* 花粉症が今年はヒドイと脅かされている。ひどくなる前にぜひ逢いたいと言ってくる人もある。明らかに花粉の影響かと思う眼の状態にわたしもすでに入っている。痒くなっている。いやだ。
2005 1/8 40
* あまり健やかでもなく、このところ、ちょっとした用で動くだけで、疲労する。体疲労もあろうが、何とはない気疲れもある。物事に真向かってまともに対応しきれず、ひきはずしひきはずしラクに凌ぎたい、らしい。
* 夕食後、思いがけずソファで熟睡した。このまま、もう、やすもう。
2005 1・17 40
* 明日の診察は無防備。 昨日も今日も酒を飲んでいる。
栃木の大苺を二箱も戴き、毎度夫婦して一パックずつ連日賞味し、まだ有る。このごろ、これに砂糖を少し使っている。美味い。
近江のたねやの銘菓も幾種も戴いて、あまりうまさに親の敵のように戴いてシマッタ。辛抱のない私である。
だれかが、「ほんとうに美味しいと思ってなら、いいんですよ」と宣った、が、あれは悪魔の囁きか天使のお告げなのか。甘いものが欲しく欲しくなったら、「代わりにわたくしを食べて下さい」というひっくり返りそうなメールで諫止した人も以前にいたが、あれも、悪魔の囁きか、天使のお告げであったのか。
明日が佳い日でありますように。
2005 1・18 40
* 久しぶりの診察日。森本哲郎さんに『吾輩も猫である』をいただき、寝る前に読み、夜中に眼が覚め続きをまた少し読んで、またうとうとして六時半に起きた。七時前の血糖値、99。
2005 1・19 40
* 可はなく不可少々。血糖値はいいが、ヘモグロビンだかなんだかの値が上がり気味で。ま、はっきり言って、酒だろうか。そして運動不足。血圧がはっきり高い。ながいあいだわたしは低血圧であった、ひくすぎるぐらい。この小一年、高い。右肩上がりに高い。さしあたり何がどういう突き当たりはないけれども、けっこうという結果ではなかったようだ。わたしは高血圧を気にしている。
2005 1・19 40
* 骨正月とか女正月とはいわなかったろうか。
* あまりな部屋の冷え込みに、眼が覚めて、七時。そのまま起きた。きちんと計った血糖値も理想値。病院が気にしている値はヘモグロビンの値のようで、 6.5 程度でありたいらしい。それより低めになった時期もあるが、この二三度の、つまり半年ほどの値はじりじり上がって、昨日が7.4。過去にそれより高かった時もある。何の意味か理解していない。
2005 1・20 40
* 好天なれど冷える。マウスが冷たく、うすい毛糸の手袋をつかっている。生姜入りの黒酢を毎日飲まされている。青汁も飲まされている。酢は平気だが青汁は味無い。ヤクルトも。松の実も。ブルーベリーも。頻尿予防も。花粉症予防も。カリカリに乾かした納豆も。そしてインシュリン。なんだか、なさけないようなモンだ。
2005 1・21 40
* 手足の先の痛いほど、痺れるほどの冷えがこのところ失せていて、寒かった昨日の外出時にも、手袋無用なほど掌も指も温かかった。酢だけではちょっと飲みにくいかも知れない。生姜をたっぷりすり下ろしたのをまぜ、甘味も多少まぜているのか知れない。温めたのを小さめのコップに一杯だけ飲む。青汁ほどはいやな飲み物ではない。ただ、胃腸を痛めないよう気を付けている。
2005 1・23 40
* 前に、路上でバランスを失し横転して右の後腰を打った。ウッと息が出来ない局部の痛みがあったが、起って歩いた。歩けたし座れたし、腰掛けているときなど何の痛みも不自由もなかった。だが倚子から起つとウッと息ができぬほど痛みが来て、それでも怺えて歩き出すと幾らでも歩けたし、階段にも不自由なかった。自転車に乗るのも平気で支障はなかった。四五日で軽快し、忘れていた。
今朝あけがた手洗いに立ち、また床へ戻ってから、以前と同じ個所が以前と全く同じに痛むのを、寝ながら感じた。起きてからも、状態は以前と同じ。要するに椅子から立ち上がるときに、呻くほど同じ個所が痛い。怺えて歩いていると何でもなくなり、階段の上下も、腰掛けての仕事の間も、自転車に乗っても何でもない。今回は転びもしないしどこかに打ちつけた憶えもない。機械に向かう姿勢のせいか。エコノミー症候群か。いやです。
2005 1・27 40
* 一夜寝て過ごして、右の後腰の痛みが軽快していてほっとした。ぶり返してきそうな感触もありはするが、治まってゆきそう。
2005 1・28 40
* 夜中に熱発性の寒気があり、気分わるく寝ていたが、熱が高い。風邪をもらってきたか、他の原因か分からないが、電子文藝館漢、明日の委員会に備えて大事をとっている。まだ花粉症の自覚はないが。インフルエンザの予防接種はしてある、あれが効くものと思うことにしている。
機械の前へ来たが、足下で温風器、そして蒸水機も作動していて暖かいが、体を動かすつど背中から痛みが走るほどの不快感がある。左の肩がきつく張っている。
前夜湯上がり「恋のゆくえファビュラス・ベーカァボーイズ」をまた観て、さらに深夜に舞台劇っぽい珍しい「ER」を観たのが響いたか。しかし二つともとてもよかった。ミッシェル・ファィファーに痺れた。「ER」のモーラ・ティアニーもよかった。好きだ。
そして今日も朦朧と起きてみて、寒気と熱とに参っていたが、録画しておいたミシェル・ファィファーとロバート・レドフォードの「アンカーウーマン」を、二回にわけて観おえた。映画としてはあのピアノ弾きの兄弟と心を通わせるミシェルがすばらしいが、テレビニュースのコメンテーターを美しく賢く演じて、ロバートを魅了するミシェル・ファイファーにも脱帽した。いい映画はほんとにいいもんだ。
* 明日の委員会の用意だけでもしておかねば。
* 九時過ぎ。もうやすむことにする。
2005 2・6 41
* さ、ほんとうに階下へ降り、寝よう。いまは、発汗して、肌着の中で泳いでいるみたい。これをうまく着替えるとうんとラクになるだろう。
2005 2・6 41
* さ、ほんとうに階下へ降り、寝よう。いまは、発汗して、肌着の中で泳いでいるみたい。これをうまく着替えるとうんとラクになるだろう。
2005 2・7 41
* 熱をおして出掛けた。駅までの歩きにも寒気がして、しかも汗ばんで、マスクで辛うじてもちこたえた。校正刷りも本も持っていたけれど、とても出来ない。電車を二度乗り次いで、ずうっと眼をとじうとうとしていた。
電子文藝館の委員会は、いつものように低調で、そうなると、いきおいわたしが何かかにか話していなければ間が持たず、息苦しく鼻もつまり、熱発で、ほとほと疲労した。
帰りも、どこへ立ち寄る元気もなく、寒気を堪え、池袋から妻に電話して熱い食べ物を頼んでおいて、まっすぐ帰った。やはり終始電車でうとうとしていた。乗り越さないのがふしぎなくらい。
2005 2・7 41
* なにをする元気もない。階下で水分を補給し、本を読んでから床に入ろう。デミアンか、ファウストを読もう。
2005 2・7 41
* 地震に起こされる昼近くまで、熱と夢に揺すられながら寝ていた。熱いものを体に入れて内側から発汗を繰り返し、軽快するようにしている。
2005 2・8 41
* 夕食の少し前から「アメリ」という映画を観ていたが、寝床へにげこんだ。映画は面白い方の異色作であったが、からだがしんどくて。そしてゆめを観ながら九時まで。機械を消すために此処へ上がってきた。熱で口が苦い。
* 見ていた夢はしかし示唆に富むおもしろいものであった。人間として日々をさしたる異様なことも何もなく暮らしていながら、することなすことの一切に意義も価値も全く持たないで生きていることが可能かと問えば、絶望している人は山ほどいる、何の珍しいことがあろうと云われるかも知れない。が、絶望というのも極度の否定や拒絶や不如意やまた憤怒なり悲歎なりの徹したもので、わたしがいうのは、意義の判断も価値の判断も喜怒哀楽も反省も分別や思惟も一切が稼働しないで、しかも見た目に普通に暮らしているのである。
これは地獄なのであろうか。それとも悟りに近い境地、無為にして無我に生きているといえるのだろうか。
熱に魘されて見ていた夢でありたわいないけれど、一つの極限へ手がかかりそうな気もしていた。夢がさめてみると、またひときわ無力感に沈んでゆく。
2005 2・8 41
* 病気をいいことに終日徒労に過ごしたかも知れない、いや、いつかぜひ必要になる作業ではあったけれど、今が今眉に火がつきそうな用事を放っておいて、しかも思うままの結果にまで到達しなかったのだから、単に草臥れた。ま、そういうこともあるものだ、それも病気のうち。
その病気、すこしは軽くなっている。皮膚の表面を電気が走るような痛み、髪にふれるとぞくっとする痛みがほぼ遠のいて、熱も発汗もかるい寒気もあるけれど、痰がすこし切れてきている。
2005 2・9 41
* まだ厚着の上一枚を脱ぐとすぐ寒けが来る。汗ばみやすい。気をつけないと冷え込む。
* 湖の本の再校と発送用意とに集中したいのだが、まだ意識散漫。それでも隣の棟から郵袋の箱を必要な分、えいえいと運んだ。はんこを押さねばならない。アイサツを書く用意は幸いできているが、自筆で書き込んでゆくのが、今回、とほうもなくシンドイ。これが出来なくなったら刊行そのものを見直さねばならない。
2005 2・10 41
* 風邪の見舞いは一杯来ている。申し訳ない。それに寝ていろと言われても寝ていられない。わたしの日々は川の流れるままに流れ流れ流れている。わたしの流れているそばをわたしの風邪も流れている、それだけのことだ。風邪はやがて流れの水に溶け込んでしまうだろう。わたしと一緒くたに流れている数え切れないいろんなモノがある。コンピュータも家も黒いマゴも妻も湖の本も文藝館も美術京都も、あれもこれも川の流れの中ではただもうひたすら一緒くたに流れている。流れながら瞑想すると、自分が雪景の枯木に凝然と動かない鴉にも見えるし、そいつを魔法の玉で覗くと、寸暇もなくいろんなことをやっていて、けっこう楽しそう。ときどき、カアカアと啼くのも妙なみどころになっている、という次第。
2005 2・10 41
* 妙な夢を再々みながらよく寝たが、今自分になって、咳がすこし出る。喉があれているらしい。死んでいる中村錦之助と元気に活躍している女優の優香とが仲良く一緒にいたり、岸田今日子もあらわれたり、猪瀬直樹と二人で昔の満員の都電に乗り合わせたり、とりとめのない夢ばかり。
寝入っている間の夢とはちがう短い夢も見る。例えば、本をとっかえひっかえ、睡魔の忍び寄ってくるのをかわしかわし読んでいるうち、とてつもなく断片的な、幻覚とも幻聴ともいえる「夢もどき」が、フラッシュさながら割り込んでくる。一瞬とはいえない、しかし、ものの数秒足らずのうちに、思いも及ばぬ珍奇な言葉を耳に聞いたり口にしている。現在の自分とはとてつもなく遠く離れた、まるきり異国異郷ないし他界の出来事ばかり。はっと目覚め、また本の文章を追い、しばらくするとまた脈絡というものの決定的に断たれたそんなフラグメントが、万華鏡のそれのようにキラキラする。数度はそれを楽しんでから、枕元の電気を消す。
2005 2・12 41
* 寒気も熱気もほぼぬけて今日は咳き込みもほとんど消え、まずまず順調に風邪の手から逃れて行けそう。風邪ともインフルエンザとも分からない。ともあれ、元気が戻ってきて終日いろんな用事を順繰りに捗らせていた。
仕事をしながら、ずうっと考えていることもある。頭の中でいつもモノがもやもやと発酵している。慌てても急いでもいけない、タイムリーにその中から糸をすうっと抜きだしてきて…。
幸い今月は、十五日の理事会例会がすめば、三月上旬にかけて、所定の会合予定など何もない。新しい湖の本の発送用意も発送も、ちょうどこの間に済むだろう。うまくすると二月第四週の後半にはエアポケットの息抜きが可能かも知れない。ダメかも知れないが。もう少し集中しておかないと。
2005 2・13 41
* 幸い風邪もほぼ抜けたと思う。今夜は湯にもつかり、湯冷めせぬうちにはやく寝床ににげこんで本を読もう。
田中励儀さんから「泉鏡花研究会会報」が贈られてきて、二○○二年の研究文献に目を通して、あることに気が付いた。ただ一人だけ、横田忍という人が「水の精の文学」を書いているが、ハウプトマンの『沈鐘』をめぐっての論考で、たしかに水の精にふれねば語れないであろう。数多い研究のなかでこの手の着眼がただ一人なのに、いかにわたしが何処の世間でも最小数派であるかを思い知らされる。
いっそ、晩年畢生の仕事の一つに鏡花論を根限り書いてみようかという気持ちになりかねない。
2005 2・14 41
* 七日から今夜まで、幸い何の外出予定もなくて、たすかった。ほぼ六日以来の風邪気味はじっと家にいたおかげで軽快し、またいろんな用事もずいぶん捗った。明日の理事会にも例会にも無事に出られそうだ。帰りにはクラブへもちょっと寄ってこれるだろう。「湖の本」を責了へ急いでいい用意は出来た。本が出来てくるまでに少し余裕がつくれるのではないか。まだ花粉の穏やかな出来れば二月中に、多少足を延ばしてでも電車の遠乗りなど出来ないかなあ。
2005 2・14 41
* 久しぶりの理事会に出掛ける。風邪もようやく落ち着いた、か。こういう日にも、死なれて悲しむ人がある。
2005 2・15 41
* 快晴。血糖値88。 四十年来お世話になってきた神戸歯科の先生が病気入院されたとの報に、愕然。わたしより少しく年輩にはしても、お元気のことと想っていたし、またそろそろ保全に通院したいと思っていた。言葉がない。
2005 3・7 42
* 快晴、暖。なんにもしないという「理想」を慕いながら、なんにもしないどころでない三十余年を過ごしてきた。なんにもしないということは、事実上ありえない、が、なにをどれほど忙しくしていても、なんにもしていないのと同じように淡々と受け入れていればよいのだという気持ちに、もう、ここ数年なってきている。
問題は生理的な機能の衰えにさからう用事・仕事であり、わたしの場合は「視力」がいちばんの危険ゾーン。ほとんどの用事が、仕事が、楽しみが、わたしの場合「視力」に助けられて可能なので、緑内障の進行、白内障の進展、眼精疲労、視力低下は、ほぼ自殺行為にちかい成り行きとなっている。糖尿病との合併が生じてくればもっと困るので、血糖値管理には気を使ってきた。
とにかく朝には、低すぎるかと心配するほどのこともあり、食後も、めったに 250と行くことはない。70から250の間で、概ね、100ないし180程度に推移している。もっとも、それだけでもいけないらしくて、なにやらムズカシイ数値を言われるけれども、ま、概して元気にしている方だと思う。このまま体重がもう少し減ればいいのだが、そんなことを毎日毎日考えて暮らすのは気のいいことでない。
ほんとうに、なんにもしない日々がくれば、ほんとうに楽しめるかどうか、凡人なので予測はつかないが、何にもしないで済む日々は、やはり願っても無い、にちがいない。無用の世俗慾だけをぜひ退治できるようにすればいい、少しずつそういう自分になってゆくと実感できかけている。
問題の「視力の酷使」ということでは、わたしの場合、断然「電子文藝館」の起稿・校正が苛酷に過ぎている。明々白々、この用事からの何らかの「撤退」こそがぜひ必要になる。「責任」を持っている以上手を抜かないのがわたしの性分なので、せめて「責任」を免れたい、せめて一「委員」としてのみ活動させて欲しいと、来期以降「委員長」辞退の申し出・願い書を本部に提出てきた。
委員会の招集・主宰だの、本来自己責任でやって貰う規定の、理事や会員達の作品まで、数多くわたしの時間と労力・視力を費やし電子化して上げてきたが、親切にして上げるのはイヤなことではないにしても、実務負担はいろんな意味で過重も過重。
何よりも電子文藝館の「質」水準と「意義」を維持確保すべく、「招待席」や「特別室」を、すっかり面倒みてきた、その量の凄さには我ながら驚歎する。だが、もう、「電子文藝館」には確乎とした基盤が築けていると思う。ペンクラブの事業として恥ずかしからぬ所ヘまで持ってこれたと思う。其処までは、提案者・言いだしッぺとして当然の役目・義務だと思い奮励してきたのである。
もう、しかし、揺るぎない基盤、確かな軌道は出来ている。どうか、もう、ラクにさせてもらいたい。
2005 3・8 32
* 今日は一日外出していましたが、今まで経験したことのないくらいモノスゴイ花粉だったようです。花粉症ではない娘までくしゃみを連発しながら帰宅。私も初めて目がしぱしぱしています。今年は異常です。外出時にはくれぐれもブロックなさいますように。春
* 部屋に始終蒸気を入れているので、花粉症にまだ悩んでいない、今年は。外出がしきるようになると危ない。来週は、出づっぱりになる。
2005 3・9 42
* 今昔物語がべらぼうに面白く、つい次々読みふけったのと、まくらもとの時計のチクタクが耳について、寝そびれたようにして早起きした。花粉かな、鼻の辺からグズついてきた。
委員会が流れたので、午後一番の聖路加診察のあとゆっくりするが、この鼻のようすでは眼へもすぐ来そう。花粉は、わたしの場合洟より眼がつらい。雨らしい、雨で緩和されて欲しいもの。
2005 3・11 42
* さ、早く行き、早く検査だけ済ませて、早い順番で早く解放されたい、が、成績が良かろう筈がなく、「入院しますか」なんて先生に絞られそう。ま、いい。でも、元気にしていますよ、いつも、と言ってやろう。
* 小雨。有楽町線の中で、太平洋戦争前夜の日米交渉とうに意気詰まる思いをし、まんまと傘を車中に忘れてきた。聖路加まで少し濡れて歩いた。採血採尿等の検査が済んで十一時。しかし診察が済んで支払いに一階に降りた時は、二時。三時の会議があっても築地から兜町は歩いても知れている、間に合ったはずだが、駆けつける必要もなく。また雨のなか、ダウンのフードをあたまにかぶり、濡れながら新富町駅から池袋へ直に戻った。パルコの「船橋屋」で、名酒「笹一」天麩羅たっぷり。
診察の方は大過なかった、ただこの小一年、生来低いはずの血圧が右肩上がりに高くなっているのを訴えて、薬を出してもらった。
2005 3・11 42
* ほんの心持ち家にいて眼が痒い、例年のようにまだ泣きたいほどひどくないが。鼻へも来かけている。
2005 3・12 42
* 花粉がときに眼に、ときに鼻に舞い襲ってくる。眼の方が断然つらい。目薬と鼻をかむことで凌いできたが。
血圧は朝測っている。が、幸い低い値がおよそつづいているので、降圧剤の服用は待機している。むしろ血糖値がきのうきょう高い。それまではずっと低かった。まこと、はかりがたきは体調、自覚的には元気にしているけれど。
2005 3・18 42
* 痒みは抑えられているが、眼はまだじんじんしている。
2005 3・18 42
* 昨日の花粉は激越だった。ただもう寝入るだけを逃げ場にしたが、目覚めてみると眼はじんじんしていて、一つ間違うと津波のように痒みが押し寄せる。さわったら忽ち暴れ出すのでじっと堪えている。洟は、じっとしていてもこらえ性なく零れてくる。美術賞選考の京都行きは、花見どころではあるまいと閉口している。
2005 3・19 42
* 自身の仕事と、「ペン電子文藝館」の仕事を半々に、眼の痒さに堪えながら、終日機械の前にいた。両方の仕事がわたしに向いていて興味深いのだから、ま、文句は言うまい、花粉に少しおとなしくしろよと言い続けている。堪えきれなくなると冷水で眼を洗っていたが、湯気ないし微温湯で洗う方がいいのに気付いた。痒くなり指先で抑えたりするのがいちばんいけない、あとをさんざん悪くする。洟の零れるのははなをかめばいい、が、眼の痒いのは堪らない。いい方法がありますようでと教えられても、肝腎の製薬の会社や名前が入ってないと、途方に暮れる。
2005 3・20 42
* 眼鏡の上からゴーグルで外気をふせぎ、さらにマスクして機械の前にいる。格好のことなど言っていられない。洟とくしゃみの連発はまだ凌げる。わたしにはそれも有る。が、眼が痒くて手の施しようのない苦痛の方は、当人にしか分からない。蒸気で目をぬらし、微温湯にひたし、眼窩の乾燥を避けるしか手の打ちようを知らない。これがいいという日用の薬品もこころみてきているので、それで少しはマシなのだろうと、はかなく慰めている。
2005 3・21 42
* とくに右の目尻が焼け火箸をあてたように花粉で痒く痛む。堪えるのがとてもつらい。
2005 3・26 42
* 花粉は、言語道断、どうしようもなく堪えている。人出の場所、ほこり立つ場所は、どうしようもない。せまく、すきまなく締め切って湿度のあるところが助かる。わたしの機械部屋は古い絨緞が埃を吸ってくれていて、間断なく乾燥をふせいで蒸気が出ている。それでも時折刺すように眼へ花粉の刺戟が来る。一度も逢ったことのない人のまして花見のお誘いにはときめくものがあるが、それよりもこの苦痛からすこしでも逃れていたいと思うほど、花粉症は不快。花は好きなのに花粉に傷むとは皮肉なこと。
2005 3・26 42
* 今朝は、やや、眼がラクかな? 妻に買ってもらった新しい目薬に効き目があった気がする。
2005 3・29 42
* 花便りが遅れている。お誘い頂いた今日の花見は花粉のせいで辞退したが、まだ花見というほどの開花ではなかったかもしれない。幸い新しい目薬の効用か、眼がラクになっていて有りがたい。五日からの一週間ほどは花が楽しめるかも知れない。大岡山はどうだろう。千鳥ヶ淵も、市谷四谷の土手も、上野も、墨堤もある。
去年は隅田川堤から上野の山など、花を見歩いた。地元西東京での散策も。
京の花見はことしは出来そうにないが、ナニ、新幹線に飛び乗ればなにでもない。
2005 4・1 43
* すこぅし、また眼へ症状が忍び入って来てそうな。いそいで、新目薬をさしに階下へ。眠くもなっているので、寝てしまってもいいが。
2005 4・2 43
* 目薬づけで花粉の苦痛を持ちこたえているが、眼球じたいが疲労しているという感じ。眠っている間にも、眼が覚めれば痒みを覚えるほど花粉は作用しているらしく、しかし、これから十日間は、花の誘惑もあるけれど、会議・会合などもうち続いて、どうなることかヒヤヒヤもの。春だもの、楽しもうという気持ちであえて花粉舞う世間へ飛び出して行き、せめて体重を落としたい。
じつは意外に体重が増えていない。ときに大台を割っている。これだけ好きにしていても増えていないのは、気がいい。運動の機会がまず絶無だけに、バランスよく三食を、などと調子づいていると、みな体重になってしまう。血糖値がほぼ安定しているので、医者もナースも体重体重と連呼する。家で小食に努めるしか、今のところ道がない。
2005 4・4 43
* ほぼ一日戸外の人だかりで過ごしてくると、眼も鼻もダメージがきつい。バグワンと今昔物語を読んだのが精一杯で、夢をみながら熟睡したが眼は腫れぼったいし、鼻はぐずつく。後一月はこういう状態に堪えねばならぬ。こういうとき、なにをする気にもならないが、そんなことは言ってられない。雑用めくけれども雑用は片づけておかないと重圧に変質する。
眼をとじると闇にわたしはおおわれる。遠くで飛行機の音がし近くでは機械が雑音を発している。おとだけは闇へも滲透してくる。ご近所の造作に、木づくりするらしいトントントンという音も入ってくる。眼をとじていると、そのまま半醒半睡の状態に落ちていく。身を任せてジットしているだけ。いま、いちばんラクなのはそうしている時。
2005 4・6 43
* あさっては、任期最後の委員会で、ひたすら感謝の頭をさげてくる。そのあと、夜桜でも見に行ける体調であればいいが。楽しいことがあって欲しいと、しきりに夢見がちであるが、しかも目が痒くてたまらない。ときどき針でさすように目尻や目元に痛みが来る。つい指先で揉んでしまうと、その先は地獄の苦しみになる。触れてはいけない。走って行って清水か微温湯で静かに洗うしか逃げ場がないが、外出先ではそれが出来なくて、出掛けるのがコワイ。それでも用事というものはある。
2005 4・6 43
* 花粉の悩みは一日中つきまとったけれども、所用のあと、もう満開だという上野の桜をぶらぶら見にまわった。満開、雑踏、青陽の春。ついでに西洋美術館の「ラ・トゥール展」もざっと観て、常設展は失敬し、暑さに負けて構内の風の通るベンチにこしかけ、地獄の門の上の大きな木立がこきみよく風に吹かれてさわぐさまをしばらく眺めていた。そして山手線をつかって、ぐるりと池袋まで。保谷駅ビルで頼まれた食パンを買って、タクシーで帰った。五時半になってなかったか。
家に帰ってからしばらく眼の花粉にいたく悩んだ。もう一と月は、この苦痛から逃れられない。
2005 4・7 43
* 朝からくしゃみ連発です。今年の花粉はどうなっているのでしょう。花粉症とは無縁だったわが家に異変……。ティッシュの箱を抱えている娘を横目に、最近のティッシュの売り上げは急増しているにちがいないと確信しました。ニュースで眼を真赤にして涙ぐんでいるお猿さんたちの映像が、あらら、かわいそうでした。
どうぞ血眼決戦乗り切ってください。これからマスクして外出します。 春
* どこだか、去年一年間分以上の花粉がたった一日で舞った地方があると。信じられるか。ギネスブックものの季節病だ。わたしは就寝中もマスクしてゴーグルをつけている。それでも夜中にクシャミ爆連発。
2005 4・8 43
* 歯医者、今日は代診のはず。神戸さんは、だがやがて退院、復帰されそうと聞いている。ぜひそうお願いしたい。お大事に。もうやがて出掛ける。
* 神戸医師が退院されていて、わたしたちのために診療に出て来て下さった。少しずつでもいい、はやく恢復していただきたい。
2005 4・14 43
* (花粉がすこしラクな、)それはスギからヒノキに移行しているからではないでしょうか。
わたしは、ヒノキの花粉症も酷いので、つらさはまだまだつづきます。
今日の名古屋の最高気温は20℃を超えたそうです。昼間、運転をしましたが、車の中は真夏のようで、エアコンを使いました。
でも、夜になると、すうっと涼しくなります。風邪引かないようにしないと。
明日は、お医者と買い物と図書館。武田泰淳と井上靖を借りてこようと考えています。
風は、花粉がラクになったのなら、外出がすこし苦でなくなりましたか。 花
* ラクでもない。いまも左目元の痒みがとてもつらい。明日午後の会議へ外出するのが、少しでもラクでありますように。
そうそう一週間前は同じ場所で電子文藝館の委員会だった。あの日はまだ桜が満開だった。今日は快晴の歯医者行きであったけれど、花はもう大方散っていた。
2005 4・14 43
* 夜前は、床に就いてから二時間半も五種類の本を読んでいた。歯医者を忘れていたわけではないが、八時に起きたときはかなりつらかった。それかあらぬか、歯医者の帰り道、ひどくからだが重くだるく感じられた。「リヨン」で空き腹に生ビールをああ美味いと思って飲んだのが、小瓶一本の少量なのに、よくまわった。保谷の「ぺると」でコーヒーを飲んでマスターと妻と三人でお喋りしている間も、すこしだるかった。
だが、仕事は仕事で、はかどらせている。まだ九時半をまわったばかりだが、今夜ははやくやすもうと思う。
にわかに、明日の午後、都内へ出かける用が出来た。さほどではないが、今日は風もよく吹き、眼のふちがヘンに熱ぼったい。
2005 4・22 43
* 糖尿病のほうが良くないという自覚がある。これを元へ少しずつでも戻してゆくのは容易でないだろうと、私には分かる。体重こそ増えていないが、飲食組成の点で、まったく宜しくない。拘泥せずこのまま暮らして行く手もあるし、せめて気を付けてゆく道もある。季節の変わり目ということもあるが、ハツラツの体調ではない。
2005 4・28 43
* 夕過ぎ、まだ明るい内に自転車で三十分ほど走ってみた。疲れやすくなっている。土地の起伏を過度なほど感じる。
2005 4・28 43
* 何故だ! 今日はまた眼がこんなに痒いぞ。
2005 4・29 43
* 夫婦で歯医者通いも三週目、そのあいだに、すっかり新緑一色に。点綴して、つつじやさつきやすみれ系の花花が新鮮無垢な花色を誇るように、咲き燃えている。閑静な住宅街に歯科医院はあり、家々は思い思いに好みの花を咲かせている。静かで、日光は透くようにあかるく、うっとりする。春爛漫、こういう日はそう再々はないものだ。
2005 4・30 43
* 京都の鮓の「ひさご」から筍が届いている。今晩は一キロほど太りそうだ。有難し。血糖値が高めに推移し、消えていた掌のジンジン感がまた戻ってきている。
2005 5・3 44
* 若い歩けるうちに、北山の奧などへもっと足を運んでおきたかった。短距離走は高校をピークに十三秒前後で走れたが。(高校の学年で一番早いのが百を十二秒四で走ったとき、わたしのタイムは十二秒九。もう誰も信じないだろう、この八十キロの巨体を見ては。)
長距離走は、全然保たなかった。とくに急な坂や石段を、山を登るのは苦手だった。ゆっくり長い持久走の方がよかった。ねばり強いが体力は薄い。
疲れているなと自覚するとき、そのバロメーターのように、今すぐ京大阪まで病院見舞いや通夜などに「行かねばならぬとして、行けるか」と自問自答したものだ、今でも、する。
以前にはそういう機会が何度も有った、からだの弱い妻に代わって妻の親類の不祝儀に飛んでいったことがある。
だが、昨今は、自信がないと自答する「疲れどき」が多い。義理を欠く気構えに、つい成っている。京都の仕事でも、日帰りが条件なら断ってしまう。
2005 5・4 44
* 早起き。血糖値、低くない。これから病院に。天気、いまひとつの、薄曇り。よくなるか、降ってくるのか。午後の眼科も済んで、晴れていたら少し個展や美術館など歩いてこよう、か。
* 糖尿病の診察は、可とはいえないが、ま、或る程度理由の分かった不可少々、様子をみましょうと。危うく安宅の関を抜けてきた。院内の食堂で、山盛りのシーフードサラダとビーフシチュー、満腹した。院内ではビールも出ない。
午後の眼科は何故か、にがてなにがてな「視野検査」だけ。医者の顔は見ず、来週そのためにもう一度行く。時間も体力もロスだけれど、済んだ後の午後いっぱい、街で羽を伸ばして来れる。場所のよろしさ、聖路加通院にはそういう余禄がある。
2005 5・11 44
* 六時半起床、血糖値114は極く良好。雨と予報されていたのも、雨は東へ去り、曇ってすこし肌寒いが、どうやら傘なしで出かけられる。
2005 5・13 44
* 早起き。血糖値91。算定機器に機能異常を感じながら二ヶ月使ってきた。俄に高い値が続いて少し腐っていたが、今度聖路加へ行ったときに話し、機械を取り替えて貰った。今回は昔と同じく説明書どおりに作動してくれて、この二、三日、正常値、今朝も、91と良好。
宅急便での再校出を待ち、そのゲラを持って沼袋の歯医者へ。帰り、妻と「リヨン」で巧いカレーライスと、ビール少し。
2005 5・14 44
* うらうらと晴れて明るく、気持ちがいい。仕事、追いついてきた。今日はこれから来客。明日は眼科診察を受けに行く。
2005 5・17 44
* 早起き。聖路加病院の眼科へ。
2005 5・18 44
* 出がけ間際に目次と跋文の再校が届き、大急ぎで速達郵送の封筒の用意をし、糊づけの糊ももって、家を出た。新富町まで地下鉄の中で十分読み、責了にして封入、聖路加病院のポストへ投函。
眼科は、眼圧検査、散瞳薬で眼底撮影、視力検査、そして診察。十時半予約に十時過ぎに外来に入り、終えて、しっかり二時間はかかっていた。ま、横ばい。なんとやらヘモグロビン値がもう少ししっかり下がると眼の方へも好影響が望まれるんですがねえと。
池袋へ戻り、六月の京都行きの切符を買い、東武地下食品売り場にあ寿司岩のカウンターで、飯は少なめに特上、ビール小瓶。鯛と烏賊一貫ずつ追加して満腹、帰宅。駅から家まで早足で歩く。まだ散瞳のあとひきで視野が白っぽい。
2005 5・18 44
* 早く帰って用事をたくさん進めたかったのに、なぜか疲労、思わず六時過ぎまで寝入ってしまった。突風と強風のなかを早足で家まで歩いたからか。気温も低くないからか。ま、仕方がない。疲労を溜めないようにしたい。
2005 5・18 44
* さ、発送用意は出来た。明日は午前にまた歯医者へ行く。
2005 5・27 44
* 夜前就寝前は頭痛がきつく眼は乾いていて、かなり怖ろしいほどの気分だった。だが、「照葉狂言」も「フアウスト」もギリシア先史も旧約の「ノアの方舟」も、千夜一夜の第一夜のながいおはなしも、ロストフ伯爵家のせまる困窮も、雄略天皇の色好みと詩的な展開も、大事な本質的な問題ほど真っ先に対応し処置して、つまらないことへことへと手を出し続けて大事を先送りするなというバグワンの言葉も、みな、生き生きと読むことが出来た。
よきものを、よきことばを、シャワーのように多彩に浴びて寝に就いた。三時に手洗いに立ったときふらついていたが、もちこたえてまた寝た。八時にすらつと目覚めた。黒いマゴとしばらく遊んでから床を離れた。
* さ、今日の作業に。今朝はすこしく肌が冷や冷やしている。
2005 5・31 44
* 目覚ましに、黒いマゴが、寝床の脇で頚の鈴を数度小さく鳴らしてくれ、すぐ起きた。七時前。古事記(欽明天皇まで。)と、バグワンの「老子」を音読。
目薬で眼圧をさげ、なにげなく手にした「救心」を、なにげなく三粒口にした、ら、舌がしびれてきた。実に小粒の三粒だが、そういえばいつも一粒だけ口に含んでいた。かつてない、辛いような、舌の左の痛い痺れにびっくりしている、歯医者で麻酔を注射されたあとに似ている。桑原。
2005 6・7 45
* 今期の歯医者通い、夫婦とも今日で終えて、しめて19万円をお支払いしてきた。眼鏡屋へ行って二三種類も新調すればやはりその程度はラクに請求されるだろう。
2005 6・11 45
* おそく寝て、はやく起きた。雨ではない。今日も暑くなりそう。
京の「ほんやら洞」の甲斐氏から大冊の「ほんやら洞通信」が届いていて読んだ。メールで礼を言う。
今日歌舞伎座。明日は新刊分の本文責了。明後日には城塚新委員長との引継の面談、そして理事会。晩は今年の太宰賞授賞式とパーティ。週内にインタビューのため京都から人が見える予定。来週は、月曜日以外すべてあれこれの予定が入っている。そして二十七日に「ペン電子文藝館」の新・初委員会。月末には新刊 (下巻)が届くだろう万端用意しておかねば。六月は沸騰、七月梅雨の上旬に及ぶ。
健康なのか、そうではないのか、自分でもよく分からないが、特別の違和感は無い。
2005 6・13 45
* 朝、小雨。ふくらはぎ、特に右の膝下にきつい筋肉痛が二三日前から。今日からの肉体労働で振り切れるかどうか。
2005 6・29 45
* 睡眠四時間半、六時半には起きてしまい、二時間ほど、朝飯前の作業。左のふくらはぎ、呻くほど冷えて痛んでいた。作業しているうちに軽快。寝入って二時間目ぐらい、あまり感じたことのない苦痛を腹部に感じて眼が覚め、一枚着重ねてまた寝入った。寝汗の冷えるのが身にこたえたか。
2005 6・30 45
* 奮励、なんとか九割がた発送できた。汗みずくだが、すこしホッとする。右の腰から、大腿部、膝下への強い筋肉痛が、しつこく、退かない。ダンボールに詰めた重い荷を持ち運びするつど、渾身の力。運動にはなるがとくに下半身に堪える。上巻を送って一ヶ月。まだ送金してこない人がわずかだが数十人のこっていて、間隔をつめてで気の毒でもあり、その人等の下巻発送は、待機している。
2005 7・1 46
* 右の脹ら脛が起ち居にすこしメイワクするほど硬く痛む。冷房はしていないが、血流が悪いのかも。
昨日の夕食後からとくに何も口に入れていない。今日昼前に血糖値を一度はかって154、手技に不確かなところがあったので直ぐもう一度測り直したら、134 を示していた。空腹時にしては高いが、昼過ぎの絶対値としては、ま、こんなところならいいのかも。
2005 7・3 46
* 脹ら脛の痛みのために、冬の長靴下を穿いている。
2005 7・4 46
* しかし、赤坂城を明け渡して千早城に退くときが近づいている。今回の作業でわたしは杖が欲しいほど右脚を全く傷めてしまった、筋肉の強い炎症かと思われる。
もうあまり身体的なムリはしないほうがいい。この一年、半年、日に日に「なにもしない」ことに、どうかしてわたしは慣れて行こうとしている。わたしのような「はたらきど」にこれは容易でないことだが、わたし自身の身内にひそんだ「なまけもの」が、ゆっくりとそこへ導いてくれるだろう。
このサイト「作家・秦恒平の文学と生活」をある日、コトッとキイの音させて「削除」あるいは「不更新」してしまう日の到来を、いくらかは恐れ、いくらかは楽しみにしている。わたしの死んだアトに機械が「どんな創作や文章」を保存し記録しているか、どっちにしても、わたしにはもう関係がない。
2005 7・5 46
* お加減いかがですか。
ご存知かもしれませんが、お医者で見て来た記事について報告させてください。風の、脚の痛いのが心配だから。
慢性動脈閉塞症
・皮膚の色の異常(末端の色調が蒼白や紫色になる。脚を上げ下げすると色が変わり、シビレ感を伴うことがある。)
・疼痛(安静にしていても痛む)
・冷感(左右の手脚どちらかが冷える)
・歩くと痛む(つる、痙攣などの症状)
こんなこと申し上げるの、おせっかいかもしれないけれど、症状があてはまるようでしたら、整形外科で診てもらってくださいね。
わたしは、暑いと食欲が減退するので、酢の物など、食欲をそそるものを作って、食事を抜かさないよう努めはじめました。
健全な精神は健康な肉体に宿ります。お体の不具合が、風のご機嫌の障りになりませんように。 花
* 今日は昨日よりかなりキツク痛み続け、ヘキエキした。病院行きかなあと観念しかけたが、妻が歯医者で貰っていた痛み止めの薬をのみ、また右の腰から尻から大腿・膝下へと一面に、なんとか謂うサロメチール風の冷たい塗り薬を塗りまくった。今はしばらく軽快。
2005 7・5 46
* 池田市の友人に手紙を出そうと自転車に乗った。雨も上がって、道は濡れていたが夜風は心地よかった。自転車を走らせるのに何の違和もなかった。二十分ほども近くを大回りして、帰ってきたいまは右の脹ら脛が噛みつかれたように痛んでいる。ま、いいか。
十一時。この辺で機械にさようならをして階下に降りると上等なのだが、じりじりやっている前田河廣一郎の「三等船客」が佳境へ来ている。
2005 7・5 46
* 久しぶり血糖値111は、良好。堅い椅子に腰掛け、右の大腿部を圧していることが血行不良の下肢痛になっている様子。痛みが強いとき右脚を椅子から離し浮かしてみると、すぐ、やや軽快する。これも年の功か、自分のからだを他人のもののように観察するのが習いになってきた。
2005 7・6 46
* 年齢とは、病症状の配達者。大勢が、ハンコ(自覚)をおして受領している。
2005 7・6 46
* 朝起きの体重 79キロ。これは人が聞くと呆れるが、わたしにすると、久々の快挙、80割れ。:血糖値も115 上等。
* よい検査結果でありますよう。 鳶
* 一時からの診察に十一時にはもう検査を済ませておいて、食堂でたっぷりワインで煮込んだ牛肉、サラダ、スープ、パン、コーヒーで、ローマとカルタゴとの長期の戦争など読む。診察も問題なく、問題の数値も少し下がっていたし、血糖値も低かったし。脚の痛いのは糖尿病とは関係なし、必要を感じたら近所の整形外科へ行きなさいと。
一時十二、三分には解放されていて、すたこらと帰った。保谷駅に駄菓子の店が出ていて三袋で千円だと云うから、つい買わされた。中元のビールで駄菓子を、ばりばり、もくもくと喰う。
* いずれにしても、長時間椅子に座って脚を下ろしたままは、血液の循環にも良くないので、座った脚を前へ出してのせる台を使う(椅子と同じ位の高さ、畳に座って脚を前に投げ出した恰好)のは如何でしょうか。更には、そのあしを動かしながら(膝や足首の屈伸~足のゆびのグーチョキパー)・・とか。 千葉 E -OLD
* 脚の痛みはたぶん、発送での足腰の使いすぎに加えて、長時間の椅子に腰掛けが響いているのでは、と。そういう感じ、私にもする。すこしでも足先を上げる工夫をしよう。
ほかにも足腰にサポートを使ったらとか、日に一万円見当で学生アルバイトを使ったらとか、メールが来ている。
四日かかるなら五日六日かけてするという程度に緩和しないと。ま、どっちみち、どこかで「やめる」ことを考えねばならないのだろうが、やめるなよとばかり、十冊分も先まで送金して下さる人もある。値上げして人を雇えと云う声もあるが、そうは行かぬ。
* それより、また身辺を片づけて、脚の踏み場をつくらねば。狭い上に狭苦しく暮らしている。
2005 7・8 46
* 脹ら脛の痛みがきっちり右の腰へのぼりつめ、対応に、貼り薬などつかいはじめた。 2005 7・9 46
* 脹ら脛の痛みは強度の肉離れかもしれない、荷造りした本を一気に八十、九十冊分持ち上げて運ぶのだ、腕力だけでは済まない、脚腰を入れて床からエイと持ち上げる。鍛えていないと中年壮年でもきついだろう。太ももの肉離れを庇うから、腰へも痛みが固まってきている。医者へ行ってもせいぜい湿布薬や痛み止めをくれるだけ、それなら、家にもある。それは屁理屈、病院が嫌いなだけ。幸い糖尿とは関係有りませんといわれている、痛みは我慢すれば宜しく、内臓の病変にはなっていない…と思っておく。
* 散髪してすっきりした。自転車で散髪屋まで。何でもない。肉離れしていて乗れるかなあ。筋肉の炎症は疑いないが。いまも脚の筋肉が勝手にブルブル痙攣している。好きにやってください、という心境。
2005 7・10 46
* 作家の近藤富枝さんから御馳走を頂戴した。「小分け」した珍味のいろいろで、酒の肴には、ぴたり。岡山のまさに「葡萄」酒の白いのに、「小女子(こうなご)」小分けした一袋をあわせ、夕飯に。その岡山の、酒ではないとれとれの「葡萄」をいましも送って戴いた。感謝にたえぬ。そして、なんと横綱朝青龍の強いこと。魁皇のあれでよう勝ったと呆れた珍相撲。妻は葡萄酒の勢いをかりて、日課のピアノを「鳴らし」ている。脹ら脛の肉ががビクビク痙攣している。
2005 7・10 46
* 朝寝して起きての、右脚の激痛は、タダゴトでなく思われるけれど、湿布して、鎮痙薬と痛み止めとを服用、少しラクになる。
散髪屋の主人が肉離れなら長くかかります、数ヶ月はと云う。「数ヶ月」を受け入れ、すると自身の症状をただ「観察」する気分に移る。それでいい。
怖がりであったわたしは子供の頃、注射の痛みにも我慢ならず泣いた。大学生の時のこじれた盲腸二時間の術後の痛みにも呻いた。
怺えられないなら泣くも呻くも勝手でいい。やせ我慢しなくてもいい。しかし今は日に三度も四度も自分の手で腹部や二の腕に注射しているし、痛がっている自分を、やや観察ぎみに眺めてもいる。もっとヒドクなれば泣くかも呻くかも喚くかも知れないが、それでいいじゃないか。
2005 7・11 46
* 例会も五千円の会費で例によってワイン二杯だけ付き合い、抜け出て、一時間あまり街歩き。あげく、地下鉄構内のやすいトンカツカレーと缶ビールのまずさに呆れ、池袋パルコで、口直しに天麩羅。鱧。笹一二合。
インシュリンの注射をしながら食べているので、隣席から声が掛かった。お薬の台糖ファイザーで長く勤めたか今もお勤めか、その道の人で、「見たことがない」と呆れられてしまった。毎度で、珍しいハナシではなく、恐縮した。「僧籍の人か」と質問された。何を思っておられたのだろう。
2005 7・15 46
* 朝の血糖値が、126。聖路加では、まあまあと許されている範囲。
2005 7・21 46
* 血糖値尋常。右脹ら脛の外側に痛みを今も感じている、が、一昨日から昨日へかけて、ずいぶん軽快してきたかと自覚。まだ油断出来ない痛みは続いているが。
今朝も暑い。夜前、ゆっくり読書し、今朝は七時に起きるつもりで起こされたものの、眠くて三十分ほど頭があがらなかった。
20045 7・22 46
* 「ペン電子文藝館」館蔵作品に「道案内」の「立て札」を立て始めた。簡単に書けるものでない。それだけに工夫と親切次第で、また一つの「作品集」に成ってゆく可能性もある。手はじめの「開館と構成」の案内から。
2005 8・4 47
* 比較的早起きした。早起きすれば用事のハカが行く。高見順の「商品としての誠実について」を読んで、沢辺正修の憲法案を読み進んで、郵便などの処置もして。
職人が入って便器を一新している。キッチンの冷房がダウンしていて、修理が利くのか利かないのか、近所の電器屋もなかなか来てはくれぬ。
血糖値に問題はなかったが、体重をにらんで、朝から絶食調整している。
2005 8・5 47
* 熱帯夜で眠りにくかった。七時半には眼が覚めてしまった。その前の四時間あまりでも何度も眼が覚めた。仕方なく「丹波」を読み進み、「京薩摩」対談に手を入れていた。三時間と寝ていない。外出して、少し本格の栄養をとろう、体重も血糖値もさほどではない。夏バテの方が困る。わたしは小さい頃から夏は元気、秋ぐちには降参のタチであった。
2005 8・9 47
* 妙な夢であった。なんでも繁華の都内から二、三輌の混んだ通勤電車に乗ると、すてきに特急で、どんどん走ってなんだか栃木辺のどこかまで行った。電車を降り駅舎を出てほどなく小川のワキの里の道に、みれば数頭の愛らしいほどな猪の子が、みな背にちゃんちゃんこを着せられ、余念無く遊んでいた。いま暫く行くと、親世代とみえるしかし小ぶりの猪たちがそちこちに群れていて、わたしの方へダッと走ってきたり、しかし突き当たりもせなんだ。西東京とはあまりに隔たった、さて何処とも知れない村里に猪のほかに人影とは出会わなかった。そして眼が覚めた。
しばらくぶりに朝九時半過ぎの血糖値が 124 と落ち着いていた。
2005 8・18 47
* 九月七日十一時に、二ヶ月ぶりの聖路加糖尿の診察。正午には済んでいるだろう。うまい昼飯、そして午後いっぱい胸のひろがる嬉しい時間がもてるといいが。
その次週には定例理事会と、歌舞伎の通し。二十五日には宝生のシテ方東川さんが「半蔀」のシテを初めて勤めるのでと誘われている。水道橋能楽堂。二十九日には俳優座招待がある。もうだいぶ涼しいであろう。そのまえ月火水のどこかで、電子文藝館委員会の予定。この隙間へ、何としてもモロー展、根津美術館、泉屋博古館、五島美術館などを挟みたい。メガネの新調にも出かけないと。
2005 9・1 48
* 機械のまえで、朝ばや、ダラリとした冴えない時間を過ごした。
颱風は沖縄辺を北上しているのだろうか。夜前は雷雨がかなりつよく。今は静かだが。街へ出て、うまいものでも喰いたい気分。それとも、いっそ眼鏡屋に行くか。しかしこの状態の眼は眼精疲労過剰で正確な検眼が出来ないかも知れない。以前、一度出直してこいと言われたことがある。
六時半だ。朝飯を食おう。
* あれこれしていたが睡魔になびき、正午を挟んで五時間ほど寝た。対談した京薩摩奥谷氏の電話で起きた。
2005 9・5 48
* 風が強まっているが晴天、朝八時にして暑い。颱風は日本海山陰沖を北へ向いている。
* 九時過ぎには家を出て築地聖路加病院へ。午後の雨降りも予測は半々、晩へかけ治まってゆくとか。
* 傘をつかう必要もなかった。診察は可も不可もなく、問題なく。
昼過ぎに解放され、銀座一丁目の駅を上へあがり、目の前の「シェ・モア」でフランス料理の昼食。フォアグラを主の、濃厚なオードブル。あっさりと松茸のコンソメスープ。鯛を中心のうまい魚料理、馬肉をソースでしっかり味付けた珍しい肉料理。デキャンタで少し軽めの赤ワイン。パンにバター。多彩なデザートとダブルのエスプレッソ。こってりと楽しんだ。
持参のプリントの書類を読みながら、ゆっくり二時間。そして足元の有楽町線ですうっと一本で保谷まで帰る。
往きの有楽町線では、目を閉じて海外の有力な女優たちの名前を百十数人まで数え、百人一首の作者を九十人あまりまで数えているうち、新富町まで着いた。帰りは「世界の歴史」中世のヨーロッパに読みふけって。
妻に、駅売店で「週刊現代」を買ってきてと頼まれ、勘弁してくれと言ったが、ま、息子の「連載エッセイ」を読みたいのだろうしと、売店へ立ち寄ると「完売です」と在庫なし。フーン。なんでや。
2005 9・7 48
* 六時五分前に目が覚めた。血糖値110、上等。
2005 9・8 48
* 二時半に寝、六時前に起きた。血糖値は、103。もう、顕著に空気が乾きはじめている。 2005 9・13 48
* 足裏がジンジンしびれ、総身、活力溢るるという状態ではない。ものに堰かれ、流れ敢えぬ心地。もう、やすみたい。
2005 9・13 48
* 「モロー」展へも能「俊寛」へも行かなかった。残暑猛烈。夜遊びを誘ってくれる人もいたが、この体調ではサマにもならない、失礼した。家で仕事が少しはかどった。
* どろんとけだるい。眠い。起きていて是非に何かという差し迫った用もない、早く寝よう、と、いま宵の八時半。映画「大脱走」にも乗らない。この「ノル」「ノリ」はもとは謡曲(謡い)から来ていると観世清和が話していた。そうだろうと思う。明日の理事会も、報告のペーパーを出してなかったら失礼して休みたいところ。
2005 9・14 48
* すこし気持ちがさわがしい。橋半ばに停滞しているような。「今・此処」を浮游するような。
じとっと蒸し暑い今朝の気温にからだが窒息している。午後の理事会が億劫なのだ。だが出て行く用がある。
2005 9・15 48
* 七時前に起きて、校正していた。うまくすると、午前中に初校を揃えて戻せるかも知れない。そう出来るといい。アタマも気もからだも使う仕事を始めてしまうと、ことに午前中は血糖値がツツツッと上がってしまう。からだがそう働くからだ。朝の血糖値は仕事を始める前に計らないと。
2005 9・29 48
* 地下鉄半蔵門線で青山一丁目へ、そして銀座線に乗り換え、外苑前の保谷眼鏡に寄ろうと思い立ち、一年半ほども遅れて、やっとやっとやっと眼鏡新調の前半戦を終えてきた。遠近両用と、パソコン用と。フロアにコンサルタントがいて、眼鏡の縁はこれだこれだと勧めるので、そうかそうかと任せた。眼鏡なんぞで洒落ようとは思わない。サングラスが前から欲しかったが、通販で買ったところだった。度が入っていない。今日はじめて裸眼でそれを使ってみたが、まぶしい屋外でなら何とかなりそう。しかし眼鏡屋でみると、度つきのサングラスも出来るそうで、なーんだと思った。ま、いいや。
2005 10・1 49
* 短パンの腿から脛へ石のように硬いと思っていたら、秋冷えが誘い出したか、また右横腰に痛烈な痛みが戻ってきた。起ち居にうッと息詰まる痛さ、しばらくじわっと痛みの減るのを待って歩き出す。これはむしろ動いた方がいい、じっとしていると腰の蝶番が錆びたように痛みが固まるから。何でもない、寄る年波は自然なことだ。
2005 10・5 49
* けさ起きたときから、腰の痛みがうすらいでいて愁眉をひらいている。一気に冷えてきたのに真夏の格好で行儀悪くしていたのがよくなかったか。
2005 10・6 49
* 夜中に予期せぬ危険を初体験した。寝入っていた三時前、うつつ無いまま気味悪い違和を覚えて、夢ではなく、どう寝返りしてもからだがおかしかった。気持ちわるく遠くから波打って騒ぐものがあり、手先に痺れ感が来ていた。
血糖値が低すぎる! 咄嗟にそれを疑い、念のためからだの動けるうちにと起きて、キッチンですばやく血糖値を計った。日付が変わった零時半頃にはかってみたときは143ほどもあり、そんな時刻にはむしろ高い値だった。ところが、深夜、なんと数値は7O、危険域いっぱい、体験したことのない低血糖で、いまの症状が疑いなくショックまえの予兆であると分かった。急いで、戴いた甘い葡萄を二十粒も口にし、ミルクも呑んだ。ロールパンを一つ食べた。
そして、また寝た。黒いマゴの面倒を六時頃一度みてやったが、八時過ぎまでほぼ熟睡していた。
* 医師にもナースにも「低血糖になりませんか」といつも問われていたが、もう何年になるか、それらしきオソレに出会ったことは一度もなかった。だが、昨夜を体験したあとで思い返すと、ある時期、ことに夜中に「胸のうちがキヤキヤする」という表現で心身の違和と不安を口にしていたことがあった、あれの波調強度な来襲であったかと思われる。あのままムリに寝入ろうとして荏苒遷延していたらショック等の危険も考えられる。
今朝計ってみたら食後値(180限度)をかすかに上越す181。低すぎるより、この程度の方が有難い。
2005 10・10 49
* 機械の前の夜更かしをしないようになった。涼しくなり、睡魔が仲良くしようと誘ってくれる。良友といわねばならない。
真夜中に来るメールは、自然翌朝ないし翌日に見る。
* 秦さん 咄嗟に気が付いて、行動出来て、本当によかったです。冷や汗です。
ある時期の「胸のうちがキヤキヤする」違和感と共に、主治医にご相談ください。駆け込める近医もあるといいのですが。
摂食と注射の時間は、順調の時と今回との違いは如何だったでしょうか? 他の誘因は? 他の合併疾患の可能性は? (ついやかましくなってごめんなさい。)
背負わせる所はしっかり主治医に背負って貰いましょう。くれぐれもお気を付けください。
お大事にしてください。 千葉 e-OLD
* 血糖値低下気をつけてください。しんどいと感じたらすぐ糖分補給できるように。
知人にも、そういう人がいます。 鳶
* ご心配かけ、恐縮。
2005 10・11 49
* 黒いマゴがしっかり寝てくれると、起こされずわたしも熟睡できる。六時間も続けて眠れるなら今では足りている。夢は見るけれど、このごろ夢を見たとも思い出せない睡眠があり、いいことか良くないか知らないが、安眠というものか。
2005 10・12 49
* 少し睡眠不足か、いい寝覚めでなかったが、血糖値 119 は、まず落ち着いている。
2005 10・31 49
* あすは、ドクターの糖尿のほうの診察。体重を減らしていないので叱られそう。
2005 11・3 50
* 七時、血糖値116 正常。聖路加へ行き、無事に解放されたらその脚で、個展と、一つ二つ気になる美術館をたずねたい、が。
2005 11・4 50
* 診察はサッパリであった。階級でいえば「入院」が一番重い宣告とすると、三番目程度に響きそうな注意で、血糖値以外は「ぜんぶ、わるくなっている」そうであった。悪玉コレステロールもふえ、脂肪肝のおそれもあり、血圧も高く、ほかにも何とか彼とか。酒とあぶらがわたしの好物。共に宜しからずと。
* 糖尿病が難儀なコワイ病気ということは、医学書院の編集者時代からよく承知している。最小限血糖値のコントロールはしているが、それだけて済むモノでないことも分かっている。しかし何となくではあるが、それ「以外の何か」も感じている、わたしの勝手ごとではあるが。
* 節食していたので、検査後、院内食堂でステーキを食べながら『少年』を念校した。上田さん竹西さん、また田井さんの有難い文章を読んでいると胸が熱くなる。
診察後に、銀座で松井由紀子さんの小さな個展をみたが、数年前に観たときは夫君の恒男氏が健在だった。NHKのドラマディレクターであった松井さんは、わたしが作家になりたての昔から変わらぬ有りがたい読者であったが、二年前に亡くなった。湖の本はその後も由紀子夫人がつづけて読んで下さっている。
繪は、前に観たときよりぐんと胸に触れてくる抒情の詩性にあふれ、簡略に似た筆法でありながら美しい音楽が画面からよく聴こえてきて、魅せられた。感心した。さりげない小品がよくみると緻密に描かれてあり、それが画面の上で昇華されているので静かに美しいのである。感心した。恒男さんから、ワイフが繪を描いている、観てやってくれませんかと声が掛かって初めて知った。
今回は、グンと佳い内容で、二十点ほどの小品のすくなくも半数ぐらいには心惹かれた。気に入った小品を一つ、家へ届けてくれるように画廊に頼んできた。
* 泉屋博古館へは脚の便がわるいとみて諦め、予定通り牡蠣フライでビールをと、ニュートーキョーに行った。牡蠣はやはり美味かったから、大ジョッキのビールもじつにうまかった。シーフードのパスタは余分であったかも知れないが、そのおかげで居座る時間がとれ、甲子さんにあずかって読んでいた小説を、また読んだ。
今まで読んだ甲子さんの他の三作より、この作がいちばん完成度の高い短編に感じられた。ごく幼い男の子のめから親たち大人の世界を眺めるというむずかしい書き方をわざわざ選ばれている。そして成功している。それにともなう瑕瑾はある、が、小説の力学や美学を歪めるほどではなく、やむをえない。むしろ、それらを蔽いとり、この作は深みも優しさも静かさも、あるもののあわれに光っていると感じた。しかも「時代」の鼓動が正確にとらえられている。ビックリするうまさである。川端康成賞の候補作ぐらいの妙味がある。
* で、気持ちよく満腹し、それ以上の寄り道もせず保谷まで帰り、しかし「ぺると」でちょいと歓談、歩いて家に帰った。家でまたすこし夕飯に肉を食った。今日はそういう日と決めていたのだから、それで、よい。
柿の木に柿の実が生りそれでよし 遠
2005 11・4 50
* 血糖値107。ベリグー。空気、冷えている。
2005 11・6 50
* 七時に起きた。血圧が高いかしらんと三度計ったが、尋常。血糖値は小高かった。大織冠は脱いだ方がいいに決まっているので、しかし体力は落とさぬ方がもちこたえるので、食べ物には気をつかっている、ツモリ。
2005 11・7 50
* 帰ってきたら、ま、百にあまるメール。ただし七割はスパムメールで、消去また消去。大阪産経から校正の督促も来ていたり、郵便物か三日分で山のようになっていて、湖の本の払い込みがどうっと来ている分も、新しく追加で送る分も、放っておけない。そのしまつに追いまくられて、あれよあれよで日付が替わった。
あすは聖路加で眼科の検診、もうこれ以上、目もつかいたくない。あさっては国立で、橋之助の光秀、我當が春永に出て来る。どんな癇癖ぶりを演じるか、楽しみ。
2005 11・9 50
* 十時半に病院に入り、検査と診察が終わって、会計も済ましたときは一時半と二時の間、検査といっても視力検査と眼圧測定と、散瞳薬の点眼だけ、診察はたった数分。そのために三時間余り。「千夜一夜物語」一冊を読み終えてしまうほど。
左眼は特に緑内障の点眼を怠りなく、と。さらに白内障も進行気味なので新たに点眼薬が出た。
2005 11・10 50
* いま、ほおっと一息ついている。休めるわけではないが、先週末の糖尿から芝居・オベラ・能そして京都と眼科、一週間をぶっつづけ、もう一日の歌舞伎まで、もう山坂は下ってきて明日は平地をゆっくり歩いてこれるという気持ち。少し仕事を溜めているけれど、何とでも成るという気持ち。
疲労であろうか、左の後側頭に軽いずきずき痛が去来するけれど、気分はラクである。この機械の脇机には山盛りに雑然とした用事が積んであるのだが、手をそっちへ一度出せば一つずつそれも減って行くのだろうとタカをくくっている。
2005 11・10 50
* 頭痛が治まらず、左の肩の奧にも痛覚が疼いている。新しい目薬の加わったためかとも気にしている。やすもうと思う。
2005 11・10 50
* 頭痛が去っていて、ほっとしている。偏頭痛はつらい、枕にあたるだけで堪える。きのう眼科外来で待たされながら活字の劣化した文庫本で「千夜一夜物語」に読みふけったのもよくなかったか。
2005 11・11 50
* 昨夜、就寝前からひどく気分が悪くなり、寝床での読書は「千夜一夜物語」のほか省いた。三時半頃えも言われない不快感にヘキエキし、加えて偏頭痛と左の肩胸部の凝痛に唸らされた。痛み止めをのみ、血糖値を計った、101。結構な低い値だが、妙に気味の悪い経過でもあり、しかたなくそのままムリに寝入った。
朝目覚めると全身が野蛮に痛む。腰の苦痛があんまりひどいので下着による締め付けだろうと思い、着替えたりしているうち、短歌新聞社から本文の再校、略年譜の初校などが出揃った。もうわたしから手を放して責了も可能なところへ来ている。
2005 11・13 50
* 午になるが、明日の木挽町を考えて今日はもう休息しよう。発熱してもいけないし、全身痛はひどく堪える。幸い郵便も来ない。とりあえず歌集『少年』の手が離れればありがたい。
* 七時半過ぎまで、うとうととあまりラクでない眠りを貪っていた。腰の痛み、偏頭痛はまだ微かに残っているが、こもっていた体熱を少し散らしたかと思う。
2005 11・13 50
* お大事に。 さきほど私語を読みました。あちこち痛いのは、インフルエンザでしょうか。もしそうなら、関節の痛みや頭痛から発熱という経過が多いようです。心配しています。
調子が悪いとしても、どうかインフルエンザ程度におさまりますように。でも、インフルエンザほど体力を消耗して苦しいものもありません。ゆっくり休養なさってください。
ふと思い立って、学生時代に演奏していたベートーベンの交響曲など聴きながら仕事をしていました。ベートーベンは重厚な音楽なので、気軽に相対できません。敬遠する人も多いかもしれませんが、作品からはいつも、痛ましいまでに繊細な神経の持ち主であったことが伝わってきます。聴力を失う前のベートーベンが、朝の小鳥の囀りや、かすかな風の音や、澄んだ水の流れを、必死に音として愛しんでいたさまが、旋律から立ち上がるのです。
もっとも、バクグランドミュージックにして仕事するなら、後期の弦楽四重奏のほうが向いていますね。
早くお元気になりますように、今はただそのことをお祈りしています。 春
* こういわれると、インフルエンザそのものの症状に思われる。
2005 11・13 50
* あすの歌舞伎はたのしんできたい。意地をおさえて、早々に温かくしてやすむとしよう。
2005 11・13 50
* 幸いかなり持ち直し、目覚めもラクであった。陽気はいくらか冷えているが、温かくして出かける。当月は江戸歌舞伎の顔見世興行。力の入ったいい舞台を終日楽しんできたい。師走、京の顔見世昼の部の座席券も昨日松嶋屋から届いていた。
2005 11・14 50
* つよめに振ると痛みが両側頭に巣くっているのが分かるけれど、気分はよほどよく、少し冒険かも知れないが入浴し、そのかわり早く寝ようと思う。
歌集「少年」をもう明日は手放していいところまで入念に繰り返し読んだ。また「役者幸四郎の俳遊俳談」に「付(つけたり)」の「父幸四郎(先代)との対話」をスキャンし校正しておいた。二三の不審個所について、いま夫人に問い合わせのメールを入れておいた。
2005 11・15 50
* とろとろと朝寝を貪っていたが、床から身を起こしてみると、想ったほど遅い時間ではない。血糖値も正常。昨晩の体重も予想以上に改善していた。掌や、指先の感触で体調の普通が察しられる。
2005 11・19 50
* お天気がいいかどうかも気付かず、閉じこもってあれやこれや原稿をつくったり用事の手紙を書いたり、すこし頭痛したりしている。肩も背中もかたくなっている。首筋へ痛みが這い上がってくると危険信号。
品川の河出朋久氏から、桑名名産のうまそうな蛤煮を頂戴した。
京都の「菱岩」へ、南座まで弁当をとどけてくれますかと問い合わせている。昨日今日と、へんに気疲れしている。
* このところ立て続けに「ペン電子文藝館」に入稿していた。今日も小田実氏からの和文と英文とのエッセイをスキャンし校正していて、疲れた。あすは息子の仕事場を覗きに行き、あさっては「ペンの日」の理事会とパーティ。
それが済めば、月末に狭心症検査がある。とくべつ自覚はないけれど、医者の勧めにしたがう。
さて師走。少なくも「湖の本」の発送はせずに済み、穏やかな歳末であって欲しい。忘年会…。とくにそういう気分でもない。あるがままに過ぎて行くだろう、今年も。あるがままに迎えるだけだ、新年も。
もし七十になる日の前後、今年のウチにも文庫歌集『少年』が出版になれば、わが出版史の嬉しい記念碑になる。楽しみにしているが。
2005 11・23 50
* 昨日も、秦さんは元気そうだ、活気・活力に溢れている、みるから活動的だと何人にも言われ、もう古稀が目の前と謂っても、驚く人が何人もいた。ま、励まして貰っているのだと思う。体調を案じてくれる人も何人もいたのだから。
自覚的に謂うと体調はスローダウンしている。昨日からはアキレス腱が痛い。年に何度かある症状だが、これがくると膝へ痛みが上がってくる。たいてい、ものともしないで放っておくと、いつのまにか通りすぎている。大胆で放っておくのではなく、要するに放っておく。
2005 11・26 50
* 幸か不幸か、体重が大台割れした。大台とはどれほどか、それは書くまい。
2005 11・27 50
* 「逃げ腰では、とても」と題した一文をファックスで、送稿した。校正も三つカタが付き、原稿づくりも一冊分の半分余も進んだ。家に居れば、用は前へすすむが、出かけないと躰はなまる。寝床へ入った瞬間の「背中の痛さ」は、二十分ほどもつづく。本を読んでいるうちにおさまる。この二日、腹工合もへんに悪かったが、おさまってきている。じいっと、様子をみているうちには、なにかしら、動いて行く。おもしろい。
あす布谷君がきてくれるかどうか、まだ確認できない。明後日にはインフルエンザの予防注射を頼もうと。
その翌日には狭心症検査。要するに心電図を取るのなら、経験している。そのために午後半日潰れるのかと思うとイヤだが、美術館へ行こう。いま一番二番に生きたいのは、出光の「仮名文字展」と菊池の「智美術館」でやっている当代の「楽吉左衛門展」。菊池には脚慣れていない。先ず出光へ行きたい、佳い「ひらがな」の古筆が沢山みられるはずだ。
2005 1・27 50
* インフルエンザの予防接種をうけてきた。 2005 11・29 50
* からだの芯のあたりが綿のようにちからがない。インフルエンザの予防接種のせいだろうか。さ、築地の病院へ行く。要するに心電図を取り負荷検査をするのでは無かろうか。そのあと、加なり待たされそうな気がするが。
2005 11・30 50
* 感謝します。
幸い、と言うか予想どおり「狭心症検査」は心臓肥大もなく、心電図にも不安なく、今後も半年一年に一度ずつ継続検査とていればいい、「お薬も出しません」と、完全に無罪放免。運動して瘠せろ。何処へ出向いても同じことを言われます。
2005 11・30 50
* ご近所の造作の大きな物音におどろかされた。血糖値、98。なぜか冬季は計測値がいくらか低い。
昨日は一日のうちに、「平安の仮名・鎌倉の仮名」「南総里見八犬伝」「野菊の如き君なりき」そして香味屋の食味、心臓・血管の方の無罪放免などうち続いて、そしていろんなメール。喪失していたと思いこんでいた記憶の、有難い再発見。平安と謂うべし。
「我、山に居て人の識るなし。白雲のうちに、常に寂々」とあるのか、弟乾山の書はおそらく市中山居の述懐であろう、そうでなくてはならない。兄光琳ははたして寒山であるのか、拾得か。
2005 12・1 51
* いろいろ仕事して、ほっこり草臥れ、左の肩が張ってきた。もう休もう。
2005 12・1 51
* 夜中、いや明け方であるか、いっとき冷え込んでくる。おお寒いと思う。季節のめぐり、なんと正確なことか。
2005 12・2 51
* 渋谷土曜日の人出でのすごさにすっかりヘキエキし、疲労した。右アキレス腱の痛みは少しもひかない、間違えて国電に乗り、有楽町から遠回りして日比谷のクラブに入ったが、疲れがひどく、食事も、今一つ堪能できなかった。逆に妻の肩を借り手を掛けながら脚の痛みを庇い庇い、帰った。
2005 12・10 51
* 熟睡、朝十時起床。右脚を庇って歩いたので、右の臀筋にまで軽い痛みが上ってきている。
2005 12・11 51
* なんとか、熱が下がりました。この冬はインフルエンザが流行りそうですね。わたしは風邪など引き易い方ですので、明日、予防接種を受けてきます。
皮膚のあちこちがカサカサになり、目まで乾く感じのするほど、空気が乾燥しています。火の用心、ですね。
私小説について考えています。風のことも想っています。 花
* こころもち熱っぽく、かすかに頭痛がある。
2005 12・11 51
* ああ、なんだか急に、新宿に「玄海」がいまもあれば、美味い鳥料理と鍋とが食いたくなってきた。伊勢丹のわきにある「田川」の「ふぐ」も懐かしくなってきた。不満が身内に湧いてくると食欲も多彩に現れるというのは不健康なのか、せめても健康なのか。
バカを言ってないで、さっさと階下で本を読んで、寝てしまおう。そのうちに歌集が届くだろう、そのうちに妻と一緒に久しぶりに京都へ行ける、顔見世芝居が観られる。
2005 12・12 51
* 明日、歳末の理事会。休みたくもあったけれど、今年の締めくくりだし、一月は休会だし、出ることに。
外出の予定でもないと、なかなか寒い街へ、痛むアキレス腱の脚をひきずりながら出て行く元気がない。あすは会議の後、宵闇をおかし気を励まして、独り銀座か上野で忘年会を楽しんでこようかな。そんな元気が出るかどうか。
2005 12・14 51
* 右アキレス腱の痛みはむしろ激しくなり、とても師走の夜景どころでなかった。地下鉄を逆に乗り秋葉原まで行ってしまい、さて、総武線で新宿へ行き、駅の外の雑踏を歩ける気分でなく、しかし暗い山手線を上野回りで池袋へ帰るのは気が滅入りそう。
それで、バカげていたが有楽町へまた戻り、地下鉄有楽町から一気に保谷へ帰った。タクシーに二十分も並んだ。歩く元気がなかった。右アキレス腱は熱を持って腫れている。
2005 12・15 51
今日の東京の街なかは寒いほどではなかった。保谷でタクシーの列に並んでいるときも、八犬伝を読みながら、トクに冷え込むことはなかった。少しアルコールで温めてはあったけれど。
脚が痛んで気が乗らないが、有楽町では空腹だったので地下鉄に乗り込む前に、ビール少しと赤ワインとで「香味屋」の洋食を食べてきた。椅子に坐らないと痛みが堪えられなかった。
地下鉄、やっと坐れて、たすかった。有楽町線は乗ってしまえば保谷まで行ける。これにもたすかる。
2005 12・15 51
* アキレス腱をどう傷つけたか、察しが付いてきた。右脹ら脛の痙攣、こむら返りのつど、脚の爪先を上へ力一杯反って堪え、痙攣をおさえてきた。今もしばしばそれがある。そのつど、アキレス腱はめいっぱい伸びる。それで傷が付いたのではないだろうか。脚の攣らないことが何より先らしい。
2005 12・16 51
* 散髪。こころよし。土日月と散髪屋は混んだり休んだりする。きわどく京都行きの前にきれいになった。せめて髪ぐらいは。
鏡で見ていると全面白髪で古稀らしく見えてしまうが散髪屋いわく、わたしから目に見えているところは真っ白だが、すぐそのうしろへ全面、黒髪なんだと。うしろから見る人には若いらしい。前から見る人は座席を譲ってくれる。髪の黒い白いまで、わたしは変に出来ている。やれやれ。
散髪台に仰向けに寝かされると脹ら脛が座席のへりに、下から圧される、するとすぐ両脚ともに痙攣の前触れが来る。反射的に脚先を上へ反って痙攣から逃れる。血行不良か。
2005 12・16 51
* 右の後側頭に根づよい痛みが、昨夜から。肩が凝っている。「ペン電子文藝館」の作業があれこれ問題があって、スムーズに前へ動いてくれない。
英文題のメールがカナダの友人から。あやうく削除するところ。アドレスの変更だそうで。まぎらわしい不正な誘いの和文・英文題のメールが優に半分を超えるので手拍子に消して行く。題名はわたしに分かりやすい言葉を日本の文字で選んで欲しい。
2005 12・24 51
* 右腰から背への激痛に、寝床の中で呻吟した。朝になっても軽快していない。こういうのと付き合いながら、地を這うように生きるらしい、ハテ、何年?
2005 12・29 51