* ゆっくり朝寝した。あれで夢をみなくてすめば、安眠、なのだが。正午前の血糖値105。椅子席で、雑煮を妻と祝う。まだ相当ねむたい。
2004 1・2 28
* 一度ぐっすり寝ておきたい。建日子の芝居がはじまる。初日と五日目とを観てくれと云われている。梅若万三郎の「翁」にも行く。俳優座劇場の芝居にも招かれている。京都行きがあるので、今月前半はとくに外出をおさえているが、それでも気の抜けないスケジュールになっている。歯の治療も聖路加診察も委員会もある。
2004 1・4 28
* どうっと「ペン電子文藝館」の作品が「校正室」に上がってきて、通読の割り振りやら、校正されてきたものの、原稿や原作による逐一点検・決定やらで、ほぼ終日文藝館関係に追われた。この状況は暫くつづく。わたしが入稿を加減して少なくすれば、しぜんこれがラクになるが、昨二○○三年は大晦日まで毎日のように入稿し続けていたので、年頭が賑わって来るのは当然の成り行き。
講演の用意、尻に火がついてきた。そのためか、めずらしく久しぶりにストレス腹痛らしきものが、かすかに。じりじりしてくると、つい、飲んで食って気を紛らせる、これがあとへ響く。それでも血糖値はよくコントロールしている方だと思う。ほぼ正常値をいつも保っている。コレステロールの何のというのが、つかみどころなく、分からない。
それにしてもどれもこれも飲み尽くし、今は神戸の芝田さんに戴いた「奧丹波」だ、酒をよく知った人の選択で、たまらなく美味い。ちびちびなんかやれないタチで、比較的行儀の佳い萩焼きのなかでは、鬼の掌のような大ぶり豪快な盃に、なみなみついで、ぐうっとやるから、ハカが行って仕様がない。奈良六条の人から頂戴した本格の奈良漬けを肴にして飲むうまさ。しょうがないなあと思いつつ、腹痛の兆しはこっちが原因かなあとも思いつつ、ま、よかろう。「余霞楼」という純然京ことばで「太陽」に書いた一種のスリラー短編をもっている。作中の粋な建物の名前を題に使ったが、すこしだけ出来映えに胸を張った感触もあった。
ときどき「騒壇余人」と書いているが、騒とは、風騒、詩や文章を書くことや人達のことだが、あまり通じのいい字面のいい語ではないなと思っていた。いっ「余霞楼」がよかろうか。
2004 1・7 28
* さ、明日からまた歯医者通いだ。堪らんなあ。疲れているのか、酒のせいか、すうっと瞼を押さてくるちから。
めをとぢてこの深きやみに沈透くなり ねがはざれ 我も 我の心も
2004 1・7 28
* 作業がものうくて。糖尿病がひどいのだろうか。血糖値は抑えているつもりだけれど、血糖値だけの問題でもなく。なんとも、今度ばかりは十七日を済ませてしまいたい。新年はそれからだというぐらい、気が重い。
2004 1・10 28
* たった一日二日の旅であったのに、しっかり疲れが湧いて出てくる。今日ははやめに階下へ。眠るのが一だ。京都にいる間に痛切に自覚し実感を深めたのは、視力の低下と混乱。遠くがまるでくらんでいて、近くもぼやけている。必要なのはまた眼鏡の新調か。医者を咎めるわけには行かないが、聖路加眼科では、そんな視力のことなど何一つ心配してくれず、緑内障の進行の度合いだけしか示唆してくれない。視力は眼鏡屋さんとの問題ですというのだ、そういうものかなあ、眼科学の能力は。近所の眼科に行ってみようと思う。それから眼鏡だ。
2004 1・18 28
* 寒い。すこし、くらっとしそうに眠いが、今日の委員会のための心覚えを書いた。会議が散漫にならぬようにと。みぞれが降っている。
午前中に聖路加へ入り、今日はナースが対応する。前回よりインスリン液が変更され、注射したら「十五分以内に」必ず「食べ物を口に」入れなくてはいけないことになった。便利とも不便ともつかない。効き目が強くなったのかどうかも、シカと分からない。出掛けるのが寒いことだけ分かっている。
2004 1・19 28
* 機械の前でおもわずじいっと眼をとじてしまう。ふねが岸を音もなく離れるように、闇に意識が溶け込んで行く。一枚の葉よりかるく闇の海の底へ沈んで行く。グラン・ブルー。あこがれがひたひた身に迫り、……うたたねしていた。目覚めると機械の画面が、かっとあかるい。
2004 1・21 28
* ラクになんかならない、明日明後日の二日の内に気の張る原稿を片づけてしまわないと。ところが明日は歯医者の予約が入れてあった。眼科にぜひ早く行きたいが、来週以降にもちこすしかない。
2004 1・21 28
* 朝一番に、京都の星野画廊から、秦テルヲの絵が届いた。湖の本のあとがきゲラも来た。
血糖値が88とは、低い。気温が影響するのだろうか。トーストと紅茶だけの朝食、この血糖値ならインシュリンはパスして夜分に補強しよう、そういうのはいけませんと云われるだろうが。朝から晩まで測り続けるわけではないので、朝起きの値をメドにしている。ここで125以下であれば宜しいと、聖路加では指導している。学会は110以下としている。低血糖はこわいので、80以下にはなりたくない。
2004 1・28 28
* あすはまた歯医者。あすの帰りは、どこへ向かおうか。校正をもって出るので、落ち着いて明るい店を見つけたい。あたたかいといい、風邪はひきたくない。
五日には、久しぶりの電メ研が茅場町で、三時から五時。帰りにはクラブへまわれる。
2004 1・28 28
* ずうっと仕事に没頭。しかしときどきくらくらっとするほど睡気がくる。たぶん、たんに眠いのではない。血糖値の波動が烈しいのであろう。そばにペットボトルのお茶を一口含むだけで、瞬時に睡魔は消散する。一種の異状であり油断できない。
2004 1・29 28
* 聖路加病院にながく世話になっていて、このごろ漸く感じることは、専門医が初診時の患者愁訴にしたがって、何となく「それ一つ」をフォローし、全体の違和や不安にはあまり応じてくれない、ないしは踏み込んできてはくれない点である。
糖尿病は、いわば全身違和で影響が多方面に噴き出しかねない難儀な病気だが、検査データの点検だけで大丈夫なのかなあと心配になるときがある。血糖値は測っていてほぼ正常の範囲内にあるけれどふくらはぎが張って、昔と較べものにならぬほど日常的にともすると痛烈に足が攣る。掌がじんじんする。時ならず眠くなる。くらくらと眠くなる。一にも二にも運動ですといわれても、簡単なことではない。
眼科でいえば、わたしには当面する視力の減退がなにより迷惑なのに、緑内障の視野狭窄推移を半年ごとに様子をみるだけで終わる。視力の方は眼鏡屋で調節して下さいというばかり、あまり科学的に感じられない。むかし「臨床眼科」という雑誌にも間近く勤務していたが、目玉の外側からレンズ調節でしか調整できない眼科学というものに、かなり不信感を覚えたそれがそのまま生きている。視力周辺の病変にも治療は進んでいるけれど、眼鏡依存を当然とする思想は変わっていない、変えようがないようだ。
2004 1・31 28
* 市内の眼科に行った。幸い視力はそう無くなっていないと。白内障は改めて瞳孔を開いて検査したい、無いとは言えない、その気味は有るけれどと。日々の不自由は、やはり眼鏡の能力と、パソコン機械との関わりが不適切ということで、早急にまた眼鏡をつくりに出かけなければならない。
2004 2・4 29
* 今日で歯科医一旦卒業となる。その足で久しぶりの電子メディア委員会。議題は大きく、幾つもある。
2004 2・5 29
* 千葉の勝田さんから親切な親切な医師としての助言があった。西東京の家から近い医院の紹介も地図も添えられていた。感謝に堪えない。医者のこととなるといつも腰が退け、ついついお礼のメールもしそびれたまま、胸は暖かい。
眼科ではない、糖尿病の方である。測っている血糖値の表をもってゆき、注射等の処方箋をもらう。貰わないとインシュリン等が手に入らない。それだけなら近くに親しい家庭医を持つことも大切だと思っていた、その通りの示唆があった。妻のこともありわたしも聖路加との縁は切りたくないけれど、そのドクターに躰を預けておくことは有効ではなかろうかと心動いている。それすらも勝田さんに告げていない。ご免なさい。
2004 2・10 29
* 元気か、と、いろんな人から聞かれる。視力のほかはどこと云って故障はない。わたしの時間も空間も、幸い、満たされていると云える。気持がおよそは静かなことでわかる。
2004 2・12 29
* けさは、ひどく眼が霞んでいて、昔の小さい字の原本を片手に招待席原稿を校正するのがつらい。自然、眼を閉じて闇に憩うことになる。そのまま、とろとろっと眠ったりしている。
2004 2・19 29
* 午後には外へ出ていいほど落ち着いていたが、文藝館の出稿の杜撰などにかかずらわっているうち、外も寒げに、気も疲れたので、そのまま時を過ごして夕暮れ近くなった。あすからを控えて、少し休んでおく。
2004 2・19 29
* 黒いまごに六時半に起こされて、外へ出してやり、もう少し寝ようと床にもどって、九時になってしまった。あのまま起きてしまえば、曙の春であったろうに。昨日の頑張りで、治療したばかりの奥歯がはれている。やれやれ。
2004 2・21 29
* 眼への花粉侵害で思考力が持続しない。こういうときは、機械相手に碁を一局囲む。機械はめちゃくちゃ弱いので負けることがない。しかしこの弱い機械にもいつか負けるかなあと思うのが、ヘンな気分。勝ったり負けたりが面白いので、最高六目まで置かせたことがある。まだ負けていない。対で白石を握っている限り、まず絶対に負けない。安心なようで、刺激はない。
2004 2・24 29
* 市内の眼科に。午後診療は、三時から。三時十分前に入り、医院を出たのは五時十五分。開瞳検査も受けた。幸い緑内障も白内障も当面心配には及ばぬ程度と診断された。このお医者さんは信頼できる経歴の人。瞳孔を拡げたあとも、強烈な光線を眼の奧へ差し込まれてクラクラしながら、慎重に自転車で帰った。ともあれ、少し安心した。次は眼鏡の新調。
ブルーベリーも手に入れた。
2004 2・27 29
* 自分が、息をしていないのではないかと思う瞬時がある。眼をとじると茜の空がみえる。血圧が高いのか。
2004 3・6 30
* 夕食のあと、二時間ほど宵寝していた。機械部屋が酸欠でもするか、わたしの体力か、睡魔にしばしば言い寄られていたので。わるい気持ではなかったけれど。
日付も変わったし、今夜も、やすやすと寝入りたい。
2004 3・10 30
* 朝のテレビは、脳梗塞がこわいといろいろ助言していた。酒の飲み過ぎ、運動不足、ストレス。やれやれ。血圧も高くなり気味で、糖尿病もよろしからずと。平伏して聴く。いやいや、まだタカをくくっているから、ほんとに危ない。ゆうべは、飲も食も過度であった。汗もかいた。
2004 3・13 30
* 昨夜来、わずかながら体調違和を覚えて元気なく、朝も昼も殆ど食べなかった。曰く謂いがたい不安と寂しみを感じ、不快に汗ばみ、しつこく眠たい。芝居が退屈なのでは全然ないのに、ともすると引きずり込まれるように「夢」をみた。どこへも回らずに五時には帰宅。
* 執拗で無礼な金融商品だか不動産だかの電話攻勢が、何度もつづくなど、気分を害することの相次いで、どうも落ち着きどころがない。今夜は、何もみな投げ出し早く床に就き、まるくなって寝てしまおう。
2004 3・13 30
* 聖路加へでかける。藤江さんに刺激されたというのではないが、ながく掛かってきた「絵」の仕事を、とにかくも仕上げてしまいたい。家の近くへ、鳩が来ては啼く。あのなきごえが好きである。
2004 3・19 30
* このまま行くと「入院」管理を予定しなくてはならぬそうである。血圧が、急に高くなった。もともと低血圧体質であった。先日のある会議で、メモを書こうとしたら字が書けないほど手が震えるのでビックリした。しかし講演の後など、その場で書物にサインをと云われると、同様のことは、昔から起きていた。そして、すぐ、おさまるのである。しかしこの間は、べつだんの思い当たる前行為があったわけではないのに、異様に持ったペンが勝手に震動し、弱った。医師はむしろその際の低血糖を心配していた。分からない。
それよりも、悪玉コレステロール値が高くなっている。運動と食餌の問題だと。やれやれ。インシュリンの投与単位も 6 4 4 から、6 6 6 に上げられた。血糖値はずうっと大過ないのであるが。やれやれ。
「入院」となると、大学に入った一年生六月頃に虫垂炎手術をして以来のことになる。「入院」はいやであるから、自身に対しドクターストップを自発的に発動するよりあるまいか。やれやれ。
* 診察の後、まっすぐ帰った。いや、途中池袋で京都行きの切符を買った。診察に萎縮したのではない、すでに診察待ちの間に院内食堂で昼食に「松花堂弁当」を食べていたからで。それに早く帰って機械の前にすわりたいわけがあった。
保谷駅外の臨時の売店でジャズなどのディスクを売っていた。ジャズは分からないから、マリア・カラスのオペラアリア集を買って帰った。
2004 3・19 30
* それよりも、思い切りさえすれば入稿してもいい程度に、作品が前半、仕上がったと思う。昨夜、ぐーんと遅く寝たので眠い。朝、片岡我當にもらった、ちいさい粋な煎餅を二枚食べた。家に帰ってまた二枚食べた。甘いものは避け酒は避け、すこしからだが軽い。空腹はむかしほどイヤではない。指先のジンジン感も失せている。
2004 3・23 30
* 降らないといいが。今朝の血糖値は87。理想的な数字。十九日に聖路加で「入院」と叱られて以来一週間め。この間、酒は二日だけ。それも湯呑みに一杯ずつぐらい。今日か明日は、少し花見酒をやるかも。いや、やらないかも。体重も少し改善。
2004 3・25 30
* 眼圧をさげるハイパージールの朝夜の点眼をつよく指示されていて、ときたま忘れる。点眼すると眼は真っ赤になり、しばらく霞むような気がする。今朝の血糖値は、90。理想的。ほかのことは分からない。
2004 3・28 30
* わたしが自分で勝手に決めたこと。ほぼ、励行している。
酒休日 週三日(その日は、牛乳 1 カップ)
家での酒量 酒(決めた湯呑みに一杯) ワイン(決めたグラスに二杯) ビールは呑まない。
外でも 原則上に準じ、 洋酒(ツーフィンガー二杯)
動物肉 動物脂 砂糖 甘味 中華料理 フランス料理 天麩羅 は禁止。卵は週に三個内。牛乳はコップ一杯、週二回
日本料理、鮨、鰻 可。 飯・汁 一膳一椀
間食は、軽い煎餅など二枚 日に二度。夜八時半以降飲食不可。
2004 3・31 30
* 非常に遅まき乍ら健康食に目覚めたお人に、一言。
私の健康食と云えば、六、七年は続いている牛乳に黄な粉を入れて飲む事と、市販のにんにく卵黄を一粒とそれだけ。
今は地中海ヨーグルトに黄な粉だけを入れています。
200グラムのヨーグルトに黄な粉とブルーベリージャムでも入れて、毎朝、如何ですか。美味しいですよ。今、テレビでもその効用をやっていました。
* 昨夜はクラブで酒を飲み、その上に早くも戒をやぶってエスカルゴ、角切りステーキ、パン、アイスクリームと、栄養過剰。帰って二度はかった血糖値が270 250。じつはインシュリン注射器を持たずに出掛けていたので、朝のあと、夜まで注射していなかった。そのわりにはマシと思うのがフラチであるが。けさは111。空腹時に限れば、まずまず理想的に回復している。自分を甘やかすことにばかり長けて行く。反省の仕方が不真面目ですと叱られないうちに、反省しておく。
2004 4・2 31
* ドライアイなのかも知れない、眼球が干上がるようにジンジンしている。目薬をいま入れてみた。
2004 4・4 31
* 昨夜は電気を消したのが、四時前。寝入りばなにいちど眠りを中断され、そして八時半には起床、少し眠い。これでは、晩の、長い能の「伯母捨」で、捨てられた爺のように眠ってしまいそう。
2004 4・6 31
* 長編「わがモラエス伝」の委員校正がほぼ済んだが、訂正が全部出来たところでもう一度通読して、より精確を期したい。新しい作品を増やして行くことも大切だが、少しでも誤記のない、しかし原作の意図や好みを尊重した表記のものを送り出したい。限りなくこの仕事は慎重を必要とする。何処まで行っても満点とは行きかねる。
そんなに機械に貼り付いていたら「ドライアイ」の気味は免れないでしょうと警告も受けている。今日はことにその気が濃いが、外出から帰って、夕食をのぞけば、ずうっと此処にいる。日付は三十分も前に変わっている。目のためには、たとえ別種の疲労になろうともむしろ家の外へ出歩くことに努めた方がいいのだろう。酒休日を週三日と決めたように、全面にとは行かないが眼の半休日も週に三日ぐらいつくらないといけない。
2004 4・10 31
* 一仕事して笛の曲を聴いている。眼が痛い。もう寝たい。深い温かい眠りが欲しい。終日、かるい吐きけ。
2004 4・11 31
* 日付はとうに変わり一時。日曜は静かに家で過ごし、月曜は一時から夜まで、ペンの総会。報告等の用が済んだら、早々に遁走したいが、遠くから参加する会員達も有ろう。
顔に手を触れるとこころもち頬がそげてきた。体重もひさびさに大台を割ってきている。但し大台とはウン十キロであるかは言わない。どこからご褒美が出るわけでもない。
2004 4・24 31
* いまなお花粉に悩んでいる人がいる。わたしは、もう花粉は問題ないが、ドライアイ気味で痛みがある。
2004 4・26 31
* 春の嵐だそうだ。いろんな物音が間断なく聞こえ、顔面の上半分に不快な鈍痛もたえない。歯も痛く朝から目がかすんでいる。ことこまかに、実に適切に指摘されてきた電子文藝館出稿作品に対する「校正」を、作者原本をめくりめくり逐一当たって、修正を必要と決めたり、そのママと決めたり、これが今朝は実に辛い。吐きけもしてくる。しかしメールでの連絡仕事なので、メールソフト上で作業している限り、始めたらおしまいまでし遂げてしまわないと面倒なことになる。
2004 4・27 31
* 昨日朝、ちょいとした序でに体重を量ったら、オウ! いつからのことか、割り込みたい割り込みたいと願っていた大台を、一キロ半も割り込んでいたのだ、快挙。瞬間的に五百グラムぐらいならあり得ても、二キロ近く割っていたとは。何とか維持したい。頬が少しそげているかなと思ってはいた。
2004 5・3 32
* 電子文藝館の委員会資料を用意して事務局に送る。湖の本48の要再校本文に、表紙、アトヅケ、そして跋文を添えて宅急便で送る。ヴンダーリッヒの「詩人の恋」わ聴き、今、マドレデウスの「ムーヴメント」を聴いている。かなり眼球が乾いていて痛みがある。睡眠不足。このまま椅子にかけたままでも寝入れる。膝下が今日は容赦なく冷える。ふくらはぎが痛いほど。
2004 5。5 32
* 睡眠不足と疲労とで顔の奥の方がいたるところ痛み始めている。待っているメールがなかなか来ない。もう、いやだ。寝たいから、寝る。
2004 5・5 32
* それにしても季節か歳か。体調を損ねた人が多い。今日は此の機械部屋、暑くて汗がにじみ出る。わたしの軽い頭痛も続いている。
2004 5・7 32
* 十時には聖路加で検査を済ませ、糖尿病外来で診察室へ呼ばれるのを待つ。朝の体重が77.5キロ。まともな人が聞いたら驚くだろうが、私からすればやり手の親の敵のように久しく切れなかった大台を切っているのである。この御陰であろう、入院で脅かされたナントカの数値がここ半年、小一年来の低い値に改善できていた。血糖値も問題なく。ただ、血圧は上が150台で92。もともと低いわたしとしては高すぎる。いいことは、幾つもない。
* 暫くぶりに日比谷の東天紅で汾酒が呑みたかったのに、移転。仕方なくなんとなく漫然と歩いたが、和食の「金扇」も移転。またまた仕方なく「竹葉亭」の二階に上がってみたが、値だけ高くて「きく川」とくらべさんざんの不出来。
銀座をぶらぶらして喫茶店の「然林房」というのを見つけてエレベーターで上がってみた。エスプレッソがまずまず美味くて、気持ちもゆったりした。甘いような陶酔感があった。
2004 5・17 32
* 左手の甲、親指と人差指の付け根の所、三角州のような所、漢方ではなんとか謂う名のところだが、わたしのはそこが小黒く硬く盛り上がっている。こどもみたいだが、思い屈するときなど、つい歯で噛むのである、自分で。むかしむかしからの癖らしい。人に見つかって聞かれたことがある。ほめた癖ではなく、知らん顔をして済ます。逆鱗のようなものか。人差し指付け根の横腹へもつい口が行く。この年にも、幼児行動がそんなふうに残っているのだろう、幼い日々に甘える母を見失って、心理的にはよその家にいたようなものだった、当尾でも新門前でも。やがて七十にもなろうという爺にして。もうべつに恥じ入りもしないが。
2004 5・17 32
* 快晴。無事に新居に引っ越しましたと、朝一番の便り。真っ先に機械を調えたのだ、いかにもこの時代の若い人らしい。
わたしは、この時期はいつもながら、頚と肩が石のように張り、ギンギンと響いて痛む。安眠できなかった。バファリン二錠。それでも、明け方にとてもおもしろい夢を観た。料亭風の二階で、いましもら階子段を階下へおりようとするところで、はたと廊下で出逢った四人が、立ったまま談笑。一人が宮沢りえ、ひとりが原知佐子、もう一人の男性は原やわたしの大学の後輩で、やはり俳優、誰と思い出せない。そして宮沢りえとは、彼女が「六歳」の頃に雑誌に書いていた「詩」をわたしが読んで以来の、大の仲良しという情況。何の反映なのか、たわいなく朗らかに愉快であった。
2004 5・24 32
* 頚左側の電気痛の連続でへばっている。肩凝り。痛み止めでは十分回復しない。やがてまた歯へ来そう。六月の桜桃忌まで持ちこたえられれば直ると思うが。神経が頚に集中し、ものが考えられない。一ヶ月で二冊発送することになるのは初体験。修羅場になってきた。気持ちよく息抜きができるといいが。ともあれ郵便局へでも。
2004 5・25 32
* 夜中、左の肩凝りで頚が痛み寝にくかった。三時に痛み止めをのみ、一時間ばかりして効いてきた。浅い眠りながら六時まで寝て起きた。雨の音はしているような、やんだような。今は鳩がのんびりと鳴いている。
2004 6・1 33
* あらわに言いたくないのだが、わたしには、晩秋から初春へ、仲春から仲秋へと一年を丁度二分して、明瞭に或る体調が分かれる。絵に描いたように間違いない周期がある。わが「はなごよみ」である。
2004 6・21 33
* 明日は九時聖路加で視野検査。ウーン、苦手だ。早起きだ。
2004 6・24 33
* 聖路加の検査は、診察は、十時過ぎには済んで、大過なし。雨に濡れて新富町駅まで歩き、一路また有楽町線で保谷まで帰った。ゆうゆうと昼食は家でとれた。
* 睡眠が短すぎた。実を言うと視野検査で右目をつかってボタンを押している最中に、三度四度もとろとろっと寝てしまっていた。要するに「横ばい」という診察でいつもの通りの目グスリが出た。家に帰ってからも、やはり眠い。今夜はさっさと寝ることにした。週末から土日にかけては、好きでない。
2004 6・25 33
* 何に疲れるのか、今日は機械の前でも、手洗いですらも、ついうとうとと寝入ってしまう。つまりは、目ばかり酷く使っているということだろう。湯をつかって、はやくやすもう、明日は午に卒業生クンの一人と食事の約束がある。そのあと、「ペン電子文藝館」の会議だが、なにも持たずに用意もなく出掛ける。話題は自ずから在る。
* 深夜に雨が来た。
2004 7・5 34
* マオタイを一本とは、あまりのことに言葉もありません。明日病院でマオタイのことをお話しして、ドクターにたっぷり叱られなさい。そして、結果が悪くても、マオタイのせいだからと、急激に強いお薬に変えないようによく相談なさってください。やけ酒もやけ食いもなさらないで、日照りの道は避けて、しずかにご帰宅ください。一週間は少なくとも禅寺のような精進料理と禁酒。
飲んでしまったものはしかたありません。おいしいお酒でしたか。
* 病院に着くとすぐ血液と尿の検査を済ませ、糖尿外来に申告すると、その足で、食堂へ。明るい、池の見える窓近くでビーフシューの定食を平らげながら、建日子の呉れた『ゲド戦記外伝』に読みふける。アースーシー世界のことは、多年愛読翻読しているから「通」であるが、さらに、作者自身がこの世界の久しい歴史に補足的に幾つかの作品を書き添えてくれたのが、『外伝』である。今読んでいる「カワウソ」は、「ゲド」の物語より三百年ぐらい以前の優れた魔法使いの物語で、多くのわたしの記憶を、かっちり根固めしてくれる。なんというニクイ本だろう。
その一方で、昨夜来、ある物語のもやもやがアタマの芯で動き始めていたが、この食堂での読書の間に、ときどき窓の外へ眼を遊ばせているうち、なんだかムズムズと着想がサマになりかけてくるので驚いた。
午前中に病院に着いておいた功徳か、一時予約が、一時にはもう診察室を出て会計も済まして来た。診察のデータはたいへん宜しく、お医者様のお褒めにあずかった。血糖値に問題なく、なんだかいつも気にかけられているナンタラというものの値が、一時は入院を医師に思案させるほどだったのが、グイグイと下がり、もう一息で望ましい正常値にまで届きそうだから、「ああ、このままでいいですね、けっこうですね」と。ウヒヒ。マオタイは飲みドクであった。
* で、あつかましく、天麩羅と鰻と鮨が好きなんですが、どれがいちばんワルイですかと聴くと、「天麩羅」ですねと落胆を強いられた。その瞬間、いちばん愛しているのは天麩羅だと悟った。事のついでに酒は蒸留酒と発酵酒のどっちがいいですかと。蒸留酒の方がいいでしょうね、「然し、飲み過ぎはいけません」と釘をさされた。マオタイを丸飲みしたとは言わなかった。
仕方なく、帰りに「きく川」に寄り、鰻にした。「菊正」は二合。キャベツの塩もみ。
ところで、予感していたのだけれど、わたしと鰻との、長きに亘るご縁は、そろそろ終熄しそうに感じる。前回か前々回かから、どこで鰻を食べても、も一つ物足りない。いや、かすかに生臭く感じるようになっているのに気付いていた。三度も四度もつづき、いちばん気に入りの店でもそうとなると、とうどう鰻はわたしのメニュから「上がり」になったんだなあと思うのである。
もともと、「秦さん鰻はいいんですか」と聞かれてきた。からだに良い悪いではない、気味悪くないんですかということだ。実は、多年、押し殺すようにして、「鰻は別だもの」「鰻はうまい」「鰻は好きだもの」と自分に言い聞かして、かすかに勇をふるって愛食してきた。
それが、どうやら年齢も働いてか限界に来たらしいのである。百年の恋がじょじょに薄れたというと薄情だけれども。
いやもう随分楽しませて貰いました。それでも、もっともっと回数だけは少なくなりますが、また時にお目に掛かりますので、怨まないで頂戴、鰻さん。
2004 7・16 34
* 郵便局へ自転車で走っただけで、相当息が上がってしまう。気温は高い。こんなとき空いた映画館で二本立ての娯楽映画なんか見て過ごしたくなる。食欲も呑欲も少しも落ちていない。体重だの血糖値だのというラチもない軛がなければ街へ出ていって、うまい鮨が食いたい。今は、ぬる湯につかって本が読みたい。
2004 7・23 34
* のどがアレている。風邪とも思わないが。
2004 7・28 34
* 昨夜暗がりの階段から転落しかけ、右臂で壁を擦ってかろうじて支え、免れた。おかげで、右腕の外側に、痛い、醜い強擦過傷が出来てしまった。直前に階段の電球が切れていた。危なかった。
2004 7・29 34
* 四国の「すだち」をたくさん戴いた。レシピもついていて、素麺などによいと。昨日早速にそのように妻は冷素麺をつくったが、口さっぱりととても佳い。つい食べて、体重はこのところリバウンドしている。炭水化物をとると必ず体重として蓄積される。
建日子は一時わたしを凌駕するかという所まできて、よほど狼狽したか厳格に炭水化物を棄てた食事を励行、かなり体格がスッキリした。わたしも何十年かの経験と自覚で、炭水化物を徹底して棄てたときは効率よく体重をさげてきた。夏場はとかく冷素麺などが口あたりよろしく、それがしかし、困る。
2004 8・23 35
* さすがに眠い。
* 夕食後、雨中郵便局への坂道を自転車で走ったが、からだの疲労しているのが不気味なほどわかった。いつもなら全速力ですいと駆け上がれる坂があがれない。やれやれ。今夜こそは早く寝てしまおう。
* と言いつつ長編、宮嶋資夫「坑夫」に惹かれて読み上げた。気が入っている、すさまじい荒くれの世界であるが文学の香気と清冽もまたまぎれもない。労働文学に違いないが、ヒューマニズムの文学でもある。こういう自費出版作品が直ちに発禁にあった時代だったかと思うと憮然とする。
2004 8・23 35
* 木挽町から一週間閉じこもっていた。涼しくはあったけれど、からだはガチガチに堅くなっている。
2004 8・24 35
* 七冊の本をしっかり読んで灯を消したのは、少し早めの二時ごろ。六時に手水をつかい、あまり早いと、また眠った。十時半まで寝ていた。血糖値は、 130。この時間帯では尋常。ロシアのほぼ同時航空機事故はテロのように思われ、暗然。オリンピックへの執着も、日本勢の健闘がほぼ決着してきて、すこし緩和。それよりももう、秋からのあれもこれもという再開が、けっこう気の負担になっている。九月中旬に永井路子さんと対談してくれないかという今朝の依頼も、すぐお断りした。校正の仕事も、呆然と放ってあって電話で催促されたりしている。老化が、というより我が儘気儘が進んできている。それが即ち老化だといわればその通り。
2004 8・26 35
* 眼を閉じて闇に沈透けば、誰なのだ…わたしに寄り添うおまえは。おう、睡魔よ。
* 夕方前から昏睡し、起きあがったときは八時半。
2004 9・5 36
* 散髪はしたしと、勇んで街歩きにと着替えもしたのに、世の中真っ黄色に太陽燦々、あまり暑げなのにたちまちヘキエキし、ビデオの映画「ディープインパクト」を観て、少し泣いた。それからスキャンを初め、快調に五六本、今日はこれまでと終わろうとして、マンマと全部消去。グッタリ。そのまま横になって六時半までまた寐てしまい、さんざんの体調、さいていの気分。
気分直しのいいメールが来ていて、もちなおす。用事は沢山あるのに、日々が、夏以来やや単調に推移している。数年分も一時に老いてきた気がするほど、両肩も背中も肉薄く硬ばっていて痛む。ふっと目をとじさえすれば、椅子のママ機械の前でもスースーと寐てしまう。そういう自分を別のひとのように傍観している。
2004 9・12 36
* 動かないのだから体重の減りようがない。すこし強引に減らしたく、外出すると気がゆるんで食べて呑んでしまうからという言い訳や、出不精のリクツもある。
昨日まで京都の市美術館であった染色伊砂利彦さん一門のお祝いの展覧会に行こうかと計画していた、それも流れた。動きたい気があり、動かずじまいにいつも終えている。酷な夏場の疲れが、妻にもひどい。はやく涼しくなって欲しい。今週は二ヶ月ぶりの理事会・懇親会があり、聖路加の診察もある。来週には俳優座の芝居があり、週末には学会の例会がある。二十八日には「平家」対談が予定されている。
十月にはいると京都でのペン大会がある。我當が大阪成駒屋と共演の通し狂言「伊賀越道中双六」があり、浅井奈穂子さんのピアノリサイタルに招ばれている。昴の公演もある。十一月の歌舞伎座顔見世も今日案内があり、松嶋屋に頼んで通しで予約した。仲秋になっている。世界がどうぞ平和であって欲しい。
2004 9・13 36
* 夏バテはほんものかと、尋ねられる。例年のことといえば、そうでもあり、ま、どうでもいいやとよそ事に感じて自分を眺めている気味もある。百歳以上のお年寄りは、わたしのこどもの頃は日本中で数えるほどしかなかつたのに、今は何万と聞くと正直うへえッと思う。あと三十余年。かりに今から三十四年元へ戻ると、文壇人として作家生活を始めた頃にあたるのだから、あれ以来今日までの日々に相当する長さをまだ生きねばならないか、いや生きられるかと考えると卒倒しそうな重さである。大事に仕切れそうにないなあ。医者はあと十年ですよと脅してくれた、それからもう二三年経っているのだ。
2004 9・16 36
* 明日は聖路加。今回はどうも夏場の不摂生がたたって、諸値、よろしからぬ気がする。ま、十一月診察までには改善したい。動ける季節だし。それにしても、今日も暑かった。明日も暑いらしいが、診察のあとは少し羽をのばして来たいもの。朝が早いのでもう寝る。
2004 9・16 36
* 六時起き。黒いマゴを外へ出してやり、暫くして入れてやる。今日は聖路加の予約診察。早めに行き、早めに解放され、気持ちも開放してきたい。
2004 9・17 36
* 血糖値に問題なく、また何だかいつも一番気にされる値が、6.9 とかで正常値のところへ下がってけっこうであると。わたしの方までキョトンとした。この夏の夜と昼の逆転、運動不足、体重のすこしではあれリバウンド、などと好い条件はまるでないと少々フテくされ気味であったのに。
で、食べて、飲んで、読者でながいながい付き合いの可部美智子さんの人形の個展を小田急本店で見てきた。ご主人と二人で我が家へもこられ、そのご主人が急に亡くなられ、あれから四半世紀は過ぎた。可部さん、もう七十二、三だという。女流陶芸展の各賞審査に駆り出されて以来のおつきあいで。「風神」が顔も動感あふれる躯体も、よく出来ていた。焼き物の人形を始められてからも久しい。
小田急デパートへ着いた頃、急激に疲れていた。なにしろむしむしと暑すぎた。病院の外来がそもそも暑かったが、昼食に酒をいれてまた暑くなり、加えて眠くなり、疲れたのであろう。
* それでも池袋からの西武線では、木下尚江「火の柱」をずっと読み継いでいた。佳境に入っている。卑俗な書きザマであるが、三派鼎立でいうとプロレタリア派文学の嚆矢に相当していて、中野重治の強い主張では日本近代文学の正格の本筋を成す最初の作家であり小説であるということになる。どう読んでみても、だが、通俗の味は免れない。
駅から歩く元気なく、タクシーを使った。あれこれしているうち、もう六時半になった。
2004 9・17 36
* 執拗な睡魔に驚いている。このまま寝入ってしまいそうだ。ニュースはプロ野球のストか回避かに躍起になっているが、交渉期限の七時は過ぎている。どうなるのやら、わたしは、さほど関心がもたない。ただ選手会側によかれとねがうのみ。
* 四時間、昏睡していた。蒸し暑さに完全にやられ、夏バテを舞い戻らせたみたい。内からも外からも衰魔は攻め寄せる。まだしも睡魔を身方にしよう。
2004 9・17 36
* 睡魔よ、われを、いとおしめ。どこへ連れ去ってもかまわないぞ。
2004 9・17 36
* きのうのあの困憊は、熱中症ででもあったのか。べつに日盛りをむちゃくちゃ歩いたわけでないのに。帰宅から結局今朝まで十数時間昏睡していた。からだが弱い弱いとふれこみの雀さんの、歳のほども分からないが、元気なことには降参する。
湖の本の再校が出来てきた。発送の用意は何一つ出来ていない。また手厳しい秋の陣になる。
夜前もバグワンと兼好さんとに、いろいろと、したたか叱られ続けた気がしている。
2004 9・18 36
* 仕事をしていても持久力なく、すぐ疲れる。困惑。そして立ってられないほど眠くなり四時から八時半過ぎまで昏倒するように寝ていた。かるい偏頭痛。風邪とも思われないが。日付をわずかに越え出て、気が遠くなりそうに眠い。
2004 9・18 36
* ドライアイか。痛烈に眼球が乾いて痛んできた。目薬して、しばらく寝入ってこよう。
* 十一時から三時半まで寝ていた。眼球以外の疲れは軽快しているか。肩がギクギク張っている。
2004 9・19 36
* また歯が浮くように、へんに頬のへんまで痛んできた。今日は昼前に珍しい来客がある
2004 9・20 36
* ふと目覚めたら日付がもう二十分ばかりで変わろうとするところ。メールの返辞を一つして、もう今日を終える。眠い内に寝てしまいたい。
2004 9・20 36
* 熱がやっとひいた、眠れない、ぼうっとしている等々の声が行き交う。一億総夏バテか。暑さ寒さの境、彼岸も過ぎている、少し、疲れ尾が、長すぎる。わたしは、どうか。肩の凝り・張りは年がら年中のことだが、頭痛はおさまり熱気も失せている。いつもなにやかやと身近に迫った課題のようなものがあり、また興味や関心の対象があるので、疲労をそれらで誤魔化しているようなもの、ヘタをすると疲労を蓄積もしているわけだが、疲労が抜けていて呉れることもある。
昨夜は、おそくに、人の文章を我がことのように辛辣に推敲してみたり、本を発送のための挨拶を書いたり、本を戴いたお礼を書いたり、そして「明治維新」の巻を読み出し、対談のために「平家物語」関連の知識をまずまず整理してみたり、結局寝入ったのは遅かった。
夢にもいろいろあり、嬉しいほどのもあれば、なんでこんなに深いな夢に不安ばかりをかき立てられるかと憎らしくもおそろしい夢も見る。見続ける。まだまだ人間が出来ていないんだと揶揄われるが、夢にはとらわれないことにしている、どうせ泡のように直ぐ消え失せてくれる。
2004 9・26 36
* 夕方、ソファでうとうと。で、起きがけ、左フクラハギが強烈に攣縮、あまりの痛さに悲鳴、必死で足指を外側へ撓めて堪えて、長くかかってやっと緩和した。相当緩和させたつもりでも、そのあと口も利きたくないほど疲労感と痛みの余震がつづく。
ほとんど四六時中、ちょっとしたハズミで攣れがさしこんでくる。攣縮の痛み、咄嗟に避けて避けてかわしているが、時々間に合わず処置無しの激痛に見舞われる。フクラハギにダムダム弾が貫通したような、ないしフクラハギにグリグリ弾が残留して中で自転しているような。
明日からの肉体労働に備えて今夜は娯楽映画をみたあと、さっさと本を読んで寝よう。「明治維新」が面白くて。「家畜人ヤプー」はおそろしいほどの密度世界で、読むこと自体が「ちからわざ」である。「今昔物語」はこのところは天狗が続出している。もう奇譚・伝奇の小説世界。扉を排しても排しても風変わりな世界、世界。
2004 10・14 37
* ふくらはぎが、まだ痛い。秋冷え。冷え性で、いちど冷やされるとなかなか温まらない。明日の会議もおっくう。
2004 10・14 37
* 黄金(きん)色の秋の光を、今年初めて浴びた気がする。少し大きくなった黒いマゴが、書庫上の小庭で勢いづいてご近所の友達と吠えあっている。
夜通し、左のふくらはぎにしつこく残る攣縮の痛みと抗っていた。
はやく本が届いて欲しい。ペン理事会に遅刻したくないというより、少しでも早めに出かけて、有楽町・銀座辺を久しぶりに歩いてみたい。いま、九時。
2004 10・14 37
* 今は雨音がやや遠いが、終夜降り次いでいる。掛け布団の足下に黒いマゴが寝込んでいて、重くて寝返りがうちにくく、四時に目が覚めた。少し胃がむかつき、お茶と漢方の胃腸薬とをのんで、そのまま二階の機械の前へきた。九月分の「私語」を整えてしまい、ついでに「ずいひつ」依頼の原稿を書いてしまいプリントした。
国立劇場へは十時過ぎか半に出ればいい、正午開演の通し狂言だから。このまま起きているのは何でもないが、もう一眠りしておいた方がからだの為だろう。三時間睡眠では芝居の間に居眠りするかも。そりゃ勿体ない。
颱風よ、今日ぐらいは待ってくれ。
2004 10・20 37
* あれやこれや流石に秋、催しは目白押しに多い。なかなか交通整理も難しい。涼しくなり、不思議と睡眠のはかがいって、朝もつい寝坊がち。すると一日が早く過ぎる。なんとか身体を動かして遠出もしてみたいのだが。
2004 10・22 37
* 朝いちばんにこんな述懐にふけるより、明後日の若い人の華燭を祝うために、兎に角も散髪しに行かねばいけないのだ。そしてその前に、明日は午后一番にドクターの糖尿のほうの診察予約がある。血糖値も体重もわるくリバウンドしている。統御出来ない。診察後に予想される奔放と放埒をも、わたしは平然といまから許容している。あしき欲求ばかりが身内に波打っているみたい。それもよし。わたしは眺める。批評はしない。
2004 11・4 38
* 夕方、郵便を出しにいったついでに自転車で保谷の北、新座市の方まで大きく回り込むように走り回ってきた。保谷から新座への境目辺りに深く切れ込む渓谷ようの落差があり、そちらへ、降りて行くときは快適だが、戻ってくるときは、ひどくつらい。昔は自転車で急な坂も登り切ったが、もう、そうは出来ない。途中で自転車を引いて登った。たいして汗ばみもしなかった。あれしきでは運動になったというに当たらない。
2004 11・4 38
* 『近代国家への出発』に読みふけっていて、新富町から一つ乗り越した。病院では検査を済ませた後、小一時間一帯を歩いて、小さな鳥飯屋で、えびす生ビールを片手にそぼろと温泉卵の丼飯に串焼き四本、味噌汁、冷や奴豆腐の昼飯にした。診察まで、外来の椅子にかけたまま、読者の小説中の一章「沢子その一」に推敲の手を入れていった。丁寧に思い入れ、未練を捨てて推敲すればきっとよくなる。このママじゃだめだ。あせってはいけない。
診察は、今日はサンザンで。参った。
そのセイでも無かろうが、有楽町のビッグカメラを覗いた直後に、(ふつういつもは左なら左脚片方なのだが)一気に両方の脚が烈しく攣縮し始め、痛みで動けなくなった。恐怖を感じた。ふくらはぎが、ボクボクと音たてて引きつった。その痛いことは。半歩も歩けない。かろうじて喫茶店で脚をのばして休んだものの、もう何処へ移動する気もなく、ようやく目の前の有楽町駅からJRに乗った。保谷へ直通の地下鉄有楽町線まで行く元気が、なかった。
幸い池袋まで座れ、本を読んでいる内少し緩和した。ロクなことがないので、機嫌直しに「さくらや」に寄って、えいやとばかり「KONICA MINOLTA」のディマージュX50という500万画素のデジカメを買った。明日の結婚式にポケットへ入れていこうという口実を我が為に利した。
保谷駅から歩く元気なく、タクシーを使った。
2004 11・5 38
* まだ、ひくひくと脚が、ふくらはぎが痛い。今日の攣縮は言語道断であった。横断歩道の真ん中でなくて良かった。おかげでか何でか、とうとうデジカメを買った。慣れるまで難しいかも。それと小さいのは佳いようで、大きな手ではあつかいにくい。それに何をとろうというアテもないのだ。もったいないが。いいじゃないか。
2004 11・5 38
* よほど遠くまで行ければ行ってみたいと思い家を出、保谷駅のホームにまで立ちながら、疲労で、断念してそのまま家に帰った。すうっと上瞼がさがってくる。 いまも機械の前で、ずうっと、夢をきれぎれに見ていたらしい。
2004 11・8 38
* 「ペン電子文藝館」の掲載一覧を各種、点検しているが、とても作業面倒。二十六日「ペンの日」にどの一覧で配布して貰おうかと。こういう眼にこたえる面倒作業、辛くなってきた。
ゆうべも結局遅くなった。今夜ははやくやすみたい。この一週間で一気に四五年衰えたような気がする。来週の今日は顔見世の通し。しっかり持ち直したい。笠間もまだ諦めていない、行けるなら歌舞伎のあとの来週中か。
* 眼が痛い。
2004 11・9 38
* 妻は聖路加の受診に、わたしは留守番。
妻の聖路加も、十数年ではきくまい、わたしも心臓の診察から数えると今は糖尿や眼科で、継続して、やはり十年ちかい。
聖路加へはもともと、二人とも循環器の心配で通い出した。久しく信頼し親切にして頂いていた、循環器ではまさに大家であられた順天堂の加藤教授が引退されるときにも、また小児循環器の最も優れたドクターで、お若くより久しくも久しくおつき合い願ってきた日大の大国真彦教授とも相談のうえ、推薦して戴いたのが聖路加病院であり、いまかかっている副院長先生である。糖尿の方は、その先生から今の主治医を紹介された。
ながく医学書院で編集者をつとめ、各大学・各科の伝統や学風や師弟関係など、もう大昔の見聞ながら、およそ知っている。お医者さんもじつにピンからキリとはよく知っているので、或る程度は気をつかう。
わたしは三十数年前、すでに「メディカル・コネクション」という機構をたちあげて、全国の、名医といわれる人たちと契約登録し、ひろく適切に患者に医師や医療施設が「アドバイス出来るようにしたらよかろうに」と、本気で思い口にしていた。必ずいつか「そういう事」を考え出すヤツが出るよと予想していた。今は、それらしいものが、雑誌にも新聞にも顔を出している。
わたしは、子供の頃から医者へ行くのが、大嫌い。医者がいいもわるいもなく、もともと仕方がなくて通うだけなのである。行かずに済む病気なら行きたくない。近所の医者だと近くて済むが、あああの待合室。「医者に行く」という滅入る気持ちがテンでかなわない。
その点、聖路加はむちゃに遠いが、幸い有楽町線の開通で、なんと地下鉄一本、乗れば一時間の直通で到着する。嬉しいことに、途中に銀座も有楽町も日比谷もあり、その気なら人形町へも上野へもまわれる。気分的にはそちらに楽しみを置いて通えるのが陰気くさくなくて、それで通院のガマンができる。
聖路加の病院管理は昔からダントツの定評があり、事実院内もジメジメせず、明るいしそれはさっぱりしている。いかにもよその病院は、大学であれ何であれ、「患者達の外来待合」が陰気くさく、気がしんどい。いやほどそれは編集者の取材で知り尽くしている。
聖路加にはその臭気がほとんど無い。それには相当気分を救われる。じつのところ診療の質がどうこうという不満とそれとは妙に相殺しているという、あまり賢明でない判断というか諦念の虜になっている。ま、仕方がないことだと、気分のラクを今分優先している。
聖路加批判の声を聞かないではない、が、さて何処の誰先生にかかればいいという具体案はないし、そこまでの道順はなかなかつけにくいものである。要するにまだ顔色を変えていないのだ。愚かな患者だ、が、糖尿で入院がほんとうに決まりかけたら、ひょっとしてわたしは逃亡するかも知れない。
2004 11・11 38
* いま機械の前の椅子に腰掛け、左足首の上へ右足首を置いていて、右の内側脇フクラ脛に太めの錐を差し込むような攣縮前の痛みが差し引きし、そのままガマンしているうちに痛みの方で消えていった。ふくら脛が右も左も鉄石のように堅い。
2004 11・11 38
* 明日は、七時には出掛けて眼科の視野検査、大々の嫌い。担当医が開業退職で、医師の顔が変わる。いい顔だといいがなあ。もうやすむ。
明日は何の約束ごともないし、お天気がよければ羽をのばして、またどかでボジョレーの瓶を明けてこよう。銀座の「シェ・モア」がいいかしらん。湯島の「天庄」で天麩羅にするか。「三河屋」の洋食もいいが妻も云うようにあの店は量が多い。「中納言」の海老、なら六本木の「瀬利奈」まで行くか。すうっと帰ってきて地元の「フィレンツェ」なら、ワインはしっかりと、何でもある。
そんなことでも考えていないと眼科はユーウツ。
2004 11・24 38
* 睡眠四時間足らず。六時に目覚ましで起き、七時に家を出けて聖路加の眼科へ。
* 眼科の普通検査に加え、視野検査。がくりと疲れる。あの凝視の集中は、片目ずつ何分間かけているのか、ずいぶん長い。
視野検査の方はとくに何も云われなかった、視力もそう変わっていないし、緑内障と眼をつかうこととは、とくに関係ないので、せいぜい使っていいですよと云われると、逆にうろたえる。白内障はじわりと進行しているらしい、が、それも半年後まで様子を見て、その次第によって白内障の方も配剤しましょうというのだから、まッ、いいか。
先生が代わった。若い先生。
2004 11・25 38
* 八時に起きる。冷える。血糖値はまずまず。体重はここ暫く量っていない。
* 死に向かう姿勢には二つあり、死を敵とみて懼れ闘うか、死を友のように受け入れるか。敵と観ようが懼れようが、生き物に絶対と云える一つ、一つだけ、は、死。生まれた瞬間に死は決定している。闘って、懼れて、万端尽くして少しだけ引き延ばすことは可能でも、ついには免れない。いかなる権力者も、富豪も、また私も。
その上で、どう死を懐かしい朋かのように迎え入れ受け入れることで、どう新生への扉を開くか。念々死去、年々新生をどう果たすか。それにくらべれば、差し迫った課題など他に何があると云えるだろう。
2004 11・30 38
* おそらく肝臓の機能が低下している。呑んだ酒を分解してくれていないとみえ、尿にそのまま酒の匂いが落ちている。なにのストレスもないはずなのに、軽い腹痛もつづいている。両眼とも目尻につい涙がたまる。徴候よろしからず。
2004 12・8 39
* 部屋を蒸気でも温風器でも温めている。蒸気を与えないと乾燥して、鼻の粘膜などが石のように乾いてしまう。これはつらい、痛い、が、おかげでずいぶん緩和される。
2004 12・22 39
* 起きがけに痛烈な攣縮が右足へ来て、怺えて壁によりかかるうち、左の腰から背中へねじくれるような痛みが襲い、立つに立っていられず座るに座り込めず、ヘキエキした。かろうじて攣れる右足をなだめ、左腰と背中の痛みは無視することにして苦痛のままで歩いたり坐ったりしてきた。気にかかる仕事があり、それへ気持ちを集中している間にも、左脚膝上から膝下へ深部をもぐらがはしるようにビクリビクリと痙攣を感じたり。無視して仕事をつづけたり。軽い昼食をはさんで午後三時十五分に、ひとまず肩の荷をおろした。必要なだけの原稿を、凸版印刷へ電送した。やれやれ。
2004 12・23 39
* さすがに疲れた。しらずしらず力をつかって何かたいへんなモノと向き合っていたのだ。
それに今起稿校正している会員の作品が、しんどい。病中記だが、同じ病気をわたしもしかねない。ふくらはぎが石のように固くて不格好なエンタシスの肉柱みたいのなど、深部静脈血栓で腫れてきているのかも知れない。
今朝、白いワイシャツを着こんで、袖のボタンがどうしてもとめられない。前から気付いてイヤな気分だったが、今朝は片方が五分かけても十分かけてもかからない。顔が歪むほど不快であったが、妻の手出しを断って、出来るまでやった。指先が痛くてまいった。
明日は散髪して気分良くなりたい。もうやがて日付が変わる。夜前も五時間と寝ていない。明日は近所の散髪屋に十時の予約。もう、やすみたい。階下へおりよう。
2004 12・24 39
* 寒い一日だった。眠い一日でもあった。あれこれたくさんしていたけれど、いささかとりとめのない一日でもあった。それでも、もう十分前に日付が変わり、仕事疲れのわたしの歯の根はゆるみ、鈍い痛みを感じている。
会員の渡辺通枝さんの随筆二編をスキャンし、もう二編は手書きのものを機械へ書き込み、一つの題にとりまとめて、校正の上、入稿した。デジタルデバイトで、機械の扱えない会員の作をむげに放置していては気の毒だし、アルバイトに出せば高いお金がかかるのは知れている。渡辺さんのようにわたしよりずっと高齢と分かっている会員の場合、どうも放っておけない。
ペンの「現会員」というと、物故会員や招待席作者よりうんと「若い」と「錯覚」するが、現会員の平均年齢は高く、六十九になってしまったわたしぐらいで、ようやく平均より少しは上の程度か。生理年齢だけを比べれば、透谷や啄木や一葉の享年で現に入会している現会員など、数えるほどしかいない。漱石でも利一でも太宰でも、七十八十九十近い現会員からすれば、ああお若いお若いという話になる。
* 起きていてもつまらない、やすもう。左の耳の廻りが急にはれぼったく痛くなってきた。
2004 12。26 39