* 機械の前で首が落ちそうに眠くなり、数時間寝入っていた。指先のジンジン感がすっかりとれ、しなやかに柔らかいのが心地よい。
2003 1・4 16
* 黒いマゴに起こされて、早めに床を離れた。幸い、このぶんなら昼までに外出が楽しめるかと思ったモノの、何処へ出たいというアテがない。「何処へ」と考える方へ頭が働かない。働かせるなら機械の前で仕事を進めている方がラクである、その方角なら、ファィルを開きさえすれば自動的に決まっている。それも各般にわたり、多彩に、わたしの呼び出しをファイルたちは待っている。思案にあぐねるとつい機械を開く、と、次から次へ手が回り、時間はどんどん経つ。久しぶりに「きく川」まで出て鰻がいいかと思ったりしても、有楽町か、遠いなあと思いつつ、つい仕事をしている。そのうち早や昼になり、結局家で昼飯にしてしまう。また機械の前に戻る……。
これでは仕様がないと、着替えて、鞄に仕事も持って出ようと用意し、出は出たが、何処へという思案が「不能」である。それに、へんに胸が重苦しい。出がけにニトロを一つ舌下にはさんできたが、気分がよくない。これで、何処其処までと誰かに決められてでもいたら無理にも足はそっち向きになるかもしれないが、自発的には頭が回転していない。電車に乗る気もしないので、仕方なく中華料理の「保谷武蔵野」で持ってきた初稿を読み返そう、と向かったものの驚いたことに、保谷ではめったにない優れものの店が、廣い庭園ももろともサラ地になって、建物は消滅。この店の思い出はたくさん有る。なさけない気分が加わり、胸苦しさも加わり、かろうじて「ぺると」に戻ってコーヒーをたててもらっが、具合はわるく、そろそろと歩いて家に戻った。
* インスパイアという。鼓吹する・される、という。それが大切だ。鼓吹されるヒト・モノ・コト。いろいろ在った。しかし新たにも見付けつづけねばならない。健康に自信をうしなってはいけない。
よく、こういうことをバロメータにしてきた。いま、すぐ、ここから京都へ行って用事をして来れるか、と。どんなに疲れていても、とんで行かねばならぬ事態が、老人を故郷に住ませていた頃にはあった。妻が動けない以上は、どう疲れていても待ったなしに出向いた。妻の親族の葬儀にすら、豊中までわたしが馳せ付けた。
その伝で、いまでも、いますぐにでも関西へ飛べるかと自分に問う。ま、行けるだろうとたいていは思うのだが、今日はダメだった。今もダメだ。活力がなぜか沈みきっている。左胸の上にボテッと泥でも塗りかぶせた感じだ。
2003 1・9 16
* 血糖値や体重や、その他のデータも問題ないなかで、確実に右肩上がりにこの小一年、血圧が上がっている。わたしはずうっと低血圧であった。一一○から二○台を推移し、下も低かった。それが今日は、三度測って最初は、一六九と九五で、もう二度測り直しても大きく変わらなかった。この血圧の変化と、このところの胸の重苦しさ、俯いたときの息苦しさなどから、「狭心症の前兆」もみられるので、なるべく早く、また「循環」の診察を予約するよう言われてきた。もう三年余、循環の診察は受けていない。血圧のことがなければ、肋間神経痛ぐらいに思うのだが、(むかし、そう言われたこともある。)ま、仕方がない。
それと、白内障が出ていると。緑内障で眼圧をさげる薬の点眼は朝晩にしているが、白内障は信仰すればどこかの時点で手術になるらしい。やれやれ。
2003 1・17 16
* 朝ばやにつかむマウスの冷たさが血走るように胸をつきぬく と感じる。
2003 1・24 16
* 肩凝りがアタマにまで登ってきて痛むので、仕事をやめて夜のニコラス・ケージの映画を観ていた。かなり烈しい映画だった。済んでから湯に浸かり、具合が悪くなり、かなり苦しかった。汗をかいて、横になっていた。機械を消しに来て、メールの来ているのを読もうとしてウカと消去してしまったり。
* 晩の朝日賞のパーティーには結局出掛けなかった。夕食は七草の粥を食べたので食あたりではない、辛くなったのはやはり心臓の不調のようである。昼過ぎ、「黒いオルフェ」のラストを観ていた。あれもなかなか身にこたえていたのかも知れない。
* 明日は予約してあるので眼鏡の新調に出掛ける。もう二月。
2003 1・31 16
* 妻と、外苑前の行きつけまで、「眼鏡」を新調に出かけた。大江戸線で青山一丁目まで、そして乗り換えて一駅、予定より三十分はやく着いた。練馬乗り換えは面倒でも、大江戸線はいろいろ役に立ってくれる。六本木の俳優座へでも、以前よりずいぶん速く行ける。
緑内障はともかく、まだ白内障はさほどでもない、と。安心した。眼鏡は四つ使っているが、どれもみなダメ。四つのうち、戸外や劇場用のと、機械の前でのと、二つを作り直すことにした。レンズの用意に二週間ほどかかると。
2003 2・1 17
* 寝る前に左に頭痛があり、寝入れば直るだろうと、そのまま寝た。目が覚めたときに左側頭の痛みが激しいので、クスリを捜して痛み止め「ロキソニン」を二錠流し込んで、もう一度寝た。
今まで見たことのない寅さんの映画を夢にみた。宍戸錠のような園長だか館長だかが、放し飼いに虎を飼っていて、虎はかなりに危険なのだが、館長に惚れ込まれた寅さんが、虎と相性良くすっかり仲良しになる・仲良しになれる、その仲良しの虎と寅さんとで、館長を、ご愛敬に困らせてみるなどという、たわいない、しかしそんな観たこともない映画が夢の中で展開され、自分は、どうも寅さんであるような館長でもあるような、まぎらわしい立場にいるらしかった。
頭痛のためには寝ていた方がよいという勝手な判断も頭の隅にあり、ふうっと目覚めたとき、左の頭痛が失せているので嬉しかった。朝昼兼帯の食事をしていても、まだ不安定な、要するに例の左のつよい肩凝りが禍している体調らしく、しばらくボンヤリしていた。米国のシャトル事故にも反応できない。
昨日の眼鏡診断では、どの眼鏡も今の眼や視力からひどくズレているとのこと、眼精疲労が蓄積されているのであろう。二週間ほどで新しい遠近両用と機械用とが新調できる。それを待つ。幸い今は頭痛がない。
2003 2・2 17
* 乱視が加わっていると聴いた。目が、ギョトギョトする。
2003 2・6 17
* 三、四日ばかり、左の肩・首・顎・耳・眼・コメカミ・頭が連動して痛んでいる。はれ上がっているような自覚。睡眠で緩和をこころがけても効かない。仕方なくロキソニンで和らげるが、薬効には限りがある。運動不足なのだろう。ときどき、こういうのが繰り返される。いまは眼がはれぼったい。自然、眼を閉じ、ジイッと闇に沈んでいたくなる。闇の奥をどれほど遠く深くたずねても、何も無い。痛みもない。何十年も、在ると思ってきた「自分」なんてものは、全く存在しない。自分とはこの闇である実存の、仮面なのだ。
2003 2・7 17
* かすかながら、花粉到来をはっきり体感している。
2003 2・7 17
* つまり、不調。朝、出ようとしたけれど、タイミングわるく気が逸れ、そのうち痛みのカクテルのような、肩から上の違和に厭気さして。ポストへ運びたい必要な郵便もあるのに、一歩も出ず。
2003 2・8 17
* 英治記念館の梅 昨夜の雨が春への潤いをもたらして快晴の今日、「岩石は堅い」にはじまる文章を拝読いたしました。
いい加減なところのある僕は思索の深みをしかとは把握できませんが、着眼大局の尺度が読書にあるとすれば、その尺度で興味深く読ませて頂きました。
読み進むにつれて 戦後まもない頃、情報受信の主流がラジオのみであった昭和30年代の番組で笠信太郎の話を聞いたことを思い出しました。
内容は世界情勢の中でのものの見方のようでもあったように記憶しますが忘却、しかし氏がある男の名前を出した。
ケンブリッジ大を卒業後、教師をし、テームズ川の岸でハシケ人足を続けた英国の哲学者でO・S・ウォーコップ。
「岩石は堅い」を読み哲学的なこと、思想に飢えていた頃の忘れかけていた自分を思い出した次第です。テレビ、新聞、雑誌、インターネット情報の豪華な着物を纏う今の時代では見つけることの出来ない「炭火」が自分の中に残っていることの嬉しさ。
吉川英治記念館の梅開花も間近でしょうか、先生の来館を待っておられるかもわかりません。
梅見酒が楽しめますように。 川崎市
* 青梅の梅花をながめ、沢の井の酒を汲み、英治記念館や玉堂美術館をおとずれ、清流に胸を洗わせた昔の一日を思い出す。「ミセス」であったか、もう「ミマン」になっていたか、一日、編集部に誘われて出掛けた。懐かしいほどの春日和であった。
だが、山々の色は。わたしははじめ、その濃く濁ったようなおちこちの黄色の山が、なにごとか、気付かなかった。それは、杉花粉の枝々の威嚇的に揺れる沈黙のさまであった。思わず震えた。うへぇッ…。
あれを思い出すと、たしかに、英治記念館の風情もっともうるわしき梅の佳節なれども、二の足をふむ。けさも、病院でもらっておいた花粉対策の点眼薬をいつでも使えるように身近に取り出したところ。
2003 2・9 17
* 明日は循環系の検査と診察を受けに行く。十二時の予約から、さて、どれくらい時間が掛かるか。
2003 2・11 17
* 十二時診察予約の、前に心電図検査のためにと十一時前に病院に入り、解放されたのが二時半。医師と顔を合わせていたのは、せいぜい五分か。タイヘン疲労した。何をする元気もなく、帰った。この先危険な何が起きても不思議はないが、いまぶんは、と。実質的な助言は一にも二にも体重を落としましょうと。このところ体重は減りもしないが増えもしない。ピーク時より六キロほど下げているが、ジマンできる軽さではない。
2003 2・12 17
* 左右のこめかみにかるい痛みがある。眼鏡が出来ているので早く受け取りに行かねばと思いつつ、外苑前という遠さと、今朝の冷え込みにひるんでいる。公私に、済まさねばならぬ仕事もあり、いくらかジレてしまう。
* 成駒屋中村扇雀丈の厚意で、五月近松座の座席が入手できると、いま、メールをもらい判明。鴈治郎の「関八州繋馬」と「連獅子」。近松生誕三百五十年。上村吉弥も出る。楽しみ。三月の歌舞伎座は松嶋屋に頼めてある。こっちには幸四郎の弁慶、玉三郎の浮舟がある。元気が出る。
* 元気が出るはずが、胃のむかむかと頭重感にまいった、風邪気であろうか。食事はことさらにきちんと摂ったけれど、だるく、休もうと思う。幸い今週は何もない。ただ出来ている眼鏡の受け取りが遅れる。明日にも気分回復していれば行くが。
2003 2・18 17
* 好天に恵まれ、午後もおそめに出て、青山で新しい眼鏡を二つ受け取ってきた。遠近両用と機械用と。ずいぶん乱視が進んでいたらしく、古い眼鏡では眼の玉がギョトギョトした。疲れた。これでラクになって欲しい。眼鏡枠でお洒落をと勧められていたが、めんどうくさいことはイヤで、避けた。
保谷眼鏡を出て、気分もさっぱりしていたので、少し歩こうかと青山一丁目をめざしたが、途中、神宮外苑の大銀杏並木に出逢い、そこを歩いてみた。噴水前まで来て、千駄ヶ谷をめざして二人三人に方角を聞きながら歩いた、のに、辿り着いたのは信濃町駅。よほど大まわりに散歩したようであった。信濃町駅の向かいの慶應病院は、むかし、医学書院勤務時代、取材にしょっちゅう来ていた。駅前や駅の建物がまったく変わってしまっていて愕いた。
そのまま一時間余もぶらついて、和食の店に入って夕食しながら、持参のゲラをゆっくり読んだ。酒も、焼酎の「無一物」もうまかった。小懐石も酒の肴によくあっていて飽きなかった。注文を聴いてくれた美しい人が最初のお酌をしてくれ、帰るときに出てきて愛想よく見送ってくれた。おいしい食べ物の店では、美しい人のいるのが、錦上の花、嬉しいご馳走である。
2003 2・21 17
* こころもち風邪気味であるのかも知れない、そのために体にガッツがない。ま、こういうときは逆らわない。
2003 2・22 17
* 夕食前からのワインのせいかひどく眠い。今夜ははやくやすみ、明日に備えよう、歯の奥の方から浮き上がってくるような気持ち悪さ。
いま新聞の書評依頼があったが、即座に断った。
2003 3・8 18
* 偏頭痛と歯の浮き痛みに、終日悩みながら、気が付くともう深夜の一時半だ。明日に出掛ける予定がないと、心からくつろいで何か彼にかして楽しんでいる。また「007」も観たが、今夜のボンド役ロッド・スタイガー?には男の色気無く、平凡に終わった。
2003 3・9 18
* 空はあかるい。ことしは、花粉で眼をやられることが、初めて、自覚的にすくない。飲み薬と目薬とが効いている。かわりに鼻はときどき猛烈にやられる。これは多少辛抱が利く。
さ、階下で仕事を続ける。
2003 3・13 18
* よく晴れて暖かいが、花粉が家の中にいても鼻へ眼へ押し寄せてくる。クスクス・カユカユで、堪らない。妻が聖路加、わたしも早くに出て街をうろつく気がないではなかったが、これでは叶わない。それでも今夕は五時から電メ研がある。
2003 3・27 18
* 聖路加は、体重をつとめて減らして下さい、血圧の高まり気味は様子をみましょう、他は問題なしと、簡単に解放して貰った。
明石町の桜並木は、木により一分ともいえず、三分ぐらい咲いたのもあり。昨日ほど風もなく、けれど花粉は徐々に攻勢を加えてきた。
有楽町の「きく川」で遅いというより、満を持した昼食、ゆっくり。例の如く鰻とキャベツと菊正。そして昨夜から『ゲド戦記』第五巻に夢中。これがあれば外来で待たされようが電車が長かろうが問題とせず。不思議のフィロソフィカル(メタフィジックではなく)世界に、すぐさま没頭出来る。嬉しい嬉しい読書の可能な作品。本の残り量の減り行くのをいつでも惜しそうに見る。
2003 3・28 18
* 頭があまり活溌でないのは、この三日の花粉のひどさゆえで。眼をくじり出したいほど。鼻もとめどなくクシャミか洟。眼の方がつらい。今年になって、こんなにひどかったのは初めて。
2003 3・29 18
* 昨日がウソのような好天。それでも仕事に掛かり、出掛けなかった。理事の森詠氏の小説「雄鶏」を入稿した。用事の手紙も幾本か書いた。花粉の影響は今もあり、眼がにちゃついて不快。涙が出る。くしゃみも出る。すぐ眼を閉じてしまう、と、すうっと寝入っている、椅子のママ。目を明いた瞬間の、直前までの闇と急な視野との落差にいつも不思議な愕きがある。
週末まで何の予定も入っていない。天与。今月は二十五日の総会まで、ペンの委員会も一つも無い。天与。
2003 4・6 19
* 風がすさまじく物を打ち鳴らしては空を駆け回っている。家の中にも花粉が舞い、むずかゆい鼻の異変に困惑、口角もきみわるくぴりついて、かすかに痒い。喉の奥が痛い。昨日は外を歩いて眼がつらかったが、今日は鼻。日替わりで花粉症に見舞われている。やれやれ。
2003 4・8 19
* 昼過ぎに、嗜眠症かと思うほど眠く、たまらず床について夕方まで寝た。鼻も歯も喉の奥もきもちわるいが、もっと気持ち悪いことはイラクでも北朝鮮でも、また香港・中国でも起きている。黙想して、一つ下でもいい上でもいい、「別」世界に入り、そよふく野の風にあたっていたい。
2003 4・9 19
* 喉の奥がいがらく、ひりひりする。うがいして、今夜は早く寝床に入ろう。「ねむいとは、つまり睡眠不足だからです」と、だれかにやられた。相違ない。明日は晴天だと予報していたが、もう一時間もなく日付が変わる。戸外を相変わらず春の嵐が吹き流れている。
2003 4・9 19
* 話題がわるく変わる。
便所へは、なにをしに入るか。きまっている。が、きまっていないかのように、まず大にせよ小にせよ排泄の何たるかを弁じ、注意点を箇条に数え、色や匂いはこう点検せよと励行するような「便所」であったなら、本末転倒、何をしに入ったかも忘れてしまうだろう。指折り数えて、そのまま出てきてしまうかも知れない。
気持のいい譬えではないが、こういうバカを、いろんな所でじつはやっている。便所で排泄するまでは自然の「行為」だが、今謂うその余は余計な「行動」であり、しかし健康法としても処世法としても、このての「行動」が溢れんばかり「売り物」にされている。マインドコントロールされている。行為に先立ち、知識や見聞や賢しらが行動開始する。
眠ければ眠るのは、「行為」の自然である。事情がゆるすなら眠ればよい。だが、無理にも習慣として眠ら「ねばならない」となると、強いられてする「行動」になる。リラックスとは謂えない。「ねばならない」「ねばならない」「ねばならない」と誰でもつい其処へ落っこちて、逆に「ねばならない」がこんなに沢山と自慢にする者も現れる。
* 「四月ってこんなに寒い日が多かったのかしらと、今日の風の冷たさに例年を振り返っています。さすがにウールのセーターの出番はないと、この晴天を逃がさず、収納に励もうか…と、思うだけ…かもしれません」と、声あり。膝の辺が冷え冷えしている。頬の辺、ぼおっと薄い炎に舐められているようなのは、風邪けだろうか。
2003 4・10 19
* 嗜眠症ではなくたんに体調不良ということ。熱っぽい。寒いというのはわたしだけだ。こういうとき、ウイスキーはきつい。以前だと「保谷武蔵野」へ走れば紹興酒があった。いい店がやたらあちこちで潰れる。銀座に鮨の「きよ田」「こつるぎ」がなく、ビヤホールの「ピルゼン」がない。惜しい。
2003 4・10 19
* 早朝、妻に電話して貰って、今夕の、卒業生とのデートをとりやめた。何年も顔をみてなかった人で、何を話すだろうと楽しみにしていた。帝国ホテルで吉川英治賞のパーティーがあり、その場所でと思っていたが、この数日の喉の痛み、咳き込みは烈しくなる一方で、安眠も出来ず。これでは相手が気の毒、わたしも気力萎え、おはなしになるまい。
もう出勤したかな、出勤してしまうとつかまえにくく、すると約束の場所までは出掛けて行かねばならないがと気を揉んだが、間に合ってよかった。そのあと、安心して、とろとろとろとろと寝た。これで三日間、不時に寝入っている。全身が痛むのは熱が籠もっているのだろう。症状と優しく辛抱よく付き合い、すり抜けたい。
明日にもすこし気を張る用事がある。月曜には来客があり、火曜には京都の写真家甲斐扶佐義の写真展オープニング。彼とは場所を換え、京都で「対談」ももくろんでいるので打ち合わせのためにも行きたい、が、さて。 2003 4・11 19
* 三時間ほど「熱」に揉まれながら寝入っていた。目に見えてラクになったとは言えない。喉に、痰がいがらく絡んでいる。辛抱してもう少し寝ていよう。
* また三時間ほどとろとろしていた。かすかにラクか。横ばいで咳き込めばひどい。頭は働いている方か、総会報告書も二点用意した。プリントもした。
今、長い新作を、妻がひたひたと読んでいる。六百枚を越すのだから、ひたひたと読めて行けば有望だ。まだ分からない、どんな辛辣な批評が飛び出すか。
* 妻はほぼ一日掛けて読み上げてくれた。案じたほどはボロカスに言われなかった。これだけのものをテレビも消して読みふけるというのはラクな仕事ではないのだが。ま、少し安堵している。
* やはりしんどい。明日もわたしは出掛けまいと思う。寝て直すより仕方がない。
2003 4・11 19
* 鼻と喉の症状、沈静化に到らない。イガイガと、グズグズと相変わり無く、腰骨や背中の痛みはしっかり過重している。病状とも付き合って、どんなものかと「眺め」ている。これだってわが生体の異変で、傘の雪程度にはわがものである。我がものでなくただただ不快なのが、イラク情勢。やりきれない。
* 今日の三百人劇場の招待をお断りした。あさっての来客も、この分では風邪咳をふっかけるだけに終わるので、来訪を延期して貰った。
しんどいときはしんどい。強がってみても仕方なく、出来ることは出来るし、出来ないことは出来ない。努力で補えるものではあるが、長期レースを考慮すると、一時的に努力で補った頑張りも、結局平均化してくる。そういうものであり、河を溯って抜き手をきるより、行き着く先はいつかは海である。流れに乗って穏やかに泳ぐがいい。恥ずかしいことではない。かなふはよし、かなひたがるはあしし。
* 妻を劇場に出したまま、わたしは汗ばんで寝ていたり、咳き込んで起きたりし、その間に気分が向くと新作を読み返していた。引きこまれて読んでいるから、かなり推敲は利いているのだろう。この作品をどうするのかが問題だが、ま、もう少し先で思案しよう。
2003 4・12 19
* ロサンゼルスから帰国の池宮さん夫妻がせっかく東京のホテルに入ったと知らせてくれたのに、この爆発音のような咳き込みのまま旅する人の安寧をおびやかすことは出来ない、残念残念。
2003 4・12 19
* 午後の大半を寝ていた。咳も痰もひどく、頬から額へ仁王さんのように薄い炎がそって巻きあがるようだが、苦痛は肩から背中から腰への欝熱した痛み。その間にも、個人情報保護法案、最期のつばぜり合いのように、各団体で個別に(大同団結に間に合わず)声明を用意。ペンでも言論表現委員会が軸になり、声明案がファックスで届いた。むろん賛同し一任した。
2003 4・13 19
* 来客の予定をお断りしておいて良かった、この咳き込みの状態では、対座はお気の毒。肺炎の心配を忘れぬようにと幾つもメールを戴いている。吹きすさぶ闇夜の木枯らしのように胸の奥からのどもとへ咳が駆け上ってくる。凄い景色を呑み込んでいるようで面白い。
* 晩になっても体調に改善や回復の兆しがない。高い熱ではない、咳もときおりは静か。だが始まるととめどもなく、我が耳にもゼイゼイヒューヒューは聞き苦しい。仕事もおおまかな事ならまだしも、作品の最終の仕上げに使うヤスリや木賊の目が粗くては困るので、長時間取り組んでいられない。疲れもする。困惑すると睡魔に身をあずけて床へ行く。
古い古い友人からめずらしく電話がきたが、咳き込んで応対できなかった。アメリカからの客人とも、電話で会話が成らない。明日の甲斐扶佐義の写真展オープニングも失礼するしかないが、金曜日は糖尿の定期検査の日で、これは行かないとインシュリンその他の補給が利かなくなる。その翌日も芝居に招いて貰っているが、辞退、やむをえまい。
2003 4・14 19
* 勝田貞夫さんが、一枚のCD-ROMに、なんと「湖の本エッセイ」の第一巻から第二十巻を全部収録し、まるい表紙の左半に表紙繪、右半に二十巻の目次、中央に本の表紙と同じデザインで色と字体も同じく「秦恒平」「湖の本」と、まことにスッキリと創ってきて下さった。じつは、電子版の湖の本は、わたし自身が入念に校正していない、だからこれが一人歩きされては困るけれど、早く校正し終えて、この形で希望される方に頒布できるといいがとは、以前から思ってきた。校正を完璧にし「定本化」を急いでおかないといけないが、二十冊分は容易でない。私自身が納得できないと校正は終わらない。
1 蘇我殿幻想・消えたかタケル 2 花と風・隠国・翳の庭 3 手さぐり日本 4 茶ノ道廃ルベシ 5 京言葉と女文化・京のわる口 6・7・8 神と玩具との間 – 昭和初年の谷崎潤一郎の三人の妻たち- 上中下・谷崎感想 9・10 洛東巷談 上下 11 歌ッて、何! 12・13・14 中世の美術と美学(女文化の終焉・趣向と自然・他) 上中下 15 谷崎潤一郎を読む 16 死なれて 死なせて 17 漱石「心」の問題 18 中世と中世人上 19 中世と中世人 下(日本史との出会い) 20 死から死へ
これだけが一枚の円盤に悠々と収録されてしまうのだから、何とも言葉がない。湖の本エッセイは、このあとへなお七巻が刊行されている。刊行を待っている紙の本エッセイや紙の本になっていない雑誌等初出原稿のものが、まだ大量に出を待っている。みなわたしの子供達である、捨て育ちでいいとも言えるが、見てやれる面倒は見てやりたい。勝田さん、お心入れを有り難う存じます。
* エッセイでなく小説や創作のシリーズは、すでに湖の本で四十七巻が刊行されていて、校正は出来ていないのが多いが、電子化は全部済んでいる。いずれ新作もなお加わる。
本当は創作もエッセイも全部一枚の円盤に入る。あまりのことに、のけぞってしまうが、そこまで用意出来るのにまだ相当の時間が掛かる。円盤一枚か二枚(二枚目には「闇に言い置く私語」)をそっとその辺の棚に置いて、それならばと此の世に別れて行ければ、どうだろうかな。
現金なものだ、こんな夢想に耽っていた間は咳も静かだ、と気が付いた途端、胸の底から龍でもひくく唸るような木枯音が噴き上げてきた。まいったな。
2003 4・14 19
* 多聞丸(楠木正成の童名)が指一本で釣鐘を揺らしたという絵本での話はいたく記憶にのこっているが、その寓意は理解できても物理学の証明は知らないのである、今だに。「ゆるぎ石」の方は何となく。釣り鐘であれ揺るぎ石であれ、ペンその他の各組織のアピールが動き出して目に物見せてくれるといいがと願わずにいられない。どうせだめだから、では、いけない。今朝の「小闇」の私語でわたしが褒めたいのは、投票率をあげるために都知事選に行ったという一言。ありがとう。母の死んだ当日にも妻と交替して総選挙に行ったわたしも、今回は、からだを運べそうになく棄権したのである。
じっとしていると静かなのに、少しからだを平行移動させると、敏感な番犬のように咳が吠え出す。
2003 4・14 19
* 午前二時、わたしがあまり咳き込み、妻が安眠出来ないというので、二階へ上がり、機械の前で六時まで仕事。へんなもので、仕事をしているときは咳のヤツ、比較的おとなしい。疲労しては困るので、起き出した妻と交替で寝た。池宮夫妻の電話も妻にまかせた、この声ではひどすぎる。それでも京都からの仕事の電話には出たものの、話していられない。なにもかも先へ追いやった。妻もこの先の用事をみなキャンセルしたようだ。
* 京の「ひさご」鮨からよくえらんだ若筍が十本も送られてきた。目覚めてダイニングに行くと、もう若布と煮てあった。淡いきぶみと柔らかな歯触りに季節感を満喫。さて何と云おうとも十八日には聖路加へ行かねばならぬ。それだけの体力を作っておかないと。
2003 4・15 19
* 龍角散で喉を保護している。少し効いている。
2003 4・15 19
* わたしの症状は、避けがたく、妻に移行している。わたしの方はやや右肩上がりに少しずつ快方へ向かうのかも知れないが、胸に喉に含んだ咳源は、依然ちいさな刺激でも激発しそうな按配。しかし、髪の毛にふれても痛くはない。熱ないし風邪気味は薄れているようだ。
こういう体調で電話口に呼び出されるのが、つらい。もともと電話は、掛けるのも掛かってくるのも好きでない。メールだと、読んでよく考え、こちらのいい時間に相当な返辞が出来る。緊急即決を要する用件はこの限りでないが、メールでいいものは、そう願いたい。
2003 4・16 19
* 「成政」という山廃仕込み純米大吟醸の一升瓶が送られてきた。富山の酒だ、わたしは初めて。感謝。味わい美しく堪能できるためにも、そろそろ風邪から脱出したいが、「ジュラシックパーク」を怖いなあと思いつつ観ていた夕方過ぎから、また寒気がして、暫く横になっていた。機械はしめて、早く横になってしまおう。
テレビはニューズもなにも面白くないより不愉快で新聞も同じ。こういうときは、「なんじゃい」とばかり別世界に駆けこんでしまう。「ゲド戦記」第二巻は『こわれた腕輪』これはもう全巻が魅力ある「闇」のフィロソフィである。
炎に当たるように頬が熱くなってきた。階下へ行く。
2003 4・16 19
* いやおうなく明日は築地までインシュリンを補給しに行く。帰りにはうまいものを喰ってなどと景気をつけてみても、からだが言うことをきかず、いまも七時間ちかく眠っていて目覚めたが、用意されていた食べ物の半ばも食べられない。口に味わいがない。
病気に抵抗しない、さりとて負けてもいない。じいっと病状の推移に意識している。眺めている。頭は働いている。だから機械の前へ来れば仕事はすぐ引き続いて出来る。ただ疲れは早いので無理しないでまた寝に行く。
2003 4・17 19
* しばらくぶりにひどい咳もなく眠れた。八時前に床を離れた。五時間ほどは寝ていたことになる。刻限をはかって病院に行く。妻の方がいまは症状がひどい。
寝ていられる限りは横になり、体熱はうまく、いくらか強制的に発汗させて、体疲労が多く溜まらぬようにした方がいい。風邪を引き添えないのが肝心だ。できるだけ排痰は上手に励行した方がいい。
2003 4・18 19
* 聖路加まで行くにはすたすた行けたし、診察の方もほどよく終えてよかったが、午後気温がむちゃにあがったとみえ、保谷駅へ帰り着いてから日盛りの道を歩いた十数分が、めったになく疲れてきつかった。真夏日のように感じた。
すこし休息しないと。これであと一週間は予定が無く、らくなうちに回復したい。妻もはやくよくなってもらいたい。
* 八時まで疲れ寝した。少し食事を摂った。気分が悪いわけではない。ちょうど十日ほど経つが、わたしに限り今回の病状で、頭が朦朧としたことはあまり無かった。咳も洟も痰もラクではなかったが、その一方で本は幾らでも読めた。幾種でも読めた。頭の中では本の内容がいつもイニシァティヴをもち、わたしの中では、いつでもゲドや、夕霧や、歴史記述やバグワンが働いていた。テレビは、新聞は、あまりわたしを誘惑しない。それよりも書き上げたばかりの作品が新鮮だった。病気のことは、少し外側から、なるべくよそ事のように「ながめ」ていようとしたし、今回はそれが可能で、有効だった。わたしのなかに、病気で気分の冴えないわたしもう一人いる、といった感じ方であった。なにもかも、病院以外の約束をキャンセルした気軽さも、負担を取り除いた。
* とか何とか、病院の帰り有楽町で地下鉄をおり、「きく川」で例の鰻重とキャベツと、菊正二合を飲んできた。歩いて暑かったのは、酒のせいであったろう、か。
2003 4・18 19
* 熱が六度四分どまりだったので、暫くぶりに入浴した。湯上がりに寒気もなく、ほっとしている。明日はまた冷えるとか。日付がいま変わった。やすもう。
2003 4・19 19
* 昨日に変わり今日は少しぶり返し気味に、元気でない。仕方なく仕事もし、仕方なく横にもなっている。あと一息で恰好の付きそうだった仕事も、スキャナーの不調で捗らない。順調に言うことを聞いてくれていたスキャナーが、行の上の二字ずつを落としたり、頁の半分を落としたり、なんだか機械も「病気」かなと思ってしまう。
そんなこんなのうちに、また日付が変わろうとしている。疲れた。
2003 4・20 19
* 日差しは明るいが風の音もお止みない。いまは、熱も頭重も咳き込みも無い。
2003 4・21 19
* まだ、からだに明らかな違和感がある。ものに熱中していると忘れている程度だが、手が止まると、背中に痛みがあったり、胃に落ち着きがなかったりしている。昨日もらった手紙に、「邪気はあえて払わない」と書いたのがあった。邪気はごめんだが、気持は分かる。払うには闘わねばならないが、闘えば良いと限らない。邪気であれ瑞兆であれ、関わり合わずにじっと「眺め」て、通り過ぎて行かせる。今度の風邪とは、そういうふうに付き合った。わたしの中だか外だか、とにかく通って行くのをよそごとのようにじっと「見て」いる、今も。
おかげで本はたくさん面白く読めた。それには障りがなかった。だが、まだ本当のからだではないなと思う。
2003 4・22 19
* あすはペン総会。井上ひさし氏の会長就任が承認される。かなりサマがわりの執行部ができるだろう。
なんとか、一時から夜までの四連続会合を体力的にこなしたい。まだ十分とは言えないのだが、だいぶわたしはラクになった。妻にもはやく元気になってもらいたい。来週の週末には歌舞伎「近松座」公演だ、元気に出掛けられるように。
2003 4・24 19
* 二時半に寝て六時に血糖値(116)を計り、床へ戻ったが八時に起き、「ただ人は情あれ 槿(あさがほ)の 花の上なる( )の世に」に関して、青春短歌大学下巻の原稿を書いた。かなり熱心に話題として胸に置きながら学生諸君と接していたのが、この「情」ということ。虫食いに、数えて行くとじつに六十一種もの異なる漢字一字が提出されていた。この話題では、いろんな面白い展開のあったのを思い出す。
* 冷えて雨で、好もしいお天気ではない。体調のかすかな違和も自覚しているが、ま、シャンとして出掛けよう。
2003 4・25 19
* まだ、ときどき苦しい咳を含んで、堪えている。
2003 4・28 19
* わるいのではないが、風と暑さとで、終日「好調」とは言えなかった。それでも、もう日付が変わる。
2003 4・29 19
* 季節の変わり目の、そして気圧の転変の、そしてあの風邪で強烈に引き起こされた、わたしは軽い喘息状態なのかもしれない。入浴して、湯冷めもないようだが。
2003 4・30 19
* 黒いマゴ君の体内時計の正確さには参る。明け方の五時半になるとむっくり妻の寝床から出てきて、戸外へ出してくれィと、黙って何かしらサインを出す。時に示威行為めく。妻は白河夜船をきめこみ、わたしが起きて玄関や台所口から外へだしてやる。五時半では血糖値を計るには早く、起きてもいいが、寝たのが二時間ほど前のことだし、で、もう一度寝ると、起きにくい。なぜかなら、この暁の又寝に入ると、あれだけ咳き込んでいたのに咳が出ないからだ。いいことは二つないもので、寝坊が過ぎる。
2003 5・2 20
* この展覧会は観ていない。この卒業生は学生の頃高い山小屋でアルバイトをしていたから、大きな自然や山岳風景をよくカメラにおさめていた。教授室へもよく見せに来た。その体験がミレー鑑賞にゆるやかに繋がっているのが、朝いちばんに飛び込んだメールに印象的。
それにしても、「昨日治りました」なんて明快な宣言、なんと若々しい。富士の裾野の裾野のようにわたしの風邪後遺症は乾性の咳をしつこくひきずっている。妻は医者へ行けと勧めるが、医院のせまい外来は二次感染の方がおっかない。
2003 5・3 20
* たくさんなメールや用事をさばいて、入浴。おお、なんと体重が何年ぶりかで七十八キロに落ちていた。糖尿の診断を受けた頃、八十六キロあり、半年もせぬうち七十八キロほどに減り、やがてリバウンドして、長いあいだどうしても八十キロちょうどを割れなかった。それが七十八というのは祝すべき成果、嬉しい。
2003 5・3 20
* 久しぶりに咳いて起こされることなくよく眠れた。咳のなくなることがないわたしの日常だけれど、起きてみて、何となくほっとしている。
2003 5・4 20
明後日は朝の九時半から眼科の検査と診察。視野検査、あれは苦手。反射神経・運動神経のよしあしで、めちゃくちゃ結果が違うのではないかなあと思ってしまう。まさかそういうことは、ハイテクの時代だ、あるまいが。
2003 6・2 21
* 九時半の予約に、九時聖路加病院着。済んで十一時。眼科の視野検査。どうもこの検査は科学的なんかなあとあやふやな思いであったが、コンピュータの処理能力高く、現在では世界的にも一を誇りうる精度の視野検査であり、「信用して」検査を受けて欲しいと叱られてきた。なるほど。で、右はほぼ正常、左はむしろ前回検査よりいいようで、このまま緑内障のための眼圧降下薬点眼をつづけ、師走に又、と。
* 有楽町に戻り、元のそごう地下の「小洞天」で、サラリーマンたちの昼飯にまじって焼きそばにマオタイ酒で、北条時頼による執権政治の確立と、同時に得宗家への独裁移行という、微妙な変形期の「歴史」を読んでいた。ひさしぶりのマオタイだった。
上野へまわり、都美術館の「水彩画展」にわざわざ入ったものの、夥しい数に辟易し顰蹙して早々退散、気分直しに西洋美術館の常設展をざあっと見て回っただけで、一路、帰宅。
2003 6・4 21
* 午前中の血糖値が高めに推移している。そして午後から夕暮れ、宵へかけてときどき烈しい眠気に誘われるのは、血糖値が急に下がりだしているシルシかも知れない。
今日は気温も高く、好天で昨日と違う。戸外を少し走ってみたい気分だ。だが、まだ作業が残っている。
2003 6・5 21
* どうも、視力がよくない。快適だった新調の眼鏡で、もう霞んできている。闇が誘っているのか。洒落にもならないぞ。目薬をさそう。少し休もう。
2003 6・9 21
* わたしは「食べる人」で、この二人のようなことは、ま、ほとんど経験がない。上の子や下の子が出来て妻が悪阻に悩んだ頃は、わたしが、会社勤めから早めに帰って簡単に食べ物の用意をした。ことに下の子の生まれる直前は破水の心配があり、二月以上も妻は安静に横臥して、一日でも多く日の経つようこらえていたから、その間は、全部食事の用意をわたしと娘とでした。娘はまだ八歳にもならなかった。とても上の、白髪を気に掛けている男性のような手の込んだ藝はなかった。
この頃、家では朝昼晩とも少量にしている。抜くこともある。体重が78キロになった。ピークの頃から8キロほど下がり、もう3キロ落としたい。鉛筆ほどの昔に戻りたいとは思わないが。うまいものを「少し」食べたい。酒の入る余地をのこして食べたい。そういう思いでいるから、上のような文章はやや眩しい。
2003 6・9 21
* あ、もう十二時だ。じつは、今日の楽しみに「小石川の家」のビデオを出しておいたが、もう遅い。明日は病院へ行く日。そして、夕方には芝居に招かれている。診察の済んだあとは何となくほっとして、ま、今日ぐらいはと思う。芝居までに独りの時間が少しある。「福助」には一昨日行ったし、その前日には「きく川」だったし。ま、明日のことは明日楽しんで物色しよう。
2003 6・26 21
* 暫くぶりに朝の血糖値が正常に低かった。夜前の内の辛抱が大事なのだと分かる。体重も心持ちだが減っている。よしよし。
* 大過なく、しかも早く診察が済んだ。午後一時半の予約ながら、午前中早めに行って検査など済ませて置いたのが奏功し、一時にはすべて終わっていた。検査は済ませての、十二時半までに、病院近く「さがみ」という店で、肴と鮨をつまみ、銚子を二本。病院に行く日は、検査あとのこれが楽しみで。
2003 6・27 21
* 夜前の「写楽」にひきこまれたか、朝、声をかけられて時計をみると、診療予約に間に合うのに五分と余裕のないありさま。それでも、辛うじてメールだけは見てから築地まで出掛けた。
* それほど息せき切ってはせ参じても、特別変わったことはなく、五分ほどお喋りして、さて何が明らかになったのでも、何が変化したのでもなく、よく分からぬままにまた今度まで二ヶ月分の処方箋をもらって、階下の会計へ。らくでいいけど、ほんとにいいのかどうか。
* ならばと、糖尿患者たるもの不届きな、「シェモア」のドアを押した。
赤ワイン。
いつもより静かな昼店を大いに楽しんだ。幸か不幸か読む仕事も書く仕事ももっていない。こういうときは都合良く幻想して、だれかと仲良く食べる。
今日は娘の母親と、デザートやエスプレッソまで、おいしく食べた。妻ではない。もっと年幼い別の娘の母親である。そういう娘や母親が「いる」ことにして生きていると、不思議な生き甲斐がある。どんなに育って、何を楽しんで勉強しているか、などと尋ね尋ね二人で食事をする。しかしこれは考えようで、牢獄にいて、面会に来た妻に娘のことを聞いている図に近い。此の世が牢獄なのかどうか。その妻はあの世から面会に来てくれたのか。
なーんだ、先日ビデオで観ていたニコラス・ケージの「コン・エヤ」みたいなもんだ。彼はほぼ冤罪に近い殺人罪で投獄されているが、その間に生まれた娘の、父親への手紙をなにより楽しみに刑期を励んで仮釈放になるのだ。
釈放。仮釈放。それは牢獄からあの世へかえることか。
そんな幻想をソースにして飯喰ってうまいかという問題はあるが、それはその娘の母親次第といわねばならぬ。いい母親だと想っている。
この店には、そんなトンチキな老人の男客は一人も居ない。若い、ないし中年の女客ばかり。そっちの方は全然観ない。
正気にかえって支払いし、隣の明治屋でフランス製、クリーミーなブルーチーズを一つ買い、ぶらぶらと、まだあの世へ消えていない人と、手をつなぐようなつながぬような仲良さで有楽町駅まで歩き、地下鉄に乗った。気が付くとわたしは一人電車で座談会「明治文学史」の、幸田露伴の章を、耽読していた。あわや保谷を乗り越しそうになった。
2003 7・25 22
* 稀に見る雨台風で、各地、被害が大きかった。進路からは逸れたものの東京でもよく降って、やんだあとは、この暑さ。
作業は気を入れて進め、遅れ遅れてはいるけれど、三分の一ほどまで。この暑さと日照りでは外出の気もせず、クーラーの部屋でからだはラクをしている。呻くほど痛かったふくらはぎの攣縮も、二日ほど長い靴下で温め湯でも温めて、ようやく元へ戻った。
2003 8・11 23
* 妻に、この一月ほど、軽い神経系統らしい違和があり、今朝近くの病院にとりあえず相談に行ったところ、頭部等には全く問題なく、ただ、かつてない程度に血圧が高い(160程度)と注意されて、ゆるやかな降圧剤が処方された。脳神経系統に異常がなかったのはよかったが、従来130前後の血圧だつたから、用心に越したことはない。じつは、わたしなどもう数ヶ月、聖路加で計ると150台に上がっている。以前は120から130台でむしろ低血圧気味であったのに。食生活が響いているのかも知れない。
ま、原因らしき症状が推測されたのはよかった。
2003 9・1 24
* 世界陸上にまともに付き合ったための昼夜逆転は「極め」がついて、今日は午後二時頃から九時前まで寝ていた。夢の中で、鴎外と漱石に同じ場所で会い、漱石先生とコンピュータについて話し合った。おもしろかった。
2003 9・1 24
* なんとなく眼精疲労ぎみに眼がかすんでいる。まだ八時半。かるい朝飯を食べにおりる。
ここ何年のわたしの日々を律しているのは、血糖値を計ること。インシュリン注射はもう慣れきって、ときどき忘れもするが、問題は血糖値、それを計るということ。けさは、125。聖路加では、この数字を食事前の正常値上限としている。学会ではもう少し厳しく110としているが、聖路加はゆるやかに眺めてくれる。なのに、なかなかそれが守りきれない。なにしろ郵便局へ行くと、帰りに酒類スーパーで中国の安酒など一本二本と買って帰る。悪癖。
2003 9・8 24
* 明日からの一週間、次の日曜日まで、せめて気候的に少し涼しくあってほしい。木曜の他は出ずっぱりになる、体力が欲しい。
私の顔をみると、だれも元気そうだと言ってくれるが、四肢は痛く痺れているし、違和を感じている箇所は全身にいっぱい。睡眠も足りていない。
それでいて、一つ一つの仕事や用事をしていると、つい、時のたつのも忘れている。出ずっぱりといっても、気に染まぬことは何も無いのである。しかし疲労は容赦なく蓄積してゆく。
2003 9・14 24
* 理事会へ出掛ける前から右偏頭痛ひどく、辟易。ときどき、ギクッと噛みつかれたように、跳び上がりそうに、痛む。痛いっぱなしではなく、間欠泉のように小さく鋭く噴き上げる。口を利くのも息をのむのもいやになる。初めてのことでなく、疲れが溜まると、時折これが来る。しばらくの間は直らないがいつか失せている。そしてぽかりとまた来る。
2003 9・16 24
* たくさん美味しいお酒をご馳走になって帰ったからか、ざっと後始末をつけたあと、ふっと黒いマゴの相手をしながら、そのままぐっすり寝入ってしまい、今、八時前、目が覚めた。機械も開いたままだった。昨日は行き帰りの自動車で寝て過ごし、帰ってからもいつもの倍ほど寝たので、すこしスッキリしている。このまま、頭痛がおさまってくれれば有り難い。
2003 9・18 24
* むかむかするほど、たまらなく眠い。あすは夕過ぎて音楽会、ピアノリサイタル。今夜から明日へ、少し休んでおかないといけない。
* 夕食もパスして宵寝した。九時、起きて機械をチェックし、必要なメールなどを受発信。それだけして、もう今夜は機械の電源を落とすことにしよう。心気には張りがあるが体調には途絶えなくかすかに違和の細流がある。疲労なら疲労をしずめるしかない。
2003 9・20 24
* 今夜は一段と眼がかすむだけでなく、鈍い痛みも。八時半だが、もうやすもうと思う。
2003 9・24 24
* かるい偏頭痛は眼精疲労のたたりであろうか。午後、雨かも知れないが傘をさし濡れてこようと思う。アテもないが。何を見ても眼にこたえる。
2003 9・25 24
* 聖路加の成績はあまり芳しくなかった。ふうっと息をつき、急に、夢のま闇(くら)にこんこんと眠りたかった。
2003 9・26 24
* この数日、息の長い根気仕事を辛抱よく続けているので、うまく気を散らしたり眼を休めたり、時間の配分には気を使っている。わたしは、いわゆる夏ばてするタチで、子供の頃から、真夏は大元気なままに、九月になると、きまってへこんだ。高校三年でも受験勉強がこれから正念場という九月に入り、肺浸潤を医師に警告され、結果として受験放棄につながった。浪人はできず、推薦進学した。
二三日、両脚が脚気かのように重く、いやな体調をけだるくひきずらせている。ああそうか、それならそれでどうぞと、そんな体調には逆らわずに、のそのそと、しかし仕事をしつづけている。
妻もすこしへばって階下でやすんでいるし、黒いマゴまで、わたしの背後のソファでずうっと熟睡している。
2003 9・29 24
* 夜前、あまりに眠くなり、夕食後に倒れ込むように寝た。一時間ほどして目覚め、二階の機械を処置すると降りて、またそのまま寝入ってしまい、明けの六時少し前まで寝ていた。おかげで、すこし気もからだも軽くなり、そのまま起きて、源氏物語とバグワンとを音読、三谷憲正さんの「オンドルと畳の國」をも読み継ぎながら、ひとりで簡単な朝食をとった。すぐまた仕事にも。
朝早起きすると午前中が長く能率はとてもいい。まだ九時半だが、もうよほどのことが今日も出来ている。朝と午後に仕事して、疲れれば宵寝してでも翌朝早く起きる習慣になるといい。ところが朝も早く夜もむちやに遅くまで、という暮らしが続いてきた。三時間ほどしか寝ない日は、ほとほと疲労がからだに積み重なる実感だ。寝溜めは利かないと云うが、少なくも今日は気が爽やかで嬉しい。
四時の会議に、二時半には家を出る。会議の心用意も、今日は少し必要だ。
2003 9・30 24
* 終日機械の前にいて、眼の霞みがひどく、時に文字列が波打つように見えたりした。よろしくない。リラックスしようとしても、それは酒になるか、テレビでもべつの読書でも、やはり眼をつかってしまう。寝るのが一番かも知れぬ。
応対の厄介なメールも何点か処理が必要だったし、「ペン電子文藝館」校正も、校正そのものの再点検も必要だった。仕事のなかみ自体は、関心も興味ももちやすいもので苦にしないけれど、視力といった生理機能は正直に衰えを増してくるから、いやでもやすまざるを得ない。妻も手伝ってくれるから、まだ少しずつでも「ペン電子文藝館」の作業は前進するが、日に日に疲労は二人ともに積んで行く。いまは家から出て行くことが、強制的な休養になるようなものだが、これまた私にはいいが、妻は疲れる。
* 今日は京都でペンの大会があったはずだ。行きたかったが、気より躰が動かなかった。
もう、疲れた。眠い。
2003 10・4 25
* 家から駅への十数分。出がけから腰の痛みがあったが、歩いているうちに両足膝から下が鉄棒のように固まり痛くなり、歩くのに苦労をした。正直、駅まで行くのがイヤであった。池袋線と山手線を乗り継いでいるうちに強い痛みはひいた。
上野駅からの公演は晴れやかに人出も多かった。西洋美術館でレンブラントをみせていた、しまったパスを忘れてきたと舌打ち。都の美術館で、かつてわたしの『閑吟集』を担当してくれた安田さんと会った。大英帝国の秘宝とか財宝とかのオープニングがあり、もと山種美術館にいた川口直宜氏とも出会った。
わたしは創画展に入ったが、大歎息してしまうほど会場は冷え込んでいた。思えば上村松篁さん、秋野不矩さん、その他当会のスターの何人もが相次いで逝去、大きな目玉になる画家が払底してしまっている。石本正の絵が今年はつまらなく、上村敦司がつまらなく、橋田二朗に元気がない。おやおや、この生気の無さでは、思い切って解散かなあとよけいな心配をしたほどつまらなくて、十五分とまがもたずさっさと出たものの、脚痛でははじまらない、すたこらと池袋へ戻り、ひとりパルコの「船橋屋」で、せめて好きな天麩羅で甲州の酒「笹一」をと、脚を休めた。特注した「はぜ」がうまかったが、それ以上に、ぷりぷりした牡蠣を揚げてもらったのが、それは旨かった。天麩羅でもフライでもいい、牡蠣の油で揚げたのは旨い。それ以上呑むなと職人にとめられ、笹一は枡に二杯。電車でひとねむりし、まっすぐ帰った。家まで歩いたが、往きほどは痛まなかった。
2003 10・17 25
* 上瞼の奧が、いつもピリピリとふるえるように痛い。
2003 10・21 25
* 体調は急下降していると、病院でみっちり教訓をくらった。かろうじて体重は維持しているが、ヘモグロビン値は数ヶ月悪化連続、血糖値も同じく。運動不足、食事のアンバランス、あまりにも仕事のし過ぎ、睡眠不足。みな本人が自覚しているので始末が悪いのである。
* 国際フォーラムに移転した「レバンテ」で旬の生牡蠣と牡蠣フライ、生ビールを大きいジョッキで。それが昼。その脚で、街で校正をとわざわざ持参の重い荷物を意識したが、いやいや「秦テルオ展」にと思った。ところが月曜、美術館はお休み。なんだか、いろいろとガッカリしたので池袋に戻り、東武の「仙太郎」で拳ほどのぼた餅を三種と餡の溢れた最中を一つ買って帰り、いい茶を淹れて貰い、ぼかぼかと喰ってから、此の機械の前へ。
2003 10・27 25
* 夜前、床の中から、右脚の外側付け根真横が痛く、歩行にたいした不自由はないものの痛みでまいった。いまは、腰掛けても居て何でもない、が、立つと痛む。今夜こそは今夜のうちに床に就こう。
2003 10・30 25
* 先週以来、木、金、土曜日そして月、火、水、木曜日と出づめであった。こんな事は近年に珍しい。回り合わせというもので、今朝は一度起きて、またうとうと、うとうととよく寝た。腰の痛みも少し和らいでいる。
2003 10・31 25
* むやみとルビをふる必要のあった校正を終え、あとがきも書き終えて、送った。心持ち風邪気味か頭痛がある。おととい所沢を歩いたときから微かにあった。妻が聖路加通院で、少し気分をわるくし一時間ほどベッドを借りて寝てきたというのも風ぎみなのではないか。こういうとき、つい酒は百薬の長と称えたくなるのがわたしの病気かも知れない。しかし気にかかっていた仕事を前へ押し流したので、気は楽になった。楽にならないのは電子メールの不調である。放りっぱなしにしておいても直ぐ切れてしまう。いちいちやり直すのが面倒くさい。
2003 11・6 26
* わたしは幸い、翌朝の用事がふつうは無い。また眠れないということもめったに無い。眼を酷使しているからたいてい眼精疲労で疲れており、眠りたければ闇にして、アイピローを目の上におけば自然に寝ている。直前に天井を見上げた真上へオーデコロンを三度ほど噴霧してから、アイピローを使う。薫りはこころよい闇へのいい先導になる。ま、眠れなければ幸いと何冊も本を読む。
深夜のリビングで、バグワンと源氏物語を音読し、床について日本の歴史と藤村「夜明け前」と、戴いたばかりの本などをひろげる。今は鏡花集と、角田文衛博士から届いた平安女人達を論じた論文集を楽しんでいる。必ず、いつかは眠くなる。
翌日早めに用のあるときは早めに闇に沈む。あああすは何も無い、出て行かなくていいんだと頭の中で確認する瞬間、幸せである。朝目覚めかけて、ああ今日は出掛けなくていいんだと再確認するときの安堵の幸せ。自由開店休業者の贅沢である。
2003 11・9 26
* 会議のために家を手出てまもなく、左奧の下歯に痛みが萌しているのに気付いた。暗雲がひろがるように痛みは強まり、ペンの本部に着いたときは険しい情況だった。
会議は賑わって、いい会議であったが、痛みはおさまらず、珍しく二次会に参加して茅場町で賑やかにお酒ものんだけれど、酒の効果を期待に反して、痛みは刻々とヒドクなり、家に帰り着いて今も痛みで思考力が働かない。バファリンを三錠飲んだけれど、まだ利かない。寝てしまうよりないだろう。
会議の最中に、日立製作所の「ドイ」さんという人から私宛に電話があったと事務局の連絡を受けたが、見当もつかない。日立というと弥栄中学の同級生が重役になり、今はもうリタイアして遠くにいる。西村君であり、「ドイ」さんとは判らない。
2003 11・11 26
* バファリンを結局倍量服用して寝た。かろうじて痛みの緩和された感覚のママ、ひととおり読書して、寝た。
源氏は「夕霧」巻に入り、バグワンは「下稽古」した生き方を「心=マインド」というエゴの最害として、批判していた。米原万里さんの、旧友リッツアとの再会をはかって探し回り、想像のほかの医者になっている彼女と家庭とに、ついに行き当たる物語がおもしろく、著者の人柄をみせて感動できた。
鏡花を読み、藤村を読んで、もう寝ないと歯痛がヤバイと思った。
明け方まで幸い眠れた。手洗いに立ってもう一度床に入ったが痛みが強くぶり返していて、堪らず起床、八時過ぎ。すぐまたバファリンのお世話になって、今、やや軽快しているが、上と下との歯をわざと浮かしているからで、噛み合わせるとひだりの奧で痛苦が破裂音のようにからだに響く。わるいことに、行きつけの神戸歯科が水曜日は休み。ウーン。
2003 11・12 26
* 歯が痛くて何も食べられず、能が済むと、玄関でお礼を述べてから、まっすぐ帰宅。混んだ電車で立ちながら、いよいよ「日本の歴史」は、第十三巻「江戸開府」を読み始めた。家康秀忠家光三代の幕府政治。この巻が全巻の真ん中にあたる。この先が現代に至るまで、じつに長い。
2003 11・12 26
* ドラマの途中から歯痛がものすごくなり、よくないと思いつつ痛み止めの薬を入れておさえている。水曜日が歯医者の休日とはまいった。今夜眠れるといいが。
2003 11・12 26
* 歯科の処置を受け、痛み止めとたぶん化膿止めとを貰ってきた。奧の歯の噛み合わせが気味悪く軽い痛みが残っている。しかし食事は気をつけつけ出来るようになった。帰り久しぶり「ぺると」へ寄り、コーヒーを呑みながらマスターとゆるゆるお喋りしてきた。
もう湖の本の再校が出揃ってきた。これから発送の用意で断然忙しくなる。師走をらくにするには、十二月早々の発送がいい。しかし月末の二十六日水曜からは、「ペンの日」を皮切りに三日間に四つの観劇が予定してある。「ペンの日」までに用意が出来ていると、この観劇が感激になり、そして発送に繋げるのだが。その為には集中しないといけない。明日は六本木で「三人姉妹」の舞台が待っている。本格の新劇にはそれなりの気力をもって出向かないといけない。劇場を出る頃はもう街は宵灯りで溢れているだろう。
2003 11・13 26
* 歯痛はまだおさまらない。
2003 11・14 26
* はねての歌舞伎座前は、雨脚はげしく。それでもタクシーで日比谷へ走り、九時半過ぎてクラブに舞い込み、勧められるまま今日が解禁と聞いていたボジョレー・ヌーボーの赤をグラスで呑んだが、めったにない上出来と聞いた通りに、濃厚に甘いほどのうまさ、去年や一昨年のはうそのようなほど、完成品の味わいに、惚れ惚れした。妻はそこまで。顔色をあかく染めていた。わたしは置き酒のレミ・マルタンを一口、そしてインペリアルをそのままツーフィンガー。身にしみる美酒で仕上げて、帰途についた。雨など、何でもなかった。
だが帰宅すると即座に、今日の予定の残り仕事にかかって済ませた。そうも余った時間はないのである、今は。
楽しい半日であった。歌舞伎ならではのよろこびが身内を浸す。
明日は歯医者で、痛いめを見る。
2003 11・20 26
* 湖の本の通算七十七巻めを「跋文」まですべて責了紙郵送し、その足で沼袋の歯科医に。歯を抜くといわれて、今回は勘弁願った。痛む歯でも歯を残した方がいいなどという見解でもない。暮れに向かって鬱陶しく、面倒に感じた。ま、痛みはかなり緩和している。それでもまた来週も行く。
2003 11・21 26
*「ペン電子文藝館」の校正が四本輻輳、それぞれに手配を終えた。明日が過ぎれば、新しい「湖の本」の発送にいつからでも臨める。歯の痛みもかるく残っているけれど、落ち着いている。
2003 11・28 26
* 歯医者はまだかかりそうである。今日も麻酔をかけられ、ほぼ四十分治療。突き抜いた冬晴れの空の下を、上野へ、有楽町へ、そして珍しくビヤホールのニュートーキョーで、牡蠣と帆立と鎌倉ハムとで大きなジョッキを傾けながら。「日本の歴史」は政治家家康の支配意思強硬なことに、うんざりして読んでいる。金地院崇伝だの天海だの、本多正純だの。文治の時期にはいると、いつもこういう狡猾なほど陰険な政治屋が黒子になってうろうろする。愉快でない。
池袋西武で老酒を買って帰った。
2003 12・4 27
* また歯医者に行き、その足で、菅原通済のコレクションをみせてもらいに行こうと。すこし曇っているが、晴れて欲しい。
* 雨にふられて景気が上がらなかった。傘を持ってでなかったのが失敗。失敗が続く。何を観ていても何を食べていても陰気になる。
2003 12・11 27
* 視野検査が八時半の予約というので、六時に起きて、八時過ぎには聖路加病院に着。視野検査は苦手だが、左右両眼、しっかりやった。ぐあいのわるいことに、緑内障は左右とも進行していると。なんだか黒っぽい影が、地図の多島海ように表されていた。もう半年様子をみて再度視野検査し、進行しているようなら、今の眼圧低下の点眼薬を別のに替えますと。要するに眼圧を下げるより仕方なく、治りようのない病気なので仕方がない。視力とは無関係とすら謂える症候なので、視力は眼鏡などで調整してほしい、と。白内障は軽度で、いまぶん心配するほどではないと。要するに、どうなんじゃと云いたいが、様子を見続けるということらしい。目は霞みますか。霞みますねえ、もやもやと。視力はめちゃくちゃ落ちていて、ついこの間作り直した眼鏡も、クリアでない。
これだけに、三時間。
2003 12・17 27
* 明日は歯科医と聖路加(糖尿病)と電子文藝館委員会と、朝早から三連続になる。それで今年は一応の「上がり」となる。子松時博君が会いたいと云ってきている。二十二か三日にどうかと。
2003 12・18 27
* あわや歯医者の予約に遅れかけ、寸刻の余裕もないぐらい、八時半過ぎに家を飛び出した。今日辺りで治療が終わるだろうと期待していたのに、あっさり年を越しますよと。ウーン。
江古田二丁目から江古田までタクシー。目の前でバスに出てしまわれ、次ぎの聖路加へ早く行きたくて。で、十一時半には血液検査も検尿もすませたものの、やはり診察は予約通りの一時からといわれ、余儀なく院内食堂で朝昼兼帯の、松花堂弁当。人参の煮たのはのこした。どうも茄子についで人参は叶わない。そのかわり、食事のあと珈琲にチーズケーキ。少し離れた席で、若い人が「チーズケーキ」と注文しているのを聞いた途端に食べたくなった。
インシュリンの種類が少し変更になった。これまでは食前三十分に注射していたのが、食直前でいいことになる。なににしても、状態がいいわけではないらしい。
2003 12・19 27