* 冬の乾燥が呼吸器を侵す。
2006 1・11 52
* あすは、気ぜわしい。常の糖尿病の診察にすぐ引き続き、エコーでの検査を指示されている。目的は聞かされていない、ハイハイと返辞しただけである。研鑽の数時間前から水も呑むな食べるなと言われている。
済むと、兜町での新年の「ペン電子文藝館」委員会。幸い、委員会の面倒見からは解放してもらっているので、遅れてでも顔を出せば済む。会議までに空腹を癒す何か食べている時間があるだろうか。
2006 1・15 52
* さて明日の朝は飲み食いが禁じられている。何となく今なら未だいいか、という気にもならないので、日付もとうに変わっているし、さっさと寝て、あすは早くに出かけよう。
2006 1・15 52
* 正午まえに診察と超音波上腹部検査は終え、時間がぽっかり出来たので銀座へ戻った。検査のため朝から水も呑んでいない。ところがフランス料理の「シェ・モア」が「休業」していた。佳い味の佳い雰囲気の店であったのに。
「グラナータ」に行き、コース・ランチ。ビール、そしてワイン。パンも、たくさん食べた。コーヒーも。湖の本の再校ゲラをたくさん読んだ。満腹したので、ぶらぶら歩いて、ふっと見つけてちょっとした服を買った。
歌舞伎座の向こうの「茜屋珈琲」に寄り、カウンターでしばらくマスターと雑談。中村歌昇が友人と二人で入ってきてカウンターの隣に坐った。若い。感じの佳い青年にみえた。声をかけたりはしなかった。
2006 1・16 52
* 北陸小松の心友井口さんからメールが来ていた。e-OLDの仲間入りされて、まだ月日はすくない。小松の高校校長先生を退かれ、また石川文学館の館長さんを退かれて、さ、これからも先は長いですよと嗾しているところ。
* 今日は家内と俳優座の芝居をみてきました。昨日まで京都に二日いました。京都はちらちら小雪が舞いましたが、むしろ風情でした。
ボランティアですか。この言葉、広範囲に使われるようになり、見当がつきませんが、何をなさいますか。
わたしは、もうもう、自分のしたいことをするだけです。自分のしたくないことはもうしなくていいだろうと見捨てています。分別はなるべく用いず、喜怒哀楽にすなおになろうとしています。政治にも藝術にも人間にも、分別というマインドトリップに陥らず、感情を解き放とう放とうとしています。それがラクだからでもありますが。
正月早々この二十日間はあれこれしていましたが、明日から十日ほどは出歩く予定なく、ラクチンです。本が読めます。いま、日本書紀とバグワンの「ボーディダルマ」を音読し、他に旧約聖書、千夜一夜物語、英国史、世界の歴史、そして南総里見八犬伝と鏡花全集とを必ず寝る前に読んで、その外にもいろいろ読んでいます。どれもみな面白く。テレビの映画もいいのがあると観ています。今夜は「ペリカン文書」をもう何度目になるでしょうかね、それでも楽しんでいました、昼間の芝居よりずっと立派で。
糖尿病は良くなりはしません、インシュリンを朝昼晩夜と注射しながら、摂生もせず、好きに喰って呑んでいます。ま、元気にしているほうだと思っています。超音波で上腹部を検査したら「脂肪肝」だそうで。運動しないのだから当然でしょうと思っています。
井口さんが自在にインターネットがつかえて、いろいろ話し合えるようになるのを楽しみに待っています。 お元気で。 湖
2006 1・20 52
* 七十になり、もう一ヶ月たった。矢のようだ。夜中から朝へかけ三度起きて、午前中をうとうとと寝て過ごした。からだ、ラクになった。
暮れからこちらへ、いろいろ善くして頂きながら礼状も書けなかったのを、纏めて書いた。少し肩の荷をおろした。雪がまだちらほら舞い、書庫の上に、十センチほど積もっている。黒いマゴが小さくまるくなっている。
おどろいたことに、二十七届いていたメールの全部が不正勧誘のものらしく、むろん開かずに全部まとめて削除。
2006 1・21 52
* おそくまで読書し、古紙回収分を出すのにはやく起き、左の奥歯の根が浮いている。
2006 1・24 52
* で、あいかわらず歯が浮いて、奥歯の噛み合わせわるく、痛くて不快。歯茎が腫れたりしているのではない。根から奥歯が浮いているのは、強烈な左肩の鐵板のような凝り塊から来ているにちがいない。折悪しく、湖の本発送用意の作業はこれから山坂がつづいて、結局送り終えるまでこの肩凝りと歯の痛みはつづくだろう。
2006 1・26 52
* さ、日付も変わった。歯はあいかわらず歯茎から疼いている。かるく噛み合わせるだけでズキッと脳にひびく。こう強烈な左の肩凝りではあたりまえだろう。起きているときより、就寝中に感じておそれる痛みのほうが鬱陶しい。しかし、もう寝に行こう。
2006 1・26 52
* 出かけたかったが、歯も肩も疼いて、動く気になれなかった。
2006 1・27 52
* 昨日浴槽で滑り落ち、背骨を打った。息がつまった。幸いあとあとの苦痛はない。
朝一番に「悪いNews」とある高校のともだちのメールが来て、これにも息がつまった。
2006 2 21 53
* 急速に視力が落ち、ディスプレイの字が霞み始めた。機械の度が過ぎている、分かっている。
2006 2・25 53
* 三月三日は、糖尿病定期診察。昨日も機嫌良く喰いかつ呑んだ。体の方も機嫌が良いかどうか、疑わしい。四分五裂のわが「静かでない心」よ。
2006 2・26 53
* はやめに血糖値をはかり、低いと安心してまた床に入った。夢のトンネルをいくつか抜けて、午後二時とは驚いた。肩凝り、すこし和らいでいるか。
寒い。氷雨の感じ。
2006 3・1 54
* 相変わらず冷える。春は、あけぼの。夏は、夜。秋は、夕暮れ。冬は、つとめて(早暁)。清少納言らはそう極めた。最良の刻限の謂である。脱帽。
二月以来、信じられぬほど休息した。遊んでいたのではない、ほとんど、外出のために靴をはかなかった。ラクな一面もあり、からだを働かせない害もある。明日は久しぶりに病院へ。鬼や蛇が出るかも知れない。春がきてほしいものだ。
2006 3・2 54
* さて病院の首尾いかに。全然気にしていないワケではない。今朝の血糖値は正常だが。
* 気にすべき値のなにもかもが悪くなっていると、病院で。体重だけは少し落としていたが、もう三キロ落とせと。やれやれ。飲み薬が加わった。やれやれ。酒はいけない、と。ウーン、やれやれ。
帰りのおそめの昼食に、銀座「レカン」のフランス料理、ランチの上等を、シェリーと赤ワインのハーフボトルで独り、残念会。呑み納めかなあと。やれやれ。酒ぬきの外での食事など、クリープのない珈琲どころじゃない。参る。食い気しか残っていないのに。やれやれ。
なんとか新井奧邃にならわねば。五時起床、火の用心、静黙。ごく質素に小食の彼は、しかし、睡眠のために名酒「太平山」をやることがあった。我が家にも有るかも。ま、家では呑まないことにしようか。 家では一升瓶を四日で、そして一日休むというペースであったが。
* 白酒の紐の如くにつがれけり (虚子)
2006 3・3 54
* 雨戸で遮光した部屋で長時間すごしていると、雨か曇天のように錯覚する。今日も天気はよかった。明日は出かける。運動といっても、歩くぐらいな生活で、家にいると歩きもしない。歩いて、からだを働かせてこなくちゃ。
2006 3・5 54
* よく眠れなかったのは血糖値が低すぎたのではないか、朝七時に測り、76。これは低い方での、これまで一か、二の低さ。かすかな頭痛もそのせいか。いまのところ朝のインシュリン注射を控えている。
2006 3・6 54
* これという何事もない一日を、あれこれの仕事にあてていた。今日は確実に花粉に見舞われている。花粉が来ると、目をとじてしまう。ずうっと瞑目したままいられたら、どんなに好いだろう。
2006 3・7 54
* 花粉か風邪か、大きな嚔を連発する。ゆっくり湯につかり、「八犬伝」を貪り読もう。そういえば、このごろ映画も観ていない。今夜はアンジェリーナ・ジョリイの「トゥームレイダー」がある。録画を頼んでおこう。
2006 3・12 54
* 体調を理由に明日の委員会、水曜の理事会に、欠席通知。
2006 3・12 54
* 十日ほど前から湯につかっても躰の芯に寒いものがあり、熱いものを求めて食べても、やはり体芯に、ぞおっと冷えて来るものがあり、しかし風邪には必ず感じる髪の毛の不快な痛さはない。すこし汗ばむときがあり、平均すると血糖値が高くて辛いのかも知れない、しかし朝に測るとむしろ低いほどのことがある。
おとといのワインがうまかったので、今日も家でうまい白ワインをのみ、そのセイでちょっと元気だというと調子が良すぎるので、黙っている。
とくにシンドイほどでなく、気になる書き物もえいえいと乗り切ってきた。めったになく、委員会と理事会をやすむことで乗り切ったのかも知れない。あした、もう一日やすめば、土曜には目白へ芝居を観に、また都心へピアノを聴きに出かける。
幸い花粉はたしかに今年はラク。花粉がラクなら、どこへでも花見に行ける。
2006 3・16 54
* 今日は花粉が舞い、痒みでつい眼をとじてしまう。すると、すぐ昏々と寝入りそうになりあわてて目覚めるが、なにも慌てなくていけないこともない。
2006 3・25 54
* 午後を、おおかた寝つくした。むりに起きていようと思わなかった。朝起き抜けの血糖値は 88 と低かったが、昼間に値があがる。睡魔は、しかし、たぶん花粉のように思う。もし疲労してからだの欲している眠りならば、逆らわず、今夜ははやめに寝よう。
2006 3・25 54
* 懶春。ともすると、眠い。からだの芯に、堪え性がうすれているのだろうか。からだが寒い。煖房しているのに、かすかに寒く、むかむかもすると、からだが泣いている。十一時にならないが、寝に行こう。
2006 3・27 54
* 明日は勘三郎たちの「四谷怪談」南番。渋谷コクーンで、初演舞台を再現するという。そして今年新演出の舞台も、北番として交互に上演している。北番は四月に観に行く。やや季節はずれの怪談を舞台間近で観るので、心臓に良くないかも知れないが、この不調の厄落としになってくれればいい。気を変えたくて入浴、こざっぱりしているうちにやすもう。このところ体調のスローダウン、なにともなく気持ちが悪い。
2006 3・28 54
* 六時に目覚め、六時半に起床。六時五十分、血糖値は 98。寒いと聞いていたが、さほどでもなく、お天気も良いか、外は日射しに明るい。
2006 3・31 54
* おそろしい強風のなかを六義園まで歩いたが、夜櫻のライトアップは、昨日まで。今日は四時半閉園で、一歩も中へ入れなかった。
仕方なく駒込駅へ歩いて、以前にも入った風変わりな中華料理の店に入り、この店ならではのローストした家鴨半羽、強烈な担々麺、中身プリプリの長い春巻で、夕食。紹興酒とビール。
歩いている内に風の冷えからか、左足が攣り初め、脹ら脛の中に大きな石が入ったみたいにグリグリと痛み、とにかく体を温めたかった。その前、劇場へむかう徒歩のさなかからわたしは全身がけだるく息が上がり、一度は路端にすわりこむほど疲労した。血糖値が高すぎるのか低すぎるのか、観劇中も違和感は相当だったが、幸い舞台の好調に助けられた。
家には七時前に帰ったが、タクシーには人が行列していたので、途中ペルトの珈琲で温まり、家まで寒風に吹かれて歩いた。脚も胸も、気分がわるかった。それでも元気だった。
2006 3・31 54
* 三時に寝て六時に起きた。血糖値 89。右前額の奧に鈍い痛み。それでも起きて、ひとりで朝食。機械の前へ。昨日の「湯谷」の余韻を聴いている。
2006 4・2 55
* 相変わらず冷える。
ゆうべ就寝まえ、460と、近年になく異様に血糖値が高かった。すぐインシュリンを少し多めにうち、インシュリンの効きをよくする錠剤を一つ服して、早く寝た。それでも本は読んだ。
今朝は 87 と鎮静。指先まで力在り、すっきり。
2006 4・7 55
* 体調違和、時としてふうっと元気が落ちる。そういうときに測定すると血糖値が思ったより高い。掌から指先へジーン・ジリジリ感のあるときは感心しない。そしてしつこく眠くなる。嬉しい状態でない。
2006 4・7 55
* わたしの糖尿病は、なにかしらどっと一気に悪化している気配。神経質にならない方がいいか、もっと神経を使ってフォローすべきなのか。分からない。今夜は、もうやすもう。
2006 4・8 55
* メールを戴きました。嬉しく。お元気に清々しいご境涯と想っています。
わたしは、糖尿病の管理ができなくて、ときどき凹みます。飲み食いを制限しないで、運動しないのですから、当たり前ですね。食欲は旺盛です、まだ。もう多くは食べられませんが。
インシュリンを注射し続け、この頃はインシュリンの効きをよくする錠剤も与えられています。聖路加まで通うのですが、二ヶ月に一度ずつドクターとナースとの交代で、叱責されるだけに行きます。ウーン。
俳句集をまた出されますか。どうぞペンクラブにお入り下さい。よろこんで推薦します。
ますますお元気に。ご平安を祈ります。 湖
2006 4・9 55
* 前の中学校校庭の桜と、その先にまだ真っ白な富士山を医局の窓から見る日々ですが、(ローカル色豊か。)そろそろ花にも劣らない美しい新緑の頃です。
6日、朝日新聞朝刊の「折々のうた」に秦さんの、
水あさき瀬の音ながら通天の梁をやもりのうごく侘びしさ
が載っていました。そして最後に「早熟な青年の静かな歌」と。短い言葉で、この歌の情をうまく表わしていると思いました。
あっと懐かしい感じがして筆をとりました。
お元気でお過ごしくださいませ。 矢 ドクター
* メールを戴きました。嬉しく。お元気に清々しいご境涯と想っています。
わたしは、糖尿病の管理ができなくて、ときどき凹みます。飲み食いを制限しないで、運動しないのですから、当たり前ですね。食欲は旺盛です、まだ。もう多くは食べられませんが。
インシュリンを注射し続け、この頃はインシュリンの効きをよくする錠剤も与えられています。聖路加まで通うのですが、二ヶ月に一度ずつドクターとナースとの交代で、叱責されるだけに行きます。ウーン。
俳句集をまた出されますか。どうぞペンクラブにお入り下さい。よろこんで推薦します。
ますますお元気に。ご平安を祈ります。 湖
* 昨晩はとても楽しく過ごさせていただき、ありがとうございました。
意気揚々と押しかけた割には大したこともできず、その癖長々と居座ってしまい、だいぶ遅い時間になってしまいましたが、奥様にも負担ではなかったでしょうか。(先生にも…)反省しています。次は、もう少しお役に立てるよう、
今からどんなPCがお勧めか、探すようにしてみます。
まだまだ冷え込む日々が続くと思います。ご無理なさらぬよう…。それでは。 丈
* 元気ないい顔が見られただけでも幸せでした。ありがとう。
メールは仕事の上でとても大きい比率を占めますだけに、エクスプレス一つを頼っているのはやや心配、その対策をしておきたいこと、もう一つは、子機に新しい優秀なノートパソコンを是非配して連繋させておくことも、さらに、それへ外付けのハードディスクを組み合わせておきたいことも。
家内の器械を新しくし、それにプリンターとスキャナーとを連結しておき、咄嗟の時わたしの仕事をカバーして欲しいと願っています。すこし、この方面で纏まったいい投資をと思っています。
その一方、余計な仕事をさらに縮小し、好きなことだけを心行くまでこの環境内で楽しみたいとも。
それから、君と、もっといろんな意見交換をして、お互いに刺戟を受けたいと。呵々
お元気で。また遠からず逢いましょう。 湖
2006 4・9 55
* ま、体調は気にし過ぎても仕方なく、他人事か余所事かのように「観察」しているという、その距離感ががいいのだろうと思っている。あえてムリはしないが、萎縮してもならない。病状に追いつかれないように、したいことをしながら、なるべくスタスタ歩いて行きたい。衰えて行く一方の「男」のほうがよっぽど愛おしい。ハハハ
2006 4・10 55
* 右耳のうしろ、耳朶に沿うように半円形の痛みが、上側頭へ伸び上がっている。痛み止めが効かない。右瞼の奧へも鈍い痛み。ともするとふと眼をとじたくなる。今晩の吉川英治賞のパーティも遠慮することになりそう。
2006 4・11 55
* 妻も今日一日で息子の小説『SOKKI!』を読み終え、全身がガチガチに堅くなり、胃薬を飲んでいた。わたしの頭痛もそれかなあと可笑しい。
* 頭痛と睡魔に負けて、夕食後に寝入り、朝かと思う灯の色におどろいた。十一時。
風邪ではない。が、心身に衰えあり、ただこの器械をしまおうと二階へ来た。まだ茫然としている。
雨。「菜種梅雨」には早すぎないか。
2006 4・11 55
* 睡眠は足りていない、早く寝ようと思った日は、ぐずつかずにさっさと機械から離れ 2006 4・12 55
* 季節のせいかもしれない、或いは就寝時の読書量をこころもち減らしている効果かもしれない、比較的ながく睡眠できている。今朝も八時に目覚めた。血糖値 108 正常。(但しインシュリンを欠かさず注射しているから。)
2006 4・17 55
* 右の脹ら脛へ強い痛みが来て攣りかけたので、危うくのがれたまま、起きた。血糖値は正常。
誰であったか、確か『解体新書』の杉田玄白であったと思うが、彼は自身の体調の違和について、じつに綿々と書きのこす人であった。読んでいるとグチのようであるが、自身を「客観・観察」している人の「記録」と読むべきだろう、バグワンもよくそれを訓えている。体調の違和や苦痛を、離れて観察せよと。違和や苦痛と「一体化」してはならないと。他人事のように観察し、同様に自身の「心=マインド」と一体化せず観察し、「落とせ」と。重大で、大切な示唆であると思う。
仏陀が、数え切れないほど天文学的な期間を閲して光明を得る enlightenment ことが出来ると、もし述懐し教戒したことがあったにせよ、それは、彼自身が真に光明を得る以前の弁で、そんなものは「夢」の譫言に過ぎない。仏陀の教えでは、光明を得て後の言葉だけが聴くべきもの、それ以前の言葉は凡夫の弁となんら変わりない夢中の弁舌であり、聴いてはならない、とバグワンの言うのは、当然なこととわたしも受け容れている。
ボーディ・ダルマ=達磨は、光明をえるのに天文学的な期間の修業が必要などと言うのは譫言に過ぎない、光明を得るにはただ自身の「心=マインド」を観察し、放し、落として「静かな心=無心」になることだと喝破していた。バグワンはこれに全面同意している。修業や経典から光明が得られるなどと思うのは、悪しき「分別=知識行為」にほかならず、分別という自我を抱きこんだまま、無心の光明に至れるワケが無い、人が「自我の分別と一体化」したままブッダに成るわけがないと、達磨やバグワンが言うのは、あまりに明白な真実である。
自我・自身をつきはなして「観察」し「傍観」せよと。当然のことである。その目撃の事実を口にするのは、グチでもなにでもない。
2006 4・22 55
* 六時過ぎに起きた。血糖値は良。相変わらず春寒む。へんな陽気だ。
2006 4・28 55
* 四月尽。カレンダーは、あやめに変わった。連休、どこへ行こうという気はない。明日は、新装成ったという歯医者さんに行く。連休明けの来週には聖路加へ行く。
2006 4・30 55
* 快晴。新装成った歯科医院へ、当る戌歳の香合を土産に持参。繪は、壁面の感じが分からないと、嵌らなければムダになる。われわれと同年配、少し上の父上は大先生になり、下のお嬢さんが新院長。ご両親はご安心。
* 新江古田ちかくのレストラン「リヨン」で昼食。メニュが大当たりで、質も量も好適、すこぶる美味かった。オードブルもメインの鶏肉もデザートも、そして赤ワインも、それぞれに思わず声を発するほど佳い調理で、こういう店を知っているのが、幸せなほど。この店を知ってからは歯医者の帰りが楽しみになっている。
駅近くのブックオフに、建日子の『SOKKI!』が安く出ているのが外から見え、妻が買った。保谷駅に戻って、こんどは、オレンジ色の涼しげな軽いニットのアンサンブルをみつけた。よろこんで、また買った。
2006 5・1 56
* 新しい湖の本が、十二日に出来てくると、さきほど凸版印刷から連絡があった。十一日に、夜の部の歌舞伎がある。いいタイミング。それより前に聖路加や歯科医の診察や治療日がつづく。
十五日に、しばらくぶり「ペン電子文藝館」の委員会。総会前でもあり、出ないワケに行くまい。十八日にこれまた久しぶりに猪瀬直樹委員長が召集の言論表現委員会。またシンポジウムがしたいらしい。
その翌日、文藝家協会の総会。もう久しくこっちには出たことがない。
二十四日に松たか子の芝居、二十七日には観世栄夫の能「邯鄲」が。月末にペンの総会。一日には苦手な眼科の視野検査。そして…桜桃忌のくる六月がつづく。
ともかくも五月はかなり忙しい。合間合間をうまく利して息抜きをして元気づけないと、バテてしまう。
2006 5・2 56
* 病院での診察、サンザンであった。時間も掛かったが、それよりも、何とやら大事な値が、二三年前の最悪時に戻っているのは憂慮に値すると。喰わず、呑まず、運動に明け暮れよ、と言われる、まこと、然あるべきだろう。指示を軽く見て良いわけはない。
* 気の持ちようとも言っていられない、糖尿病患者の元気自覚には信憑力がない。どこで何が進行しているか知れない。理性的には処置の使用が当然あるわけだが、わたしという人間が余り理性的でないので困る。
* 「可能性」をより多く予感し実感するというのは、人ごとであっても嬉しいものだが、自身の可能性は、もうなかなか感じにくい。どこか頭の隅で店じまいをきれいになどと考えている。アホウである。
* たん熊北店で、「祇園」という料理をたべてきた。残念ながら、ほぼ同じ値段で歌舞伎座の吉兆に負けていた。
2006 5・8 56
* 神戸歯科へ。その脚で大江戸線利用し、外苑前の「保谷眼鏡」で、調整された新しい眼鏡を受け取った。
銀座へもどって「ざくろ」で遅い遅い昼食をとり、帰宅。
眼鏡は気に入った。新しい機械がとても明るく眼をやく心地がして、少しくらくつくってもらったのが、快適。これで眼精疲労はだいぶ助かりそう。ただ、くらい黒いレンズの眼鏡で悪相の度が増したよう。
2006 5・10 56
* あと十年ですよと言われて、もう四、五年経っている。糖尿病クラッシュが怖くないとは言わないが、賞味期限のきれた顔をさらしてぼやぼやと世間の邪魔になっていてもよろしくない。さあて、さあてと、そんなことを思っている。
2006 5・10 56
* 寝苦しかった。島尾伸三著にむやみと煽られたからかも。
* 八時の血糖値は正常。新刊本の受け容れ用意に、隣棟玄関に山積みの滞貨をむりやり肉体労働で片づけ始めたが、忽ち腰の蝶番に激痛が来て、閉口。ま、なんとか片づけた。京都から「対談」の督促。自転車に乗るのは見合わせる。
夕方から新橋演舞場。吉右衛門の「石川五右衛門」福助の「娘道成寺」その他。播磨屋、萬屋、高麗屋系に段四郎、芝雀、亀治郎らが加わり、まずまず。
このところずうっと吉右衛門の芝居にやや食い足りなかった。今日は期待したい。
2006 5・11 56
* 今日は夕方に一時間十分、自転車で走り回ってきた。ひばりヶ丘から東久留米のなお奧まで往き、西武池袋線を南に渡り、東久留米の市役所前から更にかなり奥深くをまわって、小金井の標識の見える辺まで。大回りにひばりヶ丘駅へ戻ろうとしたのだが、足任せに走って何処とも知れず、勘に頼ってぐるぐる走っているうち、勘もあてにならず、予想もしなかったあたりへ辿り着いて、方角を見定め、やがて無事帰宅。最後の家近くの坂道もわりとらくにすいすい登って家に着いた。
2006 5・14 56
* かんかん照りのもと、江古田の奥の方まで歯医者に。
前の大先生の時には、痛いと意気地なくピイと泣いたが、先生が若いお嬢さんに変わると、そうは「痛」がれない。別にガマンもしないのだが、あまり痛いとも思わないから不思議である。
2006 5・20 56
* この夜中の体調には、すくなからず驚いた。読書と関係したろうか。
昨日だった、今年定年退職して名誉教授になり悠々自適の日々に入ったった高校時代の友人が、いや夫人が、手紙に添え、琵琶湖近江のご馳走二た種といっしょに或る資料をいろいろ送ってきた。友人の姉の一人の嫁ぎ先家系の、或る一面で岡倉天心研究に資するたぐいのものであった。姉上夫君の父親にあたる人を中心にした系譜ともいえたし、中にはその一代を語る一冊の本も入っていて、わたしはそれを、おそく床に入ってから読みはじめた。その前に日本書紀の斉明紀とバグワンの語るボーディー・ダルマ批判を音読してきた。
そして床に行き、その『三郎』と題された本(私家版)を読み始めたのだったが。それはまあ、なんとも息くるしいばかりにわたしの生い立った昔の、子供ごころに切なかった思いをそっくりかき立てる中身であった。わたしはほとんど息を喘がせたのである。
それで中断して、例の何種類もの本へ、次々に目を移していった。女王エリザベスの時代、イスラムのカリフの昔の東奔西走の軍事、旧約「士師記」の血腥い侵攻伝承などなど。
そのころから妙な違和感を覚えていた。いろんな本で血が騒いで心も揺らいでいるのだろうと思い、眠くなっているのだとも思い、そのまま眠ってへんに夢見の悪いのもイヤだと思って、妻が息子の置き去りの荷物の中から拾ってきていた小説、ペリイ・メイスンとデラ・ストリートの、ハヤカワミステリー本を、また手にとった。そしておきまりの法廷場面ちかくまで読んでいって、なんだかからだのゆらゆらする感じと、異様な空腹感に襲われた。手洗いに立ち、もう寝ようと思った。
廊下に出ると、ゆらゆらと自分が揺れて手先に及ぶ気がした。血糖値が低そうだと思い、咄嗟にキッチンで計ってみると、限度は越していなかったが、就寝前の数値から見るとまさに半減の急降下を示していた。からだが甘味を欲しているらしい。わたしは四国から戴いた紙袋の菓子を一袋戸棚から出して、あけた。
前々日の外出時に鞄に入れて出掛けたのと同じ菓子と思ったら、またまるで違う顔をした、やはり昔のカンパン系の菓子味であったが、人が、うまくないねと言ったアレよりはずっと旨い味で、おやおやとわたしは嬉しがった。それを食べながら、茶も飲みながら、わたしはもうしばらくペリイ・メイスンを読んでから、眠さに身を明け渡した。
* ま、それだけの話であるが、ヘンな違和感は忘れていない。ああいうことがあると、記憶した。
2006 5・21 56
* 明日は散髪し、明後日は松たか子らの「メタル・マクベス」を見に行く。金曜日には俳優座の稽古場で、大塚道子らの二人芝居、これも楽しみ。土曜は観世栄夫さんの能「邯鄲」に招ばれている。来週はペンの総会があって五月が果て、六月早々に眼科の視野検査、そして京都美術文化賞の授賞式が都ホテルで、同じ日に財団の理事会、懇親会が嵐山の吉兆で。
2006 5・22 56
* どうも四国の菓子のあまりな堅さに歯がやられたようで、痛い痛い。観察しているのでガマンできているが、前だったら歯医者にかけこんでいるかも。痛み止め、がりがり。
* 自転車で出たら、すぐ雨もよい。仕方なく家の近くの三百足らずの舗装された坂道を、三往復。上りは休むことなく脚を使って登り切る。五往復。息も切れず。そのまま帰った。今日は黒いマゴもさすが疲れたか、ものかげに入って昼間に熟睡していた。
2006 5・23 56
* インターネットは相変わらず不調、ま、いいさと。久しぶりに碁を一局。渋く地を争いながら、中押し勝ち。さて、歯痛のためにも、はやめに寝よう。メールを送りも受けもならないし。
2006 5・23 56
* 今日は、俳優座稽古場で大塚道子ともうひとりの二人芝居。さ、どんなかなあと楽しみ。明日は歯医者のあと、その脚で観世栄夫の「邯鄲」を観る。そのあと三日間、なにとなしに休める。
自転車で走り出すまでの筋肉脂肪は相当だった(そうだ)が、今、「やや過剰」という域に戻っている(そうだ)。わたしは皮下脂肪をほとんど触知しないほど全身が堅い。立っているときの大腿側など石のように堅い。腹も堅い。散髪屋はいつも肩を揉もうとしてあまりの堅さにきまって驚きの声をあげる。指や掌で掴めないという。脂肪は体内にひそんでいる。
2006 5・26 56
* さきほど、やはり一時間半ほど自転車で走っていた。東久留米駅から清瀬の方へ向き、けやき児童館とかいった黒目川畔で遊歩道に入り、下流へ戻っていった。東久留米には武蔵野の緑の面影が濃く、森も林もたくさん残っている。ひばりヶ丘から武蔵野市の方へ大回りしてゆくつもりが、いつ知れず新座市の栗原だの野寺小学校だのという我が家からはそう遠くない北寄りへ出て来ていたのにはビックリした。西大泉の方へ大きく遠回りしておいて、ゆっくり帰宅。
2006 5・28 56
* 明日はペンの年次総会と懇親会。例年だと委員長報告で大いに気をつかって忙しいところを免除され、つくづく大助かりしている。理事会で、歌人藤原氏の推薦の弁を述べるだけで済む。晩の会に誰か目新しい知人の顔が見えるといいが。
明後日はつくづく嫌いな視野検査に朝早く起きて出掛ける。あれはホトホト疲れる。そして京都へ。またも慌だしい限りのとんぼ返しで帰ってくる。新しい「湖の本」のゲラが明日明後日にも出てくれれば持って出掛けられるが。
2006 5・30 56
* 佳いお便りである。少し前に戴いたが、機械の不調で書き取れなかった。このメールに教わって黒目川の遊歩道を自転車で走ってきた。
* 妻のいわく、自転車走の結果、わたしの体内脂肪は「かなり過剰」から「やや過剰」へ転じているという。それはけっこうだが、なぜか体重はむしろ増え気味なのでアタマに来る。なにしろ食べても飲んでもうまいのだから困る。困らないが、体重は減らない。
2006 5・31 56
* 「あやや」につきまとわれたそうで、うらやましいかぎりです。
歯の痛みは完全にとれましたか。ケンピなら硬いのは表面だけで一袋食べても歯は痛みませんが(油をつかっているので胃もたれしますが)、「かたパン」のあの生姜のついた小さい粒を一どきにたくさん食べると、だれでも歯ぐきを痛めます。ケンピは「シブヤの芋ケンピ」がうまく、いずれ機会があればお送りいたしますが、そのときは胃もたれにご用心を。
オススメの本、購入いたします。晴耕雨読とはいきませんが、のんびりとくらしております。六
* ケンピは好きで、たしかに噛み始めの上皮は堅いけれど、なかは芋の柔らかみを残している。あれが土佐の名産とは知らなかった。妻が生協でときどき買うと、わたしはすぐ袋をあけて、ほぼ、喰ッちまう。過ぎると、胃もたれがする。「六」さんに戴いたのは、堅いも堅いも、石より堅かったから歯を痛めた。お医者は、こっちは虫歯もないんだし、なんで痛いのかしらと思案していた。
2006 5・31 56
* 「湖の本」有難うございました。
四月初めに新しく建て直した家に引越し、念願だった図書コーナーが出来、秦さんの本を全て並べることが出来て、幸せを感じています。
初めて手にした文庫版の「清経入水」は残念ながら無くなってしまったのですが…道成寺の時に戴いた「親指のマリア」をはじめとして、いつ求めたのかはわからないのですが、サインの入った「顔と首」など大切な本が並んでます。
先程、五月三十日の所を読んでいましたら、「マドレデウス」という名が出てきてびっくりしました。
私もつまりはホンダアコードのCMからのファンなのですが、いまでは大好きで大切なお気に入りグループです。来日公演は何をおいても出掛けていますが、最近は生でテレーザの声が聴けないのが残念です。
相変わらず取り留めの無いことを綴りました。ご寛容の程…
追伸 六月十一日の月並能で「歌占」を息子と勤めます。 光
* 有り難いこと。
マドレデウスに反応して戴けて、ワケもなく、にこにこ。マドレデウスのアンサンブルもけっこうだが、何と云っても魅力は「テレーザの声」で。とくに「ムーブメント」のテレーザには痺れる。偶然に手に入れて以降、少し買いたしてあるが、機械音効果のいい「エレクトロニコ」も好き。
能「歌占」は身につまされる能で、観ると、どこかで泣いてしまう。
2006 5・31 56
* 早起きして早めに出掛けたが、路線の事故でおくれ、予約の九時半にあわや駆け込むあんばいであった。
視野検査をしてくれたのが感じのいい人で、検査自体は疲れるけれど気分はゆったりした。人間は感情的なんだなと思う。感じのいい人だとラクで、そうでないと気が草臥れる。
そのあとドクターの診察に随分待たされた。読みたい本をもっていたのでガマンできたが。視力はだいたい前回検査と同じく、眼圧も問題なく、やはり糖尿病の方のナントカの値が高いための影響は出ているが、緑内障・白内障とも悪化はしていないし、糖尿病ゆえの症候は眼科的には認められないと。ま、よう分からんが。半年後にまた様子をみましょうと、緑・白ともに前回同様の点眼薬が出された。
瞳孔を開いたので、病院の外へ出ると、真夏日の照りつけに視野は白くまぶしく、どう移動する気にもなれず、それでも銀座で下車、フレンチの「モルチェ」二階で、130g のステーキ・ランチ。オードヴル、スープ、そしてデザート、コーヒーまで、適量。赤のワインをグラスで一杯。
この店で大久保房男さんの本を読み終えた。
ま、昭和四十一年まで、文字通り二十年「群像」編集者としての見聞記で、きわめて主観的な主観で貫かれ、一刻ではあるだけに、こ本人もいわれるとおり「一面」的なのはやむをえない。あくまで群像・講談社また慶應・三田また同時代・同世代への身贔屓の濃厚な叙述になっている。関係者や同事態の作家や評論家達に異論のある人もさぞ多いことだろう。
幸か不幸か、わたしが太宰賞をもらって文壇にデビューしたのは、大久保さんが退かれて三年後の昭和四十四年であったから、この本の内容とはかすりもしていない。しかし書かれていることは、よく分かる。何といってもわたしの少年・青年時代から、結婚して、ようやく、孤独に、どんな師も仲間もなく小説を書き始めたころにあたっていて、相応にいろいろ「勉強」熱心だったから、出てくる作家達の名前や作柄に分からないという人も作も無かった。
そしてその後知り合った各出版社の編集者たちのことも思い出され、わたしは当初講談社とはあまり縁がなかったけれど、デビューの頃の各社の各文藝誌の「風」ともいろいろ思い合わせて、ひとしお面白く読み終えた。
ただ、いま小説に志を持っている人達に、にわかに読んで貰ってもたいして役には立たないかも知れぬという気もした。第一次の戦後派作家から次世代の戦後派作家までが書かれていて、いまも健在なのは阿川さん安岡さん三浦朱門さんぐらいではないか。その後の世代には一指も染められていないのであるから、今の人達には馴染みがう無さ過ぎるだろう。奨める気であったが、ムリには奨めない。
* 食事の跡、たまたま銀座でニュースキャスターの轡田氏と立ち話を少し。その脚で保谷へ帰ってきた。暑いことであった。
2006 6・1 57
* 六時前起床。血糖値130、少し高め。噂だけれど800だの1000だのという人もあるとか、まさか。しかし、わたしも高い頃300台もあったのではないか、記憶にないが。
明日の朝は、京都で目覚める。別しての用事はないが、ややあらたまる。汗になるので着替えなど持たねばならず。好天を望む。今回は京を歩いてくるヒマもない。
* 車中、ぶっ通しで校正。視力がゆるせば、幾らでも読みたかったが、眼が霞んでくるのには閉口。
2006 6・2 57
* 歯医者に出掛け、その脚で、すこし郊外へ出てみようかと。日照りの下は辛いが、うす曇りで降りはすまいと予報があった。菖蒲など咲き頃ではなかろうか。
2006 6・5 57
* ソファで一時間ほどまどろんでいた。機械に音楽をインポートしてあり、夢の伴奏をしてくれる。自転車で走ってくるように言われていたが、また出掛けてもいい催しもあったが、疲れも少し溜まっていたようだ。メールで寄せられた、すくなからず刺戟のある長い小説を読んでいたのも響いたかしれない。
2006 6・6 57
* 五時前から六時半まで、自転車で東久留米方面から田無方面を走ってきた。走り始めるとほぼ自然に一時間半ほどになる。黒目川、大円寺、子の神社、氷川神社、南沢五丁目などというところを走ってきた。たまたま行き会うだけたから、改めて、其処をめあてに行く真似は出来ない。田無の北原から保谷新道に入り、一路保谷庁舎前を走り抜けて帰ってきた。途中、カリントウの店でいろいろを一箱買ってきた。
2006 6・7 57
* 夜前、昼の部を書き終えたところで、全身に違和感を覚え、すぐ機械を消し階下へいそいで血糖値を計ったら、案の定、56という異様の低血糖。以前に夜中に感じた違和感と同じで、覚えは明白、すぐものを口へ入れて、回復した。そのまままた読書してから、寝入った。
けさは尋常、ただし夢見つまらなく、よくなく、寝起きの気分わるし。そしてスパムメールの洪水。イヤになる。いよいよメールアドレスを変更しようと思う。そしてもうアドレスは公開しないで、来たメールに返辞をあげる範囲にだけ、アドレスは知られていればいい。
2006 6・9 57
* 曇天に恵まれ、というと可笑しいが自転車で走るには日盛りより有り難い。氷川神社、竹林公園などを確認し、なにしろ足任せに右や左。ひばりヶ丘一丁目辺の「たなか」という蕎麦屋で、おっとり品の良い「そばがき」を食べてきた。蕎麦屋で酒の無いのはヤボで物足りないが、住宅街のなかにひそと店を出した、落ち着いた構え。
* いちど家を出ると、やすみなしに一時間半も走り続けて、むちゃには草臥れないし、少々の起伏は難なく走りきっている。ご近所の、そこそこの老境が、ゆっくり近くを歩いてられるのとくらべると、わたしの走りはかなりの運動量。乗っている自転車も人のおどろくゴッツイ感じで、頑強だが重たい。梅雨の合間にどれほど走れるか、真夏はいくらなんでもきつかろうが、ま、可能な間は走り続けよう。
しかし、家に帰ってああうまいと冷えた瓶ビールをけろっと一本あけ、ものを喰っていては何の運動やら、体重はちっとも減らない。
2006 6・10 57
* あす、もう一日休める。それから四日つづきで、いろいろ、ある。「テプコ光」の工事とやらも。歯医者も。太宰賞のパーティーも。人とも会う。そして理事会も。来週は桜桃忌がある。
2006 6・10 57
* 明日はひとりで歯医者に。どこかで昼食して、校正してから帰ろうと思う。今夜は、残念やすみしよう。
2006 6・12 57
* 歯医者で麻酔され、唇が膨れあがった感じで昼食も禁じられ、どこへも行かず帰る。とはいえ、保谷駅ちかくで初めての渋い喫茶店を見つけ、校正しながら、カレーライスを。オランダビールと珈琲で。今度の小説は長い。校正にも時間を掛け、初校を二度している。
2006 6・13 57
* 夕刻、ひばりヶ丘から、西武池袋線の北側を、どんどん東久留米市の奧へすすんで、黒目川の平和橋を渡ると、そのままどこまでも川沿いの遊歩道を溯って走った、むろん自転車で。都大橋まで辿り着いてから川を左へ逸れて、街中をよほどマッスグに行くと、今度は落合川のへりに出たので、ずんずん川べりを降っていった。下流で黒目川と合流してその先は黒目川になる。新座市へ入ってほどよく左へ逸れて、西東京の保谷の方へ戻れた。一時間半。
二つの川べりは自然のママに草が茂り、清流には鴨も来ているし、水遊びの子らも魚釣りの人もいる。遊歩道はジョギングや徒歩運動や散歩の人が、わたしのような自転車乗りの人もあって、武蔵野の風情たっぷりにしたたる新緑を染めて、紫陽花、ガク紫陽花が美しい。東久留米市に住みたくなる。保谷は索然としていて、アキマヘン。
2006 6・19 57
* 地震に揺り起こされ、「また寝」がこころよからず、渋々起きて、歯医者に行った。お父上と入れ替わった若い女先生にひどい大口をあけるのは忸怩、しかし頬に触れる指はやわらかくて繊細で、けっこうなものである。痛くもなんともない。ハハハ
* 麻酔されなかったし、自分一人だったし、新江古田から大江戸線で御徒町に走り、上野の山上の満員かもしれない「プラド展」は敬遠し、鈴本演芸場に入った。ああ、E-OLDSと来たい来たいと思いながら果たせていないんだと思い思い、むき甘栗なんど買って、「さん喬」のおおトリまで、落語を多めに、色物と漫才一つずつ、のーんびりと椅子席に伸びきり、聴いてきた。特に秀逸もないが、不出来もなく。
「天壽ゞ」で天麩羅。若鮎がまさしく旬のうまさで、大吟醸の冷酒。主人とのおしゃべりものんびりと、けっこうでした。御徒町から一路、帰宅。
2006 6・20 57
* 歯医者へ。「リヨン」で昼食して帰る。光通信設定できないでいる。
2006 6・24 57
* 血糖値が高い。
2006 6・26 57
* 脚の痙攣なしに目覚められればよかったが。
* やす香の目覚めのさわやかでありますように。夕日子も疲れを溜めませんように。 2006 6・29 57
* 永い時間電車に乗ると、校正がはかどる。有楽町へ出て、十一時「小洞天」に入り、定食ランチを頼んでおいて、どんどん校正。すごいほど分量の多いランチで、丼に山盛りの白飯は遠慮した。かに玉が小山のように出、これには満足満足。シュウマイも二つ付いていたが一つしか食べず、スープとざーさい。安くはなかったが正味が多く、中ジョッキの生ビールで、昼食は十二分。但し予想以上に昼過ぎには客が行列し、とても長居出来ずに一時間半で退散し、場所を移動。
おしまいは甘党の「つる瀬」で、白玉善哉。両脚が痙攣、痛みつづけていた。
それでも池袋で甘い飴をからませた芋菓子を買って帰る。
2006 6・29 57
* ともすると気をはりつめ、息をこらしがちになり、五体、綿のように疲れる。実際は綿どころでなく、石のようにかたくなり、そのため筋肉の攣縮に悩まされる。ハタからみていると大事そうなことは何一つしていないと見えるかも知れないが、精神は異様なほど活躍している。興奮している。わたしがそう意図し意思し希望してそう働いているのではない、いわば勝手に精神が暴れている。そこが危険で、よろしくない。高揚しているのではない、むしろ烈しく落胆しているのである、心身ともに。意馬心猿。そういうことか。わたしを静かに落ち着かせる、いま、なにも、うまく見当たらない。
けさ、七時半頃、血糖値をはかってから、三十分以上も椅子に掛けたなり、仮睡していたようだ。
二階の機械の前へ来て、「最上徳内」を読み進めた。尾岱沼 (オダイトウ)の牧場の宿で一泊した明くる朝、若い「楊子さん」と深々と森の奧へまぎれこみながら、わたしは素晴らしく幸せであった。それが小説であるために、幸せは純粋で深く、清潔であり、こういう世界を持ってしまっては、もう容易に現世では静かに落ち着けないのかも知れぬなどと、愚かに心弱い想いに沈んでしまう。それほど、小説世界の中は完璧なのである。裏返せば、いま現実のわが精神はいたく衰弱していることになる。
2006 6・30 57
* 歯医者へは暑かった。いつまでかかるだろう、この通院。妻の方はお金も相当(想像以上に)かかるらしい。歯医者へはかかるたびに何十万単位で支払う。それほどこっちの自己管理が悪かったわけで、お医者さんのセイではないが。
* 妻の治療の関係で、麻酔後三十分は食事できないというので、保谷までもどり、ひさびさにとんかつの頗る上等な「かつ金」へ、暑い中を少し脚を伸ばして、行ってみた。
なんと久しぶりだろう、それほど足場がわるいのだが、二人とも今日はぜひ行ってみたかった。お義理にもきれいな店ではない、店構えも内装も下の部類だが、ここのロースカツもキスフライもクリームコロッケも、そしてエピスビールも、都内でもめったにお目に掛からない、美味。肉が厚いし揚がりも軽い。昔の大将がいなくて息子に代替わりしていたが、幸い味も揚げも変わってなくて、大満足して久しぶりにトンカツらしいトンカツを満喫した。クリームコロッケも美味かった。満腹で動きたくなくなったほど。幸せ。
駅からタクシーで帰った。
そして心身の疲労を静めるために、おそい昼寝を。六時に一度速達に起こされたが、もう一度寝て、自然に目覚めるまで、午後八時頃まで、夢からはのがれられなかったが熟睡。指先まで軽い。
2006 6・30 57
* 夕方自転車で出て、一時間ばかり走ってきたが、走りながら、左右の脚に攣縮が来て、二三度も危なかったが、ついに右脚の攣れと痛みに堪えきれず、歩道車走から右の車道へ転落転倒、あわや自動車の急停車に救われた。よく無事であった。大小の擦り傷や打撲であちこち痛いが、骨に異常なく、そのまままた自転車を走らせ、ゆっくり帰宅、晩飯を食った。イタリアのワイン、美味。
ま、なかなか安楽には「一瞬の好機」に出会えない。
2006 7・2 58
* 右肱の外側が、見るも無惨に真っ赤っかに大きくすりむけ、ヒリヒリする。傷は膝外だのあちこちにあるが、痛むのは肱近くだけ、骨はどこも傷んでいないようだ。今日は、落合川を溯り、また降ってきてから、東久留米市内をウロウロ走って、二三度両脚が攣った。あやうく降りてふんばって直したりしていたが、歩道を走って車道に転倒したのは、もう保谷の地元近くへ戻ってからであった。つまり疲労していたようだ。迫ってきた自動車が家族連れのワゴンふうであったから停まってくれたと思われる。商用の急ぎ車であったら転倒したままとばされかねなかった。わたしの責任である。
じつのところ地元で自転車での転倒は、数度経験している。段差のある車道脇の歩道を走るのがいちばん危ない。今日はマンがわるく上り道をだいぶ頑張ったあとで、転んだ。いい気分ではないが、変な感覚である、ゆっくりと倒れ落ちて行くのは。
2006 7・2 58
* 祇園会に入っている京都。明日は、午後から半日、なにもなく、ゆっくり出来る。明後日の午後、対談して、その脚で帰ってくる。七夕に、糖尿の診察。今度はこれまで以上に惨憺たる成績で、怒られるだけで済むかどうか。京都で気儘に飲み食いしてくればデータは正直に暴露するだろうなあ、やれやれ。
2006 7・3 58
* 昼過ぎにホテルに入って、すぐ昼食に四条へ出たが、いかに祇園会とはいえ、梅雨明けしていないはずがギラギラの日照りと猛暑にたちまち参ってしまった。両脚とも痛く攣って攣って歩くのも面倒、と言うより堪らなくて、転げ込むように「田ごと」の本店に入って、幸いうまい昼懐石にありついた。ただし葛を使った煮物碗にでっかい賀茂茄子には閉口、うまい葛汁だけすくって食べ、茄子には箸もつけず勿体なかった。鮎はうまかった。酒もよかった。涼しい店にいた間はご機嫌であったが、また日照りの四条に出るとたちまちに全身疲労が発熱したように昂じ、息まで喘ぎだして、喫茶店へ逃げこみ珈琲を飲んでも、やはり珈琲で躰が燃えだし、外へ出るともうどうしようもなかった。ゆるゆる痛む脚を引きずって歩いたが、しゃがみたくなり、仕方なく近距離をタクシーに逃げこんでホテルに戻った。
そして熟睡から目覚めるともう七時だった。
あまりうまくないホテルの晩飯をしながら対談の心用意のメモを沢山書き、部屋に戻ったものの、ただもう眠くて、テレビでやす香の病気に触れ女性のドクターの話しているのだけ聴いてから、何もしないで寝入った。
夜中二度覚めたが、結局、明くる朝の十時過ぎまでひたすら寝入っていた。
こういう京都もじつに前例がなかった。
2006 7・4 58
* ま、よくよく躰が疲労しきっていたとみえ、時間の余裕はたっぷりみて出掛けた京都で、殆どの時間を寝て過ごしてきたのだから、想えばヘンな京都行きであった。明後日は糖尿の診察。これの気が重い。配剤されている薬の副作用らしいが、脚はむくみ、体重は減るどころか増え気味になっている。あんなに自転車で運動していてもである。
2006 7・5 58
* 帰宅してみると、作家の近藤富枝さんや読者の岡部洋子さんたちにご馳走を頂戴していた。郷土出版社からは京都の文学の一セットが寄贈されてきていたし、讀賣新聞大阪から原稿依頼も来ていた。
あす一日は休養する。疲れというのは溜まるモノのようである。
2006 7・5 58
* インシュリンを利かせるために「アクトス」という薬を併用し始めてから脚にきついむくみが出て、体重まで増え始めた気がしている。これをやめたいと、明後日ドクターに頼んでみる。わたしは、これまでの七十年に、盲腸の手術で入院した以外は、小学校五年生の秋に腎臓病で死にかけた入院が一度きりで、他に入院したことがない。アクトスにはたしかに排尿阻害の傾向も感じられる。腎臓をいためるのは困る。今一つは、むかしにくらべて皮膚が傷つきやすくなっている。糖尿病の関連であることが濃厚に推測できるのだが。
2006 7・5 58
* 同じ夢にしつこく悩まされながら、熟睡。熟睡していても、十一時前、確実に血糖値は上がっていた。
2006 7・6 58
* 讃岐うどんのおいしいのを昼にいただき、そのあと、一時間余自転車で走ってきた。田無の電波塔の北方に自然なままの大きな森林が残っているのにはじめて気づいた。鬱蒼という二字がふさわしい、少しコワイほどの樹林の中をぐるりと往復してきた。
今日は危なげなく、帰りにはひそかにお目当てにしてきた「保谷のかりんとう」を箱で買って帰った。
2006 7・6 58
* 黒いマゴに足さきを軽く噛んで起こされた。早起きすると、用事ははかどる。
* 予約は一時だが、検査を早く済ませておくと診察も少しでも早く済むので、十時前に出掛ける。聖路加へは保谷で有楽町線に乗車して、一時間あれば受付へ着く。一時過ぎに気分良く昼食出来るかどうか、今日は雲行きが良くない。
* 出がけに、やす香の「告知」と題した「MIXI」日記が出た。癌センターに、転院、と。Ah…。
夕日子に様子を聞かせて欲しいと連絡したが、あいかわらず夕日子からは、見舞いの日以前も以後も、わたしへも妻へも、何一つ報知も連絡もない。
* 聖路加の食堂で、ビーフシチューのランチとアイスクリーム・珈琲で、早めの昼食。「ビールは、ない…よね」「ありませーん。ノンアルコール…ノンシガレットでーす。前にも聞かれましたねえ」「ハハハ」「ビール、呑みたくなったなあ」と、ウェイトレス嬢。気散じで、よろしい。
* 先に早く検査を済ませておいた御陰もあろうか、一時の予約だが、十二時半には名を呼ばれて一時には会計も終えていた。検査結果は、なんと、格別の改善ぶり。アクトスのせいもあり体重は少し増え気味でもむしろ当然、前回い「八台」といたく叱られた値(ヘモグロビン?)が、「七」ちょうどにめざましく下降改善されていて、ドクターはご満悦であった。アクトスでむくんでも腎臓への影響は心配しなくてもいいと。それでもアクトスは一応おやめとなる。体重の増え気味に嫌気がさしていたが、この季節とこの薬剤投与からすれば自然増で問題はないと。よしよし。自転車運動は卓効を奏したようであるが、運動過多で疲労したり、その結果事故死したりしないでくれと、命の心配をしてもらい、恐縮した。わたしとしては、あれぐらい野放図に飲み食いしていたのに状態改善というのは、バカされたような気分だが、儲けもの。
* 銀座ニュートーキョーで生春巻で乾杯。ケネディーの『永遠の処女』がおもしろく、寸刻の退屈もなし。池袋のさくらやで「ランケーブル」を買い、ついでに豪華版のロースカツ弁当を二つ買って、帰宅。
2006 7・7 58
* 今日は、歯科。暑い。転んで傷つけた右肱裏がひりひり痛む。
2006 7・8 58
* 体調ととのわず、今日午後の「電子文藝館」委員会、急遽欠席。
* 市役所に証明書を貰いに、薬局にインシュリンを受け取りに、行く。
2006 7・10 58
* 歯医者に行く。
* 診療のあと、別室で、以前の親先生を見舞う。彫りの深い眼光、ただしく深い表情にわたしたちは感嘆した。間断無い痛みと朦朧感があると言いながら、言語は明晰で、もう残り無い日々、あっちまで持って行くことばが欲しいと望まれた。
あっちへ行けば言葉は要らない、その瞬間までは、年々死去 即 念々新生、あるがままに自然にと申し上げた。そうありたいわたしの願いのままに。
2006 7・12 58
* 妻も、わたしのよく使った手にならい、ながいながい面白い本に没頭して読み終えるまではイヤなことを忘れ去るのがイイと思う。『モンテクリスト伯』など、ぜひ奨めたい。
* 今日は余儀なく予約してある歯医者に妻を連れて行く。
* 歯医者へは、今日妻と同行が、よほど大変だった。特別あつらえの照りと暑さとであった。診療後、やはり例の「リヨン」の美味しいランチで、休息しながら力を付けねばならなかった。
シェフがわれわれの顔を見て、特別メニュに切り替えてくれた。なにしろ毎週来ているから同じ献立になるのを避けてくれたのであり、オードブルは、妻とわたしとで料理を変えて二皿出してくれ、半分ずつ取り替えながら、いろいろ楽しめた。すてきに美味かった。メインの肉も鴨を使ってすばらしいソース。堪能した。
絶品はデザート、冷たいパイナップルのスープ仕立てにプリンが浮かんでいて、食べるのが惜しいほどの美味、大満足。赤ワインも、いいのをねと頼んだので、一段と美味かった。
それでも妻は疲労し、食後に少し、息ぐるしそうな肩を揉んでほぐしてやった。
電車の中が涼しくていいのだが、駅の階段は二人とも苦手。ゆっくり上がる。保谷駅からはこの頃はいつもタクシーを使う。この「熱い」と書きたい日照りの夏である、自衛するしかない。
2006 8・7 59
* 歯科医院に。そして「リヨン」で昼食して帰る。
わたしはメインに豚の料理を頼んだが、生まれてこの方、こんな繊細で品良く美味い豚料理を食べたことがない。感じ入った。
妻の真鯛料理も良かった。
オードヴルもシェフのはからいでそれぞれちがうものが出された。それもすてきだった。デザートはパイナップルのスープ仕立て。冷たくて美味。赤ワインも。
この中継点でご馳走を食べて、やっと妻は帰路に一息がつける。佳い店をみつけ、シェフやみなともよく馴染んで、最高。
* 夕方一時間走る。
2006 8・21 59
* 頼まれ原稿をじりじり書き進め、「MIXI」には『最上徳内』と『死なれて死なせて』を連載し、日なかには図書館に本をはこび、夕方には、自転車で、東大泉から石神井三宝寺池へ、そして新青梅街道を保谷新道まで走り、保谷新道を戻りながら郵便本局前で左折、尉殿神社前から斜めに、住吉町を通り抜けて帰った。最後の長い坂道を疾走して登っては降り、また疾走して登り、三度繰り返してから帰宅。体力はまだ有る。
2006 8・22 59
* 武蔵野の道は面白い。七十分、走りに走る。今日は家から一筋の細道を、どこまでもどこまでも道なりに進んでいった。ひばりヶ丘の南の方をななめに抜けて、まがりくねって、ついには新青梅街道大通りの北原の辺へ出た。初めて通る裏道だった。北原から武蔵境の方へどんどん南下していたが、夕日の落ちて行くのを横目に東へ向きを変え、保谷第二小学校わきをすり抜け、武蔵野市の方へ深く入り込んでいった。武蔵野市は緑の整備もよく、綺麗な街だ。結局、西武線武蔵関駅のちかくへ北行し、保谷へ戻った。七十分。
2006 8・23 59
* 夕方、ゆっくり、しっかり七十分、自転車で走ってきた。すべき仕事も順調に動いている。
2006 8・24 59
* 八月はもう五日しかない。つらい七月、イヤな八月だった。あます四日五日、すこし寛ぎたい。
* 夕方、まわりまわってひばりヶ丘に出、東久留米市から新座市、大泉の方へ大回りしてちょうど一時間、自転車で走ってきた。起伏多く、いい運動ができた。
2006 8・26 59
* 奈良から、栃木から、素晴らしい葡萄をたくさん戴いた。わたしは、何でも美味しく戴いている。今日も八十分たっぷり、武蔵野を自転車で走り回ってきた。体重は少しも減らないが、体調はすっきりしている。
2006 8・27 59
* 歯医者に。やはり帰りに「リヨン」は外せない。前菜の、熱いグラタン風が嘆声を禁じ得ない美味さ、参りました。肉料理にした。デザートのエスプレッソ仕立てのアイスクリームも佳かった。赤いワイン。
昨日今日、心もち暑さも控えめで過ごしよい。それでも江古田駅の階段で妻はへこたれた。涼しい空いた西武線で息を吹き返し元気に話していた。パンを買って、タクシーで帰宅。
2006 8・28 59
* 二時間と十分、百三十分、自転車で走っていた。照りつける西日に真向きに、にげもせず、玉川上水を武蔵野市からどんどん溯っていった。上水に突き当たるまでは、保谷の中央郵便局のわきを躊躇いなく行けるところまで南行していった。武蔵野北高校の横を走り抜けた。西東京市から武蔵野市、三鷹市、小金井市、小平市、東久留米市、そして西東京市のひばりヶ丘駅北口へ戻っていた。
はじめは億劫だが、脚がだんだんラクになってくる。固いからだがほぐれてくる感じ。走っていて心地よいところもあり、車に神経をつかいっぱなしのところもある。一時間はゆけるところまでめくらめっぽうに行き、そこからおもむろに帰路をさぐりだす。
今日は快適だった。初めての道を行くのが、気が変わって面白い。花小金井四丁目辺では、ここらあたりに知人が住んでいるんじゃなかったかなと、少し見回してみる心地もした。
2006 9・2 60
* 今日は志木市・朝霞市方面へ走り、戻り道では黒目川の遊歩道をぐんぐん溯った。百三十分、しっかり走って、家に戻ってすぐ計った夕食前の血糖値が、101とは、すばらしい正常値。しかし西日に向いて走るものだから、日焼けでまっくろけ、かナ。
2006 9・3 60
* 明日は、聖路加。そして歯医者。観たい展覧会もいくつもある。その中でも、東工大の院を出て、就職して、さらに東京藝大への再入学を志し、三年目の試験にパスして油絵を目下勉強中の「叡」さんが、仲間と展覧会をひらいているので観て下さいと言ってきている。ぜひ行きたいが。
院展同人の松尾敏男さん伊藤ホウ耳さんから招待状が来ている。ぜひ観たいが。三輪壽雪の茶碗はもう一度も二度も観てみたいが。
しかしまたどうしても片づけねばならない原稿の仕事が、目の前に二つ、ある。クワッ!
2006 9・3 60
* 早く起きて聖路加へ。十時半の予約だが、血液と尿の検査が先行するので、はやくにそれを済ませておきたく、そして九時半にはもう検査を終えていた。
一時間近く外来でゆっくり「古今和歌集の時代」を勉強していたら、早めに診察室から呼びだされ、十時半には診察も支払いも終えていた。
自転車走が効いているのか、値は良好で、インシュリンの量を減らそうかとまで言われたが、そうまでしてもらわなくても、いい。注射の痛いのは単位が多かろうと少なかろうと同じだし。
実は夜中、というよりまだ本を読んでいるうちに、手先にかすかな震えが来ていた。低血糖の信号であることを過去三度四度の体験で知っている。検査して確かめ、すぐ、夜中も電気をつけたままのやす香の写真の前から、甘い葡萄の大きい珠を五つ六つわけてもらい、ミルクをたっぷりのみ、ビスケットを三枚食べて、寝た。
夜中の低血糖は感心しないのであるが、自転車で家に帰ってきたときも、きっちり値は正常値に減っていた。夜中、やはり読書が響くのかも知れない。
* そんなことよりも、十時半に聖路加を出されてしまい、午後三時の歯医者の予約に閉口した。一度家に帰ってもよかったが、結局四時間半を、ぶらぶらして過ごしたのはつらかった。前半は池袋の船橋屋までもどって、天麩羅で昼飯をたっぷり、ゆっくり、やはり勉強の読書を兼ねたまま、堪能した。「笹一」も。脳も、舌も、腹も満足した。
それでも一時だ、仕方なく西武百貨店を観て歩いた。けっこう疲労した。
江古田へ戻り、いつものバスに乗ったら、ちょうど妻も同じバスに乗っていた。
今日の歯の治療は二人で二時間かかつた。外は蒸し暑くて、疲れて、口をきくのも億劫だった。だが家に帰ると、自然、仕事をしてしまう。すれば何もかもはかどる。
2006 9・4 60
* 三時二十分から五時二十分まで自転車で走る。武蔵関の駅のワキからまっすぐ吉祥寺駅のワキを南へ通り抜けて、井の頭公園のなかを気持ちよく一周のあと、玉川上水を桜橋、武蔵境浄水場までさかのぼり、そこで右折して田無北原まで北行、谷戸の辺からジクジザグに町なかを通り抜けて帰ってきた。走ると全身がすっきりする。
2006 9・8 60
* わたしは秋口になると夏バテでへこむのが常であったが、この夏はつらい寂しいイヤな夏であった反動か、かえって九月、元気に自転車で走り回ったり出来ている。この間から一度に二時間以上走っていたが、一時間半に減らそうと思う。注意力が落ちて粗相があってはいけない。
運動して体重が減っているか。それがそうではない。体内の何かのバランスは良くなっているようだけれど、身軽になってはいない。何じゃい。
* 清瀬駅南町から南行し、黒目川に出会って川沿いの遊歩道を西武池袋線の手前まで降り、ひばりヶ丘駅の西踏切をわたって帰ってきた。一時間半。
2006 9・9 60
* 家の近くからまっすぐ南下四十分、三鷹駅ちかい玉川上水に行き着く。今日はそこから西へ西へ西へ上水に沿って自転車で走り、小金井公園の西まで走ったところで、公園内を北行。幾らか試行錯誤しながら北へ東へ向かう内、田無の街区を北へ通り抜けて、新青梅街道を北原から保谷新道へ出て、難なく帰ってきた。二時間あまり。疲れもせず、悠々と。
妻もいっしょなら大喜びしそうな武蔵野の緑蔭がいたるところにある。知らぬうちに自転車の上で鼻歌が出ている。しかし今日は強い颱風が日本海を北上していて突風つよく、二度ほど自転車ごと揺らいで危険だった。その気で堪えていたので持ちこたえたが。また「かりん糖」を買って帰った。
* 用意してあった湯につかり、「金」の滅亡、チンギス・ハーンの勃興を読む。元寇は成功しなかったが、いま日本の大相撲は、横綱朝青龍を筆頭に、かなり海外からの力士達に圧倒されている。一時はハワイ勢が強かったが、いまはモンゴルやブルガリヤやロシアなど。その傾向、わたしはいささかも忌避しない。強い力士が来てくれて相撲がオモシロイ。日本の力士がさらに強くなればそれで済むことだ。
2006 9・18 60
* 映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を観ていた。ロバート・デ・ニーロ主演の芥子の利いた、しかし、どことなくノスタルジァにも包まれた悪漢物語。一寸の虫にも五分の魂というようなことは、おくびにも出さない粋がりようもおもしろい。あのボルガの若いときの女優はだれだったのだろう、とてもチャーミングなのだが。老けてからのはよろしくない。
これで三連休も終えた。三日間でいちばん気の晴れていたのは今日の自転車での二時間だけ。
2006 9・18 60
* 花が二つのブログを駆使して、一つに好きな映画紹介をしている。批評というところまでは行かないかも。『真夜中のカーボーイ』など、わたしは映画での「身内」ものというと代表例に挙げたいほど感銘をうけたけれど、花にはそれほどでなかったようだ。今日は『めまい』を書いていた。キム・ノヴァクは『媚薬』が好きだ。ジェームズ・スチュアートも『媚薬』でのほうがイイ男だった。キムときくと、好敵手だったソフィア・ローレンを思い出す。キムの方が好きなときも、ソフィアの方が好きなときもある。
圧倒的な大女優として、わたしが脳裏の最上段に並べるのは、順不同、エリザベス・テーラー、イングリット・バーグマン、キム・ノヴァク、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジータ、ブリジット・バルドー、ヴィヴィアン・リー、ジョーン・フォンテイン、クローデット・コルベール、ベティ・デイヴィス、デボラ・カー、スーザン・ヘイワード、キャサリン・ヘプバーン、オードリー・ヘプバーン、マリリン・モンロー、シャーリィ・マクレーン、など。これで、わたしの歳がわかる。
若い綺麗なのを並べ出すとこの何倍もいる。
歯医者で、ガリガリ、キーキーやられるときわたしは、いつも両手を使って指折り数えている。歴代天皇百二十五人などあっというまに済んでしまうが、海外の女優のフルネームを百も思い出していれば、たいがいガリガリもキーキーも済んでしまう。
2006 9・19 60
* また浴室でチンギス・ハーンの没後、中国に「元」王朝の成ってゆくまでを読んでいた。西トルキスタンに出来ていた世界の大十字路のことは、前巻『西域とイスラム』で読んだ。
* 夏バテをからだが自然に調整しているのか、このごろ、朝睡眠が割り増しされている。さからわないでいる。今夜もはやめに寝よう。
2006 9・19 60
* 疲れ切っている。もう機械から離れてやすみたい。明日は歯医者。二年来いちばん直して欲しい右の奧の下の臼歯。食事もしにくい。やれやれ。
2006 9・24 60
* 歯医者で、奥の臼歯にかぶせた冠をがりがりがりと削られた。噛み合わせが高くて具合が悪いので。だいぶ落ち着いた。歯が味覚を持っているかどうか断言できないが、味覚に影響する食べ物の堅さ柔らかさのようなものを歯で感触しているのは間違いない。一本の臼歯が疲労で浮いていると、他の歯までものが噛めない。
谷崎潤一郎の若い頃の写真をみると悪魔的な乱杭歯で、わたしより凄い。彼は天才のシルシだと自ら豪語していたものの嫌いな歯医者の手でよほど綺麗にした。彼の大正期の歯医者ものの作には、上出来のものはなく、しかし歯で悩んだことはよく分かる。歯で厭なことがあるとわたしは大いに谷崎先生の天才を意識して自分も慰めた。ククク。
* 帰りの「リヨン」は、お任せあれレとシェフの独断と洗練とで美味い昼食になった。オードブルき繊細に魚と野菜とをあしらって美術的、美味い。主菜は、妻が分厚に美しい焼いた鯛。、私はローストした豚に煮詰めて多彩な野菜の天盛り。赤ワイン。わたしは堪らず二杯。とびきりの美味は冷製のデザートで、微妙な素材を二層にミックスした上に軽い薄い香ばしいビスケットをかぶせ、砕きながらスプーンで。主菜の口当たりを、きれいさっぱり清めてくれる味と冷たさ。唸った。もう一つと追加したいほどだった。そしてうまい珈琲。お値段はいつものランチ代とかわりなく、実にリーズナブルに廉い。
店先の土間に焼いた小さなライオンを三つ置いていた。ああ店の名だ。見送ってくれたシェフに「きれいな街だねえ」というと嬉しそうににっこり。
2006 9・25 60
* きれいに晴れた武蔵野の、通ったことのない道を幾曲がりもしながら、田無の南奧へ、武蔵境へ、武蔵野大学前から、千川上水沿いに青梅街道へ出て、関町南三丁目まで、そこから帰路を保谷へ、一時間半近くはしってきたが。よくなかったのは、スリッパだったこと。二三度脱げて危なかった。飲み物も電話用の小銭もクスリも持たなかった。良くない。しかし秋の風情、心地よかった。この季節にせいぜい走っておこう。
運動量のことは分からないが、からだは柔らかくなるし、何と言っても郵便配達用のような重量級の自転車を運転するのは、佳いバランス運動になる。
2006 9・27 60
* 建日子の『アンフェアな月』も含め何冊もの読書のあと、二時半頃電気を消したが、一時間ほどで、急激な低血糖症状があらわれ、経験がもう二三度はあり、急いで計ってみると過去最低の「56」とは、危険そのもの、ショックを起こしかける数値。すぐさま砂糖を補い、いただき物の葡萄を十粒ほど口にした。すこぶるイヤなイヤな違和感が長く残り、血糖値はもち直してからも気分わるかった。
だが、朝が来て生活していると、午前中にすっかりリバウンドし、昼前に「202」まで上がっていた。
北海道の方から、大きな毛蟹三バイを頂戴した。感謝。
午後、二時五十分から四時四十五分まで、自転車で石神井台を大回りしてから、井草、善法寺公園を一周し、千川上水を西向きに遡行、武蔵野大学前までうんと走ってから、柳沢方面へ戻っていった。相当な走行距離ではないかと思う。今日は少し疲れた。ボトルの水分を一本必要とした。いつもは口も付けないのだが。江古田の百円ショップで手に入れた方位磁石が役に立つ。
帰って血糖値を計ると「85」は上等だが、一気に下がりすぎている感じも。
入浴して、「大元」帝国論を読む。
2006 9・28 60
* 十二時十分、自転車で走り出したら、やがて小雨。谷原の陸橋まで行き、東大泉、北大泉から北向きに和光市に入り、西へ転じてさらに新座市の北から朝霞市の奥深くを縦横に、つまり地理不案内で足任せに走りまわり、東久留米市のずうっと西側へ達して黒目川のふちを。ずぶぬれだったが冷えもせず、まわりにまわって途惑って、やっと家に戻ったら三時十分、三時間走っていたことになる。血糖値は確実に百を割り込んでいた。
2006 10・1 61
* 市役所で印鑑証明をとった足で、元保谷の中央郵便局の角を自転車で南行、まっすぐ関前を越え、玉川上水に突き当たってから、真西へひたはしり、武蔵野市、小金井市を通り過ぎて、一時間半経過したところで北へ転じ、初めての道を小平市に入り、清瀬市まで北行後、東久留米市、ひばりヶ丘を経て帰宅。二時間半ちかく走っていた。
総じて快適だったが、東久留米からひばりヶ丘への途中、なぜか狐にバカされたように田舎の道を堂々めぐりしてしまうのがワケが分からない。
2006 10・3 61
* すばらしい秋空。西を向くとサングラスでも眩しくて顔を背けるほどの夕晴れ。
保谷中町から真っ直ぐ南行し、三鷹駅をこえ、太宰治の禅林寺も左に垣間見たまま、さらに調布市中へ突っ込んでいった。今日は多摩川をめざしていたが、四時四十分、人に川まではと聞くと、もう二十分ほどと。家からちょうど一時間分来ていた。もう日暮れは早足になる。断念して、ひたすら北行に転じた。そのつもりであったが、突き当たったのはかなり西へ振っていて、玉川上水の境三丁目。で、境浄水場の前を北向きにまっすぐ走り続ける、と、田無の真ん中へ。右折して保谷新道を走り、名物の「かりんとう」をまた一箱買って、家に帰り着いた時は、とっぷり暮れていた。
2006 10・7 61
* 快晴と強風のなか多摩川をめざして三鷹駅から南へ調布市内を走ったが、なかなか川に出逢えず、また回れ右して、武蔵境駅の南の方から延々北行、二時間四十五分ほど走って帰宅。入浴して、「宋」の時代の文化を復習。
2006 10・8 61
* なんとかして多摩川へ到達してみたいと思い、二時五十分に家を出て西へ南へとひたすら走って、小平霊園を南へ抜け、一橋学園駅から国分寺市へ南行したもののどうも多摩川の気配は遠すぎる感じで、またも断念し、国分寺市から三鷹線を東へ向かい、少しずつ北へ東へと帰って行った、新小金井街道を北へ、また小金井街道を北へ、花小金井四丁目から新青梅街道を田無方面へ戻って行ったが、またしても左へ折れ込んでいったのが失敗、道に化かされてまた新青梅街道に逆戻り、仕方なく礼の保谷新道をかけぬけて元の保谷市役所前を通り帰宅。二時間四十分を越えていた。血糖値を前後で計ったところ、運動後は半分以下に減っていた。
入浴して、世界の歴史を読む。
2006 10・9 61
* 歌舞伎と歯医者を済ませて(わたしは今日で歯医者通い卒業!)まだ明日から来週へ、ごった煮のようにいろいろ、続く。十三日の金曜には聖路加の診察。先憂後楽、さきに楽しいことがあるといいのだが。
* 小雨に降られながら一時間二十分走ったが、二度危ない目に遭い、前輪のリムが一本弾け飛んだ。自転車屋に預け、ベルとバックミラーとを付けて貰うことにし、車体全部の手入れを頼んだ。明日は自転車走の時間の余裕がない。
2006 10・11 61
* 小雨の中を自転車で一時間半ちかく走り、二度危険な目に遭い、前輪のリムが一本折れた。自転車屋で、ベルとバックミラーをつけてもらうことにし、全体に整備して貰っている。
自転車も大いに危険だが、北朝鮮の核ミサイルは東京の西部に照準をとっていて、着弾すれば百万人は殺傷されるだろうと。一瞬の好機ならけっこうだが、ぼろぼろになって生き延びては辛いことになる。
2006 10・11 61
* 今日は新宿で二つの用事。明日は糖尿の定期診察なので、今日は飲食を慎まねば。
2006 10・12 61
* 明日は糖尿の診察に出掛ける。
2006 10・12 61
* 夜中一時半、低血糖値 54 という、かつてない値と、危険で不快な顫動症状に襲われ、物騒であった。砂糖とジュースなどで脱したが、気持ちのわるさは三十分ほど続いた。妻もわたしも、ほぼ一睡もできなかった。わたしは一度二度嘔吐感にせまられ、五時にはあえて床を離れた。
午前から午後へかけ、聖路加病院に行く。
* インシュリン投与量を減らすかという話も出た。状況は横ばいと見えるが。自転車走りは大いに認められ奨励された。だが、十一月中のことかなあ。寒い季節の自転車は心臓を冷やして危険なので。
ストレスで血糖値が上がるかと聞くと「上がります」と。「ストレスがありますか」と聞かれたところから、今日は患者が少なく暫く雑談になった。
「人格障害」の話題になり、傾聴した。ドクターいわく、「人格障害」の一大特徴は「話し合い」が全く成り立たないことですと。九月にこんなメールをもらっていたのをまざまざと思い出した。
「湖さん 「人格障害」でも、社会生活は成り立ちます。社会的地位すらかちえています。しかし、周囲の人間に、おそろしいまでの苦痛を与えずにはおきません。「治療不可能な病気」ですから、どんな非道も、責めても無駄です。本人に責任があるのはもちろんですが、資質と生育環境などで、こういう風な、周囲を不幸にする人はたくさんいます。うわべがどうあれ、まっとうな人間と思って相手にしてはいけません。安穏な共存を希望するならどんなに不条理に思えても、正常な人間の方で耐えに耐えて、できるだけ早く一方的に折れてやる以外に、いかなる方法もないのです。
精神科医は言います。精神病は薬が効くけれど、人格障害は薬が効かないから、一番始末が悪いと。人格障害には一方通行の強硬な自己主張しかありません。話し合いが成立しません。自分の言いたいことしか言わず、聞く耳もたないのですから。闘いや話し合いは「不毛」で、もともと闘うにも話し合うにも意味のある相手ではありません。ふつうの人間なら一生に一度も言わないことを平気で言い放ち、実行もするのです。脅し屋、ゆすり屋です。落としどころは往々お金になります。
どんなに話し合っても無駄です。謝罪を求めるなど徒労以外の何物でもありません。そもそも人格障害の人間は人格が一ミリも変わらない。言語道断に無礼なのは火をみるより明らかでも、そういう道理が通じないから人格障害なのです。見切りと諦め、それが何より何よりで、その方法しかないんです。
私は今島尾敏雄の「死の棘」の狂気と究極の愛を描いた世界を思い出しています。 医師 表参道
* 今日のドクターの何の躊躇もない確言に驚いた。
* まっすぐ帰り、修理の自転車を受け取る。ベルとバックミラーをとりつけてもらった。休息半分の一仕事してから綺麗に散髪してきた。
* 明日明後日は、やすめる。
2006 10・13 61
* 明日、ああいう娘夫婦の顔を見に町田簡裁まで行くのかと思うとひたすら情けないが、人生劇場、この年になってかくも活況を、むしろ、よろこぶべきか。
人に言われてわれながら驚いたが、自転車乗り平気でこの頃は二時間半も休みなく走り回ってくる、それって新幹線で東京から京都へ着くほどなんだ、と。そうなんだ。我ながら驚いた。
2006 10・15 61
* 昨夜の睡眠時間がみじかく、疲労していてどこかで食べて帰る根気がなかった。上等のカステラを一箱買って帰った。明日は亡き神戸一三歯科医の葬儀に妻と列席。二人とも後継ぎの娘先生に御世話になっている最中。
明後日には、校正刷りをもって、すこし秋の空気を気儘に吸ってきたい。夕刻以降、谷崎賞のパーティーもあるが。いま、自分に必要なのはしずかに自己を開放してやることだろう。
2006 10・17 61
* 三時十分に自転車で出て、五時五分に帰ってきた。帰って測ると血糖値は、102。心おきなく夕食にウイスキーを呑むから、仕方がない。
2006 10・27 61
* 一時五十分に家を出て。ひばりヶ丘駅を線路沿いに西へ向き、落合川を超えて黒目川まで行き、川沿いに上流へ上流へ走ってから道を逸れ、かるく一山越える風にして小平霊園の南側から萩山駅、青梅街道駅、一橋学園駅に沿って終点是政駅を越えていったが、めざす多摩川がどうしても把捉できず、仕方なく方角を東に向き直って閑静な丘陵地帯を胴巻きにするように道を選んで選んで走り続けているうち、野川公園に行き当たった。まことに閑静で広闊、子供の頃の絵本に描かれていたような綺麗な里風情で嬉しくなった。デジカメで少し写真に撮ってみた。
野川沿いにただただ下流へ走り、いつか時間も気になりはじめたので、北行に転じた。三鷹市役所から三鷹駅へ、そして武蔵野市へ入り、青梅街道まで戻ったところで関町三丁目へ折れ、また北向きに西武新宿線の関町駅わきを一路保谷へ戻っていった。暗くなりかけていた。家について五時五分前。
三時間五分をやすまず走っていたことになり、新幹線に東京で乗り大阪に着くよりまだ長く自転車走していたことになる。途中飲み食い一切なく、とくに疲れたということもない。快適な季候。
走りながらも、必ずしも無心とは行かない。いろんなことを考えている。考えが纏まって行くこともない。夜前半ばに左脚に烈しい攣縮が来てきつい痛みが身にこたえ、朝起きても、実は今でも脹ら脛に爆弾をつめこんだ痛みだが、自転車乗りは危険かなと想っていた割に乗っている間はさしたる故障も出なかった。
冷えたエビスビールを二本買って帰って、入浴して、夕食。ビールが身にしみて、機械の前でながいあいだ、二時間ほども腰掛けたまま熟睡していた。有り難かった。
2006 11・1 62
☆ 湖さん こんにちは。
ずいぶん遠くまで走られたご様子、拝読いたしました。
国立には祖父母の東京宅があり、小さい頃には雑木林をぬけてよく自転車で走りました。
野川、是政など懐かしい地名です。今日のような暖かき一日は、行けるところまで行ってみたいと思わせる一日なのでしょうか。
小学生の頃、どこまでもどこまでも...と多摩川を下って走り続け、どんどんどんどんいい気になってこいでいたら、突然の海。
これ以上自分が行けない事をみせつけられて、呆然としたことを覚えています。行けないと気がついたところから逆に引き返す道は足取り重く、真っ暗になって母から激しく怒られたことを記憶しています。
湖さんがふと曲がろう、右へ左へ…と思われるのはどんな瞬間なのでしょう。何に誘われているのでしょうか。ちゃんと家へ戻れる…戻る…これすごい事のように思います。
「青井戸」「慈子」を載せられた湖の本がお手元にあるようでしたら、分けて頂きたく思います。
本の装丁はどのようになっていらっしゃるのかわかりませんが、今感じるままにその本にも着物を誂えたいと思っています。 珠
* この嬉しいメールで、わたし自身も興味と関心で思い返すのは、「湖さんがふと曲がろう、右へ左へ…と思われるのはどんな瞬間なのでしょう。何に誘われているのでしょうか」というところ。
まったく足任せに何の予備知識もない北多摩や西多摩を走っていながら、たしかにわたしは、この道へ、こっちへ、こんどはそっちへと咄嗟の判断を繰り返している。
昨日など、是政などいう、下保谷からみれば途方もない遠くまで行き、その辺で多摩川は断念したのだったが、そこからはるか東方向の「野川公園」まで、はじめかなりの下り路を快適に利し、そしてふと丘陵の中腹の小径へ紛れ入り、弱上下をうまく繰り返しながら、疲れないような道を、もの珍しい家中、野中、山添い道を、走りつづけていともご機嫌な気分でいたときなど、どうしてこううまく道を選んでいるのだろうと、自分でも少し呆れていた。
ま、ひらたく手早くいえば、急な登り道らしいと避けて行くのだが、登り距離がそう長くないと見通せばがんばって登ってしまう。すると、かならずあとに下り道がくるなどと、はなはだ功利的にも判断している。
だが、それだけではない。今少し微妙にすぎた勘が働いて、おお、よしよし、いいとこだなあという知らない道を、すいすい走っているのだから、面白いというより、時にとても不思議な気がする。
* だが「ちゃんと家へ戻れる…戻る…これすごい事のように思います」というのは、いくらか珠さんにべつの思いがこもっているかも知れないけれども、実地のはなしに限れば、「帰る」方がアテ知らずにどんどん「行く」よりも、うんとラク。東西南北が分かっていれば、そして都下の市の名とおよその配置が頭に入っているから、帰りは迷うことが全然無い。我が家からひたすら南行すれば、東西にはしる青梅街道とか新青梅街道とか千川上水とか玉川上水とかがあり、それだけで西東京がどの方角か簡単に分かる。時間によるし天候によるが、太陽の位置がいつも方角を教えている。ことに磁石を胸ポケットに持っていれば方角をあやまる心配はすこしもないから、どんな知らない遠方からでも確実に、行きよりも効率よく時間も短く帰ってこれる。
気になるのは「これすごい事のように思います」という「すごい」は少し分かりにくい。もし漢字で「凄い」と書かれていればギョッとしたか知れない。わたしの語感では「凄い」とは夜分にあれた野中の墓場をとおるような凄惨な印象にむすびつく。いまどき若い人達の賑わった街中ででも「スゴーイ」「スゴーイ」と耳にすると、そういう用法になっているんだからとやり過ごしているけれど、やはり違和感はある。日本の批評語の一つだから、意味合いがあまり安易に移動していると、はなしが通じにくくなるのを恐れるのだ、ただしそんな例はほかにもいっぱいあって、だから、「言葉は、アイマイ」「言葉は、ほどほどのもの」と思い「言葉は、過信しない」ようにしている。
☆ 秦さん、きのうの四時間のツーリング凄かったですね。だいぶ年下の私など及びもつかぬ健脚、気力、足腰。我が小サイクリングコース・野川公園まで接近 ご体格にふさわしい風を巻き走り抜ける爽快感が伝わりました。
庭に太目の樹がございましょうか。四股を踏んで、鉄砲をうち膂力さらに鍛えれば四肢に躍動みなぎり、草相撲挑戦可能。別に、シニア陸上短距離出場も。七十歳代の部、百メートル、十六、七秒で疾走叶えばメダルも夢でなし。
方角違いますが、広い西武園競輪場は開放感にあふれ気持ちがいいですよ。若いお仲間がいっぱい。車券買わなくても楽しいです…….どうぞ安全に楽しくお励み下さい。応援しています。 多摩e-OLD
* この人も、「凄かった」と。
* なぜ多摩川がそんなに「遠い」のかと不審にかられ、地図を観ていて、わたしの昨日の「思い違い」が分かった。わたしは終点の是政駅へ走っていたのでなく、萩山から終点の国分寺駅に到達していたのだった。是政駅へは武蔵境駅から南西へとローカル線に伴走しないといけなかった。昨日のわたしは国分寺駅から東向きに小金井市へ走り降って野川公園に行き着いていた。
それにしても前後三時間強。今日は武蔵境へまず到達してみよう。そこまでは、近くなくても分かっている。駅の南口にあったフランス料理の「バンクール」はとても佳い店であった。タバコ専売公社時代の役員をされていた読者に、何度かそこでご馳走になり、また妻とも二度三度食べに行っていた。保谷からバスで行けた。
思い違いは、分かってみると面白く、またそれなりに理由があるものだ。是政へは何でも東西でなく南北に走る線路に沿えば行けると想っていた。それは正しいが、そんな線路がほかにもあったわけで。
2006 11・2 62
* 四の五の言うていても始まらないから、一時三十五分、決然と家を出て、田無経由取りあえず中央線の武蔵境駅をめざした。
ここから是政へ行くローカル線が南へ西へ弓なりに走っている、それに着かず離れず見知らぬ街中をどんどん走ったが、白糸台駅の辺で、どうやら京王線と混乱してしまい、なかなか近いはずの是政駅にたどり着けなかった。何人か立ち話の土地の人に聞き聞き、「どこから」「西東京の保谷の北から」と笑われながら、とうとう多摩川に架かった、そりゃハイカラな「是政橋」に、ついに! 到達。
河原に薄の穂花が満ち満ち、四囲の空はからりと晴れて空気は澄み、川面は銀色に輝いていた。思った通りの広らかさ、愉快この上なく、対岸の稲城市まで橋を欣然往復し、さらに川の北土手を、もう一つ下流の大きな橋まで、きもちよく流した。証拠写真も撮った。なんだかこれだけは撮っておきたくてデジカメをポケットに突っ込んでいた。
是政橋まで、ちょうど家から二時間。
さて帰路がタイヘンだった、概して登り道に。飛田給という駅に接触して、北へ北へ向いているつもりが、東へ東へ道なりに流されていたと思う。調布市を通り抜けるまでが馴染みがないだけに気疲れしてしんどかった。
汗を掻いて武蔵野市へ触れたり三鷹市と書いてあったり、とにかく足任せに右往左往しながら、杏林大学前から一路北行、井の頭公園を横目に、吉祥寺駅の西へ来た。もう道筋ははっきり分かる。むかし息子の入院していた田中脳神経外科の前を抜け、青梅街道、新青梅街道、富士街道もみな北へ北へ渡って、とっぷり暮れた我が家に帰り着いたのが、五時二十分。三時間四十五分、走りづめだった。今日は持参のボトルの水も呑みきった。
* 念願の<多摩川>土手へちゃんと着いて、夕風に吹かれて河原の土手を悠々走りぬけ、写真も撮ってきたのだから、これで念が晴れた。数えれば五度近くは失敗、尻尾を巻いて帰っていたが。もうあんなに遠くまでは走ることもしないだろう。さすがに少し草臥れたが、行きたかったところにちゃんと行ってこれたのは、愉快。
* 近所で買って帰ったエビスビールが、それは、うまかった。血糖値は、99。上等だ。体重は量らない。
* 岡山からお志の、すばらしい桜鯛を戴いていた。落ち着いて、明日、ご馳走になる。家にいま生憎酒が無いんだから。最良の酒を買ってきて、何よりも好きな魚の鯛を、心行くまでご馳走になりたい。
馬場あき子さんからも新しい歌集を戴いていた。
2006 11・2 62
* 眼鏡のレンズをまた替えないと眼が霞んで困る。
2006 11・4 62
* 一時十分に家を出て、所沢街道を一路西へ、西武池袋線の所沢駅前まで走り、弓なりに南へ東へ戻ってきて、きっちり二時間三十分で帰宅。
エビスビール一本飲んで機械の前にきたが、機械は不調なすすべなく、小一時間、椅子のまま仮眠。
2006 11・6 62
* インターネットの不調が続いている。手の施しよう、無し。インフルエンザの予防接種や健康診断に近所の医院へ行ったが、満員で、出直すことに。帰宅してインターネットは相変わらず不通。
2006 11・9 62
* マドレデウスの「ムーヴメント」を聴きづめに仕事していたが。三時半、ネット、回復せず。もう一度医院へ出直す。健康診断とインフルエンザ予防接種。
九時過ぎても回復せず。
明日は歌舞伎座昼の部のみ。「先代萩」を菊五郎で。踊りを三津五郎で。
2006 11・9 62
* 朝六時五十分の血糖値、110。良好。
機械の前に来ると奇蹟のようにルーターのランプ四つとも眩く青い。大急ぎで「私語」更新し、メールを受信。百ちかいダメ・メール。胸に届くメールも連絡のメールもある。しかし「MIXI」を開くまでは保てず。
2006 11・10 62
* また機械不調、それならと、自転車で北東にむかい、南大泉を経て北西へ寄って行き、新座市、から膝折坂の難所を北へ折れ朝霞市を経て志木駅のわきをさらに北行。もう少し行けば荒川に到達したのに、それと知らず、ヘヤピンに折れ曲がって志木大通りをひたすら南へ。疲れを感じたので、街道途中、豆大福を売っている菓子屋で二つ買い、一つをうまく食べて更に南へ東へ、秋津とか柳瀬川とかを見ながら、結局小金井街道で所沢街道と交叉したので、これをひたすら東へ直行するうち、田無辺の新青梅街道へ戻ってきた。保谷新道からいつもの市役所前道をかけ抜け、二時間四十五分で帰宅。エビスビールの一本、いと、うまし。
2006 11・13 62
* 今夕 一時間、自転車で走ってきた。インターネットはまったくガンコに働かない。 2006 11・14 62
* 武蔵境駅の西から南下していったが、天候と時間とに自信が持てず、上石原の方へ東向き、また北行して武蔵境駅南口から東へ北へ戻っていった。正二時間で帰宅。
2006 11・15 62
* なにが今嬉しいだろう。
転送も出来ない「MIXI」のために小説『初恋』を校正しているのが嬉しい。宮川寅雄先生が、いの一番に褒めて下さった。まだ受賞していないころ、わたしがこつこつと書いていたのが平家物語に関心をよせた幻想的な「雲居寺跡」だったが、仕上がらなかった。『清経入水』へ変貌していった。それでも後に、弥生書房が雑誌「あるとき」を出したとき、顧問の河上徹太郎先生の推薦があったらしく巻頭に小説を書いて欲しいと社長が家まで見えた。まず『マウドガリヤーヤナの旅』を書き、ついで『雲居寺跡』を上下二回書き、これが後に改題『初恋』となった。高山辰雄の繪を表紙にもらった。この繪も好評だった。
この作品は、その前後に筑摩から出した『日本史との出会い』と思想的に一対の観があり、ターニングポイントを成したと説く人もある。わたしにもその自覚があった。
マキリップを二ヶ国語で併読してやろうと思い立ったことも、けっこうわたしを嬉しがらせている。ものごとが邪魔くさくてしようがなければ、こんな事は思い立たない。
しかし、ものごとが邪魔くさくてしようがないかというと、かなり邪魔くさいことがある。いやになることがある。気の乗らないことが有りすぎるほど有る。そういうことは、なるべく放り出しておくのである。したくないのに、ムリにする必要がどこにあろう。
政府に腹の立つことなども、ありすぎて困るではないか。教育基本法が強引に委員会可決されたし、本会議も単独採決する気だろう。公聴会では「やらせ質問」に金をはらっていた。政治家や役人の教育からやり直すべきで、彼らに教育基本を云々出来るどんな資格があるだろう。いずれラチもない心、心、心とだらしなく羅列して、ものごとを空疎に乱脈に飾り立て、責任の取りようも、ゆめ知るまい。子供達は死んで行く。殺されて行く。親の不出来が子に祟っている時代である。
なにが嬉しいか。かなりに反語的である。しかしなにが頭に来るかなどと数え上げるバカらしさ。嬉しいことをさがしたい。求めたい。
2006 11・15 62
* 湖の本エッセイの発送用意に、とにかくもじりじりと取り組んでいる。風邪をひいたのではないか。髪にふれると痛みがある。土曜日曜を大事に寝てすごそう。月曜には「ペン電子文藝館」の委員会がある。機械の前へ来てもインターネッが使えないのだからと、今日は主に階下でこつこつと手作業を。
栗原小巻も小巻ながら、美保純の感じのすこぶる佳い「寅さん」映画を観た。中越大地震で潰滅した「小千谷棚田の修復五百日」の努力をルポした映像にも、感動した。
その一方、国も行政も地方自治もむちゃくちゃ。公の傲慢と勝手放題は目に余る。「公」は徹して「私」に奉仕してこその「公」に過ぎないことを、「私」たちは心肝にしみわたるほど、自身の強い思想にしなければならぬ。
何故それが出来ないか。何故それが出来ないか。
2006 11・17 62
* 志木駅からさらに北行し、荒川の長い長い秋ヶ瀬橋を、さいたま市側まで渡ってきた。河川敷の広さにおどろいた。このまま土手をくだれば松戸の渡しや柴又帝釈天の方まで行けるのかなあと想って愉快だったが、それでは保谷に帰れなくなる。
で、また志木大通りを南へ、柳瀬川通りへ逸れて、途中豆大福を一つ買って食べ、土産に団子の串ものを四種類買って、秋津辺から西武池袋線に添い、清瀬、東久留米、ひばりヶ丘へと帰っていった。正味三時間二十分走り続けた。快晴の中を出掛けて、帰り着いた四時四十分はもう宵闇が迫っていた。
団子を食ったり、ビールを呑んだりすれば血糖値は下がらないし体重も減らないから、収穫は荒川を渡ってきただけ。それでもとくに疲れもせず帰り着いて、ま、そんな毎日を送り迎えしている。
2006 11・18 62
* ゆうべ拝借した傘を返しに行き、その脚で、また志木駅を経て荒川土手へあがり、一つ下の東京外環自動車道まで荒川に沿ってくだり、朝霞市内を通り抜けて西東京へ戻った。三時間十分走っていた。えびすビールをいつものように買って帰る。運動した分、ビール一本で取り返してしまうのだから、何をしているやら。
2006 11・21 62
* 勢いで、やっと海相ウインストン・チャーチルの名の出て来たアンドレ・モロワ『英国史』の最終章を読み進み、また巨人エラスムスを、いわば分母に据えたような近代の人文主義から、ルターの宗教改革へ進んで行く欧州の沸騰をも、興味津々読み進めていて、低血糖症状の違和感に陥り、あわてて寝床から起きて血糖値をはかり急いで少し食べ、そして寝入った。三時過ぎていたが、七時半には起きた。夜中に食べたぶん、血糖値は少し高かった。
* 昼飯までに今日の用事をかたづけ、恵比寿へ出掛けるまで、出来ることをしておきたい。
2006 11・30 62
* 凛々師走。朝、かなり冷える。血糖値、108。良好。本郷方面へ出掛ける。
2006 12・12 63
* 聖路加でまず午過ぎまで待って糖尿病の診察。経過は横ばい、このまま運動のある日々をと。
昼食して、一時半まで待ち眼科で視野検査など。そのあとの診察までによほど待つ必要があり、その時間を利して外苑前の「保谷眼鏡」まで妻の破損した眼鏡の修繕が出来たのを取りに走り、また聖路加へ戻って、さらに眼科で一時間余も待たされてから、診察を受けた。
視力は横ばいで悪くはなっていない。白内障もまず気に掛けるような状態ではない。視野の右眼はまず良い方であり、左眼はごく微妙に問題が在るとも無いとも。点眼の薬を変更するかどうかまだ何とも言えず、もう六ヶ月様子を見たいと。
そんなことで解放されてきた。途中何処に立ち寄る余力もなく帰宅。
2006 12・20 63
* さて、処方された眼科や糖尿の薬を地元の薬局へ受け取りに行く。少し走ってこよう、自転車で。
2006 12・27 63