* 写真家井上隆雄さんの、下鴨社を包む糺の森を縦横無尽に写されたすばらしい大冊『光と游ぶ』が贈られてきた。あ、と声が出たきり息を呑む美しい樹々や空の、また花やせせらぎの、何百とあろう写真に見とれて動けなかった。嬉しい。
☆ 春、
札の森には、新しい生命の色彩が光を帯びて輝いている。
日々、美しく移ろう無常の自然。そこに満ちてくる心地よい大気。
四月二十七日には「式年遷宮」がご斎行になり、訪れる人々の心にも、新たなる気配が、何処からともなく漂っているようだ。
この写真集は、私の拙い美意識や作為から出来得る限り離れ、ただただ無心に徹して、自然の真実、あるがまま、そのままの相と出遇い、見つめてみたいと撮り進めてきた。
光と陰、風や、雨や雪、瀬音や鳥の囀りとも交わり融け合う自然の万象。
その種々の様に導かれ、遥か向こうに「何か」を想い、そしてまた、時には、念いつつ。
未熟な写真集ですが、ご高覧賜りますよう、どうかよろしくお願い申し上げます。 井上隆雄
* 選者の折、京都美術文化賞に推した井上さんである。それまでは写真作家には授賞していなかったが、わたしは強く推した。井上さんの世界にはまこと特別の清い光が風になって流れている。
のちに、甲斐扶左義君も、京の町と人を撮る写真家として推賞した。
* 先頃、京都の森下辰男君から中学同窓のちいさな会があって、みな、わたしの容態を案じてくれていたと手紙をもらった。
その会の、いつも世話役をいつものように丁寧にしてくれる西村肇君から、今日、手紙や写真が届いた。
☆ 拝啓
いつにない短かい春もすぎ初夏を迎えました。
お具合は如何ですか、おたずねもせず申し訳けありません。「湖の本」が届くたび最初に目を通すのが「私語の刻」の頁で、恒ひらさんの日々のことを早く知りたいと思うのです。
遅ればせ乍ら 二月に京都府文化功労賞を受賞されましたこと 誠におめでとうございます。
一月七日 朝日紙で知り 授章式はどうされるのか、来られるのだろうか、寒い時に障りがあるのでは…と案じておりました。
決して楽ではない日常の生活とお察ししていますが、少しずつでも快い方向へ進んでいると信じていて期待も大きく、恒平さんが無理なく京都に来られるような状態に回復されたら 弥栄中の同窓会を開いて、激励やお祝いの会をさせてもらえるかと ついつい思ってしまいます。
好きな歌舞伎を観たり上品な和食とお酒を楽しまれるご様子も「私語の刻」で承り ホッと安堵しています。
一組の高城組の10名ばかりの常連が 春秋 機会を見つけて集まります。恒平さんへの心配が話にでます。皆さんに便りを出してもらうよう頼むのですが おそれおおいと遠慮するばかりで「よろしゅう ゆうといて…」という結果でした。先日、瀬尾(重宏)さん、(内田)豊子さんが応じてくれました。四月十七日の写真を同封します。 お分かりになりますか。
ついでにもう一枚は十年まえ古稀を祝った同窓会の時のものです。
どうぞ 無理せず お大事になさって下さい。
ご萬安をお祈りしています。 敬具 平成二十七年四月三十日 西村肇
秦恒平様
お札は 小生 二十年まえに胃を3/4摘出して以来 ずっとお守りにしていたもので、地蔵院へ出向いて授かってきたものです。ご笑納ください。
尚、返信のご心配はご無用とお考え下さい。 謹白
☆ 秦恒平様
一年振りで皆様と食事会をやり お元気なお顔を拝見致しました。
80歳が目の前になりましたが 今の所 体調を損なうこともなく元気で過しております。今年は自治会長をやらされたりして少々大変ですが ボケ防止のつもりで御奉公しております。
子供の頃 新門前のお宅で プロレスTVを見せて頂いた事を懐しく想い出しておりました。
どうかお元気で過ごして下さい。 瀬尾重宏
☆ 秦さん江
内田豊子です。
今日は西村肇さんのおよびかけで バレスサイドホテルでお食事会をしました 11名が集い楽しいひとときでした
皆 秦さんのお躰のこと心配しています くれぐれもおいといくださいませ いつの日か 又 お目にかかれます日を楽しみにしています。
今は 歌舞伎ざんまいです。
歌舞伎ってほんとうに最高です!
今 こうして書いている時 松尾良輔さんが くれぐれもよろしくと云ってられます。
* 西村君は、京一、二の友禅会社の重役を勤め上げた、温厚で親切ななにもかもの世話役をいつも務めてくれる人で、湖の本を久しく大事に支援してくれている。優情あふれる嬉しい手紙。ありがとう。
瀬尾君は、小学校へ途中入学してきた友だちで、かれはプロレスTVなどを懐かしがってくれるが、わたしから云うと、彼のお屋敷然とした家へ押しかけては、ひたすらいろんな本を読ませてもらった懐かしさ有り難さに堪えない人なのである。
内田さんは中学一年で同級、わたし自身が、演劇大会のためにモーレツな演出をした劇の主役で、日頃声もきけないほど温和しいのを強硬に引っ張り出した。最良の思い出となり、その劇で、わたしたちの一年二組は全校で一位優勝した。隣の一年一組の劇が二位になり、そのヒロインだったのが小説「祇園の子」の「菊子」である。この小説は、永井龍男先生にも笠原伸夫さんにも生涯記憶に残るほどの称讃を得たのだった。豊子ちゃんがいま歌舞伎に夢中とは嬉しいではないか。
松尾良輔君は群れない狼のような暴れん坊だったが、後々には大きな紳士になって現れた。
みな、わたしの「早春」期の懐かしい友だちである。京都への郷愁、抑えがたくなっている、が。
2015 5・1 162
☆ お元気ですか、みづうみ
イルポスティーノはしみじみ佳い映画でした。郵便配達人の俳優の遺作となったのが、今も残念です。深刻な病を抱えながらの撮影だったと聞いています。
みづうみはわたくしをこきおろしていると、お元気になるようですので、嬉しいとは申しませんけれど、それもよし、と思っています。なにをなんと書いたらわかっていただけるのかわかりませんが。
せめて、作家秦恒平の親切な読者であり、誠実な同時代の証言者の一人になりたいと頑張っているところです。能力が足りなくて、成果が出せないことが心苦しく残念なのですが。
「或る寓話 ないし猥褻という無意味」で、どうみづうみ観が変えられるのか、変えられないのか……。変えられないと思っていますから、楽しみに完成をお待ちしています。
評論を書き直しているのですが、もしお許しいただけるなら、みづうみがデビューしてしばらくしてから書いたという「作家さよなら」の一文を読ませていただけないでしょうか。そこに、みづうみが現在の秦恒平である根があると思うのですが、公開はご無理でしょうか。永遠の秘密になさいますか。そろそろ解禁なさってもよろしいのではないかと思います。少なくとも、この一文、秦恒平を読み続ける者なら、必須の一文として、わたくしは大切に大切に考えていますが。 山 夏山に向ひて歩く庭のうち 素十
* それなら、簡単に見つかると思っていたのに「作家さよなら」が手文庫に無かった。捨ててはいない筈だが。ま、沈思し熟考しての告白ではなかった、いま書いておかねばとは思い入れ、しかし走り書きで浄書などもしていなかったと思う。
また捜し物が出来てしまった。捜す、という行為が常住のことになっている。捨ててしまうことを励行しなければ。が、まあ、これは根気よく捜索しよう。
* 「イル ポスティーノ」の郵便夫詩人は、みるからに痩せこけていた。病気じゃないのかと思って見ていたが。やっぱり。
2015 5・2 162
* 久しい付き合いの宮下襄さんが、「元気な間の、日々、片見分けのつもりで、こんな本にしました。ご笑納下さい。どうぞお元気で。奥様もお大切に。もう少しの間、がんばってみます 秦様」と便りがついて、見事に美しく出来た佳い研究単著が送られてきた。
むかし、学研でわたしの担当『泉鏡花』一冊を編集担当してもらった。その後退職されてから、おりにふれ藤村研究と宮下さんの詩篇とが次々送られてきて、わたしは藤村学会にお入りになると推薦したように覚えている。藤村生涯の生彩に富んだ発見や探求を緒論文にされてきたなかで、この大作『テーヌ管見 私の「英国文学史」 藤村研究のためのノート』はじつにみごとな、眼を現れるような秀作で、わたしも読者のいろんな創作や評論を読んできた中で、傑出した成果を生み出されている。この論考は以前に、旧稿のまま読ませてもらっているが、手が入ってはるかに充実を成している。こころより刊行をお祝いする。「テーヌ」の名ももうなかなか人の口に上らなくなっているが、振り仰ぐような大きな名の文学史家であった。
☆ いつか散り散りになってしまうよりは、
形だけは残しておこうと思い立ったもの(=『テーヌ管見 私の「英国文学史」 藤村研究のためのノート』)です。本棚の隅にでもお置きください。
最初は古い原稿を渡せば済むと気楽なものでしたが、そうはいかず随分と頭を抱えました。
○ 「あるがまま」 「生きている人間」ということでも、「我々はもう今日、自然(ナチュール=本性)といふものがどんなものだか知らない。我々はまだそれについて十八世紀の温情に富んだ偏見をとどめている」(第二篇「ルネッサンス」第二章「劇」四)とテーヌは書いていますが、私もそのような「温情に富んだ偏見」の中にいるのでした。「露骨な邪悪」とか「放縦な、…狂人に近い人間」とか、「遊蕩と乱行にふけり」 「錯乱した生活」 のあげく死を迎える詩人たちという過激な言葉すらロマン的な幻想に溶け込んでいたかのようです。
○ 「ディレッタンティズム覚書」などもたどたどしい言葉を連ねましたが、たとえば若い一人の作家の出発を、彼は「洗練されたディレッタンティズムから出発した」などとは私にはとうてい書けないことに思いました。これもブールジェの文にふと見つけた言葉ですが、我々の文学にはこういう言い方はなく、ディレッタンティズムとはそもそも「底の浅いその場限りの」、あるいは「半可通の、訳知り顔の」という侮蔑の意味が強いのではないかと思うのでした。(島崎=)藤村が書いた言葉に引きつけて言えば、ああいう場所での 「批評的理解」 の底の浅い 「濫用」は、いかにも軽薄な、思想のサロン化という印象を、我々の心に残すのかもしれません。
○ そのほかいろいろなことがありますが書ききれません。笑顔でいつかお伝えできればいいのですがおそらくその時間はなく、何かあったらどうぞご批判ください。
そんな言い訳もついでに、残り少ない時間のうちに。ワープロの記録を見ると、「テーヌ語録」などのノートが二〇〇二年に、バイロン、ミルトンの部分の訳が二〇〇三年にあって、「テーヌ管見」という初稿は二〇〇四年に始まっていました。長い時間が経っていたのだと我ながら驚きました。平成二十七年四月三十日 宮下 嚢
* もう大分むかし、大阪の松尾美恵子さんが平家物語の延慶本研究を一冊にされた仕事にもすこぶる教えられた。
小説では、早稲田の文藝科で「行けよ」と背中を押してきた角田光代が、我が家で小説をこそ書けよ書けよと励ました甥の黒川創ががんばっている。息子の秦建日子も、いろんな読み物を書いては、しっかり稼いでいるようだ。読み物小説よりは、時代の水準をするどく突き抜いた劇作に期待したいが。
もう一人でも二人でも、わたしの近くから創作や批評の真摯な実力で世に出て欲しいなと願っている、のだが。
こう云ってはワルイかもしれぬが、映画「夕陽が丘三丁目」だったかの中の作家志望ないし売り出しようは、信じにくい。あのような苦心惨憺のウリは、逆にうそくさく見える。髪の毛をかきむしって地団駄踏んでみても、作家になるにはいろんな才能と開発とが不可欠。その見極めがどうなっているのか、だ。ことに「龍之介」を慕う純然の文学に花咲かせるためには。
2015 5・3 162
* シンガポールから鳶のくれた二つのメールが全くの化け文字で、残念。
☆ 連休最終日
お元気そうで何より。
若い家族とは体力的に合わないので、ほぼいつも別行動です。
今朝、皆が出掛けた後、一人で小金井公園へ。沢山のテントが張ってあり、若い家族は終日過ごすのでしょうか。
桜藤が終わり、満開のポピーが新緑に映えて、飽きないです。
元気印だった親友が病と闘っているので、気重です。他人事でなく… 又 泉
☆ 今朝は
家族の顔を見る前に、ホームページのお顔を見ました。( アップするのに時間がかかるようで、昨日分は昨夜のうちには見られませんでした。花の写真はなぜか一枚しか見えません。)
昨日、一昨日と家で仕事を進めました。家事やテレビも少し。
古典和歌の講話は聴かなかったけれど、和泉式部の歌は心に響きます。
三島由紀夫を巡る討論会を見て、村松英子の「三島愛」に圧倒されました。
春も、はや行こうとしています。
明日は六義園か馬込の文学館にでも出掛けようかなぁと考えています。
いつか晩春の湖国近江へ旅したいと思います。
発送の作業、お怪我などなきように。 黍
* どうも、村松栄子などという三島派は好きでない。云うことより云い方が似而非臭くうそくさいのである。
三島由紀夫の天才は、ミソもクソもいっしょくたではあるが、派手に大きい。彼は谷崎の跫音の大きな響きを讃嘆したが、かれ三島の跫音も大きかった、但しうそくさい雑音がむやみと混じっていた。臭気は鼻持ちならないほどだった。末期の五部作は、むざんに痩せ涸らびていた。魂をゆるがしてくれる真の名作、名品のまことに少ない天才だった。作は豊富だが、作品に満たなかった。ま、わたしは彼が初期中期の作や劇作に惹かれた。三島愛などといえる心酔の気持ち、微塵ももた無かった。
2015 5・6 162
☆ エンコード
お元気ですか、みづうみ。
>* シンガポールから鳶のくれた二つのメールが全くの化け文字で、残念。
誠におせっかいではございますが、iphoneやipadから送られている場合、文字コードの違いで文字化けすることがあります。
メールを開いて、表示をクリック→エンコード→その他→UTF-8クリック となさいますと、見られる場合がございます。だめかもしれませんが、一度お試しくださいませ。せっかくの鳶さまからのメールですから、お読みになれないと残念です。
蕗 あらはれて流るる蕗の広葉かな 素十
* その通りにしたら、読めた。親切、ありがとう存じます。
☆ スコールや雷、いくらか過ごしやすいです。
着いて翌々日の朝、緊急手術で無事男の赤ちゃんが生まれました。黄疸が少し長引きましたが、数値は安心してよいほどになり一安心。
携帯でのメール、不器用なわたしは苦手で短いですが、ごめんなさい。
歌を忘れたカナリヤならぬ、歌を歌おうとしないカナリヤでしょうか? 思うことは溢れ溢れています。やがて溢れ零れるのを願っていますが。
ネパールの地震被害が明らかになるにつれ、衝撃をうけます。貧困や政治的対立に苦しんできて、さらなる苦難から立ち上がらなければならない。ここシンガポールは地震がないところで30階ほどのビルや集合住宅が林立しています。
くれぐれも、目、大事に、無理なさらず、体調も仕事も順調でありますように。 シンガポールのおばあちゃん鳶
2015 5・7 162
* もう久しくメールを用いているが、送るのも受けるのも難しいことは昔のママ。十数年前、わたしがメールを使い始めたときは、まだまだ極くの少数派であり、雑誌から違憲や感想やエッセイを求められた。
久しく体験してきて、もらうメールに、少なくも対蹠的な二種類があるのに気付く。「語りかけてくる」メールと、「自分のことを語る」メールである。前者が多いけれど、後者もん数少ないながら、有る。自分が昨日は、今日はどうした、今日は、明日はどうする、とそれだけを書いてくる。
「メールは恋文」と、十何年も昔にわたしは雑誌に書いた。そういう気味に書いたほうが、和やかになる。ひたすら自分のああしたこうしただけしか書けずに、それが行儀も趣味も良くて当然というメールからは、嬉しい懐かしい楽しい気分や親愛感は伝わってこないと。なにも、 I love youなどとべたついて書くべしなど云わない、相手への。向こうへの、優しい親しい思いやりの気持ちの伝わるように書いた方が、無難に和やかだという、それだけのこと。気が利くとか、気働きとか、要するにそういう情味が大事なのではないか、我の強い人ほど、風情の「恋文」は書けないようだ。
いいメールを呉れる人は、なつかしい。わがことに尽きる報告型のメールは、どんなに細かく弾んで書けていても、とかく、ああそうですか、で済んでしまう。相手の身や気持ちになれていないからである。
☆ 秦 恒平 様
大変遅くなりましたが、過日は「秦恒平選集」第四巻および第五巻を頂戴いたし、まことにありがとうございました。
身辺の雑用にまみれ、頂いたご本の中の小説を読み返してから御礼を、と思っておりますうちに、いたづらに時間が打ち過ぎました。
御礼がはなはだ遅くなりましたこと、ご容赦ください。
秋成の『背振翁伝』(茶神の物語)を読み返しているところに、「蝶の皿」や「青井戸」が収録されているご本が到来し、しばし茶の世界に遊んだことでした。
茶は事を酔わせます。
どうぞ、変わらずお元気でご活躍ください。 長島弘明 東大名誉教授
* 長島さんのメールをもらい感慨に耽っている。初対面の日、彼は東大のまだ学生ないしは院生だった、わたしを五月祭に呼び出しにきてくれた。五月祭の会場で東大生たちに何を話したかは全く覚えないが、そのあと長島さんと喫茶店「ルオー」で歓談、その際にわたしからも秋成を書きたい、彼からもぜひ秋成を書いてくださいという話題になった。わたしは彼に宿題を負うたのである。
その後、長島さんは上田秋成研究を大きく成熟させ、その業績は広く深く知られて、なんと、もう東大名誉教授に。ところがわたしは秋成という宿題を果たせなかった。講談社から書き下ろしで秋成をと依頼されたのも、果たせなかった。
とはいえ、わたしは、じつに、わたしの「秋成」を書きはしたのである。書き始め一応書き終えて三十年、ようやく日の目を見るのが、この十八日の上巻出来にはじまる「生きたかりしに」なのである。どうその長編がどうわたしの秋成探索に成っているのか、それは読まれれば分かる。
上田秋成研究に目をみはる一生面を開かれたのは高田衛さんだった。その研究をさらに深めたのが、高田さんには後輩に当たる長島さんであり、秋成を語るとなれば、いまや長島さんの研究に頼らねばならないが、「生きたかりしに」に組み討った頃は、高田さんに学ぶしかない時期だった、そしてわたしは、それを敢えて改めないままに、「生きたかりしに」を仕上げた。長島研究はまだ知らなかった事実をあえて改めなかった。その必要がなかったのである。
誰に読んで欲しいか、誰よりも生みの母の霊を慰めたい名草、が、ついでは高田衛さん長島弘明さんへ宿題として提出したい。そう思っている。願っている。
2015 5・8 162
☆ 美しい5月になりました。
美しい季節になりました。ご無沙汰いたしております。
こちら田舎は美しい季節を迎えておりますが、先日は美術館や博物館を巡ってきました。
みなさんは郊外へ、私は都心へと別行動で住み分けているような感じです。
いつか、機会が訪れますようにと思いながら、ひたすらご健康を祈っております。 菜 2015 5・9 162
☆ ご本ありがとうございました
『秦 恒平選集』第六巻、昨日届きました。
なんと立派な装丁!! ありがとうございました。
先生の著作への入り口は、NHKブックス『梁塵秘抄』や『閑吟集』で、「これはほかの方と全然違う解釈のユニークさ!」と思い、すぐにファンになってしまったときのことを思い出しました。
小説も何作か読ませていただき、その中でもとくに好きなのが『風の奏で』と『あやつり春風馬堤曲』。俳人の中でも一番に好きなのが、与謝蕪村とあって、とても興味深く一気に読みました。
全般に謎の多い蕪村ですけれど、とくに蕪村母の出自「ころもがえ母なん藤原氏也けり」についてはそれ以前から釈然としない感じをもっていたので、「わが意を得たり!」と思いました。
(たしかに北陸、山陰地方などでも、ある人たちを「十無い・とうない」とひそかによびます)
当時朗読ワークショップ卒業公演で『山椒大夫』に取り組んでいたこともあって、丹後由良から丹後半島をめぐる旅に出て、想いを深くしました。
「水の江の浦島子」という木札の立っている、浦島神社も訪ねました。
そういうわけですから、この作品の後編をぜひお待ちしております!!
「秋萩帖」、「糸瓜と木魚」、「祇園の子=菊子」は、はじめてですので、読み終わったら、また改めて感想を。
ただこのご本、厚みが相当あるので、電車の中に持ち込んで読めそうにないのが残念です(笑) はつなつのゆめ
* この的確なすばやい反応を期待していた、ありがたい。「あやつり春風馬堤曲」へ要所に着眼してくれており、さらには、わたしが実のところ一二に愛している「風の奏で」にも愛読を告げてもらえていて、じつに嬉しい。今度の巻は、「読める」人がかなり限られてくると覚悟していたが、いの一番に、嬉しいメールが届いた。感謝。
2015 5・10 162
☆ 昨日「グロリア」を
ご覧になったのですね。私は「グロリア」は観ていないけれど、先月録画した「レオン」をちょうど見終わったところでした。「レオン」は「グロリア」に影響を受けたと言われているようですが、この映画はご存知でしょうか。
「君を一人にしない。君は生きる希望をくれた。一緒に生きよう。愛しているよ、マチルダ。」
殺し屋のレオンと少女の愛を、「身内」と呼ぶのだろうかと、レオンの最期の言葉を反芻しつつ思いました。
いつも以上に、今回の発送は気も体もお遣いになっていたことでしょう。
休日明けも終日作業でしょうか。お疲れが出ませんように。 黍
* むろん「レオン」も何度も繰り返し観ている。ジャン・レノとの出逢いだった。彼の映画としては「グラン・ブルー」がさらに優れていた。これこそ「身内もの」と謂える名品だった。「レオン」では、双方から一致の「真の身内愛」は成立していない。
☆ 化け文字解決
HPにて文字化けの件解決の経過知りました。感謝。
携帯のニフティ画面から改めてメールを書いたのですが、それも何か不具合で送信できませんでした。
今は文字化け恐れず書けます。
本の発送で郵便局までの往復、無理しませんように。
まだ台風の影響はないでしょうか? 強風心配です。
こちら(シンガポール)はいつも暑く、やはり身体に堪えます。(生まれたての新しい孫に)母乳はあげられませんから< !> 主に料理と、一歳八ヶ月になった孫のお相手。語彙がドンドン増えて面白い時期。アルファベット半分以上と、数字を覚えました。… ババ馬鹿? 抱っこすればズシンと重いですが、ダイエットと思い頑張っています! 鳶
* 死なせた孫のやす香、元気ならもう二十六、七か。もう一人音信跡絶えた孫みゆ希も、大学を出たのではないか。職を獲ただろうか。姉に似て立派な大人の判断や批評がもてていますように、病気しないようにと願っている。
2015 5・11 162
☆ ごぶさた致して居ります。
もうずっと以前に「123繪とせとら」受取って居ります。ありがとうございましたた。
前に 美しい選集を頂き恐縮致しております。この御本のお礼は書いたと存じますが 今となってはおぼえがうつろではっきり致しません 改めてお礼申し上げます。
客間のテーブルの上に置いてありますので 時々 少し…学のある人は気付いておどろいてゐます 私は時々少しつ読んだりチラチラと見たりしてゐます。
(中略) やっと今年から収入がぜんぜんないので税金(所得)を払わなくても良いそうです。これで頭痛がなくなりホットしてい居ります。
初釜と、先日思付いて隅炉をして見ました。(写真を)ごらん下さい お蔭様で皆さんも初めてと言ふ人が多くて私は一寸ごきげんでした。お茶をして居る時は 楽しく元気です。
お二方様 千代子 ロサンゼルス
* チョコちゃんは、わたしより四つ五つ上だが、写真、若い隅炉もおもしろく、また前に差し上げた圓能斎筆「四海皆茶人」の一行が堂々と美しい。わたしが死蔵しているより遙かに軸が幸せそう。
* 花巻の医師、照井良彦さんから、「父・照井壮助とその遺作をめぐって ー『天明蝦夷探検始末記』ー」が送られてきた。
☆ 秦恒平様
ご機嫌いかがでしょうか。知・情・意・体力をあまりにも存分に発挿してきたご経歴ゆえに、少し休憩なさった方がよいのかもしれません。現今の対がん療法のレベルは目にみえて向上しつつありますので。
さて、昨秋、地元・花巻の歴史好きの集まり「花巻史談会」から、なにを考えたのか昔の亡父の著作について一文を寄せてくれと依頼されました。当方の賛助会員加入が本当の目的だったようですが、四十年ものあいだ、父の遺作について一文もなしてこなかったことを自省する気持もあって、やや意気込んで書いてみました。
失礼をおそれず恥をしのんで「別刷」を足下に呈しますので、ご叱正くだされば幸甚に存じます。
ところで、当方はこの六月に、五たびめ入院して再々化学療法を受ける予定となっております。主治医団はこちらの現況をどうみたのか、さいわい宿主と鬼っ子癌腫との共存をはかってくれているようで助かります。
といいますのは、目下、西郷隆盛に打ちこんで稿を起こしているところです。
岩倉具視は麿人、大久保利通は役人、西郷は本当の意味での政治家、すなわち創作的行動家であると考えているところです。なにか飛びつきたくなるようなご教唆をいただければ嬉しいのですが……。影書房からは夫の催促です。
貴重なお時間を奪ってしまいました。r ご健勝を祈念しながら結びます。
2015年5 月8 日 照井良彦 花巻市
* 今しも「選集⑧」として初校進行中の『最上徳内=北の時代』を、岩波の「世界」に連載のおり、照井壮助さんの労著にはたいへん教えられること多かった。ご子息、と云うても私より年輩のかたであるが、久しく照井良彦さんにも「湖の本」にお力添えを戴いてきた。「花巻史談」記念特集の抜き刷り、心して拝見する。
☆ 六巻・有難うございました。
「選集」六巻 今日夕方到着しました。有難うございました。
不自由な中、お送り下さり有難うございました。何もかも懐かしくて。メールの返信も頂き、嬉しいです。メールのお蔭でお話しをしている様で。
お身体無理なきよう お大事に。
近い内、体に良い物を送りしようと思っています。
では、おやすみなさい。 華 京渋谷
* 第九巻の編成、楽しくもあり、なかなか難しくもある。読みやすい、佳い一巻に仕立てたい。
2015 5・11 162
* 『秦恒平選集』第六巻を拝受
『祇園の子』が冒頭にあるのに魅かれてすぐに拝読、「中村菊子」の姿を深く胸に刻みました。あの印象深さは、秦さんの筆でしか現出できないものです。笠原さんの文章も続けて読み、秦文学の深いところを見定めておられることに感嘆し多くを教えられました。
秦文学の陶酔感はあとをひきます。が
いま『糸瓜と木魚』を読んでいるところです。
いつもご厚意をいただき深く感謝しています。
「第六巻刊行に添えて」は秦さんの面目躍如。読みたい本を書いていただいて、当方 幸せです。
どうぞお身体お大切に。 敬 元講談社出版部長
* 優れた編集者に読んでもらえて感想も戴くのは、書き手の幸せである。
* 面目躍如と笑って頂いた「あとがき」を披露しておきたくなった。
* 秦恒平選集第六巻に添えて
まったく私撰の本であり、世常の例を逸れてもいいかと考えている。一例が、作の成った時期に順じて列べることもしていない、むしろ一巻一巻に作柄を考え選んでいる。この第六巻では最初期の一短篇に次いで、三つの中篇・長編を収録した。
短篇「祇園の子=菊子」は、最初期の私家版『斎王譜=慈子(あつこ)』の巻末から後に単行本『廬山』(芸術生活社)に収めたとき、帯の文を頂戴した永井龍男先生の、「祇園の子」ほどの短篇が十も出来れば「たいしたもの」というご感想が、編集者を通じ届けられた。ただただ「過褒」と頭を下げて恐縮するばかりだったが、文藝批評家笠原伸夫さんもまた「秦恒平における美の原質」という、生涯私感謝にたえない一文のなかで、祇園の子の「菊子」に熱い共感を語られていて、この批評は、その後私の創作を鼓舞も刺激もし、ある意味指標とさえなった。新ためて心より感謝申し上げ、巻末の解説などというのでなく、敢えて、小説「祇園の子」と本文中に相列べて笠原さんの文章を此処に頂戴した。どうぞ、お聴しください。
次いでの三作は、大学で学んだ美学藝術学に生涯「学者」として従事するに慊りず、「小説」を書いて思うさま探索や讃嘆を完うしたいと願った、その最も顕著な作ばかり、と謂える。
いったい、私の小説・文学への愛はよほど我が儘な「病気」じみて繁殖したのである。中学か高校一年のころ谷崎潤一郎の岩波文庫『吉野葛・産刈』に出逢って、ああこれこそ私の読みたかった小説だと胸が膨らんだ。『細雪』や『少将滋幹の母』や『夢の浮橋』に出逢えて私は文字どおり「谷崎愛」に燃え、幸せだった。心底「読みたかった」作がそこにあった。
だが、そういう幸せは、昭和も半ば過ぎて滅多に恵まれなくなった。
やれやれ、と、思った。
そして私は書き始めた、読みたくて堪らないのに誰も書いてくれないからは、「自分で自分の読みたくて堪らなかった小説を書く」しかない、と。此の選集の第五巻『冬祭り』を含め、それまでにちょうど二十作を選んだが、どの一作も、自分で書いて自分で読むしかない小説であり、今回第六巻の中長編三作は、ことに学究風の探索をわたし自身が楽しんだのである。
幸い、正岡子規と浅井忠を書いた『糸瓜と木魚』は瀧井孝作先生にお褒め戴いた。『あやつり春風馬場曲』は、かつて『風の奏で』が多くの平家物語研究家や愛読者を動かし得たと同様、蕪村研究の専門家からも「興味津々」の注目を浴びた。さらに国寶『秋萩帖』をめぐる知られざりし人渦を、千年をまたいで不可思議に表現した長編は、あの、小説家のフィクションに厳しかった京の碩学角田文衛博士から東京の私宅まで、「よくやりましたねえ」とわぎわざお電話をもらう作となった。
どれも、だれも、書いて読ませては呉れなかった、だから自分の読みたい世界を書いたのである。小説家が「小説」を創作し表現するとは、本質的にそういうものと私は心得ている。る
☆ 「秦恒平選集」第六巻を
ご恵与いただきまして ありがとうございました。
開くと紙とインクの匂いが立ち上がってくる立派なご本で、お書きになっている世界といかにも似合っていることだと感服、また羨しく拝見しました。
「湖の本」もそうですが、いつもお礼もせずいただきっぱなししで失礼してますが、お許し下さい。
折りをみて一気に拝見したいと思っております。 勝又浩 文藝批評家
2015 5・12 162
☆ 激しい雨が、
窓を叩いています。
降り始める前に、選集が無事届きました。有難うございます。
瀧井先生の佳い字とお言葉を眺め、先ず「刊行に添えて」を、次いで笠原先生の文章を読みましたが、評する人と評せられる作品との美しい出逢いが伝わってきて、このような論が書ければとため息をついています。
映画「レオン」のマチルダを思い、馬堤曲「浦島朋子」と先生のことを考えています。
先日亡くなった長田弘さんに、「死ではなく、その人がじぶんのなかにのこしていったたしかな記憶を、わたしは信じる」といった詩があるそうですが、映画のエンディングは、レオンを死なせて少女からやがて女になってゆくマチルダの中で、レオンの存在は確かになり、愛も深まってゆくのを示唆していたように感じました。
「あやつり春風馬提曲」は、私には幾重にも気掛かりな作。
いずれ熟読、再読したいと思います。
テレビをつけたら、ちょうど鑑定団で華岳の牡丹が出ていました。
絵も映画と同じく詳しくないけれど、艶やかで気品のある牡丹、ブラウン管ごしでも佳いなぁと見ました。
明日は雨も上がって、かなり暑くなるとか。お気をつけて病院へいらして下さい。 黍
* では「最上徳内」の第八章をかかえて、気永に聖路加での検査と診察を受けてくる。暑くなるとか。帰りは涼しいビヤホールなんか、いいかな。
* 検査良好。支払いして処方薬を薬局で受け取ったのが一時半。築地の「玉寿司」で、「極み」の鮓で「山田錦」と特醸秋田の「まんさくの花」をしっかり呑んだ。いい気分で、新富町駅ホームの倚子で一寝入りしてから地下鉄に乗った。乗り越すよりいいと算段。電車でも「最上徳内」をおもしろくズンズン校正できた。
* ロスの池宮さん、東京の友人を介して菱川師宣ゆかりのお酒二本を頂戴していた。ちょくッと呑んだ。どうも食べるより先になる。腹が張らないから。
* 「最上徳内」のような変わったツクリの小説にも、めったにお目にかからない。田沼意次から松平定信へ時代の動いて行くころ、幕府の蝦夷地探索一件が「北の時代」の幕を激しく明ける。その立役者で先駆者の最上徳内さんと此の私とか連れだって不思議に旅しながら、アイヌのこと、松前藩のこと、蝦夷地のこと、奥蝦夷千島樺太のこと、ロシア人のこと、探索一行の御普請役らのことを、克明に、歴史的にも今日的にも再現し検討して行く、愛らしく美しいヒロインも加わってくる。小説の中に、私独特の発明になる不可思議にリアルな「部屋」が用意してある。
もう終盤の暗転へまで小説は、物語は近づいている。読める人には、関心のある読者には滅法興味津々であるだろうが、とことん読み物に骨までくたくた煮付けられている人の多い昨今では、わたしの物語・小説は天然記念物なみだろう。
☆ 五月*日は
私の誕生日で、八十三歳らなりました。去年のこの日の日記(メモ)には、「午前、秦さんに刻字など送る」と記されています。
選集の刊行のテンポの早さに驚いています。なかなかついてきいけません。いくら再読とはいえ、そんなにすらすらと読めるような作品では、秦さんのお作は、ありません。
親(恒平)の作品を一冊読む間にはさんで、子(建日子)の文庫本を一冊読みました。自分の年齢を考えてみると、そのうちにといって、本棚に並べていては、読む機会がないままになってしまいそうです。一編を読みながら、気になる他のお作を拾い読むといった、乱暴な読み方もしたりしています。
今の調子ですと、秦さんが私の年齢に達しなさるころは、果し何巻になっているか、数多い作品のこととて、完結ということがあるのかないのか、そんなことを考えることもあります。
「作柄」を考えてのまとめ方は、秦作品のおもしろさをみごとに際立たせているように思います。すばらしい編集ぶりだと思います。作者の思いがなめらかに読み手に伝わるように思います。
私のあわい記憶によると、「秋萩帖」の構想を、直接秦さんのお口からうかがったように思います。私の好きな作品の一つです。
第録巻では、「刊行に添えて」(毎巻一番初めに読みます。秦さんの生<なま>のお声が聞こえます)にまず強い印象を与えられました。秦さんの「生<セイ>」の選択が垣間見られたからです。
第四巻を読んだ後で、初めて秦作品に接した時の感銘と別な肝銘を受けました。それは秦さんは、私と遠い存在だったんだということです。今までなれなれしくおつきあいさせていただいたことが、深く反省させられ、何か、顔に血がのぼる思いです。そして、第六巻を手にし、目次を眺めただけで、秦さんが私と遠い遠い存在であることを思い知らされるような感じです。美しい作品の詰まった選集の並ぶ本箱を見て、胃に重いものを感じているところです。
秦さんは戦っていらっしゃいます。私はなんとーー。恥しい次第です。しかしそれをどうすることもできない意志と年齢ーーでしかありません。
こんなことを申しあげても何の意味もありませんが、私のプレッシャーをちょっと吐かせていただきました。(秦からの=)「日頃の敬意と感謝」はそのままお返しさせていただきます。
どうぞどうぞ、奥様ともどもお大切に。 五月十一日 哲 石川能美市
* 有り難く嬉しいラブレターを頂戴したと喜んでいます。どうぞどうぞ お元気にご長命なさって、ご鞭撻下さい。
* 三田文学編集室より「選集⑥」受領の挨拶があった。
2015 5・13 162
* 参議院の江田五月氏、お忙しい中を、「選集⑥」へ謝状頂戴。日本近代文学館、昭和女子大からも。。
☆ 拝復
家宝がふえて どうしましょうとうちの者たちと手を叩いております。まこしにありがたく、暑く御礼申し上げます。馥郁たるご文章に、ただひたすら酔いしれております、のめり込んで一体となりますと、剽窃してしまいそうで、おそろしい……
どうぞ御身体お大事にお過ごし下さいませ かしこ 浪 京鳴瀧 小説家
☆ 選集第六巻を拝受
ご繁忙のなか早々とご送付賜りましてありがとうございます。「祇園の子=菊子」を久しぶりに、笠原伸夫氏のご批評とともに拝読。しばし、秦先生の世界に浸りました。長編三編は、母(96歳)がショートステイの期間に、じっくり読ませていただきます。
奥様ともども、御身お大切にお過ごし下さいませ。 宏 渋谷笹塚
☆ 箱根の噴煙
颱風六号の接近、五月晴れの間にちょっと迷惑なお天気状況です。
作品集第六巻 すばらしいです。ありがとうございます。
どうぞくれぐれもお体 ご自愛なさってくださいませ。 鳥 駿河
☆ 次回も選集
配本の程 お願いいたします。一巻経費が足りないさまであれば、その旨ご連絡下さい。
この選集は私の寶となっております。 鈴 世田谷
* 三鷹の唐澤さんなど、みなさん、選集一巻実経費を負担するので著者私蔵分を頒けて欲しいと云って下さる。冥利に尽きる。
* 「生きたかりしに」上巻発送用意の追い込みに、今日一日ずいぶん頑張った。あと三日。十八日朝には間に合わせる。
* 「選集」第九巻の原稿読みをはじめた。「選集」は頁の読みが微妙に難しい。460ないし464頁だと辛うじて350円の切手で済むが、もう四頁もふえると460円かかる。なにしろ非売の豪華本、少部数。一冊経費が「凄い」。一巻でも多く造りたいので気を遣う。
☆ 五月になって
ぎをんさん、清水(きよみづ)さんは、外国の観光客に次いで、修学旅行のジーンズになり、それも、やっと静かになりました。
お天気の良い内にと、京都文化博物館の「琳派の美」展へ行って来ました。
花見小路は、やっぱり、人人でした。
身体にやさしい物ーおじゃこーお好みに合いますか? 少しですが送りました、早ければ明日届きます。
先般奥様からお礼状をいただき恐縮しました、ご無用です、お忙しい日々、お大事に。 華
2015 5・14 162
☆ 選集第六巻を、ありがとうございます。
「墨牡丹」にとらわれたまま、宿題を先延ばしにしています。小説にでている人たちの画集や、写真をみていました。
こころをこめて、つくられたご本を読むのには、ふさわしい読みを、とおもいます。
まずは、感動 でしょうが、つぎは 妙なところに気を取られて、散漫なこと!
毎日、事が多すぎるのを言い訳に。 みなさま、どうぞご無事で。 柚 大阪府
2015 5・15 162
* 封筒への宛名貼り込みをはじめて、読者分を終えた。今日、明日にも諸大学・高校や各界人への寄贈分を貼り込み、日曜には今回の『生きたかりしに』関係の縁戚や知友への宛名書きを追加しなくてはならない。沢山の人が、亡くなってしまっていると想われ、無常の感にとらわれるが。
* 朝一番に、村上開新堂の山本社長から世評嘖々のクッキー一缶を頂戴した。
午后には、むもむ京都の華さんからしっとりした京味の小魚を二包みも戴いた。
お茶に酒に、有り難う存じます。
* 東京大学大学院国文学研究室、神奈川近代文学館、お茶の水女子大図書館から「選集⑥」受領の挨拶あり。
四国の木村年孝さん、東近江の石馬寺西史観さんからも。
* 大川のように何冊・何巻分も仕事が併流しているので、よほど慎重に記憶も判断もしてないと、うっかりミスが生じかねない。、
2015 5・15 162
☆ 拝復
先日は御鄭重にも『秦恒平選集第六巻』を御恵贈にあずかりました、誠に有難うございました。
相変らず慌しくしておりまして、御礼が遅くなり申訳ありません。
お手紙にある『祇園の子=菊子』のみまず拝読致しましたが、祇園についての知識の乏しい私にも、土地柄と人柄の重なり合いが非常に新鮮に伝わってきて、傑作と感嘆致しました。この女主人公の屈折が飛躍感のあるリズムで描かれていて、結末の一行のこの作全体の放散ぶりも実にお見事と存じました。「第六巻刊行に添えて」も拝読致しました。諸作も改めてじっくり拝読致したく存じますが、取敢えずの御礼まで一筆啓上致しました。
何卒 呉々も御自愛のほど、切にお祈り申上げます。敬具 忠 元「新潮」編集長
☆ 秦恒平様
急に夏のような気候となりました。お元気にてお過ごしのことと存じます。
このたびはまたまた、貴選集第6 巻をお送り頂き、まことにありがとうございました。今度は短編小説からエッセーへと、創作の息づかいが感じられる逸品ぞろいですね。
どこか懐かしく、そして深い人間愛が感じられます。こういう作品を後世に遺されるのはうらやましいことであります。
御礼のみにて。 通 東大名誉教授
☆ 謹啓
本日は思いもかけず「選集」第六巻の贈本を賜わり、驚くと共に大変恐縮しております。誠に有難うございます。
白状致しますと、「選集」の刊行が初まった時、できるものなら購読したいと思いました。しかしながら「湖の本」でさえ時には送金が遅れてしまう現状では いかんともしがたく唇をかみしめておりました。
その間、なんとか「慈子」「罪はわが前に」「三輪山」「雲隠れの巻」などの限定版を探し、入手 自らを慰めておりました。
現在、アルバイトにて町役場の宿直警備をしています。多少なりとも自由に小遣いの使えるのは年金を頂いた時だけとなってはご迷惑をおかけすると諦めておりました。
賜りました「選集」を拝見して その見事なまでの造本。やはり「本」にこだわる者にとっては ぜひとも持ちたい「選集」との思いを強く致しました。
「湖の本」の次回からの小説も楽しみです。
賜りました第六巻本、大切に大切にさせて頂きます。製作実費で配本もされていますが、とてもあのような金額で済むような造本ではありません。
ただただ心より厚く御礼申し上げます。
昨日来の台風六号は 大きな被害もなく和歌山を過ぎ去りましたが、今年も異常な天候に見舞われるやもしれません。
どうぞお体には充分ご自愛下さいますようお祈り申し上げます。
簡単ではございますが、とり急ぎ御礼申し上げます。
追伸
「選集」の既刊分の残部はもうないでしょうね。
もし残っていれば、誠に勝手なお願いとは存知ますが、二ヶ月置きに一冊ずつ お願いできないものかと……。
あまりにも素晴らしい「本」ですので、本箱の秦恒平コーナーに並べたくなってしまいました。
もちろん 私の願望ですので、聞き流して下さい。 謹白
乱筆乱文をお許し下さい。
平成二十七年五月十三日 祥 和歌山御坊市
* 作者冥利に尽きる三十年ちかく、湖の本も毎回二册ずつ買い上げてきて下さり、また本を愛されていること、敬服と感謝に堪えない。こういう方のためにこそ、著者私蔵本を少々手元に残してある。本が読者のもとで愛される、それこそが有り難い極み、お気持ちに喜んで応じたい。
* 瀬戸内寂聴さん、田辺兵昭さん、山梨県立文学館、早稲田大学図書館、立命館大学図書館からも、挨拶が有った。
2015 5・16 162
* カラーでなくて惜しいが、谷崎松子夫人に頂戴した巻紙のお手紙の最初の一通のごく一部を抜いてみた。戴くお手紙はいつもこんなふうに美しく優しいものだった。「隠し子やないの」と本気で筑摩の編集者に問われた水上勉さん。事実でこそないが、嬉しい贈り物をくださったと今も笑える。
2015 5・16 162
☆ 選集のお願い
あまりに厚かましいと諦めるつもりが、どうにもいけません。
選集第六巻 まだお手元に残っているなら お送りいただけないでしょうか。
『あやつり春風馬堤曲』『秋萩帖』 とても好きな作品が、あの立派な御本に並んでる、と想うとやはりどうしても手にしたくて押さえきれません。
殊に『秋萩帖』
一度読むと、いっとき作品の世界に浸りきり、戻ってくるのも辛くなるほどです。
「こんなのが読みたい!」 けれど他の作家では叶わないので、京の古地図を探し、『後撰和歌集』を借りて書き写し、また御作の世界に舞い戻り…あの宝物の御本で、もう一度浸ることができたらどんなに幸せかと想います。
どうぞお願いいたします。
お忙しい時期にすみません。
お身体御大切になさってください。
迪子さんもどうぞお大事に。 碧 下関市
* 「読んで作品を愛して下さる」方は、書き手のこよない寶。ありがたく。
2015 5・18 162
* 九条の会、呼びかけ人の大半が亡くなり、大江さんも澤地さんも、力尽きたようで、澤地さんの悲痛な手紙を今日、留守に貰っていた。若い、そして知名度も人気もあるインテリジェンスが結集しなければ、と、切望する。
* 五箇荘の乾徳寺さんから、「選集① みごもりの湖」を悦ぶ手紙が届いた。冷菓をたくさん戴いた。那珂の下司さんからも手紙を戴いた。
2015 5・19 162
* 昨日も今日も「選集⑥」への佳いお手紙をたくさん戴いているが、今夜は、まだ作業を続けたいので、メールだけを。
☆ みづうみ、お元気ですか。
選集第六巻頂戴しました。こんな光栄なこと、人生でめったに経験できるものではありません。ありがとうございました。今回のご本について、自分の感想をまとめるのに時間がかかってしまいました。
今回の配本の中で、今までその存在すら知らず未読であった笠原伸夫氏の、「秦恒平における美の原質」に感動、興奮してしまいました。わたくしの読みたかったのはこのような「秦恒平論」なのです。優れた文藝評論だけがなし得ることですが、秦恒平について、「祇園の子」についてだけでなく、わたくし、自分自身についても目を開かれた思いです。
「京都的なもの」「血の昏さ」というキーワードを見つけて、ずっと探していた言葉を見つけたと思いました。
みづうみの作品における「魂の血族」とは、「魂のエロス」を「滴らせる」「京都的なもの」の結実する「女人像」という笠原氏の指摘部分(わたくしの解釈ですが)は、わたくしにみづうみの謎をとく鍵の一つを教えてくれたようです。
祇園甲部と乙部の違いは「祇園の子」を読まなければ、わたくしのような江戸っ子は生涯知らずにすませていたことで、最初に読んだときにはなんともむごい実態に衝撃を受けました。悪意がなくても、無知というのは罪深いものです。たとえばハンブルグのレーパーバーンなどと違って、表面の舞妓さんの華やぎに隠されているだけに、祇園の陰湿な商売はやりきれないと思いました。世界中、どこでもどの時代にも存在する性の搾取と差別の構図で、いつ「祇園の子」を読んでもわたくしは涙を禁じ得ません。自分が菊子の立場にいなかったことは偶然の幸運にすぎないのですから。
菊子を書かずにはいられなかったところに、秦恒平の「原点の京都」があると思います。『初恋』のヒロインに対するものと同様に、被差別の側への深い共感、差別する側にいることへの呵責が、秦恒平文学の血の色です。
みづうみが美空ひばりを大好きな理由も「祇園の子」菊子に対するものと根が同じではと感じました。
正直に申し上げると、私は美空ひばりを好みません。天才だと思いますし、テレビやラジオから流れてくるその歌に、うまいなあと思わず聴き惚れるのですが、自分から触れようと思わないのです。どこがどう好きになれないのか説明が難しいのですが、それは「演歌」に対するある種の嫌悪感です。彼女の演歌は、日本のどうしようもない暗部なのです。日本の「血の昏さ」を感じるのです。山口百恵がどうにも苦手だったのも同じ理由によるものでしょう。美空ひばりも山口百恵も、「菊子の系譜にいる女」です。きれいごとの裏側で、被差別の側に生き、泥水を飲んできた女です。
ある高名な仏文学者が、留学から帰国して下船した瞬間、美空ひばりの歌が聴こえてきて、「ああ日本に戻りたくない」と痛切に思ったと述懐していましたが、自分のことのようにわたくしには理解できます。日本人の血にしみこんだ昏さが陰々滅々と美空ひばりの「演歌」に流れているような気がしてなりません。たとえ明るい歌を歌っていてもジャズを歌っていてもそれを感じてしまうのです。美空ひばりが悪いのではなく、美空ひばりにあのように歌わせてしまう「日本的な何か」に、耐えられないものを感じるのです。それは後ろめたさのようなものともいえます。
みづうみの「魂の血族」になる資格のようなものが、もしあるとしたら、菊子や美空ひばりと同類でなければならないと思います。彼女たちの性根のすわった、命がけのさまは、到底ひ弱なインテリ女もどきのわたくしの力の及ぶところではありません。フラメンコやタンゴのほんものの名手を観て、その全身から発せられる強烈な性と生に圧倒される感じと似ています。
みづうみのヒロインの中で、わたくしに一番近しいヒロインは、おこがましくも厚かましくも申し上げれば、『あやつり春風馬堤曲』の「浦島朋子」でしょう。
『秋萩帖』は、秦恒平作品の中で、一番読みこなすのが難しい作品です。わたくしは未だ充分読みこなせていないのです。再挑戦の良い機会で、今度こそ「読める」ようにと願っています。
『生きたかりしに』については是非一度に三冊いただきたいのですが、それはご無理でしょうね。読者のわがままにつきあっていたらみづうみの身がもちません。
昨夜の私語のご様子で、心配しています。どうぞどうぞお大事に。今日も明日も明後日も、毎日をお身体をお楽に、お心を少しでも楽しくお過ごしくださいますように。 漆 花漆こまごまと咲き日にけぶる 上村占魚
* ありがたい、メール。こういうメールは、研究者からもめったには貰えない。いい読者はありがたいし嬉しい。書き手冥利に尽きて、頬を熱くする。
ことに「漆」さんの美空ひばりへの言及は、しっかり胸に届いておのづと「私」をも論じてくれている。こういうひばり観を私はなんら拒絶しないし、先行理解の範囲内であり、「それでも」と踏み込んできた私自身の弱者を思い強者を悪んできた歴史がある。上田秋成の境涯に自身を想い寄せながら、ついについに『生きたかりしに』を書き上げたのもその底意からだ。出来のよろしさも願うは当然ながら、その前か先かに人生苦汁の自問自答があったし、生みの母にも、兄恒彦にもあったに違いない。
今日も妻と往来の車中で話していたのだが、「母」のことは書いてやりたかったし、身近に読んで欲しい人達も、母方、父方に数多い。が、「父」のことは、どうも書きにくい、書きたくもなく書いては父に気の毒という気がある、と。
それにしても、『生きたかりしに』では、私の「秋成葛藤」がどう「小説」として現れているかに自身興味を持って読者の批判を願っている。そもそもは講談社から「秋成」を書き下ろしでという依頼があった。依頼の意図にはおもしろい時代小説をという希望があった、が、私には、それが苦手、というより時代読み物は書きたくなかった。さあ、どう書こうとたゆたっているうち、井上靖さんに誘って戴いた中国旅行がとびこみ、「華厳」のような自負と自愛の作は成ったけれど、「秋成」主役の長編は飛沫をあげて消散した。『生きたかりしに』へ化けていったのである。
* さ、作業が残っている。奮発したい。余のことは、みな、明日以降に。
* 九時半。予定した作業を、とにかくも終了した。あとは、必要な追加送本だけ。有元さんに戴いたお酒で、乾杯。
☆ 前略
この度は『秦恒平選集』第六巻を頂戴し、誠に有難うございました。
巻頭の「祇園の子=菊子」をまず 読み、そのみずみずしさ、少年のこころの痛み、交錯する ひそかな春情、祇園の描写 等々にひきこまれ、感動いたしました。
昭和二十二、三年ごろの 新制中学生のことなども よく描かれております。 わたしは そのころ 大学出の 新制中学の若い教師をしておりましたから、とくに共感できました。
ありがとうございました。 久々に文学作品の喜びに ひたりました。 御礼申し上げます。
わたしも 少年時代、関東の田舎町の色街を見て育ちましたので、その違いや共通性もよく分り、共感できました。 (祖父にあたる人が、置屋-芸妓家-を経営していたのです。) 重ねて ありがとうございました。 敬具 色川大吉 思想家
☆ 拝啓
初夏を通り越して、暑い日も交じる頃となりました。『選集』の第六巻 ありがたく拝受いたしました。
忘れていた『秋萩帖』に再会し、是非再読させていただきたいと思いました。
連休中、海外に出ており、御礼が遅くなりました。
お詫びかたがた一言申し上げます。敬具 今西祐一郎 九大名誉教授 国文学研究資料館館長
☆ このたびは
「秦恒平選集」第六巻をお恵み下さりまことにありがとうございました、まさに学匠文人というにふさわしい 学・藝一如の世界です。まさか手を入れられてはおられまいと思いつつ年のため以前いただいた架蔵の「秋萩帖」の本文と比べてみると 明らかに推敲のあとがあり、これは油断成らぬと一驚したしだいです。小ざかしき研究者根性お笑い下さい。
昨日は神奈川近代文学館の谷崎潤一郎展に若い友人たちといってきました。秦さんの谷崎愛をあらためて思い出しました。
本日は御礼までです。不一 東郷克美 早稲田大名誉教授
☆ 拝啓
貴重な一巻をご恵与賜わり恐縮に存じます。文藝の消えかかっている昨今 本当に貴重と存じます。拝読させて頂きます。最近 文藝作品から遠ざかっていて 大切な時間になると信じています。ありがとうございました。 敬具 西尾幹二 文藝批評家
☆ 『選集第六巻』を
御恵贈賜わり、誠に有難うございました。六册も並んでくると、秦文学の世界が一層開かれてき、壮観です。
「糸瓜と木魚」の瀧井孝作先生の手書き推賞文を見て、「群像」時代に、『野趣』、志賀直哉追悼特集の際の瀧井先生の原稿「志賀さんの書」を、正座した机の前で読んだときの力強い鉛筆書きを懐い出しました。愉しみに拝読します。
御礼のみ。 徳島高義 元講談社出版部長
☆ 選集第六巻を
拝受いたしました、誠に有難う存じます。
『祇園の子』と『糸瓜と木魚』とはすでにどきどきしながら楽しく読ませていただきましたが、『あやつり春風馬堤曲』と『秋萩帖』 とはともに香気あふれる稀有な作品とは分かっても、がつて湖の本で私のカ不足のため納得できる読み方が出来ませんでした。「あやつり春風馬堤曲』につl 、ては蕪村をもう少し知ったうえで再讀もl 三讀もしたいと思います。
『秋萩帖』のほうはさらに手強く、まだまだ勉強しなければ無理と思います。そのうちに読むカを得たいものです。
お二人とも万全とはほど遠い体調なのに読者のために奮闘してくださって ただただ感謝で一杯でございます。 吉備の人
追伸 岡山のぶどうや桃はまだ店頭に出回らないので代わり映えがしませんが地酒「きびの吟風」をお届けします。
☆ 薫風の
美しい五月でございます。お健やかなことと存じます。選集第六巻を賜り、勿体ないと恐縮に存じます。
読んだことがあったとしても 新しい書物になりましたので 格別な感じがいたします、懐かしい感じが致します。
お礼申し上げるのが遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。
心からありがとうございます。 かしこ 畝 那珂市
☆ 冠省
夏めく日が続きます。
ご出版に向けての諸作業にご出精のご様子 ご無理のないようにと念じます。
選集第六巻 有り難く拝受致しました。
雨の日の 雨うつくしき 秋ざくら
の句をお書き添えのお葉書(1974)を頂戴しましてから40年以上経ちました。 後に、「糸瓜と木魚」の作中にありましたので 今もよく覚えています。新ためて拝読させていただきます。
湖の本 次回からは新作をご発表とのこと 楽しみに存じています。
奥様もご入院されたそうで、 お二方様にはくれぐれも お大切にと存じあげます。
有難うございました。
些少、同封致しました。お納め下さい。 朱心書肆主人 紀の川市
追伸 ホームページ 私語の刻で 和歌山県御坊市に熱心な先生の読者がおられて限定本も愛蔵されていると識りました。
同郷に、こういう方がおられて嬉しいことです。
『四度の瀧』 もしお持ちでなかったら進呈させていただきたいと思います。お差支えなければ ご連絡先をお教えください。
☆ 緑の日々になってきました。
選集第六巻 言葉が粒立つような文をこの装幀でゆっくり読むのは贅沢な時間です。
有難うございます。 啓 小松市
☆ 選集第六巻
「祇園の子」 面白く 発見をもって読ませていただきました。 星 高松市
☆ 先日
新潟の実家に豪華本の新刊が届きました。ありがとうございました。
やはり「秋萩帖」の難しかったことが、まず思い出されます。また、読んでみます。
迪子さん ともども、ご自愛下さい。 藤田理史 奈良市
* 天理大学図書館からも、
* 昨日は、澤地久枝さん、西尾幹二さん、徳島高義さん、下司菜畝子さんのお手紙を戴いていた。
今日は、色川大吉さん、今西祐一郎さん、有元毅さん、三宅貞雄さんらのお手紙を戴いた。三宅さんには過分のお祝いを頂戴した。 八代啓子さん、星合美弥子さんからもお便りを戴いた。みなみな、ありがとうございました。
2015 5・20 162
* 起床6:30 血圧141-71(63) 血糖値102 体重68.1kg
* 午前、「選集⑧ 最上徳内」を要再校で戻した。ひどい直しはなく、早く進みそうな気がする。華やいだロマンではない。が、日本の近世近代現代に深く食い入った問題作になっている。こういう歴史も広く認識されていたいと切に願うのであるが。
よほど出歩きたいとけさも六時半には床をはなれ、ロスの池宮さん、バルセロナの岩見さんへ送本し終え、さらに「徳内」を要再校で全編送り返して……、さて、動きも敢えず、今は機械の前でうたてねしていた。いっそ、イヤになるほど熟睡してみるか。
☆ 昨日
長い旅行から東京に帰りましたら「秦恒平選集」第六巻が届いていました。まだ拝読する時間がありませんが 近いうちの楽しみにしています。
以上は 御感謝な書きました。 ドナルド・キーン
☆ 拝啓
「秦恒平選集」第六巻をご恵送いただきありがとうございます。「祇園の子=菊子」をまず拝読。とても面白く、興味深く、秦版「たけくせべ」とも呼ぶべき作品に耽溺いたしました。
私は北海道の山がつなので、祇園の甲部や乙部といった区別もまったく不案内で、秦さんの小説の持つ文化の重みというか深さが本当に羨ましいです。
そんなことをあれこれ考えているうちに、ふと秦さんが以前仰っていた(吉祥寺)元近鉄テ゜パートの上の京料理の店を思い出しました。本格的京料理。デパートがなくなって、かえすがえすも訪ねなかったのが残念でなりません。
とり急ぎ御礼申し上げます。 敬具 久間十義 三島由紀夫文学賞作家
☆ 拝復
初夏の風の清々しいこの頃でございます。
先だっては『秦恒平選集 第六巻』を賜りまして、まことにありがとうございました。この立派な選集を今回も頂戴しましてたいへん恐縮しております。
生の深い処に鉛錘の降ろされた、美しい、豊饒な物語世界を味わわせていただいております。
ますますの御健勝をお祈り申し上げます。 敬具 梅原稜子 平林たい子賞作家
☆ 拝復
選集第六巻をご恵与下さいまして熱くお礼申し上げます。ありがたく拝読致しました。いつも変わらぬお心遣いをいただきまして誠に恐縮しております。
拙い文章(「作家の原稿料」 西鶴の三百匁から始まる<原稿料>の歴史)を同封致しましてなお恐縮ですがご笑覧願えれば幸いです。
末筆ながら一層のご健勝をお祈り申し上げます。 敬具 谷口幸代 お茶の水女子大准教授
☆ 拝啓
紫陽花の花芽の目につく頃となりました。
三月に、御高著『冬祭り』をお送り頂きながら、全くの御無音にうちすぎ、御無礼を深くおわび申し上げます。
このたびもご立派なお仕立てで、冒頭の数頁を拝誦致しますと、とてもロマンの香り高き小説のおもむきに、はたと自分がこの頃全くこのような小説を読んでいないことに気が付きつきました。
新聞小説としてのご発表とございます、さぞや、当時の読者の方々は、この恋のゆくえには、明日はどうなるのか、と気をもみながら、毎日をすごされたのではないかと想像しております。その上、舞台が日本だけでなく、海外にも広がっておりまして、更にろまん性を高めているように思います。さして、美しいということには必ずはかなさがついて回る、ということも、語っているように感じております。
京ことばはとても真似出来るものではありませんが、思わず、冬子の言葉など、口に出してみたくなります。ドラマにもなりそうな構成ですね。雅びで美しい小説を有難うございました。
ほんのすこしですがお疲れ休めに粗菓をお送り申し上げます。ご笑納賜りますれば幸いでございます。
ご自愛ご専一にとおいのり申し上げます。 かしこ 菊 紅書房主人
* 早大、神戸松蔭女子学院大からも受領の挨拶があった。
* しごとらしい何も今日は出来ず。晩は、何度も何度も見てきた潜水艦映画をハラハラしながら見ていた。黒いマゴに輸液したら、本など読んで、リーゼを服して、寝よう。
2015 5・21 162
☆ 秦君
ご本(=湖の本124「生きたかりしに 上」)、ありがとうございました。お元気そうでなによりです。
最近通販でウオーキングシューズを買い、履き心地がよいので、折に触れ、洛中、洛外を歩き回っております。
今年は下水事業開始85周年と琵琶湖疏水竣工125 周年の記念行事に参加して、上鳥羽下水場の「藤」と蹴上浄水場の「つづじ」をゴールデン・ウィークに楽しみました。
仕事の関係で30年近く湖国住まいをしましたが、生まれ育った京都に戻って10年、ふるさとの良さを実感しております。
再会の機があればと願っているのですが、お互いに息災でさえあれば歓談できる日もあるでしょう。
何はともあれ、充分ご自愛のうえご活躍のほど念じております。
本当にありがとうございました。 森下辰男 京岩倉
☆ 秦 恒平 様
「湖(うみ)の本 124 生きたかりしに(上)」を拝受しました。
上田秋成の足跡と重ねながら御生母様の生涯の軌跡を辿る30数年に亘る成果を、確りと観取したいと思います。
2015/05/22 濱 靖夫拝 練馬 妻の従兄
2015 5・22 162
☆ 初夏を飛ばして、
真夏になったかのような陽気ですが
先生、体調はいかがでしょうか。
「生きたかりしに」拝受いたしました。
インタビューさせていただいたときに、少し話してくださったお母様のことをお書きになっておられるとのこと、心して読ませていただきます。ありがとうございます。
そして、なにより嬉しいのが「京都で逢いましょう」とお書き添えいただいたことです。
これから暑くはなりますが 京都国立博物館の常設展の建物も快適になりました。ゆっくりご覧いただけるかと思います。
ぜひ、京都にお越しの際は、お声かけいただければ幸いです。
私は、これから 何必館と、細見美術館、鉄斎堂ギャラリーへ行って参ります。
先生のお話を思い浮かべながら、新門前あたりを歩いてきます。
では、季節の変わり目、どうぞご自愛いただきますようにお願い申し上げます。 香 京都府庁
2015 5・23 162
☆ 『湖の本124』拝受
生涯をかけられたともいえる御作を読む幸運を頒ちあたえて下さってありがとうございます。当時の担当者はおそらく**でしょうか、いまは読書もかなわぬ体調ですが、きっと完成を喜ぶことでしょう。かわりに拝読するつもりです。
その前菜に腹の座った食いしん坊ぶりをまずは楽しみました。これぞ<快>を知るひと! <飲むも食うも勝手次第>とはいえ、どうぞどうぞお身体お大切になさって下さい。 敬 講談社元出版部長
☆ このたびは「湖の本」124
ご恵投下さりまことにありがとう存じました。『生きたかりしに』は秦文学のモチーフ「生まれる」に対応するものかと想像しています。
選集本「強っての希望」あらば申出よとありました。 厚顔を承知で手もとにない第二巻と第五巻を「希望」いたします。もとよりご笑殺も可です。 御礼までです。 東郷克美 早大名誉教授
☆ 大患を
幾つもしのぎながらの文学活動 まことに見事で 貧脳をかかえて終末をまつばかりの身にとって大いなるはげましとなっております。
奥さま共々 くれぐれも御身ご大切にご活躍のこと深く祈り上げます。 冽 俳人
☆ 若葉が
風にかがやくよき季節となりました。
選集第六巻 拝掌しながら 雑誌(歌誌)に追われており失礼をしておりました。
体調のこと お案じ申し上げております。 松坂弘 歌人
* 過分のご喜捨にあずかった。毎々、ありがとうございます。
☆ 「湖の本124」
早速拝読いたしております。一章の「名柄の里」を読み了ったところで思い立ち、この寸書を記しております。
秋成の実母と秦様の実母とを重ねての書き出し、まことに興味深く、これから以後が愉しみです。
また「私語の刻」の美食談議 私には羨しい限りです。カルバドス、秦様は「モンテクリスト伯」でその名を記憶されたとのことですが、私はレマルクの「凱旋門」でその名を知り 四半世紀前に 初めてパリを訪れ サンジェルマンデプレの小さなビストロで口にしました。カルヴァドスはワイン同様、ピンからキリまで味の優劣が極端に激しい酒とのことですが、私の飲んだのは中の上程度のものだったようで、さほどうまいとは思いませんでした。
最後にお願いで恐縮ですが、もし可能であれば「湖の本37 38 39 親指のマリア=シドッチ神父と新井白石』いただけませんでしょうか、もちろん代金はお支払い致します。
今後のますますのご健筆、心よりお祈り申し上げます。草々 鋼 歌人・翻訳家
* 回復された瀬戸内寂聴さん、「新潮」元編集長坂本忠雄さん 山梨県立文学館、中京大、法政大、大阪藝大、岐阜聖徳学園大からも、「湖の本124」受領の挨拶を戴いている。上中下巻三册が出来るまでは、感想も出にくかろうと思っている。私も一読者の気持ちで気を入れて読み直している。
☆ 空腹の方がよいと
おっしゃっていますが、やはりもう少し栄養をお取りになれれるといいですね。
体はほっそり、心はふっくらを心がけたいと思っています。
ご本(湖の本)は、残念ながらまだ届いていません。 黍
2015 5・23 162
* 各務原の石井真知子さん、岐阜特産の鶏卵三ケースに特製の出汁二瓶を添えて下さった。感謝。
2015 5・24 162
☆ 帰国
お元気ですか? HPの記載から、鴉が精力的にお仕事を進められて、今は『修羅』を読んでいらっしゃる様子。
留守中に「選集⑥」が届いていました。さらに今朝、湖の本が届きました。
わたしは帰国して、さすがに疲れが溜まっていたのでしょう、ぼんやり過ごしていました。
が、今日は『生きたかりしに』に沈潜していました。秋成に関するあたりはまだ未消化ですが、読み進めるうちにグングン惹きつけられていきました。
中、下と近いうちに読めるとか。人の生きた証を、鴉は勿論の事、お母様、恒彦さんの生涯をこのような形で書き残されたこと。重く響くものが迫ってきます。
石馬寺、能登川、繖山、近江の村々、それぞれにわたし自身も歩いた日を思い起こします。
今日は時間がありませんので長いメールが書けませんが、とりあえず帰国のお知らせまで。
くれぐれもお身体大切に、そして存分に日々を過ごされますように。 尾張の鳶
* 帰ってきましたか。よしよし、無事でなにより。『生きたかりしに』がどう読まれるか、鳶の場合をとても気に掛けています。
2015 5・24 162
☆ 長らく音沙汰なしで申し訳ありません。
<「湖の本」124―生きたかりしに(上)>落掌。ありがとうございます。
選集や「湖の本」を頂戴しながら、御礼のメールすらも途絶え誠に失礼しております。深い意味はありません。拝受のご連絡をしようと、思うのですが、作品や、その度のご業績に圧倒されて、自分のようなものが気軽にメールなどを差し上げていることに臆するうち、こんなことになっている次第です。
(秦と同じ=)大学を出て就職をして、今年4月で丸30年。無駄に重ねた馬齢とはいえ、“いい年”をしたオッサンなのですから、臆すること自体が、
無礼なことだともアタマでは承知していながら、50を越えた男が、二十歳前後の学生が本当の自意識もないのに、自意識過剰になっているような滑稽の極みなのでした。
本日(25日)は朝おきてすぐに、昨日、ポストに届いた「湖の本」を冒頭から拝読しはじめ、ふだん通勤の途中にある場所が出てくるのに興味をそそられ次々にページをめくりました。
途中、「私語の刻」を読ませていただいた次第でして、そこで、「あっ」と本当に声をだしたかもしれないような「言葉」に出会い。
その勢いで、メールを思い立ち、出勤前にPCに向かっております。
その「言葉」とは…。
“どれも、だれも、書いて読ませては呉れなかった、だから自分の読みたい世界を書いたのである。小説家が「小説」を創作し「文学」を表現するとは、本質的にそういうものだと私は心得ている”
という167ページ後ろから4、5行目の一節。
一瞬「自給自足」という文字がアタマをよぎったのですが、全然ちがうことはないとはいえ、少々、僕のピントがずれていますね。
自給自足なら、つくって食べて血肉となり、その他は排泄されるという循環ですが、小説というのは、いくら飲んでも、汲んでも、涸れない井戸のようなものなのだと、あらためて認識した次第です。
もちろん、
消費され、
一時的な満足があり、
毒にも薬にもならず、
排泄されても肥やしにもならない読み物もあることは、
抽象的な例えではなく、実際にあることは想像に難くありませんが、それは小説家が表現した「文学」とはいえないのだなぁ、…と、今更ながらに諒解したような面目ないことです。
添えていただいた“栞”に、
「湖の本」は通算百二十六巻をめざしておられるとあり、「生きたかりしに」が上中下で構成されるということは、この作品が創刊から29年の「湖」の掉尾を飾ることになるのか…と思いつつ、小説家の作品世界全体には、はじめもおわりもないことにも、考えをめぐらせました。
「飲むも食うも勝手次第です」とのことで、何よりです。
まずは取り急ぎ、
またメールをいたします。 秀 関西産経編集長
* 湖の本 まだ終刊は考えていません。小説の新作もじりじり進んでいます。さらに新たに書いておきたいと思うこと、次々に脳裡に浮かんできています。健康でさえ(わたしも妻も)あれば…と本気で思うのです。全掌篇集の『無明』や趣向の短篇集『修羅』を読み返していても、こういう「泥」の吐き方でなら、幾らでも世界は創れるのになあと、欲しいンは時間やなあと呟いています。
2015 5・25 162
* 郵便がたくさん来ていた。
* 国際基督教大学の並木名誉教授 文藝春秋の寺田前専務 逗子のの作家林京子さん、アカハタの北村隆志さん 金沢市の作家金田小夜子さん 各務原市の読者石井真知子さん 長岡市の詩人植木信子さん 川崎市の墨画家島田正治さん、国分寺の佳人持田鋼一郎さん、静岡大小和田教授 京下鴨の澤田文子さん また日本女子大 名櫻大学、立命館大学ノートルダム清心女子大学 東海学園大学等々のお便りを戴いているが、疲れていて今此処に記録は出来ない。
金田さん御喜捨いただいた。石井さん、じつに濃やかに美味い鶏卵を沢山頂戴した。湖の本も創刊このかた三册ずつ買い上げて下さっていて、感謝しきれない。
生母の親族へも古い記録で分かる限り戻り覚悟で「生きたかりしに」たくさん送ったが、予想通り、すでに逝去、また消息不明でバラバラと戻ってきているのは母のためにも残念、ただ一通、千葉県市川市から便りがあった。
☆ 秦 恒平 様
お便りと御著書 有難く拝受致しました。
恒平様は私の母 **(昭和62年80歳で他界)のいとこにあたられますので、私より一つ上のジェネレーションの方、叔父上様です。 ただ、実際の年齢では私が昭和3 年9 月生まれ(=わたくし秦は、昭和十年十二月生まれ)なので、私の方が少し年上です。
子供のころ、能登川(=生母の両親等の実家)へ行きましたが、おじいちやん(**)おばあちやん(**)がとても優しく、可愛がって下さったのをよく覚えています。 川でアユ釣りをしました(釣れませんでしたが)、三井寺などへも連れて行って貰いました。
恒平様はパソコンに詳しく出てきますが、私のは全く出ていませんので一寸自己締介致します。
北大農学部(旧制)卒、日本水産勤務、ペルー、シンガポール勤務各3 年余、ジェトロ手伝い、昭和58年太平洋水産、現在も代表取締役会長として土i 日曜日を除き毎日会社です。冷凍食品を製造していますが、本人は全くの「名ばかり技術者」です。
文学とか藝術については残念ながら文字通りの無学無知無能です。
三重県の関の家(**嫁ぎ先)は「亀山市有形文化財J として7 年j5市に寄贈致しました。 現在「旧**家住宅」として保存されています。
取り急ぎ御礼かたがたご報告まで。 草々 平成27年5 月22日 市川市 稲
* 作中でもわたしはこのぐんと年輩の「甥」の家を訪ねて、母上に当たる従姉弟からハナシを聞いているはずである。なにしろ、母の生家はわたしなどの想像を越えた大家で縁者のひろがりもひろく、わたしは目を回しそうであった。上田秋成ともいい勝負であって、何も知らなかった当初の想いは巻を追うに従い展開していった。父方も輪を掛けて白けてしまいそうに大きく、参ってしまった。
それでいて、甥にしてこの年齢だもの、従兄、従姉も、ましてその親の伯父伯母級の人達は、生きていてと願う方がテンでむり。やはり三十年前にこそ本にしておけば良かったのだ。がっかり。
* 湖の本ではいきなり一冊にまとめるのはムリだったが、できるだけ早めに次を用意したい、間が抜けないように。三冊同時に送って欲しかったというメールも来ていて。
☆ お元気ですか、みづうみ。
長い間ずっと待ち続けていた『生きたかりしに』を頂戴いたしました。ついに読める日がきたことに興奮しています。ありがとうございます。今朝 振込すませてきました。
パソコンに危険信号がでているようで心配です。私のような機械オンチが申し上げることではありませんけれど、外付けのバックアップを使っていらっしゃる場合、その外付けのものもある日突然壊れることがあります。機械は必ず壊れるものです。バックアップも是非二重三重になさり、リスク分散をお願い申し上げます。みづうみの膨大なコンテンツが消えたら、読者も泣きます。メーカーはいつ壊れるか予告を出してくれるパソコンや家電を発明してくれないものでしょうか。
今日の午後の地震如何でしたか。こちらのほうは震度3でしたが、体感的には震度4くらいに感じました。揺れるたびに、薄氷の上の日本列島に住んでいることを思います。
どうぞお疲れのでませんように。 竹 今年竹同じ高さに二本かな 素十
☆ 「選集」の第六巻
ありがとうございました。又又 私のお宝が増えました。
少しばかりですが別便で卵を送らせて頂きました。
気の利いたお礼は出来ませんが せめて卵かけごはんでもどうぞ。 真知 各務原市
2015 5・25 162
☆ 思い返しますと、
学徒動員の日から今日まで、ご本にあります「生きたかりしに」一念で月日を重ねてきたようです。開きました一節に、「十字架に流したまいし血しぶきの一滴を浴びて生きたかりしに」とありますが、道は異なりますが、八月九日に被爆死したクラスメートたちの命の一滴を身に浴びて私も生きて参りました。
ご健康をお祈り申します。 林京子 作家
☆ 昨日
並々ならぬ決意をもって始め、中断し、ようやく筆を収めた『生きたすりしに』の上巻をいただきました。いつも一方的に御恵贈にあずかり、忝のう存じます。
意欲作ゆえ、敬意をもって、昨日、学会発表の準備を差しおいて、一気に読ませていただきました。
引き込む力、いや書き手の気迫に満ちております。叙述対象にべったり取り込まれる通常の「私小説」とは全く違うという印象です。
時系列を乱す手法、すぐれた先人の情念との重ね合い、フラッシュバックの手法、叙述対象との教官と距離設定。才能の継受の宿命へのほのかなおののきと、抑圧しない誇り。
非凡な手法の小説であると、今回の書き物を拝読いたしました。
十数年来の食いしん坊日記は、うらやましくも ほほえましくも読みました。私は美食を知らぬ一学究として人生を閉じるでしょう。 感謝。 平安 並木浩一 東京国際基督教大学名誉教授
☆ 前略
『生きたかりしに』(上) 大変興味深く、一気に読んでしまいました。ずっと避け通してきた母に対し、ついに時満ちて、その人生をたどり直していく迫力と、冷静な距離感のある筆とがあいまってひきこまれました。黒川創さんとは面識があり、(先日も紀伊国屋サザンシアターの隣の席で民芸の芝居を見ました)恒彦さんと鶴見俊輔さんのつきあいも知っているので、私には身近に感じられます。今度の小説は続きが楽しみです。
世の中は安倍の戦争法案で、本当にあぶない方向へと一気に加速しており、「赤旗」と共産党こそがんばらねばと、仕事をしているところです。同人誌では加藤周一論を書きつごうと遅々とした歩みながら、著作集を読み込んだりしています。
あたたかく(暑く)なってきました。ご自愛ください。草々 北村隆志 新聞記者
☆ 立派なご本を
お贈りくださりありがとうございました。
頂いてから随分時間も過ぎましたのに、ページを開いてやっと『祇園の子』を読みました。最初のうちはともかく、後半から最後へ、頭を殴られるような衝撃のまま読み終えました。感動などという言葉では嘘になる、棒で殴られたようなということだけ、あとは何も言えないままです。遠く懐かしい回想だけを心のどこかに置いていたのでしょう。
『たけくらべ』もこうなるのだろうか……。
同学年の女子の暗い顔を思い出していました。学童疎開で信州に居りました。敗戦の日も近いある日、その子は先生の部屋に呼ばれていき、しばらくして、突然、号泣といってよい泣声が聞こえ、私たちは息をひそめてその声を聞いていました。やがて、その子の両親が下町の空襲で亡くなったことを知りました。
それからお祖母さんに引き取られていくまで、その子は何もしゃべらない笑うことのない子になりました。お別れで見送ったその日も何も語らず、かたくなにすべてを拒んでいるように。
戦争が終わつて一度だけ私たちはすれ違いました。私は中学生に、彼女は女学生になっていましたが、瞬間暗い目を交わしたまま視線をそらして過ぎていきました。
脈絡なく、いきなり浮かんできたことです。
今頃おかしな話ですが、後のお作は眼の具合の良いとき読ませていただきます。
遠くを夢見るような気持ちでお作を手にしています。
いつも秒を惜しむようなお仕事ぶりにはらはらしています。
どうぞお大切に。私もしやつきりしなければと思います
五月二十一日 宮下 襄 島崎藤村研究家
今日、『生きたかりしに』頂きました。
いつもいつも、傍らをあっというまに駆け抜けていかれるような。 五月二十三日
* 藤村学会会報に随筆・資料として、「『まからぬや』と『まからずや』」という面白い報告をされている。
☆ 拝復
『秦恒平選集 第六巻』を頂戴し 誠に有難うございました。巻頭の短編小説「祇園の子=菊子」から拝読。甲部・乙部(この呼び方もされなくなりました)の差異が子供の関係にも反映された作品に、複雑な気持で惹かれました。
早く、笠原伸夫氏が、谷崎より鏡花とのつながりを指摘されていたのですね。
「誰も読ませて呉れなかったから、自分の読みたい世界を書いたのである」
読者にとって、嬉しい言葉です。 草々 田中励儀 同志社大学教授 泉鏡花研究家
☆ 雑用に追われたまま もうすぐ定年を迎える身には、充実したお仕事ぶり、羨ましい限りです。 新保邦寛 青山学院大教授
☆ 御高著 湖の本124
『生きたかりしに』(上)巻 拝受致しました。ありがとうございます。
つい先日『秦恒平選集』第六巻をいただいたばかりでしたので、その精力的なお仕事に圧倒されます。
現在選集の「秋萩帖」を読み始めたところです。身がひきしまる読書体験です。 藤原龍一郎 歌人
☆ 前略 ご免下さい。
ご恵投に与りました「生きたかりしに( 上) 」 本日拝読し終えました。
秦様のアイデンティティを探す旅、興味深く存じましたが、まだ様々な伏線をはりめぐらせているという段階で、重要な事実は中、下によって明らかにされるのだろうと憶測しております。
私の父も 大倉喜七郎と芳町の芸者との間に生まれた子で 生後まもなく喜八郎夫人*子の実家**に養子に出されているだけに、今回の御作、まことに身近に感じております。 草々 恋ヶ窪 歌人
* 中巻へ、下巻へ転じていってたしかに驚かれるだろうと想いはする、が、言われている「伏線」とか手持ちのタネを「明かす」というようなことは、この私小説に関しては百パーセント無い。著者である私自身が何の推測も見当も持ち得ずに、ただもう一歩一歩脱線も覚悟で前へ歩いて歩いて見つけたり知ったり聞いたりしたことが、その時々に書き込まれている。時系列を正すことも、仕掛けをすることも、したくても殆ど不可能だった、何一つ出来なかった、であればこそ、私自身の「実感」として「事実は小説より奇」という気配のこの世にあり得ることにただ圧倒されたのだった。ただ、圧倒されっぱなしでなく、かなり冷静に普通の叙述を守った守ろうとしたのである。
* 写真家の島尾伸三氏 詩人の山中以都子さん、エッセイストの榊弘子さん、國學院大、大正大からも挨拶があった。
☆ 秦さま
お疲れは取れましたでしょうか
今回は、中身も量も重くてお疲れになられたのですね。
今はもうお元気に、美味しいものを求めてお出かけでしょうか?
田舎では、植物はすくすく育って、素晴らしい季節になりました。
お疲れが一日も早くとれますようにといのります。 畝 那珂
* 祇園の「辻」さんから、素晴らしい和菓子、京に咲く梅「おうすの里」を送って戴いた。「恋しくば尋ね来てみよかつらきや名柄の里のうらみ葛の葉」というたぶん即興の歌でわたしを名柄の里へ導いて下さった京大N名誉教授とはこの「辻」の止まり木にならんで盃を含んでいた。わたしの純然京ことばで書いた「余霞楼」という小説の題も、N先生の連載されていたエッセイの題からもじって頂戴したのだ。なつかしい、とても。
* 祇園北側の路地なかあちこちの店では、京都へ帰るつど、何人もの、当時既に高名を遂げられていた「先生」がたと止まり木に並んで酒を飲んだ、うまいものを食った。わたしは、これで生来人なつっこいタチで、特別ものおじもしないから、どんなえらい先生とでもすぐ話し合うようになった。わたしのしてきた、している仕事も多少は役に立ってくれた、こと歴史や文学や藝能や古美術に関してならわたしは聞きたい教わりたい質問がいっぱいいつも有ったし、おかしな文士だと笑っても貰えた。いまでも妻が言う、わたしも身に沁みておもうけれども、「いつでも、お年寄りに好かれる」のである。「売れないワケよ」とまでは言われないが、ま、そんなところだ。作家生活の大半をわたしは、太宰賞への招待を筆頭に、大先輩、先輩の作家や批評家や先生方に手をひいて表へ表へ引っ張り出してもらえた。わたしも、恥ずかしからぬ答案を提出する姿勢と気持ちとで手を抜いた 2015 5・26 162
* 井口哲郎さん、「待望の書。選集の方はひとまずおいておいて こちらを先に拝読します。お大切にと、心から」とご挨拶に加えて、お心入れ、万能薬効の蜂蜜大瓶を二つも頂戴した。ありがとう存じます。
* 神戸の木山蕃さんから、みごとな玉を用いた「風」の刻印を頂戴していた。ありがとうございます。
☆ 拝復
選集の「祇園の子=菊子」「糸瓜と木魚」を読み終えたところへ、「湖の本124」をお送りいただきました。
上田秋成は、興味は持ちながら、結局は研究せずにこの年齢になってしまいました。ただ、このところもっぱらかかわっている西山宗因の俳諧を最初に編纂したのが秋成で、二人の詩性あふれるその琴線に触れ合うものがあったのだと思っています。
二度の手術も成功し、今は七割方もとの生活にもどっています。発病以前から引き受けていた「永井陽子という歌人」の講演と展示にに郡上大和に行って来ました。思えば秦さんとおつきあいすることになったのも、(まだ直接おあいしていないのですが)、私の家集の贈呈先について彼女が推薦してくれたのが、きっかけでした。 島津忠夫 国文学者
*
* 故福田歓一氏(元東大法学部長)の奥さんから、「生きたかりしに」にご挨拶があった。一茶研究者で僧侶でもあられる上越の黄色瑞華さんからも、府中市の作家杉本利男さんからもお手紙が来ている。多摩美大、広島経大からも。
元岩波書店の高本邦彦さんからは「緊迫感のある私小説」と、妻の従姉弟の濱敏夫さんからは「益々の文筆のさかんなことに感銘を受けました」と、源吉兆庵の「桃泉果」を頂戴。有難う存じます。妻の妹からは、「今度のはすごそうですね」と。著者のいまの感じで言えば、読後は、つよいシャワーを浴びてのかなりの爽快感がのこるかと。桐生の住吉さん「久しぶりの書き下ろし作品 わくわくしております」と。「お元気で、ご無理なさらないように、願っています」と大阪枚方市の中村冨美子さん。「ご自愛の程、お願い致します、切に。この後の問題作も期待しています。」と藤沢市の永田さん。
* 湖の本へ、どっと。
☆ 先日は、
わがまま申しました。本当にありがとうございました。今回のお作も愉しみに(といっても、つらい中味かと思いながら)お待ちしていました。じっくり読みます。御大切に、どうぞよい日々でありますように。 碧 下関市
☆ 読みたかったです。
どうか御大切にされてください。私もいちばんらくなように がんばっています。敬白 e-OLD 千葉若葉区
2015 5・27 162
☆ 拝復
「秦恒平選集」第六巻 誠に有難うございました。
好きな「秋萩帖」も収められてありまして、楽しく拝読させていただいておりました。
この巻では笠原伸夫氏の評論も読むことができますのも魅力あるものです。こうした新しい作品の編み方がさまざまの全集や編集などでもと、おもったりしております。「私撰」の素晴らしさを感じております。
巻末の、「自分の余みたい世界を書いた」というお言葉に感銘を覚えております。「小説家が『小説』を創作し表現する」ことの意味を、大事なお言葉として心にとまりました。
一昨日、『湖の本』124巻目もいただきました。上、中、下三册の未発表作品というのも嬉しいことです。
ただ「疲労濃く」との文字が気にかかっております。これからも多くの新しい作品を拝読させていただきたいと願っておりますので、どうかくれぐれもぐお身体を御大切にと念じております。
重ねて申し上げますが、どうかどうかお身体を御大切にとお祈り申し上げます。
御礼と御礼遅延のお詫びまで。 敬具 馬渡憲三郎 藝術至上主義文藝学会会頭
* 万葉学者の中西進氏、「金八先生」の小山内美江子さん、 もと早稲田中学高校教頭・歌人の橋本喜典さん、神奈川県知事、親鸞仏教センターの本多弘之氏、二松学舎大からもご挨拶を貰っている。
☆ 前略御免下さいませ
お送り下さったご本 確かに拝受致しました。
残念ながら両親は共に唱和六三年に亡くなり過去の人となっております。 (娘の)瑞穂は海外在住につき、本日(五月二十七日)連絡がとれ開封させて頂いた次第です。着状だけでもお出ししてほしいとの言付けでしたので 葉書で失礼とは存じましたが、お気持ちを汲みつつお礼申し上げます。
ご健勝をお祈り致します。 田中瑞穂 代 横浜市旭区
* 代筆の方がどなたか分からなくて残念だが、瑞穂さんは生母の次姉の孫に当たる人かと想っている。返事がもらえただけでホッとしている。佳い代筆だとこころよく思えた。
☆ 前略ご免下さい。
このたびは御著『親指のマリア』上、中、下、早速ご恵投頂き深く感謝いたしております。
シドッチと新井白石との関係についてはかねてより関心を抱いておりましたが、生来の怠け癖のために、いままで深く勉強しておりませんでした。御著を通じ、江戸時代にあってとびきりの合理的精神の持ち主であった白石と、布教の情熱に燃えて来日し、獄舎につながれたシドッチとの対話について、じっくり考えてみようと存じております。
私は、小学校一年から中学一年まで小石川に住んでおり、小日向台あたりまでよく遊びに行き、キリシタン屋敷の前を何度も通ったことがあります。すでに塀はなく、庭がまる見えで、土か石でこしらえた動物(鳥やキリンだったと思います)が点在していたのを記憶しております。子供心に、この屋敷は何だったのだろうかと疑問を何度も抱きましたが、深く知ることはありませんでした。御著を通じて子供のころに抱き、そのままになった疑問が氷解して行くのを楽しみにしております。
「生きたかりしに」「親指のマリア」をすべて拝読いたしましたら、御礼かたがた一度ご挨拶に伺いたく存じております。(中略)
目下、六月半ばに国際文化会館で開かれる小さな会で「漱石と近代」という話をするために、全集を読み直しております。昔、途中で投げ出して了った賦「文学論」をいま読んでおりますが、漱石の桁違いの英語力と感覚の鋭さに改めて驚いております。論そのものにはいささか強引で無理なところがあるような気がしますが、自然科学的な方法で文学を論じようとした漱石の異様な情熱にひかれるところがあります。
最後になりましたが、秦様のご健康とご健筆、心からお祈り申し上げます。また「生きたかりしな」中、下巻の到着を心待ちにしております。 草々 持田鋼一郎 元筑摩書房編集者
☆ 拝啓
まだ5 月だというのに気温30度とか、また噴火や地震も頻発、なんとなく生活に不安をおぼえる毎日です。お元気でお過ごしで
しょうか。
先日は、『湖の本』124 巻お送り頂きましてありがとうございました。「生きたかりしに(上)」、たいへんに重い私小説のようで、しっかりと読ませていただきます。
また、先日申しておりました「秘色」論、予想以上に早く載せてくれましたので同封させていただきます。的はずれなことを書いているのではないか、と相変わらず心配しております。
どうか今後ともご教示のほどよろしくお願い申しあげます。
くれぐれもお身体大切に。平成27年5 月24日 永栄啓伸 奈良五条市住
2015 5/28 162
☆ 生きたかりしに ありがとうございます
湖の本、ありがとうございました。
いったん読み始めると寝られなくなりそうで・・この週末に一気にいこうと思っております。
ちょっとがまんできずにパラパラとめくってみましたが引き込まれそうになって慌てて閉じました。
感想や思いを文字にするのは苦手ですので、心の中で反芻することになりそうです。
杉本秀太郎さんが亡くなられました。
我が家とご縁のある方で ( 仲の良い従兄弟の奥さんのお父様です) 数日前に具合が悪いと聞いてはいましたが とても残念です。法事などで幾度かお目にかかりました。穏やかな、そしてはとこたちにとってはとても優しいおじいさんでした。
杉本さんといえば、私にとってはやはり最初に読んだ「湖の本」のあとがきに名前を見つけたときです。なんだか秦さんと自分が縁があるように勝手に思ったことを思い出します。今年の伯牙山は寂しくなりますね。
寿命とは不思議なものだなと思います。
したいお仕事の山登り、どうぞお楽しみくださいませ。
でもご自愛を・・と口をついて出ますが。。
どちらも本当です。 京山科 長村美樹子
* 佳いメール、胸にひびくメールを、ありがとう。
* わたしの読者の第一号は、二人の読み手、杉本秀太郎と新潮社の宮脇氏だった、太宰賞の「清経入水」に同時に手紙が来た。杉本さんは「ジュ スィ キヨツネ」と書いてくれていた。「秘色」を発表したときも展望に投書してくれていた。そのころは京都女子大のただの教授だった。「展望」で、対談したこともある。本は送り続けていた。あんまりたくさん行くので、彼、惘れていたかもしれない。仕事で出かけて泊まっていた烏丸京都ホテルの地下の食堂でひとり食事していたとき、杉本さんが友人らしき人と来て、少し離れた席で食事をはじめた。彼かなと想ったが確信なく、そのまま行き分かれたのが顔を見た最後だった。亡くなったとは、年齢を数えればありえたこととはいえ、いつまででも生きている人のように想っていた。
* ベ平蓮事務局長の吉川勇一氏も同じ八十四歳で亡くなった。同じ西東京のすまいで、わたしの仕事をよくホームページで紹介して下さった。兄恒彦らの同志であった人、わたしはその周辺にいただけだが、志は近くに在った。
2015 5・29 162
☆ 薄曇り、外気温25度
メール嬉しく。
選集の第九巻を既に入稿されたとのこと、驚嘆します。快哉!!! 鴉の切ないまでの覚悟と情熱です。( 悲壮、悲愴とは申しません。)
「両の腕に抱っこする孫ちゃん等が日本にはいなくて不服で唸っているのではありませんか」との問いですが、さにあらず。
元気なつもりでも、やはり年齢は意識いたします。もう少し近くに住んで時折会えたらいいのですが、疲れますが面倒を見ることだって十分引き受けますが。
空港で別れる時は悲しかったですよ。
帰国して一週間、やや睡眠障害?でつらく、グズグズ暮らしています。日本に帰ってきても例年より早い夏のような天候で、たじろぎました。
昨日メールをいただいた頃、わたしは久しぶり、多分五、六年振りに映画館にいました。一人では、行っていないでしょう、娘に誘われて出かけました。
『セッション』というジャズのドラマーを目指す若者の映画。ジャズも、ドラムも凄いと再確認、これは極めて単純な感想です。
昨日のHPでは、お母様と恒彦さんが「同志」的に近づいて行けたと指摘されています。それと無縁だったからこそ鴉は後の人生で闘えたとも書かれています。そのようにわたしも納得できます。
安易に歴史的な背景を持ち出したくはありませんが、二十世紀を通して人々の運命を左右した大きな要素は何かと言えば、社会主義と資本主義、帝国主義の衝突だったと改めて思います。その延長の今世紀、現在をも揺り動かしています。
主観として、自分についてもさまざまな要素を( 性的な要素なども無視しがたく) 振り返りますが、世界の流れの中の一人としての姿をみています。それにしてもわたしは闘いが嫌いな人だから・・弱い人間だと思います。
話が逸れましたが、『生きたかりしに』については中、下の部分をまだ読んでいない段階でどこまで読み込めるか・・考えています。
暑さが早くから到来、夏が案じられます。お身体ひたすら甘やかし無理なさらぬよう。
気力充実、闘われますよう。 尾張の鳶
2015 5・29 162
☆ 湖へ
また御無沙汰してしまいました。「選集」に続き「湖の本」も送って頂きありがとうございます。
私は忙しい毎日ですが、元気にしています。奥様の心臓処置、無事に、ホッとしました。
実は…夏の金澤での茶会に御誘いしたいと… また御連絡させて頂きます。お元気で。 珠
* 「珠」さん、過分に「選集」へ助勢して頂いた。感謝。
2015 5・29 162
☆ まいにち暑いです
「生きたかりしに」、はじめから惹きこまれて、ほぼ一息に(上)を読みました。
あとは、とりとめのない感想です。
まわりの方々が、亡くなるまえに本にしておけば、ということを気にされていますが、今でよっかたと思います。
なにかのためのものでなくて、完全に一つの「作品」ですから。
テーマがはっきりしていて 読みやすかった。
53ページに、誤植。
36と71ページの、「がったり」という言葉がめづらしかった。
いつかもっと丁寧に、書こうと思いますが。
自死のことも。
とりとめのないことを、それでも、捕まえておきたい、と、たいへん。
おゆるしを。 柚
* 亡くなった兄は知り合った当初むしろ賛成でなかったが、わたし自身は、作家生活のハナから、よく読んで下さり、感想を持って育てて下さり、なんらか生涯に響き合うモノを感じて下さる読者を、血縁や俗縁を超えて心の「身内」と想い、親しく迎えてきた。血縁や俗縁には偶然がある。読者との縁には「作品」というよかれあしかれ命が在る。
* 「がったり」という物言いはわたしの辞書にもなかった、母の家集のアタマの、早い内に、「がったりしてはいけないよ」と言われ、しかし真実「がったりしている」という述懐があった。感じが伝わるので、わたしもつい一度どこかで用いたはず。
誤植の指摘はありがたい、が、著者自身でもなかなかそれが見つけられない。校正は怖いしごとである。
2015 5・30 162
☆ 秀樹です。
「湖の本124 」が届きました。ありがとうございます。全冊揃ってから読み始めようと思います。
今は「客愁」第1部3冊と「罪はわが前に」「逆らひてこそ、父」を併読・再読しています。
「罪はわが前に」を読んで自分の誕生日が火曜日だったことを知りました。
「丹波」では私も幼少期に友達からは「デキ」「フデキ」更には「オデキ」などと呼ばれていたことが懐かしく思い出されました。 野川在
* 湯川秀樹博士の盛名を聴いて育ったわたしには、その名は「フデキ」どころでない憧れだった、作の「丹波」の結びでもそれを逆手にとって書いたんです。ご勘弁あれ。
2015 5・30 162
☆ 選集 第二、五巻
お恵み下さりまことに恐悦にぞんじます。田舎者ゆえの厚顔のお願いお赦し下さい。
早速読み始めましたが、「清経入水」など、四十数年前の初讀の印象とはまったくちがっていて驚きました。
「冬祭り」はなぜか未読で、これから楽しみます。
今や老耄の境にある小生などとは一歳年長であられるはず、どうぞ御大切になさいますように。
御礼までです。 東郷克美 早稲田大学名誉教授
☆ 「生きたかりしに」
三巻まとめて拝読いたしたく、楽しみにしています。それにしても、三十余年、考えつめる息の長さに驚嘆するのみです。
十五年前のインシュリン注射しながらの美食行は、小生も、糖尿病などで、朝晩コレステロール、高血糖、高血圧対策に十種類の粒薬に、四種の漢方を服用している身には、痛いほど、甘いもの欲しさを躰が要求していること、わかります。「戦中戦後の飢えた子」は、当方、いまだ、食パンに漉し餡など欠かせずナゲキの80歳です。その他、病状の山盛りです。 徳 松戸市
2015 6・1 163
☆ 選集第六巻かたじけなく拝受、
ありがとうございました。
小生先般、秦先生あのご達成を十二分に評しうる人物は もはやこの劣化した國には存在すること難いのではないかと、半ば本気で申し上げましたが、このたび、六巻収録の笠原伸夫氏の一文に接し、それが杞憂であることを知りました。
先生の作品がいかなる代物であり、その作者が如何なる代者(ママ)であるか、ということの本質的な把握がすでに早期に尽くされており、まことに稀有の幸いと安堵した次第です。選集の堂々たる完結の日が、あらためて一層の楽しみとなりました。
もちろん、今回(第六巻)も、収録のどれもこれもが味わい格別で、徳に絵画好き・蕪村好きの小生としては、前巻につづき再読三読。ひねもす のたりのたり、にやりにやり。一字一語一句一行、そして行間に立ちどまり、至藝の襞、その陰翳に遊ぶ至福の時━━いつもいつも先生ってほんまに「けしからんヤツやわ」と誰かさんも言うてはりましたが、これぞほんまの秦(ママ)迷惑! 乱筆乱文不悪 不尽 (つづく)
二伸
と思いきや。にやりにやりの直後に『湖の本』124「生きたかりしに」(上)到着。
それは何と、永らく未公表の長編の始まり。しかもそれは、件の先生が何者であるかに関する根本資料ともなるに違いない大変な代物。それを、笠原氏の一文収録と呼応させるタイミングで公表に踏み切られたご決断は ただごとならず。小生、先程までのにやりにやりはどこへやら、一字一語一句一行、そしてその行間に立ちどまり、一転、身を引き締めて拝読させて頂きました。
上田秋成をからめた先生独特の二重奏、その綾襞の乱れもさひそと思いつつ、(中)(下)の展開を慎んでお待ち申し上げます。
それにつけても、つくづく思うことですが、先生は「けしからんヤツ」であるどころか、大変なお方ですね。笠原氏ほどではありませんが、小生も 早期に先生のお作と出逢い、その特質・本質を直感的に察知して驚ろき喜んだ一人です。しかも、その後のご活躍とともに、あたかも的の真中を射抜いているかのような実感が強まる中で、歓びも一層本格化し、今日に到っております。
失礼ながら、又、先生とは世代も近く、価値観や美意識なども重なるところ少なからず、うれしい限りで、まことに読者冥利に尽きます。
何卒何卒 御身ご大切にと念じ上げます。
末筆乍ら御令室様にも何卒よろしくご鳳声下さい。
原稿電子化のご苦労、さぞやと お察し申し上げます。 不尽 岡田昌也 神戸市
高砂・前濱のアナゴ、ほんの少しのみ、別便にて
お口に合えば幸甚に存じます。
* 恐れ入ります。
2015 6・1 163
* 歯医者の間違い
それでも、事前に気が付かれてよかった。
大切なスケジュールは目につくところに書き置いておくといいかもしれませんね。
(上)を読了。
「筆にかかって存分に書かれてしまえば、現実もはや残滓に過ぎない。」
書くこと、書かれることの幸と厳しさを改めて思っています。
53頁「紹介したいた」の他、誤植は140 頁「見晴らしなると」、154頁「して、、」くらいでしょうか。『京のひる寝』では誤植が目立ってちょっと心配もしていたので、ほっとしました。(偉そうな物言いに聞こえたらすみません。)
今日も暑くなりそうです。どうぞ気を付けてお出かけ下さい。 黍
* 誤植を教えて戴けるのが、有り難い。目を皿にしている気が、猪口ほどに視力も視野も縮んでいて、独りのちからだけで誤植をゼロにするのは容易でない。明らかな間違いと見えて、しかも大意や真意を見失うような誤植がこわい。いくらか、お察しいただくという気味も動きがちになるのは、よろしくない。三校する元気が無く、入稿まえに原稿を読み、初校でルビを入れるなどし、再校ゲラで責了へ持ち込んでいる。誤植には、ひやひやする。しっかりした出版社には「校正職」のプロが少なくも一度は見てくれているが、わたしの「選集」にも「湖の本」にもそんな手助けは無い。目の酷使、避けたくも避けられない。また自分で繰り返し読めばこそ、たとえ句読点の一つでもより良い作へと直すことも可能になる。作者以外の人にそれをやられては困る。
* このところ、意識も意図もして「自作」に触れて相当多くかつ繰り返し書いている。有り難い読者のお一人が久しくこの「私語」を数十種の主題に分類してきて下さり、それあればこそ、容易に過去の、たとえば「食いしん坊」にせよ「文学を読む」にせよ容易に引き出せる。出来うれば少なくも「選集」創刊の作業にかかった頃(平成二十六年年初)からの「私語」分類に「自作を云う」一類を立てておけると、いくらか論者や評者の批判・批評に役立てて貰えるかも知れない。
2015 6・2 163
* 東大名誉教授上野千鶴子さんから、『思想をかたちにする』と難しい題の「対談集」が届いた。
「いつも『湖の本』ありがとうございます。たゆまぬお仕事ぶりに感嘆しております。拙著一冊お納め下さい。三浦(=佑之。立正大教授)さんとの対談(「古事記はなぜ生きのこったか」)だけでもごらんいただけると幸いです。」と。
ま、エネルギッシュな上の三に感嘆してもらうなんて、えらいこっちゃ。
☆ 前文おゆるし下さいませ。
何時もご本をありがとうございます。
私は今年の十二月八日には満九十四歳になります。七十八歳の時には名古屋能楽堂で能「巻絹」を演じました。人ごとのようにそのビデオを見ていると とても癒されます。
扨て、長兄俊吉一枝の一人息子力(チカラ)は能登川の家(=本家)を処分して東京の家族のもとに移り住んだ直後 平成十八年 疲労も一入だったのでしょう すぐ亡くなりした。
津島によく立ち寄ってくれましたので その苦労を思いやり可哀想でたまりません。 力には息子と娘が居りますが 息子は中国人と結婚 娘はピアニストでアメリカ人と結婚、アメリカに居ります。
三番目の兄の娘に 今朝電話であなた様のことを話しましたが、もう気力はないようです。甥も姪も年をとりました。
阿部の親族という事ですが 代が変わり 年をとっても繪に夢中になっているのやら飜訳で稼いでいるりやらおりますが、皆それぞれ一生懸命に生きてをります。
私はもう間もなく無の世界に行くでしょう。
最后に ご本のお礼が云いたくて一筆したためました。何のお礼もせずお許し下さい。
あなた様もご夫婦お揃ひでいつまでも
お健やかにとお祈り申しあげます。 かしこ 富永 豊 生母の姪 津島市
☆ ながらの里
名柄郵便局だった木造の建物が改修され、郵便や歴史関係の資料展示スペースをもつカフェになったと つい先ごろニュースで知り、名柄もずいぶん歩いていないなぁと思っていたところでしたから、さっそく近鉄に乗って御所(ごせ)駅へ向かいました。
御所駅に入っている市の観光案内所では、見るからに働き者といった顔だちの日に焼けた男性がきびきびと説明をしてくださいました。
南郷の極楽寺ヒビキ遺跡について訊ねたところ、発掘調査当時、農地関係の仕事をしていたもので覚えてます、焼けた建物だ、書いてあった通りだと話題になりましてねぇ など当時の話をしてくださいました。
観光地図をいただいて、まずは長柄神社にお参りです。
以前の印象よりよほどからりと明るくなりました。境内の巨木が何本も伐採されていたからです。
郵便局は残念なことに休業日でした。持ち主の池田さんが市に無償貸与して、お隣がご実家である堺屋太一さんのご寄付などで成ったそうです。
大庄屋をつとめていた末吉家、代官屋敷だった中村家、大宇陀の久保本家から明治に分家した久保家「葛城酒造」、太神宮ときざまれた石灯篭と地図通りに見て歩き、久保家の脇を西へ曲がり 坂をのぼって増(まし)地区へ入り、移転した郵便局を見て坂をさらにのぼると、土の塀があり、一枚板の門をもつお屋敷がありました。
増からとっとっとっと下って、室宮山古墳の石室を覗きに行き、バスで御所駅へ戻り、タクシーで、櫛羅から猿目橋、梅室、山口、寺口と山裾を葛城山麓公園(葛城市寺口忍海古墳群)へと走り 忍海駅で近鉄に乗りました。
葛城市歴史博物館で開催中の展覧会が この寺口忍海古墳群に関する内容で、千賀久館長が30年余り前の発掘調査に参加されたことから、先月、講演会があったのです。
竹は皮を脱ぎ、柿はちいさな実をつけ始めていて、梅の実が葉陰で育っています。栗の花が咲いていました。
葛城の山々は青く潤み、畝傍山と耳成山が重なって見え、龍王山、三輪山、音羽山。
千賀館長が、タイトスケジュールでつらいこともあったけれど、景色に見とれてカメラをぶら下げたまま立っていたことを思い出したとおっしゃったのがわかります。 名張の囀雀
* 景色が目に蘇って心ひろやかに懐かしい。上田秋成の目にも景色はしみ入ったであろう。
2015 6・2 163
☆ 拝啓
今年もはや六月に入りました。さきに選集」六巻をお送りいただき、また続いて 「湖の本」をお送りいただきました。
「祇園の子=菊子」 「糸瓜と木魚」 を読んだところで、「生きたかりしに」を読みかけると、おもしろくて一気に読みました。新門前通りというのは、たしか昔ふうの旅館があって、岩波の仕事か何かで、一度泊まったことがあり、あのへんかなと思いながら読んでゆきました。N氏は、野間先生ですね。先生もその旅館をよく使っておられました。
「祇園東新地一帯が、江州膳所藩主本多守膳正六万石のもと屋敷だった」とあることも、いま本多氏のことをちょっと考えていることもありまして、ありがたい手掛かりでした。
岡見正雄先生の名前が今度はそのまま出て来て、「おいと」もよく連れて行ってもらったな、と思い出しています。
同封の「連歌俳諧研究」は何のお役にも立ちませんでしょうが、能登川のことが問題になっているので、お送りします。
いま能登川は、金子金治郎氏が宗祇が伊庭の出だと言われたということで、大騒ぎをしています。この資料の閲覧のために出向いた時も、この地の人が何人も待っていて、その説を肯定してほしいとばかりの話でした。私は肯定も否定もできないと思っているので、その点では苦労しました。この論考を送った時も、宗祇自筆といっていただいたことはありがたい、と言いながら金子説が学会で諸手をあげて承認されるのを待っていると書き添えられていました。 島津忠夫 京都女子大名誉教授
* 能登川は今の東近江市のうちで、同範囲内に「伊庭」があり、小学生だった息子の建日子と旅したとき「伊庭」にも寄っていた。伊庭があの宗祇の生地とは、新説確認は経ていないが、ほほうという気はする。
* 羽生清さん、お手紙と、京・鶴屋吉信の銘菓を下さる。山口市の平野芳信さん、虎屋の羊羹二棹下さる。感謝。
☆ 選集五巻、六巻
ありがとうございました。
お身体の調子は如何でございましょうか。
京都の六月にきれいな風が吹いています。
四月には、南禅寺で デジタルで復元された等伯の障壁画を観、美術館で並べられているガラスごしの繪ではつまらない、新緑のお庭と共に見るのが一番と思いながら 土居(次義)先生について、お薄までいただいて鑑賞した大学院時代の贅沢を想い出しました。
『糸瓜と木魚』 グレーの水彩画が持つ いつ見ても新鮮な空気感、その秘密が解けてくるような気がいたしました。そこには 対象と それを描く淺井忠の間にたちこめる大気の表現があり それが水彩画と観る私の間に振動しはじめる……それを絵筆でつかまえるか、言葉でつかまえるか、子規や漱石が繪を試みられずにおれなかった気持も伝わってくるように思われました。
描いた人と観る者の間に流れる気のようなもの、それは現代最新技術でコピイされた繪からは感じられないものと言い切れるのか……
土居先生は「繪の真贋判断は直観が大事」と言っておられましたが…
御本から 繰り返し勉強させていただいております。
かねてより目に残っていた『春風馬堤曲』の「裂裙且傷股」。 人形振りのお芝居を楽しみながら これまた考えさせられました。
俳諧と漢詩で ひとつしかない世界を創りだす蕪村の遊び心と重なる工夫で生まれた作品のなかで、 奥様が人形としてだけでなく黒衣として大活躍されているような面白さがありました。
先生、奥様 どうぞ くれぐれも お身体大切におすごし下さいますように 羽生清 美大教授
* 土居先生の 障壁画を目の前にしての講義 なんと 懐かしいことか。松園と祇園井特を書いた「閨秀」にも、子規と淺井忠とを書いた「糸瓜と木魚」にも、土居先生に戴いた浩瀚な論著の学恩が生きている。先日、生まれてはじめて東郷克美さんから「学匠文人」というあだ名を頂戴したが、さもあるやらん…か、と納得するムキをわたしはたしかに早くから持っていた。論文で論じない小説で論じたいといつも暗に、陽に、願い続けてきたのだろう。「最上徳内」も「新井白石とシドッチ」も「加賀少納言」も「月の定家」も「風の奏で」も、みな、そうだった。
☆ 「生きたかりしに」
拝読しいたしました。「書かずにすますわけに行かない」お仕事として(p.146 )受け取りました。
p.161.1 行目「優しいね」と建日子が私の耳に囁く。から、 佳い旅だったと父と子は言い合い、荷物をベンチに置いて相撲の真似もした。このページが好きです。
p.177 (うまいものを の会へ)エレベーターの前で先生をお迎えしたこと、お帰りの際、ごあいさつして下さったこと。
懐かしいです。 宮本裕子 練馬区
☆ 拝啓
まだ5 月だというのに気温30度とか、また噴火や地震も頻発、なんとなく生活に不安をおぼえる毎日です。お元気でお過ごしで
しょうか。
先日は、『湖の本』124 お送り頂きましてありがとうございました。
「生きたかりしに(上)」、たいへんに重い私小説のようで、しっかりと読ませていただきます。
また、先日申しておりました「秘色」論、予想以上に早く載せてくれましたので同封させていただきます。的はずれなことを書いているのではないか、と相変わらず心配しております・。
どうか今後ともご教示のほどよろしくお願い申しあげます。
くれぐれもお身体大切に。 永栄啓伸 奈良県 現代文学研究者
☆ いつも
大変に貴重な「湖の本」いただき乍ら ご無沙汰のみ 申し訳ございません。
今回は特に感動的なお作品で、批判などとてもできません。
やはり このような形で作品化なさったのが、一番よかったのでは、と、思っております。あと二回の出来が待たれます。
ご健康とますますの御健筆を祈りつつ 風邪をこじらせ苦しい日々を過ごしております。
とり急ぎ御礼のみにて。 つかだ みちこ 作家 杉並区
* 人権擁護の活動で國の褒賞を受けている川西の東野美智子さんからも、巻紙に絵入りの綺麗なながい手紙を貰っている。「生きたかりしに」ともこもごも重なり触れてくる重い「秘」の内容であり、再録はしない。生涯を賭けた進路について、大学生だったわたしのところへ中学卒業前のこの人が相談に訪れた日のことを覚えている。中学の茶室でわたしから茶の湯を習っていたのだ。
「思ったままの道へ行きなさい」と奨めた。迷いなくこの人は祇園の舞妓、それも優れた藝妓にもなりえたのを一擲、きっぱり京都を去り、大阪で高校に進んだ。苦学して大学も出教育者になり、婚家の両親もやすらかに見送り、幸せに平和な家庭をきずきあげつつ、繪を描き、短歌をつくり、社会的にも献身のみちを歩んできた。文字どおり、よく生きた。もう一人の「祇園の子」であった。
2015 6・3 163
☆ 二十一世紀は(こんな)世紀になると思う。 (東工大・秦教室で)
以下は、平成八年(1996)一月、東京工業大学二つの大教室で、来る「二十一世紀は<どんな>世紀になると思うか」と問うたのへ、学生諸君が答えてくれた端的な予測であった。表題の(こんな)の箇所へ一つ一つの予測を埋めて、今、われわれ現実の思いと付き合わせ、世界人として、日本人として、日本国民として、思いを新たにしたい。あなたの実感に強く触れてくる回答が見つかりますか。
あの「教室」以来、はや二十年を経ようとしている。あの年、三月末、教授職を定年退官したのだった。
あの頃の東工大生諸君、今、どこで、何を願いつつ日々を生きているだろうか。みな、元気にしているか。
ーーー以下*回答ーーー
地球の・地球危機の・地球保護の・地球と共生(存続)へ選択の・地球( はは) の定年の・地球人としての・宇宙へ地球開国の・宇宙への・宇宙人としての・宇宙開発の・宇宙旅行の・運命の・現状維持の・灰色の・分岐の・分岐点の・衰退の・エネルギー不足で人類衰退の・停滞の・足踏みの・事故の・戦争の・破壊の・崩壊の・破滅の・終末の・最後の・終りの・消滅の・飢えの・悩みの・憂いの・混の・乱の・混乱の・動乱の・混沌の・大荒れの・動の・激動の・滅の・暗闇の・冬の・試練の・生残り( サバイバル) の・運まかせ七転八倒の・絶望の
地球的( グローバル) の・ボーダレスの・東西南北統一の・アジアの・中国の・南の・第三世界の・アフリカの・地域単位の・
科学の・哲学の・倫理の・神の・科学技術の・生命理工学( バイオテクノロジー) の・エコロジーの・遺伝子工学の・ロボットの・化学の・数学の・音楽の・イメージの・マスメディアの・コンピューターの・インターネットの・ネットワークの・科学分野大変化の・技術革命の・人口問題の・東洋医学の・核完全撤廃の・環境見直しの・開発見直しの・あと始末の・罪を償いの・賠償の・精算の・清算の・環境対策の・燃料節約の・生物の・物質の・食物の・情報の・倹約の・量から質への・改の・真( まこと) の・虚の・自然の・本質的には進歩のない・変わりのない
人の・人間の・人間復興の・人類の真価の問われる・私の生き方の問われる・地に足を着ける・精神社会の・和の・心の・精神の・モラルの・人類愛の・いろんな意味で愛情の・平和の・安定の・確(着)実な・方向転換の・晴れ上がりの・挑戦の・交換可能の・夢の・ジャパンドリームの・時間改革の・善悪の・形式の・選択の・再考の・意識革命の・開花の・感性の・未知の・分極化の・すきやき型混在の・発展の・視野を広げる・価値観転換の・新たな価値観追求の・新たな価値探求の・想像力の・反省の・共存の・協調の・協力の・コミュニケーンヨンの・コミュニケーションの変化の・変革の・不安の・孤独の・空虚の・心無い・愛想笑いの・虚構の・希望と絶望の・僕の・僕らの・僕達の・俺の・オレ達の・私達の・今の若者の・我々若者の・大人の・おふくろの・高齢化の・老人の・女の・新人類の・個の・一個人の・自己の・エゴの・自他の境の・各々の・つながりの・非接触の・隔離の・猿の・武双山の・再生の・再出発の・例えばみかん(表面より中身)の・未来の・次の・二十世紀の次の・20と22との間の・二十二世紀を楽しみ待つ・
(以上、東京工業大学 2年生中心 文学概論 1996/01/08 出題)
宇宙の・地球の・科学の・電子の・情報の・全て簡略化の・環境の・破滅と再生との分け目の・混沌の・夕暮の・20世紀のツケを払う・大変な・宗教と科学と統一の・技術的に最後の成長の、そして人間的に最も堕落の・エネルギー革命の・鉄腕アトムではなく、人の・「生身の人間」の・人間性重視の・メンタル面が問題の・心の・精神の・精神と物質とが融合して行く・理性以上に感性が重要化する・清貧の・無関心から脱却の・人類の生きて行ける・手を施せる最後の・一人一人が決断の・すべて見直しの・アジア的考え方の・古きをかえりみる・よりグローバルな努力の・いい意味で遅滞していい・休息の・滅亡へは賢明に向かわない・我々世代の・平和の・廻の・前二千年のまとめをする百年
(以上、東京工業大学 3年生中心 総合B 1996/01/10 出題)
* 政治環境、機械環境、自然環境、原発破壊・廃炉を含む大災害環境、人間関係の劣弱化や狂信やエゴイズム等々、今日の世界や日本を日々揺るがしている広義の環境危機や法の危機へ、具体的には目も思いもあまり届いていないと見えるが、今一度尋ねたい、この二十年の実感を。
2015 6・5 163
☆ 『生きたかりしに』第1 巻を
一気に読みました。
作品の中にかつて訪ねたことのある地名がつぎつぎに出てくるので、いろいろ想いながら読みました。
第2 ,3 巻を楽しみにしています。
ほんの少しですがマスカットをお届けします。 吉備の人
*恐れ入ります。有難う存じます。
2015 6・5 163
☆ お母様もまた、
書かずにおれない火の魂を抱いていた方だったのだと、胸に迫る歌を読みながら思いました。 黍
* 母の歌には敵わない。本からわたしが好き勝手に抄録し「裸形の旅」と題していたのを機械の中で見つけたが、途中で跡絶えている。もういちど、丁寧に全編を読み直しておきたい。なにしろ死にまぢかい身動き成らないまま編まれた本であり、短歌にも、表現や文法や用字に不充分もまま見られて、おなじ歌人であるわたしにはそれが辛くも有るのだが。拙いは拙いなりの「裸形の旅」を苦闘した母であった事実を尊重したい。その裂帛の語気語勢は、とうてい少年私の及びがたい境涯であった。
* 「うた」って、何? 「うったえ」であろう。母の歌は「うったえ」であり「さけび」であった。母の歌には、敵わない。
* 文春におられた明野潔さんから、水上勉さんに触れられたお手紙と、「選集」へ有り難いご喜捨を戴いた。
作家の森詠さん、詩人の紫圭子さん、歌人の阪森郁代さん、陶藝家の橋本成敏さんからもお便りがあった。
* 吉備の有元毅さんから、いつも嘆賞に絶えない宝玉のような「マスカット」一房をお送り戴いた。心より感謝申し上げます。
2015 6・6 163
* 「黍」さんから、名酒「奥の松」の純米吟醸と大吟醸の二本を戴いた。すぐさま大吟醸の栓を抜いた。感謝。
☆ 前略 ごめん下さいませ。
湖の本124を拝受、「生きたかりしに」(上)を一気に読了いたしました。全編を通じて知的な母上様のお姿が立ち上り、秦先生の母上様との向き合いかたには、詩的な感動をおぼえました。三十余年を要しての御発表、まさに、女の子が生れた時に仕込んで、嫁入りの時に人にふるまう紹興酒のまろやかさを味う心持ちで拝読いたしました。ありがとうございました。
井上靖団長室での酒宴、何といっても圧巻は「紹興の一夜」ですね。あの、骨をさす寒さと、汾酒の力で夜を明かした秦先生のお姿をなつかしく思い出します。
それにしても、皆さん(=井上夫妻、巌谷大四、清岡卓行、辻邦生 白戸吾夫さんら)、居なくなりましたね。私も(日中文化交流)協会を退いて五年、編物、繕いもの、布ぞうり編みなどの手仕事に励んでおります。
暑さに向かいます。奥様ともどもお健やかに。 お祝のみにて。 純 元訪中作家代表団 協会専務理事
* 突然として井上靖先生の電話がきた。「いっしょに中国へ行きませんか」「行きます」と、あまり返事の早さに笑い出されたのを忘れない。作家代表団のうちわたしが佐藤純子さんと同じ当時最年少。いまでは伊藤桂一さん、大岡信さんしかおられない。
四人組逮捕直後、周恩來総理逝去直後の北京に入り、周総理夫人(副総理)との会見をの席では「秦先生、お里帰りですね」と笑いの一場面も経て、大同へ。大同から北京へ戻り、やがて杭州へ飛び、紹興、蘇州、上海を経て帰国した。帰国後、大同での見聞をもとに、すぐ、小説「華厳」(選集四巻所収)を書き下ろし発表したが、長旅の感興に揺り動かされて、手をかけ始めていた上田秋成の書き下ろしが難航、「生きたかりしに」へ大きく行く手を替えた。
挫折といえばそうでもある、が、生涯の必然を迎え取ったのでもある。悔いはない。
22015 6・7 163
☆ 拝啓
今年は、爽やかな五月の頃をひとっ飛びして、初夏の暑さを思わせる日々が続いていますが、そんな中にも、そろそろあのジメジメした梅雨が到来しようとしているこの頃です。
過日は、また立派なご本をご恵贈賜りながら、拝受のご報告もそのままに、時ばかりが過ぎてしまい失礼を致しており申し訳ございません。誠に遅ればせながら、
ありがとうございました。
先生には、奥様ともどもご病身にムチ打ち乍らも、益々精力的にお仕事をなされていらっしゃるようで、アタマの下がる思いでいっぱいです。
選集は、今までの先生の創作分野の全容が披露され、巻毎の構成も、先生の頭の中と心の思いが顕然化され乍ら、一つ一つの作品を飛び越えて、新しい世界を作り上げています。その思いをカッチリと受けとめて、拝読させて頂かなくては、と思っております。
ご体調には堪える時節となります。
くれぐれ、お二人には、ご無理なさいませぬよう、ご自愛くださいませ。 かしこ 鏡 編集者
* 明後日、中巻出来への発送用意がほぼ出来ていて、ほっこりと息をついている。上巻は読んだ。中巻がどう展開していたのか、憶えていない。いっそ楽しみにしている。
2015 6・8 163
☆ なにをするにも
空を見上げる季節になりました。
雨は嫌いではないけれども。
雨、風に みぢかき芦のそよいでいるのを見ました。
では。ご本の発送など、お大事に。 黍
☆ 焚火してもてなされたるついりかな(白雄)
近畿地方梅雨入りのニュースのあと東海地方梅雨入りのニュースがあって、いよいよ三重県が梅雨に入ります。
名張市立図書館に取り置きの小川琢治遺著『一地理学者之生涯』がこの10日に返却期限を迎えるため、今日明日と図書館へ通うつもりです。
和歌山県立博物館で購入した絵本『おがわたくじ』がよくできていて、松浦武四郎のコレクション保存の一件や京都大学総合博物館で見た京都大学の宇宙地球科学史の展示、それと桑原武夫『人間素描』。徐々に琢治さんへの興味が増し、図書館で調べていただいたところ『一地理学者之生涯』は昭和17年に刊行されたきりというので、だめでもともととお取り寄せをお願いしました。するとありがたいことに富山県立図書館が貸し出してくださいまして、館内閲覧ながら実物を手にとって読むことができるのですから嬉しくてなりません!
加藤千晴『観音』以来の館内閲覧です。
読めない漢字やわからない部分は後回しにして、取り急ぎ通して読み、2 度目の通読に入りました。湯川秀樹『旅人』も読み返しています。
4 月下旬に大阪市で益富地学会館が中心になって開催する「石ふしぎ大発見展2015大阪ショー」がありまして、大阪府・奈良県・和歌山県の地学スポットが紹介されるというので見に行きました。
紀伊半島の地図にスポットの写真が貼られて鉱物標本が並べられたコーナーで、ボランティアガイドさんの解説をうかがいながら、琢治さんが1891年11月から翌年正月まで旅したルートを想像しました。
1889年9 月の十津川大水害があり、1891年10月に濃尾地震がありました。濃尾地震直後の旅です。不眠症、神経衰弱で休学しての帰郷です。琢治さんご自身の文章で旅を読めるのもたまらない喜びです!
また、パリ万博出張から帰国した翌年、鳥羽・木ノ本の地質調査に従事したくだりで、三重県庁訪問にあたり川北久太夫氏(パリ出張中の記述では「川喜多久太夫氏」)を訪れて歓談したとあり、あわてて半泥子の年譜を繰りました。
琢治さんより7 、8 才年下で、1901年は半泥子が結婚した年です。
『人間素描』(昭和32年刊行)では、西堀栄三郎の一篇も興味をそそり、ちょうど東近江市にある「探検の殿堂」がリニューアルオープンしたというので出かけてみたところ、2 時間いても飽きない愉しい場所だったのですよ。
後日、京大の天文学展覧会「『明月記』と最新宇宙像」の図録で、西堀さんが南極で天体写真の撮影もしていて、帰国後、山本一清に送ったとあるのを見つけました。帰国が1958年2 月。1959年に山本が70才で世を去っているのですね。
さて、2016年サミットが伊勢志摩に決まりました。実は何年も前から2017年に日本菓子博の伊勢開催が決まっていまして、遷宮、おかげで、サミット、菓子博と、経済効果話ばかりのマスコミと行政にうんざりしています。
日本菓子博は城下町で開催されることが多く、門前町はあまりなかったそうで、和菓子というと、抹茶、城下町、やわらかものの和服、“高級”“職人わざ”のイメージで宣伝されることがほとんどのところ、伊勢は門前町で、街道筋には種類豊かに飽きさせない餅が存在します。
また、会場は伊勢。シマです。縞です。松阪もめんがあります。
サミットで、菓子博で、なにを宣伝するか。
餅だけでも各方面にひろがりますよねぇ。 名張の囀雀
* 「伊勢は門前町で、街道筋には種類豊かに飽きさせない餅が存在します。」とあるのに「餅大好き」なわたしは、ぶるぶるっと来る。「種類豊かに飽きさせない」とは、何ぞ。「赤福」しか知らないんだから。
それにしても囀雀の勉強家なこと。大昔は文楽と落語とでオッカケを堪能していたようだのに。目をみはる勉強ぶり。根性が芯から健康なのだろう。
2015 6・9 163
☆ 改憲派の学者からも
「違憲法案」の声が出ています。
もっと大きなこえになって、何かがおきればと思います。 知 広島庄原市
* 東横短大で、一年、わたしの教室で「誘惑」冒頭の漫談なみの授業を受けていた。あれは、一九七五年であったろう、四十年も昔語りだ。いつも上記のような方角から頑張っている便りが払込票に付いてくる。とても嬉しいし頼もしい。東横短大へはたった一年で強引にやめさせてもらったが、文学の収穫はあった。
* 京都の、高校同窓の陶芸家松井夫妻から、「湖の本」124 上巻の「食いしんぼえ私語」に同情してくれてか、「仙太郎」の最中を送ってきてくれた。やっぱり美味い。餡の味がとびぬけている。サンキューベリマッチ。
2015 6・12 163
☆ 青葉の美しさが
心からうれしい毎日です。
いつも御本御送付有がたく存じます。
大動脈解離で大手術 やっと退院して来ました。いつ何がおこるかーということ。
毎日たのしくおいしくすごして下さい。好物(仙太郎=)最中を送りました。 京・今熊野 孝・明 陶藝家夫妻 同窓
☆ 秦先生
梅雨のひととき
奥様とお茶のお伴に (虎屋涼菓=)ご笑味下さいませ。 鏡 梁塵秘抄・閑吟集編集者
☆ 秦恒平様 (小倉遊亀の絵葉書二枚に)
お元気でおすごしのことと存じます。
「生きたかりしに」上巻を読みました。p.127末、施設の子と産みの子を「同じ不本意な『孤児』として両手に抱きたかった」に、お母様が描かれている、と思います。
「不本意な」由縁のひとつに時代があるでしょう。世間の目を気にせずにいられない旧家だった不幸も。子にとっては「不本意」かどうかなど、どうでもいいこと。
でも、お母様の気持ちの深さの分だけ秦さんの思いも深いーーそのことがわかる小説です。
2 3 4巻をゆっくりですが読ませていただきました。その上に、厚かましいのですが、第6巻を可能なら、(また第5巻も)お送りいただけないでしょうか。読みたいです。湖の本読者に数册ずつという本だと思うのですが。
実は、私も10年前から糖尿病です。身長157cm 体重**kg。(中略) やせると目に見えてHb Alcが減る病気です。(中略)
秦さんの胃をなくしたので、糖尿病が治った(=治っている)という悲しい笑い話。ーー笑えませんでした。
どうぞ お体大切に。
発行人「秦宏一」にも 心動かされました。 京・大原野 則 高校教員
☆ 湖の本(中巻)、有り難うございました。
いやな栗花落の候、お元気な様子で何より結構な事です。
新築に関しての面倒な役所手続きを8 割方済ませて気分がラクになった昨今です。
そうなると足腰の動く間に、久しくご無沙汰の劇場等に足を運びたい気分に駆られます。 小平市 泉 同窓
☆ 有難うございました。
湖の本 125届きました、体調悪い中大変だったろうと察しています、有難うございました。
次々に急ピッチですね、ひやひやしています、無理なきよう 奥様共々お気をつけて下さい。
二便
写真送りますがく紫陽花、もくげ- ぎをん守り- 時計草我が家で咲きました。
紫陽花は今年の花です。 京・北日吉 華 同窓
* わたしは美しい花の写真を、喜んで、丁寧に丁寧に撮ってきた。わたしは、これで、写真自慢なのです。シャツの胸ポケットにはいるほど小さい機械で撮ってきた。重い持ち物はもうダメで。
2015 6・13 163
☆ 秦兄 ご本ありがとう
お変わりなく、ご活躍のご様子で何よりです。
若いつもりでおりますが、九月がくれば八十歳と節目の年を迎えました。闘病生活の十代後半から二十代後半までの11年間分は、他の人たちよりも長く生きなければと努力目標を百歳に設定して、半世紀。耳目に不便は感じつつも、肺以外は異常はなく、365 日休肝日なしで、塩辛やサバやイワシのへしこを肴に、戦争ボケと平和ボケの衆愚政治をぼやきながら、専ら度の強い蒸留酒を手酌で愉しんでいます。
今年も10月15日( 木) に銀座の「むらき」でクラス会開催の案内が届き、クラシックから懐メロまで、幅広い好みの出席者にひとり一曲は満足感をと、五目飯的CDの選曲をしはじめました。盤は出来しだいお送りいたします。
首都圏に住まいの箕中、藤江、団、西村明男君らから、上京の折は連絡をと言われているのですが、二次会・三次会で、いつも失礼しています。
自然界も人間界も不穏つづきですが、まずは御身お大切にご活躍ください。
いつもながら、ほんとうに有り難うございました。 京・岩倉 辰 同窓
☆ 秦 恒平先生
「生きたかりしに(中)」、拝受いたしました。
上巻をいただいてから、まだ20日ほどかと思います。ご執筆にお力を注いでおられること、大変嬉しく存じます。なにか、陣中見舞い致したいです。
まず、私語の刻を最初に読みました。
そのとおりでございます!!
安倍総理に、まともな注進が出来る方はどなたもおられないのでしょうか。「殿、ご乱心」の影響は、昔のように藩中ではおさまらないのですから・・・
そして、続く美味しいお話に つい、いそいそと、私も出かけてみたくなりました。
さて、6 月6 日は、鑑真和上のご命日でした。
知り合いから声をかけてもらい 初めて唐招提寺での法要に参列させていただきました。まるで、中世の絵巻物を見ているような
前田青邨や安田鞍彦、菱田春草らの描いた絵が動き出したような感じでした。
京都とはまた趣の異なった奈良、西の京
先生の御執筆がスムーズに進んでいきますことをお祈りいたしました。
梅雨の季節、気候不順の折ですので 一段と、ご自愛くださいますように
とにもかくにも、御礼まで 失礼いたしました。 京都府 香
* やはり食はうまく進まない。美味いと感じることがなく、健康配慮で強いて食べようと努めているだけ。ワインを干し、ルに手を出し、虎の子のようにだいじにしてきたシャンペンの口も切った。なるべく蛋白質をと心がけるのだが、肉へも生魚へも手が出ない。回復してきた健康をまた壊してはならないと、とにもかくにも要心はしている、が。
2015 6・14 163
☆ 秦 恒平 様
「湖(うみ)の本 125 生きたかりしに(中)」を拝受しました。
ただ黙々と読み継ぎます。 拝 2015/06/15 練馬 靖 妻の従兄
☆ お元気ですか、みづうみ。
本日『生きたかりしに』の続き頂戴いたしました。
お母さまのお歌には胸を鷲掴みされます。みづうみの生みのお母さまは堂々たる歌人であられました。そして、みづうみが『生きたかりしに』を書いたことこそ、歌人としてのお母さまへの、最高のかたちの親孝行でご供養であることを確信しています。お母さまは、ご自身を「書かせる」ために、みづうみをお生みになったとすら思います。
恒彦ちゃん(=お兄さん)、母さんは何か書きたいの。いつも何か言ひたいの。でも何もかけない。何も言ひきれない。
みづうみはお母さまのこの悲願を達成すべき息子でした。
今、あちらで、どんなに喜んでいらっしゃることでしょう。 清水 絶壁の巌をしぼる清水かな 子規
追伸 私語に掲載の「あけぼの」と名づけられた朝日の写真、佳いお写真ですね。
* 三十年前に、ほぼ、「生きたかりしに」は書けていた。だが、酒をうまくするために三十年を蔵で寝かせた。それが必要だった。あの頃、講談社がムリムリにも書き下ろし作として出版してくれていても、わたしの中でまだあの母な味わいうすかっただろう。母もわたしの中で熟さねば成らず、わたしも三十年の生を一歩一歩経ていなければならなかった。「清水」さんの指摘に、感謝する。
☆ 秦様
「生きたかりしに」(中)を送っていただきありがとうございました。
上巻からの気持ちを持ったまま、続いて、惹きこまれるように読ませていただきました。
ご本が届きました日、ちょうどよみうりホールで「歴史の歩き方」の講座を聞きに出かけていました。
「花に殉じる」歌に生きた西行の詩情と信仰がテーマ―でした。西行・ご本の中の秋成と惹きこまれ、あれこれと繋がりを求めてしまいます。
数年前、ミクシーで、秦様のご友人のtamae さんをしり、西行の話から、前利登志夫の「存在の秋」の本も教えていただきました。
その本の帯には「わが歌よ、死者の打つ木魂のように空を走れ」と。吉野や大和の地の持つ力の大きさのようなことを感じます。
惜しくも亡くなられているTamae さんの事を思い出し乍ら本を読みなおしています。
下巻もすぐにとのこと。楽しみに待っていますが、ご本の発送などくれぐれもご無理のないように。
まずは秦様と迪子様のご健康をと祈っています。
そして、搬送日のお天気の良いことを。 練馬 晴 妻の親友
* 母の生涯も活動も、わたしの本によって、一躍褒め称えられる、といった何モノでもない。ありえない。ただ、悪名の方へ方へ過剰に傾いていたのを、いくらかまともに持ち直してあげたいと、ひたすら歩き回って、多くの人の声やことばを聴いたのだ。それだけの甲斐はあったし、肩の荷をおろした気がする。
☆ 梅雨空には
山梔子と泰山木の白い花が似合います。
この度は「湖の本」一二こ五号をご恵投頂き、有難うございまL た。
いつもながら流麗な筆致に感嘆、声もごぎいません。
また銀座の「シュモア」とは懐かしい名前で、往時に思いを馳せました。
「鉢巻き岡田」の近くに、「**・***」という店がございます。ソムリエという職種が無い時代から三笠会館でボーイさんをやっていたご老人の店です。お気に召すのではないかと存じます。小生の名前を出L てください。
ますますのご健筆とご健勝を念じております。取り急ぎお礼まで。草々 敦 エッセイスト
* 銀座に、楽しみができた。鮓の「きよ田」なく、ビヤホールの「ピルゼン」なく、フレンチの「シェモア」なく、ながらく落胆し続けていた。「敦」さんは朝日の記者時代から、その後も、名にし追う「食通」。ちょっと教えてと頼んだのである。おっと、ヨシヨシ。
2015 6・15 163
☆ 『湖の本125 生きたかりしに(中)』
拝受いたしました。貴重な作品は上中下を一気に拝読したいという不埒な企みを理由に怠けているのですが、「食いしんぼうの記」はすぐに楽しく、己れの十五年前にも思いを馳せながら拝読しました。人生を味わいつくした人からしか、本当によい作品は生まれないと信じています。
いつもながらのご厚意に深謝いたします。
うっとうしい季節となりました。どうぞ御身お大切になさって下さい。 敬 講談社元出版部長
☆ 前略
昨日は又御鄭重にも「湖の本」125を御恵送下さいまして、誠に有難うございました。
「私語の刻」で、『生きたかりしに』を、「文字どおりに徹した「私」小説である。登場者の実氏名を配慮して取り換えた以外は「仮構、一切無。」とありますが、今度の「三 岩橋」の「九」から「十江」を拝読致しまして、「仮構、一切無い」の手応えが十分伝わってきました。「今回書き下ろされた長編の御健筆をこころからお祈り申し上げます。
右、甚だ取り急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。
併せて、呉々も御体調に御留意されますよう、こころからお祈り申し上げます。 草々不一 忠 元「新潮」編集長
☆ 秦先生
いつも『湖の本』をありがとうございます。
ご案内の映画「日本と原発」 是非見ていただきたい映画です。 長田渚左 スポーツネットワークジャパン理事長
☆ 『生きたかりしに』中巻のお届け
有難う存じます。
お餅が好きと書いてありましたので、少し送ってみます。
町村合併の流れに逆らった県北の小さな村、新庄村特産の「ひめのもち」です。 吉備の人
☆ 湖の本は、昨日拝受。
「半天朱霞」(の挨拶文)は、前々回の、新作発表前の文面のままだったのは、やはりどうなさったのかとむしろ心配になります。( 他の方はあなたの体調に遠慮しておっしゃらないかとも思いますので、敢えて申し上げますが)
今日は「私語の刻」だけ読了。156 ページに誤植「。、」あり。
本文にはそうした見落としなければと思います。 黍
* 挨拶文は、用意した枚数が作業の終わり近くに不足したので、以前の残りを使った。「半天朱霞」は季節外れなのだが、ま、急場、本をお届けの用件が伝わればよく、繁忙と疲労のなかで手間を節約した。みんな、わたしの大変さは、よく分かって下さっていると感謝している。
誤植は、無いに越したことなく、しかし、校正職の目とおし無く、わたし独りですること、読者が、察して正しく読みとれるなら、それはそれで幾らかはヤムを得ずと。ハッキリと、決定的に意味を違えた誤植だけは出したくないと努めている。
気を入れて、作意を汲んで、本文を深切によく読んで下さる読者の多いのは、作者冥利。それが励み、それが感謝である。
2015 6・16 163
* 朝一番に、高史明さんご夫妻から、大好きな柚餅をふくむ京名菓を頂戴した。嬉しく嬉しく。感謝します。
☆ 相変わらずの御精進
感心しています。
私も 九十をすぎ、一日、一日を楽しんでいます。 梅原猛
☆ 『生きたかりしに』中巻
有り難く頂戴いたしました。
小生にもなつかしい光景が登場します そして 古典も。
秦文学の完成品として楽しませて頂き居ます。御礼申しあげます。 山下宏明 名大名誉教授
☆ 御著『湖の本』第一二五巻
ありがとうございました。いつもいつも頂くばかりで申し訳ありません。
毎巻 楽しみに拝読させて頂くのは「私語の刻」です。
ジョン・ダワー教授の談話について、小生も、つくづく安倍政権のあやまちにあきれています。この國は、どうなって行くのか、なんとか阻止したいと思っています。
ともあれ、そのためにもお元気で。 不一 森詠 作家・文藝家協会理事
* The sky of Minamisoma is fine と付記して美しく描かれた空のもとのトンボの繪。去年の七月三日の日付。森さんの繪かな。南相馬の心土産かな。
☆ 今年は皐月を
心から楽しむこともなく梅雨に入りました。
その後 お体のご様子いかがですか。
先回、生きたかりしに(上)につづき、(中)頂戴しありがとうございました。いつも思うこと 乍ら 病いをおしての出版、強固な意志以外の何ものでもない と 感嘆しております。
くれぐれもお大事に。 まずは御礼まで。 京・下鴨 正 同窓
☆ 親指のマリア(湖の本上中下)を読み
新井白石のことをもっと知りたく、他の本も読んでいます。琉球との関わりがあったことを知り、今の政府に白石がいたら、沖縄の基地問題にどのように取り組んだかと想像しています。
選集⑥巻へ送金します。
梅雨明けの沖縄は、南風が気持ちいい毎日です。 豊見城市 嘉 読者
* 「親指のマリア」 選集⑧巻 全一冊として初秋にはお届けします。いま、鋭意再校中です。感謝。
☆ 『冬祭り』(選集⑤)
再読。「生きたかりしに」につなげて 秦文学の趣向を楽しんでいます。 石川・能美 哲 文学者
☆ 『生きたかりしに』を「作品」に
して下さったこと、嬉しいと想いながら読みました。
明日から上巻に戻って、もう一度読みます。ありがとうございます。
おふたりの「重労働」にも感謝。 どうぞお大事に。 下関 碧 読者
☆ ことしは
ホトトギスがよく鳴きます。
どうかお大事になさってくださいませ。 滋賀・五個荘 民 作家
☆ 上巻に続き
中巻も あっという間に、読み終わりました。
先生の作品は気合いを入れて接しないと、見落してしまう場面がありますので、良い緊張感がたまらないです。
下巻が届くのが うれしいような もったいないような複雑な気分です。 群馬・桐生 住 読者
☆ 『かくのごとき、死』『凶器』と
読み続けてから、待ちきれずに『生きたかりしに』(上)を読み出しました。ほっとひと息つけました。 狛江市 秀 読者
☆ 「私語の刻」で
15年前の食道楽ぶり、楽しく拝見いたしました。こだわりをもって、楽しくすごせることができるのは素晴らしいことです。
「生きたかりしに」下巻を楽しみにしつつ。皆様、御健勝にてお過ごし下さい。 横須賀市 敏 科学者・妻の従弟
☆ お暑うございます。
梅雨はどうしたのやら、夏が来てしまいました。
37年間 世話をしていた義姉が亡くなり ポッカリと穴があいたような日々です。
「湖の本」下巻を楽しみに、届いたら一気に読みます!
お元気でお過ごしを… 新潟市 鶴 読者
☆ 驚異的なお仕事に
励まされております。
内だけでなく 外へのきっちりとした目くばりにも。 世田谷 米 読者
* 城西大水田記念図書館、親鸞仏教センター所長本多弘之氏、東海大文学科研究室、文教大国語研究室、日本近代文学館、山梨県立文学館、作家杉本利男氏らからも受領の挨拶あり。
* 「吉備の人」有元さん、美味しそうなお餅を送って下さった。お餅は「二つ」も食べれば他にたいして食べなくても十分「一食」に足りる。体重を67キロ台に保つことを健康体の基本に置いている。もう少し減らしてもいいが、体力を落としてもならず。
しかし、なによりも「歩く」を初めとして「からだを使う」こと。出不精になり、家に居座って「読み書き」仕事ばかりでは弱る一方。誘って貰ってでも出歩かねば。
明後日の桜桃忌は、木挽町へ出て歌舞伎を楽しみます。
2015 6・17 163
* 名張の囀り雀さんから、長大な三本のメールが届いた。本居宣長は上田秋成をダシにして言いたいことを言い、小林秀雄は本居宣長をダシにして言いたいことを書いた、という、新潮社の池田雅延氏の講演などに触れてある。ま、メールがあまりにも長く、けっこう多岐に亘っている。
池田さんは、わたしの『みごもりの湖』の編集担当者だった。のちに小林秀雄を担当されていたとき、この池田さんを介して、小林さんから「謹呈 秦恒平様」と自署された名刺附きの大著『本居宣長』を頂戴している。めったになく私の書庫へなかば力づく割り込んだ読者がその大きな本を見つけ、殆どちからづく持って帰ってしまった。惜しいと思うが、あの大部の「本居宣長」は、大半宣長と論敵上田秋成との「対抗」に費やされてあった。だが、わたしがあの大冊をこつこつと全部読み得たかどうかは、曖昧なままである。小林先生も池田氏も、わたしが上田秋成に関心深かったのはご存知であった。小林秀雄をかなり捻って論じていたこともご存じだったろう。
そもそも、私と新潮社ないし「新潮」とにご縁が出来たのは、私家版をおめずおくせず小林秀雄という批評の神様に送り、それを新潮社の或る有名な役員の手へ小林先生が手渡して下さっていたからだった、そして「新潮」当時の酒井編集長から一度来社されたいと呼び出しの手紙が来たのだった。勤め先があった本郷の道が歩一歩ごとに浮き沈みするような高揚感があったのを覚えている。
2015 6・17 163
* 高史明さん岡百合子さんご夫妻、元中央公論粕谷編集長の奥さん、基督教大並木教授、俳人清沢冽太さん、歌人持田鋼一郎さん、読者小滝英史さん、また諸大学から便りがあるが、今日は疲れがひどく、あちこちで居眠り、便座の侭でも熟睡してしまっていた。そして、目が見えない。どうもいけない、が。 日から日へ、成るようになって行く。
2015 6・18 163
* 朝一番に、山形のあらき蕎麦さんから、すばらしい桜桃、たっぷりの四バックを、今年も頂戴した。甘い。美味い。出かける前に、妻と五つずつ戴いて。
* 思い静かに、今日は終日木挽町で歌舞伎を楽しむ。少し遅くなるが、重金敦之さんに教えてもらった店へ、行ければ行ってみたい。
2015 6・19 163
* 朝一番に、京都の冨松賢三君から永楽屋のご馳走がずっしりと大きい包みで送られてきた。国民学校から中学高校大学までいっしょだったというただ一人の友人、京都市で大きな区の区長を歴任した。男も惚れるようなまさしくハンサムだった。軟式野球の名手で、高校の時全国で優勝してきたように覚えている。大学以来、三度とは会えていないが、いま茅野市で闘病している松下圭介君とともに、最も懐かしい七十年余もの「有済校」友だち。 ありがとう。
* 東近江の読者小田敬美さんからも、亡きご主人秘伝、毎年丹精の「梅干し等」をたくさん頂戴した。紫蘇や紅生姜や梅汁も。わたしは小さい頃から野菜苦手だったが、梅干しや紫蘇は大好きで、大人になってからも梅があれば飯も粥もいくらでも食べられた、それだけで好かった。
思えば太宰賞の日、あの桜桃忌から四十六年が経ち、その殆どの期間を愛読し支持して頂いた読者にいまも支えられている。ありがたいことだ。
* 数えきれず頂き物をするが、私からは、なにもしていない、出来ることはただ書いて書いて「本」にしてお届けする以外にない。
妻もわたしも、お返し物に気遣いして神経と時間と体力とを用いるゆとり無く、ひたすら少しでも元気に仕事の結果・成果をお届けする以外には無いと、心中恐縮しながらご返礼を欠いています。ご無礼、おゆるし願います。
2015 6・20 163
☆ 只今 京都に
来ております。無くなった真宗の学者**先生の選集刊行の記念の会に夫が短かいお話を頼まれたので付き添いということで来ているのですがーー、(中略)
豪華な選集を次々に頂きどのようにお祝いをと考えていたおりに、「湖の本」で 生きたかりしにを頂きました。まさに私小説の珠玉で、わたくしは選集の第四巻をしみじみ読んでいたのですが それを中断して こちらの方を拝読させて頂いています。**恒彦さん(=実兄)のことか出て来てとてもなつかしいです。そう何回もお会いしたわけではありませんが、京都の素敵な所に皆案内して頂きました。私一人でも会いたくて修学旅行の引率中 一人で「ほんやら洞」に行ったこともあります。
只今の御体調では毒をさし上げることになるのではと思いながら京都のお菓子を少しお送りしました。 大磯 岡 高史明夫人
☆ 湖の本125
早速に、食い入るように活字を追い、第二日目の夕刻に読了致しました。
知的、情熱的でおのが生を貫びっくりしました。プロテスタントの牧師は「司祭し」ではなく「牧会し」です。**牧師は「物語」として
類型化して事態をとらえたようですが、誠実でしたね。病床の祈りはすばらしい。下巻を待ち望みます。
体調が保たれますように。感謝。 並木浩一 国際基督教大学教授
☆ 拝啓
雨期ととなりましたが、これ迄雨不足でダムの水が不足気味になっているそうなので我慢するしかないのかも知れません。
「湖の本」生きたかりしに中巻 興味深く拝読致しました。まことに有難うございました。
作中の「高津氏」は、妻の親戚の**謄写版の経営者に ご家族の一員が嫁いだ「**さん」ではないかと思っています。
その内ささやかな御礼の品を贈らせて頂く所存です、その節は御笑納頂ければ幸いです。敬具 邦 元岩波「世界」編集者
☆ 急に梅雨空が
つづくようになりました。
「生きたかりしに」中巻 頁をめくっているうち、佐多稲子さんの御手紙に遭遇、佐多らしい優しい心配りの文面を拝見しました。
純の純たる「私」小説 次巻完結が待たれます。
「私語の刻」の十五年前の、インシュリンうちながらの、食事とお酒と甘味への行動のタクましさにひかれる自分がいます。池袋東武の「仙太郎」が今回も登場。先日新宿伊勢丹でも店名に気付かず、月一回は買っていることに気付きました。
とにかくご自愛を祈るばかりです。 徳 講談社元出版部長
☆ 前略失礼申し上げます
「湖の本125」をお送り下さいまして有難うございます 只今 私の手許に123 124 125と三册揃ってございます。粕谷(=元中央公論編集長)の一周忌(五月三十日)を終えましたのちゆっくり拝読させて頂くつもりでございました。
以前よりこの様な形で御自分の人生の流れとその速度に合わせながら御自分を書き残していらっしゃる技法に感動させて頂いております。
まだ全巻拝読致しておりませんが 拝読はじめますと 卓越したやさしい文章の肌触りの心地よさに魅了され豊かな気分にさせて頂きました。
自分史と申すものはとかく熱いか 自分に向ける目が必要以上に冷静で退屈なことがございます 素人の私が申し上げる失礼をお許し頂くことに致しまして 私小説を越えた面白さが時には良質な純文学を読み続ける喜びを感じさせて頂きました。
出て参ります場所・お店・人物・映画・芝居など、その都度嬉しくて嬉しくて思わず ああ粕谷が傍にいてくれたら鉄砲玉の様な私のお喋りを聞いて貰えたのにと口惜しくてなりませんでした。(中略) 私事ばかり申し上げてしまいました。ご容赦下さいませ。
粕谷が亡くなりましたあと メッセージや記事、追悼文などを厚め藤原書店が本にして下さいました。一部お届け申し上げます。
致し方なしとは解っておりますが、梅雨の頃の体調は言葉では表現しかねるほどの厄介な状態でございます。どうぞくれぐれも御身お大切にお過ごし下さいませ。乱文乱筆お許し下さいませ かしこ 粕谷夫人
☆ 「湖の本」ご恵与頂き
有難く お礼申し上げます。
京都 なつかしく偲びながらじっくりと深く拝読しております。
ゆたかな学識に多くを得 今朝は白川の螢など思っていたところでした。
京見峠にもう一度立ってみたい切なる望みもありましたが、ひたすら今は心の底にたのしんでおります。
梅雨に入りました どうか体調を崩されませんませんよう
祈っております 江戸川区 冽 俳人・思想家
☆ 湖の本125
感謝しつつはいどくしております。
拝読しつつ思うことは 秦様が、 公衆衛生のために猛烈なエネルギーを発揮して生き抜かれた実の御母堂様の血を色濃く受継がれているということでございます。秦様の文学生活に注ぐエネルギーは、常人のとても及ばぬものがあると常々考えておりましたが、「生きたかりしに」を拝読しつつ、大いに納得するところがありました。
ますますの御健筆、心からお祈りいたしております。 国分寺市 鋼 歌人
☆ 今年は例年になく
庭のあじさいが見事に、色濃く、大きく、数え切れない程の花数に。 独りで 愛でてやりました。
五月に「生きたかりしに」上 またこの度 中巻を続けてお送り頂き、誠に有難うございました。
何よりもご健康を案じておりましただけに 作家魂に驚き、喜び、そのお幸せを感じた事でした。
「私語の刻」はご近況を知る上でも、また 奥さんの登場が度々 身近かに なつかしく感じて いつも先に読ませて頂きます。
食いしん坊のはなし、楽しいです。 仙太郎の最中や、シーバスリーガー等々……私でも馴染みのものが記されて…。シーバスリーガーは亡夫とよく飲み歩いた昔を思い出させてくれました。
過日、テレビでご子息様がクイズ番組に出てられるのを観て これ又 うれしく思いつつ見入っていました。 また先週「うた」のレッスンで、「大きな古時計」を久々に唱って、保富庚午さん(=妻の亡き実兄)のことも とてもなつかしく思った事です。
七月には京都へ参ります。相国寺で恩師の墓参、その後同志社の友人達と食事、おそらく憲法九条ーー安倍総理へと話が盛り上がることでしょう。
「生きたかりしに」 ゆっくり読ませて頂きます。ありがとうございました。
くれぐれもご無理のございませんように。お二人方のご健康を念じつつ。 神戸市 澄 妻の親友
☆ 「生きたかりしに」
有難うございました。上巻読了いたしました。
「みごもりの湖」「閨秀」に流れる秦文学の構想力を認識しました、
秦さんは、このように書き、このように作品をよみたいのだろうなと強く思いました。 八潮市 瀧 読者
2015 6・20 163
☆ いつも
ご本を お送り下さいまして ありがとうございます。
秦さんの選集(第四巻)は とても興味深く 又 美しく 簡潔な文章を味わい乍ら かたつむりのような速度ですが じっくり読ませていただいています。 が、さすがに もうすぐ読破(!)します。 繪を描く者の端くれながら、希代の画家達の 繪を描く心 苦悩に触れて とても勉強させていただいています。 それにしても 秦さんて ほんとうにすごい方だと 今更のように思っています。 闘病中のお身体とは とうてい信じられないエネルギーにも驚きます。 でもどうかお身体 ますますご自愛下さいますように。
今日は 主人の新作 玉葱 を少しばかりお送りさせていただきます。ご笑味いただければ嬉しいです。
又 ゆっくり お便りさせていただきます。 草々 明 妻の従妹
* こういう来信を披露しているのを嗤っている人、多いと思う。それは構わない。なぜ、これを忙しい中でもつとめて励行しているか。
わたしは趣味で文学をしていない。一生の本業として文学を仕事にしており、その文学生涯半ばから始めた「湖の本」は今では一巻2500円も頂いて、百三十巻・創刊三十年ももう目前。しかも「騒壇餘人」をはっきり公称し、文学の世界にいながら、あえて文壇や出版とはほぼ全面離れ遠のいたままで、創作や著述は当然、本の製作も出版も配本も、みな一人で、妻と二人で、続けてきた。親しい知己、有り難い知己、いい読者だけが、わたしの誇らしい財産なのである。
この、近代文学史に類のない、純文学作家の文学活動・出版活の実績がいかなるものであるか、ありうるかは、これまたわたし自身が記録し証言しておかねばならない「文学史上の義務」がある。そして、わたしの「文学」が何であり得て何であり得ないかを、わたし以外の人の言葉で(たとえどう偏っていようとも)知れる限り相応に証ししておきたい。もののかげで、ひそひそと自己満足だけで趣味か道楽のようなことはしていられないのである。批判は幾らでも受けるが、浮かれてしていることでは、毛頭無い。
* 問題は、目が見えなくなってきていること。
* この機械もかなり怪しくなってきた。物騒な何か、寿命・時勢・頭の弱りなどとあだかも競走しているような按配。どこまで行けるか全く分からないが、走るよりは歩いて歩いて、元気に老いたい、生きたい。静かに自然に死にたい。
2015 6・21 163
☆ 「生きたかりしに」
どこへ辿りつくのかとーー緊張して拝読しています。
「母」としては「かなわん」かもしれませんが、一人の女性としては、不器用な、一途な、精一杯な生き方に 痛ましさだけではない、「思い」をよせています。
国会包囲の一人として参加してきました。 横浜市 孝 読者・編集者
* 作家、当時は「婦人公論」編集者だった梅原稜子さんと二人して、「新潮」に出したわたしの「蝶の皿」愛読いらい、46年もの久しいお付き合い。こう言ってもらえて、わが亡き母は嬉しいだろう。わたしからもお礼を申したい。
* わたしは谷崎愛の作家、母と「母」とを混同しない。物語にどんなに「母」を慕わしく美しく書いても、現実の母とは切れている。わたしには親は(秦の叔母もふくめて)五人いたが、「身内」とは思えなかった。深い感謝や謝罪の思いこそ切に持っていても、である。「そういう、わたし」であったと今も思っている。思いながら日々頭をさげている。
2015 6・23 163
☆ 『生きたかりしに』は、
確実に秦文学の核にになる作品と思います。
御作・御活動の資料保存・研究にたずさわりうる人として 小生のもっとも信頼している同志社大学の田中励儀教授(ないし氏の門下生)にぜひ委嘱なさればと考えます。
「食いしんぼうの記」 田舎者の小生も大いに刺激を受けました(糖の気 私もあるのですが)。 不乙 御礼まで 東郷克美 早大名誉教授
* ありがたいご示唆を頂いた。田中さんとは鏡花や母校や京都を中に、久しいご縁がある。日記や創作ノートや原稿、未発表原稿、初出誌などの資料をお預けできると本当にありがたいのだが。
☆ 『湖の本125』を賜り
ありがとうございます。
この歳になると、親戚、兄弟、友人たちとの間で解決を要するような出来事も多く、ひどく疲れるこのごろ、折々ご本を手にとれば心も安らぎます。御礼まで。 倉田茂 詩人
☆ 『生きたかりしに』のなかで、
石馬寺から**家を御訪問なされた件りを読ませていただき 登場人物が全てよく分かりますので懐かしい思いで読ませて頂きました。
それにしても私の父や家内の事を短い言葉でズバリと表現していただいていることに驚き、作家の方の繊細な観察と適切な表現に改めて感じ入っております。
当時県立高校の教員に成った許りでありました私も定年退職いたしまして既に六年になります。御陰様で地元の教育委員会に世話になり忙しく過ごしております。息子が当時の私の年齢位になり、間もなく当寺への晋山式を行い、正式に跡取りとなるようになりました。
こちらへお越しの節には、**民親氏と共に歓迎申し上げますのでお知らせ頂くと幸いです。
向暑の砌、御自愛いただき、益々御活躍いただきますようお願い申し上げます。頓首敬白 乾徳寺住職 合掌
* 何とも何とも 懐かしい五個荘。乾徳寺さんにはたいへんなお世話になった。ちいさかった建日子との旅だった、よく書いておいたと思う。
☆ 卯辰山
京都駅の北陸行きホームに立つといつも、中谷宇吉郎墓碑建立に向かう樋口敬二さんが、列の前に岡潔さんを見つけたくだりを思い出します。
逢坂の関。清水寺の源。トンネル。山科。四の宮。右に湖水と三上山。左に鳩の平和堂。
いま、金沢に向かっています。
北陸新幹線開通で実家への道筋がひどくややこしく不便になりまして、新幹線でやってくる母と金沢駅で落ち合って遊山することになりました。
いかがあいなりまするや。
三重に行きたい、名張を見たい。ふた親のねがいをかなえることはどうやら最後まで無理のようです。
新幹線はひかり。
ひかりに照らされない地方の影は、一層くらくふかく、すみへすみへとあおぐらくにじんでゆきます。
前回は金沢に母を迎えに行き、湖北に一泊、嵐山に一泊ししての遊山でした。
今回は金沢一泊、片山津一泊。
前回も今回も、父をショートスティに預けてのふたりたびです。
そういえば前回も、比良は雲に頂を覆われていました。夕暮れに見る竹生島も、朝、宿から見る竹生島も、ウェットに霞んでいたんでしたっけ。
横浜の友人と、金沢で会いたいねぇと話していたのが、急な母子旅で 岩波新書「雪と氷の世界から」樋口敬二(1985)を読み返し、新たに 「映像をつくる人と企業―岩波映画―」草壁久四郎(1980)、「黒龍江への旅」高野悦子(1986)、ちくま少年図書館「雪はなぜ六角か」小林禎作(1984)を借りて読みました。
まるで試験勉強だねと主人に笑われましたが、そうでもないとやらないのが雀です。切れッ端のメモを並べ、広げて、書き写しながら連ねては、はぁ、そうだったのかぁ、と手を止めることがしょっちゅうでした。
高野悦子さんの父、高野與作さんは黒部市のお生まれだそうで、四高で中谷宇吉郎と出会い、生涯の親友となりました。ご結婚に至ったのも宇吉郎さんのはからいがあったようです。1939年に夫婦で中谷のもとを訪れ、凍上の相談をしたことで、宇吉郎は、茅誠司とともに満州へ出かけています。悦子さんは、宇吉郎にもたっぶりと筆を裂いておられました。
また、樋口敬二さんが、
「もともと、メイソンという男は気にくわない奴だ、そんな印象が北大の若手の間にあった。」「とにかく、気にくわない。その男に『親分』がやられた。しかも、中谷先生が発表した観測は、私が計画したものである。まったく、いやな奴だ。」と述べておられる、イギリスのメイソンが、1959年6 月のアメリカウズホール海洋研究所にて開催された国際雲物理学会議で宇吉郎に質問したことから、小林禎作さんが1960年4 月から翌年5 月までメイソン研究室に行くことになった、そのいきさつと、結果を、ようやく小林さんご本人の文章で読むことができましたが、それがまさか子供向けの本でとは思いもよらないことでした。
小林さんの本は何冊か借りていたのに「少年図書館」はまったくの盲点。この本にこそ、小林さんのお気持ちや経歴が書かれていたのに。
「反乱分子の私を敵方のメーソン博士のところへ送り込むというのは、やはり(中谷)先生はスケールの大きなほんとうの科学者だったと思う。」と小林さん。
また、加納一郎だけでなく、小学生でスキーをやっていた西堀栄三郎など、青少年が登山とスキーに熱中した時代であったこと。シュナイダーの来日により道路も宿泊施設もよくなって、ニセコアンヌプリでの観測がたやすかったこと。スキーと登山に熱中した金属工学者が、宇吉郎とは別に凍上の論文を書いていたこと。などなど。おもしろくて飽きなくて、夢中になりました。
金沢か…。
おはなしを、あれこれ、おきかせいただければうれしいです。 名張の囀雀
* からだも動かしてしている「勉強」なので、ジワジワ・ジリジリとモノが血肉に成っている、お人。ヒマでキラクなだけでは絶対にこういうふうにモノは身に付かない。真似の成らないことをして楽しんでいる。或る意味、スゴイ奥さんである。
2015 6・23 163
☆ 紫陽花の季節
雨上がりの街は涼やかでした。
コンサートでは、「ShallWe Dance? 」等馴染みの曲もありましたが、織姫と彦星を思いつつ聴いた酒井格さんの「たなばた」がいっとう心に残りました。
映画「グラン・ブルー」、イルカの写真を見せて「こんな家族がいるのは僕だけさ」と泣く場面の辺りまで、漸く観たところです。
今日も暑くなりそうです。
熱中症など、くれぐれもお気をつけて。 黍
* くっついてきた紫陽花の写真、ボテボテと花沢山で美しくない。沢山咲いているのを沢山撮っていい花と、よくない花とがある。わたしの感覚では、紫陽花はもう過ぎて行こうとしている。咲き残りは愛おしむように近寄って花かずは少なくくっきりと撮るようにしている。花の写真は、花の声の聞こえるほどに撮ってやらないと「美しく」見えません。、
* 機械の中に、いろんな時・時の述懐が日付もなく残っている。ふと想い出して探したら有った。おそらく2004-5年では無かろうか読者からのメールに驚かされたことがあった。述懐をそのまま再掲してみよう。
* 例えば――泉鏡花「伝記上の事実」として、彼が幼少来、思慕の的であった「姉さん」の実在したことは、鏡花文学の一大原点として、よく知られている。このところ読んできた、極く初期の「義血侠血」も「琵琶伝」も、特に「化銀杏」などは、それへ根ざした構想が歴然としているし、やがて「龍潭譚」等にも、匂い立つように見えている。
実は、鏡花とわたしの出逢いは、もうわたしが会社勤めをしていて、ある時ひどい風邪で三日も寝込んださなか、たまたま講談社版文学全集の鏡花の巻配本があり、これ幸いとむさぼり読んだのに始まっている。随分後れていたのだ。鏡花の年譜も、だからアタマにまだ何も入ってなかった。だが――鏡花の「姉さん」思慕に似た「擬似母」体験が、わたしの新制中学時代にも、ほぼ半年間白熱したことは、小説『罪はわが前に』や評論『漱石「心」の問題』などで、こだわりなく書いている。文学だけでなく、人生上も今も感謝している優れて有難い年上の人であった。
ところで、鏡花小説に関わって、一昨夜の「私語」だったか、彼泉鏡花の「姉さん」のことに、すこしだけ触れたとたん、或る人= いい読者である一人から、「姉さん」という人のことは、たとえ「私語」にももう書かないで欲しいと云ってきた、メールで。その「姉さん」なる人とは実の縁の全然無い人である。
びっくりした。
いろんな事もあるものだなあ…と。しかし、一瞬、創作者であった数十年を、大きく否定されたような痛い思いがした。
わたしは、いま、その「姉さん」に、道であってもほぼ見過ごすであろう程、現に無縁で、何処にどう暮らしているかも知らない。ことさらに「私語」ですすんで話題にする話題すらもっていない。だが鏡花へも、漱石へも、「その人ゆえ」に心親しくてものを言ってきたということはあり、自然それは文章に匂い立つでもあろう。
妻も黙っていてくれることである、「姉さん」とは現実に何の関わりもない、しかし、メールの主が有難いいい読者なればこそ、云われたくないことだった。自己責任を自覚して書いている人間に、「書くな」はないでしょう。
*とは言えーー上の読者とは無関係にーー 「書く」という行為は険しく、時に甚だしく親しい人、慕わしい人をも傷つけてしまう。だから「書かない」か、それでも「書く」のか…。わたしは書いてきたのである。『罪はわが前に』の三姉妹はただ一言もわたしを咎めてはこなかったけれど……わたしの実の娘とルソー学者の婿とは父であり作家であるわたしを、口汚く裁判所の被告席に置いてケチくさい賠償金を取った。なにをわたしが書いたというのか。
わたしは今もじっと目を閉じ「姉さん」たちにこそ心底詫びてもいる。悲しくも末の妹には早くに死なれてしまった。死なれたくない。
2015 6・24 163
☆ 先生と奥様の
毎日のご努力 尊敬申し上げております。
心を元気に保てますよう、先生の御本と亡母の日記を読んでおります。
お体お大切に過ごされますようお祈り申し上げております。 渋川市 路 元図書館長
☆ 生みの母と
人生後半になりかかわりをもつことになった自身と重ねて、「生きたかりしに」興味深く読ませて頂いております。 葛飾 典 読者
☆ 「生きたかりしに」中
今ここに存在することの重さを痛感しています。太古のころより累々と綿々と連なって今に至ることの奇跡が「歴史」ということばでくくられるのでしょうか。
秦先生ごふさいに心からエールを送ります。
☆ 文藝資料や
未発表原稿等、次世代への伝承・保存をお考えなのですか。
同志社大学が小回りが利けば良いのですが……。 田中励儀 同志社大教授
* 早稲田の東郷名誉教授から一足早くお声が届いていたのか。容易ならぬことと思うが、誰にもせよ単独の研究者に任せるより、大学等の施設に預けたほうが安定感はあろう、が、活きるかどうかは運のようなもの。
* 山形大学の図書館が山のように大量の「最上徳内資料」を保管されていて、読ませて貰えたことは限りない幸運だった。あんなに北の時代そのものを証言して価値ある寄託内容をわたしが揃えうるわけではないが、もう一度も二度も三度も精選してみたい。
2015 6・24 163
☆ 夏至過ぎて
「わたしは趣味で文学をしていない。一生の本業として文学を仕事にしており・・・」
そして「問題は、目が見えなくなってきていること。」「・・歩いて歩いて、元気に老いたい、生きたい。静かに自然に死にたい。」
21日に書かれている件りの、その強さ激しさ、同時にその自然さ静謐さを受け止めました。
15日の、信仰や神についての記述も従来通り、納得いくものでした。おそらく日本人の多くも同じような感懐ではないかと思うのですが、どうでしょう。
かなり前のことになりますが、和泉式部の歌、「あらざらんこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな」「冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」
この二首に歌の精髄が表出されているという記述を読みました。
命の火迸るままに、周囲を気にせず、ある意味究極の愛を貫いて生きる、その真実を詠んでこその歌。その式部の写しかの如く生涯を生きた女人の姿を、お母様に見出します。同時に平安の同じ時間を生きて対照的に述べられること多い、赤染衛門にも思いを致します。
紫式部などは衛門を断然支持していて、世間一般はやはり衛門的生き方を肯定しました。そして現在とて、女性の生き方が変化しつつあると言っても、基本的には誰しも和泉式部のようには生きられない。
どちらの生き方に共感するか、それは問わず、さまざまな生き方をわたしは受け入れます。わたし自身もまた・・両方の要素をもち、そのような行動パターンを生きている、と。
できることなら自分にとっての真実のまま思い切り人生を貫きたい、と鴉が、『生きたかりしに』の感想で、鳶に特に聞きたいと思うことは奈辺にあるか、わたしは分かっているつもりなのですが、その故に、まだ書くことができません。
HPから読み取っている事柄をまず書いてしまいました。
一か月ぶり? のメールですので些かとりとめなくて済みません。
通っている日本画教室の展覧会が今開かれていて、明日は一日会場で受付の用事があります。今月はそのような機会が二度重なり、搬出入、展示などやはり少し気忙しく過ぎています。
歯肉炎で歯医者に通っています。医者は無理してはいけません、治りませんよと言いますが。さて姑のことやらあるとしても、肝臓に問題はあっても近々の検査は胆嚢、すい臓などパスしていますし。それほど無理はしていないのです。
こちらは梅雨と言っても九州や関東で報じられている集中豪雨などなく、から梅雨に近い毎日です。庭の梔子、紫陽花、木槿、沙羅双樹、みな季節を楽しむかのように咲き続けています。スケッチとなると追いかけられる感があります。
最後になってしまいましたが、安保法案に関連して国会は会期95日延長とか。さまざま恐ろしいことです。本当は書き連ねたいのですが、それはHPで鴉が既に丹念に書かれていることですから・・。
くれぐれもお身体大切に 夏を乗り切る体力をつけ無理なさらぬように。 尾張の鳶
* 作の感想をとなると、まず聞きたい知りたいと思う人である。ま、また聞かせてくれるだろう。詩も読ませて欲しい。
☆ : 発送作業、お疲れ様でした。
「生きたかりしに」と相まって、(選集⑦の「罪はわが前に」など)殊に重い意味を持つ巻ですね。今日届きました。有り難う存じます。
今は「生きたかりしに」の方を読み進めます。
ゆっくりお休みになって、お疲れを癒して下さい。
少年のままの魂を抱いた団子さんへ 黍
* 桃太郎で「黍団子」と、名は覚えたが、形も味も想像がつかない。
2015 6・24 163
* 朝いちばんに、「尾張の鳶」さんから自作の繪二点のほか、菓子や茶など、いろいろ頂戴した。額に入ったのは吾亦紅か。板のままのは海外の市街風景。二作とも、実存ということばを思い起こして見入っている。ありがとう。感謝。すべてに、感謝。
2015 6・25 163
☆ 拝啓
鬱陶しいこの頃の陽気ですが先生にはお変りなくお過ごしでしょうか、ご案じもうし上げます。
先生のすばらしい「選集」第七巻拝掌致しました。毎巻のご恵送に与り心より御礼申し上げます。
第七巻の巻頭の「少女」は、初めての拝読でした。「うそうそした街」と「少女」の姿と「犬」とが、とても印象的でした。
「罪はわが前に」は単行本を拝読させていただいた折の実に重い読後感が想い出されてきました。承前の「死なれた」「生まれた」「死なせた」ということばが、何ともいえず、もてあましていたことを思い出しています。「闇を信じることはそこに光をもとめることである。」の一行は、おりおりの心に糧にしております。また時間をおいて再読させていただろうと思っております。
巻末の「秦恒平選集第七巻刊行に際して」でお書きになっている「大学の頃」「長い私小説らしき」ものも、いつか拝読できる日がありますでしょうか、そういう重いがしております。
「作家は」「自作」らよって「こんな私でした」と「告白」しているとされておりますご指摘。大事にしたいと思っております。
くだくだしいことを申し述べましたことお許し下さい。
どうかお身体を大切になさって下さいますよう 心より願っております。 御礼まで 敬具 憲 藝術至上主義文藝学会前会長
☆ 選集第七巻拝受いたしました。
「魂、少年のまま」日々原稿をチエック、出来上がった作品を包み、運ぶ先生と、全身全霊で支えていらっしゃる迪子奥様のお姿を想像し、「腕(かいな)かしこみて」御本を開きます。ありがとうございます。御身おたいせつに! (第七巻の発行日、「桜桃忌」でしたね!) 笹塚 宏 編集者
* 御喜捨 感謝申し上げます。
☆ ジョン・ダワー氏(=世界的な歴史学者)の談話
息子にパソコンから出してもらい、読みました。
広島でも 九条の会も加わり、大きなデモ、集会が行われています。
七月も予定されています。 広島・庄原市 知 読者・東横短大卒業生
* 誇らしい教え子。 東工大卒業生で、知る限り、こういう人はいない。
☆ 梅雨空のもと
紫陽花が美しく咲いております。お元気でお過しのコトと思います。
先日は湖の本をありがとうございました。
昨年 百一歳の天寿を全うした母を思いだしながら読ませていただいております。
いつもながら ありがとうございます。 京・大枝 望月重延 漆藝家
* 「活きたかりしに」の下巻は、七月六日に届ける予定と凸版印刷株式会社から連絡が入った。この完結と発送終えれば、しばらく、ふうっと息がつけるだろう。仕事は次々に続くけれど。
* 疲れ切っている。眼も見えない。字も読めない、本も読めない。九時。寝入るか。
2015 6・25 163
☆ お早うございます
随分とお疲れのご様子でしたが、夜はぐっすりお休みになれましたか。
昨日は残業、8時頃に遅い夕食をとりました。
今日の午後から雨が続きそうです。発送の間は降られなくて何よりでしたね。
足元、お気をつけて、歯医者さん、お出掛け下さい。 黍
☆ りっぱな本を
ご送付戴き有り難うございました。
八十路にかかり、体力的にも大したお仕事だと恐れ入っています。
弥栄中校舎の写真を見て、あの増設の四階から弟が落下したなぁなどと…幸い頭に異常がなく骨折だけでしたが 治療で受験が一年遅れた事など思い出して。
弥栄中が楽しかった訳でもないけれど、高校時代よりは良かったかな、と。
気候不順な折り、お元気で 小金井 泉 後輩
* 学校の茶道部でではなく、秦の叔母の稽古場を借りて我が家へまで茶の湯の稽古に通ってくる後輩達の六七人もがいた。わたしはもう大学に、その人達はまだ高校生だった。
その一人であった「泉」さんとは、はからずも長編「最上徳内=北の時代」の中で、早稲田大学にお勤めだったご主人を介して際会したのだった。そんな偶然もあり得るから、世の中が、おもしろい。
* 銀行で選集⑦の支払いをしてから、例の歯科へ通う。電車で校正。
2015 6・26 163
☆ 拝啓
七月にもならないのに、暑中お見舞いを差し上げたくなるような日々ですが、お変りございませんでしょうか。
長年にわたって構想なされたという長編「活きたかりしな」を上、中 相次いで賜り、目を見張りました。
冒頭、京大の「N先生」の登場に、思わず引き込まれて拝読しております。
ありがとうございました。 今西祐一郎 元九大教授 国文学研究資料館館長
* 「 N 先生」は今西さんらの大先生であった、野間先生である着流しで止まり木に粋に腰掛けて気さくによく話して下さった。祇園の飲み屋ではほかにも偉い懐かしい先生方とよく一緒になり、ご機嫌でよく飲んだしよく話した。有り難かった。わたしはお年寄りにはとてもウケがよく可愛がられたのである。
☆ 拝啓
梅雨明けが待ち遠しい今日この頃ですが、先生にはいかがお過ごしでしょうか。
先日は「湖の本」124 125「生きたかりしに」上中をお送りいただきまして まことにありがとうございました。味わい楽しませていただく所存でございます。
御礼にはまったくなりませんが、最近友人と創刊いたしました研究雑誌(「近代文学資料研究・1」)を同封させていただきます。この雑誌は資料を楽しもうという性格のもで、五冊まで刊行する予定です。
中に小生も一本、萩原朔太郎関係で執筆いたしました。実は「研究ノート」のつもりで書いたものだったのですが、意外にも論文扱いになってしまい、やや恥ずかしい気持ちのものでございます。
ご笑覧いただければ幸いに存じます。
本格的な夏をひかえ、一層ご自愛くださいますようお願い申し上げます。 敬具 野呂芳信 東洋大学准教授
* ことに親しくして頂いた野呂先生のご子息であろうかと想っている。ご親交を願いたい。
☆ 梅雨になると
古家のたてつけが、わるくなって、なだめたり、すかしたり。
選集第七巻をありがとうございます。感謝しています。
めずらしく「対談」からよみました。作者の意図するものと、読者の受けとる読み方は、創作物であることをおもえば、違ったり、見当はずれであっても、ありがちと思いますが、「生きたかりしに」(中)では、ちいさな坊やを、気のすむまで抱きしめていてあげたい、と
おもってしまいました。みなさま、体調を、くずされませんように。 大阪府 柚
☆ ありがとうございました。
久しぶりのまとまった雨です。
先生、奥様おかわりありませんか?
「選集」第七巻をありがとうございました。
包装を順に開いていって、部厚いご本をそっと両手にしたときの私の気持ちは、いつも同じひとつこと。
それを、笹塚宏様がそっくりそのまま伝えていらして、ビックリいたしました。
本当にあのとおりでございます。どうぞ、お二人お身体をおいといくださいますように。
「三千盛」夏季限定酒がでましたので、お礼の気持ちにかえてお送りいたします。
28日の午前中に届くはずです。ありがとうございました。 各務原 都 詩人
☆ 「生きたかりしに」中 拝読致しました。
P265「性根に末っ子の人なつかしさのようなもののあるのが、無意識に・・・」と、p367姉上のお手紙、「姉の文章には渋滞したものがなかった」とを結ぶプロセス が 印象的でした。
上巻、父と息子に、今は姉と弟の交信(心)に救われています。
そしてP120(290)5行からP291(291)2行の7行をお読みになった、姉上は天国で静かに微笑まれていらっしゃることでしょう。 練馬 裕
☆ 昨日
選集7 巻 お送り頂き有難うございました、厳しい体調の中いただきました事 有難く感謝。
前回無題のメール大変失礼しました、文字変換のつもりが送信してしまいあわてました、大変失礼しました!機械音痴ですから。
早や来月は ぎをん祭りですね、大船鉾が東京へ出張したとか? 私はまだお目にかかって無いのです、今年は見たいと思っています。
お礼方々おやすみなさい。 華
☆ 感謝
選集第七巻をありがとうございました。
今日は雨の予報でしたので降りだす前に届き、ほっとしています。
宝物の山堆く 嬉しいです 本当にありがとうございます。
風が強くなってきました。今夜は本格的に降るようです。
関東はお天気の急変多いですね。どうぞ気をつけてお大切になさってください。 下関 碧
* 東大大学院、山梨県立文学館からも選集⑦受領挨拶があり。安藤啓一さん、鈴木定幸さん、野路秀樹さん、橋本美代子さんからは、ご支援の御喜捨を頂戴している。
2015 6・26 163
☆ 加賀は梅雨に入りましたが、
今日は晴れて暑いです。きのう病院(月に一回の診察)から帰りましたら「第七巻」が届けられていました。ちょうと「生きたかりしに(中)」を読み終えたばかりなので、さっそくこの巻で「罪はわがせ前に」を読ませていただきます。
「罪はーー」の単行本は、神田の古書店で見つけて(ずっと前です、いつか忘れたくらい)、カバーがヤケていたのを気にしながら買って読みました。
林( 富士馬) 氏との対談を先に読んで、今さらながらこれまで秦さんのお作をいかに上っ面だけをなぞったような読みかたしかできていなかったことーーと想っています。それでいて ファンレターを書くほど感激した(それがご縁で今までご親交をいただいています)のです。これからは、別の読み方になると思います。
先日 庭を掃いていたら 竜のヒゲの中から一米近いシマヘビが走り出ました。粟生では蛇はめずらしくありません。以前風呂をリホームした時、古い風呂場の下に白に近い蛇が塒を巻いていました。工事の人が貰っていいかといって持ち帰りました。 散歩の途中で田ンぼの畦や用水の中に時々見つけます。ほとんどシマヘビのようです。
秦さんのお作を読むようになってから、蛇はただ見過すことがなくなっています。
先日 小林輝冶さんがなくなりました。私と同年です。小林さんは福井から金澤に来て、石川の文学者の研究を巾広くなされ、大きな業績を残していかれました。クリスチャンのお葬式に初めて参列しました。
ハチミツ お気にいってくださったようで何よりです。 レッテルに写真のある先代からのヒイキで、購入に行くと 広い入口の板の間で、長々とハチミツの効能を説かれました。 私も軽いゼンソクで、ずっと愛用しています。また機会を見てお送りします。
重いブレゼントをいただく気の重さをそらそうと、筆が外への走りました。字の乱れもお許しください。
奥様ともどもお大切にと願っています。 井口哲郎 元石川近代文学館館長
* この心温まるやさしい筆致のお手紙は、谷崎松子夫人に多年頂戴していた美しいお手紙と一対のわたしの宝物である。手紙とはこのように書かれて嬉しいもの、最良の消息とはこうなのである。にがてな蛇が書かれていても、井口さんがいわれると、しぜんと「清経入水」や「三輪山」や「みごもりの湖」や「冬祭り」や今回選集に入れた「丹波」などなどが懐かしく胸の内に浮かびあがってくる。
小林輝冶さんのこと、残り惜しい。この方も湖の本の最初から三十年近く変わりなく応援して下さった。ご冥福を祈る。
* 朝いちばんに、利休研究などで名高い村井康彦さんより、磨き抜いた超級の美酒「獺祭」の小瓶を頂戴した。感謝。むかし山口の俳人孤城さんが何度も何度も送ってきて下さったが、亡くなられた。
「日本酒」ぜんたいが何かしら国際的に高く評価されたと聞いた気がするが、たしかに、よくよく醸した米・米麹だけの日本酒は、各地なりの水質と工夫とで、互いに、比べようなく美味い酒になっている。藝術的である。
2015 6・27 163
☆ 前略
すっかり御無沙汰いたしております。京都府文化功労賞表彰式の日、お目にかかれるのを楽しみにしておりましたがーー。
御労作を次々とお贈り頂き、御礼の申しようもありません。封を開けてすぐに「私語の刻」を読む楽しみは格別です。
それにしても一連の御仕事ぶりは、私にはもう驚愕としか言いようがありません。すべての読者が実感しているところでしょう。(もっとも私の方は、その都度、自分は何をしているのだろう、と反省させられ、落ち込んでしまうのですがーー)。
本日、御礼の(ごくごく)一端として、故郷である山口県岩国市でつくられている、話題の日本酒「獺祭」を、知人を介して入手いたしましたので、一瓶、しかも小瓶ですが、お送り申し上げました。(不細工なつめ方ですみません。)御賞味いただければ幸甚です。
天候不順の折柄、御自愛下さいますよう。
先ずは御礼まで。 村井康彦 京都市文化芸術協会理事長・滋賀県立大学名誉教授
☆ 初夏の
さわやかさを楽しめる日も殆どないうちに梅雨の季節となりました。
ご高著「生きたかりしに」 本当にありがとうございます。
自分のことを書いて恐縮でございますが、今の日本の政治的社会的状況に対するつよい関心もさることながら、八十六年この世に生きてきて、人がどんな家族環境に生まれ育ち、どう人格形成がなされたかについて深く考えるようになりました。
先生とご生母との関係をこのご本を通して初めて知りました また先生と同じく私の両親も京都育ちということもあって、時には古い京都の地図を見たりして 興味深く読ませて頂いております。ご厚情にこころからお礼申し上げます。不安定な季候の中、どうぞおからだをお大切になさいまして お仕事をお進めになられますようお祈り申し上げます。 かしこ 元東大法学部長福田歓一氏夫人
☆ 選集第七巻
ありがたく頂戴させていただきました。大切に読ませていただきます。
先の五月三十日に同志社女子の同窓会が平安神宮横のレストランであり、会の終わるのもそこそこに神苑のはなしょうぶと睡蓮をスケッチに走りました。と申しますのも、中学生の折 写生に行ったのですが 花に圧倒されて不本意な繪しか描けなくて、それが今でも心残りだったのです。
まあ そんな気持で描いた夕ぐれのお池。やっぱり平安神宮の庭はすばらしいと思いました。
下手くそですが (=はがき表のはなしょうぶたちの繪) 見てやって下さい。 もと子 同窓藤江孝夫君の夫人
* なんとまあ懐かしい、繪。平安神宮の神苑は、朝はやか夕ぐれがいい。はなしょうぶの季節、櫻の季節、藤の季節。胸の疼くほど懐かしい。
この人は、京大へすすんで藤江君と結ばれた人。藤江君とわたしは弥栄中学区、奥さんはとなりの洛東学区から同志社女子へ通っていたらしい。昔話もこれまでに沢山聞かせてもらい、その中には、いま書いている新作の小説への重いヒントも有った。はやく、しっかりと書き上げたい。
☆ いつも
すてきな御本をありがとう存じます。
好きなむくげ一輪咲きはじめました。どうかお大事に。 五個荘 民 作家
* お志し、いつも過分に有難う存じます。
☆ 冠省
選集第七巻 ご恵贈いただき有り難く拝受致しました。「罪はわが前に」は単行本で拝読しました。私小説とは、こうまで赤裸裸で辛いものなのだと存じました。
「生きたかりしに」中巻 近江路水口宿での辻元きよさんの話には、ほっとさせられました。「中肉中背の、見るからに品の佳い丈高い人で、当時としては、ハイカラを繪に描いたような美しい顔と良い服装だったから、ただ遠目にぼうっと憧れていた」と くにさんのことを語っています。宝塚スターを彷彿とさせるような方だったのかと感じました。
梅雨のうっとおしい時季です。先生も奥様もどうぞお大切にお過ごしください。
ありがとうございました。
些少同封致しました。お納めください。 和歌山・貴志川 朱心書肆主人
* ありがとう存じます。
三姉妹にも心から、五人の親たちにも、また、そっとあたまをさげています。が、書くべきを心籠めて書いた気持ちに変わり有りません。文学が藝術になるか、紙屑同然になるかは、籠めた心と文章から品が匂い立つかどうかで決まるのです。
☆ 秦さんへ
『秦恒平選集』を 又々 ご恵送賜り誠に有難うございます。
今日はこれからクラス会で、木更津甚句を楽しむ会に参加します。
バスで千葉へ出て内房線木更津までの間に楽しめるように、あらためて、選集”有即斎”番本の『少女』をそーっとコピーしました。
本郷通りは、何度も煎餅を積んで自転車で通り抜けていました。『少女』も忘れずにいたいです。
何と御礼を申してよいかわかりませんが重ねて厚く御礼申し上げます。
日々、その通りのもの凄いお暮らしを思い、元気をいただいて、相変わらずのろく、いちばんらくにがんばっております。
どうかくれぐれもお大切になさってください。
(しとのこと云えませんが、よろけ転倒骨折厳禁) 勝田拝 e-OLD
☆ HPに
「実存ということばを思い起こして(繪に)見入っている」と書かれています。どう読み解けばいいのか、迷い考えています。
孤寂の境涯・・どのような中にあっても、弧寂はとてもとても大事なことです。鴉の言葉、痛切に感じます。 尾張の鳶
* 「繪のような」と譬えるとき、表皮の綺麗だけが称讃されていることが多いが、佳いつよい繪は、骨肉の質に目が届いている、ないし届かせようと思いをいたしている。貰った鳶の繪は、視線と思いとが対象にだけでなく自身の内へ差し込まれている、ないしそう志されている。そういうことを言ったのである。
2015 6・27 163
* 野呂芳信さんに戴いた十一人同人の結集「近代文学資料研究・1」 良い仕事がならんで読みごたえがある。川端康成ふうの物言いでいうと「こたえる」ものがある。
おなじ事は、毎々頂いている東海大日本文学会編集の紀要「湘南文学」49 50号にも言えた。教授の小林千草さん、退職と。初めて「千草子」さんという名で手紙をもらったころは若い人に想えたが。ま、多年、モノの見事に多彩な研究を発表し続けた力量抜群の人だった。
2015 6・27 163
* 詩人山中以都子さんから、夏限定の純米大吟醸など純米「三千盛」二種を頂戴した。作家牧南恭子さんからは二人で戴ける特製のご馳走蕎麦を頂戴した。食の進まない折、感謝に堪えません。
2015 6・28 163
☆ ご本ありがとうございました。
先日頂戴致しましたのに、お返事大変遅くなり、失礼いたしました。
( 身内に不幸がありまして、本日これからお通夜の手伝いにでます。)
「罪はわが前に」 少しずつ読ませていただいています。
私も、両親が中学三年のとき離婚しており、「身内」の縁は薄いほうなので、傷みを感じつつ。
もはや50年も過ぎ傷みもだいぶ風化しましたけど、当時は大人というものを嫌悪し、憎み、なるべく家を離れるようにしていた時期がありました。
亡父が、居室入口に板きれで 「S(当時の住所) 刑務所」と黒々と書きつけ、釘で打ち付けていたおぞましい記憶は簡単にきえるものではありません。
大人になってみれば、人間は本当に弱いもので、ときには激流に流され飲まれることもありうるのだと頭では理解できるようになってはいますけれども。
何があっても、最後まで自分らしく理性と知性をもって生きていきたいものですね。
感想はまた後日に。 能登 弓
* この体験は凄まじい。青春はなべて型通りに明るくも希望に満ちてもいない。暗い侘びしいトンネルのようにも思えたものだ。だが、抜け出さねばならない、努力と、はからいに手をひかれて。
2015 6・28 163
☆ 秦恒平撰集第七巻
頂戴いたしました。
京都での授賞式への出席も見合わせられたというご体調の中での、次々の出版、本当に感銘御尊敬申し上げております。
以前一度お金では失礼? がしらとお酒をお送りしたことがありました。お菓子だとかお酒だとか、只今の御体調を把握しないまま何かモノを差し上げるのはやはり失礼だと思い、こちらも失礼と云えば失礼なのですが、奥様に、秦さんの御体調に合ったものを調達して戴こうと思い、心ばかり同封いたしました。
こういう偉業を成し遂げていらっしゃる中での奥様や御子息のご苦労ご協力がどのように大変なことであるか、よくわかるような気がします。でも同時にご一家が全力を挙げて取り組んでいらっしゃることに、とても暖かい羨ましいものを感じます。
私は、前にもうしあげましたように、今は(=新刊の)「湖の本」の方に夢中ですが、次は(=第七巻の) 「罪はわが前に」拝読しようと楽しみにしています。
八十の坂を登るのは大変だと前々から医者の兄に聞かされていましたが、そしてその本人も八十六才になりエレベーターのない古いマンションでフウフウ言いながら暮らしていますが(長兄は昨年八十八歳で旅立ちました)本当にそのようで八十三才と八十四才の老人夫婦 ヨロヨロと暮らしています。京都にはやっと行って参りましたが、その後は一週間位、疲れから来る色々の症状に対対峙しなければなりません。
本願寺の岡 別院という所で会がありその隣の平安の森ホテルという処で或る方の撰集刊行完成の祝賀会があり、そのホテルで(=夫君高史明さん)は話したのですが、(ホテルの)すぐ隣に岡崎神社という何やら由緒ありげな神社があり、帰ってから若い人にスマホで調べてもらったら、祭神はスサノオノミコト・クシナダヒメで、平安京の東のかための神社とか。大磯の中心の六所神社もクシナダヒメなので、どちらも新羅系、何か因縁を感じました。もう京都も見納めと思い、東本願寺だけお参りして帰りました。
さてもうひとつ同封のものは、北沢恒彦氏のお手紙です。
わが家の息子の自死などもあり、大変たくさんのお手紙をいただいていましたが、小平から大磯に越した十四年前、大方は整理しました。でもどうしても捨てられない手紙があり、ダンボール二箱位残して持って来ました。でもやはりそろそろ死に支度で、もう一片付けしなければと日々丁寧に読んでは始末するということをはじめました。
先月、その中で北沢さんのお手紙を見つけました。はじめてお会いしたのが息子が死んで半年後ぐらいの頃、京都のほんやら洞という反戦喫茶店で、その時もその後も何回か京都を案内して頂いたり、一度は小平のわが家にいらして下さったりしましたが、お会いしたのも十回に満たない位の数でしたし、お手紙を頂いたことは忘れていました。
でも改めて読みますと、あの北沢さんの表面は厳しいのに心の底の何とも云えぬ優しさがよみがえって参ります。本当に優しい方だった。そしてそれは底知れぬさびしさに裏打ちされた優しさだったと、今思い当たりました。殆ど交渉がなかったとおっしゃっておられましたが、やはり濃い血のつながり、秦恒平さんにそっくりだったと強く思います。
(筆が走って失礼なことを申し上げました)
大事な手紙と写真は私共が死ぬまではとっておこうと思っていますが、今回、北沢さんのお手紙は秦さんにお送りしようと思いました。私共には子どもがいませんので、死んだら皆ゴミとなって捨てられてしまう、それならそちらに差し上げた方が──と夫と相談して決めた次第です。失礼でなどないようにと心から願っていますが。
撰集と湖の本 秦さんご一家には只今一分一秒でも大切な時と思います。つたない私共の便りを受けとったという御連絡などお気使い下さいませんように、私共に本を頂くこと、それを読むことが一番大事ですので。
前から上手くはありませんでしたが、最近ますます字が汚くなっております。読み辛いと色々な人から叱られますが、パソコンが使えないので手書きになります。御迷惑もかけて申し訳ありません。又、夫は私以上に判読不能な字を書き、従って筆無精になっておりますのでいつも失礼しております。でも二人共、秦さんのお仕事を尊敬し、それが成し遂げられることを心から念じております。
くれぐれもお体お大事に 御夫妻のご健康を念じあげます。
舌足らずの手紙で失礼いたしました。 合掌 岡百合子 エッセイスト、作家高史明詩夫人
* 嬉しいお手紙を、いつもいつも、本当にうれしく頂戴している、そのうえに、もう久しくも久しく、亡き兄恒彦に代わってのように、ひとしお心温かな応援をして下さる。身の幸せを底知れず感じて感謝している。
* 兄恒彦の高夫妻へ宛てた手紙を、いましも読んでいる。恒彦の書字は、これはもう特級の判じ物のようで、きちっと読み取るのに心血を注がねばならない。懐かしい。とても恋しい。
☆ 拝啓
御健勝 大慶に存じます 続々御著頂戴有り難く存じます。今 小説を読む楽しみを存分に味わつてをります。
梅雨が明けましたら 一度お目にかかりたく存じております。 不備 寺田英視 前文藝春秋専務
☆ 降りみ降らずみの
梅雨空がもどってまいりました。
昨日は ご高著第七巻を御恵贈たまわりましてまことにありがとうございました。
「或る説臂翁」は胸を抉られるような鮮烈な御作でございますね。処女作から既に確立した世界を持っていらっしゃると あらためて感じ入ったことでございます。 私ごときが感想などとおこがましいことではございますが、鎌の穂の血のりが未だに口中に残っております。 お心遣い暑くお礼申し上げます。
どうぞお身体をお大切に ご自愛下さいませ かしこ 京・鳴滝 川浪春香 作家
おって
何か美味しいものをと思いますが お身体に障りがあってはいけませんので 心ばかりを同封いたします 失礼の段 お許し下さいませ かしこ
お返事はご芳念のほどを
* おそれいります。「或る折臂翁」に触れていただき、嬉しい。「小説」という文字があたまに舞い込んだときから、この白楽天の詩をいつか書こうと狙い定めていた。詩集は秦の祖父の蔵書だった。怒られた覚えなど一度もないのにこわいお祖父ちゃんであったが、長持ちや箪笥に埋蔵されていた大量の古典籍にどんなに少年のむかしから思い養われたことか。感謝しきれない。
此の作、書きたい書きたいと震え始めていたのは、安保闘争で連夜国会を取り巻いていたあのころで。仕上がりの作とはずいぶん違った結末を想っていた。兵役忌避の作とも、たんに臆病の作ともとれる微妙な割れ目を意識していた。
文章にもっと風通しを、会話に妙味をと願って、このあと、築地の松竹にあったシナリオセンターに、かいしゃが退けると毎晩、半年通って、課題の二作を書き上げた。七十人ほどいた生徒の殆どが続かず、二作提出したのはわたしを復命二人だけと聞いた。当時松竹の専務だったか副社長だったかの城戸さんが提出のシナリオを読んで八十点くださり、「あなたは小説家になるよう奨めます」と評がついてきた。奮い立った。そして「畜生塚」を書いたのだ。
☆ 前略
新潟(=の両親宅)に 選集第七巻が届きました。ありがとうございました。
今回は『罪はわか前に』が入っているようで、何度読み返したことかと 懐かしく思い出しております。九月ごろ新潟へ戻る機会があるので、これまでいただいた選集と合わせ、手にとれるのが楽しみです。
梅雨で落ち着かない日が続きますが 迪子さんともども、どうかご自愛ください。
新潟の両親も、よろしくと申しておりました。 草々 奈良市 藤田理史
☆ 先生が
精力的にお仕事なさっていらっしゃることに感激しております。
ますますお大事になさって御自愛くださいますようお祈りいたします。 静岡市 鳥
☆ 第七巻
刊行おめでとうございます。ありがとうございます。
お体、お気をつけて、第十巻までは、最低でも出版お願いします。 愛知・知多 則
* お二方 ご支援有難う存じます。
2015 6・29 163
☆ 梅雨の晴れ間に、
建仁寺の両足院内の半夏生の庭園へ行って来ました、雨の後でとってもきれいでした。写真送ります、小さいのでちょっと見にくいかな?
続けて、お腹に良い物 探して来ました、お好みに合いますか? カステラと紅茶です、京都のナガサキやは無くなりました、フクサやなら悪くなさそうで、明日着くようです、お疲れにご賞味下さい。 京・日吉 華
* 建仁寺両足院とは、懐かしい。家から、花見小路、祇園町を小走りにゆけば数分で両足院へ行けた。叔母が懇意で、わたしも御免蒙ってお庭で何度も憩わせてもらった。「冬祭り」にも書いた。淡交社の京都古寺巡礼のシリーズでは「建仁寺」篇のために長めの文章を書いたが、その取材の際にも両足院を訪れた。等伯の襖絵が観られた。翅があれば翔んで行きたい。
☆ おはようございます
今年も早いもので折り返し点に来てしまいましたね~ ご無沙汰ばかりで申し訳ございません。 ご体調は如何ですか? 気に掛かっていましたら 先日思いがけず立派なご本をご恵贈頂きびっくりしております。 有り難うございました。本当に私の様な者に頂いても良いのでしょうか。
ご本を読みながら、子供の頃の自分に返って懐かしい思いに浸っています。 新門前の梅本町に小学校の恩師が住んでおられて遊びに行ったりしていました。 同じ京都に住み同じ地域の中で子供時代を過ごしていたからでしょうか本当に懐かしい何かに引き寄せられながら読ませて頂いています。 有り難うございました。
私も先月肺炎になって入院していましたが、昨日退院後の検診で無事との許可をもらって ホッとしています。
これからご夫妻共にご無理をなさいません様にくれぐれもお大切にお過ごし下さいませ。
追伸 過日お見舞いにと予約でお送りしたのですが、和菓子でなくてごめんなさい。 奈良市 絹
* 「華」さんも「絹」さんも高校茶道部でわたしから茶の湯を手ほどきされた後輩で、二人は仲良しだった。はからずもメールを同時にもらって、ほおーっと昔を偲んでいる。二人とも、湖の本をずうっと応援してくれている。
我が家の一軒東からが新門前の梅本町だった。そうか…うちの前を通って先生のお宅へ遊びに行ってたのか。むかしの家なみが思い出される。ありがとう。
* 以前は郵便配達は午前も早い内だったが、この頃は夕刻になっている。
☆ 『秦恒平選集第七巻』を
拝受いたしました。
<作家を志して書いた「処女作」>のお言葉に、すぐに「少女」と「或る折臂翁」を拝読し(未読だったとは不勉強者ですが)、震撼しました。ここには、作家秦恒平の芯がすべてあり、そして完成されています。いいものを読ませていただきました。ご厚意が晩年の読書を豊かにしてくれます。お礼申しあげます。
うっとうしい日々が続きそうです。どうぞお身体お大切になさって下さい。 敬 元講談社出版部長
☆ 拝復
御鄭重にも『秦恒平選集第七巻』を御恵贈にあずかりまして、誠に 有難うございました。
まず 処女作(一)の「少女」のみ拝読致しました。
この魔障めいた少女を細かくさまざまな視点を使って提出された事は、これからの創作の展開の減点のようで、感服しました。(文中の 「私のような凡庸な人間」とあるのに初読の際いささか違和感を覚えましたが、再読して、この類型的な表現を入れておかないと、この短篇は浮き上がってしまうので、用意周到と改めて感じ入った次第です。)
今度の芯に、『罪はわか前に』を選ばれた所以も、巻頭のお便りでよく分かりました。
右、取り敢えずのお礼と愚見申し述べます。 敬具 忠 元「新潮」編集長
* 処女作二遍を巻頭に敢えて挙げた「選」が晴れだってくれて、作品に一礼を奉ずることが出来た。うれしくてならない。
☆ 前文ご免下さい。
選集第七巻 拝受致しました。変わらぬお心遣いありがとうございます。
ご意欲にみちたお仕事 同慶の至りです。いっそうのご活躍 祈っております。
取り急ぎお礼まで。失礼致します。 出 元平凡社「太陽」編集者
☆ 秦恒平 先生
この度は「秦恒平選集第七巻」を御恵贈賜りまことにありがとうございました。貴重な著者私家蔵本を頂戴し御芳情のほど厚く御礼申し上げます。思いがけないいプレゼントに驚きうれしく、本を撫でさすりました。
「湖の本」127冊のとなりにどっしりとところを得ております。
『生きたかりしに』中巻を一所懸命読んでおります。
著者が誰か、創作の背景などまったく情報がないまま読んだとすると,時にmysteriousで、また事実探索の手掛こふと森鴎外が脳裏こ浮かんだり ノーヴェルとして楽しめます。
さりながら、「わが八十の生涯を、思想および生活の両面から相重なり合うて裏打ちした作であること、…わが身の程を明かす臍の緒であった」との言葉を眼にしたのちは、リビングルームのテーブルに乗せた足を下ろし、背筋を伸ばして拝読しておはす。
上田秋成が通奏低音として響くなかで展開していく場面を、様々に思考を巡らしながら読んでおります。
さいわい、私は東京と大阪を振り子の如く三回も転勤を重ね、京の街をそして湖西・湖北の山々、沢を歩き回ったことでかなり土地
勘があることから、別の楽しみも読み解くことができています。
この八年ほどは、専らギリシア哲学とくにプラトンを古典ギリシア語で読む道楽こ耽っており、日本文学までなかなか手が回らない
日々が続いておりますが、この機会に未読の「湖の本J のページを繰らせて頂きたいと考えております。
「視野視力の動揺おさまらず…」との由、案じております。御無理をなさらず、どうかお体おいといください。
先ずは御礼まで申しあげます。 敬具 鎌ケ崎市 篠崎仁 読者
* 我が家での いわゆる「全巻読者」で、お付き合いは三十年に近い。感謝に堪えない。
☆ 秦恒平選集第七巻
ありがとうございました。もう第七巻とは目を見張る勢いですね。
二十六日 二十七日とバスツアーで能登半島を一周してきました。お天気が良ければ絵葉書のように美しいだろうと グレーの空と海が少しうらめしかったです。
輪島の朝市から少し干物を送ります。
お風邪などひかれませんように。 各務原市 真 読者
* 創刊いらい三册ずつ三十年ちかく買って下さってきた。何かの度にいろいろと送ってきて下さる。感謝。
* 京都の瀬戸内寂聴さん、千代田区の村上開新堂社長、早稲田大学図書館からも選集受領のご挨拶があった。
* 「尾張の鳶」さん、送った繪に額もと、見つくろって、ズシッと佳い額縁が夕方届いた。どこの国のどこの街とは分からないが、建物の重畳する市街を描いて、とても佳い。すぐ額装した作品を玄関の真正面に掛けてみた。佳い。妻もとても佳いと見入っていた。ありがとう。
* 藤江夫人から届いている平安神宮神苑の花菖蒲のはがき繪もとても好く、とっておきの写真立てに入れようと想っている。
いまこのたった六畳の機械部屋に、、むろん写真だが御舟の柘榴、靫彦の青花の鉢、栖鳳の蛙、淳之の花鳥、細川弘司の描いてくれた秦恒平素描、妻の描いた亡き愛猫ノコの肖像などがあり、今一枚尾張の鳶が描いた「吾亦紅」の額繪をも飾った。繪は、嬉しい。 2015 6・30 163
* 朝いちばんに、高麗屋から色も涼しい「ほおづき」の鉢が送られてきた。感謝。
* 作家の近藤富枝さんから「涼菜」 交通公社の編集者だった安藤典子さんから「のり」 中学・高校の同窓で日立の重役を務めた西村明男君から「両口屋是清」の銘菓 を戴いた。有難う存じます。
* 尾張の鳶さんから額も贈られて玄関正面に飾った繪は、「イスタンブール」の市街景だと。けさも新たな心地で見入って、ああ佳いよと首肯いた。
2015 7・1 164
☆ 秦兄
大部のご本有り難うございます。時間をかけてゆるりと読ませていただきます。
それにしてもなつかしい巻頭の母校の写真。いちばん西の一階だか二階だかが、途中から編入してきては、また金沢に転校して行った細川弘司君と机を並べたホームルームの教室でした。二年生の時だったとおもいます。色白でおとなしく画板をぶらさげて御所へ写生に付き合って行ったことを思い出しました。
弥栄の三年間は私にとってはほろ苦い思い出がいっぱいの、なつかしい時代です。
もう時効ですから白状しますが、兄の家の向かいに住んでいた石**子さんと結婚するんだ、と保健室の中村静子先生に言って 「あの子はあきらめなさい」と言われたことがありました。
年末試験の時など西**男、藤*君らと四人で私宅で徹夜をし、早朝彼女の家まで送って行ったこともありました。彼女は日吉へも行かず、そのうちに弥栄の理科の伊*先生に盗られてしまいました。
放課後はいつも渡**子さんと二人が音楽室で大賀先生にピアノのレッスンを受けていましたが、伊*先生もよく一緒でした。
中村先生の忠告が、伊*先生のこと以外にもあったことは数年後に東山馬町の中村先生のお宅へお邪魔したときに聞かされました。
テオドール・シュトルムの「みずうみ」岩波文庫本を誕生日のプレゼントに彼女から中3 の時もらいましたが、伊藤先生の愛読書だったかもしれません。
兄の写真に触発されてとんだ話になってしまいました。それにしてもなつかしい。.
ほんとうに有り難うございました。
季節がら充分ご自愛ください。 京・幡枝 辰 同窓
* ぜぇんぜん、知らなかった、想像もしなかった。わがやの真向かい住んでいた、馬町の幼稚園通園の頃からいっしょの「彼女」ではないか、それなのに毛すじも知らなかった。文面に出ている同期生の名も顔もみな覚えている。それなのに。それほど、わたしは、よそごとに気疎く過ごしていたワケか。青春とはまたそういうものなのであるわけか。
ま、あの弥栄中学校舎の写真をみて心動かさぬ同窓は一人もいまいと思い、「辰」君にも送ったのだ。冨松賢三君にも團彦太郎君にも松下圭介君にも送った。もうあの校舎も無いと聞いている、漢字博物館とやらに成り代わるのだとか。
☆ この度は
『秦恒平選集第七巻』のご刊行、おめでとうございます。小生のような者にまでご恵投下さり誠にありがとうございます。浩瀚な書物にこれまでの歩みが刻まれていて嬉しく存じます。
文学が相手にするのは歴史=字間だと思います。これから先の長い文学史に本書の輝きがどのように映じるのか、楽しみです。
まずはお礼迄。益々のご健筆を祈ります。 不尽 米沢市 馬場重行 米沢短大教授
☆ 選集第七巻
拝受致しました。ありがとうございます。別便にて、こころばかりのもの、お送り致しました。ご高納ください。
別件ですが 思うところあり、ペンクラブを退会致しました。
御推薦いただきながら、事後報告になりましたこと、おわび申し上げます。 藤原龍一郎 歌人
* 日本ペンクラブの退会者はおどろくほど増えているが、わたしでも事実上それに同じい。文学的な存在価値が甚だ薄れて、読み物作家達の同好会のような気味がある。現内閣の暴走に対しても、会員に危惧と蹶起とをうながすような何の対策もない。わたしは、居残っているけれど、やめたいと思われる方を押しとどめる気になれない。
☆ 秦恒平選集第七巻
ありがとうございます。
非常に早いペースでのご発刊、しかも「湖の本」との同時進行。さまざまなご苦労がおありでしょうにーー。ただただ驚き入っております。
「生きたかりしに」上、仲 作品への強い想いをもち、重く受けとめつつ、読了したところです。
最後に、お体 くれぐれもご自愛下さい。 愛媛・今治市 木村年孝 元図書館長
☆ 先日は
立派な本をお送りいただき、ありがとうございました。お礼の申し上げようもございません。
昨日 はなしのぶコンサートに行き いただいいた絵葉書です。
阿蘇にしか咲かないハナシノブの花です、まずはお礼まで。 熊本市 東淳子 読者
☆ 天候不順な
毎日が続いておりますが、体調の方はいかがでしょうか。私の方はダルくて、いつも眠くて仕方ないという情けない状態です。
このたびは大層立派な御本をいただき誠にありがとうございます。
久しぶりにこのような見事な造本を拝見いたしました。拝読させて頂きます。同封の韓国のりは手作りの品です。食事や酒の肴に御賞味下さいませ。どうぞお元気で。 安藤典子 元交通公社編集者
☆ 選集第七巻
ありがたく落掌いたしております。お心尽しもったいないです。感謝に堪えません。
罪はわが前に を少しずつ読んで行きます。
恒例の屋根の修理が遅くなってしまって六月に入ってどうにかさし茅修理も済んで一段落です。
一同みな元気で働いています。粉を碾くもの これは三代目です。打方修行中の四代目 なかなか思うところにゆかぬようでいます。
ご健康を念じております。奥様皆々様にどうかよろしく申し上げて下さい。 最上 芦野又三 あらきそば主人
☆ 湖へ
選集を送って頂きありがとうございました! お元気ですか。
金澤へお誘いしたかったのですが、私も都合がつかなくなり残念です。 またの機会によろしくお願い致します。
お大事に。 珠
* 浦和の出田興生さん、石神井台の高本邦彦さん、世田谷の野澤利江さん、枝川の藤原龍一郎さん、小松市の八代啓子さん、八千代市の渡辺実さん。ご支援有難う存じます。
☆ 選集第七巻
ご上梓 おめでとうございます!
お忙しい毎日と思いますが、くれぐれもお体大切になさって下さい。
何もお手伝い出来ませんが、応援団代表の 琉美子より 妻の妹
* いつも応援してくれて有り難く嬉しく 恐縮しつつも心より感謝申します。
2015 7・1 164
☆ 秦 恒平様
謹 啓
「秦恒平選集」第七巻、いただきました。私のような者が、御恵贈いただいて本当に良いのだろうかと、頬を抓る思いで受け取りました。有難く幾重にも御礼申し上げます。
可笑しな話しですが、丁度コルタサルの短編「続いている公園」を数日前に読み返したばかりで、先生が24日(水)のHPで「朝、照りつける坂道を重い腕車のバランスに難儀しながら郵便局へ。」と記されており、「ああ、さぞ、大変な思いをされておられることだろうな」と思っておりました、そのやさき(私は、あいにく田舎に行っており、不在通知が入っており、29日(月)に再配達いただきました)「秦恒平選集」が届いていたのですから、まるで先生が腕車に積み上げ、難儀されて運ばれた「選集」がタイムトンネルを通って、そのまま我が家のポストに真っ直ぐ届いたような、不思議な錯覚にとらわれました。正直、夢を見ているような気持でした。
「秦恒平選集」は、本当に持つべきに相応しい人が持ち、日本文学の成果(金字塔)として、確実に後世に伝え、研究資料となすべき、貴重なご出版なのだと思い、陰ながらご進捗を見守らせていただいておりました。高夫人(=岡百合子さん)の礼状にもありましたが、私も今の齢ですと、大切なご著書を保存的に遺していくことが出来ないだろうな、という思いが迫り残念でなりません。
御出版がもう10年前だったら、ご無理を申し上げても、全巻前払いしてでも、予約させていただいたろうと思います。苦心して集めた「鏡花小説・戯曲選」や「谷崎潤一郎全集」とともに、ガラスケースの書棚に「秦恒平選集」がずらっと背表紙を揃えて並んだら、どんなにか壮観で、嬉しい(気持ち良い)ことだろうとも思ったこともありました。
しかし、「湖の本があるじゃないか」 私は、自分にそう言い聞かせました。「選集」に、編まれた先生の意向を汲み上げるように、「湖の本」で読めば良い。私は、自分に、そう納得させました。
HPで紹介される、礼状の数々を読みながら、r 選集」がそれぞれに相応しい方々の手に納まっていくのを、「選集」のために祝すべきことと感じております。
私は、お贈りいただいたことを重く受け止めます。それは、しっかり読み込むことだと肝に銘じました。重ねて御礼申し上げます。
「罪はわが前に」は、1976~7 年頃、北区の王子図書館で読みました。
いろいろ思い出します。当時は半ば失業状態でしたので、新刊本は購入できず、バスで5 分ほどのところにあった王子図書館に毎日曜日、家内と通いました。
岡本かの子全集やドストエフスキー全集本は、そこで全部読みました。正直言って現役の作家で読んだのは先生の本だけでした。「みごもりの湖」「迷走」三部作、「誘惑」「慈子J 「罪はわが前に」等々、を借りて読みました。小説で初めて買った単行本は「冬祭り」ですから、以後の本はたいがい買っていますので、間違いないと思います。生意気なようですが、硬質な文章と、歴史とひと続きに現代を捉え、時空を超えて人間(日本人)を造形していく描き方が好きでした。これが日本文学のあるべき姿とも思いました。
髷と一緒に歴史を捨てきって、フランス人やアメリカ人のふりをして、どこに日本人がいるというのでしょう。トーマス・マンはこれぞドイツ人というドイツ人を、ゴンチャロフはこれぞロシア人というロシア人を意織的・意図的に書きます。そしてドイツ人とはなにか、ロシア人とはなにかを哲学します。日本文学というとき、そこに明明として平安、安土桃山、鎌倉、江戸を生きてきた日本人が描かれていなければならない、と思います。私は秦文学に、真の日本人を描く日本文学のあるべき姿を見てきたように思います。
「選集J 第七巻をいただいて、「少女」と「或る折臂翁」はすぐ読みました。
「少女」は「湖の本」で、「或る折臂翁」は「廬山」で既読でしたが、こうして「選集」で再読した印象は、まったく違って浸みこんできました。いったいお前は、いままで、なにを読んできたのだ、と忸怩たる思いで、惹きこまれるように、たちまち読み終えました。
「少女」は志賀文学の原点「母の死と新しい母」ともいうべき、秦文学の原点と感じました。ここにいたり「生きたかりしに」を読み進めていなければ、理解の及ばないものでした。秦さんは「生きたかりしに」を書いて漸くに生母と本当に和解された、と私は感じています。HPに載せられた歌
「生母(はは)といふ他人(ひと)を厭ひて遁げてきし
六十余年 すべもすべなき 恒平」
と他二首に、それを私は感じました。
しかし無意識の和解は作品「少女」にすでにあったと読みました。どこか養女らしい、あるいは再婚の連れ子らしいところの少女に抱く「私」の感想 「孤独な突き放された魂」、この言葉に私は、ハッとしました。秦文学のキーワードをみた思いがしました。
「私」は「少女」であり、「少女」は「私」であり、「少女」の意を図り、半ば強いるように食事を饗したのち、
「わあっと大声が出かけて、それこそ一目散に私は駆け出した。たちまち眼鏡が曇り、街の灯ばかりが冷たくきらめいた。」
と作者が描かれた、その「私」こそ、秘かに我が子に会いに来た生母(はは)であり、プレゼントを養家に届ける生母、「私」が逃げ回り、会うことを拒み続けた生母だったのですから。
「私」はr 少女」を生母(はは)が幼い頃の「私」を見るように見ていた。
そして生母が幼い頃の「私」にしてあげたいと切望して成し得なかった、共にする食事、慈愛の抱擁が、「私」の「少女」に対する行為に重なって見えた。
この時「私」は生母の心を理解し、生母の体温と一体になっていた。それで「私」は泣いた。と、私は読みました。
「少女」から「生きたかりしに」にいたる闇夜行路、ここに秦文学を読み解く重要なキーがあると改めて思わせていただきました。
また「或る折骨翁」は、なんと現在的な小説でしょう。50年の歳月を超えて、現在こそ、多くの人に読まれなければなりません。
「新憲法には初樹も関心をもっていた。日本人の生まれかわろうとする理想を赤ん坊ほどにも無邪気にむきだしに提唱していた。どことなく時代錯誤じみてもいた。意法が悲願や理想をかかげるものなら新憲法はこの上なく立派だが、その新憲法を空文化していく世界情勢が遠からずくる、国内でもわき起こることは想像しなければならないことだった。」
現安倍政権の出現の必然性がすでに予見されている、と読みました。新憲法発布の経緯や当時の社会情勢を知らない私には、このような洞見があったのかと、改めて襟を正す思いで読みました。
反戦の同志? として結ばれた、初樹と弥絵の身を潜めるようなつつましやかで平和な山暮らしに、イヤゴーのような狷介な康岡が介入してくる。
康岡は「非国民」という差別音を使って正義を威圧し、歪め、押し潰す無知蒙昧な「世間・民衆」であり、安倍政権のような朝三暮四に等しい言葉の詐術をつかって国民を言いくるめ、隠然と、まるでヒトラーのように強権を振い、国民の自由を簒奪し、武力による強盗集団を作って、他国を侵略することも辞さない戦前の軍部体制への移行がもたらす状況、それを体現している人物で、弥絵(良織・国民)に誅殺されて当然です。
命を賭けなければ一度出来上がってしまった社会を変えることは出来ない。
弥絵は、康岡に草刈鎌を振り下ろし、自らも命を絶つ。革命です。しかし革命で理想の社会が出来ないことは歴史が証明しています。支配者が替わるだけで、状況は何一つ変わらない。初樹の置かれた状況は何も変わらず、康岡は死んだが、愛する弥絵にも死なれてしまった。むしろ弥絵の死と、どす黒く成長した猜疑心がいよいよ重く、酷く初樹を責め苛むでしょう。初樹に救いは決して来ない。なんと酷い結末でしょう。
この後、それでも初樹が生き延び得たとしたら、初樹はオイディプス王のように自らの眼を抉り取るのではないでしょうか。もうこれから先は、読者には哲学があるのみです。
弥絵の最後の言葉 「おとうさま御免なさい」、の「おとうさま」は平蔵か、あるいは自分の父かと思うところですが、ここは私には父なる神、永遠の父性に詫びたように思われました。
重い重い小説です。不条理の小説です。漱石の「心」のように読者に哲学を強いる思想小説です。
「或る折臂翁」は秦文学を読み解く重要な作品として、必ずや研究される運命にある作品であると思いました。
それから「罪はわが前に」が、「未完」と、あるのに衝撃を受けました。「未完」だったんですね。この「未完」を「完」にするのは「生きたかりしに」なのでしょうか。
よくよく読み込まなければ、秦文学は理解できない、せいぜい理解したつもりで終わってしまうだろう。と、いよいよ我が身の非才を
身に滲みて思い到るばかりです。
「選集」第七巻はとてもとても重要な巻と感じました。
勉強させていただきます。ありがとうございました。 八潮市 小滝英史 作家
* 著者冥利とは、これぞと。わたしの文字どおり「処女作」二作をこうもしみじみと読み切ってもらえた身の幸は、ことばに替えるスベがない。「いい読者」に自分は恵まれていると思い続け言い続けてきた喜びを、新ためてしみじみ味わっている。
「清経入水」いらいたくさんな評論や書評をもらってきた。小滝さんのこの一文をわたしは忘れまい。「いい読者」とは自分に単に好意的な読者を謂うのではない。あつい「おもひ」で作品を燃え上がらせて下さる人を「いい読者」と読んでわたしは頭を垂れる。
* 都立中央図書館からも天理大学図書館からも選集受領の挨拶があった。
* 京・洛北のバー「樅」の横井千恵子さんから、美味い佃煮が届いた。酒もいよいよ美味くなります。
* もう七八十人分、宛名を書かねばならない、この両三日のうちに。問題なくできる。それで用意は満了。
眼は霞んでしかもギトギト、キラキラ。ほとんど字が読めない。アテズッポーでキーを敲いている。もう休むしかない。
* 「げに 兵は凶器なるかな。」 馬琴の一句がみみに鳴っている。
2015 7・2 164
* 皇居の周囲を取材した案内番組のなかで、皇室の御用達、いつもきっちりした缶詰めでたっぷりと特製クッキーを戴く村上開新堂の紹介があった。維新の折、京都から江戸・東京へ移ってきて創業した老舗である。番組の知らせは社長母娘さんからもらっていた。創業以来の歴史を綴った好い書籍ももらっていて、優れてユニークな経営に徹した名匠の風格ある洋菓子屋さんである。社主とのご縁は久しく、「湖の本」創刊いらい途切れなく手厚く応援して戴いている。創刊と購読依頼や配本時のわたしの挨拶に意気を感じてもらうたのが三十年のご縁であった。
一切配達しないお店として知られている。いつもいつも郵送してご馳走して下さり、有りがたい。
皇居のへん、あらためて歩いてみたくなった。本丸跡、北の丸公園、将門塚など。よく行く国立劇場からの帰りに、濠ぞいに帝国ホテルまで妻と歩いたことも何度か。ジョギングの元気はないが、気の晴れる空の明るさがある。
2015 7・3 164
☆ たいへんなご労作
読ましていただこうと思っています。益々のご活躍をお祈り申し上げます。 京・若王子 梅原猛
☆ 貴選集第七巻
拝受しました。
「湖の本」には秦様の読者への配慮を、『選集』には自作品への愛情を、しみじみ感しさせていただきながら、開披しております。ありがとうございました。取り敢えず御礼申し上げます 草々 神戸市 蕃 歌人・民俗研究家
☆ 「秦恒平選集」第七巻
ありがとうございました。長年愛読してきた秦文学総仕上げの感ありです。
秦文学はとにかく一読ではほとんど理解不可、最低二回読みが原則と心得、無初期の単行本時代から湖の本シリーズに至ってもほとんどの作品を最低二度読み、中には三度読み(糸瓜と木魚 墨牡丹 蝶の皿 青井戸、等々)してようやく味がわかり、じっくりかみしめるという読み方を楽しんできました。まことコクのある料理を味わう醍醐味。本当に数十年、これが小説だと心の中で喜び続けてきました。
日吉ヶ丘時代、上衣のポケットに両手をつっ込んで歩いていたあなたの姿が思い浮かびます。あの頃聞かされた短歌や古典文学の話など、当時の私には全く別世界の如く、はるか空の上の事とかのように聞こえました。また岡見正雄先生(=古文 太平記研究などの当時既に大家であられた。) の古典文学に対する話など、いったいいつになったら、どうしたらあの世界に近づけるかと空遠く聞いていた記憶があります。あの時、岡見先生の一言「文語文法を知らずに古典へ能美とはないよ」が頭に残り、二年生の冬休みに問題の文語文法(特に助詞・助動詞)を必死に勉強し、マスターしたのが、後々古典文学へ入り込む第一歩でした。
元々私は中学二年まで鹿児島県の小さな離島(もちろん無医村)で育ち、突然姉の嫁ぎ先であった京都東山・下馬町に居候でころがり込み、洛東中学三年に転入しました。それまで学業とか勉強とか、まして小説とか全く無関係の田舎ッぺで、最初の半年は途方にくれた状態でした。幸い後半なんとかにわか勉強で日吉ヶ丘に入学できたのが人生の一大転換への第一歩でした。あのド田舎ッぺがとにかく人並みにコース(大阪大学)へスタートできたのも、日吉ヶ丘の三年間のおかげです。まことあの三年間は我が人生の最も充実した時でした。
日吉ヶ丘第五期の我々(=たぶん洛東中)同期は結束固く、今も毎年秋に定例の同期会を続けています。草*(*田)さんともその都度会い、語り、あなたのこともよく話しています。元気で活き活きとした毎日のようです。私も生来無病で元気を誇りにしてきましたが、今春、急に心臓の動脈がツマり、ステンドパイブ挿入で命拾いしました。あなたも大病、大手術で大変でしたが、夫婦そろっての活躍で大仕事を続けておられますますと、おどろき感心しています。お体大切にしながら、これからも楽しみを与え続けて下さい。
古典文学について。
仕事の合間に現役時代もずっと続けてきました。小学館の「日本古典文学全集」は全册読了、中には二讀三讀のものもあり、特に源氏物語は全五十四帖を通読六回、別途 谷崎・円地・瀬戸内各氏の現代語訳も数回くり返し読みました
。今も毎日、たとえ数頁でも、何らかの古典に目を通すのを日課にしています。
本当に体にきをつけて、これからも御活躍を祈っています。ありがとうございました。 高槻市 昇 高校同窓
* 小学館の古典全集百巻余をわたしも家に置いているが、あれを全巻、しかも繰り返してとは! すばらしい。
☆ 十日間ほどの
北海道旅行をおえ、帰宅すると、郵便物が 山積みになっていました。二つ小包みが重ねてあり、その一つが 先生からの「書」と、私は直観しました。涙がでるほど 感謝の気持「湖の本 125 」と、この度の「第七巻」を非常に速く、とにかく 一生懸命読ませていただき、筆を走らせております。
先生のように 自分の思うように 感じるがまま これまで生きてこられたこと、 これは奥さまの支えとともに実現した と 痛感いたしました。( 中略)
そして すべて、過去が あって 今があるのだなあーーとかんじます。
お体をかなり酷使なさっているのが 心配でございます。
どうか 奥さまとともに 一日でも長く お幸せな日々を…と、お祈り申し上げます。
夏に向います折柄 ちょっと京好みのいいお品をお届けしたく思っています。
お待ち下さいませ。 大阪・高石市 東 弥栄中学後輩
* この人に弥栄中学暮色の校舎がどう見えたかし分からないが、人一倍しみじみと思い起こすものがあったろう。甲部の子ではあったが、まぎれもない又一人の「祇園の子」であった。そりから以降、国の褒章をうけるまでの敢闘は、可能なら彼女自身が書けばいいものになるだろう。
☆ おはようございます。
梅雨本番になり、よく降りますね。朝、鳥が鳴いていたので、雨は上がるのかな? と思いましたけれど、また降ってきて。近くに自然林があって、先ごろまで朝夕カッコウの声が聞こえていました。
朗読、語りのレッスンと外国人のための日本語学習読本CD吹き込みボランティアも継続して続けています。明日は定例レッスンの後、「招き猫」( 豪徳寺由来など) を読むので、いま下読みと猫の鳴き声の練習をしていました( 笑) 。
先生もどうぞ梅雨冷えにはお気を付けて! 弓
☆ お電話ありがとうございました
秦さん、こんにちは。ごぶさたしております。
お電話を頂戴したと夫から聞き、お懐かしくなりメールいたします。
いつもご本を頂戴し、ありがとうございます。
お体の具合はいかがでしょうか。お大事にお過ごしください。
精力的に本をつくっておられるご様子に、背中を押されています。
秦さんの文字を目にするたび、必ず東工大の校舎、教室、教授室のあの感じを思い出します。
秦さんに恩返ししたいなあ…とも思います。といっても、恩返し、というのが何か明確ではないのですけれども(笑)、
私自身が幸せに暮らすこと、いただいた精神的支えを周囲に(社会に)返していくことかな、と漠然と考えれば、すこしずつできているかもしれません。
最近は、主に自宅での校正の仕事のほか、音楽ボランティア、貧困問題の研究会やシンポジウムに時折参加
といった生活を送っています。
それでも、これまで生きてきたなかで一番幸せですし、どんどん望む自分になっている実感があります。
以前ちらりと、夫が作家デビューしたお話をしました。書いているのはミステリです。先ほどお電話いただいて、かなりあたふたしたようです(笑)。失礼いたしました。最近の出版不況のあおりで、エンターテイメントも本当に厳しいです。それでも、好きなことを続けられるありがたみをかみしめて、二人三脚で頑張っています。
最近、作曲遊びにはまっています。照れくさいですけれどもご紹介しますね。↓
https://www.youtube.com/channel/UCCP9hZlmEtA6cmZVe2XIV0w
なんだか最近、学生時代のことをよく思い出します。若い自分をいろいろな方が支えて導いてくださった、という感謝の気持ちとともに。
秦さん、もしよかったら、池袋あたりでお食事などいかがでしょうか。上尾くんなどにも声をかけてみますので。もしお体の具合が許すようでしたら、ご一緒させてください。 涼 東工大卒業生
* 湖の本発送の宛名書きをしながら、懐かしくなりふっと電話してみたら夫さんが出てくれて初めて話した。夫さんともゆっくり話してみたい。
メールの人は、教授室時代、もっとも「文学的」な学生の一人だった、一緒に井上靖詩集「北国」の詳細な語彙目録を創ったりした。 楽器の演奏にも堪能だった。深くよく考え、ときに考えすぎて苦しそうでもあったが、卒業後はフリーの編集者としても好い仕事をしていた。もう一人、「文学的な」女子学生がいて、その人はわたしに短歌などを詠ませてくれた。卒業後、その人も編集者をしながら、いつかエンタテイメントの作家になりたいと話していたが、元気にしてるかなあ。
* 当時六十で定年退官してもう十九年、わたしの東工大もそろそろ「卒業」かなあと思ったりしてたが、食事しようなんて声がかかるとは嬉しい事だ。湖の本にきちんきちんと送金してくれる卒業生がまだ十人いる。
それにしても、ミステリを書いている作家の夫さんとも一緒に会いたいなあ。
* 元岩波「世界」の高本邦彦さんから立派な夕張メロンを二顆頂戴した。金澤の金田小夜子さんからも豪快な北国の名酒「北の誉」一升瓶を頂戴した。
2015 7・3 164
* 神戸の市川澄子さんから播磨素麺をたくさん頂いた。京・舟岡の杉田博明さんからも、京野菜の多彩な漬け物を頂戴した。有難う存じます。杉田さんには、やがて「選集第十巻 親指のマリア」を贈れる。京都新聞の朝刊に惜しみなく回数を書き続けさせてくれた人。杉田さん自身も「京」のための多くの著書がある。
2015 7・4 164
☆ 日程調整します。
秦さん、さっそくのご返信ありがとうございます。
上*くんにも声をかけてみましたら、ぜひ! と嬉しそうでした。
私が14日までは埋まっていますので、それ以降で、あらためて候補日をご連絡いたしますね。
夫へのお言葉も嬉しく、もしかしたら今回夫も同席させていただくかもしれません。上*くんとは家族ぐるみの付き合いです。
建日子さんのご活躍は存じ上げており、とても興味をもっておりました。会社員から脚本家になられたいきさつを伺ったこともあり、いまのご活躍ぶりを尊敬いたしますし、励まされもします。
「選集」のご編集、並大抵のお仕事ではないと思います。
お話伺わせていただきたいです。
私も父の経済本を昨年自費でつくりまして、苦労いたしました。
苦手なフェイスブック、ツイッターも、ちょっとずつ利用しています…。 涼 東工大卒業生
* 奈良出向から霞ヶ関の本省へ帰還している丸ちゃんとも早く逢いたいと言い合っている。何かのツドには頼みにしているイチローの顔も見たいと言うている。ピアニストの登山好き子松クン、元気かな。早瀬のように何人もの今も連絡親しい十数人の名や顔が想い出される。
2015 7・5 164
☆ 本格的な梅雨の候です
おからだおいとい下さい。『選集第七巻』を御恵贈賜わり誠に有難うございます。
二つの処女作を拝読いたしました。ともに昭和三十七年(一九六二)に書かれていたのですね。小生当時は「群像」 四年生でした。
『少女」は主人公(ナレーター)の暗い心象が少女と犬への強いまなざしとなり、『或る折臂翁』は、とりわけ秦さんのそれからの道を示すような世界で、構造もきちんと考えられ、人物への彫り下げも役割が納得できました。弥繪の「おとうさま御免なさい」という悲鳴の謎が効いていました。同年生れの大江健三郎さんの初期作品へ思いを馳せました。今、江藤淳さんの初期評論(エッセイ?)を読んでいます。 御礼まで。 徳 元講談社取締役出版部長
* 都立大名誉教授の高田衛さん、東洋大準教授野呂芳信さん、国立国会図書館、都立中央図書館からも、お手紙や受領挨拶があった。
2015 7・6 164
☆ 秦さん、こんにちは。
上尾くんの予定を聞いてみました。
以前歓送会をしていただいたとき夫婦でお会いしたので、また夫婦でご一緒できたら、ということでした。息子さんがキャンプに行く機会があり、その間だと夫婦で来られるとのことです。
それが、8月2日(日中)と、8月3日(夜)です。
もし8月2日(日中)でよろしければ、池袋辺りでお店を探してみたいと思いますが、いかがでしょうか。
帝国ホテルも、すごく魅力的で心傾くのですけれども、今回は、私たちに秦さんをおもてなしさせてください。
上尾くん単独参加であれば、26日や、平日であれば30、31日も大丈夫ということです。
平日の場合は、19時くらいになるそうです。
以上ご都合のよい日をご指定いただければ嬉しいです。
いちおう(京都の)菜々子さんにも声をかけてみたのですが、夏に帰省予定がないとのことで、今回は残念ながら見送りです。でもとてもお会いしたい様子でした。 川崎 涼 東工大卒業生
* たのしみだね。まだまだ秦さんがご馳走するよ。
東工大教授としての給料と賞与等、その後の年金等の一銭にも手を付けないで来た。それが今、非売本「秦恒平選集」を可能にし「湖の本」刊行の赤字分を補ってくれている。最良の費用になってくれている。
* 今回「湖の本」完結発送、了。あとは、手渡し分が残っているだけ。妻が、よく頑張ってくれた。
2015 7・7 164
☆ 兄からの
なつかしい母校の写真に触発され、ささやかなお礼のしるしを兼ねて手持ち音源で「戦後日本流行歌史第一巻」を編集しました。何分にも古い音源のためノイズが耳に障りますが、中には珍しい曲も混じっているかもしれませんので、各地のフアンから届けられた銘酒や銘菓などをお供に、くつろぎのひとときBGM としてお楽しみいただければ幸いです。殆どがオリジナルのSP盤からのダビングのため録音レベルが曲ごとに異なり、音量が一定していないことを重ねてお断りしておきます。
生前、母が愛した「ひばり」の全集? を13回忌までに作成しようと意気込んでいたのですが、長年物置に入れたままの磁気テープ類は湿気や高温のため、カビが生えて再生しようにも膠着したり変質しており機器が作動しなかったり巻き付いたりで結局ミカン箱8 個分の音源はすべて泣きの涙で廃棄処分をする羽目になりました,もっと早くにパソコンの外付ハードディスクに取り込むかCD化しておけばよかったのですが、すべては後の祭りです。
屋内に保管の音源はクラシックと中南米ものが多く、懐メロはあまりないので、何巻まで編集できるか分かりませんが、歯抜けでもせめて高校時代ぐらいまでの代表曲はシリーズで纏めたいとおもっています。片目同然での作業ですから遅々として捗りませんが、CD一枚分の音源がまとまれば、ダビングしてお送りいたします。
年々親しい友人に先立たれてさみしい限りですが、それだけに尚更ガキの頃から大学時代の友人たちとは肩の凝らない付き合いを続けたいとおもっています。
先日、久しぶりに早慶戦をTV観戦しましたが、最近は早大生も随分スマートになり、応援席を見る限り、慶応と変わらないほど垢抜けしているのに驚きました。私たちの頃のライト側は黒一色で野暮なことこの上なしでしたが、そんな中でも私は蛮カラの極みでした。いまだに学生気分が抜け切らず、散髪屋などは結婚後も今日に至るまで数回行ったきりで、数カ月毎に見えるところは自分で、うしろは女房に適当にハサミでチョン切らせています。無精ヒゲも同様です。どんな会やグループでも一人くらいこんな男が居てもいいだろうと、ひとり合点しては仲間入りをさせてもらっています。
最近の不満ごとと云えば、宴会がお食事会に変わり酒の相手が居なくなったことです。( 祇園町) 新橋角の扇屋のボン佐伯武久君は日大写真科で当時、鶴巻町に近い戸山ハイツに下宿しており新宿でよく飲みましたが、私が帰洛して長い療養生活に入ってから音信が途絶えました。梅乃井の三好君の話では、彼も帰洛し高野方面に転宅したそうですが、新橋当時の酒屋が高野まで追いかけて行ったとか。肝硬変で亡くなった、と嘆いていた当の三好君も早くに逝ってしまいました。
兄も京都に戻られてはいかがですか。それとも、深くて太い根が張ってしまって最早身動きがなりませんか。
いずれにしても、身体だけは充分労わってください。今日はこれで失礼します。 京・幡枝 辰 中高同窓
* 送ってもらった音盤を聴いている。もう何曲目か、甘い声では史上一の岡晴夫が、「ああ東京の花売り娘」と情け深く唱っているところ。そして継ぎに唱っているのは池真理子の「愛のスイング」かな。ああ…次は、しみじみと懐かしいあのバタやん田端義夫り「かえリ船」じゃないか。おっ、つぎは二葉あき子と近江敏郎の「黒いパイプ」だ。24曲録音された中の三分の二が昭和二十一年の歌であり、その年はまだ秋までわたしは戦時疎開先の「丹波」で暮らしていたのだった、おお。いまは渡辺はま子が「雨のオランダ坂」をしみじみ歌いあげている。なんだか、ぜんぶ一度に聴いてしまうのがほ、もったい。「ニュー・トーキョー・ソング」を岡晴夫がうたえば、「麗人の歌」を美声の霧島昇が歌いだす。わたしは内心、岡晴夫の「青春のパラダイス」を待ち兼ねている。中学生の昔、ラジオに耳をすりつけて毎週のベストワンで歌われるのを待っていたものだ。いま聞こえているのは樋口静雄がうたう「長崎シャンソン」らしい。オオッ、笠置シヅ子の「アイレ可愛や』にかわった、なかなかの美声でもあったし歌も上手い。
たいへんなプレゼントだ、わたしがどんなに歌が、流行歌であっても、が好きであったかを身に沁みて思い出す。秦の母もはやり歌
を聴くのが好きだった。謡曲を、能舞台で地謡にでるほど心得ていた秦の父が、ラジオやテレビのはやり歌をむしろ目(?)の敵にしたのも、面白い。
あ、はじまった、「青春のパラダイス」…丘を越えて行く、若き命輝くパラダイス…と。ありがとう、辰男兄。もう深夜です。
☆ 七夕
あいにくのお天気。
発送作業、難儀なさったのではと案じています。
どうぞお元気で。 黍
☆ いかが
おすごしでしょうか。
いつも素晴しいご本を頂きありがとうございます。
ご自愛下さいませ。 備前焼 川井明子・明美
* 明子さんに戴いたみごとな大壺が、いつも玄関正面を飾ってくれている。その上に、鳶さんの「イスタンブール市街」の繪が掛けてある。十五ヶ月の間に、「秦恒平選集」ははや七巻が出来てならんでいる。今年の内に少なくも九巻までならぶだろう。
2015 7・7 164
* 小松市八代啓子さんに戴いた金澤森八の清(すず)やかな絶品「葛切り」に鬱気を払われる。感謝。
2015 7・8 164
☆ 選集第7 巻を
早々と先月24日にお届けいただきながら雑事に取り紛れてお礼を申し上げるのが遅れてしまいなんとも申し訳ございません。
日記に載っていた八潮市の小滝英史様の文章が、大変勉強になりました。
それにしても貴重な選集を身近に置いて、目にしまた自由に手に取って心ゆくばかり楽しむことができる幸せを、しみじみと感じています。
水蜜桃とニューピオーネをすこしばかり「志ほや」を通じてお届けします。20日頃には到着すると思います。
お二人のご無事をお祈りしています。 吉備の人
* 小瀧さんのようなブチ抜いたような感想は、研究者からは容易に出てこないもので、「いい読者」のいわば特権行使でもある。わたしの作家論や作品論にも、しぜんそういう気味があるはず、それが作家や作品のおもしろみ発見になるということ、あり得るのだ。研究者や学者になるのを避けて、あくまでも作家、欲をいえば学匠文人でありつづけたかったのも、ま、気儘でもあるからだ。
* 四国高松の岡部洋子さんから大きな立派な桃の実を戴いた。京・嵐山の田村由美子さんからは、神輿洗いも迫った祇園会を祝って、好きなちまきを戴いた。美新座市の詩人田中真由美さんからは、地元の銘菓「にいくら」を頂戴した。
☆ 秦先生
ごぶさたしております。
いつも御本をお送り下さいましてありがとうございます。
祇園祭の季節になりましたので ちまきを送らせていただきます。
お元気で。 京・嵯峨 田村由美子
☆ 拝啓
あじさいの花がさかんにかがやいています。つゆたけなわです。
過日はご労作の選集第七巻ご恵送賜り厚く御礼申し上げます。
ささやかですが、御礼の気持をこめて寸志をおとどけいたします。
選集の完成をお祈り申し上げます。
右 御礼まで 敬具 千葉・長生郡 石内徹 釈迢空研究家
* 懸命に書き、懸命に本を出し、懸命にお送りしての、日々の賑わい華やぎを、この後への元気のためにも、心より喜んでいます。
2015 7・8 164
☆ 前略
この度は『秦恒平選集』第七巻を頂きまして 誠に有難うございます。
長編を読む前に 二○代の処女作「少女」と「或る説臂翁」を拝読し、驚き、感銘致しました。
とくに「或る説臂翁」は ぐんぐんひきこまれ、一気に、その世界を走り通すことができました。
これが作家二十代後半の作品かと思うと、構成、筆力、時代背景のとりこみ方、叙述の巧みさに驚嘆せざるを得ません。
戦争の時代と敗戦直後の時代の空気も活き活きと描かれており、戦中派の私など 身につまされる思い出させるしました。
重いテーマなのに息苦しさをあたえず、最後まで 読む物わかりわるくなりひきつけてゆく力は 並々ならぬ才能かと思い到りました。
まことに良い読書をさせていただきました。重ねて御礼申し上げます。
ご返礼に、来る八月十五日に講談社から刊行される拙著の『戦後七十年史』をお送りさせて戴きます。 私の<九十歳>全力を込めての書き下ろしです。
御礼までに。 草々 2015 7 7 北杜市 色川大吉 東京経済大学名誉教授 歴史家 思想家
* 今日持つとも尊敬できる日本人のお一人にこうお手紙を頂戴できた「処女作」に喜んでやりたい。元「群像」編集長の天野敬子さんも「震撼」したとまで言ってきて下さった。二つの「処女作」を、内心には自負しつつも、これまで何と亡くものかげ置いていたが、選集第七巻のあえて巻頭に持ち出して、此処から歩き出しましたという宣言のような気持ちで編成したのだった。編集者としての勘も働かせた。
とても嬉しい。
☆ 拝啓
お礼が遅れて申し訳ありません。秦恒平選集の第七巻目をご恵送下さり本当にありがとうございます。「罪はわが前に」のような告白小説を前にすると、思わず自分自身の姿勢について問う<私>を意識してしまいます。何のために小説を書き始めたのか、見過ぎ世過ぎの中で私にもどうしても書かねばならないものがあるはず、と。 不一 久間十義 三島文学賞作家
* 若い友人の中で、文学的に深い期待を覚えている一人の久間さんから、こうお便り頂いて、かえって励まされる。秦建日子にも、久間さんのこの述懐を耳に留めて置いて欲しい。「作家として生きる在りよう」 それを意識しすぎても強ばるが、なおざりにも決してしてはならぬこと。
* 『最上徳内=北の時代』を再校し終えた。ン、と大きく頷けて、よかった。力一杯の仕事をしたと思う。ていねいに今一度点検して責了にする。
2015 7・9 164
* 長崎総合科学大学の横手一彦教授から、従来に引き続き、「長崎(浦上)原爆体験の記録」第二集が送られてきた。敬意をこめて、紹介する。
☆ 拝啓
時下、ますますご清栄のことと、お喜びを申し上げます。
突然に、このような荷をお届けする失礼をお許し下さい。
この度、『長崎(浦上)原爆体験の記録 - 石田寿「原爆物語」など』を制作しました。私家版の第二集にあたるものです。
あの日、一九四五年八月九日の日のことを証言する録音テープから、許しを得て、文字起こしをおこないました。また、関連する資料などを、これらも許しを得て、収載しました。
これらの資料は、記録し、あるいは再録に値すると考えます。石田寿「原爆物語」は、おそらく、長崎(浦上)原爆の体験を、音声として記録した初めてのものです。被ばくの証言としても、最も早い時期に位置するものです。そして、貴重な内容を含んでいます。
あの日に、現在から立ち返ろうとする時、石田寿「原爆物語」や関連資料のなかに、一つの定点のようなものが形成されていると考えます。
加えて、石田穣一の同時代記録に驚きます。偶然のことであったとはいえ、戦時末期の特異な時空間のなかに、それは東京と長崎との距離を経ながらも、これを超えて、一つの家族が、互いが互いを気遣いながら生きていたのだ、と改めて感じさせます。このような情況は、時と場と個別性の違いはあるとしても、皆、等しい心持ちを持っていたに違いありません。皆、互いが互いを支え合うことで、戦時末期の苦しみに耐え、生きていたのだと思います。
長崎(浦上)原爆の基点は、長崎市内浦上地域への原爆投下にあるのではなく、この地域に生き、生活し、あるいはこの地域の工場などで働いていた人びとが、突然に、被ばくしたことにあります。原爆による死者、被ばく者、その後の病苦や生活苦から自殺した人たち。誰一人として、原爆投下を予見していた人はいません。事前の対処も、一切、為すことが出来ませんでした。よって、原爆投下ではなく、被ばくに基点がある、と考えます。
このことを基点として、ここから被ばく直後と被ばく後の起点が設定され、七〇年を経た現在へと連続します。基点を明確にし、これらの起点から、人類史的な悲惨を記録する努力は、これからも継続されると考えます。
文学を研究する側から、被ばくということを、このような形で問い直しました。小集が果たし得ることは少なく、小集は非力であると知ります。一読して頂けるのであれば、これを制作者の喜びとします。
この小集の制作に関して、多くの方々の理解と助力を得ました。このことに、改めて、感謝を申し上げます。
有り難う御座いました。 敬具
付記 多忙の毎日をお過ごしのことと推察します。着荷を伝える返信などは、ご放念下さいますようお願い申し上げます。
851-0193 長崎市網場町五三六番地 長崎総合科学大学共通教育部門 横手一彦
* 文学研究の分野で、こういう横手さんらのようなセンスで、政治的にも国際的にも危うい現代・未来と切り結んで視野をひろげる同志のあまりに少ないのが物足りない。
* 平凡社から、浩瀚かつ丁寧な「平凡社100年史」二册が贈られてきた。想えば平凡社には、大冊『中世と中世人』や雑誌「太陽」への執筆の数々など、太宰賞の母港である筑摩書房より以上とすら謂える温かい親切をいただき、お世話になってきた。おそらく、社風とわたしの作風とにも親近感が生まれていたのだと思う。一時は経営的にハラハラもしたが立ち直られた。ますますの発展と良心に溢れた出版活動を期待する。
2015 7・10 164
☆ 拝復
「湖の本126」を御恵送下さいまして、誠に有難うございました。『生きたかりしに』を御完結され、お慶び申上げます。「私語の刻」の御文にも襟を正させられました。
そらに頁を繰っていきますと、私と家内が登場していたのに驚きました。淺井さんの演奏への御感想には同感致しました。私もあのCDを持っていますが、久しぶりにモーツアルトの「デュポールのメヌエッ」を聴きたくなりました。今回の「音楽のある日々」を拝読していますと、私も聴いてきた曲が続々と出てまして、やはり同世代者なんだとしみじみ思いました。本日は取り敢えず御礼まで一筆啓上致しましたが、気候不順の折、呉々も御自愛りほどお祈り申し上げます。敬具 忠 元「新潮」編集長
☆ みづうみ、お元気ですか。
こちらのパソコントラブルはやっとやっと解決いたしました。メールも大丈夫ですので、みづうみのつぶやきなどたまにお聞かせいただければ幸いです。
ネット不調のためお礼をお伝えできず気に病んでおりましたが、選集第七巻無事手にして、とても幸せです。ありがとうございました。
『少女』『或る折臂翁』について言及されている方が多いようですが、この二作を読むと、みづうみは、谷崎や泉鏡花の系譜だけでなく、上田秋成の系譜にもつながる作家であると感じられます。
以前から、みづうみの掌編などに、上田秋成と大変近しいものを感じていました。私はこの『少女』『或る折臂翁』を、秦恒平の「雨月物語」として読みたくなります。読みながら、悪夢の中にいる感覚におそわれます。なんて凄まじく怖い小説でしょう。藝術家は言いかえれば、悪夢をみる人たちのことではないかと思います。
それにしましても、二十代の処女作の、この恐るべき完成度にはため息しかありません。処女作からこうでなければ、ほんものの文学者にはなれないのだなあと。
まだ梅雨が続いています。昨年は雨が多すぎて、ツバメの巣が脆かったようで崩落してしまいました。人間たちがあわてて急ごしらえした巣では四羽のヒナたちは餌をもらえませんでした。ヒナの周辺を餌をくわえて必死に飛び回る親鳥と、飲まず食わずで耐えているヒナがかわいそうでなりませんでした。自分で育てようかと色々調べ、渡り鳥の飼育はとても難しいことがわかりました。ヒナのために一日中昆虫採集して生きたまま与えることは不可能だし、市販の餌では成長しても渡り鳥として生きられないし、ペットにするにはあまりに短い寿命でさよならが待っています。人間の手をかけることを断念しました。最後の一羽のヒナが息絶えるまでの、ヒナたちのいのちの闘いを見つめながらの三日間はほんとうに辛いものでした。奇跡を祈りながら眠れないくらいで、バカみたいでしたが。
最後の日には親鳥も来なくなりました。人間の赤ん坊でも三日もガンバレただろうかと思い、生きたいと闘い続けたヒナにいい子ねえらかったわね、と何度も何度も褒めてあげて花を供えて葬りました。
ヒナのがんばりに涙した昨年の二の舞にならないように、今年は巣が落ちても大丈夫なように補強してあります。今年のヒナには元気に巣立ってほしいと祈願しております。周囲にあきれられているのはいつものことです。
さきほど、湖の本『生きたかりしに』下巻が無事届きました。
心してお母さまの旅路をご一緒したいと思います。 蒜 にんにくを噛みつつ粥の熱き吸ふ 長谷川素逝
* 「読者」には、なにを言うてもよい権利がある。
☆ 湖の本
届きました。有り難うございました。体力的にも大変でしょうに前向きの姿勢にただただ感心しています。
今度の我が家は、庭といえる空間がほとんど無くて、木は一本も植えず、辛うじて三カ所の箱庭のような土の部分に気持ちばかりの花を植えました。ほどもなく八十へ手の届く老いの私の体力を見据えての「はからい」です。それでも家の周辺には沢山の樹木があるので、秋には、吹き溜まりの落ち葉掃除に今年も追われる事でしょう。 花小金井 泉
☆ 湖の本を
ありがとうございます。心ばかりの品 送りました。
京都新聞の戦後七十年特集で、北澤(= 恒彦兄)さんといっしょに活動されていた関谷さんさんのお話が掲載されたりし、また反戦平和への思いを強くしております。
先生にはくれぐれもお身体ご自愛くださいますようお願い申し上げます。 京・岩倉 廣瀬ちづる 往時の兄の同僚
2015 7・10 164
☆ 暑さお見舞い
京都では、みこし洗いの頃になると、暑さが一段と激しく成ります。
暑さの中 頑張って湖の本126 を有難うございました。
鉾立ても無事に終わった様です。
私は、昨日の暑さから少し体調がおかしく成りました。が、何とか無理せずと過ごしているところです、暑さ此れからですもの、お互い無理せずに!
巻、目下読書中 華
☆ 待望の
『生きたかりしに(下)』を拝受いたしました。今、机上に三册そろえてスタンバイ、というか数日前から読み始めていたところでした。
筋をただ追う早読みなど出来ない御著を、大切に拝読いたします。
とりいそぎ、まずはお礼申しあげます。
はっきりしない空模様が続きます。どうぞお身お大切になさって下さいませ。 敬 元「群像」編集長
☆ 昨日、
『生きたかりしに』下をいただきました。忝く存じます。目下の仕事を退けて早速に読み耽り、夜に読み終えました。圧倒されました。
文章、微妙に揺れる感情表現の妙に心打たれることはもちろんですが、何と言っても、たぐり寄せられて明るみに出される人々の、ご自分の、不思議な関わりと存在の重さに晒されます。
全巻を通して、御母堂が自分に正直に、限界内で力一杯に、存分に、しかし 最後は心残りの(「生きたかりしに!」)人生を生き貫かれ、歌人としても秀れた才能を発揮されたことに、また不如意に手離さざるを得なかった幼い息子たちへの母心に、深い感銘を受けました。
ところどころのやや冷たい筆には、御母堂はただ頬笑むばかりでしょう。
ありがとうございました。 浩 国際基督教大学名誉教授
☆ はは恋ふて ははとこしなへ 縷紅草 杏牛
「生きたかりしに」感動の名作完結 お目出度うございます。
小生、昨年の手術以降静かに予後を過ごしております。
先生には、くれぐれもお大事になさいましてご健筆祈っております 匆々 小金井 俳人
☆ 前略ご免下さいませ
瑞穂へのご著書のご送付(三册)確かに拝受致しました、有りがとうございました。 本人は年に一度の帰国 今年は十月頃の予定にしているようです、ので それまで私の所に預っております。
能登川のお家も今はなく 母達の時代が段々幻の様になってしまいました、が、ご著書はきっと思いの深いものとご推察致します。
梅雨が明けて蒸し暑い夏がやってきます どうかご自愛下さいませ。 横浜 田中瑞穂 代
* 書いてもらっているこの代筆者は、おそらくはわたしのすぐ上の姉、三重県へ嫁いだと聞いているわたしの母方伯母の娘あるいは嫁にあたる人ではないかと想っている。瑞穂さんはその妹か娘か。なぜこういう送付に成ったかは、じつは私にも分からないが、よほど近い母方血縁のように想われる。わたしなどには想像もつかなかった大きな一門親類であったのが、いまでは本元の能登川の家屋敷も手放されたとか。
ま、『生きたかりしに』はかつがつかすかに間に合ったような間に合わなかったような。しかし、三十年を原稿のまま発酵させたのは、作のためには良かったと想う。
☆ ごぶさた致しております 草加市 関本 佳 雅
いつもお送りいただく湖の本で、奥様とお二人のご様子が知れて、とてもなつかしく、色々と思い出して、妹と折にふれ話題にしております。二人ともそこそこ毎日の生活を楽しめる位は元気で、毎年アメリカ、ヨーロッパと旅を重ねています。
五月には大好きなブルターニュの以前に行き残した最北端のカンペール、ポンタベンに行ってきました。以前にサンマロから回って、ノルマンジーをエトルタまで列車バスを乗り継いで、何日かかけて旅をしましたが、ノルマンジー半島の戦争の跡には、自分の生きてきたことをふり返るよい機会だったと思いました。
パリに戻って、迷っていたジヴェルニーのモネの庭園にも行き、ああこんな所だったのだと思いました。
お二人の上を祈りつつ、湖の本を読む機会を与えて下さいましたこと、感謝いたしております。 佳
湖の本で、秦さんの御病気の御様子がわかり、心配していますが、姉 静が亡くなり四年がたちますが、突然の死の訪れがある事を思い、毎日を大切に生きています。
最近、明治時代の助勢の生き方に興味があり、大山捨松、新島八重の本を読み、二年前には大山捨松が卒業したヴァッサーカレッジへも行ってきました。新しい面白い本を読んだり、湖の本から昔をなつかしく思い出したり、大好きなMLBの試合をテレビで見て、姉と二人で草加での生活を楽しんでいます。
どうぞ お体を大切になさって下さいませ。
奥様、御家族の皆様の御多幸をお祈り致します。 雅
* この姉妹は、もとは三人姉妹で、わたしが本郷の医学書院に編集者勤務しながら小説を書いていた頃に、本郷三丁目のすぐ近くの広辻の奥で、「とっぷ」というバーを持っていた。昼にはまことに小味な工夫のいい昼食を食べさせて人気があり、晩からバーになった。店の奥がちいさな二階席になっていて、私は時間外にも姉妹からその席を借りて、ひしひしと小説を書き継ぎ書きためて、そして思いもうけぬ太宰賞の招待受賞となったのだった。その後も、文債に追われると勤務の方を失敬して独りこの「トップ」に机を借りてはひしひしと原稿を書いていた。
つまりは無名時代からの、好む店とこの姉妹とは「作家・秦恒平の産みの親」にあたる三人なのであった。じつに、よく親切に親切に便宜をはかってくれる人達だった。心新たに感謝を捧げたい。
姉妹のお母さんが、じつに品の佳いしかも貫禄のママさんであった、この方からのご縁でわたしは劇作家木下順二さんと文通したり本のやりとりを永くつづけたのだった。
そうそう、三島由紀夫の事件が起きた日、わたしはその頃「春秋」にエッセイ「花と風」とを連載中であったが、三島自決に衝撃をうけたまま「とっぷ」に居坐り、当時「春秋」編集長だった山折哲雄さん(後年には二人で対談『元気に老い 自然に死ぬ』を出版した。)へ興奮の電話をかけたのも覚えている。
もう一つ、太宰賞のお祝いに何かをと三姉妹に言われたとき、おみせに掛けてあった「問一問」三字の扁額をねだり、よろこんでと贈られた。「問一問」の三字にわたしは深く教えられ続けた。筆者は、姉妹のお兄さんかのように聞いたが、とても心惹かれる三字であって、むろんいまも愛蔵している。
☆ 「私語の刻」の
初めだけを読んで、今から振込に出かけます。早く読みたいのを、どきどきしながら、おさえて。
今日は台風のせいか急に蒸し暑く、夏らしくなりました。
どうぞ お大事にお過ごしください。 ありがとうございました。 下関 碧
☆ 湖の本
久しぶりの梅雨の晴れ間、ですが、名古屋はかなり湿度が高く、少々息が詰まる思い。
先生の体調は如何でしょうか。心配です。
でも午前中、初蝉の鳴き声を聞きました。あと一週間ほどで梅雨が明けるかしらと思いながら空を見あげていました。
昨日「生きたかりしに」下巻が届きました。楽しみです。有り難うございました。
どうぞ御身大切に。 珊
* 日本近代文学館、法政大学文学部、元米沢短大学長の遠藤恵子さん、お茶の水大準教授の谷口幸代さんらからも受領の挨拶來。
2015 7・11 164
* 元朝日の記者で「湖の本」創刊に親切で強い後押しをして下さった伊藤壮さんから、大きな桃の実を九顆も頂戴した。また作家の津田崇さんからも、小田原の美味そうな立派な干物をたくさん頂戴した。久々の長編新作の書き下ろし出版をよろこんで下さっている。感謝に堪えない。
☆ 湖の本126 、拝受いたしました。
秦先生
梅雨の晴れ間の太陽が、容赦なく蒸し暑さを連れてきます.
ああ、もうやる気でないなあ~
などど思っていたところ、郵便受けに先生の封筒を発見!!
だらだらしている場合じゃないぞ と自分に喝を入れた次第です。
ありがとうございます。
完結編、しっかり拝受いたしました。三冊、きれいに並びました。
心より御礼申します。
私は伊賀上野の出身なので 加茂、木津、笠置...近しいところです。浄瑠璃寺から岩船寺までの石仏の道も小学生のころから幾度となく参りました。
しかしながら、数年前岩船寺を訪れて泣きそうでした。
あの塔が、建築当時の色に復元修復されていました。
法律のとおり復元修復されたのでしょうが、堪忍してほしいなあと思いました。
実は私、見たい展覧会があって昨日、一昨日と東京に行っておりました。
田能村竹田( 出光),江戸のダンディズム( 根津美),前田青邨(山種) そして洋画の鴨井玲(東京駅),ヘレン・シャルフベック(芸大美)を廻りました。
秦先生がおっしゃっておられた本来の意味での「作品」に多く出会えました。
京都は、祇園祭ムードです。
この暑いときは大変ですが、涼風が吹き始めましたらぜひ、お出かけくださいますように。
「生きたかりしに」完結を祝して、僭越ながら乾杯させてください。
では、夏本番を迎えます。
おからだ、くれぐれもご自愛くださいますようお願い申します。 京都府 香
☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 126 生きたかりしに(下)」を拝受しました。
引き続きただ黙々と読み継ぎます。 練馬 靖 妻の従姉弟
2015 7・12 164
* 吉備の有元毅さん、美味しい葡萄のピオーネ一房、すばらしい白桃をたくさん、頂戴した。有難う存じます。
川西の東野美智子さんには、男物の佳い扇子を頂く。感謝。
☆
「罪はわが前に」 源氏物語
「生きたかりしに」 上田秋成 少しオーバーラップ? してきました。いまさらながらですが。
棟方志功版(細川文庫4 全12頁)『夢応の鯉魚』が木箱のスミから見つかりました。何かのエンでしょうか。ただしコピー版でした。棟方好きの私のために だれかが造ってくれたーーようです。 濃尾市 井口哲郎 元石川近代文学館館長
☆ 略啓
御健勝大慶に存じます。「生きたかりしに」有難く頂戴しました。
この出版事業は 秦さんの生涯現役宣言だと改めて認識した次第です。
今度 川越で鰻でも食べませんか。 不備 志木市 寺田英視 前文藝春秋専務
☆ 湖の本126 落手
ありがとうございます。
読むとはなしに読み進んでしまいました。ふらちな読者ですみません。 豪徳寺 島尾伸三 作家・写真家
☆ あまり
解釈しないで作品世界に浸りたいと思います。 八潮市 小滝英史
☆ 生きたかりしに
ご完結 敬服しております。 大和郡山市 鈴木昭一 藤村研究家
☆ 生きたかりしに
重く大きな主題で素晴らしい労作、傑作でした。 神奈川 高城真夫妻
☆ 生きたかりしに は
他の私小説とち違って、つらくなく読めました。久しぶりの浄福感を味わいました。
故人を憶い出すのが「供養」と教わりました。 狛江市 野路秀樹
☆ 昨夜から
読み始め 詠み了りました。下巻もっとも興味深く いつのまにか引き込まれ、一気に通読いたしました。
自我か強く、自己主張が烈しく、自由奔放に生きたご母堂様の一生を執拗に追跡され、過不足なく浮かび上がらせた秦様の情熱に感心するとともに、こういう ご母堂様の血を継いだからこそ小説家秦 恒平は誕生したのだと 改めて考えました。秦様の背負われた「業」はやはり深く重いものだったとも感じました。秦版「女の一生」として多くの読者を得るこ とを願ってやみません。同時に別の視点からの上田秋成も読んでみたいと存じました。
いま「親指のマリア」拝読しておりますが、遠藤周作のキリシタンものとはまた違った内容と奥行きをもつ作品で、じっくり味わいながら読み通そうと存じております。 国分寺市 持田鋼一郎 歌人・翻訳家
☆ 梅雨空のつづく
毎日ですが お変わりございませんか?
先日は心温まるメールを頂き有難うございました。
又 お送り頂きました第七巻も楽しみながら拝読しております。本当に「京都」への愛着と言いますか 故郷のなつかしさをいつも有り難くしみじみと感じて読ませて頂いています。
私も喜寿を迎えて人並みに「山あり他にあり」の人生を過ごして来た様に思います。又、メールでお話ししても良いでしょうか。
これから夏本番の暑さがやってまいりますね!!
どうぞくれぐれもお身体お大切にお元気でお過ごし下さいませ
末筆ながら ご令室様にもよろしくお伝え下さいませ いつもお優しいお葉書を頂き まことに嬉しく有難いことで よろこんでいます。
降り続く雨の中にて… 七夕 奈良市 絹 高校後輩
* 過分のお心遣い恐縮です。感謝します。
☆ 秦兄
戦後日本流行歌史第2巻の曲の整理がまだ出来かねていますので、ご本を受け取った印に、(早稲田)大学クラス会の開催記念CD盤を、残りもので失礼ですが直近の3回分をお送りします。
家族身内で弦楽合奏を愉しんでいる者から、宴会の二次会でマイクを独占してへたなナツメロに酔いしれている者や軍国少年あがりの者などに手配りしますの で、お聴きのような何でもありの五目飯的CDにいつもなっております。それでも具の中には、今までに聞いたことがない曲も混じっていて結構楽しめると、よ ろこんでもらっています。特に本人たちより奥さん方に毎回好評のようです。わたしの顔を見知っている奥さんなどは「**さんは顔に似合わず甘い曲が好きな ようね」と云ってたよ、という友には「お前の奥さんは音楽を顔で聞くのか、器用やな。ふつう音楽はオイドで聞くもんやけど」と冗談をいって笑わせていま す。オイドは(京ことばで謂う)お尻のことではなく、スペイン語で「oido=耳」のことやで、の但し書きつきのジョークですが。
兄とちがってわたしはグルメではないので食べものには特別関心はなく、酒は大好きですが貧乏性で少量で酔える、できるだけ度数の高い蒸留酒を、発泡酒を水代わりに飲んでいます。
音楽はガキの頃から好きで、弾くことも、歌うことも譜が追えないので出来ませんが、聴くだけは何でも聴きます。草野球並みの守備範囲は、バロックからロ マン派位までと中南米ものぐらいてすが、ファドやディキシーランドから日本の民謡まで、その日その時々の気分で適当に愉しんでいます。大学時代にはじめて 入手したオープン・リールの録音機を皮切りにカセットからMDやCDにSP盤やLP盤を、ラジオのエアー・チェックと並行して録りまくりました。
磁気テープのほとんどは杜撰な取扱いでおしゃかになりましたが、それでも毎日10時間づつ聴き続けても、生ある間に二回は聴けないかもしれません。そんなわたしの道楽に、女房は「これさえなければ住み心地のよい家に住めたのに」と音源を目の敵にしています。
わたしはコレクターではありませんので聴きたい音源は買いますが、ほとんどの場合昔は磁気テープに、MD,CD時代になってからは、それらに録音しては 原盤を処分し次の盤を買う、自転車操業の繰り返しです。ですから女房の嘆くように、買うときは2-3000円でも売るときは2-300円ですから、手持ち 音源のほとんどには市場価値はまったくありませんし、それでよいのです。
そんな女房の恨み節のこもった音源の中からのCD-R盤ですが、兄のオイドを和ませる曲が数曲でもあれば幸いです。
日本歌謡史のほうは昭和20年を境として、戦後と戦前のシリーズを目論んでいるのですが戦後編はわたしの好みと、わたしのしばらくのやくざな生活時代か ら見て、精々昭和40年頃になりましょうか。日本の歌謡曲もカタカナの曲が幅を利かせるようになる一方で、流行歌が「えんか」と十把一絡げに呼ばれるよう になった頃がボーダーラインになりそうです。
何はともあれ、いつもいつもほんとうに有りがとうございます。
「流行歌(うた)は、こころの日記帳」です。お互いに聴いて往時を懐かしみましょう。 京・岩倉 辰 中・高同窓
* 音楽の盤を三枚も送ってきてくれた。ハイカラの曲もたくさん。楽しみます、感謝。
ファドのマドレデウスも、ジャズも、クラシックも、パバロッテイやマリア・カラスも、スターバト・マーテルも謡曲も平曲も演歌も唱歌も、わたしも雑食している。思い屈したときや心静かになりたいときに聴く。音量と共に聴く。
☆ 私語の刻の
「書かずにはおれなかった、それだけが、いま、わたしの本音である」というお言葉、大変重く、深い愛を感じました。
くれぐれも御身お大切にと念じております。かしこ
先日 森鴎外記念館へ行って参りました。 堺 郁 歌人
☆ 拝呈
御作「生きたかりしに」三巻 本日読了いたしました。徳に最終章の笠置木津のあたりはかつて学生たちと歩いたこともあって一気に読みました。 さて秋風は吹いておりましたろうか。
このようなこと 作家に向かっていうべきことではありませんが、 ここまで書いていいのだろうかというのが俗人の感想でもありました ご憫察(殺)下さい まずは御礼のみです どうぞお大事に。 八王子市 東郷克美 早大名誉教授
☆ 大病を
なさったのにもかかわらずお元気にご活躍 なによりのこととおよろこび申上げます
梅雨もまだうっとうしさを残しております くれぐれもお大切にと祈念いたします。 七夕の夜半 たまたま雲の切れめに遇いました。 これも天恵の一つでしょうか この世 ありがたいことです。 江戸川区 冽 俳人
2015 7/14 164
* ある人から、今しも選集第十巻に内心予定してすすめている『親指のマリア』に、それとは知らぬままこの作を通読された感想が届いた。
京都新聞の朝刊に連載した長編「親指のマリア」に到るわたし自身の願いや認識は、選集第八巻としてすでに責了し八月半ばの刊行を待つ段階の「最上徳内=北の時代」あとがきに、すでに手強く触れてある。
☆ 前略ご免下さい。
ただいま 一○一五年七月十一日午後八時三十五分、御著『親指のマリア』を拝読し了りました。読み了ると同時に、自分の感じたことを秦様に何としても申し上げたいという衝動に駆られました。
まず、「信じる」とはどういうことかと納得させていただきました。
私は三年半前の妻の死後、カトリックの洗礼を受けましたが、自分の信仰に確信が持てないままでおります。神父やシスターに接し、極力ミサに出席し、信徒 仲間と語り合う機会を多く持つようにしておりますが、自分の心の姿勢がどうしてもカトリックを「知る」ことに傾きがちで、知れば知るほど「信じる」ことか ら遠離って行くような樹がしておりました。
しかし、御作を拝読、「信じる」ことに一歩近付いたような不思議な感覚を得ております。
もっとも私の信仰は、「信じる」よりも「すがりたい」という重いの方が強いような気がして、自省しております。
シドッチ(=神父?宣教師)の信じる姿勢を、「知る」ことに徹してシドッチに接した(新井=)白石がもっとも良くしたという風に私は御作から読み取りま した。白石の「知る」姿勢に、日本の近代の萌芽を見る秦様の見解に、まったく賛同いたします。水戸学を維新の思想的バックボーンとする見方が一般的です が、久米邦武の「米欧回覧実記」を読みますと、米欧を「知る」ことにどれほど維新の志士たちが精魂を傾けていたかよく分ります。(いち早く西洋記聞を書き 著していた=)白石と「米欧回覧実記」とのつながる線をこれから勉強してみようと存じております。
また、吉宗の問いに、「世界を識る眼が開かれていなければ、五十年後には異国の支配を受ける」という白石の応えに、これほど簡にして要を得た近代化論はないと感心しました。
このほか、秦様が日本の歴史、日本の古典に徹底して没入し、生半可な外国語などの知識と無縁であったことが、こうした傑作を無生んだのだという感を深く しました。日本近代のアイデンティティを追求したのがこの御作(=「親指のマリア」および「最上徳内」)なら、ご自分のアイデンティティを追求したのが 「生きたかりしに」(=とも「罪はわか前に」)だったのだと改めて納得した次第です。
(中略) 今月末に谷中へ墓参の帰りに国立博物館に行き、「親指のマリア」との対面を果たしてまいりたいと存じております。
いささか興奮気味で乱文乱筆お許し下さい。 草々 鋼
* 「最上徳内」も「親指のマリア」も相当な長編であるが、この程度の長さの娯楽読み物は珍しくあるまい。しかしわたしの此の二作は娯楽読み物ではない。 方法はそれぞれ大きく異にしているが、歴史小説であり、また作者渾身の渉猟と論考を込めたもの、生なかの姿勢では精神・肉身に接することはできにくいだろ う。秦 恒平選集の太い芯として、大事に仕上げておきたい。
* わたしは愛することは知っているが、抱き柱は抱かない。神仏への崇敬は持っているけれど、信仰はしていない。信じる相手とも思っていない。しかし敬虔 な信仰者の精神にも生活に対しても愛は感じる、敬意すらも持つ。そういうわたしが、心籠めて切支丹牢のシドッチや長助・はるを書き、白石や通詞たちを書い た。心底の誠意を以て書き上げた。私小説は措くとしても、小説として誰を書くときも、同じ姿勢である。
2015 7/14 164
☆ 週末に
「湖の本」届きました。
永い永い時を経ての「生きたかりしに」完結、おめでとうございます。
今日、電車で「私語の刻」のみ拝読しました。
「音楽によって動揺するものを人は胸の奥に隠している」という言葉に、深く頷いています。
ここ数日で急に暑くなりましたが、体調を崩さぬようくれぐれもお気をつけて。 黍
2015 7/14 164
☆ 「湖のほん」ありがとうございました。
突然の猛暑になり、びっくり。お二人とも熱中症対策は萬全にお願いします。
「湖のほん」ご発送いただきありがとうございました。
「生きたかりしに」の下巻読ませていただきました。
重い内容に本を伏せたいような、先を読み急ぎたいようでもあり。
親として、自分の子どもを手放さなければならない状況は如何なことがあっても、正常ではいられない気持ちでしょう。
それを思いやられての作品が、書き出されてから今回世に出されるまでの長い年月を必要としたことで図られるような気がします。作品にしていただき、読ませていただけたことありがたく思っています。
ご親戚との関わりが出てくると、ホッとしながらも、秦様だけでなく、迪子さんにも重い日々があったのだろうと推察しながら、支えておられる優しい心情にほっとしたりしました。
私情を離れて読めず、申し訳ないようなお礼状で失礼します。
梅雨もまだ抜けきっていないようですが、後2・3か月お互いに心して暑さを凌いでまいりましょう。
くれぐれもご自愛を。 練馬 持田晴美
2015 7/14 164
☆ 秦様
ご多用中のところ、メールありがとうございました。
『親指のマリア』は素晴らしい小説だと存じます。
最上徳内については、よく知りません。まことに図々しいお願いですが「湖の本」で是非拝読いたしたいと存じます。
日本近代が水戸学と結び付けられて考えられ過ぎてきたことに、何となく違和感を抱いておりましたが、『親指のマリア』を拝読して、その違和感の正体を見つけたような気がしております。
この小説が文壇のみならず、日本の歴史学会でなぜもっと問題にならないのか不思議な気がいたします。
森鴎外は『伊澤蘭軒』の中で漢方医学と西洋医学の対立が攘夷と開国に思想的につながると述べていますが、白石を日本近代の礎石と考えることは 日本の近代史理解に画期的な転換をもたらすことと存じます。
ご都合のよろしい時に一度是非お目にかかり、いろいろお話伺いたく切望いたしております。場所は適当なところを選んでいただければどこにでも出かけます。酒は弱くすぐ赤くなりますが、日本酒二、三合はお付き合いできます。
私は『米欧亜回覧の会』という民間の研究会と東京経済大学の「世界システム研究会」に出席しておりますが、両会で『親指のマリア』と秦史観を大いに宣伝しようと存じております。
また、『古史通』を読み始めました。白石の文章は私には難解ですが、とにかく少しずつ読んでいこうと存じております。
佐藤一斎の『言志四録』に「若くして学べば壮にしてなすことあり、壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死しても朽ちず」とありますが、若い時も壮年時代もろくに勉強してこなかった私ですが、この言葉を座右の銘に、秦様を見習おうと存じている次第です。
今後もよろしくご指導のほどお願いいたします。 鋼 拝
* 勉強とは永く勉める意味であり、強とは容易くはない意味であろうと実感してきた。「古史通」もなかなか強かな文献であって、足を踏み外すと深い谷へ落ちる。
* 深い濃い静かな闇が恋しい。
2015 7/15 164
☆ 本当に
暑い日になりましたね! さすがに祇園祭の頃の暑さは昔も今も変わりませんねぇ~
ところで 今 丹波の長姉の所に来ています。 秦さんの丹波の思い出をなぞりながら 今朝出掛けて まいりました。
ここは丹波でも 北になる園部です。 近くに園部城があって園部高校がその中にある様ですね!
息子達が小学生の頃には松茸狩りや筍掘り 稲刈りの手伝いなど経験して、楽しい思い出 です。 子供のいない姉夫婦も卒寿と米寿となって二人別々の施設に入っています。 今日は空き家になった自宅の掃除に来ています。 夕方5時になったら奈良へ帰ります。
京都駅は宵山の人出で賑やかなことでしょうね~
ではまた 今日は とり急ぎです。 どうぞお元気でお過ごし下さいませ。 有り難うございました。 絹
* この人も喜寿、わたしより二つ若い。しかし喜寿のこの人はまったく想像も出来ず、高校時代の小柄に温和しかった少女の感じでしか、このメールの便りも読めない。
この人に限ったことではなく、しかし、これって、ちょっと、マイルなあ。マイルけれど、考えようでは、後期高齢の若々しい、初々しいラブレ ターの往来が可能な空気が流れうるとも想えば、ちょっとおもしろい文学のこころみが、創作される老いらくの自然が、フィクションとしてリアルとしても可能 になるのかも知れない。なんだか、とても楽しそうな、かつ、春愁に似て非なる愁いにみちた「老春小説」が、書けそうやないか。
2015 7/15 164
☆ 祇園祭り
台風で心配しましたが、山鉾巡行が行われています! 尾張の鳶
* えぇなあ!
☆ 『私語の刻』
二○○○年より二○○三年の記録拝読いたしました。一めぐり十二年も前のペンですが、今日只今の政情・人情をすでに先生は達観・洞察されていたのに、ただただ驚いています。ありがとうございました。 府中 杉 作家
☆ 「生きたかりしに」
天国の御生母に捧げる真心をこめた懸け橋と受け止めています。
厳しい夏を迎えていますが 御自愛下さい。 敬具 石神井台 邦 岩波書店編集者
☆ 謹啓
台風十一号が暴れ、国会内外でも逆風が吹き荒れて居ります。学生時代ノンポリで過ごした私でも、新聞ニュースの政治面に無関心ではいられぬ昨今です。(テレビは地デジ移行と同時に解約致しました。)
扨て、「湖の本」 別途第一二七巻以降の継続購読料として一万円也振り込みますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。
更に昨十六日には、『秦 恒平選集』第七巻の貴重本をお贈りいただき、すっかり恐縮に存じて居ります、有り難く拝受致し、心より感謝申し上げます。
私が奉職していた中学校の教え子の母親が、私の入院見舞にと届けてくれたのが「湖の本」初巻でした。その後間もなく、自分で購読するようになり、今に続 いて居ります。御作には古典に題材をとったものが多くあり、私の興味を惹く力も強かったのです。小説では、『秘色』『みごもりの湖』『親指のマリア』等は 多分初版本で読んだ筈です。(「湖の本」は、初巻ー一二六巻、すべて保存してあります。)
この度頂戴致しました「選集第七巻刊行に際して」の文末で、先生が私と同年生まれだということを知り、一層、先生の作品が身近に感じられる気が致します。
先生と私とでは勿論、雲泥の差ですが、中学時代の級友には、自称詩人や一家言を持つ者が多く、クラス内には、手書きの雑誌(同人誌とも言えぬような、今思えば大人のマネ事でしかないような。)を回覧して面白がっていた時期もありました。
大学では、一応文科に進み、故西郷信綱先生のご指導のもと、「源氏物語」を卒論に選びましたが、最終的に文学の道には進まず、中学校の(国語と英語の) 教諭として四十年近く勤め、今は「悠々自適」と言えば聞こえが良いのですが、少しばかりのボランティア活動と趣味の世界(音楽、絵画、短歌、写真、旅 行…)に遊んで居ります。
とりとめのない事を書き連ね、大変失礼を申し上げました。
向酷暑の時節柄、先生も呉々もご健康にご留意され、益々ご清栄にてお過し下さいますよう。
とり敢えず御礼迄。 敬具 横浜 蓑
* ありがとう存じます。
こういう真実「友」だちにわたしは励まされ支えられてきた。尋常ならぬ、文字どおり容易ならぬ作風、そのうえに世渡り頑固なわたくし、しぜん友の数は限られているが、一騎当千という言葉も実感もある。
* 国立国会図書館、東京都立中央図書館、京都府また京都市の中央図書館、その他順不同に、東大大学院 京大 同志社大文化学科 同志社大図書館 早稲田 大図書館 三田文学編集室 近代文学館 山梨文学館 神奈川文学館 京都女子大 名古屋大 大阪大 九州大 東北大 金沢大 お茶の水大図書館 法政大文学部 立命館大図書館 天理大図書館 神 戸松蔭女子学院大 日本女子大 昭和女子大 国立国語研 調布市図書館 福島県立図書館等々へ、選集を収めている。まだ不用意に洩らしている先がありそうに思うが。少部数非売本ですが、勝ってご希望の学校・施設・図書館・また 個人でも、一応お声を掛けて下さい。
差し上げている個人の方々も、もし後々ご処分なさるようなときは、だれよりも、読書力旺盛な若い方々、または堅固な図書館や文系文化を大切にしている大学や研究施設へ、どうぞご寄託下されば有り難いです。
* 神戸の岡田昌也さん、巣のついた蜂蜜を下さる。感謝。満腹せぬように食べ物と量とに気遣っている。蜂蜜は少量づつで元気が貰える。村上開新堂さんの クッキーも美味しくかつ極く少しずつと紅茶とで十分食事になる。甘味は量をじょうずに考えてさえいれば、体力が保てる。体重が安定していれば、少量の麺類 も楽しめる。
と、言いながら、昼食を食べ損じて苦しいほど吐瀉してしまった。食べずに空腹が気分いいのに、ちょくちょくとモノに手を出す。意地汚いのである戦時り欠食貧小僧は、老いても。
2015 7・19 164
☆ 「生きたかりしに」下の続きを読み
やっと405「本陣の娘が大名の」のくだりまで読んだところですが、なんと無惨なと感じると共に、母や兄、甥(そして自身もまた)が革新を願った根として考えていらっしゃるのも納得できました。 神奈川 沢
* このメールには、「なんと無惨な」には、驚かされた。ま、そうもいえなくは無いけれども、 この本来「秋成」を書こうとして始められた小説の、流れ流 れて行きついた、とある流れとしては、( 創作当時の新学説に応じつつ眺めれば)、ここで思いがけず「上田秋成と大名家小堀」との、また、わが母方祖父「阿部周平と九州の大名家」との、びっくり仰 天の相似的奇縁が意味をもってくるのであり、探訪者のわたし自身、ここへ出遭ってまさに仰天もし、また奇遇のように面白かった。「無惨な」など毛筋も思わ なかった。
それに、こんなことが、父周平を深く敬愛していた「娘=わが生母・くに」の「革新」を願う「根」だったなどということは、全くあり得ない失見当だし、「わが兄・恒彦」は、こんな「九州の大名の」ウンヌンなど、雫ほども知ることなくて亡くなっている。
この私にしても、幕末の水口本陣での固く秘匿されていたらしい一件は、母探訪のさなかにあちこちから偶然に聞き込んだのであり、そんな噂ほどのことと、(それが在るとしても)私自身の革新性とになど、何らの関わりも無い。
そもそも祖父に革新性など全くなかったし、母のそれが(在るとして)、それは自分の父となど全然無関係な甚だ性格的なものであり、わが兄のそれは歴然と して生涯りっぱな意嚮と実践であって、祖父との間には雫ほどの関わりもなかった。甥のことは言わないが、彼も彼の父方曾祖父のことなど全く知らないであろ う。
こんな走り読みで文学部のマスターに軽々に「納得」されては、見当違い甚だしいですよと、ひらに謝っておく。びっくりしたなあ、もう。
2015 7・20 164
☆ 拝啓
いつも御本をいただき、何のお返しもできず申しわけなき次第です。
今回は『生きたかりしに』の全部を拝読して阿、『秋成』(未)との関連とは別に、これをふしぎな感覚でふしぎな世界像の聳立を眼前にする思いにかられ感銘しました。(朱筆で)「源氏物語」を読むような感じでした。ありがとうございました。
なお小生儀 体力を毀したまま生きておりますが、私どもに後継の者がなく、家内も体調不備、どちらが先にどうなるか不明で、いろいろと片付けものをしております。
明日より二か月、山梨県清里の山荘で暮します。 高田衛 東京都立大学名誉教授
☆ 秦 恒平様
暑中おみまい申し上げます。いつも本を送っていただきありがとうございます。
ところで、私の父、富*恒*は先月より重い心臓病で入院しております。こちらの病院では、手術が不可能ということで22日に東京ハートセンターに転院す ることになりました。そのため大変申し訳ありませんが、当分の間購読を停止させて頂きたいと思います。元気になりましたらまたご連絡さし上げますのでよろ しくお願い申し上げます。 二女 真柄 山形県酒田市
(はんなり囲って ) なお、父の耳元で私が「湖の本」を朗読すると、おだやかな表情で喜んでくれるのが よくわかります。
* 心よりお父様の御無事とご回復を祈り、多年のご親切に深く感謝申し上げます。
* 娘夫婦に無道な言いがかりと裁判沙汰に苦しめられていた時には、中学生だったお子さんから明快な理解とともに励ましてもらったことも忘れない。まこと、真実身内とは、血縁でも親族でもないのだった。
2015 7・21 164
* 「マドレデウス」の盤二枚をむかしむかしに送ってきてくれたのは「尾張の鳶」さんだった。世界中を飛び回ってきた日本の「鳶」の見聞はたくさんな佳いメールに満載されている。たくさんたくさん教えられてきた。
2015 7・21 164
* 亡き福田歓一さん(元東大法学部長)の夫人から、また藝術至上主義文藝学会の若い京都の会員からも、「生きたかりしに」三巻へ懇切のお手紙を戴いてい る、が、いずれも長文で。お礼のみ申し上げておく。関西の会員さん、母上の方でさきに夢中に読み進んでいて、いろいろ話題にしてきます、と。許されるな ら、湖の本など、もっと欲しいとも。うへッ。
高松市の読者からは「選集⑦」の、東海大日本文学科からは「生きたかりしに」受領の挨拶もあり。
集英社「すばる」編集室からは上中下巻購入の払い込みがあった。有り難し。 2015 7/22 164
☆ 『生きたかりしに』上・中・下を拝読いたしました。 元「群像」編集長
<「上田秋成」と現代の作家である自分との折り合いに、「母」と、「子」である自分との折り合いを付ける、工夫ーー。>を超えて、大きなうねりともいえる力に 読者である自分も引きこまれて、呆然としています。
私小説を越えた「私」小説、秋成を手離さず 谷崎につらなり、かつ<書く行為を業のように信じている者>のその行為によって、圧縮されていたマグマがのびやかに拡がりだす爽やかな読後感でした。
起稿なさってから三十八年、どのように補筆なさったかは窺い知れませんが、時間がふくよかに熟成させたのでしょうか。
「三浦くに」はなんといっても魅力的です。縦に横にと広がる人と人の結節点にあって異彩を放っています。この母にしてこの作家あり、 <生きたかりしに>と詠んだその心をまっすぐに受けとめてくれた子を、母は喜んでいることでしょう。
秦文学の高峰を読む機会を与えていただいたことを深く感謝申し上げます。
暑い日が続きます。どうぞお身体お大切になさって、秦さんの”業”を全うして下さいますように。 二○一五年七月二十一日
* 身に沁みて有難う存じます。ますます努めます。
☆ お元気ですか。
梅雨明けの酷暑はお身体に障ることと思い、できる限り外出など控えて、とは言ってもさまざまな用事や、そして動くことも大切で。あーあ。とにかくもお お身体愛しみつつ、少しは甘やかして、きつい夏を過ごされますように。
あまりに日々慌ただしく、かつての子育ての頃を再体験しつつ暮らしています。三か月と一歳十一か月の孫二人、そして大人が五人の食事の世話を「大変」と感じるのはやはり「年齢」なんでしょうか。
本を読む時間もほとんどありませんが、先週、数日かけて漸く『生きたかりしに』下を読み終えました。
秋成のことがもう少し書かれているかとも思っていたのですが、作家は終始「自分」を貫いたという実感を強くしました。その姿勢は、読む人によって評価や好き嫌いも現れるところでしょうが、そんなことは作家自身から既に離れた事柄で、鴉は、鴉の手法で。
島崎藤村や志賀直哉の小説と同じトーンが流れているようにも感じましたよ。書かれていることは重く痛い事柄ですが、お母様の死からほぼ半世紀、その永い時間に文章がしっかり晒されて、ご自身にとっても納得いくものに、肯定追認しうるものに変貌したのではないでしょうか。
読む者にとって、時にはお母様の手紙などに「時代」を感じたり、「系図」の類に再確認の必要が出てきたりしますが、それも謎解きのようであり、グングン前に進めて、読みとげました。
お母様の生き方と兄恒彦さんの生き方、「同志」として感じられる手触りのごときもの、時代背景や革新性など諸要素はあるでしょうが、母としての切なさはやはり汲み取ってあげたい。生きるのに不器用で、でも真摯に、傷ついて生きた方です。
下巻を読み終わって数日、今、特に心に響いているのは、五歳のあなたが秦のご両親について行って新門前のお家に入っていった光景です。
どんな気持ちでついていかれたのか、そして、その、恐らく無心の歩みが生涯の選択の第一歩であったことを痛切に想います。
また、その時まで育てていた奈良の祖父母様は、いずれ手放す覚悟であったとはいえ、突然の成り行きにやはり涙されたろうと思うのです。
秦文学との出会いの最初に、本の帯に書かれていた衝撃的な事柄、それを、丹念に丹念に解きほぐしてくださった『生きたかりしに』は、重い意味をもつ作です。
書きたいことはまだまだありますが、三冊を改めて読んでからまた書きたいです。何より今、時間がありません。
それでもそれでも、お父様お母様、ご両親はお二人を突き離し忘れ果てたのではなかった。殊にお母様は苦しみ悶えるほどにお二人を想われた。そのことだけは銘記すべきです。差し出がましく、半ば臆しつつ、敢えて書きます。
先頃送った絵のこと、わたしは恐縮しています。絵も有難いこと、過分のことと恐縮しているでしょう。
マードレデウスは、ポルトガルの、少し雰囲気は違いますが「ファド」に近いものでしょうか。美しい声ですね。
繰り返し返し、どうぞお身大切に、大切に。
読み返す時間がありません。ヘンな箇所があればごめんなさい。 尾張の鳶
* 多忙ななかから、親切な、深切な、メールを有難う。ひび、大事にして下さい。 鴉
* 恋ヶ窪の持田鋼一郎さんからもお手紙と、声援の有難いシャンパンを頂戴した。感謝。さ、どんな機に栓を抜こうか。まだまだ私には、先がある。
2015 7/23 164
* 鶴見俊輔さん 逝去
「日本共産党だけは創立以来、動かぬ一点を守り続けてきた。それは北斗七星のようにそれを見ることによって自分がどの程度時流に流されたか、自分がど れほどダメな人間になってしまったかを計ることのできる尺度として、日本の知識人によって用いられてきた」(鶴見俊輔・哲学者)
* 本当に残念。
鶴見さんは、亡兄北澤恒彦の、また甥北澤恒の先生、大先生のように遠見に見えていた。その縁でとは言わないが、わたしも、鶴見さんに時折りご縁を得て京ことばに関わる「対談」で引き立てて頂いたり、作への激励や批評のお手紙を沢山いただいてきた。
上の、「共産党」に触れた鶴見さんの言葉など、現今日本の国民にとって最良の助言である。同感する。
☆ とうとう
「生きたかりしに」全三巻、読み終わりました。
「初原」の地が見えてくる辺りからは、もう、胸の高鳴りがそのまま伝わってくるようで、どんどん加速度もついてきて。
こまぎれの時間を利用しての初読。落ち着いたら再読したいと思います。
今はただ、「恋しくば」の遠い呼びかけに促されての永い遥かな旅をした「私」が、「ただ情欲を満たしただけの結果」なんかではなくて「此の世へ歩み出」 し、慈しまれていたと確かめた後に、<母>でもあり<姉>でもありうるような「愛(い)と子」との再会を当尾で果たし得たこと、 母の歌声を耳に作が完結しましたことを、心からお喜びいたします。
吹きやまぬ風は、今どこに向かっているのでしょうか。
どうぞお元気で。 黍
* 「目次」構成に、わたしは或る意味の「策」を構えて、「秋成」と「私」とのつかずはなれずの重ね繪が読者にもなんとなく予想できるよう に創っておいた。「母」かたにはあまく、「父」かたにはからいと見えてくるもののバランスをはかってみる創作意識・作意をはたらかせていた。予想したより も多く重く、読者はこの母方へと父方へとのバランスめく作意を実意として「よかった」とうけとって下さった。
もし事実然様であるなら、私小説に底敷きしたバランスの作意が、ま、いい方へ受け取られたことになる。
もしも、作者であり子である私自身の実感から「母 三浦くに」への気持ちをいうなら、異父長兄「聡一」の母親観に、書いても読んでも終始一貫してほとん ど「同じ」であったと紛れなく気付いている。およそ聞き書きの他に方法を得られなかったなかで、わたしは「母」のあまりに偏りすぎて捩れた像を、ままその ままに近いまで修正してやりたかった。冷静に言えば「それだけ」のモチーフだった。まして「真の身内」が確認できたなどというハナシではなく、その限りに おいて「三浦くに」は小説の主人公たり得る多彩な光源を内蔵していたと信じていい喜びは、しかと掴んだ。
父方方面へは、どう作が作として収束されて行こうと、いようと、作者としても父の子としても、ごく冷静いや冷淡であった。心情的にみて良く言って「不分 明で未解決で」あり、聊かの感傷も感じていない。「父」「父方」も、じつは既に書きかけてもいて、これまた難儀にも複雑な、あまりに嬉しくない実情が展開 して行くだろう。
よく母を書いた谷崎は、しかし、リアルの母とイメージの「母」との別をきっちり私に教えてくれた。鏡花もそうだ。そて谷崎や鏡花の愛はどっちへ向かって深かったのか。
わたしはたくさんな小説で「母」に熱く恋・愛してきたが、今回、リアルな母は「母」ではないことを「生きたかりしに」で実は冷静に冷徹に再確認したので ある。ましてやリアルの父は。いやいやリアルな父は、或る意味で母よりももっと痛切な苦汁をなめつづけた気の毒な敗者であったのを、今の私は識っている。 母の「生きたかりしに」はじつに分かる、よく分かる。父は、それに比して、何と我とわが心に問い続けながら死んでいったか。書き遂げられるかどうか、この 小説は、母の小説よりももっと険しい道を辿ると想われる。
2015 7・24 164
* 望月太左衛さん、浅草の花火へ今年も誘って呉れている。手術の年からは、三年、行けなかった。
行ってみたみたい気がしている。天上の孫やす香とものを言い交わせる機会だ。明日だ。
2015 7・24 164
* 太左衛さんの親切な花火へのお招き、いちどは参りますと返事したが、医師は、まだムリでしょうと。行くは行けても帰りの疲労、群衆の波間で転倒してはと。諦めた。
この辺で、グイと一歩前へ出たい、そうすれば京都までもと思ったのだが、仕方ない。あまりの日照りで暑すぎもする。
家での仕事を楽しみながら進めたい。
2015 7・25 164
☆ 暑中お見舞い申し上げます。
先日は 又々 立派なご本 第七巻と湖の本とを ありがとうございました。
四巻 ようやく 読了… でももう一度「廬山」を読んでいます。 美しく 淡々とした文章は なぜか「ハックルべりー・フィンの冒険」を
想い出させてくれます。 ハックの冒険は徳に好きな本で ミシシッピは私の子供の頃からの憧れの河。カナダ在住の時、長年の思いかなって ミシシッピに沿って旅行しましたが 初めて河に対面した時には 思わず涙ぐんでしまいました。
余計な話になりましたが 七巻も 興味深く とりかかるのが楽しみです。
それにしても秦さんの博識には驚嘆させられます (失礼ながら…)。一日に15册も本を手にされるという事を想い出して その原動力と蓄積を 納得の気がします。 ほんとうに物を知らない私まで 楽しませて下さいまして ありがとうございます。
梅雨も明けましたが これから酷い暑さの日々も来ると思います。どうか くれぐれも お身体をお大切に。乱筆乱文 お許し下さい。
p.s ① 少しばかりの玉ねぎを喜んでいただいて嬉しいです。秦さんが玉ねぎ好きだとは全く知りませんでしたが、それをお送りしたというのは 全く ヒット!? ホームラン!? or ストライク! ですね! 来年もお送り出来るといいですが 何しろ素人なもので…。
② それから 「閨秀」の松爺の砂繪の描写はすばらしいですね。秦さんは実際にごらんになった事がおありなのでしょうか。(見てみたいです…) 秦野市 明 画家 妻の従姉妹
* 文は人なりと謂う、そのいい意味の、なつかしく匂うような手紙だ。まるで無関係だが 小松の井口哲郎さんのお手紙を想い起こす。手紙に味わい有ってじょうずな人に、内なる痩せを想わせる人はいない。逆は、ある。
☆ 拝啓
蝉の声に暑さを覚える今日此の頃 先生にはますますご活躍のこととお喜び申し上げます。
さて、この度は、秦先生の『湖の本』三巻をお送りいただき 誠にありがとうございます。お礼申しおくれ大変失礼いたしました。
私はまだ未熟者で、漸くこの度博士課程を卒業(九月ですが)できることになりました。一歩一歩がんばって阿いきたいと思います。
「湖の本」「拝読いたしました。「生みの母」を求め歩みを進める姿に引き込まれ一騎に読んでしまいました。ありがとうございます。
それでは 暑さ厳しき折柄 くれぐれもご自愛下さい。 蔀屋 檜
* 国文学研究資料館今西館長 鳴門教育大 などからもご挨拶を受けている。
☆ 花火に
いらしたかと思っていました。
もう何十年も見ていない瀬戸内に高く上がる花火、高梁川の仕掛け花火、懐かしく思い出されます。
、テレビ放映はするようですが、体を震わす音も光もブラウン管ごしでは、もどかしいばかりで。
今夜は思いがけず一人になったので、夕方ふらっと出ようかと思いながら、台所仕事をしています。 桃
2015 7・25 164
☆ 秦 恒平様
謹 啓 「生きたかりしに」読了いたしました。「湖の本」を購読し続けていて良かったと、先ず思いました。ここにいたって秦文学の大宇宙が、秋の夜空を見るように、澄み切った姿ではっきりを捉えることができた、と感じることが出来ました。
「第五章 当尾の里」の二十四、泣けました。大海の孤島に、しっかり真の身内は、待っていたのですね。混沌をかき混ぜて、天の沼矛から滴り落ちた一滴が 成った孤島、たどり着けば、聖母や神のような七度の七十度も許す、大悲の身内が大きく両手を広げて待っていた。ここでは全てが「思無邪」、純粋な自分であ ることが出来る。氷に結ぼれていた小川が春を迎え、穏やかな流れをとりもどし、川面には梅花藻が咲き初め、岸辺には野草が、とりどりの花を咲き競って生命 を輝かし、揺雲雀は歓呼するように大空に囀っている。すべての結ぼれが解けて、摩訶価討般若波蜜多の大宇宙に包まれている。そしてこの摩訶般若波羅蜜多の 大宇宙では、上田秋成も阿部鏡子も砥部恒之も作者も、等しく「命」の「光」であり、永遠なる超越であるのです。人間の命は、運命とか宿命とか性とか、その ような低次の世界ではなく、もっと高次の「絶対」であり「永遠」という命の大河、その流れに運ばれて生きている、そして生き続ける定めにある、と、この作 品は言っていると、私は惟いました。私は、自分もまた、その人間の一人であることを惟い涙しました。
当尾の砥部邸を再訪した作者の感慨には、まさに「年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」の思いがあったのではないでしょうか。そして矢絣 を着た生母と撮った写真を砥部邸の松に重ねるとき、「命二つの中に生きたる櫻(松の木)哉」の思いが作者の胸中を満たしていたと感じました。
阿部鏡子(三浦くに)さんに美濃正子さんがおられたことは、岡本かの子に一平がいたように、必然なことであり、幸せなことであったと感じました。もし砥 部恒之氏が一平なりせば、阿部鏡子さんは、女流として一家をなすことも可能だったかも知れません。お手紙の論理力と文章の力強さは、並の知力ではないと感 じさせます。それを認めればこそ、美濃正子さんは歌集の出版に無私の尽力を図られたのだと思います。「年々に我が悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなり けり」を生きたかの子と重なるところを感じさせる阿部鏡子(三浦くに)さんの半ば不本意な生々流転は、無理解な世間・俗界に押しつぶされた結果の迷いだっ たと感じられます。俗人には理解できない聖性一高貴な心性の人、まさに昭和二十二年発布の新憲法を持つに値する女性であり、其の尊厳に生きる個人主義を生 き得た女性であり、現に生き抜かれた方と感じました。
最後に至っての「芳江叔母」との再会は、私には衝撃的でした。丁度いただいた「選集七巻」で「罪はわが前に」を読みすすめていたところでしたので、「芳江叔母」が、わたしには「久慈芳江」に重なってしまったのです。複雑な感動を味わいました。
桐壷更衣も紫上も公的名、二人には身内だけが呼び合う私的名前があったのではないでしょうか。光源氏は、紫上と二人のときには、きっと私的名前で互いに 呼び合っていたのではないか、と、ふと思いました。そうでなかったらただ似ているだけ、あるいは血縁というだけでは感情を同化できないと思います。
妻を亡母と同じ名前-「芳江Jと呼んでこそ、源氏の思いは亡母と同化し、満たされるのだと思います。名前は単なる記号ではなく、魂であることも、今回再 認執したことのひとつでもありました。中巻(近江路 十三)の石塚鏡子さんの登場に、ふと心を揺さぶられるものを感じました。
断片的ですが、r生きたかりしに」を読んで心に刻まれた思いの一部を、出で湧くまま縷々、書かせていただきました。失礼の段、ご宥恕ください。
今日は、益子町の関東三大奇条「御神酒頂戴」を見る為、友人に案内していただきました。
「選集第七巻」の御礼と、「生きたかりしに」の完成を祝させていただきたく、評判の良い地酒をお送りいたします。地元の酒造元からお送りするよう手配させ ていただきました。近日届くと思います。御賞味いただければ幸甚に存じます。暑さ厳しき折り、御身体を大切に、この暑さを乗り切っていただきたく、ご自愛 のほどお祈り申し上げとます。 敬具 八潮 小滝英史
* 笠間の清酒、純米大吟醸「郷之誉」一升瓶に添えられ頂戴したこのお手紙、このまま、母阿部ふく(三浦くに)の霊前に献じておく。読者は、みなさん、ほんとうに心優しい。母の返礼が読めるといいのだが。
2015 7・262 164
☆ 暑中お見舞い申し上げます。
暑気祓いに「戦後日本流行歌史第二集」をお届けします。
きょうは祇園祭後祭りの宵山ですが、本集の歌が流行っていた頃は、後祭りの山鉾はせまい三条通りを巡行していたのをおぼえています。おやじのライカを持ち出してYMCA界隈で写したセピア色の写真が二三葉残っています。
この時期の歌はどれもヒットしたものばかりですが、
8,「山小屋の灯火」近江敏郎 13,「緑の牧場」津村謙権 21,「たそがれの夢」伊藤久男 は、NHKのラジオ歌謡です。
また 9,「銀座セレナーデ」藤山一郎 12,「バラのルンバ」二葉あき子の作詞家「村雨まさと」は、確か服部良一のペンネームのはずです。
ラジオと云えば新門前の兄宅の店の出窓に 5球スーパーラヂオが置いてあったような記憶があります。
この時期の歌は詩はよし、曲よし、歌手またよしで、夫々個性がありましたね。
近所に新京極のSY京映の切符切りをしていたお姉さんがいて、岡晴夫、霧島昇、二葉あき子らの実演の時には顔パスでよく観に行きました。
縄手の源氏屋?旅館にプロ野球の選手が泊った時など サイン帳を持って追いかけ回していたのもこの頃です。
野球雑誌を見せてもらいに永田純冶君や桑山君宅には始終出入りしていましたから 選手の情報も多分その辺が出所だったのでしょう。
なつかしい日々です。
梅雨が明けて 愈々夏本番です。充分ご自愛ください。 京 幡枝 辰
* 辰兄 ありがとう。
* さっそく、夕食時 「選集⑨」後半の妻と、昭和22 23年の全24曲を聴いた。これは憶えがないという曲はなかった。戦時をはなれて戦前の歌謡曲を なつかしむような感傷的でロマンチックでずっぷり歌謡曲の作詞作曲伴奏の多いなかから、流石に「戦後色」「戦後調」をしっかり歌いだし歌と人の時代の「漸 速前進」をはっきり予感・実感させてくれる感銘曲が、少なくも三曲はあった。
一つは笠置シズ子の「セコハン娘」(結城雄二郎・服部良一) 身につまされた。わたしは上に兄のいない一人子だったのでセコハンという意味すら当時は知 らなかった。聞き過ごしていた、が、七十年近く歳をとって、身にもつまされ胸疼いて悲しく聞いた。次は、菊池章子の「星の流れに」(清水みのる・利根一 郎)で、これはも少年ながら耳にやきついて忘れなかった名作。ウソクサイ感傷的歌謡曲とちがい、「こんな女に誰がした」と、真っ向バンパンガール悲しみの 境涯、女の呻き怨み、戦争・敗戦・家族離散の悲惨を、全身で表現し切っていた。見喪った妹をなげき一目会いたい母を恋いつつ赤いルージュをつかって街に立 つと聴いて、妻も思わず叫びをあげ、わたしは声を漏らして泣いた。
この歌、忘れてはならない。
子供ながら身に沁みたものが、後に、「月皓く」のような創作にもなった。「こんな女に誰がした」と、またしても呻かせたいのか、安倍内閣と自民与党の智慧なきヤカラは。
そしてもう一つは、笠置シズ子の「東京ブギウギ」(清水勝・服部良一)だ。これはもう次世代、あきらかに美空ひばりという天才を呼び出す歌声というに尽きている。譬えはどうかと思うが洗礼をうけに現れるイエスを待つ予言者ヨハネのようにがっちり唱ってくれる。
歌は、歌謡は、悩みも望みも多い「時代」へ、前向きに沸騰しつつ交響してくれねば、意味は薄い。うそくさいツクリ歌ではダメだ。
2015 7・27 164
* 京大名誉教授、元の京都博物館長の興膳宏さんから、吉川幸次郎著・興膳宏編の『杜甫詩注』第九册を頂戴した。九、十册は杜甫の「成都」時代、もっとも完成された杜甫詩の盛期である。有難う存じます。
大邑焼瓷軽且堅 大邑焼の瓷器は軽くて堅い
扣如哀玉錦城伝 扣けば哀切な玉の響きと当地の評判
君家白盌勝霜雪 君の家のお盌は霜や雪より白い
急送茅斎也可憐 急ぎ拙宅にお送り下さい 珍重します
* 東京・開新堂の社長さん、季節限定の生菓子を下さる。珍重珍重、感謝。
☆ 秦様
暑中御見舞申し上げます 酷暑でお体に障りはしないかと気になります
過日は「新日本風土記」をご覧いただき 先生と奥様 ご銘々から嬉しいおことばをいただきありがとうございました
今の季節は杏のお菓子を作っておりまして テレビで映りました生菓子は九月末までお休みです 私の仕事は軽くなっています
今回は 杏のお菓子を送らせていただきます
どうぞどうぞ御身御大切に 道
2015 7・28 164
☆ 昨夜はよくお休みになれましたか。
「これ(=今)からお休みの方もお目覚めの方も、時刻は5時です。」
そんなニュースを聞きながら、夜通し仕事をしている人や、眠れぬまま朝を迎える人のことを思いました。
低血圧(先日の健康診断では83-61、ちなみに視力は眼鏡をかけて左0・3と右0・8でした)でよく立ちくらみはしますが、目覚めは良い方です。
休みの日はなんだかワクワクしてむしろ早起きする子供でしたが、勤めをするようになってからも、眠くなったらうたた寝できる休日は、早く目覚めがちです。ここ数日は遅寝早起きです。
鳴釜神事に関わる怪談というのは、残念ながら分かりません。怪談といえば、「眼」など『春蚓秋蛇』をまず想起しますが、夢の所産とも思わせる艶めかしく怖いお話を沢山お書きになっていますね。
ひれはさておき、高齢化社会にもかかわらず、村落共同体が失われて核家族化の中で、煙たいことも言う物知り、訳知りのご隠居さんが町から消え、無条件に抱きしめ甘やかしもするおじいちゃん、おばあちゃんが若い家族からどんどん遠ざけられているのは残念に思います。
気忙しい日々の中で、ネット等の普及とは裏腹に、人と人の生の繋がりも希薄に形骸化しているのも、やはり。
日暮れてからも、まだまだ暑いです。どうぞ大事に、大事になさってください。 桃 2015 7・29 164
* 朝いちばんに竹西寛子さんからりっぱな利尻昆布をたくさん頂戴した。有難う存じます。
頂戴物の有り難さ以上に、消息が知れて、ともあれ安堵もし心より御健勝でと願わずにおれない。
* 愛媛の木村年孝さん、瑞々しい愛媛名物の蜜柑をたくさん送って下さった。美味い! ありがとう存じます。
2015 7・30 164
☆ 今日、
「グランブルー」をようやく見終わりました。
女を愛していても、平安な陸での生活を営めず (そこに本質的な価値を見出せず)、果てのない青い世界へと帰っていく男と、男を理解しているからこそ見 送り、陸に留まるしかない女。<結婚>や<家庭>に直結などしなくても、この男と女そしてその子も、男たちとイルカたちとはまた 別の身内(<家>の概念は失われているので、<家族>というより<身内>ですね)であった、あってほしいと、母娘の ために思いました。
「星の流れに」なら、知ってますよ。
歌が好きな母 (やはり美空ひばりが贔屓です) と一緒に歌番組もよく見たので。
松たか子も好きです。「コイシイヒト」「IStandAlone」「明日、春が来たら」「サクラ・フワリ」などなど。
「どこかどこかもっと遠くへ」と、いつの間にか頭の中でリフレインしています。
夏バテなさらぬよう くれぐれもお気をつけ下さい。 桃
* 知っているだけではない、わたしはこの街をさすらう悲しい敗戦の女性を、おなじ不幸を身にうけた人として感じ続けてきた。
2015 7・30 164
☆ 福島の今 福島診療所建設委員会 事務局長 渡辺 馨
日頃より福島にお心をお寄せくださり、ありがとうございます。
7月は安保法制の強行採決があり、安倍政権は国民の反対を無視し戦争に向けて走り始めました。兵士の命は捨て石です。
それは福島にとっても全く同じです。
自主避難者への支援打ち切りにはじまり、9月は楢葉町、16年末にはすべての避難指示を解除して賠償を打ち切ろうとしています。
オリンピックまでに常磐線も全線開通させ、外見だけ「何もなかった」ようにするというわけです。
川内原発は8月にも再稼働を強行し、伊方原発も続けようとしています。
財界の原発再稼働要請には最優先に応じ、核兵器開発のためのプルトニウム生産も続けよう、そのためにはフクシマを覆い隠してしまおうとでもしているのでしょうか。汚染水は漏れ続け、融け落ちた核燃料の行方すら分からないというのに。
それまでは年間50ミリシーベルトだった原発労働者の被爆上限が福島原発事故の後、緊急事態ということで100ミリシーベルトに引き上げられました。それを原発再稼働にあわせて250ミリシーベルトまで引き上げるというのです。
政府は一体、人の命を何と考えているのでしょうか。
福島の子どもたちの甲状腺癌は増え続けています。大人の被害も増えています。
避難する権利、保養する権利、医療を受ける権利を守り抜くために「ふくしま共同診療所」の事業をさらに拡大させたいと思います。
このたびは福島診療所建設基金をお寄せいただき、ありがとうございました。
今後ともひきtづきのご支援とご指導、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。
2015 7・31 164
* 元文藝春秋の明野潔さんからお手紙と選集支援の喜捨を頂戴した。地元の歌人堀江玲子さんからもお手紙があった。
2015 7・31 164
* 金澤の松田章一さん、夏負けを追い払う美味い「金つば」を沢山下さった。能の梅若万三郎さんからも涼しげな甘味を沢山頂戴した。感謝。一心に仕事をつづけているのを励ましてくださる頂き物と身に沁みてこういう日々の賑わいに力を得ています。感謝。
* 眉村卓さんの文庫版『短話 ガチャンポン』を頂戴した。「短話」とはわたしの用いている「掌説」に類していよう、この、わたしより一歳上の大阪の作家 は、ほぼ終始して「常識的非常識」の深淵に棲む魔物を書いておられる。徹しておられる。ペンの理事のなかでも気心の分かり合える得がたい存在であった。三 好徹さん、堀武昭さんら、お元気だろうか。
* 九十老の色川大吉さんから、「謹呈 色川大吉」と自署の新著 『戦後七十年史』を戴いた。七十年とはわれわれ夫婦の物心確かになってのほぼ実人生に相当し無数の記憶と喜怒哀楽を鏤めている。
色川さんは、保つとも敬愛する知己のお一人であり、老境に入って以降に接してきた大きな思想家、ごまかしのない思想家である。亡くなった小田実さんが、 そういう存在であった。日頃は離れた場所にいても、なにごとかの折りには親愛と理解のことばが飛んできた。宮川寅雄先生もそうだった。鳴り響くようなえら い人達にわたしは励まされてきた。それを重うと身内が熱くなる。
* 九十一歳の高田芳夫さんからは短歌集と俳句集とを一緒に頂戴した。毛筆の美しいお手紙も。
☆ いつも
御本を御送り頂き申しわけありません。
私は、先生の著、「死なれて死なせて」の中で、ひとりっ子というのと「貰い子」といわれてという境遇と同じ身ですゆえ、ひどく感動して読んだ思い出があります。
どうか先生が長命であられること お祈り申しあげます。
私の家集「いのちあふれて」 句集泊牡丹」など お読み頂くものではありませんが、丁度この二册でき上りましたのでお送り申しあげます。 七月三十一日 高田芳夫 2015 8・1 165
* 晩、東工大の卒業生夫婦二た組と久しぶりに会った。四人にご馳走し、わたしはひたすら飲んでいた。まったく酔わなかった。九時半、四人をクラブから送り出し、ひとり席に戻り、少し静かに呑み足してから帰ってきた。行きも帰りにも電車で校正のはかがいった。
* 昨日京都の伊藤隆信さんからおいしい佃煮の類を頂いた。その前日には京都から電話を頂いた。いい読者はほんと身内だなと嬉しかった。
* さ、ゆっくり寝よう。 2015 8・3 165
☆ 秦様
先日、谷中に父の54回目の祥月命日の墓参りに行った帰りに、国立博物館で「親指のマリア」を見てきました。美しく、どこか神秘的で心に深く触れてくるマリア像でした。
秦様のおかげで、いい絵に巡り合えたことを感謝しております。
また、「短歌往来」という短歌雑誌の連載で、『親指のマリア』の愚観を記しました。雑誌が出ましたらお送りします。ご笑覧いただければ幸いです。
猛暑が続いております。くれぐれもご自愛のほど、お祈りいたします。 恋ヶ窪 鋼
* 何時も展示しているとは限らないので、出逢われたのは、よそながら喜ばしい。シドッチ神父が所持持参した悲しみのマリア、いわゆる「親指のマリア」の 絵。決死の勇で日本へ渡ってきて、江戸で新井白石と対峙対話の折にもその場に置かれた。 同じ審判の席で参照されたブラウによる優れた世界大地図も展示さ れていたと思う。この地図も二人の対話を大いに励ました。
☆ 秦さん、
今日はお久しぶりにお目にかかれて嬉しかったです。
おいしいお酒とお食事をご馳走になり、本当にありがとうございました。
大病をなさったとはいえ、秦さんからにじみ出る活力はちっとも変わらず、お姿もあまりお変わりないように感じ、学生の頃の思い出がよみがえってきました。
柔和だけれども力強い話しぶりも、そのままでいらっしゃいました。
なんとなく今日は、「挨拶」を明確な言葉にできないもどかしさもあったことを
振り返っています。最近「書く」ことを怠っていたせいかもしれません。
「書く」というのは自分に正直にならざるを得ず、時にそれが苦痛を伴います。
逃げる気はないのですが、かといって立ち向かう勇気が湧かないこともあります。
いま、そういう自分の心の内を覗いてみています。
どうぞお体をお大事になさって、まだまだお元気でお過ごしください。
またぜひお会いしたく存じます。ご報告できるような挑戦をしていきたいです。 涼
* 親世代の働き盛りが、時代に真摯にコミットしない、出来ない言い訳の言葉だけを抱き、現 状に甘んじているよう、残念な失望ばかりを感じる近年、いや、十年、二十年だった。悪いことにそのような愚昧な世代が保守の若手政治家になり、こっけいな ほど傲った無恥の程を国会内外で放言している。そろそろ切実な自覚を得てきた高校生大学生世代へ一日も早く確かな世代交代がなされるのを願う。
「うそくさい」自己欺瞞への安住。不潔である。
2015 8・4 165
* 大先輩 芹沢光治良さんのご息女玲子さんから、健康を祝して真夏のお見舞いを頂戴した。恐れ入ります。
芹沢さんは日本でよりも海外ではるかに声名の高かった優れて公明な平正な大きな作家で、日本人として最初にノーベル文学賞候補に挙がったほどの方だっ た。川端さんのあと、日本ペンクラブ会長も務められた。芹沢文学については二度三度書いたり講演したりした。いまの安保法案などをまぢかに見聞されていた ら、何と言われるだろう。
☆ 秦先生
いつもお心くばり ありがとうございます。
お元気になられて とても嬉しいです。 ひきつづきご自愛なさって下さいますようお願い申し上げます。
ささやかでが、パンかヨーグルトにお使い下さればありがたいです。 玲
* 一昨日クラブで談笑した夫妻からも「anneau」のゼリーを頂戴した。感謝。
奥さんは東工大卆、夫さんは、ミステリーの伏線づくりに日々苦心の推理作家。この若い人達には、贈り物の心配よりも、日本の現実へ向き合う姿勢や言葉が聴きたかった。
☆ 秦さん
先日は楽しいひとときをありがとうございました、どうしてもお礼をしたく、ゼリーでしたらお喉も通りやすいかと思い、お送りします。お涼みください。 涼
先日はありがとうございました。暑い日が続きますが、ご自愛下さい。 周
2015 8・5 165
☆ 体験は
共有できない、戦争を知らない世代だからこそ、過去を学び、安保法案などで揺すぶられている今(戦後70年談話はどのような形で、どのようなことが盛り込まれるのかも危惧されます)を注視し、在るべき未来を築いていかねばならないのでしょう。
建設的にならなければ。
他を批判するだけなら容易いでしょうけれども。
「芹沢文学について書いたり講演したりした」で思い浮かぶのは、「知識人の言葉と責任」で、現在にそのまま接続するようなご講演と感じました。
猛暑の日々、エアコンも上手に使って、炎暑を乗り越えて下さい。 桃
2015 8・5 165
☆ 地元のブドウお送りしました。
いつも大変お世話になっております。
毎日暑い日が続きますが、本物のブドウ糖を食して、元気になってください。
このアドレスでいいか不安ですが、まずはご連絡まで。 愛知知多郡 則
* とりどりに知多名産の葡萄をたくさん頂戴した。冷やしながら、戴く。食のはかどらない私に、季節の果物はとても有り難い。日によっては、三食、果物だ けで暮らしているようなこともある。選集も揃えていてくださる。「湖の本」三十年の上越すひさしいありがたい「いい読者」である。
* 都下の陸川さんからもお手紙に添えて千疋屋のいろんな果実を配した涼菓ゼリーをたっぷり頂戴した。とても食べやすい。美味しい。
2015 8/9 165
☆ 猛暑
首都圏では時折雷雨などある様子、それにしても連日の暑さです。
数日前には校正と気晴らし? をかねて外出なさったことが書かれていました。くれぐれも暑さに消耗などしませんように。
わたしは娘家族が(=海外へ)帰った後、水回りの掃除や膨大な! 洗濯を済ませたまでは気が張っていました。が、疲れが噴出したようで、さすがに歳なのだと自覚しました。
三か月の孫は抱っこしてさえいればご機嫌で抱かれたままスヤスヤ眠ります。二歳間近の子は危なくないように絶えず気を配ります。意味こそ分からないことが多いのですが、単語が連なるようになって絶えず音声を発します。何を考えているのでしょうか。
育児を再体験、再学習・・遠い昔を思い出しながら一生の流れを痛切に思いました。わたしはどんな乳幼児だったのだろうなど、とりとめないことも思いました。
子を産むこと、孫をみること、それは自分の死を承認することでもあります。
一か月ほど殆どできなかった描くこと、読むこと、書くことを、始めました。
終戦の八月十五日を目前に多くの報道番組などに出会います。
硫黄島、広島、長崎、シベリア抑留などできる限り見ていますが、苦しい、そして忘れてはいけないと痛感します。
HPで触れていた終戦詔書に関して、鴉と鳶では年齢の違いから、育った時の教育が違い、微妙に受け取り方にも違いがあると思いました。
それにしても、それだけに最近の安倍内閣の横柄さには驚きます。支持率が徹底的に下がっても更なる強硬姿勢を押し通してしまう。
先の選挙で自民党に投票した人、次の選挙で再び自民党に投票しないでほしい。
現時点で有効な手段でどこまでわたしたちは反対行動ができるのか。
折しも昔読んだ小説を読み返していて、あとがきの日付が樺美智子さんが亡くなった3日後の、1960年6月18日とあるのを見て
、思わず言葉を失いました。
明日からお盆で、姑が滞在します。京都の大文字には今年も行けそうにありませんが、家で盆の支度をします。
どうぞ健やかに夏を乗り切ってください。 尾張の鳶
* しばらくぶりの鳶らしい構えないいいメールを嬉しく読んだ。この人はもわたしよりほぼ一世代若いはず。終戦の詔書を「玉音」のままに記憶は できていない。わたしは丹波の疎開先、農山村で、国民学校四年生だった、夏休みだった。ぎらぎらと照っていた。「玉音」はなにも聴き取れなかった。戦争に 負けたとだけ、察した。大人も察していたらしい。京都へ帰れると、それが実感だった。戦争に負けたという事実にはほとんど心を動かしていなかった。
正直に言うと、わたしは天皇の終戦詔書を「全文」読んで自分で書き写してみたのは、今年が初めてである。終戦・敗戦の決定に至る関連の雑知識はいろいろ に蓄えているが、もともと戦争を起こした、あるいは承認し激励したのは、形式においても実質においても天皇の行為・決定と思っていてので、敗戦に至った天 皇の悔いの痛切と真摯は疑わないけれど、詔書は詔書であり、かなりに名文だがかなりに言い訳もしていると感じていた。
ただ、今年になって、やはり二発の原爆投下に対する天皇の思いは、汲み取りたいと思った。ヒロシマ、ながさきの残虐映像などに目を触れれば触れるほど、 天皇の立場では、怒りと怖れとで身動きも成らなかっただろうと察する。その部分にだけとはいわないが、とくに強く打たれた。同感した。戦争犯罪と謂うこと からすれば、東京裁判にモノを言わせるだけでは日本人の終戦になっていない。日本の宗教家、哲学者が、政治家たちが、トルーマンの原爆投下指令に対する根 底からの所感公開は、なかった。なぜ、日本の知識人たちは、たとえ模擬法廷ででも「トルーマン裁判」を真正面から試みないのか。同時に、若い知識人達はな ぜ合同していまあの戦争における「日本人」「日本国」としての「戦争犯罪模擬裁判」を行わないのか。
それをしていないから、あの安倍や追随者が、むちゃくちゃをしてしまうのだ。
2015 8/10 165
☆ 残暑お見舞い
東京はことのほか厳しい暑さの毎日のようで、きっと閉口していらっしゃるだろうと推測しています。
岡山も猛暑日が多くて疲れが溜まります。
残暑のお見舞に御前酒をお届けします。11日に店を発送するそうです。
身体に障らないように召し上がってください。 吉備の人
* 恐れ入ります。有難う存じます。
お変わりなくお健やかであられますよう、心より願います。 秦
2015 8/10 165
* 吉備の人「御前酒」二升嬉しく頂戴した。有難う存じます。盃をあげ、夏を乗り切ります。
* 御前酒の美味に陶然と酔っている。幸いに猛暑はやや和らいでいる。この気分で南畝や京伝の洒落本を読んでいると、現世の憂さをふと忘れる。忘れきってはならないが。 2015 8/12 165
☆ 永遠の0
一話ということは、テレビの特別ドラマ版の方ですね。
先日、地上波初放映された映画版の方を、見ました。
あの百田さんの原作ということは一先ず置いておくとして、どこをどんな風に切り取って語るかで、作の印象、意味ががらりと変わってしまう感じを受けました。
(まだ最後までご覧になっていないようなので、内容については触れない方がいいですね。)
こちらは上着や靴下が必要なくらいの肌寒さ。
まるで避暑地の高原のような風が、丘の下、川の方から吹き上げていました。
東京も、少しF涼しくなりましたか。
お酒、飲みすぎないように美味しく召し上がって下さい。 黍
* 「永遠の0」第三部を見終えた。ドラマとしてよく終始をととのえ素直な感動も誘った。見応えあった。
2015 8/14 165
☆ みづうみ、お元気ですか。
このお暑さの中、仕事漬けのご様子は相変わらずでいらっしゃいますね。パソコン故障のご連絡したままご無沙汰申し上げておりました。未だに正常な状態に戻れず眉間にシワ寄せてパソコンと睨めっこというありさまです。パソコンを使いこなせない自分の無能さは重々承知していますが、情けないことです。
毎日毎日新聞やテレビやネットに流れるニュースはとんでもないものばかり。なんていやな世の中になっていくのだろうと意気消沈しています。それでも、死ぬまでは生きるのが人間なので、仕事に後れを取った分頑張らなくてはいけません。『生きたかりしに』の感想なども早めに書きあげたいと思っています。
先日鶴見俊輔さんが亡くなられました。私は鶴見さんについて何かを語ることのできるような知性も理解も持ち合わせていませんが、それでも小田実さんに続 いて鶴見さんまでいなくなった日本がこれからどうなるのかと暗澹たる思いがいたします。叡智という言葉の似合うひとが次々に消えてしまいます。(日経新聞 に黒川創さんが追悼文を書いていらっしゃいましたが、私には、鶴見さんの人となりの伝わらない、もやもやした内容で、がっかりでした。)
第 二次大戦後の焦土から日本がなんとか立ち上がることができたのは、戦前に人間の土台を形成していた鶴見さんのような人材があらゆる分野に存在していたから でしょう。司馬遼太郎さんが「次の時代なんか、もう来ないという感じが、ぼくなんかにはあるな。ここまでに闇をつくってしまったら、日本列島という地面の 上で人は住んでいくでしょうけれども、堅牢な社会を築くという意味では難しい」と最後の対談で絶望しきっていらした気持ちは私のぼんやり頭でもわかりま す。
鶴見さんで一番鮮烈に印象に残っているのは、以前筑紫哲也さんとテレビで対談なさっていた時に「(学校の成績が)一番になることは世間に屈服すること」と 断じていらしたことです。あの英明、博覧強記の鶴見さんの口からこういう言葉がでるとそれは驚きですし、この一言に鶴見さんの人間性の一端が表れていると 思いました。真の知識人でいらしたなあと。
「政府が確保すべく奔走しているのは、政府を指導する知識人ではなく、政府の下僕となってはたらく知識人である」とはエドワード・サイードの言葉ですが、 これからの日本は鶴見さんのような指導的知識人がいなくなり、政府の下僕知識人ばかりが跋扈していくように思えてなりません。メディアで大活躍の御用学者 や御用ジャーナリストや御用文学者に今さら期待はありませんけれど、私は若い世代のエリート層にまったく絶望しています。
以前にもみづうみの若い世代への失望の述懐を拝読しましたが、とくに問題なのは「ゆとり教育」の始まった世代でしょう。私の間近にいるこの年齢の優秀な 頭脳たち、将来の日本を背負って立つとされている三十代の科学者やドクターや官僚や弁護士を見ていると、自分が異次元世界に生きている気持ちになることが あるのです。
彼や彼女の頭の良さ、学力の高さ、自分磨きに努力を惜しまないことは非の打ちどころがないのですが、私の知る範囲では残念ながら誰一人日本の先行きに危機感をもっていません。これまで通りの日本が続いていくと信じています。
原発事故の影響も国家の経済破綻も独裁政権の台頭もあり得ないし、あったとしても自分たちの幸福な生活に影響を与えることはない、自分たちは大丈夫という 確信にみちています。あらゆる面で恵まれていてわが世の春を満喫しているのです。彼らより上の世代や若い世代は少し違うのが救いといえば救いですが、日本 の未来を担うのは当分三十代の彼らでしょう。
共通するのは、彼も彼女も明日からニューヨークで働けと命令されたらすぐに対応できる能力があるグローバル人材であることです。日本がだめでも外国があ るという自信が楽観の理由かもしれないと想像はしてみるのですが、そんな根無し草になることのどこに幸福があるのか私には想像もできません。そもそも、自 分の未来に事故にあったり病気になる可能性一つ想定できないとしたら、一番になる学力が人間の聡明さとは無縁の証明以外の何物でもない気がいたします。頭 の悪い私のような市井の人間のありふれた日常を守る意味など彼らは考えたこともないでしょう。彼らの楽観が正しくて、非エリートの私が間違っていればそれ が一番望ましいことですけれど、政府御用達知識人の楽観より、小田実さんや鶴見俊輔さんや司馬遼太郎さんの悲壮な苦悩のほうが私には信じられるのです。
こんな世相になってしまったのは、親世代に一番の責任がありましょうが、日本人を劣弱な民族にしたいという勢力の狡猾な計画の結果のあらわれでもあるか と推察します。料理研究家の辰巳芳子さんの自伝を読んだときに、現在の給食の甚だしい栄養不足について、はっきりとこのことが指摘されていたのには驚きま した。およそ政治と縁遠い料理研究家でさえわかることなのかと。
気の晴れないことを書くのはこのあたりでやめます。
庶民はそれでもとにかく日常生活を元気に生きていくのが務めです。必死に自分の日常を守ろうと思っています。
みづうみは日本の正統知識人の最後の砦のお一人でもあるのです。どうか「もういいじゃないか」などとはお考えにならないでください。みづうみがいなくなったら、わたくしは抜け殻になってしまいますから。今のわたくしの数少ない希望の一つ、みづうみの新しいご本 楽しみに楽しみに待っています。
灼 灼くる天せましとどろく濤の声 斌雄
* まだ知盛のように思いを吐くこと、わたしは、ゆるされていない。
2015 8/15 165
* 朝一番にこんなメールが来ていた。
☆ 8月15日
当時六歳だった母は、通学に防災頭巾をかぶった朧な記憶がある程度で、怖い思いも、ひもじい思いもしなかったと言います。
空襲といった直接的な脅威には晒されなかったためか、父や祖父母からも戦時体験を聞いたことはなく、戦争は、本やドラマなどを通して知る歴史的事実、自分には、この先の日本には、無縁なものといった根拠のない安心を抱いていました。
長々とメールしていると、今日が終わってしまいそうですね。
もう、お休みになっているでしょうか。よい眠りが得られますように。 桃
* こういう日本人もいるんだと、ビックリした。京都は激しい爆撃こそうけなかったが、一、 二発は爆弾も落ちたし、空襲警報のソイレンにも怯えてほとんど無意味な浅い縁の下の防空壕にも身を隠した。学校の廊下に貼られた大きな世界地図をみなが ら、日本とアメリカを大小見比べながら日本に勝ち味のすくないことを呟いたトタンに通りがかった教師に壁へ張り飛ばされたこともあった。毎月の大詔奉戴日 には奉安殿から恭しく行動での式典へ運ばれる天皇御真影にうんざりし、整列し街なかを歩調をとって護国神社に参拝した。町々はがっさがっさと家ごと潰され 疎開されたし、学童は丹後まで集団疎開、わたしの家は丹波へ縁故疎開して終戦を迎えた。考えられないような食べ物で飢えを凌いでいた。
負ければ負けたで街にはジープがかけめぐり、占領軍(進駐軍)と街娼がいたるところにうようよした。食い物の配給も滞りがちでヤミという商法が時代を席 捲した。学校へ通う履き物も払底し、戦後三年、なおハダシで通学したことも再々あった。中学一年生で撮った学級記念写真、前列中央の女先生は袴すがたの和 服だが、その左右に腰掛けた男女生徒の何人もがハダシである。体操の時間、底冷えの京の真冬でも先生は容赦なく男子には上半身ハダカを命じられた。先生の 後年の述懐に、当時生徒の下着たるやヒドかった、だからいっそ上半身はハダカでの体操にしたんだよと。
大人には出征・徴用という役務があって家庭生活は不安定を突如として強いられた。「勝ってくるぞと勇ましく 誓って家をでたからは 手柄立てずに死なれ うか」とか、「タマもタンクも銃剣もすべて野営の草枕 夢に出て来た父上に死んで帰れと励まされ 明日の命を誰が知る」などという歌を、少年のわたしは憎 んでいた。秦の祖父の蔵書から袖珍の白楽天詩集を手にし、反戦詩「新豊拙臂翁」とわたしはもう出会っていた。それがわたしに小説というものを「処女作」と して書かせたのだった。
* 空襲されなかった京都や山の疎開地にいても、「戦争」はあまりに重かった、まして爆撃におおくの無辜を喪い家族に死なれていた遺族たちの戦争苦は筆舌の及ばぬところ。メールの読者は幸運だったのだ。
2015 8/16 165
☆ 東京は大雨と
ニュースで聞いて案じていました。
こちらは午後に雨。
連日肌寒い程の風で、朝は20度近くまで下がります。
快適な気候、海山の幸、地元の茶菓。つい食べ過ぎてしまうのは、困りものです。
暑さも和らいで、お元気でお仕事捗りますようにと願っています。 黍
2015 8/18 165
* 歌誌「ヤママユ」の歌人、奈良県の喜多隆子さんからお手紙と奈良名産の茶・果を頂戴した。感謝。
2015 8/19 165
☆ ありがとうございました。
お盆も過ぎたのにまだ暑いですね。夏バテも無く この年齢にしてこんなに素晴らしい本(=選集第八巻)を出版出来るのは、根強い底力と大きな協力のお陰でしょう。
私などはその日暮らしのしがないお婆ちゃんです。特に育ち盛りの孫と同居していると、つくづく歳を感じます。
でも身体は頗る元気です。
今日は高田馬場でバドミントンいや間違い、ババミントンの後、上野都美術館の「伝説の洋画家たち(二科100年)展」を観てきました。見応えがありました。多くの高名な画家の絵の中でやはり佐伯祐三の絵が好きだなあと、一人で楽しみました。
そんなワケでバドの分は別として、歩数計は2万歩でした。動く分食べるので体重は減りませんヤレヤレ これが健康なのかと、自己満足しています。又 泉
* 「最上徳内」のなかで、しきりに面倒を掛け親切にして貰っている早稲田の大学図書館の「Eさん」の奥さん。妻と同い歳で、バドミントンして、そのあと 二万歩も歩いて美術を楽しんでくるとは。脱帽です。お元気、なにより。この歳でも、鍛える気がなくなれば衰えて行くばかりになりそう。見習わなくては。
☆ hatakさん
ご心配をおかけしました。妻共々元気にしています。
今日農水省からプレスリリースがあった情報の、現場スタッフの陣頭指揮をとっていました。
但し、私たちのデータは、植物防疫官が同定作業に入るための、バックデータに使われていますので、表には全く出ていません。お茶でいえば水屋の陰の仕事 にあたります。しかし、水屋の仕事が整わないと、表の手前もうまくいくはずがありません。今回異例の短期間でプレスリリースにこぎ着けられたのは、手分け して鑑定作業をしてくれた若い研究員達のがんばりの結果だと、彼らを褒めてあげたいです。
なかなか、暇は出来ませんが、研究の陣頭指揮をとれる管理職も、面白いと思えるようになりました。結果が良くないと、たまに、自分が手を動かして実験をしたくなる(してしまう)こともありますが。
とりとめなく、近況報告まで。 maokat
* よかった。安心しました。
2015 8/19 165
☆ 力作を拝受
秦恒平先生 残暑お見舞い申し上げます。
このたびはまたまた貴選集の第八巻をご恵投たまわり、感謝に堪えません。頁をひらいたとたん、途方もないエネルギーを感得し、力作であると確信いたしました。
私は北海道の地が好きで、とくに学生時代に訪れたオダイトウの印象が強く残っているのですが、その付近も登場いたしますね。こういう御作品を読めるのは本当に楽しみです。ありがとうございました。いっそうのご健筆を祈念しつつ、一言御礼のみにて失礼いたします。 西垣通 作家 東京大学名誉教授 東京経済大学教授
☆ 残暑
東京の今日の気候はいくらか和らいでいますように。
郵便局までの一往復だけでも大変ではないかと気懸かりです。良い解決方法はないものでしょうか。
こちらでは四週間振りに気温が三十度以下になるとか。
今しがたNHKのBS再放送で、1945年沖縄戦の時の県知事島田叡に関する番組を見終わったところです。
命こそ宝、その当たり前のことが認められない当時の状況は、戦後生まれのわたしには、幾重もの霧に覆われていますが、深い深い思いを致します。命こそ 宝、生きること、最後に踏みとどまって自決せず生きようとする力は「教養と母の本能」にこそあると。こう書くと言葉足らずになりそうですが、番組の中では そのように纏めていました。
八月は重い月ですね。そして終戦の日の後には、孫、友人、わたしの誕生日が続きます。一世代若いと鴉は勘違いされてHPに書かれていましたが、一世代だったら嬉しいです・・。それどころか孫の世話でずっしり年齢を意識する、そのような歳になっています。
気持ちは若い?! 好奇心だけは旺盛、ただし好奇心の赴く方面は非常に限られていると言えます。「若くて元気で聡い」は、すべて括弧つきの願望形で半ば幻のようですが、そうありたいものです。まだ老けて衰えてはならないと思っています。
浄瑠璃寺の夜の風景、以前夜の行事に参加できた時の記憶から4号の小品で完成。50号、これは途中で放棄していたものに再び筆を下してほぼ完成。なかなか出来上がりませんが、描けばそれだけ少しでも進みます。
いま、用事が出来てしまいました。改めて書くことにします。
どうぞ、くれぐれもお身体大切に。目、大事に大事になさってください。 尾張の鳶
* 自身の命を見失わず努め続けている人は、つよい。
☆ 八巻拝受
秦先生 「選集」第八巻『最上徳内=北の時代』ただ今、落掌。
いつもありがとうございます。
本日(20日)は代休で、天気もよくないので家におりました。
紙箱から布張りで背に金文字が押された御本を出すと、なぜか襟を正さないといけない…というか、自然に背筋が伸びる気がするのが不思議です。本というものが本来持つ「力」でしょうか。
いただいたついでのようで申し訳ありません。後日、お葉書などでのご連絡も予定しているのですが、もう手続きもほぼ終わりましたので、ご報告いたしますと…。
9月30日をもって、1985年4月から30年以上在籍した新聞社を退社し、第2の社会人生活をスタートさせます。
来月末には53歳になりますし、新しいことを始めるには最後のチャンスかなと思いまして…。
それに従前の「ジャーナリズム」の枠のなかでは、もう世の中のことを正確に把握して、再現するのは難しくなっている気もしていました。
別の立ち位置から、また違ったパラダイムで自由に「世界」を見たいという気持ちもあります。
詳細はまた後日、退職後にでも。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
まずは取り急ぎ、御礼とご報告。メールにての失礼、ご容赦いただければ幸いです。 俊
* 折角 新たな御活躍を心より願います。
2015 8/20 165
☆ 大著
ありがとうございます。
今度のテーマ、最上徳内と 北の時代の問題は 学生時代からたいへん興味の深いものなので、私も 精読させていただきます。
且て、東京大学で国史学感じ専攻し、近世史、維新史研究に集中していたことがございました。
御礼までに。 色川大吉 東京経済大学名誉教授 思想家
☆ 『秦恒平選集第八巻』を
拝受いたしました。
この選集を手にすると、いつもながらご文業に圧倒されます。
「和顔愛語」印を新しい鍵として 秦さんの「部屋」に勝手に出入させていただき、来客とも交歓できる幸運を与えられたことに感謝しています。ありがとうございました。
サンショも厳しそうです。どうぞお身体お大切になさって下さい。
「すばる」の林京子さんのエッセイに「生きたかりしに」の歌をみつけ、嬉しゅうございました。 敬 元「群像」編集長
* 今度の本は、「冬祭り」と同等の大冊、右から左へ読み終えていただくわけに行かない。色川大吉先生、西垣通教授、天野敬子編集長、ドーンと重々しく受け止めて下さり、有り難いことです。
☆ 拝受しました。
秦 恒平様 この度は、豪華限定本「秦恒平選集第八巻 最上徳内=北の時代」をご恵贈賜り恐縮しております。「一期一巻」の覚悟のもと刊行を進めておられる御 本、浅学 菲才の私に取りまして大変荷が重いのではないかと懼れます。 靖 妻の従弟
2015 8/21 165
☆ ポストに
嬉しい発見をしました。ご本、本当に有り難うございます。
久しく読み直してませんが、初読の折には「私」小説的部分にまず惹かれました。
独自で大部な歴史小説、もう少し時間が出来ましてから心して読み直したいと思います。
発送も終えられたこの週末、どうぞまずはお疲れをゆっくり癒して下さい。 黍
2015 8/21 165
☆ 暑気の激しき折、
先生にはますます御健康の御様子 何より大慶に存じます。
この度は 記念の著 選集の第八巻をお送り頂き 感激の他ありません。日ごろから「湖の本」頂くのみで申し訳ない所、感激ことにひとしおです。
貴重な御本ゆえ ゆっくりと読ませて頂きます
静かなる命の光る卆壽かな
と駄句を作ってみましたが、もういのちの光も影うすくなりました。年の悲しみを日ごと感じている毎日です。
それにしても先生の文学への情熱の激しさ おそれるばかりでございます。
大変な歴史への挑戦で、私ごとき歴史眼の乏しい身には、ただただ才のきらめきの鋭さに驚嘆するのみでございます。
どうか、かかる情熱を持ち続けて末長く私どもを啓蒙して下さることをお願い申し上げます。
とりあえず御礼のおん文お許し下さい。 高田芳夫 文学研究家
* 白壽、百壽の御健勝を願いおります。
2015 8/22 165
* 起床7:00 血 圧124-61(56) 血糖値95 体重68.3kg
* 小雨の中「選集」⑨⑩の前付け、函表紙等の入稿に郵便局へ自転車で。一帯多年の大道路工事が成って、途中に一箇所幅広い横断歩道ができた。
☆ 選集第8巻ご上梓おめでとうございます!
残暑厳しいですね。
そんな中、秦さんの立派なご本が着きました!
本当に頑張ばられますね。
お便りに、「一度ゆっくり話せたらいいな…」と書かれていましたが、秦さんの体調は如何ですか?
外出が出来るのであれば、お墓参りでも一緒に…と思いますが 青山は遠いので、私は池袋でも保谷でも行けますよ。湘南新宿ラインが出来たので、池袋には乗り換えなしで行けます。涼しくなったらお互い体への負担が少ないと思いますのでお会いしましょう。
(中略)
では、今日はお祝いまで。
まだまだ険しい残暑、どうぞお体をお大切にして下さいね。 琉 妻の妹
☆ 寅さんを
ちらちら観てからホームページを開きましたら、一太郎が困ったことになっているご様子。
どうにか回復すればと思いますが、べつにこまめに保存してあるなら、そこからでも新しいパソコンに変えていく時期なのかもしれませんね。 蔵
* 雨がつよく降りついでいるらしい。
2015 8/23 165
☆ 粟生の在所では
お盆に二度墓参りをします。十三日(お迎え)と十六日(お送り)です。そして、供花が枯れきらぬうちに、それをとりこみ、蝋燭や線香のの燃えかすを片付けたりします。
二十日、墓地から帰ったら、「第八巻」が届いていました。ご配慮ありがとうございました。
夢二の椿をあしらった便箋には秦さんの確かな文字がありました。ボールペンではなく万年筆の筆跡なつかしく拝見し、心身ともに安穏と測られ、うれしく思います。それにしても「頼りにしています」は重く受けとめられます。
「第八巻」はおことばどおり、秦さんにこんな世界もあったのだと思いを新たにしています。
最初に『最上徳内』を拝読したのは、「北村喜八ノート」(半生で終ってしまいました)を書き始めた頃です。「その<一>」の発表は、小松高校の『研究紀要三号』(昭和58年三月発行)です。その中に、
小説家、秦 恒平氏は、「最上徳内」という小説(昭和五十七年十月より『世界』に連載中)の中で、「徳内さん」を(はなはだ特別に不思議な=)「部屋」にお招きしてお話しする。面と対って何を訊ねても、堪えてもらえる、と書いている。
と引用して、「喜八さんは、私の『部屋』に来てくれるだろうか、と記しています。もう30年余り前のことです。
第八巻、グラビヤ写真の瑞々しさ(失礼)もなつかしく、こっぷを手にした福よかな立姿ー文学館でお目にかかったこと思い出します。原田さんの「徳内像」 もいいですね。秦さんがあえて挿入なさっただけあって、あざやかなノミ捌きですね。 さっそく読みはじめたいと思っています。
秦さんが、どんどん「思い」をつきすすめていらっしゃることは、「元気」をいただけます。 しかし何一つ実感のないようなくらしです。
自室は十畳から四畳に移りました。机一つに文房具、事典、辞典は並べてありますが、本棚の中心は、「秦 恒平選集」です。重く光っています。どうぞ巻を重ねられること、お祈りしています。その背表紙を観ているだけでも励まされます。
あさっては処暑、日のたつのがーー
奥様に何度もお手紙いただいています。どうぞよろしくお伝え下さい。
何かごまかしめいた受取りになりました。 それでは 井口哲郎 元石川近代文学館館長
* 井口さんのお手紙は、いつも、ふっくらと、温かい。感謝。
☆ 秦先生
残暑お見舞い申しあげます。暦の上ではすでに立秋ですが、日中の暑さは想像を超えるものがあります。先生におかれましてはやすむこともなく執筆に専念されている姿が目に浮かびます。
私のごとくもの書きのはしくれにも値しないものに先生ご自身の選書をお送りいただき身の縮まる思いです。
ただ先生の御著に接して以来 海外出張にはきまって先生の湖の本を一冊かならず持ち歩くことにしています。
内容そのものはもちろんのこと 先生の造詣の深さ広がりにただただ圧倒されるばかりです。
悔やまれるのは日本ペンの理事会において先生のご尊顔を拝む機会を失ったことです。 事実、日本ペンのもならず 国際ペンにおいても 名実共に誇れる作家先生が著るしく減少し続けていることです。
私は幸か不幸か日本ペンを代表するものとして国際ペンに関与することすでに15年近くが経過しましたが 年々ペンに対する期待はうすれるばかりです。 (中略)
今年の前半はほとんど海外での仕事だったこともあり、私の記憶にあるかぎりはじめて7-8月を日本ですごしています。
どうやら選ぶタイミングを間違えたようで毎日の35度を超える酷暑に耐えるのが精一杯のような状況でした。それでも先週末頃から朝晩、何となく秋の気配 も感じられ、エネルギーの充電も始まった機がいたします。ダラダラと冗長な駄文を書いてしまいましたが、とにかくもお礼のご挨拶と先生の御健勝を願い拙文 をしたためた次第です。 堀武昭 国際ペンクラブ理事
* 以前、湖の本で「花が好き 酒が好き」というのを出したとき、ペンの理事会で顔のあった堀さんに、「そして、女が好き、でしょう」と破顔一笑され、むろん大きく肯いて笑ったのを、今日も病院や電車でせっせと選集⑨の校正をしているときに
、何度も想いだしていた。
☆ 感謝
貴重な選集第八巻が届きました。まことに有難く心よりお礼を申し上げます。
以前単行本で読んだときに、「この(=『最上徳内=北の時代』)ような小説は、今まで読んだことがない。秦さんにしか書けない。」と思ったものです。
九月になりましたら、ニューピオーネをお届けします。のどを潤すくらいには役立つだろうと思います。 吉備の人
* 恐れ入ります。
☆ 残暑お見舞申し上げます。
選集第八巻 ありがとう存じました。
体調のこと、お案じ申し上げます。
当方 元気にしております。 松坂弘 歌人
* 過分にご支援下さり、御礼申します。
☆ 感謝です。
選集第八巻をお送りいただきありがとうございました。また世界の広がるのを感じてワクワクしています。
重い荷物を何度も自転車で運ばれてるのが気になって、郵便局で尋ねてみました。
曖昧な口振りでしたが、ある程度の量があれば個人宅にも集荷に出向くようです。また場合によっては「割引のご相談もさせていただく」とか。
いつもご利用の郵便局か、その局近くの本局にお尋ねになってみたらいかがでしょう。
お疲れが早くとれますように。
どうぞお大事にお過ごしください。 下関 碧
☆ 選集第八巻を、ありがとうございます。
上梓のはやさに、付いていっていませんね。
「生きたかりしに」下巻をよんで、大団円という言葉が浮かんだぐらいほっとしたのですが、ノンフィクションでも、ドキュメンタリーでもない、と気がついて、全巻を、まとめて落ち着いて読んだほうが、と思っています。エピローグがあるはずですよね。
暑い夏でした。
気がつかずにしてしまう無理をなさいませんように。なにか、ヘンな言い草ですね。
ご無事でありますように。 柚
* 瀬戸内寂聴さんからも選集⑧受領の挨拶があった。
2015 8/24 165
* 京の羽生教授からお手紙と亀屋の銘菓いただく。妻の従弟の濱敏夫くんからも、お洒落なプリンを。感謝。
☆ 新潟から
戻ってまいりましたら 京都も少し涼しくなっており、ほっといたしました。
東京も暑かった今年の夏 皆さまお身体の調子は如何でございましょうか
『秦 恒平選集第」七巻』ありがとうございました。
「罪はわが前にの芳江姉の縁を大切にして「けっして機会を構え出してまで逢おうとしない」人生も悪くありませんが、あえて厳しい道を選んだお母さまの人生の方も心惹かれました。
かつて 読ませていただいた歌
玩具店のかど足早に行きすぎぬ
愛しむもの我になければ
には 子と別れさせられた母親の悲しさに胸が痛くなりました。 けれど、「生きたかりしに」の中では、 たくましく主体的な女性に出会えて嬉しくなりました。
持統天皇はじめ、政治的能力を持ち、大きな役割を果した女性が良く言われることのない私たちの国の歴史です。
思えば、一週間百円玉を貯めてゲームを競いあい 電車の名まえを覚えて鉄道二万キロ乗車に挑戦するなど、母子家庭を楽しむことができましたのも、「非常識が着物着て歩いとるよなもんじゃ」と非難されてきた先輩女性たちの奮闘によるものです。
それに、「喰いもんもええとこは先に自分で食べてしまう」ところもいいです。 正直でと言いますより なんだか 自分を見ているような気になりまして……
今回も奥様のお力で、先生の小説を読ませていただけました。
男女の生き方 それぞれに説得力があるところに 先生の作品の魅力があると改めて感じました。
どうぞ 皆さま くれぐれもお身体大切になさって下さいますようお願い申しあげます。 京 羽生清 美術大教授
* 文面に自然な呼吸感がにじみ出て、それがお人柄をやすらかに想わせる。しっかり作の素質へまで踏み込んだなかみも有る。さりげなくご自身も語られている。小松の井口さんといい、京の羽生さんといい、いつもそういうお手紙を下さる。
持統天皇の名が出ていて、肯いた。この人は天智天皇の皇女で天智の弟天武天皇の正妃。自作の「秘色」のなかでは大友皇子すなわち弘文天皇の妃であった十市皇女ときびしく対峙する女人として
、どちらにも強く深く思い入れて、書いた。わたしは、持統天皇をじつは夫君であった天武天皇以上に歴史的・天皇的に重く評価してきた。藤原定家が百人一首を天智天皇、持統天皇の歌ではじめ、後鳥羽天皇、順徳天皇の歌で結んだ見解をも強く支持している。
* ほぼ七時間眠るようにしているが、昨日今日、眠い。今朝も気がつくと機械の前で居眠りしていた。黒いマゴも、わたしのすぐ斜めうしろ、黒い革の柔らかいソファの上で、全身柔らかそうにまるくなり、ぐっすり寝ている。
☆ 拝啓
八月も末になりましたが一向に猛暑が収まる気配もないこの頃でございます。
先生にはお変わりございませんでしょうか ご無沙汰ばかりで申し訳なく存じております。
この度は「秦 恒平選集」第八巻をご恵送賜りまして誠にありがとうございました ご自筆のお手紙も拝受し恐縮致しております。御礼申し上げます。
第八巻所収の「最上徳内=北の時代」は、シリーズ「湖の本」で拝読致しまして、最上徳内について初めて知りました。大変昂奮て拝読致しましたことを想い出しております。
江戸という時代には興味がありまして、その魅力の源が、この度の「第八巻刊行に添えて」でお書きになっております「近代現代の日本」、「『近代』日本の 予兆」というお言葉で、より一層の得心がいった気持でおります。 第十巻にご予定の「親指のマリア=シドッチと新井白石」と共に、強く心に残っておりま す。 何かにつけて思い出す作品を持っているということは、どくしゃとしての幸と思っております。
「第八巻刊行に添えて」の終行の一文 ( それはそれ、なおかつ最上徳内氏とともに、心底、私が書こう、書かねばと願い続けたのは、一にも二にも不当な 「差別」や無道な「支配」への嫌悪、憎しみであったと、いまも思う。 )は、心にしっかりと刻みつけておこうと思っております 人が生きている以上忘れて はならないことと考えております 大切な一文に出会いましたことも大きな喜びでございました。
喜びといえば、口絵の写真を拝見して、あの日のことをあらためて思い出しました 昨日のような気がしております ありがとうございました
まとまりのないことをだらだらと書きつらねまして申し訳ございません
末筆ながら先生の一層のご健康を深く念じております 御礼まで 馬渡憲三郎 藝術至上主義文藝学会会長
* 亡き長谷川泉先生の記念会での写真を、さりげなく馬渡先生とともに懐かしみたく、無断失礼のまま口絵に用いさせてもらった。有難う存じます。
☆ やっと
朝晩に涼気を覚えるようになりました。
このたびも、ご高著『最上徳内=北の時代』」(選集第八巻)を頂戴いたしまして、誠に有難うございます。貴重かつ重厚な造本、心に沁み入ります。
いわゆる歴史小説の体を脱け出て、闊達な構成での大作、「世界」連載というのも痛快な気がします。
ロシア首相のエトロフ島視察という現在の状況にも、白石、意次の意向を体した徳内の行動が重なってきます。じっくりと拝読いたしたく存じます。
処暑杉田とはいえ、残暑厳しき折、御自愛を祈り上げます。 徳島高義 講談社役員
☆ 残暑見舞い 申しあげます。
此度は『秦 恒平選集』第八巻をお送りいただき誠に有難うございました。心より感謝致しております。この本の連載の編集を担当させていただきましたことを改めて幸せに感じております。
今から考えまして、単行本(筑摩書房刊)にするにあたり、タイトルは『北の時代』ではなく『最上徳内』とした方がよかったのではないかと存じます。
今後ともご指導ご鞭撻賜わりますよう何卒よろしくお願い申しあげます。敬具
御健勝のほど心よりお祈り致します。 清水克郎 岩波書店元「世界」編集者
* 清水さんの表題に関するご意見に120パーセント賛成である。もしわたしが刊行編集者であれば、著者が何と言おうと『最上徳内』を主張してゆずらな かった。それにもかかわらず、作者の私が『北の時代』にと提案し、筑摩書房はそのまま受け容れた。わたしは、その当時の読者世間にあまりにも「最上徳内」 は識られていないのを(今日でも実はそうなのだが、)過剰に慮ったのだった。加えて大韓航空機がソ連により撃墜された事件が「いまなお、いまこそ北の時 代」と思わせた。
この単行本表題をぜひ連載当時の『最上徳内』に戻したいという願いも「選集」新刊という発想のつよい一因であったと記録しておく。重い姉妹篇になる「親 指のマリア」にもおなじ事は謂えたかしれないが、小説の手法が「徳内」とはまったく違っていたし、「親指のマリア」図そのものへの作者わたしの親愛も濃 かったので、単行本に「シドッチと新井白石」が良いとは思わなかった。書いた事柄に即してなら、新井白石その人のことば「一生の奇会」もありえたが、『親 指のマリア』への思慕をぜひ生かしたかった。
☆ 御労作の
『最上徳内』を拝受、次々と選集をご上梓されるご努力に感嘆いたします。ますますのご発展をお祈り申し上げます。
些少ですが志を同封いたします。ご活用下さい。
右 御礼まで 石内徹 折口信夫研究家
* 毎々 まことに過分の御喜捨・御助勢 有難う存じます。
☆ 朝夕
涼風も立ちましたがまだまだ残暑が厳しいです。お元気で夏を越されますよう 心より祈念しております。
さてようやく『生きたかりしに』を読了できました。
何という遠く長い道のりでしたことか! 私まで先生の心に添いながら歩き続けたような感慨を持ちました。ありがとうございました。
近日中に「ルビーロマン」お届けしますね。
(竹久夢二画 都会の巻 から 黒猫の絵葉書に添えて=) 黒いマゴはお元気ですか。これを手にして思い出し ご長寿をと祈っています。 金澤 金田小夜子 作家
* 黒いマゴにまでご挨拶痛み入ります。毎日の輸液も一年数ヶ月、(選集刊行以来!) 幸い愛らしくも元気に老いを嬉しげに生きております。
☆ 謹啓
晩夏のみぎり 益々御健勝のこととお喜び申し上げます。
本日は、御著 秦 恒平選集第八巻 最上徳内=北の時代を御恵贈賜わりありがとうございました。再度読ませて頂きます。
丁度十月に釧路市に於いて、徳内をエトロフ・ウルップへ案内したアツケシ總首長のイコトイらついて研究家と公開対談を予定しております。
末筆になりましたが、先ずはお礼にて失礼致します。
今後とも宜しくお願い致します。 敬具 北海道厚岸町 真壁智誠 在地研究家
☆ 前略
新潟の実家より、「北の時代」届いた旨 連絡がありました。お送りいただき、ありがとうございました。
戦後70年の節目に、首相の強引な安保法案、間違いです。仕事で多くの外国人と会う機会がありますが、日本が平和な国であることの尊さを感じています。
残暑が続きますね。迪子さんともども、お体ご自愛ください。 奈良 理史 若い若い友
* 早大図書館からも受領の挨拶在り。 国会図書館、都立中央図書館、京都府立 市立 両中央図書館をはじめ東大、京大等々の、また著名文学館や研究施設にも寄贈している。
☆ 拝啓
盆以後 少し過し易い日々が続いております。先生には益々ご清栄にて御活躍の事と拝察申し上げます。
先生が全力を挙げて執筆されました貴重な出版物を拝受し感謝申し上げます。
私どものような浅い読み方しか出来ない読者にも、先生が生涯をかけて追求しておられるテーマやその追求への執念ともいうべき熱意などを感じることが出来 るように思っております。そのような大切な作品の一コマに私どもの寺の様子を描いていただいている事を感謝申し上げます。
湖の本124「生きたかりしに」冒頭の「知恩院下」の件りは私の母の幼い時代の思い出の一コマが残る場所であり親しみを感じさせて頂きました。 又、川 *民*氏の奥様の実家が江戸時代寺子屋を開いておりましたが、その寺子屋の師匠が若い頃お家流の修行をしたのが「狸橋」付近に住んでいた勝見主殿という書 家の家でした、近年その寺子屋の事を少し調べておりまして「狸橋」の所在を歩いて訪ねたことがあり、先生の作品と併せこの地域の文化水準、人々の生活の息 吹を少し理解できたように思います。
同封の粗菓 誠にお口汚しと存じますが御笑納いただければ幸いに存じます。
残暑は相変らず厳しゅうございます どうか御自愛専一に願い上げます。 頓首敬白 近江乾徳寺 中野正堂 合掌
☆ ありがとうございました。
秦先生 「選集第八巻」を、ありがとうございました。
昔、一か月に一冊ずつ、箱入りの全集本が本棚に増えていくのが嬉しくて、給料がでると真っ先に本屋さんへ飛んで行ったものです。
生からのご本を掌にすると、もう久しく忘れていたあの頃の気持ちを思い出します。
並んでいるのを眺めるだけで、豊かな気持ちになれます。
体調もだいぶよくなりましたので、これからは少しずつ頁を繰らせていただきます。
「歯に染み透る」秋にはまだ間がありますが、「三千盛」、明日午前、お礼にかえて。
ありがとうございました。 お身体どうぞ、お大切に、奥様も。 各務原 都 詩人
2015 8/25 165
☆ 御著書『最上徳内』を
有難うございました。
最上徳内につき私は何も知りません。勉強させていただきます。 梅原猛
* 感謝します。どうぞ徳内さんと、胸懐をひらいてご対話ください。
☆ 秦 恒平先生
拝啓 台風の影響もあってか、やっと猛暑を抜け出した感のある昨日今日ですが、お変わりなきことと拝察申し上げます。
このたびは又、『選集』第八巻の御恵投にあずかり、誠にありがとうございました。頂くたびごとに一冊一冊と書架に並べていますが、それが早八冊ともなり、堂々の全集ぶりで我が貧しき書架を荘厳してくれています。
この夏には、先に頂戴していた 「湖の本」 の『生きたかりしに』上中下三巻を拝読いたしました。上巻が秋成追跡の話から始まっていたので、文学史の勉 強になるかなどと言う、軽率な気持ちで読み始めたのですが、それはとんでもないことだとすぐにわかり、起稿から三十八年の歳月を経て著者の手を離れた、重 厚この上ない物語に、襟を正す思いで拝読いたしました。これまでの数多くの御著作で、折々に触れられていた 「秦恒平」 の来歴が、集約されて一挙に読者 に示されました。感無量です。
今後、「秦恒平論」 を試みる輩は、『生きたかりしに』三巻に触れることなく何かを言うことは不可能でしょう。いや、この大作によって、凡百の「秦恒平論」は無用になるに違いありません。
かつて、谷崎の 「夢の浮橋」 論や 「春琴抄」 論の鮮やかな解明に舌を巻いたものですが、その時は著者について、ただ何という頭のいいお方なのだろ う、と思っただけでしたが、今回の大作を拝読するに及んで、頭脳明噺に加え、「母」という存在に対する、深い深いアンビバレントな思いを抜きにしては、. あのような繊細にして大胆な分析は不可能であるということに思い至りました。
また、作中、御縁戚のさまざまな方々が登場なさいますが、同志社関係の、それもクリスチャンの少なからざることにも、個人的な興味を覚えました。私の明 治六年生まれの祖父は中河内の大庄屋の没落寸前の当主で、その不如意感からか内村鑑三のキリスト教に帰依し、河内のど真ん中で日曜学校を始めたり、印刷屋 を始めたりした変わり者でしたが、その影響かどうか、父は同志社に学び、奈良の女高師を出たその姉妹もそろつて牧師の妻になったり、といった環境で、戦前 の同志社を中心とするキリスト教文化圏の輪郭を興味深く拝読しました。もっとも明治四十四年生まれの父はクリスチャンとしては失格で、私もいささか家庭的 な不如意も経験しましたが、『生きたかりしに』の主人公に比べれば、万分の一にも及びません。
拙き感想文にて汗顔の至りですが、御礼かたがた一言申しあげます。 敬具 今西祐一郎 国文学研究資料館館長
八月二十四日 今西祐一郎 国文学研究資料館館長 九大名誉教授
* ありがとう存じます。がまんを重ね、やっと本に出来ましたことを喜んでいます。亡き母も兄も、また父を異にした優しい姉や兄たちも眉を開いててくれようかとしんみりしています。亡き父がどう思っていましょうか、父のことも書き置きたいと願っていますが。
☆ 残暑お見舞申上げます。
お変りございませんか。
先日は「秦 恒平選集第八巻 最上徳内=北の時代」をお送り下さり、ありがとうございました。私家版・非売品とのこと、光栄に思います。番「印」は、ちょっと読めません。よろしければ教えて下さい。
国会緊迫、よろしく。 江田五月 前参議院議長
☆ 拝復
御選集「最上徳内」有難く頂戴致しました いつも乍らの御心遣恐縮に存じます
小人閑居して不善を為さざるかと御心配下さり まあ 善もなさず不善もなさず との答でお察し戴ければ幸ひでございます。
同封の小冊に解説を書きました たまにかういふ仕事がまはつて参ります いささかの社会参加といふ所でありませうか
小生の電話番号は です。メールアドレスも同封しておきます。
建日子さん原作の映画も試写を拝見しました 御活躍 何よりと存じます
涼しくなりましたら一度お目にかかれればと存じをります
御壮健を祈り上げます 不備 寺田英視 文藝春秋 前専務取締役
* 恐れ入ります。
夢野久作著「近世快人伝」(文春学藝ライブラリー16)を頂戴した。
☆ 拝啓
さしもの猛暑も陰を秘そめ、朝夕は涼しさを感じるようになりました。お変りなくお過しのことと拝察します。この度は「最上徳内」の選集版を御恵投下さいまして 寔に有難う存じました。
今暮しています富士見高原の山荘は、一時の雨不足のせいで野の花が成育不良の感がありますが、小鳥たちが美しい声で慰めてくれます。 敬具 邦 元岩波書店「世界」編集者
* 俳人の奥田杏牛さんから「久保田」碧壽一升 詩人の山中以都子さんからは「三千盛」純米大吟醸二升を頂戴。暫くぶりに日本酒が楽しめます、有り難う存じます。
☆ 拝復
昨日はまたすばらしいご高著「最上徳内」をご恵贈たまわりまして まことにありがとうございました 普通では手に入りませんのに、毎回頂戴いたしまして ほんとうによろしいのでしょうか お心遣い暑く御礼申し上げます どうぞご無理をなさいませんよう ご養生ご専一に一日も早いご恢復を心よりお祈り 申し上げます かしこ 京・鳴滝 川浪春香 作家
* とにかくも読み煩わせる名人ですので、それを押し切って読んで戴ける方にお送りしています。過分のお心遣い、有難う存じます。
☆ 前略
お好みにあうかどうか一寸心配ですが、粗酒贈らせて頂きました。
此の度の貴重な一書拝受 誠に光栄です。 特に 先生ご健在、嬉しく存じ上げます。
どうぞお大事にされまして、ご活躍祈り上げます。先ずはお礼まで 匆々 小金井 奥田杏牛 俳人
☆ 秦 恒平様
残暑御見舞申し上げます。
先日は「秦 恒平選集第八巻」をお送りいただき、有難うございます。
心ばかりではございますが、感謝のしるしに 神戸の洋菓子屋 ファクトリーシンのプリン(6個入)をお送りさせていただきました。ご笑納頂ければ幸いで す。今夏は酷暑の日々が続き、熱中症の話題が多くありましたが、皆様がお元気でお過ごしされますよう お祈りさせていただきます。 横須賀 濱敏夫 科学者 妻の従弟
* 恐縮です。みなさん、お元気で。
* 立命館大図書館 山梨県立文学館 からも第八巻受領の挨拶があった。
☆ 建日子です。
撰集第八巻、無事届きました。ありがとうございました。
* 久しい読者でもある岩手八幡平市の歌人伊藤幸子さんの『口ずさむとき』と題した一冊は、一頁に一人一首をあげて都合416首416篇のエッセイが綴られている。
私の、歌集「少年」の一首が、はやくも第九番に挙げてある。「『少年』の心」と題され、こんなふうに書いて下さっている。
☆ 「少年」の心 伊藤幸子
たちざまにけふのさむさと床に咲く水仙にふと手をのべゐたり 秦 恒平
「旧臘古稀を迎え、文庫本歌集『少年』出版を以て自祝。京都で、また東京で、二百三十一年ぶりの坂田藤十郎襲名狂言を楽しんだ。妻もこの四月には古稀。 けわしい新世紀の老境とはいえ、逃げ腰ではとても…と、夫婦してもうしばらく怯まず過ごして行きたい。美しいものや楽しいことと、せいぜい仲良くして行き たい」。
作家秦恒平先生の06年「湖の本」に寄せられた「私語」である。
私は昨年の今ごろ、生まれ日の祝いにさる方より『少年』初版限定本を頂いた。それは表が濃紺、内側が黄色の帙に包まれて、桜色の表紙、限定ナンバーが附され先生の署名落款入り、昭和49年10月刊行の特装本である。この歌は昭和30年、作者19歳の時の作品という。
はるかな時を経て、先生は昨年この歌集を短歌新聞社から文庫本として出され、古希のお祝いとされたということである。
京都生まれの作者の少年時代、叔母上に裏千家の茶道を学ばれ、中学生ですでに代稽古までしておられた由。
余寒の床の間の水仙にふと手をのばしたのは、ほんのりと上気した女生徒であろうか。上句に硬質な感性が揺らぎ、茶室の静寂をふと揺らした空気の層が見える。
また二十歳のころの作品「逢はばなほ逢はねばつらき春の夜の桃の花ちる道きはまれり」は、岡井隆撰「昭和百人一首」に採られている。
幼少期、百人一首はすべてそらんじておられたという文雅の冴えがゆき渡り、節調、聴こえの良さに口ずさむ楽しみが倍加する。
すでに百冊を超える著書を出しておられる先生はまた、こうも語られる。
「古稀を迎え送り、人生の一、二学期を終えたと思っている。8という数字で譬えれば、もう一つの0がどうまた結べるか気負いはなく、ゆっくり三学期を歩い てゆくだけのことーー」。そして「七十路(ななそぢ)に踏ン込んでサテ何もなし有るはずがなし夢の通ひ路」と詠まれた(ちなみに短歌作品は『少年』の み)。
「人生はすべて、創作も生活も人間関係も夢の通ひ路にうかぶ幻影にすぎない」と観じておられる作家の『少年』の心をうけとりたくて、この季節 私はまたこの本に遊んでいる。
* 恐縮です。
生涯で二番目の歌集は、この後、『光塵』と表題して、「秦 恒平・湖の本109=2011-11」に出版している。晩年三番目の歌集も心づもりしている。
2015 8/26 165
* 群馬のS君から電話で、銀座での個展に来てほしいと。体調の不安を言い、しんどいと断った。
「選集⑧」分の凸版支払い、九月秀山祭通し分の支払いなども急がねばならず、そういう事務は苦手でかつ慎重でなければならずいつも妻の同行を頼んでい る。頼みッ放しもならない、銀行窓口での本人証明がぜひ必要になる。で、昼前によろよろと保谷駅までバスをつかい、終えたアト近くの洋食店へはじめて入ってスープと 唐辛子のきいたパスタを食べてきた。妻は辛くないのをいろいろちゃんと食べていたが、わたしはなかなか腹におさまらず、ストレートのウイスキー少しがいち ばん美味かった。コーヒーも美味かった。
駅から、二十分がとても歩けず、タクシーで帰った。
2015 8/27 165
* 昨日、国文学資料館の今西館長から『生きたかりしに』へ熱い言葉を戴いていた。
さらに昨夜遅く、一読者のメールが届いた。『生きたかりしに』を読んでの、原稿用紙でなら50枚を上越すいわば評論であり、就寝をあえて延ばし衰えた視 力をあえてして読ませてもらった。そして、深く頭を垂れた。感謝した。褒められているからではない、作者として願えるかぎりを親切かつ深切に、よく読み 取ってもらえていたから、だ。文学の批評家でも学者でも研究家でもない、ただ久しい「いい読者」のお一人としてわたしの作によく馴染んでもらってきた。 『生きたかりしに』はやがて『選集第十二巻』として纏める予定だが、およそこのまま併載してみたいほどに感じている。
以下に、作にかかわる一記念のつもりで、長文ながら掲示しておく。但し、この原稿はおおよそ前後に分かれ、後半にはこの筆者に障りになりかねない記述が交じるのを、若干按配させて貰う。
☆ 『生きたかりしに』を読んで 山瀬ひとみ
「わたしの文学的な産物は、短歌にはじまり小説へ転じ、双翼のていに比較的広範囲な論考・エッセイも書いてきた。同じ小説でも、物語もあり、そうでないのもあり、私小説もある」と秦恒平の書いているように、この作家の文学世界は多岐にわたって奥深い。
今回の湖の本『生きたかりしに』が秦恒平の私小説群に加わったことを、私は心から喜びたいと思う。『逆らひてこそ、父』や『凶器』の、家族という悪夢にうなされる私小説に比べ、この『生きたかりしに』は読み終えて、読者が幸福な気持ちにつつまれる。
私はこの作品を大きな救済の物語として読みたいと思う。『生きたかりしに』では、作者本人をはじめ主な登場人物にそれぞれの救済が遂げられている。
『生きたかりしに』は、一言でいえば作者が死なれた母を見出す物語になる。この作品を書き上げることで、秦恒平の願いのように、まず何より母三浦くにの女の一生は救済される。もし霊というものがあるなら、あちらの世界で三浦くには息子の小説に得意満面であろうか。
しかし、作品が完成するまでの道のりは長い。何しろ秦恒平は「四十年間」実母を拒否してきたし、この上中下巻、原稿用紙九百余枚の長い小説は一度書き上げてから寝かされ、今回湖の本として発表されるまでになんと三十年もの年月を要している。
* 三十年前に、ほぼ、「生きたかりしに」は書けていた。だが、酒をうまくするために三十年を蔵で 寝かせた。それが必要だった。あの頃、講談社がムリムリにも書き下ろし作として出版してくれていても、わたしの中でまだあの母は味わいうすかっただろう。 母もわたしの中で熟さねば成らず、わたしも三十年の生を一歩一歩経ていなければならなかった。(2015 6・16)
自分はどこから来たかという「根」の問題は、この作家の中でそれほどの時間を積み重ねても解決のつかない、つけてはならないものだった。秦恒平は母親のことを書こうとした経緯について、あとがきでこのように書かれている。
……わたしは実父生母を、生前にも死後にも固く拒絶し続けた。イヤな人というなら、世の中で最もイヤな人達として、永く、感覚的に顧みなかった。
父に関しては、今も多くを改めていない。生前の行実も多くは知らない。
しかし、生みの母には、遺歌集を読んだのを契機に、急速に近づいて行った。わたしにそうさせる強烈な モノを此の母は生涯発散しつづけ、事実は小説よりも奇でも真摯でも放埓でもあった。「生きたかりしに」と最期の呻きを漏らしながら、わたしへ呼びかけて止 まなかったのである。
書かずにおれなかった。それだけが、いま、わたしの本音である。心底ほっとしている。
また、こうも書いている。
* 母の生涯も活動も、わたしの本によって、一躍褒め称えられる、といった何モノでもな い。ありえない。ただ、悪名の方へ方へ過剰に傾いていたのを、いくらかまともに持ち直してあげたいと、ひたすら歩き回って、多くの人の声やことばを聴いた のだ。それだけの甲斐はあったし、肩の荷をおろした気がする。 2015 6・16
四人の子持ちの寡婦が、下宿していた自分の息子のように若い学生と「道ならぬ恋」をして二 人の子ども、恒彦、恒平を生んだ。家制度に支配されていた時代、それは許されない「醜聞」であり、三浦くには子どもたちを奪われ、それまで住んでいた世界 からも放逐される。乳母日傘の少女時代から一転して孤独で過酷な後半生と自死までが、多くの関係者の言葉をあつめて感傷を抑えた筆致で描かれる。しかし、 秦恒平であるから、ふつうの女の一代記にはならない。
そこには上田秋成と秦恒平自身の「生まれた」哀しみが通奏低音となって流れているし、三浦くにこと歌人阿部鏡の数々の歌の力を、自身も優れた歌人でもある息子秦恒平がよみがえらせている。
阿部鏡の歌への共感がなければそもそも秦恒平は母の肖像を描こうとはしなかったろう。この 遺書ともいうべき歌集を「なんとか推量し表現し、そのようにして私は私自身を救い上げるしかすべなかった。子が母をわかってやるしかすべなかった」のだ。 それは生前の母を拒絶しつくした子から亡き母への愛と呼んでもいいものに違いない。歌人でもある秦恒平はこう書いている。
* 「うた」って、何? 「うったえ」であろう。母の歌は「うったえ」であり「さけび」であった。母の歌には、敵わない。 2015 6・6
『生きたかりしに』の中でとりあげられている阿部鏡には、胸を衝かれる歌が色々あるが私が一読してギョっとした歌と秦恒平の述懐を引用する。
子守うた三口唄いてわが声に恐怖を感ず人形と寝て
狂気と紙一重の危うさに独り生きていた母。人一倍情念の昂ぶった女暮らしの底昏さ。生まれた、死なれ た、と自分の受け身だけを重々しく意識してきた私の十数年が身動(みじろ)ぐように色を変えかけていた。道ならぬ子を生まねばおられなかった。そして二人 も生んでしまった母を、たやすく赦す気はない。が、母にはこんな、子の知らぬ「恐怖」の日々があった。嘘ではあるまい。…… P103
そして題名にもなっている歌
十字架に流したまいし血しぶきの一滴を浴びて生きたかりしに
については、このように書いている。
この「生きたかりしに」とはじめて読んだ瞬間、貫かれたような感動があった。生前のあらゆる醜いまでも辛い部分を母は末期の一句で浄化した。「生きたかりしに」はけっして未練なのでなく、恒彦でも恒平でもない「人間への愛」の無私の表白だ。 P221
戦前の封建的な家制度の下で、一途に恋を貫いた「女の一生」に私は圧倒されてしまう。三浦 くにの本当の人生は砥部恒之と出逢ってから始まった。臆病な女に恋はできない。そしてほんものであるほど恋の結果はむごい。すべてを喪ったあとも三浦くに は猛然と闘った。苦学し保健婦となって、兄恒彦の『家の別れ』の記述のように「階級を生きなおした」。恋と同じに、後半生も生きることになんと懸命だった ことだろう。
自分を棄てた男への恨みつらみなく、三浦くには自分の恋の落とし前をつけて堂々と生き抜 き、最後は自分で自分の身を処断していった。子どもの立場にすれば理解しがたい母で、迷惑千万であったろうけれど、読者の立場だと、彼女は作者や周囲の人 間たちの思っていたより好もしいヒロインであり、長所も短所も含めて、書かれるに値する生きる気迫にあふれていた。秦恒平が自死であったと確信する最期で すら、それが三浦くにの、より自分らしく生きるための選択に思えて唸ってしまう。
平成に生きる私のような読者にとっては、三浦くにという女性は、柳原白蓮とか、岡本かの子 とか、あるいは瀬戸内晴美などの系譜の女にみえる。三浦くには恋をして真っ正直で命がけだった。文名をあげるまでには至らなかったけれど、才能があった。 環境が許せば、あるいは第二の与謝野晶子となれたかもしれない。彼女にはどうしても家庭の主婦におさまれない過剰な生命力があった。女が抑圧された時代 に、自由に生きようともがき続けた。三浦くにのような女たちの生命力と無残な敗北の上に、あの時代の岡本かの子たちのような才能の花が開いたと、言い換え てもいい。
他人からは狂人と囃されもし(君乞食と称《よ》ばれたまひそわれ狂女と囃されて来し道ひとすじに)、恋人恒之の親族から「魔女」「非常識な人でした」と冷たく言い放たれた母を次の一文において、息子は救いあげている。
……それならば歌集一巻は母の虚妄に過ぎないのか。
少なくともそれは母の「創作」だった。事実を潤色することも母の意のままだった。場合によれば敢えて人生を演出し演技しても母は創作のために場面や状況を創っただろう。……(中略)
私は、著名な作家たちのお世辞とも見えない手紙を何通も読んだ。丹羽文雄氏や佐多稲子さんに、見知ら ぬ阿部鏡を励ます義理は少しもなかった。何かが、何かの力がああいう手紙を母の病床に送らせた、のなら、何かとは母の実人生ではなく、母の創作力だった。 その力が母の実像ゆえに割り引かれねばならないのなら藝術の自律に保証はなくなる。またたとえどんな虚構も作家の実像をどこか正しく反映しないわけがな い。筆名「阿部鏡」をあやつった実在の「三浦くに」にも、なにがしか歌集の内に自律している創作世界の値(あたい)を分け持つ権利はある。丹羽先生や佐多 先生に励まされた母。それもまた紛れない自分の母くにだと私は思った。 P321
阿部鏡の歌集は、彼女が息子へ遺すことのできた最高最良の宝であり、それを読み尽くしたとき息子はつ いに母の魂を抱きとめた、息子と母は和解できたのだと私は思いたい。阿部鏡の「並外れた文筆好き」の歌人としての才能と、はからずも秦恒平に与えざるを得 なかった「もらひ子」という負の環境がなかったら、今の作家秦恒平は存在しなかったろう。
勿論、たとえ母との和解が成されたとしてもそれが秦恒平の物心ついて以来ずっと感じ続けて きた「血の昏さ」「根の哀しみ」「負い目」と「身の程と恥」をかき消すものではない。しかし、秦恒平が喪われた母なるものに折り合いをつけ、自己救済され る一つのきっかけにはなったであろう。
心から安心して寄って立つ場所を持てない幼子、父母の愛に満たされなかった天涯孤独の少年 は、「書くこと」「創作」することで自分で自分を励ます道に進み、なるべくして作家となった。秦恒平文学の足場は自分が「醜聞の子」であったことにあり、 秦恒平が一生をかけて追求するものは親子や兄弟という俗世の血縁を超えた、今世をも超える真実の「身内」「魂の血族」を探すことであったと言い切っても過 言ではないと思う。
母の足跡を訪ねる長い永い旅は、これまで決して近づこうとしてこなかった異父姉兄はじめ多くの血縁に初めて出会うことでもあった。彼らも母親の道ならぬ恋に人生を翻弄された子どもたちである。
母くにに家事一切を押し付けられていた被害者であったはずの姉の幸子は「歌集も歌碑も、 今、あなたの愛情の眼で見ていただけて母はどんなに喜んでいるかと思います。あなたのために残していったような気がします。」「母は純粋でこの上もなく優 しい心の持ち主でした。あなたが、いつかこの母のことを書いて下さったらどんなに嬉しいでしょう。母もはじめて幸福になれると思います」と手紙に書くやさ しい姉であったし、「私の前で母を語って歯に衣をきせなかったただ一人の人物」、実父恒之とほぼ同い年の長兄聡一は、母くにを罵倒しつつも、その的確な批 判には憎しみがなく思わず笑ってしまう。私は岡本太郎がかの子について書いていた文章╶─寝かせていた自分の赤ん坊にしょっちゅう躓いて「またやった」と 言っていたとんでもない母親だったという内容╶─を思い出した。
同じくにの子どもである彼らの、恒平に接する態度の中に、世間でいう親戚、血縁のふつうの 親しみや温かさが感じられて私はなんとなく安堵したのである。一家離散となり、ふつうの家庭でいられなかった兄弟たちが、それでもしっかり普通を取り戻し て生き直していることを尊いと私は思う。
秦恒平は多くの人間から母への言葉を引き出し続けるが、この作品の最も感動的な場面は作者が当尾の里で父方の叔父叔母に再会する最終の場面であろう。
「可愛らしいて、だれにかてそら可愛がられてたんですよ。それで何ぞ気に喰わんことがあると、もうどこでかて仰向けに手ェ振って足振って暴れはるのが、それがまた可愛いてね。……」 P463
……正月ごとに、永いこと祖父は「恒彦」と「恒平」の名で祝儀の陰膳を祖母に銘じてつくらせたいたという話は胸にこたえた。 P464
……時代が時代で…。しかしあとから考えて、あなたやお兄さん、恒彦さんでしたか、あなた方のために最良のやり方やったかどうか。いやもう一生許してもらえんやろ思て、ただ遠くから、活躍したはる噂だけ聴いてましたんや P467
登場する血縁の彼らは秦恒平のいう文学的意味での「身内」ではない。しかし、彼らとの出逢いの中で作 者は自分の存在が決して忌避されていたのではなく、それどころか多くの温かいまなざしを注がれていた事実に突き当たる。そして、喪われた自分の子ども時代 を初めて懐かしく受け入れることができた。「肩先が軽く」なり「根の哀しみ」が薄らいだのである。
さらにこの小説の救済には仕掛けがある。秦恒平と同じく父母を知らずに育った「醜聞の子」、その生い立ちゆえに幸せになりきれなかった上田秋成も救済されているのだ。
『生きたかりしに』を最初に読み進めていた時、私はこの小説を上田秋成ぬきで、秦恒平の死な れた母三浦くにの物語として独立させてもよかったのではないかと感じていた。上田秋成の出生の秘密を探りあてる別の小説として書いてもよいのに、なぜこの 作品の中に上田秋成を取り込む必要があったのか。その理由について作者はこのように書かれている。
もともと『秋成』を心がけた遠い以前から、あくまで私自身を書くよすがであっ た。『秋成』を書く機会ならこの先幾度もある。それに筋を通し時期を追って母の生涯を再現することもいつか可能だ。が、今が今ただ手探りにつかんだ断片を 継ぎ接いで母の像を造り上げて行く感覚は二度と味わうことはできない。その思い入れが『秋成』を書きたかった動機に重なった。日に日に一重ねになって行っ た。秋成が生涯露わに書かず語らなかったものを、俺は俺の身の上で声をいっぱいに叫ぼう、それが俺の『秋成』そのものになったと言えば、心待ちに催促を欠 かさぬ編集者がどう落胆するか、怒るかと想うとがったりと気は重いが、私は余すところない高田氏の『年譜考説』にふれた充実感のまま、やはりこれで行こう と意を強くした。 P336
そして秦恒平は上田秋成が小堀遠州の直系であるという核心に迫るのだが、秦恒平自身も先祖 に小堀遠州の流れをくむらしいことがわかってきてしまう。事実は小説よりも奇なりではないが、書き始めた作者自身も予期せぬ展開になる。読者は上田秋成と 秦恒平に文学的だけでない血の繋がりのあることを想像するだけでわくわくしてくる。上田秋成と秦恒平は作者が意図していた以上に益々重なってきてしまうの だ。
そして結末を読んだとき読者はこの作品『生きたかりしに』の構造的美観に気づく。上田秋成と作者秦恒平のいとこ、姉さんとの再会の悦びがぴったり重なるのである。
たとえば『岩橋の記』という大和吉野へ遊んだ紀行文に、秋成は、旅の目的の一つ として、「大和の國なるゆかりの人々をも問はめ、問へ、と云ひしいとこなる者の契(ちぎり)をもむくはんとて(奈良県に住む親類の者で、訪ねて行くよ、訪 ねてくれよと言っていたいとことの約束を果たそうと思って)」と書いている、…… P7
秋成は「里長」なる「いとこ」を久しく尋ねて来れなかった不本意だったという。そしていとこと対面早々に「岩橋の中や絶えんのひと言は、けふをかけしよ葛木の神」と詠む。詠んで即座にこの長い紀行文の「筆を収め」ている。書き上げている。時に五十五歳。P76
* ……秋成がはるばる尋ねていった名柄の里の「いとこ」を、女性であり得る とわたしは読み、彼の「岩橋の記」に意味を持たせたのは、秋成学の学者からは認められないかも知れないが、秋成には、養家上田家にもともと年上の姉と呼ん だ女性が居た。恐らくは秋成と娶せる気持ちが親にはあったろうに、この姉は家をはなれて他の男性へはしり、いわば勘当にあっていたのを、懸命に秋成が仲に 立って親の怒りを静めたのだった。その姉が、或いはあるいは名柄のほうで家庭を持っていなかったでもあるまいと想ったりした。秋成その人を主人公に小説に していたら、この養家に家付き姉なる人は大きな役を帯びたであろうが、主人公はわたしの「母」に成った。(2015 6・5)
上田秋成がこの「いとこ」に逢いに「長柄の里」に出向いたことと、秦恒平の当尾の砥部家訪問が重ねられている。
芳江叔母の家へも寄った。玄関へかけて出て「まあ、恒平ちゃん」と呼んだなり叔母は一瞬突っ立っていた。
「可愛かったのよ。ほんとに可愛らしいかわいらしかったのよ」
一生もう逢えないかと思っていた、とも言った。叔母の悦びが二重になり三重になって身内に渦をひろげた。岩橋の╶─とおもった。仲や絶えんの一言はけふをかけしよ葛木(かつらぎ)の神╶─。逢えた……。 P 470
ここで秦恒平は上田秋成にも自分自身と同じような肉親との幸せな再会があったこと、あるいは自分も上 田秋成と同じ逢いたいひと(女)に逢えた悦びのあったことを語っている。叔母の名前が「芳江」とされていることは意味をもつ。少年時代秦恒平の「姉さん」 と慕ってやまなかった特別な存在、文学者秦恒平の身内観をつくった実在のヒロイン久慈芳江のイメージが重ねられているのだ。
秦恒平は永い旅路の最後に芳江「姉さん」と再会を果たした。そして秦恒平も上田秋成『岩橋の記』のように、この長い小説の筆を収めるのである。
また、この小説の中にはもう一人父と母を知らない子どもがいる。くにの父、恒平の祖父三浦周平である。
母くにの生涯ももの哀れだが、その母が恋い慕った父周平、私には祖父、の生い立ちももの 寂しい。母の歌集から、また姉幸子の手紙からぼんやり推察できた祖父晩年の姿は、必ずしも事業に躓いた人の淋しさだけで説明し切れない、もっと根の深い出 生の負い目を負っていたからだとすれば、三浦周平という近江で有数の実業家のかげの部分に、もう名前も行方も忘れ去られた周平の生母や実父を想ってみるし かない。大名の手がついてしまった本陣の娘、そんな男と女を他でもない自分が母方の曾祖父母として持っていた事実に、私はひとりホテルの殺風景な部屋の中 でどう応じていいものか、ぶくぶくと泡でも吹きそうなていたらくだった。 P397
本陣の娘が参勤交代の大名の夜伽ぎを強いられ、その結果祖父周平が生まれたかもしれぬ事実も、乗り越えねばすま ない一つの時代の顔だった。周平もそれを思い知っていた、だから寂しい、だから黙々と生涯を生き抜いた、秋成と同じだ。母くにも、おそらくはそれを識って いた。だから烈しかった。階級を生き直してまで突進した。兄恒彦は祖父や母の寂しみに無意識に触れていたのだろう。だから革新を願い、今も願って日夜働き つづけている。 P405
秦恒平は『生きたかりしに』を書くことで、この母方祖父の、自分や上田秋成に似た境涯にふれて当然、祖父の霊前を慰めたい気持ちをもっただろうと推察する。
秦恒平の親族との再会は、だからこそ二重三重に救済が示唆されている。『生きたかりしに』に、他の秦恒平作品と異色の、ものごとがあるべき場所に調和的に収まるという安心と幸福感を読者が感じる理由である。
『生きたかりしに』は、生前に母と息子として一度も交わることのなかった母くに に捧げる渾身の喪の仕事(モウンニングワーク)として秦恒平の記念すべき一つの仕事となった。だが、秦恒平がこの作品を三十年も眠らせていた理由は、この ふつうの幸福感を描いてしまったことにあると私には思える。秦恒平の中には、母と子に甘い解決を赦してはならない強い想いがあったのかもしれない。
『生きたかりしに』を書き上げ公表することで、「母」について清算してしまうこと、自分の「暗い血の渦」を抱えながら哀しみを生きてきた歳月と妥協してしまうことを、作者は求めなかったと推測している。
「書く」とは何かを消してしまうことと承知している。消されるものの呼び名に拘泥ることは ない、捉われが消えて作が残り、それがましな作品(もの)なら満足しよう。そう思って私は小説を書き、書けば一つらくになり、しかし新しいまた一つの荷を 負った。一つらくになるうちに三つも四つもの新しい重い荷を背負ってきた。 P34
思いも寄らない成行きでこうまで知ってきた全部の過程から、何を自分が獲たのか喪ったのか、こんなふうに俺の中で「母なるもの」も清算され償却されて行く、という思いが湧いて来ると苦笑もされ、侘びしかった。 P 382
七十九歳を迎えて、秦恒平はもう荷を下ろしてもいい、充分闘い尽くしたのでそろそろこの作品を公開してよいと決めたのであろうか。
これは作者が書き上げて心から良かった作品であり、読者が読んで心から良かった作品である。
長く秦恒平作品を読み続けてきた私は、亡き母に捧げる私小説『生きたかりしに』がついに日の目を見て、この救済の物語に出逢えた幸福感に感謝するばかりである。
以上、国語の課題を提出したようなものであるけれど、今の私の『生きたかりしに』についての読みである。
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最後に、こちらは非公開希望のごく個人的な「感想」を書かせていただきたい。
作中に「母を拒んできた俺の四十年が他人にはよく分からないように、突如母亡き跡を訪ね歩き出した俺の思いもずいぶんと訝しかろう」という一文がある。
秦恒平自身も自覚しているが、秦恒平が生前の実母と正式なただ一度の対面もな かったことを、理解できない読者は多いと思う。実際に同じ境遇であった兄恒彦は病床の母親を見舞いにいくまでしている。読者からの感想に「母親に厳しい」 というものもあったが、そう思う読者は少なくないはずだ。秦恒平の母親への拒絶は不可解にみえる。
(中略)
映画監督オ・ミポがインタビューでこんなことを言っていた。
「じゃあ、普通って突き詰めると何か。幸せのことだと思うんです。ごくごく当たり前だけど、その人にとってごく貴いものが身近にある状態。例えば当たり前のように家族がいることとか。」
普通の家庭に生まれ育つことが、それだけで幸せであるという指摘に、私は月並みだけれど目から鱗が落ちる思いがした。そこそこの長所と許される程度の欠点を抱えた平凡な夫婦の間に、普通に生まれ育つ凡人であることは奇跡のような幸運なのだ。
(中略)
子どもにとって終生受け入れられない親もいる事実は認めるしかないのだと今は思っている。 極限の飢えを知らない人間が、飢えに追いつめられた状況を理解できるだろうか。共感できなくても、秦恒平の母親の拒絶はこの作家にとって必然の結果であ り、読者は読んで共に歩むしかない。だから、死なれた母の一生を何とかわかってやりたいと願う『生きたかりしに』を秦恒平が書いてくれたことは、一読者と しても、本当に慰められることだ。
(中略)
そもそも醜聞の子が存在してしまう最大の理由は日本の戸籍制度にあるのではないかと思う。私はかねてより日本の戸籍という制度は改善する必要があると考 えている。いわゆる「戸籍」があるのは日本、韓国、台湾の三国だけで、世界的にも特殊な登録方法である。日本の戸籍は旧民法の家制度の名残なので、離婚家 庭や婚外子には、不当な不利益をもたらすものだ。戸籍の筆頭者が誰であるかによって不愉快な差別を受ける構造となって久しい。
秦恒平が実父の家の戸籍に「入ルヲ得ズ」とされ、一人の戸籍を立てられたという話を読んだ ときの衝撃は忘れない。存在してはいけない赤ん坊がいるような法的措置である。子どもに何の罪があろう。旧民法を支えた思想は個人の幸せには貢献しない。 そこまでして守るべき「家」とは何か、「戸籍」を汚すわけにはいかないという考え方に一体どんな意味があるのか。「戸籍」ではなく最初から「個籍」であれ ば、何の問題もないことである。もしあのような戸籍記載がなければ、秦恒平は、もう少し明るい世渡りができたであろうと思うと、私は同情を禁じ得ないし残 念に思うのだ。家あっての個人という思想が、国家あっての国民という思想の元であり、日本をあの無残な敗戦に導いたといっても過言ではなかろう。
『生きたかりしに』の中で、秦恒平が入社試験の面接のときに戸籍謄本に眼を通した老社長に 「ボクはこういうことに頓着はしないからネ」と言われる場面がある。これは裏返せば、問題にする職場であれば就職できなかった現実を物語る。この戸籍提出 は少なくとも秦恒平の娘世代の私よりさらに十歳年下くらいまでは存在していたらしい。知り合いの彼女は奨学金で国立大学を卒業した有能な人材だと思うのだ が、婚外子という戸籍の問題を説明しにくくて、戸籍を求めない外資企業に就職せざるを得なかったと教えてくれた。
あの時代に妻を失った男が、娘のような年齢の女との間に子どもを二人つくっても、三浦くに ほどの悪評にまみれる転落はせずにすんだだろう。三浦くにが子どもを理不尽にとりあげられてしまった時代から、日本がどの程度女の権利が認められるように なってきたかというと、それは旧民法より格段に改善されてはいる。民主主義と憲法のお蔭でありがたいことだと思う。家のために気の進まない結婚をさせられ ることはなくなったし、母親の意志に反して子どもをとりあげることは犯罪ですらある。
しかし、これからの日本の流れはどうだろうか。婚外子にも嫡出子と同じ相続権が認められた のですら最近のことであるから、日本には家制度の思想が残存する。未だに世間では醜聞の母のみ責められ、醜聞の根本原因の父親が責められることは少ない。 男が婚外子をつくることは「甲斐性」で女のそれは「不身持」である。
世間一般の日本人の意識はまだ多分に家制度をひきずっているし、家制度を温存したい政治勢 力が強い。現在の某女性大臣(名誉男性ともいわれている)は離婚禁止法を検討しているともきく。少子化対策の一環らしいが、まともに考えればこれは少子化 促進にこそ劇的に役立つ法案であろう。日本は女の自由を制限する方向に動いているので、私は今後の男女平等にあまり希望はもてない。戸籍制度の改善など夢 のまた夢だろう。
日本は世界でも稀にみる便利で住み心地のよい国である。しかし、個人の恋愛の自由という点ではまったく後進国だ。
結婚の半分近くが離婚に終わり、第一子の四割もが婚外子というアメリカで、日本の戸籍制度 を適用したら収拾のつかない大混乱になろう。現在のフランスはどうか。女どうしで、それも棺桶寸前のおばあちゃんどうしでも法的に結婚出来るし、それはス キャンダルではないふつうのことだ。息子のような年齢の若い男と恋をする中年女など珍しくもなんともない。婚外子を生んでもふつうのことだ。法的には嫡出 子とまったく同じ扱いであるし、そのような出生の事情はいかなる場合も誰も問題にしない。差別的な扱いを子どもに強いる事態にはならない。セーフティー ネットがしっかりしているから、生活に困った未婚の母でも子どもを育てて食べてはいける。(そのおかげで働かずにいる人間が増えて困っていることもたしか な社会だが)そもそも結婚してもしなくても女側の姓は変わらない社会だから、三浦くにが額田くにになる必要も最初からない。三浦くにが現在の欧米に生きて いたら、ずっと幸せな一生であったことは間違いない。婚外子であった秦恒平は、何の負い目も感じずのびのびと別の文学世界を築くことが可能だった。
将来海外で『生きたかりしに』が紹介されたら、日本に存在する女性差別の歴史的証言の記録として読まれる可能性だってあり得るだろう。
日本は男尊女卑が基本にある。そして母親が恋する女であることには、息子ですら厳しい目を向ける。自分のセックスの相手でない限り、女はすべて良き母であるべきなのだ。
日本では避妊用の低用量ピルが長い間認可されず女たちは困っていたが、バイアグラだけは驚 くべき早さで認可された。女側に避妊の主導権があることは許さないけれど、男の性的問題はすぐに治療したい社会。お産は特別に希望しない限りすべて無痛分 娩のフランスと、無痛分娩で女が少しでもらくに子どもを産むことを好まない社会。日本はこれからも男の意のままであろうし、子どもの数は増えないだろう。 男と平等に、女の自由が実現しなければそうなるしかない。子どもを増やすことより男や家が優位であることが重要なのだ。将来の国力のために何が必要か、世 界の潮流を考える大人の男がいない。フランスが少子化を脱したのは、カトリック大国にもかかわらず思い切って従来の家族の枠をとりはずしたからだ。婚外子 が醜聞にならなくなる日がくることが、日本の少子化への有効な対策であることになぜ気づかないのか。それは婚外子差別が存在するほうが、男による女の支配 に都合がいいからに他ならない。
三浦くにはつくづくお嬢さん育ちだったのだなと思う。お嬢さん育ちは苦労した経験がないから、本当の 世間の怖さ、冷たさがわからない。だから、底辺の女のしたたかな損得計算はできない。世の中では、たいていお嬢さんのほうが無鉄砲であり世間体を無視する 大胆なことをする。柳原白蓮も岡本かの子も宮本百合子だって恵まれた育ち方をしていた。
怕さを識った人間だけがものの奥へ視線を透かせる。「おくに」さんは怕いという直観があまり働かない人ではなかったか。その辺があの人の至らないところ、などと私は今さら批評めいて思い、…… P455
怖いもの知らずでなければ、恋をして婚外子を二人もつくることはできなかったろう。現在の女性たち は、あの男女差別の時代に、猪突猛進闘ってくれた三浦くにのような女たちに感謝して敢闘賞を送らなければならないと思う。日本が真の意味で男女同権にな り、大人の男が増えるためには、三浦くにのような強い女が増えることは必要なことだ。平成の女性の得ている権利は、明治時代から続く女たちの血と涙の闘い の結果なのだから、今後も闘う女が続かなければならない。
私は世の中には三種類の女がいると思っている。
息子を恋人にする女、息子を恋人にしない女、息子を恋人にできない女。息子を恋人にできない女というのは、娘しかいない女や子どものいない女のことである。
三浦くにのような母親が息子にとって迷惑であったことは疑いないが、一番ダメで悪い母親 は、母性愛の名のもとに息子を恋人にする母親である。息子を恋人にする母親は不倫する母親より悪質である。日本には夫に大切に扱われない女が多くて、しか もその女が自分の色香に望みがなくモテない場合や、不倫より安全安心という理由で、自分を裏切らない息子を恋人にしてしまう。日本社会の劣化の一因は、息 子を恋人にする女が増えたことだろう。もちろん妻を顧みない夫側の責任もある。その結果、日本から精神的乳離れのできない大人の男が増えてしまっているの だ。
小学生の息子の洗濯物のシャツやパンツや靴下にアイロンをかけている時間が無上の幸せという母親がいた。大学生の息子とカップルのように海外旅行している母親もたくさん見かける。その母と息子カプセルはとても気持ち悪い。
息子とセックス抜きの濃厚な恋愛ごっこするくらいなら、息子のような若い男と醜聞の恋愛す るほうが遥かに健全ではないか。(私の意見は過激であろうか?)少なくともそのほうが息子はまともな大人になれる。不貞の母を拒絶して自由になることは簡 単だが、疑似恋人の母親からは生涯逃れられない。
世界で一番やさしい母親は、息子の人生を砂糖菓子で縛り続けて台無しにする。男の性的不能の原因には必ず母親との関係がある。
秦恒平の母親三浦くには、つまり息子たちにとっては最悪の母親ではなかったことも私は最後に付け加えたい。
文中の失礼の段はどうかお許しください。長文お読みいただき感謝申し上げます。 了
* 後段にもとても大事な見解が盛られていて割愛に忍びず、紹介した。筆者の山瀬さん(筆名)にお詫びしておく。
2015 8/27 165
☆ 秦さんへ
ごぶさた致しております。
ホームページを拝見し、健康管理下、いつも莫大々なお仕事をなさり続けているご様子を思っています。
やっぱり秦さんは、それがいちばんらくなのではないかと拝察しております。
『最上徳内=北の時代』を「湖の本(創作シリーズ)」で読んだ時には、自分が「徳内」になれた積りでした。地図を集めながら足跡をたどり、わくわくしたのを思い出します。
この度は、この貴重な 貴重な『秦恒平選集 第和顔愛語番本』で再び読めるとは!誠に嬉しい極みです。本当に本当にありがとうございます。机の上を片付けてゆっくり読ませていただきます。
急に涼しくなりました。くれぐれもお大切になさってください。自転車もお気をつけください。
重ねて厚く御礼申し上げます。敬白 chiba e-old 勝田貞夫拝
☆ 感謝
さきほど私語を拝見しましたら、私の長文掲載していただいておりまして恐縮しきっています。ご配慮もありがたく。
みづうみの美しい文章と違いますので、ただ長いだけの感想文をお読みになる方がいらしてくださるでしょうか。コピーなさるのも大変でいらしたのではないかと思います。大変申し訳なく存じます。
でも、深夜すぐにみづうみにお読みいただきましたこと、また過分なお言葉頂戴したこと、感激です。本当は力不足ですのに、みづうみに「いい読者」と言っていただけることは、お世辞であっても光栄です。ありがとうございました。
「もう一つの秦恒平論」の書き直し、続けています。いい読者というより、私は病膏肓に入る読者ですね。 山瀬ひとみ
* 井口哲郎さんに、二キロもの芳醇清潔の蜂蜜を頂戴した。ありがとう存じます。
* 実費分ご負担下さっている方々からご喜捨が届いてきている、有難う存じます。
☆ 大著第八巻を
拝受いたしました。奥様のご入院中野ベッドの傍らで校正なさったとのこと、心して「拝読」せねば、と存じております。
残暑なおきびしい折、どうぞ、先生も奥様も、御身おたいせつに、ご無理なきように! 渋谷笹塚 佐藤宏子 編集者
☆ 七月の「呉服」の
舞囃子を終え、九月の社中の発表会に向けて、仕舞「富士太鼓」をお稽古しています。十月の大革会(太鼓の会)には楽抜きの舞囃子として舞うことになっています。帰ってシャワーを浴びてさっばりしますと、スポーツ選手になったような気分です。
まだまだ暑さが長びきそうな夏です。どうぞお気をつけて下さいませ。 小松市 啓
☆ 「秦 恒平選集」第八巻を
お送り下さいましてありがとうございました。大切に読ませていただきます。
次回以降も、どうぞよろしくお願い致します。お体、くれぐれもおいといくださいませ。 中野区中央 安井恭一
☆ 次回も
選集 楽しみにして居ります。 世田谷区羽根木 鈴木定幸
☆ 次回
第九巻 期待しております。お体に気をつけて下さい。 愛知知多郡 久米則夫
☆ 選集第八巻の
製作費を送ります。第九巻もお頒けいただければ、さいわいに存じます。 小田原 安藤啓一
☆ 地蔵盆も過ぎ、
やっと涼しくなりました。
宝のようなご本、有難う存じます。 些少ですが…。 東近江市 川島民親
☆ 台風15 16号の影響で
昨日から涼しくなりました。
徳内さん 懐かしく拝読始めました。今の時代に徳内さんのような人が政治家でいらしたらなあ! と思いながら……
先生 ますますご自愛くださいませ。 静岡市 鳥井きよみ
* 江東区の藤原さん 奈良市の東さん 花巻市の及川さん ご支援に感謝申します。
2015 8/27 165
* 群馬のS君から朝食中に、電話。
昨夜には画廊主からの電話で、杉原君の様子をうったえられた。客が入らず絵も売れなくて画廊への支払いができないらしい。「秦さんなら、来て、必ず繪を買ってくれる」と言い張って病状を募らせているらしかった。
わたし自身は彼に一度も迷惑をかけられた経験はないのだが、ことに彼の故郷京都での画展その他に躁鬱の病状をはげしく募らせ、諸方での迷惑沙汰のことは、わたしへも知らせてくれる知人は何人もいた。わたしの名前をいたるところで信用状めいて出していると。
佳い繪の描ける力をもっているが、強度の躁鬱に、彼、多年悩み続けている。今度も銀座で個展としらせてきたとき、ちょっと信じられなかった。案内に、画廊の地図もでてなくて、聖路加の帰りにも見つけよう無く、疲労困憊で帰宅したのだった。
病苦と生活苦。凭れ掛かられても所詮わたしたち老躯で支えてあげる余地は無い。なまじ半端な手出しをすれば、かえって彼自身が立ち直れなくなる。出展の 繪をいくらか画廊に預けての撤退を奨めた。画廊へ来てくれないかと電話で彼は言い、画廊の思惑はわからないが、繪は鑑賞できるけれど金銭沙汰の解決に介入 する気も力もなく、今後へ問題を引き摺るのは厳に避けねばならない。引き摺ってはあちこちへ迷惑をかけてきたらしく、京都の或る親しい画廊からも、かなり 言葉つよく関わるなと何度も教えられていた。
わたしは、彼の画才は或る程度認めている。なにより病気への深い同情もある。妻子まで現に失っているのも、烈しい病状のゆえであろう、同情はする。だが、言葉で励ますほどのこと以上は何もできないし、軽率にそれをしてはならない。
京都での彼にはまったく記憶がない。群馬での画業のなか、もうよほど何十年も昔に、一度だけ地元の個展で話をしてくれと頼まれた。その頃は彼は健康で、温厚だった。
銀座での今回個展の期限は、明日と。画廊と努めて冷静に交渉し、無事に、家へ引き上げられるよう、願う。
☆ 送信文の処置など
どのように対応したらよいのか全然わからなくて悩んでおりました。新しいパソコンの立ち上げの速さは驚異的なのですが、それ以外は、ウィンドウズ8・1と格闘の真っ最中なのです。
メールについても新しいアウトルック2013が今までと勝手が違い、とても使いにくくて、ご不便をおかけして申し訳ございませんでした。 案山子
* 新しい機械のうわさを聞くにつれ、よそながら、困惑する。だんだん、機械世間から押し出されてしまいそう、それも仕方ないこと、機械が引き際を必然用意してくれるのかも知れぬ。
それなら、また昔へ帰って、ペンで用紙に大きな字を書けばいい。自前の秦用箋、たっぷり残っている。
* 金澤の金田小夜子さん、この人が名付け親という音に名高い葡萄「ルビーロマン・プレミア」を一房頂戴した。恐れ入ります。
☆ 冠省
選集第八巻 最上徳内=北の時代 ご恵贈いただき有難く拝受致しました。
「世界」誌、連載時、号によって読めていない分もありました。 活字の大きなご本になりました。時間はかかりますが、改めて通読させていただきたく存じます。
北方領土や、不当な差別問題に今一度思いを起こす壮大な作品です。
「生きたかりしに」拝読、お母様、毅く、そして美しい方だったのですね。 当然乍ら、母と子は似ておられるなと強く思いました。
台風は過ぎ去りましたが、暑さはまだ厳しいことと存じます。先生も奥様も くれぐれもお大切になさってください。
ありがとうございました。
些少、同封致しました。お納めください。 紀の川市 三宅貞雄 朱心書肆主人
☆ 秦 恒平選集第八巻
お送り下さり、ありがとうございます。
湖の本126巻、選集8巻、単行本21册が書架の一角を占めています。
次は何を手にとろうかという楽しみを長年、続けています。
お体、大切になさって下さい。 愛媛今治 木村年孝 元市立図書館長
☆ 秦 恒平選集
第八巻お送りいただきありがとうございます。
北の世界のことは、私も、卜純という宗祇門の連歌師が松前を訪れていることを調べているうちに大変興味を持ちました。
この本もたのしんで読ませて頂きます。
実は私、(抗癌剤療法等で関西から関東へ)八月八日に転居しました。さいわい拒否反応も副作用もなくふつうに今はすごしております。 島津忠夫 阪大名誉教授 国文学
☆ 残暑お見舞い申します。
このたびはまた「選集」八巻、「最上徳内=北の時代」ありがとうございました。
ふり返りますと、二十七年前の(京都新聞朝刊)連載小説ご執筆依頼でお目にかかりました。こちらの「秋成なんかどうでしょう」との希望でしたが「出生に不明なところが多いんです」というお返事。結果、「親指のマリア」になりました。
この前に頂きました「湖の本 生きたかりしに」上中下で、その辺の事情がよくわかりました。
何とか元気に過しております。
くれぐれもお身、お大事に。祈っております。 早々 京紫野 杉田博明 エッセイスト・元京都新聞記者
☆ 冠省
七巻に続いて 第八巻「最上徳内」を落掌いたしました。立派なご本です。お心尽しもったいないです。
ここ(山形県村山市)は(徳内と)かかわりのあるところ、感謝に堪えません。
(あらきそばは)お盆の帰省客と夏休みのお客さまとを仕済まして 幾等かゆるみが出て来たところです 無事に経過し一段落をしているところです 後はぐんと静かになります。
激しい気象の変化が気にかゝっています。
先生のご健康願っています むりをなさらないようお願い申します。
皆々様もお元気でご活躍をお願い申します。 匆筆のまゝ 又 あらきそば主人
* 村山市には当の徳内さん血縁の方たちが何人かおられお目にかかっているのに、ご氏名を失念しているのが残念。分かれば本をお送りしたい。
☆ 選集第八巻
ありがとうございました。恐縮しています。
開いてすぐ目に入った写真に懐しい思いがこみあげてきました。
先日奥様から御丁寧にお便りをいただきながら ごぶさたのまま失礼しています。 八千代市 竹澤由美 読者・医学書院後輩
* 妻の妹から、今回も、「ご上梓 おめでとうございます!」と、多大の支援を受けた。なーんにも私からはして上げられてないのに。感謝に堪えず、喜びながら、恐縮も。ありがとう。とても助かっています。
* 読者のみなさんからも。
☆ 選集第八巻「最上徳内」を
拝受いたしました。
「生きたかりしに」上中下を待ちわびて読み、「罪はわが前に」をつづいて読んだ後で、この名も知らぬ徳内さんを読めるかな、と腰がひけます。
作家さんの関心の広さと深さとに脱帽というか…脱力しております。 香川高松 星合美弥子 創作者
2015 8/28 165
* S君から、朝、電話があった。
予定の最終日前に断念し個展を撤収してきましたと。繪が売れるどころか人も入ってこなかったと。それは彼に限ったことでなく、よほど手広く縁故や支持者 のある人ならとにかく、大概の個展は売れるどころか客が入らないとは前から聞きかじっている。銀座でなら、という期待が空しいので、わたしは比較的銀座で も気が向くとまるで知らない小さな画廊へも入ってみたりするが、相客とであったことなど、殆ど無い。けっこう気の利いた企画展ですら画廊展には客がいなく て、係の人がポツンと孤独にいるだけ。
行ってあげたかったし、一度は出向いたが場所が掴めなくて、以降疲れもとれず、わざわざに家から広い銀座の一画廊へは結局動けなかった。電話では、可能な限り地元で仕事もみつけながら、天職の繪はしっかり描いてと励ました。応答はシッカリしていた。
2015 8/29 165
☆ 秦 恒平選集 第八巻
ありがとうございました。
今月は「生きたかりしに」三巻と「畜生塚」(三回目)をじっくりと読みました。特に「畜生塚」は前二回とは全く違う印象で、一字一句かみしめるように味 わいました。私は孝行三年生の後半を東福寺境内の「退耕庵」に下宿してすごしたので、あのあたりはことのほか思い出深く今でも時々訪ねています。
来月には母校の茶室も数寄屋風に変身、と同窓会会報も伝えている。
秋にはゆっくり日吉ヶ丘の校庭を歩いてみようと思っています。 高槻市 川口昇 同窓
* 城西大の水田理事長、村上開新堂の山本社長、浦島研究の林教授、東洋大学の野呂芳信さんからも受領の挨拶があった、国会図書館からも。
* 染色作家の渋谷和子さんから美しいお手紙と新しいすてきな作品とを頂戴した。
2015 8/29 165
☆ 「生きたかりしに」
恒平さん
一気に読みました。
この小説は、決して晴れやかにも感傷的にも終わるとは思っていませんでしたから、読み終えて、自分が明るい気持ちにあることに驚かされました。幸子さん、守之叔父さん、芳江叔母さん…恒平さんの探訪の旅によって、たとえそこに恒平さんの意図はなくても、胸の痞えの下りた人、楽になった人がいる。それが、私の気持ちに反映されたのかもしれません。
母親の存在(不在)は、どうしてこうも人を揺するのでしょう。私の場合、母の私に与えた影響は健全さを超えるほど強く、今ここで「ありがたい」と思えるこ とでも、私がもし現在幸せでなかったら、それは「憎しみ」という形で表れていたかもしれない、と思うことがあります。母は母で、自身の母親を恨んで生きて きましたし・・・幸子さんの、お母さまについて綴られた言葉の静かで落ち着いていること。感銘を覚えます。
パソコンの前で遅々として進まない日本語のメールと向き合っていると、夫に笑われます。
スペイン語の方が、書くの早いよね。
-うん。スペイン語は、単刀直入な言い方しか知らないから。
いつもご無沙汰してしまい、ごめんなさい。 次の週末は日本。今年は二人で、十和田、奥入瀬、白神を歩いてきます。 バルセロナ 京 東工大院卒
* 昨日
川端・横光の共同学会で、『機械』の狂的な「彼」(三つにもならない子のいる四十男)は震災で子を失った後に子を授かった被災者ではないか、九州から上京した「私」は「震災後」を共有出来ない人物として設定されているのではないかといった発表がありました。
直接的には語られていないもの。
秦さんの「春琴抄」論も「こころ」論も、そこを読むところから始まっていたと思いながら、興味深く聞きました。
震災と戦災と、たった二十年の隔たりしかなかったのだと、二度も焼野原になった東京と、焼きだされた人、亡くなった人のことも改めて想いました。
夏休暇から東京に戻って一週間。連日の会議やあれこれで、慌ただしく。今日、ようやっと自分の仕事に戻れました。
夏休みも、はや終わり。あの炎暑が、もう嘘のようです。夏のお疲れがとれますよう願っています。
2015 8/30 176
☆ 拝復
北の辺地、利尻・礼文を観て帰宅しましたら『北の時代=最上徳内』が届いておりました。その偶然に驚いています。
あの頃、鵠沼の病院に森銑三先生をご一緒にお訪ねしたしたことを想い出します。
『最上徳内」の小説作法として当時感心致しましたのは、あの世から、当人にいっときこの世にお戻り頂いて直接その当人に、不審に思っていること、不明な ままになっていることを問い訊ねて語らせるという手法で、「ああ、これを使って世阿弥伝などを書くことができたらよいのに」と強く刺戟されたことを覚えて おります。
懐かしい想い出の一冊をありがとうございました。再読致します。 敬具 流山市 保 早大名誉教授
☆ 拝啓
炎暑の日々も漸く朝夕は季の移ろいを感じさせますが、先生はじめ皆様には ご無事 でご銷夏の御事と拝しあげます。
此度は 第八巻『最上徳内=北の時代』のご上木、おめでとうございます。
圧倒的な一巻物で、それに呼応する第十巻の登場も待たれ、いつも乍らの周到なご配慮も、どれほど読者をよろこばせるものかと存じおります。
大きな峠でしょうか。
何卒 お疲れの出ませぬよう、心より念じ上げます。
厚く 拝受の御礼まで 不尽 神戸市 昌 大学名誉教授
二伸 御奥様へ
先日、九州大分産のカボス 少々お届けの手配を致しました。素朴なものですが、おみそ汁、漬物、焼魚など 何にでもどんどんしぼりかけてお召し上がり下 さればと存じます。 小生は、あついみそ汁にいっぱ゛い しぼり込むのが特に好きです。 先生の食欲にプラスになれば、何よりの幸いと存じつつ。
* 都立中央図書館から受領の連絡在り。
* 渋谷和子さんに頂戴した染色作品の暖簾が廊下をすてきに明るく清楚にしてくれている。嬉しくなる。
2015 8/31 165