ぜんぶ秦恒平文学の話

電子メディア・コンピューター 2024年

* 多くの記載が消滅している。致しようも無し。
2024 1/14

* 五時半になっている、此の久しく馴染んだ機械(パソコン)も、東工大の卒業生等には完全な「古物」で今々では「役立たず」の「故障同然」なんだとか。で、鷲津君の深切な「持参の新機」が接続されて,そっちへ此の「舊機内容」は移転しているらしいのに、私は其の「新機」が使いこなせないままもう半年にも為るか。情けなく、いま、今今の舊機無い卯をなんとか新機へうつせないかなあと自信の無い操作に払暁からジタバタしていて、前途に何も見えてない。これが、生来「機会バカ」な私の「愚像」であるよ。
2024 1/20

* まだ暗い六時すぎ。雨の音か。床を起つまえ、最新のやや長い自作し『蛇行(だこう) 或る左道變』を拾い読みした。「湖の本」最終166の巻頭にこれが置けたのを少しく自負している。読み返させてくれる一種の「気負ひ」で米壽の人生を結び終えたのを喜んで、さらに此の先へと気負い無く思わせてくれるのが有難い。

* 実は『秦恒平 湖の本』を嗣いで 岩波新書等の「新書版」で新作や私語を追おうかと思っていた、が、「本つくり」に精力を費やすよりも、「創る」「書く」にソレを用い、読者の皆様へは、とうせつのことではあり、パソコン内の「ホームページ」設営により電送する方が老境を労れるのではと。但し私には、以にかなり華やいで設営し得ていたような「ホームページ」を自作はできない。以前のは、東工大当時院の一年生であった学生君が、我が家まで来て呉れ,目の前でチャカチャカとすぐさま設計して呉れたのだった、前世紀の末であった。あの彼は、いまや大会社で重い地位にあるだろう。
誰か、今の東工大院生でパソコンの天才君を紹介してくれないかと夢見ている、が。  2024 1/21

* 妻に、ちっちゃなカメラを買って貰った、が、以前、同様に三機ほども自分で買いちゃんと遣っていたのに、もはやしかと操作して使いづらいのが情けない。やがてはパソコンも遣えなく…なりそう。j
2024 2/2

○ ご無沙汰してしまいました 新野
秦 恒平先生 すっかり返信が遅くなってしまい申し訳ありません。
「湖の本」最終刊をお送りいただきありがとうございました。これまでいただいた本と併せてふとした折に楽しみに読ませていただいております。こうした機会をいただいたことで、読書生活がどれだけ豊かになったか分かりません。感謝申し上げます。
先生の文章からは、読書生活の実践についても学ばせていただいております。仕事に関係する本を読み考えることはあっても(それも必要なことなのですが・・)、実質、自分にとってどれだけ大事な必要な思索、思考をしているのか。先生の読書の軌跡を見るたびに、我が身を省みています。

もう一つ書いておきたいことが。パソコンについて多く書かれているのを拝見し、何とも心苦しく思っております。鷲津さん、柳君が携わってもなお難しいなら簡単にはいかないのだろうとは思いますが。。ITは良くも悪く技術の流行り廃りのスピードが早く、創作活動をされる方にとってはとくに悩ましいのではないかと思います。
とはいえ、先生が書かれた文章を楽しみにしている方も多くいらっしゃるかと思います。なんとかご納得いただける方法があるとよいのですが。。(最も安直にはブログサービスを使うことかと思いますが、おそらくその選択肢も柳君など考えられてますよね。機会があれば会話してみます)

ここ数日は暖かそうですが、また寒さが戻る日も出てくるかと思います。ご自愛いただければと存じます。長々と失礼致しました。 新野 聡一郎  東工大院卒

* 有難う 新野君。心強く嬉しくメール読みました。感謝。「ブログサービス」とは、どういう人かな、企業かな、グループかなと想っています。
しっかりと晴れやかに、「ホームページ」の「顔」をして 人さまに訪れていただきたい「備えが欲しいなあ」と願っていますが。何を願うにせよ自身で手のホドコシようが見つからないのは、生来の「機械鈍」の勉強不足で恥ずかしい。
新野君の深切、嬉しく、お元気なのも さらに嬉しく。
2024 2/10

○ 秦恒平先生
すぐに返信をいただき、また昨日の一日をありがとうございます。本を読み、かつ別の本も読まれていたのですね。刺激を受け、私も手元にある本に手を伸ばしてみておりました。
「ブログサービス」は、文章を簡単にインターネットに公開できる仕組みです。いろいろな企業が提供していてパソコンが使えれば誰でも利用できます。
先生のホームページが「オーダーメイドの服」だとすると、「ブログサービスは規格化されていて、色や半袖か長袖か、などを選びさえすれば着られる服」のようなものです。気軽に文章を発表できる一方で、先生のホームページのような風合い、色味は出にくいです。
先生がおっしゃる「顔」「備え」になり得るのであれば、ご検討の余地はあるのかもしれないと思い、蛇足感が否めませんが補足させていただきました。(まだできていないですが、柳君と会話してみます)
読書に戻ります。またしても長々と失礼致しました。 新野

* 新野君 ありがとう。
2024 2.12

* メールの、発信は、「必要」と「緊急」と「返信」に限る。 受信は、原則「歓迎」する。
2024 2/21

* 認知力の一層の低下なのだろう、「パソコン」関連の、複写や印刷の手順や、またカメラ使用法などが混乱状態。当惑しながら、もう幾らか諦めている。
大事にしたいのは「読み・書き・創る」意欲。在る、残って居ると信じている。
2024 2/21

機械(パソコン)の容態が、乃至は老耄私の作業が不安ないし不安定に推移しがちなので、ハラハラのし通し。この、現在遣っている機械がもそも鷲津君や柳君の託宣ではハナシに成らない「古物」なのだと。しかし新しい方の「より大型な機械」の性根も性質も機能の程も、まだまだ私のアタマにテンで入ってない。お話にならない低能で、おおかたアテずっぽうに弄っているのだから、古物機械よりもまだサマに成らない。機械の仕様書、指導書というのが無く、頼みの綱が失せている。やれやれ。

* ドーモ、最晩年までも私は「読書人」なりの「書き手」でしか過ごせそうに無い。イイじゃないか、ケッコウじゃないかと自分を励ましています。

* すべく、したい仕事が何なのか.放心状態。

* 寝る、寝る、幾らでも寝られる。

* 受信機能が、見当たらない。
2024 3/5

* どんな不快や停頓があっても、こういう「讀書」は抜本的に豊饒な魅力である。

* とはいえ、この機械も、今やいつ破裂損壊しても仕方ないほど疲労困憊気味。やれやれ。しかも耄碌、キイを打つにすら操作の道を見失ったりする。
2024 3/10

* いま、此のパソコンの調子が不安定で、ハラハラするが、機械のセイいでなく、渡しの機械バカがいよいよ嵩じているのだろう。真向きのこの久しい機械クンの、すぐ左脇に、一回りも大きい別の新しい機械が据わっていて、これが「解説書」無く、殆ど、何が何すりゃ何とやら途に惑うバカリとは情けない。所詮は、死ぬまで「読み・書き・創る」以外に無い、手描きよりはラクな「機械クン」の協力を冀うしか無いしなあ。
2024 3/12

* 機械の「メール」機能を損傷したか、受発信ともに不能になっている。それと伝えるスベもない。まさしくの「機械ばか」で、機械クンには甚だ申し訳ない。
2024 3/15

* ワケ判らずに多くが機械から失せたり.捜せど見つからなかったり、無駄な時間をたくさん費やして,容易にサキも開けない.情けない。メール機能を全部見失って、書きも送りもならず、弱った事に過去の保存分がみな見当たらない、いわば「わが日々の歴史」が消え失せたよう。やれやれ。

* もう午後と感じていたのに、午前九時十五分にもなっていない。進級の機械と格闘しつつ何の結果も展開も掴めてい判っているのはメールが送れず、受け取れない、という機械世間での「孤立」状況、だけ。
みんな投げだし、讀書の森林へ身を置きに入って行くか、幸い、これは即座に可能。

* 午後三時過ぎ、「マコ」が家出したりし、連れ戻すのに疲れる。ドンヨリと心身鈍く重く、処置無しの態。弱くなったものだ。幸いに,逐われる用の無い身になっている。疲れれば寝る、の一手を遣えば宜しい。しかし、疲れる、草臥れている、グッタリというのは有難くない。
メール機能が使えないのも奇妙に「孤独」。やれやれ。自業自得の「機械バカ」な私です。床に就いて、本を読みます。「本」は家に溢れているし。自分で書いて市販の「単行本」になっているのが百数冊、『秦恒平・湖の本』が全百六十六巻。百まで生きても読み切れまい。ところが、他人(ひと)の書かれた論地や選集や全集は単行本が十数メートルに延びた書庫三面の書架に溢れている。建日子はどうするだろう…呵呵。

* どうすればメール機能が恢復出来るのか。見当もつかないとは,情けない。

* 寝てばかりいる。夢見ながらも、なにやら唱っている、らしい。
2024 3/16

* 午後一時になる。午前何をしてたかも憶えない。メール機能を喪い、まさしく「孤独に孤立」している。寝入っていたいとばかり。
2024 3/17

* 機械がくずれ、メール機能は紛失して受発信が不能、いよいよ世間を離れ、「孤離・孤立」の感。やれやれ。寝るか。
2024 3/17

* なんとかメール機能が復活して欲しい、が。私の手には負えない。きのう林丈夫君が玄関外まで訪ねてくれたとき、わたしの隊長がほど良かったなら、恃んでも機械の前へ上がって欲しかったが。ブッ倒れそうに弱っていた。
2024 3/18

* 機械裏へ隠れた記事が見当たればと願えども。どんな記事か場面かも記憶しているのに。

* 妻の検査に付き合って石神井の順天堂病院へ出向く。
寒風と空腹に疲労して、空しく帰宅。やれやれ。メールもままならず、なにもかもハナシにならない。寝入るしか、なし。
2024 3/18

* 此の用いてもう幾久しい機械が,私、どうも安全に使用しきれない。なさけなく、恥ずかしい。

* メール機能が消散し、「外」世間とのつきあいが絶えている。心細い事だ。なにか、美味ぁい、それも濃厚なものが食べたい。部厚いトンカツとか、多彩に煮立ったすき焼きとか。一尺もながい海老天とか。昨日の、妻の順天堂病院検査の帰りは数年ぶりの池袋へと思い合うていたのに、結局草臥れて保谷へ帰り、駅ちかくでの食も買いもならぬまま帰ってきた。
生き方・暮らし方もヘタになったものだ。寝て,夢に激して大声で怒っているなど、八十八の爺い、くたばった方がいいのか。

* 午に成ろうとしている。何も出来てない、しようともしてない。

* 晩になっても、同じく。心惹くのは『モンテ・クリスト伯』ばかり。
2024 3/19

* 機械が 手に負えず 困惑 なにもかも故障かと。そして私の体調も アタマの働きも グチャグチャです。此のメールが送れるのかドーカも判らないで居ます。元気でいて下さい。 今は、それだけを願います。 ボヤーッとしています、なにもかも。けれど、生きていますから、それは安心して下さい。 読めるかどうか、読めたら 読めたとだけでも返信しておいて下さい。

* なにもかも おハナシにならず「衰弱の気味」。それでいて「着手」したいあれこれの「仕事」に心惹かれている。
『参考源平盛衰記』巻初の『剣巻』は「読むに値い」の力編、清明に訓み下してみたい、とか。「平家」の、副都「福原」を西国へ陥ち行く前夜の、一問を挙げての管絃舞踏の宴もまことに美しく、この、全四十八冊もの「盛衰記」は広く読まれたいとしみじみ思うているが。もっと早く元気なうちに敢然「全訳」に手を染めたかった。まさに残念。

* メール機能を機械から見失い、なんとも、淋しい。
2024 3/20

* 冒頭箇所に お手持ち「欠巻」分「無料呈上」の広告を置いた。 ご遠慮なく お申し付け下さい。
2024 3/21

* いま此のパソコンのデスクトップは、私の昔に撮っておいた、大きな、京都祇園「八坂神社の朱の正門」が、四条大通りへ大きく開いている。実に実に美しく、此の機械をあけるつど叫びたいほどに懐かしく魅了される。大自慢のデスクトップである。
2024 3/21

* 指先が痛いほど寒く、冷たい。

* メールでの交信や對話が不可能になっていては、湖底に沈んだ一粒の砂利のようだ。やれやれ。われ独りの時空を紡ぐ「静かさ」よ。いま、早朝の七時二十分。両脚が、痛むほどの冷え。上ハむやみと着重ねられるけれど。
ま、メゲていないで、新規造成、第二百巻をめざす『私語の刻』態りに新たな『秦恒平・湖(うみ)の本』第百六十七巻を創って行く。太宰治賞がまさに舞い込んできたころ、大きな俳人であられた荻原井泉水さんは大きな字で『花 風』の額を下さった。山本健吉先生は、師であられた「秋艸道人」がさらに師から承けられた『学規』を自書されての扁額を下さった。優れた鷗外學に稠密の新生面を築かれた國文学者長谷川泉先生は部下でもあった私の「作家」への旅立ちに即座に『文質彬彬』の四大字を書して行く手を示して下さった。信じがたいほど大勢の先達・先師から私は、「創り 成し 学び 続けよ」と「励まし」て戴いた、戴き続けたのだ、それは今なおなんら変わらない、私は「卒業」してなどいない。
寒くても、痛くても、シンドクても「道に、先」はある。

* 午前十一時過ぎ。「先」 容易には見えない。沁みるように両眼痛く、空腹感。
人の、聲や言葉が聞きたいが。メール機能が働かない、というより働かせ方を忘却しているのか、も。
2024 3/28

*  どうしょうかと思いつつ、やはり早起きした。猫チャンのアコもマコも喜ぶ。 寒い。
やはり第一義の仕事は途中の新創作を巻頭の要に追いつつ、いわば「私語の刻版」、『新・湖の本 第167巻』めを、もう郵送でなく、「メールで引続き<電送>の利く読者」宛て送り出せるよう着々「用意」「進行」する事。印刷所とも製本所とも縁が切れて、ますますの、本格の「パソコン作家に腰を据えてかかるのである。人生、弾むように推移する、永かった過去も、卆寿をまつ夫婦での最晩年の「仕事」も。

* と言い続けながら、私、いま大肝腎の「メール機能」を見失ったまま、唸っている。認知欠損気味に「卆 九十歳」へ滑り落ちて行く「生涯一作家」を、誰方か援けてと、やっと弱音になる。。
2024 3/29

*  やはり、どうしょうかと思いつつ、それでも早起きした。簡単にできたはずの機械手順にウロウロしたり。コトの捗らないのに惘れたり。
妻の歯科通いに同行し、その脚で三、四年ブリの「街」」へ出てみたい、「気」を新ためたい、と。そう容易くは変われまいが。
2024 3/30

* 久しい勉強や文筆・私語の刻から「義務的」という麵からはすっかり解放されている気か、ホワーンとしてかなりに馬鹿げ、孤独である。メールも、在来保存のらいかんに「返信」のテイでしか送れず,新規には出来ない、らしい。従來とも新規にとも届くは届くのか。それもボンヤリしている。やれやれ。

* 大事なのは,信仰している長いめ小説の新作をハカどらせること、それを巻頭に、「私語」とも組み合わせの「秦恒平・湖の本」167巻めを仕上げて読者の方々へ電送すべく努めること、です。
2024 4/3

* 疲弊、鎮まらない。老病の一種と、黙然、怺えている。

* 機械の上での戸惑いや誤操作らしきは避けがたい通過儀礼めくと忘れてしまう事に。

* 書くのは「小説」「私語の刻」
他はひたすら「読書」を愉しむ,枕許に、ほぼ何時も、十二、三冊の大小本を選んで置いている。 小説は大作を。『悪霊』『主演女優』『モンテ・クリスト伯』『源氏物語』 歴史書は『参考源平盛衰記』『中国上古史』『平安朝 上下』『大鏡』など。当 當今の書物は、概して「戴き本」のみを。
2024 4/6

* 雨の早朝、六時前。

* アコ、マコ。削り鰹を頂戴と,膝を叩きに来ます。上げるとも。

* メールが利かない、らしい。ひそっと孤独。
2024 4/9

* 私のデスクトップは,漆黒の地に 美しい限りの朱に映えて,京都市四条大通りの真東「石段上」に「八坂神社」の西正門が耀いている。こんなに美しい「表紙」を持ってパソコンを遣っている人が有るだろうかと、私の、嬉しさに溢れで大の大の「じまん」です。私の京都への郷愁が光り輝いて此処に在る。この八坂神社「石段下、四条大通りの南角に,私(五回生 事実は戦後新制の第一回性)の通った「新制京都市立弥栄中学」が在った(現在は無くなっているらしい)。
四条大通りを、このまま西へ西へ西へ真っ直ぐに行き当たると嵐山から南流してきた桂川がさらに南へ流れ,大橋を更に西へ渡った正面には、東野八坂神社と真っ向に、松尾神社。平安京造成に大きな力の合った「秦氏」と縁の濃い、さらにはやはり秦氏と深く結ばれたあの稲荷大社と此の松尾大社はズブの親類である。いま一つ謂うなら、やはり「秦氏」が深く関わって「平安京の鎮守」と謂うべき上・下の加茂大社とも稲荷・松尾両社は親密という以上の親しい仲にある。
私は自分の機械の大表紙である八坂神社の色美しい耀丹に見入りながら、いつも思いを故郷京都へ、「祇園さん=八坂神社」へ送っている。
観られる方があるなら御覧下さい。
2024 4/9

* 機械のピンチにしばしば当面する。困惑しいしいスリ抜けてはいるが。ハラハラ。「何が何やらサッパリわからず」ワテほんまにヨー云わんワ」と 笠置シヅ子は唱っていたが。それで済ますワケに行かない、いま当面している不可解はまさに不可解で。
2024 4/9

* もう夕方の四時十八分。なにをしてきた今日か、漠然、半ば上も寝入っていたろう。
つい今し方、「住所録」を何の用もなくただモノスゴイ人数の氏名ばかり観ていたが、ふっと、京都の山科に学校の昔から暮らして今もと識れている人へ、「電話」してみると云う事を思いついた。かけてみた。三度も数字を読み間違え,やっと通って、幸いに、其の人にと想っていた人が電話口へ出てくれた。懐かしく三,四分も話したか、しかし上も下も歯の無い私のフガフガの発語・発聲は情けなかった。私の書いてきて書いている幾らかは最近も知っていて呉れる人なので、フガフガのまま失礼した。向こうの声はしずかに綺麗だった、七五年前の中学生時代が思い出せた。
ああ、もう、メール機能もう喪っているらしいし、この痺れ手で手紙もシンドイなら、電話の通る先へ、ときどき声かけてみようか,と、ご迷惑なことを思いついたりした。
聲・ことばのフガフガは仕方なく、老耄の年齢も、ま,お互い知れてある。在来のお付き合い、みな「書いたもの、文章」を介してで、先方さん、およそは判ってくれているでしょう。作家の私は、まだ「店仕舞い」していない。ちょっとずつで良い、電話の聲・ことばを勘弁して貰おうよ。メイワクやろうなあ、しかし。「ハイ其処まで」と、はっきり断って下されよ。

* 以下に書き入れていた十日の感想・私語が、失せている。何と謂うことか。とり戻せる道もあるかと想うが、所詮,手に負えない。が。
ドストエフスキーの草野心平譯『悪霊』筆致ともの語りクチに魅されている事、と、『参考源平盛衰記』第三一冊、平家が安徳幼帝を奉じたまま、北九州在地の豪族に逐われ今しも西海に浮かんで遁れようか、哀れひとしおの辺を読んでいたのに触れていた、はず。
2024 4/10

* メールが、送れも貰いも不能のようで。私には処置しようがない。連繋の別機械へはどうか。その調べようも覚束ない。機械(パソコン)からもう次第に離縁してイイのだろう、か。
2024 4/11

* 機械(パソコン)には好転・改善の気配無し。思い直すまでもなく、切羽詰まった要務など無い。読書し、寝入れば、来い来いと誘ってくる「本」は、いま寝床わきに十二冊。「悪霊」「モンテ・クリスト伯」「参考源平盛衰記」「日本の歴史 平安朝・前・後」「中国の歴史」「源氏物語」「大鏡」「鳴雪俳話」「浄土勤行式」「藤村」「秋声」等々恵まれている。書き進めたい小説も、信じられない話だが「待って」いて呉れる。
だが、体調のドン底よ。ただもう寝入っていたい。

* 書いた筈の記事が画面に見当たらない、ウンザリだ。
2024 4/11

* メールが、働かない。複写機や印刷機と繫いでありながら、香堂の手順などを忘れ果て、役立てられない。「末期症状」とは是れか。

* 多勢の何方とも連絡が出来ていないと、私自身の年齢もも齢で、ウカとは同世代の方々へ呼び掛けにくい懼れを持つようになっている。そしていよいよ孤独に落ちて行く。
2024 4/12

* メールは一切送れず受け取れず、インターネットは不能の儘。もう諦めてしまっている、「讀書」の誘いは無数に豊かに在るのだ、退屈しない、視力は労らねばならないが。
2024 4/13

* 昨日、階下寝室の一隅に小ぢんまりした「仕事場」を設置してみた、生きるのか、無駄に終わるか。
疲れで。目がショボショボ痛む。やれやれ。
パソコンのメール機能破壊のまま、いわば「外」世界のほぼ全部を、只今、見失っている。 此の足取り、どこへ向いているのか。

* 夏日と謂う。いま夕杉の六時半、この二階が蒸し暑い。
2024 4/15

* メールが機能市内ので、人さまとの縁が、文字通りに無残に絶えて行く。手書の便りをほぼ徹底してし忘れてきた。ハガキや便箋をほぼ全然遣わなくなっていた。「時代」ということに強かに気づかされる。
2024 4/15

* 郵便と電話とを、あまり臆せず用いるしか無い、メール機能は、だか「出来る人」に「手」を借りて復旧の他は無いのだから。トは云え、想う程の咲きも大方は私ナミの高齢、遠慮が在る。「お付き合い」は書中のお人と「結んで」足らせるのが結局無難か。
と,概して、今ぶん日本人では、平安和歌集や日記の、源氏物語の、大鏡の、源平盛衰記等の古代人たちが多く、そして漢詩人や史上のひとばかり、近現代文学や近現代人とのお付き合いは尠い。海外の人や文学も同然で、大作『主演女優』の作者陳彦など真っ向同世代の人とのお付き合いははなはだ尠い。宜しくはない。

* と,気づくと、ボーゼンとしている。
2024 4/17

* もうもう久しく手書きの郵便を送った事が無かった。メールが私用できない現在、当惑。この手の指や、久しくパソコンのキイを押すダケの役に執してきた。
へたな字を紙に書きますかね。国民学校一年生の昔へ帰って。
2024 4/19

* 私の仕事ヘヤはヘヤは二階に六畳、私の大きな選集三十三巻はじめ、特大の事典・辞典・選集等々が百五十巻近くは収蔵の西壁に作り付け書架は別としても六枚の疊のに充満して本やモノが犇めき群れている。書も繪も写真も大小惘れるほど多彩に、かすかにも置ける限り荘れる限り餌も「場」を塞いでいて「鳴り」わたっている、つまりである、古來閑雅を、良し嘉し佳とした『書斎』の観念像をコナゴナに爆発させたように窓前と一瞥雑を極めている。当然に妻と建日子とは余儀ない例外に入ってこない、が、「機械の不機嫌など」あると万万仕方なく鬚髯の技の利く人には、何度か、東工大の卒業生学生くん何人かに入って貰わねば済まなかった、さぞ惘れたろう。趣味でそうなっているのではない。仕事暮らしに余儀ないモノの氾濫が収まりつかないということ。仕事とは、機械やモノを「片付ける」用事では無い、私の場合、どう散らかろうが毎日の「読み・書き・読書そして創作」が仕事。乱雑を整頓するのは年に一度二度で済ますしか無い。此の六ぢょうの書斎は、誠に温かい、暖かくも在る。くつろいで時には仕事の倚子や片隅のちいさなソファで寝入る事もある。全くの「私室」である。
2024 4/20

* 建日子が来て 階下 二階 機械の「メール受発信」を可能に手入れしていって呉れた。ありがとう。感謝。子を持てている幸せと、安心。
この安心、建日子にも持たせてやりたい、が。わたくしは、四歳頃に秦家に「貰い子」されたのだ。
2024 4/20

* 他記事など 行方不明
2024 4/21

* 此の日録が 「見えて・読めて」いるのだろうか、全然感じ取れていない。メールも届いてない。
2024 4/23

* 現に、この機械画面で昨日も今日も私が何を書いて、如何書き遺し、また伝え得ているのかが、まるで判らなく理解出来なくなった。
メールと謂う作業も 果たして出来て伝え得ていたのか さっばり判らなく理解出来なく、なった。老耄が繪に描くように私を捉えだしたらしい。
2024 4/23

* 例の如く 早朝から機械クンのご機嫌斜め。やれやれ。いくつかの記事を見失った(らしい)。ショが無い。拘泥せず。
2024 4/25

* 機械クンのご機嫌よろしくなく、朝早くから うろうろている。それがアタリマエになってきた。消え失せている記事が幾つか。思い出せもしないが。
2024 4/26

* いくらかの記事喪失がしかと記憶されている。どこかに隠れている。
2024 4/27

* 三時半。機械不調、いやいや私の運転が拙いか。烏衣にほしい画面が安定しない。
ま、それはそれ。『日本の歴史 4』の「十世紀末」を丹念に勉強した。次いで十一世紀初、紫式部や清少納言や藤原道長の時代、いま大河ドラマ『光るの君へ』に関わって、一つの好機に平安朝文藝・文華の最高潮をとくと游いでみたいのだ。日本史に幾つも在られるお山の最も美しい雅びな山と謂える。ちょうど今しも全四八冊長『参考源平盛衰記』を読んでいるが、それとはまったく対照のかがやきをもっていたの゛十一世紀初の文華、そして施政、と謂える。
2024 4/28

* 遣い慣れてはきたが、この私用中パソコンの機能・起動能力はもはや終局か、否な、私の理解と技術が「破産」状態なのか。もう、何かにつけ終盤へ坂道は下る一方に感じられる。嘆く事か。受け容れて、そして、転んで怪我せぬ事よ。
2024 5/3

* 携帯電話は買ってもらってあるが、遣い方を覚えてないので、かかって来ても応対出来ていない。やれやれ。
2024 5/12

* キイの誤打、しきり。 やれやれ。
2024 5/14

* 先日 親子で見舞いに来てくれた、亡き「やす香」の写真も抱いた大親友の「カオリン」とわれわれと三人を撮ってもらっ写真が送られてきた。健やか、にこやか、綺麗に成人した「かおりん」の笑顔、ああ「やす香」よと、ほろり。われわれ八八老夫妻も晴れやかに撮れていて。

* 写真を機械に容れるなどナンデモなかったまな、その手順も忘れ果てていて。悔しけれど。
それでいて「藤原道長」縁戚の系図などよく記憶していて。
2024 5/15

* 写真を写真機にたくさん溜めている、のに、それをこのパソコン画面へ「転写のすべ」を忘れ果てている。折角の写真がまるで愉しめない。やれやれ。口惜しい。
せめて此の『私語の刻』きじが親しい人たちへ伝わってくれるとうれしいが。それも判らない。
2024 5/16

* 受信メールの発信者や配着順などが混雑して仕舞っている。どうにもナランので、今晩はもうダメのまま店仕舞いする。

* と謂いながら、機械の混雑に煽られて、何を遣っているやら 老耄の時間を雑に空費しつつけていた。晩の八時。やれやれ。戴いていたメールまで紛失。やれやれ。「チャーチルの誘拐」に行くか。『紫式部日記』か曲亭馬琴の『美少年錄』を読み継ぐか。酒を飲むか。

* 「日録 私語」の画面が複数現れるので、参るよ。いやになるよ。どうでもいい事なんだと咬んで棄てる・
2024 5/18

* 機械での保存記事が、攪乱ぎみで、迷惑至極、私のなにもかも手順の「へた」のセイであろうから。ただ首を振るだけ。
「保存」に夥しい「重複」もあるのを気づいたブンはさくじょしてるが、辟易の作業量。散歩に出る気でいたのが、機械前に釘付け。しかし、此の年紀ものの機械、軽くなる分は軽くして上げないと。

* 夜、十時半、機械の記事など、もはやわたくしのてにあわないまで、混雑。 寝る。
2024 5/19

* 機械(此のパソコン)の惨憺たる混迷 もはや私の手に負えない。
ここで「放棄」すれば、一切が「途」を喪う。
古い旧い機械にしがみついている。そばに、新しい機械が在るのだから、思い切って乗り換えてしまう「べき」なのだろう。今私用の古・舊機は「このまま」保存しておき、私自身の「向き」を新しい機械に慣れる方へと向き帰るべきと、思う。
いま、この遣い古してきた舊機で、「メール受発信」も甚だ難儀になっている。

* 「新機」を本格に私用し始める必要な「手順」を践めるかどうか、それさえ、心許ない。
京都の羽生淸(はぶ・きよ)さん、直木和子さんから、お心入れの名菓を頂戴し深切なお手紙を下さった。とくと、心静かに、感謝し、拝讀した。

* わが感触では、ほぼ「私の作家人生」は、そして「人生」は、ようやく「挽歌」を以て幕を引く時節へ来ている。 まさかに自身で書いて歌うものでないと思っていた。
2024 5/20

* 保存していた、過去の発信、過去の受信の、殆どを消去した。何かを思案し覚悟してか。ただに衝動で敢行した。もう要らないと敢行した。

* 疲れた。
2024 5/22

* メール機能の働いている事を、階下の妻との「交信」で確認出来た。
2024 5/23

* ところで、と。
「出来る人」が着々私の此の「機械を調整」して下さっても、その「手順・結果・成果」は、ドンな「機械バカ」の私の目にもアタマにも、のちのちに活かせる様には残せない。情けない。
2024 5/27

* 作家・秦恒平の「今後の活動と展開とに関して、有難い大きな「提案」をうけ、有難く「承諾」しておいた大事の記事も、みな、記事消失。なんとも、ハヤ。
2024 5/29

* カメラに写真を撮ってても、機械へ移写のすべを覚えず、忘れ果てている。
機械に文を書いても、複写し印刷する機械は在るのに、その手立て・術を、すっかり忘れて役立てられない。
老耄・耄碌に極みがついてきた。やれやれ。情けない。

* 暑くなってきた。此の先三ヶ月ほどは身に堪えそう。

* 住所録を見ていた。四分の三は、消息も知れない、記憶も枯れて了っている。人生無常。もう上下に歯がなく はかなくて電話など、する気になれない。
2024 6/5

* 機械の亂調子と辛抱良く時間tけて付き合っている。

* 夜 十時半。なにかと,不調。
2024 6/5

* 「書いているモノを 「ホームページで広く」送り出せずにいる」のだから、秦も此の世を「失せたか」と想う人も増えてこよう。それは、ま、それ。自滅を吾から促すことは無用と。
メールを、ほとんど送り出していない,此の数日。
もういいかい。まあだだよ。

* もう二十年前になるか。
当時、まだ院にも進んでなかった一東工大生がわが家に来て呉れて、眼もあざやかに美しく目の前で開いてみせて呉れた『秦恒平 私語の刻・ホームページ』が、それは嬉しく有難かった。感謝に堪えなかった。
だが、多く歳を経て「機能が故障」したときには、また新たな東工大生らの手を頼んでも、借りても、元へは戻せなかった。最初期のあのような「ホームベージの門構え」は再建できず仕舞いに、書き物の広い世の中への送り出しは出来ぬまま、今日に至っている。 残念、至極。ウーン。
2024 6/8

* ひんやりの早朝、空は明るい。寒がり、詰めた狩りの和知工氏は、指先の出柔らかい布手袋で用事を始める。眼鏡はむしろ外して胸へおろしている。機械の文字画面は心地よくまっ白に清潔、かなも漢字の黒も美しく見える。いい朝に想える。(* 此の箇所に、幾つか戴いていたメールや返礼等々の記事が在ったのが、 知らぬ間に みな、消滅して行方知れない。過去の朧な記憶では、失せていた記事が、ヒョコッと浮かび出るように見つかる事もあったのを、期待しよう。)
2024 6/10

* もう四半世紀もツキアッテいるのに、この機械クン、容赦なくわたくを「混雑の路傍」に投げ置いて,姿、消え失せる。勘弁してよ。

* もの忘れに対抗して。しかと保存、整頓しておくべきは優先「確実」を確保しておかないと タイヘンな難儀に当面してしまう。しかし、コレは容易ならぬ「はからい」ではある。
2024 6/11

* 此の『作家・秦恒平の私語の刻』が、166巻で一息入れた『秦恒平・湖(うみ)の本』のあとを追う。巻頭にも居きったように私の『私語の刻』は「文藝の表現」をつよく意図しており、加えて、創作した「小説の新作」も効果的に工夫し「組み入れて」行く。大凡は「一ヶ月を三分する」どの分量で「秦恒平の私語の刻」にお付き合い戴く。メールを利用する、印刷して郵便では重労働に陥る。当分はなにかと「試みつつ」お届けしたい。むろん従來の儘に「無料呈上」のメールなので、お好きに処置して下さい。本然は、『私語』される「表現と内容と」に在ると、ご不要の方はお知らせ下さい。新たに「読み初め」たい方は「メール・アドレス」を御指定・ご通知下さい。決して濫用はいたしません。

* 「当分は不慣れで躓く」か知れませんが、半世紀を遙か超す「作家・編集者」新たな努力で、老耄と闘いながら、勤めてみましょう。笑って下さい。ご期待下さい。ナニ、「私語」を「お聞かせ」するだけのことです。  秦 恒平
2024 6/21

* 「機械 全壊の感触で 事実はたぶん私の老耄で、ナニもかも、ハキとしないまま、呆然としています。これも、届きますのか、どうか。押し出してみます、が。
お元気でと 切に願っています。  秦 恒平」と、
何日も以前に勝田貞夫さんにメールしている、が、そのママに。
朝からいろいろ書いたハズずなのに、チラと読んだ{尾張の鳶}の「メール」ももろとも、ハタと消え失せている。

○ 新しい道順での「湖の本のメール」ご送付いただき、ありがとうございました。
相変わらず、PCから逃げ腰で過ごしていまして、秦様からのメールを発見いたしまして、息吹き替え返したようなPCです。
またお時間がある時に、ご送付くだされば嬉しく光栄です。
建日子さまのご本Change the World, And so tおhis is Xmasの二部作を図書館から借りて読ませいただいているタイミングに、迪子さまより三部作目を頂戴しまして、ありがとうございました。
未知の世界を小さい穴から覗き見ているようです。
デジタルの未来の世界? 分からない想像もつかない世界を少し覗かせていただいています。

謡曲の稽古の方は、「夕顔」の謡とお仕舞をしています。
先月師匠が矢来能楽堂で「山瑞乃伝」の小書きを出されました。
大変古い装束、と面(おもて)とで、たいそう立派でした。
入梅。酷暑と続くのでしょうが、どうぞ迪子さまともにお体大切にを一番にお過ごしくださいますように。 持田晴美

* 頚すじが、重く痛む。

* 寝入りたいのだが。目が重く、本もよみづらい。

* 機械から失せて消えた何も戻ってはこない。
2024 6/29

* 朝に,消え失せた記事が甦って欲しい、が。
2024 6/29

* もらったメールが消え失せて。カアカア
同じのを、も一度送って,序での折に。
鴉は- ボーゼンと、ボケています。 ハタと消え失せそう。
2024 6/29

* 膨大量の『各界・各氏 メール・アドレス』を、今朝から、氏名見出し五十音順に、とにかくも整理整頓し終えた。編集の現場で課員にこういう仕事をまわすと、きっと嫌われる。さっさと自分でやってしまえば、済むけれど、じつはそれも、また嫌われる。それにしても「作家としての生活と結果」も、やがて「六十年」「大選集」33巻、「湖の本」166巻 そして「文藝」としての膨大量の日々刻々『秦恒平・私語の刻』。記録を記録してのみ遺すのも容易くない。
パソコンという機械を、私は、国立東京工業大學(もう軈て「国立科学大学」に成り変わると謂う)の教授時期に生協で買い学生に教わり教わり手に振れ初め、はや四半世紀を越して行くが、生来自覚の「器械バカ」で、なかなか、てきぱきとは「遣いきれ」ない。
しかしパソコンが手近に遣えてこそ出来る仕事を今日も半日余、一つの「結果に」整理し終えた。弱い視力を遣い尽くしての、或る意味「暴挙めいた」けれども。モウ先ハ 短い、無いような日々、と見えてきている…。
2024 7/8

* いま使用の舊機に不調法が見え隠れし、新機はまだ不勉強で遣い切れない不慣れが露わ、必要不可欠の「移転」の幾つもがあたりまえのよにもたつく機械の咎であるより私の生來「機械バカ」のせい。
このさき、或いは機械を操作しての「読み・書き・讀書と創作」からの總撤退、つまり文筆生活の最初期への逆戻り撤退が始まるのかも。
老耄との闘いに勝ち目は無いだろうよ。それならそれと、腹をくくって「手書き」の肇めから始め直す。愚痴るまい。

* とにかくも「舊機慣れ」に浸ってここまできたが、新機への適切な移転を自身に覺えさせねば、もう此の先この舊機に負い目を負わせるのは、無理。
2024 7/12

* 遣い慣れたとは云え 遣いこなせてないまま、この久しい友のパソコン「舊機クンから、新機クンへ拓ける筈」の新画面の扱いに,今更に、慣れ馴染んで行かざるを得ない。此の歳になり、まだまだ未知未開の道を行かねばならない。正直、シンドい。「新機の画面」は鮮やかに多彩でマゴつく。
2024 7/17

* 此の「舊機」は、辛うじて「間に」だけ合わせている。「新機」はいまぶんマルで遣いこなせない。わが「パソコン」時代は「通り過ぎて」行くようだ。日録も、私語も読んで戴けるようには「送り出せ」ていない、らしい。
かつがつ、メールが出来るかどうか、創作の下書きだけは辛うじて可能か。「作家」秦恒平は「手書きの昔へ」逆戻りして行く気配、か。「東工大」に招聘された機会に「パソコン」を識り、もうやがて、その,東工大が新設の「国立科学大學」に吸収されると謂うを最期に、私の「パソコン」人生は、このまま「終熄」「消耗」するらしい。「生来の機械バカ」にしては、四半世紀もを、まあ、よく「利用できていたよ」と思う。
2024 7/19

* さ。パソコン不調の昨日・今日が,永い明日・明後日へどう続いて行くやら。投げ出すにしてもキレイに投げ出せるかな。うまく「八八」歳の後期を歳末には「八九払い」と通り抜けますか、な。

* 今夜は,最早、処置無し。
2024 7/19

* テレビを見聞きしていて、コトが昨今の電機・電子の「技術」の話題になると、ほとんどツイテ行けない。笑ってしまう。

* 書いたモノが消え、届いたと見たモノも瞬時に消え。手の施しようが無い。勝手にしろと投げ出している。
機械から離れ、読みたい本を面白く惹かれて読んで過ごすが「勝ち」かと。機械クンとは、気持ち、距離を置いて付合う、か。
2024 7/24

* 昨日、明らかに原因不明のメール機能違和があった。改善しているか、まだ不明。 2024 7/25

* メールが、うまく機能していないか。在った筈の来信が失せていたりする。

* 何より何が大事か。霞み行く視力の維持。
何が欲しいか。パソコンへ巧く撮った写真の取り込める、新しいカメラ。だが。いま手持ちのカメラで出来ない事が、新しく写真機を買い換えても出来まい、よ。カメラのせいではるまいに。
2024 7/26

* 古門前元町の,大昔、大人達が私の「およめ」候補と話し合ってた同歳の大益貞子ちゃんの電話で、歓談。それを、いろいろに書き留めたハズなのに、例によって消え失せています。

* 夜、十時五十分。ここに「書いた」と記憶の記事が、またもいろいろ消えている、アリステア・マクリーン希有の傑作サスペンス『女王陛下のユリシーズ号』を,二度三度目、粛然とまた読み始めている簡素なども。ちゃんと「保存」する慣いなのらなあ。老耄の手違いか。索然。

* ああ、ボヤキは明日、明日のことと。寝に降りる。
2024 7/26

* 体調すぐれず、渋り渋り、過ごす。メール機能など渋滞し、通信不能のよう。耄碌,万事に障るらし。仕方なし。
2024 7/28

* 小さい機械を復活させてみたら、若い日々の沢口靖子ちゃんに美しい佳い写真が、あとからあとから,何枚も何枚も出て見えるのに感激している。妻もいっしょに「帝劇」楽屋でのも、いろいろに、たくさん。『細雪』の「キあんゃん」を演じていた衣裳も表情もあでやか。
2024 7/29

* 夕方。機械内を点検、仰天するほど膨大 莫大 超大量の記載・写真を内臓していて、気が遠くなりそう。
だれが、どう、是らを処置また取捨するのだろう。見もせず捨てられるか。
2024 8/13

* 私の『私語の刻』がパソコン画面で自在に「読めなく」なっている、何とかせよと読者のお便りが来る。あれほど整然とホームページで配信できていたのが、いったん機械の故障から不通・不可となり、もう久しい。わたくしの「機械バカ」では処置なく、手をかけ仕立てて指導してくれていた東工大生も、みな院をとうにとうに卒業して、世の中で羽ばたき出世してしまっている、気安く「援けて」は謂いにくい。
高校で、にわかに難しい数学や理科になり、時折先生に指名され、前の黒板で、課されている「問題」が解けずに立ちん坊していた昔が想い出される。父の「ハタラジオ店」が嗣げなくて、小説家になど成ったんだもん。「機械」は、そそり立つ難関です。
2024 8/14

* 機械、此のパソコンが、何やら 決定的に「潰れ」ようとしている。ひとつしくじれば、収蔵の然記事・記載が滅失しかねない。々困っても,今や私はワケ判らずとも,何もかも自身野手さぐりで、かき混ぜながら脱出の歩道をテテ背探り脚にまかせるしか無い。遣ってみる、しか無い。

* 大暴風雨の東北冲から上陸かといわれて、都北・下保谷でも烈しく風雨のるつぼに在る。
仕方が無い,わたしは「信じられない咄だが」「創作」と謂いながら妄想を吾と吾が指先に命じキイを叩き続けている。創作とは「酔狂」なのである。
2024 8/15

* 機械の内蔵 内臓 をかなり深く広く点検した。それがどんな利になるか不利か、判らない。むやみと触っていた、いろんな画面に遭遇したが、ハテ と謂うしかなく。 書くのは 紙にも書ける、がメール機能の重宝には叶わない。幸いと、わたしは、いま、機械仕事で義務も義理も負うていない。子供の、。機械遊びのような気持で向き合うだけ。
夥しい写真が埋蔵されているのを消去して機械に息をつかせて上げたいが。ハテ。出来るかな。 とにかく、疲れた。
2024 8/17

○ 秦先生 残暑の候.鷲津です.
伺いましたが,秦先生の私語の刻を残す作業,山瀬さんや柳君たちと共同でさせていただけそうとのこと.ちょうど,お盆明け 19 日からの週は,東京,名古屋,横浜,東京と
いう感じで 東海道をうろうろしております.
25 日の朝に川崎のホテルを出て,深夜便で羽田からストックホルムに参ります.KTH スウェーデン王立大学の学生さんの博士論文の審査員として 討論がてら 伺う予定であります.
25 日でしたら,保谷に伺うことができますが,いかがでしょうか.
可能でしたら,先生のサイトの今後について,伺えたらと思います.
ご検討いただけますと幸いです.宜しくお願い申し上げます.

* 申しわけないが、まことに有難いこと。と………立ち往生の儘。
2024 8/19

* 機械作業が,何が何やら,何処が何処やら、サッパリ判らず、ややこしく、話にならず始末が付かない。ムダに機械の上を右往左往して、まともが見当たらない。
2024 8/20

■ 鳶へ 病むな 怪我すな カアカア
なにもかも  機械で 巧く出来なくて 困惑。 疲れボケでなく ホン呆けらしく。 機械に店開きのもう 限界か-と。
幸い 眼・視力 さえ労れば  読み・書き・讀書と創作 できます。 メールの操作が頼りなくなってます。
テレビでは  「光る君へ」 愉しんでます。 創作は 『信じられない咄だが』 列島を跳び回ってます。
読む方は  ドストエフスキー『悪霊』  中国人陳彦のごく昨今の現代小説『美人女優』  濃霧豪雪と強暴風との「北極海」で闘う 英戦艦と独Uボートの死闘   水戸が編んだ長大の 『参考源平盛衰記』  そして枕草子と紫式部日記。 豊かでしょう  眼は悲鳴揚げてますが。

● お早う あけぼの 元気していますか
呆然 と すごしていたいが そーも なりません。 世界にも、日本にも、わたくしにも どーにか したいことばかりです。
逃げ込める先は 乱れた白髪白髯 わたくしの場合  結句 創作するか 読むか なによりも 寝るか です。
京都の 東山三十六峰の真下で育ちました。 「ふとん着て 寝たるすがたや東山」 と謳われていました ハハハ じつに「実感」でした。
アクロバットの 『信じられない咄だが』 まだ書き継げます。
難題は この機械クンの 暴れますことで、手に負えません。 呆然 と 過ごしてたいが そーも なりません。 愚痴の日々 いけません。
お元気に お大事に お過ごし下さい。   裏千家茶坊主の 宗遠  秦 恒平

* わたくしの「先」を塞ぎがちなのは、要するに、わたくし自身の「機械バカ」と謂うにつきる。しかし痺れた指で,原稿用紙にペンの手書きでとは、無慙にムリでもあり。膝を折って友誼を「機械クン」に懇願するばかり。呵呵 呵呵
2024 8/20

* 機械が思うままに使えない。何が 何処に 如何。  困惑 徒らに立ち往生。
2024 8/20

* パソコンを自分・秦恒平の記録・記事にするのを已めてはどうか、うんと手間が省けると気づいているのだが。「作家」根性で、どうしても「書いて、人さまに呈する」という、あまり理も利も無い意向にひっくくられている、よけいなご苦労ではないか。

* 新聞は、もう三十年来、むしろつとめて「手にも執らない、読まない」でいる。一つには、視力の衰弱。一つには,邪魔くさい。テレビの「国際ニュース」にだけ,出逢えば、向き合うている。国内のことは、世間ばなしや、噂で聞こえるだけで、足るとしている。減って行くばかりの精力はただ「読み・書き・讀書と創作」のために。
コロナでもう四年も街へ「食いにも」「観にも」出てない。「美食への欲」は有るのだが。

* 寝入ってて、ふと目覚めて午前十時四十五分。朦朧の老人とは気楽なモノよ。強いてのツトメの何も無い。「これ」は多年の努力で蓄えた「命の資産」か。しかも,誰に強いられるで無く、したい、つづけたい「コト」も心得、すぐにも手が付く。
難敵は「機械クン」で。時に、どころか、しばしば手に終えぬ。愚痴は、目下、コレ。
2024 8/21

* 「読み・夏期・讀書と創作」を活かし働かしているのは「機械」では無い。「私」。見失ってはならない。
2024 8/21

* 昨日に受け取っていた すこぶる長文細字のメールを 読みやすくと按配するも、例の不調法、かえって混乱混雑し、音を上げてまだまだ読めず。
2024 8/22

* メールで貰った、瞠目の大長文。相当に時間かけ、落ち着いた気持ちで読ませて貰いますが,ショボつく眼で、機械上での処理に往生。
かかる長文は、いっそ印刷して郵送して欲しいなあ。
2024 8/22

* 午後、東工大で「建築」専攻だった櫻小次郎君が訪れて呉れた。明日、神戸からの鷹津君と会う、「先生」のホームページのことで話し合いますなどと。鷹津君はそのあとスエーデンとかへ出張、飛行機と。
此の二三日の疲労が、重いガウンのように躰へ垂れかかってて、活発には話せなかった、が、懐かしく、話題は弾んだ。かれが東工大へ入学してきた入学の春から私は招聘「教授」として迎えられ、六十歳定年で、また作家生活へ戻ったのだった。
私が元気なら、寿司の「わか奈」で酒にも出来たろうに、話し合うていても、立ち上がれそうに無かった。空しく櫻君を帰してしまい、残念だった。

○ パソコンの絶不調のご様子を伺い心配していました。今日のメールを拝読すると少し改善の兆しを感じます。専門的な対応をなさったのか、偶然の産物か存じませんが、みづうみの、大切なペンと原稿用紙が、きちんと機能しますようお祈りします。機械にも念が通じるかもしれません。

本当に久しぶりの歌舞伎鑑賞のご予定をお伺いし、嬉しく嬉しく喜んでいます。
知り合いのおばあさまは、何年も前から人生最後のブーツだからと言い訳しつつ、度々新しい「最後のブーツ」を購入しています。ロジェ・ヴィヴィエという高級ブランドのファンなので、ブーツ一足二十万、三十万円もします。お金あるなぁ。でも人生、好きなものを愉しむに限ります。

みづうみも「おそらく最後になるかも」の歌舞伎を、これから何度も何度も楽しんでくださいますように。
九月はまだ暑いと思いますが、冬場のようにインフルエンザやコロナ感染の心配は少ないでしょう。

みづうみにお願いです。「私語の刻」の行方不明分はそのままで、今あるものを七月分から拾える限り拾って、お時間とご視力に余裕のおありの時に少しずつでもお送りいただければと思います。こちらで整理しますので、順不同でかまいません。どうぞよろしくお願い申し上げます。
お元気に、お大切に、いつもの一日一日を重ねてくださいませ。 あけぼの

* ご希望には直ぐにも添いたいが 何故か 痴呆化したように、「機械」がうまく使えない。使いようを「忘れている」よう。
2024 8/24

* もう午後三時過ぎ。なにやら電気系野調べ客と応対していたが、妻にまかせ、二階へ。眼が腫れぼったく、義理にも元気と謂えない。
悪いことにメール機能がが機械的にと謂うより私ゆえにワケ判らくなり、メール、読み取れず打ち出せないでいる。これはもう、私、アウトか。

* 「あけぼの」さんから到来の超長文のメールをやっと読み出したが。「ナチス」らの昔に触れてのとても貴重な内容、それにしても「読み終える」のに体力も気力も要る。草臥れ果てた爺ににも内容の大切は判るが、読み終えるにはまだ時間を掛けたい。飛ばし読んで済む内容で無い。

* 夜十一時前。コンピューター まともに、従來の儘に機能してくれない。このさき、明日から、何を、どうすれば佳いのか、わからない。
2024 8/26

* 二七、八、九日の記事も書いたハズなのに見当たらない。判らない。ツイ機械のセイにしたがるが、私・秦恒平が混乱しているで。
ゆっくり、ユックリ と。急ぐ何用も無いのだ。

* 今、深夜三時四十五分 何の整頓も成らず、ただ 眼も躰も、痛いほど疲労。

* 今、夕過ぎ 六時前。
一日、何をしていたとも謂えない。せいぜい ドストエフスキーの大作『悪霊』を、更に、少しく読み進んだか、徐々に惹き込まれつつ。多くを教えられつつ。
「自分の」仕事らしきは、何も出来ず、しようとも、してなかった。
烈しかった長雨も通り過ぎたか。
2024 8/30

* 陰気でいる。一つには機械画面が自在に処理できない。削除したい畫像が消えてくれない、など。消去したいものが消えてくれない、など。

* 『光る君へ』の続きは面白く見て、先を望んでいるが、肝腎なのは私自身の機械仕事が渋滞している。気が滅入る。
2024 9/1

* いま午後三時半にちかい。朝から,何をしていたという自覚がナニも無い.寝ていたも同然であったのだろう、機械の不調、乱調に屈して、なににもかも投げ捨てていたか,ソレすら茫然と、記憶に無い。
明日はナニをするか。散髪らしい、が、、シカと覚えてない、明後日は歌舞伎座の「夜の部」か、と。茫然。シカと覚えてない。これはもう、末期症状か。
メールの受け渡しも,頼りなく記憶に洩れ墜ちている。
どうやら、今、此の記事が、今分九月三日午後㈣時半現在の「最新」意識下のモノらしい。やれやれ。
2024 9/3

* アイズビリ描く、めざましい「線」の描く仰向きに脚をあげた繪を,日録の表紙のように取り込んできたが、サテも取り替えようかとすると,頑強に消えてくれない。消し方が間違ってるのか、なにとしても美しい「線」賢の裸形は、もういいからと云うて聴かせてもテコでも消え失せず、目覚ましい裸形のまま私を見上げて退場してくれない。アイズビリ線描の名品ではあるのだが。
2024 9/3

* 機械へ来て,二時間、ただただ迷走し混乱し見失い、ハナシにならなかったが、いま、ほぼ偶然にモトの画面へ戻った。これでは、やはりハナシにならない。
2024 9/4

* うまく画面記事の処置ができない。いらいら。

* なんとか画面を,整頓したか。
疲れるなあ。
2024 9/8

○ 今日一日の 私語の刻を有難うございます。
「佳い」夢もご覧になって、歌舞伎座にもお出かけになられたようですね。

私は一昨日、文学と美術に関する小論をようやく脱稿いたしました。
早くお目にかけたく、昨日投函いたしましたが、お手元に届くのは明日か明後日でしょうか。
「夢十夜」なども絡めたものです。ご笑覧下さいませ。 明日は、また熱海に移動します。
東海道線ではなく、少し時間はかかりますが小田急線経由です。
下町から都心を抜けて、やがて丹沢の山並みと川、(この季節は見えにくいですが)富士山も望み、小田原からは太平洋に出る、変化に富んだコースです。
涼しくなってきましたら、気分転換にお散歩なども出来るといいですね。
どうぞお元気でお過ごしください。 快晴

* 此処、このあと、「熱海」の魚屋に触れた私の思い出など 相当量 書き添えたのが消え失せている。

* 日付を越えて、夜おそくに『光る君へ』等に触れた相当量の感想が、記録されていない。私の不始末か,機械の乱れか。
こういう事故がまま起きている。
2024 9/8

* 昨夜遅くに、「熱海」に触れたなど記事をかなり増して終えておいたのが、記録されていない.見つからない。こういうことが、近時再々ある。拘泥ね執着もしていないが,気分は宜しくない。機械が、どこかに、みな呑み込んでいると想われる。
2024 9/9

○ みづうみ、お元気ですか。
今日もお暑い一日でした。「最後になるかもしれない」と仰る今回歌舞伎観劇の二回目、存分にお楽しみになりましたでしょうか。
「私語の刻」もし送信不具合でしたら、USBにコピーして郵送していただいてもよいと思います。先ずは再度送信を試みていただけますでしょうか。ふっと上手く機能してくれるかもしれません。
機械相手にしながら、神頼み的なことの多い私からのお願いでございます。
どうか観劇のお疲れの残りませんように。 あけぼの

* ハテ。USB とは何ぞ。
2024 9/12

* 朝早くから、「舊機」内容を無事
に「新機」へ移転したいと、懸命に機械画面の調整にあけくれてきたが、成功の実感が、まるで無い。やれやれ。
2024 9/14

* 「漱石」先生のお優しい懇切なお話しを聴きながら、手を繫いで戴くように、木々の山はらの上下を元気に愉しむ夢を観ていた。

* 京言葉での、いろんな「キツい・乱暴な物言い」を、夢中、例を挙げ挙げ、ひとり、詮索したりもしていた。

* 以下に上の実例を多々各様に此処に挙げておいたのが、忽念と消え失せた。
2024 9/19

* やすものの二本差し時代劇には愛想を尽かし、云ううことを聞いてくれぬパソコンにはヒヤヒヤしながら、ま、大相撲では横綱へ絶対の驀進と信頼の「大の里」に満足し、妙に愛らしかった元大関隆景勝の是悲ない引退を惜しみ、
2024 9/20

* SPAM(屑)メールばっかり。
2024 9/20

* 何十と届くのは、みな「spam」メール。呵呵。
アイズビリ描く「聖裸形」としばし見合い、そして、また寝入るか。
2024 9/23

* いろいろに記事の重複しているのを,整理しつつ。と、思うが、これが,難儀に属する。
2024 9/24

* 寝たいに委せ寝入ってたような一日。機械での此の記事も、もっと書いてたような。よく覚えない。

* 記事が アチコチしている
2024 9/25

* 書いたとシカ記憶の今今の記事が消え失せて出ないとは。こんなことを繰り替えしては癇癪を堪えている。
2024 9/27

* 私には、これまでに大判函入り33巻、美装の『秦恒平選集』があり、さらに『秦 恒平・湖(うみ)の本』全166巻が在り、各社で出版販売の「単行書・新書・文庫本等々」が、100冊余在る。これほどの著作本を数多く遺してきた近代日本の純文学・文藝・批評・評論・エッセイの「作者・作家」は、たぶん皆無かと想われる。そして、いまなお新しい創作や執筆 さらに莫大量の『秦恒平・私語の刻』を、あくまでも「文学」「文藝」を自覚して、コンピュータに、日々、眞実・眞剣に生真面目に遺し続けている。私の「生きる」である。
あれは高校生より少し前ででも在ったか、黒澤明監督初期の名作映画『生きる』に胸のわれるほど感動したおもいでがあり、「生きる」一語は以来特別な意味で私に宿り続けてきた。
2024 9/30

* 真夜中に起き、 原作トルストイの『戦争と平和』映画化を見始めて、途中まで。今朝の「私語の刻」を書き綴っておいて、さらに機械仕事へかかったのだが、何が何して何とも判らぬままの「日録」乱脈に陥り、どう足掻いても。
何の早起きの徳もないまま、元のとおりにはならず。そのまま、むざむざとムダに、今、七時半にも。久しい付き合いの機械なのに、馴染み甲斐なく、書いたハズの記事・文章が行方不明になる。
やれやれ。やれやれ。
2024 10/1

* 相当な量の記事が 消散してしまっている。見つけ要の分かって居る人なら、たやすく拾い上げるのかも。
2024 10/2

* 睡り浅く、夢も見ず、目覚めやすい。体調不安 頚まわり硬い。視力不安、讀書も負担。
こんな寝床では、大概、「幼来近所の遊び仲間から,学校時代の友だちを年度を追い、教室や運動場へ帰り、さらには就職して、作家と成って、と、当時当時、知友関心の名前を、なかば夢寐にさまよいながら拾って拾っている。心地、心持ちの安定に効果あり、またやの睡眠へと滑り落ちて行ける。
男女比は、女子・女性の方が圧倒的に數多いのは、育ちが京都、それも川東祇園花街に「至近」とも「その中」とも謂え、加えて、一つ家の中で茶の湯・いけ花を教えた「叔母つる(生け花・御幸遠州流・玉月)(茶の湯・裏千家・宗陽)の稽古場の華やぎからも、自然当然ではなかったか。私も新制中学三年の内に裏千家で茶名「宗遠」を許されていた。
あえて無茶ぶりで謂うなら、少年の昔むかしから段々に積み上げた感懐と理會は「男は嫌い・女ばか」と成る。この「嫌い・ばか」が占め持った「含蓄」は、ほとんど哲学を為し成しているだろうよ。記憶に在る男女友数々の苗字と名前を書き出してみるか、と、想っていたりする。自然当然に女名前が男のそれの十倍をらくに超して余るだろう。
寝そびれて、未だ真夜中四時の、色よい雑念・私語の刻、で、ござるよ。
2024 10/4

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