ぜんぶ秦恒平文学の話

身体のこと 2009年

* 体調必ずしもよろしからず、めったになく胃がちくちく痛む。もっともっともっと「手放」さなくては。
2009 1・3 88

* よく冷えた。すこしでも肩や手先が夜具から出ていると、痛いほど。それでも黒いマゴは容赦なく夜中に起こしてくれる。

* 新年早々、夫婦して歯医者さん。治療中は痛くなかったのに、夕方から痛みかけています。

* フレンチの「ラ・リヨン」で春一番の昼食。天光正春、けれど風はびゅうびゅう。シェフにおみやげ「オリーブの瓶詰め」もらう。
2009 1・10 88

* ゆうべもよく眠らなかった。明日からに又そなえて、今夜はやすもう
2-009 1・10 88

* 耳のうしろがヒリヒリ痛む。眼鏡の蔓がふれるだけで、マスクの紐がふれるだけで、ときどきウッと呻くほど痛い。
寝床に逃げ込み、眼鏡なしの裸眼で読書し、寝よう。
おそらく、後数日で発送の用意はひとまず終え、本が出来てくるまでに暫時の余裕が生まれよう。じつは、珍しく依頼原稿を引き受けてしまった。したい仕事も気楽にはさせてくれぬ。そして愉快でないべつごとのプレッシャーはいつも有る。「生き苦しい」といえばその通りであるが、ま、「息」はしている。
2009 1・12 88

* 夜具を十分温めてもらって寝ると、一夜安眠しやすい。あけがたずうっと「授記」の夢を観ていた。法華経の感化に相違なく、授記とは、如来からおまえはいついつにはブッダに成るであろうといわばお墨付きをもらうこと。わたしごときには所詮夢中のお笑いに過ぎぬが、百四十五年という数がしきりに夢に出て、苦笑した。
2009 1・14 88

* 双の掌の、人差し指と中指の根に、中指と薬指の根に、薬指と小指の根に、むっくり円く柔らかい肉が盛り上がり、猫の足の裏に似てきた。猫になりたいか。
2009 1・18 88

* 痛くなるかもしれぬとロキソニン十錠がついた。若い女先生の治療はやさしい。顔に触れる手があたたかい。冷たい手だと今日のような日はこたえるだろう。
帰途、やはり「ラ・リヨン」で食事した。好く流行っていた。赤いワインといっしょに妻もわたしも満腹。
やはり『生と死を考える』日本仏教の啓蒙書を熱心に読み続けていた。

* 朝青龍が魁皇に完勝し、白鵬が千代大海に危なく勝ち、なんとなしに草臥れた。朝青龍の全勝優勝が夢でなくなってきた。夕食でのビールで眠くなり、かすかな頭痛もきたので、負けて宵のうち寝入ってしまった。来週は本の発送がある。からだをこわしてはコトなので、ラクにして過ごしたい。
2009 1・24 88

* 風邪気味かとなやんで、少し手当をし、就寝前の本も七八冊でやめて寝た。幸いすり抜けたようで頭痛もなく、但し六時に目が覚め、もう一度寝たので十時過ぎてしまった。それも利いたか。
2009 1・25 88

* 機械の前でうたたねしていた。仕事あとのビールのせいか。
2009 1・27 88

7月7日文芸家協会を訪れ、ホームページに関する説明をして貰いました。費用を問い合わせたところ、文芸家協会の場合、初年度経費として 100万円強の予算を予定しておく必要があるとのことです。
開設費         15万円  制作費
プロバイダ使用料     60万円
更新費用         10万円
電話代           24万円
以上の経費を予備費から賄ってよろしいでしょうか。

業者に委ねれば開設費用はかかるだろう。もっと掛かるかも知れず、もっと安く引き受けてくれる所や人もいよう。
しかしその他の費用(金額)が理解できなかった。唖然とした。
私の5MBのこのホームページ(=現在の此の「私語の刻」他)は、開設にたぶん五千円ほどをBIGLOBEに支払った。誰でも同じの筈である。あとは更新等の毎月請求に対し、プロバイダ料を、二千円未満から目下多くて五千円未満支払っている。これだけで足りている。
私の文章や作品をダウンロードされる方には時間と電話代がかかっているだろうが、発信し更新している私の費用は知れたものだ。開設には親切な東工大の学生君を煩わせたが、それは、誰にでも許されてはいない。可能ではない。だから開設費は掛かるとしても、「60万円」のプロバイダ料とは、何ですか?!
推定可能なのは、文藝家協会は「専用線」を使っているのではないか。分かりよく言えば、一日二十四時間、プロバイダに電話接続しっ放しでいるのだろう、と、いうこと。(=11年昔の話です、念のため。秦) これだと湯水のように費用は垂れ流しである。しかし、どうして文藝家協会の、ないし日本ペンクラブのホームページに、そんな「専用線」の必要があろうか。専門家の誰に聞いても、理解できない、信じられないことだと言う。
あるいは、もっと別の、私などの知らない必要で妥当な「プロバイダ料」が存在するのかも知れない。それなら話は別だ。だがホームページを使っている普通の人は、私も、そんなものは支払わずにいて、支障はなにもない。用は現に足りている、しっかりと。専門家も、別の名目は思いつかないと言う。
協会といいペンクラブといい、規模として、私のこのホームページ程も必要としない(量のことを言っている。)発信量ではないか。発信する方には、たとえばデザインなどに費用を使うことはあっても、通常のプロバイダ料は、つまり電話接続の転送費用は、先にも言うように、連日連夜書き込んでいる私の場合ですら知れたモノである。
全く驚いてしまう予算額が措置されている、或いは措置しようとしている。
こいうことは、機会ある度に口を酸っぱくして理事会で言うのに、聴かない。分からないから分からないのであり、気の毒ではあるが、ずいぶん頑固に、人の話を素直に聴かないのでもある。
それでも国際的組織である日本ペンクラブに、ホームページが無くてどうしよう、必要だと、みなが考えている。分かっている。梅原猛会長は私にも協力してやって欲しいと言われる。むろん協力する。だが、とにかく飛び出てきた「数字」にビックリした。市役所でこんなことをやれば、過剰予算で市民から訴えられるだろう。
2009 1・27 88

* 作業中断して聖路加眼科の予約による検査と診察に出かける。検査が午前中、診察は午後と。こういうのは時間ばかりたくさん必要で叶わない。ま、遊びに行くぐらいの気で。今朝も冷える。

* 病院に入って病院から出るまで五時間。検査と診察に要したのは、三十分か。おかげで前田愛氏の力作『樋口一葉の世界』を半ばまで読んだ。
検査から診察までの空き時間が三時間。仕方なく銀座に戻って「御蔵」でうまい昼飯をゆっくり食った。食ったというと物言いが荒いと感じる人もあろうが、誰であったかえらい学者が、せっかく「食う」といういい言葉があるのに、なんで「たべる」などと元々意味の違うことばを丁寧語のように謂うのだろうかと呆れていた。賛成する。「たべ」は、ものをもらいいただくいわば女言葉である。
京野菜を調理する店である、「御蔵」は。どっちかというと苦手なのだが、なぜともなく今日は洋食も中華食も、鮨ですらも重く感じられ、焼き魚と京野菜とうまい白飯の「御蔵」に執着した。ゆっくり本も読んだ。
2009 1・29 88

* 気がかりなことが、一つ解消。天恵。

* よく寝た。寝られるという可能をよろこぶ。ひとつには前夜、小学館版の古典全集で詳細な『蜻蛉日記』解説を読んだ興奮をひきずっていた。偶然であるが道綱母や樋口一葉と同時に付き合っている。しっかりしたお人たちである。
2009 1・30 88

* 衆議院の予算委員会を聴いていたいが、歯医者へ。

* 晴れやかに寒くもなく。天気のよさに江古田駅前の浅間神社富士塚をみてきた。上れなかった。午後には豆撒きがあるらしい。
2009 2・3 89

* 「明暗」などを読んで寝付いて一時間もたっていたか、体調違和、起きて血糖値をはかると、63。震えるはずだ。糖分を摂って109に戻してから寝入った間の夢だった。うまく書けなかったが、懐かしい風景は印象に鮮やかで、めずらしく夢を大方忘れないでいた。明け方気づくとからだが冷たく凍えそうなほど全身に汗をかいていた。七時に起き、すっかり着替えた。こういう盗汗をしばらく以前にも経験した。
2009 2・6 89

* さ、聖路加へ。今日の診察はサンザンになる見込み。ま、いい。待ちながら年譜の校正に精を出してこよう。

* 近くの停留所から九時二十二分のバスで出かけ、帰ってきたのはもう四時過ぎだった。
幸い、惨憺たる結果でなく、これで暖かくなり自転車運動が出来ればまた良くなるでしょうから、現状のままで推移を眺めましょうと。
朝食べずの遅い昼飯なってしまったが、一時半ごろから銀座三笠会館の「榛名」でフレンチのコースをシェリーとワインとビールとで満喫しながら、綿密に年譜校正をジリジリと進めてきた。誕生の十年から四十四年までだが、八ポイントの二段組みで九十二頁ある。校正はもう四十一年になろうとしているが、この先がまだまだ。この校正は、たとえ電車の中ででも家の外でのほうが集中できる。字が小さいのに一字として読み飛ばせない。
家に帰ると、厄介な気のしんどいイヤな仕事が外から来ている。片づけぬワケに行かぬ。そしてさらに「全書誌」という詳細で骨の折れる原稿作りがある。しんどくて吐く息まで捻れてくる。やがて小説の校正が出てくるだろう。
2009 2・6 89

* 頭も手足も目覚めているのに、目だけがどうしても明こうとしないでスースーと寝息をたてている。妙な夢をみていた。
2009 2・9 89

* 寒い。薬局に用事があり、ついでに寒気をついて自転車走をとも思うが、酔狂か。辛抱の要る、しかし済まさねばならぬ用事は目の前で混雑しているのだから。もうはや二月十日かと。愕く。
2009 2・10 89

* 聖路加眼科でもらって昨年からリザベンを継投し、最近はパタノールを継投して、いずれも抗アレルギー点眼薬。おかげで、少なくもまだ何の症状も出ていないのが有り難い。
明日は、歯科。
2009 2・16 89

* 歯科医へ、二人で。風が冷たい。日ざしは柔らかい。保谷駅から歩いて帰る。その足で郵便局へ。印刷所に支払いがある。
2009 2・17 89

* あれもこれもで、迂路(ウロ)がくると見苦しいことになる。すこし視野を替えるためにも世間に出たいが、昨日強風の歯医者通いでたちまちに花粉に悩まされたのはいささか怖い。今日は幸い家にいて何でもない。
2009 2・18 89

* かならずしも体調よろしくない、寒と温との乱高下が響いているかも知れぬ。
2009 2・19 89

* いま就寝前に読んでいるどの本も、甲乙なくわたしを惹きつける。
日本の、蜻蛉日記、今昔物語、千載和歌集、一葉の世界。そして日本のとはいいにくいが、法華経。バグワンの老子。
海外の旧訳・エゼキエル書、ローマの歴史、背教者ユリアヌス、ルソーの研究、ジャン・クリストフ。
ばらばらのようでいて、私の中では偏頗ない統一感が出来ている。そして塩見氏の文庫本二冊がわっと、加わっている。
問題は、視力・眼精の過剰な使用。うえのメールにもお気の毒な事実が書かれていたが、わたしは相変わらず長湯して本を読むという悪習がやめられないでいる。気をつけなくちゃ。
2009 2・24 89

* 湖の本第五十二巻、エッセイシリーズとの通算九十八巻、の「責了」が見えてきた。発送用意はほぼ出来ている。三月中、いや四月初めになっても構わないが、心用意は出来ている。我ながら、かほどあれこれ細かな襞をかかえた注意を要する難作業を、一気に此処まで持ち込めたのを驚いている。ほとんど、昔の編集者時代に帰っていた感覚。

* しかし昨夜中も血糖値63まで下がり、校正している手が震え始めた。馴れてはいけないが、目覚めてさえいれば症状は自覚でき、対応も出来る。低血糖は怖いのだ。

* 今朝の寒さ、雪になった。

* どんどこどんどこと、ひたすら仕事。うちこんで、仕事。稼ぎ仕事ではない、純然の仕事。しかし今日は高血圧で、起ち上がるつど、よろっとよろけることが何度もあった。
2009 2・27 89

* バグワンの示唆であるが、ある生理上の難症に困惑しきった人に、「四六時中、自分に肉体は無い」と思い続けなさいと。
ばかげたことのようだがこれは実は可能で、しかもたいへん心地よい効果がある。わたしは、少なくも夜の夜中床の中で試みるが、黒板ふきで白墨の字を拭い消すように「肉体感覚」を抹消してしまえる。すると意識だけがのこる。じつは機械をつかっている今でも、自分に肉体は無いと思うことは難儀ではない。意識が自分の躰からきれいに離れてしまう。からだは自分とは、意識とは、まるで別物だとすんなり納得できる。えもいわれず心地よい。この心地よさが裏返すとからだのこだわりをほぐして、ゆったり自然にからだが働き出す。からだにマインド命令を矢玉のようにうちこむから、からだは逼塞する。
その人の訴えは頑固な便秘であった。

* 暗闇へ開放されると、肉体は失せてしまい、闇に溶け込んだ意識と眼とだけが残る。何も見えない快さ。そして何もかもが別の意味を帯びて浮かび上がり見えてくる。しかし肉体を背負い込んだ自身は影も形もなく、限りなく自在に在る。そういうことの可能なのをわたしは感覚している。理解している。
2009 3・1 90

* 朝の血糖値107。正常。晴天明るく、風動いて冷える。
2009 3・2 90

* 雪か。寒い。妻は歯科へ、わたしは失礼した。
2009 3・3 90

* 目が霞むほど疲れてきた。うんうんうん。
2009 3・4 90

* 夜中、激越な左下肢攣縮に襲われ、悲鳴。容易に鎮静してくれなかった。いまもフクラハギは腫れて、痛む。
一時是が常時に近かった。だいぶ遠のいていたが近頃ときどきこれはアブナイと感じていた。昨夜噴火した。気をつけねば。

* 気は衰えていない。沈衰などしているヒマがない、雨霰、次々の用事がわたしをむしろ元気に立たせている。仕事に掛かっているときは概して無心というに近い。「作業禅」というほどに思うことにしている。
2009 3・6 90

* 寝坊。視力を労るにもいいかとリクツを付けながら、春眠を貪った。
脚はよほどよくなっている。
ずいぶん暖か。障子窓に黄金色の日あたりが嬉しく、お天気がいいと、気もいい。
2009 3・7 90

* よほど暖かくなったか、入浴後に機械の前に長くいて、気づくと、何もしていなかった。さ、やすもう。
2009 3・7 90

* 早起きした。このところ、時間も体力もなるべく保ち残すよう気を配っている。私語すらも。「むかしの私」が助けてくれている。
おおかた十年余もむかしの「私語」を、わたし自身も興がって顧みているが、時間差をすこしも感じない。きのうのことのように連続している。意識が働いて「いま・ここ」を連続させていれば、十年前の自分も昨日今日の自分も、ひしと繋がっている。十年一日の「積極的な意味」はこういうことか。
ただ間違いなく十年の間に喪ったもの、たとえば孫・やす香のことなどがある。新たに得たものも、だが有る。

* 聖路加の眼科診察。予約時間前に眼圧をはかり眼底写真をとり、予約時間から一時間経っても、診察室は寂として声もなく、患者の出入りもなく、しかも結局医師の診察も診断もなく、前回と同じクスリが出ただけ。どういうことか。眼科はこれで医師が四回変更されている。

* 読む仕事を持って出て、読んで、読んで、お疲れさま。

* 池袋西武で春の花をひとやま買って帰る。
2009 3・9 90

* 昨日の院外処方箋に点眼のクスリが一種類だけ。花粉用のはもう省いたんだなと思って、帰って調べると花粉用のクスリ。わたしは糖尿病との関連で眼科に受診しつづけていて、点眼の主剤は「緑内障」用で無くては意味がないのに、そっちが落ちている。前回から新しいクスリだったので名前で識別できなかったが、この処方箋はお話にならない。聖路加ともあろうが是では困ります。
電話した。新しい処方箋を郵送するという。
2009 3・10 90

* 眼科の不足薬追加の処方箋が送られてきた。
2009 3・11 90

* 好天・快晴。手が冷えている。

* 田家春望  倣 高適
出門何所見    門を出でて何の見る所ぞ
春色満平蕪    春色は平蕪に満ち足れり
可歓有知己    歓びて吉かれ知己あるを
城西一酒徒    東京の西に一酒徒として

* 散髪。心地よく。
2009 3・12 90

* 三浦景生さんのお手紙を戴いた。石本正さんのことにも触れてあった。
なんと、来週には京都へ出かける用があった。美術賞の選考。選者として、はじめて今回は推薦を出した。

* 例年花粉にさんざんな目に遭わされるが、幸い今年はさほどでない。何年前であったか、花の盛りに上野の博物館に行った日の花粉が物凄かった。目が全然あかなかった。這々の体で逃げ帰ったのを覚えている。
京都でゆっくり遊んでくること、今回はむりだ。相変わらずとんぼ返しになる。まだのぞみの切符も買っていない。
2009 3・18 90

* 昨夜は読書の景気におされて眠りが浅くとぎれがちだった。
ユリアヌスは、父や兄たちを殺した従兄コンスタンティウス帝の副帝(カエサル)とされ、ガリアに赴いた。あざやかにユリアヌスの運命を踏む足場は、動いて動いて素早かった。
五六冊を一冊にした一冊本は、だが、石のように重い。字も小さくて二段組み。ツカの厚さ七センチは、有る。
今日も花粉にも悩まされながら電車に乗ってきたが、帰りがけ池袋の駅構内の書店で、古来有名なシーザーの『ガリア戦記』と、ついでに三島由紀夫の『禁色』を買って帰った。京都へのともをしてもらおうと。
ガリアというのは、今のフランスの、ただしくは中央から北寄りスイス辺までも含んだらしい。『ローマの歴史』では「ガリア」という「属州」の重要さは数々の事変とともに、ひっきりなしに語られていたが、もっとも有効かつ果断にガリアを征定したのがシーザーであった。彼はまたローマ史に有数の散文家でもあったという。もっとも優れた遺著の一つが、簡単に手に入った。
2009 3・19 90

* 春眠をむさぼる心地で心身の疲れをほぐそうとするが。瞼の重さ、肩の張り、ふくらはぎの痛みなど、遠慮無く居座ってくれる。
2009 3・22 90

* 背中がガチガチに痛む。頸も痛む。この三週間、本の発送という肉体労働までも含め、働きづめ。神経もすり減らした。深夜の読書三昧もやめなかった。わたしって、何をしているのだろう。
2009 3・22 90

* 夜をこめて風の吹きすさぶ夢路であったが、朝は晴れて明るい。
京都へ発つ。例の、とんぼ返しに帰ってくる。左の肩胛骨あたり、異様に痛む。重い本を何冊も左手にもって読むのが堪えるのであるか。おとなしく、無事に帰ってきたい。今日の宿は、いつもと変更されていて、初めて。
2009 3・23 90

* 終日、ものを読み続け考え続けていて、まるで鳥目になったように目が霞んでいる。それから頂戴したものを順不同に読ませて頂いていても、限りなく続いて一昨日一日分のまだ半分も減らない。郵便だけ観ていても、メールがあり、さらに払込票にもこまごまと書いて頂いている、そこまではただ拝見するだけになる。
2009 3・25 90

* 三月もあと六日と押し詰まってきた。首筋がかたまって痛い。十一時過ぎた。もう今夜はやすみたい。
2009 3・25 90

* すみやかに元の軌道へうまく戻って、仕残しや仕遅れをテキパキ取り戻して行きたい。
この四月から、わたしは多年庶幾してきた「退蔵」の歳月を迎えることになる。なんとなく多年抱え込んでいた、「肩書き」が、どうやら一どきに清算できたはずだ。もっている余分な荷物をどんどん「捨てて行くように」とバグワンに導かれている。仕事はしたいが肩書きはもうもう余分だ。荀子の「解蔽=ボロの脱ぎ捨て」をそこから始めたかった。

* さ、やすもう。目を休ませてやることが何より今は大事。
2009 3・26 90

* 今朝は足さきが凍えている。日により時により、足さきが熱いほど火照ったり、氷のように痛いほど冷えたりする。すこし運動を再開しなくては。

* 気が早いが、四月の気持ちで「四月」を用意した。
2009 3・29 90

* 奈良の阿部さんに戴いた41度強、ノルウェー産のスピリッツで、焼売の昼食。ウオツカなどと同じ。そして睡魔に襲われている。

* 夕食もしないで、七時半まで寝ていた。
2009 4・2 91

* 朝の血糖値、99。宜しい。
2009 4・3 91

* 久しぶり、じつに久しぶりに春の陽気にさそわれ、自転車で走った。二時間二十分、休まず。
案じていたよりやすやすと力強く走れた。息も上がらず、水分の補給もしなかった。そうとう大回りした。道を間違えて初めて走る道を西へ西へ西へ深く入って「志木街道」にあたったところで街道をひたすら南下。新座市から清瀬市へ東村山市へ走り、夕暮れの空と相談して「所沢街道」を東へ東へ方向転換。よほど走ってからやっと小金井街道を横切り、さらに新小金井街道まで来て、あとは帰路。
この帰路が、どうにも田無か東久留米辺でいつも迷路にひきこまれる。今日も無用にぐるぐる道に騙され、ひばりヶ丘駅までに時間がかかった。「ビストロ・ド・ティファニー」のマスターに「自筆年譜」一冊呈してきた。この店ではわたしの本を客や友人に貸し出していることもあるらしい。
ちかくの店でエビス、シルクエビスの缶を半ダースずつ買って帰った。
ずいぶん慎重に自転車を永く敬遠してきた。転んでは叶わない。
存外颯爽と走って違和感がなかった。大きな不安も無かった。よかった。
2009 4・6 91

* まだ花粉は過ぎ去っていない。昨日の自転車走ですこし目を、鼻をやられたようだ。くしゃみ連発。
2009 4・7 91

* 一度、のびのびと鬱散したい。四月に入ってから息が抜けなかった。昨日今日、全身がガチガチに痛み、立ち居にもウッと息が詰まるほど。
なんということだ、えらく急に暑いではないか。

* 夜、直ちに小説にとりかかる。
2009 4・10 91

* 卯の花の匂ふ垣根に ほととぎす早も来啼きて と唱歌「夏は来ぬ」を歌ったし、「卯の花」の「卯」は四月を指しているとはいえ、歌は旧暦にしたがい、新暦の現在とはほぼ一月の差がある。しかも唱歌に来ている「夏」はさわやかを誘ってこそおれ、暑さとは無縁。そんなふうにクダクダと愚痴を言いたくなるほど、昨日今日の暑感ははやじとっと肌にまつわる。
2009 4・11 91

* この数日余儀なく酷使して視力が乾いている。休めるときに休まないと。
2009 4・11 01

* かなりな雨を聴いていたが、快晴の朝になった。気温もここちよい。血糖値は少し高い、130。
十二日に出かけたとき、どこかの小さな段差で空足を踏み、右背筋をきつく痛めたのが治りきらないが、ま、なんとか。今日は、久々ふらりと出て気を寛がせて来ようと思うが。
2009 4・15 91

* 安眠したというか、なにか夢は見ていたけれど、さわりなく熟睡していた。
2009 4・16 91

* 妻が電動自動車を買ってくれたので、試乗した。この多摩のうちをずいぶん走ってきた間に、どの辺の山坂に往生したか、記憶がある。それを苦にしなくてはたして済むかと、城山を越えて所沢へ走ってみたが、まえには仕方なく自転車を降りて牽いて上がったどんな坂も、問題なく乗ったまま通過できたのが愉快だった。二時十五分から、家に帰ったのが四時二十五分。一度も自転車から降りずにペダルを踏み続けていた。いつもの車ならもう一時間必要だったろうと思うほど、帰路をふと不安に感じたほど所沢をなお離れて遠くまで行ってきた。
帰って缶ビールを半ぶんほど呑んでから計った血糖値が、89。運動効果は相当なもの。足腰へも、かなり来た。
山坂が気にならぬとなると、荒川も多摩川も遠くはない。大事なのは走路の安全ばかり。先日も今日も所沢街道を走ったが、いい道ではない。
2009 4・16 91

* 精神の芯のところに、払いきれない疲れが残っている。振り払い振り払い、自身の仕事へ仕事へ舵を切ってゆく。生理年齢は紛れない七十三歳だが、そんなふうには生きていない、未熟にもせいぜい四十台ぐらいの、わるくするともっと若い感じ方で時間を咀嚼している気がする。元気だからではない、成熟できず追いつけていないのだ、わたしがわたしの実年齢に。そしてときどきふらーっと失神しそうに自分を見失いそうになる。やれやれ。

* となりの部屋で、根気よく、妻のピアノの音がしている。
2009 4・16 91

☆ 老夫婦の性生活  2001 1・24  「生活」
* 昨日も、テレビで、高齢期への夫婦の性生活について特集番組があった。このごろ、ちょくちょく似たような特集を組んでいるが、その一方で、若めの夫婦達のスケジュール・セックスや、セックスレス夫婦のことも特集している。
たまたま目にするこういう番組を見ていて、全く視野から落ちこぼれている観点のあることにわたしは気づいている。
セックスは、いろんな程度と容態とをもっている。性交という行為の回数や頻度のことさらに語られていることが多いけれど、もし、性的夫婦関係を老齢・高齢化社会での本質的な福祉意義とからめ、また相互愛の意義に絡めて問題にしているのなら、それら番組関係者の発言や感想からは、さらに重大な、次のような「視野」の「落ち」ていることを、わたしは指摘したい。
肉体は老化して行く。機能が落ちるだけではない、やむを得ず老朽と醜悪化を強いられる。人間の美意識は、美の感受と批評能力は、老人とても、わが肉体の老化ほどは急速・急激には減退しないから、まず、ほとほと自分のからだが醜く汚く衰えつつある事実に、ゲンナリしなくてはならぬ。自分のものは致し方もない、が、老人夫婦の場合、わが妻やわが夫の肉体的醜化にも、いやでも当面しなくてはならない、そこのところが、先の特集番組などでは忘れられている、イヤ気づかれてもいないのである。
老夫婦で性的肉体交渉が頻繁に有るという方が稀有な事例になるのは、致し方ない。そういうものである。ただ、それにつれ、いわば「はだか」の付き合いというものも欠落してゆく。しぜん伴侶の肉体に「目で」ふれることも乏しく極めて極めて稀に成り行くにつれて、まれに目に触れたその「老化し醜化したはだか」への驚きが、やがて美的な「厭悪感」に転じて、思わず「互いに目を背けてしまう」ような成り行きになれば、、さて、どうなるか。この延長線上では、自然当然に夫婦間の親切ないし深切な介護交換に心理面から支障が起きるだろう。互いに肌に手を触れ目を触れた介護の交換が望みにくく成って行くであろう。夫婦と雖ももう互いの「はだか」から目を背けたくなるほど離れ合ってしまっていたのでは、その愛情も、服を着ている場合に限ることになってくる。
そんなバカなと思うのは迂闊であり、人間はいやおうもなく習慣に支配されているから、馴染めばいくらも馴染み、だが一度疎遠になったものと馴染み直すには、たいへんな心理的壁をまた努力して越えねばならない。まして、そこに「醜化」という美意識に逆らう要素が加速的に加わると、アタマは理性的になろうとしても、「眼の厭悪」や「情の嫌悪」というやつが、土石流のように理性を押し流し排除してしまうのに抵抗できない。
中年や初老の夫婦で、互いの下着を汚いと感じ、同じ洗濯機で洗濯したくないなどという話を聴くが、あれには、「離れ行く性生活の疎さ」がわるく響いているのだろう。「はだか」の付き合いが親密で緊密である夫婦に、そういう忌避の働きようは、まさか無いであろう。一つ墓に入りたくないのも、それか。
性交だけが性生活ではない。
要するに「はだか」を許し合い、互いにその老化や醜化を許し合えるものなら、それこそが、まずは「最低限守り合われねばならぬ、老夫婦の性生活」というものである。それでこそ、互いに「下の世話」もできる。少なくも愛の基盤ができる。互いの恥ずかしい「はだか」から、ああッと目を背けなくても済む。そういう「接触」をもっともっと大切にと、福祉や健康の関係者は大事に世に言い広めておかないと、多くの老夫婦たちが「相互介護の時代」に安らかな気持ちで入って行けなくなる。ちょっとばかり堪らないけれども、老夫婦ほど、あっさりと一緒の入浴習慣をもつぐらいがいいのではないか。夫婦生活イコール性交などと考えた老人の性特集は、どこか過剰である。   2001 1・24
2009 4・16 91

* たわいないのだが執拗に同じ夢に負われて、少し寝苦しい朝であった。少し冷えて曇り、ひどくはないが小雨のとめどない一日だった。
イチロー選手の3086本、プロの安打日本新記録、ことに昨日の張本の記録に並んだ満塁ホームランなどめざましい快打で誰もが喝采したものの、他は、気の滅入るばかりの世界情勢、国内情勢で、テレビも不景気が反映してであろうガラクタをぶちまけたように安い連中をつかったお遊び番組か、ドラマの再放映ばかり。

* いま、何が楽しみで生きているのかねえと、思い寄らぬグチがくちをついて出たりする。なさけないことだ。

* わたしはもともと「線」の延長のように時間を先へ先へ追う気がうすく、樹木の年輪のように時間を「円環」の層のように感じ取ってきた。一日は一日の輪であり十日は十日なりの環であり、五十年も五十年のむしろいわば丸い袋のように感じられている。今日の感覚と五十年前の記憶とが等価にならんで意味が持てるように、ま、わたしの世界は出来ている。比較的整理がついている。

* バグワンに示されると人生がかなり厳しくなる。
まず「呼吸」ではじまると彼は云う。次が「渇き」だと。次が「空腹」だという。「胎外環境への適応」の順で謂うとそうだろう。バグワンはこの先へなお七つ八つの段階を謂う。段階を幾つも大きく踏みながら元の「呼吸」へ大きく豊かに「円」を描いて戻ってこれるかどうかだと、素晴らしくきついことをバグワンは言い切る。呆然としてしまうが、アタマでは分かる。アタマで分かっても何にもならないことも分かるのである。

* こうしていても膝あたりが冷えてくる。なによりも睡くて仕方ない。
2009 4・17 91

* 電動自転車で、三時間十分、柳瀬川ぞいに志木市から荒川へ、そして新座、清瀬、東久留米を経てひばりヶ丘から帰ってきた。バッテリーの充電がかつがつ保つか切れるかというので、後半の後半は脚力を駆動し続けたが。血糖値は、89。どこを走ってもたいがいもう覚えがある。走っている限りは対向車も追走車も心配で気をつけているぶん、頭の中はカラッポにちかい。それがいい。

* アタマをさらにカラッポにすべく、久しぶりに機械で碁を打った。
対局相手にレベル10の「最強」を選んで黒をもった。碁感が戻ってこず細部へ来るとヘドモドしたが、四隅を小さく痩せて取らせて、中央の大模様を守りきり、六目半のコミを勘定してなお十八目半の勝ちは意外の結果だった。途中で投げようかなとさえ思うほど腐っていたが。
ついでに麻雀も半荘試みたところ、これも勝った。
自転車で走るひばりヶ丘への商店街に、わたしの気を惹く二つの店(?)がある。一軒はボクシングのジムで、サンドバッグがぶら下がっている。あれを思い切り叩きたいなと思うが、拳の骨を折ってしまいそう。もう一軒は白い紙で「本因坊」と貼りだした碁会所で。こういうところへ少し根気よく通うと強くなるのか知らんと思うのである。
わたしが碁を打つと知って、文壇でも猛者で知られた二人から、また元の編集者からも、やんわりと手合わせをどうかと言われたことがあるが、とんでもない。中学生で覚えたのだから経歴は永いけれど、めったに打つ機会がないし根気もない。中学生のマゴ娘にも負けたぐらいだ。こんなもの、強くなくてもちっとも構わない。負け惜しみではない。

* いまに、必ず「世襲」問題が日本の世論の中心議題の一つになりますと、四半世紀も前にわたしは「世界」編集者に予言した。いまや、自民党もが、この改善を選挙マニフェストに加えるときかどうかと揉めている。

* さ、やすもう。どうやら今は徹底的にやすむべきときのように思われる。
2009 4・18 91

* 二た月近く休ませてもらっていた歯医者へ、行ってきた、妻と。好天、暖ッたか。帰りにこれも久しぶりの「リヨン」でゆっくり昼食。家々の花や草など眺め眺め帰ってきた。昼食のいいワインもまわって、うっとりと疲労感。駅からはタクシーをつかった。
2009 4・19 91

* 夕方、一時間、また自転車で走ってきた。大泉から谷原、石神井公園駅から西へ向き直って迷路のような住宅地内を駆け抜けて帰宅。汗を掻いた。
2009 4・19 91

* 昼過ぎからまる四時間、自転車で走り続けてきた。
田無から武蔵境へ、更に国立天文台のわきを滑り降りて調布へ南行し、飛田給の近くから多摩川土手にあがった。荒川より多摩川は眺めが柔らかい。ゆっくり遡行して是政大橋を稲城市に越えてみた。旧大丸村や医王寺辺を見まわってから、また大橋を北へ戻り、昔の大丸街道、今の府中街道を北行、府中刑務所角から東へ転じて新小金井街道まで行き、これを延々と北行、新青梅街道と交叉するところで歩道を保谷新道まで安全運転して、途中、山合で旧知の山田硝子店に立ち寄り年寄られたご夫婦と少し門口で立ち話、ついでに近くで好きな花林糖を一缶買って帰った。
今日はよほど必要な箇所でしか電池に頼らなかった。水分補給の必要もなく気分も悪くなく、下車してからの五体の痛みもずっと軽微であった。風がありむやみと汗みずくにならず、快適だった。
2009 4・22 91

* あすは、安全に「歩いて」一日を過ごしたい。今日橋を渡った稲城市内をもう少し観てみたいが、JR南部線で稲城長沼か矢野口へ行くにはまず立川へ行かねばならん。それなら日を変えて自転車の方が現地の小廻りは利くが、四時間を超えるのは疲労がきつい。疲労すると、注意力が落ちる。
もうすこし気楽に、重金さんの本をもって食べに歩くか。
2009 4・22 91

* 夏目鏡子『漱石の思ひ出』(角川文庫)は、もう漱石「死後」に、長与又郎が解剖所見等を学会報告した記事半ばまで読んでいて、あとは「葬儀の前後」と「其後の事ども」だけを残していた。一気に読み切り、筆録した松岡譲の「編録者の言葉」も、漱石次男夏目伸六の「解説」も、興味深く、共感して読み終えた。
ついで伸六さんの『父 夏目漱石』(角川文庫)を、後半の「父の胃病と『則天去私』」から読み継いでいって、あまりおもしろく、読みに読んで行くうち目は冴え冴えとし、そのまま、「父・臨終の前後」「父の手紙と森田(草平)さん」「岩波茂雄さんと私」「自誡」「漱石の母とその里」「母のこと」「あとがき」まで、わき目もふらず読み切ってしまった。
もうどうしても眠れない。鳩の声を聞いたり、黒いマゴを外へ出してやったり入れてやったりしているうち、空腹を感じ、五時半にわたし独り起きてしまった。パン一枚をバターと砂糖で食べ、生卵一つとミルクとを飲み、ゼリー菓子を二粒食べた。血糖値は、119。心持ち高いが、良の範囲内。
で、機械の前に来た。
2009 4・23 91

* 歯医者へ。
昼過ぎに帰ってからは、殆どやすみなく原稿づくりして、もうとうに日付も変わって、一時半。
びっくり。「私語」に手がまわらない。
2009 4・26 91

* ひしひしと原稿づくり。中休みに二時間、自転車で走ってきた。
練馬区東大泉から東吉祥寺、そして井の頭公園をゆっくり半周のあと、玉川上水べりを西へ西へ。そして適宜北に転じて三鷹駅、三鷹市、武蔵野市を通過、西東京へ戻った。
ショウウインドウに目を惹くオレンジ色のシャツ、ティシャツに近い、のが飾ってあり値を聞くと、一万八千円だが一万五千円でいいと。気に入ってしまったので買って帰った。「たッかい!」と妻は目をむきながら、にこにこ。
2009 4・27 91

* 前夜の疲れで熟睡。そして自転車走もやめて、ひたすら原稿作りに勤しむ。もう日付はとうに過ぎた。
2009 4・28 91

* 糖尿病で聖路加の初診、即座にインシュリン注射の励行を命じられたのが、2000年三月の末だった。もう九年余になる。あまりいい患者でなく、酒も糖も脂肪分も、いっこうやめていない。いいわけはないが、表面大過なく推移し、とくに診察室で怒鳴られてもいない。油断なく、なるべく賢く自分の躰と付き合って行く。
2009 4・28 91

* 午前中に一時間半、夕方に一時間十五分、電動自転車を楽しんで、地図の上に大きな円を描いて走ってきた。肉が薄くなっていてサドルに置いた尻は痛いが、坂がこわくないのは力強く、つまり道に迷いさえしなければへとへとに疲労せず帰路につける。

* その余は一日中原稿作りをしている。
2009 4・29 91

* 東久留米の迷路をすりぬけすりぬけ広い道に出たのを、ひたすら西へ向いていたら、東久留米の西団地西はずれ、野火止水道のはしる心地よい木蔭の細道へ当たった。なんども来ているところで、なに不安なく水道道に沿い南下し、新青梅街道も横切ってさらに萩山をこえ八坂まで。そこで、ヘアピンなりに江戸街道を東北へひたすらまっすぐ駆け抜け、小平駅から北商栄会も通り抜け、新小金井街道をわたり、小金井街道の花小金井四丁目へ出て、さに北の滝山から、またしても東久留米・田無の迷路に手こずりながら、ひばりヶ丘駅へ通り抜け、まるまる二時間で家に着いた。
走って、帰って。血糖値、83。それはいいが、わたしの体重はガンとして減らない。血糖値よりも重いぞ…。

* ただ走っているのでなく、咲く花や木立・並木また草野や小川の風情を目に楽しみつづけている。武蔵野である。森も林もある。いまは翠が濡れたように初々しい。
2009 4・30 91

* 鼻がムズ痒くときどきくしゃみする。風邪と思わないのは、髪の毛に触れても痛みがないから。熱は。わからない。
なにしろ北海道は昨日か一昨日が大雪で、今日は夏日とか。雪かきをしているそばを、人が半袖のシャツで歩いているのをテレビで観た。なにもかも変になってきた。
たしかに体調を損じている人もいる。妻も今日はすこし休んでいたが。
わたしはこれから入浴する。明日は聖路加デー。
2009 4・30 91

* 夜前、血糖値、48に急降下。かなりイヤな感じに五体顫動あり、食パンに砂糖をかけて一枚食す。しばらくからだは震えていた。急に眠気が来たので、読書半ばであったが漱石や道綱母を休んで、寝た。もう馴れていて、対応を間違えなければすぐ回復する。ああそうか、という感じ。
今朝、90ほど。
これから、聖路加の定期診察を受けに行く。

* あまり好成績とはいえなかった。朝、食事前には90程度の低い血糖値が、たいして食べていないのに病院へ着くと高くなっている。血糖値は午前中に高く上がるそうだけれども。血圧も二度測って150と155。降圧剤を出そうかと。
六月か七月かに、わたしは法廷で原告娘夫妻の弁護士たちから、一時間ほど被告尋問をうけるらしい。そんな際に高血圧ではよくなかろう。はて、いま日本中で、娘夫妻に「被告席」へ呼び出され尋問を受ける父親というのは、何人ぐらいいるのだろう。なにをしても、わたしはいつも「超少数派」である。
二三日前にも、娘は、弁護士を通してわたしのホームページに残存している実名を「他」に替えよ、またはファイル自体を抹消せよ、しからずばサーバーをも容赦しないと。
ほとほと困惑したサーバーからの要請文書が「契約者」の息子の方へ届いていた。
その結果、短歌作品すら

「夕日子」の今さしいでて天地(あめつち)のよろこびぞこれ風のすずしさ
(昭和三十*年七月二十七日夕日子誕生)

というぐあいになってくる。面妖な訴えで、娘夫婦はこれで果たして何が言えるのか。何が娘は言いたいのか。
両親の、我が子誕生と命名という比類無い「よろこび」まで「その子が親から奪い取る」こんなことが、娘の「人権」として執拗に言われる不思議を思う。町田市第二地区主任児童委員殿。これは親への「虐待」ではないのでしょうか。婿教授殿。ジャン・ジャック・ルソーはかかる「不自然」をも人間の「徳」としたのでしょうか。

* 聖路加から日比谷線への帰り道途中に「福音」という鮨の店のあるのは久しい病院通いで見知っていたが、入ったことがなかった。「ふくね」なのか、聖路加の近くだから「ふくいん」と読むのかななどとラチもないことを思うばかりで横目に通り過ぎていたが、築地市場にごく近く、旨かろうと初めて暖簾を潜った。丁度午で、たちまちカウンターはいっぱいに。近所の勤めの人たちの昼飯場のようだったが、みたところネタはよさそうだった。
で、定番定食はさけて肴を切ってもらい、八海山の冷酒を頼んだ。鯛が出て、いい烏賊が出て、赤貝が出て、初鰹がずしっと出て、それからこはだを頼み、中とろ一貫を小さく握ってもらいさらに大トロを切って貰ったのが、よろしかった。八海山は二本目になっていて。で、鯛といくらと雲丹とを一貫ずつ握ってもらい、キリに玉を切って貰った。満足した。値段はナイショ。

* 有楽町線へ移動、うまいぐあいに清瀬へ行く直通で、空いた座席に中村橋までぐっすり眠り、すっきり目が覚めて保谷で降りた。タクシーを待たず、花バスに。

* 帰ってからはひたすら原稿づくり。十一時半にとうどういい線まで用意が出来た。連休の間に、通算九十九、百巻の分まで、入稿できる。
2009 5・1 92

* だれもかも連休なんですかねえ。わたしも、今日、すこしホッコリしました。ズーンとしみこむように五体に疲労のあるのが、遙か遙か遠くからの呼び声のように届いてきますが。聖路加への道で観てきた薄紫の花、きれいでした。
2009 5・2 92

* 七時に起きた。血糖値は、100。空腹時110まで正常値。125まで許容値。そんな風に言われてきたが。わたしの数値はインシュリンと投薬とのお世話になってのこと。ちっとも正常ではないのだ。
2009 5・4 92

* 二三日前から時折歯が痛んだので、今日の診察日を待っていた。葵先生は、手当てして抗生物質を注入し、抗生物質の錠剤と痛み止めも出してくれた。
この歯科医院へはバスを降りて数分、寺院住宅と一般住宅の間を通ってゆく。広い道で、静かで、庭前の手入れなども宜しく、心地よい。夫婦してもう四十年は通っている。
葵先生はうちの息子よりせいぜい一つ二つも上か。先生のお姉さんがうちの娘とお茶の水女子高の同学年。お父さん先生は亡くなった。思えば東京へきて継続して一番永い永いお付き合いである。
今日のような好天の日は、保谷からは一時間足らずで、ちょっとした散策。治療のガリガリはもう慣れっこ。二代目の葵さんに代わってからは治療が優しい。

* 帰りには江古田でフレンチの「リヨン」に寄るのが、ほぼ決まり。今日の料理は、デザート、コーヒーまでの全部が珍しくて美味しかった。二時間もゆっくりかけて、妻と漱石や芥川を語り合う。そしてのーんびりと保谷へ帰った。お天気がいいとこんなに気持ちがいい。
2009 5・9 92

* 夕食前に一時間十分、新座から東久留米のほうへ走ってきた。走ると血糖値が正常値近くへ、さがる。時にはもっと下がる。
日はながくなり、空は明るく、翠はまぶしく風に潤んでいた。だいたい新座と東久留米とではイヤになるほど道に迷うのだが、今日は勘が働いて無事に。電動電池もなるべく使わないで脚を使ってくる。とてもふつうだと登れない坂三つを、電動だとすいすいと登り切る。なかなかの利器・力である。
2009 5・9 92

* 保谷からははるか南西の「武蔵野公園」まで走り、西の端から園内に入って、しばらくして「東八道路」に出てとりつ野川公園の南側に沿い、もう久我山へというあたりまで東行。くいと北へ折れ、三鷹市市役所前から一路、三鷹・武蔵野両市を団子の串刺しにして青梅街道に突き当たるまで北行。二時間二十分。
喫茶店の「ぺると」で少しマスターと喋って、帰宅。暑かったが風に救われ、疲労はなかった。今日は、いたるところ初めて走る知らない道が選べて面白かった。
2009 5・11 92

* 糖尿病で診察を受け即断のインシュリン注射を言い渡されて、私語を振り返ると、今年で九年。
あのとき、こんなままでいると「あと十年」と医師に申し渡された。じつのところこの九年、思慮も苦慮もなしに「こんなまま」の生活を根から改めてはこなかった。酒は好きなだけ飲んでいるし、食べたい限りを好きに喰っている。毎度の診察で、まあまあ、少し良かったり少し悪かったり、「このまま様子を見ましょうかね」と診察室から解放してもらっているが、自覚的にはいいワケがない。五体、石のように硬くなっていて、以前に出来たことが九割九分できなくなっている。自転車にだけ乗れるのがふしぎなぐらい。ほかは半分以上石地蔵のように成ってしまっている。
「あと一年か」と、冗談でなく呟いている。そうかそうか。今年一年は、金婚といい湖の本百巻といい、ほんとうになにやかや取り纏めて、被告席の裁判以外は、締まりがついたし、また、ついて行くだろう。
みんな通過点に過ぎぬと思っているけれど、医者の「十年」予言も、わたしは夢うつつとは軽く聴いていない。ありうることだ。逢花打花、逢月打月。「いま・ここ」の生を尽くすだけの毎日だ。願わくはしかかりの作に「完」と書きたいが、どうなるか。
昨日帝国ホテルの写真館で受け取ってきた夫婦の記念写真二組は、さすが無難に撮ってもらえていた。こんなものはノコされても子供達はもてあますに決まっている、夫婦それぞれの柩に一つずつ容れてくれれば宜しい。
いましも、湖の本の通算九九巻・百巻の初校ゲラを送ったと連絡があった。
恥じ入るばかりの未熟さを晒すだけだが、そこまでしか出来無かったのは身のいたづらで、仕方ない。
2009 5・13 92

* 夕方、東大泉から西武池袋線を南へ渡り、井頭を経て善福寺公園に入った。池は水かさまして緑陰濃く、人はまばらだった。この辺地形の起伏にやや富みすぎるが、電動の威力で苦もなく。むしろ困惑は二度の尿意で、一度は路傍の小公園に救われたが、二度目は諦めて帰路に就いた。青梅街道から関町へ入り、もうこの辺になると地元という感覚。
結局一時間半走ってきたが、以前だったら二時間掛かった距離。道に迷わなくなったのと、坂道をおそれて遠く迂回したりする必要がない。そしてからだはラクだし、こういう走行を週に四回五回と注意して励行していれば、躰のコチコチも少しずつほぐれるだろう。走ってくると、からだが、脚が、ラクになりかけている。本格の梅雨まで、少しずつ継続して走ろうと思っている。
2009 5・13 92

* 垂れる雨雲の下を、歯医者へ。葵先生丁寧に診てくださる。口中スッキリ。どこへも寄らずに帰って、ひたすら校正。九十九巻分の初校を終えてしまう。
2009 5・16 92

* 雨降りと予想されていたが、雨なく、風が物に当たっている。腰から下へ少し冷えが来ている。
神戸で、また大阪で、高校生達に新型インフルエンザの陽性患者が急に増え始めた。水際を滑り抜けてしまった帰国患者がいたのだろう、そう想像するしかないが、これからが衛生日本のガンバリどころと思いたい、関係者にも思って欲しい。近畿にとどまらず、いずれ他の地方へも蔓延のおそれは充分ある。目に見えない熱に、立てる戸は容易でない。そしてこれは評論の問題ではない。むしろマスクの問題である。
2009 5・17 92

☆ インフルエンザ
今日知人から得た情報によりますと、新型インフルエンザが弱毒性、季節インフルエンザと同じというのは信頼できないというのです。病状はひどく苦しいもののようです。
どちらを信じるかといえば、一般人の流言蜚語のほうが政府発表よりまだましかもと思われます。何しろ、今まで国民の生命を最優先に尊重するという哲学を一度ももったことのない政府でありますから。
この国では、万事個人で自衛するしかないわけで、流行の推移をみて、事態をもう少し認識したいと思います。大切なお仕事を控えていらっしゃいます。インフルエンザは絶対にいけません。

* さようわたしにも思われる。東京でもアメリカ帰りの高校生感染者が出た。蔓延の勢い、避けがたいか。

* 明日の午後は、それでも、楽しみに出る。
2009 5・20 92

* 京都にも東京にも新型インフルエンザ感染者が出来、もう或る程度の蔓延は必然か。京都へ行く用事、慎重にと。糖尿病がけっして宜しい状態でなく、インフルエンザとはひどく相性が悪い。用心に越したこと無く、可能な限り自重をと。
一昨年、インフルエンザの予防接種に当てられ夫婦ともそれは辛い思いをした。今度の美術賞では、わたしの強く推した人が受賞しているので授賞式には出てあげたかったけれど、ま、相手は子供じゃなし。
2009 5・22 92

* 朝の血糖値、100。これは、けっこう。

* いい季節で、日々とても美しいんですよ、気晴らしにいらっしゃればいい、と、遠くから誘って下さる読者もある。金澤、京都、奈良、水戸、仙台、山形。いいだろうな、と想っているだけ。

* さ、歯医者に。途中、家の一軒一軒の表や庭先に育てられた花、花、木々を、妻といちいちに観て、歩いて、楽しむ。気が向くと「リヨン」でゆっくり昼食してから帰る。こういう時間が、夫婦互いにますます貴重になる。死の影は、もう背中へ触れてこようばかりに近づいている。だからこそ生きている、懸命に。
バグワンらは言う、さてこそ死は生のための必須の友であると。「伴」と書いてよいのかも。

* うまい昼食をして、帰宅。
さて、少し自転車で走ろうかと思ったが、段取り悪く、愚図ついて。
運動は諦め、目の前の仕事に踏み込んでいた。
食事していた頃、堪らなく憂鬱の塊が胸に溜まっていた。東京という街に暮らすのが限りなく不愉快に感じられたが、では京都か。
そうでもない。分かりよく謂うとこれは漱石病のようなものか。昨日たまたまテレビを触っている内に偶然にわたしの脚色したNHK劇場の漱石原作、俳優座公演の『心 わが愛』をひらいてしまい、そのまま第一幕を観てしまった、あれが響いたか。人が信じられないだけでなく自分で自分も信じられないと呻く「先生」、静かな心がどうしても持てないと杖を地に突き立てて呻く「先生」が気の毒になって、その気分が乗り移ってきた。
『行人』で一郎を狂わせ『心』で先生を自殺させた漱石。だが漱石自身は、狂ってはいたが自殺はしなかった。
* 自殺した江藤淳は漱石論でデビューし、漱石の『心』を愛読したと言っていた。そして自殺した。
『心』の「奥さん」は「私」にむかい、もし自分が先に死んでしまったら「先生」はきっと悲しむでしょう、生きていられないかも知れませんよと話していた。江藤淳は夫人に死なれて後を追うように自殺した。わたしは烈しいショックを受けた。三ヶ月ほど後、わたしはまた、実兄に自殺された。「悲哀の仕事」としてわたしは『死から死へ』を編んだ。その一部を今度の本でも、あえて繰り返しとりこんでいる。

* さ、さらりと忘れよう。
2009 5・26 92

* 昨日はとても生き苦しいイヤな一日だった。濃い冷たい狭霧が濛々とからだを取り包んできて逃げ場がなかった。寝るのもいやで、見さしていた映画「ダヴィンチコード」を見ながら測ると、血糖値が83と異様に低くなっていた。
2009 5・28 92

* 印刷所の連絡を聴き、一息入れる気で黒いマゴを専用の籠にいれ、一緒に新座清瀬方面を電動で走ってきた。はじめのうち啼いたが、暫くして静かになり、あとは呼ぶと返辞し、呼ばれて返辞してやると啼き止み、少し慣れたろうか。
ま、かなり振動し続けで、さぞ疲れたであろう。わたしもいま小一時間、機械の前でうたた寝していたようだ。
2009 6・1 93

* 昼前の予約が都合悪しくなり夕刻五時に変更してもらい、小雨の中、歯医者へ二人で。
帰り、フレンチのデイナー。シェフのサービスで、赤ワインのコースメニューが、前菜も魚も鴨も、デザートも、とびきり美味しく満腹。白ワインで一品おまけのチーズが旨かった。静かで、音楽もおもしろく。ゆっくり、いろいろ話しながら。
そしてやはり小雨の中を保谷へ帰ってきた。
2009 6・5 93

* 十時過ぎのバスで駅へ。そして歯科医へ。
夫婦して治療を受けると、沼袋の草花、木の花など一つ一つ観ながら、また帰りのバスを、今度はフレンチ「リヨン」の前で途中下車。二時間ほど掛け、ゆっくり昼食。きまって赤いワイン。
またぶらりと界隈を歩いては、家々の花など楽しみ、江古田駅から電車で保谷へ。
なじみの喫茶店で、ゆっくりパソコン談義や「心」の議論などして、また畠中の路を通り抜け、この花はあの花はと、写真に撮ったりしながら家に帰ってきた。四時。
2009 6・13 93

* 午まえ歯医者に行く。
2009 6・20 93

* 少しく明け方に盗汗あり。
2009 6・24 93

* 第百巻の抜き刷りも届いた。三四日もせぬうちに本が出来てくるだろう。用意も何もかも今回は異例ながら、要するに落ち着いて作業して行けば成るように成って済むだろう。「上巻」入金の推移に従い、しばらくは「下巻」発送作業の尾の細長くつづくのは仕方がない。
八日に聖路加の視野検査がある。二週間後に診察。
十四日は平成中村座。そのあとへ糖尿病の診察日が来る。鏡花の歌舞伎もある。
2009 6・30 93

* 晩も、ほぼいっぱい使って、作業を前へ前へ運んでおいた。明日は約束の歯医者に通うぶん少し停滞するが、ほとんど問題ない。もう今夜はやすみたい。妻にも随分手伝ってもらった。明日のからだの負担になりませんように。
2009 7・3 94

* 早起きして、歯医者ゆきまでの時間を、送り出しの作業で埋めた。杜撰はいけないが、サッサとやる。それがラクへの道。
2009 7・4 93

* 余裕で浅草まで行きたかったし行けたのに、なにかしら朝の起き抜けから軽いフラツキがあり、軽微とはいえ肌寒い悪寒のようなものが抜けず、昼前に、太左衛さんにメールで謝って、家で休憩した。大方回復していると思うけれど、大事を取っている。
久保田淳さんの『隅田川の文学』にはまっている。橋という橋をみな渡ってみたくなっている。
2009 7・5 94

* 今日は視野検査のためだけに聖路加へ行く。雨が降らなければ、少し歩いてこよう。

☆ お元気ですか、みづうみ。  夕顔
発送のお疲れもごさいましょう、お礼を申し上げたいのはわたくしのほうです。百巻のささやかなお祝いをさせていただきたいと思っていたのです。
イライラしたり疲れたりする時、みづうみの作品だけが静かに充たしてくれます。読んでさえいれば、しあわせなのです。お礼を申し上げたいのはわたくしです。
視野検査が良い結果であることをお祈りしています。

* 視野検査は、なんだか新式であった。いつもよりいろんな光点でしらべられた。いつもは暗闇の光なのに今日はおおかた薄明のなかで光の点の点滅を把捉させられた。検査士は親切であったが、時間もいつもより長く掛かり草臥れた。ただし予約より一時間早く検査室につき、幸い検査を早めてもらえたので、終えて解放されたときはちょうど予約時間の三時半だった。ただしわたしの時計がアテにならないことがあとで分かった。
病院を出て、有楽町線の新富町から家へは逆方向に乗り、月島、豊洲を通り越して辰巳駅で降りてみた。なぜ辰巳で降りたかは問題外に願いたい。
地下から路上に出ると小雨に強い風。辰巳小学校の前からの眺望は、かつてわたしの東京暮らしで観たこともない高層ビルの林立、広い運河、閘門、群だつ灰雲の空。自分が、さて東京都何区の何処に立っているとも分からない。
結果として、吹き飛ばされるほどの風雨でなく、多少の濡れも厭わず傘をおさめて歩いた。辰巳から運河越えに東雲の高層また高層の住宅街を通り抜け、東雲橋を渡って、深川五中まえから豊洲駅まで。荷風先生の「か」の字も感じ得られるなにも無かった、超開発の成果らしいまさにイマイマの集団住宅街であって、それはそれなりに河有り運河有り大きな閘門も船の行き交いもあり、水辺の風情、有るといえば豊富にあり、しかしあまりに今日の淡泊とも雑駁ともいえる殺風景ではあった。予期していなかったのではなく、予期からすれば街は相応に小綺麗であった、いや小綺麗すぎるのが期待はずれであった。

* いちばん期待はずれなのは、粋な風情など滴もないこと、それにつれてそれらしい飲み食いの店がテンと見当たらない。憮然として歩いていたら、深川校のすぐさきに、よく見過ごさなかったと思う、なんと「京都紫野」の売り言葉を看板にした「おおもりや」という割烹の店をわたしは見つけた。覗いてみると店内も落ち着いて小綺麗。ただ時間は早い。主人に聴くと五時にあけると。わたしの時計はあと二十分で五時。で、地下鉄の豊洲駅ちかくをぶらぶらして佳い喫茶店を見つけた。キリマンジャロを四百五十円、お変わりは半額と。目の前で若い娘さんが一心に珈琲をたてていた。カウンターで本を読みながら、おかわりもして二杯のキリマンジャロを美味しく飲んだ。
始めて来た辰巳、東雲、豊洲で、せめて佳い店でおいしく飲んで食って帰りたい。
で、五時過ぎたと見て、また「おおもりや」へ。ところが五時どころか、まだ四時半だと云われた。わたしの時計がどうもおかしかった。ま、入って下さいと云われ、カウンターに落ち着き、「おおもり月の桂」という純米吟醸の酒から始めた。
若い店員が男女とも気散じな人たちで、気持ちよく落ち着けたので、次々に美味く煮た鰊、冬瓜となにかの柔らかい肉、椎茸や鶏肉や蓮などの煮染め、鯛の薄造りなどを頼んだ。酒が旨くて食べ物もよかった。もう少し飲みたかったが、ぐっと引き締めて、とにかくも佳い店を見つけたのを何よりの満足に引き上げてきた。よかった。
清瀬まで直通の電車に豊洲駅で座れて、保谷駅までずうっと本を読んだまま帰ってきた。駅からの車からおりて玄関へきっちり七時だった。

* さて今日、自分の脚で何という橋を幾つ渡ってきたのだろう。「東雲橋」というのだけ覚えている。便利な良い地図を買わねばならぬ。多摩地区とはまるでちがう景色がある。雨も風もたいしたことなくて良かった。気は晴れた。
2009 7・8 94

* 昨日の辰巳での雨と風に、ひごろも喘息気味の咳込みが増している。わたしの咳込みはしつこくて、夜、夜中には近所迷惑なほど、年がら年中。

* 機会の部屋の蒸し暑いこと。背中から真方に冷房すると、いつか咳込み始める。
2009 7・9 94

* 降りそうになかったので、暫くぶりに自転車で、二時間半、走って来た。いつもの道が工事で迂回を強いられ、そのはずみで足任せにかつて見知らぬ道をズンズン走っているうちに、練馬区の高松六丁目にまで来ていた。高松といえば妻の親友の家がたしかある方面であり、光が丘団地にももう近いらしく、どうしてこんな所へ迄来たのか分からなかった。
谷原へ出て、そのまま下石神井などの住宅地をかけまわって新青梅街道に出たので、これを西へ西へ田無まで走り、田無からひばりヶ丘へ北行して馴染みのビストロに新刊の湖の本上下を置いて、家に戻った。
絶えず痛む腰なのに、自転車を走らせている間はいつも全く痛まない。

* 明日は都議選。よい結果を掴みとりたい。
2009 7・11 94

* 凄い暑さだったとニュースは全国の記録を伝えている、が、さほどとも思わず自転車で二時間近く走ってきた。清瀬の水天宮まで西に向き、いつもと逆に北へ向かった。大きな欅並木の志木街道が清瀬市域の切れるまでつづく。浄土宗の長命寺や曹洞宗の長源寺がある。きもちのよい木蔭で境内はどこもひっそり閑としている。
新座市内に入ってすぐの石油スタンドの外で、あれは何だろうガードレールとでもいうのか、ちょうど自転車のタイヤ幅ぐらいのみぞに前輪をストンととられ、左へガッシャンと横転した。もちこたえられなかったが、左の肘と膝下とで支え、頭は打たずに済んだ。起きあがれるかなと案じたが起きあがれた。
左肘は関節のワキを荒く擦過していたが、キズは擦っていて深くない。見ると膝下は夏ズボンの上にまで血がかなり滲んで出て、下へ流れているらしいのに少し驚いた。打撲の痛みはやむをえず、幸い自転車には乗れたのでそのまま先へ走ってみたものの、志木・荒川へは先があり痛みがひどくなり動けなくなってはいけないと、元の道へとって返し、それでも東久留米、新座で例の如く道に迷い迷い家に帰り着いた。
痛みはだいたいもとのままそれ以上酷くならず、出血は止まっていなかったが、部分消毒しシャワーで洗い流し、ま、以前に自転車同士で正面衝突の時よりはうんと軽くいまのところ済んでいる。その気なら、あすもまた乗れるだろう。
乗り物のこととて、いずれは怪我がある。事故もある。少しでも数少なく軽微で済むようにと気を付けてはいる。走れるうちは走る気でいる。
2009 7・15 94

* 夜前は熱帯夜に負けて眠れず、明け方まで本を読み続けていた。
臼井吉見『安曇野』三島由紀夫『禁色』吉行淳之介『短編三つ』永井荷風『腕くらべ』里見トン『多情仏心』夏目漱石『行人』沼正三『傷ついた青春』福田恆存『国木田独歩』ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』エッケルマン『ゲェテとの対話』『今昔物語』「夢寝覚物語』『芭蕉』『隅田川の文学』そして『旧約聖書』さらに『バグワン』。一冊も欠かさずズンズン読んで行った。
頭にはいるのかと問われるが、この方が頭に入る。走り読みしないから。
そして無類に相対化される。いま、どれもかもとても興味深くおもしろく読める。
ただ、暑かった。寝入ったのは五時かく、十一時ごろまで寝ていた。

* まだ本を送り出している。
運動もしなくては。
三時過ぎから、昨日と同じ道を走り、途中、この洒落た建物の喫茶店に一度入ってみたいと思っていた店で、ダヴル・エスプレッソを。
さらに欅並木の道を清瀬市から新座市へ走り、昨日転倒した現場をしかと見確かめ、志木街道をまっすぐまっすぐ志木駅まで走り通してから、荒川土手はあきらめ、帰りは平林寺大門前の道をまっすぐ新座市役所前へもどって、またしても少し道を迷い気味だったが、無事、正味二時間余の走行を終えた。血糖値は105。正常値ながら、もう少し低いと良かったが。
繃帯した怪我の左膝下はむろん痛むけれど、ペダルは自由に踏めたし、左肘下の擦過傷も乾いてきている。入浴して繃帯を新しくした。ひどい怪我でなくてよかった。
2009 7・16 94

* 明日も明後日も、ドクターに、叱られに行く日で。早く寝よう。来週後半から月末まで、ゆっくりできる。
2009 7・16 94

* 睡かったが早起きして、聖路加へ。十二時半の予約だったが十二時前に診察室に入った。幸い今朝は血圧がむしろ低いめに安定していた。血糖値等は前回に変わりなく。体重を減らせとだけネジを巻かれて失礼してきた。十二時すぎには病院を出て。
鮨の「福音」でゆっくり酒と肴。鰈の薄づくり、烏賊のつくり。秋刀魚のすてきに脂ののったつくりがすばらしく美味かった。赤貝、エンガワ。それから一貫ずつのにぎりで穴子、雲丹、大トロ。いい店のいい昼飯だった。

* 築地から千代田線で北千住へ隅田川を越え、さらに東武伊勢佐木線に乗り換えて堀切でおり、広大な荒川放水路の土手に上がった。
ここは隅田川と荒川とを二、三百メートルもあるかないかの綾瀬川が繋いでいる。隅田川は千住大橋からまっすぐ東へ来て、この汐入でほぼ直角に折れて南流する、その角のところで綾瀬川が東を流れている広大な荒川放水路と、ちんまり結ばれている。
ぎらぎらの夏の日ざしをあびながら、墨田という地名の土手下をしばらく歩いて、多聞寺の毘沙門天に参ってきた。区の最も古い建造物だと云うが、境内は爽やかにこぢんまりと静かであった。
そこから小路を西へ抜け出て、夏日の申し子のように黄金色の日光を全身に浴びて墨堤道路へ出、白髯公園に添って水神大橋まで歩いた。梅若塚や木母寺などへ寄りたかったが、左脚が痛い上に腰も痛くて、そろりそろり歩いていたので、上に下に広らかな隅田川汐入の眺望を橋から楽しみ楽しみ、さて、もう歩きつづける元気なくて、来たタクシーに乗り、浅草へ戻った。女の運転手、梅若塚も知らず待乳山聖天も知らず、これにはガッカリした。
雷門から仲見世は例のたいへんな雑踏、どう帰ろうか知らんと思案のうちにも足はそろりそろりお寺の方へ向いていたので、何を急ぐこともないとゆっくりゆっくり人波のなかを泳ぐようにし、ワキ道へも逸れて、伝法院通りで大黒屋に入った。
残念ながらここの天麩羅は好みの揚げ方でなく、大海老三本と大きなかき揚げがいまいち口に合わなかった。このごろ何故かビールも口に合わない。
店を出てひさびさに古書店に入った。なかなかの店で本が揃っていた。なんとわたしの豪華本で無検印の『四度の瀧』も澄まして書架に並んでいた。まっさらではなかった。
目に入った阿川弘之著上下巻の『志賀直哉』がきれいな本だったので買った。前から欲しいと思っていた。
もう歩けそうになかったので国際通りから鶯谷駅へタクシーで行き、保谷までも幸い坐って帰った。駅でタクシーが待っていてくれた。

* 転倒して怪我した脚を、二日自転車で、三日目も街歩きで少し痛めつけたかも知れない。擦過した左肘の傷諸島は、太い彗星の尾長のようにもう乾き始めているが、膝下の剔れは浅くない。幸い腫れていないし、内出血のしみもない。膝関節には響いていないのが有り難い。
2009 7・17 94

* 暑さのせいか、心身のネジがほどけたよう。ホウッとしたまま、働かない。
2009 7・18 94

* さてわたしの左膝下の負傷は、屈伸の頻繁な箇所であり、表面的ではあるが屈伸につれかなり痛む。乾燥剤で乾かした後をいまは一種の絆創膏で密封しているが、伸び縮みごとにズキズキ痛む。左肘の外側は、もう乾ききって何の痛痒もない。
2009 7・19 94

* 脚の怪我は、想っているより良くないのかも知れない。だいたい「痛み」というのは、自然に退くものだと思うが、同じ傷口の痛みが執拗に続いている。発熱もなく全身に及ぶ故障は感じていないが、傷口の周囲へ腫れと発赤が、あるといえばある。左下肢にむくみが出ていると謂えば言える。顕著には要するに「傷の痛み」がある。妻の薦めを聴いて今日医者へ行くべきだったか。それも堪らなく億劫だった。破傷風、あるいは壊疽などだと困る。
二十五日に浅草の花火と聞いているが、今年は行けそうにない。太左衛さんにあらかじめお断りした。往きは行けても、帰り、浅草から鶯谷駅までがこの脚では歩けまい。痛みを庇うと腰の痛みがきつくなるだろう。
そんなことをいいながら、自転車に乗ろうかという気も起きたりする。走る分には幾らでも走れそうな気がするが。
2009 7・20 94

* 昼と夜との間に二時間近くも間があり、茜屋でゆっくり休憩のあと、タクシーを拾って勝鬨橋を渡り、晴海の方から大回りして、また佃大橋を渡って戻るという小ドライブを楽しんできた。
あれもこれも、楽しく。ただ、脚は痛かった。
2009 7・21 94

* 歩行という負荷が脚傷の痛みを呼び覚ます。寝ている間は、また目覚めても、傷を自覚していない。幸い発熱はない。他に自覚的な不都合はあらわれていない。思案して、午後、予約通りの眼科をまず済ませてくる。堪えが利くようなら、診察後にまた地下鉄でどこかへ移動し、河を観てこようか。

* 眼科医がまた代わった。十二時半に簡単な検査のあと、約束の一時半には診察も会計も終えていて病院の外にいた。診察は二分とかからなかった。次の四ヶ月後は視野検査もしなくていいと。
脚さえ問題なければ隅田川歩きに絶好の場所だったが、帰ることにした。池袋で途中下車し、「伊勢定」で蒲焼の昼食。帰宅後、昼寝の誘惑に負けて寝てしまう。昼寝どころか、十分寝た。よいよい。
2009 7・22 92

* 脚、すこし、すこし良いように感じる。発熱はない。階段の昇りもほぼ普通。降りの辛かったのが、保谷駅まで帰り着いたところで少しラクかなと感じた。左膝をついて起つことはできない。
2009 7・22 94

* 熟睡、寝坊。いやな夢も観ないで。安心して眠れるのはありがたい。怪我も寝ている間は何でもない。傷の痛みは表面的。
2009 7・23 94

* 脚は、ちっとも快方という感触ではない。とらわれている間は治るまいと思う。
2009 7・24 94

* よく晴れている。脚も、少なくも悪化せずにやや軽快の気味にある。膝下の傷は、譬えれば硯のように見える。浅く廣く表皮を喪った箇所と、深く剔れた箇所と。擦過というよりがつんと強く地面に打ち付けたらしい。血まみれになったズボンの生地が殆ど破れていない。
いずれにしても痛みは痛みとして、傷全体は乾いてきている。心持ち狭くもなっている、周辺にまだ赤い座はもっていて其処にも痛みがあるけれど。もう空気にさらして乾かしてしまおうと思う、ときおり滅菌消毒しながら。
2009 7・25 94

* 脚の傷に乾燥剤を吹き付けると傷口が強張り、場所が膝のすぐ下だけに患部の伸縮するのが痛い。単に歩行する分にはほとんど支障も痛みもないが、階段を降りるときだけ屈伸がこたえる。乾燥剤をやめて、今は傷口をそのまま外気に晒している。乾いて肉が上がり皮膚が出来てこなくては治らないのだろうが、ときどきシャワーで洗って湿してやる。歩く分には、脚が伸びている分には問題ないので、鬱気を避けるためにも日盛りにめげず電車に乗ってくるといいのでは。
熱中症の季節だ、帽子を買おう。わたしも、帽子をかぶろうとした若い時があったが、妻も子たちも、いつも、似合わないと大笑いしていつのまにか捨てられてしまう。似合おうなどという欲はテンと無いのであるが。
2009 7・26 94

* 六時起き。血糖値、110。

* わたしの怪我は漸く癒えて来ています、歩行に不都合なくなっています。心配かけました。
わたしの日々は、いやもおうもなく今日明日から近未来への不快を気力で凌ぎながら、懸命に仕事(稼ぎ仕事ではありません。)と読書と楽しみを創造することです。「いま・ここ」を生きて行くだけで、振り返る過去は、自筆年譜や、鱗をあらう清流へ流し去ってしまいました。良くてもあしくても、生活は「いま・ここ」の建立以外にありません。楽しもう、としています、どんなに不愉快な日々でも。
2009 7・27 94

* 歯科医へ。左方にやや違和感と痛みの起きるのを自覚して。いずれ歯周病の問題だと思われる。

* 「リオン」で、旨い昼食。「暑中見舞い」に風味のおもしろいフランスワインのロゼをサービスされた。わたしはさらに赤をもらう。炭水化物をよしているのに、つい惹かれてパンを、オリーブ油で。デザートまでおいしく。ゆっくり保谷へ帰った。
2009 7・28 94

* 単純だけれど反復また反復の夢を見て、すこし寝苦しかった。暑くもあった。就寝前の読書がいろいろに寝入ったわたしに「のしかかる」ということは、ある。
2009 7・30 94

* 十一時頃まで熟睡していた。明け方五時過ぎると、妻と寐ている黒いマゴが起き出して、もう起きてよと鳴き始める。わたしの足指や踵を噛んだり掻いたりしにくる。堪らない。障子もひっかくぞと威してくる。夢半分に怒ってやったりするものだから、そのままますます寝過ごして行く。
脚の傷、痛みがときおり薄れて消えている。かと、思うとチリチリ、ジリジリ感じる。手で自分の肋骨下をさぐると掌に当たるように感じる、すこし安心する。体重が増えるとこれが触らない。減ると肋骨縁に掌が触れる。たわいないなあと思いつつ寝にまた落ちている。
2009 7・31 94

*午後ずっと仕事していたが、夕ちかく郵便局へ自転車で走ったついでに、道路建設の都合で近く閉店する酒類専門のスーパーで、日本酒と焼酎とウイスキーとビールとを買って帰った。在庫を「売り尽くして閉店」という。もうかなり減っていた。酒を買うのは妙にうきうきする。店内の音楽につられてか、七十三爺は軽くステップを踏んで棚から棚へ物色していたらしく、レジのおばさんに笑われた。
2009 8・1 95

* 朝七時の血糖値、111。
2009 8・3 95

* 滑り出すように八月がするすると、もう三日。夏バテせぬように。
2009 8・3 95

* 歯医者に行き、「リオン」でゆっくり昼食。妻は九九年ものブルゴーニュのロゼ。わたしにはアルゼンチン産ながらシェフ自信の、赤。実にうまく昼間からたっぷり二杯。わたしは鯛、妻は牛肉。スープも、デザートとエスプレッソも美味かった。

* 機嫌良く、六時過ぎまで三時間ばかり寝る。入浴。露伴や紅葉の文章をおもしろく読み、さらに今井邦子の辛辣な「一葉の噂」話も読んだ。てっきり今日は、休息のようなもので。
おいしく食べて呑む。ゆっくり寝る。湯を浴びる。おもしろいエッセイをほろほろと読んで過ごす。できることをして楽しむ。それでよい。
そろそろ日付も変わる。まだ梅雨なのか明けたのか。天気はめまぐるしく変わるが。
2009 8・4 95

* 熟睡して十時過ぎ。寝起きに握りあわせたわが手の指がすっきり細く長く感じられた。手足のさきにジンジン感もない。血糖値、106。血糖の値はふつう午前中にぐんぐん高くなる実感を持っていて、これは快適な正常値。もとよりインシュリン注射の世話になっての値で、糖尿が治っているのではない、なんとか体調を常態に近く維持してるということ。
油断も楽観もしていない。この病気に一見識ある人ならみな惘れてしまい、なかには顔色を変え窘めてくれるほど、わたしは飲みたいときに酒も焼酎もワインもウイスキーも飲んでいる。食後に少量だが甘いものも好んで求め、口に入れる。体重を慮っていまは炭水化物を控えている(酒類は薬で出来ていると思い除外。)が、他は、好きなものを好きに食べている。嫌いな者はほとんど食べない。時に量多く、時にごく少なく。からだに良いわけは無いのだろうが、この十年ちかく、だいたい横ばいの成績で、ドクターは、糖尿の主治医も、緑内障・白内障の眼科医も、要するに「様子を見て」くれている。なににともなく、ただ感謝。
2009 8・6 95

* いま手に触れた馬場一雄先生の本で読んだ、りっぱな小児科医であった馬場先生には、当然のように各誌が独特の健康法を問うて来たが、記事にされた例はなかった。
「飲み放題、食べ放題で、ゴルフもジョギングもやっていない」のでは記事にしようがなかった。「無理はよくありません。威勢の良いのもほどほどです。何事にも無理をせず、食欲に応じて食べ、マイペースで飲み、歩きたければ歩き、疲れればタクシーを拾うのが、たとえ雑誌の記事にはならなくても、最良の健康法だと固く信じています」と。
先生は大正九年(1920)生まれ。九十歳。この本『花を育てるように』(東京医学社)は、自身編輯された新刊。各種学会の学会長を十度務められている。

* 膝下の傷は小さく、浅い淡路島ふうの池のかたちに乾いているが、チリチリ、ピキピキした痛みはある。いつごろだったろう、もう長い期間になる。池の周りに一糎弱幅の薄紫の座がある。「無理はよくありません」のクチかしらん。しかし次点者で走ること自体は楽しみに類している。気も晴れる。
とにもかくにも毎日じりじりと幾つかの仕事が前に進む。そんな日々でよいと思う。
2009 8・10 95

* 明け方五時過ぎに地震を感じて身を起こした。豪雨と地震と台風と。日本列島は、厳しくなにかしら追糾されている。

* せめぎあうようにいろんな思いが「いま・ここ」で錯綜し、バラつくことなく一つに固まりながら膨れている。どの要素も成分もわたしとしては「いま・ここ」のもの、おろそかに出来ない。

* しばらくは、自分自身とストラッグルの、ややこしい日々がつづくだろう。一つには月末の選挙を、息を詰め待っている。ま、ガマンの日がつづく。

* 颱風は逸れていったが雨の被害は尋常でなく、そのうえの地震がひどかった。
気勢を殺がれたように今日は、いま一つ心ゆかぬまま一日が過ぎて行く。明日は歯医者。
2009 8・11 95

* 朝から体調違和、いったんバス停まで妻と出て歯医者に通う気でいたが、来るバスを見ながら断念、独り家に戻った。血糖値は101という良好の正常値。暑さに負けているのか、食あたりか。ま、休息せよという天の配剤。
2009 8・12 95

* なんとなく危ないと懸念していた、が、一時四十分、電動自転車で出て、朝霞からもうすぐさいたま市に入ろうかというところで、原因分からず転倒した。前回転倒と同じく、同じ左の肘裏と、全く同じ左膝下を怪我して流血。かえれるだろうと判断し、そのまま帰路について二時間で帰宅した。
脚をついて踏ん張れるはずが転倒に到るのは、電動自転車のハンドル幅が、これまで乗ってきた自転車のハンドル幅よりかなり狭く、咄嗟に重量ある自転車そのものが制御しきれなかったからだと想う。ハンドル幅が広いと、たやすく自転車の車体も制御できる。
なににしても治りにくい左膝下傷の殆ど同一箇所といえるほど真隣を傷つけ、前回以上に流血。ま、これも体験。
少なくも傷が治りきるまで、自転車運動を休止。「歩く・歩く」方へ切り替えよう。

* 暑さに負け、引っ込んでいた。それで、少し気にしながら自転車で出たのだった。暑さも日照りも苦にならず、むしろ心地よく夏を浴びていた。ただ、車上物思うことの日頃より多かったのがよくなかった。
明日は、プリントした原稿という荷を抱いて、冷房の効いた電車や店で「仕事」をしてこよう。あたまのなかに「課題」が煙のように渦巻くばかりでは、気が欝してしまう。
2009 8・13 95

* 今日も暑そうだが。

* 左膝下の傷は貼ったゴムをかすかに漏れて出血していたが、微量で、歩行にも大事なく苦痛もなかった。左肘下の擦過傷も問題なく。見た目はかなりらしいが、本人には幸い視線の届かないいわば腕の裏側で、何の苦もなかった。それよりも今日は適度の曇りようで、蒸していたがしのぎよかった。まして乗り物や店の中は冷房が何処も効いていた。夕方に都心へ戻ってきて、今日はゆっくりしようか時間もよしと豊洲へ出向いた、のに、めざす「おおもりや」は「盆休み」と。これにはガックリ。
エイと、仕方なくタクシーを拾い銀座四丁目まで。目の前の「竹養亭」にはいったが、注文を間違え、蒲焼きの他に茄子や南瓜や人参の煮物鉢などついてしまった。酒もいまいちで。で、出てから直ぐ近くの地下ライオンに席をみつけてチーズでエビスビールを一杯ゆっくりのんで帰ってきた。
妻の宵ピアノがちょうど済んでいた。
2009 8・14 95

* 幸いいま用いている貼り伏せのゴムが優秀なのか、膝下も肘下も痛痒無く経過し歩行にも動作にも違和感はない。繰り返していると骨に損傷や大怪我が出るとまずい。注意します。
2009 8・15 95

* 自分が息をしていないのに気づく。気づくとフウッと息を吸い込み、吐く。暑いからか、疲労か、年のせいか。もっと別のことかも知れない。バグワンはいつも呼吸を耳で聴けという。自身の呼吸がハアハア聞こえないように静かに静かに息をせよと。いつか呼吸が止まっていると感じるときがある、それを懼れるなと。

* 膝下の怪我が小さくなって。体液を出すのを密閉してあるが、密閉のかすかな隙からあふれ出ることが、無くなってきた。肘裏は、密閉を剥がすとウソのように治っていた。
炭水化物の摂取を抑えていると、食べものが払底する。買い出しに行く。減量効果は、不明。ながい体験でいうと、減量に有効だったのは炭水化物の遠慮だけ。お酒、炭水化物ですよと笑われているから、あまり期待できない。クク

* 昼過ぎの一時間、駅近くまで用事もかねて食料を仕入れに。腕二本に持てる嵩は知れていて、日盛りを歩く勇気はないから、往きはバスで、帰りはタクシー。ま、美味い鯛のやきもの、浅蜊の汁など、こましな晩飯にありついた。美味い「獺祭」の二本目もカラに。

* 余は「仕事」の連続、やがて十時半。そろそろやすみたい。出口孤城さんの句五十、「老いの遠巻き」と題して「e-文藝館=湖(umi)」に戴いた。
2009 8・20 95

* 六時半の血糖値、101。よく冷えた甘い梨で、朝食。    2009 8・21 95

* 六時半に血糖値を。103。睡いなあと亦寝。娘や幼い孫達や、妻も息子も一緒に、さんざめいて外出し買い物を楽しみ食事に賑わう夢を機嫌良く見続けていた。
目を明くと、おやおや、午。むうっと蒸し暑い。血糖値、120。食べずにただ寝ていても午前中は自然と値高くなる。
2009 8・22 95

* かねてドクターストップも。インフルエンザの危険、身に迫ってくる。大事を取って「九月秋場所」を遠慮すると相撲茶屋に連絡。

* もう今日は余力無し。やすむ。
2009 8・23 95

* 奇妙奇天烈と謂う、奇天烈な夢を見ていた。どこかに大きな茶会があり、待合代わりに雨天体操場めくひろい場所に大勢で席入りを待たされた。三好徹さんと同席していた。待つ間に手洗いに立って置こうと。そんな夢を取り巻いてなんだかブツブツ呟き続けながら算数を解くような俳句をひねるような言葉が浮遊していた。やれやれ。

* 出かけたいなと思っていたが、昨日、ひどく疲れたようで寝起きもぼんやりしていて午になった。
2009 8・24 95

* 秋めく気配。すこし早すぎないか。こんなものか。午前中に、歯医者に。
2009 8・26 95

* 昨日さしたることもなく機械の前で鼻血が溢れ、洗面所までに掌に溜まるほど。入浴後、つねのように仕事を始めてもなにか浮かぶように全身に力なく、機械の前をそのまま離れた。熱はなかった。いつもと同じように本をたくさん読んで一時頃寝に就いた。
寝覚めの前しきりに夢に「トンコ節」を謳っていたようだ。熟睡したと謂える。十時。血糖値110、正常。昨日今日、涼しい。
ながい、気むずかしい仕事へこの二三日集中していて疲れたのだろう。昨日妻と近くの郵便局へ用事で出たときの物凄い照りつけに二人とも当たり気味でもあった、あれで、ひどい疲れを覚えた。
いま、涼しいが、風邪気味などは無い。
2009 9・2 96

* もう一晩、用心して、はやめにからだをやすめたい。
2009 9・2 96

* かすかにかすかに間歇的に頭痛がある。森下辰男君にもらったライヴ盤のジャズ音楽「MJQ The Last Concert」に励まされながら、難しい仕事を続けている。
2009 9・3 96

* 妻が聖路加へ出かけている間、家で機械に向かい続けていた。いまは仕事じたいが、じっとガマンの時。手を止めず意識も中断せず。目を大事にして。
2009 9・3 96

* 頭が痛くなるほど 考え込む。すこしでもよかれと工夫し考える。また考える。頭が痛む。もう、今晩はやすむ。
2009 9・3 96

* 散髪。昨日に次いで今日も、酒など飲まずにいる。手近な瓶が全部カラになっているので。

* やや、息をつめる感じに、二、三日を過ごしている。やすんでも、怠けてもいない。分散したくないのだ。分散するくらいなら、寝てしまった方が今は良い。
2009 9・4 96

* ぷりぷり太った真裸の赤ちゃんが、まちがいなく建日子が、元気に畳の上をくるりんくるりんと転げて遊ぶ夢を観た。

* 夜前、手足がぞわぞわっとし、おやおやと思い血糖値を測ってみると、72。低すぎるので、砂糖とバターのパン一枚を食べて寝た。今朝は110。値は正常。涼しい朝だ。反射的にかるい体熱を自覚。

* 歯医者に通う。寄り道せず帰る。三日、酒を飲まず。酒が抜けているとからだは軽い。からだが明るいという実感を書いたこともあるが、この方が当たっている。かわりに控えていた炭水化物の冷や素麺を卵で食べた。
2009 9・5 96

* 視力が衰えて、長時間の仕事に差し支える。

* 終日、仕事。疲れた。
2009 9・9 96

* 血糖値112。良好。乱視がすすんでいるか。眼鏡をみな一新したい。検眼の確かな店にしたい。
2009 9・10 96

* それぞれの言葉と仕方で励まして下さる。感謝。
幸い、やっと膝下の怪我も乾ききった。痛みも刺戟も失せ、あまり綺麗でない痕跡がのこっているだけ。性懲りもなく、少し自転車で駈けてこようか。

* 自転車、一時間二十分ほど、黒目川ぞいを往復してきた。さすがに川遊びの人はなく、遊歩道を往来する人も乗り物もすくない。夏草は丈高く伸びて秋風に豊かに傾き、川の水の透き通ってきれいなこと、ふっと気を吸い取られそう。
珍しく帰りの逆道を見失うことなく、小径の曲がりまで一つも間違えずに帰ってきた。途中の和菓子の店で、きんとんなど買った。
2009 9・10 96

* 秋。昨日自転車で川沿いを走っていて、しみじみ秋の空気を感じた。川水の澄んでいたこと。茂っている夏草たちも日増しに枯れて減ってゆくだろう。川沿いにはいたるところに小憩のベンチなども小さな遊び場もある。走ってばかりいないでその辺に腰を下ろしたり、寝そべったりしてくるのも、運動にはならなくても、心地よいだろう。まだ寒くはないし。
2009 9・11 96

* 六時半に目覚め、しばらくそのまま。起床、血糖値116。  2009 9・14 96

* 歯医者へ。
帰りの脚を上野へ向け、「ローマ・ポンペイ展」の西洋美術館に入り、まず「すいれん」で、樹々と枝葉と落ち着いた壁との庭を長めながら、ワインのある昼食。ついで展覧会を観た。ま、想っていた程度の出展で、絵画より彫刻、彫刻より工藝に目を向けた。超弩級のガラスの骨壺が在った。
2009 9・19 96

* はだしで穢いところへ入って行く夢で目覚めた。目の疲れでなかなか起きあがれなかった。十時。朝のこの時間としては血糖値、低かった。疲労が溜まっている。心労はないが「仕事」の上で難しい判断や選択にいろいろ迫られる。一つもゆるがせに出来ず、むろんリスクも負うている。簡単なことでない。
2009 9・24 96

* 蒸し暑い。昨日は食べ過ぎ。血糖値ハネ上がる。
2009 9・26 96

* 六時に目覚め、ひとりキッチンのデスクで仕事。食パン一枚とミルク。朝のテレビはもっぱら鳩山総理と民主党関連の話題。
2009 9・27 96

* 小さな缶ビールの二本に身を任せ、寝てしまった。大相撲の三役揃い踏みに間に合い、本割り白鵬の快勝、優勝決定戦には朝青龍の決勝、二番にそれぞれ敬意を覚えたままテレビの前から離れてきた。
2009 9・27 96

* 十時の血糖値111。上等。
2009 9・28 96

* インフルエンザに触れて医療のほうのマイミクさんが書いていた。少し以前の記事とはいえ、参考にしたい。

☆ 急に患者数が増えている。   珠
そして、ついに一緒に働く医師が発症。はからずも自分自身が濃厚接触者になってしまった。流行が始まって、出勤前の体温測定は全員実施していたけれど、追加して5日間のマスク着用・食堂の利用制限など。
発症する覚悟を決め、仕事の手配もして、引篭もり用食料などを買い込んで。帰宅するとスタッフから「発症」したと連絡、とうとう明日からの診療も厳しい状況になった。一週間、何とかしなくては。。。少ない人数でやれる方法を考えなくちゃと思うけど、連日の疲労感もつよく、ぼーっとして頭が働かない。まいった。
免疫が無いのだから、あっという間に感染する、と分かっていても、とにかく驚く感染力。次々の報告に、ため息がでる。多くが軽症で済んでいるが、問題点も多い。
気がついた点、以下に羅列してみる。
・ 通常季節に流行するインフルエンザより、ウィルスの増殖が遅いためか、発症までに時間がかかっている様子。(職場の発症者と最終接触から2~5日で発症者がでる。)
・ 感染から発症までの間、症状が乏しい。ちょっとした咳、軽い風邪程度の人が結構いる。その間、人に感染させている可能性がある。
・ 免疫が無いためか、若い人には高熱がでている。ただ、インフルエンザ゙判定キットで検査しても、ウィルス量が少ないせいか当初は陰性になるケースがあり、診断に苦慮している。(医療ニュースではキットの検出率は50%程度らしい)
・ WHOは、診断キットの使用は紛らわしく判断を遅らせる可能性があるので、疑わしければ積極的にタミフルなどを処方すべきという見解を示している。しかし、若い人へのタミフル投与は「厳重注意」となっているため、判定キットが陰性で基礎疾患もない人に、積極的に処方する事に医師も迷う。結局、発熱した患者で数回受診してようやく陽性となり、それからタミフル処方になるケースがあり、本人の肉体的・経済的負担が大きい。
・ 通常の季節性インフルエンザ゙では、解熱剤であまり熱が下がらない。だが現在流行しているインフルエンザでは、消炎鎮痛解熱剤で解熱している場合が多い。しかし、翌日には再び上昇するなどして、下がり続けてはいない。市販薬で解熱剤を服用して下がった、、という患者の説明に、それならインフルエンザではなさそうだ、、とされてしまう場合がある。
・ 現在出されている治療指針では、療養日について、発症から7日間または解熱した翌々日までとなっている。この両方の差が問題。タミフルなど服用すると半日~1日で解熱する。解熱が早いので、翌々日は未だタミフルなど服用中となってしまい、未だ人に感染させる可能性がありそうでも OK と言われるなど、復帰への判断に差がある。

皆さんも、密閉された空間や人混みには、くれぐれもご注意を。
ひとまず、体温チェックは相当有効。症状がなくても微熱が出始めた時は、要注意。今回は、かかることの怖さより、社会生活維持への問題点の方が大きいので、家庭や職場の危機管理体制見直しに良い機会と、、考えようと努めています。
何より大切と思うのは、怖がりすぎず、侮らず、少しの警戒心をもって日々丁寧に生活すること、でしょうか。
消毒もよいですが、こまめに流水で洗うこと、これが一番です。きれいな水が蛇口から流れる国でよかった、、と思いながら洗って下さい。
2009 10・2 97

* 夜前、余儀なく就寝遅れ、読書と校正とでさらに遅れ、今朝の寝覚めも少し遅れた。田原総一朗の番組で、天下りと官僚の問題、聴いていた。元大臣、中川昭一氏の急死を知る。
2009 10・4 97

* 秋たけなわ。十月歌舞伎、俳優座公演、建日子の秦組公演、国立劇場の乱歩歌舞伎。暫くぶりの聖路加診察もある。いいことも、不愉快も、ある。織りなし織りなし生きの緒が編まれて行く。
2009 10・4 97

* 朝、血糖値88。
2009 10・7 97

* 非常に強い颱風が迫っている。上陸は必至と。明日朝の東京はひどいらしいが、出かける。明後日も出かける。

* さ、今夜は颱風襲来を待ちながら、はやく床に就く気。
2009 10・7 97

* 朝、血糖値90。 夜通し雨、今は風。それでも今日は、歌舞伎座「昼の部」を楽しみに行く。午後には颱風は通り過ぎているという。
2009 10・7 97

* 昨夜、血糖値55に降下、糖分を補強して寝た。今朝七時半の血糖値105。晴れて明るく風もない。

* 聖路加での糖尿診察、諸数値良好で、ドクターは「よしッ」とご機嫌。積極的に現状維持して、次は新年の診察になる。「福音」で八海山の冷酒、少量のうまい肴と鮨で昼食した。雲丹などのにぎりの美味かったこと。
直ぐ足もとの築地から銀座まで出て、今一度、「ライオン」でビールとソーセージ。コーヒー。
思い立ち、車で勝鬨橋西づめまで行き、念願のまま歩いて勝鬨橋を越えた。橋から上流へ超高層ビルが林立し、空は台風後のまだいささか荒っぽい雲行きが大きな景色をつくっていた。しばらく見飽きなかった。
渡り終えやがて左折して、月島橋、もう一つ新仲橋を歩いて渡り、月島商店街を佃の方へ通り抜けた。聞いたとおりの「もんじゃ」「もんじゃ」「もんじゃ」の店ばかりが並んでいて呆れるばかり。とはいえ植木や植木鉢のみずみずしい翠に繍い取られたような長い細い抜け路地なども通り抜けまた通り抜けて、おもしろかった。一軒ぐらいあの店通りに洒落た汁粉や善哉や蕨餅など甘党の店があったならきっと足を休めたのになあと思う。
長い長い佃大橋を築地明石町の側へ歩いて渡った。今日は隅田川の橋を新たに四つ越えてきた。地下鉄新富町の駅構内でコーヒーを呑み、頼まれていた食パンを買って、一路帰宅。
終始車内では、臼井吉見『安曇野』第三部に読み耽り、余すは数頁。
風はすこし、天気はよろしくて、まずまず好散策。
2009 10・9 97

* 夢見が目覚めにうまく重なって。血糖値105。夜前55まで下がり、寒気とふるえを感触、すぐ糖分補強で対応。
2009 10・10 97

* 八時半の血糖値、111。このところ良好。
2009 10・12 97

* 自転車転倒で、左膝下に二度相次いで同じ箇所を負傷したのは、もう何ヶ月も前。すっかり痛みも消え体液の滲出も乾ききったが、傷ぐちの皮膚一帯が数糎四方黒ずんでいる。そしてこの一週間十日ほど前から、かすかにチリチリ、チリチリと、痛いというではないが奇妙に感じられる。これは、何だ。似たことをマイミクの珠さんが「mixi」に書いてられた。骨深部に違和が無いといいがと思う。不自由も苦痛も何もないが、傷口の辺になにかの感触が働いている、ごくごくかすかに、いつも。それで、つい、自転車に乗るのも避けてしまっている。
2009 10・14 97

* 少し疲れている。大量で気の抜けない校正漬けの連日だったから。
三好君の急逝にも、心身おどろいている。心身をやすませておかないと、やがて出来本『凶器』の発送に、いつもの倍の体力・気力が要るだろう。
2009 10・16 97

* 近くの病院はちっとも楽しくない。それでも前立腺癌の検査を受けてきた。
待合で、荷風の『すみだ川』を愛読していた。この作の自然描写は荷風の全作品の中でも一等しっとりと水気を帯び、懐かしい。一葉の『たけくらべ』を思い出させもする。
2009 10・16 97

* 七時四十五分の血糖値、101。良。
20009 10・19 97

* 七時五十分の血糖値、96。夜分手洗いに立つつど水分を摂っているのが効果を見せている。
2009 10・20 97

* 夕食のあと、じつは潰れたように寝入って八時に目が覚め、入浴したが、かすかに湯の中で温まりきらない感触が背中などにあった。印刷所からの連絡で、明日から週明けまで、いや日曜日まで、一気にめちゃくちゃ忙しいことになるらしい。違和をつよめてはならず、今晩は早く休む。
2009 10・21 97

* 八時前の血糖値108。
岡田外務大臣の話を聴いたり、新郵政公社社長に関する情報を聴いたり、いま報道番組で耳をとめて聴くのは政治関係が多い。藝能タレント関係は、タクサン。
2009 10・22 97

* おそくまで本を読んでいた間に血糖値75まで低くなり、寝にくいので、起きてすこし口にものを入れて寝た。
荷風の『雪解』まずまずの佳編。ひとかどの商人だった男が、おちぶれて二階借りしている時分に、昔振り捨ててきた女房子供のうちの、娘と、はからずも湯やで出逢い、娘に労られるように酒を飲んで涙ぐんだりする風情がよく書けている。男の身で女から自然と顧みられなくなる侘びしさをしんみりと表現している。「此の世」を感じる。
次いで『濹東綺譚』を読み始めた。さすが、これは素晴らしい出だしで、快調な出逢い。荷風作品は、ご当人も云われるとおり背景の描写が人物を喰ってしまうぐらいだが、この作ではヒロインの登場があざやかに印象深い。運びが生き生きし、人も生きている。
2009 10・24 97

☆ ご無沙汰しています。  珠
昨日は冷えたところに雨まで降ってきて、出かける気も失せて家で過ごしました。左膝は前日から少しひきつる感があって、朝から鈍い痛みに変わっています。
どうやら天気、、とも関係ありそうです。。湖の膝は、いかがでしょうか。その、古傷を思い出させる主張とでもいう信号に、湖の膝は、、と想うのです。これ、糸電話のようなものかと。
夏、鏡花の舞台の日、ブザー鳴るなかお見かけした姿に、もしや、、と思った嬉しさで、メールを書いたつもりでしたが。フェアでありたいから、黙っているより伺ってみよう、、と思ったのですが、あの日偶然あの場所でお見かけしたことを、出逢いと思うか、すれ違いと感じるか、、ですね。ささやかな出逢いを、心の張り合いに過ごすうち、時にその張り合いは自分勝手な感覚だと、ヒヤリ、と身に沁みる、そのようなことなのでしょう。
仕事は当に今、、とばかりに慌しいのですが、夏からずっと、多くの対策準備をしてきたので、今は忙しさの中身が主に肉体労働に変わってきました。これからしばらくは、昼間は体力、陽が落ちて後は知力を使っての仕事になります。私たちの慌しさは人の病に伴っているので、日日に、早く落ち着いた時が戻ってきてほしいと、祈りながらの仕事です。
湖は、来月1日から接種開始となる優先接種対象の疾患です。聖路加病院に問い合わせて、是非接種された方がよいと思います。予防効果より悪化防止のために、次回受診を待たず、早くをお勧めします。
私、兎どし、です。
ぴょんぴょん跳ねて飛ぶままに、、ですが、人から、実は兎は案外凶暴、と云われたことがあります。赤い目をして、哀しく怒る兎かもしれません。
湖。寒くなります。くれぐれも、お大事に。

* この人も、なぜだかわたしのと同じような位置で膝を怪我し、治り、そして治りきらないらしい。
予防接種は、困った。どうも以前の経験からオソレをなし、マスクと手洗いだけで乗り切ろうかと思っていた。
2009 10・25 97

* 七時半の血糖値、104。
2009 10・26 97

* 颱風一過ふうの晴天、血糖値は103。このところ数値を安定させている。今日は、わたし、暫くぶりに歯医者へ。用は、要。すべて堪えて、済(な)しておく。

* 歯医者の帰り、「リヨン」て゛うまい昼飯。前菜、スープ、主菜、デザートそして赤ワイン。どれも申し分なかった。シェフともすっかり馴染みになり、とても落ち着く。

2009 10・27 97

* 法律事務所からの大量文書、昨夜に全部プリントしておいたのを読んだ。事務所へも、返辞をした。
疲れて、夕食前、倚子でうたた寝した。夜分は予定の用事をこつこつと。この用事の時には、日本語の映画をそばで流しておくのがいちばん効率がいい。今晩は渡辺謙がいい仕事をしている「硫黄島からの手紙」を。切なかった。

* 体力をかばいかばい、いまは余計なことは何もしない。
2009 10・27 97

* 前立腺癌のための血液検査の結果を近くの病院で聴いてきた。全く問題なく「きれいなものです」と、あっさり。
待つ間に、荷風の『濹東綺譚』を感嘆・称讃の嬉しさで、読了。かけ値なく「名作」と呼べて、懐かしい。むろん誰しもに、たとえば作家である息子の秦建日子にもひとしく同じ讃嘆を求めることは出来ないだろう。候べく候の書簡があったり、風情の漢詩や新体詩が点綴されていたり、泥溝(どぶ)の臭いと蚊の雲集する玉ノ井の娼家・界隈といい、そもそも泥濘(ぬかるみ)をしらない今の若者にはあまりに風情がちがっている。しかし、娼妓お雪の像は生彩をえて美しく、作者に擬してもいい初老文士の境涯といい、時代を超えて生きている。
むかし谷崎の『吉野葛』を読み、こういう小説が書きたいと少年ながら憧れた。もしあの頃に荷風の『濹東綺譚』を読んでいたら、まちがいなく、こういう小説が書きたいと憧れたに相違ない。随筆のように入って作中に作が重なりながら、自在に風趣に乗じて述懐を惜しまない。むろんわたしは今でも、こういう風に書きたいし、書きたい材料をもっている。余儀ない雑事に煽られて殺風景にも日々を凝視して生きているのは、それはそれで大切だが、『濹東綺譚』や『吉野葛』のようにしみじみ夢に遊びたい気は些かも失せていない。
このところ荷風の花柳界ものを幾つも読んで、かならずしも共感しなかった。わずかに『すみだ川』『雪解』を懐かしみ、分けて『雨瀟瀟』に感嘆したけれど、『腕くらべ』『あぢさゐ』『つゆのあとさき』『ひかげの花』など藝者もの、女給・・街娼・私娼ものには美感も共感もそそられなかった。むしろ疎ましかった。
だが『濹東綺譚』は清く光っていた。山本富士子の演じたお雪の稀有の好演が眼にあったのも乗りを助けているが、あの映画で男をだれが演じていたかまったく思い出せず、すべて焦点はお雪に結ばれていた。荷風が初めて一葉『たけくらべ』の「みどり」に並んでいい女を発見したという嬉しさ。いま、わたしは感傷的なまでジンジンして読後の時空を楽しんでいる。男と女との出逢いも美しく、別れ方も胸を打って、よい。逢うのは或る意味で容易だが、別れるのは難しい。その機微を描いて間髪をいれない荷風の達意・達観に哀しいほど心を惹かれた。愛という、この際あまり似合わないかもしれぬ一語の価値を実感させて、憎い限り。
2009 10・30 97

* 朝寝すると一日が短くなる。家を温めることへ気を遣う季節になった。機械の前で、薄着ではないのに、煖房しているのに、膝うえがひやひやする。
2009 11・4 98

* まだ九時過ぎだが、コントロールが利かないほど眠い。寝よう。
2009 11・4 98

☆ 低反発至上主義  少納言
肩こりがひどい。
美容院でマッサージしてもらうとき、
「張ってますね。どこが骨かわかりません」
とまで言われ、恐縮する。眼精疲労からくる首筋から背にかけての凝りだろうと思いながら、就寝時の枕が合っていないのではないかとも疑っていた。
昨夜、試しに、枕を変えてみた。
十年以上使っていた、いただきものの低反発枕から、来客用に買っておいた薄めの羽毛枕へ。
今朝、目覚めてみて、普段よりラクな感じがした。いつもは、半身を俯きがちに起こし、一夜のうちにカチコチに固まった背中の筋をしばらく伸ばさないことには、動き出せないのだけれど。
低反発素材は体にいい、という説に、違和を感じはじめた頃、低反発のベッドからスプリングマットに変えたら起床時の体の痛みがなくなったという記事を読んだ。
低反発素材は、体を沈ませるように受け止めるが、そこに、功があり、人によっては、罪もあるのではないか。わたしの場合、低反発枕に沈んだ頭が、寝返りを打ちたい体についていっていないせいで、無理な恰好になり、首に負担がかかっていると感じたことがある。低反発至上主義を、疑ってみなければならない時期が来ていたのだろう。
薄めの羽毛枕は、柔軟性があり、寝返りを妨げず、ほどよい角度で頭を支えてくれた。
このまま肩こりがよくなってくれるといいけれど。

* 「黒いピン」も関わっていようか。「枕」の厄介には多年悩んできた。一年ほど前から、妻が、当座の工作、手製というにも当たらない幾重にもモノを巻き、ちょうど昆布巻を叩いて平たくしたような低い長枕をつくってくれてからは、著しく首・肩の凝りが減退し、無呼吸睡眠からも抜け出した気がする。
それにしても、「低反発至上主義」という言葉のおもしろさに目をとめる。なんだか、広範囲の人に実例の認めうる「批評」語の気味。これ、使える。

* 髪をかきまぜても痛みはないから、風邪とも思わない。なんにもしないで、日を送り迎えている。かなり長いと思える映画「ドクトル・ジバゴ」を、深い関心をよせて、半ばほど観た。昨日はマギー・マクナマラにウイリアム・ホールデンとデビッド・ニーブンという色男二人が絡みつく、シンプルな会話劇を観た。台本が手もとに在ればいい英会話の練習になりそうだった。
明後日に始まる今度の発送は、常に倍する重労働と分かっている。いまアクセクしても始まらない。
2009 11・8 98

* 明け方の夢に、執拗に同志社を観ていた。いっそ不気味な夢だった。
2009 11・9 98

* 昼間の自分はそこそこ統御できても、夜中夢に翻弄される自身はどうしようもない。なんでこんな夢になるかと思うほど物語がこまかで突拍子なく、思い当たる何もない。いっそ興がればいいのかも知れぬが、夢の中では何もかも解決不能で翻弄されている。
2009 11・14 98

* 朝八時、血糖値88。十分に低い。
2009 11・16 98

* 五時に一度立ち、七時すぎに目覚めた。
2009 11・19 98

* 冬の気配に冷える朝。晴れている。血糖値104。
2009 11・20 98

* 夜中寒気がして、盗汗、あけがたには、ぐっしょり。着替えてサッパリした。

* 快晴の朝。しばらくぶり歯医者に行く。その脚を横浜まで伸ばせるか、体力次第だが、脚便のつなぎがわるい。からだが持ち直せば残る三日の会期中にと思うが。保谷から横浜はかなり遠い。
2009 11・21 98

* 歯医者通いを鬱陶しい一に数える人が多いが、何十年も通い続けていると、場合により散髪よりあっさりと気持ちがいい。
季の歩みはやく、何処の家の庭先も垣根や塀の中も秋過ぎての風情閑散、薄澄んだ空の青を日の光が静かに流れていた。
「リヨン」で昼食、マスターがボジョレーヌーボーをご馳走してくれた。前菜の生ハムも小蕪の泡立てスープも主菜の海老も美味しかった。
保谷へ戻って、めずらしく本屋に入り、なんと古典の中の古典、プラトンの『国家』上下巻を買ってドキドキ。この年になってプラトンを読むかなあと。チラと見て訳がとても読みやすかったので、ためらわず手に入れた。これって、存外元気なのかなあ。
2009 11・21 98

* おかしな夢を見て、寝坊していた。昨日はあんなに快晴、今日は真冬の雨模様。めまぐるしい。
2009 11・22 98

* 書きたいことがいろいろあるのに。かすかな体調の違和も兆していて、もっぱら読書。土曜日曜祭日は、メールも少なく郵便は来ない。
酒も飲み尽くし、煙草はやらず、ぽかーんと方針気味に眺めて楽しむのは、歌舞伎興行のための色刷りのチラシ。
いまも「十二月大歌舞伎」のそれを飽かず眺めている。
めずらしい横長に出来て、夜空に夢のように浮かんだ歌舞伎座の建物が美しい。上に横一列、お馴染みの役者が、めいめいの持ち役の花やかな衣裳姿で、長老芝翫ひとりをうしろへ別格に出し、以下十八人の「連名」が興味深い。右筆頭の勘三郎から、左押さえの三津五郎まで十八人が、順に、こう並んで行く。
即ち、勘三郎、福助、橋之助、孝太郎、染五郎、獅童、勘太郎、七之助、秀調、萬次郎、右之助、猿弥、松也、亀蔵、市蔵、弥十郎、扇雀、三津五郎。 そして芝翫。
もう一列下にはきちっと黒い着物の襟を正して、少年・子役たち七名が可愛い顔を並べている。右から、巳之助、児太郎、宗生、鶴松、宜生、国生、新悟。
みんなちっちゃな顔写真なのに、見飽きないからおかしい。
そして昼の部。
一 操り三番叟  勘太郎が三番叟、さぞ颯爽と初春を祝ってくれるだろう。翁が獅童。
二 野崎村    福助のお光、久松は橋之助。お染は孝太郎。
三 身替座禅   勘三郎と三津五郎で笑わせてくれる。染五郎が太郎冠者。
四 大江戸りびんぐでっど  あのクドカンの歌舞伎舞台への殺到、どんなものかとワクワク。染五郎をはじめとし、勘三郎以下のほとんど総勢が何をしでかしてくれるか。
ついで夜の部。
一 引窓      三津五郎の南与兵衛、橋之助の濡髪長五郎、母お幸を右之助そしてお早は中村扇雀で期待の一幕。
二 雪傾城     大芝翫が、孫・曾孫達をみな引きつれての所作事か。「御名残押絵交張」とある。歌舞伎座さよなら公演である。
三 野田(秀樹)版・鼠小僧  これは面白いものの再演で、大笑い、大笑いのはらはら芝居、演出が楽しめて、勘三郎、三津五郎、福助、扇雀、橋之助たちがもう野放図にハジケにハジケてくれること請け合い。クドカンと野田秀樹のガチンコ初春となる。

* さて。少しく休息した。では、もう少し仕事。
2009 11・22 98

* ときどき、なーんにも考えも想いもしないで放心している自分に気づく。昔なら怠けているのかと不安になったろう、が、いまはそんな自分に安心する。いっぱいしていて、なーんにもしていない感覚は、不安と謂うより落ち着いて豊かな心地。意識して店じまいするのではない。自然に無為の為に入って行けつつあるのならどんなにいいだろう。
だが、単に体調が整っていないだけかも知れず、その用心も大事。
2009 11・24 98

* 聖路加の眼科へ。正午に着き、検査を待ったがラチが明かないので、タクシーで永代橋を渡り清洲橋の東岸で下車。なかなか瀟洒な青い鐵橋。下手を西へ歩いて渡り、上手をまた歩いて東へ戻り、移動して、小名木川の萬年橋を渡った。魅力は、橋も橋だが、隅田川の川浪と澄んで晴れに晴れた秋の空。水は、どこかおそろしくどこか懐かしい。
萬年橋のすぐそば、深川芭蕉庵の旧地が、ちいさな稲荷社になっていた。

* 診察は簡単にものの数分。四ヶ月先に視野検査と。
二時五分には解放され、銀座松屋でおそい昼食。有楽町線の清瀬行きにうまく乗れて、帰ってきた。電車では、志賀直哉全集の創作第二巻を読んでいた。
短編ながら、やはり『母の死と新しい母』を名作と思う。行文生き生きと、間然するところがない。芥川龍之介に問われて漱石先生、「おれもあんなふうには書けないよ」と言われた感嘆が分かる。
2009 11・25 98

* 深い広い水の上すれすれに五体真っ直ぐ奔るように飛ぶ夢を観ていた。このまま水に入るかも知れない、それも気持ちいいだろう、こんな感じだろうと、昔の水泳感覚や潜水感覚にはまりこみながら、トンボのようにすいすい水の上を翔びつづけていた。横浜でのシー・バスから触れそうに見ていた水の勢いや、昨日清洲橋や川沿いの歩道から見てきた隅田川の豊かな流れが夢に甦ったらしい。
2009 11・26 98

* わたしはどうか。元気か。わたしは妙に乾いて、あるいは渇いて、気が疲れているようだ。清洲橋や萬年橋から眼下の川浪をふかぶか覗いていたとき、あるいは横浜のシー・バスから海水に手もふれ得そうだったあのとき、わたしはかすかに水気と活気を覚えていた。水に入った瞬間の遠い記憶にある体感が甦っていた。
手足のさきがちいさく奥の方でジンジン云っている。食べもの次第で、食べていながらは食欲が動かない。最近なにかとくにうまいものを喰ったという実感が殆どない。贅沢になっての話ならいいが、へんに体が食べ物を受け付けていない気がする。運動不足というのが、いちばん早い、分かりよい理由かも。それとも怠慢か。
2009 11・28 98

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