ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2008年9月まで

☆ お元気ですか、風  花
久しぶりに陽が射しています。
日光に飢えた植物たちが、嬉しそう。
花は、今朝、がんドッグの一診目をうけてきました。簡単なものだけでしたので、三十分もしないで終りました。
採血してもらっているとき、管の中に血が勢いよく出ているのを見ていたら、なぜかおかしくて、笑いを堪えるのが大変でした。
次回は、二十二日、恐怖の胃カメラです。うまく飲めるかなあ。ドキドキ。
一太郎ファイルを添付しました。お忙しいところ、恐縮ですが、お時間のありますとき、読んでいただければ幸いです。
ファイルに不備のありましたときは、お知らせください。
ではでは、花は元気に風を呼んで(読んで)います。
2008 7・1 82

* 早稲田大学文藝科でわたしのゼミを一年受けた、妻の曰く「あなたの一等昔の学生さん」である平澤信一君が、もう「君」でもない立派な先生だが、『宮沢賢治 <遷移>の詩学』という研究成果一冊をはるばる贈ってきてくれた。思わず雀躍りするほど嬉しかった。教室で出逢った最初の印象も講義後の会話もわたしは忘れない。ウワァ大変、こんな連中のメンドーをみるのかと、外部のわたしをそんな教室にウムを言わさず引きずり込んだ此処の主任教授を恨めしがったほど、平澤君の舌鋒は鋭かった。新米の作家講師をつるすぐらいの勢いだった。ま、わたしはそうカンタンに吊されないが。
あの年は、息子秦建日子が早大法科に推薦入学し、わたしは「秦 恒平・湖の本」を創刊した一九八六年で、平澤君はたしか三年生だった。
あれからずうっと彼の仕事にも消息にも触れていたし、なにより彼は有り難い真摯な「湖の本」継続読者でいてくれる、今も。彼の研究は、よほど一途に宮沢賢治に集中し、新知見を出すことも度々あった。
この早稲田でのわたしの文藝科ゼミからは作家は角田光代さんを送り出せたし、評論では平澤君がこうして励んでいる。松島政一君のようなたいへんユニークな編輯と評論の活動を続けている人もいる。もっといるだろうと思う。たった二年間、手伝ったに過ぎないゼミであったが、ムダではなかった。

* 御著上梓心より祝します。 秦 恒平
平澤君  よかったなあ、めでたいことです、大きな佳い一歩が踏み出されました。多年研鑽とか執心出精ということばがこの本にこそ燃え立つように輝いている。どの一編にも君の息づかいと体温がある、それがホンモノの証拠ですよ。
折角健康を労りつつ、次の一歩へもう踏み出されていると信じます。着実に、時に大胆無比にも歩んで進んで行かれますよう、都の西北から祝意と激励とを送ります。ありがとうと申し上げる。  秦 恒平
2008 7・2 82

☆ 美の巨人達  囀雀
「美の巨人たち」(テレビ東京で土曜夜10時放映)がこちらでも放映されているのを見つけたのは、一年ほど前でしたかしら。毎週楽しみに見ていた日曜夕方の京・近江ものの京都テレビ制作番組がこれに変更されたことで、見落とさなくなりました。たぶん一ト月以上遅れての放映だと思います。ゴーギャンの回は「日曜美術館」と重
なりました。
日本人1 : 外国人3という取り上げ方に最初の頃はそれほど熱心に見てはいなかったのですが、「日曜美術館」に興味ある内容が断然減ったことと、世界史をさらったことから「美の…」がおもしろくなってきました。
年表を作りながら年齢あわせをしたり、一人の人物を追っかけたり、一つの国を追っかけたり、その頃日本はどんな時代だったか、日本人のなかで同世代の人は誰かを探したり、藝術家や思想家がどの辺りに生歿しているかを調べたり、出身地や活躍の地がどの宗教圏に属していたか、前後にどんな政治的な事件があったかなど、興味のおもむくまま辞典をひくことを繰り返すうち、西暦○○年といわれたときに“あ、あの頃”とイメージできるようになってきたことも役立っています。
「美の巨人たち」でレンブラントを取り上げたとき、さして興味がなかったのですが、1606年オランダに生まれるというナレーションに「あ、オランダの植民地バブルの時代だ」と思った瞬間喜ばしい気持ちになりました。「暫」も「白浪五人男」も「勧進帳」も同じ時代と思っている人と同じで、有名な油絵はどれもルネサンスのあとと思っていましたし、日本の何時代にあたるかなんて考えたこともありませんでしたから。
ゴッホやゴーギャンが小泉八雲と同世代と知ってびっくりして、モネ、セザンヌ、ルノワールが芳年と同世代だったとわかったとき、脱亜入欧としゃかりきになって追い求めた西洋文明って、案外新しいものなんじゃないのと肩の力が抜け、先日の藤島武二の回も、明治の日本洋画界について新たな納得を得てたのしめました。
「美の巨人たち」で、入江泰吉を取り上げたひと月後がゴーギャンだったんですが、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』を読んでいたらゴーギャンが出てきました。「頽廃した文明から逃れんとした一ヨーロッパ人が東洋の孤島で夢見た涅槃」「私もまた文明の汚血よりの恢癒を祈っていたひとりだった」と。
ゴーギャンがタヒチへ渡ってから半世紀近く経った1937年7月7日に廬溝橋事件が起き、秋、亀井は31才で初めて大和を訪ねたのですね。翌1938 年、春、志賀直哉(56才)は東京に移住。1939年、大阪で入江泰吉(35才)が、東京で土門拳(31才)が、文楽人形の写真を撮り始めました。このとき、人形師大江巳之助は33才。入門して14年が経っています。
そんなことがわかるだけでたのしくなるのですが、ゴーギャンと小泉八雲の共通点を見つけて浮かれていたら、それがナポレオン戦争に根があって、キリスト教の新旧対立やイギリスがかかわっていることに気がつき、またか、とため息をついています。 囀雀

* しかしながら、こういう取り付き方にも、落とし穴はある。電車の「時刻表遊び」のようになり、かんじんかなめ、ヒト・コト・モノのことが質的に置き去りになるオソレありということ。雀さん、用心して、と言ってもこの人はわたしの「私語」は見ない(聞かない)主義らしくもあるから。

* e-OLD マイミクの「瑛」さん、「貝新」の佃煮をいろいろに下さった。感謝感謝、旨い酒を飲んだ。それとなし見舞ってくださったのであろうか。恐れ入ります。
今呑んでいるのは、埼玉県の小山本家酒造の純米酒で、酒スーパーが棚の奥の奥に隠していたのを引っ張り出して四本買い溜めた。手頃の安さよりも美味さに参った。三升飲み干して四本目の封も切った。『酒が好き』の著者としては醸造元にフアンレターを書きたいほど。「貝新」のたらこが抜群の美味、妻の肉の時雨煮もとてもよろしく。

☆ 秦 恒平先生
先生、早いなあ。こちらからメールをお送りするつもりでいたのに、先を越されてしまいました。拙著に対する最初の反響です。学生時代、レポートを提出して、速達のはがきをいただいたのを思い出しました。学生の作品集に推薦して下さった時でした。
先生と早稲田の教室で初めてお会いしたのが大学三年の時、ちょうど「湖の本」の刊行が始まったのも同じ年でしたが、あれから、もう二十二年経ったのですね。夢のようです。
ホームページを時折、拝見して、先生がお疲れの様子であることを心配していましたが、早速、メールをいただいて、ちょっとほっとしています。長い間、ご無沙汰していたのに、心に掛けていただいて、本当にありがとうございます。先生のご健筆を祈ります。
それにしても、僕は二十年でようやく一冊なのに、先生の創造力は凄まじいですね。  平澤信一

* 学生(失礼!)からうける、嬉しいこれこそ勲章というもの。わたしもほっとする。

* 大岡信さん、竹西寛子さん、久保田淳一さん、千葉俊二君、またメールで田島征彦さん、紫圭子さんらに、平澤信一君にも、ご著書を戴いていたお礼をようやく申し上げた。「瑛」さんにもメールで御礼。まだ、幾方も失礼している。
2008 7・2 82

* 「mixi」にはたくさんな「足あと」が毎日ついてくる。このところは、ことに多いが、マイミクの人たちはよく分かっている。他の人は、ついどんな人やろと覗き返して、ヘンなひとでないとさえ分かれば安心している。ヘンなひとも「mixi」にはいっぱいいる。愉快でないが会員がこうも多いのだから仕方ないと諦めている。それに、すぐわかる。

* 今朝はそれは嬉しいメッセージをもらっていた。いつも内心待ち受けている一つでした。真夜中に送られていた、ありがとう。ここへも戴きますよ。

☆ はじめまして。 鳳
秦先生、はじめまして。***と申します。
mixiでは私が先生のところに時折お邪魔しているので、先生も私のところに来て下さっているのではと思います。ご挨拶をと思い、メッセージ送らせていただきました。
私は東工大のOGです。私が入学したのは199*年のことで、先生の授業に出席したことはございません。ただ、学部時代の年上の人が、先生の授業のことを「東工大で一番印象に残った授業だった」と繰り返し語っており、先生のことは私の記憶に刷り込まれておりました。
そのようなご縁で、しばらく前から先生のホームページを拝読し、楽しませていただいています。
特に「青春有情」は、どんな写真よりも鮮やかに、母校の空気の記憶をよみがえらせてくれます。そうだ、私はかつてこういうピュアな人たちに囲まれていたのだった、と誇らしいような恥ずかしいような気持ちになります。
また、先生のページを通してたくさんの詩や短歌に出会い、人生が豊かになったように感じます。今後も一ファンとして拝読いたします。
どうぞ、これからもお体を大切にご活躍くださいますように、お願い申し上げます。

* 男性のこんな嬉しいのも。

☆ 知り合いの女性に「冬祭り」と「みごもりの湖」を貸してあげたら、すっかり秦さんのファンになってしまいました。
私も久しぶりに読み返しました。彼女からは芝木好子さんの「群青の湖」を借りて、琵琶湖が見たくなり、昨日から琵琶湖にいます。 湖西線から見る景色も、雨の琵琶湖もしっとりと心に染み入るようです。  漣

* うらやましいこと。思はれ人によろしく。琵琶湖と近江京に取材の現代小説 「秘色」を 私から新しい「いい読者」に贈りましょうか。 湖

☆ 本当でしょうか。喜ぶと思います  漣

* 日々苦渋をなめているようなわたしには、滴り呑む清水。
2008 7・3 82

* いろんな夢を見ていた。煩わしくて起きてしまう。本文のない、ややこしい長い記号ハンドルネームのいたずらメールが毎日来る。本文は無い。むろん消すだけ。
歓迎のメッセージも来ている。

☆ マイミクに。   鳳
突然のメッセージでしたのに、お返事ありがとうございました。ぜひマイミクに登録をお願いいたします。時折、研究者仲間を相手に仕事の愚痴などを綴っております。
>さしつかえなければ、紙の本を贈ってさしあげることも出来ますよ。
こちらのお申し越し、よろしいのでしょうか? アマゾンなどで入手できるとは思うのですが、先生から頂けるとなると本を手にする喜びは格別です。で恐縮ですが、もしご迷惑でなければどうぞお願いいたします。先走り気味ながら、私の職場の住所を記させていただきます。
私は社会工学科を卒業し、民間企業で働いたのち経済学に転向して研究者を目指しました。いわば文系への転向です。現在はポスドクという身分です。
秦先生の授業や学生との交流は、教職を目指す私には一つの理想に思われます。分野は異なりますが、先生のエッセンスを学び、将来に生かせればと思います。
素朴で未熟な学生達を、先生がいかに愛して下さったか、本当によく分かります。私も、そんな生粋の東工大生のひとりでした。インターネットのみの交流というものに不慣れで、失礼もあるかと存じますが、どうぞ宜しくお願いいたします。

* 悠々と飛翔して欲しい。
2008 7・4 82

☆ 泰山木が咲いて  雀
しずかに小雨が降る日のくちなしや泰山木の花の白さとかおりに安らいでちょこっとだけしゃんとします。
3月に新名神高速道路が開通し、三重県内バス会社の宿願「京都により近く」がかないました。祇園囃子が流れるこの時期、伊賀も一日1往復の高速バスを4 日間だけ、価格はもちろん往路下車と復路乗車の場所が嵐山と京都駅のどちらか選べることもセールスポイントに運航することになりました。
渋滞がなければ10時から4時まで京にいられます。
満員近くならないと赤字という試験的なものというので、支持してますー続けてくださいーとアピールするためさっそく初日の明日乗ってまいります。法金剛院の蓮も咲いている頃でしょう。 囀雀

* こんな静かな境涯のメールも、こう殺伐としてくると、気の毒。

☆ ウイーンより   猛
叔父さんお元気ですか。私は元気です。Eメールのアドレスを変えてから連絡してませんでした。すいません。
私は、全ての試験を終え、今やっと修士論文を書いています。テーマは「ウィーン大学**科のための日本語授業」です。
とりあえずご連絡まで。

* おやおや。懐かしい。兄の次男。ウイーン遊学ももう久しいなあ。
2008 7・4 82

* これはわたしの「闇に言い置く私語」ゆえ、他人(ひと)様の読まれてラチもない独り言や愚痴も遠慮無く書いているが、なるべくは書いて置きたい、読まれてもそれなりに届いてゆく言葉を遺したいと思っている。
「mixi」日記などは、ことにそうで、わたしは「mixi」は他人様と触れあう場所だと思っているので、「伝えたいこと」「訴えたいこと」以外のひとりごとやグチは書かないようにしている。他人様は関係ない自分ひとりの日記ですからというのが「mixi」日記の本来だろう。わたしは、「触れあう場」への「思いや作品」の展示と割り切っている。このホームページの「私語」も、およそは、そうありたい。したしく交流している人たちの声が「窓」越しに届いているのにも励まされている。

* 次の一通は、かつて仮題の下書き原稿『聖家族』(★★★の懇願をいれたかたちで、現在はウエブから消去してある。フイクション小説なのに、何故そんなにイヤがるのだろう。)としてウエブに置かれていた私のフィクション長編を、今回改めて再読された或る名編集長の手紙。

☆ 初見の際にも増して、改めて某大学教授殿に対して怒りました。
秦さんのご対応は、私からすれば、きわめて理性的かつ抑制深く、むしろもどかしさを覚えるほどでした。
あの愚劣きわまりなく、知性の知の字もない「お付き合い読本」一つとっても、とても赦せるものではありません。この「学者」の頽廃ぶりを白日にさらしてくださったことひとつとっても、お仕事は大いに世を裨益するものと思いました。上から下までこの日本は鎖狂いきっていると思いますが、この「知識人」は、よくその文学的典型たり得ています。
法的にどうなるのかは、私にはわかりませんが、おっしゃっている通り(作中の対話を通して)、私怨に根を持たぬ公憤も正義もそんなものには根がないと私は常日頃思っておりますから、世俗の勝ち負けなどむしろ問題ではないと、秦さんご夫妻も肚を据えてくださるといいなと思っております。
お体、くれぐれもお大事に。
こんなことで、おふたりの健康が損なわれるなどということになっては、それこそ理不尽だと思います。どうぞどうぞ、お気持を大空に広く解き放ってくださいますように。
二◯◯八年七月五日

* 上の某教授がその舅姑に送りつけてくる「お付き合い読本──常識編」がどんなものか、ちょっと披露しておく。興味深い「痴」的所産です。

★ 「お付き合い読本──常識編」

け 結婚式  誰を招くかは迷うところ。注意すべきは、離婚歴のある人、しかもそれを売り物にしているような人は、招待しないことである。かの有名な文豪「T」は、惜しげもなく奥さんを取り替えたそうだが、常識的に考えて、そんな筋の客は来賓として呼んではいけない。招待された他の皆が奇異に感ずるだろう。

さ 作家とのお付き合い  作家とはすなわち、自己体験の特異さを専売にする人種。
いくつかのタイプがあるが、中でもタチの悪いのは、自分の苦労を絶対だと信じ、自己を客観的に眺める習性を持たない奴。それと、やたら「夫婦はかくあるべきだ」とか「人生はこう生きるべきだ」とまくしたて、

(続いて、すこしだけ小説本文を引く。)
奥野は中途で笑ってしまった。日本の小説家をこのように見る視線は、やがて廿一世紀の現在でも、ありうる。奥野でも思う。自分はちがうと頑張る気もない。駒井次郎もこれを読まされて、ゲヘヘと笑った。
「遊娼声妓俳優雑劇小説家等改制ノ事…で、明治政府が取締りを考えたの、知ってるか。明治のごく初めの公論公議機関だった集議院の、初仕事なんだよ。沙汰やみにはなったけどね。もうちっと、教えてやろうか」と駒井は、奥野の前でわざと反り返った。
「小説を好むとだな。第一、品行を欠く。第二、女性は不健康で早く死ぬ、閨門を破る。第三、子弟を害する。第四、悪疾多し…。明治開化の、えらい学者さんのこれがご託宣さ。同じご仁の曰く、出版した小説の版木(はんぎ)など、みな焚燬(つぶ)してしまって下されと、丁重にお上(かみ)に願い出ていたんだ、なんだナ…そのケが残ってるんだ、おまえの婿さんには、まだ」
「すさまじいな」
「感心してちゃ困るよ。ついでに、も少し、ものを知らん文士先生に教えてやるがね。明治五年、時の教部省が三条の教憲ってやつを出して、文学の目的を定義してくれたのさ」
「………」
「一つ、敬神愛国ノ旨ヲ体ス可キコト 二つ、天地人道ヲ明ニスベキコト 三つ、皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムベキコト。どうだね」
「内村竹司が泣いて喜びそうだ。だがナ…ヤツを育てた稲門(とうもん)こそ、坪内逍遙の小説神髄をはじめとして、愚にもつかんそういう小説観に、精魂こめて反対してきたのを知らないんだ」
「………」
「福沢諭吉は文学無用論だったけどね。それでも三田文学は荷風なんか招いて、おれたちの趣味にあう、いい伝統をつくった」
「小説家は…常識とかけ離れたところで妄想にふける奴。もっとも、小説とは『ウソ』であるからして、小説家にリアリティーのある認識なんぞ求めるほうが筋違いだという説もある。お付き合いもほどほどに…ですか。婿さん、得々として書いておるのう。幼稚さがよく出てる」と、駒井はつるりと顔を撫でた。
「自己を客観的に眺める習性を、自分は持ってると思って書いてるんだよ」
「軽薄と未熟を乃公(だいこう)自ら語るに落ちているのに気づいてないね。要は、小説家である夏ちゃんの父親を愚弄してやりたいだけだ。気稟(きひん)も知性もない」

み 見合い結婚  恋愛結婚に比べ、結び付きの必然性が薄い婚姻の形態。周囲がバックアップしてやると、関係はより一層良好となる。とくに双方の実家が率先して、できることをしてあげるのが、不仲を生まない秘訣。それとは逆に、一方の実家が常識知らずで人並みのこともできなかったりすると、その実家を持つ妻や夫の肩身がはなはだ狭くなる。もともと繋ぐ糸が細いので、離婚にまで発展しかねない。

と 嫁いだ娘への援助  「粋(いき)」にやりたいものである。この機を利用して婿に頭を下げさせようなどという気を、ゆめゆめ起こしてはならない。こういうことに関しては、女性の方が敏感なので、妻と娘に協議させるがよかろう。そのため、妻の裁量によって 処分できるお金を都合しておくのが夫の心得といえる。山根某の嫁の出身は千葉だが、この実家は金を出すが口は出さない模範との誉れが高い。  (小説の作者注 この山根某とは作中ではこの読本の書き手と妻との仲人教授のこと。)

か カネと口  古今東西、口を出すが金は出さない人間ほどケムったがられているものはなかろう。東京では、金を出すが口はださぬのが理想とされている。

* 笑止にも、「金を出して」当然のように「口も出した」あげく、働かない息子は家を出て行けと実の母親にもやられ、金もひっこめられていたのが、当の内村竹司でした。「理想」と程遠い「リベラルな環境?」のようですが、尻隠さずとはこれでしょう。

せ 責任転嫁  人の道に外れているので、こういう行動を採らないよう自重されたい。ヒデキでなく「不出来」と異名をとるある作家は、自分の非を全部棚に挙げて、喧嘩の仲裁に入った娘に「相手と腹を割って話せる機会を作らなかった御前が悪い」と八つ当たりした。この娘はすでに嫁いでいたので、まさに責任転「嫁」である。手前の落ち度を素直に謝れないタイプが、この手を常用する。

つ つわり  きわめて厄介な代物。妊娠中、とくにつわりが続くと、夫婦の仲もギスギスしがち。統計ではこの期間に夫が浮気したという例も多い。あまりひどければ、実家(さと)に籠ることが肝要であろう。嘔吐する姿を最愛の夫にみられずに済むし、症状について気軽に相談できる両親がいる。出産の際も同様だ。ただ最近は住宅事情などのため、隣に借りて貰ったアパートに里帰りする嫁もいる。肉親が近くにいれば問題はなかろう。

む 婿と舅  「嫁と姑」とは違って、本来は仲が好く、一献交えて気楽に語り合える。ただ舅がアル中だったり、嫁を溺愛していたり、婿の能力をやっかんでいたりすると、うまくいかない。ことに舅が婿に逐一干渉したり、婿を軍門に下さねば気が済まない場合、一挙に摩擦が高ずる。ただ結婚が恋愛なら、それ位は婿がじっと我慢すればよい。   (注 この夫婦は見合い結婚)

よ 嫁と姑  古来より険悪な間柄の象徴。暮らしの流儀がまったく違うので、つとめて一つ屋根の下に置かないようにするのが賢明。とくに夫が留守がちであったり、夫の海外赴任や出張が頻繁だったりすると、関係は悪化しがち。夫の長期不在中は、嫁と姑が二人だけにならないよう、実家に帰るなどの特別の措置が不可欠であろう。

り 離婚  娘の婿をこころよく思わない時、それとなく離婚するように仕向けるのがよい。方法としては、若い二人にはビタ一文援助しない、つわりや出産でも娘を実家に引き取らない、生活の困窮は挙げて旦那の無能のせいにする、婿殿に時たま「おまえは身内でない」と暴言を吐く、などがある。
ただし、これらの手段に訴える際は、娘にまで軽蔑されるのを覚悟のこと。50も半ばを過ぎた自由業の0氏は、この目論見を婿に見破られ、墓穴を掘ってしまった。くれぐれもご注意。

* こういうのを創作して舅姑に「勉強しろ」と送りつけてくる。凄い。

* 一昨年、やす香が病院で苦悩に喘ぎ、わたしは『かくのごとき、死』を書き続けていたさなか、四国から、ある看護士学校の一教室の生徒さん全員が、「やす香さんのおじいさん」を励まし、ひとりひとり手紙を書いて纏めて送って下さった。感激した。
その生徒さんが看護士として戴帽、卒業して行った記念写真が先生から送られてきた、梶の葉を沢山添えて。
梶の葉は、闊い。七夕にはその葉に思い祈りの言葉を書き、笹に付けて立てた、星を祭って。また供物をのせて星に捧げた。それだけでなかった、いろいろに衷情をこめてこの梶の葉を用いた。
明日の七日七夕に間に合うようにと、沢山な素麺と一緒に今し方届いた。
多くの方が、不愉快な苦境に屈せず大空へ心を放てとわたしを励ましたり慰めたりして下さる。願わくは、夕日子にもそのようであって欲しいと父は願う。天上の星、やす香も、心よりそう願っていよう。
父を訴えてみたり、父のウエブの破壊活動をしてみたりなど、上のような「お付き合い読本」の著者ならやるだろうが、そんなことが夕日子本心の仕事であろうか。やす香を悲しませたくない。
2008 7・6 82

* マイミクになりたてサン。

☆ 熱帯夜は読書 2008年07月06日19: 23   鳳
放置していた「夜と霧」。ユダヤ人強制収容所に収容された心理学者が、凄惨な収容生活と、それに対する被収容者の心理的リアクションを描く。
興味本位で買ったけど、意外にも泣かされた。離ればなれになった妻を心に描き、その妻と対話しながら過酷な日々を生き抜いたというくだり。
「人は、もはやこの世に何も残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、私は理解した。」
愛の素晴らしさに感動したのではない。著者とは対照的に、何不自由なく暮らしてはいるが心の対話のできる相手が自分には居ないという虚しさが無性に堪えた・・・。

* 相手はかならず、います。しかし見付けるのは、話しかけるのは、自分です。 湖

☆ 石けんの香り 2008年07月06日02:03  光
ドラッグストアのアメニティ製品のコーナーでの買い物のこと。
消臭芳香剤などを選ぶときに、色々な香りのものが売られている。

うーん、ラベンダーとかハーブっていうのもなぁ。
白桃にオレンジ? 部屋がべたついたりしない?
かといって、無香料っていうのも、損した感じがするし。
と思っていると、植物とか果物系とは異色の「石けんの香り」というのに目がとまった。
あ、これこれ。いかにも「香ってます」っていうわけじゃないけど、無香ではないという微妙なポジショニング。
こういうのを待ってましたよ。自然さがいいね。と気に入ったので、香りものに関しては「石けんの香り」で解決していた。
ところが、あるネット記事で、驚きの事実が判明。
=====
「石けんの香りってそもそも何の香り? … 実は1970年に発売された花王ホワイトという石けんの香りが、皆さんのイメージしている香りの基準になっているようです。…花王ホワイトの香りは、ローズの香りとシャネルNO.5にも使われている合成香料のアルデハイド(アルデヒド)などで作られているんです。…」 (2008.5.12.エキサイト・ニュースより)
=====
「石けんの香り」って、人工的に造られた香りだったのか…。
子どもの頃から、石けんの香りとして脳にすり込まれていた、という事実。
いろいろな意味で、ちょっと、ショックであった。

先述の記事によれば、それまで人気だったラベンダーの香りを押さえて「石けんの香り」が一番人気なのだという。
最近は、「ほのかなベビーパウダーの香り」なるものも登場。二匹目のドジョウ感はあるが、すでに香りをすり込まれた脳は、買ってもいいかなと言っている。

* 「光」クンにも励まされた。感謝。

☆ コローのモルトフォンティーヌの想い出  松
テレビ東京の『美の巨人たち』でコローの絵を紹介していた。 コローは印象派の少し前に活躍した画家で、風景を得意としていた。
紹介されていた『モルトフォンティーヌの想い出』も幻想的な風景画である。
コローは写実的にきっちりと描くのではなく、空の色、湖の色、木々の背景などをぼかして描いている。このぼかした効果は、初期の写真の影響を受けたものだそうだ。現在の写真では余りにもシャープで、ぼかした効果を得るには逆に工夫しなくてはならないが、当時はピントも不明確で粒子も粗くぼんやりとしか写すことが出来なかったと思う。
そして、この絵はコローの心象風景でコローの芸術の集大成であるとのこと。モルトフォンティーヌに何度も行ったことのあるコローは、自分の中で理想とする風景を作り上げて描いた。そのため絵と同じ風景は現実に存在しないとのことである。
国立西洋美術館で展示されていると言うこの絵、見に行ってみたくなった。

* 繪の感想、知識に頼っていて、あなたの感想そのものでないのがモノ足りません。知識は体験のうしろから必ずついてきます。知識からの発言はウケウリで終わりやすい。
しかしきみが、こんなに繪を観るのが好きになって、わたしはとても嬉しい。兜町時代の山種美術館などへみんなといっしょにくっついて来ていた頃には、想像できなかった。
繪の好みにも音楽のそれと同じく「松」クンふうが見えて頼もしい。
女性とならんで、同じ視線で観るようになると、また繪が別の顔で生きてきますよ。それも体験の内です。 湖

* 今日も着々仕事を前へ押してきた。明日は七夕。梶の葉に供物を盛って星祭りにそなえた。明日晴れるのか降るのか。梅雨もそろそろ行くだろう。
2008 7・6 82

☆ ご丁寧なおたより
恐縮しております。
あのときの看護学校の学生さんたちは、全員准看護科を無事卒業し、ほとんどの人が、上級の看護科へ進学しました。また、進学しなかった人も、准看護師として、看護や介護の仕事に就き、それぞれの職場でがんばっているそうです
みんな、あの7月のやす香様のことを心の中にしっかりと刻みつけています。そして、お手紙を書いたこととともに、思いがけなくも届けてくださった先生のご本のことを、きっと思い出していることでしょう。
看護師になるためには准看2年の上に後3年間の勉強が必要です。(40代後半の人もいました。)
准看護師になった人もいろいろな悩みや苦労を抱えながら仕事に懸命になっていると思います。
そんな人たちにとって、先生との出会いは、今までもこれからも、折に触れて何度も感慨深く思い起こされることだろうと思っています。
梶の葉は、その日にお茶の稽古でした”葉蓋の扱い”で出てきたものです。
床は、天の川の歌と笹飾りの絵の軸で、南鐐の船型釣り花入れにカライトソウ、シロムクゲ、モジズリなどが生けられていました。
末広筒の水指の上に、みずみずしい梶の葉を載せて、運び出しました。
お茶碗は大樋の馬盥(写し)。
お菓子はピンクの朝顔。おいしい黄身餡でした。
梶の葉の形があんまり美しいので私が褒めると、先生がお土産にと庭の木の一枝を切ってくれました。
そのおすそ分けでございます。
しおれやすいので、水をいっぱいつけたし、折り曲げたりしましたのでどんな状態になるか、心配していました。
お手紙で、なんとか無事であったのがわかり、ほっといたしました。
パソコンでお調べになったとか、突然に葉っぱが届いて、びっくりなさったことでしょう。
たいへん失礼いたしました。
7月は、私の誕生月であります。そして最近は、忘れられない思い出が加わった、いっそう大切な月となりました。
こちらは例年よりだいぶ早く梅雨が明け、今日の夕焼けはことのほかみごとでした。関東も間もなく盛夏を迎えることでしょう。
奥様、先生、どうぞお体お大事に。
長々と書いてしまい、失礼いたしました。
では、また、HPやご本でお目にかかれるのをたのしみにいたしております。

* 葉蓋はことに夏の夕べを体感させる涼しげな荘りもので、なかなか梶の葉が手に入らないときは、師匠の叔母はいろいろ代用の葉を見付けてきた。久しぶりに思い出した。
2008 7・7 82

☆ 七夕 2008年07月07日22:34   悠
息子は保育園で七夕集会があったそうです.風邪でお休みしていたので,お願いごとの短冊はおうちで書いてくださいとのこと.息子と私とダンナの3つの短冊とキラキラした折り紙で作られたお飾りがついたササをバギーの横に立てて帰ってきました.息子はウキウキ.
短冊に記入.私は息子の健康を.ダンナは家族の健康を(おっと,あなたのこと,忘れてた....).
で,息子にはクレヨンを持たせてみたところ,なにやらぐるぐると.秘密のお願いごとのようです.

☆ 七夕 2008年07月07日21:48  鳳
父の大腸がんの手術から1年と数日が経過。もうダメなんじゃないかと思っていた一年前の日々を思えば、穏やかに過ごすことのできる現在は本当にしあわせ。
駅で七夕飾りのせつない短冊を見つけると、一年前の自分を重ねて涙が出そうになる。
父が治っても、世の中から病気の人はいなくならない。
この短冊を書いた子も、来年の今頃は穏やかな日々を過ごせているといいのだけど。

* ほんとうにそう願う。

☆ このたびは
恒平先生の HPで驚いています。なんと私のあじさいの水彩画を掲載して頂いているではありませんか?
本当にびっくり!! いたしました。堂々と名前まで。隠れたい心境です。もうすっかり忘れていた絵でした。アジサイ! 一生懸命に描いたものでした。
お礼を申し上げるべきか? と、そんな面はゆい思いです。

* 湖の本を装幀してくれた画家。半世紀以上の、ともだち。これ、美しいよと褒めたら、ポンと贈ってくれた。いつ頃だったか。このファイル「月の述懐」と「朝の一服」とのまんなかで、ところを得て綺麗と、妻もとても気に入っている。
2008 7・7 82

☆ 週刊誌買いました。 一読者 広島
何回となく読みましたがだんだんと腹がたってきてしかたありませんでした。「聖家族」のとおりですね、こんなずるがしこい教授がいるのですね。自分は匿名で お相手は顔写真までのっていて。記者のかたも公平に扱って欲しいものです。
大学教授たるもの、もっと尊敬される人物になっていただきたいものです。つたないメールになってしまいましたが、お許しくださいませ。

* こんぐらかって何が何やら見えぬようでいて、じりじりと整理が利いてくる。

* 青山学院大学の前の学長さんより、現学長は立場上「大学」をまもろうとするでしょう、が、自分ははっきり秦さんを支持しますと丁寧なお手紙を戴いた。
現学長伊藤定良氏の返辞はないが、それは気にしていない。学長の立場では、現任教授が「匿名」といういかにも後ろ暗い「仮面」をつけながら、率先週刊誌取材に応じたこと自体が、たいへんな「困惑」であるだろうと察しはつく。金がらみの裁判沙汰。私大としては「女」がらみのゴシップと並んで、最もイヤな話題らしい。学生募集にいま四苦八苦の私大に、現任教授夫妻が舅であり実の父である者を損害賠償という金がらみで被告席に追いやるというタチのよくない事件は、虫ずが走るほどイヤであるだろう。
わたしは、「相手」のあること、迷惑を掛けたくないと、最初から週刊誌取材面談ははっきり断り、途中かすかに迷った瞬間もあったけれど、筋を通して、記者氏には会わずじまいに全て終えた。それでよかったと思っている。
「週刊新潮」誌面にはわたしの言葉もカッコに入って出ているらしい、それは本やウエブなど、また★★教授の弁に反駁してメールで「書いた」ものを、記者氏がしかるべく「読んで」参照されたものと思う。わたしは、週刊誌そのものも読んでいない。読んだ家人の話を聴いただけ、ハナから読む気がなかった。
読めば読むほど、何を、仮名「高橋洋」教授が言うているのか分からないという声ばかり届いてくる。不名誉は青山大学の方へも行っているようで、お気の毒である。

* 湖の本エッセイ39 『かくのごとき、死』を、原告達は何が怖くてか、躍起になって「葬り去りたい」一心で「本訴」にまで出てきたが、『かくのごとき、死』は、そんな名誉毀損などというキワモノとは全くちがう。愛する孫の悲惨な「かくのごとき、死」を衷心歎き悲しみながら書いた「日記文藝」、十分多くの人の胸に届いた間違いない作家・秦 恒平の一文藝著作である。
わたしのウエブでは今も健在である。すぐ『かくのごとき、死』は読んで頂ける。「電子版・湖の本エッセイ」の欄ででも、「創作長編」の欄ででも。
執拗な希望を容れ、何故そんな必要があるか訝しい限りだが、教授の氏名だけはマスキングしてある。
しかし作品の真価は微塵もそれで損なわれていない。かなり長編であるけれど、どうぞ関心ある方は遠慮なくご自分の機械におろしてでもお読み取り願いたい。一人でも多く読んで頂きたい。「かくのごとき、死」の遺憾千万な歎きの経緯が、ドキュメンタリー・タッチの臨場感と、真剣なつよい筆で、彫み込むように描き出してある。

* 用済みで消去してある問題の『聖家族』も、むろん保存してある。なぜこれを消去してあるのか我ながら分からない。若いの条件だと謂うから消去した。ところが本訴だと。和解を恣意的に流したのだ、★★は。
つよいご希望の方はメールで申し出て頂きたい。読んで頂ける手段があるかも知れません。
2008 7・7 82

* 洞爺湖サミット。これを忘れているようでは仕方ないのだ、食糧、石油、そして環境。重大問題は山積して、今日の第一日はハッキリ言って、成果無し、有ったとはとても言えない。二千五十年までに五十パーセント削減目標というのだけでも、つまりそれまでは考えています考えていますで流してゆこうというずるいシロモノだが、それすら、それは大事そうなことだと「信じています」けれども、というつまり「問題の保留」。政治家のたちの悪さが露出している、ことにアメリカのブッシュ。生きてるうちは、儲けだよ君、といった按配で、子々孫々地球人たちの運命など、あとの者がよろしくやってくれ、大事なことだと信じてはいるからねと。
福田総理の力量など問う方がヤボで、支持率21パーセントの総理は司会だけさせてあげる、だ。ひどいものだった。あと二日は、大きな約束事にはなかなか纏まるまい。やれやれ。

☆ G8サミット市民フォーラム北海道に参加しました 2008年07月07日22:47  麗
今日は,朝から某事務所でパネル作りや打ち合わせ。そして,昼過ぎに材料を詰め込んで,タクシーで,「札幌コンベンションセンター」へ。 http://www.sora-scc.jp/
このたび参加したのは,「G8サミット市民フォーラム北海道」。G8と前後して来日する,世界の「市民」たちが連携して,環境・貧困・開発・平和・陣家印について,市民の視点で話し合う,「オルタナティブ・サミット」である。http://kitay-hokkaido.net/
私の関わっている「ナキウサギふぁんくらぶ」も参加した。保護活動や環境破壊の実態,それらを広く知ってもらう機会とするためだ。 サイトの「参加団体一覧」には,冒頭に名前が登場する。http://aqurl.info/u/487218543
…なかなかやるじゃないか!
しかし,会場のほうは,コンベンションセンターの一番奥まったところだった…。嗚呼。
12時半くらいに現地到着。パネル掲示板の組み立てから始まり,ナキウサギの写真や,その生態と環境問題を訴えるパネルをはっていった。途中,覗き込んでいく人には,しっかりチラシを渡し,「申し訳ないのですが,後ほどお越しくださいますか。」と。これが,意外に当たった。
これは,使わない手はない。
準備完了後,他の人は会場に残り,私一人,会場を歩き回って,あらゆる人にチラシを渡した。大体の説明は英語でも書いてあるので,私の怪しすぎる英語でも,特に問題はなかった。
チラシがなくなりかかったので,しばし部屋に帰って驚いた。チラシを渡した人のうち,かなりの割合で訪ねてくれている。「来てくださってありがとうございます。」を連呼した。
結局,事務局に2回ほどチラシのコピーを頼み,配布に努めた。ブース借り上げ制限時間までの2時間半,60人以上の来訪者があった。北海道内はもとより,道外や,外国まで。知人が立ち寄ってくれることもあれば,見ず知らずの外国(とっくに)の方まで。「敵」とも言われる,林野庁関係者までが,お忍びで,団体でやって来たのには,笑えた。
この活動がどう結実するかは,未知数だ。しかし,遠くから来た人が,熱心に質問したり,DVDを食い入るように見入っていたりするのを認めるたび,やってよかった,と心底思えた。
それにしても,私には,「客引き」の才能でもあるのだろうか。
ナキウサギふぁんくらぶURL http://www.pikafan.com/fanclub/

* 民間からの躍動する意欲が、政治エネルギーに結集しなければいけない時期はとうに来ている。
2008 7・7 82

☆ メール嬉しく。 鳶
東京に激しい雨が降っているでしょうか?。
外にお出かけになるとメールにありましたが如何でしょうか。今頃はどこで鴉は鳴いているのでしょう?
秋葉原の事件から一ヶ月。
洞爺湖のG8のことも、何やら空々しくも聞こえてきますが、決して忽せにできないこと。地球の温暖化はどうしてもとどめなければならない後戻りできない問題なのに、いろいろ歯痒いことばかり。先日も石炭の需要が増し、アメリカや中国が多くを消費していること、インドの需要が急増していることをテレビで知りました・・
わたしは修士論文で関税問題から石炭のことに触れました。が、石炭を「過去」のエネルギーとみなしていた不明を恥ずかしく思い返します。
エコ、省エネばかりが叫ばれますが、同時に深く関係ある人口問題、貧困の問題などにもっと目を注がれなければと思います。
『抱擁』読み終えられたとのこと。
先に読み進めたわたしは結局もう一度読む仕儀になりましたが、初めには分からなかったこと、読み落としていたこと、さまざまに・・。感情移入してしまうとかなり苦しい部分もありました。感想を書くことに躊躇いがあるのです。
クリスタベルの生き方は他にはなかっただろうか、答えなど出てきません。現代のモードの生き方はどんなに彼女がオズオズとしても道筋が見えてくるのですが。わたしはクリスタベルであり、エレンであり、モードであり、ヴァルであり・・彼女たちの中にたくさんの自分を読みました。重い読書になりました。
努めて明るく、そして元気に元気に過ごされますように。夏、早く乗り越えたいけれど、暑さはこれから。
もう一度。元気に大切に。

☆ 七夕のお歌読みました。 星
亡くなったひとが誰かの夢に現れるなら、それは自分に対する想いの強くないひとの夢の中だそうです。想いのとても強いひとのところに現れると後追いする心配があるので、案じて出てこないのだそうです。
ですから、みづうみの夢にも夕日子さんの夢にもたぶんやす香さんは出てこないと思います。やす香さんへの何よりのご供養は、一日も早くこの裁判沙汰をやめ、やす香さんがあちらで安心なさることでしょう。この世に心配事があると行くべき世界に行かないそうです。
母である夕日子さんと妹さん、みづうみと奥様と建日子さんの平和とお幸せが、やす香さんの願いに違いありません。どうかどうか早くその日が訪れますようにと祈る毎日です。
ホームページのほうはどうなりましょう。不安な日々を過ごしています。
立場が悪くなる。職を奪われるかも。疑心暗鬼になり、猛烈な逆襲に出始めているのかもしれません。
ホームページは、色々な方のお力もあるので、かならず正義が通ると思います。愛読者の根強い支持があるのですから、ゆったり構えていらしてください。
もし宝くじが当たったら、わたくしは出版社を作って「私語」全部、そして版権をいただいて『かくのごとき、死』も『聖家族』なども出版しようと思っています。今のようにイタチごっこが続くなら、いっそ希望者にメルマガを配信するという手はいかがですか。
思い悩むことは当然ですけれど、どうか一睡もできないのはおやめください。わたくしも一睡もできないで悩んだり怒ったり嘆いたりする質ですから、よけいにそのばかばかしさがわかるのです。みづうみを愛する方々にとって、みづうみの健康ほど大切なものはありません。みづうみはいつものように静かに、力強く創作をお続けくださいますように。
やす香さんの若い生命がみづうみに注がれていることを感じていらしてください。
暑くなりました。みづうみが美味しそうにビールを呑むお姿を想っています。ビールは高カロリーですから、焼酎などのほうがよいのですけれど。

☆ こんばんは!  琳
七夕様でした。
毎日毎日蒸し暑い日が続きます。
不愉快ですね。
おじい様おばあ様、ちゃんと睡眠とお食事取っていらっしゃいますか?
何だかとても心配です。。。
2年前の七夕の日は、やす香に会いに行きました。
やす香はその日、気分が落ち込んでいて、全く会話が出来ませんでした。
一方的に私が話すだけで、やす香の心は私にはありませんでした。
自分の事で精一杯だったと思います。
肉腫と分かって、まだ数日でしたから。
やす香は疲れ切った様子で、目も合わせてくれませんでした。
その日、沢山の友達がやす香を見舞っていました。
やす香は会いに来て、と言ってくれたけれど、私は病院に行った事を後悔しました。
弱りきっていたやす香にとって、大勢の友達は毒だった気がしました。
やす香に気の毒な事をしたと、悔やんでいます。
私が行った中で、この日が一番心が辛そうな日でした。

最近、やす香が元気だった頃の会話を思い出します。
あの頃は不思議な言葉が多いなと感じました。
今思うと、やす香は何とさむい環境の中で生きていたのだろうと驚きます。
やす香が沢山愛を持っていたことが、逆に切なく感じます。

今日、おじい様おばあ様の気持ちは、天の川を超えてやす香に届きましたか?

海外への準備は、少しずつ進んでいます。
後は、宿泊のホテルを決めるだけです。
(あの=)鈴を付けたままはるばる行こうと思います。鈴、毎日鳴らしています。
おじい様おばあ様、お身体本当にいたわって下さいませ。
こんな私でも心配しています。

* ありがとう。ほんとに、ありがとう。

* 一昨年の七月七日は、やす香には、ほんとうに大変な日でした。『かくのごとき、死』のその日は、こう書いています。まだやす香は「白血病」だと思っていましたし、白血病ならまだ希望が持てると感じていました。だから、この日の前半はまだわたしも余裕のある記事を沢山書いています。同時に、やす香の入院前より随分前の苦しい苦しい「mixi」日記も此処へ幾つか挿入しています。両親はこういう「mixi」日記の存在すら知らなかった。わたしはやす香のマイミクで、全て読んで、親に話せとやす香の孤独さに悶えていました。
「琳」さんの記憶は切実です。やす香がこの日に冷静な「肉腫」告知の「mixi」日記が書けたワケがない。
『かくのごとき、死』は、やす香両親が口を極めて葬り去ろうとしている真正面の的になっています、親への名誉毀損だと。どこにそんな記事があるか、この一日を読んでみてもわたしには理解できません。

☆ 平成十八年*七月七日 金  七夕    『かくのごとき、死』より

* 黒いマゴ(黒猫)に足さきを軽く噛んで起こされた。早起きすると、用事ははかどる。
* 予約は一時だが、検査を早く済ませておくと診察が少しでも早く済むので、十時前に出掛ける。聖路加へは保谷で有楽町線に乗車して、一時間あれば受付へ着く。一時過ぎに気分良く昼食出来るかどうか、今日は雲行きが良くない。

* 出がけに、やす香の「告知」と題した「mixi」日記が出た。癌センターに、転院、と。Ah…。
夕日子に様子を聞かせて欲しいと連絡したが、あいかわらず夕日子からは、見舞いの日以前も以後も、わたしへも妻へも、何一つ報知も連絡もない。

2006年5月12日14:33   へこたれ  (やす香 「mixi」日記、祖父とはマイミクで、記録も保存もお互いに自由の約束だった。)
ぶっちゃけ
私へこたれてます。
動きたいのに動かないのょ
私の身体~(*〓 *)
病気でも
怪我でもなけりゃ
なんなのさぁ?
たまに言われるんだよね。
「ストレスじゃない?」
って。
まぁ思い当たる節はあるものの、
除外しようのないもんでして…(‐ ‐;)
OTL      (=ガックリの文字絵らしい)

2006年5月19日04:41   うぎゃぁ(*´舎´*)ノ
世の中の流れって残酷ね。
多=正
な世の中は永久に続くのかしら?

2006年5月19日16:50    WHERERUFROM?
この例えようもない気持ち悪さはいったいどこからくるんだろう??
うげげiI――Ii(ツω- ´。)iI――Ii―

* 聖路加の食堂で、ビーフシチューのランチとアイスクリーム・珈琲で、早めの昼食。「ビールは、ない…よね」「ありませーん。ノンアルコール…ノンシガレットでーす。前にも聞かれましたねえ」「ハハハ」「ビール、呑みたくなったなあ」と、ウェイトレス嬢。気散じで、よろしい。
* 先に早く検査を済ませておいた御蔭もあろうか、一時の予約だが、十二時半には名を呼ばれて一時には会計も終えていた。検査結果は、なんと、格別の改善ぶり。アクトスのせいもあり体重は少し増え気味でもむしろ当然、前回「8.6」といたく叱られた値(ヘモグロビン?)が、「7.0」ちょうどにめざましく下降改善されていて、ドクターはご満悦であった。アクトスでむくんでも腎臓への影響は心配しなくてもいいと。それでもアクトスは一応おやめとなる。体重の増え気味に嫌気がさしていたが、この季節とこの薬剤投与からすれば自然増で問題はないと。よしよし。自転車運動は卓効を奏したようであるが、運動過多で疲労したり、その結果事故死したりしないでくれと、命の心配をしてもらい、恐縮した。わたしとしては、あれぐらい野放図に飲み食いしていたのに状態改善というのは、バカされたような気分だが、儲けもの。
* 銀座ニュートーキョーで生春巻で乾杯。ケネディーの『永遠の処女』がおもしろく、寸刻の退屈もなし。池袋さくらやで「ランケーブル」を買い、ついでに豪華版ロースカツ弁当を二つ買って、帰宅。
☆ 運動(ヨガ)に行ってきました。少しずつ、体が慣れてきたのか、はじめの頃ほどしんどくなくなってきましたよ。運動してかく汗は、サウナや岩盤浴などの、じっとしていてかく汗とは別の汗腺から出るんですって。やはり、何事も、ラクしてはいけませんね。
ですから、風がからだを動かして汗をかくのは、とてもいいことなんです。
さてさて、風の診断結果はいかがでしたでしょうか。一緒においしいものが食べられるといいな。
一時から、以前風がごらんになったとおっしゃった『女の』」がNHKでありますので、見ます。
富士山をみあげながらいつも風を感じています。   富士浅間の、花
* 率直に励ましてもらっている気がして、有り難い。
私も帰宅して『女の園』のラストを観た。こういう映画の創れた時代、創った映画が時代をほんとうに刺戟し得たあの時代を、わたしは、胸が痛むほど懐かしむ。おそらく今の若い人達にはこのような映画は「ダサイ」のではなかろうか。
たとえば「**をするのがいけない」のではない、「校則で禁じているのにするのがいけない」のだと学校の先生が言われるのは理の当然のようである、が、それはその一方で「校則を適切に変えて行く自由と権利」の抑圧になっていては「いけない」だろう。この抑圧に闘ってきた時代があり、多くの大事な権利を人は手にしてきたのに、いまや、着々と奪い返されつつあり、わるいことに、もう『女の園』『日本の悲劇』『笛吹川』『野菊の墓』のようなハートのある映画がまっとうに創られない、創ろうともしないし、創ってもひとが見ない時代になりきっている、それが実に辛いし、切ない。消耗娯楽映画はあたっても、時代を厳しく批評しつつよりよい時代を創り出そうとする映画は、たいがい頭でっかちの空疎な大作というだけで終わっている。なさけない。

2006年5月22日05:30    遅寝。早起き。  (やす香)
まだ朝の5時ゃん\(* ´∧ `)/
3時間に1回目が覚めるんだけど、
不眠症なのかしら?
整体行って
腰はなんとかなったんです。
仰向けで寝られるなんて
久々の感動だったわけなんですが、
それでも熟睡できない理由があるのかえ?

まだ節々が痛いんですが、
まぁ要するに疲れなわけです。
整体師さんいわく
全身肩凝りみたいな状態らしい。
胸が痛いのも
恐らく、
本当は呼吸とかの度に動く骨が
周りの筋肉が固まってて
動けないかららしいんです。
だから熟睡したい。
時間はあるんです。
睡眠の時間ちゃんととってるんです。
なのに眠れなきゃ
疲れとれないじゃないですか 〓 ゜( ゜ `丈 ´* ゜) ゜ 〓
もぅ自分の中のわだかまりとか、
周りのイザコザとか、
全部忘れたい!
これ、
要はストレスなのでしょうか…?

平成十八年*七月七日 つづき  『かくのごとき、死』より

* マーガレット・ケネディの『永遠の処女』は、小説を読むという嬉しさをたっぷり感じさせてくれるしファシネーションに溢れている。まだ年おさない娘の作品としては才知に溢れて、生き生きとした会話を書いている。彼女の戯曲的な才のなせるところと解説されている。
ルイス・ドッドとフローレンス・チャーチルの対話の中で、天才的な作曲家のルイスは二十歳前にサーカスの楽隊でコルネットを吹いたりサーカスのための曲も作っていた経歴を、令嬢フローレンスに打ち明け、「僕の様式はいまだにその名残を止めている」と言うと、フローレンスは即座に、「ジャーナリズムと同じようなもの」ですねと応じ、「どんなにその人が文学的でも、ジャーナリスト上りの作品にはそれがでてますわ」とルイスをたじたじとさせる。なかなかの批評家。
新聞記者や記事を書いていた雑誌記者あがりの作者は少なくないが、このフローレンスの言うようなところを、わたしも感じてきた。それがわるい、よいの問題ではないが、筆致にそれが出てくる。読みやすいが味は浅いのである。
* 昨日京都の星野画廊が送ってきた図録、「忘れられた画家シリーズ30」『没後78年増原宗一遺作展』「夭折したまぼろしの大正美人画家」は、正真正銘のすばらしい発掘で、眼を吸い取るほどの画境。岡本神草や甲斐荘(かいのしよう)楠音(ただおと)らを凌ぐ凄みを描いて、なまなかの美人画とはとても謂い得ない天才を輝かせている。秦テルオともどこかで魂の色を通わせているが、恥ずかしながら是ほどの画家の名前も作品もまったく知らなかった。鏑木清方門の、師も一目置いたであろう画人で、ひと言で言えば、最も佳い意味で「凄い」し人によれば「怕い」であろう。「春宵」「舞妓」「藤娘」「手鏡」「五月雨」「七夕」「夏の宵」「夕涼」「浴後」「両国のほとり」「落葉」「鷺娘」などとならぶと、尋常な美人画の題目であるが、一作一作は最も凄みのある、鏡花や潤一郎の大正の作に通底する悪魔性も隠している。
「夏の宵」という二曲の屏風が怕い。この一冊しかない『宗一画集』のなかに黒白の図録として遺された「舞」「三の糸」「悪夢」ことに蛇をからませて立つ「伊賀の方」の二図や「誇」はその美しい凄さに肌に粟立つ心地でいながら、深い官能美は、やはり鏡花にも潤一郎にも共鳴する。こんな画家に出会うとは、ただもう、驚嘆。
こういう貴重な掘り出しの仕事を、夫妻でつぎつぎにやって行く星野画廊の業績は、文化勲章ものである。これを京都で見てこなかったとは、痛嘆。
* この天才画家増原宗一の発掘に較べれば、偶々手に入れた「オール読物」五月号の「発掘!藤沢周平幻の短篇」なんてものは、『無用の隠密』も『残照十五里ヶ原』もただの通俗読み物を半歩もでていない。手慣れた措辞に渋滞のないところは、他にも満載されているくだらない通俗小説のヘタなのに較べれば、三段も五段も優れているのだけれど、こと文藝としてみれば講釈の達者という以外のなにものでもない。これでも比較的藤沢周平は何作か見る機会があった方だが、おはなしの上手以上の感銘は得られなかった。藤沢にしてしかり、「力作短編小説特集」など、どこが力作なのやら、まことにくだらない。「オール読物」に載っている作品は「つまらない」と言うのですかと、このまえ、自称エンターテイメントの、大家らしき人に顔色を変えて迫られたが、この号で見る限り、優れた作は優れた作ですよとすらも、ただ一作として言いがたかりしは、如何に。
☆『初恋』から読み始めました。
先生、素敵なご本をありがとうございました。
谷中いせ辰の和紙(水色の鹿の子)でカバーを付けて読んでます。
清冽な文章!本当にもう、凄いです♪ 引き込まれます。気づけば、両の眼を大きく見開いて読んでいて、目がぱりぱりに乾いてしまいました。
電車で読んでたら危うく乗り過ごしそうになり、買い物でも、直しに出していた洋服を忘れるところでした。日常生活の全てを道端にバラバラと落として歩く・・・。本を開いたとたん、人生を小説に持って行かれちゃう・・・。そんな感じです。  百合
* こういう思いをわたしも潤一郎作でひしひし味わった。こういうレターを書きはしなかったが、谷崎潤一郎論を思う存分に書きたいばかりに小説家に先に成りたいと本気で考えた。『吉野葛』『蘆刈』『春琴抄』『少将滋幹の母』『武州公秘話』『細雪』『猫と庄造と二人のをんな』などだけでなく、初期の短篇や、大正時代のあれこれでさえも、わたしは活字に唇(くち)を添えてうまい味をのみほしたかった。そういう思いをさせてくれない軽薄な読み物など、どうでもいいのである、わたしは。時間つぶしに過ぎない。熱狂して読んだ作品を列挙したらたいへんな量になるが、むろん読み物もたくさん読んできた末に断言できるのは、そういう感銘作の中に読み物は滅多に入ってこない。それらから何か魂の糧をえられたという覚えが殆どない、ということ。

* 2006年07月07日 07:58  告知   やす香
私の病気は
白血病
じゃないそうです。
肉腫
これが最終診断。
れっきとした

だそうです。
近々(院内の)癌センターなるところに転院します。
やす香の未来はどこにいっちゃったんだろう…

* 愕然! 白血病ならばまだ何とか…と希望を持っていた。最悪の事態。言いしれぬ憤りのようなモノに苦しむ。

* 2006年07月07日 14:31  会いたい   やす香
親友に会いたい
友達に会いたい
先輩に会いたい
後輩に会いたい
先生に会いたい
みんなに会いたい
最後の土日に
みんなに会いたい
* おお、やす香は恐怖している! 行くよ、やす香。行くとも。

* 以上、余分の記事も含めて、「一昨年七夕の一日」の、同時にソレはやす香が、白血病ではなく、その万倍も怖ろしい「肉腫」だと母の口から「告知」されてしまった一日の、わたし秦恒平の日録である。

* 「琳」さんのメールに見える、やす香が絶望と憔悴の様子は、歴然。

* それなのに、朝八時前と、午後二時半とに、こんな乾いた筆致の落ち着いた「mixi」日記が、「やす香」の手で書けたとは、書く必要や意志・気力が有ったとは、到底思われない。あの日のやす香は、朝早くから恐怖のどん底に沈んでいて、見舞ってくれた大親友とすら目も合わせられなかったという。健康な友達が羨ましく羨ましくて、自身の現在が辛かったのだろう。大声で泣くまいと必死に堪えていたのかも知れない。
入院以前のやす香の「mixi」日記と較べ読むまでもない、これら「乾燥体」ともいえる文体の「告知」や「会いたい」は、「やす香」の「名」でした母・夕日子の間違いなく代筆である。
代筆は構わないが、しかし何故に、この母親は、娘・やす香に、絶望の「肉腫」癌であることまで告げ知らせたりしたのか、祖父にはそれが今も理解できない。
わたしなら、また多くこの場合の親たちなら、いまわしくも怖ろしい「肉腫」は「秘し隠し」てやり、最期まで死の恐怖をやわらげやわらげ静かな平安を心がけてやっただろうに。

* 例えば今日、いま、こういうふうにわたしが「書く」と、なぜ、それが「名誉毀損」や「損害賠償金」になるのだろうか、分からない。秘密にしていたことを暴いているのでもない。娘のしたことへ、父の、なんら暴言に属さない「批評・感想」にすぎない。批評や感想は、それを書くのも、創作をこととする作家には自然当然の日常行為なのである。
2008 7・8 82

☆ 湖の本、届きました。ありがとうございました。  鳳             秦先生  「鳳」です。
大学内郵便業務のため日数がかかり、ご心配をおかけいたしました。さきほど、送っていただいた湖の本を手にいたしました。先生ご自身で本を出していらっしゃることに驚きつつ、大変うれしく頂戴いたしました。お忙しいく、またお疲れのところを早速お送りくださいまして、本当にありがとうございました。
昼休みにさっそく本を開きましたところ、「肌色」のクレヨンの短歌に目がとまりました。これぞ彼が、私に秦先生の授業の思い出のひとつとして語った短歌でした。ほかならぬその短歌を一番に記憶していた彼の思いを思った日のこと、思い出します。
3冊の本、大切にして参りますね。
向暑の季節、どうぞご自愛くださいませ。とりいそぎ、お礼まで。

* 覚えていますよ、彼。  湖
「鳳」さん  その学生君をわたしはよく記憶しています。教室の一番前によく腰掛けて熱心に聞いてくれました。症状のことも率直に話してくれました。きちんと佳いアイサツを書く人でした。うろっと記憶していて正確な名前を忘れているのですが、表情まで覚えています。なつかしい。
彼はどうしてるかなあと思い浮かべる彼らは沢山いますが、この人もその一人です。
なつかしい。
「湖(うみ)の本」は、エッセイの四十四巻めがもう近日に出来て、老夫婦二人で発送します。出血しごとですが、愛読者がきっちり支えてくださり、文学史にも例のない、長寿継続の「作家の出版」になっています。また見てやってください。 秦
2008 7・8 82

* 今日、「京都の恒平」君に続いて新しいマイミく「東京の恒平」君が加わった。二人ともどうやら同世代。
2008 7・8 82

* すこし左脚が攣ったが、さらりといい寝覚めでわるくない夢うつつから静かに起きた。

☆ お早うございます。 08.08.09 09:01  花
お元気ですか、風。
すっきりしない空もようですが、涼しいのでよしとします。
昨夜は涼しく、よく眠れました。風はいかがでしたか。
さてさて花は、英語にでかけます。英語のあとは、おつかいなどにあちこち回ります。今日はおいしいチーズの欲しい花です。水曜は、一度にいろいろ済ませる日です。
ではでは。花が元気をお送りします。

* ありがとう。

☆ マスキングについて   稟
最新のiken.htmを見ると、フルネームどころか、苗字すら、削除されているように見受けます。
というのも、ざっと調べて、以下に、苗字が残っているのです。
大半が苗字だけであり、判断できかねますので、ご連絡だけしておきます。
① お孫さんのフルネームのみ出てくるファイル
(個人的には、ここまでマスクする必要があるか、疑問)
iken16.htm
iken49.htm
②最近の経緯の記述の中で出てくるファイル
(とくに、週刊誌記者とのやりとりで、一方で「高橋洋」とありながら、その直後に苗字があるなど、法廷で不利をもたらさないか、心配に思えます。)
iken81.htm
iken72.htm
③ 既刊に忠実な結果、フルネームが入っているもの
(先生のページを悪意と善意で丹念に見ていけば、ここに記述が残っていることで、クレームを付けることもできる?
スキャン原稿のまま校正されていない、と割り切ってマスクされるか、世に出ている本そのままの姿で出すか、弁護士の方の意見を聞いてみたいです。)
e_umi_essay7.htm 神と玩具との間

また、表紙(更新履歴)には、フルネームがありました。こちらは私の方で直したファイルを送ります。ただ、今日の時点で改版されていましたら、直接、 idx_update.htmを直してください。
なお、参考までにお知らせしますが、私は先生のページを丹念に見てこれらを見つけ出したのではありません。あっという間に上記ページ一覧が出てくるのです。ただし古い情報が記録されていることがあります。ですので、実際にはマスクされているページも含まれます。
2008 7・9 82

☆ A面B面 2008年07月09日09:40   馨
保育園生活も軌道に乗り始めた長男クン。
昨日、お迎えに行った時にクラス主任の先生が「Sクン、今日は珍しくパンツをはかないで走り回ったりしていました。」
??? ・・・目が点になる私。
「普段はおとなしくはいてるんでしょうか?」
「ええ。一人でお着替えもしていますし、トイレもちゃんとするし」
絶句して言葉が出ない母親です。
息子は家では着替え中には必ずふざけはじめ、毎日着替えやお風呂上がりには、多大なエネルギーを使って服を着せています。
ましてや一人で着替えなんて・・・。
トイレトレーニングも喜んで座りはするものの、一度も成功しておらず。
腰掛けるとすぐに
「デたっ!」
「出てない。シーーっ」
「たっ!」
「ない」
「たっ!」
「ないっ!」
というバカみたいな会話を親子で繰り返し、諦めて下ろすと数分後に「デた」と言いに来たりしています。そしてパンツの中だと本当に出ているのがカナシイ。
ところが、保育園ではきちんとオマルでしているのだそう。
お食事中も家ではすぐにふざけ始め、特に最近よくないのが、汚れた手をふきんでなく髪の毛で拭くこと。
散々注意しているのに直らず、食事後の髪の毛は煮豆のにおいやご飯粒やらですごいことに。
ところが保育園ではそういうことは全くなく、お行儀良く食べているそう。
「穏やかなSクン」と連絡帳に書かれたりしています。その「穏やか」、保育園だけで使い果たさないで、家の中にお持ち帰りできない?
あまりの違いに、まだろくに二語文も話さない息子に
「あなた、SクンAというのとSクンBというの使い分けてる?」と問うと
「べー」と舌を出してみせる息子。
どうやらB面が家庭用だそうです。 A面は、ええ面ということで保育園用。
ただ、この二面性、カナシイことになんとなく思い当たる節が・・・。私も小さい頃、外では相当にいいコでした。だからこそ娘の面談で「A子ちゃんは、あの外見や雰囲気からはちょっと想像つかないことをなさいますね」と言われたりするとドドーンと落ち込むわけですが。こちらは家と外が完全にバリアフリーの精神構造です。
あなた達姉弟、足して二で割るとちょうどいいかもね。
息子よ、外でイタズラしても笑って許してもらえるのも今のうちだけだゾ。
いまいいコをやり過ぎて後で爆発しないでね。

* もう一度、幼い子といっしょに毎日暮らしてみたい。妻もそう思うのか、絵本作家として世界的に名をはせている田島征彦展の会場で、なにやら絵本を物色していたなあ。
2008 7・9 82

☆ お元気ですか、風。
ナボコフですか。
『ロリータ』は、読んだことがありません。キューブリックの映画なら、断片的に覚えていますが。「いい読者の三(四)カ条」の人として、特に記憶しています。
きのう、図書館で数冊本を借りました。
毎週水曜は、返し、借りる日にしています。評論の準備も途切れることなくしてい、そのための参考書をいろいろ借りました。
そうそう、言いそびれていましたが、先日送りました創作でいちばん言いたかったのは、女性にとって出産とは簡単なことではない、ということでした。
それが、主題と動機です。
ではでは、風、お元気でお過ごしください。
花も、元気に元気に過ごします。

* 「女性にとって出産とは簡単なことではない」のは、太古来、いまも変わっていないから、それを創作の「主題と動機」にするには、よほど大胆で斬新な物語の展開がないと陳腐になりかねない。ま、小説の主題は、しかしながら、大方は似たり寄ったりだけれど。谷崎が言っていたように、「あるとき、あるところに、一人の女(男)を愛している一人の男(女)がおりました」で大方の作品は成り立ってきた。その計り知れない「一般」をいかに「特殊」化出来たかダメかでことは決着する。
たいていはダメなのである。むずかしいが、この難しさを越えて行くしかない。地球が、いや人類が、高温で燃え尽きてしまうまでに。

* ナボコフが語った「いい読者の四箇条」とは、順不同にいうと、
一 記憶力のある読者
二 想像力のある読者
三 辞書を億劫にしない読者
四 少しでいいから藝術的センスをもち作品に参加してくれる読者
わたしはこれに付け加えて、
五 再読からを本当の読書だと分かって繰り返し読んでくれる読者
を「いい読者」「ありがたい読者」と思っている。平凡なようで、なかなかどうして、ナボコフの四箇条は奥が深い。「湖の本」二十余年の読者の皆さんをわたしは敬愛する。

* いい読者は、いつも「いい作者」を待望し選択している。読者の権利である。
同様、作者も「いい読者」を待望している、選択は出来ないのだが。
「いい作者」像は、上の五箇条を、ちょうどそののまま立場を変えるだけで見つかる。漱石も藤村も潤一郎も鏡花も康成も、シェイクスピアもゲーテもトルストイもドストエフスキーも、同じである。
通俗作家は、読者に何も期待しない。期待できないものと読者を下目に思いこんでいるから、記憶力も想像力も求めないで、みな通俗・俗類型で説明的に提供してしまうし、まして辞書など無用、ただただ呑み込んでくれればいい、講釈と変わらない。根が時間つぶしの読みもの、再読どころか、煙草と同じ、済んだら吸い殻ナミにさっぱり屑で出してしまう。
「いい作者」はそうでない。だが、向き不向きがある、読めない人には「いいもわるいも無い」こと、言うまでもない。はじめから本になど手は出さないし、それはそれでいい。本だけが、小説だけが、藝術ではありません。魅力でもありません。
2008 7・10 82

 

* 松本幸四郎丈の名前で、佳い浴衣生地が贈られてきた。身も心もすずしく澄んで綺麗になった。ありがとう存じます。

* 金澤の久しい読者から、いつものように海の幸をたくさん頂戴した。
四升も買い溜めた純米酒が、もう無くなった。おいしい肴があると酒も行く。きっとからだの芯から病勢は進んでいるのだろうが、そう仲あしくもない。うまく付き合っていきたい。
2008 7・10 82

☆ ぎっくり腰の家人を介護中園児から風邪を移され発熱、挙げ句に片耳が中耳炎で難聴に、薬漬けの毎日です。
悪しきはアレルギー体質です。
安静に、の禁をタマには破ってと、悪バアバは出光美術館の館蔵品、ルオー展を観てきました。こんなに多くの作品を一堂に観たのは初めてて゛、大好きなモローを師としたルオーの絵にも大いに魅せられ、病を一刻忘れさせてくれました。
夕刻は耳鼻科行きです。後は野となれ山となれの心境 やれやれ   泉
2008 7・11 82

☆ 青竹のもつれる音の耳をさらぬ 2008年07月12日00:17   鳳

青竹のもつれる音の耳をさらぬ この甃道(いしみち)をひたに歩める 秦恒平

私の居る所は、大学付設の研究所にしては小規模で、学生やポスドクの数も少なく、皆自室に篭り、計算用紙やパソコンに向かって黙々と研究しています。
チームワークが重要で機械音や金属音で賑やかだった工学部の頃とは、随分違った世界です。
裏を竹藪に囲まれています。竹藪に面した部屋では、風の吹く夜は裏から聞こえて来るざわざわとした音が研究の友です。
この歌の黙々とした雰囲気、今の私の居場所にぴったりなのです。

* なつかしい歌。
十七歳、高校の二年生だったか、この歌を国語の先生でポトナム同人だった上島史朗先生に他の「東福寺」一連十数首とならべて読んでもらったとき、この歌について、文法としては「もつるる音」だろうが、いいんだよ「もつれる音の」で構わないんだと言って下さった。歌集『少年』は、都合六度も姿を変えて本になったが、「もつるる音の」とあらためたのはずっと後であった。いまも「もつれる音の耳をさらぬ」でよかったと思っている。
このところの空気のわるさにクサクサしていたときに、「鳳」さん、ありがとう。日のはじめの気分を清めてもらったよう。「東福寺」の歌は、十七で威張るようだが、まさしくわたしの「短歌開眼」だった。
2008 7・12 82

* 早起きということも、遅いということもなく朝を迎えた。マイミク「悠」さん、忙しい中で、ちっちゃな坊ちゃん愛称「かんたろう」くんの写真を送ってくださった。

☆  ビザ  悠
ここ最近悩まされているのが,京都で行われる国際会議の事務局業務.
ビザ申請のための書類作成に追われています.
日本の招へい者側で準備する書類があるわけですが,ビザが必要な方から情報を集め,国籍によって異なる書式の書類に個別対応.(ロシア,中国,フィリピン,その他の4種類あります.)
出来上がったら即EMSで送付...
どの人も”急ぎで”と言ってくるのは当然.
日本語で作成するのですが,メールで送られてくる情報は英語.
こちらの”こんな情報を送ってください”のメールの文面が悪いのか,正確な情報は探し出さなくてはいけません.
特に所属先の大学名を日本語にするのに難儀しています...
今日はインドの大学名に悩んでしまいました.
おそらく,サン・ババ・バー・シン工学技術大学.
研究室にいる(日本語が多少わかる)パキスタン人にヘルプを頼むも,あくまで英語の発音でカタカナを書くわけで...
早めに送ってクレームがきたらまた対応します...とほほ.
自国以外にいる対象国籍の方もいるので,何名の書類を用意する必要があるのか、正直、わかりません.

☆ かもめ  瑛  e-OLD川崎
日が照りながら雨のふる
あいるらんどのやうな田舎へ行かう  … 。
丸山薫「汽車に乗って」
中学一年生の時の国語で習った詩。
今日の夕方に雨が青空から降った。
朝の掃除を済ませベランダへ出たら餃子のような幾重にも連なる雲が出ているので写真に撮った。秋に出るような形の雲である。日本海の北の寒気の空気の塊が今年は強いからであろう。「詩」を書く。

音叉の音のような雲がととっ、ととっ、ととっと空に羽を広げる。
手をつないだ大きな鷗の群れが大きな羽を広げて飛んでいる。
夏の雲はむくむくと湧き出でて大空に舞いそして消えていく。
消え方の作法の極意を知っているのであろう。

* 微笑。

* マイミクさんたちに心惹く日記が出ていると、そっちへ誘われて気が澄む。ありがたい。
2008 7・12 82

 

☆ やっと  08.07.12 11:00  花
晴れましたね。お元気ですか、風。
暑くなりそうですが、湿度があまり高くないので、心地よいです。
ベッドパットを干しています。
でも、いいお天気も、明日までの予報ですね。
今日明日で、大物の洗濯を済ませねば。
花は、お洗濯の心配ばかりしています。
風、お疲れさまです。
じょうずに息抜きをなさりながら、お仕事すすめてください。
風、いつか逢いたいです。

* 北富士もてっぺんまで晴れているだろうか。
2008 7・12 82

* 高麗屋の女房さんから、ご主人もいっしょにペンの例会でお目にかかれればとお誘いがあったが、あいにくのスケジュールでお断りしなければならなかった。すばらしい舞台と客席とで出逢うのが最高だと思う。
七月には松たか子、八月には染五郎、九月歌舞伎座は初世吉右衛門追憶の秀山祭、そして十月には松本紀保らのチェーホフ喜劇集、これが楽しみ。妻も一緒に若い人を誘って観たいなあと期待している。

* 岡山から、マスカットを贈りますとお便り、今しがた。大好物。
2008 7・12 82

☆ プール 2008年07月12日17:03  悠
本日,大岡山で研究会があったので,息子は保育園に.
ダンナは早朝からツーリングに出かけました.ここ数カ月ずーっといじっていたバイクに乗りたくて乗りたくて....息子は(めずらしく)早くから目を覚まし,準備している様子を”やさしいまなざし”で見守っていました.
いつもよりもちょっと早く保育園に行くと土曜日ということもあって、息子が一番乗り.お友達がいない園の様子にいち早く気が付いてしまい、大泣き.今日は上のクラスとの合同保育.楽しいぞ!! と言って聞かせ、出かけました.
保育園ではプールが始まりました.息子は体調がすぐれなかったこともあって今週は見合わせることにしたので,プールセットは持たせずに通っていました.それが相当悔しかったようです.
なぜ自分だけは入れないのか!! と,もう抗議で泣いていたそうです.
来週はプールデビューです.体調整えて保育園に行こうね.

* こういう日記読めるのが嬉しくて仕方ない。
2008 7・12 82

☆ 頑張られましたね。 花
汗だくにもなりましょう。
花は、この数日、読書三昧です。かなりの時間を割いています。
きのう今日と暑いですが、先頃のベタベタ湿度がないので、気分はいいです。洗濯もできるし。
タマには、こういう日がありませんと、ね。
先日、「麦の穂を揺らす風」という、2006年に製作されたヨーロッパの映画を観ました。1920年代のアイルランド独立戦争を扱った映画です。
武力にうったえても何も解決しない、と、考えている明晰な主人公が、白兵戦の先頭に立つほどのIRAの戦士になってゆく、イギリス圧制の酷さ。ああ、ここに描かれている、力を持つ多数が弱き少数を支配し抑圧することの繰り返しが、世界のかたちなのだ、と、アジア、中東、アフリカを思い起こし、悲しいを通り越し絶望を覚えました。
ウキウキする一場面もない、デスペレートにディプレッシングな映画なので、気の弱っている時・人には薦められませんが、「いい映画を観た」などという感想では表せない、感動と、わたくしの中のある種のものを猛烈に奮い立たせる作品でした。
「ゲド戦記」は、後半チャンネルを変えた時間がありましたが、概ね観ましたよ。
原作を読んでいないのですが、うまく映像化できていない、表現しきれていない感じを受けました。
「海は見ていた」「人間の約束」どちらも見ていません。NHK-BS2で放送していたのですか。だとしたら、また見逃したことになります。残念。熊井啓という映画監督は、一貫した姿勢が見受けられ、よい印象を持っています。
さてさて、今日も汗だくで、風はお仕事なさっていることと想います。
花は、そんな風を想って、元気をもらいます。ではでは。
2008 7・13 82

☆ お便りありがとうございます。  陽
お心遣い、ありがとうございます。
昨日、大阪松竹座へ、仁左衛門様を見に行ってきました。(奥様もロビーにずっと出ておられました)
”先代萩”の「八汐」と「仁木弾正」の二役でした。
「関西・歌舞伎を愛する会」会員の友人が取ってくれた席が、なんと、花道横の、舞台に向かって左側の最前列。
目の前で、見得を切ってくれる場所ですが、あいにく、ほとんど後ろ姿。
巻物をくわえたネズミがスッポンから消えて、すぐその後煙とともに弾正が現れました。
舞台の幕は閉まって、花道で、弾正無言でにらむ場面。
孝夫さん(このほうが言いやすくていいです)の右のえくぼが見える、黒い口の中も。袴の脇から手を入れて持ち上げるときの絹ずれ(麻?)の音・・。暗がりの中、しーんと静まりかえった客席。せりふは何もないのに、この緊張感、存在感。
私たち3人のおばさん、ぽかんと口開けて見とれていました。
籐十郎の政岡、見上げると、ぽたぽた雫が落ちているので、「汗やね」と言い合っていたら、こっちを向いたとき、間違いとわかりました。涙でした。
その日は中日のようでしたが、両脇の席はすべて、舞妓さん、藝妓さん。都踊りみたいでした。
菊之助、孝太郎、愛之助・・・若い人はみんな美しい。

夜の部の一幕だけ、幕見席で見ることができました。
”熊谷陣屋”。今度は、最上階の最後尾の席。この違いのおかしさに笑ってしまいました。
今度は熊谷の役。
わが子を討って敦盛を助ける、父として、武士としての複雑な心の描写に、私の斜め前にいた男の人が眼鏡を外してハンカチで、目を拭いているのが見えました。
私は泣きませんでした。
というのも、ストーリーがもう一つよくのみこめていなかったからです。
その一つが「弥陀六」なる人物。
「義経が『宗清』と言っていたけど・・・・え~と、これは・・・?」というような所がいろいろあって、考えているうちにストーリーは進展していって、没入する前に混乱していました。
帰りの新幹線の中で、 『能の平家物語』(湖の本エッセイ22) を読んで納得したところがありました。
『舟弁慶』で奥様が「可哀想で可哀想で」と泣き出されたというところがありました。私の今日の『熊谷~』とは大違いでした。
「敦盛」「通盛」「千手」「正尊」「舟弁慶」「小原御幸」と、改めて、そうだったのか~、私もそう思うだろうなあと思いながら夢中で読み返しました。
おかげで、岡山で乗り換え便をひとつ乗り遅れてしまったというおまけまでありました。
その、「景清」に、『突如として現れる弥陀六実は弥平兵衛宗清(悪七兵衛景清のモジリ)』とあるのに出合って、謎が解けたような気持ちになりました。
『逃げ上手』、『生き上手』の景清のこと、こんな所に出てきても、「ま、いっか」となって、いろんなことがほぐれていきました。このご本『能の平家物語』、読めば読むほど、おもしろい発見や解釈があって、興味は尽きません。
また、大河ドラマの昔、菊五郎の『源義経』の中の教経、私も『すばらしくカッコよかった』と思っていました。王城一の強弓の教経の名が、多くの平氏一族の中でもとくに印象深く、あの俳優の姿とだぶって思い出されています。
でも、私も名前が思い出せません。思い出したら、お知らせします。

* あの精悍無比の教経役は、滝田栄でしたね。『能の平家物語 死生の藝』は会心の書き下ろしでした、暑い暑い一夏かけて書きました。
2008 7・14 82

☆ お疲れ様です。
と、花は毎日言っていますね。花で役に立つことがありましたら、ご遠慮なくお声をかけてください。
暑くなってきましたね。
扇風機を一台追加しようかと考えています。
日本の家電メーカーの製品は、性能はいいのだけれど、デザインがいただけません。海外の製品は、デザインはカッコイイのだけれど、性能がいまひとつ。うまくいかないものです。
で、狙っているのは無印良品の扇風機。
白一色の、シンプルビューティーです。
花は、シンプルなものが好きです。
『ゲド戦記』は、アニメ映画公開の頃に大々的に書店に積まれていました。今なら、図書館でも借りられるかな。
ひざ掛けなど、厚めのものを洗濯できた花は、気分スッキリ。
ではでは、風、豊かに豊かに吹きつづけて下さい。 花

☆ 命と人間  馨
東北の地震から一ヶ月が経ちましたが、あの地震で、実は仕事上の知人を亡くしました。新聞の一面で彼の名前を見た時には一瞬なにかの間違いかと思いましたが、肩書きは、まさしく彼のもの。
優秀という言葉ではあらわしきれない、見識の高い、その分野では正しくの、第一人者でした。温厚なお人柄で、裏方の仕事を地道にこなし、過激な周辺の野次馬などにも冷静に対応でき、静かに着実に歩を進める人でした。当然、私よりずっと先輩だと思い込んでいたのですが、報道で実は同じ年であることを知りました。
私自身も仕事に戻ればあちらこちらに泊まり、いつどこでどんな天災に遭うかもわからない身。あれほど有能な人が私と同じ年であったという衝撃とともに、ズンと心に押し付けられた彼の死でした。
思えば手足が凍えしびれるような思いでやす香さんの病気のことを知ったのも 、二年前の六月。
「もしかすると明日は生きていないかもしれないというのが命」と、このところ毎日のように切実に思うようになりました。病気の話やお子さんの事故などを聞いたり読んだりするたびに、我が身にふりかからないとは限らない、と。子供が三人に増えて、「いのちを大切に」という次元を越えて「いのちを愛おしむ」ということをようやく理解できるようになったのかもしれません。
子供は一人増えるたびに、少しずつ私を「人間」にしていってくれます。最初の子は、まず私自身の軸足を地面に下ろしてくれました。二人目は私に「母であること」を。
私のようにいびつな人間には子どもが三人がかりで「テコを入れる」があったのだろうな、などと苦笑しながら思ったりもします。
長文になってしまいました。お許し下さい。
蒸し暑い日が続いておりますが、どうぞご無理をなさらないよう。くれぐれもご自愛下さいませ。

* 赤ちゃんのアセモが少しでもラクですように、この夏。
2008 7・15 82

☆ 個人面談 2008年07月15日09:37 昨日、  悠
保育園で個人面談がありました。
息子は寝てしまっていたので私だけで面談。担任の先生と息子のこれまでの様子、変化、今後の方針について話しあい、確認しました。
やはり、と思ったのが、先生が毎日知恵比べですと言われるほど、イタズラしていること。脱走を率先してやっていること。
嬉しかったのが、お友達がなにか出来たときに息子が拍手して喜んでいるということ。自分の嬉しかったことを、お友達にもできるんだ! と感心。
これからも楽しみです。

* 楽しみ。

☆ Light field photography   ハーバード 雄
・ 久しぶりに脳センターのランチセミナーがあり、参加する。久しぶりということもあってか、随分と多くの人が来ていた。演者はスタンフォード大学の Marc Levoy。Light field photographyという技術を開発し、これを顕微鏡に応用したという話。
普通、カメラで写真を撮ると、ピントの合っている部分と合っていない部分が出来る。しかし、レンズの光学特性やピントの位置などから、このlight field photographyという技術を駆使して逆算することで、全ての部分にピントが合ったような写真を撮ることができるという。
例えば、木々が遮っていて、その後ろに人がいるということを通常の写真では見えないような場合でも、この技術を使えば、木の後ろにいる人にまでピントを合わせることが可能となる。
これを応用して、通常ではぼやけてしまって分からないような細胞の写真を鮮明に3次元に構築することも可能らしい。
見せられる写真はどれもカッコいいが、原理が分からないので、消化不良のままセミナーを聞き終える。
・ 午後から、久しぶりに分子生物学の実験。引越しを来週に控え、まともな実験をするには設備も精神的余裕もなくなってきた。こんな時には、手慣れた実験が気楽でいい。久しぶりにやるので、物の在り処さえ危ういが、黙ってじっと座っているよりも、ずっと心が落ち着く。独楽と一緒で、廻っていないと倒れてしまうのだろう。

* 乗り越え乗り越え進んで行く人。

☆ よい方向に向かうよう、 鳶は
遠くから鴉に思いを馳せます。
底なし沼なら、底に足を届かせよう、着けようなど思わず・・そうしたらズブズブ沈んでしまいます・・人に任せるべきは任せ、日々を過ごしてください。これまでの経緯が十分考慮されることを願うのみです。(例えば、お付き合い読本は・・もう論外です。週刊誌の記事も嫌な感じでした。)
一番痛切なのは、『やす香さんは生きたかった』こと。やす香さんは、なによりも父母や祖父母、仲良く、皆が互いに交流できることを望んでいた』でしょう。やす香さんが亡くなった後、せめて残された者が和解できること、悲しみを共有すること、それこそが彼女の供養でもあったのに・・第三者ながら本当に残念で堪りません。
どうぞ無理なさいませんよう。絶対に無理しないよう、大事に、大切に。
2008 7・15 82

☆ 湖様   波  e-OLD川崎
浅草はなんというおすし屋さんですか?
7月10日に会社が終わってから学生時代の友人と鬼灯市に行って来ました。
クラスの女性4人のうち3人が夫に死なれてしまい、その中で仕事を続けている1名と誘い合い、浅草に行きました。
仲見世通りにははっぴやおせんべいや江戸情緒溢れる小物などのお店が並び、浴衣姿もちらほら混じる人の波の中を雷門までそぞろ歩きました。
ほとんどまだ青々として、下のほうだけ小さな鬼灯がともっている鉢を一つずつ買いました。2500円。
「おすしでも食べたいわね」と入ったのが寿司清というお店。
なかなかネタも新鮮で、おいしかったですよ。
女二人日本酒を飲みながら、近況を語り合いました。
職場はほとんど30歳代。
学生時代の同世代と語るのは気を遣うこともなく楽しいものです。
でも、浅草は遠かったです。
家に帰ったのは11時過ぎになってしまいました。
鬼灯は枯れずに今日も窓辺に赤い火をともしています。
湖、 「今 此処」を大切に 日々お元気で過ごされますよう。
心から応援しています。

* わたしの贔屓の鮨は「高勢」 花火が近づくと、恋しくなる。汗くさかった一日のはてに、鬼灯市と鮨と浅草のはなし。よかった。
2008 7・15 82

☆ 石組と苔とハリヨと梅花藻   囀雀
瑞泉寺に“祇園守”という名の木槿が咲いていました。
契仲が岩に頭を打ちつけたのは、こんな雷雨のときかしらんと勝手な想像をふくらませます、激しい稲光と痛いほど叩く大雨がいっとき暴れます。
本日、近畿の梅雨が明けました。いよいよ、です。伊賀も盆地。盆地の気候はおわかりでしょう。冬将軍より雀は相当こちらが苦手。
新名神高速道路は甲賀の忍術屋敷と紫香楽宮跡を通り、狛坂寺跡下をトンネルで、金勝山の山腹から近江草津の名神へと合流します。甲南I.Cが工事中のためか、バスは信楽I.Cから入りました。
京都駅八条口に着いたのが予定の15分前。ほくほくとタクシーに乗り込みましたが、15分経つか経たないうち助手席側に乗用車が衝突。義務化されたばかりの後部座席シートベルトの安全性を実地に体験いたしました。
最初にけちがついせいか、そのあともうまく運ばずおちこみまして、翌週、梅花藻の花を見に醒ケ井へ行って、間(ゲ)ン直シをいたしました。そして米原の青岸寺に立ち寄り、湖水渡りの風に一羽の鳥が高々と囀るのを耳に、石組に苔のよく映えた枯山水をぼんやり眺めてまいりました。
先日来、名古屋から富山まで高速道路が全線開通して飛騨や日本海が一層近くなりましたと、レジャーや観光の宣伝がにぎやかです。
強い光で照らされるところができると、かげになるところは一段とくらくなります。
遠いなァと思う場処があるって、きっと大切で幸せなことなンですよ。 雀

* 世離れたたよりに、優しい一息を吸い込む。疲れた。今日はもうやすもう。
2008 7・16 82

☆ たくさん  08.07.17  10:05  花
作業なさったようですね。
汗みずくでしょう。
花も毎日汗だくです。
かき氷やアイスクリームなどをおやつに召し上がると、体が冷えて、ラクになりますよ。
お元気ですか、風。
先日、報道ステーションの中の松岡修造さんのスポーツコーナーで、全日本バレーボール女子のセッター、竹下佳江さんの特集がありました。
体格で外国チームに劣る日本チームは、トスからアタックまでのスピードを上げる練習を積み、かなりの精度でできるようになってきています。
全日本のアタッカー、Vリーグのチームメイトでもある高橋みゆき選手とのコンビネーションは、たとえばアメリカ代表がトスからアタックまで約1.4秒かかるところ、0.8秒です。それは、わたしがテレビ画面を見ていてもわかるほど、明らかに「速い」です。普通、セッターの上げたボールの軌道を見ながらアタッカーが助走をはじめるところを、高橋さんは、竹下さんがトスを上げる前に助走をはじめるのだそうです。
まだ見ぬボールの軌道を、転々とするプレーの中で、二人同時に精確にイメージしなければならないこの難しいプレーを、二人は気の遠くなるような練習をし、身につけたことでしょう。
海外のチームの監督は、口を揃えて「タカハシは危険な選手」と言います。竹下さんとのコンビネーションを指しての言葉と思われます。竹下さんは身長一五九センチ、高橋さんは一七〇センチ。この小さな二人が、代表チームの攻撃の柱なのです。
竹下さんと高橋さんは、背の大きくない弱点をカバーするため、世界の誰にもできない速い攻撃を身につけました。バレーボールにとって、身長の高いことはとても有利ですが、高身長の選手が常にベストプレーヤーというわけではないのです。
イギリスのロイヤルバレエ団で、十年以上プリンシパルだった吉田都さんも、バレリーナとしては、恵まれた体型を持っていたとはいえません。
千代の富士は、抜けやすい肩を持っていたから、あんなに強かったと言われますよね。
一見弱点と思えることが、逆転することがある! もちろん、人一倍の努力あっての成果なのでしょう。
花は、とても励まされました。
今日も暑くなりそうです。
風、お大事に、お元気にお過ごしください。
花は、いつも元気な風を見ています。ではでは。

* いまでも、つよいつよい千代の富士は振り仰ぐ気持ちで思い出す。肩の脱臼で休み、横綱輪島とにらみ合い、国技館の天井を蹴上げそうな土俵上の四股。これは行くよ、行くよと期待していたがあんな強い大横綱になったとは、奇跡のように思うほどちっちゃかった、体格は。あれはだが、奇跡じゃなかった。本当に強かった。

☆ もちのまえ  囀雀
もち米の食味からコシヒカリが市場を席巻して以来、おこわのハレ感覚が薄れているような気がします。
板東英二さんが旅番組で和菓子店に入ると必ず赤飯を一折、しっかりと手に持って、それからお菓子のショーケースを見るンです。とにかく赤飯が大好きで子供の頃の強迫観念から目にしたらすぐに自分の分を確保しないではいられないらしいのですよ。
家に病人が出て初めて目にすることができた食品、寝込まないと食べられなかった食品、正月・祭礼・お葬式・運動会や遠足といった特別なときにしか食べられなかった食品があり、甘いだけでごちそうという時代がありました。
主人もそういう世代で、甘いつぶあんには目がありませんし、コンビニでもまず探すのは赤飯のおにぎり。
醒ケ井へ行く途中にいつもお惣菜を買う道の駅があったのですが、着いた時刻が早く3割くらいしか納品されていませんでした。
そんななか、赤飯の折の隣に珍しく白いおこわがあったンです。きなことつぶあんの大きなおはぎのパックと並んで。製造者名を見るとどうも餅屋さんらしい。それなら間違いないと主人は目が覚めたみたいな顔をしてそれを買いました。
白いおこわっておいしいですねぇ!
なんでも餅つきのときの蒸しあがったもち米が大好きで、いつもつまみ喰いしていたと言うのです。義父は菓子職人で、自宅で製造販売していましたから、しょっちゅうお餅をついていたんでしょう。
子供の頃の食べ物をいわれると困ってしまうし、つらいです。再現できませんもの。

* わたしも此のご主人とまったく同じ。わたしの養父の実家は文字通りの餅屋さんであったのだ。そして餅が大好き、餡が大好き、おこわが好き、赤飯も好き。しかも酒が好き。わたしの糖尿病、ムリもないか。
2008 7・17 82

 

☆ ある一日 博士の愛した数式   ハーバード 雄
・ 昨日、久しぶりにジムで運動をしたせいか、寝付けなくなる。普通は運動をすると疲れて眠くなるのだろうが、何故か僕はその逆で、神経が高ぶってしまうのか、なかなか寝付けなくなる。昨日も夜中まで起きていた。しかし朝はいつもより早く目覚めた。
ラボに向かう途中、キャンパス内に入ったところで後ろから大声で”Hiro!”と呼ばれた。誰だろう、と思い、振り返るとボスだった。
「この間の発疹はどう?病院には行った?」と聞かれる。「一応、病院には行ったんですが、何か分かる前に、もう治まってしまいました」というと、「そう。でも治ったのなら良かったね」とボス。
最近、ディスカッションも充分に出来ていないので、歩きながら自分の仕事に関連する話をする。ボスから、僕の実験に大いに役立つかもしれない、ある化合物を開発した研究者の話を聞く。彼は近々、うちのラボに実験しに来るという。
「彼の都合で、再来週の日曜にしか来られないんだけど、ボビーやJCと一緒に実験してもらおうと思うので、良かったらHiroも同席してくれないか?」と言われる。
勿論、承諾する。実験が上手く行くのなら、藁でも良いからすがりたい気分。
・ 郵便を出そうと外に出る。郵便ポストのすぐ後ろには、Yenching libraryがある。この図書館には、東アジア各国の書籍が多数、収められている。中に入ってみたいと思っていたが、なかなか開館時間に外に出る機会がなく、入らずにいた。
中の造りが分からず、最初は戸惑ったが、奥の部屋に日本語の書籍コーナーを見つける。決して広いとはいえないが、広さの割には随分と沢山の本が揃っている。
小説も収められているが、小説そのものよりも、その解説本が多い。その中に、『秦恒平の文学 -夢のまた夢』(原善・著)を見つける。
驚いたことに、マンガさえある。といっても、殆どは「サザエさん」や「銀河鉄道999」などの古いマンガばかりだが。
小説が読みたくなり、いくつかの本を手に取る。村上春樹全集の「国境の南 太陽の西」と「スプートニクの恋人」の収められた巻が気になり、久しぶりに読み返して見たくなったが、今回は止めた。
どれにしようか迷っていると、恰幅の良い白人の男性がニコニコとしてやってきて、「何かお助けしましょうか?」と言うので、「この本は何冊まで借りられるのですか?」と聞く。
「何冊でも好きなだけ」とのこと。驚いた。おまけに返却期限は来年の2月らしい。
結局、借りたのは、『博士の愛した数式』(小川洋子)。今から5年前位にベストセラーとなっていたと思うが、ひねくれ者の僕は、ベストセラーと聞くと、意地でも読むまい、と思ってしまうので、今まで手に取ったことがなかった。
さっき、一気に読み終えてしまった。一言で感想を述べるならば、良くも悪くも、「良くこの本がベストセラーになったなあ」。
ストーリーも比較的単純であり、意外性に欠けるが、何よりも、これだけ数学の知識の散りばめられた小説が、広く受け入れられたということが意外。オイラーの式、懐かしい。。。
この小説は映画化されたようだが、主人公の「家政婦役が深津絵里」というのは、ぴったりだなあと思った。「博士役が寺尾聰」なのは、ちょっと意外。もっと偏屈そうなイメージだけど、映画を観たら納得するのかもしれない。
小説のキャスティングといえば、誰かが『ノルウェイの森』の「突撃隊」役に、カラテカの矢部太郎を推していたのを読んで、思わず笑ってしまった。確かに、これ以上は無いというほどピッタリだ。
・ MITで現在研究をなさっていて、来月末に日本に帰国されるOさんと、アーリントンセンターのアルゼンチン料理店”Tango”で食事をする。お互い、1ブロックと離れていないアパートに住んでいることが分かり、「じゃあ、アーリントンでメシでも」となった次第。
アルゼンチン料理というのが何だか分からなかったが、Oさんが「これにしましょう」というので、Meatのメニューの一番上にあった、色々な肉の盛り合わせを注文する。二人前から受け付けているらしい。他に、サラダと赤ワインを注文。サラダは、トマトとモツァレラチーズのにしたかったのだが、最近、サルモネラ菌の入ったトマトがニュースとなっていることから、今は取り扱っていないという。仕方なく、グリーンサラダを注文。
出てきたのは、鉄製の網の上に、これでもかと盛り付けられた肉、肉、肉。これを二人で食べ切るのは、相当キツイ。結局、最後に数切れ余してしまったが、今、僕の胃袋は肉でパンパンに膨れ上がっている。せっかく最近、弁当持参で、食事の量を抑えようとしているのに、これでリセットされてしまった気分。
食べながら色々な話をする。実はOさんに実験のことでお願いがあって、メールを送ったのが、今回食事をご一緒することになった直接のきっかけ。かなり図々しいお願いだったので、お叱りを受けるのを覚悟していたが、あっさりとOKが出た。
神経科学者以外には何の興味も湧かない話だろうが、MITの神経科学分野では看板教授と言っても良いMorgan Shengが、MITを去り、Genentechというベンチャーに移籍するというニュースを聞かされた。かなりビックリした。Genentechの神経科学分野のpresidentは、Marc Tessier-Lavigneだが、MorganはVice presidentになるという。おそらく年収は100万ドルを超えるのでは、とのこと。本人は良いのかもしれないが、下の人々は複雑な心境だろう。

* 「雄」君のハーバードの、ある日。すっかり慣れて落ち着いた感じ。
2008 7・17 82

☆ 湖へ  珠
こんばんは。
美しい月に魅入られて、戻ってお便りしています。
どうぞ、どうぞ空を見上げてみてください。
今宵のお月様には、お星様の添もあります。
あの輝き、あのふくらみ、なんとも美しく。。。
沈透(しず)かな湖に月映えてと、見えるようです。
湖。お大事に。くれぐれも。 珠

* 心配無用 ありがとう  湖
空の月を見上げなくても、台風の目のように胸の底に沈透いて月は光っています、静かに。元気ですよ。
お元気で。
2008 7・17 82

☆ 勝つ力  2008年07月18日09:53   馨
野茂、現役引退の決意固める、のニュースが流れました。
いつかこの人のことを書こうと思っていましたが・・・。
今ではもう誰も覚えていないかもしれないですが、野茂投手、アメリカに行く直前は近鉄を退団する理由を「肩が限界」とか「引退か!?」と騒がれていました。
そんな喧しい周辺をよそにアメリカに渡り、現在に続く大リーグへの道なき道を開いていった野茂はやはり他の大リーガー日本人選手とは一線を画す人だと思っています。
この人のことを心底スゴい! と思ったのは、実はそのピッチングでではなく(いえ、もちろんトルネードの凄さは十分に感じていますが)あのスマスマに出た時のこと。
スマップのメンバー全員が、野茂選手相手に次々とジャンケンをしていくのですが、常に野茂の勝ち。香取君などは、意地になって何度もやっていましたが、それでも勝てず。あのときに、日々勝負をする人の「勝つ力」の強さに感動したのを強烈に覚えています。
その後、同じようにテレビ番組でスポーツ選手の底力を見たのは、イチロー選手が「食わずぎらい王」に出ていたとき。
全盛時代の広末涼子と対戦していましたが、「私は女優ですよ」と負けん気を見せるヒロスエに対して、あっさりと言い当てたイチロー。
どうして! 絶対わからないと思ったのに、というヒロスエに、「食べる時に舌が引っ込んでいた」との答え。石橋貴明が「動体視力が違う」と、すかさずコメントしていましたが、思えば、野茂がじゃんけんで負けないのも動体視力の鍛え方の違いかもしれません。
ただ、じゃんけんのほうは別の要素もあるかも。
昔から「お相撲さんに赤ちゃんを抱っこしてもらうと丈夫になる」と言われるように、手に何か力のある人というのはいるようですし、それ以上に「プロは負けない」という勝負師の強さというのがあるような気もします。
零戦の撃墜王だった坂井三郎は、昼間の星が見えるようになるまで視力の強化を自分でしたそうですが、「負けない人」の勝つ力というのは、ものすごい努力の上に成り立っているのだなぁ、だからこそそれを見る私たちまでインスパイアされるんだろうなぁ、と野茂選手を見るたびに思っていました。
本当は引退が発表される前にこの話、書いておきたかったです。
こういう後回しの心が、所詮、凡人たる所以なんですけどネ・・・。

* 「手」には独特の命と不思議が籠もっていると感じたときに、『手さぐり日本 「手」の思索』を書いて本にし、発展して『からだ言葉の本』『こころ言葉の本』へ展開した。天の岩戸を押し開けた手力男神を、腕力・膂力の神さんとだけ思ったのは正しくなかったのでは。
近代人で「手」のふしぎな力を自覚していたのは石川啄木であった。彼の歌には手の不思議へのオソレをすら歌ったのが幾つもある。野茂のジャンケンは動体視力だけではなかったかもという「馨」さんの勘は鋭い。

☆ パイオニア 2008年07月18日15:03
・ 昨日、野茂英雄の引退のニュースに接した。残念だけれど、本当にお疲れ様でしたと、敬意を込めて言いたい。
「野茂英雄」という名前を聞いて、僕が真っ先に思い浮かべるのは、トルネード投法のことでもなければ、近鉄時代の活躍でもない。メジャーリーグでの二度のノーヒットノーランでもない。メジャーリーグで解雇を言い渡され、ボストンバッグを肩からかけてロッカールームを後にする後姿を、僕はいつも思い出す。
それは屈辱かもしれないし、不安かもしれない。でも、それらに耐えて、黙々と歩き、次なる活躍の場を求めてメジャーリーグの各球団を渡り歩く野茂の情熱というか執念には、いつも敬服させられてきた。
オリジナリティーあふれるトルネード投法。当時ほぼ不可能であったメジャーリーグへの挑戦。自分の活躍できる場所を求めて各球団を渡り歩くも、日本球界へ戻ることについては頑なに拒否する。それらに野茂の野球人としての「信念」を感じるし、だからこそ、野茂に対して敬意を持つことができるのだろうと思う。
・ パイオニアであることは、決して楽なことではない。人が敷いてくれたレールの上を歩く方が、はるかに楽だろうと思う。誰かがレールを敷いてくれるまで待つ方が賢明かもしれない。でも、あえてその困難に立ち向かい、己だけを信じて突き進む野茂の姿に、多くの人々が共感し、敬意を表してきたのだろう。
科学研究にも多くの共通点がある、と僕は考える。科学を進める一番の原動力となるのは、ゴージャスな設備でもなければ、天才の一瞬のひらめきでもない。情熱や信念、執念を持って、未知なるものに己のエネルギーを燃やし続けることなのだろう、と僕は考える。 ・ 野茂の姿をテレビで見るたびに、僕は寺山修司の詩の一節を思い出す。この一節は、科学者にも相通ずると、僕は思っている。
まだ一度も作られたことのない国家をめざす
まだ一度も想像されたことのない武器を持つ
まだ一度も話されたことのない言語で戦略する
まだ一度も記述されたことのない歴史と出会う
たとえ
約束の場所で出会うための最後の橋が焼け落ちたとしても」
(「事物のフォークロア」 寺山修司 より)
2008 7・18 82

☆ お元気ですか、風。
暑いです。むう。
体がだるくて、なにもやる気が起こりません。
できるだけエアコンなしで過ごしたいけれど、何も手につかずうだっているのでは、意味がありませんので、適宜エアコンを稼動させています。
また図書館にこもりに行こうかなあ。
外は猛暑でしょうけど、図書館籠もりは楽しみ。夏休み気分で、ラクにしながら、読んだり書いたり。
ではでは。  花
2008 7・20 82

☆ 湖さんへ
こんばんは。
先日、『みごもりの湖』と竹西(寛子)さんとの対談の載った小冊子を読み終えました。
『最上徳内』がこの作品の延長にあるということが、感じられました。『魚服記』のような雰囲気も感じ、大変面白くお読みしました。
太宰賞を取った作品はどのような手法で書かれ、どのような雰囲気を持った作品なのか、今まで気にはなっていたのですが、より興味をそそられました。いずれ、ご注文したいと思います。
読み甲斐のある作品を有難うございます。 昴

* ありがとう。『清経入水』は送りましょう。静養も、どうぞお大切に。

* 集中できた。かなりの用をかたづけた。
2008 7・21 82

☆ なぜ? 2008年07月22日08:53  悠
昨日はダンナは出勤日。保育園もお休みなので、久しぶり息子と一日べったりすごしました。
朝、なぜ今日は保育園に行かないのか? お父さんはいつも通り出かけたのに~。で、帽子やら鞄やらを引っ張り出し私にアピール。
休み中に猛烈に進歩したあんよは、なぜか手に物を持った方がバランスが取れるみたい。私の携帯のストラップをつかんで振り回しながら歩いていました。
お風呂では、軽石に囓りつき、堅いのがわかると、洗面器に溜めたお湯に浸して再度がぶり。やっぱり堅くて…パンの様にはいかなかったね。
色々と発見があり楽しい一日でした。

* 軽石をお湯につけて 再度 というところ、坊やも、やるなあ。お母さんもよく観ている。楽しい一文。感謝。
ただの「ベタ羅列」型日記と違い、短いながら場面を印象的に「把握して表現し」ている。これが「枕草子」いらいの日記や述懐や記録の本来。優れた筆力です。

☆ おお音楽よ  ハーバード 雄
・ 明日はラボの大掃除第二弾。したがって、荷造りもその後にしようと思い、今日は一日デスクワーク。日本に送る書類を作る。ずっと躊躇していたが、観念して本気で取り組んだ。一通りの形は出来上がった。締め切りまでは、まだ少しあるが、この引越し期間のことを考えるとギリギリかなと思う。膨大な量を印刷しなくてはならないので、ムービングセールでプリンターを売っている人を探し、メールを送っておいた。
・ 書類を書いている間、トスカニーニ指揮NBC交響楽団演奏の「椿姫」を聴いていた。全曲通して聴いてしまった。
賑やかに始まるのにラストがあまりにも寂しい。初演で大失敗した三大オペラの一つ(残りは「カルメン」と「蝶々夫人」)というのも、分からないでもない。もっとも初演が失敗した理由は、結核で死ぬヒロイン役の歌手の体型が、それに相応しくなかったからとも言われているが。
トスカニーニの録音は、音も古いし、感極まったトスカニーニが指揮をしながら歌ってしまい、そのダミ声も入っているので、決してお勧めできるという訳ではないが、それでもあの凝縮された凄まじいばかりのエネルギー溢れる演奏を聴いてしまうと、他の指揮者の演奏が生ぬるく感じられてしまう。
・ 帰り道、久しぶりにフォーが食べたくなり、ハーバードスクエアのLE’sへ。テーブルを担当してくれたのが、良く僕を担当してくれるおばさんだった。久しぶりだというのに、いつも頼むメニューを覚えられていて、ちょっと恥ずかしい。「今日はシンハービールは飲まないの?」と言われ、つい勢いに押されて注文する。
食べ終えてから、昼の「椿姫」の影響とビールで気が大きくなったせいもあり、2階のCDショップでセラフィン指揮の「ラ・ボエーム」と、クレンペラー指揮の「魔笛」のCDを衝動買いして帰宅。

* トリミング利いた、これも、読ませる日記。

☆ かけっこ、No. 1:ほめちゃだめ? 2008年07月22日00:45  光
よーい、パン。
幼稚園での運動会、リレー競技だったと思う。
覚えているのは、円いトラックのカーブのところで、すてーんと転んだこと。
当然のことながら、幼稚園児、なぜ転んだのか、なんてことは考えもしなかった。
実は、小学4年のときにも転んでいる。
体育の授業で100m走を行ったときに、やはりカーブのところで転んで保健室へ連れて行かれた。保健の先生は、怪我したところを消毒しながら「がんばりすぎたのね」とおっしゃった。
その時、全てがつながった。あ、スピードの出し過ぎだったのか。
幼稚園児の想定速度や小学生の想定速度でつくられたトラックのカーブでは、速度超過だったのである。
それ以降、カーブでは速度を落として走るようになってから転ばなくなった。
それほど、かけっこに関してだけ言えばなぜか突出しており、誰にも負けたことがなかった。特段、練習するわけでもなく、筋トレするわけでもなく、ただ走るだけで1番になると褒められるのである。
しかも、ちょっと遅く走って。
* * *
その結果、(私のように)「努力」の楽しさを知らない子どもが育つことになった。
もし、努力して工夫して何度もチャレンジして、その成果として目標が達成できた悦びを、子どもの頃に実感できたのならば、違った人生になったであろうと、断言する。
今の小学校では、絶対評価だの相対評価だのと評価方法について議論が取りざたされている。
それよりも、「気概」を褒めてあげるべきだと私は思う。

* この元学生君が、学部か院かを出た頃に、記念の楽しみに旅をした紀行文がこのウエブの中の「e-literary magazine 湖(umi) = 秦恒平責任編輯」に出ている。推敲にかなり苦労した。そんなことウソのように達意の文をいつも「mixi」に書いている。いい大人になっているなと嬉しくなる。

* 元学生くんたちが、秦恒平「作家」教授を訴えるなどと威嚇し脅さないないならば、彼や彼女がむかしむかしに教室でせっせとわたしに宛てて書いた「アイサツ」を折に触れて名は伏せて紹介すると、みなさん、唸って感心されるだろうが。
言い訳無用だが、東工大四年間の学生諸君は、ほんとうにいい娘・息子たちだった。「幸福」だった。退官して十余年、いまも。
2008 7・22 82

☆ 風を感じています。 花
午前中、胃カメラ検査を受けてきました。
その前に受けた血液検査などにも、異常ありませんでした。
喉の麻酔だけでは足りず、注射の麻酔も使いました。内視鏡が入っていくときのことはなんとなく憶えていますが、あとは記憶にありません。
ま、無事終り、ほっとしました。
昨日は、野球のグローブを買い、夕方、緑地公園でキャッチボールをしました。
エクセサイズです。楽しく、ほどほどに疲れるので、つづけられそうです。
さてさて、風、裁判がはじまるのですね。
つぎは、『北の時代』が読みたいです。
お元気ですか、風。
お時間を大切に、濃密に。
花は元気に元気に過ごしています。ではでは。
2008 7・22 82

☆ 酷暑の影響もあるのか  泉
一昨日の殺人未遂、放火事件は、娘の住む同じアパートの一部屋隣でした。最近の若家族は、休日にはめったに家にはいなく、その日も全部屋が留守だったとか。
娘とは一度の面識もないというその被害者が、元彼に刺され、幸い怪我は軽く、類焼もなくで、安堵しました。大きいパトカーや消防車のサイレンが長く、近くかなぁと聴いてはいたのですが。
短絡で狂気に走る若者の多い昨今、何がそうさせるのか、原点は「教育」にありと思うこの頃です。
中耳炎が回復せず、長引くとの診断。安静に、に常時従うのも鬱陶しい事です。
あなたの日々も鬱陶しいのでしようね。

* わたしの日々が鬱陶しいかどうか、この「私語の刻」はどう反映しているのだろう。
2008 7・23 82

☆ 冷やしたい焼き  馨
ナイスな発見がありました。
大船駅ルミネの中で、(手足口病と暑さとで=)食欲のない娘が、ようやく「食べたい」と言ったのが、たい焼き。
普通のたい焼きもあったのですが、「冷やしたい焼き」なるものも売っていて、試しに買ってみると、これが意外なおいしさ。
餡は「サクサクきなこ」を選んだのですが、きな粉ペーストに砂糖がジョリジョリ入っていて、これがサクサクの由来らしい。
ひんやりしていて香ばしく、久しぶりの外出で疲れていた親子には、「おいし~い!」。
ところで食べ終わってちょっと気になったのが、このジョリジョリのお砂糖、どうして溶けないのかしらんという疑問。シリコンか何かで砂糖をコーティングしてあるか、まわりの餡を糖の飽和状態にしてあるかだなー。低温商品だということを考えると、どちらもありかな。 血糖値が落ちていて、家に着くなり食べ尽くしてしまったけど、お砂糖だけ取り出してちょっとよく見ればよかった…、とちょっと後悔。 でも、冷やしたい焼き、夏にバテた時にはちょっとおススメです。
2008 7・23 82

☆ お早うございます。風  08.07.24 09:39
暑いですね。
ゴミ出しと洗濯をしただけで、汗だくです。
今パソコン部屋にいますが、エアコンをかけています。機械の熱がこもりますからね。
キャッチボールは、広い河川敷の公園でしました。まだ、若干筋肉痛です。
花も、夏痩せしたいなあ。
おいしいものを、腹八分目、いえ、六から七分目くらいがいいのかも知れませんね。
ではでは。
花は元気。風、お元気ですか。
2008 7・24 82

☆ 春は花見、夏は涼み  雀
大暑の日に蜩の初音を聞きました。
クマゼミの生息域が北上して東京でも耳にできるそうですね。アブラゼミの大合唱をなつかしんでいます。
水の景気を求め吉野の宮滝に行ってみたところ、ダムが管理放水するためか水量が少なく、川原は自家用車の若者や家族連れでいっぱい。吉野山まで足をのばして、あつあつの鮎の塩焼きと山菜料理に舌をならし、柿の葉寿司を買っておりてまいりました。花の吉野が嘘のよう。奥千本など鳥が道路におりてなにかをつついているほど用心なしです。目も耳も入るものにまかせて風に吹かれておいしいものを食べていると心がのびて、晴れやかになります。
往路は崇峻天皇御陵の前を通り、多武峰から南下して吉野の宮跡、妹背山。引き返して吉野山へのぼり、復路は天誅組の東吉野村から中将姫の日張山青蓮寺、宇陀のウカシを通って室生寺の上流に出ました。室生のほうが吉野山よりよほど涼しいのには驚きました。龍穴のたぎつ瀬やうっそうとした森に籠もる陰の涼気があるのです。
さて、大和上市の旧道で、昔ながらの店構えに「焼き餅」の看板を掲げ、木枠のガラス戸には手書きで墨黒黒と「みたらし」の貼り紙をした店が目に入り、一も二もなく飛び込みました。
川風が通り抜ける軒深い店。ガラスのショーケースに菓子は一つもなく、名前のメモが貼られたたくさんの包みがあるばかり。
手を休めることなくパック詰めを続けるおじいさんの隣で、それを包装紙でくるむおばあさん。予約してないんですがよろしいですか? はいどうぞ。少しでもいいですか? ええ、いくつお包みしましょ。こしあんですかつぶあんですか?
質問がだんだんとずうずうしくなる雀。
餡は半々、5個ならこし3、つぶ2とのこと。手間が感じられる紫色の餡と本物の真っ白なお餅。さすがに、これひといろという店です。
おいしかったァ! 囀雀

* こういう便りには、負ける。別天地だもの。わたしのこのごろことを何も知らないのではない。涼風を送ってくれるのである。
2008 7・25 82

☆ 先日の大暑の日に  瑛 e-OLD川崎
山百合を写真に撮った。
夏の山道では白百合に出会うことがある。この日も一休みしているときにあちこちにユリが咲いていた。賑やかな百合、秘める思いをさり気なく凛とした姿で咲く百合の花。
歳時記で調べたら高校時代に知った川端茅舎の句があった。

百合の蘂(しべ)みなりんりんとふるひけり (川端茅舎)

もう二句。水原秋櫻子「近代秀句」から目に飛び込んできた。

まひまひや雨後の円光とりもどし
尾長来ていよいよたわわの若楓

ユリの語源は「揺り」にあると解説にありました。
茅舎は、画家川端龍子の異母弟であり、岸田劉生について絵を学んだこともあった。事物の写生・描写には透徹した眼を持っていたという。
百合から川端茅舎へ、高校の国語の授業へと連想することの今年の盛夏を思う。

☆ スクワット 2008年07月25日18:25  悠
去年の今日は退院して子育てが本格始動した日。オムツやら足りないものがたくさんあって買いに走ってもらっていました。かなり気が張っていたなぁと。
体重約三倍。身長1.5倍になった息子は今朝もペタペタ歩き回っていました。
時々立ち止まりスクワット。
疲れ知らずで何度でもやります。どんなに深くしゃがんでもピョン! と立ち上がります。
こちらが真似したら余計に調子づいて繰り返します。頑張るんですが、かないません!

* オリンピック!

☆ お元気ですか7.25 金曜日  鳶
干物までいたらず、一夜干しあたりで何とか過ごしています。
今日も暑い日、まだまだ暑さは続きそう。夕方庭の水遣りは殊に丹念にしています。日が落ちる頃になって漸く食料を買いに出かけます。歩いて、手に持って帰れるだけの買い物。淡々と日々を繋いでいます。
昨日は土用丑の日でした。最近のうなぎ産地疑惑や日本産うなぎの高値、中国産には安全性の問題ありということでしょうか、丑の日というのに近所のスーパーには、売り出しの気配さえありませんでした。思い切って! 熊本産の白焼きうなぎを買い、たれは自
家製、夏を乗り切らなくてはと食べました。丑の日、必ずしも「うなぎ」でなくてもよかった、「う」のつく食品を食べていたのだと今朝テレビで語っているのを耳にしました。
うなぎは庶民には元来高級品だったとも。
小さい頃うなぎを食べに行くのは本当にうれしいことでした。高校に合格した時、何でも好きなものを食べようと父がわたしと妹・・彼女は私立中学合格・・を連れ出した時、わたしたちはうなぎの蒲焼を食べ、お寿司を食べ、チョコレートパフェを食べて、もう満腹になってしまい、食べ歩きは一件落着、安上がりだなあと父に笑われました。
一昨日の記載に幼稚園のかけっこの事が書かれてあり、その感想に「その結果、(私のように)「努力」の楽しさを知らない子どもが育つことになった。もし、努力して工夫して何度もチャレンジして、その成果として目標が達成できた悦びを、子どもの頃に実感できたのならば、違った人生になったであろうと、断言する。」と。
それは謙遜です、あなたは努力する人であり、粘り強い人だと思います。一例として、そうでなければ湖の本の刊行継続など到底できません。
(湖・注 これは鳶の誤読で、別の人の「mixi」日記。ときどき鳶はそそっかしい。)
わたしは? 努力の楽しさも知っているけれど・・達成目標とかあまり考えたことがない 、気概も忍耐もややいい加減、弱いなあと思います。
親の自慢話の一例にはなっても、いい意味で褒められたことはあまりなかったと思い出します。そのためか、今でも褒められてみたいなあと思う!(アホか、おまえは!!??)
ある程度教育ママに育てられた方がいいのかもしれません。いずれにしてもないものねだりです。が、今更親のこと、幼児期のことを言っても始まらない、とうに自分の自覚と行動にすべては懸かっているのですから。
絵は最近放棄していました。描きたいと強く思うまで、本当に自分のいい加減さを思いますが・・本ばかり読んでいました。これまでに描いたもののいくつかを、ファイルにして送れたらと思います。
詩に関しては以前のものの推敲・書き直しが半ばです。Mixiに載せたものもかなりあり、まだ言葉の羅列で形になっていないものもどう向き合ったらいいか思案しています。
自分のことばかり書き連ねましたがお許しください。
どうぞ暑さに負けず、さまざまなことに負けず、一瞬の好機などと言わず・・叱られそうですが・・、元気に日々お過ごしてください。
ps、10日のメールへの返信  七十二歳の秦恒平様、今・此処を生きること。ただしくれぐれも、絶対、ごろんごろんと坂転げ落ちるな。また読書に事寄せて鳶は独り言も言っておりますよ。雑駁と書かれると恥じ入り、そして悲しいけれども。

* 年を取ってくると自然書くものにも乗っていた脂が落ちて行く。このひとに肉筆の美しい手紙を貰い始めたのは、もう指折り数えられない昔だが、しとっとした筆致の藝術品のような情理つややかな好い手紙だった。
インターネットの手紙はなんとしても脂ッけが乾いてくる、必ずしも年のせいではないのだろう。
2008 7・25 82

 

☆ さらばFairchild   ハーバード 雄
・ ラボの引越しの続き。午前中いっぱいで一気に残りの荷物をpackingした。良く分からないものについてはどんどんとゴミ箱へ。もう部屋には何も無い。がらんどうになった部屋の中で、午後は日本に送る書類書きをしていた。
ハーバードの建物の多くには固有名詞がついており、今までラボのあった建物にはFairchildという名前がある。ラボに見学に来たときには、随分とボロい建物だと思っていたが、今ではそれなりに愛着がある。
来てすぐに過ごしていた部屋は、窓の無い、小さな部屋だった。おまけにライアンとシェアしていたし、最後の頃はジョンも一緒だったので、デスク一つ分しかスペースがなかった。
今年の1月にコーリーから今の部屋を引き継ぎ、2階に移った。部屋は決して大きくはないが、個室をもらえることは有難かったし、窓からは中庭が見えた。この窓から冬に眺めた雪のこと、春になって燦燦と降り注ぐようになった日差しのこと、夜中まで顕微鏡を覗いた日のことなど、あれこれと思い出していた。
新しい建物は、Fairchildと違って近代的な造りになっている。まだFairchildのような固有名詞は付いておらず、ラボの皆は Northwest buildingという無機的な名前で呼んでいる。新しく僕の移る部屋は、今の部屋の2倍以上と広い。しかし、僕には今ぐらいでちょうど良い。おまけに新しい部屋には窓が一つも無い。建物の中央付近にあるからだ。顕微鏡周りを暗くする必要があるので、実験のためには良いのだが、居室も兼ねているので少々侘しい。「窓の無い部屋しかもらえないのなら仕事を辞める」といってラボを去った、テクニシャンのエリカの言うことも分からないでもない。
2時を過ぎると、Fairchildの1階には色々な料理が並ぶ。Fairchildの1階の会議室では、毎週金曜日の昼に教授会が開かれる。教授会はランチを摂りながら行なわれるらしく、ケータリングで余った料理が置かれるので、皆、好きなだけ取って、食べて良いことになっている。いつもはあまり食べないのだが、今日は最後ということで、しっかりと頂いてきた。
午後、書類書きをするも、あまり落ち着かない。部屋に物がなくなったせいで、音が妙に反射する。咳払いをしただけで、大きな音が響く。おまけに隣のボビーの部屋では、解体作業で大きな音がしている。結局6時少し前にラボを後にし、郵便局に立ち寄ってから帰宅。
慣れ親しんだFairchildを後にして、今、なんだか寂しい気分。

* わたしまで慣れ親しんできた気がして、雄クンの気持ちにふと寄り添う。
2008 7・26 82

 

* 五時過ぎ、鶯谷駅でタクシーに乗り、鮨の「高勢」に入り、一時間半、ゆっくり酒に肴。花火の日はかえって客が無い。板さんとしんみり話し込みながら、選り抜きの美味い肴を楽しんで楽しんで、酒三合。

* 太左衛さんの出迎えで、いつもの椅子席をもらって、七時から一時間半の花火を堪能した。すこし曇り気味の空にいつもより繊細な花火もいろいろにまじって、天のやす香に声かけながら、上から下から隅田川の花火を静かに観て過ごした。
屋上にはいつものように大勢があつまり、宝生のシテ方東川光夫さんも見えていた。太左衛さんのお嬢ちゃん真結ちゃんとも賑やかに顔合せ。先頃の十代目望月太左衛門追悼公演の祖母・母・孫娘三代のみごとな演奏がいまも目に耳にのこっていて、その礼が言えた。皆親切に食べ物や飲み物をわたしのために用意してくれて、すっかり此処では「おじいちゃん」になり、みなさんに甘えている。帰りも太左衛さんに言問大通りまで見送って貰った。
言問通りをJR鶯谷駅まで歩いて戻るのが、今年もきつかった。六度も七度も立ち往生し、そろそろと歩いてやっと電車に乗ったとき、目の前で若い美人がすっと席を譲ってくれたときは、地獄で仏の有り難さであった。暫く息もつけなかった。
腰の痛みは暫く休んでいるとよくなるが、歩き出すとまた痛み始める。それでも花火へ行きたかった。そこには身内のような温みがあり、花火は美しい。やす香を懐かしむには思い出も深い。それに「高勢」の鮨がある。
往きは一時間足らずで「高勢」まで着き、帰りは家までちょうど二時間かかった。浅草寺裏から鶯谷まで一時間余もかけて歩いていたことになる。
2008 7・26 82

☆ 分岐と融合  2008年07月27日06:05
・ 今週末から月曜日にかけて、ラボでは引越し業者が荷物を新しいビルへと運び出している。僕も立ち会わねばならないのかと思っていたが、むしろ逆に、ラボに居てはならないらしい。ということで、今日から3連休ということになる。嬉しい。とはいっても、明日はフランスから研究者が来て、朝から一緒に実験することになっているのだが。
・ 家で書類書きをしつつ、録画しておいたテレビを見る。その中で印象的だったのは、この日記でも何度か取り上げている「爆笑問題のニッポンの教養」。今回、爆笑問題の二人が訪れたのは国立科学博物館の篠田謙一氏の研究室。氏はミトコンドリアDNAの配列解析から、人類の系統について明らかにするという研究を行なっている。
ミトコンドリアは、母から子へと受け継がれる。父からは受け継がれない。さらにミトコンドリアは染色体とは別の、独自のDNAを持っている。したがって、ミトコンドリアのDNAを調べることで、母子鑑定に役立てることができる。これを突き詰めれば、ミトコンドリアDNAの塩基配列を比較していくことで、人類の系統がどのような進化的過程を辿ったのかを明らかにできる訳だ。
・ 篠田氏によれば、現在の人間の直接の祖先が誕生したのは、今から15万年前、東アフリカにおいてだったという。その人数は、およそ数万人だったという。約7万年前に、わずか数百人が中東へと渡った。この子孫がどんどんと東へ移動していき、アジアへと広がっていったという。やがてユーラシア大陸の北東部からアラスカへと渡り、南アメリカ大陸の南端にまで達したのが約2万年前だという。
かたやヨーロッパへの移動は遅れ、やはりアフリカから約4万年前に移動したと考えられている。ヨーロッパへの移動が遅れたのは、当時ヨーロッパにはネアンデルタール人が住んでいたためではないか、と考えられている(ネアンデルタール人や北京原人、ジャワ原人は、今、地球上にいるヒトとは別の種であり、ホモ・サピエンスではない)。
やがてコロンブスの「新大陸発見」を経て、アメリカにおいて、それまで移動を繰り返す中で分岐していった白人(コーカソイド)、黒人、アジア人が一堂に会することとなった。これが今からわずか500年前のこととなる。
地球上に人類の祖先がゴリラやチンパンジーから分岐した時から現代までを1年間として計算すると、実は現代人の祖先が初めてアフリカを出たのは12月 25日のクリスマスの夜となり、西洋文明が完成したのは12月31日の午後11時となるらしい。
一見、地球上には多種多様な人種が存在し、それぞれ様々な言語・習慣・文化を有しているけれども、それらの差異は私達が考えるほど大きなものではなく、人類の歴史からすればごく最近生じたものであり、見掛けほど大きなものでは決してないのだ、というのが篠田氏の主張だった。
・ 爆笑問題の二人も、唾液を採取され、それぞれミトコンドリアDNAの型を調べられていた。田中はD4aというアジア人に最も多いタイプ。大田は M7a1aというタイプで、おそらく縄文人に多く、沖縄など南方から日本に入ってきたタイプではないかとのことだった。これらのミトコンドリアDNAの型は、必ずしも国や地域に縛られるものではなく、ある程度広範囲に亘って見られるものらしい。「遠くの親戚より近くの他人」というが、DNAの型に関しては逆が成り立つという訳だ。
これらの研究を通して篠田氏がおっしゃっていた中で印象的だったのは、「これらの研究をしていても、国という概念が全く出てこない」ということ。つまり、国を規定するような生物学的根拠というものは存在せず、あくまでも人間の頭の中で勝手に線引きされているに過ぎない、ということになる。
篠田氏の著作「日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス 1078)」には、「普遍的な価値を持たないナショナリズムにこだわって未来があるとは思えません」という一節があるらしい。これも、氏のこれまでの研究に基づく信念なのだろう。
確かに世界中には、実に様々な人種が存在する。同時に様々な言語や文化もある。それらを大切にすることも大事なことかもしれない。しかし、こうした生物学的根拠に基づく知見は、度を過ぎたナショナリズムに対する警鐘として有用かもしれない。いまだに続くパレスチナ問題などを見ていると、そんな気がする。
・ 500年前に、様々な人種が初めて一堂に会したのがアメリカであるというのは象徴的だなと思う。アメリカに来てから、いずれ人種というものは無くなるのではないだろうかという気がしている。
当初、人類がアフリカを出て諸大陸へと移動する過程においては、その移動のスピードはゆるやかなものであっただろうし、その気候や生活環境に適した人間のみが自然選択されて生き延びるという過程を経ることで、様々な人種が出来上がっていったのだろう。
しかし今や、様々な交通手段の発達により、世界中の人間が自由に行き来できるようになっている。同じ人種どうしが結婚しなくてはならない必然性も下がりつつあるように思う。日本に居た頃は滅多に見なかったが、アメリカでは様々な人種同士のカップルを日常的に見かける。うちのラボでも、ボビーはインド人だが奥さんは白人だし、同じようなカップルが3組いる。それらの子供達がいずれ結婚するようになれば、さらに混血は進んでいくことだろう。
民族としての純血性を重んじる人もいるだろうし、そうした純血性から生まれた文化を尊重しないわけではない。しかし、人類の歴史から顧みて、純血性というものは一過性のものに過ぎず、やがて世界は再び一つへと融合していくのかもしれない。

* 興味津々。感謝。
2008 7・27 82

☆ 機種変更 2008年07月27日17:08   悠
長らく使ってきた携帯電話.バッテリーも弱ってきているようだし変えようかと思い,土曜日にお店に行って見てきました.が,今ひとつ決められなくて,近々発売の機種に目星をつけ,もうしばらく待つことに.
夕方,息子が私の携帯で遊んでいるなぁとは思っていところ,良く見ると本体と画面の部分がわずかな配線だけでつながっているという状況!! 開きすぎたみたいです.すごい力....
運良くダメージはフレームだけだったので,何とかデータも確保できて,一応使えますが,開くたびに危うい状態.
というわけで,本日機種変更となりました.
新しいほうも早速ブンブン振り回しています..保つかしら?

* ハハハ。
2008 7・27 82

☆ 秦先生、**テレビの「謙」です。
連絡が滞っておりまして申し訳ありません。
本当に暑い日が続きますね。新聞に書かれていた「極暑」の文字を見て、「ああ、そのとおりだなあ」と感じました。辞書には「極暑は酷暑と同義」と書かれていたように記憶していますが、「極暑」のほうが「酷暑」よりも暑いように感じてしまいます。
3月には必ず連絡いたしますと申しておきながら、かなりの日数が経ってしまいました。本当に申し訳ありません。
実は先日、弊社の内示がございまして、今月7日付けで再び大阪勤務を命じられてしまいました。去年夏からの十年ぶりの東京生活は、一年で終わってしまいました。再び**テレビの報道部勤務となりまして、記者職に戻りました。
もう少し東京に居られると思っておりましたので、内示を受けた際には正直ショックでしたが、サラリーマンである以上は、必ずしもすべての希望が適うわけではないとも理解しております。再び頑張りたいと心を新たにしております。
転勤に伴い、また住所が変わりました。
今回の「湖の本」の発送に間に合うかどうか心配ですが、ご連絡申し上げます。お手数をおかけいたしまして申し訳ございません。
大阪の報道部では、司法記者クラブ勤務を命じられました。連日、大阪地裁の敷地内にある記者クラブに詰めています。まだ仕事のペースが掴めず、四苦八苦しております。上司からは「裁判員制度の周知」と「裁判の当事者の方々の心に寄り添う取材を」と、仕事の目標を提示されております。
先生の裁判が始まるタイミングで私が報道部に復帰し、しかも司法担当を命じられるなんて、数奇な運命だなあと、私なりに感じております。
先生の裁判、ご心労は察するに余りあります。
まずは先生と奥様が、ご体調を崩されないようにと、心から念じております。

先生は私にとって「東京での父親」です。学生時代に悩み、挫けそうなときにいつも励ましてくれたのが、秦先生でした。
私と同じような気持ちを抱いている、秦教室出身の「娘や息子」はたくさん居ると思います。
父親・母親には、命ある限り安らかに、健康に過ごして欲しいと願うのが、本来の息子であり、娘であると考えます。
うまく書けないのですが、いつも私たちは先生と奥様に声援を送っています、ということだけをお伝えしたくて、このメールを書かせていただきました。
非力ではございますが、もし何か私にできることがあれば、是非お知らせください。
東京にも、近いうちに必ず伺います。その折には、必ず先生にもご連絡申し上げます。
推敲しないままのメールをお送りいたしますこと、お許しください。
極暑が続きます。くれぐれもご自愛ください。失礼いたします。  謙

* うまく、メールの字が大きくならない。なにか難しいことがアルのかなあ。

* 京都烏丸のホテルで会っていらい、「謙」クンとはかけちがって顔こそ合わさないが、いつも笑顔も名も声も、またむっくりした鉛筆の字も目の前にある。
サラリーマンに異動はつきもので、大きな企業ほど、待ったなしに転勤は来る。元気に意欲的に、居竦まないで誠実に踏み込んで行く人、記者職はまた天職であろう。心身共に健康に、熱気の大阪で幾働きもしてください。ぜひまたどこかで逢いましょう。
わたしを、わたしたちを、ただ励ましてくれるために、こんなに慈(こころあつ)いメールをわざわざ呉れたと思うと、ほろりと。
励まされて、わたしも、わたしたちも、しっかり「今・此処」に立ちたい。ありがとう「謙」クン。

☆ こんばんは。  琳
お暑い日々が続いてますね。
昨日は(時間は過ぎてしまいましたが)、やす香の日でした。
私は、やはり25日に白金に会いに行ってきました。やす香と最後にお話した日ですから、私には25日は特別の日です。
黄色いユリと紅花(ホワッと優しい感じ)の花束とヴォルビックを持って行ってまいりました。
やす香には明るくて優しい色が似合います。
お墓に着いたと同時に黄色くて綺麗な蝶々が、ずっとフワフワと周りを飛んでいました。やす香からのメッセージかしら? と思いました。
旅立つ事も報告してきました。
大好きなやす香ちゃんに、「フランスで何かあったらよろしくね」と頼んできました。やす香はフランス語が出来るだけではなく、いつもしっかりしているので、つい。
今回もまた、かっぱえびせんを頂戴しました。お寺さんの方が「まぁ!大当たり」と言って、渡してくれました。パッケージのエビの上に小さな恵比寿様が乗っていました。大きな箱で購入していらして、その中で一つ二つしか入っていないそうです。いつも頂いているのに、当たりではない普通のかっぱえびせんも持ってきて、見比べさせてくれました。いつも優しい方たちです。
旅の準備は着々進んでいます。明日は銀行へ、ユーロに交換に行きます。
まーごちゃんはその後いかがですか?
うちのは前回のメールの後、風邪なのか夏バテなのか最悪な体調になりました。二日間位全くご飯もお水も口にせず、ただぐったりして鳴く事もしませんでした。ネットで調べたら、体力を付けるには生肉がいいと書いてあったので、豚肉を千切ってあげたり、ドライフードを水で軟らかくしてからあげました。
外出も控え、付きっきりでした。
昨日ぐらいからやっとハスキーボイスで鳴き始め、久々に元気におイタをした時はつい褒めてしまいました。
まーごちゃんもお大事に。
以前にもお伝えしたように、やす香は本当に浴衣が似合って可愛らしかったです。おじい様おばあ様にもご覧に入れたかったです。
何年前でしたでしょうか、やす香が地元のお祭りで、プールの仲間たちと綿あめを売っているのを、買いに行きました。それから一旦やす香はそこを離れ、一緒にお祭りを回りました。
お祭りに行くとついついくだらないものが欲しくなります。私とやす香はレインボーに光る笛を、使うわけでもないのについつい買ってしまいました。横に付いているボタンを押すと、いろんな色に光るというただの笛です。その時私は、いつか地震が来た時、この笛を持っていれば助けが来てくれるかも!! と思ったのを覚えています。単純な子供でした。
50センチ位のビニール人形をくじで当てた年もありました。普段ならいらない物なのに、お祭りだととっても魅力的に感じました。やす香と出会うまでお祭りはあまり楽しいものとは思っていませんでした。
やす香がいないお祭りは、まだ一度も行っていません。
秋にはまたお芝居、とっても嬉しいです!
最近聞いた話では、私のこれから行く向こうの学校の授業は厳しいそうです。
頑張ってきます。
気をつけて行ってまいります。
沢山お土産話を持って帰りますね。
おじい様おばあ様、どうぞ夏バテなさいませんように。
いろいろ大変でしょうが、やっぱり凛とお過ごし下さいませ。  琳

* 怪我無く事故無く、十二分に勉強し楽しんでいらっしゃい。初秋の出逢いを、私たち、たのしみに待っています。

☆ 花火 きれいだったでしょう。
隅田川の花火の頃が、上のお孫さんの命日なのですね。
富士でも、週末になると、あちこちで、ドドンドンドンと音がしています。
風は今頃、ご本の発送作業に奮闘中のことと想います。
富士の空は、朝のピーカンとはうって変った曇りです。でも、珍しく、富士山がよく見えています。真っ黒ですけどね。
これで降ってしまえば、きのうみたいに涼しくなるのだけれど、そううまくはいかないかな。
ゆうべは、雨後の涼しい風が家の中に入ってくるものですから、ついうとうとしてしまい、深夜に起きてシャワーを浴びたら、今度は眠れなくなってしまいました。今、花の目は真っ赤です。
風、発送、がんばってください。
花が、元気を送ります。

* ありがとう。
2008 7・28 82

* 山口の出口孤城さんに戴いた美味い清酒「獺祭」二本の、お礼申し上げる前に一本を呑んでしまった。四国の岡部さんから、磬石を打って妙なる音楽を演奏されているディスクを戴いた。こんなことが出来るのかと驚いている。作家の李恢成さんに超大作「地上生活者」の第三巻を戴く。
2008 7・29 82

* 金澤や小松の、もっといろんな地方での豪雨と河川氾濫に驚かされる。淺野川が溢れて主計町の好い建物が泥に埋もれてさんざんな図を見せられると、胸痛む。

☆ 雨
昨日、名張も雷雨に突風と荒れもようで。金澤の浅野川氾濫には驚きました。
さきほどサッカー中継を見ていてびっくりしました。東京の雨、大丈夫ですか?
暑さによるお疲れも溜まる頃かと思います。なによりおからだおいといのほど。 囀雀

* 感謝。
2008 7・29 82

* わたしたち老夫婦に、「凛と」立っていて欲しいと、若い若いともだちは言ってくれる。やす香の友達。
凛と。
「凛」とは、身に迫るような寒の厳しさをいう。凛と立つとは真に自由であれという意味になる。真の自由は、サルトルに聴くまでもなく、寒さに堪えて立つのである。抱き柱はいらない、自分の脚で地を踏んで立つのである。
この友達に、「琳」という名をあげている。美玉であり、触れあえば琳琅(りんろう)と鳴る。
2008 7・30 82

☆ 童謡  悠
息子のお気に入りは童謡が16曲入っていて,ボタンを押すと演奏が始まる絵本.生まれてすぐに一つ上の子供がいる友人がお祝いでくれたものです.
”すごい喜んでずーっと使っているよ”と言っていました.
はじめは音楽が鳴るのが楽しいだけかと思いきや,次第にどこのボタンを押すと何がなるかまで把握して,お気に入りを連続して鳴らしています.
合わせて体を動かし,ご機嫌です.なぜか眠くなると開いて”演奏”を始めます.
本日も大演奏会がありました.私の膝に座り,私の両手をつかんでリズムをとったり拍手させられたり....眠くなるまで約20分.歌い続けました.
それにしても,改めて歌詞を見直すと,今ではなかなか使わない言葉がたくさんあり,また驚くような内容だったと今更気がついたり.
息子の大好きなこの絵本,実は3冊所有しています.全48曲.日替わりでお好みの曲が変わります.

* くちびるに歌を。

☆ 「あんぶん」「いーい?」  馨
あいかわらず言葉の発達の遅い我が息子。
周りから言われることはずいぶんとよくわかっているらしいのですが、発信のほうはワンワード + 身振り手振り ばかり。
ひたすらに喋り続ける姉娘と足して二で割るとちょうど良いだろうなぁ、とは親二人の共通の意見です。
手足口病の直後に、今度は下痢の風邪を引いて、ようやく昨日から保育園に行かれるようになりました。
そんな息子、交渉能力だけは姉より早く身につけ始めました。
お姉ちゃんが食べているものを自分が欲しい時は 「あんぶん!(半分の意味)」
もらえないと「あんぶん、あんぶん!」と言い続けるところがしつこいのですが。最初から全部ほしいと言わないところが、やはり二番目と言うか、保育園のいい影響と言うか・・・。
そして昨日からは 「い~い?」が増えました。
台所の調理台にあるおかずの残りを指差して「い~い?」
テレビを見たい時は指差して「い~い?」
上目遣いに言われると、こちらもついほだされて「いいよー」と言ってしまうのですが、よく考えるとダメだろう、という場合も多く。戦略負けしています。
今朝も私の目覚ましを指差して「い~い?」
渡したら最後、時間を変えられてどこかにしまいこまれるのが目に見えてるので「ダメ!」
そこで引き下がらないのが 2 歳児で、しつこく
「い~い?」 「ダメ」
「い~い?」 「ダメ」
「い~~~いっ!?」
根負けして、「そーっと、そーっと、よ」と渡すと、意外にも少し遊ぶとあっさり返してくれました。
「い~い?」は、我が家では教えたことがなかったので、きっと保育園で教わったのだろうな、と思っています。集団生活のいい部分ですね。
その交渉能力、ちゃんと伸ばしていってね。

* こういうのが読めるから、「mixi」 やめられない。
「あんぶん」
「い~い?」
ぜ~んぶ いいよ。

☆ お暑うございます。京ののばらです。 従妹
新しいご本届きました。
いつもありがとうございます。
『きのう京あした』楽しみに読ませていただきます。京都人間の代表のような「父」を思い出すことでしょう。
東京へ引っ越した娘も、離れてみて京都の良さが分かって、いろいろな事が懐かしいと言っています。
いつでも行けると思う気持ちで、まだまだ知らないところがいっぱい。
もう今から涼しくなるのを待ち焦がれています。
酷暑の折から、お身体お大切にお過ごしくださいますよう。  みち

☆ 鴉、お元気ですか。 鳶
湖の本の仕事、一段落つきましたでしょうか? 或いはもう完了でしょうか? 暑さが堪えませんように、大事になさってください。
今日は再び暑さが戻りました。原稿を整理する作業、しなければ進めないことと承知しながら、そそっかしい鳶には苦手な作業で、難渋し苦しんでいます。
ただし食欲減退せず、夏でも全然瘠せません。今食べたいのは、お寿司・・飛び切り美味なる汁物・・かしら。ヒヤッとした何か甘いものも!
重ねて、どうぞ速やかに無事作業終えられますよう。御自愛ください。

☆ 睡眠一時間  花
それでよく力仕事ができますね。
蚊は出ていないけれど、暑さと蝉の声に起こされ起こされし、花はこのごろ睡眠不足です。
お昼寝したいけれど、なかなかそうもいきません。
八月、十一日あたりに夫の里へ行くことになりそうです。
お元気ですか、風。
睡眠不足に負けず、花は元気に元気に勉強しています。ではでは。

* 「私としては秦 恒平先生の側に立って」という文面を有り難く記憶する。
「側に立つ」とは、立った側に気や足並みがそろう、支持する意味であり、会社側とか組合側とも謂うが、昔は俳諧や狂歌などの社中たちが、仲間を「側」と呼び合った。「彼ら」に対立した「我々」の味方意識が「あっち側」にも「こっち側」にもあったということ。

* さ、やがて日付が変わる。
2008 7・30 82

☆ 明日から八月
心痛察します。メールではできる限りこのことには触れないようにしてきましたが。
何故、何故? と問いたい。
『かくのごとき、死』を繰り返し読みつつ、一番驚き衝撃なのは、四十九日どころか初七日まえの八月初めに、すでに娘さん夫婦から今回の裁判に連なる事柄が起き、開始されていることでした。
あり得ない! と叫びそうになります。力失って、光失ってじっと呆然として時間が過ぎること、それさえ苦痛で耐えられない、そんな日々に親に向かい「告発云々」の手紙を書くなど、到底考えられません。
先方さんの「夫婦」であることがまず一番、「子供もいること」だから・・と何度も秦さんは書かれていますが、考えようによっては、夫は代替できる人でもあります。たとえどんな親子であれ、親子という事実は変更できません、代替できません。娘さんは、冬日子さんは、夫よりも秦さんたちと家族でいたかったのかもしれないと、ふと思ってしまったこともあります。娘さんは夫と本当に「魂の色」の「似た」、或いは「同じ」人なのでしょうか。こうまでご夫婦して魂の色がゆがみ黒ずむのは悲しいことです。すでに下のお孫さんも大きく成長され状況を理解できるでしょう、どのようなことも認めてくれるでしょう・・。
ただし現在、そのようなことは僭越な、架空の机上の論議ならぬ、わたしひとりの思いに過ぎないこと、十分分かっています。これは自分の人生を振り返っても、いくらか複雑な思いです。それにも拘らず書いてしまうのは、何よりも秦さんに、エネルギーの消耗や経済的負担を強いる事態が口惜しくてならないからです。そして一日も早く冬日子さんに、しかと目覚めてほしいのです。
思わず書いてしまいました。送信しないほうがいいのですが、お叱りは、憤慨は、想定しつつ、読み返さずに、とにかくエールをこめて送信します。
暑さ、乗り切って。
昨日の夕食は かつおのお造りにオオバと葱たくさん、すずこ(いくら)、牛肉野菜炒め、冷奴、納豆。
今日は・・午後から不安定な空模様とか、夕食の買い物にいけるかどうかで献立が変わりそうです。  一読者主婦

* 「リベラルな教育環境で育った」と、わたしを罵倒した手紙のなかにトクトクと語っていた娘婿の「リベラル」とは、何なのだろう。劇症の病苦にうち呻いていた我が子やす香を半年も顧みず、輸血停止で死なせた葬儀の三日後には、孫と愛し合っていた祖父(母)にむかい「改悛」を強い、刑事民事の「提訴」で脅してくるような心事の、どこに「リベラルな教育環境」の顔が覗けるだろう。
やす香の父の発想か、やす香の母の発想か、夫婦の共謀だったか。知るよしなく、二年。彼らの「提訴」はついに現実となった。ヨクヨクのことと思う人もあろうけれど、わたしは、もうまるで別のことを考えている。
名誉毀損の主要ターゲットは、「孫の死を書いて実の娘に訴えられた」と週刊誌がはやしたてた「湖の本エッセイ」39『かくのごとき、死』と、長編小説後半部の下書きである「聖家族」とを、人の目から葬り去ることであるらしい。その前に、多くの人に『かくのごとき、死』を読んでもらいたいと願う。「仮処分」の結論は一年経っても何も出ていない。本も、在庫がある。ウエブでも簡単に読める。そして「聖家族」も、もはや消去しておく意味は無くなっている。「和解するから消してくれ」との条件は、先方が恣意的に流してしまったのだから。これも「読める」ようにする。大学の関係者にも、学生諸君にも、おちついて読んでもらいたい。
2008 7・31 82

☆ 興味津々  陽
ご丁寧なメールをいただきありがとうございました。また先日は、奥様からも、やさしいメールをいただいております。ありがとうございました。
磬石の音楽お聞きくださいました由、たいへんうれしく存じます。大正8年生まれの母が、ぼけもせずまずまず健康でいられるのも、この石に打ち込んでいるおかげだろうと思っています。
「能の平家」繰り返し読んでいます。
須磨・藤戸への史跡訪問の折には、下見の段階から携帯し、みなさんにも予習用にコピーして紹介し、しっかり勉強してから現地に乗り込みました。
現地では、どちらもボランティアガイドがついてくれたのですが、おかげで、説明がよくわかったと、喜ばれました。とくに、敦盛の、「十六」の面の写真のアングルの箇所には、みんな驚いていました。
だから、どこの団体よりもうちの会の理解が深いことだろうと内心自負しております。
「祇王」・「小督」もこれを携えて訪ねたいと思っています。
昨日、「京味津々」届きました。ほんと、興味津々です。
京ことばにちりばめられた敬意の段階のすごい分析、よ~ォわかりました。
これこそ千年の年月と、都の文化が醸し続けてきた味と見識であると改めて思いました。緑陰読書を楽しませていただきます。ありがとうございます。
次は歌舞伎の本がいいなあ!

☆ 湖の本 郁
エッセイ44 拝受いたしました。有難うございます。 京都のお話興味がわきます。 楽しみに読ませていただきます。
猛暑の毎日ですがお元気でしょうか?  湖の本暑いさなか お送りいただき恐縮のかぎりでございます。 週刊誌のこともかなり詳しくかかれておりじっくりと読ませていただきます。 それにつけても恐ろしい婿どのですね。いまだに信じられない事です。 考えられない事です。 ご心境をお察しもうしあげます。
私はこの猛暑のなか100号の制作で悪戦苦闘をつづけております。 なかなか思うようにいかないので毎日が気の休まらないすごしかたをしています。絵以外にはなにも手につかず 家事も最小限にしながらですが中々進みません。 毎年のことながらこの暑い時期にふーふーいいながら
絵を描いています。 孫たちともゆっくりとお遊びもできずに。 それであの程度でございます。
先日二紀会の田家はるみさんとお会いして絵の大変さをかたりあいました。 日吉の後輩です。ご存知でしょうか? 彼女も頑張ってられますので励ましあっています。  ではツタナイメールですがお許しのほどを。

☆ 心配  鳶
何と今回は京都特集ではありませんか! 新聞や雑誌に掲載されて、これまでわたしが読んでいないものも含まれているようで、早速読み始めました。他の事は少し後まわし。
夕方6時現在、HPを見ようとしましたが、HPの内容が読めません。心配しています。
2008 7・31 82

☆ 心配  鳶
何と今回は京都特集ではありませんか! 新聞や雑誌に掲載されて、これまでわたしが読んでいないものも含まれているようで、早速読み始めました。他の事は少し後まわし。
夕方6時現在、HPを見ようとしましたが、HPの内容が読めません。心配しています。

☆ 整い調う   ハーバード 雄
・ 今回の引越しで一番の難関である、イメージング装置のセットアップを朝から始める。顕微鏡だけでも大変なのに、ステージを動かすための装置、マニピュレータ、蛍光フィルターの切り替え装置、顕微鏡の画像を取り込むCCDカメラなど、色々な機械が取り付けられているので、かなり複雑な作業となる。
朝からヒャーノと一緒に始めて、終わったのは3時近く。ランチも摂らずに一気に終えた。おかげで前の建物にあったのとほぼ同じものが出来上がった。無数のケーブルをつなげなくてはならず、僕だけだったら到底無理だった。ヒャーノが以前撮っておいてくれた写真が大いに役立った。今回の引越しにあたり、僕も何枚か写真を撮っておいたのだけど、やはりポイントが良く分かっていないせいもあって、肝心な写真が無かったりということもしばしば。
ヒャーノは写真を見ながら無数のケーブルをつなげ、なおかつそれらを綺麗にまとめて、見た目にもすっきりとしたセットに仕上げた。ケーブルの纏め方には彼独自のこだわりがあり、僕はただ見ているしかできない。「強迫神経症みたいだろ」とヒャーノ。気になってついつい血液型を聞いてしまったが、A型だという。良かった。これでO型だったら、僕が片付けベタなのを血液型のせいにできなくなってしまう。
ちなみに韓国でも、血液型と性格の関係というのは一般的に言われていることだという。あまり突っ込んだ質問をするのもためらわれたので、日本で言われているようなことと同じなのかは確認しなかった。
ランチを摂らずに作業を終え、二人ともクタクタになった。僕がランチに行くというと、ヒャーノが僕も行きたいという。もうカフェテリアはとっくに閉まっている時間帯なので、どこに行くかを相談し、結局、日本食レストランの集まっているポーターエクスチェンジモールに行くことに。ヒャーノに、どの店が一番美味しいかを聞かれる。ヒャーノは以前からCafe Mamiに行ってみたかったそうで、実際に何度か来たらしいが、いずれも火曜日で休みだったらしい。僕はハンバーグ、ヒャーノはトンカツを注文。「トンカツ、下さい」と、ヒャーノは日本語で注文していた。
ヒャーノの日本に関する知識の豊富さには、いつもながら驚かされる。「関東と関西は地図で見るとそんなに離れていないのに、どうして文化的に大きく違うのか?」について聞かれ、あれこれと説明する。
しばらくして出てきたトンカツを一口頬張り、美味しいといって喜んでいた。僕も久しぶりのCafe Mamiのハンバーグに満足。ハンバーグの上に目玉焼きを載せてもらったのだが、これがいかにも日本的だといってヒャーノは笑っていた。
ラボに戻った頃には既に4時近く。二人とも疲れていたが、実験台回りを片付け、ようやくラボらしくなった。
・ どうも昨日辺りから、少し喉が痛い。暑いからといって、寝る時に窓を開けているのがいけないのかもしれない。新しいラボの冷房も、ちょっとキツめなので、そのせいもあるかも。これ以上悪化させないようにと風邪薬を飲んだら、たまらなく眠くなり、9時半には寝てしまった。先ほど目が覚め、眠れなくなってしまい、起きてパソコンに向かっている。

* 身辺のすっきり整った状態というのは、海を越えたはるかな向こうの話でも気持ちが救われる。疲れすぎないようにして下さい。

☆ 単騎千里を走る  雀
客席の応援ボードに「つまんない。『めざせ!4000本』と書いてくれたらおもしろいのに」というイチローのことばに膝を打ったそのあと、ご本が届き、高倉健が乞われ乞われて主演した中国映画のタイトル、単騎千里をはしるを思いました。
今日は旧暦の夏祓。

夏と秋と行きかふそらの通路はかたへすゞしき風やふくらん

良忠が蝉吟と号したのは、この地上に生ある限り吟ずという決意、またまわりの希みだったのでしょうか。二十三回忌の済んだ翌年、盂蘭盆を前に“閑かさや岩にしみ入る蝉の声”と記した芭蕉のことも含めて、思いにふける夕まぐれです。

☆ お元気ですか みづうみ
あれから作業にかかりきりでした。ご無沙汰お許しください。まず第一に申し上げたいのは、お元気ですか、みづうみ、と。
今日は朝早く出かけて夕方帰宅しました。ただいまホームページ経由でメールなどお送りしようとしましたら、消えています。驚きの事態になっているようで愕然としています。こんなに悲しいことはありません。みづうみのお気持ちお察ししていますので、このことについてはこれ以上書けません。一日も早い復旧をお祈りするばかりです。
この二十日あまり、明けても暮れても膨大な私語を読み続け、すっかり眼がおかしくなりました。パソコンの画面が紙の本に負けるのは、量を読む場合ということを痛感いたしました。
でも、心から幸せな時間でした。みづうみと深く一体になっている感覚でした。日本と日本語と日本の文学のためにしてくださったお仕事の数々について、日本人の一人として深く深く感謝していることをお伝えします。同時代に生きて愛読者であれたことを何より誇りに思います。
湖の本は無事届いています。今回も大冊ですね。少し眼を休ませてから、じっくり読みます。みづうみの京都がなければ、京都は観光都市の一つに過ぎなかったかもしれません。
みづうみ、ありがとうございました。

* なんだか、尋常でない、ホームページが。理由は分からない。消えたのでなく、操作すれば必要なファイルは開けるようであるが詳しく見てみないと。見ても分からないが。
2008 7・31 82

☆ 悟り  慈
子規の言葉。 「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた。」

* 『糸瓜と木魚』で子規をを書いていて出逢った。胸に、深くおさめた言葉。

☆ 秦さま、暑中お見舞い申し上げます。 優
新しいご本、有難く落掌、本日送金いたしました。京味津々、緑陰でゆるりと楽しみ憩いましょう。夏を快適にお過ごし下さい。

☆ 昼間が割と涼しかったせいか、日が暮れてもあまり涼しくなりませんね。
ご無事でしょうか、風。
風、暑さとその他諸々、負担の多いことと思いますが、お大切にお過ごしください。
低血糖のままで、痙攣、なんて、いやです。
風、お元気ですか。 花
2008 8・1 83

☆ 拝啓   豪
このところ涼しい日が続いていますが、先生には如何お過ごしでしょうか。
さて。
本日、御著『きのう京あした』を拝受しました。 いつも有難うございます。心よりお礼申し上げます。
偶然ですが、この二ヶ月ほど、わたしも京都づいてました。不思議に京都に縁のある事柄が続き、本日、「とどめ」という感じで先生の御本が届いた次第です。
読み出したら、まさに「京味津々」、止まらなくなりました。
特にマーロン・ブランドが知恩院近くの石橋に感動したという話はとても面白かったです。ブランドは「欲望と言う名の電車」「蛇の皮の服を着た男」のテネシー・ウィリアムズ原作映画、「乱暴者」のような暴力的な青春映画、さらに「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のような官能をテーマにした映画と、アメリカのセックス・アピールの権化と呼ばれた俳優だっただけに、ギラギラしたイメージの彼が白川にかかった古い石橋を愛したと言うエピソードは、ブランドが役者として本物の感性を有していたのだなあ、と感服しました。話は変わりますが、私は近頃、ハンフリー・ボガートの古い映画をコツコツ集めて楽しんでいます。
「協会」の月報によりますと、winny泥棒サイト問題も本格的に文藝家協会が警視庁・総務省と協力して動いてくれはじめたようですね。
これから本格的に暑くなりますが、どうか、夏風邪などひかれませんようご自愛ください。
まずはお礼のみにて失礼します。
2008 8・1 83

* ホームページの大混乱を、「ぺると」の森中さんに、深夜までかかり一部必要な箇所のみ直してもらった。はらはらした。しばらく、復旧に手がかかる。
この際、広範囲にホームページ構成の改善をはかってもらうことにお願いした。
2008 8・1 83

☆ こんばんは!  琳
おじいちゃまのメールとっても嬉しかったです!
お礼が遅くなりましたが、湖の本頂戴いたしました。
ありがとうございます。
丁度お礼のメールを、と思っていた時でした。
向こうは朝と晩にとても冷え込むそうです。
先生に伺ったところ、今向こうでは湯たんぽを使っているとか・・・
風邪をひかないように気を付けます。
携帯と、ノートパソコンを持って行きます。多分使えると思うのですが、1%程心配・・・使えるようになったら、すぐ連絡します。
今日はbunkamuraで映画を観てきました。パトリス・ルコント監督の『ぼくの大切なともだち』という映画です。中年おじさんの友人探しの話です。コメディタッチで展開を予想出来るのですが、描き方がとてもいいのです!
主役のダニエル・オートュイユさん、味があっていい俳優です。
荷物はほとんど詰め終わりました。
気持ちもほとんど向こうに向かっています。
とにかくいろんなものを、いっぱい自分の目で見てきます。
学校の寮のご飯は美味しくないそうなので、近くのスーパーで買出しするつもりです。
とにかくいろんな事を体験する1か月にしたいと思っています。
たくさんたくさんお土産話を持って帰ってきます。
おじい様おばあ様お身体に気をつけて、この夏をお過ごし下さいませ。
ではでは、元気に行ってまいります!!!

☆ おじいちゃまからもメール頂いたのです!
嬉しいサプライズです☆
益々勇気100倍で出発出来ます!
とても嬉しかったです。
おじいちゃまのメールにも書きましたが、今日は映画を観てきました。パトリス・ルコントの『ぼくの大切なともだち』です。とっても良い映画でした。
おばあちゃまの蝶々のお話、心に染みました。
やっぱりあの蝶々は、やす香だったのかもしれませんね。
(一昨年七月=)25日、やす香の意識はありました。
スマップのCDを持って行ったら、ありがとう、いっぱい聴くねとはっきり言ってくれました。
それが最後の会話になりました。
心を震わせる言葉でした。

向こうに着いて、パソコンが使えるようになったら連絡いたします。
では、それまでご無沙汰いたします。
おじい様おばあ様まーごちゃん、夏バテなさいませんように。
お身体大切にお過ごし下さいませ。
行ってまいりま~す☆   琳

* von voyage 楽しんでいらっしゃい。 平安あれ。充実あれ。

☆ 戦争の傷跡で  昴
昨日は、釧路で不発弾が見つかって大変でした。
交通機関が少し混乱して、実家に帰るためのバスの時間が少し遅れました。
今日は49日の法要があるので、帰って家の留守番をしなければならないのでちょっと焦りました。
自衛隊さんが来て、不発弾処理に当たっているそうですが、自衛隊さんありがとうございます。
こういう風に、攻撃に向かうような自衛隊さんでなく、守る自衛隊さんなら、いいのになあ。日本だけでなく、外国の人も守るような…。そんな形なら、反発はそんなに受けないんじゃないかなあ。海外の人にも笑われないような気もする。
きっと、釧路の空襲で石川啄木に関係する建物も壊れたんだろうなぁ。
2008 8・2 83

☆ 前略 昨日も又 御鄭重にも『湖の本エッセイ44 京味津津(一)きのう京あした』を御恵贈にあずかりました、誠に有難うございました。頁を繰っておりまして「早来迎」に関心のある私は「ちおゐんさん」で立ち止まり、「早来迎」のこと、法然のことなど、御自身の幼時の思い出を交えながら叙述される名文に感銘致しました。「私語の刻」も続けて拝読致しましたが、「週刊新潮」の記事を目にしていましたので、記者の求めに応じて書かれた反論が具体的に非常に詳しく、一ち一ち説得力をそなえていることが納得できて、嬉しく存じた次第です。こういう事態の時には身心の御健康が何より大切と存じますが、呉々も酷暑のなか御自愛のほどお祈りいたします。右取あえず貴酬まで。 不一   元文藝誌編集長

☆ 京都の歴史 京都の奥深さを感じながら 京都学拝読しております。久しぶりに京都を訪れたくなりました。猛暑の折 御健康をお祈り申し上げます。 山梨県立文学館

☆ (前略)わかる人はいわなくてもわかる、わからない人はいくらいってもわからないと人に言われもし、自分でもそう思うことを重ねてきて、私は、それでも……(言うべきは言おう=)と思うので、理解の範囲ではありますが、しみじみと、読みながら思うことがあります。
後水尾天皇は、唐招提寺で掛軸でしたか、字を四十年近く前、見た時から、心ひかれる方でした。そして修学院離宮ですから、やはりすごいと思わざるを得ません。
短くはがきですむつもりでしたが、長くなりました。おかしな書き方で申し訳のないことです。
私は相変わらずのコンピューター音痴? で文明に落伍しています。
暑さの折りお大切におすごしくださいますよう、願い上げます。  歌人

☆ (前略) 思えば夫の友人である秦様の書かれるものに私が強くひかれるようになったのは”捨てるように京を出て” それ故か私も秦様と同じく”京へのおもいは強烈なアンビバレント(愛憎)に疼いていた” のに、どうその気持をあらわしてよいかわからないでいた時に、”代弁してもらっている” と強く感じたからにほかなりません。それがこうしてご縁となって続いていることを幸せに思って居ります。
「そうや そうや ほんまに…」とあいづち打ちながら楽しく拝読させていただきます。
同封のチラシは今開催中の麻田浩展(十月十三日まで。東京オペラシティアートギャラリー)の案内です。恐らく既にご存じとは思いましたが……。私は一昨日観て参りました。いろいろ……と感じました。秦様のホームページで京都での展示を知り、観たいものと思っていたので、東京展があってとてもうれしいでした。もしや私のような思いの方が秦様のお近くにも居られるかもと思い、お知らせする次第です。(中略)
いつもHPの秦様御夫妻のご健康状態にハラハラしています。どうかお身お大切にして下さいませ。 藤

☆ 気遣うことが多い日々 お察し致します。
お会いして教えていただきたいこと多く 機会を作ってお伺いしたいと考えておりますが……   阿弥

* 栃木の「阿弥」さんに啓蒙的な『哲学入門』の共著本を頂戴した。今読んでいる哲学史をそろそろ読み終えるので引き続いて読ませてもらいます、興味津々。

* 樂茶碗の樂吉左衛門さんから、次男雅臣氏の銀座での初古典をお知らせ頂いた。
奈良の松伯美術館は八月五日から、松園さんの数々の下絵をとおして創作の深層をみせますと、招待状。
美術展の招待をこのところどれほど不義理してきたか知れない。自然にお付き合いを回復して行きたい。
2008 8・2 83

☆ 日本の食糧自給率は4%?  光
雑誌の記事などというものは、たいてい危機感を煽ったりするものである。購読者も、そんなことは半ば “暗黙の了解” で、目次を眺めて見ているものだ。
しかし、である。
日経ビジネスのオンライン記事「リン鉱石と食糧危機」(2008.6.10)は、読み飛ばすことができなかった。

要約すると、食糧生産に必要な肥料(窒素、リン酸、カリ)の一つ、リン酸の原料となるリン鉱石の価格が世界的に高騰しているという。この価格上昇は、トウモロコシと大豆の世界的な需要増によるものだが、背景には資源枯渇問題もあるようだ。
リン鉱石の07年の生産(1.5億トン)は、中国(24%)米国(20%)モロッコ(19%)ロシア(8%)の4カ国で7割を占めているそうだ。その米国ではリン鉱石の資源枯渇が危惧されており、戦略資源としてすでに輸出禁止になっている。
この5月には、中国でも自国の資源保護のためリン鉱石に輸出関税をかけたりと、実質輸出禁止の政策を打ち出してきたという。
ある機関の試算によると、2060年代には世界の残存鉱量は現在の50%になってしまうという。
どの国でも、自国の人口増加と食糧生産量の維持には、リン鉱石は必要不可欠。原油と同様に、世界規模の資源争奪戦が始まりつつある印象である。
問題なのは、リン鉱石資源がなく中国からの輸入に頼っている日本。
食の安全意識の上から国産のものがいいとか、食糧自給率をもっと上げようとか、言いたいところかもしれないが、肥料がなければもはや幻想である。
DNAにも骨にも使われているリンは、動物(ヒト)にとっても必須な元素。
そうした意味では、資源の枯渇は原油よりも深刻のはず。
日本の、こうした肥料を輸入しないで実質可能な食糧自給率は、およそ4%とも言われている。
日本の食糧事情は、本当に危ういのである。

と、危機感を煽られると、同じく人に言いたくなるのが人情というもの。
ここまで読んでしまった方、他の誰かを煽りたくなってきたのでは?

☆ 対決!巨匠たちの日本美術   惇
昨日、お休みを取って行ってきました。おかげさまで10万人突破、らしいですね、この展覧会。CMがすごいもんね~
ところでこの展覧会は企画がまず面白いです。
「対決!」って、従来は私たちが勝手にそれぞれの頭の中で思い描くことはあっても、展覧会としてはありそうでなかった。それを実際にやってみた、というのが面白い。
で、当然のことながらずいぶん「浅く、広く」の展覧会になったけれども、そのことがかえって、個人の鑑賞の域を趣味・嗜好の分野のみに限定せず、それをむしろ広げさせたとも思えるから、とてもよい展覧会だったのではないだろうか。
私は今まで円空仏を「見てみたい、見てみたい」と思いながら、見たことがなかったもの。
で。
何が一番印象的だったかというと、若冲でも、芦雪でもなく、笑  長次郎と光悦の茶碗なのであった。
ははは。
とはいえ、芦雪の大虎には本当に圧倒されるし、ものすごく惹かれる。
すごいなぁと思う。
師を凌ぐほどのスケールだとも思う。
近くで見ていると何がなんだかわからないのに、遠くから見るとしっかりと虎の斑の模様になっている線。ひげの硬質な質感。
鉄斎の富士にも、とても言葉にできない力強さを感じる。それが画面からだけでなく、描いた人の内面からほとばしるもののように感じられて心をわしづかみにされるような感覚を持った。
雪舟の「慧可断臂図」は線の妙だ。
幾種もの線をたくみに描き分けて、絵の奥行きと人物の存在感を出す。
その画力にやはり、引き込まれてしまう。
で。
長次郎の赤楽。
「無一物」もいいけれど、「道成寺」の端正なフォルムの美しさ。
手におさめたときの、ほっこりとした感覚が伝わるようでため息すらでるほどである。
最初、私は「チューリップのようなふくらみだ」と、その茶碗を見て思ったのだけど「道成寺」という名がまた、いいではないか。あの赤楽に抹茶の深い緑が泡立ったとき、道成寺の物語を思う。
ひぇぇぇぇぇ~!!
想像しただけでおもしろすぎる!
それから光悦の「時雨」、「七里」。
「時雨」のざっくりとした、切りっぱなしのような口あたり。
長次郎に比べると全然整ってはいないように見えて、しかしやたら藝術的で美しくて、目で見てうっとりとさせるお茶碗だ。
「七里」の夢のような白い斑が、まるで天の川のようでございます。
う、うつくしい…!!
ほしいなぁ。
いいなぁ。。。。
琳派のものはいろいろと楽しく見た。
また秋に琳派展をするようですね。
夏休みの期間だからか、けっこう込んでいた。人ごみを歩くと疲れますね。かなり疲れました。
この日、三井記念美術館にも行こうかな、なんて思っていたけれど(金曜は8時までやっているのだ。ブラボー週末) 疲れたのでやめた。
ブヒー。
でも、美術館は楽しい。
具合が悪くなっても楽しい。
またどこかへ行きたいな~。

* 繪だけでないから「繪合」と謂いにくいけれど、趣向はそれで、源氏物語以前からの伝統的な好い「遊び」ですね。出ている作が、さすがに東博の膂力だけあります。
「惇」さんの鑑賞で、十分、堪能しました。
どの作も脳裏に生きていますので、人混みを掻き分けて観る気ははなから持ちませんでしたが、ありがたい日記で、雰囲気はよく感じ取れましたし、長治郎や光悦の茶碗が一に来るのは自然当然でとても嬉しくなりました。
名前の出ているどの作品にも胸がふるえますね。ありがとう。
広告で何が並んでいるか主なものは知っていますし、ごく常識的に組み合わせているなと、違和感はありませんでした。
わたしは、こういう作品たちには、趣向の企画展ででなく、静かな本館の通常展示で「偶然に出逢う」のを楽しみにしています、いつも。閑散としたあの本館で、飽く無くたたずんで没入できますので。しかし特定の何処かに出かけないと常は容易に観られないモノもありますね。企画展はそれの観られるのが嬉しいです。
おかげで、脳裏深奥にたくわえてきた名品たちの、さゆらぐ生命感を感じ取れ、いっときとても幸せでした。お礼申します。 宗遠・湖

* 鉄斎富士、そして雪舟への鑑賞に深く頷いた。とびきりの名作だもの。しかし、存外に通りすぎてしまう人も多いのである。

* マイミクの「惇」さんだが、どれほどの年齢の人かも知らない。ブログ世間でのかなり一般化している語り口、これは自然にこうなのか、多少の演戯センスが働いているのか、このごろ、たくさんのいろんな人たちの日記をみながら、思う。語りかけているのか、私語なのか、作文なのか。
その辺から、二十一世紀日本の男女の、文章とも語りともつかないが一つの展開が確実になっている現象に着目し続けたいと思っている。

☆ 藁のお布団  珠
暑い土曜日。。。一昨夜の稽古の替わり、昨日は土曜稽古へ。
日照りの中、しばらくぶりに駐車場へ行く。
駐車場の隣は大家さんの畑。柵越しに赤いトマトや葉物繁る様子がよく見える。
この暑い季節の農作業、さぞかし大変なことだろう。”雑草と競争だよ”と言って、欠かさず畑に出ていた祖母を思い出す。大家さんもお婆さん一人、日々の仕事にと畑だけは手放さず、毎日手入れをされていると聞く。
ふと見ると、私の駐車スペース後方に藁の束がこんもり。。。何、これ?? どけようと恐る恐る束を掴むと、なかから西瓜が出てきた。
まぁ!
もう小玉西瓜並みの大きさだ。柵越えして伸びた蔓の先、駐車場のアスファルト上で実をつけてしまったらしい。西瓜の下には藁の敷布団。アスファルトでは西瓜も茹(ゆだ)って辛かろうということかぁ。。暑いけど、頑張って、大きくなぁれ! 藁布団を掛け直す。
土曜稽古はおば様方多く、賑やかで、五月蠅い。茶以外の話しが多くて、残念。夜眠れないからと茶は飲みたがらない、足が辛いと客にはなりたがらない、、
お指図のまま有難く客になってお茶頂いてたら、気づくと八服! もう充分です、ホント。
で、撤収も速いおば様方でした。
稽古って、何でしょうか、ね。「稽古場に来た」その事実だけが、大事なのでしょうか。。いい人達には違いないけど、共に茶をするのは、疲れます。笑顔の相槌も、徐々に強張る土曜稽古。はぁ、、、
夕方、駐車場に車を停め、西瓜のご機嫌伺い。早く大きくなぁれ。、、、でも、これ、私が穫って食べるわけには、いかないのかなぁ。うーん、食べたいよぅ。。。

* 茶の湯と談笑とは、ひとつのリトマス試験紙のようで、人により反応が違いますね。「和・敬」の理解でうごいてきます。
稽古場の茶と茶席の茶とは、どうあるのでしょうね、同じが当然か、違って当然か。
茶席も、正客の理解一つで、押し殺したような沈黙と型どおりなアイサツに終始したり、和んだ談笑のうちに茶・菓や床や花や時節が楽しまれたりします。人が寄っての飲食の遊藝と観るか、座禅瞑想の変形と観るか。へたをすると茶の湯が、ともに緩んだり乾いたりします。
稽古場では、何を覚えるか。作法や精神。それもある。寄り合った者達を通して「人間」の世間・社会を観てくるのも茶の湯ゆえの功徳です。大事なのは「茶」ではなく、「人間」観察ではないか知らんとも思っています。
これは「真」さんにも聴かなくては。 湖・宗遠

* 西瓜が目に見えるような、夏。こういう夏って、好い。
2008 8・3 83

* 阿川弘之さんと娘さんとの記事を「AERA」で読んだ。わが娘にも読んで欲しい。

* 「琳」さんが海外に翔ぶ。無事で元気にと祈る。
2008 8・3 83

* 広島の藤田理史くん、名酒二本「龍勢」「呉汐」を下さる。ああ「獺祭」が切れてしまうと思いながら「したみ酒」していたところへ。
分かってくれたんだなあ。ありがとう。
自動車産業の中での、日々の「思い」も縷々書きつづって、それなりの悩みも有るに違いないが、元気に前へ前へ踏み込んで考えている。
初めて手紙をくれたとき、まだ小学校のヒレをつけたような中学生だったと思い出すが、大人も及ばない達意の書簡には、私たち大人を励ますつよい力と格調とがあった。びっくりした。もう久しく久しいおつきあいだが、まだ一度も顔を観ていない。顔を観なくても私たち夫婦には、いつも嬉しい懐かしい掌中の珠である。

* 安城市の伊藤暢彦さんからは、スッキリしたデザイン、純白のマグカップを今朝戴いた。翡翠の粉末が練り込まれてあり、微妙な効果があるという。それもいいが、姿が好い。お茶にもビールにもミルクにも、ワインにもスープにも、あるいは花を挿すのにも使える。ボテッと重いところがなく、いい大きさなのに軽妙に軽いのもとても好い。取っ手の付きが上手で、不自然に傾く不安定がない。有難う存じます。
もう久しい、最初からの「湖の本」の読者。ていねいなお手紙も添えられていた。
2008 8・4 83

☆ 肉食獣  ハーバード 雄
昨日,充分過ぎるほど寝たせいか,朝5時半に目が覚める.ベッドの中であれこれと考え事をする.その結果,何かを得るためには自分が動かなくてはいけないのだな,という結論に至った.そんなことは当たり前すぎる位,当たり前のことかもしれない.でも,改めてそんなことを思った.
雨が降っているからといって,雨が止むまで,ただただ待っているだけでは,獲物にありつくことはできない.とにかく出て行って,前を行く獲物に襲い掛かり,薙ぎ倒し,骨を噛み砕く,肉食獣のようでなくてはいけないと思った.そうして動いていれば,運が良ければ何かを得られるかもしれない.
・ 一日がかりでパソコンに向かい,ついに書類を書き上げた.ようやく自分の納得の行くものが出来上がった.明日,細かい体裁をチェックし,プリントアウトして日本に送るつもり.もっともプリントアウトするだけでも一仕事という膨大な量の書類だから,仕事を終えて帰ってきてからの作業ということになれば,実際に投函するのは今週末ということになるだろう.
・ 共同研究者に電話をし,協力を取り付ける.今週から,また新たなチャレンジに取り組むつもり.

* 「動かなければ出逢えない」と絵手紙元祖の小池邦夫さんが、鯛二尾の繪に書いた額を、買い上げたことがある。
私自身はいまは必ずしもそう思わない、が、若い人は「動かなければ出逢えない」のが鉄則であろう。

☆ 鬼ごっこ?  悠
週末、いろいろと家の懸案事項が片付きました。
息子のオムツはじめ各種買い出し。友人来訪に備えた来客駐車場の予約。息子の衣類の整理。引っ越し以来開けていなかった段ボールの片付け。
私が夢中になって息子をダンナに任せていたところ、ふたりで鬼ごっこらしきものをはじめました。
ドタドタ、ウキャキャキャ!の繰り返し。いつも鬼はダンナ。
半月前に歩きはじめ、みんなを喜ばせていた息子。もう小走りするようになりました。
疲れて最後は布団に駆け込みコテン。よーく寝ていました。

* いろんなことを、いろいろに思う。思いながら、必要に応じ動かねばならない。億劫になってはならぬ。

☆  湖様  波
土曜日に遅く帰りますと、湖の本がポストに入っていました。
「京味津津」きのう京あした
私語の刻 をまず拝見しました。
重い日々をお過ごしのことと思います。 どうぞお体を壊されませんように。
「島」には大勢のOLDやYOUNGが住み、湖を応援しています。
波は静かではありませんが、日々精一杯生きています。
2008 8・4 83

* 知己ほど有り難い二字はすくない。

☆ 秦 恒平様
冠省  湖の本エッセイ44、拝受致しました、いつもお心にとめて頂き、ありがたく、かつ恐縮致しております。(中略)
ところで、今回の本の「私語」、週刊誌の記事が出たときに感じた怒りを、改めて蘇らせてくれました。小生も同様な被害を受けたことがありますので、そのとき大兄あてに慰めの手紙を書こうかと思いましたが、ああいうバカげた記事に負ける人ではない、と考えて、やめました。  それはともかく、大兄の冷静な筆致に感銘を受けました。むろん、大兄の胸の奥の痛みは、第三者の言葉によって癒せるものではありませんが、どうか健康にだけはご留意下さい。小生も、今春、医師の注意を受け、原稿より健康だ、といい聞かせております。  敬白    先輩作家 ペン会員

☆ 秦 恒平様
燃えるような暑さが続いておりますが、お変わりございませんでしょうか。
平素のご無沙汰お許しください。
このたびは、ご高著『湖の本 きのう京あした 京味津津(-)』をご恵投いただき厚くお礼申し上げます。確か小生がお願いした「京の正月」を懐かしく再読し、往時に思いを馳せておりましたところ、ページを捲り、「私語の刻」に至り唖然といたしました。
世の中にはこんな理不尽な人の親とも思えぬ輩が存在することに驚嘆、愕然、言葉を失いました。今は、ただやす香様のご冥福を
お祈りするばかりでございます。早く安寧の日々を取り戻すことを切に願っております。
当方も加齢のせいか、テニスをやっても膝がいたんだり、自転車に乗れば傘を前輪に引っ掛けて転倒したりと、無様な生活を続けております。現在、朝日の新書を執筆中で、もうとっくに脱稿していなくてはならないのですが、難儀しております。刊行の暁には、必ず送らせていただきますので、ご叱正を頂戴いただければ幸いでございます。
取り急ぎ、お礼とご無沙汰のお詫びまで。猛暑がまだまだ続きます。
末筆ながらますますのご健筆とご健勝をお祈りしております。 草々   ペン会員

☆ 前略 早速拝読いたしております。「京の話術」、実に含蓄に富む内容で感嘆いたしました。「『京都』の人を分かりにくい、腹が知れないとソシッてきた『日本』の人が『世界』へ出て行くと、まったく同じことをみごとにそっくり言われて来る」とのご指摘、見事な文明批評と存じました。ご高著拝読に時間をとられ、急ぎの翻訳に支障を来しております。敬具   歌人・翻訳家
2008 8・5 83

☆ 大臣交代   司
大臣が替わりました。
大臣や副大臣や政務官が替わると、私達の仕事の何かが変わるかと言えば、実はあまり変わらない・・・と少なくとも私は思っています。
あえて言うなら、引継書の作成や確認という仕事が来たり、改めて自分たちの仕事をゼロから説明をしなければいけない、といった仕事が短期的には増える位でしょうか。長期的には、そういう中で自分たちの仕事内容が変化したり、極端に言えば今までやってきた内容をゼロから見直さなければならなくなったり、という事もあり得なくは無いですが、それが大臣が替わったからか? と問われればちょっと違う様に思います。
「トップが変わったのに、仕事の中身が変わらないなんて」と思われるかも知れません。でも、大臣はトップでは無いでしょう。総理大臣? いやいや、違います。
私たちは国民のために仕事をしています。なので、大臣が替わったからと言って自分たちの仕事の必要性が変わる訳では決してありません。少なくとも私はそう信じています。
“長期的には”という様に書きましたが、自分たちの仕事を見直さなければならなくなるのは、その仕事が国民から必要とされなくなったときか、その仕事の必要性が財務省や大臣に理解されなかったとき、のいずれかしかありません。後者の場合、“国民から必要とされている仕事なのに、財務省や大臣に理解して貰える様に説明できなかった”という責任が私達にある、と理解をしています。
以前、国家国民のため、という話で研究機関の話を書きました。誤解の無いように補足しますが、国家国民の為であるか否かは、国民が判断すべき事であって、私達が自分で判断すべき事では無いはずです。
微妙な違いなのかも知れませんが、私は結構大きな違いだと思っています。
国会議員は国民の声の代弁者であり、大臣は国民の声を施策に反映させる遂行者でしか無いはずです。
なので、大臣が替わろうと、副大臣が替わろうと、局長が替わろうと、基本的にはあまり気にしていません。
もっとも、大臣や副大臣が皆こういう思いの人であれば良いのですが、そうで無い場合もあるので誰が大臣になるのかはホントは気になりますが・・・・

* 「国家国民の為であるか否かは、国民が判断すべき事であって、私達(官僚)が自分で判断すべき事では無いはずです。 微妙な違いなのかも知れませんが、私は結構大きな違いだと思っています。」
此処がポイントで、此処が難しい。へたをすると此の「国民」って誰のこと、と気が遠くなりかねない。
「国民が判断すべき」は当然のこととして、ではどういう手段でその「判断」を国民は自身の「為」に有効なものにすればいいのですか、それに関して官僚や政治は何を「国民の為に」どう適切にしてくれているのですか、という問題が生まれている。
それに的確に応えてくれない行政や政治だから、国民は日々途方に暮れているのではないのですか、ということ。
厖大な「むだづかい」「かくしがね」「あまくだり」「党利党略」「よけいな施設や組織」等々があり、国民はとうの昔から「国家国民の為でない」と「判断」し苦情もつきつけているけれど、「だれも責任を取ろうとしない」し、希にしか「処罰もされていない」し、目に見えて「何が改善されているのか」も甚だ分かりにくい。
と、たぶん、こういう声が上がるはずなので、まず、わたしが触れておく。ここのところを、「司」くん、今少し具体的に聞かせて貰えると、国民と政治との間を流れる水も豊かに清くなると思います。
久しぶりの発言を歓迎して、コメントしました。 湖
2008 8・5 83

☆ 対決 巨匠達の日本美術を見て   松
日曜日、国立博物館に対決、巨匠達の日本美術を見に行く。この企画は近い時代に生きた二人の画家、彫刻家、陶芸家を並べて展示することにより、違いを感じてもらおうという企画のようだ。
まず印象に残ったのが円空、木喰の彫刻である。春に岐阜で見た円空の像はいずれも荒々しいノミの跡の残るものであったが、一体だけきれいに磨かれ着色された十一面観音菩薩像があった。これは非常に驚いたが、優しく暖かい感じがするところは円空の作品らしい。
同じく展示してあった、運慶、快慶の作品は素晴らしいと思うものの、近寄り難い雰囲気があった。
となりの木喰も円空と同じく、諸国を旅した彫刻家である。円空と同じく暖かみを持った像を彫り上げているが、表面を滑らかに仕上げており、もっと整った美しさがある。
与謝蕪村の数々の作品にも惹かれた。懐かしさを感じる山河の風景は素晴らしい。ほっとした落ち着きを感じる。中でも銀箔の上に描かれた墨絵は迫力があった。金ではなく、銀箔を使うことにより、派手さより重厚さが感じられた。墨絵でありながらも素晴らしい立体感があり、山河が迫ってきた。
伊藤若冲、池大雅といった画家の作品で驚いたのは、『点描』を使い絵を描いているところである。近代フランスの技術かと思いきや、江戸時代に同じようなことを考えていた画家がいたとは驚いた。若冲は点描を使い、石の燈籠を見事に描いていた。若冲は極彩色の精密な鳥の絵など、他の作品も素晴らしかった。
一つの展示会で多くの画家の作品を見ることができて、非常に充実した。むしろ疲れてしまったぐらいである。

* パンフレットに頼らず自身の好みをとおして感想が書かれている。これは大きな展開だ。先日の「惇」さんとはまた別々の作品たちが名乗りを上げていて、それまた当を得ていて楽しい。蕪村そして若冲という特筆もわたしは嬉しい。一度ひさしぶり、また「松」君と一緒に繪を観てみたくなった。

☆ 月曜アレルギー  珠
2週続け、月曜の夜、帰宅後に蕁麻疹がでた。
先週は忙しく、夕食代わりにクロワッサン2個をパクつきながら仕事した。帰りの電車内、蚊に刺された?? と思うほど痒くなった。帰って観たらボコボココの膨隆疹、、慌てて薬を飲み、水をがぶ飲みした。
お気に入りのクロワッサンだけど、バターと卵が多いかもしれないと、先週は絶った。
今宵、戻って夕食。けど、遅くなったので、軽く、、サンドイッチを食べた。そうしたら、また痒くなってきた。あぁ、卵サンド゛も一つ、食べちゃった。。
子供の頃から、卵・牛乳アレルギー。でも、卵は好きで、出汁巻きなんかもう苦しいほどスキ。こんなに好きなのに、身体は拒否反応。インフルエンザワクチンも、以前試しに打ってみたらショックを起こして倒れ、我ながら驚いた。
でも、どうして月曜なのだろう。
考えられる原因、、、
・ 月曜は家に帰りたくない
・ 少しでも卵
・ パンに使用されたバター
・ パンの原料、小麦粉
・ 週末の水分不足
・ 花粉症の予防薬を最近服用していない
このあたりかな。といっても、「家に帰りたくない」反応で蕁麻疹がでるような困りは、我家には思い当たらず、どうせでるなら朝の言い訳に出てほしいもの。

* みな、いろいろ持っているものだ。
2008 8・5 83

☆ お元気ですか。
昨日は、数ヶ月前から参加している読書会に出かけ、ついでにお盆の蝋燭など買いました。
明日は一泊二日のバス旅行、大遷宮で本殿を特別に拝観できるというので出雲大社に行きます。少し調べ物などもしましたが、有意義な小旅行になったらと願っています。
どうぞお疲れの出ぬよう大切にお過ごしください。鳶は 元気に翔んでいます。

* 「日々新面目ある」だろうか。「かへりみて己を知って」いるだろうか。

* 京都の田代誠老より、それは柔らかに温かい仕上がりの、ふくらとした湯呑みを一対頂戴した。田代さんは、日吉ヶ丘の美術科でながく陶藝の先生をなさっていた。わたしよりは一回りも高齢ながら、いまもやきものに打ち込んでおられる。
以前にも、やはりすばらしい湯呑みを頂戴し今も日々に愛用しているが、それを上まわる温雅な、手になつかしい作。有難う存じます。
2008 8・5 83

☆ お元気ですか。
ホームページが復旧してほっといたしました。今はちゃんと読めています。それにしても機械は不安定なものだと身に沁みます。
暑さのせいというわけでもありませんが、先週から毎日のように不整脈が出て不調です。お盆の頃には遠出の予定がありますが、他はなるべく涼しい家の中でおとなしくしていようとおもいます。
年々夏への耐性がなくってくるような……。
今月の青いイルカのカレンダーは、なんとなく『グランブルー』の世界を思い出させます。くれぐれも他界から「戻る理由がない」なんてことは仰言いませんように。与えられた天才にふさわしい崇高な人間の作品を、この現世で仕上げるまで帰ってくるな、とあちらの世界で決められているようですよ、みづうみ。
サウナ状態の東京の夏をせめて毎日涼しくお過ごしくださいますように。かき氷のおいしい季節です。山のような氷に抹茶とあずきと白玉をのせたものなど最高です。お試しください。 夏は、夜

* 乱調を強いられていたホームページも、おかげで、完全に復旧した。但しインターネットは、ほぼ毎日数時間は不調に陥る。すぐ直るときも午後いぱい直らないこともある。夕飯過ぎには直っていることが多い。
2008 8・6 83

☆ こんにちは!(フランスでは今お昼の2時です)  琳
無事フランスに着きました!
本当はもっと早くにメールを送りたかったのですが、今やっとパソコンが通じました。
今日から授業が始まりました。
授業、少し難しいです。
みんながいろんな国のアクセントでフランス語を話すので、聞き取りにくいからです。
それにフランス語はやっぱり難しいです。。。
食文化も違い少し戸惑っています。。。
弱音ばかり吐くとホームシックと思われてしまうので止めますね!
フランスは空が広くて綺麗です。
この地は暑いのですが、湿気がないので日陰さえあれば過ごしやすい所です。
でも、猫が全然いません。。。昨日やっと1匹黒猫を見ましたが、多くのフランス人は犬の方が好きみたいです。
残念。。。
まだまだ書きたい事があるのですが、午後の授業が始まってしまうのでこの辺で終わりにしますね。
またメールします。
私は勉強で大変ですが、元気です!
どうか、おじいちゃまおばあちゃまもお元気で。
お身体お大事になさって下さいませ。

* パリ無事着の第一信、「琳」さんより元気に届く。写真二葉。シックな宿舎。まばゆい紺碧の空に、白雲。
やす香の分も楽しんで、旺盛に勉強してきて下さい。
2008 8・6 83

☆ 暑中お見舞申し上げます。  元・文藝出版部長
「湖の本」エッセイ44届きました。
京味津々の秦さんも
私語の刻の秦さんも
ひっくるめて作家秦 恒平さんです。 お身体お大切に。

* 嬉しい。まさしくその通りに覚悟して、「今・此処」にわたしは在る。

☆ お礼   ペン会員
秦恒平 様
暮らし小旅行を愉しんで帰って参りました。御著への御礼、遅れました。お許し下さい。
「京味津津」、まさに、市井京都学、堪能できる味わいです。郵便番号に言寄せての損と徳との道連れなどなど、早速拾い読みし、京都人とつかず離れず寄り添いながら京都散策しているような気分に浸りました。時間を見付けて、ゆっくり味読したいと思っています。有難うございました。
これを一冊、友人に贈りたいと思います。1部お送り下さい。(送金はネット銀行を通じて行いたく、銀行口座番号を付記してください。送金手数料なし、行く手間かからず、よろしくお願いいたします。
お嬢様夫婦との確執、血が混じり合わない者が入ると、とんだゆき違いが出るもの、ご同情に耐えません。相手の人格・資質の問題もあり、誰かの言葉を思い出します。上は下が分かるが、下は上が分からず・・・。名言だと思いますが、君子危うきに近寄らずで事済まないところが、辛いところです。
かく言う私も今、非道なる組織を相手取って、野暮な訴訟を起こそうとしています。
ご執筆活動、支障なきこと、祈りおります。

☆ 京都論拝受  ペン会員
秦先生  よむのが辛い日記。それでも時々は眼を通さずにはいられません。いかにひどい仕打ちを受けても作家活動を続ける、その姿勢に感動します。
最新の京都論拝受。初出が30年ほど前のものからなのか、京都と京都人に対する辛辣すぎる表現に、少しの反発と大いなる共感を覚える自分がいます。
既に65年の歳月を愛する京都で過ごし、つくづく京都人に愛想を尽かし、なお京都の魅力にどっぷり浸かり、京都から離れるつもりなど一切なく、これからも京都から美の心を全国に発信していく決意の自分です。
開催中の「京都が誇るマルチタレントアーティスト・下村良之介展」会場で毎日、彼の鋭い批評精神とユーモアのセンスを楽しんでいます。並べている作品には作家から購入した作品は1点もなく、一人歩きをしているものを長い時間をかけて収集してきたもの。京都国立近代美術館で開催中の遺作展を補完して余りあるものとの評判です。

* 湖の本、ありがとうございました。  政
週刊誌の記事、見ていました。軽々に判断出来ることではなく、また、その週刊誌の記事が何を言わんとしているのか、何度読んでも判読出来ず、どうしたものかと思っていました。
送っていただいた湖の本の後書きで、経緯がよく分かりました。愛憎を、裁判という形に転化するという発想を持つなどということがあるのだな、と驚きました。あるいは、裁判とは、賠償金とは、いっもそのようなものなのか? と。
ちょうど、手伝った作品の上映が終わったところなのですが、その監督が「高橋洋」さん(★★★教授が仮名に使用)という方でした。そんな偶然にも苦笑しました。同封の『狂気の海』という映画がそれです。 余談ですが、井土紀州監督『ラザロ』の上映の際のトークゲストとして、角田光代さんにお会いする機会がありました。秦さんの教室に同じ時間を過ごし、こんなふうに再会する、ということもあるのだな、と。
残暑厳しい上に、狂ったような土砂降り、雷鳴…と何やら地球環境すら、風雲急を告げているような数日です。
お体お厭い下さい。
取り急ぎ、御礼まで。
2008 8・7 83

☆ ゲリラ雨というほどのものは、最近富士山麓には降っていません。夜遅く、少し強く降るくらいで済んでいます。山梨や静岡市では随分降ったみたいですが。
東京は、酷く降りましたね。
風のお宅に被害のないよう、お祈りしていましたよ。大丈夫でしたか。
裁判が厳しくなってくるとのこと、お察しします。はじまってしまった裁判は仕方ないとしても、途中で提訴が取り下げられるような進展があれば、と、いつも想っています。
風の亡くなったお孫さんは、風とお嬢さん夫妻のあいだの、際どい均衡を司っていたのでしょうね。
今風の上に起こっていることは、花の祖父の死によって、大きく狂った家族関係を、花に思い起こさせます。
人は、意外に大きな役割を担って存在しているものですね。
今朝は、明日からだと思い込んでいた夏休みが、今日からだというので、ビックリしました。
日曜は、ご近所さんとバーベキューをします。年中行事みたいなものです。
花は、バーベキュー用具など持っていませんし、実はあまり関心がないので、みなさんに言われるまま準備を手伝う予定です。
風、お元気ですか。 花

☆  夏休みの木工工作、椅子をつくろう  光
小学生1、2年の頃だったか。
隣に住んでいた叔母に、子ども向けの大工工具セットを誕生日プレゼントでもらったことがあった。
小さなのこぎりに、小さな金づち、カンナ、錐、直角定規まで、本格的にそろっていたものだったと思う。何でも興味津々のころで、嬉しかった記憶がある。
ただ、工具セットだけあっても「活用」しなければ始まらない。
そこで、親が本屋で「子ども向け木工工作の本」的なものを見つけてきて、その中に紹介されていたドールチェア(小さな椅子)を作ろうということになった。
夏休みの工作として息子に何かをやらせてみたかったのだと思う。

父親と近所のホームセンターに行き、木板を買ってきた。寸法を測って、鉛筆で線を引き、その通りにのこぎりでぎこぎこ切っていく。 椅子といっても、シンプルなもの。お風呂の蓋のような板を、背もたれ兼後脚、座面、前脚の3分割にして座面の下に補強板を入れた構造。
ところが、のこぎりで切るのが思いの外、たいへんであった。毎日ちょっとずつ切っては、続きは明日、という感じで切るだけで何日もかかった。半ば、イヤになってきたが、中途半端に切れている板を見るのも(負けたっぽくって)イヤだった。
ちょっとずつでもいいから切るしかない。
そんな甲斐があって、ようやく、部品ができ上がって組み立てたら椅子らしくなってきた。
ペンキで色を塗るのは、楽しかった。青色に塗ったのを覚えている。 姉が、座るところに白のペンキで花のマークを描いてくれた。
あら、なかなかいいじゃない、と家族が気に入ったらしく、追加で2つ、父親と姉が同じものをつくった。緑色と黄色の椅子が出来上がった。
追加の2つは、あっという間にできた。

後日談がある。
青、黄、緑の3つの椅子は庭で使われていたが、黄色と緑の椅子はしばらくして壊れてしまった。
不思議なことに、青の椅子だけはずっと壊れることなく、庭で使われ続けていた。
子供心に、「時間をかけてつくったものは壊れるのもゆっくりなのかな」と思った。大工工具セットが私に教えてくれた、貴重な経験であった。

* おもしろい。

☆ お元気ですか  夏
毎日こうも暑いと、何を着ても同じというか、裸で歩いたって暑さは変わらないだろうと思ってしまいます。というわけで本日のお稽古にも気合いの着物で出かけたわけですが、もはや夏の上布が涼しいなんていうのはあり得ない東京がうらめしい。夏の着物は涼しげに見せるというサービス精神で着るしかないようです。
でも、そのサービス精神も昼間の人通りも絶える暑さでは、観客ゼロで意味がありません。まったく。
明日からオリンピックの大騒ぎがはじまります。それほどのものであればいいのですが、少し白けています。

* 上越市光明寺の黄色瑞華さん、清酒「八海山」一升賜る。
八海山というと、あの吉田健一先生の酔いっぷりをを思い出す。

* 福田恆存先生の奥様より、いつものように「湖の本」追加のご注文を戴く。感謝。
2008 8・8 83

* この日ごろを心いやしてくれる一つ二つに、讃岐の岡部さんに頂戴した宮脇磬子さんらの演奏「磬樂」(これは私のふと思いついた呼び名であるが。)と、やはり岡部さんが看護学校の生徒に創らせた短歌集である。聴いて、読んで、黙想の時をもつ。讃岐特産の「サヌカイト」と呼ばれる磬石から繊細で清冽な音素を打ち出しながら、みごとに楽曲・音楽が成っている。他の楽器演奏家も興味を寄せて演奏会をひらいている。
サヌカイトを精選して石の中から音を汲み上げてくる宮脇磬子さんは異能というよりも心技のもちぬし、すなわち岡部さんのお母上である。看護学生達の素朴な短歌のリズムを読み込んでいるうち、わたしの耳には讃岐の石の音楽が絹糸を織るように聞こえ続ける。
2008 8・9 83

 

☆ 秦さんへ   笠 e-OLD千葉
ホームページ ほぼ毎日拝見しております。
(『闇に言い置く』『湖の本の私語の刻』などを全部上申書にすれば「決まり」だと思っております。)
家の中での熱中症にもお気をつけて夏を乗り切ってください。
くれぐれもお大切になさってください。
私は腰のリハビリに通い始めました。いい塩梅です。勝田拝
柔ちゃんは残念でしたがさすがでした。何か具合の良くない顔に見えていました。
オリンピックで柔ちゃんを見るとパソコンで秦さんと交信してたのを思い出します。

* ふくふくとあまみの美味しい枝豆を勝田貞夫さん、たくさん下さった。ビールに恰かも好し。落花生をいただいたこともある。豆の名産地かな。

☆ こんばんは。
『京味津々』『清経入水』届きました。もう一冊送っていただきたいと、我が侭なことを言ってしまったので、発送に手間取っていらっしゃるのだろうと思っていました。番号を書いていらっしゃらなくて…という予想外でしたが。でも、無事に届きましたので、ご安心ください。送っていただき、ありがとうございます。
『京味~』の方は、内地の事、京の事がよく分からない私にとっては勉強になりそうで、今読んでいる『源氏物語』と平行して読んで行きたいと思います。
『清経~』の方は、篆刻印の話から始まって驚きました。ちょうど、篆刻の事が書写の教科書に載っているので、試しに石を彫って印を作った直後のお話だったので、湖の本に押されている刻印をキョロキョロと確認してしまいました。
また、校異を見ていると平家物語の写本等を見比べていた時の事を思い出しました。できるだけ早く読むようにしたいと思います。図書館に行くのもままならないので、送っていただき、本当に有難うございます。では、失礼します。
長崎に原爆が投下された日に  昴

☆ ご心痛はいかばかりかと、何の足しにもなりませんがはらはらしています。恒平さんの娘さんへの思いが、ひしひしと伝わってきて、涙が出ました。
新しいご本、もうもうどの場面にも父が登場してきます(笑)
京の正月では伯父さん、叔母さんに、新門前のラジオ店がありありと甦ってきます。
とても楽しんで読ませて頂いています。
いつもは朝6時と夕方5時に撞かれる金閣寺の鐘が、お盆なので公開されていて常時聞こえてきます。
立秋も過ぎましたが、猛暑はまだまだ続きそうです。
どうぞ、お大切にお過ごしくださいますよう。それでは、また…  みち 従妹

☆ ついに東京も猛暑日だとか。  碧
どうぞお大切になさってください。
無理や無茶をなさいませんように。
『京味津津』は昨日読み終え、いまは『風の奏で』と『冬祭り』とを交互に読み返しています。新しい(他の方の)本も積みながら、一度手に取るとやめられない湖の本です。

☆ 御礼  靖
湖の本「京味津津①きのう京あした」拝受いたしました。
まさに興味津々、「京都学」とてなにやら難しそうでもありますがじっくりと読ませていただこうと思います。
酷暑の砌、くれぐれもお身体大切に。
来年の「金婚式」を華やかにお迎えになられますようお祈り申し上げます。

☆ 御本届きました  泉 e-OLD 白川
お元気そうで、何よりです。
今日は昨日よりほんの少し気温が下廻って、ラクに過ごせます、と、三十℃を越えた日にご挨拶なんて、なんていやな地球環境なんでしょう。
この高温多湿が原因のアレルギー性疾患をずるずると引きずり、大人しく過ごしています。つまりは、ここ三週間、電車での外出皆無です。
明日はオグシオが初戦に勝ち、せめて準決勝あたりまでの何回かのゲームを楽しませて欲しいもの。卓球もバドも、開催国の中国が強いからね。
選手達の鍛錬の成果、若いパワーで勝負にかける一途な姿を観るのは、チョー気持ちいい。

☆ 札幌も今年は暑いですが、それでも昨日あたりから日射しが急に秋っぽくなってきました。東京はまだまだ暑いようですが、体調はいかがでしょうか?
今月は、月末からイタリアとドイツへ国際学会のハシゴをするため、その準備に追われ、さらに、出発前に学会での発表内容を論文に書いて投稿してしまおうと、毎日論文の原稿書きに没頭しています。
お送り頂いた「湖の本」も開けず、オリンピックも余所事に感じます。(但し、開会式に出てきた船と、龍の巻きつく紅色の柱を見て、沖縄がかつては中国に属していたことをあらためて感じました。前者は琉球の進貢船と同じ、後者は首里城城の柱と全く同じです)。
前にお送り頂いた生形貴重著『茶心の背景』を、寝る前に一頁だけ読み、楽しみにしていますが、ついつい読み過ぎて、睡眠時間を削っています。茶の湯にも、歴史上常軌を逸した「数寄者」が登場しますが、そういう人々を生み出す背景に、歌道と歌詠みに執心する人々がいたとは、私にとっては大きな発見であり、数寄者の物狂いも妙に納得できるようになりました。まだ半分も読んでいませんが、この先が楽しみです。
しかしもうしばらくは、論文を書くことに集中する毎日です。相変わらず週末の私設植物ウイルス実験講座もあり、今日も夕方まで遺伝子断片を大腸菌に導入する実験を教えていました。そろそろ疲労が堆積し、体調も今一つで苦しいところですが、こういう生活が好きでこの道に入りましたので、研究者冥利に尽きるといえます。
お知らせ御礼かたがた近況ご報告まで。   maokat

☆ 一昔ほど以前、黒川創様(= 甥)の小説によって知らされた若冲の偉大さ。
群鶏の襖絵に上野の博物館で会ってきました。
誰との対決でも迫力は負けません。
大勢の人たちの中にいても、しっかりとあの目に捕らえられてしまいました。恐いようでいても暖かさを感じますが。
人が作り出した猛暑だと思うと腹立たしいのですが、奥様ともども暑さに負けないようにお過ごしください。 晴

☆ 対決―巨匠たちの日本美術展@東京国立博物館  麗
「絵合」の趣向は見事に当たったようで,いろいろな人がいろいろなところでこの展覧会に言及している。
見ながらあれこれ考えた。
「光悦なら『不二山』が出てこなきゃ。」
「歌麿なら,写楽より清長か春信でしょ。」
「若冲と蕭白まで来たら,もう一歩進めば,暁斎と絵金かな。」
「さらに進んで,清方と松園。」
「もう一声,球子と遊亀!」
「・・・しかし,芸術は男社会だなあ・・・。」
ともあれ,いろいろ考えられる展覧会は,質の高いものだったのだろう。

宗達対光琳のコーナーで,光琳の「菊図屏風」を見ていたときのこと。
一時期,屏風も,他の絵画や襖と同じように,平面に広げて見せる,無粋な展示方法が取られていた。これでは,屏風の凹凸を生かした魅力が伝わらない,と,現在は行われないことが多い。確かに,昔,この方法で,見せられた観山の『弱法師』は,何と間の抜けた印象だったことか。
そんなことを思い出しながら,6曲1双の画面に見入った。金箔を背景に,様式化された菊花が描かれる。茎や葉の色は,緑青と墨の2種類。
さっきから,隣の男性が,ガラスに横顔を付けるようにした妙な姿勢で,屏風に見入っている。面白い見方もあるもの,と,彼が立ち去った後,真似をしてみた。息を飲んだ。
ちょうど屏風を左側から覗き込むようにする格好で見えたのは,墨で描かれた,黒い茎と葉。
慌てて今度は右側に回りこみ,またガラスケースに顔を付けるようにして,屏風を覗き込んだ。やはりと言うか,見えたのは,緑青で描かれた,緑鮮やかな茎と葉。右から見れば,初秋の菊。左からなら,晩秋の菊。これは,広げた画面や各扇すべて等しく平面的に見た場合は,気づくことはない。「屏風と食い物屋は広げすぎると倒れる」ということばがあったような。そのときは,画家が見せたかった世界も,同時に倒れてしまうものか。
一人で悦に入って,何度か繰り返してしまった。
この日は,他の屏風もすべて,矯めつ眇めつ眺めてみた。楽しい発見がいろいろあったが,それはまた別の話。

* こういう上質の美術鑑賞が「mixi」の日記にもあらわれるのが、嬉しい。マイミク自慢がしたくなる。
2008 8・9 83

☆ 残暑お見舞い申し上げます・・・とは、白々しくて書く気がしないひどい暑さで、短い将来が心配です。
出来るだけクーラーを止めていますが、諭吉ではないですが、「痩せ我慢の説」といったところです。
乱読していますが、新田次郎の『私の文学漂流』と『死をめぐる50章』(朝日選書)を自分にひきつけて一気に読みました。
長崎の無名の先生によって『森山栄之助』が本になったと知り、やはり土着の研究家には負けたと痛感しました。
朝日カルチャーセンターの講座(3つ)も大分重荷になりました。特に新しい英米文学は辞書にない言葉や突拍子もない描写が出てきてまごつきますーしかし、やはり小説は面白い。自分で書けるといいのですが。
川柳仲間の主幹クラスが次々に亡くなり、外堀を埋められる思いです。
「朝寝して夜寝するまで昼寝して時々起きて居眠り をする」
という姿勢で夏を乗り切るつもりです。ではご健筆、ご健康をお祈りいたします。
美竹ー高貴終末高齢者

☆ 今夏は夏の標準の「気圧配置」が現れず、不安定な天気が続いております。
「mixiの日記」、「闇に言い置く」を読ませていただき、神経への栄養をいただいております。文学に遊び、社会時評に視野を広げることもあり、色々刺激を感謝しております。
和歌、詩、茶道、歌舞伎、聞きかじった歌人、詩人、小説家や歴史上の人物などに触れた文章から新しい発見と親近感を楽しんでおります。  瑛  e- OLD川崎

☆ お便り書きかけていたところでした。  京
昔、しばらく逢っていなかった恋人の下宿の前を通りかかったとき、ベランダにかかっている洗濯物の靴下に、驚くほどの安堵感を覚えたことがあります。
毎日好きなときに恒平さんの家の前を通りかかって、洗濯物のかかっているのを見ることができるのは、私にとってどんなに有難いことか。悪質な靴下泥棒が横暴する世の中、ますますお気をつけられて。
京のお話、いつも面白く聞かせていただいています。それに、こんなこと言っては可笑しいでしょうが、とても懐かしくて。  京

☆ きのうの午後、雷雨がありました。
(ご近所合同の=)バーベキューのための買出しに出ているときでした。
帰宅した頃、小雨になり、ぐんと涼しくなりましたので、快適に過ごせました。
新東宝の「東海道四谷怪談」を見て、和室でゴロッとなったら、涼しさと、暑くて寝苦しい毎夜の疲れと、買出しの疲れとで、そのままバタンキュー。
一夜明け、日射しはあるけれど、まだ涼しいです。
これから、買出し第二弾があり、野菜を切ったりなどの前準備もあり、午すぎに炭の火おこしをはじめることになっています。バーベキューの好きな人とは、この面倒な前準備を楽しめる人なのでしょうね。
風のお盆は、盛りだくさんですね。炎天下でしょうから、ご注意くださいね。
風のADSLが安定したとのこと、ほっとしました。
明日の朝早く、夫の故郷へ発ちます。安全運転で、行きます。
ではでは。
風、お元気ですか。 花

* よそさんのいろんな声便りを聴きながら、わたしはわたしの夏休みを憩うている。

☆ 秦さんへ 笠 e-OLD千葉
秦さんのメールありがとうございます。元気が出ます。
豆 いきなりでごめんなさい。まだ千葉へは届いていないので味も見ておりませんが、喜んで頂けてうれしいです。
(からだ=)カチカチ ご同様です。リハビリはマッサージとストレッチですが、してもらった日はいいのですが翌朝になると元の頑固な肩こり腰痛を確認させられています。「リハビリ」への往復もリハビリと思ってやっています。
なんとか症候群 椅子の前に同じ位の高さの台に足を乗せてむくみを防いでいます。時々足の屈伸をしています。サボるとバンバンに張ってしまいます。その時は座布団を三枚積んで足を乗せて寝ます。
食欲 秦さんの食欲は羨ましいです。七福神の布袋さまのようです。「浅草のスッポン」いいですね。楽しみにしています。
「熱中症」 もう一つ別のいい意味があるのを初めて知りました。「なんとか症候群」も日常で少し使ってみようと思います。
いろいろ本当にありがとうございます。お大切にしてお元気をお続けください。 拝
2008 8・10 83

 

☆ 残暑お見舞い申し上げます。 清水六兵衛
京都は今年もとても熱く大変です。
この六日に、工房の方にあります蔵を「ギャラリー六兵衛」としてオープンさせました。これは約十年ほ前に父がギャラリーとして改装したのですが、なかなかちゃんとした展示ができないままに 今日に至っておりました。七月に父の三回忌もすませ、この機会に再度オープンさせることにしたものです。
一ヶ月ごとに展示内容を変えていくつもりなのですが、オープンは父七代六兵衛の作品と彫刻二点を含めて十六点展示しております。
とても小さな十五平米ぐらいのスペースですが 京都に来られる折にはぜひお立ち寄り下さい。月曜から金曜平日の九時から五時までとしています。
まだまだ暑い日が続きそうですが、お体を大切になさって下さい。 敬具
2008 8・11 83

☆ 先日また水野さんと新しい湖の本のおはなしをしまして いい季節になったら水野さんと阿部さんと堤とでなんとか秦さんにおあいしたいね! と はなしました 秦さんからご丁寧なそえがきをいただいたと、とても喜んでられました。 かなえられますように!!
私は今またパニックになっています。お話するとながーくなりますが 結論からもうしますと思うように描けないでいるということです。100 号をもてあましているということです。
完成できなければ出品しなければいいのだと思うと気持ちがらくになりました。 少し休んでよく考えて 描けるようなら続けようとおもっています。
暑さのなか頭もおかしくなっているのでしょう? では、どうぞくれぐれもご自愛のほどを。 郁

☆ 残暑お見舞い申し上げます。  玄
湖の本エッセイ43『酒が好き・花が好き』を本当に楽しく読ませていただきました。
続いてエッセイ44の「私語の刻」については、物を書く人の意志の強さを思い知らされました。
天気予報を見ていると東京は比較的涼しいようですね。ここ岡山は猛暑と熱帯夜の連続でいささか閉口気味です。
残暑のお見舞にほんの少し岡山の桃をお届けします。桃は味にあたりはずれがあるので心配ですが、12日に届く予定になっています。
お大事にお過ごしください。

* 有難うございます。大好物です。
2008 8・11 83

☆ 氷壁   瑛 e-OLD川崎
静岡市の高台に「クレマチスの丘」という絵画へ誘う美術館と井上 靖文学館がある。画家はベルナール・ビュッヘ。
訪ねたが休館日でありました。
この界隈は自然公園になっている。一時間ほど散策した。近くに700種の竹を集めている「富士竹類植物園」がありここに寄る。
竹。北の丸公園の一角に竹を集めた植込みがあるが、駿河の世界一の竹の植物園で写真を撮る。
氷壁が新聞に連載されたのは昭和34年頃であった。記憶はあてにならないが、日記に正確さは要らない。

* 日記に正確さは要らないという「瑛」さんの意表をつかれた一言。これは、一見識かも。もう少し聴いてみたい。

☆ 山陽道より  花
お元気ですか、風。
昨日、朝八時半くらいに発ち、夕方五時くらいに着きました。
車の中に陽が射しこみ、暑かったです。
前日が(ご近所同士の=)バーベキューでしたので、昨夜はバタンキューでした。
出先では、携帯メールが手軽です。
とはいえ、携帯での文字打ちは、花にとっては手軽でなく、込み入ったことは、よう書けません。囀雀さんに感心。
ではでは、風、お元気で。

* 岡山の有元さん、みごとな桃をたくさん下さった。両掌にうけて、まさに豊かな宝玉、芳香。
栃木の渡辺さんからは、これまた豊饒の葡萄の房をたくさん頂戴した。
桃といい葡萄といい、しっとりと命に艶をもらうようなおいしさ。お礼申します。
2008 8・12 83

* むかし京都の叔母の茶と生け花の社中であった、調理師佐藤信さんから、今朝、地元からおいしい仙台味噌を一樽贈って戴いた。むかしは京都ロイヤルホテルの和食の主任の板さんだった。帰省の時、お稽古に見えていた佐藤さんにスッポン料理をご馳走したい、ぜひホテルに来て欲しいと誘われ、妻とご馳走になった思い出がある。その当時、稽古場にみえる唯一の男性の社中さんだった。
その後故郷の宮城県に帰られて久しく御無沙汰していたが、新刊の湖の本を贈った。
2008 8・13 83

* こんな面白い「mixi」日記を「光」君が。

☆ 幸福のカード 2008年08月16日03:11  光
あ、電車が来た。急げ。
駅に向かっている最中に、遠くから電車が来るのを見て駅に駆け込んでも、非接触型のICカード型乗車券Suicaなら改札口をすっと通れて、電車に間に合うようになった。
自動券売機の切符では、こうはいかないだろう。便利になったものである。

接触型のICカードは以前よりあったが、この非接触型ICカードは、ソニーが1988年から開発・着手した新しい技術だそうだ。
ソニーでは、かざすだけで情報を読み書きできるこのカードをFeliCa(フェリカ)と呼んでいる。
開発当初、このカードは電池式だったのでこれでは使いづらいという問題もあり、なかなか使ってもらえなかったという。
それならばと、彼らは苦労の末に現在の電磁誘導式を開発し、電池レスを実現した。
そんな努力の結果、2001年にはJR東日本で非接触型IC乗車券Suicaとして、ビットワレットの電子マネーカードEdyとして活躍。
今では携帯にも組み込まれて、もはや生活の一部にすらなっている。

何と言っても、この「タッチ1秒」という近未来的な感じが好きである。
しかし、そこには開発者の苦労と努力があった、と再認識させられた。
FeliCa(フェリカ)とは、felicity(至福)とcard(カード)を組合わせた造語だという。
それを聞いたとき、幸福のカード”FeliCa”というネーミングに、開発者の夢が詰まった温かさを感じた。

* 便利という恵みは小さくない。ただ便利の含んでいるじつは毒も薄くはないと知っていたい。なかなか「幸福」はむずかしい。しかも「幸福を追はぬも卑怯のひとつ」(大島史洋)と歌われている。
2008 8・16 83

☆ 音花火   珠 2008年08月16日 21:09
今宵は、我家近くの多摩川花火大会だった。
花火といえば、毎年お盆15日の諏訪湖花火が大好き。でもここ数年、仕事が忙しくてお盆に帰郷出来ず、結果諏訪湖の花火も見られずにいる。今年は久しぶりに帰郷したいとやりくりしたが、はずせない会議に諦めた。
お盆15日、昼間はお坊さんがお経をあげに寄って下さり、夕方から諏訪湖花火へ。遅く帰って、静かな山の夜に、花火の音を耳の奥に聴く。翌日16日はお墓参り。その後早い夕飯を仏様にさし上げて、夕暮れに向かう虫の音を聞きながら、火を点した提灯を道案内にお墓まで仏様を送ってゆく。「秋の彼岸にまたきておくれ」小さな頃から毎年、祖母や叔父と迎え送ってきた。一人で任されるようになったときの、嬉しい緊張感。途中蝋燭の火が消えてしまった時のパニック。蝋燭をお墓にたててほっとした、帰り道。
毎年繰り返される、そのいつものことに、静かな時間をみる。
今年もまた、お盆がおわる。お盆様、叔父が送っていったのだろうか。
この家に引っ越して初めて聞く多摩川の花火の音。
家揺れるかと思うほどの大きな音に、思わず耳を澄ます。
諏訪湖の花火、あの諏訪のお山に響いて還る、音花火。ずんん、、どすんぅぅぅぅん、、、どぉぉぉん、、、耳の奥に、今宵聴こえる。

* 故山夢ニ入ル。 「珠」さんの一文、胸にしみ入る。しきりに『みごもりの湖』を思う。わたしは妊らないが、母なる湖国に身籠もり水隠りたいと切に思う。生きているのは、地獄だ。
2008 8・16 83

* 千葉のe-OLDさんに戴いている「阿弥陀経ノート」を読み、「アイヌの舟(二)」で彼岸に、ゆっくりゆっくり渡る。無念・無想。わたしの座禅・瞑想。
阿弥陀経は般若心経とならんで少年来もっとも多く親しみ、心経のように暗誦はできないが、手にしていればほぼ目をむけなくても「お経読み」でラクに、そして或る程度までこまやかに感受できる。千葉の「兄さん」は、つとに般若心経の現代語訳もされているが、一句一句「表覧」にし現代語訳も添えた此の労作は、もの柔らかな境涯を想わせてじつに有り難い。
ただし「今・此処」のわたしは、自身をむなしく投げ出し捨身飼虎することは、出来ないというより、してはならぬと思っている。
逢花打花、逢月打月。
「無行為」により安心が得られるのではない、「今・此処」に貫通・尽力して真の「捨身飼虎」に至れとバグワンは説く。バグワンに教えられている。バグワンはヒマラヤへ去れとも山林へにげよとも決して言わない。仏陀も云わない。此の地獄の巷にいながら安心せよと。
右し左し大きくローリングしながら静かな「目」を深奥に持し、はげしい嵐のように、台風のように分別を捨てて進めと。花に逢えば、月に逢えば、花を月を即心痛打せよと導く。
私の胸の芯には心経も阿弥陀経も在る。無いのではない。千葉の人が絵解きで示してくれているように、いましもわたしは、妻とであろう彼岸への舟を感謝して静かに漕いでいるのである。
2008 8・17 83

* 二日まえ、川崎のe-OLD「瑛」さんにこんな日記があり、「珠」さんの心嬉しい佳いコメントもあった。

☆ 十三夜   2008年08月15日21:18 瑛
夕暮れのパソコンに向かいふと東へ目をやるとまん丸い月が出ている。 肉眼では満月と見えた。
写真に撮る。夕日が西へ沈んだころ、もう一枚撮った。日記帳を出して今日の頁を見ると、十三夜であった。
演歌で好きな歌に「十三夜」がある。
中学で音楽はいつも3点だったが、酔えばなりふり構わずよく歌った。すなをで美しい歌、歌詞だと思う。調子はずれの声に構わず歌った。
“河岸の柳の 行きずりに ふと見合わせる顔と顔 立ち上がり 懐かしいやら 嬉しやら 青い月夜の 十三夜”

☆ 湖(うみ)  2008年08月16日 07:05
長身の金田投手の奥さんだった、小柄な愛らしい女歌手が歌いましたね。幾昔になりましょう。

☆  珠  2008年08月17日 00:35  「瑛」さん 美しいお月様、今宵もう一度お写真で拝見できて嬉しく。
私、昨夜空を見上げて、終戦記念日の今宵は満月か、と想っていました。何となし、十三夜でよかった。人の目に、そのわずかな足りなさの見えないことに、自然な美しさを感じます。
戦火の頃、人々は空に月を見たのでしょうか。お月様は、その時をご覧になって、今も其処に在るのですね。

☆ 心身ともに快調ということは難しくても、お体だけは快調と思っております。
お酒もほどほどに、たしなんでいらっしゃるでしょうし。
私は一度脱水症状で、リンゲルを2.5リットル加えてもらって、復活しました。
なんという事も無いと思っていましたが、原因は多分、久しぶりの飲みすぎだろうと、自分で解釈しましたので、以後は謹んで、もっぱらおいしいものを食べ漁っています。
この夏は、随分働きました。いろんなことがありました。
どうかお元気で、沢山あったいろんなことを、お話ができる機会がありますように。
林では、せみの声が次々に変化して、確実に秋が近づいている気配です。
のこり少ない夏をどうかお楽しみなさってください。  安是  常陸

* 「冬子」か。夏休みでメールの無い日もあったが。
2008 8・17 83

☆ 能「井筒」のお囃子  晴
秦様  最近の朝の一服に取り上げられている歌に、妻が詠まれている歌が多いですね。
読みながら、ご夫妻の結婚直前の頃を思い起こしています。もうすぐご結婚50年。長いようで早いですね。
先日矢来能楽堂で九皐会の定例会で「井筒」を観ました。
お囃子は笛に松田弘之師、大鼓に亀井広忠師と豪華なメンバーです。舞台の始まる前のお調べからわくわくしてきます。
舞台の始めの松田先生の笛の一吹き。(なんと呼ばれているのでしょう?)
舞台は一瞬にして在原の寺の趣き。
冴え渡る大鼓の音にすすき生い茂る寂しさが見えるようです。
何時もはシテの方や地謡に気持ちがいきますのに、今回はもうお囃子にすっかりと心を奪われてしまいました。
私は「井筒」を今まで可憐な二人の愛の物語のように思っておりました。
恋人を偲ぶ有常の娘のいじらしさ。と
笛の音に、鼓の掛け声と音に、娘の濃艶な思いも聞こえました。
序の舞も終わり、
「見ればなつかしや」とシテが井の中を覗き込む瞬間に打つ大鼓の音、切迫した掛け声に見所の私にも業平の面影が見えた気がしました。
幸いなことに特等席。前から4番目の正面で広忠師の真正面。音だけでなく、まっすぐの力のこもった眼に引き込まれました。名手の手によって聴かせてもらった名曲「井筒」でした。
秦様の「能の魅力」について書かれた文章のなかで
『能は「死を悼み、生を励ます」藝能であり、「人間の祈りや怖れや畏み」をもって見所の意識を高めて観る重要性』を読ませていただき、より深く感じさせていただけたと感謝しています。
朝夕の涼しさがお身体に幸いしますように。

* 「井筒」は、心懐かしい能ですね。お相伴した心地。感謝します。
2008 8・18 83

☆ お元気ですか、風
昨夜富士山麓に戻りました。
中国筋は想像どおり暑く、外に出ると、アスファルトの照り返しの眩しいことといったら、サングラスが欲しくなるほどでした。空気は、ドライヤーの熱風みたいでした。
ぐったりしていたので、あまり外出はせず、室内でオリンピックをたのしみました。
まだ後半戦が残っています。
うちは、今日までが夏休みで、明日から仕事はじまりです。
花はほっとしていますが、仕事人は、ブルーな気分みたいです。
ではでは、花は、近所のスーパーに食料の買出しに行ってきます。冷蔵庫、空っぽですから。
一週間、いつも風を感じていました、花。

* 勤めていた昔、夏休みというと、夢中で京都に帰っていた。家族もむろん一緒に。いま思えば妻はよく年寄り相手に、ガマンしてあの新門前の暑い家で過ごしてくれた。わたしたち、子供も連れてよく一緒に出歩いてもいたけれど。
「嫁」稼業、ラクでなかったろうにと今頃感謝している。

☆  みづうみ、お元気ですか。  夏
「嫁」稼業から戻ってまいりました。あちらでは仕事ができないので、読書とテレビで過ごすしかないわけですが、とにかくオリンピックはもう観るのも聴くのもうんざり。選手たちの素晴らしい活躍には感動の拍手ですけれど、どのチャンネルも朝から晩までオリンピック一色で、日本のテレビ報道には呆れています。そこまでバカじゃないんですから、一度観れば充分。
グルジアやチベットは一体どうなっているのか。そんなこと伝えるよりメダル大事とは、視聴者を下目にみています。周囲には怒っている人も多いのです。
帰宅して「私語」を拝見すると、「生きているのは、地獄だ」と。当然のこととお気持ちは痛いほどお察ししますが、まだ地獄のとば口ですから、どうかどうかお元気にしていらしてください。「地獄の上の花見」は、みづうみの得意なことでございましょう。
「書く」以外にこの世で幸福になる道のない人間だけが、名作という栄光を手にいれることができるのだと骨身に沁みて感じます。新作の中にみづうみの悲願も彼岸もおありのことと、完成を心よりお祈りしています。

* 「書く」以外にこの世で幸福になる道のない人間のように決めつけられるのも、しんどい。そうかも知れないし、そうでないとも感じている。たしかに読者のなかには、ひっきりなし作者にこの種激励のプレッシャーを掛けつづけるのを愛情のように思いこんでいる人もいるが、有り難くもあり、気鬱でもある。

* そうはいいつつ、なでしこジャパンのサッカーが気になる。

* もののけのように、胸のうちを不快の早い浅い波がさあっ、さあっと奔り流れる。じいっと見送り、しゃんと立つ。
2008 8・18 83

☆ 一日二食  ハーバード 雄
・ 最近始めた新しいプロジェクトは,ある意味ラボの重要プロジェクトの一つでもある.そのせいか,プレッシャーが今までよりも強いと感じている.プロジェクトに携わっているボビーやJCからは,ひっきりなしに進抄状況を聞かれる.今まではこちらから何かしない限り何も聞いてこなかったボスにも,「どう?この間の結果は繰り返してみた?」と聞かれる.
自分のやっていることに関心を持たれているのは悪いことではない.ただ,余裕が無いのも確か.何故こんなにも追い込まれている気分なのか考えてみたが,理由の一つに,何故かこのプロジェクトに関わるラボメンバーがランチを摂らないことがある.ボビーもJCも,そしてボスも,ランチを摂らずに働き続ける.最近このチームに加わったテクニシャンのリチャードも,チョコレートバーをかじる程度.
みんな腹は減らないのだろうか,と不思議になる.
僕はランチを摂らないとたちまち仕事の効率が落ちるので,ランチを抜くことはまず無い.ランチの時間が遅れただけでもイライラしてくるし,その後の仕事の効率が落ちるので,早めに食べることこそあれ,抜くということは考えられない.
でも,皆ランチも摂らずに黙々と働いているかと思うと,なんとなくせっつかれている気分になる.おまけにこのチームのメンバーは,土曜日は必ず働いている.土曜日を休むのに,なんとなく気が引ける.
「僕は一日三食食べないとダメだ」と言うと,
「それはお前が日本人だからだ.俺の故郷のインドを見てみろ.一日三食食べられない人なんてザラだぞ」とボビー.
そりゃあそうかもしれないけれど,ランチくらいゆっくり食べさせてくれ.

* なぜとなく、フフフとおかしかった。わかるよ、You。
2008 8・19 83

☆ 百日紅の紅  瑛 e-OLD川崎
やっと狭い庭のさるすべりの木に紅の花が二つ三つと咲き出した。日あたりがよくないせいだが、忘れた頃に万緑草中紅一点である。
夏はこの句が好きだ。
夾竹桃しんかんたるに人をにくむ   加藤楸邨
百日紅学問日々に遠ざかる      相馬遷子
女来と帯纏き出づる百日紅      石田波郷
俳句と和歌。なぎなた が和歌で 俳句は 懐剣だろうか。
ふと蝉とあそびながら 暮れる空を見ながら 似非俳人。
2008 8・20 83

☆ 気温が下がりはじめて  泉
どうやら初秋を感じるこの頃です。
お元気にお過ごしですか。
高温多湿によるアレルギー、この悪条件が治まると、中耳や聴力が回復に向かっているのを実感します。当分医者通いはします。
まあ、何処かに疾患があると、老い先を想い、ヨタヨタしながらなら、生き長らえたくないものと、思うこの頃です。
気をようして、昨日は新宿高層ビルの美術館へ。何時もながら、別室、常設のゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンの絵の前のソフアーにゆったり、と。
ムリヤリ一点と云うなら、私はセザンヌの静物画と云い、娘はゴッホのひまわりと云います。人も少なく別天地です。
久々、デパートのウインドウショッピングなんかもして…

* それはよかった。

☆ お元気ですか、風。
花は、夏休み疲れが、まだとれません。
岡山よりマシとはいえ、夏です、暑いです。夜も、熟睡できていないみたい。
一度、涼しい部屋で、とことん昼寝して、疲れを取り去ってしまいたいけれど、なかなかそうもいかず。
ま、このまま、ゆるゆると回復してゆくでしょう。
大丈夫です。
風、おからだお大切に、元気にしていてくださいね。
ではでは。 花

* 疲れは睡魔に化けて出る。わたしもこの数日、機械の前でかなり舟を漕いでいた。眠いときはへんにガマンせず昼寝すれば好い。
2008 8・21 83

☆ 「りゅうきゅう」と「りゅうきゅう」   馨
娘が通いの林間学校に行き始めて、親の方はようやく夏休み気分。
あと少しで夏休みはおしまいなのですが。
赤ん坊がいるのと、引っ越しとで、あまり遊びに連れて行ってやれなかったのはちょっとかわいそうなことをしました。
*
この前の夕ご飯のこと。
献立を決めて作り始めた後に気がつきました。
「あ、今日はリュウキュウとリュウキュウだ!」
一つ目のリュウキュウは、大分で食べて我が家で再現してみて以来、家族にかなり人気のお魚料理。
料理と言うほどのものでもなくて、関サバや関アジをネギや胡麻と一緒に九州のお醤油(あちらでは普通のお醤油が甘いんですよね)に漬けたもの。
うちで作るときは地の小鯵を使って、溜まり醤油にお砂糖を足しています(九州のお醤油っぽくしたいので)。自分で思いついていながら、生魚にお砂糖を入れるなんて最初はドキドキだったのですが、これが意外においしいです。
この前、お料理の本でハワイにもほとんど同じ「ポキ」という料理があるのを知りました。あちらではマグロを使うそう。
大分ではそのまま食べる以外にも「りゅうきゅう茶漬け」があって、これを白いご飯にのせてお茶漬けにしたりもしていました。これもとってもおいしいです。娘のお気に入りです。
もう一つのリュウキュウは、宅配で来たお野菜。サトイモの茎みたいなざくざくしたもので、この時期に毎年やって来ます。塩もみすると、しんなりしてとても量が減るので、意外に食べちゃうんですよね。今回はワカメと三杯酢で頂きました。
こちらは高知産です。
どちらも琉球には近い地域のものですが、なぜ「りゅうきゅう」と名付けられたかは不明。
きっと沖縄から伝わってきたものなのだとは思いますが…。
*
食べ物の名前の伝播と言えば、こちらのサツマイモ。本場の鹿児島、薩摩ではリュウキュウイモというのだそう。で、沖縄ではカライモというそうです。話し上手な知人から聞いたので、半信半疑なのですが。
もう一つ、これは自分の体験ですが、西瓜について。名前から当然、中国あたりから来たのかな、と思っていたら、中国も西域の敦煌でも「西瓜」と札がついていてびっくり。原産地を調べたらアフリカだそうです。納得!
食べ物の名前って、静かに自分の来歴を残しているから面白いです。

* 基本的に、わたしは夏が好き。頭が焦げるほどの炎天下でも、小十分ぐらいならバスを待ちながら「夏気分」が楽しめる。蒸し暑くなければ、日照りは少年の昔を思い出させる。
気の遠くなりそうな京の武徳会の水泳帰り、日蔭のない川端通りを二条の北から三条へ帰って行く暑さ。また丹波の山奥の山の上で、燃えるような赤土の長い急坂を、木橇をえいえい持ち上げては滑り降りていた。よくまあ日射病にもかからなかったものだ。
夏は夏休み。ことに八月一月はまるまる遊んだ。学校の宿題はほとんど全部七月の十日間で片づけておいた。
戦時中で、食べ物の楽しみは極端に少なかったが、京都では流しに真瓜、トマト、ときに西瓜があった。丹波ではなんとなし木の実や草の実が食べられた。蛙の大合唱。蝉は京の街中でも電柱や狭い庭の木へ来てよく鳴いた。
だが街中でも田舎でも、長虫には閉口した。

* 「雄」くんの一日。夏休みどころかという感じだが、遠見の見物はなんとなく楽しい、なんて云っては怒るかな。怒らないで。

☆ 人探し   ハーバード 雄
・ 新たに引っ越した我々のラボは,新築の研究棟の3階にある.外から見たのでは全く分からないが,実はこの建物は地下4階まである.地下1階には講義室などが入っており,地下4階には,我々の研究室の電子顕微鏡関連の設備が入っている.地下2,3階が何なのかは分からないが,おそらくその一部分は職員のための地下駐車場になっているのではないかと思う.
このところ,新しいプロジェクトに移って,僕は地上3階と地下4階とを行ったり来たりしている.
その殆どは,人探しのため.
このプロジェクトに関与しているのは,僕のほかにボビーとケン,JC,そしてテクニシャンのリチャードの計5人だが,色々とディスカッションしながらチームプレーで進めていく部分が多いため,顔をつき合わせて,あれこれと話す必要度が高い.
おまけに僕の場合,このプロジェクトに新たに参入したため,いろいろなことを人から教わらなくては先に進めない.そのため,何か分からないところが出てくると、人探しに3階と地下4階とを探し回るということになる.
しかも,信じ難いほど,見つけたい人間が見つからない.携帯電話が使えれば良いのだが,新築だというのに,この研究棟では電波がほとんど受信できない.内線電話をかけても,わざわざ受話器を取るような,気の利いた連中ではない.
そんなわけで,ここ最近,僕の一日のかなりの時間は,この「人探し」に費やされている.まるで新しい研究棟の中で,鬼ごっこをしている気分になる.
・ 来週,僕はプログレスレポートを控えている.まだ何も用意していない.用意していないというより,用意すべきネタが無いのだ,困ったことだが.
今の予定では,今後やるプロジェクトについて簡単に説明して終わりにしようと思っているのだが,ボビーはなんとしても僕の発表までに,僕にデータを持たせたいらしい.そのためにチーム挙げての協力体制となっている.当の本人は,既に殆ど諦めているので,尻を叩かれている気分.
今日は,もともとJCが用意したブロックを,リチャードが切片にした.それを明日の朝から僕が顕微鏡で観察することになっている.同時並行で,僕自身もサンプルブロックを作成している.
協力体制を敷いてくれるのは有難いが,とにかく上に書いた理由のために,探し出すべき相手が見つからない.今日も昼前にリチャードが切片を切り始めることとなっていたが,当の本人がどこかに行っていて見つからない.
おまけに僕のいない間にJCが共通試薬を使いきってしまい,ストックが無いため,僕のブロック作りができない.ブロック作りのために必要な試薬を他のラボに貰いに行っている間に,リチャードが僕を探しに来たりと,全てがちぐはぐになってしまった.
ようやくリチャードと切片を切り始めることとなったものの,ブロックが見当たらない.「これみたいだね」といってリチャードが切片を切り始め,サンプルを顕微鏡で見てみるが,どうも様子がおかしい.そこにJCが現れて議論しているうちに,サンプルの取り違えらしいことが分かって初めからやり直し.
ようやく本来のブロックを切片にしてリチャードが手渡してくれたのが、夜の7時半.同時並行で進めていたサンプル作りがようやく終わり,早く帰って夕食を作って食べようと思っているところへ,夕食を済ませたJCとケンが現れる.サンプルを見せてくれといい,そこからまたディスカッション.
結局,夕食を自分で作るのは諦め,帰りにLE’sでフォーを食べてきた.
遅い夕食と一日中歩き疲れたせいで,今はもうクタクタ.この日記もやっとの思いで書いている.
でも,明日は朝8時から顕微鏡の予約が入っているので,早く寝なくては.
それにしても疲れた...

* ふうっとわたしも大きな息を吐く。
2008 8・21 83

☆ 夜の雷  2008年08月21日19:38  瑛 e-OLD川崎
日が沈み空に稲妻が走り雨が降っている。雷雨だがよわよわしい。。
ビックバンウインクルがボーリングをしているような響きを聞きたいが。

古い音であるが ごろごろと雷は鳴る
街の空の雷さんも 遠慮しているなあ
どこに雷を落とそうかと 迷っている姿はいいなあ
雨の音は涙が濡れるなあ

* マイミクさんには、詩人も歌人も。作家も評論家も。とても「いい読者」も。

* 「鳶」さんのかなり長い小説『抱擁論』を読ませてもらった。まだ下書きのようだが、問題になる作中の要点・要所が丹念に抄録されていて分かりいい。論として入念に仕上げられると佳い。この人は、早く「詩集」を何冊かに整備してくれるといいのだが。
2008 8・21 83

* 卒業生の上尾君が二万円も湖の本に払い込んできてくれた、感謝。維持に窮しつつあるときで、正直とても有り難い。ありがとう。
富松麻紀さんからも佳い便りをもらった。健康をしかと維持して心ゆく日々を。
そうそう和田めぐさんからも、初めて会ったとき先生の三分の一だった年齢が、ちょうど半分になりましたと感慨深い便りも。ウーンそうか。こっちはなにもかも「自然減」の毎日になってきましたよ。
そろそろ青年隊で海外に出て行った布谷智君も、帰国する頃ではなかろうかなあ。
今日は「馨」さんや「雄」くんの佳い「mixi」日記も読みました。バルセロナの「京」は元気ですか。
と、書いていたところへメールが入る。

☆ 秦先生へ
こんばんは、「松」です。
実は4日間北アルプスを登っていました。
天気は良くなかったのですが、一日だけ素晴らしい日がありました。またミクシィのページを見てください。
お忙しい中、本『死なれて 死なせて』をお送り頂きまして、ありがとうございました。
さっそく友人に送ります。
8月、9月はいろいろとありまして忙しいのですが、9月最終週以降 秦先生のご都合はいかがでしょうか。
久々にお会いできたらと思います。
9月14日に演奏するため、バッハのパルティータ1番という曲を練習しています。もし機会があれば先生のお宅で演奏したいと考えております。
まだまだ暑い日が続きますが、どうぞご自愛ください。

* 山と音楽と美術。子育てのかわりに、独身「松」君の日々はかなり文化的に磨きがかかってきた。このまま子育てもするともっと光ってくるだろう。
2008 8・21 83

 

* 『抱擁』論について  鴉
とうどう読み終えました。昨日今日二日掛けて、まずは一気に読んだのです。
あの大作を印象的に読み返しているに等しいほど、密着した思いで読みました。字句が推敲され、改行や行アキさえ適切にされていたら、行文の粗雑はかなり印象をあらためて情・実感を増したでしょう。自分でしようかと手が動きかけながら、自制しました。ありのままを読みました。
文学論としてだけでなく、あなたの人生論の一種として読めるわけだし、それがもっと徹底していたら熾烈な文章の一編として立ち得ていたと思います。そう仕上げる余地も可能性も十二分在る。かなり抑制して筆を殺しているのも分かります。
現代のペアでなく、先立つ時代のアッシュ、エレン、ラモットないしブーランチ。文学としても人生としても、論ずべきはこの三人(四人)。
あなたの優しさでその誰に対してもいわば途中で筆を抑えてあり、そのためにこの長い一文が凄絶に破綻をきたすことなく或る程度の纏まりに落ち着いている。選択は難しいが、「論考」「言説」としての体裁を大切にするなら、かすかに不本意が残っても、更に更に論旨を徹して行ける余裕がのこしてあると感じます。
こんな大所高所で平然とわたしが話しかけていることを、苦笑し或いは爪弾きしていることでしょう。わたしが反応しうる道は、あなたの言説にわたしの言説として対応することではなく、少なからず別の道・創作の道があるということでしょう。
わたしは今、なにもかも「自然減」の日常の中で、ピュアな、徹した、老境の性の幻出・表現を願っています、むろん文学的に。愛などという混濁を捨象した信頼の両性があるだろうと。
で、何をしてこの日ごろ過ごしていますか。また海外ですか。お元気ですか。
2008 8・22 83

* 浅草観音裏の「みちびきまつり」案内が太左衛さんから。地図とお店とを大きく刷り込んだ「東京新聞ショッパー」も。是が便利そう、食べ歩いてみるかなあ。明日が前夜祭で、浅草の見番二階で踊りや囃子がある。ちょっと気をそそられている。整理券がいるというのは気になるが。
明後日は建日子の秦組旗揚げ公演に呼ばれている。明日が初日の幕開き。うまく船出しますように。
2008 82・22 83

* 今日、一通のメールが入った。たくさんの、たくさんのことを思った。様子が知れないので、書かない。
2008 8・22 83

* 昨日届いた一通のメールの、様子が知れたので、その人にお断りの上で書かせてもらう。胸を鳴らした理由は、発信者が、あるいは娘自身ではあるまいかと希望をもったから。まさかと、信じなかったが期待はした。
慎重に返辞したが。そうではなかった。私たちの毎日は、まるで「小説」さながらである。

* そのメールは、「がんで死なせた」母親です と題されていた。「ですから、ブログは」わたしのむすめの「立場で読むことも多いのです」とあった。よく分かる。
「秦様の意見は100%正しいと思います。/ 正しいからこそ、***さんは苦しいのだと思います。/ ***さんの立場からすると、『正しさは相手を切り刻む』ものでしょう」とつづき、二年前に或るわたしの読者が直かにやす香の母***に宛てた長い手紙を引用していた。「母親として手落ちの部分があったのは事実で、たしかにお父様の指摘は正しい。でも、」やす香の死後にすぐそれを***に「告げられたのはどんなにおつらかったでしょうと思います」とあったのに、「私もそう思いました」とこの人は書いていた。

* 最後に「空」と名乗ってあった。娘の小説『ざばぶるぐ』の二つの構成体が「梢」と「空」であったから、わたしは凝視した。

* 少し長めの返辞も用意したが、文責者のはっきりしない怪しげなメールは何度も受け取っている。落とし穴に嵌められるのは避けたく、慎重にすこし短く返事を書いた。差し出しが「娘」自身でもあり得るのを念頭に書いた。

* 「空」さん (名乗りと受け取りまして。)
メールを頂戴しました。ほんとうなら、今少し何処の何方かを、正しくお知らせ戴きたいと思いました。
このままでは文責のない文書とも受け取れますし、そういうのを何度も受け取りますので。
しかし、お気持ちは伝わってきます。感謝します。お返事したい多々ありますが、今回は控えます。
娘さんを「がんで死なせた」とあります、傷ましく、同情申し上げます。

> 秦様の意見は100%正しいと思います。

100%正しいことなど存在しません。忸怩たる思いにいつも満たされています。
それでもなお、人は、情と理とのかねあいで自身をバランスするしかありません。苦しくても。
「相手を切り刻む」ために「正しさ」が在るのではなく、情と理との自然な帰趨として正しい状況が把握できるのだろうと思います。

『かくのごとき、死』をお読みになった方でしょうか。

一昨年七月二十七日の朝九時に、やす香の死は「mixi」に、母***により告げられました。私たちはやす香の命永かれと祈り、また***の誕生日を祝ってその朝に、赤飯を食していました。訃報はその直後でした。血の気がひきました。
そして私が真っ先に書いたことばは、こうでした。

2006年07月27日 10:14   秦恒平
やす香 ありがとう ママのお誕生日に、ママに看取られて やすらかであったことと、おじいやんとまみいは、粛然とお前の深い愛にこたえています。
朝一番に まだそれを知らず 朝日子のために例年のように赤いご飯で祝い、メロンを食べながら、やす香が今朝を迎えていたことを、とてもとても嬉しく、喜んでいました。
どんなに残念で口惜しいかはうまく言えませんが、今は、やす香の残していった「愛と元気と誇り」とを、静かに静かに想って、声に出さず、泣いています。
やす香 愛しい孫よ。やすかれ 生きよ 永遠に。  おまえの おじいやん まみい
朝日子  ことばを失いながら お前のことを想っています。 父

「やす香さまが亡くなってすぐに、***さまに告げられたのは」というご指摘は、正確でありません。口頭でも電話でも一切連絡は不可能でしたから。「闇に言い置く 私語」としてホームページに書いたのです。***らがいつ読んだかは分かりません。

> 私がメールを致しましたのは、読者の手紙が私の気持ちを代弁している部分があったからでした。

この「読者の一文」から まる二年余を経過していますが、いま、このメールを下さるべつのキッカケが何かあったのでしょうか。

お気持ちの表現の土台にあるのが、終始或る「読者」の弁の一部分の引用で、私・秦恒平の著作・著述、例えば『かくのごとき、死』などに全く拠って頂いてないのを、やはり残念に思います。
「愛読者」も「読者」であり魂の色は似ているとはいえ、やはり秦 恒平の心事に通暁しているわけではありません。

私たちは、やす香を救いたかった。同時に夕日子と夫との家庭崩壊の実情を推量し憂慮していました。「違和感」とは何を謂われるのか全く分かりませんが、私は一人の作家であることと何の矛盾もなく、やす香や夕日子を、孫として娘として、健康で幸福であって欲しかったのですよ。
あの「ざばぶるぐ」の時点で、もし夫婦仲に事実喘いでいる夕日子と意思疏通ができていれば、夕日子の離婚と自立とに、またやす香の診療にも、もっともっとマトモな対策が出来ていたかも知れないと、真実今も悔しく思います。それと私の作家として、文筆家としての覚悟とは、なにひとつ矛盾するものではありません。
秦 恒平  08.08.22

* 今朝一番に「空」さんからの、きちんと名乗られたメール返信を頂戴した。「娘」からかというかすかな望みは失せたが、有り難いお返事だった。「空」さんのままで、お断りしたうえで、部分再掲させて頂くのは、これまた娘へのメッセージとして意味があろうと願うから。

☆ Re:    「空」
秦様に御関係が厚い**市から、*****(19**年生)と申します。
先ほどはご無礼なメールを差し上げ大変失礼いたしました。ご丁寧なお返事有り難うございました。
ことば足らずで、気持ちを伝えることは本当に難しいですね。

* 『かくのごとき、死』

読ませて頂きました。いつも有り難うございます。
そして秦様の、***さん、やす香さんへの深い深い愛をいつも感じているのです。
やす香さんと娘が重なり、私もどれほど涙したか知れません。娘のことでは3年たっても涙があふれ出ない日は1日もありませんから。私の涙は、秦御夫妻のやす香さんへの涙そのものでしょう。
私の経験からして、病状重いやす香さんに対しての***さんの対応は 母として信じられないものです。なにもかも父上様のおっしゃるとおりなのです。
ブログを「***さまの立場で読む」とは、子を失った1点においてであり 「***さまの味方で読む」ではありませんので。

* この読者の一文から まる二年余を経過していますが

につきましては、最近私が目に触れたというだけで他意は全くございません。

*「ざばぶるぐ」に関して(秦への=)「違和感」

というのは、絶縁された時点で***さんは「ざばぶるぐ」の状態に既にあったのではと思い、もっと早く何らかの接触があったら良かったとの思いからでした。

娘に死なれてからは、他人様であれ、争いやケンカがとても辛いのです。どうしたら双方に救いが訪れるだろうかと、自分のことのようにとても痛ましく思っていました。***さまにも、御両親さまにも、何とか平和が訪れますようにとの思いが、先ほどの失礼なメールになりました。お詫びいたします。
これほどお互いに愛していられるのに、大好きなのに…近くは遠きの世の中ですね。

秦建日子 8月13日のブログは、とても暖かくまわりの者を包んでくださいました。なんだかほっとしました。
「今夜、死ぬ」という大前提に戻って考えない? と問いかけているように思いました。

『もし、今夜、死ぬとして。

もし、今夜死ぬとして、その前に何をするか考えた。
Painは、出来た。さっき、効果音の編集もやり終えた。
音楽は、死ぬ直前に聴こう。死ぬ前に聴く曲を、実は、前々から決めている。ひとつは、ビル・エバンスとジェレミー・スタイグの「スパルタカス愛のテーマ」。もうひとつは、アイザック・スターンのチャイコフスキー・バイオリン協奏曲ニ長調。
その前に、猫に丁寧なブラッシング。缶詰。
部屋の掃除。
シャワーも浴びよう。歯も磨こう。

ブログはどうしよう。
何か書くだろうか。
「もううんざりだ」
「もうたくさんだ」
「もう耐えられない」
いやいや、それはない。
そんなことを書いても意味がない。
ブログは、基本、ポジティブなことを書くと決めている。
時々その禁を破るけれど、それでも10回のうち9回は踏み止まってきた。
最後の最後に台無し、というのは避けたい。

それよりも、遺言だ。
手書きはたいへんなのでワープロでいいや。
ありがとうの手紙をたくさん送らなければ。
好きでしたときちんと伝えなければ。
果たしていない約束に、ごめんなさいもしなければ。
誰に、何を書こうか、一生懸命考えた。
物心ついた時から、今の今まで、縁のあった人たちを、可能な限りたくさん思い出してみた。
遺書の便利なところは、必ずしも住所やメルアドを知らなくても書けることだ。たぶん、誰かが調べて届けてくれるだろう。

そうしていろいろ考えているうちに、ぼくは、自分が実は幸せな人間だったことを思い出した。

そうだ。
ぼくは幸せなのだ。
わざわざ、自分から死ぬ意味なんてカケラもない。

「今夜死ぬ」という大前提が崩れたので、この「シミュレーション」を続ける意味がなくなった。

お。もう4時半か。

8時間半後、「Pain」の初通し稽古。
人生は、痛い。』

* そして「空」さんは、「娘のこと書いてもよろしいですか?」と、喪われたお嬢さんのことを書かれている。涙して読んだ。やす香は十九で逝ったが、この方はほぼ倍の人生を歩んできて亡くなられた。わたしたちの娘にはぜひ読ませたいが、ここにこの方の遺文などを掲載するのは控えよう。
わたしはもう一度お礼の返辞を書いた。

* 「空」様  秦恒平
ご丁寧にご返書、心よりお礼申します。ひょっとして私どもの娘自身のメールかとも想い、またそうではあるまいとも想い、胸を騒がせました。
「死なれる」のはつらいこと、「死なせた」と思い至りますのはまたはるかに苦しいきつい自責です。なかなか和らぐことではありません。「悲哀の仕事=mourning works」は、文字通りに呻き続けです。
しかし、「死なれ死なせて」、それを通して「生きる」者には、「よく生きるつとめ」が遺されています。私たちの娘や婿が、なぜそれに気が付かないのだろうと、これも亡きやす香が遺族にかけた願いともども、心底情けない淋しいことです。
オリンピックでの若者達が渾身の健闘に感動しますにつけ、せめてまだ若いわたしたちの「娘」にも、残された生き甲斐を健康に建設的に全うして欲しいと願われてなりません。わたしのような老境にも、まだ本当にしたい仕事があります。まして若い者にはなおさらと。

争う「愚」はいうまでもありません。しかもまた、平和へ回帰のためにあえて踏み込んで堪えねば、また闘わねばならぬ時機があり、ゆるがせにすることが本質の回復になるとは思えぬ時機があります。当事者のもっとも苦しい避けがたい選択といえましょうか。

見守って頂き、ご支持も戴き、幸せに存じます。
同時にわが「娘」のまわりにも、真の友人や知己がいて、「よく生きよ」と励ましてくださればどんなに安心だろうといつも心より願っています。

お嬢様の御本、どうぞ読ませて下さいますように。また私の著書でよろしければお送り致しますので、お送り先なども、ご遠慮なく仰って下さい。

そちらにはありがたいことに大勢知友・読者がいてくださいます。また参りたいと思います。
時候柄、ますますお大切に、お嬢様のためにも元気に御長命ありますように。いつなりと何なりと、またお便り下さいますよう。  秦 恒平

追伸 お願い致します。二度のお便り、娘へのメッセージとしても、どうか此の「私語」に書きおかせて下さいますよう。但しお名前も、おところも、もとよりお嬢様のお名前や文章なども、「空」様に関わると判読できるようなことは決して無いよう十分配慮します。お許し願います。
2008 8・23 83

* 「光」くんのこれ、面白かった。

☆ 働きアリの法則 2008年08月23日00:33   光
一体どこで聞いた話だか覚えていないのだが、その内容については鮮明に記憶に残っている。
あるアリの巣をじっと観察してみると、どうも働きアリの2割は他の働きアリのように働いていないらしい。
そこで、その2割のさぼりアリを取り除いてみると、他の働きアリ全体のうちの2割のアリが働かなくなってしまうという。
人間社会でも同じようなことが当てはまるらしい。
となると、組織としては『怠け者』と言われている人たちも、やめさせちゃうとますます怠け者が増えるから、『必要』なのだという答えが導かれる。
どこまでこの話が本当なのかはわからないが、『2 : 8の法則』などと言われているらしい。
何となく受け入れてしまう背景には、実際の経験に当てはめてみると思い当たる節が感じられる、冷たい印象の組織だけど実は柔軟さが必要とのこの説に賛同したい気持ちがどこかにある、この二点の理由があるようだ。

働き蜂バージョンもある。
100匹の働き蜂がいるとすると、よく働く蜂は20匹で、60匹は普通に働き、20匹はあまり働かない。そこで、よく働く蜂をあちこちの巣から集めてきて100匹にしてみたが、結局よく働く蜂は20匹だけだったらしい。
「お店に置いてある全商品のうちの20%が、売り上げの80%を占める」というのもある。
「お店の売り上げの80%は、全顧客のうち20%のお得意さん」など、そうかなという話もある。

全てにおいて完璧を求めると、全体を維持するエネルギーが大変だから、というシステム学的な説明が、当を得ているようにも見える。
難しいことはさておき、組織の中では自分なりの働きをすることが大切なんだと。
それは、どうであれ『必要』だから。
(補足)
さぼりアリのように見えた2割のアリは、実は特殊任務を帯びて別行動していた働きアリだった、というオチがあるらしい。
本当のところは、どうなのだろうか。

* わたしも幾つかの「組織」に属してきた。その間は「自分なりの働き」を、ま、人一倍きちんとしてきた。
学校では勉強したし、会社ではモーレツに仕事した。大学に勤めても人が呆れるほど工夫していろいろやってきたし、ペンクラブで正式の「委員会」を二つも企画し立ち上げた理事はいなかったはずだ。
とはいえ、わたしは学校で教室を抜け出す常習犯だった。来迎院の縁側で昼寝しながら、こういうところに「好きな人を置いて通いたい」と願うような高校生だったし、大学では院生身分も放棄して、妻と東京へ出てきた。
会社では小説を書いて太宰賞をもらい、東工大では教授会を全欠席しても学生達と仲良く過ごした。
ペンにいても、理事として一心に勤めながらも組織に対して従順なだけの理事ではなかった、ただただ「やかましい」と思われていることだろう。
わたしは組織に拘束されるのが小さい頃から嫌い。組織に抱きついて身の安寧をはかりたいという願望より、寒々と心細くても自由で在りたかった。力をつけて、はやくそうなりたかった。
願いはなかなか叶わないで、存外の誤算に迷惑もしているが、ま、だいたいうまくいっている。二割はいるという働かないアリや蜂の仲間であるとは思わないが、女王などという「王」様に仕えて働くなど、マッピラである。この社会では雇われて働いている限り、経済面の働きがいはほとんど皆、ある種の「王」たちの「手」に収まるだけ。そんな組織や社会は、わたしは好きでない。可能なら、つまるところ権力を争っているような組織からは、外れて生きたい。
2008 8・23 83

☆ オハヨー(ヤボ用多く中断、もう夕方)  泉
凌ぎよく、久し振りに長袖にソックスを穿きました。
400メートル男子リレーの銅メダルには、四人を称えて、涙。
バトンミスの失格国ありの運もあったのでしょうが、それも競技の内であり、短距離連繋の速さを競うだけの競技、ダントツの所謂アフリカ系に次いでの勝者、だから。
トラックでは八十年振り、それもナマでは知らない伝説の人見絹江以来だなんて。
兎に角、感動の涙でした。
ここ数年お盆の頃になると、六波羅密寺が脳裡に浮かびます。その時期の抹香の漂う異様な雰囲気の六道の辻ならば、あの世の人々と出会えるのかもと錯覚させる場所でした。
何十年も詣でる機会はありません。
昨日でしたか、「私語」に上野博物館の本館を書いていましたね。私の大の好みの場。
「巨匠の対決展」はパンフを手にした折から楽しみに待ってはいたのです。ところが病気になり、友人からも混雑振りを聴き、パスのつもりでいましたが、娘がどうしても観たいと言うので、終盤に近いやや気温の低い日に行ってみました。
二十分待ち、ラッキー! と思いきや、会場は聞きしに勝る芋の子洗い状態で辟易し、早々に静かな本館へ移動、そして六波羅密寺からの何体かの仏像に会えたのです。
あの空也上人立像は当然来ていなくて、とてもザンネンでしたが、行き甲斐がありました。
無宗教でも、仏像への拝礼は心が静まります。今度の帰京の折には素通りしないで、六波羅密寺へ参ります。
野球、今、負けちゃった!
2008 8・23 83

* 先頃の日記を「舟」と題して「mixi」に送っておいたら、「瑛」さんの有り難いコメントが付いてきた。もう一度、此処へ併せて転記し、道元法語、三誦。

*  舟   湖
千葉のe-OLDさんに戴いている「阿弥陀経ノート」を読み、スクリーンの「アイヌの舟(二)」で、彼岸に、ゆっくりゆっくり漕ぎ渡る。無念・無想。わたしの座禅・瞑想のとき。
阿弥陀経は般若心経とならんで少年来もっとも多く親しみ、心経のように暗誦はできないが、手にしていればほぼ目をむけなくても「お経読み」でラクに、そして或る程度までこまやかに感受できる。
千葉の「兄さん」は、つとに般若心経の現代語訳もされているが、一句一句「表覧」にし現代語訳も添えた此の労作は、もの柔らかな境涯を想わせてじつに有り難い。
ただし「今・此処」のわたしは、自身をむなしく投げ出し捨身飼虎することは、出来ないというより、してはならぬと思っている。
逢花打花、逢月打月。
「無行為」により安心が得られるのではない、「今・此処」に貫通・尽力して真の「捨身飼虎」に至れとバグワンは説く。バグワンに教えられている。
バグワンはヒマラヤへ去れとも山林へにげよとも決して言わない。仏陀も云わない。
此の地獄の巷にいながら安心せよと。右し左し大きくローリングしながら静かな「目」を深奥に持し、はげしい嵐のように、台風のように分別を捨てて進めと。
花に逢えば、月に逢えば、花を月を即心痛打せよと導く。
私の胸の芯には心経も阿弥陀経も在る。無いのではない。千葉の人が絵解きで示してくれているように、いましもわたしは、妻とであろう彼岸への「舟」を感謝して静かに漕いでいるのである。

☆ 湖さん   瑛 川崎e-OLD
つい題の『舟』に触発されました。千葉のe-OLDさんの「優しさ」を静かに日記に書かれているように思います。道元の好きな文章をここに書かせてください。

生といふは、たとへば、人のふねにのれるときのごとし。このふねは、われ帆をつかひわれかぢをとれり。われさををさすといへども、ふねわれをのせて、ふねのほかにわれなし。われふねにのりて、このふねをもふねならしむ。この正當恁麼時を功夫參學すべし。この正當恁麼時は、舟の世界にあらざることなし。天も水も岸もみな舟の時節となれり、さらに舟にあらざる時節とおなじからず。このゆゑに、生はわが生ぜしむるなり、われをば生のわれならしむるなり。舟にのれるには、身心依正、ともに舟の機關なり。盡大地、盡空、ともに舟の機關なり。生なるわれ、われなる生、それかくのごとし。

座禅もしたことがないのですが、言葉が体を透きとおります。
* 先日、マイミクの「香」さんが、玉葉集の為兼の和歌を挙げておられたので、ちと戯れにカランでみた。あとで思うとちょっとお気の毒した。しかし、こういう「mixi」の楽しみは捨てがたい。こういう仲間なら、幾らでも増えて欲しい。

* 「香」さんに、すこしカラミます、暑気払いに。ゆるされよ。  湖

沈みはつる入日のきはにあらはれぬ霞める山のなほ奥の峰  為兼

措辞のあちこち気になる歌です。
「沈みはつる」「入日」の、うつろう時間の把握が逆でもあり、ダブリでもあります。沈み果てた日はもう入日ではないのですし。「いりひ」「いるひ」しだいで、音も混雑しかねません。
「きはに」は、「とき」なのか「位置」なのか、詩語として寸足らずです。「きはにあらはれぬ」は、語の斡旋としても表現としても難がありますし、「あらはれぬ」を否定の「ぬ」と読む人はいないにしても、「露はれぬ」「霞める山」とのならびは意義の流れが齟齬し、ギクシャクしています。
「きはにあらはれぬ」が、名手にしては成功していない無理筋とおもわれます、わたくしには。

しづみゆく入日のきはに霞みたつ外山の奥のなほ奥の峰

などと尋常ではあるが、僭越ながら。
ただし、まぶしい入り日に真向かってこういう風に山の霞みが目にはいるかどうか、微妙な時の間をとらえているとはいえ、頭で作った歌のようにも思われます。
いずれにせよ歌人の云いたいのは下句の風情でしょうね。京都なら北山のやまなみにこういう風情はしばしば観られますが、夕日の落ちてゆく「きは」の西山に向いて、この景情に目をあてることは、少し無理なのではと体験的に感じます。まぶしくて。 御免あれ。
☆ 湖さん   2008年08月22日 11:48
かういふご意見が、うかゞへるのが、ミクシイの、たのしくも、ありがたくもあるところとおもひます。しかも間髪を入れぬタイミングで。
為兼の「しづみゆく……」のうた、わたしは、下の句に一目惚れしてしまひ、上の句は、すーつと通り過ぎてゐました。といふことに氣がついたのも、お説を拝見してからのこと、時にへんな深読みをしてうろうろすることがあるくせに粗い読みしかしてゐなかつた、と、思ひ知らされました。
つぶさに読んでゆけば、おつしやる通りだとおもひます。「まぶしい入り日に真向かってこういう風に山の霞みが目にはいるかどうか」にも、得心がゆきます。
わたしはつぶやきました。「為兼さん、あなたのこのうた、後世の「湖」と名告る読者には見やぶられましたね」。
湖さんのやうな眼を持てるやうになりたいとおもふ一方で,甘ちやんのわたしは、名手の技にうまく欺されたい、欺されて酔うてゐたいといふ氣持ちも捨てかねてゐます。   香
ごめんなさい。ゆふべ、書き終らぬうちに、変な不安感に襲はれて、おくすりを服んでむりやり寝てしまつたので、ご返事が今になつてしまひ、間のぬけたことになつてしまひました。

* 「香」さん 22日 21:47
戯れが少し過ぎたのかと申し訳なく思っています。ごめんあれ。
お大事に。 日々ロクなことはないので、一服の清涼剤を戴いたのに、とんだ茶々を混ぜてしまいました。 湖

☆ 湖さん  23日 02:14   香
しまつた、申しあげなければよかつた。こゝのところ、為兼さんのことであつちこつちしてゐまして、『太平記』を読んだり,「玉葉」や「風雅」をめくつたりして、少々、寝不足気味だつたものですから。
とてもうれしいコメントでした。
京極為兼といふひと、わからないところの多いおひと。とりついてみましたが、苦労しさうです。

* ハーバードのこういう「雄」くんの世間も、わたしには覗き甲斐があり、リクツ無く楽しめるる

☆ サイエンスを楽しむ  ハーバード 雄
・ このところ,新しく始めたプロジェクトが思いのほか良い滑り出しとなっている.さらに,有難いことにテクニシャンのリチャードが切片を切ってくれるので,その間に他のことをしていられる.
リチャードは仕事が速くて正確.こちらがお願いしたことを,実に的確に短時間でやってくれる.人柄も温厚なので大変有難い.年齢は40代後半から50代といったところだろうか.Wakefieldから毎日1時間のドライブで通勤しているという.
朝早くから夜遅くまで,みっちりと仕事をしているので,帰る頃には目が真っ赤に充血している.仕事をしていない時も,ボビーやケンの愚痴を聞かされていて,それに適度に相槌を打ち,良き相談相手になってくれる.
今朝,彼の渡してくれた切片は,僕らのまさに望んでいた結果を示していた.ボビーと拳を突き合わせて喜ぶ.ディスカッションしている間に,あっという間に12時前になり,慌てて外に出る.
・ 食べ終えてからラボに戻ると,JCからメールが入っていた.「明日,俺は朝7時から夕方4時まで顕微鏡の予約を入れてあるけど,お前,さっきの切片の写真を撮ったらどうだ?」とのこと.僕がランチに行っている間に,彼も切片を見たらしい.
普段,JCは他人のものを横取りしてでも実験するだけに,これだけ長時間のスロットを僕に呉れるというのには驚いた.
後で彼と会ったので,「本当にいいの?」と聞くと,「ああ,この切片は,それだけの価値があるからな」とJC.有難い気持ちでいっぱいになる(と同時に,明日も朝7時から実験なのかと思うと,ちょっとウンザリもする).明日は土曜日だというのに,リチャードも来て,切片作りをやってくれるという.
・夕方4時半から,新しい建物に移ったラボの間で,簡単なパーティーがあった.最初にこの建物に引っ越したのは,ウチのラボと隣のラボだが,その他にもいくつかのラボが引っ越してきた.例えば,コネクトミクスの研究でウチと共同研究しているClay Reidや,網膜の電気生理学で著名なMarkus Meisterなども,最近引っ越してきた.
Clay Reidとは,地下の電子顕微鏡部屋で初めて挨拶をした.今までキャンパスでは良く見かけていたし,家がラボの近くということもあって,また子供がまだ幼いこともあって,良く子供の手を引いて学校や保育園まで行く姿を見かけた.しかし,これまで挨拶をしたことは無かった.物覚えの良い人なのか,その後は会うと挨拶してくれる.
Markus Meisterは,昨日,うちのラボのエスプレッソマシーンを偵察に現れた際に,ボビーが紹介してくれた.Markus Meisterは,「今までキャンパスでは時々見かけたけど,挨拶するのはこれが初めてだね」と声をかけてくれた.僕のことを認識してくれていたとは,ちょっと嬉しい.
今日のパーティーでも,これらのボスおよびラボメンバーが集まり,あれこれと話をする.こういうところから人の輪が少しずつ広がっていくのは嬉しい.
・ 新しい建物に移り,いろいろなことが少しずつ,良い方向に動き始めている.何より,今,自分のやっていることが楽しいし,好きだ.今,自分はサイエンスを楽しんでいるな,という実感がある.
操作そのものも自分の性分に合っているし,出てきた結果を皆でガヤガヤと,ああでもない,こうでもないといってディスカッションし合うのが楽しい.どこに向かっているのか,本当のところは良く分からないけど,毎日,得られた結果を見ては皆で一喜一憂している. 「楽しい」とか「好き」というのは,決して「楽」とか「快適」という意味ではない.うまくいかなかいことも多いし,フラストレーションを感じることも少なくない.でも,それらを含めて,「楽しい」し「好き」だ.ラボから離れている時でも,自然とそのことについて考えていることが多い.あそこをもう少しこうすれば上手くいくんじゃないか,などとぼうっと考えている.
この感情は,好きな異性に対して抱くのと似ていると思う.いろいろあるけれど,「でも」とか「やっぱり」という言葉が「好き」の前に付くのが,本物の愛のような気がする.こう思うのは,僕が屈折しているのだろうか?
・ そしてなにより,一日の時間が短いと感じる.本当は,バックグラウンドとなる知識についてもっと勉強したいのだけれど,なかなか本や論文をじっくりと読んでいる余裕がない.一日がもっと長ければ,色々なことができるのに,と思う.今日もそうしたいのだけれど,明日早いので早く寝なくては.

* 「雄」くんにしても、新たに演劇集団「秦組」を今日から旗揚げ公演している秦建日子にしても、こうして日々ジワジワと前へ前へ動いている。真っ直ぐではないのだ時に右へ時に左へローリングしている、失意から得意へ、挫折から展開へと。
こういう「雄」くんの日記やときおりの息子の述懐など、目に触れると、わたしは視線を高くあげ、初代早稲田中学校長会津八一・秋艸道人の「学規」に、心新たに、眼を向ける。早中は、建日子が選んで卒業した母校。

一 深くこの生を愛すべし
一 かへりみて己を知るべし
一 学藝を以て性を養ふべし
一 日々新面目あるべし     秋艸道人「学規」

* 八一高弟の宮川寅雄先生に此の八一の書を頂戴した。
2008 8・23 83

 

* 今日旗揚げの秦建日子作・演出の舞台「pain」を観てきてくださった読者がある。ありがとう、感謝します。

☆ 湖へ    珠
お元気ですか。
すっかり秋の気配、涼しいよりも肌寒いほどですね。
先週までの蝉から虫に音の主も替わり、静かな夜を過ごしています。
今日、昼の秦組旗揚げ公演「pain」、拝見してきました。
テレビドラマや映画でしか存じ上げないので、一度、舞台を拝見したいと思っていました。かつて私も20歳代には、あちこちの小劇団の公演を
よく観に出かけ、本多劇場の出来た時にはワクワクしたものです。そんな私にとって、久しぶりの舞台、そして下北沢、でした。
今日はどんな作品か、以前の舞台からのテーマなども、まったく知らず、先入観なしのまっ白なまま、拝見しました。後半、あれ何で?? と思うなか、泪がおちていました。
自分のなかのどういう感情に、舞台の何がどう触れたのかよく分からないままの落涙に、私は戸惑いました。人をぐっと掴んで釘付けにするような力強さや、研ぎ澄まされた美しい科白など、目を瞠り耳を澄ます緊張感は感じないのに。なのに、なのに、泪とめられず。何か自然な風に吹かれ、心のレースカーテンをはらりと煽ったような。そして、普段隠れている影に、ふと風が触れて沁みてしまったような。そんな、感じでした。
「ごあいさつ」に書かれていた、自分が「痛い」ということを、ぼくはいつ知ったのだろう、、という「痛い」が、公演名「pain」に繋がるのでしょうが、これは、最近若い人がよく使う「痛い」という表現、微妙な、うまくいかない感じをいうのでしょうか。私には痛さとしては分からなかったのですが、何層にも襞のある心の、語って言葉にならない、したくない部分の、まるで旧い傷に塩水が沁みたような、これも「痛い」ということかもしれません。

人の出来る最高のことは「待つこと」、
自分が愛しているからって、相手にも愛してっていうのは傲慢ではないですか、
私は自分のこと、愛して愛してくれる人がいいのよ、でもあなたは違うのよね、

人が人を愛するとき、求めてしまう我への愛、かえってこなくともただ愛しい愛、、、生きるうち墜ちる愛の罠のように思えます。日頃、我が身を大事に想う瞬間に、相手に何かを望む瞬間に、罪悪感を覚える、まさにそれ、でした。
でも、そこに変わりゆく人が在り、「待つこと」の提示は生きる鍵かもしれないと、私のこれからの日々に、明るい光も頂きました。
亡くなった人の好いところをあげましょう、、ということ、これは作者の願いにも聴こえました。生きている人は、かつて生きた人の面影を取り合うのではなく、好いところを共有しようと、同じ人を愛した、少し愛し方の違っただけ、、という事と。
作者はやさしい方だと、そして懐の大きな穏やかな方だと、感じました。そして、過ぎ去った日と、今の場面の同時進行には、どこか湖の小説世界の香りもしました。
家族におこった幾つもの出来事に翻弄されながらも、まるで茶室での人間観察のように、息子さんは生きて感じてそれを言葉にしていらっしゃるのだと思いました。
その場で感じたまま、時の移ろひに溶かしてしまわずに、「今・此処」の人の理解や願いを舞台という形に遺してゆく忍耐力に、同世代としても頭が下がります。
「待つこと」の、待ち方はまたいろいろ。作者のおおらかで自然な「待つこと」を思わせるようでした。理屈でも情だけでもない、「待つこと」は、悠久な願いです。
湖の日々に、「待つこと」の穏やかな光さす事を、祈っています。
若い女性のお客様が多くいらっしゃいました。若い彼女たちにはどんな風に映ったのでしょう。
ダンスのいれ方も、また難しく。演劇での表現に、肉体表現をどう織り込んでゆくのか、、以前ダンスに没頭していた私としては演劇とダンスの融合にも興味は尽きず。。。
また次の舞台を楽しみに拝見させて頂こうと、思いました。
予期せぬ泪泪泪に、思わず長いメールを書いてしまいました。
気候落ち着かぬ日々、くれぐれも大事にお過ごし下さい。お気をつけて。湖。くれぐれも。  珠

* この芝居の初演を観ている。リライトして大事に育てれば「代表作になるね」と励ましたのを覚えている。かなり長い間作者は寝かせていたように記憶する。

* この作者の作と舞台とが、いつも、「優しい」と感じられることは、佳い持ち前であると同時に、破らねばならぬ限界だということを、わたしは何度も批評してきた。

* 「待つこと」の可能なのは若い世代であり、しかも「ただ待っている」若い人は、往々心身痩せてゆく危険にあることも知らねばならない。
わたしのような老境で、しかも眼前に、容易く超えてゆきにくい不条理を、莫大な賠償の負担を押しつけられている精神と肉体には、ひよわに「待っている」余命も無い。生死を、死生を待つことは出来るが、現実問題は待ってやり過ごすには過酷なのである。
「今・此処」に立って生きる、花に逢えば花に打し、月に逢えば月に打すという覚悟に、「待つ」は無い。「在る」だけだ。待つのが穏やかであるという理解もない。「今・此処」は「待たない」。「在る」のである。
2008 8・23 83

* 午後、秦組旗揚げ公演、建日子作・演出の「Pain」を観にゆく。先月の松たか子らパルコの、今月の市川染五郎、大竹しのぶや阿部サダオ・松尾スズキらコクーンの舞台が、今も眼にある。秦建日子の、小劇場芝居の骨頂を、観せてほしい。

* 「劇団の旗揚げ」とは、言うはやすいが容易な決断ではない。秦建日子が熟慮し奔走してそう決断したという、そのことにわたしは賛同し祝福する、おめでとう。
その世界の事情など父は全然識らないが、やると決意したのはただの蛮勇でも浅慮でもないことを、父は息子だから信頼する。苦難も嶮しい起伏もあるだろうが、踏み出したのだ、毅然とまた慎重に行くように。
父は何の励みにもならず手助けも出来ない代わりに、いつも此処にいて「秦組」の航海を観ている。
大航海時代の船長には「徳」があった。ただの人徳ではない。知識も技術も判断も腕力も弁舌も、策謀においても全船員にぬきんでていた、それを「徳=力= virtue」と称えられた。まだまだそんな力や徳を備え得ているわけがない以上、謙遜に学んでも欲しいし、健康にも、どうか人一倍留意あれ。気弱くなるな。

* 渋谷、下北沢は、雨だろうか。

* 下北沢では、昨深夜に思い立って切符の手配をし、伊丹から飛行機でわざわざ観に来てくれた、わたしに逢いに来てくれた、関西テレビの報道記者、井筒慎治君にアイサツされ、びっくりし、信じられず、大感激した。興奮した。
彼が卒業して十数年、以来一度だけ京都の産経支局前で逢ったことがある。東京へも一年ほど転勤して来ていたのに、なかなか逢えなかった、が、終始連絡は途絶えなかったので、いつも身近に感じていた。
とは言え建日子旗揚げの芝居をはるばる大阪から観に来てくれたとは。
有難う、ほんとに有難う。
幸い舞台のアト、建日子を引き合わせることも出来た。建日子も、消耗もせずゆったりと元気そうだった。建日子もわたしも大柄な上に、井筒君もっと大柄で、路上混雑の中で三人が、ちいさい妻も入れて四人で立ち話していると、「小山」のようだった。
芝居は、超満員で、通路は三十センチ幅もなかった。

* 芝居のあと、近くのパブで、妻も心嬉しく、井筒君と三人でビールで乾杯、懐かしい歓談に時を移してから、小雨の下北沢駅で渋谷からまた空港へ帰って行く人と別れ。わたしたちは、吉祥寺の方へ帰って行った。雨など、少しも苦にならなかった。

* 芝居は、初演とはまたちがったフレッシュな顔ぶれと演出とで、二時間やすみなく、躍動し面白かった。苦心のリライトと配役。楽しんだ。
その『Pain』の詳細な感想は、まだ上演が始まったばかりでもあり、落ち着いて書いて、建日子に直接メールする。
2008 8・24 83

☆ 近況   門
地蔵盆を過ぎて、まともな気温に戻って来ました。今年は7月から猛暑びでびっくりです。
今頃になって老化防止にネット等始めました。難しくて、そろそろです。
懐かしい京都、読みました。
最近は、観光京都になって一味変わりました。
旅の友は、年に数回京都へ来るとか、私は結構過ぎるのかしら!
湖のホームページは、読む所が多くて大変です。
又、暑い日が戻るらしい、ご自愛を!!

* 京ことばは、読み解くにもなかなか難しい。それが楽しくもある。
2008 8・24 83

☆ おはようございます!  琳
今日のアンジェは一日中雨でした。
アンジェはフランスからTGVで1時間半程の所で、田舎です。
ガイドブックにも載っていません!
少し車で走るだけで、畑・木・牛・羊・馬・空しかないような所です。
お店もたくさんあり困らないのですが、一日で全ての場所を把握できてしまう程小さな街です。
大きなスーパーが町の真ん中に一軒だけあるのですが、みんながよく使うので、行くたびに知っている人に出会います。
そして大通りにある大きなカフェには、いつも誰かしら知っている人が座っています。
なぜかカーテン屋さんと楽器屋さんは溢れる程あります。
不思議です。。。
他にもお城跡や大きな川があり、歴史を感じられる落ち着いた所です。
時間がある日は川までお散歩に行きます。
いたる所にお花が沢山咲いていて綺麗です。
アンジェはそんな街です。
お城、住みにくそうでしたよ!
外見はとても素敵なのですが、中はなんだか寒そうです。
それにとっても大きくて、お掃除が大変そう!
家具は豪華で憧れるのですが。。。
木の家の方が私は落ち着きます。
小さくても我が家が一番!
早く日本の自分の部屋でくつろぎたいです。
フランス滞在、あと10日を切りました。
自分がどの位成長出来たかは分りませんが、足りないものは分りました。
自分の文化から少し離れてみると、いろいろ見えて来るものです。
帰国したらすぐに、勉強と卒論に取りかかります。
う~ん、大変そう。。。
帰国したいような、したくないような。。。
またメールします!
どうかご飯を沢山食べて、夏バテなさいませんように。
(フランスに来て日本食の有り難味が分りました。)
お身体ご自愛下さいませ。

* 青春!

☆ 小説『抱擁』のことなど 鳶
メール、ありがとうございました。
七月スリランカに行く予定でしたが、六月コロンボでの爆弾事件でフイになり、夏にはひたすら「弱い」わたしは海外旅行のエネルギーを失って過ごしました。四半世紀ぶりに上高地など歩きました。
やっと朝晩涼しさを感じられるようになってほっとしています。が、まだしばらくは残暑ですね。
『抱擁』についての拙い文章を読んでくださって、本当にありがとうございます。あなたに似ているんだなあと言われた一言からビデオ、そして本へと。鴉が読んでいるのを追いかけるように読み進めたのです。
ですから、あの文章は「論考」ではありません。
ただ期を同じくして読んでいる本の感想を伝えたかっただけでした。
あの頃、どのような感想をもつかと、やや「挑発」するようにあなたはHPに書かれていました。
5月16日「わたしの見る限り原作の『抱擁』はこの人ぐらいにしか歯が立たないであろうなと思うほど。」などと。
わたしは丹念な読み手ではありませんから、これは例のごとく・・、ここで一念発起してノートをメモを取る必要性に迫られたわけです。
ノートといういくらか乱雑な、落ち着かない形で、特に初めのあたりは、どうまとめていいか分かっていないのがそのまま顕な形で残されました。
「あなたの優しさでその誰に対してもいわば途中で筆を抑えてあり」と書かれているのは、逆に言えば、わたしの致命的な欠陥でしょう。少なくとも文学的営為であろうとするなら、それが無害なものに留まっているようでは駄目です!! 痛烈な批判があるなら、傷つけるほどに鋭利であっていいでしょう、その後の優しさがいっそうの意味をもつでしょう。わたしの単純な優しさなら、それは乗り越えなければならないものです。
もし痛烈な批判を述べるとすれば、どうしてもアッシュやエレンに向きがちになるでしょう。
熾烈な文章を書くとして、さてそれをどの立場から、観点から、自分自身の生きる姿勢から書くかということが、分かれ道です。そしてそれがどのようなものか、わたしには十分既に分かっていますが。
わたしが表現したいのは論考、論説でないでしょうが、ノートをとり、久しぶりにいい勉強になりました。ただし「歯がたった」わけではありません。
今はポルトガルの詩人ペソアの作品を初めて読んでいます。思い立ってポルトガル語の辞書を買おうと思っています。ラテン系の言葉ですからわたしには入りやすいし、詩だけでも原文で読む努力はしたいです。詩だからこ
そ原文で、ですね。
今、親戚に女の赤ちゃんが生まれたという電話。そして今日はわたしの誕生日、御歳。。歳はもう喜べませんが。
どうぞくれぐれもお体大切に、夏の疲れをあとに引きずらないよう、養生養生、です。

* こういうメールを読むと、胸の内のえぐれているところが充填される。

☆ 整備   悠
夏休み明けに1日だけ登園後、発熱のためにお休みしていた息子。長い夏休みになりました。ダンナが夏休み中だったのでたすかりました。休みたかったのかなぁ。
今朝、久々の登園に向けダンナがバギーを玄関に広げレインカバーを装着中に大笑い。
何かと思い見に行くと、バギーのタイヤを手で触ってうなずく息子。空気圧の確認中でした。
ダンナが先日タイヤに空気を入れていたのを横でしっかり見ていて、お手伝いしていたなぁ。
一緒にバイクや車の整備をしたいダンナは大喜びでした。
さあ、保育園で元気に遊んでらっしゃい!

* すこし心配していましたが。一安心。
2008 8・25 83

* 今日は、自身を解きはなったようにぼう然と暮らしていた。
群馬の杉原康雄さんに、京都へでかけてたくさん撮った写真を、ディスクでもらっていた、百何十枚も。祇園会の写真。それをボウっと眺め暮らした。
杉原さんはわたしより少し若い、日吉ヶ丘の美術コースの卒業生。なぜか早くに群馬伊勢崎に転居し、熱心に画家として絵を描いてきた。
2008 8・26 83

* このホームページの中に、「電子書簡・千花萬趣」というファイルがある。いただいたメールから興趣ゆたかな感じのいいのを経時的に編輯してあるが、読み直していてとてもいい気分だった。
ほとんどが、何方からとも分からなくなっていて、それがそれなりに落ち着いている。書き手の察しのつくのも、もう分からなくなっているのもある。それでも、ふんわりと情は優しく気持ちよく今に伝わってくる。こんないい「読めるファイル」を手がけていたのだ、あまりに多くなり中絶したままになっていて、いまから六七年も昔の儘だけれど、あとを継ぎ足し、同時に日記からは外してゆく作業もしてみようかな。ああ、この人がこんな昔にこんないいメールを呉れていたんだと、改めて嬉しくなったりした。

* すっかり作業手順を忘れ果てている作業に、アテズッポーで挑戦してみたが、ことごとく失敗。
2008 8・26 83

 

☆ ジョー・オダネル  花
お元気ですか、風。
昔に送ったメール、懐かしいです。
風に書いたメールは、みーんな、憶えていますよ。
花はとても元気です。
ゆうべ遅く、ジョー・オダネルさんの写真についてのドキュメンタリーを見ました。
オダネルさんは、日本の真珠湾攻撃に憤慨し、海兵隊に志願して広報を命ぜられ、原爆投下後の長崎の写真を撮影しました。
軍は、資料のために撮影を命じたのでしょうが、オダネルさんは、瓦礫と化した長崎だけでなく、撮影することを禁じられていた日本人をも、写していきました。敵として憎んでいたはずの日本人が、別のものとして彼の眼に映ってきたからです。
数年前、花は、「外国人の写した日本人」だったか、そんなようなタイトルのついた写真展を見に行きました。
その中に、おんぶ紐で幼児をおんぶした少年の写真がありました。
まっすぐ立ち、唇をきつくかみ締めている少年が、強く印象に残りました。火葬場に弟を連れて来た少年は、係りの人に弟を渡すと、涙も流さず直立し、しばらくするとくるりと向きを変えて去って行った、というような説明がついていました。
それが、オダネルさんの撮影した写真だったのです。
写真展には、ほかにもオダネルさんの撮影した長崎の写真があったはずですが、記憶はだんだん曖昧になり、少年の写真だけを憶えていました。
オダネルさんにとっても、少年は印象深かったようで、随分追跡したようですが、結局見つけることができなかったそうです。
昨年、あるブログに、オダネルさんの写真への感動が述べられていたので、花はコメントを書きました。
原爆の投下された街と人の現実を目の当たりにし、オダネルさんは悪夢にうなされ、眠れなくなったそうです。
そして、撮影したネガを、頑丈なケースに封印しました。
四十数年後、あるきっかけで、オダネルさんはケースを開封します。
幸いネガはきれいなままで、オダネルさんは、原爆投下が正しかったと大多数の信じているアメリカに、長崎の現実をしらせようと、写真展を企画しましたが、拒否と反対に遭い、実現しませんでした。
オダネルさんへは、批判や嫌がらせが頻繁に起こり、夫の行動を理解できない妻とは、離婚しました。
現実を目撃してしまったゆえの、オダネルさんの孤独でしたでしょう。
自身も皮膚癌や背骨の痛みなど、原爆後遺症に苦しみながら、オダネルさんは、昨年亡くなりました。
現在、息子さんが、オダネルさんの遺志を継ぎ、ネットに写真をアップしています。
非難の声は変らず多いようですが、中に、僅かだけれど、共感のメッセージが届くそうです。
一本の映画を見たような気持ちになりました。
今、オバマ氏とマケイン氏の支持率は、同じくらいか、マケイン氏の方がちょっと上回っているとか。
どうかして、保守派の勢いを殺ぎたいものです。
雨が小休止。
東京も雨ですか。ではでは。 花

* ハートのしっかり働いた真率なメール。佳いメール。このメールの感銘を創作に活かすといい。身辺をすこしの脚色で綴った私小説で成功するには、若すぎる。健康で意志の強い社会的な視野をもっているのを、活かして欲しい。
この人がまる七年前にくれていたメールを一両日前、たまたま見付けていた。最初の寄稿を苦心惨憺仕上げてから、どれほど経っているのか。気持ちの良く乗ったメールで、懐かしさに惹かれ再録しておく。七年のうちに何度も転居し元気な主婦になったようだ。

☆ 玉三郎の鷺娘   01.07.08
お元気ですか。毎日暑いですね。わたしの職場は冷房の効きが悪いので、冷房病の心配のない夏です。
今日は玉三郎さんの舞踊公演に行ってきました。地唄の「雪」と長唄の「羽衣」、「鷺娘」でした。300 人くらい入る劇場でした。地唄を踊るにはぎりぎりの規模だったのではないかと思います。
わたしは後ろから二列目でしたから、地唄のときは遠めがねを使いました。
何といっても「鷺娘」に期待していました。ビデオで幾度も見たはずなのに、泣けました。生の力はすごいですね。踊りとしては、しっとりした地唄や、長唄といっても能がかりの「羽衣」に比べ、歌舞伎舞踊ならではの見るものを飽きさせない趣向に富んだ「鷺娘」は、うわべの派手さゆえに底の浅い感があるのではないかと思っていたのですが、どうして、からっと飛躍する世界が、見る側の解釈を自由にしてくれます。玉三郎さんも、雰囲気を大事に踊ってくれています。
踊りを見ていて、わたしの「さぎむすめ」、最後のところをもうちょっと直したいなと思いました。話の中で路子が「鷺娘」を踊りますが、ほんとうは引き抜きやぶっかえりのある演目を踊れるはずないし、そうとわかって書くならば、もっともっと幻想のリアリティーを突き詰めなければならないと思っています。でも、それを書いて伝えるには精進が足りません。いやはや、そうそう思うようにはならないものです。
清潔な文章のことをいつも考えています。今はまだ実体がつかめません。いつか腑に落ちるときが来るのでしょうか。
川端康成は通俗な内容を美しく書いているなと思っていましたが、改めて読んでみると、その文章はあまりお手本にならない気がしてきました。ガラス細工をつなぎあわせたような文章は、安易にこちらへ持って来ようとすると、ばりんと割れてしまいそうです。
「書くことは泥を吐くこと」、身にしみる言葉です。わたしはまだまだ泥を吐ききれていない。
日本の少女がヘッセのもとに、いつもあなたがわたしを見てくれていると信じています、という手紙を送ったそうですが、わたしは秦さんに同じことを申し上げます。1.7.8

* 心ゆく日々を。

☆ 地震はこのところよくあります。冗談で、鹿島のなまずさんがサボっているようで、、、などといっている間はいいのですが、これはどこで遭遇するかは誰にも分かりませんでしょう。
雨もこのところ梅雨のように、今日も、しとしと? 降っております。室内は除湿に一生懸命です。
今年の夏は、実にいろんなことが、近辺でありました。
暑いときですから、本当にご用心なさってお過ごしになってください。
今日は、夜勤です。  静
2008 8・28 83

* 長崎の横手一彦教授のメールをもらった。ユニークでねばり強い探索・研究者とまた一本のパイプが通じた。心強い思いがする。

☆ 秦恒平さま   長崎の横手一彦、です。
メール文を、有り難く、拝読致しました。
当方が身勝手にお送りした小著『敗戦期文学私論』を、丁寧に読んで頂き、本当に、有り難う御座います。確かな読者の方に出合ったことが、小著の何よりの喜びです。
「名著」とは、過分なお言葉です。未だ、努力が足りません。自分の言葉が上擦っていて、きちんと表記するという点において、また誤字なども多く、恥ずかしい限りです。しかし、また、うれしいお言葉でした。
来週から10日間ほど、半ばは研究旅費で、半ばは自腹で、短期渡米調査に出掛けます。
・ ***大学東アジア図書館長****氏の聞き書き調査
――江藤淳がワシントンに短期留学し、プランゲ文庫を調査し、「無条件降服論争」の資料的側面を支える切っ掛けの私信を書き送った司書です。20年前からお会いしたいと思い、この春にようやく連絡をとることが出来ました。
・ ハーバード大学図書館及びコロンビア大学図書館調査
――敗戦期に米軍が接収した資料類が膨大にあり、それは日本の官庁資料や官庁付属施設のもので、そのなかの有用な日本語文献を、米国の10余りの大学が分散して収書しました。そのリストを一つひとつと求め、そこに記載された文学関係書籍を確認することが目的です。そこに旧内務省検閲文献も含まれていると考え、戦前期の伏せ字表現(××など)を、その典拠に基づいて、一つでも、二つでも、復元したいという思いからの発意です。
帰国後に、その成果をきちんとお知らせ出来る出張仕事になるよう努力したいと思っています。そして、このような牛歩のなかに、研究というものが自ずと形付けられるのだろうと思っています。
駄弁を申し上げました。秦さま(本来は秦先生とお呼びするべきかもしれません)の確かな言葉や確かな読みのなかに、その文章を拝読していて、無言のうちに、叱咤されたり、励まされたりしているような感じを頂きました。
追伸 突然にインターネットの一部の機能が通じなくなってしまいました。当方のパソコンが古く、その不具合です。帰国後に、専門医にみてもらいます。

* 「検閲」は、文学の書き手、研究の書き手にとって天敵であり、どれほど多くの摩擦や軋轢で作品や研究や筆者作者が傷つき呻いてきたか知れない。
もとより真実犯罪であるものの検閲もあるであろうが、関係吏僚の悪しき主観や悪しき支配意志の強硬な横槍が、作品や筆者の運命を左右した例は少なくなかった。しかし実態はあまり大量、あまりに権力の闇に紛れていた。
横手さんの働きは、たぶん孤独ななかでの苦労の多い尽力であるだろう。
わたしはこういう働きにいつも感謝を覚える。
2008 8・28 83

☆ おはようございます、風。
お元気ですか。
大事ありませんか。
関東は記録的大雨だったのでしょう。風のお宅は大丈夫でしたか。
この夏は「記録的」大雨ばかりなので、風が心配になってしまいます。
こちらは今、予報では雨でしたが、青空が見えています。
九月になったら、ゲリラ雨は減るらしいと。代わりに台風が来ますけれど、台風は突然でなく、少し前に来るのがわかりますから、回避可能ですよね。
九月連休には、花が里帰りするかも知れません。東京駅あたりで風のお顔が見られたらなあ、でも東京駅は使わないんだなあ。
ではでは。 元気な花。

* 雨、間歇的にどうっ、どうっと降りましたが、雷が、絶え間なく遠く近くで夜通し鳴り続けるのが異様でした。雷サマは、そういつもいつもご出座無いモノでしたが。但し、異常なく過ごしています。愛知辺のあの雨量では、少し低地にいますと怖いですね。
気象解説では目先の現象の説明はしますが、グローバルな何かしら過去になかった異変を見込んだ理解は、ほのめかしもしません。何か縛りがついているのかしらん。
今日も豪雨の懼れ在りと。
ではでは。 風

☆ 「生きていてくださってありがとうございます」というのは、へんな表現かもしれませんけれど、単なるアイサツで書いたわけではありません。他に書きようが見つからなかったのです。
みづうみがあのように書かねばならないことが身につまされました。読んでいてとても痛かった。にもかかわらず、みづうみが、すべてを身に受けて強く「今・此処」に生きていてくださることに心からの感謝をお伝えしたくなったのです。
みづうみに出来る限りのお手伝いがしたいと願っていますし、自分の小説を書くことにも力をいれたい。成る成らないはべつとして、生きた証を遺すにはそれしかないと思っています。みづうみにいつも励まされ指導を受けて頑張りたいです。
お元気ですか、みづうみ。お元気にお過ごしください。 夏

* なるほど。読んだときはギョッとしたが、ありがたい激励と読める。

* 書いている人は書いている。書きたい人は、いつも書きたい人。「書きたい」から「書いている」へは、無限の距離。ほんとうに書きたい人は書くしかない。文豪も、未知数も、これは同じ。

☆ こんにちは!  琳
日本では今すごい雨が降っていると聞きました。
今年は豪雨多くて怖いですね。
それとも去年も多かったでしょうか?
いつも異常と騒がれているので、分らなくなります。
私はこれから最後の学校です。
辛いこともありましたが、その分もっともっと楽しい事もありました。本当に素敵な思い出が出来たと思っています。
明日の昼に(日本では19時位)憧れのパリに向かいます。
この一か月勉強してきた事が生かされるといいのですが。。。
でも大丈夫です! やす香がついてます!
やす香の愛するパリ。
楽しみです!!
浮かれすぎて、スリに合わないように気をつけます。
ヒッチコック作品、数作見たことがあります。母がヒッチコックのファンなので、その影響です。
私のお気に入りは「めまい」です。
先日寮に帰ったら、寮のマダムに「チリンチリン」と言われました。
なんだろう? と思ったら、どうやらいつも身につけていたあの鈴の音のマネでした。
寮の鍵にお守りとして付けているので、私が帰ってきたのが分ったようです。
そんな優しいマダムとも明日でお別れです。。。
悲しい!
そろそろ最後の授業に向かいます。
今日は午前で授業は終わり、夜にお別れパーティーがあります。
私は、白に青の線の入った浴衣を着て参加する予定です。
とってもとっても楽しみです!
どうか雨の中での外出はなさらないで下さいね!
温度差が激しいのでお風邪をひきませんように。
では、行ってきます!!

* やす香も、きっとお友達のすぐそばにいるのだろう。
2008 8・29 83

 

☆ 焼魚定食  悠
来月開催される国際会議の事務局業務に連日頭を悩ませている今日この頃.息子にも延長保育で協力してもらいバタバタしています.
延長保育になると,仕事時間は確保できるのですが,帰ってからの時間が短縮されてしまうだけ.息子の生活リズムを崩さぬようにするとかなりのスピードでこなさないといけません.
そんな中,息子がほぼ大人と同じものを食べられるようになって助かっています.おかゆや軟飯を作っていたのは炊飯器からそのままのご飯でOK.あとは作り置きの煮物と味噌汁.焼き魚などあれば息子は大満足.特に魚と味噌汁は驚くほど喜んでくれるので助かります.
私も一緒に食べている方が良く食べてくれるので,一緒に済ませてしまい,疲れもあって息子と一緒に寝てしまう日々.
以前は息子を寝かしつけてから,大人の夕食を準備し,ダンナが帰ってきてから一緒に食べていたのですが,最近はダンナが帰ってきてからごそごそ一品作って食べている日々.すいません.電池切れで..
お肉が苦手.魚介類大好きな息子.
来週もたっぷり”焼魚定食”,”煮魚定食”でいきますよ!

* 元気に元気に育ちますように。

☆ 今日も落ち着かないお天気です   e-OLD 泉
一昨夜は、あばら家の雨戸の隙間から吹き込んだらしい雨水で床がびっしょりでした。
朝一番、医者への帰り、運動不足解消で、桜木の翳りのあるグリーンロードを最寄り駅まで走ってきました。
余得は道辺にある農家の野菜ですが、今、端境期で目ぼしい野菜は少なく、茄子ばかりが目に付きます。アハハ
体調、二分ばかり違和感がありますが、どんな時でも食欲旺盛婆です。今は美味しい鰻重が食べたいなア、なんていやしい事を…

* 島尾伸三さんのりっぱな写真集『中華幻紀』を貰った。おみごと。島尾さんの中国体験は年季が入っている。

* 杉原康雄さん、牡丹の大きなデッサン「墨牡丹」を額装し、贈ってこられた。牡丹は、難しい。眺めている。
2008 8・30 83

* 晩、四歳のヒロアキ君をつれて花小金井の科学館に行ってきた林丈雄君が、「近いから立ち寄ります」と電話をくれた。ゲリラ豪雨や雷雨の心配なときであり、花小金井から下保谷は必ずしも近くない。はらはらしたが、七時過ぎに来てくれた。
ヒロ君が、気散じで健康でとてもいい四歳。黒いマゴがめずらしく、マゴの方も興味津々で対峙し、面白かった。妻が少年のお相手をしているあいだ、お父さんとは短時間ながらけっこう沢山話し合えて喜ばしかった。
それでも雨で川崎までの電車が止まったりしてはいけないので、八時五十二分の花バスに滑り込むように乗ってもらい、雨の中で見送った。
いっぱいの書類や本で坐ってもらう場所もないのを、なんとかくつろげ、辛うじて坐って貰った。上に上がってもらったお客は、二階の機械のためは別として、じつに久しぶり。
すこしでも家の中をくつろげなくちゃと思いつつ、それが出来ない。「自然減」現象も極まってきている。
しかし、きっぱりした佳い表情でよく話してくれる林君との対座、楽しかった。坊やがサイコーに可愛かった。
2008 8・30 83

 

☆ 秦先生 今日はありがとうございました。  杜
息子の機嫌がよかったので、近く(?)ですし、静かなお宅を賑やかに、という勝手な気持ちで、突然おしかけてしまいました。少々息子の顔を見て頂こう、お話は別の機会に…としか思っていませんでした。
気が回らず、ご馳走まで用意させてしまい、大変失礼しました。
また、奥様には、息子のお尻まで拭かせてしまったとか…想定外です。(さわり心地のよいお尻なのが救いです。)
奥様にもよろしくお伝えください。
結局、座れる秋津経由で帰宅しました。何冊も本を読んだり、秋津~新秋津間は肩車で移動したり、雨水をどちらが早くおててに貯められるか競争したり、と、あの手この手で「もう着いちゃった」の一時間。帰宅後息子は早速ママに猫の話をしていました。
さて、それでは、今日できなかった「挨拶」を…。
書こうとしても、いつも飲み屋で聞けそうなことしか書けません。
では方向を変えて読んだ本のことでも…。
書名すら間違えるほど、すぐ忘れます。仕事で出てきた数字は一度聞いたら忘れないのですが。ここまで脳が侵されています。
話の落としどころがありません。
卑屈にはなりたくありませんが、これが実情です。…と、パソコンを、この筆が滑りすぎるツールを使って書き出すと、こういう書き方になってしまいます。
また、お話させてください。今度は子供はママに預けておきます。
それでは。

* 顔はなかなか見られないが、パソコンで難儀すると助言のメールをくれる「杜」くんであります。ありがとう。「ヒロアキ」くんに逢わせてくれてありがとう。老夫婦は感激しましたよ。
妻に、ヒロくんに彼女が出来て連れてきたなら、「あたしヒロくんのウンチも手伝ってあげたのよ」と自慢できるぐらい、きみ、長生きしろよと奨めています。
2008 8・31 83

☆ アクギョーの数々  馨
昨夕に、ご飯の支度をしようと台所に立つと、何か様子がヘン…。
調理台には大小のお鍋が置いてあるだけで、沸かした後に冷ましておいた麦茶とお昼ご飯の残りのそうめんのおつゆがそれぞれ入っているのですが、なぜかお出汁の鍋が空っぽ。
なぜ、と考える間もなく「・・・んっ!!」
ひらめいて、麦茶をかき回すと、麦の他にふわ~っと漂う鰹節と煮干し…。
そして足もとには踏み台。
そう、2歳児が二種類の汁を大きい方のお鍋一つにまとめてくれたよう。確かにどちらも同じ色。
お出汁の残りは夕飯の野菜の揚げ浸しに使い回そうとしていたので、急遽こんだてが変わらざるを得ない展開。
あまりのことにお風呂から上がってきた主人に、これこれのことがあって、と話しているうちに、段々といろいろなことが思い出され
「この前は夕飯が待てなくて泣きわめくから先に一人分のご飯だけ盛っておいたら、それに調味料を棚から全種類出して色とりどりに一振りずつかけてて、食べたくなくなっちゃって…」
横から娘が
「それで、もったいないからお母さんがパセリをかけたところだけ使ってシラスを混ぜておにぎりにしてくれたのに、海苔だけはがしてご飯いらないからって海苔を振り回してご飯落とすから部屋中にご飯粒が飛び散ったんだよ」
「だいたい、赤ちゃんがちょうど寝ついたところでお腹の上に飛びついたりするし」
「そうそう、この間なんか目の中に指突っ込もうとしたんだよ」
もはや止まらない女性陣二人。
平日の夜はほとんど下二人の顔を見ていない主人に、一週間分の報告をするとなると、ものすごい量となるわけで…。
ダンナさん、ぽつりと一言
「アクギョーの数々だねぇ」
ワルさばかり書いてもなんなので、ちょこっとだけ名誉挽回の話も。
庭のベランダから上がってこようとしたときに、
「ココ?」と尋ねてきちんと階段の上の段で靴を脱ぎ
「コッチ?」と尋ねながら玄関の方へ靴を持っていきました。
てっきり玄関に置いておいたのだと思っていたら、翌日主人が「S(長男)の靴がないんだけど」
「あれ? 自分で置きに行っのに」と探すと、なんとシューズクロークの中にきちんと揃えていれてありました。
いつも息子の靴は玄関に出しっ放しでそこにしまったことはなかったのに、なぜ靴をしまう場所だとわかったのかしらん。
夏休み中、娘に「かたづけなさーい!」と毎日叫んでいた母は、ちょっと感動です。
しかもお姉ちゃんはいくら言っても、サンダルのままベランダ通るしね。
息子は「おーらい」が「ちょうだい」のつもりらしく、「もっとーらい(もっとちょうだい)」と、この夏さかんに言っていました。
おーらい、「ちょうだい」→want の意味になったようで、変形バージョンも。
最近は「だっこーらい」が、「だっこして」です。

君がいるとかわいいんだけど、その10倍くらいのアクギョーってのが・・・ね。

* オカーサン! お酒、「もーっとらい!」 ごはん、「もっとーらい」

☆ バナナ 悠
少々せきがあるものの,元気いっぱいの息子.ここ最近のブームはお目覚めバナナ.
朝,目が覚めたと同時に”マンマ,マンマ”を連発.台所のかごを指差し,抱っこで連れて行くように要求.
バナナ一本持たせてやると今度は”皮をむいて”と要求.万事整うとおとなしく座って食べていてくれます.ペロッと一本食べてしまいます.
食べている間に,朝食の準備.私にとってはバナナは時間稼ぎの貴重な一品.助かっています.
童謡”さっちゃん”では”小さいから半分しか食べられない”という歌詞があったと思いますが,我が家の一歳児は本日昼までに3本のバナナを食べてしまいました.たまにはいいか....

* ウーン。時代は変わりました。わたしが秦家に貰われたときは四歳か五歳。以降八つ、十になってもバナナは煮て消毒したのしか食べられませんでした。そもそもバナナ、めったに無かった、戦争中は。

☆ 嬉しいメールを  郁
心うきうきと読ませていただきました。有難うございます。
母のこともご心配いただき感謝申し上げます。 今のところ退院してのちホームへもどりまして、まあまあの生活のようで、耳が全く聞こえないらしく筆談でしているようです。私、夏はいつもながら制作のためいきませんでして、妹たちがかわりに行ってくれ、すこしは様子がわかりましたが 明後日には私も行ってこようと予定しています。本当にありがとうございます。
50日ぐらい食べ物も水も受けつけなかった身体ですのに 点滴で蘇ったようで 医療の高さをまざまざと見ることが出来ました。運命は計り知れませんことをつくづくと感じました。
アジサイの絵、もうそろそろ引っ込めて頂きたいお願いです。小品でしたら、水彩でしたら、薔薇の絵で先生に気に入っていただけそうなのがありますが。ひまわりも。
昨日一水会に搬入いたしまして 今日はいつになく気持ちがゆったりとしているところでございます。今回の作品はすこし今までのとかえました。
プラスにでるかマイナスにでるか? 不安一杯の制作でした。自分を替えないとと、取り組みました。ひょっとして、落選するかもわかりません。
先日また(読者である=)**さんとお話ししました、メール交換もしています。お陰様で。4人で、恥ずかしいけれど会いたいね! とのことでした。
では、ごきげんよろしく。

* むろんわたしのも含めてだが、子供のことや大人の平懐な消息はそのまま胸に落ちるのに、いい大人の半端な述懐は、思いの基盤がシッカリしていないと、つい「それがどうした」という気分で読みやめてしまう。
人それぞれの或る岩盤・基盤にきちんと突き当たっての述懐だと、ウン聴こうという気になるが、ただいまいまの思いつきのような、生活とも遊離しムリムリ書いたような述懐に目が止まることは、滅多にない。
ムリ書きは人の胸に届かない。
2008 8・31 83

* 「杜」くんが尋ねてきて元気な顔をみて、実感になった。和田めぐさんが言ってきたように、まさしく「杜」くんは三十六歳、わたしは二倍の七十二歳。東工大の教室では、わたしの三分の一の若さだった。算術の苦手なわたしには、ほろ苦いフシギの一つである。同じ歳にはなれないと分かっているが、一・五倍になるのは何年後かなどと出題されるとわたしは駆けて逃げ出す。
2008 9・1 84

* 堤さんの紫陽花にかえて掲げた、親友細川君の風景は、写真と機械のせいで、すこし色が濃くくろずんだのは気の毒で、申し訳ない。原作にはしみじみと清い色彩美とみごとな把握力がある。微塵ごまかしがない。しかも絵画として単なる写実の対象を内側へ超えて深めている。彼の画論である「命のそよぎ」が描かれている。
あいかわらず大西克礼先生の『現象学派の美学』に食らいついているが、昨夜読んでいたなかで、ガイガーの、いわば写生観そして大西先生の批評など思い出す。しかし、どんな理智の理解よりも、絵は絵のままわたしを説得してくる。死んだはずの「お父さん」の、金澤での健在をよろこぶ。
2008 9・1 84

* 月々の「述懐」に一つずつ自作を加えている。
この手の作をわたしは手控えていないので、歌集『少年』以降、相当な数に成っているだろうが分からない。いつ、どこにどう書いていたか、捜索しようもない。
こういう述懐は、汗や尿のような排泄物と同じであるとは、谷崎潤一郎の名言であり、それに服している。俳句ふうになったり、短歌になったり、わたしの場合和歌にもなる。エロスの歌は和歌の方が表しやすいと知っている。すこし挑発的・刺激的なわたしのエロス和歌を秘め持った人たちが日本列島に散開しているかも。だいたい、口からこぼれでるように戯れ歌は出来る。いやいや戯れどころでないのも在るよ。
2008 9・1 84

☆ 秋  2008年09月01日13:41  ボストン 雄
・ NY行きを諦め,今日はゆっくりと寝ていた.NYにいけなかったのは残念だったが,久しぶりにのんびり出来て,それはそれで良かったかなと思う.体調も随分良くなった.今のところ腹痛は無い.ただ,嵐の前の静けさのようでもあり,まだ油断できないのだが.
・ 昨日,ラボに行く途中,バスから外を眺めていて気づいたのだが,もう既に紅葉している木がある.どこかのアパートの横に植わっていたもみじは,綺麗に赤くなっていた.それに気づいて街路樹を見てみれば,黄色く色づいている銀杏もある.もう本当に秋なんだなあと,改めて思う.
昼も,窓を開けると爽やかな秋風が入ってきた.時々ブラインドが風に烈しく揺られ,大きな音を立てていたが,風が心地よくて,そのままゴロゴロとしていた.
一日のんびりできたが,ちょっと人恋しくなるのも秋.明日は体調が良ければ,少し外にも出たい.

* 風のおとにぞおどろかれぬる   いずくも、秋か。
2008 9・1 84

☆ 福田総理辞任  ボストン 雄
朝目覚め,ネットニュースを見てびっくりした.慌てて日本のテレビでニュースを見る.
一体何故この時期に? 前回の安倍首相もそうだが,あまりに唐突な幕引きに驚くとともに呆れる.
だが,福田氏に対しては,こんな幕引きもあるかな,と実は以前から思っていた.官房長官を辞任したときもそうだったので.あの時は国民年金の未払いに関する問題だったと思うが,辞め方があまりに唐突だった印象があった.カタストロフィックになりがちな人なんだろうか.
結局,この総理は何をしたのか,何がしたかったのか? 安倍総理の突然の辞任により首相になったとはいえ,これだけの期間があれば自分なりの方針を打ち出す気になれば打ち出せたはずだし,そういうものが何も感じられなかった.
次期候補としては麻生太郎が有力だというが,僕は前からこの人が何故人気なのか全くわからない.マンガやゲームに詳しいのが親しみやすいなどという理由だとしたら,もう日本人は終わっている気がする.とはいえ,誰が良いという人もいないのだが.
アメリカのように,これだけボロクソにこき下ろされても任期途中で大統領が辞任することのないのも問題かもしれないが,日本のようにサミットのたびに総理が変わるのも困ったものだと思う.

* 「雄」君の反射の速さ。
わたしも麻生太郎ははなはだ「危ない」と、大きく懸念する。放言や失言の常習犯であり、外野でヤジ程度の元気よさだけで軽率な軽薄な政治をされては、本当に困る。
自民党には、日本をまかせて安心な人が、ほんとうにいない。いまの官房長官や外務大臣は絶対的に願い下げ、もと竹下派の連中は私利私略の徒ばかりだし、辛うじて加藤元幹事長かな。
なによりも今は一度は、好きではないのだが小沢一郎の力量に期待を掛けたい。と民主党の実務派の行動力に期待してみたい。シャドウ内閣は、ともあれ、いろいろやっていた。
わたしは河村という名古屋辺から出ている民主党代議士の型破り実働力にも好感をもっている。自民党の大臣病代議士達の物欲しそうな有象無象には、当分逼塞していてもらいたい。

☆ ペット同伴の是非  麗
週末は,大雪山系で登山を楽しんだ。悪天候や体調不良に悩まされたが,いい汗をかいた。
某MK岳。誰にも会わず下山してきたところ,登山口近くで,大きく呼ばわる声がした。何ごと,と慌てて駆け下りれば,四駆の軽が走り去るところだった。運転者は,ハンドル握りつつ,さっき聞いた声で叫び続けている。
わが愛車に駆け寄ってみたが,特に変化なし。ほっとして足元を見れば,リュックが2人分,投げ出してあった。
いぶかしく思いつつも,装備を解き始めた。と,茂みの中から,初老の婦人が出てきた。「こんにちは」と声をかければ,返答しつつも戸惑った表情で,その婦人は問いかけてきた。
「あの・・・犬を見ませんでしたか。」
「犬?」
「連れてきたら,逃げちゃったんです。」
途方に暮れた,口調と表情。
「山に犬連れてきて,よかったんだっけ。」
何気なくつぶやいて,しまったと思った。婦人の表情が,ますます途方に暮れた。
「どんな犬ですか」
家族が問いかけた。
「黒の,大きい・・・」
「いや,登山道では見かけませんでした。」
きっぱりした家族の口調に,婦人の表情は,悲しみさえ帯びてきた。登山の支度をするとき,ちょっとリードを外したところ,茂みの中に入っていってしまった,呼んでも出てこない,と言う。
「放すと,喜んで駆け出しちゃいますよね。」
言ってからまた,しまったと思った。婦人は,こんなことは初めてだと弁解した。
さっきの四駆が戻ってきた。こちらも見つからなかったらしく,初老の男性が,困惑した表情で降りてきた。彼がまた,同じことを問い,こちらも,同じように答えた。我々から得られる情報がない,とわかると,二人は,すっかり平常心を失っている様子で,悲しげな,大きな声で,犬の名前を呼び続けていた。
こちらも,もはや役立てることはないと思い,辞去して車中の人となった。林道を低速で流し,振動を最小限に抑えつつ,宿へと向かった。呼び声は,かなり遠ざかるまで耳についた。車窓から,幾度となく探してみたが,「大きな黒い犬」の姿は,見当たらなかった。宿に着くまで,重苦しい沈黙が続いた。
ペット同伴の是非は,登山に限らず,あらゆるところで問題にされる。あの夫婦にとって,その,「大きな黒い犬」は,まさに家族なのだろう。だからこそ,どこへでも一緒に連れて行きたかったのだろう。その気持ちは,わからないでもないが,犬は人間ではない。しかし,「家族」として動物に接していると,人間のほうが,それを忘れてしまう。公共の場所で他の人や動物に迷惑をかけたり,生態系を乱したり,最悪,このような「悲劇的な別れ」につながる場合もある。
ペットは,家族であっても人間ではない。人間がこれを忘れては,いけない。

* この問題は根が深い。いま多くの人が神にも仏にも「抱き」つかないのに、ペットを「抱き柱」にしている実例は「mixi」のコミュニテイや掲載写真を観ていてもよく分かる。かく言うわたしも黒い猫のマゴを愛している。しかも思っている、過剰なペットとの一体化は人間のもろい衰弱現象そのもので、警戒し自戒していないといたずらに心を慰める以上に傷つけると。
たしかに人間を信じたり愛したりするより無垢に、あるいは無責任にペットを溺愛する方が心慰むイヤな世の中ではあるのだ。これはたんに慣習や規則や常識で左右しがたい。だが、心得ていなくてはならないのである。
「家族であっても人間ではない。」
つい「人間以上」と思いたくなる現実への批判や批評も、常に発動しなければならないだろう。
2008 9・1 84

☆ これって…?  花籠
残り福ならぬ…残り更年期障害?
環境が変わったせいかもしれない。
少しはストレスを感じているのかもしれない。
体内時計に狂いが生じてきているのかもしれない。
まあ、こんなところでしょうかねぇ。
真夏の猛暑での汗かきは当然のことと思っていたけど 最近、家でゴロゴロしている時に 突然、全身にぶわぁっと汗が噴出すことがある。
仕事中はそんなことないのに、気を緩めているからかなあ。
十年前にちらっと顔をみせていた更年期障害。冷や汗が出る程度の軽いものだったから、苦にはならなかった。
おいおい、今頃ぶり返してくるんかい?
ま、気持ちの持ちようだから…
まだ猛暑が続いているってことにしておこうっと。

* 「花籠」さんは、わたしを「月様」とよびかけてくれる。メールで交信し始めた読者の、最古参の一人。
「花籠」と「月」とは閑吟集で「花」の定座をしめている最傑作の歌謡に由来し、わたしの読みでは、もっとも深い男女の仲らいを示している。この、ひと目も出会ったことのない四国徳島の友が、よほどのユーモアの持ち主であること、逞しい精神のもちぬしであることを示している。わたしの苦労もちゃらんぽらんも、ずうっと見守ってきてもらった。
だから上の「mixi」日記には感慨を持つ。もう優に、読者と作者として四半世紀になるのではないか。お互いに歳月を重ねてきたんだなあと。
肝っ玉母さんのように子たちをみごと成人させ、過重な労働に挺身しては時代の荒波にゆられ続けてきた人だ。一度も会う機会などもてぬまま、歳月は風波を受けて積まれている。
人生を思わせてくれる「いい読者」の一人。「花籠」さん、お元気で。

☆ 禿げかけ  ハーバード 雄
・ 先日,MIT(=マサチューセッツ工科大学)の人達と飲みに行った際,「病気の話と髪の話になったら,もう年寄り」という話題となった.実際,髪のことを気にしている人が同年代でも増え始めている.この飲み会でも3人が髪のことを愚痴った.3人とも,他人から見るとあからさまに禿げているわけではないので,話題に出すのもおぞましいという訳ではないのだが,自分の髪の毛のことは自分が一番知っている.そして,その3人のうちの一人が,何を隠そう僕自身だ.
もともと髪の量も多めで,髪質も太く堅いので,床屋に行っても「髪が多いですね」と言われるほどだったが,どうも頭頂部の髪が確実に減っている.電車に乗っても,真っ先に頭頂部で冷房を感じる.たまたま,その方向から風が吹いているのかと思って,あれこれ頭を回転してみても,やはり頭頂部が一番敏感なようだ.
そして恐ろしいことに,ここ最近,前髪が急速に薄くなっている気がする.今までは前髪がうっとうしくなると散髪しに行っていたのだが,ここ最近は,サイドの髪が鬱陶しくなる方が前髪よりも早い.前の日本のラボで,完全に禿げているバングラデシュからの留学生が,僕よりも頻繁に散髪に行っていて,彼は一体何が鬱陶しくなって散髪に行くのだろうと不思議に思っていたが,サイドの髪が伸びるというのも鬱陶しいものなのだと,最近になって分かって来た.
もうひとつ,最近気づくのが寝癖.今まで僕は酷い寝癖で,朝起きると全体が持ち上がった髪型になっていたのだが,最近,頭頂部の髪の毛には逆立つだけの元気がないのか,ぺちゃんとしている.両サイドだけが逆立っている.
・ もともと男性が禿げるのは男性ホルモンが原因のはずだが,男性ホルモンが多いことの証であるはずのハゲが,どうして女性から忌み嫌われるのだろうか? 生物学的には理にかなっていないようにも思われる.しかし,ハゲていることが高齢であることの証であると考えれば,高齢の男性を避けるという意味合いもあるのかもしれない.マウスも高齢になってくると,体重以外に顕著にエイジングを感じさせるのが毛並みだ.年老いたマウスは目だって毛並みが悪い.
・ 先日の飲み会の主賓でもあったMITの方は日本の医科大学で薬理学教室の講師をされているのだが,そのせいかハゲ薬の効用にもやたらと詳しかった(ちなみに,この方も3人のうちの一人).
ある薬は男性ホルモンのテストステロンの代謝産物の阻害剤だとか,別の薬はカリウムチャネルの阻害剤で,単に血行を促進しているだけだ,など,今まで知らなかったが同じハゲ薬でも色々とターゲットが異なるのが面白い.
禿げ方にも色々なタイプがあるが,僕の場合,頭頂部から前頭部にかけて,薄くなりそう.この部分の髪の毛を触ると頭が痒いような感触があって,髪が抜けるとスッと気持ちよくなる.
しかし,前の生え際は意外としっかりしており,あまり抜けそうにない.どうせなら前から綺麗に禿げ上がってくれたほうがまだ良い気がするのだが,未練がましく前髪だけが残りそうだ.分かる人には分かるだろうが,「安穂野香」ちゃんのような禿げ方になりそう(勿論,あんな格好はしませんが).
昔,中曽根康広のように一方の髪の毛を長く伸ばして反対側に持ってきている,いわゆる「バーコード」の髪型を見ると,未練がましくて嫌だったが,その気持ちが少し分からないでもない今日この頃.
詐欺と言われても構わないので,せめて結婚するまではなんとか保って欲しい.

* ウーン。こういうことを聞くようになったか…。
ちなみにわたしの髪は前が白く、少しずつ後方へ白が広がっているそうだが、幸い、その気配はない。夏は髪の量がやや減るのかも知れないが、冬になると十分量有るらしい。ホルモンのことは、意味すら分からない。
だいたいわたしは精神的な感情的な意味で、男にも女にもなれる。だが性的に同性に惹かれることは、滴ほども無い。うっかりおかまバーに連れて行かれ、戸口から瞬時に一丁も走って去ったこともある。偏見だと笑われるが、舞台の女形は「表現」と敬愛しているから感動すらするが、常日頃女の服装で女のように喋っている男は、近づくは愚か、目に触れるのもイヤ。昨日見た映画『娘・妻・母』の美しい落ち着いた和服の原節子像が、いまも「天然記念物」かのように懐かしい。しかしマリリン・モンローも懐かしい。若き日のイングリット・バーグマンもエリザベス・テーラーも懐かしい。『羅生門』の京マチ子も『カルメン故郷に帰る』の高峰秀子も懐かしいのである。
『酒が好き・花が好き』を出したとき、ペンの同僚理事からあれは正しくは『女が好き』でしょうと笑って肩を叩かれた。当たり。わたしは昔から「男は嫌い」。そして「女バカ」。但しともに、真実男への評価と、女への敬愛を示した反語であることだけは読み取って貰いたい。
2008 9・2 84

☆ 九月  恭
9・1  八月尽、裁判に関する記載は、秋を迎えての決意の一つの表し方と受け止めて再読しました。良い方向に物事が進むのを願っています。
以下は、8月13日のわたしの日記から、h..oshimura氏の返事をHPで読んだ後の感想。

「烈しく醜い、その文章は夕日子さん(仮名)がすべてを書いたものではないだろう。少なくとも、自分の家族は夫と娘、まではそのまま受け取ろう。その後で大仰に舅姑に触れ、O家の墓に入ることが望みであるとは・・やす香さんと一緒の墓に入るは 理解大いに理解できるが・・O氏の介入だろうと疑ってしまう。
また、週刊誌記事の件に関しては明らかに見え透いてくるものがあった。
HPでは、(秦さん=)ある程度冷静沈着に答え、書き進めているのは救いだと思えるが、書けない部分でどれほどの葛藤が渦巻いていることだろうか、案じられる。
状況は変わっているとしても、進捗は不可能に近いにしても、繰り返し試みるべきこと、なすべきことは、彼女を夫から「離していくこと、放免していくこと」だ。・・それとも既に遅すぎたのだろうか。遅いとしても、遅すぎたとしないことだ。遅すぎることはない。」

今日は用事があって機械に向かうのが遅くなりました。暑い中を自転車で出かけるのは、それだけで躊躇したくなりますが、普段の暮らしでいっそう怠け者になりそうで、一大決心して出かけるのです。
後で携帯で書いたメールを読み直しましたら、奈良博物館が博物園になっていたり、われながら恥ずかしいやら、可笑しいやら、失礼しました。
「西国三十三所」というのが展覧会の正確な名称です。西国の札所を廻ったのはもう二十年近くも昔ですが、実際に各地に行っても必ずしも本尊やら曼荼羅に直に会えるわけではありませんから、今回の展示は、奇妙な「懐かしさ」を感じながら興味深く見ました。
自在に動くように思われますが、本人としては自在とは程遠いと思っているのです。国内に関しては特に不十分で、東北、北関東、北陸、九州、南の沖縄諸島などまだまだこれからです。もっともすべて網羅してとは考えられません。経済的余裕があって旅行で
きたらいいですが・・これは無理な話で!
9.2   今日も暑い日。昨晩の福田氏辞任のニュースはやはり驚きました。こう慌しく首相が変わって、しかも唐突無責任。一国の首相たるもの、こんなんではあかん!! 問題山積みの日本。
昨日はアフガンで殺された若者の葬式、祭壇に飾られたアフガンの花に思いを馳せます。
何故か、再び、明日姑のところへ出かけることになりました。頼られて、断れないのが・・わたしのいいところ? 微妙ですが。
くれぐれもお体大切になさってください。これから郵便局まで出かけます。
2008 9・2 84

☆ 体調すぐれず  08.09.02 17:38
だるさを感じます。バテッています。
よくばって、暑い中、あちこち寄ったりすると、帰宅したあとはソファに倒れこみ、二時間くらい動けません。無理せず、すこしずつ用を済ませるよう、心がけています。
肩の痛みは、九十パーセントよくなりましたが、食欲がないので、さっき汗だくになりながらじゃがいもスープを作り、今冷蔵庫で冷やしています。
スープや冷たい麺なら、食べようかな、と思えます。
あと少し、涼しくなるまでの辛抱です。
お元気ですか。風は夏バテしていませんか。
風は、体力があるように、花には想えますから、きっと大丈夫。
お大切にお過ごしくださいね。ではでは。 花

* やすみやすみだが、ほぼ終日わたしは自分の世界であれをし、これをし、つづけている、毎日。日盛りの戸外をうかがうと、うかと出かけよういう気がしない。それで事が済むのだから、多彩な家事の必要な主婦さんたちはたいへんだと、思う。手伝わねばいかんなあと思う。妻もすこしバテテいるか。
2008 9・2 84

* 群馬の杉原氏が電話してきた。小一時間も話したか、苦言を呈した。
2008 9・3 84

* この機械をつかって自身の「場を」創ってから、十年半が経過した。平成十年三月から「闇に言い置く 私語の刻」は肇まっている。電子メールの使用はもっと早かったが、機械のクラッシュ等でデータを喪い、いま一番古いのも、わが家へ来て目の前で現在のホームページ原形をあっという間に創り上げてくれた、卒業生・田中孝介君との交信であるらしい。大きなクラッシュがあり、田中君がおおかたすくい上げてはくれたが、メール交信分の回復は出来なかった。いろいろ救出してくれた平成十年九月の交信がいちばん古くに残っている。
まる十年。幸いその後のものはほとんど全部がバックアップ保存されている。

* 七八年前まで、電子メールというのは、顕著な新「文化」であり新「時世粧」であった。パソコン文士として比較的先駆の一人であったから、なんどか関連の感想原稿も求められたしインタビューも何度も受けた。新「表現」新「社会」の鮮明な登場にわたしは最初から関心と意見とを持ち続けてきた。
個人的に顧みれば、メール人口とまでは言わないが「メール読者」は、顕著な扇形をなして増加し続けた。「メール数」もそれに応じた。一日に三度も四度もメールを寄越す人が何人もいたものだ。毎日呉れる人はザラであったし、未知の人からもたくさん舞い込んできて、新しい知友として定着した例も枚挙にいとま無い。
そういうことは、だが永く続くものではない。
もともと、メールを呉れればすぐさま返辞を書くという難儀な「習慣」は避けてきたから、書いても返辞がこないと苦情を聞いたこともまま有ったけれど、一日に何十という返辞が書けるものではない。労力の問題でもない。書く内容・文面において同じ一人のわたしがそうそうバラエティのある返辞は書きにくい、かといって同文にちかいメールを書き送るのは面白くない。
そんなことは、誰にとっても同じ。だから内容の鮮度を保つ意味でも、メールは、必然或る程度の間隔を開けるしかなくなる、それをしないとかえって間柄が干上がってくる。海外だの国内でも遠方に離れ合っている場合、メールの有り難さ、有効さはとてもとても手紙や電話の比でないが、それは全く別ごととして、一つには真の人間関係はもともと「メールだけ」で維持できるものでなく、ある種の習慣性空疎が感覚されてくると、その修正のために別途の親愛や情愛を苦労して注入せざるをえなくなる。人と人のベッタリ付き合いのそれこそが古来の難所であった。
かくして、決して「メール以前」にまるまる帰って行くのではないが、ある穏やかな疎隔、いや無沙汰関係が立ち帰ってくる。自然の趨というものだろう。
「mixi」のような、必ずしも「個と個と」限定されていない、しかしマイミクシイという或る程度選ばれたやや濃い関わりのなかで展開するソシアルなインターネットが有効なのは、歓迎されているのは、個と個との時に重苦しさを賢く回避しながら、親愛を気軽につなぎ止めやすいからであろう。親しき仲にも礼儀ありふうの、ベタつかない交歓がインターネットで可能であり、システム的マイミクの人数を増やすのも減らすのも自在なのである。わたしは、せいぜいよほど多くて七、八十人までのマイミクに限っている人を信頼する。わたしは現在五十一人だがその程度で十二分と思っている。あまり多くなれば空疎でなげやりな、ある種人もなげな人間関係が想像されてきて、わたし自身は好まない。荀子の「解蔽」という二字に借りていえば、バカバカしく多数のマイミクシイなど、一種の「ボロ」「襤褸」に発臭しかねないと警戒する。

* 十年を経て大人の電子メール世間は平静になってきている、のではないか。お互いに負担にならない程度の間隔で、佳い声や言葉が届いてきて、むろん必要が有れば一日に二度三度を拒むものではない。いろんな意味での「必要」原理がマトモに働いてきたのだと思う。
大事なのは、しかし、これらもいわば人と人とをつなぐ有限の「エネルギー」であるからは、怠けて火種を継ぐ気がうせていると、また元のもくあみの疎遠・無沙汰という風化は免れない。たしかにそれでいい相手もあれば、それではいけない相手も、誰にも有る。
機械は機械、とはいえこの機械、新世紀の人間関係に、もう、ぬきさしならず食い入っていることは確かだ。わたしが「言語による表現」団体である日本ペンクラブに、いち早く「電子メディア委員会」が必要だと発議し実現させた理由もそこに一つ在った。
このところ十年ほど、電子メールでの国民の新「表現」は、必ず将来の文学史記述、社会史記述の一章たるを要求するに違いない。無視できない。
2008 9・4 84

* 参議院議長の江田五月氏、『きのう京あした』の礼状戴く。

* 明治大学名誉教授の医学書院時代の旧友粂川光樹さんからも。

☆ 私も 生まれてから高校を出るまで、なか一年の疎開時以外は、京都(下鴨)で育ったので、まさに「興味津々」で拝読しました。
もっとも、私は両親が関東人であった上に、住居も「洛外」の、いわば無国籍な雑種文化の土地にあったので、京都人を名乗る資格はあまり無いのです。生粋の「洛中」人である秦さんにはとても敵わないと思いました。また秦さんの背景に仏教(知恩院)があるのに対して、私はどちらかと云えば神道(賀茂神社)である点も、違うところかと感じました。
そういう訳で、私の「京都指数」は比較的低いのですが、それでも貴著の中に、自分のことを言われているなあ、俺も京都人やなあ、と思い当るところは幾つかあったのです。その最たるものは、「違うのと違うやろか」のように、判断の責任を向こう側に委ねる態度の指摘(13ページ)であり、「京都人ほど自尊心がつよく、人に重く見られたがる手合いは無い」との指摘(56ページ)です。よく言えば外交官気質」とでも呼ぶべきもの、でも本質はかなり顰蹙に値する性質なのでしょう。
その他、貴著の歴史論ぶぶんからも、いろいろ教えられました。最上徳内への言及など、目配りを感じたところです。
以上、独語の印象を、二、三聞いていただきました。

* こんなふうに京都を共有していたとは、知らなかった。
20098 9・6 84

☆ 風邪と浄水器   光
東京で育ったせいかどうかわからないが、生水を飲む習慣がない。
水は、まずいもの、と思い込んでいるふしがある。
ワンルーム・マンションで一人暮らしを始めたときも、何も考えずに浄水器をつけた。
蛇口の先に取り付けるタイプのものだ。
ただし、半年に一回、カートリッジを取り換えなくてはならないのが、手間である。
しかも、交換用カートリッジは結構なお値段である。
なんだ、まだ水が出るじゃないか、と思うとカートリッジを交換しなくても大丈夫なのではないかと思えてくる。
半年に1回交換しろというのも一般家庭の場合で、私のような一人暮らしなら使用量も少ないしちょっとくらい交換しなくても大丈夫。
一つのカートリッジで2年くらい使っていると、逆に得した気分になってくる。

一人暮らしをするようになってから、不思議なことに気がついた。
必ず、7月と1月に風邪をひくのだ。しかも毎年。
それも、決まってのど風邪なのである。
どうも、風邪ひくときはその時期に冷房、暖房を初めてつけたときのようだ(仮説1)。
そう仮説をたてて、空調のフィルターをこまめに洗うようにした。
しかし、改善された様子は見られず、やっぱり決まって風邪をひく。
確かに7月と1月といえば、世間でも夏風邪、インフルエンザが流行る時期である。
外で風邪の菌をもらってきてしまうのかもしれない(仮説2)。
良くうがいをするように気をつけてみた。
が、やはり、決まってこの時期に風邪をひくことには変わりはなかった。
栄養不足で体力が低下し、風邪をひきやすいのか(仮説3)。
市販の野菜ジュースでビタミン補給してみたが、改善は見られず。

もはや、風邪をひくのが恒例化してきて、慣れてきた頃。
気休めでも、せめてうがいくらいはと、欠かさずにやってきた。
いつもは、イソジンを愛用しているのだが、新聞記事に「水だけでも効果あり。むしろ市販のうがい薬は口内常在菌を減少させてしまうので、外からの雑菌に弱くなる」とあったので、浄水器の「清水」でうがいをしてみることにした。
結果、一発でのど風邪にかかった。
まさか、とは思ったが、第5の仮説:浄水器が雑菌の巣窟である、を疑わざるを得なかった。
うぁー、やっぱり、カートリッジは真っ黒。
早速、全て新品に交換した。
驚くべきことに、今年の7月は風邪をひかなかった。
(結論)
病院の「診療代+薬代」に比べれば、浄水器など安いものである。
浄水器のカートリッジは、ケチらずに指定通り半年に1度は交換すべきである。

* 「光」くんのこれは有り難い処方箋だと思おう。わが家も浄水器をつかっている。どの程度こまめに入れ替えているかは知らない。

☆ 診察の結果  メル
問題なくて安心しました。今後も少しでも気になることは早めの受診が一番ですね。母などもそうですが、年を重ねると色々な粘膜が弱くなってくるようです。咳などもそのような影響かもしれません。どうぞお大切に。
今、テレビでブルックナーの演奏が流れています。遥か昔大学生の頃、ブルックナーを演奏していて、ああ、これこそ天国というものだと陶然となったことを思い出しました。
みづうみの創作中の天国の味わいを想像してうらやましいと思います。
2008 9・6 84

☆ 有難うございました。いちずな方はすこし恐ろしい気もいたします。いい絵を描くためにいろいろと努力されているご様子は伺えますがすこし軌道をはずされているようにも思われます。私などあの熱心さがあればもうすこしなんとかなるのでしょうが 自分でもあと一歩で退いてしまいます。 強引につきすすめばいいのでしょうが今はそんな気力も欲もなく、ただ自分の納得した絵を描きたいと
それのみのようです。 あれだけ恒平先生からも後押しして頂いておりますのに申し訳なく思っています。
御身体のお具合を案じております。 くれぐれもご自愛をと祈っております。  郁

* >強引につきすすめばいいのでしょうが
強引と言うのは、決して良いことではないのです。
>ただ自分の納得した絵を描きたいと それのみのようで
これもダメなんです。ものを創るものがこの台詞を口にしだすと、つまりストップしています。つまり「自分なりに」「自分の納得したように」という「言葉」が、結果的にいつも「逃げ道」「逃げ口上」として使われているからです。「自分なりにやりました」なんてのは、自分一人の自己慰安・自己満足の「ごまかし」になるのです。
真剣に創りたい描きたいなら、口かまがってもこの手の言葉の誘惑に負けないよう。口にしないよう。
「自分の納得ッて、何?」「そんなものあんたにあるの?」「それに何の値打ちがあるの?」と問われたら、絶句してしまうだけです。
納得どころか、暗闇の中を無我夢中で歩いているのが創作ですよ。
把握が強くないと表現も弱く、美しいホンモノは出来ません。対象を睨み付けてよく掴んで。 湖
2008 9・7 84

☆ オハヨ  泉
お元気ですか。連絡ですが私の手違いからインターネット接続が不可になってしまいました。パソコンも買い換えの時期に来ているのでまあ無い状態で暫く過ごそうかと思っています。
耳鼻咽喉科の診察を受ける私語は読みましたが結果は読めていません。案じています。私のアレルギーと同様の症状であれば良いのですがと。
私はしつこく耳鼻科通いをしていますが気温も下がり始めたので、外出を増やそうと思います。認知症回避のすべは、(家族とではなく、少し気も遣う人との)会話と、有酸素運動だと言っていましたからね。ほな又
2008 9・7 84

☆ 「湖」さま 感謝しております。 六
夜にパソコンを開いて、「e-literary magazine 湖(umi)」に拙作「小説の原初」が掲載されているのを知り、いささかおどろいています。「日記」に露見している私の迷走を叱り、励ましてくださっているのだと、うけとっております。
日々の勤めに消耗して、思索の自由度をせばめているうち迷路に入ったと、背筋の寒くなったこともありましたが、なんのことはない、ふりだしにもどっただけのこと。一度は通った道、今度はゆっくりと景色をながめて歩めばよいのだと思い定めての跛行が迷走に見えたとしても、しかたのないこと。私には私の歩み方があるのだからと、きままに、偏屈に、「日記」を書いておりますが、小説への執着、評論への意欲を希釈したわけではありません。
不如意のゆえにわきあがってくるものもあります。「小説の原初」をパソコン画面に拾いつつ、まあまあ、そう気張らずにと、ひと昔まえの自分の肩を叩いているうち、そのことに気づきました。いまならばこう書くというのではなく、書くべきこと書かなくてもよいことの弁別がすこしはできるようになったということでしょうか。それはまた、読者を信じるということにつながるのかなと、感じております。

* 飾らない、しかし美しい日本語で、そう志賀直哉のようにでも他の誰それのようにでも佳い、いやいやこの作者・筆者が「発明」し得た日本語で、評論も小説も痛切に書き継がれるならぜひ書き継いでほしいと思う。エッセイでもむろん構わない。読ませて欲しいといつも思っている。

* 昨日、他にも何人もの人の創作または創作風の文章を読んでみた。わたしの保存庫(アーカイブズ)には、寄せられた沢山な寄稿を擁している。ずいぶん久しくそれらに心身をひらく用意がなかった。
少しずつ、読んでいける。
寄稿の希望者は作品をファイル・メールで送って欲しい。但し、書き直して欲しいと注文がつくのは許して貰う。「e-文藝館=湖(umi)」秦恒平責任編輯は、想像以上に各界多彩の人の目に触れている。感想も貰う。厳しく推敲を乞うのは、寄稿者にあまりな恥をかかせたくないから。

* 昨日も少年の昔からの親友が寄越した文章を静かに読み直していた。
内容は佳い、が、文章に味覚の誘惑がない。会衆へ顔を右にふりむけ左にふりむけ胸を張って大まじめに、真正直に、演説している。その四角四面の身振りが邪魔をして、上の「六」さんの言葉を借るなら「書くべきこと書かなくてもよいことの弁別が」ない。文章を書く賢い人のだれもが陥って行く落とし穴に落ち込んでいて、これは本人は気づきにくい。成功感・達成感を持ってしまう、が、実は逆効果。惜しいなあ、やわらかな日本語で力みを抜き去って書き直してくれないかなあ、彼の自尊心を傷つけたくないなあと、昨日はだいぶ悩んで、やはり保留した。
いわば、「あとで後悔したのである」式の推敲未了がやはり多すぎる。このまま出せば恥をかかせる。
昔とは大違い、いまの若いお母さん達は、余裕綽々、自在に書いている。ときに自在すぎると感じることすらあるが。

☆ もーも、あ、と 2008年09月08日13:54   馨
二語文をだいぶ発するようになった我が家の二歳児。昨日はドアのところでエンエン泣きながら「あひ、たい、ここ」と言っていました。翻訳すると「足、痛い、ここで」となります。ドアに足をぶつけたらしいのですが、これで一応三語文まで出てきました。
二語文だけでなく、コミュニケーションもかなりスムーズに。
「にゅうにゅう(牛乳)」と言ってコップに注いでもらうと、「もーも、あ、と」。
宅配の配送さんが来て、荷物を置いてくれると、「もーも、あ、と」
これ、わかる方いらっしゃいますか~?
私もわからずに2、3回、やり過ごしていたのですが、どうやら「どうも、ありがとう」だったようです。お母さんはてっきり桃好きなアナタが桃を欲しがっているのかと思ったよー。失礼しました。
「もーも」だけの時もあります。
平日には朝の一瞬しか会わない主人は当然わからず、週末に「もーも、あ、と」と言われているのに、そのまま通過。慌てて、「どういたしまして! って言ってあげて」と、呼び戻しました。
娘に「はい」「ごめんなさい」「ありがとう」を教え込むのに苦労したのを考えると、生まれつきの違いというのは大きい、としみじみ思います。(「ごめんなさい」に関しては未だにことあるごとに叱責しています。)
躾でカバーできる範囲って、生まれつきの差異を覆すほどではないのかもしれないとすら感じたりして。この息子、言われなくてもまわりに声をかけられると、「あーい」と返事してますから。
しかし、これまた生まれつきの違いで、イタズラはスゴいです。
先週の出汁&麦茶のブレンドに引き続き、今日は気がつけば砂糖入れの中に塩を思いっきりあけてブレンドしていました。ご丁寧にスプーンでかき混ぜて…。
砂糖が茶色なので、白い塩のかたまりはできるだけ選り分けたのですが、その塩をお昼のパスタのゆで汁に使ったら、なんとな~く甘みのあるパスタができました。味がきりっとしなかいというか。アナタは不思議とよく食べたけどネ。
電話の設定がいきなり変えられていたり、水筒の中からマカロニが出てきたり、よく寝ている赤ん坊の鼻をつまんで泣かせて起こした挙げ句、「っパイ!(おっぱいだよ)」と母に言いわけ。
ただ、イタズラの後、使った道具がなんとなく片付けられているのが、散らかし魔の父親や姉とは違うところ。そしてこの喧噪の中でもすやすや寝ている三番目。
子ども三人もいると教育って何なんだろう、と思わず考えてしまいます。
教育なんてもので矯正できる範囲って、ホント、ごくちょっぴり。あとは、生まれてくるときに持ってきた持ち前で人は生きていくんだろうなぁ、と。
それにしてもキミのおしゃべりは遅すぎだったけどね。そして、「あち」が蜂と足と鍵と蟻の、すべて兼用なのもやめてほしいけどね。玄関で「あち!あち!」と大騒ぎするから、蜂が入ってきたのか、蟻がいたのか、足に靴を履きたいのか、と悩んだ挙げ句、「車の鍵をボクも持ちたい」だった、というオチは、かなり時間のムダだと思うよ。

* ウフフ…。ほんと。
『エミール』なんてリクツばっか、何役にも立ちゃしない教育論なんて、ドッカへ飛んでけ?

☆ BPOに訴えてやるっっ!! 2008年09月08日06:47  麗
過激なタイトルで恐縮です。
以下の新聞記事ですが,「クチグロナキウサギ」という,チベットに住む,ナキウサギの仲間についての番組が,7月末にNHKで放映されました。ご記憶でしょうか。
あれ以来,いろいろな方が,「TV見ましたよ」と,あくまでも好意的に話しかけてくれました。そのたびに,「いえ,実は・・・」と,こちらのほうで真相を話さねばなりませんでした。そのたびに,相手の表情が曇ったり,戸惑ったりするのを見るのは辛いものでした。
さて,タイトルの「BPO 放送倫理検証委員会」ですが,過去に番組側の非を認めたものは,たった1件だとか。地元紙さんが記事にしてくださったのはありがたいことですが,道はまだまだ遠いです。エゾナキウサギとは無関係な話なのに,世間への誤解は広がってしまったし。
難儀やなぁ。
—–*——
ナキウサギ番組「疑問」 豪雨、猛暑招く? NHKに訂正要求(09/03 14:00 北海道新聞)
札幌の市民グループ「ナキウサギふぁんくらぶ」(市川利美代表)が、「中国・チベット高原のナキウサギが大発生すると、日本が猛暑や豪雨になる」と放送したNHKの番組は「虚偽または非科学的で、ナキウサギが不当に温暖化で悪者扱いされた」として、NHKに訂正を求め、放送倫理・番組向上機構(BPO)に調査と審理を要請した。NHKは反論しており、自然保護の象徴的な存在のナキウサギが温暖化論争に巻きこまれた形だ。
番組は、NHK総合テレビで七月三十日午後七時半から全国放送された「ちょっと変だぞ日本の自然3 風が吹けば○○が…大変だスペシャル」。アジアでの環境異変が日本の異変に連鎖している一例として、中国科学院の西北高原生物研究所の研究を取り上げた。
まず、チベット高原では少雨と家畜の増加で草原の草丈が短くなり、同高原に生息するクチグロナキウサギの視界が開け、雄と雌が出合いやすくなって大発生した、と紹介。
その上で、クチグロナキウサギが草を根こそぎ食べて砂漠化し、砂漠化による温暖化で上空のチベット高気圧が強まり、日本が猛暑や豪雨になる-として「チベットでウサギが増えた今年は猛暑や豪雨に注意しましょう」と呼び掛けた。
これに対し、ナキウサギの生態に詳しく、チベットでの調査経験もある川道武男・元大阪市立大助教授は《1》クチグロナキウサギのつがいになる時期は草が伸びる前の雪解け直後《2》雄と雌は自分たちが掘った地下トンネルの中で頻繁に出合う《3》鳴くことで自分の存在を知らせる-と指摘。「草丈の変化による大発生説は荒唐無稽(むけい)。今年の大発生も疑わしい」として、ふぁんくらぶと共同で八月十一日にNHKに意見書を出した。
NHK広報局は「西北高原生物研究所は草丈を高くすると、ナキウサギが減るという実験結果を得ている。生息密度が十年で倍増したデータもあり、同研究所は『大発生と言える状況が続いている』と結論付けている」と反論、訂正には応じない方針だ。
ナキウサギは北半球の高緯度地域の高山などにいて、世界で約二十種が確認されている。国内では道内にのみエゾナキウサギが生息する。クチグロナキウサギはチベット高原に生息し、鼻から口にかけて黒いのが特徴。エゾよりひと回り大きく、体長一二-二五センチ、体重一〇〇-二〇〇グラム。
BPO 放送倫理検証委員会  http://www.bpo.gr.jp/kensyo/

* 適切な発言に、関心をもつ。

☆ お元気ですか  鳶
週末から右腕がまったく動かなくなり、整形外科の診断はもちろん五十肩。気楽に思いたいですが痛み止め注射の効き目が切れて、横になって眠るのもままならず。帯状疱疹の軽い症状と思っていたのが間違いで、五十肩の予調でした。
九月、夏の疲れを残さず、元気に元気にお過ごしください。

* 肩の痛い人が二人、三人。若い人が一人、もう若くはない人が一人。老人が一人。わたし、今は何ともない。しかし全身の硬いこと。
2008 9・8 84

* 夕飯前にがまんならず二時間寝た。夕飯を終えて七時過ぎ。あれをやりこれをやり、少しずつ少しずつ平均して仕事を前へ送って行く。いま、そういうことの必要な時。
作家がひとり自殺した由、何かの委員会で名前を聞いたか一緒に会議したか、おぼろに覚えている。自殺の理由は知らない。
顧みてわたしが何かに追いつめられているか、思い当たることは特に無い。創作者として、わたしはわたしの勝手で好きにしている、だから、特別な思いはない。突如としてまた噴火する可能性はあるし、無くても構わない。「今・此処」に生きていれば、おそらくそれが創作的な第一なのだと思う。
わたしは、今度ある種の本をつくる時、題を『非常識な存在』としようかと期待している。物書きやもの創りが「常識的な存在」になったら、お嗤いモノである。ただ非常識を「死」で表現してしまうのは、或る意味で常識的な選択であり表現であると、わたしは肯定していない。

* 妻には妻の心配がある。二人の親から兄とわたしが生まれ、兄に三人、わたしに二人の子があり、兄もわたしも、兄恒彦の子の二人もわたしの子の建日子も、物書き、もの創りであるし、妻の兄も妹もそうである。物書き、もの創りには「非常識な暗闇の世界」が確かにあるから、妻には彼等に関して常識的なおびえがあるのはムリがない。
何ということは無い、一つ「売れねばならないなどと考えない」こと、二つ「名誉の表彰を追い求めない」こと、三つ、緩やかに大きな抛物線を描き、「年齢を同伴者の人生」なのであるから、「若い人たちとの交代現象は必然の必要」と、つねに心得ていること。
そのように心得て「今・此処」に正対していれば、人生には、ふっくらと佳い余禄が無いわけでないのである。
この年で、わたしは、甚だ非常識に不徳のジンであるけれど、御覧のごとく、孤ではない。健康で厚かましく「不当にイバッテ」暮らしている。三田誠広クンがいつか話していた。「文学の世間はヘンな世間でしてね、ちいっとも売れない人が胸をはってエバッテますからね」と。あれは言えているのである。リッチになったらむしろ負けで、いずれ芯からうしろめたく衰える。フェイマスに生きるには「今・此処」を見失わないで、非常識な存在を貫いていれば宜しい。北澤恒 (黒川創)も街子も秦建日子も、常識人に落ちこむなよ。
2008 9・8 84

☆ 万佐さん、有難う!  郁
ご丁寧に有難うございます。何時までたっても以前のままの私ですね。 ですからきわたった絵がかけないのですね。逃げてばかりですね。
自分を守っているのですね。そうなんですね。 そして言い訳のような言葉を並べてばかり!! います。
逃げている自分がいるのもわかる気がします。打ち込みかたが足りない自分もいます。 大いに反省してまた出直します。この言葉もいままでにどれほど申しているでしょうか? もうあきれ果てておられることでしょう。
自画像は恥ずかしいかぎりです。 沢山描いたのでどれをお送りしたのか?
本当は沢山みていただきたいものが 絵がありますが、どうも思うに任せません。 来秋の個展の折には横浜までおいでくださいますか?
なかなかこれと思う作品がないようですが、人生きっと最後になると思いますので する予定にはしています。
なかなか思うようなことがお伝えできません。悪しからずお許しくださいませ。
10月末には(昔の勤め先=)**の方たち7名で京都 宇治 比叡山などなど 観光してきます。 もう12年つづいています。同じ年齢のかたたちです。懐かしいおもいです。琵琶湖など! ではごきげんよろしく。

* 「万佐さん」などと呼びかける人は、この人ぐらいか。
日吉ヶ丘高校では学内新聞に「菅原万佐」という筆名を使っていた。この名で後に三冊私家版をつくったが、「新潮」編集長に本名が宜しいと言われて捨てた。「菅原万佐」の名で三種類合わせても、もう三百冊ほどもあるまい私家版が世の中に出ている。わたしの本とはもはや気づかれてもいまい。もう一冊の「清経入水」だけが秦恒平の名で出た。四冊合わせて五十万円もしていた時期があったが、わたしの懐とは無縁だった、ハハハ。

* 高校後輩の「人生きっと最後」などという述懐が、もう笑えなくなっている。

若い人に次々にあとを追い越されゆっくりでいい我の花みち

先週末、朝早に病院へと最寄り駅へ歩いていたときも、いつも通り通勤の若い人たちに追い越されて行く。少し早足になってみようとしても敵わない、いやいや、ゆっくりでいいんだと思った。底紅の白い木槿やもう咲き残りか百日紅などの咲く道だ。「今・此処」をゆっくり歩めばいい。そう教えているのはわが内なる友の、「死」であり「生」であるとわたしは気づいている。
2008 9・8 84

☆ 出張中 2008年09月09日01:40   東大 悠
土曜日より,京都に出張中です.国際会議が日曜から始まりました.事務局業務にへとへとです.
150名程度のワークショップクラスの小さなもの.でも,研究室のスタッフ5人での準備は結構大変でした.加えて,自分の発表もポスターセッションであったので,合間に準備するのに一苦労.こちらは本日終って一安心.
日曜はレジストレーション.
フランス人の名前は鬼門.2人から”名札のスペルが違っている!”とクレーム.想定外の申込があったり,お弁当,バンケット,エクスカーションの人数確定等の締切.ベジタリアンの”程度”を本人に確認したり....
今回の“業界”に顔を出して約5年.
顔見知りの外国人研究者の数も増え,笑顔で”お久しぶり!”の挨拶ができるのはうれしいものです.
開催場所は京都の真ん中あたり.四条から少し上がった大学生協のホテル.日本人からも,外国人からも”迷った!”という声が多いですが,楽しんでいらっしゃるようです.よかったよかった.
さて,息子.連れてくるわけにもいかず,土曜日に羽田空港へ母に来てもらい、息子を預けてとんぼ返りしてもらいました.
京都に続いて仙台でのワークショップ,会議が連続します.息子は今週いっぱい実家でお留守番です.
テレビ電話でおはようのご挨拶の毎日です.

* 若いお母さんの、活気。

☆ パボ 日本語と韓国語  ハーバード 雄
・ 昨日は一昨日と打って変わって快晴.外に出ようかと思ったが,面倒くさくなって最近買った電子顕微鏡に関するテキストを読んでいたら,いつの間にか眠ってしまっていた.風が爽やかで,気持ちよく寝てしまったのだが,起きてみると頭が痛い.変な格好で寝てしまったから寝違えたのだろう.サロンパスの塗り薬を首に塗ってみたが,一向によくならないので,バファリンを飲んでまた寝てしまった.今朝起きてみると,すっかり痛みが消えていた.
・ 僕とラボで居室を共にしている韓国人ポスドクのヒャーノによると,肩こりの際に使う,先端が網状で,押すと液体が出てくるタイプの塗り薬を,韓国語では「パス」というらしい.以前,同様のサロンパスの塗り薬をラボに置いていたら,ヒャーノが教えてくれた.彼はカタカナが読めるので,「きっと韓国語のパスは,このサロンパスから来ているんだろうな」と興味深げな様子だった.
日本語と韓国語は一見大きく違っていて,横で話しているのを聞いても殆ど分からないが,実は単語レベルだと意外に近い発音のものもある.例えば「脳」は韓国語で「ヌウェ」.やはり隣国は隣国,文化の交流はお互いに密なのだろう.
こんな近距離だけでなく,もっと全世界に亘って近い音韻の言葉もある.例えば閼伽棚(あかだな)の閼伽はaquaと語源を一にすると聞いたことがあるし,「茶」を表す言葉は,中国語,英語,ロシア語など,様々な言語を通じて似ている.これらがどうやって伝播していったのかは興味深い.
・ 僕とヒャーノのいる部屋の前には,名札を入れるボードがあり,ここに僕とヒャーノは自分達の名前をアルファベットだけでなく,漢字とハングルで記載している.先日,これに気づいたボビーが大喜びし,是非隣の部屋を利用しているチリ人ポスドクJCの部屋の前にも同様の名札を作ってくれ,と言ってきた.ただしJCの名前を正確に表記するのは英語だけで,日本語や韓国語では代わりにassholeを意味する言葉を書いてくれ,という依頼だったが.
ヒャーノが僕に,「日本語だとassholeは”馬鹿野郎”かなあ?」と聞く.僕もそれが一番ニュアンスとして近いかなと思う.
「バカとアホだと,アホの方が少しやわらかい表現なんだよねえ?」とヒャーノ.ヒャーノは実に良く日本語を知っている.
「確かにそうだね.でも,それだけじゃなくて,関東と関西でも違うんだよ.関東だと”バカ”が一般的だし,関西だと”アホ”っていうのが一般的なんじゃないかな」と付け加えた.そういえば昔,「探偵ナイトスクープ」の企画で,「全国アホバカ分布」という企画があって,「アホ」が使われる地域と「バカ」が使われる地域を調べたものが本になった.単純に思われた企画だったが,途中から「たわけ」という言葉も表れて,意外にも複雑な分布をしていることが分かったのだった.
逆に僕が「韓国語だとなんていうの?」と聞くと,
「そうだなあ.一番当たり障りがないのは,”パボ”じゃないかな」とヒャーノ.
「アホ」と「パボ」.結構似ているなあ.もしかすると,日本から韓国に伝わったのかもしれないし,逆に韓国から日本に伝わった可能性もある.バカと似た音の言葉は無いようだが,そうすると関西圏の方が韓国と文化的に近いのだろうか.現在でも大阪にはコリアタウンが多いし,在日韓国人も多く住んでいるので,地理的にも文化的にも,関西の方が関東よりも韓国と近いのかもしれない.

* 人間の基本の姿態は、立つ、坐る、臥る、だ。立つと臥るとは、世界中同じだが、座り方は国により民族や種族により、ちがう。その違いを克明に世界地図に描き込んで行くと面白い動態・動勢図が出来るかも知れないとは、三十年も前から言ってきた。正坐などという座法は極めて孤独な方だろう。仏像を観ていてもいろんな座り方をしている。しかし、跪座は稀に見ても正坐の仏像はさらにさらに稀で、見覚えが全くというほど無い。
正坐は極度の謙譲・服従ないし罪人の座り方である。
利休以前、茶の湯がほんとうに正坐で為されていたと考えるのは思いこみの最たる一つであろう。利休の出自には朝鮮半島の気味が濃いと研究家はもうだいぶ前から言い始めているが、朝鮮半島では文字通り正坐は罪人の座り方であり、かの国の人たちはたとえば片膝たてで自在に美しく振る舞う。能舞台で正坐しているのは、今では笛、太鼓、地謡、後見。シテもワキも正坐などしているのを一度も観たことがない。
織田信長や羽柴筑前が正坐して茶室にいる図を想像できない。

* ひところ娘は「茶」を探索すると言って熱心そうに見えた。「茶」を言い表すには、「テー」「チャイ」の二型がどうやら別系統らしいわよなどと言っていたが、それだけでストップ。
あのまま本格に「茶」学を追究していたら、学界の一角に席が出来ていたかも知れない。根気よく続ければ、視野は深まるものだが。
2008 9・9 84

☆ 菊の酒  瑛 e-OLD 川崎
久々の快晴、空気は、大気は上から降りてくる高気圧に日本列島が包まれた。山を歩いてきた。
山に行くときは杜甫の文庫本を持っていくことがある。秋は山頂で杜甫の「登高」の詩を読むような雰囲気が好きである。昨日は九月九日。
重陽の節句であったので友達を誘って秋晴れの中を山へ登り、酒を飲みお互いの歩いてきた見聞を語り合った。
「重陽」の説明文を引用しますと、「旧暦の9月9日は現在の10月の中ごろにあたり、菊の花が美しく咲く時季で、「菊の節句」とも呼ばれます。古代中国では、「九」は陽数(奇数)の中でも最も良いとされることから九月九日は陽が重なる大変おめでたい日としてお祝いをしていたといいます。この日は、「登高」という故事にちなんで人々は小高い山に登り、菊の花を浮かべた酒を飲むという風習がありました。中国では古来、菊の花には邪気をはらい、寿命を延ばす力があると考えられていた」とある。杜甫「登高」の詩です。

風急天高猿嘯哀   風は急に天高くして 猿の嘯くこと哀し
渚清沙白鳥飛廻  渚清く沙白くして 鳥 飛び廻る
無邊落木蕭蕭下   無辺の落木 蕭蕭として下り
不盡長江滾滾來  不尽の長江 滾滾(こんこん)として来たる
萬里悲秋常作客  万里 悲秋 常に客と作(な)り
百年多病獨登臺   百年 多病 独り台に登る
艱難苦恨繁霜鬢   艱難 苦(はなは)だ恨む 繁霜の鬢(びん)
潦倒新停濁酒盃   潦倒(ろうとう)新たに停(とど)む 濁酒の盃

声に出して読んでいると体が喜ぶ。我が懐古趣味の世界です。

* 昨日中国にいる息子に重陽を祝い、両親は歌舞伎を一日楽しんだ。

* 此処に「客」の一字があり、杜甫の場合は余儀ない漂泊と無縁でないが、ひろく「人」の場合、「此の世は旅先」であり、自身はそういう「旅客・過客」という慨嘆がある。そこから「客愁」というわたしの胸を去らない感慨が湧く。
2008 9・10 84

☆ お元気ですか、風。
この頃、やっと食欲が出てきました。
これほどの夏ばてははじめてで、情けなくなりました。
バレーボール、ナチュラルビクス、ヨガなど、ここ数年、体力づくりのため、ささやかですがエクセサイズを継続してきましたのに。
この一年くらいは、週に一度くらいでも、しないよりはマシと、ウォーキング、今夏はキャッチボールと、飽きないよう、あれこれやっていました(腕が痛くなってからは、キャッチボールは休んでいます)。
風へのメールが、夏ばてだの、腕が痛いだの、グズグズしてしまったのは、事実の報告だったのですが、風を呆れさせてしまったようですね。
花はだいぶ快復しました。
連休の里帰りも順延になりました。
風の耳鼻咽喉科は、何をおそれたためでしたか。問題なしならよかったけれど、自覚症状があるなら、気に留めておいた方がいいですね。お大事になさってください。
朝晩は涼しくなりましたが、昼間はまだまだ酷暑です。
お体お大切に。 花

* 元気ジルシの代表格のような若奥さんにも、こういう夏バテがあるのだ。人はみな何かしらムリをしている、ムリを強いられている。
2008 9・10 84

 

☆ 一水会展   郁
お陰様で入選することができました。どちらでもいいわ! とか申しながらもやはり落選しましたら少しの間 描く気が起こらなかったとおもいます。
後になればこれもいい勉強だとわかるのですが、当座はやはり気力が失せます。 賞候補に推してくださいましたが推薦者の数が足りなかったそうです。私はもっともだとおもいます。先生はとても力をいれてくださっていますが 本人がいまいちで力がないうえにすこし先生のいわれることを無視したりと、いけない生徒でもあります。 どうしても。 18日からはじまります。 上野公園へご散策をかねてぜひいらしてくださいませ。
酷評などもう怖くありません。 よろしくお願い申します。
2008 9・11 84

 

☆ 心配してくださって、ありがとうございます。メール、とても嬉しい。
昼間の暑さも多少和らぎ、朝晩はかなり涼しく、体はだいぶラクになってきています。
九月は、行楽にいい季節ですね。連休はどこも混雑するでしょう。うちは、祝日は出勤なので、通常の週末と変りありません。
今日の夕方、勉強机用の椅子が届く予定です。これまで、ソファで、ノートや本をあちこちに広げながらしていたことが、机と椅子でできるようになります。白い机に白い椅子。天井にはモビールを飾ろうかな。
勉強部屋は、とびきり心地よい空間にしたい。
部屋の模様がえは、とても楽しいです。
少しでも気の晴れることをして、花は元気になります。
唐突ですが、風に質問が。
「谷崎さんは真面目ゆえに、小さなことを自身にとって大問題かのように捉えてしまっていると思う」という意味のことを、佐藤春夫が書いていたと、誰かの文章で読んだ記憶があります(風の谷崎論だったかどうか)。
谷崎のマゾヒズムなどの性癖について言っているのだと思います。
佐藤のこの発言、記憶にありますか。
傍から見るとそうでもない内的な事柄を、「大問題かのように」扱ったわけは、谷崎にとっては大問題だったのかも知れませんし、小説にする上での意匠という意識もあったのではないかなあ、と、花は思います。
そして、谷崎は、小さな種を大きくふくらませて書く稀有な力を持っていたのではなかなあ、と。
なぜこんなことを訊ねるかといいますと、(いま批評の対象として関心を向けている=)性の求道者などと呼ばれる吉行淳之介は、読めば読むほど、性的には倒錯のまったくない普通の人で、それでも、当時の評論には、「性的倒錯」なんていう言葉がよく出てくるので、えー、と思うのですが、感受性が強く、気を遣いすぎる性質なのは確かで、ゆえに、世間ではそうめずらしくない事柄が、吉行の内的には事件たりえたのかなあという気がして(しかし、創作とはこういうものかなあ、とも思います)、ふと、佐藤春夫の言葉を思い出したからです。
新しいご本にとりかかった風は、またお忙しいですね。ペースを保って、無理せず、なさってください。
ではでは。  花
2008 9・12 84

* たったいま、こんな提案と激励がきた。面はゆいが、提案には心動かぬではない。栄誉や世評を追うのではない、どうかして遣い甲斐のある金の使い道がないかと思ってきた、ろくに金は無いけれど、ベストセラー作家の息子に遺す必要は無いようだし、娘は金輪際秦家と天をともに戴かない、名前も返上すると云っているのだから、これも論外になる。死ぬまでに遣い尽くしておいて誰も困らないなら、団体に寄付をと思っていたが、寄付行為というのは生来イヤラシイ気分で生きてきた。しかもバカげた賠償金など支払うぐらいなら、その前に「潔く」使い切れないかと、むしろ困惑していたのである。金が干上がってなおしぶとく生きていたら、喜んで秦建日子にすべて委ねる。子の世話を受けられるのは親の生活力であるというのが、わたしの思想であるから。もし断られたら、そのときこそ、文士の本懐である「野垂れ死に」がいいと。

☆ お元気ですか。ようやく秋の気配が感じられるようになりました。夏に比べて、眠りが深くなるのでわかります。
地球温暖化にヒートアイランド現象と、年々暑さ厳しく躰に堪えるようになっていますが、今年は夏バテしませんでした。食欲が落ちて三キロほど痩せ、面やつれした美女になる予定にしていたのですが、なんと新たな肉がついてしまいました。(こわくて体重計に乗れません)このままおいしいものの豊富な食欲の秋に突入するのかと思うと、つらいものがあります。
みづうみは相変わらず刻苦勉励の日々をお過ごしで、しかも次の「湖の本」のご準備も着々と進行しているごようす。以前「卒業生」の方が、よく働く二割のアリの話を書いていましたが、会社でもほんとうに働く二割の社員が、残り八割を養っているそうです。人間社会全体を見渡しても、みづうみのような勤勉有能な人間二割。残り八割は能力体力気力に劣り、働きがよろしくないといえますでしょう。わたくしが八割グループに属していることはいうまでもありません。
次はマジメなご提案です。
日経のコラムで、ある作家が、自分の作品を自費で英訳を依頼して冊子のような手軽な私家版を創り、海外の友人に配ることにしたと書いていました。外国で自分を「作家」と紹介しても、作品を知る人がいないのを不満に思っているからとのこと。日本語は翻訳されにくい言語ですから、たしかに日本の文学者は不遇です。
以前から何度か申し上げましたが、みづうみも海外を視野にいれるべきなのです。しかも、出来るだけ早くに。(翻訳の出来不出来を作者が確認するためにも。)
一冊でもよろしいので、是非英訳の「湖の本」を製作していただけないでしょうか。
建日子さんは海外におでかけになる機会も多いようにお見受けします。その時にあちらのお知り合いに何冊かずつでも配っていただけると、みづうみの作品が世界に認識されるきっかけになりましょう。もちろん、みづうみの海外読者のネットワークも活用なさることは言うまでもありません。
みづうみの作品の正当な評価はむしろ外国のほうが早いかもしれないと以前から感じていました。今の日本には藝術を評価するシステムがおそろしいほどに欠如しています。
将来に渡って色々な意味でみづうみの作品を守るために(裁判などからも)、是非戦略を立てていただきたいのです。世界の秦恒平になるのです。
とりあえず、翻訳しやすい短い作品として、わたくしは『ディアコノス・寒いテラス』をと思います。この題材は日本文化の素養がなくても読みやすく、世界共通の恐怖で読者を震え上がらせるでしょう。
そして、みづうみの出発点ともいうべき『畜生塚』がよいのではないかと思っています。どんなに素敵な英訳本になるでしょうか。もちろん仏語訳でも他の言語でもよろしいのですが……。
海外に読者を増やすことは、かならずみづうみのためになると信じています。
座して待っていても、日本語の作品の翻訳など進みません。どうか、この作家のように自ら英訳させて世界に打って出てください。日本で名が出ているというだけで、三流作家の作品が翻訳されて海外で評価を受けていると思うと無性に腹が立ってくるのです。どうかご検討くださいますように。
明日から三連休。みづうみはなんの日かなんておぼえてもいらっしゃらないでしょう。わたくしは三日間しっかり嫁稼業に精出す予定です。涼しくなると夏の疲れが一気に出ることもございますから、ご無理なさいませんように。 於菊

* そうか費用を負担して依頼するのか。しかし、その人の英語力や外国語力を信頼しなければならないし、云うまでもないが文学言語と商業英語や法律英語は天地ほど違う。せめて藝術的なセンスのある人に出会わないと。
これはもう他人様の好意有る情報やご紹介をまつしか手があるまい。海外にお住まいで、文学藝術にご自身も関心の深い方からお知恵を拝借できないだろうか。外国語を日本語に翻訳できる人は国内にも多いが、日本人の書く外国語がかなりあやしいことは、医学書院で編集者をしていて、えらいえらい先生方が、外国の雑誌に投稿されるとき四苦八苦の体であったのをわたしは沢山見知っているのである。

* それにしても『ディアコノス 寒いテラス』とはビックリしました。「於菊」は秋成老人をおどして雨月から現れ出た女の名。コワい。

* 息子の名が出ていたが、ことわたしの作品となると息子はほとんど読んでいないし、「湖の本」を助けてくれるような気持ちの余裕もない。何の助けにもならない。彼はいまは自分の仕事で、或る意味ではアプアプしているし或る意味では儲け仕事に手を出して行く物欲の時期、それもムリもない。自分の作品や舞台に父親達の批評はとても欲しがる、それがせめてもの親孝行、それでよいと思っている。
幸いわたしには「いい読者」がいる、そんなときは「一人当千」という古めかしい言葉を思いだしている。
2008 9・12 84

☆ 文楽9月公演   珠
昨日は文楽へ。忙しかった今夏、ずっと先のような気がして数日前まで忘れていた。第一部11時開演も久しぶり。早めに家を出て、デパートでお昼のお弁当を調達。射すような陽射しの中、年内最後になるだろう石畳の道を国立劇場まで歩く。
5月の公演でお目にかかってから4ヶ月。暑かった夏も無事に越え、住大夫さんのお元気そうなご様子に安堵する。
大阪は商売が厳しいせいか、夜の劇場でも空席が目につくけれど、東京公演は盛況で有難いと。日々、いつまで語れるか考えていると仰る。まだお腹に力は入るので、何とか体力的には語れるが、息が短くなってきていると。「一息で語らなあかんとこ、途中で息切れますのや。まぁな、あと一年、来年はさせてもらえるやろかぁ、、思ってますのや」
どうか、どうかお元気で、一日でも長く語って頂きたい。
「近頃河原の達引」聖護院の森での心中事件を題材にした作品。
まずは”四条河原の段”、井筒屋伝兵衛と遊女おしゅんは馴染みを重ねて相思相愛。そんななか、得意先亀山藩の重宝である茶入れをめぐり、おしゅんに横恋慕する勘定役は伝兵衛に斬りかかる。結果、伝兵衛は勘定役を斬り殺してしまう。
”堀川猿廻しの段”では、おしゅんの実家が舞台となる。貧しく目の不自由な母と、猿廻しをして母の面倒をみている兄与次郎の暮らす実家に、伝兵衛の騒動から逃れるためおしゅんが戻っている。心配する母と兄に、おしゅんは伝兵衛への退き状(離縁状)を書いてみせる。でも心は伝兵衛を想い、ついに夜中、伝兵衛が忍んできた時、止めようとする母と兄に、おしゅんは女の道を通し運命を共にすると訴える。母と兄与次郎は泪をこらえ二人を落ち延びさせる覚悟をし、ささやかな祝いに猿廻しをするのであった。
住大夫さん語るこの”堀川猿廻しの段”、おしゅんの母が三味線の稽古をつける場面から始まって、もの哀しい地歌と三味線が長く続く。稽古なので、その一曲を母が教えたり一緒に奏でたりするのだが、ふと目をやると、三味線をひくお二人の手の動きやバチのリズムと全く同じく人形の手も三味線をひくではないか。廻し床まで目に入れるように少し退いて観ていると、人形と人、合わせて4人が奏でているように見えた。人形方と大夫さん達、合せるとかえっておかしくなると、元来舞台直前の通し稽古しか一緒にやらないというが、、、思わず目を疑うほど同じだった。
そしてこの作品、人形がよく動いた。生活していた。兄与次郎は、火鉢に火をおこし、湯を沸かして飯を炊き、椀に飯をよそって食事をし、箸や膳を仕舞う。布団をひいて妹を寝かせ、自分のかいまきを妹にかける。祝いに遣う猿廻しも、細かな動きに人形が生きていた。貧しい家での派手な展開のない場面だが、その動きにやさしい兄と目の悪い母の想いがよく見えていた。そういえば、文楽には演出家はいない。
いったいあの動き、誰がつけたのだろうか。

☆ hatakさん
mixiにメールを頂きました。
ご無沙汰をしています。お送りできるものは何もないのですが、以前頂いた『茶心の背景』を、hatakさんの傍線とともに読みました。『利休の逸話』も読み始めたところですが、『茶心の背景』からは、私が抱え続けている茶と茶の湯と茶道について、再認識させてくれるところが沢山ありました。というより、茶と茶の湯と茶道を抱え続けている私を再認識させてくれたといった方が正確です。これについてはいつか触れますが、まず、この本の中で出会った、「栄秀」という笛吹きの話を紹介させてください。maokat

生方貴重著『茶心の背景 和歌と仏道』を精読している。
その中に、鴨長明の『発心集』永秀法師、数寄の事というくだりが出てきて、強く惹き付けられた。

八幡別当頼清が遠流にて、永秀法師といふ者ありけり。家貧しくて、心すけりける。夜昼、笛を吹くより外の事なし。かしかましさにたへぬ隣り家、やうやう立ち去りて後には、人もなくなりにけれど、さらにいたまず。さこそ貧しけれど、おちぶれたるふるまひなどはせざりければ、さすがに人いやしむべき事なし。
頼清聞き、あはれみて使ひやりて、「などかは何事ものたまはせぬ。かやうに侍れば、さらぬ人だに、事にふれてさのみこそ申し承る事にて侍れ。うとくおぼすべからず。頼りあらん事は、憚らずのたまはせよ。」と言はせたりければ、「返す返す、かしこまり侍り。年ごろも申さばやと思ひながら、身のあやしさに、かつは恐れ、かつは憚りてまかり過ぎ侍るなり。深く望み申すべき事侍り。すみやかに参りて申し侍るべし。」と言ふ。
「何事にか、よしなき情けをかけて、うるさき事や言ひかけられん。」と思へど、「彼の身のほどには、いかばかりの事かあらん。」と思ひあなづりて過ぐすほどに、ある片夕暮れに出で来たれり。すなはち出で合ひて、「何事に。」など言ふ。「あさからぬ所望侍るを、思ひ給へてまかり過ぎ侍りしほどに、一日の仰せを悦びて、左右なく参りて侍る。」と言ふ。「疑ひなく、所知など望むべきなめり。」と思ひて、これを尋ぬれば、「筑紫に御領多く侍れば、漢竹の笛の、事よろしく侍らん一つ召して賜らん。これ、身にとりてきはまれる望みにて侍れど、あやしの身には得がたき物にて、年ごろえまうけ侍らず。」と言ふ。

清貧の笛吹き栄秀は、親戚のお金持ち八幡別当頼清に「なにか望みのものはないですか?」と聞かれる。領地でも寄こせと言われたらどうしようと動揺している頼清に栄秀は「御領地の九州の竹で作った笛を一つ」だけ所望する。
この後笛をもらった栄秀は、頼清に食べ物をもらってそれがある間は楽人を呼んで合奏し、それがなくなると一人で笛を吹いて、明かし暮らした。
この項は、

後には、笛の功積もりて、並びなき上手に成りけり。かやうならん心は、何に付けてかは深き罪も侍らん。

栄秀が笛の名手になり、「このような心は深い罪を犯すことがあるだろうか」
つまり、一藝に没入する心は、滅罪をもたらして、仏道成就の機縁になると、鴨長明によって結ばれている。
鴨長明のコメントはともかく、私は笛三昧の栄秀にとても惹かれる。さらにいえば、かくありたい、と思っている。

* 題などもつけ、「e-文藝館=湖(umi)」のために、ぜひ筆者述懐の「懐」をもうすこし寛げ、長明の和文ももう一段読み込んでその妙機をいまの読者に興味深く伝えて下さると嬉しい。長明という人物が多く心にものをためていた。その胸懐をもあえて押し開いてみて、ここにある「罪」一字が、いわゆる狂言綺語 転じて転法輪の種となる式の決まり文句に落としていたかどうかも按じつつ、「かくありたい」の「斯く」の心境を伝達してくださると嬉しい。興味がある。

☆ こんにちは!  琳
やす香にとって、おじい様おばあ様の存在はとても大きかったのです。
ただいて下さるだけで幸せなのです。
おばあ様は何もしてあげられなかったと仰っていますが、私はそうは思いません。
おばあ様がやす香に抱いていた愛情や、心配や、今仰ってる後悔も、やす香にとってはとってもとっても幸せな事なのです。
おじい様おばあ様が元気でいて下されば、やす香は他に望むものはなかったと思います。
確かに私も後悔が尽きませんが、やす香がおじい様おばあ様から見えない沢山のものを頂いたと言うことは、忘れないでいて下さい。

今日はパリの写真をお送り致します!
まず1枚目。
パリと言えば、何と言ってもエッフェル塔です!
この日はパリ観光初日でした。
写真を見てお分かりになる通り、快晴!!!ラッキーでした☆
アンジェとは違い、とても暑かったのですが。。。
アンジェからのTGV(新幹線)を降りて、すぐホテルに向かおうとしたのですが、いつも通り道に迷っていました。(地図読めるのですが、よく迷うのです。)
疲れた、と思い何の気なしに後ろを向くと、おっきなエッフェル塔が顔を出していました。
初めて見るエッフェル塔に疲れを忘れ感動しました!
それと同時に、その時やっと私はパリにいるんだ、と実感しました。
その後無事ホテルに着き、エッフェル塔の近くまでお散歩!(と言っても、1時間また道に迷いました。) 塔の周りは観光客で一杯でしたが、少し離れた公園では沢山のフランス人がくつろいでいました。
その公園から撮った写真です。
その後歩いて凱旋門まで行き、またまた感動するかと思ったのですが、冷静にこれが凱旋門か、と思いそこは終了。
もちろんとても綺麗だったのですが、フランスには綺麗なものが多すぎて普通に感じました。
凱旋門のすぐ近くからはあのシャンゼリゼ大通りが始まっています。
それが2枚目の写真です。
歌にも歌われたシャンゼリゼ。
銀座の様な重厚感に満ちたお店が立ち並んでいました。
学生の私には無縁の所でした。。。
世界一綺麗な通りと言われていますが、私は久々に沢山の人が道にいるのに驚き、その言葉を実感することなくシャンゼリゼを後にしました。
あの日はアンジェからの移動と、それに加え行きたかった観光トップ4の内3つを見たのでクタクタでした。
帰りはメトロを使って、ホテルに無事着きました。
初メトロだったので緊張しました!
キップを買う際自動販売機を使ったのですが、使い方が分からない!
日本の様に画面にタッチしても動かなかったのです。。。
すると後ろにいたフランス人のムッシュが丁寧に教えて下さいました。どうやら画面ではなく、その下にある変な灰色のレバー? みたいなのを上下に動かして操作するみたいでした。
原始的。。。なんだか過去にタイムスリップした様な、不思議な感覚に捕らわれました。
こんな簡単な事が分からなかったなんて!
その後もお釣りを取り忘れた為、違う女性が追いかけて来て渡してくれました。フランスに行ってもドジは変わりませんでした。
それにしてもフランス人って一見冷たそうですが、優しい人が多かったです。
こんな感じで私のパリ1日目は終了しました。
とても長くなってしまったので、続きは次回にします。
長くなってしまう程、私にとっては思い出に残る刺激的な一日だったのです。

* 帰国してすぐ、やす香二十二歳になるはずの日を念頭に、花をもち墓参して下さった。ありがとう。傷ついた祖父母のこころを真実心から慰め続けて下さる。やす香の遺していってくれた、おじいやんとまみいへの愛である。

☆ 外に出たいような… 2008年09月14日13:59  昴
今日は雨が降ったり、止んだり。
父や兄は、草刈が思うようにできなくて大変。
そんな人間なんかお構いなし、というように空は今、きれいな水色。
窓外を見ると、ななかまどの実がなっているのが見える。
緑はまだまだ多いけど、コスモスが咲いたりして、秋が来ている。

* リハビリがいい効果を積み上げてくれますように。昴、元気をうしなわず、心に太陽を。
2008 9・14 84

* 夜前、床に就く直前、はるかな海外から一通のメールが届いた。親切な、有り難い得難い助言であった。此処から、ひとつ新しいまた私の曲がり角がまわれて視野が開けるのでは無かろうか。大胆にひと曲がりして行きたいもの。
2008 9・15 84

 

☆ 恐縮しつつ・・・  馨
ありがとうございます。
ミクシィで書いていたものらしく軽くまとめて下さったお心遣いに深く感謝申し上げます。
「あんぶん」「いーよ」を先生のHPでご紹介下さった時に「ぜーんぶ、いいよ」とコメントして下さいましたが、あれを読んで「ふらの」さんが「たまらず」私のミクシィを訪ねて下さいました。
たった数文字で書いた私まで目頭が熱くなるような言葉の力。秦先生だな、と。
「書く」ということの強さと怖さを考えつつ、向き合っていきたいと思います。

* 一夏のママさんの、こもごもお子さん達との日々を、「ざっと・オーライ」と勝手に題をつけて十編、「e-文藝館=湖(umi)」随感随想の欄に入れた。散漫に陥らない、求心力のある散文の魅力が、「ざっと(ふうわりと)」纏まって活きたのではないか。マイミクさんから早速の収穫を喜んでいる。井川さんには、本舞台の研究生活があり、そこからの興味深い余話にも期待している。
東工大卒業生諸君は社会に出て十数年、さまざまな「人生」を貯蓄しているだろう。飾り気や気張りのない胸にゆとりの大人のアイサツが届いてくれますように。

☆ ルーブル!!  琳
ご想像の通り、パリは一人で行動していました。
噂とは違い、スリも見当たらず、無事に過ごせました。私も狙われるほど豪華な格好もしていませんでしたが。
オルセー美術館でお見かけしたご年配の日本人のご夫妻が、大きな防犯ブザーをバックに付けていらっしゃいました。もちろん用心に越したことはありませんが、ご家族に付けられたのでしょうか (笑)
普通にしていれば、心配する事もなく、非常に安全な所でした。
今日はパリ日記二日目。
この日は、私がとってもとっても行きたかった観光名所の残りの一つ、ルーブル美術館三昧の一日。
開館と同時に入る為、早起きをして出かけました。
かの有名な入口のピラミッドは、意外と周りの建物とシックリ馴染んでいました。透明なので、存在感が有るようで無いのです。
いざ入って一番最初に困った事は、どこから見よう? でした。
アンジェで仲良くして頂いたオールトラリア人のご年配の女性に、ドゥノン翼の彫刻は本当に素敵なの。絶対見るべきだわ。と教えて頂きました。それを思い出し、私はドゥノン翼に続く入口から入る事にしました。
彼女の言っていた事は本当でした。
彫刻、とってもとっても素晴らしかったです!
私は彫刻でレースを模っている物を初めて見ました。こんなに繊細な物が彫刻で作れるなんて、と人間の技術の高さに驚きました。
ここの彫刻はまるで本当の人間の様で、私は今にでも動き出すのではないか、と長い間眺めていました。それと同時に恐怖も覚えました。それほど人間に真に迫っていたのです。
次に絵画の所に行きました。
あのモナリザもありましたが、人が一点に集中しない為にかロープが張られ、近くに行けないようになっていました。ただでさえ小さな絵なのに、遠くからしか見られませんでした。残念。。。
私が一番感動したのは、あのニケの像です。行くまでは大して期待もしていなかったのですが。。。鳥肌が立ちました。言葉では表現出来ません! (ただでさえ語彙が少ないのですが。。。)
本当の天使に出会ってしまったような感動。
とても美しかったです。
感動のあまりその像の周りをグルグル何周もしてしまいました。きっと周りの人には奇妙な日本人に見えたことでしょう。。。
以前おじい様おばあ様に美術館に連れて行って頂いた際、おじい様が仰っていた《3つ欲しい物を選ぶ》、やってみました。
数が多すぎて無謀でしたが、1つとても欲しいもの見つけてしまいました!
アポロンの間という、全てが黄金で出来ている様な部屋があったのですが、そこにそれはありました。
写真の緑のものです。
カリスかボンボン入れだと思うのですが。。。
実際はとても小さく、しかし精巧に作られていて、私の心をガシリと掴みました。
と、ここの辺りまではきちんと記憶があるのですが、もうこの時点で3時間歩き通し。。。その後の記憶はウッスラです。しかしこの日しかルーブルに割く日がなかったので、全部見たいと思い歩き続けました。
実際には通り過ぎた作品も多くあったのですが、その後4時間は自分との戦いとなりました。
ミイラの棺、お城の中の様な豪華な家具、その他の沢山の絵画達…
フェルメールの絵の前に立った時は興奮しました!  それが次の写真です。これまた小さな絵なのですが、とても優しいタッチで心が落ち着きました。ほんの一瞬ですが、疲れを忘れさせてくれました。
そしてフラフラしているうちに、終了です。ここは1週間かけてじっくり見るものだと実感しました。
ちなみに、フランスの美術館の多くの所がフラッシュは禁止ですが、撮影可でした。とても寛容です。
私がルーブルに行って感じた事は、周りの建物も重要だと言う事です。
もちろんひとつひとつの作品自体が素晴らしいのですが、それに加え建物も雰囲気を作り出していました。建物全部ひっくるめて《ルーブル美術館》という作品を見て来た気分です。
これがおよそパリでの二日目の行動でした。
二日目も一杯歩いて、ぐっすり眠ってしまいました。疲れすぎて、晩御飯を食べるのを忘れた日でした。

おばあ様お優しい方ですものね。
美人に涙の飾りは似合いますが…お身体に障る程泣かないで下さいね。
私もたまには泣きますけど。。。

* 案内書や図録の言葉などを借りず、終始自身のことばだけで感じたままが素朴に書かれていて、人柄が柔らかに伝わってくる。嬉しくなる。
飾らない、気張らない、取り澄まさない。それで自然に書けて無駄なく達意の散文になる。達者に冷淡な述懐は、つくりものに近づいてしまう。

☆ お早うございます。  花
蒸しますねえ。お元気ですか、風。
きのうは、うちの紅葉にイラガが大量発生しているのを発見し、慌てて駆除剤を噴射しました。
昨年は、木に虫をみつけると、ひどく気持ちが落ち込んだものでしたが、害虫の対応も二年目、気持ちに余裕のあるせいか、落ち着いて対応できました。
また、今年は、イエコウモリがシャッターボックスの中をねぐらにしているようで、対応を迫られました。コウモリは虫を食べてくれる益獣とはいえ、糞をされるので、ありがたくないです。
家を持つと、いろんなものに悩まされますね。管理が大変。
さてさて、風に逢いたいなあと、七草の秋、花は夢見ています。ではでは
2008 9・15 84

 

☆ 湖、お元気ですか。  珠
珠は、忙しいをよいことに時を過ごしています。
久しぶりに文楽にでかけてみて、mixiにも書くことができました。
日々は淡々として、色つけて言葉にするには無理があるようです。
舞台やコンサートは、行きたいとか行けるかよりも、砂がこぼれるように何もなく過ぎてゆく日々に色の付いた石を転がすように、ひとまず予定しておくものだなぁと思うようになりました。誰と行こうか、行ってみようかなど量っていると、何もできなくなりますね。
思ったら予約、、くらいでないと、私の日常生活は干からびて過ぎてゆくように思いますが、またそれも静かでいいとも。。
今はとにかく、時間を過ごすことを第一に、しています。
mixiに書いた文楽の感想に、お声をかけて頂き驚きました。考えてみます。どうぞよろしくお願いします。
先ほどmixiに書いたのですが、「リレーフォーライフ」というプロジェクトに参加してきました。
私の勝手な思いで、夜のミレナリオに「やす香さん」を偲んだ袋を作り、点灯しました。
湖のお書きになったものから察して、やす香さんは大きな団体や集団で社会に働きかけるような仕事を目指していたように思います。今日のようなプロジェクトを見るにつけ、様々な人のいる大きな集団に働きかけてゆくには、特殊な力を必要とすると感じ、彼女がサバイバーだったらきっと自分にできる何かをと思って動いたのではないかと思いました。
私など、対少人数はやれますが、大人数は苦手です。
1000もの灯が、自分の家族だけでなく、生きて闘う多くの人への想いと願いでそこに輝いていました。あの灯を見て、残された人が痛みを抱えても、なお強く優しく生きてほしいと、祈りました。生きてる間だけですからね。
秋めいた涼しい風、秋は苦手。長い本に没頭しようかと思います。
涼しくなってきました。くれぐれも、湖、大事にしてください。
お気をつけて。どうぞ、お大事に。湖。

☆ 「リレーフォーライフ」@新横浜 2008年09月15日19:40  珠
昨日13時開始、今日13時まで。新横浜にある日産マリノスのグランドで「リレーフォーライフ」が開催され、私は昨日昼~夜中まで参加してきた。
これは、がん患者を支援するプロジェクトで、研究資金を集めたり患者団体の交流をベースに、サバイバーと呼ぶがん闘病中の人を勇気づけ、また亡くした人を偲ぶというもの。
もう20年も前、アメリカでシアトルの医師が24時間得意なランニング゛をして友人達に寄付を頼んだことに始まって、すでに世界規模で行われている。アメリカでは対がん協会の年間予算300億円も集めるという大規模さで、様々な医療・治療に働きかけるパワーを持っている。そのイベントがようやく日本で、がんを患う一人の患者さんが、仲間を求めて種になり、3年前つくばの地で産声をあげた。

大学病院でがん看護を主に勤務してきた私にとって、父を、そして伯母も伯父も喪ったこの病気は、公私共に関わりの深い病である。今も身近で、友や叔父の妻にあたる叔母が長いがんとの睨み合いを続けている。その叔母の果てしない闘いは、側から見ても時間のやり過ごしを中心に据えるしかない日々だったが、そんな叔母が目に留めたのが、「リレーフォーライフ」だった。
病院で知り合った患者仲間は減ってゆく。そのやりきれなさは、「患者である」ことに追い詰められるばかりか、「患者である」ことを隠さないと、周囲に憐れまれて生活しずらいという側面がある。それでも、生きる日々がある。気楽にお互い頑張っている話ができそうな機会かもしれないと「リレーフォーライフ」への参加を決めた叔父夫婦に声をかけられ、姪や甥など親戚多くで”つくば”の第一回目に参加した。
医学界や厚生労働省、患者団体の後援も得て、「歩く」という単純な事の傍らで、様々なリラクゼーションや勉強会、コンサートなども行われる。親戚一同、田舎のピクニック気分で盛り上がり、Tシャツまで作って楽しく温かい交歓の時を過ごした。
昨年は神戸で開催された第2回に妹家族が叔父夫婦について参加してきた。そして今年、叔父夫婦の地元新横浜での第3回目に再び親戚一同で参加となった。

サバイバーと呼ぶがん克服&闘病中の人々の行進に始まり、後は皆それぞれのペースで400mの競技場をテクテク歩く。周回数もペースも全く気にせずに、ただ歩けばいい。多くのボランティアさんが、水を配ったり案内やリラクゼーションの場を提供したりしてくれる。我親戚チームの登録名は「チーム・和」。叔父夫婦の名前には「和」がそれぞれあって、そこから名づけたもの。テントで休みながら交代で歩き、お互いの近況などを話す。祖母が生きていた時は、お盆に田舎で寄り集まったと同じよう。暑さもほどほど、時折吹く風を感じながら歩くのは気持ちいい。叔母はあちこちで顔を知った人に逢うらしく、「元気?! あぁうれしい」と声をかけあっていた。

子供たちのお気に入りは”乳がんチェック体験コーナー”、、乳房そっくりに作った自己チェックの模型を最初は気恥ずかしそうに「えー触っていいの??」と言っていたが、おずおずと手で触れ始めると夢中。。しこりを見つけては「あっこれだ!」と真剣な表情に。サバイバーの方に「お母さんのおっぱい、触ってみてあげてね」と言われて大きく頷いていた。それぞれパパ゜を連れてきて、「こうやって触るんだよ」と得意気に教えていた。妹は食事中、走って戻った息子に「おっぱい触ってきたよ!」と大きな声で言われて噴出しそうになっていた。

教育に優る治療はない。健康は、こうして気遣って実践して守りあうものだなぁとしみじみ思う。生きることの根本的なサポートを考えさせられる。こういう場所では、「自分は看護師。でも、だから何なの?」という気がする。皆それぞれだ。つよく(ありたく)、確かに(願って)、毎日出来ることをする。ちゃんと生きる。それが最低限で、最高。今・此処、だ。

夕刻、とろりとした色の朧月に目を向けながら、”ミレナリオ”点灯。防水した袋を購入し、想う人の名前や気持ちなど書く。水に浮かべた蝋燭を袋に入れて、トラック周囲に並べた。いのちの灯を月も見てるだろうか。予報の雨は降らずに、満月が高く高く昇ってゆく。
初回のミレナリオで、歩きながらこの袋に書かれた一言一言を読んで、泣かずにいられなかった。皆ぽろぽろ落涙しながら、歩いた。喪った想いをもつ人が、こんなにいる、、灯が沁みる。今は小学生になって字を読めるようになった甥が、声にだして読んでゆく。姪とは一つづつ、袋を数えて歩いた。
生きてることは、そちら側とこちら側程度かもしれない。だからこそ、こちら側にいる人は、その痛みを分かち合えるようでありたいと、想う。

来年のことは誰にも分からない。それでも、叔母夫婦は来年の「リレーフォーライフ」を心に願い、また日々を過ごす。一歩、一歩、毎日、毎日。ありがたい目標。

* ありがとう。
2008 9・15 84

* 東工大の教室で、四年間つづけて、どの教室でもわたしは明治の「大逆事件」につよく触れた。主観をまじえぬよう心がけながら、いわば「事典」的な事実を、努めて詳細に話した。話すのが自分の義務だと感じていた。個人や私民の犯罪以上に我々が懼れねばならないのは「国の犯罪」であり、注意と監視と抗議の意思表示を忘れないようにと学生諸君に訴えたのである、むろん授業に絡めてである。わたしは東工大で漱石の『こころ』を取り上げ続けていた。あの小説と大逆事件とは明治の終焉へ向けて、近代の自壊と崩落へ向けて、時期的に重なっている。
そんなときわたしは、石川啄木の『時代閉塞の現状』や弁護士平出修の小説『逆徒』や、迸る熱意の徳富蘆花講演『謀叛論』、さらには与謝野鉄幹の詩『誠之助の死』なども熱心に話題にした。これらはみな「大逆事件」に自ら接した叡智と感性と勇気による同時期人たちの、誠意と慨嘆と情熱の発言・発語であった。「現代」の我々に向けた、忘れがたい大きな「時代の証言」であり「批評と抗議」であった。
これら全て、「e-文藝館=湖(umi)」は論考・小説・講演・詞華集の欄に掲載している。こころある若い人たちの目に、胸に、どうか届けたい。
2008 9・16 84

☆ 顔  ボストン 雄
・ 最近の日本のニュースを見ていても,暗い気持ちになることが多い.特に事故米の件には怒りをおぼえる.中国の毒入り餃子のことをとやかく言えないほど,日本は堕ちてしまったのだろうか.太田農水相は「メタミドホスの混入量は中国の冷凍餃子の60万分の1だ」などと言っていたが,なんて馬鹿な人だろうと呆れてしまう.量の問題では無いだろうに.
・ 総裁選も一体何のためのパフォーマンスなのか,僕には理解できない.今更政策論争をして何になるのだろうか.自民党が一枚岩ではないことをアピールしているだけなのか.
そもそも今回の総裁選挙は自民党の,しかもごく一部を対象としたものに過ぎない.政策をアピールしたところで,誰に訴えかけることになるのか.今やっているパフォーマンスは,全て解散後の選挙のためなのだろうなと思うと,大いに鼻白む.
個人的には,色々と政策論争を聞いている限りでは,与謝野さんが一番マシなような気がする.消費税増税を明言しているのは彼位ではないか.麻生さんもいずれは消費税をアップしなくてはならないと言っているが,何時からなのかを明言していないし,それはただ単に国民に言いづらいことを後延ばしにしているだけのようにも見える.いずれやらざるを得ないのならば,あえて嫌なことも話す人の方が僕には信頼できる.ただ現在70歳で,既に癌を患っていることを考えると,健康面での不安はあるかもしれない.
後の人たちの様々な政策のことをここで書き並べるつもりはない.しかし,今回の総裁選の面子を見ていて,リンカーンの「人は40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持つべきだ」という言葉を思い出した.
全く主観的で個人的な意見だが,今回の総裁選の立候補者達の顔は,与謝野さんを除くと,どれも僕は好きになれない.石原伸晃は世間的には爽やかなイメージなのかもしれないが,どうも口先ばかりという印象で,裏づけとなる人間的な厚みが全く感じられない.何でこんなに軽薄な印象を受けるのだろうと思ったが,もともとテレビ局の局員だったと聞いてなるほどなと思った.
石破氏はしゃべり方も風貌もなんとなく不気味な印象を受ける.
しかし中でも小池百合子に対し,僕は最も嫌な印象を受ける.この人は一体今まで何をして,ここまでのし上がってきたのだろうか.この人が成し遂げた政策を僕は全く知らない.世間的には美人なのかもしれないが,なんだか人間的な嫌らしさを強く感じる.
幼い頃に初めて聞いたとき,リンカーンという人は嫌なことを言う人だと思ったが,この歳になってくると,この言葉は名言だったのだなあと思う.顔の作り云々とは別に,その人の風貌に生き方は現れてくるのだなと,最近改めて感じる.
他人の顔のことばかり,あれこれと勝手なことを書いてきたが,ならば自分はどうなのか? 残念ながら,僕は自分の顔が嫌いだ.40歳になるまでに,少しでもマシになれば良いのだが.

* ヒヤヒヤ。

* 明治大正の演説会では、こんな声が上がった。「静聴静聴」というぐらいの「聞け聴け」だろう、子供心には冷や冷やに読めて当惑した。候補の五人とも、観れど聴けど薄く、「雄」クンのいうとおり与謝野馨だけが大人の声音で渋く喋っている。個人的には彼が持論の消費税上げは痛いが。
「mixi」のコメントを観ると、石原伸晃と彼の一族に手厳しい声が集まっている。もっともだと思う。軽い。
2008 9・16 84

☆ 秋雨 2008年09月16日11:36  馨
今年は十五夜からずっとお天気がぐずぐず。
十三夜から毎晩月を見ては十五夜を楽しみにしていた娘が、かなりがっかりしているので、「明日の十六夜もきれいだよ」と慰めたのですが、昨夜も雲が多く。
がっかりしながらも、それとは別と、しっかりお祭りに出かけ、帰ってきたあとに、花火までして夜を楽しんでいた娘です。
今年は十五夜が早くてススキの穂があまり出ていなかったのですが、数日前からお散歩の度にあちこち見て探しておいて、日曜日に娘と取りに出かけました。
何年かに一度、こういう早い十五夜が来ますね。
夕方、ご近所のお友達と薄暗くなるまで遊んでいる娘に、「お団子を作るよー」と声をかけると、そのお友達も、「うちも買って来たー」。
その後、そのお友達はススキ探しをしていたとのことで、娘がちょっと得意げに昼間に取りに行った場所に案内したそう。
今までご近所にお月見仲間はいなかったので、ちょっと嬉しい。来年からは一緒にススキを取りにいったら、と早くも手抜きを考えている母です。
十五夜は年によってずれるのでススキの穂の出方に振り回されますが、15日前後の八幡様のお祭りに雨が降って肌寒くなるのは毎年のこと。鎌倉では八幡様のお祭りと一緒に秋が来る、と言われていますが、本当にそう。あ、でも去年のお祭りは珍しく暑かったかな。
お囃子をやっていたお友達やママ達、今年もおつかれさまでした。
そして今日も秋雨。
二歳の息子が、玄関を出て頑として動かないので何事かと思ったら、「アサ! アサ!!」。
傘をさしたいのだそうです。
君の傘もそろそろ用意しようかね。

* こういう母子の日々が、日本のいたるところで、いつまでも続いて欲しい。

☆ リーマン・ブラザーズ 2008年09月16日13:29   ボストン 雄
リーマン・ブラザーズの倒産,前々から言われてはいたものの,改めて実際に起こるとやはりショッキングではある.メリルリンチはバンク・オブ・アメリカが買収するようだが,これとて共倒れなんてことにならないだろうかと不安になる.
一晩でドルが大幅に安くなったのも,この倒産の重大さを反映しているだろう.
大丈夫なんだろうか,アメリカ.
いや,問題はアメリカだけにとどまらないだろう.日本も含め,全世界的に更なる不況へと追い込まれるのかもしれない.
こういう場合,今の身分で自分を守るにはどうしたら良いのか,僕には想像もつかない.

* 肌寒くなる。正直、どうなるんだろうと思う。観ていてやるぞと思う。
2008 9・16 84

☆ お元気ですか。  鳶
充実して取り組んでいらっしゃる日常が伺えて、嬉しくHPを読みました。
夏の疲れがそのままに、おかしいなと感じていた肩の痛みが烈しくなり、九月に入って腕が全く動かなくなりました。五十肩、日ごろ耳にして大したことない症状かと思いきや、強烈でした。三日ほどは横になって休めず一人掛けソファに頭を預けて眠りました。日常の動作にも苦しみましたが、やっと何とか作業できるようになりました。友人たちには今頃五十肩なんて、あなた若いわよと言われましたが、気休めにそう思っておきましょう。
その回復途中から風邪を引き、まだ体調は良くありません。少し歩くと体がボッーとしてきます。集中力が低下、さまざまなことが滞っています。困ったことです。
あれやこれや、人生の曲がり角かしらなど、ふと思います。自分が意識するかどうか別にして、知人やテレビに出る人で久しぶりに見るとあまりに様変わりしていて愕然とすることがありますが、しばらくして入院とか、極端な場合には訃報を耳にすることもあります。私自身の声に耳傾け、気力あるならば、特別憂慮する疾患がないなら、気持ち引き締めて暮らさなければと思う次第。さらにできることなら「挑戦」するくらいにこれまで以上に何かを意識しなければ、現在の水準さえ保たれないと、これも自戒でしょうか、決意でしょうか。一番正直なところは、自分のわがままを押し通そうという、安易な、そして執念深いエゴかもしれません・・。
9・11から七年、イラクやアフガンの混迷は深いまま、昨日はリーマン・ブラザーズの破綻と世界経済への影響、今、AIGに対しては融資と昼のニュースは伝えています。
日本の政局の不甲斐なさ、などなど寒いことばかり。
七月の末でしたか、近代から現在に至る資本主義的構造の中で「吸い取られていく」状況は、「修正」された制度のもとでも解決されていないと指摘されていました。厳しく的確な指摘と思いました。
そのことに関してHPには老若の男性からも女性からも何の反応もないことが、残念で気に懸かっていました。「反応」がないのが、現状の反映かと思わずにはいられませんが、まあ、それが実情でしょうか。
マルクスの提唱した社会主義、その理想は別として、マルクス、レーニン、スターリンの投げかけたものの大きさは負の要素も含めて20世紀にとって測りがたいほど深刻でした。
ダーウィンの進化論は、わたしたち日本人にとって、科学として、細部や例外など問題があるにしても、抵抗なく受け入れられてきたでしょう。が、キリスト教、イスラム教の唯一神を奉ずる人たちにとって簡単な問題では決してあり得ません。
いつでしたか、大学の構内のあまりの「静けさ」に、却って驚いたことがありました。学園紛争さなかにその中にあったものとしては隔世の感ありといったところでした。若者たちは「従順」になり、そして世界に疑問を感じないのか、不甲斐ないぞなどとも。
けれども確かに本屋の店頭に小林多喜二の『蟹工船』が並び、それを若い人たちが読むほどの社会の不安定要素が、格差云々よりさらに厳しいものがあるということです。
21世紀の初めのわたしたち、というより若い人たちにとって問いかけるもの、そして解決に向かって結集していく道筋がまだまだ見えていません。
「蛇」の話から偶然ヴァールブルクの本に到り、目下『サンドロ・ボッティチェッリのウェヌスの誕生と春』という本を読み始めました。ルネサンスの美術に関心がありながら、何故今までこの人の本を読まなかったかと、いっそ不思議な気持ちになっています。
明治という時代の、正岡子規と彼の周囲の人たちについての本にこれまで知らなかった多くのことを知らされています。やや無気力な体をせめて読書で乗り切りたい。気張らないと精神まで病みそうですから。
梨、ぶどう、柿、みかん、栗、無花果、りんご・・みな好き。瘠せるはずがありません。先週から播磨の国の田んぼの畦や野原には彼岸花が咲き始めました。稲穂も垂れて実りの秋。
よき日々を過ごされますように、大切に。

* ずしりと胸に落ちるメール。
鳶と鴉は、アラビアンナイトなどの説話ではろくな組み合わせでないが、わたしが自分を鴉と、この人を鳶と呼んでいるのは、好きな、蕪村一対の画題と画面が眼裏に在るから。こっちの問題意識に、きちっと反応の来るのが「鳶」のありがたいところ。
2008 9・17 84

* 次の「雄」クンのハーバード レポートはすばらしい。わたしは、こういう話題も大好き。内容とは少しも触れあわないわたしだが、この「世界」自体は無縁でない。何かわたしの関心と価値的に深く触れあうものがある。有り難い刺戟がある。政局だの金融破綻だのとはちがう。「馨」さんのコメントも「雄」くんのコメントも合わせて喜んで読む。こういう「お裾分け」を黙って「秦さん」に許してくれるのが、有り難い。

☆ lecture  2008年09月17日11: 30  ハーバード 雄
・ 今日から週に2度,ボスが学部生向けに光学顕微鏡に関する講義をする.以前から受講したいと思っていたが,隔年の講義なので,去年は受講できなかった.
今や講義はパワーポイントが一般的らしい.僕が大学生の頃はパワーポイントなんて無かったので,チョークとOHPが一般的だった.カラーのOHPは高いんだ,などといって白黒しか使わない先生も多かった.隔世の感がある.
それどころではない.今回の講義はメディカルエリアにも同時中継されていた.ケンブリッジの教室にいるボスとパワーポイントの映像が,メディカルエリアの教室に,音声と共に送られる.
同時に,メディカルエリアの教室の様子が音声と共に,ケンブリッジの教室の,教壇下のモニターに映し出されている.これにより,メディカルエリアの教室の参加者も,自由に質問することができるし,ボスは誰が質問しているのかといったことや,メディカルエリアの教室の様子を見ながら講義を進めることができるという訳だ.このモニターはボスにしか見えないので,我々には物音しか聞こえない.どこからともなく音が聞こえるので,ちょっと異様ではある.
・ 講義の内容だが,本当に素晴らしかった.光学の初歩の初歩から,丁寧に説明してくれる.数式は全く出てこず,直感に基づいていて理解しやすい.と同時に,初歩の初歩でありながら,顕微鏡を理解する上で非常に重要だと思われる箇所を,的確にチョイスして話してくれているのだということが分かる.今日の講義の内容そのものは知っていたことばかりだったが,それでも感動した.
今にして思えば,どうして光学に関する講義が僕の大学では無かったのだろう.多くの研究室で顕微鏡を使うはずなのに,誰もそんな講義をしようとしない.しようとしない,というより,できなかったのだろう.ほとんどの教授は,教科書に載っているような事実の羅列ばかりでごまかしていたし,それすらままならない教授さえいた.「1時間の講義に10時間は準備しているんですけどね」などと言い訳ばかりしていたが,10時間も用意してあれでは,よほど能力がないのではないかとさえ思う.
・ ただ,今になって受講するからこそ,有難みが分かるとも言える.
実際に顕微鏡をいじって,綺麗な写真を撮るのに苦労している今だからこそ,そして自分自身でも教科書を読んではみるものの,なかなか持続して勉強するのは難しいなあと思っているからこそ,有難く感じるのだろう.
実際,僕の前に座っていた学部生の女の子は,パソコンを開いてメールを書きながら聞いていて,真剣に聞いているといった様子ではなかった.しかし,さすがハーバードの大学生というべきか,誰も私語をする者はいなかったし,ましてや携帯が鳴るなどということは無かった.
僕が大学生の頃は携帯電話などなかったので分からないが,今はどうなのだろう.携帯を消し忘れる学生は多いのではないか.ひどいのになると,そのまま電話でしゃべりだしかねない.
・ 講義はこれから毎週火曜日と木曜日の午前11時半から午後1時まで続くことになる.これだけ受講したら,ずいぶん勉強になるだろう.
講義の後,ハーバードスクエアに行く用があったので,ついでに久しぶりにBertucci’sで遅い昼食を摂り,ラボに戻って実験再開.

<<前の日記へコメントを書く
馨   2008年09月17日 12:53
そういえば光学って、あまり習わなかったかも。マジメに物理学を受講していたら多少は入っていたのかもしれませんが。
光学に限らず、実際に自分が研究を始めてから初めて有り難みがわかる分野って多いですよね。
よい講義だと、本を読むよりずっと濃縮して脳ミソにしみ込む気がします。
そういえば職場で半ば強制的に、有機溶媒取扱主任の講習を受けにいきましたが、学部の頃に聞いていてもただのカタカナの羅列でしかなかっただろう有機溶媒各種が、具体的にイメージされて受講できました。この状態だからこそ、頭に定着するんですよねー。
学部学生にとって猫に小判の授業も多いのかもしれないですね。

雄   2008年09月17日 13:30
大学に入ってからの教養課程でも,物理学は力学と電磁気学しかなかったですねえ.おまけに力学の最初の講義で,教授が「生命科学に物理は要らないから」なんて言ったので,大いに落胆しました.生物物理学というれっきとした学問があるというのに,不勉強極まりないです.こういう人は物性論とか素粒子くらいしか物理学じゃないと思ってるんでしょうね.
大学に入る前も,光学は虐げられた分野ですよね.みんな力学や電磁気学は気合を入れて勉強しますが,光学はとらえどころがなかったように思います.今思えば,光学は色々な実験を取り入れることで,物理学の中でも特に面白く感じられる分野だったと思うのですけどね.
今にして思えば,大学時代に「ファインマン物理学」の「光学」でも読んでおけばよかったです.
僕はへそ曲がりなので,大学に入って周囲が勉強しなくなってから,割と真面目に勉強しました.物理化学の講義が分かりにくかったので,教科書を何度も読み返した記憶があります.おかげで蛍光の原理などを理解する上で,今になって役に立ってます.

☆ 書かずにはいられない… 2008年09月17日11:24   馨
朝、娘が学校へ出かけると、我が家の一日が始まります。
林真理子さんが森下祥子さんの言葉としてエッセイの中で紹介していた言葉。
練習を一日怠けると自分にわかります。
練習を二日怠けるとパートナーにわかります。
練習を三日怠けるとお客さまにわかります。
本日の我が家はパートナー(ダンナ)に掃除をしていないことがわかる段階。
というわけで、早速掃除機がけ。
息子はちょこちょこと遊んでいるのでその隙にかけてしまえー!
が、ここでご近所のおうちから子どもの泣く声が…。
「あ!エンエン!!」と叫んで、二階で寝ているベビーのところへダッシュする息子。
ちがうよー、うちじゃないよー、よけいなことしないでよー、と心の中で叫ぶも、とりあえず掃除機を少しでも進めておきたい私は二階には行かず。
と、せっかく寝ていたはずの三番目クン、兄貴に襲われてやっぱり泣き始めました。
はぁ~・・・。
取り急ぎ、家中の掃除が終わったらね。

途中、娘が昨日学校へ持っていった水筒を出し忘れているのを見つけて台所へ。
でも、台所へ入る頃にはベビーの泣き声は終了。切り替えの早い赤ん坊で助かります。
水筒やお鍋を洗い始めようとすると、息子が二階から「ウンチ、でた!」。
はー・・・。
台所片付けを中断して二階へ。連れて来てオムツを替えようとすると、おや・・・髪の毛が散らばる、散らばる。
もしかして
「髪の毛チョキチョキした?」
「チョキチョキ」
「したの?」
「しタ!」
あーーー・・・言葉にならない。掃除機をかけたばっかりの家中に息子の細い髪がぽそぽそ散らばっています。ソファの上にまで。
そんなにチョキチョキ好きなら、毎回髪の毛を切るたびに大泣きしないでほしいゾ、まったく。
つい一昨日、パパさんに取り押さえてもらって超特急で切ったので、息子の髪型はいまいちジャキジャキ。さらにそれをジャギジャギにしてくれたわけネ。
とりあえずオムツを替え、掃除機をかけ直し・・・と、そこに外へ遊びに行っていた猫が登場。
雨上がりの土の上を歩いて帰って来た猫です、はい。歩いた通りに猫の足形模様が・・・。
息子は干しておいた傘を振り回して遊んでます。
もう一度雑巾がけをし直し、ようやくチビちゃんを抱き上げて授乳タイム。落ち着いたところで、洗濯物干しへ。
干している間に泣き出すベビー。洗濯物を干し終わって様子を見ると今度はこちらがウンチ。
その横で今度は二番目クンが「チー、出タ!」

世のお母様方、本当にエラいです。尊敬します。
三人いるから大変なのか、二歳違いだから大変なのか、もしかしてウチの二番目だけがとびぬけて大変なのか(あまりそう考えたくないけど)、よくわかりませんが、猛烈社員とまでは言わないけど、普通の社会人仕事なんかよりよっぽど大変。
なにしろ段取りができない上に、一仕事を終えたと思ってもまた同じことがすぐに起きる…(このまえ、二人で一日三回ずつウンチしてくれた日もありました)。
私にはなかなかまっとうできない母親業。ちゃんとやっているママ達、本当にエラいです。
でも、障害者の痛みを健常者は理解はできても実感できないのと同様に、子育てしてない人には、この大変さへの協力を強要はできないんだろうなー。
少なくとも逆の立場だったら私には想像もできないだろうと思います。だって、今の現実、ここまでとは自分でも予想していなかったくらいですから。世の中ってこうやって意図せずして棲み分けが進んでしまうものなのかもしれないですね。
今も電車をつないでは外し、のエンドレス作業に延々付き合わされている母親です。

* 「馨」さんも、よく登場してもらう「悠」さんも、母で、妻で、最前線の理系研究職。だからどうだとは言わないけれど、頼もしくも嬉しくも、ある。みな、わたしの娘や息子よりずっと若い。
2008 9・17 84

 

* 作品を外国語に翻訳することを真剣に考えてみませんかと、何度も忠告されてきた。今度は、気が動いて、ここにもそれを書き、助言・助力が頂ければ有り難いと。
早速に、遙かな海外から、未知で面識もない方だが何度もの文通によりかねがね親愛し信頼してきた方の親切なメールを頂戴した。
具体的なことがちゃん書かれていて、とにかくも候補作品を選ぶことが第一着手になると。それなしには、当然だ、動き出せない。
かねて翻訳を奨めてくれてきた人は、手始めには『ディアコノス 寒いテラス』と『畜生塚』をと挙げている。『親指のマリア』はどうかという意見ももらっていて、魅力的だが、長編だ。
手持ちの「掌説」全部はどうかと身近な声も出ている。
暫く熟考したい。成る成らぬではない、わたしの本気の問題だ。放っておかない。
助言を下さっている方々に深くお礼申し上げる。また久しい読者のみなさんにさらにお声を給わりたい。
2008 9・18 84

* メールはなかったが、マイミクさん達の日記が並んでいた。読んでいって、胸におさまるものだけ一太郎に取り込んでおく。そこから、更に選んで此処へ頂戴する。どうしても頂戴して差し支えない(と、黙認して貰っている)人のものを主に読む。それが楽しみなのだから。
書き手の独自の思いが、揺れは揺れていても自身の表現で完うされている文章を残す。ふわふわとナミの言葉はつらねてあっても、その人の発明といえる述懐や表現でないものは、また具体的でない感想は、つまりその人でなければ出て来ない記事、読んでいる自分には興味があっても体験はできない記事、以外は、流し読みにしている。

☆ 時間勝負  ハーバード 雄
・ 午後からボスとディスカッション.前のラボミーティングで,顕微鏡の画像をより綺麗に撮るためのアドバイスをもらうことになっていたが,延ばし延ばしになっていた.
今までに獲った画像を見ながら,色々アドバイスしてもらった.本当にタメになる助言や示唆ばかりで嬉しくなる.
・ 夜8時から,今日もovernightで顕微鏡の予約を入れてあった.ところが僕の前に顕微鏡を予約していたヒャーノが,もっと早く終わることになったというので,夕方5時から使わせてもらう.
取り込む画像が膨大なので,全部獲り終えるまでに13時間かかる.
早めに顕微鏡を使い始めることができて良かった.顕微鏡のセッティングをして,8時前には切り上げることが出来た.
良かった.疲れた。食事を作る余力もないので,レトルトのカレーであっさりと済ませる.
2008 9・18 84

* 驚くことは有るものだ。一枚のコピーが、日本の近代文学研究者で、久しいわたしの読者である人から送られてきた。
「どこかで見たような話ですが、ご存じの人ですか」と、さりげない。コピーは、つい最近、八月三十日土曜日の朝日新聞「文化」欄記事であるらしい。
わたくしの、お馴染みの読者の方々にも、ことに、『慈子』を愛読して下さった方には、改めて此処でもこの記事を読んで頂こう。紹介されている話題は、光田和伸氏の近著『恋の隠し方』(青草書房)のことである。なかなかそそる題であるが、記事を再掲させて貰う。

★ 光田和伸さん著「恋の隠し方」 朝日新聞 2008年(平成20年)8月30日 土曜日「文化」欄

徒然草に秘めた恋? (大見出し)

愛した女性と進展できず、やがて死別…(中見出し)
徒然草に吉田兼好は恋の思い出を隠した? そんな大胆な説を国際日本文化研究センター(日文研)の光田和伸・准教授(57)が著書『恋の隠し方』(青草善房)で発表した。
光田さんの専門は和歌、俳諧を中心とした日本古典文学。244段からなる徒然草を徹底的に読み込んだ結果、29、30、31、32、36、37、 104、105段に、兼好自らの恋を描いたことが判明したという。女性と恋に落ちたものの、うまく進展せず、そのうちに女性が重い病となり、永の別れとなる。そんな様子が浮かび上がると説く。第32段には「九月二十日の頃、ある人に誘はれたてまつりて明くるまで月見ありく」とある。新暦の11月末ごろの冷え込む京都で夜が明けるまで月を眺めて歩くほど恋に苦しみ、寝られない兼好の姿が分かるという。
なぜ兼好の恋愛の思い出が織り込まれていると、これまで気づかれなかったのか。光田さんは「徒然草は隠者の無常観の文学だ、という教科書的解釈の思い込みがあまりに強かった。それに、伝統的に関東の学界など、東びとの心で解釈されてきた影響ではないか」とみる。

「8つの段に兼好自らの経験」
「兼好は他人の恋の歌や恋文の代筆をしました。恋の味わいを解さぬ男は話が通じず、特上の杯に底がないようなものだとも書いています。しかし、武家文化の影響が強い東びとによる解釈は、上方のようには色事に好意的、許容的でなかった」
では、兼好がその恋を文章の中に隠したのはなぜなのだろうか。「平安以来、女性は恋した人との思い出を書いても良かったのです。『蜻蛉日紀』『和泉式部日記』のように、相手の男性のことを洗いざらい書いて発表することもできた。しかし、世間体のある男性にはそれは許されなかったからでしょう」
秋には俳人松尾芭蕉が「隠密」だったという説を紹介する著書を発表する予定だ。   (大村治郎)

* その本を「読んでいない」ので、或いは、わたしの過去の幾つかの仕事を「参照・引用」が明示して有るのかも知れず、それなら、問題無い。
しかし徒然草に「なぜ兼好の恋愛の思い出が織り込まれていると、これまで気づかれなかったのか」とある。これは困る。
半世紀近くも前に同じ内容をわたしは論文にしている。よく読まれた小説にも書いている。またわたしが勉強した先行の研究者にも、そのようなことを指摘していた学者は何人もいたのである。

* 此処に光田氏の挙げている「各段」を、すでに全てきちんと指摘し、「兼好の秘めた恋」を「徒然草の執筆動機」の大きな一つとしてわたしが論じたのは、はるか以前、まだ作家以前の昭和三十年代後半のことである。医学書院に編集者勤めの傍ら、東大文学部の研究室書庫に入れてもらい、徒然草文献を集中して読み、『徒然草の執筆動機について』論文を書き、母校の紀要「同志社美学」に送り、二回に分けて掲載されている。趣旨はまったく光田氏新刊の通りなのである。
しかし、それだけでは、光田氏の博捜にも漏れたのであろう。しかし、わたしのこの徒然草・兼好論は、最初の書下し小説となった『斎王譜』(昭和四十年)、のちには『慈子(あつこ)』(昭和四十六年)と改題して筑摩書房から書下し長編小説として二度版を変え、刷りも重ねていて、さらには集英社文庫にも収録された中に大きな範囲で相当詳細に使用されている。現代の愛の小説であると同時に「兼好」論とも読まれて、わたしの作品中もっとも廣く愛読されてきた一作なのである。刊行時より、注目してくれた研究者もいた。
わたしの徒然草ないし兼好の隠れた恋に関する執筆内容は、上に簡略に紹介されている光田氏の新説なるものに、ほぼ全面的に先駆しているだろうとは、紹介からでも、優に察しがつく。だからこそ、不審を覚えたべつの研究者は、朝日新聞のコピーをわざわざ届けて下さったと思う。

* さらにいえば、小説にまで目は配れないという点もあるかも知れぬ。
ところが、例えば旺文社から、瀬野精一郎氏の責任編集で刊行された大部の「日本歴史展望 第五巻」、南北朝を分担した『分裂と動乱の世紀』(昭和五十六年刊)という大版の准専門叢書の一冊に、乞われて、『兼好の思い妻』と題したかなり長い原稿を寄せている。この一文は、まさしく兼好の「隠した恋の伝記的事実を各方面から証明した論考であり、かように、光田氏のとりあげている徒然草各段の全部を検討しながら、わたしは、半世紀も昔から繰り返しモノにも書き、出版もしてきて、とにかくも「周知」と主張して問題ないのである。これを知らずに自身の新説とされるなら学者として杜撰であり、知って新説とされるなら剽窃のおそれがある。繰り返すが本を取り寄せて読み、問題ない場合はわたしはこの不審を撤回するに吝かでない。
むしろ問題を追試し確認されて大いに喜ぶ。まことこれまで「誰も気づかなかった」、的を射た真に新説であるならば、同好の一人としても愉快である。が、その様子が上の記事だけではうかがい知れない。

* 上の記事に、第32段がことに引いてあるが、わたしの半世紀前の論考でも、此処から大事に先ず問題点を引き出していて、井伊直弼の『一期一会』とも絡め、論文でも小説でも「眼目」を成している。ところでこの段は、紹介記事にあるように兼好自身が恋をして歩いていた内容ではない。主人筋の恋の探訪に「従者」として同行していたことは、本文により明らか。
そこから、わたしは主筋の堀川具守と兼好と延政門院一条との三角関係らしきも引きだし、「思い妻」なる「隠し妻」をあぶり出していったのである。それにすら先達の学者は何人も言及していたことで、「誰も気づかなかった」ことでは無い。いったい誰をどう指さして、「誰も気づかなかった」兼好の恋人とされているのか、注文した光田氏の本を早く読んでみたい。

* どうして、こういう本が、今になって「新説かの如く」持ち出されるのだろう。むろんその本を読んでいない現段階ではあるが、日文研といい青草書房といい、わたしのそういう著作を記憶されている何人ものセンセイ方が関与されている。ま、そんなことは知ったことでないのだろう、わたしもそれ以上は言わない。
ああ、ビックリしたとだけ特筆しておく。
不審の方は、わたしの湖の本⑨⑩『慈子(あつこ)』および旺文社の上記の『日本歴史展望第五巻』所収の論考「兼好の思い妻」を読んで頂きたい。
さらに博捜される向きは、半世紀前の「同志社美学」の第六・七巻あたりをお探し願いたい。「徒然草の執筆動機について」上下として、若書きのつたない論文を二回にわけて掲載している。「論文の目的」は、執筆動機の背景にある兼好の「隠れた恋」に他ならず、光田氏の謂われるとおりのモノである。以来ずうっと言い続け書き続けてきたのであり、「誰も気づかなかった」ことでは無い。

* 正直に言うと、わたしは光田氏の本に出会うのが「楽しみで、嬉しい」のである。
わたしは、自説のオリジナリテイなどを頑固に主張する気はさらさらない。学説も新説もパブリックドメインだと思っている。その上へ、先へ、研鑽が伸びてゆけばいいのである。わたしが少年以来の、「徒然草は隠れた恋ゆえに書き始められたのではないか」という不審が、新しい学徒のちからでさらに見事に前進し展開したのなら、それを喜びたい。

* ただ、学者の論説には学者だからふむ手順がある。わたしのような小説家はその辺はガサツで不行儀であり、好いことではないが。学問研究の場合は、先行の説にはしっかり配慮された方がいいと云うことをわたしは言っておきたいのである。

* 幸い『兼好の思い妻』一編は、「e-文藝館=湖(umi)」の「論考」室に掲載済みで、今すぐにも読んで頂ける。『慈子』も、このウエブサイトのなかに、「電子版・湖の本」第九・十巻としてすぐ取り出して読んでもらえる。
2008 9・18 84

☆ nanoからPeteまで 2008年09月19日10:36  ハーバード 雄
・昨日はあんなに疲れていたのに,夕飯を食べてから目が冴えてしまい,全く寝付けなかった.結局寝付いたのは朝4時半.昨日から顕微鏡を動かし続けているので,朝8時にラボへ.もう動かし始めてから12時間以上経っているが,未だにスキャンし続けていた.
・ 今日も火曜日に引き続き光学の講義.今日はパワーポイントファイルのプリントアウトが置いていなかった.これからは必要に応じて,各自がハーバードのウェブサイトからダウンロードするらしい.僕はどのサイトからダウンロードできるのかさえ知らなかった.
講義が終わり,ティーチングアシスタントをしているジュからサイトを教えてもらい,プリントアウトしていると,ちょうどボスがプリンターのところにやってきた.「内容,分かった?」と聞くので,「非常に勉強になります」と言うと,「いやいや」と照れていた.
勿論内容は知っていることばかりなのだけれど,自分のやっていることと照らし合わせて勉強することで,理解が一層深まるので,それが嬉しい.それに,こういう上手な講義のお手本を見ておくと,将来自分が講義をする立場になった際,良いと思った点を取り入れることができるだろう.そう伝えると,ボスは満足げだった.
・ 午前から昼過ぎにかけて実験と講義で忙しかったが,その後は余裕が出たので,少し足を延ばしてポーターエクスチェンジモールまで歩いた.ここ数日, Cafe Mamiのハンバーグが食べたかったのだが,あいにく店は閉まっていた.いつも,この時間は開いているはずなのに.
仕方なく,同じモール内の一兆でハンバーグ定食を食べたが,やはり満足度は大分違う.
・ ラボに戻ってからは,昨晩の睡眠不足と,昼までの忙しさも手伝って,睡魔との闘いだった.昨日から今日にかけて撮影してきた画像をパソコンで確認する.この一晩だけで,取った画像の容量は10ギガバイトにまで達していた.この分では,パソコンのハードディスクを食いつぶすのも時間の問題だろう.
うちのラボのネットワークにつながっているディスクは11テラバイト(terabyte;TB)もの容量を誇るが,これとて皆が利用すれば食いつぶされるのは目に見えている.一応,ことあるごとにDVDに焼いて保存しているので,パソコンが壊れてデータを紛失するということはないだろうが,それでも不安ではある.
いまやサイエンスはゲノムサイエンスを初めとして情報が山積みとなっている.網羅的解析が色々な分野で可能となり,そうして得られたデータがパソコンに保存されるようになったことで,今やテラバイトでは足りず,Petebyte(1petebyte = 1024 TB)の時代に突入したのだろう.
かたや,以前から「ナノサイエンス」といった言葉で知られるように,サイエンスは極微の世界にも迫ろうとしている.いや,ナノメートル(nm, 1nm=1/1000 マイクロメートル)での解析が可能となったからこそ,逆に得られたデータはpetebyteの世界に迫ろうとしているのだろう.
どんどん世界は広がっている.その中で,人間はどのようなビジョンを持ちうるのか.膨大な情報に埋もれ,目には見えない極微の世界から,何をもって人間は「分かった」と感じるようになるのか.
月並みな疑問ではあるが,難しくもあり,興味深くもある.

* わたしが新任の「文学」教授として工学部研究費を支給され、大学生協で最初に買ったバソコンは、なんと黒白画面で1Gにも遙かに足らない容量だった。次ぎに買ったときは、2Gだった。それが、あれれというまに40Gになった。それとともに、いろんなことが出来るようになった。
ところで此処で「雄」くんが話している単位に関するあれこれは、説明がないとわたしなどの想像は及ばない。そういう世界があるということを一方で知りながら、農水省やら社保庁やらリーマンやら三笠フーズやらとも付き合うのであり、わたしがわかりもしない「雄」くん方面の話題にもすすんで飛びつくのは、有り難いクスリでも服するような精神の効用をおぼえているのであるらしい。
2008 9・19 84

 

☆ しきりにすすむる秋風の  雀
暮れるにしたがい風がおさまり雨音も小さくなってきました。
唐突に月日知らせし曼珠沙華(谷口和子)
彼岸の入りとなり寒暖ときをあやまたずとつくづく感じます。
このあきかしまの山の月見んとおもひたつことあり。翌年は更科で月見をしていた芭蕉。「更科紀行」の連れ越智越人は北陸、「奥の細道」の河合曾良は信濃の人でしたね。義仲が育った木曾路を見てみたかったンだとようやく雀は思いいたりました。
田毎の月に杯を干し、城長茂と戦った横田河原(川中島でしょうか)を見に行って、失礼ながらついでの善光寺参拝。物見高いは江戸の常。いよいよ倶梨迦羅谷にこころ勇み、踵をめぐらし深川芭蕉庵へ急ぎます。
「さらしなや三よさの月見雲もなし」と越人が詠んだほど雨男芭蕉には、恩寵のような月夜でしたのに、八月下旬江戸帰着というのは次の旅を思い立ったゆえの大車輪だわ、きっと。
おあとをしとうてかちはだし。義仲を慕う北陸のみち、そして大好きな西行と義経へ寄せる思いもあつくまざり、旅の構想は膨らむ一方。句を推敲するよりなんぼか苦心したことでしょう。まだ見ぬみちのく、また北陸への憧れをふくらませながら、あたたかくなるのを待ち焦がれた日々と想像します。
「奥の細道」で酒田から市振まで記述がないのは、彼にとって物見のたねがなかったこと、弥猛にはやる心とうらはらに体調がよくなくて、蒸し暑さのなか越後国府や越中の遠さにほとほとまいっていたからだろうと思います。
西日本にいると特に、じぶんのとこより北はすべて涼しいと思いがちです。北陸や東北の存外な気温にブツブツ天を呪いながら、右、左と足を運んだ日も多かったかもしれません。
西行は妙高山に行っているようで、もしそうだとしたら善光寺では山は見えません。
「奥の細道」で思い当たるのは越後高田に付合逗留していること。芭蕉は妙高山遥拝の気持ちも抱いてなかったかと想像しています。
大垣に到着し曾良を待って伊勢へ遷宮見物に旅立った芭蕉は、二見なども見物して九月下旬に伊賀上野に帰っています。
これから丸二年も江戸へ帰る行動を起こさず、再建中の大仏を見るのと落柿舎に行く以外はあきれるほど大津から膳所をうろうろ
していて、結論は「木曾殿と背中合わせの寒さかな」
俳諧と武士の教養を小さなプライドにして伊賀から京へのぼった芭蕉は、ことばもふるまいもみやこびとにあざけりあさみられた義仲に心を寄せていたのかなぁ。
義仲進軍の道筋を実地に見て歩いた芭蕉の目に、粟津の景色も違って見えたのでしょうね。あー、ゾッコンて感じがします。
囀雀

* しばらくぶりに「雀の囀り」を聴いて、耳をあらう心地よさ。
2008 9・19 84

☆ みづうみ  於菊
お元気ですか。翻訳のこと、早速に反応がおありと伺いとても喜んでいます。実現すればこんな嬉しいことはありません。訊かれてはいませんが、意見を申しあげることお許しください。
「掌説集」は、詩といってもよい作品集で、あちらの優れた詩人クラスでないと上手に訳せないと危惧します。翻訳はどうしても言葉の魅力を伝えることにハンデがあります。あれを英語の美しい詩として翻訳する力のあるひとが見つかれば素晴らしいことですけれど、日本語の出来るキーツやT・Sエリオットが今の英国にいるでしょうか。
そしてもう一点は、藝術的達成度はみづうみのものと比較になりませんが、類似の作品がファンタジーの豊富な英文学の短編などにみられないことはないような印象があります。
「ディアコノス 寒いテラス」はみづうみの文学の本筋の作品ではないかもしれませんが、何より先行類似作品を思いつかないテーマの独創性と迫力をかいました。翻訳の最初の一冊は、まず背景が外国人にも理解しやすい衝撃のある作品が一番よいと思いました。
「ディアコノス 寒いテラス」は世界中誰にも他人ごとでない恐怖を一気に読ませた上で、深刻な問題提起をしています。すぐれた創作は解答を出すのではなく、解決のない問題を読者に突きつけることにあることがよくわかります。短いものですが、こんな凄まじさは世界になかなか書かれていないものと思います。
みづうみが躊躇なさるとしたら、たぶん微妙に差別問題に関わるからでしょうか。日本の出版界では藝術としての評価以外のものが動くからこそ、外国という自由な土俵で広く世に問うてみてよい作品なのではありませんか。すぐれていればいるほど「初恋」とともに、今のままでは気の毒です。もしどうしてもご心配なら、あとがきなどで作者の差別問題に対する意見を付け加えればよいのでは。
みづうみ文学の本筋である身内観の描かれた「畜生塚」と抱き合わせれば、秦恒平の力量はかならず翻訳でも強く世界に伝わると、勝手に考えたことでした。『親指のマリア』『みごもりの湖』などは翻訳者一生の仕事になる難事業ですから、速さを重視して、この二作結構よい選択だと思っています。
ほんとうはみづうみの作品すべて翻訳したいのです。どれもこれも世界文学として誇れる作品ばかりですから、一冊にするとなると、悶々と悩む困難な選択ですね。
以上、吹けば飛ぶようなど素人の意見を参考までに申しました。何作か候補を出して、翻訳者に選んでもらうというのも一つの方法でしょうね。一日も早く実現しますように。わくわくします。
ご無理なさらずお元気にお過ごしください。みづうみのこといつもお祈りしています。何がありましょうともお幸せにいらしてください。
2008 9・19 84

☆ おはよ、ございます、風。 08.09.19 10:56  花
昨日は一日中雨が降ったりやんだりでしたが、今朝は曇り空です。
お元気ですか、風。
花は、郵便局までおつかいに、歩いて行ってきました。
歩道の路面に、イラガ(別名電気虫)がポツポツ落ちていました。街路樹の銀杏についていたのでしょう。
イラガは、果樹や紅葉につきやすと聞きます。実際、うちの紅葉に大発生しました。紅葉は英語でmaple、ってことは、銀杏と同じ樹なのでしょう。
頭上に緊張しながら、往復三十分くらいのウォーキングエクセサイズでした。少し汗をかきましたが、問題なく、体力の戻りを感じます。
お風呂で読書して、うっかり本を落として濡らしてしまうこと、ありませんか。花はドジだから、絶対やってしまうでしょう。
風はそんなこと、ないの。
大きな台風が来ています。
酷いことにならないといいけれど。 ではでは。
2008 9・19 84

☆ 私語も読みまして、ネットで検索しましたら、すぐ出てきました、著者の名が。
七月に出た本なので、検索にひっかかりやすいのでしょう。
朝日新聞を読んでいませんので、文化欄ももちろん知りませんでした。
兼好の恋が隠されていたのが新発見とうたうのは、誇大な宣伝文句なのかなあ、と思うのは、楽観でしょうか。著者のプロフィールを見ると、それなりに学んだ人のように感じられますが、勉強が足りてないのかなあ。編集者も、同様に、勉強が足りないのかしらん。
もしほんとうに新発見と思っているなら、ご本を見てもらった方がいいと思いますね。
お手許に『恋の隠し方』はあるのですか。
剽窃だとなると、問題です。
今、あるコミックが、星新一の新潮文庫『ボッコちゃん』収録作品「生活維持省」と酷似していることが話題になっています。
遺族に指摘されたコミック作者も版元も、「星新一の『ボッコちゃん』は読んだことがないので、偶然だ」と言い張っているらしいですが、編集者までもが「読んだことない」と言い張っているところが、怪しいといえば怪しい。
だって、売り上げ240万部、わたしでさえ読んだことのある『ボッコちゃん』ですよ。 しかも、「生活維持省」は、最近NHKがショートアニメ化して放送してましたし。剽窃だといわれているコミックを原作とした映画が、今月にも公開されるというから、問題は大きくなることでしょう。
遺族の方は、版元と争うつもりはなく、読者の判断に任せる姿勢を示しています。大手出版社と映画会社 対 一遺族という構図では、一遺族の立場は弱いけれど、大勢いる読者が見識を示すことはできると思います。
風はどうなさるおつもりですか。
花は、『恋の隠し方』に眼を通した上で、新発見だとうたっている『恋の隠し方』の著者と出版社に、新発見ではないよということを伝えてあげて、相手側の反応を見た方がいいと思います。
花は風を応援しています。

* 耳に馴染まない奇妙な言い訳をさえされなければ、何度も言うように、自説が追試され確認されてゆく過程のようなモノなんだから、喜びこそすれ、荒立てる気はすこしもない。学者の仕事にこういうことがなるべく無いようであってもらいたい。誰にでも起こりうることである。
そもそもこの程度のことは、専門外の若い日のわたしにすらもたどりつけた結論なのだ、しかもわたしは先立った学者達からも十分結論を示唆されていた。研究の場合、原作本文を徹底して読む大切さのほかに、先学の追究にも目を配らなければ、お話しにならない結果を招く。
なるほど、本の帯を読んで「誇大な宣伝文句」に新聞社が乗せられたのかも知れない。そもそも兼好の凄さやすばらしさは、「恋の隠し方」などには無いのである。
秋には、芭蕉が「隠密」だったということを売り物に、同じ筆者の本が出るそうだが、そんな噂はまえまえから繰り返し聞いてきた話だがナアと、心許ない。
2008 9・19 84

* 上野、都美術館で一水会展を観てきた、というより堤さんの入選作を観てきた。入場券と一緒に写真が送られていた。
写真を見ておおっと声が出た。これまでを、グイと超えて出た画面が光っていた。写真でものはいえない。遠慮しぃの堤さんが観てほしいと言ってきているのも例のないことだ、台風の通りすぎるのを待っていた。
すこぶる暑い日ざかりの昼さがりだったが、上野駅から公園を横切っていった。おなじ館内に「フェルメール展」があり人出はそっちへ集まっていた。妻もわたしもフェルメールを束にして観る気はなかった。
堤さんの繪は、ややいつも雑然と盛り沢山にガヤガヤする従来の画面とちがい、主題の壺の花が生き生きと咲いていた。花そのものが明るく命の声を発していた。
周囲が、背景にしても足下にしても、花の邪魔をしないでしっかり美しく咲かせようとしていた。何でもない、それだけでちゃんと花の繪になって我々は花の繪と向き合っていた。
いつもは、時として何の繪と向き合っているのかと戸惑うほど全体にいろんなモチーフがかってに喋りまくっていたのに、今日の繪は明るくてうんと静かで、だから画面が生彩を維持して美しかった。ああ、これで観やすいなあと納得した。
一水会ぜんたいが、甚だ尋常なお絵描き集団らしく、そつのない繪が多くてそのかわりみーんな似ていた。目にばっと飛びついてくる勢いのいい絵にはお目にかかれなかった。物故作家であるが、小山敬三のちいさな「山」の繪が抜群のみごとさで、ああこれなら欲しいと唸った。

* みるからに妻の疲労が濃く、こういうときはと、博物館前からタクシーに乗り、柳通の佳いレストランへ行ってと命じた。運転手が心得ていて、まよいなく店の前で下ろしてくれた。
この店ではとびきりのコースメニューで、赤ワインもシェフの気遣いで上等の実にうまいのを出してくれた。妻はおいしいワインで持ち直し、おいしい洋食でぐんと元気に血色もよくなった。食べないといけないのだ、うまいものを。ゆっくり、腰をおちつけて食事に満たされた。根岸の町通りで風情の店をのぞいたり、横道にそれたりして鶯谷駅から、帰ってきた。

* 建日子が顔を見せに来るらしい。
2008 9・20 84

☆ あはれをば誘うてくりやるな   香
朝顔は夏のものだと、ずつとおもつてゐた。が、さにあらず、秋のものだつたのですね。俳句で秋のものとして扱つてゐるからだけではなく、手もとで培ひ咲かせてみると、それが痛感される。
夏の間は、まさにmorning glory、大きく色あざやかな花がかゞやく。でも、花の数はさう多くない。ところが立秋過ぎてからいつぱい咲く。そして、咲く花の一輪一輪が見る見る小ぶりになつてゆく。

朝顔や夜はむぐらのばくち宿   去来

ばくちは打たないけれど,すッ堅気とも言ひかねる人間が暮してゐる陋屋,窓辺にむぐらもどきの木草などを茂らせてゐる。そこに朝顔の鉢も置いてあるのだけれど、今や、morning gloryの面影無く、ちひさな花がいくつかひらいてゐる。
こどものころ読んだ童話に,砂を振りかける魔女がゐて、その砂をかけられると、睡つてしまふ、と、いふのがあつた。
その砂が浴びてみたくて、必死に目をあけてゐるのに、いつも知らない間に睡つてしまつたものだけれど、このごろは、ほんの少ししか砂を撒いてくれないらしい。それも夜昼問はず。
夜ねむれないのも困るけれど、昼間もぼやーと靄の中にゐる感じ。コーヒー飲んだくらゐでは、靄は薄らいでくれない。降りそゝぐこまかなこまかな沙のなかにゐる──。
コンクリート長屋の軒? 通路? に置かれてゐるわが家の朝顔にも、こまかな沙は降つてゐるらしい。午後になつてもすつかり萎れきるでもなく、水気の失せたちひさな花がぼんやりしてゐる。
老い初めし小野小町か、あはれをば誘うてくりやるな。

☆  峠の釜飯   馨
横川の峠の釜飯。
長野新幹線が開通してからは新幹線の中でも買えるので有り難みが薄くなりましたが、子どもの頃、横川のあの限られた停車時間で窓から買う釜飯は、ほかほかなのと相まってとっても貴重な食べ物に見えました。
ここ数年、峠の釜飯の本店「おぎのや」のある横川へ仕事で行くようになり、ますます有り難みが減って、今ではおぎのや本店に入りながら釜飯を無視して親子丼を食べてたりしている私ですが、そんな私でもとても有り難がっていたのが、あの釜。
あの釜、一合炊くのにちょうどいい、と包み紙に書いてあり、半信半疑で試したところ、確かにきっかり一合がきれいに炊きあがるんです。
我が家のお釜は五合釜なので、娘一人だけのお弁当を作るときや、私のお昼ご飯にご飯をちょこっと炊きたい時に、とても重宝。
もっとも蓋は水平に載せてあるだけなので、中のお水が沸騰する瞬間に炊きこぼしが結構出るため、沸騰しかけたらすぐに火を弱められるよう見張っている必要はあるのですが、五合炊きのお釜で一合炊く時におこげが出来てしまうリスクを考えれば、ずっとラクチン。
かれこれ3-4年、愛用していました。
が、ついに釜の底が抜けました。
「お釜底抜け行かれない♪」という花いちもんめの台詞って、現実なんだわ、と実感。
少しずつヒビが入っていっていたのを、お米を炊いて穴を塞げてごまかしごまかし、していたのですが、ある日持ち上げたら、すこん、と底が抜けました。
ずいぶん使い込んでいたので本当に残念…。
簡単な素焼きでできていて、すぐに割れるものをここまで使ったのだから悔いはないのですが、代わりのものが欲しいなぁ。
ただ、かなり重いものなので人様に持って帰ってきて、というのは申し訳ないし、しかもこれ、かなりの確率で運んでいる時にすぐに割れちゃうんですよね。学生の時に持ち帰ってきて、家に着いたら割れていたことがあります。
だいたい、おぎのやに行っても最近は釜飯食べないしなぁ、なんて考えて諦めて、通販で買いました、他のお釜を。
二重蓋になっている1.5合炊きです。
二重蓋なので見張っていなくても炊きこぼれはなし。さすがにこちらは「炊くための」お釜ですね。が、届いてみたら、体積で倍くらいありそうなくらい大きい。今までの置き場におさまらないんです。
おぎのや、釜飯の釜だけ通販で売ってくれないかしら。絶対に買うのになぁー。でも、梱包材とかで輸送コストがかかって元が取れないかな。

* ずいぶん御無沙汰だが「小闇」はどうしているだろう。勤務に追われているのだろうか。「黒体放射」にならぶエッセイ集がまた欲しいなあ。
ボストンの「雄」くんが「mixi」の方へ二度追うようにメッセージをくれていた。
2008 9・21 84

☆ 展覧会
早々にもういらしてくださり、有難うございました。 奥様もご一緒に見ていただいて、どうお礼を申し上げてよろしいか? 言葉もございません。その上に思いもよらないお褒め 少しだけ賜わり、もう舞い上がっております。 そんなに生彩、感じられるかしら? 自身ではまだ分からないでおります。未完成で出品したのだとのおもいばかり残っております。
昨日はじっくりと全体の作品を見てきまして 図録を求めて再度じっくりとみましたが、やはりおっしゃるとうり ぬきんでている作品!ひきつけられてしばしその場を離れられない! という作品にはお目にかからなかったです。 あの会の特徴でもあります。デッサンしっかり 物をしっかり なにを描いているか? しっかりと。70年の「流れ」でしょうか?
それにしましても、あの暑かった日にお二人でいらしていただき、感謝感激です。 もっともっと心を入れてしっかりと描かねばとおもいました。

* 写真でではあるが、全像と、わたしの勝手な思いでのトリミングとで検討しても、むろん結論は出ない。この画家の「未完成」と思っている意義を聴いてみたい。言い替えると、これまでの繪は、描いて描いて描いて、そのために完成したのか重苦しくしてしまったのか分からぬ例が、わたしの見たところ、有ったから。
画家の「未完成感」がかえってわたしの目に画面の生彩と明るい美しさになっていたのか、わたしの見間違えか。
わたしが、乱暴にも壺の下や、上方の背景を、上で下で少しずつカットしてみたいなと思うのは、繪が分かっていないからかも知れない。トリミングの魔法にわたしがイカレているのかもしれない。
2008 9・22 84

☆ アカメガシワの対捕食者構造に関する研究  京
恒平さん
驚きました。いつの間に、こんなものを見つけてこられていたんでしょう!
恒平さんに聴いていただきたかったのは、いつだって別の類の話でしたから、大学で何をやっていたかなど、当時話そうとすら思いつきませんでした。ちょっぴり「してやられた」気分で笑ってしまい、また、学問どころでなかった学生がそれでも何をしていたか、興味をもって見つけてこられ、大事に保存してくださっていたのは、とてもとても有難いことでした。(「e-文藝館=湖(umi)」に)載せるものが他にないのを、何とか拾ってくださった感じがしないでもなく、夏休みの観察日記の域を越えない物足りなさに、幾分きまりも悪いのです。
ドイツ行きたさに進んだ修士でした。学部四年に応募した二ヶ月間の語学留学の、それが条件でしたから。運よく院への推薦枠に入り、そのまま分子発生学の研究室に小さく居残るつもりでしたが(「雄」君もそこにいました)、周りの志気の高さに気後れし、別の研究室へ逃げ出しました。逃げて逃げ果せるものではなく、修士一年七月に念願のドイツから帰国してからは、テーマ探しに一苦労しました。何しろ、生きているものであれば、何でも好きなように研究してよかったのですから。
そこの幸島助教授は、生き物など生息できるはずのないと思われていた氷河に、生態系を見つけたことで知られ
(http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000164_01.html)、
何でも素朴に面白いと思う人でした。部屋には、ヒマラヤ氷河の微生物を調査する人、クスノキとクスノキの葉のドマティア(ダニ部屋)に住むダニの関係を観察する人、霊長類の目の形態を調べる人、ペットとして持ち込まれ野生化されたインコの集団ねぐらを追う人、沖縄のサンゴを食い尽くすオニヒトデを調査する人、といった具合、みんな好き勝手に何かやっていました。
地道な観察が必要な生態学や動物行動学ですから、たった一年の観察をまとめた私の論旨はお粗末で、自分から触れたくなかったのも確かです。あんなに引け目の塊だったのは、きっと、熱意や好奇心が足りなかったからなんでしょうね。「これは面白い」と納得してやっていれば、大した結果が得られていなくとも、他人からバカにされることなど怖くなかったのではないかなと。
最先端の科学技術を誇る東工大で、ヒマラヤ氷河に虫や藻を探しに行く幸島さん、生物学実験で学生を目黒の自然教育園に連れて行き、東工大構内にねぐらを作るインコの群れを観察させ、渋谷の交差点で人と人とのすれ違い行動を調べさせる幸島さんは、大真面目にそれを面白いと思っていましたから、周囲の教授や学生たちの冷ややかな反応も、気にする気配はありませんでした。だからこそ、幸島さんがこの四月から、母校京大の教授になったと知ったときは、とびきり嬉しかったです。
彼の研究は、以前「雄」君の書いていた「温泉の細菌の研究(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=843316348&owner_id=8718190)」に通ずるものがあると思います。
結局、この研究に終止符を打ったのは、ドイツ留学から帰国した、さらに翌年の夏でした。
「スペインへ(男と住みに)行くから」なんて、辞める理由が卑猥だと、博士課程の退学届に父は署名するのを突っ撥ね、代筆を強いられた母親は、「大学」という、娘に託した自分の夢が自分の手で閉じられてゆく耐え難さに、放心しているのが分かりましたが、退学届けを出して、私は、正直ほっとしたものです。
「スペイン」がなければ、自分は果たして誤魔化しながら研究を続けていたのだろうか。ハーバードで研究に打ち込む「雄」君の話を読むにつけても、私など、研究の場から離れて本当によかったと思うのです。ハハ、こんなことを長々書かずにおれないのも、未だに引け目を感じている表れです。言い訳と思ってください。  京

* あなたはあなたの避けてはならない道を勇気を持って歩いてきたのです。引け目も無用、言い訳も無用です。友人達も、わたしも、ちゃんと見ています。「要旨」はじつに色々な意味での記念碑であり、あなたを前途へ押してくれた「さあ行け」という結界だった。そう思って、あえて「京」のきっぱりした日本語を「e-文藝館=湖(umi)」に採ったのです。 秦

* 花、お元気ですか。 風
> 大久保さんの言われる「闇のなかの祝祭」の「世評が芳しくなかった。二人の女の間で苦しむ話など、そんな苦労ならしてみたい、と言う者がいても、誰も同情する者はなく、これを私小説と読んだ批評家が評価するわけがなかった。」のは、批評家が男性ばかりで、ひがみがあったという意味でしょうか。

日本の戦後は「私小説撲滅」が批評の大道というか大流行だったということです。
そもそも日本の近代文学史に女性批評家は探しても見つからなかった時代です。田中美代子が三島由紀夫論で出たときは大騒ぎでしたからね。文学研究する女性は多いけれど、「文藝批評家」の看板を専門に掛けて論陣を張っている女の人を思い出せません。女性には魅力ある未開拓の分野です。

> 「闇のなかの祝祭」は、実在する人物をモデルにしてい、その抽象化のレベルの低いのは確かで、私小説と読まれてもいたしかたない要素をいくつも備えた小説です。

私小説に抽象化はむしろ無用という「ありのまま派」が多かったでしょう。抽象化して逃げないという意味を求めた人たちも。極端になると、大久保さんもはっきり「害」として排された「文壇小説」がはびこった。それが、花も批判していた、狭い狭い特殊な文壇のなかでだけ説明抜きでツーカーという私小説でした。

> 実際の吉行の「闇のなかの祝祭」の頃の生活は、作中主人公と同じく、「半狂乱の妻と、やはり半狂乱の女優とのあいだで板ばさみになりながら、どうにか原稿を書いていた」だけではなかったはず、と、わたしは想っています。
> 大久保房男さんくらい吉行の近くにいた人は、吉行が二人の女性のあいだだけで右往左往していたわけではなかったことを、おそらく知っているのではないでしょうか。

吉行さんのこの作に近い実例の一つが、もっと先輩の高見順にあります。ただし、高見さんの場合の夫人と、吉行さんの例での夫人とのちがいは顕著ですが。それにも大久保さんは幾つもの証言をしています。高見順は、花の論考で欠きたくない一人ですね。視野狭窄の「文壇私小説」という当然の批判とバランスされて在った私小説の文学価値が、「俗物」「俗文学」という決定的な批判と対蹠にある文学・文士としての精神秀朗が言われつづけてきました。大久保さんはそれを今もハッキリいう大きな砦のような存在です。

>  また、「闇のなかの祝祭」の私小説的側面に触れずに論じたものが、読者のまず感じる素朴な疑問に答えていず、物足りないのは確かです。
>  「自己の体験を核として、私小説とはちがった文学世界を創りだす」とはいえ、吉行と風とでは、アプローチがずいぶん違う気がします。

急に風向きをかえましたね。
実を言うと、風は、吉行作品をほとんど読んでいません。芥川賞の「驟雨」一作だけ、やきつくように印象にあり、心底感嘆しましたが、そのご読む機会が全然ありませんでした。だから大久保さんの言われる、吉行さんの「自己の体験を核として、私小説とはちがった文学世界を創りだす」意味をよく理解しているわけではありません。
と言うより、「自己の体験を核として、私小説とはちがった文学世界を創りだす」のは、わたしもむろんそのつもりで小説を書いてきたのですが、作者と作品の半分以上は、いえもっと数多くがそうではないか。文学で、それ以外に出来る道があるなら、ほんとうに優れたオリジナル(ゲーテのフアウスト、シェイクスピア、嵐ヶ丘、ゲド戦記など)か、それとも通俗な読み物だけと言えそうです。

>  ガソリンが底値です。 これから入れてきます。 ではでは。

底値ですか。驚きました。この方面は分かりません。 お元気で。ではでは。
2008 9・23 84

* 夫の転勤に妻として転居した人が、その地で余暇を活かして一念発起、押しも押されもせぬ一流の人に成った例は、幾人も有るに違いないが、わたしはわが「湖の本」の久しい読者で、二人存じ上げている。
一人は、一方(いちかた)流の平曲奏者となり、現在も「二百句」を全部通して演奏公演し続けている、橋本敏江さん。すばらしい語りと琵琶とで平曲を演じる。
耳なし芳一というように「一」という字を名乗った人が伝統的に多く「一方流」と謂うが、現代、ほぼ唯一ともなってきた橋本さんは、大事な大事な余人に代え難い平家語りの継承者。
もう一人は、その秀麗な文章表現と共に、江戸時代の女流『江馬細香』に素晴らしい光明を添えて世に送り出した、門玲子さん。江戸時代の女流文学者研究を、積んで積んで積んで押しも押されもせぬ在野の研究者として、いまではその世間をひっぱっている。大きく顕彰もされている。
なによりも門さんは読ませる書き手である。推薦してペンクラブに入ってもらった。「e-文藝館=湖(umi)」にも書いてもらっているが、門さんの場合、出発が閨秀の漢詩人だった。気の毒にパソコンは「漢詩の再現」に漢字でも返り点などでも、いと弱し、で音をあげる。つい随筆風のものを頼んでしまうのが残念。

* 上の二人とも文字通りの一主婦から、すこしのきっかけを掴み意欲を注ぎ込んで大きく起ち上がってこられた。しかもなお主婦なのである。ひとつのことを続けて十年うちこめば実るが、十年意欲の「ガマン」が無い。広い意味で、創る人と楽しむ人との分かれができる道理。
2008 9・24 84

* そうそう昨夜おそく、また一人東工大でのもと学生君が秦教授の近くへ戻ってきてくれた。優れて文学的な佳いウエブサイトも経営している。教授室には比較的はやい時期に顔を出してくれた、一人。いまのマイミク君たちとも、専攻でいくらか繋がっているのではないか。文章の読める人がまたマイミクに加わってくれ、楽しみが増えた。書いたものが読める、「mixi」の楽しみはそれ。それだけとも言える。そこからどれだけ汲み取るかはわたしの問題。

☆ 登場人物の名前 ポニョ・チョコレート工場・etc…
2008年09月23日21:55  馨
最近、自分の本ばかり買っていることを反省して、先日娘に本を買いました。
「くるまの色は空の色」は、このところ少しずつ学校の音読宿題になっているのでちょうどいいかな、と。もう一冊はロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」。
まだちょっと難しいかなと思いつつも、読み始めれば内容の面白さに引き込まれて難しくても読み進んでくれないかと期待しての一冊。
そろそろ長いものを勢いで読み切るという読書もいいかな,と。
最初は「なんだか大人の本みたいだよ」と、装丁だけで尻込みしていたのですが、ページをぺらぺらめくっていきなり笑い転げる娘。
「だって、バケツだって。名前がバケツなんだよー」
あまりの掴みのよさにビックリ。
そう、あとがきに書いてありますが、この名前の訳こそ訳者の柳瀬尚樹が細心の注意を払ったもので、直訳ならチャーリー・バケット。ただ、作者は明瞭に「バケツ」の意味で命名しているので「バケツ」と意訳されています。
他にも、おブスの「イボダラーケ・ショッパー」やおデブの「ブクブトリー」など、登場人物の苦心の訳が次々と娘の心をとらえた模様。
大人になってから読んだ母は、そのあたりは素通りしてしまったヨ。
本には出会うタイミングというのがあるのだなぁ、と改めて思いました。
登場人物の名前といえば、先日入ったお店で隣のテーブルのおばさま達が、漱石好きだったらしく、ミレーのオフォーリヤがどうのこうの、明暗がどうのこうの、と話していましたが、
「ポニョの『そうすけ』は『門』から取ったのよね」という話題になり、耳がダンボになった私。
実は今日、娘の映画デビューとして「崖の上のポニョ」を見に行くことになっていたのです。
映画を見に行かれるようになった年齢で下が生まれてしまったので、中々行かれずにいたのですが、学校でみんなが見ている上に音楽でもポニョの歌を習うことになり「どうしても見たい」ということでパパさんと行ってもらいました。
行く前に主人に「『そうすけ』って『門』由来らしいよ」と言うと、「ふーん」。三四郎三部作、読んでないだろうなー、この人。
「チョコレート工場の秘密」についても、相当に熱心に読んでいるよ、とも言うと、
「ふんふん。それってチョコレート工場の中の機械の話とかじゃ…ないよね」。
・・・理系人間と結婚したなぁ、とこういう時に思います。
そういう私も「リーマンってどうして倒産したの?」「ユーロまで落ちて来たのはなぜ?」など経済ネタに関しては完全にダンナ様を辞書代わりにしているのでエラそうなこと言えないのですが。
娘は楽しそうに帰ってきて、ひとしきり映画の話しをした後、チョコレート工場を読んでいました。いい休日です。
お母さんもそういう生活したいなぁ。

* こういういい話は、いわゆるメールでは読めない、メールだと、個と個との通路に狭まるから。
「mixi」の日記では、ちょっした舞台での所作のようにまず自己表現されていて、それを読者(観客)は受け容れたり、読み流したり、スルーしたりしている。或る意味、この無責任な「覗きっこ」をメンバーは許容しあっている。なんにも書かない人は、つまり、読み手からすると愛想がないのである。

☆ 義賢最期  maokat
新橋演舞場で新秋九月大歌舞伎を観た。歌舞伎を観るのは七夕の歌舞伎座以来二年ぶりということになる。
演目は、義賢最期・竹生島遊覧・実盛物語からなる「源平布引滝」と舞踊「枕獅子」。
新橋演舞場ははじめて。スマートで綺麗だが、歌舞伎座のような華やぎはない。
見始めてからわかったのだが、帯刀先生義賢という人は、木曾義仲の父にあたる人だ。その義賢が平氏に討たれ、義仲を身籠もった葵御前は近江堅田に身を隠すが、平氏方の斉藤実盛の配慮で、平家の追っ手から逃れ、信濃の国に落ちてゆくという内容。
その落ち行く先が、信濃の国今の長野県木曽郡だったことから、義仲は「木曾」義仲といわれている。私の母は、木曽郡日義村の生まれで、この日義という村名も朝「日」将軍木曾「義」仲からとられている。母の生家は日義宿の脇本陣をつとめた古い農家で、伯父の代からは民宿を営んでいた。母の長姉も、そのすぐ近所で食堂を営み、幼いころ私は半年ばかり伯母と伯父の家に預けられていた。食堂のある伯母の家の前は中山道(国道19号線)が通っていて、道一本挟んで山側には林昌寺という古い禅寺があった。この寺は母方の菩提寺で、私の祖母も九十で亡くなると、この寺で葬儀を行って墓所に納まった。林昌寺は、義仲を匿って養育した中原兼遠が建立した寺だ。また、ほど近い所には、義仲が平家討伐の旗揚げをし、館跡もあったという旗揚八幡宮や、義仲の墓所のある徳音寺などがあって、ともかく母方の里は義仲一色になっている。そのせいか知らないが、民宿の伯父は隠居した後、『木曾義仲』という本を書き、木曽義仲史学会という団体まで作ってしまった。その下の伯父は九品仏で絵描きをしているが、洋画で源平の合戦を描いて、やはり義仲にかかわった仕事をしている。母も含めて母方の兄妹はものを書くことが好きなのだ。
一方父の生家は、隣町の木曽福島で薬屋を営んでいたが、名字が珍しいために、容易に家系が辿れ、元は甲賀の修験者で薬を阿波まで売りにいっていた一族らしい。木曽といえば薬草と御嶽修験道で有名なところだから、父の先祖はそのつながりで、木曽に流れ着いたようだ。父方の家系は皆短命で、父も叔父も四十代で病死した。その叔父さんも生前、子供の頃父達と遊んだ想い出などを本にして上梓し、そのうちの一冊が実家に残されている。
偶然観た歌舞伎が義賢最期であったため、普段は思いもしない生まれ故郷を思い出した。木曽は山また山の辺境にして、主産業の山林業も漆工芸も、荒れ放題でもはや消えゆくのも時間の問題だ。生まれてから十一年間を過ごしたが良い想い出はない。それでも、木曽にゆかりのものを見れば、楽しいことのなかった幼少時を思い出し、こうして夜中に文字を書き込んでいる。考えようによっては、合わさった両親の形質が私をして書かせているともいえる。
話を戻すが、葵御前が隠れ住んでいたのは近江の堅田。堅田といえば、一休宗純が、師、華叟宗曇の元で修行をした場所だ。華叟宗曇という人の偏屈で筋の通った生き方は、思春期の私に少なからぬ影響を与えている。長じた義仲が討ち死にしたのも近江。墓所は大津の義仲寺に芭蕉の墓と並んでいる。その大津から東海道を伊勢に向かえば、父の縁の甲賀に至る。
木曽と近江は、私の中でも妙な具合に繋がっている。その繋がりは、俳諧と平家物語への道筋かも知れない。あるいは、その繋がりが、私にものを書かせているのかも知れない。

* こういう「自分史」ふうの述懐もメールでは書けないが、ニックネームでの「mixi」では書ける。おもしろくも、きまじめにも、書ける。心知った友であっても、こうはなかなかふだんは聴けない、それが「mixi」だと聴けるのである。わたしはよろこんで、この一文を「e-文藝館=湖(umi)」の「自分史」に頂戴する。
ただ、一つ欲をいえば、思春期少年の昔に、偏屈の「華叟」和尚から受けた「少なからぬ影響」ないし感化に触れて、少しでもいい、具体的に印象に残る書き添えてあるともっといい。それを書き添えておくと、この一文、またもっと別方向へ展開する「序章」に成ってくれる。 maokatさん、いかが。

☆ バリアフリー,チョコレートと電磁波  ハーバード 雄
・ 今朝は週一度のプログレスレポート.担当は大学院生のライアン.昨晩,なぜかなかなか寝付けず,睡眠不足のまま慌ててラボに来た.睡眠が足りないと,英語の理解力がテキメンに低下する.おかげで今日のライアンのトークはさっぱり分からなかったし,それに対する質問,ジョークも殆ど理解できなかった.我ながら情けない.引き続いて行われた,ボスの光学の講義も,そんなわけで今日は消化不良だった.もったいないが,どうしようもない.
・ 今日の講義の際に驚いたこと.最前列に座っていた男子学生は,どうも聴覚に障害のある人らしく,補聴器のようなものをつけていたのだが,彼の前に手話のできる職員が座り,ボスの講義を同時通訳していたのだった.しかも,時間ごとに交代することとなっているらしく,二人の職員が交互に彼の前に座っては,同時通訳をしていた.おそらく,聴覚に障害のある人は,あらかじめ申し出ることで手話の同時通訳のサービスを受けられるのだろう.
今,日本の大学で同様のサービスをしているところはあるのだろうか.僕は聞いたことも無い.考えてみれば,大学入試の英語の試験でリスニングが導入されているが,こういう時に聴覚に障害のある人に対しては,どのような措置がとられているのだろう.全く措置がとられていないとしたらひどい話だが,逆に無条件に点数を与えるとしたら逆差別にならないとも限らない.
ただ,こうした障害を持った人に対するアメリカの取り組みは素晴らしいなと,いつも思う.バスも車椅子に対応しているし,老人やベビーカーを持ったお母さんなどが乗るときには,バスの高さを自動的に下げられるような工夫がなされている.日本でも,車椅子の人が電車に乗る際に職員が対応している姿は見かけるが,まだまだ不充分な点も多いかなと思う.
・ 光は電磁波の一種であるが,同じ電磁波の仲間である電子レンジを使って簡単な実験をすることができる.電子レンジに板チョコを入れ,加熱する.すると,熱せられた箇所のみが溶ける.この溶けた箇所のうちの2点の距離を測ると,電子レンジの波長が求められるのだ.
要するに,電子レンジの中でできる電磁波というのは,ちょうど弦楽器のように,動かない場所と激しく動く場所とから成っていて,チョコが溶けた2箇所の距離というのは,ちょうど波長の半分になっている。
先週ボスは,これを自由課題として取り上げたのだが,実際に試した学生二人が,レポートをパワーポイントファイルとしてボスに提出したらしく,ボスがその内容について取り上げていた.
電子レンジで熱すると,確かに板チョコには窪みが2箇所できていて,この距離を測ると6cmだった.ということは,この電子レンジの電磁波の波長は 6cmx2=0.12m.さらに,この電子レンジの周波数は機械の取扱説明書によれば2450メガヘルツとのこと.ということで,これらを掛け算してみると,0.12x 2450,000,000(1/sec)= 294000000(m/sec)=秒速 約30万キロメートルということで,ちょうど光の速さにほぼ一致する.光の速さは光の波長と周波数とを掛け合わせた値になる(c=λν)ので,当たり前といえば当たり前だが,思いのほか良い精度で値が出るので,ちょっとびっくりした.
それにしても,こうして自由課題が出れば積極的にやる学生がいるというのは素晴らしい.もう講義は今日で3回目だったが,未だに私語をする人も現れない.さすがだなあと思う.
電子レンジでチンして,定規で測っただけじゃないかと言う人もいるだろうが,実際にやるのとやらないのとでは大きく違う.そもそも,今の(特に日本の)学生は,手を動かして何かする習慣の無い人が多いので,研究室に所属してから戸惑うことが多い.僕自身もそういう傾向があったと思う.
さすがに僕はやらなかったが,大学院生の頃,技術員の人がビーカーにアルミホイルをかぶせたまま電子レンジに入れようとしていてびっくりしたことがあった.技術員とはいえ,某国立大学の修士課程まで出ている人なので,そんなことをするとは思いもしなかった.日本だけでなく,インドなどの階級制度の厳しい国の出身だと,研究者になるような人は階級の高い人が多いので,サランラップをかぶせることさえ難しいという人も少なくないと聞いたことがある.
さすがに今回の学生は,アルミホイルをまいたままチョコレートを電子レンジにかけるようなことはしなかった.それだけでも偉い,といってしまうのは,レベル低すぎ?
2008 9・24 84

☆ 翻訳するなら  京
「親指のマリア」、と思いました。時間はかかりそうですけれど。
「ディアコノス=寒いテラス 」には、私もとても驚かされましたが、案外悪いアイデアではないかもしれません。できるなら第一作目にするよりも二作目以降の方がよい気はするのですが。「冬祭り」もよいかと思います。
あいにく私は、適当な日本語-スペイン語の翻訳者を知りません。スペイン人の協力を得て、私が翻訳できたらよいのになあ、と夢見がちに思ったこともありますが、ちょっと現実味に欠けていますか。
それよりか、日本語で自分が書いたら、と、燻る思いも戻ってきていて、昨日見た韓国映画のテーマのせいか、ますます気持ちは動いています。
昨夜、バルセロナ市の祭りの打ち上げ花火を家の窓から眺めていたら、無性に日本の夏の花火が見たくなりました。
京は元気です。

* ハズバンドと協力して貰えると、古典や歴史がらみでなければ、可能ではないかなあと思う。日本語がよくわかってスペイン語で暮らしている奥さん。そしてスペイン人のハズバンドは、言語表現と縁の濃いお仕事であったと覚えている。
掌説を、コントのようでなくあくまで文学である短い小説としてスペイン語に定着できたらありがたいが。「畜生塚」や「隠水の」あるいは「誘惑」のような現代小説も。夢が動く。
イタリア語で「親指のマリア」が出来たらいいなとは何度も夢見てきた、が、「勘解由=白石」の江戸時代のパートが難しいかも。それに九百枚は長い。
「京」が肩の力を抜いて、自然にさらさらと書き始めるのには賛成。
2008 9・26 84

☆ パリの三日目  琳
すっかり秋めいてまいりました。お変わりございませんでしょうか?
では本当に、改めてパリ3日目のご報告です。
この日は、エディット・ピアフの生地巡りに行って参りました。
まず最初にエディットの眠っているお墓に行きました。
彼女のお墓はペール・ラシェーズという集合墓地にあり、ここがとても広いのです。
案の条、迷子になりました。
しかし迷子は私一人ではなく、ここを訪れる人は必ず迷子になるそうです。
無事エディットの所に着いたのは、この場所を訪れて30分程迷った時でした。誰もいないので沢山ある中から、ひとつひとつ墓標を確認してやっと見つけたのです。
エディットのお墓を見つけた後、段々他の人がエディットのお墓の周りに集まってきました。さっきまで人一人見なかったのに。。。
初めからこんなに人がいたら、見つけるのも楽だったのになぁと思いながら、そこを後にしました。
そこの集合墓地には他に、10点程大きなオブジェも飾ってありました。その全てが、ナチスによって殺されたユダヤ人を供養するものでした。
オブジェの多くは人の形をしており、苦しみが表現されていました。あとでフランス語の説明文を訳そうと思い、写真を沢山撮りました。
自分で思った以上に、心に焼き付いていました。
その後出口まで、また30分迷いましたが。。。
次に、エディットの生まれた家を見に行こうと、とても近いので徒歩でベルヴィルまで行きました。
今度は迷わず行けたのですが、ベルヴィルと言う所は下町で少し物騒でした。
イスラム教の人や中国人が多く住む移民の町でした。決して私も身なりが良かった訳ではないのですが、とても浮いていました。他のパリでは見ない物乞いのイスラム教の人たちが沢山いました。
その物乞いの中に子供を抱えた女性が一人いたのですが、その人にお金を渡している男性がいました。
しかしその男性自身もあまりお金がある様には見えませんでした。
私は物乞いと言うだけで、お金を渡す事など考えもせず、避けて通ろうとしていました。他の場所から来た人よりも、その場所に住んでいる人の方が彼らに優しい目を向けていたのです。
確かに物騒ではあり、綺麗な町並みとも言えないのですが、彼らは助け合っていました。ここにいる全員がその男性の様に優しいとは思いませんが、少なくともそこには思いやりがありました。
他にも沢山の人たちが楽しく仲良く談笑をしている場面をよく見かけました。
そんな町でした。
それでもやはり、すこし中心から離れると雰囲気が良いとは言えないので、エディットの生家は結局見つけるのを途中で諦めました。
しかし彼女がどのような場所で過ごしてきたかは、肌で感じる事ができました。
いい論文が書けるといいのですが。。。
最後はシテ島に行きました。
有名なノートルダムのバラ窓がとても綺麗で、私はずっと見とれていました。
写真も撮りましたが、本当の美しさの半分も写す事が出来ませんでした。
その後はシテ島や、その周りをお散歩し、のんびり過ごしました。
やはりシテ島はとても素敵な所、パリの始まりの所でした。
ここはあまり時間が取れず、簡単にしか回りませんでした。
1枚目の写真は、エディットのお墓ではなく、ナチ犠牲者の為のモニュメントのひとつ。小さな石が1つ積まれています。他のオブジェには沢山積まれているものもありました。強制労働をさせられた人達の足のマメが表現されているそうです。
2枚目はポン・ヌフ橋です。シテ島の端っこに位置しています。私の行きたくてしょうがなかった橋のひとつ。
でも淋しい事に、他の人は誰も反応せず、写真を撮っている人はいませんでした。
浮かれていたのは私一人でした。
今朝、姉がドゴール空港へ向け飛び立ちました。
ベルギーで学会があり、ポスター発表をする為です。
ポスターを背中にくくり付け、バズーカ砲を背負っているかの様でした。
2日間パリを楽しんでくるそうです。
羨ましい!!!
帰って来たばかりですが、またすぐ行きたい!!!
涼しくなって参りましたので、院試の勉強少しずつ進んでいます。
パリ便り4日目、またお便りいたします。
時間が経っても、楽しかった事って忘れないものです。
今頃祖母は夏バテなのか、体調不良です。夏バテは秋にやってくるそうです。
おじい様おばあ様も、お身体優しくいたわってお過ごし下さいませ。 琳

* 観たこと、聴いたこと、したことのぜんぶが、ふっくらと栄養になってあまさない年頃。おたより有難う。やす香も「琳」さんの肩にのっけてもらって、大の仲良しといっしょにパリを見聞してきたことかと想う。
2008 9・26 84

 

☆ そば   雀
三日月に地はおぼろ也蕎麦の花(芭蕉)
伊賀の休耕田に白い花が盛りと咲き、足元を見ると赤まんまが露にぬれています。
澄んだ空のもと、そよぐ風に誘われて、永源寺から峠越えにいなべ市の莵上神社へドライウ゛しようと出かけましたら、峠は崖崩れで通行止め。トンネルを掘って真っ直ぐな道を作る国土交通省の計画図が掲げてありました。
今年も秋のスタートは明日香遊山。棚田に揺れる黄金の稲穂。畦を紅に埋めて咲く曼珠沙華。道べにしなう野の萩に、芋峠越えをしてみたかったのです。
甘ちゃんの雀のことですから、自動車で、ですけれどね。
トンネル全盛のいま、峠越えの道は、線を引いたらわけられ区別され切りはなされてしまうところが、なだらかにつながっていることで神秘的な感覚が得られる場であり、また、上ったら下る趣のあるところと感じています。
線引したら鉄条網や兵隊さんで行き来が断たれてしまうかもしれないのに、ほそくてあぶなっかしいハシッコのたがいの先をつなぐことで、息をつなぎ、さらには血の通う、しっかり行き来できるところに変わる不思議をしみじみと思うようになりました。
明日香から談山神社、さらにトンネルで宇陀へとつなぐ東西の道がつくられています。開通すると現在の吉野・明日香間に加えて、桜井、宇陀、菟田野、初瀬が一段近くなります。
しなのぢやそばの白さもぞつとする(一茶)。
明日はバスツアーに参加しまして木曾路を奈良井宿までたどってまいります。木曽路はいまも高速道や新幹線が通らない、ある種の“聖地”なので道中も楽しみです。本当に山のなかなのかも知りたくて。
♪松本、伊那、佐久、善光寺/四つの平(ヒラ)は肥沃の地/海こそなけれモノ沢に‥ (「信濃の国」)。
気温差が大きくなりました。お風邪召しませんように。 囀雀
2008 9・27 84

☆ 雨,困惑   ハーバード 雄
・ 昨晩は,結局12時半過ぎまでラボにいた.顕微鏡のセットをして帰宅.ここ数日,家には寝に帰るだけのような生活が続いている.しかし,嫌ではない.むしろ研究を楽しんでいる気分.
週末も,本当はゆっくり過ごすつもりだったが,日曜日に誰も予定を入れていないのが勿体無く感じられ,朝から目一杯予約を入れてしまった.土曜日はさすがにゆっくりしようと思っていたが,同僚のジュ・リュウが一緒に実験してくれないかといって,とあるテーマを提案してきた.面白そうなので,早速土曜日に試すこととなった.
土曜日は夕方からはボストン日本人研究者交流会に参加するつもりなのだが,ギリギリ間に合うかどうか不安.
・ ハリケーンの影響だろうか,ボストンは強い雨に見舞われた.やがて止むだろうと思って車は利用せず,あえてバスで出勤したのだが,時間を追うにつれて雨足はどんどん激しくなる.ランチを食べに行くにも一苦労で,結局すぐ近くの中華のケータリングで済ませたのだが,弁当を買いに行く数分の間にびしょぬれになった.
家にまともな食材が無いこともあって,帰り際,ハーバードスクエアまで歩いてLE’sへ.びしょぬれになった上,道路の水溜りを避けようとして,つま先を上げるようにして歩いていたせいか,ハーバードスクエアまで歩いただけで足が筋肉痛にでもなりそうな位,疲労してしまった.
2008 9・27 84

* 仕事は前進して行く。

* 作品の翻訳のことで、海外からまた助言のメールを今し方受け取った。深く感謝。
2008 9・27 84

☆ おはようございます、風。 08.09.28  10:08
風は、もう起きてお仕事なさっているのかな。
花は、鎮痛剤のせいか、昨夜十時頃には眠くなり、リビングの隣の畳の上で横になって、朝まで。きのうから、急に秋になったみたいで、涼しく、寒いくらいでした。ちゃんと毛布をかけましたから、ご心配なく。
これから、県内のよその市にある家具屋さんへ行ってきます。ワーキングチェアのすわり心地を試しに。試すだけ。
ワーキングチェアは、人間工学に基づいてそこかしこの部位の調節がきくようにできてい、高価なものが多いですね。見た目もごっつい。
さてさて、風、お仕事がんばってくださいね。花も。

* 若いなあとおどろく。
夫婦ともマイカー運転の出来る家庭は、少し遠出になっても、大きな重い買い物にでも、出て行ける。
七十の坂を立ち居もしんどいほどのわたしたちの人生では、もうそういうことは無い。「車」の自己体験がまったく無いまま此の世を出て行くんやなあと思い、同じそんなことなら、他にも無数にある。
妻は、飛行機にのったことがない。わたしはゴルフのあの細い棒に手を触れたこともない。飛行機には乗せてやりたいが、ゴルフには全然気がない。いまあるがままで足りている。足りているどころか、有るものをどんどん減らして行きたい、それは切実な希望だが、それにもからだを働かせねばならない。
2008 9・28 84

☆ 品格ある大人に会いたい,と子どもは思っています。  麗 北海道
もと日教組ですが,何か問題でも。・・・じゃなくて。
中山氏は,文科相時代に,中学生たちを前にして,ゆとり教育を「詫びる」というパフォーマンスを演じています。今回も,「単一民族」発言以外は,日教組攻撃の意図でなされたものでしょう。
なぜ,このような発言をしたか。
文科相時代,よほどいやなことというか,日教組がらみの教育界の暗部を知り,「許せん」と思ったのでしょう。その気持ちが,文科相でなくなった今もなお,続いているのでしょう。彼にとって,日教組は「天敵」,なのかもしれません。もちろん,彼が蛇蝎のごとく嫌うのは,日教組という組織の,病理とも言える部分であり,授業や部活,生活や進路指導に日々まい進している教師たちを同一視してはいないでしょう。多分。
そして,なぜ今発言したか。
日教組からの抗議は,彼にとっては織り込み済みです。彼の意図は,今月いっぱいの超期間限定とは言え,大臣という注目度の高い立場を用いて,自ら知ったところの,病理団体・日教組を糾弾する目的もあった,とも考えられます。マスコミは当然,大臣批判を展開するでしょうが,迫った選挙に向けて,日教組やその支持政党を「正しく」理解し,1票を有効に使用してほしい,という有権者への訴え,と見ることもできます。
他の方の日記を拝読したところ,日教組に批判的なものが大部分でした。議員辞職まで求める資格があるのか,国民の真意は選挙で問うべきだ,と。ここで,団体の品格があらわになってしまった,とも考えられます。「大臣のご発言は真摯に受け止めます」と言って,直後に,『正しく知って日教組キャンペーン』でも打てば,世論を見方にできた,やもしれませんのに。もう,遅いか。この点では,中山氏の勝ち?
以上,だいぶ中山氏に好意的だと思われるやもしれませんが,氏の意図がこの通りだったとしても,それが正しく伝わったかどうかは,疑問です。
あまりにも,言い方が舌足らずで,説得力に欠ける。自身の肝いりで実施された「学力テスト」からは,日教組の組織率とテストの成績の相関関係は,必ずしも明確でない,という結果が出た,くらいは,わきまえて語るべきだったでしょう。
そして,あらゆる意味で,周囲への配慮に欠ける。これでは,まるで私怨を晴らすために大臣の地位を利用した,自爆テロ的だ,と批判されても,反論できないでしょう。妻も息子も財務(大蔵)官僚出身の,掛け値なしに優秀な人材は,国家のために,それこそ,「火の玉」となって働いてもらわねばならなかったのに,「火だるま」になってしまった点は残念です。
大臣も日教組も,今回の発現・辞任騒動を,品格なき泥仕合として見せてしまった,言わば,大人として無責任な姿を子どもに印象付けてしまったように思われます。
それが,私には一番残念なことです。
————–
日教組 「(中山氏は)議員も辞職すべきだ」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=620526&media_id=4
(時事通信社 – 09月28日 18:01)
中山成彬国土交通相の辞任について、日教組の岡本泰良書記長は28日、「個人的な思想を国務大臣という公人の立場で発言したことは、政治家としての資質・見識が問われることであり、国会議員も辞職すべきである。麻生首相の任命責任は極めて大きい。日教組は改めて一連の発言に対して強く抗議するとともに、発言の撤回・謝罪を強く求める」などとする談話を発表した。

* わたしが根本おかしいと思うのは、中山辞任大臣は、組織である「日教組」という労働組合と、その運営者である人間集団への憎悪か私怨かを、混同していること。
かりに一歩譲って日教組の指導者・顔をかりに「ぶっこわして」も、「日教組」という、法に基づいた組合の趣旨と精神とはぶっこわしてはいけない、そんなことを考えるのは、権力者の恫喝であり労働者への圧政以外の何ものでもない。
よほど自民党政権は戦後史のなかで「組合」に恐怖している。
しかし、「組合」は歴史的所産として、血と汗と涙とをつんで獲得してきた働く人たちの公に認め合った「大権利」なのである。その大切な意義を、保守自利のチンピラ政治家ほど忘れている、と言うよりも、知らないのではないか。
じつは国民もそれを忘れてしまっている。
だから政治がこうも権力拡大へばかりうごいて、国民の生活が置き去りに放置されて行くのだ。働いている人たちが、その意義と本当の力にもう一度聡明に目覚めなければ、どうにもならぬところへ日本は後退している。

☆ 目当ての椅子は  花
現在取り扱っていないと、はるばる足を運んだお店で言われました。
残念。いつか、どこかで。
花は、変な恰好で寝たのか、首筋が凝っています。やだなあ、もう。
急に寒くなったのも、あるのかな。
風に、逢いたいなあ。

* まちがいなく若いひとがわたしに逢ったなら、なんてきたない爺だろうと思うに違いない。自分で自分をいつも観念した気味にそう思っているぐらいだ。
このごろのわたしのサマが無いのは、背中ぜんたいが痛い。背中の真ん中へんに、余計な硬い肉が付いているのか、深夜の読書を終えて寝床に仰向けに寝ようとすると、飛び上がるように背中全部が痛い。痛みが無くなるのに、つまり背中が床に馴染むのに一時間はかかる。
寝床から起きあがるのがまたたいへんで、うめくほど背中が痛むし、腰を起こすのに片脚をたてるのが辛いぐらい容易でない。
今朝はふとももの内側の奥の一点に、するどい痛みがあり、それで目が覚めたほど。虫に食われたのでも黒いマゴに引っ掻かれたのでもない、皮膚は普通なのに、内側から針で突き上げてくる痛み。指先で簡単にその一点はとらえられ、コリッと筋条の硬さに触れる。血管の結滞か。
一日中、すこしずつ揉んでさすって宥めていた。ときどきキュウッと痛む。
こんなことは、探していれば幾らでも出てくる。バグワンはからだの異常も、落ち着いてよそごとのように観察するといいと言っていた。なるべくひとごとのように観察している。
幸い、かどうだか、口で話すには、ときどき失語症ぎみに必要な語彙を求めあぐねてモグモグいうが、書く方は、なめらかに言葉がいくらでも涌いている。頭は働かそうとしていないのだが、感情は豊かでいたい。喜怒哀楽を抑制しないようにしている。外見は見苦しくなる一方なので、気恥ずかしい出逢いはすべて遠慮したい。
2008 9・29 84

上部へスクロール