ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2024年

* 思いがけず百通ちかい沢山な年賀状を戴いていた、午後一杯かけ、各住所録を整頓した。こわいほど幼少来、八十年のお知り合い亡くなった方も全て残して、お名前、住所の多さにビックリする。これもまた私たちの人生記録、沸く用に限りなく記憶という思い出が積まれてある。
2024 1/1

○ みづうみの米寿を迎えての新年が、お幸せでありますようお祈り申し上げます。  元日から大地震があり、昨日は飛行機事故と、痛ましい、幸先良いとは思えない年明けとなってしまいました。それでもみづうみの倦まず弛まず、勤勉な一日一日が続いていくことに少しもかわりございませんでしょう。年を重ねるごとに、目の前の仕事を続けていく、いけることが何よりの幸福だと身に染みます。
みづうみと奥さまのご体調は如何でしょうか。どうかお大切に、ご無事にお過ごしくださいますように。 春は、あけぼの
2024 1/3

○ 拝復  法帖二帖ご恵送賜り誠に有難うございました。
ダンボール箱を開けびっくりし、手にして果して私が頂戴してよいものかと当惑いたしました。
書の力強さ美しさに魅せられましたが、二帖とも折目が切れているので、鑑賞するには、補修が必要かと思われます。
倉卒に調べました所、『晩香堂蘇帖』には末尾に董其昌(一五五五ー一六三六)の跋があり、”崇禎六年脩(喫)日上石臘月既望竣”と年記がありますので、崇禎六年(一六三三)十二月に宋拓を摹刻したものかと存じます。『東京大学総合圖書館漢籍目録』子部、書畫之屬p332/下 に、「晩香堂蘇帖十二巻 宋蘇軾書 崇禎五年至七年刻拓清印本」と十二(帖)の青洲文庫本が著録されていました。題簽に「晩香堂蘇帖 天馬賦」とあるように、蘇帖十二巻の内の「天馬賦」の一帖かと思われます。青洲本の「清印本」が何を根拠に清朝に印した本と判断したのか、いずれ折を見て、青洲本と比校したいと存じます。
『觀海堂蘇帖』の方は、末尾の小字跋「蘇文忠西樓帖詩文二帙(呉)荷屋中丞所蔵宋拓本也余/酷愛之與孔(職)庭太史選其精者重摹詩二十九首刻/成置南海中道光戊戌冬寥(生)記「麁脩(印か)」」から、宋拓本の「蘇文忠西樓帖」詩文に帙から寥(生)が孔(職)庭太史と精なる
詩二十九首を選んで道光十八年(一八三八)に摹刻したものかと思われます。他の目録類や、『書道辞典』等の調査も必要だと思います。それらの結果を考え、東京大学総合図書館か書道博物館かで所蔵されるのが相応しいのではないかと愚考いたします、それまで大切にお預かりいたします。
先は御礼のご挨拶とにわか調査のご報告まで
末筆ながら迪子様ペースメーカーをお入れになった由、どうか寒中くれぐれもお大切になさいましてお二人共お元気でよいお年をお迎えくださいますようお祈り申し上げます
二○二三年大晦日に    かしこ
浦野都志子拝
秦 恒平様 清案下

* 秦の祖父鶴吉遺藏の雑多にしかも傷みのキツい、しかし私が観ても今日貴重ないし入手不可能にちかい文献類を、これまでも学会、大學、お付き合いのある個々の研究者その他へ受け容れて貰ってきた。浦野さんとはいつ頃からか、もう何十年、こうして折にふれモノを教えて戴いてきた.感謝感謝。
それにしても鶴吉お祖父ちゃんの遺蔵本や文献類は、京の町中でもともと「お餅屋さん」だったというが、どんなに和漢の古典・詩史書で多彩に私を刺激し喜ばせて呉れたことか。おまけに大事典,大辭典、地図があった。小学校時期に私はほとんど近代以降の小説本を必要と為ずに済んだ。祖父の息子の父長治郎も叔母ツルも、まったく本など目も手も触れないひとだったから、父母の「もらひ子」とはいえ、私の「本好き」はおおいに「おじいちゃん」を頷かせていた、ほとんど口は利いてくれなかったけれど、幼少来祖父の本にふれることを一言も咎めなかった。
浦野さんを、ご迷惑にもこんなに煩わせたような、大きに破損した本にも、私は棄ててなどしまえない歴史や古典の価値を感じ続けてきた。
季吟の大著『源氏物語湖月抄』や、また『神皇正統記』 真淵の『古今和歌集講義』や 『百人一首一夕話』等等、日ごろ手放せない『唐詩選』『白楽天詩集』など、恩恵は山のよう。有難い「秦」家に育てて戴いた。天恵と謂いたい。

* ゆるされた残年を、創作を含む書き仕事に、ただ、向き合いたい。

○ 秦先生  お歳暮(短編『埋み火 京の底冷えに』)をありがとうございました。
御礼が遅くなり申し訳ありません。
昨年末は、退院後の後遺症でしょうか、なんとなく体調いま一つ 他愛ないTVドラマなどで時間を過してしまいました。
珠玉の短編拝読いたしました。
60年以上前(!?)、我が青春時代にひそかにあこがれただそれだけだった年上の女子大生のことを思い起こしました。
80歳をこえてもこのような想い出というのはなつかしいものです。
感染症がこわくてひたすら蟄居を続きていますが、家にいる限りは元気です。目下、ヘシオドスの『神統記』原典に取り組んでいますが、なかなか根気が続きません。1行読むのに30分以上かかったりしています。とはいえ、いまやギリシア哲学原典を読むのが唯一のライフワーク的趣味なので なんとか続けていこうと思っております。
今年もよろしくお願い申しあげます。
末筆ながら、秦先生もお体おいといくださますようお祈り申しあげます。 篠崎仁

* 豫想よりずっと枚数の多かった年賀状の点検、住所録への精確な記録などもみな終えた。
2024 1/4

○ 新しい年になり、早や五日。
いかがお過ごしでしょうか。
能登の地震、羽田の事故など衝撃的なことが続いています。
暮れから孫の体調が悪く落ち着かない日々でしたが、漸く元気になって一息ついたとこ
ろです。明後日にはシンガポールから四人が来ます。
ムリしない程度に頑張ります。書きためたものも見直していきたいのです。
どうぞくれぐれもお身体大切に、冬乗り越え、京都の桜を楽しむほどになってくだされ  尾張の鳶

* 病気と怪我と無く。お励み下さい。
東都の鴉は、弱り気味に、怺えて生きて行きます。『湖の本』終えて、「老後」の日々を組み立ててゆきたいものと。
京都へは、帰れそうに無いなあ、この体調では。
「成るべく」という決まり文句の重みを感じながら、成るべくしっかりと、と 願っています。
鳶も。 鳶本来を、見喪わないで、ピーヒョロロと健康に高啼きされよや。 カアカアカア
2024 1/5

○ 寒中 お見舞い申し上げます。
お変わりございませんか。
つい2週間ばかり前に、能登半島を周遊してきたばかりでした。
前回の地震被災地応援キャンペーンのツアーでもありましたのに、言葉を失ってしまうような年明けとなってしまいました。
殊に輪島は、あの赤い橋のたもとを曲がり、黒い能登瓦の落ち着いた街並みの朝市通りを写真を撮りながら散策しましたのに、変わり果てた姿に衝撃を受けました。
輪島塗の珈琲カップを買ったお店のご夫婦、もうお年なので近く店じまいをするからと値引いて下さり、色々お話もしたけれど、ご無事だろうか、寒くなさっていないだろうかと案じられます。
井口哲郎先生のお住いの辺りは、大丈夫でしたでしょうか。
羽田の事故も含めまして、連日のニュースに心が痛みます。
年末年始を故郷倉敷で過ごし、幾つかの原稿を抱えて、明日市川に戻ります。
一日も早く、誰もが凍えないよう、飢えないよう、安心して眠れるようになればと祈るばかりです。
やそはち様も どうぞお体をお大切になさってください。
深美

* お元気に、新たなご勉強ご活躍の歳となりますように。                      やそはち爺
2024 1/6

○ 寒中 見舞い申し上げます。
今年は元日早々能登地方の大地震、2日には飛行機事故と 散々な年明けでした。
秦さまもご指摘のとおり、イスラエルによるパレスチナの人々に対する無法な暴挙・虐殺、ウクライナでの戦闘等々、海外からも悲惨なニュースが届くばかりですね。
人類は ホモサピエンスは、元々草食系の生物だったので、闘い方・戦争の仕方を正しく進化出来ないのかも知れません。
コンラート・ローレンツによれば、肉食生物は相手が「負け」の合図を出せば、その相手を決して傷つけも殺しもしないとか。たとえばライオンやオオカミなどが、そのようです。
それに対し、鳩など草食生物は、相手をなぶり殺しにするそうですね。
(コンラート・ローレンツには、その後幾つか批判もありますが、私は いまでも彼の学説の信者です。)
私たちホモサピエンスは、今は雑食なのですから、オオカミに学ぶ必要があると思います。
寒中とはいえ、今年は暖冬で 今日の仙台は最高気温11℃と3月並みの気温でした。
でも能登の被災者の皆さま、霙や雪のなか、灯油も電気もなく どんなに寒く辛く心細いことでしょう・・・。
余震も続いている様子、恐怖と不安でいっぱいでしょう。東日本大震災を経験した仙台の私たちには良くわかる気がします。
秦さま、ご体調ずいぶんムラがおありですね。
「湖の本」最終回の由、長い間本当にありがとうございました。
最終回の「その後」もありそうで、楽しみに致しております。
今年もご健筆を! 遠藤惠子

* この恵子さん、大昔 医学書院の後輩社員、私たちの社宅ではお茶を教えていた。私のあとについで退社後は、仙台で大学院の博士を追えて大学教授にも。政治向き社会活動にも力を致されている。 いつも、懐かしい人。
2024 1/10

○ 初メールありがとうございます。
やそはち兄上さま  新しい年が明けましたね。
迪っちゃんの手術もうまくいって、今年は穏やかな毎日を送られますようにと願っています。
でも明日(=今日)からはお二人で、最後の「湖の本」の発送作業をされるとか、どうぞご無理のないように、ゆっくり作業をしてくださいね。
38年間も頑張ってこられたのは すばらしいことです!
これからもっと自由に、ご自分の生活を楽しまれて下さい。
応援しています! いもうと 琉

* ありがとう。 琉っちゃんの繪も詩も より輝かしく表現されつづきますよう。 やそはち

○ 迎春  令和六年
秦さんの新春メールを頂けて嬉しいです
今年もよろしくお願い申し上げます
火の用心
ほんとに ホットしております
浅草の頃 近くで火事が出ると 親父に自転車の荷台に乗せられて現場に行き「よく見ておくんだ」と言われました 消し止められたあとでもものすごい臭いがしました

「秦恒平 湖の本」38年分 全部 本棚に揃っております 全部もう一度読めるといいなと考えてます 最初の方の20冊位は「まだあるかなあ」と考えてお願いできた記憶があります 全部 また読める人は「そうはいねぇだろう」などと思っています

戦時疎開
あの頃の 秦さんのお話をもっと伺いたいです
「あの母、あの疎開のころが生涯で一になつかしい、良かった
と 九十六までの長い生涯に私によく洩らした」
何をおっしゃっておられたのでしょうか
私のおふくろは「進駐軍に帯を売ってきた」などと言ってたことがありました
あの頃の 2〜3年 場所 で「経験がまるで違う」のでほんとにはひとに話しても通じないとおもいます(話したこともありません)
国民学校3年時に4年になったら 学童集団疎開が 東北の方に決まった際 父が「そこへこいつをやったら死んじゃう」と言って 縁故疎開の方法をとり 母兄妹で暖かい湯河原(農家地帯)へ行かせてくれました
すっかり田舎っ平になりました

秦さん  コロナ・インフルエンザまだまだです(老人ホームは今だに」です)
ほんとに 人のことなどいえませんが お怪我のないように 火の用心 どうかくれぐれもお気をつけください
本年もよろしくお願い申し上げます  e-old 勝田拝

* 勝田さんが、一、弍歳の兄さん。顔が合い,敗戦前後の「往時」を語り合えば、何昼夜もとぎれまいなあ。どうか、お元気で。**

○ 新年早々のメール 有難う存じます
御文中「創刊38年を経て 第166巻に及んだ『湖の本』を終結させる」との由拝見 小生はその「終刊を惜しむに増し」て 「166巻に到つた継続に奇跡を感じ」ざるを得ませんでした
毎々頂戴する度に そこに籠められた努力の尊さと文藝への熱情に頭を垂れてゐたのです
今は思ふ様 解放感を味つて下さい と申上げても既に新しい道を見つけてをられるでせうが
何よりも奥様共々 健康に御留意下さることを念じをる次第です  寺田生  前・文藝春秋専務 作家・思想家

* 太宰治文学賞このかた、一貫して交際、掛け替えない友誼を保ってこれた嬉しさを、いま,しみじみ味わう。
有難う御座います。ご健筆、ご健勝を心より願います。

* さ、もうほどもなく、『湖の本 166』が出来てくる。

* 九時十五分、予期通り『秦恒平 湖の本』第166最終巻『蛇行 或る左道變 老蚕作繭』が出来て 玄関に山と積まれた。
太宰賞作家・秦恒平・私史の一つの大事なけじめである。
これから、ゆっくり手を掛けて妻と最終の発送に日にちを掛けるつもり。何を急ぐことも無い。

◎ 『秦恒平・湖(うみ)の本』全166巻
「結び」の あとがき

一九八六年 桜桃忌に「創刊」、此の、明治以降の日本文学・文藝の世界に、希有、各巻すべて世上の単行図書に相当量での『秦恒平・湖(うみ)の本』全・百六十六巻」を、二〇二三年十二月二十一日、滿八十八歳「米寿」の日を期しての「最終刊」とする。本は書き続けられるが、もう読者千数百のみなさんへ「発送」の労力が、若い誰一人の手も借りない、同歳,漸く病みがちの老夫婦には「足りなく」なった。自然な成行きと謂える。
秦は、加えて、今巻末にも一覧の、吾ながら美しく創った『秦恒平選集 全三十三巻』の各大冊仕上がっていて読者のみなさんに喜んでいただいた。想えば、私は弱年時の自覚とうらはらに、まこと「多作の作家」であったようだが、添削と推敲の手を緩めて投げ出した一作もないと思い、,恥じていない。

みな「終わった」のではない。「もういいかい」と、先だち逝きし天上の故舊らの「もういいかい」の誘いには、遠慮がち小声にも「まあだだよ」といつも返辞はしているが。 過ぎし今夏、或る,熟睡の夜であった、深夜、寝室のドアを少し曳きあけ男とも女とも知れぬソレは柔らかな声で「コーヘイさん」と二た声も呼んだ呼ばれた気がして目覚めた。そのまま何事もなかったが、「コーヘイさん」という小声は静かに優しく、いかにも「誘い呼ぶ」と聞こえた。
誰と、まるで判らない、が、とうに,還暦前にも浮世の縁の薄いまま、「,此の世で只二人、実父と生母とを倶にした兄と弟」でありながら、五十過ぎ「自死」し果てた実兄「北澤恒彦」なのか。それとも、私を「コーヘイさん」と新制中学いらい独り呼び慣れてくれたまま,三十になる成らず、海外の暮らしで「自死」を遂げたという「田中勉」君からはいつもこう呼んでいたあの「ツトムさん」であったのか。
ああ否や、あの柔らかな声音は、私、中学二年生以来の吾が生涯に、最も慕わしく最高最唖の「眞の身内」と慕ってやまなかった、一年上級の「姉さん・梶川芳江」の、やはりもう先立ち逝ってしまってた人の「もういいの」のと天の呼び聲であったのやも。
応える「まあだだよ」も、もう本当に永くはないでしょう、眞に私を此の世に呼び止められるのは、最愛の「妻」が独りだけ。元気にいておくれ。
求婚・婚約しての一等最初の「きみ」の私への贈りものは、同じ母校同志社の目の前、あの静謐宏壮な京都御苑の白紗を踏みながらの、「先に逝かして上げる」であった。心底、感謝した。、いらい七十余年の「今」さらに、しみじみと感謝を深めている。

私の「文學・文藝」の謂わば成育の歴史だが。私は夫妻として同居のはずの「実父母の存在をハナから喪失していて、生まれながら何軒かを廻り持ちに生育され、経路など識るよし無いまま、あげく、実父かた祖父が「京都府視学」の任にあった手づるの「さきっちょ」から、何の縁もゆかりも無かった「秦長治郎・たか」夫妻の「もらい子」として、京都市東山区、浄土宗總本山知恩院の「新門前通り・中之町」に、昭和十年台前半にはまだハイカラな「ハタラジオ店」の「独りっ子」に成ったのだが、この「秦家」という一家は、「作家・秦恒平」の誕生をまるで保証していたほど「栄養価豊かな藝術文藝土壌」であった。
私は生来の「機械バカ」で、養父・長治郎の稼業「ラジオ・電器」技術とは相容れなかったが、他方此の父は京観世の舞台に「地謡」で出演を命じられるほど実に日ごろも美しく謳って、幼少來の私を感嘆させたが、,加えて、父が所持・所蔵した三百冊に及ぶ「謡本」世界や表現は、当然至極にも甚大に文学少年「恒平」を啓発した、が、それにも予備の下地があった。
長治郎の妹、ついに結婚しなかった叔母「つる」は、幼少私に添い寝し寝かしてくれた昔に、「和歌」は五・七・五・七・七音の上下句、「俳句」は五・七・五音などと知恵を付けてくれ、家に在ったいわゆる『小倉百人一首』の、雅に自在な風貌と衣裳で描かれた男女像色彩歌留多は、正月と限らない年百年中、独り遊びの私の友人達に成った。祖父鶴吉の蔵書『百人一首一夕話』もあり、和歌と人とはみな覚えて逸話等々を早くから愛読していた。
叔母つるからの感化は、さらに大きかった。叔母は夙に御幸遠州流生け花の幹部級師匠(華名・玉月)であり、また裏千家茶道師範教授(茶名・宗陽)であり、それぞれに数十人の弟子を抱え「會」を率いていた。稽古日には「きれいなお姉ちゃん・おばちゃん」がひっきり無し、私は中でも茶の湯を学びに学び叔母の代稽古が出来るまでにって中学高校では茶道部を創設指導し、、高校卒業時には裏千家茶名「宗遠・教授」を許されていた。
私は、此の環境で何よりも何よりも「日本文化」は「女文化」と見極めながら「歴史」に没入、また山紫水明の「京都」の懐に深く抱き抱えられた。大学では「美学藝術學」を専攻した。
だが、これでは、まだまだ大きな「秦家の恩恵」を云い洩らしている。若い頃、南座など劇場や演藝場へ餅、かき餅、煎餅などを卸していたという祖父・秦鶴吉の、まるまる、悉く、あたかも「私・恒平」の爲に遺されたかと錯覚してしまう「大事典・大辞典・字統・仏教語事典、漢和辞典、老子・莊子・孟子・韓非子、詩経・十八史略、史記列伝等々、さらに大小の唐詩選、白楽天詩集、古文眞寶等々の「蔵書」、まだ在る、「源氏物語」季吟の大注釈、筺収め四十数冊の水戸版『参考源平盛衰記やまた『神皇正統記』『通俗日本外史』『歌舞伎概論』また山縣有朋歌集や成島柳北らの視し詞華集等々また、浩瀚に行き届いた名著『明治維新』など、他にも当時当世風の『日曜百科寶典』『日本汽車旅行』等々挙げてキリがないが、これら祖父・秦鶴吉遺藏書たちの全部が、此の「ハタラジオ店のもらひ子・私・秦恒平」をどんなに涵養してくれたかは、もう、云うまでも無い。そして先ずそれらの中の、文庫本ほどの大きさ、袖に入れ愛玩愛読の袖珍本『選註 白楽天詩集』の中から敗戦後の四年生少年・私は、就中(なかんづく)巻末近い中のいわば「反戦厭戰」の七言古詩『新豊折臂翁』につよくつよく惹かれて、それが、のちのち「作家・秦恒平」のまさしき「処女作」小説『或る折臂翁』と結晶したのだった、「湖の本 164」に久々に再掲し、嬉しい好評を得ていたのが、記憶に新しい。
さて、向後の「湖の本」をどう別途継続展開するかは一思案だが、勉めて読者の皆さんとのお付合いを、善い工夫で持続したい。
ともあれ三十八年ものご支援に感謝申上げます。 秦 恒平

* 諸般の用意遅れで、在来予定の「謹呈者(事実は、しばらく以前から、全送付先に「呈上」してきたが。)」へは送り出せたが、「読者」「高校」「大學」への送付がアトへ続かねばならない。ともあれ、一月下旬は一切に片付くよう、残さぬようにと願っている。
とにもかくも、「最終送付本」は予定通り全巻出来て届いていて、慌てずに送り出せば、それで「38年」続けて来た『秦恒平 湖の本』事業の、一切が、済む。

* 読者と寄贈先とへ「湖の本」最終第166巻を送り終えた、なお「高校・大學等」への寄贈草本が済めば、それらを以て、38年の『秦恒平・湖の本時代』が「収束」される。『作家・秦恒平』の時代はまだ途絶えない。

* 明日は、寝室等の設えをすこしく模様替えする。

○ 秦先生
メール嬉しく拝受いたしました。ありがとうございます。
大変な年明けとなりましたが、先生、奥様恙なく新年をお迎えのご様子、お慶び申し上げます。
「湖の本」166巻で終結とのこと。さみしさは当然ですが、38年という長きにわたり刊行を継続なされたことに、畏敬の想いを禁じることができません。
「文章の音感、音鎖を意識していたし、今も大切にソレを感じている。
句読点のはたらきをとても大事に意識している。」
秦先生のお作に接し、真っ先に感じたこともそのことでした。
そうか、ここで読点を打つとこのように変わるのか、と幾度息をのんだかしれません。
「文楽(ぶんがく)」と仰る、まさにその通りの作品世界に浸かることは、この先も変わらず私の幸せで大切な時間でございます。
寒さ厳しい折、風邪など召されぬよう、どうぞ、佳い日々をお過ごしくださいませ。   I・YAMAN

* 感謝申します。 秦生
2024 1/11

* 『秦恒平 湖の本』終刊・終結の『第166巻 蛇行(だこう)或る左道變  老蠶作繭』を、無事、全国の寄贈者、読者に宛て発送し終え、余すは「全国高校・大學等の施設」へ送り届けて、まさしく「大団円」となる。
「創刊から38,年」の感慨は、いずれいろいろに胸に湧くだろう。
こういう「,独り」の作家、その個人の「創作と本と」が、きちっと纏まった編成編てき輯により、多年文壇や学校や識者・読者に「寄贈・送達」されてた事例は、明治以降の日本の文界に無く、世界にも知らない。

* 相応の資財が有ったのだろうと想う人も居る。どっこい、わたくに歯丁度100冊ほどの単行著書が有るが世に謂う私は居たって「ベストセラー作家」ではない。資産家に育ったのだろうとも。とんでもない、私を人手から「もらひ子」した秦の父は小さな「ラジオ屋」,祖父は小さな「餅屋」、嫁がなかった叔母は終生「お茶・お花」の先生をしていた。私は大学で奨学金を貰い、すべて返却し、就職した初任給、最初三ヶ月の支給は12000円の8割、新婚の妻は無職で家をまもっていた。私の財布には、会社の援助で昼食の白飯一碗と味噌汁とが買える「15円」しか入ってなかった。
しかし、年に二回のボーナスに私たちは一銭の手も付けず無条件に「貯蓄」した。これが、徐々に利いてきた。とにかく茂繪に描いたようなスカンピンの新婚夫婦として何年もを平然とすごしていた。貯金以外に先途は無い、が、必ずそれが利いてくると確信していた。事実、そうなっていった。
作家になっても、出版社に泣きつくような真似はしなかった。それよりも、かのになれば自分の手と資金とで堂堂と「出版」すればいい。幸いに私出版社の編集製作で15年半鍛えられた管理職の一員にも成り、『編輯・製作』本づくりの巨細まで学習していた。いま一例が,誰もの感嘆してほめてくれる大冊『秦恒平選集』33巻は、まさしく私の謂わば「手づくり」全集、むろん166巻もの『秦恒平・湖の本』も皆、然り。

* もう早や一年の「卆寿」へ、人生の、ゆるやかな収束へと、私は、妻と共にゆっくり歩いて行く。

○ 秦先生
メール嬉しく拝受いたしました。ありがとうございます。
大変な年明けとなりましたが、先生、奥様恙なく新年をお迎えのご様子、お慶び申し上げます。
「湖の本」166巻で「終結」とのこと。さみしさは当然ですが、38年という長きにわたり刊行を持続・継続なされたことに、畏敬の想いを禁じることができません。

「文章の音感、音鎖を意識していたし、今も大切にソレを感じている。句読点のはたらきをとても大事に意識している。」

秦先生のお作に接し、真っ先に感じたこともそのことでした。
そうか、ここで読点を打つとこのように変わるのか、と幾度息をのんだかしれません。
「文楽(ぶんがく)」と仰る、まさにその通りの作品世界に浸かることは、この先も変わらず私の幸せで大切な時間でございます。

寒さ厳しい折、風邪など召されぬよう、どうぞ、佳い日々をお過ごしくださいませ。  I・YAMAN
2024 1/12

* 尾張の鳶 新年の初聲を聞かせ呉れる。

○ 新年  良い年でありますように
メール嬉しく
慌しい毎日を過ごしています。7日にシンガポールから娘達が来て、再度おせちを準備したり。毎日皆の食事の支度や日本語を教えることに翻弄されています。悪戯坊主3人相手です。
市川雷蔵の源氏物語をNHKのテレビで、そして新たに始まった紫式部のドラマも..原作を念頭に思うと、考えさせられたりします。
スマホからの短いメールでごめんなさい。
くれぐれもお身体大切に、大切に。  尾張の鳶
2024 1/15

* 賀状四通一通は事務。残る三通、能美の井口哲郎さんも含み。みな妻宛て。「迪子様」存在感増して、わたくしはラクに成っている。けっこう。
2024 1/15

○ 秦恒平様  野路です。
『湖の本166』終刊を、ありがとうございました。
長い間 お疲れさまでした。

* 永らくお付き合い下さり、感謝します。
2024 1/15

○ 市川の歌を有難うございます。
市川へ、7日に戻ってまいりました。少し厄介な校正を終わらせたところです。お正月明けにバタバタしたせいか、右頬がぷっくりするほどに歯茎が腫れてしまい、鎮痛剤とアイスノンのお世話になってました。
少し軽快してきた今日は、北風の強い中、市内にある東山魁夷記念館に行き、絵を眺め、珈琲を飲み、『京洛四季』を買って来たところです。明日の授業では、東山魁夷の描いた絵を見て川端が書いた掌の小説「地」を取り上げますので、学生にも記念館の話などしてみようと思っています。
「湖の本」最終巻の発刊ご準備は順調でしょうか。
寒さもひとしお厳しくなってまいります。
くれぐれもお体をお大切になさってください。 市川 晴美

*些かの残務はあろうと、本日『秦 恒平 湖(うみ)の本』全166巻、1986年に「創刊」。38年間の「送付」作業を終えた。完結とは謂わない「集結」。私には大きな「一時代」を越えたと、感慨は、それまで。要は、作家として私の当然の「仕事」であった。この仕事が済んでも、当たり前に「次ぎ」がある。用意もある。

○ 38年を経て、「湖の本166 集結巻」の巻頭『蛇行~或る左道變』は<秦ワールド>全開ですね。『みごもりの湖』の変奏のような 歴史好きの主人公のしつこさがそれこそ蛇のようでした。言葉と体が分断された歴史にあって 秦さんの中で合体された新たな歴史が 感情備えて現代恋愛小説に照和されていく過程は とてもエロティックでした。
水戸版『参考源平盛衰記』の現代語訳は是非やって欲しいです。七五調のリズミカルな現代文が読みたいです。
説明文だらけの意味のある読み言葉より、詠みあげて心に響く文章が欲しいです。 野路

* 有難いご批評です。感謝申し上げます。秦生

○ 寒中のお見舞を申し上げます。
「湖の本」終刊のお知らせまことに淋しく存じますが,一、二年来の先生のお体のお辛そうな御様子を推察いたしますと,已むを得ず むしろ大きなお仕事を成し遂げられた先生に心からお祝いを申しあげげたく存じます。長い年月 御本を読む樂しさ喜びをお届け下さいまして まことにまことに有難うございました。
新しい年が先生と奥様にとりお健やかで穏やかなよい日々でありますように お祈り申しあげます。
一月十五日       松井由紀子
2024 1/17

○ あけましておめでとうございます。
能登半島地震で心の痛む日々ですが、先生、お元気で、良いお年をお迎えの琴と存じ上げます。
昨日、『湖の本』一六六巻を、ご恵投いただきまして、厚く御礼申し上げます。 この巻をもちまして、『湖の本』を「終結」されるとのことを存じ上げました。毎巻 ご恵投下さいまして、心より感謝申し上げ、厚く御礼申し上げます。
毎巻,先生のエネルギッシュなお仕事ぶりに簡単いたしておりました。私は間もなく七九歳になりますが、研究は遅々として進まず、反省ばかりの日々でございます。先生の前向きな素晴らしい生き方少しでも見習って,やり残した仕事を纏めたく存じております。先生には、くれぐれも御身ご自愛のうえ、いっそうお元気で豊かな日々をお過ごし下さいますようお祈り申し上げます。   敬具
秦 恒平先生
一月十六日      岩淵 宏子 名誉教授
2024 1/17 1/17 日付重複

○ あけましておめでとうございます。
能登半島地震で心の痛む日々ですが、先生、お元気で、良いお年をお迎えの琴と存じ上げます。
昨日、『湖の本』一六六巻を、ご恵投いただきまして、厚く御礼申し上げます。 この巻をもちまして、『湖の本』を「終結」されるとのことを存じ上げました。毎巻 ご恵投下さいまして、心より感謝申し上げ、厚く御礼申し上げます。
毎巻,先生のエネルギッシュなお仕事ぶりに簡単いたしておりました。私は間もなく七九歳になりますが、研究は遅々として進まず、反省ばかりの日々でございます。先生の前向きな素晴らしい生き方少しでも見習って,やり残した仕事を纏めたく存じております。先生には、くれぐれも御身ご自愛のうえ、いっそうお元気で豊かな日々をお過ごし下さいますようお祈り申し上げます。   敬具
秦 恒平先生
一月十六日      岩淵 宏子 名誉教授
2024 1/17 1/17 日付重複

○  最終の『湖の本』思い深く受け取りました。これまでの秦文学を凝縮したかのような作品かと思います。好きです。漸く70ページまで辿り着きました。
還来さん、藤原旅子、産子、井上皇后などなど。西院に行ったことなど思い出します。
それにしても蛇は鴉の心中にあまりに深い意味を蔵しています…。
短かなメールですみません。孫二人、娘一人、順番に風邪で寝込んでいるのです。
どうぞ寒さ厳しい折り、風邪引かぬよう、お身体大事になさってください。 尾張の鳶 冨子

* 尾張の鳶よ。永く長く応援して下さり。有難う。心より感謝していますよ。 東都の鴉

○ 本166目出度く刊行なされ、おめでとうございます[祝]
秦様のご執筆も、さる事ながら、ずーっと支えてこられた迪子様にもおめでとう [くす玉]
お疲れ様でございます。
166冊ものご本の執筆、出版送本〓偉大さに、ただただ頭が下がります。 (=此の166冊は「湖の本」という形を借り手のしゅっぱん。余に謂う「単行本」は00冊余、行簡本の『秦恒平選集』然33巻が別に在ります。)
今回新作での、能舞台、弱法師との活字が眩しく、嬉しく、しっかりと読み込ませて頂きたいと。ワクワクしながら、先ずは、御本を頂きましたお礼と、お疲れをねぎらいたいと。迪子さん。どうぞ秦様にも感謝をお伝えくださいますように。

まだまだ、新作をご執筆なさる事と楽しみにしています。
くれぐれもご夫妻共にお身体お大切にお過ごしくださいますよ うに。
お目もじの機会ある事をも願っています。練馬 持田晴美

* 迪子と一緒に尼崎に「モッチャン尋ねたのは迪子が四年生、渡しが韻一年のときでした、なんという久しいことでしょう。その間に、いつしかに助言を入れて下さり謡曲と仕舞との世界に学ばれてじつに立派にせいちょうされました。わたくしは、それを何より余廬混で今も応援しています。おきばりやっしゃ。

○ お元気ですか、みづうみ。
湖の本166巻、最終巻『蛇行 或る左道變』頂戴いたしました。ありがとうございます。
そして、米寿を迎えて「湖の本」出版の「ご卒業」おめでとうございます。誰にもできない文業、偉業のご達成を 心よりお慶び申し上げます。素晴らしいフィナーレ、貴重なお仕事の完結に深い感銘をおぼえています。
最終巻になりましたが、読者にとっては、「これからが始まり」です。生ある限り傍らに置いて、いつでも手に取って読み続けていきます。読んでも読んでも読み尽くせない作品の数々です。私の人生に「湖の本」が共にありましたことに深く深く感謝し、読者の一人でれたことを誇りに思います。ほんとうにしあわせです。
大きなお仕事を終えられ、さらに次のステージが待っています。みづうみの「創作を含む書き仕事」はさらにさらに豊饒な実りとなっていくことでしょう。「まあだだよ」と、どうか永く書き続けてくださいますように。しぶとくお元気に、まずは卒寿、白寿めざしてください。 春は、あけぼの

* 心身の健康を心がけます。感謝

○ 秦先生、こんにちは。
湖の本、そして直筆のお手紙をありがとうございました。
とてもびっくりし、またじんわりと嬉しさが込み上げました。
読ませていただき、「最後の」とありましたので淋しく思いましたが、長い間おつかれ様でした。
能登半島での大きな地震がありました。
こちらは無事で変わり無く過ごさせて頂いております。
犠牲となった方々への慰霊を胸に、今日も生かされていることに感謝です。
大寒の候、お身体ご自愛くださいませ。 金澤 戸水小夜子

* 兎にも角にも 疲労困憊、顔を伏せて生きている。s
2024 1/18

○ あけましておめでとうございます。
今年こそは,少しは良い年になるよう祈らざるをえません。
さて、此の度は「湖の本 166」を堪りましてありがとうございました。八十八歳の「米壽」を期して、この巻で「最終刊」とするとのこと。とううとうその日が来てしまったのかという淋しさと、四十年近くも続けてくださっていたということへの深い深い感謝の念が交錯し、何とも感慨深い思いで一杯です。本当に本当にありがとうごさいました。いついつまでも大切にし、心に沁みるお作を読み返していいきたいと思っております。
先生には、どうぞいついつまでもお元気でいらっしゃいますよう、お祈り申し上げております。
ありがとうございました。不一 一月十七日
都 国立市北   安井 恭一

* 心より感謝申し上げます。 秦 恒平

○ 謹んで申し上げます。「湖の本166」をありがとうございます。「あとがき」を拝読し、さみしい記もいたしましたが、まだまだ秦様の作品や御言葉が心奥に残っており,それらを心して読ませて戴き味わい続けさせて戴きます.本当に勉強になります。老いても必要と判っております、深謝。
岩佐 なを拝 造形作家
* 御礼申し上げます。 秦 恒平

○ 拝啓 (前略)
扨て このたびは「湖の本 166」ご恵投ありがたく、また 同時に大きなショックを承けました。
「湖の本」を千何百人もの読者へ送り出する労力が,秦様ご夫妻(=二人とも八十八歳)の手に余るようになつたという事情、重々拝察いたしておりますが、市役所のシルバーセンターのパートの手を借りてでも何とか続けられないものでしょうか。その費用は読者一人あたり「十円(=千円?)」くらいの負担ということにすれば,何とか継続していただけるのではないかと愚考しております。
とにかく老後の大きな愉しみの一つであった「湖の本」がきえてしまうこと、何とも残念でなりません。いつかはこの日が来ることは予期しておりましたが、その日が今目前にやってくるとはまったく思っておりませんでした。
秦様の精力的なご活動は,老いつつある私にとって大きな力であり見事なお手本でありました。残念至極という以外,言葉がありません。
再刊を心から祈っております。これに付け加えるべき言葉が私にはありません。  敬具
令和六年一月十七日   鋼一 作家 歌人 編集者
秦 恒平先生 玉案下

* 感謝に堪えません,有難う存じます。可能な思案の生まれることも私自身期待しましょう。「筆を止める」気は毛頭有りません。久しいご厚意に心から御礼申します。秦生

○ 拝啓
いつも「湖の本」をお送り下さりありがとうございます。
あとがきで 米壽を期して最終巻と知り、申し訳なく、またありがたく、お礼の筆を執りました。
最近の出版事情や文學の途方に暮れる毎日を送っておりましたが、いつも、「湖の本」の秦さんの意気とご清励ぶりに身のひき締る思いで尊敬と慰藉される念を覚えておりました。
気がつけば 私も古稀に成りになりました。老け込むことを潔しとせずに,もう少し頑張ってみます。
「湖の本」 おつかれ様です。有難うございました。敬具
久間十義  (芥川賞作家)

* 瀧井孝作、井上靖、辻邦生ほどむかしの先達以外に、同業の方を私はほとんどぞんじあげず、面談の折りも得ないが、久間さんとは、ペンか協会での会議で同席し、あと別れ際まで話しながら 歩いた懐かしい記憶がある。まだ,如何にもお若い好いお人柄を感じた。お元気に お気張り下さい。

○ 湖の本 166巻をお送りいただきありがとうございます。まだまだ続いていくものと思っておりましたが「最終刊」と知り、寂しい気もちですが。 今まで 本当にお疲れ様でございます。 実は 毎回 先生に何を送らせていただくか 悩みながらも いろいろ考えるのも楽しみでした。 私は1960年生まれで 失礼ながら勝手に できの悪いむすめのような気もちになって選んでいます 今回は 前に 実に美味しいと言っていただいた 日本酒『寒山水』の一升瓶を鞍手いただきます。奥様と 一区切りの お疲れ様の 乾杯になれば幸いです。でも 奥様のためにも 私たちのためにも 「まだ まだ まあだだよ」の返辞は なにとぞお願い致します
埼玉県所沢市  藤森佐貴子  (お父上は,故)

* 嬉しく,懐かしく,御状頂戴しました。

○ 私も米壽を迎えましたが ご本はいつも座右に置き 励みにして参ります。長らく まことに永らく ありがとうございました。  大阪府松原市  岸田準二

* まことに久しく久しく有難うございました。お付き合いがこれで絶えるわけではなく。いつまでも。

○ 秦恒平先生 あけましておめでとうございます。
『湖(うみ)の本』を拝受し、「帰去来」を告げる裏表紙の刻印に粛然としました。
日本ペンクラブの理事会で謦咳に接し、鎧袖一触の舌鋒に聞く者の心胆を寒からしめ、また『湖(うみ)の本』ご恵送の栄に浴して第百六十六巻に至ったこと、人との出会いのありがたさ、美濃市早稲を感じております。
この38年で166巻、毎年季節の変わり目よりも頻繁に届いた雅音、慣れ親しんだ表紙の美女の貴賓ある陶質の肌、「謹呈」印を押された厚紙の封筒、……これ此が書棚の一角をふさぎ続けてきました。
今年は新年早々、能登半島の海鳴りに胸塞ぐ日々が続く中、親しい人の肉声を聞く機会もろっきりへってしまいました。阿刀田さんとはたまに会って酒を酌み交わしますが、その都度話題になるのが秦先生のご健筆ぶりでした。再びご鳳声に接する日をお待ちします。
この度は拙訳『主演女優』(現代中国文学)にお目を止めて戴き、過分のお言葉をかけていただきましたこと、こころから御礼お礼申し上げます。
聞くたびにめづらしければ郭公(ほととぎす)
いつも初音のここちこそすれ   (金葉集)
ありがとうございました。
菱沼彬晁  日本ペンクラブ理事

* 恐れ入ります。益々のご健筆をと願いつつ。

○ 泰 恒平先生 寒中 お見舞い申しあげます。<湖の本166> ありがたく読ませていただきます。
北九州市 後藤みな子
* こま方 作家かと思ってたが、誤認か。
2024 1/19

* 五時半になっている、此の久しく馴染んだ機械(パソコン)も、東工大の卒業生等には完全な「古物」で今々では「役立たず」の「故障同然」なんだとか。で、鷲津君の深切な「持参の新機」が接続されて,そっちへ此の「舊機内容」は移転しているらしいのに、私は其の「新機」が使いこなせないままもう半年にも為るか。情けなく、いま、今今の舊機無い卯をなんとか新機へうつせないかなあと自信の無い操作に払暁からジタバタしていて、前途に何も見えてない。これが、生来「機会バカ」な私の「愚像」であるよ。
2024 1/20

○ 『湖の本 百六十六巻 蛇行 或る左道變』ご恵送賜り、慎にありがとうございました。「最終の一巻」とあり 驚きました。というりは、ここまでの百六十六巻という質量にきょうたんしていたのですが、何事も終わりは来るのだと、かみしめる思いです。
これまでの長い間、本当にありがとうございました。あらためて御礼申し上げます。近刊の拙著一冊(『熊谷直実』ミネルヴァ書房)ご笑覧賜ることがあれば幸いです。
ご健康とごたこうをお祈り申し上げます。 敬具
二○二四年一月十七日
佐伯真一 青山学院大学名誉教授
秦恒平先生

* 恐れ入ります。深く感謝し、興味深い御著も喜んで拝読します。
2024 1/20

* まだ暗い六時すぎ。雨の音か。床を起つまえ、最新のやや長い自作し『蛇行(だこう) 或る左道變』を拾い読みした。「湖の本」最終166の巻頭にこれが置けたのを少しく自負している。読み返させてくれる一種の「気負ひ」で米壽の人生を結び終えたのを喜んで、さらに此の先へと気負い無く思わせてくれるのが有難い。

* 実は『秦恒平 湖の本』を嗣いで 岩波新書等の「新書版」で新作や私語を追おうかと思っていた、が、「本つくり」に精力を費やすよりも、「創る」「書く」にソレを用い、読者の皆様へは、とうせつのことではあり、パソコン内の「ホームページ」設営により電送する方が老境を労れるのではと。但し私には、以にかなり華やいで設営し得ていたような「ホームページ」を自作はできない。以前のは、東工大当時院の一年生であった学生君が、我が家まで来て呉れ,目の前でチャカチャカとすぐさま設計して呉れたのだった、前世紀の末であった。あの彼は、いまや大会社で重い地位にあるだろう。
誰か、今の東工大院生でパソコンの天才君を紹介してくれないかと夢見ている、が。  2024 1/21

* いま、払暁正五時。雑多な無縁メールは来ているが、一瞥、捨てている。

○ 御礼 秦先生
『湖の本 第166巻』をご恵贈賜りまことにありがとうございます。
この最終刊で「全166巻の完結」という偉業を達成されたことをこころよりお慶び申しあげます。
・第一巻『清経入水』は、私が広島で単身赴任をしていたときで、1986年6月27日にいただいております。
そして今、本棚に全166巻が燦然と並んでいるのは壮観です。
これからゆっくりとじっくりと、新ためて、各巻のページを繰って行きたいと考えております。

私は相変わらず蟄居を続けておりますが、これからも折に触れメールを送信させていただく所存です。
厳しい寒さが続きます。お体おいといくださいますようお祈り申しあげます。

p.s. 私の郷里栃木の銘酒「杉並木」をご送付いたしました。
私の高校、大学の先輩の酒造会社のお酒です。ご笑味いただけましたら幸いです。 篠崎仁

* 妻の歯科通いに江古田二丁目まで同行し,私はレスラン「ガスト」で『モンテクリスト伯』に読み耽って待ち、あと江古田駅近くへ戻って「中華家族」で昼食、メニュ宜しく美味かった。久々、久々に池袋へでたかったが、やめて、帰宅。
郵便での有難い好いお便りが何通も。だが苦闘の施設からも。書き写せる量で無く,順不同に記録だけを。

○ 天野敬子さん(講談社 求「群像」編集長等歴任)
横浜市の、蓑輪進一さん(手作りの美しい便箋に、十二単の美女も手描きで。。此の一月六日に、88歳。多年、学校の先生、マリンバ奏者でも。)京都鳴滝の川浪春香さん(いつも馥郁の香包みを添えて、しみじみと。「心ばかり」と一万円まで添えられて。感謝。)出田興生さん(元・平凡社「太陽」などの編集者で、長路の旅も何度か倶にした、親友でも。毎回一万円を応援して下さってきた。感謝。)俳優座女優の美苗さん。神戸の芝田進さん(神戸外大に社会人入学されて、三回生。英文学のゼミにも、の、e-OLD。) 聖教新聞社の原山祐一さん(いつも実に丁寧に作や文に身を寄せ読んで下さる。「最終刊」心の凝ります、と。)かつての内閣総理大臣菅直人さんからも。
大學や施設等から何通ものハガキも、たくさん。
2024 1/22

○ 恒平先生、ご本、お送りいただき有難うございました。
「九十爺さん(=クソ爺さん)」失礼いたしましたが、「九十九歳(=クソクサイ)」までは考えが及びませんでした。
落語の「四徳斎」や「雲谷斎」を想い出して、笑ってしまいました。

小学生の頃の夏に、私の住んでいた弁財天町(=有済小学区、秦の育った新門前通り仲之町からは、白川を距てて一筋北寄りの通り)と向かいの元吉町の小学生十数人が、

ユカタを着て五人くらいが横一列に並び、前に提灯を吊るした竹の棒を持って 大声で歌を歌いながら、八坂神社(=祇園会の本社)まで「歩く」という行事がありました。先生はご存じでしょうか?

歌は次のような二つの歌です。

サーノヤーノ、イトざくら。
盆にはどこも忙しや。
東のお茶屋の門口で、アカマエダレにシュスの帯。
ちょっと寄らんせ入りゃんせ。
キンチャクに銭がない、
のうてもだんない入り’ゃんせ。
オーシンキ、コーシンキ

ヨーイサッサ、ヨイッサッサ。
これから八丁、十八丁。
八丁目のコウグリは、コウグリにくいコウグリで。
頭ののてっぺんすりむいて。
一貫膏薬、二貫膏薬。
それで治らにゃ、一生の病ひじゃ。

七十年前だったので、間違っているかもしれません。

八坂神社の南鳥居のそばの「二軒茶屋」で、ラムネやジュ  ースを貰って帰りました。  京・桂  服部

* オーゥ!! なんと懐かしい!!
祇園会には もとは、鴨川での神輿洗いに四角、六角、八角の御神輿が練った。担ぎを担当の町内も伝統で定まっていたが、若竹若松が担ぐ四角いのが他より図抜けて「途方もなく重いお神輿」と聞いている、これは三条裏の若松町・若竹町の若い衆が担ぐと決まっていた。松と竹と、実に此処があの大会社「松竹」の出處である。有済小学校には松竹が寄贈の大きな楽器などいろいろなものが仕舞われていたのを生徒として見知っている。
神輿で謂うと、私が高校から大学への頃か、金ピカに美しい「子供神輿」が新しく創られ、子供達が担いで行列を練った、私は出張らなかったけれど。「御旅所」には古野子供神輿も美しく飾られる。

* 夏の燃えそうにド暑い、冬のド寒い底冷えが自慢のような京都では、祇園会の頃にはげしい夕立がするのも馴染みだった。御神輿の黄金色がひときわ耀いた。懐かしい。服部さんのおかげで、いろいろ想い出した。
2024 1/23

○ 秦 恒平 君
年が改まりました。
お変わりなくお過ごしのご様子、何よりです。
令和六年、初の「湖の本」、嬉しく、又恭しく、拝受致しました。楽しみに読ませて頂きます。
有り難う!、心から。
どうかお元気で。 半田 久 拝 (大學一年先輩)

* 読売新聞社 西田氏から、「取材」の申し入れがあった。

* 西東京在の 作家 秦恒平です  只今 夜11時近く 戴いていたメールを「初めて」拝見しました。終日 呑んでは寝る一日にしていました。呵々

老耄 よく事柄や順序をわきまえていませんが お目にかかるなり メールの応答で「事」をホグすなり、お任せします。
コロナ禍以降の四年、医者以外には敢えて「外出しない」日々でした。最寄りの繁華池袋へすら出ないで過ごしてきました。出てみたい欲求と、このところ内心揉み合っていますが,病臥しているワケではなく。私の、日々パソコンでの「私語の刻」その他は、満載され続いています。
現状のみお伝えしました。余は、適宜になさって下さい。                八十八翁 秦 恒平
2024 1/23

* 戴く手紙で、ハガキでのお便りが 胸を温める。
手を痛めて、手描きに変身しづらいのが.詫びしくも、申し訳なくも。メールの文字史いかにも情け薄く侘びしいが、かつがつお返事は書ける、が…。石川県能美市の久しい友、井口哲郎さんは、毀れてさし上げた400字「秦用箋」でお便りを下さる。能登大地震のお見舞いすら差上げていなかった、井口さんは「機械」ニガテなのだった。

○ 三日おきに,体に感じる手渡の微震が続いています。奥様にお見舞をいただきましたが 藏の漆喰がはがれたくらいでは「被害」とはいえません。能登は「こわれて」います。
『湖の本』166をいただきました。最終巻になったのですね。そこに艶のある力作「蛇行」が巻頭にあって衰えぬ筆力はさすが。私の知る秦恒平の作品です。の「あとがき」も一篇のエッセイと読みました。
居室にある巾一間六段の書架の大半は秦作品です。全集、単行本、「湖の本」をどう並べようかと考えていたところです。
昭和五十四年七月二十四日、(東京新宿の=)紀伊國屋でお会いして以来四十五年、頭と心の洗濯をしていただきました。ありがとうございました。これが「終り」ではないと思いますが、この間の奥様のお手助けはいかにと思いやっています。私の場合こうしてお手紙を書いている間にも、小用に立つ家内の(手助け)に、ペンを置かねばならないのです。私に秦作品をを與えてくれた裏に、奥様の大きな後押しがあったことに、心から敬意を表します。
ただ一つ、『四度の瀧』と「湖の本」に掲載された「自筆年譜」がおいつかなかったことが残念です。「単行本書誌」や「全著作年表」は後に充たしてくれる人があっても「自筆年譜」は本人ずっと続けて書き置いてください。いろんな思いを込めて「最終巻」を読み返させていただきます。
何もかもキリになさらないでください。秦恒平の気力,体力の続くことを願っています。
奥様もその後いかがでしょうか。ご養生をお祈りしています。
今日は金曜日です。この手紙を郵便局へ出しに行く五、六分間、家内がじっとしていてくれるか--など思っています。今日のおだやかな日のように。 お大事に。受け取まで、
一月十九日   井口哲郎  元・石川近代文学館館長
敬愛する 秦 恒平様

* 人の人から戴ける至極の貴信と再読拝読した。久しい畏友と奥様とのぜひにもご健勝をと、妻ともともどもお祈りしている。居室私の頭上には井口さんとのお知り合いも早々に頂戴した、みごとな彫りの「悠然南山を観る」淵明詩句の板額が掛けてある。対話せぬ日が無い。

○ 前略
「湖の本 166」を拝受し まずは表紙、そして見返しの鮮やかな朱の紙をめくったら「最終の一巻」という文字が目に飛びこんできて,暫し呆然、それから「あとがき」(最後の!
)を読み,本巻が,新創作がずっしりと掲載されている、本当に「湖の本」に相応しい大尾であることを 知りました。
淋しいけれど、お祝いを申しあげます。
いつかは終刊の日を迎えることがあるにしても、昨日今日とは思ってもいませんでした。とりわけ,私語の刻はいつまでも続くと読んでいました。やはり淋しいです。
新作を拝読してからお礼を申しあげるべきなのですが、まずはとり急ぎ、本巻のみならず,何一つお役に立てたことのない 当方にまでいただいたこれまでのご厚誼に,深く深く感謝申しあげます。
本当に 長い間 ありがとうございました。 草々
二○二四年 一月十八日   天野 敬子
講談社 元「群像」編集長等 歴任
* 天野さんの激励、どんなに心細い綱渡りのはげましになったことかと、感謝申しあげる。

○ コヘちゃん
あの姉(=故・大谷良子さん)は、何時も何時も(お茶・お花の=)お稽古から帰って来るとコヘーちゃんのノコとを話して居ました。 (池宮夫妻 筆者 大谷さんの妹=)一緒にお伊勢さんや 櫻を観に行ったりしましたね。
みんなで寄って喋ったり笑ったり 本当に楽しい思い出です、ね。  こちら(ロサンゼルメス)は 暖かい一月です。 ホントにホントに京都の冬は寒かった で゛も若かったので楽しかったし  お便り(=昨冬に書いて送った,小品『埋み火 京のの底冷えに」のこと。作中の「Y子さん」は池宮さん姉の大谷良子さん)何遍も読み返して  ギオンさんや初詣のさまなど懐かしく思い浮かびます。私も、ときどき京都の道を琉居ている夢を見ます。
でもあの(愛犬の=)チャアリーは インデヤナで寒いときに亡くなり、お墓も作りました。 弱虫で 雷がゴロゴロするとおびえてすみっこへかくれてゐました。そんなことがありました。私も 90差違を過ぎて でも元気なんです。友だちが100まで生きると言って呉れますが それはもう 一寸考へますね。
こんど(姉のY子さんの=)お墓参りをしたら恒平ちゃんののお手紙(=前掲の小品「京の底冷えに」のこと)を読み上げて来ます。
ホントにホントにお手紙ありがとうございました。
呉々も お二人様 お体お大事に
一月十日 (池宮)チヨ子より  カリフォルニヤ在

* 大谷・池宮姉妹(私よりは一ないし数歳年長)には 海外 アメリカの雰囲気があり、家族ぐるみで「コヘ」ちゃんを可愛がってくれた、いかにも日本・京都仕込みのところが気に入られていたか。

○ 敬復 湖の本百六十六巻をご恵贈 まことにありがとうございました。 四十年もの間の御活躍・御創作は、驚異的でございます。頂戴致しました各巻まいかい、茶の湯や尾能の世界の発見がございました。どれだけ感銘を受けたか知れません。とりわけ小説『蝶の皿』を拝見したときの布畏は忘れ得ぬものでございます
昔、ペンクラブ京都例会で奥様とお話したこともなつかしく想い出されます。
どうぞお身体お大切にお過ごし下さいませ。
心ばかり  かしこ
一月十七日   京 鳴滝  川浪春香 作家

* 謂うまでも無く、私、いわゆる『引退・隠退』作家になるのではない、ただ『秦恒平 湖の本』と謂う「発表の式」を終えただけ、また何を考えるか何も考えずに無鉄砲を撃ちまくるかは、これから先のこと、と。思えば何もかもこの勝手調子一つでやってきた。出版社や編集者に多くを頼まないままで「驚異的」といわれる多作を、毀誉褒貶の外で、好き勝手に送り出して来た。来れた。悔いるよりも、感謝して喜んでいる。

○ 湖の本 第166巻ご送本 ありがとうございます。是れで最後……次の言葉がなかなか出て参りません。
清經入水に始まり 秘色 三輪山 墨牡丹 慈子 月皓く 閨秀 みごもりの湖 罪はわが前に、猿の遠景 等々 長年読み親しんだ作品が目の前を過ぎります。
湖(うみ)の本で、長年に渡り貴重で豊かな読書体験をさせていただきました。改めて、ありがとうございました。
今は書架に並んでいる166冊の「湖(うみ)の本」觀、すごいなーと呟いています。
体調を崩しやすい季節です。お体に気をつけてお過ごしください.。  木村年孝  愛媛県今治市波方町 元・図書館長*
* 今治の春祭りを華やかに色どる「継獅子」の葉書に。久しい久しいお付き合い、一度は下保谷の我が家までもゴアイサツにお見え下さったのを忘れない。お元気で。
○ 湖の本の最終巻ありがとうございました       秦 恒平 様  大変ご無沙汰いたしております。この度は、湖の本の第166巻をお送り賜り、まことにありがとうございました。
本巻が最終刊とのこと、 長い間、御本をお届け下さり、まことにありがとうございました。
私にとっては、遠方の知人から無事を知らせてきてくれるお便りのようなものであると同時に、お前も仕事を続けなくてはいけないぞと、毎月叱咤される諫状のようなものでもありました。
本が到着する度に、目を通しながらしばらく心安まる時間を持つことが、もう出来なくなるのは残念ですが、今後は湖の本166巻と、秦恒平選集33巻の中から、任意にそういう時間を探していきたいと思います。
38年にわたる刊行は、まさに一大事業の貫徹といってもよく、馬琴の八犬伝の刊行が28年、宣長の古事記伝執筆が35年ですから、それらを越えていることになります。大事業のめでたい完結に対し、心からお慶びを申し上げる次第です。
今後もますますお元気で、筆硯の幸あらんことをお祈り申し上げます。 長島 弘明  東京大学名誉教授 秋成研究

* 東大五月祭に「講演」依頼にみえ、本郷通りの喫茶店で初対面のたしか院生だった長島さん、若々しい好青年だった、上田秋成についても話題に花咲いた。懐かしく忘れない、以来の年久しい厚誼、感慨無量も無量。

○ お見舞い有り難うございます。普段どうりにすごしております。有り難うございます。
勿論、毎日のように車にはのっております。ときどきは泳ぎもいたします。
人並みにクリニックにも 定期的にも 真面目に通っております。
いつでもお出かけ下さい。 下司 良子  茨城 那珂

* 残念ながら もう、どこへも独り旅は、ムリかなあ。さ、なに構うことなく、目は労りながらもラストの濫読期を謳歌するかなあ。ちっちゃいカメラも買って貰ったし、「眺める」楽しみも真新しく覚えたいナ。
どうしても勢い「追憶」姿勢になりやすかろう、好奇心で見ることも忘れたくない。よもやまの話し相手が居ないなあ。やはり「追憶」「想い出」になるかなあ。
2024 1/24

* 「湖の本」を終えたと「伝えた」以降の在りように予定も計画も無いことに やや うろたえてないとは謂えぬ。シャッキリ考えて迷いなく処して行きたい、が。

○ 「湖の本」最終巻有難うございます。
そして、このような形での、まさに前人未到のご編集・ご発刊・ご発送を、長きに亘り 本当にお疲れ様でした。
「最終巻の発刊ご準備は順調でしょうか。」とメールをお送りした翌日、まるで木魂するかのように手元に届きました。
二〇日締め切りの書評も、月末締め切りの論文もありましたが、「私語の刻」(私のメールも載せていただいておりましたね)を読み、来月に取っておこうと思っていた『蛇行』までも、熱海へ移動する日の未明に、とうとう読み通してしまいました。
随分前にお伺いしていた「花筐」の、そして蛇の物語。
恵美押勝など多少馴染みの人物もいましたが、系図を整理しながら(歴史的人物は全てが実在人物でしたでしょうか?)、近江の地図等も確かめながら再読したいと思いますが、今は、こうして「作家として書き始めた」のだと改めて聞かせて頂いた心持ちです。
最終巻のための新たな創作としてぴったりと思うと同時に、「湖の本」が本当に終りなのかなあと淋しくも感じています。
一六六巻の編集も終えられていた今年のお正月は、熱海のお酒もゆったりとお召し上がりになられたでしょうか。
今、熱海糸川は熱海桜の花盛りですが、今日の午後は山の方から雪雲がかかり、浜辺にも海にもさあっと雪が舞いました。
この冬一番の寒気が降りてきているようです。
大仕事を成し遂げられた後ですから、しっかり体を休めて下さい。
そしてまた、新たな創作や歌などが生まれましたら、是非読ませていただけたらとも願っています。
どうぞお元気で。 深澤晴美  国文学者 大学教授

* 今の 私の感懐に寄り添うようなメールを貰った心地。感謝。大勢の方々の親愛に励まされてきた「秦恒平 湖(うみ)の本」であったよとしみじみと首肯く。三十八年前に第一巻「清經入水」を刊行したとき、十巻もとうていムリと笑った人も居た編集者のなかには。いつしかに百六十六巻へ来ていた。その気なら二百巻も難儀で無かったが。心神とも相談しての.潮時と決意した。どんな形でも仕事は続けられる。

* 自身の現状を認識把握して仕事しなければ。それが、ラクでない。

* なにもかもよく判って把握しているというワケに行かない。それが当たり前と心得ながら勉めるべし。
2024 1/25

○ 拝復 「湖の本」166『蛇行 或る左道變』 をご恵送いただき、慎に有難うございました。書き下ろしの新作を樂しく読みました。積年の”蛇”のテーマを主軸に据え、能楽・・中世史、さらには森鷗外まで、幅広い分野が共鳴し、「みごもりの湖」まで登場する破格の小説に驚かされました。その外枠に”京都の私学”で出会った3人の男女の関係が配されるので、個人的にもいっそう引き入れられました。石の筺-小筺-蠱筺、蛇の遣われ方。私は學部生時代に学生組織の中世文学研究会に所属して、小門の里井陸郎先生のお世話になったので、つく忠の中井先生にその面影をかんじてしまいます。片山慶次郎さんは丹精な能楽師で、ファンでした。
今号が「最終の一巻」とされるとのこと、長い間、本当に本当に有難うございました。大部数の発送を奥様とおふたりだけでされていたとは知りませんでした。私は昨年3月に退職(=同志社大学文学部名誉教授)したばかりで、71歳。(=秦は88
歳)  「湖の本」とはおわかれですが、メールその他で、今後もおつきあいください。 草々 2024/01/19 田中 励儀

* ご縁の田中さんに、「湖の本」じだいを適切に締め括って戴けた。感謝感謝。

○ 拝復 湖の本166拝受致しました。有難うございます。
扉に「最終の一巻」とあり、感慨深くよみはじめております。八十八歳慎におめでとうございます。御草間とみーもどもお元気でお見事と申すほかございません。
『蛇行 或る左道變』は、何か先生方の大学時代の京文化の香りがふんだんに薫きしめられているようで、その味わいを感じながら心してゆっくり拝読しております。お心遣い、厚く御礼申し上げます。 紅書房主  菊池洋子 一月二十一日

* 「昨夏七十歳をむかえ」た浦安の島野雅子さんからも来信。このお若い方、何十年も昔、地下鉄銀座線のつり革に掴まっていた眼の下で、なんと、私の著書によみふけってられた。そういう「読者との出会い」はけうの此のいちどだけ。懐かしくも久しいお付き合いをねがってきたと感慨深い。

○ 冬の鴉に
鴉は草臥れて寝ていますとメールに。読書だけでは鴉の内奥の騒ぎは収まらないのだと気に懸かります。何かに向かっていたい、書くことに、自然体で書くことに向かってください。勿論疲れた時は思い切り怠惰に安楽になさってください。
寝てばかりいると脚力が衰えてしまいます。京都に帰れそうにないと書かれていた、分かったとしても、それは衝撃的な事です。
寒い日が続いています。一昨日は雪が積もり、今日もまだ冷たい風が吹いています。
先のメールで 家族に胃腸風邪やらコロナに罹ったことを書きましたが、漸く落ち着きました。鳶は、風邪もひかず元気です。怠け鳶を自任していますので。が、まだまだ用心ですね。
賑やかが良いことばかりとは限りません。家族の中での行き違いや葛藤もあります。或る距離を保つことも大切で、「三食作るのも一休み」と自分で納得しました。ガラにもなく豪快楽観的なゴッドマザーになって明るく過ごしています・・が。
イラン旅行の後、旅への衝動が不思議なほど消失しています。イランの旅はまだ未消化のままです。
ツアーのパンフレットは頻繁に配達されますが、ツアーではない旅をいつかしようと思うだけで 心は動きません。関心ある所を辿るには、そして自分の体力気力を考えれば、自ずと答えが出てくるでしょう。鴉のように「行かない」ということもあり得るのです。
鴉、実在を感じてください。
鳶は実在し、人を愛し生きています。
くれぐれも、くれぐれもお身体大切に、書いて生きてください。 尾張の鳶

* 鳶 ありがとう。

* 寒の極まるか。肌身が痛い。

○ 秦 兄 寒中お見舞い申し上げます
一昨日から昨日にかけて久しぶりに雪景色になりました。圓通寺の雪の中庭を写真
に、と思ったのですが家族から
転んだら大変やから止めて、とドクターストップがかかり諦めました。全く風情のない老いぼれになったものです。
それよりも能登半島の地震が心配です。10年前に輪島市の無形文化財の短詩型文芸「段駄羅」同好会の会員になり隔月の投句を愉しんでいますが 会長をはじめ役員や事務局など20名ほどの地元会員と連絡が取れず案じています。
一月十日〆切の自由句と しりとり句を昨年暮れに投句したのですが、肝心の事務局もそれどころではないてしょう。

ちなみに、二句は、しりとり句
大ゲンカ 一度(いちど)限(かぎ)りの / 意
(い)地(ぢ)とか義理(ぎり)の 渡世人(とせいにん)

自由句  お前だよ 唐(とう)変(へん)木(ぼく)は / 答
弁(とうべん)、僕(ぼく)は 無実です

そんなことで 昨年暮れから年初にかけて何かと不慮の出来事が重なり お礼のメールが遅くなり申し訳ありません。
気休めに音楽でも と手あたり次第に聴いていたら 懐かしい唱歌に出会いました。兄も歌ったことがあるでしょう。

この時代から 柑橘類はビタミンCの効用(もちろん当時は科学的効果は未知ですが)から「左近の桜 右近の橘」と重宝されて紫宸殿の前に植えられたのでしょう。
とにかくビタミンCの効用は絶大で副作用は食品ゆえ害はありま んから、どんどん飲んでください。
寒さはまだ当分続きます。どうか十分ご自愛の上、日々平穏にお過ごしください。 2024-1-26  京・洛北 森下辰男

* たくさんな懐かしい童謡が、土曜日の朝ごとに歌われると時に声を放って泣いてしまう、「もらひ子」幼少時の孤独な悲しみが今にも胸に生きのびている。

* 肉親や、家族からも、「命がけ」で逃げて廻る夢に魘される。孤立、孤独.お前にはソレしか無いのだよと夢に脅される。
* 寝入るつど魂も凍るようなコワイ、いや恐ろしい不快な夢に襲われる。已にして「生き地獄」がはじまっているのか。
2024 1/27

* 昨日 久しい四期十六年の京都市長を退いた門川大作さんの「深く敬意を表」して「今後ますますの」活躍を願うとの私信を戴いた。昨年三月に文化庁が京都似移転し「文化首都」たる重要性、必要性が「より一層高まって」いますと。京都市には「京都文學賞」も新設されているとあり、受賞の三冊ほどが送られても来た。1人の作者は1998年生まれと、仰天もし、成るほどナアとも肯いた。

○ 睦月も
はや終ろうとしています。
「湖の本」最終巻への反響も、各地から多数届いていることでしょう。
長年のお疲れ、少しは取れたでしょうか。
ぽかぽか陽気でしたので、伊豆山(土石流の後、だいぶ復興してきました)の先の高台のお店でお昼を食べて、海を見たり、畑の直売所でみかんを買ったりしながら、湯河原まで下り道を歩いてきました。
熱海での休日も終わって、明日から二月半ば過ぎ頃まで、また市川です。
(まだまだ、寒いのでしょうね。)
またいつか、ご一緒出来るといいですね。
ご体調も落ち着いてお天気もよろしい時に、お声がけください。
お風邪など召しませぬよう、どうぞお元気で。 快晴

* 熱海での休日などと 夢のような羨ましいおハナシ。
私は一度だけ、獨り思い立って「こたま」乗り、人気のない浜辺道をあるいたあと、駅へ戻って、駅前のちっちゃな肴屋さんの所帯じみた食堂に立ち寄った話しは、何度も書いている。あのとき、チマチマした定食などの案内が手もとにも壁にもあったが、瞬時、爆けたような感覚で、店の小母さんに、大きな伊勢海老を一尾そのままと、立派な鯛を、片側は焼いて、片側は刺身でと注文した。表構えは小さくとも生き生きした魚屋さんに見えていたので、なんとかしてくれようと、期待に違わなかった、私は「熱海」の粋を貪るように時間をたっぷり掛け、大きな伊勢海老と堂々の鯛とを満喫した、独りだから、若かったからできた乱暴な豪遊だった。
も一度行きたいなと夢見ながら果たさない。「新幹線」にのるまでがもうなんぎやからなあ。
2024 1/30

○ 睦月も感謝
秦さんへ はい 睦月 終えました ね
秦さんのメールを頂くと 何ともうれしいです
元気が出ます 何べんも読みます
戴いた元気でまた頑張ります
大変な月が 早くおさまってほしいです コロナはまだまだ 老人ホームでも増加傾向です
秦さん よろける つまずく ころぶ・・気をつけましょう くれぐれもお大事にされてください  千葉   勝田拝

* 勝田さんは一歳上の、保健醫ともいえるお醫者さん、私は勝田さんのコロナご注意には何時も服して、無役な外出も自戒している。

○ お便り有難うございます 明日からはもう二月ですね  一息ついていらつしやるだらうかと思ひながらも 「のんびり下手」との由 何事かをなさずにはゐられない性は 小生も同じです

寄殷協律

五歳優遊同過日 一朝消散似浮雲 琴詩酒伴皆抛我 雪月花時最憶君 幾度聴鶏歌白日 亦嘗騎馬詠紅裙 呉娘暮雨蕭蕭曲 自別江南更不聞

この白楽天の詩を 長く愛唱してきました 李白の「長嘯帰故園」 蕪村の「我帰る路いく筋ぞ春の艸」「遅き日のつもりて遠き昔かな」など 今も大阪に抱く懐旧の情でせうか
御壮健を祈ります   英生  前・文藝春秋専務

* 心親しい人の声、言葉を 文字ででも聴ける安らぎ、嬉しさは格別。

* 気ままと謂うより、うつし心ないままに時の流れに身をまかせていた。何か、した・読んだという覚えなく宵の七時半。
○  お元気ですか、みづうみ。
義母の葬儀がすみ、一昨日帰京しました。一般的に嫁姑は難しい人間関係の最たるものかもしれませんが、私にはもう一人の母親のようなひとでした。何度生まれ直しても足元にも及ばぬ叡智のひと、慈愛のひとでした。甘い物が大好きで棚いっぱいにスーパーの駄菓子が詰め込まれていて大笑いしたのを思い出します。九十六歳の天寿を全うしてくれましたし、順番を守ることも出来ましたので、避けがたい終わりだと納得していますがさびしくなりました。

みづうみからのメール嬉しく拝読しました。一月二十七日からの私語をお送りいただきありがとうございました。当然でございましょうが、「湖の本」を完結された後の虚脱と疲労が行間ににじみ出ています。ビタミンCならぬ、あけぼのからのビタミンI(愛)をお届けして、少しでもご快復いただけましたら幸いです。

>「人間(じんかん)険難多し」とは 如何にも奈何にも真相  であるなあ

優れた人ほど「険難」多しと痛感します。まして、みづうみ……。天才を抱えることは一種の天災のようなものかもしれません。
みづうみが以前、世の中「目明き千人」と仰っていましたけれど、頭が良すぎて先の読める「目明き」はどうしても少数派になります。世の中の大半は、私含めて「バカ」ですから、優れたひとほど孤独、孤愁が身に染みむわけで。それでも勇気ある少数派を生きる人間なしに世界は存続できないでしょう。

みづうみはご存知であったかもしれませんが、私はごく最近アメリカのノーマン・フィンケルシュタイン、ウォータールー大学教授の講演会動画を知りました。「ワニの涙」として有名なスピーチだそうです。その迫力たるや、あのフランクルを思い出させるものでした。フランクルは『夜と霧』の静かな文章とは違って、映像では燃える熱塊を感じさせるひとでしたが、一瞬彼がフランクルの再来のような印象を受けたのです。フランクルが存命であったら、現在のイスラエルのネタニヤフ政権のことを何と言っただろう、フィンケルシュタインのように訴えたのではないかと想像しました。
フィンケルシュタインに向かって、一人の聴衆が、あなたの言葉はナチスにより苦しんだ人に対する侮辱であり、あなたを尊敬しないと泣きながら抗議すると、「私はワニの涙は好きではないし、尊敬もしません」と即座に答えます。
騒然とした会場の中で、彼は、自分の両親はワルシャワゲットー蜂起の中にいて、父親はアウシュビッツ、母親はマイダネクに収容されたと述べ、ホロコーストを利用してイスラエルのパレスチナ人迫害を正当化する態度を非難します。
「両親が私と私の二人の兄妹に与えてくれた教えのお蔭で、イスラエルがパレスチナ人に対して犯罪を行なうとき、私は黙っていないのです」「私は決して涙によって脅されたり黙らされたりすることはありません」「あなたに心があるなら、過去のためでなくパレスチナ人のために泣いたはずです。」
大ブーイングと賛同の声の入れ乱れる中で、このように言い放つ蛮勇とも言いたいくらいの気迫に圧倒されます。しかもこのスピーチは十二年前、今回のネタニヤフ政権とハマスの戦闘前のものですから驚かされます。
アメリカの学者で反シオニストであることがどれほど損で不利益で、道が閉ざされることか。今回の戦争での大学内の対応責任を問われ辞任に追いこまれたハーバード大学長の例を見ても明らかですが、彼もまた然り。それでも正しいと思うことを堂々と語るその勇気と責任感に敬服しました。自分のなかの元気が少し増えた気持ちになりました。このような人間を見つけることでこの世の「生き地獄」から奮い立つこともありましょう。

反ユダヤ主義と反シオニズムは違いますが、シオニストはイスラエル批判を常に反ユダヤ主義だと糾弾して被害者の立場を取り続けてきました。
私は今回の戦争のニュースの中で、ユダヤ教とシオニズムは違うと主張し、ガザの戦闘に抗議するこんなにたくさんの、反シオニストのユダヤ教ラビがいることを初めて知りました。
今回の戦争のきっかけがハマスの残虐非道なイスラエル市民殺戮が原因であることは明らかですが、大規模なイスラエルの報復があることは予想できたにもかかわらず、なぜ恥ずべきテロ行為に及んだのか、私ごときでは想像もつきません。
一つ言えるのは、ハマスもイスラエルも猛烈な被害者感情で動いたということでしょう。

石原吉郎は『望郷と海』の中で「人間」は被害者からは生まれないと書きました。シベリア抑留の被害者集団に甘んじるものは「人間」にはなれない。自身のなかの加害性を認め、加害者から離脱したものだけが真の「人間」たり得ると。
石原吉郎は 「険難」ばかりで幸せにはなれなかったと思いますが、フィルケンシュタインも似たようなものかもしれません。それでも暗い時代に小さな、それでも確実な灯と言える「人間」であると思っています。みづうみもこれまでのように、これからも「人間」を生き続け、書き続けてください。
『蛇行 或る左道變』ゆっくり読み進めています。寝る前に読むと恐い夢見になります。ぞくぞくしながら読んでいます。
春は、あけぼの

* 得がたい、有難い新年のメールに、濃い啓発の繁樹を頂戴しました。

○ 二月 如月ですね。
節分まちの、お一日ですが、今日はとても風の強い日となりました。
うらうらと陽は照りますのに、北にまわりますと、風でいろいろ、跳んでおります。こんな日は海では舟が転覆しそうです。 庭の梅もほころびはじめました。
お変わりなくお元気に、お過ごし下さいませ。 那珂良
2024 2/1

○ 私語の刻   みづうみ、ありがとうございました。
昨年12月分、たしかに頂戴いたしました。何度もお願いして申し訳ありませんでした。これで2023年度分を完成できますので、作業済み次第お送りいたします。
コロナはまた新しい株が出てきたようで、私も要注意と聞いています。最近東京のマスク姿は少数になりましたが、私はしっかり装着しています。かからないほうが良いに決まっていますので。明日の節分は思いきり福を呼びこんでください。
春は、あけぼの

* 京 四条河原町上ル『ひさご寿司』さん、心入れの「ひさご むし寿司」2人で分けて食べて満腹美味しく剰る程の器で二人前戴いた。京の風味、満喫しました、感謝。      *
* 久しくも久しい宗内敦さん、心理テスト風の新刊を二冊送って見えた。面白そうにしている妻の方へ見送りました、私は、心理もテストも 幼来の奥手・苦手で。

* 私仕事の一部である「湖の本」を 38年、166巻も世に送り出したのを終結・収束したまでで、昨夏としての「読み・書き・創作」は死ぬまで続く、かな。ま、いろいろにお便りやお気持ちを日々頂戴している。忝いことです。
2024 2/2

* 八時半。夕食後も、寝入っていた。作家生涯の早くに出会っていた宗内敦さん文庫版の近著三冊、エッセイ『二言、三言、世迷い言』などを久ひさに戴いていた。

* 宮城まえで御用達「村上開新堂百五十周年記念」の社主山本道子さん、「立春大吉」の親しいご挨拶、食堂「ドーカン」も健在のことと。
本郷三丁目に姉妹で店を持ち、私、太宰治賞の前後ころ昼夜によく通った、バー「トップ」の関本佳・雅さんからも懐かしい手紙と、優美にみごとな「ブックマーカー」とを頂戴した。青春が甦ったよう。

○ 秦先生  本日、奥様からやさしく美しいお葉書をいただきました。本当にありがとうございました。
湖の本のご恵与に心ばかりの御礼の気持ちでしたが、かえってお手数をおかけしてしまい恐縮しています。
暗い年明けでしたが、ようやく1月も終わり、明日は節分。豆の礫で鬼が退散してくれればいいのですが。
寒暖差の激しい昨日今日、どうか おふたり くれぐれもお体おいといくださいませ。 I・YAMANAKA  (詩人)

* ペンクラブも、遠く遠くなりましたね。お元気で。

○ 恒平兄上様 あっというまの1月でした。この国では色々あった1月でしたが、兄上様のご無事にお過ごしの日々のメールを頂き 嬉しく思っています。日々読書に創作にと頑張っておられて、いもうとは「兄上は凄いなあ!」と感心しています。
私たち一家も何とか無事に暮らしています。ただ生き生きとはなかなか生きられず、でもそれなりに老年期をやりくりしながら過ごす方法を見つけながら、これも進歩と呼べるかな?という発見も 時にはあります。
迪っちゃん(=姉)も 手術から大分日にちがたち、お元気で過ごされていることと思います。
どうかくれぐれもお体を大切に、寒い時期を乗り越えて下さいね。私も頑張ります! いもうと琉美子

* 詩も 繪も 汪々と産み出して下さい。 恒平
2024 2/2

○ 如月ですね
今年度最後の授業も終えて、昨日は出張、、、と言っても、万世橋の千代田区区民館まで。
二時からでしたが、淡路公園近くで早めのランチをとった後、ニコライ堂を眺め、聖橋を渡って湯島聖堂、神田明神にお参りしてから(この辺り、コへさんは懐かしいでしょう)。
千代田区内のミュージアムが集まって「ミュージアムフォーラム」という組織を作っているのですが、我が硯友社文庫も今年からその仲間に入れてもらい、昨日がその第一回目の連絡会議でした。
加盟しているのは全部で34館。国立美術館、出光美術館、東京ステーションギャラリー、静嘉堂文庫美術館、三菱一号館美術館といった美術館の他、科学技術館、衆議院憲政記念館、国立公文書館、日本カメラ博物館や日比谷図書文化館、明治大学等の大学博物館、日枝神社や靖国神社等の宝物館等々、、といった面々です。
新規参加館としてご挨拶して、様々な連携事業の実施報告や今後の計画等の話の後、森ビルの森美術館の方による「ミュージアムの魅力を伝えるためのSNS利用」の講義も聴きました。
今までの研究とは異なった世界。時間を作って、こうしたミュージアムにも足を向けようと思います。
それと並行して、今年は二冊目の単著の準備を進めて行くつもりです。
先月末の「私語の刻」、読ませてくださいまして有難うございます。
「湖の本」が終刊して、淋しく感じている読者が多いことでしょう。
前にもご提案があったようですが、元東工大生の方にでもデータを毎日もしくは数日分送信して、HPかそれに近いものに代理でアップして頂けるといいなと思います。
基本は文字データでしょうから、アップする過程で変になることもあまりないでしょうし、アップした後に万一気になるところがあれば、修正もできるかと思いますが、いかがでしょう。

来週の週明けには、都心でも雪の予報が出ています。
どうぞ暖かくしてお過ごしください。  快晴

* 創意・開発と充実の新たな「単著」の成るのを声援しています、眼力と眼光とで未開拓の新境地を確保漸進・前進されますように。

○ 新年をお祝い申しあげます。
米寿おめでとうございます。
とは言え「歳祝は旧暦」でしょうから 一年遅れのお祝いですね。「今年は卆寿」の祝いになりますか。
生かされている秦さんですから 苦しくても生ききって下さいね。その中で煌めきを見せていただけると 私も励みになります。ありがとうございます。 野路

* そうか、「歳祝は旧暦」でというと、来年わたし、九十歳の「卆壽」なのか。」
2024 2/4

* 京・山科の、詩人あきとし じゅん さんから、懇篤長文の感想と激励のお手紙、とびきりの一升を頂戴している。
あれで新制中学一年か二年になっていたか、叔母宗陽につれられ近江の湖ベの大きな公園での、裏千家園遊会につれてもらい、そこで盃に一と口舐めたのが清酒の初体験だった。秦の父がからきしお酒はダメで、機会は無かったが、結婚後は相当な大酒家になっていった。抑えているが、いまも一升入る黒丹波の佳い壺から、久保田の、獺祭のと、小杓子呑みで、頂戴している名だたるお酒を次々に飲み干している。悪酔いすること、無い。

○ 関東に降雪予報が出ています。今テレビ画面には渋谷に霙か雪が降っています。風邪引かぬよう、身体温めて。
昨日テレビで不染鉄という日本画家、以前一度だけ見た記憶があるのですが、展覧会が奈良県美術館で開かれているのを気にとめました。
最近は展覧会も殆ど行くことがないのですが、奈良も懐かしい。
腱鞘炎が治らず、常に痛みます。が、まあ何とか手仕事をしています。
三月には小学校の同窓会に行くかもしれません。東京が近い!
どうぞこの冬を乗り越え 元気に春を迎えて。 尾張の鳶

* 元気の便りが、何より。
2024 2/5

○ お元気ですか、みづうみ。
大雪になって驚いています。
明日から十日ほど海外に出ています。
どうか転倒などお気をつけて、暖かくお過ごしください。お元気にお仕事楽しんでくださいますように。 春は、あけぼの
* 私には、ほとんど海外・外国との濃い縁・足労ということが無かったが。孰れも日本の「作家」を代表して、中国へ二度。ソ連そしてグルジアへ一度、だけ。十分だ。船も飛行機も乗り気で、ない。
海外・外国は「映画」で無難に、ときに深刻に見知っているだけ。最も深刻に印象深いのは、放射能による地球と生物との切羽詰まった最期の静寂、生き残っていた最期の南半球オーストラリアへ遁れていた人たちが、配給の服毒死へ決意する『渚にて』が怕かった。
最近はテレビでの、『アストリッドとラファエル』でフランスの、『ドック』でイタリアの、大都会らしい世間の広さ、それぞれの顔つきや物言いを眺め聴いている。若い女性の「独り語り」で、珍らかな、それぞれに地方・田舎という感じの聚落や街なかを散策する映像なども、愉しんで眺めている。
2024 2/7

○ 睦月も過ぎ去って
メールを戴きながら、PCを開くこともせずに日々過ごしていました。大変失礼致しました。湖の本166も貴重に拝読させていただきました。
気付けば、
二月も今日は長男顕の誕生日。孫の次女のお宮参りの写真などを嬉し気にスマホで送ってきました。
その長男が生まれた折、上京なさる前日?のお二人に実家まで訪ねて来ていただき
祝っていただいたことなど思い出していました。

能楽へとの道を開いてくださったこと改めて感謝です。
今回の作品の中で「定家」とよめば 謡本取り出して読んだり、謡ってみたり。 雑駁な日々の中でのうるおいです。どの謡が好きかよりは、時々のお稽古の謡に追われてもいます。
また来月 師匠の25周年の会で、「葛城」の大和舞を舞わせていただきますので、
今はそちらに懸命です。矢来の舞台です。
迪子さまのその後の調子はいかがかと気にもなりながら、ご無沙汰ごめんなさい。
寒暖差の激しい日々ですが、どうぞどうぞお二人ともお身体の休養一にお過ごしくださいますように。   晴

* 眼の疲労が、堪える。
もう、大概な事は、ここ当分は、やり過ごし、やすみやすみの簡単な日録程度にしたい。
2024 2/7

* もう、むかしむかし、私の読者としては最年少の、新潟の藤田クン、後に九大へ進学したが、久しく消息がたえていた。昨日、ひょこっと大きな箱で、新潟産の珍しい清酒三本が贈られてきて思わず声をあげた。手紙が添ってはなかったが、もう壮齢もいいところだろう、嬉しい朗報だった。
一本の封を剪った。銘に、「北越」の「龍」「景虎」と。上杉謙信か。とても美味いお酒なのに満悦を禁じがたく、感謝。近況も知れて嬉しい。
2024 2/9

* もう、むかしむかし、私の読者としては最年少の、新潟の藤田クン、後に九大へ進学したが、久しく消息がたえていた。昨日、ひょこっと大きな箱で、新潟産の珍しい清酒三本が贈られてきて思わず声をあげた。手紙が添ってはなかったが、もう壮齢もいいところだろう、嬉しい朗報だった。
一本の封を剪った。銘に、「北越」の「龍」「景虎」と。上杉謙信か。とても美味いお酒なのに満悦を禁じがたく、感謝。近況も知れて嬉しい。
2024 2/9

○ ご無沙汰してしまいました 新野
秦 恒平先生 すっかり返信が遅くなってしまい申し訳ありません。
「湖の本」最終刊をお送りいただきありがとうございました。これまでいただいた本と併せてふとした折に楽しみに読ませていただいております。こうした機会をいただいたことで、読書生活がどれだけ豊かになったか分かりません。感謝申し上げます。
先生の文章からは、読書生活の実践についても学ばせていただいております。仕事に関係する本を読み考えることはあっても(それも必要なことなのですが・・)、実質、自分にとってどれだけ大事な必要な思索、思考をしているのか。先生の読書の軌跡を見るたびに、我が身を省みています。

もう一つ書いておきたいことが。パソコンについて多く書かれているのを拝見し、何とも心苦しく思っております。鷲津さん、柳君が携わってもなお難しいなら簡単にはいかないのだろうとは思いますが。。ITは良くも悪く技術の流行り廃りのスピードが早く、創作活動をされる方にとってはとくに悩ましいのではないかと思います。
とはいえ、先生が書かれた文章を楽しみにしている方も多くいらっしゃるかと思います。なんとかご納得いただける方法があるとよいのですが。。(最も安直にはブログサービスを使うことかと思いますが、おそらくその選択肢も柳君など考えられてますよね。機会があれば会話してみます)

ここ数日は暖かそうですが、また寒さが戻る日も出てくるかと思います。ご自愛いただければと存じます。長々と失礼致しました。 新野 聡一郎  東工大院卒

* 有難う 新野君。心強く嬉しくメール読みました。感謝。「ブログサービス」とは、どういう人かな、企業かな、グループかなと想っています。
しっかりと晴れやかに、「ホームページ」の「顔」をして 人さまに訪れていただきたい「備えが欲しいなあ」と願っていますが。何を願うにせよ自身で手のホドコシようが見つからないのは、生来の「機械鈍」の勉強不足で恥ずかしい。
新野君の深切、嬉しく、お元気なのも さらに嬉しく。

* 今日、柳君から、清酒の一升瓶らしきが「四本分」の嵩と重さとで届き、ビックリし恐縮し、ニコッとしています、柳君、アリガトー。
2024 2/10

○ 鴉 鴉
ゴール前は仕方ないとしても、今はまだダメ、ダメです。 良い夢を!そして現実に朝日子さんに会えたら、そして温めてあえたらと、切に切に祈ります。
鳶は三月下旬まで多忙の日々ですが、何とか切り抜けるよう努めています。
昨日はひばりの最後のコンサートをテレビで見て 感無量でした。笠置しずこも、紫式部も。
どうぞくれぐれもお身体大事に。
本当に、本当に、堪えてください。  尾張の鳶

○ メールありがとうございました。
先生の作品との出会いは、京都人の意識構造に関する雑文を書いていたころに、『京のわるくち』、『京あすあさって』などの随筆を拝読したのが最初です。
『秋萩帖』小説については、正直に申しますと購入に至りませんでした。あらためて府立図書館で借りて拝読いたしました。(「全集」、「湖の本」に収録は承知しています)
後年,先生にペンクラブにご推薦いただいてから、何かとご高配賜り、全集、湖(うみ)の本の謹呈本を拝受し、恐縮するばかりです。ご厚情には感謝申し上げます。

山科は 私宅裏から、疏水を東へ 天智天皇陵→安祥寺→安朱橋(毘沙門堂)→諸羽神社→(一灯園→四宮駅)→徳林庵・十禅寺へは よく散歩するコース。
さて、『秋萩帖』「八の帖」で幸田が人康親王にゆかりの山科四宮の泉水町あたりの子どもの頃の記憶をたどるというくだりには、たいへん興味深いものがあり、なにかご縁を感じます。
作家の目と感性と旺盛な想像力の飛翔に心を奪われました。
先生が創作のために「京の田舎」の山科四宮を探訪されていたことを噛みしめて、これからはじっくり歩いてみたいとおもいます。

万全ではない体調をコントロールしながらのメールを頂戴し案じております。さぞお辛いこと お察します。
それゆえ,ご体調に負担をかけないようにと存じますので、メールは差し控えさせていただきます。なにとぞご養生専一につとめられますようお願い申し上げます。とりいそぎお礼まで      あきとし じゅん(馬場俊明) 詩人 国語学者

○ 秦恒平先生
すぐに返信をいただき、また昨日の一日をありがとうございます。本を読み、かつ別の本も読まれていたのですね。刺激を受け、私も手元にある本に手を伸ばしてみておりました。
「ブログサービス」は、文章を簡単にインターネットに公開できる仕組みです。いろいろな企業が提供していてパソコンが使えれば誰でも利用できます。
先生のホームページが「オーダーメイドの服」だとすると、「ブログサービスは規格化されていて、色や半袖か長袖か、などを選びさえすれば着られる服」のようなものです。気軽に文章を発表できる一方で、先生のホームページのような風合い、色味は出にくいです。
先生がおっしゃる「顔」「備え」になり得るのであれば、ご検討の余地はあるのかもしれないと思い、蛇足感が否めませんが補足させていただきました。(まだできていないですが、柳君と会話してみます)
読書に戻ります。またしても長々と失礼致しました。 新野

* 新野君 ありがとう。
2024 2.12

○ 秦恒平 様
今から95年前、秦テルヲ(=画家)が瓶原(みかのはら)の好本家から借りていた住まいから京都市内に戻る年(私の母恵子が生まれる年の初夏の頃でしょうか )に、 秦テルヲから直接か好本家からかはわかりませんが、好本家とは付き合いのあった祖父へ、次女の誕生祝いであったのでしょうか(好本家は父方祖母(岩田八重 旧姓好本)戴いた作品が(絹本のまま表装されず昭和四年の新聞に包まれて)あったのですが。
コロナ禍の前に(京都三條通り上ル神宮道の=)星野画廊さんに表装してもらうように預けていました。
先日、できあがったと連絡があり引取に行ってきました。
星野桂三さん(=画廊主)表装によってとっても良くなった言われ、驚かれるできばえだそうです。
人も風景も描かれていない、秦テルヲが瓶原で生んだ作品の中では、これだけではと思える特異な作品です
じっと作品の前に立つものを「見つめてくる雀の眼」に魅かれます。    孝一 拝
(恒平実父吉岡恒の甥 叔母岩田恵子長男 恒平と従兄弟)

* 優れた画家の業績を遺した「秦テルヲ」と私の養家「秦」とに縁があったとは思いにくいが、何も知らない、ただ此の優れた画家が、私の長編『墨牡丹』などで親しんだ華岳や麥遷ら「國畫創作協会」の近辺にかなり自在に活躍した画家とは承知している。京都の加茂大橋邊の「テルオ」と署名の素晴らしい『雪景』小品を,星野画廊で買い入れたこともある。なんだか、またタマラズ京都へ帰りたくなった。

* 孝一君もおげんきで、何時も名からの親切も感謝に堪えない。一度、いっとう末の叔母恵子と母子で下保谷の吾が屋までも訪れてくれている。何かと気を配っては私の父方、叔母にも父方の南山城吉岡本家の様子などを知らせてくれ、南山城の風土を伝える資料類も送ってきて呉れる。有難う。

* 引き換え、生母「阿部ふく」方は、縁戚との触れ合いがほぼ完全に絶えている。滋賀県能登川辺で「阿部」といえば豪商「近江商人」の蟠踞し発展したという土地柄。
建日子などが、文藝・文學への本腰で探索・展開し調べて行けば、想像を超えた重量級の史実と縁戚と物語が広がっていて、巨きな規模の「歴史と創作」との世界が手に入るのだが。立ち向かうに足る勉強も意欲も育てていない。甥の黒川創に期待してきたが、はや、もう老いてきている。姪の北澤街子の質実ににじつは私は素質的にも期待をかけていたのだが。どこで、どう暮らしているかも判らない。
私は。百裁までできるしても、何より「身動き」「歩く」ことが出来なくては九州から江戸ヘまで参勤交代を引き摺るような宏大そうな「母系阿部」の歴史、戸口ヘマでも近づけない。探訪がならない。
2024 2/14

○ 新しい年の初日が 思いかけぬ大きな 心いたむわざわいの日となりました。
其後 お変りございませんか。
いつも貴重な本を お送り頂き有難うございます
しかも今回をもってペンを置かれるとの事
長い間の御執筆に心より敬意を表し 重ねて厚く
御禮申し上げます。
何のお返しも出来ませず 申し訳けない限りです。
どうか これからも お身体には充分御留意下さいまして
今迄以上に 日々を大切 楽しくお通り下さいませ かしこ
京都 山科   早樫てる子

* 弥栄中学の、一年下で優等生のころの姓を採っておいたが。一年下には、他に、もう二人の女子優等生が居並んでいて男子を遙かに圧倒していたらしい。わたくしは一學年上で全校生徒会を仕切っていたから、委員会などで、早樫さん、八木さん遠藤さんらとも顔なじみであった。残念ながら同学年女子には眩しいような一人もいなかったなあ。
いま、上の三人とも と『湖の本』を介しての文通がある。遠藤さんは東京で長く暮らしている。
今にして思うが「一学年下の優等生女子」というのは、妙に眩しく見える存在であったのだなあ、と。夜目 遠目 傘の内のたぐいか。親しい口など利き合うたこと無かった、が、なつかしいよ。三人とも健在なのも、いい。
早樫さんはごく近隣、わたしが新門前通り、向こうは古門前通りに暮らしていたような。一つ。「湖の本」という形の刊行はヤメたが、ペンは置きません。」

○ 鴉 鴉 鴉
いつまでも、いつまでも、しゃべり語りたい
『浄瑠璃寺夜色』近くに置いてくださって嬉しい。
明日あたり鰊のお蕎麦が届きます。
鳶にできる僅かなこと。
元気に、少しでも元気に。  尾張の鳶

* 鳶  ありがとう。 怪我無く 日々を 若々しい佳いお祖母ちゃんでお過ごしあれ、お婆ちゃんではなく。 カア

* 早や届いた好きな「鰊蕎麦」 もう戴いている。京の味に「南座」(「松葉」の店と密にくっいていて、その思い出もなつかしく美味い。)

○ 秦恒平様、迪子様
雪が溶けて、陽射しの温かさにホッとします。湖の本ご発送のお疲れはとれましたでしようか?
第一巻より、ずっと送っていただき、読ませていただきありがとうございました。心豊かに過ごさせていただきました。感謝致します。
完了のお祝いの気持ちに、お疲れをとつていただけますようにと、ココファムより、ワインを送らせていただきました。
どうぞどうぞ、お疲れをとっていただきますように。
新たな作品を読ませていただくこと楽しみにしています。
梅いちりん一輪ほどのあたたかさ を期待して。 晴

■ 晴 様
ワインが届きました。紅白二本、湖の本「終結」のお祝いとおっしゃって頂いて恐れいります。お花にお菓子にこうして重ね重ねのプレゼント、なんとお礼を申しましょう!ありがとうございます!
秦は気が抜けたのか 寝てばかり。幸いNHKではじまったドラマ、紫式部のドラマが気に入って楽しんでいます。
ありがとうございました。ミチコ〓

○ 迪子様のお疲れ休みに
赤〓なら、少しは飲んでいただけたらと。気持ちばかりです。
秦様のHPを月毎に送っていただき読ませてもらって有り難く感謝しています。
今日は少し暖かくなってホッとしています。どうぞごゆっくり日々お過ごしくださいますように。  晴

* 私・秦恒平の「日本」「故郷・京都」への基礎認識は
『女文化』の女世間
と謂うに尽くせる。
大學より以前から、「男はキライ 女バカ」が私の変更の無い「日本人」認識だった。「女バカ」は最上の賛辞・共感と謂うに尽きている。
京都の「祇園花街」にまぢかく育ち、幼時から秦の叔母ツル(遠州流・玉月 裏千家・宗陽)の花と茶の稽古場で成人し「宗遠」と茶名も承けている私には、「男」とは社交と競合の相手、「女」は懐かしみ親しむ相手と、人間觀がほぼ固定固着していた。「それで八十八(やそはち)までも生きて」きたのだ、どうしようも、どうしたくも無いのです。
2024 2/14

* 寒いを避けようと着る内でこのごろは上着の方に、弥栄中、日吉ヶ丘高などにいた「渡辺節子」がつい半年も前か、まさしく何十年ぶりに「突」として「手編み緑色の毛糸のジヤケット」を贈ってきてくれたのを着ている。軽くて暖かくもののうえに重ね着できてありがたいのだ。何故に突如として京の山科から贈ってきてくれたか、判らない。学校時代にもヽクラスに居合ったた事も、ろくに口を利き合う他記憶もまるでない「お澄まし屋」であった。隣の組の学級委員をしていたから生徒」会の委員会では出会っていたけれど、隣校「粟田(小学校)出」の「三節  渡辺節子 中村節子 安藤節子」の中では苦手のほうだった、なにしろ講堂の大きなピアノを時々「独り」で弾いているようなまるで無縁な女生徒だったのだ。そのまま何十年も何の接点も無かったが、たまたま当時の名簿と住所録を「紙くずの中から見つけて、ナンにかの旧友等に『湖の本』を宣伝に送呈したのだった、たぶん綠の毛糸編みのジャケットはそのお返しであったろう。人生不思議の遙かに遙かな「再会」であったのだ。わたしが「物書き」に成っているぐらいは聴き知ってくれてのだろう。
毛糸のジャケット、今も冷えた機械前の仕事場で着ている。
2024 2/15

* 相原精次さんの、しみじみと有難い、知己の弁、嬉しいお手紙を頂戴した。有難う存じます。
2024 2/15

* 昨日戴いた作家、歴史家の相原精次さんのお手紙が胸に熱く響いて感謝している。長文なので措くが、私の近作『蛇行』ほかへも深切の批評・感慨を寄せて戴いていた。

* 夜の不通の常識として作家・作者は出版社・編集者の「判断」にまかせて仕事を買い上げてもらって「本」にも成り、雑誌等にも載せてもらえる。わたくしの場合も初期はそうであったが、「作家」と世に認められた些少は「私家版本」巻頭に載せてお他『清経入水』が、全く与り知らぬうちに与り知らない選者先生達により『第五回太宰治文學賞』に選出されていたのだった。以降も、多くの読者はご承知のように、私は、自作のほぼ全てを自身の手で書籍にし世に送り出してきた。(とは云え、出版と編集者」の手で作られた単行書籍も、数えてみると大小百冊を二三越すほど在り、しかし自身の手で作り送り出した浩瀚な『秦恒平選集』は三十三巻、『秦恒平・湖(うみ)の本』は百六十六巻に及んでいて、「湖の本」一巻分の原稿容量は世間に小売りの単行本一冊にほぼ全て「相当」している。総量は、我ながら愕くばかりの数え切れない原稿枚数に成っている。世界にも禮は尠い、そういう生涯出版を、私はほぼ『自分自身』の手で進め、進め得てきた。懸けた全費用は、全て私と妻との協力で、スカンピンの新婚以来に蓄えた貯金を宛てている。「頒価」を附けていた時期も長かった、が、近年はすべて「呈上」に切り替えて、千を少し超す冊数を餘ニ送り出していた。書いた創作で儲かる・儲けようという気は希薄だった。
* 私・秦恒平とは、そういう「作家」なのであって、そういう後続の「作家」が跡を継いで出て来ないらしいのが、当然なのか、歯痒いのか、判断がついてない。
私はこれを、いわば「日本近代文学史」の史実と自覚して書き置いている。ご批評・ご批判も得たいと願う。
2024 2/16

○ 秦さんの真似をして 数冊の本を併読しています。再三読したい本ばかりですので粗筋は覚えているのですが 感興がのってしまうとどうしても一気に読みたくなってしまい、満遍なく読み進める楽しみを まだ味わえていません。影響されやすいのか 今読んでいる本のなかに気になる参考本があるとすぐにそちらに目がいってしまいます。例えばバルザックの「セラフィータ」を読んでいると バシュラールの「空と夢」を読みたくなり、その内スウェーデンボルグの「天界と地獄」を読んだりしてしまいます。
所謂、乱読、雑読です。何かを知りたいと言うより、知っていることを確認したい読書なので、こう言う表現もあるのかと感心させられる文章に牽かれます。
「蛇行 或る左道變」を読んでいると 手持ちの呪術の本を読みふけるような「誘われて」読書ですので 暫くは終わりがありません。 野路秀樹

* 思わず にやにやッとしてしまえた。共感。残年を惜しむのか 好奇心がまだ沸騰するのか、いま読んでいる本が一冊だけなどという「勿体ない」事は 出来ませんなあ。山ほど積ん読本の書架から、今読み本の絶えず十数冊が、身のそばへ出張していて離れません。「ほん」は大切で深切なな「知己」なんですね。

○ お元気ですか、みづうみ。
無事に帰国しました。娘家族との時間を満喫し、病気も怪我もせずに戻ることができ、幸せです。ただ、映画三本観て、本を二冊読んでも時間がまだまだ余るという長時間の往復移動フライトは やはり疲れました。戦争のせいでロシア上空が飛べなくなり、二時間もよけいにかかるようになったこともありましょう。
出発の日は大雪の翌日でしたが、帰国したら日本が暖かくて驚きました。春の到来を感じながら、今年の花見のことなど考えています。
みづうみは いかがお過ごしでしょう。どうかいつもの毎日をお過ごしでありますように。

機内で読んだ鶴見俊輔と関川夏央の対談本のなかで、鶴見氏が一八五三年以前には、ジョン万次郎や大黒屋光太夫などの「個人」がいたが、明治以後日本という「樽」の中で個人はいなくなってきた、と語っていたことを今も考えています。
「樽」から飛び出すことのできる、たとえばみづうみのような「個人」は今の日本に何人いるでしょう。元気に一日でも長く、長生きなさってください。       春は、あけぼの

* 無事、充たされてのお帰り、何よりでした。モスクワから「帰りの飛行機」の長かったなども想い出しました。
なつかしい鶴見さんも昔人になりましたね。日本という「罇」はもう毀れてしまい、人は、てんでバラバラにうみに漂って行方を失っているかと案じますが、映画『渚にて』のような静寂の最期に逼られているかと「縮むここち」になることもあります。
人が「未来」に導き誘われる時代が永くありました。それ自体も、それと錯覚するちからももう萎え、人は、ただ歴史という記憶に恃むのかと気の弱ることがあります。「妄想こそが力か」と自身を嗤ったりします。 ま、ナントカしましょうよ。
2024 2/16

○ おげんきでいらっしゃいますか
秦 恒平先生 こんにちは。
しばらくご無沙汰致しておりますが、お元気でいらっしゃいますか。
先日は、「湖の本」シリーズの長きにわたる刊行をご無事に完遂終結されて、お疲れ様でしたと共に、おめでとうございました。
また、手指の痺れにご不自由されていらっしゃる中で、直筆によるお葉書を頂戴し、大変大変恐縮に存じます。
懐かしい先生の文字運びに、さらにお元気そうなご様子を感じ取ったのは、僭越でしょうか。
まだまだ、ご創作意欲があられること、ご無理のないように日々をお創りお楽しみくださいませ。
先日、たまたまつけたチャンネルのドラマの最後に、ご子息建日子様のお名前が目に止まり、脚本家として活躍されているのだなぁ、思いました。やはり、蛙の子は蛙(失礼を申し上げます)だなぁ、と思った次第です。
奥様には、先日大きな手術を敢行されたとのこと、術後は順調に推移されているものと祈念致します。
時々、このようにご機嫌お伺いさせて頂きます。
季節の変わり目になります。
お二方とも、くれぐれご自愛下さいますように。
安田鏡子  元・NHK出版企画編集者

* 『梁塵秘抄』『閑吟集』の二冊を出版して貰った。何十年前の事か。その頃に、珍らかに美しくあでやかに立派な造花の大籠を頂戴したのが、ずーっと身近に在って目を休ませて貰ってきた。
さきごろ、ふとそのお礼のハガキを書いた。私信を手書したのは何年ぶりであったか。拙い字で。
2024 2/20

* メールの、発信は、「必要」と「緊急」と「返信」に限る。 受信は、原則「歓迎」する。
2024 2/21

○ 鴉に   寒暖の差の激しい日々、如何お過ごしですか、お変わりありませんか?
お蕎麦が届いたとの連絡がなく、配達されたのかどうか、或いは鴉の体調が悪いのでは
ないかなど気に懸かっていました。が、17日のメールで安心しました。体重も一頃より幾らか増加しているのも心強く感じられます。
この暖かさに庭の草花も木々も一日一日生長しています。水仙は咲きそろい、椿はこれから、釣鐘水仙の群青の花咲くのが待ち遠しい。キンカンの実を啄みに鳥たちが訪れています。
私の日常は反省しきりですが、相変わらず忙しい。せめて疲れが蓄積されないようにと庇っています。
良い夢を見てください。怒りや憎しみに押しつぶされないで。孤立無援では決してないのです、鴉は。
元気にしています。   尾張の鳶

* 鳶に  ありがとう。心より、感謝。フクザツに揺れる体調に心持ちを副わせながら、ジタバタを静めて老慨の苦をせめて平たい日々にと願うばかり。鳶の声に、励ましを貰っています、ありがとう。鰊蕎麦は、美味しく有難くことごとく「タンノー」しました、ありがとう。
老境ならではの「心若い軽妙世界」に遊びたいと願っています。「書く」ことでしか得られない「軽み」をと。
鳶よ鳶よ、トビつつ唄を忘れ給うな。お元気で。

○ 秦先生  なんだかんだと年明けのバタバタで、もう2月が終わりそうです。
湖の本 最終巻労いの会の件は、また、秦先生と関連のあった学生のリストなど、 いかがでしょうか。
こういう会はお嫌いそうだな、と思いつつ、1か月待ってしまいましたが。
メールで前に進まないようであれば、
明日にでも、ご自宅にお伺いして、お話させていただければと思います。それが礼儀でしたか。  櫻小次郎

* ありがとう。しかし、この新年來 心身の調和を欠いて、日々混濁の疲労に半ば潰れています。よき営為へと鋭意勉強の気はアリながら とかく疲労と違和に負けて、寝に寝入って睡り続けているような連日です。
「湖の本」は、このかたちをたまたま「終結」しただけで、「読・書き・創作」の姿勢にも勉強にも変更も沈下もありませんので、それは安心してて下さい。ただただ疲労が濃いのは、もう致し方なく。極力、心労・身老・色んな應接の負担を避けて、省いて、ひたすら「やすみやすみ」老妻と二人で老殘の「坂道を下って」行きます。
ねぎらって下さる会合、来訪も、感謝して辞退させて下さい。学生君達のリストへも、とても手がまわりません。ただもう、疲れれば寝入っています、好きな本を枕もとに積んだまま。
お友達にも、こんな容態だと、おおげさにでなく、お知らせ起き下さい。私と話したくなったら、既刊の「湖の本」を手にして下さい。または、メールで。
お元気で。翼一杯に高く飛翔んで下さい。 秦 恒平
2024 2/22

○ 秦先生
昨日はメールを出した後、外出してしまい、メールを確認できておりませんでした。なので、このメールを確認せずに、先ほどご自宅にお電話差し上げました。が、お寝みとの事で、奥様とお話しさせていただきました。
疲労が大きいとのこと。今は時期が悪いかもしれませんね。花粉症ではない人でも、やはり春眠暁を覚えずですから。
奥様も体調思わしくないとのことで、心配しております。
何かしら、私たちでお力になれることがあれば、お申し付けください。  と、一通りのご挨拶は終わりにして。

困りましたね。
坂道を下って行くことは、それが今を生きて行くということなので、そうですね、と思う反面、先生の今は、先生と私たちの今でもありますので、どう坂を下っていくか、ということも一通りしかないわけではない、と考えます。
無理を強いるつもりはありませんが、我々学生は、そういう気持ち、その時の先生に対して、異なる視点を与える、もしくは先生からその時の先生のお気持ちを聞くことで、先生を鼓舞していたのかな、と、あの時の先生の年齢に近づいてきた私(たち)は思ってもいます。
訪問などは少し時間を置いてから、というふうに思いますが、それとは別に、「学生の情報収集」は少しづつでも進めさせていただきたい、と思います。
これに関しては、私が学部1年の9月に先生宅に電報を打ったくらいの、性急な気持ちを持っております。
なぜなら坂を下り切った後では 何もできないから、です。失礼な言い方ですが。
ですので、学生のリスト作成などはお手間でしょうから、やりとりをしている学生のメアドをそのままコピーペーストして、送っていただくとか、それこそ頃合いを見て、ご自宅にお伺いして、ご指示のもと、我々がPCから探し当てて行くという作業かな、と思っております。
また、お電話も差し上げます。  櫻小次郎

* メールアドレスは、プライバシーではないかと。
いま,私に何が出来て、何が出来ないか。出来るのは、急がずにでも、幸いにキイで「字の書ける」事、寝て「本の字の読める」事。出来ないのは、食事と酒のホカの、しかとした立居振舞と。家の階段の上がり降りは、最低の生活のためにも,這うように慎重に。
來客は一切ご遠慮願っている。
何とかして、歩けなくても,自転車には乗れたらとしつこく願っているが、むろん危険。
幸いテレビの前には腰掛けてられる。口ワルク批評も出来る。優れていれば心から褒めている。
2024 2/23

○ 秦さん
やそはち(八十八) が やそきゅう(八十九) はちとく(八十九) ですが  なんということもありません
ごぶさたばかりですみません
昨年からの老人ホームのコロナがやっとおさまり
一応ホッとしております 若い看護〜介護〜事務〜医師たちもほんとにご苦労様です〜お年寄り達はもっと大変ですが〜
八得 八徳 八十九歳 元気でありたいです
秦さん どうか くれぐれもお大切にされてください
ちば e-old 勝田拝

* 一歳の先輩に敬礼し ご健勝を祈ります。

* 何と無く 朝から ボーゼン としている。寝入るだけの逃げ道か。腫れた感じに目もとが重い。
2024 2/24

◎ 『青春有情  東工大余話』

やはらかに人わけゆくや ー序にかえてー

突如、見も知らない国立大学から「文学」教授就任の依頼があったとき、ただの作家に何を期待されているのか、分かりにくかった。二足のわらじを五年間はいていた。その以前はサラリーマン。えらいお医者さんが相手の編集者だった。免疫学や小児医学などの研究書をいっぱい本にした。そっちのわらじを脱いでからは、ずうっと小説を書き、批評を書き、医学とはほど遠い世界を浮遊していた。著書の数は多いが、ベストセラーは無い。教育者でも研究者でもなかった。
東工大は味なコトやりますね、一種の名人事ですよ、やって下さい…などと、各大学にいる友人や大勢の読者に嬉しがられ、けしかけられた。
辞令から授業までに、幸い半年間があった。大学の先生は、高校・中学とちがって「無免許運転なんですよ。お好きになさればいいんです」と、若い同僚教授に目からウロコを落としてもらって、好きにするかと肚を決めた。平成七年春から教壇という高いところに立った。学生と顔を合わせた。
だが心掛けとしては、ただ学生と向き合って、こっち教授、そっち学生には、なるまいとした。学生の横に一緒にならんで、同じ視線でものに向かいながら、学生の見方と私の見方とを自然に突き合わせよう。そして双方で、教えあい学びあおうと思った。譬えれば、すばらしい美術作品を寄り添い見ながら、おのずと対話や意見交換が成るように、願った。だから、知識を授けようとは考えなかった。得ている知識をどう生かすか、そこに働く、感性や知性のことを専ら考えた。考える力が、あるかどうか。あっても、それを表現する力が、あるかどうか。
表現の道はいろいろある。私の場合は工学部「文学」教授なのであるから、基本は言葉であり、文章である。背後の体験である。借り物でない自分の考えを、借り物でない自分の言葉で、どれだけ実感をもって表現できるか。それを引き出すことに、関心と興味と意義を私は覚えていた。問題はどう仕向け、どう参加させるか、だ。こっちの必要ではなく、学生の必要でなければ意味がない。逆にいえば、どんなに難儀な持って行き方であっても、興味がもて挑発されてみたいと学生が思ってくれるなら、何かが出来る。
工学部も理学部も人間理工学部もひっくるめて私の教室へやって来た。一、二、三年生各主体の、三つの教室を私はあてがわれていた。メインの授業内容はみなちがうけれど、そこへ持って行く導入を私は工夫した。しかも、いちばん彼等が苦手で、これまではたぶん避けて来たことを、やりたい。それは、何だろう。一つは詩歌で、一つは文章を書いて自分を表現することだろう。術もなくて泥を吐かないのだ、若者は。
優秀な理系の頭は、いつも文系のセンスをナメてかかっている。その頭を「文学的」に挑発し刺激してやるのが効果的だった。「古池や蛙とびこむ水の( )」とでも黒板に書き、漢字一字の虫食いを補わせれば、芭蕉の名句、学生は何も考えずに知識や記憶で「音」と答え、心には何ひとつも残すまい。しかし、「やはらかに人わけゆくや( )角力」と出題すれば、そして試みに「( )角力」にフリガナを打って答えよと言えば、いっぺんにヘコたれる。仰天する文字と訓みとが続出し、しかも一人一人、句意を案じてその一時は自身俳人たらざるを得ないのである。そして、そこから先は、こっちの力量もものを言うが、おそろしく莫大なものを学生の胸に送りこめるのである。詩の、句の、表現の、言葉の、想像力の、世界や人間の、底知れない魔力や魅力について。能力について。
東工大の学生ですら、いま、「角力」が「すもう」と訓めない。「角界」「力士」というじゃないの。あッそうか。で、「勝角力」と出たのは百人に二人見当。他は、では、どうなるか。何人かが大角力、押角力と出て、腕、尻、独、紙など、合わせて二割に満たない。「四角力(こうさてん)」「風角力(かざぐるま)」「馬角力(ばかぢから)」「牛角力(かたつむり)」「人角力(じんりきしゃ)」「車角力(くるまひき)」「錯角力(テクニック)」「多角力(にんげんせい)」「鬼角力(かぶとむし)」「無角力(はるのかぜ)」「頭角力(リーダーシップ)」等々七十幾種が収集できた。それでも、そこそこ詩の世界に足を踏み入れかけているのもある。「やはらかに人わけゆくや」につけて、「かざぐるま」も「はるのかぜ」も「かたつむり」も、いやいや「くるまひき」でも面白くて、原作の高井几董も苦笑するだろう。まさに、そこに、文学に生きた、創作の、批評の、鑑賞の、不思議というものが露出してくるのである、面白くも、厳しく。
授業はじめの十分間で、十分。先週の結果を披露し、爆笑し感嘆し、今週の問題を出しておく。若い彼等の心根にびりりと響く主に現代の短歌や俳句を精いっぱい選び、いつしかに自分の現在や過去・将来に重ね、物を思い考えてもらう。考えずに済まない「難題」を更に与えておき、時間内に、授業を聴き聴き、必ず書いて提出させる。書かれた挨拶、四年で、三万五千枚。
2024 2/25

* 揺れるけむりのように頼りなく疲れていますが、風に舞う枯葉の一枚のように、遠くへ遠くへ高く飛んで行きたいと。
あけぼのは 一日のはじまる希望です。
みづうみは  世界中の不幸に波立っています。
元気でいて下さい。
2024 2/25

1 結婚は「建築学」である
飽くをもて( )の終と思ひしに此のさびしさも( )のつづきぞ  与謝野晶子
こういう虫食い短歌には、いまの大学生、らくに漢字を入れてくる。まして同じ一字をといえば、七割見当が、原作どおり「恋」と入れる。恋は青春のメインテーマ、東工大生ほど時間に追われてよく勉強する学生たちでも、マメに恋をしている。恋を求め恋に飢え、もう恋はあきらめている者もいる。入学式がコワかったと漏らす女子がいるくらい、今でも優に十倍以上の男子大学だから、内でも、また外でも出会いの機会が比較的少ない。
だが、ほんとうに「恋」なのだろうかと、ふと訝しむときがあった。彼らの恋のボキャブラリィは「告白」「付き合う」「別れる」の三つで、恋というより「性的付き合い」に他ならないから、ボヤのように燃えついては消え、また飛び火もして行く。学生がいわば無常感を感じとる機会として「恋」は機能し、「はかないですよ」などと嘆いてくる。恋愛と結婚は、同じ地平に虹をかけていない。
極端な例でいうと、ある女子学生は結婚を「経済学」に譬えて、男性のメリットをなるべく数字に置き換え優勢な総合値をもった男と「お見合い」でしか結婚しないが、恋は結婚までの性的な「オアシス」として満喫したいと、真面目に答えている。
「結婚を学問分野に強いて譬えるなら、あなたにとって、結婚は、**学か」と聞くと、たちどころに七十種以上もの「学問」が登場し、数百の学生の「結婚」観が提出されてくる。一、二を紹介する。いずれも現に授業を耳に聴きつつ、考えて、書いている。

*「建築学」 まず材料力学。相手、自分をよく知って、どれだけ強いのか、どういう性質を持っていてどう使えば最適なのか分析しないと、一緒になんか暮らせないでしょう。知らないほうが良いこともありますが。次いでそれをどう組むのか、構造力学です。どこまで大きく高くして行けるのか、結婚の成功もそれにかかっているでしょう。また建築設備学。家も家庭も快適でなければならず、環境設備学とも言います。夫婦の暮らしにも大切なことです。建築史も関わりますね。結婚ということの歴史的な理解もさりながら、互いのここに至る背後や基盤を知り合うことは大切な手順です。いよいよ建築計画が物を言い始めます。将来への覚悟を定め不安材料は解消すべきです。そして意匠・デザイン。味のある豊かな生活に、変化もなければ長続きしません、これが難しいです。他が必ずしも参考になるかどうか。こういう検討があって初めて、製図が始まります。他にも建築心理学、建築人間工学なども関わります。それらをみな頭に入れて製図します。綿密に図面上で計画します。状況・条件が調ったところで施工します。しかし結婚という建築はどの段階で完成するのでしょう。と、まあ計画大事と言いましても、実際は勢いや感情=勘定でやっちゃうんじゃないでしょうかね。   (男子)
*「有機化学」に限った事ではないが、「反応」は一つの物質だけでは殆ど起こらない。大部分「或るもの」と反応して新たな物質をつくり出す。反応する「或るもの」も様々で、生成物は「それ」によって大きく異なる。結婚も同じで、元々在る物質を自分とし「或るもの」を異性であるとすると、そのパートナーによって人生は大きく変わってしまう。人生、いろんな人と出会うことで自分が成長し変化して行くのも同じだ。また「或るもの」が同じであっても、触媒や温度、pH等によって反応が起こらなかったり、まるで違うものが出来たりもする。これは環境ー例えばセックスの相性等ーによって離婚に至ったり裕福に暮らせたりするのと似ている。   (男子)
こういうのを、どっと何百人もが提出して行く。仕事も忘れて読んでしまう。

* 東工大を定年退任して、もう思えば三十年近くなっているか。それでも今も何人もの当時卒業の院生達が、広い世間の銘々の座席から「秦先生」へと寄ったり声を掛けてくれたりする。このところの疲労困憊と聞いて「慰労会」をしましょうとまで、一升瓶を四本も送ってきてくれた人も。
あの当時世の中の誰も豫想もしなかった作家秦恒平の東工大教授任命、なかには「名人事」とまで驚いてくれた人もいた。私は国立の東工大などと謂う大學の存在すら識らぬも同然の、そんな或る日の夕食時に、突と先任の主任教授からの電話がきて、いきなり教授就任を依頼されたのだった。のちのちには、著名の批評家で退任された先任教授の江藤淳さんの強い推薦があったと聞いた。「大学教授」は、小中高校の先生と違い「無免許運転」です、好きに発射して下さいとも励まされた。
おかげで、私には若ーい友人達がたくさん出来た。有難い。

* それにしても、父の「ハタラジオ店」もよう嗣がなかった、いまも徹底して「機械バカ」の私に、たとえ一般教育の「文学教授」にして国立東京「工業」大学とは驚いた。承けた電話のたまたままぢかにいた建日子が、「東工大?」と夢にも名も識らなかった名をいぶかしむと言下に「名門だよ!」謂う多にもまたビックリしたのを想い出す。
昔の学生君、ハナの季節にはあの東工大構内のすばらしい「櫻」を觀に行きましょうよと誘ってくれている。それはそれは見事な「櫻・櫻」なのだ。
2024 2/26

◎ 『青春有情  東工大余話』 3

1 結婚は「建築学」である  つづき
「恋」にはへんにおどおどした学生諸君が、「結婚」となると、なんとハツラツと我が田に水を引くことだろう。しかも思わずかなり真剣な実感を交えていることも、疑うわけにいかない。自分の実感と言葉で、既成の学問への理解や批評もしぜん露出してくる。結婚という未知ではあるが近未来の重い現実にもかなり真面目に身構えている。故郷へ帰れば身近には、もう結婚し、子供まであって「稼いでいる」友人がいたりする。そういう現実に想像以上に学生は厳粛な視線を送っている。「親の金」に頼っている学生身分のアキレス腱が見える。
とにかくも、恋よりは「結婚」観の方が、はるかに堅実に落ち着いている。東工大生は将来の「仕事」に希望も自負もよほど具体的にもっているので、後顧の憂いなき「家庭」に対する願望が、特徴的に、強いのだろう。
ただそういう願望と、例えば学生のうちに好きな人との「同棲」を体験しておきたいといった「性」付きルームメイト志向とが、やすやすと共存もしている現実でも、ある。異性の「同居人」との生活を、ごく日常感覚でさらりさらりと話してくれる学生を、幾組も知っている。
むろん「性」の結果があわや妊娠の心配と化し、青くなったり赤くなったりの学生が、一年生にもいる。子供をおろしてしまった、つらい、死にたいと打明けて来る女子もいる。それには実は驚かない。が、私のような道草教授とちがう十年二十年もの同僚教授たちが、「まさか…」と絶句のあげく、学生にカツガレているんじゃないですかと宣まうのに、驚いた。そういうセンセイほど、今の学生は何を考えているのやら、さっぱり分からないと匙を投げている。それどころか、現代の学生は何も考えていない、幼稚だ、バカですよと来ると、どう割引きしても、危険だと思う。
四年間に、そんな学生に三万五千枚の「泥」を吐かせ、一心に読んで応えてきた私には分かるが、何を考えているのやらと嘆かれている学生たちの殆どが、内なる思いを発信したくて機会を、聞き手を、渇くように求めている。そういう青春に、「自分の言葉」を見つけさせ、「実感」をせめて書いて表現させ、噴出させてみたかった。個性的な研究や創造の発想も構想も、そこから得させたいではないか。遠回りのように見えて、もっとも健全な文学教授の「道」の一筋がそこに望めるのではなかろうかと思ってきた。
2024 2/27

* 国民学校(さきの大東亜戦争ごく初期・昭和十七年(一九四二)四月七日に入学 前年十二月八日に日本軍は真珠湾を奇襲・開戦)の一年生を終えて直ぐ、一年担任だったたぶん四十代中頃の吉村女先生は、私に、一冊の「本」を手渡しに下さった。いまも現に、此処に、手の内に,在る。

文部省藏版(日本思想叢書第五編)
文学博士 次 田 潤 校訂解説

古  事  記

大日本教化圖書株式会社發行
昭和十三年十二月一日五版發恒行 定價金八拾錢く送料十錢)

* 巻頭に「口語譯」が挙げてあり、國生みに肇まり、難なく読めた。こんなに心惹かれて「興味深く面白かった本」は生涯に何冊とは無かった、暗誦するほど読みに読んだ。私の読書傾向と読書歴とをまさしく「決定」したこれが第一冊「私史の寶」なのである。「恩師」とは一にまさしく「吉村先生」であった、そして「もう一つ」挙げれば歌歌留多の『「小倉百人一首』に、私は『古事記』の「日本」にならぶ、もう一面の「日本」を学びかつ覺えた。感謝に堪えない。    朝 七時
2024 2/28

○ 秦先生 今日は
長い間ご無沙汰してしまい申し訳ございません 一月十七日 湖の本No166拝受しました。いつもお心遣いありがとうございます
「完了(終結)」の文字を複雑な気持で受け取りました
蛇行 或る左道變  老蚕作繭  (=最新作)
一文字 一文字 追いながら 数十年前
『みごもりの湖』を(桐生の=)讀書會で話し合った当時の様子とだぶり感無量です
秦先生らしい作品ですね
年を重ね理解力が落ち(昔もそうでしたが)思っていたより時間が掛かりました
いろいろな作品の場面が頭の中を駆け巡り 想い出に耽ってしまいました
一六六冊 すごい仕事量でした
迪子様と云う良き配偶者と巡り合い 二人三脚で頑張って来られました
これからも無理のない範囲で異見を発信して下さい
お話ししたいことが沢山ありすぎて 今は整理ができません
奥様ともどもお身体お大切になさって下さい
長い間ありがとうございました
感謝の気持ちでいっぱいです
令和六年二月二十二日
桐生(市)  住吉(一江)

* 「湖の本」一六六巻の作家・秦恒平として、また内助の妻として、頂戴できたこの温かなお手紙、嬉しいこれぞ数十年へ、久しい読者の皆々さんからの「勲章」よと、感謝して胸に飾ります。
2024 2/28

○ 2月の「私語の刻」嬉しく拝受、拝読いたしました。
ありがとうございました。
昔々の同級生さんから贈られた手編みのジャケットにほっこり胸があたたまり、新潟の藤田(少年)のお名前に、ああ、となつかしさを覚え・・・。
皆様のさまざまなお便りに、時のたつのを忘れました。
わけても、2月1日付けの「春は、あけぼの」さんのお便りは大変印象深く、繰り返し拝読しました。
先生は、ちょっとお疲れのごようすでしょうか? 寒暖差の激しい日々、どうぞ、おからだを大切にお過ごしくださいますように、奥様も。   I・YAMANAKA

* 疲れ気味ですが。持ち堪えて、脚を先へ運んで参りたく。

○ 「湖の本 作家 秦恒平 文学と生活」
うれしいです
大きい表紙 すばらしいです
モニターの横に もすこし小さくして貼らせて戴ききます
「うつつあらぬ…」
鳴きしきって貰えるうちですね
「元気 元気…」と元気を出して かんばります
秦さん くれぐれもお大事に お大切に されてください
私は家の中で歩く練習をしております よろけ注意中です
三月 櫻の咲く時分… いい月でありますように
千葉  勝田 拝
2024 2/28

* 都下東村山の近藤聰さん、同じく府中の齊藤誠一さん、神奈川県茅ヶ崎の吉川幹男さん あいついで「湖の本」終結を惜しんで下さる。

* 年鑑の全「私語」内容を多年にわたり詳細に「事項」分類し続けていて下さる方もあり、感謝に堪えない。
2024 2/29

○ 恒平兄様 いつも「私語の刻」ありがとうございます。
明日からはもう3月ですね。なんとかお元気に活動されているご様子で ほっとしています。私も休み休みの生活ですが、何とか無事に過ごしています。
江藤淳さんのお名前で、以前私が宝石社に勤めていた頃のことを思い出しました。
その頃 代官山の高級アパートだった東急アパートに住んでおられました。昭和30年代のことです。
雑誌にコラムを書いて頂き、原稿が出来ると私が東急アパートの郵便受けに受け取りに行く係りでした。一度もお会いせずに、何回か伺ったと思います。
お電話でのお声のみでしたが、何となく懐かしい思い出です。
東工大の学生さん達との出会いは、本当に不思議な幸せな人生の巡り合わせでしたでしょうね。文章を読みながらしみじみ思いました。
これからは少しずつ暖かく過ごしやすい日もやってくると思います。
どうぞ くれぐれもお大切にお過ごし下さいね。迪っちゃんにも どうぞよろしくお伝え下さい。いもうと琉美子

* 詩も繪も 美しく表現できる,妹。コロナも上がるかと、久々に都内で顔も観たいが。
亡くなって久しい保富康午兄も、いい詩集を遺されていて、時代に先駆けた早い時期のテレビ・放送作家であった。
2024 2/29

○ お元気ですか。ご体調心配しています。どうかご無理なさいませんように。よくお休みください。
昨日、昨年度の「私語の刻」作業済みのファイルを28個送らせていただきました。不着の場合はお知らせください。再送します。
寒暖差の大きい日々です。みづうみに、想いのこもった元気玉お送りします。  春は、あけぼの

* 成り行きにまかせて書きに書いてい『私語』の一年分を、まいとし整理して、28項目ほどに分類・整頓・列挙して下さっている。何に関連してどう「私語」してどう「書いて」いたかが、直ぐ引き出せる。しかしまあ大変な作業であるだろう、感謝し恐縮しています、毎年。有難く。
2024 3/1

○ 明日は、お雛様ですね。怖い雛のお話を思出しています。
メールを有難うございます。日々のご様子がうかがえて、嬉しくなりました。
東工大の卒業生のお力を借りて、また「ホームページ」がアップできるようになればと熱く願っています、が。
先月は成績評価(学生のレポート、一人、が一人に添削してコメントを返しました)も終えて、十日間ばかり熱海に滞在し、河津や下賀茂まで花見(河津桜)に出掛けたり、沼津へ「伊豆の踊子」の観劇に行ったり、少しのんびりしてきました。
市川に戻ってきて、昨日は三島由紀夫の研究をなさっている木谷真紀子さんとお昼をご一緒しました。木谷さんは同志社のご出身で、同学にお勤めになり、今は和洋女子大の隣の 東京医科歯科大(四月から東工大と合併)の教授です。
「湖の本」が二,三冊出た頃に、コへさんからお手紙を頂いたことがあると仰っていましたが、ご記憶でしょうか。
今は、二〇日締め切りの原稿「川端康成と軽井沢」を執筆中、その傍ら、六月に開催する市川市民対象の講座のテーマを検討しています。
市川市ゆかりの東山魁夷(市内に東山記念館もあります)と川端について話そうかなと、佐藤春夫編『詩文四季』など見直しているところです。佐藤の「序に代へてーわれらが四季」の肉筆原稿を巻頭に、朝日新聞PR版「四季」欄に発表された谷崎の一〇篇(絵・小倉遊亀・安田靫彦)や川端の一〇編(絵・東山。四篇は東山の絵の方が先行)も収録されていて、なかなか面白い本です。風土や四季の問題について、考えをめぐらしています。
四三寒四温温の春。どうぞお体お大切になさって下さい。 快晴  現在 大学教授
2024 3/2

○ 秦さま  三月ひなまつりの日 わが家では例年「宵節句」と称して昨夜、ちらし寿司と雛蒲鉾をたくさん 堪能致しました。わが家全員、アルコールアレルギーですので、ちょっぴりの甘酒と蛤のお吸い物です。(私はニコチン中毒です)。
ご丁寧なメール、楽しく拝読致しました。とりわけ東工大教授をお引き受けになったあたり、とっても面白く興味深かったです。
そもそも、建日子さんに「名門だよ」と指摘されるまで東工大が名門中の超名門とは ご存じなかったのにはビックリ致しました! そんな日本人がこの世にいるとは・・・・。東工大が東大に比肩する名門ということは、私は中学生の頃から知ってましたので。私の周囲の誰もが十分知ってました。
私の先輩・同輩の何人かは「ホントは東工大に入りたかったけど、難関なのでやむなく地元の東北大にしたんだ」と言ってました。
秦さまの、学生たちとの向き合いかたにも、心から同感致しました。私も長い教員生活の中(約40年)で、学生たちから実に多くのことを教授してもらいました。彼らのうち何人かは、今も親しくお付き合いしてますし、時折ひょっこり、数十年ぶりにわが家を訪れてくれる方もいます。 「ケー子センセー、まだ生きてるかな、と思って来てみたよ」などど宣って。
そんな彼ら・彼女らに勇気づけられて、80歳代もなんとか元気に生きていけそうです。
秦さまも迪子さまも、どうかくれぐれもお大切にお過ごしください。  遠藤惠子
昔・勤務先後輩同僚 のち、仙台等で大學教授 乃至学長
2024 3/3

* 作家の森詠さんから、有難いお手紙を戴いた。「廬山」を「繰り返し拝読し、なぜ授賞にならなかったのか不思議でなりませんでした」。これはその当時にもすこし囁き合われるような事情が選者のいちぶにあったと、漏れ聞いていた。
「166号をいただき、米壽を機に、、これを最終刊になさると識り驚きました。作家は死ぬまで現役です。今後もぜひ書き続けて下さい。読者の一人として、次の作をたのしみにしています」と。 感謝。
「湖の本」というカタチでの終結は、老妻と二人での千冊にあまる本の「発送作業」が行き届きかねると感じたため、他の「方法や手段」へ切り替えたいということでして、可能なな限り「死ぬまで」「書き続け」ます。

* 日本近代文学館からも『湖の本』終結を惜しみ、久しきに渉る寄贈への謝辞が届いていた。

* 仙台の遠藤恵子さんからは、妻に宛て、「いただいた「湖の本」再読三讀して楽しんでいます」と、さらにさらに「元気に生きて」と励ましがあつた。感謝感謝。
2024 3/4

機械(パソコン)の容態が、乃至は老耄私の作業が不安ないし不安定に推移しがちなので、ハラハラのし通し。この、現在遣っている機械がもそも鷲津君や柳君の託宣ではハナシに成らない「古物」なのだと。しかし新しい方の「より大型な機械」の性根も性質も機能の程も、まだまだ私のアタマにテンで入ってない。お話にならない低能で、おおかたアテずっぽうに弄っているのだから、古物機械よりもまだサマに成らない。機械の仕様書、指導書というのが無く、頼みの綱が失せている。やれやれ。

* ドーモ、最晩年までも私は「読書人」なりの「書き手」でしか過ごせそうに無い。イイじゃないか、ケッコウじゃないかと自分を励ましています。

* すべく、したい仕事が何なのか.放心状態。

* 寝る、寝る、幾らでも寝られる。

* 受信機能が、見当たらない。
2024 3/5

* 夢に、わたくし入社時の「医学書院社長」だった「金原一郎」さんと、「秦の父・長治郎」とが、それは仲良く笑いあい抜き手を切って水泳していて、私は嬉しさに、夢中、声を放って泣いてしまった。
金原さんは、私の、「それはヤヤこしい戸籍謄本」をさっと一瞥、「こんなことは、わたしは、気にしないよ。きみも一切気にするな」と、初の面接の最初に言われて、即、入社に「合格」したのだった。
十五年半ほど在社、金原社長隠退の當日「八月末日」に「私も退社」し、「作家・秦恒平」一本立ちの日を迎えた。
在社の歳月を通じて、怒鳴る「鬼」の、噛みつく「マムシ」のと全管理職社員もビクビクした此の社長に、ほめられこそすれ、一度も「𠮟られも」しなかった。ある年の或る日には、社長自身で私の「課長席」まで見えて、「これは告別写真にするんだよ、貰ってくれよ」ととてもよく撮れた顔写真を手渡しに下さった、佳い御写真だった。広い余白に社長ご自身の手跡で、

秦 恒平君
社長  写真一枚 お贈りします お受取下さい

と。何よりの「寶」のように身のそばを離さず以来何十年、今も手の届くところに置いて、朝晩の挨拶を欠かさない。

* そんな懐かしい「金原一郎社長」と、わたくしを四、五歳で「もらひ子」してくれて終生一貫愛育してくれた「秦の父・長治郎」とが、オウ! なんとハダカで大浪に{抜き手}で元気溌剌、笑い合うて競い泳いでいるのだもの、何という嬉しい光景か。私は、寝たまま夢のまま、おうおう嬉し泣きしていた。
2024 3/6

○ * あるまま、為るままで、いる。
→養老孟司先生のおっしゃる通り、すべては「なるよう    になる」「なるようにしかならない」のでしょう。

* すべく、したい仕事が何なのか.放心状態。
→私など一生「放心状態」でした。その日暮らしでしたし、   今もその日暮らしで、それを楽しんでいます。
→「仕事」ではありませんが、関心をもって見つめている   のは、イスラエルの戦争犯罪とパレスチナの人々の苦難   です。
見つめているだけで、デモに繰り出す以外に何もでき   ないのが歯がゆいです。
* 昨日は、啓蟄でしたのに寒い一日でした。今は雪が    降っています。
今のところ、「女川原発再稼働反対」の活動に取り組   んでいます。ホンネを言えば、私も仲間の皆も、全ての   「原発廃止」と言いたいです。
こんな危険極まりないモノを人類は持つべきではあり   ません。   仙台  恵  元・大學学長
2024 3/6

* 柳君が心入れを私が、勝手に考え違いして受け容れた一升瓶四本が、丁度カラになった今日、また柳君、一升酒を送ってきてくれました。ウーン。申しわけ、ないがなあ。 2024 3/13

* 今日、結婚して、六五年。妻に、感謝。

* 東工大での学生クンだった「柳」クンが祝ってくれた「世界一」というお酒で、夫婦ふたり、感謝し乾杯しよう。
秦の父に京都駅で見送られて二人で上京、新宿区河田町の「みすず荘」の六畳間に入り、新宿区区役所で結婚を「届け」たのが、六五年以前の三月十四日だった。
以来、「ふたり」でさまざまな道を、駆けも走りもせず、歩いてきた。
わたしは、幼少よりの志を得て、思いもよらず太宰治文學賞を授かって小説家に、また国立大学の教授にも思いもよらず招聘された。若い佳い友だちをたくさん持った。妻がよくよく日々、年々、助けて呉れた。

* 払暁 五時五十分、寒 凜乎。
2024 3/14

* 機械の「メール」機能を損傷したか、受発信ともに不能になっている。それと伝えるスベもない。まさしくの「機械ばか」で、機械クンには甚だ申し訳ない。
2024 3/15

* 午後一時になる。午前何をしてたかも憶えない。メール機能を喪い、まさしく「孤独に孤立」している。寝入っていたいとばかり。

* 寝入りかけていた夕刻、表へ久々も久々の東工大院卒 林丈夫君が手土産まで持参で来て呉れた。わたしは呆然としてまいっていた。残念無念の儘そのまま僅かな玄関外での橘氏で帰って貰った。一つには上がって貰える片付いた場所も無かった。申し訳も無く、且つ、ざんねんしごくであったが,私も明朗にとてもお相手のならないサマであった。 残念残念でならない、が。
だが,只今も瞼は重く塞がろうとしている。やれやれ。
2024 3/17

* 機械がくずれ、メール機能は紛失して受発信が不能、いよいよ世間を離れ、「孤離・孤立」の感。やれやれ。寝るか。
2024 3/17

* 「謹呈 秦恒平様」「猪瀬直樹」と献辞は入りの単行書『三島由紀夫と石原慎太郎』を手にしてみた、が、何とも私の踏み込む世間ではなく、失礼した 。
2024 3/17

* なんとかメール機能が復活して欲しい、が。私の手には負えない。きのう林丈夫君が玄関外まで訪ねてくれたとき、わたしの隊長がほど良かったなら、恃んでも機械の前へ上がって欲しかったが。ブッ倒れそうに弱っていた。
2024 3/18

* 此の用いてもう幾久しい機械が,私、どうも安全に使用しきれない。なさけなく、恥ずかしい。

* メール機能が消散し、「外」世間とのつきあいが絶えている。心細い事だ。なにか、美味ぁい、それも濃厚なものが食べたい。部厚いトンカツとか、多彩に煮立ったすき焼きとか。一尺もながい海老天とか。昨日の、妻の順天堂病院検査の帰りは数年ぶりの池袋へと思い合うていたのに、結局草臥れて保谷へ帰り、駅ちかくでの食も買いもならぬまま帰ってきた。
生き方・暮らし方もヘタになったものだ。寝て,夢に激して大声で怒っているなど、八十八の爺い、くたばった方がいいのか。

* 午に成ろうとしている。何も出来てない、しようともしてない。

* 晩になっても、同じく。心惹くのは『モンテ・クリスト伯』ばかり。
2024 3/19

* 機械が 手に負えず 困惑 なにもかも故障かと。そして私の体調も アタマの働きも グチャグチャです。此のメールが送れるのかドーカも判らないで居ます。元気でいて下さい。 今は、それだけを願います。 ボヤーッとしています、なにもかも。けれど、生きていますから、それは安心して下さい。 読めるかどうか、読めたら 読めたとだけでも返信しておいて下さい。

* なにもかも おハナシにならず「衰弱の気味」。それでいて「着手」したいあれこれの「仕事」に心惹かれている。
『参考源平盛衰記』巻初の『剣巻』は「読むに値い」の力編、清明に訓み下してみたい、とか。「平家」の、副都「福原」を西国へ陥ち行く前夜の、一問を挙げての管絃舞踏の宴もまことに美しく、この、全四十八冊もの「盛衰記」は広く読まれたいとしみじみ思うているが。もっと早く元気なうちに敢然「全訳」に手を染めたかった。まさに残念。

* メール機能を機械から見失い、なんとも、淋しい。
2024 3/20

○ 前略・御高著『湖の本』(166)お贈りいただきありがとうございました。拝読してからお返辞をと思ったため御礼が遅くなり、いたく失礼いたしました。
「これにて「最後の一巻とされるとのこと、とても残念な気がしますが、お手ずから発送の労を執っていただいたものをうれしく頂戴していた身としましては、「続けて下さい」とおこがましくお願いする資格はないとも思います。これまでのご芳情にに、心より御礼申し上げます。
それとともに、ぶしつけなお願いですが、創作の方は少しずつでも続けていただければこれほどうれしいことはありません。薄ぺらくなってしまった現代文学の世界に、王朝古典の文学遺産を受け継ぐ秦さんのような重みのある作家が存在することが是非とも必要だと感じております。
どうか御身ご大切にお過ごし下さいますよう。
都 世田谷区上祖師谷   土方 洋一

* 厚く熱く 感謝。「湖の本」の終結通知に寄せられた沢山な読者の皆さんからのお便りをおおかた取り纏めたようにお書き下さっている。

* で、今、此処で取り纏め「作家の私・秦恒平の今後」を希望とともに展望しておきたい。
私は、相変わりなく「読み・書き・読書と、創作」の日々を続ける。その餘に、私の生きようは、無い。
「本」の形で「百六十六冊」刊行し続けた『湖(うみ)の本』は、以降「第二百巻」までを目途に、この『秦恒平 私語の刻』欄を基本取材の「場」とし、途絶えず、「すがた・かたち」も工夫し、日々書き継がれて在る「原作・原文を編輯・編成」して、いまも「此の此処」に、「掲載し続け」ます。「本のカタチ」で印刷・製本し発送するのは、やがて「卆歳」の夫婦の手には流石に余るからです。ご理解ご承知下さい。
メール便での送付は手安く、「それがいい」とお考えの方は「原稿送付先となるメール・アドレス」を「秦宛て」予めお教え置き下さいますよう、別途に私用、まして悪用する事はありませんので。

みづうみのうれひもなみの行くはてを
たれまつとなく 光るおほうみ   恒平
2024 3/27

* 指先が痛いほど寒く、冷たい。

* メールでの交信や對話が不可能になっていては、湖底に沈んだ一粒の砂利のようだ。やれやれ。われ独りの時空を紡ぐ「静かさ」よ。いま、早朝の七時二十分。両脚が、痛むほどの冷え。上ハむやみと着重ねられるけれど。
ま、メゲていないで、新規造成、第二百巻をめざす『私語の刻』態りに新たな『秦恒平・湖(うみ)の本』第百六十七巻を創って行く。太宰治賞がまさに舞い込んできたころ、大きな俳人であられた荻原井泉水さんは大きな字で『花 風』の額を下さった。山本健吉先生は、師であられた「秋艸道人」がさらに師から承けられた『学規』を自書されての扁額を下さった。優れた鷗外學に稠密の新生面を築かれた國文学者長谷川泉先生は部下でもあった私の「作家」への旅立ちに即座に『文質彬彬』の四大字を書して行く手を示して下さった。信じがたいほど大勢の先達・先師から私は、「創り 成し 学び 続けよ」と「励まし」て戴いた、戴き続けたのだ、それは今なおなんら変わらない、私は「卒業」してなどいない。
寒くても、痛くても、シンドクても「道に、先」はある。

* 午前十一時過ぎ。「先」 容易には見えない。沁みるように両眼痛く、空腹感。
人の、聲や言葉が聞きたいが。メール機能が働かない、というより働かせ方を忘却しているのか、も。
2024 3/28

*  どうしょうかと思いつつ、やはり早起きした。猫チャンのアコもマコも喜ぶ。 寒い。
やはり第一義の仕事は途中の新創作を巻頭の要に追いつつ、いわば「私語の刻版」、『新・湖の本 第167巻』めを、もう郵送でなく、「メールで引続き<電送>の利く読者」宛て送り出せるよう着々「用意」「進行」する事。印刷所とも製本所とも縁が切れて、ますますの、本格の「パソコン作家に腰を据えてかかるのである。人生、弾むように推移する、永かった過去も、卆寿をまつ夫婦での最晩年の「仕事」も。

* と言い続けながら、私、いま大肝腎の「メール機能」を見失ったまま、唸っている。認知欠損気味に「卆 九十歳」へ滑り落ちて行く「生涯一作家」を、誰方か援けてと、やっと弱音になる。。
2024 3/29

○ 櫻   那珂良
お元気で桜だよりなどお楽しみに、と思いながらも、お元気でしょうか?

○ 三月下旬の天候ですっかり遅れた桜の開花、そして一斉に桜開花宣言です。が、昨日はまだ開花の気配を感じられませんでした。そちらはいかがでしょうか。桜を精一杯楽しんで欲しいと心より願っています。
シンガポールに暮らす娘は桜の時期に出会うことなかったので、今年こそはと思っていたのですが、3月29日に帰って行きました。腕白クレイジーな孫たちも・・。急に静かになりました。山ほども家事、用事があり、わたしは「お疲れ」です。
でも何より気に懸かるのは、鴉 あなたのこと。気力確かに、うららかな日々であって欲しい。  尾張の鳶

* ぐったり  尾張の鳶へ
凸版印刷の担当者宛て たった今 送ったメールです。鴉の近情です。

在来の『秦恒平 湖の本』を百六十六巻で一先ず「休止」しましたのは、「卆寿ちかい夫婦」での「発送」作業がもう無理と感じられ、体制を替えねばと思ったからです。
結果として、尠くも第二百巻までは、私の「ホームページ」ないし日々の「私語の刻」の上ニ、毎回その「最新巻」に「『秦恒平・湖(うみ)の本』 (長短編小説) (秦恒平・私語の刻)」』という <従來通り>の大構成で{継続公開}し続けまjすとともに、すでに年久しい「メールアドレス読者の皆さん」には、全一巻ごと、全員「電送」でお届けをと「計画・予定』しています。
これですと、家内に負担掛けず、私の手慣れた日常「創作」過程の儘、私独りでの発信・送信作業で、みな「要」が足ります。
「第二百巻まで」「もう三十四巻」仕上げられれば、ま、わたくしの「作家人生」も もう いつ「綴じ終えても」宜しいか、と。「命」続くかの方が よほど案じられますが。 この一年・半年の,私 疲弊・疲労困憊は甚だしく、今日も、近くの病院通いでしたが。「栄養失調」に「相当」していると。酒よりも 蛋白質・脂肪を「食べよ」と 𠮟られてきました。
じつは  いわゆる「新書版」で やはり「本」の形に創り続けたい気がありました、が、やはり「発送作業」の疲れは夫婦に及びますので、断念。「出来本」は、ホームページで観て戴き、メール可能な方々へは全て「電送」でさし上げると 覚悟しました。
以上、只今の存念です。ご懸念恐れ入ります。感謝申しあげます。今後とも、お見守り下さい。
秦恒平 「湖(うみ)の本」版元
2024 4/1

○ ようやく東京も桜の開花宣言がありましたね。
先日から帰省中ですが、こちらもここ数日の温かさに桜もほころび始めたところです。父の里へと高梁川を遡る道も、山桜や菜の花、水仙など綺麗でした。
来月九十歳になる父も母も、大きな病気ひとつせず元気なのが何より、私も明日一つ年を取り、(大学教授の=)定年まであと三年です。
帰省中は、昼は出掛けて、夜は東山魁夷の画文集など図書館で借りて来たものなど読んでます。六月の文学講座「川端康成と東山魁夷ー文学と美術の交響」の概要もまとめてみました。 市川へは四日に戻ります。今年度も新たな気持ちで励みたいと思います。
旗楽人さんも、どうぞ、お元気でお過ごしください。 快晴
2024 4/2

○ 九段の櫻はこの週末頃が満開、週明けは雨のようですね。
近辺のお店を少し調べてみましたが、この時期は難しそうです。都心方面で久しぶりに訪ねてみたいお店など、思い浮かぶところはございませんか。
「四年ぶり」に「外出」して櫻を見、美味しいものも召し上がって、英気を養うことができればいいですね。
『新・湖の本』の「電送版」、東工大卒業生の方々のご助力も戴いて、是非是非 実現しますよう 心から願っています。
快晴
* 俳優座の「招待状」も變らずいただいているし、歌舞伎の案内も。もう「コロナ禍」に恐れなくてもいいか。伝染病に,斯くも永く迷・惑、逼塞するなど曾て無い変事であったなあ。

* なんと.今日は「若い」友だち二人の嬉しい来訪と、お報せと、がありました。
ひひとつは、私を、変わりなく「おじいちゃま」呼んでくれる、あの今モ愛しい亡き孫「やす香」の大親友だった「かをり」チャンが、十歳ほどのお嬢ちゃんと、玄関先まで訪れ呉れました。あがってもらい、お嬢ちゃんが「かをり」チャンと私たちと三人の写真を撮ってくれ、別れ際には「ハグ」して帰って行きました。「かをり」チャン、今も、ま傍の「やす香」写真をみるなり声あげて泣きました。私たちも泣きました。
もひとつは東工大で出逢え丸山君から。

○ 秦先生 暖かくなって 桜が咲いたと思ったら 今日は雨で寒い日になってしまいました。
国立(くにたち)の大学通りの桜は未だ7割か8割といったところでしょうか。保谷はいかがでしょう。
さて、先日ご連絡をしたウチの上の子、葵が 昨日無事に 大学に入学をいたしました。建築デザイン学部です。なんと建築を専門に勉強したい!とのこと。親ばかですが、ちょっとうれしいです。(妻にはいえませんが(笑・・)
自分が行きたい学校と学びたい専門を選んで、しっかり前を向いて元気な「大学生」になりました。
帝国ホテルのレストランで 先生に抱っこされていたあの葵さんが もう大学生です。私も今年は52になります。
うちの母が先日80歳になり、どこが痛いだの、薬がたくさんだの 「年をとるのはイヤだ」と言っていますが、「葵さんが成長して大学生になるのだから、年相応に老いるのは当たり前だ」と悟っています。
先生も色々と体調等 優れないかと思いますが、若い人たちは頑張っていますので、是非これからも(年相応に)頑張っていただければと思います。取り急ぎのご報告まで。
* そういえば、今度の4/12で葵さんは20歳になります。
葵さんに「20歳のプレゼント何がいい?」と聞いたら、 「20年もののイタリアの赤ワイン」と言われました(笑)。。。やはり、今の若者は元気です 笑! 早速酒屋に行って探して貰ったのは言うまでもありません・・・  ○宏  国交省

* 小さかった頃 私の膝に抱かれて可愛かった「葵ちゃん」が大学生にと、お父さんを追い掛けるように「建築」を専攻しますと。おめでとう。膝に乗ってくれた頃は三歳ころでしたなあ。

* 長生きして、また「さきざき」の出会いを期待したいものです。
嬉しい,嬉しい今日でした。

○ 丸山君 葵ちゃん 大學進學おめでとう
おっきく成ったんだ、 昔の写真 をながめて、觀無量 わが身の老いらくにも、呆然ですが。
お祝いとも謂えるモノではないが、とりあえず 私の激励の気持、送ります。  但し 丸ちゃんの住所が手もとに「二つ」在り、電話も不明なので  さしづめ、 「186-0002 国立市東二丁目 17-6」と 書き
ました。発送はあすになるので、もし間違ってたら報せて下さい。 以上 さしあたっての 前便として。  恒平

○ 櫻に雨   4月3日
嬉しいメールをいただきました。
壮大な企画、「第二百巻まで」「もう三十四巻」・・ただし「電送」の形でと。仮令 どなたから「お手伝い」の申し出があるとしても、やはり鴉はお二人でなさるでしょう。恙なく「完成」へ歩まれますようにと 遠くから願うばかりです。
雨の一日。桜はまだ散らないようなので、ひっそり一日を過ごします。と言うより殆ど遠出の外出もしないでいると、やはり年齢を意識してしまいます。いつの間にか老いを重ねている自分を。
フラフラと フランスやスペインを巡っていた頃から 長い時間が過ぎた気がします。旅のスタイルも ずいぶん変わりました。パスポート、飛行機のチケット予約、ホテルや様々な旅の情報の取得、カードなどの取り扱いetc,etc. そして円安!! そして老女わたしの 客観的な旅姿も!! 気力はまだ健在だと思っているのです・・が。
今少し落ち着いて暮らしたい昨今ですが、さまざまな事、特に多すぎる「物を整理」しなければなりません。
昨日ホームセンターに行ったら、園芸の売り場では売れ残ったチューリップやらが 可哀そうな値段で売られていました。咲いた後は球根を休ませて来年も楽しめますから 思わず買ってしまいました。ささやかな楽しみです。
今朝は台湾の地震で、沖縄に津波警報が出されました。石垣島に知人がいるので注意していましたが 落ち着いたようです。
ウクライナも、パレスチナも、・・いずれもいずれも哀しみに満ちています。
鴉の頭は ごちゃごちゃなどしておりません。栄養摂取し、特に蛋白質。脳の40%は脂肪です、脂肪も油っぽいなど思わずに摂ってください。
とにかく何はともあれ、執濃く 熱く生きてくださいと、心底よりのお願い。  尾張の鳶

* ありがとう。中国と日本の西欧の古典、物語。和歌・俳句・エッセイ・論著。まだまだ楽しめます。アタマも目も、坂を転げ落ちていくようですが。
むかあしに、大學をでたころに、こんな出任せの唄を口ずさみましたよ。

柿の木 柿の実 柿の木坂を
コロコロ落ちた 何処まで落ちた
秋の夜 秋の夜 だーれも知らぬ

栗の木 栗の実 栗の木坂を
コロコロ落ちた 何処まで落ちた
秋の夜 秋の夜 だーれも知らぬ

「実感」に成ってきたなあと 呟いてます。
2024 2/3

○ 永いご無沙汰です。いかがお過ごしでしょうか。能登の地震は、テレビ・新聞で見聞きする限りですが,能登の実家が被害にあった人によると、「ことばでは言い表わしようがない」のこと。一日も早いいつもの生活に戻ることを願うばかりです。
私の主治医が、市のボランティア会員研修会の講演でウェルビーイングの四つの因子として「やってみよう」「「ありがとう」「なんとかなる」「ありのままに」をあげられたと情報誌で見ました。診察の日に、そのことを申して、四つのうち、後の二つが私にあてはまる、などとお話ししました.先生は、ことばで話すことはむつかしい、何か言い忘れたことがあるなど思い返すことか多いといっておられました。
その帰り道に警察署に寄って,運転免許証を返納してきました。五十年の運転生活ーーやりちょっとさみしいです。しかし、この頃子供たちが私の運転をきらって、何かというとだいこうをしてくれます。三年間使ったホンダNIを手放しました。ああ、です。
代行運転はしてくれても、「代行家事になると,それぞれの生活もり、そこまで手が及ばないようです。相変らずの老家政夫の毎日です。ほとんど変ることのない毎日です。
先日長男夫婦が、萩、津和野の旅をし,念願の「吉田松陰」と「森鷗外」とに「お会い」してきたと喜んでいました。
車もないし妻を一人にしておけないので、もう「旅」は不可能です。気持はあっても体が、無理が利かないかも知れません。いろんな「老の生活」を営んでいます。頭の中もからっぽです。もうお目にかかることはないと思いますが、いつもお二人の「こと」をお祈りしていますどうぞお大事に。
三月二十九日   哲  元・石川近代文学館館長
秦 恒平様

* パソコンで、久しいお仕事から湧いて出る『私語』を書き置いて下さればと、ご健勝もともろともに切に冀うのだがなあ。

○  桜が満開に向かっていますのに、すっきりしないお天気が続いています。 お元気ですか、みづうみ。
みづうみとなかなかご連絡のとれない状態ですが、毎日毎日みづうみの文章と格闘を続けていますので、みづうみに満たされています。以前のみづうみからの個人的なメールを読み返しても、甦る記憶と共に ふしぎとさびしくはありません。
みづうみの機械の調子は如何でしょうか。このメール読んでいただけますでしょうか。ホームページの「私語の刻」欠落ファイル部分を何とか復旧する手立てはないものかと、深刻に心配するのですが、肝心のみづうみにその強いお気持ちのないことが残念です。
益々重要な日本文学の宝になるものでございましょうから、とにかくデータはコピーなさり 建日子さまやご信頼できる方にお預けください。そうすれば復旧の道もございましょう。
「湖の本「選集」についても おそらくデータがおありですから、外付けのハードディスクやUSB等にコピーをして保管いただけますように。台湾に大きな地震がありましたが、そのような時にもコピーならすぐに持ち出せます。海外への移動も簡単です。
私の「デジタル計画」はさっぱり進みません。「秦恒平文学研究サイト」を起ち上げ、「eー文庫・湖」を管理するという予定が、まだパソコン業者探しの段階で、自分の仕事の遅さを嘆いています。やりたいことに自分の能力体力が追いつきません。毎日大量の資料に埋もれ、パソコン画面を睨みながら評論を書きあぐんでいるだけというありさまです。

H先生とメディア対応についてのご相談始まったばかりと申しますか、みづうみが動いてくださらない限り何も出来ない状況です。みづうみが、ご講演などなさることは難しいと思いますが、たとえば動画撮影などしてくださる可能性はほんの少しでもおありでしょうか? 読売新聞西田氏の取材申し込みのその後は如何でしょうか? みづうみの偉業を広く伝えていくために、体力的負担の少ない機械環境の利点を、メディア発信手段の一つとしてどうかご活用いただけますように。

みづうみのご体調と機械の不調が想像できますので、このまま何も出来ないのだろうかと不安です。口惜しいです。私は諦めの悪い人間ですから、みづうみに少しでもお気持ちがおありでしたら、何かお手伝い可能なことをお教えください。みづうみのデジタルデータをすべてあけぼの手許にも保管したいと願いますが、みづうみにそこまで信頼されていませんから、現実味はありませんね。
今日は毎月のお願いを申します。二月二十九日(二十八日までしか頂戴していません)から三月末日までの「私語の刻」をお手すきのときにお送りくださいますように。
みづうみが今週末に良いお花見をしてくださることを願っています。お元気で、今日もご無事に、いつもの一日をお過ごしください。いつもの一日ほど幸せなことはないと、年々その思いを深めています。 春は、あけぼの
追伸 「湖の本」電送のご計画、読者の大きな喜びです。だからこそ、ホームページの「私語の刻」の大きな空白部分の復旧をお願い申し上げます。

* いま、夜十時半。 実を謂うと、もう、自分が人さんから、どう云われ、どう激励され叱咤され希望され依頼されているのかなど、ほぼ理解も判断も思い入れも出来ていない。
それが否やも云えず 現在只今わたくしの「生きザマ」なのだと諦めている。行き届かないところは、どうかご容赦下さい。
2024 4/4

○ ごゆっくり
‘’近況「私語」のままに‘’ ありがとうございます!
こうして私などのことを思い出していただけるなんて、本当にありがたく嬉しく存じます。
北国仙台も既に桜も満開です。八木山(標高約100メートル)にあるわが家のすぐ近くにある桜も満開です。
東北大片平キャンパスには桜並木がありますので、私は通りすがりにそこで「お花見」を楽しみました。
亡母の生前には、「一目千本桜」で有名な白石川沿いの桜のトンネルをくぐったりしたのですが。
東北で桜の名所といえば何と言っても弘前城の桜でしょう。
私は見たことがありませんが、行ったことのある人は、だれでも皆「一生に一度は見ておくべき」と言います。
花にも桜にもあまり興味のない弟でさえ、「あれは圧巻だよ、姉さんたちも行ってみた方がいいよ。」と言ってました。
京の桜は、どこがいいでしょう? やはり醍醐の桜でしょうか? 秦先生のお勧めは?
こんなに早く桜が咲くのは、やはり地球温暖化ならぬ地球沸騰の気候のせいでしょう。30年ほど昔までは仙台の桜の開花は4月末でした。
小学校の教科書の挿絵に、桜の花片の下を入学式に登校する子どもたちが描かれていて、やっぱり東北は差別されているんだな、と妙に納得したものです。
言葉だけでなく季節の標準も、東京なんだ・・・、と。
地球沸騰のせいで水没する国々が増えつつありますね。その原因を作っている私たちではなく、被害を被るのは太平洋やインド洋などの島々の人々ですね。それどころか私たち人間は他の生き物すべてに、とんでもない迷惑をかけていますよね。動物たちにも植物たちにも。
ではどうしたらよいか、専門家はいろいろ検討提案していますが、せいぜい千年先くらいしか見通せないようです。
これが仏教でいう「業」というものでしょうか・・・・。
秦先生、地球をこれ以上沸騰させないためにも、私たちゆっくり 休みましょう。 仙台 恵 昔の同僚 後に、大学長

* 暫く前に書き置いたが、私は,独り静かに東山のなかを歩く分け歩くうち、渓や峰にちかく翠の木々に隠れたまま一樹の櫻が満開なのを見つける嬉しさが忘れられません。
いま一箇所、泉涌寺うえ、泉山御陵地へ参道で独り出逢う御陵奥の櫻木にも胸打たれたものです。「御陵」は圧倒的に千年の京都に數多く、宏大な墓地もお寺も多く、私は,お宮よりも墓地やお寺に親しめたのですよ。

○ 三日に、やす香さまのお友だちとお会いになりました記述を読み、胸に迫るものがございました。亡くなっても、やす香さまは多くの方の中に生きていらっしゃいます。何より、みづうみの「死なない仕事」の中で、これからも永遠のいのちを生き続けることでございましょう。   春は、あけぼの
追伸 「湖の本」一六七以降「電」送のご計画、読者の大きな喜びです。
だからこそ、ホームページの「私語の刻」の大きな空白部分の復旧をお願い申し上げます。

* 日々「私語の刻」はほぼ欠かしていないはずで、表に出てない箇所もどこかに藏い込まれて在ると思う。さて何処が抜けているのか、だが。

○ 早速のお返事びっくりです。
「秦先生のお勧めは?」などとお尋ねしながら、まさか本当にお返事いただけるとは思っていなかったのです。
ありがとうございます!
そういえば、いつか「湖の本」のどこかで、泉涌寺うえの櫻木のことを拝読したような気がします。
土井晩翠作詞の 荒城の月 は、今も秋には高校生たちが青葉城址で斉唱しています。
私の母校 片平小学校の校歌の作詞者も土井晩翠でした。仙台市内の多くの学校校歌は土井晩翠作詞です。
松島はあの東日本大地震とくに大海嘯を奇跡的に免れました。点在する島々が天然の防波堤となって、松島湾内には巨大な波は入ってこなかったのです。
代わりに島々がいわば犠牲となって無人の小さな島々のカタチはすっかり変わってしまいました。
いつか近いうちに秦先生を松島にご案内できますよう願っております。  仙台  恵
2024 4/7

* 石川の井口哲郎さんから、館長をなさっていた石川近代文学館篇の『西村賢太旧蔵資料目録』にそえて、懐かしいお手紙を頂戴した。また重ね重ね醇良の「蜂蜜」五合も頂戴した。
想えば久しい。井口さんは私が「作家」生活に入った一等最初にお手紙を頂戴したお一人で、幾らか年輩、以来もっとも親しい友情に恵まれてきた。幾久しくお元気でありますように。

* 私は、崩れそうな心身で目も半ば塞いだような按配で此の日頃を過ごしている。健康を恢復せねば。
2024 4/9

* もう夕方の四時十八分。なにをしてきた今日か、漠然、半ば上も寝入っていたろう。
つい今し方、「住所録」を何の用もなくただモノスゴイ人数の氏名ばかり観ていたが、ふっと、京都の山科に学校の昔から暮らして今もと識れている人へ、「電話」してみると云う事を思いついた。かけてみた。三度も数字を読み間違え,やっと通って、幸いに、其の人にと想っていた人が電話口へ出てくれた。懐かしく三,四分も話したか、しかし上も下も歯の無い私のフガフガの発語・発聲は情けなかった。私の書いてきて書いている幾らかは最近も知っていて呉れる人なので、フガフガのまま失礼した。向こうの声はしずかに綺麗だった、七五年前の中学生時代が思い出せた。
ああ、もう、メール機能もう喪っているらしいし、この痺れ手で手紙もシンドイなら、電話の通る先へ、ときどき声かけてみようか,と、ご迷惑なことを思いついたりした。
聲・ことばのフガフガは仕方なく、老耄の年齢も、ま,お互い知れてある。在来のお付き合い、みな「書いたもの、文章」を介してで、先方さん、およそは判ってくれているでしょう。作家の私は、まだ「店仕舞い」していない。ちょっとずつで良い、電話の聲・ことばを勘弁して貰おうよ。メイワクやろうなあ、しかし。「ハイ其処まで」と、はっきり断って下されよ。
2024 4/10

○ 秦先生  先日は 入学(大学進学)のお祝い、ありがとうございました。
私はこの一年、ほんわじっくりと読む機会があまりありませんでしたが、三月の受験が終わってから早速、三島由紀夫の「愛の渇き」を読み始めました。久しぶりの小説で三島を読む事は初め、ことばを落としこむのに難儀したものの次第と慣れてきて,丁度今日読み終わりました。あの作品の,主人公の心象風景がありありと浮かぶところに読書意欲を掻き立てられ、検めて、本を読むコトの楽しさを感じました。
久々の讀書ということで興奮してしまい、つい本のことばかり書いてしまいましたが,先日届いた箱の中を見て、(読んだことのないさくひんでしたが)三島関連のほんがあることなまた興奮致しました。まだまだ私は知らないことが多いのですが、これからの人生で学び,知ることがどきるものが五万とあるということは幸せな事だとことだと想い大学入試、そして入学はわたくしにとって一つの通過点であり、これから大學の中に限らず,広がっていく行動範囲や人脈、そして物事を知ることで得た価値感で,社会での私の存在意義を確認し、そこからより多くの方々に幸せを還元できればと思っています。私のような若者の前には秦先生のような先達がいらっしゃること、勝手ながらとても心強く思っております。先の方、身近の方、そして後生のため、精進して参ります。
文末とはなりますが,改めて,入学のお祝いを
ありがとう ございました。  2024.4.6  葵

* お父さんに抱かれて、帝国ホテルのクラブで渡しの比させニモのってくれた三つになる成らなかった葵ちゃんの「成人の辨」思わず微笑む。
「古典」もぜひ読まれたい。徒然草、平家物語、枕草子、そして古事記を。

* メールが、送れも貰いも不能のようで。私には処置しようがない。連繋の別機械へはどうか。その調べようも覚束ない。機械(パソコン)からもう次第に離縁してイイのだろう、か。
2024 4/11

* 手紙を呉れた新大学生の丸山葵ちゃんが「三島由紀夫」のなを書いていて、幾昔も以前の感懐を呼び覚まされたが、私の、ま、不勉強と云うておくが、「三島由紀夫より以降」の、いや「第三の新人など」といわれた人たち(私自身は、時世は大江健三郎らと同じくしていたけれど、しかも全くの孤立作家であったけれど)より「以降」の新人作家を、ほとんど、作も名前も覚えぬままとは、我ながら惘れてしまう。ま、どうでもいいことだけれど。
2024 4/12

* メールが、働かない。複写機や印刷機と繫いでありながら、香堂の手順などを忘れ果て、役立てられない。「末期症状」とは是れか。

* 多勢の何方とも連絡が出来ていないと、私自身の年齢もも齢で、ウカとは同世代の方々へ呼び掛けにくい懼れを持つようになっている。そしていよいよ孤独に落ちて行く。
2024 4/12

○ お元気ですか、みづうみ。
ご体調よろしくないのではと、ずっと案じております。
何かのかたちでご様子がわかればと願う多くのご友人の方々と共に、お声の届く日をお待ちします。 春は、あけぼの
2024 4/ 14

* 昨日、階下寝室の一隅に小ぢんまりした「仕事場」を設置してみた、生きるのか、無駄に終わるか。
疲れで。目がショボショボ痛む。やれやれ。
パソコンのメール機能破壊のまま、いわば「外」世界のほぼ全部を、只今、見失っている。 此の足取り、どこへ向いているのか。
2024 4/15

* メールが機能市内ので、人さまとの縁が、文字通りに無残に絶えて行く。手書の便りをほぼ徹底してし忘れてきた。ハガキや便箋をほぼ全然遣わなくなっていた。「時代」ということに強かに気づかされる。
2024 4/15

* 郵便と電話とを、あまり臆せず用いるしか無い、メール機能は、だか「出来る人」に「手」を借りて復旧の他は無いのだから。トは云え、想う程の咲きも大方は私ナミの高齢、遠慮が在る。「お付き合い」は書中のお人と「結んで」足らせるのが結局無難か。
と,概して、今ぶん日本人では、平安和歌集や日記の、源氏物語の、大鏡の、源平盛衰記等の古代人たちが多く、そして漢詩人や史上のひとばかり、近現代文学や近現代人とのお付き合いは尠い。海外の人や文学も同然で、大作『主演女優』の作者陳彦など真っ向同世代の人とのお付き合いははなはだ尠い。宜しくはない。

* と,気づくと、ボーゼンとしている。
2024 4/17

○ 着信音あり
わたしは夕食の片付けをしていました。
九時すぎ、既にお休みになられたでしょうか?
桜、満開を過ぎたとはいえ、枝垂れや八重はまだ楽しめます。季節を思い切り楽しまれますように。日々大切に。 尾張の鳶
2024 4/18

○ 葉桜
いかがお過ごしでしょうか
黄砂で空は微妙な色、シルクロードからと思えば厭うことなく、不思議にさえ感じるのです。
お元気でありますように。  尾張の鳶

* もうもう久しく手書きの郵便を送った事が無かった。メールが私用できない現在、当惑。この手の指や、久しくパソコンのキイを押すダケの役に執してきた。
へたな字を紙に書きますかね。国民学校一年生の昔へ帰って。
2024 4/19

* 私の仕事ヘヤはヘヤは二階に六畳、私の大きな選集三十三巻はじめ、特大の事典・辞典・選集等々が百五十巻近くは収蔵の西壁に作り付け書架は別としても六枚の疊のに充満して本やモノが犇めき群れている。書も繪も写真も大小惘れるほど多彩に、かすかにも置ける限り荘れる限り餌も「場」を塞いでいて「鳴り」わたっている、つまりである、古來閑雅を、良し嘉し佳とした『書斎』の観念像をコナゴナに爆発させたように窓前と一瞥雑を極めている。当然に妻と建日子とは余儀ない例外に入ってこない、が、「機械の不機嫌など」あると万万仕方なく鬚髯の技の利く人には、何度か、東工大の卒業生学生くん何人かに入って貰わねば済まなかった、さぞ惘れたろう。趣味でそうなっているのではない。仕事暮らしに余儀ないモノの氾濫が収まりつかないということ。仕事とは、機械やモノを「片付ける」用事では無い、私の場合、どう散らかろうが毎日の「読み・書き・読書そして創作」が仕事。乱雑を整頓するのは年に一度二度で済ますしか無い。此の六ぢょうの書斎は、誠に温かい、暖かくも在る。くつろいで時には仕事の倚子や片隅のちいさなソファで寝入る事もある。全くの「私室」である。
2024 4/20

○ みづうみ、お元気ですか。
信じられない思いでみづうみからのメールを拝読しました。嬉しくて安心して、ほとんど狂喜したと申し上げてよいくらいです。
九日、十二日にメールしていましたが、はたして届いているのかもわからず、もう みづうみとの連絡手段はないのかと、ほとんど諦めかけていました。
ありがとうございました。あけぼのは 元気にしています。

音信不通の理由は、ほぼ器械のせいと信じていましたが、それでもみづうみと奥さまのご体調のことなど心配でなりませんでした。
新しいパソコンでメールが使用できないはずがございませんので、どうか、誰かの手をお借りになってでも開通なさってくださいますように。
取り急ぎ感謝と感激をお伝えします。みづうみの新作 絶対読ませてください。  春は、あけぼの

○ やっと
やっと、やっと、です??
メール届いて一安心。
ボロボロ鴉 カアカア精神はボロボロではありません。
あなたこそ 空高く翔け??  尾張の鳶

* 多くの方にご心配かけてしまいました。申し訳なし。
2024 4/20

* 勝田貞夫様
ご健勝をせつに願っています。
このメールが、届いてましょうか。パソコンの現状すら理解出来ないで 混乱に、うめくばかりです。「ラジオ屋育ちの機械バカ」を、まんまと此の歳まで背負っています。せめて 日々の愚痴・述懐なりとお目に入れ得れば、少しは安堵できますが。
目が霞んできています。私にはコレが恐怖です。杖をもてば、まだ歩けます。耳も、聞こえていますツモリです。が、心身 粥のようにグタグタ、ヘトヘトの毎日です。

ご一緒に またまた 墨田や上野の春を、六義苑などを そぞろ歩きたいなあと夢見ています。夢、になりましたねえ。

ドストエフスキーの『悪霊』 現今の中國小説『主演女優』 大デュマの『モンテ・クリスト伯』 水戸で編纂された大部の『参考源平盛衰記』 ナチスによる英首相チャーチル「誘拐」を書いた『鷲は舞い降りた』 そして相変わらず『源氏物語』など、どれも長大作を、日々愉しんでいます。
本が読めなくなると「最期」です、私は。

勝田さん  ご一緒に美味い、旨いモノが食べたいです。  お大事にお元気でいて下さいませ。

* 他記事など 行方不明
2024 4/21

* 春は、あけぼの 五時半です、そばに アコとノコとがいます。暖かです。

今朝は 江古田の奥の歯医者へ妻と同行のあと、街へ、せいぜい池袋へ、三、四年ぶりに出られるかナと期待しています。メトロポリタン地下で、おお、何年ぶりかの、美味い焼肉、佳いワインをと願っていますが、それまでに疲れてしまうかなあ、とも。

家では、向き合いたい仕事が 惘れるほど多彩に待っています。残年の乏しさを身にいたく実感しています。幸い、まだ、和漢新舊の本が愉しんで読めます、が、視力は、もう無残と謂うしかありません。

無、と謂うなら、 もう、歯が在りません、左下の奥に一本だけ。髪は、銀のように真っ白く、充分に豊かです。どんなに久々逢いたくも、ちょっと遠慮です。
脚は、家の階段など まだ 手すりをたのんで上り下り難なく、 また 気に入りの杖は手に、一時間ほどなら 妻とゆっくり下保谷の奥、まこと「清かつ閑の花櫻」を観て歩けました。
家では、女優の水戸光子? だっけ テレビで踏んでいる「足踏み」と同じ機械が まだまだ いつも 110度は踏めています。片手は壁に副えています、転落は危ないので。

それでも 健常の自覚は薄く、始終 ゆるい粥のように五体 疲弊困憊しています。なんとか凌いでいるという自覚です。

行きたいのは、銀座のような都心でなく、浅草や上野公園や隅田川沿い、もう来年はムリだろうと。京都へ帰りたい。

勝手な事ばかり書きました 御免。 存分に 耀く盛年を いとおしみ たのしみ そして 心行く仕事をしかと積んで下さい。 (名乗ろうとして、自分の名乗りが、思い出せません。わたくし ダレ でしょう。) 四月二十二日 朝の六時半
2024 4/22

○ いつのまにかゴールデンウィークが近づいています。いかがお過ごしでしょうか?
今日はテレビ番組のご案内です。毎週日曜日午前8時からNHK総合で放映の「小さな旅」
次回28日は 下関だそうです。火の山ロープウェイから眺める関門海峡も映るようなのでご覧ください。
取り急ぎお知らせまで。どうぞお大事に。 下関

* テレビでは『光る君へ』を、気を付け見続けている。同時代史も丹念に書物で追尋しつつ。画面でよく捉えていても呉れ、有難いと見続けている。
2024 4/22

* 此の日録が 「見えて・読めて」いるのだろうか、全然感じ取れていない。メールも届いてない。
2024 4/23

* 現に、この機械画面で昨日も今日も私が何を書いて、如何書き遺し、また伝え得ているのかが、まるで判らなく理解出来なくなった。
メールと謂う作業も 果たして出来て伝え得ていたのか さっばり判らなく理解出来なく、なった。老耄が繪に描くように私を捉えだしたらしい。
2024 4/23

○ お元気ですか、みづうみ。
昨日は私も早起きでしたから、みづうみからの早朝メールを見つけて嬉しく、最高の一日の始まりになりました。
歯医者さんの後に池袋までお出かけでしたか? コロナも落ち着いたせいか、街中の人出の多さに驚くばかりのこの頃です。お疲れのでませんように。

昨日は老猫を点滴に連れて行きました。外出といえば猫含めて家族や自分の病院ばかりというのは如何なものかと思うものの、地味な日常です。ゴールデンウイークもほぼ在宅予定。外出より読み書き仕事の時間が大事で(素人なのにエラそうに!)あけぼのは元気に秦恒平を「論じて」います。一日も早く仕上げてみづうみに読んでいただきたいと願いつつ、書けば書くほど苦しむ蝸牛の歩みです。

仕事の邪魔といえば、騒音。居住マンションの大規模修繕工事だけでなく、東向かいには販売価格がおそらく数億ではないかというマンション、南隣には神社の新築工事という珍しい工事もあり、もう うるさいし鬱陶しいことったらありません。営巣しはじめたツバメもついに退散してしまいましたが、ヒナに悪影響がありましょうから 今年は それが正解です。うるさい時は、久しぶりの『モンテ・クリスト伯』を夢中で読んで、別世界に逃げるようにしています。

>豊富に健常に「私語できる日々」が宝である。2022 4/5

「私語の刻」は、わたくし「あけぼの」の宝でもあります。どうか、可能な限り長く永く「みづうみ」の今此処を刻印し続けくださいますように。こんなことを申し上げるのは気が引けますが、前回お送りいただきました「私語の刻」では、二月二十九日だけでなく二月二十八日も抜けています。みづうみのご体調と器械の不具合を考えますと、この抜けた二日分をお送りいただくのはご無理かと存じますが、このことお心にお留めおきください。
みづうみとメールのやりとりをする日々はあけぼのの宝です。「存分に 耀く盛年を いとおしみ たのしみ」生きるためにはみづうみのご健康が何より何より大切です。とにかく転倒にご用心なさり、今日を、明日を、その先もずっとご無事にお過ごしくださいますように。 春は あけぼの

* ありがとう。 今日も、ほぼ終日潰れていましたが。そうそうしていては、「一巻の終わり」と書き入れねば成りません。こう気の萎えたときは、南山城の実父生家から京のハタラジオ店へ連れられた晩へ立ち返り、店の外のショウウインドウ㋨下柱にしがみついて家に入らぬと泣き叫んだ幼かった自身の声を聴きに戻ります。
2024 4/23

○ みづうみ、お元気ですか。
「私語の刻」二月二十八日、二十九日分に続き、四月二十三日までを無事に頂戴いたしました。大量のデータをお送りいただきありがとうございました。
建日子さんのお力でメールが通じるようになりましたことも、とても嬉しく安堵いたしました。
電話に代わって、機械文字での双方向の機械環境はなくてはならないツールになっていることを痛感しています。
今回冒頭に掲げられた次の文章に注目しています。

『私語の刻』 JUST BE MYSELF
* 日記・日録としてでなく、『私語』という「文藝/表現」として

2024年の、秦恒平の宣言として、しっかり受けとめてまいります。
今日は雨の一日で、少し肌寒さも感じます。お目をいたわりつつ、どうかお大事にお過ごしください。  春は、あけぼの

* 宣言ナンテ事ではありません。ただそれだけの事です。

○ メール到着  勝田
秦さんへ  > 2024/04/23 7:46、hata <fzj03256@nifty.com>のメール 昨日 7時46分に到着 受信しております
返信 ご報告 遅くなり申し訳ありません ごめんなさい
> 「ラジオ屋育ちの機械バカ」と。
昭和10年生まれが「こんな事」をしている なんてぇのは先ず誇りに思えるバカだと思います
「ラジオ屋のお父上」は 何とおっしゃるでしょうか
秦さん 「日々の愚痴・述懐なりと・・」「グタグタ、ヘトヘト」  やっぱりそうかぁと
「 げんき げんき 」に頑張ろうと思います
六義園 浅草・・の思い出 大事に大事にします
秦さん  ほんとうにありがとうございます 今後ともよろしくお願い申し上げます
どうか上手に「 げんき げんき 」が出ますように くれぐれもお大切にお大事にされてください
メールとどきますように     e-old 勝田 拝

* 鹿田さんとは ほんとうに久しくなった、私の一、二歳年長であられて、お医者さんでも。出会いは「ペンクラブで」であったかナ。なかよく二人で 六義園などなど 都内あちこちの散策や呑み喰いも楽しんだ。いつまでもと願うが、もう「行脚の楽」は、ムリかなあ。
2024 4/24

○ 秦恒平様  まだまだ大丈夫ですよ  野路秀樹
仮の器は年を経て使いこなし難くなってきましたが
清福の一服を味わいながら命永らえております。
みづうみの光るさざなみ新たしき
寄せてはかへるおほうみのもと (湖の本)
最近漸くゲーテ『ファウスト』の第二部が読めるようになってきました。若い頃は何を言っているのか、さっぱりわからず、読み終えることが出来なかったのですが、実にユーモアのある老人必読書だったんですね。
ある神秘学者は72歳までは自主努力で それから先は神さま任せと言ってました。
ひどいのは人格は27歳で完成されて それから先は幾つまで生き永らえても27歳のままとか。自分もそうですが政治家を見てると 分かりやすく頷けます。
老いては童に帰ると言いますから 開き直って「旅の恥はかき捨て」で楽しみましょう。  野路秀樹

* 秦は、17歳で硬ばり、あとは身に黴が生えたままの気がしてもいますよ。むさくなりました。
2024 4/25

* どんな按配に因るのか いろんなメールが舞い込む。殆どは即消去しているが、このところ共産黨の「志位さん」のメールがときどき舞い入って、短い筆致に、やわらかな「好印象」をえている。共産黨にはとにもかくにも「存在」していてもらいたい。
2024 4/25

○ 兄上様
メールを頂き、少し安心しました。読み書きもされていて、大いにほっとしてもいます。
でも本当に老人生活は過酷なものですね。それも年齢を重ねてみないと、老人というもの分からなかったことに 私自身も驚いています。人それぞれではあるとは思いますが。
迪っちゃんと共に、どうかご無事で過ごされますようにと心からお祈りしています! いもうと  琉
2024 4/26

○ 有り難うございます。
パソコンへのお便りからは、外出も お付き添いというかたちでも、なさっていたり、マシン運動もなさっていたりと、お気を付けてお過ごし、嬉しく思いました。
茨城から福島への路も、まだ 地方の良さが残っております。四度の滝も最近は凍結しないようになりましたが、いつでも いつまでも お待ちしております。 那珂良
2024 4/26

○ 昨日久しぶりに繁華街に出かける用事あり、お蕎麦少々送りました。
連休が始まりましたが、予定もなく静かな日々です。庭の牡丹が終わり芍薬の花が咲き始めました。牡丹の季節になると長谷寺を想います。奈良を以前より近しく感じます。
勿論京都は言わずもがな!
取り急ぎ  大事に、大切に、元気に。 尾張の鳶

* 好きな鰊蕎麦を頂戴した。感謝。返礼に送りたい荷も用意し、送りますよとメールもしながら、折角の二を何処へ置い 何や彼やと「ている」のだが、その「結果」がとかく霧消、処置無しの儘になる。広い家でも無いのに。
老いボケ、紛れない。際限なく今後の失念や立ち往生は免れまいよ。やれやれ。老蚕作繭と謂うが、ひどい繭が出来てしまいそう。
2024 4/27

* 消息の遠のいている人らが、気になる。
2024 4/27

○ 「桜の花」もすっかり散り落ちて、見上げた眼差しも落ち着いて、今を盛りの「つつじ」に移っております。
「日々のうた」をありがとうございます。
一首口ずさむ度に短編小説を読み終えたかのように噛み締めています。物語を辿り直す間にときが経ってしまいます。当分楽しめそうです。
たのしみは
老いた蚕に導かれ
吐き出す糸を
心に巻き止む   野路秀樹
2024 4/29

○ 世の中は連休、連休の人出を報道していますが 無縁の暮らしです。
昨日、早々に本が届きました。本当にありがとうございます。
パリは何度か滞在したことがありますが、それでもまだまだ何度でも行きたい所がある
不思議な都会です。オリンピックが開催され、幾らかの不安材料も考えたり、そしてノートルダムの再建が完成する来年以後に‥などと思います。円安は続きそうですから、 そればかり憂慮しても仕方ない・・わたし自身の体力気力との競争ですから、行きたい所をかなり限定して出かけるつもりです。戴いた写真集にある裏通りや骨董市など、そして人、人・・華やかなパリではありません。革命の発端になったバスチーユ辺りは今も名残と謂うか、雰囲気があったのを思い出します。
そして布川さんらの詩誌『午前』。パラパラと拾い読みしました。鴉が、いつも指摘されていますが、とにかく「詩は分からないよね」というのが率直な感想でしょう。これは多くの詩に関して言えることです。わたしの頭が、理解力が、想像力がないのは言うまでもなく。
それにしても現代詩は分からない。藤村にしても朔太郎にしても、中也にしても・・ほぼそのまま理解できるのに・・。
わたしは目下 何の集まりにも出かけることなく、全くの孤立無援。人との出会いがますます遠のいています。大いに問題です。先に鴉に読んでもらった『痕跡』以後の詩もかなりの數 あります、以前の『西域』他のものも併せて纏められたらと思っています。

温泉に行きたいとのこと、そしてそれ以上に夏になる前に是非是非京都行きを実現できたらと 鳶は愚直なまでに思っています。迪子様とご一緒に出掛けて一日二日留守しても猫ちゃんは大丈夫、犬のように餌が無くなるまで食べてしまうことはありません。建日子さんと相談できないでしょうか。場合によっては車椅子の手配とか、介護タクシーなども考慮して。先延ばしすればするほど困難になります。
差し出がましいのは承知で書いてしまいました。お許しあれ。
尾張の鳶

* 電灯がフッと消えたように、「ことば」から「詩」の光が擦れて行くのは、寂しいこと。「旅」体験を「ことば」に光らせるのも、尋常で無い。多くは浪費されている。
2024 4/30

○  お元気ですか、みづうみ。
たくさんのutagoeをお届けいただきありがとうございました。鑑賞者としての自信はありませんけれど、好きな御歌を書きだしてみます。

逢ひたいと云へぬ嘆きを一言に
「お元気で」とたゞ受話器を置ける

白露 そこ紅のけはひしづかにあさがほの
笑まふ狭庭ゆ秋立つらしも

葉の二枚に頬をはさまれ小椿の
白い椿がふふみ咲(わら)へる

黒いマゴと寝る妻があはれ夜半の夢の
まぶたの闇にかの人を抱く

帰樵  老いまさる心の萎へはふたりして
励ましつ夕焼けの山を降りゆく

だれとしもいつとしもなくつみためし
ひとのなまへのものかなしけれ    住所録に

たのしみは誰にともなく呼びかけて
元気でゐるよと黙語するとき

みづうみのうれひも波の行くはてを
たれまつとなく光るおほうみ

一月八日  おりあれとまつのこのえに月てりて
あが胸いたくひとをおもへる

けふの日をけう(希有)のふしぎと慶びて
數重ねきし春をことほぐ

あらざらむあすは數へでこの今日を
ま面に起ちて堪へて生くべし 生きめやもいざ

最後の二首、のように、どうぞお元気に一日一日重ねて生き抜いてくださいますように。

あけぼのからのささやかなお届け物は、
遅まきながら最近知って驚いた数字です。

※ 地球上の哺乳類の60パーセントは家畜、36パーセントは人間、野生動物は4パーセント

※ 日本には111の活火山があり、世界の活火山の一割近くを占める。

人間がここまで地球を恣に独占して大丈夫? 活火山列島のこの国に原発」を存続させて大丈夫? という慨嘆に尽きます。
みづうみが 時々映画『渚にて』について書いていらしたことを思い出して……。

けふの日をけうのふしぎと慶びて數重ねきし春をことほぐ

あらざらむあすは數へでこの今日を
ま面(おも)に起ちて堪へて生くべし 生きめやもいざ

あけぼのも このように生きていきたいと願いました。
春は、あけぼの

*まだ アケボノにほど遠い午前二時十分です。
ひいて下さった歌を読み返すと 的確に選んで貰えているのに感動しました。 斯く選べるなら、アケボノ自身で「歌が詠める」はずです、ぜひ立ち向かわれよ。
「左眼が失明」に近くなりました。 生きづらくなってきました。何年ぶりか 街へも出たいと願いながら、なかなか、果たせずにいます。
健康をもう無視しても進むか、健康を優先するか。難題です。 お元気で。  みづうみ
2024 4/30

○ 風薫る季節となり、いかがお過ごしでしょうか
秦 先生  新緑の眩しい五月となりました。ご体調はいかがでしょうか。
この若葉の季節は、仙台が最も美しい時期です。「新緑祭」や「青葉祭り」などが相次いで開催されます。
青葉祭りでは、大きな何台もの山車が繰り出します。さらに「すずめ踊り」のいろんな連中(町内会毎・企業毎・男女毎そして「小雀」など年齢毎)が街を踊り歩きます。
長い冬が明けて、木々やいろんな花々はもちろん、小鳥たちも人々もウキウキしています。
しかし、青葉通りや定禅寺通りの欅並木の若葉のトンネルを通る車(特にタクシーの運転手さんたち)にとっては、悩ましい季節です。
若葉の樹脂が車に降り注いで、何度 洗車してもなかなかキレイにならないのだそうです。
昔々 40年ほど昔には、私の娘も青葉祭りに参加して巫女さんみたいな衣装で山車の前を歩いたことがありました。
今では、人混みが苦手な私は、この季節にはできるだけ市の中心部には近寄らないようにしています。
なにしろ住んでいるのが「八木山」ですので木々も緑もいっぱいありますから。
すぐ近くでホトギスが鳴き方の練習をしているのが聞こえてきます。
ホトトギスも東北弁で「ホーホケキョ」ではなく「ホーホケチョ」と鳴きます。
練習中は「ホーホケッ」だったり「ケチョ、ケチョ」だけだったりしますね。
教える側の鳥が、なかなか上手くならない鳥に腹をたてて大声で叱っているのを聞いたこともあります。
あんまり大きな叱声でしたので、八木山中どころか仙台中に響き渡ったらしく、河北新報という地方紙にも載りました。
最近のホトトギスは、それほど厳しくないらしく、根気よく静かに教えているようです。教わる方は相変わらずなかなか上手くなりませんが。
もう少しすると、今度は郭公が鳴き出します。郭公の鳴き声が聞こえるようになると「あぁ、もう初夏だ」と感じます。
カッコー・カッコーという声、いいですよね。大好きです。
仙台市の横断歩道を渡る合図音は「カッコー、カッコー」です。歩道柱の上には郭公の像がついています。
余談ですが、市木は欅、市花はミヤギノ萩、郭公は仙台市の市鳥だそうです。
今年は暖冬でしたので、これまでの気象でしたら、今年は冷夏のはずですが、どうやら猛暑の夏になるとの予報です。
やはり地球沸騰は、どんどん進んでいるのですね。
どうか、熱中症にお気をつけてお大切に。  惠

* 医学書院に 勤めの頃の「後輩」編集者  同じ「社宅」住まいの頃 秦の部屋で 茶の湯初歩の手ほどきもした。建日子誕生の直前でもあったなあ。
わたくし退職し作家生活に転じた後に、退社され仙台へ帰ってまたあらたに勉学され、後年には 大學の「学長さん」をも永く勤め上げられた。
同じ会社で同じ編集勤務、課は違っていたが、その頃、この人、いつも「ごっつい眼鏡」と「仕事着」で。ある日、たまたまその太い眼鏡をはずして、拭いてでも。その時やや離れた他課席から私が初めて観た「素顔」の、絶して美しいのにビックリ仰天した。女の人の「眼鏡」にはダテでない目隠しの効用があるんやナと覚えた。
2024 5/1

○ 兄上さま
昨日迪っちゃんにメールしましたがお返事がないので少し心配しています… 大丈夫だとは思いますが 兄上様にお尋ねしてみました。 琉 いもうとより

○ メール有り難うございます! 近況を詳しく書いて下さり ほっと安心しました。
二人でお散歩 いいですね! 今年も夏は暑くなるそうですから、今のうちに楽しんで下さいね。
猫ちゃんたちと どうか長生きして下さいね。目も大切にしながら、読書を楽しまれますように。 いもうと 琉
2024 5/2

* 深澤晴美さん メールありがとう。
「文学史を新ためる」ほどの「論文・論攷」が書けました時、ぜひ読ませて下さい。わたしが存命の内に。老耄・老衰、もう私も残り少なく。
事情は有れ、暫くメール等の途絶えていると、おおかた向こうサンも私と同世代、ふと、悲しい予感に震える。お元気でとせつに願い祈る。
最期かと想う長めの小説を、信じられないはなしだが、書き進んでいます。「終わる」前に、「終わり」と、間に合って欲しい。頑張りますと、自分で自分を励ますばかり。
熱海どころか、街なか近所の銭湯へでも一度行ってみたいなと思ってますが、危ない、と。
危なくないことなど、もう何も無いです、呵呵。 南山宗遠
2024 5/6

* 京の山科から、弥栄中学の同窓、渡辺節子さんの冬の前に贈ってきてくれたの、手編み毛糸の翠のジャケット、軽くも暖かでもあって一冬を肌身離さなかったのを、五月七日、ようやく今日脱いだ。お世話になりました。感謝。渡辺さんとは一度も一つ教室になったことがない、隣の組の人だった。中学生で、、ひとのいない「講堂の大きなピアノ」を「独りで」弾いているようなせいとだったと、かすかに記憶している。
毛糸編みのジャケットがおくられてきたとき、電話で禮を言った。中学の幼な顔しか覚えない人と、しばらく話した。「作家」として永く暮らしてきたとは知ってたようであった。

* 京都へ帰りたい。帰りたい。いま目の前に、貰われ、そだててもらった新門前通り仲之町「ハタラジオ点」の和家屋が表から奥の離れ、藏まで、ちいさいがまことに清明な佳い写真になって置いてある。『選集』何巻めかの口絵写真には「容れた」だろう。
2024 5/7

○ 秦さん  野路秀樹
楽しみは
目覚めて開く
携帯に
hataのメールと
大谷の一打

近況報告をありがとうございます。ちょっと体重が増えてるかなと、ひと安心。
それにしても相変わらずの旺盛な読書欲ですね。秦さんの読む本はみんな読むんだと私も頑張った時があったのですが、とても敵いません。
ドストエフスキーは私も好きで 米川正夫訳からいまの亀山郁夫訳まで数種類の五大小説訳を楽しみました。
私には江川卓訳が読みやすかったです。ついでに江川さんの「謎解き~」も楽しめました。
草野心平訳があるとは知りませんでした。翻訳者の文体で作品のイメージが変わるのでしょうが 幸いこちらは原文を読めませんので わかりやすい日本語が有難いです。
最近はルドルフ・シュタイナーの「ゲーテの世界観」を読んでいるのですが  日本で翻訳されている単行本の訳が私には合わないのか読みきれません。高橋巌さんの訳が第一章だけ出て読みやすかったので 第二章も訳して欲しかったのですが最近95歳で亡くなられ 読めなくなってしまいました。見事な生きかたでした。
秦さんの新作が 待ち遠しいです。 野路秀樹

○ 鴉啼くあつかましさやグチグチと  はたセンセ
秦 恒平先生  メールをいただきありがとうございます。GWに入り、ようやく「私語の刻」、読むことができました。
それにしても 凄い量ですね。いつもながら先生の知的生活の広さ、深さに圧倒されると共に、疲労のご様子を書いておられるところからも学んでいる気がしています。若い頃にはない疲れを感じることがあり、その中で果たしてどれだけ読書生活を維持していけるのか、心許なく感じてしまっております。

メールを使えない時期があったことを知りました。通信ができない辛さを書いておられ、お気持ちよくよく分かりました。 メールが復活し、こうしてメールお送りいただいたこと嬉しく思っております。(もう一つ何か手段があると 安心なんですけどね。)
爽やかで よい季節ではありますが、ここのところ寒暖差が激しいですね。どうかご自愛いただければと存じます。
新野 聡一郎 東工大院卒

* 「方法」はほしいですね。私、生来の「機械バカ」がますます嵩じ、もう遠からず、ムチャクチャに混乱しそうな懼れを呑み込んでいます。 秦

○ 秦さん
いつも「メール」を戴き 本当にありがとうございます
ゆっくり読むまえに 先ずは御礼をと思いメールしてます。
いつも秦さんのメールを拝見して 元気を戴きほんとうに ありがとうございます

* どう疲労困憊していても、なまじいに屈してしまわない。
愉しめる事を見つける。わたし、けっこう、それが出来る。

秦さん
どうかお元気で くれぐれもお大切にされてください
メールをいただけるのを たのしみにしております
2024 5/7

○  GWも明けて明日から授業、市川へ今日戻ってみましたら、ずっしりとした段ボールが宅配BOXに届いていました。
『〔新編〕日本女性文学全集』八冊に『昭和後期女性文学論』、お出しになるのも重かったことでしょう。
これらの本は、私が市川から熱海に移動していた時に、保谷から市川へ運ばれてきていたのですね。
お礼申し上げるのが遅くなりましたが、お心遣いを有難うございます。
恥ずかしながら未読の作品も多く、「文学史を新ためる」ほどの論文を書くためにも、これからしっかり読みたいと思います。
メールも有難うございました。
新作のご執筆中と伺い、大変嬉しく思っています。
是 非是非書き上げられますようにと、心からお祈りいたします。くれぐれもお体をお大切になさって下さい。   快晴
2024 5/8

○ お元気ですか、みづうみ。
皐月一週間の「私語の刻」ありがとうございました。
みづうみのメールや「私語の刻」を読みながら、何度も胸に迫るお言葉があり 涙をこらえられませんでした。
みづうみの「読み・書き・読書」の日々を願いながら、みづうみのなさりたい色々なことが、すべて叶いますようにお祈りしています。
最近ひどく寝つきが悪いか、夜中に目覚めるかで、睡眠不足です。昼間は用事で忙しく棚上げしていたあれこれを考え出すと、そのまま眠れなくなります。下手の考え休むに似たりですが、この性分は簡単に治るものではありません。考えて解決出来る問題などございませんのに、無駄なことをしています。私らしいことでしょうが。
最近は 薔薇が匂うように美しく咲いている庭が多くて、急ぎ足でいても思わず立ち止まり心慰められる心地がします。花や女に限りませんが、もともとの器量に関係なく姿を美しく整えるというのは身の回りの小さな世界へのやさしさで 大切なことだと思いました。
せっかく「私語」をお送りいただきながらこんなことを申し上げるのは気が引けますが、心を鬼にしてお願いさせてください。4月24日から4月30日までの「私語の刻」も 余力のおありの時に是非お送りください。編輯作業に抜けている部分がないことをめざしていますので。
何卒よろしくお願い申し上げます。
お元気でありますように。   春は、あけぼの

* 或る程度の年齢を超すと、心身の心だけ見だけのいたわりで済まなくなる。大事にして下さい。

○ 秦さん 野路
馬琴 鏡花 秦恒平 蛇のすがたで誘惑し
「近世説美少年録」を読んでみようかとメルカリで探すと叢書江戸文庫版がありました。総ルビなんですね。懐かしい。
子供の頃、我が家にあった鏡花全集が総ルビだったので小学校に入学する前に妙な漢字をかなり覚えていました。学校の国語の授業がつまらなかった。私にとって総ルビは国語の先生代わりでした。それにしても何故我が家に鏡花全集なんかあったんだろう。父は普通のサラリーマンでしたし、私以外に読んだ痕がなかったので。
家内が持ってきた「荷風全集」もまっさらでしたが、これは義父が荷風の息子に贈られたと言う話でした。
昔は個人全集を全巻読破するのがたのしみでした。
鏡花、荷風、秦恒平となると日本幻想文学史になるでしょうか。

○ 秦さん  野路
ありがとうございます。
声に出して(『近世説美少年錄』)読んでいます。
江戸時代の讀物を読むと当時の教養の幅広さがうかがえますね。馬琴の讀物は江戸時代の百科事典代わりにたのしめます。それでもわからない事象があれば三田村鳶魚さんか森銑三さんの文章を繙きます。
最近小池正胤さんたち編集校訂の『江戸の戯作絵本』が「ちくま学芸文庫で」三巻本になりました。現代教養文庫版をまとめたみたいです。手軽に読めるので有難いですが 出版事情を考えると文庫とは言えあっという間に品切絶版になってしまうかもしれません。
電子書籍に慣れない私としては嵩張ってもまだ紙を積み重ねるしかありません。世界中温暖化による森林火災が広がっている昨今、紙は貴重な資源になっていくのでしょうね。
秦さんの「湖の本」は、画期的出版でした。電車に乗ると猫も杓子も携帯を開いて見ていますが、私が「湖の本」を開いて読んでいると学生たちが覗いてきます。珍しいんでしょうね。秦さんの評論随筆篇は、現代の学生の教養を高めるのにうってつけではありませんか。
理解不能な短縮文字やアルファベットの羅列を共通言語にするのも気楽でしょうが、たまには 秦さんの妖しく美しい日本語を味わってもらいたいです。
2024 5/8

○ お元気ですか、みづうみ。   重複アリ
皐月一週間の「私語の刻」ありがとうございました。
みづうみのメールや「私語の刻」を読みながら、何度も胸に迫るお言葉があり 涙をこらえられませんでした。
みづうみの「読み・書き・読書」の日々を願いながら、みづうみのなさりたい色々なことが、すべて叶いますようにお祈りしています。
最近ひどく寝つきが悪いか、夜中に目覚めるかで、睡眠不足です。昼間は用事で忙しく棚上げしていたあれこれを考え出すと、そのまま眠れなくなります。下手の考え休むに似たりですが、この性分は簡単に治るものではありません。考えて解決出来る問題などございませんのに、無駄なことをしています。私らしいことでしょうが。
最近は 薔薇が匂うように美しく咲いている庭が多くて、急ぎ足でいても思わず立ち止まり心慰められる心地がします。花や女に限りませんが、もともとの器量に関係なく姿を美しく整えるというのは身の回りの小さな世界へのやさしさで 大切なことだと思いました。
せっかく「私語」をお送りいただきながらこんなことを申し上げるのは気が引けますが、心を鬼にしてお願いさせてください。4月24日から4月30日までの「私語の刻」も 余力のおありの時に是非お送りください。編輯作業に抜けている部分がないことをめざしていますので。
何卒よろしくお願い申し上げます。
お元気でありますように。   春は、あけぼの

* 或る程度の年齢を超すと、「心身」の心だけ身だけのいたわりで済まなくなる。大事にして下さい。

○ 秦さん 野路
馬琴 鏡花 秦恒平 蛇のすがたで誘惑し
「近世説美少年録」を読んでみようかとメルカリで探すと 叢書江戸文庫版がありました。総ルビなんですね。懐かしい。
子供の頃、我が家にあった鏡花全集が総ルビだったので小学校に入学する前に妙な漢字をかなり覚えていました。学校の国語の授業がつまらなかった。私にとって総ルビは国語の先生代わりでした。
それにしても何故我が家に鏡花全集なんかあったんだろう。父は普通のサラリーマンでしたし、私以外に読んだ痕がなかったので。
家内が持ってきた「荷風全集」もまっさらでしたが、これは義父が荷風の息子に贈られたという話でした。
昔は個人全集を全巻読破するのがたのしみでした。鏡花、荷風、秦恒平となると 日本幻想文学史になるでしょうか。

○ 秦さん  野路
ありがとうございます。
声に出して(『近世説美少年錄』)読んでいます。
江戸時代の讀物を読むと当時の教養の幅広さがうかがえますね。馬琴の讀物は江戸時代の百科事典代わりにたのしめます。それでもわからない事象があれば三田村鳶魚さんか森銑三さんの文章を繙きます。
最近小池正胤さんたち編集校訂の『江戸の戯作絵本』が「ちくま学芸文庫で」三巻本になりました。現代教養文庫版をまとめたみたいです。手軽に読めるので有難いですが 出版事情を考えると文庫とは言えあっという間に品切絶版になってしまうかもしれません。
電子書籍に慣れない私としては嵩張ってもまだ紙を積み重ねるしかありません。世界中温暖化による森林火災が広がっている昨今、紙は貴重な資源になっていくのでしょうね。
秦さんの「湖の本」は、画期的出版でした。電車に乗ると猫も杓子も携帯を開いて見ていますが、私が「湖の本」を開いて読んでいると学生たちが覗いてきます。珍しいんでしょうね。秦さんの評論随筆篇は、現代の学生の教養を高めるのにうってつけではありませんか。
理解不能な短縮文字やアルファベットの羅列を共通言語にするのも気楽でしょうが、たまには 秦さんの妖しく美しい日本語を味わってもらいたいです。

○ 4月24日から30日まで、早速にお送りいただき、ありがとうございます。
雨が多くて早い梅雨入りかと思うくらいです。身近にコロナ感染の話も、まだまだ、聞きます。どうか油断なさらず、体温調節にお気をつけてお過ごしください。 春は、あけぼの
2024 5/8

◎ o:秦恒平 様  岩田孝一(恒平の従弟)です

本日(5/10)
「吉岡家住宅」の建物(恒平の実父方・生家)が、国の登録有形文化財に指定され、
10日、谷口 木津川市長が吉岡家を訪れ プレートの交付式が行われました。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/kyoto/20240510/2010020032.html

木津川 「吉岡家住宅」の「主屋」が国の登録有形文化財に

05月10日 16時10分
木津川市にある旧家、「吉岡家住宅」の建物が、国の登録有形文化財に指定され、10日、プレートの交付式が行われました。
「吉岡家住宅」の「主屋(しゅおく)」と呼ばれる建物は、江戸時代後期に建てられた旧家の母屋で、「かやぶき」と「瓦ぶき」を組み合わせた屋根が特徴で、歴史的に貴重な建造物として、去年、国の登録有形文化財に指定されました。
10日は、吉岡家の現在の当主に指定を証明するプレートなどが手渡されました。
土間には、7つの釜で同時に調理ができる「七連かまど」があるほか、冬場に食料を入れておく「芋穴」と呼ばれる貯蔵庫も備えています。
国の登録有形文化財は、府内に650件余りあり、木津川市では2件目になります。
プレートを受け取った吉岡菊子さん(=恒平の従姉妹)は、「この家で生まれ育ちましたが、昔、父親がこの家に誇りをもって住んでいると言っていた意味が最近はよくわかり、今後も住み続けたいです」と話していました。

京都のニュース
NHK京都放送局の18:30からのニュース
京いちにち で放送されました
地上波では京都府内からだけの視聴ですが ネットの NHKプラス では 全国から録画が見られるようです
国の登録有形文化財の手続きが全て終わった事のお知らせまで 孝一 拝

* お知らせ。感謝。

* いま私の左手一メートル余の窓枠に、実父吉岡恒(吉岡家長男)の育った「吉岡家の写真」がある。長い高い石垣の上の、丈高い大きな家である。私は、京都の秦家に「四、五歳で」もらわれる(預けられる)まで、この当尾の吉岡家で育ってた(と想われる)。私が極く初期作に、作中一人称の姓を「当尾(とうの)」と書いているのは、此の生家吉岡が南山城の「当尾(とうのお、か)」の地に在る(と察していたからで。

* 生涯の歌人であった(生まれ育った滋賀県能登川町に立派な歌碑が建っている)生母(阿部ふく)方のその後「今日」が判らなくなっている。能登川の「阿部家」と謂えば、一世に聞こえた近江商人の大実業家も出ていて、私生母の生家や其の後など、知る人には知れているのだろう。私には、いまや、よく判ってない。

* わが実の両親の「ドラマ」は、むしろ、孫の秦建日子なり、同じく黒川創や北澤街子なり、気があれば、追っかけてくれれば良い。欲しければ、私所持の書きモノ、資料など上げる。
2024 5/10

○ 兄上様  メール有り難うございます!
しあわせな 心温まるご家庭の様子、とても嬉しく読ませて頂きました。「隠れ蓑」の大木の艶やかに翠の葉が満開に揺れて、あちこちに小さな読書室のあるお宅を守っている風景が見えました。
兄上の本好き、読書好き加減は、本当に、私には、見たことのないほどの風景でもあります。知識の深さにもいつも驚かされています。
迪っちゃんもチェリーセージを活けている幸せな姿で、私を安心させてくれました。(チェリーセージというのは画像で検索、とてもかわいい花ですね!)
猫ちゃんたちとともに、これからもこのお幸せがずっと続きますようにと、 いもうとは心から願わずにいられません。
神奈川   琉

* ありがとう、琉っちゃん。 恒平
2024 5/11

○ お元気ですか、みづうみ。
5月10日までの「私語の刻」を拝受。ありがとうございました。
昔の「私語の刻」を読み返していましたら、私がみづうみに最初にメールを差し上げたのが 2000年の12月だったことを見つけました。その当時は「秦恒平先生」と書いておりまして、堅苦しいから「みづうみ」「あけぼの」と名乗ったらとご提案いただきました。
あれから二十数年も経ったことに感慨無量です。

それにしてもみづうみの六十代は、創作活動と共に日本ペンクラブ電子文藝館を創設なさったり、猛烈というより壮絶なまでのお仕事ぶりでいらっしゃいました。
六十代をどう過ごすかが人生の勝負所かもしれないと思います。みづうみの六十代、七十代に成し遂げたお仕事は文学史に益々輝き重要になっていくことでございましょう。

みづうみの最近の体重増加は良い傾向だと思います。わが家の老猫のことを例に出すのは大変失礼なことなのですが、獣医さんから、とにかく痩せないように、食べさせて体重増やしてくださいと言われています。若い頃は太らせるなと注意されておりましたのに、老いると正反対です。動物は痩せるとあちこち状態が悪くなるようなのです。毎回食欲増進剤を耳裏に塗られています。獣医さんはゴム手袋をして塗りますが、ご自身の皮膚から吸収されると影響してしまうのでしょう。アメリカの薬だそうで即効性があります。帰宅後に一目散にエサ皿に直行する姿がなんだかおかしくてかわいくて笑えます。
人間の場合も、母を思い出すと、食べられなくなることから衰えがはじまっていたように思います。どうかお口にあう美味しいものを見つけて少しずつお太りくださいますように。
みづうみの豊饒な読書生活を拝読しながら、自分の読書量が最近痩せてきているのではないかと反省中です。
春は、あけぼの
2024 5/12

* 南山城当尾の吉岡家を、今、支えている菊子さんから、、例の「指定」ほ報せの電話が。
上下に歯の無いわたし、息が抜けてフガフガ語を喋るしかなのに往生した。
2024 5/12

* 藤森佐貴子さん、父の日とか、いつものようにお洒落れな「軽菓」を贈ってきて下さる。今は亡きお父上は優れた「源氏物語」がくしゃで、お親しくして戴いていた。感謝。

* 新刊の「湖の本」をお届けするというコトが無くなっており、追い追いに、各地の読者との通信や交際が減って行く、それはもう仕方ないと諦めているが。
2024 5/12

* 携帯電話は買ってもらってあるが、遣い方を覚えてないので、かかって来ても応対出来ていない。やれやれ。
2024 5/12

* 睡いのかも。ボーッとしてる。しっかり着ているが、すこし膚寒い。好きな「御池煎餅」の軽いほろ甘さが旨い.三枚喰う。どこかで頻りに鳥が啼く。小鳥でない。鳶か。鴉か。 尾張の鳶< まだ起きていまいよ。
昨日は終日、雨。今朝は?
2024 5/14

○ 御文有難うございます
僕も「光る君へ」は見てをりますが 面白い中で時々現代語の会話が出てきて 苦笑します
最近愛唱する和歌俳句や近代詩を抜き出して アンソロジーのやうなものを作つてゐますが これが面白くて すぐに時間が経つてしまひます
結果として この詩人の詩がこんなに多くなるかと 意外な発見があつたりします  ゆつくりお話ができればよいのですが……    寺田生

* 私、文字通りに「少年前」「少年」このかた「光塵」「亂聲」「閉門」と、つぎつぎ歌集を成してきた。古典の、いわゆる「和歌」を敬愛すること人後におちず、最近もある古典全集の和歌集一巻をひもといて、上古いらい「和歌」一首一首の美しさ、慥かさ、面白さに「思い新たに」舌を巻いていた。
私は、近頃では、その和歌の「作」歌人の名や作の事情にもとらわれず、即、歌一首一首が「自立の慥かさ・うつくしさ・見事さ」を嘆賞している。
コロナ禍蟄居ももう解かれてこよう。
久々、寺田さんと、和歌・短歌で歓談・懇談したいなあ。
双方から愛読愛吟の一首ずつを無制限に「呈し合うて」の「歌合」など、どうかなあ。
2024 5/14

* 千も贈っていた「湖の本」を、もうコレまでと卆えたからは、親しいお人づきあいは、自然当然と減ってゆく。日の寂しさを慰めるのも、やはり「読み・書き・讀書と創作」こそ必至。自然通俗の娯楽本は割愛して、読んで置きたい名著好著を手探りにも拾いあて当て「老いの坂」を登りつ下りつするまでの事。
2024 5/14

* 先日 親子で見舞いに来てくれた、亡き「やす香」の写真も抱いた大親友の「カオリン」とわれわれと三人を撮ってもらっ写真が送られてきた。健やか、にこやか、綺麗に成人した「かおりん」の笑顔、ああ「やす香」よと、ほろり。われわれ八八老夫妻も晴れやかに撮れていて。
2024 5/15

* この三日ほど、午後の日盛りに。小一時間ほどずつ、杖をひいて近隣を散歩している。歩ければこその老境、脚の弱りに嵌まるまいと。
メールの出し入れもともに払底して行くは知れたこと。「世の中」は、自身で創り出し働かせるより、先は無い。老境とは、ただのけぞるように受け身に煽られて済む、済ましていい、もので無い。『老境』こそは自身で「創らねば」ならない。私、八十八歳。やがては「クソ(九十)爺」の細道へと杖ひく境涯、さ、どう創るか。
2024 5/16

○ ゆるゆる ゆらゆら
「小一時間も正(jx)しく散策した。さして疲れもしないで帰ってきた。」とお伺いして、嬉しく思いました。
「読み、書き」が中心とは言え、ゆったりと体を動かすことも大切ですね。
その後、調子はいかがですか。
私も、水曜の授業日以外は部屋に籠りがちですが、「川端康成と東山魁夷」の調べ物で、先週も近代美術館のアートライブラリーへ美術雑誌などの調べ物に、一昨日は神奈川近代文学館へ東山装幀による川端の著書等を閲覧に出掛け、その行き帰りに北の丸公園の新緑や、港の見える丘公園の薔薇なども楽しんできました。 (二五日からは、沖縄へ参ります。)
梅雨入り前のこの季節、適度に気分転換をなさりながら、新作のお筆も捗りますよう願っています。  快晴

* こういうお便りに寛げる安堵と嬉しさは格別の「快晴」です。ありがとう。 励もうと思う。  と云いつつ、元気は沈静しているなあ。
2024 5/16

* 写真を写真機にたくさん溜めている、のに、それをこのパソコン画面へ「転写のすべ」を忘れ果てている。折角の写真がまるで愉しめない。やれやれ。口惜しい。
せめて此の『私語の刻』きじが親しい人たちへ伝わってくれるとうれしいが。それも判らない。
2024 5/16

* 五月と云えば大将人形を飾ったが今モどこかに大将さんと馬とが仕舞われているはず。男の子のるあ友人に上げたいが、ふしぎなほど女の児ばかり。先日訪ねてきてくれた、亡き孫「やす香」の親友「カオリン」に女の子のうまれたとき、江戸時代半ば過ぎた「狩野の画家」の、大きな「蛤」の内にひな人形一対を描いた美しい色紙画軸を上げた。あんな風に男子小学生に、古び切らない間に綺麗な「大将人形」を貰って欲しいが。

* もうほどなく死んで行く私に、あまりに、骨董や書画古道具が多い。不幸にして建日子に、その方の趣味も好みもない。金額に換算されるのは不愉快。いっそ道具屋にいっそうしてもいいと、それらい「店」を心当たり当たっている。電話もかかって来始めている。「売る」のは「イヤ」やなあといささか困惑気味。

* いま、茶の間に、いかにも深い水の底に、じいっと大哲かのように沈んで微動もしない大きい大きい鯉の一尾のみごとな画軸が架けてある。こっちが負けるほど深沈と静寂に大きな鯉の、さながらに英姿。画家は、久保寛(比路史)、村上華岳らと国衙創作協会で近かった仲間内。一代の傑作と観ている。

* 玄関正面には、高校の美術コース生で、私から茶の湯を習い稽古していた、不幸に後年若いまま亡くなるその日まで親密であった友、一水會の画人富永彧子の呉れた形見の「花」を架けている。
今、此の仕事の席間近には、親しい読者で、互いに「鳶」の「鴉」のと呼び合うている、十ほど若い兄弟でフリーの我身高木冨子の呉れた色美しい『浄瑠璃寺夜色』画が、まだ額にも入らぬままに、私の父方生家でごく最近、國の有形文化財に指定された南山城当尾の「吉岡本家」の大きな写真と美しく並んでいる。「浄瑠璃寺」は私を生み育てた父方吉岡家の「家の寺」と聞いている。

* 此処まで「書いていて」実に数語にもあまり「ことばと感じ」と行き詰まっている。苦し紛れに「家の寺」と書いたが、適切に表現の語彙が在る。何度ももちてきたのに、今朝は出て来ない。耄碌とは、こうだ。
2024 5/17

○ お元気ですか、みづうみ。
最近の「私語の刻」をお送りいただき大変嬉しく、ありがとうございます。大変恐縮ではございますが、五月十四日だけ抜けて十六日までお送りいただいております。お時間のあります時に五月十四日分をお送りいただければ幸いです。

吉岡家住宅の記事と映像を拝見しました。国の登録有形文化財に指定されるにふさわしい立派な日本家屋で古き良き旧家の風格があります。ここで幼いみづうみが犬と一緒に写っているお写真、もう一度拝見できたらなあと思いますが、難しいでしょうか。あの一枚とても好きでした。吉岡家住宅は遠い将来、文学者秦恒平実父の実家として、秦恒平が秦家に行く前に過ごした屋敷としての文化的価値も加わることでしょう。

実家が文化財の知り合いが二人いますが、維持費が膨大で、しかも修繕や改築したくても制約が多く思うように変えられず、しかも公的援助はないので大層苦労しています。時々映画やテレビ撮影で、大物政治家等の邸宅として使われる程度のささいなメリットはありますが、維持継承は並大抵のことではないようです。吉岡家の皆さまのご尽力で末永く伝統建築を保存していただくことを願っています。
雨さえなければ、散歩しやすい季節です。お怪我に気をつけながらゆっくり散歩を楽しんでください。あけぼのはもっぱらラジオ体操第一、第二です。机の前でこわばった身体のストレッチになります。元気です。  春は、あけぼの

* ま、何と云いましょうとも、「過ぎた、(なつかしい)よそごと」で。

* 眼が、重苦しい。
2024 5/17

○ 五月晴れの朝、おはようございます。
仙台は、今日から「青葉祭り」です。街中を豪華な山車
が牽かれ、スズメ踊りのさまざまの社中の人々が踊り歩きます。ほんの2週間前に「新緑祭」が終わったばかりですのに・・・。 ことほどさように、北国は青葉若葉の季節が嬉しいのです。
でも、私は五月晴れに浮かれていられない昨今の世界情勢だと思います。
今は戦時中ですものね。ウクライナもさることながら、何処より何よりイスラエルの戦争犯罪は眼を覆うばかりですよね。
ユダヤの民は、かつてホロコーストを経験したからイスラエルは何をしようと許される、とでも思っているのでしょう。
今、ユダヤ人がパレスチナで行っている戦争犯罪は、あのホロコースト以下の最悪の犯罪ではないでしょうか.
ようやく最近になって世界中の、(特に)若者たちがイスラエル批判に立ち上がりましたね。
ここ仙台でも「パレスチナの人道支援・イスラエルの戦争犯罪批判」の集会とデモがありました。
仙台の場合、若者は三分の一程度で中高年が多いのですが、約80人くらい集まりました。
私が参加できたのは、一昨日だけですが、主宰の「パレスチナと結ぶ会」の話によると、4月末ごろから毎週水曜日か木曜日に集会とデモを行っているそうです。いつも参加者は、50人~80人ほどだそうですが、地方紙でも地方テレビ放送でも、ほとんど取り上げません。
もしかすると、仙台は、日本は、パレスチナなんか私たちとは関係ない遠いところ(距離的にも心理的にも)の出来事なのでしょうか・・・。
以前申し上げましたように、私は「女川原発再稼働反対」の運動にも参加していますが、私にとっては「女川」も「ガザ」も同じくらい「近い」のです。
例年「青葉まつり」は冷たい雨に見舞われるのですが、今年は晴天で暑くなりそうです。(24℃)
そちら(=東都)はもっと暑いようですね。
どうか熱中症にお気をつけてお大切にお過ごし下さい。
遠景 社会学者 元・大學学長

* 今はむかしになっているが、かつて<私の実兄北澤恒彦(私が稚ないまま秦家に貰われていたように、兄も北澤家に入っていた、らしい)らが、「ベ平連」と謂う「ベトナムに平和を」の運動を起こしていた。
高校・大学ころの私は、内外の立て看板等に朱インクで盛んに「檄を飛ばしている」兄の存在を遠望・傍観しながら、専ら「京都の市街や山野」を「ひとり勉強」し歩いていた。

* いま、わたくしは「イスラエルへの厭悪」に鬱屈していても、さて、何の身を働かす事も出来ていない。「遠恵」さんに「共感する」ばかりで。
それにしても、いま、高校・大学生らの「聲」が、本音もウソも、殆ど{上がり}も{聞こえ}もしてこないが、何故。
同じ事は 企業内社員・従業員の男女たちから「組合活動」への気力や意欲がまるで聞こえてこない現実にも謂える。「イスラエル」疑念は、今日只今の我が国の政治にも企業世界にも厳存しているであろうと謂えるのに。
2024 5/18

○  いかがお過ごしでしょうか。
鳶は、風邪ぎみの症状が続いて 何となく少し萎縮?したような日々です。五月病かも。
山折氏との対談、ようやく読み終えました。これまでに何回か読み返していますが。対談その時の鴉の年齢を 既にわたしも鉞えています。鴉ご自身が歩んだ月日とともに更に書き加えたいことも多いだろうと思います。
メール改めて書きます。
元気であってほしい。元気に、大切に。 尾張の鳶

* 「尾張の鳶」の声を、久しく聴かない。十ほど若い。老境へ、蹴躓かずにお元気で。
2024 5/19

* 「新機」を本格に私用し始める必要な「手順」を践めるかどうか、それさえ、心許ない。
京都の羽生淸(はぶ・きよ)さん、直木和子さんから、お心入れの名菓を頂戴し深切なお手紙を下さった。とくと、心静かに、感謝し、拝讀した。

* わが感触では、ほぼ「私の作家人生」は、そして「人生」は、ようやく「挽歌」を以て幕を引く時節へ来ている。 まさかに自身で書いて歌うものでないと思っていた。
2024 5/20

○ みどり美しい頃となりました。『湖の本 166・蛇行 或る左道變  老蚕作繭』 いつもながら精力的な筆に、感服しております。
どうぞ 心身 ご無理はなさいませんように。
心ばかりの支那を送らせていただきます。
どうぞ お元気で。 令和六・五/・九  直木和子

* 「直木さん」と見ると、はるかな昔、秦の叔母宗陽の久しいお友だちであった、東福寺大機院の直木さんが懐かしい。和子さんは娘さんで在ったか、私とも齢近い人であったと想っている。 感謝。

* そして。 同志社美学藝術学専攻での、すこし後輩か、羽生清(きよ)さん。

○ 『湖の本 一六六号』ありがとう ございました。
秦文學の秘密が隠されているという気がいたしまして
『蛇行 或る左道變』 心して読ませていただきました。
日本文化の古層に存在する、蛇、古來からの結婚制度がはらむ矛盾を、井上皇后の左道軸に、といいますか、それらを取りこんで、カメラマン岩方正夫、その妻宏子、妻の親友 花以應子(はなゑ・まさこ)の今日につながる……
更には 秦恒平作品が呈示されて、物語が動くという趣向……
存在していないかのような女性たち、
あるいは「花筺」の照日の前や「定家」の式子内親王そのままに男に翻弄される女たち……
能の世界では異、今日につながる言葉の中では、反發したくなります。
『草枕』の那美さんや『細雪』の四姉妹はそれぞれ魅力的でしたが、小説を楽しむためには、私が男の視線をもっことが要求されました、と、ここまで書いて、那美さんを男の視線で読んでいたのだろうかと疑問がわき、『草枕』を読みかえしてみました。
人物に魅せられて、ながく読んでまいりました。
読書の娯しみと人生の難しさを教えていただき ほんとうにありがとうございました。
急に暑くなったり ひんやりしたりの毎日でございます。
先生
奥様 くれぐれもお身体大切におすごし下さいますように。                       羽生 清
秦 恒平先生

* わが「作家人生」へ、恰好の「あとがき」を副えて下さったと想う。有難う存じます。
2024 5/20

* 保存していた、過去の発信、過去の受信の、殆どを消去した。何かを思案し覚悟してか。ただに衝動で敢行した。もう要らないと敢行した。

* 疲れた。
2024 5/22

○ メールありがとう。メールに励まされます。尾張の鳶
鴉の日常はやはり大変なのだと察します。身体にまず人は左右されてしまいますもの。

疲れては寝入って、起きて、すこし食べて、また寝ている。 それが良いならそれで良しと。 老境を「問う」まい。鴉    やすむ。

老境を問い悲壮感に捉われることなど要りません。既に十存分に事は為した、それでも忸怩たる思いに責められるとしたら抗い続けるしかありませんが、鴉は 自然な姿を見出していらっしゃるのですから。
それでも 肩こり一つだって、何とかなって欲しいです。
まだまだと言われそうですが、既にわたしとて、老境。それを認めたくない気持ちが半ばしています。葛藤する自分と、無力な自分。唯々安穏に楽しく日々暮らしたらいいではないかと世の常識も賢人も語りますが。
今の時点で従来のペースで「作業」していきたいと思いながら、実際には立ち止まり 行き暮れる時も多いのです。一人で暮らしたいとも・・。

イラン大統領のヘリコプター墜落事故。アゼルバイジャンとの国境地帯は、昨秋行ったところでした。国境に沿って走るアゼルバイジャンの鉄道に乗ってみたいと思ったものです。日々報道されるパレスチナ・イスラエルの状況、特に幼い子供たちの様子は苦しいです。
ナチと同じことをイスラエルはしているではないか・・。シオニズム運動や帝国主義の歴史を踏まえても 現前の事態は肯定できません。

どうぞお元気にお過ごしください くれぐれも、くれぐれもお大事に。  尾張の鳶

* 生きられる限りは、しっり生きる、それだけの事の難しさも判っている。やすやすとは、叶いにくいと承知、苦笑であれ日々に笑って歩き、疲れたら立ち止まる。休む。

* メール機能の働いている事を、階下の妻との「交信」で確認出来た。
2024 5/23

○ 秦さんへ◎ 令和六年(二○二四) 五月十三日
いつも 「私語」をお聞かせいただくなど、まことにありがとうございます  お家には 奥様 アコ様 まこ様 がいて

謂う事無し。 不足なにも無い。 健康でありたい。

いいですねぇ 何より何よりとお喜び申し上げます
千葉のこちらへんは 田植えもすっかりすんで うすみどり色が気持ちいいです
わたしも元気をだしてがんばります 勝田 拝

* 今日のような散策は、勝田サンとこそ ゆうっくりと、愉しみたかった。江東の「百花園」や、また「六義園」などへ、能楽堂へもご一緒したのを懐かしく思い出す。
2024 5/23

○ 雨降り  鴉のメールへ、返信の続き
小説、如何でしょうか。そして視力。絵画を楽しむのも困難でしょうか。
「隠れ蓑」の若木のこと。
書庫をこし母屋の大屋根も抜いて「萬の青葉に」高く大  きく揺れ静まっている。
そう書かれていたので 思わず我が家の庭の隠れ蓑に思い至りました。
移転した時以来ですから まだ三メートルほどの若木ですが、買って植えた記憶がないのです。さらに数メートル離れた所にも生えてきて・・これは植木鉢に植えました。若葉が輝いています。
牡丹、芍薬はとうに散り、薔薇、萩、竜胆、紫陽花などなど。 芝生は何回か植えなおしたのですが、状態は不良で、いつしか肥後すみれの群落に地面は覆われました。
パソコンをどうしていくか、新しい機械に慣れていくことをやはりお勧めします。機械に詳しくて、信頼できる人の助言と操作を借りて、その手順を視てメモし、納得することが肝要かと思われます。操作のすべてをご自分の目に捉え、不審な点が残らないように。(此のわたくしは、ある意味で深くは人を信用できない人かも・・。)
挽歌  確かに自分で書いて歌うものではないかもしれませんが、自分の屍を取り巻く自分が、人が、何を感じ何を思うか・・異なる位置からの新しい探求発見とも思えます、意外と切実な異様な発見かもしれない。自分の死後に自分自身が、或いは幾らかの知人友人が挽歌を詠ってくれるだろうか? 勝手な想像を廻らせてるかもしれません。自己満足とは言いませんが。
今日は、雨。台風一号と前線の動き、と言っても今は静かな雨が静かに降っています。稀なる「一人の時間」なんです。                        尾張の鳶

* 賑わった家族の日々であるらしく。羨ましい。

* ところで、と。
「出来る人」が着々私の此の「機械を調整」して下さっても、その「手順・結果・成果」は、ドンな「機械バカ」の私の目にもアタマにも、のちのちに活かせる様には残せない。情けない。
2024 5/27

* さて、以下。一友人なる一読者からの「超長文の助言にして提案」なる文面は、現在只今の私の「視力と頭脳」とでは、とても只に「一読する」ことも出来そうに無い。此処に、部分的に「記録のみ」許して貰って、とにかくも暫時温存に今は止め、感謝申します。

○ お元気ですか、みづうみ。
毎日みづうみのご体調の平穏なことをお祈りしています。
最初に、長いメールになりますことお詫びします。

以前から時々お伝えしておりましたが、みづうみのお仕事についての或る知友と私との「一種のやりとり」を、聊か繰り返しになりますが、もう一度、ご説明させてください。

* とはあって、以下とても抄録も要約もならない活気の長文・直言・提案であり、誤解も招いてはならず、戴いたままを文面もお気持ちもそのまま胸に納めて「藏う」事とし置く。

○ 相変わらず長いメールとなり申しわけございませんでした。打っても打っても響かないことを続けている私は明らかにバカでありましょう。が、敢えても、みづうみのお返事をお待ちしています。
梅雨の走りのようなお天気が続きます。ご体調にかかわらず、どうか今日もお元気に、ご無事にお過ごしください。
春は、あけぼの
2024 5/27

* 作家・秦恒平の「今後の活動と展開とに関して、有難い大きな「提案」をうけ、有難く「承諾」しておいた大事の記事も、みな、記事消失。なんとも、ハヤ。
2024 5/29

* 歌人で,ペンクラブのメンバー、山陽小野田市の高崎さん、墨書で達筆、「淳子」と落款も付しての七言詩(らしき)を送ってみえた。落ち着いて、読む。
以前にも、同筆かも知れない
五湖霜気清   の五字を戴いたことがある。
毛筆の書、こころよい。私は、書けない。らくに読めるとも謂いにくいが。
2024 5/30

* 雨、膚寒くも。

* 雨の音の繁に聴えて当処なしなべて流れて去りゆく物ぞ
* われが棲む狭庭があるじ隠れ蓑の萬の靑葉を揺る陽射哉

* 五月が逝く。
水無月と謂ふな六月雲のまに光り洩らして文待つ月ぞ
手紙などくださるひのめっきり減っている事。今日、戴いた新茶にそえ、近況を細々ハガキして下さったのは静岡市の久しい女性読者、家へも訪ねてみえたことがあった、何十年の昔になるか。
2024 5/31

○ 六月  保谷の雨はいかがでしたか。
今日は青空、気持良い朝です。
今週末に京都に行きます。代わりに何かできることあれば、リクエストして下さい。
くれぐれもお身体大切に、くれぐれも。
書き継いでくだされ。
今日午前は 久しぶりに絵の教室に出かけます。 尾張の鳶

* うらやましい鳶じゃなあ 鴉の羽は枯れてますよ。
可能ならば 写真
狸橋から白川の流れ 眺望 主に西向き
新門前橋から 白川の 北向き 南向き 眺望、
祇園町北側{東新地}(いわゆる乙部)内の「小さなハデ  な神社と周辺」
『信じられない話だが』  鴉にしか書けない やや長くなる奇小説が 時を超え 日本列島を蠢いています。
今朝 CT検査 異常なし。 先日、散歩中に堅い石段で転倒転落し、全身痛みますが、顔と頭は無事。
『光る君へ』に向き合いながら、平安朝の西暦1000年前後に始終潜入。
愛翫の『参考源平盛衰記』では、木曾義仲の酬われない奮戦に胸いため。
曲亭馬琴の『近世説美少年録』では、江戸時代「読み本」の奇矯な「ふりがな日本語」に親しみ、
飜訳では  森田草平の日本語で ドストエフスキー『悪霊』 そして 中国今今の現代大長編、陳彦作『主演女優』全三冊の二冊を読み、三冊めを 愉しんでます。
但し視力の衰え甚だしく、世界が霞んできましたよ
カアカアカア
2024 6/3

○ 近況報告をありがとうございます。
ちょっと体重が増えてるかなとひと安心。
それにしても相変わらずの旺盛な読書欲ですね。秦さんの読む本はみんな読むんだと私も頑張った時があったのですが、とても敵いません。
ドストエフスキーは私も好きで 米川正夫訳からいまの亀山郁夫訳まで数種類の五大小説訳を楽しみました。私には江川卓訳が読みやすかったです。ついでに江川さんの「謎解き~」も楽しめました。
『悪霊』に草野心平訳があるとは知りませんでした。翻訳者の文体で作品のイメージが変わるのでしょうが 幸いこちらは原文を読めませんので わかりやすい日本語が有難いです。
最近はルドルフ・シュタイナーの『ゲーテの世界観』を読んでいるのですが 日本で翻訳されている単行本の訳が私には合わないのか 読みきれません。高橋巌さんの訳が第一章だけ出て読みやすかったので第二章も訳して欲しかったのですが最近95歳で亡くなられ、読めなくなってしまいました。見事な生きざまでした。
秦さんの新作が待ち遠しいです。  野路
2024 6/4

○ 近況報告をありがとうございます。ちょっと体重が増えてるかなとひと安心。
それにしても相変わらずの旺盛な読書欲ですね。秦さんの読む本はみんな読むんだと私も頑張った時があったのですが、とても敵いません。
ドストエフスキーは私も好きで米川正夫訳からいまの亀山郁夫訳まで数種類の五大小説訳を楽しみました。私には江川卓訳が読みやすかったです。ついでに江川さんの「謎解き~」も楽しめました。
草野心平訳があるとは知りませんでした。
翻訳者の文体で作品のイメージが変わるのでしょうが幸いこちらは原文を読めませんのでわかりやすい日本語が有難いです。
最近はルドルフ・シュタイナーの「ゲーテの世界観」を読んでいるのですが日本で翻訳されている単行本の訳が 私には合わないのか読みきれません。
高橋巌さんの訳が第一章だけ出て読みやすかったので第二章も訳して欲しかったのですが 最近95歳で亡くなられ読めなくなってしまいました。見事な生きざまでした。
秦さんの新作が待ち遠しいです。  並木
2024 6/5

* 住所録を見ていた。四分の三は、消息も知れない、記憶も枯れて了っている。人生無常。もう上下に歯がなく はかなくて電話など、する気になれない。
2024 6/5

○ 歓龜神社でしょうか。 尾張の鳶

* 鳶に。 然り。 感謝。
そのあたりは  通称「こっぽり」  小堀遠州家の支配地でしたと。そのちいさな神社も、近江の居城から移したかと 朧ろに聞き覚えています。
すぐ前通りのお向かいに 懐かしい銭湯があり、少年の昔 よく通いました。弥栄中学の女友だちがその辺に数人暮らしてましたなあ。
くらッくらッと 今モ 疲れています。
建日子が、また新刊を出し、シリーズの「三冊」をしあげたようです。読んだ事がなく 作柄や、ナカミは全く知りませんが。励んでいるようで、安心です。
朝日子の事は 爪の先程も様子が知れません。生きていてさえおれば,宜しく。
鳶と 同じ空をとんで、合唱してみたいものです。
お元気で。怪我の無いように。  カアカアカア
2024 6/5

* 文藝家協会の尻押しで、同じ作家の(**さんと,今書きかけていた)名前が、トロンと、消えたように出て来ない。コレだよ、もうわが輩は。

* その作家とロシアへ謂ったとき、モスクワでかサントペテルスブルグ(=レニングラード)でか向こうの文藝家らと歓談のおりに貰ったみやげがある、。5×7センチ程の部厚い小さな本で、表紙に『百人一首』 中葉格歌人の肖像と對で書かれた和・露語でのまさしくあの「百人一首』日本では観た事も無い珍本だった。ロシア語は読めない。久しくもう何十年か私の書庫の書棚に遺してあったが、さて何方に贈れば喜ばれるかしらん。ロシア語が出来て百人一首にも趣味のある方。ねうちのある嫁ぎ先だか婿入り先、無いかなあ。

* プーチン・ロシアに不快感は募るが、旅して親しんだロシアは、グルジアも含めて切に心親しく懐かしい。いろんなお土産を貰って帰ったよなあ。
同行した作家の高橋たか子サンは、とうの昔に亡くなって了われた,私とほぼ同年齢であったのに。
2024 6/7

○ お互いに先の読める老年期、残年を穏やかに過ごしたいですね。今のところは歳なりの日常ですが、京都時代の何人かの学友の訃報を受けて、気持ちは乱れます。
私は歳なりの毎日で、淡々と過ごしています。
元気に長生きなさって下さいね 又…   千恵
2024 6/7

○ 秦さんへ  なんとか、やっております。
秦 恒平 私語の刻 令和六年(二〇二四)五月分
いつも通り ゆっくり拝見しております  本当にありがとうございます 救われます
六月も日々がどんどん飛んていきます  (88歳の私・秦より一二歳年長の勝田さんが、医師としてもお世話されている)特別養護老人ホームは 現状益々厳しいです
介護士・看護士・ケアマネージャー・医師なども手も足りず 何ともならず の状況を頑張っております
ご老人ご本人たちが一番大変です 何とも
秦さん 転ぶのはくれぐれもお気をつけください
どうかお大切にお大事にされてください 勝田 拝

* ウーンと,唸ってしまう。
2024 6/8

* 「書いているモノを 「ホームページで広く」送り出せずにいる」のだから、秦も此の世を「失せたか」と想う人も増えてこよう。それは、ま、それ。自滅を吾から促すことは無用と。
メールを、ほとんど送り出していない,此の数日。
もういいかい。まあだだよ。

* もう二十年前になるか。
当時、まだ院にも進んでなかった一東工大生がわが家に来て呉れて、眼もあざやかに美しく目の前で開いてみせて呉れた『秦恒平 私語の刻・ホームページ』が、それは嬉しく有難かった。感謝に堪えなかった。
だが、多く歳を経て「機能が故障」したときには、また新たな東工大生らの手を頼んでも、借りても、元へは戻せなかった。最初期のあのような「ホームベージの門構え」は再建できず仕舞いに、書き物の広い世の中への送り出しは出来ぬまま、今日に至っている。 残念、至極。ウーン。
2024 6/8

○ 階段から転落とは、おどろかされますが、入院なさらずにすんだのは、お怪我が少なかったのでしょう。良かったです。頭を打たなくてなによりでした。お大事にお過ごし下さい。一度失敗するとあとは無意識に気を付けるようです。 那珂良

○ 兄上さま えーっ! 階段から落ちても骨折なく… 。頭も大丈夫そう… 。レントゲンは撮りましたか? 以前から骨はお丈夫のご様子で、本当に良かったと思います!どうかくれぐれも大切にお過ごし下さいね。
散歩も 書き物もとてもいいですね。頑張って下さいね!! あとからついて行くいもうと…るみこ

* 顛落現場は、家の内の階段で無く、近くのマンションの前庭にあり、近道に「通り抜け」ようとしたのでした。不用意なお粗末でした。
2024 6/9

* ひんやりの早朝、空は明るい。寒がり、詰めた狩りの和知工氏は、指先の出柔らかい布手袋で用事を始める。眼鏡はむしろ外して胸へおろしている。機械の文字画面は心地よくまっ白に清潔、かなも漢字の黒も美しく見える。いい朝に想える。(* 此の箇所に、幾つか戴いていたメールや返礼等々の記事が在ったのが、 知らぬ間に みな、消滅して行方知れない。過去の朧な記憶では、失せていた記事が、ヒョコッと浮かび出るように見つかる事もあったのを、期待しよう。)
2024 6/10

○ 階段から転落なさったとのこと、驚いて凍りつきましたが、骨折がなかったようで本当に幸運でいらっしゃいました。良かった、良かった。安心しました。
相変わら ずお節介申し上げますが、階段は家庭内事故の多い場所です。本当に危険です。今回のように転落して次も無事とは限りません。階段に手すりはついていますでしょうか?
市町村によりますが、高齢世帯には公的助成で手すり取り付け工事が無料あるいは安価で可能なはずです。市役所にお電話してみてください。ついでにお風呂場、洗面所トイレ、玄関、廊下等、ケアマネさんや業者の意見を聞きながら必要な箇所に全部手すりをつけてください。一日で済む工事だと思います。大けがをなさって入院になってからでは遅いですから、一日も早く。奥さまのためにも。

私はこの数週間関わっていたタダ働きボランティア仕事で慌しく過ごしていました。それでも毎日秦恒平論と格闘していたので、みづうみをいつもお近くに感じて過ごしていました。

特記事項というほどではありませんが、先日パレスチナの現状について国連の方との勉強会に参加しました。私自身はニュースやネットや新聞記事でかなり情報を見聞きしていたので、内容的にはイスラエルがガザ地区を国境封鎖してあえて深刻な飢餓状態を作り出していること含めて知っていることばかりでした。会場にいた全員が早くこの戦争を辞めさせたいと思っていたでしょうが、個人の無力であることに諦めも持っていたと思います。
講演者は非常に有能な日本人女性で、志があって長くガザに関わっていらした方です。国連の一員として公の場で発言できないことはたくさんおありだろうと推測しつつ、戦争には必ずそれによって潤う人たちがいる、一時間でも早く停戦しなければ、益々人が死んでいく、現地スタッフで家族を亡くしていない人はいないという訴えは、現場で活動する人にしかない切迫感がありました。
ボイコット、投資撤収、制裁のBDS運動が、アメリカの大学生を中心に起きていますが、世界的な流れにはなっていません。一人ひとりが身の回りから少しでも出来る何かをしてくださいと仰っていたので、ここに書いておきます。

会場にたくさんのパレスチナのお菓子と刺繍製品を持ってきてくださっていました。パレスチナ刺繍の見事な美しさは以前から知っていましたが、パレスチナのお菓子は初めてでした。一見一口サイズのオードブルのようですが、食べてみてその種類の豊富さ、美味しさに会場の全員が驚きました。洋菓子でも和菓子でもない、その上品な味わいは、パレスチナ文化の奥深さを伝えてくれました。強いて言えば日本のお茶席のお菓子に近いでしょうか。どこぞの国の大味大甘のケーキに比べなんと繊細な美味。これほどのレベルの高いお菓子を味わう中東文化圏の人たちが、今この瞬間も飢えと渇き(泥水を飲んでいる)、爆撃に苦しんでいる理不尽に ため息しかありません。
ハマスの殺戮と人質を盾にしている暴虐は言うまでもないことですが、このハマスを壊滅させるまで戦争を続けるというネタニヤフ首相の言葉を実現することは、そのままこのお菓子も刺繍も消滅させることになるでしょう。ハマスの壊滅なんて、パレスチナ人全員殺しても無理なことを承知で、誰かが潤うためにこの戦争を続けるのかと、私は勝手に邪推しています。

みづうみ、少しでもお元気に「読み・書き・読書」をなさってください。転ばないでください。
最後に五月十七日からの「私語の刻」を、お手すきの時にお送りくださいますようお願いいたします。  あけぼの

* 教えられる立派なメールで、篤く共感・賛成し、感謝します。

* 「階段」k転落は,自宅内では無く、散歩中 ちょっと近回りをと、無縁なマンションの前庭を斜めに横切った途中、五段の堅固な石段を上かで踏み外しました。肩などに出来た部厚な怪我アトがまだ硬いです。骨折しなくてよかったが,痛みはまだ遺っています。

○ 秦先生  ご無沙汰してしまっておりまして すみません,鷲津です.
階段でお怪我されたとのこと,大事に至りませんように お祈りいたします.
先生の 文学者としての旅が続いているのを,嬉しく思います.
計算機関係のことは,急いではいけないと思いますので,古・舊機で続けていただけたらと思います.私ら計算科学の人間でも,新しい環境にすぐに移行できませんので.
ただ,「その気」になったら仰ってください.関西からでも、すぐに伺います.関東方面へも,月に2-3回出張しております.

僕の近況ですが,大学出の研究室は無事に発展しています.
博士の院生が11人になりました.11人は多すぎるのですが,8年前に入った人などが必要な数の論文を書いて卒業してくれないので致し方ない次第です.でも,今年は一番上の人は出られると思います.国費留学生はすぐに出てくれたのですが,社会人の院生は,本業のこと,家族のことなどいろいろあります.お子さんを出産されると言われたら 研究をしろと言えません.
最近は,京大の先生と共同研究をしているので,よく京都に行くのですが,行く度に,秦先生のことを思い出しております.荒神口の母方の親戚とも 音楽会などでよく遊んでいるので,たとえば昨日は「京都ぎらい」の著者の先生と小学校が同じだった従兄弟といろいろ話しました.
秦先生の「京のわる口」を思い出しておりました.
兎にも角にも ご自愛いただけますと幸いです.
取り急ぎ,御礼にて失礼いたします.  鷲津生

* 四半世紀もの友よ。元気に活躍の様子髣髴として喜ばしく嬉しく、大きな安堵も貰い受けましたよ,慥かに。
ますます健康に、活躍されますよう。
2024 6/10

○ おはよございます シンと静かな朝です。ハイ 勝田

* 仙台の遠藤恵子さん、目映いように色ゆたかに耀いた大粒の「桜桃」を、大きな箱詰めで贈ってきて下さった。近づく十九日「桜桃忌」は、また、わたくし太宰治文學賞を受賞して「作家」生活へ本格に歩をすすめた記念の日。私は本郷台医学書院の一編集職にいて、遠藤恵子さんも,同じ社の同じ階の同じ仕事場で、そう離れない席を占め合ううていた。
私は軈て退社し、作家一筋の暮らしになり、遠藤さんも暫くして退社し、仙台で大学院での勉強に戻って,後年には大学の學長さんにまで成られた。
会社の頃には、同じ保谷の同じ社宅で、私たちの部屋へ見え、茶の湯の盆点てや風炉での平手前などを稽古に見えていたりした。建日子の誕生でソレは途切れてしまい、そのうち我が家は現在下保谷の家を建てて転居。それでも久しいひさしいお付き合いが、仙台へ帰られて以降も続いていた。戴いた「桜桃」のみごとな大きさ美しさ。ご厚情に感謝、感謝。

* 尾張の鳶さんは、京都南座わきの老舗の名店「松葉」の立派に豊かな「鰊そば」の大詰めを贈ってきていただいた。折しも「桜桃」と、なんと見事なとりあわせかと破顔・感謝感謝。幸せな「保谷の鴉」はカアカアと歓声も高く、元気を戴いた。
2024 6/13

○ おはようございます。 仙台から
早速のお便り、嬉しくありがたく拝受致しました。
今年の桜桃は、高温障害とかで ちょっと粒が小さいですね。
ご体調の方は、日々に弱っておいでのようですが、「気はまだまだ、読み・書き・讀書と創作の日を重ねて」いらっしゃるとのこと、何よりと存じます。
お身体も大切ですが、何と言っても「気」こそ重要ですよね。
とは言え、
「雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ
丈夫ナカラダヲ持チ・・・
ソウイフ者ニ」
私もなりたいです。

賢治は、この詩のなかで

「寒さの夏はオロオロ歩き」
と謳っていますが、この感覚は東京以南の方々にはお解りにならないかもしれませんね。
ホンの40年ほど前までは、仙台でさえ真夏でもヤマセが吹いて肌寒い日が続く年が幾度もありました。
そんな年は冷害で米農家は大打撃、一年間 文字通り汗水たらして働いたのに 収入ゼロどころか 大赤字でした。
ましてや賢治の時代の岩手では、どれほど大変だったか・・当時は乞食や餓死者も出ました。
女の子は身売りに出されました。私が40歳代の頃、金ケ崎町(岩手県)で調査に伺ったあるお宅で「ウチの婆チャンは身売りに出されたけど、あんまり辛くて逃げ帰ってきんだど。
ほれなのに、おまえに食わせる飯などねえって言われてしばらくは家に入れてもらえなかったんだど。」というお話しを聞き、ビックリしていましたら 「そげなことは、特別珍しいことでもねがす」とのことでした。昭和の初め頃 戦前の話ですが。
ヤマセは、夏の北東風または東風ですが、
「東風(こち)吹かば・・」なんてノーテンキなことを謳っていたのは、やっぱり九州 太宰府に流された人でしたね。
東北では「東風」など吹いたら大変、餓死者が出ます。
支離滅裂になってしまいました。
昨今は、地球沸騰のためか東北でも「寒さの夏」は ほとんどなくなりました。
今年も猛暑が予想されています。
どうか熱中症にお気をつけてこの夏を乗り越えてください。

私も一応元気に「遠藤惠子」を続けます。
(医学書院での後輩同僚 後年 東北へ帰り大學学長まで。)

* 小気味よい 佳いお便り。
気張ってでも われ老耄も 此の 熱暑の盛夏をゆっくりと歩み越して行きたい。
2024 6/14

○ ありがとう 本当にありがとう  尾張の鳶

* ハテ。何を喜んで下されたか、ナ。コレかな。

* 老舗「松葉」が念入りの 美味 「鰊蕎麦」 大喜びしています。 カアカア
気張って気張ってと「努める」のですが、さすがに心身疲労は覆いがたく 睡眠を一日の基調に、散策の小一時間を脚力維持のために、と。
本も読みます、気を入れて いろいろと。 ドストエフスキーと 紫式部と 曲亭馬琴と。
「明治」という「近代日本へ強い視線を送りながら、文豪といわれた人らの当時の作を批評的に読み返してもいます。透谷、紅葉、露伴、鴎外、漱石  シカと読めてたかなあと心許ないことです。
尾張の鳶よ  繪と 詩と。忘れないように。戴いた「夜色浄瑠璃寺」 いまも見入っていましたよ。魅入らせて下されよ、さきざきも。  保谷の鴉 カアカアカア
2024 6/16

* 『親指のマリア』上中下三冊 荷づくりできています。日曜なので、明日、郵便局から鳶へ宛て送ります。
カラスは、疲れては居ても、落ち着いています。 書庫に籠もって本に手触れていると、憂き世離れします。『家畜人ヤプー』なんての、また読もうかなど。今は、ドストエフスキーの大作『悪霊』の慥かさに惹かれつづけてます。
朱い細い紐と真っ白い細い紐とを、短く組み合わせ、手製のネクタイにし、真っ白いシャツの襟元に垂らしています。なかなかですよ。呵呵
尾張の鳶よ お元気で在りますように。 カアカア、カア
2024 6/16

○  持統天皇
春過て夏來にけらし白妙の衣ほすてふあまのかく山
香具山頭戸々開   曝衣晴日雪成堆
春光不駐如流水 換此春風夏候來
明治三十八年十月六月廿八日 歌學研究会

* 猫に鰹節 の早朝である。

○ おはようございます 仙台から
猫に鰹節の朝・・・とういことは、ご体調よくお目覚めということでしょうか? (目覚めて起きると 即 アコとマコとに催促される ということです。秦)
おはようございます。
* ご指摘の通り、『渚にて』は半年に一度違った時間帯(午前/午後/夜)に繰り返し放映してほしいですね !!
同時に、ワイルドライフも。
人間、ヒトが放射能死に逼られるのは自業自得ですが、象も狼も鯨もシャチも蟻もタコも珊瑚も、とんでもない迷惑を被って苦しんで死んでしまいます。
まだ間に合うなら、私たちは 核兵器と原発を即刻廃棄すべきですね。
それなのに、「被爆国」日本が甘っちょろい核兵器禁止条約にすら参加しないのは 謎です。 (謎と謂う以上に、罪を犯している 犯罪と。 秦)
英国やロシアさえ核兵器禁止に賛成なのに、核兵器禁止に反対しているアメリカに忖度しているのでしょうが、『渚にて』を観たら そんな忖度なんかしている場合じゃないって判りそうなモノですのに・・・・。

○ 春過て夏來にけらし白妙の衣ほすてふあまのかく山
春過ぎて梅雨もまだ来ぬ今のうち洗濯物干すわが狭庭べに

地球沸騰のこの時代、春も秋も曖昧になり冬と猛暑の夏だけになってしまいました。
おまけに全国各地で時期を問わず線状降水帯とやらが発生して大洪水の被害が頻発しています。
それどころか海水面の上昇で国そのものが水没の危機に瀕している地域すらありますね。
原因は、『渚にて』が問題提起していることと同根ですね。
ホモサピエンスは誕生すべきではなかったのかも知れません。
ネアンデルタール人によって いつの間にかひっそり静かに駆逐されていた方が幸せでしたのに、
私たち現代人にも 2%ほど ネアンデルタール人のDNAが混入しているとか・・・・。
この夏が「猛暑」でないことを願いつつ 「遠藤惠子」 を続けています。    (元・同僚 のちに大學学長)

* 謝謝 共感
2024 6/18

* 京西京、名も懐かしい有栖川町の桐山恵美子さん、もう何十年か、いつも目にもはんなりと珍らかな「京野菜」をたっぷり送って下さる。茄子が苦手な私も、この大きな、ドッヂボールに近い京茄子のどっしりした美しさには、つい手を出す。重たい。むろん妻は大喜び、お礼を書く、と、それにも私たち連名でお手紙が届く。もう妻任せにだけせず、私からも、たとえハガキでもお礼やご挨拶をしたいと想う。たくさんな読者方にたくさんな失礼を重ねてきた。
例えるのは憚られるが、生まれて初めての私家版本に、おう! 志賀直哉先生の御ハガキが届いた感動を忘れない。以来無数の知名作家や批評家や学者・読者との交信があり,その方らの愛読者らには涎が出ようと想うが、それらも何十年、適切な保存保管が出来ていない。受け取る郵便は年々に凄まじい數であったから。

* 筆無精せず、私からもお返事を心がけたい。
2024 6/21

* 此の『作家・秦恒平の私語の刻』が、166巻で一息入れた『秦恒平・湖(うみ)の本』のあとを追う。巻頭にも居きったように私の『私語の刻』は「文藝の表現」をつよく意図しており、加えて、創作した「小説の新作」も効果的に工夫し「組み入れて」行く。大凡は「一ヶ月を三分する」どの分量で「秦恒平の私語の刻」にお付き合い戴く。メールを利用する、印刷して郵便では重労働に陥る。当分はなにかと「試みつつ」お届けしたい。むろん従來の儘に「無料呈上」のメールなので、お好きに処置して下さい。本然は、『私語』される「表現と内容と」に在ると、ご不要の方はお知らせ下さい。新たに「読み初め」たい方は「メール・アドレス」を御指定・ご通知下さい。決して濫用はいたしません。

* 「当分は不慣れで躓く」か知れませんが、半世紀を遙か超す「作家・編集者」新たな努力で、老耄と闘いながら、勤めてみましょう。笑って下さい。ご期待下さい。ナニ、「私語」を「お聞かせ」するだけのことです。  秦 恒平
2024 6/21

* re 島尾さん 奥さん 「湖の本」に代えまして。
南山城当尾の私(秦)生家までカメラも一緒にご一緒できた昔を 今も感謝しよろこんでいます。 秦生

秦恒平さま メールを、「日記」と申し上げるべきかもしれませんが、拝読。
敗戦当時の事、1948(昭和23年)生まれの私ですが、身近に感じて読むことができました。埴谷雄高が口にしていた「精神のリレー」を思い出しました。
島尾敏雄(=伸三さんの父・すぐれた作家)の神戸外語の教え子たちの同人誌『タクラマカン』10年ほど前の、芦屋での集まりで、高齢なので「そろそろ止めようか」との提案があり、意見を求められた私は、
「最後の最後まで続けてほしい、沈みながらも無電を打ち続けるように」と、答えました。
暫くして「本当に、字も書けないんだ」と、斜めに流れる辿々しくなった字で手紙をもらいました。
そして5年前に同人誌は終焉を迎えたのですが、私は{晩年の在り方}を彼らから学んだような気がしています。
ありがとうございました。 島尾伸三 作家・写真家

○  お元気ですか、みづうみ。
作家 秦恒平の 『私語の刻』 2024/06/21 16:01 をお送りいただきありがとうございました。
早速一つ質問です。

今回お送りいただきました六月十日の記述は次の通りです。

◎ 令和六年(二○二四) 六月十日 月
起床 6:20 体重 59 0kg 早朝 起き・測
* ひんやりの早朝、空は明るい。寒がり、冷たがりの私は、指先の出て柔らかい布手袋で機械の用事を始める。眼鏡はむしろ外して胸へおろしている。機械の文字画面は心地よくまっ白に清潔、かなも漢字の「黒」も美しく見える。いい朝に想える。

ところが、前回ご送付いただいた六月十日の記載はもっと長いもので、次の通りでした。

◎ 令和六年(二○二四) 六月十日 月
起床 6:20 体重 59 0kg 早朝 起き・測
* ひんやりの早朝、空は明るい。寒がり、詰めた狩りの和知工氏は、指先の出柔らかい布手袋で用事を始める。眼鏡はむしろ外して胸へおろしている。機械の文字画面は心地よくまっ白に清潔、かなも漢字の黒も美しく見える。いい朝に想える。(* 此の箇所に、幾つか戴いていたメールや返礼等々の記事が在ったのが、 知らぬ間に みな、消滅して行方知れない。過去の朧な記憶では、失せていた記事が、ヒョコッと浮かび出るように見つかる事もあったのを、期待しよう。)
○ 階段から転落なさったとのこと、驚いて凍りつきましたが、骨折がなかったようで本当に幸運でいらっしゃいました。良かった、良かった。安心しました。
相変わら ずお節介申し上げますが、階段は家庭内事故の多い場所です。本当に危険です。今回のように転落して次も無事とは限りません。階段に手すりはついていますでしょうか?
市町村によりますが、高齢世帯には公的助成で手すり取り付け工事が無料あるいは安価で可能なはずです。市役所にお電話してみてください。ついでにお風呂場、洗面所トイレ、玄関、廊下等、ケアマネさんや業者の意見を聞きながら必要な箇所に全部手すりをつけてください。一日で済む工事だと思います。大けがをなさって入院になってからでは遅いですから、一日も早く。奥さまのためにも。
私はこの数週間関わっていたタダ働きボランティア仕事で慌しく過ごしていました。それでも毎日秦恒平論と格闘していたので、みづうみをいつもお近くに感じて過ごしていました。

特記事項というほどではありませんが、先日パレスチナの現状について国連の方との勉強会に参加しました。私自身はニュースやネットや新聞記事でかなり情報を見聞きしていたので、内容的にはイスラエルがガザ地区を国境封鎖してあえて深刻な飢餓状態を作り出していること含めて知っていることばかりでした。会場にいた全員が早くこの戦争を辞めさせたいと思っていたでしょうが、個人の無力であることに諦めも持っていたと思います。
講演者は非常に有能な日本人女性で、志があって長くガザに関わっていらした方です。国連の一員として公の場で発言できないことはたくさんおありだろうと推測しつつ、戦争には必ずそれによって潤う人たちがいる、一時間でも早く停戦しなければ、益々人が死んでいく、現地スタッフで家族を亡くしていない人はいないという訴えは、現場で活動する人にしかない切迫感がありました。
ボイコット、投資撤収、制裁のBDS運動が、アメリカの大学生を中心に起きていますが、世界的な流れにはなっていません。一人ひとりが身の回りから少しでも出来る何かをしてくださいと仰っていたので、ここに書いておきます。
会場にたくさんのパレスチナのお菓子と刺繍製品を持ってきてくださっていました。パレスチナ刺繍の見事な美しさは以前から知っていましたが、パレスチナのお菓子は初めてでした。一見一口サイズのオードブルのようですが、食べてみてその種類の豊富さ、美味しさに会場の全員が驚きました。洋菓子でも和菓子でもない、その上品な味わいは、パレスチナ文化の奥深さを伝えてくれました。強いて言えば日本のお茶席のお菓子に近いでしょうか。どこぞの国の大味大甘のケーキに比べなんと繊細な美味。これほどのレベルの高いお菓子を味わう中東文化圏の人たちが、今この瞬間も飢えと渇き(泥水を飲んでいる)、爆撃に苦しんでいる理不尽に ため息しかありません。
ハマスの殺戮と人質を盾にしている暴虐は言うまでもないことですが、このハマスを壊滅させるまで戦争を続けるというネタニヤフ首相の言葉を実現することは、そのままこのお菓子も刺繍も消滅させることになるでしょう。ハマスの壊滅なんて、パレスチナ人全員殺しても無理なことを承知で、誰かが潤うためにこの戦争を続けるのかと、私は勝手に邪推しています。

みづうみ、少しでもお元気に「読み・書き・読書」をなさってください。転ばないでください。
最後に五月十七日からの「私語の刻」を、お手すきの時にお送りくださいますようお願いいたします。  あけぼの

* 教えられる立派なメールで、篤く共感・賛成し、感謝します。
* 「階段」k転落は,自宅内では無く、散歩中 ちょっと近回りをと、無縁なマンションの前庭を斜めに横切った途中、五段の堅固な石段を上かで踏み外しました。肩などに出来た部厚な怪我アトがまだ硬いです。骨折しなくてよかったが,痛みはまだ遺っています。

○ 秦先生  ご無沙汰してしまっておりまして すみません,鷲津です.
階段でお怪我されたとのこと,大事に至りませんように お祈りいたします.
先生の 文学者としての旅が続いているのを,嬉しく思います.
計算機関係のことは,急いではいけないと思いますので,古・舊機で続けていただけたらと思います.私ら計算科学の人間でも,新しい環境にすぐに移行できませんので.
ただ,「その気」になったら仰ってください.関西からでも、すぐに伺います.関東方面へも,月に2-3回出張しております.
僕の近況ですが,大学出の研究室は無事に発展しています.
博士の院生が11人になりました.11人は多すぎるのですが,8年前に入った人などが必要な数の論文を書いて卒業してくれないので致し方ない次第です.でも,今年は一番上の人は出られると思います.国費留学生はすぐに出てくれたのですが,社会人の院生は,本業のこと,家族のことなどいろいろあります.お子さんを出産されると言われたら 研究をしろと言えません.
最近は,京大の先生と共同研究をしているので,よく京都に行くのですが,行く度に,秦先生のことを思い出しております.荒神口の母方の親戚とも 音楽会などでよく遊んでいるので,たとえば昨日は「京都ぎらい」の著者の先生と小学校が同じだった従兄弟といろいろ話しました.
秦先生の「京のわる口」を思い出しておりました.
兎にも角にも ご自愛いただけますと幸いです.
取り急ぎ,御礼にて失礼いたします.  鷲津生

* 四半世紀もの友よ。元気に活躍の様子髣髴として喜ばしく嬉しく、大きな安堵も貰い受けましたよ,慥かに。
ますます健康に、活躍されますよう。

このように、前回ご送付いただきました六月十日分はかなり長いものです。
翌日十一日の記述に<* もう四半世紀もツキアッテいるのに、この機械クン、容赦なくわたくを「混雑の路傍」に投げ置いて,姿、消え失せる。勘弁してよ。> とありますのは、この鷲津先生含めたメールのことではないかと推測しますが、如何でしょう。前回のものを保存して残すか、今回の短いほうを残すか、ご指示いただけますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

私も「光る君へ」を楽しんで観ていますが、一人の美女も登場しない配役はどうにかしてほしいと思っています。主人公二人は役柄上このままでよいでしょうが、定子中宮役などは、コメディ向きの女優さんで明らかなミスキャストだと思います。艶がないというか、目玉が大きいだけで薄幸を感じさせるものがありません。不幸そうに見える、見せる、という科は、女の魅力の一つかと思います。あれでは一条天皇が夢中になって道長を困らせる説得力がないのでは。
現在再放送されている大河ドラマの「独眼竜政宗」に出演している若き日の岩下志麻さん、竹下景子さん、八千草薫さんなど、一時代前の女優さんたちの、何と華やかで品があって美しいことか。話し言葉のきれいなことか。沢口靖子さんなども平安装束がどんなにお似合いかと思います。頼むから彰子役には美人を使って頂戴と願っています。

つまらぬおしゃべり申しました。

梅雨入り間近です。雨の日のお散歩はくれぐれも足元にご用心ください。あけぼのは、十日ほどの喘息のような咳込みとの闘いがすんで、消耗しきっております。みづうみは、どうかこんな風邪を召されませんように。美味しいものとお酒、大いに楽しんでください。  夏は、よる

* うわッ 凄い! 作・日記万般に疏通していて下さるのに、平伏。
気まぐれに分もろとも雲隠れたり暴れたりする機械クンとのつきあい、お察し下さい。停頓もしてられなくて。所詮は機械での表現と、てはいけないのだが、時間も体力も脳力も追い着かなくて。

* 清少納言があれほど敬愛・心酔した中宮「定子」のミスキャストは、如何にも覆いがたいとハナから感じていた。
そこへ行くと,道長の敬愛し信愛した姉、女御にして三帝の母ともなった女人の貫禄と魅力には舌を巻いてきた。
2024 6/22

○ 恒平兄上様
何とかお元気で頑張っておられるご様子、嬉しく思っています。新たな『私語の刻』版を始められるとのこと、頼もしく楽しみにしています!
実は今までのメールは、古い携帯に送って頂いており、この際、パソコンの方にお送り頂きたいと、このメールは、パソコンからお返事を書いています。
やはり生まれながらの小説家の兄上ですから、是非是非続けて発表されるのが一番と思います。
お二人とも、くれぐれも無理されず、ますますお体を労りながらお過ごしくださいね。
いもうとも、絵を頑張ります! 琉美子 (妻の妹。まおもに 詩も書き、繪も描いて 停滞しない。)

*ナニ十年の暮らしで自然にややこしく増えてきた家内のさまざまな鈎が、混乱若し行方もレ無くなるなど恐慌をきたしている、こういうことでアタマニ地が集まるのはバカラらしい。しかし,放ってもお無くて困る。

○ いよいよ雨の季節です。
先日、詳しく教えられた末に、石山寺へ行きました。瀬田川と、堤防のない向こう岸を見ました。彼女のおすすめです。紫式部の「光る君へ」の石山寺詣でを想像しましたが、なかなか結び付けられませんでした。
それでも外出出来て満足しましたが、まだ草臥れています。
どうなるかわかりませんが、4号の絵を描きためています。 グループ展の「最後は個展」が冗談でなくなってきそうです。 置かれている状態を勘案するべき? そうして永らえる?
お元気でいらしてください。迪子さんも。 柚

*オウ 懐かしい ! 強い気持ちで時にとても逢いたくなる、美学藝術学ビカ一年の後輩。私にピアノ曲へ愛好の路筋をつよく使嗾し指し示してくれたヒト。お元気で。
2024 6/23

○ 今日(23日)は雨の日曜日、仙台も遅い梅雨入
秦恒平 先生 ご体調いかがでしょうか? 体重56.39gとか、随分軽いですが、それくらいの方がよろしいのでしょうね。
仙台も梅雨入りで肌寒いほどです。暑さもちょっと一休み、雨もまた いいものです。こんな日は、やはり読書と手紙書きですね。
「読書」といえば、子どもの頃から翻訳モノばかりでした。小学校低学年の頃は、キップリングの「ジャングルブック」、ジェーン・エアの「嵐が丘」、オスカー・ワイルドの「幸福の王子」等々。高学年になるとスウェン・ヘディンの「ゴビ砂漠探検記」やスコットの「南極探検記」に魅了され、将来は探検家になろうと夢想したものです。
中学生ともなると、福田恆存訳のシェイクスピアや原卓夫訳の「カラマーゾフの兄弟」には、圧倒されました。
なんとか原文で読みたいと、早朝のラジオで「ロシア語講座」を聴きましたが、早起きが苦手な私は長続きせず、挫折してしまいました。
そんなこんなで日本の作家の作品に触れる機会は教科書以外にはほとんどありませんでした。そのせいか、オトナになるまで、「翻訳調でない」日本語には違和感がありました。
私が、初めて「日本語・日本の言葉って実に美しい奥深い言葉なんだ!」ということに気づかされたのは、菅原万佐の『斎王譜』を読んだときです。あの時の感激は今も忘れられません。
それから、少しずつ「翻訳でない日本の詩人の詩歌」を読み始め、齊藤茂吉や正岡子規のファンになりました。ついでに母校の大先輩(学部は違いますが)齊藤宗吉の「ドクトルマンボウ」もおもしろく楽しみました。
秦恒平先生、(じつは 創作者としてのごく初期「菅原万佐」でもあった=)秦先生は私の「日本語の先生」です。
新ためて感謝申し上げます。  遠藤 恵子
遠藤さんは
秦の元医学書院での同僚 同じ社宅で家族ぐるみ      仲良しだった。
後年、東北で研究生活から大學学長まで務められ、
社会人として諸種の活動へも。
「斎藤茂吉」や「正岡子規」で、急接近になる。      秦は、人生最初の著作集として歌集『少年前』『少      年』があり、続けて『光塵』『亂聲』があって、      やがては『老蠶閉門』も予定しているように、根      は「歌人」。優れた歌人だった岡井隆が撰した『現      代百人一首』でも、居並ぶ近代・現代錚々の歌人      たちの中へ、「小説家」秦恒平の名と、京都の市      立日吉ヶ丘高校生の頃に、名だたる東福寺の名勝      通天橋での感傷の一首と、を選んで呉れている。
2024 6/24

* 京都の、,美学の後輩、懐かしい羽生清(きよ)さん、羽生さんならではの、おもしろう源氏物語・枕草子、紫式部と清少納言とを、かき混ぜるように詩的に噛み分け書き分けられて、めずらかに新鮮なエッセイ「新著」を頂戴した。造本それじたいも、すでに羽生エッセイの香気に薫っている。エッセイより、創作のおつもりでもあろうよ。対象を把握しきってなければ書けない表現の妙に、拍手。送呈も不思議に美しく。
2024 6/25

* 羽生淸さんに頂戴の新著『紫・清』が、佳い「京舞ひ」のように縦横の論攷論究、美しく。嬉しく、有難し。

* 体調優れないが、「本」は読める。是に増す生き甲斐はもうはや、そうは無い。耳に聴く方は乏しい。「読める」限りは」読み」たいもの。

* 久しぶり。九大名誉教授今西祐一郎さん、一条天皇の源氏物語に関わる発言が、物語の何に、何処に拠っていたかと、「日本紀の局」と呼ばれもした紫式部との接点を論旨自他論文も戴いた。これはもう、簡潔に、ソレしか無い「考」と「結論」で。,その関連では、原著誌の論より、羽生淸さんの舞い遊ぶぶよう創作が愉しめる。
2024 6/26

* 「機械 全壊の感触で 事実はたぶん私の老耄で、ナニもかも、ハキとしないまま、呆然としています。これも、届きますのか、どうか。押し出してみます、が。
お元気でと 切に願っています。  秦 恒平」と、
何日も以前に勝田貞夫さんにメールしている、が、そのママに。
朝からいろいろ書いたハズずなのに、チラと読んだ{尾張の鳶}の「メール」ももろとも、ハタと消え失せている。

○ 新しい道順での「湖の本のメール」ご送付いただき、ありがとうございました。
相変わらず、PCから逃げ腰で過ごしていまして、秦様からのメールを発見いたしまして、息吹き替え返したようなPCです。
またお時間がある時に、ご送付くだされば嬉しく光栄です。
建日子さまのご本Change the World, And so tおhis is Xmasの二部作を図書館から借りて読ませいただいているタイミングに、迪子さまより三部作目を頂戴しまして、ありがとうございました。
未知の世界を小さい穴から覗き見ているようです。
デジタルの未来の世界? 分からない想像もつかない世界を少し覗かせていただいています。

謡曲の稽古の方は、「夕顔」の謡とお仕舞をしています。
先月師匠が矢来能楽堂で「山瑞乃伝」の小書きを出されました。
大変古い装束、と面(おもて)とで、たいそう立派でした。
入梅。酷暑と続くのでしょうが、どうぞ迪子さまともにお体大切にを一番にお過ごしくださいますように。 持田晴美

* 頚すじが、重く痛む。

* 寝入りたいのだが。目が重く、本もよみづらい。

* 機械から失せて消えた何も戻ってはこない。
2024 6/29

* もらったメールが消え失せて。カアカア
同じのを、も一度送って,序での折に。
鴉は- ボーゼンと、ボケています。 ハタと消え失せそう。
2024 6/29

○ 2024年度朝日賞・人文分野の推薦をお願い申します。
秦 恒平 様

時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
日ごろから朝日新聞社および朝日新聞文化財団の諸事業に格別のご理解、ご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
このたびは2024年度朝日賞の候補者をご推薦いただきたくメールを差し上げました。
朝日賞は、1929年に朝日新聞創刊50周年を記念して創設しました。
著名な文化人を顕彰するにとどまらず、自然科学分野の俊英に贈られる国内最高峰の賞でもあります。
受賞者がのちにノーベル賞を受ける例も数多く、
2021年にノーベル物理学賞に輝いた真鍋淑郎さんを含め、ノーベル賞を受賞した朝日賞受賞者は17名いらっしゃいます。  文化勲章との重複受賞(受章)者は100名を超えます。
受賞の方々の比類無いご活躍により、朝日賞が長い歴史の中で培ってきた推薦方式や評価基準など 選考の信頼性が改めて注目を集めています。
朝日賞は全国の大学や研究機関、有識者のみなさまから寄せられた推薦をもとに、選考委員会で絞り込まれます。
受賞者は2025年元日の朝日新聞紙上で発表し、1月下旬に贈呈式を行います。
ぜひ今年度も、ご協力をお願い申し上げます。
2024年7月      朝日新聞社・朝日新聞文化財団

* 久しく、依頼にこたえてきたが 私の「視野」も老いに遵い ずいぶんもう「狭く」なっている。
2024 7/2

○ 文月
梅雨らしい天気が続いていますが、お変わりございませんか。
今年も、はや折り返しですね。
一昨日は川端学会の第50回記念大会で、「片腕」をアダプテーションした七作品を上映し、杉井ギサブロー監督、伊藤俊也監督、奥秀太郎監督らにもご登壇願いました。
杉井ギサブロー監督の映画「片腕」には、原作に無い蛇が絡み合うシーンが描かれていて「おや」と思ったのですが、シンポジウムでは、「雨月物語」の「蛇性の婬」の映画化を考えている、蛇の世界と人間の世界を行き来する空間を描きたい、隔てているものを超えていきたいといったことをお話しになりました。
伊藤俊也監督が、原善さん編集の『<転生>する川端康成Ⅱ』(私も「美術作品になった川端文学」を書いています)にご自身の作品「白蛇抄」(水上勉原作)についてご執筆なさっているのと合わせて、興味がひかれました。
ご執筆中の新作には、蛇は出てきますか。
蓮の花の間を泳ぐ蛇の映像が、なんとなく浮かんできました。
蛇は怖くて、美しいですね。
会場では、拙稿も掲載した今年度の機関誌が配布されました。
川端と軽井沢について書いたもので、明日大学でコピーしてお送りしようかと思いましたが、手元にある念校の方が字も読みやすそうなので、こちらを明日行きがけに投函しようと思います。お手すきの折に、ご笑覧いただけましたら幸いです。
論文の後になってしまいましたが、再来週には、二泊三日で軽井沢に行ってきます。
梅雨の後半は、大雨と暑さが心配です。
どうぞお体お大切になさってください。
ご健筆をお祈りいたします。   快晴

* 活発で、なによりです。年齢と競走のとしごろです、健康に、奮励あれ。

○  お元気ですか、みづうみ。
今年も 後半になりました。この時期の蒸し暑さは、身体が慣れていないので活力が萎えそうです。

みづうみは日曜日に配布された都知事選の選挙公報をご覧になりましたでしょうか。まぁ驚きました。今年はこれまでで一番候補者が多く、しかもポスター騒動のような非常識な候補者がいる、前代未聞、カオスと言われていましたが、一夫多妻を公約とする候補者等々、失笑しながら眺めるうちに凍りついてしまいました。
変な候補者は 以前からいましたが、今年はその数が異常です。テレビの選挙広報でも洋服を脱ぎだした女性候補がいたそうです。選挙活動を最悪の見世物にしているとしか言いようがありません。小学校の学級委員を選ぶ場合にだってこんな悪ふざけはあり得ない。年齢だけは大人の最低の候補者たちは、結局風紀を乱すようなことをしているうちに、立候補者や選挙運動に規制がかけられるような、民主主義の危機を招くでしょう。

とくに、NHKに受診料を払う国民はバカだと主張する党が、この脱いだ候補者含め二十四人も都知事候補者を出していることなど、端から当選を目指さないお騒がせショーです。(大量の候補者ポスターで寄付金を集め利益を得るためらしい)。
今のNHKに対する不満は山ほどありますが、NHKを「無料」にすることが国民の利益になるとは思えません。
以前、イギリスのBBCに無料化の動きが出てきたとき、放送の公平中立性を守るために、「政府から独立した報道機関が必要だと国民が無料化に反対した経緯」があったことなど思い出すと、「民度の差」か、とため息が出ます。
個人的にはイギリスという国は好きになれないのですが、政治は、日本より機能しています。つまり有権者が、日本より機能している。
どうせ当選しないのだから言いたい放題やってみる、目立てばいい。それどころか金儲けの機会にする。そんな泡沫候補の劣化は、結局問題だらけの候補者を当選させるのが目的なのか、それとも本当にアホなのか。昔の泡沫候補の赤尾敏さんは真面目だったと思い出される日が来るとは、想像したこともありませんでした。立候補するなら真剣に公約を掲げ、志をもって当選をめざしてほしい。日本の政治家やその卵に良識は期待できなくても、せめて一般的な常識を求めるのは無理なのでしょうか。アメリカもヨーロッパも有権者が変質しているように思います。つまり私を含めた有権者の不甲斐なさが今日を招いたということ。
愚痴るのはやめて、選挙に行くだけですね。

六月二十二日からの「私語の刻」、お時間のおありの時にお送りいただければと存じます。

羽生清先生にお送りいただいた『式部と少納言 私の源氏物語』楽しく読みました。
蒸し暑い時期は、体調にもよくありません。くれぐれもお大事になさってください。  夏は、よる

* 心嬉しい、思いの生き生きした佳いメール、共感する。
それにしても日本国民の總愚昧・總愚民化を平然自演するバカものらが、「選挙権」をド壷に投げ込むバカ丸出しの愚考でしか自己を表現できない阿呆そのもの。「親の顔が見たい」と謂われる「徹した親不孝者らの顔」を晒していると死ってのバカか。

* マコもアコも、私の膝を抱え、甘えに来る。人間より遙かに聡いと感じること、しばしば。
2024 7/3

○ 先日、詳しく教えられた末に、石山寺へ行きました。瀬田川と、堤防のない向こう岸を見ました。彼女のおすすめです。紫式部の「光る君へ」の石山寺詣でを想像しましたが、なかなか結び付けられませんでした。それでも外出来て満足しましたが、まだ草臥れています。
どうなるかわかりませんが、4号の絵を描きためています。グループ展の「最後は個展」が冗談でなくなってきそうです。
置かれている状態を勘案するべき? そうして永らえる?
お元気でいらしてください。迪子さんも。 柚

* 健康を損じていませんように、はるか石山寺に祈る。
もう、出会う機会は望めぬかと思いながら、懐かしい。大学時代を思い出せる、もう、たった独りの人となった、か。おげんきで゛と心より祈る。逢いたい。
2024 7/6

○ カアカア鴉に
“生きたかりしに”を再読、今しがた読み了り、茫然。深く重く、生涯を思います。
同時に光のようなものを感じます。
暑さを避けて籠っています。
元気に過ごされますように。  尾張の鳶

* ありがとう。鳶も。空たかだかと舞いたまえ。
『生きたかりしに』か。「生ききりたかった」ろう生みの母の呻きが、今も聞こえてくる。

* 京舞家元の井上八千代さん、創作家の羽生清(きよ)さん、、舞踊のお師匠はん林の貞子ちゃん、 それぞれに心嬉しい京都の風とともに「季節のご馳走」を贈ってきて下さる。 感謝。
2024 7/6

* 下関の大庭さんから、いろいろのご馳走を贈っていただいた。壇ノ浦の「源平」海戦など、さあっと目に浮かんでくる。門司がわであったか、小高い處から壇ノ浦を眺めた想い出も。

* 時季と謂うのか、いろいろに各地の頂き物をし、珍しいご馳走にビックリしたり。ありがたいこと。久しい、読者のみなさんと作家として昵懇のおつきあい、有難いこと。素直に素直に、喜んでいる。
2024 7/7

* ピタッとメール受信の途絶えているのが寂しい。皆さん、熱暑にウダッてられるのだろうよ。

○ お元気ですか、みづうみ。
やさしい夢のお話ありがとうございました。みづうみからの早朝メールにどれほど慰められたことでしょう。
あけぼのは病気してただいま絶不調です。幸い喘息の診断ではないものの、咳は体力を著しく消耗します。疲労困憊。よく休んで少しずつ復帰したいと思います。みづうみのメールに、弱った心と身体がほっこり幸せな色に染まりました。

* お大事に。冷房と仕事との相性に、思いのほか気遣いして過ごしている。子供の頃は「夏」大好きだったが。老いては、堪える。少し、少し、少しずつの酒で食と仕事とを「調節」しているつもり。

* 高麗屋の白鸚さんから九月秀山祭へ直々にお誘いが来ている。久しぶり妻との歌舞伎座へ、心動く。もういいだろう、コロナは。思えば数年、都心へ出ていない。脚。脚は、ま、二人とも大丈夫。帝国ホテルのクラブへも、復帰してみるか。
真夏を どう凌いで越せるか、だな。
2024 7/9

○ 毎日ほんとうに暑いですね。
恒平兄上様  まだまだしっかりされていて、新しい短歌集も編んでおられるとのこと、嬉しく思っています。
気温の高い毎日、老人にとってはこんなに不快な辛いものだとは知りませんでした。やはり自分で体験しなければ分からないことが、色々あるのですね。
兄(=詩人保富康午の「大きなのっぽの)古時計」の歌は、多くの人々に愛されて、幸せな歌です。NHKのみんなの歌から始り、小学校の音楽の教科書に載ったことで、日本中に広まりました。NHKから原歌詞の翻訳の依頼が兄のもとにあったときのこと、私もよく覚えています。私が23歳の時でした。遠い昔のような、そうでもないような… 時間というものも不思議なものですね。
どうか熱中症にはくれぐれもお気をつけて新しい短歌集の編纂など、頑張ってください。何とか夏をお二人で乗りきってくださいね!  いもうと 琉美子
2024 7/10

* 京舞井上流家元の八千代さんに戴いた、珍しい、初モノの「しゅうまい」がすこふる旨かった。こんな旨いものも在ったんだと感じ入った。
京東山 浄土宗總本山知恩院下のごく静かな「新門前通り」東の中之町に私の育った「ハタラジオ店」があり、白川のせせらぎを西へ渡った同じ有済小学区の新門前西之町に、「京舞井上流」八千代さんのお宅・お稽古場がある。むろん、今もある。通りの風情がいまも目に静かにありあり甦る。
2024 7/10

* 生来、と謂うより、忙しい編集職でのデスクでは電話で切り回すのが、周りで感心してくれるほど旨かったけれど、実は生来電話で話し合うので、が好きでなく苦手で、だから「孤愁」にめげず、滅多に自分からは電話など掛けない。そのぶん、メールはラクだけれど、なにぶん機械での便宜で、質的な「ヒトづきあい」には害かとさえ感じてることがある。が、そんなことを謂うていては八八老、吾から「天涯孤独」に甘んじねばならぬよ。
2024 7/11

○ 保谷の鴉は
如何お過ごしですか
元気でありますように
今日、鳶は静岡の墓参
姉夫婦の生活に直面して、些か衝撃をうけました。
さまざまな感想、です。
メール暫くないので心配。元気に!  尾張の鳶

* お互いに案じ合っていたということ。カアカア。お元気で。もうすぐ十時。休みます。
2024 7/11

○ はや今年も祇園祭の季節ですね。
去年は大阪での仕事の後に、暑い日盛りの下、八坂神社や祇園など歩いたのが思い起こされます。
梅雨明け前というのに、今年は一段と暑いですが、夏バテしていませんか。
お声がけ、有難うございます。
今、川端と東山魁夷について書いているところなので、東山魁夷の画集などあればと思いますが、書庫で本を探すには危険な暑さかもしれませんね。
少し涼しくなりましたら、書庫を覗きに参りましょうか。
*「川端康成と東山魁夷ー「白馬」の幻想を創出したもの/文学と美術の交響」
(「朝日新聞」PR版「四季」欄に1962年から64年にかけて発表された川端の掌篇11篇は、いずれも東山の挿画だが、うち「不死」「白馬」等の4篇(1963年8月)は、川端の提案によって東山が先に自由に絵を描いたものである。
なぜそのような試みがなされたのか、どのような発想によって各作品が成立したのか考察する。
川端と東山に共通するモチーフである樹木に、川端はいち早く魔的(デモーニッシュ)な力と美、母なる大地との交合を感受し、「不死」の木立の中から「白馬」の幻想を創出したが、それは川端逝去の年に連作された東山の「白い馬の見える風景」に繋がっている。
二人の芸術家の交流の軌跡を辿り、東山が連作の最後で昇天する白馬に手向けた「再び春は巡ろうとしている/再びあなたは帰らないであろう」という言葉の意味を、東山も愛した川端の「住吉」三部作で繰り返された「あなた」への呼びかけを踏まえて解析する。)
川端の「白馬」と漱石「夢十夜」の第五夜のモチーフの重なりなども、気になっているところです。
今週末は、早稲田大学での国際シンポジウム、昨年九月に台湾でお世話になった先生方も多数いらっしゃるのも楽しみです。
来週は、軽井沢で、高原文庫や川端別荘の跡地など見てきます。
大學の硯友社文庫は、九月から石橋思案の企画展を行います。
土曜のみの開館ですが、お越し頂けるようでしたらご案内いたしますよ。
酷暑続きですが、目も、アタマも、カラダも、どうぞくれぐれもお大切になさって下さい。  快晴
2024 7/12

○ はや今年も祇園祭の季節ですね。
去年は大阪での仕事の後に、暑い日盛りの下、八坂神社や祇園など歩いたのが思い起こされます。
梅雨明け前というのに、今年は一段と暑いですが、夏バテしていませんか。
お声がけ、有難うございます。
今、川端と東山魁夷について書いているところなので、東山魁夷の画集などあればと思いますが、書庫で本を探すには危険な暑さかもしれませんね。
少し涼しくなりましたら、書庫を覗きに参りましょうか。
*「川端康成と東山魁夷ー「白馬」の幻想を創出したもの/文学と美術の交響」
(「朝日新聞」PR版「四季」欄に1962年から64年にかけて発表された川端の掌篇11篇は、いずれも東山の挿画だが、うち「不死」「白馬」等の4篇(1963年8月)は、川端の提案によって東山が先に自由に絵を描いたものである。
なぜそのような試みがなされたのか、どのような発想によって各作品が成立したのか考察する。
川端と東山に共通するモチーフである樹木に、川端はいち早く魔的(デモーニッシュ)な力と美、母なる大地との交合を感受し、「不死」の木立の中から「白馬」の幻想を創出したが、それは川端逝去の年に連作された東山の「白い馬の見える風景」に繋がっている。
二人の芸術家の交流の軌跡を辿り、東山が連作の最後で昇天する白馬に手向けた「再び春は巡ろうとしている/再びあなたは帰らないであろう」という言葉の意味を、東山も愛した川端の「住吉」三部作で繰り返された「あなた」への呼びかけを踏まえて解析する。)
川端の「白馬」と漱石「夢十夜」の第五夜のモチーフの重なりなども、気になっているところです。
今週末は、早稲田大学での国際シンポジウム、昨年九月に台湾でお世話になった先生方も多数いらっしゃるのも楽しみです。
来週は、軽井沢で、高原文庫や川端別荘の跡地など見てきます。
大學の硯友社文庫は、九月から石橋思案の企画展を行います。
土曜のみの開館ですが、お越し頂けるようでしたらご案内いたしますよ。
酷暑続きですが、目も、アタマも、カラダも、どうぞくれぐれもお大切になさって下さい。  快晴
2024 7/13

○ お元気ですか。
○ 桃 送りました!
秦先生   ご無沙汰をしております
お変わりなくお過ごしでしょうか
メールを頂きながらお返事等せずにいて申し訳ありませんでした。ちょっと7月に向けて忙しく過ごしていたので・・・と、その辺の事情は後ほど書かせて頂きます。
さて、週末に実家のある甲府に帰省したところ、ちょうど美味しそうな桃を見つけたので 少しですが送付させて頂きました、是非楽しんでいただければと思います
で、7月に向けて忙しかった理由ですが・・・
ご連絡が遅れて申し訳ありませんが、7月の人事異動で「****」への出向を命ぜられ、着任しております。
担当は、**政策ということですが、まだ着任して間もないこともあり、何をしてよいものか 全く見えてきておりません。以前に出向していた***でも**政策が担当でしたが、人口規模が全然違う(例えば**県は約130万人、東京都だと1,400万人ですから・・)ので 。
そうは言っても、折角、縁あってこのポストに就いたのですから、ひとつずつ積み重ねながら私なりの取り組みを進めていこうと思っています。
さてさて、夏も盛りですが、先生のお体が許すので
あればお会いすることはできないでしょうか。上の子の大学生活も慣れてきていますし、本人、20歳を過ぎましたので お酒も少しですが飲めるようになっています。
あまり人数が多くてもお疲れになるでしょうから、私と娘の2人で(サクラに言うと“俺も行く!”と言うかも知れませんが・・)保谷駅付近まで行きますので、是非。
日程は先生のご予定に100%合わせます!と言いたいところですが、娘もサークルの予定などあるようなので もしかしたら調整をさせて頂くかもしれません。
また改めてご連絡をさせて頂こうと思いますが 今日は、まずは「桃送りました!」のご連絡まで。。
それでは   ○山○司

* 心嬉しい、懐かしい、東工大院卒生の 責任大きな立派な「カンリ職」の、晴れ晴れとしたお便り。
桃も,嬉しいナ。逢えるのも嬉しい。
大学生のお嬢ちゃん、帝国ホテルでだったか、膝に抱いた初対面の昔には、まだ二つか、三っつだったろう。「お酒もすこし飲める」ッて。嬉しいナ。

* あの美しい櫻に溢れていた国立東工大に、「名人事」と新聞にも記事が出て「文學教授」として出講の春に、この「○ちゃん」も「サクラ」も入学してきたのだった。「おもへば いと疾(と)し この歳月」よ。
「国立東京工業大学」は、もうやがて 新興総合の、「国立科学大学」の一環に成ると聞いている。そう謂えば結婚式にも何度も何度も招かれたなあ。「おじいちゃん」なワケだ。

* 心嬉しい、懐かしい、東工大院卒生の 責任大きな立派な「カンリ職」の、晴れ晴れとした便り。
桃も,嬉しいナ。逢えるのも嬉しい。
大学生のお嬢ちゃん、帝国ホテルでだったか、膝に抱いた初対面の昔には、まだ二つか、三っつだったろう。「お酒もすこし飲める」ッて。嬉しいナ。

* あの美しい櫻に溢れていた国立東工大に、「名人事」と新聞にも記事が出て「文學教授」として出講の春に、この「○ちゃん」も「ヤナギ」も入学してきた。「おもへば いと疾(と)し この歳月」よ。
「国立東京工業大学」は、もうやがて 新設総合の、「国立科学大学」の一環に成ると洩れ聞いている。
そう謂えば結婚式にも何度も何度も招かれたなあ。「おじいちゃん」なワケだ。
2024 7/15

○ ご心配おかけしました。薬の助けでなんとか咳を抑え込んだようです。高速列車に急ブレーキをかけるようなことをしたので、しばらく身体の違和感、疲労感が続いていましたが、今は快復に向かっていると思います。お心遣い嬉しく、ありがとうございました。
病中、須賀敦子さんの本を読んでいましたら、あるきっかけで知り合ったふしぎな老婦人と当尾の浄瑠璃寺を訪れ、一緒にお弁当を食べて有名な九体仏もみたことがさらりと書いてありました。
須賀敦子さんはイタリアと縁の深い人ですから、当尾が出てくるとは意外でしたが、思わぬ場所でみづうみに再会したような懐かしい気持ちになりました。一度も当尾に行ったことがありませんのに、私のなかに特別な場所として深く沁みこんでいる地名です。ホームページの高木富子さんの絵も見続けてきたせいでしょうか。いつか訪ねてみたい土地です。
フランスの選挙やアメリカの大統領選挙のニュースが、ボディーブローのように効いて心身にダメージを受けているなぁと思います。気がふさいでいます。
ここ数年の「私語の刻」の記述は時事問題への言及が激減しました。政治についてみづうみは書くべきことを書き尽くして、時代への文学者の責任を果して闘い、ついに見限ったかと感じています。私の年齢では諦めるのは許されないのかもしれませんが、みづうみの足元にも及ばぬながら、みづうみの「読み・書き・讀書と創作」の日々のような、そんな時空間に生きたいと願っています。卑怯でしょうか。
とにかく健康は大事です。健康でないと闘う気力がわきません。
みづうみ、どうかご体調をねじ伏せて、少しでもお元気に、お大事にお過ごしください。みづうみに書かれることを待っている作品がたくさんありますから。  あけぼの

* でたらめなラクガキはべつとして、正確に美しい国語で「文章」をしかと書くのは至難のこと。それも個性によりちがうは当然な自然でありつつ、当然な自然が生きて呼吸するのは、さらに至難、だが、その至難を避けては通れない「書く」宿運にある者には。。
2024 7/15

○ なんと申しましょうか  秦さん
秦さんからのメール 本当にありがとうございます
悠々と頑張りたいです がんばります
新型コロナ「新変異株 KP.3」夏に更に拡大 が心配されています
くれぐれもご注意下さい 今までの予防手段を徹底しましょう
どうかくれぐれもお気をつけください
頑張るしかありません  勝田拝 医師

* コロナ 此処まで堪えてきたのだ、油断はすまいと、來客も、自身出向くのも、もう当分「見合わせる」ときめた。
2024 7/17

* 尾張の鳶が、京のお茶に添えて、わたくしの暮らしていた新門前通りや祇園「白川」ぞいの、懐かしい、大きい写真を何枚も撮って送ってくれました。
もう何十年帰っていないだろう。帰っても泊まれる家ももう無い。それでも、せめてもう一度、もう一度は「帰って」知恩院、円山、祇園さん 四条大通り 祇園町、白川ぞい、縄手の賑わい,古門前、新門前など、そぞろ歩きたいがなあ。通称に「なか」と呼ばれていた三条裏も。
今は祇園会のさなか。ブチ切れそうに懐かしいよ。
思えば東京へは、ただただ「作家」に成るべく就職して来たのだなあ。
2024 7/17

* 来信 無し。もうすぐ日付変わる。読みたい本を少し読んで,寝入ると。

* 勝田貞夫さんと、尾張の鳶の来信があり。ともに日録もし置いたハズなのに、機械画面に見えない、失せている。来信の記録すらも失せている。内容はおぼえており,即、返信した内容も記憶している、のに、機械は「記録してくれていない」。また、どこかから現れ出るか。貰っていた、ことに勝田貞夫さんの「想い出」の記事は内容豊かで興深く、消え失せてはいけない。
2024 7/21

* まだ壮年の,弥栄中学どうそうの数人と、「文藝春秋」が祇園八坂神社境内拝殿わきで撮影してくれた印刷が、数葉残っていた。
写真右から、「作家・国立東京工業大学教授」秦 恒平  「昭和シェル石油常務」團彦太郎  「歌舞伎俳優」片岡我當  「サツマヤ社長」奥谷智彦  「料亭ぎをん梅の井主人」三好閏三  『安全索道取締役」尾竹嘉三  「日立マイクロデバイス常務」西村明男
そして西村が、「我々は,京都市祇園石段下にある弥栄中学昭和二十六年の卒業生である。母校は入学した年に新制中学として発足した。近くには八坂神社、円山公園、知恩院、将軍塚など青春のエネルギーを発散させる美しい舞台に恵まれ,祇園花街や芝居の南座も目の前にあって、戦後民主主義の三年間を印象深く満喫した」と書き起こし、一人一人のの「紹介」もしてくれている。「秦は、中学時代から目立つ存在で生徒会長に選ばれた我々のリーダー、 その後、昭和四十四年に太宰治文學賞を受賞し作家となった」と。和やかに、みな笑顔が若く、懐かしい。残念ながら三好君が、ひとり亡くなっているが、他は、今も健在と思う。
2024 7/27

○ 土用 卯の日
7月24日  梅雨明けの後、大暑の文字通り大いに暑い日が二日間、今日は幾らか暑さが和らいでいます。孫の興味が最近は昆虫に移り、最初はダンゴ虫、次はバッタ、そしてセミ。庭で捕まえては虫かごに入れて餌・・草やスイカの皮etcをあげています。
ダンゴ虫は甲殻類で卵からとても小さな白色の幼虫になり、7回ほど脱皮して成虫に。バッタもセミも脱皮しますなどなど。この歳(=傘を遣うには、まだまだ)になって初めて知ること多いと痛感しています!

アメリカ観?! わたしが知り体験したアメリカは極めて狭い範囲に限られています。今現在は特に大統領選挙を控えてトランプの銃撃暗殺未遂事件「神の御加護」、バイデンの撤退、ハリスの立候補と 目まぐるしい展開です。
開拓精神から継承され個人が所有できる銃。それが社会全般に普及している物騒なアメリカ・・以前娘たちはアメリカに憧れ、そこで暮らしたいと言っていましたが、危険が偏在(=遍在?)しているアメリカ、人種差別や貧富の差があまりに激しすぎるアメリカには住みたくないと断言します。多くの民族が混在する面白く興味尽きない社会に違いないけれども、それだけひずみ歪みもあります。黒人をアメリカに売り渡したのはヨーロッパ・イギリスやベルギーなど帝国主義国家の奴隷商人でした。建国に由来する宗教的な問題も
日本では想像できない程 山積しています。宗教的な分断も亦見逃せません。わたしなど戦後生まれの日本人は民主主義のアメリカ、豊かなアメリカと思いこまされてきましたが、改めて日本のことも含めて考えていく必要があります。
もう30年も前になりますが ボストンに滞在した時のことを書いた文を送ります。読み直してみると,幾らかの「アメリカ観」もそれとなく書かれているように思います。文章はほぼ体験したささやかな日常からですが、30パーセントくらいはフィクションも交えています。保谷の鴉の目が疲れない範囲で読んでくだされば嬉しいです。
酷暑、くれぐれも無理なさらぬよう。美味しいものを食べて、痩せないよう、夏バテしないよう。

フェンウェイの薔薇

フェンウェイと聞けば野球ファンなら、ああ、レッド・ソックスの球場がある所ね、と直ちに思うだろう。ボストンもフェンウェイもレッド・ソックスも、もちろん松阪投手とワンセットで今やよく知られている。
フェンウェイ周辺が現在どのように変化したか、再開発がなされたか、まったく知らない。が、あの頃、二十年前、球場も、あたりのケンモアの雰囲気もいささか殺風景、やや裏寂れていた。
ボストン美術館の前のEラインの電車が走る大通りと異なって、裏手に回ると人通りは絶えて、通り過ぎるのは車だけ。ここからフェンウェイの球場の方まで緑のベルトが広がって散歩道になっていた。ただしそれほど整備されていないので雑草は生え、埃っぽかった。人影も少なかった。滞在中何度も何度も歩いたフェンウェイの散歩道。途中で球場に向か手前で少しそれれば ボストン美術館からアパートまでも 歩いていける距離だった。
美術館の裏で通りをひょいと越えると ガードナー美術館がある。ボストン美術館の陳列に疲れてしまった人には もう ガードナー美術館を訪れるエネルギーはなかなか残っていないだろう。が、この美術館の話は 後日に。

* わたくしは、外国と謂うと、ソ連の昔のロシア(モスクワ)やグルジア(トビリシ)、毛沢東や周恩来の亡くなった頃の中国の、北京、大同、蘇州、杭州紹興、上海、また北方の大遺跡や古都だけ。それも、みな國の招待で、自前の旅では無かった。市街へ出歩いても、すこし離れて「護衛付き」で、裏町への独り歩きなど出来なかった。
2024 7/27

○ みづうみ、この暑さの中で歩き回るとは無謀です。テレビニュースで不要不急の外出は控えてくださいと連呼されていましたよ。
よくぞご無事でした。
運動は冷房の効いた室内でなさいますように。
みづうみからのメール、とっても嬉しく読みました。
ありがとうございました。 あけぼの

○ 花火大会
秦先生 ご無沙汰をいたしております。
今日は隅田川花火大会です。まだ小雨が降っていますが、開催予定だそうです。
雨があがりましたら、テレビでご覧になってください。
私も 稽古などあり、花火見物ができるかどうかわかりません。
先生と一緒に花火を見ることができた思い出が 有難いことだったとあらためて思います。
まだまだ暑い中、どうぞお身体ご自愛くださいませ。 浅草 望月太左衛
追伸
奥様によろしくと お伝えください。

* 何度も,間近で すばらしく美しい「浅草の大花火」を見せて下さった。ウーンと,唸ってしまうほど,懐かしい。
また、太左衛さん「鳴り物」の美しさ、豪快さに聴き入りたいものだが。 おぅ。逝く歳の疾さよ。
2024 7/27

○ みづうみ、お元気ですか。
昨夜のメールちゃんと届いております。
<機械 全壊の感触><心身老耄><つい、末路の景色へ眼がはしります。>と。
悲しいメールに沈みこんでしまいます。二十七日やす香さん(=孫娘)の十八回目のご命日にまたお嘆きを重ねたためでもありましょうか。
みづうみにはどんなお慰めの言葉も意味がございませんが、みづうみの存在を支えとしている多くのお「身内」(=愛読者の意味か)のためにも、どうか末永く共に在ってくださいますように。
みづうみは暗い時代のたしかな灯です。みづうみがなければ春のあけぼのの光も生まれないでしょう。
機械全壊でも、データは無事のはずです。無事なように保存の手立てをおとりください。何とかなります。
『信じられない話だが』、何と面白い題でしょう。信じられない話こそ読みたいのが人間の常です。書き続けてください。読ませてください。
メールはなければないで大丈夫。メールが届かなければ、手紙をお送りしますから。
今日もとんでもない暑さです。知り合いが「獄暑」という新しい言葉を作りました。まったく、日本全国逃れようのない暑熱の牢獄と化しています。
「獄暑」の囚人であっても、なんとか凌いで凌いでご一緒に生き抜きましょう。  あけぼの

* そうしましょう。ありがとう。ありがとう。
2024 7/29

* 妻のかけていた、ロサンゼルスの池宮「チョコ」ちゃんと電話、二,三こと話す。もう九十過ぎはず、元気そうで、有難し。
2024 7/31

* もう 余命の乏しいのを覚悟し、暑ければ寝入り 疲れれば寝入り しています。
知恩院下、白川の潺ぎを 今も耳にしています。懐かしい京都です。
歳をとる速やかさには逆らいきれず。
あます歳月を、どうぞ大事に、お元気でと祈っていますよ。  弥栄坊
2024 8/1

○ 秦さん ご無沙汰しており誠に申し訳ございません 『機械』不調 如何でしょうか
わたくしも「何もかも 機械も 不調」で うまく送信が出来てないようです どうしたもんかと考えても何ともなりません とりあえず 送信 してみます
(お仕事先の=)「老人ホーム」は 新コロナ(たぶん)でさんざんです 感染源は職員しかいないので 何とも申し訳が立ちません
くれぐれもお気をつけてください
どうかお大切にされてください
また送信 試みてみます  千葉 勝田拝 (医師)

* 私よりなお一,二歳は長壽の勝田貞夫さん。お大切に、お元気で。秋には、出逢えますように、また。

○ お元気ですか 望月太左衛です。
第21回浅草寺導引地蔵尊ゆかりの みちびきまつり が海の日・7月15日に開催されました。
雨も、強い日差しもなく、久しぶりに野外でのパフォーマンスも無事させていただくことができました。
浅草見番前の柳通りに野点のお席と、フラワーアーティスト・まささんによる竹とお花での制作にあわせて、
望月太明吉師の小鼓と竹井誠さんの尺八を演奏し続けていただきました。
そして、創作踊り「花の道 花の舞」 宇治・平等院の雲中供養菩薩像をモチーフにした藤間章作師、花柳輔太朗師振付による踊りです。
箏、三味線、琵琶、尺八、笛、太鼓など和楽器の生演奏で踊ります。
私(望月太左衛)作曲の「アムリタ」という曲の中からゆっくりした「散華子守歌」と早いノリの「花まつり」を、皆さんで演奏し、踊っていただき、大変うれしかったです。
また、第一回みちびきまつりに奉納させていただいた曲にみんなで振付をした
「みちびき音頭」
高瀬一郎さんの明るい歌声のおかげをいただき楽しく踊らせていただきました。
2024/07/15 浅草柳通り 浅草見番前
芸大で盛況のうちに開催された「大吉原展」そして、来年、吉原を舞台にした「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」が「大河ドラマ」として1年間、全国に放映されます!
自由に!楽しく!明るく!!
和楽器を楽しんでください!!
海外観光客でにぎわう 東京・浅草!
2024 8/2

* メールは、はたと来なくて、送りもしていない。このまま行くと文字通り「閉門(ともん)」の日々になるが、米壽郎には自然の推移ということ。
2024 8/3

○ 秦恒平さま
秦さん (親しみを込めてこのように呼ばせてください)
おはようございます。

『私語の刻』を配信してくださった私からお礼のメールが 下書きのボックスに入ったままになっていました。下書きには6月23日の慰霊の日の事が書いてあり、1月以上も経ってしまっていることにびっくりして。
改めまして、配信してくださりありがとうございました。
ほぼリアルタイムで『私語の刻』を拝読できたのは何年ぶりでしょう。感激してパソコンのアドレスに転送し一気に読みました。
今年、沖縄では 観測史上初めて気温が36℃に上昇するなど 今までにない暑さが続いています。
それでも8月に入り 日差しが柔いで季節が変わりつつあることを感じて楽しんでいます。
与那国島や石垣市では有事の際の住民の避難についての説明会があったことをニュースで知り、自衛隊配備などどんどん既成事実だけが作られる動きに どう対応すればこの動きを止めることができるのかと考えます。
本当に脅威があるのか、脅威への対応が他にないのか、
相手をあおってしまうだけではないのか。 良い方向に向かうと祈ります。
東京の暑さもたいへんなものだと思います。
お体お気をつけてくださいますように。 名嘉みゆき

○ 暑中 お見舞い申し上げます。お元気ですか。地球温暖化が原因で終日サウナ風呂に閉じ込められていますが、これも「社会の出来事の原因はすべて政治にあり、その責任はすべて政治家にある」からと言えましょう。
90歳近くになると 他人様のことより自分のことで精一杯ですが 気力だけは学生で、前著の続編の世直し論を書いています。前著で提唱の「赤ん坊にも選挙権」を吉村洋文大阪府知事が次の衆院選で「日本維新の会の選挙公約にする」と公表して、私の主張の一つは陽の目を見そうですが、着眼点を間違った知事発言はネットで大炎上しています。
赤ん坊たちを人格のある国民の一員と認める拙案と違って、「ドメイン方式」の大人の所有物と見なして選挙戦の道具にしているのですから 炎上するのは当然です。自民党以外の政党の首脳陣に前著の『赤ん坊にも選挙権』と『否認票のある一人二票制』の改革案の実現を要請してきましたが、アメの前者だけを取り上げて ムチの後者を無視では「身を切る政策」が売りの党もポピュリスト徒党のそしりは免れないでしょう。
二つの改革案の 今後の展開が楽しみです。

四苦の「生老病死」は誰にも必ず訪れるものですが、猛暑の夏を あと何回迎えることができるでしょう。6月15日に 桑山(尾竹)嘉三君が亡くなったと奥さんの公子さんからハガキが来ました。

新型ウイルスが流行しています。メガビタミン主義者の私は、ビタミンCを一日に20g(レモン1000個分)飲んでウイルスに対抗しています。レモンなら@100円として一日10万円ですが、ビタミンCなら精々20円程度でしょう。くしゃみや鼻水が出た時は、すかさずビタミンCを5gほど飲めば ピタリと止まりますから、ぜひお試しください。そんなビタミンCの効用から始まって 前著の二つの改革案を絡めた「世直し論」です。
こんな毎日です。
元気に猛暑を乗り越えてください。 森下辰男

* 「元気」を貰います。
桑山嘉三(よしぞう)君(ヨウちゃん)が亡くなったとは。有済小学校の一年上から胸の病で滑り降りてきた同年一組二組の級長同士だった。校門のスグ西脇の、大きな「業者」の子だった。同じ古門前通りの斜め向かいに「ヨウちゃん」とは「従妹」と聞いていた「桑山信子」の家が在って、国民学校一年生から三年生まで「学藝會」というと二人でペアの 担任先生が自作の「劇」に出た。人生「初」の、心ひそかに「恋し」た同級生。だが四年生になると、戦災疎開避災で田舎へ、みな別れ別れになった。戦後に久々再会した頃には,私は大学で、妻と出会っていた。往時は茫々。

○ 秦恒平先生  大変ご無沙汰してしまっておりました。新野です。暑い日が続いておりますがいかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
私はすっかり夏バテ状態となり、何とか生活をやり過ごしておりました。新しい何かをする意欲が沸かない日々が続いていたのですが、今日 ボーッとする時間を過ごすうちに、なぜだか気持ちが少し楽になりました。何があったわけでもないのに、人間の気分は不思議なものです。

改めて「私語の刻」を読ませていただいておりました。体調お辛い時もあるだろうに、本をお読みになられているのですね。同じことばかり言っておりますが、ほんの少しでも見習い、少しずつでも本を読み続けたいと思っております。更に新たな読み方を「發明」されたとのこと。読書の道のりは果てしなく長いなと勉強させていただきました。
私が申し上げるまでもありませんが、水分をお取り頂き涼しいところで身体お大事にお過ごしいただければと存じます。そしてこのメール版「私語の刻」を楽しみにしております。  新野聡一郎  東工大院卒

* オウ 懐かしいなあ。酷暑がうまく行ってくれたら久々に歓談したいナ。
2024 8/5

○ 保谷の鴉に
如何お過ごしでしょうか。
関東は毎日のように雷雨もあるようで大変でしょう。
こちらも連日38度が続いて、立秋とも思えません。
創作が進んでいますように。
今は 鴉の{千載和歌集と平安女文化}に関するものを読んでいます。
尾張の鳶は、元気です。元気にしています。

* オウ嬉しい。「元気です。元気にしています。」
最高 「元気です。元気にしています」と。
{千載和歌集と平安女文化}は私の日本史理会の核芯と謂うに近く。熱中して考え書いていたむかしが胸に蘇ってくる。俊成・千載集 そして紫・清の源氏物語、枕草子 とが在ってこその私の唱える「平安(日本)女文化」よ。
2024 8/8

○ 秦様 迪子さま
大雨、地震と彼方此方と災害が押し寄せて。心配がつきません。
秦様の作品の愛読者は、各地にいらつしやるでしようから、ご心配もひとしおの事かと。
日々の夏の暑さをどのように凌がれておられるかと、お具合の悪い処は無いかと案じています。
私たちは幸い二人とも、特に悪いところは無く、TVや本読みで、殆ど引きこもり状態で過ごしています。
9月には浴衣会があり「葵上」の謡「夕顔」の仕舞いがわたくしの課題です。謡えない。覚えられない。と暑さのセイにもしながら、日々しのいでいます。
本棚から、あぐり様(=妻の妹)の詩集を取り出し、読んでいます。
千里山の(=妻の両親の)お家、たたずまい、お元気なお兄さま(=保富康午・詩人)の声などを。かすかに思い出しながら、迪子さんの大らかな優しさを思っています。
どうぞどうぞ お二人様共にお身体大切にを一番に、お過ごしくださいますように。また大きな災難が押し寄せて来ませぬように。願っています。  晴美 (=妻の、中・高校同窓)

* お元気で何より。謡曲の世界へ入られてはと奨めて、歳久しい。一途に稽古に励まれたのを頌えたい。

* 茨城の那珂良さんからもいいメールを戴き、気を入れてお返事為た、その全部が消散して見当たらない。どうして、こうだろう。
2024 8/9

○  お元気ですか、みづうみ。
室内でクーラー漬けであっても、夏バテしそうな毎日です。
ちょうど、みづうみに長いメールを書いているところでした。みづうみからメールを頂戴するたびに、とても嬉しく安心します。
昨日BBCのニュースを観て感動しました。ご覧になられたでしょうか。
最近イギリスは 極右による移民排斥の抗争が激化しているニュースばかりでしたが、昨日のニュースは、そういう極右に反対する静かなデモの映像でした。イギリス各地で、移民排斥や人種差別に反対する何千人もの市民が道路をぎっしり埋め尽くしていました。そのあらゆる人種の混在する人間の輪を観ていて涙がでそうになりました。極右騒乱に抗議する、良識ある民主社会の、イギリス人の底力を信じさせるものだったからだと思います。
世界はこれから益々極右の嵐が吹き荒れていく、イギリスも移民排斥に向かうのだと思いこんでいたことを恥じます。ナチス的な他民族排斥の暴動を止めるのは、警察や軍隊の力ではなく、結局このような市民の存在が多数派であることを、思うように行かない人生を弱いもののせいにする欲求不満の暴徒に思い知らせること、それ以外にないと思います。

<いま ネタニヤフ というヤツを嫌っています。>
と拝見しました。
昨日知人から、ガザ地区は本当に悲惨な状況にあるのを観てくださいと、娘さん(国連のパレスチナ支援担当の要職にある) がNHK Worldの取材を受けている映像が届きました。英語なので私の理解は不充分なものの、現地の映像を観れば徹底的な破壊と限界を超えている市民、孤児や病人の状況がわかります。
別のニュースで ネタニヤフ首相は権力の座に留まるために戦争を続けていると誰かが指摘していました。和平交渉相手のハマストップを暗殺するなど、もうイスラエルの人質のことなどどうでもよいのかもしれません。 後世の歴史の評価は 「ヒトラーなみの 悪人」ではないでしょうか。
和平に尽力していたラビン首相暗殺の黒幕と噂されていましたが、今でも葬儀の際に、ラビン首相夫人が 挨拶しようとする彼に顔を背けて口もきかず、はっきり拒絶していたニュース映像が忘れられません。
八月は 六日、九日、十五日と戦争の惨禍を噛みしめる月ですし、現在のウクライナもパレスチナも 他人事ではありませんので、最近視聴したヒトラー絡みの戦争映画の話のメールを書いていました。長文なので別便にしてお送りします。

南海トラフを心配していましたら、先ほどは神奈川で震度五弱です。太陽熱と大地震は関係があるのではないかと、昔工学部のある先生が自説を述べていましたが、真夏の大地震が起きませんように祈ります。
みづうみ、どうか 少しでもお元気で、お大切におすごしください。新作 読ませていただく日を楽しみに。 あけぼの

* 嬉しい有難いメール ありがとう あけぼの。
投げやりにならず しっかり見るベキを見抜きながら、自身の「佳い季節」を生き抜きましょう。 コロナがやっとやっと下火へ向くかと報じられてました。弱く屈してはなりません、要は。気をつけましょう。
お勉強が実りますように。  みづうみ
2024 8/9

○ 厳しい残暑のなか、読み・書き・読書と創作の日々をお過ごしの由、先ずはお見舞い申し上げます。
北国 仙台でさえ真夏日と熱帯夜が続いております。まして東京 さらに京都は 猛暑日と熱帯夜でさぞかし大変なことでしょう。
かつての仙台では、送り火を炊くころには肌寒いほどでしたのに・・・。地球沸騰の時代を実感させられています。
この季節になりますと、いつも秦先生の作品にあった「地蔵盆の頃」のことを思い出します。
晩夏のジリジリする陽にすだれも灼かれ、京の裏路地のいかにも暑そうで、ああ夏もおわりだなあという感じが伝わってきます。そして、東北とは季節が 季節感が 違うんだなぁと感じたものです。
ついでながら、兼好法師でしたか「住まいは夏を旨とすべし」と述べているのを納得できました。
東北で住まいを夏を旨としたら、冬にはみんな凍死するかも。
冬の京も底冷えするということですが、岩手の遠野や藪川に比べれば、どうということないでしょう。
藪川は冬の夜、普通 マイナス30℃くらいです。
40年近く昔、冬の遠野を訪れたとき 夜に旅館を一歩出てみたら、もちろん路上はカチカチに凍っていて 空気までキーンと凍って3分と戸外にはいられませんでした。その時はマイナス20℃だったそうです。
過日の「巨大地震注意報」、初めて聞くことばです。当該地域の皆さん、戸惑っておいででしょう。 気象庁は日頃の備えを再点検再確認するよう呼びかけていますが。
北関東や東北地方は、南海トラフ巨大地震の対象外ですが、東日本大震災を経験した私たちは改めて水食料等の備蓄や懐中電灯の電池が切れていないかなど チェックしました。
切実なのはトイレですので、買い置きしてあった段ボールの簡易トイレも確認しました。
地震や津波で最も怖いのは 原発事故ですね。能登地方の地震の時も幹線道路が寸断されて 避難経路が使えなかったとか。
あの時、能登の原発が事故を起こしていたら・・・ゾッとします。
地震列島の日本に原発は不要です。私たちが節電すればいいのだと考えていましたが、生成AIって ものすごく電気を使うらしいですね。
原発もさることながら、核兵器こそ この世界から廃絶すべきです。今年の長崎市長の英断に 心から敬意を表しております。
猛暑の夏、どうかご無事で。  惠

* ジンと胸に届く立派な来信。
会社勤めの昔の、後輩同僚 当時「社宅住まい」でもお仲間で、茶の湯の盆点前など 秦の部屋で手ほどきしたり、親しかった。作家としての私退社後に退社し、仙台へ戻られ、「大學教授から学長まで」も 勤められた。ずうっと久しく親しくしている。)
2024 8/11

○  お元気ですか、みづうみ。
「この五日間のみづうみ」 頂戴しました。ありがとうございます。
お盆休みに入りました。今日は山の日だったそうです。色々な名前で休日が出来ましたが、フランスのように一度に二週間くらいのバカンスをとれる制度のほうが 本当に休んだ気分になれると思います。
またメールいたします。暑さをやり過ごして、お大事におすごしください。   夏は、よる
2024 8/12

○ 秦さんへ
『秦さんのメール』を頂くと本当に嬉しいです
何より元気が出ます
現実は 相変わらず コロナ に悩まされながら(現場ではまだまだ油断できません) 特別養護老人ホームへの医療勤務を続けております(実際には現役の若い先生がやって
くれております) おかげさまで頑張って続けております
秦さん どうかくれぐれもお大切にお大事にされて下さい
秦さん またお便りください
○ たのしみは 誰とは知らず耳もとへ
「げんき げんき」と声とどくとき 秦 恒平
勝田貞夫  (親友・医師 秦に一、二歳の先達)
2024 8/12

○ 「私語」有難うございます
この異常な暑さは今後も続くのでせう 半世紀以上も昔 真夏の淡路島でバス停が見つからず 歩きに歩いたことを憶ひ出します
オリンピックは感動も熱狂もありますが スポーツといふルールのある戦争では ルールの隙間を衝いた卑劣さも 亦 垣間見られます
ルールの限界は 現実の国際政治でも頻出してゐます
独立自尊を守るために 力を尽さなければなりません
酷暑の砌 御自愛を祈ります 寺田生 (前・文藝春秋 専務)

○ 秦さま  残暑お見舞い申します。
『私語』を拝読。
共感する箇所、多々ございました。ありがとうございます。
気力が減退していくのを感じております。ビールを呑みながら、いつまで続けられるだろうと思ってしまいます。
マンガさえ、見るのが面倒くさくなってきました。
遊びに出る元気はまだ残っていますが、その度に、社会との間にどんどん距離が出来ているのを感じてます。 島尾伸三 (作家・写真家)

○ 恒平兄上様
毎日酷暑が続いていますが、その中で「私語の刻」をお送り下さり有り難うございます。 やはり 通信があるとほっとします。
「おもいでのアルバム」の童謡は、私達の娘たちの幼稚園の卒園式に、思い出の行事を「替え歌」にして歌った懐かしい曲です。兄上様もご存知で、ちょっと驚きました。そして確かに私達の年齢になると、人生の「あんなこと こんなこと」が色々思い浮かびますね。
また今回は、迪っちゃんの親友だった「もっちゃん」の文章もあり、懐かしいです。ご夫妻そろってお元気でおられることも感動です。
兄上様も迪っちゃんと、そろって まだまだお元気でいて欲しいと、妹の私は心から願っています。
1日も早く、涼しい風が吹いてくれますように~ 琉美子

* 昔の、いわゆる流行歌謡曲を想いだし口ずさむことは無いのに、童謡のたぐいは、自然に口に甦ってくる。

コトコト コットン コトコト コットン
ファミレドシドレミファ
コトコト コットン コトコト コットン
仕事にはげみましょう
コトコト コットン コトコト コットン
いつの日か   (楽しい春がやって来る)

など 思い屈するとき フト くちもとへ浮かんで 気が和らいだり弾んだりしてくれる。

* しかしまあ なんと蒸し暑い晩か。ウェイ…
2024 8/12

* 羽生淸(きよ)さんと妻とに親しい文通の在るのは、妻にも有難い、望まれること。この歳になり若い聡い清いお友達が妻に出来てくるのは、私にも嬉しい。

○ 体操
迪っちゃん(=姉 秦の妻) 秦さんから「私語の刻」のメールを頂きました。その中に「肩や首が痛い」と言っておられるので 体操をお教えします。
まず布団の上に膝を立てて寝ます。
両手を軽くつないで頭の上に伸ばし、
すぐ両手をお腹の上に戻すことを 10回繰り返します。
これだけの運動で 肩は大分楽になりますよ。
私は 絵を描くので 首や肩がこりますが、この体操でかなり楽になります。
手が頭の上の方まで痛くて伸ばせない場合は、伸ばせるところまでで元に戻します。段々伸ばせるようになってくると思いますが…、ちょっと分かりません。
私の説明で 迪っちゃんがやってみて 分からない場合は知らせてね。
今回の「私語の刻」の中に「モッチャン」が文章を載せておられて、私の詩集を読んでいるとあったけど、モッチャン(=迪子の学友)によろしくね〜。セーラー服姿のモッチャンが懐かしいです。
おやすみなさーい ルミコ

* お互い、傘寿をグンと過ぎても (過ぎたからか) 気は若い。幸せと謂うものよ。
2024 8/14

○ 今年のお盆は
記録を更新する猛暑続き、その上、南海トラフ巨大地震の注意報、台風接近、収束しないコロナの流行、終わらない戦争、、、それでも、「書き継いでいる小説に集中」なさっている由、嬉しくメールを拝見いたしました。
先週末から熱海に来ていますが、あまりの暑さで、部屋に籠もって「川端康成と東山魁夷」の論文の執筆や学生のレポートの添削と講評などしています。
部屋から海(初島も大島も望めます。海岸は海水浴客で賑わっています。)を眺めたり、朝夕温泉に浸かったりしながら、軽井沢の木立を渡る涼やかな風を懐かしく思い出したりしています。
明後日には、台風七号が関東接近とか。
備えを十分になさって、お気を付けてお過ごしください。 快晴

* 大学の女先生「悠揚・裕福」の夏休み、よろしいね。

○ 早速の台風お見舞い、ありがとうございます。
宮城縣は、ちょっとかすめただけで済みましたが、岩手や秋田は甚大な被害がありました。
「荒城の月」の出だしが、アルベルティニ 第一番ニ短調 の出だし数分後の「一部分」とそっくりと同じとは、存じませんでした。
毎年、仙台の高校生が青葉城址で「荒城の月」を斉唱しますが、歌詞の作者が土井晩翠だから なのです。
あの美しい曲のためだけでは ナイ のが惜しまれます。
たしかに<歌詞は曲によく合っていますが、あの瀧廉太郎の名曲こそ命ですね。
その出だしが、アルベルティニ 第一番ニ短調の出だしのごくごく一部に重なり似合うているとは、私、初耳でした。
台風一過とはならず、次々台風が押し寄せてきています。
秦さんも どうぞお気をつけてお過ごしください。 仙台の 恵

* 五十余年もの昔、医学書院での後輩同僚編集職、 後に仙台へ帰られ、大學の学長さんにまで。半世紀も会ってないが、ちっとも忘れていない。
2024 8/15

○ 異常気象も慣れてくると どうにかやり過ごせます。
お元気そうな日録を ありがとうございます。
どんなに弱音をはかれても 生きる姿勢に敬服いたします。
岩波文庫から「断腸亭日乗」が刊行され始めました。大正六年から昭和三十四年の四十一年間の長きに渡って書き続けられた近代文学の至宝と言える日録ではありませんか。
それ以降は「私語の刻」がまとめられることを望みます。
明治、大正、昭和から 昭和、平成、令和に至るまでの貴重な文学的記述となります。
私の母は広島で被爆しましたが 白寿を祝って逝きました。
秦さんの なるご健闘を祈ります。

野路秀樹
2024 8/15

○ 秦先生 「私語の刻」お送りいただき、ありがとうございました。
連日の猛暑に負けて 半病人の情けないありさま。今夏の暑さにはほとほとまいりました。
昨日の全国一番の高温40度は、美濃市 でした。ごく近くです。こちらもほぼ毎日、37、8度台が続き、睡眠不足も相俟って、ひたすら部屋にこもってボンヤリしているばかり。
昨夜の送り火は、偶然TVで観ることができました。
もう何年、いえ、何十年前になるか、人波のなかで眺めた京都の夜を思い出しました。
「紫式部日記」と「和泉式部日記」、先生はどちらがお好きでしょうか?

* 同じく日記と謂うても、「紫」は自覚に満たされた述懐・批評 「和泉」は創作にちかい強かに濃厚な表白。ともに凄みを秘めた自意識の所産、感嘆を惜しまない。感筆致に甲乙無く、比べ難い。人間的な幅から女性として眺めるとき、紫式部は、やはり「ごっつい。大きい」と感じています。
2024 8/17

* なにやら 大方 不調 迷い 惑い 奮戦の気持だけの 昨今であります。  日々お大切に。 湖の本 秦
2024 8/17

○ 秦先生 残暑の候.鷲津です.
伺いましたが,秦先生の私語の刻を残す作業,山瀬さんや柳君たちと共同でさせていただけそうとのこと.ちょうど,お盆明け 19 日からの週は,東京,名古屋,横浜,東京と
いう感じで 東海道をうろうろしております.
25 日の朝に川崎のホテルを出て,深夜便で羽田からストックホルムに参ります.KTH スウェーデン王立大学の学生さんの博士論文の審査員として 討論がてら 伺う予定であります.
25 日でしたら,保谷に伺うことができますが,いかがでしょうか.
可能でしたら,先生のサイトの今後について,伺えたらと思います.
ご検討いただけますと幸いです.宜しくお願い申し上げます.

* 申しわけないが、まことに有難いこと。と………立ち往生の儘。

○ メールありがとうございます。
酷暑の中台風の影響で気圧変調。身体も変調。その中での秦様のご「奮戦」のお気持ち。尊く思います。どうぞご無理なさらぬように、ご執筆を。期待しています。
私たち二人は、毎日食べる事だけ精一杯。食欲がある事 感謝しています。少し歩いて行ける図書館は、ありがたい事です。
お盆には、墓掃除に行ってくれた長男顕。次男政俊の孫は母親と、長女幸子一家も仏壇へのお参りと。賑やかにひと時過ごしました。
過ごし難い暑さの日々、迪子様共にくれぐれもお身体お大切にお過ごしくださいますように。  快晴

○ 秦 恒平 先生
敗戦の日、私は1歳半で 陸前高田市気仙町にいました。
父が部屋に戻ってくるなり、母と子守のお手伝いさんに「やっと負けを認めたぞ。今日はめでたい日だ」と言ったそうです。
もともと父はこの戦争に大反対で、軍医として招集されたとき母に「すぐ戻って来るからな」と言って応召したそうです。その言葉どおり、3ヶ月ほどで戦地には行かずに帰って来たそうです。
母も大叔父が、1930年頃アメリカに住んでいて(留学)アメリカの実情を聞かされていました。戦争が始まったので やむなく帰国した大叔父の妻から「こんなバカな戦争は負けるに決まってるのよ」と教えられていたとのことです。
父方の親類縁者も母方も「日本は、負けるのが明々白々な愚かな戦を仕掛けて、何万もの若い命を奪ったのだ」と思っていました。
特に父は「医者は命を救うもの」という考え方でしたから、前途ある若者たちの命を奪った 当時の最高権力者と見做されていた天皇や東条英機を厳しく批判していました。
天皇制廃止論者でしたから、マッカーサーの意向とやらで、天皇が戦犯裁判にかけられなかったのを とっても残念がっていたのを覚えています。
今年のお盆も 猛暑でした。ここ数年そんな気象気候です。それも「天災」ではなく私たち人間が作り出した「人災」なのですね。
地球沸騰はもとより 地球温暖化さえ 認めようとはしない元・大統領が再選をめざして頑張っているようで、全く「困ったもの」です。
猛暑の夏をどうか「大」の字に寝て 乗り越えてくださいますように!  仙台:惠

○ 厳しい残暑のなか、読み・書き・読書と創作の日々をお過ごしの由、先ずはお見舞い申し上げます。
北国 仙台でさえ 真夏日と熱帯夜が続いております。まして東京 さらに京都は猛暑日と熱帯夜でさぞかし大変なことでしょう。
かつての仙台では、送り火を炊くころには肌寒いほどでしたのに・・・。地球沸騰の時代を実感させられています。
この季節になりますと、いつも秦先生の作品にあった「地蔵盆の頃」のことを思い出します。晩夏のジリジリする陽にすだれも灼かれ、京の裏路地のいかにも暑そうで、ああ夏もおわりだなあという感じが伝わってきます。そして、東北とは季節が 季節感が 違うんだなぁと感じたものです。
ついでながら、兼好法師でしたか「住まいは夏を旨とすべし」と述べているのを納得できました。東北で住まいを夏を旨としたら、冬にはみんな凍死するかも。冬の京も底冷えするということですが、岩手の遠野や藪川に比べれば、どうということないでしょう。藪川は冬の夜、普通 マイナス30℃くらいです。
40年近く昔、冬の遠野を訪れたとき夜に旅館を一歩出てみたら、もちろん路上はカチカチに凍っていて空気までキーンと凍って3分と戸外にはいられませんでした。その時はマイナス20℃だったそうです。
過日の「巨大地震注意報」、初めて聞くことばです。当該地域の皆さん、戸惑っておいででしょう。気象庁は日頃の備えを再点検再確認するよう呼びかけていますが。
北関東や東北地方は、南海トラフ巨大地震の対象外ですが、東日本大震災を経験した私たちは改めて水食料等の備蓄や懐中電灯の電池が切れていないかなどチェックしました。
切実なのはトイレですので、買い置きしてあった段ボールの簡易トイレも確認しました。
地震や津波で最も怖いのは原発事故ですね。能登地方の地震の時も幹線道路が寸断されて避難経路が使えなかったとか。あの時、能登の原発が事故を起こしていたら・・・ゾッとします。
地震列島の日本に原発は不要です。私たちが節電すればいいのだと考えていましたが、生成AIってものすごく電気を使うらしいですね。
原発もさることながら、核兵器こそこの世界から廃絶すべきです。今年の長崎市長の英断に心から敬意を表しております。
猛暑の夏、どうかご無事で。  仙台 恵
2024 8/19

■ 鳶へ 病むな 怪我すな カアカア
なにもかも  機械で 巧く出来なくて 困惑。 疲れボケでなく ホン呆けらしく。 機械に店開きのもう 限界か-と。
幸い 眼・視力 さえ労れば  読み・書き・讀書と創作 できます。 メールの操作が頼りなくなってます。
テレビでは  「光る君へ」 愉しんでます。 創作は 『信じられない咄だが』 列島を跳び回ってます。
読む方は  ドストエフスキー『悪霊』  中国人陳彦のごく昨今の現代小説『美人女優』  濃霧豪雪と強暴風との「北極海」で闘う 英戦艦と独Uボートの死闘   水戸が編んだ長大の 『参考源平盛衰記』  そして枕草子と紫式部日記。 豊かでしょう  眼は悲鳴揚げてますが。

● お早う あけぼの 元気していますか
呆然 と すごしていたいが そーも なりません。 世界にも、日本にも、わたくしにも どーにか したいことばかりです。
逃げ込める先は 乱れた白髪白髯 わたくしの場合  結句 創作するか 読むか なによりも 寝るか です。
京都の 東山三十六峰の真下で育ちました。 「ふとん着て 寝たるすがたや東山」 と謳われていました ハハハ じつに「実感」でした。
アクロバットの 『信じられない咄だが』 まだ書き継げます。
難題は この機械クンの 暴れますことで、手に負えません。 呆然 と 過ごしてたいが そーも なりません。 愚痴の日々 いけません。
お元気に お大事に お過ごし下さい。   裏千家茶坊主の 宗遠  秦 恒平

* わたくしの「先」を塞ぎがちなのは、要するに、わたくし自身の「機械バカ」と謂うにつきる。しかし痺れた指で,原稿用紙にペンの手書きでとは、無慙にムリでもあり。膝を折って友誼を「機械クン」に懇願するばかり。呵呵 呵呵
2024 8/20

○ 慘暑お見舞い申し上げます。
またもや先に、お便りを頂戴いたしました。アドレスの入力方がよくわかってない私がもたつく間に 更に遅れてしまいました。
久々に涼しい朝を迎えて、ずっと入れていたクーラーを切りました。昨日は関東各地はゲリラ豪雨がすごかったようですが、大丈夫でしたか?
ところで、単細胞の私は 近頃はオメガエイドを飲んでも、頭の働きが悪く、何をするにも もたつくのです。ボケ防止に雑巾縫いを勧める友人に習って、縫い物や野菜を刻んでお惣菜作り..外へ出ないで済むことに専念しております。けど一番はTV観戦がほとんど、危ないですね。もう少し、思考回路を刺激することに向けたいと願っています。
昼過ぎから、暑さは戻ってしまいました。どうぞくれぐれもご自愛くださいませ。
静岡の鳥
* 年齢との闘いには勝ちが無くなって居る。
2024 8/20

○ 鴉 元気出して。
8月21日
昨日一日だけ 曇り空と実に久しぶりの降雨で 気温が下がりました。内科に薬を取りに出かけて午前が終わり、何やら慌ただしい一日でした。今日は気温37度の予報です。
関東は集中豪雨や落雷など報じられていますが、西東京はいかがですか。

メール通信やHP掲載に不安ある御様子・・このメールが届きますように。

創作は何処まで書き継ぐか見えていますか? 最初から終わりまで見通して書かれていますか? こんな失礼なことを聞いてはいけないのですが・・。いずれにしても見当がつかないわたしには 大問題です。それは「絵」に関しても同じ状況です。
俳句や短歌の世界と比べた時、如何に「現代詩」が裾野狭く小さく、難解どころか 独りよがりの崩壊寸前ではないか、とも言われます。
さまざま考えさせられますが、自分が選んだ表現手段であることは事実です。自然に対する思いやその時々の感懐は 俳句や短歌の中核と思いますが、その先にある 思想、叫び ともいうものを「詩」は 少しでしょうが表現できると思うのです。

『悪霊』・・ドストエフスキーはどちらかと言うと「苦手」で、昔々『白痴』を読んだくらいなので、鴉を追いかけて 読んでみようと思います。
今は ポーの短編小説を読んでいます。根気強く読むことから退散しつつあるのは ボケ現象かと・・一気に読み終えるのが、わたしの読書でしたから。
鴉は 同時進行で何冊もの本を読んでいらっしゃいますが・・。
そして創作の中で日本列島の何処を跳びまわっていらっしゃるのでしょう?
もう少し涼しくなったら 街中にも出かけ、旅にも出かけたいと思っています。
くれぐれも、くれぐれもお身体大切に  尾張の鳶

* こういう、「ハートと脳との健康で達者な友」は、「金塊・欣快」ほど値打ちがある。やまいとけがとを慎重に避け、生き生きと、いついつまでも。

○ 余裕ですね
隣の林の上に円い明るい月がでて、開け放した窓から、光がへや一杯に届きました。
こんな恵みが田舎にはあります。
同じ月が、保谷にもとどきますようにと、祈ります。
月の光と共に眠り、明日は一泊入院してきます。 COPEN  那珂川

* 平和 それは 国王や大統領や大臣の所有でなく、人間や生きもののモノです。
2024 8/21

* 下記に戴いて保存のメールはすこぶるの長文。落ち着いて読みまた読みまた読ませて戴く

○ お元気ですか、みづうみ。
あけぼのは暑さにすっかりへたれてひきこもり生活しておりますが、それでも元気にしていますし、読んで、書いて、考えています。
みづうみの気分転換かつ刺激になったら嬉しいと願って、「芸術家を題材とした映画」のことを書きます。書き始めたものは、必ず書き終えたいので、相変わらずの「長文」になってしまいました。お許しください。お目の負担になると申しわけなく、ぱっと眺めてくだされば充分です。
万万万が一、お読みいただけるとしても、ご体調にあわせて 少しずつお読みくださいますように。

少し前に、原題は「ヴァンゼー会議」邦題は『ヒトラーのための虐殺会議』を観ました。1942年ベルリン近郊のヴァン湖畔で行なわれた会議の議事録に基づいて描かれた映画です。日本は敗戦が決まると関連文書をどんどん焼却しましたが、対照的にドイツのお役人は歴史のために書類を守りぬいたと昔読んだ記憶がございますが、それにしてもこのような重要書類がよくぞ残っていたと先ずそのことに驚嘆しました。この議事録はアイヒマンの尋問をしたイスラエルにより捏造されているとの噂もありますが、このヴァンゼー会議があったことは事実で、そのあとに、ユダヤ人の抹殺がよりシステム化され効率的になったのも事実です。何かしらの政治決定がなければ六百万人もの効率的な処刑は不可能ですから、枝葉はともかく中核にあるものは真実ではなかったかと思います。

この映画にヒトラーは登場しません。ゲッベルスもゲーリングもヒムラーも大物は出て来ません。彼らを支えていたナチス高官たちと、議事録を作成する能吏アイヒマンが参加しています。映画の宣伝のパンフレットに「史上最も恐ろしいビジネス会議」とあるように、ヨーロッパにいるユダヤ人一千百万人の最終的解決について、まるでビジネス会議のように話し合われています。粛清や虐殺という言葉を使わず、最初から最後まで「最終的解決」という隠語が使われます。いかに効率的に大量のユダヤ人を輸送するか、働けるものを強制労働に使役しながら、最終的に全員の処分をどういう方法で誰の指示で迅速に実行するか、法的解釈の話などはドイツらしく、建設中のアウシュヴィッツ等の収容所が新工場建設のように淡々と、経営戦略会議のように審議されていくのです。

誰もが驚愕するのは、この会議の中でユダヤ人を絶滅させる、大量虐殺の是非については一度たりとも議論されず、最終的解決=大虐殺は当たり前のこと。絶対の善なる目標とされていることです。人道的な立場の発言が唯一あるとしたら、そんなに大量の女子供含めた銃殺はドイツ軍の若い兵士の心の傷になるというものくらい。

映画にはフィクション部分も当然あり、会議のあとに雑談のように(ドイツ軍兵士への)人道的見地からも、銃弾の節約のためにも、ガスを使うことを計画していることが明かされ、ガス室が造られた経緯がそういうことだったとよくわかります。議事録の必要な審議中は、銃殺の代わりの計画があるとだけ仄めかされていました。

頭脳明晰で、おそらく良き家庭人であろう人間たちが、ここまで正気を失うのか。人が権力にこんなに容易に洗脳されてしまう事実を見せられて、もう開いた口がふさがらないまま終わります。会議が済むと、全員何事もなかったかのように、ふつうのビジネス会議終了のように、それぞれ持場に帰っていくのです。

ナチス政権の根幹にあるのが反ユダヤ主義であり、そんなヒトラー率いる集団が政権を握り続けたことに慄くしかありません。

この映画は、独裁者が登場すると上から下まで狂った社会になる一つの証明でした。少し考えるとこれは他国の出来事ではなく、大日本帝国においても似たようだったと気づきます。特攻隊や戦艦大和などをみれば、戦略的にまったく実効性がないのに、勝利のための貴重な戦力であるはずの前途ある若者を、目前の敗戦の目くらましかのようにただ死なせる目的のために多数死なせるという棄民、合理性皆無の狂いっぷりでした。

実は本題はこれからです。書きたいのはこの映画のことではありません。話題にする映画の時代背景として書きました。

『ヴァンゼー会議』の狂気の時代に芸術家はどう生きたのか、狂わずに正気のままいられたのか。時代の奔流の中でどう生きるべきだったのかについて、考えさせられる映画のことを書きます。

『テイキングサイド』という映画をご覧になったことがおありでしょうか。日本未公開だったもので、アマゾンプライムで観ました。日本でも平幹次郎主演で舞台上演されていたことは知りませんでした。ベルリン国際映画祭で銀熊賞の作品です。ご覧になっていないと仮定して、簡単にあらすじを説明します。

第二次大戦後、米軍アーノルド少佐が指揮者フルトヴェングラーをナチス戦犯に問うために厳しく追及していく攻防劇です。

米軍少佐は元保険会社の調査員、フルトヴェングラーの名前も知らず、クラッシック音楽には無縁で無知識、ナチスの残虐な犯罪に憤っている正義感の塊です。フルトヴェングラーがヒトラーの寵愛を受けていたとして、トスカニーニのように国外に亡命しなかったことを糾弾し続けます。

フルトヴェングラーの楽団員たちは、彼が多くのユダヤ人の逃亡を助けていたこと、またハイルヒトラーのナチス式敬礼をしなかった勇気を弁護します。少佐と一緒に調査に関わるユダヤ系米国人ウィルズ中尉は音楽を愛しているので、フルトヴェングラーを極悪犯罪者扱いする無礼な少佐に対して、「世界最高の指揮者」の尋問においてはもっと敬意を払ってほしいと頼むものの、君はユダヤ人ではないかと反論されます。私はユダヤ人である前に人間です、と答えると少佐に「そうか、人間でよかった。音楽愛好家かと思った」と皮肉られます。戦勝国ソ連の高官も、素晴らしいドイツ文化を取り戻したいと何度もフルトヴェングラーを放免するように要請しますが、少佐にはまったく通じません。音楽のわからない彼にとってフルトヴェングラーはただただヒトラーに厚遇されていた卑怯な戦犯でしかないのです。

ヒトラーの死去のニュースにフルトヴェングラーのブルックナーの演奏がラジオで流された事実もフルトヴェングラーがナチスを象徴する指揮者であった動かぬ証拠とされてしまう。フルトヴェングラーが多くのユダヤ人を助けていたことは、将来罪に問われないための保険に過ぎないのだから保険調査員だった自分は騙されない。仮病を使うなどあの手この手でナチスの依頼を拒否していたことも含めて、フルトヴェングラーが面従腹背であったことを信じませんでしたし、そもそも面従腹背が許されないと考えます。フルトヴェングラーに向かって、お前は絞首刑で当然だ、威張っているのが気に入らない、と罵詈雑言を浴びせ、ナチスへの抵抗に命を賭けた人間もいるのに、なぜ亡命さえしなかったと激しく責める。フルトヴェングラーには反論する糸口さえ与えない。エラそうにしている高名な指揮者を見せしめとして絶対起訴してやるというのが最初から最後まで一環した少佐の姿勢でした。結局起訴されたことにより(最終的には無罪でしたが)フルトヴェングラーは生涯アメリカで演奏することは許されず、少佐はフルトヴェングラーの名誉を十分に傷つけたことに満足する、というところで映画は終わります。

私を含めて、観客の多くはフルトヴェングラーをナチスの戦犯に問うことに疑問を呈すると思いますし、これはこの起訴に至る経緯を批判的に描いた映画でしょう。

観終えたあと、私はこの映画を、芸術家小説のような、芸術家をテーマにする一つの、異色の、芸術家映画として観たいと思いました。

音楽の、芸術の価値を、まるで理解できない人間が、正義や道徳の名のもとに、真の芸術家を裁くことが可能か。芸術家には市民より重い戦争加担責任があるのか。悪しき政治に利用された芸術家は、戦争犯罪の罪を一身に負うべきなのか。芸術家はどこまで道徳的に正しくなければならないのか。

この映画を観て、藤田嗣治のことを思い出しました。戦時中、彼以外にもそこそこ有名な画家は皆戦争画を描いていたにもかかわらず、藤田だけがやり玉に上げられ、日本を追われることになりました。戦争賛美の作を作った高村光太郎や斎藤茂吉、あるいは発禁処分にはなったけれど国内で生き延びた永井荷風や谷崎潤一郎に向かって、なぜ三木清のように獄中で死ななかったかと責めるのと同じことを、アーノルド少佐を代表とするアメリカ軍はフルトヴェングラーにしたのです。

ヨーロッパ一千百万人のユダヤ人を「最終的解決」の名のもとに絶滅させることを、多くのドイツ人に秘密裡に実行しようとしていた独裁国家のもとで、たまたま最高の指揮者であっただけの一市民のフルトヴェングラーに何が出来たか。

たしかに、フルトヴェングラーには、ナチス政権を公然と批判して死刑になる選択があり、これこそが人として、道徳的に正しいことでした。しかし、『ヴァンゼー会議』のような狂気の中で、彼は正しさのためにその天与の才能とともに犬死にすべきだったのか? 次に、第一の選択には道徳的に劣るものの、国外に亡命する第二の道があり、ファシズムへの抗議としてトスカニーニが実行しました。トーマス・マンもそうですし実際彼には命の危機があった。第三に国内で面従腹背で生きる選択があり、フルトヴェングラーはこの道を選んだ、選べた。なぜか。

ユダヤ人と違い、ドイツ人の彼に命の危機はなかった。ナチスの好むベートーベンやブルックナーやワグナー等々言語のない音楽芸術の特性のために、その最高の演奏をするフルトヴェングラーは、ヒトラーやゲッペルスの広告塔として利用価値があったわけで、彼の芸術的な自由はある程度保証されていた。

映画の中でフルトヴェングラーは、たしかに自分は体制の批判はしなかった。だが、ドイツ国民に偉大な音楽を示したかった、素晴らしい音楽によってナチスへの強い反感を示せると思ったと語ります。

第一の批判して死ぬ選択以外は、第二の道も第三の道も抵抗の仕方としては不充分でしょう。アーノルド少佐のように亡命することを善とし、国内に留まることを悪と単純に決めつける姿勢には危ういものがあります。何より芸術家の資質の違いを無視して、是非の判断が可能なのか、考えさせられます。

ファシズムに抗議して亡命したトスカニーニが、フルトヴェングラーがナチス政権下に留まっていることを批判して二人が激しい口論になったときに、フルトヴェングラーは「偉大な音楽こそナチスの敵ではないか」と答えたという逸話が残っています。戦後バイオリニストのユダヤ系のメニューインはフルトヴェングラーの演奏を聴いて、この人がナチであるはずがないと言って擁護した事実もあります。

フルトヴェングラーがドイツに留まった理由はアンジェイ・ワイダ監督と似ていると推測しています。

アンジェイ・ワイダ監督は、自伝の中でチャンスはあっても亡命しなかった理由を書いています。自分はポーランドの苦難を描くことによってのみ世界的な監督となれる。亡命すれば、いずれ二流の監督としてつまらない外国のテレビドラマの監督するくらいしか道がない。ポーランドをよく知る自分は、自分の映画を一番よく理解してくれているポーランドの観客のために仕事をする、文章を厳しく検閲される文学では不可能だが、映像では検閲を超える映画を創れる、だから亡命を思いとどまったと書いていました。

フルトヴェングラーは彼の理想の音楽のために、ドイツに留まる必要があったのだと思います。不正確なことを書きたくないので「音楽と権力 -フルトヴェングラー1933~1935年」三石善吉の論文を読みました。この論文等を参考にその要旨をまとめると、亡命しなかったフルトヴェングラーの真の目的は「ドイツ音楽の保全」にあった事が書かれています。暗黒期のドイツにあってドイツの精神的価値を守り続けようとしました。

(私には、戦時中に発禁になった『細雪』を書き続けた谷崎潤一郎が思い浮かびました。彼が意図してのことかどうかわかりませんが、『細雪』は愚かしい軍事国家が徹底的に破壊している日本の精神的価値を守り抜こうとした一種の抵抗文学でもあろうと)

食べていけることと、指揮者として最高の仕事が出来ること、自分の理想とする音楽を創ることは違います。<フルトヴェングラーの考える音楽芸術は徹底的に「ドイツ的なもの」であり、彼はここドイツに根を下ろし、ここを馴染み深い・ふるさとの・我が家であり、どうしても棄てがたいと言う強い意識を持っていた。フレート・プリーベルク『巨匠フルトヴェングラー ナチ時代の音楽闘争』香川檀・市原和子訳、音楽の友社、1991> つけ加えれば、彼には自分の音楽を最も理解するドイツの聴衆も必要不可欠だったといえます。また残された親族や友人たちへの報復を恐れた等々から亡命しなかったと、私は考えています。(カール・ベームはナチスに逆らえば、家族を強制収容所に送ると脅迫されていたことを告白しています。)

フルトヴェングラーは、映画の中で自分が命がけの綱渡りをしながらナチスに抵抗していたと語ります。論文を読んでも、フルトヴェングラーが、文化の清浄化と称するナチスの音楽における反ユダヤ主義政策を骨抜きにしようと、ヒトラーやゲッベルスやゲーリングを時に激怒させながら、あらゆる方法でユダヤ人のために闘ったことがよくわかります。トーマス・マンのような国外にいた人間たちにはナチスに屈服したと見られていましたが、それがかえって国内での彼の命を保証したとさえ言えます。脅迫の日々の中で決してナチスに魂を売り渡すことなく、その耐え難い懊悩の日々に神経をすり減らし、結局彼は戦後長生きはせず六十八歳の若さで亡くなりました。

しかし、アーノルド少佐はフルトヴェングラーの国内での抵抗について、さまざまな証言も資料もまったく無視して起訴します。証言や資料を呈示し、弁護人もある実際の裁判でフルトヴェングラーが無実になったのは当然のことでしょう。

フルトヴェングラーには生涯ナチス協力者の汚名がついてまわりましたが、ドイツ国内にいて抵抗を続けた勇気ある芸術家でした。論文では、<われわれはフルトヴェングラーをナチスへの協力者ではなく、また「国内亡命者」でもなく、単なる「精神的抵抗者」や「良心的拒否者」でもなく、ナチスへの最も勇気ある「抵抗」を敢行した、卓越した「芸術家」と考えている。> と結論づけられているように、フルトヴェングラーは国内のナチスに反対する人びとの精神的支柱でもありました。<ドイツの良識ある市民たち、彼の良き聴衆たちは彼のそのような抵抗精神を敏感に感じ取っていた。彼の演奏会での熱狂はそのことを極めて雄弁に物語っていた。>

聴衆はフルトヴェングラーがベルリンフィルを辞任させられれば、一斉に定期会員になることを辞めて政府に多大な経済的損害を与え、彼が復帰した演奏会では四十分も続く熱狂的歓呼で迎え、「出席したローゼンベルク、フンク、ベルリン市長ザーム、フリックらは、この熱狂が反ナチス的な政治的デモンストレーションに他ならないことをはっきりと感じ取った」とあります。

※ドイツの作家ルドルフ・ペーフェルはフルトヴェングラーに語った。「抵抗運動の中で、あなたこそ真にヒトラーに抵抗した唯一の音楽家であり、またあなたは我々の仲間であるという点で我々の意見が一致しました」。もう一人の抵抗運動の同志、ゲルト・カーニッツ伯爵はよく言っていた。「フルトヴェングラーの演奏会で我々はみな一つのレジスタンス戦士の家族になりました」。実際、フルトヴェングラーは指揮するたびに、聴衆を独自の抵抗へと引っ張っていった。(サム.H.白川『フルトヴェングラー――悪魔の楽匠』(藤原啓介、加藤功泰、斎藤静代 訳)

※フルトヴェングラー夫人が「戦時の演奏会は異常な緊張をはらんでいました。そしてこの緊張は強まる一方でした。聴衆の大半は、こういう言葉を使ってよろしければ、同志の方がたでした……フルトヴェングラーの演奏会に足を運んだのは抵抗の立場に立った人たち」でしたと語ったのはその証拠である。クルト・リースも、「ヒットラー時代にフルトヴェングラーの演奏会に行き、溺れる者が命からがら陸地に泳ぎつくように、この演奏会に救いを見いだした人々の意思表明であった」と語っている

(フレート・プリーベルク『巨匠フルトヴェングラー ナチ時代の音楽闘争』香川檀・市原和子訳、音楽の友社、1991)

戦時中のフルトヴェングラーの演奏は録音技術が悪いにもかかわらず、ベートーベンがすぐそばに実在しているかのような迫真の名演で、フルトヴェングラーのまさに「鬼神」と呼びたいナチスへの激しい闘志を感じずにはいられません。

さまざまな書物に書かれているいくつか証言を、ナチス側も含めて引用します。

※ポーランド、フランス、ベルギー、オランダおよびノルウェーがナチスに制圧されると、ゲッベルスは第三帝国の文化的威信を宣伝するために、全力を注いでフルトヴェングラーに協力させようと試みた。しかし、フルトヴェングラーはゲッベルス宛に「以前自分が客演指揮者だった国々に、侵入する戦車の後をついて行く気持は毛頭ありません」と手紙を書き、断固として拒絶した。ゲッベルスは副官たちに語った。「フルトヴェングラーが党員であるかないか、それはどうでもいい。彼が好きなだけ我々のことを批判しても本官はかまわない。ところが今や彼はトラブルの種となっている。彼は政治的な役人である必要はないが、我々の看板でなければならないのだ。」

※戦後、フルトヴェングラーの「非ナチ化裁判」が行われたときにベルリンのシラー劇場総監督ボレスラフ・バルロクはベルリンの新聞「デアクリール」(フランス占領地区当局から認可を受けている)に次のような文章を発表した。

ここで一度確認しておくとしよう。フルトヴェングラーは、力強く公然とナチスに抵抗したことを私が知っている、数少ないドイツの大芸術家の一人だった。今フルトヴェングラーに向ってあんなに口やかましくわめき立てている連中は、あの当時どこに声をひそめていたのだろう?ナチ時代のフルトヴェングラー、およびその行動を実際に判断できる私 としては、《自分たちの巨匠を尊敬する》だけでおさまらず、あの頃としてはきわめて少数の人々にしかできなかったことだが、ナチスに反抗し、これを憎悪し、しかもそれを示すのに沈黙のみに終始していたわけではない一人の人間に、攻撃的言辞を弄する一部ドイツ人がいることに、かえすがえすも恥ずかしい思いを禁じえないのである。

こういう人たちはご存じないのだろうか、フルトヴェングラーが1935年になっても相変わらずベルリンで公然とメンデルスゾーン(ユダヤ系)を指揮したことを。ヒンデミットを擁護したことや、また人種的政治的に迫害されていた人々のためにいろいろと骨折ったケースが百回や二百回ではきかなかったことを。それも音楽家だけではなかったのだ!

参考までに、宣伝省から出た証言をあげておこう。《フルトヴェングラー氏がまだ保護の手を差しのべていないような汚らわしいユダヤ人は、ドイツにはもう一人も残っていない!》実際、彼らは何も知らないのだろうか?フルトヴェングラーがゲーリング氏に枢密顧問官の職を憤然とし突き返したことも、彼の全官職を投げうったことも、ヒトラーから十万ライヒスマルクの年金と、一個の邸宅と騎士領とを贈ろうといわれたとき、国民の窮乏を理由にこれを拒否したことも。彼が『ドイツ式挨拶』を拒み、ウィーンでは、ナチスの装飾を演奏に先立ってせめて指揮台からは取り去るように命じたことも。そしてあげくの果てに、彼自身がヒムラーやゲシュタポから身を守るべく、スイスへ逃れなければならなかったそのことも。「フルトヴェングラーの手紙」41頁/仙北谷晃一訳(白水社)

※1903年から1950年までベルリン・フィルハーモニーの第一ヴァイオリニストであったリヒャルト・ヴォルフは次のように語っている。

先輩のビューローやニキシュについてもいえることだが、フルトヴェングラーも、独り指揮の巨匠だったのみではなく、楽団にとって無上の友だった。われわれが直面しなくてはならなかったいっさいの財政上、政治上の危機を切り抜けるのに、力になってくれたのだ。彼は、われわれの大恩人だった。

ナチの時代には、ユダヤ人の楽員を救うために、どれほど力を尽くしてくれたことか。両親のいずれかにユダヤ人を持つ楽員や、ユダヤ人と結婚した楽員についても同様だった。必死の努力にもかかわらず、ユダヤ人の楽員を手元に置いておくことはできなかった。しかし、後の二つの場合は、楽団に留まることが可能になった。

わたしの妻はユダヤ人だった。息子が結婚したいと言い出したとき、必要なその筋の同意を得るために、フルトヴェングラーは東奔西走してくれた。

『ヴォルフ君』こう彼は言ったものだ。『君の息子だって、僕らのものではないか』

ナチ体制下の恐るべき数年間、その気にさえなったら、国外で、快適安全な生活を楽しむこともできただろう。しかし彼は、国内に留まって、ドイツの若い世代の教育に力を貸し、暗黒期のドイツにあって、何程かの精神的価値を守り続けることを、自己の責務と感じたのだ。ヒトラーの体制に対する、あのおおっぴらな非難の言葉は、いまにして思えば、信じがたいくらいである。どの文章ひとつ取ってみても、生命の危険に繋がるものだった。彼がわれらの味方だったことに、われわれ楽員は、いまなお深い感謝を感じている。(脚注10)「フルトヴェングラー頌」52頁/ダニエル・ギリス編/仙北谷晃一訳(音楽之友社)

個人的に私が一番驚くのは、ヒトラー総統臨席のコンサートで、フルトヴェングラーがハイルヒトラーのナチス式敬礼をしなかったことです。これは亡命するより遙かに勇気のいることでしょう。正気を失った社会の中で、ヒトラーに対してそんな拒絶の出来る人間が一体何人いるか。ヒトラーが彼の演奏を好んでいなければ、政治利用してやると考えていなければ、その場で演奏会中止の強制収容所行きか死刑だったでしょう。

実際終戦近くになってゲシュタポがフルトヴェングラーを拘束する行動に出たため、彼は1945年2月にスイスへの非難を余儀なくされたのです。

この公然とヒトラーに逆らう態度さえ、戦犯に問われないためのポーズにすぎないと解釈するアーノルド少佐は、当時の状況を無視するもので明らかにおかしい。そもそもナチスの信奉者であれば、戦争に負けることも、戦後自分が戦犯に問われることも想定出来ないでしょう。アーノルド少佐はフルトヴェングラー憎しの一念で、ヴァンゼー会議の出席者に似て正気を失っていたといえます。人は自分の正義を信じ切ると狂うのです。

フルトヴェングラーが戦犯に問われたのは、正義の追求ではなく戦勝国アメリカの政治的要因が大きかったと思われます。誰かドイツ文化を象徴するような大物のスケープゴートが必要だったという疑いはぬぐえません。同じ指揮者のカラヤンはれっきとしたナチ党員でその特典を自身のキャリアアップに利用したのですから、フルトヴェングラーより遙かにナチス加担の罪はあり、戦争犯罪を適用されてもふしぎではありませんでした。当時はフルトヴェングラーより小者だったからカラヤンを起訴しても政治的効果はなかったと考えられます。

この映画の肝は、アーノルド少佐が芸術に何の価値も見出さない種類の人間であったことだと思います。もし少佐が音楽を愛する人間であれば、フルトヴェングラーの起訴はなかったでしょう。多くの証言や資料を精査して判断し、不起訴の判断をしたと思います。

フルトヴェングラーはドイツにとどまり、真実のドイツ音楽を追究しながらその演奏によってヒトラーに抵抗する道を選んだけれど、クラッシック音楽に無知、無関心の少佐に、音楽で抵抗する意味など伝わるはずがない。ユダヤ人虐殺はお前のせいだという少佐の正義の糾弾を前にして、音楽以外に反論するすべのないフルトヴェングラーは絶句するしかありませんでした。

音楽のわかる、少佐の部下のユダヤ系アメリカ人ウィルズ中尉と秘書(父親がナチスに抵抗して殺された英雄的将軍の娘)も、本来ならフルトヴェングラーに反感をもつ状況にもかかわらず、彼の人間に触れ、音楽に触れ、証言を聞き、資料を調べて起訴には賛同していませんでした。

アーノルド少佐は、自分にはその価値が全く理解できない分野で世界的な名声と尊敬を得ている芸術家、ヨーロッパ最高の知性に対して反感というより階級的な憎悪のようなものがあったと思います。起訴することで個人的な私怨・私憤をはらそうとしたと、私は受け取りました。戦争がなければ、ただの保険調査員の自分では生涯得ることのできない「天才」の名を手にしている人間を、犯罪者に貶めて留飲を下げた無意識の男の嫉妬ともいえましょう(少佐役の俳優ハーベイ・カイテルは名演でした)。アーノルド少佐の糾弾の仕方は論理ではなく徹頭徹尾芸術家への、芸術への嫌悪の感情でした。資料も証言もフルトヴェングラーに有利なものは全部排除します。起訴するか否かに必要な法的な知識も皆無の軍人が、上層部の意向を笠に着て、正義の名のもとにいけ好かない「お高い」芸術家に復讐し見事に個人的鬱憤晴らしをしました。

映画では、自分の生きてきた高尚な文化芸術の世界では想像したこともない下劣な質問や侮辱の数々を受けたフルトヴェングラーの困惑が際立っていました。少なくともユダヤ人作曲家ヒンデミットやメンデルスゾーンの音楽を知っているレベルのゲッベルスとは闘えても、それは一体誰だというような無教養、無知識の人間相手ではフルトヴェングラーは闘いようがない。アーノルド少佐の無教養の強みに比べ、詩人や知識人はひ弱で滑稽なものだと思い知らされます。(「唖の娘」を思い出しました)。

アーノルド少佐がおそらく抱いていただろう根深い無教養コンプレックスと芸術家や知識人への憎悪は、どこの国にも存在しています。ナチスはそれを上手に利用して、ドイツの良識ある市民を少数派にして駆逐しました。「いかなるプロパガンダも大衆的でなくてはならず、その知的水準は最も頭の悪い者の理解力に合わせくてはならない」と言ったヒトラー独裁政権を生んだ同じものが、正義を標榜するアーノルド少佐の中にもあると言えます。アーノルド少佐のような人間があの当時のドイツにいたら、彼の「正義」のために間違いなくゲシュタポであったし、ソ連にいればKGBとして喜んで働いたでしょう。

アメリカがトランプ大統領を誕生させ、再登場させるもしれない理由とも共通している問題、知識人たちとそうでない階層との格差と亀裂があると考えるのは私だけではないでしょう。ソクラテスの「無知の知」を知らない者は、結局恐ろしいまでに洗脳され、むごたらしい社会を作る。

この映画の中で流されるフルトヴェングラーのブルックナー七番の演奏は打ち震えるように素晴らしいものですが、その音楽に微塵も心動かされることのない、あっぱれなほど芸術に一文の価値もないタイプの人間を前にして、観客である私は唖然とするのです。これほどの音楽に何も感じないでいられるなんて信じられない……。たしかにそういうタイプの人間はいるだろうし、あるいはそれが世間の多数派かもしれない。そのこと自体は単に趣味の問題で決して悪いことではないし、私に批判する資格はない。けれど、そういう人間に世界を代表してフルトヴェングラーを裁く資格があるのか。自分の理解の及ばない存在への人としての謙虚さがあれば、裁けないと思うでしょう。アーノルド少佐なら、ベートーベンがもし生きていたら、ヒトラーに好まれた悪人と軽蔑しながら起訴したに違いありません。私のような芸術の側に立つ人間は、底の浅い正義観を盾にした傲慢さに憤りを感じるのですが、この映画は全体主義国家の中での芸術家の苦難と共に、芸術に無縁な人間を前にした芸術家の敗北を描きたかったとも言えるのです。

テイキングサイド、政治か芸術かどちらの側につくか、つまりアメリカ側の正義がほんとうの正義なのかという問い。人生はもっと複雑で多様なものなのに、単純明快な正義があるのか、そんなヨーロッパのため息、二度の大きな戦争で疲弊したヨーロッパの嘆きが垣間見られます。さらに意地悪い観方をすれば、アーノルド少佐がフルトヴェングラーを糾弾すればするほどその独善性が際立つように描くことで、少佐は自分の所属する社会の品のなさのようなものを露呈してしまうのです。アーノルド少佐はヨーロッパ人から見た、芸術や教養と無縁の典型的アメリカ人(ヤンキー)ですが、実際にフルトヴェングラーの尋問にあたったアメリカ人は映画中のアーノルド少佐よりさらに野蛮で粗野であったとの証言もあります。アメリカが世界的な音楽家に対して最初から敬意を欠いていたことは明らかですが、フルトヴェングラーを戦犯にするためにあえてクラッシック音楽に無知・無教養のアーノルド少佐を選んだともいえます。

この映画の脚本家はイギリス人のロナルド・ハーウッド、監督はハンガリー人サボー・イシュトヴァーンであることからも、彼らにはアーノルド少佐の体現しているアメリカ的正義や道徳への問い、芸術への無理解に対する批判があると、私は感じました。

戦争でも経済でも世界一強くなった超大国は、歴史の浅い、伝統文化に無知蒙昧な、浅薄な、表層的な善悪の判断しか出来ないじゃないかという、製作者側の無意識に見せかけた微かなアメリカ蔑視すら感じます。ベルリン映画祭では評価されても、たぶんそのせいでアメリカの評論家には評判が良くなかった映画です。

もちろん、アメリカには世界から敬愛される多くの優れた詩人・知識人がいてそれを支える知性教養に溢れたインテリの層の厚いことは知り過ぎるほど知っています。しかし、国内で彼らの言説が、たとえば今ならトランプ大統領候補のコアな支持者層に響くことはないでしょう。正しいことを上から目線で言われるほど不愉快なことはありません。

「お高い」インテリたちの民主主義の理念はそれだけで「えらそうに」と反感の対象だと思います。現代社会においては知的エリートが社会の中枢にいて富も権力も握り、彼らには芸術を愛好できる教育も余裕もある。しかし、学歴も教養もない層はコンサートなど行く余裕はなく生活苦に喘ぐ。もちろんその中にも叡智ある人びとがたくさんいるのは当然ですが、クラッシック音楽やバレエはそもそも王侯貴族のために発展したもので、ある程度の教育を受けないと味わえない芸術です。日本でいえば将軍たちに愛された能は、愛好者が限られます。

現代社会には昔の貴族と庶民のような階級差と知的裂け目が生じています。フランスでもドイツでも日本でも同じです。それが極右、極左の台頭となり時に独裁者に利用され暴力的支配の原因になる。アーノルド少佐とフルトヴェングラーの対立は、そのまま現在まで続く深刻な問題でもあるのです。芸術を愛するか無関心かは、どちらでもかまわないのですが、人間や文化の多様性として等しく尊重されなければ、民主的社会は成立しないでしょう。(民主主義の大きな欠点は、主権者が過労死、困窮死しないですむような、ものを考えられるだけの暇と小銭があって、聡明にその理想を理解して選挙に行かないとうまく機能しないことかもしれません。自分を棚上げしますが、どこの国においても聡明であれる人間はそうでない人間より数が少ないのです。)

イシュトバーン監督はフルトヴェングラーが国内に留まったことについて、「すべての国民が国を去ることはできない。才能あるパン屋はどうするのだ? 才能ある教師や医者は?ーーーーフルトヴェングラーになぜ国を去らなかったかを尋ねることはできない。もし、その質問を彼に投げかけるのであれば、あなたは街角のパン屋にもそうしなければいけないからだーーーあなたはパンをナチのエリートに売った。だからお前はナチだ—–これは同じ質問なんだ」と言いましたが、大国の政治に翻弄され続けた歴史をもつハンガリー人らしい発言です。

アメリカのような、大国に敗北したことのない、大きな政治権力に支配されたことのない国民は、生き延びるために屈服せざるを得なかった者への理解や共感は持ちにくい。イシュトバーン監督本人も、あるいはチェコのミラン・クンデラのような大作家にも一時ソ連傀儡政権のスパイ疑惑があったことを考えても、政治権力から自由になれる芸術家は一人もいないと言っても過言ではありません。

バルラッハのように作品をことごとくナチスに破壊され失意のうちに死んだ芸術家は悲惨でしたが、同様にナチスに政治利用されたフルトヴェングラーも悲劇でした。芸術家も国民の一人ですから、政治に翻弄されてしまう。

政治が有名人を利用するのは日常茶飯事で、オリンピック選手などその最たるものですが、芸術家も同じように道具として利用される。喜んで利用されるのか、心ならずも利用されるのかの違いはありますが、どちらにしろ、利用した方がずっと狡猾で悪いのは自明のことなのに、世間は利用された方を責めることが多い。科学者でもスポーツマンでも芸術家でも、有名であればあるほど政治と無縁でいられない。優れた才能により世間に出ることは、戦時下や独裁政権下においては非常に厳しい「有名税」を取り立てられることを覚悟しなければならないことを痛感します。

芸術家は人間のもっとも人間らしい仕事をするとも言えますから、不完全な人間としての過ちのあるのは避けがたく、むしろ芸術家は人の何倍も間違えながら生きるとも言えます。芸術家も、私たち市井の人間と同じように神の前に、時には法の前にも罪人になる。芸術家が問われなければならないのは「あなたの仕事においてあなたがどこまで誠実であったか」という一事だと思います。

無惨な戦争賛美の仕事があるから高村光太郎や斎藤茂吉を認めないという人もいるでしょうが、彼らはその過ちを凌駕する素晴らしい詩歌を作り、その一事をもって敬愛に値するという立場もありましょう。優れた芸術家であればあるほど、その過ちの責任の取り方はそれぞれのやり方で仮借ないまでに作品に反映されているはずで、そうでなければならないと思うのです。彼らが人として過ちを許されるのではなく、彼らの作品が許されるかどうかではないでしょうか。

思い出すのはマーラーのことです。ワグナーの反ユダヤ思想やその反ユダヤ的文章をどう思うか問われて、ユダヤ人のマーラーは、ワグナーほどの天才を理解するためには、そんなものは真っ先に忘れてしまえと答えました。

反ユダヤ思想のワグナーの演奏はイスラエルでは禁じられています。(現在はどうか不明)そのことも被害民族による芸術の政治利用です。ワグナーの思想に関わらず、その音楽の価値は揺らがないと私は思います。フルトヴェングラーも、ナチ党員だったカラヤンの演奏も好んで聴き、藤田嗣治も最高の画家の一人と思っています。彼らの仕事は命がけの誠実の結果の、芸術の最高峰と信じているのです。

とは言え、谷崎潤一郎のことを「奥さんを取替えたいやらしい人ね」と嫌悪している知人を前にすると、私は反論する気にもならずこういう道徳的正しさを疑わない人種こそ無敵だと思ってしまう。私がここまで書いてきたようなフルトヴェングラーについての考察は到底伝わらないし、「正しい」人たちに通じる言葉を持たないのです。

最後に、『ヴァンゼー会議』に戻らせてください。ヴァンゼー会議の出席者たちは、アーノルド少佐とは違うでしょう。ヒトラーやゲッベルスのように、少なくともクラッシック音楽にある程度の教養はあり、その価値もわかっていたと推測されます。ヒトラーやゲッベルスの認める限りにおいて、彼らはフルトヴェングラーの指揮する音楽をおそらく愛好したと思われます。『テイキングサイド』冒頭シーンのコンサートには、ずらりとナチス高官たちが並んで拍手を送っていました。

一千百万人のユダヤ人を虐殺することを目的としながら、フルトヴェングラーの演奏する名曲を愛好することが同じ人間のなかで両立してしまう。アウシュヴィッツにおいても、毎日大量のユダヤ人をガス室に送りながら、ドイツ人たちは平然と音楽を愛好していました。この事実は人間への信頼をほとんど喪わせるものです。

真の芸術家はごく限られた天才ですが、その芸術を真実享受できる人間もまた稀なのでしょうか。芸術は少数の人間が抱く儚い夢にすぎないのでしょうか。

アーノルド少佐的な小さな悪(無知・無教養からくる傲慢さや愚劣な正義感)に比べたら、ナチスの、あるいはドイツ、あるいはヨーロッパの罪深さ、邪悪は桁違いで底知れない無気味さがあると思います。合わせ鏡のようにその崇高さにおいてもです。

私がドイツには住みたくないと思っているのは、食事がまずいという理由だけでなく、善においても悪においても、このドイツ的、ヨーロッパ的な物凄さに極東アジアの島国の人間としてついていけないと思うせいでしょう。

この二作の映画製作者たちに最大限の敬意を表しつつ、恐ろしいものを見せられた思いでこんな長いメールを書いてしまいました。お許しください。そして、私が自分の想いを書き送りたいと願うただ一人の存在でいてくださるみづうみに、心からありがとうございますと申し上げます。

万が一読んでいただきましたなら、みづうみに平謝りしつつ、感謝感激です。みづうみに何か一つでも面白いと感じていただけましたら本望です。

みづうみ、どうか末永くあけぼののみづうみでいらしてください。   あけぼの

* メールで貰った、抜群の大長文。すこし時間かけ、落ち着いた気持ちで読ませて貰います。
2024 8/21

○ マッカーサー
秦さん  パイプのマッカーサー 直立の天皇陛下 写真を覚えています
戦後 村の道までジープが入り込んで 子供達が追いかけると チューインガムをばら撒いていたら 「食いものを 地べたにばら撒くんじゃねえ」
と怒鳴りつけたおじさんがいた と聞いたことがあります
戦後 毎朝のように新聞で上野の地下道で浮浪児が達が亡くなっていたのを報道していました わたしは「縁故疎開」と称して学童の東北への「集団疎開」をのがれましたが 同年輩だったのでつらかったです
東京大空襲で生家の煎餅やは全くの焼け跡でした
ほんと くたびれ つらいです
すぐ横になってしまうくせがつきそうです
「げんき げんき」で頑張ります
秦さん どうかくれぐれもお大事に お大切にされてください   千葉  勝田 拝

* 空襲また空襲の日々を体験の「東京」だつたと聴いてい、た。わたくしの「京都」は空襲を受けず、起った一発夜襲不発の爆弾が、それも間違って落とされ、その爆弾は、私の通った「京都幼稚園」の庭に不発で墜ちたのだった。爆弾の落ちたと同時に自身の会ったのも私は憶えている。国民学校のよねんせいだったろう。

○ 秦さん いつも本当にありがとうございます

当節 なにやら 大方 不調 迷い 惑い 奮  戦 の気持だけの 昨今であります。 秦

お教え戴き厚く御礼申し上げます
頑張ります
お返事がなかなか出来ずにいました
ごめんなさい  秦さんへ   千葉  勝田 拝

* 一二歳先達の勝田兄、お達者でいてくださるのが、私の大きな励み。感謝。

* 私 孤独で,無い。感謝している。
2024 8/21

* 昨日に受け取っていた すこぶる長文細字のメールを 読みやすくと按配するも、例の不調法、かえって混乱混雑し、音を上げてまだまだ読めず。

○ お元気ですか、みづうみ。
あけぼのは暑さにすっかりへたれて、ひきこもり生活しておりますが、それでも元気にしていますし、読んで、書いて、考えています。
みづうみの気分転換かつ刺激になったら嬉しいと願って、「芸術家を題材とした映画」のことを書きます。書き始めたものは、必ず書き終えたいので、相変わらずの「長文」になってしまいました。お許しください。お目の負担になると申しわけなく、ぱっと眺めてくだされば充分です。
万万万が一、お読みいただけるとしても、ご体調にあわせて 少しずつお読みくださいますように。

少し以前に、原題は「ヴァンゼー会議」邦題は『ヒトラーのための虐殺会議』を観ました。1942年ベルリン近郊のヴァン湖畔で行なわれた会議の議事録に基づいて描かれた 映画です。日本は、敗戦が決まると関連文書をどんどん焼却しましたが、対照的にドイツのお役人は歴史のために書類を守りぬいたと、昔、読んだ記憶がございますが、それにしてもこのような重要書類かよくぞ残っていたと 先ずそのことに驚嘆しました。この議事録はアイヒマンの尋問をしたイスラエルにより捏造されているとの噂もありますが、このヴァンゼー会議があったことは事実で、そのあとに、ユダヤ人の抹殺がよりシステム化され効率的になったのも事実です。何かしらの政治決定がなければ六百万人もの効率的な処刑は不可能ですから、枝葉はともかく中核にあるのは真実ではなかったかと思います。

この映画にヒトラーは登場しません。ゲッベルスもゲーリングもヒムラーも大物は出て来ません。彼らを支えていたナチス高官たちと、議事録を作成する能吏アイヒマンが参加していますッパ。映画の宣伝のパンフレットに「史上最も恐ろしいビジネス会議」とあるように、ヨーロッパにいるユダヤ人一千百万人の最終的解決について、まるでビジネス会議のように話し合われています。粛清や虐殺という言葉を使わず、最初から最後まで「最終的解決」という隠語が使われます。いかに効率的に大量のユダヤ人を輸送するか、働けるものを強制労働に使役しながら、最終的に全員の処分をどういう方法で誰の指示で迅速に実行するか、法的解釈の話などはドイツらしく、建設中のアウシュヴィッツ等の収容所が新工場建設のように淡々と、経営戦略會議のように審議されていくのです。

誰もが驚愕するのは、この会議の中でユダヤ人を絶滅させる、大量虐殺の是非については一度たりとも議論されず、最終的解決=大虐殺は当たり前のこと。絶対の善なる目標とされていることです。人道的な立場の発言が唯一あるとしたら、そんなに大量の女子供含めた銃殺はドイツ軍の若い兵士の心の傷になるというものくらい。

映画にはフィクション部分も当然あり、会議のあとに雑談のように(ドイツ軍兵士への)人道的見地からも、銃弾の節約のためにも、ガスを使うことを計画していることが明かされ、ガス室が造られた経緯がそういうことだったとよくわかります。議事録の必要な審議中は、銃殺の代わりの計画があるとだけ仄めかされていました。

頭脳明晰で、おそらく良き家庭人であろう人間たちが、ここまで正気を失うのか。人が権力にこんなに容易に洗脳されてしまう事実を見せられて、もう開いた口がふさがらないまま終わります。会議が済むと、全員何事もなかったかのように、ふつうのビジネス会議終了のように、それぞれ持場に帰っていくのです。

ナチス政権の根幹にあるのが反ユダヤ主義であり、そんなヒトラー率いる集団が政権を握り続けたことに慄くしかありません。

この映画は、独裁者が登場すると上から下まで狂った社会になる一つの証明でした。少し考えるとこれは他国の出来事ではなく、大日本帝国においても似たようだったと気づきます。特攻隊や戦艦大和などをみれば、戦略的にまったく実効性がないのに、勝利のための貴重な戦力であるはずの前途ある若者を、目前の敗戦の目くらましかのようにただ死なせる目的のために多数死なせるという棄民、合理性皆無の狂いっぷりでした。

実は本題はこれからです。書きたいのはこの映画のことではありません。話題にする映画の時代背景として書きました。

『ヴァンゼー会議』の狂気の時代に芸術家はどう生きたのか、狂わずに正気のままいられたのか。時代の奔流の中でどう生きるべきだったのかについて、考えさせられる映画のことを書きます。

『テイキングサイド』という映画をご覧になったことがおありでしょうか。日本未公開だったもので、アマゾンプライムで観ました。日本でも平幹次郎主演で舞台上演されていたことは知りませんでした。ベルリン国際映画祭で銀熊賞の作品です。ご覧になっていないと仮定して、簡単にあらすじを説明します。

第二次大戦後、米軍アーノルド少佐が指揮者フルトヴェングラーをナチス戦犯に問うために厳しく追及していく攻防劇です。

米軍少佐は元保険会社の調査員、フルトヴェングラーの名前も知らず、クラッシック音楽には無縁で無知識、ナチスの残虐な犯罪に憤っている正義感の塊です。フルトヴェングラーがヒトラーの寵愛を受けていたとして、トスカニーニのように国外に亡命しなかったことを糾弾し続けます。

フルトヴェングラーの楽団員たちは、彼が多くのユダヤ人の逃亡を助けていたこと、またハイルヒトラーのナチス式敬礼をしなかった勇気を弁護します。少佐と一緒に調査に関わるユダヤ系米国人ウィルズ中尉は音楽を愛しているので、フルトヴェングラーを極悪犯罪者扱いする無礼な少佐に対して、「世界最高の指揮者」の尋問においてはもっと敬意を払ってほしいと頼むものの、君はユダヤ人ではないかと反論されます。私はユダヤ人である前に人間です、と答えると少佐に「そうか、人間でよかった。音楽愛好家かと思った」と皮肉られます。戦勝国ソ連の高官も、素晴らしいドイツ文化を取り戻したいと何度もフルトヴェングラーを放免するように要請しますが、少佐にはまったく通じません。音楽のわからない彼にとってフルトヴェングラーはただただヒトラーに厚遇されていた卑怯な戦犯でしかないのです。

ヒトラーの死去のニュースにフルトヴェングラーのブルックナーの演奏がラジオで流された事実もフルトヴェングラーがナチスを象徴する指揮者であった動かぬ証拠とされてしまう。フルトヴェングラーが多くのユダヤ人を助けていたことは、将来罪に問われないための保険に過ぎないのだから保険調査員だった自分は騙されない。仮病を使うなどあの手この手でナチスの依頼を拒否していたことも含めて、フルトヴェングラーが面従腹背であったことを信じませんでしたし、そもそも面従腹背が許されないと考えます。フルトヴェングラーに向かって、お前は絞首刑で当然だ、威張っているのが気に入らない、と罵詈雑言を浴びせ、ナチスへの抵抗に命を賭けた人間もいるのに、なぜ亡命さえしなかったと激しく責める。フルトヴェングラーには反論する糸口さえ与えない。エラそうにしている高名な指揮者を見せしめとして絶対起訴してやるというのが最初から最後まで一環した少佐の姿勢でした。結局起訴されたことにより(最終的には無罪でしたが)フルトヴェングラーは生涯アメリカで演奏することは許されず、少佐はフルトヴェングラーの名誉を十分に傷つけたことに満足する、というところで映画は終わります。

私を含めて、観客の多くはフルトヴェングラーをナチスの戦犯に問うことに疑問を呈すると思いますし、これはこの起訴に至る経緯を批判的に描いた映画でしょう。

観終えたあと、私はこの映画を、芸術家小説のような、芸術家をテーマにする一つの、異色の、芸術家映画として観たいと思いました。

音楽の、芸術の価値を、まるで理解できない人間が、正義や道徳の名のもとに、真の芸術家を裁くことが可能か。芸術家には市民より重い戦争加担責任があるのか。悪しき政治に利用された芸術家は、戦争犯罪の罪を一身に負うべきなのか。芸術家はどこまで道徳的に正しくなければならないのか。

この映画を観て、藤田嗣治のことを思い出しました。戦時中、彼以外にもそこそこ有名な画家は皆戦争画を描いていたにもかかわらず、藤田だけがやり玉に上げられ、日本を追われることになりました。戦争賛美の作を作った高村光太郎や斎藤茂吉、あるいは発禁処分にはなったけれど国内で生き延びた永井荷風や谷崎潤一郎に向かって、なぜ三木清のように獄中で死ななかったかと責めるのと同じことを、アーノルド少佐を代表とするアメリカ軍はフルトヴェングラーにしたのです。

ヨーロッパ一千百万人のユダヤ人を「最終的解決」の名のもとに絶滅させることを、多くのドイツ人に秘密裡に実行しようとしていた独裁国家のもとで、たまたま最高の指揮者であっただけの一市民のフルトヴェングラーに何が出来たか。

たしかに、フルトヴェングラーには、ナチス政権を公然と批判して死刑になる選択があり、これこそが人として、道徳的に正しいことでした。しかし、『ヴァンゼー会議』のような狂気の中で、彼は正しさのためにその天与の才能とともに犬死にすべきだったのか? 次に、第一の選択には道徳的に劣るものの、国外に亡命する第二の道があり、ファシズムへの抗議としてトスカニーニが実行しました。トーマス・マンもそうですし実際彼には命の危機があった。第三に国内で面従腹背で生きる選択があり、フルトヴェングラーはこの道を選んだ、選べた。なぜか。

ユダヤ人と違い、ドイツ人の彼に命の危機はなかった。ナチスの好むベートーベンやブルックナーやワグナー等々言語のない音楽芸術の特性のために、その最高の演奏をするフルトヴェングラーは、ヒトラーやゲッペルスの広告塔として利用価値があったわけで、彼の芸術的な自由はある程度保証されていた。

映画の中でフルトヴェングラーは、たしかに自分は体制の批判はしなかった。だが、ドイツ国民に偉大な音楽を示したかった、素晴らしい音楽によってナチスへの強い反感を示せると思ったと語ります。

第一の批判して死ぬ選択以外は、第二の道も第三の道も抵抗の仕方としては不充分でしょう。アーノルド少佐のように亡命することを善とし、国内に留まることを悪と単純に決めつける姿勢には危ういものがあります。何より芸術家の資質の違いを無視して、是非の判断が可能なのか、考えさせられます。

ファシズムに抗議して亡命したトスカニーニが、フルトヴェングラーがナチス政権下に留まっていることを批判して二人が激しい口論になったときに、フルトヴェングラーは「偉大な音楽こそナチスの敵ではないか」と答えたという逸話が残っています。戦後バイオリニストのユダヤ系のメニューインはフルトヴェングラーの演奏を聴いて、この人がナチであるはずがないと言って擁護した事実もあります。

フルトヴェングラーがドイツに留まった理由はアンジェイ・ワイダ監督と似ていると推測しています。

アンジェイ・ワイダ監督は、自伝の中でチャンスはあっても亡命しなかった理由を書いています。自分はポーランドの苦難を描くことによってのみ世界的な監督となれる。亡命すれば、いずれ二流の監督としてつまらない外国のテレビドラマの監督するくらいしか道がない。ポーランドをよく知る自分は、自分の映画を一番よく理解してくれているポーランドの観客のために仕事をする、文章を厳しく検閲される文学では不可能だが、映像では検閲を超える映画を創れる、だから亡命を思いとどまったと書いていました。

フルトヴェングラーは彼の理想の音楽のために、ドイツに留まる必要があったのだと思います。不正確なことを書きたくないので「音楽と権力 -フルトヴェングラー1933~1935年」三石善吉の論文を読みました。この論文等を参考にその要旨をまとめると、亡命しなかったフルトヴェングラーの真の目的は「ドイツ音楽の保全」にあった事が書かれています。暗黒期のドイツにあってドイツの精神的価値を守り続けようとしました。

(私には、戦時中に発禁になった『細雪』を書き続けた谷崎潤一郎が思い浮かびました。彼が意図してのことかどうかわかりませんが、『細雪』は愚かしい軍事国家が徹底的に破壊している日本の精神的価値を守り抜こうとした一種の抵抗文学でもあろうと)

食べていけることと、指揮者として最高の仕事が出来ること、自分の理想とする音楽を創ることは違います。<フルトヴェングラーの考える音楽芸術は徹底的に「ドイツ的なもの」であり、彼はここドイツに根を下ろし、ここを馴染み深い・ふるさとの・我が家であり、どうしても棄てがたいと言う強い意識を持っていた。フレート・プリーベルク『巨匠フルトヴェングラー ナチ時代の音楽闘争』香川檀・市原和子訳、音楽の友社、1991> つけ加えれば、彼には自分の音楽を最も理解するドイツの聴衆も必要不可欠だったといえます。また残された親族や友人たちへの報復を恐れた等々から亡命しなかったと、私は考えています。(カール・ベームはナチスに逆らえば、家族を強制収容所に送ると脅迫されていたことを告白しています。)

フルトヴェングラーは、映画の中で自分が命がけの綱渡りをしながらナチスに抵抗していたと語ります。論文を読んでも、フルトヴェングラーが、文化の清浄化と称するナチスの音楽における反ユダヤ主義政策を骨抜きにしようと、ヒトラーやゲッベルスやゲーリングを時に激怒させながら、あらゆる方法でユダヤ人のために闘ったことがよくわかります。トーマス・マンのような国外にいた人間たちにはナチスに屈服したと見られていましたが、それがかえって国内での彼の命を保証したとさえ言えます。脅迫の日々の中で決してナチスに魂を売り渡すことなく、その耐え難い懊悩の日々に神経をすり減らし、結局彼は戦後長生きはせず六十八歳の若さで亡くなりました。

しかし、アーノルド少佐はフルトヴェングラーの国内での抵抗について、さまざまな証言も資料もまったく無視して起訴します。証言や資料を呈示し、弁護人もある実際の裁判でフルトヴェングラーが無実になったのは当然のことでしょう。

フルトヴェングラーには生涯ナチス協力者の汚名がついてまわりましたが、ドイツ国内にいて抵抗を続けた勇気ある芸術家でした。論文では、<われわれはフルトヴェングラーをナチスへの協力者ではなく、また「国内亡命者」でもなく、単なる「精神的抵抗者」や「良心的拒否者」でもなく、ナチスへの最も勇気ある「抵抗」を敢行した、卓越した「芸術家」と考えている。> と結論づけられているように、フルトヴェングラーは国内のナチスに反対する人びとの精神的支柱でもありました。<ドイツの良識ある市民たち、彼の良き聴衆たちは彼のそのような抵抗精神を敏感に感じ取っていた。彼の演奏会での熱狂はそのことを極めて雄弁に物語っていた。>

聴衆はフルトヴェングラーがベルリンフィルを辞任させられれば、一斉に定期会員になることを辞めて政府に多大な経済的損害を与え、彼が復帰した演奏会では四十分も続く熱狂的歓呼で迎え、「出席したローゼンベルク、フンク、ベルリン市長ザーム、フリックらは、この熱狂が反ナチス的な政治的デモンストレーションに他ならないことをはっきりと感じ取った」とあります。

※ドイツの作家ルドルフ・ペーフェルはフルトヴェングラーに語った。「抵抗運動の中で、あなたこそ真にヒトラーに抵抗した唯一の音楽家であり、またあなたは我々の仲間であるという点で我々の意見が一致しました」。もう一人の抵抗運動の同志、ゲルト・カーニッツ伯爵はよく言っていた。「フルトヴェングラーの演奏会で我々はみな一つのレジスタンス戦士の家族になりました」。実際、フルトヴェングラーは指揮するたびに、聴衆を独自の抵抗へと引っ張っていった。(サム.H.白川『フルトヴェングラー――悪魔の楽匠』(藤原啓介、加藤功泰、斎藤静代 訳)

※フルトヴェングラー夫人が「戦時の演奏会は異常な緊張をはらんでいました。そしてこの緊張は強まる一方でした。聴衆の大半は、こういう言葉を使ってよろしければ、同志の方がたでした……フルトヴェングラーの演奏会に足を運んだのは抵抗の立場に立った人たち」でしたと語ったのはその証拠である。クルト・リースも、「ヒットラー時代にフルトヴェングラーの演奏会に行き、溺れる者が命からがら陸地に泳ぎつくように、この演奏会に救いを見いだした人々の意思表明であった」と語っている

(フレート・プリーベルク『巨匠フルトヴェングラー ナチ時代の音楽闘争』香川檀・市原和子訳、音楽の友社、1991)

戦時中のフルトヴェングラーの演奏は録音技術が悪いにもかかわらず、ベートーベンがすぐそばに実在しているかのような迫真の名演で、フルトヴェングラーのまさに「鬼神」と呼びたいナチスへの激しい闘志を感じずにはいられません。

さまざまな書物に書かれているいくつか証言を、ナチス側も含めて引用します。

※ポーランド、フランス、ベルギー、オランダおよびノルウェーがナチスに制圧されると、ゲッベルスは第三帝国の文化的威信を宣伝するために、全力を注いでフルトヴェングラーに協力させようと試みた。しかし、フルトヴェングラーはゲッベルス宛に「以前自分が客演指揮者だった国々に、侵入する戦車の後をついて行く気持は毛頭ありません」と手紙を書き、断固として拒絶した。ゲッベルスは副官たちに語った。「フルトヴェングラーが党員であるかないか、それはどうでもいい。彼が好きなだけ我々のことを批判しても本官はかまわない。ところが今や彼はトラブルの種となっている。彼は政治的な役人である必要はないが、我々の看板でなければならないのだ。」

※戦後、フルトヴェングラーの「非ナチ化裁判」が行われたときにベルリンのシラー劇場総監督ボレスラフ・バルロクはベルリンの新聞「デアクリール」(フランス占領地区当局から認可を受けている)に次のような文章を発表した。

ここで一度確認しておくとしよう。フルトヴェングラーは、力強く公然とナチスに抵抗したことを私が知っている、数少ないドイツの大芸術家の一人だった。今フルトヴェングラーに向ってあんなに口やかましくわめき立てている連中は、あの当時どこに声をひそめていたのだろう?ナチ時代のフルトヴェングラー、およびその行動を実際に判断できる私 としては、《自分たちの巨匠を尊敬する》だけでおさまらず、あの頃としてはきわめて少数の人々にしかできなかったことだが、ナチスに反抗し、これを憎悪し、しかもそれを示すのに沈黙のみに終始していたわけではない一人の人間に、攻撃的言辞を弄する一部ドイツ人がいることに、かえすがえすも恥ずかしい思いを禁じえないのである。

こういう人たちはご存じないのだろうか、フルトヴェングラーが1935年になっても相変わらずベルリンで公然とメンデルスゾーン(ユダヤ系)を指揮したことを。ヒンデミットを擁護したことや、また人種的政治的に迫害されていた人々のためにいろいろと骨折ったケースが百回や二百回ではきかなかったことを。それも音楽家だけではなかったのだ!

参考までに、宣伝省から出た証言をあげておこう。《フルトヴェングラー氏がまだ保護の手を差しのべていないような汚らわしいユダヤ人は、ドイツにはもう一人も残っていない!》実際、彼らは何も知らないのだろうか?フルトヴェングラーがゲーリング氏に枢密顧問官の職を憤然とし突き返したことも、彼の全官職を投げうったことも、ヒトラーから十万ライヒスマルクの年金と、一個の邸宅と騎士領とを贈ろうといわれたとき、国民の窮乏を理由にこれを拒否したことも。彼が『ドイツ式挨拶』を拒み、ウィーンでは、ナチスの装飾を演奏に先立ってせめて指揮台からは取り去るように命じたことも。そしてあげくの果てに、彼自身がヒムラーやゲシュタポから身を守るべく、スイスへ逃れなければならなかったそのことも。「フルトヴェングラーの手紙」41頁/仙北谷晃一訳(白水社)

※1903年から1950年までベルリン・フィルハーモニーの第一ヴァイオリニストであったリヒャルト・ヴォルフは次のように語っている。

先輩のビューローやニキシュについてもいえることだが、フルトヴェングラーも、独り指揮の巨匠だったのみではなく、楽団にとって無上の友だった。われわれが直面しなくてはならなかったいっさいの財政上、政治上の危機を切り抜けるのに、力になってくれたのだ。彼は、われわれの大恩人だった。

ナチの時代には、ユダヤ人の楽員を救うために、どれほど力を尽くしてくれたことか。両親のいずれかにユダヤ人を持つ楽員や、ユダヤ人と結婚した楽員についても同様だった。必死の努力にもかかわらず、ユダヤ人の楽員を手元に置いておくことはできなかった。しかし、後の二つの場合は、楽団に留まることが可能になった。

わたしの妻はユダヤ人だった。息子が結婚したいと言い出したとき、必要なその筋の同意を得るために、フルトヴェングラーは東奔西走してくれた。

『ヴォルフ君』こう彼は言ったものだ。『君の息子だって、僕らのものではないか』

ナチ体制下の恐るべき数年間、その気にさえなったら、国外で、快適安全な生活を楽しむこともできただろう。しかし彼は、国内に留まって、ドイツの若い世代の教育に力を貸し、暗黒期のドイツにあって、何程かの精神的価値を守り続けることを、自己の責務と感じたのだ。ヒトラーの体制に対する、あのおおっぴらな非難の言葉は、いまにして思えば、信じがたいくらいである。どの文章ひとつ取ってみても、生命の危険に繋がるものだった。彼がわれらの味方だったことに、われわれ楽員は、いまなお深い感謝を感じている。(脚注10)「フルトヴェングラー頌」52頁/ダニエル・ギリス編/仙北谷晃一訳(音楽之友社)

個人的に私が一番驚くのは、ヒトラー総統臨席のコンサートで、フルトヴェングラーがハイルヒトラーのナチス式敬礼をしなかったことです。これは亡命するより遙かに勇気のいることでしょう。正気を失った社会の中で、ヒトラーに対してそんな拒絶の出来る人間が一体何人いるか。ヒトラーが彼の演奏を好んでいなければ、政治利用してやると考えていなければ、その場で演奏会中止の強制収容所行きか死刑だったでしょう。

実際終戦近くになってゲシュタポがフルトヴェングラーを拘束する行動に出たため、彼は1945年2月にスイスへの非難を余儀なくされたのです。

この公然とヒトラーに逆らう態度さえ、戦犯に問われないためのポーズにすぎないと解釈するアーノルド少佐は、当時の状況を無視するもので明らかにおかしい。そもそもナチスの信奉者であれば、戦争に負けることも、戦後自分が戦犯に問われることも想定出来ないでしょう。アーノルド少佐はフルトヴェングラー憎しの一念で、ヴァンゼー会議の出席者に似て正気を失っていたといえます。人は自分の正義を信じ切ると狂うのです。

フルトヴェングラーが戦犯に問われたのは、正義の追求ではなく戦勝国アメリカの政治的要因が大きかったと思われます。誰かドイツ文化を象徴するような大物のスケープゴートが必要だったという疑いはぬぐえません。同じ指揮者のカラヤンはれっきとしたナチ党員でその特典を自身のキャリアアップに利用したのですから、フルトヴェングラーより遙かにナチス加担の罪はあり、戦争犯罪を適用されてもふしぎではありませんでした。当時はフルトヴェングラーより小者だったからカラヤンを起訴しても政治的効果はなかったと考えられます。

この映画の肝は、アーノルド少佐が芸術に何の価値も見出さない種類の人間であったことだと思います。もし少佐が音楽を愛する人間であれば、フルトヴェングラーの起訴はなかったでしょう。多くの証言や資料を精査して判断し、不起訴の判断をしたと思います。

フルトヴェングラーはドイツにとどまり、真実のドイツ音楽を追究しながらその演奏によってヒトラーに抵抗する道を選んだけれど、クラッシック音楽に無知、無関心の少佐に、音楽で抵抗する意味など伝わるはずがない。ユダヤ人虐殺はお前のせいだという少佐の正義の糾弾を前にして、音楽以外に反論するすべのないフルトヴェングラーは絶句するしかありませんでした。

音楽のわかる、少佐の部下のユダヤ系アメリカ人ウィルズ中尉と秘書(父親がナチスに抵抗して殺された英雄的将軍の娘)も、本来ならフルトヴェングラーに反感をもつ状況にもかかわらず、彼の人間に触れ、音楽に触れ、証言を聞き、資料を調べて起訴には賛同していませんでした。

アーノルド少佐は、自分にはその価値が全く理解できない分野で世界的な名声と尊敬を得ている芸術家、ヨーロッパ最高の知性に対して反感というより階級的な憎悪のようなものがあったと思います。起訴することで個人的な私怨・私憤をはらそうとしたと、私は受け取りました。戦争がなければ、ただの保険調査員の自分では生涯得ることのできない「天才」の名を手にしている人間を、犯罪者に貶めて留飲を下げた無意識の男の嫉妬ともいえましょう(少佐役の俳優ハーベイ・カイテルは名演でした)。アーノルド少佐の糾弾の仕方は論理ではなく徹頭徹尾芸術家への、芸術への嫌悪の感情でした。資料も証言もフルトヴェングラーに有利なものは全部排除します。起訴するか否かに必要な法的な知識も皆無の軍人が、上層部の意向を笠に着て、正義の名のもとにいけ好かない「お高い」芸術家に復讐し見事に個人的鬱憤晴らしをしました。

映画では、自分の生きてきた高尚な文化芸術の世界では想像したこともない下劣な質問や侮辱の数々を受けたフルトヴェングラーの困惑が際立っていました。少なくともユダヤ人作曲家ヒンデミットやメンデルスゾーンの音楽を知っているレベルのゲッベルスとは闘えても、それは一体誰だというような無教養、無知識の人間相手ではフルトヴェングラーは闘いようがない。アーノルド少佐の無教養の強みに比べ、詩人や知識人はひ弱で滑稽なものだと思い知らされます。(「唖の娘」を思い出しました)。

アーノルド少佐がおそらく抱いていただろう根深い無教養コンプレックスと芸術家や知識人への憎悪は、どこの国にも存在しています。ナチスはそれを上手に利用して、ドイツの良識ある市民を少数派にして駆逐しました。「いかなるプロパガンダも大衆的でなくてはならず、その知的水準は最も頭の悪い者の理解力に合わせくてはならない」と言ったヒトラー独裁政権を生んだ同じものが、正義を標榜するアーノルド少佐の中にもあると言えます。アーノルド少佐のような人間があの当時のドイツにいたら、彼の「正義」のために間違いなくゲシュタポであったし、ソ連にいればKGBとして喜んで働いたでしょう。

アメリカがトランプ大統領を誕生させ、再登場させるもしれない理由とも共通している問題、知識人たちとそうでない階層との格差と亀裂があると考えるのは私だけではないでしょう。ソクラテスの「無知の知」を知らない者は、結局恐ろしいまでに洗脳され、むごたらしい社会を作る。

この映画の中で流されるフルトヴェングラーのブルックナー七番の演奏は打ち震えるように素晴らしいものですが、その音楽に微塵も心動かされることのない、あっぱれなほど芸術に一文の価値もないタイプの人間を前にして、観客である私は唖然とするのです。これほどの音楽に何も感じないでいられるなんて信じられない……。たしかにそういうタイプの人間はいるだろうし、あるいはそれが世間の多数派かもしれない。そのこと自体は単に趣味の問題で決して悪いことではないし、私に批判する資格はない。けれど、そういう人間に世界を代表してフルトヴェングラーを裁く資格があるのか。自分の理解の及ばない存在への人としての謙虚さがあれば、裁けないと思うでしょう。アーノルド少佐なら、ベートーベンがもし生きていたら、ヒトラーに好まれた悪人と軽蔑しながら起訴したに違いありません。私のような芸術の側に立つ人間は、底の浅い正義観を盾にした傲慢さに憤りを感じるのですが、この映画は全体主義国家の中での芸術家の苦難と共に、芸術に無縁な人間を前にした芸術家の敗北を描きたかったとも言えるのです。

テイキングサイド、政治か芸術かどちらの側につくか、つまりアメリカ側の正義がほんとうの正義なのかという問い。人生はもっと複雑で多様なものなのに、単純明快な正義があるのか、そんなヨーロッパのため息、二度の大きな戦争で疲弊したヨーロッパの嘆きが垣間見られます。さらに意地悪い観方をすれば、アーノルド少佐がフルトヴェングラーを糾弾すればするほどその独善性が際立つように描くことで、少佐は自分の所属する社会の品のなさのようなものを露呈してしまうのです。アーノルド少佐はヨーロッパ人から見た、芸術や教養と無縁の典型的アメリカ人(ヤンキー)ですが、実際にフルトヴェングラーの尋問にあたったアメリカ人は映画中のアーノルド少佐よりさらに野蛮で粗野であったとの証言もあります。アメリカが世界的な音楽家に対して最初から敬意を欠いていたことは明らかですが、フルトヴェングラーを戦犯にするためにあえてクラッシック音楽に無知・無教養のアーノルド少佐を選んだともいえます。

この映画の脚本家はイギリス人のロナルド・ハーウッド、監督はハンガリー人サボー・イシュトヴァーンであることからも、彼らにはアーノルド少佐の体現しているアメリカ的正義や道徳への問い、芸術への無理解に対する批判があると、私は感じました。

戦争でも経済でも世界一強くなった超大国は、歴史の浅い、伝統文化に無知蒙昧な、浅薄な、表層的な善悪の判断しか出来ないじゃないかという、製作者側の無意識に見せかけた微かなアメリカ蔑視すら感じます。ベルリン映画祭では評価されても、たぶんそのせいでアメリカの評論家には評判が良くなかった映画です。

もちろん、アメリカには世界から敬愛される多くの優れた詩人・知識人がいてそれを支える知性教養に溢れたインテリの層の厚いことは知り過ぎるほど知っています。しかし、国内で彼らの言説が、たとえば今ならトランプ大統領候補のコアな支持者層に響くことはないでしょう。正しいことを上から目線で言われるほど不愉快なことはありません。

「お高い」インテリたちの民主主義の理念はそれだけで「えらそうに」と反感の対象だと思います。現代社会においては知的エリートが社会の中枢にいて富も権力も握り、彼らには芸術を愛好できる教育も余裕もある。しかし、学歴も教養もない層はコンサートなど行く余裕はなく生活苦に喘ぐ。もちろんその中にも叡智ある人びとがたくさんいるのは当然ですが、クラッシック音楽やバレエはそもそも王侯貴族のために発展したもので、ある程度の教育を受けないと味わえない芸術です。日本でいえば将軍たちに愛された能は、愛好者が限られます。

現代社会には昔の貴族と庶民のような階級差と知的裂け目が生じています。フランスでもドイツでも日本でも同じです。それが極右、極左の台頭となり時に独裁者に利用され暴力的支配の原因になる。アーノルド少佐とフルトヴェングラーの対立は、そのまま現在まで続く深刻な問題でもあるのです。芸術を愛するか無関心かは、どちらでもかまわないのですが、人間や文化の多様性として等しく尊重されなければ、民主的社会は成立しないでしょう。(民主主義の大きな欠点は、主権者が過労死、困窮死しないですむような、ものを考えられるだけの暇と小銭があって、聡明にその理想を理解して選挙に行かないとうまく機能しないことかもしれません。自分を棚上げしますが、どこの国においても聡明であれる人間はそうでない人間より数が少ないのです。)

イシュトバーン監督はフルトヴェングラーが国内に留まったことについて、「すべての国民が国を去ることはできない。才能あるパン屋はどうするのだ? 才能ある教師や医者は?ーーーーフルトヴェングラーになぜ国を去らなかったかを尋ねることはできない。もし、その質問を彼に投げかけるのであれば、あなたは街角のパン屋にもそうしなければいけないからだーーーあなたはパンをナチのエリートに売った。だからお前はナチだ—–これは同じ質問なんだ」と言いましたが、大国の政治に翻弄され続けた歴史をもつハンガリー人らしい発言です。

アメリカのような、大国に敗北したことのない、大きな政治権力に支配されたことのない国民は、生き延びるために屈服せざるを得なかった者への理解や共感は持ちにくい。イシュトバーン監督本人も、あるいはチェコのミラン・クンデラのような大作家にも一時ソ連傀儡政権のスパイ疑惑があったことを考えても、政治権力から自由になれる芸術家は一人もいないと言っても過言ではありません。

バルラッハのように作品をことごとくナチスに破壊され失意のうちに死んだ芸術家は悲惨でしたが、同様にナチスに政治利用されたフルトヴェングラーも悲劇でした。芸術家も国民の一人ですから、政治に翻弄されてしまう。

政治が有名人を利用するのは日常茶飯事で、オリンピック選手などその最たるものですが、芸術家も同じように道具として利用される。喜んで利用されるのか、心ならずも利用されるのかの違いはありますが、どちらにしろ、利用した方がずっと狡猾で悪いのは自明のことなのに、世間は利用された方を責めることが多い。科学者でもスポーツマンでも芸術家でも、有名であればあるほど政治と無縁でいられない。優れた才能により世間に出ることは、戦時下や独裁政権下においては非常に厳しい「有名税」を取り立てられることを覚悟しなければならないことを痛感します。

芸術家は人間のもっとも人間らしい仕事をするとも言えますから、不完全な人間としての過ちのあるのは避けがたく、むしろ芸術家は人の何倍も間違えながら生きるとも言えます。芸術家も、私たち市井の人間と同じように神の前に、時には法の前にも罪人になる。芸術家が問われなければならないのは「あなたの仕事においてあなたがどこまで誠実であったか」という一事だと思います。

無惨な戦争賛美の仕事があるから高村光太郎や斎藤茂吉を認めないという人もいるでしょうが、彼らはその過ちを凌駕する素晴らしい詩歌を作り、その一事をもって敬愛に値するという立場もありましょう。優れた芸術家であればあるほど、その過ちの責任の取り方はそれぞれのやり方で仮借ないまでに作品に反映されているはずで、そうでなければならないと思うのです。彼らが人として過ちを許されるのではなく、彼らの作品が許されるかどうかではないでしょうか。

思い出すのはマーラーのことです。ワグナーの反ユダヤ思想やその反ユダヤ的文章をどう思うか問われて、ユダヤ人のマーラーは、ワグナーほどの天才を理解するためには、そんなものは真っ先に忘れてしまえと答えました。

反ユダヤ思想のワグナーの演奏はイスラエルでは禁じられています。(現在はどうか不明)そのことも被害民族による芸術の政治利用です。ワグナーの思想に関わらず、その音楽の価値は揺らがないと私は思います。フルトヴェングラーも、ナチ党員だったカラヤンの演奏も好んで聴き、藤田嗣治も最高の画家の一人と思っています。彼らの仕事は命がけの誠実の結果の、芸術の最高峰と信じているのです。

とは言え、谷崎潤一郎のことを「奥さんを取替えたいやらしい人ね」と嫌悪している知人を前にすると、私は反論する気にもならずこういう道徳的正しさを疑わない人種こそ無敵だと思ってしまう。私がここまで書いてきたようなフルトヴェングラーについての考察は到底伝わらないし、「正しい」人たちに通じる言葉を持たないのです。

最後に、『ヴァンゼー会議』に戻らせてください。ヴァンゼー会議の出席者たちは、アーノルド少佐とは違うでしょう。ヒトラーやゲッベルスのように、少なくともクラッシック音楽にある程度の教養はあり、その価値もわかっていたと推測されます。ヒトラーやゲッベルスの認める限りにおいて、彼らはフルトヴェングラーの指揮する音楽をおそらく愛好したと思われます。『テイキングサイド』冒頭シーンのコンサートには、ずらりとナチス高官たちが並んで拍手を送っていました。

一千百万人のユダヤ人を虐殺することを目的としながら、フルトヴェングラーの演奏する名曲を愛好することが同じ人間のなかで両立してしまう。アウシュヴィッツにおいても、毎日大量のユダヤ人をガス室に送りながら、ドイツ人たちは平然と音楽を愛好していました。この事実は人間への信頼をほとんど喪わせるものです。

真の芸術家はごく限られた天才ですが、その芸術を真実享受できる人間もまた稀なのでしょうか。芸術は少数の人間が抱く儚い夢にすぎないのでしょうか。

アーノルド少佐的な小さな悪(無知・無教養からくる傲慢さや愚劣な正義感)に比べたら、ナチスの、あるいはドイツ、あるいはヨーロッパの罪深さ、邪悪は桁違いで底知れない無気味さがあると思います。合わせ鏡のようにその崇高さにおいてもです。

私がドイツには住みたくないと思っているのは、食事がまずいという理由だけでなく、善においても悪においても、このドイツ的、ヨーロッパ的な物凄さに極東アジアの島国の人間としてついていけないと思うせいでしょう。

この二作の映画製作者たちに最大限の敬意を表しつつ、恐ろしいものを見せられた思いでこんな長いメールを書いてしまいました。お許しください。そして、私が自分の想いを書き送りたいと願うただ一人の存在でいてくださるみづうみに、心からありがとうございますと申し上げます。

万が一読んでいただきましたなら、みづうみに平謝りしつつ、感謝感激です。みづうみに何か一つでも面白いと感じていただけましたら本望です。

みづうみ、どうか末永くあけぼののみづうみでいらしてください。   あけぼの

* メールで貰った、瞠目の大長文。相当に時間かけ、落ち着いた気持ちで読ませて貰いますが,ショボつく眼で、機械上での処理に往生。
かかる長文は、いっそ印刷して郵送して欲しいなあ。
2024 8/22

* 午後、東工大で「建築」専攻だった櫻小次郎君が訪れて呉れた。明日、神戸からの鷹津君と会う、「先生」のホームページのことで話し合いますなどと。鷹津君はそのあとスエーデンとかへ出張、飛行機と。
此の二三日の疲労が、重いガウンのように躰へ垂れかかってて、活発には話せなかった、が、懐かしく、話題は弾んだ。かれが東工大へ入学してきた入学の春から私は招聘「教授」として迎えられ、六十歳定年で、また作家生活へ戻ったのだった。
私が元気なら、寿司の「わか奈」で酒にも出来たろうに、話し合うていても、立ち上がれそうに無かった。空しく櫻君を帰してしまい、残念だった。

○ パソコンの絶不調のご様子を伺い心配していました。今日のメールを拝読すると少し改善の兆しを感じます。専門的な対応をなさったのか、偶然の産物か存じませんが、みづうみの、大切なペンと原稿用紙が、きちんと機能しますようお祈りします。機械にも念が通じるかもしれません。

本当に久しぶりの歌舞伎鑑賞のご予定をお伺いし、嬉しく嬉しく喜んでいます。
知り合いのおばあさまは、何年も前から人生最後のブーツだからと言い訳しつつ、度々新しい「最後のブーツ」を購入しています。ロジェ・ヴィヴィエという高級ブランドのファンなので、ブーツ一足二十万、三十万円もします。お金あるなぁ。でも人生、好きなものを愉しむに限ります。

みづうみも「おそらく最後になるかも」の歌舞伎を、これから何度も何度も楽しんでくださいますように。
九月はまだ暑いと思いますが、冬場のようにインフルエンザやコロナ感染の心配は少ないでしょう。

みづうみにお願いです。「私語の刻」の行方不明分はそのままで、今あるものを七月分から拾える限り拾って、お時間とご視力に余裕のおありの時に少しずつでもお送りいただければと思います。こちらで整理しますので、順不同でかまいません。どうぞよろしくお願い申し上げます。
お元気に、お大切に、いつもの一日一日を重ねてくださいませ。 あけぼの

* ご希望には直ぐにも添いたいが 何故か 痴呆化したように、「機械」がうまく使えない。使いようを「忘れている」よう。
2024 8/24

* 今日がどんな一日になるのか、どんな一日にあるべきなのか、判らない。両眼が既に痛むほど疲れている。昨日がよく想い出せない.若い人たちからあれこれと望まれているらしいが、判らない。
今日、都心のどこかで、柳、鷲津くん、それに「あけぼの」も入って、なにごとか相談されるとか柳クンに聞いた気がするが、何用とも判じもつかない。

* いま一義は、どうも、私心身の健康のように思われる。私の痴呆は、なにより妻の負担なる。嵌ってはならない。
2024 8/25

* もう午後三時過ぎ。なにやら電気系野調べ客と応対していたが、妻にまかせ、二階へ。眼が腫れぼったく、義理にも元気と謂えない。
悪いことにメール機能がが機械的にと謂うより私ゆえにワケ判らくなり、メール、読み取れず打ち出せないでいる。これはもう、私、アウトか。

* 「あけぼの」さんから到来の超長文のメールをやっと読み出したが。「ナチス」らの昔に触れてのとても貴重な内容、それにしても「読み終える」のに体力も気力も要る。草臥れ果てた爺ににも内容の大切は判るが、読み終えるにはまだ時間を掛けたい。飛ばし読んで済む内容で無い。

* 夜十一時前。コンピューター まともに、従來の儘に機能してくれない。このさき、明日から、何を、どうすれば佳いのか、わからない。
2024 8/26

○ 夏バテ
台風の影響でしょう、時に烈しい雨??
真夏の暑さが一段落して夏バテを強く感じるのは、歳とった証拠ですが 本当に気をつけてくだされ。夏バテ老衰気味、いずれもいずれも深刻にならないで、怠け心をいっそ楽しんで 決して無理せず美味しいモノ食べてください
31日シンガポールから娘家族が来る予定なのですが、天気がどうなりますか。ディズニーランドに行くと孫たちは期待しているのです!
「尾張の鳶」は 咳や痰で少し元気がないのですが、薬を貰ってきました。心配無用です。
お元気に過ごされますように。くれぐれも、くれぐれもお大切にと願います。

○ 夏バテも老衰も心配
パソコン混乱 メール機能不安 に関連して、「思うまま書けない」のは「保谷の鴉」にとって耐え難いこと。
建日子さん、あるいは建日子さんの信頼できる方に頼んで解決できないでしょうか。
根気は在りと、鴉は? 鳶の巣から、ここから、エールを送ります。
酒量減らず 欲は無くも食は摂し これは大事なこと。 美味しいものを 贅沢してください。
ドストエフスキーと、紫式部と、に感心 『光る君へ』など テレビはわたしも楽しんでいます 式部の日記を読んでいます。
尾張の鳶、翔びたい 翔びたい けど。 何処へ?
2024 8/31

○ 前例のないような台風、
お住いの地域は大丈夫ですか。
マンションの九階から見下ろす江戸川は、昨日は大きながれきがたくさん流れて茶色く濁っていましたが、今朝は河川敷のグラウンドもすっかり水没していました。
今は雨もやんで、虫が鳴いています。
酷暑に地震、台風と日本列島が翻弄された葉月が終わって、長月は平安にと願っています。
六日締め切りで執筆中の「川端康成と東山魁夷――「白馬」の幻想を創出したもの/文学と美術の交響」、活字になるのは来春の予定ですが、早くお目にかけたいと思っています。
『信じられない咄だが』も、「自分独りで」などと言わず、是非読ませていただければと願います。
どうぞお元気でお過ごしください。  快晴

* 御怪我が無く、心行く論攷を達成されますように。

○ お元気ですか、みづうみ。
ちょうどみづうみにメールを書いていたところでした。短めにと心がけながら、なんだか長くなってしまい、書いては消したりしていて遅くなりました。今朝のメールを拝読して気落ちしています。
エコー検査は腹部でしょうか。ご無事に通過しますよう念を送ります。
先日長いメールをお送りしたことを反省中です。さきほど原稿用紙に換算しましたら、なんと五十枚ほどあることがわかりました。申しわけなさに身がすくみます。お読みいただかなくてかまわないので、ただみづうみに向けて書きたくてお送りしたものでした。みづうみの存在がなければ、あけぼのは書かなかったと思います。
思いがけずお読みいただき感謝でいっぱいです。次回から長いものを書いたら印刷して郵送させていただくことにします。でも、印刷されたものには独特の「圧」がありますので、メールより「読まない」という選択がしにくいかとも案じられます。つまり短く書けばよいということ。簡潔に書くための修行が足りません。信条としてご機嫌伺いのようなメールは書きたくないと思っているので、毎回ついつい長くなってしまいます。

本日は、懲りずに『ヴァンぜー会議』『テイキングサイド』繋がりの話題です。前のメールほど長くなりませんが、お読みいただく必要はございません。

私は最近、ドイツのテレビドラマ『バビロン・ベルリン』を観はじめて やめられなくなっています。知っている方もたくさんいるでしょうけれど、日本では韓国の『愛の不時着』のように巷の話題になった記憶がありません。面白いのですが、エンタテインメントではなく正真正銘の芸術ドラマで、ある程度の歴史の知識が必要なことが理由かと思います。2017年から2022年まで断続的にシーズン4(全40話)まで放映された大ヒットドラマだそうです。
ドイツ史上最大の規模で、最大の予算で制作した連続ドラマとのことで、制作者たちの動機の強さと当時のベルリンを再現するお金のかけかたも一目瞭然で、ドイツが本気本腰をいれて作った名作でした。(まだシーズン3の途中までですが断言してしまいます)。
ドラマの長所は映画より長い時間をかけ複雑な話を展開できることにありますが、このドラマはヨーロッパで大評判になり、2019年にヨーロッパ映画賞の中のヨーロッパ・フィクションシリーズ賞もとっています。

舞台は、第一次大戦後からヒトラーの政権掌握によりワイマール共和国が崩壊に向かう時代、ワイマール文化「黄金の一九二十年代」の様相を描いています。ドラマでこれほど時代の空気感を表現し得たものはめったにないと思います。歴史のダイナミズムを描く重厚で、スケールの大きな「純文学」と言えるドラマです。

ドラマは世界恐慌直前の1929年から始まりますが、最初から何とも不穏な雰囲気が漂います。主人公たちはそれぞれに問題を抱えた傷だらけの人間です。第一次大戦の復員軍人で、PTSDを抱えた結果の薬物依存の警部と、極貧の中で警察の記録係のアルバイトをしながら、夜は家族を養うために娼婦として働き、刑事になることを目指す若い女性です。

ワイマール共和国は、周知のように当時世界で最も先進的な民主憲法のもとに成立した共和制ですが、君主制復活を目指す右派と共産主義革命を目指す左派の挟撃の中で不安定な政権運営のまま、ついに新興勢力ナチスに倒され十四年間で滅びます。主人公二人は、その渦中に警察という事件の現場にあり、極右と極左勢力の複雑に入り混じる様々な陰謀と事件に巻き込まれていきます。

このドラマのもう一人の主人公は、民主的憲法の潰えていくベルリン社会とも言えるでしょう。当時の人びとの生活が細部にいたるまで見事に描写されています。ナイトクラブではLGBTQ何でもありの性のタブーの解放で刹那的快楽に興じる人びと、自分の年収の何倍もの株投機に狂乱する庶民や労働者の困窮ぶり、共産主義者のデモと警察による発砲、反スターリン活動をするトロツキストたち、大企業と政治家や軍人の癒着、過小評価されていたナチス勢力の、最初からあからさまなユダヤ人への暴力沙汰や青少年まで引き込む社会への浸透ぶりなど、どれ一つをとっても惨劇への導火線になるものばかりで、歴史の結果を知る身としては、気が気でない状況が展開していきます。
主人公の上司でワイマール憲法を守ろう、ベルサイユ条約を守ろうとして君主制復活側のクーデター阻止に動いた行政長官が、共産主義者を装うナチス党員の陰謀で幼い娘と共に爆殺されたシーズン2の終わりでは、展開に興奮かつ動揺したのか寝つきが悪くなりました。

現在シリーズ3の途中まで視聴しましたが、最初は軍部や一部保守政治家の下請けのような暗殺含む汚れ仕事に利用されていたナチス集団が、回を重ねるごとに勢力を増大させていて恐ろしくなります。罪深いのは、自分たちの利益や権力等のためにナチスと手を組んだ保守政治家たちや大企業の財界人でしょう。ヒトラーは国民選挙によって選ばれた大統領ではないのです。保守政治家が助けなければ政権掌握できませんでした。そしてヒトラーに一度でも権力を与えてしまえば、誰も止めることは出来なかった。

ドラマを観ながら、たとえ絵空事のドラマであっても主人公二人の、せめてどちらかには生き延びてほしいと願っているところです。この二人にふつうのハッピーエンドが来る気がしません。(私の知る限りでのドイツドラマは深刻な結末が多いので。)ドラマはヒトラー政権掌握の1933年に向かって一直線に流れていって目が離せないところです。結末まで観たらまた書きます。

現在の日本で、このレベルの歴史ドラマを制作出来るかと言えば、無理だと即答できてしまうところが悔しいです。黒澤明のような監督とそのチームが、最大の資金を得られればあるいは可能かもしれませんが、それだけでは成立しないと思います。第二次大戦に至る社会を重層的に描く場合は、大逆事件や横浜事件、関東大震災後の朝鮮人虐殺、大杉榮や伊東野枝たちの惨殺について、小林多喜二や三木清の拷問死についてそれが歴史の事実で、ナチスドイツのような犯罪、悪事であり、誰に責任があったのかという国民的コンセンサスがないと難しいでしょう。

大の歴史好きのみづうみが書いていらしたことですが、東京裁判ではなく 日本人が自身の力で戦争の総括をし、責任を明らかにすべきであったと思います。半藤一利さんが日本人は都合の悪いことにきちんと向き合わないという意味のことを書いていましたが、日本人は今も負の歴史から目を背けています。日本人は歴史、とくに失敗した過去を忘れたいのか、あまり興味がないのだと思います。いつか大地震が来ることを知っていても対策がないから深刻に考えないで生きているような、災害国のメンタリティーかもしれません。不快なことは知りたくないから、歴史ドラマといえばNHKの大河ドラマか、毒気を抜かれた形の戦時ドラマかチャンバラしかないような気がします。

『バビロン・ベルリン』には日本の視聴者の感想レビューがたくさんついていました。今まででこれほどハマったドラマはないとか、ドラマ終了して今は腑抜け状態だとか、絶賛するものが並んでいます。こういうレビューを読んだら、日本のドラマ制作者たちは奮起して欲しい。日本のドラマが観賞に堪えないから、日本の視聴者は海外ドラマを観ています。日本の視聴者のレベルを侮らないでほしいです。最低のドラマには最低の視聴者しかつきません。良い作品なら、必ず夢中で観てもらえるということを信じて、命がけで良い歴史ドラマを制作してとお願いしたい。最高の作品をつくる気概をもって欲しい。ドラマの作り手の建日子さんにも大いに期待しています。

相変わらず長いものでごめんなさい。このへんでおしまいにします。挙動不審の台風がどうなりますことやら。明日の通院に影響がありませんように。どうかご安全でありますように。心地よく、少しでも楽しみながらお過ごしください。 あけぼの

○ お気遣いなく、メールごときは無視してくださって、どうかゆっくりおやすみください。
いつもお大事になさってください。想っています。
あけぼの
2024 9/1

○ エコーの検査 静かな気持ちで受けられますように  鴉こそ元気に鳴いてほしい 尾張の鳶
2024 9/2

○ 今日は涼しい朝で、ほっとしました。秋が感じられましたね。今は東大病院におります。甥にあたる者の手術の付き添いで、昨日から上野に来ています。7時過ぎからここにおります。  何度この病院のこの9階の待合室にきたことでしょう。フラッシュバックをおこしそうです。わたくしは8月に一泊入院を2度しまして、白内障の手術をし、字が読みやすくなりました。1時過ぎには終わる予定で麻酔がさめるまでいようと思います。お元気に気を付けてお過ごしください。 那珂良

* 有難う。私がシッカリと元気なら本郷へぐらい出て行けたろうが。実は今も朦朧としいますよ。長路、お気を付けられて。

○ お元気ですか。 昨日のご受診無事にお済みでしょうか。 今日は少し涼しくなっていますので、ゆっくりおやすみください。
みづうみの「清流」のなかで、読んで、書いて、考えて あけぼの は 幸せです。

* 書く意欲と力とは生きて在るのだから、思い,想いを深め、確かめ、苦しみ楽しまれますように。
わたしは、「疲れ」と向き合い睨めつけながら、霞んで行く「世」に呼び掛けています。昨日のエコー検査がナニを見つけたか,次の診察日を待ちます。
「待つ」なんて永い生涯に意識もしない「只だ事」でしたが、今では「只ならない大事なこと」と成りましたよ
2024 9/3

* 昨日、同志社美学で 妻と同年、私も一等親愛の安川美沙さん(往年には 松村姓)から,例年、京都でお仲間と「画展」の案内をもらった、画いてますよと。京都で別れて六十数年、幸せなことに昔のままの美沙さんを、向き合うように覚えている。同志社美学・藝術学。仲良かった重森ゲーテ(造庭作家)、原知佐子(映画女優)澤田文子(妻の親友)、三人ともに早く死なれてしまった。
美沙さん、健康を切に祈りますよ。
2024 9/4

○ 秋の訪れたような くっきりと澄んだすんだ空になりましたね。
季節の変わり目で 大切になさっていられるといいなと思っておりましたが、
歌舞伎見物にもお出掛け、大変お元気にお過ごし、何よりだと思い、嬉しく思っております。
昨日、東大病院からこちらに戻り、自然のなかにいる ほっと感 を感じています。手術も若手バリバリの医者で、話していても、安心でしたが、間もなく退院です。      前の広い田も 間もなく稲刈り、日本の豊かな秋が楽しめます。
豊かに有意義にお過ごしください。ね。
茨城 那珂良

* 無事退院 ご帰宅 安心しました。お元気に 筑波もはれやかにお過ごしあれと。

○ お元気ですか。
歌舞伎楽しまれましたか?
暑さ、まだまだ厳しい日々です。ゆっくりお身体を休め 気力養って、大切に。
明日 シンガポールに孫が帰るまで、わたしは 大忙しです。  尾張の鳶

○  おはようございます。
先日テレビで「残暑バテ」という言葉を聞きました。これだけの暑さの続いた後ですから、いまどーっと疲れを感じるのは自然なことでしょう。
九月に気の滅入ることも多くの人が経験している筈です。そんなものだ、そんなときもある、と うっちゃっておかれますように。 でも エコーは気になってしまうでしょうね。何事もありませんように。
こちらは風の変化を感じています。外の作業は幾分しやすくなりました。ただお隣りさんとの境、擁壁をやりかえるそうでコンクリートのハツリや物置の分解撤去で賑やかな一週間でした。
昨日久々に大きな本屋に出かけたら 金満里さんの『生きることのはじまり』復刊本が偶然目に入り 買いました。

感覚や感性というところから来る、人間とは、といった美意識まで作り変えて行かないといけない、でないと人類は、深層にある五体満足優生思想から 一歩も抜け出せず、それが人類を 実は根本的な不自由さに呪縛し続ける

ひと月くらい前、毎日紙夕刊に紹介され引用された文章が気になっていました。どこまできちんと理解できるのか消化できるのかはわかりませんが、あぁそうだ、という想いはあります。

なんだかとりとめなくなりました。
機械処理うまくいきますように。
どうぞお大事に。   下関  綠
2024 9/7

* 京山科のあきとし・じゅんサンにいただいた絵葉書のお便り、日本三奇橋の一つとか、「祖谷(いや)のかづら橋」が佳い。
千葉の勝田貞夫さんからの菱田春草「帰樵」の部分も懐かしい。豊中市の安川美沙さんが呉れましたイラストレーター青木欣二による「ラ・フランス」も簡明に美しい。同じく安川さんからの,懐かし上華岳「墨牡丹の図」が名画なら、高山寺「鳥獣戯画」の「弓引く兎」が清潔で雅。
旧友西村明男君からの、建仁寺「風神・雷神」ロサンゼルス池宮チヨちゃんより北斎の「富嶽・凱風快晴」がやはり大きい。
島田正晴氏は墨で、城ケイトさんは線で、それぞれに「秦恒平」の奇貌を。島田産は小さな額繪で墨の「雷魚」も。
京清閑寺道の加門華子さんは西本願寺の美しい「飛雲閣」と「庭園」との写真を。

* 今 たった六畳間の、それも閑雅の書斎どころか、何冊もの辞典や雑多な録音盤など、モノ、モノに溢れかえった直ぐ目の真前あたりの、「絵葉書」だけ を拾ってみた。モノまたモノの熱気で暖房の要らないほどな、旺然と「やかましい書斎」なんです。
原稿は、和机に和服、おお座布団に正座で書かれますかと聴かれたこともあって、呻いて噴いた覚えも有りますなあ。
2024 9/7

○ お元気で。秦様
夢を殆んど見ない私としては秦さんがうらやましいです。
以前、澁澤龍彦の「夢のかたち」に、中沢新一が二人で同時に夢を見て交歓する技術を語っていましたが
縁遠い話でした。
考え込んでしまうと寝つきが悪くなる質なので 運動して からだを疲れさせて熟睡します。
食べて、動いて、出して、眠るの毎日です。
どうぞいつまでもお元気にお過ごし下さい。
野路
2024 9/8

○ 今日一日の 私語の刻を有難うございます。
「佳い」夢もご覧になって、歌舞伎座にもお出かけになられたようですね。

私は一昨日、文学と美術に関する小論をようやく脱稿いたしました。
早くお目にかけたく、昨日投函いたしましたが、お手元に届くのは明日か明後日でしょうか。
「夢十夜」なども絡めたものです。ご笑覧下さいませ。 明日は、また熱海に移動します。
東海道線ではなく、少し時間はかかりますが小田急線経由です。
下町から都心を抜けて、やがて丹沢の山並みと川、(この季節は見えにくいですが)富士山も望み、小田原からは太平洋に出る、変化に富んだコースです。
涼しくなってきましたら、気分転換にお散歩なども出来るといいですね。
どうぞお元気でお過ごしください。 快晴
2024 9/8

* みづうみは 波静かに すこし 暗いめですが、久しく読み継いできた大長編 『参考源平盛衰記』が、とかく 暴れん坊とばかり読ませてきた「朝日将軍」木曾義仲の、全ての扈従を同じ源氏の義経らに討ち取られ、近江粟津の水田林での壮絶孤独な「最期」を読むにつれて 泪してしまいました。
なぜか,わたしは、わたしの生い立ちを併せ想うてか、木曾義仲への身贔屓が 昔から濃いのです。なんと、はらはらと泪したのは、妻と連れて受診に出向いていた地元 「保谷厚生病院の待合廊下で」でしたよ。嗤って下さるな。
次の病院通いは、十一月十一日と。すこしく、こころのびやかに在りたいモノ、 まる四年も出なかった都心へ、食い気を呑みこみながら出歩いてもみたいなと。
2024 9/9

* 心身に違和が進んでいるのかと気になる。夏バテと謂った疲労か。そういえば昔から早秋に弱かった、かも。老耄のまま、人付き合いが事実上、メール交信もともども、薄れ絶えてきているのも生きた心地を弱めているか。むしろそれをアクティヴに受け容れて老境を確かにした方が良いか。
2024 9/11

○ お元気ですか、みづうみ。
『平家物語』は読みましたが、『参考源平盛衰記』はみづうみに教えていただくまで知りませんでした。
『平家物語』でも、木曽義仲の最期は感銘深いものでしたが、読みながら、これが私たちの先祖である同じ日本人の物語だろうかという気持ちが どうにも抑えきれませんでした。何だか別の人種の話のようで。
あの中に描かれた最も善き武士の魂は 絶えはてたとまで言わなくても、現在の日本人には そのカケラもないと感じます。生き延びたのは「頼朝」の精神ですから当然とはいえ。

みづうみは「拡大写本」をご存知ですか。市販はされていませんが(商売にならないようで)現物を見て、これは読みやすいと思いました。一冊の文庫本が湖の本くらいの厚さの五冊に分冊され、持ちやすくやさしい造りです。

点字ボランティアと同じく、同窓会の有志グループによる地道なボランティア活動で、図書館の要請に応えてパソコン作業で作成し、図書館の別室の拡大写本コーナーに寄贈しているそうです。作成するのは、図書館の依頼を受けてからなので、現在話題の本などが主流、著作権交渉が面倒だという話は伺いました。
読書好きは新しいものだけが読みたいわけではありませんから、著作権の切れているものを選んで作成したらと提案してきました。

読書好きの母が、晩年は眼が悪くなり本をほとんど読まなくなったのは悲しいことでしたが、こんな字の大きな本があったら喜んだろうと思いました。高齢者にもっと普及して良いと思います。八十過ぎて点字を学ぶのは無理ですが、拡大写本なら読書を楽しめるでしょう。
『平家物語』なども作成したら喜ぶ人は必ずいるはず。あるいはどこかの図書館に既に存在しているかもしれませんが、「拡大写本そのもの」を知らないひとのほうが多いと思います。こういうことを書くとまた 「熱弁」と言われてしまうかしら。

みづうみからのメールが頂戴できると、元気になります。次の病院が十一月ということは、先日のCT検査に大きな問題がなかったので経過観察かと、少し安堵します。
私はなぜか蕁麻疹が出て薬を飲まされています。今のところ痒い。今年は暑すぎて一日中クーラー漬けの室内が乾燥していることも一因で、蕁麻疹になる人が増えているそうです。
みづうみ、どうかゆったりとお過ごしください。まだまだ外出には暑いですが、少し涼しくなって都心にお出ましの機会がございましたら 素敵です。  あけぼの

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新しい「秦恒平文学研究ウェブサイト」のこと、考えても考えても、これだ、という構成が決まりません。
どうすれば秦恒平文学をより魅力あるかたちで発信できるのか悩ましいです。
いっそ「山瀬ひとみの偏愛のまま」に、評論や随想を載せようか、それとも研究資料に徹するべきか等々。

これは、この件にみづうみの関心がおありになればのお訊ねで、無視していただいてよいのですが、新しいサイト内容に何かご希望はございますか。また、みづうみは造語や名づけの天才ですので、もし表題のご提案などがおありならお教えいただければと思います。
しつこいようですが、「私語の刻」七月以降が見つかりましたら、ご送信いただけますと嬉しいです。 あけぼの
2024 9/11

○ みづうみ、お元気ですか。
今日もお暑い一日でした。「最後になるかもしれない」と仰る今回歌舞伎観劇の二回目、存分にお楽しみになりましたでしょうか。
「私語の刻」もし送信不具合でしたら、USBにコピーして郵送していただいてもよいと思います。先ずは再度送信を試みていただけますでしょうか。ふっと上手く機能してくれるかもしれません。
機械相手にしながら、神頼み的なことの多い私からのお願いでございます。
どうか観劇のお疲れの残りませんように。 あけぼの

* ハテ。USB とは何ぞ。
2024 9/12

* わたしは、人前では唱いたくないが、ひとりではショッチュウ何かしら 聲は無くも、くちずさむも、唱ってることが多い。新門前の秦家に「もらはれ」たころ、近所に友だちが出来なくて、それで口ずさみの独り歌に親しんだ。
以下、かなりキザに想われかねないが、本郷の医学書院に就職して直ぐ、労組の簡素な新聞様のモノに、「新入社員は「入社の感想」を書くのだと、高飛車に強いられた。出版社の社員誌に「作文」などしたくない。
で、これだけを書いて「係りサン」に手渡した。「はるは名のみの かぜの寒さや」と。
先輩社員の「係りサン」はふざけるなと怒り、わたしは黙っていた。「たった、そのまま」が私の署名で活字に組まれた。
笑われた、嗤われた、が、当時の「編集長」は、著名な国文学者で詩人の「長谷川泉さん」で、若い管理職社員を怒らせていたわたしの「投稿」を、即座に、「春は名のみの風の寒さや」に続いた「渓の鶯うたはおもへど 時にあらずと声もたてず」まで、識られた「唱歌」の儘に読み摂って下さり、金原一郎社長も「心よい」と喜んで下さった。なつかしく、今も、うれしい。
「歌」が好きである。
親しく願っているエッセイスト宗内敦さんの文庫本『歌は心の帰り船』を手近に置いている。
2024 9/12

○ さっそく
拙論をお読みくださいまして、叱咤激励の言葉を有難うございます。
枚数制限も厳しく、かなり窮屈な書きようになっているのは自覚しています。
二冊目の単著では、もう少しゆったりと書き改めたいと思っています。
熱海への移動では、雪のない富士の頂きを望むことが出来ました。
明日にはまた戻って、大学の仕事と学会を済ませましたら、来週から帰省します。
岡山は、もう葡萄の収穫の時期だそうです。
今は『伊藤整日記』全八巻を読みながら、以前書いた「川端と芹沢光治良」「日本近代文学館草創期と川端」の加筆修正を進めています。

今年の異例の暑さも、お彼岸頃からようやく秋らしくなってくるとの予報です。
どうぞ夏のお疲れが出ませんように。   快晴

* わたくしとは、充分に久しく親しい仲。「拙論」とか「拙稿」は 已めて佳いのでは。
2024 9/12

* オーイ 元気してますかあ
また 「尾張の鳶」は、海外の空そ舞ってますか。
病気、怪我 せぬように。詩境 画境、そして女境も 深めていますか。まだまだ 恋も 深めて下さい。

わたしは、新しいやや長編の新作とも 日々組み合っています。
夏バテは いけません。ドスンと疲労する。 お大事に。
東京へ みえる機がありますか。老耄 歯抜け爺の顔を見覚えておいて下され。
アリステア・マクリーンの『女王陛下のユリシーズ號』は、鬼気迫る北極海の死闘、凄い。
『参考源平盛衰記』木曾義仲の最期に泪しました。
ドストエフスキーの『悪霊』に組み付いてます。 陳彦『主演女優』は 現代中国の今日を活写して読ませます。
そして、やはり『源氏物語』です。
日本の今日文學 おすすめ 在りますか。
もう亡い詩人保富康午の 「おおきなノッポの古時計 お祖父さんの時計」と歌い出す唱歌 聴いてますか。家内の実兄の譯詩です。この唄が好きです。
パソコンの表紙に アイズビリ の すてきな「線の裸形」を置いています。見えますか。とても好きです。
美しい「線」で「詩」にして「魅せて」下さい。
カアカア
2024 9/13

* 石川の井口さん、千葉の鹿田さん、和歌山の三宅さん、静岡のテルさん、花小金井の遠藤さん、ら、同年配の方々 お元気でと願う。
2024 9/13

* 午後二時に、東工大の院を出て、今では東京都庁の「部長管理職」になっている丸山宏司クンが、昔、二歳にもならぬ頃、帝国ホテルでであったか、私の膝に抱かれたことのある、今やて二十歳に成人した娘の葵ちゃんと訪ね呉れまして、和やかに懐かしい時間が愉しめた。達者な筆で私の肖像を一枚描き置いて呉れました,感謝。
2024 9/15

* 昨日 丸山クン父娘と,久しぶり書庫に入った。井上靖が読みたいと謂うから、目に付いた三,四冊を葵ちゃんに上げた。
「井上靖」か。久しいなあ。懐かしいなあ。はじめて中国へ連れて行ってもらった。大会堂での謁見で副首相だった周恩来夫人に「秦先生はお里帰りですね」と笑顔で歓迎されたりした。訪中団長の井上靖夫妻、同行の巌谷大四さんや伊藤桂一さん、清岡卓行さん、辻邦生さん,大岡信さんら、もう皆さん亡くなられ私独りになっている。旅の想い出、尽きないが。
2024 9/16

○ 「里の秋」の季節になりました(遠藤惠子)
今年も猛暑の夏、秦先生はいかがお過ごしか と、ご案じ申し上げておりましたが、歌舞伎を楽しまれたり、眼を痛めながらも相変わらず読書と執筆で、なんとかお元気のご様子ですね。
秋彼岸も近づき、仙台はようやく暑さも和らいできました。天高く馬肥ゆる秋、食欲の秋、「里の秋」です。ホンの少しばかり「里の秋」をお送りします。どうぞご笑味ください。
実は、大変お恥ずかしいことですが、ちょっと事情があって借金の返済に追われている最中です。そんな中 秦先生のお便りが、私にとりましては
何よりの慰めです。お便りのなかの一言一言(ドストエフスキーの「悪霊」、「木曽義仲」、高山寺の「鳥獣戯画」等々、そして秦先生の数々の詠)が胸に沁みます。
貧すれば鈍するの心境から救って下さるのが、秦先生のお便りです。
秦先生とお知り合いで本当によかった、と思っております。改めて心から感謝申し上げます。
どうかいつまでもご健筆で!!  遠藤惠子
(舊医学書院後輩同僚 同じ社宅内で,私から茶の湯初歩の手ほどきも。
後に 仙台で 大學の楽長さんも勤められた。)

* 同じ社宅暮らしの昔から、夫婦して親しんだ、想えば遙かな 医学書院勤めいらいの、舊かつ親友。ほとんど「旅」しないわれわれに、「仙台」という春高楼の「宴」の街を「懐かしく想わせ」てくれる友である。勤めの昔は、いつも、ごっつい眼鏡で蔽うように勤務されてたが、はずすと、それは驚嘆の美女であったよ。
2024 9/16

○ 秦先生
昨日はお邪魔させて頂きありがとうございました。
暑い日が続いていることもあり、先生や奥さまの体調等気にしていましたが、全く気にする必要もないくらい(というと言い過ぎかも知れませんが)お元気な様子で嬉しかったです。
そういう意味では、私の仕事のことなどお話をさせて頂きたいことも沢山あったのですが、昨日は少し遠慮気味になってしまいました。
是非、改めてお酒でも飲みながらと思っていますのでどうぞよろしくお願いいたします。
最後になりましたが、
敬老の日おめでとうございます
執筆活動だけでなく、階段の上り下りや足踏み等、体力と気力の充実ぶりは尊敬いたします。同居している義母と、これからお祝いの食事会ですが、昨日の先生のお話をしようと思っています。
ただ、お話をお聞きする限り、お酒はちょっとだけ控えられた方が良いかも知れませんね。
これからもご指導等頂けるよう、お元気でお過ごしください。
それでは  丸山宏司

* 葵ちゃんもいっしょに見えて下さり、なによりでした。丸山クンに関しては満幅の信を昔から置いていて、安心している。誠心誠意、「行政の実」にも期待と信頼とを寄せている。

* 葵ちゃんの漢字名を「かな」にすると「あふひ(逢う日)」で。またまた何度もお越し下さい。
2024 9/16

* 此の、大きいめの目パソコンの書き入れ画面下には、亡き孫「(押村)やす香」の、此の戸外で撮った写真額を膝に載せて呉れた、お友達の伊藤「カオリン」さんと、老いて歯抜けで妙なトンネル帽の私と、真ん中に短い白髪の妻と、三人の背後に幕末の久保寛(飛路史)描く「大きな池底鯉」一尾を描いた掛軸の写真、もう一枚、京・新門前通り、舊の「秦家、私の育った古色も懐かしい」そのままの木造二階屋、手札大のそんな写真を並べ立てかけて在る。それをいつもいつも眼に入れて私、パソコンのキイをコツコツと圧しています。
2024 9/17

○ オーイ 元気にしてますよー、ピイヒョロロ
「詩境 画境、そして女境も 深めていますか。まだまだ 恋も 深めて下さい。」と書かれていますが、さてどの様に返事したらいいのでしょう。詩や絵、ほそぼそと言うより一番肝心な衝迫力や根気が欠けて・・自分を叱咤しています。少しづつ進めています。
「女境!? 嫌でも女は取り替えられませんが、さてさて恋とは? 新たな恋など今更です! もともと「惚れっぽい」人ではないのです、わたしは。
新しい「やや長編」の新作、進み具合はいかほどでしょうか。読みたいです。
最近は毎年一回だけの海外旅行ですが、今年は十月初めに出かけます。十月一日、成田発のフライトが朝早いので、

老耄はお互いさま。お元気に 日々お大切に過ごされますように。  尾張の鳶
2024 9/17

* ポストへの用を頼まれた脚で、久しぶりに寿司の
「和香菜」の暖簾をはね、若い、というても何十年の親しい夫婦店で、心地よい酒・肴を愉しんできた。帰りは、娘ほどに親しんでいる女将が車で送ってくれた。
わたしは、人とほんとに親しむときは、家族のように親しむ。向こうでも親しんでくれる。実の娘や息子とよりも心許し合うて開放され談笑してこれる。「和香奈」はそういう店であり、相客がなければ、眞実,在宅ほどにくつろげる。
「大トロと鯛」そしてお銚子の一本に満たされ、家まで送り帰してもらった。佳い散策であった。
2024 9/21

○ お元気ですか、みづうみ。
十月も近いのに、猛暑の毎日で うんざりしています。歌舞伎鑑賞のお疲れはとれましたでしょうか。

<樂也者鬱於中 而泄於外者也 韓愈>

教えていただいてありがとうございます。自分の無教養を恥じながらも、今時、こんな士大夫の文章をさらりと引用できる作家は、みづうみしかいないと思いました。

<なにか 頼まれごと ありましたろうか>

頼まれごと、もちろんありました。
お願いを二つ申し上げます。

① 「私語の刻」七月分以降をお送りくださいますか。長すぎて送れないようでございましたら、何回かに分けてお送りいただけますと、「編集作業」が進みます。
六月分までで作業中断していて、残念に思っています。

② 新しいウェブサイトの構想を考え続けて ようやく枠組みを決めましたが、その構想の一つで、みづうみのお手持ちの「写真データ」を是非お借りしたく、お願いしてよいでしょうか。
理由は、インターネット上では やはり画像の力が圧倒的に大きいからです。
文学研究のサイトですから 内容が文章ばかりになるのは避けられませんが、それでも 入り口に「写真」があれば読者の興味を惹くと考えます。

とくにみづうみが「選集」に使用された写真は厳選されているもので、全部お借りできたら素敵なことと思っています。
このデータはみづうみと印刷所がお持ちではと拝察します。使用許可のいただける写真なりデータを 私にお預けいただけませんでしょうか。みづうみの さまざまな時代の「プロフィール写真」は是非欲しいですし(私は文庫本の『少年』に使われていた一枚が大好きです)、それ以外の「選集」や「湖の本」を撮影なさったもの、京都の写真、ご自身が「ホームページに掲載されてきた「美術関係の写真」など、何でも「データが多い方が定期的に画像の交換ができる」ので嬉しいです。

写真のデータ化作業や保存、送信など みづうみにご負担で難しい場合は、お近くにお住まいのフットワークのよい 柳さまにお手伝いいただけるかもしれないと、勝手に考えているところです。
お手間をとらせてしまうので、どうかご無理のない範囲でご対応いただけましたらと 伏してお願い申し上げます。「写真のないサイトは作れない」と考えています。

次に 失礼を承知の上のご提案です。

作家「秦恒平」の優れた文業を正しく後世に継承していくためには、以前にも申しましたが ハンナ・アーレントのように、「著者が元気なうちに」「遺著管理人」を決めおかれる必要があると思います。ハンナ・アーレントは子どもがなかったという事実もありますが、子どもがいても著作管理という仕事には「向き不向き」がありましょう。みづうみの「ご視力の負担」を考えますと、今すぐに決定して動いてくださる「誰かが必要」です。可能なら「四十代、五十代くらいの文学研究者なり編集者」がいてほしいと願います。

建日子さまがお引き受けいただけるなら、それが一番望ましいことですが、ご自身のお仕事の性質上、サラリーマンのような「時間的ゆとりのある定年後」がおありにならない。「膨大な書類整理の時間が十年後におとりになれる」とは、思いにくいのです。息子としての愛情だけで出来るような「なまやさしい仕事ではありません。(建日子さまには著作権を守ることに傾注していただきたいです)。」
秦恒平文学研究者であれば、大学等から収入を得ながら遺著管理そのものが仕事になりますので、どなたかお探しいただければと思います。
膨大な仕事を整理し原資料の散逸を防ぎたいと願います。お知り合いの大学の先生の、お弟子さんなどで候補者がいないでしょうか。
以前にも何度か申し上げましたが、重要なことと考えています。

また、みづうみの場合は遺著管理の仕事は紙媒体のみではありません。「ウェブ上の 遺著管理の仕事が必要不可欠」です。これについては、専門家の鷲津先生のご協力があれば私でも可能かもしれません。
鷲津先生と私、あるいは柳さま」の三人で「ウェブ上の遺著管理グループ」を作ったらどうかとも考えています。これは、まだ私ひとりで考えていることで、鷲津先生や柳さまのご了承を得ているわけではありません。ただ、秦恒平先生のお願いであれば、お二人はそれがお出来になるのではと願っています。

八月の、鷲津先生、柳さまふくめての話し合いの時に、「秦先生のウェブ上の仕事」については、「建日子さんが将来パブリックドメイン扱い」に出来ないだろうか、「先生はご自身のお仕事の残ることを望まれているはず」というような話題も出ました。
電子メディア上の仕事は、一歩間違えると「著作権者の都合で丸ごと削除が簡単に出来てしまう危険」「があります。みづうみはすでにご経験済みでした。

みづうみのホームページ上の仕事については、現在も課金していませんので著作財産権の問題はなく」、将来的に「パブリックドメイン」とすることを、建日子さまとご相談いただければと思っています。

秦恒平の「死なない仕事」を「毀損しないように、少しでも正しく後世の読者に手渡したい」という一念です。諸々、失礼の段お許しください。

九月はじめに、みづうみから、あけぼの(わたくし)への「感謝」の言葉を頂戴したときの「違和感」について申し上げましたが、サンテグジュペリの『人間の大地』のなかにこんな言葉があります。
<人間関係には、感謝とか哀れみといった言葉が意味を失ってしまう「より高次の」レベルがある。>
「ありがとう」「感謝」という言葉を使うと関係が一つに明言されてしまうようで、みづうみの側ではそうでなくても、私は違うなぁと感じました。私はみづうみには感謝というレベルの言葉は使えないのです。あけぼのはみづうみとの間に、明言できない人間関係を生きてきて、ずっと生き続けると思っています。

( )の最もむごき部分はたれもたれもこのうつし世に言ひ遺さざり   東 淳子

という みづうみのお返事が、あけぼのの云う意味かどうかはわかりませんが、みづうみにお伝えしておきたいと思いました。

今日も35℃の猛暑予報です。 少しでも心地よくお過ごしくださいますように。
少しでもお元気にいらしてください。
令和六年九月二十一日 あけぼの(実名略)

* 私は、この筆者「あけぼの」を 「知己」として、十全信頼している。公刊 公開されている限り、関連資料は 適切に,自由に,有効に使用して下さい。
同年 九月二十一日 夕   作家・秦 恒平
2024 9/21

* 七時五十分 「私語の刻」「此の七月」分を 必要な原資料と要請され あけぼの へ、いま、『湖山抄』資料として送附した。
2024 9/22

* たまたま、初めて、しかも最終回、大石静の作、テレビ連續ドラマ『オードリー』を観て、感じ入った。図抜けた歓声と構想力とに拍手を惜しまなかった。長嶋一茂君渾身の気張りようにも、拍手。
大石静は、我々夫婦の殊に愛している『光る君へ』の作者でもあり、私のペンクラブ理事の昔から、会員同士として知っていた。『湖の本』も送っていた。
すぐれた作者と、すぐれた「作品」を介して、出逢うのは、嬉しい幸せである。
2024 9/22

○ 彼岸過ぎ 漸く秋の気配を少し感じます。
如何お過ごしでしょうか?  尾張の鳶

* 海外で遊んでいるのだと 思ってましたよ。
漸く秋の気配を少し感じます。
如何お過ごしでしょうか? と、そのままに 返します。

老い衰えて行く私に 生きる刺激を送って来て下さい。
「お祖母ちゃん」で終えるも 一境涯 とは想うけれども。
異様の体不振は無く 街へ 独り歩きに出てみたいと想ったりしています。
ドストエフスキー【悪霊】と  【源平盛衰記】一ノ谷の義経と  【紫式部日記】と、 アリステア・マクリーン、厳冬北極海での孤立英巡洋艦と、獨Uボート群との死闘 とを読んでいます。
イスラエル独善暴發行 日本保守政府の世界が見えてない盲動  露中鮮とのジグザグ防衛の自覚と急務。
みな気がかりです。なんとか私「残り尠い」うちに、大事の暴發無きよう我が儘にも願ってます。カアカアカア
2024 9/24

○ オーイ元気にしてますよー、ピイヒョロロ
「詩境 画境、そして女境も 深めていますか。まだまだ 恋も 深めて下さい。」と
書かれていますが、さてどの様に返事したらいいのでしょう。詩や絵、ほそぼそと言うより一番肝心な衝迫力や根気が欠けて・・自分を叱咤しています。少しづつ進めていま
す。
女境!? 嫌でも女は取り替えられませんが、さてさて恋とは? 新たな恋など今更です!
もともと「惚れっぽい」人ではないのです、わたしは。
新しいやや長編の新作、進み具合はいかほどでしょうか。読みたいです。
相変わらず盛んな読書を羨ましく! 先日わたしも『紫式部日記』読みました。テレビの『光る君へ』では道長が私的な記録として中宮のお産を書き記すように依頼したとありましたが。
やはり京都や奈良に暮らしたい、同時にあまりに日本を旅していないことに愕然としています。

「お祖母ちゃん」で わたし、終えるも 一境涯 とは想うけれども。・・わたしの「主観」としてはおばあちゃんでも主婦でもないのです。タダのわたしなのです。
世界の、過酷な世界の在り様。現在の日本の私たちの生き様は一体何と考えたらよいの
でしょう。
とりあえず、此処まで。 最近は毎年一回だけの海外旅行ですが、今年は十月初めに出かけます。
元気に大切に過ごされますように。元気に、元気に。
尾張の鳶
2024 9/25

* 質実、かつ慧敏の文学者・批評家の永栄啓伸さんから、今日も、『秦恒平の往生論 「廬山」「華厳」を中心に』(皇學館論叢57巻3号)を郵便で頂戴した。ありがたこと永栄さんの手で、『秦 恒平 愛と怨念の幻想』(和泉書院)ほか、早くから数多い「秦文学論」が書かれてきた。原善さんによっても、早くに『秦恒平の文学 夢のまた夢』(右文書院)」が出版されてるし、最近には、山瀬ひとみさんが大きな著述『讀者の仕事 私を創る』(幻戯書房)のなかで「秦恒平」の文学文藝に深切に触れて下さっている。 感謝。
2024 9/30

○ ネパールで 尾張の鳶
雨 季と乾季の境, 昨日は暑い一日でした。今朝は雨が降っています。
カトマンズの地震で被害を受けた建物も修復がかなり進み 人々に溢れていました。
ツアーの人で 保谷の鴉に肖た顔だちの人がいます! 女性ですが。
今回の旅は カトマンズとその周辺だけです。トレッキングなど やはり無理と思っています。

お身体くれぐれも気をつけて、お大切に

* 気軽に毎年々 海外へ旅する人で、精力と好奇心の余裕のカタマリのような女人。
わたしは、まあ、夢で異郷を浮遊するのみ。
2024 10/3

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