ぜんぶ秦恒平文学の話

食べて飲んで 2007年

* 晩は一転、東天紅の料理で、紹興花彫酒を堪能した。建日子がいて、ネコが、マゴとグーと二匹いて、妻と、私。いい歌を聴き嬉しいメールももらい、心晴れて佳い元日だった。「mixi」日記には、この時代…わたしの絶望と希望、を語った。
2007 1・1 64

* ゆっくり朝寝してからお雑煮を祝う。猫たちが神妙に共存していて、えらい。
2007 1・2 64

* 四日はすまし汁に焦げ目つけた餅の雑煮を祝う。京都の頃は水菜を添えた。今朝は春菊と紅白の蒲鉾を。そして花鰹。黒いマゴもそばにチン座して。
2007 1・4 64

* 七草粥を祝う。曇って風。予報された雨はさほどでなく通っていった。冷え込みはきつい。気がかりだった仕事を再開、これを済ませると区切りがつく。小さな区切り区切りを確実に付けて行くと、大きな動機が動いてくる。
2007 1・7 64

昼食は、初春だもの、むろん「吉兆」の正月づくめ。めで鯛と蟹との刺身も、雑煮仕立ての碗も、紅白につくった飯も、あれもこれもしっくりと味善う(あんじょう)出来ていて妻もわたしも満足。いつもながら、弁当の時間がもう十分ながく欲しい。ご馳走を三十分で大急ぎで食べてしまうのも、かなりな贅沢だが。

昼夜の入れ替えの時、高麗屋の奥さんに雑踏の中劇場の外まで走り出てあいさつしてもらい、恐縮した。茜屋珈琲では正月ご祝儀の「花びら餅」を戴いた。お正月を楽しんだ。

芝居がはねて、タクシーで日比谷のホテルへ。クラブで例の、今夜はブランデーに終始。妻は、グレープジュースを立て続け二杯。これが卓効の疲れやすめになる。美味いサーモンをいつものように切って貰い、またシーフードのマリネも。ほっこりして、帰路に。歌舞伎座を出たときは寒かった。帝国ホテルを出たときは温まっていた。車中、妻は安息し、わたしはカッスラーの『オケアノスの野望を砕け』をほぼ読了。
2007 1・11 64

* 小豆粥を祝う。三が日の味噌雑煮、四日餅を焼いての清まし雑煮、七日七草粥、十五日の小豆粥。これだけは欠かした記憶がない。わたしが「正月」と呼んでいるのは、今日まで。十一日を終日歌舞伎座で過ごした以外、外出らしいこと、無し。こんな正月、めずらしい。初詣と散髪。自転車で荒川の長い長い橋をさいたま市側まで渡って来て、夕暮れてしまい、道に迷い、道ばたの、歩道と車道とのあわいの灌木帯へ横転、アプアプしたぐらいなもの。ま、それやこれやも謂わば「去年バテ」を癒していたようなものか。
2007 1・15 64

* 歳末来の空き瓶を回収してもらうべく所定の場所へはこんで、いささか閉口した。ほぼすべてがわたしの退治した酒類の空き瓶である。日本酒の一升瓶が二本、四合瓶が三本、それにワイン、紹興酒、ビール瓶が何本も。コリャ、スゲェこったと、糖尿病患者は心肝を寒くした。しかし今朝の血糖値は、97。だいたい寒い季節は低いのである、体験に徴していえば。
ま、退治すべきは喜んで美味く退治したのであり、この一月中にかかる瓶類は残念ながら消え失せている予定である。
2007 1・17 64

* 松屋のなかであったから、上の食堂街で「つる家」の和食。医者に叱られると、これで最後にするかとすこし贅沢にうまい昼飯を食うことにしている。上撰白鶴を、一合、少し控えた。
昨日から林氏の『浦島伝説の研究』に魅了され、ペンを片手にどんどん読み進んでいる。評論ではない全くの研究書だが、周到で緻密、しかも論旨の運びは明快で、「正しくて面白い」のが研究論文の最良のものというわたしの思いこみに、ぴたっと嵌っている。倦かせないのだから、すばらしい。
日本書紀、万葉集から今日まで「浦島子」ないし「浦島太郎」のことを知らぬ日本人は少ない、それほどポピュラーでなおかつ抱え持った内懐の深いことも希有な文化的複合であり、源氏物語や平家物語の広大な深遠な読みにも関わってくる。
2007 2・16 65

* からだはシンドかったが、前回と同様に有楽町へ迂回し、「きくかわ」の鰻を、しばらくぶりに妻と。そして有楽町線で一気に保谷へ。酒とビールとがきいて保谷駅まで寝ていた。
2007 2・17 65

* 一日外へ出ていて、湖の本校正は一気にハカがいった。香味屋。紅白のグラスワインで鱸や牛肉の凝った食事を満喫して帰る。
2007 2・27 65

* 老人のわたしなどが意地汚く食い気を発散しているのは見苦しいが、若い「雄」クンらのこういう記事は、いっそ颯爽としている。いじゃないか、いじゃないかと思う。水炊きか。そういえば新門前の父親もなにかの折りには「水炊き」を提唱して「かしわ」「かしわ」と口にした。
「おとうちゃん かしわとにわとりと、ちがうのん」
「うまいのがかしわや。おいしいのがにわとりや」
「うまいもおいしいもおんなじやん」
「そや。かしわもにわとりもおんなじや」
「…」

* 新宿の「玄海」に久しく行かない。行きたくなった。食べて早死にするか。食べずに長生きするか。何のために長生きの必要があろう。
2007 2・28 65

* 朝起きるとわたしは湯を沸かし、一服ないし二服抹茶を点ててのんでいる。いただいたお茶を缶のまま古びさせてはもったいこともあるが、少年の昔からお茶が好きで、叔母の稽古日には稽古に来た人のお茶をずいぶん飲んでいた。たてようの下手なのによく閉口した。わたしの点てた茶はだれもが美しいし旨いとほめてくれた。茶筅の通しがいいのだろう。ただし今は行儀がわるい。キッチンで、時には床に立ったまま点てているが、無茶人の茶、勢いがついてひとしお旨い。
2007 3・2 66

* 会議後、ひとり和食の「鈴木」に寄り、ミニ懐石で少し飲みながら、一気に次巻の「校正」を進めてきた。
委員会のまえに「ビッグカメラ」で先日のと同じMOドライヴを買っておいたのを、帰宅後に旧親機に接続してみた。なかなかうまくいかず諦めかけていたが、なんだか、なんとか成っていたようでもあって、画面を引っ張り出せた。旧親機と新本機とのLANがいっこううまくいっていないだけに、両方にMOが使えるようになったのは、手間のやや面倒なのを辛抱すれば、相互に大量バックアップして行けるわけで、3.5インチディスクもこまめに併用できるわけで、やや独力で環境を部厚に出来たような気がする。すこし一段落した気もする。
2007 3・7 66

* 歌舞伎座は通し狂言『義経千本桜』の、今日は昼の部。六列目中央の絶好席、しかも我々の一列真ん前の二席が終始空席とは。感謝感謝。
夜の部は別の日に。

* 開幕の『鳥居前』は大きくは盛り上がらなかった。梅玉の義経が猫背でのっそり立ち、老けた桃太郎のよう。四天王(松江、男女蔵、亀三郎、亀寿)が若々しく揃って、まずまず、助けられた。福助の静は絵に描いたような赤姫で可も無し不可も無し、では、福助にしてはよろしからず。
左団次の弁慶もこの場では気の毒千万な出方で、笑うに笑えない。忠信の花道への出からは音羽屋が、菊五郎が、若々しく舞台を保ってくれて何とか落ち込ませなかったが、亀蔵の笹目忠太ひきいる軍兵どもの、忠信に迫るも終われるも、いまいち迫力もおかしみもなく、音羽屋の、花道狐六法のひきあげに拍手するのが関の山であった。

* 「吉兆」雛祭りの献立は鯛の刺身はじめ、どの一品もけっこうで、一献白酒を振る舞ってくれてたら申し分なかったよと、マスターと笑ってきた。

* つづく『渡海屋』『大物浦』は高麗屋幸四郎の独擅場。渡海屋銀平は、今少し漁師っぽく、ざらっとくだけたまま芯が徹していいのかも知れない。「実は知盛」腹の内の悲愴が「銀平」からもう出溢れている。大きく化けて知盛であらわれたとき、おおそうか、より、やっぱりな、と観客に思わせかねない。だがまあ、あれが高麗屋の芝居なのだろう。
此処でも梅玉の義経、もう少し性根に工夫、所作に切れ味が欲しい。ぼやーと立ったままではないか。あれでは碇知盛も遣る瀬が有るまい。
山城屋の藤十郎さんは、せいいっぱいのきっちりした思い入れと歎きとで、出色のお乳の人であった。さすがになあと、やはりこの優の藝力に惹かれる。
渡海屋での相模五郎(歌六)はまだしも、大物浦注進はけっこう見せ所なのに冴えない。颯爽若侍にやってもらいたい、歌六はもうオジサンすぎて、この役のニンではない。入江丹蔵(高麗蔵)ですら、まずまずに演じたものの、颯爽も悲愴も感じさせ得ない。海老蔵や松緑ならビビビと来る役なのだが、客としては残念。いっそ松江や亀寿にさせたかった。
それでもなお幸四郎の藝にピタリの碇知盛、さすがに大きく盛り上げて拍手が沸き上がる。劇作の妙も大きい。この場の左団次弁慶の花道は、まず締めくくっていた。

* お定まりの「道行」は、なんと芝翫の静に狐忠信の菊五郎。まず当代では大顔合わせだが、芝翫がよくない。菊五郎に踊らせておいて静御前どころか露骨に「芝翫」の顔で音羽屋の藝をまるで監督・品評しながら、表情も芝翫そのものという、名優には似合わぬ行儀悪さに呆れた。静御前が口をパクつかせたり曲げたり、ときに声音をもらしたりして相手役を観ているというのは、客としては迷惑だ。菊五郎が抜群に踊りが巧いならそっちへ視線をあつめていれば済むが、あいにく今の音羽屋は必ずしも踊り手ではない。
この舞台を、断然盛り返し盛り上げて劇場感覚を一つに統べたのは、松島屋片岡仁左衛門が、華麗に、選り抜きの花四天を従えた大馳走の「逸見藤太」だった。これはおそらく初役か。じつに悠々綽々の道化芝居。完全に音羽屋と成駒屋とを食い囓って圧倒した。客はもうもう大喜び。妻も隣席でウハウハ笑い続けて喜んでいた。これあるかなの仁の徳。なみの藤太だったらたいがい眠くなってしまう。
芝翫の静でなく、せめて福助であってほしかったが、松島屋にわれわれも救われたのである。ウオオオッと盛り上がった気分で歌舞伎座を出られた。

* 大物浦のあとの幕間に、高麗屋の奥さんに声かけられ、ロビーの雑踏でしばらにこにこ立ち話。染五郎のめずらかなカレンダーを貰った。
はねてからは「茜屋珈琲」で、今日もふるいつきたいような佳いカップで珈琲をのみ、マスターと歓談、劇界のうわさ話など聴く。

* 仏蘭西料理の「レカン」にちょうどまだ一時間の間があり、デパートの松屋へ入った。妻は新調したコートに似合うブローチを買い、わたしはたまたま開催中の「シャガール展」で、無署名ながら刷りの佳いリトグラフを見つけて買った。愛蔵のダリ署名入りのリトグラフより小品だが、シャガールの美しい赤が引き立っていて、気に入った。会期が過ぎたら家に届く。
「レカン」の晩餐はさすが。すっかり馴染んだ店の人たちが、飲み物にも食べ物にもデザートにもよく気を遣ってくれた。写真まで撮ってくれた。書きかけている新しい小説のはなしなど妻としているうち、一番乗りだった店内がいつか満席にちかくなっていた。シェリーもワインもよかった。
銀座は落ち着く。
2007 3・14 66

* 昨、就寝前の血糖値が近来になく異様に高くておどろいた。応急処置して、今朝はまずまずの高さ。これから聖路加での検査をうけに出かける。

* 二種類の検査を、順調に終えた。ひとつは両腕、両足首、足指に強い負荷をかけた血圧検査のようであった。首尾はむろん何も分からない。
若い華奢な女性の検査技師が、足首が細くて綺麗ですね、うらやましい、などと妙なところを褒めてくれた。初体験。
もう一つは、中年の女性の医師か検査技師かが、頸になにか塗りつけ塗りつけ指で押したりさすったりしていた。検査用紙にはechoと書いてあった。これも首尾は一切不明。で、解放されたのが二時半。
聖路加ちかくは桜が八分咲き。いっとき暑くなり、いっとき冷えはじめ風が吹いた。松屋のうえに上がり「つる家」で和食。ここの白鶴上撰はうまい。徳利が貧相でないのがいい。料理もたいへんけっこうでした。食べながら『宇宙誌』を読みふけっていた。帰りの有楽町線もうまく西武線直通が来てくれて、半分本を読み、半分寝ていた。保谷では風が冷たく、タクシーで逃げ帰る。
2007 3・30 66

* 歌舞伎座の夜の部は、すべて予想通り。
『実盛物語』は後年の加賀篠原の実盛最期までをきちんと視野に入れた手際もむまとまりも佳い歌舞伎で、当代断然の立役者仁左衛門がすっきりと丈高い実盛を小気味よく演じ、孫である千之助を天晴れ手塚光盛に仕立てて一緒に乗馬の晴れやかさ、こころよい歌舞伎で楽しませまたほろっともさせる。
源氏の白旗を死守した母小万を秀太郎が献身的に演じ、じつは小万の父瀬尾という儲け役を、坂東弥十郎が堂々と演じ振舞い、幼い孫の手塚太郎に討たれて、後の木曽義仲股肱の臣たる「初手柄」にさせてやる。その義仲は、つい今し方、亡き源義賢の未亡人葵御前(魁春)のお腹に生まれたばかりなのである。
亀蔵も家橘もそつなく、まちがいのないきちんとした舞台で、仁左の魅力は花満開の美しさ。
二代目中村錦之助襲名の「口上」は、親族方の上席に播磨屋中村吉右衛門や兄中村時蔵。後見役は中村富十郎で大きく決まり、列座は中村雀右衛門、中村芝翫、それに松嶋屋三兄弟など賑々しく。錦之助という名前が晴れやか。妻の誕生日にうまくはまっておめでたい。
そして夜食は「吉兆」で、献立よく、少し乾杯。
その錦之助にうまくくあてがった狂言が、『双蝶々』の「角力場」。なよなよとした二枚目の若旦那と、天下の大関取り濡髪長五郎(冨十郎)に挑む素人角力の放駒長吉と二役。新・錦之助、これをなかなか気前よくやってのけ、危なげなく新鮮であった。
「角力場」はおもしろい場面で歌舞伎味も濃く、さすがに師匠冨十郎にがっちり演じて貰えて、弟子の錦之助、眦を決する意気があった。不安なかった。
大切りは、待ってました中村勘三郎の『魚屋宗五郎』で、出色の女房時蔵とともに勘三郎芝居を堪能させた。
一人の妹を奉公させた屋敷の主君に斬り捨てられたうらみを泥酔しながら盛り上げ、ついに屋敷へ駆け込んで行く強い流れを、中村屋は、息をのばさず集中して、眼光に、魅力の芝居を表してみせた。ま、中村屋だものという安心な期待があり、期待を決して裏切らない愛すべき役者なのである勘九郎、じゃなかった勘三郎は。
勘太郎も七之助もそれなりに熱演した。片岡我當がかれらしい役どころの温厚で賢明な家老職を丁寧に演じ、新・錦之助は綺麗な綺麗な殿様役。
満足して劇場をあとに、そのままクラブに入り、サービスのお祝いシャンパン、そして例のブランデー。妻が自祝の気持ちで18年ものの「山崎」を買ってくれた。クラブ年度替わりのサービス品に佳い赤ワイン一本をうけとって、電車に揺られ持ち帰った。電車ではわたしは『宇宙誌』を、妻は猪瀬直樹著太宰治論の『ピカレスク』に熱中。
2007 4・5 67

* 西武池袋線の人身事故には慌てた。

* 山の上ホテルの洋食堂にはむかし何度も入った。ロビーも気楽で。本が読めて。お茶の水には、よく考えればわたしはもう結婚していたけれど、あれであの街、青春がまだ纏綿していた気がする。
幾つも大学校舎のあるのが妙に安心で、専門書の安い古本屋もあった。神田まで行くのはすこし何もかも嵩高くて気が重かった。お茶の水駅の界隈で買い溜めた古本がよく役に立ってくれた。

* いまは、池と下町とお山のある上野に気がやすまる。このごろは「天寿々」がよろしく、美壽天でにぎわうお山を越えて、蕎麦の公望荘まで歩くか、いきなり洋食の香美屋本店までという手があり、時間によるがタクシーで浅草の鮓の高勢やすきやきの米久がある。電車の事故は願い下げにしたい。

* 酒の万歳楽でその気なら三升買える値段で四合の美酒を買っておいた。家にお酒が払底していたので、即座に頂戴つかまつった。今日また金沢の読者から一升瓶が来ていた。感謝します。ま、明日は聖路加の検診日。今夜の所はちょいと堪えて。
2007 4・19 67

* すばらしい桜鯛を戴いた。「細雪」のナカンチャン幸子のフアンで大の鯛好きには、こたえられない。粋な編み笠を二つに折って色美しい鯛が、すぐそのまま食べられる。「一本買って」と妻。こういう妻が好きだ。
2007 4・29 67

* いわば土日の連続のようで、大型連休の真ん中のわたしは孤島化している。幸か不幸かちょっとの散歩も出来ないが、妻が特撰の純米吟醸「四合!」瓶を振る舞ってくれ、鯛一尾の塩蒸しをおいしく頂戴した。小さい字を機械の上でみつめていると眼が霞んでくる。映画でも観てわたしも連休しよう。
2007 4・30 67

* すぐタクシーを拾って日比谷のクラブに入る。今日はしっかり食べてしっかり呑むと決めていた。そして、相当量の校正をしっかりし終えてきた。おかげで、外へ出ていた時間がムダにならなかった。
三種類の料理は少し多くて少し残した。竹鶴のグランプリ分をからにしてきた。そしてブランデーも。コーヒーも。ミントだかハーブだかをあしらった、とてもスカッとする飲み物をサービスしてくれたので、やや油っ気の濃かった後口が気持ちよくなった。
帰りの電車でも校正を続けていた。仕事さえしていれば何の退屈もない。
2007 6・19 69

* 熱海へふらりと出かけたが、大いに思惑違いでヘキエキした。
車で海岸へ出て、お宮の松と称する貧相な松の前を通りながら、運転手に話を聴くと、ちょうど午前の時間だったが、予約なしで、食事させて温泉にも入らせて泊まっていかない客を迎える宿はないですよ、と。何軒かまわったが、なるほどその通りなのには、風来坊のわたしもわるいのだが、熱海全体の火の消えたようなショボーと寂れた印象とイヤに連動していて、あ、この温泉街はもう末期を迎えているんだと感じた。
えいくそと、目に入った熱海城が高い場所なのであそこで海をみたいと車に連れてゆかせ、しばらく凪ぎに凪いだ好天の太平洋を眺めていたが、立っているだけで眠くなり、空腹を満たすために大きめなホテル旅館に連れて行ってもらった。後楽館といったか。そこも右に同じいささかの愛想もなく、顧みればわたしの風体はいかにも実に無頼そうなうさんくさい爺。こりゃ抵抗してもムダとあきらめ、十八階のレストランに上がり、せめて洋食であれ何であれご馳走を食ってやると決心していたが、メニューはじつに陳腐な安料理。仕方なく中でも上等らしいヒレステーキの定食をキリンビールで飲み込んだ。
フロントでタクシーを頼み、駅に帰って熱海を遁走しようかなと、それでも何処かあるかと尋ねると、ハーブ・ローズガーデンというのがとても気持ちの良いひろびろしたところですと。一昨日帝国ホテルのクラブでハーブ入りのカクテルをサービスに振る舞われたのを思い出し、じゃそこへ行こうと。

* 園内バスに乗せられ、一キロばかりの舗装した山道を登っていった。そこでおろされて、下りは庭、庭を見て回りながら歩いて行けといわれ、腹をくくって、ラベンダーやハーブや薔薇や、やたら沢山な花の庭をぐるぐる回って下りるうち、ローズの紅茶なんぞが売り物の喫茶店があった。カウンター・テーブルの海にいちばん近い席を占めて、気分良く長居させてもらった。
店を出てまたぐるぐると経巡りながら、ふと気づいた木陰のベンチが、真っ向に錦ヶ浦を遠く見下ろせる、左右の山と背後の木立に包まれた、なんだか母の胎内にまた包まれているような場所にあった。時間をせくわけでなし、そこに座って茫々の遠い外海や、初島へ往来の白いフェリーや、錦ヶ浦に寄せて返す波を持参のオペラグラスで覗いたり、妄想したりしていた。
この園内にずいぶんいた。閉園の時間さえ近づいていた。
入り口でまたタクシーを呼んだ。この運転手に熱海の愚痴を言い、せめて美味い魚が食いたい佳い店を教えてと頼むと、熱海駅に近い店へ連れて行ってくれた。店は、東京根岸の香味屋とはとても行かないさびれた店で、客も一人もいなかった。東京じゃないんだからと自分に言い聞かせ、雑駁なナリの女将に品書きをみせてもらい、いきなり伊勢海老という大きな字をみつけた。次ぎに兜煮を見つけた。よし、この二つと刺身定食だ、酒は土佐鶴の冷酒二合。
これぞ大当たりだった。どでかい伊勢海老の髭も目玉もまだ生き生きと動いていて、刺身にした身はうっと呻くほど美味い。最高。定食の刺身がまたいい。東京や京都の華奢な店でならこの一切れを四切れに分に薄くそいでくるなあと思う、そういう豪快さでどかんどかんと幾いろも盛ってある。
こういうのが食べたかったんだと、吠えそうになった。
暫く時間かけて出てきた兜煮の豪快なこと、目の下何尺と想われるほど兜が大きく、大鉢から溢れそうに濃厚に煮てある。わたしの大好物、鯛は刺身と共に兜煮をせせりきるのが楽しみの楽しみ。
酒はおさえて、この豪勢な魚料理をわたしは悉く美味しく退治した。嫌いなものは何にもない。そしてときどきやす香のことも思い出していた。
間近な駅から、買い置きの切符で、校正しながらさあっと一気に東京へ帰った。保谷まで混んでいた。なにかしらん、もうひと味足りないなあと、駅の食堂で生ビールの小さいのを一つ。そして此処でも校正を少し。そしてタクシーで帰宅。入浴。
二階の機械の前へ来て、用事の出来ていたのをメールで知り、その対応に慎重に時間をとるうち、日付も変わっていた。
2007 6・21 69

* 山形から、甘い桜桃がたくさん贈られてきた。熟が、こころもち遅れていたようだ。おいしい。美しい。嬉しい。
2007 6・26 69

* 杜甫は日々心ゆかず役所の帰りには曲江畔で酔いつぶれていた。酒手の借りはどこかしこにある。しかし「人生七十古来希」と。生きているうちに存分呑もうと。こっちは七十も通り越してしまったことだ、酒債こそないが杜甫の詩情、わたしの思いにちかい。
2007 6・28 69

* 東大駒場駅にちかい「こまばアゴラ劇場」で、『リオRio』を観てきた。
女工哀史に取材した「死者の書」といえばいいだろうか。劇作家岸田理生の『糸地獄』をテキストに、笠井友仁が演出した。この演出に臼井沙代子から岡田蕗子にいたる出演者全員が渾身の所作で応え通した労作。舞台に息を吐く死者たちと、死なれ死なせた生者との凄惨で凄絶な葛藤と交感とのドラマ。そのむシュールリアリズムは、夢魔のように濃い息づかいで満たされていた。小劇場にうってつけの、繰り返し言うが、労作であった。
岡田蕗子は大阪の読者の娘さんで、亡くした孫のやす香より一年年長、中学へ入ったときであったかお母さんと上京し、わたしも家内も出迎えたことがある。あいにく土砂降りの雨に遭いながら、上野の博物館へ行ったりした。そのフーちゃんから、出演するので観てほしいと。
幸い、観るに値した。すこぶる刺激と工夫とに富んだ好演出・好演技の好舞台で、やや脚を引きずりながら駒場まで、妻と、出て行き甲斐があった。

* 渋谷の井の頭線のビル四階で恰好の中華定食をなかなかおいしく食べて帰ってきた。
2007 6・28 69

* 孝一さん  包みをみるから香ばしい好もしい珈琲を、たっぷり頂戴しました、有り難う存じます。コーヒー好きの家内も大喜びしています。豆を挽く音までが楽しめます。お礼申します。
お店に、いいリピーターが定着し回転しますように。近くにいたらデスクを借りて書き仕事の出来るような佳いお店だろうなと想像しています。
つとめの昔、たしの「書き仕事場」は余儀なく街なかの喫茶店でした。性に合うお店を見つけるのにも苦労しました。初期の大方の小説も評論もわたしは喫茶店で書き上げてきましたよ。
でも、そういう客も困りものかなあ。
お元気でお過ごし下さい。芳賀や伊藤の妹たち、姪・甥たち、元気にしてるでしょうかね。 恒平

* 四国から讃岐うどんたくさん、金沢から純米吟醸の銘酒二本、京都からそれは甘いトマトたくさん、池上から蕎麦を山のように、そして従弟からは丹精焙煎の珈琲豆を七種類も、贈ってもらいました。感謝。

* 低血糖に襲われながらむしゃむしゃと口に入れた三笠の餡のうまかったこと。わたしはどうも「餡」に弱い。「餡」がこわい。それで酒飲み。病気になるように出来ている。
2007 7・1 70

* 自転車走の効果があがってか、いつも気にされる値が、一パーセントも下がっていて、ドクターは上機嫌だった。諸検査の結果も、問題なかった。
一時には病院を解放されたので銀座へとってかえし、汗みずくティーシャツ一枚でフランス料理の「レカン」にとびこんだ。せめて備えのジャケットを持って席入りをと頼まれてそうしたが、むろんそんな暑いモノは着なかった。
料理は、涼しく、うまかった。茄子はいやよというのを知っていてくれて、すべて言うこと無いメニュ。ドライシェリーと赤のワインとで。オードブルは新任の料理長が一皿べつにウナギを小粋に焼いてサービスしてくれ、、メインはすてきに美味いフィレ肉をえらんだ。冷製のスープも凝っていて満足。例によってデザートも幾種類も選ばせてくれたし、エスブレッソはダブルで、さらにシングルでとサービス満点だった。わたしみたいに行儀の悪い、つまり服装の簡略な客はなかったのに、ハンサムな若い料理長が出てきて名刺交換までした。馴染んだ店は馴染めば馴染むほど居心地がよくなる。「世界の歴史」の第十二巻をゆっくり読んで、好い昼食を満喫。
2007 7・13 70

* 一気に保谷に帰り、処方箋を薬局に渡しておき、馴染みの鮨「和可菜」で、冷酒、美味い鮨をシャリ少なくにぎってもらい、大トロと白身とを一貫ずつ追加してから、機嫌良くとことこと家まで歩いて帰った。インシュリンを賢く補給しておいたので、家で計って血糖値は、113。上等。
2007 7・13 70

☆ かぼちゃ  俊
いつの間にか
おばあさんが独り住んでいた苫屋(とまや)が取り壊され
少してんこ盛りの地べたになっていた

それから
春先に畑地に変わっていた
建売の造成更地ではなかった

地べたは二十坪ばかり
前の平屋は二間ほど
小さな庭があって
季節の花々が丹精込めて植えられていた

家の脇に湧水下流の
蛍が棲むといわれる小川が流れている

惜しいいことに
暗渠ではないけれど
コンクリ・ゼブラの縦縞が清流の景観の半分を覆って
味気ない排水路風情にもなっていた
これがなけりゃ
こんなところに住みたいな
と思っていた

おばあさんは
私が知るはるか昔からここに住んでいたのだろうか

今日、見ると
かぼちゃが花を咲かせ実をつけていた

アスファルトやコンクリや
電柱や
建売ばかりじゃ
詩ごころが
まったく
ひからびてしまう

主は替わったのだろうか
種まき育む人は誰だろう

情緒はかすかに残り
伝わってくる

今朝は
世間の塵を離れるひとときがあった

* 山間丹波のちいさな字(あざ)では、あそこのかぼちゃが大きい、いやこっちのかぼちゃがよう生ったと、農家ごとに評判していた。戦時疎開のころの話。
ご飯に炊き混ぜのかぼちゃはベタついて嫌いだった。かぼちゃというのが茄子の次ぐらいに嫌いだったが、今では薄く切っての天麩羅だとおいしい、甘いと言って食べている。しかしまだ茄子はだめ。今日も「レカン」で「茄子はつかいません」とアイサツがあった。先日の「御蔵」では加茂茄子の姿煮が、ああ好きな人には美味そうに見えるのだろうなと思いつつ、きみわるく、とりのけて食べなかった。野菜料理の特製の目玉のようであり、もったいなかった。
2007 7・13 70

* まっすぐ有楽町へ出て、「香味屋」でアラカルト、いろいろ注文して妻と機嫌良く早めの夕食。満腹。帰りの地下鉄ではワインの居眠りが心地よく。
2007 7・20 70

* 浅草花火
満月も待ちかねている花火かな
満月を上客にして花火かな   宗遠

* 鶯谷から言問通りをタクシーで。鮨の「高勢」で下車。
去年のわたしを覚えていてくれた。去年は、やす香告別の日だった。花火の後、太左衛さんに見送られ、「道引地蔵尊」に二人で手を合わせてやす香のために祈ってから別れたが、悲しみに堪えられず、みちすがらの「高勢」に飛び込んだのだった。
白身は鱸、平目。そして中とろ。伊勢鯖。烏賊。あなごの白焼き。蛤も焼いて。塩辛も。美味い玉も。そして握りは、しゃこ、うに、もう一つは珍しいネタで名前は失念、すべて、じつにうまかった。すっきり江戸前の、なにもかも潔い鮨店。特長のひとつによく選んだ備前ものが目について、酒は二合。去年の親方をわきに、気持ちの良い青年の職人が細心にたねを吟味してくれた。
大満足して、そしてお目当ての花火のよく見える、太左衛さんお招きの屋上へ、六時半に上がる。例年のように、ビニールシートの席は避けて、うしろの壁際に椅子をもらう。「特等席」です、感謝。
まだ明るかった、が、七時に近づくにつれて、から打ちがはじまり、雨を案じた大空はあおやかに晴れながら黄昏れて行き、満月が徐々に色濃くなる。あの満月が、今年のやす香だなあと見上げていた。去年のように息くるしく胸くるしいことはない、が、一緒に花火を観る気持ちは同じ。
太左衛さんのお弟子さんたちが、飲み物や食べ物を気遣ってくれる。飲む方は缶ビール一つに控えた。つまみものは、少しずつ甘えて戴く。
花火は、八時半までおやみなく色も形もとりどりに美しく夜空を染めつづけた、「ああ美しい」と手を打つことが多かった。終始一人で観ていた。屋上には大勢の浴衣の客が歓声・歓談、涼風もたえず渡って、蚊のわずらいもない。間合いのいい爆発音と、鮮麗な火の色・光のおおきく空にひろがりそして闇に消え落ちて行く音楽的な絵模様に、飽きず心打たれる。ときどき、とろりとうたたねに引き込まれて、ちいさな夢をつぎつぎに観る心地も、花火の効果なのである。そして、ぴたりとすべて終える。

* 太左衛さんに今夜も途中まで見送ってもらい、「リスト」の洋菓子を妻への手土産にもらって、群衆の波の言問大通、ゴロゴロ会館の前で別れてきた。
さ、それからが、タイヘンだった。
おっそろしい暑さ。気温と体熱と疲労とが集中的に腰の痛みになって表れ、ゆらゆらと一足一足ずつしか歩けない自分を路上に発見。乗り物は絶対に拾えないから鶯谷駅まで歩くしかない。この足取りと痛さでは、鶯谷までが気の遠くなる遠さ。店に入って食べて休むという余力は腹にのこっていなかった。
こらえきれず、何度も路上ものに腰掛けて休んだ。休むと痛みはおさまりらくに歩き出せるが、長く持たない。
なさけないなあ、花火は今年でもう諦めねばならんなあと侘びしがりながら、タクシーなら十分もかからない街通りを、一時間もかけとぼとぼと鶯谷駅へようやくたどり着いた。花火のにぎわいで幸い街の表情はさながらのお祭り、それを楽しむ視線や気分は失せていないので、腰の痛いだけを苦に、時間は気にしないでゆっくり歩いたのである。ペットボトル百五十円のカルピスを二本買って、一本はすぐ飲んだのが冷たくて美味かった。「初恋の味」などと昔のうたい文句を思いだして楽しんだ。
山手線も満員だったが、幸い席をゆずってくれる若い人がいた。感謝。池袋始発の西武線は座れる電車をえらび、保谷ではタクシーが待っていて、スイと帰れた。帰ってしまえば、からだは元の元気に。
ややふがいない日本の対韓国サッカーの敗戦ぶりを観てから、機械の前へ。
2007 7・28 70

* 美術館の食堂では、上野の西洋美術館の「すいれん」が、うまいまずいの問題でなく席によってとても落ち着く。しかし、食い気より先ず、一人であれ二人三人であれ美しいものに立ち向かうには、黙々と立ち向かうには、博物館の本館、東洋館がはずれがなくて、わたしは好き。企画の特集展では、やや観る物を先から強いられるが、常設展だとこっちで選んで観ているぶん、作品へ自分の好み一つで乗ってゆきやすい。目慣れたものにまたまた出逢うのも嬉しいし、初めての出逢いに声の出るほど胸の騒ぐこともある。初めてではないのに新鮮に観勝る作に出逢えるのも常設展の静かな功徳・収穫である。

* そんなあと、浅草というのも賑やかすぎる。根岸うぐいす通りの「香味屋」は、よそが昼休み中でも此処は店をあけている。すこぶる静か。雰囲気佳し。お安くなく、メニュは香味屋ふうに確実にうまい。壁の絵は藤田嗣治とビュフェだし。

* 一段落はついている発送の、まだ途中ではあるけれど、今日は骨休めときめてひとりでぶらぶら。
2007 7・31 70

* 岡山の鰆の味噌樽をいただいた。到着後三日は待てと指示がある。明日にはと生唾をのんでいるところへ、群馬と山口から清酒到来、香川からはすばらしい葡萄も頂戴した。息子は大きな車を借りて袋田へ瀧を見に行こうよと誘ってくれている。山形からはうまい蕎麦を食べに来ませんかと深p切にお誘いがある。来週には松たか子主演の『ロマンス』そして言論表現委員会。『閑吟集』の評判も上々で、梅原猛さんら大勢の便りがある。ぎらぎら照る暑さの中で、体調は体調としても生気みなぎっている。元気に過ごしたい。
2007 8・4 71

* 劇場で久々に佐野洋さんに出逢った。また阿刀田高さんに声をかけられビックリして暫く立ち話した。清原康正氏にも手洗い近くで声を掛けられ、元講談社の徳島高義さんとも階段で立ち話出来た。
高麗屋の配慮で、視野の広い非常に見やすい席をもらっていて、妻も私もとっても楽しんだ。わたしはこういう理に勝った芝居の作りも大好きなタチだ、批評的に高望みはしても、遠くまで出かけていった甲斐があり、いい一日になった。
渋谷へ戻って、「田や」で、涼しげな鱧のコース料理を、実は熱い鍋もろとも、シャブリの白で、舌鼓をうってきた。西空の夕茜が、まぶしくやがて薄澄んで暮れてゆくまでゆっくり腰を据えた。
2007 8・8 71

* 栃木の葡萄をたくさん戴いた。からだが要求するのか、食欲が落ちると云うことは無い。
2007 8・11 71

* 久しぶりに江古田の「リヨン」へ寄った。マスターと久闊を叙して。しろい鳥の胸肉を二種類の和え物と洋風の漬け物とで食べたのが、上等の味であった。南京の冷製ポタージュも口触り気持ち良く、さてメインは骨ごと食べる綺麗な鮎の姿焼き。これはよかったけれど、添えて煮物の長茄子はいけなかった。そっくり残したが見ているのも気味がわるい、閉口した。はじめに白の、つぎに赤のワイン、この店はよく吟味して出してくれる。世界史の本を読みながらたっぷりのデザートと珈琲で、しばらくぶりの「リヨン」の味に満足した。マスターの、『逆らひてこそ、父』がおもしろかったです、というのに少し照れた。読んでくれただけで有り難い。
2007 8・18 71

* 「リヨン」で昼食してきた。前菜からデザートまで魔法のようにおもしろい料理がつぎつぎに出て、読んでいた千夜一夜の「バッソラーのハッサン」とかさなり、幻妙であった。腕利きのシェフともすっかり顔なじみになり、いま、東京で食事して、いちばんアットホーム。そして珍らかにフレンチを食べさせてくれる。魚にしたが、ワインはきまって、赤。
2007 9・9 72

* 四時半頃辞し、「中信」の社員とも思文閣の前で二手に別れ、わたしは切り通しへゆっくり、散策。
骨董の小店など覗き、新門前橋で白川を覗きこみ、ゆらゆらと昔の我が家の前を通りこし、もとの浅井さんの蔵前から北向き、「八百喜」のおむかいで、腰の折れた豆腐屋のおばあさんと立ち話。
すっかりサマ変わりした白川狸橋を北に越え、川沿いに西の「済(な)すあり地蔵」へ。ちょうど川向かい、むかし『お父さん、繪を描いてください』の「お父さん」が新制中学生として暮らしていた家も、まったく別のモノに変貌していた。
有済橋を南に渡り、新橋通で西へ折れ、また白川の辰巳橋を渡り、そのまま清本町、富永町を通り抜けて、四条通に。
銘菓「かま風呂」の大原女屋が、一階の片端に菓子売り場だけのこし、奥の甘味や二階のお茶漬けの店はすっかり他へ明け渡していたのに、愕いた。淋しいなあ。
縄手角の交番の横で、「ちぎり餅」にするか思案し、「餡しら玉」を一パック買い込んだのは、もう夜分に外出しないハラであったから。白玉も好き、餡はまして。
縄手から北へ逸れ、「蛇の目」で鱧をと思ったら、この老舗の鮨店もまた潰れていたのに、二度仰天した。富永町の割烹「浜作」もとうに無い。淋しいなあ。

* 縄手少し先の、此処は、すっかり一段とまた綺麗になった老舗「梅の井」に入り、売り物の鰻は遠慮、鱧と落としと、刺身の盛り合わせに、お銚子一つ。ゆっくり休息した。
さすがに鱧の美味いことよ。しかし鱧もラストチャンスであったろう、季節として。東京ではどこで食べてもダメ、ぜひ佳い鱧に今年も逢いたいと願っていたので満足した。刺身もさすが、鯛も赤身も海老も雲丹も最良。あぁあ、よかったと小粋な店のつくりも目に楽しみながら、真実くつろいだ。目の前の壁には、竹喬さんの小品。
店を出たところで、車で戻ってきた大将の三好閏三君に会った。賑やかに、しばしの立ち話。

* 縄手をそのまま出て行こうと思ったが、古門前突き当たりの老舗で名物「鰻茶漬け」の鰻を一舟、妻の元気のためにと買った。
「家でお食べやすのやったら、木の舟はもったいないわ、なしの方がおトクどすえ」と、気を利かして大将、手軽に別に包んでくれた。たしかに。いつも食べたあとの杉の舟、始末に困じていた。ありがたし。
高山彦九郎が御所の方へ平伏した、なんとなくバカげた銅像を横目に三条大橋を西へ、そして目の前、木屋町から高瀬川をつい西に渡ったところのギャラリイ「なかむら」二階で、漆藝の望月さんの個展を観た。京都美術文化賞では、過去に漆藝の三人をえらんで授賞してきたが、三人とも、わたしが強く推した。きわめて静かな展覧会場だったが、望月さんらしい健康な強い朱と器量の大きな造形とに、賛意を、また表して辞してきた、もっとも作家はおられなかったので、独り言を言うてきたのである。

* 御池の、オークラの直ぐ東隣に、前に一度入って楽しんだビヤホールがある。うまいと分かっているギネスを、一パイント、安い値段で呑ませていたので、よろこんで呑んできた。涼しくなった。数年前入ったときもたしか言葉を交わした記憶のある相客、ペンの吉岡忍氏をものやわらかに上品な京男にしたような人で、しかもしばしば海外に出向いている国際人。話もはずみ、ともすると沈みがちな気分を賑やかにしてもらった。

* ホテルに戻り、しばらく休憩してから、夕食には洋食。赤のグラスワイン。メインはひれ肉。ソースと、添えた野菜の料理が斬新にうまく、食べきるのが惜しいほど。前菜もスープもパンも、デザートも。時間を十分掛け、グリーンを読みながら、落ち着いた。ひとりは寂しいようで、最高に落ち着く。身の回りの空気にすっぽり穴ごもりする心地。あと、どこかへ出かけ、それ以上呑む気は、全くなし。
部屋で、テレビを観ながら、縄手の交番東で買ってきた美味い「餡しら玉」を、ひとり心ゆくまで食べきった。そして、映画も観ず、本も読まず、妻に電話だけ掛けて、すぐ眠った。眠たかった。
2007 9・13 72

* 思い切って六本木へ出かけた。新しい国立美術館も観ておきたかった。
案の定フェルメールは『牛乳を注ぐ女』だけ、あとはエピゴーネン。この手の西洋絵画展が常套になっているのは、日本の受け容れ手に毅然とした見識や交渉力がないからだろう。フェルメールのその絵が、小品でありながら、世界史的な大作の風格を湛えた名画中の名画であるからガマンするものの、他の追随者達の絵は無残に程度がわるい。残念だ。
しかし『牛乳を注ぐ女』は、言葉もない名画。レセプションがあり、図録までもらって、その限りではずいぶんワリのいい招待を受けた気がしたほど、妻も私も、フェルメールの只一点には帰依し降参した。どれだけ長い時間、人山に埋もれながらその作の前に佇立してきたことか。
妙な建物の美術館だ、落ち着きはよくない。しかし珍しくて楽しんだ。レセプションでは、ホルスタインの牛乳が旨かった。

* もう本当に久しい馴染みの喫茶室「クローヴァ」でゆっくり一休みし、お腹もくちくて、まっすぐ帰ってきた。レセプションのワインがきいて、喫茶室ではわたしは眠かったが、往き帰りの大江戸線では「湖の本」の校正を。放ってはおけない。追いかけて校正をすすめねば。
それにしても十四日から昨日、今日まで、わたしは不毛にめげず自身をよく激励し続けた。
2007 9・25 72

* 歯の治療は、こともなく。往き帰りにしっかり「校正」も出来た。江古田で、昔からときどき入る、この辺の大学生達向けの小店で、「トッピング」は茸のオムライス・ランチを食べながら、校正も、どんどん。
今日はおめあての「リヨン」が休日。医院の予約時間を三十分間違えて早く行っていたので、待合いでも校正のハカが行った。
久しぶりに保谷の喫茶店「ぺると」に立ち寄り、マスターと、パソコン談義。歩いて帰る余裕も少し出来たので歩いたが、覿面に脚が傷んで攣りはじめた。構わず、サッササッサと歩いて帰った。
2007 9・26 72

* 聖路加病院での糖尿病の検査と診察は、何だかの大事な、一時は「8」を超えて憂慮された数値が、「7」になり、今日は「6.8」にさがっていて、その点は褒めて貰えたが、悪玉コレステロールが増えていると、新しい投薬が加わった。めでたさも中くらい。それでも、往きの車中、また外来で待つ間に校正がだいぶ捗った。次からまたナースとドクターとの交互診療に戻った。

* 銀座「レカン」が昼過ぎの満員だったので、三笠会館のフレンチ「榛名」で、セゾンコースを昼食に。二皿つづくオードブルが素晴らしかった。一皿目は魚介海藻、あっさりと。二皿目はフォアグラのタリーヌなど、これが美味かった。メインは美味いフィレ・ステーキ。
ドライシェリーを二杯食前に。そして肉には、赤ワイン。デザートもエスプレッソも好適。そして食べながら、校正もどんどんすすめた。これが楽しいのだった。

* 帰宅すると、もう気持ちの重くなる用事が待っている。そういうものだ。くさってはいけない。
2007 10・5 73

* いつもの俳優座の招待公演に六本木へ。少し早く六本木に行き、散策して、気の向いたままラーメンの店に入った。餃子とカレーライスのワンセットを一緒にとって、妻は餃子とラーメン。わたしはライスカレーとラーメン。変な取り合わせだが、欲するままに。ラーメンはたっぷりあり、他は少量ずつ。ビールのジョッキもごく小さく。こういう軽食もひさびさで、ノンビリ楽しんだ。
2007 10・9 73

* 有楽町のビッグカメラは、あんまり店が大きすぎて、かえってテキトーに用が足せない。
銀座三笠会館でまたシシリーの強い酒をちびちびやりながら、イタリアン。
校正、すべて一応がカタがついた。ムンク展は人山で敬遠。
2007 10・12 73

* 午になる前に、妻と歯科医へ。そして江古田駅ちかくへ戻って蕎麦の「甲子」で天麩羅蕎麦の昼食。
この店は、堅固な蔵屋敷のように出来ていて、設えが風情に満ち、飾った絵もひときわ面白く、置いた雑誌もよく吟味され、大きな卓も椅子も、そして用いているやきものの食器なども、すべて立派なのである。
蕎麦もいいが、酒と肴のいろいろがいい。肴というより、上品な惣菜。ただし今日は酒も肴もとらないで、あつい汁蕎麦に、大きな海老天麩羅が二本。
で、江古田駅で妻とわかれて、わたしは千駄ヶ谷の国立能楽堂へ。梅若の橘香会。時間をはかって、その前に、喫茶店「ルノアール」で世界史を小一時間読んだ。ひっそりと静かな店内。
2007 10・20 73

* 五時過ぎて能楽堂を辞し、空腹をどう満たそうか‥と、今日はあれだ‥と。池袋パルコに戻り、「船橋屋」で、ひさびさに「笹一」を朱の枡で二杯、天麩羅をたっぷり。松茸の売り切れていたのが残念だったが、顔なじみの職人と機嫌良く話しながら、また世界史をとっくり読みながら、十分に美味しく戴きました。どのタネがよかったか。みんな、よかった。
2007 10・20 73

* 池袋までもどり、「伊勢定」の上乗の鰻を食べて帰った。静岡産の、焼きも照りもみごとな美味い鰻だった。一合の銚子に、しっかり大きめの猪口が出たのが店ものでは珍しく、気に入った。親指の先みたいにちっちゃい猪口は好かない。
世界史の第十八巻『帝国主義』を読み終えた。いよいよ第一次大戦になる。
2007 11・4 74

* 歯医者に行く。帰りに江古田の学生食堂のような店でシーフードのスパゲティを。そういえば東工大の正門前にも二階へ上がって行く濃厚なスープで食べさせるスパゲティの店があったなあ。
2007 11・5 74

* ぐったり疲れてしまっている。あまりに咳がひどい。心身脱落なら有り難いのだが、心身脱力ではなさけない。どんな過酷な歳末になるか、分からない。

* 京都へ行っていた人から、おいしい「阿闍梨餅」を送って頂いた。絶品、すぐ手が出てしまう。のど飴にと、「祇園小石」も。粋な味。ほかにも。感謝。
2007 12・4 75

* とても快調という体調ではなかったが、『ゲド戦記』第四巻を読み終えたところで、第五巻を、楽しみに鞄に入れて病院に行った。これがあればかなりの時間を待たされても苦にしないでおれる。
久しぶりにナースの新担当、とても懇切な面接で恐縮した。優に三十分。こりゃタイヘンだ、後続の人は。懼れていたほどひどい血糖値でもヘモグロビン値でも悪玉コレステロール値でもなく、先月より少し値高い程度で済んだ。

* 真澄の空、寒くもない。
西銀座の「マキシム」でフランス料理の昼コースを食べて帰った。
銀座界隈でフランス料理というと、無くなってしまったけれど銀座一丁目の「シエモア」が実に粋であった。銀座四丁目の「レカン」はさすがに上等。そして並木通りかな、新五番街かな、三笠会館のなかの「榛名」も、親切ないいメニューで楽しませてくれる。残念ながら今日の昼は満席だった。
で、「マキシム」にした。店の格として随一といえる高級だけれど、値段のわりに今ひとつのメニューだったのが残念。もっともこっちの体調が万全でないのだから、批判は出来ない。フランス料理は、パンの旨い店がいいと思う。
2007 12・7 75

* いまから、歯医者に行く。

* 歯の帰りに「リヨン」で昼食。サーモンのサラダが美味しかった。深い碗にふわりと溢れるように純白の泡がもりあがった、カボチャのスープが美味しかった。
メインは、鴨を風味よく骨ごと柔らかに煮込んで、ポテトと半熟卵が副えに。すこし辛めの味わい、グーであった。デザートの二種も、コーヒーも美味しかった。満腹した。ゆらゆらと保谷へ帰った。
2007 12・8 75

* 池袋西武の「伊勢定」で昼食。瞳孔を広げる処置があったので、まぶしく視野さだまらず、薬局にも寄らずに帰った。
2007 12・13 75

* 松本幸四郎丈の名前でいただいたお歳暮が、和光の「しるこ」というの、ちょっと佳いでしょう。甘い味で。
2007 12・13 75

* ことし、たぶん最後の歯の治療を受けに行く。

* 昨日、広島の藤田理史君、ボーナスがタクサン出ましたからと、よく選んだ広島の名酒を二種類贈ってきてくれた。元気はつらつ。ありがとう。

☆ 祝   玄 e-OLD岡山
やがて七十二歳のお誕生日、おめでとうございます。すこし元気を取り戻されたのかなと嬉しく思います。
よろこびを分かち合いたいということで、ほんの気持ちだけのお祝いをお届けします。森田酒造の「荒走り」をと思ったのですが生憎店頭に見つからず、「破天」という意味不明の銘柄にしました。
新しい子年がお二人にとってよい年でありますようお祈りしています。

* 生涯在酒 ありがとうございます。

* おしまいかと思ったが年初五日からまだ治療が続くと。帰り「リオン」で昼食、ゆっくりの食事でくつろいだ。メインの真鯛のスープ料理がじつに美味かった。

2007 12・18 75

* 岡山から珍しいお酒「破天」、群馬から食べよいソーセージ類を戴く。広島の理史くんが選んでくれた純米のお酒もじつに美味しかった。それで疲れが抜けていって寝たのだと思う。酒に油断はしていないが、百薬の長という信仰だか信頼も確かにちらと生きている。

* 今夜で、息子の書いていた「ジョシデカ」なる連続ドラマが終わるらしい。十時から、おしまい編を、観よう。七十一歳最後の晩の酒の肴にしよう。
2007 12・20 75

* 師走の街は、黄葉がまだ足下にまぶしい。寒かったが、心静か。はげしく咳き込むこともなく、右目の潤み霞みもほぼ平常に戻ってきて、乗り物に乗っている間は夢中で世界史の「ニューディール」と「スターリンの大粛清」を読んでいた。そして「榛名」で佳いメニュのフルコースをゆっくり楽しんだ。シェフの面倒見がとてもよく、辛いめの、重いめの、シェリーと赤ワインも美味かった。わが歳末はおだやかに過ぎてゆく。感謝。
2007 12・26 75

* 秦建日子がブログで今年を総括していた。
気稟の清質を大切に。来年、健康であれ、怪我無かれ。

* 好天。暮れの買い物に出かけ、とんぼ返しに帰ってきた。手にした蛤の一つ一つの大きいのに驚嘆。例年の小粒のが扱われていなかった。
和菓子は京の「鼓月」のにした。
今夜十時過ぎには建日子がきて、元日を一緒に迎える。

* 来年の真の平安を願う。世界も。わが家も。
2007 12・31 75

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