ぜんぶ秦恒平文学の話

身体のこと 2008年

* ぼんやりと、ただ呑んで食べて日を暮らした。

* 建日子が蓼科での用事先からメールをくれたので、だらだらとメールを送り返したのが、もう日付も変わった頃で。預かっている猫のグーは機嫌良く暮らしていまする。ああ、まだ咳が出る。
2008 1・2 76

* すこし鬱陶しく、はやく起きて読書。午前中に、今年初の歯医者通いになる。今朝はひどく冷え込む。
2008 1・5 76

* 往きは隙間ほどの晴れ間もない冷え冷えとした曇天だったが。歯科医院を出てバスに乗って、途中バスを降りて「リオン」に入った頃は、綺麗な晴天に。
新年のフレンチ、腕にヨリをかけてくれたか、美味しかった。ノーンビリした。妻も、ワインなら好んで飲めるようになった。
なぜか、この店、初めて入ったときからウマが合う。もっともわたしは、どんな店でも気に入るとすぐ仲良くなれる。食べ物の店は店の人と仲良くなるだけで一割二割美味しくなる。
2008 1・5 76

* 歯の先生は、わたしたちの娘よりも若い。葵さん。この名に、歴史的かなづかいで読みがな、ふれるかな。
「あふひ」さんである。それで葵は、和歌にもしばしば「逢ふ日」にかけてなつかしく歌われている。血反吐を吐きそうにキリキリ、ギリギリ、ガリガリ、ゴリゴリと口を開かせ容赦ない先生だが、眼を閉じてそういうイキなことを想っている、いつも。
さもなければ、歴代天皇の百二十五世を何度も数えている。今日はあまりにガリゴリがキツかったので、紫式部や額田王等は歯医者にかかってたろうか、などととぼしい知識を脳裏でひっかきまわしていたが、カナテコで歯をひきぬくという地獄の王や獄卒のことしか想い浮かばなかった。
2008 1・5 76

* 強烈に眠い。椅子に掛けたまま、いくらでも居眠りする。明日、聖路加はナースの健康診断だが、暮れと正月の食生活をはさんで、検査はたぶんサンタンたるものだろう。まッ、いいか。
2008 1・7 76

* ヘモグロビン値が、6.8は、運動もせず呑んで食っての正月だったのに、案じていたより、マシだった。
2008 1・8 76

* 眼が乾燥して、つらい。咳もまだ残っている。
2008 1・9 76

* 朝七時。血糖値127。冷えているが、好天。
2008 1・10 76

* 鏡餅を割り、ぜんざいを煮てもらった。

* 無為。昔人の口まねをすれば、させることなし。眼の乾きに困惑する。
2008 1・11 76

* 冷たい雨にぬれ、一時間かけて歯科医に。
2008 1・12 76

* いま、わたしの心身はあまり現実的でない。芯のところで疲労がすすんでいるのだろうか。すべき事のいろいろがちゃんと分かっているのに、そっちへ手も足も出す気がしない。茫然とあるがままに謂わば怠けている。
歌舞伎は楽しいし、読書にも引き込まれる。が、その先へ行かない、動かない。
そして、ものすごく眠い。その気になれば、すうっと寝入っている、座ったまま。
いましがた、「mixi」でメッセージをもらった、が、どうしてもどういう方か、何も思い出せない。
2008 1・12 76

* 昨夜は、夕食後に寝入り、日付の変わった時刻に一度目覚めて、十冊の本を順繰りに読み、また寝入った。寒い夜だった、加湿し温風器をつけて寝た。歳晩から愛用していた軽量の電気ストーブは、日夜使いすぎたか傷んでしまった。
2008 1・13 76

* 二時近くまで読書し、六時に目覚めてあまり寒いので床のなかで読書し、とろとろとまた寝入った。
2008 1・15 76

* 建日子に頼まれ印鑑証明を市役所へ取りに行ったついで、二時間近く、暫くぶりに自転車を走らせてきた。完全防寒しすぎたくらい。寒くなかった。足腰の痛みもなかった。
2008 1・16 76

* 今日は、これから築地、眼科の診察。

* 病院へ出がけの寒かったことは。ダウンのフードをかぶりたくなった。『世界の歴史』は、「鉄のカーテン」「冷戦」そして「朝鮮戦争」勃発まで来た。
:検査無しの眼科診察ははやくすんで、よかった。両眼とも「眼圧」問題なく、かすかなアレルギー(花粉症など)がみられるが、しつこかった「結膜炎」は良好に治癒傾向と。三人目の医師で卓効を得たのがありがたい。「ドライアイ」はなんとかかわして行くしかあるまいが、点眼薬は四種類に、二つ減った。
空腹の快感をかかえたまま、寒さにも背を押され、街歩きはやめて一直線に帰ってきた。「ひとりから」の原田奈翁雄さんの電話に、あやうく間に合った。久しぶりに元気な声を聴かせて貰った。
2008 1・21 76

* さ、二月も間近。暮らしのリズムも感覚も、これから動いて行く。まだまだ厳冬の痛さがつづくなかで、気を緩めていい何も無いのだ。こんなときこそ、身近な者達の健勝と平安が願われる。

* 近用眼鏡を鼻から間に人差指中指二本をはさんで、つまりレンズをそれだけ目から遠のけて、それで機会の画面と字とがクリアになる。眼鏡はもう合っていない。かといって裸眼だと乱視が邪魔をして視野が混雑する。やっぱり眼鏡屋との相談かなあ。
2008 1・25 76

* 足さきが痛いほど凍えている。運動に出たいけれど、凄い冷え込み。
一敗相星の両横綱が、千秋楽の結び一番で取り組む。白鵬の決勝を期待する。
2008 1・26 76

* 曇天の冷え込み。歯科医院へ、二人で。帰路、バスを途中下車して「リオン」で昼食。ワインがことに美味かった。
フレンチの間にも食後にも、芹沢さんの『人間の運命』を、ふたりして繙くように思い出し、特色を整理して行く。読後の印象も記憶も比較的鮮明で。
一昨日だった、岡玲子さん(芹沢先生息女)のお電話を戴いた。秋には『人間の運命』に関わった話をしに来て欲しいと。
2008 1・29 76

* 幾ら泣いても、涙が目に溢れてこない。ドライアイは進んでいるようだ、困った。
2008 1・29 76

* 寒いのは覚悟の上、自転車で、善福寺池公園の東の端へ入り、ゆっくり一周半。ついで井の頭池公園に、南側から東寄りに入って一周半。そのあとずうっと南行して仙川ぞいを西へ西へ。境浄水場の西から北行に転じて、二時間四十五分で帰宅した。
血圧が少し高くなり、血糖値は96まで下がっていた。
2008 1・31 76

 

*湯冷めしてきた。明日は聖路加の医師診察日。
2008 1・31 76

* 聖路加へ。あまり運動できない厳冬だったし。成績は悪いだろうな。
と案じたが、よくはなかったが大過なく安定しているんで、このまま様子を見て行きましょうと託宣あり。十二時半の予約なのに、十二時に済んでいた。
風つよくあまり寒いので歩く気せず、三笠会館の七階で鉄板焼きを食べて帰ってきた。牛肉はいい味だったけれど、単調な料理で気は晴れず、ワインとパンと読書とで費用ばかり贅沢な食事を、あっさり済ませてきた。
2008 2・1 77

* 夕方、どうにもならず機械から離れて床に就いた。九時半まで寝ていた。紙袋に頭をつっこんだ感じか。いろんな勘定が逸れて、湖の本、編輯に手間取っている。からだを動かさないので頭の中がヘンにつまっているのだろう。
わたしは昔から電車に乗っているといろんな着想に恵まれた。いわば「のりもの」(から生まれた)小説が幾つもある。
家に閉じこもっているのが、季節ゆえ余儀ないとはいえ、停滞させている。もっと身軽気軽に外へ出ないと弱ってしまう。
2008 2・5 77

* いやあ寒い。脚は痛いほど。昨日が今日なら、よう出かけていないかも知れない。
2008 2・8 77

* どの眼鏡も役に立たなくなり、霞む中で乱視の裸眼のまま、顔をしかめしかめ機械に向かっている。
遊んでいるように思われそうだが、いま、夢にもわたしを支配しているのは、「小説」を書いているということ。美しいことも大切だが、爆裂するような人間の性根を、真新しく、書こうと。
『畜生塚』や『慈子』のままを期待しないで欲しい。しかし町子や慈子が死んでしまったのではない。いつまでも若くないだけ。
2008 2・11 77

* 好天に任せて外出しはしたが、どうにも体調鈍重、回れ右して帰ってきた。日射し明るく暖かに感じたが。
帰ってみるとやす香のお友達から、やす香に代わってのバレンタインデー・チョコが届いていた。有り難う。「Sadaharu AOKI parts」。小柄な、とても洒落た色よいチョコ。朝、妻にも、もらった。

* 電車では往きに李白の文を読み、回れ右の帰りには文庫の『蕨野行』を読んでいた。
2008 2・14 77

* 歯科。左の奥の上下がしみる。薬を塗られる。快晴。震える寒さではないが、日陰にはいると凍る感じる。
2008 2・16 77

* 以下に、怖ろしい新型インフルエンザを警告するペン環境委員会の報告を、そのまま転載する。

★ <日本ペンクラブ環境委員会 2月研究会報告>
開催日:2008年2月4日17時から18時50分
場所:日本ペンクラブ3階大会議室
参加者:30名

講 師:岡田春恵さん(国立感染研究所)
テーマ:新型インフルエンザ

講演要旨は以下の通り。(まとめ:小野俊太郎委員/講師チェック済)

[新型ウイルスの流行]
インフルエンザは冬が近づくと報道され一種の風物誌になっている。毎年日本でも一千万人が感染し、多い時で三万人くらい亡くなる現役の流行病である。それでも大事にいたらないのは、ワクチン接種やタミフルなどの薬の投与があり、すでに多くの人に免疫抗体ができているせいである。毎年のように「香港型」や「ソ連型」が流行できるのは、このウイルスは人間が一千万年かかって行う進化を一年でやりとげて、人の体に備わった過去の免疫記憶を微妙にすり抜けてしまうからだ。しかし数十年に一度、これ以上変化しても流行できないとなると、インフルエンザ・ウイルスは代替わりをする。その結果、全く未知のタイプに人間社会が直面することがある。それが新型インフルエンザの大流行(パンデミック)である。
第一次世界大戦末期の一九一八年から、日本でも「スペイン風邪」と呼ばれた新型インフルエンザが流行した。そのようすは文学作品にも描かれている。宮尾登美子の『櫂』には、高知での流行が描かれ、一人二人が倒れたと思ったら、あっという間に多くの人が死亡したという描写がある。また、川端康成の「伊豆の踊子」では、最後に主人公が老婆を東京に連れていくのを頼まれるが、それはスペイン風邪で働き手の息子夫婦が亡くなったせいだった。宮沢賢治の妹のとし子の死因も腸チフスではなくインフルエンザだと日記にある。
歴史人口学者の速水融の試算によると、スペイン風邪で、当時の日本の人口五千五百万のうち、四十万人前後が亡くなったとされる。全世界では約八千万人の死亡が推計されている。その後、五七年にアジア風邪、六八年に香港風邪、と二度の流行があったが、病原性の低い新型インフルエンザであったため、被害者数は少なくて済んだ。
だが、人類はインフルエンザの封じこめに成功したわけではない。いま新たな流行が懸念されている新型インフルエンザは、H5N1と呼ばれ、今までにない特徴をもつ。一九九七年に香港でのニワトリから人への感染例が発見されて以来、WHOが監視を強めている。

[弱毒型から強毒型へ]
封じこめや撲滅が難しいのは、そもそもインフルエンザ・ウイルスは、人と獣に広く共通して感染する性質をもつからである。それが人にしかかからない天然痘とは異なる。患者を隔離するだけでは根本的な対策とならないからだ。
インフルエンザはカモの体内で共生している。渡り鳥であるカモとともに各地に拡がり、ウイルスは急速な進化をとげながら、ニワトリやアヒルなどの家禽、さらにブタなどの家畜、そして、人間にも感染し、さらに人から人へと感染する力をもつのである。
ウイルスは生殖能力をもたないので、かならず宿主を必要とし、それが死にいたる原因となる。だが、ウイルスは自分が滅びないために巧妙な方法をとる。それは弱毒型となって宿主を殺し過ぎないようにすることだ。
スペイン風邪として流行したH1N1など、どれも弱毒型というべきである。ちなみに、このウイルスの識別に使われる、Hは細胞と結合するための触手、Nは細胞と分離するための触手の働きをする。数の違いで持つ性質が異なる。弱毒型は、呼吸器を中心に被害を与える(これがカゼと間違われる理由である)。致死率が低いために、宿主である人間の多くは生き延びるし、だからこそ流行しやすい。それにたいし、H5やH7の強毒型は、全身に感染して、脳炎などの出血性炎症をひきおこし、急激に宿主を死にいたらしめる。鶏舎が一日で全滅するのはこちらのタイプである。しかも、血を媒介して体内に広がるので、たとえば感染したニワトリの卵などからも感染する恐れがある。
だがここに謎がある。強毒型は、本来なら宿主をあっという間に殺すせいで、野生の鳥インフルエンザでは今まで存在しなかったのに、どうして現在は流行する特性をもったのかという点である。二十世紀になって世界中で普及した密集方式によるニワトリなど家禽の飼い方に原因があったと推察される。どうやら、宿主が死ぬ前にすばやく高密度で飼育された側にいる他の宿主に遷移していけばよい、とウイルスが学習したのであろう。強毒型のまま感染力が強くなったわけである。現在、鳥から家畜さらに人へと感染対象が変るなかで、その性質を遺伝子上に受け継ぎつつある。

[新型インフルエンザは安全保障や経済問題]
こうした新型インフルエンザにWHOをはじめ欧米各国が対策に乗り出しているのは、医療問題にとどまらず、危機管理安全保障の問題であるからだ。たとえば、アメリカは国防問題としてとらえ、ブッシュ大統領が重要性を演説し、年に九千億円の予算を計上している。緊急事態の場合には、二十四時間以内に州兵を派遣してその地域を封鎖し、新たに感染しないようにドライブスルー方式で、パンデミックワクチンを国民全員にうつ用意が整っている。それはスペイン風邪のときに、ヨーロッパ戦線で亡くなったアメリカの兵士の八割がインフルエンザだったとわかってきたからだ。そして、研究をCDCという海軍の研究所が担当しているように、軍事医学のレベルで新型インフルエンザを考えている。
新型ウイルスでは二十歳前後の死亡率が高いのだ。ウイルスが侵入すると、体が防御をする生体反応をとり、サイトカインという物質を出す。若くて新陳代謝が活発だと過剰になり、正常な細胞まで殺してしまう一種の過剰防衛である「サイトカイン・ストーム」を引きおこす。この世代の死亡率が七割というデータもある。そのため、アメリカではワクチンの投与や薬や人工呼吸器などに閲し、国民へのアンケートを通じ、若い世代に優先すると合意形成しつつある。
H5N1が流行すれば、働き手を直撃することになるのは間違いない。人から人へ感染する段階にまで進化したウイルスは、空気感染力すらもつからだ。その怖ろしさは宮尾や川端の小説でも描かれていた。結果として物資の輸送やエネルギー供給などのライフラインを直撃するのである。小泉内閣が決めた日本の指針でも、食料の備蓄などが提唱されているが、新型インフルエンザの流行が終息するのに最長八週間といわれる。この間家に閉じこもっていたのでは、飢餓すら招きかねない。
しかも、二○○六年にインドネシアで集団感染が発生した時には、鳥インフルエンザの安全保障が経済問題とも直結することがわかった。先進国の企業がそれぞれの行動指針に基づき、工場や事務所を閉鎖したり撤退した。そのせいで、インドネシア関連の株価は暴落した。こうした事態は、インフルエンザ対策を促進もするが、正確な情報が出にくくなる要因ともなりかねない。
現在は感染したニワトリなどを殺処分して埋めるのだが、地域によっては、監視する役人たちがいなくなると、それを掘り出して食べたりする現実がある。ウイルスの宿主である家禽や家畜はそのまま食料であるからだ。そして、アフリカ諸国のように、経済的貧窮にくわえ、マラリヤやエイズ問題を抱えるところでは、インフルエンザ対策の優先順位が低くなってしまう。

[日本の対策の遅れ]
インフルエンザは潜伏期間は短いが、潜伏期からウイルスを他者にうつすので、自覚症状がないうちに拡散してしまう可能性がある。発熱状態で発見できる SARSとは異なるのである。ひょっとすると、発症した地区から帰ってきた邦人が、すでに感染している可能性もあるのである。
日本でもワクチン生産などの計画は一応たてられているのだが、パンデミックワクチン生産には具体的計画は無く、今、流行している鳥インフルエンザウイルスで作ったプレパンデミックワクチンの国家備蓄は一千万人分しかない。プレパンデミックワクチンは、発症はするが有意に致死率を下げる効果が期待できる。パンデミックワクチンは、実際のウイルスが出現してから生産を開始しても完成まで六ケ月から一年かかるし、供給人数分は公表されていない。カナダは四ケ月で全国民分の接種を行う体制を整えつつある。プレパンデミックワクチンはすでに既存の生産ラインを使って、一千万人分を確保することになっているが、全国民には到底足りない。現在のふつうの弱毒型のインフルエンザ対策を基準にしているからだ。また、最大限でも被害者が六四万人と見込んでいるが、オーストラリア大学の研究所の試算では、死者二百十万人という数字があがっている。
そこで、本ワクチンの生産前に、タミフルやリレンザの使用が必要になる。タミフルは現在も広く使われているが特効薬ではない。ウイルスを死滅させるわけではないからだ。ウイルスが細胞から離れる触手Nの箇所を不活発にし、他の細胞で増殖するのを防ぐ働きをもつだけなのだ。
とはいえ、初期段階ではタミフルが効果的であるのはまちがいない。ただし、皮肉なことに新型インフルエンザの死亡率が高い十代への使用が現在は制限されている。しかも、タミフルは経口薬なので、消化器がやられてしまえは成分を吸収できない。また、全身感染する強毒型には、呼吸器を襲う弱毒型の処方量の三倍は必要になる。それだけ大量のタミフルを生産し備蓄しておかなくてはならない。
日本の対策では、新型インフルエンザには自宅療養が主で、重症患者だけを医療機関で治療することになっている。だが、それは食料の備蓄問題や治療の優先順位を含めた現実的な対策をともなっていない。国民に問題の重要性を問いかけていないから合意ができていないのだ。WHOが専門のタスク・フォースをおき、アメリカが大統領直属の対策チームをもっているのとは対照的である。
こうみると悲観的にも思えるのだが、現在までの統計データからすると、全体の七割の人間に免疫ができると、新型インフルエンザの流行は終息する。だから、スイスなどの行動計画のように、タミフルやプレパンデミックワクチンを全人口分用意し、必要な人に配る体制を整えることが不可欠である。
また、基礎免疫をつけることで、感染しても重症化を阻止でき、結果として社会機能、医療機能を守り、国民の生命や経済的被害を大幅に下げる。その結果、毎年の季節のインフルエンザ程度の流行で収まるとする数理統計による報告もある。日本ではさらに、出来れば二億人分くらいのワクチンを生産するなら、近隣の新型インフルエンザ対策を支援もできて、感謝されるのではないか。アジアでは、日本以上のワクチンを生産できる国はない。これが真の国際協力であろう。

* 死の態様はまさに「凄い」という。ワクチン備蓄の問題にならない不足等々、国民眼前の不安材料として知識も認識も深めたいということである。
2008 2・16 77

* 寒い。目が霞む。
2008 2・18 77

* 凄いほど、霞み眼。ドライアイ、どうにかならないか。
2008 2・19 77

* 歌舞伎座へ行くと売店で綺麗な鈴を買ってくる。鈴の音色が好きで、つい買う。自転車のハンドルに吊している。お連れがあるようで気が晴れる。この機械の目の前に赤、白、緑の花柄で包んだような大きめの鈴がつるしてある。ときどきつついて鳴らしている。昨日はセーターの胸にくっつけ、猫の気分で家の中を歩いていた。黒いマゴもむろん鈴をつけている。
今朝はよく晴れて明るい。書庫の屋根庭で梅が花をたくさんつけてきた。物干しに鎮座してマゴは梅見のお行儀。わたしの眼は、朝からの機械原稿の点検や湖の本の校正で、霞みに霞んでいる。
2008 2・29 77

* おめず臆せず「憲法はなし」の用意をしている。目薬ばかり減って行く。煙草という一服がわたしには、無い。本を読むのは、少なくも目の休息にならない。小さい文字よりいいだろうと、こんなとき、撮り溜めてある写真の編輯をしたりする。「mixi」に「フォトアルバム」のサービスがあるので、非公開のまま、気に入っている猫の写真や花の写真や家族の写真を編輯して一服にするのはどうかしらんと考えている。そんなとき同時に音楽を聴いてもいる。
昼間も晩も機械に向かい、済んだら、数えてみて今十二冊の本をきちんと読んでいる。オモシロイので頁のハカが行くと、つまり視力遣いの時間はますます長くなる。休憩のつもりでテレビを見ても、映画を観ても、同じこと。新聞は全然、手にも取らない。見出ししか見えないから。

* もっと外出しなくちゃ。人と会わなくちゃ。人と言葉をかわさなくちゃ。
2008 2・29 77

* さっぱりと散髪。素手で自転車に乗って、すこしも手が冷えない。春だ。
2008 3・1 78

* 入浴後の機械の前で、椅子のママどうやら昏々と寝入っていた。いずれにしても明日の用事を済ませてしまいたい。今夜は、はやくやすもう。
2008 3・1 78

* とろんと眠い。天気はわるくないのだし、走るかなと思いつつ、からだが立とうとしない。そんなときは、からだを休ませてやらなくちゃ。白内障のを日に三度、緑内障の二種類を日に二度ずつ、そしてアレルギー用のを日に四度ずつ点眼している。このおかげか、この春は、例年あれだけひどい花粉を殆ど気づいてもいない。いいこともあるじゃないか。
2008 3・3 78

* 昨日しばらくぶりに外出して、保谷へ着いた頃から、おや、少し痒いかしらんと気づいた。寝入るまで痒みがあって、久しぶりに温湯で洗ったりしたが、今朝は、まず元へ戻って、どうもない。少し怖くて、つい自転車乗りを控えている。
人類に貢献する薬を創りたいと教室で書いてくれていた博士くんの言うことだ、えらく分かりやすいなあ。
2008 3・5 78

* 「湖の本」新刊の初校を終えた。これからが気ぜわしくなる。
「美術京都」対談の方も、ほぼ仕上がった。高齢の対談者だった、予定した社長でなく会長が出てみえて、うまく応答を引き出せなくて困惑した。仕方がないので、質問や独語のかたちで問題点を付け加えて、それだけは伝えようと手入れした。先方で、若い人たちがその問題提起に少しずつ応じ書きくわえてくれて、サマになった。よくなった。これも上がり。
憲法のはなしは、雑誌の方でも運動体の方ででも、活字にするというので、原稿を渡した。これも終わり。
やがて美術賞選考会の通知が来るだろう。明日は、また糖尿病の定期検診。出かける日のお天気がいいと気も晴れるが。
三月四月五月、春はいろいろある。色々の中には、昨年八月以来の「仮処分審尋」がいまだに続いていて、成り行きが、見えているとも見えてこないとも。ペン会員牧野二郎さんの法律事務所にお任せしてある。
2008 3・5 78

* 時として、眼が痒い。
2008 3・5 78

* 早起き。天気は今はいい。遅くなると雨かも。聖路加へ。
2008 3・6 78

* 聖路加はナースがお休みで代理のナースの面接。面接までにかなり時間がかかってイライラした。あれこれ後の用事も終えて、街なかへ解放されたときはかなり午後に踏み込んでいた。
なぜか久しぶりに腰が痛み、歩きにくい。油断して腰痛用の漢方薬の間をあけてしまっていた。

* 東京はなぜああも混雑して騒々しいのだろう。今日ははじめ暖かく、だんだん冷えた。雨は止んでいた
2008 3・6 78

* 明日は歯医者に。
2008 3・6 78

* 外出すると、さすがにこの季節、眼にまだかすかながら刺激的な違和感が出る。花粉、やはり恐るべし。今日も、二人で歯医者に通う。風も吹いていそう。

* 歯科のあと、「リヨン」で昼食。ツブ貝、巻き貝に青菜の前菜、豌豆の泡立てスープ、そして鱈のリヨン風メインディッシュ。デザート。適量、美味のフレンチ。新江古田から外苑前の保谷眼鏡へ。最近用を新調。表参道から外苑前へゆっくりゆっくりウインドウ・ショッピング。また大江戸線で帰ってきた。昨日処方の薬も地元薬局で受け取った。
目に違和感はあったけれど、持ち合わせの二種類の目薬で比較的容易に緩和されて、ほとんど問題なし、大助かり。
2008 3・7 78

* あたまもからだも、ゆるゆると働いている。機械を走らせる手も、ゆっくり。
2008 3・12 78

* お母さん先生は忙しい。
わたしも、波のひたひたという感じで忙しくなってきた。十八日には、また歯医者、そして近用専用の眼鏡を受け取りに青山へ。太左衛さんお招きの「偲ぶ会」も、目前の楽しみ。そしてすぐ、「美術文化賞」の選考のために京都へ行く。往き帰りの切符も予め。
連日、湖の本新刊の発送のためにも、いろいろ。からだを動かすのはいいこと。
2008 3・15 78

* 今日は花粉にいためつけられ、視力も乱れ、仕事が辛かったが、大事な一歩を踏み出して先へ繋いだ。眼が霞み少しこれからの読書が辛そうだ、明日も花粉が怖くて家を出られそうにない。そんなことを云いながら、今も横手一彦さんの本に感心して読み耽っていた。目から鱗が一杯落ちる。
だが、もう休もう。
2008 3・16 78

* 朝いちばんに、と云いたいが「夢見」に揺すられ、少なからず寝坊した。小蛇の夢を観た。だれかが白い布にその蛇をぐるぐるくるんで片づけたが、どこへ片づけたのかが、夢の中で気になっていた。二日続けて花粉に眼をやられ、ぼんやりした視野と睡魔(と云うより目をあけていたくなくて、それでウトウトするのだが。)のせいで疲れていた。
2008 3・17 78

* 今朝は、先ず、歯医者そして眼鏡屋へ。

* 花粉は厳しかった、いまもまだ。
2008 3・18 78

* お湿りで少し冷え込んでいるが、花粉は沈んでいるか、眼がラク。ありがたい。
2008 3・24 78

* 発送の用意、着々。明日は眼科の検査を受けに行く。花粉で花がくすぐったくなる。眼よりはラクだ。
2008 3・30 78

* 十時半の予約で、先ず眼科検査。済んでから診察。検査と診察の間にながく待つのが眼科。『抱擁』を読むことになる。おっそろしくペダンティックな書き方の長編。映画の方がうんとすっきりしている。これも映画を先に観ていてよかったクチである。
2008 3・31 78

* 土砂降りの中、傘を持つ手の冷たい保谷から築地まで行き、雨はなおしとど。
病院に早く着いたうえにこの天気で外来患者も少なく、いつになく眼科の検査さっさと終え、診察も終え、予約時間の十五分後には解放されていた。大事なし。眼の充血も無し。投薬は前のままに。院内で早い昼飯にしてしまい、また傘をさして新富町から一路保谷へ。寝入っている内に着いて、雨はきれいに上がっていた。
2008 3・31 78

* 何かし残していることの有る気がしてならず、自転車で走った。東へ東へ石神井台から南行して玉川上水へ、そして境南の浄水場まで西向きに走って北行に転じ、田無から保谷へ入った。二時間十分。帰って測った血糖値は、86。上等。もう一時間走っていたら低血糖の危険域に入ったろう、今日も途中用心に和菓子屋で甘いモノを買ったが、帰るまで口にしなかった。
数日前から、かなり厳格に炭水化物をカットしている。体質か、炭水化物は体重になってしまう。
2008 4・2 79

* 好天なれども花粉気味に瞼が重い。つい目をとじてしまう。
2008 4・3 79

* このところは、さて落ち着いて機械の前に腰掛けていられない。明日はまた聖路加病院で糖尿病の定期診察。一時からの予約だが、検査を先に早く済ませておくと、一時頃にみんな済むこともある。なによりも今はこの嗜眠的体調をやすめてやらないといけない。
2008 4・3 79

* 聖路加へ向かう。今日も花粉を感じている。
2008 4・4 79

* ありがたい思いをした。
聖路加へ早く着いて、まず血液と尿の検査を済ませ、診察に一時間は余裕のあるのを確かめてから、院外へ散歩に出た。あわよくば特製のオムレツを頼んで早めの昼飯をとも思ったが適当なレストランが見つからないまま、花日和の築地をぐるりと歩いて病院に戻ってきて、手前の交差点角にあるカソリックの教会にはいってみた。
築地は外国人の居留地のあったところ。この教会も早くに出来ていた。
ちょっと見には石像に見えて実は木造のギリシャ建築風の正面をもった会堂、ひっそりと人けなく静まりかえっていた。と、教会の人らしく、どうぞ自由に中へもと声がかかった。その気はなかったが、思い直して、言われたまま中へ入ってみた。
誰一人の姿もない会堂の奥には聖像や十字架などの祭壇があり、木製ベンチがならんでいた。前の方へは進まず、うしろから二列ほどの席に腰掛けてみた。
額ずく気ならそのようにもベンチの前に設えもしてあった。わたしは、そうもしないで、しかし、座禅ではないが瞑目した。
いくら瞑目してみても雑念ばかり、それに戸外に物音はいくらもしていて、とてもとても瞑目・瞑想に堪えられそうになかった、…のだが、じっと目をとじたままでいるうち、ふと気づくと、自分が物音にも雑念にもまったく邪魔されないで黙想できているのに気づいた、いや、そんな気づきすらもすぐ捨てた。目を閉じた視野は一面にほのあかるい波一つたたない池の面のように静まっていて、なんともいえない安居の時空にわたしは落ち着いていた。眠っていたのではない。
我に返って時計を観ると優に半時間以上が経っていて、もう病院へ帰った方がよかった。名状しようのない気持ちよい、全身の軽い快適感にわたしはこころから驚いていた、いや感動していた、しかも胸の内は静かであった。嬉しくてならなかった。

* そして予約より四十五分も早く、外来の待合いから診察室の前へ呼び込まれ、すぐに診察の順番がきた。診察自体も、まずいところは何もなく、従前の処方箋が出て次回予約をして、ドクターに機嫌良く見送られて診察室を出てきた。

* 有楽町の帝劇モールの『きく川』で、飯抜きの蒲焼と「菊正」二合で快い昼飯を済ませ、保谷まで直通、ぐっすり寝て帰った。櫻はまだどこででも満開の余情のまま花吹雪を舞わせて空は明るく晴れていた。
さて、四月が本格に始まっている。
2008 4・4 79

* 昨日は 黒目川を上流の都大橋まで行き、さらに西へ西へ小金井街道を越え新小金井街道も越えてから、おもむろに南行、小平市を南へ南へ通り抜け、ようやく東へ北へ戻りはじめて、花小金井四丁目辺では少し甘いモノが必要な体調かな、砂糖の小匙二杯ほど欲しいなと思いつつも、そのまま新青梅街道を東へ向き、巨大なテレビタワーの真前で北へ逸れ、北へ北へひばりヶ丘駅の西づめを渡ってから、見馴染んだ老舗の和菓子屋で「きんとん」を一つ頬張った。
この旨かったこと、甘かったこと。ほんとうに旨かった。下保谷のスーパーで純米酒一本と生搾りの大を半ダース買って、帰宅。
二時間十五分の自転車走であった。
季候はすっかり良くなっていた。黒目川沿いは、黄色い花も、白や桃色の花々も、青々とした若草も溢れるようで、櫻にしても、すっかり衰えていながら、まだ場所により満開の余情美しい櫻の杜が何ヶ所も残っていた。心地よかった。少し薄着かなと出がけに気にしていたのが何の心配もなかった。ただし低血糖を感じると躰は冷えて違和感が全身へ来る。ほとんど見逃すことはない。
2008 4・7 79

* なぜか今日は眼がひどく霞む。いまレスキュラという眼圧を下げる薬を点眼したら、痛いほどしみた。眼圧を下げるのにもう一種類ハイパージールも朝晩に点眼して緑内障の進行を防いでいる。白内障の進行防止にはカタリンKを朝昼晩に、もう一つリザベン0.5%を朝昼晩夜に点眼する。この最後のが今年花粉に卓効を示していたように想像される。さらにこの他に目が疲れてくると、売薬のアイリス50やサンテ・ビオも随時に用いている。
2008 4・7 79

* NHKの「ためしてガッテン」というあまり観ないで来た番組の再放送を、たまたまなにげなく観ていて、仰天した。
瞼が垂れる。
これがもろもろ健康の不具合の原因になっているという。事細かな解説と実験を観ていて、唸ってばかりいた。それどころか、すぐさま絆創膏で両瞼を上へ吊ってみた。
眼は、ぱっちり (?)。昨日から、今朝から、霞んで往生してきた眼が、霞まない。背筋が立っている。そして頸周りの凝りや肩の痛みなどが時間を追って少しずつ軽快している。細い絆創膏二本で両瞼の上を上へ吊り上げているダケである。
数え切れないほどの、まさかという症状や不具合が、顔の皮膚のたるみから起きていると云われて信じ切れなかったが、一つの実験は奏功している。外出時はさすがにムリでも、家で機械の前にいるときは、この絆創膏の瞼吊りはやめられないだろう。
目立ってと書いてダジャレではない、まず気持ちが断然いいのだから。「ためしてガッテン」した。この機械の文字が、いまもきっぱり明晰に読めるから嬉しい。
外出に邪魔にならないそれこそオシャレな瞼吊りの工夫がされれば、きっと「売れる」よ。わたしは「買う」。
2008 4・9 79

* 黒いマゴに六時に起こされ、そのまま起きた。血糖値、105。正常値。ニュースのあと、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーの気取ったアクション映画の後半を独り観ながら、発送のための追加作業をし、機械の前へ。
早起きすると一日が長くなる。疲労や睡魔が襲わない限り、いいこと。

* 明後日、新刊の本が出来てくる。随分、間を開けてしまったけれど、それもよし。束の間の今日明日は息抜き。
2008 4・12 79

* すこし気持ちにゆとりあり、自転車で三時間走ってきた。
西へ西へ西北へ走り、二つ三つの清流にそってながく上下し、晴天を楽しんだ。今は草花も木の花も洗い清めたように色とりどり美しい。新座市、清瀬市、所沢市、村山市また東久留米市、西東京市を足任せに走っていた。
とくに何も考えない。きつい坂で丘陵を越えるときは登り分自転車は歩いて引いて、ムリしない。三時間も休まずに走ったり歩いたり、そして迷ったり見当を付けたりして、無事に帰ってくる。
2008 4・12 79

* 深夜、56という超低血糖になり、糖分を補給した。本を読み終え寝入っていたが、夢中、思い当たる体調にすぐ起き手当てした。手足の先にかすかにしびれが来ていた。放置すると極めて危険だが、手当は簡単にできる、砂糖が手近にあれば。
2008 4・16 79

* 昼打ち出しの合間に、茜屋珈琲へ。妻は紅茶のストレートがおいしいと満悦。わたしは珍しいみごとなカップでのコーヒーに、満足。マスターに、いつものように新刊進呈。
2008 4・16 79

* 一時間ほど自転車で走ってきた。帰ってから血糖値を測ると、81。やはり走れば結果よく、走りすぎるて用意がないと低血糖の危険が目の前にある。
2008 4・20 79

* 足早に四月が過ぎて行こうとしている。なぜそう急ぐ。

* 昼には晴れると云うから、歩きに出ようかと思う。いやいやわたしは歩くより、ぼんやり乗り物に乗っているのが、好き。
2008 4・27 79

* 天気はとくに悪くもなく、よくもなかった、が、暖かい戸外であった。
2008 4・27 79

* どんな五月であるか。

* さしあたり健康面で今すぐ落ち込んでいることはないが、それなのに、全身から、いつクラッシュしてくるかといういやな予感は、いつも、ある。それを、ひとごとのように、よそごとのように、観察している。
2008 5・1 80

* 二時半に寝て五時半に起きてしまった。血糖値は、94。宜しい。夜前のどの本もおもしろく、満足した。
明け方に、三浦雅士さんにもらった岩波新書の新刊『漱石 母に愛されなかった子』を読み始め、惹きこまれた。
漱石は最も敬愛し耽読してきた人だが、それだけに他者の漱石「論」は、必要も覚えず、数えるほどしか読んだことがない。汗牛充棟ただならぬことは知っているから余計だが、これまで読んだ幾つかから格別の感銘も受けなかった、漱石からすれば「知ったことか」と嘯きそうな、理屈をこねた理屈本が多かった気がする。
三浦さんの新刊は、息を吸うのと同じように論旨が生き生きとわたしを「元気」づけた。へんな言い方だが、眠っていた関心を一気に適確に甦らせてもらった嬉しさと感嘆。すでに言い古されたことかどうかは知るよし無いが、凡常の論旨でなく、論者の肉声がほんものの張りを帯びている。

* 岩波の高本さんに頂戴した純米大吟醸「一ノ蔵」が旨い。まだ世間はしんと寝静まっている中で、萩の盃に酌んで心ゆくまで独り吸いかつ呑みながら『漱石』を読み楽しみ、その勢いで二階の機械へ来て、書きかけの『はながたみ』を書き継ぎ、ところが想定外のところへ筆がはみ出していった。「けいこ叔母」の遠い昔の影絵が、にじみ出たように上田秋成のほうへ動いている。収拾がつくだろうか。

* 遺憾にも眼が霞んできた。今日は、天気次第では自転車で走ろう。
2008 5・2 80

* 寝が足りず、眼がひどく霞む。夕刻にも間があるが、今日は、ほどよく休みたい。ハンでついたように、インターネットはキチンと!? 不調。やれやれ。
気はいいかと思ったが、さほどでなかった。
2008 5・2 80

* あけがた、左下肢の異様感覚で目覚めた。フクラハギの中で、パンのような塊がぐりぐりと蠢くのだ、怖くなって起きてさすっていた。六時前。
もう一寝入りしたら、思いの外に熟睡、十一時過ぎていた。血糖値、111。血糖値だけはこのところすこぶる安定している、この一月、酒はずいぶん飲んだのに。
近くでみつけてきた思いの外安価な純米酒がすこぶる旨かった。一升。
ついで金澤の金田さんに戴いた「能登誉」の純米酒が断然旨かった。一升。
さらに岩波の高本さんから頂戴したのが青森の「一の蔵」純米の特製、とびきり旨かった。一升。
しめて三升を平均五日で飲み干してきたから、小一月の日本酒。ほかにワインもときどき。それでも血糖値は冬場よりぐんと安定しているのがありがたい。悪玉コレストロールは投薬のおかげで、この二三度の定期の診察で、値は低い。
問題は体重です。あまり運動していない。
2008 5・6 80

* 二時半に本を読みやめてからも、二度黒いマゴと起き出して、テラスの戸を夜のしじまへすこし開き、縁側に二人並んで暫時黙想。マゴは外へ出て行かず、やがてまた部屋に戻ってゆく。テラスへ出ても、書庫のカウンターの前で鎮座し、やはりまた部屋へ戻ってくる。わたしも床に戻る。七時半には起きた。血糖値、116。良好。
2008 5・7 80

* 三時から六時十分まで自転車で走る。荒川の河川敷が涼やかに晴れ晴れと気持ちよかった。秋ヶ瀬大橋からまた一路帰ってきたが、太陽の位置だけをたよりに足の向くまま走ってきて、かなり帰りの方角が逸れた。新座の保谷寄りに来た頃にはサドルに置く尻が痛んだほど。

* 夕飯の、一番搾り、大きい缶が痛烈に旨かった。
七時、妻が今晩もピアノを鳴らし始めた。明日は、足利まで、藤の花を観に行きましょうよと。
2008 5・8 80

* 八時、血糖値111。良好。ちいさい地震あり。一両日、地震、少し続いている。
2008 5・9 80

* 東海を台風が過ぎて行くという。冷えて、くらい朝。インシュリンを注射して梅干しの握り飯を一つ食べ、珈琲一杯。目薬を四つさし、強壮剤四カブセルを用心のためにのむ。

* 今日は新橋で終日、芝居を観る。夜は期待の、福助のお岩さん。前三列目で観るのは心底怖いが、怖いものみたさ。伊右衛門は播磨屋がなんと、初役。昼には、毛谷村などで染五郎が幾役も活躍する。踊りもある。傘をもって出かける。
2008 5・13 80

* ゆうべ『野良犬』を観ていたからか、黒澤監督とえらく仲良く歓談している夢を観ていた。起きて、血糖値は、正常。
しかし昨日は昼に夜に二度三度、梗塞気味、心臓の痛むときがあった。
2008 5・28 80

* 今日も眼が霞みきっている。もうやすもうと思う。六月が始まったが、どんな一月が始まったのか、そんなことは忘れていよう。
2008 6・1 81

* あけがた、東工大の卒業生達、百人ばかりと賑やかに同窓会の夢を観たが、参加の全員が、手製の飛行機を持参して飛ばすのにビックリした。みな、歓声をあげていた。なーんでか?

* 昨夜、入浴後に頸まわりが強張り、血圧が、上で57、下が38という急降下で、苦しかった。汗をぬぐい、ニトロと安定剤とで、横臥しているうち回復した。
2008 6・2 81

* 十時半、もう眼がもたない。

* ヘリベルト・ブリューワの指揮とオルガンで、バッハの「フーガ」を宵から聴き続けている。ベルリンのバッハ・アカデミー。好い演奏。深い安堵。でももう眠った方がいい。明日出かけたいと思っていたが。その元気が出るかどうか、かなりの雨と予報されている。
2008 6・2 81

* とめどなく仕事がある。同じ所を歩き回って狐にバカされているような気もするが、結局そうではない。始末しておくしかないことを始末しながら、やはり前へ出ている。
なぜか今になり眼の調子もいいが、調子に乗らずもう手をとめたい。
あすは、『新薄雪物語』を通しで観る。染五郎の所作事がキリにある。あすは昼の部だけにした。
そして京都へ。今月は叔母ツルの命日を迎える。
2008 6・3 81

* ミッちゃんのおやつは氷みづ という唄声が夢に絶えず、六時に起きてしまう。血糖値、110。正常値。かすかに頭痛。
2008 6・4 81

* 今日中に京都へ入る。明日の夜にはこっちへ帰っている。京都美術文化賞の二十年か二十一年目の授賞式に、選者の一人としてお祝いに参加。それにしても清水九兵衛さんの顔の見られない寂しさ。

* せめて無事、雨にあいませぬように。
2008 6・5 81

* 緊急申し訳ありませんが。
実は一両日以前、入浴後に、上の血圧が57 下が30代という超低血圧で頸周りが石のように強張り、恐い思いをしました。高血圧かと思って測ったらあまりに低く、仰天しました。すぐ横臥し、その晩は徐々に、徐々に回復しました。翌日の仕事には問題在りませんでした。
昨日まで何事もなく平常に過ごしましたが、今朝七時前に起きて、京都へ出かける用意しながら機械に向かっていますうちに、また高血圧かなと思う不安な感じになり、測りましたら異様に血圧低く、先日と近似の急の苦痛に襲われました。
理由などわかりません、むしろずうっと高血圧を案じていましたが。
今日中にゆっくり京都に入り、落ち着いて明日の授賞式にと思い用意していましたが、これは医者に診せた方がよいように思います。独りでホテルの個室で一夜すごすのが不安心になりました。一過性のなにかで済めばよいがと思います。
理事会ばかりか授賞式までも、急の欠席、お許し下さい。いまもう、少し落ち着いて回復に向いていると思いますが、大事をとりたいと思います。
宿の方、キャンセルしておいて下さいますように。
お忙しいことです、見舞いの電話などお気遣い無くやり過ごして下さいませ。申し訳ありません。
もともと私は低血圧気味でしたが、一時高くなって来ていると、高い方を医師も警戒していました。余病との合併が起きないよう用心します。
重ね重ねお詫びします。  取り急ぎまして。 秦 恒平理事

* 何とも言えず口を利くのも億劫な感じで弱っていたが、体調不穏、虫の知らせのような物であったらしい。このまま安静にし様子を見てみる。熟睡をはかってみる。朝起きてすぐ型どおりにさっさと家を出ていなくてよかった。

* どうということは、ないと思っている。所詮、からだのことはからだが知っているだろう。わたしが慌てても仕方がない。しんどければしんどいで、仕事を続けていると忘れて行く。用心は必要だが、過度に意識はしない。したいだけ、やれ。したくないこと、億劫なことは避けるしかないのである。わたしが避けなくても躰の方で避けている。心より、よほど賢い。
2008 6・5 81

* 京都の宿でひとり目覚めている予定であったが。今朝は黒いマゴに起こされ、脚をつつかれるやら手にとびつかれるやら、六時に起きた。大過なく。
正直の所、独りだけのホテルに一夜寝るのが昨日は不安であった。痛烈に脚が攣るだけでも処置のしようがない。胸や頭や頸まわりの状態を観つづけていて、なにが起きてもそばに人がいてくれればどうにかなる。独りで安全へ逃げ込むのは、かなり難しい気が昨日はしていた。
2008 6・6・81

* 頸まわりの硬いのなど、医者に診せるのも好いが、薬がふえるだけ、いいかげんウンザリする。傘さしてでもきれいな花を見にゆこうか、一昨年ちょうど昨日か今日に、妻と堀切菖蒲園に出かけ柴又に脚をのばしている。あの日はまだそれでも幸せであった。やす香が「白血病」であると「mixi」で告げられ顔色を失ったのは、あの年この月の、「二十二日」だった。今に絶えない無道な「事件」も、あの日から始まった。菖蒲園の美しい写真の一枚がこのファイルのアタマに出ている。写真はもう要らないが、年年歳歳花相似の風情にせめて触れたい気はある、が。じんわり頭重感ものこっているし。
2008 6・6 81

☆ 心配です。  笠 e-OLD千葉
秦さんのホームページにもご無沙汰していました。それで、「頸まわりの硬いのなど医者に診せるのも好いが、薬がふえるだけ・・・」を見つけました。
やはり主治医に診せてください。以下省略。
どうかそうしてください。どうかお大切にしてください。「未来」は長いです。 拝

* やがて定期の検診日にも。感謝。

* 夕燕我には翌(あす)のあてはなき   一茶

* おそるべき君等の乳房夏来る  西東三鬼
2008 6・8 81

* 好天を利して暫くぶりに自転車でちょうど二時間走ってきた。白子川の下流、和光市にまで入り、転じて東大泉から新青梅街道へ南下、西へ戻ってきた。二時間の走行はなんでもなかった。
2008 6・10 81

* わたしの脳裏に、いま、幻影としても「抱き柱」としても「拝」の対象としても、仏像が存在していない。神も存在していない。救いも無い。悟りもむろんない。からっぽの「いま・ここ」だけがある。それでいいのだ。ヤケクソでも何でもない。
しかし、いま、とてもムカついて、気持ちが悪い。とてもわるい。
2008 6・10 81

* 青梅街道から、善法寺の、まず下池に。真菰というのだろうか、水草が丈高く造形的に池中に処理されてあり、木立は濃い緑。大人の休息者も多く、石神井の三法寺池におとらない佳い風情で、少し大きい上池も、静やかに落ち着いた景色。界隈、起伏豊かで自転車ではラクもクローも交互にくる。なるべく旨くかわしかわし走るが、余儀なく坂を漕ぐこともある。こりゃダメかなと思った長い坂をきっちり漕いで上れたりして、ヤッタゾなんどと熱い汗をかく。二時間近く元気に鈴を鳴らして走り続け、血糖値は、90、上乗。
石神井池、三法寺池、井の頭池など、わたしの自転車走のさきざきには大小の池沼がある。川もあり上水もあり用水もある。森も公園もたくさんある。
最後に家の近くの長い坂を、尻をサドルに固定したまま脚力だけで疾走して上ったが、息も切れなかった。なかなか興味あるわたしのカラダではあるまいか。また聖路加の診察日が近くなっている。あの低血圧のことだけは訊いてこなくちゃ。
2008 6・11 81

* 数時間寝て、五時半に起きている。今日はわたしをゆっくり解放しよう
2008 6・13 81

* 今日の聖路加病院は、結果がよかったとも、良くないこともあったとも、両方を書かねばならない。
糖尿病方面は、血糖値の推移も、ヘモグロビン値も、悪玉コレストロール値も、血圧も、みな好調で問題なかった。ずうっと以前からこれが問題だと叱られ続けてきたヘモグロビン値? とやら、6.9と、6台に入り、先生もにっこり。
但し、前回に受けた心臓の負荷検査結果はよろしくなく、心臓の受診を命じられて、久々に循環の先生の外来へも「逆戻り」ときまった。自転車に乗っても平気ですがと言うてみたが、却下された。そしてムリはするなと釘をさされた。
せいぜい利くムリでとどめているつもりなれども、本人評価では通用しない。仕方がない。これで聖路加へは、糖尿病と眼科と循環器内科へ通うことになる。

* 天気はよし、病院を解き放たれてからは足任せに、熱い日照りの下を移動しては休みまた移動して、うまいフレンチに紅と白のグラスワインを味わって、脚の便よろしく帰ってきた。
2008 6・13 81

* 来週は、コクーンの勘三郎についで、桜桃忌当日にわたしは循環器の診察を受ける。二十七日の「仮処分」審尋までに問われていることを答え、またいずれは始まる「こと」にも、よく備えておかねばならない。
2008 6・13 81

* 明日は、勘三郎の芝居を楽しんでくる。
明後日は心臓を診てもらってくる。せいぜい頭をカラッポにしていたいが、差し迫ってわたしでしか対応できない用事がいつも厳然として、ある。投げ出すことができればいいが、そうはいかない、投げ出せば現実にメイワクする人が出る。
利かぬムリには手を出さないが、義務的な約束事は約束しているわたしが投げ出すことなどゆるされない。少しシンドクても、ストレスになっても、すべきはする。そのかわり楽しむことは楽しみたい。心臓の方が楽しみの障りにならないように願うばかりだ。
2008 6・17 81

* 二度目の誕生日、三十九歳になった。めぐりあわせで、太宰治の墓のある三鷹禅林寺でなく、聖路加病院に心臓の受診。ま、それもよし。ゆっくりした気分で、妻の久しい主治医、わたしもずいぶん永く観てもらっていた先生の顔を見にゆく。
雨が降らないといい。長く待っても読む本はあるし、築地は幾らでも散歩が利く。
2008 6・19 81

* ハートセンターでは、心電図も負荷検査も受け胸部レントゲンもとった。現状、心配には及ばないという診察で、この体重だから油断は出来ないし、心筋梗塞などの「請求書」の来る危険性は十二分にある、ただ一途に体重を減らしなさい、と。投薬も必要無しと。先生の顔を観るのは久しぶりで。

* 帰途、銀座四丁目のライオンで、大ジョッキと「オム・ハヤシ」の大皿。
オムライスとハヤシライスというのは子どもの頃は父が乗り出してきて自分でつくってくれた、とびきりのご馳走だった。
おそらく父は兵隊時代に中隊長だか大隊長だかの従兵として、そんな料理もつくっていたんじゃなかろうか。そんな如才ない勤勉兵の余録で、わがやではカレーライスも父がつくつた。母はそういうものには全然手もださなかった。

* 病院でもライオンでも有楽町線でも『抱擁』に読み耽っていた。滾々と涌いて出るおもしろさ。
2008 6・19 81

* 目薬を、食卓、枕元、機械の前の三箇所に置いてさし忘れないようにしている。目が要求するのか、よく消費している。過ぎてはけない。
2008 6・25 81

* さいわい晴れて気温も温まってきている。気を晴らしてこよう。沈黙し瞑目している。いいことだ。そっちの闇に真の光がある。闇には、親たちも、兄も、姉たちも、やす香も、また何人も友がすでにいて、声がかわせる。

* 熱い外出だったが、保谷駅でのビールでの校正作業から始まり、汗みずくの半日、歩いていても脚攣りが左右とも頻発して往生したが、執念じみて浅草で、特の牛肉で「米久」のすきやきを二人前美味しく食べてきた。正一合の正宗やジョッキのビール。すき焼きの間はムリでも、それでも、ずうっと湖の本を校正し続けていた。不快なことは忘れていた。一度左ふくらはぎがキツク攣って、痛みが残っている。
2008 6・27 81

* 流れるように日が過ぎていく。小さな筒にインシュリン注射針を一日分ずついれて二週間分見やすく箱につめて使っているが、その「減り」のはやいこと。命の砂時計の砂がみるみる減ってゆく。
2008 7・6 82

 

* ほとんど眠れなかった。五時に床をはなれた。仕事をした。朝から眼が霞んでいる。
2008 7・7 82

* すこし左脚が攣ったが、さらりといい寝覚めでわるくない夢うつつから静かに起きた。
2008 7・9 82

* 金澤の久しい読者から、いつものように海の幸をたくさん頂戴した。
四升も買い溜めた純米酒が、もう無くなった。おいしい肴があると酒も行く。きっとからだの芯から病勢は進んでいるのだろうが、そう仲あしくもない。うまく付き合っていきたい。
2008 7・10 82

* 朝六時十五分の血糖値、96。たいへんケッコウ。
2008 7・13 82

* 黒いマゴに起こされて六時起床、血糖値は108、正常値。体重も少し減っていた。機械部屋、すでに暑い。
2008 7・18 82

* 雨あがりのせいか、就寝後にすこし蚊が来た。蚊は嫌い。二時半だったがそのまま起きてしまい、機械の前へ来た。
2008 7・19 82

* まだ六時半にもならない。すこし朝寝してくるか。

* 結局寝もせず、一日中働いていた。働いていたは、オーバーかも
2008 7・19 82

 

* 夜中の二時半から夜の十一時半まで起きていろいろやっていた昨日の睡眠不足を、今朝は九時半まで寝て取り戻した。サッパリしている。
2008 7・20 82

* 朝の血糖値、100。空腹時に110か115までは正常値。125ぐらいまでは許容範囲と聖路加では云われている。
2008 7・21 82

 

* 六時半に起きる。血糖値、すこし高い。機械と小一時間、遊ぶ。
2008 7・23 82

* ふっと目覚めて八時半。血糖値高い。就寝前に食べたのが響く。
2008 7・26 82

* 七時半の血糖値、115。まずよし。聖路加へ。視野検査等と、診察。留守中には湖の本が出来てくる。急いで帰って、数日は修羅場。創作とエッセイを通算して、第九十五巻めだったか。
2008 7・28 82

* フウ、戸外の暑いこと、本の入った鞄をもって駅まで歩くと、苦痛で顔が歪むほど後ろ腰が痛むのを、なだめなだめ行く。新富町まで坐って行けて助かる。
予約よりずいぶん早くついて検査は、予約時間十時半には、もう済んでいた。
視野検査はほんと苦手。両眼で小一時間はただただ光の点滅を把捉してボタンを押し続ける。しっかり疲れる。疲れるのはまだしも、そのアトの診察の順番待ちがあまりといえばあまり、二時間以上もまたされた。予約時間から一時間半も遅れていた、しかも担当医師が退職していて、別医師のドンジリまで待たされた。
いらいらしながら待てたのは、『冬祭り』のおかげ、夢中で上巻を読み終え、用意よく中巻も持って出ていたので、没入できた。待ち時間を忘れていた。
2008 7・28 82

* 右眼の視野が少し狭窄気味と警告された。三ヶ月後、もう一度視野検査。
2008 7・28 82

* 夜中、二時半。寝ながら、今夜は涼しいなと思っている内、手足が冷えて震えてきた。血糖値、61。異様に低い。
このままでいればやがて全身痙攣に入り、放っておけばかなり苦しむだろうがその先は分からない。砂糖を幾匙か口にし、パンとバターとワインとチーズで深夜食。そして寝た。
2008 7・31 82

* 夏のうちバテなくて、秋口になると凹むのが若い頃わたしの常であったが、酷暑で様子が変わってきている。なぜか、どろりと気も躰も重い。「生彩」をわたしは大事に思ってきた。なにかに取っついて、スタスタと崖を登って行きたい。家の中を片づけたい。
2008 8・5 83

 

* 去年もドライアイで永い月日苦しんだが、眼がまた霞み始めている。急激に来ている。幸い処方された眼薬はそのまま続いているので、気を入れて点眼しなくちゃ。
2008 8・12 83

* 七時半に起きた。血糖値、115。まずまずか。今日は聖路加へ。暑そうだ。シャワーをつかって出かける。

* 生理検査後に一時間半近く余裕があり本を読もうかと思ったが、院内の静かなチャペルに入り、一時間あまり瞑想。
眠ったのではなく、心地よく静かにいた。最初、十五分ほどで我に返り、次は二十分余で我に返り、次は四十五分、静かに瞑黙のなかにいた。
診療室前の廊下にゆくとすぐ呼ばれた。熱暑で自転車運動などまったく出来ず、酒も食べ物も遠慮無い暮らしをしてきたので、今回はサンザンの結果だろうと首を縮めていたが、前回同様で、ドクターに喜ばれてしまったのは恐縮であったが嬉しかった。しかも予約時間の二十分前には支払いもみな済ませて解放されていた。

* で、気をよくして銀座でフレンチかイタリアンかと三笠会館に寄ったが一時前で少し人が多そうなのを嫌い、久しぶりに鮨の「福助」でいつもの「湊」に、二合徳利。機嫌良く、雲丹、あなご、鯛、大とろも追加しながら、『冬祭り』を読んでいた。
西近江安曇の里、作中の語り手の生まれ在所で、初めて会う姉や姪のやっている宿に、冬子との一泊…、と、読み進むうち、酒のせいか、嬉しさにこみあげてくるものがあり、なんというわたしはヘンなヤツであろうと惘れながら、足取り軽く帰ってきた。
池袋西武を通りぬけているとき、トーチカ状の山の上を苺で埋めたケーキに目を惹かれ、買って帰り、珈琲をたてて、妻と半分食べた。
2008 8・15 83

* 六時起床。血糖値、114。わるくない。
2008 8・16 83

* 疲れのためかひどく気が欝してきたので、日盛りと雨の不安もある街へ出るのを、からだのために中止し、部屋を片づけたり、自分とじっと向き合ったりして、終日。こういうことも必要。
2008 8・16 83

 

* 血糖値は低く、例にないほど高血圧、といっても160に少し欠けている程度。念のため降血圧剤一錠服す。
2008 8・17 83

* 朝七時の血圧が、こころもち高めで。145。あけがたに、しつこくうるさい夢を見ていると、高いか。
2008 8・18 83

* 朝十時の血糖値が111はたいへんけっこうだが、血圧が154は高い。このところ血圧が高め推移し、降圧剤がもう切れている。
2008 8・19 83

 

* 五時前と七時に目覚めた。七時の血糖値、114。血圧はこのところ高め推移。マインドフルな「夢」の影響か、わたし自身のこれは「モンダイ」だ。睡眠前の読書も「夢」に来ている。
魔の手におちていくエドモン・ダンテス。不幸な被害から淪落の道を滑り落ちているカチューシャ。
ほんものの「ビョーキ」のハンバート・ハンバート。
優れたどんな作品も、とても現象において、「優しい」ものではない。過酷な痛みを読者の胸にも毒の針のように打ち込み叩き込んでおいて、その上でいわばほんものの「優しさ」を追究し表現してゆく。
2008 8・24 83

* 朝の血糖値、108。正常値。ただし常にインシュリン注射のお陰で。
2008 8・27 83

* 満席の新幹線列車が地下鉄の後楽園駅から池袋の方へ走り出し、やがてガタンと停まって動かない。後楽園から乗り込んだわたしは荷物を引きずって前へ前へ前の車両へとすすんだが、前の車両が無く、前途は、高い夏の空であった。
このごろ見る夢はこういう、思い当たらないものばかり。それが血糖値を上げる。
2008 9・2 84

* さて。明日、聖路加の耳鼻咽喉科の初診を受ける。数年前から、あるいはもっと若くからわたしは睡眠時の空咳がきつく、ずうっと続いて持病並みであり、だから逆にあまり気にかけず、自ずからな消長にまかせてきた。
二、三年前に一度耳鼻咽喉科への紹介を頼みかけ、よしたことがある。
わたしが毎夜、三種類の本に限り「音読」してきたことは、此処に何度も書いてきた。
平成九年(一九九七)十月九日にバグワンの『十牛図』を初めて読み終えた記録があるから、その数ヶ月前から音読は欠かしたことがなかったのである、最近まで。源氏物語も日本書紀も、数々の東西の大作を選んで、みな音読してきた。最近はバグワンのほかに「万葉集」「太平記」を音読していた。ところたが、三ヶ月ほど前から喉の違和感が亢進しているとはっきり感じ、すぐ音読をやめた。
子細はまだ何も分からない。「診察を受けたい」と自覚しただけである。十月のうちに京都へ秦の母の十三回忌法事とか控えているのだが、この受診が先だと思う。苦痛は感じていない。違和感と、咳となにより「声のかす」れである。昨日かかってきた杉原氏との小一時間の電話中にも「これは早い受診を」と思い立ち、晩に、志村喬のひどいかすれっ声の『生きる』を進んで観ることで受診決意の尻押しをした。

* 夕方まで、濃い疲労に負けてソファに腰掛けたまま寝入ったりしたが、それでもやすみやすみ気がかり仕事を片づけ片づけしてきた。 2008 9・4 84

 

☆ 静かな心のために   承前

新井奧邃(あらいおうすい)の自得、興味をひく自得に、儒学とキリスト教に通底する民主主義的な理解がある。
彼は平民主義、万民平等、権貴を排して、少数支配を拒絶した。偏頗にはしる権力政治は絶えず是正し革新をはからねばと、奧邃は海外の社会主義の潮流にもくわしく、国内の時局にも、非戦論、反戦・平和論、女性問題、鉱毒事件等々に、尖鋭な論陣をつねに張った。根底は孟子や管子の民主的な革命思想にあり、「天愛」への深い信に生まれていたのである。
念頭には必ずしも「日本」なく、「明治」もましてなく、人間の平等を確信していた。「衆人の言を個別に聴けば愚なるも、集合して聴けば聖」と説いた管子の言に頷く奧邃だった。人の真意も、また行為の結実も、小さな一つ一つをゆるがせにせず大きく積めばこそ成ると云い、平民大衆の総意・大意は、少数の知識人の知恵よりもはるかに常に正鵠を射るに近いと言い切った。
平民主義に徹していた孟子、人間の平等主義に徹したイエス・キリスト、これを奧邃は「真人の愛」と謂い、その愛には革命を認める思想が脈打つとし、心服した。
新井奧邃は静黙・慎黙の日々に徹し、世に顔を出さず名と業績を死後に残そうとせず、しかも「筆の人」として詞藻は芳醇、文体は活躍、意見は凱切、明治の高名な文人の多くが、陸羯南も三宅雪嶺も田中正造も高村光太郎も、刮目し讃嘆した。ただし殆どすべてが見事に熟した漢文か漢文体であった。
(昨夜は床についてのち、つねの読書に時間を掛け、さらに奧邃を思い思い、明け方になった。落ち着くために上体を起こし数十分暗中に静座し、平静をえてから二時間あまり眠った。今日は病院で指導があり、体調は、わたしの自覚如何とかかわらず芳しい結果を示していなかった。大好きな酒を禁じられた。奧邃は季節にかかわらず五時に起き、一箪の食、一瓢の飲で足りた。だが、睡眠の助けに名酒太平山をやることがあった。
疲労を増さぬ為、今日はこれだけにする。 湖 06.3.3 )

* 晩の七時半。欠かさぬ妻の宵のピアノが鳴っている。わたしの「朝の一服」は根気よく続いている。
もう今日は機械を閉じていいだろう。明朝早くに聖路加へ出向く。大過ないことを願い、帰りに機嫌良くしばらくぶりに美味いものを昼飯に喰って帰りたいが。
2008 9・4 84

* 五時半起床。血糖値が高めなのに少しおどろく。就寝前の読書が永かったか。
2008 9・5 84

* 八時半までに聖路加に入ろうと思っている。雨、どうだろうか。『モンテクリスト伯』と『復活』とで待ち時間をしのぐ。

* 内視鏡検査もして、幸い期待通り「no problem」で、九時半に放免された。
この不安は、抱えて歩かない方がいいと決断して出かけ、よかった。不安なまま、いまの事態はとても乗りきれない。万一の時も瞬時に思い描き、決意して出かけた。プラス・マイナスはこの際途方もなく大きい。ゆっくり街歩きし、好きな昼飯を早めに食べて帰ってきた。

* 朝が早かったので、午後三時間ほど寝た。

* 声が擦れるのは、音読よりも電話よりも、なにより講演のさいに事実迷惑する。声が出なくてはどうにもならない。去年、インフルエンザのワクチン注射後にわたしも妻もえらい目にあった。わたしは激甚の咳に苦しみ抜いて、声を喪った。そんなときに群馬県渋川市で約束の講演があり、いまさら断りもならず出かけて、マイクを嘗めるようにし、かつがつ責を果たしてきたが、その日に撮られた写真をみても見た目は普通に元気そうだが、一時間半の講演は苦痛の極みだった。あれいらい、喉の違和感が続いてきた。今日もまた妻と、ワクチンどうしようかねと、かなりわれわれはビビッている。
2008 9・5 84

* 珈琲が利いたのか、寝る前に校正にうちこんだせいか、寝そびれて、結局またも四時半に起きてしまった。早起きするとべらぼうに朝が永く、仕事ははかどる。しかし疲れも溜まる。
2008 9・13 84

* 朝一番に新刊発送のために絶対必要な手順を済ましてしまう。
一人一人の読者や大学・研究室等あてにはさみこむ共通の挨拶文を、書いて、刷って、一つ一つにカットしなくてはならない。それに新たに手書きで宛名を書き個人的なアイサツを書き添える。創刊以来、それをもう百回近く、体調を損じていた一、二回以外ほぼ励行してきた。季節感や、時に述懐をまず四漢字で書いている。言葉を選ぶのがしんどい。言葉はその気なら幾らもあるが、手書きで手早に書きやすい四文字えらびはラクでない。
だが、今日からそれを始める。少しずつ早く始められれば、永い日にちかけてもからだは、結句、ラク。十日の仕事に二週間用意するというのが、老境には健康法、差し迫られると辛い。
本文はいま、初校が戻してある。再校が出そろってきたとき、半分もすすんでいれば、発送前に少し余裕が持てる。そんなことも、頭より躰が覚えている。
今朝は寝ている間から、右肩そして腋へ痛みが強かった。起きて、食後ためらわずバフアリンで痛みをとめてしまう。痛みに耐えながら暮らすことはない。軽快させておいて、平常に気分良く生活するのがいい。ただし痛み止めは胃腸に響くので、その方の手当も同時に忘れないように。
2008 9・18 84

* 五時半起床。血糖値112。仕事をしている間に、大揺れの感じに地震(ない)ふる。
2008 9・21 84

* ほっこり疲れている。ムリもない二時に寝て五時半起きだった。黒澤監督の『隠し砦の三悪人』はいっこう面白くない。槍の試合、疾走する騎馬の闘いだけに爽快感があった、まだ途中だが投げ出してきた。さ、やすもう。
2008 9・21 84

 

* ゆうべずいぶん遅くまで大久保房男さんの本を読んでいて、今朝は十時起き。血糖値は、それでも、112。
2008 9・22 84

☆ 目当ての椅子は  花
現在取り扱っていないと、はるばる足を運んだお店で言われました。
残念。いつか、どこかで。
花は、変な恰好で寝たのか、首筋が凝っています。やだなあ、もう。
急に寒くなったのも、あるのかな。
風に、逢いたいなあ。

* まちがいなく若いひとがわたしに逢ったなら、なんてきたない爺だろうと思うに違いない。自分で自分をいつも観念した気味にそう思っているぐらいだ。
このごろのわたしのサマが無いのは、背中ぜんたいが痛い。背中の真ん中へんに、余計な硬い肉が付いているのか、深夜の読書を終えて寝床に仰向けに寝ようとすると、飛び上がるように背中全部が痛い。痛みが無くなるのに、つまり背中が床に馴染むのに一時間はかかる。
寝床から起きあがるのがまたたいへんで、うめくほど背中が痛むし、腰を起こすのに片脚をたてるのが辛いぐらい容易でない。
今朝はふとももの内側の奥の一点に、するどい痛みがあり、それで目が覚めたほど。虫に食われたのでも黒いマゴに引っ掻かれたのでもない、皮膚は普通なのに、内側から針で突き上げてくる痛み。指先で簡単にその一点はとらえられ、コリッと筋条の硬さに触れる。血管の結滞か。
一日中、すこしずつ揉んでさすって宥めていた。ときどきキュウッと痛む。
こんなことは、探していれば幾らでも出てくる。バグワンはからだの異常も、落ち着いてよそごとのように観察するといいと言っていた。なるべくひとごとのように観察している。
幸い、かどうだか、口で話すには、ときどき失語症ぎみに必要な語彙を求めあぐねてモグモグいうが、書く方は、なめらかに言葉がいくらでも涌いている。頭は働かそうとしていないのだが、感情は豊かでいたい。喜怒哀楽を抑制しないようにしている。外見は見苦しくなる一方なので、気恥ずかしい出逢いはすべて遠慮したい。
2008 9・29 84

* 五時前に起きた。発送のための作業をひとしきり終え、機械の前に来た。九時過ぎている。

* やがて正午。さすがに疲れてきた。
2008 9・30 84

* 二時頃から三時間ほど寝入った。九月が逝く。十月は忙しい。秦の母の十三回忌。実質第一回の裁判がある。三越劇場、国立能楽堂、俳優座劇場、国立劇場、NHKホールとつづく。商業演劇、能、新劇、舞踊、歌舞伎。それに理事会と眼科検診がある。人にも逢うだろう。その間に湖の本新刊、通算九十六巻めの発送という力仕事がある。十一月へも同じ感じで流れ込むだろう。
2008 9・30 84

* 十月、初秋とは言ってられないのに、この間までの暑さが忘れられず、俄かの秋のように感じている。からだもどこか季節感を狂わせている。
2008 10・3 85

* 無害だけれどしつこい夢を繰り返し観ながら、少し寝過ごした。秋晴れ。ご近所で新築の造作が続いている。もう仕上がり近いか、大きな烈しい物音だったのが、とんとんとやわらかに金槌をつかっている。鳩が啼いている。
2008 10・4 85

* とにもかくにもコツコツと仕事している。体調のことは分からないが。
昨日は朝、やや心乱れて苦しいなと感じていた。不快に迫られているという実感で、いやだった。そして昨日か一昨日頃から、耳の奥で小さく柔らかくボタボタボタボタとつづく耳鳴りがときどきあり、間隔がゆるまって行って終熄する。ものの十秒くらいか。再々ではないが、昨日も今日もある。キューンという耳鳴りではない。
こころもち、心臓を指三本ほどで軽く抑えられているように感じている、今も。
2008 10・5 85

* 室町に満足して、錦通りを烏丸を渉って東へ。錦の食品も覗きたいが、イノダ本店の珈琲で一息入れて行こうと堺町を北へ。疲れをやすめて今度は、ま、目新しい観光客向けの店、店が路上にまで溢れたかのような三条通を、寺町まで歩いて、南東の角ちかい老舗の「三島亭」にあがった。
なにしろ「一人前参銭也」の昔からあるすきやきの店。精進あげに恰好だが、この店の肉は、ふるえの来そうな程、高価。めったには上がらない店だけに、いっそ勇躍二階へ。むかし此処から祇園会の鉾巡幸を観たことがある。こんなところで鉾の行列が角道を曲がっていた時代もあったなど、京都の人でも覚えていない。
すきやきは、むろん、うまかった。満腹した。
ゆらゆらと三条河原町まで出たが、妻の疲れ具合を察してタクシーを二条のホテルまでつかった。ゆっくり早めにやすませて、わたしは夜更けまで読書。

* なんとなし不安で、夜中に精神安定剤をのみたくなったが、そうはしないで、本を読み継いで寝た。
2008 10・9 85

* 自身を省みて、はねのけがたい今・此処の「疲れ」を全身に着込んでいる気がする。そんな自分をただ「観察」している。やがての師走には、七十三。来年三月には結婚して五十年、つまり妻と上京して五十年。幸いに健康を維持してその年内に湖の本が「百巻」へ届くか、どうか。
分からない。未来に対しなにも夢はみない。
2008 10・14 85

* 運動不足で血糖値が高め推移している。また自転車で走り始めていい頃だ。
2008 10・16 85

* 今日、数ヶ月ぶりに自転車で一時間半走ってきた。走ってきたと謂うより、乗ってきた程度、さすがに躰がナマッていた。少し続けて、少しずつ回復させたい。疲れがのこった。
そこそこ仕事もしたのであるが、疲れがある。
2008 10・22 85

* つくづく同じことを思う。他人事(ひとごと)としてだけではない、我が事としても。わたしが、よそめにムヤミヤタラあれもしこれもして気ぜわしく見えるとしたら、自分で自分の「今・此処」を創りだして堪えているのである。ボウとしていては、「不快」に屈して「鬱」になって仕舞いかねない。さいわいにしてわたしは不徳であるが孤ではない。孤に陥るおそれは生来持っていると分かっている、だから、だから、自分で自分の「今・此処」を創りだして堪えるのである。
2008 10・23 85

* なぜか機械の前で昏睡ぎみに姿勢が崩れかけ、ビックリする。
2008 10・25 85

* すこし仕事場の模様替えなどしてみた。機械部屋の方は触りようもないのだが。

* 明日はもっとも苦手な眼科での視野検査。これはたっぷり時間を掛けて眼も神経も気も疲れ、いかにも頼りなく途方に暮れる検査であって。しかも検査後の検査結果による診察に延々と待たされる。いややなあ。終わる時刻が読めない。もし開瞳されたりすると本も読めず、まともにモノが見えなくなる。いややなあ。

* 十月も果てる。帰宅前に、街がすこし楽しめるだろうか。このところ痛く節食を強いられている。酒もあまり飲んでいない。やれやれ。有楽町か日比谷の映画館のくらがりで久しぶりに居眠りしてこようか。
2008 10・29 85

* 有楽町の「小洞天」まで妻と行き、簡単にランチ。わたし一人先に出て病院へ。
視野検査して、診察受けて。緑内障、白内障、視野、眼圧とも少なくとも悪くなっていず、視野は前回よりもむしろよかったほど。
三時頃に開放された。叔母を見舞っている妻と合流はあきらめ、池袋でひとり、甲州の笹一で天麩羅。そして保谷まで帰ったもののタクシーが延々と来ない。じれったがっているところへ妻が来た。車も来て一緒に帰った。燻蒸も終えていた。
2008 10・30 85

* 朝一番に、気がかりな「mixi」日記が出ていた。決して今今の目先に止まる示唆ではない、が、いちばん気になる「予防接種」の是非と副作用事故について触れてない。それが焦眉の急なんですが。

☆ 新型インフルエンザのことなど 「理想」と「現実」    珠
数日前、新型インフルエンザ゛対策の講演会にでかけた。今年の春頃から目だって案内が増え、学会・行政機関・製薬会社・NPO法人など主催もいろいろある中、選んで出席してきている。
毎回、帰りにはため息しか出ない講演内容が多く、何をしたらよいか、、というより、何も出来ないだろう感ばかりを強く感じた。メディアからも同様に出席しているので、当然報告の論調も、危機感を強く表現する内容で活字になっている。

今回は、厚労省からも担当官が出席するというので、少しだけ期待して出かけた。結果として、思わず声が洩れるほどの苦笑いしかなかった。
でも最後に、久しぶりに真っ当な医師の話が聞けた。
インフルエンザウイルスの、正しく日本を代表する臨床専門家であるその先生は、日本の対策はおかしな方向に向かっているという事を繰り返された。欧米先進国の対策と異なる希望的感染防御対策ばかりが目立つと。
世界共通なのは、手洗い励行。あとは、カナダ゛では簡単なマスクだけ、アメリカではマスクと手袋といった状況。日本ではガウンテクニックなど完全防備、、なぜか「どんどん過剰になる対策」は、科学的とはいえない。

新型インフルエンザ゛対策はとても大事だが、まずは過去のインフルエンザ゛大流行に学ばなくてはいけない。どのインフルエンザ゛も鳥だけの病気から変異して、人に感染してきた。その都度、人にとっては新型インフルエンザ゛だった。誰も免疫をもたなかったから、世界中で大流行して多くの人が亡くなった。今でも世界中で季節的に流行し、人の亡くなる病気でもある。
ただ、人類が生き残っているのは、新しいインフルエンザウイルスへの免疫を獲得してきて、致死的な経過が減ったからである。だから、新型インフルエンザ゛も国民皆が感染する病気だと考えなくてはいけない。大正初期のパンデミック(大流行)の頃は、抗生物質も無かったし、当然タミフルなどの抗ウイルス薬もなかった。今はそれがある。早くできる治療をしながら、何とかワクチンが開発されるのを待つ。現在、国の整えた対策マニュアルでは、水際作戦で国内へ持込をさせないとか、自宅に引篭もるという対策がある。現実には、季節流行でさえコントロールできていないのに新型対策でやろうとすることそのものに、無理があるのではないか、というのである。国民のほとんどが感染するという前提に先に準備が必要なのに、現在は感染しないようにすることに力が注がれている。

今の対策マニュアルでは、新型インフルエンザ゛を疑う患者は地域の‘発熱相談センター’に相談し、その指示で‘発熱外来’を受診するとなっている。そこでは誰が働くのか、それはどこの病院が担うのか、その時には開業医は処方に足るタミフルを発注できるのか、、など厚労省担当官に対して現実的な質問がぶつけられた。それには、ただ平身低頭、「先生方からのご意見を伺いながら検討を進めてゆきたいと思っています」を繰り返すばかり。。
あぁ、机上の空論である。
エライ専門家は、熱のある人がどうやって医療機関を受診し、そこで待って診療を受け、家に帰って休むのか、、想像できないのだろうか。発熱相談センターへの電話相談など、年金問題での相談窓口への電話の通じなさから学んでもよいのではないか。素人さんに電話を受けてもらうなら、何のための相談電話か分からないし、また医療者を電話の前に座らせていられないほど患者は多くなるはずなのに。。

個人は当然のこと、毎年のインフルエンザ゛流行期のように咳エチケットなどで予防に努め、熱があって療養する時のため自宅に食料・飲料は準備すればいい。一番の問題は医療機関だ。爆発的に増加したインフルエンザ゛発症者と不安にかられた微熱の人まで、医療機関に押し寄せるだろう。うちは通常診療だけしかできないので、発熱外来へと言うようなものなら、どんな事になるかは簡単に想像できる。また、ガウンテクニックにマスク・ゴーグルで感染防御対策を、、など言いだしたら、一般外来診療ではやりきれない。そこまでしなくちゃいけないなら、休診するしかないという医療機関もでるだろう。どちらにしても、スタッフは女性が多く、子供が病気又は預けられなければ出勤できない可能性も高い。先日の調査では、新型インフルエンザ゛が流行したら辞めたいという看護師は3割を超え、医師ですら2割近かったという。一番近くでまず患者に接する医療者の、その安全を護りながら働いてもらう対策、そして重症者をすぐに受け入れ治療できるような感染病床と機器の準備は、仲間に聴いても、手付かずとしかみえない。

マニュアルとは難しいものだと思う。お役所は、危機管理として何かにつけマニュアル作成を求める時代で、確かに整理してゆくことで見えてくる問題点はあり、良い機会にはなる。それでもどちらかというとマニュアルが作成され、それに伴って動いていたかどうかで責任回避できるという点が大きいように思う。私には、国は理想的な内容でマニュアルを用意しましたから、後はこう出来るように皆さん頑張って、、としか読めない。これではむしろ、ただ手かせ足かせだけにならないか。地域によって居住者の人数も違えば、医療機関の数や規模も違う。大人数の患者をどう診るか、国が主導しているが、先日の妊婦さん救急搬送問題でも明らかなように、何かあれば責任は自治体に向かうだろう。国ばかりが、メディアで何か「しているしているという顔」をするのはおかしい。現実の診療では国は何の力にもならないはず。国のすべきことと、地方行政のすべきことが、ごちゃごちゃになっていると思えて仕方ない。

インフルエンザ゛は経済と深く関係すると言われている。早い治療を可能にするには医療が身近ということ、予防にはワクチン接種が誰でも可能ということ、などなど全てに渡って経済と密接に関係する。経済の研究者が予測した新型インフルエンザ゛の影響は、インフルエンザ゛治療の専門家の死亡率などより悪い。経済の視点では、その方が危機管理対策の準備はしやすいに違いない。今のように世界経済の悪い時には、なおさらだろう。
ただし、自然は経済の感情的反応を越えたところにある。経済から科学者の意見を聴くのではなく、正しい評価のできる科学者の意見を、正しく聴きとって対処を考えたい。

治療薬は昔より増え、科学の進歩に伴う情報もある。情報伝達も即時に可能で、移動手段もある。豊かになった現代、自然の猛威に対処できるだろうか。経済に裏打ちされた社会的な治療要求に、医療者はただ一生懸命に奉仕し、乗り越えてゆけるだろうか。経済と科学、発展した現代に生きて、人はその発展を使いこなせるのだろうか。
医療者としては、できることをするしかない。まずは忙しい医療者に、正しい情報がきちんと伝わるようにと願う。

スタッフが来れなくても診療しないわけにはいかない、、といううちの医師と話しながら、でもやはり先生一人では無理です、、と言うしかなかった。今年の冬は、しばらくぶりでインフルエンザ゛が猛威をふるうだろうと聴いた。これも予行演習、忙しいその時こそ問題点もみえてくる。医療機関として出来ること、考える機会にしよう。まずは、予防接種だけど。

* その「予防接種」の副作用で去年、我々夫婦は死にそうに苦しんだ。今年も予防接種に「当てられた」という噂が入ってきて、恐怖感で予防接種「パス」という結論へ我々はにじり寄っているが、「珠」さん、これを如何。
2008 11・3 86

☆ 珠です。
湖へ  お帰りなさい。
諏訪湖の輝き、そして山や高原の色も目に浮かぶようです。
日に日に気温も下がり、黄金も紅も、色鮮やかに山を彩ってゆく季。
この美しい季節をご一緒したいという息子さんのお心使い、何よりでした。
私の母も誘って連れて出ると、嬉しいとしきりに言ってくれます。それでもお金の事など心配して必ずひと悶着……なかなかすんなりとはいきません。
「その気持ちと時間だけで充分」と母は言いますが、私もいい年の娘で、それも独身の申し訳なさもあって、唯一の家族である母にそのぐらいは
させてほしいと思うのですが……。それでも親は「親」なのでしょう。いくつになっても子供に迷惑はかけず、出来ることは自分でするという意思も理解できるので、お互い理解しあって、最後はジャンケン…となったりします。
もういない吾が父だったらどうかしらと思いつつ、息子さんへの嬉しさや感謝と同じくの申し訳なさや感謝を読ませて頂きました…。私は子の立場でしか分かりませんが、親に何かした時は少し自分が真っ当な大人になったかと勝手に安堵の心地。そしてそれは次への力に繋がるようです。その意味で、親は居てくれるだけでありがたいのです。させてくれ、受けてくれる存在として「親」に感謝を感じます。湖の息子さんも、運転で疲れてもきっとご両親を案内出来てほっと安堵の旅だっただろうなぁと、勝手に同調して読ませて頂きました。

さて大事なこと、インフルエンザ予防接種についてです。

> その「予防接種」の副作用で、去年、我々夫婦は死にそうに苦しんだ。今年も予防接種に「当てられた」という噂が入ってくる。恐怖感で予防接種「パス」という結論へ我々はにじり寄っているが、「珠」さん、これを如何。

昨年の出来事は覚えています。
私がメールで予防接種を忘れずにとお勧めし、11月21日に接種されたのでした。その後の辛い日々も、拝読しながら私には何も出来ず過ごしました。あのような出来事は記憶に残るのですが、それでもやはり私は、予防接種はお勧めしたいと思います。
インフルエンザ予防接種では、「副反応」といって軽くインフルエンザに罹ったような症状のでる方が案外多くいらっしゃいます。残念ながら予防接種で重篤な状態に なった方もいらっしゃるわけで、もし自分がそうなったら少ない確率でも100%になります。
ですが、インフルエンザは毎年死亡者のでる疾患には違いないのです。湖は糖尿病なので炎症には弱いはず、そして卵アレルギーなどで接種不可能ではない以上、やはりここはお勧め したいと思いました。

昨年を読み返して思うのですが、目の件や自転車の日録から、湖には、秋にもアレルギーがあるのではないかと想像できます。そういったアレルギーがベースにあると、気管も過敏になっていて、予防接種の副反応症状も出やすいように思えます。加えて昨年は、予防接種の日に少し熱が高めであったのに、翌日も自転車でお出かけされました。もし今年、接種をされる場合は、接種前2日くらいは自転車は控えて散歩程度にし、接種後3日程度は主に自宅で静かに過ごされるような体調管理が必要だと思います。慌しく睡眠不足などされている時に接種すると、私たちの言い方ですが「予防接種に負け」ます。病気にならずに免疫をつけるという虫のよい話なのですから、病気で苦しい休養でなくても、同じ日数分くらいは、免疫が早くできるよう休養モードで生活してほしいのです。
それが無理な場合や、副反応がもし出たらしんどい…… という方は、それも仕方がありません。
予防接種は受けずに罹らないように努め、もしインフルエンザの症状がでたら速やかに受診して投薬を受け休養する事も、今の日本であれば可能だと思います。私自身、卵アレルギーがあり、以前押し切って接種してもらったら血圧低下など恐ろしいことになりました。以後は禁忌なので、予防にとても気を使っています。ですが、いつか新型インフルエンザが起こってそのワクチンができた際に、卵アレルギーだから接種しないかと問われれば、診療に携わる以上アレルギー反応の対策をしてでも接種するかもしれない思います。感染して倒れてしまうか、接種して生きる可能性に賭けるか……どちらにしても危険を秤にかけて決めるしかありません。
今年は、ここ数年と全く違うワクチン株が入っているワクチンです。今月来月のお出かけ予定などをよくご検討頂き、休養モードが可能なら接種をされる事を具体的に考えてみてはいかがでしょうか。
任意ほど難しいものはないと、最近の麻疹の流行でも考えさせられました。しない理由も、する意味もどちらも理解できると思います。ただ、理解できても感情的に嫌なものは嫌なものでもあって。そこを理屈で越えてはいけないと思っているので、最後はお心のままに。。。
それが一番です。
長々とまた書いてしまいました。失礼致しました。洗い髪も乾いたので、休みます。
おやすみなさい。湖。どうぞお気をつけて。   珠

* ありがとう。ありがとう。勇気を持ち、理性的に、予防接種決断します。
2008 11・6 86

☆ 親子  瑛 e-OLD川崎
晩秋の蓼科山を背景にお二人の写真(「mixi」)、父と子、母と子の澄んだ芯のある歌二首を鑑賞させていただきました。

* 午後おそめに、二時間ほど自転車で走ってきた。走ってきたというより、乗ってきた。
坂道に閉口すると頑張らず、引いて登る。それでも運動になる。夕景色の黒目川を下流からずんずん溯り、落合川との合流点から落合ぞいに転じた。水嵩をました夕明かりの川面に真っ白な鷺や朽ち葉いろの鴨たちがいたるところにいた。

白さぎの思案げなるや オバマ勝つ  遠
2008 11・7 86

* 聖路加午後一時予約の診察、早くに病院入りしたがコンピュータ・システムに故障があり、かなり遅れた。
幸い、体重のこと以外、いつものデータは改善がすすんでいて、ただただ「体重」注意と言われてきた。降参である。
昼飯は院内で食べたが、夕食は街でイタリアン。日本のビール、イタリアのワインとビールで二種類のパスタを食べてきた。
今日は、以前に貰っていた久間十義さんのルポふうのサスペンスをずうっと読んでいた。

* 日が短くなっている、外へ出るともう街は黄昏れている。食事が済んで出るととっぷり暮れている。
2008 11・7 86

* なんとなく体調よろしからず、胃の腑が、ぐぅるりぐぅるりとまわっている。仕事もたくさんしたが、アラン・ドゥロンがコンコルドの機長をやる乱暴な映画も観た。

* もう、やすむ。かすかに寒気もあるか。
2008 11・10 86

* 刻露清秀。起床、血糖値108 よし。
2008 11・11 86

* 当たる丑歳の飾り牛と、歌舞伎十八番の気に入った大風呂敷を売店で買ってきた。茜屋珈琲にも寄ってきた。あまり食欲がなかったが、松屋の上へあがり食事して、一路帰って、七時前。
これぐらいが躰にはラク。インフルエンザを避けるためにも夫婦とも今日はマスクして出かけた。
2008 11・11 86

* 左の背面に鈍痛があり、右の頭に不快痛がある。本からのスキャン作業は見ひらきの歪み補正のため片手を添えていることが多く、姿勢の傾き・偏りが痛みを生むのだろう。機械画面への視力も、すこしまた弱って来ている。
変換ミスも放置したままの「月」の日記を、だいたい、二十日前後から見直しはじめる。十一月分を「一日」から読み直し始めた。やがてまた「iken86.html」に日付順に置き直して行く。「書き直す」のではない、文藝の意識で字句を周旋し誤記を減らして推敲している。繁雑な作業のようでいて、近過去の己が日々を、はるかな以前のようにも、つい昨日のことのようにも「自覚」として反芻するのは、ムダではない。
現在進行形で毎日読みに来てくださる人の数多い「私語」であるが、整頓された一月前の日記を「日付順に」、日記文学を楽しむように読んでいますという方も少なくない。日々備忘のメモでなく、この「闇に言い置く私語」は、フィクションは交えないわたしの文藝・創作行為であること、間違いない。
2008 11・19 86

* 今日は冷える。やすもののカナダウイスキーを買ってしまい、失敗。トリスよりまずい。ビールは冷たい。体調の問題かも。
2008 11・19 86

* 幾つか気味の良くない夢に追われながら、疲労を取り除こう、よく寝ようとかすかに意識し、そのうちに存外朝寝を貪っていた。「mixi」をざっとみて二つコメントし、さて今日の作業に戻ってきた。
夜前は冷え込んでいた。
日なかの今も、椅子に掛けた尻の辺がひやひやしている。
2008 11・20 86

* また、久々に歯医者通いする。晩秋が初冬の匂いを運んでくる。
2008 11・21 86

* なんとなし額の辺が重い。鬱陶しい。なるべく睡眠時間を多めにと心がけて心身をやすませている。
2008 11・22 86

* 根をつめすぎるのか。歯が痛む。目も霞む。
2008 11・24 86

* 出かける前、カミソリをつかっていて、ザクっと左上頬を抉った。不用意だった。瞬時に頤から喉へ血が雪崩打つように奔った。妻が眼医者に行って留守で、血はとまらず、注射用の消毒ガーゼを山のように鮮血で染め、それでも二枚のガーゼをバンで抑えた。たださえ不器用なのに鏡は左右反対に写るから往生した。何がなにでもそのままバンを蜘蛛の巣のように貼って抑え込んだ。バンはすぐ剥がれそうだが、出血が固まるのでガーゼは頬の肌にこびりついているものと見えた。鏡で見ているとまことに見苦しいが、鏡から去れば、何も自分には見えない。
そのまま予定通りに家を出た。絆創膏は十分も保つまいと思ったが、一日中剥がれ落ちなかった。電車の中などはインフルエンザ・風邪予防にこの頃常用のマスクをしているが、ガーゼ部分は隠せない。ま、いいやと気にしなかった。
2008 11・25 86

* 七時、冷たそうな雨がまだザザ降りだった。九時、雨の音はやんでいる。歯医者に行く。そのあと、建日子と会う。
2008 11・28 86

* この疲労の背後には黒いマゴの夜中気儘の「運動」が響いているようだ。しかし、まだまだ、有る、今夜もまだ有る、わたしの仕事は
2008 11・28 86

* 夜中、執拗な不快感になやみ血糖値をはかると、74。ブドウ糖を一袋口にし、食パン一枚を黒いマゴとわけ、赤いワインを少し呑んだ。
頻回目が覚め、熟睡に到らず。起きてしまう。就寝前の読書の、ことに直哉の『和解』で、初めて生まれた女子を死なせてしまう場面を気を入れて読んだのも響いたか。
2008 11・29 86

* 根をつめて。歯が痛む。明日には、大纏まりするだろう。
2008 11・29 86

* 暫くぶりに落ち着いて熟睡、但し半日を喪った。早起きすると仕事が捗る。朝寝すると一日が確実に短い。笑ってしまう。それでいい。
2008 11・30 86

* 日曜でもあることだし、眼も霞んでこれ以上ムリのようだから、やすむことにする。やがて十時半。
2008 11・30 86

* 冷えるが、日ざしは明るい。畳についで、居間の障子を貼り替えに出した。黒いマゴが障子枠で爪を研ぐし、わたしたちの気を惹くのに紙に爪をかけることを覚えて、ひどいことになっている。ま、「共存税」かと。
だが先日、ものに乗って壁のすこし高いところへ、歌舞伎座で買ってきた歌舞伎十八番のちょっと面白い絵風呂敷を貼ったはよいが、とんと後ろ向きに足をおろした拍子に体勢崩れ、背中から仰向けになった。ずらしてあった障子枠に背中で激突し、その支えで大顛倒は免れたが、背と腰の痛みだけでなく、障子紙のあちこちがみごと斜めに大きく裂けた。八十キロ超の体重で瞬時障子枠全体が斜めに捻れたのだろう。この分では家の中で大怪我の公算が高い。狭い家の中でつまずくのが何より困る。
妻は、今年もテラスの大きなベンジャミンを、また家の中へ避寒させてやりたいと。天井に届くほど。鉢も大きくて重い。狭い家の中がさらに狭くなる季節だ。棚に満載満積の本を、畳替えのために廊下や階段へ出したままになっている。棚は本来の面目を回復して、部屋が小綺麗になっている。このままがいいなあと云いつつ、しかし階段を上り下りのつどこれではなあと危険にも嘆息する。こんな嘆息ぐらい、だが、知れたものだ。
庭の椿がもう咲き始めている。花が咲き、お日様が明るければ、気分いい。それでいい。
2008 12・1 87

* 一週間して、安全カミソリで不用意に左の高頬をザクリと削った傷口から、やっとガーゼがとれた。二日前はまだ血が出たが、やっと肉がついたらしい。
2008 12・1 87

* 今日はそこそこ寛げた。朝は早めに起きていた。九時。今夜はもう機械の前から離れよう。
2008 12・1 87

* リクツにならないモノスゴイような魔物を身近にしながらの、夢を見ていた。魔物がはじけないので怖い場面はない。フッと目覚めるとかき消すように記憶もない。冷える朝だと気づき、温かく眠れていたとも気づく。
2008 12・2 87

* 昼、食後、つぶれるように寝込んだ。「牛になるえ」と昔、よく云われたが。疲れて歯が浮いている。やすもう。
2008 12・3 87

* 歯医者はまたわたしの歯を抜いた。十か十一、二からの久しい付き合いであった。帰りに「リオン」で昼食し、保谷からは妻と歩いて帰った。「湖の本」通算九十七巻の初校が届いていた。校正を始めねばならぬ。
2008 12・6 87

* あれこれしている内、十時半を過ぎている。疲れて目が霞んできた。夕食の頃、胸が痛んで気味が悪かった。姿勢のせいか。
もうやすもうと思う。やすむと言っても床に坐って、裸眼で本を読む。『復活』ではカチューシャに赦免が成り、しかし彼女を愛して結婚を望む優れた個性の徒刑囚がいて、ネフリュードフは微妙に心揺れている。
トルストイを読んでいると直哉を感じている、わたしは。直哉を読んでいてもトルストイを感じている、同様に。どういうところをと反問されたとき、わたしは真っ先に二人の風景や細部の描写のクリアに美しい一点を挙げることも出来る。
直哉は遠いものもクリアに書ける強い視力を持ち、印象深くクリアに描き込んで行くが、トルストイもそういう技倆に天才的に優れていて、美しいのである、目に見える景色や状況が生き生きと。
2008 12・7 87

* 夜中、右の方につよい歯痛が起き、堪えかね先ずバファリンを、効かなくてさらにロキソニンを呑んだ。徐々に効いたが今度は物凄いまで発汗して全身グショ濡れに。着替えて幸い痛みは失せており、妙に五体が軽く感じられる。
2008 12・14 87

* 明け方の冷え込みに、夢の中でも驚いた。相変わらず変な夢を見てしまう。少なくも三つ覚えているが、書くまい。昨夜は歯痛など起きなくて済んだ。
2008 12・15 87

* 歯医者、今年は今日で終え、初春から、夫婦とも通うように云われる。わたしの場合疲れるとすぐさま痛むのでは、否やが云えぬ。

* 帰り道、満員の「リヨン」に振られ、池袋西武へ足を伸ばし、「伊勢定」で旨い鰻と、久々の冷えたビール。歩き回るのはやめて帰ってきた。だいたい年齢よりも若く歩けると自覚してきた時代が永かったのに、いまは妻のほうがまだしも、元気に歩くときは歩く。息子の目には「おやじ」は相当衰えていると映るらしい。
歳末、すこし酒と読書を節したほうがいいか。
2008 12・16 87

* じつは夜中、三時十分、血糖値が70まで下がった。えもいわれぬ不安感が襲うのでからだが判断する。起きて測ると、掌をさすように低かった。糖分をとり、やすんだ。
2008 12・21 87

* なんとなく意気あがらない。飲食に向かう意欲もかすんでいる。わたしは風邪になると真っ先に髪の毛が痛む。いま、髪の毛に触れても全然痛まないが、やっぱり軽微の風邪気にあるのか。そうも思いにくいのだが。
2008 12・24 87

* 血糖値98。存外低い。
2008 12・27 87

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