ぜんぶ秦恒平文学の話

食べて飲んで 2002年

* 七草とは行かないが、すずな、すずしろで、白粥に。白餅はいつもより小さく割って入れ、塩味に。年に一度だが、旨い。年に三十度ほど食したい、なつかしい雑煮である。めでたく、松の内。

2002 1・7 12

 

 

* 空腹だったので、店内で気に入りの「宮川本廛」に入り、鰻を、「大丼」の菊で、食べた。出てきた酒の「宮川」は、例年読者の梅田万沙子さんに頂戴する旨い酒で、すこし大きめの銚子なのも嬉しく、満足した。鰻屋の酒は旨いものと昔から定説。梅田さんは日本橋宮川本家の出と聞いている。有楽町の「きく川」の鰻とまたすこし違う。ふっくらと蒸してある。ぺろぺろっと食べてしまった。食べての口すすぎに蓋をとった肝吸いがまだ十分熱かったのも気持よかった。

2002 1・14 12

 

 

* もう少しという気があり、場所を変えて、気に入りの「三趣の肴」で酒ののめる店に足をはこんだ。時間はやく空いていて、美しい人にくりかえしお酌をしてもらい、ほろ酔うて機嫌良く保谷に帰った。駅で、もう一杯生ビールの冷たさだけを味わってきた。ありていは、ずうっと読みながら来た森瑤子の「情事」を読み切ってしまいたくて、足をもう一度とめたのである。

この小説はよく書けている。他の人は知らないが、この小説は、わたしには書けない、書けないが読んでよかった、と思う。よく出来た処女作にある、丁寧さと厚みとがしっかり備わっていて、身を寄せて読み入ることができる。

2002 1・14 12

 

 

* 帰路、つきだしの胡麻豆腐と、刺身、焼き物、煮物の酒肴で、ちいさな徳利の酒を二本呑みながら、初校の出た湖の本を、二十頁ほど校正してきた。和服の美しい人が、何度かお酌にきてくれた。食事の店もなかなか大変らしく、近くのサンキエームは完全に潰れてしまった。痛みは身近へ来ている。

 

* ル サンキエーム本土決戦は絨毯爆撃?

最期の7日間、戦い終わりました。述べ90人、抜栓したワイン80本あまり、お客さんの熱気で暖房も必要なし、まさに集中砲火でした。(3キロ痩せました。)

この2年間、ほぼ無給でがんばってきましたが、万策尽きました。カルザイ議長じゃないけど「この国には何も残ってない」状態です。復活を望む皆さんのお気持ちたくさん頂戴いたしましたが、現実を考えると復興はアフガニスタン並に難しいものがあります。(日本政府みたいな人がいれば好いんですけどねえ、5億ドルとは言わないから。)

最後を見届けに駆けつけてくださった皆さんありがとうございました。またEメールでの暖かいメッセージの数々、胸に迫る物がありました。二人とも感謝感激雨あられのまんまんちゃーアーです。

ではまた、さすがに疲れてチョト変になって来たので。さようなら皆さん、本当にありがとうございました。

2002 2・12 12

 

 

* 早起きした。ゴディバなどのチョコレートを、昨日のうち六つ七つは食べていたので少し気にしていたが、六時四十五分の血糖値は、85。極めて良し。

もう一つ気にかけていたのが、粕汁。ちょうどこの季節に一番目のないのが、酒粕そして粕汁。酒粕があると、ひっきりなしに、そのまま食べていたい方で、栄養過多になりやすい。粕汁は淡泊につくってもらう、椎茸と薄揚げと蒟蒻と、大根。彩りにかすかに人参か。それ以外は望まない。魚っ気はお断り。野菜を主にして粕の味で熱いのを食べる。昔は大鍋にいっぱいでも、食べろと言われれば一人でからにするほどだった。酒粕のいいのがあれば、酒を飲みたいとも思わないほど、うまいと思う。

昨日は好きなものが二種類たっぷり口に入り、二つとも血糖値にどうかと案じたが、時間的な配分が良かったか、響かなかった。有り難い。

2002 2・15 12

 

 

* 妻と大昔からの親友持田夫人とで観てい* 駒込駅へ歩いていって、妻がさすがに草臥れたので、目の前のなんだか鄙びた「上海料理」店に入った。トリを半羽焼いて貰った。焼き餃子も春巻きも観たことのない形と味わい。マオタイもコップに大サービス。老酒もコップで出た。中国野菜がとてもうまく、ピータンも独特の濃厚な味で、生姜との相性がなかなか乙であった。最高の料理が「蝦球=シャーキュー」で、好物なのである。そして炒飯。卵と野菜と飯とが等量かと思うほどの、しかも大盛りの中に、蟹が姿のママ揚げてはいっていて、そのまま食べられた。中国人の店のように思われた。なんともはやクラシックに鄙びた、中国の公園などで店を出している小屋がけのようであった。椅子もテーブルも粗末至極だが味はよかった。こういう店に飛び込むととても楽しい。二人で一万円とはしなかった。

 

* 池袋に戻り、メトロポ(リタンホテル)へ立ち寄り、先日三省堂と打ち合わせたあと、アーケードで見つけて置いた、妻の服を買った。この店のデザインには気をひかれるものが時々有る。上機嫌の妻に、仙太郎の最中一つを買わせて、食べ食べ西武線で保谷へ。「ぺると」へ寄って、モカ。先夜の御礼をしてきた。

2002 4・17 13

 

 

 

* 青山辺ももうめったに来ないだろうと、妻と千代田線青山駅まで歩き、途中ラーメンが食べたくなって、早めの夕食代わりに、縄のれんラーメン専門店に入った。久しぶりに麺がうまく、それ以上に、湯飲みについできた老酒が、失礼ながらこの程度の店にしてはなどと思ったほど、べらぼうに旨かった。大いにトクをした気分だった。

千代田線で日比谷へ出、クラブはもう割愛して、地下道で休息かたがた冷たいコーヒーをのみ、有楽町線に乗り換えて保谷へ。

車中で、小林勇編「回想の寺田寅彦」を最期の最後の弔辞の行列までみんな読み上げ、目頭が熱くなるほど涙を溜めた。真に徳高き人の最期であり、死なれた人たちの悲しみが溢れんばかり一冊を満たしていた。

2002 4・27 13

 

 

* 浅草の望月太佐衛さんから、くわしい近況といっしょに浅草小桜屋のかりんとうを戴いた。あの中村屋の濃厚な大ぶりのかりんとうではない、華奢に色好くできた、小さい細い菓子で、品がいい。そして、あっさりとアトをひく魅力の味、妻にわらわれながら、つい一袋を、夕方に少し、夜に残りみんな食べてしまった。てきめんに血糖値はグレーゾーンの上の方へ。この数日、120台を上下している。いかん。

2002 5・4 13

 

 

* 佳い舞台だと機嫌もいい。勘違いして青山一丁目に行ってしまったので、大江戸線にのり、途中下車して喫茶店で時間待ちしてから、「八海山」のある、食器の吟味のなかなかいい新宿の店で、うまい和食を食べてから帰宅した。練馬駅の構内で久しぶりにケーキのモンブランを二つ買って帰った。玄関へはいるとさっとマゴが足下で出迎えてくれる。 2002 5・22 13

 

 

* 地下鉄に乗り損ね、間違って秋葉原まで行き、逆へ戻って日比谷でおり、クラブに入って、主にヘネシーを飲んだ。すこしだけブラントンものんだ。「伊勢長」が割烹の酒肴を用意していたが、いきなりの鱧きゅう、つぎに、茄子が主の野菜の煮物、そして稲庭うどんでは、落胆した。これなら、よその店で、美しい人にときどきお酌して貰いながら、よく吟味した刺身、焼き物、煮物の小鉢の方が、献立がいい。で、気分直しに、寿司の握りを頼んで、酒にした。気分はおちついたし、置き酒がいつものようにうまかった。それに此処にもさすが帝国ホテルらしく、行儀のいい美しい人がいる。何人もいる。自室のようにアットホームで、わたしは「常連」なんだそうだ。商談や会議の流れのグループがおおく、わたしのように純然と独りで憩いに来る人は少ない。それがわたしをくつろがせる。

ゆっくりした気分で池袋経由帰宅。ドイツとアルゼンチンがサッカーの後半戦を闘っていたが、なんとなく引き分けるであろうと予想し、二階の機械の前にすわりこんで、もう零時半になった。日比谷に座り込んでいるうちに雨が降ったらしい。保谷にもどった時は涼しくあがっていた。もう初夏どころではなく、しかしペン新館は冷房がきくので、ジャケットを持参で出かけた。

2002 6・5 13

 

 

* 栃木から小ぶりの西瓜を六つも送って戴き、妻はそのまま、わたしはジュースに絞って貰って堪能した。品のいい甘さで、今年の食べ物のなかで、いちばん美味しかった一つにあげたいほど。忙しさにかまけ、お礼を申し遅れているうちに、毎日一つずつ、みんな戴いてしまった。嬉しかった。

2002 6・6 13

 

 

* 山形県の読者から、すばらしい桜桃が贈られてきた。うまーい。じつに美味い。石川県の鶴来からは純米大吟醸の「白山」が一升。そして栃木からは二種類の芳醇のメロンが五つ。感謝。明日は桜桃忌。二つ目の誕生日である。

2002 6・18 13

 

 

* 早々に帰宅、萬歳楽「白山」で太宰治賞三十三年を自祝。桜桃のうまさ、格別。

2002 6・19 13

 

 

* 今晩は建日子の芝居をパスした。妻だけが出かけた。わたしは街へ出て独りでうまい酒をのみうまい肴を喰った。飲んで喰って「染」の勉強もゆっくりできた。よかった。刺身の鉢が、気のせいかいつもの二倍量も盛られていて、鯛もひらめもマグロもうまかった。ぐじの焼き物も、わらびをあしらった煮物も。酒の量はひかえて、アイスクリームとお茶でさっぱりし、きもちよく見送られて店を出た。

芝居のはねたあとの妻を迎えとって都庁前から帰った。

2002 6・20 13

 

 

* 言論表現委員会。猪瀬委員長大忙しで五時半過ぎには終えた。九月の図書館問題でのシンポジウムのパネラーなど、そそくさと決めて。七人もが各界から出るとなると、例によって散漫・放漫のおそれ少なからず、司会の手腕でかなり変わるだろう。シンポジウムというものに、わたしも何度か参加しているが、お祭りでこそあれ、さて、何がそこから生まれ出たという結果の見えにくいものである。やっています、やりました、というだけに終わることが多い。

 

* 一目散にクラブに入り、独り、ゆっくり洋酒をたのしみながら、うまいサイコロステーキとクラブサンドイッチ。そしてコーヒー。あれでスタンドの電気がもうすこし明るいと読書しやすいのだが。ヘネシーを二杯、ブラントンと山崎を各一杯、むろんいつものようにダブルのストレート。サントリーの山崎を置いてみたが12年ものでも実に柔らかくうまい。堪能した。

四月の年度替わりでメムバーに、クラブからワインが一本サービスされた、それを家に持ち帰った。洋酒のボトルは分けて独りでものめるけれど、ワインはあけたら飲んでしまうしかなく、しかし、独りで一本飲むのではツマラナイからと、包んで貰った。

2002 7・8 14

 

 

* なぜか、えらく食欲があり、うまいものが食べたい、なにがいいかななどと想っている。京都の玉村咏氏が越前の肴をいろいろ贈ってきてくれた。山口からは清酒「獺祭」が三本届いた。これはもう飲まずにおれなくて、仕事の間・間に、ちょくちょく、と。

さすがに外出は皮膚を焦がすようで蒸すようで、着替えるのからして面倒でひるむけれど、そういう時にわざと週一の歯医者通いを決めたのは、出て、そのついでに楽しめることは楽しもう算段。だが麻酔の抜歯の入歯のと続いては、勘定が違いそう。

2002 7・24 14

 

 

* 今日も出かけなかった、どこへも。玉村さんにもらった、きすやサヨリや鯛のささ漬けを肴に、獺の気分で「獺祭」を飲んだ。

明日は、なんだか知らないが「麻酔する」と医者に予告されている。二時ぐらいまで喋れないらしいから、食べられもすまい。そんなときは、観るものも冴えないからまっすぐ帰ってこよう。真夏。どこかへ行きたいが。このごろテレビで佳い映画もない。

2002 7・25 14

 

 

* 奈良の友人から桃と葡萄がたくさん贈られてきた。高校で同級だった秀才の妹さんで、わたしの率いていた茶道部にも入っていた。今は湖の本を買ってくれている。家が松伯美術館に近く、招待状の大方を使ってもらっている。高校を出てから四条縄手西の銀行の窓口にいて、父のお使いで窓口まで出かけると顔を見ていた。あの頃から会ったことがないが、兄貴もともども、懐かしい。兄妹の、上のお姉さんにも、続けて湖の本を買ってもらっている。有り難いこと。

 

* 鶴来の銘酒万歳楽のなかでも、杜氏が心を込めて作ってくれた一本を、自然食品の幾色ものうまい漬け物をさかなに、夕刻前、しみじみ酔った。なんでこう酒がうまいのだろう。

2002 7・31 14

 

 

* 四国の花籠さんから、はやくも「夏ばて」気味の人にと、見るからに美しい牛肉がたっぷり贈られてきた。美味しい間に戴こうと、感謝し、食卓に上るのを待っている。夏ばてはしていないが、心気疲労はなくもない。すべき仕事が有るからだ、が、なかなか乗れない。

2002 8・3 14

 

 

* 無一物という焼酎をのみながら、湖の本の校正に何時知れず没頭していた。いやなことを忘れたかった。美しい人のお酌で二度三度。くつろぐ。

2002 8・9 14

 

 

* 炎天下を隣のひばりヶ丘駅まで用足しに、二人で出た。銀行の用は簡単にすみ、ちかくの「ビストロ」でランチを食べてきた。それが目当てであったし、ステーキもポテトサラダも旨かった。自家製のよもぎパンもママレードも。妻のとったソーセージをすこしへつったが、これが旨いので、すこしヒガンだほど。小さい小さい瓶の赤いワインを二人で分けた。いや、大方をわたしが呑んだ。最後がホットコーヒーだとよかったのに。

茄子のスープには閉口したが。夏はどの店でもやたら茄子をつかう。心知った馴染みの店だと茄子ははずしてくれるけれど。「茄子はダメ」というと、きっと誰にでも何処ででもわらわれる。しようがない。少年時代をひきずっているのだ、茄子は煮たのは論外、焼いたのも、味噌のも、揚げたのも、全然受け付けない。漬け物だけは食べられる。他のたいていのものは、ピーマンでも唐辛子でもカボチャでもニンジンでもまあまあ食べられるようになったが、茄子は金輪際いや。

2002 8・15 14

 

 

* 歯医者から新宿へ出て濁り酒を二合呑み、八海山を少し呑み、焼酎の無一物を呑み、保谷の駅でビールを呑んだ、明日は診察日なのに。べつに何という理由はなかった、ま、父の命日だという思いがあり、酒の飲めなかった秦の父にかわって呑んだというような理由にも成らないことを書き留める以外にない。夕食も食べずにぐっすり寝た。目覚めて入浴。寅さんの映画は敬遠し、小林秀雄の戦時中の講演録を読んだ。小林さんに、名刺に「謹呈秦恒平様」と自筆の添ったのを挟んで大著『本居宣長』を頂戴した。ふしぎなことだ、今頃、わたしは小林秀雄を読んでいる。

2002 8・29 14

 

 

* 出がけに至急の校正や何かが舞い込んで、かなり気がせいて家を出た。一時半の予約診察だったが、勘をはたらかせて正午に病院に入った。検査を済ませ糖尿外来に行くと、案の定がらがらで、すぐ先生の診察が受けられた。全く問題ないとのことで、簡単明瞭、必要な薬品や検査用品をもらっただけで、十二時半には病院を出た。それはいいが、今年一番のがんがん照りに額も首筋も焦げそう、早々に地下鉄へ逃げ込み、有楽町で途中下車し、帝劇モールの例のご贔屓「きく川」に入って、鰻。塩もみのキャベツ。そして菊正一合。前田愛さんの「樋口一葉の時代」と、今度の湖の本の跋文を、ゆっくり読んでゆっくり息を入れた。あたりはずれのないご馳走で、満足するのは確実、こういう店を都内のあちこちに何軒も持っていると、どこででも楽しめる。戦時中の欠食児童は、どうにも食い気ばかりは根強く残っていると見える。

わたしは美食家ではない、好き嫌いももう偏食といっていいほどだったが、ま、とにもかくにも食事はまだ楽しめるのが嬉しい。ただしいつも糖尿病の顔は立てるように気遣っている。病院へ行くたびに医師も看護婦も、ほとんど手放しでほめてくれる。

 

* 保谷へ戻ってから、「ぺると」に立ち寄り、若いマスターと住基ネットのことなど、話し合ってきた。

2002 8・30 14

 

 

* 五時で猪瀬氏は退席し、その後篠田副委員長の司会で、一時間余も延長された。付き合いはしたが、解散後の打ち上げにまで出る気はしなかった。それどころか厭ァな気分を少しもはやく散らしたく、日比谷クラブでコーヒーをのんだあと、有楽町まで歩いて、やはりまた「きく川」でうまい鰻を食い、菊正を二合のみ、出がけに届いた三田誠広の例の神話シリーズ三冊目「ヤマトタケル」を読んだ。もっと美しい人のいる静かな店へ行きたかったが、八時からの「北の国から」を目当てにしていたので、足場のいい「きく川」での、間違いのない満足を選んだ。酒も鰻も吸物も漬物もうまく、三田君の本はまあどうみてもチャチなお話に過ぎないけれど、それはダシにして、わたし自身の歴史体験へずんずん入り込んでは行けるので、たちまちにシンポジウムの印象は雲散霧消し、何の不快な負担もなくなった。つまり、あんなのは、その程度のものであったのだ。

 

* 有楽町線を池袋で途中下車し、東武地下の「仙太郎」で餡たっぷりの大きな最中を一つ買い、ちょっと恥ずかしいが地下道を歩きながら、しばらくぶりに美味しくかぶりついて来た。甘い餡がうまかった。保谷で「ぺると」に立ち寄り、苦い濃いコーヒーをたててもらった。

 

* 「北の国から」も終わり、昨日にはともあれ新しい歯が入り、やがて新しい「湖の本」の第七十二巻が出来てくる。

この仕事を此処まで十六年半もやり遂げてきた体験は、「読者抜きの手前味噌」をならべた著作者達の無方針な「権利」意識とは、性根がちがう。三冊や四冊、一年や二年で挫折した仕事ではないのだ。創作者の目から、読者という大事な質的存在が欠け落ちたまま、売れない、金にならないと口を揃えてチイパッパには、しんから恐れ入る。

そうではないだろう。本気でそう言うことが云いたいのなら、公貸権のことなども、宇治川の先陣争いのようなことでなく、どうすれば「with」で結ばれて著作者や図書館が、真剣な意図の槍先を、どこのどいつへ向けて繰り出すかの具体的な「相談」に掛からねば、所詮意味は生じてこないのである。「グチのガス抜き」ばっかりやって、だれもが別々の通じ合わない言葉を使いながら、漠然と闘っている気で居る。愚かな話だ。

陸軍は海軍にそっぽを向いて闘い、海軍は陸軍に必要な情報も隠蔽しながら戦争をしていて、まんまと負けた「台湾沖海戦大勝利の虚妄」を思い出す。なぜ、せめて文藝家協会と日本ペンクラブとは、必要に応じた協働の体勢をとらないのか、信じられないほどだ。狭量そのものである、お互いに。

 

* 出掛けていった唯一の収穫は、井上ひさし氏の直接の承諾をえてきたこと、戯曲「金壺親父恋達引」を「ペン電子文藝館」に出してもらうと決めたこと。これで副会長は瀬戸内寂聴さん一人が残った。瀬戸内さんのもの幾つか見ているのだが、どうも作品が絞れない。

2002 9・7 14

 

 

* 空腹だったので食堂で久しぶりに五目のラーメンを食べたのがうまく、野菜は少し残して、つゆを美味しく吸いきった。花彫の紹興酒もすてきにうまかった。

2002 9・10 14

 

 

* 歯の治療が終わった。三ヶ月かせめて半年ごとに来いと言われた。このまえは三年近く間をあけたようだ。歯がぐらつかなかったら、もつとサボっていただろう。四十万円ほどかかった。これは仕方がない。丁寧によく仕上げてもらった。

西洋美術館でのウインスロップ・コレクションのレセプションまで三時間半も間があった。鶯谷の駅前の馴染んだ蕎麦屋にはいり、特製のソバガキで酒を飲みながら、本の校正に余念無かった。そのうちに天麩羅とじで蕎麦が欲しくなり、また酒を頼んだ。この店は酒の徳利と猪口が染め付けで、なかなか佳いモノを出す。

蕎麦屋で酒というのが好きである。徳利が大きいのも、いやしいが、有り難い。それでも一時間あまりあまったので寛永寺の広い墓地の中を歩いたが、えらく豪勢な大きな墓の多いのにビックリした。国立博物館をぐるりとひとまわりし、ついでに東洋館に入り、それから西洋美術館に三時に入った。

バーン・ジョーンズやガヴリエル・ロセッティらのコレクションで、質はかなり佳い。絵は、人により好き嫌いがあるだろう。ギュスターヴ・モローがわたしは文句なく好きであり、ジョーンズやロセッティは、是々非々。丸谷才一氏と会った。他にも黙礼されたりしたが誰とも覚えがなかった。かなり完備した図録がおみやげに出て、これが目当てで出向いた。最近の図録はほとんど研究書ほどに詳細で大部。重い重い。レセプション会場で、赤いワインのグラスを三度ほど替えた。

2002 9・13 14

 

 

* きのう東武で気まぐれに買って帰った「桂花陳酒」というのが、甘いシェリーのようなもので、度数は15%でたいしたことなく、口当たりがいいのかわるいのか、とにかくも二日で一瓶呑んでしまった。おかげか夕過ぎて眠くなり、うたたねのつもりが気が付くと十一時半。史上稀とかいう前評判の強力台風が、どうやらほとんど存在を示していない。

2002 10・1 15

 

 

* 劇場の地下へ張り出しているような地下店におりて、妻と、浦霞の冷やで、刺身、新そば、牡蠣ふらい、貝の甘煮などをゆっくり腹に収め、くつろいだ。それから、日比谷へ出て、開店十二年を祝っている「ザ・クラブ」へ入って、ボトル・フェアにちと便乗。ご祝儀に出たグラスのシャンペンで乾杯し、今年初の松茸飯を食べて、疲れの取れたところで銀座一丁目までぶらぶら。明治屋でパンとチーズを仕入れ、九時ちょうどに帰宅。肩の凝らない休息の一日であった。ああそうか、芝居とは、こういう暢気な一日のバランスシートから、むやみにハミ出ちゃいけない、そういうものであるのか。わたしの考え方が窮屈だというわけか。フーン。

2002 10・5 15

 

 

* 竹西寛子さんに「吉野拾遺」という、云うまでもない吉野葛の逸品をわざわざ贈って戴いた。佳い葛は、ほんとうに美味い。谷崎潤一郎の「吉野葛」を読んだ昔がどんなに恋しいことか。岩波文庫の星一つ『吉野葛・蘆刈』をどんなにいとおしんで耽読したことだろう。最良の吉野葛の味わいと共に想い出す。高校生であった。星一つの文庫本をいつも探していた。昼飯をはぶいても買いたかった。

2002 11・12 15

 

 

* 花籠さんからの牛肉が、とびきりうまい。生協から届くわずかなワインも飲み干してしまった。ところが血糖値は安定して正常値を保っている。体重も増えていない。有り難い。今は、左手の小指の側が手首の上までジンジン痛む。さするとビリビリする。キイの打ちすぎであろう。この「私語」は、一日の作業量の一部なのである。過剰なDOINGではある。

2002 11・25 15

 

 

* ほぼ九割九分まで「湖の本エッセイ26」の発送を終えた。まるで祝って戴くように読者から純米の清酒を二升贈ってもらった。晩に、片口にとりわけて頂戴したが、総身に沁みるほどうまかった。木の片口に二杯、正味で二合ほどを、あっというまに吸うようにのみほした。清水のように、喉の奥まで澄んで光る気がする。感謝、感謝。

いまその人から、こんな、お心づかいも有り難い、嬉しいメールが届いた。谷崎先生もお口にされたお酒であろうか、身のわきから、わたしをいつもぐいと見据えておいでの写真にも、一杯差し上げたい。

2002 12・3 15

 

 

* 深くがけの下へ沈んでゆく、このへんの地勢に素直に馴染ませた紅葉の庭園をゆっくり散策してきた。やっと今年の残り紅葉に間に合った、それほど今年の秋は出掛けなかったと見える。

上野毛から二子玉川まで行き、駅の長ぁいホームから多摩川の下流を眺め上流を眺めて、妻も私も気が晴れ晴れした。お天気に恵まれた。昨日は寒いような雨であった。

ホームを換えて、半蔵門線に接続している東急電車にのりこみ、社中で妻は増強のくすりを服し、電車終点の水天宮まで乗っていった。

以前に、京都造形美術大学の東京でのお披露目があり、芳賀学長に呼び出されてこの近くのホテルでの宴会に出たことがある。市川猿之助が副学長だとかで、彼の歌舞伎談義をながなが聴いたあとさっさと抜け出して、水天宮に一人で参った。谷崎文学にもゆかりの地、気分が直ったので神社の床下のような寿司屋に入って、一人で旨い酒と肴をたくさん楽しんだ。その楽しかった記憶があり、電車の便宜を幸いに妻を誘ったのである。

水天宮さんは街より一段高く、まるで二階に浮かんだ風情がおもしろい。ま、安産を誰のために祈る折りではないけれど、お賽銭も入れてきた。

風情もよく珍しい店もちょくちょくの宵街をそぞろ歩いて、翠蓮という地下の中華料理に入った。そんなには食べられないわと言いながら、出てきた料理がみな口に合い、妻もほぼ一人前のコースを食べた。瓶出しの佳い紹興酒もたっぷり飲み、疲労も取れて、さらに人形町の方まで散歩してから、日比谷線で銀座へ、銀座から有楽町線の銀座一丁目まで銀ブラして、地下鉄にもうまく座れたを幸い、保谷まで一本道、ねむりを取りながら帰り着いた。玄関をあけると、黒いマゴが頚の鈴の音もかろやかに、嬉しそうに迎えに出て足許から離れない。

と、ま、久しぶりに、のーんびりとした楽しい遠足であった。観ものは名品、食べ物は旨く、上野毛、二子玉川から水天宮までと、予定もしなかった遠足が、心嬉しかった。

2002 12・5 15

 

 

* 有元毅さんに戴いた美作の御前酒がうまくて、きれいに飲み干した。もう一升はお正月にとっておく。なんでこう酒が旨いか。

2002 12・7 15

 

 

* 銀座「シェ・モア」では、開店後もずっと、借り切りのようにわれわれだけで、じつに静かにゆっくりとうまい食事が出来た。シェリーを食前に、そして赤ワインは濃厚で、ソースのうまいフランス料理によくあっていた。

明治屋でブルーチーズを、そのとなりではパンを買い、有楽町線で保谷まで。冴えて頬のぴりぴりくる冬夜の気配を楽しむように、帰宅。黒いマゴに迎えられて、すこしパンとコーヒー。「お宝鑑定団」で秀詮の佳い虎の絵をみた。

2002 12・10 15

 

 

* 風月堂ですこし遅めの昼食。ワインと海老フライ。

2002 12・12 15

 

 

* 六本木には他に馴染みの場所がすくない。俳優座の裏、ここだけは馴染みの「升よし」で旨い寿司でもつまんでゆければよかったが、日曜日で休み。余儀ないこと。

で、はやばやと帰った。「ぺると」でコーヒーをのみ、若い主人と「映画」の話などしてから帰った。昨日DVDで観た「黒いオルフェ」から始まり、いろいろと。

2002 12・15 15

 

 

* さ、階下で、妻と黒いマゴとのそばで、少しだけ、旨い酒を呑んでこよう。山口県の読者から名酒「獺祭」も贈られてきた。新潟の旨い餅、栃木の美しい苺、そしてベルギーのチョコレートも。

2002 12・24 15

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