ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2007年4月まで

☆ 新しい年になりました。
去年は苦しい一年でした。忘れられない想いを大切に抱きつつ、新しい年を過ごしていきたいと思います。
先日は、ご本ありがとうございました。
「少年」、温かいものが伝わってきました。やす香を重ねて読んでしまいました。建日子さんの、サイン入りのご本まで頂けるなんて、感激です! まだ読んだことがなかったので、楽しみに読ませていただきます。
すぐにお礼を送れなくて、申し訳ありませんでした。
今日は、元旦からアルバイトでした。
去年、(旅次に)四時間だけ時間があったので、京都のお寺を三箇所まわりました。乗ったタクシーの運転手さんの勧めで、泉湧寺にも行ってきました。紅葉には少し早かったのですが、感動しました。門をくぐった時の趣き、威厳と品格のあるお庭、素晴しかったです。「少年」の後ろに、高校が泉湧寺の近くだとありましたが、羨ましいです。
(略)
やす香のフランス語は、学校一でした。
他にもフランスからの帰国子女はいたのですが、みんな自分のものとして上手く活用できていませんでした。
やす香は、小さい時からヒッポにいたせいもあるかもしれませんが、ただの言語に留まらず、自分の一部として使いこなしていました。
誰もが、やす香のフランス語力を褒めますが、やす香はフランス語限定ではなく、国語力がとても素晴しかったです。
国語の授業の時は、先生と対等に意見を交わすことが出来ました。
私は、ただすごいなと眺めていただけです…
やす香は、心の底から溢れ出す表現力を持っていました。
苦手な教科があった記憶はありません。
今年は成人式です。
いろいろ迷いましたが、***市の成人式に出席します。
成人式は、自分だけのお祝いだと思っていましたが、おじい様の文章を拝見して、愛してくれる家族の思いもあるのだと思いました。
やす香は、この日を迎えたかったので、当日はやす香と撮った写真を持って一緒に行きます。
おばあ様、お体に優しいものをたくさん召し上がって下さい。
心配症のやす香が、また心配してしまいますので。    慈

* ありがとう。嬉しいお年玉を戴きました。

* 年賀状も年賀のメールもたくさん来た。

☆ 秦 恒平さま  あけましておめでとうございます
皆様のご健勝をお祈りいたします
われわれは今年六回目歳男です。お互いに健康で楽しくひと様に迷惑をかけないように努めましょう。
11月に国立劇場で我当君の舞台を観てまいりました。元気だ頑張っていますね。
12月には京都で田中勉君と新しい「樅」で一夜を過ごしました。
今年は何処か出会いたいですね。お元気で!  團彦太郎

* 弥栄中学、日吉ヶ丘高校の同窓生で、のちに昭和石油の副社長か社長までも歴任した親友。

☆ 陽光欣迎 謹呈春詞
裸幹(はだかぎ)が 陽を吸っている 明けの朝
本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。
2007/01/01    東京・多摩河畔  甲子

* われらE-OLDSの長者。いまも健筆衰えぬ文学愛の人。
2007 1・1 64

☆ 事始め?!  新年早々アルバイトに行ってきました☆
コンビニなのでもちろんお正月なんかは関係ないです (๑→ˇ㉨←)ノ
猫のグーは写真で見た事があります(♥ó㉨ò)ノ おっきくてかわいかったです♪
自転車では遠くまで行かれたのですか?? でも…飲んで乗ったら飲酒運転ですよ(。→ˇ艸←)笑
わたしの可愛がってるセキセイインコは“ピーちゃん”です(>∀<)ノ でも…丸いのでひよこみたいです(・´з`・)笑  よく私の名前を呼んだり、とにかくおしゃべりです
湖さんの写真はやす香さんですよね。おじいさんを見上げている感じがほんとにかわいいです。
みなさんがやす香さんの写真と…一緒にお正月をお祝いされたことをうかがい、みなさんのやす香さんを思うお気持ちが伝ってきました。  耀
2007 1・2 64

☆ 月と星の光のもと、誰もいない飛鳥板蓋宮址で除夜の鐘を聞いてまいりました。
三方から響いてきた鐘のうち一番いい音の橘寺へまいりましたら、ちょうど新年零時の鐘を撞くために老住職が出てらしたところでした。観光客など全くいなくて、地元の人が三々五々石段を上って、列に並んで、撞いては帰ってゆかれます。知恩院ほか東山の寺で懲りた、物見と観光の空気が微塵も漂っていない、こういうところが飛鳥なのですね。帰省して故郷のお寺へお参りしているような気がしました。
ご住職が外出する前にお訪ねしたり、帰られたところに行き遭ったり、後から来た観光客のお陰で閉じていた社寺務所が開いて奥様とお話ができたり、地元の方に遭って信者さんでなければ入れないようなところに入れていただいたり、と、社寺巡りをしているとときに、お能にあるような不思議な出会いを体験します。
近江の朝妻筑摩でもそうでした。
古社で石柱を読んでいたら、いつの間にいらしたのかひとりのおじいさんが「こっちに古い石塔がある」と案内してくださいました。竹藪に隠れ、こぼちていますが見るから古いもので、雀たちは感歎の声をあげました。そうしましたらそれからこれへ、と、 ― 神社の祭神と古代の天皇のはなし、地震のこと、港と湊の違い、川原は処刑地ゆえに石塔と寺の町になったこと、四本の木があったこと ―、 最後に駅前の銅像と山内一豊の母の家への道筋をお教えくださったので現代のひとと解ったのですが、お礼申しあげクルマに戻り出発しようとしたときには、かき消えたように誰一人あたりにいないのです。世継の翁だったのかもしれないと旅のはじめに胸が高鳴りました。
そのあと、信州人の主人が天野川河口から湖水を眺めて「向こうは安曇川だろ、なんだか安曇野と千曲川みたいだな」といいますから後日、雀にとって4度目の安曇川町行きをいたしました。
藤樹先生の思想を伝える「あどかちゃん」という平安朝の藤娘ようの可愛らしいマスコットキャラクターが出来、物産宣伝、販売、観光案内、食事、休憩、コンビニが揃った道の駅が、藤樹神社の北側にできています。雀が初めて訪れたときはJR駅構内で細々観光案内と物産販売をしていて、朽木村に行ったらおいしいものもおみやげもありますよといわれたことを思うと、なるほど今は観光が大きな産業になっているとしらされました。
前回巡った三角州平野部の神社は割愛し、街道以西の山裾にある古社寺を巡ることにしました。安曇川北岸に熊野三山を勧請したのではない古い熊野神社が3 社あるときいて、上古賀地区の1社を訪ね、また、嶽山に嶽観音白蓮山長谷寺があって、ここが園城寺観音堂の隣にあった三尾神社と長谷寺とにつながっていることがわかり、玉泉寺ではお堂に集まった地元女性の読経が青空の下を流れるなか、古い石塔と層塔と石仏に迎えられました。志賀越の大仏に似た仏が5躰居並ぶさまは、まるで“ロイヤルストレートフラッシュ”。
近江の石にはいつも熱っぽくなるくらいアテられてしまいますが、池を中心に粉河寺庭園の4~5倍の広さにひたすら巨石と岩が積まれた水尾神社の庭園は、超弩級。神社庭園は珍しく、野洲の兵主神社のそれは、水の祭祀を行なった場がもとになったといい、ここ水尾神社は古墳群ゆえとのこと。
こういった地で、鳥の脚に鈴をつけて放ったらどんなに神秘的な気分がするでしょう。
帰宅してしばらくしたら「アンケートはがきで当選」と「湖西・湖辺の道(うみのべのみち)」という地元出版社の本が届き、多々収穫を得ました。   雀

* 囀り初めの、冴えていること。水尾の石積みのゆかしいことは。
2007 1・3 64

☆ 佳いお天気続きで、穏やかなお正月でしたね。ゆっくり過ごされたご様子、何よりでございます。
今日4日は私の誕生日です。(もう、あまり嬉しくないですけど。)
昨日は徒歩で南沢神社まで初詣に行って、変わらず澄んだわき水の音を聞いてきました。今年こそ良い年になれ! と願ってきましたけれど、新聞を開けば「日米、有事計画を具体化」など新年早々ぞっとすることばかり。まったく岸政権の再来? という感じですね。
今年もどうぞよろしく御願いいたします。 ゆめ

* 正月は例年だが、新聞を全然見ない。テレビもニュースを観ない。たまたまその場面だけ、往年のバタやん田畑義夫の「帰り船」を聴いて、当時の「歴史の厳粛」今更に泪溢れた。「浪のせのせに揺られて揺れて 月の潮路の帰り船」と歌詞も優れているが、何と言おうともこの演歌調の深部から、はるか海外の戦地をのがれ日本へ日本へかろうじて引き揚げる同朋たち命がけの思いが噴き上げてくる。それに熱く泣く。幸せにも何の関わりもなかったわたしも、あの頃、日々のラジオの「たずね人」放送に、耳押しあてるように聴き入った。
2007 1・4 64

☆ 迎春   今年こそ平和な佳き一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。
初夢に来てくださいました。現実ではない家に逢いにきてくださったのです。お茶をのんで二人で和やかに何かを話していました。とても嬉しかった。静かに満ち足りてしあわせでした。と同時に、帰ってしまう人だと思い続けていました。目覚めて哀しみにきりきりと身を苛まれたのでした。
でも、現実のお正月は穏やかで心温かでした。誰のためではなく、自分のために美しく華やかにしていたいと願い、三が日は着物を着ていました。元旦は雪月花の訪問着、二日は誰が袖、三日は青海波の小紋で外出。美酒あり花あり、お節はうんざりするほど。テレビも久しぶりに時代劇ばかりよく観ました。
今日は年末年始の家事から一休み。パソコンで仕事を開始です。続けることが何より大切と教えていただきました。今年も、書き続けてあきらめません。
時々足元で「ひめ」がムニューというようなノビをしながら暢気に寝ています。 初日

* 甘いお菓子をいただくようなお年玉メールである。

* みんなが船出したあとから、ゆっくり櫂をおろして波を押そうと思っている。
2007 1・4 64

☆ 秦先生,ご無沙汰しております.東工大卒業生の*****です.
年末ギリギリの大晦日に東京に戻ってまいりました.
明々後日に、アメリカに発ちます.
本日,「湖の本」のお代を郵便局で入金させていただきました.これから発行される本の分をと思い,合わせて2万円を入金させていただきました.ご確認いただけましたら幸いです.
アメリカでの住所は以下の通りです.
割愛
東京の実家の住所は以下の通りです.
割愛
わざわざ海外にお送りいただくのも大変ですし,おそらく実家から定期的に宅急便を送ってもらうことになるかと思いますので,実家の方にお送りいただければと存じます.
4年半に亘る岡崎生活ですが,今まで東京を出た事のない私にとっては,色々な意味でカルチャーショックを受けました.
喜ばしいこともありましたし,辛いこともありました.
しかし,この選択は私にとって非常に意義あるものだった,と今振り返って思います.
岡崎が意外にも関西方面に近かったこともあり,関西へも気楽に出向くこともできましたし,東京にいる時にはまず行くことの無かった中部地方をあちこち出歩くことも出来ました.
これからのアメリカ生活は不安で一杯ですが,反面期待で満ち溢れています.
自分の持てる力の全てをぶつけてきたいと思います.
アメリカに参りましても,このメールアドレスは使えますので,何かございましたらこちらにご連絡いただけましたら幸いです.
では,行ってまいります. 雄

* 新たな門出を心より祝福する。日本の最高の研究機構で、もう永く最先端の研究に従事してきた。その蓄積と業績がアメリカの研究機構から期待されたのである、思い切り吹っ切って打ち込んできて欲しい。人の渦と、研究がらみの暗い仕掛に絡まれないでください。
やす香の医療のことで、とても親切にして貰った。あらためて心より御礼申し上げる。
卒業生諸君、着々と自身の世界を実力で切り開いている。嬉しく、心から声援を送る。大学にいたとき、こういう諸君の十年後十五年後がみたいと何度も思った。その夢が幸い叶っている。またそういう諸君が、どちらかといえば苦手に属するであろうようなわたしの「湖の本」を、逆に応援してくれる。幾重にも、感謝に堪えない。
2007 1・5 64

☆ 一絲文守、梅宮、水尾    名張駅発7:26⇒8:46京都駅着、そして18:15京都駅発の近鉄特急に乗るまで京遊山というのが、雀のベーシックパタンになっています。これは亀岡を十分遊山できる時間なのですが、いまだに実行していません。
湖北から美濃、また飛鳥・葛城から紀伊へと誘われるように、川と古社を辿りながらその先 ― 大江、由良、加悦、伊根、間人、そして久美浜の熊野神社へ ― と思いが募ってたまらなくなりそうで、老ノ坂を遊山の留石かのように、ためらい続けています。
三十三所穴太寺は直行直帰。一絲文守が25才で隠棲した庵を尋ねようと思い立ったときもその予定で、「亀岡市畑野千ヶ畑 法常寺」と書き留めた紙切れ一枚を持って駅に降り立ちました。鬼の人形が迎える湯の花温泉、加舎の里を過ぎ、亀岡市の西端といってもいいところに、その庵 “大梅山法常皇寺”はあり、帰宅したあとすぐ真南が摂津能勢山と知って、亀岡が東西に長いことを認識しました。
お寺でうかがったお話によると、東隣の本梅町を境に天候が変わるとのこと。沢宮文智女王が梅宮ともよばれていたことを思い出し、お寺の場所は本梅の隣とおぼえました。
1629年 後水尾天皇譲位。
1631年 後水尾上皇(36才)が一絲文守(24才)を召して「法要を」ととう。梅宮(13才)と大納言鷹司教平結婚。
翌年、文守は畑野に桐江庵を建立し隠棲。
1634年 梅宮(16才)自ら離縁。
1638年 梅宮(20才)出家の願いゆるされず、後水尾上皇は文守(31才)のために西賀茂に霊源庵を創庵。
2年後、梅宮(22才)出家勅許。
1641年 修学院に円照寺創建。桐江庵は後水尾勅願寺として文守(34才)を開山に法常寺とあらためられ、東福門院(35才)が本尊の釈迦如来坐像を寄進しました。

タクシーの運転手さんはお寺を出ると、「るり渓がすぐ近くですからちょっと寄ってごらんになりませんか」とハンドルを切りました。雀は道のままうつってゆく窓の景色に目をやっていましたが、そのうちに
「あれェ。おッかしィな、こんなンやったやろか」
と運転手さんはしきりに首をひねります。道路も含め一帯がきれいに便利に整えられたために、以前に得た味わいが失われてしまったようです。雀はお寺と畑野の景色にほうけていましたから遊歩道の表示に「下りてみますか」と言われたのも断り、道路地図を借りました。そして千代川駅のそばに月読橋の名を見つけ、そこへ向かってくれるよう頼みました。卯年生まれの月好きとしては足を運ばずにはいられません。
京都市の月読橋から月読神社を識り、近飛鳥の月読橋を尋ねた折は隼人石を見せていただいたり藤原永手の古墳を教わったり、飛鳥戸神社に祭られているのが冬継の母(良岑安世の母でもあるそうですね)とさまざまな知識を得ました。ここもきっとなにかが雀を待っているはず。
田んぼの中を真っすぐ貫いた道路の正面に山塊が立ちはだかります。雀の目は真正面の霊気芬芬とした山にとらえられました。愛宕山、これが…。法常寺で頭からかぶった高波が引かないうちにまた一波。ずぶぬれになる衝撃です。
愛宕山の西を回って保津峡から嵯峨野へ出る道があるというので出雲大神宮の手前で北上し山裾の道に入りました。
棚田、石垣、茅葺きの家、銀杏の大木、桜の古木。
愛宕山の腰、腰畑地区というそうです。「手打ちそば」ののぼりにひかれて行ってみると、地元の人たちだけで営んでらっしゃる店で、そばが茹であがって、天ぷらが揚がる間、地元の方とおしゃべりをして過ごしました。
季の、地もの食材ばかりの天ぷらにおそばもそば湯、どれもおいしかったァ。  囀雀

☆ 深谷山    うっそうとした木の下をぬって進む道から、何本もの細い参道が山頂へとのびています。人家が減るに従いますます山の精気が濃くなって、とりこまれてしまいそう。物見高い雀も道に入ってみる勇気は出ませんでした。志賀の崇福寺の古墳にしゃがみこむ感覚を少し角度を変えた感じといったらいいでしょうか。
そのうちふっと右手から明るさが入って視界が変化しました。急斜面に黄色い実がたわわに生って、これが話にきいた柚子のさと水尾地区とのみこめました。
民宿の案内に混じり清和天皇御陵の案内が小さく出ているほかは、右も左も柚子、柚子、柚子。
山を下り、下り、川面が近い、とそこが保津峡。鉄橋に停車するトロッコ列車が見えます。舟をもやって船頭さんたちが焚く火の白く細い煙が渓をのぼってゆくのを眺めたり、パークウェイの展望台やかわらけ投げの場所を教えていただいて振り仰いだり、駅ホーム脇の焚き火に当たって寒さをちょっとガマンしながら景色を堪能しました。
JRの駅へ歩いてゆくとトンネルの向こうから音がします。
トンネルから電車が出て駅に停まりました。若い女性の車掌さんが窓を開け指差確認をして発車。すぐまたトンネルへと吸い込まれてゆきます。あとは渓流のかすかな音以外なんにも耳に届きません。
道路に戻り道をすすみます。古いトンネルを抜けると深谷山の橘嘉智子御陵に出ました。
「藤原氏にいけずされてこォんなとこにひとり離されたはんねン、可哀想に」
そう運転手さんがいうのと苔むしたいしだたみの道に差し込む冬の弱々しい日光。胸の奥にシャッター音が響きました。
タクシーが大鳥居の下にすべり出でたときはジェットコースターがゴールしたときのようになにがどうなったのかわからない状態で、平野屋が見えてようやくどこにいるのか把握できました。石仏が埋める愛宕寺も化野念仏寺も嵯峨野見物のときはこわいと思いましたが、山から下りてくると塗った漆に埃が落ちてくる気がして、
「あーぁ戻ってきちゃったァ」とため息をつきました。
運転手さんも「ほんま、そうですねぇ。とたんに観光地いう空気になりましたなぁ」そして「帰らなあかんちうのがなんともつらいですわ。せやけど帰らはるんでしょ」と。
京の護り愛宕山。その衣の端っこをつまんだだけでしたが、高雄や嵐山観光では得られないちからに触れ、強く心をゆさぶられました。また、サンチュウとヒロミ、“山の向こう”“川の向こう”という距離と感覚を、ふたたび、みたび、思いました。   雀

* このあいだ、「篠村」のことを歳末雑感に書いて愛宕山への見ぬ恋を語ったが、雀さんの今日の二編はその界隈に深く接近していて、保津峡の駅から平野屋まで、元気だったむかしの妻と歩き通したこともある。

☆ 土砂降りのこの雨が重い気分を一掃してくれそう。
(夫君の=)体調、少しは落ち着きました。後は本人の認識が問題でしょう。経験者の妹から電話であれこれと訓示を受けましたが。
私は、両肩がコリコリ状態の外はなんとか持ち堪えています。必要家事はこなしますが、後は読書にも集中出来ず、無為に過ごしています。
頭をカラッポにして半日でいいから外出をしたい。いやまだムリかな。
あなたはお元気ですか。 泉

* たいへんでしょうがガンバリ時でもありましょう。よき日ふたり、あしき日も二人、です。大風一過を待ちましょう。「モンテクリスト伯」のような長大でかつめちゃくちゃ面白い本を少しずつ読み、読み終わる頃には…と希望をもってください。  湖
2007 1・6 64

* 「mixi」に「記念したい井上靖」を三回連載した。

* 日記のように朝に晩に来ていたメールが減り、不正・不良メールが瀧のように流れ込み、「メール」をひらく意味がひと頃より薄れている。歳歳年年人不同。当然。
そのかわりに、「mixi」のマイミクが活況で、そっちの「日記」を読んだり「コメント」や「メッセージ」や「足あと」を受け取ったり書いたり付けたりが賑わっている。老若男女、三十五人にマイミクをふやした。きちんと読んで書いて、しかも八方、いろんな人達。「湖の本」の読者も、六十すぎたE- OLDSも、東工大卒業生も、ペンや書き仲間も、若い同窓の人達も。一覧で「マイミク日記」をひらくと、ぱあっと世間がひろがる。読んで休息できる。これまでに知った人も会ったことのない人も。

* わたしは、「mixi」に日記はめったに書かず、もっぱら「作品」を公開している。おかげで、未知であった愛読者や新しい読者達とも日ごとに出逢っている。去年一年分の目次をつくってみたら、びっくりするほど沢山を公開していた。むろんアクセス無料。
もう一両日で細かに気になる用事を片づけたら、此処での「私語」を、一段満たして行きたい。

* 室内のまぢかに、大きな鉢のシクラメンが純白に群れ咲いて、緑の葉むらが豪奢なスカートに見える。むかしまぢかい大泉に暮らしておられ、仲良しだった井上温子さんがとうに引っ越していった関西から贈って下さった。やす香への弔意ともわたしへの慰めとも。
雨も風も、通りすぎたか。もう階下へ行く。寝床で、小松英雄、小田実、清水徹、秋山駿氏らの単行本と、世界史、セルバンテス、千夜一夜、旧約聖書、そしてツヴァイクの『メリー・スチュアート』を併行して読み進んでいる。おまけにカッスラーも。混乱はしない。
2007 1・7 64

☆ 成人の日でした。連休にすべくお祝いの日を移行するのに馴れず、今日は何の祝日だったのか、などと婆さんは戸惑います。
何十年も昔、抽選だった成人式の列席に外れたのをいつも思い出します。
夫はごく近辺を一人で散歩できるまでに回復してきました。
年越しでようやく美容院に行き、さっぱりしてきました。
心の籠もったメール、おおきに! ほな又   泉

☆ いよいよ寒いですね。自転車は風をきって寒いので、最近はもっぱら毎日ウオーキングです。歩いているうちにだんだんぽかぽかしてくるのも嬉しいですし・・
これから3月のお彼岸までは一年中で一番寒いとき、「鍋」がいいですね。友人から教えてもらったいたってシンプルでおいしい「お鍋」を紹介します。
皮付きの里芋の皮を剥き(大きいのは二つくらいに切る)土鍋にいれ水と酒少々を加えて煮ます。里芋が煮えてきたら豚肉(三枚肉や、細切れなど、上等なものでなくても可)をいれて一煮立ちさせ、大根おろしを山のように加えて軽く煮る。ネギのみじん切りを加え、「ゆず胡椒」や「ぽん酢」で煮ながらいただく。これは手間もかからず、暖ったまって本当に美味しいですよ。
友人のご主人が「くも膜下出血」で急死、との訃報を受け、友人たちと茨城までお別れにいってきました。強風のため、東北本線が利根川鉄橋を渡ることができず、列車の中に長時間缶詰状態。難儀しましたけれど、どうにか間に合い、お別れをすることができました。まだこれからという、若すぎる死は本当につらいものがありました。ただ、急なことで、長患いでなかったせいか、お顔が若々しく綺麗で、それもまた哀しみを誘いましたけれども。
以前**駅の近くに「鳥みき」というとってもおいしい鍋料理の店があったのですが、まだあるかなあ?  ゆめ

☆ 七草も過ぎて松も取れてしまいましたが、今年もよろしくお願いします。
今年の抱負は、実に素朴に「健康」。
実は大晦日に高熱を出しました。朝起きた時に既に全身が関節痛で、頭痛もし、熱が高かったのですが、とにかく今日一日働かないと家中が楽しみにしているおせちができない(我が家のダンナとムスメは不思議なほどおせちが大好物。キミタチは江戸時代の人間か?)、と起き上がって黒豆を火にかけ、きんとんの芋を裏ごししたところで力つきてソファに倒れ込みました。すぐに練り始めないと芋が乾く~~と思っても体が動かない。
本当に天井がまわったんですよね~…。
救急医療センターにダンナさんが連れて行ってくれ、出された解熱剤でどうにか台所に立てるようになったので(日本の医薬品技術って素晴らしい!)夕方から料理を再開して、なんとかお蕎麦もおせちも揃いましたが、元旦に日帰りでダンナの実家に行った以外は、お正月はずっとこもりきりでした。
健康の大切さをしみじみ感じた年末年始。今年の抱負はホントにこの一言につきます。
そうそう、この状態だったのでおせちの下ごしらえは、ムスメが全部やってくれました。結びこんにゃくも絹さやの筋取りも人参の皮むきや乱切り、田作りの下煎りなど、簡単な指示でかなりパーフェクトにやってくれたムスメに「お、初めて役に立った~~!」と感動。これを機にこれからも全面的に押し付けちゃろ、とヒソカにたくらんでます。ま、そうは問屋は下ろさないのでしょうが…。
昨日になって、少し外出のリハビリも兼ねて七草を摘みにいきました。ホントは朝早く摘んで朝食に頂くのかな。でも、ま、いいや、と昼間摘んで夜にお粥にしました。
いつもは庭の大根とはこべだけなのですが、今年は少し遠出してムスメと川縁にセリを摘みにいきました。一山摘んで、帰りに、なずなも見つけたので(かなり苦労しました。よっぽどタンポポで代用しようかと思いましたが)、これもちょいちょい摘んで今年のお粥は、四草粥。かぶを買っておけば五草いったのになぁ、とちょっと残念。来年はかぶは用意しておこう!
ゴギョウとホトケノザは、この時期見つけるのははなから諦めています。やっぱり若菜摘みは旧暦のものですよね。
でも、辰巳芳子さんはこの日のために七草を庭に一むらにして固めて植えていると書かれていたので、鎌倉でもゴギョウやホトケノザ、越冬できなくはないのでしょうが、やっぱり寒さで縮こまっている草を探すのは難しいですね。
季節の行事、食いしん坊としては食べ物中心なのですが、お月見のススキとか若菜摘みとか、子どもと出かけて採ってくることも含まれる行事は楽しいです。
でも、昔は季節の行事はすべてそうだったんでしょうね。桃の花も菖蒲も柚子もみんな、自分の家の周りで採ってきていたんだろうなぁ。
けど、考えてみればクリスマスのリースの時も柊やまつぼっくりを探したので、こういう新しい行事も追加されていっているわけですよね。(キリスト教徒ではないのですが)
などなど。新年早々とりとめもなく書いてしまいましたが、今年一年、またおつきあい下さい。
お体大切に。
そして私のささやかな希望としては、今年こそ年若い人の訃報がありませんように。ここ数年、本当に何度もお葬式に出ているので…。   馨
2007 1・8 64

☆ サラリーマンが休み「OFF」のとき、われわれ家庭の者は「ON」なので、疲れますが、今回の正月休みは、イレギュラーなことが重なり、かなり疲れました。長い休みが終わり、ほっとしています。
通常モードに戻るまでには、溜まった雑事をこなさなければなりませんので、今日一日はがんばります。 花

* 乾燥と冷気にひるむ心もちです。乾燥すると頭痛がします。溶けるようにあったまりたい。
気分のわるいのは通過しましたか。大事にしてください。
ブログも書いていますか。形にとらわれず「述懐」するのは、心もちの混沌をやわらげ、いいことですよ。
お天気ですが風があります。風の子になって自転車を走らせようかな。 風
2007 1・9 64

* 私に宛てられたメールが、奈良県の冊子「かぎろいの大和路」編集室を経由して転送されてきた。たまたま宛先のわたしを知っていてくれる親切な人で、よかった。感謝。
2007 1・9 64

☆ おやすみの前に 「も、お寝やす」「いやや…」今日の私語の最後のところ、とても素晴らしい繪になっています。なんでもないことをこういう風に書ける。読みながら溜息をついていました。 春

* 秦に嫁いできた母は、秦家の父や叔母や祖父とはすこし異なる「文化」をもっていまして、若い頃はときどき歌を歌ってくれましたが、ときにはヘンな、妙なのもまじりました。

おじいさん おじいさん
あなたの眼鏡でもの見ると
ものが大きくみえますね
そんならカステラ切るときは
眼鏡はずしてくださいな

ちょっとしたゴシップにも通じていて、谷崎先生の細君譲渡事件や松園さんのアンマリド・マザーであったのを幼かったわたしに話してくれたのも母でした。  湖
2007 1・10 64

☆ おはようございます、風
器の本を見るのが楽しい、と、以前申しましたが、きのう、「無印良品」というお店で、土ものの器が値下げされていたので買って来ました。今、米のとぎ汁で煮沸しているところ。引っ越し前に買うと荷物が若干増えることになってしまいますが、値下げ品は、一ヶ月後にまだあるかわかりませんから。
高価なものでなくとも、気に入ったものを揃えていきたいです。 花

* 陶器を米のとぎ汁で煮沸するのは、ときにマズイことがあります。釉薬が乗っていると釉薬裏に米の糊がはりついて異様なしみをつけてしまう。漏れをふせぐためにするのですが、花瓶の水漏れは困るけれど、酒器や皿・鉢・碗なら自然の水漏れは自然にとまり、また不都合もそうそうは無いものです。気をつけて。
磁器はまったくそんなことする必要はありません。
気に入ったもの、好きなもの、から始まります。だんだんに眼が出来て行きます。食器、酒器、花器、鑑賞もの。何に眼を向けていますか。新居、もうすぐですね。
花、お元気で。風

☆ やっと機械に向かっています。新しい一年も既に十日になりました。
喪中なので初詣もおせち料理も何もしませんでした。が、さまざまなことが、いずれ、どっと噴出してくるだろうと予測されます。今月末には一周忌、母の三回忌と続きます。
HPに、五つ六つのころのことが書かれていて、
『隣のまっくらい部屋で先にひとりで寝かされるのが、わたしはイヤだ。時計がチーンチーンと鳴る。「なぁおかあちゃん」「なんやいな」「おはなししてえな」「も、お寝やす」「いやや…」そんなことを思い出している、今。」
不思議な気持ちになりました。幼い時間が深く沈潜して生涯を過(よ)ぎっていることを思います。
わたしは逆にまっくらい部屋で一人で寝てみたかったし、「おかあちゃん、おはなししてえな。」と一度も言った記憶がないのです。夜、眠れないで時間が過ぎて時計が鳴るのは本当に嫌でした。
もらはれ子とあなたは心底肝に銘じながら、それでもおかあちゃんにおはなしをねだっていらした。あなたはあまり書いていませんが、おかあちゃんもおとうちゃんも大切な存在だったと思います。身内、家族とは何かと、あなたの根本での思いはあるにしても。
そして今、現と夢とをご自分に問いかけていらっしゃるのですね。
物怖じするのはわたしの退行現象? 愚図なわたしは現在の日常、この一年を振り返っても、旅行と絵と書くことにアップアップと溺れきれず・・、それどころか自分をもてあまして鬱々辟易して暮らしてきました。何かを捨てなければいけないかとも思ってきました。よい意味で自分をのどかに解放できたらと思います。もっと闊達な精神があれば絵も変わってくると痛感しています。成熟も成就も不可能で何も望みませんが。
わたしはあなたから批評をいただいて、そして知人の一人から感想を聞いて、それ以外誰からも、何も反応らしきものを受け取ったことがありません。ただじっと一人の際どいところでひそかな作業として継続することをわたしにとっての自然としてきました。
一つ一つのその断片に未知の人から直接何らかの感想や批評を受け取れば嬉しいでしょうが、それ以上に怖いです。わたしはとても臆病です。
mixiも極論を言えば、あなたのmixiに会えればそれでいいのです。
久しぶりに明日香村を歩いてきました。年の暮れで、オフシーズンの明日香村では観光客もほとんど見かけず、ゆったりとした時を楽しみました。飛鳥寺では大仏様の前でお坊様がお経を唱えてくださって、わたしも殊勝に合掌しさまざま祈りました。橘寺の本尊のお太子様がある内陣まで入れていただきお話も伺えました。いずれも何十年ぶりの訪問で、月日の速さばかりを実感しました。奈良は一年のうちに何回も訪れたり通過したりしているのに、それぞれの神社仏閣となると再訪するまでには長い時間が流れています。
胃、偏頭痛、その他、すべてすべてお体いたわってください。
暖冬と油断すれば風邪もひきます。ノロヴィルスはこちらでも出没しています。どうぞ注意なさってください。   鳶

☆ 秦さんへ   灌木帯でよかったですね。ドン・キホーテなどと言ってるばやいじゃありません。(やばい、は、ここからきているのではないかと思います。)
old は歩いていても家の中でも横転すれば、骨折ー入院ー手術ーリハビリー退院・・と、たとえうまく経過しても時間はかかり、日常生活能力は極端に低下することを覚悟しなければなりません。
第一、冬の自転車は心臓にもよくない! (と、こないだからもういっぺん言おうかなと思っていたのですが、あまり言ってもなんですので遠慮していました。)
つまり、今日は、大もうけだったと思います。
「年を取る」ということは、知らぬ間に今まで出来ていたことが出来なくなってきているのだ、ということだと思います。生物学的年齢は変えられません。
「なぁおかあちゃん」「なんやいな」「おはなししてえな」「も、お寝やす」「いやや…」
・・都のお人たちだなぁと、新門前のお家はどんなふうなのだろうと、かけがえのない暮らしを見たようです。
どうか、どうか、くれぐれも、くれぐれもお大切にしてください。  千葉 E-OLD

* 昨日の自転車乗りで、荒川の晴天とまっかな夕茜を見てきた以外、こんなに十日まで一度も外出しなかった正月は珍しい。この春、梅若の「翁」が、来客満席につき招待席がとれないとフラレたのも珍しい。ま、雨風が予想されていたのでわたしもムリは避けた。
明日は初春の歌舞伎座。「勧進帳」も「金閣寺」もある。飲み食いにも厭いている。のびやかに手足をのばしてきたい。
2007 1・10 64

* わたしなどの考え及ぶ領分ではないが、ある人のお節料理にふれた一文に気を惹かれて紹介したら、お節の中でも人気者のひとつだろうか、「きんとん」のつくり方について、はからずもすぐさま二人から所感が届いた。ま、料理にも何にも人それぞれのアプローチがあるのだろう。

☆ きんとんの裏ごしは、煮たお豆やお芋の水分をやや多めに残して、ミキサーかフードプロセッサーで適量ずつ攪拌すると、お味も裏ごししたものと殆ど同じものができます。きんとんの裏ごしはかなりの力仕事ですから、疲れている時にこの簡略な方法はおすすめです。  一読者

☆ きんとんの裏ごし、いつも気になります。味にうるさい実家で、私も小さい頃からおせちを手伝いました。試行錯誤が好きな母の性格で、きんとんの裏ごしにもミキサーを使ったりいろいろしましたが、どうも味が違うので結局昔ながらの方法に落ち着いています。この味に慣れてしまうと、売っているきんとんのとろとろした食感など食べられたものではありませんね。  一読者

* もとの発信者に両方伝えたところ、さすがに研究者らしいまた一報が届いた。

☆ (自分なりの味と手法とに、ま、納得出来る)理由に気がついたのは、澱粉の研究を始めてから。
裏ごしの作業が、ただきめ細かくして繊維を除く意味だけでなく、一つの「練り」になっているのですね。この「練り」によって、澱粉の分子が恐らく密に繋がっていって、あのねばりになっているはず。これも伝統の合理性ですね。
私にとって台所は一つの実験室のようなもの。伝統と化学の架け橋を日々感じられるのは嬉しい作業です。ですので、どういうものが世間的には簡便とされているのか、お教え頂いた方法、科学的に気にはなります。

* 脱帽しておく。
それより、こういうメールにもわたしは気を惹かれた。「包装」の話題。いまちょうど「mixi」で「京都」を思案し始めたところなので、オッと目をむけた。

☆ 新年早々京都の「和久伝」のおいしいものを頂きました。
京都の方が贈答品を扱う時に「本店」にこだわる理由は、包装が違うから、というようなことを聞いたことがあります。私、思わず包装を確認してしまいました。
そう、セロハンテープを全く使わず、きれいに折り込んで最後にシールのみで止めてありました。
発送伝票もその方ご本人の筆跡。お忙しい中、本店に行って下さったようです。
京都の過剰包装、と東京の人間はくさしたりしますが、過剰包装の中にはたくさんのサインが込められていて、それなりの必要性があるのだということがよくわかりました。
それらのサインの意味が読み解けると、「ここまで丁寧にして下さったんだ」と、一段と嬉しい心持ちになります。
このあたりの心の伝え方が、本当に京都ですね。  馨

* ま、こんなふうに深切に受け取ってくれる人の在る「意味」を、いろいろによく考える必要のあるのが、当の「京のお人」であること、間違いない。「和久伝」かあ。よろしおしたな。
せめて新宿の「柿傳」へまた行きたくなった。
2007 1・10 64

* 紀田順一郎さんからメールを貰った中に、「中公版『日本の歴史』についてのお言葉があります。私もあのシリーズは通史もののベストで、以後の類似企画には陰りが生じてきたと思っておりました。わが意を得たという思いです」とあり、嬉しかった。学問的にも最悪の水準とペンの理事会の席で発言した学者があり、呆れて顔を見返したことがある。何を考えているのだろうと思った。一万四千頁、読んでの言とは思えなかった。わたしは全巻を読んでいる。今となっては望みうる最良の志で一貫されていると、わたしは、ことに幕末から現代までの八、九巻の熟読を、若い人達にこころから奨めたい。
2007 1・12 64

* 岩下志麻さんから叮嚀に、やす香逝去を悼むお手紙を戴いた。日本共産党中央委員会学術文化委員会の足立正恒氏からも鄭重に。群馬県大間々の阿部君江さんからも。感謝。

* どうしてるかなあと無沙汰を案じていた東工大卒業生女子のひとりが、再婚を伝えてきてくれた。おう、そうかと安心した。「小闇」はどうしているのかなあ。
2007 1・13 64

☆ 歌舞伎座、私は、8日に昼夜通しで観てきました。勧進帳は、今月は、東西で競演なんですね。
吉右衛門は、金閣寺より俊寛が良かったですね。
私は、先日、やっと還暦になり、早速、個人年金が保険会社から振込まれてきました。いつでも、会社を辞められる状態になりました。後継を去年から育成しはじめており、後は、円満退職のタイミングを図るだけです。そういう心境で俊寛を観ていたせいか、最後の喜悦の表情含め、吉丈から定年世代への激励メッセージを受け取りました。私の劇評コーナーには、その辺りを軸に書き込みます。
今週末は、今年初めての北杜市で、雪景色です。  英

* 意表に出た俊寛受容。そういうのもアリかなあ。

☆ 「春眠昼食も忘れる。」そうでしょう。寝床があったかくて、離れがたい季節ですもの。このところ、ずっとお天気つづきで、ぽかぽかしていますしね。
購入したHDD/DVDレコーダーは、さっそく不具合。サポートセンターに電話しましたが、まだ解決しません。使い方も複雑で、マスターするには時間がかかりそうです。
きのうは新年第一回目のヨガ。月曜は英語です。
富士山はたかく、花は、元気。風、お元気ですか。

* 新幹線で駆け抜けるときしか富士山を観た覚えがない。晴れ晴れと高い静かな富士山を小一時間も眺めてみたいものだ。

☆ ミクシイをやっと楽しんでおります。ゆっくりと、あたかも澁谷の喧騒の中を、楚々と歩くように、じわっと楽しんでおります。
新幹線の富士山は運が良ければみえますが、ご自宅近くの駅に行き、電車に乗って、『高尾山入口』で下車し、ケーブルで高尾山へ登れば、好天快晴であれば(冬で木々が葉っぱを落としているとき)見えます。ふとあの哲学者バグワンも東洋の心で人間の富士を見ていると連想しながら。  川崎 E-OLD
2007 1・13 64

☆  マインド-2   甲子
晴天も今日・明日の月曜までとか。
先日のバイシクルで、灌木の植え込みに倒れたということですが、植え込みがあってよかったですね。もっとも植え込みに前輪が引っかかったため倒れたのか、植え込みに関係なく倒れたのか、仔細は判りませんが、いずれ
にしても注意肝要。
MIXI への書き込み、ぶっつけの草稿は、やはり極度に緊張・疲労します。が、不思議と肩凝りなど起こりません。昔、現役の頃は、人間関係で胃がきりきり痛んだものでしたが、この緊張はその頃のものとはまったく別種のもののようです。
13日土曜夜、NHK の特別番組(再放送だそうです)「団地の孤独死」を見ました。60代の心筋梗塞で倒れリハビリ中の男性を、73才のボランティア女性が訪問、ゴミ捨てや洗濯・調理・買い物など。
そうして、誰にも知られず死後早くて十日、永いときは三ヶ月もの後に発見されるケースがある。とナレーションしていました。
わたしの身に起こっても不思議のない問題です。
死はいつも覚悟しています。身辺整理など一切していません。そんなもの、物はリフォームセンターへ持ち込めばいいのだし、不要であれば捨てればいい。子・孫が適当にやってくれるでしょう。
問題はマインドの行方ですが、何かを完成し、心おきなく死を迎えるなどということは考えられません。誰も皆、歩み続け、足腰折れて、未完成のままふっと闇へ紛れ込んでしまうのではないでしょうか。ただ、事前に諦めてしまうのだけは避けたい、その瞬間をも見届けてやりたい、など思っております。
前便にて、
* 前略
食べ終わって手術を受ける旨を話し、CT 写真を見せたのですが、
「この、上の両側に写っているのが肺なの?」
「バカ、下半身に肺があるか。お前じゃあるまいし。腎臓だ」
「ふーん」と見ていましたが写真とわたしの顔を交互に見て、
「お父ちゃんはさ、死んだときどういうお葬式をあげてもらいたい?」
「えぇー」
「お母さんのときと同じふうでいいの」
「お、おい」
父親は「ちゃん」づけで喚び、母親には「さん」と言う。
中略
ほんとに…、この娘はいま、脳髄のどのへんに血漿を集めているのだろう。
-----
という文章をご覧いただきました。
同じ団地にインターネットで繋がる人がいました。この男性も、事情は知りませんが一人暮らしで、わたしより一回りは若いと思われる方です。で、同じ趣旨のメールを送りました。少しでも慰みになれればと考えたからに他なりません。
その方から数日間を経て返信がありました。
-----
ところで甲子さんのお嬢さんが「葬式」についてお聞きになったと言うことですが、私は「お嬢さんは親孝行だな」と思いました。人生の最後をどう締めくくるのかは私も関心があるのですが、そんなことを聞いてくれる子は私には居ません。
結局私の場合は、下手をすると葬儀屋の言いなりになるのかもしれないと思い、エンディングノートに希望を書いておきたいと思っています。でも読んでくれないと駄目なのですよね。   ではまた。
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げにむずかしきは 人のあわい。
月曜すぎると天候崩れ、寒さの予感しきりです。
月曜には病院へ行き、手術の日取りなど決めることになっております。
どうぞ、奥様ともども、くれくれも、御身おいといください。 甲子

* 心より手術のご無事を祈る。
2007 1・14 64

☆ 秦恒平様  昨日曜朝は家族三人落ち着いて前倒しの小豆粥を祝ったので、今日からは正月気分を脱しようと思っています。
それにしても、京での正月は注連飾りもお箸紙も15日までだったのに、東京では何もかも7日で片づけてしまうのは何故なのでしょう。
話はコロッと変わりますが——-
カステラの歌、私の母も歌ってくれました。
でもそれは少し違っていて おじいさんではなく
”ばあちゃん カステラ切るときは メガネを外してくださいね”
今も、カステラ切る度に思い出します。
理科でレンズのことを習って、ナルホドとこの歌に感心したものです。
又話は変わって—–
一昨日東久留米に行きました。いつも六角地蔵から氷川神社の横、落合川をわたり南沢へと車で走りますが、あの界隈は道路が狭く、一応歩道があっても狭く、自転車が車と前後して一緒に車道を走るので、運転していてとても神経を使います。車の方もとてもこわいです。
秦さんがこれに類した道をお走りなのではないかと、いつも心配でなりません。
どうぞ、どうぞ、お気をつけて下さいませ。 2007/1/15   藤

* 今日は、腰掛けた膝下が冷たい。
2007 1・15 64

* マイミクに誘った人たちの日記(ないし創作の文章)が、それぞれに日々に書き換わる。それを読んで、わたしは休息する。

* 学都ボストンのハーバード大学に落ち着いた「雄」君は、鹿島立ちして以来の日記を送ってくれている。いずれは実験生活の多忙と緊張で途切れるだろうし、途切れて少しも構わない。むかし、ドイツに留学していた「京」さんは一週間に一度、かならず絵葉書の便りをくれた。いまとなれば彼女のために貴重な記録。
羅臼の「昴」さんもときどき断片のなかで、きらっと光る文章を書く。「馨」さんの生活感と実感はいつも知性にしっかり包まれている。
おじいさんたちも、然り。最長老「甲子」さんの健筆に驚くし、「瑛」さんの随感もしばしば異色を放つ。
マイミクをえらぶことで、自分の「mixi」世間をすこし堅固なものに出来たと思う。「足あと」は11000を越えている。二月十四日でまる一年十二ヶ月になるが、12000には確実になるだろう。何の目安になる数字でもないが、その頃をわたしは或る決断の機にする気で居る。
2007 1・16 64

☆ 孤独感~  今年というか、この頃ちらちらしている私の此のテーマは、今後、切実さを増すのではと危惧し、「いつでもどこでも私はひとり」という結論のフレーズを自分でスルりと唱えながら、いつまで唱えきれるだろうと思う。
いろんな種類の愛情で家族や人と繋がり、役割や責任をもって人と関わり、仕事をし、雑踏や自然のなかに身を置いたり、家でひとり暮らす…。
ひととしての寂しさ、孤独感。
ありきたり。
どこからも聞こえて来る。
誰もが「私自身の」であっても、総称「ありきたり」。
私も、寂しいというような感情は、そのように思うだけで、危惧するまでに至らないけれど、「つまらない」という感情、これがもたげると、イカン。真の孤独感を抱え持つときには。  福

* 孤立感という孤独感は、とりわけ猛毒。夫婦とか兄弟とか親子とか、名付けられた「関係」で解毒はできないと、思っています。
大問題。 湖

☆ 湖さんへ
でしょう?
孤立感…きっとその辺りのことですネ。
ズーっと以前よりそのケはあって、いつも、やおらそこへ戻って(?)は、その性分が「私」なのだと自覚していて、
いまだに、気がつけば私はそこへもどって来ています。
承知でそのケをばらまいて調子に乗っているうちは、いいけれど、その性分のままに老いや死…というのでは問題、極まります、やはり。
そのケもへったくれもない、「私」と「誰か」が共に老いて…という一般式の図はあり得るだろうか? ウーン。
そのケも毒気もアリで、誰かと暮らしを共に出来れば それが一番ヨイけれど、これが又難儀であることよ! ですね。  福

* ハハハ。  湖

☆ (羅臼発)今日は、通学路を安全点検のために歩いたのですが、子ども達はえらいなと思いました。
その途中、波のテトラポットにあたる音が聞こえたました。遠くで大砲がなっているような、ダァァーンという音でした。大地を削りたいのに削れないのを悔しがっているような、そんな波の低い音が、耳に残りました。
冬の海は、荒れています。
それがちょっと切なく感じます。  昴

* 「大地を削りたいのに削れないのを悔しがっているような、そんな波の低い音」 これは作為の文でなく、感じて、創った、佳い表現。
2007 1・16 64

☆ マーチン・ルーサー・キングの日
本日はマーチン・ルーサー・キングの日ということで世間はお休み.土日から引き続いてなので,3連休ということになる.
でも,前から聞いていたように,研究者は全員ラボに来ていた.「全員」というところに少なからず驚いた.別に強制される訳でもないのに,全員が来ている,というところにラボメンバーのモチベーションの高さを感じる.
今日からいよいよ本格的に実験.
(ここから先は,グロテスクなのが嫌いな方は読まないで下さい).
僕の研究はマウスを使って神経細胞の活動を生きたまま記録する,というもの.当然,マウスを生かしておかなければならないので,そのための手術に慣れるというのが当面の目標.
今日,初めて,どのように手術をするのかを教わる.一番の難関は気道に人工呼吸装置からのチューブを挿入するというもの.気道の下には食道があるため,口からチューブを入れても大概の場合は食道に入ってしまう.これでは呼吸が確保できない.
このステップが最も難しく,僕は1週間かかった,とコーリーが話していたのだが,やってみたら意外にも一発でできてしまった.コーリーもこれにはびっくりしていた.まぐれかも,と思って3回やってみたが,いずれも全く問題ない.むしろ,その後に観察すべき神経細胞の塊を金属片で固定するところが僕には難しく,下手をすると血管に傷をつけてしまう.一応,測定に耐えうるサンプルはできるようになったが,まだまだ練習が必要.
早めにラボを引き上げ,COOPに寄る.書籍部には夥しい数の本が並んでいて,どれも目移りしそう.学問の都に来たんだな,という気持ちに浸り,なんともいえなく幸せな気分に浸る.  ボストン、雄

* 実感での把握が強ければ、表現もムダなく確かになる。雄クンの文末に、三個所の体言止め。本人も気づいていないだろうが、これらにそれぞれ「である」と送るか送らないかの表現の力の差を読み取れば、何かが分かる。
句読点の適切と、むだな述詞の自然な省略は日記に生彩を添える。ヘンに意図的な不自然はダメ。

☆ 一遍聖絵を知る
井上靖の『一期一会』の本、の話を今年、湖さんから聞いたことも縁でありましょう。
今日の僕の発見は一冊の本を買ったことであります。
たまたまでしたが、嬉しかった。『一遍聖絵』岩波文庫。歌が、和歌が、なんとぼろぼろ出てくる。念仏三昧でありましょう。今の世なら楽器で奏でる音声が、一遍の時代は「言葉」ですね。  瑛

☆ オデュッセイの本はお手元にありますか? なければ送りますが、如何? こちらのは筑摩の世界文学全集の1、昭和45年版 高津春繁訳です。  鳶

* たぶん在ったはずと。書庫を探します。なかったら、頼みます。
カッスラーの、ダーク・ピット版がべらぼうに面白くて、読み進むのを惜しんでいるくらいです。『オデュッセイ』をぜったい読みたいという気にもさせましたから、読書の功徳、どこへ転じるかしれません。
ドレのドン・キホーテ画も楽しんでいます、が、ツヴァイクの『メリー・スチュアート』を始めから読み直していて、これにぜんぶ持って行かれそうです。フランスの女王が夫王に死なれ、ただのスコットランド女王に戻りましたが、彼女の紋章にはイングランド女王である主張も描かれていますとか。これからつづく、イングランドのエリザベス女王とのながいながい暗闘。
世界史の読みは、いまその辺をもう通り過ぎ、英国の短かった絶対王政が、議会とジェントルマンたちにより潰されて行くところです。英国史ほど、立憲天皇制民主主義国日本の学び甲斐のある歴史はないでしょうに。なにをやっているのでしょう、われらの「日本」は。
民主党の三人男が、嵐の船の上で演じてみせる「生活維新」とやらいう愚劣な芝居を観ましたか。情けない。
あれで何か訴求力があると信じ、演じているのですかねえ、あんなヘタクソな茶番を。そもそも「維新」などという文字も意義も死語にひとしい。「野党全共闘」をでも敢行しない限りとうてい勝てない与党との戦を前に、具体的な政策と政略、高度の説得がなければならぬ、今。あれでは皮肉なことに高度の利敵茶番にすぎません。
脱線しました。
お元気で。 鴉
2007 1・16 64

* と、今、こんなメールが来た。冬眠、ばればれ。やれやれ。こういうこと、家族は言わない。見ていない。

* 歌会始のお題も「月」でした。おそれ多いことではありますが、佳いと思った歌は一つもありません。歌に思えぬ歌もあり。選者が悪いのか、そもそもろくな歌がこないのか。日本の文化が益々衰えて形骸化していくのではないかと、いささかブルーになりました。でも、湖の、月のお歌も俳句もとても佳く、藝術の香気を味わわせていただいてにっこり。
とはいえ、私には憂慮していることがありますので、愛読者として書かせてください。
ご自身の創作活動のために、「私語」の更新に関心がなくなっていらっしゃるのならいいのです。そうなら以下のことは読み流して削除してください。
「私語」を拝見していて、最近意欲の低下のようなものを感じるのです。創作意欲、生きる意欲、すべてにわたって、今までになく低調なのです。熱がありません。湖は、疲れています。
「去年バテ」と書かれていましたが、明るくいられるご心境でないのは当然ですが、ただごとではない沈鬱です。店じまいみたいです。厭世観は今までもありましたが、そこにはむしろ創作のバネになるようなエネルギーがありました。今のような「淡さ薄さ」は、湖のいかなる創作においても経験したことがありません。小説家として本来の創作に全力を注いでいる結果、「私語」がトーンダウンしているのでありますようにと願っています。元気に生きて書いて、書いて生きてください。杞憂でないことを祈り続けています。
ロラン・バルトの「恋愛のディスクール・断章」をお読みになったことはおありですか。とても面白いスタイルで夢中で読みました。世界中の名作の中から恋愛に関する文章の一部分をテーマ別に集めて、恋愛についての思索を創作的に展開している独特のスタイルは、小説でもエッセイでも文藝評論でも哲学書でも読んだことのないもので、非常に新鮮でした。そして、この断片の寄せ集めに閃くものがありました。
松岡正剛さんは「部分(断片)は全体を凌駕する」という思想を述べています。私が湖の「私語」の言葉を集めたいと思ったのも、湖の私語の断片が、壮大な長編小説に匹敵する文藝の広がりと深さを持つと直観したからです。私は私語の文章の断片を、テーマを決めて集めるお手伝いをして、湖の手でさらに輝く作品が創作される過程を見たい、読みたいと、そんな想いを抱きました。
湖に唯一欠けているものがあるとすれば、剽軽さやユーモアでしょうか。なんでもかんでも深刻にしてしまう。全部手に入れるか捨て去るかどちらかにしてしまう極端な人です。
私の扉はいつも「湖」に開かれています。私の中の「あこがれ」が消えることはありません。私の中の湖は忘れたり遠くなったりする存在ではありません。私は蔭ながらいつまでも湖のお供いたします。どのようなかたちでも、湖の為に生きています。
どうぞお元気で、お元気で。お幸せでいらしてください。  叡

* この種の「恋文」はみなわたしの「創作」だろうとわらった人がいた。ハハハ。
だが勘違いもある。「闇に言い置く私語」が量的に逓減してゆくのは、時間を惜しんでいるからと読んでもらうことも可能ではないか。「mixi」にわたしが掛けている時間など知れている。マイミクを増やしてその人達のなかから数人ずつの日記を読むのはほぼ一服の煙草ていど。また作品を連載するのは、一つにはより厳密に校正しておくため。校正のための校正は辛抱仕事。公表・公開をかねるのは、わたしにすれば文学活動。それもたいした一日量でもない。心知った気の置けないE-OLDSのマイミク達をふやしたのは、安心して読めるものを期待し、むだに「mixi」世間をだらだらと泳ぎ回らないため、だ。日に、一時間半とは時間をとられていない。
2007 1・18 64

* いまなお引き続いて『かくのごとき、死』への感想がとぎれず届く。「ご不幸をこえて、新たな表現へと向かわれた御作と拝見」したと言われるのが有り難い。

☆ (前略)身近な人に死なれた時は、なまじっかなお悔みなど却って煩わしいものだとはよくよく存じておりますので、何も申し上げる言葉を持ちません、ただ重ね重ね不知不知(年賀状で)失礼を申し上げていましたことお許し頂くようお願い申上げます。『死なれて死なせて』も先度頂戴いたしましたときから、何度も拝読いたしましたが、「死なせた」という思いは、実は私はいつも当り前に存じておりました。今度の御本の二四九頁に 朝日新聞の方が、「意表をつかれた」とおっしゃったということに むしろ驚いております。
私の幼時に父が亡くなりましたとき祖母は、いきなり私を抱きしめて、あゝ、この子を父なし子にしてしまうた、この子の父親を死なしてしもうた、お祖母ちゃんをかんにんしてや、かんにんしてやと云って号泣しましたのを覚えております。(もちろん祖母と父の死とは何の関係もございません。)
知人がふたりの御子息を、特攻隊で亡くされた時も、その知人自身「あんな見たこともない離れ島で二人も死なしてしもうて……」と云い、祖母や母も「あこ (=あの家庭)は二人も戦争で死なしてはるもんなあ」と、云いあっておりました。
父が死にましたのは、私七歳の誕生日の数日後でございました。 最後に私の左手を強い力で握りしめましたので、ねじれた左の小指がひどく痛みましたが、私は何も云わずにこらえておりました。 私はこの春で七十八歳の誕生日を迎えます。実に七十年、私は、父に死なれたとは毛頭思わず、死なせたと思いもし、云いもして過してまいりました。七十年たった今も 左の小指は時々痛いと思います。
この話は、誰にもしたことはございませんし、書こうとも思っておりませんが、やす香さまをお話なさるときの話題にひょっとしたらして頂けるかしら、と存じてしたゝめました。
御平安をお祈り申上げます   かしこ  一月十七日   エッセイスト

* 有難う存じます。

* 「死なせた」という思いをわきまえることなく、いかなる愛と死との名作に接しても真価は読み取れない。人間の基本の素養として、そういうことを、わたしたちは子供の頃からいつ知れず身につけていた。人間の歴史、わけても戦争体験の歴史を、切に五体で「記憶」していた。そう、わが子達にも教えていたつもりだが。

☆ お忙しくお過ごしですか、風。
午前に運動がありまして、今食事を済ませました。いいお天気、花は風を感じています。
数日前の深夜、佐賀の浄土真宗のお坊さんが、タイに残された日本の兵隊さんの遺骨を集め、供養しているようすを追ったドキュメンタリーを見ました。
第二次世界大戦時、インド北西部を攻めるインパール作戦が強行されましたが、険しい山岳地帯を越えなければならず、困難を極め、とにかくタイを目指して退却した日本兵のうち、一万八千もの人々が、食料もなく、飲める水もなく、赤痢やマラリヤなどの伝染病に罹り、命を落したそうです。
佐賀のお坊さんは、タイのお坊さんに「亡くなった兵隊に手を合わせる観光客の一人もいない日本人は、それでも人間か」と指摘され、大勢の日本兵がタイで行き斃れたのを知ったそうです。
わたしも、東南アジアで亡くなった兵隊さんの大勢いることを漠然と知っていますが、具体的に知りませんでした。
日本がアジアでしたことに対する国家の戦後補償の中途半端さのせいか、かつて日本軍が東・東南アジア諸国で行ったことを、今日の日本人は知らなすぎると思います。テレビを見ていて、わたしは恥ずかしくなりました。
タイは、食事がおいしく、タイ式マッサージなど、人気の観光地ですが、タイを訪れる日本人のどれくらいが、その土の下に日本兵の遺骨の埋まっていること、また、埋葬してくれた、供養塔を建ててくれた、命を落した兵隊たちの家族が来たときのためにと遺品を集めて博物館を作ってくれたタイ人の親切を知っているでしょうか。
タイの幼い少女たちが、日本人観光客のために、あるいは日本まで連れてこられ、人身売買されている事実を思うと、日本人として、ほんとうに恥ずかしい。
佐賀のお坊さんは、恩返ししたいと、教育を受けられないタイの子供たちのため、日本で里親制度を作っていました。わたしも、もしタイへ行く機会があったら、慰霊碑を探し、手を合わせたいです。
HDD/DVDレコーダー、早速の不具合はとりあえず解消しましたが、おそるおそる使っています。録画したものを見るばかりで、編集操作までは手を出していません。早くDVDに焼くことも覚えたいです。
風邪など引かずに、お元気でお過ごしくださいね、風。  花

* まともに、心籠めた誠実な歴史教育をしない国は、国そのものの恥ずかしい無自覚を暴露している。日本の近代史をきっちり知ること、思うことがあれば、いや、それがなければ日本はいつまでも三流の無恥国のまま世界に醜態をさらしつづける。
イヤなことばかりあり、それへモノ言うこと自体徒労感にせまられるが、いったい、どうなればいいんだろうと思うと、やっぱり代議士の質が上がらない限り、彼らの表情と言葉に人間の理想がしっかり表れてこない限り、所詮はどうしようもないと思ってしまう。
時の総理は、日本国民は時と場合で海外への出兵もためらわないと海外で断言してきている。いかにその時と場合を美化しようとも、たかが一公僕にそこまで言わせる権限をわれわれ私民は与えていない。

* 今晩は、文藝春秋の寺田さんが銀座で逢おう、食事をしよう、と。妻もいっしょに、やがて出掛ける。

* 六時半、銀座公詢社まえの料亭で、寺田英視さんと。久しぶりに。
よく出来た、正月のなごりもしのばせた佳い献立の八寸仕立てで、うまい料理を堪能した。佳いお酒もたっぷりいただいた。話題もおっとりと四方山、肩も凝らず楽しく。妻は、寺田さんとは二十年近いご無沙汰であったろう、話題の尽きることなく、いい気持ちで、わたしが沢山話した気がする。寺田さんは寡黙な聞き上手で、とはいえ、ただ相槌だけの人でない。まっすぐ向き合って話を聴いてくれる人だ、昔から。よくよくの親切、よくよくの遺漏と激励とであったのだと、感謝。
そして志木へ帰って行く寺田さんに、我々は保谷まで送ってもらった。なにもかも、ご馳走になった。

* 寺田さんのことを話し出せば、長い話になる。いっしよに仕事をしたことは少ないのに、仕事より大分前からずうっと親身に親切にしてもらった。ふしぎなぐらい編集者以上の知己であったし、今も、と。作品をよく読んでもらった。いつも言葉静かに激励された。
なにより有り難かったのは、最初数巻分の、前の印刷所があまりずさんな仕事で心底参っていたとき、見かねた寺田さんに凸版印刷を紹介してもらった、凸版は本当によくしてくれた。おかげで「湖の本」がいまの九十巻にも及んでいる。とても我一人の力でできてきた出版ではなかった。そして今宵のご馳走は、そんな久しい「湖の本」などの塵労をねぎらってもらったのだと、心から感謝している。
2007 1・19 64

☆ 冬ぞさびしさまさりける   野上に大海人行宮址を尋ねあてた雀は不破関には戻らず藤川宿へ向かいました。ひとめもくさもかれぬとおもへば。伊吹山ドライブウェイは冬期閉鎖にはいっています。
山はらに十一面観音を所蔵するお寺があるというので、地図をたよりに交差点を曲がると案内板があり、道は渓流に沿ってうねうねとのぼってゆきます。集落が果て、一本道となり、心細くなったころ道のつきあたりに新しい平地がつくられているのを見つけました。今風の、といっても石屋さんや自称芸術家が彫ったいやらしさのない、“遠慮しぃ”といったかおをした石仏が取りかこんでいます。短い石のきざはしに紅葉の時期はさぞかしと思われる庭。山門も本堂も品があって、お留守でも秘仏でも、この雰囲気を味わえただけで十分と思いながらインタフォンを押しましたら、返事より先に扉が開き若く美しい奥様が出てらしたので驚きました。
有り難いことにご住職もご在宅で、総檜造りの本堂に案内され、赤い炎が立つストーウ゛に当たりながら、おいしいお茶をいただいて、伊吹がまさにもぐさのようにじりじりと包み込んでくる、ぜいたくな時間をいただきました。
本尊は秘仏ですが、魅力的な仏像が何躰もあります。
「仏像の金箔も建物もちょうど落ち着いてきた頃で、いいときにいらしてくださいました」とご住職。15年前に改築なさったとのことで、
「昔の人が植えておいてくれた檜のおかげで、この本堂を建てることができました。次のためにあそこに檜を植えたんです。それからここのもとの地は、あそこでしてね」と、山の斜面や尾根を示され、この寺の歴史をお話しくだ
さいました。
役小角が開いたという伊吹山弥高護国寺悉地院は天武天皇勅願寺となり、その後、泰澄によって薬師如来から千手十一面観音へ本尊が変わり、伊吹山の本地堂として大いに栄えたそうです。ところが永正年間兵火により里に離散。度々移転して現在は、この一宇とのこと。
京極高次の祖父高清は、1505年に上平寺城に拠って領国を統一しますが、後に家臣の浅井亮政に追放されますね。兵火はその抗争でしょうか。高清父子は築城成った小谷城に保護され、それで高次は小谷生まれというわけでしたの。
周りの木を伐るまで10時日の出2時日没だった‥昨年は軒まで雪に埋もれた‥すぐ近くの集落はなんともないのにこのお寺だけ霧の中に入っていることがしばしば‥山のお寺ならではのお話はきりなく、本堂改築のおり仏像を移したところが山の湿気であっという間に傷んでしまい、あわてて京へ修復に出したとおっしゃる。
なにもかも笑い話にしておしまいになるご住職は、
「ぜひ花のある時期にいらしてください。前の人がいろいろ植えてくれたおかげで季節ごとに花が咲いて山野草をめあてにきてくださる方もあるんです」とおっしゃるあとから、
「草むしりしていて知らずに抜いちゃったりするんですよぉ。」と笑顔。駐車場の石仏はご住職の作品でしたのよ。
近くに住んで居られる仏師に習い習い、一木造り・寄せ木造り・石仏とさまざま彫ってらっしゃるそうで、
「なかなか深くのみを入れることができなくて」と笑いながら、仏像を修復に出すとき解ったこと、人をおもいながら彫りまた社寺に奉納し(神躰や仏像の盗難が多く、頼まれることもあるそうです)、人が人を弔う心、教わってき
た“正しい”まつり方と信者さんが気持ちからしていることを、自分はどう折り合いをつけるのか。
ご自身が感じ取られたことを、ご自分のことばでおはなしくださるのが、なんとも新鮮で瑞々しく、人は最後の“意志”を遺言というかたちで示せるけれど、石ひとつ置くことができず、誰かの弔おうという意志と行動がなければお墓も石仏石塔卒塔婆もないこと、お墓や墓地はそこに眠っている人の魂より、弔う人の心のほうが何倍も多く漂っている場と気がつきました。
ところで、高次の栄達は妹が秀吉側室になったためとのことでしたが、光秀に味方したからと自害させられた武田元明は、本能寺の変から約一と月後に、丹羽長秀から海津の宝幢院に呼び出され謀殺されていたとは知りませんでした。宝幢院のすぐ近くを何回も通っているのに。今度はきっとお墓参りしてきます。
どうしたのかしらという、大寒の暖かさ。くれぐれもご自愛おねがいいたします。
今日は新月。新月の闇は満月の闇よりあわい…とききました。しばらくこれを座右の銘に過ごそうと思っています。   囀雀
2007 1・19 64

* 信じられないほど、寝ていた。なんだか一日分棄てた感じだが、幸いと嬉しいメールが来ていたし、「mixi」の方もイギリスからアメリカから、日本のあちこちからも、いろいろと呼びかけ豊作で、読んで楽しんだ。

☆ 秦先生   時々はHPを覗かせていただいておりますので、先生の近況等は何となく承知しているつもりですが、私から特にご挨拶もせずにいては一方通行ですよね。申し訳ございません。
そこで突然なのですが、明日の日曜日もしくは月曜日に銀座等に来られる予定はありませんでしょうか?
実は、日曜日の昼に家族で銀座に出る用事がありまして、ついでに私も月曜日に休暇が取れたので、日曜日の夜は都心に泊まって 月曜日ものんびりしようか、という事にしております。
そこで、もし、先生にも何かのついでがあって銀座近辺に来られるようであれば少しお茶でも、出来ればお食事でも、もちろん立ち話程度でも結構ですので、お会い出来ないかなと、そしてウチのチビ達の顔を見て頂ければと思ったものでお声をかけさせて頂く次第です。
私達は、日曜日は夕方16時位からは体が空きます。また、宿泊はちょっと奮発して**ホテルに予約を入れましたので、夜は多少の時間までなら遅くても大丈夫です。月曜日は、お昼くらいであれば
充分出られると思います。
会っても泣いたり走り回ったりと騒がしいだけで終わってしまうかも知れません。親のしつけが悪いと言われればそれまでですが、かえって先生をお疲れさせてしまうだけではないかという懸念も無くはなく・・・・。一応あらかじめこの点についてもお伝えさせて頂きます。  ○

* ちいさい子たちの顔を見に行くだけで、いい。ハイハイ、よろこんで出掛けます。

☆ NHK「坂の上の雲」主役に本木雅弘  モッくんかぁ・・・
珍しくニュースネタ。
いろいろあってドラマ化が長引いていた「坂の上の雲」の主役・秋山真之(あきやまさねゆき)に、モッくん。う~ん・・・。ちょっとコメントしにくい配役。
なら書くな、と言われそうですが、秋山真之にはとても思い入れがあるので、ひっかかってます。
個人的には真田広之か、主役級の華はないけど堤真一もいいかな、なんて思うのですが。二人とも秋山真之と名前も一字同じだし(^^)。
でも、このところNHKは、ジャニーズか歌舞伎役者、というセレクトをし続けているので、その中ではかなりよい配役? まぁ、独自の世界観があるという雰囲気はモッくんでも出せそうですし、俳優さんは役に上手に化けますしね。香川照之の子規は合ってる、合ってる! (さりげなくここでも、歌舞伎系登場。)
・・・って、秋山真之を知っている人なんて、どのくらいいるのかしらん。
俳優さんネタと言えば、まだ映画は見てはないのですが、「武士の一分」のCMを見て、初めてキムタクを認める気になりました。(あー、私ってエラそう。)
何を演じてもその役にはならずに「ザ・キムタク」で、あのフェロモンが好きな人はいいのだろうけど、あすなろ白書の時代からあの口元の卑しさが許せなかった私としては、キムタクブーム当時からキライな男No.1でした。(木村拓哉ファンの方、ごめんなさい。)
が、「武士の一分」で映ったキムタクはあのギラギラ感がなく、初めて役に入った木村拓哉を見ました。「華麗なる一族」でも同じ印象を受けたので、何か一枚皮がむけた感じがあります。
思えば宮沢りえも「北の国から」で突然化けたので、俳優さんってそういう瞬間が来るものなのかもしれないですね。
俳優だけでなく、人って変わる瞬間があるものなんだろうな。
願わくば自分もよい方向に変わっていけますように。   馨

* ちと、放っておけない好話題ですからね。
もっくんには徳川慶喜で惚れ込みました。漱石センセイもおもしろかった。宮沢りえのかしづいている伊右衛門も静かで宜しく、しかし突拍子もないいでたちの沢山なコマーシャルにも肯定的です。うちの奥さんももっくん贔屓です。
キムタクのくちもとがイヤシイという批評は的確で、最初からそれで彼には冷淡でした。「武士の一分」は見ていません。この決まりのいい題は成功すると思いました、が、その一方武士の一分といった思想を尊重する気はもっていません。
秋山真之のことは、猪瀬直樹も書いていて、いい調べ仕事に属します。彼はいい調べ技の持ち主です。但しそこでとまりですが、大した勉強家です。
司馬さんの小説は、誰もが登山可能な三合目どまり。映像化をたやすく受け付けるのが、利点でも、ものたりなさでもあります、私には。彼は、思想を小説の体で「絵解き」している。それだけとも、だから分かりよいとも。しかし小説は「絵画」じゃない。その本質の魅力は「音楽」ではないか。司馬さんのは、せいぜい演歌です。

☆ 大阪市布施にある司馬遼太郎記念館に行ってきました。
作品はなにひとつ読んでいないのですけれど、帰省したとき、父が、開館記念に発行された雑誌を持っていたのをみて、なにかおみやげに送るグッズがないかしらんと思ったのです。
中高年の団体が引きも切らず訪れるなか、青年がひとり展示品に見入っていました。
予想した通り雀に分かる事物はなにもなく、売店を物色しただけでしたが、『街道をゆく』に、信楽多羅尾と伊賀を結ぶ御斎峠越え道があると知ったことは収穫でした。
司馬さんは、「通れますか?」と地元の人に尋ね、案内してくれる人を探してから道をたどったようで、同行した須田剋太さんが悲鳴をあげるような難儀な山道だったらしいのですが、ゴルフ場ができてすっかりかわりました。
眺めのよいヘアピンカーウ゛はクルマを停められるように拡幅され、木も伐ってあり、雀は眺望に何度も歓声をあげましたわ。
多羅尾から信楽川に沿って進み、
獺の祭見て来よ瀬田のおく  (芭蕉)
はこんな景色だったのかなぁと思ううち、幻住庵に着き、そのあと義仲寺に寄って帰ってきました。 雀

* 短いけれども、心地よい一編の短章。ありがたい。司馬さんの小説でないいろんな文明論や風土論をわたしは敬愛している。
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* 「mixi」に「祇園と歌舞伎と」という短文を出しておいたなかに、祖父の頃の秦の家が、南座などに「かき餅」を卸していたことに触れていた。千葉の e-OLD勝田さんが懐かしがって、ご自身の想い出を寄せられたのが、なかなかの「文献」なみなので紹介しておく。勝田さんが「おせんべい」屋さんなのではない、お医者さんであるが。
ちなみに、関東の「おせんべい」は堅焼きの、京で謂う「かき餅」にほぼ相当していて、京都で「煎餅」は末富などの銘菓老舗らの、ややふわっと上品に甘みのある「和干菓子」にちかい。

☆ おせんべいの作りかた (明治生まれの「せんべいや」が書いたもの。 末尾に註)
おせんべいをおいしく作るこつは、よくかんがえると理屈に合った事ばかり。
たとえば十月頃新米で作ると、新粉に粘りが出て仕事がやりにくい。やはり古米がよい。年が変わるとそろそろ古米がなくなり、前年取れた米と云うことになる。その時も乾燥のよい、茨城とか栃木、千葉米などがよいが、今はそんな事は言っていられない。普通配給米で丁度よい。
団子で食べる場合は、粉は細かくよく搗いた方がなめらかで舌ざわりがよいが、これを煎餅にするとふわふわのものが出来る。やはり粉は少し粗めに挽いて、食べると少しごそっぽい位の方が、硬焼き、にはよい。
家では、20本の篩でふるっている。20本とは一寸角の中の目。粉を耳たぶより固めに熱い湯でこね、3~40分位蒸す。あまりふかすとねばりが出過ぎて仕事がやりにくい。昔は杵で搗いたが、今はねりだしで差し支えない。
手搗きと機械の違いは、新粉の場合は何ら変わりない。
正月の餅の場合は手搗きの場合、杵でよくねってから搗き始める間に適度に空気にふれ、熱がすこしづつ出て搗くから、こしの強い餅が出来上がる。だから機械の場合も早めに「せいろ」をおろして、2~3分置いてから搗くと手搗きと変わらない。
おせんべいの「手のし」と機械の違い
今言った通り機械の場合はどうしてもこなし過ぎるので、そのつもりで粉を粗くひくのである。ただし「かたやき」の生地は出来るが、ほいろがなかなか効かず、生地がもろい。天気の良い時はまだよいが、冬など2~3日目でなければ乾かないときは、とくにやりにくい。天気の良いときでも夏で1日半かかる。そのくらいに上げた生地は焼き上がっても「つや」よく、旨い。
うまく食べさせるこつは、何といっても味付けの醤油である。
世間では大抵刷毛で付けて居るが、あれは早く乾き醤油が得であるから。家では「つっこみ」で昔からやっている。濃さは生地の厚さによって濃くも薄くもそれに合った程度がよい。
「醤油の煮方」
キッコーマン、ヤマサ、 醤油1本(升) 1,8リットルにつき ミリン 5勺、キザラ砂糖 100グラム、カタクリ 50グラム
まず醤油1本を鍋にあけ、火にかけキザラを入れ、泡立った頃カタクリを入れ、煮立ちぎわにミリンを入れる。カタクリは水でどろどろ位にとく。醤油はがらがら煮立てては味が落ちる。煮だちぎわにおろす。
よそのお店のやり方を見て気を付けていると、手焼きの店で白焼きにしたものを、いったん冷まして色付けに焼いている。白焼きで熱を冷ますと芯がしろく、悪く言えば生焼けで、上皮だけ色付けに焼くので、堅くばかりあって香ばしみがない。やはり備長で、はなからしまいまで、一気に芯まで「きつね色」に焼いた方が一番うまい。それがこつである。
肝心なところを今一度かく。
粉は少し粗めに挽き、耳たぶ位より少しかためにお湯でこね、セイロにちぎって入れ、3~40分位蒸し、搗き、5~6分間水に入れて熱を取る。余り冷やし過ぎるとかたくなって、まとまりが悪いので、なまぬるめの内に水から出して、又、搗く。だから冬等は水が冷たいので2~3分で上げてしまう。干してからも乾きも良い。今一度搗き、耳たぶ位のかたさに、のしよいくらいに、かわくまで置いた方がやりよい。
生地が出来たら良くかわいた物で夏でホイロで1時間、冬で2時間位あたためてから、焼き始める。醤油は焼いてから2~30分位置いた方が良い。直ぐだと、しみこみのおそれ有り。一日置くと乾きが悪い、焼いた後で付けた方がよい。

「48年(1973) 貞夫にカセット・テープを貰い楽しんでいる。父に、せんべいを作る事を入れておいてくれと言われたので書いたわけだ。 父」
***

新粉:しんこ:米の粉を湯で捏ね、蒸して、搗いたもの(これを丸めると団子)
堅焼き:堅焼きの煎餅(せんべやの主力製品)
ねりだし:臼と杵で搗く代わりに練り出すように加工する機械
20本の篩:ふるいの目の粗さ(一寸に20本づつの針金を使用)
ほいろ:ホイロ:焙炉:煎餅を焼くまえにあらかじめ暖めておく
つっこみ:焼いた煎餅を瓶に入れた醤油の中にざぶりとつっ込む
生地:煎餅の焼く前の段階のもの

* 此処へ紹介するのも惜しい気がするぐらい具体的。こういう文献からは眼をそむけることが出来ない。感謝。
少し政治向きのコメントも今日は書いたのだが、そんなのは、こういう徹して具体的で実体験にしかと裏打ちされた文献の前へは薄くて持ち出せない。
2007 1・20 64

* 劇団「昴」の上演舞台を久しきにわたりいつもご招待戴いてきた。拠点の三百人劇場でだけでなく、数え切れない舞台の感銘が深く印象づけられてある。その三百人劇場がほんとうに幕を閉じた。しかも楽しみにしていた最後の『八月の鯨』を、我々夫婦は「去年バテ」の煽りをくらって観のがしてしまった、招かれていながら劇場に行けなかった。痛嘆、また申し訳なさのきわみであった。
福田恆存先生と初対面をよろこんだのも此の劇場でであった。開口一声「ああ、想ってたような方でした」と云われ頬が熱くなった。そして「湖の本」に云うに尽くせない応援をしてくださり、今も奥さんの大きなお力添えを戴いている。
ご子息の逸さんには一度お目にかかった、また谷崎歌舞伎を演出された歌舞伎座で「お国と五平」も観た。本拠の三百人劇場では何度も優れた日本語訳と演出との舞台にいつも夫婦で接してきた。
劇団「昴」が無くなるわけではない。だから芝居は観て行けるだろうが、三百人劇場はもう無くなった。
わたしが初めて三百人劇場に入ったのは、演劇の観客としてではなく、橋本敏江さんの平曲演奏の前解説を引き受けたときであった。彼女はみごとに「小宰相」を語り、その感銘がわたしの小説の『初恋』や長編『風の奏で』に生きた。忘れ去るにはあまりに惜しい想い出となる。

☆ 秦 恒平様
暮にはお心のこもつたお葉書を頂戴し、眞にありがたう存じます。こちらのメールで失礼します。
劇場閉鎖土地売却のための片付けや引越しの混乱のせいか、小生の手元に昨日届きました。
『八月の鯨』をご覧頂けなかつたとの事、残念にも思ひますが、お気持ちだけで嬉しく、多くの方が劇場閉鎖を惜しんでくださることに、却つて小生が恐縮してをります。幸ひ、最終公演も評判がよく満席の状態になりました。
今月半ばの業者への土地引渡しを前に、劇場への感謝の神事も執り行ひ。今はさつぱりした気分で新たな事務所の整理整頓と、劇団の組織改革の後始末に追はれる毎日を過ごしてをります。
おそらく劇団からの案内を年末に送付申上げたことと存じますが、念の為、そのまま添付いたします。
小生は劇団昴を離れ、財団法人現代演劇協会の立場で、外側から昴を応援します。
今後とも何卒よろしくお願ひ申上げます。   福田 逸

謹啓
師走の候、御多用の日々をお過ごしのことと拝察申し上げます。
平素は私共協会の演劇活動に諸々の御高配を賜り有難う御座います。
長年御愛顧いただいて参りました三百人劇場を今月末をもって閉鎖するに伴い、従前の諸事業をより円滑に継続せしめる為、組織改変を行い、事務所もそれぞれに設けることになりました。平成19年(2007)1月以降、これ迄財団法人現代演劇協会の傘下にありました各部は協会外に出て別個の法人格となり独立致しますが、事業自体は従来通り新設法人と提携のもと演劇の上演、演劇ワークショップなどを進めて参ることには変りありません。
日頃の御支援を深謝致しますと同時に新しい体制に関する報告を申し上げる次第です。
敬白


1.組織の新編成
平成19年1月1日から私共の組織は以下の内容となります。
◎財団法人現代演劇協会
各種演劇公演やワークショップの企画・助成の他に戯曲出版、稽古場運営等にとり組みます。
理事長 福田 逸 事務局長 村山知義
第一稽古場 栄町スタジオ
第二稽古場 大明みらい館(旧大明小学校)
◎劇団昴(有限責任中間法人)
これまでの劇団昴俳優部、マネージ部は上記法人となって演劇公演並に劇団外部でのマスコミ活動を続けます。
代表理事 杉本了三
◎株式会社演劇企画ジョコJOKO
これまでの演劇研究所(演出部)と制作部は上記法人となって演劇公演の企画とスタッフ活動、並にJOKO演劇学校を運営し、劇団昴の俳優養成に取組みます。
代表取締役 村田元史

2.平成19年度(2007)の上演並に事業計画
上述の三団体は協力態勢のもと明年度は以下の事業を実施致します。
1月 「八月の鯨」作/デヴィット・ベリー訳/村田元史 演出/菊池准 京都・大阪・神戸・宇都宮演劇鑑賞会の巡演主催=(財)現代演劇協会(劇団昴 旅公演)
4月 「アルジャーノンに花束を」作/ダニエル・キイス台本/菊池准 演出/三輪えり花 北海道演鑑連(旭川他)の巡演主催=(財)現代演劇協会(劇団昴 旅公演)
6月 「台湾の大地を潤した男 ~八田與一の生涯~」作/松田章一 演出/村田元史 石川県下での一般公演及高文連演劇鑑賞教室        主催=(財)現代演劇協会          (劇団昴 旅公演)
7月 チェーホフ作「谷間」より「うつろわぬ愛」台本/ロミュラス・リニー訳/沼澤洽治 演出/ジョン・ディロン  7/25-29 紀伊國屋サザンシアター        主催=劇団昴
8月 第15回「RADAinTOKYO」英国王立演劇学校講師陣による集中ワークショップ 7/30-8/18 大明みらい館       制作運営=(財)現代演劇協会
11月 「アルジャーノンに花束を」作/ダニエル・キイス台本/菊池准 演出/三輪えり花 11/28~12/2 下北沢・本多劇場         主催=劇団昴
以上
平成18年12月
財団法人 現代演劇協会
理事長 福田 逸
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☆ hatakさん  1999年に海南島で病害の調査をした際、はち切れんばかりのお腹をした猪に追いかけ回されたことを思い出し、その写真を今年の賀状に採用しました。年賀状を失礼しましたので、図案を添付ファイルでお送りします。
最近はMIXIに書くことが多くなり、こちらへのDirect submissionが少なくなってしまったかな、と少し寂しい気もしています。ご指摘の通り、MIXIに書き込んで満足していてはいけないなとも思っています。下もMIXIに書き込む原稿で
すが、在日と沖縄は米軍基地問題などでも微妙につながっていて、私にはそんな視点から、問題提議をしたいと思いました。玉川大農学部は立派な先生がいて尊敬しているのですがね。   maokat

なぜかすきやきが食べたくなって思い出した。沖縄県南風原町に「松風苑」という料理屋がある。料理屋というよりも料亭と謂った方がいいかもしれない。深い森に囲まれた静かな店では、肉といえばステーキばかりの沖縄には珍しく、大和風なすきやきを食べさせる。この店が、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」を生み出した脚本家、金城哲夫の生家だと知る人は少ない。
『ウルトラマン昇天』(山田輝子著)によれば、彼は当時アメリカ統治下だった沖縄から、本土の高校へ「留学」し、恩師上原輝男と出会って、民俗学を学び沖縄の民族性に目覚め、大学卒業後、円谷プロで「ウルトラQ」、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」のメインライターとなった。これらの作品の中には、日本社会の中で異民族として扱われている沖縄人を連想させるキャラクターがしばしば登場している。いずれにせよ、金城哲夫が一流の脚本家になれた要因として、彼が「留学」した高校大学時代の薫陶を忘れることはできない。
ところで、金城哲夫も、『ウルトラマン昇天』を書いた山田輝子も、玉川学園の卒業生である。沖縄関連では、八重山諸島鳩間島を描いたテレビドラマ『瑠璃の島』の原作者森口豁も同大学の出身で、金城哲夫の一年先輩だ。
玉川学園大学農学部が神奈川朝鮮中高級学校高級部3年の男子生徒の一般入試出願を拒否している。玉川大の農学部は、私立大農学部の中では小さいながら優秀な教授陣を揃え、優秀な学生を社会に送り出している。朝鮮学校生徒の置かれている状況は、私にはいにしえの留学生、金城哲夫とダブってしょうがない。金城哲夫を輩出した玉川学園、上原輝男の良き遺風を思い出し、優秀な人材には広く門戸を開いてほしいものだ。
金城哲夫とその出身校を尊敬する一ファンの願いである。

* 玉川大学は何をトチ狂っているのだろうと報道をきいて訝しかった。学生の側は真面目な動機に思われた。正当な動機と手続きには寛容という以上に平静に対処して欲しい。その一方入国手続き上違法な侵入者には厳正であって欲しい。
それはそれとし、あまりにお腹のでっかい猪の写真は、ヘンに我が身を鏡に映してみるようで遠慮した。
2007 1・20 64

* 石川県から、期待のマイミクがきまった。心親しく、兄事してきたE-OLDSの一人、それも文学者。

* 東工大のころ、三人で目黒駅の地下でたしか天麩羅を喰ったことがある、その二人の学友が「mixi」で久しぶりに出逢ったようだ、二人ともわたしのマイミクになっている。一人はボストン、一人はバルセロナにいる。ボストン君の「日記」快調。儲けもののように喜んでいる。

* せっかく「mixi」で出逢っているのだから、マイミクのおじさん、おばさんたち、「日記」欄を使って欲しい。すると「コメント」や「メッセージ」が入ってきて、交流の機がうまれる。お互いに顔も見知らないというバーチャルな欠陥をどう埋めあえるかは、人それぞれの持ち前できまってゆくだろう。

* 『京言葉と女文化・京のわる口』を連載していて、西の方にいい話し相手が増えている。ほうっと西が今あったかい。
2007 1・21 64

* 満悦。
やがて三つ、やがて一つの可愛い二人の子たちが、至極の笑顔と親愛とでわたしを迎えてくれた。上の葵ちゃんは苺をフォークにさしてわたしに食べさせてくれた。下の結ちゃんはわたしに抱かれ、お父さんの撮る写真でわたしの顔を真っ黒い大きな眸でじっと見上げ、お姉ちゃんはわたしのわきで、にこにこ。
帝国ホテルの「ラブラスリー」で、二時間余も心もちよく胸温かく歓談の時がもてた。若いお父さんもお母さんも愛情にあふれていたし、しかも話題はいろいろに及んで、浅くは流れなかった。
教室での初対面からもう十数年、期待通り、ほんとうにいい若い大人になっていて頼もしい。お土産には葵ちゃんに、世界的な絵本作家田島征彦が見返しに献辞と大きな鯰の繪を肉筆で描いてくれているグランプリ絵本をもっていった。

* 余り長引いて子たちや奥さんを疲れさせてはいけないので、七時過ぎには名残惜しく別れてきた。この家族はほっこり骨休めの休暇を、帝国ホテルの一泊で落ち着いていた。わたしは、ご馳走になってきた。感謝。

* お子たちの最高の笑顔に逢わせてくれてありがとう、私にはそれ以上ないご馳走で、心底嬉しかったです、ありがとう。
このところ口にしなかった佳いカレーライスとビールも身にしみました。感謝。
せっかくの休暇に、無粋な老人を憩わせて下さった。楽しかった。御礼申します。話題は尽きず、奥さんお疲れでなかったか、二人のお子たち、さぞおねむであったろうにと案じながら、胸温まって帰りました。
また逢いたいです、そのためにもお互い様、健康でと。職場復帰の奥さん(お母さん)が、スムーズに教壇に立たれますよう。大事におつとめ下さい。夫 (父)君は、肉眼と心眼とを、どうぞ大切に労って下さい。いいお父さんお母さんに逢いました、幸せでしたよ。
嬉しい一夕に感謝します。   秦 恒平
2007 1・21 64

☆ 秦 さま 2007年も20日が過ぎました。なんとなくご無沙汰いたしております。
お元気ですかとも、いかがお過ごしですかとも問えず、それこそなんとなく思い出をたどっております。
今年は本当に暖かいですね。寒いのが苦手の私は助かりますが乾燥芋作りは、寒風に晒されずに出来具合が良くないというので、贈り物がずれたままになって焦ります。
ほとほと疲れると仰ったけれど、それはそれなりに一段と思索が深まり案外お元気なのではと思ったりしております。またそのように思いたい気分です。
水戸の弘道館の蝋梅が咲き出し、香りを放っています。今年は梅も早いようです。
程なく節分、やっと前年から抜け出せますね。  久慈川

* もう忘れてしまっているが、よほどわたしに何かつらいことのあったときだ、この読者はわたしのため、「茶断ち」しています、と告げてくれたことがある。もう二十年になるだろう。軌道に載るまで、湖の本をひとりで二十冊ずつ買って呉れもした人だ。そういう人達にわたしは助けてもらってきた。
2007 1・21 64

☆ 今朝,ボストン美術館に行ってきた.  ボストン 雄
実は観光はもうちょっと先に取っておこうと思っていたのだが,僕の前にこのアパートに住んでおられた方から、昨日お電話を頂き,その際に僕のアパートからボストン美術館までは非常に近いことを知った.今まではグリーンラインのDという電車を利用していたので,グリーンラインEまたはオレンジラインから近いボストン美術館へ行くには、非常に不便だと思っていたのだが,実は僕のアパートからだとグリーンラインのEラインにも非常に近いらしい.ただし,Eラインとオレンジラインはボストンでも治安の悪いエリアを通るらしいので、今までは乗ることさえためらっていたのだが,Eラインに関してはそれほどでもないとのこと.そうと聞いたら,俄然行ってみたくなった.
そこでお楽しみとして取っておくのをやめて、今日行った次第.
確かにEラインを利用したら、自宅から美術館までは20分足らずだった.本当に近い.
中に入るとまずコートやカバンを預けなくてはならない.それらを預けてから入り口より左奥に進んだ.
インドや中東などの展示を抜けていくと,そこには日本美術の展示スペースがあった.ご存知の方も多いように,ボストン美術館には岡倉天心やフェノロサの努力により,非常に優れた日本美術の作品が沢山所蔵されている.
正直言って,美術に関しては全くの門外漢なので,充分に理解したとは言い切れない.しいて言うならば,それまでのアジアの展示に比べて,日本のものはどれも実に繊細という印象を受けた.それはヨーロッパやアメリカなどを加えればなおのことそうだろう.
日本人は昔から実に繊細な民族だったのだなという印象を受けた.
それにしても,美術に造詣の深い方ならば、もっともっと色々な観点から楽しめるはずで,せっかくこれだけの美術品がある場所にいながら,それらを充分に理解できるだけの知識が自分に無いのは、実に勿体無いと思う.まさに豚に真珠ということか.しかし,それはそれで仕方ない.これがスタートなのであって,せっかく近くなのだから足繁く通っているうちに,きっと僕の中に、少しずつそうした素地が出来上がっていくものと期待したい.
素人なりにも,2階の仏像の展示に関しては素晴らしいなという印象を受けた.展示方法も素晴らしくて,これらの素晴らしい美術品を独り占めしたかのように、静かに味わうことができるようになっている.
西洋美術のコーナーはまさに圧巻,モネの数々の作品の中でも僕の最も好きな、La japonaiseが展示されていてびっくりした.これはモネの作品の中では異端に属するようだし,美術的な価値がどうなのかは僕には良く分からないが,昔美術の教科書か何かで見て,美しいなあと思った記憶がある.この作品がここに展示されているとは知らなかった.
そのほかにも有名な睡蓮の作品も展示されていたし,ルノワール,マネ,ゴッホ,ピカソなどの作品が所狭しと並べられている.日本だったら作品よりはるか手前にロープが張られていて,それらを遠巻きに観ることしかできなかったり,人ごみに巻き込まれてそれだけで疲労困憊してしまうが,ここではすぐ手を伸ばせば届くくらいの距離から観ることができるし,お客さんの数もそんなに多くないので,すきなだけ作品を眺めていることができる.本当に贅沢だ.
その他にも,エジプトのミイラの棺や古代ギリシャ,ローマ文化の展示,メソポタミア文明の展示など,古代のものもびっくりするほどの数が展示されていた.ミイラの棺や粘土の壁には象形文字が刻み込まれている.手に刀を持ち,どんなことを思いながら古代の人々はこれらの文字を刻み込んだのだろうと、思いを馳せた.
結局3時間ほど美術館に滞在した.3時間といえば短くは無いが,これらの展示を見るには短すぎる.しかし美術入門としてはこれだけでおなか一杯であり,次回からはもう少し観るものを絞って、じっくり観たいなと思った.
売店で美術館の展示作品のガイドブックと、モネのLa japonaiseを含む3枚ほどの絵葉書を買って美術館を後にした.
再びグリーンラインに乗ると,驚いたことに隣のラボのポスドクが乗っていた.どうしたの? と聞くと,一昨日子供が産まれたのだという.美術館の一つ先の駅はメディカルエリアにあるので,そこから乗ってきたらしい.これから車を取ってきて子供と奥さんを迎えに行くのだという.生まれるまでに24時間かかったのだそうで,まだ睡眠不足のようだった.
ハーバードスクエアで彼と別れ,僕はポーターまで乗った.
ポーターには日本食材を沢山置いてある「Kotobukiya」というスーパーがあるので,そこが目当てだった.実は昨日も来たのだが,散々歩き回っても見当たらなかった.昨日は恐ろしく気温が低かったので,外を歩き回るのも辛く,結局何の収穫もないまま帰宅したのだった.今日も見当たらず,遅い昼食をポーター駅近くの「伽耶」という日本料理と韓国料理の店で摂ったのだが,その際に店員さんに道を教わったものの,どうもそれらしいものがない.通りがかった白人のおばあさんに聞いたら,まさに自分の真横にあるビルの中にお店が入っていた.外見だけでは全くわからなかった.
中は予想以上に色々なものが置いてあり,ついつい嬉しくなってあれこれと買ってしまう.天ぷらうどんの鍋焼きセットだの,大福だのどら焼きだの,今までだったらさほど食べたいとも思わなかったであろうものを、必死に買い物カゴに詰め込んだ.おかげで50ドル近くも払うことになってしまった.次回からは気をつけたい.
帰りはクーリッジコーナーに立ち寄り,少し街を歩いた後,Trader’s Joeというスーパーで、少し食材を購入して帰宅した.こちらでスーパーらしいスーパーに入るのはこれが初めて.日曜に食材を買い揃えようと思ったが,荷物が重くて、とてもでないが無理そう.毎日帰りによって少しずつ買っていこうと思う.
帰宅してから気づいたのだが,どうも僕は日本美術のいくつかの展示室を見逃していたらしい.惜しいことをした.どおりで国外最大級の展示規模と聞いた割には、今ひとつだったのだ.失敗した.
と思いつつボストン美術館のホームページを見ていて気づいたのだが,なんとチケットの半券を持っていけば,今日から10日以内ならばタダで再入場できるのだそうだ.なんという素晴らしいシステムなんだろう.
これは来週も是非行かねば.

☆ 雪   ボストン 雄
今朝,実験を始めようとしているところにボスのジェフが寄ってきて,調子はどう? と聞いてきた.実はディスカッションしたいと思っていて,アポイントを取りに行こうかと思っていたところだったので、ちょうど良かった.ついでにパソコンも買って欲しいと頼み,快諾してもらう.ディスカッションの途中から,僕に実験を教えてくれているコーリーも加わったのだが,ジェフはコーリーにばかり話すようになってしまった.確かに英語の問題もあるのだが,ちょっと情けない.この状況を打開したい.
今日は査察が入っていたのだそうで,実験は査察が終わるまで中止と相成った.午後から実験だが,待ち時間が多く,終了したのは夜10時過ぎだった.
合間にロースクールのカフェテリアに夕食を摂りに行く.本来なら,昨日買った食材で夕食としたかったのだが,とてもでないが終わらない.
仕方なくカフェテリアに行こうと外に出た時,雪が降っていることに気づいた.今朝も霰のようなものが降っていたのだが,こんなに本格的な雪になるとは思わなかった.本格的な雪ではあるが,東京の雪のような水分をたっぷり含んだ重たい雪ではなくて,パウダースノーと言ったらよいのだろうか.スローモーションのようにゆっくりと地面に落ちていく.雪が「降る」というよりは,地上を雪が「包んでいく」という感じの方がしっくりと来る.
昨日,買い物ついでに帽子を買ったのだが,大正解だった.こちらの人が良く被っているようなのを見つけたので,25ドルとちょっと高いなあと思いながら買ったのだが,こんなに暖かいとは思わなかった.
天気予報では明日は更に激しく降るらしい.明日は朝からミーティングがあるので,遅刻しないようにしなくては.

* 読んでいて嬉しくなる。よく分かる。自分で自分の日記を書きながら、その日記が「mixi」を通して人にも読まれるということをちゃんと勘定に入れ、深切に書いている。独り合点ではないのだ、読んでいて嬉しくなる。

* いつのまにか、日付が変わって一時になろうとしている。

☆ うつむき人生   千葉 e-OLD
氏素性なし。生来虚弱、愚図、主体性なし。人前嫌い、勉強嫌い、綴方は大嫌い。「目立たぬように、上見て暮らすな下見て暮らせ。人の振り見て我が振りなおせ。」と向島生れの母親は言っていた。胸を張って何かをした憶えもないが、しばしば生意気だった。「三つ子の魂百まで」今だに反省している。
年を取ってしまった。
三年ほど前から、越中おわらの盆踊りを習っている。笠をかぶると顔は見えないのでよいが、この頃よろける。威勢の良い若い衆のような男踊りを教えてくれるのだが、とても無理なので年相応の「爺踊り」にしてみようと考え、少し背を丸め足も高く上げず(上がらず)小振りに踊ってみた。地方さんの演奏にもよく合い気持ちよく踊れた、と思った。
先生が来た。「指ものびて決める処は決っていていいのだけれど、うつむいている。もっと背すじをのばして格好良く踊りなさい。」と言う。
「はい、直します。」と答えたが、そう見えたのだと気付き、笠の中でにやりとした。それで済ませばいいものをひと言多かった、「・・うつむき人生なもんで。」  笠

☆ 早春の山へ   川崎 e-OLD
神奈川県の名峰「大山:おおやま」へ登るつもりで家をでました。予定どおり駅「秦野」では秀麗富士を見て下車、バスで「蓑毛」へ、ここから登山道へ冷たいが澄んだ空気を吸ってはくことしばし。途中ピッケルの「鞘」を落としたことに気付き登ってきた道を引き返しました。
貴重な「鞘」はありましたが、山の時間は命と同じ。大山はやめました。ヤビツ峠まで登り、ここから「岳の台:たけのだい」へ登って山頂の見晴台で早春の光をさんさんと浴びながら数時間を過ごしました。
西の富士山は霞んで見えないが山北の山々の山稜が大和の国のような稜線をほんわかと見せてくれました。ただこれだけの自然界がしめす価値が凄いなあ。 瑛

* 書かれていることがクリアに伝わる。お人も伝わる。
2007 1・23 64

* 『和歌職原抄』を戴いた九大今西教授のご叮嚀なご挨拶、痛み入る。

☆ この度は、ご挨拶抜きで拙著をおおくりするという無礼にもかかわらず、「文学と生活」上において、身に余るご紹介をいただき、ありがたく、またうれしく存じました。心より御礼申し上げます。
編者の意図を十二分にお酌み取り下さり、さらに一般的にわかりやすく敷衍していただき、編者冥利に尽きます。
実は、私、自宅ではいまだにインターネットに加入しておりませんので、今回のお言葉も、東京大学の長島弘明さんから教えてもらったという次第です。
三月には『蜻蛉日記』についてのこれまでの文章をまとめて出版する予定です。(以下は相次ぐ研究上のお話ゆえ、秘匿したい。秦 )また、偶然、古書店で宣長の『古今和歌集遠鏡』の稿本に遭遇し、それが筑摩版全集などに所収の版本とかなり相違していることがわかりました。すでに、九州大学附属図書館のホーム・ページ上で、版本とともに画像データベースで公開しております。何かの折りにご覧いただければ幸甚に存じます。
意を尽くしませんが、日頃の失礼をお詫びかたがた、御礼まで一言申し上げます。  敬具

* 篤実で精緻な学術成果が、わたしのような野次馬なみの門外漢にもどんなに「おもしろい」かを、いつも教えてもらい感謝している。長島教授は近世文学の優れた研究者。まだ東大の学部生だったころからの久しいお付き合いに助けられている。助けて貰いながら、しっかり怠けている秦さんを、こうして暗に鞭撻して下さる。痛み入るというのは、ただのごアイサツではない。お詫びである。

* 高麗屋の女房さんからもメールをもらった。西の囀雀さんからも。

☆ 深草  初冬のある朝、澄んだ青空に誘われて、東福寺へ行ってばかりでいつに
なっても不案内の深草や藤森を歩いてみようと、京都駅から、小さな地図を手に電車に乗りました。丹波橋駅で京阪に乗り換え藤森駅の改札を出た雀は、目の前をふさぐ土手に右か左か決を迫られました。疏水の堤防を北へ進み橋を渡って、昔ながらの食堂が建つT字路に短冊石を見つけました。手持ちの地図にはJRの踏み切りの向こうが後深草天皇御陵とあるのですが、石には「十二帝陵」と刻まれています。まだほかにも御陵があるのかしらと道を急ぎました。あとで、どなたが十二帝御陵に葬られているのか判りましたわ。
後深草帝から始まって花園、光厳、光明、崇光を除く北朝の帝と、後花園を除いて後陽成まで。後水尾天皇は孝明天皇と月輪の御陵にいらっしゃるのでしたね。十楽寺上御陵の花園天皇と同様、ご本で教わりお参りにうかがいました。常照皇禅寺御陵に光厳・後花園天皇、伏見大光明寺御陵には光明・崇光天皇。
南朝の帝は吉野山、觀心寺、嵯峨野、川上村に…そういえば朝拝式まで、十日余。自天王と忠義王が殺されてから今年は650年になるのですわ。
北朝十二帝陵となりは、“深草聖天”嘉祥寺。日本最古の聖天像とのことで、併せて長谷寺式十一面観音もまつられていると知って、幸先に歩みが軽くなります。
竹林に囲まれた萱葺きの瑞光寺山門と本堂ののどかな景色に驚いていると、本堂のすぐ後ろをJRの電車が駆け抜け、狐につままれたような気がしました。
立ち並ぶ日蓮宗のお寺に圧倒されますが、この辺りのお寺のいくつかは「かくれ古寺」として旅行本に紹介されているそうで、カメラを下げた中高年男性を何人も見かけました。おさん茂兵衛の比翼塚があるという宝塔寺に立ち寄ると個人でまたグループで撮影にきています。
眺望がいいという七面宮へ上り、熊鷹や都々逸と名のついた神社に詣で境内の床几に腰を下ろし風に吹かれながら一休み。街歩きのコースがあるようでこまやかに案内板が立てられています。
仁王門を出てさらに北へ道を進むと、「茶碗子水」そして「石峰寺」。この辺りで、のんきな雀も身に訴え続けてくるちからに感づきました。歯痛に霊験ありという「ぬりこべ地蔵」にしっかりと頭を下げ、向こうにくろぐろ繁った森と朱い鳥居を見つけた頃には、たっぷりと、身に、墓地の空気を帯びていました。
初瀬に移住した土師部が伏見に転出したと聞いたときは、長谷寺みやげの出雲人形と伏見人形の聯想しかありませんでしたが、深草の土器はつまり俯見の土師部でしたのね。ひたひたと叩くように右側から冷たくて湿った空気が迫ってきます。
稲荷の鳥居をくぐってお山めぐりをしたときはピクニック気分。今回、墓地から伏見稲荷奥の院と白狐社の前へと出てみて、まるきり違った心持ちがしました。見慣れた社殿、参道やJR稲荷駅前の賑わいが「異世界」のようです。
駅まで下って山を振り仰ぎました。それからランプ小屋を見に行って参道に戻り、ここに来ると必ず立ち寄る食堂に入りました。  囀雀

* 深草から稲荷へのゾクゾク来る「異世界」感覚を、雀さん、的確に全身で感じていたようだ。わたしの『冬祭り』や『風の奏で』の世界・舞台でもある。石峰寺は若冲石仏寺でもある。伏見深草稲荷一帯は、じつに深刻に「上古の異界」をはらんでいて、言葉軽く謂うならこんなにおもしろい風土はザラにないよ、と、小説家になる前の甥、黒川創によく話してやった。彼の文壇出世作は、画家若冲であった。美術史にはてんと疎かった左翼ボーイのみごとな変貌と充実とがはじまったのだ、もう懐かしいだけの昔話であるが。
雀さんの「深草」体験は俊成卿の名歌にあらわれる「鶉」へ転じて行く。

☆ うずらのかみごたえ  雀
丸焼きをカリカリと噛み、お稲荷さんをいただきながら、置いてあった冊子を開きました。
ひとつとりふたつとりては焼いて食いうずら無くなる深草の里
というのに笑いを誘われましたが、「訪ねて下さい、知って下さい、深草・稲荷を」と書かれた地元の方々の労作で、買い求め、帰りの車中で読み始めたものの、多方面に豊かな情報が盛り込まれていて、のみ込むまで半月近くかかりました。
稲荷山古墳の石室が大きな海石ということから始まり、知らなかった歴史上の人物にたくさん出会い、名を知っていた人物については理解を深めました。
稲荷をはさんで北に東福寺、南に興聖寺が立ったかもしれないのに、円爾上洛と道元追放が同年で、円爾と道元は2才しか違わなかったことは驚きでした。
また秀吉異父妹旭姫が東福寺塔頭にひっそりと葬られたことや、こづかッぱらより15年も前に、京で刑死体の解剖が行なわれていて、科学的医学家の何人かがここに葬られていることにため息をつきました。
新しいところでは逢坂山トンネル開通以前は伏見稲荷から勧修寺を通り、大谷へ鉄道が通されていたこと。日本初の電車が東洞院七条下る踏切南側から、伏見京橋まで、定員16名乗りの車両4台で営業を開始したこと。それが
節分の2日前で稲荷節分参詣の混雑にほとんどの客を乗車拒否せざるを得なかったこと。単線化され平成13年に復したJR線のこと。暗渠となった二ノ橋川と三ノ橋川のこと。“行政区の孤島”車阪町のこと。即成院はもとは伏見寺だったこと。五條の栄山寺にある国宝の鐘は、深草の道澄寺にあった鐘ということ。羽束師橋の東西はくさつ町としみづ町といい魚市場があったこと。
藤原良房、基経、時平、忠平、高子、九条兼実、崇徳后聖子、仲恭天皇、桓武天皇、伊予親王、阿保親王、俊成など、お作で親しんだ懐かしい人との再会があり、かまどにたとえられる京都盆地、その西北から天王山と稲荷山がつくる出入口まで秦氏が造り上げたことがわかりました。
ひとつ、わからないことがあります。
深草寺に蟹の恩返し伝説があるそうですが、蟹満寺のいわれとなった蟹が大蛇を切り刻んだ話と似ているのでしょうか。
どこかで雪が舞っているのでしょうか。晴天に冷たい風が吹いています。
おんみお大切に。   囀雀

* おみごと。まるで作品世界をきれいに虫干ししてもらった心地がする。こういう目も勘も利いて足まめで筆まめな「愛読者」をもっていることを、嬉しいという以上に、誇りに思う。

☆ 今日は運動は休んで、(夫が=)予約の病院に付き添いました。自転車で十分程の病院へ、タクシーを呼ばないで行ける程に回復しています。
一人で診察室に入り、運転や、週一の仕事を再開してもいいか等の質問もしたようです。ここまでになれば、懇切丁寧に面倒を看るのは、本人には悪効果だと、距離を置くことにします。来月の通院は自立出来るでしょう。
退屈の余裕はありませんが、雑用ばかりの生活で、ハリがないのが分かります。先日の日曜日には、婿殿が気晴らしに、とドライブに誘ってくれて、首都高を隈なく四時間近く走行、楽しく過ごせました。
以前のように楽しい事を先々の予定に入れて、生活にハリを持たせたいのです。
テイフアニ―へは、四月の花見は、何時頃から行けるのか好きな海外旅行は、等など。
読書には集中できるようになりました。  泉

* マイミクを四十人にふやした。「湖の本」の読者が半数以上なのは自然なことで、とはいえ殆どの読者とも一面識もない。そういうものだが、何かしら分かっている。淡い交わりの読者はありがたい。わたしには今、そういう読者だけが「在る」ようなもの。
「湖の本」に拘泥せず、いわゆるE-OLDSを「お仲間」に歓迎している、ある程度「日記」でお人が知れてくれば、であるが。
せっかくマイミクにお招きした老境の友人たちが、いい述懐やいい創作を見せてくださるのを楽しみにしている。若い人達は黙っていても生き生きと書かれる。そしてわたしは一枚の鏡のように、湖面のように淡々と日を迎え日を送っていれば済む。

* 明日は甲子さんが手術のため入院。平安を祈る、切に。
2007 1・24 64

* 実に口煩く「小説」を書けと、言い過ぎるほど言ってくる読者がいて、一年二年悩まされてきたが、その人の「小説家秦恒平」に言ってきたことは、概ね正しい方角をさしていたし、五月蠅くはあっても、言われないよりは言われていて薬、苦いが良薬であったのは間違いない。たまたま機械の破損したのは、その同じ読者から例の苦言がメールで舞い込み、うるさいよ、放っておいてもらいたい、こういうメールは「蒙御免」と返辞しての、直後であった。おやおやと苦笑する気があり、一種の契合めくのを面白いと受容れていいかと、ちら、ちらと思いつづけて「今日=昨日」という日を復旧への全的徒労で過ごしたことであった。

* この日記も、大方ノートにでも書き置けば始末がいいのだけれど、原稿用紙に字が書けるだろうか、ぜひ試みたい気がして、こう、真夜中に起き、原稿用紙を押入の奥から見つけて書いている。ひどい字だが、何とか今四枚分、書けている。
昔、一日に五枚ときめて三百六十五日原稿用紙に書いていた時期がある。年に二千数百枚以上書いた年もあった、むろん「仕上がり」原稿をである。全部が依頼された稿であったが、みな右から左へという按配で「本」になっていった。今は原稿を頼まれることは稀になり、頼まれても断ってしまって、ひたすら機械で、好きなことを莫大に(一日五枚どころか十倍も)書いて発信していた。そういう書き手でもう自分は良いと考えていた。
むろん先の読者のように咎める人もいたし、自分の中にも同じ声を聴きつづけていたと隠す必要はなかろう。
2007 1・28 64

* 亡くなった画家金谷朱尾子さんの画集に、「慈子の風景」と題した大作が二点あるのを、岡山の有元毅さんに教えて頂いた。教えて頂いていたのを機械の復旧で知ったが、画集もおくってくださり、感慨深し。

☆ 今日はメールで勝手なお願いです。私の娘(1953年生・川崎市在住)の中学高校で同級生だった親友が、2004年10月乳ガンで亡くなりました。昨年末岡山市で金谷朱尾子遺作展(本人は日本画家でした)があり、展示作品の中に「慈子の風景」がありました。この「慈子」は朱尾子さんにとってどんな意味があったのかを知りたくて、朱尾子さんの伯母様(私が現職時代の同僚)に尋ねたら、「秦さんは母親の好きな作家だそうで、きっと朱尾子も秦さんの作品を読んでいたのだと思います」とのことでした。
秦さんの作品とのかかわりについて本当のところは分からないのですが、昨日その図録を郵送しましたのでお目通しいただければ有難く存じます。暖冬とはいっても風邪をひきやすい時期ですのでお大事になさってください。

* 絵のことは画集の他の作もよく拝見して感想を得たい。日展に属して六十前で亡くなった。梅原猛さんが学長の頃の京都市立芸大を卒業、ご縁は浅くない。ご冥福を祈る。

* 逼塞中、たくさんのご連絡を諸方から。かろうじて一週間分のメールを読み終え、「mixi」のいろいろも読み終えた。ご返事は容易でない、多くはご容赦願うことにする。まずは入稿原稿を急ぎたい。
2007 2・3 65

☆ 雪にならず、暖冬です。家事などそれはそれは楽で助かっていますけれど、立春にしてさすがに薄気味悪くなってきました。月曜から花粉症発症という人が周囲にちらほら。お健やかにいらっしゃいますか。
雪にならず土中の水分が凍っては融け、それを繰り返していることが土砂崩れを引き起こしたという上北山村の事故。場所は南朝滅亡の地、伯母ヶ峠トンネルの近くとのこと。あの道は2、3度走ったことがあって、交通量がわずかでしたから、よりによってクルマが走っているところに崩れなくてもと、胸が締めつけられる思いです。 雀

☆ パソコンが壊れたとのこと、案じております。「ミクシィ」参加の決心がつき、叱咤を覚悟で、拙い文章を載せ始めたというのに、見ていただけなくて残念です。ま、その残念の半面、ええい、ままよと気楽に、勝手なことを書いております。あとで失笑の朱筆が入ると思いつつ、もうしばらくは
、先生のパソコンがこのまま不調でいてほしいなどと・・・冗談をいってもいられません。案じております。
それが単なる機械の不調であれば、心配はいたしません。わたくしの案ずるのは、これが、先日来の靄とした「厭世観」(こう申し上げることの
不遜、お許しください)のごときものに、加速をつけはしないだろうかということです。生来の寡黙で、これ以上にもうしあげるすべをもちませんが、どうぞ、「怪物」に戻ってください。わたくしの恐れる「怪物」に。  六

* 眼をいたわらねば、と、思う。眼をつかって生きているような日々だが、少し頭もつかわないと、イカンか。
2007 2・3 65

* おととい俳優座公演の後、船橋屋での食事の途中からやす香を思い、今・此処にあの孫娘の決定的に非在であることのたまらぬ悲しさに、わたしは泣き出した。新宿の街を泣いて歩き、新宿駅の構内を泣いて歩いた。妻は黙ってそばにいた。
機械の動かなかった先月二十七日、はるばるメッセージが来ていた。

☆ やす香さんがお亡くなりになって半年過ぎてしまいました。今ふり返ると、やす香さんのことが、わたくしの何かを変えてしまったように思えてなりません。
最後にお逢いした日のことを思い出しています。すべて憶えています。お話しするのはあまりに痛ましくて。
私の中では、積んだものはなくなりません。通りすぎてもいません。生きて知らねばならぬことを知ったと、そう思います。すべてはさびしい色をしているのに美しく見えたりするのはなぜでしょう。
お元気ですか。おやすみなさい。  森

* 目の前で、御数寄屋坊主の河内山(を演じた六代目)のような谷崎先生と、静かな笑顔のやす香の写真とが、並んで、わたしを見つめている。
2007 2・4 65

* ひたすらスキャン原稿の校正・構成に。眼精疲労にほとほと悩みながら、間断なく、というほどでないが、集中している。
こう書けばただの一、二行だが、作業量は内容も分量も、とても重い。体調は悪いわけでないが、つい家に閉じこもっていて視野が晴れ晴れしくない。自転車で走りたい気持ちと、なにとなく危険も、感じている。晴れた日に電車にのってぼんやり窓外を眺めたい。
家の中に、書き物机を置いて一人になれる場所がどこにも無い。昔むかしも、わたしは喧噪の喫茶店を「書く」場にしていた、勤務との関係で、余儀なく。立って書くわけには行かない。主には書籍と、執筆のために莫大に保存してきた資料、これを思い切って大量に「処分する」ことを急がねばならない。

☆ 「机に向かってペンを持って書く」。 いいですねえ。パチパチパチ(拍手)。 それが、イイでーす。
キーボードを叩く現在から、そういう時代に舞い戻るというのでなく…
一通り嘗めて、ご自身が確実に老いていく時間の中で
今、此処でご自分に賭ける、一大の「静か」に行き着いたものだと思います。
時間や生の感覚をやたら他人と共有せず、お一人のものとし、どうぞ書いてください。 察するに容易ではない仕事、生き様と思いますが、ハハハの秦さんもいることですから。
(毎度の失礼お許しください)   福

* なるべく、簡単に考えたい。考えてどうなるということではない。考えていず、「する」だけのこと。
2007 2・4 65

☆ しづかに在りたい    香
去年の秋、かゝはつてゐたある団体から離れた。この団体から離れるといふことは、先師のことを書く場を失ふことだつた。その団体が出してゐる雑誌に、わたしは五年にわたつて、他界された師へのおもひ――片戀のやうなおもひを書きつゞけてきた。その場を失ふことはちよつとつらい。
が、くたびれもした。
今、もうひとつの会からも離れようとしてゐる。こちらは発起人の一人でもあるので責任もある。この会が出してゐる雑誌に十余年、うたを書き、そして、中世の女房歌人のことを書き、こゝ四年ほど、流罪に処せられたひとたちのことを書いて来た。愛着もあるし、わたしには、作品のたいせつな発表の場でもある。
随分かんがへた、と言ひたいところだけれど、にはかに、ふつとやめようといふ気になつた。怠けもののわたしのことである。締切がないとなれば、なにも書かないでぷかぷかあそんでしまふかも知れない。読書三昧に日を送るかも知れない。ふいに旅に出てしまふかも知れない。それならそれでいゝではないか。
資料として本棚からひっぱり出して来た「北越雪譜」、惹かれて最初からじつくり読みはじめた。
しづかに在りたい。

* 庵ならべむ。

☆ 風が来る瞬間を見ました。金曜日のスキー学習の時に。
雪が舞い上がり、白波のように人間を襲ってきました。
あまりに風が強く、坂を滑っているのですが、後退しました。リフトも強風のため、一時止まりました。最も地上から離れている地点で…。
下山も一苦労。風に負けて、子どもが転んだりしました。
ひどい時には、身を低くして、じっと縮こまりました。
遭難者のような行動です。
こういうのを、ブリザードというのでしょうね。
地吹雪という方が慣れていますが。
で、今日も風が強く、外の景色が真っ白になっていました。   羅臼の昴

☆ 牧野富太郎   千葉 e-OLD
小学生の頃(国民学校)どういういきさつだったか、理科の先生と、牧野富太郎と、神奈川県の真鶴岬へ植物採集に出かけた。
真鶴岬にはツツジが咲いていた。
「ねえ、きみ・・ツツジの花弁は五枚、その中の一枚だけ斑点がついているでしょ。ほら、その花びらは上を向いているの。」
今でもツツジやサツキの花を見ると確かめる。やさしかった顔を思う。
道端の草をむしって、
「これなんですか」と聞いた。
「それはホトケノザ。」と教えてくれたが、「・・あのねえ・・植物はね、・・こうして・・根から全部採ってあげるの」とやって見せてくれて、大切そうに胴乱に入れてくれた。 「・・あのねえ・・」の意味に気付いたのはずっと後のことである。

* こんな歌を思い出しましたよ。 湖
先生と二人歩みし野の道に咲きゐしもこの犬ふぐりの花
先生は含み笑ひをふとされて犬のふぐりと教へたまひき       畔上 知時
2007 2・4 65

☆ 秦先生へ  寒い日が続きますが、風邪などひいていませんか。
今年は暖かい日が続いたためか、ここ数日は寒さがいやになるほどです。
日曜日に名古屋ボストン美術館で開かれているヨーロッパの肖像画展に行ってきました。肖像画の歴史が追えるように展示されていまして、初めは貴族や聖職者を描くものだった肖像画が、次第に個人を描くものに変わっていく流れが分かりました。
肖像画の中では、夢見るようなルノワールの絵や、いきいきした人物の表情が素晴らしいル・ブラン(マリー・アントワネットおかかえの画家)の絵に惹かれました。
名古屋では今エルミタージュ展も開かれており、今度行ってみようと思っています。
お送りいただいた本を読みました。なかなか読み進めることが出来なかったのですが、愛するお孫さんを失くされた悲しみは、言葉にならないほど辛いものだと思いました。本を読みながら書いても書き足りない先生の気持ちを感じました。
まだまだ寒い毎日が続きますが、お元気でいらしてください。   松

* 繪になど興味の無かった、むしろ熱心なピアニストであった理系の君が、いつしれず美術展に親しみ初め、もう大分の年になる。名古屋勤務も、一時の千葉住まいをはさんで久しくなる。幸せでありますように。

* ボストンへ移籍したやはり東工大卒業の君は、毎日のように「mixi」に佳い日記を書いてくれ、手に取るように君の日々をわたしたちも追体験して楽しませてもらっている。達意の文章で過不足なく、叙事は具体的。こんな佳い書き手だとは想わなかった、失礼だが。

* 夕方にふと寝入って八時前まで。妻は食事を待っていた。寝起きであまり食欲がなかった。
2007 2・6 65

☆ 楓  ボストンの雄
今朝は週1度のミーティングの日.お茶部屋に行くと、韓国からのポスドク(=ボスのドクターか?)のヒューノが、「オハヨウ」と日本語で言う.そこにいた韓国系アメリカ人大学院生のジェイと,隣のラボの秘書のメリッサも、口々に「オハヨウ」という.どうやら「オハヨウ」というのは,それなりに浸透しているらしい.メリッサはセサミストリートで昔習ったと言っていた.もしかすると,後の二人は,おじいさんやおばあさんから習ったのかもしれない.
ミーティングの発表担当者は,普段スラングばかり言っているJC.今日はいつになく真面目にこれまでの仕事の話をしていた.彼は今,論文執筆中だから新しいデータというのは無いのだろう.
ミーティングの中で何度も「カイーダ」という名前が出てくる.一体何のことだろうと思ったのだが,Kaedeであることが分かった.
Kaedeは理化学研究所の宮脇先生のグループがサンゴから同定したタンパク質で,普段は緑色の蛍光を発するが,光を当てると緑から赤に変化する.光を当てると色が変わるので,色々な研究のためのツールとしての利用が期待されている.僕の所属する研究室でも蛍光顕微鏡を駆使した研究が行われているので, Kaedeは有効なツールだ.
利用価値もさることながら,「楓」というネーミングが実に洒落ていると思う.宮脇先生は色々な蛍光タンパク質を発見または開発しては,それらに大変上手に名前をつけておられる.細胞内のカルシウム濃度に応じて蛍光が変わる「カメレオン」,光を当てると消え,再び当てると蛍光が復活する「ドロンパ」など,どれもとても凝っているし,遊び心があると思う.
国内はもちろんのこと海外の研究者の間でも宮脇先生は大変有名だし,それらのタンパク質も有名だ.海外の研究者たちが大真面目な顔をして学会会場などで「ドロンパ」と言っている様は、中々楽しい.それにしても,「楓」というせっかくの美しい名前が「カイーダ」になってしまうのはちょっと悲しい.ちゃんと「かえで」と発音して欲しい.
ミーティングを終えてすぐに実験に取り掛かる.久しぶりに実験に成功する.しかし,ボスが恐れていたように,やはりこのシグナルは神経細胞ではなくグリア細胞由来のようだ.残念.しかし,かなりいい線まで来ていることは確かだ.
いつもより早めに実験を終え,7時半にラボを後にする.帰りに近所の酒屋でビールを買う.今日もIDを求められたが,パスポートを差し出すと「コンニチハ」と日本語で言われた.この近所は日本人が多いので,きっと店主も覚えたのだろう.なかなか愛想の良い店主で,店を出るときには「アリガトウ,オヤスミ」と言われた.
日本語で始まり,日本語で終わった一日だった.

* ちょっとした首尾相応に遊び心も表れ、面白くて此処に紹介したくなった。
おやおや二時前だ。まだ本も読んでいない。
2007 2・7 65

* 雄クンが、アテズッポーを訂正して、興味ある解説をくれた。なるほど、なるほど。研究の着々進展を祈ります。

☆ postdoctoral fellow   雄 ボストン
湖さんのホームページで昨日の僕の日記を取り上げてくださった.どうも有難うございます.その中でポスドクの横に(ボスのドクターか?)と書かれていたのを見て,今まで何も説明せずにポスドクという言葉を使っていたことに気づいた.今日はポスドクについて説明させて頂きたい.研究者の方にとっては当たり前のことをくどくどと書いていると思われそうなので,読み飛ばしてください.
ポスドクはpostdoctoral fellow(ポストドクトラルフェロー)の略で,研究者のポジションの一つ.
世の中の多くの人は博士というとアインシュタインのような白髪の老人を思い浮かべるのかもしれないが,博士号は生命科学者にとっては運転免許証と同じであり,博士号なしで職を得るのはほぼ無理.多くの研究者は大学院の博士課程に進み,博士論文を大学に提出して27,8歳から30代前半位までの間に博士号を取得する.
しかし,博士号を取得してすぐに自分の研究室を主宰できる人はほとんどいない.ポジションが慢性的に足りないため,ポジションの獲得はえてして非常に熾烈なものとなるので,争いに勝つのに必要な業績を得るにはある程度長い研究期間が必要だからだ.
そこで多くの研究者は,博士号取得後にどこかの研究室に入って研究を続け,ある程度業績が溜まったところでポジションの獲得に乗り出す.
アメリカの場合は,大学院を終えて研究室主宰者になるまでのポジションがポスドクである.普通assistant professor以上は研究室主宰者なので,professorとつけば全て研究主宰者であり,話が分かりやすい.
それに比べ,日本のシステムは少々ややこしい.
もともと日本の大学は大講座制を取っている大学が多いので,教授,助教授,(場合によっては講師),助手というヒエラルキーができている.しかし,ヒエラルキーの一番下である助手ですら,最近では就くのがかなり難しくなっている.日本でも大学院を出てから助手になる前の研究者をポスドクとして雇うことが最近では一般的になりつつある.
個人的には,こういった研究者の身分の話は,野球選手のそれに近いと思っている.高校時代に甲子園で活躍しても,プロからお声がかからなければプロ野球選手とはいえない.これが研究者の学位取得前の状態にあたる.そして,ポスドクは実質的には研究遂行者なので,プロ野球でいえば現役選手ということになる.アメリカの場合だと,professorはただちに監督ということになる.日本の研究機関の場合は,監督と選手の間にコーチやらプレイングマネージャーやらに相当する人が多くいる.野球の監督も自分自身はプレーをせず,ベンチから指示を出すだけだが,王JAPANであったり星野JAPANということになる.研究室の成果も,実際には手を動かしていないにも関わらず,研究主宰者のものと見なされるのが一般的である.そして悲しいことだが,多くの野球少年がプロ野球選手を目指しながら脱落していくのと同様に,研究主宰者になれる研究者は一握りであるのも現実である.
ポスドクと助手以上の大きな違いは,助手以上は大学・研究所の正規の職員と見なされるのに対して,ポスドクは2,3年をメドに転出するという前提の下で雇われている点である.そのため,名称も「非常勤研究員」とか「流動研究員」などと呼ばれることがある.しかし実際には長くいるポスドクも多いし,逆に任期制の助手も最近増えているため,両者の差は小さくなっているのが現状だ.現実的な観点から言えば,ポスドクと助手以上の最も大きく違う点は,ボーナスが出るか否かである.ポスドクは正規の職員と見なされないためにボーナスが出ない.
ポスドクの給料の出所は大きく分けて3つあり,一つは研究室の予算から雇用される場合で,もう一つは研究所に既にそういう雇用体制が整っている場合.そして残りの一つはフェローシップ(助成金)を自分で獲得して,どこかの研究室でポスドクとして働かせてもらうというもの.
給料はまちまちで,日本の場合だと科学技術振興事業団系列の予算で雇用されるポスドクは高給だが,他は総じて安い.博士課程まで進んだというのに,年収300万円台というのはザラである.アメリカでもポスドクの給料は良くないようだ.しかしアメリカの場合はprofessorになればどんどん給料が上がっていくが,日本では旧・国立系の研究機関の場合,助手はせいぜい5~600万程度,教授でも1千万円を超えるのは大分年配になってからだろう.大学時代の同期が会社でどんどん良い給料をもらっているのを横目で見ながら,好きで選んだ道とはいえ少々やりきれない気持ちになったりもする.
しかし,ポスドクの期間というのは基本的には研究に専念してさえいれば良いので,こんな幸せな時期というのもそうはない.助手以上になれば,雑用もどんどん増えていく.大学であれば講義や実習もあるし,センター試験の監督にかり出されたりもする.研究所であっても,大学院生やポスドクの面倒を見たり,研究費の申請をしたり,予算の計算をしたりと雑用は多い.上からは押さえられ,下からは突き上げられる.誰かが「助手と書いて,たすけて,と読む」と書いているのを見て,うまいことを言うなあと思った.教授ともなれば,実際に自分の手を動かして実験できるだけの時間的余裕のある人は稀なので,それこそ毎日が雑用ということになる.
こちらに来て何かと不安はあるが,実験だけに専念できているということが何より嬉しい.研究に専念できるということがこんなに贅沢で楽しいことなのか,と日々感じている.
2007 2・8 65

* 富士の「花」が、いよいよ新居に明日入りますと。社宅から新築のこの家に引っ越してきた昔を思い出す。三十七年になる。「花」さんはまだ生まれていなかったろう。
2007 2・9 65

☆ あゝなつかしい『蘇我殿幻想』。   香
まだ秦恒平といふ作家を知らなくて、古本屋さんで、ふつと呼び止められたやうな気がして手に取つたのが『みごもりの湖』でした。
そしてそのつぎに入手したのが『蘇我殿幻想』、これも古本屋さんでめぐり逢ひました。カバーの繪も扉の繪も、それはそれはみごと。カバーの丈が本体より七、八ミリ長くて、ちよつと傷んでゐましたし、焼けてもゐましたけれど、華やかで典雅でちよつとあやしくて。
中身のことは申しますまい。読者のさまたげになりますから。
最初は夢中になつて、何もかもうち忘れて、ご本に囓りつくやうにして読みに読みました。二度目はゆつくり味はひ、それでも、どきどきしながら読みました。
さういふご本に巡りあつたよろこびと昂奮をおもひ出しました。

* 嬉しく、感謝します。

☆ 湖さま  日本に帰国したら「京、で五六日」を参考に是非京都に行きたくなりました。
日記を毎日読ませていただいていると一時帰国の時には欲しい本がいっぱいになりそうです。
湖さまのmixiが不具合の間、HPを見せていただきました。お陰でお写真でお顔が見えました。  在英 桃

* お役にたてば嬉しく。日記など、拝見しています。

☆ 地下鉄   ボストンの雄
どうも昨日から風邪を引いてしまったようだ.喉や咳はないが,微熱があり体がだるい.頭が痛く,ぼうっとする.
普段は行き帰り共にバスを利用しているが,帰りのバスの本数は少ない.寒空の下,長時間待つのは風邪を悪化させそうなので昨日は地下鉄で帰宅した.
レッドラインの車両に乗り込むと,僕の座った席の向かい側に綺麗な白人の女性二人が座っていた.綺麗だなと思って少し見とれていたら,いきなりこの二人が向かい合ってキスを始めたので驚いてしまった.その後も二人は抱き合ったりキスをしたり,肩を寄せ合ったりと,完全に恋人同士といった雰囲気だ.アメリカは同性愛者が多いとは聞いていたが,実際に目の当たりにしたのは初めてなのでびっくりだった.
美しい女性同士だったからまだ良かったが,これが男同士だったら風邪がさらに悪化して,今日はラボを休んだかもしれない.
2007 2・10 65

* メールやメッセージが、殆どみな「mixi」経由に移転し、普通のメールは今朝もおしなべて不良の要削除ものばかりが何十も。必要な連絡メールもうかと一緒に消してしまいそう。
海外に出向く卒業生の雄クンを咄嗟に「mixi」に誘い、それが、読んで楽しい巧みな日記を誘い出し、日々楽しませてもらっている。よかった。
わたしへの「mixi」の「足あと」は、一ヶ月にらくに「千」を超えている。これも小さいながら、脱皮か。生活が、移り動いている。
2007 2・10 65

☆ エンジングライダー   e-OLD 千葉
今日は日曜日で天気がよい。風呂の窓の青い空に小さく飛行機が見えた。
むかし、誘われて二人乗りの小型飛行機(の後席)に乗ったことがある。川べりの舗装もない滑走路を、プロペラが回り出しごろごろと地面の凹凸を感じながら動き出したら、ほんの間に離陸した。地上で手を振ってくれている人達が小さくなっていった。晴天だった。
高度八百メートル位で「エンジン止めます」と言う。否も応もないが、乗せてくれた若い操縦士(後輩)は「あとはグライダーになって滑空します」と笑顔でふり向いてくれた。
音が消えた。シーンともいわない空をすべりながら眼下に、家が見え、田畑が見え、川が見え、山々が見えた。懐かしい感じがした。空からこの世が見えた。ふと、・・特攻機は・・こうして飛んで行ったのかと思い浮かんだ、が、口にはしなかった。天空は全くの静であった。  笠

* 笠さんの「ことば」が柔らかにほぐれてきた。これぐらいな分量ずつでいい、嬉しい、たくさん読ませて欲しい。e-OLDSの、金沢の「tetsu」さん、東京の「青」さん、神奈川の「さざなみ」さんら、みなさん独自の視野とお仕事をもってこられた、静養中の和歌山の「santak」さんも。日々のいいお便りが欲しい。

☆ ファウストの劫罰    ボストンの雄
今日はボストン交響楽団のコンサートに行ってきた.
昨日は夜中に目が覚めてから明け方まで眠れず,朝方になって少し寝てしまったので,起きたのは10時過ぎだった.2時過ぎにようやく家を出た.家を出る前に郵便受けを確認すると,ソーシャルセキュリティーナンバーが届いていた.大体申請してから4週間から6週間で届くというから,かなり早いほうだろう.
ハインズ・コンベンションセンターで地下鉄を下車してから、ニューベリーストリートを歩く.ここはボストンでもオシャレなショッピング街ということだが,確かに色々なお店が並んでいる.日本の青山や表参道よりは大分落ち着いているが雰囲気としては近いものを感じる.来た道を引き返してプルデンシャルセンターに入る.中はいかにもショッピングモールといった雰囲気.高級ブランドなども店を連ねているが,それらにはさほど関心はない.
プルデンシャルセンターでの目当ては「リーガルシーフード」.ここはボストンでチェーン展開しているシーフードの有名店で,大体どんなガイドブックにも載っているので一度行ってみたかった.ただしロブスターにかぶりつくほどお腹は減っていないし,生牡蠣は大好物だが去年ノロウイルスでひどい目に遭ったので今回は遠慮した.
結局クラムチャウダーとシーフードガンボというのを頼んだが,どちらもとても美味しかった.クラムチャウダーはこれでもかというくらい貝の旨味が出ていた.シーフードガンボがどんなものかは知らなかったのだが,御飯が真ん中に盛ってあって,その周りにメキシコ料理のスパイスが効いたソースがかかっており,その中にはホタテやエビ,白身魚などが入っている.エビはプリプリだし,ホタテや魚も火の通し具合が良くてとても美味しい.
店を出てからコンサートまで大分時間があったのでバークリー音楽院の前のスターバックスに入り,書きかけの論文に手を入れた.かなり先が見えてきた.
ホールに到着すると,僕の席は階段を1階上がったところの最後席だった.上には更にもう1階分あり,ちょうど陰に隠れるような席だったので音響が不安だったが,始まってみれば音響はバッチリだった.
今日の曲目はベルリオーズの劇的物語「ファウストの劫罰」.指揮は常任指揮者のジェイムス・レヴァインで,ソリストが4人(ファウスト,ブランデル,メフィストフェレス,マルガリータ),合唱団や少年合唱団などが出演して,かなりの大掛かりな上演だった.
ゲーテの「ファウスト」を元にしているが,「ラコッツィ・マーチ(ハンガリー行進曲)」を使いたいからという理由で,勝手に舞台がハンガリーの原野から始まるようになっているなど,かなり改変されている.ベルリオーズ自身も劇場ではなくコンサートホールでの上演を望んだとおり,オペラ形式ではなくコンサート形式で演奏されることが多い.実際,舞台がコロコロ変わるので,オペラ形式での上演はかなりキビシイ.
僕自身は大学時代に男声合唱のサークルに所属していたことがあり,その関係でこの曲を知った.畑中良輔先生が指揮する「慶應義塾ワグネルソサイエティー」がこの曲を演奏したのを聴き,大変感動したのだった.このときは勿論抜粋だったが,いつか全曲を生で聴いてみたいと思っていた(CDは何枚か聴いたが,どれも胸に迫るものは残念ながら感じられなかった).
そのような訳で,今日のコンサートには並々ならぬ期待を胸にシンフォニーホールに足を運んだのだが,正直言って前半は全く曲に集中できなかった.ホールの空調が暑すぎて汗が止まらなくなったからだ.それだけでなく,周囲の人たちも騒がしい.どうやら合唱団のメンバーの関係者なども多く来ていたようだ.そのせいか,オペラグラスでしきりにステージを見たり,歌詞の対訳の冊子をパラパラとめくったり,小声で話したりと皆落ち着かない.しかし演奏そのものは素晴らしい.メフィストフェレス役のソリストの声があまり僕の好きな声でなかったので,期待していた「メフィストフェレスのアリア」は今ひとつだったが,合唱団も低音部が若干弱いものの全体としてはとても纏まりがあって良い演奏だった.
途中の休憩時に廊下に出ると,僕の腕をつつく人がいる.誰だろうと思って振り向くと,ラボのマネージメントをしているケンだった.彼はサイエンティストではないが,研究室が所属するセンターのエグゼクティブディレクターをしている.多分僕と歳もそう変わらないだろう.恐ろしく優秀な人なのに違いない.普段はほとんど話をせず,通りがかる時にニコッとする程度だが,ふとした時に時折見せる表情が険しいこともあって気難しい人なのかなと思っていた.「今日は一人で来たの?」と聞くので「そう.この曲好きなんだよ」というと,ケンは「僕,この合唱団に以前入っていたことがあるんだよ」というので驚いた.この合唱団はアマチュアなのだろうか?とてもそうは思えない.また,ケンがそのような趣味を持っていたことも意外だった.
休憩を挟んでからは暑さこそ感じなかったものの,周囲の人たちの集中力が切れかけているのが手に取るように分かり,緊張感に欠けていた.しかし,後半の最後の「地獄の騎行」から「悪魔達の巣窟」のところで一気にものすごい盛り上がりを見せ,全身に電気が走るような快感を覚えた.最後の「マルガリータの昇天」では少年合唱団も加わり,非常に素晴らしい合唱を聴かせてくれた.オーケストラの抑制の効いた伴奏も素晴らしく,天に召されるような気持ちになった.
思わず最後はスタンディングオベーションをしてしまった.観客のほとんどが立って,いつまでも拍手をしていた.スタンディングオベーションをしたのは10年前に朝比奈隆の指揮でブルックナーの交響曲第8番を聴いた時以来だ.
ふと我に返ると,既に11時近い.慌てて目の前のシンフォニー駅からEラインに乗って帰宅した.噂に聞いていた通り,Eラインの客層はあまり良くない.早く駅に着いてくれと願う.駅について電車を降りようとしたその時,目の前を車が猛スピードで走り抜け,あわや轢かれそうになった.Eラインは途中から地上に出て都電のような路面電車になるのだが,線路と歩道の間に車道があるのだ.てっきり線路のすぐ脇は歩道かと思っていた.それにしても,降りる人がいるのは分かるのだから,あんなスピードを出すこともないと思うのだが,駅の辺りはあまり治安が良くないので車の運転も荒いのかもしれない.咄嗟によけたので腰をひねってしまった.悪化しないことを切に願う.

* 臨場感と、なんだかスリリングでもあり、長いのに読まされた。
わたしに親しんでくれた学生には、音楽・演劇、とくに音楽好きが多かった。音楽会にも何度も誘われたし、ピアノの演奏をいくらでも聴かせてくれる男性もいた。東工大の学生たちは、多くが「T」の字型の「専門一本脚」ではいけない・足りないと考えていた。佳い趣味や他の領域との二本脚で立ちたいと。いいや、家庭との三本脚で一人前、と答える人もいた。
ベルリオーズのファウストはバート・ランカスターとテリー・ポロらの映画『オペラ座の怪人』で上手に使われていたと覚えている。美術館に行き交響楽団を聴き、と、ボストン生活を楽しんでいる様子、お裾分けをもらっている心地。
2007 2・11 65

* つぎに紹介する「馨」さんも「雄」クンも、わたしの教室で、毎時間「あいさつ」を書き、出題された詩歌の虫食いを埋めていた。いまわたしの背後の押入れには、四年間に原稿用紙三万枚に相当の、それら学生諸君の提出したペーパーが保存してある。以来十余年、今はこんな日記をわたしに読ませてくれる。二人とも、顧みて他をいうがごとく、実はそうでない。しっかり自身を語りかつ書いている。だから読ませる。自身を棚に上げ顧みてただ「他」をあげつらうだけでは文章はどうしても冴えてこない。光らない。

☆ 鳥を見てきました    馨
昨日はよいお天気の中、午前中、鳥を見に行きました。
以前から見に行きたいと思っていたのですが、なかなか連絡先がわからず躊躇し続けていました。鳥の好きな母の影響で、たぶん普通の人よりは少しだけ多く知っているとは思うのですが、でもやっぱり、身の回りに鳥を見て「あれって何の鳥だろう」と、3日間もモヤモヤし続ける自分にイヤになって、思い切っていろいろと探して、鳥見の会に参加してみました。まぁ、別に一回参加したからと言って何でもわかるはずもないのですが。
これまた私の影響で鳥の好きな娘も大喜びでくっついて。(こうやって家庭の雰囲気って連続していくんだな、と思います。)
娘はやっぱり参加最年少で、おかげで初めてでもいろいろと親切にして頂きました。お菓子をわけて頂いたり、図鑑でいちいち教えて頂いたり。母親がゆっくりと山の中の木について教えて頂いている間に、娘は先行グループと一緒にとっとと上へ登ってしまい、完全に独立行動でした。(彼女には人見知りというものはないのだろうか…)
私自身はクロジが来るポイントで、もう手を伸ばせば届きそうな距離、長い時間あの全身ダークグレーのシブい姿を初めて堪能できて大感激。
ウソのさえずりもかわいらしくて。誰かが口笛を吹いているような「ヒュイ、ヒュイ、ヒュイ」という声です。「呼んでる口笛モズの声」ではなくて、「ウソの声」と替え歌を作りたいくらい。ウソは天神さんのお使い、という認識でしかなかったのですが、姿もかわいく、声もかわいくて。
それから、私が今まで「やたらに枝を歩くのが上手なスズメだなぁ」と浅はかに思い込んでいた鳥はコゲラでした。本当にそういうサイズなんですよ。でも確かにいっちょまえに木をさかんに突いています。いま鎌倉では普通に見られる鳥だそうです。
それから、実は初秋からずっとうちの北側の窓を毎日ヒヨドリが突きにくるのでその話をすると、それはシジュウカラなどでは多いけれど、ヒヨでは珍しいと言われました。とは言え、今PC見ているその横でもつついている…。糞害もひどい…。
他にも私が知らなかった鳥をたくさん教えて頂きました。
こういう活動をしていらっしゃる方に本当に頭が下がります。その知識とボランティア精神に。
歩いている途中で土筆がたくさん出ているのを見つけた方に、娘はわざわざ呼んでもらって教えて頂いていました。もう春ですね。梅もあちこちで満開でした。雪柳も咲き始めていました。
帰る道々歩いてきた川沿いに、昨年の枯れ残りの数珠玉をたくさん見つけてポケットに詰め込んだり、ヤツデの実の鉄砲を全然違うグループの人たちから頂いたり、と、娘は大満足。
そうそう、帰宅してから笑い話がつきました。母は昨日の午後、実家の裏山の保全をするために、里山の保存に詳しい方に会っていたそうです。その方は姉の知人なのですが、夕方に久しぶりに三人で顔を合わせて話してみれば、私の参加した鳥見の会の方でした。
その方もまさか一日のうちで血のつながった三人と順繰りに会っていたとは思っていらっしゃらないだろうなー。

☆ ハーバードの新学長    雄 ハーバード
昼近くに家を出る.意外に暖かいので,クーリッジコーナーまでぶらぶらと歩く.思った以上に近かった.クーリッジコーナーのベトナム料理店「Pho Lemongrass」でフォーを食べる.ここは味が良く,店も綺麗な上に値段も安いので評判が良い.今日食べたフォーもスープが優しい味つけで,麺も美味しい.ラーメンのようにくどくないのが嬉しい.
食べ終えてからバスに乗ってハーバードスクエアへ.途中,スターバックスに寄ろうと思い,いつも通らない道を通ったらハーバード大学の生協があったので,つい寄り道する.店内にはこれでもかというくらいハーバード大学のグッズが陳列してあった.Tシャツやバインダーなどはまだ理解できるが,普通のリュックサックや果てはゴミ箱までハーバードの紋章が入ったものを売っていた.いったいこんなものを買う人がいるのだろうか?
しかし,ハーバードに来て1ヶ月になるが,日増しにこの大学のすごさをひしひしと感じる.大概の学術雑誌はオンラインで見ることができるし,研究室も各フロアごとに清掃担当者がいる.研究室の設備はラボによって異なるだろうが,超有名教授が多いだけに,研究室ごとの予算もかなりの規模であると思われる.その他,共通施設として実験動物の世話をする専門の職員もいて,研究者がいちいちマウスの部屋を掃除したりする必要はない.一体どれだけの人が雇われているのだろうかと,その規模には目がくらみそうになる. それだけでなくて,何故か知らないが,時々free foodなるものが置かれていて,チキンの煮込みだのスープだのサラダだの,勝手に好きなだけ食べてよいことになっている.毎週金曜の夕方には T.G.I.F (Thank God! It’s a Friday night)と称して,膨大な数のピザと飲み物が用意され,好きなだけ取ってよいことになっている.一体このお金はどこから出ているのだろうか.今日目にしたグッズの売り上げなども,その一部に貢献しているのだろうか.
最近実験が思うようにいっていないこともあり,ボスと火曜日にディスカッションすることになった.そこで,今日はこれまでにやったことの纏めと参考となる文献を調べていた.論文書きも合わせて行っていたが,文献調べに思いのほか時間を費やしてしまい,今日仕上げるつもりだったが断念する.
書き物をしていると突然メールが入った.何だろうと思って開くと,Drew Gilpin Faustが次期ハーバード学長に選出されました,という内容だった.既に新聞などでは知っていたので,何故今頃(しかも日曜の午後)になってメールが来たのかは分からない.なんでも371年の歴史で初めて女性が学長になるのだそうだ.今までなっていないのが不思議なくらいだ.しかし,大統領ですらまだ女性はなったことがないというのだから意外にアメリカは保守的なのかもしれない.ヒラリーがその第一番目になる可能性は大きいと思うが,同じ民主党のオバマ候補もなかなか捨てがたい魅力がある.どちらになるのか興味深い.大統領と一大学の学長を比べるわけには行かないが,単に私立大学のひとつとして片付けてしまうにはハーバード大の規模は大きすぎる,というのが最近の僕の実感だ.
帰りは遠回りしてポーター駅まで歩きCafe Mamiで親子丼を食べる.客は僕以外すべて友人連れや家族など.昼のベトナム料理もそうだった.一人で食事をすることには慣れているが,なんだか今日は妙に虚しかった.
店を出てからkotobukiyaで少し買い物をし,店を出てすぐにあるJaponaiseポーター店(といっても通路の真ん中に売り場が一つあるだけ)でケーキを1個買って帰宅.

☆  数日前のミクシィ「日記」に、「あの手この手(一)」と書き出して、「いまわたしは、以上のことを敷衍して、文学のことを話そうとしている」と閉じた文章のつづきに、詰め将棋のごとく長考してしております。
本日、「あらすじで書ける? 小説?」を拝見。
「小説を書くとは、鼻の先から真っ暗な奈落へ、脚のつま先から真っ暗な闇の奥へ、歩一歩踏み出して行く勇気と懸命の所行だ」の「教え」に接し、「小説を書き始めて、ある程度進路の予測はゆるされる、が、真っ暗闇に踏み出し踏み出ししているうちに遥かに当初の予測とは異なった方面へ小説世界の前途が開けてくることがあり、確かに在り、そういう展開こそがむしろ力量鳴り響く本当の魅力に成ってくる、のではないかと私は体験的に承知している」の至言に接して、教えというよりは、叱咤を感じて、身のすくむ思いです。  六

* 早速の反応で恐れ入ります、こうもすばやいことなので、あえて申し上げれば、「六」さん本日のエッセイ、「日々つれづれ」第一回の筆付きが、すこし、いや少なからず粗放に走っていないか、気にかかっていた。適切な句読点と改行とだけでも、よほど読み手に親切ではないか、エッセイの内容からすると無用に早口ではないか、性急ではないかと懼れていた。暢かつ淳、こころもち悠長な筆致でこそかえってなかみが活きないだろうかと。勝手な物言いで、それ自体は気にされなくていいが、推敲した方が興趣がいきることは間違いないと感じました。
2007 2・12 65

* 「雄」クンの以下の日記、人それぞれだろうが、わたしは東工大にいたあいだ、「セミ研究者」の学生諸君からこういう(源氏物語や谷崎文学の弟子筋であるわたしにすれば)途方もなく方面ちがいの話題で話してもらうのを、教授室での大きな楽しみにしていた。なかには何度聴いても理解できない難しいのもあったが、それでも面白く聴いた。わたしにも分かるように話そうとしてくれる学生もいた。わたしが学生たちに教えられることなどそう持ち合わせてなかったけれど、理系社会の研究余話は覚えきれなくても興味深かった。わたしは工学部教授の月給と研究費と、ボーナスまで貰った上に、なお、えらくトクをしていたのである。しぶしぶ、いやいや、大学に通勤するなどという損な真似はしなかった。学生とは、なにもかもプッシュプッシュだった。そのかわり教授会に代表される大学当局とは、終始プルプル。その方面からは何も得られそうになかった。

☆ Nair cream   雄・ハーバード
昨日から何人かの方にお気遣いのコメントを頂き,有難うございます.しかし残念ながらまだ回復していません.微熱があってだるい以外に特に症状もないので,直に治るとは思うのですが.
そのような訳で,今日はあまり夜更かしせずに寝ようと思うので,短めに,とりとめもない話を.

以前から書いているように僕はマウスを使う実験をしている.そのためにマウスを手術するのだが,その際にNair creamというものを使う.
このクリームを塗って5分も経つと,マウスの毛が綺麗に抜けてしまう.手術する際には毛が邪魔なので除くのだが,綿棒でこすると,あまりにも見事に無くなるので手術の度に驚いてしまう.ちなみにNairは「No+hair」ということらしい.
ドラッグストアで売られているので,勿論マウスのためだけに売っている訳がなく,人間が使うために売っているのだろう.ラボの人の話によれば,アメリカでは大変メジャーな代物らしい.日本で売っても売れそうなものだが,何故日本で売られていないのかが分からない.僕が知らないだけで,日本でも売られているのかもしれない.できれば僕は自分で買いに行きたくはない.
同じような意味で,できれば自分で買いたくはない消耗品にマニキュアがある.
組織などを薄く切った切片を顕微鏡で観察する際には,スライドガラスという長いガラスの上に切片を載せ,その上から封入剤と呼ばれる液体をかける.そしてその上から,カバーガラスと呼ばれる薄いガラス片を載せて,最後にガラスとガラスの隙間にマニキュアを塗る.こうすると,マニキュアが固まると切片がガラスとガラスの隙間に封じ込まれるので,顕微鏡で観察しやすくなる.
実験で使われる日常用品というのは意外に多い.タンパク質のある種の実験では粉ミルクが使われる.昔聞いた話では,雪印のものでないとダメなんだ,と言う人がいた.試薬としても売られているので実際にはそんなことは無いのだが,実際使ってみると雪印のものは大変具合が良かった.
こういう日常用品というのを初めて実験に使った人というのは誰なのか,そしてどういうきっかけでこれを使うことを思いついたのかに興味がある.
2007 2・13 65

* ホワイトバレンタイン   雄 ハーバード
日本は雪が降る前に春一番が吹いたらしいが,ここボストンは今年一番の本格的な雪になってしまった.夜のうちに降り始め,朝には一面真っ白になっていた.窓から外を眺めると,煉瓦造のアパートや周りの木々がモノトーンに浮かび上がり,水墨画のようだった.
朝,大勢の人が道の雪かきをし,塩化カルシウムの粒を蒔いていた.はじめこちらに来たときには寒い日になると白い粒が道路に散乱しているので何だろうと思っていたが,塩化カルシウムであるらしい.
塩化カルシウムや食塩などを水に溶かすと凍りはじめる温度が下がる.高校生の頃に化学で習った凝固点降下というやつだ.これを利用すれば,塩化カルシウムを蒔けば液体が凍り始める温度が下がるので,逆に雪は凍っていられなくなって溶けてしまうという仕組みだ.熱をかけずに雪を溶かすことができる.うまいことを考えるものだ.雪国の人やスキーをする人には常識なのだろうけど,僕は初めて知った.
今日は待ち時間の多い実験なので,合間に論文を一気に書く.ほぼ完成した.プリントアウトして,おかしなところがないか推敲し,図に手を入れてから日本のボスに送ることにする.今週中になんとか送りたい.
夕方,学部生のハンと廊下ですれ違う.彼も授業の合間にラボに来て実験をやっているが,それほど頻繁には現れない.彼は先週金曜日に21歳になった.アメリカでは21歳から合法的に酒が飲めるらしい.「先週の金曜はどうだった?」と聞くと「飲みすぎたけど記憶はあった」という.
ハンが「今日はバレンタインデーだよ.知ってる?」と聞く.こちらでは女性から男性にだけではなく,男性からも女性にプレゼントをするらしい.「どんなものをプレゼントするの?」と聞くと,「チョコレートとかカードかな」という.チョコレートを配るのは日本の菓子メーカーの陰謀であって,欧米ではそのようなことはしないということを昔誰かから聞いた気がしたが,こちらでもチョコレートは一般的と聞き,むしろ意外だった.
「日本ではバレンタインデーは女性から男性にプレゼントするんだよ.男性からは3月14日にお返しをするんだ」と説明すると,「その日はなんていうの?」というので「ホワイトデー」と答えたら,面白いといって笑っていた.ついでに日本の義理チョコなどについても説明したが,義理を正確に伝えようとして,ちょっと詰まってしまった.ニュアンスはもちろん分かるが,外国人にどう説明したらよいのかは難しい.日本をもっと勉強しないといけない.
夜,カフェテリアに夕食を食べに行ったが,雨で雪が溶け,靴がずぶぬれになってしまった.この前の日曜日に靴を買おうかと一瞬思ったのだが,サイズが分からず,面倒だからいいやとやめてしまったことを強く後悔する.
まだパラパラと小雨が降っている.夜半過ぎには雪になり,明日は一層積もるらしい.

* 毎度褒めては値打ちがなくなるが、叙事が具体的で観念的な説明へにげていない。これが実はエッセイでは非常にむずかしく、つい面倒なもので観念的な言辞へ逃げ込み誤魔化してしまう。
「雄」クンは自然にあるがまま、思うままを正直に飾り気なく書いてくれる。クリアに生き生き伝わってくる。
2007 2・15 65

☆ 笹を刈りながら    馨
お天気のよい午前中、朝早く起きすぎた息子が早々と昼寝に入ってくれたので、年末から気になっていた裏山の笹刈りをしました。昨日の雨の後で花粉も飛ばず、絶好のチャンス。
うちの敷地ではないものの、裏庭から地続きの裏山は少し登ると谷戸の向こうまで見えて、結構よい景色。ここで今度はお昼を食べよう! と意気込んで刈りはじめたものの、何せ昨年サボっているものだからすごい量。だんだん手が腱鞘炎のようになってきました。
そこでふと思い出したのが雨月物語。あの話って、「目が覚めてみるとそこは荒れ果てた・・・」という展開が山ほどあって、しかもその荒れ果てた場所には必ず笹の原が付随していたような記憶があるのだけど、要するに笹って人が手を入れてないことを象徴するものだったのね。今年はちゃんと夏にも刈るぞ!

刈って刈って、幼稚園の七夕が20回できそうなくらいの量が出たあたりで、ふらりと実家の母がやってきて「笹は七月か八月に刈るのが一番いいのよ。新芽の成長が落ち着くのがそのくらいだから」。はいはい、その通りでございます、これからはマメにやります。と、ずるずる崖から落ちそうになりながら呟く私。
母が立ち去った後、ふと気がつきました。七夕って七月じゃない! 要するに七夕の笹って廃物利用だったのねー。 日本文化ってエコロジカルだわ。

もうこれ以上、腕が上がらない、という時点でさすがに辺りを見回して一息つきました。 周りには笹の切り株(株ともいえないけど)がいっぱい。何せ素人作業なので、短く切ろうとしてはいるものの、切り口の長さが揃わないんです。そんなのが一面に広がっている。これ、今ここで勢いよく倒れたら人間千枚通しになってしまう・・・と、思ったら不安定な足もとが急にコワくなりました。 先端恐怖症ではないはずだけど、突然朔太郎の「竹」の気持ちがよくわかったりして。
そんなこんなでぽかぽかの日向で笹を刈りながら、いろんなことを思い浮かべました。収穫もあったんですよ。転がっていた枯れ枝にキクラゲがついていたので取っておいたり、日曜以来竹鉄砲がブームな娘用にヤツデの実をゲットしたり、我が家の猫の隠れ家を見つけたり。
全身枯れ草まみれになりながらも、わりと楽しい作業でした。
けど、明日はきっと腕が上がらないだろうな・・・。
胴をつけながら腕立て伏せ50回とかできた剣道部時代は今いずこ・・・(:;)。

* おもしろい。
さらりと雨月物語や朔太郎が出てきたりするのが、この人のポケットの深さ。七夕の笹は「廃物利用だった」なんて、さすが。
口癖も出ている。気がついているだろうか、「何せ」が二度、「ものの」が三度かな。「敷地ではないものの」「はじめたものの」「してはいるものの」もう一度出ては、要注意。この程度の長さの文章で「ものの」が五度も出ると悪癖に転じてきます。それでも「何せ」よりは。これはリップサービスの気軽さで意図的に使われたか、しかし書き手に似合わない気がしました。 湖
2007 2・15 65

☆ 鴉 お元気ですか  鳶はサハラ砂漠北縁の街にいます。元気に無事帰還が旅の目的と思いつつ。
2007 2・16 65

☆ ようやっと インターネットに接続しました。子機のみですが。
引っ越しを無事終え、最初の数日はよそに泊まりに来たみたいで落ち着きませんでしたが、ちょっとずつ慣れてきたかなあ、という感じです。
まだあちこちにダンボールが散らかっていたり、家本体にもちょこっと直しが入るので、すっきりするまで、少なくともあと一ヶ月はかかるでしょう。
ま、ぼちぼち片づけます。
今日は庭木の打ち合わせがありました。
玄関のシンボルツリーとしてシマトネリコとソヨゴ、通りに面している部分のアイキャッチにいろはもみじ、和室から見える位置にカクレミノを植えることにしました。
植栽が済めば、家の外も見栄えがするかなあ、と楽しみです。
明日はエアコンのとりつけ工事第一弾があります。
二三日前から時間ができはじめたので、風がおすすめの『日本の歴史』や、フローベールを読んでいます。
風、お暇なとき、また声を聴かせてくださいね! 花

* ようやっと新居落成の知らせが来た。おめでとう。新築の家屋は、さもいずまいを直すようにしばらくのあいだ家自身が身じろぎをする。
富士山によく似合っているだろう。
2007 2・17 65

☆ 円安   雄 ハーバード
僕は給料を日本から円でもらっている.したがって,日々の為替は大変気になる.当座の生活資金としてトラベラーズチェックで持ち込んでアメリカの銀行に預金した分はまだまだあるが,結構頻繁に使うので,できれば早いうちに日本の預金をドルに変えてアメリカの銀行に移しておきたい.
しかし,最近は円安ですっかり落ち着いてしまったのだろうか.先週末,118円台になったものの,じわりじわりと再び120円になろうとしている.今,ドルで持っている分は1ドル115円位の時に換えたものなので,1ドルあたり5円も違う.今,ドルに換えると以前に比べて4.2%位損していることになる.
2回目以降の送金はアメリカの銀行にドルに換算して振り込まれるので,もはやジタバタしても仕方ないが,せめて今持っている分はレートの良い時に換えたい.日々,レートの欄を見ながら生活している.
今日はPresident’s dayでアメリカは祝日.身を切るように風が冷たい.できればお休みしたい.しかしながら,いつもどおり,休むのは秘書さんやテクニシャン(技術補佐員)だけ.カフェテリアはやっていないのでハーフサイズのサンドイッチを昼飯用に買ってラボへ.
いつもどおり実験をし,合間に論文を読む.風邪薬を飲んでいるせいかやたらと眠い.同じところを何度も読む.早めに終えて,帰りはポーターで日本食でも食べようかと思っていたが,甘かった.10時過ぎにようやく帰宅.まだ夕飯は食べていない.

* すっかり雄クン、ボストン人になってきた。
2007 2・20 65

* かなり冷えている。二十六度にした暖房が効いてこないほど。

☆ こちらもインターネット接続が不調です。無線LANで繋いでいるのですが、接続が不安定です。
花粉は二週間前くらいから来てますよ!
その頃わたしは前のマンションで梱包作業をしていたので、くしゃみ連発は埃のせいかと思っていたのですが、どうやら花粉だったみたい。周囲の花粉症の人たちも、同時期くらいに感じた、と言っていますし。
風、大事になさってくださいね。
『ディープ・インパクト』のテレビリポーター役の女性なら覚えています。ティナ・レオーニというのですか。きりっとして、清潔感のある人でした。
正月に購入したHDD・DVDレコーダーに映画をいくつか録画してあるのですが、今は見る時間がないなあ。
今日もホームセンターなどをハシゴし、家の周りに防犯砂利を敷くためのスコップを買って来ました。あと、作りもののミニ洋梨を、トイレのガラスブロック窓の前に置きました。光が射すと、いい感じになると思います。
こんな風に、ちょっとずつ、家を心地よい空間にしていくつもりです。

* 夫婦二人の家を新築するというのは、たとえようもない気持ちだろう。肺活量が一気に十倍するような、世界がひろがったような。覚えがある。我が家にはもう子供も二人いた。それでも広いと感じたものだ。
だが、まだ京都にいた、叔母を含む老親三人を、遠からず迎え入れねばならぬ家であった。それには結局狭かった。はじめのうちは使わないあいた部屋が二つもあって襖をあけるといつも新しい畳の香が。佳いものであったなあ。

* 京都・関西の畳は広い。京都時代、我が家の階下は四畳半がいちばん広い家だった。東京へ出てきて借りたアパート一間は、ちいさな流し場のついた六畳だった。浴室はなく便所も共用。
社宅に入ったら六畳と四畳半にキッチンと浴室・便所があった。
新築した家には六畳部屋が四つと四畳半一つつ、そしてキッチン・浴室・便所。少し改造し、堅固な書庫を建て増したが、ほぼそのまま今も暮らしている。終生、六畳より大きな部屋を持たずに人生を終わるのだなと苦笑している。それとも、無い有り金を使い果たして夫婦二人の十二畳と八畳二間の新しい家に作り替えようか、ハハハ。邪魔くさい。
2007 2・22 65

☆ 旅行を計画しなさい 雄 ハーバード
普段僕はバスで大学まで通っている.寒い時期は地下鉄を利用することもあるが,地下鉄は途中で乗り換えなければならない.バスは1.75ドル,地下鉄は 2ドル取られるが,一旦乗ってしまえば額は変わらない(ただしレッドラインは途中から倍になると聞いた).
バスも地下鉄もMBTA(Massachusetts Bay Transportation Authority:マサチューセッツ州港湾交通局)という団体がやっているが,ここのホームページ(http://www.mbta.com/)の右上にlanguageというボタンがあることに気づいた.クリックしてみると,日本語も入っているではないか.早速切り替えてみた.
タイトルがいきなり,「より大きいボストンの公共交通システムのための公式のウェブサイト」となっている.原題はOfficial Website for Greater Boston’s Public Transportation Systemである.Greater Bostonとはボストン大都市圏のことで,ケンブリッジやブルックラインなどのボストンに隣接する地域も含めた言い方と思われる.
出発点と行き先を入力する欄には「旅行を計画しなさい」とあり,住所を入力すると最寄の公共交通機関の駅を表示してくれる欄には「近くに整備しなさい」とある.
極めつけは,「旅行を計画しなさい」の項目の説明文で,「2つの位置に次に入れば私達はあなたのための最もよいMBTA旅行ルートを供給するか、またはタブから他のTのライダー用具を試みることを上で選ぶ。」とある.全く意味が分からないが,原文はEnter two locations below and we’ll supply the best MBTA travel routes for you OR choose from the tabs above to try other T rider tools.となっている.ライダー用具って...
Service Alertの項目には「見なさい全てのサービスの更新を」と倒置法まで使われていた.
なかなか楽しいが,毎回開くたびにこんなページが出ていたのではたまらない.第一,意味が分からないので,英語に切り替えようと思い,「言語」と表示されたボタンをクリックしたら,こんな文章があらわれた.
「機械翻訳サービスに言語を選びなさい。 MBTAの内容の基本的な理解を提供することを意図するが翻訳は文字、名前および慣用的な表現を誤って伝えるかもしれない。」
誤ってはないけど,ちょっとおかしいですよ.

* こういうのを読むと、ボストンというわたしの見知らぬ都会が、自然にグーンと近寄ってくる。得難いものだ。「雄」クン、楽しませてくれる。
2007 2・22 65

☆ gene gun    雄 ハーバード
ついこの間まではひどく寒かったが,ここ2,3日は春にでもなったかのように暖かい. 実験は相変わらず停滞しているが,ある機械を使えば打開できるかもしれないということに気づいた.gene gunという機械だ.
名前の通り,銃のような形をしている.弾の代わりにチューブを詰めるのだが,このチューブの内側に金粒子と共にDNAを付着させておいて,導入したい細胞めがけて引き金を引くとDNAが細胞の中に入るという仕組みになっている.なんだかいかにも野蛮な装置だが,細胞に遺伝子を導入する方法としてはとても優れていて,色々な研究で利用されている.
大変素晴らしい機械なのだが,難点は高価であること.日本で買うと,代理店などの仲介業者が間に入るせいもあって600万円くらい取られる.アメリカでも20000ドルだそうだ(それでも,一体この差は何なのだと言いたくなるが).おいそれと気安く買える機械ではない.
調べているうちに,奇しくも隣の建物で持っているラボがあることが分かった.ラッキーなことに,そこには知り合いのポスドクがいる.先方のボスとうちのボスも仲が良いらしい.頼んでみたら気安くOKしてくれた.しかも,今日実際に実験するので見に来たらと言われる.
今日は弾を作るところを見せてもらったのだが,窒素ボンベの圧力を調節するのが難しくて,デモンストレーションしてくれたポスドクが失敗してしまい,そのたびにチューブが暴発して外れる.勿論,安全性は配慮されているので問題はないが,大きな爆発音がするので思わず声を上げてしまう.
他所様の研究室に入ったのはこちらに来てから初めてのことだが,色々と勝手が違うので戸惑いも大きい.来週,本格的に使わせてもらえるようにお願いしてきた.
ラボに戻ってから相変わらず条件検討をするが,今日の結果も芳しくない.できることはほぼやりつくした.この辺りでアタリが欲しい.

* IDカードのぶらさがった日記で、他の誰にも割込ませない。文章はこうでありたい。誰かが簡単に似た事が言えたり、代わりに書けたりするようでは、ダメなのだ。ちょっとした素直さでそれは出来る。へんな自意識をもっていると、かえって平凡に人の言い古した筆致でありふれたことを書いてしまう。
2007 2・23 65

☆ 光の春・・ お天気がいいと、そんな言葉もふと浮かんでくる今日このごろですけれども、お変わりなくお過ごしでしょうか。
4月からまた少し働きたいと思い、仕事を探していまして、なんとか決めることができました。週3日、朝8時30分~17時15分まで。一年契約ですが、4回更新ができます。近所で週3日くらい働きたいという希望でしたので、何かと好都合。それですと、かねてからの演劇ワークショップも続けることができて、ラッキーでした! また新しい気持ちで取り組みたいと思います。
さて、私の住む住宅には、たくさんの武蔵野の雑木林が残っていまして、その樹林の整備をめぐり、日照のさまたげになるし、管理費用もかかるので、「伐採したい派」と、「貴重な武蔵野のみどりを守りたい派」が以前からずっと対立しています。その会合に出た所、いきがかり上、「委員会」に入ることになってしまいました。
このところ、日曜日はずっと樹木実態調査です。何百本もある樹木の目通り(寸法)を測ったり、様子を記録して、10年前の古い資料を更新しました。何億という積立金をもっている大きな管理組合法人なので、いろいろと大変なことが・・・。なかなか心安らかには生きていかれないものですね(笑)
というわけで、私もやむなく「ポジティブシンキング」で、まだまだがんばらねばなりません、ああ・・・。 ゆめ

☆ 診察券集め
あっちの病院、こっちの診療所、腰痛クリニックに耳鼻科に眼科、このごろカード大になった保険証と、やたらに診察券が溜ってくる。診療所の帰りに電車の中で調べてみた。
これは手術を受けたり心臓に電気ショックまでして助けて貰った病院のだから大事、これは随分勝手なことも聞いて貰える診療所ので大事、ちょいちょい腰が動かなくなると世話になる近くのクリニックのも・・ほんとはかなり深刻なのだがどこかおもしろい。
何故だろうかとずっと思っていたが、気がついた。子供の頃のメンコ集めだ。これは双葉山だから大事、照国も名寄岩も大事、黄金バットも東郷元帥も、と似ている。
降りる駅が来るのであわてて財布にしまっていたら、斜め前に座っていたおばあさんにニコリとされた。 笠 E-OLD
2007 2・24 65

☆ 秦先生,いつも「mixi」では有難うございます.
このところ,先生のご気分がふさぎがちのように感じていたのですが,「mixi」を拝見して,その理由が分かりました.さぞお辛いことと思いますが,どうか気を落とされず,お身体も大切になさってください.
「mixi」では引き続き,なるべく継続してこちらでの日記を綴りたいと思います.それこそ煙草代わりにでもなれば幸いです.
「mixi」では日記はもうお書きにならないようですが,「闇に言い置く」の方は引き続き楽しみに読ませていただきたいと存じます.  雄 ボストン

* 「mixi」には、相対での「メッセージ」交換機能がついていて、第三者が割り込めないことで、いわゆる電子メールと異ならない。この満一年、今日までに278件のメッセージを受け取っていた。だいたいが「やりとり」であるから、ほぼ同数こちらから発信したり返信したりの「メッセージ」もあるわけだ、それはまだ調べていない。受信分を整理し保存した。

☆ おはようございます、風。
富士の写真なら、いくらでも送ってさしあげます。
空気の澄む冬のあいだは、とてもよく見えます。今は、白さが増して、ますますきれいです。
インテリアは、少し値がはっても、気に入ったものを買うようにしています。
安いものは経済的には助かるけれど、すぐに飽きが来てしまう。安いもので我慢するより、気に入ったものを買った方が、長く使えて、結局経済的なんですよね。
インターネットは、繋がったり繋がらなかったりします。鉄骨住宅なので、無線が乱反射しているのかも知れません。有線で繋ぐまで、もうしばらく不安定なのを我慢しなければなりません。
風、あったかくしててくださいね。
これから英語のレッスンに出かけます。 花

* 「いくらでも」というのが、ちょっと癪なほどわたしは昔から富士山に憧れている。新幹線に乗っていて見えるだけで、まぢかに振り仰いだ覚えは一度もない。以前妻と箱根に行ったときも、曇っていて観られなかった。地元の保谷駅や保谷の跨線橋からも、晴れた日には遠くにちいさく見える。西武線に乗っていても富士見台あたりで、時間により場所により見える日がある。あの姿がいい。

☆ 不思議な夢   昨日のことでした。
早くに、五時半に、起きて色々していましたので、二度寝をして朝の九時か十時くらいでしたか不思議な夢を見ました。
キスの夢を見たのです。それが夢とは思えない、温かでやわらかい唇の感触のある本物のキスで、相手の抱擁に全身が包まれました。こんなことあり得ない、夢のはずなのにと驚いて目覚める瞬間に、からだの芯が突然かあっと燃えるように熱くなり、目を閉じているはずなのに目の底が明るい光に満たされ視界は真っ白な世界。その白い輝きの中からある映像が浮かんできて、その映像がだんだん明らかにかたちになっていくのがおそろしくなって、必死に目を開きました。そこはいつもの寝室でしたから、安心して目を閉じると、再び暗くなるはずの視界が明るんできて、映像が出てきそうになって、また目を開く。そんなことを数回繰り返していました。
夢のキスの感覚を思い出すとなつかしいのに、どこかこわい。単なる色夢と言ってしまえばそれまでですけれど、自分の無意識の妄念の現れなのでしょうか。キスの瞬間の、あのふわっと包まれたなんともいえない心地よさは、まだからだの中に残っています。
ミクシィ加入から一年あまり、また新しい扉を開こうとなさっています。パソコンの不具合は偶然ではなく必然だったのかもしれません。小説を書きなさいという天の意志です。どうぞ天才を存分に発揮なさってください。
「私語」に書かれていらした、「メリー・スチュアート」や「ひばり」に対する批評、素晴らしいものでした。長い間積み重ねた誠実な思索がなければ決して書けないお仕事です。私にとりまして、「私語」は稀に見る贅沢な読書経験。「私語」を続けてくださっていること、本当に感謝しています。今読めない過去の「私語」を、どうにかしてディスクにして頂戴したいという私の願い、是非お聞き届けくださいますように。

* メールは、ほんとに奇態な魔のちからを発揮する。まちがいない良家の人をさえ、かくも開放的にする。いやいやまさか、ふつうのお友達とはここまで書かないだろう、なんぼなんでも。
相手が一視同仁の物書きだからか。いやいや「電子メールというツール、ないしそれに過剰に依拠したバーチャルな表現」の薄さ、遊びすぎの要素を、わたしはおそれる。電子メールならではの「表現の魔」についてはイヤほど指摘してきた。
電子の言葉、またいわゆる言葉への無意識の過信が世に行き過ぎないことをわたしは願う。
ほんとに言いたいことは、顔と顔とをみあわせて伝え合うという日常を現代は忘れすぎている。
2007 2・26 65

☆ 花粉症いかがでしょうか。例年よりかなり早く花粉の飛散が始まり、もうピークでしょうか?
糖尿病のことも、いつも懸念材料で、先日「いずれドカン」と書かれてあり、わたしは長いことかなり落ち込みました。笑い飛ばせません。何故かすっと機械に向かうことも、そしてメールを書くこともできないで、日がすばやく走り去っていきます。
昨26日のメールは宛先がいくつかあって、何かの手違い? とも思いました・・。風は不安定ではありませんよ、というのをただ良き知らせとして読みました。(大いに嫉妬しましょうか!!!)
機械のこと。再インストールや新しい機械への移動などなど、わたしは思い出しても本当にぞっとします。けれども、とにかく遂行しなければなりませんから・・。
niftyを開く前にmixiを見て、「日記の記載を最後にする」と読んで驚き、niftyのHPを読んで一安心、一喜一憂でした。
仕残している仕事を幾つも胸のしこりに抱いている以上、安らぎたい、その思いだけでは真の安らぎはあり得ないでしょう。しこりを仕事の形あるものとして作り出していく以外ありません。それこそが、「今、此処」。覚悟を感じ取り受け止めています。
「手で書く」創作、万年筆を再び活かす道へも戻りたいと切望している。われながら容易ならぬ決意。もとより二兎を追うとも思っていない、手書きが主だ。・・そう断言されていらっしゃる・・大変な決意ですが、少しずつ慣れていかれるのでしょう。
春さん、あるいは数年来あなたに小説を書けと煩瑣なほどに言葉を連ねた人の思いは、その或る部分での思いはわたしの思いでもあるでしょう。
すべては海の一滴の水のように痕残さぬものだとしても、呆然と立ち尽くすとしても、それでも、わたしたちは日々のあれこれの中に右往左往し、努めて生きているのです。
あなたにとって、その生きる業の最中枢にあるのが「書くこと」それも小説であるなら、書くしかありません。書くことです。(僭越は十二分に承知して書いています。)
わたしは自分の拙い書き物をペンで原稿用紙に埋めていく作業を現在はしていません。メモや何かの言葉が沸きあがった瞬間をとらえて、とにかく紙に書きますが、それが形を成すのは機械に向かっている時です。思いがけない言葉が新たに生まれるのもその時です。集中できていない時でも機械を前にすると不思議に文章が書ける折もかなりあります。以前は機械に向かって?! など想像もできないほどでしたが、考えてみるとわたしは便箋やノートに記すのは嫌いではないのに、原稿用紙は大の苦手でした。升目を意識するのが苦痛でした。升目に一字一字書こうとしても外れてしまうのです・・。(いかにもわたしらしい。)その苦痛、敬遠する気持ちを和らげてくれたのは機械でした。
富士山について。「わたしは昔から富士山に憧れている。新幹線に乗っていて見えるだけで、まぢかに振り仰いだ覚えは一度もない。・・」以前、富士山を近くに見たいと書かれていましたね。少し行動すれば叶うことはどんどん実現させるとよろしいのです。それでは却って味気ないでしょうという答えが聞こえますが・・やはりわたしたちの「叶いたがること」など、しれたものです・・。どうぞ富士山を間近に仰ぎ見て、或いは五合目あたりまで車で出かけてみてください。
富士山は幼い頃常に親しんだためか、静かな懐かしい気持ちで見ます。帰省の折など、見られればそれでよし、また雲に隠れて見えなくともそれもよしと淡々と富士山の方向に対します。
絵はほぼ仕上がり、やっと一息つきました。体調もほぼ元にもどりました。ずっと本を読めなかったので、今はどうしても活字の世界に沈み込みたいです。メールもmixiもそのまま・・いくつもの事を同時進行させるエネルギーが欲しいけれど、これはないものねだり。
現段階ではmixiにまだまだ踏み込んでいけません。   播磨

* 時差ボケもおさまったらしい。「mixi」には一つの主題での散文、そして詩、それから普通の日記の三通りを書かれてはいかが。

☆ 気温が上がると体調がよくなり、今日は非常にラクに過ごしています。
ここ二三日の寒気では、青菜に塩状態でした。花粉に反応する花粉症のように、気管支が冷気に反応しているのを、いやでも実感します。 泉

* 昨日はずうっと外にいたけれど花粉は洟にも眼にもほとんど感じなかった。ありがたかった。今朝はかすかに目元にかゆみのもとが居座っているかなあという感じ。
2007 2・28 65

☆ 似て非なるもの    雄 ハーバード
前から日記に書いている通り,僕の部屋では日本のテレビ番組を見ることができる.これはテレビ好きの人間にとっては大変有難いことで,大いに活用しているが,唯一気をつけなくてはならないのが,グルメ番組を見てはいけないということ.うかつに見ようものなら,どうにも納まりがつかなくなる.
先日はグルメとは関係ない番組を見ていたが,ゲストゆかりの店として水炊きの店とちゃんこ鍋の店が紹介されていた.これを見てしまってから,もう食べたくて仕方がない.
5年前,博多に出張で行った時に水炊きを食べたが,この味が忘れられない.それまでは水炊きというのはどちらかというとつまらない食べ物だという認識しかなかったのだが,博多に行ってその考えが根底から覆された.具を食べる前に,湯のみのようなものに少しだけ鍋から汁をすくって飲むのだが,これがコクがあって信じられないほど旨い.目からうろこ,だった.すっかり味をしめて東京の高級店でも食べたことがあるが,確かに旨いことは旨かったが,博多の汚い店で食べたものに勝るとは思えなかった.
ちゃんこ鍋も捨てがたい.以前,ラボのみんなと一緒に広尾の「玉海力」に行ったが,これも旨かった.この時期食べたら堪えられないだろう.
こらえ性がないので,早く仕事を終えて,クーリッジコーナーで寄り道をし,前から気になっていた日本食レストラン「竹島」ですき焼きを注文した.
そもそもメニューのすき焼きの欄にbeefだのchickenだの書いてあったので不穏な予感はあったのだが,出てきたものはすき焼きともチャプチェともつかぬ,不思議な食べ物だった.店主はどうやら韓国人らしい.韓国人なのに何故「竹島」なる名前で日本食レストランをやっているのかがよく分からない.店員さんとは英語で話していたが,一人は日本人であることが途中で分かったので,後は日本語で話した.
決して不味くはなかったのだが,なんとも消化不良なまま店を出た.

* 老人のわたしなどが意地汚く食い気を発散しているのは見苦しいが、若い「雄」クンらのこういう記事は、いっそ颯爽としている。いじゃないか、いじゃないかと思う。水炊きか。そういえば新門前の父親もなにかの折りには「水炊き」を提唱して「かしわ」「かしわ」と口にした。
「おとうちゃん かしわとにわとりと、ちがうのん」
「うまいのがかしわや。おいしいのがにわとりや」
「うまいもおいしいもおんなじやん」
「そや。かしわもにわとりもおんなじや」
「…」

* 新宿の「玄海」に久しく行かない。行きたくなった。食べて早死にするか。食べずに長生きするか。何のために長生きの必要があろう。

☆ 世界らん展   槇
昨日『世界らん展』に、義母、母、私の3人で行ってきた。
花より団子の私は。。。前勤務先の先輩から急遽昼食のお誘いをいただき、しかも、前上司がご馳走してくれるという。
正直ちょっぴり心揺れたが、浮気はせず。母と東京ドームで開催されている『らん展』へ。
ちなみに、先輩たちとのお食事会は、日本橋のすき焼屋の伊勢重。この伊勢重は、130余年の歴史を持つ老舗。
あ~~~「すき焼き」か「花」か。
答えは、「すき焼き」
なのですが、
「花」には、らん展を楽しみにしている母。この楽しみにしている母には、すき焼きも負けるわけです。
でも、花は食べられんけんの~。
と、
天秤にかけてしまった自分に少し自己嫌悪。。。
それはさておき、
両母は、何度も「らん展」に足を運んだことがあるようだ。
私は、初。
東京ドームの中に入り、
「わぁーーーーー」
黄色い声が。。。
自分でもこんな声が出るとは思わなかった圧倒されたのと、なんだかほわぁ~っと、吸い込まれた。
花をみて優しい気持ちになるって、ウソウソ。
ウソなんですが、あえて、素直に綺麗だと思ったのです。綺麗っていうか、東京ドームがお花畑で、驚いた。
そして、やっぱりここでも、少しお花畑の世界に退屈しだすと、私は、巨人軍のベンチ付近をウロウロ。外野フェンスを触ってみたり、心弾んだのでした。ここは、ベンチでの原監督の定位置だとか想像したら、それだけでウキウキになってきました。
ちなみに、私は広島ファンです。。。
4時間ぐらい歩いたでしょうか。
両母につられ、数多くの写真を撮りました。 そして、いいアングルが取れると自慢大会。その写真はアルバムをご覧下さい。
らんの販売もあり、両母からプレゼントしてもらいました。
こりゃ~枯らすわけにはいかん。
来年も咲かせなきゃね!! 咲いてね!!
お母さんありがとうね。

* なんて佳いんだろう、こういうお嫁さん。こういう娘さん。蘭の花よりかわいらしい。
2007 2・28 65

☆ 秦 建日子作 『推理小説』 河出書房新社
実はドラマ(「アンフェア」)は見ていません。
小説だけ読む限り、作者は新本格系の推理小説をとりまく様々な蘊蓄に、ある意味うんざりしていたのかな、と。
その点は私もとても共感。
推理小説を読み終わった後に、犯人の動機には文句を付ける気はないけれど、殺害をした後の犯人の心理描写に「そういうこと思わないんじゃないかなぁ」という微妙な違和感を感じたことは数々。
他にもいろいろと新本格系蘊蓄への違和感を作者は瀬崎に述べさせているけど、この小説ではこの手の違和感を感じることだけはなかったです。小説購入金額 3000万円の内訳など、微妙なディテールに実にリアリティがあるからだと思う。あと、私自身の「冷めてる」部分が犯人のキャラとかぶるからかな。
個人的には、文体というものは生まれつきのものだ、というテーゼが流れているあたりに、作者の背負っているものを何となく感じたりして。
ただ、巷では「かっこいい」と言われている雪平夏見。私には全く頂けないキャラでした。プロじゃない。
その点、瀬崎にはいろいろな意味でプロを感じます。
ホントは星は2.5だけど、半星がないので四捨五入して三つです。   馨

* この批評が有っていいと思っていた。
2007 3・1 66

☆ おはようございます、風。
丹羽文雄の本、読みましたよ。後半、投稿作を批評しているのがおもしろかったです。目新しいことは、実はあまりありませんでした。風から学んでいるせいかな。
今日は桃の節句ですね。
花のふるさとでは、四月三日に祝っていました。七夕も八月七日でした。
古い農家である父方の実家に暮らしていたときは、広い座敷に毎年豪華な七段飾り。菱形のおもちの、桃色は食紅で、緑は、裏の河原で蓬を摘んできて、搗きました。
お内裏さまとお雛さまを自分の手で飾りたくて、させてもらえると、とても嬉しかった。
人形のお顔が好きなんです。いい顔、気に入った顔をみつけると、ずっと見ていたくなります。「顔が命の…」というコマーシャルの歌、深読みがきいてときに畏いです。  花

* わたしは大将とか大名とか将軍とかが好きでないので、五月人形より三月の雛の方が好きなんです。気がなごみますしね。あなた、いい思い出を持ってますね。
わたしは、去年孫娘と雛飾りしたのが元気な顔をみた最期でしたから、つらい思い出になりました。
そうそう、花は知らないかも知れないが、三島由紀夫の自決のあと、ひとりで割腹自決した村上一郎という詩人・評論家がいましてね、亡くなるほんの少し前に、吉祥寺の家から保谷の我が家まで歩いて、立ち寄ってくれました。お別れのつもりだったんでしょう。
ちょうどお雛様を飾ったばかりだったので、その前で、お茶を点てて差し上げたのを覚えています。村上さんは縁側の日当たりにゆったり静かに腰掛け、ご機嫌さんでした。橋口健二という渋いいい顔の俳優がいました、村上さんに似ていました。
一期一会の茶でした。  風

☆  三月になってしまいました。鴉は黙考していますか。
昨日夕方、絵を、搬送の人に渡して一区切り。目の前に置いてては、もういいのだからと思っても、ついつい筆を動かす体たらくで、これ以上絶対余分な一筆も描いてはならぬなどと恰好よくいきません。それで却って細かに描きこみすぎてしまうのです。悪足掻きなのです・・。
もう手が届きませんから、すっきりするしかありません。とにかく今はぼんやり、ボッーっとしていてもいいかなと、自分を甘やかしています。半日、友人数人と電話でおしゃべりしたり、あっという間に一日が過ぎました。
コンスタンチヌス帝の本を読んで、その続きで辻邦生の『背教者ユリアヌス』を改めて読もうか、など考えています。
モロッコの旅のことをもう少し整理したら、やっと読みたいもの、書きたいものへ向かえそうです。 鳶

* 辻邦生さん。懐かしい。
辻さんの本は、生前にほとんど全部頂戴している。愛読し耽読したのは『夏の砦』『回廊にて』そして『安土往還記』だ。
『背教者ユリアヌス』の全一巻本は、あまりに本が分厚く重く、未読。なるほどコレがあった。わたしも読んでみよう。
『嵯峨野名月記』を書評したとき、それまでの全作品集をセットで戴いた。辻さんや大岡信さんらも一緒に中国へ、井上靖ご夫妻に連れて行ってもらったよりも前のこと。亡くなった長谷川泉さんの著書に、辻さんとわたしとをならべて「反リアリズム作家」とくくって論評されていたのが印象にある。このくくり方少し意外な気がしたが、辻さんと名をならべたのは晴れがましかった。
2007 3・3 66

☆ 春霞   暖かいですね。
自転車に乗っていますか。
土日は少しのんびりとしていますが、雛祭り、夕飯に、チリメンジャコや高野豆腐の入った好物、大量の京ちらしが出来上がりました。内裏様だけでも出したいけれど、その力の余裕が、ズーと、ありません。
すこしペダル踏んで走ろうかな、体力が持続できるかな、と迷っています。  七十女

* 春愁ににて非なるもの老愁は。登四郎の句に謂い当てられています。午後、思い立ち家内を尻にのせて自転車をこぎ出した弥生節句でしたが、隣街あたりで家内もわたしも疲労し、家に帰るのに往生しました。怪我がなくて何よりでした。
そんなありさまでいます。家に帰って四時ごろか。そのまま夜に、今さき十時半まで寝入っていました。
概して機械も不調、安穏でありません。
なにもかもムリはできない、ムリをせず、あるがままの余力を大事に活かしたいと願います。あなたも。ご主人の回復はいかが。お大事にと心より祈ります。
花粉だけは忘れず訪れてくれ、いまも眼がかゆい。うっかり触れば苦痛が燃え立ちます。おお、招かざる春の客です。  湖
2007 3・3 66

☆ Blue Fin     雄 ハーバード
今朝は,こちらに来て一番と言ってよい程の大雨だった.気温が高くなって雨だったからまだ良かったが,これが雪だったらラボには行けなかったかもしれない.実際,内陸部では吹雪のような天候だった場所もあったようだ.朝のニュースで映像だけ見た.雨だけでなく風も強い.
今日は6時にラボを出て,シュシェンとライアンと3人でポータースクエアにある日本食レストランBlue Finに行って来た.本当は技術員のサラも行くはずだったが,いざ行くという時間になったら姿が見えず,結局3人となった.知らない間にシュシェンが色々な人に声をかけていたらしく,色々な人から「今日はいけなくてごめん」と言われて驚く.一番のお気に入りのアイリーンにも急に声をかけられてびっくりした.「今日は友達の誕生パーティーなので,行けなくてごめんなさい.次は必ず行きましょう」と言われて,年甲斐もなくちょっと顔が赤くなりそうになった.
Blue Finはボストンでも人気の高い日本食レストランで,着いてみれば20分待ちとのこと.順番だけ取っておいて,向かいの日本食材店Kotobukiyaに入り,色々と品物を物色する.ライアンは餅が大好きなのだそうで,雪見だいふくを見て興奮していた.
店に戻って待っていると,店内のテレビを見て,シュシェンが「あ,松坂が出てる.今日は登板のはずだけど,もう投げちゃったのかなあ」といって,携帯電話で友人に確認しだした.「もう投げちゃったらしくて,今はインタビューを受けているらしいよ.もう一度録画で流さないかなあ」と興奮している.僕よりシュシェンの方がよほど日本通だ.
ようやく順番が回ってきて,席へ案内される.僕とシュシェンは寄せ鍋と寿司2貫,ライアンは巻き寿司と海草サラダを注文した.寄せ鍋の味は,日本でコンビニなどで売っているアルミホイルに入った一人用鍋と大差ない.先日訪れた「竹島」のすき焼き同様,スープの中に少量の具が泳いでいるといった感じだった.やはり鍋は土鍋に野菜や豆腐,肉か魚などを豪快に入れて食べたい.追加で頼んだ寿司はホタテと鮪だったが,鮪は旨かった.
料理の味は先日の店と大差ないのかもしれないが,3人で食べに行ったせいか旨く感じた.店員さんの態度も思ったより悪くなかった.2人とは店を出てすぐに別れ,僕だけKotobukiyaで食料を買い,地下鉄で帰宅.

* 手の届くところに「雄」君いるみたいだ。松阪投手がいる都会に彼もいるんだなと思う。フーン。なんとなく感じ入る。

☆ 号令   笠 e-OLD
東京から田舎へ疎開した国民学校四年生のとき、級長にさせられたことがありました。体操の時間、先生に言われた通り「気をつけぇ!」「右向けぇー右!」とか「前へー進め!」とか僕が大声で言うと、組のみんなが全員その通り動くのです。僕はよく分からないけど嫌だと思いました。その後もどうしても嫌なので、先生に「級長やめます」と言ったら、革のスリッパでひっぱたかれました。あとは忘れましたが、それはきっと自分の号令でみんながいっぺんにその方へ動いていってしまうのが何だか恐ろしかったのだと思います。いつからか大勢集まると自然に最後列にいるようになり、何か人前に出たり晴れがましい事をするのがむやみに嫌いになっていました。偉くならずに(なれずに)よかったと思います。

☆ 自由人、尺度を持つなら自分の物差しを作る。当事の教室の雰囲気は「陸軍大将か海軍大将」になることが、「坂の上の雲」でありました。
「性格」、「気質」そして「人格」。
僕には出来ませんでしたが勇気があったのですね。
気質が広い心を作る、そしてペルソナ(仮面)を完成させる。仮面は人格。つい感動をしました。  瑛. e-OLD

* わたしも「級長は勘弁して下さい」と申し出たクチです。『もらひ子』に書きましたっけ。あまりカッコよくないんです。号令をかけようにも、「右」「左」の判断に自信がなかった。「右向け右」と言われても「左向け左」といわれても、みんなと逆さまに動いて校庭でよく怒鳴られたり、嗤われたりしました。まして号令なんかかけて間違えたら、ナニをされるかしれなかったし。ハハハ 湖 2007 3・3 66

☆ サービス    雄 ハーバード ボストン
隣のラボに、マイクというポスドクがいる.
笑顔がさわやかで,物まねが上手い.以前ラボに所属していて僕も知っている日本人の方の物まねも絶品だ.面白くて愛想の良い奴だと思っていたが,彼は今,幸せの絶頂にいるようだ.
まず,もうすぐパパになる.そして,少し前にインタビューを受けた大学で独立してラボを持つことになったらしい.さらに現在,非常に載せるのが難しい専門雑誌に論文を投稿していて,ほぼ通りそうだとのこと.同じく隣のラボのポスドクであるグレッグが主催して,お祝いのパーティーを今日やるとのことだったので,是非とも参加したかったのだが,あいにく今週は疲れきってしまったので,申し訳ないが遠慮させて頂いた.
昼近くまで寝て、大分疲れが取れた.昼前に車で家を出て,中国系スーパー超級市場へ向かう.付近は交通の激しい場所なので,昨日からちょっと不安だったが,意外とスムーズにたどり着くことができた.バスだと結構時間がかかる上にかなりの距離を歩くのだが,車だとあっという間.駐車場が満車だったが,2,3周しているうちにたまたま空いた場所があったので,急いで車を入れる.
早めの昼食をスーパー内のイートインスペースで摂る.
マイミクの「い」さんの日記で、フォーの話を聞いてからムショウに食べたかった.今日の昼食はフォーにしようと昨日から決めていた.ここのは量も多いし麺もコシがあって,スープも旨い.ハラペーニョを入れすぎて,食べ終える頃には汗だくになってしまったが,いやあ旨かった.満足した.食べ終えてから食材を大量に買い込む.
車を出して,向かいのトヨタの代理店に行く.今回車で来たのは,実はここに行くのが目的だった.僕の車は中古車だが,ナンバープレートを取り付けるボルトが古くなりすぎて,一つのボルトの頭の部分が壊れてしまっていていた.仕方なく片方だけで停めていたが,これではいつ外れてしまってもおかしくない.
そこで新しいボルトを手に入れるべくネットで調べていたら,たまたま超級市場の真向かいに代理店があることが分かった.そこで,昨日電話をかけたら, CKと名乗る担当者が実に感じ良く,こちらの拙い英語の説明に気長に付き合ってくれ,良く分からないけれどもとりあえず明日車を持ってきてくれないか,ということだった.
店内に入り,CKという人を呼んで欲しいというと,しばらくしてあごひげを生やしスーツを着た,ダンディな初老の男性がやってきた.車を見せると事情が分かったらしい.車にしっかりと付いたままになっていた古いボルトをペンチで外してくれ,新しいボルトでナンバープレートを取り付けてくれた.ボルトの代金を聞くと,要らないという.小さなことかもしれないが,なんだか妙に嬉しかった.何度も礼を行って店を後にした.
一旦荷物を置きに自宅に戻り,しばらくのんびりしてからクーリッジコーナーまで歩いて向かった.
家を出る際,ポストを開けると,日本のシティバンクからの手紙が来ていたのだが,この文面があまりに失礼なのでちょっと腹が立った.今までもこの銀行は慇懃無礼で碌でもない対応ばかりだったので,今更驚きはしないが,サービスというものを大きくはき違えていると思う.
僕は新生銀行も利用しているが,ここもシティバンクと近いものを感じる.
もともと新生銀行は長銀が破綻した後に外資系の銀行が買い取って「新生」した銀行だ,店舗を増やさずにインターネットやコンビニATMを利用することで経費を減らし,手数料無料という当時としては画期的なサービスを始めたのだが,ここ最近店舗を増やしてきた.
しかし,店舗は妙に小洒落た造りの店内でありながら,店員の応対が全く要領を得ない.サービスに全く柔軟性がないし,非常に慇懃無礼だ.行く度に不快な思いをする.
新生銀行は従業員の応対は不快なものの電話やインターネットではまだマシだが,シティバンクはそのどちらもどうしようもない.
アメリカに来て、銀行には度か足を運んだ。店内の雰囲気はシティバンクや新生銀行とよく似ているが,サービスの質はアメリカの方が圧倒的に上.意外かもしれないが,アメリカでもしっかりした人はしっかりしているし,サービスも非常に素晴らしい.
シティバンクや新生銀行は外資系銀行だが,形だけでなくサービスのあり方についてはき違えていると思う.形だけでなくサービスの本質についても,シティバンクや新生銀行は少しは深く学んで欲しい.
クーリッジコーナーでは新しいスニーカーを2足買い,近くのすし屋Mr.Sushiに入った.どうも昨日2貫だけ食べた寿司が後を引いてしまって,もっと沢山食べたくなったのだ.名前は怪しげだが,ここの寿司はなかなか美味しかった.
こちらの日本食レストランは、寿司以外のものを食べると不満がつのるが,寿司に関しては日本と大差ない気がする.少なくとも僕の舌では充分満足できる.店員のサービスもとても良い.満足した.帰りにTrader Joe’sと日系食材店で買い物をして帰宅.
2007 3・4 66

☆ お元気でしょうか? あまりにご無沙汰、何からお伝えしてよろしいか? 整理がつきません。
まず母のことですが、ご心配を賜り感謝しております。昨年末よりすっかり体と頭が不調になり、全部ではありませんが「まだら忘れ」いたします。まだ私など分かってくれますが、時間とか場所などの感覚がゼロでして、いつでも私に「明日来て欲しい」とばかり申します。
現在は一人住まいのホームを出まして、ショートステイーでワーカーさんその他のかたがたに介護されています。私と妹たちでローテーションを組み、できる限り榛名へ行くようにしています。
あれだけ活発で行動的でプライドの高い母が、ああして命の終焉をむかえながら日日過ごしているのをみるにつけ 切なく 可哀想なつらーい気持ちの毎日でございます。
恒平先生には随分とお世話様になりまして、心からお礼を申し上げます。もう母からお手紙や賀状などお出しすることもできませんが 長らくにわたって本当に有難うございました。
本人は、短歌のお師匠様と位置づけさせていただいているようで、いろいろとご迷惑をおかけしましたことと お詫びとお礼を申し上げます。京都時代から暖かくお見守り賜り、重ね重ね感謝もうしあげます。 有難うございました。
さて私の絵のほうですが 休まず あわてず 努力は続けております。(。。。。さんと同じ姿勢!) もう私の人生最後になるかもしれない個展を 21年秋に申し込みいたしました。(私のみに)足場のいい、横浜のデパートに。水彩のみの展示にしようかなと、今は考えています。恒平先生にお元気でいらしていただけますよう、祈っております。銀座だと、と思いましたが、なかなかいいところが昨今はなく 殆どがブランドショップに変わりました。毎日通うのも横浜のほうが まだしんどくないかと。いろいろ考えて決めました。
どうぞ、お元気で、叱咤 激励してくださいませ。自分なりの自分らしい気負わない作品を並べようかとおもっております。
まだどなたにも、家族 妹たちにも話しておりません。ただ だいたいのギャラリーは 2年先ぐらいまで予約済みですので 自分の望む月日をとることができません。この先、どんなことがありますやらわかりませんが、だんだん体力的にもつらくなるんじゃないかと思い、ひとりで決めました。
いい絵を描くよう努力いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
これから夏までは 水彩展 と 一水会 に向けて大作にかからねばなりません。 あれやこれやと追われる毎日です。
恒平先生もどうぞお元気でお過ごしくださいませ。   郁

* 久しい友にも、こういう決意の時が来た。ちいさな個展は繰り返してきた人だが、こんどは覚悟がちがうだろう。「自分なりの自分らしい気負わない作品を」と言うのが、どうか逃げ道にならぬよう、一期一会、今回はいっそしっかり気負ってもらいたい。

* 郁さん  決意に賛同します。  湖
あなたの体力や気力が堪えうるのなら、どうか母上を、よろしく。ただし共倒れに、とりかえしつかぬ負担を後々に抱き込んではいけません。あなたが長生きしなくては。かねあいが難しいが、誇り高きご老人の、平安ないい終末を祈ります。
展覧会のこと、決意をに賛同します。とうとう此処までの覚悟をしたかと感慨深い。ずいぶんヒドイことを言ってあなたを傷つけてきたと思います、許されよ。
メールの中に「自分なりの自分らしい気負わない作品を」とあるのは、しかし、危険信号ですから撤回されますよう。むしろ今回こそはしっかり気負って、死にものぐるいの、コレまでになかったものの誕生・創作を期してください。
だいたい、ものを創る人が「自分なりの自分らしい気負わない作品を」などと言い出す時は、はじめから言い訳用意、逃げ腰の逃げ道づくりなんです。
きみに、「自分なりの自分らしい何か」なんて、「ほんとに在るのかい」と、わたしは授賞した当日、今後も「自分なりに自分らしい」仕事をと口走って、えらい先生に睨まれました。あの青くなって震えた瞬間。それが、本当の出発でした。わたしは忘れない。そんなものが本当に「在るのか無いのか」、あなたは、今度の展覧会で血相かえてでも見つけ出さなくちゃいけないんですよ。
「自分なりの自分らしいものを自分なりに」と言っている限り、もし失敗しても、「自分なりにやったんですもの」と言い訳が利いてしまう。言い訳がはなから用意できている。これが、危ない。
創作の場合、言い訳の「退路」はあらかじめ絶っておき、形相を変えて必死で取り組まねば、せっかくの「最期の機会」がムダに終わります。がんばってください、今度こそ。そう激励します。おなじことをわたしは自分に向かって言うているのです。
2007 3・5 66

☆ 昨日の嵐はすごかったですね。富士山も揺れていたでしょうね。
どしゃ降りの中、わたしたち英語サークルのメンバーは、富士宮の牧場へ行きました。有機野菜で作ったバイキングランチがとてもおいしく、たらふく食べました。
帰りしな、雑貨店でキャビネットを受け取り、帰宅してから二時間かけて組立。木ネジをたくさんとめたので、手が痛くなりました。
そして、床の間の垂れ壁の工事が、八日にと決まりました。
七日にエアコンがつくはずですし、大きな工事はほぼ終わり。
八日には、家の一ヶ月点検もするそうです。もうそんなに経ったのか、と思い、その割にはちっとも片づいてないなあ、と苦笑してしまいました。
ま、八日が終わば、ほんとうに一息つけると思います。
家のことでいろんな業者の人と接しますが、トラブルが発生すると、愛想のよかった人の、「仕事の仮面」をつけていたんだと気づかされたりして、さみしくなることがあります。
写真は、香港のレパルス・ベイの寺院にあった金魚の像です。中国の寺院には、おもしろい像がたくさんありました。
そろそろ自動車の六ヶ月点検に出かけます。
フローベールの書簡を持って。 花
2007 3・6 66

☆ 1987   雄 ハーバード
この週末は比較的穏やかな天気で,気温も東京と大して変わらないようだったが,今日は一転して寒くなった.帽子と手袋の完全防備で外に出た.昼には雪もちらつき,時折激しく舞っていたが,あっという間に晴れ上がり,跡形もなく消えてしまった.不思議な雪だった.
実験の合間にメールチェックして,思わず「あっ」と声を上げてしまった.ボストン交響楽団からのメールで,今週末予定されていたコンサートをマルタ・アルゲリッチがキャンセルしたとのこと.ショックだ.
前にも書いたが,マルタ・アルゲリッチは,現在存命中のピアニストの中で,僕が最も生で演奏を聴いてみたいピアニストだ.だから,今週末のコンサートは非常に楽しみだったのだが,期待が大きかっただけに残念.代役はYuja Wangというピアニストだそうだが,あいにく僕は知らない.ボストン交響楽団との共演も今回が初めてだという.
ホームページ(http://www.yujawang.com/)によれば,なんと1987年生まれだという.今年二十歳になる,北京出身の女流ピアニストらしい.それにしても,2003年にヨーロッパデビューを果たして以来,昨年はニューヨークフィルやシカゴフィルなど,アメリカを代表するオーケストラとの共演を果たしている.まさに神童ということか.昨年はN響とも共演しているそうだから,日本のクラシックファンの方にはご存知の方もあるかもしれない.
アルゲリッチの生演奏が聴けないのは残念だが,この新星の演奏が聴けるというのは,考えようによっては楽しいかもしれない.
今,彼女のホームページを見たら,過去の演奏が試聴できるコーナー(Listening room)があった.ラヴェルの「水の戯れ(Jeux d’eau)」も載せられている.Youtubeにはアルゲリッチの演奏やリヒテルの演奏も載っていた.これらと比較してみるとなかなか面白い.ちなみに,アルゲリッチの演奏はhttp://www.youtube.com/watch?v=lWeAbgA5tS4,リヒテルの演奏はhttp: //www.youtube.com/watch?v=cumoVX7x3Zoでそれぞれ聴く事ができる.
ラボからの帰りは一層気温が下がり,目の前でバスが行ってしまったせいもあり,地下鉄で帰宅した.ボストンの地下鉄は車内がとにかく汚い.新聞などが床に散乱している.車両も新しいとはいえない.グリーンラインの最後尾に乗ったが,ふと上を見上げると’Kinki Japan’と書いてあるマークを見つけた.グリーンラインの車両は日本の近畿鉄道の古い車両を譲りうけたものなのだ.それは知っていたが,そのマークの中に「1987」の文字を見つけた.
Yuja Wangはまだまだ若いが,この車両はとても同じ年に作られたとは思えないほど古い.

* おしまいの一行で締めくくられた。
2007 3・6 66

☆ 枯れ木と雲   瑛 E-OLD 川崎市
山といえども人間が手入れしないと荒廃する。手入れをしても例えば山頂近くの隠れた沢に清水が滾々と湧いていたところなど、一度水が涸れると姿を消す。異常気象の出てくる時代には、「オアシス」は数年ともたない。
夏に豪雨を伴った台風がきたり、雨の無いひと夏があれば、「湧き水」は痕跡すら残さずに消える。
山を散策中に「倭建命」の彫像かとみまがう、自然の作りだした造形美の枯れ枝に昨年の冬出会った。気力の「気」をもらったように嬉しかった。
今年、雪の残るその場所を再び訪れた。なかなか「倭建命」が姿を見せない。いやっ、おられた。その写真であります。
無残やなといいたいが、形あるものは変化する自然のことわりでありましょうか、これでよし。空には移ろいの雲が白く浮いていました。
この「雲」もう自然界には存在していないが、ここに「写真映像」として存在いたします。人間の「脳」の作り出した「幻影」であろうか。

* 残念ながら写真は扱えないが、イメージをのこす佳い文章。気が晴れる。

☆ 花はいつも元気です。
> 「たらふく」はよくない。せめて「たっぷり」「たくさん」に。
はい、わかりました。
> フローベールの小説は文庫本翻訳でたくさん読めますか。
文庫は『ボヴァリー夫人』と『紋切型辞典』くらいです。図書館で、筑摩書房版のフローベール全集を閉架から出してもらって読んでいます。
ホフマンは短編集を読んだことがあります。ちょっとこわいような話でした。
ノヴァーリスは『青い花』を。
ヘルダーリーンはまだです。
ドイツロマン派は、好きです。小さい頃、グリム童話の世界が大好きでしたから、なじみ深い。それにしても、童話というのは、どの国のも、こわいですね。
日本の詩は、高村光太郎、井上靖、茨木のり子が好きです。
荷風の『珊瑚集』もよかったですね。上田敏の『海潮音』を読んで以来、文語の詩が好きです。
今日は、お手洗いの窓際に花を飾りました。

* メールは、具体的で滞るもののないのが、気が和む。思ったら、思ったなかみを、観たら、観たなかみを。簡単でいいのだから。 2007 3・6 66

☆ 大雨と強風で、すっかりと梅の花が散ってしまいました。急に寒さが戻ってきましたが、奥様ともどもお風邪など引かれませぬように。
今日は歌舞伎座で『義経千本桜』の昼の部を見てきました。
安徳天皇の乳母役の藤十郎が粛然として気高く、そして幸四郎の知盛が大碇とともに海へと、舞台のそこそこへ惜しみなく拍手を送りながら、舞台に没入できる喜びを味わってきました。
二幕目の大物浦の場面は能の「船弁慶」の趣向が取り入れられてあるとのことでしたが、能の話のほうから見ると主体が違うように思いながら、歌舞伎の話の面白さに引きずられました。
能の拍手のことを思っていました。
先月、矢来の九皐会「蝉丸」の舞台で、蝉丸が姉宮の去った後一人になり、舞台をひいていく折、橋掛かりの三の松に掛かったときに拍手が起きてしまいました。コツ コツと杖の音が幕内に入らないうちに拍手の音に消えてしまいました。
師は演者の力量が足りないからだと残念がっておられました。
観客は蝉丸の哀しさ 寂しさは充分感じて、好演技に、一人拍手が入れば、続いてしてしまったのです。私も胸締め付けられそうにもなりながら、遅れながら拍手しました。
能の舞台では感動を拍手で表さないのが昔からのことでしょうか。また拍手すらできないほどの感動を求められるのでしょうか。他の演劇やコンサートのように熱狂的ではなくて、能の舞台でも終わりには静かに拍手があって良いように思いました。
また先日東京交響楽団のコンサートでチャイコフスキーの6番「悲愴」を聞いたのですが、さすが指揮者が指揮棒を台の上に置くまで拍手はでませんでした。その後に大ホールを揺るがすような拍手が沸き起こりました。
それぞれの舞台の拍手を思いながら胸に響いたものを持ち帰りました。  晴

* 能の場合、三役が、つまりは笛方が最後に幕に入ったところで、能一番の好演に感謝し静かに拍手を送るていどが、礼としても、許される限度だろうと思う。能舞台は、ただの藝能の演技・演奏とは本義を異にしている。超越した「翁」の、さまざまに姿形を変えた、「影向」の能なのであり、松羽目はただの装飾ではない。来臨の神のよりましである。神前の柏手は神の所為を称賛するのではない、来迎を促し頼むのである。その気持ちをワキが見所にかわって演じてくれる。
少なくもシテのひきあげる橋がかりや幕入りにもう拍手するのでは、幽玄また清明な舞台の感興を無惨に殺してしまう。あまりに無残である。感銘は見所の一人一人が胸奥に深くたたんで、感動に堪え黙して座を立つのが本筋の深切だとわたしは考えている。深い深い静かさからあらわれ、また深い深い静かさへと去って行くのが、能、ではなかろうか。
2007 3・7 66

☆ 3・8 鴉はお元気ですか。新たな模索が始まっていますか。
再び少し身体の調子が悪くて、今週数日は閉じこもっておりました。昨日メールを書いたのですが、ミスでうかと消してしまい、がっかりして・・今日は再挑戦?! です。
絵が描けて・・でも少しも余裕ができたと思えず、・・いけませんね。
辻邦生『背教者ユリアヌス』読み始めました。再々読になります。
小田実『終わらない旅』は読み終えました。これは以前読んでいらしたもの。フィクションであっても、べ平連のことや、さまざまなことを改めて理解するいくつかの手がかりがあり、分かりやすい。
いつのことか、もう記憶も定かではありませんが、成田で乗り継いでアメリカに行くとき、その搭乗口の待合室で小田氏を見ました。いくらか身構えるような姿勢、強さを感じました。そして彼の伴侶は(伴走者と彼は記していた?)毛皮のコートを着ていて、日本という場所では夫妻に何故か浮き上がったような寂しさを、その時わたしは感じたのです。本当に勝手な感想ですが。
『テヘランでロリータを読む』というアメリカに住む文学研究者のイラン人女性が書いたもので、イスラム革命以後のテヘランを知る手がかりにもなる興味深いものです。が、最後まで読むかどうか、まだ迷っています。
チベットに関する幾冊かの本も・・。
濫読はいけないと思いつつ。絵に向かえばたちまち本に向かう時間は少なくなりますし、やはりジレンマに陥ります。
ボストン君のこと。
彼の日記は彼自身にとっては記録、そして新しい環境での自己確認の作業ではないでしょうか。読む人にとっては未知のボストンへの、観光ではない視点からのアプローチ。わたしは再確認の旅をしているような感じがします。地名、お店の名前などが出てくると、すぐに情景が浮かびますし、もっといい所があるのよと言ってみたくなったりします。
全体からとても堅実な理科系の人の文章だと感じます。
花粉症、早く過ぎてくれるといいですね。くれぐれもお体ご自愛くださいますように。  鳶

* 『終わらない旅』は小田さんの代表作の一つに加わるのではないか。そうそう『ロリータ』が家にあった、映画は観たがナボコフの原作を読んでいないのは怠慢に類する。また楽しみができた。
バランスのとれた乱読は、むしろ自身にいつも奨めているが、このところ視力をかばい、就寝前のベッドでの読書を三四冊に減らしている。
2007 3・8 66

* メールアドレスがみな行方不明になったため、いまいちばん智慧を借りたいイチロー君とも、連絡がとれない。布谷君はもう海外青年協力隊に出かけていったはずだ。上尾君らとも、子松君とも会いたいのに、うまく巡り合わせがつかずにいる。
2007 3・8 66

☆ 各駅停車   雀
ここ数日の冷え込みに、今朝は雪が舞いました。お障りなくいらっしゃいますか。
お水取りが終わると奈良に春が来るといわれますが、今年は冬がなかったような感じです。ぬくい日が続き、更雀寺に行った日も朝から優しい春のこぬか雨が降っていました。
雨の春野―。想像の景色に背を押され「JRでゆく奈良・京都‐単線各駅停車の旅‐なンちゃってプラン」を実行してみようと思い立ったのです。
いたってのんびりとした出発で、玄関を出たのはいつもより二時間以上も遅い9:30。赤目、室生、榛原、長谷寺、桜井。
雨がやみ始めた山肌には蒸気が上がり、斜面にちらちら白梅が咲きこぼれる潤んだ春のいい景気です。
この区間はなにもせずに車窓を流れるひなびた隠国(こもりく)の景色をぼんやり眺めて過ごす、気に入りの旅の序奏。
桜井駅でJRに乗り換え、雲立ち渡る山々を右に見、三輪、巻向、柳本、長柄。そして、天理、櫟本、帯解、京終、奈良に到着。外観や内装など風情ある駅舎で知られる奈良駅は、現在新駅舎建設中で、埃っぽいホームのなかほどには、「今まで奈良駅を支えてくれた柱です」と、プラスチックで囲われた展示がありました。
その一方で、いつものように、月ケ瀬梅渓の宣伝用に改札口に据えられた盆梅が香りを漂わせています。
京都行快速列車を見送り各停に乗り込みました。
東側の窓はつぎつぎと山が移ってゆき、西側は木津川流域の平野がきりなく続きます。ほとんどが単線ということも一役買って、運転席の後ろから眺めていると、どの地方にいるのか、どこへ着くのかわからなくなりそうです。
平城山、木津、上狛、棚倉、玉水、山城多賀、山城青谷、長池、城陽、新田、小倉、宇治、黄檗、木幡、六地蔵、桃山。
どこで降りようか地図と景色を交互に眺めているうち、「つぎは稲荷」というアナウンス。京阪に乗り換えて出町柳から叡山電鉄へ乗り継ぐことにしました。
稲荷駅着12:34。出発から三時間…いつもの二倍です。いつもは私鉄利用なのです。
JR稲荷駅の改札を出て、視界いっぱい、料亭「玉屋」の建物が飛び込んできたのには思わず声が出ました。
青谷梅林は車窓からは見えませんが、線路ぎわにも梅を栽培する家が点在しているので、満開の花をしばらくの間楽しむことができます。藤森駅あたりでも梅がそこここに咲いていました。昔は梅渓といわれたそうですね。「深草大亀谷」を何と読むのか訊ねましたら、以前は「オオカミ谷」といっていたとか。
稲荷前のお店でいつものように雀の丸焼きをいただいて、京阪に乗り、出町柳で鞍馬行に乗り換えて、京都精華大学前駅で降りました。更雀寺は大学と反対へ畑の中を少し歩いたところにあり、焼き物でつくられた茶色い雀がたくさん置かれているなかお参りし、かたちを変えた“丸焼き”雀にフクザツな思いを抱きました。
Uターンして修学院で途中下車、送り火の“法”から“妙”へと歩いて、末刀岩上神社にお参りし、松ケ崎から地下鉄で今出川へ。今まで通り過ぎてばかりいた白峰神社へ。「桜井」のあとは「飛鳥井」と、バス通りをてくてく。サッカー神社になってるンですねぇ! そのあと小学校の前を通り、観世水を探してみたり、さまざまな西陣の店先を興味深く眺め眺め道を進みました。
そこここに立てられた解説板には、高師直屋敷のあった舟橋、後鳥羽院御所のあった五辻殿と書かれ、「人足パン」「五辻の昆布」といった看板も目にはいります。
茶くれん寺の交差点へ出て般舟寺に詣りました。ここから北野白梅町駅は近いようだから地蔵院の散り椿を見て嵐電で嵯峨へと考えていたのですが、交差点の時計は16:20。拝観はとうに終わり、町も灯をともし始めているころでしょう。足もそろそろ、やだやだをしています。
タクシーを拾って「京都駅へ」と告げました。

☆ 旅ののち。  雀
旅の途中、入手した冊子に、宇陀紙を漉くおじいさんの記事があり、帰宅してから『吉野葛』を出し、記事とともに読みました。
「旧一月十四日」を固守して行なわれている「国栖奏」は一度は見てみたい行事の一つで、今年は三月三日でしたから、三月二日のお水送りと両方は無理、でもこう暖かいのだったら見物するにはいい年だわと思っていたら、月が満ちるにしたがい、体調低下。そちらに気を取られて四日になって思い出しました。残念。
記事によると、第二次大戦前の国栖郷は、五月頃から春夏秋と三回養蚕をして、十月下旬に最後の繭をあげて、一段落した十一月からは紙漉きにかかるという、休みなしの暮らしで、しかも小半紙寸法の型で漉いていたため、1日600枚以上漉かないことには一人前に食べてゆくことができず、戦後は下市に入り込んだ割り箸産業が好況だったことや、価値観の変貌もあって、転業が相次いだとか。「次号へつづく」ですって。忘れずに入手しなければ。
滋賀の安曇川町へ出かけたとき、アンケートでいただいた「湖西・湖辺(うみのべ)の道」に紹介されていた『乳野物語』が手近なところに見つからなくて、図書館の地下室へでも訊いたら見つかるかしら、読めるかしらと考えています。  囀雀

* しばらくぶり元気な「てんじゃく」サンの囀りが聴けて、わたしもご機嫌。鏤められた、固有名詞たちが、きらきら光る。

☆ 「影向」の能  晴
能舞台への拍手のことについて、早速ご返答頂きありがとうございました。
能のことを殆ど理解していないのだと痛切に思いました。単に話の筋道や演者のことで、分かったり、感動したりの程度の見方しかできていなかったのです。
ワキのお役のことなども全く理解できていませんでした。
感銘を胸奥に深くたたむことの大切さ、それが尚一層感銘を深くできることになるのでしょう。これからはそのような見所の一人になりたい思います。
今朝は鶯の初鳴きで目が覚めました。
一昨年環状8号線が家の側を通り、隣接の神社の樹々も多く切り取られたのですが、例年通り季節に帰ってきてくれたようです。これから一週間ほどは楽しませてもらえそうです。
上手に鳴けるようになるともう聞くことができなくなるのが常です。春到来を喜んでいます。

* 鴬のささ鳴きが聴かれるなんて、うらやましい。
2007 3・8 66

☆ 滋賀県知事が安曇川上流のダム建設を認めたという報道を聞いたのは、半月ほど前でしたかしら。余呉の丹生上流にも新しいダムがつくられています。
丹生神社を訪ねた折、菅並まで行って引き返しましたが、あのまま谷の道をさかのぼっていくと夜叉ヶ池に至るのですね。
山にへばりつき、渓流に沿い、くねくねとはしる道が、昔にもどるように徒道路となり、田畑の真ン中を通したバイパスや、峠近くに掘ったトンネルによって、定規で線を引いたような突ッ通しの自動車道ばかりが増えてゆきます。
みちゆき、みちのり、みちすじなどない、点と点とを結ぶ差し渡し。
川が細くなる、岐れる、住居がまばらになる、農作業小屋、炭焼き小屋、そしてまた一戸建の家が見えてきて集落に入る、坂道を昇って、そして別の世界に降りる…そういう感覚はなくなり、タムケ、ドウソジン、サカガミなどの神からは疎遠に、点から点への移動をどれだけ効率よくできるかと、カネが神ばかりを招く、そんな道を走っているとだんだん荒れた気持ちになってくるので、疲れます。
広河原から久多あたりの景気が気に入って、この一年で三度訪ねました。
朽木梅ノ木から、久多、佐々里、美山町へ抜けたとき、朽木と美山町の道路が観光地として整備され過ぎていたため、久多の景色にとても感激して、その際時間の都合で途中で引き返した、久多河合から朽木への道が魅力的で惜しまれて、後日、そのつきあたりは小入谷という地名で山の向こうが遠敷と知って以来、気にかかってならず、先月末―お水送りの一週間前―ひさびさに冬気温となった朝に、思いきって出かけました。
ぱらぱらと降り始めた雨が京の町を一色濃く変え、北山は白く霞み、鞍馬は粉雪。その先はひたすら風と、降り敷く細雪でした。
花背、原地、広河原、能美、久多。こちらから行くと景色も道も自然にひなびて思ったより感激が起こらず、あれあれと思いました。鞍馬集落奥の景色に慣れたこともあるのでしょう。鞍馬寺界隈の景色しか知らない頃でしたら感激したと思います。
この記録的な暖冬でも、さすがに小入谷から小浜への山越え道は雪が凍って通れません。朽木の中心部へ出て鯖街道を北上しました。今津町の水坂峠も冬期閉鎖。トンネルの新道を通って若狭へ入ります。
朽木から若狭遠敷へ木地山峠を越す道もあるのですね。
熊の畑、木地山、中小屋。小浜市に入って、上根来(カミネゴリ)、中の畑、下根来、神宮寺。この下根来にある八幡社でお水送り神事が始まるのですが、このときは地元の方しか入れませんので、お参りをして、注連縄が張り巡らされた建物のまわりをめぐってお祭りを偲びました。
若狭市街からこの八幡社辺りまで、ごく最近大規模に道路整備と護岸工事がされたことがうかがえます。お水送りの鵜の瀬もハコモノができ、公園化され、重機を入れた工事がされていました。上根来はというと、入り口に廃校になったぼろぼろの小学校があるのに気を飲まれ、さらにゆくと景色はますます索漠として、新しく造成された集落の墓地に手の切れそうな墓石が立ち並んでいます。
人の気配も体温も、暮らしのきれはしすら感じられず、ひっそりと仙人や山姥が暮らしているほかは誰もいないような印象を受けました。観光地化されてゆく集落のすぐ隣に、このような滅びゆく落人の里といった有様があるのです。
神宮寺はお水送り祈祷中のため、二十日間拝観停止とのことで、閉じた門の前にたたずんでいましたら、法螺の音が聞こえてきて、仏具・神具・法螺貝が並んでいた内陣を思い起こしました。
また、若狭は庭園も見ものというお寺がいくつもあって、門前に白梅の古木が花をつけている風景など、本当に絵になります。けれど、いつもで
したら雪中に咲いて吹雪に耐えている花は、なんとなしきまり悪そうに見えました。
本堂は改修中、ご本尊は三月の東京国博企画展に貸し出し中につき拝観停止という多田寺。お留守だった法順寺。
気がつけば午後二時。みけつ国を訪ねながら、カニ脚一本口にすることなく、さらには四宇の社寺をあきらめて、黒川宿で昼食を摂って帰ることにしました。
特産の葛でとろみをつけたおうどんで、ほっと一息。
一昨年六月と今回。根を詰めて二回、社寺巡りをしてもなお、みうらじゅん命名の「仏ゾーン」若狭小浜は、とてもまわりきれません。 囀雀

☆ 帰宅して数日は、うかされたような、ふぬけたような有様で、思い出しては手控えをしていました。しばらく経って、そのメモなどをまとめ始めたところ、主な社寺の一覧表を作るまでしないとわからなくなって、それに二日費やしました。その代わり見落としていたことに気がつき、記憶と記録の整理という大収穫を刈り入れました。
なかで、若狭神宮寺が一年ほど桜本坊に武田元明をかくまっていたというのに目が留まり、若狭武田家と足利将軍、浅井・朝倉、京極高次まですっかりおさらい。
姉川の戦の時、元明十九才。1573年8月に朝倉義景が自害し、義景を裏切って生き延びた朝倉景鏡が翌年に一向一揆に攻められ自害。その間、つまり二一~二二才の頃、元明は若狭神宮寺で過ごしていたのです。
おととしは“お水送り”しか頭になかったのに、武田元明、木下勝俊、京極高次、遁れ追われて客死した足利将軍と出会い、旅がその後まで少し厚くなりました。
若狭湾は北からの潮と南からの潮が両方とも入り込む良港で、大正時代まで沖縄からの船が漁をしにきていたとか。実忠が神名帳を奉読して諸国の神々を勧請したとき、釣りをしていて遅刻した遠敷明神若狭彦(山幸彦)の本地仏が薬師如来で、若狭姫(豊玉姫)のそれが十一面千手観音ということで、そのテの仏像が多いのですが、“二十四面”千手観音というのを若狭で初めて見ました。
主な寺のご本尊には、ほかに、春日明神神託という大日如来、また、若狭武田家祈願所の阿弥陀如来、さらに馬頭観音がみられます。西国三十三所札所の中山寺から若狭にかけて馬頭観音が多いのです。
記録によると、小浜から若狭にかけては塔がいくつも建ち並び、たくさんの僧坊をかかえた寺が林立していたそうで、廃寺の本尊が脇侍仏になっているお寺が何宇かありますが、坂上田村麻呂創建の明通寺は、創建時から薬師如来の脇侍に降三世明王と深沙大将という変わり種。深沙大将像は国内に三躰しか現存せず、ほかは舞鶴市鹿原の金剛院と岐阜県揖斐川町谷汲の横蔵寺とのこと。うなずける位置です。
脇侍に強い明王像を持ってきたのは、武将ならではのキブンかなぁ、時代が降っているせいか、いかにも密教らしい造形だわと思って仏像を見上げましたが、若住職によると田村麻呂は、802年、蝦夷のアテルイが処刑された年にこの寺を、翌年、清水寺を創建したとのこと。
アテルイが陸奥国胆沢を本拠としていた人ということも、多賀城、胆沢城、衣川の戦、志波城、鎮守府など、知らなかったたくさんのことに出会いました。そして、奥州藤原氏も義経のことでしか知らなかったので、アテルイから260年後にどうしてかの地に藤原氏が栄えたのかと思い、清衡、基衡、秀衡、泰衡、安倍貞任、宗任、清原家衡、武衡、源頼義、義家に出会いました。
まったく発見ばかりでした。すべて。
奥州藤原氏が百年で滅んだことも‥。
帰り道、お土産を品定めしていて、鯖街道の由来から「外郎売」に出てくる「京の生鱈」は「めったにお目にかかれない」意味と知りました。
乾物・加工品料理が発展したわけ、魚と野菜の炊き合わせ文化が京で独自の洗練を遂げた理由、はもの骨きりが生み出された事情。はもだけは京まで運ばれて生きている強い魚だったので、それをなんとか生で食べたいという執念と研究が、あの骨切りを生んだとか。本当ですか?
また塗り箸の初は、若狭だそうですね。象牙の箸の中国。素木や竹を使い、折って使い捨てていた日本。その中間にステンレス製の韓国と、塗り箸の若狭。なるほどと思いました。  囀雀

* おみごと、囀雀さんの地誌。わたしは、とても楽しい。
2007 3・9 66

☆ 拝金文化   雄 ハーバード
前から思っていたのだが,アメリカには敬老の精神というものは,どうやらなさそうだ.いや,このラボには無いだけかもしれない.とにかく,年齢が上だから目上の人として扱おうという気持ちは微塵も無いらしい.
隣の席のデイヴィッドは中国系のまだ学部生だが,挨拶もゾンザイだし,実験の合間に居室に戻ると,自分の椅子に荷物を置き,僕の椅子に勝手に座って作業をし,僕が入ってきても平然としていたりする.
デイヴィッドに限らず,コーリーも僕に対しては明らかに目上とは考えておらず,対等か,場合によっては向こうが上といった感じだ.
僕だけが軽んじられているという訳ではなく,他のポスドクと学生を見ていても,その傾向は変わらないと思う.JCなどは大分歳上のはずだが,誰もそんなことは構わず接しているように見える.これにはJCの人柄もあるのかもしれないが.
僕が学部生の頃は,ポスドクや博士課程の学生といったらラボの長老であって,目上の人として接するのが当たり前だった.最近は日本でも変わりつつあり,以前僕が所属していたラボでも,大学院生がポスドクや助手にタメ口をきいたりすることも多かったので,徐々に変わりつつあるのかもしれない.それでもまだ,腹の中はどうであれ,年長の人を立てるという文化が、日本には残っていると思う.
しかし不思議なのは,そうやって年長者を敬う習慣が無いにも関わらず,バスや電車に乗っていると,足元がおぼつかないようなご老人が乗ろうとする時には,皆積極的に席を譲ったり荷物を持ってあげたりする.狸寝入りをする人間は日本の方が圧倒的に多い.敬老の精神が無いのに,こういう風に接するのはどういう訳なのだろう.
今日は大学院生のライアンが僕にちょっかいを出すようなしぐさをふざけてしたので,僕もふざけて「おいおい,もうちょっと俺を敬えよ」というと,「ここはアメリカだから年上だからといって丁重に扱う習慣はないんだよ.cionaは慣れないだろうけど,直に慣れるよ」という.
ちょうど良い機会なので,先ほどの疑問をぶつけてみた.ライアンは「一応,老人や身体の不自由な人に対してはそのように振舞う習慣があるんだけど,皆,腹の中では「使えない人」と思っているよ」という.なるほど,建前上は丁寧に接するが,腹の中は違うということか.
続けてライアンは、「ポスドクと学生も、そんなに変わらない.年齢が上だろうが下だろうが対等に接するというのが、この国のやり方なんだ.唯一違うのは、PI(研究室主宰者)になったときで,PIに対してはたとえ若くても,皆丁重に接するよ.結局は金の問題なんだよ.PIになると急に給料が増えるでしょ.この国では結局のところ価値基準は、金なんだよ,嫌なことだけど」という.
確かにアメリカでは、難関大学は概ね私立大学であり,ハーバードでもMITでも、日本では考えられないような法外な学費を払わねばならない.従って有名私立大学出身であるということは,そのまま親が金持ちであることを意味している.勿論,種々の奨学金もあって,優秀だが貧しい人にも門戸は開かれているだろうが,多くの学生は裕福な家庭の出身だろうと思う.
したがって,日本と違ってアメリカでは学歴イコール裕福という単純明解な図式があるのだろう.
日本も学歴が偏重されるのは,将来有名企業に就職して生活が安定するから,という理由が大きいのだろうが,一方で「頭が良い」ということに対して或る程度の尊敬が払われている部分もあると思う.
金で全てを判断するというのは、極めて単純明解である.あまりに単純明解すぎて,僕など、ついていけない.少なくともポスドクだからといってぞんざいに扱われるのは良い気はしないが,まあ仕方が無い.

* 興味在るところへ「雄」くん、踏み込んできた。これに、やはり海外に学んでいるらしい人の「コメント」があり、「アメリカは結局エリート家族はエリートになるべく、貧乏に生まれ育ったら貧乏から抜け出せない、限りなく一握りの人たちがアメリカンドリームをつかんだときに『ほらアメリカだ』ともてはやされているように見えます」と感想を結んでいる。こういう「アメリカ」にかぶれた、イカレた小泉純一郎タイプの政治家が増えてきて、「格差」容認の環境が上から押しつけられ始めているのが、今の「日本」ではないのか。
そして、そういう「日本」に、こういう「日本」は根付いている。
2007 3・10 66

☆ みぃ   雀
今日は琵琶湖びらき。皇子山の桜が満開だそうです。
熊川宿の食堂で、おうどんができあがるのを、北風にさらさらと雪が流されてゆく窓の景色を眺めながら、ぼんやり待っていましたら、点け放しのテレビから「継体天皇」と聞こえたのではっと画面に目をやりました。
福井県三国で大きなイベントが予定され、郷土出身の天皇とアピールするため、紙芝居で地元の子供に教えたり、山車をこしらえたりしているそうです。
近江安曇川の南が三尾一族、北は角山一族の本拠ということでしたね。川から南下してゆくと、まず、振姫が三人の男子を出産したという三重生神社があって、猿田彦を祭る三尾神社旧跡があります。このあたり、かつては「産所村」、現在は「陵」というそうです。続いて彦主人王墓、スサノオと稲田姫を祭る田中神社。三つ巴紋の式内箕島神社の南が、安曇川町三尾里。ここを流れる川は御殿(ゴンデン)川というそうです。安閑神社と胞衣塚(えなづか)は残念ながら見つけることができませんでした。
鴨川にかかる天皇橋を渡った先が、高島町宿鴨。ここに三つ鱗紋の志呂志神社が添う稲荷塚があります。さらに南へ進むと巨石が累々と池を取り巻く水尾神社。その南に嶽山が秀麗な姿を見せています。白蓮山長谷寺。嶽観世音とも書かれていて、長谷寺の十一面観音像と深いつながりがあったのですね。朽木の蛇谷ヶ峰、嶽山、白鬚神社が直線上に並ぶのも神秘的です。
近江国高島郷の神である三尾明神が鎮まるところが、三尾が崎。継体天皇の頃、洪水が起こってここから楠の大木が湖水へ流出し、お告げによりその材で長谷寺の観音像が造られたとか。その大木が大津の浜に至る時に、忽然と三匹の小蛇が木から這い出し陸に上がり、西の山を望んで去ったというのが、園城寺町鎮座「三尾神社」。長等山に三尾谷があり、疏水取り込み口の名が三保ヶ崎なのですねぇ。
さて、巨木は七二○年に初瀬の東の峰(与喜山かしら?)に引き上げられ、七二四年に即位した聖武天皇から勅許を得て、七二七年四月八日に開眼。モデルとして出現した観音も楠の像に変わり、海難事故が多発して漁民の命が失われていることに心を痛めた徳道上人は彫った一体を海に流します。それが七三六年に横須賀に流れつき鎌倉の長谷寺となった、とのこと。伊勢の丹生にある近長谷寺ではこのとき観音像は三体つくられ一体がこの本尊といいます。
さて、現存の長谷寺本尊は一五三八年に造られ、一六五○年には現本堂が造営されます。新本尊が安置されて百五十年後の一六八八年、芭蕉は「春の夜や籠り人ゆかし堂の隅」と吟じました。二十年前、二十四才のときは、「うかれける人や初瀬の山桜」でしたのね。
明日は一転、真冬の寒さが戻るといいますからおん身どうかお大切に。 囀雀

* ありがたいレポート。湖西の地誌ないし歴史に照らして此の具体的な名辞の紹介はとてもわたしの力になる。この真似だけは誰にもできない。

☆ 卯の神  雀
秋も終わりという頃、堅田の本福寺や祥瑞寺を訪ねたあと、伊賀で入寂した真盛上人をたどって西教寺へ詣り、明智光秀一族の墓に肝を消して、三井寺の観音堂へ足を運んでみようと思いたちました。
日吉大社門前のお蕎麦でお昼にして、坂本駅から電車に乗ろうという心づもりで歩いてゆくと、バスの団体客が門前町にあふれています。
客待ちのタクシー運転手さんから、「少し遠いけど円満院の前の蕎麦屋はおいしい。行く価値はあるよ」と言われて、食いしンぼ雀は駅へ急ぎました。
そのお店に着いたのは二時をかなり過ぎた頃。休憩に入る店もありますから恐る恐る引き戸を開け、
「あの、お蕎麦、まだありますか?」。
「大丈夫ですよ」
黄味がかった明かりと奥様のやわらかな声音にほっと店に入りました。
「桜の時はご予約いただかないと…けれど、そのほかの時期は、もういつもこんな具合ですからいつでもどうぞ」とお笑いになります。こぢんまりとしたお店に雀一羽。
「そんなに違うンですか」
「ええ。花は三井、紅葉は日吉と、はっきり分かれますの」
「いまその日吉から、あまりの人に、こちらへうかがったンです」
「まぁ、それはそれは。混んでましたでしょう? どうぞごゆっくりお休みになってください」
おいしいお蕎麦と蕎麦湯にすっかり伸びやかな気持ちになって、足取り軽く観音堂へと歩き始めました。御陵の方を歩いたり、長等公園や関寺の方へ歩いたり、うかつにも観音堂や観月亭はこれまで行ったことがなかったのです。十一面観音を本尊とする長等公園西の微妙寺が園城寺境内に移されたと聞いたことも気に掛かっていました。仁王門を阿星山西寺常楽寺と重ね合わせて眺め、鬼子母神堂の前を通り、境内案内図を確かめて、駐車場にさしかかったところで、“真向き兎”の紋と「卯年生まれの守護神三尾神社」とあるのにびっくりして、急いで鳥居をくぐりました。
手水鉢、本殿、至る所に石のウサギが蹲っています。この長等に三尾明神が出現されたのが、卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方と伝えられ、そこからウサギが神様のお使いとされたそうで、三尾明神はウサギをつかう神でもあるそうです。
西に伸びた坂道を400Mほど上った先には三尾明神の影向石があるとのこと。そこから微妙寺は目と鼻の先でしたし、観音堂もすぐに判りました。今までこの一帯をまったく見落として雀が遊山していたのは、善い出会いのときを待って導いてくださったのかもしれません。
「月さびよ明智の妻のはなしせむ」
芭蕉のこの句も以前でしたらこうも胸に訴えてこなかったでしょう。  囀雀

* 佳いエッセイになっている。

* 一仕事のあと、映画『ディープインパクト』の後半を観て、また感動。このあいだの『デイ・アフター・トゥモロー』もよかったが、今夜の映画は人間模様がいろいろによく描けていて、感動させる表現に富んでいる。芯にいる意欲的な新人キャスター役のティァ・レオーニが、やはり先日観た『神様のくれた時間』での好感度ともダヴって、しきりと胸をゆすった。
こういう、いまや少しも荒唐無稽ではない「地球終末の危機モノ」に強く心惹かれるのは何故だろう。もうもうあんまり情けない、張りのない人間社会がいやさに、同じならこういう絶対的な人類危機のなかへ溺死してしまいたいようなヤケクソが起きるのだろうか。
そういう良からぬ荒廃へ押しやられそうな時、雀さんの行脚の記は、わたしをふと安堵へ掬いあげてくれる。
2007 3・10 66

* 例の SPAM MAIL を削除して、ナニも残らない。そういう朝は「マイミク」日記から、興味に触れてくる文章を拾い読む。生き生きと刺激してくれる一人は、ハーバード大で研究生活に入った「雄」クン。

☆ インパクトファクターとアメリカ文化    ボストン 雄
先日、アメリカには敬老の精神がなく,持っている「金」の多寡で人の値打ちが決まりやすいと書いた.今日はこれと似たことについて書きたい.長くなりすぎるので,明日にも「続き」を書くつもり.さすがに湖さんは鋭くて,ご自身のホームページで,僕の結論を先回りして書かれてしまったが.
学問の世界でも,インパクトファクターというものがある.「その雑誌に載った論文が、平均して何回引用されるか」ということを指標に,各学術雑誌を評価する数値で,アメリカのThomson Scientific社という会社が毎年発表している.生命科学の分野では,Nature, Science, Cell が「トップ3」として君臨しており,それに続く形で色々な雑誌が並ぶ.中にはインパクトファクターが「1」を切る雑誌もある.すなわち,それらの雑誌に論文を掲載しても,一度も論文が引用されないということが大いにありうる訳である.
インパクトファクターは研究者にとっては非常に大事な数値であって,なるべくならば,インパクトファクターの高い雑誌に論文を掲載したいと,研究者達は考えている.よく引用される論文は,様々な研究の基盤になっていると考えられるだろうし,せっかく書いた論文なのだから,多くの人に読まれ,参考にして欲しいと思うのは当然である.
しかし,実際にはもっと現実的な理由から,インパクトファクターは重要な意味合いを持っている.
「ポスドク」ならば,インパクトファクターの高い雑誌に多くの論文を発表すれば「PI」になれるチャンスがぐっと高まる.既にPIになった人でも,多額の研究費を獲得するためには,コンスタントにインパクトファクターの高い雑誌に論文を出さなければならない.
しかしながら,インパクトファクターの低い雑誌に載った論文でも,その後の研究の流れで大いに価値が高まり,何度も引用される論文というものも、現に存在する.それに,インパクトファクターの値は,その学問の分野の「勢い」のようなものを大いに反映しているので,研究人口のあまり多くない分野であれば,なかなか引用されなかったりする.
そこで,僕が日本に居た頃は,確かにインパクトファクターの高い雑誌に論文を掲載することは大事だし,なるべくそのように努力はするけれども,インパクトファクターの低い雑誌でも、価値のある論文はあると教わってきた.
前置きが長くなったが,本題に入りたい.

今のラボのメンバーを見ていると,ボス以外の人々のもっぱらの関心はインパクトファクターにあるように思われる.
僕がラボに来て間もない頃,JC、が僕にどうしてこのラボを選んだのかと質問してきた.僕は、「このテーマの研究がどうしてもやりたくて,それをやれそうな研究室を探した」と答えたのだが,JCにはピンと来ないようだった.
そこでJCに、「どうしてこのラボを選んだの?」と聞き返すと、JCは「インパクトファクターの高い雑誌に論文が載せられそうだからだよ」と答えてきた.  さらに,聞いてみた。最近JCが投稿しようとしている論文は、医学寄りの内容なので,「JCは医学部出身なの?」と。
「いや違うよ」と答えるので,
「ああいう論文内容の研究をしているということは,医学的な興味があるからなのかな,と思ってね」と、僕。するとJCは悪びれず、
「いや,そうじゃないよ.だっていい雑誌に論文が載りそうじゃない? それだけだよ」と。
確かにいい雑誌に論文が載れば「PI」になりやすいし,給料も上がる.極めて単純明快だ.
しかし,学問って,そういうものだっただろうか? 正に、本末転倒なのではないのか?
JCに限らず,コーリーも各雑誌のインパクトファクターを,実に正確に,良く記憶している.あの雑誌はインパクトファクターはいくつだから「割に合う」とか,あの雑誌のインパクトファクターは低いけれども,この論文が出せると「グラント(研究費,助成金)にアプライできる」などということを、しょっちゅう話している.
僕の偏見かもしれないが,こういう物の考え方は「実にアメリカ的」な気がする.「数値化」することで,誰が見ても分かりやすい価値基準を作り上げる.実に即物的だ.そしてこの「分かり易すぎる価値基準」が,日本を,世界を,席巻しつつあるように思う.
僕が知っている或る研究室では,「インパクトファクターの合計がいくつ以上か」ということが博士号取得の必要条件となっていた.僕は当時,これを聞いて非常にクレイジーというか,偏差値世代の若い教授らしい発想だなと思ったのだが,アメリカではそれほどクレイジーな考え方でもないのかもしれない.
明日は,こういう即物的なアメリカ文化と日本との関係を書いて見たいと思う.

今日はこれから,ボストン交響楽団のコンサートに行ってくる.アルゲリッチの生演奏が聴けないのは残念だが,コンサートそのものは楽しみだ.

* 「アメリカ」という名辞を一度も口にせず過ごせる日が、年に一日も無い。それが日本の知識人や企業人の決まり切った日常だろう。だがその口にする「アメリカ」のなかみは、ま、おおかた符号か記号に類している。アメリカの主導した「グローバリゼーション」についても、語の表面の意味だけに反応して、とても良いこと素晴らしいことのように受け入れて片棒をかつぎたがるが、ひとことでいえば、いろんな豊かな食生活・食文化を持った各国に「コカコーラ」と「フアストフード」で上陸し、経済効果を口土産に席捲してしまう、実に「経済侵略効果」だけが意図の、味気ない「世界一律化」の勝手な国策に過ぎないというふうに理解すれば、だれが素晴らしいことと思えるだろう。しかし、それこそがアメリカによる「グローバリゼーション」の正体ではないか。
アメリカ方の価値観に、手もなく精神的にもイカレテしまっている代議士が、いかに日本の国会に多そうであるか、気がつかないだろうか。しかもわるいことに自他共に有能であるかに思っている若手に、そういう薄い軽い精神の持ち主が多そうなのが怖い。

* そもそも今本気で、アメリカは日本の同盟国であると信頼しきっている日本人が、国会の外の世間に、どれほどいるだろう。少なくもアメリカ人で、「日本」は利用するに「都合の良い国」ち思っている者が無数にいても、「国の運命や利害をともに出来る同盟国」と考えているような暢気な人は、ブッシュ大統領をはじめとし、おそらく一人もいない、建前ですらそんなことは胸の内に持ってはいまい。
今朝も安倍総理はテレビで「同盟国アメリカ」との関係を大事に思うと繰り返していたが、それは切なる願望として事実だろうが、其処どまり、であることにも実は情けなく気づいているのではないか。

* わたしの此の「日録」の読者、わたしの「著作」の読者なら、記憶していてくださる方も有ろう、わたしは外交とは、ことに「大国の外交」とは、「悪意の算術」そのものだと何十度繰り返し書いてきたことか。
大国と自認している国の誠意や親切が、いかに脆い紙衣に過ぎないかは歴史が明らかに繰り返し証明している。そういう基本の歴史的教訓にまなびつつ、わたしは、この日録「闇に言い置く」を書き始めて、ほぼ八、九年。
それほどの昔から、わたしははっきり繰り返し予想し懸念し続けてきた。すなわち、朝鮮半島、台湾を(ついには沖縄も支配下に)前衛に、極東「日本」を太平洋を背に完全包囲し強烈に圧迫して来るであろう「中国の覇権」意志、最終的にはその「日本」を中国への取引材料に自国利益を勘定高く計算する「アメリカの世界戦略」、そしてついには日本列島はついについに中国覇権の最良のリゾート地として、また工場として征服されてしまうであろう、と。
少なくもその懼れをバネに、よほどの外交と政治の舵を取らない限り、まさかまさかのジリ貧のうちに「日本丸」は海の藻屑と崩壊沈没するだろう、と。

* 嗤う人はまだまだ多かろうが、現にもう極東での「日本の孤立」を、普通に当たり前に口にしている連中は、マスコミに数え切れないではないか。
だが、つい先頃までは、信じられない話だが、そうではなかった。その背景に「日米同盟」という決して金に兌換されない紙屑並みの相互依頼心がバーチャルに鎮座していた。ああ、それこそを嗤うべし。

* では日本は今どうすればいいのか。わたしにその名案があるわけでない。どのような案を、策を、用いるにせよ国民にほぼ一致の危機感と、立ち向かう政治家に、宰相・大臣に、聡明な大勇猛心が、迂遠なようでも人間愛が、なければお話にならないし、そういう点に希望をもつには、今の小泉や安倍のタイプはサマにもならない。
そもそも安倍総理の理想とはナニぞや。あの岸信介を尊敬してその憲法改正の遺志を継ぐのだと。
岸信介がなにものであったか。国民の全てに悲惨と苦悶を強いた戦時経済の酷薄な謀略者だったではないか。あの戦時内閣の戦犯閣僚たる行跡から、もう一度も二度もわれわれは安倍総理の顔をしっかと睨みつつ彼の祖父のこと思い起こさねば。
「岸を倒せ」の国民的な叫びの前に倒された岸総理が幻想したのは、永世の日米安全保障条約」であったが、その名の下にいかに「アメリカ」は背信と高慢と強欲を繰り返し、引きずられて日本政府がどれほど繰り返し国民を愚弄するウソを塗り重ねてきたか、われわれは忘れたわけではない。
一にも二にも「アメリカ」依存の幻影に過ぎない国策を国民に押し被せておいて、今日の極東の孤立への道をつけたのが、平和憲法を憎悪していたであろう戦犯宰相の岸信介であった。安倍総理はその孫としてその祖父の「跡を継ぐ」と繰り返し公言してやまない。推して知らねばならない。
2007 3・11 66

☆ Yuja Wang    雄 ハーバード
日記は毎日1回の更新と決めているが,興奮が冷めぬうちにと思って,今日は2回更新することにした.
先ほどシンフォニーホールから戻ってきたが,Yuja Wangのピアノに全て持っていかれたといっても過言でない演奏会だった.
曲目はリムスキー=コルサコフのRussian Easter Overtureと、リムスキー=コルサコフの弟子に当たるストラヴィンスキーの交響曲ハ長調.休憩を挟んで、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番ということで,みなロシアプログラムだった.
アルゲリッチが演奏するはずだったのはベートーベンのピアノ協奏曲第一番だったが,キャンセルに伴い,演目も変わった.プログラムによればキャンセルの理由は病気とのことだ.心配である.
やはりキャンセルの影響か,空席が多い.僕の隣も空席だった.これは僕にとってラッキーだったが.
休憩前の演目に関しては,正直,もう帰ろうかと思ったほどだった.
ボストン交響楽団の演奏はいつもどおり素晴らしいし,指揮者のデュトワにも何の問題もない。だが,リムスキー=コルサコフの曲はまだしも,ストラヴィンスキーの交響曲はさっぱりだった.何故これが作品として上演に値するのか,良く理解できなかった.現代音楽に僕が疎いせいかもしれない.

休憩を挟んで,いよいよYuja Wangの登場.
浅葱色の美しいドレス姿で登場したYuja Wangは,いかにもアメリカ人が好みそうなタイプの美しいアジア女性で,まだ二十歳あどけなさが残っている.胸に手をあて,深々とお辞儀をしてから椅子に座った.
演奏に入ると,しかし、信じられない度胸の持ち主で,すっかりホールの人々をとりこにしてしまった.難癖をつけると,ちょっと耽溺しすぎるためにリズムにばらつきが生じ,オーケストラやデュトワは合わせづらそうだった.しかしこれは,この曲の抱える構造的な欠陥によるところも大きいと思うので,あまり責めることはできない.
実際のところ,僕はチャイコフスキーのピアノ協奏曲があまり好きではない.なんといっても第一楽章が長すぎる.しかも冗長という感じの長さであって,ピアノとオーケストラの連携も,いまひとつ決まりにくい.作曲直後に,ニコライ・ルービンシュタインに演奏を拒否されたのも,分からないでもない.
この構造上の欠陥を打破する方法は,「超スピード演奏」しか無いように思う.ホロヴィッツ(ピアノ)、トスカニーニ指揮、NBC交響楽団(RCA、 1941年5月、モノラル)の録音が残っているが,この演奏は,特に第3楽章は火がついたように熱狂的な演奏で,僕はこの演奏だけは好んで聴いている.
今日のYuja Wangの演奏は,ここまでとは言わないが,やはり第3楽章の盛り上げ方はすさまじかった.曲が終わると同時に,皆一斉に立ち上がって,歓声を上げて拍手したほどだ.僕もたまらず立ち上がって拍手した.
弾き終えたYuja Wangは,また元のあどけない少女に戻って,何度も深々と,胸に手を当ててお辞儀をしていた.オーケストラの人々も暖かい目で彼女を見ていた.
それにしても,すばらしい二十歳がいたものだ.演奏の造型が今ひとつではあるが,各所に見られるテクニックは並外れているし,ピアノの音もとても美しい.盛り上げる場所でのボルテージの高さは桁はずれている.
嫌らしいことを言うと,こういう中国からのスターが出る背景には,中国という巨大な「マーケット」を意識したものがあると思う.かつての小澤征爾が日本のマーケットをターゲットとして売り出されたように.
しかし,良い演奏さえすれば,そんなことは関係ない.是非これからも活躍してほしい.今後が楽しみなピアニストだった.

* 東工大の日々が嬉しかったのは、こういう学生がたくさんいて、思いがけず話題の広がることであった。それに対し、教授陣の内懐はかなり貧相で、カラオケ自慢が関の山かとよくガッカリした。卒業生の結婚式や披露宴に十回ほど招かれていったが、専攻学の先生をまったく招かない卒業生が何人もいた。驚いた。
2007 3・11 66

☆ 春の坂道   雀
今年の若草山山焼きは、台風なみの荒天のため順延となりましたが、翌日は嘘のような晴天で、月ケ瀬→忍辱山円成寺→柳生町→奈良市丹生町→山添村鍋倉渓 →山添村と、名張市にまたがる鵜山地区(島ケ原修正会の鵜宮、ひいてはお水取りとの関聯があるようです)とを、めぐってみました。岩と能のたびでした。勧請縄と仏像が印象に残りました。
明治時代、村をあげて神道に改宗した十津川村同様、熱い思いをもつ丹生町は真言宗から神道に改宗したそうで、集落には、「旧国宝」と彫られた石柱が鳥居脇に立つ丹生神社がありました。祭神は罔象女と植山媛で、一柱は、お伊勢さんが大嫌い、神楽が嫌い、獅子舞の翌日は必ず雨を降らすという禁祭神で、ここには祭礼がありません。
カグツチを生んで床に臥したイザナミの屎から生まれたのがハニヤスヒメ、尿から生まれたのがミヅハノメとワクムスビでしたね。植山って、埴山ではないかかしら。
柳生一族に親しみや興味がなく、紹介記事にいつも「平安時代の庭園、運慶作大日如来坐像」と書かれている円成寺にそれほどひかれていなかったこともあって、物見や見仏には疎遠でした。
ところが円成寺へ伺って初めて、もともとのご本尊は十一面観音で、今も三体が堂内に安置されていると分かり、欣喜。さらに、電灯で照らす不粋な方法をとらず、しかも仏像のよく見えるように工夫されているのには、仏像と同じくらい感動し、陰陽を表わした勧請縄が注連縄というのも興味深く見ました。
杉木立の中にひっそりと立つ古い十三重石塔は、於美阿志神社と同質同型だそうですし、石仏、石碑、石塔のなんと豊かなこと。お寺によると墓地はさながら墓碑の展覧場とか…。
また、丹生神社拝殿は茅葺きの能舞台で、ほかに何か所か回ったうち、拝殿が茅葺きの能舞台になっている社を、幾宇も見ました。題目立が残っていて、今も奉納が続けられ、ある社では室町時代の能面を六枚所蔵しているとか。このあたりも金春流能楽源流の地といってよろしいのでしょう。景色の好さとすこやかさ、和やかでのびやかな集落の景気、お社と拝殿の能舞台に吹く風が、民俗芸能という実感をもたらしました。
山添村の鍋倉渓や岩屋桝型岩、柳生の一刀岩。岩がご神体の神社や戸隠神社も目につきます。観光地図に名が出ているお寺に行ってみると、たいてい古い層塔や石仏がありました。玄ボウの開いた福智院の本拠、下狭川町から阪原への古い道路などは岩がごろごろひしめきあう渓流と、落石注意の岩膚にはさまれた軽自一台がかつかつという狭くうねうねとした道で、北は笠置山、西は岩船・当尾という地理をのみこみました。
ところで「当尾」は「撓野」、天理にある「桃尾」にも通ずる名付け、とか。そう聞いて、いっぺんに両方を憶えました。 囀雀

* 円成寺は、懐かしい。雀さんに手をひいてもらい、脳裏の旅を楽しんでいる。
「当尾」とあるのが、この私の、実の父方の里である。父の生まれた吉岡家は一帯の大庄屋だった。父の母は柳生から嫁いできた人とか。
当尾の里には、人にも廣く知られた磨崖の石仏群があり、近くに岩船寺や九体寺=浄瑠璃寺などがある。わたしが大人になってからただ一度吉岡家を訪れたとき、当時府立木津高校の校長先生をしていた叔父は、学校から急ぎ帰宅して、わたしをその二つのお寺や石仏や、父の墓などへ案内してくれた。
わたしの印象そして考えでは、「当尾(とうの=とうのお)」は、奈良の都の東北にやや遠く位置した「遠野」の意味ではないかと。
「野」は、日本の各地で人の果てて行逝く奥津城の意味を多く帯びており、「遠野物語」のあの遠野とかよいあう現世の他界的な明浄処なのではなかったろうか。

☆ 明日から三日間   雀
天満天神繁昌亭の夜席で、「四代目桂文枝追悼」の興行が行なわれるそうです。
NHKで、まだ小文枝時代の「百年目」(平成3年8月放送)を放映していました。「廓丹前」になさる以前の出囃子で高座にお出になるのを、雀は初めて拝見しました。
彼岸の天王寺、大川の花見、伏見の三十石船、天神祭の花火…(哀惜のあまり=)橿原より西に行けないまま、はや丸二年が経ちます。

* 落語の文枝の、雀さんは熱心な賛美者であった。文楽の或る人形遣いにも親しんでいた。文枝は佳い咄家であった。秦の父に面影がにていて、父を懐かしむように文枝のはなし、聴いたものだ。  2007 3・11 66

☆ 即物化する日本   ハーバード 雄
今日からdaylight savingになった.いわゆる「夏時間」で,時計の針を一時間だけ進める.夜型人間の僕には,朝起きるのが一時間早まったことになるので大変辛い.日本との時差の計算も,今までは十四時間であったが,今日から十三時間となった.従って,今まではこちらの時刻に「2」を加えて,午前と午後を入れ替えていたが,今日からは「1」を加えることとなる.慣れるまで少し時間がかかりそうだ.
さて,ここ最近の日記では,アメリカ文化は極めて即物的であり,「数値化」された,分かりやすいものが好まれるという話を書いた.
今日はこのことについて,最近僕が思うことを、もう少し詳しく書きたいと思う.
良く,戦後の日本をダメにしたものとして GHQの3S(Sports,Sex,Screen)政策が挙げられるが,「3S」こそ、まさに「アメリカ文化そのもの」ではないか,と最近僕は良く思う.つまりGHQは日本をスポイルしたかったのではなく,単に自国の文化を押し付けたかっただけなのではないか,と.
SportsとScreenは言うまでもないが,残りの一つに関して,最近特にそれを感じる.
JCやコーリーは盛んに、「ガールフレンドを作らないのか」と僕に言う.ラボの女性の名前を挙げては,彼女はどうだとか言う.以前にもこれと同じ話を書いて,僕の好みはアメリカ人には全く受け入れられなかったと書いたが,結局のところ,アメリカ人の好む女性というのは,スリーサイズで端的に分かるようなタイプであるらしい.
例としては,先日フロリダで変死したアンナ・ニコル・スミスのようなタイプといったらよいだろうか.あの事件はアメリカでは連日うんざりするほど放送されていた.彼女は「プレイボーイ」誌の元プレイメイトで,豊胸手術を受け,金持ちの老人とまんまと結婚し,莫大な遺産を引き継いだが,最近,謎の死を遂げた.彼女の遺産を誰が相続するのかという問題もあって世の関心を引いたのだろうが,豊胸手術を受けた後の彼女の写真は,まさに彼等が好みそうなタイプだと思う.そしてそうした好みはそのままそっくりセックスに結びついているようだ.異性のタイプはそのまま,いかに良いセックスができるかということであるらしい.
勿論,そんなことは女性の前では言わない.「愛」が大事だとアメリカ人は良く口にするし,実際,愛し合っていることを不必要なほど人前でもアピールする.しかし腹の中はそんなところであるように思う.どおりで離婚率が高いのも頷ける.
昔,「建前と本音」は日本の文化だと習った記憶があるが,あれは間違いだ.欧米人こそ,建前と本音を巧妙に使い分ける.
誤解の無いように書いておくが,僕は別にアメリカ文化を否定している訳ではない.そういう文化を持つ国があっても別に構わないし,そうした文化を好む人がいても,それはその人の嗜好であって,何ら責められるべきではない.それに,ここで書いているのはアメリカの文化の一面に過ぎず,評価できる点も決して少なくない.それらについては今後,折に触れて日記で書いていきたいと思う.
問題は,そういう文化が他国にもさかんに輸出されており,日本はその最有力候補になっているということだ.
日本には日本独自の,繊細で機微に富んだ文化があったと僕は思う.そして,それは守られるべき文化だったと思う.しかし,それが次第に姿を消しつつある.
先ほどアメリカではスリーサイズで女性の容姿を評価すると言ったが,最近の日本のテレビを見ている限り,決して他人のことは言えない.ホリエモンのように「全てのものは金で買える」と言うのは,まさにアメリカ文化の悪い部分をそっくりそのまま受け売りしているように見受けられるが,今の日本ならば,あながち外れてはいないかもしれない.
実際,多くの人がホリエモンに取り入り,時代の寵児としてもてはやした.今にして思えば,ホリエモンの有り様は「グレート・ギャッツビー」と重なるものがある.
全く個人的な意見だが,こういう即物的な文化の有り様は,食べ物一つをとっても良く分かる気がする.朝,鶏のえさのようなシリアルを食べ,昼食はサンドイッチかハンバーガー,ピザをダイエットコークで押し込む.そんなアメリカ人が即物的になることには,何の疑問も感じない.
同様に,コンビニ弁当をペットボトルのお茶で流し込み,夜中にカップラーメンをすする日本人が即物的になっても,それは致し方ないような気がする.さらに加えて,欧米の表面的な真似だけをして,「ゆとり教育」などという名のもとに若者をどんどん勉強から遠ざけてしまった.資源の無い日本にとって,人材こそが唯一の資源であり,そのために教育が果たしてきた役割は大きいというのに,だ.
最近良く感じるのは,アメリカに移る前も,ボストンに来てからも,多くの若者に生気が感じられない.目が死んでいる.彼等が聞いたら腹を立てるだろうが,すっかりスポイルされてしまっているように思う.アメリカに来て日本人と友達になりたいでしょう,と言う人もいるが,彼等と親しくなりたいとは,残念ながら僕には思えない.
それに,確かに平均的なアメリカ人は日本人と比べて働かないかもしれないが,アメリカのエリートは本当に働く.そのモチベーションが例え浅薄なものだとしても,実に良く働く.
騙されてはいけない.未だに「日本人はモノを作るにも,何にでも優れている」と思っている日本人は多いだろうが,それは日本人の驕りだ.かつて日本人は努力したから繁栄したのだ.努力を怠れば凋落するのは当たり前だ.
加えて,国立大学の独立法人化は正に暴挙だと僕は思っている.構造改革などという名の下に,教育・研究という,日本が削ってはいけないものを削ってしまった.大学を国がサポートすることをやめ,一時的に表面上の景気「指数」を上向けにしたところで,それが将来,一体どれだけの損失につながることか.独立法人化してから,旧国立大学や研究所がどれだけ研究しにくい場となったことか.教授達は、大学の運営に今まで以上に多くの時間を割くはめになった.研究の方向性についてもいちいち,それが将来何の役に立つのかを訴えなければ研究が継続困難な状況となっている.基礎学問が廃れ,応用ばかりがもてはやされるようになっている.
慶應義塾出身の小泉純一郎には,国立大学など何の必要性も感じなかったのかもしれない.竹中平蔵は一橋大学の出身らしいが,彼も慶應の教授を長年やっている.彼らは、慶應が日本のハーバードになれば良いとでも思っているのかもしれない.いずれにせよ,彼等はアメリカ型の「分かりやすい」格差社会を日本に持ち込みたかったのであって,「痛みをともなう」などと言っても,結局痛い思いをするのは非富裕層だけだ.小泉や竹中はちっとも痛い思いなどしていない.
僕は「日本」が好きだ.今はアメリカで研究をしているが,いずれは日本に戻って研究を続けたいと思っている.しかし,日本を離れ,アメリカという比較対象を得たことによって,今,はっきりと,日本の抱えている問題が見えるようになってきたように思う.何とかしないと「日本」はなくなってしまうかもしれない.日本に戻った時に,「日本」はもう無いかもしれない.
室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」という詩を思い出した.

* わたしは東工大の学生諸君に、毎時間かならず難問を呈し、わたし宛てに「あいさつ」を返させた。それで「評価」した。
卒業後もわたし宛に「あいさつ」を送ってくる人がときどきあり、それらはさすがに社会に出た彼や彼女らの充実を伝えてきた。
今日この「雄」くんの決然とした「あいさつ」はわたしを喜ばせる。現代の日本とアメリカとをとらえて、的確にわたしの思いに、実感に多く重なり合ってくる。だが、結論を急ぐまい。
それよりも、もし可能なら他の卒業生たちの呼応・賛否や批評・批判の「あいさつ」が聴きたいものだ。
ポーランドの柳君、国交省の丸山君、特許庁の上尾君、竹下君、三井化学の子松君、富士通の林君、スペイン通の河村君、NTTの田中君、サンケイグループの井筒君、博士になった古沢君、関口君、中野君、小川君、海外青年協力隊に鹿島立ちした布谷君、千葉県警の降旗君、塾講師でがんばっている西山君、トヨタの両角君等々、諸君はいま日本と世界とをどう観ているのか。
またバルセロナの岩見さん、母校や東大で博士として研究を続けている為我井さん、川口さん、IBMの道本さん東芝の富松さん、旭硝子の國峯さん、都文研の早川さん、日経の白澤さん、日建の宗高さん、主婦の堂免さん、和田さん、小川さん、藝大油絵に再入学した折戸さん等々、あなた方はいま日本と世界とをどう観ているのか、と。
2007 3・12 66

☆ 梅の花びら   雀
紅梅が咲き白梅が咲きこぼれ、花びらか雪かという按配です。お風邪などお召しになりませんように。
先週は五月、今週は一月…そんな気候の変わり方が3月らしいといえばらしいのですが、
「もすこし、なみに、おたのもうします」
と天に祈る心地でいます。
今日はお水取り。
NHK関西で、昭和六十二年撮影・放送の「NHK特集‐奈良・お水取り」が再放送されました。
奈良国博「お水取り展」で見たあれこれが、実際に使われているところ、伊賀市島ケ原の達陀を見物した経験、得た知識と映像とが結び付いて、おもしろく見ました。奈良で発行されている月刊誌「大和路ならら」で、この行を支える人々(世襲の職も多い)を知ったことで、隅にちらと映る物事や動きに歌舞伎座のベテラン大道具方や黒衣の役者連中の動きを思い出しもして、見おわって、
「やっぱり(先代の)松緑さんはスゴいわ」
とため息をつきました。
雀にとって、お水送りを含めた神事がほとんど取り上げられていなかったのは不満でしたが、松明など火はなにより強く人の目と心をひきますから、火と闇の映像が多く使われるのは仕方がないことでしょう。お水取りはたった一度、しかも夜中の一時過ぎに行なわれ、カメラ厳禁なのですから。
「お水取りといっても火の祭りなんですね」
といわれるというのも、もっともなことです。
お堂に登る練行衆の足元を照らす明かりでしかなかった“お松明”。
西面している二月堂の、北と南に出仕口があり、北に入る人を先導した松明を、そのまま消さずに南から入る人の足元を照らすため舞台を回っていたそうですね。のちに南の出仕口から入らなくなったので、舞台を回る必要がなくなり、四職の松明は北出仕口で消されていたそうです。
それが見物人の要望で松明をすべて舞台に上げ、さらには巨大化がすすみ、振り回すといった、いうたらショーアップが進んできたというのですよ。
何に対しても、昔からそうだった、昔からこうしてきた、在ったと思っていたら、いけない。
もう何度目になるかしら、また肝に命じた雀です。
ふだんはオール電化で、お休みの日にアウトドア・バーベキューをするオカシな火とのつきあい方を現代はしていますでしょう。たき火の明かりで見る梅は、花びらだけが浮き上がって見え、燈のもとでは神名帳に書き入れられた朱が消えてしまう。敦煌の石窟壁画もライトアップでなく燈で照らさないと描かれた本当の姿がわからないのではないかというはなしに、「灯ともしごろ」という言葉とともにすっかり「ともし」の感覚を失っていることを知らされました。 囀雀

* 気持ちが、しっとり静まる。
2007 3・12 66

☆ 三月十日  笠 e-OLD
東京大空襲だった。やめにしようと思ったが書いておくことにした。空襲は東京だけではなかったし、今も戦争は起きている。その時は、縁故疎開をしていたので自分たちは助かったが、近所の人たちも、親戚の人たちも、死んだ。
空襲の十日くらい後に、母親は焼けた浅草へ兄と私と妹を連れて行った。国民学校六・四・二年生だった。神奈川県の西端の田舎から東京まで汽車に乗った。4人分の切符を手に入れるのは容易ではなかった筈である。汽車の中で母は何度も般若心経を唱えていた。御徒町の駅からだったか、果てもなく黒い地面を妹の手を引いて歩いた。やっと着いた家の跡もただ真っ黒なだけで何もなかった。
父は徴用、長兄と次兄は海軍だった。母が何故それほどまでして焼跡を見せに連れて行ったのかよくは分からなかったが、残った三人の子供たちに何か覚悟をさせようとしたらしい雰囲気は感じた。きっと自分にも。
それから間もなくして母は、自分の帯で軍刀の袋を二つ作り、遠い兄たちの所へ届けに出かけた。幾日か子供三人でじっと留守番をした。

* B29の空飛ぶ轟音を、戦災にほとんど遭わなかった京都育ちのわたしでも憶えている。敗戦は一九四五年、わたしは数え歳十歳の国民学校三年生だった。世界はもうすでに第一次世界大戦を体験し、第二次大戦の大空襲に日本中が呻き喘いでいた。その重爆撃機の威力のせいぜい三十数年前に、ライト兄弟はほんのわずかな距離の試験飛行に、やっと成功していた。だがそれから数年も経つ経たぬうち、第一次世界大戦にすでに航空機は、戦闘機は近代戦争の相貌を根底から変えようとするまで実用化していた。
それから半世紀も経ぬ間に人間はあの月へ飛び、また地球へ戻ってきたのだ。なんということだろう。
めずらしくもないことを事あらたにわたしは何を考え感じているのか。あわてて書くことではない、ただ驚いている、しんから。
小説家としての二度目の誕生日をそんな機にわたしは迎えたということ。それを考え感じて、真実驚いている
2007 3・13 66

☆ タラバガニと電気生理学とハコフグと  雄 ハーバード大
昼食は久々に自作の弁当.昨日,Whole Foods Marketというスーパーマーケットに行ってきて,大量に食料を買い込んで来た.
このスーパーの生鮮食品は質が良いと評判だったので,前から行ってみたかったが,徒歩では無理だった.昨日,ようやく念願かなって車で行ってきた.車でならば,どうという距離ではない.
こちらに来て,スーパーマーケットの野菜の品質の悪さにびっくりしていたのだが,このWhole Foods Marketの野菜は瑞々しく新鮮.鮮魚コーナーにも足を運んだが,生で食べられそうな鮪の切り身なども置いてあったので,思わず衝動買いする.タラバガニも置いてあった.英語ではking crabというらしい.
ちなみに,意外に知られていない事実だが,タラバガニは、カニの仲間ではなく,分類学上はヤドカリの仲間である.きちんと脚を見れば分かるのだが,カニには左右に4対の脚があるが,タラバガニは3対である.
もっとも僕のような独身かつ貧乏な人間は,タラバガニ一杯を目にする機会は皆無だし,仮にあったとしても食い気が先行してしまうので,観察している余裕はない.
さらに付け加えると,実はタラバガニにも,もう一対,脚はある。だが非常に小さくて鰓の中に入っており,鰓を掃除する役割を担っている.腹を見ると,カニは左右対称だが,タラバは左右非対称で,これはヤドカリ類の特徴の一つである.さらに,カニは基本的に横歩きであるが,タラバは縦方向に移動できる.
それはさておき,新鮮な鮪を買って刺身にしようと思い,念のため「これは生でも食べられるよね」と聞いたら、「ダメだよ,焼かなきゃ」.
残念だが,仕方ないので,ヅケにしておいて今朝焼いて弁当に詰めた.他にもアスパラガスと椎茸をバター炒めにしたのだが,アスパラガスがシャキっとしていて美味だった.確かに他のスーパーより値は張るが,やめられそうにない.

午後,ボスとコーリーの3人でミーティング。今回は、自分が中心となって話せたと思う.
今後の方針としては,かなり大掛かりな方針転換をすることとなった.といっても研究の目的は当初と変わらず,手法が今までと大分異なり,電気生理学的な手法を用いたアプローチも取り入れることになった.
実は,アメリカに来る前に所属していた研究室には,電気生理学がやりたくて移籍したのだが,いざ移ってみたら全然関係ないことをやらされた.僕自身の興味を追究するという意味では,全くの回り道だった.
その後,電気生理学的なアプローチは諦めて,別のアプローチから同じテーマに迫ろうとして現在のアメリカの研究室に移ったのだが,皮肉にも,以前やりたかった電気生理の実験をすることとなった.僕には電気生理の知識や経験が充分ではないだけに不安はあるが,やりたかったことなので楽しみでもある.
もっとも,電気生理学実験はごく一部であって,光学的手法をメインにすることには変わりない.来る前に僕が提案していた実験のこともボスは良く憶えていて下さって,「そろそろこっちの方向からのアプローチも本格的に考えよう」と言って下さった.このラボにはまだ無い手法なので,他所に行って教わる必要があるが,それに関しても良さそうな候補を挙げてくださった.
僕のテーマは,このラボの主流からすると,やや外れている.それでもこれだけ親身になって,色々とアドバイスを下さるということに,とても感激した.実際に手を動かして実験するのを辞めてから大分経っているはずだが,アドバイスの一つ一つが実体験に基づいていて,非常に説得力がある.やることは山積みだが,また頑張ろうという気になった.

帰りはポータースクエアまで歩いてKotobukiyaで少し買い物.韓国料理のchochoという店に入ってプルゴギ定食を食べたが,なかなか美味しかった.最近プルゴギが食べたかったので行ったのだが,満足した.
店の前には大きな水槽が置いてあって,ハコフグやナンヨウハギ,カクレクマノミなどが泳いでいる.
実は,アメリカに来る1年程前から,僕はカクレクマノミをペットとして飼っていた.アメリカに移るに当たって,他の人に委ねてきたのだが,なんだか懐かしい気分になった.
水槽の大きさはかなり大きい.僕が使っていた水槽は縦横30センチの立方体型の小さなものだったが,それでも水量は10リットルにもなる.これだけの水槽ともなれば相当な重さだろうし,値段もかなりのものだろう.
店を出る際に店員さんに聞いたら,これはリースの水槽らしく,専門家が手入れしているらしい.どおりで綺麗だと思った.魚の種類も豊富だし,それらを共存させるのは,かなり難しいはずだ.
店を出る前に水槽の前で立ち止まったら,人懐っこいハコフグが僕の方に寄って来てくれた.また来ようと思う.
2007 3・13 66

☆ 先生の「私語」はよく読んでおります。最近で言うと、「行為はいい、行動はだめ」というのが引っかかっています。
昨年、松岡和子訳のシェイクスピア全集を沢山購入し、一なめしたところです。18年ぶりに読み直し、まさに「単刀直入」と言うにふさわしい、力強い物語の運びに驚かされました。また、エリザベス朝時代に、こうも王を哂う作品の数々を作ることができた、その王朝の懐の深さ、圧倒的な力に興味が沸いています。
一昨日、ちょっとズレますが、ツヴァイクの本(上巻のみ)を見つけ、キープしたばかりです。
仕事は、ここ二月、文字通り仕事して風呂入って寝るだけの日が増えています。
本は欠かさず読んでいます。読みっぱなしです。感想を書き留めておこうとおもいつつ、いつも寝てしまいます。消化しているのか、消費しているのか、わかりません。
最近で言うと、丸谷才一の『女ざかり』がとても可笑しく、一気に読みました。
新聞社の女性論説委員がある社説を書いた途端、不自然な異動をさせられそうになった…と、一見、社会派かと思いきや、最後には総理官邸でかんざしをもらう、という、人を食った筋書きが面白おかしく進み、しかもその中の寝物語で、日本論=日本は贈与国家である=という聞いたことのない論説が繰り広げられます。
その論説自体は、アニミズム信仰(モノに魂が宿る)を贈与という行為(魂の宿ったモノをあげて、もらう)に発展させたように感じました。
ただ、そういう論説よりも、様々な文体が駆使された(それでいて旧仮名使いにはこだわる)まさに文章のコメディという印象が強く残っています。
また、たまたま直前に、田中角栄に関する本を二冊ほど読んでいたので、ひときわ楽しめました。  森

* 「行為と行動」「感応と反応」などと微妙すぎる日本語になってバグワンのことばが伝えられるとき、わたしもとまどい、せめて原語が付記されていると有りがたいと思う。
行為はいいが、という時、腹が空けば食う、それは自然な行為で、エゴの所為ではないと説明できる。空腹ではないのに食欲に任せて食う、それはエゴの働いた行動で、自然な行為ではないと説明できる。この譬えは、わたしにはいつも耳が痛い。
藝術ないし創作行為にも及んでくる。力強く内側から膨れるように成ってくる創作と、遮二無二作りだしてゆく商売制作とは、異なる。差は在る。
夢中で「ペン電子文藝館」を立ち上げ、また充実させていたころのあのわたしの集中は、創作的な行為として自然だった。渇くので水をのみ、腹が空くので食べていた。しかし名誉心や成功欲にかられて取り組めば、ただの虚しいモノになる。肩書や地位を肩書や地位と意識せず、任務や責任に自然に応じて務めるのは自然な行為だが、実体に熱が失せていながら肩書や地位にものを言わせたがるのは、無用で不自然な行動だ。理事の名は受け取りながら理事会に全く出ず、理事として働かないなら、それは貪る行動であろう。そんな己れ高しとしている人は、しかし、どこの世間にもいる。
わたしは東工大のとき、学部の教授会には、事実教授就任と定年退任のあいさつ以外にほとんど出なかった。その時間は学生たちとの面会にあてていた。肩書きも地位もその方が内実を得たから。東工大の全学や学部の教授会でわたしの果たせる仕事は無にちかい。しかし学生とすごす時間には何かしら伝えることも逆に与えられることも有って、満たされた。ためらいなくそっちの行為をえらび、あっちの行動は合法的な手続き、欠席通知を出しつづけて、遠慮した。
2007 3・15 66

☆ 夏時間   ボストン 雄
今日は週に一度のプログレスレポート.担当は中国人学生のジュリュウ.用事があるとのことで開始が遅れると昨日連絡があった.おかげで遅めに起きても間に合った.まだ夏時間に慣れない.
ジュリュウは抜群に数学ができる.今日はデータが何もないからといって、データ解析の話をしたのだが,大学以来久しぶりに行列・一次変換の計算をした.数学は理解できるのだが,数学の専門用語を英語で何と言うのかが分からず,内容も生物学とはかけ離れていたため,聞いていて辛かった.コーリーなどはしびれを切らせて,途中で逃げ出してしまった.
昼食後にようやく実験に取り掛かる.
ボスからの指示で,或る色素を試してみたのだが,意表をつく結果だったので驚く.本来の結果からすると失敗なのだが,もしかすると何かに使えるかもしれない.
電気生理実験に関しては,意外にもJCがエキスパートであることが分かった.このラボに来る前は電気生理を専門としていたらしい.相談すると,「今あるセットアップでできるから,すぐにでもできると思うよ.後で相談しよう」と言われる.みんなに話すと,「JCの英語を理解するところが一番大変そうだね」と言われる.確かにその通りかもしれない.
7時少し前にラボを後にする.まだ外は明るい.先週までは5時台だったのだから当たり前だ.こんな時間に帰途につくのなんて,一体いつ以来だろう.嬉しいような,ちょっと後ろめたいような.
まだ身体も頭も、夏時間に慣れていない.

* 「森」君の、「雄」君の、こういうメールをもらうのがわたしの幸せである。好奇心も共感も自然に沸く。「今・此処」の実感が伝わってくるからだ。
* 昨日、食事しながら妻が言った。「月をさす指は、月ではない。けれど同じ一つの月をさす指は、無数にあるわよ」と。その通り。指の一つ一つがどんな指であり得るか。その指次第だ。

☆ ちょっと冷えますね。異常に温暖でしたから、寒くなって少しほっとします。
きのう今日と、リビングのシアターシステムのリアスピーカースタンド(壁に設置)を、壁と同じ白に塗り変えました。
黒だったので、浮いて見え、気になっていました。筆でアクリルカラーを塗ったので、いかにも手塗り、という風になってしまいましたが、離れて見れば壁になじみ、よかったな、と。
家のことは、(出来上がってからも)ちょこちょこ、あります。
でも、それはそれ。いつも風を想っています。
きのう、フローベール関連の文献をたくさん図書館から借りて来ました。分厚いのが、いっぱい。
こんなときですが、『ドン・キホーテ』が読みたいので、文庫の一巻目を借りてきました。こちらはゆっくり読もうと思います。
ピカソのシルクスクリーンのポスターに、『ドン・キホーテ』が通販でありました。買おうかな、と考えています。ほかにも、ペンギンやフクロウなど、かわいいのがあります。
ピカソは好きで、飾りたいと思うけれど、刺激的なのもたくさんありますから、考えてしまいます。
他の画家のものも、好きな絵の前では、わたし、ドキドキします。ドキドキさせてくれるから、それらの絵が好きなのでしょう。
でも、家のあちこちでドキドキしていては、休まらないな。 花

* 兼好法師に多くを聴いて育ったわたしは、家や部屋にものの溜まるのをいやしいと感じてきたのだが、いかにも抗するすべなく、本をはじめとし、ま、本は商売道具でもあるのだが、他に、貰ったり買ったりしてきた絵や工藝だけでもたくさんになり、自然と溢れていて必ずしも適切に遇せていない。申し訳ない。
せめて季節と場所をえらんでこまめに掛けかえるといいのだが、年々歳々の無精がつのりはびこり恥ずかしきていたらく。きのう衝動買いしたシャガールもどこで適切にひきたつのか、少し頭が痛い。痛いけれど楽しみだ。
カレンダーはたいてい美術ものをつかうので、その月々がすぎたあと、つい棄てるに忍びず作品だけがそのへんにふわふわ残される。竹内栖鳳の繪は、蛙でも猫でも、とてもすてるに忍びない。「お父さん」が描いてくれた繪もついいつも眺めていたく、狭い部屋の壁面を占めている。俳人荻原井泉水米壽の朱印も美しい「花 風」の二字額もわたしの身辺には欠かせない。「秦恒平雅兄一餐 井泉水」と添えてある。
2007 3・15 66

* 東京に初雪とか。観測史上もっとも遅い新記録とも。冷えている。

* 東京大学の倫理学、竹内整一教授、ひざびさ、早朝の懐かしいメール。ずいぶん永く専修大学時代十何年にもわたり『秦文学研究会』を主宰してくださっていた。竹内さんの配慮からときおり講演や原稿の依頼も来る。また「研究会」をやりましょうと。前回の『かくのごとき、死』にも触れてであろうか、新刊の『はかなさと「日本人」』でわたしについても書かれたらしい。親鸞仏教センターからの原稿依頼にも竹内さんの名前が出ていた。恐れ入ります。

* 『秦研』のつねに幹事役であった、わたしとは幾久しい原善くんと、竹内さんも連絡がないと書かれている。わたしももうずいぶん久しく善さんの噂も聞かず消息にも接しない。北関東の大学から、念願かない東京の武蔵野大学に赴任したとずいぶん前に仄聞した。武蔵野は前の女子大で、同じ旧保谷市にありわたしも昔に、教授の打診を受けてお断りしたが自転車で通えるほどの地元大学。
だがよほど忙しいのか、元気な原君の声をもうわすれそうなほど聴かない。綺麗な奥さん、二人のお嬢ちゃん、元気だろうか。
2007 3・16 66

☆ やっと『宇宙誌』がHPの記述に現れて、読んでくださっていると知りました。「文学的なことばかりでなく、こういう見方も・・」と「不遜なもくろみをもった仕掛け人??? 鳶」は、鴉の反応が楽しみです。
ほとんどの日本人にとって(絶対的な神を抱かない人にとって)、宇宙の誕生や進化論は、宗教の教えからくる呪縛や限定的肯定にとらわれないで読み進められる本です。
当たり前と思われるかもしれませんが。けれども、例えばアメリカは、意外なほど宗教に左右されている社会で、「進化論」を公立学校で教えるな、云々の議論が盛んですし、彼らにとっては此の『宇宙誌』も、おそらく、「とんでもない本、人を惑わせる本」の類に入るのではないでしょうか。新しい知識を得ると同時に、やはり世界観、人間観まで大きな影響がありますから。
わたしはもともとは生物や地質、宇宙に関する事柄に興味があったようです。が、如何せん、数学が苦手で、理科系の人間ではありません。時折科学の本を読み、テレビの科学番組もかなり丁寧に見ます。新しい発見には夢が膨らみます。数式や専門的なことは理解できなくても、凄いなあと・・携わっている人を尊敬してしまいます。
これはコンプレックス? 謙譲の心? 分かち難いです。
数日冬に戻ったような日が続いています。青春切符で琵琶湖一周に出かけたら、雪景色に出会えるはずですが、まだ身体を第一に考えてしまいます。と、言っても、自分で把握できる範囲での、ちょっとした症状で何も心配していません。甘やかしているのです。
近くの白木蓮の花が寒さに震えています。  鳶

* ほうと思った。科学的な事実や発見への、またその科学史への好奇心は、わたしにも強い。自分に不足した側面をいつも補えるようにと、知解しかねるほどの数学や理論物理学や天文学や、みな興味はたやしたことがない。そして感嘆する。
大学の一般教育でも「自然科学」という授業には興味をもって出た。テレビを観る楽しみの一翼に、科学番組は敬意や憧れとともに、ドラマなどよりも確かに在る。
贈られた『宇宙誌』はかなり分厚い文庫本。装幀がいまいちで、題もあまりそっけなく思えたのと東京大学の先生である著者になじみもなく、またフォント (字体)にも気疎かったので、ま、しばらく放ってあった。むしろ妻が興味をもつだろうと思っていた。
たまたま湯川博士の中間子論がわたしたちの生まれた頃ことでもあり、ふっと読み始めたら予想に反して実に読みやすい。たちまち赤ペン片手に読み進み読みふけり、もうずいぶん本が真っ赤っかになった。わたしに読まれる本は、歴史でも何でも白い綺麗な本のままには残らない。あとから読む人の意欲をそいでしまうほど真っ赤に傍線がひかれてしまう。ただ黙読より頭に入り、またの読み直しの時に傍線部分だけでも要点は斟酌できるので、やめられない。
いま、コンピュータのところへ来ていて、ま、わたしの最も近寄りたい、近寄りやすい記述である。
2007 3・16 66

* 懐かしいといえば、こんなメールも昨日夜遅くに届いていた。

☆ 細雪の女たち   春
寒の戻りで冷えてきています。連日のお出かけですが、お元気のごようすに安心いたします。
『細雪の女たち』(新潮社)をネットで見つけて注文していたものが今日届きました。
立木義浩の写真が見たかったのではなく、もちろん、細雪の女たちについて書かれた文章が読んでみたかったのです。これは大収穫でした。
『細雪』と蒔岡四姉妹についてこれ以上美しく捧げられたオマージュは読んだことがありません。若く美しい古手川祐子、吉永小百合、佐久間良子、岸恵子の姿を背景に頁をめくりながら本当にしあわせなひとときを過ごしました。
ご自身の書いたものを時々読み直したくなりませんか。われながら惚れ惚れでしょう。私自身の勉強のためにも、この本での湖先生の「読み」を少し書き出してみたくなりました。

谷崎潤一郎と『細雪』
長編『細雪』のすばらしさは、あらすじでは言いつくせない。しんしんと降る雪、しかしそれはまた絢爛の花吹雪でもある、そんな「ささめゆき」のイメージさながらに、四姉妹の日々の暮しを具体的に、次から次へ悠々と描き送ってゆく筆の運びに感動のいっさいがある。美しい姉妹は、ゆっくり旋回しながら、まるくまるくふくらむ”時空”すなわち”蒔岡家”がはらんだ過酷な運命を、それぞれに印象深く分担しているのである。

哀傷──散り伏す妙子
四姉妹の四女は、末の子つまり「こいさん」と愛称されているが、おそらく蒔岡家にしては妙な子でもあった。妙な子の妙子は、遅く生まれたがために亡き父の過剰な愛を一人受けえずに終った娘であり、それを過少の愛と当人もひがみ、姉たちも哀れげに思っているところにこの「こいさん」の幸のうすさや、とりとめない行動へ走る動機(わけ)が生じている。
……結局、親の愛を受けないで終った子は、浮舟がそうであったようにすさまじいめを見る。
……
妙子は、なかなか父親からの遺産を手にすることができない。妙子の哀しい苛ら立ちはいつもそこにあった。”遺産”は、やはり親の愛、娘にすればいくら過剰でもかまわない熱い愛だった。幸子はそれに満ち足りている。雪子はそれに殉じようとしている。そして長女鶴子は、父の愛と嗣いだ家の重さを均等に担いつつも、親が与えた夫の新たな運命に生きの行く末を賭けてゆく。
だが、妙子ひとりは、乏しかった親の愛に今も渇きながら、ずるずると姉たちの世界から沈んでゆくのだ。

逡巡──うつろう雪子
もとより娘が可愛さに、手放すが惜しさに、「たうとう父の手で良縁を捜して貰へなかった」三女雪子を、姉たちが再三再四の見合いのはてにやっと嫁がせる段取りになる。結婚させたい動機も容易に果たせない理由も、蒔岡の亡き父の過剰な愛に根ざしている。しかも当の雪子は渦中にあって冷然平然と逡巡に逡巡する。
……
雪子はたしかに美しい。が、美しい下に凄絶な不毛の肉体を隠してもいる。頑固に粘った、しぶとい根性も隠している。へこたれない神経と気力を隠してもいる。ものはよく見えている。人のいい幸子をあきれさせ、世なれた妹妙子に舌を巻かせるつよさを、楚々とした、嫋々とした物腰に隠しているのを、おそらく、一等ひよわい姪の少女悦子がよく察して心頼みにしているし、注意深い同情に愛恋の気をひめている義兄貞之助も、雪子がただの美しい女でないことを見ぬいている。そういう悦子や貞之助の気持を、雪子は、幸子の家庭における自身の強みとしてきちんと見通している。

駘蕩──咲き匂う幸子
『細雪』の世界は、譬えていえば風船玉の内側のように、ある閉ざされた状態(なか)に、物・事・人、が充満し渦巻いている。川のように流れ去る一般の時間からおのずとべつの、ちょうど花吹雪が久方の光に耐えて散りに散り続けている虚空のような世界にできている。たえまなく移ろい動いているのに、しかも永遠の相を帯びて変化を拒んでいる。
次女幸子はこういう世界に満ち足ろうた、文字どおりの女主人である。次女という安らかさのまま、亡き父の愛を満身に受けて人妻となった幸子は、蒔岡家の過ぎし栄華を、なお豊かに、寛(おお)らかにひきついでいる。あたかも春風の駘蕩として美しくもはかなく、しかもおやみなく物語世界に花を降らせる役まわりにある。しかも容易にそれとは人に心づかせないほど、幸子の配慮や発言は瀰漫し充満しており、その意味から言っても、幸子こそ『細雪』というまるくとじた時空にしかと蔽われた、とらわれの女王である。幸子がもし半歩でも外の世界に踏み出せば、そのまま『細雪』という生きた”球”体は破裂してしまうだろう。

遁走──翔び去る鶴子
格式ばった大阪の旧家「蒔岡」の本家に生まれた総領娘。妹たちには早くから母代りをつとめ、婿をとって家を嗣いでいる。そういう身の上でありながら、外の世界へ心は半分、いつしか身はそっくりはみ出ている、それが鶴子の運命である。
鶴子の出番は、幸子、雪子、妙子にくらべすくないにもかかわらず、貴女流離の物語に似た鶴子の身の振り方を大切に比較して眺めながら、京阪神の風土に根づいて生きる妹たち三人の『細雪を読みとって欲しいと作者は願っていたのにちがいない。
鶴子という家つきの長女は、余儀ない時勢の波にさらわれて、『細雪』の時間をはみ出てゆく。……

次女の幸子にくらべ、見ためは情けない弱い長女のようでいて、むしろ意志的に父の呪縛を夫もろともに抜け出したのだと言える。「鶴」はともあれ舞い立ち、翔び立つことで、暗転の不安から賭けの遁走を試みたのである。
作者谷崎潤一郎が鶴子の変容を、遁走をゆるしていたか、ゆるせたか。
だがすくなくも長女鶴子の、俗世間への仲間入りということがあって、はじめて幸子や雪子の世界がくっきり浮かび上ってくる。鶴子は大役なのだ。他の三人のいかにも美しいけれど不安をはらんだ妹たちにくらべ、鶴子一人がやんちゃの子だくさんに恵まれている境遇も意味深長である。平安神宮の枝垂桜や、吉兆の懐石のように贅沢ではなくても、尋常で健康そうな世間が鶴子の彼方にはひろがっている。

谷崎潤一郎は秦恒平という稀有の読み手に出逢えて幸せです。俄然『細雪』を読み直したくなってきました。
泉鏡花は「卵塔場の女」「ピストルの使い方」「河伯令嬢」「古狢」等々、凄まじいなあと溜息つきながら読んでいます。秦恒平は鏡花の遺伝子を濃厚に受け継ぐ作家と思うことしばしば。
わたくしもたくさん本を読んで楽しむ生活をするのみ。観劇は一人で出かけるのも気が重く、観劇のための着物など買ったりして。
京風の友禅も好きですけれど、渋い江戸小紋も好きで「静御前」という柄のもの一枚買いました。烏帽子と般若などの細かい柄がびっしり。小宮康孝の江戸小紋ですが、そこそこで。この着物に季節の桜の帯をしめてご一緒に「義経千本桜」を観に行ったつもり。
それにしても春は不安をはらんだ球体の中にいるのか、尋常な世間にいるのか……。時々わからなくなります。

* 目黒の雅叙園などあちこちで立木さんの撮影に立ち会い、綺麗な女優たちの演戯するあですがたも間近に、みたり、立ち話したり。吉永小百合さんは一等早くにわたしの『慈子』をラジオで話題にしてくれた人で、いろんな折に顔を合わしてきた。いつも折り目ただしくしかも少しも気取らないむしろ気散じな女優さんである。
市川昆監督の映画とタイアップの、綺麗に華奢な写真集に、要領よくいろんな記事を書き入れねば成らず、そのためにかえって「趣向」も出来、大胆に、言葉数は少なく芯に当てて書く楽しさを味わった。短い、しかも話題はあれこれバラついた内容だが、『細雪』の女たちの魅力と問題とを思うまま書けた。あの写真集がまだ手にはいるのかと驚いている。
2007 3・17 66

☆ 恒平さん  京
一月頃から職場で難しい日々が続いていました。週末の気分までスポイルされるなんて、とても久しぶりのことです。
でも嬉しいこともありました。*君とコンタクトがとれ、*子さんとも知り合いになれました。この二人のことは、何度となく恒平さんにお尋ねしようと思ったのですが、私の「同窓」への拘りがずっと邪魔をしていました。しょうもない拘りです。みんな、恒平さんのおかげ、恒平さんはキューピットだなあと思います。二人と言葉を交わしたことで、私の東工大が一気に健康になった気がします。いえ、健康になったのは、この私かもしれませんね。
転職を考えて、先日、面接に行ってきました。東京の大企業ヨーロッパ社の、行く末は営業も期待される新しいポストです。目の前にぶら下がるにんじんのようでした、が、それが、違うのです。
面接を終え、建物から吐き出された私には、その企業で働くことがなぜか「後退」と感じられたのでした。
私は、そこで我武者羅にエリートたちと働くためには、決して知ってはならないものを知ってしまった。夫と毎日食べる食事を、毎夜寝具を共にすることを、仕事の後の時間を、無駄なおしゃべりを、時計をもたないことを・・・
私には、井上靖「おろしや国酔夢談」の、身を捧げた甲斐あって、難破先のロシア帝国から十年ぶりに母国の土を踏んだ主人公の気持ちが、思い出されたのでした。
『氷雪のアムチトカ島よりも、ニジネカムチャックよりも、オホーツクよりも、もっと生きにくいところへ自分は帰って来たと思った。帰るべからざるところへ不覚にも帰ってしまったのである。この夜道の暗さも、この星の輝きも、この夜空の色も、この蛙や虫の鳴き声も、もはや自分のものではない。確かにかつては自分のものであったが、今はもう自分のものではない。前を歩いて行く四人の役人が時折交している短い言葉さえも、確かに懐かしい母国の言葉ではあったが、それさえももう自分のものではない。自分は自分を決して理解しないものにいま囲まれている。そんな気持だった。自分はこの国に生きるためには決して見てはならないものを見て来てしまったのである。アンガラ川を、ネワ川を、アムチトカ島の氷雪を、オホーツクの吹雪を、キリル・ラックスマンを、その書斎を、教会を、教会の鐘を、見晴るかす原生林を、あの豪華な王宮を、宝石で飾られた美しく気高い女帝を、―なべて決して見てはならぬものを見て来てしまったのである。』
尻切れトンボですが、今日はこれで送信します。また近いうちに、お便りできると思います。
恒平さんのこと、毎日心に留めています。 京 京

* この対比は微妙にフクザツであり、京は、また思案を深めてしらせてくるだろう。

☆ ここにも松たか子ファンはいます  卒業生
私は普段,あまりドラマや映画を観ないので,松たか子さんの演技のことは知りませんでしたが,先生の文章を拝読していて,そんなに優れた女優さんだったのかと感心しました.私はただ,バラエティー番組などで出てくる松さんが,「これぞ日本を代表する美人」といった風貌にも関わらず,気さくなお人柄なので好印象を持っていました.
先生の日記には,松さんとお父様との「往復書簡」というものがたまに出てきますが,これは何かの雑誌に掲載されているのでしょうか? 松さんのホームページなども覗いて見ましたが,ドラマや映画,歌などの告知だけで,文章は載っていませんでした.どんな文章を書かれるのか,興味があります.ペンクラブ会員になられたら,ペンクラブのページに作品も掲載されるのでしょうか? 楽しみです.
松さんの演技は知らないのですが,お父様の歌舞伎は拝見したことがあります.私が愛知県に参る直前の,2002年の3月でした.演目は『俊寛』でした.仁左衛門の演ずる『十六夜清心』と併せて上演されていました.
もう東京を離れるのだから,と,思い切って奮発し,良い席のチケットを購入しての観劇でしたが,花道のすぐ脇で,大変楽しめました.先生の日記を拝見していると,毎月のように歌舞伎をごらんになられていて,うらやましい限りです.今度は『義経千本桜』の後半でしょうか.楽しみにしております.
ちょっとミーハーな内容なので,気恥ずかしく,こっそり書かせていただきました.失礼しました.

* 往復書簡は「オール読物」に毎月。まだ当分は連載される。きっと本になるでしょう。松さんは『松のひとりごと』(朝日新聞社)はじめ、プロの大勢の小説集に「解説」したり、ベスト・エッセイ集に採られたり、エッセイストとしてもプロ級の質の高さと執筆量がある。往復書簡は父幸四郎の胸に敢然ぶつかって、おおらかに真摯な佳い文章と思索を開陳している。『ラ・マンチャの男』の舞台でも証明されているように歌唱力もある。批評性の濃い写真も撮れる。ただの贔屓目で会員に推したのではない。この人、『うちのわんこは世界一!』の犬派。同題の朝日文庫に「特別寄稿」している。『うちのにゃんこは世界一!』という本もあるのかな。わたしは書きたくない。
2007 3・17 66

☆ JC先生   ハーバード 雄
天気予報どおり,朝11時過ぎ辺りから雪が降り始めた.時間を追うごとにどんどんと強く降る.ここ最近,暖かかったので油断していたが,やはり甘く見てはならない.この冬でも一番の降雪量になるのではないだろうか.
今日はJCに、電気生理用のマウス組織標本の作製法を習う.以前,コーリーから習ったことはあったのだが,その時もあまり良い出来ではなかったし,それを真似してやってみたものの,やはり全然うまく作れない.
本当は昨日からのはずだったが,何時まで経ってもラボに現れないので,諦めて他の実験を始めた.JCは予定していたことをスッポかす常習犯なので,今更驚きはしない.前もって別実験も計画しておいた.
今日は,まず初めに自分のやり方でやってみせてくれ,と言うので,自己流で標本を作った.やはりひどい標本になってしまった.JCに見せると,確かにこれはひどいね,ということで,JCの標本作りを、実体顕微鏡下で見せてもらうことにした.
手先が恐ろしく器用だ.驚くほど的確に,神経線維を取り出し,必要な箇所のみを残して,筋肉などの余分な組織をハサミで取り除いていく.少しの迷いもないし,出来上がった標本も完璧だ.見事だった.いつもは女の子の話しかしないJCだが,やる時はやる男なのだ.
ただし,英語は本当に分かりにくい.
他のネイティブスピーカーの会話ですら,時折2,3度聞きなおすことがあるが,JCの場合は3,4回聞いても全く聞き取れないことがある.ただでさえ発音が不明瞭な上に,合間合間に突然女の子の話や下世話(下ネタ?)な話をしてくるので,急に話が切り替わったことが理解できない.散々聞き直した挙句に下世話な内容だと,怒りを通り越して疲れてしまう.
しかし,一緒に実験をしたことで研究の話になり,僕がここに来るまでにやってきた仕事の話などをした.バックグラウンドが近いせいか,向こうも興味を持って話を聞いてくれ,いつになく真面目な話になった.
遅めの昼食を済ませてから,別の実験に取り掛かる.暇な時間に外を眺めると,雪は益々激しく降ってきた.
確か今日は,日本で知り合いだった方がポスドクとしてこちらに来られる日.無事に飛行機は着陸できるのだろうか? 選りによってこんな日に来られるとは,気の毒だ.
帰れなくなっても嫌なので,6時半に実験を打ち切って帰途に着く.ちょうどJCも帰るらしく,上着を羽織って廊下に出てきた.
「こんなに降っていて,帰れるかなあ」と僕.
するとJCは、「だから,彼女が近所にいればいいんだよ.ところで,お前はどういうタイプの子が・・・」
どんな話題でも強引に女の子の話に結び付けてしまうJCには,或る意味,感心させられる.

* おもしろい。こういうおもしろさは、なかなか、筋金の入りすぎてお硬いエッセイストには出せない。
2007 3・17 66

* 竹内整一さんの『はかなさと「日本人」』の冒頭に、いまどきの小学生中学生にアンケートして、自分の生きているうちに人類が滅びると思うかと尋ねると、六割ほどもイエスと答えるらしいと、ある。もう以前のはなしだが此のアンケートを報告していたのは、わたしの甥の黒川創だと書いてある。
小・中学生に問うにはムリな質問ではなかろうかと、わたしも思う。それでもなお六割が早晩人類は滅ぶであろうと子供ごころに言いうる背景が現に在るということは、小さな問題ではない。竹内さんは現代の「無常」に問いかけている。

* 竹内様  新刊のご本を頂戴し、あとがきも読みまして懐かしさに胸を濡らしました。農学部前でたまさか出会って、もう何年が経ちましたことか、日頃支えて頂きまして、答案を提出する心地で「湖の本」をお届けしてきましたが。
昨年は孫をはかなく死なせるという痛い目に遭いました。生にも死にも、日々の、もの、こと、ひとの送迎にも、「はかなさ」はつきまとい、しかも厚顔に図太くも居直ったザマを、見て、見せて、過ごしているていたらく、わらうにわらえない始末です。
この数年、もう少し永くか、わたしを捉えて悩ましてくれる思念は、「抱き柱はいらない」ということと、「果たして可能か」という高慢なものです。この物思いのまま、終焉に、はたして「間に合う」だろうかと、堪えるように居ます。親鸞仏教センターから、竹内さんの名前にもふれながら原稿依頼がきました。死なれて・死なせてといったことで話せということのようですが、今も抱いたこの難問へまで筆が及びうるであろうかと歎いています。
またお目にかかる機会もやと願っています。ご本、よく読ませていただきます。心よりお礼申し上げます。お大切に。
原善君、消息に触れず多年を経ています。    秦 恒平
2007 3・18 66

☆ St. Patrick’s day    雄
今日は土曜日だが,ここアメリカはSt. Patrick’s dayという祝日.
こちらに来るまで全く知らなかった祝日だが,アイルランドの聖職者Patrickの命日を記念した祝日らしい.
ジャガイモを主食としていたアイルランドでは,1845年から1849年の間にジャガイモの疫病が流行し,約200万人もの人々がアメリカやその他の国々へと移住したのだそうだ.ボストンは特にアイルランドからの移民が多いそうで,僕のアパートからそう遠くないところに生家のあるJ.F.ケネディもその子孫と聞く.
St.Patrick’s dayには,アイルランド人がクローバーを大切にする(三位一体を表しているらしい)ことから街全体が緑色にあふれ,パレードなども開かれるのだそうだ.アイリッシュの店では食べ物やビールも緑色になるらしい.
是非とも見てみたかったのだが,昨日の雪もあって,今日は全く外出する気が起きず,部屋で静かに本を読んだりしていた.時折,窓から外を眺めるが,アパートから出る人はごくわずかだ.
「光学」のテキストを読んでいるが,ついついうたた寝してしまう.ただでさえあまり面白くはない(しかも英語!)上に,夏時間のせいで睡眠不足が続いている.
体内時計が一旦狂うとなかなか直らない僕にとって,夏時間は時差と同じで,今週はひどく辛かった.昼寝をしない方が良いのは分かっているのだが,つい,うとうととしてしまった.
2007 3・18 66

* 早瀬のように日々が流れゆく。

* このところ冷え冷えとし風がしきりにものを鳴らす。幸い日光はゆたか。陰鬱ではない。花の季節ももうまぢかい。

☆ おはようございます、風。お元気ですか。
土曜、県立美術館のロダン展を見てきました。
大革命、七月革命、二月革命を経る過程で、希望と幻滅を味わい尽くした十九世紀フランスの藝術家の抱えていた、ルイ・ナポレオン政権下での科学技術や文化の隆盛とはうらはらな憂鬱を想い、感慨がありました。
ロダンの彫刻の見事な筋肉と複雑な表情に、成熟した国家そのものを見る思いでした。
日曜は、室外物置を組み立てました。
そういえば、新住所をまだお知らせしていませんでしたね。
****
電話は変わりません。
以上宜しくお願いします。
寒い日が続きますが、お風邪を召しませんよう、お気をつけて。 花より
2007 3・19 66

☆ 66番   ハーバード 雄
いつも僕は66番というバスで通勤している.このバスは,Harvard SquareとDudley Stationという駅を結んでいる.朝はDudley station発Harvard Square行きのバスに乗っている.
Dudley stationのことはよく知らないが,印象としては,あまり治安の良くなさそうな辺りにある.従って,あまりこの方面には足を運びたくない.今後も足を運ぶことはなさそうだ.
僕の住んでいる辺りから,急に治安が良くなる.わずかに通りを一本挟んだだけなのだが,急に変わる.とはいえ,バスの停留所付近などには,時折怖い目をした人が座っていて,煙草を吸っていることがあるし,一度だけだが,煙草を吸っているにしては明らかに不自然な吸い方をしている50代位の女性を見かけたこともある.女性は通りがかりの怪しげな男に囃し立てられていた.
従って,バスに乗った直後の車内の雰囲気は,ちょっと怖い時がある.
しばらく走るとクーリッジコーナーという繁華街に出る.ここは僕の日記にも散々出てくる場所であるが,ちょっとした商店街になっている.本当に「ちょっとした」というのが相応しい.地下鉄のグリーンライン(Cライン)の駅がある.付近にはレストラン,ドラッグストア,本屋,スポーツ用品店などが立ち並ぶ.土日ともなると,かなりの人で賑わう.
クーリッジコーナーからさらに2,3ブロック走ると,突然ユダヤ教の教会が現れる.付近にはKosher(ユダヤ教の教えに基づいた食事)のレストランや雑貨店などが立ち並ぶ.この界隈では,頭に小さな帽子を被った人をよく見かける.
さらに2ブロックも走るとハーバードアベニューというところに着く.ここにはグリーンラインのBラインの駅がある.この辺りから,急に街の風景がざらついたような,殺伐とした雰囲気になる.
ここまでの道のりは,ほぼ一本道で,ひたすら直進するのだが,ここで大きくバスは「くの字」型に迂回する.まっすぐ走っても同じところに到達するはずなのだが,迂回したところに停留所があり,ここは他のバスとの乗り換えに利用されている.
停留所は大きな薬局の駐車場の前にあるのだが,何故かこの大きな駐車場には,怪しげな人たちが沢山集まっている.日本でも以前,山手線に乗っている時に,高田馬場と新大久保の間にある公園を通り過ぎる際に,このような光景をよく目にした.
そして,出発地点付近から乗ったと思われる,ちょっと怖そうな人たちは,皆,判で捺したように,ハーバードアベニューから,この「くの字ゾーン」の間で下車する.
入れ替わりで乗って来る人たちは,南米系の人たちが圧倒的に多い.男は皆,これもまた判で捺したように堀内孝雄のような口ひげを蓄えている.近辺にはブラジル系の食品店やレストラン,床屋などが立ち並ぶ.
ここから先,陸橋を越え,左折すると,後はハーバードスクエアまでは一本道.途中はハーバードのスタジアム,グランドなどが立ち並ぶ.チャールズ川を越えれば,ほぼ終点は見えている.終点のハーバードスクエア周辺は多くの車と人とでごった返している.土日は見世物などもあり,さらに混雑する.
日本でも僕はバスに乗って,車窓からの風景を眺めているのが好きだったが,外国のバスはさらに面白い.たった一本のバスなのに,驚くほど沢山の光景を見ることが出来る.わずか数ブロック,場合によっては通りを一本挟んだだけなのに,全く異なる文化圏が存在している.人間には足があるのだから,もっと自由に広範囲に行動できそうなものだが,皆,頑なに自分のエリアを持ち,その中で自分の文化を固守している.
ボストンの朝の片道のバスには,一つの物語がある.
2007 3・23 66

* メールの出揃った次の二人、ずいぶん環境をことにしているようだが、二人とも、かつて同じ教室で隣り合ってわたしの授業に出ていたかも知れず、二人とも方面こそちがうがピカピカの研究者。
わたしを介し、お互いにこの日記も読みあっているのかなと想うと楽しい。バルセロナの京は、この二人と連絡が取れているらしい。It’s a small world だ。

☆  It’s a small world   ハーバード 雄
今日は週末恒例のhappy hour.4時過ぎにロビーに行くと,大勢の人が集まっていた.
ピザを取って,さらにビールを取ろうと歩いていたら,Hさんとドイツ人ポスドクのマーチンの姿を見つけた.
マーチンはHさんと同じラボに所属している.僕と初めて会ったのは,こちらに来て間もない,オリエンテーションの時だった.とても気の良い奴で, happy hourのときや,gene gunを借りにラボにお邪魔した時などによく立ち話をする.
話していて分かったのだが,僕とマーチンには共通の知人がいる.僕の高校時代の同級生が,ドイツで研究者として活躍しているのだが,マーチンは彼と同じ研究所でポスドクをしていたらしい.
と,そこへ,隣のラボ(といっても同じ部屋だが)のポスドクのトーメックが来た.彼はポーランド生まれで,ドイツで学位を取り,ドイツでポスドクをしてから半年前にボストンにやってきた.Hさんが初出勤された日に,僕を探してラボに来られた際,彼が最初に案内したらしい.
トーメックとマーチンがお互いに「初めまして」と挨拶をする.トーメックという名前を聞いてマーチンが,「君はポーランド人だね?」という.トーメックも「マーチンということは,君はドイツ人だね?」と返す.共にそれぞれの国では典型的な名前らしい.
トーメックがドイツに居たことを伝えると,ドイツのどこにいたのかなど,お互い共通項を探り合うような話を始めた.話し始めて少しした時,ほぼ同時に二人が「あ~!」と声を挙げた.
何事かと思ったのだが,なんと二人は遠い昔に会ったことがあるそうだ.共通の友人がいるのだそうで,その友人を介して会ったらしい.さらに,その友人から「僕の友達が今度ボストンに行くよ」とお互い聞かされていたんだと.
狭い世界だ.お互い,日本,ドイツ,ポーランドから来ているというのに,間に一人か二人入っただけで繋がっていたりする.研究者の世界は本当に狭い.
happy hourのあと更に実験をつづけたが,芳しい結果は得られなかった.諦めて早々にラボを後にする.久々にHarvard Squareの付近を歩いていて,ふとメディカルエリア行きのハーバード大のバスを見つけた.このバスは,ハーバードのIDさえ持っていれば,タダで乗ることが出来る.タダというのも魅力的だが,普段通ったことの無い道を通ることができるので,早速乗ってみた.
マサチューセッツ通り沿いをひたすら直進するのだが,途中,MITの正門も見ることができた.ボストンに来たというのに,まだMIT(マサチューセッツ工科大学)には行ったことがなかった.写真で見る正門は,まだ真新しい印象だったが,間近で見てみるとかなり年季の入った代物だった.ギリシャ彫刻のような構造物で,ハーバードのレンガ造りの建物とは大分違う.
ここからチャールズ川を渡ったが,レンガ造りの様々な建物に取り囲まれた,夕暮れ時のチャールズ川の美しさには,思わず息を呑んだ.
橋を越えるとビーコンヒルと呼ばれる古い街並みがあり,ここも美しいのだが,残念ながらバスはここで右折してしまい,まっすぐにメディカルエリアに進んでいった.
メディカルエリアから自宅までの道が良く分からずに右往左往してしまったが,なかなか楽しい帰り道だった.

☆ 先生も京都に行っていらしたんですね。
私も今週、何年かぶりに仕事抜きの観光旅行に行きました。(お世話になった中央信用金庫の本店近くに泊まっていました。)たぶん先生と入れ違いだった気がします。帰る日の京都はあたたかでした。
子ども連れの京都も予想外に面白く、日記にアップしました。
ようやく春本番のようですが、花粉症は続く気配でしょうか。おからだ、どうぞお大切になさってくださいまし。

☆ 京都旅行   馨
いろいろなことが重なって、家族で京都に行って来ました。四年近く前に行って以来、家族で京都を歩くのは本当に久しぶり。
以前は、「どうせわからないだろう」と思って大人の好みにつきあわせていましたが、今回は完全にお子さま仕様の旅程を組み立てました。
着いた日は京都御所。事前に申し込みしておいて、おひな様で「右近の橘、左近の桜」を覚えたムスメと紫宸殿や建礼門を見て回りました。意外にも屋根の桧皮葺を面白がったので、以降、建物の装飾の説明を増やそう、と思ったり。
御所から出て来た後は、夕方近くになっていたのですが、蛤御門の近くの桃林で娘は走り回って遊んでいました。松の根方でヒバリがエサを探していたり。桃林からは大文字がまっすぐに見え、「大」の字が読めるようになった娘はこれにも興をそそられていました。
翌日は北野天満宮。お子さま向けにわかりやすいのは金閣寺かな、ということでそれを中心に、まずは初宮参りや七五三でお世話になっている荏柄天神のご本家へ。
ところが、ついでのつもりの北野天神、予想外に面白がってくれました。拝殿の後ろまで来た時に、御所で建造物装飾に興味を持っていたのを思い出して、欄間の透かし彫りを見てごらん、と言ってみたのですが、ちょうどそのあたりは最も格下で植物などが多い付近。次々に見ていくと、千鳥や山鳥、孔雀など鳥類が増え、正面に近づくにつれ、動物が登場。拝殿正面では虎や龍がいて、娘は大喜びで一枚ずつ見ていき、結局一周してしまいました。
この拝殿正面は、もう一つ奥にまた欄間があって、ここは人物画で、おそらく中国の故事のよう。でも、そのあたりのことは私は詳しくないので、ぼんやり眺めていたのですが、その中の一枚に、鼻が長ーく伸びた絵があるのを見つけた娘は、
「天狗の羽うちわだ!」
見てみると確かにその気配。確かあの話は中国から伝わったものなので、おそらくその通りなのでしょう。
「いいの見つけたねー」
と褒めると、にこにこ、お得意になっていました。
すっかり建物の装飾チェックにはまってしまった娘は、その後、龍安寺に行った時にも、門の鬼瓦が鬼でなく龍であることを見つけて、
「あ、龍だ!」
近くにいた管理人さんに、「お嬢ちゃん、ようわかるなー」と褒められて、またもお得意。龍安寺では肝心の石庭は見ずに、その背後の扉の木彫透かし彫が
「麒麟だ!」
と、またしてもチェック。(私は狛犬だと思うのですが、本人はキリンビールの麒麟だと言い張りました。)
この年頃の子に、どうやって京都を楽しませようかな、と思っていたのですが、こういう具象的な宝探しのようなことをすると、子どもってとても面白がるようです。
せっかく連れて行った金閣寺では「あれ、金色じゃない~」と由々しきことを大声で言うなど、あまり興味はなかったようですが、門のところから見えた左大文字にはとても真剣。
ついには、送り火の載っている地図を広げて、他の形をチェックしはじめ、
「鳥居形も見たい」。
・・・これには、私、思わず「うっ・・・」。
八月十六日に京都で送り火を見たことは何度かあるのですが、目にしたのはいずれも両大文字と「妙」と「法」だけ。鳥居形の所在は自信がない。
時間もあることだし、大覚寺方面に行けば見えるかなぁ、、とそのあたりに行ってみたのですが、見当がつかず「京都で困った時はタクシー」ということで、タクシーに乗り込んで聞いてみました。
「あれは見えにくいもんですわ。大文字なんかとちごうて日頃から手入れしてるわけでもないから今の時期は見えんのですわ。場所によっては送り火焚く草むらは見えますけどな。鳥居の形はむつかしなぁ」
確かに、見えるポイントを通って頂いて、そこから教えてもらった部分には、木の生えていない三角形の草むらが見えましたが、鳥居形は見えず。
この話、夜に食事に行った席で、昼は別行動だった母に話していると、(母と旅行に出たのも二十年ぶりくらい)、横にいた仲居さんが、
「見えますよ。あれは全部御所の方向を向いてるんで、御所の近くの高いビルの上か、京都タワーからなら」
「でも、今は鳥居の形は消えていたんですけど」
「いいえぇ、雪降っても鳥居の形に残りますもん。鳥居の形がなくなるはずはないですよ」
強く言い切られて、そうかなぁ、と。
私もダンナもしつこいタチなので、ホンマかどうか確かめようと、翌日京都タワーに初めて登ってのぞいたのですが、ちょうど春霞がかかりはじめた日で、山そのものが見えずに断念。
それにしても京都の人って、尋ねると必ずウンチクを語ろうとするんですよね。知らない、と、絶対に言わない。これ、ちょっとラテン系入ってる気がします。スペインやイタリアで人に道を聞くな、全然知らなくても自信を持って(間違った方向を)教えるから、と言いますが、近いものを感じるような。
そうそう、京都タワーの前に三十三間堂に行きましたが、ここで千体観音に感激してくれるかと思いきや、娘は二十八神将にご執心。観音様は持ち物にのみ興味でした。何々を持っている、これは何々に見える、等。
この年頃って本当に興味の対象は具体的なんですね。それともこんなに「ブツ」にこだわるのは、現実的なうちの娘だけかしらん・・・。
帰り際に伊勢丹の地下で、麩嘉の麩まんじゅうと「黒おたべ」を姉家族のお土産に、三木鶏卵の出汁巻き卵と茨木屋の揚げ物を夕飯のお菜に買って、京都旅行は終了。
ところで京都に詳しいどなたか、今の時期、鳥居形は行くところに行けば本当に見えるのか、実はやっぱり見えないのか、ご存知でしたら教えて下さい。気になりますワ。

* 京の山焼きはどれも遠方から観られるので、「鳥居形」といえどもそこそこ大きい。むろん東山の「大文字」ほどではないし、「妙法」や「船」のように、譬えていわば字画はフクザツでない。そばまでいっても、季節により灌木などに埋められているし、間近すぎては形は容易に納得しづらい。食べ物屋の仲居さんの言うている、ほどよい「雪」の日には、不思議でもあるまい、鳥居形が、東山よりの高いところから遠望すると、時に綺麗に浮かび上がっている。
わたしの高校は九条の東、東福寺より高みの日吉ヶ丘に在った。真冬、寒気に全身をさらして校舎二階三階の西はずれに立つと、京の下京を遠く越えてそれらしくくっきり見えることがあった。いつもいつもではなかったが。
2007 3・24 66

* もう一人、四国の「先生」からも京の旅便りが。「磬」を下さった方。打っています、なるべく心静めて。

* ひゃ~っ、うれしい~っ!と思ってしまいました。   讃岐
先生の歩かれた清水道、どこもここも思い当たるところばっかりです。興正寺別院は母(磬子)が青春時代を送ったところ。谷口松韻堂で、母は行く度いっつも清水焼を買うので、私一人で行ったときでもおまけしてくれます。
石塀小路のぬれた敷石を歩いて、八坂神社を抜けたら、ぱっと明るい、暑い(寒い)東山通り。
清水の七味屋から三年坂二年坂と続く道を、最近は娘も、夫や子供と歩く道になりました。母、私、娘、孫と4代がたどる道です。
私も3月18日に夫の供養に知恩院に参詣しました。
京都駅を降りたら伊勢丹の壁に白いものがチラチラ。なんだろうと目を凝らしたら雪でした。新大阪では降ってなかったのに、突然の春の雪です。
タクシー乗り場の行列を避けて地下鉄で四条まで出たのはいいけど、ここで雪のなかタクシーがつかまらず、さらさらさらさら雪は降ってきて薄いコートを濡らし、途方に暮れました。
やっと反対方向でタクシーに乗って御池通にまわって知恩院の、上まで行ってもらいました。
お彼岸だけどお天気のせいかお参りは多くなく、本堂内陣は寒さが伝わってきます。いつもながら黒光りする太い大きな柱を見上げて、ここなら安心して後生を送れるなあと思ってしまう。寺院建築の壮大さの意味を、ここで実感する。
私のお墓はいらない。一片の骨をここに納めてもらおうと決めている。
お茶堂で熱いお茶をいただいてほっとし、売店で400円の傘を買う。すべりそうな脇の参道をゆっくり降りる。桜のつぼみはまだ堅い。
今日は、右手へ。岡崎方面へ。青蓮院の大楠を見上げる。向かい側はマンション群になった。以前工事中に値段が書いてあった。こんな値段でこんな所に住める人がいるのかと驚いたのを思い出した。
何か春のイベントらしく、道ばたに華道家の大きな作品がいくつも置いてある。
青蓮院はずれの公園の中に、このあたりにゆかりの文人を紹介した立て看板がある。丁寧で詳しく、写真も豊富。西行、池大雅、鉄斎、蓮月、与謝野晶子、夢二、栖鳳と、熟読。
そこで新発見。
蓮月尼が、この近くで焼き物を制作、売っていたらしい。薄黄色い急須に歌が釘で彫った写真がある。ずっと前、骨董市で買った手塩皿とそっくりの生地と歌。どこかの有閑マダムの手すさびの作品と思っていたけど、ひょっとするとひょっとするかも・・・!
お昼、三条通でおかめうどん(お餅と揚げ玉入り)を食べる。(これを私と娘は「にょろにょろうどん」と言っている。こしの強い地元のうどんに比べて、なんとやわらかく、やさしいことかという気持ちをこめて。)
ここから、古川町の方へ行くのがおきまりだけど、今日は反対に東へ行く。
瓢亭の前を通って、南禅寺へ。それにしても、あのラヴホテルはなんとかならんものかと憤りを覚える。日曜日で、南禅寺は、すごいほどの人出。
お参りはやめて山門に上る(500円)。
階段の一段一段の幅がものすごく広い。
手すりや床は踏み慣らされて、つるつるぴかぴか。踏み外しそうで怖い。
登り切って、「絶景」を眺める。目の前の大灯籠や松の木を高く越えて、ずっと京の町並みや山々が望まれる。後ろは比叡山。
知恩院、東福寺と並んでの「三大山門」とテープのガイドが言っている。
登りよりもっと怖い階段をこわごわ降りて、疏水道へ。しだれ桜のつぼみがほんのり紅い。疏水記念館があり、インクラインの中に入れる階段が見えたので、入ってみる。
田辺朔太郎という天才の存在を知る。設計施工に携わった弱冠土木学士の成し遂げた仕事の偉大さ、才能の大きさに驚く。
彼のノートの緻密なこと! ユンボも掘削機もない、ダイナマイトやセメントさえイギリスからの輸入であったという時代に行われた事業に、今さらながら驚く。
田辺の書いた設計地図の片隅の四角の中に、「監獄」というのがあったのが気になる。なんの説明もないけど、必要だから書き込んだのであろう。(囚人がこの仕事に携わったというのをどこかで聞いたことがある。)
この疏水の水で発電し、日本で最初の電車を京都は走らせた。戊辰戦争や、蛤御門の変で傷つき、天皇を東京に連れ去られた京の人々の心を、この事業はどんなに奮い立たせたか、わかる気がする。
勢いよく疏水の水は流れ、噴水は早い春の空気の中をふき上がっていた。
くたびれ果てて乗った新幹線博多行きが、満席。指定席とらなかったことが悔やまれる。
新大阪でやっと見つけた空席。
岡山まで『能の平家物語』(湖の本)を読みふけりました。口絵の敦盛の面「十六」。じっくり見て納得、ぞくりとしました。
気がついたら傘をいつの間にかなくしていました。
この単独物見遊山行、夫も許してくれるでしょう。

* 馨さんも讃岐さんも、楽しそう。

* 瓢亭ちかくの「ホテル」のこと、あれは評判がわるい。
しかし歴史的に言うと、大きな寺社の門前や鳥居本には、昔からお色気の場所、遊郭がつきもので、祇園も上七軒もかつての島原も伏見も、似たようなもの。京にはその手の遺跡が、いたるところにある。南禅寺境内の出逢い茶屋風の建物には「禁令」がなんども出されていたが、あまり効果無く、その名残といえば謂えそうなあのようなホテルかと想うと、ときどきくすりと笑ってしまう。
今は遊び女がいるのでない、あそこへは、お色気びとが自前に夢を見ようと忍び込む。太古からの発想でいえば、明浄処なればこその性的祝祭の場と謂えなくもないから、わたしは憤慨まではしない、が、無いほうがいいのにと思う。

☆ 京都   七十泉
楽しめましたか。春めいてきましたね。小金井公園の桜はもう三分咲きかも。
お中日にドライブした海辺で、冷たい潮風に三時間程吹かれたせいか、夜中に初めてのような喘息発作を起こしました。これまでのようなチャランポランでなく、十年先を目標に、しっかりと治療を受ける事にしました。有り難くない終生のお荷物。
それでも四月には京都へ行ってみようと思ってます。

* お大事に。わたしはこの週末に、なにやら、初めての「検査」を受ける。

* 思いがけなかった。本はずうっと読んでもらってきたが、ひさしく逢わなかった人から、いろいろ辛いことがあったようだけれど、大丈夫かとお見舞いをもらった。清方の繪から抜け出たような江戸下町生粋の美女、わたしと同年齢だが。お見舞い嬉しく。
2007 3・24 66

☆ 14日に出かけて18日に京都から帰ってきました。気の向くまま、足の向くままに遊んできました。
篆刻をしている知人が奈良におりまして、日帰りで行ってまいりました。
奈良ならではの暮らし向きに感じ入りました。
お酒も、食事も美味しく頂いております。ハードリカーも大好きで、特にマテニー党で、飲み過ぎたりします。
ご都合のよろしい時に、お会いしたいです。  和 e-0LD
2007 3・24 66

* 能登を中心に大地震。犠牲が大きく出ないよう、祈る。
小松市の井口さん、金沢市の松田さん、金田さん、細川君ら、みなさんご無事であったろうか。
2007 3・25 66

☆ hatakさん  京都の取材はいかがでしたでしょうか。
さて、私と同じ農水省所管のある研究所に、進化生物学・生物学哲学を専門とする三中信宏という人がいます。私と一度共著で論文を書きました。学術書のレビューばかりの彼のHPに、珍しく秦建日子氏の「SOKKI!:人生には役に立たない特技」が取り上げられておりましたので、お知らせします。
このHP(というよりこの人自身)もなかなか面白いですよ。
「雄」さんの「mixi」日記、あまりに面白く、マイミクシィになっていただきました。
無事任期を終えて元気に帰国してほしいものです。   maokat

* maokatさんが「雄」クンと触れあってくれたこと、嬉しい。

☆ きのうは、家の床のワックスの直しがちょっとあったあと、携帯電話を見に出かけました。
四月のはじめに、実家へ帰ろうと考えていまして、長ければ一週間以上、二週間くらいいようと思っています。
しばらく帰っていなかったのと、母の腰の具合の悪いことも、帰郷の理由です。
それでね、携帯電話を持とうかな、と思って。
販売されているものは、あまりいいデザインがなく、買うなら小さくてかわいいのがいいのだけれど、ごっついのばかりでした。
新発売の薄いタイプは、高額なので、OUT OF 眼中。
「しょがない、これにしよ」と決心して店員さんに言ったら、「在庫がありません」と言われてしまいました。今日、別の店へ行ってみます。
ゆうべは、すごい雨でしたね。
今朝は大きな地震もあったようで。
風、おだいじにお過ごしください。 花
2007 3・25 66

☆  秦さん 迪子さん
迷っていましたが、ホームレス支援のCD、やはり聴いていただきたくて今日お送りました。郵便で明後日(水曜日)到着予定です。解説もぜひ(小さい字なので恐縮ですが)読んで下さい。
「平和に関する信仰的宣言」というパンフレットも同封しました。
この宣言の起草者たちがホームレス支援機構のメンバーとして支援に関わっておられます。
四年余り前から、***バプテスト教会に通っています。私は直接の支援活動(炊き出しやパトロールのお手伝いなど)はしていません。教会にはときどき、元ホームレスの方々や現在も野宿している人たちがやって来るので、お話することはあります。そんななかで出逢ったお一人を忘れることができません。
その方は七十を半ば超えてようやく自立なさるところでした。生活保護の申請をしたけれど、遠縁の遺産わずか二十数万円のあることがわかって、受けられないでいました。自立直前に病気がみつかり入院され、半年くらい経ったときに自殺されました。剃刀で。お腹を切って。普通なら脂肪などが邪魔するはずなのですが、路上生活が長くてあまりに痩せておられたので、簡単に血管に届いて大量出血。手当ては間に合いませんでした。
父に似た雰囲気の方でした。一緒に教会のお昼ご飯を隣の席で食べました。牧師の子供たちに目を細めて「えぇ(好い)、お子です。えぇお子達です」と言っておられました。
その方に逢ったとき、もしかしたら父もこうなるのかもしれない(父の弟は戦後すぐに行き方知れずになっていました)、家にいてさえ「ホーム・レス」にはなり得る、と感じました。父をそうさせてはいけない、と。その頃の私は父との関係がうまくいっていませんでしたから(今でさえ、けして上手ではありません)、父の孤立を懼れました。
すべてのホーム・レスたちのために。CDにはそう書いてあります。野宿している人に石を投げる中学生。彼らもホームレスかもしれない、と投げられた当人が心配してくれるのです。こんな真夜中に家に居ない、居られないなんて、と。
能登の被災者もまた、昨夜からホームレスです。同じ日玄海島の人たちは二年ぶりに帰島されました。
やす香さんに逢いたい そう想われる日々でしょうね。私でさえ、あぁ お逢いしたい と懐かしく想うのです。
月命日に間に合わないのは残念ですが、ご一緒に聴いていただけたら~カタルシス作用は良いといいますから。涙は存分に流して。
どうぞ、お二人ともお大切に。お健やかな日々をお祈りしています。   碧

* ホームレスに石を投げる子供たち。彼らも同じ意味でホームレスなのだという指摘は、じつに示唆に富む。CDを戴くと。感謝して待とう。
2007 3・26 66

☆ 早朝練習   ハーバード 雄
昨日約束したとおり,朝8時から標本作製をボスに教わった.朝8時からなので早朝というのは大げさだが,緊張したせいか,朝4時半に目が覚めてしまった.昨晩寝たのは12時過ぎだったのだが.
5時半ごろまでベッドの中でゴロゴロしていたが,これ以上すると次に起きた時には遅刻している可能性があるので,諦めて起きた.
6時半に家を出て,7時過ぎにはラボに到着.動物や器具などを準備していると,8時10分前にボスが現れた.同じ頃出勤された,隣のラボのボスが,うちのボスを見つけて「お,早いなあ.どうしたの?」と声をかけていた.「実験を教えるんだよ」とボス.
準備を終えて,8時きっかりから教えて頂く.
ボスのやり方は,これまでに教えてくれたコーリーの方法ともJCのそれとも全く異なっていた.強いて言えば,コーリーとJCの方法は似ているが,ボスだけ大きく違う.ボスから技術を習ったはずなのに,何故このようなことになるのか良く分からない.ボス独自のこだわりが随所に現れていて,足りない器具をリストアップし,発注することとした.
ボスよりもJCの方が手先は器用そうだが,ボスの方が丁寧にやっているようで,最終的に出来上がった標本は,今までの中でもっとも美しかった.ボスに説明してもらったことで,どこに神経が走っているのかや,どこを切ってよくて,どこを切ってはいけないのかがはっきりした.
ちょうど1時間かけて標本作製のデモが終わり,すぐに週1度のプログレスレポートが始まった.今日の担当は,ニュージーランドから来ているフィル.割合年配の研究者で,ボストンへは1年間だけの短期滞在.かつては日本にもこのような制度はあったのだろうが,今では任期制の職ばかりになってしまったので,このような制度が残っているニュージーランドがうらやましい.
どうやら睡眠時間が足りないと,英語の理解力は極端に落ちるようだ.英語は明瞭だが,何を言っているのかさっぱり分からない.それ以上に,目を開けて居続けることが辛い.ただでさえ話が長い上,スライドも箇条書きの文字だらけなので,文字を追っているつもりが気づくと夢の中,というのが何度もあった.
セミナーを終えてから,昼食を挟んで,ボスに教えてもらった方法で練習.大分,コツが掴めて来た気がする.

コメント カナダ  2007年03月28日 10: 58
NZの方、サバティカルですか?
実際最先端を走っていらっしゃる方でサバティカルをする勇気のある方は、こちら北米でも少ないのではないかと思います。と言っても私の分野最王手のPI は、どうやら日本でサバティカルされたそうですが。
昔私の大学院の教授が実験を再開するとか言い出したとき(結局しませんでしたが)、私の同期が教授室に閉じ込めようかなんて言ってたことを思い出します。こちらは教授との距離が近くてよいですよね。

雄  2007年03月28日 11:10
NZの方が,どのような身分なのかは良く分からないのですが,教授ではないようです.サバティカルというよりは,日本であった(今もあるかもしれないですが),休職ではなく現職のままで籍を置いて留学するというタイプのようです.
僕の大学院の教授も,先輩にマウスを使った実験をさせたくて,「僕が教えるから一緒に行こう」と先輩を,無理矢理,動物舎に連れて行き,注射の仕方を教えてくれたらしいですが,ふと先輩がマウスを見ると、白いはずのマウスが赤く...どうやら,手を噛まれたらしいのですが,痛いだろうに教授は一言もそれには触れなかったそうで,先輩は笑いをこらえるのが大変だったそうです.

カナダ  2007年03月28日  11:36
男気のある教授ですね! かっこいい。

* こういう「mixi」はとても楽しい。MAOKATがマイミクを希望した気持ち、分かる。メールにも、こういう生活的・体験的なのが増えるといい。文学や映画・演劇批評なんかも、もっと歯に衣きせぬのがあっていい、無意味なおひゃらかしでは迷惑するが。

☆ 【訃報】花嫁の父 植木等氏  麗  北海道
「日本一の無責任男」植木等さんが死去(読売新聞 – 03月27日 20:11)
もう30年近く前,親戚の結婚式に参列した。場所は,池袋の某大学構内にあるチャペル。
式場に着くと,午前中の式が終わったところだった。チャペルから出てくる参列者の中に『ハナ肇とクレージーキャッツ』の面々を見つけたときは驚いた。植木氏のご令嬢,植木ひとみさんの結婚式だったという。
「花嫁の父」植木氏は,緊張したような,憮然としたような面持ちで,チャペルの庭に立っていた。当時10代の自分に,その複雑な胸中は推し量れるはずもないが,嬉しさや安堵感とは無縁の,ましてやTVや映画では絶対に見られない,見せない表情だ,と感じたことは覚えている。
花婿と見紛うような,白のタキシードスーツ姿であったことも。
その数年後,私も同じ日を迎えた。その日,父が植木氏と同じ表情をしていたかは,記憶にない。
また,昭和がどんどん遠くなる。 合掌

☆ 日本のコメディの終焉  鳰  滋賀
俳優の植木等さんが27日午前10時41分、都内の病院で呼吸不全のため死去した。80歳だった。
すでにお歳だったから…そんな日もいつか来るのだと…心では思っていたけれど…寂しさは拭えない…もうあの飄とした、姿を見ることは出来ない
日本最高のコメディアンは植木さんだと…あの人を越える存在はたぶん、もう、現れない…
どうか、あちらでもご活躍を…
私はコメディエンヌになりたかったの。
ゴールディ・ホーンみたいな…
日本にはいないでしょ?
この顔は決して美形とは言えないしね~。
ライザ・ミネリとか、シャーリー・マクレーンとか、もちろんマリリン・モンローもそうなんだけど、歌って踊れてわらかして泣かせる役者になりたかった…
学生時代、役者として最初に貰った役がちょいとおつむの弱いメイドの役だった。あまりにハマりすぎて、日常もいまだにどこか抜けてるけどねえ…
この国で言えば、植木さんが一番近かった。高度成長期の働くことが美徳とされた時代に「わかっちゃいるけどやめられないっ」だもんね~
早世された太地喜和子さんにものすごい憧れてた。妖艶な演技も上手かったけれど、ちょっとずれた役どころもたまらん上手かった…
吉田日出子さんも好きで同じ劇団を受けたとき、実物に偶然お会いしました。ドラマと全く同じテンポでした。
あるとき、吉田日出子さん主演の舞台を観にいった時、客席にいる自分に気がついた…
わたしのいたかったのは、あっちだと…舞台の上なんだと…
それから観劇から遠ざかりました…

* メル・ギブソンと演じた『バード・オン・ワイヤー』のゴールディ・ホーン、我が家ではあだ名を「ギャー」と呼んで親愛しています。十何度も観たでしょう。身動きに切れ味のある端倪すべからざる女優ですね。
シャーリー・マクレーンは断然たる名女優、愛しています。マリリン・モンローほど愛すべき愛おしい女はいません。
植木等には同時代人としての尽きぬ親愛と、時代を妙な方へひきずってくれた、かすかな怨念とを持っています。経営者たちの支配意識に火をつけ、今日の格差のひどい貧しい労働環境をミスリードしてくれた植木等でもありましたか。息子の秦建日子を俳優として鞭撻してくれた人としての感謝も深い。
晩年のおちついた役者ぶりをわたしは好んでいました。 合掌   湖
2007 3・28 66

☆ 身辺慌ただしく過ごしています。住所は変りませんので、湖の本を楽しみに待っています。読み耽るとどっと運ばれてきた荷物の整理がつかないことになりそう……。
時々、わけわからず涙が溢れてきます。なぜでしょうね。
昨日はやす香さんの月命日でした。やす香さんも歩いたであろう四谷の土手のことを書いていらしたので、もうじき桜が満開になるあの眺めをなつかしく思い出していました。春風を頬に感じます。
理事に再選は当然のことと思っていました、まだまだお働きくださいませ。老朽なんてとんでもない。益々華やぐお人です。
島尾ミホさんがお亡くなりになったというニュースがありました。あなたの人生にあのような女人が深く関わっていたなら、どんな小説を書いたのかしらと、ふと不思議な感覚で想像してしまいました。島尾敏雄の『死の棘』をどう評価していらっしゃいますか。
それにしても今日はうららかな一日でした。近所の桜は三分咲き。週末にはお花見日和になりそうです。今年、どこで誰とお花見かしら。妬いてはいけないけれど。
落ち着きましたら、またメールさせていただきます。お元気でお過ごしください。 おやすみなさい。 春

* 花粉でしきりに鼻がくすぐったい。くしゃみ、連発。
2007 3・28 66

☆ 助教   博士
僕は現在も日本の研究所に「助手」のポジションがあり,「休職」という形で留学している.休職期間は2年間.
しかし,2年後に復職できるとは限らない.僕が休職している間,教授は新しい助手を雇うことができる.2年後に,新しい助手の方が辞めない限り,僕の戻る場所はない.
とはいえ,僕には現在でも日本の研究所の「助手」という肩書きがある.
今日,日本の研究所からメールが届いた.学校教育法が改定されるのに伴い,今年の4月から,僕のポジションは「助手」から「助教」になるらしい.他にも,今までの「助教授」は「准教授」へと変わる.
これには,「助手」というと,いかにも「お手伝いさん」という印象が強く,身分が低いように聞こえるから,という理由がある.
「助手」と「博士研究員」とでは,「博士」と付くだけあって後者の方が偉そうに聞こえるが,大抵の場合,「助手」は「博士研究員」を経てから就任する場合が多く,また殆ど全ての「助手」は博士号を持っている.
しかし,ならば「助教」はどうなのか? 初めて聞いたとき,なんと納まりの悪い名称だろうと思った.この名称に決めた人たちのセンスが理解できない.
そもそも,何故このような名前になるのかには,アメリカの大学・研究所での「Professor」の名称が、背景にある.
アメリカでは 「(Full) Professor」, 「Associate professor」, 「Assistant Professor」と、3種類の「Professor」があり,日本語での直訳は、それぞれ「教授」「准教授」「助教授」となる.しかし,これまでは日本では、「教授」,「助教授」,(大学によっては「講師」),「助手」となっていた.そこで,これをアメリカ式に合わせるために、「助教授」を「准教授」へと繰り上げた訳である.
ならば助手を「助教授」にしてくれても良さそうなものだが,その辺りがいかにもケチくさい.「助手」を「助教授」にしてしまうと,「講師」が「助教授」よりも下のような印象を与えるからだというのだが,だからといって「助教」というネーミングはどうなのだろう.
そもそも,日本は日本のシステム・職名で良いのではないだろうか.名称を変えたところで,実質的に何か変わるとは思われない.変なところばかりアメリカの真似をするのは,もういい加減,止めても良いのではなかろうか.

* ま、わたしも国立大学の「元・教授」ではあるのだが、それも、ま、今では対岸の火事のようで、すこしく野次馬めくけれど、こういう話題、局外者にはアハハと面白い。博士の助教クン。ゆるされよ。
それにしても「助教」はやっぱり、ナンダカ、たしかにヘン。明治頃ではなかったか、臨時雇いみたいな小学校の先生が「助教」と呼ばれていなかったか。石川啄木など、そうではなかったろうか。ウーン

☆ 花冷え  碧
毎年お茶の先生の御宅の桜を楽しみにしている。お向かいのお寺さんの桜が少し早く咲き、そのうち小路に花のトンネルが出来る。月曜からの陽気で一気に開いたと、もう五分から八分咲き。お茶室のある二階からの眺めを楽しむ。
昨日のお稽古は先週に引き続き「貴人清次」の濃茶。ところが、さぁ用意をと思うのに、まるきり浮かんでこない。千鳥板を目にしても、それをどう使うのだったか、とんと憶えない。茶巾の折り方を変えて、といわれて漸く、あ、と思い出す。
久しぶりだからと先生は仰るけれど、実は先週のお稽古が初めてだった。これまで貴人点はしてきたけれど、清次はしていない。
こんな世の中なのに、御貴人さんでもないけれど、研究会でもしたから、やっぱりしておきましょう。
苦手なお手前、何がイヤといってあの畏まって待つ間の窮屈さ、逃げ出したくなる。それでも今回はすぐにお供の方のお茶を用意に立つので、気持ちは楽・・・煤竹の茶筅を入れ忘れた。
次週はお薄しましょ。。。ややこしいのかしらん。
寝む前に、露伴『連環記』を読み出したら面白くて止まらない、それでも遅いから、えいやっ、と離した。今夜もう一度初めから読もう。

* 「濃茶の貴人清次」とは、遠い遙かな昔を思い出させてくれますねえ。「小習」から「四ヶ伝」へ一等手続き煩瑣な点前で、苦手でした。大圓の真台子まで正引次され、「宗遠」という茶名はもらいましたが、「薄茶の平手前」と「盆手前」がきっちりできればいいやと、生意気に怠けていました。
そもそも足が痛くて「正座」が苦手で。その御陰? で、利休が「正座」してお茶をたてたなどという証拠は全く無いという大発見? をしました。彼の正座した画像も彫像も、同時代のものでは、一作もありませんし。ハハハ

* 『連環記』は、驚嘆の堂々大文章の文学作品、。『運命』も、天地に鳴り渡るような、すばらしさ。いま、露伴が読まれているなんて、感動。
2007 3・29 66

☆ 霾翳   雀
比良八講が終わり黄砂朝嵐となりました。
こちら(名張)はようやく桜の蕾が開いてきたところ。来月2日の旧暦“如月の望月”に、はなやかになりそうです。花見客が何よりいやがる寒さと風と雨があってこそ、花の雲になるというのにわけを感じないではいられません。
聞くところによると、三重県は人口一人あたりの医師・看護士人数が全国でも下位に位置していて、制度変更により研修医は三重県内の病院を選ぶことがない限り来ませんし、大学は医師を引き上げ始めているそうで、救急車が到着しても受け入れ先が見つからず、そこを動けないことがあるそうで、それを覚悟して呼ばなければならないということです。高齢者だけでなく、出産・乳幼児医療・妊婦や乳幼児の緊急医療・病児はもとより健常児の保育についても相当にお寒い状況で、それにもかかわらず、年々税金保険料は値上がりをしているありさま。
行政から、コンナトコニ、ヨク、スンデルヨ、オマエラハと言われている気がして、市役所や市が整えた公園にどれほど桜が咲こうと、そこで花見などまっぴらごめんと思っています。
さて、土曜日に、比叡坂本に伊賀采女宅子(いがのうねめ・やかこ)の、海津で武田元次を、塩津では華叟宗曇、と、お墓参りをしてきました。いつもあちこち遊び歩いているようなことを言ってるから、地震に巻き込まれていやしないか心配したと母が言い、石灯籠や鳥居が倒れている映像を見た主人は、「気をつけなさいよ」と心配してくれました。
一休宗純、華叟宗曇から得た旅の収穫と感想は後日いたします―。
年明けに、お水取りの祈りの話で、第二次大戦戦没者に関する祈りは毎年のことながら、阪神・淡路大震災が12年前、伊勢湾颱風が48年前、関東大震災が 84年前というお話になって、まさかすぐにこういうことになるとは、思ってもいないことでした。そして、負や陰を育てることばを発したときに「悪魔が聞かないよう」行なうおまじないがあることを思いおこしました。
輪島空港をつくり、自動車道路を整備し、“地域振興の障害は除いた、さぁ、観光だ、パラダイスだ”と意気揚揚だったお上のいう“インフラ整備”とやらは、この震災からの復興にも大いに役立つことでしょうね!!
母の話では、新潟中部地震の余震がようやく感じられなくなったと噂していた矢先の揺れだったそうで、友人の中には、あのときを思い出して忘れようとした傷を痛め付けられた気がするという人もいました。そして、新潟のそれに相似の高齢化と過疎化の町村集落が多い土地柄に、また、この大天災を千載一遇の好機として統合・合併により「棄民」が進むのだろうなと雀は思っています。
行政だけでなく、故郷を離れて暮らす子供たちが、自己中心の思いであると十分に承知しつつも、「これで、じじばばも、あきらめがつくだろう」と安堵半分思っているであろうと、そんな想像を複雑な感情でしていることも含め、瓦屋根の旧い家々が余震で崩壊してゆく映像を眺めています。
データ隠蔽、また臨界事故をかくし明らかにしていなかったと電力会社が、立て続けに犯罪的な背信行為を発表しました。雪印や不二家のように不買運動ができないのをいいことに、やりたい放題じゃないのと、歯がみ、身もだえして悔しがっていた雀です。
問題となった原発のある志賀、その沖が震源地でしたでしょう。
新潟の刈羽原発は活断層の上と承知で建設を強行したとか。近所の民家の被害を目にして、安全宣言など信じられないといいます。新潟県は東北電力管内で、ここでつくられる電気は、全て関東へ供給されているのです。
京の都に暮らす人が、生活に使うもろもろがどこから提供されているか知っているように、いま、お江戸(都知事は“江戸”と連呼なさいますわ)にもわかっていただきたいと切望します。 囀雀

* もっとも、もっともな「私民」の憤慨であり嘆息である。安倍内閣にも国会にも、また都知事選候補者にも届いて欲しい。聴いて欲しい。
2007 3・29 66

☆ なぜ真実の報道をしないのか  玄 e-OLD岡山
最近マスコミが政権批判を手控える傾向が強くなっている。今回靖国神社への戦犯合祀について国が関与していたことが明らかになったが,新聞の扱いは非常におざなりでしかない。特集を組んで国民を啓発しようという意図など微塵も感じられない。基地問題や国民投票法案や教育基本法その他国の将来にかかわる問題をもっと真面目に取り上げるべきなのに,わざと目先のことにばかりに国民の目を惹きつけているのかと疑いたくなる。

* 同感です。   教科書から、日本軍の強制による沖縄県民の集団自決記事を、「検定指導」という名で国家の強制排除を既成事実化しているのにも、安倍総理は「具体的な検定の内容は知らないが、検定は規定に沿って<適切に>されているに違いない」などと、例の誤魔化しでニゲを打っています。
東京都教員への、またまた君が代・日の丸で大量処罰なども、人権を踏みにじる恥ずべき強制です。
日本はどうなって行くのか。憂慮と怒りにふるえます。

☆ 選挙に行こう!  碧  山口
でも、こんなことが行われてるなんて。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=183926&media_id=2
いま気になってるのは、「ネットカフェ難民」と呼ばれてる若者たちの住民票。出身地に残したままなのかどうか、投票券(投票所入場整理券)は届くのか。
いちばん困ってて いちばん変えたい、変えてほしいと願ってる人たちの権利は、こんな風に奪われていく・・・どんどん「棄民」は増えるばかり。
都合のいいことでしょうねぇ、アベシン君、石原サン。

* こういう声が無数に湧くようにあがってほしい。

☆ ロマンチックなシナプス   ハーバード 雄
今日は,コーリーと一緒に新しいプロジェクトの手始めとなる実験を行った.まず手始めに,シナプスを観察した.
シナプスとは神経細胞と神経細胞の継ぎ目に当たる部分.ここで神経細胞どうしは情報のやり取りをしている.脳の中では,無数のシナプスが絶えず作られたり壊されたりしている.シナプスが出来れば,情報のやり取りができるし,壊されれば,当然,情報のやり取りはできなくなる.従って,脳の働きを理解する上で,シナプスは非常に大事な構成要素である.
こうしたシナプスが,どのように作られたり壊されたりするのかについて,僕は強い関心を持って研究している.今日は,シナプスの部分を緑や赤に光らせることができる物質を,神経細胞にふりかけて,顕微鏡で観察してみた.
2時間後に余分な色素を洗い流して観察した.顕微鏡で連続的に焦点をずらしていき,その都度撮影した画像をコンピューターで重ねていくと,立体的な像を得ることもできる.
丸々とした神経細胞の上に,無数の緑色や赤色のシナプスが取り巻いている.とぐろを巻いているようなのもあれば,ポツポツと点状に浮かび上がっているものもある.時間を置いて観察すると,多少ながら伸びているシナプスもある.
真っ暗な視野の中に緑や赤に染め上げられたシナプスが浮かぶ様は,見ていて,純粋に,美しい.それらを眺めていると,天体望遠鏡で星を眺めているような気分になる.見ていて飽きない.
小さい頃,星を見るのが好きだった.目が悪かったので,あまり多くの星を見ることは出来なかったが,それでも天体の世界にはロマンを感じていた.
しかし,天体とは対極にある,私達の身体の中のミクロな世界にも,天体に匹敵するようなロマンチックな世界が存在している.
明日は,向かいの建物で行われるシンポジウムに参加する.ボストンの様々な大学に籍を置く,世界でも有数のシナプス研究者達が次々とトークをする.
その後は,シンフォニーホールへ.アルフレッド・ブレンデルがモーツァルトのピアノ協奏曲を弾く.どちらも楽しみ.

* 研究者は楽しそうだ。企業の人たちは、日々大変なようだが。 2007 3・30 66

☆ 昨夜、NHK「きょうの健康」、『糖尿病 特集』の再放送を見ました。日本では、6人に1人の割合でかかる病気と聞きました。血糖値などのデータや、自覚症状なしにかかっている場合が多いということを聞き、慌てて今年と去年の、自分の健康診断の検査結果を見直しました。
視聴者のメールに答える形式で進めていましたが、その中の1つに、「自覚症状は全くないが、『神経症』の初期ステージと言われたがどういうことか」という質問がありました。そして、その症状として
・足の指先がしびれる→感覚が鈍くなる→ぶつかったりしてけがをする→痛くないので気がつかない→細菌感染などで悪化する。
・悪化するに連れ、足先からだんだん上に上がっていく。
・また、治っていくときは上から下へ下がっていく。
というような説明をしていました。
先生が受けられた検査はこの症状の検査ではないでしょうか。検査結果が、私の杞憂にすぎなかったことを祈るばかりです。技師さんも見とれる魅力的なおみ足をお大事になさってくださいませ。
食事の注意点として、
・初めに、繊維質の物(ゴボウのサラダやひじきなど)を摂る。・・栄養が吸収されにくくなる。
・主食をなるべく、玄米や玄麦のパンにする。
・甘い物、果物は食後にとる。・・即吸収されるのを防ぐ。
なんでもすぐ忘れる私にしては、よく記憶できたと驚いています。先生の、自転車散歩のことや、通院のことを拝見していたからだと思います。
今のところ、私のデータは正常の範囲のようですが、ブドウ糖摂取後の検査は最近していないので心配は消えていません。検査は、かかりつけの医者どこででもできるという話だったので、検査を受けてこようと思いました。
これからもどうぞお体に気をつけられますよう。  讃岐

* はい、ありがとうございます。

☆ シンポジウム,シンフォニー    ボストン 雄
今日は朝からシンポジウムに参加.講演者はJoshua Sanes,Micheal Greenberg, Susumu Tonegawa, Roberto Malinow, Morgan Shengなど,錚々たるメンバーだった.ただし,残念ながら利根川進は来ず,ラボのメンバーが代理として発表した.面倒臭いからスッポかしたのかと思ったが,なんと渡辺格先生の葬儀に参列するために日本に行ったらしい.
先日インターネットのニュースで渡辺格先生の訃報に接した.日本の分子生物学の草分け的存在で,利根川先生の師であり,僕の大学院時代のボスの師でもある.ご冥福をお祈りする.
シンポジウムの内容は,面子が面子だけに素晴らしいが,英語なので気を抜くとすぐに置いていかれる.ちょっと余計なことを考えると,すぐに分からなくなる.今日は特に,余計なことを考えることが多くて,ついつい内容の理解はおろそかになってしまった.反省.
6時半にラボを出て,シンフォニーホールへ.今回は,Hさんもお誘いして二人で行ってきた.本当は早めにラボを出て,リーガルシーフードで夕食をと思っていたのだが,Hさんが土日ラボに入れないので少し仕事をしてから行きたいということで,敢え無く断念.
今日の演目はモーツァルトの交響曲25番とピアノ協奏曲17番,ガンサー・シュラーの「パウル・クレーの主題による7つの習作」,ラヴェルの「ダフニスとクロエ・第2組曲」.
ピアノ独走はアルフレッド・ブレンデル.ブレンデルは写真で見るよりも大分老けていた.が,ピアノは素晴らしい.正直言って,最初の交響曲は少々冗長だったが,ブレンデルのピアノが入ったことで引き締まった.最後の曲は,ラヴェルのオーケストレーションの上手さが,ボストン交響楽団の演奏レベルの高さを一層引き立ててくれた.
但し残念だったのは,席がひどく悪かったこと.ギリギリになってチケットを取ったせいもあるが,とにかく周囲の人たちのマナーが悪い.始終せわしなく動いているし,しゃべったり席を立ったりするものさえいた.おそらく,学校か何かの課外活動の一環として来ていたのだろう.
席そのものの位置も,オーケストラから遠く,上に覆いがあるような場所だったので,音響的にも今ひとつだった.それでも一応,Hさんは満足してくれたようだったのが,せめてもの救いだった.次回はもっと良い席を取って,また行きましょうとお誘いする.
帰りは,万が一のことがあるといけないので,一旦僕のアパートに行き,車を出して家までお送りした.

☆  月明に  雀
桜の話が出ると、坂を落ちるように鬱に入り、花冷え、花散らしの雨にだけ浮き浮きとします。うろうろと落ち着かない山吹の時期。皐月や躑躅の花を迎えると一段鬱が増し、早く梅雨寒が来ないかと待ち遠しい日を過ごします。
ゆうべは夜中に目が覚めました。包み込む明るさのわけがわからず、カーテン越しに丸く白い光体を認めて、あぁ月夜かと飲み込みました。桜は二分咲き。花冷えです。昨日と今日では朝の気温が10℃以上違うンじゃないかしら。移ろいやすい天候です。
おんみくれぐれもおいといのほど。
一休、華叟から、ふたたびみたび南北朝と足利将軍をさらい、日野氏の系図を書き写し、感じ、溜息をつくという日を過ごしました。『日本数奇』ならびに数冊の松岡正剛さんの著書、それに目崎徳衛『百人一首の作家たち』にもかかりきりで、雀のオツムにはかなりの揉み療治になっています。楽しいけれど、へとへと。くたびれています。
母がおいしいお米と野菜を送ってくれたので、それがなによりの浮き。霜降り肉も鯛も高級なお酒もものかは、これがなによりのなぐさみ、元気のみなもとです。   囀雀

* 一人住まいの母親をはるばる見舞いに行く人、一人住まいになったお姑さんの世話に新幹線で通う人、持病の喘息発作をいたわりながら夫のリハビリに協力する古希の人、引っ越す人、鬱に悩む人。春も、なかなか無条件に長閑でいさせない。一病の不安をしのびながら、ま、息災な妻もわたしも、幸いな方か。
2007 3・31 66

☆ エイプリルフールだから   昴
去ってから、あの人のことが好きだったんだなぁ、って気付くなんて、バカだなあ。
ロックが好き、絵本が好き、きれいな絵が好き、猫を飼っていた、ものづくりが好き、笑い飯(=こりゃ、何?)が好き、詩のボクシング(=こりゃ、何?) を学校祭でやったことがある、漫画が実はけっこう好き…話の合う要素がいろいろとあるなぁ。話の合う人が好きなんだから、好きになるに決まってるじゃない、ということに今まで気付いていなかったよ。遅いねぇ。
ああ、そうだ、人が幸せになるうそをつく人でもあったなぁ。それを一度、「茶化さないでください!」って言って怒ったことがあったなぁ。あれは悪いことをした。たぶん、何だこいつ、って思っただろうなぁ。
でも、ま、今の形のままで良かったんだけどね。淡い気持ちだけのほうが幸せさ。
でも、もうちょっと、視線送ったり何だり、しとけばよかったかなぁ。
と、書いてみて恥ずかしくなった。
さあ、今日も引っ越し作業があるぞ!!

* 転勤か何かで去っていった同僚の男先生のことだろうか。かわいらしい先生。
2007 4・1 67

☆ 家は壊しても、桜だけは。  福
桜博士、櫻男、桜守などと言われる笹部新太郎は
「家は壊しても、桜だけは残してほしい」
と死ぬ時に言い残した。
水上勉の小説『桜守』や白洲正子、いろんな人が笹部新太郎のことを書いている。
その旧笹部邸が桜守公園(岡本南公園)で、家のまん前。台所の窓から今、桜模様が拡がる。
ブルーシートを広げて興じる花見と違って、訪れる人は桜を見上げて、じっーと見入ったり、木の下にたたずんだり、ゆっくりゆっくり、ひと歩きしたり。待ちかねた人達がそれぞれ自分の、桜付き合いを愉しんでいる。私はここのところ、毎日、台所に立って窓を開けては感嘆。そして、人模様を眺めるのもオモシロイ。
たいそうな年齢の老夫婦が、桜に会いにやって来る。腰が相当に曲がっていて、杖をつきながら、老人がひとり黙々と木の下を桜を浴びながら歩を進める。
そういうのがこの桜の公園にはしっくり。
次男夫婦も八ヶ月の子供を連れて来た。

* 花は春、春は花。

☆ 在ボストン日本人研究者交流会   ハーバード 雄
朝一番に,先日購入のお約束をしたソファーベッドを,僕のアパートまで運ぶ.ソファーベッドをバラして車の屋根にくくりつけて運んで頂く.助手席に乗せて頂き,あれこれと世間話をする.
部屋にベッドを運び込み,組み立てる.最初に考えていた置き場所に設置をお手伝い頂いたのだが,なんとなく気に入らず,後で一人で置き場所を変えてみた.なかなかいい感じになった.
少し部屋でくつろいでから,マサチューセッツ工科大学(MIT)に行く.ボストン在住の研究者から成る団体に登録したのだが,今日はその会合がMITで開かれた.
今回の会の趣旨は,ボストンでPI(研究室主宰者)になられた5人の生物系研究者にパネリストとしてご参加いただき,ご自分がどのような研究をして来られ,どのようにしてPIになるチャンスを勝ち取られたのかを話して頂く,というものであった.質問も活発になされ,なかなか有意義な会だった.

多少意外だったのは,「たしかに発表論文のリストは大事ではあるが,それよりも,自分が5年後,10年後に何をしたいのかをはっきりさせ,それをアピールするような履歴書を書くことが重要」と,ほぼ全員がおっしゃっていたことだった.僕の周囲にはインパクトファクター至上主義者が多いだけに,やや理想論的な印象を受けたのだが,そうでもないのかもしれない.
さらに意外だったのは,会に参加していた方の多くは,日本には帰らずにアメリカでPIになりたいと思っていることだった.僕自身は日本でポジションを得たいと思っていたので,そうした人が大半かと思っていたのだが,そうでもないようだ.僕だけが意外に思ったのではなく,パネリストのお一人が逆に,「皆さんは日本には帰りたくないのか?」と聞き返しさえした.
なるほどと思ったのは,ボストンでの日本人のコミュニティーをもっと強力なものにさせることが,科学研究の上でも非常に大事だということだった.ユダヤ人や中国人,韓国人など,皆,積極的にそうしたコミュニティー作りをしている.そうして互いが顔見知りになっておくことが,コネクション作りにも大いに役立つということらしい.特にボストンには様々な素晴らしい研究機関が多いだけに,そうしたコネクションは科学研究にも大いに役立つということらしい.

会がお開きになってから,親睦会として開催された飲み会にも参加した.大学時代の研究室で知り合いだった方とバッタリ出会う.知らなかったが,2年前からボストンに来られているらしい.しかも,現在在籍されているラボは,僕が日本で籍を置く研究室と共同研究しているラボだった.改めて,世界は狭い.
他にも,何人かの日本人の方ともお知り合いになることができた.また,僕の所属するdepartmentで働いておられるPIの方もパネリストとしていらしていたので,ご挨拶させて頂いた.意外に気さくな方で,分野的にも非常に近いので,またhappy hourなどでお話させて頂きたい.
ビールを2杯飲んで酔っ払った.帰りがけに自宅近くのイタリアンでロブスターラビオリを食べ,またビールを1杯.すっかり酔っ払って,ついうたた寝してしまった.

* 雄くんは、東工大から東大の大学院に、そしてたぶん博士課程を経て、岡崎市にある、國の、ハイな研究機構で研究生活をしていた。

☆ ご本の発送準備でお忙しくお過ごしのことでしょう。体調にはくれぐれもお気をつけてください。届くのを楽しみにしています。
平野神社の桜は三分咲きで、大勢の人で賑わっていました。
先日は、花こそまだでしたが落ち着いた京都を堪能され、なによりでしたね。もうしばらくは、桜色の街はざわめきに包まれてしまいます。
八坂さんからの四条通りの写真、深夜に写されたのでしょうか。いつも人と車で埋もれているこの場所も、なんとなく寂しげな風情を見せることもあるのだなとしみじみ眺めていました。
桜の散る頃には東京へも行きたいなと思っています。
ご無理されませんように。   のばら 従妹

(写真 祇園石段上より四条夜景)

(写真 祇園石段上より四条夜景)

* 昨夜に、おもいきり大きく入れた祇園八坂神社の西楼門からの四条大通りの夜景は、あれでせいぜい宵の七時過ぎくらい、いいタイミングで車や人影に無用な邪魔はされなかったが、あの大通りの電光のあかるさは、まだ街が生き生きと活気をもっている風情。
同じ刻限の町なか通りは、高台寺下も石塀小路も新門前も、比較にならない暗やみにもう沈んでいたが、四条通はさすがアフターファイヴの活気に満ちて見えた。
ただ四条の祇園界隈には、ばかげた高層ビルがなく、空の闇が広い。それもあの門からの視野をくらぐらと落ち着かせている。
あの大通りの左右、をそれぞれ裏に入れば、名高い祇園花街、甲部、乙部の二様の賑わいが、あの時刻なら人に溢れて写真の奥に隠れている。そんな殷賑をちっとも感じさせない「夜色四条の寂寞」もわたしには懐かしかった。
左手前の煌々とあかるい店が、昔は、瀟洒な洋館二階建て、フルーツの「八百文」だった。二階は洒落てレトロなパーラーだった。この店の真後ろに、わたしの通った京都市立弥栄中学がある。開校三回生、つまり戦後の新制中学として発足した事実上入学最初の一年生だった。
2007 4・1 67

☆ 心の評価   昴
「道徳」の時間が「徳育」という時間になるかもしれない。
今まで「教科外」だった道徳の時間と違って、徳育という時間は「教科内の授業」になるらしい。
ということは、授業時間「以外」の子どもの生活態度をも見て評価(○△×)していた道徳的行動の部分は、「授業の中だけで」見ればいいということだな。
ということは、授業中教師が「ごみはゴミ箱に必ず入れましょう」と言ったことに対して、「ゴミ箱に必ず入れなくてもいいじゃないですか」と発言し、放課後、廊下のごみを拾ってゴミ箱に入れているような、なんでも反発したがる思春期の子どもの心を、「授業の中だけで評価」すればいいんだな。しかも五段階で。
それでいいなら、いくらでもやってやるよ!
……ではないんだろうけど、極端なことを言えば、そういうことなんじゃない?
思春期の子どもの心は複雑だわ。厳密に評価なんてできないよ。

* 誰が誰に対して「心の評価」などできるものか。
自分自身の「心」に謙虚で謙遜でない者に、他人の「心」を支配目的で評価されてはたまらない。心ほど頼りにならないものは無い、だから心とは大切に付き合うしかないんですとだけ教えて欲しい。
そもそもいまの日本に、空洞化したむかしむかしからの儒教道徳を半端に強いるなど、アナクロも甚だしい。政治家のだれがどれほど儒学に触れているというのか。漢字すらまともに多くは読めない連中が国会に集まっている。代議士の顔をみれば、大方は、知性も感性も胴欲に摩り切った、だるい表情で脂ぎっている。そういう人たちが「教育」をさわり放題にいじくりまわして、手あか・手あぶらで汚してくれる。きちんとした国語を先生が立派につかい、ほんとうにすぐれた美と藝術とにちいさいときから多く触れあう機会をつくってあげるよう願いたい。「徳育」などと謂うから間違う。わたしの『日本を読む』の巻頭の一文字は、「徳」です、関係者は読んで欲しい。
2007 4・2 67

☆ AAA   ボストン 雄
やってしまった...
昼頃,1週間分の食材を買いに行こうと地下駐車場に向かった.自分の車にたどり着くと,車内がほのかに明るい.「おや?」と思ったのだが,どうやら,一昨日Hさんをお送りした際,室内灯を点灯させたままにしていたらしい.
嫌な予感がしたが,案の定,バッテリーが上がってしまってエンジンがかからない.どうしよう...
仕方が無いので,日本のJAFに当たるAAA(トリプルAと読む)を呼んだ.事故やその他,何かトラブルが生じた際に助けてくれる団体である.年会費は日本と同じで1万円程度か.
1時間ほどで来るので,着いたら連絡するとのことだったが,1時間を過ぎても電話が鳴らない.仕方なく地下駐車場に降りたが誰もいない.地上に向かいつつAAAに再度電話をしながら外に出ると,アパートの敷地の外にAAAのマークのついた車が停まっていた.
運転席に座っている男は,僕を見るとうんざりしたような表情を浮かべ,「もう20分も待ってたんだぞ」という.「いや,こっちは聞いてないよ」と僕.とりあえず僕を助手席に乗せて地下駐車場まで向かうが,途中,天井の高さが低い場所があるため,その手前で車を置いて,僕の駐車スペースまで歩く.
バッテリーに電極のようなものをつなぐ.エンジンをかけろというので,エンジンをかけた.ようやくかかった.
‘All set!’と言い残すと,AAAの男はそそくさと帰ってしまった.
僕は車のことには全く疎いのだが,確か,或る程度走るとバッテリーがチャージされたような気がしたので,おそるおそるスーパーまで車を走らせた.
スーパーの鮮魚売り場では,僕の前の客が「Sushi Gradeの刺身をくれ」と言っていた.すると,奥の方から,パックされた上に冷凍されたブロックを店員が持ってきた.なるほど,こうすれば生で食べられる魚を買えるらしい.さっそく僕もお願いして,鮪の小さなブロックを買ってきた.
スーパーの駐車場でエンジンがかかるか不安だったが,なんとか無事にかかり,帰宅できた.やれやれ.
それにしても,日本では4年間ほど運転していて,JAFを呼んだことはないが,アメリカでは運転数回目にして呼んでしまった.しかも電話でのやり取りは当然英語ということで,日本以上にキツイ.
疲れてしまった.

* ハハハ。いろいろ、あるねえ。

☆ お花見、うららかな様子が伝わってきました。
花も、散歩がてら、母と一緒に夜桜を見上げながら、中華屋さんに行きました。麻婆春雨と車海老のチリソース、八宝菜ラーメンをおいしくいただきました。
母の腰の具合は、ぼちぼち、です。
これから友人の家に行きます。
風を感じながら。 花

春色 花海棠 (写真)
2007 4・2 67

 

☆ 中に立つ   昴
「道徳」の問題と同じように、「国旗・君が代」の問題もある。
私は小学校の時に、君が代が歩んだ歴史、詞の意味を教えてもらってから、先生に、「歌うか、歌わないかは自分で決めなさい」と言われてから、ほぼずっと「君が代」を歌わずに来ている。
「君が代」の歌それ自体に大きな問題はないとしても、その歌が歩んできた歴史は惨憺たるものだ。
小学校の頃の先生の良いところは、その歌の意味、歴史を教えてから、歌わないこと或いは歌うことを強制せずに、子ども達に自分の頭で考えさせ、選ばせたことだ。これこそ「教育」だと思う。
ある物事を判断する時、自分の頭で考え、批判したり、選んだりする力をつけていくのが、教師の仕事なのだ。何かを強制したりすることは、教育ではない。
教師は中に立つ、中立であるべきだということが法律で決まっている。「君が代」を歌わせるのも歌わせないのも、中立の考えだとは思えない。
子どもに考えさせる、選ばせるということが教師の仕事であるべきだ。
なのに、「君が代」を強制させるのって、おかしいなと思う、んだけど…。

* 昴さんの自問自答に、「難しい問題ですね」とコメントしていた人がいた。わたしのマイミクさんではないので書き写すことはしないが、それも読んで含めて、わたしの思いを堅苦しく「昴」あてに書いてみた。

* 国歌と国旗と石原候補   湖
国際社会での現代国家であるからは、国旗も、国家も、必要です。
「日の丸」はデザインとして容認に足る優れたシンボルですし、「君が代」は***さんの謂われる「君 とは、私たち 一人ひとりだと今の私は感じています」ように受け取れば、ま、目くじらたてる歌詞ではありません。 (もっともこの和歌の歴史から謂うと、そんな理解は実は無理なんですが。またこの国歌や国旗の敗戦前までの近代史は、遺憾ながら多くの場合、侵略と支配との惨憺たるシンボル、加害のシンボルであったことも決して忘れてはならない反省ですが。)
ただし、国家権力や行政の圧力で、個々の「私民」に国歌国旗を強要するのは、基本的人権、思想信条の自由に対する犯罪的な侵害です。どんなことも、人が人に機械的に強要するのは、ゆるされぬ犯罪的行為です。そういう國の犯罪、行政の犯罪と闘うときに、胸の内で、一人一人の私民が「立つ」「立てる」よりどころとして親愛される、そういう国歌であり国旗でありたい。
「私の私」をなによりも優位に、その自立と安全に奉仕する「公」であるべきです。そうであってこそ、イザという時に「私」は「公=國」を信じ愛し護れるのであろうと思います。
国歌も国旗も、親愛のシンボルでこそあれ、「公」が「私」に強要してよい管理や締め付けの道具ではないと思うから、わたしは、さしあたり石原慎太郎氏の都知事「落選」をつよく希望しています。個々の考えでは共感するところも有る人ですが、根本で、彼は、「公」権力を私し悪用しているとわたしは観ています。
2007 4・3 67

☆ いつか来た道   一読者
むかし、若い同僚が海外旅行で知り合った人と結婚して東京へ行った。東京都の教員採用試験に何度もトライ。努力の末、小学校の教員として採用された。
その後久しぶりに会ったときの彼女の話。
「国旗・国家」で問題ありの教員には、報復人事が待っている。(とんでもない遠くへ転勤させられる。島などの僻地。要研修教員のレッテル。)そして減俸も。
みんなびくびくしている。
若くて、スリムで、化粧っけもない、大きな口であははと笑う人だった。リベラルな考えを率直に言う気質も好きだった。親子ほど年が違ったけど気が合ってよく話した。天皇制のことも、組合のことも、フリードリヒ2世のことも・・。
その人が、「いつかきた道や」と言っていたのが今さらながら思い出される。
高校時代『太陽の季節』を、吐きそうになりながら読んだ。
こんなことってあるんか、古い道徳や既成観念を打ち破るには、こういう生き方もあるんか・・。
自分の幼稚さを恥じたものだった。
しかし、石原ものはそれ以来読まない。弟の映画もTVも見なかった。選挙運動に「軍団」が出てくるのもいやだった。ある高校入試問題集を見ていたら、文章問題の例文に息子の随筆があり、兄弟の確執や情愛が細やかに書かれていた。家のプールでふざけるところや、「裕次郎叔父」が何度も登場してくるのがいやだった。
こんな(一族の)人のために、若く優秀な、子供に慕われる先生が脅かされるのはたまらんと思う。
人の心や教育に(高圧と強要の)口をはさんでほしくない。
国旗・国歌は必要だし、藝術的・美的見地から優れていて、国民として愛着があるのは自然で当然である。しかし、歴史を顧みてこの愛着に、ある種のこだわり(後ろめたさ)が潜んでいることも自然で当然だし、 今までも、これからもそれを感じつつ、見上げ、歌うことが日本人として自然だし、義務だと思う。
私の『太陽の季節』の「初発の感想」は、意外に正しかったんだと今にして思う。
今度の選挙・・。遠くからも、見守っている。

☆ 能登・門前町の、この度ひときわ被害の大きかった地域には、私の大好きな古い町並みがありました。お盆には家々の門口に家紋を染め抜いた幕を張りめぐらし、上町と下町から船形の山車が行き交う…。
かつて北前船で栄えた港町。
何度かお世話になった輪島・寝豚の宿にメールしましたら、なんとか無事で営業している、という返事をいただき、ほっとしました。
一難去ってまた一難、という言葉が思わず口から出る今日この頃です。でも新しい務め仕事が始まって、かえって落ち着きを取り戻しました。
先生の笑顔に、この春、お会いしたいな! ゆめ
2007 4・3 67

☆ おはようございます  蘭 ニューヨーク
四月になりました!! あと一週間で私もとうとう21です。
昨日は部屋の大掃除をして、気分も新たに最後の20歳週間を始められました☆★ もっともっと、がんばらなきゃって思います!!!! でもとりあえず、日本に居るころより6きろ太ってしまったので (ありえない) 帰国に向けてダイエットです!!4月中には3キロ落とそうと思います(`Д´)ノ
私も花粉症なのに、NYはもしや、花粉症がないんでしょうか?!
鼻水も涙もまだ姿を見せません!!幸せです。笑♪
帰国日も決定しました。*月**日です。決まったら決まったで、そわそわします。。
本、ありがとうございます。。!!!
わぁぁどうしよう?! 日本の実家の方がいいですよね。
読むのは帰ってからになってしまいますが、帰る楽しみがまたひとつ増えます(>∀<)★
今日の天気はぽかぽか晴れです!!!! 最高です♪
いってきます。

* 半世紀半もとしわかい友達。久しく過ぎた勉強を終えて、帰国まぎわこそ、気をつけなくちゃ。怪我、ありませんよう。

☆ おはようございます。お元気ですか、風。
今、韓国ドラマの好きな母と一緒に「天国の階段」というのを見ていました。わたしは、設定や筋にツッコミを入れっ放しでした。
ここ数日、雨だったりして冷えましたせいか、母の腰の具合がよくなさそうです。
ですので、家でゆっくりしています。
風は何をなさっていますか。
発送の用意は順調ですか。 花

* 親孝行のできる幸せ花の雨

☆ ありがとうございます   珠
> 健康をそこねていないといいですが。
季節外れの風邪は、存外しんどくて。そろそろ目覚めなければいけませんね。
そう、先日京都へお出かけ後に書かれたmixiに、宿「岩波」の箇所を見つけて驚きました。丁度その前日、友人に話していたのですよ、「岩波」に泊まった時の事を。
もう20年になるのでしょうか、3回ほど泊めて頂きました。一階の奥、窓を開けるとすぐ下には白川が静かに流れていました。部屋に架かっていた額に惹かれて尋ねると、森繁久弥さん宿泊の折に書かれたものとの事。持っていた絵画道具で真似て書き、母に送りました。母はおもしろいと今も飾ってくれています。
それはうなぎの絵に添えて、

岩波さんへ

つかみどころのないやつだし
往生際もさっぱりだが
腹を割いて焼いてみりゃ
ちったぁ味のある男

マッチ棒の軸で書いた言葉がありました。懐かしい思い出です。
自宅パソコンを買い換えずに耐えていますが、職場のPCで、「私語」は毎日拝読しています。
お元気でいてくださいね、湖。

* 『風の奏で』で、「岩波」に泊まっていた「M教授」と歓談の時をすごしたことを書いている。あの作品ではじつは実在の人である「M教授=目崎徳衛」「T先生=角田文衛」両氏を好き勝手に虚構し、作のリアリティを支えて貰った。前にも書いた、この宿はひところ先代幸四郎一家の常宿でもあった。むかしの我が家から五、六十メートルも東に、今も、ある。
2007 4・4 67

☆ 年を取るということ   笠 e-OLD
年を取るということは、今までなんでもなく出来ていたことが、いつの間にかできなくなっていることらしい。若い頃は思いつくより先に体が動いた。しなければいけないことはケリがつくまで一心に出来た、と思う。
その若い頃どういう状況だったか、あるご老人に言われたことがある。
「おめぇも、年取りゃわかるよ」と。
もうお会いは出来ないが、
「はい、今になってずしんずしんとわかってまいりまし。」と最敬礼しても、
「ざまぁみやがれ」と笑われるだろう。
ある先輩は、「七十を過ぎると、何をするにも億劫になるよ。」と言っていた。
土屋文明は、「九十三の手足はかう重いものなのか思わざりき労らざり過ぎぬ」と。
みな誰でもはじめてその歳になって行くわけで、きっとまごまごしながら未知の老いの年々を実感して行くのだと思う。
この間行った診療所の受付で、やっと会計を済ませて診察券を受け取った。出口に向かいながら財布にしまう時、「やっ、これは、別のクリニックの診察券だ」と気づいた。どうりで受付のおねえさんが、いつもより余計ににこにこしていると思った。だまって返してくれたんだ。

☆  「はかなさ」に惹かれて  福
『「はかなさ」と日本人 ~「無常」の日本精神史』 竹内 整一 (平凡社新書)
買おう買おうと思っていて、ようやく今日、購入。
ゆっくり読みたいなあ。
電車に乗り込み、ちょっとだけ、頁をペラペラめくってみた…。
あとがきに、
(マイミクの湖さん=)秦 恒平さんは、
もっとも愛読する現代作家のひとりです。
かつては「秦文学研究会」なるものを十数年開き、
本書の構想はその頃よりつながって…。
秦さん登場で、何かほっこりして、朝が早かったから「愉しみ」をバッグに仕舞い込み、うつらうつら、へ。

☆  『雪景百花』4   maokat
歌ほどは 悲しくもなし なごり雪
昨日は東京でも満開の桜に雪が降ったとか。
札幌ではこのところ毎日雪がちらついています。研究室の窓の下に大きなオンコの木があって、樹冠の下だけ雪が溶け、庭に墳墓のような面白い模様を作っていたのですが、今日の雪でまた模様が白く消えました。
七年前のちょうどこの時期、石垣から赴任してきた勤務初日をいまだに忘れません。あいさつやら荷物の整理やらであわただしく一日の仕事が終わって、車で暗い国道を、仮住まいのホテルへ向かって走っていると、みぞれが雪になって激しく降ってきました。薄着で寒かったことと、とても寂しかったことをはっきりと憶えています。
今は雪が降っても時雨れても、北国になじんで、寒さを覚えることもなくなりました。文化的には「受容」、生物学的には「適応」した自分自身を思った雪でした。

* maokat, how are you ? hatak
四月の雪が十九年ぶりに都心に降ったと。わたしはこの冬から、一度も雪を目にしないできた。
2007 4・5 67

☆ お風呂場の謡  香
くすりの後遺症で鬱々としてゐた。雲が晴れたやうに気持ちが明るくなる時があるけれど、すぐ、くらーくなつてしまふ。
欝を遣らふのに、大声で歌をうたふとよいと教へてくれた人がゐた。野中の一軒家ぢやない、長屋暮しだから大声なんか出せないと言つたら、カラオケ・ボックスなら大丈夫、附合つたげると親切なことだが、あれ、わたし、駄目。二、三度、連れてゆかれたことがあるが、まつぴら御免かうむりたい。
ふと、思ひついた。上下左右、他人の住まひで囲まれてゐるコンクリ長屋なので、お風呂場に窓がない。お風呂場でなら大きい声が出せる。それも昼間ならあたりの物音に紛れるだらう。
謡ひをうたふことにした。最初は「吉野天人」。花盛りの吉野山に降つてきた天人が舞ひ謡つて天へ帰つてゆくといふめでたい曲で、みじかいし、わたしが初めてのおさらひ会で謡はしてもらつた曲でもある。
「なうなう、あれなる人々は何事を仰せ候ぞ」といふ、シテ登場の呼びかけは、声だけが遠くからひゞいてくる感じと、師匠が何度も何度もお手本を示してくださつたつけ――。
一曲謡つたらすつきりしていゝ気持ち。
毎日、一曲、今の季節に合ふものを謡ふ。妄執がどうの、なんていふのはやらない。逃げちやう。
今日、謡つたのは「熊野(ゆや)」。お能の舞台だと、ヒロインの熊野は若い女のひとで、愁ひはあるものゝ牛車の作りものなど出て、華やかでです。
不安症からすつかり解放されたわけではないけれど、だいぶ、よい調子。
四月一日、河のや梅若寿家元に率ゐられて、花ざかりの桜並木の下、今風にいへばストリート・ダンス、そのかみは大道藝のご披露の一門の尾つぽにくつついて、舞はせてもらひました。最後は「かつぽれ」で締めて、おいしいビールを飲んで、これで欝はふつ飛んだと思ひきや……。うつくしい熊野さんのお蔭で少し、もちなほしました。

* 熊野といえば平宗盛。たぶん漱石自身もであろうが、『我輩は猫である』の苦沙弥先生は後架に入るときもちよく「これは平の宗盛なり」と唸るヘキがあり、近所から「宗盛せんせい」の異称を贈られていた。香さん、これは女漱石さまの風情ではある。
「熊野、松風に米の飯」とは、これが最良というより、最もなつかしい意味であろう。美女の熊野といえば清水坂、清水寺そして花は桜となる。梁塵秘抄にも、清水詣での道筋がさながらSの字を書くようにうたわれている。
能の熊野(ゆや)には後日談がある。南都を焼いた重衡が一ノ谷で生け捕りにされ、鎌倉へ送られる途中、熊野のすむ宿で彼女から「いたはし」と慰められ、はかない歌の贈答があった。

☆ ギリギリ息子  馨
今日は娘の入学式ですが、息子の初めての誕生日でもあります。
1歳になる息子は、いろいろな発育過程が微妙に娘と違っておもしろい。
まず、自分で食べようとしない。お腹がすいたら大騒ぎして泣きわめくのに、口を開けて待っているだけで、目の前に食べ物を置かれても手で遊ぶのみで、決して口に入れようとしません。この点、5ヶ月くらいから自分で食べたがった姉とは大違い。
それから、伝い歩きの方がハイハイよりずっと後でした。娘はほぼ同時だったのですが、これは我が家のリビングにあまり伝い歩きする家具がないからかも。娘の時はもう少し子どもの小回りが利いた家にいたので。
でも、娘と同じだなー、と思うのは歩くよりも先に階段を上ってしまったこと。まだ上らないだろう、と下に子どもを置いたまま私が上に行って家事をしていると「ふっ、ふっ」というかけ声が近づいてきて、ニコニコ顔がバー! 以来、一人で階下に置いていかれなくなりました…。
もう一つ、娘と同じなのが、我が家ではお風呂が沸くと音がなるのですが、その効果音に合わせて、楽しそうに踊る(というか体を揺らせる)こと。娘はこれ、3歳近くまでやっていたので懐かしい。
こんな、息子ですが、昨日、突然4歩、歩きました。
それから、突然、目の前にあるパンを手に取って口に入れました。
明日から1歳になると思うと覚悟が違うのかしらん・・・。
一応「歩いたのは何ヶ月?」という質問に、「11ヶ月」とか「1歳前」とか数字の上では答えられる日付ではあるけれど、こんなギリギリ、母はイヤだなぁ。
進学も就職も全部ギリギリだった自分を見ているみたいだゾ。
ちなみに、鎌倉市の「お誕生前検診」(お誕生前日までの検診)、ギリギリ人生の母は昨日連れて行きました。息子のかかりつけのお医者様では基本的に検診は水曜日なのですが、検診期間のこのひと月、ずっと水曜日に予定が入り続けて、3週間前の時点で、行かれるのは4/4しかないということが判明。ドキドキしながらも体調に気をつけて昨日つれていきました。これって、まさにギリギリ。顔なじみの受付のおばさんにも「危なかったねー」と言われ…。この親だから強くはいえないんだけど、頼むから余裕を持った大人になってね。
さて、今日はこれから入学式。
夕べの雨のあとだけれど桜どれくらい残っているかしらん。

* おめでとう!! 満開。

* マイミクが41人。「mixi」では、この41人が、今日はどんな日記を書いているか一覧で示してくれる。だれもが毎日毎日書くわけでないから、目を配れば、新着分はすぐ分かる。読み甲斐のあるのもないのも有るのはあたりまえだし、読み甲斐のある、琴線に触れてくる、そして差し支えのない人のものだけを、過度にならない程度に時として此処へ貰ってくる。「マイミク」制の利用の仕甲斐は、あらかじめ心親しい人の書かれた気持ちや暮らしがわたしにも想い描けていること。こんな我が儘をゆるしていただけること。感謝しています。楽しんでいます。そしてこれもまたわたしの生活、わたしの視野、わたしの安定剤。
いわゆる電子メールの方は、時には何十とくる全部が「spam」で、もっぱら削除の手間がかかるだけ。開くのも物憂くて、ときたまの嬉しい呼びかけすら「珍しいなあ」という気分。それにしても「spam」の洪水には、その虚しい浪費には、ほとほと呆れて声もない。
2007 4・5 67

* 今朝もマイミクさん三人の「いい言葉」がはるか離れた三方から飛び込んできている。世の中のこと、一概に観ていると世界を偏頗にする。それがよく分かる。どの一つもみなわたしの胸の内で溶融し燃焼してちからになる。いまわたしは、考慮のあげく「mixi」をこのように享受している。自分からは「mixi」へ発信していない。「私語」との二重手間は避けたいから。

☆ 大成駒(屋)のゐなくなつた日   香
昨日、東京は雪だつたといふ。テレビは千鳥ヶ淵の櫻に降る雪を見せてくれた。雪か櫻か白いものが水の上を舞ひ、水に吸はれて行つた。
大成駒――歌右衛門の逝つた日もさうだつた。調べてみたら、もう六年も前になる。
その年の三月最後の日、わたしは東京駅に近いビルの何階だつたか、高いところにゐた。窓から外を見おろすと、いつもより暗いゆふべのほのあかりに、白々浮かぶ花盛りの桜に雪が降つてゐた。何だかぞくぞくするやうなうつくしさだつた。
夜になつて雪は止み、ぬぐつたやうに晴れた夜空に半月が皓々と照りわたつた。外に出てみると、雪を被(かづ)いた櫻がしんと発光し、はなびらとも雪とも知れない光の粒を零してゐた。歌舞伎の舞踊劇『積恋雪関扉(つもるこひ・ゆきのせきのと)』そのまゝの光景だつた。
目の前の、月にかゞやく花景色雪景色に、かつて観たうつくしくもあやしい舞台が重なり、ぼうと見惚れたあの日、あとで知つたことだけれど、「関の扉」のヒロイン墨染櫻の精を当り役のひとつにしていた、当代の名女形六世中村歌右衛門がしづかにあちら側へ旅立ってゐた――。
彼女、いや、大成駒を最後に観たのは、『井伊大老』のお静だつた。もう、足がたいさう弱つてゐて、あまり、動きのない役なのに、立つたり坐つたりするとき、文机か何かに手をつくのが痛々しくあはれで悲しかつた。
この時、直弼を演じたのは吉右衛門、彼の父白鸚が最後につとめたのも、この直弼役だつた。この時もお静は歌右衛門だつた。
北條秀司作の『井伊大老』は、時間を、桜田門外の変の前夜に限られてゐる。直弼はこのあと、数時間しか生きてゐなかつた。一夜明けて屋敷を出るとき、直弼は花ざかりの櫻と、霏々と降る雪とを見たらう。あるいは兇刃にたふれた時、目に映つたのが雪の櫻、などとかんがへてゐると、雪を被く櫻のもとに泣きくづれる歌右衛門のお静が見えてくる。

* 『井伊大老』は、しんしんと静かな感動深い舞台で、わたしは今の幸四郎の父白鸚が井伊大老を演じてまさにそれが最期ともいえる舞台を、歌右衛門のお静役で観てきた。総身のそそけだつほどの感動が、広い二人きりの歌舞伎座の舞台から雪の積むように伝わってきた。
「香」さんの文、全て旧仮名遣いであることにも、注目。

☆ しゅぎょう   槇
明日、我が家に10人の来客がある。
そこで、慌てて障子と畳の入れ替えをした。
新しい畳の香りが、心まで綺麗にしてくれる。それは、ウソだが。。。
畳の臭いで心が綺麗になるほど、簡単じゃない。
が、
気持ちがいいのは、間違いない!!
畳は素材に少々こだわって、広島の備後にした。実に香りが良い。自己満足に過ぎないのだがね。
さて、自己満足に浸ってばかりおれぬ。これから明日の準備にかからねば。
前泊組みもいるので、今晩の夕食は、どうしよう?
明日の朝食は?
明日の昼は、私たち夫婦も入れて12名分だね。
そして、夕食は?
翌朝の泊組の朝食は?
お昼までいるだろうから、昼食は、出前でいいかな???
料理のことで頭がパンク寸前です。
家事全般において「青葉マーク」の私。まさに、「しゅぎょう中」です。
この『しゅぎょう』を楽しめるかが、大事。
いまのところ、パンク寸前を「わっはっは~」と、笑ってます。
今日の昼には、旦那さんのお母さんがやってくる。
これからケーキを焼きます♪

* 日本中に、こういう、健康で幸せいっぱいの若奥さんの日々も在る。テレビの中にばかり日本があるのではない、あっちが幻像。

☆ 光で行動を制御する  バーバード 雄
今朝も電気生理の準備.
予想されたことだが,今の設備では足りない部品がいくつかあることが分かった.酸素ボンベに取り付けるレギュレーターが見当たらない.
JCは,「最後に貸してくれといったのはアンドレイだったから,あいつが持っていったまま返さないんだ」と言って,アンドレイのいる部屋に向かう.
アンドレイは,最初は「分かった分かった」と言っていたのだが,時間が経つにつれ,「いや,僕は知らない」という.珍しくJCが語気を荒げて「俺が知っている限りでは,これを貸してくれと言ったのは,お前が最後だ.借りたものを返さないのなら,この部屋には出入りするな」と言う.普段,怒った顔を見たことがないJCらしからぬ勢いに,驚く.
すごすごと引き下がったアンドレイは,自分の部屋からレギュレーターを持ってきて取り付けようとした.だが,そこでアンドレイが「JC!」と呼びかける.何だろうと思ったら,機械の陰から,失ったはずのレギュレーターが出てきた.単に,日ごろ実験室を乱雑に使っているJCの記憶違いだったのだ.さすがにJCもバツが悪いのか,謝りもせず,憮然としていた.
ただし,残念ながら,見つかったレギュレーターは壊れていて,結局,新しく買いなおすこととなった.
セットアップの傍ら,インターネットのスポーツ実況のサイトでレッドソックスの試合の実況中継を確認する.松坂は,無事,初戦を白星で飾ることができたようだ.普段,ベースボールの話題はほとんど上らないのだが,意外にもラボにはレッドソックスファンが多いらしい.
実験の合間に,科学雑誌「ネイチャー」の今週号を読む.「ネイチャー」は毎週木曜日に発刊される.「サイエンス」は金曜日.「セル」は隔週の金曜日に発刊される.木曜と金曜には,一通り目次だけでも目を通すのが習慣となっている.
今週号の目玉は,光で神経細胞の活動を制御してしまうというもの.
藻類から見つかったチャネルロドプシンとよばれるタンパク質は,光を当てるとイオンが(を? 秦)流す働きを持っている.今回使われていたチャネルロドプシンは2種類で,ChR2とNpHRと、それぞれ名づけられた分子.
ChR2を細胞に発現させ,青い光を当てると,ナトリウムイオンが細胞の中に流れ込み,カリウムイオンが細胞の外に流れ出る.こうすると,細胞の膜電位と呼ばれるものが上昇する.神経細胞などでは,ある閾値まで膜電位が上昇すると,活動電位と呼ばれる急激な膜電位上昇が起こる.平たく言うと,これが「神経が興奮した」ということになる.
NpHRを発現させた細胞では,黄色い光を当てると塩化物イオンが細胞の中に流れ込み,ChR2の場合とは逆に,膜電位は減少する.これは神経細胞の場合で言えば,「神経の興奮を抑えた」ということになる.
分かりにくくなってしまったが,要するに「ChR2は青い光を当てると細胞を興奮させることができるし,NpHRは黄色い光を当てると細胞の興奮を抑制できる」ということである.
これらの分子をマウスの神経細胞に発現させたところ,確かに青い光を当てると神経細胞が興奮し,黄色い光を当てると抑制されることが確かめられた.
圧巻は最後の実験で,C.エレガンスという線虫の神経にNpHRを発現させた実験.
Cエレガンスは体が透明なので,外から光を当てれば,神経細胞にまで光が到達する.しかも,神経細胞が一個体当たり何個あって,どんな風に結合しているのかも,大体分かっている.
NpHRを発現させたC.エレガンスは,暗闇の中では普通に動くことができる.しかし,黄色い光を当てた途端,固まって動けなくなってしまう.筋肉を動かすための神経細胞が,活動できなくなってしまうからだ.
この論文の結果は,ChR2やNpHRが藻類から見つかった時点で,ある程度予想されたものではある.しかし,ここまで見事にやってあると素晴らしい.
実は,先日のコールドスプリングハーバー研究所でのシンポジウムで,この研究の発表があったらしい.
基本的にコールドスプリングハーバーのシンポジウムや「ゴードン会議」と呼ばれるシンポジウムでは,まだ論文になっていない最新の成果を発表することが求められている.その代わり,聞いたことを他所でしゃべってはいけない.論文になって初めて,成果として認められるからだ.
シンポジウムに参加していたライアンが,昨日,その時のビデオ(コールドスプリングハーバーのウェブサイトに載っていて,シンポジウムの参加者のみがパスワードを用いて閲覧することができる)を見せてくれた.光を当てると線虫が動けなくなる様子をビデオで流していた.やはり圧巻だった.
光で神経回路を操れるというのは,なんだかゾンビのようだ.気味悪く思われる人も多いだろう.
しかし,神経回路を解析するツールとしては,非常に有効な手法だと思う.医療への応用でも,神経がうまく働かない人への遺伝子治療に用いることで,動かなかった手や足を動かせるようになるかもしれない.勿論,そのためには,もっと神経回路の研究が進まないと難しいが.
帰りはポーターに寄って,Kotobukiyaで日本食材を購入.Tで帰宅.

* こういうのを読ませて貰うと、理解は遠く及ばなくてもゾクゾクする。
「香」「槇」「雄」お三人の日記を読んでいると、人間の世界は広大無辺だと嬉しくなる。そしていくらか謙遜になれる。
2007 4・6 67

☆ 筍  泉
季節物、恒例の若竹煮、木の芽和え、筍ご飯の用意をしました。残念、まだ九州産しか出ていません。
京都西山、善峰(よしみね)さんの参道で、初物筍のお値段の高かったこと。
仕事休みの三日間、義弟が車のサービスをしてくれたので、存分に京の桜巡りが出来ました。
到着の日は、山科から、長閑な井手の里へ地蔵禅寺の枝垂れ桜を観に走り、夕刻、八幡の麓で背割り桜を観る頃は、寒くて首をすくめていました。
翌日、京都新聞の桜情報に、丹後山国の「常照皇寺」も満開て書いてると、弟が。たしかあそこは市内よりは二十日は遅い筈やと、首を傾げながらも、ばたばたと忙しくしていた妹と、確かめもせず、まあ、ドライブや、行ってみよか、と延々と走って山国へ。
咲いているワケがなく、奥深い山は、まだ微笑だにしていない。義弟とお寺の庭師さんとの、
「新聞に満開て書いたりましたで」
「新聞社は観にも来んと勝手に書かはんにゃわ」
なんてやり取りを聴いていましたが・・・心密かに読めてきたので、帰宅後、新聞で確かめると、満開は「嵯峨野の常寂光寺」でした。ジャジャーン
では、とそのまま西山の善峰さんへと走り、午後は天候に恵まれて、明るい京都盆地を手に取るように眺め、何本かの満開の枝垂れを観ました。
いつも混雑の嵐山は車で通り過ぎるだけですが、京都ならではの、虚空蔵さんの十三参りの子に沢山出会い、これはいい風情です。
亀山をバックの渡月橋の景色の佳さは、何度も観ているのに、「ええなあっ」て感嘆の声が出ます。少し離れた大覚寺が空いているのを知っていて、大沢の池を一めぐり、のんびりと散策です。
翌日、混まない内にと朝早やに醍醐寺へ。去年は晴天に映える最高の桜を観ているので、曇り空の今年はやや落ち着いて。
山科から大石内蔵助が伏見へ出るに使ったという狭い近道で七条に出て、第一目的の泉山(せんざん)へ。
あと何年、こうして京都へお墓参りに帰れるかな、と日吉ヶ丘の母校を眺めながら物想い。そして帰りはついでに、山科毘沙門さんへ。
車に乗らない一日は、蹴上からの散策。今回はインクラインにも登り、荒れたプール跡を見て弥栄中学の水泳大会を思い出し、岡崎から平安神宮、そして粟田坂下、三条角の「お福」で美味しいおうどんを食べるのも、目的。
青連院への道を選ばず、白川筋から光秀首塚に頭を下げて、古門前の坂を登って、知恩院へ。
円山公園、左阿彌の辺りでゆっくりと休んで、祇園、辰巳橋を抜けるのも、いつも通り。
四条から三条までは賀茂川べりの遊歩道を。そして宿近く、山科からは疎水端の桜を観ながらの桜ずくしでした。
筍ご飯が炊けたようで。オヤカマッサンドシタ。

* どこもかしこも、自分の眼で景色が、花の風情が偲べる。

* いつのまにか日付が変わっている。
2007 4・8 67

☆ 微妙な年齢?  馨
入学してちょっと「お姉さん」の自覚がでてきたのか、娘が最近、少し難しいことを聞いてくるようになりました。
先日、夕飯を食べようと着席した時のこと。
娘が突然「ねー、人間ってなんで生きてるの?」
???
「えーと、それは何を食べてっていうこと?」
「ううん、どうして生きてるの?」
うーん、もうこういう質問が出る年齢になったのかしら。ちょっと早いような気もするのだけど。
私は子ども向けに上手にかわすのができない性格で、たいていのことは直球勝負で打ち返してしまうので、今回も大人と会話するようにストレートに回答。
「いろんな人がずーっとそういうことを考えてきて『哲学』というお勉強もできているし、『宗教』っていうのもある。でも一つの答えはないんだって。ずっとその質問を考え続けてごらんよ」
「えー、いやだぁ。どうして答えがないのー」
「世の中、答えがないことも多いの。でも、考え続けるっていうのが大事なことなの。人生、これからはそういうことが多いんだよ。」
よい対応だったかどうかわかりませんが・・・。
そして、昨日。
主人と、何時頃選挙に行く? と相談していると突然
「どうして選挙ってするの?」
これまたストレートに打ち返してしまう私。
「国民の義務だから」
ここでかつて「おべんきょ」のできた主人が、訂正。
「選挙は義務じゃないよ、権利。そんなこといったら現代社会の試験で×つくよ」
「へぇー、義務だと思ってた…。現社なんて寝てたもの(言い訳です)。」
「罰則ないでしょ」
「労働の義務だって罰則ないよ。あれと同じじゃないの?」
「違います!」
と、話は横道にそれて行きましたが、その後選挙に行く道々、娘から質問攻めにあい、なぜ選挙をするのかから始まり、守秘義務だのなんだのまで説明し続けました。
自分自身が同じ年頃の頃は、読んだ本の主人公になりきっていたり、虫をずーっとながめてたりと、ぼんやりした子どもだったので、あまりにも違いすぎて、この年頃の子どものこういう質問にどう対応してよいのか…難しい。
でも、鋭い質問をしてくる一方でこんな一面も。
まだ春の浅い頃、雨戸を立てていたら夕焼けの中に星が見えたので「一番星が見えるよー」と声をかけると
「ひかるクンの星だね」
「・・・・」
「お葬式で、パパが『一番星になった』って言ってたもん」
そうだね。
一緒に卒園式を迎えることはできなかったけど、今でもずっとお友達だよね。
ひかる君のパパとママに、時が優しく流れて行ってくれますように。
二人でしばらく一番星を見ていました。

* 仏陀もイエスも老子も、答えられない質問には「沈黙」で答えていた。
「世の中、答えがないことも多いの。でも、考え続けるっていうのが大事なことなの。人生、これからはそういうことが多いんだよ。」
優れた対応だと思った。選挙のことも。一番星も。みんなで お幸せに。

* 夕日子にも幼稚園のころ、上の、「ひかる君」と同じようなお友達がいた。その夏京都へみんなで帰り、ビルの屋上で大文字をみたとき、すぐ東の山原にも大谷墓地に無数の送り火が燃えていた。夕日子は火の色にしろい顔を真向けて、涙をこぼしながら事故でなくなった仲良しを彼方へ見送っていた。『みごもりの湖」だったろうか、それを書き込んだ。わたしは今、十九で逝ってしまった孫のやす香を想っている。

☆ 都知事選,恩師の退官   雄 ボストン
日本のニュースによれば,都知事選は石原慎太郎の圧勝だったらしい.
何故,こんなことになるのか,僕には残念でならない.ただでさえ,あの傲慢な言動や周辺諸国への不必要なまでに刺激的な発言を,あと4年間も耳にしなくてはならないのかと思うと,うんざりする.かといって適当な候補者がいたかというと,それも僕には疑わしい.
まあ,僕の日記を読んでくださっている方の中には少なからず関係する人もいるし,あまり過激な発言は,ここでは慎みたい.なにしろ僕は東京を5年以上も離れ,今では海外で生活しており,完全に蚊帳の外だ.ただ,生まれ育った東京の行く末のことを考えると,暗い気持ちになる.
昼頃,メールをチェックしていたら,大学院時代の恩師の退官記念パーティーの写真や同門会の名簿が送られてきた.あまりにも大勢の参加者があったため,集合写真は一人一人の顔がほとんど判別できないほどだった.しかし,スナップ写真の中には,懐かしい顔がたくさん見える.大きく変わった人もいれば,昔と何も変わっていない人もいる.子連れで参加している人もいた.3月末ということで,1月に渡米したばかりの僕は参加できなかったが,できることなら参加したかった.
在籍していた頃は,研究室が嫌でたまらない時期もあったが,こうして今写真を見ると,とても懐かしい.僕の人生の中でも確実に重要な数年間を過ごした場所であり,そこでの多くの人との出会いは,僕の中で確実に大きな財産となっている.
教授は退官後も,4月から別の研究所に移って研究を続けておられる.お体に気をつけていただいて,これからもご活躍して頂きたいと思う.

☆ 都知事選の結果は、都民でないわたしにも残念なものでした。でも、気を取り直して。
今日は、英語の日です。いいお天気ですが、午後には崩れるかもとの予報が出ていました。
母の腰の具合は、悪天候でさらに悪化するようなので、ちょっと心配ですが、根気よく通院してほしいと願っています。
きのう、住宅会社の営業さんがいらして、諸費用の精算明細を報告してくれました。かなりの額が戻ってきます。もともとうちが払ったものだけれど、なんとなく嬉しいです。
桜は、ご近所のあちこちにたくさん観られます。そろそろ葉桜になってきていますが、それもまたきれいなものです。
ご近所には、パンジーの咲いたお宅が多いです。
うちも、何か小さい花を植えたいなあと思っています。白い花びらのものを。
お宅にも、植物がたくさんあるのでしたよね。
花をごらんになって、花を感じてくださいね。

* 咲くべき人たちは、みんな、立派に花咲いて欲しい。
2007 4・9 67

☆ 力強い「亥」の筆致の切手、そしてやさしいさくら草の封緘…お心遣い有り難く嬉しく、思いがけない贈り物に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
ひどい黄砂、そして花粉てすね。どうか日々お健やかにご機嫌よろしうと祈るばかりです。
お心にかけられまして御手ずから封書でご投函くださいましたこと深く感謝いたします。何よりペンの文字が一番嬉しうございました。あつく御礼申しあげます。
お彼岸に京都高島屋で「没後100年 浅井忠展」が開催されていることを知りながら行かずに日を過ごしました。
先の休み、主人は大阪日本橋へ出て阪急に乗り換え、大川端の花の雲を車窓に眺めて大山崎山荘美術館に「川上澄生展」を観たあと、長岡京跡、山崎、水無瀬の寺社を歩き、咲き匂う花とそのもとで飲むビールの両方にほろ酔いになって帰ってまいりました。
雀は家で雨音を耳に、本を読んで過ごしましたが、以前に水無瀬を遊山した折に山崎の関戸院跡で知った、わが子にすがりついて狂乱のままひきはがされその後まもなく世を去った女性が“儀同三司母”と分かって、ぽかッとオツムをなぐり、また“道綱母”から定家への血のつながりを知って驚きました。
また正剛さんが、「私はながいあいだ桜が苦手てあった」「おそらくは桜の密集感覚が好きになれなかったのだろうとおもわれる」と書いてらしたのを読んで、胸のつかえがおりる気がしました。そうなのです、雀は密集して咲く花や“お花畑”がキライなンです。お花畑はあの世に行けばいやというほど眺められますからね。
桜なら山桜の古木がすっくと一本斜面に立って、ひとりしずかに咲き風に吹かれ月に照らされる姿を見に出掛けて、冷たい風のなかで木を見上げているのが好きなのです。
支離滅裂ですね。とり急ぎお礼をと思いましたのに、不様でいやになります。ごめんなさい。   囀雀

* そうであろうなと察しがつく。
2007 4・10 67

☆ Skyler Fox    雄 ハーバード
大学院時代の同期と共同でやっていた研究の論文改訂作業で,昨日は3時過ぎまで起きて取り組んでいた.なにしろ膨大な量のデータであり,文章も長いので,なかなか読み終えられない.一日を争う状況であることは重々承知しているものの,さすがに体力の限界で,途中までの部分をメールで送った.
今朝は毎週恒例のプログレスレポート.朝7時起きは辛い.中国人大学院生ジュ・リュウの論文が投稿間近ということで,特別に余分に発表が回ってきたらしい.もう何度も彼の話は聞いているが,未だにまともに理解できない.そもそも,理解しようという意欲が僕にはあまり湧かない内容だ.
しかし,一部の人たちにはエキサイティングらしく,わざわざMITから聞きにくる女性研究者もいる.明らかに他の人は興味がなくて,早く終わって欲しいと思っていても,一端彼女が質問しだすと止まらない.
セミナーを終えて居室に戻ると,隣のラボの秘書からメールが入っていた.昨日からラボを休んで,奥さんの出産に立ち会っていたマイクから連絡があり,無事,女の子が生まれたとのこと.名前はSkyler.
実は,ここ最近,マイクの子供の名前を当てるというのが,ラボ内で盛り上がっていた.マイクがいくつかヒントを出し,それを元に皆がそれぞれ思いついた名前をホワイトボードに書き込んでいた.ヒントの例は,「6文字」「母音は2つ」「聖書に出てくる名前を踏まえている」など.
なんと正解者がいた.ライアンだった.メールを見たライアンは大喜びしていた.ライアンとマイクは日ごろから仲が良いから,もしかしてライアンのつけたのをそっくり頂いてしまったのではないか,とさえ思ってしまった.
マイクが良く話していたのだが,Foxという姓は女性の名前にとっては非常に難しいらしい.少し魅力的な名前をつけると,たちまちヘンに名前になってしまうのだそうだ.
どんな名前が良いかというのは本当に難しい.皆が口々に誰の名前が良いかなどを語っていたが,僕にはさっぱり分からない.日本人の名前さえ良く分からないのに,外人の名前など,さっぱりだ.
実験を終えてアパートに戻ると,実家からの荷物が届いていた.各種書類に混じって,妹の結婚式の写真も入っていた.新郎の親戚が作っているという「南関そうめん」の入った木箱も入っていた.
☆ 花粉の厳しいこの頃ですが、お元気ですか、風。
三月の頃より厳しいです、わたしには。夜中、喉が痛痒くて目の覚めるほど。
とはいえ、花々はきれいです。うちのすぐそばに数箇所あります蓮華畑が、満開です。蓮華は、田畑を休ませるときに植えると聞いたことがあります。
そのうち造成され、家が建つのかなあ、と、ちょっぴり残念な気持ちで、赤紫の花を眺めています。 花

* 蓮華田は疎開していた丹波でもよくみかけた。蓮華は鋤き返して田のためにいい肥やしになると聞いた。薬研の底のような深い山間の村で花いろに乏しかった。たまさか蓮華田の色はえて華やぐのが、嬉しい眺めだった。
2007 4・11 67

☆ このところずっと、ジョルジュ・サンドとフローベールの往復書簡を読んでいます。熱い言葉の頻繁に登場する書簡は、「恋文かのよう」です。
二人は恋人ではありませんでした。熱い表現の機微を、読み・書き、間違えなかった聡明な書簡といえます。
手紙とは、かように書かれるべきであるなあと、読んでいます。 花

* 「用」の手紙・メールと、「用でない」手紙・メールとは、はっきりちがう。しかもふだんに手紙・メールをかわす同士には、通底して微妙に「用」のないわけがない。「用でない」手紙・メールは聡明に書かれれば「恋文かのよう」に心親しい価値になるものだと、まだ電子メールが世間に広まりきらない頃、わたしは雑誌「ミセス」に書いたことがある。ふしぎに微妙な「架け橋」のような「用」が、信愛を可能にする。
だが双方に、或いは片方に本質的に「用のない」手紙やメールは生彩にとぼしくなり、つまり、装ったご挨拶におわる。「用でない」佳い手紙やメールはいわゆる作文に終わらず「文学」に接して行く。
それに気づいているから、わたしは、一視同仁、人様のメールを「お許し願って」此処に書き写したりもする。
2007 4・12 67

☆ 見逃した松坂対イチロー  ボストン 雄
今日は,ボストンレッドソックスの本拠地であるフェンウェイパークで,シアトルマリナーズとの試合が行われるらしい.
シアトルマリナーズといえばイチローということで,どうしても松坂対イチローという対戦に注目が集まる.今朝のニュースでも,かなり大きく取り上げられていた.
二人の対決もさることながら,日本のメディアの取材攻勢に関しても、とても大きく取り上げられていた.100人以上のメディアが押しかけてくるというのは,尋常ではない.
メディアもそうだが,この試合を見るために日本からわざわざ見に来られた人もあるだろう.この寒いのに球場で観戦など,僕にはとてもではないが,無理だ.
昨日も前日に引き続き,夜中3時近くまで論文の原稿を読んでいた.それでも読み終えられず,朝,ラボに向かうバスの中でもひたすら読む.マウスの手術を終えてから再び読み始め,昼前にようやくコメントを書き終え、メールで送信.
Hさんと一緒に,ロースクールのカフェテリアで遅めの昼食を摂る.昨日実家から送ってきた南関そうめんを少しお分けする.
戻ってきてから実験に取り掛かる.今日は新しい手法を取り入れてみた、が,色素自体は非常に綺麗に細胞に入っているのに,神経細胞の活動は依然見えない.どうしたものか.
こちらの夜7時から,レッドソックス対マリナーズの試合が始まるということで,6時半にはそそくさとラボを後にし,自宅近くの中華料理屋で夕食を買い込んで帰宅.松坂に興味は無いといいつつも,これだけアメリカのメディアで松坂が取り上げられていると,単に松坂個人の問題でなく,日本人として見ずにはいられない気分になる.
家にたどり着いた時は既に試合が始まっていた.残念ながら,最初のイチローとの対戦は見逃した.それでも,この時間にリアルタイムで試合が見られるのは嬉しい.日本では朝8時に試合が始まるわけだから,普通の勤め人は容易に見られないだろう.ただし,研究者はフレックスタイム制が多いので,人によって出勤を遅らせてでも見たかもしれない.
と思ったのだが,意外な落とし穴があることも分かった.
当たり前だが,実況が全て英語なので,良く理解できない.英語と日本語では野球用語も若干違うし,カウントなど数字がたくさん入るので,即座に理解し難い.これも意外,アウトカウントやストライクなどの表示も日本と順番が逆だったりするので,画面上の数字が何を意味しているのか,今ひとつしっくりこない.
2回から松坂のピッチングを見た、だが,どうもピリっとしない.あっという間に1点取られていた.しきりに指先に息をかけるしぐさをしていた.やはり相当寒いに違いない.日中だって寒いのだ.ナイターなんて馬鹿げている.
イチローはなんとかしのいだようだが,城島の存在が大きかったようだ.考えてみれば,松坂と最も対戦しているのは,イチローでなく城島だ.実際,試合でもかなり良いアタリが見られた.
攻守変わってレッドソックスの攻撃となるが,当たり前だが選手のほとんどを知らないので,今ひとつ興味が湧かない.どうしても他のところに興味が行ってしまう.キャッチャーやバッターの後ろに,各企業が広告を出しているが,いたるところに日本語が見える.これも「松坂効果」なのだろう、が,果たしてどんなものか.日本人は嬉しく思うかもしれないが,他国の人たちの目にはどう映るのだろう.全く個人的な意見だが,例えば国技館にモンゴル語で書かれた垂れ幕がいたるところにかかっていたとしたら,日本人はこれをどう受け取るだろうね?
そんなことを考えながら,ソファーベッドに寝転んで観戦していたが,ふと気づくと寝入っていた.
起きた時には既に試合は終了していた.結局レッドソックスが負け,松坂は地元初試合で敗戦を喫したらしい.イチローとの対決は全く見られなかった.何のために早く帰宅したんだか.
妙な姿勢で寝ていたので,今は,体中痛い.

* わたしも少しだけ試合を観ていたが、イチローにも松坂にも不本意な心の寒い試合であったろう。「雄」君の指摘の通り、「ナイター」なんてバカげている。二階に上がり、仕事していた。

☆ 一時間ほど前、メールをいただきました。うれしいです。
明日からお忙しいですね。くれぐれも腰など痛めませんよう、無理なさらないよう。
最近のわたしの状態はもうご存知のとおりで、桜狂いや物見に慌しく過ごしました。
外国からの来客を送った後はさすがに疲れて、それでも洗濯日和ですから一気に済ませて、さらに疲れました。どこにも行きたくない、のが今の心境です!
手入れこそ不十分ですが、庭にはもう藤が花芽を準備し、椿、ミモザが盛りです。オランダで買った球根の一種類だけは珍しい花で、黄色と茶色の、鈴蘭のようなもの。ボッとしている今日の午後の幸せです。
「指月」の、指と月、に関しては、まだ理解できていません。
「あれが月」と指差す指を見て わたしたちはその指を月だと錯覚・誤解してしまうことが 往々ある。そう言われます。すべての事柄に実はそのような判断・理解がされてしまう・・。恐ろしいが、それは本当のことだと思います。
月という「具体的な」「目に見える」事柄でなく、他の例として歴史を挙げてみても、「歴史」はあまりにも曖昧なもので、歴史を勉強していますと到底言えないことを、嘗てわたしは痛感していました。過去の、実在したかしないかさえ曖昧なもの、形として法令や戦争や道具や本などなどがあっても断言できない。どんな解釈だって強引に引き寄せかねない。その時代にわたしたちは生きていないから。それに関して議論する危うさ、論説などを書くことは大いに主観的なものであり、時に犯罪的な致命的な過ちになりうることも、学生の頃既にあまりに苦々しく察知していました。
歴史でなくても、人の心についても同じ。
知られない、人の心は。
恐ろしいことです、突き詰めていくと不可知になってしまう。
とこう書いて、そこから少しも進みません。
お目、くれぐれも、お大事に、お大事に。  鳶

* 「月という<具体的な><目に見える>事柄」という指摘は、まちがっている。
「指月」の月は、「真如の月」などというように、その表現自体が「真」「真実」への「喩」なのであり、具体的な、目に見える事象を謂うてはいない。あれが「真実だ」「真実らしい」とわれわれは「指さし示す」ことは出来る。その「指」とは、「ことば」「表現」「高度の喩」なのであるが、言葉も表現も喩も、むろん真実自体ではありえない。仄めかし、示唆しうるちから、ではあったにしても。
その仄めかし、示唆の最高度に洗練された「ことばや表現や喩」を、即ち「藝術」とわれわれは呼んでいる。呼んでほぼ認められているが、とりわけて優れているのが「詩的」なことばや表現や喩なのである。端的に、また各ジャンルを超えて、広義に「優れた詩」こそ、「月」を「指さしてかぎりなく近づける、指」に相当している。創作に含まれる真実感、感銘や感動の芯、はその「詩性」に宿っている。そういう、優れた詩性を欠いた、技術だけの表現、つよい俗欲と俗情にのみ導かれ媚びた表現、真実への動機を欠いた表現は、むしろ無い方が、存在しない方がいいぐらいなのだ。
そんなものがこの世から無くなってしまえば、どんなにこの世は端正で清浄で平和だろうと思う。そう思うことが、なさけないが、日々に増えてきた。

* 鳶のメールで、もう一つ問題がある。
「歴史」はたしかに、ややこしい。しかし、それが、過ぎ去りし昔のことだから、同じ時空に同座して確かめるわけにいかないから、「その時代にわたしたちは生きていないから」ややこしいのか。
それを謂えば、現代、同時代の「歴史」は明快か。「それに関して議論する危うさ、論説などを書く大いに主観的な」逸脱、「時に犯罪的な致命的な過ちになりうること」が、同じ「その時代にわたしたちが生きてい」たら、免れうるか。
それは途方もない楽観にすぎない。
イランはブッシュ政権にたいし「イスラエルを承認する」という条件提示で「和解」外交の手を伸べていた事実を、かなり確かな「筋」が証言しており、しかもそれはライス米国務長官らにより握りつぶされていたとも露見しつつある。まったくの「今日」外交史であり、もし事実なら「画期的提案」だった。イスラム・イスラエルの何千年の歴史がきしみ声をあげるところだ。
このややこしい「今日の歴史」を解析することは、大昔の歴史的事実を記述するよりも何倍もややこしいにちがいないし、その「危うさ」放恣な「主観」的私見や洞見の入り交い混乱するであろうことは、一つ間違えばたいへん「犯罪的・致命的」な核戦争を、地球にもたらしかねない。

* だが「指月」の譬えは、こういうややこしさとは「レベルを別」にした形而上学ないしは宗教性の根の話題なのである。
2007 4・12 67

☆ こんにちは。  樹
お疲れさまです。お礼のメールです。
私語の刻4/12(木)「鳶さん」のメールに返して、
【「月」を「指さしてかぎりなく近づける指」に相当している。・・略・・「詩性」に宿る。】という、「指月」のくだり。
なかなかこういうことを書き表したものに、出合うことはないので嬉しいです。
よーく分かるというのは厚かましい、から こういうのを読むのが好き、です と。
普段、自分の生活で身体のどこかが、ウーン「私」がかな? 向かうもの、沿うもの=その感覚、は「私」が予めどこかに帰属するようなもので、自分では普段特に気を留めているわけでもないのに、その感覚に出合うと「私」が安心する、嬉しい。
なんだ、何やら彷徨していたのは、そういう出合いなど、そうしょっちゅうアルものではないから、か。
だから、たまーにこういう私の好きな類の文章に出合うと嬉しい。
秦さんは、さすがだと思いました。
ありがとうございます。

* あれが「真理」これが「真実」と紅潮して人が指さすとき、何らかの「知識」が人を誘導しているものだ。しかも「知識」というものが、本質的に、もともと、一つ、トータルであるものを、二つ、例えば我と汝、これとそれ、とに分離し分割し分別してしまう働きに、なかなか気づけない。つまり「指さす」という行為が「指」と「月」とを分けて存在させる。「月」が「知識」され「指さされるモノ」になってしまうのだ。「指」などささずにいきなり「月」になってしまう、「月」に溶け合ってしまうことが不可能でないのに、「知識」を駆動させてしまい、つまり別々の「月」と「指」とになってしまう。しかも人間は、往々にしてそれが得意でならない。こまったものだ。
2007 4・15 67

☆ ずっしりと重い新しいご本、『詞華集 愛、はるかに照せ』が届きました。
いつもありがとうございます。
大変な発送作業、お疲れがでませんよう。
植物園では花吹雪を浴び、鴨川べりの半木の道で可憐なべにしだれを愛でて、今年の桜も終わりです。
「愛の歌」ゆっくり楽しませていただきます。なかでも「親への愛」でいくつも心に響くことと思います。
ご予定もぎっしりのご様子、どうぞお元気でお過ごしください。 のばら 京の従妹

☆ 風も止み穏やかな青空に誘われ、昨日は(西行墓所の)弘川寺へ行ってまいりました。
今日は最寄の神社が春季例大祭で、能面展示をするのを見に行き、その近くにあるショッピングセンターに寄って、伊賀市内の高校の鉄道同好会活動展示を見ているとき、地震に遭遇しました。
店内アナウンスもなかったのでそのまま(名張へ)帰宅し、テレビを点けて伊賀市が震度5というので驚いたのです。夕方ふたたび同じ程度の揺れがありましたが、どちらも震度3くらいで、何事もなく大丈夫です。 囀雀
2007 4・15 67

* マイミクの「かめ」さんが、梅若六郎の、能楽堂でない舞台での「道成寺」を観てきたことを書いていた。能楽堂でない場所での「道成寺」はわたしは観たことがない。

* わたしは一昨日 歌舞伎座で仁左衛門と勘三郎の「男女道成寺」を観てきました。
むかしから思ってきました、なぜ「道成寺」がこうも国民、的に愛されるのだろうと。
わたしは蛇が大の大のイヤな人ですのに、道成寺には、どんなジャンルでも惹かれるのです。活字では「虫ヘン」の字がゾクッと目につくくせに、わたしは「蛇」を主題に人間社会の「差別」意識や行為への批判を、小説ででも何度も何度も書き継いできました。
「道成寺の藝」を宿命のように背負ってきた人たちの「歴史」をわたしは思います。能も歌舞伎も音曲も絵も。
「蛇」の問題をグローバルに共同で考えて行かないか、神話、伝説、民俗、文学、美術、デザイン、信仰などの広い範囲からと、環太平洋ペン大会で演説したこともあります。
女の思い、男の思いから「道成寺」が、「清姫」が、「花子」がどんな意味をもつだろうかと、『日高川清姫』という名画を描いた村上華岳を『墨牡丹』という小説に書いたこともありました。
女の名に「花子」とか「清姫」とか美しく名付けてこの物語を流布した人たちの思いにも、つよく惹かれています。 湖
2007 4・15 67

* もう日付が変わってしまった。「雄」くんのチャーハンが旨そうだ。

☆ ダウンタウンへ   ボストン 雄
このところ,週末は自宅に籠もっていることが多かった.なにしろ寒かった,外出する気分でもなかった.
最近になって,大分暖かくなったので,今日は洗濯と掃除を済ませた後,昼から外出し、チャイナタウンに行ってきた.
ボイルストンで下車し,地上に出るとすぐボストンコモンが目に入った.大きな広場だ.広場というか,何もない.中央に,ちょっとした建物があり,バンドが演奏していた.
オレンジラインでチャイナタウンという駅もあるのだが,オレンジラインの治安が悪いらしいので敬遠した.それでも,ボイルストンからチャイナタウンの駅までの間には,**がたむろしている場所が2箇所もあり,あまり雰囲気は良くなかった.
チャイナタウンそのものも,決して治安が良いとはいえないため,今まで行くのを躊躇していた.昼間は大丈夫だが,雰囲気は決して良くない.規模は横浜などに比べると大分小さい.神戸のそれと比較しても,まだ小さいのではないか? 雰囲気は、しかし,充分にアジア的.
どこで昼食を摂るか迷ったが,結局「小桃園 海鮮菜館」へ.ワンタン麺とあんかけチャーハンを注文.ワンタン麺だけでよかったのだが,あまりに安かったので,これだけ頼むのはちょっと気が引けた.昼間から青島ビールを飲む.
ワンタン麺は,最初,スープの塩気が足りないように感じたが,食べ進むうちに,これで充分であると感じるようになった.普段,濃い味付けに慣れてしまっているせいだろう.
出てきたチャーハンを見てすぐに,一人ではとても食べきれないと、確信.チャーハンは,卵白と貝柱のあんかけが旨かった.持ち帰りに便利なように,あんがかかっている部分をこそぎとるようにして食べ,半分以上をバッグに入れてもらって持ち帰った.
どちらも味付けは薄味で旨かった.こちらに来て初めて,中華料理らしい中華を食べた気がする.アメリカ風中華はどうも好きになれない.
しかし,食べ終えてから歯が浮いたような感覚が抜けなかった.僕は味の素を大量に含んだ食べ物を食べると,歯茎に違和感を感じることが多い.もしかすると,かなり味の素を大量に使っていたのかもしれない.歯茎に違和感を感じるという人は他に知らないが,味の素を大量に摂取すると頭痛を感じる人は結構多い.名前もそのまま Chinese restaurant syndromeという.
せっかくなので,周辺をうろつき,食材を売る店で野菜を購入.レンコン,なす,大根,青梗菜など,全部で3ドル75セント.安い.
来た道を引き返し,ボストンコモンをブラブラと歩く.今日は何かのパレードが行われていて,先ほど見えた建物の周りを,大勢の人が囲んでいた.木々はまだ枯れたようだが,良く見ると,つぼみがかなり大きくなっている.もう少し暖かくなれば,ずいぶんと違って見えることだろう.
パークストリート駅まで歩く.この辺りからの景色の方が,いかにもボストンのダウンタウンという気がする.金色の屋根をしたマサチューセッツ州議事堂も良く見える.
このボストンコモンは,独立戦争前夜,レキシントンとコンコードへ海路を使って渡るため,イギリス軍がチャールズ川を通り野営した場所であるらしい.これを知ったポール・リビアが「真夜中の疾駆」でレキシントンに先回りし,イギリス軍が来たことを伝え,翌日の戦争でイギリス軍にダメージを与えることに成功したのだという.
このことを記念した祝日がPatriot’s day.4月の第3週の月曜日,すなわち明後日である.アメリカでもそんなにメジャーな祝日ではないらしいが,ここマサチューセッツ州では重要な祝日らしい.レキシントンでは,ポール・リビアの真夜中の疾駆を再現したり,レキシントングリーンでの独立戦争最初の戦いなども再現するパレードが毎年行われるそうだ.ただし,朝6時からということで,ちょっと僕には見られそうに無い.
パークステーションからハインズ・コンベンションセンターに引き返し,プルデンシャルセンターへ.時計が欲しかったのだが,高級品ばかりだったため,買い控えた.そのままTで帰宅.今日は異常にTの車内が混雑していた.レッドソックスのジャンパーや帽子を身につけた人たちであふれかえっている.ケンモアで殆どの人が降りたので,おそらくこれから試合なのだろう.これからの季節,土日の昼間は,野球観戦の人たちでごった返すようになるのだろうか.
2007 4・15 67

☆ 雨ですね。  大変な発送作業が一段落なさったようでほっといたしました。こちらにはまだ届いていませんが、とても楽しみにしています。
腰の具合は(家の模様替えのあと)まだすっきりしません。もう二週間以上も湿布を貼り続けているので、腰から下の肌がかぶれて真っ赤。赤いお尻なんて最低ですね。
四月はじめにどうしても出かけなければならない用事で四谷の土手を通りました。雨が降ったりやんだりのお天気でしたが、車を降りて少し歩いて写真を撮りました。ちょうど染井吉野と同じ桜色の着物を着ていたのですが、通りがかりの人が写真撮ってあげましょうかと声をかけてくれました。一人で撮られてもしかたないのでお断りしましたけれど、雨の中を着物で一人歩いているなんて「変な女」に思われたでしょう。
下手な写真ですが、花の写真プレゼントします。   春

* 赤いお尻までご披露いただいて恐縮。華やかです。桜の写真はよく撮れている。同じなら通りがかりの人にご本人を撮って貰ったのが欲しかった。もっとも顔を知らないから貰えるメールなのかなあ。それもよし。

☆ 気温差が激しく、今日は冷雨。発送を終えられた様子、お疲れさんでした。
知的作業はまだまだ余裕でしょうが、気力だけでは追いつかない肉体作業は、歳と共に辛くなるでしょう、お大事に。
初夏並の気温だった一昨日、夜、床に就くと寝付けない程に腕が重く、思い起すと、気になりながら放ってあった雑草タイジに、数時間精を出したのが原因でした。ムリが利きませんね。
早いでしょ、(孫が)幼稚園に通い出しました。バアバにもやや時間の余裕が出来ました。 泉
2007 4・16 67

☆ 出陣式 法事 地震   巌
この日曜日は 市議会議員選挙の公示日ということで あちこちで朝から出陣式 家の前にも事務所がひとつあって 大勢の人が朝から集まってられる うちの中では 法事にこられる方を迎える準備にバタバタと
どちらにとっても 天気が良くってなにより
回向 墓参 を終え 会食
仲居さんと立ち話をしていたら 「地震 地震」と子供が騒いでる  大きなゆれ
会食も終わり 姉・従姉家族にコーヒーを飲んで貰っていたら 電車が動いてないと 駅に見送りに行ったものから電話
亀山で震度5以上の地震があり 亀山-加茂間は運行停止 加茂-大阪間も間引きで ダイヤがボロボロ
駅員に聞くと あと20分程で一本は間違いなく入ってくるけど その後は何時になるか分からない と
ゆっくりしてと思っていた姉家族 急いで帰り支度で みんなあたふた
亀山には世界的に有名な S社液晶工場があり ニュースも結構流れている
地名こそ有名にはなってはいるが 亀山で地震があると奈良-大阪間の電車が止まる
この
美濃 甲賀 亀山 伊賀 笠置 柳生
奈良 斑鳩 八尾 天王寺 大阪
の位置関係は わかりにくいでしょうね
ともあれ 無事に法事も終わって一段落
次は開店の為の準備・手続きです
2007 4・17 67

☆ 志賀と伊賀   雀
月は何重にも見え、星はぼんやり― 乱視近視の雀が夜空いっぱいの星に歓声をあげて見上げた真上に、流れ星。願をかけようと次を待っているところで目がさめました。
半袖のTシャツ一枚で過ごせそうな夏日のあとの冷たい雨の一日。こたえてらっしゃらないか気にかかっています。発送のお疲れから体調を崩したりなさいませんよう切にご自愛をお願いいたします。
武田元明や華叟宗雲のお墓参りをした日は、出発時、すでに泣きだしそうな空で、しかも思いのほか早く雨粒が落ち始めて、正午前に湖北はすっかり本格的な雨に包まれました。
あたたかな春雨という予報もここではひえびえとした雨。
水墨画のような山稜、灰色の雲の下にくろく沈んでいる斜面の田畑、そして静まりかえった街道の町並み。汀が見えるほか濛昧として見渡しのきかない、湖。どこまでいってもその景色が変わることはなく、北陸の懐かしさとともに、それとは違った湖水や土や山の、べたつかない空気がかえってメランコリックでした。もらい泣きの反対で、からッとした人の傍に居て、つっと涙がこぼれることがありますでしょう。思い屈したとき、人をおもうとき有り難い肌合の空気でした。
京から白川越えをして社寺に立ち寄りながら、塩津へ北上することにしました。
1495年に伊賀の西蓮寺で急死した真盛が再興した西教寺から、一旦浜へとおり、木の岡団地の道をぐるぐる上ると、伊賀采女宅子(いがのうねめ・やかこ)墳に着きます。ふり向くと眼下にはひたひたとさざなみ、その先に信楽そして伊賀という角度で広がる湖水の景色には胸をつかれました。
堅田の祥瑞寺は観光拝観をしていませんので境内を歩いただけでしたが、一休は瀬田川での入水に失敗したのち、堅田にいる華叟の門をたたいたのでしたか、ここでの修行の厳しさに入水したのでしたかしら。
1690年に訪れたという芭蕉の句 「朝茶飲む僧静かなり菊の花」 を刻んだ句碑がありました。
「日本数奇」で、嵯峨天皇に茶を献じたのが永忠と教わり、彼が空海と唐で出会っていて空海も茶を飲む習慣があったと知りました。
806年に帰朝した空海。実忠は810年に彼を東大寺別当に招きます。実忠は若狭遠敷の神宮寺に滞在したことがあるといい、お水送りが行なわれる鵜の瀬に自生する茶の原木があったことを思い出しました。若狭は最新の文化が入ってきたところでしたから、飲茶習慣があってもおかしくありませんでしょう。行基が飲茶の習慣を広めようとしたのも、東大寺勧進に引き抜かれたことを思い合わせたり、好きなように想像して遊んでいます。
永忠が茶を献じたのは815年。湖南から伊賀、大和と奔走した実忠は、まだ存命でしたのねぇ。
さて前回、安曇川町を遊山した際、安閑神社が見つからないまま時間の都合から心を残して小雨のなかを帰宅しました。
それから少したったある日、偶然安曇川町が紹介されている冊子が手に入り、そこに継体天皇ゆかりの史蹟が地図と写真入りで載っていたのでおどり上がり、道を1本間違えていたことと、住宅地に曲がってゆく細い道が旧街道ということがわかりました。
今回そちらに行ってみましたら手書きの案内板が立っていて難なく神社に到着。
観光や行政ではなく、地元の方が誇りにして辺り一帯を来訪者のために整備し案内板や説明板を立ててくださっています。おかげでようすがわかりました。
ところで、名張市立図書館に「乳野物語」はおいてないそうです。がっかり。  囀雀

* 湖の西北   雀
安閑神社は、ご神木と小さな祠があるだけの神社でしたが、近くには大きな石を重ねた鶴塚と、高さ1m強の力石、それに不思議な線が刻まれた「神代文字の碑」があり、またしても、“近江は石” と圧倒されました。
この地で狩りをしていた殿様が鶴を見つけ射落としました。落ちたところを探すと頭のない雄鶴が一羽死んでいます。それからしばらくしてふたたび鶴を射た殿様は、背に鶴の首をはさんだまま死んでいる雌鶴を見つけ、さては夫婦かと、その情愛にうたれて石を積んで弔ったと伝説がのこる、鶴塚。
津に怪力の遊女おかねがいたそうですが、このあたりにも怪力の女性が住んでいて、相撲取りがここへ立ち寄って次の興行へ行ったところ強くなっていたとか。
村で水争いが起き激しさを増したある夜、彼女がこの石で川を塞ぎ村人が水争いの愚かさに気付いたという伝説をもつ、力石。
近江の伝説は湖北に多いと聞いたことがありますが、朽木と君ヶ畑を結んだ線の北方と、雀はそんな思いをもちました。
この1月、神代文字の石板を見に、塩尻市の男性が訪ねています。信州安曇野にも同様の石板があるというのです。敦賀から安曇川へ、糸魚川から姫川をさかのぼって安曇野へと、二つの石が運ばれたのでしょうか。
このあと今津の阿志都弥神社に寄りました。
安曇川町の阿志都弥神社で、「もう一社ある」と知ってから、ずっと判らないままきていて、数ヵ月前、“行過天満宮”の名称で地図に載っている神社が、善積郷のヨシヅミ神社である阿志都弥神社と判明。1843年に天満宮を合祀したそうで、若狭小浜からの街道と、海津からの街道とが合流する小高いところ、樹齢1000年を越えるスダ椎をはじめ巨樹古木が何本もそびえる境内に、宮はあります。“宮ノ森”は湖上からのよい目印になったそうで、今津の南、木津という地名はキヅではなくコゥツ(古津)でした。
阿志都弥さんの深い鎮守の森に加えて駐車場から伸びている参道には、天神さんの梅の木が植えられています。ちょうど紅白の花が香を放ち盛りと咲いていて、京では柳の若芽と枝垂れの桜花のその下に雪を吹くような雪柳の花という景色でしたのに、これだけ季節が違うのかと、湖北と都の距離を思いしらされました。
このあと訪れた海津天神社でも満開の梅を独り占め。
海津天神社は菅原道真の社を中心に、海津地主神大山祇神代、西浜地主神小野神社、大鋤、国狭土、稲荷、恵美須、八坂、貴船、愛宕などずらりと祠が立ち並び、小野神社に、通り過ぎてきた和邇・小野を連想します。こちらから移っていったのでしょうかしらね。武田元明のお墓がある宝幢院は目と鼻の間です。
雨は傘を打ち、相変わらず湖面も山も畑もすべて灰色にかすんでいます。
ところで左近の桜は、村上天皇の御代に内裏が焼亡したことに起因しているって今まで存じませんでした。保明皇太子が20才で、2年おいて慶頼王が5才で夭折し、その翌年生まれた皇子が村上天皇ですのね。桜の木をもってきたのが同じ醍醐天皇皇子の重明親王とのこと。
飛び梅・落雷・早世・祟り…毎年左近の梅が蕾をほころばせるたびに、居並ぶみなが、“また道真の命日がくる”と忌み嫌い眺めていたのでしょう。焼けたを幸い桜に替えちゃえと手をたたいて歓迎し、音曲をもって迎えたさまを想像しました。  囀雀

* 好きな人、趣味のある人には此の雀の囀り 堪らない魅力であることでしょう。
2007 4・19 67

☆ 海津の浦に着きにけり   雀
宝幢院への途次、十一面観音坐像を所持している宝幢院末寺宗正寺に寄り道してみました。残念ながら秘仏で、教育委員会が立てた解説板の線描画でしのぶのみ。
全国に重文の十一面観音坐像は9体しかないと書かれています。京の法金剛院の十一面観音が坐像でしたわね。それから甲賀油日の櫟野寺に大きな像がありました。
岐阜市の日吉神社、木之本町の鶏足寺のそれは30センチあるかないかの神像を思わせる像で、このあと訪ねた塩津の神照寺もその系列でした。童が眠りから覚めたような印象的なお顔立ちをしています。
宝幢院のがらんと開けた墓地に武田元明の五輪塔はありました。吹雪のときにこのお墓を見たら泣いちゃうわ。
姉川の戦で朝倉氏が敗れ、これで若狭城主に戻って武田家再興と意気込んだはずです。ところが丹羽長秀が城に入ったために、やむなく1年ほどを若狭神宮寺桜本坊で過ごしたようです。信玄が病歿したのがちょうどこの頃。そして勝頼の自刃と元明謀殺は同じ年だったンですねぇ。
清水の桜も、海津の桜も、蕾固く、颱風による土砂崩れで通行止めになったつづら尾パークウェイ開通には2日早く、華叟宗曇終焉の地、塩津へ急ぎ直行。以前に菅浦の保良神社を訪ねた折、西浅井にある十一面観音や仏頭などを見仏してまわったのですが、残念なことに神照寺はお留守で、帰宅してからそのお隣應昌寺に華叟のお墓があることを知りました。
神照寺の前に停まっている乗用車に人影が見えましたので、お訊きすると、「ご住職がいらっしゃるから」と庫裏へ入ってゆかれ、代わりに奥様がお出ましになりました。
「まぁ…。昨日までは暖かかったンですけれどねぇ」とおっしゃって、「一休さんと違って華叟さんのお墓はこの一ヶ所だけなんですよ」とご案内くださいました。
西向きの斜面に60センチほどの石板が一枚立っているだけのお墓で、後ろに転げ落ちそうになりながらお参りしました。冷たい雨が地面を叩くなか、じっとお参りが済むのを待っていてくださった奥様にお詫びとお礼を申しあげ、十一面観音坐像のことをお訊きすると、「どうぞお参りしていってください」と神照寺本堂に招き入れてくださいました。
廃寺からのお預かりを加え、正面のご本尊は、3躰。観音さんは本堂入り口のすぐ左側に安置されていました。これもお預かりのものだそうで、もとは塩津香取神社神宮寺本尊。字(あざ)の仏さんで、春秋のお彼岸にお務めがされているようです。
もし前回拝観が叶っていたら華叟宗曇のことを知らずこのようなお話を伺うことができなかったのですから、好機ッて、与えられるものだなァと縁の有り難さを感じます。
湖上安全守護神香取神社は3宇あるそうで、入り江の東・北・西に建立されたのでしょうか。今よりよほど湖水が奥まで入り込んでいたといいます。明治の廃寺で観音さんをお預かりすることになり、そのときお洗濯して塗り直したとのこと。
このお寺は宣伝も案内の矢印も目立つ石柱もないため、尋ね当てる、捜し出す、本当の“かくれ古寺”です。空気が澄んでのんどりしていて、いいところでしたよ。
ここから街道を少し北上すると古墳群があり、南朝方の墓地を抱えた社寺が数宇あるそうですが、今回はここまで。伊香型(余呉型)民家がのこる集福寺集落も次回のお楽しみです。
木津(古津)―今津―海津―大浦・菅浦―塩津―飯浦と、やっと憶えました。  囀雀

* これが湖北。湖南に大津(浜大津)がある。

☆ 近江未成線   雀
(近江湖北の)海津が寂れたのは、江戸初期に北国廻船が西廻りになったうえに、明治初めに敦賀⇔長浜の鉄道が敷かれたからですね。
今津に泊まってそこからバスに揺られて海津にいらしたでしょう。「今津は江若鉄道の終点。」って、どうしてそんなとこで止まっちゃったのかしらと不思議に思っていました。
1919年に新大津(現・大津駅)⇔三宅(現・上中駅)の許可が下りたものの、1931年に浜大津⇔近江今津が開通したきり新大津にも三宅にもつなぐことができないまま、1936年に免許が失効していたのですね。
1884年開通の長浜―木之本―柳ヶ瀬―疋田―敦賀は、1957年に木之本―余呉―近江塩津―新疋田―敦賀に変わります。
1964年、東海道新幹線開業。柳ヶ瀬線廃線。この年、大浦から菅浦へ自動車の行き来ができる道が整えられ、1967年に大浦の渡し船乗り場廃止。そして1969年に江若鉄道が廃線となります。
1971年には奥琵琶湖パークウェイが完成し、塩津から葛籠尾、菅浦へ自動車が走るようになり、1974年、湖西線開通。そして2006年、琵琶湖環状線開業。
三宅駅がどこに予定されていたのかわからなくて、福井県上中町というのに“どこかで目にしたような…”と福井県の地図を広げて、探して、あッと思いました。「古墳のまち」というキャッチフレーズでつくられた今中町の地図が熊野宿の売店に売られていましたっけ。
大津―長浜―敦賀と、大津―今津―若狭小浜の2本の鉄道が走るはずだったのですね。
高運賃・低速度が江若鉄道の経営を悪化させたらしいのですが、ディーゼルで低速度、そんなスローでローカルな各停電車で古代ロマンを訪ねる遠敷への旅なァんて、憧れちゃうわ。   囀雀
2007 4・20 67

☆ 合唱    ボストン 雄
ここ数日の悪天候が嘘のように,抜けるような青空の一日だった.
4時から恒例のhappy hourだったが,皆,外に出て,陽の光を浴びながらビールとピザを楽しむ.
7時にラボを出て,Hさんと待ち合わせてボストン大学の講堂へ.Hさんのお知り合いの方からチケットを頂いたとのことで,ボストン在住の日本人を主体とした合唱団のコンサートを聴く.
合唱団がメインではあるが,休憩を挟んでオーケストラも加わった.ボストンシンフォニーのチェロ奏者がソリストとしてドボルザークの曲を演奏してくれたが,あまりの上手さに舌を巻く.
最後に有名な「大地讃頌」をオーケストラバックに演奏.すると,指揮者が「皆さんもステージに上がって歌ってください」と言う.
僕は大学時代,男声合唱団に所属していて,大学院の修士1年生の時は,社会人の団体に1年間所属していたこともある.愛知に移った時も,周囲に知り合いがいなかったせいもあって,1年間,名古屋の合唱団に所属していたことがあった.
Hさんと顔を見合わせて,「どうしよう?行きますか?」.
思わずステージに上がってしまった.
僕はまあ分からないでもないが,Hさんまでステージに上がったのには驚いた.なんと,中学校時代にこの曲を歌ったことがあるのだという.
車でHさんを送った後,久しぶりに車の中で熱唱してしまった.
団員を募集しているらしいが,はて,どうしたものか.

* いいなあ。
2007 4・21 67

* そんな按配で、いま、眠い。風強く、戸外は明るい。「雄」くんの日記がおもしろいだけでなく、考えさせられた。

☆ アーモンドと桃    ハーバード 雄
昨晩,遅く寝たというのに,朝7時に目が覚めてしまった.このところ,どういう訳か長時間寝られない.ブラインドの向きの問題かもしれないし,僕の体の問題なのかもしれない.後者でないことを祈る.
朝,目覚めてすぐにパソコンを立ち上げると,マイミクの「い」さんからskypeが入った.少しチャットをした後,フォンで少しお話する.実際にお話するのは初めてだが,聡明な方という印象を受けた.その後すぐに,今度は重太郎さんとお話.

昼過ぎに家を出て,MIT(jァ(マサチューセッツ工科大学)に行く.今日は,在ボストン日本人研究者の会.ハーバード大学の名誉教授が「日中関係」について,早稲田大学教授で現在客員教授としてボストンに来られている方が「日本国籍法」について,それぞれ講演.ハーバード大名誉教授はアメリカ人だが,日本語が堪能で,日本語で講演.普段は全く聞かないような内容の話だが,たまにはこういうのも悪くないだろうと思って出かけた.
この会に参加されたりオーガナイズされた方の中には,ここを読む方がいないとは言い切れないので,内容についてコメントは控えたい.ただ,できれば,前半の講演に関しては事実の羅列ではなく,アメリカ人という視点から自分の意見をもっと語って欲しかった.後半については,時間も大幅にオーバーしたし,もっと具体例を挙げてもらえれば興味深く聴けたと思うのだが.
睡眠不足のせいもあるが,文系の講演で使われるpowerpointのファイルというのは,どうしてただの箇条書きばかりなのか.特に白地に藍色の文字のスライドが延々と続くと,それだけで聞く気が失せる.これは綺麗な写真や動画に見慣れすぎた理系研究者ゆえの感想なのだろうか.

講演そのものよりも,終わってからの懇親会の方が楽しかった.今回は着席式だったので,ごく限られた人としか話せなかったのが残念だが,それでも楽しかった.
皆,僕よりも前にアメリカに来られた方々ばかりなので,アメリカについて色々な意見をお持ちのようだった.中でも興味深かったのは,その中の一人のドイツ人の友達がアメリカ人について語ったという,以下の言葉だった.
「ドイツ人は,一見とっつきにくいが,中は意外と柔らかいアーモンドのようだが,アメリカ人は全く逆だ.一見,フレンドリーで柔らかいが,不用意に噛んでしまうと,中には桃のように固い芯がある」
これには,多くの人が同感のようだった.
確かに彼等はフレンドリーで,誰と会っても気軽に話しかけ,垣根など一見無いように思える.しかし,基本的に彼等は自分とその家族以外の誰も,本気で信用してなどいないのだ,と.
気軽に話しかけるのも,一つには,相手が英語を理解するか否かを確かめている,という面も無いとは言えない.だから家族を大切にするし,家族以外に対しては,事によっては銃を向けることもあるのだ,という.
ヴァージニア州での乱射事件のこともあり,本来はもっと本格的に「銃」を取り締まらねばならないのだろうが,それがうまくいかない理由の一つは,こうしたアメリカ人の心の奥底に潜む,「孤独性の問題」があるのかもしれない.
2007 4・22 67

* このごろでは少し珍しいことだけれど、四人のメールがそろって届いていた。
花月まさしく春。家の中でつい靴下をぬいでいる。テラスに君子蘭の大きな鉢植えが五つも六つもはじけるように満開。書庫うえのチューリップは盛りを過ぎたが、他の花々はあれからこれへ、それへと咲き次いでくる。手洗いには、唐銅に妻がいちはつの三本と白い小さな花とを入れていた。背が高いので、わたしが床におろした。これが視野にやさしくて、花の嬉しさも伝わってくるよう。うちの手洗いは、花がよく似合う。
2007 4・23 67

☆ おはよ、風   花
さっきゴミ出ししてきましたが、外は生あたたかく、歩くと汗ばむほど蒸しています。
水曜くらいまで、こんなお天気がつづくようですね。
日大で二回も講演なさるのですか。紛れ込んで聴いてみたいなあ。
でも、風は聴衆に知った人のいるのは苦手なんですよね。
そろそろ英語に出かける時間です。

* 教室で学生に「谷崎」を話す、ま、カリキュラムの一連のようなこと。目の前の谷崎先生の六代目の河内山めく(ご本人の曰く)写真が、けさはかすかに柔和。もう久しく、谷崎文学のことから離れている。読者としては少しも変わらないが研究者としては相当離れている。「谷崎学」に大きな期待をかけて研究の充実や全集の完璧を希望し続けてきたが、研究者たちの無私の大同が実現せず小粒な言説や言動が、ちいさく谷崎文学を私物化している気がして、触れ合ってゆく気がしない。

☆ オハヨ  泉
紫陽花の青く小さい蕾も芽生えて初夏の陽気、いつの間にか薄着になっていました。
流行の言を用いれば、「薬のちから」で元気に生きながらえています。(喘息の)調子が良いので適当に薬を減らしていて、一ケ月目の検診で医者にキツク叱られる横着婆。ヤレヤレ
ふと思い出しましたが、昨日は野村ビルで日吉の同窓会でしたが出席しましたか。大寄せの会は魅力がなく、欠席と決めています。椿山荘の会からもう三十年も過ぎたのは、感慨深い。
あなたの生涯の原点は祇園サンの石段上。
私は一つに絞るのがムツカシイ。

* いつも元気いっぱいの人だった。お医者に叱られるようになったかと、わたしより一つ下、相憐れむ。子にも孫にも友人たちにも恵まれた人。ま、しぶとく、この先を元気元気に楽しみましょう。わたしたちのもう一人の孫娘は、元気にしているだろうか。風のたよりに、日本一の歌手になりたいとか。
2007 4・23 67

☆ 鴉、ご機嫌いかが。 鳶
4・14  「今度の本のわたしの姿勢や認識は、鳶の思いと齟齬するかもしれません、が、かなりわたしの指月の指が出ています。批判して下さい。」
鴉の姿勢や認識が、鳶の思いと齟齬する、心にざわざわと波を立たせ、肌をざらざら擦る・・? あるいはもっと深部から熱持たせ、毒素を滲ませる? 本を手にした今がその時かもしれませんが、それは今だけの状況ではないことを、鳶はずっと、絶えず抱えもって来ました。無条件に静かにこの本を読むことはなかなかできませんが、他の書かれたものすべてに関して同じです。HPだって同じです。鴉の書かれたものを心騒いで読む、それは鳶にとっての「自然」なので、それに対してはかなりの「抵抗力」を徐々に培ってきたとも思います。湖の本はつねに鳶の覚悟を求めていました。何を? 何を覚悟するのか?
何も求めず、あきらめることもなく・・淡々とあること、それは極めて困難なことかもしれない、一般論では。鳶には何故か突き抜けてしまっているものがあって・・そうでなければ、この歳月はあり得なかったでしょう。

4・20  宇宙誌にいかれてしまっていて、という書き方が面白かったです。「仕掛け人」としては痛快? でも逆説的に大いに恐縮しています。
詞華集が届き、これはもう再々読を通り越して読み継いでいる本ですけれど、一人暮らしになって一年余りの姑に読んでもらおうと考えました。
迷惑・・迷い惑うとわたしは読むのですが・・迷い・惑いの極みかもしれない、その愛を生きること。愛ゆえの苦しみなら、やはり人は苦しみも悲しみも引き受けるでしょう。囚われるでしょう。とても人間的なことではないでしょうか。
そしてそこから脱け出られ難いからこそ、宗教でも哲学でも中心課題となって、時に排除すべきものとして取り扱われます。
仏教では愛はもともと執着、煩悩を表すわけですから、近代以降のloveの翻訳が愛を誤解させることになっているのですから、このあたりから説明しないと誤解のまま終わってしまうこともあるでしょう。
愛はエゴイズムに深く根をもっています。が、一般的には愛は称えるべきもの、もっとも大事なものとされ、戦争だって大事な家族を守るため、祖国を守るためと、すべて正当化され許されてしまう。
もちろん、愛とは異なる、慈悲の大きさにわたし達はもっと思いをいたさなければならないでしょう。慈と悲は異なるものであり、鳶自身のさまざまな感想は今現在のものに限らず、ゆっくり改めて紡いでいきたいと思っています。
「指月」の話は、まだまだまだ理解できません。その話を聞いて、まず頭に浮かんだのが、昔英語で読んだ、月を取ってと泣く子供の話で・・月天心もちらと頭を掠め・・形而上的な宗教的な「根の話題」として「指月」を考えなかったのです。まったくお笑いごとで恥ずかしい限りです。

4.23 昨日のHPの記事、それにもめげず書きます。手元にある松井孝典氏の本の、ハード・カバーを送りましょう。文庫本には写真や図版がどのように載せられていたか、記憶していないのですが、この本ではモノクロですが写真など一ページもさいていたりして、楽しめると思います。
健やかにお過ごしください。山笑うのごとく、本当に山々の表情が美しく眩しく、一日一日変わっていきます。  鳶

* 詩も短歌も俳句も、それぞれの本も、月々にたくさん贈られてくる。そして想うのは、多くの作者たちがなにを自分は指さして詩を書き短歌を書き俳句を書いているのかさっぱり自覚も意識もされていないらしいこと、冷え冷えと冷めた「措辞」の自負をだけ競い合っているように想われること。かなしいほどの気持ちで読まされる。読んで心がふるえてこない。めったにめったに共振しない。
2007 4・23 67

☆ 捨てるもの・捨てないもの  ボストン 雄
今日も,一昨日から引き続いて晴天.
昼過ぎに家を出て,ラボまで車で向かう.いつもとは違う道を試した.本当は車専用道路のstrow driveに乗りたかったのだが,入り口が分からなかった.その代わり,マサチューセッツアベニューへの近道を見つけた.おかげで,いつもはバスで30分以上かかるというのに,15分足らずで着いた.
しかしそこからが大変で,車を駐車するスペースが1台分とて空いていない.そもそも道路脇のコインパーキング以外にはほとんど駐車スペースがないのだが,日曜日はコインパーキングが無料になる.そこで車で行った訳だが,皆考えることは同じという訳か.
駐車スペースを求めて車を走らせているうちに,ポーターに着いてしまった.折り返そうとして信号待ちをしていると,全くの偶然だがHさんが通りがかった.思わず窓を開けて声をかける.そのまま行きかけたのだが,ふと思いつき,もし大きい買い物をするようだったら,ちょうど車があるのでどうですか? と誘い,ビールなどの重たい,大きな買い物をいくつかした.
帰り道は,Hさんと運転を交代し,辺りを少し運転してもらう.Hさんはこちらに来て初めての運転ということで,練習がてら,してもらった次第.辺りは住宅街だが,ところどころ,木蓮の花が咲いていた.日本で見るような紫の濃いのではなく,薄いピンク色.遠くから見たら,桜のようだった.暑いので窓を開ける.入ってくる風がとても心地よい.
Hさんとは御宅の近くでお別れし,再び駐車スペースを探すべくラボ周辺に戻るが,どこにも全く無い.結局,徒歩10分近く離れたスペースにようやく車を停めることができた.
ところで,今日はEarth day.「車社会」アメリカには全くふさわしくない.
車だけではない.
日ごろ思っていることだが,こちらの人のゴミの分別はひどい.紙だろうがプラスチックだろうが,果ては金属だろうが,なんでも一つのゴミ箱行きだ.これを言うと,韓国からのポスドクのヒャーノは「まだマサチューセッツはマシだ.缶やペットボトルは分別するから.テキサスなんて全部いっしょくただ」.
信じられないようなものを捨てたりもする.以前からこの日記に書いているように,大学では,たまに「フリーフード」といってタダの食事が振舞われることがあるが,これを食べるのに使った皿や,金属製のフォークやナイフまでが,平気でゴミ箱に放り込まれている.洗えばいいだけではないか.何で捨てるのか.
一方で,あまり捨てないものもある.例えば車.こちらの人は信じられないような走行距離の中古車でも平気で乗っている.値段の問題もあるのだろうが,皆,あまりこだわりは無いようだ.日本の方が車に関しては,すぐに廃車にしてしまうような印象がある.もっともこれは,日本がもったいないのかどうかはわからない.排気ガスの問題もあるし,経済的な効果もある.一概にどうとはいえない.
しかし,ベッドや机などもムービングセールで中古品を購入したりする.僕の印象では,(食料を含めた)消耗品に関しては日本の方が物を大切にするし,逆に耐用年数の長いものに関しては,アメリカの方が物を大切にしているように思われる.
僕が理解しかねるのは,アメリカ人はティッシュペーパーをなかなか捨てないこと.くしゃくしゃになった紙をポケットから取り出して,鼻をかんだりしている.そんなものを再利用するなんて汚いと思うのだが.
さて,今日はこれからレッドソックス対ヤンキースの試合がある.松坂がヤンキース相手に初めて投げる.今日は松井は怪我で出られないのだろうが,残念.

* 雄クンの日記は、やわらかにわたしのアタマの中をくつろげて、一つ一つモノを投げ入れてくれる。彼は観念論をやらない。気取らない。
Earth day に触れてマイミクの佳い言及があった。多くの人に読んで欲しく、おゆるしを願って紹介する。

☆ Earth Day に思う   麗
Earth Day は,4月22日を、環境問題への関心を示す行動を起こす日として,アメリカの市民団体により,’70年に提案された。
’90年代からいろいろなイベントが開催されるようになった。今年は,一層大規模になり,朝のニュースで,代々木公園からイベントの模様が中継されていたのには驚いた。全国では,40箇所以上で様々な活動がなされると言う。北海道でも「Earth Day EZO」と銘打った一大イベントが開催された。
http://www.envrinfo.jp/topic/earthdayezo/
数年前,アウトドアショップ前の清掃活動から始まった運動がここまでに拡大したとは,隔世の感がある。我がマイミクさんも,ここに模擬店を出したと言う。
しかし,私が「これこそ Earth Day !」と感じ入ったのは,同日夜のNHK番組『ダーウィンが来た!』だった。
札幌市内の中学校の校庭の真ん中にそびえる「ハルニレ」の大木。開校時,校長が「生徒たちの情操教育に」と残すことを決意。以来,ハルニレの木は,生徒たちの心の友となった。
4年ほど前から,この木にエゾモモンガやオシドリが住み着き,繁殖を始めた。都市開発で植林された周囲の樹木が育ち,山から動物が移動しやすくなったためと言う。カメラは,その様子やモモンガへの生徒たちの反応,オシドリの雛を見守り助ける警官などを丹念に追う。身近にある自然とどう共生していくか,視聴者に考えさせる効果は充分である。
放送日を「Earth Day」に選んだセンスの良さには感心した。
http://www.nhk.or.jp/darwin/program/program050.html
環境保護は,いっときのお祭り騒ぎではない。しぶとく強く明るく,無関心を関心に,さらに共感から協力へと変わってくれるように訴え続ける,(疲れるけど)息の長い活動なのだ。こういう番組に出合うと,ほっとする。
今年の「Earth Day EZO」は,まだまだ続く。6月30日まで,利尻富士登山や積丹の海クルージングやスキューバダイビング,屈斜路湖畔キャンプなど,北海道の自然という宝物をふんだんに用いて,環境保護への注意喚起を続けていく。
道民は,豊かさに馴れてか,自然に対する意識が意外と低い。変わるための働きかけは,まだまだ必要だ。
なお,上の番組は月24日(火)午後3時00分~3時30分(BS2),26日(木)深夜【金曜午前】1時50分~2時20分(総合),2回再放送されます。可愛いモモンガやオシドリ,素直な中学生,見ていて心洗われます。オススメ!

* こういう声や意識が、どうかして幅広い長い長い帯になり、環境改善を阻む政治的な癌を、せめて幾重にも包み込んで圧し伏せてしまいたいが。

* わたしは、先日の、ペン理事会で発言してきた。
いまわれわれが日常に意識し改善をと働いている環境問題は、いわば、大きな地球の地表に起きたひっかき傷の手当に等しく、人一人一人の手でも、地域の行政の手でも、癒してゆくことが可能だが、もし「EARTH」を「地球」と見つめて謂うならば、ひっかき傷程度で済まない、まさしく地球自体の重病、ひいては人間の死滅にいたる、それももう目の前まで来ている「危機的症候」を治癒するしかない、と。
内臓の緊急手術が必要なまぎわに、皮膚のシミを抜いたり、ひっかき傷にくすりを塗ったり、凝った肩を揉んだり、むろんそれも大事だが、手術の機を逸すれば、なにもかも無に帰してしまうことを懼れよう、と。
そのために何が出来るだろうか、と。
京都議定書にかかげた目標は、達成されねばならない限度ぎりぎりを指さしていながら、まだ批准もしない最大の大国がいる。
少なくも日本は、開催国の意欲と責任においてもあれを実現して行かねばならないが、今の政府がそれに本腰を入れて有効な政策を動かしているとは、なかなか看て取れない。彼らがやっていることは、「集団自衛権」の名のもと「戦争参加資格」獲得のため、何としても「憲法改悪」を強硬に実現しようと、恣な法を次から次へ多産しているだけだ。
財界も、自動車業界を筆頭に、京都議定書実現にブレーキをかけ引き延ばそうと躍起になるのではなかろうか、不安は募る。
「Earth Day」は、まこと大地、地球の根の重患・危篤の危機をまっさきに治療する、そのシンボル・デーでありたい。そのためには、まさしくグローバルに求心的に人心が大同一致しない限り、部分的な自慰行為なみに乾燥し、そのまま高熱で干からびてしまうだろう。
オゾン層の回復と防護、地球温暖化の抑止。
その二つ以外の環境運動は、今や残念だが、部分的な対症療法以上にはならない、根の重病治療には直接役立たない。
ことは、国内の、そして世界の「政治的自覚と力」とを動かさない限り、とうてい成功しない。少なくも国民の三割が参加する運動体を実現して、まず手近な政治・政権をうごかす策戦を早急にもたねば、もうほんとうに「間に合わない」だろう。
こういうときにも、わたしは、学生たちの、ことに理系学生たちの、冷静で、しかも熱烈なオピニオンと行動とに期待するのだが。
2007 4・23 67

* めずらしく人間国宝である江里佐代子さんがメールをくれた。京都美術文化賞をうけてもらったし、対談もした。高校のずっと後輩でもある。事実ではないが、わたしの小説『畜生塚』のモデルだと信じ切っている人も世間にはある。
仏師であるご主人をたすけながら、「截金」という精緻な伝統藝を活かし、みごと意欲的な現代風を創作し続けている。「湖の本」の、もう久しい読者でも。
心うれしく、お許し願って、書き込んでおく。

☆ 秦恒平先生  ご無沙汰致しており申し訳ございません。
なかなかお目に掛かれませんが、お変わりのないことと拝察申し上げて居ります。
いつか先生が何かにお書き下さって居りましたかと存じますが、中信の文化賞を頂かせていただいた後、本当に色々と皆様のお引き立てを頂きましたお蔭で、
思いもよりません事ばかりに戸惑っております。
何と申しましても何もかも仏縁かと存じまして、何でも勝手な解釈を致して、眠る前には
「ああええ一日やった、おおきに」
ふぁ-とした気分になるようにして、
「明日も、ええ一日にしょ-っと」
こんな感じで、お仕事も面白くて、色々したいことがあります。
まずこの秋、ロンドンで日本工藝会の展覧会が開催されます。その一環としてシンポジュウムがあります。一日だけですが「截金のデモンストレ-ション」で参加させて頂きます。
で、大英博物館へ参ります。その時(紀元前300年~250年)前の截金の調査を……と。面白そうでしょ。
実は、2003年秋に東京国立博物館で開催された「アレキサンドロス大王と東西文明の交流」展で驚くべきことに、遭遇!
それからず-っと想いを温めておりましたところ、招聘され参ることになりました。
その上、「仏像を見ていただきたいから、出来ればご主人も……」と。いいでしょ!!
長くなりました(余りパソコンと見つめ合うのは似合いません)
また、メ-ルいたします
ノミネ-トって???・・・ですか   合掌  江里佐代子

* 技術上の新知見が生まれかけているのなら、それは楽しみ。また、何か大きな顕彰に推されているのでしょうか。ますます活躍されますように。

* 亡くなられた清水九兵衛先生の奥さんから、はるばるのお電話を戴いた。二度三度お目にかかったことがある。いまもって孫・やす香を悼んでお見舞い下さる方がある。
そうそう広島から藤田裡史くんも元気な手紙をくれていた。ありがとう。新潟の瀧澤強一氏から懇切なお手紙と同時に新潟の銘菓一折、京都の澤田文子さんから「松葉」のにしん蕎麦も頂戴した。
2007 4・24 67

* 暫く音信の途絶えていた東京の「小闇」が「元気です。前払い!」と、「湖の本」に三万円も送ってきてくれた。お金より何よりも「元気」こそ何より。  追いかけるように、やはりしばらく連絡できなかった卒業生からメール。ナント!

☆ ご無沙汰しています、**です。おかわりありませんか。
お孫さんのご冥福をお祈りいたします。お母さんのこともおじいちゃんのこともとても愛していたら悲しむと思うので、争わないでくださいね。私の場合も、親子でも、なかなか相手のことは、理解できないものだなあ、と思う今日この頃であります。
昨年一年は激動で、何処までご連絡していたか忘れてしまいました。
昨年4月末に結婚しました。今***に住んでいます。(正確には引っ越した後で出会ったのですが。)相手は知り合いの紹介で出会った、七つも年下のやさしくてかわいい人です。
苗字は**になりました。
7月に妊娠し、この4月17日に、かわいい女の子が産まれました! 2日程前に退院し、母が「湖の本」を持って、手伝いに来てくれた次第です。
(優しい顔で寝入っている赤ちゃんの写真付き)
新住所は以下です。 (割愛)
取り急ぎご連絡します。  佳

* あんたはビックリさせますなあ、いつも。よかった、おめでとう。結婚と出産とのおめでとうを一度に言わせてくれるなど、親切といおうか、薄情といおうか。でも、おめでとう、と、二度分言います。なんだか一度に、ヒトなみに、一人前になりましたねえ。
育児にとうぶん手をとられ気苦労もできます。落ち着いて過ごされるように。勤務から母親へ。家庭へ。なにもかも目先の世界が色を変えたと思います。フラメンコは当分お預けですね。
翠子の欠(あく)びの口の美しき   古川柳
正直言ってこれから、甘くはない。気を引き締めてまず赤ちゃんとの聡明な共存を。ときどき近況をお聞かせあれ。わたしの近況は例によっていつも、HPの「闇に言い置く 私語」に。
『愛、はるかに照せ』愛読してください。  湖
2007 4・25 67

☆ 湖様!!!!!!!!   光
実家から連絡があり、本が届きました(*>∀<*)!!!!!!
すごくうれしいです。早く帰って読みたいです。
日本にかえるのがますます楽しみになりました。
有難うございます!!!!!
最近は学校がとても忙しく毎日とても充実しています。
先週まで雪が降るくらい寒かったのに
ここ2、3日は水着で出歩いてる人が居るほどあっついです。
春通り過ぎというか、ぶっとばして、夏がやってきたみたいです。
暑いの好きですがここまでぶっとばされると、どうなの(´Д`;)?!って感じです。
湖様は毎日お元気ですか??

* 今日もハーバードにいる若い友人(東工大時代の学生クン=ciona)の日記が、寒さから一足飛びに夏の暑さになったと悲鳴をあげていましたよ。季候の変化、お大切に。
「光」さんのことを想いながら、或いはこういう学校か知らんと想像しつつ、つい一両日前「フェイム」という藝術学校のまぶしいほど颯爽とした活気溢れる映画を楽しみました。理にかなったいい指導をしているとなと観ました。なにより生徒たちのみなが、溌剌として健康でした。見当違いをしていたらごめんなさい。「光」さんは元気かなあと、よく思っていますよ。心ゆくまで努め、しかも楽しんできてください。
ではまた。
京都では ほな、また。元気にしといや と言います。  湖
2007 4・25 67

* 現代、最も信頼し敬愛している作家小田実氏の手紙を受け取った。
「秦恒平さん」と宛てられた、亡き実兄北澤恒彦の読みにくい書簡の字とよく似た、自筆の手紙をつぶさに読んだ。氏は重い病にとらわれている。わたしは暗澹とし、悲しく、生きていることまでが悔しく思われる。
重要な内容と要請とをはらんだ文書であり、私していいと思わない。小田さんから手紙や文章の来るときは、広く人に、世にという思いが込められているのが、常のこと。書き写す。本当は添えてある英文の「判決書」を紹介すべきなのだが、しかるべき別のことを考えたい。
年配の人なら記憶が有ろう、学生の頃であったか、『何でも見てやろう』というベストセラーをかっとばした小田さんはほんものの世界人で、近刊の『終わらない旅』は畢生の代表作になるのではないか。わたしがこの人こそ日本ペンクラブの先頭に立って欲しいと願っていた真の文学魂である。病魔の早すぎる到来をこころより悲しむ。

☆ 秦 恒平さん   2007年 4月 21日  小田  実
同封してお送りするのは、この三月、私が jury (=審判員)のひとりとして参加した「恒久民族民衆法廷」(Permanent Peoples’ Tribunal – 「PPT」) のフィリピンの怖るべき事態にかかわっての「判決文」のコピーです。
現在のフィリピンの事態について、日本では、また世界では、あまりにも知られていないので、お送りします。
「PPT」は、日本ではまったくと言っていいほど知られていませんが、ヨーロッパ、「第三世界」ではよく知られた、民衆の国際的組織です。が、私は、イタリアの思想家レリオ・バッソによって設立され、現在ローマに本拠をおいて活動をつづけているこの組織に、1979年の設立当初から参加して来ています。
これは、一口に言ってしまえば、ベトナム戦争時の「バートランド・ラッセル裁判」の衣鉢を継ぐものと言えるでしょうが、国家の犯罪を「民」(民族・民衆)の側から裁く……そこで理非曲直をあきらかにしようとする企てです。
私はこの企てに加わることを、78年に来日されたバッソ氏に求められ、彼のその主張をきいたあと、主張に賛同し、私は法律の専門家でないが、 Common PeopleとしてのCommon sense、Human Beings のひとりとしての Human Wisdomはもっているつもりだ、その二つに基いて参加すると答えました。
以後、1979年にボローニヤで発足の式典に参加、さらには、80年のアントワープで開かれた、マルコス政権下でのフィリピンの事態にかかわっての第一回の法廷に、juryとして参加しました。
実は、この三月の法廷は、その80年の第一回につづいての第二回のもので、第一回に参加した以上、第二回に参加するのが私のはたすべきことだと考えて、後述するような体調不良にかかわらずオランダのハーグまで出かけたのですが、第一回の場合のマルコス政権下でのフィリピンの事態については、私もよく知っていたのにもかかわらず、第二回の法廷に出た私は、現在の事態について、ほとんど何ひとつ知っていないことが、参加し、審議を重ねているなかで判りました。
しかし、これは私だけのことではない、世界の多くの人にとって同じだと考えて、この「判決文」を同封してお送りする次第です。
今、フィリピンで起こっている事態は、まとめ上げて言えば、ブッシュ政権がひきいるアメリカが、民主主義と自由を標榜しながら、「9:11」をタテにとって、アメリカに完全に支えられ、結託したアロヨ政権の下で、「impunity」(合法をよそおって、非合法の殺し、抑圧、拷問をする)の犯罪を、大々的に、反対する勢力(のなかには、「左」はおろか、一般民衆、カソリック、プロテスタントの神職者たちも入る)の一掃をはかっていることです。
私たちの「判決文」が、ブッシュアメリカ大統領と、アロヨフィリピン大統領とに対するものになっているのはそのためですが、「法廷」は、五日間にわたって、いろんな立場のフィリピンの証言を聞きました。(子細は「判決文」につけた文書のなかにあります)。
この「impunity」の事態は、まったくひどいものです。この「impunity」で、今、大きな役割を演じているのは、フィリピン軍と、それと深く結びついた在フィリピンの米軍です。いろんな証言者の証言を聞いていると、今さらながらあらためて、軍隊のこわさと、私たちの平和憲法…「9条」の意義、重要性が、浮きぼりになって来る感じです。
今、こうした「impunity」をアメリカは、フィリピンの他にも、コロンビアで大々的に行っているようです。
フィリピン同様、コロンビヤも、アメリカが大きな支配力をもって来た、アメリカの世界支配の軍事力の展開にとって重要な国としてあるので、民主主義と自由をうたい上げながら、同時に、「impunity」を強力に行う必要のある国です。
昨年秋、私たちの「PPT」とはちがった主体によるものでしたが、その名も「Tribunal Contra La Impunida」(「Impunity」に反対する法廷)と冠した民衆法廷が開かれていて、そこから二人が、このハーグでの「PPT」に来て、参加されていました。(そのひとり、ベルギーのウータール教授は、ボゴタの「民衆法廷」の議長をして来た人物ですが、このハーグでの「PPT」の議長もしました。彼は今年八十二歳になる、ベルギーで「第三世界研究所」を開いた高名な学者てす)。
これ以上、くだくだと「法廷」について、述べることはやめます。
五日間の「PPT」に出席して、「民主主義と自由」に加えて、「平和主義」の「9条」をもつ日本の思想的、また、現実政治的重要性をあらためて考えたと、ひと言申しそえて、あとは、ぜひとも、「判決文」をお読み下さい…と申し上げることにとどめます。
私自身をふくめて、私たちは、世界のこうした事態について、あまりにも知らなさすぎるように思われます。私は「PPT」の「法廷」の席で、自分の無知を恥じると言いました。無知は犯罪であるとも言いました。
帰国後、せめてホンコンの市長たちがしたように、事実調査の一団を組織して、現地におもむきたいと考えて、フィリピンの人たちに言ったものでしたが、以下に述べる私の健康状態では、それはかなわぬことになってしまっています。どなたか、そうしたことをしていただける人がいられたら、ありがたいと存じます。
* * * *
これまで、この手紙をお読み下さったことに感謝します。これからここで書くことは、私個人のみにかかわることなので、書くべきことでないといったん考えたのですが、上記の私の「頼み」にもかかわることなので、あえて書かせていただくことにしました。
私は、この手紙の先のところで、体調を崩していたのにかかわらず、ハーグへ出かけたと書いていましたが、体調不良はそのあと、トルコへ出かけたときにも、かわらずつづいていました。このトルコ行は、さらにいっそう「私事」にかかわることで書くべきことでないかも知れませんが、現在のアメリカの民主主義と自由をふりかざしての覇権行政にもかかわることなので、少し書いておきたいので、書いておきます。
トルコ行のひとつの目的は、古代ギリシア(ことにアテナイ)の民主主義と自由、その繁栄をウラから大いに支えたのが、黒海沿岸のギリシア植民都市であったことを現地へ出かけて少しでも確認したかったことと、私は、マーティン・バナールが「黒いアテナ」で主張する「古代文明のアジア・アフリカ起源」に根本的に賛成するもので、藤原書店に強引にたのみ込むかたちで出版してもらったのですが(訳者にも、私の「弟子」格の金井和子君に強引にたのみ込んでなってもらいました)、もう少しヨーロッパやアジアを、つながりのある視点で考えておきたかった…それが、トルコ行の第二の目的でした。
そう考えれば、トルコはユーラシア大陸のまさにカナメになる位置の国です。今回出かけたのはトロイに始まるエーゲ海のギリシアとともに、黒海の沿岸地域で、シルク・ロードの西端のトラブゾンまで足を伸ばしました。
マーティン・バナールは最近出した「黒いアテナ」の最終巻VolⅢで、言語の起源は一本のカシの木のようなものでなく、マングローブの根のように、ゴチャゴチャとつらなり合ったものだと主張していますが、私は言語にかかわらず、人間の文化、文明、思想、倫理もそうしたものでないかと、長年の世界とのつきあいから考えて来ています。(この点で、ヘロドトスの「歴史」はギリシア中心の史観でなくて、きわめて示唆にとんだものだと、最近あらためて考えています)。
以上のようなことを考え、たしかめながら、体調不良をなんとかしのぎながら、強引にトルコも旅して急いで帰国したのですが、帰国後病院で受けた検査で、体調不良は末期…またはそれに近いガンによるものであることが判明しました。
英語の言い方で、「His days are numberd」というのがありますが、私の状態はまさにそれで、あと、3ヶ月、6ヶ月、9ヶ月、あわよくば、1年…というぐあいに考えています(検査を受けた病院は、大阪の大阪駅近くの福島の病院ですが、福島は私が生まれた場所です。今年6月 2日に私は75才になりますが…生きていればの話ですが…75年、人生を一巡してもとのところに戻って来た感があります)。
短いあいだですが、デモ行進に出ることも、集会でしゃべることももうありませんが、書くことはできるので、できるかぎり、書きつづけて行きたいと考えています。五月に手術して、あと、化学療法などやりますが、できるかぎり自宅にいようと考えています。(この手紙も、病院からいったん出て、自宅でかいています)。
「私事」にわたる報告は以上です。ではおたがい、奇妙な言い方かも知れませんが、生きているかぎり、お元気で。

* この親愛と信頼の私信を、こう公開してしまう倫理的な問題をむろん重々考慮して、わたしは敢えて小田さんの言葉を、この「闇に言い置く 私語」に耳を傾けていてくださる多くの方々に、まっすぐそのまま伝えたい、伝えねばならないと、それも今、と確信している。
小田さんは、きっと病床からしぶとく立ち直ってくれるとわたしは信じている。
だが彼の此の、世界と人間とに対するねばりづよい闘いと愛は、だれかにバトンをうけついでもらうしかないと考える。それも小田さんとそこそこの老境の、足場を何も持たないわたしのような者だけではない、もっと精悍な、視野の広い、若さと愛と良心の全身に充満した若い人の胸を叩くしかない。そう思い、それは小田さんの思いに他ならぬと思って、ここに小田さんの「私事」ももろとも、闇の彼方へわたしはうったえるのである。小田さんが、そんな事情のもとにこんな長い手紙を書かれた気持ちを、わたしは無私に察している。

* 判決文はかなり長い。あやまった翻訳の危険も避けねばならないが、もの凄く難しい英文とも思われない。「ペン電子文藝館」の同僚とも相談し、また適切な委員会にも考慮して欲しいと思うが。文藝館の「会員の広場」に小田さんの投稿として英文のママ掲載できないだろうか。新委員長の大原雄氏に託してみたい。

☆ いま、HPを読んで小田さんの状況を知り、衝撃です。一日一日がつらいでしょうが、痛みなどできる限り緩和の処置がなされて、貴重な日々を過ごされることを祈るばかりです。
『黒いアテナ』は実に興味深い本です。現在わたしはウイリアム・バーンスタイン『豊かさの誕生』という本を読んでいますが、何故現代世界でアフリカや南米、イスラム教の国々が停滞、苦難の状況にあるかなどの疑問に、かなり納得させられています。以前読んだジョセフ・スティ-グリッツの『世界を不幸にしたグローバリズム』『フェアトレード』も意味深い本でした。
一昨日『宇宙誌』を郵便局より送りましたので、明日あたり届くでしょう。最初から、大きな活字の本を送ればよかったと思うにつけ、済まなく思います。
健やかにお過ごしください。大切に。  鳶
2007 4・25 67

☆ 私語を開いてみて驚いています。
頭は幸いに無事のようなので、敢えていいます。これからは人に云う「気を付けて」を、ご自分にも玄関で言い聞かせてサイクリングに出かけてください。
総じてヤングと爺は細心の注意が不足。
若き頃(ほんの前まで)は、出会いがしらにぶつかりそうになったり、踏み切りのキンコンを無視して突っ走ったりは幾度となくありましたが、最近は、狭い住宅道の優先道路を走っていても、交差の場所では、徐行しています。
と、大真面目に怒りのメールを打っている今、あなたのメールが入ってきて、噴き出してしまいました。たとえ夢でも美人でヨカッタ。ウレシイヨ。いつも肩に手が触れています。
兎に角、超老人なんだから、言動、何に対しても気配りが肝要。但し、人に見えない気持ちだけは、若くありたいものです。
元気な声が聴けて一安心です。お大切に!
追信 私も明け方足が攣れました。数分以内で治まるから、あの痛さがガマン出来るのよね。   古希婆

☆ 是非とも病院に  碧
湖さん 二日ぶりにパソコンを開いて、お怪我のこと読みました。
病院には行かれないままのご様子、それはいけません、内部で出血してわからないままということもあるでしょうから必ず行かれますように。医学の専門家ではない私より、よほどお詳しいとは存じますが。
友人で、やはり脚の内部の血管が切れ、表目には何ともないのに痛くて歩けない、という例がありました。
塞栓症も気になりますし、お願いいたします。どうぞくれぐれもお大事に。

* 人間が出来ていないので、こういう御厚意をいただき、ただ甘えているのである。打ち身というのは暫くして症状が顕在化してくる。ふくらはぎの攣縮痛はすこしずつ和らいでいくが、躯体の芯にすこし痛みの兆す折がある。
この際だから、此処に記録しておくが、椅子に腰掛けてやや前屈みに機械に向かう姿勢が長い。「ペン電子文藝館」の頃はそれが過剰を極めていた。二年ほど前からからだが硬くなりはじめ、その反動が、深夜仰向けに床につくとき、吹き上げるほどの苦痛の呻きがしばらく絶えない、堪えきれない。背筋の脇、背中の中央部が実感として小山のように盛り上がっていて、あおむきにその団塊がなめらかに平たくなるまでに暫く時間がかかる。堪えきれず横臥するとらくになるが、仰向くと反り返るように息が詰まる。いわゆる猫背で筋肉が偏頗にくっついているのだろうとやり過ごしながら、揉みほぐすようなこともむしろ避けていた。骨ではないと感じていた。しかし、仰向きに寝ていると一夜に一度ぐらいピキと音がして背骨が何かを調節しているのを自覚している。
数ヶ月前から自転車で走っていて、ときどき段差や石ころを不注意に踏むと、クキンと背骨の或る位置に響くことがある。ま、自然な反応だろうとやり過ごしてきている。こういうことも有るのを、「闇に言い置」き書き記しておく。

* もっと辛口の「お見舞い」ももらっている。

☆ お加減いかがですか。心配しています。衝突した相手が自動車でなくて幸運でした。頭部のお怪我がなくて幸いでした。
昨日のメールでサイクリング日和などと書いたことを、とても後悔し反省しています。私は、本来日本のような狭い道路での自転車には大反対。しかし、あまり若々しいので、つい大丈夫だろうと楽観していました。撤回します。
どのようにお若く見えても、年齢相応のところはおありでしょう。
今までの経験から、何を申し上げても聞く耳なく、何も変えるおつもりにならないことは充分存じあげておりますが、お節介ナースの性分も変わらないので少しご意見させてください。
二つの理由から、自転車の遠出はもうなさらないほうがよろしいです。
一つは、当然ですが、危ないからです。事故に遇う危険が高いからです。加齢とともに人間視野が狭くなります。まして、緑内障で視野に多少問題がおありなのですから、スピードの出る、無防備な自転車は大変危険だと思います。高齢者のドライバーが危ないと社会問題になっているのは視野の問題と反射神経の速度です。同年代に運転免許を手放す人が多いということもお伝えします。
今のまま自転車で遠出を続けることは、絶えず衝突の危険を伴い、もし急な痙攣などで倒れた場合も深刻な交通事故に巻き込まれる可能性が高いです。
以前に東工大の卒業生の方がヘルメットをかぶるように、また手袋をするようにとアドバイスしていらっしゃいましたが、昨日の文面から判断する限り、どちらもつけていらしたとは思えません。お若い方でも注意なさっているのに、不用心きわまりないことでした。
一瞬の好機ならとお思いかもしれませんが、転倒して首を打ち首から下がまったく動かなくなるという悲惨な事故は山ほどあるのですから、ご家族のためにも、どうぞお気をつけてください。
二つ目の理由は、自転車は凶器にもなるということです。昨日は衝突した相手が同じ自転車でしっかりした乗り手でしたから大事にはなりませんでした。もし衝突した乗り手が大変高齢の方だったら転倒したあとどうなりましたか。あるいは三輪車で飛び出してきた子供の場合、下手すると命にかかわります。自転車で幼児をひき殺したという事故を知っています。被害者になる場合より加害者になる場合はさらに重大なことになります。
以上のことご考慮いただきまして、なるべくなら、今後運動はウォーキング主体にされますことを願っています。おせっかいですが、何卒お許しくださいませ。とても心配でしたので少しプンプンして書いたかもしれません。お気にさわったらごめんなさい。
大型連休ですが、病院勤務は勝手がききませんの。早く病院にいらっしゃいますように。早くよくなりますように。どうぞお元気にお幸せにお過ごしください。  聖

* グの音もない。

* 自転車での加害事故どころか、三輪車でもたいへんな事故が起きることにわたしは何十年前から自覚があり、豆本を出したいという希望者のために、『喪心』という、そういう事故の悲劇を掌説を書き下ろし、与えたことがある。わたしが車の免許をついに取らなかったのは、人を怪我させたくないのが第一の理由だった。金がかかっても運転のプロを雇えばよい、タクシー代を惜しむことはないという考えだった。自転車でも、同じ事を思ってきた。自分の怪我は仕方がない。人は傷つけられないと。
子供の頃から自転車乗りが好きだった。孤独になれるから。そして自転車乗りに技術的な自信が出来ていた。
だが年齢は偽れない。そもそもわたしの年で、自転車で最高四時間も走り続ける誰がいるだろう。二時間でも少ないだろう。出来るだけの体力は嬉しいが、疲労すれば判断力も瞬発力も落ちる。それも自覚して、気はつけていた。
困るのは、脚の痙攣が不時に起きはじめていたこと。
糖尿病のため運動をぜひに奨められ自転車で走り始めてから、昨日をのぞいて三度転倒したが三度とも不時の攣縮痛に堪えきれなかった。昨日の事故も、あとに残った傷害が右ふくらはぎのきつい痙攣痛だけというのが、気になる。急ブレーキをかけるより早く痛みが来てしまっていたか。分からない。
あ、まともに当たると思った。車体の重さ丈夫さを瞬時思っていた。「一瞬の好機」とは、つまり「死ぬ」とは思わなかった。脚が地面につけるかなと思ったのに、もんどりうって地面に仰向けに背中から落ちていった。右脚を思わず地につこうとした、そのとき、ガッときつい痙攣が来ていたのだろう、それでもう無抵抗に仰向きに落ちたのだろう。長袖の、丈長のむしろ冬物のジーンズ生地の上着を着ていたので、擦過傷ひとつなかった。こんな不幸中の幸いにはもう恵まれまい。
2007 4・27 67

☆ フロリダ産のフグにご用心    ハーバード 雄
昼過ぎに,電気生理のセットアップに詳しいエドがやってきた.他所のラボでメインに働いているが,僕の研究室が所属するセンターのセットアップ全般を担当しているのだそうで,こうやって僕らの実験を助けてくれるのも、仕事のうちなのだそうだ.そんな人がいてくれるというのは,実に有難い.
昨日,JCが破壊してしまった部品も特殊な機械で取り除いてくれ,さらに,必要な部品を作製してくれるという.他にも,こちらの要望を聞いて,それに見合う部品を明日中に発注し,来週頭にはかなりの部品が出来上がるという.感謝.
4時からはセミナーに参加.生物発光に関する内容だったので,てっきり発光現象を利用して生命科学の研究に役立てるという内容かと思いきや,発光する生物そのものに関する内容だった.面白いことは面白いが,ちょっと期待はずれだった.
演者はフロリダにある海洋研究所から来た女性研究者だったが,遺伝子改変されたウミホタルの入ったフラスコまで用意しての熱の入れよう.部屋を暗くしてフラスコを振ると,ぼうっと青い光が見えた.天然のウミホタルの入ったフラスコもあったが,明るさが全然違う.
演者によれば,生物が発光するのは,食べられないようにするための威嚇なのだという.実際,発光するものの中には毒をもったものも多いという.本当かどうか僕は知らない.逆に,発光することで,毒を持っていると勘違いさせる効果もあるのかもしれない.
そうした毒を持った発光生物の例として,演者は,フグ毒に関する話をしていた.フグ毒はテトロドトキシンと呼ばれる物質で,普通,フグの肝臓に蓄積されている.テトロドトキシンはナトリウムチャネルという神経や筋肉に発現しているタンパク質に結合し,ナトリウムイオンが細胞内に流れ込むのを阻む作用がある.致死量を摂取してしまうと,呼吸のための筋肉が収縮できなくなり,窒息死する.
これが定説なのかどうかは知らないが,これらの毒はフグそのものの体内で作られるのではなく,寄生している微生物によって作られるのだという.そして,その微生物は発光するらしい.
ところが,同様に発光する微生物の中には,サキシトキシンという別の毒を作るものもあるという.フグの毒はほとんどがテトロドトキシンだが,サキシトキシンも1パーセント位含まれている.サキシトキシンもナトリウムチャネルの働きを止める働きがあり,テトロドトキシン以上の猛毒である.
余談だが,このテトロドトキシンとサキシトキシンの両方を併せ持つという恐ろしいカニが日本近海にいる.名前はスベスベマンジュウガニ.猛毒を持つ恐ろしいカニにしては,名前が可愛らしすぎる.
恐ろしいことに,フロリダには,サキシトキシンを分泌する微生物で,フグの肝臓ではなく,筋肉に寄生する種類があるそうで,実際に、内臓をきちんと処理したフロリダ産のフグを食べて死に掛けた人もいるのだという.そうした被害の分布を示す地図によれば,フロリダの大西洋側沿岸に亘って,びっちりと丸印がつけられていた.
とりあえず,フロリダに行ったら,フグだけは食べない方が良さそうだ.

* なんて読みがいのある、おもしろい記事だろう。夏目漱石という人も、こういう専門外の研究余話を聴くのが好きだったに違いないと、『我輩は猫である』や『三四郎』を読んでいると気がつく。なにしろ身近に寺田寅彦という物理学のお弟子がいた。ほかにもいろんな畑の学者がいて、漱石は「いい聞き手」でもあったように察しられる。
わたしは、もう、そんな面白い話を小説に取り込んでやろうなどという色気はない。面白い話は面白い話だと純然楽しんで聴いている。「雄」くんのこの日記に出てくる舌を噛みそうなしかも妙にリズミカルなカタカナの「名前」のいろいろを口ずさんでみるだけでも、気分が軽く浮かんでくる。
そういえば、歌舞伎の「外郎売(ういろううり)」早口言葉を、テレビに出ていた市川団十郎が舞台でもスタジオでも披露してくれていた。NHKの男女アナウンサーもとても歯が立たない早口言葉を団十郎はあの朗々の口跡でやってのける。彼のお父さんは、この芝居を久方ぶりに復活したけれど、早口言葉の所は舞踊化してあらわし、当代の成田屋が文字通りの早口言葉の藝を復活した。「売り」言葉なのであるが、とても長々しくとてものことでうまく言えない。舞台ではとちりもなくやってのける団十郎に感心した。
白血病から立ち直ってくれた団十郎。やす香の「白血病」告知があったとき、一抹成田屋の例もあると治療効果に望みをもったのだったが、「肉腫」では…。くやしい。
2007 4・27 67

☆ 昨日の自転車事故、その後お加減はいかがでしょうか。  透 卒業生
不幸中の幸いで、骨などに異常は無かったようですが、それでも何かとご不便かと思います。念のためにも、一度、きちんとした検査を受けられた方が良いかと存じます。
小田実さんのこと、驚くと共に残念です。もう少し気づかれるのが早ければと、残念でなりません。
先生が『宇宙誌』に夢中になられているとのこと、大変興味深く思いました。確か著者の松井孝典先生は、「ニュートン」の編集長などもつとめられた、竹内均先生のお弟子に当たるのではないでしょうか。
私は中学生の頃、竹内先生の本を読んで、科学者になることを志しました。
と同時に、先生ほどの年齢になられても(というのは大変失礼な言い方で、お詫びしなければなりません)、こうしたことに好奇心をお持ちというのは驚異です。
ガンジーの
‘Live as if you will die tomorrow.  Learn as if you will live forever.’
という言葉を思い出します。
自分自身を顧みると、専門書以外に手をのばす機会もめっきり減っており、恥ずかしい限りです。
御本、少しずつ、読ませて頂いています。濃厚すぎて、少しずつでないと読み進むことができません。
しかしながら、もうそれなりに長い年月を生きてきたにも関わらず、未だに「愛」については、一向に自分の中に、成長の跡が見られません。自分の最も至らない点の一つであると自覚しています。
何度も何度も、同じ過ちを繰り返している自分が愚かに思えます。
これは、「男女の愛」に限ったことではなく、「親への愛」や「友人への愛」、「血縁への愛」などが、自分には希薄なのでしょうね。
そして、独りよがりに自分の都合ばかりを追い求めてしまうのだと思います。だから、その報いとして、本当に自分が愛する人からは、愛されないのかもしれません。
また、この本で多くの頁を割かれている、「夫婦の愛」と「子への愛」は、この歳まで生きてきても、残念ながら、私にとっては全く未知の領域です。
それらを知ることで、人間としての幅も広がることでしょうが、そういう機会が得られないのは悲しいことです。
この本は、実は私にとって、非常にタイムリーでした。
今、私はある人に強い恋愛感情を持っています。
冷静な自分が、「どうせ振られるのだから、やめておけば良いのに」と声をかけ、
もう一人の自分が、「でも好きなのだから、振られる覚悟でぶつかるしかないだろう」と声をかけます。
つい声を聞きたくなって電話をかけたりメールをしたくなりますが、自分のしたいままに行動することで相手に負担をかけるべきではないという思いもあり、少なからず葛藤しては、なんとも苦しい日々を過ごしています。
ただ、数年前にひどい思いをして以来、ほとんど人を好きになることがなく、なんとなく打算で結婚を考えたりしては自己嫌悪に陥り、自分はもう、人を本当に好きになることはないのかもしれないなあと思っていましたし、
精神的に歳を取ってしまったのかもしれないとも思っていましたので、まだ自分がこんなに人を好きになることができたというのは驚きでもあり、嬉しくもあります。
取りとめも無いメールで失礼しました。
もう少し読み進めてから、内容についてはまたメールさせて頂けたら幸いです。
御本、有難うございました。

* 敦厚の感に溢れた佳い手紙で、こんなふうに自身をひらくことの出来る人の魅力を、身いっぱいに聡明にうけとれる配偶者候補の出現を、わたしは年久しく願ってきた。
『愛、はるかに照せ』の二つめの章「夫婦の愛」は、こう書き初めてある。

男女の愛があって、結婚し、夫婦になる。そして子が生まれる。子を持って知る親心。あまりに尋常なようではあるが、このサイクル、当分変わるまい。では、ものの初めに「求婚の広告」という詩から読んでみよう。山之口貘の『思弁の苑』(昭和十三年刊)から引く。佐藤春夫が序詩に、貘の詩を、「枝に鳴る風見たいに自然だ しみじみと生活の季節を示し 単純で深味のあるものと思ふ 誰か女房になつてやる奴はゐないか」と書いているのも、この詩を受けてのものだろう。

★ 一日もはやく私は結婚したいのです
結婚さへすれば
私は人一倍生きてゐたくなるでせう
かやうに私は面白い男であると私もおもふのです
面白い男と面白く暮したくなつて
私ををつとにしたくなつて
せんちめんたるになつてゐる女はそこらにゐませんか
さつさと来て呉れませんか女よ
見えもしない風を見てゐるかのやうに
どの女があなたであるかは知らないが
あなたを
私は待ち佗びてゐるのです 山之口 貘

「若しも女を掴んだら」というケッサクな詩もこの詩人にはあり、表現の軽みの底にたゆたう時代の重い嘆きは昏いのだが、貘の詩は持ち前の「正直で愛するに足る青年」(春夫)の詩情で読ませる。独特の「考えかたのおもしろさ」(金子光晴)に、詩がある。

* 電子メールやケイタイ電話の氾濫で、恋がかえって育っていない。恋でなく「つきあい」だとお互いに軽くかつ身構えて、「恋」「愛」に到達しない。到達するための表白も表現も思い切りヘタになっている。どっちもが心の底で「つきあい」レベルに躊躇している。いっそ、上の詩など、代弁してくれないか。

* 何度も何度も書いてきた。
佐々木邦のユーモア小説を初めて古本屋で立ち読みしたのは、まだ小学生だったか。漱石に、『心』という小説のあることをわたしは知らなかった。
立ち読みした邦の小説の、わが記憶に焼き付いているその場面で、やはりある青年が本屋の立ち読みをしていた。立ち読みが目的ではない、帳場に座っている娘さんに恋していたのだ。だが奥にはこわい親爺がいる。娘は青年の気持ちを察しているが、ためらっている。彼はどうやら立ち読みの風情で日参しているらしい。
そして青年、意を決して一冊の「本」を書架からぬきとり娘の目の前へ差し出した、が、渡さない。彼は娘に示して、「本」の題をしきりに指さす。「本」の題は「心」。
彼はそれを繰り返す。娘も察したのである、ついに。青年の恋は「本」「心」だと。
そんなにうまいこと『心』やなんかいう本があるやろかと、立ち読みの少年私は心幼くも小説家の手際に疑心も抱きながら、恋ごころの表現は難しいモノだと覚えた。
うまく言えない。かわりに万葉集の歌番号をもちいて「恋心」を伝えた年配の体験者はすくなくなかろう。
わたしが『閑吟集』の鑑賞本を出版する、と、すぐ、「307」とひそかに伝えてきた人がいた。番号が示していた室町小歌は、端的、
「泣くは我 涙の主はそなたぞ」 とは、ウソ。
こういうふうに気持ちを伝え合う大人も昔はいただろう。ケイタイ時代の恋はあまりにウジャジャケていて、本人すらなにが本気やら、まして受け取る側ははなから本気をさぐりもしないのかもしれない。本気で誠実に伝えるすべ、それが難しかったのは古今東西、同じだ。だから可憐な、
あまり言葉のかけたさに あれ見さいなう 空行く雲の早さよ   閑吟集
といった懸命の「手」が、無数に発明された。とはいえ、結論はきまっている。愛の難さに屈せぬ、誠実な本気だ。

* 思いがけない心嬉しい便りを手にするということ、ときとして、突然、有る。突然だから嬉しさも、どうしたんだという気持ちも、ある。
2007 4・27 67

☆  墓参  雀
夜毎に月夜が輝きを増しています。冷えたり夕立が二日続いたりと、うつろう天候にてんてこまい。今日の好天に奮発して京へ出ました。
由良湊、浦島子、舟屋、松島、竹野…魅力あふれる丹後に迷い、悩み、加悦谷へ行って、間人をゴールにUターンしました。
加悦算所地区に行ってみようとして、偶然に蕪村のお母さんのお墓参りをすることができました。
今日から加悦谷は祭礼で、上の町に裃姿の男性が集っています。お墓は谷口酒造の裏山とおききして、間違えて与謝野酒造の前で道を訊ね、そちらの造り酒屋さんのお話も面白くて、後ろ髪を引かれる思いで谷口さんのお家へ向かいました。
外から「お墓参りさせてください」と申しあげましたら、「お線香などお持ちですか?」とご持参の上、わざわざお墓へとご案内くださいます。最近は観光バスも来るとのこと。
お参りのあと、谷口げんの墓と判明した折のエピソードや昨年や今年の降雪の話、祭りのことなどお話してくださいました。
今日が祭り初日で、夜10時過ぎに集まり家に帰るのが4時過ぎとのこと。地区毎違う氏神神社への奉納幟がはためいて、山里の集落は晩れる春の愉楽の景気でした。囀雀

* なにげないようで、与謝蕪村の伝に関連して、甚だ大事な証言がされている。

☆ 沢井忠夫のこと  maokat
hatakさん 昨夜、原稿書きや論文査読をさんざんしたあと家に帰り、眠い目でお送りいただいた『愛、はるかに照せ』をぱらぱらと拝見しておりました。
潮干狩夫人はだしになり給ふ
石垣島では浜下りといって旧暦三月上巳の日に浜におり、貝や藻草を漁ったものでした。真珠貝の稚貝など、それは美味しいだしがとれたもので、あれは美味しかったなぁなどと思いながら寝てしまいました。
今朝になってもう一度見れば、???。
「夫人裸足になり給ふ」だったのですね。だしにはなりません。
連休とのことで今日は出勤も急がずゆっくりしていました。
hatakさんの作品が上演されたこともあるNHKの『芸能花舞台』で、箏奏者の故沢井忠夫を特集していました。高校の同級生に沢井の孫弟子たちがいて、よく箏の演奏会の運搬係に動員され、「鷹」「花筏」など初心者向けの沢井の作品を聴きました。そうこうしているうちに単純な曲であっても旋律が歌い清澄感のある沢井の作品の魅力にとりつかれ、駒場エミナースでのリサイタルや、就職してからは、釧路での発表会などに出かけていきました。
生前の沢井氏には数回お目にかかったことがあります。チーズケーキが好きで、邦楽に何の縁もない私に、「私の作品で一番気に入ったものは何?」と聞かれ、私が「最初に聴いた「鷹」という曲です」というと、ちょっとがっかりされていました。続けて「「二つの群のために」がダイナミックで好きです」というと、「そう」と嬉しそうでした。おでこの大きな、そして音楽家としての人柄も大きな人でした。
番組の中で、死の十日前に妻の一恵氏との合奏で「水の変態」を演奏したのが最後の舞台になったことを知りました。彼の作品の「水面」「石筍」「螺鈿」。
彼の演奏による「壱越」「砧」「乱輪舌」など。曲からも演奏からも、茶の湯にめぐり会う前の私に、古典芸能の魅力を教えてくれたのが沢井忠夫であったと思います。
今生きていれば六九歳の沢井忠夫。どんな曲を作りどんな演奏を聴かせてくれたのか、適わぬことながらその早すぎる死が悔やまれてなりません。
脚のお怪我いかがでしょうか? 打撲を風呂で温めてしまったのは逆効果ではないかとも思い、心配しています。くれぐれもお大事に。私は連休通して出勤、たまった仕事を片付けます。

* わたしには関係ないが、ゴールデン・ウイークの長い「連休」に入ったらしい。わたしは家でひっそり脚の癒えを待つ。五月になると、休みあとから気ぜわしくなる。やすみのうちに前座の用をたいて片づけておきたい。
2007 4・28 67

☆ ぬか喜び   ハーバード 雄
今日も朝から電気生理.本当は12時から30分ほど,ボスとミーティングのはずだった.
シアトルに出張していたボスは、ホテルを取らずに深夜の飛行機でボストンに戻ったらしいが,その間全く寝られなかったそうで,ラボメンバーとのミーティングを全てキャンセルした,と秘書のフィリスが伝えてきた.
「ただしcionaとだけはミーティングするらしいから,4時過ぎになるけどいいか,と伝えてきたわ」とフィリス.
え? 何で僕だけ?
僕がミーティングをお願いしたのは簡単なことで,単にマウスをもらうドイツのグループに、メールを送ることになっていたのだが,送る前にボスに確認してもらいたかったのだ.本当は今週前半にも送りたかったのだが,ボスが不在で,出張中もメールが一切入らなかった.
大したことではないし,僕の時間は短くて良いと,前もってフィリスには伝えてあったはずなのだが,「何で僕だけ?」と聞くと,フィリスは、「さあ,お前はクビだ,とか言うんじゃないの」と言い,一人で笑う.
フィリスは丸々と太ったオバチャンで.さほど面白くない冗談を言ってはいつも一人で笑う.時々笑いながら軽く僕を叩く.こういうオバチャンの動作は,洋の東西を問わないのか.
「じゃあ,荷物をまとめに一旦帰宅しようかな」と僕も応戦する.
他の人のミーティングを全てキャンセルしてまでも僕とミーティングするということは,それだけ電気生理の実験が気になっているということだろうか.ちょっとプレッシャーを感じつつ,午後の実験を続ける.
約束の4時ごろ,ついに電極が神経細胞に入った.すると,なにやら意味ありげな電圧変化が見られた.オシロスコープで見ていると,バチバチと線香花火のように電圧を示すトレースが刻々と変わる.見ていて飽きない.既に教科書などでは見たことのあるトレースであり,学問的に新しいことという訳ではないが,シナプスの応答を、生で見たのはこれが初めて.感動した.
ちょうどミーティングの時間なのだが,フィリスが,「アンドレイがちょっとボスと話があるから,それが終わったらボスはあなたを探しに来るから」という.すぐに終わると聞いていたが,1時間近くも話合いが続いている.その間に細胞がダメになってきた.せっかく良いところなのに,とがっかりする.
途中で違う細胞に針を入れなおすと,再び勢い良く電圧変化が見られたが,それも長続きはしなかった.アンドレイとの話し合いを終えたボスが僕のところに来たときには,既に虫の息といった状態だった.
それでも記録してあったトレースをボスに見せたのだが,ボスの顔は浮かない.「うーん,これは僕が期待していたのと違う」.
まず、ノイズが大きすぎるので,ノイズを極力減らすようにといわれる.そのための工夫をいくつか教わる.さらに,見えるべき信号も,僕が見ていたのとは全く違うものだった.ボスはその実験を散々してきているので,どういう信号が見えるべきかは熟知している.せっかく良い結果が出たと思ったのだが,ぬか喜びだったようだ.
ボスが単に僕とのミーティングだけを残したのは,メールだけは今週中に送ってしまおうと思ったからだったようだ.なんのことはない,取り越し苦労だった.
肝心のメールチェックをしてもらっている間に,ボスがふと窓の外に目をやる.
「あれ? 妻かなあ.今日は娘がダウンタウンの方に行っていて,僕らも一緒に行かねばならないので,車で迎えに来ることになってるんだが.」
外に停まっている車がボスのと同じ車種らしい.
電話をかけたボスだが,奥さんは出ない.「どうやら違うみたいだ」と言ってメールをチェックしはじめたボスだが,しきりと窓の外を気にしている.
3箇所ほど簡単な訂正が入っただけで,「これをドイツに送って」と言うと,そそくさとラボを後にした.
メールの文章をチェックしてもらっている間に,何気なく見たら,ボスのメールボックスの受信欄には、未読のメールが、何と三千以上も! 道理で,メールを送っても滅多に返事が返ってこないわけだ.
電気生理のノイズ取りは,JCと一緒にすることになっているので,来週に持ち越し.7時過ぎにラボを出る.
今日は、松坂対松井の対戦がある.家で一人で観る気がしなかったので,近所のイタリアンレストランBertucci’sで、ピザとサラダを食べながら観戦.途中までは良い感じで来ていたのに,4回に一気に逆転された.あーあ,と思いながら店を後にしたのだが,自宅に戻り,テレビをつけるといつの間にか,レッドソックスが逆転していた.そのままソファベッドで試合を見ているうちに、居眠りをし,今起きたところ.首が痛い.
ネットニュースで,ロストロポーヴィッチの訃報を知る.指揮者としても活躍していたが,僕はチェリストとしてのロストロポーヴィッチが好きだった.日本びいきで,日本食が大好き.ウォシュレットに感激し,「日本人がまた,すごいものを発明したぞ」といって,知り合いに配りまくったという話も聞いたことがある.
また,演奏を生で聴いてみたかった音楽家が一人,この世を去ってしまった.

* 松坂大輔の勝ち星は増えているが、いまひとつ彼の勝ち星としては彼自身物足りないだろう。難しいところだが、勝ちは勝ちで、打たれても勝てる星なのだろう。あいつは少し打たれても勝負には勝つヤツだというチームメートの信頼も、意味が大きい。
2007 4・28 67

* チューリップに交代し、芝蘭だか紫蘭だか知らんけれど、屋上の細庭を溢れ出そう。物干しを風が走り、日光は強い風にも揺れない。

* 叙勲だの褒賞だのという國の顕彰のなかに藝術家の名前をみると、ときに傷ましいと感じる。どれほど敬愛してきた人の場合も、わたしはお祝いもせず、申し上げたこともない。健康をねがうばかり。
2007 4・29 67

☆ お怪我のこと、今、知りました。 香
よく、それだけのお怪我で済んだものでございます。けれど、けつこう、長引くものでございます。どうぞ、おたいせつに。
「聖」さんの諫言、どうぞ、お容れなさいますよう。
わたくしも常々、先生の自転車散歩? 旅行? ちよつとご心配申してをりました。
小田実氏のこと、何とも言ひやうなく。
ひとに、たましひに軽重あるべくもないことながら、今、此の時に、あのひとを、あのたましひを。嗚呼。

☆ 私の世代で小田実さんを知らない人はいないと思うほど、あのベストセラーが昨日のように感じられます。
数年前に、芦屋浜の知人が自宅から花火が見えるので来ませんかと誘ってくれた。その帰りのエレベータ前で小田さんの姿に出会ってびっくりしたものです。知人と同じところに住んでおられることがわかり、一層身近かに思えました。
いま、大変な状態にあることを知ると共に、「生きているかぎり、お元気で」という言葉がわかる年になったのだとしみじみ。
小田さん、メッセージ読ませていただいてありがとうございました。  道

☆ 久々に家からネットに繋いでじっくり訪問しようと思った矢先の(小田さんの)一文に衝撃を受けています。
いくら書いていても言葉にならずさっきから書いては消去、書いては消去を繰り返すばかりです。

☆ 『何でも見てやろう』は全身ぞくぞくしながらアメリカという世界を覗かせてくれた名著でした。社会へ出るか出ないかの頃に読みました。世界へ大きく視野を広げてくれました。
信念と見識を持った方がご健康を取り戻されますように、お祈りいたします。
小田さんの意思をつぐご後輩の方々のご健康も、あわせて祈っています。 瑛
2007 4・29 67

☆ ボストンの桜    雄
朝方は雲が厚く空を覆い,時折雨も降っていたが,昼近くになってカラっと晴れた.
今日は,ムービングセールでコーヒーテーブルを買うため,車でハーバードとポーターの間にある御宅に伺う.今日もstrow driveに乗ろうとするが,標識に従って走ったつもりが,気づけば反対車線へ.相変わらず地図オンチな自分に呆れる.
元に戻って,今度はmemorial driveに乗ってみる.memorial driveはstrow driveと並行してチャールズ川沿いを走っている道路.川を挟んで同じようなところを通っているのだから大差ないだろうと思ったが,memorial driveはあまり早く進むことができない.途中,信号で何度も停まらねばならず,また出口も多いため,出口から降りる車が前にいると,そのたびに停まらねばならない.時間通りに間に合うか不安だったが,なんとか時間前に到着.
御宅に伺い,実物を見せていただいたのだが,問題は大きさ.残念ながら僕の車には載せられそうに無い.後部座席を倒せばなんとか入らないことはないが,どうやったらよいのかが分からない.車の説明書に従い,しばらく格闘してみたが,今日は諦める.取りに来るのは後日でも良いというが,ちょっと思っていたよりも大分大きかったので,場合によっては今回は見送るかもしれない.
せっかく車で来たので,先週の日曜にも行ったポーターのショッピングモールへ.ビールと食料品を買い込んで帰宅.酒屋とスーパーが同じ敷地内にあり,駐車場も充分な広さがあるので便利だが,スーパーの品揃えが今ひとつ.ボストンでは最もメジャーなスーパーだが,野菜の種類が少ない.今日は煮物でも作ろうと思ったのだが,サラダになるような野菜しか見つからない.

帰り際,ふと,モール内の駐車場に桜の木があることに気づいた.満開だ.ソメイヨシノにしては,ちょっと色が濃いだろうか.花の形はソメイヨシノに似ているように思うのだが.
そういえば,memorial driveを走っているときにも,桜が数本咲いているのが見えた.帰り道,strow driveを走っていると,こちらにも桜が.残念ながら数本なので,日本で見る桜には遠く及ばない.それでも,桜を見ると心が和む.
東京にも川沿いにいくつも桜の名所があった.千鳥ヶ淵や目黒川沿いは言うに及ばず,自宅近くにも川沿いに多くのソメイヨシノが咲いていた.愛知の研究所や,近くを流れる川,そしてお城にも多くの桜があり,毎年楽しみにしていた.去年は京都にも桜を見に出かけた.桜は素晴らしかったが,あまりの人の多さに辟易した.
食いしん坊の僕には,桜餅も懐かしい.愛知に行くまで,桜餅といえば長命寺型の,薄い皮をクレープ状に巻いたものだと思っていたが,関東以外の人には,道明寺型の,米粒が若干残った餅で餡を包んだものが一般的と聞いて驚いた.
愛知にいた頃,穴子を蒸したものを桜の葉で巻いてあんをかけた料理を出してくれる飲み屋があった.毎年楽しみにしていたが,今年は無理.ああいう繊細な和食を食べられる店は,ボストン中さがしても,どこにもない.桜餅すら,手に入るかどうか.
ようやくボストンにも春が来たようだが,桜のない春というのは,どこか間が抜けていて,どうにも、しっくりこない.

* 海外に旅することももうあるまい。雄クンのこういう日記でわたしは渇を癒している。
* すばらしい桜鯛を戴いた。「細雪」のナカンチャン幸子のフアンで大の鯛好きには、こたえられない。粋な編み笠を二つに折って色美しい鯛が、すぐそのまま食べられる。「一本買って」と妻。こういう妻が好きだ。
2007 4・29 67

☆ 子規と大仏と関野貞  雀
昨日、加悦でにわか雨に遭いました。東京は突風や雷雨の被害があったそうですがお変わりなくいらっしゃいますか。
駅にあったチラシで、井特の「美人図」が奈良県立美術館に出陳されていることを知りました。
そういえば今年も奈良の八重桜を見ぬまま。
子規が松山から根岸に帰る途中で宿泊した“対山楼”跡地に、昨秋、正岡明氏造園の「子規の庭」ができたとか。先日、関野貞を教わって伊東忠太、長野宇平治と併せて識る機会を得ました。漱石や子規と同じ年に生まれていることも含め、得るところの多い調べものでした。 囀雀

* 先日ある雑誌を見ていたら、美術批評では研究者なみに知られた名の人が、「祇園井得」にめずらしげに触れていて、この幕末の画家のことは、大きな事典にも出ていない、文献もほとんどない、誰も名も知らない絵も知らないような、しかし優れた画家だと特筆していた。
特筆は嬉しいが、この認識は、今日では時代おくれである。土居次義先生のかなり詳しい論考が出たのは大昔のこと、わたしですら小説『閨秀』で、井得と、松園女史の画業とに繰り返し縁の深かったことを証言しているし、テレビでも話しているし、大きな図録にも長いエッセイで触れている。
雀さんの謂うその『美人図』こそ、松園の名作『天保歌妓』の原作かのように、繰り返し勉強されていた間違いない井得画であり、彼の展覧会もちゃんと開かれていた。{「ぎをん」というさほどでない広告雑誌だから甘く見ていたか、事実案内不足なのか知らないが、筆者の名前を見ておやおやと思った、著名な専門家だ。ただしこういうおやおやは、自分でも、人に何度もさせていることだろう。
これなどましな方で。
ある文藝関連誌の表紙に、國の大きな顕彰をうけて世にときめいている人の、小説の書き出し原稿用紙が、綺麗に写真で出ていた。字もちゃんと読める。で、半枚も読んでみた。小説だから読んだ、随筆ならわざわざ読まなかった。読んでおどろいた。
書き始めの一行から、先へ何行すすんでも、みな、手あかだらけ、慣用句だらけの、こっちが恥ずかしいほどの俗文字。
これだからなあ。
思い上がっているのか、思い上がらせているのか。
2007 4・29 67

* わたしのこの「闇に言い置く 私語」は面白いかいと聞くと、妻は「おもしろいわ」と答える。何故とは聞かない、それで十分。わたしは「個と個で」という亡き兄の物言いをずっと信奉し、虚心にいろんな人の声や言葉を聴いている。聴いているのがわたしなんだから、それら人の言葉もつまり何かしら「わたし」を表現している。この「わたし」とそのひとの「わたし」とが溶け合っている。わたしが紹介しているので、だから「わたし」のなかでいろんな「個」のことばが溶け合っている。幾重もの「わたし」がここで読める。

☆  恒平さん  嬉しいことがありました。 バルセロナ 京子
去年の十月から、カタロニア語を習っています。
八年住んでようやく覚える気になったのは、ちょっと遅い? 気もするのですが、自分から覚える気になったことを、とても嬉しく思っています。
カタロニア語を口ずさむ私にニコニコ顔の夫を見て、習い始めてよかったなあ、と。これこそ夫の母国語だもの。
そういえば、夫が日本語を習い始めたとき、私も嬉しかったっけ、と。
カタロニア語を「覚えるべき」「覚えて欲しい」と、夫が一切言わなかったことにも感謝。言われていたら、反発していただろうから。
実際、スペイン語も話せるのにカタロニア語しか話そうとしない人に遭うと、ぴしゃりと拒絶された感じがするものです。私など、スペイン語=努力の賜物、である分、「いい加減、カタロニア語も覚えたら?」という言葉には、刃で胸を、さっ、さっ、と切りつけられる気分。何の苦もなくスペイン語を話せるのに話そうともしない人から、カタロニア語を強要されるのは、不愉快です。
そんなこんなで、カタロニア語に嫌悪を感じる人は少なくなく、コミュニケーションに役立つはずの言葉が、かえってそれを阻む要因にも。
ただ、この土地の人のカタロニア語への、ときに愛着を越えた執着は、つい最近まで(~1978年)言語弾圧を受けてきたことに起因するので、仕方ないとも思えます。が、母国語カタロニア語を禁止され、スペイン語を強要される屈辱を味わってきた人々がまた、他人にカタロニア語を強要してしまう連鎖に、私は不幸を感じます。
ただし、そこで終わらないのが、ここの素晴しいところです。
カタロニア語普及への州政府・市の力の入れ様は並ではありません。何より感心するのは、カタロニア語を母国語としない人々へ、覚える機会を無料で提供していること。様々なレベルの語学コースが組まれ、日常生活で役立つように、取り上げる題材も身近で具体的です。私が通っているのも、そのコース。
今年、市の初の試みとして、カタロニア語を習い始めたばかりの生徒に、バルセロナでの生活体験を書いてもらい、それを「サン・ジョルディの日」のお祭りに合わせて一冊の本にしよう、という企画がありました。題して『世界から見たバルセロナ』。バルセロナの人に、バルセロナが外の人からどのように見えるかを知ってもらおう、と。
「サン・ジョルディの日」は、カタロニアの守護聖人の日です。その日(4月23日)は祝日ですが、唯一休日にならない祝日でもあり、街には、本屋とバラの花を売る屋台が溢れ、大切な人へ本やバラを贈るのが慣習です。だから、この日にこの本を出すことは、カタロニア語普及に関わる人々にとって、とても意味深いことでした。
参加したのは 235名の生徒、107の原稿が選ばれました。
イザベル王女がアメリカ発見から帰ったコロンブスを迎えたと言われるゴシック様式の美しい広間で、記念パーティーが催され、最もオリジナリティのある作品を書いた生徒が、それを読んで披露することになりました。ご想像つくかと思います。読んだのは私です。
書いていて楽しかったから、選ばれる選ばれないはどうでもよいと思っていたのですが、パーティー当日、夫の、担任の先生の、企画者のはちきれんばかりの笑顔に逢い、嬉しさが後からどっとやってきました。おかし味がうまく伝わるような、日本語訳ができていないため、今回それをお伝えするのは見送りますが、久しぶりに嬉しい嬉しい出来事でした。
『愛、はるかに照せ』 ありがとうございました。恒平さんの講義が毎週待ち遠しかったように、今、ご本を開くのを楽しみにしてます。
実は、来週日本に帰国する際に持ってゆく本、に決めたので、毎日誘惑に耐えながら、表紙を眺めるだけに止めています。今度の帰国は、夫以外に、こちらの友人を伴ってゆくので、違った日本が楽しめそうです。
この水曜日、週末のカタロニア語の宿題として、次のものが出されました。
いわく、「健康」「平和」「幸せ」「長寿」に順位をつけ、その理由を述べよ。
恒平さんの講義が、懐かしく懐かしく思い出されます。

* おう、よかった。こういう踏み込みがいちばん「京」にはいいんです。一等賞もすてき。

* 「カタロニア」と聞くと、なにかしらなつかしい。なんでかなと思って『モンテクリスト伯』を思い出した。
「カタロニアの出」ということが何度も物語の中に出ていた。エドモン・ダンテスが一等航海士をしていた船会社はマルセーユにあった。彼の愛しい人メルセデスと彼女の従弟フェルナン。このふたりがカタロニアに縁があったのでは。うろ覚えになるが。

* のんきなことを言って書いているが、いまわたしのピンチは、脚よりも眼のようだ。霞んで、画面の字がうすれてくる。もう、おやすみだ。
2007 4・29 67

☆ 小田実さんの「熱い想い」、胸に迫ります。 久
先に開高健さんが逝き、現在、グローバルな視野で行動する作家は小田さんのみといえます。
とくに日本のモノ書きが見過ごしてきたというべきか、見ることを避けてきたアジアに眼を向け、そこから世界を俯瞰しようとするスタンスに、強く共感を覚えております。
病魔との戦い、いまのところ健常な私たちには想像を絶するものがありそうですが、ぜひとも長らえていただき、後代への道筋をしかと残していただきたいと希っております
2007 4・30 67

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