* 年賀状をたくさん戴いたが、大方は湖の本で一年の内に繰り返しご挨拶を重ねているので、返礼もその際にとおゆるし願って、今年はのうのうとラクをさせて戴いている。
建日子が、バーボンのとびっきり、ブラントンを持ってきてくれたのを昨夜から今夜まで、ほぼ半ば、ストレートで楽しませてもらった。
暮れは、頂戴したたくさんな日本酒を、もののみごとにみな平らげてしまった。毒だなどと勿体ないことは思わなかった。
* かくて平成二十年の元旦も過ぎてゆく。今夜は、早く床について、ゆっくり眠りこけたい。
2008 1・1 76
* 往きは隙間ほどの晴れ間もない冷え冷えとした曇天だったが。歯科医院を出てバスに乗って、途中バスを降りて「リオン」に入った頃は、綺麗な晴天に。
新年のフレンチ、腕にヨリをかけてくれたか、美味しかった。ノーンビリした。妻も、ワインなら好んで飲めるようになった。
なぜか、この店、初めて入ったときからウマが合う。もっともわたしは、どんな店でも気に入るとすぐ仲良くなれる。食べ物の店は店の人と仲良くなるだけで一割二割美味しくなる。
2008 1・5 76
* 裏千家ではお茶は、茶筅で十分たてる。最盛期! のわたしの茶筅は、静かなモーターのように繊細華麗!! にお茶碗の中で舞った。たったお茶は微塵と化した泡のママむっくりとふくれたものだ、くちざわりも、のどごしも、まさに「クリーミー」に真みどりのお茶が美味かった。作法のことはともあれ、たったお茶だけは裏千家ふうが佳い。半月にのこすゆるいたてかただと、どうしても茶の粒子が舌にさわる。
花びら餅、暮れのデパートでは、老舗に長い行列が出来ていた。ときどき、どうしても美味しい和菓子がほしくなる。
2008 1・5 76
* うっとりと、まだ『翁』の幸福感がのこっていて、眠い。
明日は、大好きな七草粥を祝う。純白の粥に白い小餅、そしてかすかに刻んだ早緑の若菜。すぎてゆく「お正月」をいとおしく胸に抱くのはこの七草から十五日の小豆の粥までか。
2008 1・6 76
* 七草の粥を祝う。
2008 1・7 76
* ヘモグロビン値が、6.8は、運動もせず呑んで食っての正月だったのに、案じていたより、マシだった。
* 池袋で妻とデートし、先日メトロポの売店で見付けておいた服を買う。正月の歌舞伎座に着て行けるだろう。お返しに、先日に引き続き、地下「ほり川」の鮨をご馳走になる。昼飯に、あっさりしたものが食べたくて。
2008 1・8 76
* 鏡餅を割り、ぜんざいを煮てもらった。
* 無為。昔人の口まねをすれば、させることなし。眼の乾きに困惑する。
2008 1・11 76
* 小豆粥を祝った。正月の行事は済んだ。
2008 1・15 76
* 暮れのうち、林立の気味であった酒瓶を、和洋の別なく、本日の夕食で、おいしく全てを空に倒しきった。みな、本当に美味しかった。
2008 1・20 76
* 聖路加へ。あまり運動できない厳冬だったし。成績は悪いだろうな。
と案じたが、よくはなかったが大過なく安定しているんで、このまま様子を見て行きましょうと託宣あり。十二時半の予約なのに、十二時に済んでいた。
風つよくあまり寒いので歩く気せず、三笠会館の七階で鉄板焼きを食べて帰ってきた。牛肉はいい味だったけれど、単調な料理で気は晴れず、ワインとパンと読書とで費用ばかり贅沢な食事を、あっさり済ませてきた。
2008 2・1 77
* よく冷えるが、晴れやか。思い立って街へ出た電車の脚を、ぐっと伸ばして、柴又へふらりと遊びに。菖蒲の頃に妻と出向いたときは、季節も好く賑わっていたが、今日は日射し明るくても風つよく、参道閑散。しかし帝釈天の境内は、幼いこどもづれのお母さん達がなぜか群集していた。
かくれんぼ 柴又帝釈天 (写真)
たまたま、今朝早くに読み返していたのが、「酒壺へ奔った皇女の恋」というわたしの古い原稿で。で、話題に関連の柴又をふいと思いついた。前から、もう一度行ってみたかったのである。
一つには前に入らなかった川千家という鰻と川魚の店に寄ってみたかった。で、店が自慢の鰻重のほか、鯉こく、鯉のあらい、うざく、海老の天麩羅を注文し、酒を二合呑んできた。気楽な店であった。
駅近くの喫茶店で小憩。店のママに、柴又に「癒されましたでしょう」と笑われた。「おおきに」と礼を言ったら大いによろこばれた。上方の出かな。
日暮里と高砂との間は特急だと一気にノンストップ。金町線に乗り換えれば柴又は、すぐ。七十二の「おにいちゃん」になった気分で駅に降り、また乗ってきた。「さくら」と呼びたかったが柴又駅のホームに人影もなかった。大きな川をいくつも渡って行く。入相の空はかすかに遠い夕茜が、たちまちに深い紫から藍いろへひき沈んでいった。
なじみのすくない電車にすわって、用もなくぼー然としているのは、いい。そのためにも春よこいと呼びかけたい。ま、そんな結構な春が来るとは想いにくいけれども。
* 保谷駅で頼まれていた食パンを買って帰った。
手洗いのフリージァが、はじめ花三つだったのに、千両と霞草と小菊に下支えてもらい、なんと、今は十も花咲き、匂っている。まだ増える。
2008 2・7 77
* 地下鉄から歌舞伎座の前に出たときは、小雨。昼の部が済んで外へ出たときも小雨。すてきな珈琲カップの「茜屋珈琲」で休息。
夜の部を市川染五郎初役の『春興鏡獅子』で小気味よくはねたとき、雨は上がっていた。車で日比谷のクラブに寄り、妻は卵二個でプレーンのオムレツとサラダを、わたしはビーフシチュー特注、ブランデー買い置きの口を開けた二杯が、旨かった。「山崎」もツーフィンガー。日比谷の十時は風もあり寒かった。一路帰宅。
2008 2・12 77
* 三時過ぎから、ペンの理事会。いろいろ有った。気になることはすべて発言してきたが、ここに全て書くには、もう気疲れがしている。
理事会が、ただの報告と承認会になって、議論すべきが、また対策すべきが議論も対策もされないのでは、のんきなものだ。
表現や言論のことで、気になる問題は、事実世間に山積してゆく。こんな問題があり憂慮すべきだとただ「報告」されて、委員会そのものは全然開かれていないというのは、何なんだと思う。二十年委員を務めてきて、こんなことは無かった。言論表現委員会はいわば国会の予算委員会にも匹敵するというのに。
電子文藝館も、あれやこれや言うは言うものの、二ヶ月かけて、掲載作が七本とは、いかに何でも開店休業にちかい。大勢の委員が機能を分担すべく委員長に力を貸してでも、やはり優れた作品の数がこつこつこつこつ増えて行かなくては「電子文藝館」はサマにならない。
* クラブに入り、夕食。卵二個のオムレツとサラダ。ブランデー二杯。ウイスキー、ダブル。
2008 2・15 77
* 四国の「讃」さんから、糖尿病に効く「小豆茶」また抹茶と品のいい美味しい干菓子とを頂戴した。妻と、行儀悪くお茶を点てるより前に大好きな松露に両方から手を出した。甘いモノはおいしいです。感謝します。
2008 3・4 78
* 外出すると、さすがにこの季節、眼にまだかすかながら刺激的な違和感が出る。花粉、やはり恐るべし。今日も、二人で歯医者に通う。風も吹いていそう。
* 歯科のあと、「リヨン」で昼食。ツブ貝、巻き貝に青菜の前菜、豌豆の泡立てスープ、そして鱈のリヨン風メインディッシュ。デザート。適量、美味のフレンチ。新江古田から外苑前の保谷眼鏡へ。最近用を新調。表参道から外苑前へゆっくりゆっくりウインドウ・ショッピング。また大江戸線で帰ってきた。昨日処方の薬も地元薬局で受け取った。
目に違和感はあったけれど、持ち合わせの二種類の目薬で比較的容易に緩和されて、ほとんど問題なし、大助かり。
2008 3・8 78
* 送り主が友人と並んだ写真が一葉、荷に入っていた。おうおう。こういう人なんだ。
戴いた「梅が枝餅」は、雛飾りの優しい三色の餅と同じ色づかいで、不思議な味わいの、クセになりそうな「うま味」餅で、感嘆。
「六」さんの下さる自称駄菓子は、これまでも不思議な味わいの郷土色横溢で、日本は「深いな」と感じる。感謝。お願いした頼みモノを頂戴の上、なおお菓子まで。わたしの好きな餅菓子まで。ありがたい。
* そういえば昨日歌舞伎座で、松嶋屋の番頭がぼりぼりやってくださいと呉れた「かき餅」も、香ばしい豆入りの、洒落ておいしいものだった。我當のところは、洋菓子の「ガトー」だとか、よく、ひと味ひねってセンスと趣向のおみやげを用意しているのが、おもしろい。
2008 3・15 78
* 北山通りで教えられた通りに「樅」を見付けた。祇園から思い切って移転と聞いてのち、場所も分からず間が開いていたが、千枚漬けやジャガイモなどもらって、連絡先が判明。今度はぜひにと思っていた。
八時頃に店を見付けた。ちょうど、ママもそろりと姿をあらわした。
綺麗な、とてもすっきり仕立てのシックな店が出来ていた。シーバス・リーガルを明けてもらう。ガラスは敬遠し、白い磁器に染付で、達者な毛筆で歌の書き下ろしてある姿のいい猪口を棚に見付け、それで、ストレートのスコッチを堪能した。うまかった。ボトルの四分の一ほど呑み、中学高校の同級生のママと、歌は無し、おしゃべりだけして十時半。
客来がつづいたのをしおにまた四条の宿までもどった、が、なんとなくもう少しという気持ちで室町辺をさすらううち、古いおもしろい角店を見付けた。「古雅」とはいうがいささかもうボロ店なのだが、老舗めく風格がないではない。客は一人だった。あなごの雑炊を鍋で煮てもらいながら、加賀の「菊酒」を正一合。相客と親爺と三人でいろいろ話しながらが楽しくて時を過ごした。
2008 3・27 78
* そして予約より四十五分も早く、外来の待合いから診察室の前へ呼び込まれ、すぐに診察の順番がきた。診察自体も、まずいところは何もなく、従前の処方箋が出て次回予約をして、ドクターに機嫌良く見送られて診察室を出てきた。
* 有楽町の帝劇モールの『きく川』で、飯抜きの蒲焼と「菊正」二合で快い昼飯を済ませ、保谷まで直通、ぐっすり寝て帰った。櫻はまだどこででも満開の余情のまま花吹雪を舞わせて空は明るく晴れていた。
さて、四月が本格に始まっている。
2008 4・4 79
* 三時近くまで発送の用意に集中し、そこで打ち切り、着替えて、快晴のもと妻と出かける。鶯谷駅からタクシーで言問通りを西浅草のひさご通りまで。賑やかな人出のなかを浅草寺境内をゆるゆると歩き、参拝し、そしてまた言問通りへ戻って、鮨の「高勢」へ五時に。
華やいで、浅草寺裏を言問通りへ
* 今年の妻の誕生祝いは、すこし趣向をかえ、浅草の好きな鮨店「高勢」でと。
その前に浅草の寄席を期待していたが、わたしの気分としては発送用意をかなりいい線にまで運んでおいて、心おきなく旨い鮨を食いたかった。晩へかけて長時間を疲れるのもいけなかった。
五時に「高勢」に入るとすぐ建日子たちも顔をみせ、貸し切りなみのカウンター真ん中へ並んだ。百パーセントお任せの鮨会席のように。
わたしは米の飯をすべてよし、酒と、魚は板さんに任せ、妻や息子達も魚や握りを店の腕一つに任せて、ゆっくり歓談。
もっともわたしは、喋るほうは三人に任せ、ひたすら食べかつ呑んだ。五合ほどを旨く呑んだ。大満足、みな満腹。
「高勢」は、やす香を花火とともに天涯に見送った夜、帰りに一人でふらりと初めて立ち寄った店、次の年も花火の前に寄っていた。清潔で、手順のいい、洗練された鮨職人の店で、手を抜かない、ほんものの旨さ。食器も、さりげないが備前を主によく選ばれていて、気持ちがいい。
ただし建日子が「大人の店だね」と云うたように、懐には大人なみの用意は要る。
* 店の前で写真を撮り、それ以上お茶などと云っていず、建日子の大きな車でまっすぐ池袋まで送ってもらい、西武線ですうっと帰ってきた。家で、二人でケーキと珈琲。
妻も、わたしと同じ七十二歳になった。
2008 4・5 79
* 発想を変え、今日はほぼ正装し、手荷物なしで出かけた。身軽く気分も颯爽、夕方のさわやかな晴天の下、日比谷の帝国ホテルへ。
講談社主催の吉川英治文学賞のパーティだが、文学賞には興味がない。しかしパーティそのものにもじつはちっとも関心がない。立ったまま食べたり呑んだりのほこりっぽさと、大群衆。きらいだ。
ま、湯浅君に声を掛けられたそれだけを気の弾みに出かけたものの、あの広い大勢の宴会場で、お互いに見つけあう可能性は極めて薄く、これという約束もわざとしていなかった。
小さい赤いワインを二杯のみ、目の前で揚げてくれる海老の天麩羅と春野菜が温かい。茶そばと、そして、「なだ万」小鉢の甘味善哉、おしまいにフルーツだけで、さあっといつもの「クラブルーム」へ、独り、抜け出した。
クルボワジェのブランデーと山崎のウイスキーをダブルで一杯ずつ、そして珈琲にして、その昔チャタレイ裁判の頃の『伊藤整氏の生活と意見』を、われ独りの席で、文庫本で読んだ。チャタレイ裁判は多彩な文学者弁護団で評判だったが、法律家弁護人のなかに、久しく「湖の本」の継続購読者のまま亡くなられた、環昌一さんのお名前を見付け、懐かしかった。最高裁の判事も務められたのではなかったか。
* すうっと一路帰宅、インターネットが自然復旧していてほっとした。メールや「mixi」をすぐ点検。
2008 4・11 79
* 往きに、新刊の「湖の本」の前半をわれながら面白くまた読んで楽しんだ。
「酒が好き したみ酒古典の味はひ」
こういうのを気持ちよく書いていたときは、機嫌も上乗であった。佐々木久子さんが編集長の「酒」であった。古典にも触れながら自分の「酒」をここちよく吐露していた。
ペンの事務局に何冊か置いてきた。
日比谷のクラブで、ブランデー二杯、ウイスキー一杯、卵二つのオムレツとサラダ、エスカルゴ。機嫌良く「酒」の話を読んでいたが、帰り際に置いてきた。帰り道、『伊藤整氏の生活と意見』にクスクス笑えてきながら、保谷駅まで読み耽る。
2008 4・15 79
* オムレツ、旨かった。酒もうまかった。
2008 4・15 79
* 吉兆の卯月御膳、けっこうであった。あぶらめであったか吸い物がうまく、いつものように鯛は逸品、筍も木の芽も季節の薫りいっぱい。満足した。
2008 4・16 79
* 昼打ち出しの合間に、茜屋珈琲へ。妻は紅茶のストレートがおいしいと満悦。わたしは珍しいみごとなカップでのコーヒーに、満足。マスターに、いつものように新刊進呈。
2008 4・16 79
* 夕方、銀座へ出て、人と会った。とくべつの用事はなかった、前に会って酒を飲みながら難しい話をして以来、十余年。
和食をという希望で、松屋の「つる家」にあがり、ゆっくり時節の話題で笑ったり怒ったり。有楽町駅までの喫茶店でもう少し話を次いでから、別れてきた。
地下鉄有楽町線でうまく座れたので、ゆっくり『酒が好き』を楽しんで、おしまいまで読んだ。笑ってしまう
2008 4・25 79
* 久しぶりに船橋屋の天麩羅をたっぷり食べ、甲州「笹一」を三杯呑んできた。満足。しかし、『嵐が丘』を手に眠ってしまい、西武線を東久留米まで二駅乗り越した。
2008 4・27 79
* 岩波の高本邦彦さんからもお酒を頂戴しましたわと、妻。とびきりの「一の蔵」。感謝。
2008 4・29 79
* 岩波の高本さんに頂戴した純米大吟醸「一ノ蔵」が旨い。まだ世間はしんと寝静まっている中で、萩の盃に酌んで心ゆくまで独り吸いかつ呑みながら『漱石』を読み楽しみ、その勢いで二階の機械へ来て、書きかけの『はながたみ』を書き継ぎ、ところが想定外のところへ筆がはみ出していった。「けいこ叔母」の遠い昔の影絵が、にじみ出たように上田秋成のほうへ動いている。収拾がつくだろうか。
2008 5・2 80
* あけがた、左下肢の異様感覚で目覚めた。フクラハギの中で、パンのような塊がぐりぐりと蠢くのだ、怖くなって起きてさすっていた。六時前。
もう一寝入りしたら、思いの外に熟睡、十一時過ぎていた。血糖値、111。血糖値だけはこのところすこぶる安定している、この一月、酒はずいぶん飲んだのに。
近くでみつけてきた思いの外安価な純米酒がすこぶる旨かった。一升。
ついで金澤の金田さんに戴いた「能登誉」の純米酒が断然旨かった。一升。
さらに岩波の高本さんから頂戴したのが青森の「一の蔵」純米の特製、とびきり旨かった。一升。
しめて三升を平均五日で飲み干してきたから、小一月の日本酒。ほかにワインもときどき。それでも血糖値は冬場よりぐんと安定しているのがありがたい。悪玉コレストロールは投薬のおかげで、この二三度の定期の診察で、値は低い。
問題は体重です。あまり運動していない。
2008 5・6 80
* 快晴、風すこしの空のもと、夕方ともまだいえない五時十分前に鶯谷駅の上野寄り改札外へ出た。お二人の e-OLDSにもう待ち迎えられ、恐縮。
わたしの拡張した胃袋だと、改札外の老舗蕎麦屋でざるを一枚ぐらいたぐっておきたい気分だが、ひと様の胃袋を勝手に自分なみに思うのはいけない。で、すぐ待っているタクシーに乗った。この駅のこの改札外はタクシーの便がいい。言問通りをすうっと走って、運転手に「高勢」でしょ、と駐められた。
それほどの店、ほかにこの通りに面しては鮨屋がないのかも。
表にきもちよく水打ちしてあり、五時きっちりの開店で、カウンターの真ん中に迎えられた。
お一人はお酒がダメで、もうお一人は大丈夫。例の若い職人にお任せで、備前の皿に、肴を切ってもらった。いい鮑を皮切りにいい肴が次から次へゆっくりした間で出て来るのを幸い、久しぶりの歓談。ま、行儀のいいおじいちゃん三人だから、騒々しくはならない。談論風発といっても風は春のそよ風で。
此処の鮨はわたしの好みで、魚しだい、鮨飯は魚素材の風味をひきたてるていどに小さく握ってくれる。はやく満腹するのが惜しいのである。それほど肴を楽しみ酒をよろこぶ。お二人とも、鮨はもとより酒の味にも満足して下さったようで、いかにも「おとなの店」の風尚、気分もゆったりした。
* お二人の帰路をたしかめ、それなら浅草寺境内をゆるゆる行きましょうと、ひさご通りから花やしき通りをぬけて夜の浅草寺境内へ。
人出の波はすっかり静まり、本堂も五重塔もまだ煌々とライトアップしている。静まった空気の中、人けのすっかり退いての明るい照明は、ふしぎにからんとした異界の風に膚接して想われる。三人ともすこぶる明るくて清寂な浅草寺夜景に満足。
こういう時空が在ったんだと驚きもなかば、いい時に来合わせた嬉しさもなかば。電燈ひとつ消えてないまぶしいほどの明るさながら、いならぶ店店はほとんどが店仕舞いのシャッターでくるみ込まれていた、が、シャッターの一枚一枚が画板になって、店店が趣向の繪で賑やかに楽しませてくれるから、なおなお珍しかった。あれは常の仲見世では絶対に観られない。
歌舞伎の吉原の書き割りを想いながら、三人とも機嫌良く雷門までを通り抜けた、というのはちがった、ちょいと横町の「甘味」の梅園に入ると、鮨を食ってきた老人達がここで甘いモノを食べ、また話したのである。お二人とも大きな鉢で蜜豆だか餡蜜だか。可愛らしい。わたしは蕨餅。若い店の娘達はなにものだと想ったろう。
で、雷門でまた写真をとり、地下鉄で、お一人とは千葉の方へそこで別れ、お一人とわたしとは銀座線に乗った。三越前から半蔵門線に乗られたか別れて、わたしは一人になり、帝国ホテルのクラブに寄るのは今夜はやめて、銀座の「きむらや」でちいさなパンを八色ほど買っただけ、有楽町線で保谷まで『嵐が丘』を楽しんで帰った。
この若い女性の手になる新しい翻訳は、なるほどエミリ・ブロンテといううら若き才媛の生涯ただ一作を訳するのに向いているんだなあと、むかしの角川文庫の訳との口調の差も楽しんでいた。ぜんたいに物語なのだから、いまの訳は適切な翻訳の方針を賢明に選んでいるのだろうと思う。
* 幸い、機械の調子は穏和に保っていて、安心して、機械の前にいる。
2008 5・6 80
* 夕飯の、一番搾り、大きい缶が痛烈に旨かった。
七時、妻が今晩もピアノを鳴らし始めた。明日は、足利まで、藤の花を観に行きましょうよと。
2008 5・8 80
* 栗田美術館も足利学校も、惜しげなく割愛。藤が観たかった、想像を超えたすばらしい藤のいろとりどりに堪能した、ほかに余力をさく気がなかった。
それでも足利市駅での特急に小一時間の待ちになったのを幸い、すぐ近くの渡良瀬川、日盛りの岸辺に降りて、川波のとめどないせせらぎを聴き、揚げ雲雀の揚げては箭のように降りるのを、並んで腰掛けて、放心したように堪能してきた。
帰りの電車では北千住駅までわたしは眠っていた。
浅草の雷門ちかくで、ビールで天丼の天麩羅だけ、ほかにたらの芽やアスパラや牛蒡のかき揚げ、妻は赤身の刺身を。
浅草はなぜかくつろぐ。
雷門から仲見世をひやかしひやかし浅草寺には一礼して、言問通りゴロゴロ会館の向かいからタクシーで鶯谷駅へ。山手線、西武線で、妻は『伊藤整氏の生活と意見』を、わたしは『嵐が丘』を読んで、保谷にはタクシーも待っていて、渋滞なく七時半に家に帰ってきた。
2008 5・9 80
* 劇場向かいの弁当屋が売る笹寿司がうまい。劇場二階でたぐった蕎麦もわるくなかった。酒は飲まなかった。そのかわり、はねてからゆっくり銀座通りまで歩いて珍しく四丁目「ライオン」で二人でヱビスビール。ブルーチーズ、サーモン、そしてチョリソなど三種類のソーセージ。
此処はいい店で、小一時間、旨いビールが楽しめた。池袋経由、帰宅。十時半。
2008 5・13 80
* お岩さんに魘されもせず、五時半に一度起き、そしてまた。九時半になった。小雨。冷えている。
群馬の阿部さん、きのうはお手紙を、そして今朝は名だたる美酒二升、頂戴。ありがとう存じます。京都の澤田さんから折良く酒菜に、京とびきりのお漬物を沢山。ご馳走さま。
2008 5・14 80
* 釧路の「昴」さんから、趣向優しい選り抜きのカップ酒二つが、ホタテのお肴つきで愛らしく包装され、贈られてきた。サンキュウ・ベリーマッチ。
ちょうどいま戴いている桐生からの特別大吟醸の一本も、清水をひくように旨い。日本酒は藝術品だとつくづく思う、日本列島のいたるところに藝術の酒が生まれる。日本の水の、そしてこれまた藝術品の米の恵みだ。
四川の地震禍、ミヤンマーの風水禍とその政治の無道、民衆の悲嘆と憤激とを念頭に、いまこんな美しい酒のめぐみにあずかっている平穏を、痛む胸ももろとも抱きながら、有り難い有り難いと思う。
2008 5・18 80
* セルリアンタワー能楽堂での花柳春と朱鷺の会。金田中の点心が開会前に振る舞われる。
まず荻江「鐘の岬」は二世花柳壽輔振付けでうら若い花柳春百華があどけないほどの「鐘に恨み」を舞った。次は急遽代役の西川喜優が米川敏子の地唄で『雪』を舞った。
そして三つ目に西川瑞扇(朱鷺春美)が谷崎の『細雪』よりわたしが作詞し荻江壽友が曲をつけた「松の段」を荻江壽々らの唄三味線箏で踊った。小道具も出てすこし感傷的に説明的になったか、ちょっと踊りがな、と想ったが読みに苦心の跡はみえた。とてもいい曲なので、また繰り返し演じたいですと、帰りぎわ花柳春さんのていねいな挨拶があった。
* 小雨をさけて、まぢかの「さくら」という店に入った。細雪のあとで「さくら」はよかった。
富山の料理か。豪快な刺身、桜エビの唐揚げ、強の九条葱をつかった鴨ロースの小鍋、かれいの焼いたの。そして高菜の小結び。わたしは酒を二合、妻は小さいコップでビール。フルに満足のメニュになった。富山なら、あの店には墨の塩辛もきっと置いているだろう。沢山食べて一万三千円でおつりが来た。いまどき上等ではないか。
『嵐が丘』を読みながら満員電車で帰る。タクシーもすぐ来た。 2008 5・19 80
* 六月歌舞伎座、昼の部の座席券が届いた。高麗屋『薄雪物語』の通しに、福助・染五郎の踊り。夜の部は遠慮し、しばらくぶりにフレンチの「レカン」でも楽しみにと。先日夕刻、銀座一丁目から帰ろうとしていたら、顔なじみのシェフと料理長がお揃いで路上に出ているのにビックリした。「どうしたの」と立ち話。客引きらしかった、また来るからと約束してきた。
2008 5・21 80
* いましがた心入れの水羊羹が贈られてきた。なんでも喜んで食べて呑んで天命を楽しむべし。
2008 5・23 80
* 茜屋珈琲で気安く一休みしてから、ぶらぶらと歩いて三笠会館「秦准春」で中華料理。めずらしいパイチュウを二種類、そして紹興酒。しばらくぶりの中華料理が旨かった。
ためらいなく帰宅して七時。戸外はまだ明るかった。雨にもあわなかった。
2008 6・4 81
* かろうじて傘をささずに美術館に入ったが、出るときは傘が要った。月曜日で上野の山はいたく静かであった。精養軒のレストランに入り、ドライシェリーと赤ワインでうまい昼飯をしたためた。音なく降る雨、緑濃い窓外、不忍池は木立に隠れてみえない。ふと寝入りそうにまでワインが身に染みた。雨は降り止まなかったが、ま、いいかと鶯谷駅までそろりそろり歩いて、一路帰宅。
車中の読書から我に返ると、保谷駅の外はからりと明るく晴れていた。すこし腰に痛みがあり、タクシーをつかった。
* 夕食までには烈しい雷雨が来たり、通りすぎたり。
2008 6・9 81
* 天気はよし、病院を解き放たれてからは足任せに、熱い日照りの下を移動しては休みまた移動して、うまいフレンチに紅と白のグラスワインを味わって、脚の便よろしく帰ってきた。
2008 6・13 81
* 毎年の通りに、山形県のあらき蕎麦さんから、すばらしい「桜桃」をたっぷり四パックも頂戴した。病院から帰って、さっそく賞味、それは旨い。食べる手が止まらない。感謝し感激。
2008 6・19 81
* 帰途、銀座四丁目のライオンで、大ジョッキと「オム・ハヤシ」の大皿。
オムライスとハヤシライスというのは子どもの頃は父が乗り出してきて自分でつくってくれた、とびきりのご馳走だった。
おそらく父は兵隊時代に中隊長だか大隊長だかの従兵として、そんな料理もつくっていたんじゃなかろうか。そんな如才ない勤勉兵の余録で、わがやではカレーライスも父がつくつた。母はそういうものには全然手もださなかった。
* 病院でもライオンでも有楽町線でも『抱擁』に読み耽っていた。滾々と涌いて出るおもしろさ。
2008 6・19 81
* さいわい晴れて気温も温まってきている。気を晴らしてこよう。沈黙し瞑目している。いいことだ。そっちの闇に真の光がある。闇には、親たちも、兄も、姉たちも、やす香も、また何人も友がすでにいて、声がかわせる。
* 熱い外出だったが、保谷駅でのビールでの校正作業から始まり、汗みずくの半日、歩いていても脚攣りが左右とも頻発して往生したが、執念じみて浅草で、特の牛肉で「米久」のすきやきを二人前美味しく食べてきた。正一合の正宗やジョッキのビール。すき焼きの間はムリでも、それでも、ずうっと湖の本を校正し続けていた。不快なことは忘れていた。一度左ふくらはぎがキツク攣って、痛みが残っている。
2008 6・17 81
* e-OLD マイミクの「瑛」さん、「貝新」の佃煮をいろいろに下さった。感謝感謝、旨い酒を飲んだ。それとなし見舞ってくださったのであろうか。恐れ入ります。
今呑んでいるのは、埼玉県の小山本家酒造の純米酒で、酒スーパーが棚の奥の奥に隠していたのを引っ張り出して四本買い溜めた。手頃の安さよりも美味さに参った。三升飲み干して四本目の封も切った。『酒が好き』の著者としては醸造元にフアンレターを書きたいほど。「貝新」のたらこが抜群の美味、妻の肉の時雨煮もとてもよろしく。
2008 7・2 82
* 今日は銀座へ帰って、三笠会館のイタリアンで、少し贅沢に前菜そしてパスタのハーフを三皿。なかなか名の覚えられない、シェリー風のつよいイタリア酒と、生ビール。パスタがそれぞれに、断然の味覚と風合いちがいで、美味しかった。
2008 7・8 82
* 妻の手をひっぱるように銀座に移動して、並木和光店の七階で、蒔絵の服部峻昇展を観る。絢爛のバイタリティ。もう何年前になるか、わたしが推薦し、京都美術文化賞の授賞を選考会できめた。力量は有り余る。絢爛豪華な作に静謐に香る露がしっとりおりてくる日々が先に待たれる。いい展覧会であった。
ついて松屋で、田島征彦・周吾父子展を観てきた。おやじの田島さんが不在なのは残念だったが、はじめて周吾君に会ってきた。
* 松屋のなかで、銀座アスターの中華料理をおいしく食べて、有楽町線一本で幸便に帰ってきた。紹興酒の二合に気持ちよく酔った。それでも持って出た校正は進めた。
2008 7・9 82
* 金澤の久しい読者から、いつものように海の幸をたくさん頂戴した。
四升も買い溜めた純米酒が、もう無くなった。おいしい肴があると酒も行く。きっとからだの芯から病勢は進んでいるのだろうが、そう仲あしくもない。うまく付き合っていきたい。
2008 7・10 82
* 散髪してきた。人任せに髪をあずけたまま、自分でも気づくほど鼾をかいて寝ていた。五千円のおつりで500ml缶のビールが四つ買えた。入れ替わりに妻も髪結いさんに出かけた留守に、二本呑んだ。また昼寝した。さっぱりした。黒いマゴも頭上の棚でながくなってわたしを見下ろすように寝そべっていた。われらが安息日。
2008 7・23 82
* 渋谷パルコ劇場で観劇。
意欲的によく書け、よく演技で表現した、商業演劇の埒を深くはみ出した優れた舞台であった。きわめて不愉快な題材をいわば至福の境域にまで、ラストで盛り上げながら、一転ヒロインが現実へ呼び戻される。
新婚の夫ひとりが普通人の位置に立っていて、そこでペコンと凹む穴が異常舞台からふつう世間へ空気抜きの役をしていた。
松たか子演ずる異様な執着が、段階を踏むように表現されて行き、鈴木杏の演技は、松たか子に拮抗して効果的に舞台の意図を造形していた。非現実的な不幸を現実の至福へ死であがなって行く悲劇のしたたかさに、松たか子の役がおおきくよろめく「劇」性が、的確に演出されていて感心した。三人の男優たちが、ことに父の役がうまい。
ただ疑問なのは、はたして、これで観客の胸に何を感動として残したいのだろうか。刺激に富みすぎた材料でありながら、その先へ、生きた演劇の価値が残りうるのだろうか。そう思った。脚本も良く演出も良く俳優もすこぶる良いのに、そう思った。好い作品に出逢ったなという素直な喜びを観客が持ち帰っていたとは思われない。
* 往きに渋谷西武の地下で「ふぐまぶし」を食べ、帰りには松川で鰻重を食べて、往復とも副都心線で一気に渋谷へ、保谷へ。
2008 7・24 82
* 蚊を憎んでほとんど眠らず、六時半過ぎに起床、八時過ぎ、久しい湖の本の読者でミラクル会でもながくご一緒してきた方の十時告別式に町屋斎場まで出向いた。熱暑。喪服は勘弁願って黒系の半袖シャツで焼香し、安らかにと。
町屋は初めて。地下鉄千代田線で北千住や綾瀬の奥まで乗ってみた。亀有という駅もあり、医学書院に入社したころ、上司だった鶴岡八郎さんのお宅があり夫婦して一度尋ねたことがある。おもしろい駅名だと思った。亀戸天神というのもあり、この亀から、竹芝寺縁起の背後を探ってみたこともあった。
* 午後から雨と聞いていたが、雨どころかガンガン照りつける酷暑だが、空いた乗り物の中は涼しくたまたま持って出た本の出だしが我ながら面白くて、時間のたつのも忘れて、山手線を一周したりした。
最後に東京駅の丸の内口の安いイタリアンの店に入り、黒ビールと澤ノ井大辛という取り合わせで、風変わりなスパゲッティを二種類食べ、丸ノ内線で帰ってきた。保谷へ着いた六時頃、雷雨と予告されていた空模様が、やや雲行き陰気になっていた。
2008 7・25 82
* 山口の出口孤城さんに戴いた美味い清酒「獺祭」二本の、お礼申し上げる前に一本を呑んでしまった。四国の岡部さんから、磬石を打って妙なる音楽を演奏されているディスクを戴いた。こんなことが出来るのかと驚いている。作家の李恢成さんに超大作「地上生活者」の第三巻を戴く。
2008 7・29 82
* 猛烈な夏。池袋へ戻って、立ったまま熱いラーメンを食った。『冬祭り』中巻がもう終える。
2008 8・1 83
* 広島の藤田理史くん、名酒二本「龍勢」「呉汐」を下さる。ああ「獺祭」が切れてしまうと思いながら「したみ酒」していたところへ。
分かってくれたんだなあ。ありがとう。
自動車産業の中での、日々の「思い」も縷々書きつづって、それなりの悩みも有るに違いないが、元気に前へ前へ踏み込んで考えている。
初めて手紙をくれたとき、まだ小学校のヒレをつけたような中学生だったと思い出すが、大人も及ばない達意の書簡には、私たち大人を励ますつよい力と格調とがあった。びっくりした。もう久しく久しいおつきあいだが、まだ一度も顔を観ていない。顔を観なくても私たち夫婦には、いつも嬉しい懐かしい掌中の珠である。
2008 8・4 83
* 上越市光明寺の黄色瑞華さん、清酒「八海山」一升賜る。
八海山というと、あの吉田健一先生の酔いっぷりをを思い出す。
2008 8・8 83
* ふくふくとあまみの美味しい枝豆を勝田貞夫さん、たくさん下さった。ビールに恰かも好し。落花生をいただいたこともある。豆の名産地かな。
2008 8・9 83
* 岡山の有元さん、みごとな桃をたくさん下さった。両掌にうけて、まさに豊かな宝玉、芳香。
栃木の渡辺さんからは、これまた豊饒の葡萄の房をたくさん頂戴した。
桃といい葡萄といい、しっとりと命に艶をもらうようなおいしさ。お礼申します。
2008 8・12 83
* ああ、おもしろかったね、あれがカブキなんだよと妻と話しながら、昼飯の鰻「松川」についで、コクーンの外の広いパブで、久しぶりにホットケーキとコーヒー、紅茶を楽しんだ。
帰途、銀行での用事も済ませ、幸い一度も妻も疲れず、幸せな楽しい半日を渋谷で過ごしてきた。それにしても渋谷の街頭は騒がしくも五月蠅いなあ。
副都心線のおかげで、往きも帰りも直通で渋谷まで、また保谷まで。らくになった。
2008 8・13 83
* むかし京都の叔母の茶と生け花の社中であった、調理師佐藤信さんから、今朝、地元からおいしい仙台味噌を一樽贈って戴いた。むかしは京都ロイヤルホテルの和食の主任の板さんだった。帰省の時、お稽古に見えていた佐藤さんにスッポン料理をご馳走したい、ぜひホテルに来て欲しいと誘われ、妻とご馳走になった思い出がある。その当時、稽古場にみえる唯一の男性の社中さんだった。
その後故郷の宮城県に帰られて久しく御無沙汰していたが、新刊の湖の本を贈った。
2008 8・13 83
* 茜屋珈琲でひとやすみ。わたしは佳いカップでたっぷり珈琲。妻は当店特製の赤い葡萄ジュースに目を細めていた。
三部制は間が短い。すぐに第二部に。一つ斜め前の席に紅書房の菊池さんが集英社の南さん? と観ていると途中で知れ、双方びっくり、久闊を叙した次第。
2008 8・14 83
* で、気をよくして銀座でフレンチかイタリアンかと三笠会館に寄ったが一時前で少し人が多そうなのを嫌い、久しぶりに鮨の「福助」でいつもの「湊」に、二合徳利。機嫌良く、雲丹、あなご、鯛、大とろも追加しながら、『冬祭り』を読んでいた。
西近江安曇の里、作中の語り手の生まれ在所で、初めて会う姉や姪のやっている宿に、冬子との一泊…、と、読み進むうち、酒のせいか、嬉しさにこみあげてくるものがあり、なんというわたしはヘンなヤツであろうと惘れながら、足取り軽く帰ってきた。
池袋西武を通りぬけているとき、トーチカ状の山の上を苺で埋めたケーキに目を惹かれ、買って帰り、珈琲をたてて、妻と半分食べた。
2008 8・15 83
* 浅草の「みちびきまつり」に行こうとしたが、小雨曇天、以外の冷えに体調をおもんぱかり、明日もあること故、惜しくも不参。あらためてあの辺りへ食べに行こうと思う。
2008 8・23 83
* 九月歌舞伎座は、秀山会。近代の名優・初世中村吉右衛門を記念の興行であり、わたしたちも観に行く。
ついては、まことに貴重で面白い「助六」掛かりの「芝居繪」をお目にかけ、祝いたい。この絵は、上野で私たち贔屓の天麩羅屋で、カウンターの視線真上に額装してある。店主に頼んで写真に撮らせて貰った。
ご覧あれ、すべて天麩羅のタネ尽くしです。そればかりか、役者の名がみな書いてあり、これが堪えられない。なぜなら、この役者さん達がこのままの名乗りで舞台に上がっていた、ちょうどその時期に、高校生になったばかりのわたしは、初めて京都南座の顔見世で、此の名優・吉右衛門丈や当時の染五郎、もしほ丈らに出会ってたんだもの。吉右衛門が妖刀籠釣瓶で美しい立女形の後の歌右衛門演ずる花魁八つ橋を斬り捨てたのを、ぞっとして観た。
* 座頭・中村吉右衛門が真ん中の床几に腰掛けている。髭の意休か。紋甲烏賊かな。
太夫揚巻は播磨屋の弟中村時蔵、その後ろへ息子、現在の萬屋時蔵丈のお父さんの梅枝(絶世の美女でありました)がつき、時十郎、しほみが従っている。
紫の鉢巻して蛇の目傘を振り立てた伊勢海老の助六役は、高麗屋の市川染五郎、言うまでもない現在の幸四郎丈のお父さん、染五郎クンのお祖父さんで、後年に松本幸四郎=白鸚になった名優だ、吉右衛門絶好のお婿さん。
「股ぁくぐれ」とやっているのが、懐かしや、もしほで、後の、先代中村勘三郎。今の勘三郎丈のお父さん。花のある役者だった、「身替座禅」の色気に高校生が痺れた。
その股をくぐろうと手をついて平伏しているのが、誰あろう、かつを、映画界に転じた中村賀津雄のようだ。左端に立っているのがやはり映画へ出ていった偉大な兄貴中村錦之助。立っている二人の女形は種太郎と吉十郎らしい。
秀山会に借りだし、ロビーに展示したらいいのにと思うが、いやいや美味い天麩羅を食べながら見上げるのが至極く、オツです。「天寿々」好きな店です。
2008 9・8 84
* 時計がとまっていて、正確なところが分からないが、機械時計はおよそ夜十一時頃と教えている。
さきほど歌舞伎座から帰ってきた。どこへも寄らなかったし、今日は一滴の酒もビールも飲まず。昼は吉兆で食べ、夜は弁当にした。昼と夜との間には茜屋珈琲でやすんだ。
昼夜とも前から五列目、昼は花道近くの通路際という花道芝居も絶好席、夜は中央の通路際という役者と目が合う絶好席。立ち居にラクでどんなに有りがたいか知れないし、舞台へ遠めがねが要らない。
2008 9・9 84
* 名古屋中村、「河文」の鰻の風味煮が手に入って、酒と晩飯とが美味かった。
2008 9・19 84
* 上野、都美術館で一水会展を観てきた、というより堤さんの入選作を観てきた。入場券と一緒に写真が送られていた。
写真を見ておおっと声が出た。これまでを、グイと超えて出た画面が光っていた。写真でものはいえない。遠慮しぃの堤さんが観てほしいと言ってきているのも例のないことだ、台風の通りすぎるのを待っていた。
すこぶる暑い日ざかりの昼さがりだったが、上野駅から公園を横切っていった。おなじ館内に「フェルメール展」があり人出はそっちへ集まっていた。妻もわたしもフェルメールを束にして観る気はなかった。
堤さんの繪は、ややいつも雑然と盛り沢山にガヤガヤする従来の画面とちがい、主題の壺の花が生き生きと咲いていた。花そのものが明るく命の声を発していた。
周囲が、背景にしても足下にしても、花の邪魔をしないでしっかり美しく咲かせようとしていた。何でもない、それだけでちゃんと花の繪になって我々は花の繪と向き合っていた。
いつもは、時として何の繪と向き合っているのかと戸惑うほど全体にいろんなモチーフがかってに喋りまくっていたのに、今日の繪は明るくてうんと静かで、だから画面が生彩を維持して美しかった。ああ、これで観やすいなあと納得した。
一水会ぜんたいが、甚だ尋常なお絵描き集団らしく、そつのない繪が多くてそのかわりみーんな似ていた。目にばっと飛びついてくる勢いのいい絵にはお目にかかれなかった。物故作家であるが、小山敬三のちいさな「山」の繪が抜群のみごとさで、ああこれなら欲しいと唸った。
* みるからに妻の疲労が濃く、こういうときはと、博物館前からタクシーに乗り、柳通の佳いレストランへ行ってと命じた。運転手が心得ていて、まよいなく店の前で下ろしてくれた。
この店ではとびきりのコースメニューで、赤ワインもシェフの気遣いで上等の実にうまいのを出してくれた。妻はおいしいワインで持ち直し、おいしい洋食でぐんと元気に血色もよくなった。食べないといけないのだ、うまいものを。ゆっくり、腰をおちつけて食事に満たされた。根岸の町通りで風情の店をのぞいたり、横道にそれたりして鶯谷駅から、帰ってきた。
* 建日子が顔を見せに来るらしい。
2008 9・20 84
* 帰り、国立能楽堂から千駄ヶ谷への途中、「五万石」能登海鮮料理の店へ上がって、会席をはずみ、「立山」三合の酒で、とっくりと楽しんできた。いい値段でもあったけれど美味しいものを食べさせた。満足した。
エドモン・ダンテスがファリア法師に譲られたとほうもない無尽蔵の宝をモンテクリスト島の二重の洞穴の奥の奥で発見するところも、うまい酒と一所に堪能していた。あの洞窟が後には幻想いっぱいの夢ににた御殿に変貌するのだが、どうやってと訝しむぐらい奇跡的。ま、それはデュマの腕前としておく。
2008 10・4 85
* 室町に満足して、錦通りを烏丸を渉って東へ。錦の食品も覗きたいが、イノダ本店の珈琲で一息入れて行こうと堺町を北へ。疲れをやすめて今度は、ま、目新しい観光客向けの店、店が路上にまで溢れたかのような三条通を、寺町まで歩いて、南東の角ちかい老舗の「三島亭」にあがった。
なにしろ「一人前参銭也」の昔からあるすきやきの店。精進あげに恰好だが、この店の肉は、ふるえの来そうな程、高価。めったには上がらない店だけに、いっそ勇躍二階へ。むかし此処から祇園会の鉾巡幸を観たことがある。こんなところで鉾の行列が角道を曲がっていた時代もあったなど、京都の人でも覚えていない。
すきやきは、むろん、うまかった。満腹した。
ゆらゆらと三条河原町まで出たが、妻の疲れ具合を察してタクシーを二条のホテルまでつかった。ゆっくり早めにやすませて、わたしは夜更けまで読書。
* なんとなし不安で、夜中に精神安定剤をのみたくなったが、そうはしないで、本を読み継いで寝た。
2008 10・9 85
* 夕方、がまんならずウイスキーを買いに出た。ウイスキーに焦がれていた。サントリーの原酒、それに「ホワイトホース」を買ってきた。旨かった。このところ食べ物も飲み物にもいささか飽きていたが、今日のウイスキーには久しぶり満たされた。
2008 11・1 86
* 聖路加午後一時予約の診察、早くに病院入りしたがコンピュータ・システムに故障があり、かなり遅れた。
幸い、体重のこと以外、いつものデータは改善がすすんでいて、ただただ「体重」注意と言われてきた。降参である。
昼飯は院内で食べたが、夕食は街でイタリアン。日本のビール、イタリアのワインとビールで二種類のパスタを食べてきた。
今日は、以前に貰っていた久間十義さんのルポふうのサスペンスをずうっと読んでいた。
* 日が短くなっている、外へ出るともう街は黄昏れている。食事が済んで出るととっぷり暮れている。
2008 11・7 86
* 今日は冷える。やすもののカナダウイスキーを買ってしまい、失敗。トリスよりまずい。ビールは冷たい。体調の問題かも。
2008 11・19 86
* 有元毅さんに、広島の名酒「御前酒」二升を頂戴した。純米で、金賞の品評を得たとある。たしかに美味しい。酒に佳い季節になった。有元さんには戴くばかりで、有り難い。人づてに知ったが、ながく校長先生をなさっていたそうで、わたしよりお年かさに感じているが、政治むきの気持ちなどで、共感し合うところがあり、そういう知己はことに頼もしく心強い。
2008 11・23 86
* 終演後、タクシーを拾い、三人で池袋西口に走り、東武百貨店の上の「美濃吉」に入った。出た料理には全く感心しなかった、わたしの体調のセイだろうか、とても疲労していてヘンに息苦しくハアハアしたりして。ま、そういうこともあるさと思って深くは気に掛けていないが。
建日子と長時間話せる機会はすくないので、今日のような日は、年ごとに大事になって行く。
料亭の席をいつまでも塞いでるワケに行かず、メトロポリタンホテルへ移動し、二階ラウンジで話の続きを楽しんだ。
池袋駅で別れて帰ってきた。妻をすわらせ、わたしは立ったまま『復活』を読みながら保谷まで。
いまカチューシャは、国事犯たちのなかに混じっていて、男性囚の一人が彼女に愛を抱き、ネフリュードフの理解を求めていた。トルストイがこの作品では国事犯たちとも深く接して「革命」の匂いへも果敢に接近している。ネフリュードフや国事犯男女たちの「人間」認識はそれぞれに辛辣でシャープで、トルストイという「非常識」極まる貴族作家への敬意を、わたしはますます深めている。ある時代の常識に対して優れて批評的に、また孤独に耐えて非常識であるということの凄さとすばらしさ。
2008 11・28 86
* この人の下さる北陸の鱒鮨、それに墨烏賊の塩辛のとびきり美味さ、いつもビックリしてしまう。能登料理の「五万石」で、いちどこの人と食べたいと思うのだが。
* 広島の藤田理史君から会社の現状を知らせながら、ボーナスが出ましたと、旨そうな清酒が贈られてきた。感謝。
石川県の醸造元「萬歳楽」も暮れのごあいさつ。
折良く京都の漬け物も一樽。感謝感謝。
2008 12・8 87
* 婚約して五十一年めの一日を、ゆるやかな心地で家で過ごし、上ダネを「和可菜」に選んでもらって鮨と刺身と、妹の伊藤ひろ子の贈ってくれた白ワインで、夫婦二人で夕食した。
2008 12・10 87
* きのう、重ねて藤田理史くんの選んでくれた名酒二種を頂戴した。彼は新潟の出身、酒どころ。勤務地の広島も酒どころ。かなり、やるのかなあ。
遠からず家庭をもつことだろう。少年の昔は馬が好きだったし、九大の学生時代はバイクをとばしていた。いずれは内実に蓄えて醗酵させているであろう「表現」の酵母が、香りたつようにと見守りたい。
2008 12・11 87
* 「高時」のあと、館内の「吉兆」で昼食。献立宜しく旨かった。昼夜入れ替えのときは「茜屋珈琲」へ。店の前で高麗屋の奥さんと出会い、あわただしいが和やかに笑顔の立ち話少々。
2008 12・11 87
* 晴れて、冷えている。冬。
「ゆめ」さん厚意の、鱒寿司に黒造り添えて到来、「一の蔵」のとびきりも。暮れであるなあ。十六日に歯医者通いが決まっているが。ほかは七十三になる誕生日だけ
2008 12・12 87
* 帝国ホテルで、初対面の、久しい読者と会った。クラブに入り、「伊勢長」の弁当で、歓談三時間。あいにくお客さんは下戸。わたしは、ホステスがあとで心配してくれたほどブランデーを呑んだ。心配するぐらいなら途中でして欲しいナ。
* 会った一の目的、選んでおいた茶道具の三種、絵軸、香合、盆を謹呈したかった。活かして欲しい。いい人の手に収まったと思う。
絵は、細い長い瀟洒な軸で、上から下へずうーっと余白の、裾に二疋の「鈴虫」を早い筆で描いた墨画。風情満点、天地に虫の音の聞こえる余韻の作で、待合掛けの逸品。叔母も愛し、わたしも愛して、よく使った遺愛、自慢の品だ。「秋石」という、幕末から明治の、茶の世界では名の知れた、風情と練達の画人の秀作。
香合は、高野槇で彫った素木肌の「蓮華の莟」。清潔の二字をかたちにしたようなふっくらと清々しい作で、裏千家先々代家元、淡々斎の好み物、箱書がある。「千家到来」と書留がある、なにかの機に配り物にされた「員のもの」か知れぬが、きれいに莟に彫ってある。
盆は、秀吉の昔の渡来人家系、「飛来(ひき)一閑」何代目かの伝来の作で、飛来家は、紙を器胎に漆がけした、まことに快い軽みの道具を家の藝に創ってきた。朱塗五角盆、は干菓子器としても茶入等の飾り盆としても趣味豊かな逸品。
この三つを、手近なところから選んでおいた。茶の湯執心出精の人に活かして欲しいと願ったのである。
道具屋はうるさいほど買いに来るが、売ろうとはなかなか思えない。それより茶の湯びとに活かして欲しい。ただ困るのは、この世間の人たちが、「他流の道具」は使わないという偏見の持ち主であること。なんというバカげたことかと思う。今日ホテルまで来て貰った北海道の人は、表千家流で多年稽古しており、あるいは淡々斎の好み物で箱書の香合など、使い道がないなどいうのでは残念だと思う。聡く活かしてくれると思う。
* 茶の湯は何十年「お稽古」してきたからといって、じつは役に立たない。稽古は稽古、茶の湯ではない。茶の湯の人は真実自由人でなければならないが、お茶を「稽古している」と、逆にこの精神の自由を根こそぎ奪われてしまうことが通常なのである。その辺がじつに難しく残念で、困惑もする。
* 「伊勢長」は、前日歌舞伎座「吉兆」と較べてもまずまずの献立と器とで、酒肴としては及第だったが、お酒のいけないお客さんには腹に満ちたろうか。
もっとも話題はたっぷりあった。
一昨日にこの人、近郊住まいの母上と歌舞伎座の夜の部を観ていた。わたしたちの一日前であった。「名鷹誉石切」「高坏」「籠釣瓶花街酔醒」だから、昼の部より平均点は高い。
話題は、籠釣瓶の切れ味と八つ橋凄絶の愛想づかし、この大人しい人にはいささか刺激的過ぎたらしく、師走の大切り打ち出しに、あんな怖い芝居でいいのですかと聞かれた。季節も違うし、と。もっとも昼のきりの「佐倉宗吾」の大雪のあとで歌舞伎座から夜分の木挽町に出されるのも寒い。
「籠釣瓶」は人によっておしまいの、「籠釣瓶‥‥は、斬れる」のあとで憎い間夫繁山栄之丞を斬り殺すまで、多いときは手当たり次第に惨殺するのだが、高麗屋は、きれいに「八つ橋」と女中一人とだけで幕にした。よほど後味は綺麗で好かったのである。
2008 12・12 87
* 歯医者、今年は今日で終え、初春から、夫婦とも通うように云われる。わたしの場合疲れるとすぐさま痛むのでは、否やが云えぬ。
* 帰り道、満員の「リヨン」に振られ、池袋西武へ足を伸ばし、「伊勢定」で旨い鰻と、久々の冷えたビール。歩き回るのはやめて帰ってきた。だいたい年齢よりも若く歩けると自覚してきた時代が永かったのに、いまは妻のほうがまだしも、元気に歩くときは歩く。息子の目には「おやじ」は相当衰えていると映るらしい。
歳末、すこし酒と読書を節したほうがいいか。
2008 12・16 87
* 校正ゲラを持って街へ出た。眠気覚ましに池袋駅西口の喫茶店で二倍のエスプレッソを注文し、懸命に校正。それから、ぐるぐる脚まかせ。しかし、今日はすこし旨いモノを食べて帰るのも目的にしていたので、柳通りで洋食を。
前菜、スープ、貝の料理とフィレ肉。デザート、少し残した。ワインの赤。うまかった。
校正も、一応仕上げて。あとは、「要再校」のための調整に明日一日掛け、明後日は。師走の浅草へでも出歩いてこよう。
2008 12・19 87
* ありがとう。大好物の鯛、いただきます。一陽来復。お幸せに。平安を祈ります。
2008 12・21 87
* 「めで鯛」で戴いている佳い酒いろいろで坏を傾け、赤飯と吸い物で昼ご飯を祝う。
2008 12・21 87
* 三時半に「琳」さんと鶯谷駅で会い、ともあれと駅前の「公望荘」で蒸籠蕎麦を手繰って、そこで院進学のお祝いに、五代清水六兵衛・六和作「仿仁清翁扇流」の茶碗を呈上。やきものに関心を育ててもらうには絶好かと思う。
タクシーで雷門へ。師走歳末日曜の仲見世はびっしりの人の波。波のうねりにまかせてゆっくり歩いて、浅草寺本堂に上がる。
奥山をもう一度国際通りへ、そしてまた米久わきへ入って、浅草の見本市のような展示場を見物してから、鮨の「高勢」に五時に入る。
うまい肴をたっぷり。「琳」さんと妻とはビールのあと白いワイン。わたしは酒とワイン。主人の親切な応対もたのしく、よく飲んで食べてよく話してきた。銀座の「きよ田」の話なども出来て、懐かしいやら嬉しいやら。
そういえば大学に受かった夕日子を「きよた」でご馳走して祝ってやったのが懐かしい。隣席の小学館篠氏に、小娘に過剰サービスですよと笑われたが、娘にはいいものをいいものとして覚えさせたかった。
今晩は、大学ではない、大学院に合格したやす香のお友達にご馳走して、自分の誕生日も一緒に祝った。この二年、どんなに慰められ癒されてきたか、計り知れない。
食後は寄り道しないでまた鶯谷駅に車で戻って、山手線、池袋で「琳」さんを見送った。
佳い一日になった。
2008 12・21 87
* さ、「めで鯛」肴で、もう少し美酒に酔い、お茶にしよう。良き日に感謝する。
2008 12・21 87
* ジョン・ウエインにリタ・ヘイワースとクラウディア・カルディナーレのサーカス映画が、ほろりほろりと胸つまらせて泪を誘う映画だった。
昨日戴いた「めで鯛」の片身を肴に赤いスペイン・ワインを晩の食事前に呑んだ。
「鯛」って、なんでこう美味いのか。臭みのみじんもない白い身のホクホクと美味い鯛を口に含んで、ワイン・グラスをしとっと傾ける。
下関から、純米大吟醸の「獺祭」を二本戴く。
富士の「松」くんには、木曽の栗きんとんを戴く。
2008 12・22 87
* 暮れの地元の用を、自転車でクルクル走って、みな済ませた。大晦日に池袋へ出て蛤を買い、江古田の「リヨン」に立ち寄って注文の品を持ち帰れば、済む。
今日は、妻を誘って池袋西武に出、京の雑煮味噌を二種類買い、わたしに必要な湖の本用のダイアリーを買い、そして中華料理を思うさま注文して食べてきた。のんびりした。帰りに、家に生けてきたのを補充しようかと、花もすこし買った。
カレンダーも掛け替えた。お飾りもした。妻は新しい湖の本のためのいろんな記帳用の用意に念を入れている。
2008 12・29 87
* いろいろ言いたいことがあるような、どうでもいいようなアンバイで。あすは、池袋へ蛤だけを買いに行く。日付も変わった。
2008 12・30 87
* 風はあるが、日ざしは明るい。機械の前にいるとさほど寒くない。穏やかな大歳。
* まずまず、今年はこの辺にしておこう。池袋へ恒例の買い物に出かける。帰途、江古田の「リヨン」により注文の料理を持ち帰る。
2008 12・31 87
* 熊本産の蛤、あわや売り切れにちかく、すべりこみセーフ。デパートは、東武も西武も一昔前の大晦日にくらべれば、閑散たるもの。
パルコに上がって船橋屋に落ち着いたが、客はわたしを入れて二組とはおどろいた。この不景気、来年はデフレスパイラルが深刻にならないか。
しかし船橋屋の天麩羅が今日はひとしお旨く、嬉しかった。天麩羅一本槍で、牡蠣と白子を追加した、これがケッコウで。酒は天花と笹一を一合ずつ。枡敷きのコップに景気よく溢れ零してくれた。美味かった。揚げ玉をお土産に呉れた。
食べながら少し校正も進めた。
「リヨン」に寄り注文の品受け取って帰った。大晦日にしては街なかも静かに感じた
2008 12・31 87