ぜんぶ秦恒平文学の話

身体のこと 2007年

* 三時前、妻が年初の歯医者へ行くのを自転車で駅まで送り、その足で、荒川の秋ヶ瀬橋をさいたま市まで渡ってきた。晴天、いと心地よし、寒くもなくて。
で、帰り道を真っ赤な太陽の方へ足任せに走るうちお日様はあしばやに落ちてゆき、わたしは方途をうしない、適当に見当をつけてぐるぐる走っていたがすっかり宵闇に道は包まれて、気が付くと、思いがけない東久留米市の西寄りへ来ていた。東久留米からひばりヶ丘へ近寄って行く道は、いつも狸に化かされるかとおもうくらい苦手なのだが、暗くなって見当もつかず、交番で聞いても人に聞いても要領を得ず、ところが幸か不幸か妻の歯医者の治療もうんと長引いていて、二度目の電話で、いま神戸歯科を出るという。
そうとう疲労し、しきりに足が攣りはじめ、とうとう歩道と車道とのあいだの灌木帯に堪えようもなく横転した。灌木にからだを掴まえられ、その上に自転車が乗っかって、身動きが取れない。車は通るが人通りは少なく、もがいているうち、女の子連れの若いお母さんにひっぱり起こして貰えた。幸い厚着もしていたし怪我は無くて済んだが、恰好のわるいのも気にならないほど、ボウとしていた。やせ馬ロシナンテを御したドン・キホーテの悪戦敗北のごとくであった。そんなおかしな「自分」が、傍観するように目に見えていた。
その道をそのまま行くと家からもっと遠ざかるようで、向きを変えて暗い道をまた走り続けたが、かなり難航し、まるで思いがけない方面からやっと西東京市に戻っていった。エビスビールの冷えたのを三本買って帰宅、妻はまだ帰ってなかった。鍵はわたしが持っていて、よかった。
三時間半の初乗りであったが、流石に今日は疲労した。
2007 1・9 64

* 疲れに足腰の痛みがまじっている。湯につかってカッスラーなど読んでも、そのまま眠ってしまいそうだが。
椅子に腰掛けてディスプレイに向かっていながら、ともすると昏々と闇の底へ落ちている。
はっと眼をあく。
わたしはそんな瞬間、何で在るのだろう。
2007 1・9 64

* 何となく心身が、例年夏バテする秋ぐちのに似ている。去年は夏バテどころでなかった。そのしわ寄せの「正月バテ」「去年バテ」かも知れないが、単なる怠けものかも。
2007 1・12 64

* 小豆粥を祝う。三が日の味噌雑煮、四日餅を焼いての清まし雑煮、七日七草粥、十五日の小豆粥。これだけは欠かした記憶がない。わたしが「正月」と呼んでいるのは、今日まで。十一日を終日歌舞伎座で過ごした以外、外出らしいこと、無し。こんな正月、めずらしい。初詣と散髪。自転車で荒川の長い長い橋をさいたま市側まで渡って来て、夕暮れてしまい、道に迷い、道ばたの、歩道と車道とのあわいの灌木帯へ横転、アプアプしたぐらいなもの。ま、それやこれやも謂わば「去年バテ」を癒していたようなものか。
2007 1・15 64

* 歳末来の空き瓶を回収してもらうべく所定の場所へはこんで、いささか閉口した。ほぼすべてがわたしの退治した酒類の空き瓶である。日本酒の一升瓶が二本、四合瓶が三本、それにワイン、紹興酒、ビール瓶が何本も。コリャ、スゲェこったと、糖尿病患者は心肝を寒くした。しかし今朝の血糖値は、97。だいたい寒い季節は低いのである、体験に徴していえば。
ま、退治すべきは喜んで美味く退治したのであり、この一月中にかかる瓶類は残念ながら消え失せている予定である。
2007 1・17 64

* 昼食後、不覚に椅子のまま寝入っていた。いつでも、いくらでも眠れる。抵抗しなくていいではないかと内心の声が言う。
2007 1・17 64

* 「ペン電子文藝館」の委員会に今から出掛ける。からだが求めるのか、昼近くまで、ただもう眠っていた。
2007 1・22 64

* 委員会はふつうに終えてきた。
話し合ってなにかしらコトが決まった風なときは、それを実施し実現して行く「ツメ」が必要になる。ただ話し合って、いろいろ議論があり、それはいいとか、そうしたらいいですねとか。それがそこまで止まりでそのまま流れ去っては、話のための話にしかならない。会議は、何かしら事業を前進させて行く、そのために話し合ったことは実施して行くためにありたい。顔を合わせて話し合うのが楽しかっただけの社交会議で終わらないようにしたい。

* 帰りに、鍋で、浦霞と萬歳楽とを二合ずつのんできた。クライヴ・カッスラーをほぼ読み終え、保谷駅で食パンと餡パンを買って帰った。

* なぜ、こうねむいのか。
2007 1・22 64

* とても、眠い。ひょっとして、もう花粉なのか。
2007 1・23 64

* 昨日から今日へかけていちばん気がかりだったのは、一日で視力が異様に落ちたこと。機械が新しく、つまり眩しい。どの眼鏡をかけても字が霞んだ。
それで就寝前の読書を、バグワンと太平記はべつにして、寝床では今夜は一冊だけときめ、迷わずマキリップにした。この小説はなぜかたまらなく私を魅する。
このさながらの神話は、現実の地球世界でない別世界を書いている。HIGH ONE の王国がいくつかの領主領に分かれていて、ヘドはその一つのちいさな島国。宮廷もない農業世界。領主のモルゴンも弟のエリアードも妹のトリスタンも、ふつうの農家族を事実出ないのだが、近い過去にこのきょうだいは両親を一時に喪っている。モルゴンが、ケイスナルドの魔術の学園に「不思議」を学びに行っていた間の海上での不幸だった。モルゴンは父の領主権を受け継いだ。
彼モルゴンの額には不思議な三つの☆が刻まれている。彼は生まれながらに、王国のいまなお解かれていない神秘を、自らのその額の☆に「謎」として享けているのである。
物語は、たまたまモルゴンが手に入れた美しい竪琴にいや増しに不思議を奏でられながら、壮大に悠遠に緻密に織り上げられてゆく。物語そのものが神秘をはらんだ波瀾の旅路としてある。安穏ではない必然の行方に、彼は危険も身いっぱいに浴びながら誘われ続ける。森林や砂漠や沼地やいくつもの宮廷とともに、おそるべき命の危険を旅ははらんで、額の☆三つ、竪琴の☆三つの不思議をともない、ひたすら続く。わたしは、まだ始まってまもない、すでに再び三度の身の危険に遭ったモルゴンと旅をともにしているのだが、道連れにも事欠かない。いまはHIGH ONEに仕える竪琴弾きのデスや、女領主モルゴルの娘で近衛兵をひきいる美少女ライラがいる。ヘドのモルゴンの旅路の至りつく先には、運命に約束された未来の妻レーデルルも待っているであろう。
こういう長編の何がおもしろいかと嗤う人もあろう、劇画の原作本みたいだと。その実はそうなのかそうでないかも知らないが、わたしにはわたしの「読み」がある。もう何度も渇きをいやすために読み返し、こんど初めて原作の英語で読んでいるのだが、日本語訳で読み急ぐよりも、いわば「一語一会」の精微なおもしろさに、つい心を牽かれて、昨夜もその一冊と限り寝る前の一時間半を読みふけっていた。夜中に起きてまた続きを読んでいた。
身内の深いところでともすれば騒ぐモノを、わたしは、そうして静めていた。そして七時前には起きて朝の仕事をはじめた。
2007 2・3 65

* ひたすらスキャン原稿の校正・構成に。眼精疲労にほとほと悩みながら、間断なく、というほどでないが、集中している。
こう書けばただの一、二行だが、作業量は内容も分量も、とても重い。体調は悪いわけでないが、つい家に閉じこもっていて視野が晴れ晴れしくない。自転車で走りたい気持ちと、なにとなく危険も、感じている。晴れた日に電車にのってぼんやり窓外を眺めたい。
家の中に、書き物机を置いて一人になれる場所がどこにも無い。昔むかしも、わたしは喧噪の喫茶店を「書く」場にしていた、勤務との関係で、余儀なく。立って書くわけには行かない。主には書籍と、執筆のために莫大に保存してきた資料、これを思い切って大量に「処分する」ことを急がねばならない。
2007 2・4 65

* この眩しい、まだピカピカの機械仕事に慣れていないので、目も、キイボードをさぐる手も、すぐ疲れる。「言い置き」たいことはいくらもあるのに、先に疲労が来て、それより速く時間が過ぎる。もう日付が動く。
2007 2・4 65

* 快晴。戸外が明るいと嬉しい。自転車で、黒目川、落合川の遊歩道を上下してきた。一時間半。東久留米を経てひばりヶ丘へ戻り、商店街で和菓子屋のが丹誠らしい「どら焼き」を二つ買い、家の近くでエビスビールの冷えたのを三本買って帰った。とても病人の自覚ではない。安心しているのではない、が、気を腐らせるほど糖尿病に萎縮していたくない、怖さは識っているけれども。
2007 2・5 65

* 夕方にふと寝入って八時前まで。妻は食事を待っていた。寝起きであまり食欲がなかった。
2007 2・6 65

* なにかしら体調を損ねている。気持ちがわるい。

* 気のすすまない夕食の後、堪らず寝てしまい、十時半まで。いま、本機に外付けしたオーディオマイクでバッハのピアノ曲を聴いている。グレン・グールドが、心地よい寒気のように、冴えて美しい音色を呉れる。
2007 2・11 65

* 夢をみるのがわたしの欠陥である。いま謂う夢とは、理想を追い求める意味の夢ではない、睡眠中にみている夢のこと。夢はすこしは見た方が全く見ないより健康であるらしいが、あまり有り難くない。
おととい、総身が凍てつきそうな夢をみた。
大きな企業ビルの真夜中、わたしは奥行きのない狭い矩形の一室で、奥の壁向き、機械あいてに仕事をしていた。椅子の背後は素通しのガラス壁と、鍵をかけたドアで廊下と隔てられ、廊下は照明のない真っ暗。脈絡はなにも覚えない。なにかに催されふと振り向くと、まるみえのガラス扉のむこうに、ガラスにはりつくように女が立ってじっとわたしを見ていたではないか、わたしは尻を浮かし、総身が真っ白に凍てつくように女と向き合った。
若い女だった。黒っぽいレザータッチのスポーティな洋服で、ハンティング風の黒い帽子、うすあかく感じる煉瓦色の布をどこかに纏っていた。全然見たことない知らぬ顔で、無表情に色黒に見えて、美貌の魅力はまるで無かった。その瞬時の軽侮感でわたしは恐ろしさからすぐ回復したが、夢はそこで覚めた。自分の右手が拳銃をにぎっていたのをかすかに醒めてのちも記憶していた。
らちもないが、一瞬たしかに怖かった、全身の皮膚が凍りつ付く冷や水になめられた気がした。だが立ち直りも速く夢はかき消えた。
今日の明け方には、建日子らの仲間だか、甥の北沢恒と仲間だか、奇妙にがやがやとアイマイな、がらんとしながら壁際にものの散らかった大きな部屋に、紛れ込んで、すぐ出てきた。
それから新宿辺の宵の街をあるいて電話をかけた。電話に出たのはロスの池宮さんで、そばには姉の大谷さんもいるらしく、夕飯の用意でもしているらしかった。外のどこかで食べませんか、ぼくがご馳走しますというと、行きたいその店で食べると、(三人でか一人前でか)「七万円」かかると聞いた。構わないよと受話器に返事をして、とても嬉しい気分がして夢がさめた。
池宮さんはいまロスにご主人と暮らしていて、大谷さんはとうの昔にサンフランシスコで亡くなっている。電話口を通して大谷さんのいつもどおりの機嫌のいい声が聞こえていた。
そのままわたしは起きた。血糖値、108。
2007 2・15 65

* 今日は曇って少し冷える。久しぶりにペンの理事会。明日は病院。あさってはもう一度『月の子供』を見る。
2007 2・15 65

* 例会は失礼し、ビッグカメラで、無駄になるかも知れないディスプレイを安く買って帰った。
明日は糖尿病診察。飲食の楽しみはそのあとまで辛抱と、まっすぐ保谷へ帰り、駅の食堂で軽食しながら「ノート」の続きを書いた。
2007 2・15 65

* 聖路加へ。今日は内科、糖尿病の定期検診。
2007 2・16 65

* 診察の結果は、従来にない最悪。計測血糖値はさほどでない低いぐらいなのに、何とやらいう数字がひどくわるくなっていると。この分では、近いうちに糖尿病合併症は必至で、目か、骨か、心筋梗塞か、予測は出来ないが「ある日突然にドカン」と現れると医師は切言する。ある日まで自覚的な病状は無くてドカンとくるそうだ。だから食うな飲むな体重を減らせと言われる。ドカンは恐ろしいが、どんなドカンなのだろう。
診察前の待ち時間に院内食堂で「ノート」を書き、診察後、銀座松屋で日吉ヶ丘の後輩で、最近総理大臣賞を得た岡村倫行展に立ち寄った。おりよく画家もいたので繪を観ながら歓談。繪はいわゆるスケッチ、素描を、高校時代の習作もふくめならべ、楽しい画展だった。
わたしより十ほど若い。とうに授賞したと思っていた。日吉ヶ丘では勝田哲さんの最晩年の弟子にあたっている。

* 松屋のなかであったから、上の食堂街で「つる家」の和食。医者に叱られると、これで最後にするかとすこし贅沢にうまい昼飯を食うことにしている。上撰白鶴を、一合、少し控えた。
昨日から林氏の『浦島伝説の研究』に魅了され、ペンを片手にどんどん読み進んでいる。評論ではない全くの研究書だが、周到で緻密、しかも論旨の運びは明快で、「正しくて面白い」のが研究論文の最良のものというわたしの思いこみに、ぴたっと嵌っている。倦かせないのだから、すばらしい。
日本書紀、万葉集から今日まで「浦島子」ないし「浦島太郎」のことを知らぬ日本人は少ない、それほどポピュラーでなおかつ抱え持った内懐の深いことも希有な文化的複合であり、源氏物語や平家物語の広大な深遠な読みにも関わってくる。

* 松屋のなかであったから、上の食堂街で「つる家」の和食。医者に叱られると、これで最後にするかとすこし贅沢にうまい昼飯を食うことにしている。上撰白鶴を、一合、少し控えた。
昨日から林氏の『浦島伝説の研究』に魅了され、ペンを片手にどんどん読み進んでいる。評論ではない全くの研究書だが、周到で緻密、しかも論旨の運びは明快で、「正しくて面白い」のが研究論文の最良のものというわたしの思いこみに、ぴたっと嵌っている。倦かせないのだから、すばらしい。
日本書紀、万葉集から今日まで「浦島子」ないし「浦島太郎」のことを知らぬ日本人は少ない、それほどポピュラーでなおかつ抱え持った内懐の深いことも希有な文化的複合であり、源氏物語や平家物語の広大な深遠な読みにも関わってくる。
2007 2・15 65

* さてさて三日外出の三日目は、妻と、もう一度下北沢「本多劇場」での、『月の子供』を観てきた。喉に痰がからみ、花粉性の洟がひっきりなし、熱っぽい大儀感に悩みながら出かけた。
前回と変わりばえの前方下手での観劇。展開にかなりすっきり手が加わっていて、あれほど激しい動きとはやい台詞を、演者たちが、作・演出の要求によく応えるものだと感心した。総じて急流と奔騰、ダイナミックに舞台は走ってゆき、役者と役者とがただ向きあってただ話すような一カ所もない、すべて振り付けられた所作、所作、所作で間を弾ませる。
あれだもの、ストーリイの少々の晦渋などに観客は立ち止まっているヒマがない。ひたすら舞台は舞台のリズムを刻み続けて躍動し前進する。それで成功している。ちまちまとした筋書きの整合性に拘泥などしていられない、演出も演技もそんな悠長なヒマは観客に持たせない。秦建日子の独特のダイナミズムが今回の舞台で特徴的な効果をあげていた。それで作の意図がかえってよく力を持った。分かり良くなった。胸のポケットにかなり正確にたたき込まれた土産を抱いて劇場をあとに出来ただろう、プッシュプッシュ、プルプルで生きられる幸福感、それは与えられるのでなく創り出すものだ。

* からだはシンドかったが、前回と同様に有楽町へ迂回し、「きくかわ」の鰻を、しばらくぶりに妻と。そして有楽町線で一気に保谷へ。酒とビールとがきいて保谷駅まで寝ていた。
2007 2・17 65

* 二三日来、咳と痰と微熱の頭重感に襲われて、今日は午前中寝ていたし午後も三時から七時半まで堪らず寝入っていた。ホームページの異常をそのあとで知った。もう呆れることも忘れた心持ち。 2007 2・18 65

* 眼精疲労甚だしく、昼食後、一時半から八時まで臥床。気晴れず。
だんだん、わたしの日々は、はたの人の目に自暴自棄的に映って行くだろう。暴はともかく、棄は着々果たして行かねば。願わくは不平不満から棄てるのでなく、平穏な、満たされた思いのまま棄てて行きたい。にげるのでなく、もうムリに生きていなくていいという心境へ滑り入って行けたら。
2007 2・19 65

* 小雨にふられ、街へ買い物に出るのを躊躇している。やがて正午。早起きすると相当の仕事が午前中に出来てしまう。
2007 2・20 65

* 眼を痛めている。もうやすまねば。睡眠も足りていない。
2007 2・20 65

* もうほどほどにやすんで、明日、松たか子のコクーン芝居『ひばり』に、体力と視力を温存しなくちゃ。いまも腰掛けたままとろとろうたた寝していた。寝入ると、しかし、ロクな夢をみない。今日の明け方もイヤな夢に苦しんだ。起きてしまい、『絶対王政と人民』を読み上げているうちに不快感を追い払った。
2007 2・21 65

* よく晴れて。血糖値も数日安定している。ただ、インシュリン注射のほかに新しく出された錠剤を食後に飲むと、かすかとはいえ胃がむかむかする。愉快ではないが事前にそんなことを医者も予告していたのだから、我慢している。
2007 2・26 65

* 明け方、冷え込んだ。血糖値、96。上等だ、このところ朝の血糖値は正常値に落ち着いている。新しい薬のせいか。
2007 2・27 65

* 花粉が目へくると、いてもたってもいられない。洟はなんとかかわせるが。
2007 3・3 66

* 春愁ににて非なるもの老愁は。登四郎の句に謂い当てられています。午後、思い立ち家内を尻にのせて自転車をこぎ出した弥生節句でしたが、隣街あたりで家内もわたしも疲労し、家に帰るのに往生しました。怪我がなくて何よりでした。
そんなありさまでいます。家に帰って四時ごろか。そのまま夜に、今さき十時半まで寝入っていました。
概して機械も不調、安穏でありません。
なにもかもムリはできない、ムリをせず、あるがままの余力を大事に活かしたいと願います。あなたも。ご主人の回復はいかが。お大事にと心より祈ります。
花粉だけは忘れず訪れてくれ、いまも眼がかゆい。うっかり触れば苦痛が燃え立ちます。おお、招かざる春の客です。  湖
2007 3・3 66

* 好天。眼が痒くなければ外へ出たいが。七時前に血糖値を計る。一仕事。腹が空いた、昼かなあと思ったが、十時過ぎ。さしたることの何もない日々が、いい。
2007 3・6 66

* 七時には起きた。血糖値96は気温の低いせいであろう、10ほど加算してもいい、それでも正常値だ。
2007 3・8 66

* 朝、冷えた。少し寝過ごした。十時の血糖値、低い。明け方、左の太ももからスコップで肉を深く抉られたような痛み。あやうく痙攣をかわしたが、起きてみると左脚のつけねと左尻の辺に鈍い痛みが残っている。
昨夜、仕事をしていて、両方の足くびより下が、寒いのでも熱いのでもないが異様に気の遠くなるような違和感を湛えていた。
また七日の委員会帰りに保谷駅でタクシーを待つ間が寒く、右上腕の裏側にあとまで痛みがのこった。いまも左右の上腕とも同じ裏側、芯のあたりに痛みがある。「血のめぐり」がいかにも悪そうだ。
なるべく、他人事のように自分の体調を「傍観」ないし「観察」するようにしている。顧みて七十一年余、入院したのは小学校五年生初秋の腎臓炎、大学一年の盲腸炎手術の二回だけ。左腕肘を、騎馬戦で組み打ったまま落ちて骨折脱臼したこともある。一里半の道を疎開先の山の中から山陰線の亀岡町まで通ってなおしたが、直りきらなかった。いまも左腕は右腕ほど深く曲がらない。
東京へ出てからは入院も大病もしてこなかったが、現在糖尿病で継続診療をうけ、自分で毎食前にインシュリン注射。飲食の摂生をほとんどしていないのだから、良いわけがない。血糖値自体はさほどはねあがらないでいるらしいが、もっと大事な他の何やらの値がよくないとか。今月三十日に新しい何かしらんの検査を受けに病院に行く。
2007 3・9 66

* 冷えるなあと感じて目覚めた。風。花粉がしきりに洟へ来る。 2007 3・11 66

* 四十八年という歳月が過ぎていった。
三月十四日、総務課長の野田さんと同期入社の山本誠君に「証人」署名をもらい、新宿区役所に、妻と二人で結婚届をしに行った。その足で荻窪の妻の伯父さんの家に行き、座敷の上座に妻と並んで据えられ、妻の親類一同にあいさつをし、食事をご馳走になった。それが、ま、お世話になりっぱなし妻方への、結婚披露宴であった。その晩その座敷で床をならべて寝た。伯父さん夫妻、叔父さん、妻の兄など、もう早くに亡くなった。

* 妻は心臓がよわく、わたしは糖尿病。ウソにも元気旺盛とは言えないが、「一病息災」にじょうずに甘えながら生き延びて行きたい。妻の健康を心より第一に願っている。
病院がもう少し適切な健康指導をしてくれるといいのだがな。
わたしは我が儘な飲み食い以外は、健康には注意しているのだが、糖尿には何よりその我が儘な飲み食いがいかんというのであるから、生きにくいよ。
2007 3・13 66

* 好天、血糖値85。空腹時血糖値は聖路加では125までなら許容されていて、110ぐらいまでが正常値。85は低いほどで、低血糖の方に寄っている。
2007 3・15 66

* 血糖値108。正常。好天。予約しておいた散髪に。すこし待つ間、千夜一夜物語で「女の狡知」を連綿と話し次ぐのを読んでいた。『千夜一夜物語』はどことなし長閑で大らか、どんな話になってもとくべつ不愉快ではない。
散髪されているあいだ寝ていた。目をつむったまま海外女優の名前を百八人まで指折り数えているうちうとうとと。お天気、上々。
2007 3・21 66

* 血糖値86。 よく晴れている。
2007 3・22 66

* 郵便局へ走っただけで、鼻がくすぐったくてたまらない。花粉が舞っている。幸い眼にひどくないので大助かり。
2007 3・27 66

* 花粉でしきりに鼻がくすぐったい。くしゃみ、連発。
2007 3・28 66

* 鶯谷の老舗の蕎麦処で蕎麦湯わりの焼酎をきゅっきゅっと引っかけて、上野公園の白っぽいもう九分咲のトンネルをまっすぐくぐり抜け、広小路からつうっと大江戸線で帰ってきた。眼がかすかに痒く、くしゃみと咳とを連発し始めたので、街に長居はむりだった。帰って直ぐ発送のための用意仕事にかかる。
2007 3・29 66

* あすの午後、聖路加病院で、なにやら検査を受ける。もう休もう。
2007 3・29 66

* 昨、就寝前の血糖値が近来になく異様に高くておどろいた。応急処置して、今朝はまずまずの高さ。これから聖路加での検査をうけに出かける。

* 二種類の検査を、順調に終えた。ひとつは両腕、両足首、足指に強い負荷をかけた血圧検査のようであった。首尾はむろん何も分からない。
若い華奢な女性の検査技師が、足首が細くて綺麗ですね、うらやましい、などと妙なところを褒めてくれた。初体験。
もう一つは、中年の女性の医師か検査技師かが、頸になにか塗りつけ塗りつけ指で押したりさすったりしていた。検査用紙にはechoと書いてあった。これも首尾は一切不明。で、解放されたのが二時半。
聖路加ちかくは桜が八分咲き。いっとき暑くなり、いっとき冷えはじめ風が吹いた。松屋のうえに上がり「つる家」で和食。ここの白鶴上撰はうまい。徳利が貧相でないのがいい。料理もたいへんけっこうでした。食べながら『宇宙誌』を読みふけっていた。帰りの有楽町線もうまく西武線直通が来てくれて、半分本を読み、半分寝ていた。保谷では風が冷たく、タクシーで逃げ帰る。
2007 3・30 66

* 目が花粉負けしていたからか、就寝時間が遅かったからか、寝坊した。比較的平安な熟睡であった。
もう今年も四半期が過ぎて行く。四月は、五月は、公私ともざわざわと賑やかな季節。仕事もある。楽しみもある。しかし糖尿病もある。
2007 3・31 66

* 暁は覚えて、朝を逸す。とても眠い。眼が花粉で重い。ウソをつく元気もない。
2007 4・1 67

* しばらくぶりに自転車で一時間半ほど走ってきた。北向きに新座市へ深々と入って、西堀、新堀を経て東久留米市の「中部地区」にいたり、市役所前を経て落合川の遊歩道からひばりヶ丘駅近くへ戻っていった。桜は、案じたより花盛りを保っていて、思わず走りやめては写真に撮った。
どういうわけか今日は今まで走ったことのない道も多く通ってきた。
むかし、我が家の植木を担当してくれた「西堀造園」の看板のそばを走っていたので、尋ねていった。たまたま相識の親方とであい、しばらく路上で立ち話。
せっかく走ったのに、我が家近くへ戻ってから酒を買い、夕飯に、「こなから」とは言わぬ二合ばかり。身にしみてうまかった。しかし二階へ上がったものの機械の前で椅子からころび落ちそうに寝始めたので、ソファに移り、かろうじて今、九時過ぎにムリに起きた。
困った酒飲み! 言いわけがましいが、それでも昨日以前の四、五日間、一滴も飲まなかった。
2007 4・6 67

* 早く床を出た。夜前もおそかったので眠気ものこるが、書庫の上でチューリップが二十ほど横に並んで咲きそろい、日射しもここちよい黄金色なので、そのまま朝の血糖値をはかった、106。良い値だ。昨日は95だった。
『太平記』全四巻の二巻めに入った。なかみたっぷりで音読のし甲斐がある。読んでいてこころよい「文学の音楽」を堪能できる。いよいよ建武の親政を迎えようとしている。
子供の頃は、何が何でも「青葉しげれる桜井の」と高唱していた。正成一族の忠にみちびかれて後醍醐天皇をついつい尊崇していたが、成長するに従いわたしのなかに此の天皇への物足りなさ、不信とまで謂わぬにせよ不審が募っていった。
太平記をもう読んでいたわけでない、が、父の蔵書の通信教育教科書らしき『日本国史』を、綴じがバラバラになるほど熟読し、祖父の蔵書の『神皇正統記』や『啓蒙日本外史』にとりついたりしているうちに、後醍醐をはじめ南北朝時代の大勢をみな何となく「あかんやっちゃなあ」「あかんやつばっかりや」と想うようになった。
「あかんやつ」の意味には、じれったい、はがゆい、惜しい意味もあれば、なさけない、いやらしい、好かない意味もあった。要するにこの世界の芯にいた後醍醐天皇に敦厚の「徳」を感じられないのが問題だった。正成や義貞や名和長年や菊池の一党や北畠らが、わたしには可哀想に想われた。
武家社会をおもえば尊氏らの意向は汲めたけれど、京都からの視線で謂えば、大塔宮がはやくに足利高氏の台頭を警戒して軍勢を手放そうとしなかった気持ちが分かった。はては鎌倉の牢で直義に殺される護良親王という人は、よきにつけあしきにつけ此の時代を左右した一人のキーパーソンのように想われていた。
2007 4・8 67

* 今日は花粉。そして少し疲れた。寝床でのんびり本を読もう。週末からいよいよ、九十度めの発送。
2007 4・9 67

* さ、発送作業を続けてくる。

* がっくり疲労。反映して血糖値も高い。夜十時だが、もうやすむ。
2007 4・14 67

* 酒の万歳楽でその気なら三升買える値段で四合の美酒を買っておいた。家にお酒が払底していたので、即座に頂戴つかまつった。今日また金沢の読者から一升瓶が来ていた。感謝します。ま、明日は聖路加の検診日。今夜の所はちょいと堪えて。
2007 4・19 67

* 夢うつつに、今日は出かける用がないんだと安心していた。ところが今日は聖路加の診察日。あわてて起き、思惑あって九時半になる前に出かけた。
ドクターの診察は一時予約でも、十二時半ごろに始めてくれることもあり、早く行って血液・尿の検査だけ先に済ませ、天気も悪くない、余の待ち時間は築地でのんびり過ごそうと。
で、待ち時間の一時間半ほどを築地の街を散歩し、早い昼食に鮓など食べて本を読んでいた。この鮓が「特選」のわりに不味くてヘキエキ。はずれ。
病院外来に戻って、名前を呼ばれて、なんたること、必要な事前検査がもう二つ分臨時に指示されていたのに、わたしが気づかなかったと分かった。次回にまわしてもらい、さて診察は、なにもかも微妙な判定。要するに動脈硬化がやや「進んでいないとは言えない」というようなアンバイ。インシュリンのほかに、服み薬二種類併用となった。
要するに、からだを動かすようにと。
ところが今日は右のふくらはぎに強い痛みがあり、痛みがすこしずつ増し、かるくビッコをひいている始末。歩く元気がなく、電車で『宇宙誌』を読みながら、さっさと帰宅。二時半過ぎ。

* 好天、風あり。睡眠が足りないか。
2007 4・20 67

* 今回発送を一段落した。肩が凝った。右脚のきつい攣縮あとが痛み、庇って歩くので両脚も腰も痛む。
相当重い、石のように重い本の束包みを、多いときは四包みも息をつめて持ち上げ、搬入された玄関から作業場のキッチンへ、そしてまた搬出・発送のため玄関へ、一度の発送で幾十往復もするうち、上腕が堅くなり、痺れてくる。それでも能率よく早く進んでくれる方が結果として、ラク。
今度の本は、予期どおり反応が良い。前巻がすこぶる重い本であっただけに、関連しつつ今回の詞華集は心和んでしかも多くをみなさんに想わせ、思い出させているようだ。言うまでもない、書き散らしの雑文のようには書いていない。これが文学だという気持ちで書いたものだ。推敲に推敲し、自分の鑑賞・述懐の文もひとつの詩歌であり得てほしいと思い思い書いていたし、校正していた。
人にあげたいのでと追加注文してくださる人も。 ありがたい。
2007 4・21 67

* 雨には聴く嬉しさがある。曇り日は好まない。講演を聴きに来ないかと誘われていたが大儀で。
銀座に観たい墨画の個展がある。もう二三日余裕があるので晴れるのを待とうかと。
自転車で、地元まわりの用を済ませてきた。花粉か、くしゃみ連発、洟ぐずつく。なんとなしに気だるい。
2007 4・24 67

* 困ったことを書いて、お知らせしなければならない。
妻が整髪に出ている留守に、自転車で出て、急坂を走り降りたところで、やや開いたV字型の坂を走り降りてきた自転車と、ほぼ正面衝突、双方が潰れるように転倒した。先方はわたしより少し若いほどの小父さんだっ、天祐といおうか、転倒から二人とも立ち上がることができた。
「大丈夫ですか」と労り合い、先方は、また自転車にのり、先に走り去った。わたしの自転車はハンドルが歪み、前籠が無残にねじ曲がっていたが、たぶんそれがクッションになってくれたのだと思う。もんどりうち地面に横転したのに、不思議なことに、痛みはただ一カ所。頭部も打たず、骨の異常も痛みもなく、擦り傷や裂傷やコブの痛みなども全然無く、ただ数日来攣縮の痛みのある右ふくらはぎに強い苦痛が加わっていた。あくまで内部ふくらはぎの痛みで、外傷ではなかった。
家までの「遠さ」を思った。前輪がパンクしていた。少なくも空気が抜けタイヤがばくばくしていた。乗ってみると、脚は、伸ばして歩くと呻く痛さなのに、脚を曲げペダルを踏んで行く分には、苦痛がうんと薄い。ハンドルの歪みをたたき直し、前輪の空気はぬけたまま構わずゆるゆる走らせて行く分には、なんとかなる。ただ坂道を力任せにのぼるのは、右脚苦痛で堪えられそうにない。
頭の中でどの「帰り道」をと思い描き、「あの坂」だけは仕方ない引いて上ろうと覚悟して、慌てず、空気の抜けた前輪でごろごろと乗って走った。坂道を自転車を引いて上がるのは、右脚全部が攣れて相当辛かったが、ガマン。引く自転車が「杖」の代わりに身を支えてくれた。
人通りの少ない道筋を通って危険をさけ、少し遠回りしてものぼり坂道を短くし、やっと家に帰り着いた。自転車をはなれて家にあがるまでがきつかった。
外傷も打撲傷も幸いなく、強いていえば左の腕を伸ばすと、肘がすこし痛む。ほんとうにひどいのは、右脚ふくらはぎの強度の攣縮で、座って膝を曲げていればそこそこ動かせても、右脚を使っては立てない。膝を伸ばし、腰から足首までまっすぐにして立てない。腰掛けている分にはどこにも痛みも不都合もない。だが立てない、むろん歩けない。
湯をたててもらい、浴槽の中で、立とうとした。全身湯につかって、腫れてカチカチのふくらはぎを、ともかく、やわらげた。効果はあっても、湯から出て冷えれば、もっとひどかった。二度湯に入り、痛み止めの薬を倍量嚥んでみた。
へたに固まってしまうと、わたしは、このままビッコになってしまうかもしれない、それほど症状はきつい。固めてしまいたくない。しかし杖を頼って苦労して廊下を歩くのが堪らなく不自由、痛い。ところが、階段はむしろ上れる。脚を、膝で曲げてなら使える。ただ、まっすぐのばして歩けない。いま機械の前に腰掛けてキーを打つなど、何の不自由もない。

* 外出は、すくなくも当分出来そうにない。幸い連休後まで約束は何もしていない。
ひとつだけ銀座で知人の個展がある。妻の調髪は、あす一緒に行こうかというので。その留守の自転車走で、怪我をした。
脚がどうなったのかは分からない。瞬間に一種ふんばって、弱いところへ一点集中痙攣が起きたのだと思う。骨折や頭の打撲や外傷が何もなくて済んだのは奇跡としか思われない。
「あ、ま正面衝突だァ」と瞬間分かっていたし、大きく自転車の左へ転倒し一転げしたのも覚えている。よかった、それだけで。
相手の人も、すぐわたしより先に自転車で立ち去れる程度でよかった。衝突の瞬間その人の方が先に崩れていた気がする。その人に大事がなかったらしく、それがよかった。有り難かった。こんなとき、人も呆れるような頑丈な重い自転車に乗っていたのが幸いしていた。最小限の痛みで済んだ。

* 家の中で杖をつかっても、歩くのは容易でない。だが、機械は使えるし本も読める。床に就いてはたしてどうか、今夜は早めに寝てしまおう。
2007 4・26 67

* 幸い、よく眠れて、明け方は珍しくいい夢もみていた。わたしが主催がわで関わっている大きなお寺での茶会に、知った顔のお客がたくさん見えていて、遠目にであったが高麗屋が夫妻でみえていたり、むかしの友達がいまの年齢で目の覚めるような美しい着物姿で、水屋を手伝っていたりした。
どこのお寺か、どうも特定できないが禅寺に思われた。
昔のことではない、知人たちもわたしも今の年格好だった。めったにない夢で、そこでわたしが何の働きをしていたのかは分からない。だれもわたしを認知していなかった。わたしは見えぬ姿で空を歩んでいたのか。

* 目覚めると、脚に特段の痛みはなかった。動かすと痛みははっきり残っていたけれど。杖で立ち、よちよちと手洗いなどの用をした。とてもまともに歩けないが、苦痛度は何割か緩和されているのをめでたしとする。頑張って、杖ついて、車も頼んで、銀座まで行くかどうか思案している。

* やはり代わりに妻にでかけてもらった。わたしが動けなくなればいやでもこういう事が起きると、その気で頼んだ。
2007 4・27 67

☆ 私語を開いてみて驚いています。
頭は幸いに無事のようなので、敢えていいます。これからは人に云う「気を付けて」を、ご自分にも玄関で言い聞かせてサイクリングに出かけてください。
総じてヤングと爺は細心の注意が不足。
若き頃(ほんの前まで)は、出会いがしらにぶつかりそうになったり、踏み切りのキンコンを無視して突っ走ったりは幾度となくありましたが、最近は、狭い住宅道の優先道路を走っていても、交差の場所では、徐行しています。
と、大真面目に怒りのメールを打っている今、あなたのメールが入ってきて、噴き出してしまいました。たとえ夢でも美人でヨカッタ。ウレシイヨ。いつも肩に手が触れています。
兎に角、超老人なんだから、言動、何に対しても気配りが肝要。但し、人に見えない気持ちだけは、若くありたいものです。
元気な声が聴けて一安心です。お大切に!
追信 私も明け方足が攣れました。数分以内で治まるから、あの痛さがガマン出来るのよね。   古希婆

☆ 是非とも病院に  碧
湖さん 二日ぶりにパソコンを開いて、お怪我のこと読みました。
病院には行かれないままのご様子、それはいけません、内部で出血してわからないままということもあるでしょうから必ず行かれますように。医学の専門家ではない私より、よほどお詳しいとは存じますが。
友人で、やはり脚の内部の血管が切れ、表目には何ともないのに痛くて歩けない、という例がありました。
塞栓症も気になりますし、お願いいたします。どうぞくれぐれもお大事に。

* 人間が出来ていないので、こういう御厚意をいただき、ただ甘えているのである。打ち身というのは暫くして症状が顕在化してくる。ふくらはぎの攣縮痛はすこしずつ和らいでいくが、躯体の芯にすこし痛みの兆す折がある。
この際だから、此処に記録しておくが、椅子に腰掛けてやや前屈みに機械に向かう姿勢が長い。「ペン電子文藝館」の頃はそれが過剰を極めていた。二年ほど前からからだが硬くなりはじめ、その反動が、深夜仰向けに床につくとき、吹き上げるほどの苦痛の呻きがしばらく絶えない、堪えきれない。背筋の脇、背中の中央部が実感として小山のように盛り上がっていて、あおむきにその団塊がなめらかに平たくなるまでに暫く時間がかかる。堪えきれず横臥するとらくになるが、仰向くと反り返るように息が詰まる。いわゆる猫背で筋肉が偏頗にくっついているのだろうとやり過ごしながら、揉みほぐすようなこともむしろ避けていた。骨ではないと感じていた。しかし、仰向きに寝ていると一夜に一度ぐらいピキと音がして背骨が何かを調節しているのを自覚している。
数ヶ月前から自転車で走っていて、ときどき段差や石ころを不注意に踏むと、クキンと背骨の或る位置に響くことがある。ま、自然な反応だろうとやり過ごしてきている。こういうことも有るのを、「闇に言い置」き書き記しておく。

* もっと辛口の「お見舞い」ももらっている。

☆ お加減いかがですか。心配しています。衝突した相手が自動車でなくて幸運でした。頭部のお怪我がなくて幸いでした。
昨日のメールでサイクリング日和などと書いたことを、とても後悔し反省しています。私は、本来日本のような狭い道路での自転車には大反対。しかし、あまり若々しいので、つい大丈夫だろうと楽観していました。撤回します。
どのようにお若く見えても、年齢相応のところはおありでしょう。
今までの経験から、何を申し上げても聞く耳なく、何も変えるおつもりにならないことは充分存じあげておりますが、お節介ナースの性分も変わらないので少しご意見させてください。
二つの理由から、自転車の遠出はもうなさらないほうがよろしいです。
一つは、当然ですが、危ないからです。事故に遇う危険が高いからです。加齢とともに人間視野が狭くなります。まして、緑内障で視野に多少問題がおありなのですから、スピードの出る、無防備な自転車は大変危険だと思います。高齢者のドライバーが危ないと社会問題になっているのは視野の問題と反射神経の速度です。同年代に運転免許を手放す人が多いということもお伝えします。
今のまま自転車で遠出を続けることは、絶えず衝突の危険を伴い、もし急な痙攣などで倒れた場合も深刻な交通事故に巻き込まれる可能性が高いです。
以前に東工大の卒業生の方がヘルメットをかぶるように、また手袋をするようにとアドバイスしていらっしゃいましたが、昨日の文面から判断する限り、どちらもつけていらしたとは思えません。お若い方でも注意なさっているのに、不用心きわまりないことでした。
一瞬の好機ならとお思いかもしれませんが、転倒して首を打ち首から下がまったく動かなくなるという悲惨な事故は山ほどあるのですから、ご家族のためにも、どうぞお気をつけてください。
二つ目の理由は、自転車は凶器にもなるということです。昨日は衝突した相手が同じ自転車でしっかりした乗り手でしたから大事にはなりませんでした。もし衝突した乗り手が大変高齢の方だったら転倒したあとどうなりましたか。あるいは三輪車で飛び出してきた子供の場合、下手すると命にかかわります。自転車で幼児をひき殺したという事故を知っています。被害者になる場合より加害者になる場合はさらに重大なことになります。
以上のことご考慮いただきまして、なるべくなら、今後運動はウォーキング主体にされますことを願っています。おせっかいですが、何卒お許しくださいませ。とても心配でしたので少しプンプンして書いたかもしれません。お気にさわったらごめんなさい。
大型連休ですが、病院勤務は勝手がききませんの。早く病院にいらっしゃいますように。早くよくなりますように。どうぞお元気にお幸せにお過ごしください。  聖

* グの音もない。

* 自転車での加害事故どころか、三輪車でもたいへんな事故が起きることにわたしは何十年前から自覚があり、豆本を出したいという希望者のために、『喪心』という、そういう事故の悲劇を掌説を書き下ろし、与えたことがある。わたしが車の免許をついに取らなかったのは、人を怪我させたくないのが第一の理由だった。金がかかっても運転のプロを雇えばよい、タクシー代を惜しむことはないという考えだった。自転車でも、同じ事を思ってきた。自分の怪我は仕方がない。人は傷つけられないと。
子供の頃から自転車乗りが好きだった。孤独になれるから。そして自転車乗りに技術的な自信が出来ていた。
だが年齢は偽れない。そもそもわたしの年で、自転車で最高四時間も走り続ける誰がいるだろう。二時間でも少ないだろう。出来るだけの体力は嬉しいが、疲労すれば判断力も瞬発力も落ちる。それも自覚して、気はつけていた。
困るのは、脚の痙攣が不時に起きはじめていたこと。
糖尿病のため運動をぜひに奨められ自転車で走り始めてから、昨日をのぞいて三度転倒したが三度とも不時の攣縮痛に堪えきれなかった。昨日の事故も、あとに残った傷害が右ふくらはぎのきつい痙攣痛だけというのが、気になる。急ブレーキをかけるより早く痛みが来てしまっていたか。分からない。
あ、まともに当たると思った。車体の重さ丈夫さを瞬時思っていた。「一瞬の好機」とは、つまり「死ぬ」とは思わなかった。脚が地面につけるかなと思ったのに、もんどりうって地面に仰向けに背中から落ちていった。右脚を思わず地につこうとした、そのとき、ガッときつい痙攣が来ていたのだろう、それでもう無抵抗に仰向きに落ちたのだろう。長袖の、丈長のむしろ冬物のジーンズ生地の上着を着ていたので、擦過傷ひとつなかった。こんな不幸中の幸いにはもう恵まれまい。
2007 4・27 67

* 右下肢の屈伸にまだ苦痛があり、しかし堪えて伸ばして、とにかく縮んだまま固着してしまわないようにしている。伸ばすのが、ないし屈伸して歩くのがリハビリだろうと思う。わたしにもギクリ腰の体験はあるが、妻の場合はひたすら静臥してやりすごすようだが、わたしは、そんなときこそ歩き回って痛みと不自由を固めてしまわない。ものの錆びて固まるのとおなじような状態に、患部を放って置かない。痛くても歩いて復元してしまう。この攣縮痛にも、そう当たっている。素人考えの無謀、叱られるだけかもしれない。
2007 4・28 67

* 歩かないかぎり脚の痛みはずいぶん和らいだが、まだまともに歩くと飛び上がる痛み。右を庇えば、階段の上下もゆるゆる出来る。平場を左右平均に使って歩くのはまだムリ。ときどき杖を頼る。戸外を歩くのはもうしばらく無理か。
2007 4・28 67

* 長時間臥床していても脚はよくならない。びっこを引いて家の中をとぼとぼ歩んでいる。杖を放してもとぼとぼの限り、不安はない。前に出るとき、右脚をうしろへ残して左脚を前に運ぶと、右ふくらはぎが今の能力以上に伸び、呻く痛さで脚が縺れる。塞栓して血流がわるいか、長靴下をはいていても膝下から足首まで、さわさわと冷ややか。

* チューリップに交代し、芝蘭だか紫蘭だか知らんけれど、屋上の細庭を溢れ出そう。物干しを風が走り、日光は強い風にも揺れない。
2007 4・29 67

* いわば土日の連続のようで、大型連休の真ん中のわたしは孤島化している。幸か不幸かちょっとの散歩も出来ないが、妻が特撰の純米吟醸「四合!」瓶を振る舞ってくれ、鯛一尾の塩蒸しをおいしく頂戴した。小さい字を機械の上でみつめていると眼が霞んでくる。映画でも観てわたしも連休しよう。
2007 4・30 67

* シンシンと脚が冷える。塞栓症状なのだろう。
血糖値のために服用再開の「アクトス」が、やはり前回と同様両脚にむくみをもたらしている。むくんだら服用をやめるよう言われている。もう一つの「メデット」に限定し、食前にインシュリンを注射し、食後に錠剤「メデット」。
左上腕背面に、左肘関節にも、屈伸のつど痛みが走る。これは、転倒事故とは関係ない。もともと敗戦直後丹波の小学校でこの肘はフクザツ骨折している。完全には回復しなかった。後遺症の痛みとも思っていない。本の発送で、重い荷を、腰を庇い、腕力だけで持ち運びしたのが響いている。脚にも響いていただろう。幸い骨の痛みは無い。
* 緊急を要するのは、眼鏡を全部、ことに機械近用を、完全に作り直すこと。鼻梁と眼鏡との間に、中指の先端をさしこむと字が読める。抜くと、霞む。東国原宮崎県知事のような眼鏡の使い方はできない。
就寝前の読書は、すべて裸眼。乱視がなければ、そのうち機械も裸眼で使い出すかも。緑内障でこわい視野狭窄は幸いさほど自覚しない。ほぼ水平に左右が視野にある。勝手な思いこみかもしれない。「私」という機械の性能が目に見え落ちてきている。母の九十六歳まで二十五年、保ちそうにない。金婚と百巻に、あと二年。二つともわたし一人では出来ない。

* からだを動かせないと、身辺をかたずけるのもママならない。この機械部屋ではわたしの身の回りは手の届くほぼ三百四十度分、仕事のための、もの・もの・ものが。作業半ばに、本もノートも必要な頁でひらいたまま、無数のメモがちらばり、いずれも自分では何用と分かっているが乱雑感は免れず、ときどきいらいらする。片づけるには、しかし、手を伸ばすだけでは済まない。よそへ仕舞いに行かねばならない。ところが気ままに歩けない。
そういう身辺は、だが、不思議にわたしの体温で温まっていて、落ち着けるとも言える。なんて人間、いや、我が儘なわたしだろう。

* 脚は、どうかと聞いてきてくださる人が、何人も。メールで銘々に返事するのは、だが億劫。で、此処に「私語」している。記録にも、緊急の折の心覚えにもなる

* 気がかりにしていた用事を一つクリヤした。
2007 5・1 68

* 湯上がりの全身を薄荷のいい匂いがつつんでいる。若い若いともだちが、脚の痛みにきっと利くと思いますよと、香水のようなスプレーを贈ってきてくれた。ふくらはぎに少し冷たく、気持ちよく、すてきな香りが舞い立つ。紅茶にも佳い
2007 5・1 68

* だいぶ脚がよくなってきたか。階段は、痛む右足から上がり、左を同段へ追いついて行くとスタスタのぼれる。下りは痛まない左足から降りて、右を同段に追いつけば難なく降りられる。右足で後ろへ蹴って左で前へ進むとき、右ふくらはぎに痛みが差し込む。左で出ては右で追いつかせていれば、杖なしで進める。小幅で、少し右を庇えば、普通にも歩ける、少し痛みが来るが。軽快段階に来ている。一日もはやめに街歩き可能なまで回復したい。五月は、いろいろ有る。

* メールや「mixi」のお見舞いに、感謝。
2007 5・2 68

* 夕方、杖を手に、十分ばかり歩いてみた。すこしムリが利いてきた。攣縮の痛みを堪えて歩くのは、この数年いやほど繰り返し体験している。その伝では、そろそろガマンも利くだろう。とうとう秦さんも杖ついて歩いていると、驚いてみている人もいた。ま、次第送りか。
2007 5・2 68

* 右脚ふくらはぎは、椅子の時間がながびくと、厚い藁で巻いたように腫れ固まって、歩行の痛みは退かない。だが、日に日にわずかに軽快し、痛みに拘泥せず歩いたり階段を上下して、「慣れ治し」にかかっている。手で触れるだけでふくらはぎの表面にも芯にも痛みと違和感があるけれど、押し殺すように平気で過ごせばもう過ごせそうなところへ来た。連休は今日で終わり、今週、一度出かけねばならないし、来週は数日連続する。脚の連休も切り上げねばならない。
2007 5・6 68

* 脚のことを一言。けがの後、初めての外出。痛みもあり、脚をひきずって歩くが、歩行はできた。ただ帰宅の頃は、ことに右足の膝下に藁をきつく巻き付けているような腫れ感覚。そのことを気にしなければ歩ける、杖なしに曲がりなりに。せいぜい歩いて治してしまう。
週明けの谷崎講演の気がしんどい。引き受けるべきでなかった。二十一日まで、かなり出ずっぱりになる。
2007 5・9 68

* 絶不調、というより、やる気が全くわかず、何にも手が着かず、雨までが、通り過ぎていったみたいです。
右脚、ボターッと腫れています。指で押すとむくんでいます。痛み、立ち居、歩行はらくになっていますが。ふくらはぎから下、足首へかけて、へんに赤らんでいます。血流が欝滞しているようです。様子を見ています。
初鰹ですか。風は、もう真夏の素麺。
さ、少しでも何か用意しないと。頭、散漫な、風。

* 旧機の具合、やっさもっさ触り回して、なんとか、ホームページをここへ移せたのではないかと思う。思うだけだが。
頭の中、ぐちゃぐちゃ。ぐちゃぐちゃを人ごとのように眺めながら、いる。脚、なんだか、おかしいが。眼も右肘もおかしいが。
それでも手洗いに入ると、洋花の、名も知らない優しい花容が唐銅の筒にあふれて、もう、目がはなせない。目玉を吸い取られそうに見入っていて、それがよい休息になる。
風が鳴っている。一度目の講演の用意まったく進まないのに、明日また俳優座に招ばれている。二度目はどうなるやら。あと十日ほど、あれこれあって、気ぜわしい。それも楽しんでいるが。
2007 5・10 68

* 晴れて、強風。早起きしての戸外の心地よさは、お天気の日はひとしおなのを、憶えている。老人は早起きというが、わたしは読書で寝付くのが遅く、そうもゆかぬ。八時前に血糖値はかる。やや高め。
午後、俳優座劇場へ。できない宿題をかかえて居直った感じ。
2007 5・11 68

* 六時十分起床、血糖値111。
2007 5・12 68

* くらくらするほど眠い。機械の前で椅子から倒れそうになる。

* 右ふくらはぎ、妻も私も、蜂窩織炎をすこし疑っている。ありえないことではない。かなりの浮腫と部分的な張りとしこりと、指圧あとの潰瘍気味まで感じられる。かすかな発赤がある。これが糖尿病性のものか、自転車事故の後遺症か、それが糖尿病と連動しているのかはわからない。攣縮痛は平穏化している、が、なくなってはいないた。こういう状態は前にも何度もあった。それだけは分かっている。脚の痙攣はもう二年ほど持病なみに頻回繰り返してきた。
じりじりと事態は楽観をゆるさない。聖路加の診察は七月までない。近所の皮膚科か内科に行くにも、せめて二十一日の二度目の谷崎話を終えてからになる。最悪の場合、下肢切断まである。最悪はまだ無いとわたしは感じているが。
2007 5・12 68

* 江古田駅西の武蔵野稲荷に参ってきた。そのころから急に脚が痛み出した。
二時半、そのまま江古田駅に向かい、池袋から有楽町線で新富町までゆき、そこからタクシーに乗り三十分遅れで電子文藝館委員会に参加した。
そのあと、今日で一応総員任期切れの辞職。八人の委員が残り、近くで一夕の歓。朝からほとんど食べていなかったが、その店でもビールと焼酎のほか何もほとんど食べなかった。あと、一人で銀座から帰宅、「千夜一夜物語」を面白く。
2007 5・14 68

* 右下肢の痛みが増してきた。今日重い参考資料を多めに持ち込んだのが重量負担で脚に響いたようにも思われる、が、容態の真相はむろんわたしには分からない。痛みに慣れて我慢しているのであり、杖で家の中を歩いていた頃と、痛み、あまり変わっていない気もする。ビッコを引くように歩いているので左太ももにまで苦痛が転移しかけている。十六、十七、二十一、二十六、三十日と余儀ない外出予定があり、もっと増えることも季節的にありうる。痛み止めをとりあえず服用している。
なんだか、去年のやす香の日記に似てきたなあ。
ま、意識は活発だし好奇心も関心も食欲もある。元気な今のうちに逢えるだけの人にたくさん逢っておきたくなる。
2007 5・14 68

* 昨日、衝突で傷めた自転車を、修理のため、傷めたまま乗って自転車屋に。二時間ほどで修理終えたと電話が来た。わたしの自転車は郵便配達用ともいわれる頑強な車体で、安心感あり、車体には致命的な破損がないので、そのまま生かして故障部分を点検・回復してもらった。しめて一万一千円。快適。
自転車に乗って走ることでは脚にみじん負担がかからず、痛みも無く、らくらく走れる。ところが、歩行だと相変わらず右ふくらはぎに苦痛が来る。どうしても、びっこをひく。
しかしもう痛みそのものに慣れ、どこまで堪えられるかもわかるので、なるべく痛みは痛みとして殺して、普通に歩いてみる。出来るときも出来ないときもあるが。
「笠」さんに教えられたように、起立姿勢や椅子の腰掛け時間が長いと、下肢に鬱血ないし血滞がくるのだろう、脚を水平にあげているとすこし回復する。寝起きの朝は、忘れるほど軽くなっているが、しばらくすると痛みがもどる。電車に乗って、空いていると、右脚を座席から水平にあげている、と、足首が熱いほど温まってきて、ふくらはぎの違和感がややうすれる。歩き出せば、また痛み出す。
ところが自転車だとどうもない。平穏無事。とはいえ、もし何かのはずみで不自然に脚に咄嗟に力が入ると、痙攣のおそれは十分ある。痙攣すると乗車姿勢も保てず転倒するしかない、それほど攣縮の痛みはきつい。危険。
郵便局へ行くのがわたしの大事な用のひとつだが、坂道の往復で、歩くには負担。だが、自転車なららくに数分でポストへ往来できる。気は、つけなくちゃ。
2007 5・16 68

* 脚はややひきずるように庇い脚で歩き、痛みも重さもあったけれど、ほぼ半日の外出にきつい支障なく、痙攣もかすかに一度右脚の太ももに感じただけ。よかった
2007 5・16 68

* 右のふくらはぎを撫で撫で、痛みをなだめすかして、椅子に腰掛けている。椅子の暮らしのよくないのは、座席の前枠が太ももの同じところにいつも当たり、そこで何かしら血滞させそうなこと。すくなくも同じ坐姿で長時間居ると、枠に当たった部分が痛みを覚え込んで忘れてくれない。「挫」という文字の、痛みを食い込んでいる意味が思われる。
2007 5・17 68

* 右脚、膝から下へ堅く腫れている。歩くと痛みは相変わらずだが、構わず歩いている。自転車で近くへ買い物にいったが運転には何不自由なく、不思議なくらい。しかしよほどでない限り、もう乗らぬようにする。ただ、代わりの運動が、「歩いて痛い」のでは。せいぜい用事を作って都心へ外出か。
2007 5・19 68

* 明日の約束が無くなり、拍子抜けして、気楽に寝坊した。横になっている方が脚が軽い。機械二台の回りにモノの溢れているのをかたづけ、「臻」クンの来てくれるのに備えねば。
好天。五月晴れ。
星川さんの訳に基づきながら、バグワンに聴こう。原本には「あなた」とあっても、わたしは「おまえ」と呼ばれて、いつも直接耳に聴くことにしている
2007 5・20 68

☆ いいお天気ですね。もう普通に自転車に乗れますか。お元気ですか。長崎のハウステンボスや西武ドームで多種のバラの花が初夏を謳歌しているのも観てきました。気分は青春で~す。
肉体年齢は古稀でも、気持の青春は、例え薬の力でも元気があってのこと。家に引っ込めばそのラクチンに馴れて老いてしまうもんね。数すくない周りの友人も、あっちもこっちも悪いと云いつつ、個人差はあるけれど、よく食べよくしゃべりよく遊ばはる。先が見え出したもんね。悲しい訃報も聞く機会も多く。 そんなワケで、精一杯元気にしむけていますよ。 泉

* 自転車は問題なし 歩行には痛みが残っています。痛みに慣れてかるくビッコひきながら過ごしています。
元気なようでなによりです。長崎まで行ったのですか。
わたしの状況は可も不可もない、フツー。自転車はさすがに少しこわくなり、自粛していますが、フツーにさっさと歩けないので、「歩く」運動ができません。ま、落ち着いて過ごしています。
むかしなら、古稀すぎて「気分は青春」なんて信じられなかったが、今になってみると、可能なんだとおどろきます。気分分かるよ。
わたしが言えたもんではないが、だけど 怪我、事故に用心あれ。
2007 5・20 68

* 夕方自転車でほんの少し近在を走ってきた。きつい風が奔っていた。
2007 5・20 68

* 自転車でなら五分とかからない駅近くの内科・神経内科へ行ってみた。昨日夕方、自転車のペダルに片足おいて、もう片方の右足でうしろへ蹴って進んだとたん、膝下だけでなく太ももを伝って尻の方へまできつい痛みが走った。乗るには異常ないが、子供のスケーターを片足蹴りして進んだら覿面にこたえた。膝より上はめったに痛まないのと、日大が延期になったのを利して、とうどう医者に行った。神経内科の専門医がいちばんいいと思っていたから。
糖尿病と飲酒から来ていると謂われた。蜂窩織炎はたぶんないだろうと。この医院なりに検査してみますからと、血液をとられた。
両方ともふくらはぎは異様に硬く張っている。むくみもある。神経に、異常ほどの無反応はないが、足首から下がかなり冷たいのも、糖尿病からかと。酒は一合程度におさえ、酒のぶんは食事を落とし、野菜と水分の補給を十分に考えて下さいと。投薬も治療処置もなし。つまり現状のまま。ま、そういうことに落ち着くのではと予期したとおり。
痙攣・攣縮はいつも有るでしょうと。はい、もう数年、反復してあります。つまり糖尿との関係で慢性化しているのであろう。自転車には、常に危険がつきまとうと謂うこと。
2007 5・21 68

* 右脚、ブリ返したように痛む。神経内科での検査の結果、腎臓はすれすれの正常。悪玉コレステロールも似た感じだが、少し正常値よりはみ出ていた。聖路加の検査値よりかすかに良くなっている値もあり、つまり脚の痙攣は、糖尿病からの悪影響。入念なコントロールがぜひ必要と。糖尿病は、腎臓と、神経と、眼に来るおそれの濃い病気であり、ふくらはぎの痙攣痛や足首下の冷化などは神経系の障害と考えられ、眼にもそれが来ている現状。腎臓も安心できない、用心せよと。なんら疑う余地もない。そしてその先に、自分自身の意向も、希望も、ある。
2007 5・22 68

* 杖なし、歩いて目黒まで行き恵比寿から帰ってきたが、脚は痛んだ。六月の京都行きは断念した。旅行鞄が必ず脚へ負担になる。それまでにも、二度三度四度とどうしても都内に出歩かねばすまぬ用がある。一日中、ペンの理事会・総会・新理事会・懇親会というハードな日もある。それにこの痛みに対する治療は、神経内科でもされ得ない、つまりは糖尿病を管理するしかないようで、痛み止め毎食後三週間分が、わたしの希望で、念のために出ただけ。とくに近くのその医院に通うわけでもない。
2007 5・23 68

* 右眼の右隅にかすかにひきつれたような曇りが感じられる。この半月ほどいつも継続して感じられる。鬱陶しい。聖路加の診察を待たずに近くの眼科に観て貰いに行こうと思う。それにしても緑内障の朝夜二度、白内障の朝昼夜三度の眼薬のさしようが、なんでこう下手なんだか。
2007 5・24 68

* 六月八日、蹴上の元都ホテルでの「京都美術文化賞授賞式」と、晩の「吉兆」での役員会、ともに脚の痛みよくならないので、欠席通知した。返信の締め切り現在、痛みがどうしてもおさまらない、仕方がない。
2007 5・24 68

* 六時に起きて先ず仕事を。

* 正午過ぎ、千駄ヶ谷の能楽堂へ向かい、保谷駅で、財布を忘れてきたのに気づく。愛用のカード入れに予備の千円札、小銭入れに五百円硬貨。SUICA カードなのを頼んで、そのまま向かう。右脚痛くまともに歩けない。昭世の『邯鄲』だけ堪能して、帰ろうと。

* 能の前に、狂言『文蔵』は面白い大曲なのだが、野村万蔵たち、退屈の極み。眠たく、こんな辛気くさいへたな『文蔵』には、初めておめにかかった。
昭世の『邯鄲』はさすが。
この能、前に観世栄夫で観たときは正面席だったが、正面では、肝心の邯鄲の枕して「大床」で魯生が眠るのも、立ち居するのも、長い舞を舞うのも、存外に観づらいのである。畳一つほどの細長い大床の、いわば頭側がまっすぐこっちを向いている。つまり床への視野は床の短辺を観ることになる。今日はどんな席をもらっているだろうと思っていたら、昭世の能会では珍しく中正面の七番。ここは舞台から橋がかりから揚幕まで一望に視野がひろく、しかも矩形の大床長辺が真正面に見える好位置。考えてくれたんだと、嬉しくなった。
廬生の大床の、ほとんど大床の上でだけのぜんぶの舞や、所作が、精緻に美しく見えた。なんてうまい能役者だろう、栄夫さんは高齢で脚のおぼつかなさが真剣さになり、悩ましく感動させた廬生だったが、昭世師の廬生は邯鄲の夢枕になにかを教わったと謂うより、夢見る前からつよい洞察が自身の人生に対し用意されていたかと思わせるほど、動揺のない毅然とした達観を想わせた。夢を見て夢だと気づいたというより、夢だろうと想っていたのが夢を見て夢と確かめられた、思い残すことはないという風趣に富んだ佳い廬生だった。
囃子が壮んでよろしく、地謡も聴かせた。ああ『邯鄲』ってやっぱりおもしろさもすごみでも、卓越した能の一つなんだと納得した。昭世はいつもわたしを落胆させない。

* こんなことを想っていた、『邯鄲』一炊の夢に頓悟する廬生は、あくまで自身の人生を問うている。その限りでは廬生は廬生の手の内で問題を解決しているのだが、廬生から離れて廬生を取り巻いている政治的。社会的現実の方は、邯鄲』という能で何か有効に示唆されるだろうか。
たとえばわたしが邯鄲一炊の夢をみたなら、安倍やブッシュや金正日らの悩ましくもいきどおろしい問題もともにうち捨ててしまえるのだろうか。それなら簡単だ、鉦と太鼓でわたしも一炊の夢に世界をかえてしまえる枕をさがして夢を結びたい。そうは行かないだろう。悔しいが。

* 脚は痛み、ひきずって、ゆっくりしか歩けない。情けないほど人が横を通りすぎてゆく。ガラスにうつるわたしは嘗て見知らぬほどふけこんでよぼよぼしている。こりゃいけない。着るものも持つものも大事に気遣いして、若い活気を忘れないようにしたい。
2007 5・26 68

* よく寝た起きぬけの暫くは脚が軽いので、出来るときはつい寝坊する。
午後一番に「臻」くんが機械を見に来てくれる。晴れていて気持ちが良い。腫れていてと、機械が、さきに謂う。気持ちわるい。
2007 5・27 68

* 注文された本のポストからの送り出しついでに、一時間半、ヘルメットを冠り、新小金井街道から新青梅街道を大回りに自転車で走ってきた。暫くぶりのことで、一時間半は短いが、家に近づく頃には、さすがに脚に疲労の重み、鈍い痛みの兆してくるのを感じた 2007 5・28 68

* 今日もヘルメット冠って二時間ほど自転車走。うち三十分ほどはひばりヶ丘のビストロへ沈没して、ジャンボのハンバーガーと自家製の草バンを食べながら、マスターとおしゃべり。よほどビールも欲しかったが、自転車の途中では控えたがいいと覚悟して、やめた。
ひたすらスキャン原稿の校正にとりくんでいる。ま、なじんだ作業。
明日は日本ペンクラブの総会。一時から現理事会、三時から総会で新会長候補と新理事(当選・推薦)が承認され、五時から新理事会。六時から懇親会。
脚、少しずつ良くなってほしいが。散髪して、すかっとした。  2007 5・29 68

* やや脚の痛み緩解しているか。かなり普通に歩いている。ありがたい。血糖値は少し高めに推移している。抑制できない。
2007 6・2 69

* ヘルメットを冠って一時間半あまり自転車で。天気良く、黒目川ぞいも落合川ぞいも、川幅をせばめてもう夏草がむんむん生い茂り、手にむすんで呑みたいほどの清流に鯉の群れが幾つも。花も、名こそ知らないがとりどりの色で咲き競い、遊歩道を行く散歩やジョギングの人たちもみな穏和な表情で、静か。日差しをよけもせず、大きく大きく円弧を描くように走ってきた。かなりビール欲しかったが、堪えた。
2007 6・2 69

* 血糖値がうまく下がらない。そう高くもないが、高い。低くならない。ふくらはぎの痛みは残っているがナミの歩行に戻っている。
ゆうべ千葉の勝田さんからお見舞い頂いた。昨日も妻と噂し、案じていた。勝田さんは、少し歩行できるらしく、しかし機械も久々に開いたと。
松たか子の八月公演「ロマンス」の座席がきまったと高麗屋が知らせてきた。真夏の楽しみ、一つ決まり。心を分別から開放してやり、日々あるがままの「今・此処」をこころよく過ごしたい。だらけてなまけるのではなく。
2007 6・7 69

* 今日は京都で「美術文化賞」授賞式と役員会。出かけたかったが、出欠の返事期限当時は、脚の痛み強く、鞄を提げて旅は無理と判断し、欠席通知しておいた。
幸い今日現在、脚はよほどラクになっているが、右膝下の腫れは、重苦しく退かない。歩行はもうほぼ普通に出来るが、ふくらはぎは、左が搗きたての餅のようだとすると、右は、木の幹のように固い。
2007 6・8 69

* 朝、六時頃に起きた、もう眠い。夜分すんなり、その日のうちに寝入るよう、読書の時間帯や方法を変えた方が健康に、ことに眼のために良いかと、ときどき思う。しかし明日にお構いなく夜更かしして本を好きなだけ読むというのは、老境のとっておきの楽しみでも。

* 中五日、その前は中四日、酒を飲んでいなかった。今日、ちと買ってきた。一升瓶だとぐいぐい減ってゆく。土佐鶴の純米カップ酒五個セットを買い、一個だけにした。なにしろ新聞やラジオがひっきりなしに糖尿病を脅す。脅しているのを読んだり聞いたりしていると、むろん全部当方該当する。ほんとうに自分がどれほどひどいのか、よく分からない。よほど悪いのであろうとアテズッボーだが、人に勧められ、「泉力」というえらく高価な水を毎日飲んでいる。あの農水大臣は糖尿でこんな水を飲んでいたのだろうか。ペットボトル二リットルが一万円と消費税だと聞いている。酒の方がはるかに美味い。
2007 6・10 69

* 風がものを鳴らしている。飛行機も飛んでいる。暑い部屋で汗ばんでいる。
あと二年は健康で元気にがんばりたい、それぐらい何でもないと思っていたけれど、二年の自信が一気に日一日うすれている。何のために生きているのかわかりにくく成ってきた。
健康管理のために生気を見失ってゆくなんて本末転倒のように思う。しかし健康を管理しないと体調が崩れ、それでは生彩ある日々も約束できない。「今・此処」が崩れかけている。バグワンが間に合いそうにない。世間を閉じてゆかねば。
2007 6・13 69

* あの二歳幼童のせめて初舞台が観てみたい。
2007 6・13 69

* 右脚ふくらはぎが堪えている。石のように固く、冷たく。腐ってゆくぞと、わらっている。それでも擽ればくすぐったい。痒いときは痒い。叩いても抓っても痛い。おもしろい。
2007 6・15 69

* 久しぶりに朝七時の血糖値が、112。正常値。四時間と寝ていない。
相変わらず大拙、バグワン、太平記をキッチンで音読後、床に座り、ルソー、イリアス、旧約歴世記、総説旧約、アメリカ史、英語のマキリップ、そのあと小沢昭一の淫猥にアケスケな文庫本を耽読してから電灯を消した。
2007 6・16 69

* 今から総務省へ出向いて、電子メディア委員会。官僚の話を聴くために。さ、どんな気分で帰ってくるかな。
脚は両方とも膝下表皮に紙を貼り付けたよう。どうもない左は湖の本でいえば本紙を貼り付けたみたい。痛みののこる右脚は表紙を巻き付けたみたい。幸い歩行はほぼ普通に出来ている。帰りに夕食をしてきて良いと言われている。
2007 6・19 69

* あいかわらず右脚、痛い。

* 明日とまちがえて、危うく眼科検診をミスするところでした。午後で助かりました。
エリザベスの後半は、凄みもあり堪能しました、観ましたか。ヘレン・ミレンに脱帽。上下編を通してよく計算された構成でした、が、やはり後半が緻密でした。前半のレスター伯にくらべると、後半彼の継子のエセックス伯はちんぴらのようで、いま一つグッと差し込んできません。イングランドというのは凄い歴史の国です、議会制などの深く学びたい面も、いかにも食肉人種のすさまじい面も。「ジェントルメン」という歴史的にすすどい階級の、紳士というあやしき仮面が、もう素顔に張り付いて素顔そのもののようです。
病院がすんで脚が痛くなかったら、浅草辺を歩いてから帰ろうと思います。
2007 6・27 69

* 視力・眼底・眼圧・視野検査してから診察までの待ち時間が長い。
緑内障・白内障とも緩やかに進行し、ことに左眼が思わしくないので、左だけ薬が三種類に増えた。右は今まで通りの二種類。今度は半年も間をおかず、来月もう一度来るようにと。
二度も眼底に試薬を入れられたので、院外に日中に出ての視野まっしろにまぶしかったこと。銀座を断念して池袋にもどり、「たん熊北店」で嵯峨となをつけた料理を注文し、冷酒一合。よく押さえたモンだが、食後のデザートあとに、生ビールをもらう。
食事のあいだ、ずうっと興膳宏氏の漢字の本に読みふけっていた。本読みが主で懐石はそのお伴という按配。気分は良くなったが、脚は腫れ上がって痛く、ひたすら帰った。七時前だった
2007 6・27 69

* ゆっくり脚をのばして長い時間寝ると、脚の負担が軽くなっている。動いているうちに痛んでくる。
2007 6・28 69

* 第一回の新・言論表現委員会の日程打診がきた。言論と電子とをあわせると相当な人数になるだろう、しかも両委員会での話し合いの筋も質もよほど異なっている。両委員会に出てきたから、よく分かっている。どうか、互いに中途半端にならないようにと願う。
十三日金曜日は、聖路加での検査と診察日。ま、間に合うだろう、幸い聖路加からペン本部へは近い。
2007 6・28 69

* 一仕事二仕事してから、自転車で郵便局に行き、一度帰ってまた薬局に行き、処方の目薬を受け取った後、そのままヘルメットを頭に載せて、保谷から北へ北へ走った。自然に西へ西へ走っていた。平林寺のわきをどんどん西に向かい、志木街道を南へ折れた。大きな並木の佳い道で、三つ葉葵の門の延命山長命寺と欲張った名のお寺の前をどんどん南下した。どこかで小金井街道に転じていた。曹洞宗龍源寺? とか水天宮とか。そして清瀬駅北口へ来たところで雨に降られた。雨は激しく、濡れるのは構わなかったが、道が分からなくなり、その先はめくらめっぽうに走ってそうとう難渋した。ずぶぬれのまま辛うじて西東京地区に入ってからも右往左往、二時間たっぷり走り回ってほうほうのていで家に着いた。
血糖値、98。じつにけっこう。100 を割る血糖値に出逢うのなんて久方ぶり。そして自転車だと脚はいっこう痛みもしない。ただ自転車を降りると、脚は腫れぼったい。

* アワを食うのは見っともよいものでない。自身に義務感をしい、あれもこれもと催促しているとき、人は、アワを食う。この食い物はきもちを途方もなく不安にする。そんなときは、楽しいことの方へ身も心も寄せるのがいい。
2007 6・29 69

* 自転車で、ひたすら南進一路の一時間、武蔵野北高校の前から玉川上水をさらに南へ調布の深大寺公園まで走った。ピクピク脚が攣ったが、ゆっくり走り、また一路北進帰路についた。ところが急に血糖値が下りはじめ、手足が痺れ、かるく失神を覚えはじめた。その症状には過去数度は覚えがあるので、幸い日曜ながら和菓子の店があいていたので「三笠」を二つ買ってその場で食した。症状はピタリと消えた。家に帰り着いてちょうど二時間余。しかし小豆餡の好きな菓子を二つも食べては、血糖値はもとの木阿弥。それにしても低血糖での自転車走ははなはだ危険、やむなし。
2007 7・1 70

* 低血糖に襲われながらむしゃむしゃと口に入れた三笠の餡のうまかったこと。わたしはどうも「餡」に弱い。「餡」がこわい。それで酒飲み。病気になるように出来ている。
2007 7・1 70

* 二時すぎに寝て、四時に一度起き、六時には床をはなれ、機械の前へ来た。ちょうど六時間ほど仕事をした。正午のいま、ねむい。
2007 7・3 70

* 夜前はほとんど眠った気がしないので、十時半、もうやすもうと思う。夜に読む本も、夕方の内に読んでおいた。バグワンと大拙と太平記の音読だけしてからだを休ませたい。今日は午前中脚も痛んだ。自転車で走る元気がなかった。建日子たちに心配させたか知れない、眠いだけだから心配しなくて好いよ。
2007 7・3 70

* 二時間おきに目が覚め、五時過ぎに起きてしまった。血糖値 122 は、まあまあ。そのまま仕事しながら映画『愛に翼を』を流していたが、少年イライジャ・ウッドを芯に、ドン・ジョンソンとメラニー・グリフィスがというつねは元気印の二人が愛児を死なせた切ない両親役を静かに烈しく演じてあわれあり、女性監督のセンスのよさが画面ににじみ出て、胸にしみる感動作に仕上がっていた。起きてきた妻も一緒に二度観た。仕事も出来た。二階へ上がってきて、まだ八時を少し過ぎたところ、朝飯前の早起き仕事が効率よかった。しかし眠くなってきた。
2007 7・4 70

* 二時間、文字通り昼寝して生き返った。睡眠が不規則になると消耗する、要注意。梅雨らしいのか、梅雨になりきってないのか。明日は雨でも出かける用がある。
山形県村山市の有名な「あらき蕎麦」主人から一度来ませんかとお誘いが来た。もう昔に一度立ち寄ったことがある。校正刷りをかかえて出かけようかなあ。
2007 7・4 70

* 朝七時前、なにか動きの速い夢の途中で左フクラハギが烈しく攣縮、妻を呼んで拇指を反転してもらい痛苦に堪えた。腰にまで上がってくる痛みようで。この一両日、左脚への負荷を感じていたのが、実現したというか。ロキソニン一錠をのみ、左脚引きずって歩いてみる。歩いて回復させるしかない。
骨折はしていないが、脚の故障から行動性を損なってゆくみたいだ、フクラハギの芯に両脚とも、鶏卵ほどのしこりがある。足指のさきまで動きは少しも悪くなっていないが、血流の結滞が起きていないか、起きているからのしこりか。わからない。ふしぎなほどこの攣縮のことには糖尿病の主治医も冷淡で対策してくれない。
本当は、運動や節食をつまり一番の「仕事」にせよというコトなのであろう。命を救うにはそれだという戒めなのだろう。
命を救うとはどういう意味だろう。何のために救うのだろう。死を懼れているのは確かだ、が、じつは生きることにも執着が日々に薄紙をはぐように薄れているのを感じる。
分かりいい物言いを自分に納得させるなら、あと二年は保たせたいがと。金婚カンと鐘をならすことには望みがある。妻にも元気でいて欲しい。
* 浦島太郎のことをときどき思っている。いまから竜宮へ行きたいのか。玉手箱の蓋があけてみたいのか。
2007 7・5 70

* 紀田順一郎さんとはまず最初に電子メディア研究会を創った頃からのお付き合い。わたしなどより遙かに電子メデイアの世間では名の通った、蓄積の多い方で、あのころから何かにつけ教えられてきた。ほぼ同年配の先輩であるが、ご老人の介護などあり、委員会から早くに引かれていたが、「ペン電子文藝館」への出講や、なにかにつけ要所で頼ってきた。その昔にも池袋までお越しいただき、話したことも。この人など、もっと早くにペンでは働いて貰える場所があったろうにと、今頃になりもったいなかったと思うのである。

* 街はめっぽう暑かった。池袋で昼食し、ゆっくり時間をつかってから、都心へ移動。朝の脚の痛み、ほぼ脱けてくれていた、ホッとした。
2007 7・5 70

* 両のふくらはぎが、巨大なソフトーボールのようにまんまるく膨れ、青い血管が幾筋も怒張している。朝起きたとき、両足とも痛くて立ち上がりにくくビックリした。暫くして歩行に問題なくなり、しかしふくらはぎの大きいこと両掌の指いっぱいに広げて回しても届かない。大根脚でなく大きな身の入った蕪脚である。よく見るといたるところ不整形にこぶこぶしている。皮膚の少し下の方に硬結が双方二つ三つずつ指先に触れて痛む。痺れ感は膝下から脚の付け根まで登ってきている。
2007 7・6 70

* 夜前、興膳宏さんに戴いた本を読み終えた。
わたしは。新井白石らのほか、和臭の濃いわが近世の漢詩は、頼山陽のものをはじめ、あまり好まない。上古・上代の漢詩は鑑賞に堪えるけれども。興膳さんの本を読んでいるとしきりにまた唐詩選や陶潜や白居易の詩が読みたくなる。宋詩や、また歓楽の味の濃い袁枚の詩もなつかしい。
2007 7・6 70

* 英語のマキリップを読み終え、さらに「湖の本」の長いあとがきを校正しおえる頃から、覚えの違和感が全身に充ちてきた。まず異様な腹部の漣立つざわめき、そして四肢のさきの痺れ、冷や汗、気がうすれ遠のいて行く感じ、そして全身に来るかすかな震え。
低血糖症状にちがいなく、起きてはかってみると、76。異様に低い。一時四十五分。
すぐ、戴いてうま味あま味を覚えた黒葡萄ニューピオーネを冷蔵庫から出し、立て続け五粒口に含んで、もう一度計ってみると、82。今暫く葡萄をたべ水をのみ、食パンを三分の一枚ほど口に入れた。107まで戻して、気分もすっかり元に戻ったので寝た。
この二三日、両足にいつ攣縮の痛苦が襲うかわからない不安定さだが、寝ながらも用心して起こさぬようにしている。
九時半まで寝た。痛む両脚が、すこし柔らかい。

* むかし、東大の衛生学にたしか豊川行平という教授がおいでで、医学書院の仕事で何度かお目にかかったりお話を聴いたことがある。その一つに、「手当て」のことが有った。患部にただ「手を当てて」もらうその文字通りが、ちゃんと治療効果をもつことを昔の人は心得ていた、自分も軽い腹痛などは家内に手をじっと当ててもらって治します、と。
海外に行くと、「手のひら」を絵に描いた看板をみることがあるのは、一種「手当て」の医療行為屋さんですよと。
「手かざし」という医療行為でべらぼうに当てた人の出たのは、その話を聴いてのちであったが、わたしが『手さぐり日本 <手>の思索』という連載と本とを売ったのも、豊川先生のお話が強い一つの契機になっている。

* 東工大の教室で藤平信一君に逢った。彼は合気道の全国チャンピオンだったが、お父上が「気」による治療行為の大家で、藤平君はいまは学院を嗣いでいるはず。
このお父上の著書を戴いて、一つだけときどき試みていることがある。指先三本をかためて例えば痛む筋肉などに当て、「気を送る」のである。具体的には指の先が水道の蛇口のように「気」を流し送り始めるまで静かに待つ。肩こりなどは、これで軽減させられる。
黒いマゴや妻の寝入っているときに、そっと首や背で試みると、しばらくして必ず、ビクビクと肌の奥で肉か血かが動き出し、熱くなるのだろうか何も気づかずにきっと身じろぎする。必ずする。そんなとき、指先から水が流れ落ちているのと似た「気」の感触がある。
いま脚の痛んだり、硬結したりするのも、ちょいちょい指か掌かで緩解させている。
2007 7・7 70

* 郵便を幾つか出した脚で、二時四十五分から四時五十分まで、休まず自転車に乗ってきた。
ひばりヶ丘駅から田無の高いテレビ塔の手前で西へむかい、滝山団地、西団地を西へ西へ通り抜けて野火止用水に当たったところで用水に沿ってどんどん恩多町を南下、萩山五丁目から新青梅街道を東へ戻って、花小金井四丁目を左折、ひばりヶ丘駅へ戻っていった。家の近くの坂道を二度全速で往復してみたが息も切れなかった。脚は一度二度攣りかけたがカバーした。水も補給の必要がなかった。血糖値、102。上等。
2007 7・7 70

* 一時二十五分から一時間十五分ほどかけ、昨日と同じく東村山の界橋から野火止用水沿いに南下、新青梅街道の「からほり川」の橋の上まで走って、あとは新青梅街道を田無の大鉄塔下までもどった。そこで左折し、ぐるぐる走り回りながら、三時四十五分頃帰宅。血糖値、92。美味しいマスカットで糖を補給し、入浴。
2007 7・8 70

* 機械の前でウトウトする。ほんのまどろみの中でも短い夢をみる。どうしてこんなと想うほど現実の自分と遠く離れた夢をちぎれちぎれに観る。

* 夕食のあと、酒も飲まないのに今宵も睡魔に襲われ寝てしまった。十時半まで。ま、いいか。
2007 7・8 70

* ふくらはぎの軟らかさが左右ほぼ同じになっている。痛みはやはり右に有る。
いま、脚より不愉快なのが右目尻のやや粘った曇りで、二ヶ月ほど感じている。この前聖路加の眼科診察で訴えたが、斟酌されなかった。視力は落ちていないし、右でなく左の視野がすこし気になるのでと、新しい薬が処方された。しかし日々に不愉快でまた不自由化しているのは、わたしには右の目尻の曇りなのである。やや堪りかね、近所の眼科へ行ってみたくなっている。
「視る」「視にくい」という実感では本人のそれが圧倒的に現実であり、例の視力検査の口頭でするあれなど、わたしが強いて努めて勘で読み取るか、あっさり読めないと答えるかで、ずいぶん結果が左右される気がする。
わたしはむかし「臨床眼科」の編集者でもあったけれど、『眼鏡医学』という専門書も企画し出版したけれども、他の医学部門にくらべて眼科学、ことに眼鏡とのかかわりでは、なんとなく頼りない感じが失せなかった。眼科は外科に部類されているように、手術以外のいわば内科学的治療がなんとなく覚束ない。
2007 7・9 70

* 自転車なら十分とかからない、以前から馴染みの眼科へ行った。右の目に点眼薬を処方してもらった。これで眼薬は四種類。それでも眼は悪くならない方が良い。眼鏡はいくら作り替えても同じだろうとのこと。近くは裸眼で、と。
その脚で二時間あまりまた走ってきた。伏見通りを、仙川上水、玉川上水まで行って西へ折れ、五日市街道から北行、ひばりヶ丘駅へ帰った。商店街で欲しくて堪らず、和菓子の店で店がお勧めの「どら焼き」を買って帰る。血糖値、108。
2007 7・9 70

* 雨で遠くへは走れなかったが、近くの舗装された広い坂道、まだ車の通りきれない長い坂道を七往復全力走してみた。
2007 7・10 70

* 雨を厭うていては 幾つかみすごしてしまうものもある。堤彧子さんの繪や、上村淳之さんらの繪など観てこようと思う。校正をもって出れば、一区切りまで行くだろう。
明後日は糖尿病の診察日。そして新・言論表現委員会。
2007 7・11 70

* 出かけるときは軽かった脚が、歩いている内に重く痛んでくる。攣らない限り気に掛けないでムリムリにでも歩いてゆく。具合がわるくなったり軽快したり、気まぐれな脚だ。
2007 7・11 70

* 幸い雨の小降りをしおに一時間か半ほど走ろうと、新座市の東から北行し、朝霞市を経て志木市の駅前まで行き、荒川を観るのはあきらめ、また少し降り出した中を柳瀬川通りをひたすら南へ、秋津駅まで走った。この辺は帰りによく迷う道で、清瀬駅まではなんとか行ったが、そのあと雨の中を迷走し、やっと黒目川に出逢い、落合川にたどり着いて、おかげで帰り道を確保したものの、想像したよりよほど上流に逸れていた。
川沿いの遊歩道は走り慣れている。雨で人は少なく、川水は増えて濁って流れ早く、濃い灰色の夕暮れをひとりのんびり堪能しながら、しとどに全身濡れて帰って来た。ひばりヶ丘駅へ抜け出て、我が家の方へ。血糖値は、102。良好。夕食、入浴。
2007 7・12 70

* 聖路加へ。済んだらペンで、初の新合併・言論表現委員会。
朝一番に愛知から速達で会員に推薦依頼がきていた。七月理事会には間に合うまい、八月は休会。もう五日早ければと。

* 夜前、マキリップを読みおえもう寝ようかと思った二時頃、なにかしら覚えの感触。はかってみると血糖値、69。これはもう危険ゾーン。かつてなく低い。すぐカリントウ一袋とちいさい湯呑み一杯の「萬歳楽」で回復。今朝の血糖値は、102。学会は110までが正常値。聖路加では空腹時125までが許容範囲。今日はいつもの血液と尿検査の他に心電図などの検査もある。

* 自転車走の効果があがってか、いつも気にされる値が、一パーセントも下がっていて、ドクターは上機嫌だった。諸検査の結果も、問題なかった。
一時には病院を解放されたので銀座へとってかえし、汗みずくティーシャツ一枚でフランス料理の「レカン」にとびこんだ。せめて備えのジャケットを持って席入りをと頼まれてそうしたが、むろんそんな暑いモノは着なかった。
料理は、涼しく、うまかった。茄子はいやよというのを知っていてくれて、すべて言うこと無いメニュ。ドライシェリーと赤のワインとで。オードブルは新任の料理長が一皿べつにウナギを小粋に焼いてサービスしてくれ、、メインはすてきに美味いフィレ肉をえらんだ。冷製のスープも凝っていて満足。例によってデザートも幾種類も選ばせてくれたし、エスブレッソはダブルで、さらにシングルでとサービス満点だった。わたしみたいに行儀の悪い、つまり服装の簡略な客はなかったのに、ハンサムな若い料理長が出てきて名刺交換までした。馴染んだ店は馴染めば馴染むほど居心地がよくなる。「世界の歴史」の第十二巻をゆっくり読んで、好い昼食を満喫。
2007 7・13 70

* 一気に保谷に帰り、処方箋を薬局に渡しておき、馴染みの鮨「和可菜」で、冷酒、美味い鮨をシャリ少なくにぎってもらい、大トロと白身とを一貫ずつ追加してから、機嫌良くとことこと家まで歩いて帰った。インシュリンを賢く補給しておいたので、家で計って血糖値は、113。上等。
2007 7。13 70

* 右眼の目尻が曇って、鬱陶しい。機械の操作にもめんどうが生じている。眼科医は、読書も機械も、それは問題有りませんといつも言うが。
2007 7・17 70

* はやく起きていたので、かなり疲労している。明日もう一日根をつめると、とりあえず、いつ本が届いても大方の発送には間に合う。次の本の用意にももうかかっている。今夜はもうやすんでもいいだろう。
あさっては俳優座の稽古場芝居がある。来週末にはもう一度眼科検診があり、三百人劇場を出て初の、劇団昴公演にも招待されている。八月の勘三郎等の歌舞伎座、そして松たか子の『ロマンス』の座席券も、嬉しいことにもう届いている。
2007 7・18 70

* こう地震が多いと地震嫌いなわたしは、小さな旅にも出渋るが、前回の癪をはらすために、今度は予約してもう一度熱海の湯に挑戦してくるかなあ。東海地震という脅迫もあるが。祇園会の間はなかなか宿が取れないという京都へ、ふいとせめて一泊してくるのもいいが、重い荷物を持ちたくない。脚には重荷が直ぐ堪えるから。そろそろ自転車衝突事故から三ヶ月になる。
2007 7・19 70

* 右の目尻がおかしいと言うのに聖路加の眼科医は一顧だにしなかった。仕方なく近所の眼科で点眼薬の処方を受けた。しかし相変わらずと言うより相変わって右目は不自由と不愉快が進行し、細い目がさらに縮まってきている。引き攣れたように曇っている。目やにも出る。冷水で洗って持ち堪えている。
緑内障の薬を朝と夜、さらに緑内障の左眼用が夜分一回。白内障用が両眼朝昼晩。さらに右目尻のために朝昼晩夜。これでは目に薬が多すぎないか。
2007 7・20 70

☆ 秦さんへ  近医の眼科では「眼底検査」をしてくれましたか? もしまだでしたら見てもらったら如何でしょうか。目薬のこともその通り話して相談してみてください。目はほんとに困りますから。
どうかくれぐれもお大切にしてください。取り急ぎ。  笠 千葉 E-OLD

* 聖路加でも近くのドクター(元厚生年金病院眼科の部長。昔から定評あり。)も眼底は必ず覗いています。痒みと目やにとからみて、わたしのかつて経験しなかった時季と型との新・花粉症では無かろうかと疑いかけている。二十六日に再度聖路加で検査があるので、念のためその前に近所の眼科へもう一度行って訊いておこうと思います。
2007 7・20 70

* 「今・此処」は沸騰。左奥歯の噛み合わせわるく、キクキク鳴る。
それでも坂田藤十郎出演の藝能インタビュー番組は面白かった。NHKの女アナウンサーの笑顔もよかった。ああいうところで男のアナウンサーだと、教室での勉強じみていけない。シュワルツネッガーの『コマンドー』は何じゃこんなもんだったかと思うほど平凡。

* 三時半から二時間十五分、自転車で平林寺の東側を北行し、まっすぐ志木駅につくと、トンボ返しに平林寺の西側を南行して落合川べりからひばりヶ丘経由、帰宅。
血糖値、107。
あの自転車衝突事故からまる三ヶ月に三日欠けるが、今日初めて脚の故障を全く感じなくてすんだ。左右の自由感が同じになった。回復か。
2007 7・21 70

* どの本もおもしろくて夜更かしし、あと眠りはしたが浅く、暗闇に溶け込んでいたり、しらしら明けを感じながらかなり永く床の上で静座していたり、仰臥のまま両脚を十五度ほどあげて三百数えたりしていたが、五時すこし前に起きてしまった。
映画『PROMISE』の後半を観ながら、自分で素麺をゆで、冷やし、朝飯にした。朝飯前の血糖値は、103。
2007 7・23 70

* 眼科でまた点眼薬が一つ増えた。白内障の点眼薬をしばらく休むことに。患者七人めで一時間待った。新大陸オーストラリアの歴史を読んでいて、退屈しなかった。片目の塞がるのをなんとかよくしたい。まさかトラホームではと聞いて笑われた。わたしと同年配の医者の「学生時代」からトラホーム観ていませんよ、と。
こんどはまた歯が痛んできた。やすむまなく、からだが悲鳴をあげている。それを観察している。
2007 7・23 70

* 体調に不安を感じる。一日に二度も寝入った。まだ九時半だが、もうやすみたい。
2007 7・24 70

* 体調や気分にいまひとつ冴えのないときは、押して自転車で出てしまうのがいいと決めて、一時四十分の日盛りに家を出、朝霞市の方へ向き、黒目川に沿ってをひたすら下流へ走り、新河岸川を越えて荒川の土手に上がり、草の匂う土手をゆるゆると風に吹かれて遡行、秋ヶ瀬橋をなお上流に走って土手下へおり、今度は柳瀬川べりを上流へ秋津辺までさかのぼって、清瀬、東久留米から落合川べりに行き会い、たっぷり三時間四十分かけて家に帰った。新幹線なら東京から岡山辺までかかるほど走っていた。足はかえって軽くなり、疲労しながらも気分は爽快。日盛りで真っ黒になっていることだろう。血糖値は、86。もう一時間も走っていたら低血糖で震えだしていただろう。エビスビールの一本がうまかった。
2007 7・25 70

* 昨日、荒川の高い草土手を自転車をひっぱりあげて奮闘した。ふんばる脚に痛みも故障もないのが確認でき、嬉しかった。四時間近くも走ったのだから、脚に身が入って帰宅後重かったのは当然の反応。まる三ヶ月でようやく脚は回復。まだフクラハギは腫れて太いけれど。芯に、硬結は触知できるけれど。
眼は、なんと五種類の点眼薬をめまぐるしく用いている。眼球の焦点機能が年齢のせいもあり、そうそう機敏に反応しないと言われてみると、あきらめざるをえないが、ながい、しんどい眼との付き合いが今後もつづくということ。
2007 7・26 70

* さて今日は眼科検診を受けに出かける。暑そうだ。
2007 7・26 70

* 何の検査もない十二時からの予約診療の、十一時半以前には順番を確保しながら、診察は午後一時五十分からのただの五分ほど。二時五分には内科で処方箋配布が終わる予定の妻の時間とは、優に一時間差が出ると思っていたのに、経理はバッチリ同時刻。あとにもし予定の仕事など控えていたらどうなることか。
帰りは妻と一緒に有楽町の「きく川」で遅い昼ご飯に、鰻重。あまり暑いのでどこへも寄らず有楽町線で一路帰ってきた。
緑内障の増やされていた点眼薬は効果を挙げていたらしい。右目の結膜炎かとおぼしきは、軽い花粉症様の症状と、近所の眼科から出ていた薬の使用が禁じられ、新しいべつの薬が処方された。患者はふりまわされる運命か。
2007 7・26 70

* さ、新刊が何時頃に届くのか、届くまで落ち着かないのがいつものこと。夜前は、二時頃に階下におり、それから例の本を九種類全部読み、一度灯を消してからまたつけて、英語のマキリップの続きを読んだりした。七時に起きた。少し眠いが。血糖値、116。落ち着いている。
2007 7・28 70

* あんまり照りつけているので、さすがに自転車で走るのは怖い。風はよく流れているけれども。
2007 8・3 71

* 熱帯夜になんと五時前に寝坊助の妻がたまらず起きてシャワーをつかっていた。わたしも六時前には起きてしまった。
2007 8・9 71

* 目薬をわたしはいま手元に六種類も医者から出されているが、過剰。これでは目が引き攣れてくる。こまったものだ。テキトーにするしか防ぎようがないので、結局緑内障の二種類と白内障の一種類とで辛抱している。眼鏡は、もうあまり役に立たない。

* さっぱりと散髪。すべてまかせて、きもちよく寝ていた。
2007 8・9 71

* 栃木の葡萄をたくさん戴いた。からだが要求するのか、食欲が落ちると云うことは無い。
2007 8・11 71

* 朝昼兼帯の食事を十時半頃に。そして休憩に映画の『ダロウェイ夫人』を半分ほど観ていたが睡魔に征服されて畳の上で、ゴロリ。四時過ぎまで眠っていた。幾らでも寝られるナア、眠たいなあと夢うつつに眠っていた。
2007 8・14 71

* 聖路加眼科の薬も佐藤眼科の薬もわたしの右目尻の混濁を治してくれない。ほとんど半眼をふさいだ不自由な片目で機械に向かっている。どうなるのやら。
さ、もう休もう。
2007 8・14 71

* 右目が霞み、左下の奥歯が痛み、どうしようもない有様ながら、なんとかかとか一日中いろいろのことをして家の中で過ごした。外へ出て行く気がしなかった。
2007 8・16 71

* 内藤昭一さん、宮脇修さん、但馬征彦さん、伊吹和子さん、持田鋼一郎さんら次々に大勢の方らの「閑吟集」へのお手紙を戴く。本は出せば出したで、蔵は建たんが、気は引き立つ。「梁塵秘抄」もまたとても面白い。

* 明日からまた歯医者に通う。
2007 8・17 71

* 曇っていつ降るとも知れぬ雲行きだったが、沼袋の歯科へ。もう二年越しに調子悪い左下の奥歯、ぐらついて根もさだまらず、抜くより手がないとなった。わたしもそう感じて不具合に難儀していたので、結論に納得。十日ほど待って、抜歯。薬など入れたらしい。

* 久しぶりに江古田の「リヨン」へ寄った。マスターと久闊を叙して。しろい鳥の胸肉を二種類の和え物と洋風の漬け物とで食べたのが、上等の味であった。南京の冷製ポタージュも口触り気持ち良く、さてメインは骨ごと食べる綺麗な鮎の姿焼き。これはよかったけれど、添えて煮物の長茄子はいけなかった。そっくり残したが見ているのも気味がわるい、閉口した。はじめに白の、つぎに赤のワイン、この店はよく吟味して出してくれる。世界史の本を読みながらたっぷりのデザートと珈琲で、しばらくぶりの「リヨン」の味に満足した。マスターの、『逆らひてこそ、父』がおもしろかったです、というのに少し照れた。読んでくれただけで有り難い。

* 江古田駅ちかく、安い売り買いが売りの書店に初めて入った見た。岩波文庫で『水滸伝』十巻そろいの四千円というのに気が少し動いたが、講釈めく訳文の軽さにいまひとつ気乗りせず、買わずに出てきた。
やっぱり暑くて。保谷でのタクシー乗り場に人のいないをいいことに、地ベタに座り込んで待った。
2007 8・18 71

* 終日、働きに働いた。もう眼がつかえないほど霞んでいる。
2007 8・23 71

* 銀行へ行き、市役所へ行き、眼科へ行った。眼は前に診察を受け投薬されたときよりも悪くなっていた。薬がまた変わった。
昔の中華料理「武蔵野」(昔の武蔵野鉄道社長の邸宅を中華料理店にしていた。広壮で高等で美味い店だった。)のあとがあらけないファストフード風の店三軒に変貌して、見る影もない。
朝日子もつれてよく親子で「武蔵野」でも食事した。★★らの留学から帰ったとき、此処で贅沢に祝い、やす香が大はしゃぎに名カメラマンぶりを発揮していたのが忘れられないと、妻は言う。

* タクシーで帰ればよかった、歩いている途中から左脚が不穏に攣りはじめ、休み休みたどり着いた我が家の玄関の外で、脱水したか疲労の極ということもあり、妻の目の前で激痛の左攣縮で段差から倒れ落ち、痛みをどうしても和らげきれず、長時間かけてやつと家の中に匍いこんだ。また家の中でも、杖。今度は左脚。おかしな人である。
2007 8・29 71

* 夜中、夢をみたままひどく発汗し、悪寒に襲われ、肩先から烈しく寒さに震えた。幸いきちんと掛け布団を用意していたので、くるまって事なきをえた。
なんでも、葬事のある家にとびこんでいた。ぐるぐると家の中をまわり、人影も咎める人もなく、葬祭のしつらえばかりをこまごまと見て、さながら駆け回っていた。祇園四条通の或る家に思われたが、家の周りに草野も見えた。もう夢の中のその余は思い出せない。
2007 9・2 72

* メラニー・グリフィスとドン・ジョンソンの、それにイライジャ・ウッドが事実上の主役をする『パラダイス 愛に翼を』を、わざわざ選んで観ていた。
淳で、柔らかくて、温かいものが、観たい。欲しい。そう思って。
心優しい、ほんとうに天国のような佳い世間だ。最後に、泪が来た。泪はある種の目の病にわるいと、落語で聴いた。右目尻の、かすかにだがニチャついて霞む不快感が、なかなかとれない。
2007 9・5 72

* ひさしぶりに自転車で落合川を溯ってみた。上流で大がかりに河川工事していたので川河から逸れて、田無寄りからひばりヶ丘のほうへ戻り、「びすとろ・ティファニー」のわきの酒の店で、焼酎「無一物」の佳いのをみつけた。「無一物」の十二年ものは、以前新宿に「美しい人」の和食の店があったとき、そこでよく飲んでいた。
ああ、あんな店があったらいいのに。
自転車はとくに苦でなかったが、薬局へ目薬を買いに入り、そこのおばあさんと、というのが同年配という意味だからこまるのだが、話してたり、酒屋の賢そうな女将さんと話してたりしているとき、いちばん気持ちがラクになっている。曰く因縁の、何もない世間の人たちに気分を癒されている。あの「美しい人」もそうであった。ああいう人がいたらいいのに。
2007 9・7 72

☆ お元気ですか、風。 7:23 花
最近早起きの花です。
台風では、何事もありませんでしたか、風。
こちらでは、台風が来ると、高速がたいがい通行止めになります。
国道一号のバイパスと、東名と、東海道線とが、並んで走っているので、海が荒れると、水びたしになってしまうのです。高速を回避した車は、一号バイパスに来るので、支線を含め、大渋滞でした。
うちは、木の倒れることもなく、カーポートの屋根の吹き飛ぶこともありませんで、ほっとしています。
残暑がぶり返し、じめじめした日がつづきますが、お体お大切に、風。

* 花に怪我なく、よかった、よかった。
なんだか雨ばかりジャージャー降っているみたいだと思いつつ、台風にあまり実感なく、閉じこもって、用事を捗らせていました。役に立つという励みはあまりなくても、これだけはと思うことは、仕上げておきます。気の芯をまっすぐ保つのに、そうして自身で自分を励ましています。無用に気を刺激することは避け、日から日へ元気に過ごしています。
今日は抜歯です。明日は予後の診察。明後日は息子と会います。その後京都へ行き、午後おそく対談。一泊して、たぶんその日の内に帰ります、うろついてくる余裕はたぶん無いと。いまは、本拠に落ち着いて在ることを大事にしています。 風
2007 9・8 72

* 幸い歯は痛んでいない。臼歯が抜けたので、奥にかなり隙間が出来たのは、嬉しくない気分だが毎日毎朝イヤな感じよりはいい。
明日、もういちど診療室に出かける。明日の帰りは昼食出来るかもしれぬ。忙しい一週間がはじまる。
2007 9・8 72

* 朝、起きるのが、楽しめない。気がつくと、黒いマゴがわたしの片手を両手で抱きかかえ、かるく噛んでくれる。安定剤は避けて、のまない。与えられた一生を避ける手はない。
2007 9・9 72

* 歯医者に行く。幸い痛みも、出血もない。
2007 9・9 72

* 歯科のあとしまつは順調であった。不快は解消した。亡くなった先生の菩提寺が小布施の、北斎ゆかりの岩松院と、女先生に聞いた。NHK日曜美術館の出演で、小布施まで北斎ゆかりの場所を尋ね歩いて、カメラの前で話した昔を思いだした。

* 「リヨン」で昼食してきた。前菜からデザートまで魔法のようにおもしろい料理がつぎつぎに出て、読んでいた千夜一夜の「バッソラーのハッサン」とかさなり、幻妙であった。腕利きのシェフともすっかり顔なじみになり、いま、東京で食事して、いちばんアットホーム。そして珍らかにフレンチを食べさせてくれる。魚にしたが、ワインはきまって、赤。
2007 9・9 72

* 右目の重さはすこし残っているが、霞んだ目やに感はようやく消えたように思う。緑内障の点眼薬は絶対欠かせない。白内障のを医師のすすめでしばらく休んで治療薬を点眼していたが、これがかなりもたついて困った。
結局、聖路加の処方を避け、開業医の二種類の処方にほぼ従い、眼精疲労の冷えた薬局売薬を併用してきた。抜歯のために抜歯前の三日間プロモックスという抗生物質を服用していたが、あれが効いたのではないかと、推測している。目の霞んで見えないのは、片目で仕事をするのは辛かった。やや窮地を脱しつつあるか。
2007 9・10 72

* 二代目中村吉右衛門は、初代の「秀山祭」を、去年以上に盛り上げた。熊谷も重忠も清正も、あっぱれ好演し名演した。次いで福助の相模、村雨、秀頼の大きな進境を讃えるし、左団次の奥方と家康の秀逸を喜びとしたい。染五郎の龍馬も意気盛んに実在感を見せて刺激的だった。そして玉三郎の阿古屋は、さすがになにもかも大きく美しく、阿古屋の人間的な容量でも納得させた。芝翫の義経も冨十郎の弥陀六も、言うまでもない、さすがであった。
満たされて歌舞伎座から帰ってきた。歌舞伎座の中の稲荷社に、初めて手を合わせ詣ってきた。建日子や妻の健康と日々の無事を、そしてやっぱり朝日子のことも、わたしは祈ってきた。誰もかもの幸せを祈ってきた。

* 明日一日も、いそがしい。これから何日も忙しい。あ、なんだか、血糖値が異様なようだ、低くなり過ぎている、危ない。
──階下で計ってきたら、72。まともに危険ソーンだった。食べて回復させてきた。はっきり危険ゾーンに入り、そのまま堪えていれば、苦しいだろうけれども確実に死ねる。
2007 9・11 72

* 二時に寝て六時に起き、気がかりな用を一つ、間に合っても合わなくても済ませ、ついで「湖の本」新刊の入稿原稿を、ともあれ仕上げた。また眼が霞んできた。
2007 9・12 72

* 深夜、また低血糖症状で、ひとり起きて対処。砂糖を一なめし、牛乳一杯で、強いてやり過ごす。
六時に起き、ひとり簡素に朝食のようなもの。
息子が自身のブログに書いていた。「mixi」を介して読みに行った。
2007 9・15 72

* 明日、歯医者。明後日、打ち合わせ。金曜には観世栄夫さんを偲ぶ会。九月、十月。猛烈。
2007 9・25 72

* 今日ぐらい、はやく寝てもいいだろう。明日は歯医者。
2007 9・25 72

* 歯の治療は、こともなく。往き帰りにしっかり「校正」も出来た。江古田で、昔からときどき入る、この辺の大学生達向けの小店で、「トッピング」は茸のオムライス・ランチを食べながら、校正も、どんどん。
今日はおめあての「リヨン」が休日。医院の予約時間を三十分間違えて早く行っていたので、待合いでも校正のハカが行った。
久しぶりに保谷の喫茶店「ぺると」に立ち寄り、マスターと、パソコン談義。歩いて帰る余裕も少し出来たので歩いたが、覿面に脚が傷んで攣りはじめた。構わず、サッササッサと歩いて帰った。
2007 9・26 72

*ゆうべは、読書もかろうじてしたが、早く寝入り、けさ昼前まで、毬のようになり寝ていた。寝たままきつく脚が攣ったので目が覚めた。体調の不良を想わせる。
2007 9・28 72

* インターネットが、復旧しない。
榮夫さんを「偲ぶ会」の前に、用をかねて早めに出かけようと勇んで着替えもしたが、両脚が、異様に張って、痛む。以前こういう脚のママ駅からムリに家まで歩いたら、玄関前で、痛烈に攣った痛みでぶっ倒れ、醜態だった。出かけるのは、しばらく様子を見てみる。
いま、四時になってやっとインターネット直っている。脚の攣りはなお不穏である。雑誌「ぎをん」のファックス校正、責了。眼は霞んで、不調。
2007 9・28 72

* 久しぶりに、二時間強、自転車を走らせてきた。このまえ、デパートで、いいシューズを買ってきた。前のがダメになったので。足にしっかりフィットして気持ちよい。
ひばりヶ丘駅前を几帳面にまっすぐ南行し、武蔵境駅から玉川上水も越えてどんどん南へ、深大寺も越えて、野川畔に着く。ちょうど一時間。そこから野川をやや下流に沿い、暫くして川を離れ、今度は一路、北行。東伏見の前へ出た。比較的順調だったが、すこし不自然な姿勢で自転車から片足をついたりすると、攣りかける。そういうのが二三度あった。かわしかわし、無事に帰宅。
ここ暫くはこころがけて走ってきたい。

* よろしいことではないが、走りながらいろいろに「もの」を思う。心騒がしくはない、が、あまり「もの」を思うよりは、やはり無心が懐かしい。だが今はそうは行かぬ。
2007 10・1 73

* 眼がいけない。また医者へ行く時間を失した。自転車で走ってくる。
明後日の聖路加では体調不可が、怒られるナア。計測器がエラー続きで血糖値も計れないでいる。なにもかも手探り。
よいよい。なるように、成るモノだ。

* ただ一つフィットする、しかしどの薬局でも見あたらない「サンテ・ビオ」という目薬を、前に、たまたま買った店を探しにひばりヶ丘へ自転車で。
幸い見つける。まえにも店番していた上品なおばあさんが(失礼。同じ年頃。なら、やはり、おばあさんか。すると妻もおばあさん。あたりまえか。)覚えていてくれて、めざす目薬を二箱買った。
それから所沢街道を西へ西へ野火止用水まで走り、今度は用水に沿って南へ南へブリジストンの会社をまぢかに見ながら、きっちり家から一時間走った。そこで東へ向き直り、東へ東へ北へ北へと、萩山や小平を通って、新青梅街道を北原まで。
そこでひばりヶ丘駅へ北行に転じ、西武池袋線を北に越えて、二時間十分の自転車走を終えた。息もあがらず脚も攣らず、ラクなものだった。帰ってからのアルコールも控えた。足もともきっちり固めていたが、ヘルメットで頭の防護は忘れていた。あれは頭が暑い。
2007 10・3 73

* 黒目川沿いの砂利の悪路を辿って、かなり苦闘の後に、荒川の草土手へ自転車をひきずりあげた。家から一時間半かかっていた。
荒川からの帰路はいつも難渋する。今日も朝霞市へ深く迷い込み、なかなか帰れなかった。黒目川・落合川の行き会うところへかろうじて戻り、落合川に沿って上流へ戻って戻って、いつも走り慣れたひばりヶ丘駅への道を把握。
家に帰り着いたら、五時五十分、暮れきっていた。三時間二十分走り続けていた。途中一度、平林寺のわきで体力がガクンと落ち、水と、文明堂の三笠一つで持ち直した。今日はさすがに疲れた。  2007 10・4 73

* 聖路加病院での糖尿病の検査と診察は、何だかの大事な、一時は「8」を超えて憂慮された数値が、「7」になり、今日は「6.8」にさがっていて、その点は褒めて貰えたが、悪玉コレステロールが増えていると、新しい投薬が加わった。めでたさも中くらい。それでも、往きの車中、また外来で待つ間に校正がだいぶ捗った。次からまたナースとドクターとの交互診療に戻った。

* 銀座「レカン」が昼過ぎの満員だったので、三笠会館のフレンチ「榛名」で、セゾンコースを昼食に。二皿つづくオードブルが素晴らしかった。一皿目は魚介海藻、あっさりと。二皿目はフォアグラのタリーヌなど、これが美味かった。メインは美味いフィレ・ステーキ。
ドライシェリーを二杯食前に。そして肉には、赤ワイン。デザートもエスプレッソも好適。そして食べながら、校正もどんどんすすめた。これが楽しいのだった。

* 帰宅すると、もう気持ちの重くなる用事が待っている。そういうものだ。くさってはいけない。
2007 10・5 73

* 先日と同じく、ルーテル大学前を通り天文台通りの急坂をかけおりて、野川まで走った、きっちり一時間。先日は川下へ移動しながら帰路をさぐったが、今日は川上の調布飛行場の方へ走り、広大な野川公園のなかへ入った。こんな大きな公園があるんだと、帰るのも忘れてゆっくり中を走りまわり、北出口へ抜けて出て、北西へ、また北東へと北向きに足任せに。
うまく田無駅の方角へ見当がついて、そこからはらくらくといつものひばりヶ丘駅西側の踏切を越えて、帰ってきた。途中で見つけてあったいい酒屋で、また焼酎「無一物」を買い、また佳い和菓子の店で好きな菓子を二つ買い、家の近くまで戻ってから、パンとビールを買って帰った。正味二時間四十五分ほど走っていた。

* 夕食のあと、すこし機械の前で寝ていた。眠ければ寝たらいい。覚めたくなければ覚めなくていい。そうしたいように、すればいい。
2007 10・7 73

* 雨にも降り籠められ、終日、思いを鬱散させていた。右目が、ほとんど失明状態になってきている。片目を閉じて、読んだり書いたりしている。眼科医達、なにか決定的に過っていないのだろうか。もう故障が長すぎる。かるい頭痛も加わってきている。

* 用をしていないときは両眼を閉じて茫然としている。
2007 10・8 73

* 明日は歯医者。
2007 10・8 73

* 小雨というほどもなかった。歯科に往復。今日はあとがあるので「リヨン」に寄らず、まっすぐ帰った。駅からタクシーを使って、つごう四十五分で歯科の玄関から家の玄関まで。
この程度だから何十年通って来れた。櫻の頃は花が美しい。バスをおりると静かで、四季にいろんな花が咲いている。『秋萩帖』で舞台に使ったお寺が、なんだかこの頃になり廃業でもしたか様子が変わった。町の様子は変わってゆくものだ、歯科へのあたりは変わっていない方だが、先生は二代目。二代目が優しくしてくれるので通いやすい。
2007 10・9 73

* きのうはラクだった眼が、今日は終日良くない。
2007 10・12 73

* 眼が痛くなってきて、あいてられない。けれど、じっとはしていられない、いまのわたしは。
2007 10・13 73

* 朝の十時にはかった血糖値が、96なのに、アリャ? 血糖値は低いが、右目は涙で壊滅状態、上瞼のヘンに痛むのも気になる。もう優に一ヶ月になる。改善傾向まったくなく、ほとんど左片目で暮らしている。いっそ眼帯したほうがラクかも。
右肘関節をはさんでキツイ筋肉痛が、肩にまであがってきた。物置の初出本や手紙などを探すのに、しこたま重いダンボール箱を上げたり下げたりしたのが堪えている。
年相応に満身クラッシュ気味ということ。
涙がとめどなく流れ出ているのは、観ようによれば目を洗ってくれているのかも知れない。乾いてしまうと霞むが、水分を呉れるといっときクリアになる。ただ涙はただの純水ではなかろう、一種の粘液なんだろうから、どうしても目のあたりが重くなる。

* 当たる当たらぬは判らないが、ふと「虚」と「壁」ということを考えた。
わたしのこれらの故障は、つまりわたしの「壁」が傷んできたのであり、壁に包まれてある「虚」の問題ではないだろうと。
むかし、茶碗や器の魅力を語って、われわれはとかく器体の美を謂うけれど、器胎という空虚・空間の美に気がつかないでいる、と。器量とは壁のことでなく、内なる空虚の容量や胎様のよろしさなのではないか、と。
豊かな宮殿と貧しい藁屋との差は「壁」だけで観ればたいへんだろうが、内容である「虚」の質は同じ、または別の判断、としなければならない。

* 「壁」は物だもの、どっちみち傷んでくる。放っておけとはいわないが、壁は、ま、二の次で。
己が内奥として抱いている「虚」の問題が大きい。なぜなら本当に自分の「家」と謂えるのは其処だから。本当の人間は内なる虚であると、虚性であるとバグワンに聴いたとき、わたしは頷いた。
2007 10・14 73

* 湖の本の初校を戻した。短い追加分の入稿も終えた。すこし肩の荷がかるくなっているが、明日は理事会。
できれば午前中に眼科に行ってみたい。あさっては弁護士との打ち合わせ。以降土曜の歯科と萬三郎の『卒塔婆小町』まで、ずうっと続く。

* 二時二十分に家を出て。落合川をわたり黒目川をわたり新堀川も柳瀬川もわたって、所沢駅の西口へ到着。菅直人が駅前で誰かの応援演説をしていた。家から一時間半かかっていた。
どう帰ろうかと、久米川の所沢街道で、あえて東村山向きの方角を選んで、南へ東へと走った。五時二十分に家に着いた。三時間走。
走り始めの気分の悪さが、霧散していた。疲れて、キャラメルを三粒、コーラも買って呑んだ。右目が涙で霞みっぱなし、実に危ないが、慎重に走った。血糖値は家に帰って、83。理想的。
2007 10・14 73

* 目が痛む。九時にならないが、機械から離れる。
2007 10・14 73

* 眼が痛い。うそではなく、それを理由に、依頼原稿を断ることにした。谷崎の「鍵」について依頼があった。
2007 10・14 73

* 朝八時半から眼科病院へ。
相当しつこい炎症が右目に生じていて、事実もう二ヶ月できかない不自由を強いられてきたが、眼球に痛みが来て、上瞼に腫れも感じ、ほとんど開眼できないというよりほとんど閉眼状態、片目で生活している有様なので、昨日の長時間の自転車など、我ながらムチャだなあと思い思い走っていた。
医師はたぶん抗生物質もであろう、服薬分と、また新しく変わった二種類の点眼薬を処方し、一週間ごとに通院せよと。右眼だけで四種類を点薬し、抗生物質を三食後に二カプセル。さらに右目には緑内障用の追加の点薬も。わたしの眼球は、くすり付けになって、游いでいる。
糖尿病の悪化のためとは思わない、また緑内障や白内障の悪化との関連もたぶん無いであろうと、それだけは安心したが、失明とはどういうものかを半ば体験しつつ日を暮らしている。
かすかだがしつこい目玉の痛みは、不快で、片目閉じたままの会議というのもどうかと、午後の理事会は急遽欠席と決めた。

* いちど目玉が溶けるほど眠ったらどうだろう。

* 病院の帰り、とても甘い物が欲しくなり、和菓子の店に立ち寄ってきた。
2007 10・15 73

* 相変わらずの右眼。ほとんど、開いていられない。朝など、一度に四種類の眼薬を右眼にさすのだから、眼球もたまったものじゃあるまい。器用に右目だけ塞いでいられないから、つい両眼閉じてしまう。瞑目瞑想の体である。

* 午後は、妻と新宿に。建日子も来てくれる。

* 精衛海を填む。
2007 10・16 73

* 眼はつらいが、良くなるものと信じて、点眼で堪えている。本は読めるうちに楽しみたい。今日は、国立へ幸四郎の俊寛を片目で見にゆく。早く帰ってくる。
2007 10・17 73

* どこへも寄らずにまっすぐ帰ってきた。昨夜あまり多く眠れなかった。眼は半分ふさいでいた。
2007 10・17 73

* 午になる前に、妻と歯科医へ。そして江古田駅ちかくへ戻って蕎麦の「甲子」で天麩羅蕎麦の昼食。
この店は、堅固な蔵屋敷のように出来ていて、設えが風情に満ち、飾った絵もひときわ面白く、置いた雑誌もよく吟味され、大きな卓も椅子も、そして用いているやきものの食器なども、すべて立派なのである。
蕎麦もいいが、酒と肴のいろいろがいい。肴というより、上品な惣菜。ただし今日は酒も肴もとらないで、あつい汁蕎麦に、大きな海老天麩羅が二本。
で、江古田駅で妻とわかれて、わたしは千駄ヶ谷の国立能楽堂へ。梅若の橘香会。時間をはかって、その前に、喫茶店「ルノアール」で世界史を小一時間読んだ。ひっそりと静かな店内。
2007 10・20 73

* もう眼が限度へ来ている。やすみたくなった。
2007 10・21 73

* 朝いちばんに眼医者にかかる。医者の曰く、「困ったな、これは」と。悪くはなっていないが、良くもなっていないと、また薬が変わって点眼の回数も増えた。抗生物質がつよめられたらしい。
緑内障と白内障の薬は聖路加で出ている。
ほかにもう二種類、もう三ヶ月になる。目薬づけ、だ。一日六回の点眼となると、ひっきりなしの感じ。
昔、老いた父や母や叔母が、ことあると食卓にざらっといろんな薬を袋からぶちまけて服薬しているのを横で見ながら、薬漬けやなあと眺めていたのが、いまは我が事となっている。老いは避けがたい必然と、否応なく受け容れている。わたしなど、これで片目ででも自転車で、歩けば三十分以上の距離をものの五、六分で医者まで行ける。気が向けば三時間でも北多摩中を走り回ってこれる。が、それもいつまでか。

* 自転車で走る運動に、出先で人と出会う楽しみが加わるといいのだが、ちょいとそれは難しい。わたしの自転車走りは、道順を心得て走ってはいない。足任せに一路一時間ほど行き先構わず走ってゆく。それから、方角を脚探りにいろんな道を伝って帰ってくる。そんな途中に識った人の家が何処にあるかなど全く分からない。
2007 10・22 73

* 疲労が溜まっていて、夕食後にふと横になったら十時半まで熟睡。夢を観ながら目が覚めた。
そうだそうだ、眠れるときには眠っておけ。右目は霞み右腕は手首から肩まで痛む。幸い気は、たしかである。週末に鳴物の「三響会」。歯医者のあと駆けつけることに。
2007 10・22 73

* 「湖の本」の再校が出てきたので、にわかに忙しくなる。短い原稿を一本追加した。前巻『閑吟集』とそこそこ同じ頁になる。家では、校正は到底捗らない。ほかに気を引かれる仕事がいくらもあるので、そっちへ行ってしまうから。
で、校正できる場所を自転車で捜したが、近くの喫茶店も図書館も、ダメ。有資格者だなあと思い市の老人福祉館も覗いてみたが、これもムリ。仕方なく「ぺると」に行き、六章の一章を読んできた。
きれいに初校が直っていて大助かり。挨拶書きを急がねばならない。右腕のしつこい痛みが治ってくれないと、発送で、またもっと悪くしてしまいそうだ。

☆ わが歌はらくに生まるるがこころよし時かけて成りし歌を危ぶむ   窪田章一郎

* 同感。歌に限らないかも。西行や慈円を思う。俊成や定家をなみするのでは、決して、ないが。

* なにしろ、ひっきりなしに四種類の目薬をさしているという感じ。ひどいもんだ。
2007 10・23 73

* ひばりヶ丘へ走って、目についたナントカいうチェーン喫茶店に自転車をとめ、揚げたポテトをパクつきながら「湖の本」の校正に勤しんできた。簡明に明るい店で若い人の出入りがあるが、それは気にならずに「読み」に読んできた。殺風景なのは構わない、集中すれば周囲は気にならない。綺麗なデスクとやすい飲み物か食べ物があればけっこう。こういう場所が見つかると、これからも大いに助かる。自転車でなら七、八分で行ける。

* さて、家ででなければ出来ない仕事も、ある。機械の前では出来ない仕事もある。そのかわり階下で映画を「聴き」ながらでも出来る。
ここしばらくは、そういう「家仕事」にも集中する。不安は右腕のしつこい痛みだ、本が出来てくると、たいていでない力仕事の連日になる。なにか工夫が必要になる。
2007 10・24 73

* 夜前は床の灯を消したのが、五時前だった。九時に起き、血糖値、108。
みるみる目前に仕事の山か出来た。儲け仕事ではないから、ご安心。
山の高さにひるんではいられない。手の着くことから、順繰りに、つまりやすみなく、やって行く。
明日は夕方から休憩する。歯医者のあと、「三響会」は前々からの楽しみ。田中傳左衛門、亀井広忠ら元気いっぱい三兄弟の鳴り物が堪能でき、染五郎ら歌舞伎役者も助勢する。亀井は能舞台ではやくからわたしの大の贔屓。田中らは歌舞伎座の舞台ですっかり顔なじみ。
そのためにも、少し眠くても今日は大わらわに。
2007 10・26 73

* 午前中、仕事をすすめる。

* 折悪しい雨風台風の接近をおして、妻と、三時予約の歯科医に。治療のあと、池袋へ出て、新橋演舞場へ。築地の地下鉄駅から地上へ出たときがいちばん強い雨と風で、演舞場までに、持った傘がふっとばないかと案じたほど。
2007 10・27 73

* 一度六時半に目覚めたが、このままでは身が持たないと又寝してしまい、十一時半になった。血糖値114。
2007 10・28 73

* なかなかよくならない、ヘンだなあとと眼科医が歎いていたが、少しいいかも知れない。すくなくも悪くなっていない。
ディスプレイに遮蔽幕をかけてみた。これが効いてくれないか・機械に向かうと眼がすぐ乾いて霞んでくるのだから。
2007 10・29 73

* 運動もしなくては。外は日差し明るい。走ってこよう。

* 井の頭公園をゆっくり一周してから、三鷹駅を経て、鴎外、太宰の墓のある禅林寺の前、三鷹芸術センターの前通りを西へ西へ。関野から玉川上水に沿ってさらに西へ西へ走り、広い小金井公園の西側から東・北へ抜け出て、向台を田無駅へ斜行、北原西・北原東からひばりヶ丘駅へ戻って、都合二時間半の快適走。
ただし今日は二度、顛倒はしなかったが、危なかった。体勢の崩れかけた場所が、それぞれ危険だった。一度は段差を乗り越えきれずエッジにタイヤを沿わせてしまってよろめいた。一度は横断路を渡りきった先にバイクが横に立ちふさがって、隘路につっこみよろめいた。左中指の爪の根をこすり、少し血を出した程度で済んだ。
全体には疲労もせず、快適。帰ってカルピスをペットボトル一本呑んでから計った血糖値が、110は、やはり運動してきただけの効果はあった。
しかし七十二の白髪の冴えないじいさんが、ヘルメットをかぶり白い運動靴で自転車をやる図は、珍なモノにちがいない。
* 緊張して数日過ごしてきたので、眠い。眼、少し回復している感じ。
2007 10・30 73

* 散髪。すっきり。湖の本、全部責了。秋晴れ。夜中、左下肢はげしく攣縮、回復に時間がかかった。痛みがのこっている。
2007 10・31 73

* また井の頭公園へ行き、そこからは昨日とは少しちがう道を、よほど西まで、一時間半ほど走ってから、やはり向台、田無駅、ひばりヶ丘駅経由帰ってきた。血糖値、96。夕食のグラス一杯のワインに食後まどろんでしまう。
2007 10・31 73

* ひばりヶ丘駅の西で落合川を、さらに黒目川を西へ越えて、西へ西へ西へひたすら走っていった。東福寺という大きなお寺の前へ出た。さらに西へ走り続けて、素晴らしい清流に出会った。金山公園があった。もう少し行くとまたすてきな清流の橋ぎわに静かな小公園があった。同じ川なのかべつの二つの川なのかは分からなかった。橋の右が埼玉県所沢市、左側が東京都清瀬市だった。大方が初めての道で、楽しめた。二時間と少し走って家に帰った。昼飯前の運動、血糖値、85。
2007 11・1 74

* さて明日は、悪玉コレステロールへの配剤効果をみる聖路加の診察。運動が少し足りていないのが心配。天気予報も今ひとつらしい。
2007 11・1 74

* 「走り」という言葉を思いだしたばかりに、ついものを思いだした。あまり、よい傾向ではない。
これから聖路加へ受診に。気分次第で都内を楽しんできたいけれど、じつは夜中に攣って痛めた左足が歩行不自由なほど痛い。美術展がダメなら寄席か映画でもとひとり思案しているが。いまはたまたま校正すべきゲラもない。世界史と千夜一夜物語とを持って出かける。

* 糖尿病の受診は好成績でまたドクターを喜ばせた。ヘモグロビン値が6.5に。ひどいときは、8.9もあった。悪玉コレステロールも先月の半分以下に。血糖値の水準もごく穏当。
自転車と新しい薬とが効いたか。ときどきまるで酒を飲まないこともあるのが効いたか。問題はこれを維持して行くことだが。ま、成るようになる。
自覚的な体調は必ずしも良くない。右腕の痛みはしつこい。左足の攣り気味と痛みは思わずビッコをひかせる。右眼の曇りもしつこく残っている。体重はへらない。
あまり「壁」のことは気に病まない。

* 妻が、午後は少し時間のかかる髪結さんになるというので、病院を一時前に出て、鮨の「福助」で二合酒。欲しいだけの鮨をつまんで来た。天気が崩れかけたのと、脚が痛くて歩きたくないので、有楽町を歩いていて、ふいと映画館の「スバル座」にとびこんだ。イラクでの激しい攻防の劇映画であったたらしいが、余り前の方の真ん中へ空き席をみつけたため、爆発やら爆弾やらの轟音とスクリーンの余り間近な大きさとで、耳も眼も仰天してしまい、そのままぐっすり寝てしまって、ほとんど何も見ないまま、気がつくともうエンドマークに近かった。映画の題も役者の名も顔も、肝腎のストーリーも全く覚えられなかった。
ビッグカメラで用を一つ済ませね有楽町線で帰ってきた。幸い、降られなかった。

* 「ヌル・アル・ディンとミリアム姫」という『千夜一夜』でも屈指のロマンティック長編を電車の中で読み終えた。夥しい数の詩篇が挿入されていて歌物語にもなっている。想像以上に『アラビアンナイト』には読んでいて照れてしまうほどの純愛物語が多いが、純愛であっても、なお濃密にからだで愛を交わしていて、それはもう耽溺というにも近い。そういうところがこの物語の健康に美しいところで、わたしは好きだ。
むかし中河与一の『天の夕顔』を読んだとき、プラトニックに共感していたが、近年に読み直したとき、プラトニツクにわるくこだわっているのがむしろ愉快でなかった。囚われているのはどっちだろう、と思ってしまう。
2007 11・2 74

* 糠に釘を打ち続けているような倦怠感や徒労感が襲ってくると、わたしは真っ先にわたし自身と闘い始める。自身を腐らせてはならないから。
2007 11・2 74

* 脚の攣れはきのうより痛みもラクだ、が、眼の曇り霞みは、昨日よりきつい。
2007 11・3 74

* 歯医者に行く。帰りに江古田の学生食堂のような店でシーフードのスパゲティを。そういえば東工大の正門前にも二階へ上がって行く濃厚なスープで食べさせるスパゲティの店があったなあ。
2007 11・5 74

* 自転車にも乗れないここ一週間だった、覿面に朝の血糖値が高い。今朝も、138。なぜか冬場になると血糖値は下がりにくい、体験的に。からだが動いていないのだろう、あたまをつかい眼をつかい疲労するので、けっこう運動できていると錯覚するが、ストレスがきついだけのこと、それで血糖値が高くなる。
右目は相変わらず曇ってくる。右腕は肩から上腕、手首の上まで痛む。バンテリンも効いてくれない、そもそも冷やしていいのか温めるべきか、分かっていない。湯につかるとラクなのだから温めた方がいいのかも。ロキソニンとかバファリンとかの痛み止めで堪えている。
脚の攣りは、医師の弁では糖尿病からというより、腰痛のほうからきていると想うので近くの整形外科にかかれとさ。今は二種類の漢方薬で凌いでいる。駅からの帰路を歩いて、どうにも腰が痛くて立ち往生した目の前が、妻の懇意な漢方薬の薬局だった。やすませてもらい、処方して貰った。効いている気がする。
目下の体調違和はそんな程度。情調は静穏とばかりは謂えないにしても調節している。集中力もある。「壁」はガタガタだが、壁の中は生彩を保っている、ようだ。

* いま一文を送稿した。
2007 11・8 74

* 八時過ぎ。血糖値の高いせいであろう、今朝は胸苦しい。半ばはわれからと謂うもいい、ストレスを自身に強いているこの数日だから、安定剤の厄介になった方がいいかも知れぬが、海外から建日子に頼まれた所用もあり、市役所へ、自転車で走ってみよう。その前に眼科に寄っておこう。
行きたいと思いながらインフルエンザの予防注射も受けていない。からだは正直に反応している。からだは、こころよりも頼みがいがある。こころはアテにできない、もともと千々に乱れたり砕けたりコロコロするからココロなのだ。静かな心になるとは、こころを無くすること。そんなモノは、この家に、この「体壁」の中に生息していないと思えるように暮らすことだ。心を友にしてはいけない。

* 眼科は首をひねって、「よわったな」と。右眼だけでなく左眼にも同じ「ケ」が見えていると。また薬が変わって、ともに両眼に点滴せよと。白内障がすすんでいるということは全くなく、だから白内障のための薬は当分使わないようにと。緑内障の二つ点眼薬はぜひ必要と。
2007 11・9 74

* 終日の眼遣いで、疲れた。

* 機械で字を読むのが不確か不自由になってきた。ときには画面に眼をよほどちかづけて読む。手元とスクリーンとの距離が、眼鏡を掛けたり外したりで煩わしい。
2007 11・9 74

* 雨。昨夜中三時に低血糖症状。こらえがたい不快に、起きてみると血糖値、56。異様に低すぎ、危険域。すぐ糖分を補給した。補給しすぎたかな。直後に計ると、103。上等じゃないのと寝入って、朝起きて計ると、198。話にならない。「澤の井」の純米と缶ビールを吸収したらしい。

* いまの近用眼鏡だと、機械上の「私語」の字がちいさく見える。幾代か以前のたぶん遠用眼鏡をみつけて使ってみると、文字が大きくしっかり見える。両眼が霞んできて、眼がふさがっている。機械のちいさい字が読めない。大きく替える方法をすぐは思いつかない。
2007 11・10 74

* 十五時間、用事に没頭していた。

* 半眼で機械に向かってする十五時間は堪えた。もう、今夜はなにも書いていられない。
2007 11・12 74

* 地元の眼科は、とうどう、わたしの右眼に、僅かな眼圧アップを発見しただけで治療を断念した。出る点眼薬の何種類もが、何の効果ももたらさない。聖路加の眼科へ戻るしかないが、あの待たせに待たせる、遠い聖路加眼科へ、一週間ごとに通院するのは堪らない。やれ、どうなるか。
眼科と郵便局とへ走って、もう十一時過ぎ。朝食を無いも同然に走ってきたから、空腹。空腹というのは、しかし、快感すらともなうなにやら「可能性」のように感じられるから面白い。
2007 11・19 74

* 注射はぜひ受けてきたい。毎年の例が、今回は少し遅れている、明日にでもと。
2007 11・19 74

* インフルエンザの予防接種を済ませた。
2007 11・21 74

* 朝起きるとすぐから、ずうっと、用事に集中していた。いま宵すぎた七時半。右眼がふさがりそうに霞んでいる。

☆ 急に寒くなりました。   九州大学教授  国文学
名著『梁塵秘抄ー信仰と愛欲の歌謡』の「湖の本」版を賜りありがとうございました。
「私語の刻」によりますと、糖尿病をお煩いの由、ご苦労お察し申し上げます。
実は私も、家系的に糖尿の気があり、2年ほど前、ひどい喉の渇きを覚えましたので、これぞ平安貴族も煩った飲水病よと、大学病院で診察を受けたところ、ヘモグロビンA1Cの数値が12近くあり、以来食事を一日1800帰路カロリーに押さえ、平常値に戻しました。
食事制限は今も続いていますが、幸いアルコールは禁止されていませんので、それを慰めに日々過ごしております。
どうかくれぐれもご自愛下さい。
御本拝受の御礼かたがた、一言申し上げます。

* わたしは前回診察で、ヘモグロビン値が 6.5 まで下がっていてドクターをえらく喜ばせたが、8を少し越えたときは叱られた。12近かったとはおどろいているが、よく回復されたなあと敬服する。
わたしもこの難局をしのいで、また自転車で寒風をついて走らなくちゃ。わたしの運動はそれだけなんだから。
2007 11・22 74

* 冷え込み強く、腕の痛み、堪える。
2007 11・23 74

* 昨日の晩はひどかった、二階に上がろうとしたが階段の途中で悪寒に襲われ、温めた床に入っていた。手洗いにもなかなか立てなかった。
昨日は終日仕事をしていたが、の、ろ、の、ろとしか出来なかった。それでも昨日の内にしてしまいたかったので、夕食後に仕上げた。綿のようにくたくただった。
インフルエンザの予防接種の時、六度七分ほど熱があった。幸い咳き込みはなく、腹部不穏はかなりつづいたし、夜中に発汗していたが、今朝九時半頃は、さらっとして。かすかに前頭部痛がのこっているが、ほぼ乗り切ったかと思う。からだの節々に違和感は残っている。今日一日、やすもうと思う。
妻は、のどをやられている。七度ほど発熱し、寝ている。なんとか、乗り越えたい、二人とも。

* なお不穏を覚えるので、休むことにする。
2007 11・24 74

* 午後のうち、のろのろとだけれど予定のうちの仕事を片づけた。もう根気が無く、今夜も休もうと思う。インフルエンザの予防ワクチンを微熱の体に迎え入れたのが、堪えたかも知れないと教えてくれる人があった。たっぷり白湯を体に入れて温めるようにと。

* 正月歌舞伎座の案内が来た。昼は盛り沢山。夜は幸四郎、染五郎の『連獅子』それに団十郎の『助六』が出て揚巻には福助。いよいよ歌右衛門への序章が始まる。今月の『宮島だんまり』で福助は相当に化けていた。楽しみだ。
もう一つ芝翫と冨十郎とが『鶴壽千歳』とはめでたい。昼は吉右衛門の一条大蔵と幸四郎の魚屋宗五郎が出る。
四月に帝劇で「ラ・マンチャの男」の予告も。三度目か四度目になるが、どう演出が変わるかが楽しみ。

* ああ、いけない。また。しんどくなってきた。
2007 11・24 74

* 昨夜は十時頃には床に就き、家中を温めたまま、十二時間ちかく寝ていた。まだ軽快した程度で、のどに咳が溜まって、肩の辺りに軽い熱痛ものこっているが、堪えがたい不快感はうせて身軽になっている。
2007 11・25 74

* ペン事務局御中  体調よろしからず 半眼見えず 加えて インフルエンザワクチン接種の予後不良で、夫婦して発熱。
申し訳ありません、理事会、ペンの日、不参。おゆるし下さい。
ペンの日を心より祝います。  秦 恒平理事
2007 11・26 74

* 七時に起きて、気にかかる用事から順繰りに、混乱しないように、とにかくもこつこつと積んでは片づけてきた。そういう一日だ、もう夕暮れだ。ときどき、ぞぞっと寒気がする。酒が飲みたいが悪寒に襲われそうで。妻はわたしよりまだ一段不調。もう、だが二人とも立ち直らないと。
2007 11・26 74

* 十分煖房してあるのに、さっきから機械の前で大きなくしゃみを連発。そのつど、ぞくぞくする。休むに休めない日が来る。今夜も休んでおこう。

* と言いながら、もう一仕事階下でしてきた。
2007 11・26 74

* 十時過ぎた。からだを横にしに行く。
2007 11・26 74

* 体調最悪。最悪の負担で、喉を引き裂くように咳と痰とが襲い、膿様の洟が襲い、眼は分厚い目やにに塞がれている。家の中にもう風邪薬がみな切れてしまい、しかし薬屋は遠く、私も妻も出歩けない。
そんな中ででも、わたしは休んでいられない。いま文藝春秋の寺田さんからお見舞いの電話があったが、電話に出る自分の声が声になっていない。寺田さんもおどろいて電話を遠慮されたほど、ものの譬えが当たっているとは想われないが踏みつぶされた蟇蛙のようなひどい声だ。
果たして十二月二日に群馬に出かけて、人さまの前で話せるだろうか。いま断っては主催者が迷惑されるだろうが、この声で、まともに高崎の奥の方まで電車を乗り継いで行けるだろうか。行かねばならない、行ってみるばかりだ。

* お見舞いのメールをたくさん頂いた。感謝します。朝よりも、もう日付のそろそろ変わる今が、よくなっているともやはり思われないが、仕方あるまい。
2007 11・28 74

* 肌着が、絞れるほど汗をかいて着替えた。すこしでも夜着から手を出していると烈しく咳く。すっぽり籠もっていると汗みずくになるが、咳き込まずに済む、と前夜の体験で覚え、その手で夜を過ごした。
妻は胸と腹に響く咳に悩んで眠れなかったようだ。
わたしの困惑は、声で。言葉が話せないことで。我ながらおどろく声だ。文春の寺田さんが仰天して電話を切られた。

* 八時には起きて仕事を始めた。仕事がクスリだ。妻は近くの病院にいった。思った通り、インフルエンザではない、風邪のたぐいと診断されてきた。貰ってきたクスリを分けて貰って呑んでいる。
猛烈に痰と洟が出るのを、容赦なく、喚きちらすほどにして吐き出し排出してしまう。幸い、はじめから髪の毛を触っても痛まない。わたしの苦しい風邪は、それですぐ自己診断できる。インフルエンザでなく風邪熱でもないなら、ワクチンに当たったのだと思うことにしている。そして海鳴りのように寄せてくる仕事を、今日も、朝から夕方まで。
一段落したところへ、また事務所から長文の要検討文書が送られてきた。とても誰にでも読んで分かりやすい文書ではない。思案投げ首でジリジリと読んでいる。誤解してはならず、難しい。
2007 11・29 74

☆ 秦さんへ  e-OLD 千葉
(1)明日(29日)近くの医者へ行く。出来れば電話で予約する。タクシーを呼んで楽をする。
医院へ着いたら倒れる(横にしてもらう)。
事情を話して、なんとかして欲しいと言う。
(やりとりの中で都合が悪くなったら、遠くの知り合いの医者が「そう言ってなんとか頼んでみるように言われた」と、ひとのせいする。
あと三日あるので薬を飲んで頑張る(ふとんの中で臥ている)。
(2)当日は一番楽なように行く。
出来れば車で迎えに来て貰う。出来るだけタクシーなどを使う。健康保険証を持参する。
困りました。取り急ぎ。どうかお大切にしてください。 拝

* 感謝します。今日は、殆ど半眼で仕事。これはしかし左目に負担を掛けすぎる。どう霞んでいても左眼にもはたらいてもらう。問題は「声」だ。役者じゃないので、このヒドイ声をどうかして話すだけは話せるようにしたいが、チエがない。
2007 11・29 74

* 咳、洟をつらいとは歎かないが、声のでないのが、閉口。なおすには喋るなと教えられた。

☆ しゃがれてしまった声ですが、早く良くなるには、沈黙が一番です。
しゃがれているのは、咳のしすぎで声帯が腫れているからなので、声帯を動かさず安静にする、つまり黙っていると早く治ります。
時々、声をだしてみたくなるかもしれません。そういう時は、乾燥した室内では声帯を傷つけやすいので、洗面台か洗面器にお湯を溜めて、湯気の中で息をしながらそっと声をだしてみてください。これは、吸入のように蒸気を吸えるので、咽頭の腫れにも効果があります。
あとは、黙っている事を意識するためにもマスクをして、のど飴でもなめててください。マスクは息を加湿し、飴は唾液をだして咽喉を湿らせてくれます。ただ、糖のことがあるので、甘い飴でないほうがよいですよ。
喉に痰がからまった時に、だそうとしてエヘンエヘーンとやると、これまた腫れてる声帯が余計にこすれてしまいます。痰はとれてもかすれ声はひどくなります。痰がからまったら、お茶や水を飲んでみてください。少しすると粘膜が潤って痰がするっとでます。
からむ時は取りたくなるでしょうが、へばりつく痰には出時があります。粘膜を潤わせ、大きな咳でコロッとはがれるまで、耐えて、待っててください。
お出かけの折には、必ずマスクをして飲み物も持ってお出かけ下さいね。
ここのところ、外も中も、乾燥激しく、しゃべると一瞬声がでてもすぐにかすれやすく。
ずっと、こまめに、口を湿らせながら、ゆっくりとしゃべれば、、さて、どうでしょうか。   珠

* ベテランナースの助言、なるほど。感謝します。一にも二にも、声と言葉が出て伝えられるか、だ。目下は、ダメ。軽い寒気があり集中しない。

* 午後、寝てしまった。咳はまだ爆発するように襲ってくる。もう一日掛けて、声・言葉の回復を望むが、全身状態は相変わらず宜しくない。
明後日、渋川市で、ちゃんと話せるだろうか。せめて雨の降らないように願う。
2007 11・30 74

* 声は今朝も相変わらず。軽快しているとも言えず。あと二十七時間ほど。どうなることか。

* 何を話すかの用意は出来ているが、言葉をマトモに発声できなくては、どうなるものでもない。申し訳ないが、謝りに出かけるのだと覚悟している。
咳には「コンタック」がいいですよと聞いた。家には「ルル」しかない。くしゃみ3回ルル三錠で利くわけがない。
咳は胸の肉を引き毟るように出る。粘膿状の痰も洟も出る。しかし熱性の頭痛はない。
仕方がない、自転車で駅前までコンタックを買いに行ってこよう。痰切りに龍角散を多年愛用していたのだが、コンタックも置いていたが、使わないからと処分されていた。
2007 12・1 75

☆ 「今」いきの根をとめられないために。咳、咽喉に、マスクと、のど飴を。 晨

* マスクやのど飴のレベルでは無くなっているが、マスクもしている。飴は甘いのがよくない。だれか、酒を勧めてくれないモノか。

* 自転車で駅前の「マツモトキヨシ」へ行ってクスリのことを聞いてみた。インフルエンザワクチンの予後不良だというと、「あ、それじや、クスリをのんでも効きません」と。わりと納得した。
病院は、妻に、インフルエンザとは全然ちがう、軽い風邪症状だと投薬している。わたしも軽い風邪症状のようだが、風邪を感じない。「クスリを呑んでも効きません」はいちばん正解に近い気がした。それでも喉にスプレーするのと、痰切りの龍角散と、他に咳押さえのコンタックなど風邪薬を二種類買ってきた。
自転車は寒くもなく体力的にもラクだった。遠回りして妻のためにパンを沢山買い、わたしは特製の二センチぐらいな分厚いトンカツを揚げてくれと頼んで、うちではそんな分厚いのは揚がりませんと、覿面に断られた。このヒドイ声とひどい恰好に懼れをなしたか。
2007 12・1 75

* 肌寒い。何の軽快もなく、出向いて出来るという自信もないが、群馬高崎の奥まで、責任のある顔を出してくる。
2007 12・2 75

* とにもかくにも高崎駅で出迎えられ、渋川市で、著者を囲む会。
こんなことで話せるだろうかと絶望的な声であったが、ハンドマイクを舐めるようにして声を励まし言葉を創って、一時間半。
「あなたの島、わたしの島」という題で話し終えてきたが、途中三度も烈しく咳き込み、持参のティッシュペーパーの箱と水とで辛うじて凌ぎ凌ぎ、予定した話題を予定した時間通りに終えてきた。
本への署名や記念写真があったが、昼食も、あとの会食もみな辞退し、とんぼ返しに池袋まで戻ったところ、西武池袋線に人身事故と。
これは堪らんと、パルコの上で「天麩羅」にしたが、心身の疲労は想像以上で、もう何十年このかたこの店で食べてきて、今晩は、いちばん美味くない天麩羅になった。「船橋屋」のせいではない、わたしに、もう悪寒に近い疲れが溜まっていた。
ダイヤはまだ乱れていたけれど、勘よく保谷止まり各駅停車に乗って座り、幾ら遅くなってもこれで帰ると決めたら、他の電車より先に発車してくれた。
保谷でのタクシーにも待たず、ようやく無事帰宅、茫然ともう体を動かすのが大儀だった。

* これで、のっぴきならない義務仕事は済ませたので、また元の難儀で難儀な仕事に戻る。
2007 12・2 75

* みなさん優雅な日々で。
わたしは、絶叫に近い連続の咳き込みで、喉から血が出そう。痰は少し減り、凄い声でも言葉になりかけているが、夜中も咳に襲われる。

* それでも今夜は、すこし気分を開放して日台野球を最後まで楽しめた。ノーアウト満塁からのあざやかなスクイズといい、つるべ打ちといい、星野仙一監督の用兵はことごとく図に当たった。選手もよく応え、おみごと。対韓国戦とはまた味のちがった緊迫の好ゲームで、大差になったとはいえ決して台湾は弱いチームではなかった。
2007 12・2 75

* 日韓野球の善戦を堪能した後、欲も得もなく、昨夜は寝た。明け方まで、何度も烈しく咳いた。夢も見た。

* 咳き込みは言語道断、ひっきりなしに熱が来て汗を掻いて冷える。咳く。洟も止めどなくかむ。そうしながら、黙々と手仕事は欠かさなかった、夕方四時過ぎて今日は一段落した。

☆ 御身、ご不調にもかかわらず、わざわざ群馬の奥までお越し下されてありがとうございました。さらに悪化させてしまわれたのではないかとご案じ申します。
日々のお励みを垣間見るに、御自らを過酷にお使いなされているかのように見受けられます。
どうぞご自愛下さい。  群馬の外れより。 久々
2007 12・3 75

* 右目はレンズが曇って潤んでいて、モノの像が歪んでいる。片目だけで見るよりはと、そのままで見ている。厭な気分だ。
2007 12・3 75

* ぐったり疲れてしまっている。あまりに咳がひどい。心身脱落なら有り難いのだが、心身脱力ではなさけない。どんな過酷な歳末になるか、分からない。
2007 12・4 75

* 昨夜も烈しく咳いたが、夜中はややおさまり、眠れた。しんしんと身内の底から冷えている。血糖値が高い。運動不足は覆えない。体力が落ちているのと寒いのとで自転車走は躊躇われるが、冬場といえども私には唯一の運動。試みてみようかと。
2007 12・5 75

* 十二時四十五分に、ゆるゆると自転車で出てみた。そう長くは走れまいと思いながら、武蔵野の黄葉にひかれるように、いつのまにか「さいたま」方面へ走り込んで、荒川の秋ヶ瀬大橋まで来ていた。
真澄の晴天がひろびろ、寒くない。
橋を渡りきってみた。向こうはさいたま市の浦和区であるらしかった、それは察しられたが、荒川のすぐ向こうに「鴨川」という大きな川がまた一つ並んで流れているのにびっくりした。柳瀬川、新垣川、荒川、鴨川と立て続けに渡ってきた。もっと手前では、落合川や黒目川も。
思い切って、荒川の左岸の土手(と思うが、下流へ走っていれば右岸の土手になる。)をずんずんさかのぼってから、南へ降りた。どのように帰って行くかが難しいが、今日も柳瀬川の土手道を、志木大橋をこえてたしか英橋かまだ先まで、まともに南行し、どこを走っているとも分からぬママ、適当に東向きに南向きに走り回って、大きくは迷わなかったけれど、家に帰り着いたら、五時ちょうど。四時間十五分も走っていたことになる。
さすがに今日は体疲労が全身に及んで、ごく後半では、緩い坂でも皆下車して歩いた。右眼がほとんど間断なく涙で潤んでしまっていて、かなり危ないので、慎重に走った。危ない目は、さほどみなかった。
途中、餅菓子と餡菓子とで力を入れねばならなくなり、おかげで楽しみにした血糖値低下がアテハズレだったのは残念。ま、成り行きとはいえ、すこし過ぎた運動になり、疲れた。
2007 12・5 75

* からだを休ませようと、午前中、床の中にいた。微熱を感じる。

☆ 咳喘息   莉
先月は咳のでる風邪がとても流行りました。ちょっとした風邪が気管支炎になってしまうようで、むせこむような咳を特徴に、”咳喘息”と診断されています。気管支拡張薬や吸入薬、洟もアレルギー薬などが効いています。お近くに呼吸器内科を標榜する医師はいませんか。
普通の風邪よりも消耗しますので、是非受診し、少しでも症状が楽になってほしいと思うのです。
ワクチン接種は免疫系を手薄にしますので、その結果ひいたのではないかと思います。
もし周囲に呼吸器内科がなければ、都心になりますが知り合いの医師をご紹介いたします。

* なるほど咳喘息そのもののような症状である。
今日も自転車に乗ろうかと思っていたが、その元気がない。でも、ポストへまで走る用事がある。済ませたら、今日も早く寝てしまおう。
あすは、聖路加。

* 気が焦っても回復はしていない。落ち着くことだ。
2007 12・6 75

* 芯が抜け落ちているような不快感。八時だが、もうやすもう。
2007 12・6 75

* とても快調という体調ではなかったが、『ゲド戦記』第四巻を読み終えたところで、第五巻を、楽しみに鞄に入れて病院に行った。これがあればかなりの時間を待たされても苦にしないでおれる。
久しぶりにナースの新担当、とても懇切な面接で恐縮した。優に三十分。こりゃタイヘンだ、後続の人は。懼れていたほどひどい血糖値でもヘモグロビン値でも悪玉コレステロール値でもなく、先月より少し値高い程度で済んだ。

* 真澄の空、寒くもない。
西銀座の「マキシム」でフランス料理の昼コースを食べて帰った。
銀座界隈でフランス料理というと、無くなってしまったけれど銀座一丁目の「シエモア」が実に粋であった。銀座四丁目の「レカン」はさすがに上等。そして並木通りかな、新五番街かな、三笠会館のなかの「榛名」も、親切ないいメニューで楽しませてくれる。残念ながら今日の昼は満席だった。
で、「マキシム」にした。店の格として随一といえる高級だけれど、値段のわりに今ひとつのメニューだったのが残念。もっともこっちの体調が万全でないのだから、批判は出来ない。フランス料理は、パンの旨い店がいいと思う。
2007 12・7 75

* けだるく重い体調の中で、気に掛け、怒りも尋常でないのは、行政のあちこちで、情けない綻びのあれも見えこれも見えて、しわ寄せが、みな理不尽に生活苦の人や高齢の人たちに押し被さること。
どうしてこの期に及んで生活保護をカットしたり、みすみす超ムダな天下りよう法人の存続には、大臣自ら体を張るほど熱心で頑固だったり。その落差、ひどすぎる。
アメリカ主導の戦争に、関連商社にボロもうけさせて高価な石油を買い込み、アメリカその他の軍艦に「無料提供」しなければ、日本の「国際評価」が「じりじり下がる」などと謂う町村官房長官らの詭弁、受け容れる気はない。
日本の国際評価は、環境問題関連の優れた技術提供や、毅然とした意志でアメリカに京都議定書を先ず批准すべしと勧めることなどで上げればいい。日本がアメリカ帝国主義の好餌に卑屈に甘んじている事自体が、国際評価の低下を呼んでいるという自覚が、自民党に無い。時代後れも甚だしい。ことに町村官房長官の能弁の空疎さに、いつも不快感と警戒心を覚える。巧言令色、すくなし仁。

* とても気怠い。しやつとしたこそ人は好けれ。身熱が、有るのか無いのか。
2007 12・7 75

* いまから、歯医者に行く。

* 歯の帰りに「リヨン」で昼食。サーモンのサラダが美味しかった。深い碗にふわりと溢れるように純白の泡がもりあがった、カボチャのスープが美味しかった。
メインは、鴨を風味よく骨ごと柔らかに煮込んで、ポテトと半熟卵が副えに。すこし辛めの味わい、グーであった。デザートの二種も、コーヒーも美味しかった。満腹した。ゆらゆらと保谷へ帰った。

* 無い知恵を絞るということが、ある。そんな真似も今日はしてみた。そして疲れた。
2007 12・8 75

* 日曜の正午になった。咳き込みと排痰は続いている。
2007 12・9 75

* 咳喘息で声もつぶれ、しばらく音読が出来なかった。今夜も未だムリだろう。
あと三週間の今年だが、すこし落ち着いて半端にうち捨てられてきたものを、こまめに元の軌道へ戻しておこう。思い切ってすべきことにだけ集中してきたが、大方は、本来ならしなくて済んで当たり前のことだった。今の私だから出来たことだが、もし勤務などあったら対応できていなかった。
2007 12・9 75

* 眼科の検査と診察へ。六時半に起床、血糖値高い。

* 雨の聖路加。
眼科で両眼を洗ってもらった。涙腺に針めくものを突き刺され、水が鼻や喉へ流れてきた。要するに、とくに右眼に眼脂が多く涙も溢れ、結膜炎であることは確かだが、網膜だのには関係のない症状と。新しい三種類のクスリが出された。視野検査は、従来と大差ないと。眼圧も正常だと。白内障はすこし進んでいると。
十一時過ぎに、眼科としては珍しく早く解放された。

* 池袋西武の「伊勢定」で昼食。瞳孔を広げる処置があったので、まぶしく視野さだまらず、薬局にも寄らずに帰った。
2007 12・13 75

* 声が出ないので、ここしばらくわたしは音読していない。もうそろそろと思いつつ、いざとなると空気の抜けたように自分の声がちぎれて掠れる。そしてかすかな腹部不穏と気怠い無力感。
「萬歳樂」「獺祭」のような名酒、そして異母妹がくれたワインなどあるのに、手が出ないで、むしろ寝てしまいたい。
次の日曜に久しぶりに喜多の能楽堂で塩津哲生の「道明寺」をみせて貰う。翌日はペンの理事会。週末には七十二歳の誕生日。
2007 12・13 75

* 清瀬市の西の端まで走り、同じ道を戻るつもりが間違えて、迷子になってしまった。二時間強で帰宅、102は、久しぶり血糖正常値。田無の人に、富山の鱒寿司と、同じ「今井」という店の特製イカ墨の塩辛を戴いたのを、絶好の肴に、山口の俳人に頂戴の名酒「獺祭」を二合。久しぶりに酒と肴の恰好のうまみに気持ちよく酔う。もう一押し、神戸からいただいた「讃岐うどん」もと思ったが、不許可であった。
2007 12・14 75

* 眼が鈍く重い。もうやすみたくなった。「獺祭」と「鱒鮨」と「墨いか」がきもちよく身内に溶けている。
2007 12・14 75

* 夜中はじめて咳き込まずに眠れた。重苦しい夢はとぎれなく観ていたが、それなりに熟睡していた。
2007 12・15 75

* なんと軟膏もふくめて、わたしは一日中六種類もの目薬をわが目に点じたり塗り込んだりしている。目が仰天している。糖尿病のためにも三種類が処方されている。

* 夕食後、夫婦してすこししんどく、思い切って眠ることにした。わたしは十時半ごろ目が覚め、機械の前にきた。「mixi」に、十年前からの「私語」を「再撰・再録」をという読者の希望もあったので、試みることにした。時事に踏み込んだ話題は割愛し、文学・文藝、藝能・歴史等に触れた、また思索の跡を拾ってみることにする。
2007 12・15 75

* 早く起きて。血糖値は低くないが、まずまずのところに。冷える。今朝は十時半始まり、昼過ぎまで二時間余りの能一番を観に出かける。
2007 12・16 75

* 滋賀県の五個荘からお餅が送られてきた。いましも池袋の藝術劇場で「第九」を聴いているmaokatから、桐箱の名酒が届いていた。
体調を案じてくださるお便りが絶えない。いまだに声帯にケロイドでもあるかのような引きつった声をかすれさせて、わたしは、たくさんたくさんお礼を申し上げている。
2007 12・16 75

* 右眼が涙で潤み続けることは、どうにか無くなろうとしているが、かわりに右目が、瞼かどこか知れないけれど、ヘンに引きつれたイヤな感じ。軟膏ひとつを含む六種類の目薬では目も堪らないだろう。緑内障、白内障の進行をおさえる点眼は欠かせないが、他はヤメテしまいたくなる。しかし、勝手なことは出来ない。
2007 12・17 75

* 理事会でも咳き込んだ。マスクをしたり外したり。目も、見苦しいかもと、サングラスにしていた。会議室でもダウンを脱ぐ元気がなかった。
しばらく余儀なく欠席が続いたが、その間に理事会の運営に所轄官庁の達しがあってか、議題ごとに挙手で賛否をはかり満場一致で「承認」を与えることに。京都中信の美術文化賞の理事会でも、おかしいほど儀式的にそういう審議をつづけてきた。ここではほとんど審議というような議論もないので、いかにもシナリオ進行という感じだが、ペンでは議論がある。
いずれにしても「理事会」にも不動の形式による上命が下達されているというわけで、要するにお役所が「ペン」よりつよいということ。「弁士中止」と叫ぶ監視役こそ列席していないのだから、そこは物書きのセンスで融通をきかせば宜しいのにと思う。
2007 12・17 75

* 何度も手洗いに立って咳き込んだ。ラクな会議ではなかったが、空腹にもたえかね、また用事もあったので、帝国ホテルのクラブで、ブランデーで海老フライを食べ、来年用のダイアリーを受け取って、帰ってきた。食べ物も酒も、いまひとつ胃の腑にしっくりしなかった。
往き帰りに世界史の「第一次世界戦争」を読み終えた。世界史は、あと二巻になった。
2007 12・17 75

* ことし、たぶん最後の歯の治療を受けに行く。
2007 12・18 75

* おしまいかと思ったが年初五日からまだ治療が続くと。帰り「リオン」で昼食、ゆっくりの食事でくつろいだ。メインの真鯛のスープ料理がじつに美味かった。
2007 12・18 75

* 散髪してきた。散髪ほど億劫なものなく、散髪ほど気分のいいもの少ない。
目薬のせいか、右目がへんに引き攣っている。なにしろ六種類の中には硫酸シソマイシン点眼薬といったオッカナイのもある。
2007 12・19 75

* 昼過ぎて。自転車に乗るか、それとも寝るか。心身共に後者を選んだので、寝入った。五時まで寝ていた。起きても茫然と気怠かった。夕食も、心そこになかった。眼をとじると、引き込まれるように薄暗闇へ沈んで行く。一年の疲れが抜けて行くのか、溜まってゆくのか。
2007 12・20 75

* たくさんなクスリ負けではなかろうか、視力がくらく落ちている、霞んでいる。しばらくやすんでいたバグワンや太平記の音読もまた始めたのに。
新しく、つのるほどの気持ちもあって、また、『夜の寝覚』を読み始めた。源氏をくりかえし読んできた眼には、読み患うことのほとんど何もない、いっそ平易な古文である。ワケがわからないが、すこぶる懐かしい物語世界である。
是に比べると、成り行きで読み進んでいるものの、ジャン・ジャック・ルソーの『告白』など、なんていやみな読み物だろうと思う。岩波文庫三巻本の下巻に入っているが、気分的には棄ててしまいたいほど。
2007 12・22 75

* 就寝まえに 『夜の寝覚』を読み始めると、どきどき胸がさわぐ。「中君」という、いわば日本の小説で女主人公としてすっきり独り立ちした最初のこの女人に、よほどわたしは心惹かれているのだ、『ゲド戦記』を通して読み終えて、今度はこの作がわたしの街日の読書群の芯になる。

* あっというまに眼が疲れて霞んでくる。「サンテビオ」をさすと一瞬に視野がクリアになる。ドライ気味なのであろう。
2007 12・23 75

* 師走の街は、黄葉がまだ足下にまぶしい。寒かったが、心静か。はげしく咳き込むこともなく、右目の潤み霞みもほぼ平常に戻ってきて、乗り物に乗っている間は夢中で世界史の「ニューディール」と「スターリンの大粛清」を読んでいた。そして「榛名」で佳いメニュのフルコースをゆっくり楽しんだ。シェフの面倒見がとてもよく、辛いめの、重いめの、シェリーと赤ワインも美味かった。わが歳末はおだやかに過ぎてゆく。感謝。
2007 12・26 75

* からだが、ゆっくりしている。朝、一度床を離れたが、ふらりと舞い戻りそのままゆっくり「また寝」した。日から日へ。つまりは「いま・ここ」の推移。出来ることはしっかりやり、ムリの必要ないときはムリしない。ムリということのどうしても必要な事態は有る。ムリばかりしていると、本当に必要なムリが利かない。集中力とは、余儀ない、強いられた、ぜひ必要なムリが「出来る」と謂うことだ。
2007 12・27 75

* いましがた、烈しく咳込みかけた。堪えて機械のキーをウトウトしたのがいけなかった。咳が内攻したというか、胸の奥へ進入して、そとへうまく出せず、胸の奥がゲボゲボと鳴って鼓動し始め絶息するかと想った。苦しい咳を数分も続けてやっと胸の奥も常に戻った。こういうのは初体験。しかもまだ驚くほど痰が出てくる。「からだ」って、ふしぎがるわたしが迂闊なだけだけれども、ふしぎな機械だ。
2007 12・28 75

* ドライアイであろう、眼の内がキロキロする。もう今日は、ダメだ。
2007 12・28 75

* 自分の病気に「同化」すると、暗くなる一方です。自分でないもう一人の自分の病気を、「観察」するのは有効です。
自分の「体」は、家屋でいえば壁や屋根や床のような建物そのものだと想い、「自分」とは、それらに囲まれ包まれている「内なる空気」だとわたしは想っています。「内なる空気」は、壁達の「外なる空気=天」と全く同じです。
そんなふうに想っています。 湖
2007 12・29 75

* もう幾つ寝るとお正月、とは、待っていない。もう幾つか寝た時分には、お正月さんはまたどこかへ帰ってゆくだろう、と想っている。なにも片づかないし片づけようともしていない。
けさ、妻が、かつてない強いめまいに時間永く襲われて、少し途方に暮れた。首をかしげるとめまいが来ると言う。首や背をさすり、幸い視力にも言語能にも歩行にも変化はないというので、救急車は呼ばずに、平静にやりすごすことにし、午後になって落ち着いた。そのあいだ、『瑤泉院の陰謀』という稲森いずみ主演のながいドラマを観ていた。意識を症状から逸らし逸らし姿勢の自由を復旧させようとしたのである。
お互いに、もういつ何が起きるか知れないのに、正月のために無用にからだを使いすぎることはない。このドラマは、数多い忠臣蔵
もののなかでは異色で、後半部を以前に観たことがある。余り馴染みのなかった若い女優がしっかりと所作の芝居を演じて出色であった。
だが、わたしはわたしで、眼が乾ききったつらさで、あまりものがマトモに見えていない。
つまり徹底的にこの際は「やすめ」という天の声の正月だと思い、怠けて過ごすことにしたい。

* このところ亡き伊丹十三監督、宮本信子主演の『マルサの女』や『ミンボーの女』などを続けざま観てきて、今日は『マルタイの女』だった。今挙げた三作が面白かった。宮本信子という女優にふっと心惹かれた初めの頃、あれはまだ建日子が幼稚園ぐらいの頃、家中でホテルオークラのプールへ泳ぎに行ったときだ、宮本信子とプールサイドで出会ったことがある。
まだテレビの初期の頃だが、伊丹十三が主演の源氏物語が放映されたことがあり、驚嘆し傾倒した記憶がある。監督は伊丹ではなく今井正ではなかったか。とにかくわたしがいろんな形で出逢ってきた「源氏物語」のなかで異色出色の優雅で洒落て批評的な作であった。

* あ、おかしい。悪性の咳込みが襲ってくる。もう、機械を離れよう。
2007 12・29 75

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