* 平成二十一年(2009) 元旦 木
* 賀正 存吾春
あなたのお幸せを祈ります。
牛のように歩んで行きます。 秦 恒平 騒壇余人
ひむがしに月のこりゐて天霧らし丘の上に我は思惟すてかねつ 十七歳 一九五二年
また一つ階段を昇るのか降りるのか知ったことかの吾が吾亦紅
いのちあって吾亦紅けふも千両のあけとはなやぎ二十顆落ちず 七三歳 二◯◯九年
* ちかくの鎮守で太鼓を打ち出した。数百人に賀状を電送した。
* 天光正春 平成二十一年。ようこそ。
2009 1・1 88
* メールでの賀詞もたくさん。アメリカの池宮さんからも電話あって、暫時歓談。
2009 1・1 88
☆ 明けましておめでとうございます。 麗
ただ今,例年年越しに行っている,道南の「銀婚湯」から帰ってまいりました。温泉に浸かり,湖の本の,『漱石「心」の問題』や,『日本語で「読む」ということ―春琴と佐助―』を読みました。よい本でよい年明けを迎えられましたこと,御礼申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
* 「e-文藝館=湖(umi)」には、良い木を一本一本丁寧に植えて行きたい。
* 源氏物語の映画を観、妻が煮たうまい椎茸と高野豆腐と蒟蒻とで、藤田理史くんのはるばる送ってくれた美味しい酒を呑んでいた。そばで京都から帰ってきた建日子がもくもくと機械で仕事をしていた。親子三人と黒いマゴと。静かだが温かい。
メールの賀詞も、数十。賀状も、昔ほどではないが二百近くか。まだかなり世間に繋がれている。
☆ 謹賀新年 ペン理事
秦先生 あけましてオメデトウございます。
しばらく日本ペンの理事会でお会いしなかったものですから、少々懸念しておりました。まさにすばらしいお年賀でした。ほっとしています。
ようやく国際ペン東京大会が視界に入ってきました。ご承知の通り、今の日本ペンは若手を中心に頑張っておりますが、それはそれですばらしいことなのですが、如何せん、ややもすれば個人技が優先、先行きを見逃しがちです。
という事でこれから大先輩の英知が必要になること必定です。
どうぞ、先生の益々のご出馬を願うと共に、我々の先導役を担って下さるよう伏してお願いする次第です。
先生のご健勝を祈りつつ。
* なんのお手伝いもせず、申し訳ない。
2009 1・1 88
* 三好徹さんの年賀状で、ペンを見捨てるなと背を押されたが。
* もう、東工大卒業生の子たちの何人かが小学校にあがる、あがっている。
おもしろい現象だ、男子の父親達は、例外なく家族写真で年賀状をつくっている。
しかし父親でまだない、夫でまだない人もいる。いい伴侶に巡り会いますように。
やはりほんものの夫婦が互いに心身の健康に気遣いながら、後顧の不安なく働いている図が、古めかしいようだが、望ましい。五十年の体験がそれを、つい言わせる。
心を病んでいる人のことが、案じられる。
2009 1・3 88
☆ あけまして、おめでとうございます。 菜
いいおてんきにめぐまれて、新年になりました。おめでとうございます。
お天気がよいと、何となく気持も豊かになりますね。
お元気なお年をお迎えのことと思っております。いいお作品ができますように。
お祈りいたしております。
なんだか、昨年は大変お辛そうで、メールもおだしできませんでした。いい加減なこといえないたちですし。
今年はきっとお天気のように、丑年のように穏やかないい年になりますでしょう。
* こういうご心配を、大勢におかけしている。
わたくしも、此処にことさら書くまいとしているので、去年は去年、もう過ぎたことと(ややアヤフヤに)安心してくださっている方が多いが、少しも状況は変わっていない。わたしが娘夫妻の「被告」として裁かれ、莫大な損害賠償を求められ、月々に相当な費用を弁護士事務所から請求されている「現実」は、何一つ変わっていない。
それどころか先方代理人は、やがて私を法廷に呼び出し直接尋問したがっているとやら、漏れ聞く。事態はちっとも和らいでいない、ただ私が此処に「書かなかった」に過ぎない。
私は、現在ご承知のように、息子の所有している大きなウエブ容量の一部を間借りして、自分のホームページ「作家・秦恒平の文学と生活」を運営しているが、昨年、この私のウエブを、またも「全削除せよ」と、娘夫妻は「サーバー」をめがけて大量の文書や電話などを瀧津瀬のように送りつけ続け、あやうく私だけでなく息子のウエブ活動にまで被害が及びそうになった。息子に迷惑は掛けられない。私はサーバーの法務担当と極力誠実に応対し、事情を縷々告げ語って、あの、思い出すもおぞましい「BIGLOBE」にされた無惨な被害、ある日突然ホームページの「全部が削除され消滅している」といった無茶苦茶な事態の「再発」を、やっと無事逃れることが出来た。
しかしながら、サーバーとの話し合いの結果、わたしはこのウエブの中で、われわれの産み育てた「娘の実名」をすら書き示すことまで「自粛」させられた。いま高校二年の孫娘の名前すら、実名で此処に書くことを出来なくされた。
仲に立ったサーバーの法務担当さんも気の毒だが、なにより息子にトバッチリが及んではならない。あの「BIGLOBE」の何一つ断りも確認も無しにした同じことをされては、私の文学活動が全面不可能に陥ってしまうのである。そんな「BIGLOBE」事態は、ぜったい予防しておかなければならない、当然だ。
それで、ホームページ全面の「バックアップ」に、全く同内容のサイトを別に用意している。公開していない。
ところが、これまた察知され、わたしが現行外に「もう一つウエブ」を用い、そこで、原告である娘夫妻に対し中傷を繰り返しているという訴えが裁判所に出されていると、代理人は伝えてきた。
別サイトを用意の目的が、突如またも「ホームページ全削除」の憂き目を見て慌てたくないからであるのは当たり前のこと。現に私の弁護士事務所は、「A」と「B」との二つのホームページが、鏡を合わせたように「同じ」なのを、明らかに視認している。むろん先方の代理人も、娘夫妻もそれ以外の何を見ることも不可能なのである。
* 言いたいことは山ほどあっても、控えている。が、要するに、私は、娘夫妻に対し、賠償金「千数百万円」に値する、いったい何をしたというのだろう。
いまも愛してやまぬ孫・やす香の死を傷んで書いた、『かくのごとき、死』という日記文藝は、日々に書きつづけた日記に加え、病躯に喘いだやす香の生前日記を、適所に適量引用挿入しただけ、「ありのまま、あるがままの吐露と表現」とを出ていない。それは、そのままこのウエブの中の、「電子版・湖の本エッセイ39」『かくのごとき、死』として掲載されていて、誰にでも判断して頂ける。
そもそも娘夫妻を傷つけようと書き出された日記では全くない、「mixi」を通じてやす香の名で「わたしは、白血病」と広く告知されたと知った瞬間からの、祖父母のひたすらな歎きを、励ましを、「やすかれ やす香 生きよ けふも」の祈りを、日常の推移とともに書き綴っていった、それだけの日記ではないか。
母である娘への繰り返し労りの思いや言葉にも満ちた日記ではないか。
どこに実親に対し「不倶戴天」と激昂されねばならぬ記事があるか。
* 私は、このホームページ以外に、会員である「mixi」以外、どんなインターネット上の場所ももっていないし、(さきに云うバックアップ目的の同文サイト以外)全ての人にアクセスを開放している。
* 昨年六月以降、一日もやすまず、此処にも「mixi」にも、「朝の一服」として愛の詩歌を連載してきたが、この原作本の「あとがき」は、ほかならぬ此の娘と、ほかならぬ此の私が引き合わせた夫・★★★との「華燭」の当日に書いている。全編の詩歌を丁寧に撰し、また日々に話題にもしながら、だれよりもこの本が、娘と息子への一生の贈り物となるよう意図していたし、いまなお誰より現在の娘へのメッセージとして、再度連載しているのである。「花びらのように柔らかい」ハートに、どうか目覚めて欲しいと願って。
* 「菜」さんのように、温かい気持ちで、しかも戸惑っておいでの身近な読者たちへ、ご報告をかね、遺憾ながら事態は全く変わりなく、いわば我が死の床までこれはついてまわるであろう現状を、ご報告しておく。
2009 1・3 88
* 枕元の灯を消したのは四時半ころか。五時間寝て、四日の澄まし汁雑煮を祝った。熊本へ行っていた「珠」さんから、お土産の酒と菓子とが贈られてきた。感謝。
2009 1・4 88
* 東大教授の竹内さん、かつて秦文学研究会を永く主宰して下さった人のメールに答えて。
* 拝復
わたくしは、この十数年来、バグワン・シュリ・ラジニーシに聴いています。いま、わたくしは、余生乏しくなった今、ほとんど「論じる」という営為の限界を遠のきたいと呻いています。
ただ待っています。間に合うかしらんと思いながら。「静かなこころ」を。
「悲」という文字を 「悲しむ」という言葉を 今昔物語は示唆豊かに用いていますね。わたしは毎晩欠かさずいま今昔物語を聴いています。
今一つ、ジャン・ジャック・ルソーに躓き続けています。この人の言葉は、徹底してマインドで組み立てられながら、ハートの言葉であると僭称しているのでしょうか。理論家として周到で卓越していますが、偽善者のことばのように響くイヤな印象も。いま、いちばんひっかかっている好かないが気になる思想家です。
旧約聖書をごく初期の文語文日本語訳で、エレミヤ記まで読み進んでいます。分からない。アラビアンナイトを全巻読み終えたときの方が晴れやかなよろこびに満たされました。
とかくすると「歴史」を読み、学ぼうとしてしまう根底の姿勢に、ときどき途方に暮れます。モンタネッリの「ローマの歴史」を面白く二度目読んでいます。この三年に世界と日本の通史を、そして関連の史書を何万頁も楽しみました。しかし、これはこころを騒がせる役しかしません。
それでも、いま現代がほんとうに歴史的に必要なのは、「中世を再び」の思いと、実践かと。
万葉集を全部、古今集を全部 音読し、いま千載和歌集を二度目読み続けて、秀歌を選んでいます。これは心静まります。
とりとめないことを申しました。 草々
2009 1・6 88
☆ 御降りや島ことごとく神のもの 湖雀
雪やみぞれやの大晦日で、突風にサッシがきしむ音と除夜の鐘を耳にしながらうとうととした年越しでした。元旦、二日とかなり冷えましたがそちらはいかがでしたでしょうか。
お疲れの出ませんように。
読みきれぬ本を抱きて睦月過ぐ (立岩利夫)。
年末に冷やかした本屋で「そんなに買って読めるのか!」というPOPを見つけ苦笑してしまいました。30、31日は隣町隣村の式内社めぐりをし、正月3 日には深沙大将立像の3躰目を見に舞鶴市まで行ってまいりました。
揖斐川谷汲村の両界山横蔵寺、若狭遠敷の棡木山明通寺に続く鹿原山慈恩寺金剛院。舞鶴市の東端です。
最近つくづく思うことは丸ノ内より坂合部にいいところがのこっていること、そして地図に外れたところにこそ空気が澄んでいる気持ちのよいところがあること。
そういう所にこそ何かがとどまっているのでしょうねぇ。
初旅は、近江富士三上山と若狭富士青葉山の秀麗な姿を間近く長いこと目にする正月らしい旅であり、かみさまからのお年玉みたいに、もう一躰珍しい仏像に出会えたうえに、松尾寺のご本尊に触れるほど近づくことができて、先頃図書館で借りて読んだ「春雨物語」の〈血かたびら〉と、暮れに借りてきた谷川健一全集「地名」の〈青〉との関聯がありました。
金剛院で仏像拝観をお願いすると奥様が収蔵庫に案内してくださいました。足を踏み入れた正面には眠たげな阿弥陀如来坐像が増長天と多聞天、あうんの仁王像と一列に並んでいます。振りむいたところに、その、お目当ての像が立っていました。
隣に立つのは、こちらも珍しい執金剛神立像です。この二躰、快慶作だそうで、深沙大将の異形ぶりに、来た甲斐がさらにましました。
この三連休、どこへ遊山しようか考えています。あちこちのふるい地が、また湖北が、雀を誘っています。今年こそ、と力みはしませんが、出雲へ行きたいと念願している、こぞ、ことし。
☆ 小丹生から青の地へ 湖雀
ほそぼそと ほしがれいをやくにおいがする/ふるさとのさびしいひるめし時だ
―そう、うたった詩がありましたね。
お正月の積雪がのこる金剛院は高岳親王の創建だそうです。
谷川健一さんはというと、「青の地名で見すごすことのできないのは福井県大飯郡高浜町の青である。『和名抄』の大飯郡青郷である。」と書いてあるまさにその高浜町を東西に走ってきたのですから、びっくりしました。
十一面観音の遠敷から馬頭観音銀座みたいな地域にかわるのが高浜町というのが事前の知識でした。掲示されてる地名を車窓から読取りながら、アオ、アド、アヅミ、オトミ、日置、日引など、九州や海人族を思わせるものが多いなぁ、と思い付き、そういや馬の名はまずアオだっけ、馬って朝鮮か九州につながるよねぇ、ふーむ‥などと思いにふけっていました。
今年も、墓や土師や石積みや朝鮮や海人族を思う年になりそう‥そうしたいと思います。
* 正月の生気みなぎる雀の囀り、清まはる心地。
2009 1・6 88
☆ おつきさま 2009年01月06日21:58 悠
保育園からの帰り道.晴れた夜空にお月さま.抱っこした息子に指差して教えると,はっきりとすぐにわかった様子.腰をぐっと反らせて真上を向いてお月さまを眺めはじめました.「そんな姿勢でつらくない?」と聞いてもやめる気配なし.息子を抱えたまま家路につきました.途中,バス停で園長先生に会っても息子は上を向いたまま,手だけバイバイ.そのまま冬の月を見上げて帰りました.
2009 1・7 88
☆ お元気ですか。 珠真
新年のご挨拶には遅くなってしまいましたが、みづうみにはお元気にお正月をお過ごしのこととお慶び申しあげます。それから今日は建日子さんのお誕生日おめでとうございます。親孝行な心やさしい息子さんをお持ちのみづうみのお幸せに、嬉しくなります。
こちらは料理作り過ぎ食べ過ぎの年末年始で、冷蔵庫にはまだ食べ物がたくさん。主婦業と母の世話などでとにかくめまぐるしく動いていました。
☆ 湖さん 香
寒中お見舞ひ申しあげます。
昨年押しつまつてから、扁桃腺炎、つづいて別種の風邪らしきものに見舞はれ、どうもかうもない年末年始、年のはじめのご挨拶も申しあげず、失禮いたしました。
しかしながら、今年の讀み初めに、「朝の一服」、なかんづく、斎藤史先生の作品と湖さんの鑑賞にめぐまれましたことは、なんといふ、しあはせでせう。風邪心地も爽やぐ思ひでござます。
今年は『源氏物語』の音讀をもう一度,とおもつたのですが、さう氣張らず,此のたびは好きな巻々を氣儘にこゑに讀んでみようと決めてゐました。
それに加へて、「朝の一服」にいざなはれ、史先生のうたも『魚歌』からじゆんに音讀することにしました。
千年をへだてるふたりの女人の作品とともに今年が始まります。ありがたうございます。 香
* 斎藤史の全歌集となると、歌の数も厖大。声を潰されませんように。
* 「朝の一服」ももう今日明日で全部を連載し終える。「mixi」には半ばは未練、半ばはもういいかという気もある。どうしようか、是までも惑ってきたけれど。また惑っている。
2009 1・8 88
* 晩になって、目を見張るファイルメールを速射砲のように受け取った。ただ、感謝。湖の本百巻へ、有り難い鞭が入った。ただただ感謝する。
以前には、本が出るつど、全頁のスキャンディスクを作って戴いた。今度は。とてもとてもわたしの手では出来ない作業をして戴いた。ファイル数は計二十九。厖大な内容。どれだけの歳月を費やして戴いたか、想像も付かない。二十九ファイルの若干は開かない。おそらく容量があまりに大きいのだろう。まだ全部は開ききれない。明日の仕事にする。新年早々にこんな莫大な「厚意の塊のお年玉」を戴くとは冥利に尽きる。
2009 1・8 88
☆ 今年もよろしくお願いいたします 2009年01月09日10:41 馨
2009年ももうすぐ小正月になってしまいそうですが、今年もよろしくお願いいたします。
クリスマス、年末、お正月、と、慌ただしく過ぎていきました。
そして気がつけば一昨日は七草。
お粥は嫌い、という人や子どもさんが多い中、我が家は主人を筆頭に娘も息子も私もお粥大好きです。
末っ子ちゃんの離乳食に毎日お粥を炊いていますが、それを夕食のたびに「いいなぁ、朔だけ」と羨ましがるのは小二の娘です。
あなたはもう十分召し上がりました、八年前に。
そういう家族なので、なぜか七草はおせち料理なみに重要視されています。
川沿いに引っ越したので、芹は心配ないものの、他の草を年末から散歩のたびにちらちらとチェック。やはり以前の家と同様ホトケノザと言われるコオニタビラコは見つかりませんでした。
山の中の日当りのよい湿地を探せばあると思うのですが、例年のごとくここは六草で諦めて、今年は代わりに手軽に摘めたクレソンを含めて七草としました。
(上がクレソンで、右から芹、ナズナ、はこべ、ゴギョウ(母子草)) 写真は割愛
あとはコトコト煮込むだけ。
ハコベはにおいがあまり好きでないので少なめに代わりに芹を多めに、と娘と息子に摘んできてもらったのに、最後の最後で私が大根の葉がたくさん余りすぎているからと主婦の節約精神でついたっぷり入れてしまって香りが台無し。
家族に不評だったので、ごま油とお醤油を少し垂らしてみたら、意外にもとてもおいしくなりました。来年はチキンストックで炊いてごま油を落として中華粥風にしてみてもいいかも。
七草の中でこの時期、意外に手こずるのがナズナ。寒さの程度によって、葉が楕円形からギザギザ、果ては魚の骨状態まで変化するので。写真、どちらもナズナなんですよねー。 割愛
七草の日、午前中はチビちゃんの六ヶ月育児教室でした。
娘は冬休み中なので図書館へ行きたいということで、上の息子と三人で行きましたが、これが大変でした。
裸で計測する赤ちゃん用にあたたかい和室なのですが、計測後にママ達の交流のためにちょこっと座談会風になります。そこで暑くなって機嫌が悪くなってしまい、二歳児大暴れ。
自己紹介で三人目と言うと「上のお子さんの赤ちゃん返りは?」と尋ねられたりしたのですが、「いえ、意外にもあまりなくて…」と答えている横で機嫌の悪い息子が、「ダメのーっ!! お膝に乗せちゃダメのーーっ!!」と、普段は全くしない膝乗り権の主張。あーあ、せっかくアナタの株を上げていたのに…。
終わって外に出て来て涼風に吹かれるとケロリンと聞き分けよくなって、「かちてあげるね」と、弟におもちゃを貸してあやしたりして。 先行きが思いやられる2009年ですが、どうぞ今年もお付き合い下さい。
☆ 開けないファイル 珪 e-OLD金澤
一太郎に変換しているため、お送りしたファイルをこちらでは開けません。もし開かないファイルがございましたら、分割するなりして再送させていただきます。
恐れ入りますが、お時間のある時に開いたファイルの題名のリストを教えていただけますでしょうか。そうすると開いていないファイルがこちらでわかります。以後続きを送付する場合に添付可能な容量がわかっていたほうがよいので、よろしくお願いいたします。
送付したものは大体四年分になります。残りはまだ八年分くらい。先は長いです。やってもやってもなかなか追いつきません。秦さんの書きに書いたりの歳月に眩暈がしそう。気長にお待ちください。
小説を期待する読者の興味はひかないかもしれませんが、「文字コード」について、あるいは「電子文藝館設立の経緯」などは、後世への貴重な資料として、是非印刷された本として残していただきたいという思いを強くしています。
2009 1・9 88
* あまりに「spam」不良メールが多い。いろんな遠慮からメールアドレスは極初期以来のものから変更を躊躇ってきたが、むしろ積極的に変更しようかと思いかけている。積極的という意味の一つに、メルアド公開の世間の輪を絞りたいと前から思ってきた。
わたしのアドレスブックには、メール付きで現在七百数十人が登録されているが、過剰であり、現にほとんど交通途絶の人も多くなっている。いまのわたしからは、いろんな付き合いも、よほど多くて二百人で足りるように暮らせばよい。来てくださる人はむろん拒まないが。
2009 1・13 88
☆ 寒い鴉に。 鳶
メールありがとうございました。
半月ぶりにHPを読みました。新しい年も今日は13日。新年の挨拶もいささか遅すぎましょうか。
一月四日の記載に
「古い友達が、「今日、うれしかったこと─、日々それを見つけられる年と、なるよう」と賀状に書いてくれていた。わたしはかなりの時間その筆の字を眺めていた。「うれしかったこと─」を「見つけられ」ない日なんて有るのだろうか。どんなに惨めな気分の日でもうれしくなれる瞬間には、幾らも恵まれている。・・」
とあるのに思わず嬉しくなりました。鴉の、根底でのものの感じ方!! 残念なことにわたしは悲観的な人間で、死にたいと思いつめたことも過去にありましたが。
朝、FMのバロック音楽をいつも聞いていますが、土曜日曜のアナウンサーが「今日もいいことがありますように。」と番組の終わりに言います。本当にさりげなく、そのさりげなさに静かな暖かさがあり、今日もいいことあるかなと思ってしまいます。
あなたの言葉から、「嬉しいことを見つけられない日なんてないよ。」と励まされました。
楽しいとばかりは過ごせませんし、姑に、「あなたは老人鬱になどならないわ」と判断される嫁のわたしですが、大いに鬱になる可能性はあり、それどころか鬱々と過ごしている傾向が強いでしょう。そそっかしい、いい加減、大胆などの弱点で鬱を支えています・・これはいささか詭弁ですが。
「している坐禅」かのように眺めている、眺めようとしている。だが、心は騒ぐ。静かな心にはなかなかなれない。
ここまではとてもよく分かります。が、「はやく解放されたいと、『こころ』の先生の気持ちが益々見えてくる。」の「解放」の意味をどう捉えて書かれているのか、わたしは理解し、大いに恐れます。わたしたちは今現在、此処を生きているのですから。
暮れから正月にかけて、今年は七人で過ごしました。普段と違って大人数の食卓に「奮闘」しました。その後、韓国に。ウォン安で韓国旅行が人気と報道されていました。さすがにソウルでは日本人が多かったようで、ショッピングと食事・・旅行は、楽しみは、それでいいじゃないかと思いつつ同行六人の食事代も払う身にはウォン安はありがたかったです。
以下は少しばかりの「呟き」に似て。メモの一部、まだ終わりまで行き着きません。静・清でない箇所も、またお許しあれ。
ソウル
ソウル ソウル発音は同じよ だから Seoul is soul of Asia.なんだって
ソウル イズ ソウル オブ エイジア
ソウルはアジアの魂かい? トウキョウもペイジンも魂じゃないけどね
おのおのの民の魂は 己の内にあり おのおのの村の町の都市の国の内にある
そうじゃないか?
首都ソウル ハンガン・漢江は流れ
葉を落とした木々は 細々長々冬空に身を曝す
この都市に 寒気団が流れ込む時
三十八度線の向こうの大地に既に流れ込んでいる
老人は子供は耐えようとして耐え切れず
焦燥の母ははや吐息さえ捨ててしまった
声潜め 音潜め 身潜め 夕餉を整えること叶わず
ひっそり背丸めて眠ること それさえできない
わたしは明るい洞・明洞に群れる人々のいちにんであることが苦しかった
東大門のビルに屋台に 衣料品溢れ うずたかく積まれている
中年男はDカップらしき大きなブラジャーが詰まったビニール袋を鷲づかみして
ニンマリ歯を見せることもなく 黙々と歩き去った
・・どこにおまえの女がたくさんいるのか
・・レッグウォーマー、レギンス、スパッツ
・・どこの女の下半身を覆うってかい? 暖めようってかい?
・・何をからかう! 商売だぞ、商売!
色気など吹き飛んで痕跡もない下着の山々だ
エッ? えびすのジーンズ? 知らないよ
・・甥っ子に頼まれたのよ、
ジーンズは四階で扱ってる
先日テレビで放映されていたという 日本ブランドえびすジーンズ そのフェイク
韓国製のフェイクはあっという間に店頭から消えていた
堂々とけれど何やら後ろめたいね
偽ブランド 真似するには大した技術がいるんだ
逞しくなければ生きていけないよ
韓国国立博物館 無料です これは「国の威信」?
大英博物館だって無料だ
日本はチマチマ・・
有料の金額にこだわるのではない
文化や伝統に対する国の姿勢や気概の問題
静まり鎮まれる 多くのものたち 静謐、静謐・・
青磁 鉄絵 白磁 完品の破片のそれぞれの呼吸
白磁筆洗の見事なデザイン
そして朝鮮の仏像、絵
思いがけなくトルファンからの像や絵
それにしても 人少ない・・・のは朝早い時刻だから??
書き始めれば際限なくなりますが、いずれまた。
伎生を主役にした宮廷物語と書かれているのは、NHKで再放送されている韓国ドラマだと思います。とても誇り高い女性だったでしょう? そのために衝突も多いですが。どのような感想を抱かれましたか?
韓国・朝鮮はとても近い国。歩いていて日本人と区別できない人も多いし、わたしも黙っていれば韓国人と思われても不思議なく、カルチャーショックもないでしょう。
今回は地方には行きませんでしたが、日本の緑滴る自然とはやや異なる少し寂しげな頼りなげな優しい山河の佇まいも小さな家々も、色彩豊かな寺、目みはらせる衣装やデザイン、それぞれに何故か不思議な懐かしさを覚えます。もちろん近代から現代の厳しい歴史も忘れず、日本の中の韓国・朝鮮も忘れず。
先日出品した絵は入選で少しだけホッとし、これからの励みにしようと思います。描きたいもの、書きたいもの・・すべて「葛藤」して・・静かな気持ちには遠いけれど。
最後になってしまいましたが、手足の冷えるとの嘆き、心配です。風邪も絶対引きませんよう、マスクして、うがいして、元気に。
発送やらお忙しいでしょうが、どうぞ無理なさらぬよう。
寒い鴉、どうぞ暖かくして温まってください。 鳶
* 輪を描いて、高い空を翔んで啼く、鳶。枯れ木の寒鴉は動かないと云うより、動けない。京都からちいさな旅の用事もお断りした。じっとしているのが心地よくなっているのは、つまり怠けているのか、不活溌なのか。
妻は鉢植えの大きなベンジャミンをいとおしみ、毎年、寒い冬は屋内に避寒させる。それでも葉は日々に畳に落ちて行く。妻は歎くが、そうして長生きするんだよとわたしは眺めている。落ち葉しつくすことは無い。毎年また温かくなると戸外で新しい葉を茂らせてきたではないか。
寒い真冬、わたしは、まだ幼いジャン・クリストフや幼いユリアヌスと暮らしている。美しく、才能に恵まれた、しかしひたすら通って来ぬ夫兼家を待ち暮らしている中年の女の歎きを聴いている。怒り狂うように教えをまもらないイスラエル・ユダの民を叱り続けるヤハウェの声を聴いている。ひたむきに生涯法華経を誦して誦して奇瑞にまもられ往生して行く行者や持経者や僧たちの声を聴いている。
人は、「自然人」であり続けられるのだろうか。そう思いながらルソーの説く「徳」の意味を想っている。
千載集を選していたあの俊成という定家の父の胸に、十二世紀の自然と人事はどんな声音で日々迫っていたのだろう。
ああこの法華経の一種独特の激越な口調は人間のための何処を衝いているのだろう。
寒いけれど。いいではないか。
2009 1・13 88
☆ 寒中お見舞い申し上げます。 松
秦先生へ 寒い日が続きますがお元気にお過ごしでしょうか。温暖な富士市でも週末は寒く、雪を抱いた富士山を臨むことができました。きれいな写真が撮れましたので添付いたします。まさに『富士の高嶺に雪はふりける』という写真です。
さて、mixiに書かれなくなるというお話を読みました。楽しく読ませていただいておりましたが、これからはホームページの方をちょくちょく見るようにいたします。
先生にmixiを紹介していただいたおかげで、文章を書くことに慣れ、書くことが楽しくなってきました。
初めの頃はだいぶ時間をかけて書いておりましたが、最近は少ない時間でも文章が書けるようになってきました。楽しい自己表現の場を紹介いただきまして、感謝しております。
私語の刻に辻邦生さんのお話が載っておりました。だいぶ前になりますが、『ある生涯の七つの場所』を読んだことがあります。スペインやフランスが舞台の短編集で、いくつかの話が絡まりあいながら同時進行していくようなものだったと思います。
人の温もりと、外国の風景を目の前に感じることができる作品で、楽しく全部読んだ記憶があります。
冬もこれから本番になります。どうかご自愛ください。
* 大きな富士山。
☆ 日記残り 悠
秦さま
お忙しいご様子ですが,ご無理なさらないよう.
お約束の(母子)日記の残りをお送りします.
昨年いっぱいのものとおまけで(?) 今年に入って書いたものをお送りします.
落ち着かれたころにご確認いただければと思います.
ほぼ一年,なんとか続きました.毎日いろいろ話題を作ってくれる息子のために今後も書き続けたいと思います.
写真は実家で初詣に出かけたときの息子です.はじめて雪の上を歩いて得意そうでした.
またお時間ができましたら、mixi,のぞいてみてください.では.
* もうこんなに大きくなっていたんだ。可愛い。
☆ 福笹 湖雀
成人の日寒波で連日雪となりました。そのぶん月が美しく、夕に朝に見とれています。
おかわりございませんか。雀は元気です。
しろがねの湖に真向ふ琴始 (白柳淑子)
望(もち)の正月を高月町に遊んでまいりました。浅井久政正室井口殿の実家跡のほん東に、芳洲庵があります。それを見学し、幕府天文方の渋川春海と建部賢弘に学んだ中根元圭の生地であるびわ町八木浜に寄り、文殊寺で知恵をいただこうというおもいつ
き。
高月町は何度も訪ねていますが雨森地区は初めて。ひとめで気に入りました。観光化する前の五個荘を湖北に移した感じといえばおわかりいただけますでしょうか。澄んで、さえて、ぴりっとしまって、あかるくて、こまやかで、あたたか。またぜひ訪れたい町のひとつです。
文殊寺は屋根も目印になるなにも見つけられず、鎮守の森を目安にしたところが、まつりテントを片付けている最中にでくわしました。えべっさんだ‥ぁ、と、足を止めた雀に、ひとりのおじいさんが笑顔とともにお札に鯛に小判などを下げた福笹(名張ではケッキョといいます)を差出したのです。思いもかけないこと。残りも残り、残り福。夕日にせかされ、文殊寺はわからず仕舞でしたが、
福笹のやさしき音を持ち帰る (山下澄江)
一刻ごとに光の色がうつりかわってゆく夕暮れの湖岸。
満月をたよりにひやひやと伊賀の暗い山中を走って帰りました。
コハクチョウが来る湖北町。ぶどう狩りのびわ町。そんなキャッチコピーがあるみたいですよ。
尾上温泉はすむかいの水鳥ステーションで望遠鏡を覗かせていただき、隣の道の駅であたたかい缶コーヒーでひといきつきながら湖面の淡い輝きを身に浴びました。
湖魚の佃煮、鯉の甘露煮、赤飯、餅、饅頭、おかき、ちらし寿司、漬物、天ぷら、えとせとら。湖北の美味しいあれこれで二番正月を過ごします。
ところで、岩下志麻出演のメナードCMに映し出された庭に、あ、智積院と思ったものの、見覚えない襖絵に首を傾げておりましたが、11日の「日曜美術館」で氷解。
* 新春のいわば「ご馳走」にあずかりました。忝ない。
湖のにほひもしたり冬の晴れ 遠
2009 1・14 88
* 過去の私語をタイトルべつに分類してもらったものの、ファイルではなかなか尋常にこっちへ届かなかったのを、普通のメール便で送ってもらうと、きれいにみな届いた。ファイルだと使用ソフトと機械とがうまくフィットしなくてはならない、その点メールは問題ない。べつの問題はあるといえばあるのかもしれないが、さしあたってたいした問題は起きない。
都合二十二、三項目が分類された形で保管された。有り難いし、嬉しい。いちばんしたい仕事の一つであったが、いつになっても自分ではとても出来ない事と諦めていた。
まだ、聴けば三割程度の進行とか。さもあろう、三年四年分を分類し保管して行くだけでも、途方もない神経と判断と労力と時間を費やされたであろう。わたしはこんなことを人様にしてもらっていいのだろうか、させてしまっていいのだろうかと、思わず身を抓っている。
2009 1・15 88
* どうやら『私語分類』1999頃から三年分ほどの全二十七項目を受け取ることが出来た。メールでの電送がむりなく余裕を持って成功したようだ。感謝。あと六年七年分もある。気が遠くなる。もう一項目「食いしん坊」が届いていないようだ。
2009 1・15 88
* 詳細な「自筆年譜一」を読み直して行き、また項目「食いしん坊」まで出そろった『私語分類』など見直していると、つい往昔に呼び返されてしまい、懐かしいと言うよりもなんとなく心弱くなってしまう。
2009 1・16 88
☆ こんばんは! 光琳
すっかりご無沙汰いたしました。
毎日本当に寒い日が続きますが、私は元気元気でした。
昨日で、大学での授業が全て終わり、試験も同時に終了いたしました。
今日やっと上野の藤田嗣治展、見に行って参りました。
おばあ様にメールをと、受信欄を見てビックリ…!!! 随分前にメールを頂いていたのに、気付かず申し訳ありません。
おじい様おばあ様、お二人揃ってピアフの映画ご覧になられたのですね。
「エディット・ピアフ 愛の賛歌」、私は映画館で見ました。
彼女の人生も何も知らないまま見に行ったのですが(歌は知っていましたが)、その時の感想は、難しい。。。でした。
映画自体の作りが、彼女の人生はみんなが知っているというのが前提で作られているように思えました。今の若い私達世代はほとんどピアフを知りません。映画では詳しい説明も入っていなく、私には理解出来ないシーンが多々あったのです。
特に恋人マルセルが死んでしまったシーンは、すぐには理解出来ませんでした。
映画自体がとても暗く、同じシーンの繰り返しの様に感じました。
ピアフの力強い人生と、ピアフを演じたコティヤールの努力は素晴らしかったと思いますが。。。映画作品としての完成度では、私の中では深いものではありませんでした。この映画がフランスでは大ヒット! と聞き、ますます複雑な気持になりました。
これが私がこの映画を初めて見た感想です。
丁度この映画を見た頃に、卒論の前に書くミニ卒論のテーマ決めをしなくてはいけませんでした。
この時のテーマは今自分が気になっている事なら何でもいい、との事でしたので、迷わずピアフについてフランス語で調べようと思ったのです。
なぜフランス人はこんなにもピアフに魅かれ、死後40年以上も経っているのに彼女は愛され続けているのか? ただその事を調べようと思っただけでした。そしてピアフの人生を調べて行くうちに、と言っても彼女の幼少期は完全に知る事は出来ないのですが、彼女の生き様に感服してしまったのです。
彼女の力強い歌、愛と完璧さを求める姿勢、止まる事なく幸せを手に入れようと進む姿。。。
こんなにも醜さや美しさなど人間の持てる要素全てを出しながら生きた女性を、私は知りません。
彼女は短い人生だったけれど、凝縮された素晴らしい人生を送りました。
これぞ人生。C’est la vie(セ・ラ・ヴィ)だと感じました。
フランス人は、人生の辛さから素晴らしさを教えてもらうのが好き(だ、と私は勝手に思っているのですが。)なので、それを教えてくれる彼女の人生・歌に魅かれ、こんなにも長い間彼女は愛される事になったのだと思います。
ピアフは大きな舞台の後でも必ず街角に立って歌う時期がありました。
ピアフはパリの街角そのものでした。
彼女と彼女の歌を愛した人々の街角でもありました。
ピアフの葬儀の時はパリの街が見送る人々で溢れ返り、シャルル・アズナブールが第二次世界大戦後初めてパリの交通がストップしたと言っています。
人々はピアフと共に、自分が彼女と共にいた自分自身のあの街角の思い出も見送っていたのだと私は思います。
調べていくうちに、人々がピアフを語る時、ピアフの人生の前に「壮絶」という言葉を必ずと言っていいほど入れる事に気が付きました。
しかし私は、彼女の人生は壮絶だったけれど、幸せに生きたと思うのです。
彼女の一番の幸せと望みは、人に愛され、真実の愛を手にする事でした。
彼女はその為、多くの恋人を作り、自分自身の人生をさらに壮絶にしていったのですが、彼女は最後に19歳年下のテオと言う夫に恵まれ、多くの友人やファンからも愛され、幸せになったと私は思います。
ピアフの人生は生まれながら貧しく、愛を求める人生でしたが、その中でもピアフは懸命に這い上がろうとし、成功と名声を手にしました。
そして愛を求めるが故に、マルセルと出会い、愛するが故の我儘から彼を失い、その悲しみを癒す為に麻薬・アルコールに手を出し、一歩一歩自分で死に近づいて行きました。
けれどもそれだけがピアフの人生ではなく、もちろん苦しい日もありましたが、ピアフの生きた一日一日は幸せで笑いの絶えないものでもありました。
私は、みんなが、スキャンダラスな人生だけに捕らわれず、彼女が本当に幸せになったと言う事にもっと気がついて欲しかったのです。
それに、あまり聞こえが良くない「壮絶」なんて言葉で自分の人生を表わされてるとピアフが知ったら、怒るかなと思って。
付け加えると、テオは本当にピアフの事を愛しており、多額の借金しかないと知りながらもピアフと結婚し、彼女の死後は借金を返済する為がむしゃらに仕事をし、残念ながら借金返済後、ピアフの死後7年経った時に自動車自殺を遂げています。
なぜ自殺したかは分かっていませんが、妻の名誉の為にきちんと借金を返済し、これがテオの愛だったと私は思います。
パリでピアフのお墓を訪ねた時、ピアフの父とテオと娘マルセル(恋人マルセルではなく)の名前が一緒に刻まれていました。
ピアフは、恋人マルセルではなくテオと一緒に眠っています。
今でもテオに守られながら。。。
映画はピアフの伝記だけでしたので、ピアフ自身の内面を読み取る事はあまり出来ませんでしたが、彼女が自分で書いた本や周りの近しい家族・友人が書いた本を読んで、初めてピアフを一人の人間として理解する事が出来ました。
彼女は伝説のピアフの前に、一人の女性ピアフでした。
私にとってこの映画はピアフの事を知ろうと思ったきっかけになってくれました。
おまけですが、生まれて初めて盆石にチャレンジしました!
以前バイオリンの先生のお宅で、初めて盆石に出会いました。もう10年位前の話です。二世帯でお住まいの先生のお母様のお玄関でした。
たまたま市のセンターで一日体験のチラシを見つけました。
体験セミナーに伺ってビックリ!なんと、講師は先生のお母様でした!!
へたですが、生まれて初めて作った盆石、デジカメに収めました。見てやって下さい。 (割愛)
そのうち進化したら、またお送り致します。
ゲド、四巻までいきました。
心で考えながら読み進めています。
「愛、はるかに照せ」、おじい様のやす香への愛、確かに私に届きました。
以前おばあ様がおっしゃっていた言葉、「やす香は私達の愛そのもの」。
やす香はずっと愛されています。
それは、やす香が一番欲しかったもの。
愛、はるかに照せ、やす香のもとへも。。。
* いいメールをありがとう、やす香も喜んでいます。処女作の盆石、見映えしますよ。日々、お大切に。 湖
☆ 湖へ。 珠です。
晴れた空、キリリと冷えていますがお元気でいらっしゃいますか。
新年明けてすぐ私の仕事はいつもの慌しさを取り戻し、お正月はもう遠くに感じます。
それでも、何とか遠州さんの初釜に福を頂きに伺うなど、引篭もらずに動いています。
先日の「私語の刻」で歌舞伎座の舞台の感想を拝読したらどうしても観たくなり、急でしたが、今日の昼の部の券を買えたのでお陰で出かけてきました。
何より「俊寛」、でした。胸熱くなって泪ぽろぽろ。。しばらく座ったまま、島から歌舞伎座に戻ってくるのに時間がかかりました。この「俊寛」という演目は、私が文楽で初めて観た作品です。
その時、人形が人形でなくなって俊寛にしか見えなくて、その俊寛が遠ざかる舟に手を伸ばす様子に肌は粟立ちました。そうして文楽に魅せられて、欠かさず足を運ぶようになったのです。
歌舞伎の「俊寛」も以前に観ましたが、今日は格別。記憶に残る舞台になりました。
あの岩の上、、俊寛の、振っていた手をその膝においたあの様子、目を閉じても胸熱くよみがえります。
鷺娘はもう哀しく美しいとしか言いようがありませんね。玉三郎はこの世の人ではない化身のような役では、演じているとは思えない憑依したような、そのものに見えます。
三番叟では、千歳を舞った菊之助のふうわりとした舞に品を感じ目を奪われました。これからが楽しみです。
久しぶりに、予定のない休日に外出したいと思わせて下さった「湖」に感謝しています。お陰で。ありがとうございました。
明日は社中の初釜です。忘れた頃に名残りの新春、有難く出かけてきます。
乾燥した空気は咽喉にきますので、くれぐれもお気をつけを。
お大事に。湖。いつも、いつも。 珠
* あの高麗屋の「俊寛」を最良の感銘で分かち合えて、本望です。あの最期の最後の静謐からは、俊寛が自分は「弘誓の船」に乗るのだと願った、いまは亡き妻への至純の愛が光っていました。玉三郎、菊之助のこともまったく同感です。ありがとう。
2009 1・17 88
☆ 保谷の鴉へ 播磨の鳶
解蔽、襤褸を解き脱ぎ捨てる、この一語が「残された僅かな期間をしめくくる」モノであろう、と書かれていました。何かを読み違えたかと再度、再々度、そしてさらに読み返し、涙がでました。
「蔽」を見つめて、まだまだこの先長き長き苦しみになるだろうという条に・・生きていてくださることに、いっそ却って一種の安堵さえ覚えるとは、なんという他者・わたしの勝手・エゴイズムでしょうか。
寒さの折、手足の状態についての気がかりも書かれていますが、いくらかでも症状の緩和されますこと、心から願っています。
中旬に入ってから風邪気味になってしまいました。
が、昨日は参加したい集まりが二つ重なり、それぞれに中途退出、中途参加と少しずつ不義理して、ともかく半日を過ごしました。今日は静かに暮らしています。空高く輪をえがいて飛ぶことなど、なかなかむずかしい。
ベンジャミンは屋内で元気に冬を越すでしょうね。チュニジアではベンジャミンの並木道を見ましたよ。
* 風邪気味はいけない。くれぐれもお大事に。チュニジアってどの辺だったっけ。
2009 1・19 88
☆ 暖かい日になりました。 花
お元気ですか、風。
先週、家族ともいえる犬が亡くなりました。
十七歳でしたから、雑種としても、よく生きたと思います。
今は離れて暮らしてい、十月の帰省で逢ったのが最期になりました。
具合が悪いと聞いてから、二ヶ月くらいで逝ってしまいました。
ちょっと気の弱いくらい、優しい犬でした。
人間と犬の寿命からして、見送らねばならないと想ってはいましたが。
辛く寂しいものです。
ではでは、風、お元気でおすごしください。
花は元気です。
* 可愛がっていた「家族」に死なれると、こたえる。他の生きものとのそういう心弱い一体化を自身に戒める気持ちもあるのだが、人間よりも信じていて気楽だというところがペットにはあり、居なくなられるとしたたか堪える。最愛の猫たちを何度か見送った。死なれたことが二度。身の傍で一緒に暮らしていると、死なれるのも死なせるのもつらい。いつ来るか知れぬと不安も抱えているし。いずれにしても死は背中から近づいてくる。
2009 1・19 88
☆ 私は元気にしていますよ。 古稀すぎの 泉
老夫にも手が掛り、何かと多忙に暮らしています。
その合間を縫って渋谷文化村で映画「PARIS」を観てきました。
観光のでも、金持でも、偉い学者さんでも、政治家でもなく、市井のパリ人を多様に描いています。
人の優しさ、そして文化や歴史の違いでしょうか、男女間に日本人のような恥じらいのない大らかさを全編を通して感じさせます。但し、昨今の日本ではそうでもないのかもしれませんが…
パリはほぼ二十年前に観光旅行をしましたが、規律で高い建物を建てないので、エフエル塔と、対面のモンマルトルの丘の白いサクレクール寺院だけが眼に付くだけの、景観は全く変わっていません。
高層ビルの狭間を縫うような首都高を走る度に、この二十年、都内のビルが増えていくのと対象的ですが、それが高度成長のバロメーターと見るのは危険では、と最近はつくづく思われます。
友人と、次回の観たい映画も即決しました。
寒さ本番はこれから、どうぞお大事に
2009 1・19 88
☆ 「松風」と喜多節世と。 1998 10/3 「能」
喜多節世(きたさだよ)が松風をこの日に舞うと知り、ペンの京都大会を失礼することに決めた。節世の能をもう何度観られるか分からない。今日も、立ち居は観ていてつらいほどだった。後見が出て起たせてくれて、ふつうだと、でしゃばるなと云うところだが、今日は目頭がにじんで「ありがとう」と思えた。
節世とのつきあいは長い。彼が再婚の披露をした日、私は祝辞を述べた。よく覚えている、展望に出した『閨秀』を、亡き吉田健一が朝日新聞の文藝時評全面を用いて絶賛してくれたその日だった。披露宴が果てたあとの帰りに、私は浜松町の駅の売店でその時評の出た夕刊を買った。そういえばあの日祝辞を述べたもう一人が、将棋名人の中原誠だった。
すばらしい奥さんだったが、先年亡くなり、追悼の会で話したとき、私は涙で絶句した。
京都へ帰っていて、大徳寺へ出かけていた日、ご夫婦の幸せそうな旅姿に偶然出逢ったこともあった。節世氏は喜多実の愛子にふさわしくたいした美男子で、奥さんはまことに佳人であった。そして節世のその後をめぐる流儀内の不幸と波乱はやまず、彼は健康を損ねているらしい。節世の能を、出来もさりながら、現に舞台の上で観られることに私は自分の人生のなにかしら大事なものをかけている。反問されても困るが友誼とでも言っておく。松風は老いていた。老松にも風はふくものだ。能はところどころで紛れもなく美しかった。粟谷菊生、友枝昭世の仕舞も端正に美しかった。万作万之介の布施無経も彼らの老境に応じてしんみりしていた。先代家元の喜多実を偲ばせる会の趣旨も利いていた。
来年春には節世は「景清」を舞うという。実現してほしい。 「むかしの私」から。
* こんどある人が、数万枚に及ぶ厖大量の「私語」を、「文学観」「歴史観」「食いしん坊」「女」「時事問題・政治」等々三十項ちかくに分類し始めてくれた。その『私語分類』のうち「能」の項目の冒頭に、この記事が拾われている。
なんという懐かしい。懐かしいだけでなく、わたしが過去に能に触れまた能舞台の印象に触れ人に触れて書き記したおよそ全部が、この「項目」内容を追って行くと、記事日付も正確に拾い上げられる。
ちょっとオモシロイので、もう一つ「身内(親類・縁戚)」の項の頭から二つめを引いてみる。
☆ 父 1999 5・7 「身内(親類・縁戚)」
父はラジオ屋としては草分けの一人だった。JOBKの技術検定試験第一回の免状をひっさげて開業した。それまでは装身具の職人だった。珊瑚や翡翠や金銀を細工していた。いろんな材料がはだかで遺っている。そんな父がラジオの技術で喰って行ける時代だと観たのは、たいしたものであった。少なくもテレビが出てくるまでは成功した。
父は「売る」よりも「直す」のが仕事だと思っていた。ラジオなら唸りながらでも直したが、テレビになるとお手上げになり、さりとて売りまくる商売は断然へたであった。自然衰微した。
父は私にハイテクの技術を覚えて欲しかったに違いない。ところが私は美学藝術学を学び、裏千家茶の湯の教授になり、はては京都を出て東京で作家になった。玉木正之の『祇園遁走曲』の主人公は、家業から住処から地域から、この私に違いないと思ってテレビを観ていた京都の知人が、山ほどいたぐらいで、私はまさに遁走したのだった、京都から。祇園から。
六十余年の生涯で私が一番なさけなく辛くみじめであったのは、大学三年か四年の夏休みに、父の厳命で、大阪門真のナショナル工場にテレビ技術の講習を受けにやられた二月足らずであった。なにひとつ私は覚えられなかった。気もなかった。午弁当の出る午前と午後との七時間が地獄の退屈であった。とうとうサボッて、京橋や大阪市内まで入り込み夕方まで時間を過ごしたりしたが、遊ぶはおろか飲み食いの小遣いもなかった。あれには参った。好きな本を読むか歩きまわるかであるが、真夏の暑さにも辟易した。成績の付けようもなかったのだろう、父は私の跡継ぎをあれで根から断念したのに違いない。
父は考え違いをしていたとも言える。テレビを技術的にいじくるよりも、電化製品をどう多く売るかの講習を受けさせた方が時代に向いていた。近隣で成功した電器屋はみな売りに売りまくって、直しは会社にさせた。賢明な対処であった。器械は自力で直せるのがホンマモノと思っていたのだ、父は最後まで。
それはそれで、えらいものだと思っている。 「むかしの私」から
* この項目も分量多く、いまでも既に本の二冊分ほどになっているが、会うことも全く出来なかった娘や孫への情愛は自然当然として、婿から、裁判所へ被告として引き出されるほどのどんなウソも無茶も書いていないし、言及している量も数万枚のうち大海の一滴ほどしかないことも明瞭に分かる。
* さ、これを、分類されたかたちでこのウエブに再編し掲示するか、湖の本に編んで出版して行くかなど、楽しめる思案であるが、なにしろ整理してもらえた現状で、2002年半ばまで。いまでもなお七年分近くが残るのに、分類された中の或る一項目などはすでに原稿用紙八百枚分に成っていて、六百枚、五百枚など、当節の単行本容量で謂うと一項目だけで四冊、三冊、二冊になるほど。そして記事は概ね上に挙げたように題を付ければ一つ一つが一編のエッセイというに近い。
現行の「湖の本エッセイ」なみにすべて本にして行けば、闇に言い置いた日録『私語分類』分だけで、「全百巻」にも簡単になる分量であり、日に日に増えて行く。
わたしの「私語」とはこういうものなのであり、今にして思えばこれらの全部も含めて一夜にして何の断りも確認も無しに、ウエブ『作家秦恒平の文学と生活』の全滅を企図し共謀実施した、わが娘夫妻と「BIGLOBE」当局との無道は、作家活動する者に対してあまりに言語道断な著作権・人権の蹂躙であった。
* さらに謂えば私のウエブには、かつても今も、『e-文藝館=湖(umi)』を擁している。現在でそこには<幕末から平成の今日に到る著名な小説家・評論家、戯曲家、詩人・歌人・俳人、随筆家等々の数百人・数百作品が掲載展示されている。
以前に娘夫妻と「BIGLOBE」が、これらをも一切合切含めて「全滅」させたとき、インターネットから「全消却」したときにも、少なくも二百に及ぼう人と作品とが掲載され国内外に送信されていた。しかも娘夫妻たちのナニモノともナニゴトともそれは無関係な文化活動であった。
そのことを、わたしは、もう一度はっきりさせ、怒りの抗議を此処に云いおく。
2009 1・20 88
☆ お元気ですか。 珪
運動不足と正月太りを解消しようとストレッチ体操を試みましたら、足の筋を違えて左足があがらず往生しています。馴れない動きはするものではありません。
湖の本の発送がそろそろのようですが、力仕事には充分お気をつけてください。新しい小説は怖そうな気がいたしますが、如何?
これから夕食の準備。寒いので粕汁、里芋の煮っ転がし、ブリの照り焼き等々つくる予定。おやつにはおいしい最中を買ってきました。暖かくなさって、お風邪など召されませんように。
* 新しい小説のことにはおいおい触れる機会有ろうが、年譜と噛み合わせようかと思っているものは、わるくないが、怖いものではない。
2009 1・20 88
☆ 宿河原といふ所にて maokat
昨年来生方貴重著『利休の逸話と徒然草』を読んでいる。読んでいるうちに引用されている『徒然草』自体を読みたくなり、何十年も前に買って本棚の奥で眠っていた岩波文庫本を取り出してきて、就寝前の数分間を楽しんでいる。
私が小中高大と住んだ神奈川県川崎市多摩区中野島は南武線の中野島という駅が最寄りで、徒歩五分のカリタス学園前から市バスに乗れば、小田急線の登戸駅へ行くこともできた。目の前には多摩川が流れていて、当時から夜型だった私は、よく、あけもどろの河川敷をあてどなく歩いた。多摩川に沿って川下にゆくと、南武線の登戸駅前で世田谷通りと交差し、さらに進めば、南武線の宿河原駅になる。その駅のあたりに宿河原中学校というのがあったはず。
私は南武線の中野島駅の向こうにある中野島中学校に通っていた。遊び場所の多摩川に沿って隣接する中学がこの宿河原中学校であり、そこに無言のテリトリー争いがあり、境界線は世田谷通りだった。同級生がよく「宿河原の○○に呼び出されて多摩川の河原で決闘する」などと言っていたので、世田谷通りを越えて多摩川の向こうへ行く時は、何だか敵地に乗り込んだ気持ちになった。
昨夜寝しなに『徒然草』を手にとって、適当に頁を開いてみると、「宿河原といふ所にて」という段(第百十五段)があった。岩波本には各段に西尾実・安良岡康作による校注がついていて、「宿河原」には「神奈川県川崎市宿河原」と注があった。京の兼好がなぜ坂東の宿河原について書いているのか不思議だが、内容はなかなか面白い。
「ぼろぼろ」という流浪の乞食が宿河原に多く集まって念仏をしている。そこで師を殺された「しら梵字」というぼろぼろと、師の敵にあたる「いろをし」というぼろぼろが巡り会う。「二人、河原へ出であひて、心行くばかりに貫き合ひて、共に死にけり」。つまり二人は穢れるといって多摩川の河原へ出、差し違えてともに死んでしまったのだ。「ぼろぼろといふもの、、、放逸・無慚の有様なれども、死を軽ろくして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、、、書き付け侍るなり」と兼好は書いている。
七百年近く前の宿河原でぼろぼろたちは「心行くばかりに貫き合ひて」共に死んだ。兼好はそれを「いさぎよく覚えて」『徒然草』に書き留めた。意外なところで宿河原を目にした私は、布団の中で急に、中学の同級生の宿河原中学との決闘を思い出し、あの決闘がどうなったのか、それが気になった。
あのころの中学生男子は臆病だったから、同級生の決闘も、とても「いさぎよく覚え」めでたくとはいかなかっただろう。未明の多摩川の、生温いような川風の匂いがふと蘇り、七百年前の書き付けに、三十年以上前の中学生の記憶を蘇らされて、昨夜は不思議な心持ちで、眠りについた。
『徒然草』探訪は、まだ続きそうな予感がする。
* 印象燦然とした段で、☆一つ岩波文庫の読みにくい本文を初めて読んだ中学生のときから、記憶あざやか、「宿河原」という地名すら長く胸奥に尾を引いて後年に没入していった民俗学の頃へきちんと繋がった。たとえば東海道の宿場といった「宿」とはべつに、無視しがたい宿の歴史があり、なまやさしいものではなかった。現在「宿河原」という地名は日本広しといえどもこの川崎のそれ以外に大きな地図索引にも見つけにくいが、類似の「宿」地名は決して少なくない。
この徒然草百十五段の「宿河原といふ所」も、現在の川崎市という指定が絶対ではなく、摂津国の昔に実在した宿河原説の方がじつは久しく信じられてきた。ただ、兼好は金沢文庫と浅からぬ縁をもっていて二度も下向の足跡が確認されるにつれ、意外なと思われやすい川崎の宿河原説がかえって有力になり今日に及んでいる。
「ぼろぼろ」「梵字(ぼろんじ)」の周辺には「念仏」もあり、その他の「藝」も「習俗」も纏綿する。伝統久しい漂泊の人たちの生活が推量されずに済まない上に、この場合は斬った殺した刺し違えたというような殺伐に馴染んだ「ぼろぼろ」の特殊な境涯もある。「三人法師」の説話なども存在し、谷崎には同じ題の小説がある。いずれ典拠の説話集もあったのである。
「宿」の研究は柳田国男にとどまらず幾らもあるけれど、なお探索の余地は浅くないとわたしは観てきた。篤学の探査があれば読みたいと今も思っている。
2009 1・21 88
* 「卒業生・読者・友人」という項目が『私語分類』に出来ていて、三年足らずで八百枚も書いている。卒業生とはわたしの場合東工大生を主に、しかし早稲田文藝科の二年間も東横女子短大の一年間も含まれる。冒頭の記事が懐かしい。
* 田中孝介君 布谷智君 2000 3/29
*ちょうど二年ほど前に田中孝介くんと布谷智くんとが、保谷を訪れてくれた。あの日もいろいろと器械を設定していってくれた。もう一度田中君が来てくれ、ホームページ設定という、わが私史に画期的なことが実現した。
あれから二年、学部を卒業前だった二人が大学院の卒業式を無事終え、また二人で我が家に来てくれた。数日前から、なんだかそわそわするほど心嬉しいことだった。二人とも立派に就職先も決まっていて、二重におめでたい。歓迎せざるべけんや。
* すこし遅めのお昼を妻に用意してもらい、ワインで乾杯、歓談一刻。ただ、わたしは口をつけただけ。二人は、いろんな面で対照的な仲良しであるが、わたしの相の手に乗ってくれて、それぞれに楽しく話してくれる。専攻の学問のことなどは、聞き届けるにはとても力及ばないが、とにかく気が合うので、間もいいのである。
お定まりのように二階へ上がり、澤口靖子がいっぱいの部屋で、今日はカラースキャナの使い方を習った。手順のメモも器械の「メモ帳」に書いた。メモは別の紙にペンで書くものとわたしは思いこんでいた。「メモ帳」はメモのためにあると言われ、やっと気がついた。こういう迂闊さで、ほかにも、ナーンダという簡単なことを、面倒くさくも遠回りしてやっていたのを、簡便で速やかにできるよう、幾つも手直ししてもらえた。この始末であるから、どうか、「秦サンはパソコンを駆使している」などと冷やかさないでもらいたい。
* カラースキャナで何をしてみたか。一月末に帝劇の楽屋で澤口靖子と並んで後藤和己氏に撮ってもらったスナップ写真を、大きく器械に取り込んでみた。いやもう、綺麗に入った。
写真をみると、わたしが、ボーッとしていたことがすぐ分かる。膝においた両手先が赤ちゃんか子供の手のように、ホワンとまるく、握るでなく伸ばすでなく、お茶の先生だった死んだ叔母がみれば怒りだしそうな、無造作というより無意識で無自覚な膝に置き方をしている。これでも茶名をもらって資格も裏千家準教授なのに、このザマ。嬉しそうな顔もできず、きりっともせず、隣の靖子ちゃんのはんなりとにこやかなのに並んで、眠い河馬のようにぼんやりしている。なさけない。
しかし、器械の画面いっぱいにカラー写真が、ぱっと咲いた。いい気持ち。これは田中君が教えてくれた。ついでに、大学院を中退して就職試験に東京へ出た頃のわたしのスマートな黒白写真も取り込んでみた。
さらには、娘・夕日子(仮名)がまだ小さかったころ、弟の建日子がまだ一つぐらいのころに、二人ともをわたしが抱き上げて三人で笑っている写真もスキャンしてみた。いちばん娘の笑顔の可愛い写真で、大好きだ。ホームページに入れるつもりではないが、自伝的な作品の一部に、京都や丹波の写真が入れば佳いかもしれないなと、今ごろ思っている。
* 布谷君は、麻雀をどこの誰とも知れない連中といきなり勝負できるような設定、可能ですと、やり始めてくれたが、そんなことをもし始めたら、わたしは仕事が出来なくなるので結局願い下げにした。ただ、碁のできる親しい人と、二人で碁が打てるなら佳いなと、これも今頃思っている。
* 池袋まで見送り、中華料理を奢ってお祝いにかえた。もっとも、わたしは食べられないので、インシュリン注射のあと、チャーハンを一人前とって、わたし分の料理は二人に分けて食べてもらった。それぐらいで、若い二人はやっと満腹してくれるだろうと思った。
食べられず飲めないのは淋しいものです。ふかひれのスープには、つい手がでた。二人ともそうそう飲む方でないので助かったが、うまそうに好きな老酒などやられたら傍観しているのはつらい。
楽しかった。うれしい一日だった。 「むかしの私」から
* 二人ともどうしてるかな。田中君は会社でエラクなっているだろう。布谷君は海外青年隊に勤務を中断して出かけていったが、もう三年は過ぎたか、まだ海外だろうか。
2009 1・21 88
☆ 東博常設館 泉
七十歳を過ぎた庶民にもいい事がちょっぴりあります。
今日はバド(ミントン)の成績良くご機嫌。気のおけない仲間とサービスランチを、歓談しながら美味しく戴き、解散後、一人で都のシルバーパスを使って大江戸線上野御徒町へ。そして古稀からは無料入館出来る東博常設館でゆったり、観覧。
法隆寺館共々、とても観易い動線になって、大好きな処。季節を変えて気侭にブラッと足を運びます。
今日、最も惹かれてじっくりと観たのは、前田青邨の絵巻物「神輿振り」。文展三位入選の青邨の出世作とか。
叡山の僧兵が都に下り、神輿を用いて、騒動を起している絵ですが、都の人たちの動転する表情などが面白くて、行きつ戻りつ楽しみました。平成館の妙心寺展は素通りでも満足、満足。
運動は別勘定で、歩行1万5千歩でした。
* わたしなど家の中で日に千歩程度しか歩いていないだろう。近所の初詣、歯医者、文化村のコクーン、歌舞伎座。正月になってそれだけしか外出していない。まだしも妻の方が出歩いている。
2009 1・21 88
☆ 芳洲と藤樹 湖雀
昨日は名古屋市で梅の開花が認められたとか。旧正月が近づいています。勧請縄が張り替えられる時節となり雀はそわそわしていますが、数日来冷たい雨が降り続き、出かける予定が立ちません。高月町で求めた雨森芳洲についての入門書を、書き留めておいたさまざまなメモと突き合わせて何度も読み返しています。
中江藤樹の三男が対馬藩校奉行として招かれ、1700年には彼の長子が対馬藩に出仕しているのですね。
中国皇帝や日本の将軍より、いえイギリスの国王やアメリカ大統領より、よほどよほど朝鮮国王の名を知らず、調べてもみなかったことを恥じました。そしてやはりここでも対馬という“坂合部”か、と、考えこむこともしばしば。
先日の湖北遊山で水鳥センターに立ち寄った折り、展示で鳰の浮巣を見てまいりました。存外大きいものですね。
インフルエンザが相当流行しているようでどうかご自愛をお願いいたします。 湖雀
* 雀の学校はハイレベルである。
2009 1・22 88
アイズビリ 裸婦
☆ アイズビリ 珪
浅学にして初めて名前を知りました。裸婦、とても佳い繪ですね。気に入りました。自分のヌードを見るみたい……といったら自惚れが過ぎて白けますかしらん。
今日は寒い日でした。お相撲は如何でしたか。昨日から喉の調子が悪くて、体調不良です。インフルエンザにかかった友人たちは、死ぬかと思ったというくらいひどかったようですが、今のところただの風邪のようす。暖かいお布団の中で読書という幸せでも味わいましょうか。好きな本があって、横で昼寝する猫がいて……満足。
☆ 谷崎、そして、ひばり 1999 6・27 「女」
* 六代目菊五郎に似ていると言われるのが好きだった谷崎潤一郎の「お数寄屋ぼうず」河内山のような写真が、目の前で、いつもわたしを睨んでいる。眼光炯々としてこわいが、わたしはいつも知らんふりして、好きなことをしている。美しい若い女優澤口靖子の顔をにこにこと眺めている。バッハも聴くが、ひばりの唄も聴く。昔の唱歌や歌謡曲や演歌も聴く。カラオケの趣味は持たないが、風呂場ではよく歌っている。古いのならかなりの唄を知っている。
谷崎はあまり骨董をいじらなかった。私も叔母譲りの茶道具類は愛用しているが骨董趣味は避けている。
谷崎は美食が自慢だった。私は美食という言葉からして嫌い。
谷崎は映画も芝居も好きで、これは私も同じ。
女の趣味は、ちがう。谷崎は猛然とした女がほんとは好きだった。松子夫人は上品な教養と美貌の底に『痴人の愛』のナオミの魅力も確かに合わせもっておられた。当の谷崎以上に私も松子さんが大好きであったのだから似た趣味だと言えなくもないが、やはり違う。
私は、普通の感覚で深くつきあえる聡明な人が好きだ。異常な女は好きになれない。異常な女は書いてもこなかった。ピンと冴えて静かな人がいい。言葉の美しい人がいい。NHK七時のニュースを読んでいる森田美由紀アナのような発声と表情と聡明さが佳い。
* それにしても、ひばりは、なんと可哀相なほどくだらない唄を、なんと巧く唄うことか。つい耳がそっちへ行ってしまい、そして苦笑してしまうほどこの天才が可哀相にも愛しくもなる。 「むかしの私」より
20091 22 88
* 人は一生に何人の人と出会って死んで行くのだろう。寿命によってちがうのは当たり前だが、わたしなら、どうだろうとときどき途方もない感想をもつことがある。個々の温度差のはげしさもたいていでないとして、その人にメイワクをかけたなあと長く負担に感じている例、多くはないのだが、まじる。
友人に結婚の世話をしようと人を紹介し、一度はデートしたようだが二度目には片方がすっぽかし、片方は待ちくたびれて、それきりになった例もあった。ながく、いまも、わたしはそれを気の毒に気に病んでいる。そしてよけいな仲人口は利くまいと懲りた。数十年も経っているが。ま、その双方ともべつべつの幸せそうな人生を現に送っているので慰められている。
* 今日は、昨日までと較べ、むやみと暖か。
街へ出て、大阪から親類のお目出度で出てきた中学以来の友人と、中学、高校、大学から結婚後、定年引退後の話まで右の耳から左の耳へ抜けて行くほどいろいろ聴いたし喋ったが、メイワクをかけた話題には双方でふれなかった。忘れていてくれるのならいいが、まさかと思う。不思議にも、そういうことが、しかし屁の喝破(河童だと思ってきたけれど、こう機械が出して呉れると、この方が分かりいい。)のようなお喋りばっかりの下地に或る苦い思い出が一つ混じっているのが、不思議と利いた山葵味のようにいい味にも成っていて互いの親しみを深めているらしいのにも気が付いたのは、一のお土産であった。
* としはわたしが一つ上になるが、彼は、無骨な人間工学ふうの杖を必要にしていた。歩き回るつもりでいたが、昼のクラブに座り込むことにした。昼は酒が出ないが、彼の方が酒をほとんど飲めなくなっていた。秦さんも呑んじゃいけないんでしょうがと云われ、苦笑した。髪はわたしの方が白かった。
いま何をしているとか、稼いでいるのかと云ったはなしはしなかった。関西にいる昔の知り合いの噂話は沢山聞いたが、別れてきて、奇妙なほどすぐ忘れた。楽しくなかったかというと、すこぶる楽しかったのだが。近くで、気軽に手の出せる鮨の店がある。食欲は二人とも有る方だった。わたしはいつもの二合の徳利をとり、彼の盃にすこしだけついでやった。品川のホテルへ帰るのを有楽町駅まで見送って、有楽町線で帰ってきた。
往きの電車でも帰りの電車でもわたしは、「生死」を語る仏教の啓蒙本に読み耽っていた。禅と浄土教とにまず目が行き、空海と日蓮は後回しになっている。
☆ 院 1999 11/15 「歴史」
* 聖帝とうたわれた村上天皇までは、崩御後にみな「天皇」とおくり名していたが、次の帝からはすべて「冷泉院」というふうに院号であった。後白河天皇とか後醍醐天皇と呼ぶようになったのは、大正時代に入ってからの話で、「天皇」のおくり名の復活したのは幕末に近い「光格天皇」以降仁孝、孝明、明治天皇と続いたのであり、光格天皇以前平安時代の村上天皇までは、ことごとく正式のおくり名は「院」であった。
こういう史実をふっと記憶に呼び起こされることで、意外に新鮮な気分になり、身のまわりの「むちゃくちゃ」から微かにであるが逃避できる。息がつける。
わたしは、「知識」に対しては、熱い共感を持っていない、知識は重荷になるとすら思っているが、時に、塩胡椒のようなぴりっとした「知識」がつらい気持ちに刺激を生んでくれるのも確かである。 「むかしの私」より
2009 1・23 88
☆ 厳寒 花
今日もよく晴れています。
外には出ていませんが、気温は低いのでしょうね。今朝は、静岡でも氷がはったとか。
昨日は、午後から曇天で、あれれ、という感じでした。ニュースで見た水戸の偕楽園は、雪が舞っていました。風も、歯医者さんへのおでかけで、小雪に出会ったのですよね。
>避雷針を貫いて鴉寒に立つ と云いたい感じでした。
風の意気が感じられて、花は嬉しい。
さてさて、今日の横綱対決をドキドキしながら待ちます。
ではでは、花は元気ですよ。お元気ですか、風。
* 避雷針を貫いて鴉寒に立つ 遠
この方がいい。
2009 1・25 88
☆ 風の風邪気 花
早い対処がよかったのかも知れませんね。
寝るのが薬、ですよ。
お大事に、風。
花は、昨日、久しぶりにバッティングセンターへ行き、ソフトボールのブースで、ボールが右手の親指にあたり、怪我しました。バットとボールに指が挟まれた状態になり、ひどく打ったものの、爪は無事で、骨にも異常のなかったのは幸いでした。
漫画みたいに紫に膨れた親指は、ジンジン痺れていましたが、一晩寝たら、だいぶ感覚が戻っていました。花が下手なのがいけないのです。
以後、気をつけます。
朝青龍を「ゴンタ」って、ナイスネーミング。
花も白鵬を応援していましたが、「ゴンタ」は崖っぷちに追い詰められていましたからね、気合が違いました。
ま、今回は、これでよしだと思います。
さてさて、外は冷えます。
パソコンの横に熱いココアを置いています。
花、元気元気。ではでは。
* 「mixi」を見ないのでマイミクさん達の動勢もじかにメールを呉れる人たちの他は没交渉になっている。
「mixi」に取られる時間はたいしたことでなかったけれど、気をそちらへ配り過ぎることが、存外に響いた。わたしは人のウエブはまずめったに覗かないようにしている。際限がないから。で、いまはメールを点検する以外は自分の仕事や用事でしかパソコンを用いない。「集中」は格別にちがってきている。メールも、呉れた人のモノは嬉しく読み、返辞もするが、こっちからはなるべく書かないことで時間と意識を自身に集めようとしている。穴ごもりだ。
2009 1・26 88
☆ 避雷針を貫いて立つ鴉に 播磨の鳶
避雷針を貫いて、とは実に壮大に精悍になりました。鴉、頑張れと声を届けます。
午後には本が出来てきて今頃は発送作業に集中されているでしょうか。それとも一休み? 襟巻き、マスクで動いて汗をかいて風邪を引きませんよう、こまめに状況に応じてください。
そういうわたしは歩いたり自転車をこいで汗をかいては失敗しています。二週間ほど風邪の症状でしたが漸く回復しそうです。
昨日は慌しく京都に行ってきました、本年初の京都行き。
展覧会を見て、四条や寺町を歩き、烏丸二条で絵の具を買い、幸せ気分で帰ってきました。それも京の町を、これまで来た記憶のない通りを歩いて歩いて。
BSテレビで「世界街歩き」という番組をご存知でしょうか。わたしは時々見ますが、行ったことのある街だと、あら其処の先に面白いものがあるのにとか、反対に自分が知らないまま行き過ぎてしまったことには口惜しがったりしています。観光というより何気ない日常の景色を歩くこと、その中にも思いがけない小さな発見がたくさんあります。
京都も昔昔住んでいた時には自転車で左京から嵐山の方までも路地や狭い通りを走っていったものですが。歩くとさらにゆっくりした視線で楽しめました。
が、さすがに疲れました。何しろ最寄のJR駅に着いてからも再び自転車。歩くと家まで一時間近くかかるのですが、バスの便数が本当に少ないのです。
辻邦生さんの『背教者ユリアヌス』は昨年再読しました。そのローマつながりで、今『ハドリアヌス帝の回想』ユルスナール著、多田智満子訳を読んでいます。何冊も並行して読んでいますが、一日で読み終えてしまう本もありますが、以前と比べると読む量がかなり減っています。読書は量で量られるものではないけれど、いささか嘆かわしい。一日の殆どを読書に没頭できたら・・それもまた良き日です。
今日は親戚関係の八十半ばの人が亡くなり、明後日から週末にかけて出かけることになりそうです。
1月21日の私語に、 「* わたしは、たくさん、たくさん、たくさん間違えてきた、いまも間違えている。」という一行が強い衝迫力をもって胸の底に沈んでいます。
無理せず、お体大切に、発送が順調に進みますように。 鳶
2009 1・28 88
☆ 昨日のメールに続いて 鳶
今朝テレビの「わたしの一冊」? という番組で辻井喬氏が谷崎潤一郎の『蘆刈』について語っていました。辻井と谷崎、浅学なわたしには一瞬その取り合わせが奇妙にさえ思われましたが、辻井氏の生涯の軌跡と思索を垣間見れば、古典・源氏物語や谷崎の世界
への憧憬もまた奇妙どころか、むしろ根底に深く潜んでいるものだと納得しました。彼の詩、あまり多くは読んでいませんが、好きです。
発送、順調に進みますよう、御自愛ください。
☆ カンジン 湖雀
1711年の朝鮮通信使は帰国後処罰されたそうですね。訳官のひとりがその後大規模で組
織的な密輸事件を起こしたとか。
一方、雨森芳洲没後、対馬府中藩の訳官鈴木伝蔵が幣物の横流しと密売を犯して発覚を怖れ通信使を殺す事件があり、それが十二代将軍家斎襲職二年後に上演された「韓人漢文手管始」のもとになったということを知りました。
家斎襲職慶賀の朝鮮通信使は1811年まで来朝せず、しかも人数少なく対馬で引き返したそうで、その後一切通信使の来朝がなかったということに納得がいきました。
湯豆腐、粕汁、鴨南蛮。
煮凝り、風呂吹き、関東炊き。
熱燗、鰭酒、卵酒。
インフルエンザ流行と聞き、日々一層のご自愛をと、お願い申しあげます。
2009 1・29 88
☆ 湖の本 郁
湖の本 エッセイ46拝受いたしました。有難うございます。何か難しそうだなーとめくっていましたら、絵にも触れた内容に嬉しくなりました。それも私には襟を正さねばと思われる内容のようで、感謝しながら読ませていただきます。有難うございます。
お変わりございませんでしょうか? 御身体のほうは快調でございましょうか? そのように祈っておりますが。
絵のほう、今年も来年もとても忙しくなりそうで、寸暇をおしんで個展のための制作もしています。またどうぞハッパをかけてくださいませ。
ご自愛くださいますように。
* ああいつのまにか日付が変わっている。
2009 1・30 88
* 小山内美江子さん、林郁さん、宇野淑子さんらの、「湖の本エッセイ」新刊への手紙やメールを戴いている。
* 久しぶりに柳博通君の声を電話で聞いた。今日か明日かに子供連れで行きたいがと。あいにくいまは発送の途中で家のうちに迎えるライチがない。残念。
* 芹沢光治良さんのご遺族から、やはり電話で、会合に話しにきてもらえないかと。三月では、自信が持てなかった。申し訳なく。
今日が締め切りの原稿が一つあって昨日電話で催促されたが、それもいまから書く。
2009 1・31 88
☆ 「いま、中世を再び」が届きました。 晴
「春泉脈動」の言葉もありがたく、今を元気に過ごしています。
ご本の、中世の二人の武人は後にして、「画人たち」を読み始めております。美術展で観た幾つかの絵を思い出しながら読ませていただき豊かな時間を過ごせ感謝です。
奥深い洞察をもって書かれている文を丁寧に読み進めていきたいと思っています。魅力あふれる藝術家たちが浮かび上がってきます。
今は部屋に読みたい本が、読み進めている本が数冊あって満ち足りた気分です。
昨年末ミクシーの「朝の一服」でご紹介されていました前登志夫さんの歌を読んで、その時にコメントしておられた方が「森の時間」のご本と「遊んだ」と書かれていたので、図書館で検索、借り出して、今一篇づつ読んでいます。読み飛ばしていくのが勿体無い気持ちにさせられます。
以前 湖の本で読ませていただいたときには、前氏の詩も、鬼も、頭に残らなく残念でしたが、今回は良い出会いをさせていただきました。
初めて読む前氏の文章にすっかりと魅されてしまいました。生霊が宿っているのでしょうか。今まで読んでいた本からは得られない味わいのある文章でした。
吉野の奥深さ、歴史以前すら思わせれれます。
また今月には「香魚」さんから『高丘親王航海記』の面白さを教えていただき、そちらも興味深く読んでいます。時折親しげに訪問させていただいております。マイミクにご紹介いただいたこと感謝いたします。
ご本発送の重労働後のお疲れが心配です。ご夫妻とも、どうぞごゆっくりとお体お安め下さい。一番のインフルエンザ予防でしょうから。
* あすで、ほぼ終え、郵送分を明後日郵便局に届ければ、今回は終局。
2009 1・31 88
☆ 今年に成って 来
お変わりありませんか? 私は風邪を引きながら、何とか頑張って居ります。
この雨で蝋梅が満開です。
早、二月。一月は来客やお初釜で、後片付けをしたら終わりです。
昨年は、よからぬ事が続き、海外へも出られませんでした。秋になって、日吉の学年会に出席しまして波さんにお会いしました。ゆっくりお話できなかったけど、お元気でした。
今年は2月22日からインドの南部デカン高原からゴア・ハンピ遺跡を旅します。
少々体力が心配です、が頑張って、これから準備です。そろそろ湖の本届く頃かな?
雨が終われば又寒くなるそうです、ご自愛を! でわでわ、おやすみなさい!
* 高校時代の茶道部で、初歩から手ほどきした中で、名実共に茶の湯を自身のものにした、ごく数少ない一人。五十年逢わないが、よく分かっている。名前のあがっている人も同じ茶道部にいて、やはり以来逢わないが、よく分かっている。ごく自然にわたしの小説の中へも登場してこれるふうの人たちであった。指折り数えなくても二人とも今は古稀過ぎている。逢わない方がお互いにいいにきまっているなあ。ハハハ
* 夜通しつよい風が荒れていた。日の色はあかるいが、午過ぎてまだ風がある。
2009 2・189
* 医学書院に同期に入社した粂川光樹くんが、今度は小説の力作を論創社から出した、題して『漱石の明暗 ある終章』と。漱石の愛読者なら察しもつき技癢を覚える人も多かろう、事実それを実行して識られた人も二、三は過去に例があった。漱石絶筆の小説を「書き継」いで完成させるのである。粂川くんもこれに二十年来思いを掛けてきたと云われる。出来上がった『ある終章』は堂々の大作で、挿絵も新聞連載の原作を飾った画家の画風に通わせて粂川君が自身描いていて、これがまた好い。早く読みたいが、せっかくだから原作を読んで行き、そのあとを続けて読みたい。
著者は小説こそ初めてかもしれないが、医学書院はわたしよりもずっと早く退社し、国文学の学究の道をあゆんで、フェリス学院の教授から明治大学教授に転じて優れた古代学研究を積んだ名誉教授であり、たんなる好奇心の所産ではない。やみがたい文学・文藝への篤い思いがさせた力作であろうから、わたしも嬉しく、早く読みたい。
* 医学書院は医学看護学研究書の大手出版社で、しかも粂川君やわたしの頃の編集長は、国文学、ことに鴎外研究の碩学長谷川泉だった。長谷川さんの背中を見守りつつわたしは創作への思いを燃やした。粂川君のように大学教授への道を歩いた人は、遠藤恵子さんのような人もいて、今は遠藤さん米沢女子短大の学長さんである。わたしの太宰賞の前後に文学・文藝にすすんだ後輩には日本のハードボイルドの草分けの一人である中島信也君(小鷹信光)や文藝評論の樋口覚君らがいる。雑誌「宝石」などに書いていた人も、芥川賞候補に挙げられた後筆を折ったらしい人も、いた。思えば、みな長谷川さんの薫陶をいつしれず受けていたのであろうか。
2009 2・1 89
☆ お疲れ様! 泉 e-OLD
お疲れが出ませんか。お元気ですか。
違わず片手間に読める本ではなく、時間をかけて読みます。
一月分の雨量が一日で降ったとか、古家に雨漏りがしないか、とヒヤヒヤものでしたが、一変して今日は快晴となり、こま鼠の如く働いていました。息つく間もなく、もう節分がやってきます。
先日、次男夫婦が関西旅行を兼ねて、新春に必ず参ってくれる兄家族の先導で、母方のお墓参りに出向いてくれました。
学童の頃に詣でた記憶が皆無だったらしく、泉山を楽しめたようです。坂を下った即成院に入り、参詣者が少ない季節柄、和尚さんから大歓迎を受けて、沢山のご講話を聴いて、寺巡りの大好きな中学生の孫クンが大喜びしたとか、清水寺から粟田坂、神宮道筋に土産物やが雨後の筍の如く増えて様変わりしていたとか、内外全く変わっていない行きつけだった「うどんや」さんに入って、東京っ子のお嫁ちゃんが話に聴くニシンそばを初体験で、美味しく食べた、等々の土産話を沢山聴いたその夜、珍しく寝付けなかったのは、加齢と共に深まる郷愁にあると実感しました。
本場のニシン蕎麦が食べたいなア。
* 幸か不幸か「郷愁」という感情がすっかり鎮静していて、京都へ出かけたいという気持ちにあまりならない。おそらく現実の京都より、胸にしまわれた手持ちの京都のほうが好きだと断念しているのだろう。ま、も少し弱ってきたらまた変わるだろうが、その頃にはもう行きたくても動けまい。
☆ 風、こんにちわ。 花
お元気ですか。
夜通し、ものすごい風の音がしていました。熱帯からの風だったのか、びっしょり汗をかきました。
今はすっかり穏やかに、日ものびて、金色の西日が明るいです。
さてさて、花は、一息ついています。
風おすすめの、蜻蛉日記など、読んでみたいです。このところの読書に、ちょっと変化も欲しいですし。さっそく、今度の水曜にでも、図書館で借りてきます。
『漱石の明暗 ある終章』、おもしろそうですね。
わたしの高校生のときに、水村美苗という人のが話題になっていましたが。
そうそう、この人は、『私小説』という題の小説を書いていました。『本格小説』というのもあるそう。アメリカ育ちの著者の書いたもの、と考えると、意味ありげです。
ああ、あれもこれも読みたくなってきた!
花は、風に「こういうのがあるよ」と教えてもらうと、すぐ読みたくなってしまうのです。
アイズビリの裸婦像は、とてもいいものですね。線がムダなく、洗練されています。すばらしい。
二月になりました。
ああ、風にいつか逢えますように。ではでは。 花
☆ エッセイ46が届きました。 玄
「いま、中世を再び」をお届けいただき有り難う存じます。私にとっては初めて出会う作品であり嬉しい限りです。巻末の私語の刻を読んで感銘を受けました(自分のいい加減さを恥ずかしく思っています)。東京ではインフルエンザの警報が出たと聞きました。ご自愛ください。
☆ 湖の本「いま、中世を再び」を拝受いたしました。 靖
「中世」は混沌として分かりにくい時代だという思いがあります。
収録されている論考が三十数年も前のものであることに驚きました。
☆ 今日、宅急便をお送り致しました。 光琳
先日家で食べて美味しかったので、福豆の形をした白あんのお菓子です。
頂く時に楊枝で目を描くと、お顔みたいで可愛いです。
私は爪で跡を付けて、笑っている顔にして食べました。
お疲れの時に甘いものをお一つどうぞ ☆
今日は昨日と打って変って、青空です。
風は強いですが、スッキリさわやかです!
お疲れ残さず、お風邪も召しません様に。
* とても美味しく。わたしは和菓子を肴にお酒の飲めるぐらいどっちも大好きで、糖尿病のくせに食事の後、なにか甘いモノと催促する。いただいた菓子は上品で、美味しくて。嬉しく。
☆ こんばんは! 京の従妹
新しい湖のご本届きました。
いつもありがとうございます。
わたしには少し手ごわそうですが、ゆっくりと読ませていただきます。
こちらは、ここ二、三日雨模様のすっきりしないお天気ですが、気温が高めなので動くのが楽です。
明日から明後日にかけて、あちこちの社寺で節分祭が行われます。
父が寝付いた前年の節分に、母と三人で吉田神社にお参りし、父の腕をとって歩いたのが懐かしく浮かんできます。
天神さんの梅もちらほらと咲きだし、受験祈願の絵馬が所狭しとかけられています。
三月にはご結婚五十年になられるとか、これからもご夫婦でお健やかにお過ごしになられますようお祈りしています。
まだまだ寒さ厳しい折から、お風邪などひかれませんように。
☆ 『いま、中世を再び』拝受 俊
昨日、『湖の本 エッセイ46 いま、中世を再び」を拝受致しました。
いつもながらの精力的ご活動に感服いたしております。
さっそく読ませて戴きます。本当にありがとうございます。
追伸
1月24日(土)の日本ペンクラブ・追手門学院共催セミナー「紙の本のゆくえ―文学と図書館の新しい挑戦」は参加者140名(有料参加者118名)を集め、関西での言論表現委員会のイベントとしてまずまずの成功を収めました。
これからも読者に開かれたペンクラブの活動の一翼を担えればと考えております。
今後とも何卒ご教示の程、よろしくお願い申し上げます。
なおセミナーの内容は何らかの形で記録したいと考えております。
☆ 珠です。
こんにちわ。
「湖の本」を送って頂き、ありがとうございました。
ここのところ、社会状況から中世に想いを馳せることが多かったので ご本のタイトルに思わず声が洩れそうになりました。ありがたく、この「湖の本」をたよりに振り返ってゆきます。
私は年末年始来、度々出歩いたせいか初釜を終えて風邪をひいてしまいました。インフルエンザなら仕事も休める、、としきりに検査をしても反応なく、忙しい日々にからだを引きずるようにして過ごしてきました。何とか復調の兆し、、というこの週末です。
友を喪って今日で一年。早いとも、長いとも、感じます。
体調不良で何をする気もしない日々に、病でもしきりに活動していた友を思い出していました。休みたいと想うのは贅沢かもしれないと。。
まだまだ寒さ厳しい折、湖も体調にはくれぐれもお気をつけ下さい。
お大事に。湖。どうぞ、お元気で。
☆ 御礼 森
秦さん、新しいご本をご恵贈たまわり有難うございます。お元気で何よりうれしく存じます。こちら、えっちらおっちらくねくねやっていますが、たまに一休み、ご本を楽しませていただきます。
2009 2・1 89
☆ 心の文 maokat
hatakさん 御礼を兼ね、mixiから転載します。 maokat
マイミクの「湖」さんから、『いま、中世を再び』というエッセイ本が届いた。その後書きに、わび茶の祖、村田珠光の『心の文』について触れた部分があった。
「此の道、第一悪き事は、心の我慢・我執なり。巧者をばそねみ、初心の者をば見下す事、一段と勿体なき事共なり。」
珠光は千利休の生まれる二十年も前に亡くなっている人だが、珠光に芽生え利休の大成した茶の湯は、その創成時から「巧者をばそねみ、初心の者をば見下す」ダークな部分をはらんでいたことになる。そして創成者の戒めた悪風は、五百年経ってもなんら変わることなく二十一世紀の現代に伝えられている。
昨年、親しい人に、「君には茶事に呼べる人がいるの?」と訊かれ絶句した。茶の湯は、『いま、中世を再び』でも触れられているように、珠光このかた、中世の「寄合」に胎生した藝能で、極言すれば、道具も懐石も茶もいわばヒューマンコミュニケーションの一手段なのだ。しかし、今の私は、「巧者をばそねみ、初心の者をば見下す」世の多き茶会にうんざりしてしまった。茶の湯をやめるつもりはないが、今の茶は、研究室という「密室で祈る」場に置かれた自服、独服の茶になってしまっている。
「不審花開今日春」という、茶道宗家の「庵」名を二つ含んだ禅語がある。
禅語の「不審」は、植物生理学から見ても不思議で、開花に至るプロセスは、気温や日長や植物体内の栄養状態の変化が引き金になり、遺伝子やタンパク質が複雑に動いて、植物ホルモンが生成され、器官が分化してついにはなびらが開く。花はもちろん、意識などせず、この複雑な情報伝達系を、やすやすとこなして、何気なく開花に至る。その複雑微妙な神秘は、人が見ていようがいまいが、山中で「花よりほかに知る人もな」くとも、毎年毎年毎日毎日いつ果てるともなく続けられている。
この「不審」にくらべれば、私の冷えた茶の湯など、何とちっぽけなことだろう。しかし私の茶の湯にも、複雑微妙な「不審」が働いて、中世彷彿の熱い寄合い茶となる日もないとはいえない。なるかならぬかわからぬものを、捨てずに抱き湛えているのも、見ようによっては精進。ちゃらちゃらと茶筅を振って、お詰めは、お形りは、とやるばかりが茶ではあるまい。
* maokatさんほど温厚な人も、気概が弾んでくると、「のだ」と文章で胸を張る。親しい人にもらった場合に限るけれど、ここに紹介する人さまの文章にも、あえてわたしは最低限、小さな手を入れている。
むかし、こんなふうに書いていたのを、呼び出してみる。
☆ のようというのだ 秦 恒平
明治に、一時期「美文」が流行った。妙なモノであった。昨今は「名文」ということもあまり言わない。名文の議論はよほど多岐にわたる。安易な口出しは避けたい。
当今は「悪文」の時代であろうか。悪文にもしかし、稀々、あるいは時折り、とても個性的な「佳い悪文」があり、見捨てるばかりが読み手の能ではない。一昔まえの瀧井孝作先生や吉田健一先生の一見悪文は、また名文の一種とも謳われた。
すぐれた文学か、そうでないか。それは題材では決まらない。文体と文章。その上に造型され表現された作者の「思い」の深さ高さや、オリジナリティー、と、ひとまず謂っておく。だらけた陳腐な物言いや決まり文句を多用し、筋書きを説明に説明して、文章を「読むうれしさ」を全然与えてくれない、それはもう「読み捨ての読みもの」に過ぎない。ほんものの作は二度三度四度の再読を促してくる。名勝が、再訪につぐ再訪を促す魅力に富んでいるように。
この節、書きたい人がむちゃに増えている。ケイタイでも書ける。他人のものは読まないのに、自分の書いたものは読んで欲しいからか、私のところへも、見知らぬ書き手が「書いたもの」を送ってくる。
ものを書くのに、才能は、どう現れるか。少なくも一つ謂える。
「推敲する」力と根気、それが創作文章での確かな「才能」です。
推敲の力は、数行の書き出しだけでも分かる。
一つ、(これで十分なのではない、誤解ないように。)申し上げる。「のようというのだ」と覚えてくださると好い。「(の)ような(ように)」「という (といった)」そして語尾の「のだ」の、この三つは、書きながらも我から首を傾げて思案した方がいい。
大概、この三つは必然の必要から書かれず、ただの口調子で書かれている。省いてしまうとピンと文章の立ってくる例が多い。この三つの頻出する文章は、たいてい、救いがたい「駄文」である。
序でながら、例の一つであるけれど、「私がすること」「あなたのなさること」の、「が」と「の」を、確かに書き分けられる人も、少ない。文章の品位を左右する例が多い。
2009 2・2 89
* 大久保房男さんから、日本史上、中世には最も興味稀薄でしたがと。ちょっと驚いた。西行、定家、道元、親鸞、一遍、日蓮、世阿弥、一休、兼好、雪舟、利休、永徳、等伯、光悦、宗達らを輩出し、武人にも個性は多かった。皇室や公家を在れども無きが如くにし得ていただけでも時代として大いに愉快な、岡見正雄先生のことばを借りればふくふくとあたたかな陽気な「室町ごころ」の時代であった。
西洋の中世とは大いにちがう。日本の中世は、鎌倉・南北朝時代と室町・戦国時代を含んでいる。今度のわたしの本は南北朝から戦国・安土桃山時代を対象にしていて、社会史的にも文化史的にもじつに多彩に「陽気な」時代なのである。それが、大抵の人は「中世は陰気で暗い」と勘違いしているのはまったく西洋の中世の印象に引きずられている。
能・連歌・茶の湯・俳諧そして一揆・戦争。一味同心、人が寄り合わねばどれも出来ない。人が寄って拠って、「我々」でなにかしようかとなれば、活気と陽気は当然渦巻いてくる。敵愾心も渦巻いてくる。それだけ民・百姓にも力がついてきている。「いま、再び」とわたしが「中世」を一冊にしたのは、「今日只今の現代」こそ「陰気に暗い」のを、陽気渦巻いた中世に一つでも二つでも学びかえしたいからだ。
☆ (前略) いつものようにまず「私語の刻」を拝読致しました。珠光の「心の師とはなれ、心を師とせざれ」「和漢の境をまぎらかす」への御感慨は非常に底深く教えられましたし、ペンクラブの「政治や国家を『原則』で非難する声明」との御指摘は私自身もそう見做しがちでしたから、大いに共感致しました。全く同世代として「やわらかい花びら」に立ち返ることを心したいとも存じました。どうぞこの三月での金婚式、お二人自から得心されるようなお祝いをされますよう、御期待致しております。併せて呉々も御自愛のほどお祈り致して止みません。 文藝誌編集長
☆ 秦恒平先生 研
いつもお世話になっております。
「湖の本 エッセイ46 いま、中世を再び」、本日、拝受いたしました。
いつも有難うございます。心からお礼申し上げます。
今回は、わたしの仕事とも深くかかわるテーマだけに、すぐに読み終えるのがもったいなく、一ページ一ページ舐めるように精読させていただきます。
(それでも山名宗然の項だけは我慢できずに読み始めてしまいましたが)
少しずつ、仕事に復帰しつつありますが、体力が消耗し、すぐ息切れしてしまいます。夏までに目途をつけなければ・・・。
まずはお礼のみにて失礼します。
☆ 湖さま 箭
先日、『湖の本』をお届けいただきました。
中世についてのお話、とても興味深いです。
中世という時代は、私にとって、興味を持ちつつも、これまで部分的にしか深く知り得なかったものですので、とても嬉しく存じます。
今からゆっくり拝読させていただきますね。
私などにまでお気づかい下さり本当にありがとうございました。まずは取り急ぎ御礼まで。
2009 2・3 89
☆ 『湖の本』が届きました 2009年02月04日 13時39分 久
mixiメッセージからごめんくださいませ。
今日になって滅法春めいた光が降り注いでいる、暦通りの、山形からこんにちは。
一昨日『湖の本』が届きました。誠にありがとうございます。とっても嬉しいです。
以前頂戴いたしました徳内の本も、毎晩のように読み込んでは反芻しております。
気に入っている部分は、徳内さんと先生が北海道を旅するシーンです。私は学生時代を北海道で過ごしましたので、景色や雰囲気をイメージしやすく、私もお供している気分で何度も読んでしまいます。
真の国際人としての徳内さんが滲み出る仕上がりを目指しております。出来上がりましたら真っ先に秦先生にDVDをお送りいたしますね。
私事で恐縮ですが…。
私事其の壱としまして、秦先生に触発され(一方的にではありますが) 現在毎日ちょっとずつ小説を書いています。
私事其の弐は、昨年の夏に応募した高畠ワイナリー主催の『映像ソムリエコンテスト』で、審査員特別賞をいただいたことです。
今月15日に催される授賞式に参加する予定です。
どんな形であれ、多少でも他人様に自分の創作したものが認められるというのは嬉しいものですね。
いつか秦先生を唸らせるような作品を作るのが目下の夢です。
それでは、季節の変わり目、十分ご自愛下さいますように。
* 太宰賞受賞の昭和四十四年中の『自筆年譜・作家以前』九十頁強に添える、「小説二題」も入稿した。残るは、「単行本の全書誌」「湖の本の全書誌」。いま妻が整理してくれている。着々。昭和六十一年元旦までの出版物は豪華本『四度の瀧』の巻末に詳細な付録として年譜も書誌も作品初出年表も出来ているが、それ以来の出版がちょっと信じられないほど多くて、妻はだいぶ苦労していたが、さらに『湖の本書誌』もとなると、なにしろ百巻近いのだから、大抵の作業でない。わたしがやって行かねばならない。
* 目のまわる多忙を、深呼吸しながら一つ一つ片づけていった。湖の本だけではない。厄介が持ち込まれれば、それに対応すべく仕事を抱え込むことになる。そういう老境だと諦めて、さばさばとやって行くのである。
なによりも88ファイルに達している「生活と意見 私語」の全部を点検してみた。その結果、只一つのファイルも漏れなく、或る特定の姓名での「検索」は、まず間違いなく完全に不可能な状態にされてあることを確認した。やす香の発病し入院した平成十八年六月(57ファイル)、やす香がついて死んでしまった同年七月(58ファイル)より以前には、同年二月のささやかな「創作」をめぐるイキサツ以外には、そもそもリアルな「問題」が全く起きていない。起きようもない没交渉であった。やす香らが嬉々として密かに祖父母の家に通って来ていた事実も、何ら表だった「問題」にはなってなかった。
2009 2・4 89
☆ 春めいて 09.02.05 09.17 花
きたと思うのは、梅が咲き出したからでしょうか。
川沿いの梅の蕾のふくらんできたのを見たのは、十日も前だったか、どうか、もうすっかり花ひらいています。
きのう、ホームセンターの花木売り場に、背丈一メートルくらいの、しだれ紅梅があり、とてもいい姿だったので、後ろ髪ひかれました。
梅が好きです。
寒い冬に咲くから。
そう、まだまだ冬なのです。
インフルエンザがはやってきていると聞くので、外出は最小限に控えています。
風、お元気ですか。
花は、「とはずがたり」を借りてきました。原文と現代語訳と訳注と解説の、段落ごとに併記してある読みやすい文庫本です。
ほかにも、併行して読んでいる本がいくつかあります。風の真似。
ではでは、花は元気ですよ。
☆ ありがとうございました 工藝家 北海道
秦恒平 先生 ご無沙汰しております。お元気でしょうか?
もう2月の声を聞き、外は真っ白で至って静かですが、農閑期の我が地区では行事が一杯です。
さてこの度は、『湖の本…いま、中世を再び』をお送りいただきまして、誠にありがとうございます。
中世という時代、その言葉に、とてもロマンを感じます。じっくりとはいきませんが、興味本位に、好きな処を
拝読させていただきます。
今の私は老母の問題で、複雑な想いでいます。想定内のことでしたが、老いていく事の哀しさを感じております。
では、益々のご活躍を! お礼まで。
* いまはことにこういうメールに、ほうっとして落ち着きをとりもどす。今は、どうしても胸の扉を固く閉じ、なにものにも無遠慮に闖入されたくないので、春風のようなこういうおとないが懐かしい。
2009 2・5 89
* 明日家に帰って余計な飛び込みの用がなければ、一仕事の一段階へ達しそうだ、そんなところまで来て、もうすぐ日付が変わる。休んだ方がいい。今日は加藤一夫の「民衆藝術の主張」という論文を読んだ。こういう論考に情熱を燃やしていた人、それが必要な時代があった。
高田欣一さんの病後の仕事も届けられて、有り難いお手紙ももらった。沢山の手紙を今日も読んだ。
2009 2・5 89
* 「くらむ」という倉持正夫の個人雑誌が、この元日の日付で「追悼・倉持正夫」を出した。笠原伸夫氏と倉持夫人の編輯。正夫さんは昨年のうちに亡くなっていた。創刊以来、湖の本の読者として支えて下さった。
そもそも「湖の本」は、一九八五年に「くらむ」が創刊され贈られたのがヒントだった。いつも数十頁たらずの雑誌ながら表紙の手触りが美しく、この大きさで美しい私家版の全集が出せるだろうかと思った。そして翌年六月、「定本・清経入水」で創刊した。
倉持さんにはペンクラブにも入って戴き、「e-文藝館=湖(umi)」にも幾つか作品を戴いた。年譜によると「くらむ」は二◯◯三年秋に一一号出ていた。倉持さんの小説作品だけの個人誌だった。何度か病気や怪我をされていた。一九二九年九月二十日生まれ。わたしより半まわりほど年長だった。二◯◯八年去年の元日に七八歳で亡くなっていた。
訃報のみあいついで賑やかなあの世かな風ゴトゴトと娑婆を揺る間に
2009 2・6 89
* むかし豪華本の『四度の瀧』を創ってくださった和歌山の三宅貞雄さんから久しぶりのメール。わたしと同い年で、寄る年波にやはり喘いでおられる。なんとかならないものかなあ。しかし、いまどき出来た映画のように逆に年取ることもどんなものか、どうですかと尋ねられ反射的に「地獄でしょう」と答えたが、当たっている気がする。年は自然に重ねるしかない。
2009 2・6 89
☆ (前略)
「私語の刻」はかならずすぐに拝読します。ここには、まるごと秦さんがいきづいておられます。ぶれない倫理感 価値観に敬服し、もう百冊目を目睫にした「湖の本」に持続の力を実感しています。どうぞお身体お大切になさって下さい。 元文藝誌編集長
* 鞭撻にこたえて立つ気力をどうか失いたくないと思う。
こんどの「私語の刻」は、十一頁も書いた。あとがきを読んで下さる方の多いのは実感できるし、少しでも「いま・ここ」の声とことばとを紡いで出したいと願うのである。頂戴する本代に相当するものを時には「あとがき」だけで書きたい、書かねば申し訳ないと思う。
* それにつけて文章のむずかしさをつくづく思う。思うことを思うまま書けばいいのでなく、こまごまと日記のように書いていいのでなく、風通しのきいた、しかも読む人が自身の問題や関心のようにのりだして読んで下さることが大事になる。そのためには、文章が好い意味の音楽でなければならない。
2009 2・8 89
☆ お元気ですか、風。
週末はいい天気でしたが、今日はどんよりです。
こうして天気が気になるのは、洗濯が気になるからです。薄手のものなら、雨が降っても、室内干しで対応できるのですが、大物はそうはいかない。
洗濯が嫌いなわけではないのです。どちらかというと、好きなほうなのです、一人暮らしをはじめた十代の頃から。
NHKBSで、黒澤明映画の特集をしてい、三月までかけて順々に代表作を放映するそうです。
黒澤、というと、花は、「乱」 「影武者」 「夢」 などの晩年のイメージがありますが、もっと以前の、「静かなる決闘」なんて、おもしろくて勢いがあって、いい映画だな、と思いました。
今回の放映も、三船敏郎の若い頃の「野良犬」 「醜聞」 「酔いどれ天使」などがあるらしく、楽しみにしています。
ではでは。 花
☆ 湖の本ありがとうございます 鷹
秦先生 先日は,湖の本をお送りくださいまして,ありがとうございました.
悪い癖で,せっかく下さったのであるから何か真っ当な感想をお送りせねばと思っておりましたら,風邪をひいてしまい,数日間寝ておりました.
ここ数年,大学の非常勤講師で都内の中堅私立大学と地元の旧帝国大学の工学部とに集中講義に行っておりますが,中堅私立大の学生は何にでも忌憚のない意見をくれるのに対して、旧帝大の学生は無知を恥じて格好をつけすぎる,つまらん,と思っていました.
先生の本の前では小賢くてつまらん学生と全く変わりません.この期に及んで,足利十五代をざっと眺めた上でなきゃいかん,などと..
秦先生の中世,といえば後白河さんについて開眼させていただいた梁塵秘抄の本があったわけですが,当時ストリートミュージックに狂喜した天皇が存在したこと自体に勇気づけられました.
あの本も既に湖の本の一冊とされたようで,さらに今号は後代の話であり,連歌といえば詩人,京都人の萩原健次郎さんのネット連句に参加させていただいたことを思い出しますが,とりとめもなくなって申し訳ありません.
ところで「生活と意見」を,ここ数日更新されておられないのは,先生のご健康に何かあったからというよりも別の事情であることが察せられます.先生の言論を止めることはあってはなりませんです.
第九十七巻は,せっかく先生が下さったものですのでありがたく頂戴いたします.
そこで記念すべき第百巻までの三巻分と思しき金額をお送り致しましたので,是非,今年発刊していただき,拝読させていただけたらと存じます.
先生の単行本はあわせて二十冊ほどは手元にありまして,湖の本との重複をこれまで気にしていましたが,これを機会に順次遡れたらと思いました.
今拝見しますと「書下し」というのが何冊かあり,正直気になりますが,それよりも気になるのは先生のご気力かと思い,まずは今後の出版をお願いいたしました.宜しくお願いいたします.
* 嬉しいことを言って下さる。ありがとう。
2009 2・9 89
* 前田愛氏の一葉論再読がおもしろく、曾読の記憶と同じく「暗夜」論がことに胸に迫る。読んでいるうちに、自分が一葉作品を「舞台」作のように場面を脚色しつつ読んでいるのに気がついて、ゾクゾクし始める。小説に書いてみても好いのではなどと俄然欲が出てきたり。ナンでもいい「暗夜」を読んでみたくなった。
鏡花は一葉のこの辺の感化を受けている、間違いないなと思ったりする。急に鏡花を論じてみたくもなる。すこし、老人、昂揚しているじやないか。卒業生君に励まされたかな。ありがとう。
2009 2・9 89
☆ お元気ですか、風。 花
風邪は引いていないけれど。
今日はぽかぽか陽気で、暖房いらずです。窓から射しこむ陽が、高くなってきたようですよ。明るい。
洗濯もたくさんできて、せいせいしました。
とはいえ、早くも花粉を感じています。
マスクで対応しきれなくなり、日曜あたりから薬に頼っています。飲みはじめは、眠気とだるさにやられます。夜中は寝てしまうから構わないのだけれど、昼間の眠気は勘弁、と思って今朝の薬をサボったら、鼻がグズグズ。体が薬に慣れてしまえば、だいぶラクになるのですが、ウーン、一週間くらいの辛抱かな。
さてさて、風はおしごとたくさんのようですね。ガンバッテ。外に出るときは、花粉に気をつけてください。
ではでは、花の元気送ります。
* いま、平塚らいてうの「元始女性は太陽であつた。」を読んでいました。これを書いた時らいてうは二十六歳。
一葉は三十歳にとうてい到達できずに亡くなりました。日記。そして不滅の輝きを帯びた晩年の幾つかの小説。そのなかで、機会が有れば「暗夜」という作を読むのを奨めます。
このあいだの眼科の診察で、もうわたしは花粉対策のパタノールという点眼薬をだしてもらいました。早めから対策するようにと。いまのところまだ何も感じていません。花粉は辛いです、ことに眼の痒いのは。大事にしてください。
寒いのか暖かいのか分かりません。機械の前でずうっとふとももの外側が冷えています。むかしは凍えるような部屋でしたが今は煖房しています。あと三日ほど根気仕事をしないといけません。根気の要る仕事は根気を養いながらやすみやすみ断続・持続してするしかありません。せねばならぬことは、し遂げてしまうのが何よりもクスリです。
ではでは。また仕事に戻ります。
2009 2・11 89
* きのう留守のうちに、「今年は、本命中の本命にはピンクピンクピンクだそうよ」と妻が解説の、なにもかもピンクづくめのやら、今年中味のかわらないというチョコレートを戴いていて、恐縮しました。若い若い元気なやす香の親友からやす香の気持ちももろともに、また心優しい茶の湯ひとから、心つたなき七十三翁に特上のバレンタイン・チョコ、恐れ入ります。気は若返りまして相努めます。ありがとう。
前もって妻にメールも届いていた。
☆ こんばんわ 光琳
先ほどおじい様に宅急便をお送りいたしました。
明日の午前中に届きます。
バレンタインのチョコレートです☆ 届くまでまだナイショです!
その中にまーごちゃん用のプレゼントも入っています。まーごちゃんへ、と書くのを忘れました。奇妙な物が入っていると、ビックリなさるといけないので。。。麻紐で作ったので多少臭いがありますが、我慢して下さい。
チョコレートは今年一目ぼれをした一押しです☆
ほんの一口ですが、すごーく綺麗なので一緒に召し上がって下さいませ。
今日はドラッグストアで旅行の必需品を買ってきました。これから荷物詰め始めます。
宿泊予定のホテルは、インターネットの口コミで118あるホテルの内、99位でした☆ お粥を3パック持って行くつもりです。
では、荷造り頑張ります!
* 黒いマゴが、興奮して垂直にハネあがったりしています。
旅の無事を祈ります。水にあたりませんよう。
2009 2・14 89
* 京都の観光博物館の上平貢館長から、ペンの詩人望月苑巳さんから、またむかし岩波「世界」で最上徳内連載の担当者だった清水克郎さんから、湖の本にいいお手紙を戴いていた。
本に書かれている、「本当に大事で難しいのは、しかし看過できないのは『歴史を書く』ことより『歴史を読む』ことなのである。歴史を読む能力こそ、人間のものであり、人生の、社会の、民族の、人類のための羅針盤を決定することになる」という文章は、「歴史を書く」ことの本当の難しさを知っておられる先生の言葉だけに深さをかんじます。」と清水さんは言ってきてくれた。
* 古い古いつきあいの朝日のグルメ重金敦之さんから『すし屋の常識・非常識』を戴いた。この人は、「週刊朝日」時代にわたしに「京都」について書き始める絶好のきっかけを下さった。わたしの京都論・京都学のいわば生みの親で。そしてグルメ著書をいただくつどわたしは紹介されているお店でひそかに美食を楽しんだものだ、ただ残念なことにいい店も幾つも暖簾をおろした。
* 新聞にあまり親しまない、人の寄る場にも出ないため噂も耳に入らず、知らぬうちに何人もの知己に死なれていた。
倉持正夫さんもそうであったが、昨日一昨日に、小学館の会長だった相賀徹夫さんの逝去を知った。まえに湖の本をお送りしたとき丁寧な感想と礼状を戴いていたのに、今回は小学館秘書室からもう暫く以前に亡くなっていたのを報された。
相賀さんとは銀座の「寿司幸」でご馳走になったり、中国へ井上靖先生等と行った前後にもいろいろご配慮いただいたことがある。なによりも小学館で出る例えば古典文学全集全巻を贈って頂いたり、学恩といえるほどの高配を何度も戴いていた。ご冥福を祈ります。
2009 2・14 89
☆ 暑いほどです。 花
ちょっと動くと汗が出るので、初夏の服に着替えました。
花粉もきてます。
さっき、ちょっと近所に人と立ち話しましたが、三人とも、鼻がグズグズ。
花粉症の人は、今では国民の二割か三割と聞きましたが、もっといるように感じます。
さてさて、ゆうべの嵐はすごかったです。
そちらはいかがでしたか。
夜通し窓に吹き付ける雨粒の音で、あまり眠れませんでした。
春一番だったのでしょうか。
明日は、静岡市のインテリアショップへ行く予定です。花の大好きな北欧デザインのものが揃っているようなので、楽しみ。楽しみ。
風はお元気ですか。お元気で。
*だれにもいろんな楽しみがある。楽しみとは「文化」だ。たぶん黒いマゴにも彼なりにひそかな楽しみを楽しんでいるだろう、毎日。息子の飼い猫はマンションにと閉じこめられているが、わが家のマゴは、二十四時間出入り自由、各部屋に入り込めるし、庭も屋根の上も好きにしているから、わたしなどの夢にも思い及ばぬ「世間」と「秘所」とを所有しているに違いない。しっかりした楽しみを所有しているだろうと、彼のためにも喜んでいる。願わくはご近所にメイワクかけないで欲しい。
2009 2・14 89
☆ お元気ですか、風。
薬を飲み始めて一週間経つけれど、花粉の症状、かなり出ています。まだ、まだ、グズグズしているでしょう。
おっきいマスクをしてみようかなあ。風もおっきいマスクしてますのでしょう。おっきいマスクして、並んで歩きたいなあ。見た目に構ってはいられぬ、この季節ですねえ。
そうそう、昨日は静岡に行ってみたら、目当てのお店がお休みでした。ガーン。第三日曜は休みだと、確認不足でした。仕方が無いので、そこからほど近い家具屋さんへ。旧宿場の景観を残した一角にあり、古民家をリフォームした店舗で、風情がありました。中には、北欧デザイナーズチェアがわんさとありまして、大興奮。
ビルにあるショールームと雰囲気がまったく違い、家の中にこの椅子があると、こんな感じなのね、というのがわかり、おもしろかったです。
ではでは。 花
* 聖路加眼科でもらって昨年からリザベンを継投し、最近はパタノールを継投して、いずれも抗アレルギー点眼薬。おかげで、少なくもまだ何の症状も出ていないのが有り難い。
明日は、歯科。
2009 2・15 89
☆ 行ってまいります。 光琳
メールありがとうございます!
チョコレート召し上がっていただいて、嬉しいです。
本命チョコ☆☆☆
もちろんです☆☆☆
でも、どんなに素敵な方でも親友の彼は。。。
おばあ様にご安心なさって下さい、とお伝え下さいませ。
マーゴちゃんのおもちゃは、そろそろズタボロでしょうか?
カジカジしたり、爪とぎ用に作りました。
あれ。。。ネコ形です。。。魚ではありませんでした☆
先日の面白い一日のお話です。
その日は、朝から私宛にめったに来ない速達が重なりました。
その中の一つ、以前お話しした芸大の友達のヴィオラのチケットでした。
その直後、何とウチの子が勝手に電話をかけていました。
幼稚園から一緒のカリタス生、バイオリンのお稽古もずっと一緒の友達の家でした。短縮ボタンを足で押して、電話の上に立っていました。
その後、外出しました。
帰り電車に乗ろうとすると、「りんちゃん?」と声を掛けられました。
なんと、先日おじい様に「知っている?」と聞かれたあの「はく」ちゃんです。
一緒の電車の中で「はく」ちゃんの口から出たのは、先程ウチの子が電話をかけた友達の話題でした。
そしてその時私の手には、おじい様が召し上がって下さった今回のチョコが。。。
???
どこかで何かが繋がっていました。
「はく」ちゃんとはやはり幼稚園から一緒でしたので、懐かしく楽しく話し込んでしまいました。田園都市線で一人暮らしも頑張っている、と言っていました。
ブログのお雛様拝見いたしました。
最近のお雛様の物々しいお顔とは違い、柔らかく温かなお顔です。
髪飾りが繊細でとても綺麗です。
お衣装も素敵です。
やす香たちの楽しい想い出のお雛様。
愛がいっぱい詰まったお雛様。
お雛様、拝見して優しい気持になりました。
きっとやす香も、楽しかった想いをお雛様の上に置いて行ったのでしょう。
3月14日、丁度卒業式です! 卒業式はスーツです。
明日の昼の便で出発いたします。直行便ではなくローマ経由です。ローマの外を覗けないのがちょっと残念ですが。。。
現地時間で18日の朝2時に目的地に着きます。いよいよピラミッドの国に行って参ります!!!
水に気を付けて、怪我・病気のないように致します。
ちょっとならフランス語も通じる様なので、少し安心です。
明日はまた寒さがぶり返すそうです。
ご油断なさらず、お風邪を召しません様に。
行ってまいります!!! ウキウキのりんりん☆
* 無事で。
2009 2・16 89
☆ 親しい人たち 2000 6・10 「友人・知人」
* そうそう、昨日今日はいい便りがつづいたのだが、その中に、昔、丹波から母が機敏に京都へ連れ帰って、家にも戻らず清水坂下の樋口医院にかつぎこんでくれた、その樋口医院の女先生からも嬉しいお便りが届いた。本を送ったからだ。むろん昔に診ていただいた男先生はとうの昔に亡くなっているが、あとを嗣がれたこの娘先生にも、高校時代に何度も診察してもらっていた。ご健勝だろうかという気持ちもあったが、お手紙が届いた。わたしのことも記憶していただいていた。
ごく幼少の一時期、わたしは建仁寺の南門の近くの谷村という産婆さんの家に預けられていた、それも覚えておられた。その辺のご縁で男先生に診て貰えるようになったのかも知れない。父母の家からはかけ離れた松原通の樋口医院との縁が長い間よくつかめなかったのが、少し見えた。それも嬉しく、懐かしい。
中学で理科を学んだ女先生が、丁寧なお便りに添え、糖尿病のお見舞いにと「宇治上林」のお茶を送ってきて下さったのには、身をちぢめて感謝した。気っぷのいい、人気のあった当時は若い若い女先生だった、正月に友だちとお宅へ押し掛け遊ばせてもらったりした。この先生のおかげで、中学時代、わたしは苦手なはずの理科がおもしろく、沢山な基本の知識を蓄え得たと思う。
* そして今日は、尼崎から、親しい読者の引っ越しを知らせる元気で優しい手紙が届いた。昔、近くの大泉学園に住まいがあり、ご主人の転勤で北海道へ、そして兵庫県へと移って行って、また引っ越し。この、京都で大学時代を過ごした久しい読者は、豊かな学殖と趣味に恵まれていて、逢う機会にはなかなか恵まれなかったけれど、そのまま往復書簡にしたいほど文通の楽しめる、すてきな友人だった。パソコンを使っていないので電子メールが役に立たないが、知識やヒントをもらったり、調べ仕事でものの頼めたりする、そういう点ではじつに信頼できるインテリジェンスの持ち主なので、どれほど助けてもらったか知れない。作家冥利というものである。
勝るとも劣らないちからを持ったもう一人の、やはりこの尼崎の人と同年輩の友人が、いまはヨーロッパを旅して歩いている。いま機械に書き込み最中の『蝶の皿』冒頭部を飾っている修道院の回廊の写真は、その人が旅の途中で送ってきた。シルクロードへ旅して、長い旅行記を送ってきたこともあるが、上質の詩編をかなりの数美しく鏤めながらの、文学的に優れた「作品」だった。出版事情さえよければ、出して出せるモノだった。
この人も、いま兵庫県に家がある。京都大学を出ている。夫君の大学勤務につれてよく引っ越しをするのも、尼崎の友人と似ている。
* いろんな、出逢いがある。どれにもとらわれないで、どれも心から楽しんで、育んで行きたい、わたしはそういうふうに生きてきたと思う。「あなた、もてますね」などと、およそ見当ちがいなことをワケ分からずに言われることもある、が、そんなモノではない。
* 新婚旅行から、やがて、夫と住むスペインに帰って行く、もとの東工大院生もいる。もうやがて赤ちゃんの出来る人もいる。もうやがて妻を得る人もいる。みんな、幸せにと、心から祈りたい。「身内」のような大勢にこうして触れているとき、うっとおしい雨も忘れている。
フェリス女学院大教授の三田村雅子さんにもらった『枕草子の論理と構造』を、今日、かなり読み進んで、面白かった。
人も好き、本も好き、だが、言葉の貧しく空疎な、政治屋は嫌いだ。 2000 6・10
2009 2・17 89
* 鳶は
はるかなどんな國の空を翔んでいますか。メールが繋がらないかな。
昨日遅くに、漱石の『明暗』を読み終えました。昔の会社の友人粂川光樹君が、明暗の続きを大きな本にしたので、やはり原作を先に読んでおきたかったのです。原作がえらい長編で。
もともと好きな作ではなかったのです。エゴイスティックな男女の解剖じみた心理探索の五月蠅さに辟易したのでした。ところがこっちが年寄りになって若い連中のこのような五月蠅さがむしろ可笑しくすらあり、漱石の修辞と文体音楽の卓抜とで、なんだかえらく原作が楽しめてしまいました。で、かなり気持ちもむしろ開放されて了したはよいのですが、友人の試みの本が、とてもこう風通しのいいテンポのある文豪の修辞や音楽にマッチしてあとが書けているかどうか、所詮はあり得まい気がすると、漱石先生の絶筆への敬愛からも、追試の作が読みたくなくなりだして、いま、悩ましい気持ちでいます。あるのは好奇心になってしまい、それでは折角友人の労作に失礼だし、すこし原作のほとぼりをさましてから読み出そうかなと躊躇っています。
漱石は、概してイヤな感じの男を書いては、女に横面を張られていることが多い。三四郎やそれからや彼岸過ぎでも行人でもそうです。わたしが「こころ」の先生にあまり同情の無いのもそのためですが、明暗の津田という男の書き方は、漱石の筆があまり否認的でないのが気色わるい。
小林というどうしようもない無頼の友人が「津田世間の連中」を悩ましたり貧苦や境遇を金持ちヅラでバカにされたりしていますが、それは津田達が小林をいわば津田世間から観ているからで、逆に小林の視野から津田世間を観る小説かのように読み出すと、小林の不平には、漱石その人の不平ともよく重なり合うものがある。漱石は鏡花を認めているし鏡花も漱石さんを親しく眺めた物言いをしますが、この二人の妙な「男」がかかえた世間への不平は、よほど「共通したもの」があるとわたしは昔から感じています。漱石も鏡花も本質はあまり男っぽくなくて、女に嗤われたり可愛がられたりするタイプ。明暗の津田は、ぐるりと女に取り巻かれています。
ところで、こんどわたしは太宰賞に到る詳細を極めた年譜を作って校正しましたが、わたしもまた女達大勢の中で少年時代から順々に青年、大人へと成人してきたことが、分かりすぎるほど分かって苦笑しています。笑えるほど「女文化」に根を生やしています。漱石や鏡花が津田であり小林であり得たように、わたにも津田と小林とが潜んでいるのだと、かなりやっつけられそう。グァハハ。
日本でも異国でも、西でも東のほうでも、お大事に。わたしは夜寝るときもマスクをはなさず大事を取っていますが、そろそろかすかにも花粉にやられかけています。そっちもお大事に。 鴉
2009 2・18 89
* 大阪の松尾さんより、平家物語の調べ物に関連してまたメールを下さった。嬉しく有り難いことで、おかげで、一つの小説にねばって食いついて継続してゆくことが出来る。この人は、いろいろに広い才能の持ち主である中でも、平家の中でもことに特異で有力な読み本系の延慶本に関しては、在野の専門家であり、いい著書もある。頼りになる。
わたしの読者では、創作も評論も詩歌もその他研究でも自身の著書を持った人たちは、とても百、百五十人ではきかない。なにをするにしてもわたしは疎かな仕事は送り出せないし、一方では知恵や力を借りることにも便宜は多い。ありがたい。
2009 2・19 89
☆ 元気です。 鳶
今しがたHPを開いて驚きました。一昨日、わたし宛に書かれたメールがそのまま載っています。ここ数日不具合な携帯をそのままにして暮らしていたものですから気づかず、失礼しました。
体調、いかがですか。体調よろしからずとあり、その後外出されているので安心しておりますが。
漱石の『明暗』を読み終えられての感想、「エゴイスティックな男女の解剖じみた心理探索の五月蠅さに辟易したのでした。ところがこっちが年寄りになって若い連中のこのような五月蠅さがむしろ可笑しくすらあり、漱石の修辞と文体音楽の卓抜とで、なんだかえらく原作が楽しめてしまいました。」
そうだろう、そうだろうと納得したのは、こちらも年取っている証拠でしょうか?
確かに彼漱石の作中の男たちはなにやら愚図愚図して薄暗い印象がありますね。特に晩年の作品群は。と言っても今鮮明な記憶がわたしにないので断言できませんが、少なくともあまり魅力的な人間模様が描かれているとは限らないように思ったことがあります。その魅力のなさこそが人間のありのままなのだろうと思います。世間への不満も、現代のわたしたちとて大して変わりないのが実情でもあります。
「漱石も鏡花も本質はあまり男っぽくなくて、女に嗤われたり可愛がられたりするタイプ。」と書かれていますが、わたしたち女性も必ずしもイイ男やマッチョばかりを求めているとは限らないのですよ。
鴉は女達大勢のなかで影響を受けて女友達が好き、女文化を生きてきたとこれまで語ってきましたが、同時に女文化を統べてきたのは男だったと冷静に峻烈に自覚し断言しています。
女のわたしは同性を見る時、どうしても辛らつに捉えてしまいます。ああ、女って嫌! 女って「喰えない」やなど・・。同時に同性に対しては安楽、気軽と感じ、共感を抱きつつ。
鴉は女の嫌な面を見逃すはずなく冷静で、そのうえで女を優しく暖かく「貴重な」ものとみているのでしょうか?? ただしこれは愚かな質問です。
はるかな空をまだ飛んでいません。メールの日付を見ますとちょうどその日は旅行代金の支払いに街まで出た日でした。今回は思い立って個人旅行のギリシアです。三月五日の出発までに読みたい本が十冊余りもありますが、到底読めるはずもなく、幾冊かは旅
の友になるでしょう。日曜日までに描きこみたい絵が目の前にあり部屋は散らかって? います。三月一日、二日までに準備しなければならない用事も控えています。
自分が行動しているのはただ逃げようとあがいているだけかもしれませんが、その行動はわたし自身の選択と意志によるものです。幸せを無理には求めませんが、幸せであろうと努めることはわたし本来の資質と傾向だろうと、これは「あたりまえ」の話です。
「命長ければ辱多し」とも分別しながら、尽きぬ想いをなお捨てられないわたしは「飽かず惜しと思はば千年を過すとも一夜の夢の心ちこそせめ」という状態でしょう。
昨日偶然目にした北村太郎の詩
朝の水が一滴、ほそい剃刀の
刃のうえに光って、落ちるーーそれが
一生というものか。不思議だ。
という直感・直観。時間感覚・時間観念の突出、そして覚悟に似たものから、わたしはまだまだはるか離れた距離に佇んでいます。
お風邪ひきませんよう、花粉症の症状軽く済みますよう。元気に元気に。
* 北村太郎の詩、東工大の教室で、このまま三行目一生の「生」を虫食いにして出題したことがあった。教室の半数近くが「一瞬」と読んだが、それではぜんたいがただ何かの説明になる。まだしも「一閃」が佳い。「一日」という批評もわるくないと書き残している。
こういう人生観を肯定するかと尋ねると、学生の一人が、「詩人は「すこし気取っているのでは」と指摘した。
* こんな時節にも職場を変え、博士論文を書き上げて新たな教職にもついて人生の進路を自力で切り開いて行く人がいる。「mixi」でしりあった東工大の、私のいた頃より少しあとの卒業生、女性。励ましを受ける心地。元気に新天地を開拓されるように。
2009 2・20 89
☆ 春めいて 泉
初めて買ったジャスミンの鉢植え、下駄箱の上でやっと薄紅色の可憐な花が咲き初めました。マーガレットや花かんざしと同じ程、好きな花になりました。
今日は田無やあちこちを自転車で快適に走り、汗ばみました。
先週、都美術館でウイリアム・モリス展を観たついでに東博本館に立ち寄り、お雛様を観てきました。江戸時代に流行して多く作られた古典雛、飛鳥時代の仏像の様な面長に古色の衣装は郷愁を感じさせます。他のお雛様もすべて京風(女雛が向かって左側)に鎮座させているのも、顔を綻ばせます。
上野の染井吉野、微かに色を感じさせ、今年も開花が早いのではと想わせました。
* 春がそこまで来ているようだ。
2009 2・22 89
☆ 昨日、無事に帰ってまいりました。 光琳
3日間という短い時間でしたが、エジプトたっぷり満喫してきました。
文明と文化に良くも悪くもいろんな刺激を受け、少し成長して帰ってまいりました。
お誕生日メールありがとうございます!
日本時間で換算すると、お誕生日を迎えた瞬間はローマにいました。
お誕生日は、クフ王のピラミッドの中に入ったり、ラクダに乗ったりと普段出来ない貴重な体験をする事が出来ました。
現地の人々にケーキやプレゼントをされたりと、一生忘れられない一日になりました。
ピラミッドですが、周りはやはり砂 砂 砂!!!歩きにくかったです。
それよりももっと大変だったのは、ピラミッドの中でした。
ただでさえ空気が薄く息苦しいピラミッドの中なのに、急な階段を身を縮めて登ったり降りたり。。。息切れをしてたどり着いた王室は感動でした。
何もない意外と小さな空間なのですが、あの大きな四角柱の中にこんなに上手く空間を作り上げた人間業には驚きです。
カイロ・ギザ以外にも、頑張ってルクソールまで夜行列車で足を延ばす事が出来ました。
カルナック神殿、すばらしい迫力でした!!!
今でもそこに権力があるかの様な威厳があり、そしてその広大な建物にただただ感服していました。
昔テーベと呼ばれた都ルクソールは、カイロと違い柱がとても印象的でカイロよりも都の原型を留めていました。
数年前にテロの起きたハトシェプストにも行ってきました。
他とは少し違いさっぱりとした印象を受けるこの神殿は、過去にそんなテロがあった事など微塵も感じさせない程神殿は堂々と建っていて、また観光客で賑わっていました。
文明は本当に素晴らしく、人間が作ったとは到底思えないものがほとんどで、感動の連続でした。
しかし、エジプト自体は私には合いませんでした。。。
まず空気が汚いのに驚きました。
砂の国なので少々砂で息苦しいのは我慢出来たのですが、砂ではなくガソリン臭いのです。どこに移動するにも車を使い、交通ルールなどなく、常にカーチェイスの様な運転をしていました。綺麗な車など一つもなく、多くの車が事故でどこかしら壊れているものばかりでした。
また、観光客を見るとお金を沢山取ろうとしかけてくるのです。いわゆるぼったくりです。何度その事でケンカをした事か。。。イスラム教には喜捨の慣習があるのでしかたのない事、と考えてもやはり腹の立つ事です! 平気な顔で嘘をつくのも。
お店に行っても値段の表示がなく、いくらか聞くと普通の値段の3倍は平気で言ってくるのです。
もちろんお国が観光でなりたっているという事は理解しています。日本の様な先進国のせいで苦労している事も理解しています。
でも嘘は、ウソです!!!
今回の旅では意外なエジプトの実態を身をもって体験しました。
大変で、他にも嫌な思いをしましたが、それを乗り越えたからこそ思い出に残る素晴らしい旅になったと思います。
過去の素晴らしい文明と、今の意外なエジプトの文化、今回の旅では多くの事を覗いてきました。
でも一番学んだのはケンカの仕方かもしれません。
いろいろあったけれども、無事帰って来られた今は心からエジプトに行って良かったと思います。
写真は第二ピラミッド(カフラー王) と、カルナック神殿の中を写したものです。
追伸
早朝、ニュースを見て驚き、鳥肌が立ちました。カイロでの爆弾テロ、ショックです。
観光客の良く行く繁華街に私達も19 日に立ち寄り、買い物をしていました。テロの前日21日に無事カイロを出発しました。
お世話になったエジプトの方々が無事かとても心配です。
亡くなった方のご冥福を祈ります。
* 大学を卒業記念の旅。過不足のない、目に見えるような、肌に迫ってくるようないい旅行記。妻と楽しく読んだ。無事でよかったね。
* わたしの娘は、大学の入学祝いに、中国にやった。尾崎秀樹夫妻ら「歴史と文学」の同人達の中へ、尾崎さんの娘さんら同世代が三、四人加わった。わたしは同人ではなかったが、長編の『風の奏で』をこの雑誌に二回分載したことがあり、一緒に行きませんかと誘われていた。代わりに娘をと、お願いした。
そういえば銀座の「きよ田」で、人に、娘なんかには「過剰サービスですよ」と言われたほどの鮨店でも祝ってやった。いまはない「きよ田」は、伝説的なみごとな鮨店であった。わたしが最初の中国訪問から帰国した打ち上げの食事会の後、同行した辻邦生さんが、井上団長をのぞく他の一行を「きよ田」へ連れて行ってくれた。
その以降、怖いモノ知らずのわたしは、よく「きよ田」で食を奢った。妻も連れて行った。店主が病気で店仕舞いになったあと、ながく、寂しかった。
2009 2・23 89
☆ 春雨 泉
朝、目覚めないでそのままに、なんてのは誰もが願う終末ですが、人生そう甘くない筈。何かとイヤな事もあるでしょうが、楽しい事ばかりを念頭に、日々ホンワカとお過ごしくださいますように。ストレスが現代人には大敵。
はいウオーキングします、というのは嫌いで、先ず、ささやかでも楽しみを先に見つけ、歩きはそれに付いてくるので、無理がありません。
固有名詞が即刻口に出て来ない昨今、心身共に人様の世話にならない状態で、八十台を向かえたいと思い、その努力も必要かと。
* ここでメールが切れると説教されているだけだが、あとにこの「八十台」をもう眺めているおばあさん、愉快なナイショごとを書き並べていて笑わせる。亡くしたやす香が、「笑う」のが佳い、笑いたい、笑っていたいとよく言い、よく書いていた。わたしもこれでアハハと笑っていることの多い方か。
☆ メールありがとうございました。 薫
やっと実家でPCを使えるようになって、なおかつ、今日も先生からメールをいただいて、嬉しくなって、またまたメールさせていただきます。
先生のお陰で委員に入れていただき、多くを学ばせていただいています。いつも残念に思うのは、「著者略紹介」が秦先生のような名文でないことです。「湖の本」から、なるべく名文に触れて、その呼吸を自分のものにしたいと、欲張りなことを考えながら拝読させていただいているのですが、こればかりは、生まれ持ったものでしょうから、無い物ねだりですね~。
お目はいかがでしょうか?
私は、昨秋の検診で、眼科の要精密検査になりました。実は、1年の間に、視力が1.5から0.5まで下がってしまっているのです。今週中には、白内障と緑内障の両親を連れて、必ず眼科に行くつもりです。
どうぞ、お大切になさってください。
最後に、余談ですが、あるひとから、ある「悪女会」の会員にと勧められました。その「悪女会」のモットーは、右手に仕事、左手に男、背中に子供、ふところにお金だそうです。
私は両手に仕事で、背中には老いた両親、ふところは寒風・・・。なので、入会資格さえありません。(いくら憧れても、毒婦にも、悪女にもなれない・・・。トホホ・・・です。)
お目にかかれる日を心待ちにしています。(先生のお優しい笑顔は、いつも浮かんでいます!!) では。
* 大学のお勤めもたいへんな時節だと想われる。お怪我無くと祈る。
☆ お元気ですか、風。
こちらは昨夜から雨が降り続いています。冬の乾いた空気には、いいおしめりです。
東京はいかが。
今日は英語のあと、スペインレストランで歓迎会でした。ワリカンでしたけどね。こぢんまりしたお店で、おいしく、店員さんたちのサービスもよかったです。
きのうは、市の年に一度の国際交流イベントに、ボランティアで参加してきました。水曜の英会話の先生がオランダ人でして、日本・オランダ交流会をなさっているのです。市内に居住している外国人の多くは、韓国、中国、フィリピンなどアジア、ブラジル系が主だと思われます。
天候に恵まれ、会場も駐車場も広いところで、大盛況でしたよ。花も、チーズを販売したり、スタンプを押したり、パンフレットを配ったりしました。
さてさて、うちの小さな床の間に、もう二年近く同じタペストリーを飾ってい、替えたいなあと思っていたのですが、何を飾ろうか決められませんでした。でも、決めました、てぬぐいに。
タペストリーとして飾れるように、上下を棒でとめて引っ掛けられる道具をひとつ買っておけば、手軽に模様替えができます。
昔ながらの柄もあれば、モダンなデザインのものなど種類は豊富で、選ぶのも楽しみ。
風、お仕事に集中しているのでしょう。お邪魔したかな。
ではでは。元気な 花より。
* こういう空気の流れ込むのを、鬱陶しさをかかえた老境は、若い、すこしたわいない心地で歓迎している。顔の見えないメール世間では、若くなっていようとすれば若くなっていられる。ビタミン剤を頬張るようなもの。感謝している。
わが家にも、そんな気持ちで飾るなら飾れる手ぬぐいや風呂敷が幾らもある気がする。喜んで下さるなら、上げたい。
2009 2・23 89
☆ 近親の死 敏
2月もあとわずかとなりますのに、まだ、寒さが続いておりますが、お変わりございませんか。
この2月は、私どもでは、又色々ありまして、私の父の一番下の叔父が、80歳で、入浴後、心臓の病で他界しました。父も、やはり寒さの厳しい1月に、入浴中に、心不全でーー、同じ年齢でした。告別式に、行って参りました。
幼い頃、祖父母も叔父たちも同居しておりましたので、懐かしい思い出が沢山あります。映画や放送局にも、連れて行ってくれました。兄のような存在でした。
今日、アカデミー賞を受賞した、映画「おくりびと」を、昨年10月に見ましたので、叔父との最後のときの事を思い出しました。叔母が、皆さんの前で、心の優しい人でしたーーと、涙をながしながら、挨拶していました。私も涙が何度も出てしまいました。私の弟、妹もーー。いとこたちもーー。
でも、最近の私は、父も母も、近くにいてくれるような、気が致します。今月、私は又年を重ねましたが、今までの人生の体験は、様々で、つらかったことも、皆、大切な学びだったように思います。感謝しながら、又次の段階に成長できるようにと、常に豊かな心で進みたく思います。
数日前、近くの絵の仲間と、雪の奥日光にいってきました。湯の湖は雪で白く、周囲の山も木々のバランスも美しく、スケッチしました。中禅寺湖も、山と光が美しく、しばらく見て写真をとりました。湯元では、かまくらの中の氷の彫刻も見られました。
又、長くなり申しわけございませんーー。どうぞ、ゆったりと、お過ごしになられますようにー。
* 精神はまずまず「ゆったり」しているつもりでも、時間の不足を横目にすると時に落ち着かなくなる。
「花」さんからは海外の食べ物観がバラエティに富んで昨日書かれてきていたが、それもわたしに「どうぞ、ゆったりと」という励ましなのだろう。で、「時事問題」についても批評をと、メールした。折り返して。
☆ 「おくりびと」は観ていないのです。 花
滝田洋二郎という監督の映画はいくつか観たことがあり、どれもあまり感心しなかったのです。
今回の映画の扱っているものは、トレイラーなどで、なんとなく知っています。よいものに仕上がっているという期待を込めて、テレビで放映される折には観ます。
日本人の死への穢れは、とても根深いもので、誰もが口にしづらいことを、メジャー映画で扱ったのはえらいと思います。そして、そういうものを扱うからこそ、製作に関わるみなの姿勢が自然と真摯になったのかも知れません。
> そして事実そのような工合にこの問題が、この先々平穏に文化的に日本人の社会と生活とのなかで「落ち着く」ものかどうか、
>その辺に、また別の日本人に対する批評の刃が突き出されてくるだろうと想っている。
風のいうとおりです。
映画の内容とは別に、報道のありかたについては、首を傾げます。
今回「おくりびと」が受賞したのは、「アメリカの」アカデミー外国語映画賞であるのに、「世界で評価された」と大声で叫ぶアナウンサーがいたり、カンヌやベネチアなどの映画祭で日本映画が受賞したときより、報道時間も扱いも大きかったことは、アメリカナイズされた戦後日本を見る気がしました。
アメリカに住んでいるアメリカ人の中には、アメリカの出来事を話すとき、「world」という単語を使う人がいます。
「world」と言うから、当然全世界のことだと思って聞いていると、挙げられるのは、ケネディ暗殺、ニクソン辞任、など、すべてアメリカの出来事なのです。
アメリカのピープル誌が毎年「世界で最も美しい50人」というランキングを発表しています。しかしこれは正確には「アメリカで最も美しい50人」です。 50人すべてが、アメリカ人、あるいは、アメリカで活躍している人(たとえばニコールキッドマン)だからです。「アメリカ」と言うべきところを、「world」と言うところに、パクスアメリカーナ的な考えがこびりついているアメリカ人の驕りが窺えます。
アメリカが大国で、アメリカの一挙手一投足が全世界に影響したのは確かですが、今は違ってきています。
もはやアメリカが世界ではない。
いえ、以前から、世界はアメリカだけで成っているわけではなかった。
米アカデミー賞とは、あくまでアメリカ国内の映画の祭典であり、カンヌやベネチアなどの国際的な映画品評会とはまったく質の異なるものです。
アメリカ人は、外国映画なんて観ない人がほとんどなのです。「おくりびと」の受賞で、日本人は大喜びしたけれど、おそらく、現地ではあまり注目されていないことでしょう。
アメリカがアカデミーの祭典に湧いている時、そんなことまったく知らず、生きるために戦っている人の国がある。それら内戦や飢えをもたらす形で、おそらくアメリカは関係しているでしょう。
そして、実はアメリカ国内も、似たような問題を、「移民」という形で抱えている。
しかし、状況は変わってきていると、わたしは感じています。
最も注目される「作品賞」を、イギリス映画が獲ったことにも、その一端の見える気がします。(インドが舞台のイギリス映画だけれど、言語が英語だからか、「外国語映画賞」ではないのですね。)「作品賞」を獲得したのは、ダニー・ボイルという、低予算でとてもセンスのいい映画を創る監督の作品です。
「作品賞」に外国映画がノミネートされること自体異例でしたが、米アカデミー賞は、「作品賞」ノミネートに、獲れそうもない映画をひとつ入れておくのが常だったので、気にしませんでした。
が、その数合わせと見做していた映画が、「作品賞」を獲得したのです。これは、大きな変化であり、アメリカ自身への批評ではないでしょうか。
昨今の創造力欠如ともいえるハリウッド不況は、アメリカ国家の衰退とへその緒で繋がっているのではないかと想われ、それに気付くアメリカ人が、以前より多くなってきているのです、きっと。そう思いたい。
米ポピュラー音楽の祭典「グラミー賞」でも、今年のノミネートは軒並みイギリスのミュージシャンでした。
ま、映画は映画。今回のアカデミー賞は、トレイラーを見た限りではどれも力作で、早く日本に紹介されないかな、と、楽しみにしています。
ではでは。
* 若いほのぼのとした主婦だけれど、目配りや勉強も怠っていない能ある鷹のメールである。
2009 2・24 89
☆ 春は名のみの… ゆめ
週末には3月になりますから、少しは暖かくなって欲しい所ですけれども、東京では案外3月になってから、雪降ったりしますね。ここのところ、何回も風邪をひいたり、団地のいざこざに巻き込まれたりして、散々な私でした。(仕事も朗読も休まずにいっております。)
一月は誕生月だったので、千駄ヶ谷「五万石」にいってきました。お昼の「おまかせ懐石」でしたけれど、これがほんとうに美味!! 突き出しの「ブリ寿司」(鰤をこうじにつけたもの)にはじまり、「鰤のおつくり」など。とても感激したのが、目にも美しい「かぶら蒸し」で、温かく繊細なお味でした。どれも富山湾・氷見直送の品々で、海の向うに聳える銀嶺の立山連峰を想いつつ、しみじみ戴いたことでした。
いただいた『いま中世を再び』、職場にもっていって、昼休みに少しずつ勉強させていただいています。『湖の本』をいただくと、まず「私語の刻」から読み始めるのですけれど、先生おげんきでいらっしゃるなあ、と安心します。
* 「五万石」は国立能楽堂の帰りに一度立ち寄って美味しかったので、能登にぞっこんのこの人にもメールで教えておいた。一度いっしょに行っても佳いなあと想っていた。ここしばらく千駄ヶ谷を敬遠しているが、一度また行ってみたい。
2009 2・24 89
* 多年の友の持田夫妻からおてがみで、ちかづく金婚を祝って戴いた。栃木から巨大なほどの苺「とちおとめ」を、また所属学会の会長さんから四国のみごとな文旦を頂戴した。感謝。
* 帰宅後もゆるみなく、仕事した。しかし、もうやすみたい。
2009 2・25 89
* 梅はすぎゆき、桃。
桃の、満開に色匂うのをみたい。そういえば、湯島の梅がきれいでしたとケイタイから写真を送って呉れていた人がいた。
2009 2・26 89
☆ ワーニヤ伯父さん 箭
華のん企画の「ワーニャ伯父さん」ご覧になったんですね、いいなあ、私もみたかった!! 木場勝己さんの「ワーニャ」とても評判ですね。チラシを見ただけで、その雰囲気伝わってきましたもの。
知恵豊富なチェーホフ様のこと、私も非常に敬愛しております。でも、チェーホフ作品って、みたあと必ずため息・・ですね。
先生の劇評大変興味深く拝読しました。
私の朗読の時間はいま森鴎外の「山椒太夫」です。10人で群読します。親不知子不知の所、安寿が厨子王を逃がすと心に決め、山に登る所、京に上った厨子王が清水寺で関白師実と邂逅する所、の三箇所のくだりを読みます。(浪の効果音も一箇所)声を出しているといつのまにか、由良の光や風、、鳥の声までが聞こえてくるようです。
* いい舞台の余韻が今日もずうっとのこっていた。
2009 2・26 89
* 三月を待って、なぜこんなに緊張するのか。
☆ は~い おはようございます。 ゆめ
「山椒太夫」楽しんで勉強しています。春になったら、北陸、小浜から小浜線にのって西舞鶴へ、そして北丹後鉄道にゆられて丹後由良の地へ行ってみたいなあ、と想っています。
「えいさらえい、えいさらえい」と三郎が父の首を竹鋸でひかされたという、首切りの松もあるそうですね。
もう少し暖かくなって、五万石に北陸の春の味覚の届いた頃、ぜひ。先生もどうかおげんきで頑張ってくださいね。
では、これから仕事にいってまいります!
2009 2・28 89
☆ 押し掛け老女弟子の傑作 2000 7・25 「人付き合い」
* 九十一、二歳になる老女の読者があり、文藝の篤志高齢者たちの同人雑誌に、創作や随筆を毎号寄稿されている。
その最初の頃から、この「押し掛け弟子」さんは、きちんきちんと批評を請うてこられる。ま、わたしからは母親の年に当たる人で、丁寧に見続けてきた。とうに亡くなった夫は映画監督であったと聞いている。この人自身は歌人であったかと思われるが、昔のことは知らない。巧みに実情の和歌を手紙に添えてこられる。
この老女、書かれるものが、陳腐で稚拙な素人の作文ではない。かといって円熟の老境を渋く表現した枯れた作品でもない。
女の家へ、女友達の「訪ねて行くわ」という、もう近くからの電話があり、女は男を大急ぎで寝床から追い出し追い帰して、かろうじて鉢合わせを免れた。だが女友達は、女が茶菓の用意などしているうちに、「温もり」の残った女(たち)の寝床に横たわり、そして女に「今まで寝ていたの」と聞くのである。
二人とも離婚してきた。女は、いつか、新しい男を家に迎え入れる暮らしになっているが、この女友達には話していない。
女友達の方は、べつの女と出ていった夫がその女に死なれて、また「元の鞘へ戻りたい」と言ってきている。男の親たちも、それを望んできている、という。女友達は、女の寝床で、顔を隠してしばらく泣いていたらしいが、元の夫を受け容れようという気に「今、なった」ことを女に告げるのだ、女(たち)の寝床の「温もり」に触れて、女友達は自分の体に「まだ」残っていた「女」を自覚したと言うのである。
女はそんな告白を聞きながら、今の今、寝床から追い帰した男のことを考えている。
なにが「温もり」なもんかと思う。男は、ただただ「女」を求めているだけで、温かい配慮も情愛も持っていないと思うのだ、女は、女友達が帰っていったあとで、彼女の前には男も寝ていた寝床から、枕をつかんで壁に叩きつけるのだった。
* これだけの話が、そう、原稿用紙で十枚ほどにきちっと書き上げてある。文章も作為も技巧もじつに若い。わたしなんかの、とてもよくするところではない。今今の四十代女性の作と聞いても疑わない、根底から若い文章で、そつがない。かなりの作品を読んできたが、これまでで最高の出来に感じた。ビックリした。もう一度言うが、とうに九十歳を過ぎているおばあさん新作の小説である。
* 小説より長い「随筆」も面白かったが、この人、辛辣な批評家なのである。ピンからキリまで世相の批判で、なかなか軽妙に書けていて、何度も吹きだした、朗読するのを聞いていた妻も吹きだしていた、が、もしこれが「顧みて他を言う」ばかりの「評論」調でなくて、なによりも自分自身の「述懐」「自己批評」を通じて人生を顧みるていの文章に成りえていれば、この人の高齢と知識と見聞の広さ深さからして、平成の『女徒然草』が可能になる。辛口が外へ外へばかり向いてしまうのは、賢い証拠でもあるが、深度が浅くなる。「そう思いますよ」と、小説はしっかり褒め、随筆には苦言を呈して手紙を上げた。手紙はまだ届くはずもないのに、ホテルオークラ製の、いかにも糖尿病患者を心配したらしい野菜のスープがどっさり送られてきた。
このおばあさん、今でも、「友だち」とお酒を飲みにお店に行く。男友達なのである、たぶん。わたしの「秦文学研究会」に、男友達を誘ってきちっとした和服で参加されたこともあった。
わたしも妻も、心からこの人を敬愛している。いつまでも健筆を楽しんで欲しい。 2000 7・25 「むかしの私」より。
2009 3・1 90
* ロスの池宮さんからお祝いの電話。
2009 3・2 90
* 表紙を責了に。京都美術文化賞の選考日について事務局の問い合わせも来た。有り難い手紙も届いた。差し出しの人は、雑誌「歴史と文学」に、長編『風の奏で』(原題・平家擬記=へいけもどき)を書かせてくれた作家。
☆ 前略 明
凄い文章を拝見しました。 あれほど力があり含蓄に富む文章をかつてみたことがありません。「湖の本」46のとりわけ「中世を読む」 ただ呆然といったところです。何度生まれかわっても、品のない考え方しかできない自分には、とても書けそうにありません。
それと。「寄合」についても、たいへん刺激をうけました。中世と会所ということはこれまでにも時々言及する文を拝見しましたがその根底に寄合の思想が流れており、それが時世の思潮として文化の形成に大きく寄与しているという指摘は ほんとうに眼からうろこでした。
あのお原稿にはほとんどふれられていませんでしたが、中世は宗教にとっても大きな曲がり角になっていると思います。そんな時代を背景にして蓮如が画期的な業績を残しますが、その蓮如が寄合というものを非常に重視します。いままでその意味するところがよく分りませんでしたが、先生のご指摘を受けてだいぶ氷解したような気がします。
いずれにせよ、日本史を学ぼうとすれば、中世は一番のキーポイントなのではないでしょうか。鎌倉や平安はまだナマ煮えの感が強いです。私も病気などで七~八年、リタイアしてきましたが、右のような観点から先生の著作などを参考にあらためて勉強しなおしてみたいと思っています。鎌倉仏教に対する疑問もここのところ膨みつつあります。
文章はとても及びもつきませんが、せめて考え方はできるだけ先生の跡をついていくつもりです。
終りになりましたが、「湖の本」ご恵贈ありがとうございました。 二○○九・二・二十八
* 仕事をしておいてよかったと思う。「いま、望まれる「中世」の再評価」と副題しておいた。三十五年前に「国文学・解釈と教材の研究」に書いたときの原題は『隠者不在』であった。今度「中世を読む」と改めておいた。
副題とともに、わたしの希望は、この労働者受難の、いや無自覚の時代へ檄を送りたかったのである。「いま、中世を再び」と本一巻に題した気持ちが、この時代に少しでも伝わって欲しい。
2009 3・3 90
☆ 鴉に
花粉症、いかがですか。天気予報では今日は関東には雪が降るとか,体調くれぐれも留意されますよう。
状況が推測でき、また最近書かれたものからどのような思いに衝き動かされているか、いつも気に懸かります。痛ましいとわたしが書くのはいっそ失礼になりますが許してください。どうぞ堪えてください。苦虫噛んで為すべきを為し、三月を通り抜けてください。
目をつむると星のような心地・・目をつむると星にもなり、太陽にもなりますよ。ただしまだ星になってはいけません、鴉も鳶も。
二日前ワインを飲んだら、それも、殊にワインには弱いので体調を宥め確かめつつ舐めるようにして飲んでいたのに、貧血になって少し意識を失いました。よく分かっているのですが、視界が薄暗くなり意識を失っていく時、ああ死ぬ瞬間はこんな状態かなどと毎
度の愚かな感想をもちました。
明後日出発です。まだほとんど準備もしていません。パスポート、クレジットカード、現金。あとは何とかなります!今回はシンガポール経由で帰途(娘夫婦の暮らしている)そこに立ち寄りますので、今月いっぱい留守します。
春のギリシア・・ずっと昔、半世紀近くも前、ギリシアの春という映画があったと思います。ポスターの少女、微かな胸のふくらみの少女に切なく共感しました。以来ギリシアには春に行きたいと。笑われそうな感傷にすぎませんが。
昨晩はBSでアトス山の修道院を見ました。女人禁制が厳格に守られていて、勿論行くこと叶いません。今回はアテネ中心に中部とペロポネソス半島を廻ると思います。
クレタなどの島めぐりはいつか・・に残しておきます。あるいは見果てぬ夢は見果てぬままに。
今日は荷物の点検、家の掃除、整理など頑張ります。 鳶
* 海外へ海外へ旅する人が多い。どうか無事で。
☆ 桃の節句 泉 e-OLDハナコ
ちらし寿司を作り終えたところです。
これから医院(定期検診)や買い物の予定あり、パソコンからまた送ります。
雪は積もるかしらね。
2月28日河津桜は散り、伊豆高原の桜並木は満開でした。染井はこれからです。
* もう暫くは、わたしに春来ない。
☆ 秦先生 馨
年始のご挨拶を、などと思っているうちに寒中は過ぎて立春が来てしまい、ついに桃の節句になってしまいました。
mixiから距離をお取りになったり、ホームページの更新を止められたり、その後も公開内容は控えめになさったり、と、人なみでないことが起きていらっしゃるのでは、と案じております。
ひとの思いという目に見えないものを、四角い場所に持ち出そうとすると、本当に心が消耗します。我が家の裁判騒動も一進一退。その間に母が少しずつ老いていっているのが手のひらに感じられるだけに、先生のご疲労を心底心配しております。
どうぞご自分を、奥様を、おいたわり下さいませ。
言っても言わなくてもわかる人はわかりますし、言っても言ってもわからない人にはわかってもらえない。裁判を通して、もし「わかる」ということがあり得るのなら、それはお互いに気持ちを理解し合うということではなく、「お互いに違う世界に生きているにすぎない」ことをそれぞれに理解し合うというだけのことのような気が、最近しています。ただ、先生の場合は、それを、愛情を注いでお育てになられた娘さんとの間で行わなければならないということが、さらにまたお気持ちを重くさせていらっしゃるのだと思いますが・・・。
先日、ふとしたときに、主人に対し、「十年以上ともに暮らしているこの人を私はどれほど知っているだろう」と思ったことがありました。この思いは今に始まったことではなく、ときおりよぎるものなのですが。
子ども達に対しても、なぜかいま同じ家に暮らして親と子という関係でお付き合いしていますが、それだからと言ってこの子達の存在すべてを自分のものとすることはできるわけがないという深い思いが流れてきて、ふとこれが秦先生の「島の思想」なのだろうな、とすとんと落ちました。
だからこそ「橋を架ける」という作業が大切なのでしょう。けれど、育児という橋は、ある時は堅牢で、ある時は輝いているのに、ほんの些細なことで薄汚れて見えたり、メンテナンスにやたらに時間を取られたり。
でも、やはり三人の子を持って初めて「母であること」に厚みが出てきた気がしています。
いま話題のモックンこと本木雅弘さんと結婚された内田哉也子さんが、かつて、すばらしい文章を書かれていました
「お腹の中に赤ちゃんができた時、町中を歩くと世の中の妊婦の多さにびっくりした。その子が生まれて、公園デビューをした時、これほどの幼児が公園で遊ぶのかと感心し、ニュースでこどもの悲惨な事件を見ては、まるで自分のことの様に絶望する。人が生まれて成長する過程を目の当たりにすることによって、自然と世の中に存在する人や事柄に心が開いていった。人として、人を育てる以上、もう『他人事』という感覚そのものが薄らいでいくのだ。こどもを介さなくとも人間の営みを慈しめるだけのふくよかな感性を持つ人は世の中に沢山いる。(略) けれども、私の場合は文字通り“体当たり”を通して、ようやく生きていく上での柔軟体操ができていたように思う。」
私の感じている「母であること」の過不足のない完全な説明です。素敵な女性ですね。
湖の本も、ゆっくりと読ませて頂いています。
佐々木道誉について書かれたものがとても興味深く、考え考え読んでおります。
中世というものが古代から近世への黎明期ではなく、むしろ武家社会への抵抗の時代というご指摘には、目の覚める思いでした。時代が動いていく時には、そしてその動きが一時にならないときには、むしろそこに抗う力が働いていたと考えるべきなのは、教えて頂けば当然すぎるほど当然な考えなのですが、時代の表面的な流れのみにとらわれて見ていると全く気がつかない視点でした。
中世の都に住んでいながら、仕事では不思議と中世を迂回することが多く、はなはだ不勉強な私ですが、そんな私でもいろいろと考えていきたくなるご本です。
先生のお優しいお言葉に甘えてまた歌をお送りします。
少しずつ少しずつ作っていくことが生活の一部となってきているようです。
長い文章を書く時間を作れなくとも、一瞬の思いを手の中に掴める感覚が楽しく、まだまだ続けていきたいと思っております。
またしても長いメールとなってしまいました。
ご体調の思わしくない先生に申し訳ないと思いつつ、先生へと書き始めると止まらなくなる自分がおります。すみません。
三月になったのに、まだまだ寒さが続くようです。今夜は雪だとか・・・。
どうぞお体をおいたわり下さいませ。
—————————
日だまりに弓張り月型六十本の爪切り終へて林檎煮る午後
冬の湯の生みたて卵の包まるるごとくタオルにつぶらな笑顔
喧嘩後に夫(つま)への非難をぼそと言ひし娘はいつしか仲間になりけむ
わが肩を持ちし娘に夫(つま)は言ひぬいつまでも母の味方ならせよ
七草の明けて冬陽にぬくもれば人赦しやすき心地となりぬる
「気をつけて」祈りのころもを着せかけて子を見送りし朝の半月
天命を知らずに逝きし姉といま語り合ひたき母てふ言葉
たまゆらの光に包まる 我が家には心毀れし人なき幸運
名を呼ばれあたり見回す八ヶ月の吾子はそろそろ家族になりしか
氷雨の日 青空色の玻璃壺の桃の光は辺りを払ひき
九度目の雛を背伸びで飾りゐる三人の子の春の手ざわり 馨
* なんと嬉しいメールだろう。
そして歌、たくさん。
歌はどんどん作っている内に、いつかサマになってくる。主婦や母親は個性的に生活しているから、詞藻の増殖もはやい。
原作に手を加えず、半分近く選んでみた。短歌の物言いにしようとし、かえって間違えた用語・用法もまだ見受けられるが、確実に歌が出来てきた。「聞馨集」と題し、わたしの機械にすべて保存してある。
同人誌はすすめない。あまりに雑然としているから。美術と同じで傑出した作になじんだ方がいい。可能なら、近代現代をふくんだ手頃な詞華集か、近代の優れた好きな歌人の自選集を身の傍に、ただ置いておくのも力になる。わたしの著、『愛、はるかに照せ=原題・愛と友情の歌』や東工大での例の虫食い『青春短歌大学』上下巻は、愛読に十分耐えると思います。
このホームページの中の、「e-文藝館=湖(umi)」詞華集には、安心して読める先達の歌集がたくさん入っている。いま念のため点検したが、大先達のも、今日のキャリア歌人の寄稿も、いいと思います。深入りしなくてよく、ふーん、フーン、こんなふうに言えるのかと納得するのが面白ければいい。文法まで気にし始めたなら、時制(テンス)にかかわる助動詞・助詞にだけでも気配りが利けばいい。
* 「言っても言わなくてもわかる人はわかりますし、言っても言ってもわからない人にはわかってもらえない。裁判を通して、もし『わかる』ということがあり得るのなら、それはお互いに気持ちを理解し合えたということでなく、『お互い違う世界に生きているにすぎない』ことをそれぞれに理解し合うというだけのことのような気が、最近しています。
ただ、先生の場合は、それを、愛情を注いでお育てになられた娘さんとの間で行わなければならないということが、さらにまたお気持ちを重くさせていらっしゃるのだと思いますが・・・。」と。
前も、後ろも、まことにその通りなんです。ありがとう。
☆ その日 光琳
こんばんは!
その日は、もう伺う事に決めていました!
卒業式には母と姉が来てくれます。姉はまたすぐ研究室に帰ります。母も、すぐ帰宅します。喜んで飛んで行くつもりでいました。よろしくお願い致します。
その日、なんと私は0時からフランス映画を観に六本木ヒルズに行きます。翌日の朝7時まで3本立てです!! フル活動日です。
先日、日本酒を頂きました。
一番北の地酒だそうです。北海道の増毛“国稀酒造”のお酒です。増毛町の近く、留萌という所の方に送って頂きました。
2本頂いたのですが、1本はご厚意で姉が研究室で飲みました。
実は、我が家、日本酒が飲めないのです。私と母はワインかビール、父はビール1杯が限度、唯一日本酒が飲める姉も少々。どういう訳か、大酒飲み一家と勘違いされ送られてきました。
どうしましょう??? と。。。
あっ! おじい様がいらっしゃる!!
箱の横に落書きがされていますが、箱から出しておじい様にお見せして下さい。
折角のまごころを頂戴したので、お好みかどうか分かりませんが、召し上がって下さいませ。近々宅急便でお送り致します。
エジプトのテロでご心配を掛けたお詫びではありませんが(笑)
卒業式壇上に上がります。
後姿に気を付けなければ!!!
多分ご存じでしょうが、首席ではありません。ウフッ♪
花粉がきつくなってまいりました。お互い大事にいたしましょう。ティッシュが手放せない 琳
* なんと嬉しいメールだろう。ありがとう。
2009 3・3 90
☆ 第 25回平和の日兵庫・神戸の集いに参加して 直 ペン会員
秦先生
本日、神戸で行われた「第25回平和の日兵庫・神戸の集い」に参加してきました。
ペンクラブの行事に初めて参加したことになります。
ペンクラブ会長、兵庫県知事、神戸市長の挨拶に引き続き、4組の対談が始まりました。
この集いがどういう位置付けにあるのか、もうひとつ理解が足りないのですが、対談の内容もそれほど感銘を受けるでもなく、有名作家のお披露目的な色合いが濃いと感じてしまいました。
一般の方にペンクラブとは何をする団体かをアピールするという目的なら、それなりの成果があるのかとは思いますが、会員が行くほどのことでもないというのが私の感想です。間違っていたら申し訳ありません。
2組の対談が終わって休憩となったのを機に帰ってきました。
(メールで秦先生に伝えるべきことではないのですが)
運営面でも「?」が付くことが少なくないように思います。
例えば、兵庫・神戸で行うからには兵庫・神戸に在住の会員(会員が2000人として、せいぜい40か50人のはず)には、入場券か招待状を送るか、会員証の提示で入場できてもいいように思います。
私はペンクラブ本部にも問い合わせましたが、そのような扱いはなく、神戸市の担当部署に申しこみました。
またせっかくの対談も、兵庫・神戸に在住もしくは縁のある作家をなぜ選ばないのか不思議でなりませんでした。
そもそもこの集いが会員向けなのかどうかわからないのですが、会員向けでなかろうとも地方在住の会員をもっと大切にしてもいいのではないかと
思います。一般向けのたんに広報の役目を担っていたのかも知れません。
以上、今日の集いに参加しての所感です。
* 穏やかに言われているが、相当な非難であろうと想われる。
こういう不満を地方の会員に持たせるようでは、ペンの会員とはただに「会費納入の負担者ないし義務者」としてのみ扱うことになると、わたしは理事として十一年間、機会あれば発言してきた。どうかして地方会員のみなさんに、自らがペン会員であることが嬉しい、ないし満足である、誇らしいと感じてもらえるようによく配慮し、地方地方の会員に「参加意欲」を極力持ってもらえるように行事運営は行うべきだ、あまりにサービスも配慮も足りなくはないかと、言い続けてきた。あまりに「東京集権」的で、事実、一部役員理事や会員の「売名や顔見世」にばかり利用されている、偏頗に過ぎる、それは見過ごせない「問題だ」と私は言い続けてきた。
私が、「ペン電子文藝館」を企画し創設し軌道に乗せたのも、いわば全会員が平等に、そこに、自身の「存在証明である文章や作品」が掲載できるよう願ったからだ。「招待席」の文豪や大詩人達と肩をならべて、現在所属の会員たちが自愛自負の作品を世界へ展示できるようにと願った。不幸にしてそれら会員作品が見るに堪えない作であろうとも、それは「自己責任」というもの、恥を掻くのも胸を張るのもまさしく会員平等の権利なのである。
仰るように、各地方には地元会員が居られる。そういう人や、或る意味で地元に縁故あり理解ある知名の実力ある文化人をなぜ敬意と礼儀とを払って行事に用いないのかと思われるのはムリもない。そういう人たちをもっと大事にしなくてはと、わたしも思う。だが、ついつい執行部役員と一部理事との多年の馴れなれで、人選も、話題作りも、されてしまう。ペンにはこんな人たちばかりしかいないのかと嗤われるほど、同じ顔ばかりが壇の上に並ぶのである。
* ペン会員には、名簿を繰れば分かる、日本語にも古典にも美術や歴史や文化にも、時事問題にも、世界にも科学にも、それぞれの業績豊かなエキスパートが大勢おられる。しかし、そういう、誰もが敬意を以て頷くほどの人たちが、ペンの催しに話しに出たり顔を見せたりの例は絶無にちかいか、あまりに偏頗に、こちょこちょと情実で決まってしまうらしい。
詩人といい、エッセイストといい、作家といい、この人、どれほどの仕事をしてきた人なのと、見た限り実力のほどに首を大いに傾げるアンバイの人たちで、安直にことが運ばれて行く。事なかれ主義で無難なら、半端でもいいのである。それを安易に地方でやってしまうと、じつはクレバーな地方会員は掛け値のないお灸をすえたり、やーめたと退会して行かれるのである。
わたしは理事十一年、こういうことを臆せず言ってきたが、黙り込まれるか、反対の集中砲火を浴びる。ほとほとイヤになった。
* メールをいただいて、ああ、やっぱりそうかと悲しくなった。
☆ 早速のお返事ありがとうございます。 直
今回も会場入り口で有名作家の作品だけを販売しておりました。
非常に奇異に感じるとともに立場を利用した行為だと思います。
村上春樹氏は兵庫の出身です。一番に話を聴きた人でした。
私が感じたことが間違いでなかったことがわかりました。
東京へ行ける機会がほとんどないのですが、もう一度お目にかかりたいと思っています。
それまではお互い元気でいたいですね。 ではまた。
☆ 言論表現の自由は野放図ではない 2000 11・29 2000 12・3 「ペンクラブ」
* 佳いものならわたしは、どんな題材でありどんな扱い方であろうとも支持する。佳いと謂う、それですでに一の昇華がなされている。だが、よくなくて悪くて迷惑至極なモノが、「表現」を口にするなど、厚かましくおこがましい。世界ペン憲章は言論表現の自由を守ろうと説いているが、その言論も表現も、人間の尊厳と誠実とに背くモノであっても佳いとは決して言っていない。そこが忘れられ過ぎている。
あまりにくだらない下劣なテレビ番組が名指しで批判されていることを、わたしは当然と思っている、名指しされている限りの番組は、である。一般論はしない。だが、引っ込めれば仕舞という結末には満足しない。衣裳を替えてすぐ似たようなのが出来、当分の間は世にはびこるのだから。
一般論をするとすれば、あくまで言論表現の自由は守られるべきものである。ペンの言論表現委員会に籍を置く一理事一委員として、これは譲らない。個人としても譲らない。だが、無条件でではない。ペン憲章の趣旨を体してのことである。悪辣で下劣な暴力的な言論は恥ずべきだし、表現とは、佳いもので在りたい。 2000 11・29
* このところ、近未来の、荒廃し尽くした不毛でバイオレントな世界を映像にしたアメリカ映画を、たてつづけにテレビで見て気が滅入っていた。しかし「マッドマックス2」などは、何度観ても不思議に身にしむものがある。バイオレントに過ぎているかも知れないが、それが映画表現の痛烈な効果になっていて、訴えてくる神話的なひらめきがある。
今度の深作映画「バトルロワイヤル」については、わたしは「観ていない」のだから批評しない。筑紫哲也の言うように、良く出来ていれば必ず人に訴えうる。わるければ、存在理由をそれ故に喪う。
盗撮が顰蹙の話題になっている。写真撮影も表現の自由であると居直れるか、バカな。「公然の盗撮」としか、それだけとしか言いようのない映像に対して、言論表現の自由などと言わせていいとはわたしは思わない。
往々、「言論表現の無条件・利益追求の自由」が、真に価値ある「言論表現」を冒涜している事例が多い。
「児童ポルノ」の規制が言われたときに、雑誌や出版が「言論表現の自由」を守るという口実のもとにそれらの「販売や制作の自由」を抱き込みたがっていたのなど、適例ではあるまいか。利に飢えたそういう態度が野放図になり、官憲の法的規制策にまんまと口実を与えてしまう。世論までを敵にまわしてしまう。
日本ペンクラブは、ペン憲章の確認のためにも、「真に守らるべき言論表現の自由とは何か=ペンの反省」を主題に、大きなキャンペーンを企画すべきだが、理事にも会員にも、大小の出版人・編集者が大勢いる。さ、彼らがそういう企画に乗ってくれるか、むしろ阻止にかかるか、判定は難しいな。 2000 12・3 「むかしの私」より
2009 3・3 90
☆ こんにちは、風。
雨がつづいていますね。
東京は雪かな。
お元気ですか、風。
花粉の飛散は多いと予報されていますが、寒い日はラクです。
雨だと、なおさら。
先週、後発の薬を出してもらいまして、のりかえた直後は花粉に反応して辛かったのですが、昨日あたりからききはじめている感じがします。
あるいは、天候のせいなのか、今のところ、どちらともわかりません。後発品がきいてくれると、お財布にはありがたいのです。
今日は、英会話のメンバーのさよならパーティーを、イタリアンレストランのランチでしてきました。感じのいい人たちばかりで、とても楽しかったです。
十日に、母親の顔をみに帰ります。十四日にはこっちへ戻る予定です。
モニタをすげかえまして、画面が広大になりました。解像度がグンとアップ。広すぎて、どこにウインドウを置けばいいか迷うほどです。
ではでは、風、気の張る三月を、お大事に乗り切ってください。
花もがんばります。
2009 3・4 90
* 建日子が、猫のグーを預けに来た。二時間ほど話していった。何処へ行くにしても元気に無事、怪我も事故もなく帰ってきてくれるのが、両親へ何よりの土産だよと見送った。
2009 3・4 90
* 佳いものならわたしは、どんな題材でありどんな扱い方であろうとも支持する。佳いと謂う、それですでに一の昇華がなされている。だが、よくなくて悪くて迷惑至極なモノが、「表現」を口にするなど、厚かましくおこがましい。世界ペン憲章は言論表現の自由を守ろうと説いているが、その言論も表現も、人間の尊厳と誠実とに背くモノであっても佳いとは決して言っていない。そこが忘れられ過ぎている。
あまりにくだらない下劣なテレビ番組が名指しで批判されていることを、わたしは当然と思っている、名指しされている限りの番組は、である。一般論はしない。だが、引っ込めれば仕舞という結末には満足しない。衣裳を替えてすぐ似たようなのが出来、当分の間は世にはびこるのだから。
一般論をするとすれば、あくまで言論表現の自由は守られるべきものである。ペンの言論表現委員会に籍を置く一理事一委員として、これは譲らない。個人としても譲らない。だが、無条件でではない。ペン憲章の趣旨を体してのことである。悪辣で下劣な暴力的な言論は恥ずべきだし、表現とは、佳いもので在りたい。 2000 11・29
* このところ、近未来の、荒廃し尽くした不毛でバイオレントな世界を映像にしたアメリカ映画を、たてつづけにテレビで見て気が滅入っていた。しかし「マッドマックス2」などは、何度観ても不思議に身にしむものがある。バイオレントに過ぎているかも知れないが、それが映画表現の痛烈な効果になっていて、訴えてくる神話的なひらめきがある。
今度の深作映画「バトルロワイヤル」については、わたしは「観ていない」のだから批評しない。筑紫哲也の言うように、良く出来ていれば必ず人に訴えうる。わるければ、存在理由をそれ故に喪う。
盗撮が顰蹙の話題になっている。写真撮影も表現の自由であると居直れるか、バカな。「公然の盗撮」としか、それだけとしか言いようのない映像に対して、言論表現の自由などと言わせていいとはわたしは思わない。
往々、「言論表現の無条件・利益追求の自由」が、真に価値ある「言論表現」を冒涜している事例が多い。
「児童ポルノ」の規制が言われたときに、雑誌や出版が「言論表現の自由」を守るという口実のもとにそれらの「販売や制作の自由」を抱き込みたがっていたのなど、適例ではあるまいか。利に飢えたそういう態度が野放図になり、官憲の法的規制策にまんまと口実を与えてしまう。世論までを敵にまわしてしまう。
日本ペンクラブは、ペン憲章の確認のためにも、「真に守らるべき言論表現の自由とは何か=ペンの反省」を主題に、大きなキャンペーンを企画すべきだが、理事にも会員にも、大小の出版人・編集者が大勢いる。さ、彼らがそういう企画に乗ってくれるか、むしろ阻止にかかるか、判定は難しいな。 2000 12・3 「むかしの私」より
2009 3・4 89
☆ 束の間の晴天は多忙です。 泉
新聞小説というのは、よほど惹かれないと読み続けられません。大過去に井上靖の「氷壁」、そして二昔にもなりますかあなたの「冬祭り」は待ちかねて読んだ、唯二編です。
お尋ねの桃の名所は、近場では小金井公園、足を伸ばせば中央高速、山梨一宮が名だたる桃の郷です。今年は桜と桃、同時に咲きそうです。梅や桜や桃は多摩地区のあちこちでも存分に観られますが、花木は背景もあって美しく映えるもの、と、私は遠方へも赴くのです。
京の桜が今年も呼んでいます。
* 歩を進めた。
2009 3・5 90
☆ ご結婚五十年をお祝い。 毅
まことにささやかですが、御結婚50年をお祝いして岡山の庶民的な和菓子「大手まんぢゅう」をお届けしたいと思います。
50という数字にこだわってみました。
お二人のお健やかな行く末を祈念します。
追記 リーフレットにも書いてありますが、冷凍庫に保存できます。電子レンジで10秒~15秒(?)温めれば柔らかくなります。
* 恐れ入ります。お菓子って、戦時育ちの昔少年にはたまらない誘惑で。甘いものなど金輪際見当たらない時代であったなあ。
今日、北さいはての美酒「鬼ころし」も、若い友達から贈られてきた。ありがとう。わたし、二刀流の達人なんだなあ。
2009 3・6 90
☆ 五十年に寄せて 京 バルセロナ
恒平さん
恒平さん迪子さんは、私には殊に、夫婦のありがたさ、夫婦のよさ、を感じさせてくれるご夫婦でありましたから、この五十年目もおふたりで共に迎えられることを、心より嬉しく思います。並々ならぬ日々をお過ごしと案じておりますが、金婚の日をせめて静かにお迎えになれますように。
義父母の金婚式に結婚した私たちは、今年で九年を迎えます。先日「闇」の冒頭に、私の新婚にも触れた昔の「私語」が掲載されてあったりして、ああ、そうだった、と、懐かしく思い返しました。池袋の和食のお店で、益子のぐい呑みをいただきましたよね。秋の夜風にたなびく薄に、ほの朱い月明りが寂しくて、これでお酒を呑むときは、ちょっと感傷的になりそうな心細さを覚えた記憶があります。きものでも器でも屏風でも、いつも私が「薄」紋様に吸い寄せられてきたことを、恒平さんは察していらっしゃったのでしょうか。
毎日が平穏です。少し前、軽い脳梗塞に見舞われ、でも後遺症の残らなかった私の夫の運の良さを、殊更ありがたく感じています。定年後の優雅であろう時間より、「今」が最も幸せなときであることを、頭だけでなくからだ全体で感じ取った瞬間でした。
それ以来、毎日が満ち足りています。華々しさなしでは充足感を覚えにくかった青年期を経て、自分が既に、静けさに幸福を見出す歳になったのは、ちょっぴり不思議な気分です。歳を重ねるのも、悪いことばかりではない、気がします。
桜に映える恒平さんを、毎日眺めています。(東工大の)この桜並木の近くで、私は恒平さんに駆け寄ったんですよね。桜は、本当は木に咲いているのが一番美しいと思うのですけれど、日本を離れた私の憧れも込めて、今日、さくらをお届けします。(何も問題がなければ、十一日の午前中に届くはずです。)
恒平さん、迪子さん、どうぞどうぞ御身お大切にお過ごしくださいますように。 京
* 京。ありがとう。ばら一輪を手渡してくれた、はなむけの会食を忘れていません。まだまだ若いのだから、京らしき元気ハツラツとともに、夫さんを励まし労り、ともども、ますますお幸せに。
* 歳月というのは、タダものではない。一種の文身(いれずみ)である。
* 花壇の連絡があり、午まえ、早咲き・莟たくさんの大きな京櫻がたっぷり・ゆったりと贈られてきた。すばらしい。嬉しい。
櫻より優る花なき春なれば と紀貫之の歌がなつかしい。『優る花なき』は昭和五十一年の初の随筆集であった。
* 五十年を前に 湖
京 すこしも変わらず優しいね、ありがとう、ありがとう。
お昼前に、いいアレンジで、満開の楽しめる枝振りの京櫻がたっぷり・ゆったり届きました。嬉しいです、迪子も目をほそくして大喜びしながら玄関の新しい夫妻像の前に生け込みました。春、匂い立ちます。
夫さん、大事にならなくてよかった、どうか気力壮んにしっかり立ち直られますよう、京の手もしっかり貸してあげて下さい。お二人の平安を心より祈ります。
お互いにまだ先がある。歩一歩、「ほ・いっぽ」とも「あゆみあゆみ」とも読みながら前を向いて。どうぞお幸せに、そしてもう一度も二度も三度も、ありがとう! 京 ありがとう! 恒平
2009 3・11 90
☆ ただいま 光琳
こんばんは。
メールありがとうございます。
17時の便で北海道から無事帰ってまいりました。
怪我もなく、思いっきり楽しんで来ました。
念願の旭山動物園、とっても楽しかったです!!!
一日一本しか通っていない札幌からの専用列車に乗りました。
車体の外側にたっくさんの動物の絵が描かれていて、各車両には動物の形をしたぬいぐるみの様な座席があります。
白熊・オオカミ・猿・キリン・ライオン・ペンギンなどなど。。。
全部の座席に座って写真を撮るのはとても大変でした。
着いてすぐ、楽しみにしていたペンギンのお散歩が見られました。
本当に近くまでペンギンがテコテコ歩いて来るのです!!!
時にはお腹でスライディングしてきます。
とっても可愛いのです!!!
そしてとっても寒かったです。。。
札幌に着いた一日目は吹雪、それ以降は晴天でした。
最終日は函館から帰路に着きました。
名物料理も沢山食べました。
ジンギスカン・ラーメン(2回)・カレースープ・生キャラメル!!!
食べすぎでしょうか???
全てエジプトの時とは一味違い、楽しい3泊4日でした。
写真添付致します。
一枚は専用列車の中の白熊シート。
もう一枚は動物園で出会った、親より態度の大きい、目つきの悪い子ペンギン。
ワクワクです!
お目にかかれるの嬉しいです。 まだまだ北海道気分の 琳
* このやす香の友達も、大学院にすすむと、ま、私の時と似た人文学研究にとりくむのだろう。この人は基礎にフランス語をしっかり抱いている。そして入学式を来月に控えた、それどころか大学の卒業式を数日後に控えた、今の今こそ我が世の春。とことん楽しめるのも才能。元気にと願う。やす香もそう願っているに違いない。
2009 3・11 90
☆ インドからは 来
宗遠 様
予定どうり4日に、無事帰国しました。
今一番寒い時で 33度~35度の真夏でした。とうてい真夏(6月が一番暑いとか)には行けません、南部ですので、前回の様に感動はありませんでした。
ITのお陰で少しは裕福になったかなと思いました。農業が発展して今頃は田園風景でした。
特に収穫はありませんが、カレーは美味しかったです。
帰ってきて、二人分の荷物の整理と食料の仕込みで今日までかかりました。座ったら眠くなります。
昨年、炉開きをしたので、その内一緒に、お茶を飲みたいなあーと思っています!
* あぐらでよければ、お茶は美味しいですが。
2009 3・11 90
* 「一応元気です」と、抗鬱剤に助けられながら仕事(サービス業)に追われているというメールを貰うと胸が重い。「薬が今、私の杖かもしれません」と。メールも辛うじて今日は書けるらしい。
「庭に鳥が来ます。日曜日にはしだれ桃の花にうぐいすが訪ねてきました。そこでリンゴごの少し古くなったものを半分に切って庭に置きました。すぐに来たのがひよどり。
毎日リンゴは小さくなっていきます。私のいない間にかわいい訪問者たちがつっついているのでしょう。
お元気に お過ごしくださいますよう。」
と、ある。ほんとうに元気でいて欲しい。
2009 3・11 90
* みなさんにお祝い戴いた。なかでも年久しい和歌山の三宅さんの賀詞に、みなさんのを代表して戴き、ご健勝を祈ります。
☆ 祝 五十年 三宅貞雄
金婚式、おめでとうございます。心よりお慶び申しあげます。
「湖の本」100巻、年内に達成が確実と存じます。この大業もご夫妻ご協力の大きな成果でございましょう。
新刊には、詳細な年譜を付けられるとのこと楽しみにしています。(限定豪華本=)『四度の瀧』収録の年譜は繰り返し拝読しました。
敬愛する先生のお作を出版させていただきました。昭和59年12月19日、先生からの献本を拝受。積年の夢が叶い、胸に溢れるものを感じながら震える手でページを開いたのを覚えています。この出版の喜びが大きな励みとなり、力となって試練を乗り切ることが出来ました。
感謝に堪えません。
どうか、これからも奥様ともどもご健康にとご祈念申し上げます。
お酒を少しお送りさせていただきました。銘柄の名はちょっと、と思いましたが美味しいものですのでご賞味ください。
私も、量は減りましたが楽しんでいます。ご拝眉を得たいと存じます。
2009 3・14 90
* 和歌山の三宅貞雄さんから名酒「羅生門」、桐生の阿部君江さんから、名酒「起龍」と「赤城山」とを頂戴した。持田夫妻に頂戴した「金婚」と銘打った「美意延年」を、今しも、したむところ。そのまえに若い人からの北海道北の果て國稀の「鬼ころし」を賞美。感謝。
どういうのだろう、もう何年も何年も糖尿病の診察と投薬とを受けていながら、お酒も甘いものも、むろん気遣いながらだが、好きに戴いている。五十頂戴した岡山の「大手まんじゅう」も美味しく戴いた。心身、元気にしている。
2009 3・16 90
* 三浦景生さんのお手紙を戴いた。石本正さんのことにも触れてあった。
なんと、来週には京都へ出かける用があった。美術賞の選考。選者として、はじめて今回は推薦を出した。
* 例年花粉にさんざんな目に遭わされるが、幸い今年はさほどでない。何年前であったか、花の盛りに上野の博物館に行った日の花粉が物凄かった。目が全然あかなかった。這々の体で逃げ帰ったのを覚えている。
京都でゆっくり遊んでくること、今回はむりだ。相変わらずとんぼ返しになる。まだのぞみの切符も買っていない。
2009 3・18 90
* 本の到着を告げて、一番乗りの祝詞を頂戴した。
☆ 自筆年譜拝受 晴
今日ご本嬉しくいただきました。
金婚に相応しいご本の発刊とお祝い申し上げます。
迪子様とご婚約された頃からのことを読ませていただきながら、50年の長い年月のお二人の輝かしい日々を、ご努力に敬意を表したく思います。
たくさんの尊敬される方々とのご親交にも恵まれられたのは、作品の立派さとご夫妻のご人徳あればのことと存じます。
全書誌を作製された迪子夫人のご努力に感服しています。
私家版の「懸想猿」の装丁も懐かしく思い出しています。
年譜(一)に続いて二‥‥七と楽しみに待っています。
そして湖の本百巻を。
ご夫妻のご健康とともに、ますますのご健闘を祈っております。
* 恐れ入ります。頂戴の名酒「美意延年」文字通り舌鼓うって一滴くもあまさず頂戴しました。お礼申し遅れましたこと、お許し下さい。 湖
2009 3・18 90
☆ 御本頂戴しました。 碧
秦さん
これからもお二人でお健やかに、益々幸せな日々でありますように。
先ほど湖の本が届きました。
これだけな密な年譜を手に出来るとは、なんと幸せな私たちでしょう。
もう今の想いをどうやって表してよいやら 強いて言うなら 「うっとり」 しています。
『蝶の皿』や『絵巻』を読んだ後の気持ちに似て。
これからまたあの時間を持てるのです。
何度申し上げても足りません。
ありがとうございます。感謝。
☆ 湖のご本届きました。 京の従妹
この度はお健やかに金婚をお迎えになられ、心よりお喜び申し上げます。
お祝いのご本、私にまでお送りくださいまして、ありがとうございます。
私も9月には古希を迎えます。
子供の頃は、小児喘息でか弱く、学校もよく休んでいました。
船岡の同じ並びの家の、少し年下のスミ子ちゃんは小学校の時に喘息で亡くなられ、私も長くは生きられないのだろうかと、子供心にも思っていましたが、お陰様で高校の頃にはすっかり健康になりました。
後々に母が、次はミッちゃんやと近所で言われたことがあると、ポツンと言ったことがありました。
母はさぞ辛かっただろうと、胸のうちで詫びていました。
我が家も、後4年で金婚式です。
主人共々元気で頑張らなくちゃ!
京都の桜も今日開花発表がありました。
もう満開のシダレザクラも見られます。
恒平さんも、京都で桜ご覧になれるといいですね。どうぞ、くれぐれもお大切にお過ごしください。 みち
☆ 「湖の本」拝受 東京の妻の従兄
金婚そして湖の本百巻おめでとうございます。
年譜を拝見しますと、恒平は平安京生れを示すとの由、京都を根底においての作家人生、かくも多彩にかつ濃密な営みを続けて来られたものと驚嘆しております。
百巻は通過点、金婚も然り、エメラルド婚、ダイヤモンド婚、プラチナ婚と先はまだまだ続きます。
相携えてご健勝にてさらに佳き人生を歩まれますようお祈り申し上げます。
☆ 御礼 優 作家
秦さん、新しいご本、本日落掌、ご恵贈たまわり有難うございます。
遅ればせながら、金婚のことほぎ、おめでとうございます。
早速開いた頁に、(十五歳)相撲、百米十二秒九、走り高跳び百六十センチ。にやり、パチパチ。その道に進まれていたら楊伝広と張り合ったかしらん。何せ腹っぺらしの昭和二十六年の素材記録ですからね。このご自慢のエピソードは聞き及んでおりましたが、二段組、濃密強記の真正自伝年譜のなかに在れば、また楽しからずや。膂力の鉄人さま、どうぞ後続をまとめあげてすっきりなさって下さい。
時代のキイワードがあふれんばかり、人名地名はもとより索引をつけてみたくなりました(まさか)。並々ならぬ旺盛の生命作家には、ご酒も糖質もお遊びも好奇の刺激もいたって肝心ですね。改めて感服。続編を楽しみにしております。御礼、お祝いに代えて。
どうぞ益々お達者で。春暑し。 拝
2009 3・19 90
* いちはやく、ありがたい、そう言われたら本望とひそかに願っていたメールが届いていた。
☆ 御本頂戴しました。 森
秦先生
本日、御本を頂戴しました。ありがとうございました。
相当量の年譜に圧倒されています。
息子とほぼ同じ6歳の興味を覚えておられることにも驚き、また、今の私より年下の33歳にして、これだけの熱心な毎日を重ねられていたことにも息が詰りました。
これは日記ではなく、全てがつながっています。怖ろしいほどに繋いである。歴史を編まれ、他人の手は一切介在させない、余地を与えない、鬼気を感じます。以前頂いた歌集「少年」の目出度さとは印象がまったく違います。自祝とおっしゃっているけれど。
年譜は、先生の思想を伝える究極形の語り口だと思います。
あくまで、作品。
年譜の末尾はどうなるのか。
完結させようなんて思ってませんよね。
このような御本を頂いてしまうと、私自身を語る言葉はありません。
色々と考えることがあり、勉強をしているところです。家族は健康です。
どうか、ご自愛ください。
奥様も、まだお疲れを残しているのではないでしょうか。春眠にお体を預け、お休みください。お元気で。
(息子は今シーズン二度目のインフルエンザ罹患!流行してます! ご注意ください!)
* さすがに、東工大の教室このかた、不即不離二十年ちかくをそれぞれに生きてきたいわば、戦友。観るところをぜんぶ観てくれている。こうはやばやと真っ直ぐ来るとは。感謝。
もう言うまでもない、これが、「私」を究極の語り口でつかんだブレも潤色もない「私小説」、正確な「あくまで、作品」。
「完結させようなんて思ってませんよね」に、愛情を受け取った。
☆ 雨になりました。 湖雀
桜前線の話題と野球にかまびすしい昨夕、ご本が届きました。
無事金婚式をお迎えの由おめでとうございます。お幸せに心からお祝いを申しあげます。
黄砂も花粉も灰雲と春雨に飲み込まれ流されていき、暖かくなるにつれ明るくなるにつれ、そんな毎日に心はなえくれがちとなり、さらには朝の霜注意報から昼の20度超えという気温差に欝に潜り込み、気をもみながらも、ご連絡も何も囀れず、鴬の初音を耳にする陽気となってまいりました。
空回りか見栄ぼうか、気になりながらもながらくご無音に打ちすぎまして、誠に申し訳ありません。
今年はいのいちばんに、ミホミュージアムの桜見に誘われました。今回の春季展は「新羅」とのこと。先だって敦賀湾を見に行ってまいりました。空も海も、とても北陸の景色とは思えない澄んだ青に明るみ、インドから南洋から大陸から、北から九州から渡ってきた昔話のあれこれを心に思いとめようと、小さく、決心しました。
崖に囲まれ三角の細かな波ばかりの海の面と点在する白い岩を春風になでられ、ゆるゆると眩しく見渡したあと、お水送りが済んだばかりの遠敷に寄り、花折峠から雄琴に降り、夕間暮れの各色灯に目を丸くして帰ってまいりました。春光を吸い込むような放つような湖面にとろりとします。
別の一日、常省先生とその子孫について知りたくなって、藤樹記念館、藤樹神社、生家跡、お墓とめぐり、マキノの松並木から今津の古い町並みを通り抜け、追坂峠で手打ち蕎麦に舌鼓を打ってまいりました。
扇子を手にした平安美人調の「あどかちゃん」から武家の少年「よえもんくん」という新キャラクターに代わり、継体天皇と並ぶ安曇川町のシンボルになっています。
藤樹生家跡の隣に無料休憩所が建てられていたのは昨年が生誕400年だったからでしょうか。雀が訪れたときは中年女性と少し耳の遠いおじいさんがボランティアガイドとしてつめてらっしゃって、おじいさんに、藤樹さんとご子孫また儒教と地域の行事のこと、熱いお茶をいれてくださった女性からは藤樹の母や妻のエピソードをうかがいました。
初めて儒教式の位牌やお墓を目にいたしました。
九才で父母と引き裂かれて祖父母と遠地に暮らし続けた藤樹の、母おもい。武を厭い、農に生き、子と再会することなくふるさとに歿した父が抱いた念。
それ以上に胸をつかれたのは、藤樹が唯一母に逆らった、最初の妻との結婚生活です。 湖雀
* 気温と湿度の乱高下に殊によわい人と察しているが、感性は生き生きと。
懐かしい感じの近江や越前やの空気の色と匂いがつたわります。
☆ 湖の本 郁
ご立派な記念の(湖の本)をご恵送賜わり 誠に有難うございました。 ご結婚50年、誠におめでとうございます。 また湖の本百巻もまぢかくなり、お祝い申し上げます。
ご立派な大事業を果たされますこと、心から敬意をおつたえいたします。
ますますお元気でご活躍されますように。
* 本の顔をどんなにしようかと、この人に知恵を借りてから、まるまる二十三年が経った。感謝。
☆ お礼 貞
「湖の本」98巻、有難うございます。
待ち望んでいた「創作者年譜」です。
作家による「自筆年譜」も、「日記」も比較的容易く読むことはできますが、自作に纏わる詳細な生々しい年譜は他に例がなく、秦恒平「自筆年譜」は、文学史に残る年譜の名作となりましょう。じっくりと読ませていただきます。
取り敢えず、御礼のみ申しあげます。 拝
* 二月末の日記に「創作者の自筆年譜」への思いを書いて置いた。「年譜」の方法論で愕然とするほど感嘆したのは、高田衛さんの名著『上田秋成年譜考』だった。
年譜には助けられたり失望したりを繰り返してきた。作品の発表年表だけでは作家論は書けない。「自筆」でないと書けないところも有る。
2009 3・20 90
* ウン。とにもかくにも、行くところまで仕事は行った。左肩は凝って張って痛むが、少し気が軽くなった。
☆ (前略) 樹 大学教授
私はある書評原稿のための勉強の沼に足をとられておりました。そのさ中にご本を頂戴いたし、救いを求めるかのようにすぐに読みふけり、ただいま読了いたしました。スリップに「自祝・金婚そして湖の本百巻へ」と記しておられる言葉の重みを味わいました。貴氏の御仕事(そして御家庭も)、人の思いを超えて向こうから与えられたもの、とも言えましょうが、しかし不屈の闘志によって切り拓いたものと受けとめて、畏敬の念を深めました。
闘いといえば、「電子文藝館」の「招待席」に光太郎の戦時中の文が載せられたままの由。真に「暗愚」なるは誰ぞ。人を辱しめて恥じぬ者。この件だけは闘って下さい。人の懺悔を聴き容れぬ不寛容はアパシーと言うべく、ペンを執る資格をみずから放棄するように思われます。
御健勝、御健闘を心よりお祈りいたします。ありがとうございました。 平安
* 優れた研究者また教育者で、信仰者でもある知友の激励を、嬉しく聴いた。
☆ (前略) 城 大学教授 国文学
これほど稠密な自筆年譜は見たことがありません。私も若い頃から書きつづけた日記はかなりなヴォリュームでありますが、とても公刊できる内容でなく、もてあましているだけです。おそらく年譜をお書きになる前に取捨選択もなさっておられるはずだと思いますが、その作業を想像しただけで気が遠くなる思いがします。内容にふれる前に以上のようなことに思いをいたし、ただただ感服いたした次第です。ありがとうございました。
* 歴史学の先生から、「このような詳細なものは私には書けないなあ」と思いながら読んでいますとも。
☆ (前略) 荘 詩人
年譜の詳細なことに驚嘆致しました。小生三六年生まれ73歳今年金婚式で手作り本を出す予定ですが、同時代に何をなさっていたかを読み、畏敬を感じております。
それから光太郎文に就きましても同感であります。
☆ (前略) 銑 歌人
それにしても秦様の精力的なお仕事ぶり、年譜を拝読しながら、つくづく感じ入りました。あれだけ精緻で入念なご文体で、よくもこれだけ多くの作品を執筆されたものだと、ただただ感嘆いたしました。とくに医学書院ご勤務のかたわら、次々にご労作を完成させたお姿、筑摩書房時代に酒ばかり飲んでいたわが身と較べ畏敬の念を深くした次第です。
また、秋成についてのご関心、私も学生時代に岩波の本で雨月に読み耽ったことを思い出し、なつかしく、親しい古典のよき理解者としての秦様のオン作品に、新たな関心を唆られました。小林秀雄の「宣長」で、秋成に対して、やや関心が薄らいでいただけに、嬉しくなりました。
二月に上海に行ってきました。
ますますのご健筆、お祈りします。 草々
☆ (前略) 藤
金婚御祝の湖の本うれしく頂戴させていただきました。おめでとうございます。
年譜をひろいよみさせていただきながら、その頃、私も近いところで何やらしていたのだなァと不思議ななつかしさを感じて居ります。
私共も知り合ってからはもう50年を越し金婚も近くなってきました。秦様にあやかって無事にその日を迎えたいと願っています。
これからもおすこやかにお過し下さいませ。
湖の本百巻 たのしみに待っています。
* 詩人で作家の辻井喬さんら、あちこちからどっとお手紙をいただく。
☆ 祝言 滋 作家
自譜は、なにものにもまさる 究極の物語です。
金婚 百巻おめでとうございます。
これからもおふたり手を携えて営為ください。
☆ 御礼 光 能シテ方
この度は記念の御本をいただき、誠に有難うございました。
自筆年譜が凄いですね。自分の日記どころか、演能の記録さえあやふやな自分をかえりみて、少し反省しました。
ただ私自身は過去の色々な事象に無頓着なところが多々あるような気がしています。
これも性格ですね。
健康に気をくばられて、健やかにお過ごし下さい。
百冊目を楽しみにしております。
☆ 湖の本とふわふわニット 光琳
こんばんは。
湖の本、頂戴致しました。
おじい様とおばあ様の歩んだ日々、大切に読ませて頂きます。大切な五十周年の日をご一緒させて頂いた事、とても幸せです。
これからも素敵なお二人でいて下さい!
先日のお礼とご本のメールが一緒になってしまいました。
そろそろ桜が咲く時期です。早く春が来て、頂戴した春色のふわふわニットを着てお出掛けしたいです。
ワンピースの上に重ねて着る予定です。なんだか優しい気分のニットです。
湖の本、以前おばあ様が内緒よと教えて下さった“ひばり”がありました。
楽しみです。
おじい様のご本、私には難しいと感じる事が多いです。
多分それをご存じなのに、いつも湖の本を送り続けて下さってありがとうございます。
人生を重ねてまた手にした時、もっと深く読む事が出来る女性になりたいです。
今回の年譜、おばあ様もお力を合わせ、まさに金婚の作品とおうけいたしました。
まだ未熟な私がおじい様の人生を覗き込む様で、少し緊張いたします。
心して読ませて頂きます。
本当にありがとうございました。 ふわふわニットで幸せ気分の
☆ 湖の本 柑
届いております。今回のご本はひとしおの分身と思われ、眺めているだけで泣けてしまいます。しっかり胸に抱きしめていかなくては。
最初の一篇『花がたみ』読みました。根の哀しみのしみじみと伝わる佳い作品と思いました。見事な文藝でございました。
わが「女ひと」をどうぞ、もう何人も何人も書き続けて一冊のご本にして読ませてださいますように。秦恒平文学の一つの素晴らしい達成になりますでしょう。
今月はまだまだ大きなお仕事を抱えて、心身休まる時もおありにならないでしょうけれど、どうぞお大切になさってください。
* 久間十義さんが新刊の読み物を送ってきてくれた。京都への往復に、いいお連れが出来た。三島由紀夫の『禁色』も文庫本で用意してあるが。さ、どっちを読み耽っての新幹線だろうか。
* 目が霞んできた。七時半、妻がとなりでピアノを鳴らしている。今夜はやすんで、撮り溜めてある映画でも観て寛ごうか。
今日は朝八時から、つい今し方まで、よくやった。まだかなり集中力、在るみたい。
2009 3・21 90
☆ 感謝 英
秦さん 湖の本52巻を贈呈くださり、恐縮です。自筆年譜第1部の素晴らしさに驚嘆しました。
作家として、いや、人間として、生きてきて、これだけの年譜を残す人は、ほとんど居ないと思います。じっくり、拝読します。
35ページから123ページの間に、私は、まだ、秦さんとは、別の人生でした。
単行本の全書誌の方は、ひと桁から、ご縁があります。
湖の本の全書誌は、最初から,ご縁があります。
秦さんとの出逢いは、86(昭和61)年まで、待たなければなりません。第5部でしょうか。
それでも、23年のお付き合いになります。
金婚おめでとうございます。私は,あと、10年かかります。
そして、やがて通過する湖の本、100巻記念も、おめでとうございます。
私家版100冊は、前人未到でしょう。
高村光太郎については、吉本隆明を読み返しました。
☆ 秦 恒平様 櫻 詩人・エッセイスト
湖の本エッセイ46に、春泉脈動 益々お幸せに とお心こもったお励ましを拝し、「いま、中世を再び」ゆっくり拝読したまま、お礼状も致しませず失礼しております。
湖の本52 自筆年譜(一)拝受致しました。
「私語の刻」を泌々拝読し、高村光太郎のことでは心痛みます。昭和十五年、県立**高女三年生の時、副読本として配られた「大詔奉戴」暗誦させられました。戦争讃歌だけでなく島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」などもあり、少女たちは批判精神も抱きつつ過ごしていたのです。
とりあえず御礼まで。
千川通りの桜木の蕾ふくらんでます。
* 石川県の畏友井口哲郎さんから懇篤なメールを頂戴した。
☆ 祝金婚 哲
私も26日が50回めの結婚祈念日になります。ご同慶のいたりです。
それなりに、いろいろなことが、ありましたものの、世間体にみて、順調な50年ではありました。妻は私を ー特に経済観念の貧弱な私によく尽くしてくれました。縁あって田舎教師と結婚して経済生活苦心したはずです。今でも時々その苦労話をもらします。
情けないことですが、文学に対する意欲みたいなものが薄れて、まったく受身の読書生活を送っているこのごろと相成りました。
私は喜寿を迎えました。金婚の記念もかねて、小さな旅でもしようかなどと話し合っています。(思うように書けません。思いとメールがうまく届きますように。) お大切に。
* また加茂の従弟からは、わたしの実父吉岡家の記念の大家族写真なども添え、たくさんなコーヒー豆も添えて、嬉しい手紙を受け取った。
父方のことは少しずつ分かってきたが、母方のことはまだあまり分明には見えてこない。
☆ 御本頂戴しました。 巌 従弟
ありがとうございます。
三十数年前のまさに母の声
いきいきと聴きました。
手もとにあったもの(写真) 今さらとも思いましたが コーヒー豆と共に送ります。 お元気で。
誠一郎(=祖父)とりょう(=祖母)とは死別と聞いております。(謄本を参考に送ります。)
写真は昭和二十年代半ばのものの写しで吉岡家の門の下で。
コピーは恒伯父(=恒彦・恒平実父)の納骨の時のものだと思われます。
* 従弟の親切な配慮から、たくさんなことを漏れ聞いてきた。はるかな往時はとりかえしもならず、とりかえしたいとも願わないが、そこに何かが在ったのだという思いは持つ。そこから歩み出していたのである。
☆ 湖へ 珠です。
「湖の本」98巻をお贈り頂き、ありがとうございました。
自筆年譜と聴いて想うことからあまりに遠く、驚くほどに色鮮やかな日々をそこにみせて頂き、不思議な気分です。日々の出来事に止まらず、折に感じたことまで細やかに、小さな点々として確かにみえてきます。
何か大きく成し遂げた仕事や、自分に影響したことから遡って自分を振り返ることが多いのですが、こうして生きてきた日日を確かな小さな点に刻まれ拝見すると、人として生きることは‘美しい画’なのだと思いました。
私は人の最期を看取る仕事について、人生はプラスマイナス ゼロと感じてきました。
よいことも、わるいことも、ちゃんとやってくると思えばこそ、愉しいことの次には哀しいことがくるような気にもなりました。
今、この美しい光と影の日々を眼にして、人生はそんな足し引き算のように積み重ね量ることではなく、光射す時にはきっちりとそれを捉え、影もまたキリリと描き、離れて見れば奥ゆきのある美しい画を描くようなことだと思えます。自分の持っている色を清ませ、そして光や影を点におき、かけがえのない線にする。
大きなものが見えるようで、愛しくあります。
月末に96歳になる祖母が、あまりよくなくて、その口からしか聴けない色々を少しでも聴けることを有難く思うこの頃です。仕事も「当(まさ)に今」で、慌しく動いています。
「春は脱ぐな」 もう一人の祖母がしきりに言ったことです。
まだまだ冷える日もありますので、お気をつけ下さい。
くれぐれも、お大事に。 珠
* 「自筆年譜」という「自伝」は究極の「私小説」であり、極限の「日記」である。文体にいい伴奏を試みながら、背景や側面の繪が見えるようでありたい。
☆ おめでとう 祥
記念の御本嬉しく頂戴いたしました。有難う御座います。
さっと見て高3からのしばらくの間 私の名もちらちら見つけ 本当に忘れていたことなど思い出させてくださいました。
読ませていただきます。
いつも精力的にお書きになり膨大なもの 時々スクロールしながら斜めに読んでいます。
有難う御座いました。
* 今の歳からは半分に満たない年譜であるが、ただの記憶で書き流した記録ではない。数えていないが数多い人との出会いも書き留めてあり、しかしそれは実際の百分の一にも満たないのはあたりまえである。いま、一人だけ洩らしたと悔いているのは、小説『お父さん、繪を描いてください』のお父さんの名を、新制中学二年生の記事に書きおけなかったこと。
* 風がきつい。家鳴りがするほど。
☆ 感謝 空
「湖の本52」をお届けいただきまことに有り難う存じます。心よりお礼を申し上げます。
詳細を極めた年譜に驚嘆しました。
年譜というよりも自伝と呼ぶにふさわしいかと思いました(まだほんの一部分に目を通したに過ぎませんが)。
金婚の次は喜寿、そして傘寿、さらにダイヤモンド婚へと歩んで行かれますようお祈り申し上げます。
* 勉さん 湖
メールが繋がると佳いのですが。
今度の年譜には勉さんの名前もよくあらわれ、時期的にもご縁の深かったときに当たります。ぜひ一本謹呈したいと住所を調べましたが、カナダでのお住まいが記録からこぼれ落ちていて、困惑。
よろしければ折り返しお教え下さい。
お変わりないことと思います。お元気でと祈ります。
金婚当日は、歌舞伎座で松嶋屋三兄弟の元気に勤める真山歌舞伎「元禄忠臣蔵」を観てきました。ちょうど「三月十四日」というのも面白くて。
われわれ、幸いに無事過ごしおります。
2009 3・22 90
* 建日子が小学校に入ったとき担任の藤井敏子先生が、オートバイを駆って、私たちのお祝いにと、抱えても胸に余るほどいろんな花を頂戴した。ありがとう存じます。建日子が『推理小説』を出したときも素晴らしい蘭でお祝い戴いた。
その建日子も四十一歳。
姉の方は五十に手が届いたか。
もう一人の孫娘、やす香が宝物のように慈しんでいたと聞いてる妹のことが、とても気に掛かっている。高校三年生になるはず。大学進学の時は、やす香も相応に迷ったり悩んだりし、決断し自信を持って進学先を選んだ。
入学前に大学へ提出しなければならぬ課題の論考を、真っ先に「おじいやん」に読んで欲しいのと届けてきた。能く書けていて感心した。
妹も、今、いろいろ考えているだろう。無事に平安に自由な決断で志をとげてほしい。
2009 3・22 90
☆ 湖の本52 道
秦先生
湖の本「自筆年譜・全書誌ほか」ご恵送いただきありがとうございます。
金婚おめでとうございます。
一口に五十年、半世紀と言いましても、いろいろなことがおありでしょう。
思えば先生との出会いは、次女の不慮の死がきっかけでした。
双子の妹は今度高校三年生になります。私にとりましてもあっと言う間の年月です。
湖の本は通算98号とのこと、これも100号も通過点に過ぎません。
じっくりと読ませていただきます。ありがとうございます。
☆ 湖拝受 泉
益々お元気で。
2009 3・23 90
* たくさんお祝いの頂戴物をしている。ま、こういう時期なんだと、素直に有り難く頂戴している。ありがとう存じます。お礼のみここで申し上げます。
☆ いつもありがとうございます。 閣 東大教授
「自筆年譜」とは、何やら生涯のまとめの時期にお入りになったような。
お返しにさし上げるものもありませんが、こんな本を出しました。秦さんと同世代の女たちが20年前に何をやってたか、ご興味をもっていただけるかも知れません。
どうぞお元気で。
* 「生涯のまとめ」にならないわけではないが、わたしは、今度の仕事は、天体ロケットが大きな燃えがらを切り離し捨てて行くことで、さらに先へ飛んで行くのと同じことを考えた、と、付記しておきます。 湖
☆ 「湖の本」 誠に有難く拝受いたしました。 望 元文藝誌編集長
「けい子」拝読し、秋成との縁 小説より奇なりといふ思ひで読了しました。
葉書で失礼いたしました。
☆ <人間・作家・秦 恒平>の 珪 元出版部長
まるごとつまった「湖の本」52を賜りありがとうございました。「背き背き」つつブレのない秦さんを信頼し、敬服いたしております。
百巻をこえてのさらなる歩みに随伴いたしたく存じます。
お身体お大切になさって下さい。
☆ 湖の本52 恭く拝受 萬 歌人
御協力、御精励を讃嘆慶祝申しあげます。すばらしい個の御仕事には、常に元気を頂戴いたしております。
存分の御進取、御健勝を祈念申しあげます。 拝
☆ ご恵与 ただ有難く お礼申上げます 冽 俳人
小説への新しい眼を開かせて頂きました 評論により新知見も指示頂きました
このあともよろしくと お願い申上げる次第です
ご健康に充分お気をつけの上 いっそうのご活躍を祈り上げます
☆ 讃岐の櫻 泓 歌人
やっと開花しました
年譜とはかくあるべしと教えられました。
昔風に言えば古稀、がんばらねばと思っています。
☆ 天上に向かって 鳳 詩人
花花が開きはじめております。いい季節になりました。
「湖の本」感謝申上げます。内容の深さに圧倒されます。ありがとうございました。
ますますの御健筆をお祈り致します。
☆ 合掌 薫
たくさんの年譜と御本への心ぞえのついた「湖の本52」 心温まり、ありがたく頂戴いたしました。
「湖の本」の創刊からたくさんの感動を忘れられません。心の糧となって日々を過せます。とうぞお体に気をつけて、御無理なく続けて下さいますようお祈り致します。
☆ 「湖の本」百冊へ 峡 作家
情熱と忍耐に、敬服の思いをこめてお礼申し上げます。
また結婚五十周年でもあるとのこと、おめでとうございます。 私こと、三十年で相方が亡くなりまして、羨ましく存じます。
季節の変わり目 お身お大事に。
☆ 湖の本百巻。金婚のお祝い 福
秦 先生、おめでとうございます。湖の本にご縁があったこと、大変嬉しく思います。
読書会の仲間と、築地近くのホテルで初めておめにかかり、漱石の「こころ」についてお話を伺ったことが「瑚の本」に繋がりました。 また、奥様と金婚の時を迎えられお喜びもひとしおのことでしょう。
頂いたご本、早速読んでいます。自筆年譜、合点したり くすくす笑いながらひきこまれています。有難うございます。 これからもますますご健筆をと願っています。 ご自愛なさいますように。
* 終日、ものを読み続け考え続けていて、まるで鳥目になったように目が霞んでいる。それから頂戴したものを順不同に読ませて頂いていても、限りなく続いて一昨日一日分のまだ半分も減らない。郵便だけ観ていても、メールがあり、さらに払込票にもこまごまと書いて頂いている、そこまではただ拝見するだけになる。
☆ さてさて 花
なんだか、寒くなりましたね。
あたたかくして、お過ごしください。
京、お疲れ様でした。
ふるさととはいえ、住居をほかに移して長いこと経てば、知った人の少なくなるのは、仕方のないことですね。
花も、だんだんそうなるのかな、と想います。
谷崎の括弧つきの「母」が腑に落ちまして、難渋していた次のものに目鼻がつきそうです。
風ががんばっているのを感じて、花もがんばる。
野球日本代表も勝ちましたし、よし、ガンバロー。
ではでは。
風、お元気ですか。
* 三月もあと六日と押し詰まってきた。首筋がかたまって痛い。十一時過ぎた。もう今夜はやすみたい。
2009 3・25 90
* 好天、冷気きびし。
* 妻は和歌山県から東京青山へ移した両親の新墓に、妹と。留守に「たん熊北店」の特醸「熊彦」二升届く。楽しみ。
いまは、群馬の阿部さんが下さった「赤城山」が旨く、京の名品山椒味の「ちりめんじゃこ」と画家鳥山玲さんが下さった生のまま塩加減の北海道「いくら」とで戴いている。朱の片口、萩焼きの盃。
2009 3・26 90
☆ 『湖の本52 自筆年譜(一)全書誌・他』拝受 峻 ペン会員
秦恒平様
「自筆年譜(一)」は圧巻、重要事項が太字になっているところに読者への配慮を感じました。
「昭和44年6月11日、第5回太宰治文学賞に作品「清経入水」当選の電報を午後8時半受く」のところの、「ダザイショウトウセンアスアサデンワコウチクマテンボウ」が鳥肌ものでした。
金婚、そして「湖の本」百巻目前、誠におめでとうございます。
ご自愛の程、よろしくお願い申し上げます。
☆ 心よりお祝い申し上げます。 歌人 ペン会員
奥様もさぞお喜びのことと存じます。
ところで「私語の刻」での「ペン電子文藝館」の高村光太郎の戦時中の詩と詩論あらためて今ネットで読みましたが、やはり何故載せたのか私も異和感を覚えました。特に歌人は茂吉にしても他の歌人も戦時中の公の短歌総合誌などへは戦争賛歌を多く残しています。まぎれもない事実ですが、歌壇であえてその時代の作品をとりあげて代表作とはしないものです。いろいろといまだに疑問の所もあります。良い方向にと願っています。お身をお大切になさって下さい。
☆ 数々のお仕事に圧倒されます。
どうぞ一層の御活躍を祈り上げます。 弘 名大名誉教授
☆ 花便りの聞かれる頃になりました。 鞠 出版人
「湖の本」心より篤く御礼申し上げます。まだ全部は拝読しておりませんが、約三十五年の記述から、先生方ご夫妻の人生そのものが、大いなるドラマ性を孕んでいるとあらためて思わざるをえません。奥様との出会いやご結婚、ご出産のところなど、羨ましいほど感動的です。「新潮」の小島喜久江さんともおつながりがありましたことなど初めて知りました。
ご自愛のほど、お祈り申し上げます。
* ほおっと、一息ついている。湖の本へのお手紙やメールは、もうどうしようもなく山に積まれて、ただただ感謝申し上げるのみ。
2009 3・26 90
☆ 春になりました。 *議院議長
議長公邸の「陽光櫻」は満開で、ひよどりが花をついぱむので、花が房ごとおちてしまいます。
湖の本52をありがとうございました。
よくこれだけ細かくまとめられましたね。感心しています。とりあえずお礼のみ。
☆ 秦 恒平様 迪子様 鶴
このたびの、湖の本52巻(=エッセイと通算88巻)と金婚式というおめでたい事柄にご一緒させていただけることに、感謝しております。ありがとうございます、おめでとうございます。
年譜を読みながら、ぎゅっと、ぎゅっと思いの詰まった50年に感動し、涙しております。
これからも、お二人仲良く、並んで歩まれますように、どうぞ、どうぞご自愛ください。
新潟も米どころですもの、お酒はおいしいのですが、そちらは息子におまかせします。ご飯のお供に、名物をご賞味ください。
* 歳久しく、ご一家で私を支えて下さって。なにが有り難い嬉しいと言って、一度もお目に掛かったことのないこういうご家族や読者に歳久しく恵まれてきたこと。不徳なれども、わたしは孤でない。勇気をもたねば。
* 郵送。一段落。
* 自祝の余録で、まだ家の内・外に花が満ちている。
バルセロナの京の贈ってくれた彼岸櫻は葉桜になり、花と青葉とがなじんで、またひとしおの美しさで玄関をかざってくれている。書庫のカウンターにも茶の間にも位牌壇の上にも下にも、キッチンにも。手洗いにも。
新潟の禅寺の和尚さんから、金澤市の女性作家から、お酒が。神戸の名誉教授から須磨の名品「いかなご」の釘煮が。
兼好法師は「有り難い友達」に医者とならべて「もの呉るるひと」と書いていたのを初めて読んだとき、はっきり言う人やなあと思いつつ頷いていたのを、いまも有り難く思い出す。
☆ ご夫婦のご縁 脩
おめでとうこざいます。ご執筆の格闘の趣うかがい興深く拝読させていただいております。日々省みての日記がご健筆の基と敬服いたします。
以前おとどけしてお口にあった旨うかがっておりますが、須磨の旬の味 僅かばかりですが、お届けいたします。季節感薄れ行くなか、この漁の続くこと願っています。
今後ともよろしくご教導ください。
櫻開花の浮き立つ季、お揃いでお大事に。
惚けたる老いそれなりに業平忌
* 惚けたる老いそれなりに花やいで 湖
☆ 拝受 李 作家
観世清和の「花筐」をこの二十日松濤で観て来ました。この能の舞台は故郷越前武生=味真野です。今でも「花筐公園」があります。『花がたみ』拝読。『ひばり』拝読。
「自筆年譜」恐ろしいほどの記録。よくぞこれほどまでに……。小説二題の型が年譜の中にびっしり…。昭和四十年辺りの「この頃。……」生き生きしている。七月三十日のくだり…、私なりに理解が及びます。
湖の本百冊……たいへんな業績成果、年譜は中でも最たる一冊、全書誌も心にくいできばえ。「恒平評伝」を書くスキを与えぬ文章の鬼の巻物になっている。年譜の(二)は急がないというのが、妙。(一)の余韻、濃く深し。
2009 3・27 90
☆ 湖の本拝受 範 讃岐
秦 恒平様
配本。お礼が遅くなりました。ありがとうございました。
私と同年生まれですが一足早い「金婚式」おめでとうございます。
「湖の本」98号、記念の出版として「創作自筆年譜」を中心に編まれたこと、さすがだと思いました。単行本や「湖の本」の全書誌も添えられていて読者にとって、こんな有難いことはありません。
秦さんが清水書院から『作家の批評』を出されたとき(1997年)、収録されている「年譜─未踏の沃野」という短文に、年譜作成には「ぜひ『方法』を明かして欲しい」と鋭い指摘をされていたのを覚えています。
その時は、研究者と作者自筆の年譜に本質的違いはないような気がしていたけれど、こうして創造物としてつきつけられると、優れて「文学」のエッセンスであり、作品理解のカギを握っていることは否定できません。特に一定の期間を区切って盛り込む内容を吟味する態度には、読者も腹を据えて対応しなければと思いました。それほど濃密な内容が詰まっているということです。
偶然ですが『作家の批評』上梓の年で終っている女流作家の相当分厚い自筆年譜の本があります。『ふるさとの丘と川 大原富枝年譜』(平成10年・高知県本山町立大原富枝文学館刊)です。
特に最後の1900年から1997年にかけての部分が大変充実しており、作品に直結する作家の日常の一端や背後のふくらみを知ることは有益でした。愛媛県人同士の洲之内徹と敷村寛治の項目(敷村は洲之内の友人であり研究家。私と同じ職種でした)では、ああ、そうだったのかと個人的に納得したりうなずいたりしたものです。大原さんには洲之内を扱った『彼もまた神の愛でし子かー洲之内徹の生涯』があるからです。
大原さんと敷村氏は、愛媛出身の柳瀬正夢や重松鶴之助(洲之内が偏執狂的に愛した画家、共産党員「楽天」の一員)、などに関しての対話を度々行っています。エヒメの「よもだの精神」の面白さに引かれたのでしょうか。
ただ、残念なのは大原全集に出ていない作品のことを詳しく知りたかったのですが、無理でした。
昭和18年の雑誌「改造」新人募集入選作『若い渓間』や、薄幸の天才プロレタリア詩人・槇村浩を扱った『ひとつの青春』(「群像」昭和42年12月号)に関しては項目のみでがっかりしました。
前者は戦局悪化の流れのなかで農村部での「生活改善」をテーマとした時局便乗作品ともとれ、後者は作品の自律とは別に、発表時「盗作問題」で新聞をにぎわした作品だったからです。二つとも作者の死とともに、大原作品に共感する読者として知る権利がある情報が抜け落ちているのが残念でした。大方の事情は察しがついても、それでいいとは言えないコダワリを持つのが愛読者というものです。
なお、御作「年譜ー未踏の沃野」は、個人的に「裁判」という実用にも役立てさせて頂きました。
高松市が市民の税金で出した「菊地寛全集」に戦中の皇国史観、侵略戦争賛美そのものの多くの文章が4巻にわたり無反省に収録されていることへの異議表明の行政訴訟でした。最終的には憲法判断となるのは分かりきっていましたが、最高裁で門前払いとなりました。
でも、高松高裁での判決文では菊池の一部の作品に「侵略戦争賛美」の部分があることを明確に認めています。何よりも、我々支援者にとって「お笑い」以外の何ものでもなかったのが、「年譜」のことです。
当初まったく無かったのが、原告側の指摘で急遽、他人の作成した略年譜をパンフにして挟み込むという、姑息な手段をとったのです。相手が青山学院大学の専門家だというのですから恐れ入った話でした。
長くなり失礼しましたが、目の前に迫った100冊目は私のような自堕落な読者にも震えがくるような出来事になるでしょう。ご健康にお気をつけて。
☆ ご恵送に与り誠に恐縮 御礼申し上げます。 謙 学会会長 詩人 ペン会員
「私語の刻」を拝読して「金婚」の文字が目に入りました、心よりお祝い申し上げます。「湖の本」も「九十八巻」とあり、もうそんなになるのかと思いかえしました。あらためてその歳月を思いました。読者からは「湖の本」の刊行は読みたい本が読めるということでありがたいことでしたが、刊行されるご努力には頭が下がる思いでした。
今号の「私語の刻」で高村光太郎のこと、「晒し台」とのお言葉、その通りだと思っております。「ペン電子文藝館」の存在意味とは何かを考えさせられました。「招待席」は「言論表現自由を問題にする場」でなく、「故人になられた文学者の遺業や偉業を顕彰」し、「優れた作品」を「招待し公開する場」ということが、何故まもられないのかを考えさせられました。「貫く棒のような」「定見と見識」が、その運営においてはひつようであることを実感させられた次第です。
「自筆年譜(一)」を拝読しながら、最後の「ノート十に」に至って、ここの年譜の完成されるまでの日々の記録のことを想像しておりました。 「凡例」の「三」でのようなお考えが多くの創作者年譜」として拡がっていくことを夢みています。これからの研究においてもこのことはだいじにしなくてはならないことと思っています。そういう思い出拝読させていただいております。
「私語の刻」といい、「自筆年譜(一)」といい、とても心に深く残りました。ありがとうございました。
寒暖急変のこの頃です どうぞくれぐれもご自愛下さいますようお願い申し上げます。 敬具
☆ 御著書を誠にありがとうございます。 工藝家 北海道
先生の生い立ちが……
大変興味深く、読み入りました。
桜の開花時期に寒さがぶり返し、今日は吹雪模様。
麦畑の緑が、また真っ白になっています。
「地球温暖化現象は、どうなってるのでしょう!」 って、春が遠いことを腹立たしく感じます。
お元気で。
☆ 風、お元気ですか。
曇り空、ちょっと寒いけれど、花は先日買った新しい部屋着をおろしてゴキゲンです。
開花宣言を聞き、うちの床の間の飾りを、桜柄に模様変えしました。
うさぎが満開の桜を見上げている絵柄なのですよ。
さてさて、寒い週末になりそうですが、お大切にお過ごしください。
2009 3・28 90
☆ 拝受 叡 名誉教授
「花がたみ けい子」を読み、私の秋成小堀係累説に秦さんが特別な思いを持っておられ、何度も御所市の名柄や増を訪ねておられることを知って、感銘しました。ありがとうございます。
折しも今年は秋成の没後二百年です。何か新しい開拓ができないかと考えています。ありがとうございました。
☆ 金婚・湖の本百巻 明 作家
おめでとうございます。
自筆年譜ご恵送賜りありがとうございます。
自らの背きの生を見つづけてこられた緻密なる記録、興味津々の文学作品に敬服、感服の極みです。
重ねておめでとうございます。そしてありがとうございます。
毎日のように、「闇に言い置く」読ませていただき、励まされています。「湖の本」共々、いつまでもお願い致します。
朝起きると西側に面したガラス戸を開けます。観音寺山の四季折々のすがたに大きく深呼吸。勤めに出る毎日です。乱暴な生き方をしてきたから、このざまたれやなあ、と苦笑しながらあと四五年と元気です。その期来たらば、思う様、晴耕雨読書の日々をと手ぐすね引いている次第です。
隣家の大きな家屋敷がすっかりと取り払われ、何でも駐車場になるということです。村もそれぞれドラマを展開しながら様変わりしていくようです。我が家むこれからの季節、雑草との闘いみたいなものです。休日は草むしりの日々、因みに鎌や剪定鋏はすべて京都の刃物屋さんで別跳えの切れ物です。これには村の友人たちも呆れ顔に、でも「面白いなあ」と、そして「よくやる」と変な褒め方で励ましてくれます。
何とか元気です。
奥様共々、どうか無理をなさらずお健やかに。
追伸
岡山の「籠もよ」よりほんのお祝いのしるしに和菓子送らせていただきました。それから、湖東地方の小さな地方紙に近江の鳥と題して月一度拙文を書いています。延々と続きそうなのですが別便にて送りますのでご笑読、ご批判くださいませ。
☆ 「自筆年譜」隅々まで拝読 彩 僧 大学教授
十一年生まれの私は大いに元気づけられ、生への夢を頂戴いたしました。研究生活への意欲を呼び戻すことになりました。ありがとうございました。不尽
☆ 開花が待たれる今日この頃です。 尊 大学教授
久しくお目にかからせていただく機会がなく残念ですが。
湖の本 間もなく百巻とか 健筆バイタリティー 恐れ入ります。じっくり読ませていただきます。
☆ 年譜の中に「とっぷ」を発見!! 青
五十年。奥様への愛と感謝のお気持が溢れ出ていて感動致しました。
良い思い出をありがとうございます。
2009 3・29 90
☆ 英語のあと、 花
お医者と食料品など買い物して帰宅しました。
風、お元気ですか。
風、長い小説は、なかなか読み応えがあったようですね。
花は「乱菊物語」を読みました。
前編しかないのが残念な、おもしろい読み物でした。
吉川英治の『鳴門秘帖』みたいな感じで、借りはみたものの、花が今取り組んでいるものにはあまり参考になりそうにないけれど、たまには楽しみのための読書もよし、と、思って読んでいましたら、最後の方で、太守の上総介の迎えた京の女性が、まさに括弧つきの「母」で、谷崎のその後の「松子」ものへの踏み切り台だったのだなあ「乱菊物語」は、と想いましたよ。
さてさて、四月ですね。
* 明日は三月尽
「乱菊」は面白いでしょう、大好きでした。吉川英治とは文学の質的なレベルがちがうと、そういうことも覚えて少年は感嘆しました。母モノなんですね、とても惹かれました。「盲目物語」「蘆刈」へきちっと繋がります。
「乱菊」が中途になったのは、例の細君譲渡事件があったからです。 風
* 明日は三月尽
「乱菊」は面白いでしょう、大好きでした。吉川英治とは文学の質的なレベルがちがうと、そういうことも覚えて少年は感嘆しました。母モノなんですね、とても惹かれました。「盲目物語」「蘆刈」へきちっと繋がります。
「乱菊」が中途になったのは、例の細君譲渡事件があったからです。 風
☆ もう百巻になるのですね。 邦 富山
おめでとうございます。最近は文学を前にするとすぐに睡くなり、新刊を買って読むことも殆どなくなりました。時間をかけて何とか読み通しているのが「湖の本」です。昭和一桁生まれの私には、先生のお書きになるものに、共感するところが多いということでしょう。余事ですが私どもも今年金婚になります。ご健勝でご活躍なさることをお祈りします。敬具
☆ おめでとうございます。 輝 京都
作家が自らの作品を100冊も自ら出版したというのはギネスものではないでしょうか。ますますのご活躍をお祈り致します。
2009 3・30 90
☆ 元気です。 珠
こんばんは。湖。私は静かにみえるでしょうが、元気です。
4月に向けて準備してきた仕事が、手に余るほど強かで。。今日も、少し前、帰宅したばかりです。やるべき、やっておきたいと思うことを放っては帰れなくて、休日返上、職場で過ごすばかりの春です。
今日は、いえもう昨日でしょうか、祖母の96歳誕生日でした。
動いていて、気がつけば夕刻。一本の電話だけですませた、私です。せめて逢いに出かけるくらい、、と想うのですが。。申し訳なく。
4月も半ばになれば落ち着くでしょう。せめて常くらいにはなると思います。あと少し、頑張ります。
今頃になって、また、インフルエンザがでています。
マスク、まだお外しになりませんように。くれぐれも。お気をつけて。
* 医療の現場はとほうもない負荷の重さであるだろう。重さに沈みがちな頭越しに、政治はふらふらと、蹣跚と政局にのみ浮かれている。
2009 3・31 90
* 高橋由美子さん、小田敬美さん、ワイン、お酒(梅干しと紅生姜も)下さる。
2009 3・31 90
☆ 二年前 治 画家
長年のメキシコ生活、滞在に疲れが出てきたようで、現在は日本で休んでいます。それで湖の本、最近のはよく読んでおります。今回は自筆年譜のところから見ています。京都生まれ、東京在は共通するところです。
このあいだたまたま高村光太郎の昭和16年刊の『美について』を読んでいました。秦さんと同感でありました。
☆ 冠省 哲 文学者
金婚と湖の本百巻まぢかのご上梓おめて゜゛とうございます。私は入院中でベッドの中でこのハガキを書いています。
先生も御身ご大切に。 右御礼まで。
☆ この度は 礼 西東京
「湖の本」有難うございました。 あらためて棚にありますこれまでの「湖の本」を、百冊にもなるのかと見ておりました。
大へんなお仕事、どうかこれからも益々御盛んにお続けになられますようにと 心より お祈り申し上げます。
☆ ご本をいただいた折り 慶 近江
とてもうれしくなりました。27日に今年最後の搾り締めが湖南市のみの予約販売され、お贈りしたいと思いました。
主人は梅干しをよくお酒のアテにしていましたので、少しですが入れさせていただきました。
本当におめでとうございます。いつまでもお二人でお幸せにお過ごし下さいませ。
☆ 自筆年譜 全書誌 ありがとうございます 駿 大学教授
詳細な年譜を拝見し 医学書院に入社される直前に 小生出身校洛東高校に立ち寄っておられるのを発見しました。何かご縁を感じました。
「ペン電子文藝館」の光太郎の一文に触れての、ペンクラブの精神、全く同感です。
☆ 櫻の花だよりを聴きながら 光 弥栄
湖の本百巻目前、そして金婚式おめでとうございます。
才能と努力の賜、よくがんばって来られたと尊敬いたしております。また御礼申し上げます。
中学時代の秦さんの国語の文法がめっぽう強かったことを思い出しました。友達の中に私も加えていただいてよろこんで居ります。
数年前の同窓会の時に糖尿病だと云っておられましたが大丈夫ですか ご自愛下さい。
これからもますますのご活躍をお祈り申しあ上げます。
☆ 皆様、お元気のことと… 知 映画女優
記録をする 物書き なんですかね。ダンナ(映画監督)の記録魔に いろいろな整理をしながら、オット これはどうしようと云うのが沢山あって。困っていたりするのです。
秦さんも 何でもかでも書きとめておくタイプではないかと ふと思って了いました。田原知佐子も出て来る年譜をみていて大変に光栄に。
原知佐子、日活だけ出ていないので面白かったです。東映、大映、松竹、東宝、新東宝、全部出ていますがねえ。
で、これ(実相寺昭雄著『昭和電車少年』)送ります。鉄道オタクのものです。御笑納下さい。
未亡人似合はない メリーウィドーが似合うと、10月、今の年だから出来る芝居やります。御案内します。
* これは脱帽。間違いないようにと思う年譜に、よりによって親友の経歴をまちがえていたか。教室を飛び出して、ニューフェイスの日活女優女優に成ったとばかり思いこんで五十五年か。申し訳ないなあ。
☆ 自筆年譜 全書誌 ありがとうございました。 征 絵本作家
エッセイ44「京味津々」を読み終えました。非常に興味深かったです。京で暮して40年 いろいろ考えさせられました。深く深く感謝。
☆ 篤く御礼 箭 文学研究家
自筆年譜、全書誌、くりかえしページを繰って居ります。
ほんとうに、ありがとうございました。
結城の小冊子、御笑覧いただければ幸甚に存じます。
どうぞ日々御大切に。
* 弥生尽 四月を迎える。
2009 3・31 90