ぜんぶ秦恒平文学の話

食べて飲んで 2011年

* 静かに妻と二人で三が日の雑煮を祝いおさめた。
2011 1・3 112

* 北海道のmaokatさんに、上海で手に入れてきた特上の花彫酒を頂いた。これは、 堪らなく美味い。礼のメールを送ったら、すぐ返辞が来た。
2011 1・5 112

* 七草粥を祝う。

* 今日は、今年初の糖尿の定期診察。天気はいいが、寒いという。暖かにして、築地へ出掛け、少しく気を晴らしてきたい。

* 西武線の事故で病院着に予定より遅れ、後期高齢者(=後高者)申告で時間とられ、 予想外に患者に溢れて、診察終え会計済ませたのは、従前の二時間半遅れとなった。大方の数値はむしろ良好なのに、腎機能に思いがけぬ違和があり、尿唐値がいつもの「 -」から「+2」に上がっていた。クスリを増やそうという対応だったが、腹痛が起きやすいのを憂慮し、見合わせとなった。血圧も、もう少し下げたいので処方の降圧剤もきちんと呑むように云われた。もう一口と思うところで食べるのも呑むのも控えて体重を落とすようにといつもの通り。このところ食べる量はじつはかなり減っている。呑む方は減らない。

* そして鮨の「福音」で正月のご馳走初め。いつものように肴と鮨は親方にまかせて、酒は例の八海山でゆっくり。
2011 1・7 112

* 渋谷で五十年前を通りすぎていた「くじら屋」で食べてきた。ウーン。帰りの副都心線、保谷まで寝ていた。妻がいなかったら乗り越していた。
2011 1・11 112

* 快晴、それ程は寒くなく。どこも梅には早すぎたが。足任せ。ナイキの靴はらくでやめられない。ヘミングウエイと芭蕉とを交互に読み耽って満足。夕方、東京駅構内まで入り込み、カウンターに腰掛け、好みの鮨を好きなだけ握って貰った。酒は三田村。
2011 1・27 112

* 有元毅さん、近江のうまい鮒寿司を下さった。感謝。母の曾孫娘と逢ったせいか、近江の景色が目に見えて仕方ない。
故山夢に入る。
2011 2・2 113

* 吉備の人に頂戴した近江の鮒寿司、目をみはる大きな鮒が金無垢の卵を目いっぱいに孕んでいて、綺麗にうすくスライスしてあり、食べやすいよりも何よりもその美味、食べかさねまた頂戴し重ねてきたなかで、とびきり美味しく、舌を巻いた。日本酒が切れていたので白い佳いワインと一緒にもう夜遅くに舌鼓を打って飽きなかった。
あの魚卵とワインだぞ、血糖値に来ているかなあと真夜中に寝覚めて計ってみておどろいた、200はよほど越したかと思っていたのに108と正常値、そして今朝また計ったら97という優良値。これには二度ビックリした。
じつはそれだけでない、珍しくというか、久しくも久しぶりというか、あけがた鬱勃たる雄気を覚えて、思わず、笑んだ次第。
有元さん。ありがう存じます。
2011 2・3 113

* 家にいては校正が出来ないので、出そろった再校ゲラの一部をかかえて今日は街へ足任せに出歩きながら、仕事に励んできた。昼飯を柳通りの香美屋でし、あとは車で下町へ。さすがに川縁は避けたが幸い厚着が汗ばむほど暖かな天気に恵まれた。デパートの綺麗なトイレに座り込んででもゲラは読める。外へ出ていると気も晴れる。
2011 2・3 113

* 食べ物の贅沢は一つの「節約」だという直哉の言葉を、わたしは金言のように受け取った。ところが、うまいご馳走には容易に出会えない。なんだか間に合わせのような三度三度飯のようでしかない。贅沢な言いぐさであるが、旨い食べ物に励まされるということは、事実、有る。ひとつには、ちょっと心配、わたしのからだやこころが、食べ物を美味いと受け取れなくなっているのかも。

* 熱海の魚屋で食べに食べた伊勢海老や鯛やマグロが思い出される。京の「たん熊北店」も、京都ホテル近くのボロい小料理屋での「河豚」や、この師走誕生日の日比谷「なだ万」や、ちょい寄りの鮨の「福音」「高勢」など。
出歩きたいが、つい機械の前で時間をかけてししまう。
千駄ヶ谷の能登料理を能楽堂の帰りに奢ったのも美味かった。食べたいモノが減ってきている。それが老いか。
2011 2・7 113

☆ みちのくから
hatak さん 学会で青森に来ています。札幌から函館、函館から青函トンネルを通って青森まで特急で。トンネルから本州に出ると、同じ雪景色でもどこか北海道とは違う雰囲気です。
昨日デパートの地下へ土地の野菜や果物を見に行き、みちのくらしい素朴な干菓子を見つけました。
が、隣に銘酒のコーナーがあり、こちらの方が喜んで頂けそうな気がして、店員さんおすすめの六花酒造’じょっぱり’と桃川酒造’杉玉’をお送りしました。明日着くはずです。美味しいといいのですが。  maokat

* それはそれはそれは。「じょっぱり」って目で読んだ覚えがあるが。剛情って意味なら共食いならぬ共呑みかな。これが楽しみ。

* 夕食前に少し「西東京」という地酒を呑んだら、食後、堪えきれず寝入って、十時までも。酒の前に発送の用意に隣棟で予定したより多めに力仕事をしたのが堪えたのかも。重い本の包みを四十包みほども次なる作業への用意で、場所移動。これをやると悲鳴を上げるほど腰に激痛が来る。
わたしの腰の痛み、痛む同じ方へ同じほど負荷をかけてやると治まるのだが、重いものを前屈みの姿勢で運び始めると後ろ腰にきつい痛みが来る。後ろ手でモノは持てないので、ひどいのである。それでも、すべきはすべし。汗と痛みに耐えた。酒は美味かったが、酔いを発した。それで寐た。いまは腰に異状無い。
2011 2・9 113

* 永代にちかい上海錦江飯店へ行きたかったが、終演三時半では半端で、空腹であったから、時間に関係ないのがいつも有り難い三笠会館のまた「榛名」でフレンチを。食前にうまい二種類のマールを、妻と。四十度の、あれはやはり葡萄の酒だろうが、美味かった。あとで選んで貰ったワインがいつもより平凡に感じたほど。メインのフィレの調理がよかった。いいメニュで、デザートもコーヒーもうまかった。

* 帰ったら。maokatさん心入れの青森の名酒二升、 ありがたく頂戴した。やっぱりジョッパリへ先に手が出ました。ひわひわした気持ちではとても生きていられない。なにもムリに生きていなくて構わないが、家族のためにできることはしておいてから。
2011 2・10 113

* 小雪と小雨のなか、歯医者へ。帰りに久しぶりに「リオン」で昼食、佳いメニュで。食前酒に、リンゴの、また葡萄の、うまい酒を注いで貰った。京の聖護院の蕪でつくった泡立ちのスープが、すてきに美味かった。デザートはもう、三分の一で十分。コーヒーもうまかった。
2011 2・12 113

* 終えて七時の銀座一丁目。松屋の裏の「鉢巻おか田」へ久しぶりに。巌谷大四さん、杉森久英さんに初めてご馳走になった懐かしい店だ、佳い店。三月一杯は食べさせてくれる、鮟鱇鍋を。
鍋までに。
小鉢は、じつに美味い鰺。わたしは鰺や鰯は概して苦手だが、なまぐさみが微塵もなくてうま味に溢れた酢の物、喝采した。燗の菊正も上等で、三本はらくらく、最後まで美味かった。焼き物は鰆か。添えた杏とカラスミも美味く。そして、おつな粟麩田楽
鮟鱇鍋は食べきれるかしらと思ったが、ふつふつと煮えてくると、二人でしみじみ食べてしまった。季節にぴたりのご馳走で、鮟鱇のいろいろなうま味を豆腐や椎茸・冬野菜などと満喫。のこった出汁でおじや、わたしはそれが目当てで。これも二人で美味しく平らげた。みごとな苺が二つずつ。
いい歌舞伎を楽しんで最高に旨い食事が出来た。風月堂でコーヒー。妻はケーキと紅茶。
幸い銀座一丁目から保谷まで地下鉄・西武一本、坐れもして、ゆっくり夢をみて帰って来れた。妻は行きも帰りも菱沼さんにもらった中国の小説に読み耽っていた。
2011 2・21 113

* 朝は赤飯を蒸し、午后は近くから、よく吟味してもらった刺身と鮓をとり、テレビを観ながら寛いでいた。明後日の俳優座稽古場招待も遠慮した。こういうときは、ざわざわ動かなくて済む者は動かないのが一種の「協力」だと思う。停電すれば寝てしまおうと思っている。建日子たちが仲間と何処かへ出かけるので猫を預かってくれないかという話も、沙汰やみとなった。それがよい。
2011 3・14 114

* 睡かったが早起きして、バスにとびのり、保谷駅では坐れず、乗り換えの池袋駅でも坐れず、また乗り換えの銀座で坐れたが筑地まで二駅。永く妻の主治医だった先生のオフィスに、地元病院の手術所見書と映像ディスクとを届けてから、眼科へ。十時半まで一時間待ち、あっという間の診察で支払いして病院を出た。ま、子供のお使い並み。
好天温暖、花粉盛大に舞って、閉口。
帝国ホテルでクラブの契約を更改し、その足で中二階セゾンに入り、昼食を奢る。食前のドライシェリー、あとはハウスワインを赤で。陶然と酔いを発したまま、赤座海老や真鯛や羊の肉などを美味しく食べ、アンナ・カレーニナが出産後の、カレーニンやヴロンスキーの大芝居を読んでいた。デザートの代わりにチーズやレーズンをたっぷりもらってワインを追加、心ゆくまでトルストイの健筆に酔った。

* 東京メトロも私鉄も七割程度の間引き運転、エスカレーターもよほど深く高くない限り停まっていた。いたるところ照明は節約されていたが、なにも日頃そんなに明るくすることはないのだ。ただし腰の痛い老人に階段は草臥れる。
* 所定の用と、食べて帰ろうという欲求は満たしたので、どこへも寄らず、池袋まで寝て帰り、また保谷まで寝て帰り、保谷駅でタクシーに乗った。暖かくて、晴れていて、花粉さえなければよかったが。眼、痒い
2011 3・30 114

* 「野宮」さんから「三千盛」などの名酒を二本頂戴した。アメリカから、チョコレートとゴディヴァのコーヒーを頂戴した。
2011 3・31 114

* 好天に励まされ、聖路加まえからタクシーで勝鬨橋を越えて、二股に流れるもう一つ向こうの隅田川にかかった、難しい名前の橋、黎明橋だか何だかの手前まで行き、トリトン橋とかいう今日は閉鎖されていた橋と並行して大橋を向こうへ越えた。上流をみるともう二つほど橋が見えたので、河畔の櫻堤を歩いて、今度は晴月橋というのを歩いて西へ越えた。二時ちかくて空腹を感じ、目に付いた新富鮓という店に入ろうとしたら、客は一人もなかったが出前でか、難なく追い払われてしまった。風采のワルサも手伝ったろうかなあ。仕方なくタクシーで銀座四丁目まで戻り、この前から執心していた松屋八階の「つな八」で、「磯波」と名付けた特別のメニュで、黒松白鹿をそれは美味く呑んだ。天麩羅も刺身もむろん上等だったが、黒松白鹿が五体に沁みわたった。
有楽町線で小竹向原まで、幸い乗り越さずに乗り換えたが、西武線へ乗り入れたあとは熟睡して、夢うつつで東久留米と気が付いて下車。保谷まで二駅戻りました。
2011 4・1 115

* 二人とも七十五歳になりました。 東工大で

モーリーとヘンリーといてマゴがいて今朝は二人で百五十歳

* 妻の誕生日を、新橋演舞場で昼夜、歌舞伎を楽しんできた。大トリの「権三と助十」を失敬して、日比谷の「なだ万」で懐石料理を堪能。クラブで小憩のあと、タクシーで保谷まで、今帰ってきた。心臓手術の予後も体調もまず安定して、安心。祝う気持ちもあった。先月の十四日は、地震の直後で、演舞場の歌舞伎を不参、家にいた。その埋め合わせの気持ちもあり、気持ち、奢ってきた。
2011 4・5 115

* 午前中は曇っていたし、妙な腹具合だったので、例の池袋の、今日は西武でなく東武デパートをつかって小憩。

* 日がよく照って、櫻は満開。ほんとうの満開。眩しくて、暑いほど。花は櫻、どこでも、なににもよく似合う。
少し疲れめで。さほど食欲もなく、それでも蕎麦のいい店に入り、天せいろと熱燗で。これがけっこうだった。夕食は家で。
2011 4・7 115

* 都知事選だが、今回ほど気のりのしない選挙はない。やめるべき人がやめないと出てきて、それを阻める人材が見当たらない。  とにかく投票を済ませた脚で、妻をうしろに乗せ、名も懐かしい尉殿( じょうどの) 神社の、閑散とした宮前で満開の桜樹を愛でてきた。建日子誕生直前、妻は入院安静中、に出産の無事を願って深夜独り参拝し、また朝日子ともいっしょに参拝したお宮だ。
それから谷戸の広々とした明るい「ふれあい公園」をゆっくり通り抜け、ちょいとした人気のうどん屋で、鴨なんばんうどんを食べ、ビールを一本呑み、ひばりヶ丘団地の豊かな桜並木の満開にも、こもごも嘆声をあげてきた。晴れやかに人出多くてどこかしこ和やかなピクニック感覚のお花見日和。
さあ、もうあと何度、こうして夫婦で近在の櫻を喜び合えるだろう。
すこし酔いも出てか、帰ってから二時間ほどわたしは昼寝した。目が覚めると、もう夕食の時間だった。
2011 4・10 115

* 広島の理史君が九州島原産の美味い麦焼酎を一升瓶で送ってきてくれました。ありがとう。堪えておれず栓をあけ、二合も美味しく戴いた。こころよい酔いにうっとりした。
さて、この昔の少年、いまの社会人の春の陣は健康に帆いっぱいに風をはらんでいるだろうか。ボン ボヤージュと祈る。
2011 4・13 115

* 昼過ぎから、青山の妻の両親や兄の墓参に出掛けた。墓地は櫻吹雪、青空にはヘリコプターの爆音が轟いていた。
墓参への途中、銀座和光の並木店と本店とで、亡き江里佐代子の截金を忍ぶ遺作展と、康慧・佐代子夫妻の仏荘厳展とを観てきた。江里康慧君とも話してきた。
この夫妻、日吉ヶ丘高校の後輩に当たっている。夫妻を招いて「美術京都」で鼎談したこともあり、それも契機となり佐代子さんに京都美術文化賞を授賞した。その後に人間国宝とも成って広く注目されながら、惜しくもフランスで客死。康慧君もいうように、まこと疾風のようにこの世で完全燃焼し、あの世へ駆け抜けていった。
池袋西武の「伊勢定」で精進落としの鰻重とビールを。まだ日のあるうちに家に帰ってきた。
2011 4・14 115

* 吉備びとの有元さんから、「白菊」という純米大吟醸一升頂戴した。有難う存じます。
2011 4・15 115

* 高校生のとき、茶道部で手前作法など教えた美術コースの日本画専攻だった人が、京の、いわば小粒の半生菓子を三箱も送ってきてくれた。一箱にびっしり実質的に入っていて、上品で美味くて色美しく、ついついアトをひいて妻と口へ運んでいた。ピュッと血糖値があがった。インシュリン注射で即、中和した。
このところ睡くなるのは季節のせいでもあろうが、計ってみると血圧が上で107と低すぎた。低血圧になると睡くなると聞いている。浴槽で本を読み始めると暫くして睡くなるのが一時的な血圧低下のせいだと聞いている。顔に湯を十回ほどたっぷり当ててやると眠気が去る。
2011 4・16 115

* 分厚い大きな初校ゲラを鞄に入れて、街へ出た。有楽町線の地下鉄池袋で降りたまま、腰が痛むのでホームのあいたベンチに腰掛け、車内から手に持っていたゲラを一時間余も読み継いだ。ラッシュアワーでもなく、池袋駅でありながらホームは閑散としてベンチを使う人もなく、気楽に読めた。
その気になると、デパートも建物の端に行くと存外に人の利用しないベンチの用意がある。べつにお金を惜しみはしないが呑みたくない珈琲を飲んで微妙な工合の腹を痛めるより、明いたベンチが、独りになれて読む仕事はなかなかはかどる。
食欲は、今日もやはり行き当たりバッタリの蕎麦屋で満たしてそれで宜しく、熱燗一合。

* 幸い地震・余震などなにごとも感じずに帰ってきた。保谷駅のパン屋でクリームパンなんぞ買ってきた。
2011 4・18 115

* 雨中、久々に歯医者へ通う。帰り、「リオン」で昼食。
2011 4・23 115

幕間に、妻も一緒に幸四郎夫人とくつろいで話し込んできた。いつ話しても気持ちのいい人。
* はねて三時半。タクシーで、勝鬨橋を越え、黎明橋を越えて、晴海大橋の手前で降り、長い長い橋を二人で歩いて渡った。寒風でもたいへん、照りつけられてもたいへんな大橋が、曇天にたすけられて展望たやすく、珍らかな景色を楽しんだ。
橋の上から「ゆりかもめ」電車の往来が見えていて、妻が「乗りたい」というので橋を渡ったところから駅にあがり、台場など経由で新橋駅までの電車に乗り込んだ。駅の名前もたくさんそれぞれに耳にしてきた、が、車窓の景色はなにもかも珍しくて、幼稚園っ子の遠足なみに楽しんだ。ほどよい時間をかけて十余りもの駅をじつにグルグルと回旋しながら徐々に終点の新橋駅へ。
妻はこのままもういちど逆行して終点新豊洲まで行き、さらにまた新橋へ戻ってきましょうなどと言い出すのを勘弁して貰って、空腹をイヤしに銀座松屋へ戻り、気に入りの天麩羅「つな八」で、妻は刺身や食事付きの「磯波」を、わたしは天麩羅十二品の「雅」を註文。わたしの酒は八海山、妻は先刻高麗屋の女房どのに奨められていた、ノンアルコールのビール「フリー」を一本。
食事、 堪能した。
幸い銀座一丁目から有楽町線に坐れて一直線に保谷駅まで。妻は眠り、わたしはずうっと責了のゲラを読み進んでいた。

* 帰宅して七時半を少し過ぎた程度。疲れもせず、われわれも連休の一日を遊んで来れた。黒いマゴが大喜びで出迎えてくれた。
静岡の読者の鳥井きよみさんから、三十年ちかく毎年の新茶を留守中に戴いていた。忝ない。
2011 5・5 116

* はねたあと、隅田川へ出て、新大橋を向こう岸へ歩いて渡り、地下鉄の森下からやはり市ヶ谷経由、有楽町線に乗り換えて帰ってきた。六時過ぎ、まだ明るかった。「和可菜」に鮨を出前で。連休の、後出しのおまけ一日だった。俄に夏へ接近し始め、今日の外出はシャツ姿だけでも袖の長さが暑苦しいほどだった。
2011 5・9 116

* 上野東博の平成館で「写楽」展を妻と観てきた。
上野駅から博物館へ向かうとき、科学博物館からのお帰りという天皇さんの乗用車通過をごく間近で見送った。前後に警備その他の自動車が数台、だが質素な護衛であった。天皇さんは左座席のあいた窓から笑顔で手を振られていた。

* 写楽。摺り繪で作柄の小さいのは当たり前、大勢の招待客が並ぶと一々は鑑賞しにくい、覚悟の上だったが、その通りだった。それでも写楽も、参考の歌麿その他も、けっこう面白く、但し点数が多すぎて草臥れた。
魚と肉、うまい洋食で満腹して帰ってきた。
2011 5・16 116

* さて、ゲラを読みに、少し足任せに出てこよう。

* 松屋で京懐石を食べたが、これはハズレ。値段だけ高かった。これなら隣の「つな八」にすればよかった。食い物が外れると気が萎える。校正の目づかれもあり、行く先もアテなく早く帰ってきた。保谷の馴染みで鮨をと思ったら駅前で雨。急いで目の前のタクシーに乗り帰宅。
2011 5・23 116

* そういう感銘を得たのを幸い、不信任案の国会など観たくも聞きたくも無くて、わたしは傘をさして、駅まで歩いて、腰も痛んだが街へ午後から出掛けていった。かなり煮たってきているカポーティーの『冷血』と自分の『バグワンと私』上巻とだけをもち、とにかくも腰さえ掛けていれば腰の痛みは無いので。最後には、馴染んだカウンターの鮨で、「三田村」を二合のんで、夕食にしてきた。シャリをぐっと小さく握らせ、好きな肴ばかりを十一、二ほど。
それから日比谷のクラブへ、タクシーで。そのタクシーの運転手が、不信任案大差で否決というのを教えてくれた。いいともわるいとも言わない、全く当たり前の結果が出たに過ぎないが、何十人と言われた小沢派は、愚かしい二人だけが野党提出の不信任案に賛成し、小沢一郎は卑怯にも欠席して姿を議場にみせなかったと。「なれの果て」であろう。
クラブでは、エスカルゴとパンで、変わり種のブランデー、1978都市もののカルバドスをゆっくり味わい、口を切ってなかった日本産のウイスキー「宮城野」も明け、文庫本の続きを読んだり、人と話したり。すこしお腹に余裕があり、木の椀の稲庭うどんを追加した。珈琲も二杯のみ、機嫌宜しく帰ってきた。小雨が来ていたが、傘の必要もなく、保谷駅からはタクシーで。
家で、不信任否決劇のあらましを妻から縷々話して貰った。
2011 6・2 117

* 満たされて演舞場を出て、成り行きで、なんとなく朝日新聞社、築地市場の前など歩いてから、すこし疲れ、車で帝国ホテルへ駆け込んだのが、まだ四時過ぎ。腰の下ろせる一階レストランに入り、妻は紅茶を、わたしはキールロワイヤルを貰ったものの、食事もして行こうと決めた。
この日特製のスープと、わたしはステーキ、妻はタルタルソースの海老フライ。野菜も沢山ついていた。ハウスワインの赤もたっぷりとサービスよろしく美味かった。クラブに寄るのはやめ、一路帰ってきた。いい一日になった
2011 6・10 117

* わたしの二度目の誕生日、太宰治賞から満四十二年。グレン・グールドで、ベートーベンのピアノ曲を聴きながら。
朝一番、山形の読者から毎年のすばらしい桜桃をたくさん頂戴し、美しさ豊かさに歓声、さっそく妻と賞味。うまい。甘い。季節を眼でも味わいでも満喫した。感謝、感謝。同時に、高麗屋さんから特製の蕎麦をたっぷり頂戴した。午にはこれを戴こうと妻としばし眺めていた。
昨日の夜は、創刊二十五年、第108巻になる新刊「 湖(うみ)の本」 も事無に送り出したし、前夜祭ふうに、鮨と大盛りの刺身を取り寄せ、萬歳楽の清酒で祝った。読者への本はおおかた今日中には配本されるだろう。                     2011 6・19 117

* わたしは愉快なことばかりに取り囲まれているわけでなく、無心とは程遠い重苦しい思いも、さりとて投げ出しもせず地道に付き合わねばならない。
今日は、このところ引き続いた力仕事どもの骨休めにもと、雨のないを幸い町へ出てきたが、何となく気落ちしたまま、池袋の書店で買い込んだ網野善彦の増補『無縁・公界・樂』と波平恵美子の『ケガレ』を文庫本で読みながら、時には自分の本の下巻も拾い読みながら山手線をぐるぐる走り、上野駅構内のやけにきれいになった店店をみてまわったり、蕎麦屋で、ろくに食べずに八海山を二合も呑んだりして帰ってきた。
2011 6・21 117

* それにしてもこの機械部屋のなんという暑さか。全身を熱汗が流れ落ちる。

* 夕方ぬるいめにして、入浴。浴室に夏至晴天の眩しさ漲り、ゆっくり読書。そして食事を待たず寝入った。
晩の八時前に、パチっと心地よく目覚めた。こういう目覚め、めずらしく。くず餅に黄粉と蜜をかけて主食にかえ、そして桜桃をたっぷり戴く。すっかり真夏の感じ。機械の部屋はまだ火照っている。冷房が効かなくてとめてしまってある。
2011 6・22 117

* 老酒が飲みたくなった。あっというまに、瓶をカラにしてしまいそう。元岩波書店の編集者に戴いた酒肴もある。有り難し。
2011 6・29 117

* メガネを新調に行く気でいたが、気付いて調べると案にたがわず定休日。仕方なく鮨屋に入ったら、いきなり小鉢に茄子が出て腐った。穴子も雲丹も鰈もうまかった、冷酒も佳かったが、茄子がこたえた。
あまり暑いので町歩きはやめ、『無縁・公界・樂』を耽読しながら保谷に戻り、喫茶店でドーナツ二つと珈琲とで書きかけの小説をプリントでしっかり読み返し、ノートなど取っていたが、隣家のご主人にみつかり暫し歓談。別れたあと薬局へ病院処方箋を渡しておいて、「和可菜」鮨でまた肴でビールと酒をのみ、店の夫妻とゆっくり歓談して、歩いて帰宅。
2011 7・1 118

☆ 御無沙汰しました。 吉備ひと
政治の現状批判・脱原発推進について、私達普通の人間が感じていることを的確に代弁していただき、感謝します。
影響力をもつ人たちが脱原発・反原発の大運動を起こしてくださることを強く願っています。
湖の本『バグワンと私ー死の間近でー』にはほかのどこを探しても得られない中身が一杯詰まっています。
私事ですが左眼白内障手術を受け経過良好で、眼鏡合わせも間近です(右眼は10数年まえに終わっています)。
近く「晴れの国岡山」の清酒を少しお届けしますのでご笑味ください。

* 有難う存じます。
昨日は、いま會津で大学の学長さんを務めている、元医学書院勤務のの女性後輩が、「湖の本二十五年」を祝って、大粒の宝玉をぎっしり詰めたほどの桜桃一箱に熨斗をかけ、贈ってきて下さった。今年の桜桃のひときわ美味しいことは! 感謝しきれない。ありがとう。
2011 7・2 118

* 有元さんに戴いた名酒、たちまち飲み干してしまった。うまかった。新座の詩人に頂戴した豪華に一つ一つが巨きな菓子の旨いことにも目をむいている。この人、和菓子のえらび上手で、感心する。
さ、そろそろ階下でやすもう、菓子か、ビールか。寝るまえにはインシュリンを注射します。
2011 7・6 118

* 妻と、遅い晩飯を近所のフランス田舎料理の旨い店でした。赤いワインで。今日は妻の手までたくさん借りた。
帰ってからまた根をつめた。もう十一時、限界だ。ずうっとJazピアノを背中で聴いていた。励まされるように。
2011 7・7 118

☆ hatak さん ベルギー&オーストリア
先ほど成田に着きました。
7月に入ってすぐベルギーへ飛んで、ブリュッセルから1時間ほど東にあるルーヴァンラヌーヴという大学都市に一週間滞在しました。小さな国際ワークショップがあり、心配していた私の発表も、なんとか内容は伝わっていたようでしたので安心しました。
その後、週末の二日間をウイーンで過ごし、モーツアルトのレクイエムと、シューベルトのロザムンデと、ドボルザークのアメリカを
聴いてきました。教会や王宮の広間は、これまで経験したことがないほど残響が長く、演奏が終わっても何秒も残響が空間を駆け巡っていて、いつ拍手をしたら良いのやら分からないほどでした。
ほぼ一日を美術館で過ごし、ルーベンスとコンサートとランチを楽しんできました。
日本に戻ってから気づいたのですが、上野には博物館も美術館もあるし、芸大もあるのだから、こんな催しがあってもいいなと思いました。
オーストリアのワイン、赤と白を今お送りしました。美味しいかどうか味見してみて下さい。
10日間日本語の読み書き、会話をしないでいましたので、日本語が少しおかしいかも知れません。今でも頭の中で、オランダ語とフランス語とドイツ語らしきものの響きが残っていて、感覚がまだ戻りません。
暑さが続きますが、どうぞお体をお大切に。  maokat

* 快い満腹の旅の味が伝わる。この年だからもう羨ましいとは思わないが、音楽にも美術にも食い気にもしっかり気のあるこの植物学者だからこの楽しい旅が創りだせるのだろう。今回は、上海でのようにお茶は点てなかったのかな。

* そして。瀟洒な瓶のワインが赤と白と、無事に着到、maokatさん、何語で御礼を言いましょうか。やはり日本語で。ありがとう。 2011 7・12 118

* 勝って金負けても銀となでしこを人らは言いつわれは酒を呑む  遠
そんな昨日であったが、一夜明けてのまさしく「金」メダルの興奮に、わたしの酒、かなりすすんだ。いやあ、すばらしかった。金澤の戸水さんから純米の名酒「千枚田」一升、大津の恩師の奥様から美味いハムやソーセージなど。幸福であった。
2011 7・18 118

* 雨降らず。風もなく。十時の予約。空いているはずと予想したのに、眼科満員。検査に一時間はお待ち頂きますと。ところが数分でいきなり医師に呼ばれ、眼圧検査は医師がしてくれて、問題有りません、このまま様子を見ましょう、次回五ヶ月先にと。大丈夫なんかなあ。時計を見るとまだ九時半。支払って十時十五分も前。これでは、どんな店も、食べ物の店はあいてない。仕方なく地下鉄で池袋まで。デパートなら明いてるだろうと思ったのに、西武八階のレストラン街はどこも十一時に開店でござい・仕方なく鰻の伊勢定の外待ちで半時間『無縁・公界・樂』を耽読、一番に招き入れられて、飯半分にと頼んで最上の鰻重そして酒は久保田。枡にコップを仕込んできた。掛け声をかけると、おねえさん、コップを溢れ枡まで溢れるほどの大サービス。赤だし添えて。うまかった。
想えば鰻の季であった。
雨降らず。風もなく。空いた急行に乗って、はっと気がつくと、ひばりヶ丘駅をいま出るところ。次の停車駅は所沢、まいった。各停で保谷まで戻り、頼まれていたパンを買って、タクシーで帰宅。一時前。撮っておいてくれた「子連れ狼」を観ました。雨降らず。風もなく。
2011 7・20 118

* さて感慨というようなものは、無い。年老いた私だが、次、次に創作等の「仕事」が待っている。
闘いは済んだが、私の日はまだ暮れていない。戴いた奥能登の純米酒「千枚田」の口をあけ、静かに朱盃に酌む。
2011 7・20 118

* 街へ出た。颱風一過でなく、どこかで停滞の曇り空、ときどき小雨。涼しい。なんでもない洋食屋で、肉の骰子切りとクリームコロッケ。ジョッキのビール。パン。食べてしまってから、あ、牛肉を食っちゃった…。だが、うまかった。
ひさしく食わないラーメンというのも食べたくて。夕方、西武池袋駅で、立ったまま。
外での読書は『無縁・公界・樂』一辺倒。
街歩きが、楽しかった。腰も、さして痛まなかった。サポーターはむしろ寐るときに緩めにし、外出時はしないことに。膝のサポーターは外出に有効。階段もスタスタと昇り降りできる。
2011 7・21 118

☆ 暑中お伺い申し上げます。   e-OLD 吉備の人
長期に亘る裁判の終結を迎えられ何はともあれよろしゅうございました。
御連絡が遅くなりましたが岡山のぶどうを少しお届けします。

* ありがとう存じます。
台風の被害など無かったでしょうか、お揃いにて日々益々お大事にと願います。 e-OLD 湖
2011 7・22 118

* 吉備のお人から、すばらしい葡萄の大きな房を四つも頂戴し、妻と、歓声をあげ美味を吸い込んだ。下関の孤城山人の送って下さるとっておきの獺祭のよく冷えたのも楽しんだ。こんなにいろんな果物やお酒を芯からたのしんでいる糖尿病者っているだろうか。ありがたい幸せである。
2011 7・31 118

* 京都から東京へ来ている若い女画家が、旅先から、いや帰郷した京都から、銷夏の美味を贈りとどけてくれた。「紀州からあなたへ一粒の至福」と、福梅を、たっぷり。一粒一粒を和紙にくるんで、絶好の夏のお茶うけに出来ている。妻の両親は紀州の人、そしてわたしは少年の昔から梅が大好き、一度に五つも六つも酸っぱいのを喜んで食べてしまうことがある。中国へもロシアへも、梅干しをいっぱい携行して長旅の健康を保ってきた。秦の父は、梅干し嫌いだった、可笑しいほど。
阿部さんの送ってくれたのは酸っぱい梅干しでなく、京ふうのセンスでみごとな菓子にも成っている。菓子の「菓」の字が示す本来果実の精製であり、いい煎茶にも、抹茶にそえても、しっくりと美味い。「福梅」製、趣向の箱に二段に、たくさん。真夏に嬉しい、まさに、茶の「友」。ありがとう。

* 六時前に起きたので、やっと、九時前。朝飯前をこころよく。 2011 8・2 119

* 有楽町まで出掛けた。妻のために最新鋭のノートパソコンを買った。一体になったスキャナーとプリンターも付けて。いろいろに調整して一週間ほどで製作している本社から届く。機械に習熟して、わたしの仕事も手伝って欲しい。とはいえ、妻も若くない。無理は強いられないが、機械の性能は、三台使っているわたしの機械のどれよりも新しい。どこまで使いこなしてくれるか、やはり期待している。

* 帝劇のモール、例の「菊川」で遅い昼食を終えたのが三時半廻っていた。鰻、しっかり値上がりしていた。この店の瓶の菊正が大好き、二合をくいと呑んできた。おなじみのおねえさんのサービスもよかった。
さて、となりの静かな出光美術館で、「明清陶磁の名品」展をゆっくりゆっくり夫婦で堪能した。漢族の王朝と朝鮮満州族の王朝の肌合いの差異が窺えながら、後続した清陶磁のしっかり明文化に学ぼう超えようとした意気も、またほの見えて面白くも美しい名品展、妻も私も清々しく満たされた。清の超絶技巧より、明の洪武・永楽また成化・嘉靖の頃の洗練のきいた磁器の多くについつい嘆声がもれたが、清の雍正の青花釉裏紅ものや小説「蝶の皿」で書いた豆彩ものにも特色を覚えた何点もが目立ち、満足した。
客のいたって少ないもう閉館の時刻の逼っていた出光美術館の、本展に添った贅沢なおまけのルオー、ムンクの数点も、茶室の飾り付けも、目映く照った皇居の眺望も、とても心地よく目に染みた。
妻がソーラーの腕時計修繕を頼んだビックカメラにもう一度たち戻ってから、地下の有楽町線で一気に保谷へ帰った。パンを買って、ぱらぱら来始めた小雨をかいくぐり車で玄関まで。黒いまごが、そろりと出迎えてくれた。
2011 8・4 119

* 六朝末、謝恵連に、「幽霊髣髴として我が犠樽を飮( う) けよ」の祭文がある。現れ出て、こう備えた酒を飲んでくれというのであり、怨みをふくんだ日本の幽霊とはよほど違って、生者と死者とのお付き合いがサラっとしていた。わが家でも、家の真真ん中に設けた秦の親達ややす香や愛猫たちの祭壇に、よくお酒の瓶がならびたつ。父はテンと酒は駄目な人だったが母は好きだった。しかし好きなのはわたしなのであり、自分の好物だから亡き人達にもさしあげてしまう。
いまは生駒在の理史くんから贈られてきた、純米吟醸「八海山」というとびきりの一升瓶がドンと立っている。ありがとう、 理史くん。若い友人の頂き物を、まさか「我が犠樽」はあつかましいが、わたしは「幽霊」大歓迎で。逢いたければ誰方であれ、いつでも「部屋」へお出まし願う。みなさん、あの世でお元気である。
2011 8・17 119

* 理史くんの送ってくれた純米吟醸の「八海山」の口をあけた。堪らない。吉田健一先生は籤とらずの常に「八海山」だったと聞く。
栃木県の真岡から、新鮮な葡萄が段に二箱も贈られてきた、一房をたっぷり冷たいミルクジュースにして、妻と有り難く分けた。  2011 8・21 119

* 「珠」さんから、ナースの目で容態を観察したまま最良の「水」そしてとても美味しい餡菓子を何種か選んで、手紙も添えて励まして貰った。ありがとう。手作りする最中の美味さ。ありがとう。手紙もありがとう。
2011 9・9 120

* 昨日林君に来て貰い、秋場所の枡席券を上げたときは、そうとう調子が悪くて晩景にはまた蒸し返すかと思いかけたが、ガンと決心していて、途中病院に担ぎ込まれてでも「秀山会」九月歌舞伎の夜の部を見に行く気だった。頭痛と頸痛とがじんじん疼いていたが、おまけに猛烈な照りだったが、髯ぼうぼうのまま、杖をついてよろよろしながら、妻と二人でとにかく銀座まで行き、タクシーで演舞場四時半の開場に間に合った、たべられるかどうか少し危ぶみながらいちばん美味そうな弁当も二つ買った。高麗屋の番頭さんが心配顔で、しかし歓迎してくれた。座席に座り込めば、もう、肝が据わっていた。なにしろよほど歌舞伎に飢えていた。
頭痛と肩凝りは痛み止めでおさめるしかないが、弁当のなかなか美味かったのは当たりであった。そして少しも眠気に襲われず。
2011 9・12 120

* 朝も昼もろくに食べていなかったので二人とも体力の落ちたまま、えっちらゆらゆらと三笠会館まで歩いて、四階「秦淮春」で久しぶりに中華料理と佳い紹興酒。美味くて、息を吹き返した。
銀座一丁目からゆっくりとろとろしながら還ってきた。外出は疲れるよりも、やはり休息と気分転換にはなった。殺人的なストレスが幾重にも溜まっている。それを承知でなんとかやりくりしているが、もう、頭の中がかたいもので詰まってきている。やすみたい。 2011 9・16 120

* 見おえてもう元気も何も抜け落ちていたが、あえて日比谷線で銀座三越へ入り、初めて新館十二階、昨日が開店という天麩羅の「ひさご」に入り、食べきれるかどうか自信ない体調だったが、あえて気張って贅沢し、「菊正」を三合飲んでむしろ具合の良くなかった全身状況を立て直した。おしいく好物をみな平らげてきた。妻も付き合ってくれた。
小雨の銀座一丁目から、幸い席を譲ってくれる若い人もいて、一気に西武線直通で帰ってきた。
すこしまたズキズキと頭が痛んできた。これで九月が過ぎて行く。来週の内には、漫然と一日でも町歩きが出来るほどだといいが、頭の痛みはまだ歴然と残っているし、ふくぶも安定しているわけではない。乗り越えて行けるだろうと期待しているだけの話。
2011 9・22 120

☆ 願いをこめて。  吉備の人
長らくご無沙汰しました。おかけする言葉がみつからなくて今日まで過ぎました。体調のすぐれない方にふさわしくないと承知しながら敢えて清酒をお届けすることにしました。秋の気配も色濃くなりつつあるときなので、秦さんがお酒を口にできる日の早く来ることを願っています。

* 有難う御座います。嬉しく頂戴します。
2011 9・28 120

* 吉備の人から、名酒「八海山一升頂戴していた、なんと有り難いこと。嬉しいこと
2011 9・29 120

 

 

 

 

 

* 昨夜の苦痛をおそれて、慎重に慎重に体調をみまもるように過ごしている。それでも、戴いた大吟醸の口を切り、「八海山」をぐい飲みに一杯美味しく味わった。胃腸変調気味の時、うまい酒を少し腹に入れるときっと落ち着くという「体験」を、心持ち、わたしは信仰している。
2011 10・2 121

☆ 独り敬亭山に坐す   李白
衆鳥高く飛び尽くし  孤雲独り去って なり
相看て両つながら厭はざるは 只 敬亭山のみ有り

* 「静夜思」とならんで、ことに好きな李白詩。ティロパやバグワンの歌いまた説いている「マハムドラー」とは、この李白と敬亭山との「一致」のようではあるまいか。
このところ、しかし、唐詩以上に、昔の岩波文庫版で『陶淵明集』を懐かしんでいる

酒有り酒有り   (ひま)をえて東の窗(まど)に飲む   とか、

人も亦た言へる有り  心に称(かな)へば足り易しと。
この一觴を揮(つ)くして  陶然として自ら樂しむ。   とか。

吉備びとの有元毅さんに頂戴した名酒「八海山」一升も、かく陶然と揮(つ)くし、かく陋屋で自ら楽しんだ。有り難し。
2011 10・12 121

* 八時だが、やや疲れを覚えるので、機械の前から離れる。今日は、機械まわりの窮屈なかぎりの場所で大きなゲラをめくり続けていて、それも堪えた。 数日前に栓を抜いた白いワインがうまかった。すぐ無くなったが、同じのが冷蔵庫にあればいいが。
2011 10・15 121

* じつのところ前夜からすこしふらつく気がしていて、早めに寝たが、目が覚め手洗いに立つと、めまいかというほど朦朧ぎみにおどろき、血糖値を計ると、49。低すぎる。すぐ砂糖壺から二匙口に入れ、虎屋のちいさな棒羊羹を一つ食べてから床に戻った。
朝は血圧が高かった。ま、この二三日頑張ったのだしムリないかと、用意の出来たややこしい校正ゲラを宅配便に托し、気分を換えに杖をついて家を出た。
すばらしい秋の空。ゆらゆらしていても気持ちはだんだんによくなり、本なども読まずに、ただもう乗り物に身をまかせた。念のために健康保険証と聖路加の診察券は、 出掛けるときは持って出る。むろん薬は、ありとあらゆる必要な薬をいろんな陽気に完備して持っているし、飲み物も。リポビタンも駅で買った。
このごろ杖を手放さないが、よほど老耄にみえるのか座席を譲ってくれる親切な人は、 少なくないのです。
想うことも考えることも思案することも頭の中には山ほどあるので退屈はしないが、睡ければ眠ればよい。その気で観ていると、わたしのように放心したような男老人はずいぶんいる。そういう人を観察し観察されもしながら、なにもしないで、ときおりお茶で薬をいろいろ飲む。それも見られていて可笑しい。

* 東京駅へ戻ってきて、鮓を美味く食い「三田村」を美味く飲んできた。帰りの電車も坐れて良かった。
結果として、とても佳い一日だった。明日から、また根気よく、やる。
2011 10・17 121

* 散歩はよいに違いないが、わが地元ほど平々凡々の町はすくない。生い育った京都の東山区とは天地ほどちがう。わざわざ隅田川まで行くのは、そのためだ。たとえ保谷で妻とでかけて、さ、途中でどっちも疲れてしまっても、乗って帰れるタクシーも走っていない。

* 書中の散策がいちばん楽しいが。

* 妻を後ろに乗せて、すいた道を通って黒目川に沿い、落合からも黒目に沿って溯ってきた。程よく引き返し、きのうと同じ道を家まで帰った。身体の働きは、二人乗りだとそれだけ多い道理。帰ってのビールが美味かった。
2011 10・24 121

* あたまのまうしろに、鈍い違和感。仰向けに寝ると枕にちょうど当たる。

* 今日ひとしお疲れた。純米の松竹梅が買ってある。このごろは燗酒にしているのが美味い。
2011 10・29 121

* 降ると聞いていたが、朝、晴れやか。

* 湖109の最終校正のためにゲラを持って街へ出た。坐れさえすれば、山手線を一周するだけでもはかどる。大きな駅だと改札を出なくても机の仕える飲み物・食べ物の店はある。一々改札の外へ出ない。そしてまた乗る。すこし勘定高くてズルイのだが、責了前の校正なら読むのが主だから、電車と喫茶室とでハカが行く。気を換えたければ街へ出て、 少し歩く。
東京駅で、ふかひれを使った麺の店を覚えていたので紹興酒と一緒に食べ、思い立って日比谷のクラブへ久しぶりに行ってみたくなった。相客がほとんどいなくて静か、ここではよく食べる蝸牛と、チーズの盛り合わせで、ブラントンを飲みながらさらに校正ゲラを読み進んだ。数寄屋橋センターの一階で二三買い物してから帰った。杖ついて、よほど老耄してみえるらしく、電車では何度でも席を譲って貰えた。有り難い。
しかし婦人物の売り場など通り抜けたりすると、若い女店員達におもわず嗤われていたりする。鏡に映るのを観てみると、嗤われて当たり前の妙な爺で、 少しメゲた。しかし、校正を読み始めると、なかなか高邁なことも書いているわいと独り慰めていたり。バカみたい。
2011 10・31 121

* 北の酒、純米大吟醸の「佞武多」と「じよつぱり」二升、札幌の友より贈られてきた。ありがとう。楽しみ。寸暇も無げな人がよく気を付けて下さる。御礼申し上げる。
2011 11・1 122

そしてバグワン。機械の前へ来れば、陶淵明や白楽天や『古文真寶』『老子講話』が疲れを癒やしてくれる。気の乗った読書とは、えもいわれぬ「美味」そのものである。幸い手近に美酒もある。

* 食事どきには炊きたての白米が食べられなくて、晩になると、お握りにして海苔でくるんで貰ったのが、すこぶる美味い。白い新米がとても美味い。どこからどうみても医者泣かせの不良老人という以外にない。しかし美味い。
2011 11・3 122

* いまわたしは、札幌の友の送って呉れた美酒「佞武多」と、妻のみつけてきた和製ブランデー「アルプス」とを、友なく、独りで楽しんでいる。
2011 11・15 122

* 南山城の父方の実家から、地の名産ときこえた柿、富有柿一箱を送ってもらった。こちらでの買い置きよりも美味い。恐縮です。 2011 11・15 122

* ゆらゆらと東池袋から池袋東口へ歩いた。途中、ユニクロで仕事着用のカーディガン二着を買った。
西武百貨店の八階に上がり「たん熊北店」新装の系列店に入り、京料理をすこし贅沢にはずんだ。此処でもボジョレーヌードルをグラスで。
料理、とても旨かった。三種の前菜も、鯛、鰤、鮪の刺身も、すっぽんの汁も。酒はなじみの、熊彦。盃のかわりに前菜に出ていたちいさい片口を用いたのが口触りよろしくて。食後のくず餅まで、妻もわたしもすこぶる満足した。
先日の銀座では腰痛くて弱ったので、今日は杖をもって出た。痛くはあったけれど難渋に陥らず無事に帰宅、七時過ぎ。
2011 11・22 122

* 「佞武多」一升、飲み干した、美味いお酒であった。送り主のいうことを聴いて、一気飲みはせず少しずつ深く味わった。美味かった。「今我れ樂みを為さずんば、來歳の有りや否やを知らんや。」
2011 11・23 122

* 長門から、大和から、よく選ばれた純米吟醸酒を頂戴。感謝。 2011 12・5 123

* 日生劇場前、帝国ホテルわきからタクシーで。なお秋色のこる静かな泉屋博古館分館の、住友コレクション展を観てきた。佳什少なからず、だが、さて目にやきついて離れぬほどの名品とも出会わず。
近くのホテルオークラで暫時腰掛けて休み、ふたたびタクシーで帝国ホテルにもどり、幸いタワー地下の中華料理「北京」が明いていたので、今日はと期待してきたご馳走を多彩に珍しいコースメニュで満腹した。この頃ではめったに出ないマオタイが飲めた、なんという美味さ。そして紹興酒二合。満喫。
その足で、五階のクラブへ。例年愛用のダイアリーを貰う、これが目当てで。コーヒーだけにするよと言いながら、バーボンのブラントンも少し楽しんだ。酔いにさそわれ、なんということ、妻をそばに置いたままわたしは暫くうたたねした。妻は本を読んでいたらしい、今夜土曜日のクラブはそれほど静かだった。
日比谷から、タクシーで帰宅。わたしは、その車内でもかなり長く寝入っていた。
2011 12・10 123

* 帰国していたロスの池宮さんを二人で銀座のホテルに訪問。女二人が歓談のそばで、うとうとと。ほんの手土産にと、菊桐蒔絵の珍しい小棗をさしあげる。仕覆をつけて茶箱手前にもいいが、佳い小帛紗か木地の盆に飾るのもいいだろう。叔母の道具の中で、まるで貴人の幼子が迷子にでもなったあんばいに裸で紛れていたが、凛とした美しい蒔絵で目を惹いた。
お土産をあれこれ頂いて三時過ぎに別れてきた。お元気でなにより。
銀座を歩いて、松屋で妻が紫檀のスッキを買ってくれた。いままでのより、ほんの一センチほど短くした。少し早い夕食だったが上八階の「つな八」で。ビールはエビス。酒は八海山。
有楽町線で一気に帰る。途中眠っていた。

* 琵琶湖の鮒寿司を下さった岡山の有元さん、富山の鱒の鮨と黒づくりを下さった」田無の岸野さん、来信、ありがたく。文春の寺田英視さんも。感謝。
2011 12・12 123

* 新潟の黄色さんに碧壽久保田いただく。高麗屋にお蕎麦をいただく。ロスから見えた池宮さんにも菱川師宣ゆかりの銘酒見返り美人クリスマスプレゼントいろいろいただく。わたしの親類から、みるから立派なさつまいもを沢山、妻の親類からは紀州の干魚を沢山、いただく。
床に就く前、有元さんに戴いたたっぷり子持ちの鮒寿司で見返り美人を。両方相譲らず頗る頗る美味かった。血糖値もあがったけれど、それは注射して按配。
2011 12・13 123

* 早起きして。聖路加眼科へ。十一時視野検査。続いて診察。前回比、大差なく。視力も落ちていないと。
どこへも寄らず、一直線で帰ってきた。一時過ぎ。高麗屋にいただいた蕎麦で昼食。
この法外な眠さをどうにかしたい。
2011 12・14 123

☆ 奥さま
今年の梅干しと初しぼり( 近江の美酒) をお送りします。行事のようで楽しんでいます。
今年初孫が生まれ忙しさの中で生姜を漬けられず 梅酢が多少残りましたので ほんの少しですが入れました。5cc位を2~3f倍の水に薄めて飲むと 疲れた時とか気分の悪い時によく効きます、おためし下さい。
良いお年をお迎え下さいませ。   敬美  湖東

* 愛読者であったご主人の亡くなられたのは、湖の本を出し始めて二、三年と経っていなかった。夫人は、だが、その後もずうっと今なお毎年、このようにご主人と二人して丹精された実に美味しい梅干しや生姜を贈ってくださり、湖の本も読み続けて下さっている。一度もお目にかからないが、親族とも変わりない久しいお人である。「初孫」と。亡き人もよろこんでおられよう、嬉しいお便りである。

* 四国讃岐の岡部さんからも、目をみはるほど大きく熟したお蜜柑をたっぷり戴いた。
2011 12・17 123

* いちばんに、鯛の浜焼き二尾で、明日七六歳を祝って戴く。昭和十年( 1935) 冬至、夜の一等永い夜にわたしは生まれた。

めでたいと祝い鯛とぞ年の瀬のいや永き夜を壽きたまふ   みづうみ

* 感謝します。
2011 12・20 123

* 明日は外へ出るので、イヴを、戴いた「めで鯛」一尾のご馳走になった。とても美味しい清潔な浜焼き。妻もよろこんで。いいお酒もあって。もう一尾、明日の昼に戴く。
2011 12・20 123

* 朝、祝い鯛一尾とともに、妻と黒いマゴと三人、赤飯で祝った。感謝。
2011 12・21 123

* 日生劇場をはねて、晩の七時過ぎ。すぐ向かいのクラブに入ると、お祝いにとシャンパンを用意してくれていて、みんなに口々に祝って貰った。「伊勢長」の和食を取り寄せ、妻はシャンパン、わたしはたっぷりのブラントン・ストレートで美味い食事を摂った。ブラントンのボトルが明いたので、新しく、66度という完熟の新ブラントンを新しく買い置いておいて、今夜は地下鉄と西武線を乗り継いで帰ってきた。伊勢長の弁当から、黒いマゴのためにお土産のご馳走も少し持って帰った。大喜びで食べてくれた。
2011 12・21 123

* 「珠」さんから和菓子戴いた。お茶を点て、妻と各二服。泡がゆったり盛って、よく点った。
2011 12・22 123

* 母方祖父の親戚、江州水口宿本陣鵜飼家からも、妻の親友からも、やす香のお友達からも菓子など戴く。
2011 12・22 123

* 京都で育って東京で制作している日本画家に、和歌山のみごとな梅干しの樽を、東京で学んで東京で活躍している日本画家からは例年の自作の華麗なカレンダーを貰った。いずれも閨秀。
2011 12・24 123

* 寒いけれど恒例の歳末の買い物に。なにたいしたものではない蛤と年越しそばのための何か、だけのこと。雑煮の白味噌は先日買ってきた。新年の手帖や日記帳ももう揃っている。むかしは朝日子や建日子を連れて行って、暮れの街の賑わいを楽しんだりもしたが、何もかも過ぎてしまった。

* 西武でも東武でもめざす小粒の蛤は手に入らず、焼蛤にするような一つが五百円もする大蛤しか手に入らなかった。この三年、蛤買いには苦戦の連続。
この前から欲していた、たらば蟹の太い脚を、ごそっと買ってきた。百貨店の地下売り場二つを行ったり来たりで空腹堪えがたく、西武の八階レストラン街に上がっても、どの店にもずらっと人が順番を待っていた。諦め、日比谷花壇で花を買い、帰ってきた。
2011 12・30 123

* 桐生の住吉さん、下仁田葱を新年のために下さる。感謝。
2011 12・31 123

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