ぜんぶ秦恒平文学の話

身体のこと 2000年~2001年

* あらゆる数値が、わたしの体調のほとんど「正常」を示していた。インスリンの力を借りているので、むろん正常そのものとは言えないが、体力は、糖尿病と診断された三月下旬と比較して、飛躍的に増強している。体重も血糖値もヘモグロビンの基準値も体脂肪率も量も格別に減っている。起床空腹時の血糖値が110から126がいわば糖尿病前のグレーゾーン、境界型糖尿病といわれているが、わたしの場合、110をほとんど平均して下回った数値をもう長く維持している。体重を減らして、きつかった服やズボンがらくに着れるようになっただけでもよかった。心臓負担が嘘のように軽くなり、三十分ほど休みなしの烈しい運動からも数分で回復するようになっている。血圧もごく正常で、むしろやや低いほど。
で、今日も、仙太郎の最中を一つだけ買い、池袋の地下道を歩きながら心ゆくまで賞味した。悪影響は出なかった。
2000 8/15 6

* 疲労のせいか、今夜は自転車運動がきつく、いつもの半分あまりで打ち切った。気温よりも湿気がきつい。草臥れる。今夜は早めにやすもうと思う。そうはいえ、もう零時をまわる。この頃、二時半、三時ということが多い。リラックスしたい。
2000 8・19 6

* 昨日は国分寺からお茶の水まで寝たくらい呑んだので、そのあとも呑んだので、どんなことになるかと、今朝の血糖値を案じたが、落ち着いて良好の値であったから、一安心した。油断は大敵と自戒。
2000 8・27 6

* 聖路加での、まる半年めの糖尿病検診は、全ての数値が、前月を少しずつ良く上回っていて、褒められてきた。血糖値が低くなり過ぎないようにとだけ注意された。「正常」といえる範囲内にキープしていて、場合により、起床後のインシュリン注射の単位を「6」から「4」に減らしてもいいと。

* 気分を良くして、のほほんと、今日は街を遊び歩いた。おしまいには高いビルの25階へ上がり、赤いワインで廉価な洋食のコースを食べてきた。灯ともし頃まで腰をすえて、街が美しく見え始めてから帰ってきた。
2000 9・22 7

* 今日も終日、山折さんとの「対談」に根気を集中していた。そのためか、左肩の痛みたるや激痛といってもおかしくないのだが、こう始終だと、激痛に付き合っているという気分で堪えている。鉄丸のように堅く張っている。勝手にせよという気分。
2000 9・27 7

* 「近・近用」という眼鏡ができた。器械の画面と手元の小活字とに焦点が合う。そういう売り言葉だ。いま使っている。スクリーンにはいいようだ。手元に近い字もよく見える。パソコン専用のようなもの。もう永いつき合いで、眼鏡は外苑前まで作りに行く。池袋から赤坂見附経由で行った。いつもは原宿から表参道まで行き、歩く。
2000 10・1 7

* 聖路加病院の眼科検診、異常なく、一年後に視野検査をと。来年十月二日の予約。二時間待って、医師との時間は三分間。しかし眼に安心感のもてることは喜ばしく、帰りに帝劇下の「きく川」で鰻を久しぶりに食べてきた。許容量の八倍ほどを。うまかった。また節制する。
2000 10・3 7

* 肩こりは相変わらず痛く、頻々と指圧して「気」を送り込む。指先がじんじんし、びりびりし、筋肉の奥のほうを電気の走る感覚がある。指先は首筋にふれているのに、手首にまで痛覚が弾んでいったりする。三本の指先を蛇口のようにイメージし、水道水を流すように「気」を送り込む。かなり利く。一時的に凝った痛点が柔らかくほぐれる。残念なことに、ながもちはしない。
2000 10・5 7

* 忘れぬうちに。布谷君といっしょに夕食に「和可菜」寿司へ行ったとき、わたしはインシュリン注射をすっかり忘れていた。妻も気がつかなかった。そのまま食事をした。一人前以外に、肴も切ってもらったし、車海老の塩焼きを二本、あんきもも味噌椀も、冷酒も、食べて、飲んだ。そのことに、気づいたのは翌朝の血糖値検査をした時で、あれだけ食べたのだから今朝は高いぞと思っていたのに、いつもとほぼ同じに低い数値であった。その時に、あ、昨晩は注射を忘れていたと気づいて、もう一度おどろいた。血糖値が全然跳ね上がっていなかった。注射を抜かして食事したのは初めてのこと、かなり調整力がからだについているらしいと、有り難かった。これは備忘のためにも書いておく。
2000 10・9 7

* 目疲れしているので、ほんとは、少し出歩いてくるといいのだが、冷え込みのせいか、かるい頭痛がある。眼精疲労だろうと想像するが、冷えて寒いのは苦手で、着替えまでしながら、動かないでいる。
2000 10・28 7

* もう何度目になるか、聖路加病院に定時の診察を受けてきた。ここのところ血糖値は90台で、昨夜は明け方まで起きていたためか、今朝は100。吃驚するほど正常値である。体重も増えていない。減ってもいないだろうが。医師やナースは、むしろ低血糖に陥るときの危険を注意している。残念ながら悪玉コレステロールが若干増加していた。卵の黄身を禁じられた。サンドイッチといえば卵、なにかといえば卵、はいはい卵と、巨人にも大鵬にも関心は薄いのに、卵は子供の頃から大好き。最近も卵は食っていた。禁じられた。しかたがない。
2000 10・31 7

* 食べ物の量をすこしずつ減らし気味にしている。空腹がつらい時期もあったし、今も多少はつらいが、空腹気味がなんとなく気持ちの佳いときもないではない。胃が小さくなって行くのだろうか。
2000 11・1 7

* なぜか、ときどき堪らなく睡魔に襲われ、その場でこんこんと寝入ってしまう、椅子にかけたままでも。血糖値のせいだろうか。高いのか低いのか。昨日は外神田の寿司でご馳走になった、酒ものんだ。けさはココアを呑んでいる。血糖値は低くはないはずだが、低く成りすぎる用心はせよと医者に言われている。
2000 11・16 7

* 早起きして、病院へ。朝の血糖値も、病院で計った血糖値も、十分に低く「完全に正常」ですねえとのことだった。悪玉コレステロールが十分に駆除できているわけではないが、アルブミンだか何だか大事な値もぐっといいようだった。体重は減っていない。今度は一月末の診察で、二月分もの注射薬や何やかやたくさん買ってから、今日こそはと銀座の「シェモア」に寄り、とびきりのフランス料理を赤ワインで、ゆっくり。昨日届いた新しい本を食べ食べ読んだ。「これは特別に」ともってこられた一皿が旨かった。フォアグラの料理も、最上の河豚の肝のように旨かった。最後のフィレ肉がおまけに感じられるほど満腹した。コーヒーだけで、デザートは遠慮した。
「シェモア」を出るとすぐ足元が有楽町線なので、実に気軽。保谷までの間をすこし寝入ってきた。
2000 11・28 7

* 気勢が上がらない。しなくてはならず、手の回らない仕事があまりに多いからか。備忘に書き出すと、ざあっと流れ出すように大ごとが十数箇条も飛びだしてくる。それだけ記憶しているからまだしもで、忘れていることも無いとは言えぬ。一つずつすばやく吟味しても、省いていい仕事など一つもないと分かると、有り難いけれども、グッタリする。
人と逢ったり集まったりということでも、たいがいの場合、場所や段取りを任されてしまう。それがわたしへの親切や挨拶になると思われるらしいが、そのための思案が、ひどく負担になるときがある。頭の中がいろんなことで錯綜しているときは、単に負担というより、しんどく重く辛くなる。なぜかお膳立てを任される。わたしの好みがつかみにくいからかも知れないが。

* すうっ、すうっと、引きずり込まれるように眠い。血糖値が高いからというより、低すぎるのではないかと感じる時もある。好きなだけ食べて飲んでいたときは、疲れたなと感じたら、疲れを追い払うように好きなものを口にしていた。それがいいわけないが、気分は直ったものだ。
2000 12・20 7

* そして明けて六十五歳の誕生日に到達する予定。かるい頭痛が朝から続いている。
2000 12・20 7

* 夜中、いわゆる胴震いという悪寒がして、辟易した。すぐおさまったが。勝田貞夫さんに注意されていた矢先だった。いけない。 2000 12・27 7

* 勝田貞夫さんの有り難い激励と警告とで、心して聴いたハズなのに、悪寒とは。朝起きてからも前頭部にかるい痛みが囁き続けている。
2000 12・27 7

* 前にも増して「寒がる」ようになった。もっともこの部屋は真実寒いのだ、冷蔵庫のように冷える。マウスもキイもとても冷たい。こう器械に接しているなら、暖房をやはり入れるしか無いか。電器は、もうコンセントが無いも同然。スチームは器械に好くないだろうし、まさか火鉢に炭火という時代でもない。置き場所もない。寒さのあまり、ときどき胸がつまる。これは、気味がわるい。よろしくない。去年までは、もう一台の機械を階下の炬燵へ持って降り、それで同じ作業をしていた。だがその機械ではもう今の作業量がこなしにくくなっている。
2000 12・27 7

* あまり寒いので台所の妻の器械を借りて、雑誌「美術京都」の対談の手入れを進めた。昼に、キャサリーン・ヘップバーンとヘンリー・フォンダ、ジェーン・フォンダの佳い映画があった。以前に二度ほど観ていて、映画の出来のいいのはよく知っているが、つらくて、今日はやめた。晩には、仕事しながら「ナバロンの要塞」を楽しんだ。これは最高の部類の戦争もの娯楽大作で、何度見てきたか知れない。グレゴリー・ペックもアンソニー・クインもデヴィッド・ニーブンも好きな俳優だ、原作も面白かったが、映画の効果は大きく、骨の太い作品になっている。
今この器械でこの「私語」を書くのに、妻の、マリ・クレールの細い手袋を借りている。細い毛糸なのでぴちっとわたしの手にも添い、多少気になるが、とても温かくキイにもマウスにも触れられて有り難い。手先や足の冷え込む年齢になった。
2000 12・28 7

* 夕方、自転車で駅の方へ二、三の用で走った。走っているときから「おかしいな」と思っていたが、家に帰ってからも、当分の間胸がつまって苦しく、ひさしぶりに残っていた舌下錠を二粒口に含んだ。次第におさまったが、妻に、亢進のけはいがあれば救急車を呼ぶよう言いつけたほどであった。横になるほどのこともせず、静かに、仕事を続けていた。その方が安心な気がしたからである。このあいだから、「急に心臓のちからが落ちているかなあ」という自覚があった。寒い日の自転車は、まして疾走は禁物だ。
気がついているというのは、それなりに、安心でもある、対応できるから。このところの夜更かしが過ぎたと思う。今夜は慎んで、はやく寝よう。
2000 12・29 7

* さ、カウントダウンまで、静かに立ち働いて、少しだけでも身の回りを整えておこう。血糖値はこの二三日グレーゾーンの110台を上下している。甘いものがときどき口にはいると響く。甘いものや酒が口にはいると、だが、気分は明るくなる。口淋しかった戦中戦後の「街の子」時代を明らかにまだ引きずっている。
だが、ひとこと、やはり闇に言い置きたい、1935年このかた2000年まで、わたしは、幸せであったと。そして、誰も誰もが…と、祈る。朝日子や孫達も、と。
2000 12・31 7

* 風が出てきた。五反田に戻る息子の車に同乗してどこかまで出ようかなと思ったが、やめた。明け方からのきつい腰痛で気分がすぐれない。食って呑んでになっていたのを、もう、うち切る。
2001 1・3 8

* 三ヶ日も、ようやく夕景。腰痛に少し耐えて、…いやいや、いけない。今日一日ぐらいは無為徒食、いや徒食もいけない。からだを横たえて、やすんでしまおうか。元日から新聞も見ていない。グールドのゴールドベルク変奏曲が静かに鳴っている。なんて佳いピアノだろう。
2001 1・3 8

* お気に入りのサンドラ・ブロック主演「インターネット」を見ていたが、根気がなく、痛い腰で湯はいけないかなと思いつつ、肩も痛いので、一時しのぎに、わたしの方は我が家の湯船に漬かった。温まったが、あとが湯冷めで固まるのであまり意味がない。寝床へ逃げ込むしかないようだ。
2001 1・3 8

* 滑るように日が経って行く。

* インシュリンの注射針を、二の腕の、血管というより神経にでも刺してしまったのではないか、コリコリとした痛部がはっきり意識され、そうっと服の上からふれるだけでも、左肩から指先へまで、電気の帯のように猛烈な痛みが走り、しばらく鎮まらない。腕の上げ下げ、キイを敲くのには何も支障は無いのに。
2001 1・9 8

* 風邪をひいていますと謂うメールが増えてきている、怖いぞ怖いぞ。この寒いのに国内の小さな旅に出て行くという人の便りを読むと、それが仕事では仕方ないが、人様の分まで今はふっと億劫に感じてしまう。
2001 1・24 8

* 二ヶ月ぶりに聖路加病院。時間予約に関わらず、いやもう、待つ待つ待つ。病院について、受付して、採血採尿、そして待つこと二時間である。おかげで、「杣」の論文に真っ赤になるほど線を引いて読み耽った。木材を横切りにしか出来なかった鋸の時代には、檜のような良材の柾目にそって斧か鑿かで縦に割りおろすしか板材などは作りにくかった。大鋸が発明されてやっと松のような木材を縦に割り切ることが出来、大鋸引き=木挽きという専門業が成り立ってきた。それでも檜のような良材は、大鋸で引くより杣の手で割って材にする方が良かったという。
近畿の杣、木曾の杣、青森の杣。とても特色があり面白い。杣、木挽、大工の関係も面白い。
しかし待たされるのは、いやなものだ。しかも呼び込まれて、「いいですね。このまま行きましょう」と、処方箋をもらい、次回の約束。それだけであるから、まさに三分で済む。
珍しく血圧が136もあった。いつもは110台なのに。血糖値は断然いい。今朝は81。昼食後で116。インシュリンの助けなくてこれなら、ピンピンの健康正常値であり、とにかくこの値であるからドクターは安心してしまっているみたいだ。
2001 1・30 8

* 聖路加の診察は全く問題なく、月一度の定期診察が二月一度になった。血糖値も、なんとやら大事な値も安定していいのである。こんなに毎回褒めてもらえる患者は少なかろう。

* 病院の前に、湖の本の装丁をしてくれた堤?子さんの出品しているグループ展を、日本橋で覗いて行った。例年よりも一段と佳い絵を描いていて安心した。一つ、玉上さんという人の作品が、あざやかに他に図抜けていた。画廊を探し回って汗をかいた甲斐があり、よかった。予約の時間に間に合おうとタクシーで病院へ走った。
病院での首尾のいいのに気をよくして、いつもの通りに、特大の栗入り三笠を一つ買って歩きながら食べたり、足任せに地下鉄に乗ったり電車に乗ったり、そして行き当たりの店で特大の「鰻重」をとり、大徳利で三合の酒を堪能してから、帰った。保谷では「ぺると」で頼まれていた深炒りコーヒーを買い、コーヒーを味わい、若い青年店主ときらくに暫時談笑してきた。きもちいい一日であった。
2001 2・27 8

* 午後、池袋で三省堂の伊藤雅昭氏と久しぶり、ほんとうに久しぶりに逢い、一時間ほど歓談し、新しい仕事のことでお互いに瀬踏みをした。
はやくも花粉に襲いかかられ、今日は朝から鼻がぐずつきだし、おいおい目が痒く瞼が重く、今も閉口している。眼鏡の上から大きい素通しの眼鏡をかけ、マスク。
2001 2・28 8

* 晴れているが冷えて、花粉は鼻腔を吶喊してくる。厚いマスクも役に立たない。午後から晩への外出、平穏に済ませたい、風邪も花粉も。幸い今年は流感がないにひとしくて有り難い。
2001 3・8 8

* 目が痒くて痒くてお話にも何にもならない。こすればますますひどくなる。こすらずに堪えるのはきつい。堪らない。
2001 3・9 8

* 夕方、恵比寿駅の中か近くかで、東工大の卒業生の一人が仲間とコンサートを開く。四時からという。発送の開始日であることと、なによりも花粉の暴威におそれをなすどころか今もひどい発症で、失礼せざるを得ぬかも知れない。さて、発送の作業にとりかかる。
2001 3・10 8

* 聖路加の診察日。血糖値に関しては申し分ないと。ほぼ100前後で推移し、一時的に飛び跳ねるときも理由はハッキリしていて、前日の酒か、ご馳走。あと追いで節食節制するとすぐ正常に戻る。ただ酒とご馳走のため摂取カロリーが多めになり、体重に跳ね返ってくると、悪玉コレステロールが増える。「すべては体重、もう少し落としましょう」という指導に落ち着く。分かりました。
2001 4・20 9

* 「身も心も健康でありたいと思っています。健康診断で少しひっかかったので・・・そして実はこの「少し」の人こそ、急に心筋こうそくなどになる可能性も高いと聞いたので、・・・ストレスのより少ない生き方にそろそろ方向転換したいと思い始めています」というメールも届いている。
「元気に老い、自然に死ぬ」ことは容易でないが。
2001 6・12 9

* 朝の血糖値109で安心した。朝、70から110なら正常値、その上の126までがグレーゾーン、それより高いと糖尿病と診断される。わたしは大方が正常値で、前夜に外で飲食に精出してくると、やや高くなり時には123・4にもなるが、グレーゾーンを飛び上がることはこの半年以上、数えるほどもない。体重は最高時86キロあったが、今は77から78キロほど、これを何とか75安定にまでもって行きたい。血糖値よりもこの頃は体重を抑制する方に欲が働いている。服がラクに着られるのが嬉しいのだから、たわいない満足である。しかし経済的にはこれはバカにならないトクである。
2001 7・3 10

* 血糖値を少し心配したが、102。正常。自信があるのではないが、なんとなく、血糖値とはうまく付き合っているようだ。他の諸計数もむしろ良い方向へ動いていると昨日の看護婦は話していた。「いいですねえ、うまくやってられますね」と。体重も減らないが増えない。
2001 8・3 10

* 梅原猛氏に少しながい手紙を書いた。文藝館の進行報告と依頼のことと、その他。
次いで、これも少しながい「湖の本」のための跋文を書いたが、これは書き直すことになるだろう。
気になっていた散髪に。盆休みかと案じていたのに、ずっと店は明いていたと。綺麗さっぱりしたのはいいが、夕食後に右脚に激しい痛みが来て、かなり苦しんだ。痛みに耐えて全身が疲労した。左の肩にもきつい痛みが派生し、脚もにぶく痛んでいるが、歩いて二階へ上がってこれた。明日になれば軽快しているだろう。叔母の茶室このかたの懐かしい人が、「しばらく入院して、痛んでいる所を修復することになりました。いったんこのメールをクローズいたします。再開したら又お遊びいたしましょう」と。七十は、この時節若いとすら言えるけれども、やはり人のことは心配だ。
もうとっくに大文字の火は落ちている。父の十三回忌に行くのは、そういえば地蔵本の頃に重なる。盆踊りをしているところがあるだろうか。急に胸がおどってきた。
2001 8・16 10

* 台風以来、幸か不幸か、よく雨が降る。新宿雑居ビルの煙災害による四十四人もの死亡もすさまじい。しなくてはならない仕事ばかり有り、しかし、からだがダラケている。わたしの、九月おきまりの夏バテだ。
2001 9・3 10

* 深夜の読書中から体調不和、ときどき心臓につよい不安感が沸き立ち、今朝、寝覚めがよくなかった。『李清照』を読み上げた。この大冊を戴いたとき、宋詞の鑑賞に付き合いきれるかどうかと一瞬思ったが、ほとんど、一日も欠かさず読み継いだ、少しずつ少しずつ。それがよかった。原作のすばらしさに加え、何といっても著者原田憲雄氏の講話そのものが過不足なく美しくて、文藝の冴えに感嘆した。躊躇なく、野間文芸賞に推薦した、小説ではないが、「その他」として。

* 徳田秋聲の「或売笑婦の話」を読んだ。佳かった。淡々と出始めて、どきりと終わり、大げさでないのに劇的であり、純文学の優れた興趣をしっかり表わし得ている。うまく「つくった」話なのだが、散文に妙味と落ち着きとがあり、作り話だけどと思いつつ、ふうんと唸らされる。佳い文学に触れた嬉しい気持ちと、ほろ苦い生きる寂びしみとに胸打たれる。この胸打たれたのが響いたのだろうか。いまも、胸は安定しない。午後には美術館へなどと思っていたが、無理か。晩には一つ日比谷で会合がある。朝日子の披露宴会場と同じ場所で、フクザツな気分。
2001 9・25 10

* 何のせいだか分からないが、腰の落ちた綿のようにくたくたっと疲れている。今も転ぶように畳の上で二時間近く寝入ってしまった。血糖値は高くないし体重も安定している。その割に九月バテが今年は長いのが気になる。
どのカレンダーも十月に変ろうとしている。去年の今ごろから、無事に新世紀が迎えられるかと妙に緊張していたのをおかしく思い出すが、一年がまるで三塁に盗塁するように駆け抜けていった。おいおいちょっとゆっくりしろよ言いたいぐらい。
2001 9・28 10

* あすは具合のわるいことに、同じ病院で、早朝に眼科、午後に糖尿病の受診。一日がかりになる。もう十月かと、頭をかかえこむ。
2001 10・1 10

* 緑内障をおそれよと医師の無表情にわれも無表情に眼をあげて「はい」  遠
緑内障は眼の癌のようなものと遠き日に『緑内障』を本に、編集者われは

* 数日前であったが、遅く遅く床について、ながい時間読書の後、電灯を消したとたん、あ、緑内障かも知れないと直観した。それで、今日の、一年ぶり早朝八時半予約の眼科検診をすこし気にしていたが、視野テストが良くなかった。テストを受けながら、自分ではいいように思っていた。結果は両眼とも芳しい成績でなく、もう少しデータを増やしてから、投薬等の治療に入る必要があるかもと、来月の診察日がきまっった。驚かなかった。
午後の糖尿専科の方は、データはどれも安定し、たいへん結構と、例によって褒められた。

* 一病息災と思っていたが、余儀ない二病息災を考えるときに立ち至った。夕食をともにして行った建日子を心配させてしまった。
2001 10・2 10

* 昨日のへとへとは本物であったらしく、昨夜は珍しく早く十二時には寝入ったと思うが、目覚めたら今日午後二時であった。取り戻すようにぶっ続けで仕事していて、やがて夜十時。
2001 10・6 11

* あいにくの強雨だが、板橋まで出ておられる勝田貞夫さんと歓談のときを持とうと約束していて、池袋に向かう。夜前も、「うつほ物語」のあと二時半に灯を消したが、四時には起きてしまい、九時まで仕事をして、あと四時間眠った。変則が習慣化されないように気をつける。外に内に騒然としている反映がからだに来ているのだと思うが、つとめて取り合わずに体調にも自然に付き合おうと思っている。
2001 10・10 11

* スクリーンがかなりまぶしく感じられる。以前使っていたサングラスを眼鏡にとりつけてみると、暗いが、ラクである。
2001 10・11 11

* たしかに視野検査の結果はあまりよろしくなかった。ただ、糖尿病の経過はよろしく、この緑内障も眼薬投与で眼圧をおさえて、さほど案じること、心配することはないであろうと、点眼薬を処方して貰ってきた。機械をさわったりとは、直接関係はなく、パソコンを制限しないといけないと云ったことは、少なくとも緑内障の関係では気にしなくて宜しいと。少しく、ほっとした。十時の予約であったが、薬局を出て解放されたのが正午をまわっていた。病院は時間がかかる。
2001 11・6 11

* 目薬をさすと鈍い頭痛が起きる。いずれ慣れるのか。
2001 11・9 11

* この数日、朝の血糖値がグレーゾーンにある。よろしくない。

* 夜遅くに血の騒ぐ事件が報じられたり、文藝館関連の難儀なメールが舞い込んだりすると、これで夢見よかれと願うのは無理かも知れないが、とくべつ変な夢も見なかった。 2001 11・13 11

* 夜中、闇の中で立ち上がり、方角をうしなって、あわや障子の桟を蹴折ってしまいかねなかった。このようにして老齢者は家の中ででも怪我をしかねない。心得ごとだと身にしみた。
2001 11・22 11

* 眼圧はかすかに改善していたが、点眼薬を欠かしてはいけない、と。しかし緑内障であること自体は恐れなくてもいい、と。目薬を差すと視野がしばらくうす暗み、やや刺激痛のあるのは、そんなものであるという話であった。それだけのことを聞き、目薬をもらうのに、病院は時間がかかる。

* 午後の診察では、血糖値には全く問題なく、も一つ、なんだか大事なものも、わるくない。ただ悪玉コレステロールが少し増えて、尿にやや蛋白が降りていた。薬を飲むほどではなく、このまま行きましょうと。

* 京都芸大の榊原教授の「日本画考」を読み終えた。大須賀潔研究員の論考も読んだ。病院というところはけっこう仕事の出来てしまう場所である。腹もペコペコにすいた。
旧有楽町そごう百貨店跡が大きな電機店に変貌しているのを見に行った。かなり一心に好奇心満々で見て回りながら、目移りばかりして、結局なにを見ているのやら目が回りそうだった。シエナ美術展をやっている東京駅まで歩き、地下の日本料理店で、純米の「天狗舞」で、おそいおそい昼飯にして、そして帰宅。からだの芯にふかい疲労と睡魔とが住んでいて、これを回復させる必要がある。帰りに東武の「仙太郎」で、どらやきと、お萩と最中を買ってしまった。
2001 12・4 11

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