想い出す。そしてあれから何年もの間、無念の苦界に心身をふかく傷めた。
かなり疲れてはいるが、久しぶりの浅草の花火を見上げてきたいという気は有る。だが往きもたいへん。帰りもたいへん。体を動かすのは大切だが。今日の猛暑が明日には退くとも言い切れぬ。悩ましい。
2014 7・25 153
* 仕事をしては休み、また仕事に帰って、休むという繰り返し。校正ゲラを読むのも創作も作品の読みも、テレビが鳴っていてはとても近くでは出来ない。本の発送用意などにはテレビがむしろ骨休めになるが。
浅草の花火は、往復に自信なくお誘いを辞退した。
2014 7・26 153
* 日野の陸川さん、高石の東野さん、口当たり清しい夏のご馳走を下さる。夏柑糖の冷えて美味しいこと。
* ひとしきり、遠雷と雨と。冷やしていても家の中も暑い。
2014 7・27 153
* 奈良の理史君、加賀金澤から名酒「獅子の里」「奥能登の登雷」を贈ってきてくれました。ありがとう。奥さんと新潟へ帰ってきたのかな。
2014 7・27 153
* 石牟礼道子さんから詩集「祖さまの草の邑」を戴く。けさ、山中以都子さんの詩集「水奏」を読み返しまた布川鴇さんが編輯している詩誌「午前」をも読んでいた。高木冨子さんの「優しい濾過」も目の真ん前にある。紫圭子さんからも詩誌をよく戴く。
2014 7・28 153
☆ 秦先生
御著「湖の本」(光塵 櫻の時代) ありがたく拝受いたしました。 先般 拙歌集をお送り申し上げる時 よほど
先生への日頃の感謝をつづろうかと想いましたが それも憚られまして お許し下さいませ。 戦前 戦後を通じまして 苦しい事もありましたが、「うた」に、先生の御本に救われたことも多々ございました。
老い先みじかい身ながら、 なお承けつづけてゆきたいと思いつつ ひと言 御礼のべさせて頂きます。
先生の御健勝 祈り上げつつ かしこ 鎌倉長谷 利根
☆ お暑うございます。
御本とうに頂き 今 夢の浮橋に入りました。ニュースで祇園祭もみました。
今日は葉ぶたのおけいこをいたしました。上手に露も雫さず、涼しそうに。
冬に埋めておいたおいもが 今年はきれいな葉が出てうれしい事です。 ロス 千代
2014 7・28 153
☆ 葛城人気
2012年秋、葛城市歴史博物館が特別展「忍海と葛城―渡来人の歩んだ道―」を開催し、翌2013年秋には香芝市二上山博物館が特別展「葛城・広瀬の考古学―古墳時代とその文化―」を開催しました。
雀は、以前にウォークイベントで二上山博物館の常設展示を見学して時間が足りず心残りでいましたから、5 月6 日( 祝) に開催されるシンポジウム「古代の飛鳥と葛城」を聴講してあらためて展示をゆっくり見てまわろうと思いました。
シンポジウムは、ナブンケンの松村恵司所長、カシコーケンの菅谷文則所長、国文学の塚口義信さん、そして二上山博物館前館長の石野博信さんと現館長の松田真一さんによるもので、開場を待つ行列の長さに驚いていたら、時間が経つにつれ補助椅子が出て立ち見もという大入りで目を見
はりました。
翌年の同じ日は藤ノ木古墳についてのシンポジウムで、発掘にたずさわった5 名の研究者が集まってのたいそう面白いものでしたが、葛城のときほどの行列はありませんでしたし、満席、という程度でしたから、あのときの満員御礼は特別だったのかもしれません―。
そのあと二上山博物館では11月23日( 祝) に葛城市歴史博物館館長の千賀久さんに「葛城地域の遺跡と古代葛城氏」と題した講演をしていただいて休憩ののち松田館長と対談という会を開催し、雀は、特別展の見学も兼ねて聴講しました。これもかなりの入りでしたね。
年明けて2014年。
1 月19日は雀の誕生日なので、毎年何かしらイベントを探すのですが、1 /18( 土) に葛城市歴史博物館で千賀館長の講演があるというのでそれに決めました。
葛城市今在家の観音寺建て替えに伴うご本尊特別公開が1 /19までで、18日には講演のあと学芸員さんが解説をしてくださるというのも魅力だったからです。
千賀館長の講演は「飯豊陵古墳の造られた時代」。
飯豊皇女についてのおはなしと、古墳について、その時代の葛城についての講演で、時間超過を学芸員さんに気がねしながらのあっという間の90分でした。
春彼岸には大淀町へ出かけました。
今木の建王殯塚伝承がある保久良古墳と宮内庁管理下にある坂合黒彦皇子墓に詣でるためです。
ときに保久良古墳から出土したのは琥珀の首飾りで、琥珀の枕は斑鳩の竜田御坊山古墳の出土品です。間違えていました。ごめんなさい。
この春、月刊「ならら」は4 月号で『ソツヒコ』を特集。
そして4 /26には近つ飛鳥博物館で「ヤマト王権と葛城氏」展が始まり、雀は、5 /20に奈良文化財同好会の講演会で金関恕さんからこの展覧会について耳にしたというわけです。
近つ飛鳥博物館へ行く前に名張市立図書館へお願いして、2000年2 月に刊行された野溝七生子の「眉輪」を取り寄せていただきました。
カシコーケン附属博物館のロビーの展示に、復元された建物の模型が発掘された場所とのCGとあわせて置かれていて、その“極楽寺ヒビキ遺跡”というのが、室宮山古墳が築造された時期と重なる5 世紀前半の遺跡で、火災で焼失したと思われる大型の建物から葛城円大臣が自害した館ではと、
現地説明会に大勢が駆けつけたということと、室宮山古墳がソツヒコ墓と考えられていることを知って、「眉輪」を思い出したのです。七生子が亡くなったちょうど3 年後に刊行されているのですね。
そして極楽寺ヒビキ遺跡の現地説明会が「眉輪」が第1 席に推された1925年からちょうど80年後だったなんて…。 囀雀
☆ 藤ノ木古墳
和田萃さんは講演会で配布するプリントにしばしば国土地理院の1/25000 地図拡大コピーに書き込みをしたものと、「古代の大和と河内」とタイトルのついた、①山と山脈、②川と池と湖、③峠と古道、④遺跡、⑤古墳、⑥宮跡( 飛鳥、藤原、平城、長岡、恭仁) 、⑦寺院、⑧神社などが書き入れられた簡単な地図を使われます。
これが全体が眺められて、じつに便利な地図で、今年になって講演のなかで、小学舘の「大系 日本の歴史」全15巻の第2 巻『古墳の時代』の巻末付録につけたものです、と明かされました。
佐原眞さんが第1 巻を執筆された全集で、専門ではない自分が古墳を担当したのは、白石太一郎さんをはじめ、先生方がお忙しかったからと軽くお笑いになりました。
後日、名張市立図書館で訊ねたところ、係りの方が地下書庫から持ってきてくださって、地図を確かめ、借りてきて読みました。
第2 巻の口絵は藤ノ木古墳石棺のカラー写真。1988年1 月1 日の発行で、石棺にファイバースコープが入れられたのが6 月2 日、開棺は1988年10月 7日、棺内の洗滌が終了して遺物が明らかになり、2 体の遺体と判明したのが10月26日だそうですから、開棺前の写真です。
香芝市二上山博物館で行われた藤ノ木古墳シンポジウムで、調査開始から29年、朱塗りの石棺の蓋が開けられてから26年が経ち、15000 個ものガラス玉を拾い上げた若き研究者が老眼になる、その歳月に詠嘆の声があがりました。
とはいえ思い出話に浸りきることはなくて、ムズカシい話に進み、雀は「空玉(うつろだま)」や「梔子玉」「棗玉」という音の響きに心がうろうろ飛んでいきました。
最後に被葬者について、開棺当時カシコーケン調査部長だった石野博信さんが「ボクは旧家のどら息子と言ったンだ、ねぇ」と隣の前園實知雄さんの目を覗きこみ、現場担当だった前園さんは穴穂部皇子と宅部皇子とおっしゃいました。
2008年11月6 日に藤ノ木古墳が史蹟整備される起工式があり、12月28日にそのときの写真を入れて、前園さんの「斑鳩に眠る二人の貴公子―藤ノ木古墳」が発行されていることがわかり、シンポジウムのあと、図書館で借りて読みました。
カシコーケン附属博物館に展示されている出土品と復元品はそういうことだったのかと、次に博物館を訪れたときの楽しさが段違いでした。
また、藤ノ木古墳を穴穂部皇子の墓と考える理由のひとつに、斑鳩の竜田御坊山古墳群を山背大兄王一族の墓と考えて、という話に、御坊山古墳群出土と書かれた展示品も興味深く見ることができました。
10月25日( 土) に、前園さんがホストとなって片山一道さんと「人類学と考古学で迫る被葬者像」と題した対談をなさるそうで、楽しみに待っているところです。 囀雀
* とても凡常の真似のできない質の高いエネルギーである。もう十五年ほど、厖大な量のメールでわたしをオッカケつづけてくれる人である。メールを死蔵しているのが惜しい。ことに字数制限の合ったころにケイタイから送って来続けた短文は、詩的ですらあった。大学とも研究施設とも学歴とも仲間達とも無縁、ひたすら家庭の人として、身をはたらかせて自身の興味や関心を培い育てている。それだけでなく自身の精神衛生をすぐれて健康に推し進めている、あまり丈夫では無さそうなのに。
2014 7・29 153
* 「群像」編集長として名高かった大久保房男さんが亡くなった。また一人大きな知己を喪った。もう久しくお目にかかる機会こそ無くなっていたが、本を送ればいつも真っ先かけて嬉しいご返事をくださった。上村占魚さんを介して個人的に親しくして頂いた。「秦さんには何も言うことはありません。一つだけを言うなら、もっと銀座へ出ていらっしゃい」と言われたことがある。全くおなじ事を、やはり亡くなられた杉森久英さんにも言われた。みな、はるかな昔のことになった。杉森さんは「文藝」の、大久保さんは「群像」の名編集長だった。じつはお二人と仕事での御縁はなかった、わたしは主に「新潮」「展望」「すばる」「海」に書いていた、それなのにお二人とは個人的に永く親しくして頂いた。だんだん だんだん みんな遠くへ逝かれる。
2014 7・30 153
☆ 塔ばかり見えて東寺は夏木立(一茶)
今年のGWは、連休、飛び石、4 連休で、家事をなまけたい雀は、京大の総合博物館に主人を案内して解説してもらおうとたくらみました。
いつもの京都行き特急に乗って丹波橋駅に着くのが8:45。博物館開館は9:30ですから京阪に乗り換えて鴨川畔から歩けばちょうどいい具合です。
2001年に開館した京大総合博物館を初めて見学したのは2012年秋のこと。山中教授のノーベル賞受賞で無料解放というさなかで、
全体量を把握しないまま矢印通りに見て回り、へとへとになってたどりついた最後のコーナーに石棺が並んでいたの
に臍を噛んだのです。
今回はその経験に加えて広いほうの企画展示室が使われていなかったこともあってラクに見て回れたのですが、主人は疲れも見せず2 時間を過ごし、館内で唯一飲食ができる売店でもコーヒー一口含まず、書籍や品々を見ていました。
ホームページによれば、この6 ~7 年、地理学と考古学の担当教員を欠いたままだそうです。京大考古学と探検部と深く関わる地理学が手薄なのは至極残念!
地球儀も世界地図も常に展示会場のあちこちにあってほしいですし、四角形の土台でつくられた日本のジオラマは円形の台にキャスターをつけて簡単にいろいろな角度から―北方四島から、ロシアから、朝鮮半島から、中国から、ベトナムからなどなど―見られるようにして、くるくる動かして視点を変えて国境線のないジオラマを見たいなと思いました。
開校当時に導入されたイギリスやドイツ製の実験器具に混じって島津製作所製の器具が展示されていたので、近くに島津創業記念資料館があるから寄ってみようということになりました。川まで志賀道を歩き、荒神橋を渡りました。
♪かもの川風ェ袂に入れてェェ…月に棹さす高瀬舟ェ♪
荒神橋といえば湯川秀樹さんを思い出します。新婚の新居候補が三本木だったとか。
リバーバンクといったかしら、昔ながらの喫茶店で御昼にしました。
錦秋の京でミュージアムめぐりをしてから半年。鴨川は葉柳と川床の景色へとかわっています。
西三本木通から東三本木通と歩き、丸太町通に出て「山紫水明処跡」の標石をたしかめ、道を渡りました。
「信楽」でしたか、文人が贔屓にした旅館は「山紫水明処」の場所にあったのでしょうか?
保養所やマンションが建ち並び、旅館イシチョウ前に「木戸孝允寓居跡」の標石。
銅駝美術工藝高校の正門脇に立つ「舎密局」の解説板を読み、リッツカールトンの脇を歩いてホテルの正面入口を物見高く覗いたのち信号を渡って島津創業記念資料館へ。資料館西隣の銀行会館や日本銀行は毛利重能がそろばん道場をひらいたところですね。
一昨年の正月休み、雪の朝一番に大悲閣千光寺を訪ね、そのあと嵯峨を散策していて「塵劫記」石碑を見つけたことがきっかけで、それからしばらく日本の数学者を調べたり随筆を読むことにひたっていました。
ときに、島津創業記念資料館――。
島津製作所河原町本社が武田五一の建設で、資料館に転用されたこの建物も五一近辺の建築家が関与した説が有力なんだとか。
7 /1 から京都工芸繊維大学美術工藝資料館で「浅井忠・武田五一と神坂雪佳」という展示が始まっているそうで、是非とも見たいと思っています。
ちなみに大阪歴史博物館では9 /3 から村野藤吾の展覧会が始まり、新歌舞伎座がテントで囲われ解体が進まないなか、こちらも見たい展覧会です。
それにしても田中耕一さんがノーベル賞を受賞されてから干支が一回りしているなんて、歳月を感じますねえ。 名張の囀雀
☆ ほととぎす平安城を筋かひに(蕪村)
島津創業記念資料館では、京大総合博物館からはしごで立ち寄られる方がよくいらっしゃるとのことで、館のかたが展示をすみずみまで解説してくださいました。
島津製作所のことだけでなく、蛤御門の変から明治維新、東京遷都と、みやこだからこその混乱に見舞われた京について、歴史の話、暮らしの話、電気の話、学校の話、それからこれと話はうつろい、むすんだり、ひろげたり…。舎密局の解説を読んでいたことも役立って、物見高いのも大切よ、と、雀は胸をそらせました。
主人は銅駝も舎密局も気になったとみえ、後日、2 代京都府知事を勤めた槇村正直を描いた本を探しだし、図書館で取り寄せていただいきました。
島津資料館にも2 時間いましたよ。
どちらも飲まず食わずで立ち通しですから2 時間が限度といったところ。ところが出たんですよ。島津でも、石棺のような展示が…。
最後の部屋は島津製作所の歴史の紹介で、年表に、昭和9 (1934)年「阿武山古墳のX 線撮影」とあるのに、ふたりで声をあげました。
昨年12月に高槻市で「歴史シンポジウム『中臣(藤原)鎌足と阿武山古墳』」が行われ、事前申込で主人が当選し、雀は落選。
帰宅した主人が、その後しばらく何かというとそのときの話をしていたのです。あとで定員600 人に1389人の応募があり、今城塚古代歴史館の森田克行館長が「いささか読み誤った」と思われたと知りました。
最後の展示室からあわてて受付へ戻り、高槻市でのシンポジウムの話をすると、「少々お待ちください」と奥から1 冊の本をお持ちになって戻られ、撮影した島津製作所の技師さんがその後、関西大学の理学部教授になられて、阿武山古墳の再調査が始まったとき、関西大学考古学教室の網干義教教授を訪ねられたと教えてくださいました。
本のタイトルや出版社などを書き留め、後日、名張図書館へ出向くと地下書庫にあることがわかり、早速借りて一気に読み、シンポジウムの資料がより理解できました。
1985年7 月末から藤ノ木古墳の発掘調査が始まり、1988年10月に開棺されましたが、1982年3 月から阿武山古墳の再調査が始まっていて、1987年11月2 日に記者発表が行われたんですね。
1986年に文学部博物館の新館が落成し、それを旧館にして、新館をつないで2001年6 月に開館したのが、現在の京大総合博物館で、1986年のその新館開館による資料引っ越しで、考古学教室の阿武山古墳遺物が発見されたことも知りました。
記者発表の少し前に猪熊兼勝さんが報告に末永雅雄さんを自宅へ訪ねたそうで、末永さんもその技師さんも、50年間の胸のつかえがおりたのではないかしらと思いました。
X 線撮影が行われたのが1934年6 月29日。
2012は高松塚古墳に彩色壁画が発見されて40年。
2013はキトラ古墳にファイバースコープが入って30年。
今年は阿武山古墳発見とX 線撮影から80年。
来年2015は藤ノ木古墳発掘調査から30年になるんですね。
受付で阿武山古墳の話をしているとチャイムの音。入館受付終了の合図です。
立ち通しで足も痛くなっていましたから、辞去して、一之船入にできたオークラ別館のレストランを、また物見高く覗いて、オークラの駐輪場前に伊藤博文揮毫の石碑を見つけ、オークラ正面に桂小五郎の銅像を発見し、川を渡って、三条駅から丹波橋駅乗り換えで名張へ帰ってきました。
短夜や枕にちかき銀屏風(蕪村)
今年は天文系カレンダーと入江泰吉さんの風景写真カレンダーを下げています。うき世離れしていいものです。 名張の囀雀
* 生き生きと徹底していて、メールの文面に乗っかってくる「生きの意気地」が逞しい。ちゃちな道楽では、とてもこんな幸福感に湯気の立ったような行動力・活力は生まれない。
* 四国の木村利孝さんから地元でこの季節に特別栽培されているという蜜柑、とても甘い美味しい蜜柑を沢山、また同じくジュースを沢山、頂戴した。じつは木村さんには大きな宿題をわたしの方で負うている。ご厚意には激励が含まれている。しっかと心得ています。気を引き締めて立ちむかっています。ありがとう存じます。
* 近江大津にお住まいの大学での恩師の奥様からも、暑中お見舞いのお達者なお手紙に添えて、贈り物を予告してきてくださった。
☆ 長い梅雨も
明けたようでございますが、お元気にお過ごしでしょうか。
私も大分老化しまして脊椎をいためコルセットをつけながらも京都まではどうにか出かけております。
いつも御著作を拝受いたしありがたく存じます。
心ばかりの品 別便にて送らせましたのでお納め下さいませ。益々御健勝にご活躍をと念じて居ります。
主人がなくなりましてからもう二十年余にもなりますが、私が長命なのを不思議に感じて居ります。このホームに温泉があるおかげかと存じます。曾孫も三名となりました。それぞれが幸せなのを感謝しつつ老を楽しんでおります。
お大切にと念じ上げます。 大津雄琴 典
* 岡山の有元毅さんからも。
☆ 暑中お見舞い申し上げます。 吉備の人
私語の刻により充実した日々を送っていらっしゃることが分かって嬉しく安心しています。
暑中のお見舞いに、近く、岡山の桃をお届けします。
* 上のお三人とも、みな、わたしよりずっとお歳を召している。なんと…わたしは幸せ者であることか。
2014 7・30 153
* 金田先生の奥様より、北海道の鮭の切り身十二枚を送って戴いた。しっかり栄養をつけねば。根が大食だったのが胃袋無くなりとても量が入らなくなったのは、いっそ善いことだと思うようにしている。お酒だけは、何酒であれ、すこぶる美味しく入るのだから熱エネルギーは足りている。今朝は体重も67キロ台に下げていた。この辺で調整したい。
☆ 合と衝
月1 枚の天文カレンダーに、雀は、合や衝といったことばを教わりました。
そして7 月28日が第一次世界大戦開戦から100 年の日ということも。
主人は主人でGWが始まってすぐに、鉄ちゃん旅も兼ねて貝塚市の善兵衛ランドへでかけました。以前に水間鉄道に乗った時は終点の水間寺とその周辺で終わったそうで、終点のひとつ手前にある善兵衛ランドは遊園地とばかり思っていたのです。天文に関する―それも江戸時代の―施設とわかって、一転。
オープンは1992。
9:00に開館して木金土は21:45 まで開けて天文観察会をしているそうです。個人は無料というのも珍しいでしょう。
岩橋善兵衛(1756~1811)が作った望遠鏡は、幕府の天文方、伊能忠敬、学者、そして紀州をはじめとした諸大名も購入したとか。
「天地明察」が映画化された折にはこの施設も協力しているそうです。
主人は数日後に訪れた京都大学総合博物館で、製作者の名は書かれていないものの善兵衛生存中の年号がキャプションに書かれた国産の望遠鏡に立ち止まり、さらにその数日後、香芝市二上山博物館では二上山の金剛砂とサンドペーパーの展示に、善兵衛がレンズ磨きに使ったのがここの金剛砂なんだってと教えてくれました。
同じ展示が違って見えるのですよね。
GWだったからか、善兵衛ランドでは、主人のほかにも遠方からの団塊世代男性おひとりさまがあって、ガイドさんが天体望遠鏡で昼間の星を見せてくださったそうです。
スプーン博士こと佐治晴夫さんの随筆に「昼間の星」「トワイライト」「雨の日の日時計」といったことばが登場します。
スミレの花のような数学、松葉ぼたんが咲く科学、とは松岡正剛さん。
油断から貧血を悪化させて後悔したことのひとつが、7 /12( 土) に津市で開催された「アカデミックセミナー2014」初回の佐治晴夫さんの講演聴講をキャンセルしたこと。
後悔はもうひとつ。
7 /6(日) に吉野歴史資料館の池田淳館長の案内と解説で「妹背山婦女庭訓」ゆかりの地バスツアーがあったのをキャンセルしたことです。これは主人が参加して、途中で急な雨に降られ、風邪を引いてかかりつけ医に2 週通いました。ひどく低い声に変わり、「こんばんは若山弦蔵です。いや、大平透です、かな」「♪ハシハカの雨にうたれてぇ」と苦笑いしていましたが、トシを痛感していましたね。
名張の囀雀
* 上の記事、面白い。「善兵衛ランド」ねえ。いいものが在るんだ。小説にしてみたいほど。
☆ 江戸地図の堀の藍色夏はじめ ( 木内彰志)
京大総合博物館では企画展として江戸時代の京の地図が出ていて、地図大好き、少年の頃から描き写していて、それにあきたらず何枚もの地図を編集して1 枚に仕立てたり、架空の都市の地図を描いたりしてた(本居)宣長さんが目にしたかもしれない地図はどれだろうと思うと、展示を見るのも愉しくって、その上、売店には「江戸知識人と地図」と題された京大出身の若き研究者の著作が売られていたので、後日、名張市立図書館でお取り寄せをお願いしました。
届いてびっくり。
最初の1 /3 くらいが宣長・春庭父子の話で、「やちまた」も何回も引用されていますし、なにより口絵が彼らが写した地図の写真でした。
本居宣長記念館がかなりの協力をしてる本のようでしたから、この秋「正倉院展」と同時期に奈良県立美術館が開催する「大古事記展」のチラシを入手したこともあり、松阪三珍花のひとつである松阪なでしこが咲く頃を見はからい、松阪の本居宣長記念館へ行ってみました。
受付には若い女性学藝員さん。
料金をお支払いして2 階の展示室にあがり、入口で今回の企画展のリーフレットを読んでいると、先ほどの学藝員さんがファイルを胸にとんとんと階段を上がってこられて、「ごゆっくりなさってくださいね」とにっこり微笑まれます。
「こないだ京大でこんな本を見つけちゃったの」と出してみせたら、「あ!上杉先生の!」。
パッと目を開いてくださる。
たまたまほかに観覧者がなかったので、「大古事記展」のチラシも出して、「こちらからなにか出ますか?」と訊ねると、下へ降りて調べてきてくださって、「出ます、出ます。5 点!」と それぞれについて説明してくださいました。
展示を見終わって受付に戻るとロビーに吉田悦之館長がいらっしゃいます。
「京大は地図のコレクションがすごいンですよ」と納得のお話――。 名張の囀雀
* 展示会や記念館や講演会には、このようにして参加するのよと教えられる心地。ここまでアクティヴに身も心も知識や関心もがいきいき動く人は、そうそうは、いるものでない。びっくりする。幸福な知性である。
☆ 湯の街は端より暮るる鳳仙花 ( 川崎展宏)
遷宮で三重県の斎宮歴史博物館だけでなく大阪市でも「旅」をテーマにした連続講座が開催されました。
大阪市のミュージアムがリレー形式で行うもので、会場は梅田にある生涯学習センター。1 回につき2 本の講演で、全5 回。期間は2014年2 月~3 月。
「湯の旅」の回が温泉の旅と湯川秀樹で、随筆『旅人』と、彼が中之島にあった大阪大学で行った研究についてとあるので申込み方法を調べ始めたら、金曜日の夜7 時からというので仕方なくあきらめました。
天地(あめつち)は逆旅(げきりょ)なるかも鳥も人も
いづこより来ていづこにか去る (湯川秀樹)
湯の峰、湯崎、それから有馬…近くは赤目に榊原。涼しくなったら温泉に行きたぁい。
雷鳴がしていましたら、激しい雨と強い風。窓ガラスはびしょびしょです。
どうか おからだ、お大事に。 名張の囀雀
* 反原発や反政府などのデモに参加することは、意識があり時間と体力があれば出来るし続けることもできる。
上の、雀さんのような生活は、どうしてなかなかできるものではない。時間と経済がたとえ潤沢にゆるそうとも出来るものでない。わたしにも妻にも、全然できないだろう。着実でしかも燃えるような関心と好奇心とが脈絡ゆたかに何年でも何年でも保ててなければ出来ない。それが分かるので、体験を頒けてもらう気持ちでわたしは「囀りメール」を敢えて読み敢えて保存している。
2014 7・31 153