ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2016年

☆ 謹賀新年  吉備の人

今年がお二人にとってよい年でありますように祈念いたします。
新年早々のお手当てが順調に進行しますようにと願っています。
お大切になさってください。

* ありがとうございます。お揃いで、どうぞお元気でと心より願います。
2016 1/1 170

☆ 傘壽 おめでとうございます
同封、小生傘寿の折、ハナを傘に見立てた文字どおりの遊印、お祝いのしるしとさせていただきます。
「風」の新しい印、日々心掛けていますが、仕上げ叶わず 来年(二十八年への宿題にさせていただきます。
どうか御健筆、よいお正月をお迎えのほど祈念申し上げます。 草々  神戸 木山蕃 拝

* 「傘壽越え」というエッセイに木山さん、「病気を持つことは、人生に用心深くなるが、逆にそれゆえ大胆になることがあると思う」と。その実感、わたしにも深い。
久しくも久しい。お元気で前を歩んでいって下さいますよう。
2016 1/2 170

*年賀状に。桶谷秀昭さん、加賀乙彦さんらの名があった。文壇人からも、大勢。みなさんお元気でと祈る。昔からの友人たちも。病み苦しんでいる人もあり心痛む。ありがたい読者たち、たくさん励ましていただく。
東工大の卒業生、ことしも八人が元気な賀状をくれた。
2016 1/2 170

*  こう沢山な、二百に及ぶ賀状を戴くとは思わなかった。わたしは只一枚も書かなかった、湖の本や選集が、わたしの年中書いている知己知友へのご挨拶で、時 間と体力との負担になる用事は意図して避けている日々である。ご無礼はご容赦下さい。東工大で出逢った学生が、二十余年、十人もまだ親愛の年賀状を呉れて いる。
2016 1/3 170

* 楽吉左衛門氏、池田良則氏、野呂芳信氏、妹の伊藤ひろ子、賀状來。あれこれと仕事しつつ、身疲れ、目疲れで、座ったまま何度も何度も寝入っていた。階段の上り下りにひどく疲れている。休もうか。

* 賀状のなかで、井上靖のことばとして「正確なものだけが美しい」と引かれていた。これは、微妙で、即座には肯けない。
スッタニバータ(仏陀の言葉)から、「学ぶことの少ない人は牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの智慧は増えない」と引かれてあるのには、頷いた。「学び」にはいろいろの質や程度や向きの差は有るが、「学ぶことの少ない」仕事は痩せている。
2016 1/4 170

☆ 明けの春
みづうみ、お元気ですか。
明けましておめでとうございます。
新しい年がみづうみにとりまして晴れやかにお幸せなものでありますようお祈り申し上げます。
元旦からの私語で、ご体調とても心配しております。我慢なさらずに、救急車のお世話になってもよろしいので、どうぞ早め早めに病院にいらしてくださいま すように。みづうみはいつも頑張りすぎますが、そろそろ頑張らないことも大切かと。八日まではおとなしくご自宅にてお過ごしくださいませ。誰でも手術処置 前には気分も滅入るものでございます。お済みになりましたら、またいつものみづうみにお戻りになりますでしょう。

みづうみが映画「沈黙」について何度か書かれていらしたので、先日書いたことの補足説明をさせてください。今年は遠藤周作が亡くなって二十年、『沈黙』が書かれてから五十年だそうです。

* 晩、もう一度、映画「沈黙」を丁寧に観た。

やはり最後の一シーンが理解できなかった。あれでは、ただの破戒に終わるのでは。わたしは、切支丹牢の岡本三右衛門(転んだとされる神父)と日本の武士 岡本三右衛門(転ばなかった武士)の妻との牢内での暮らしを、もっともっと叮嚀に描いた。信仰と人としての真実は、踏み絵を踏もうが、結果的に転んだとし ても、守られうる。神に愛や慈悲があるならそれを信じ抜くことはできるだろう、しかし映画「沈黙」のラストシーンはただの破戒ではないのだろうか。原作、 映画の「題」もよく掴みきれない。
わたしはシドッチとはると長助とを、岡本三右衛門の妻女と牢で結ばれていたパードレとの最期を「御大切」を体し得た人たちと信じて描いた。迷いなく書いた。

映画の最後のシーンは原作には一行もない篠田監督のまったくの創作です。推測ですが、篠田監督は信仰や宗教に懐疑的で否定したかったのかもしれません。こ の映画の評判が良くなかったのは、原作をとんでもなく破壊したからだと考えられます。原作をきちんと読んでいたらこのような解釈は絶対に出てこないでしょ うし、もし篠田監督が神父の棄教をこのように描くつもりならそれはそれでかまわなくても、オリジナルの脚本をつくるべきで、原作に『沈黙』を使うべきでは ありませんでした。解釈は自由ですが、作品の根幹を変更するのならそれは原作の悪用になってしまいます。何よりいけないのは、あの当時日本にきた宣教師た ちへの理解や敬愛に欠け、人間の誠を信じていない(と思われる)ところで、私はこの映画を観ようとは今のところ考えないのです。
あの時代に、ヨーロッパからは地の 果てであった日本に布教にきた宣教師たちはやはり見上げた人たちであったと思っています。殉教することを覚悟しての命がけの渡航でした。理解できない言語 や馴れない風土をものともせず福音を伝えにきてくれたのです。ですから棄教せざるを得なかった神父たちのその後の人生を想像するだけでいつも涙を禁じえま せん。

私 が『親指のマリア』を愛するのは、たとえ基督教に帰依しなくても、異国の神父たちの魂の気高さを理解し愛する新井白石、叡智も人間愛もある日本人の姿を描 いているところにあります。人種や文化や歴史や宗教や言語、あらゆる障壁を超越し得る「身内」の可能性を新井白石とシドッチ神父の関係に信じることができ るからです。日本は教会が基督教の布教に失敗した国ですが、だから宣教師たちの来日が何の意味もなかったかというと、絶対にそんなことはないでしょう。愛 に破れた人生が無意味でないことと同じです。

ヨワン……。
この国へ、よう来てくれた。後の人にもそう思わせる時が、さだめし、有ろうよ……。あのマリアの絵に慰められる者も有ろう……よ。

作中にこう描かれてている新井白石の痛哭を二十一世紀の日本人も共有していることは疑いようもないのです。

遠藤周作『沈黙』は、棄教せざるを得なかった人間の弱さや絶望と悲嘆の人生に、同じ重さの悲しみを抱いて同伴しているこれまで描かれたことのない新しいイ エス像を描いた記念碑的作品です。遠藤周作の最高傑作は『深い河』だと思いますが、『沈黙』を書かずにここに至ることはなかったと思います。

ヨブと神との神話は、むしろよほど特異なものであるらしい。わたしの内にも「神」と呼んでいい不思議が生きていないわけでないが、ヨブに対する神のよう な神とは一度も話したことがない。一編のお話しのようにしか迫ってこない。基督教にたいする理解の限界がはっきり感じられている。むしろブッダから会得で きそうな頼もしさをわたしは実感している。仏教と謂っても、大日の阿弥陀の観音のという神話化された教義よりも、端的に、禅という透徹の安心へむかいたい 願いが濃いし強い。

みづう みの「ヨブ記」の読書についての感想ですが、遠藤周作も日本人ですから、当然基督教理解の限界を感じ続けて、生涯基督教の受容に格闘し続けてきた作家で しょう。遠藤周作にとってカトリック信仰は母親に与えられたもので、信仰を棄てることは母を棄てることなので決して出来なかった。基督教を自分のものとす るために小説を書き続けたと言ってもよいかもしれません。さぞ苦しいことであったろうと思います。

基督教は日本人と人間の在り方がまったく違う異人さんの宗教です。一般的に日本人の家族は夫婦、親子、兄弟姉妹が互いに愛しているとわざわざ言葉にして誓 う必要もなく、静かに言葉少なに寄り添うだけでほのぼのと幸せを感じられるものですが、それは欧米人には想像を絶する人間関係でしょう。彼らはそれほど凄 絶に孤独で、誠心誠意愛を誓い合わないと生きていけないようなのです。日本人には理解し難い神との契約という考え方も、愛しているという誓いの有無が生死 を分けるほどのものだからではないかと、私は想像しているのです。殉教か棄教かを迫られるのは神との契約が存在する宗教にしかないことです。

私の甚だ偏向した意見ですが、カトリックは現世の幸福には徹底的に無縁でいてかまわないという宗教です。自分に座標軸を置いてはいけないのです。神に与えられた隣人を座標軸にしなければならない。だから離婚も中絶もいけないのです。
私の知る限りで最もカトリック的な 作品は映画でいえばフェリーニ監督の「道」、小説では島尾敏雄の『死の棘』がそうかもしれません。どちらもふつうの人間には到底愛し難い人間を、主人公は 決して棄てません。どこまで堕ちても同伴者でいつづける人間=キリストの愛を描いています。ロミオとジュリエットのように、愛する価値のある相手、愛され る魅力のある人間どうしが愛し合うのはたやすいことです。ジェルソミーナも「私」も逃げることは可能だったのに、生き地獄の生活のまま、最後は相手にうち 棄てられて野たれ死んだり、一切合切失って相手と共に精神病院に入るわけです。そこに立ち現れる愛の真実には深い感動をおぼえるものですが、その愛を理想 とする信仰は悲しい、悲しすぎるものに思えます。ジイドの『狭き門』はそんなカトリック教会への痛烈な批判でありましょう。しかし、カトリックは全人生を 賭けて批判する価値のある何かではあります。

「禅 という透徹の安心」に向かうほうが真実かと迷うことがあります。それでも、わたくしはみづうみのように禅という透徹の安心やバグワンに向かうこともできま せん。誤解かもしれませんが、透徹した安心とは自分のためだけの到達に感じられ、自分のあるべき姿なのかどうかわからないのです。
日本の仏教界は長い間らい病患者た ちを一部例外をのぞいて黙殺してきました。家族にさえ遺棄されていた患者たちに救いの手を差し伸べたのは異国の宣教師たちです。日本で初めてのらい病患者 のための病院を設立したのはフランス人神父です。彼の討ち死にのような死のあとにも次々と外国からの宣教師がきました。彼らは当然自分も感染して死ぬこと を覚悟していました。過労と心労で刀折れ矢尽きるように死んでいきます。らい病は今では完治する病気ですし、もともと感染力の弱いものですが、当時は不治 の伝染病であり、しかも顔はくずれ、気道ができものにふさがれて窒息して絶息という悲惨な死に方をする病気でした。同情や教義への服従だけであれほどの看 病はできません。彼らの崇高さは認めざるを得ません。

禅が、このような病人たちの「隣人」「身内」となる積極的な何かをしてきたのか、寄り添ってきたのか。透徹していく安心とは愛することとどう関わるのか、愛とは関係ない理想の世界のことなのか、稚拙な考えしかない私にはわからないのです。

遠藤周作があらゆる宗教は人間の言葉で伝えているために不完全であるという意味のことを書いていました。どの信仰でもある一面しか人間を導いてくれませ ん。しかし、その目指す理想はきっとどの宗教でも同じで、神とか無とかサムシンググレートとかいう「何か」であることは信じています。

その「何か」を知るために人間は生きていると思うときがあります。ですから言葉にはできない「何か」を大切にしない映画や小説や人間を、私は好きにはなれないでしょう。

作家には文藝の力で読ませる谷崎潤一郎や泉鏡花や秦恒平のようなタイプと、遠藤周作や小田実のような人間性で読ませるタイプがあります。後者は、みづうみ も時々指摘しているように文章の魅力という点では前者に及びませんが、人間の力でやはり読ませてしまいます。本日夕方ポストに「沈黙」のDVDを頂戴していました。映画を観ずに篠田監督を批判しておりますので、機会をみて鑑賞し自分の考えをまとめてみたいと思います。ありがとうございました。お心遣い大変嬉しく存じました。

 

暖かいお正月でしたが、また寒くなるようです。どうぞお大切にお大切にお過ごしくださいませ。  毬  手毬唄かなしきことをうつくしく 虚子

* 感謝に堪えない。型通りのご挨拶でなく、この人は真っ向から全力で直球を投じてくれる。是非の問題はかりに別にしても、自身の言葉でまっすぐ投げ込まれる有り難さ、キャッチャーミットに、ずしっと響く。

* 『廬山』『華厳』『マウドガリヤーヤナの旅』三作でわたしは仏教に触れた小説を書いた。それから和尚バグワンに親しみ、聴きに聴き、聴きながらわたしの内 に溜まっていたブッダやイエスや老子や達磨や一休らの声や言葉も聴いた。これらの期間を通じて云えるのはわたしが宗門宗派へは、身をもがくほどに近付かな かったということ。法然への敬愛はいまも喪わないが、成ろう限り仏教的にはブッダの源泉を汲みたく、道教ではなく老子に聴きたく、禅は達磨に聴きたかっ た。ま、ピュアに一途な信仰を求めてきたとは云えない、とはいえ知識的に接近したかったのでもない。わたしがかかえた文字どおりの「迷惑」「煩悩」に目を 背けないまま何とか静かな安心が得たかったというに過ぎないし、得られてもいない。『デイアコノス 寒いテラス』という小説の題がはいごに負うている「奉 仕」という愛に関しても、わたしは何の確信を提示し表現することも出来なかった。「毬」さんに指摘されたように、わがことだけでアプアプしていて、他者へ の愛などまるで実現できなかった。指名され指定され求められればわたしは概して懸命に前向きに仕事したが、われから身を寄せて世間や他人社会へ「ボラン ティア」したことの無い、冷え冷えしたエゴ型の人間なのである。分かっているから、どうかしてエゴという我をはなれて空・無への透徹を願うのであるが、と ても叶いそうにない。静かな心になれない。愛を、わたしのいわゆる「世間」へ向けず、「身内」へ向けている限りダメですよと嗤われるのがオチだが、「毬」 さんが謂うようにわたしはそのテの「文藝」作者でありつづけ、いまもある。
漱石は、小説『三四郎』で無意識の偽善を指摘していたが、漱石らしい優しさや愛の、ないし弱さの表現であり、偽善は偽善で無意識(アンコンシアス)など 関わりない。漱石は流石に堅剛で懸命だけれど、誰もがそこを無責任に言い逃れたがるから、なべて世の中が「ウソクサイ」のである、わたしも例外でない。
「われはわが愆(とが)を知る、わが罪はつねにわが前にあり」などと我から言うてはおしまいなのである。

* 山下宏明名大名誉教授が横浜から、遠藤恵子米沢短大前学長が仙台から、都丸哲也元保谷市長がご近所から、そして十一人目の東工大卒業生、宗高菜々子さんが京の長岡京市から、年賀状。笑顔の宗高さん、「お会いしたいです」と。
滋賀の五個荘、浄光山乾徳寺さんからはお手紙に添えて近江八幡市の銘菓を頂戴した。「有楽帖」も楽しんで下さったようで、なにより。
2016 1/5 170

☆ みづうみ お元気ですか。
拙い考えの羅列にすぎませんのに過分なお言葉いただき、恐縮の極みでございます。
昨日のメールに書いたことはすべて自分自身に向けた言葉であり、みづうみへの批評のような考えは一切ありませんので、次の私語の部分に驚きました。

☆『デイアコノス 寒いテラス』という小説の題がはいごに負うている「奉 仕」という愛に関しても、わたしは何の確信を提示し表現することも出来なかった。「毬」さんに指摘されたように、わがことだけでアプアプしていて、他者へ の愛などまるで実現できなかった。指名され指定され求められればわたしは概して懸命に前向きに仕事したが、われから身を寄せて世間や他人社会へ「ボラン ティア」したことの無い、冷え冷えしたエゴ型の人間なのである。分かっているから、どうかしてエゴという我をはなれて空・無への透徹を願うのであるが、と ても叶いそうにない。静かな心になれない。愛を、わたしのいわゆる「世間」へ向けず、「身内」へ向けている限りダメですよと嗤われるのがオチだが、「毬」 さんが謂うようにわたしはそのテの「文藝」作者でありつづけ、いまもある。

みづうみは書き続けることで「他者への愛」をこれ以上ないほど素晴らしいかたちで実現していらっしゃいます。

カトリック的な言い方ですが、みづうみは文学者として神さまのお手伝いをするように神さまがご計画なさった方です。わたくしは自分の生き方についての迷い を書いたのでありまして、みづうみとはまったく関係ありませんでした。書く力がないため誤解をお与えしてしまったとしたら誠に不本意で申し訳ございません でした。

神さまはマリリン・モンローがマザー・テレサになることを決してお望みにならないでしょう。世界中の女がマザー・テレサを目指してしまったら!!

 

マザー・テレサのこんな大好きな言葉があります。

 

 

神が、私たちの行く道に、必ず幾人かの魂を置かれるということは、その人たちのために何かしてほしいと思っておられるサインです。それはチャンスなどとい うものではありません。神のご計画なのです。私たちは、その人たちを助ける心によって神のご計画に結ばれているのです。

おこがましいことではありますが、自分の道に出逢うことのかなったみづうみのために小さなことであっても何かできたら幸せなことといつも思っています。
淑  淑気満つあしたのうみのおもてかな 室積徂春

 

* 気にされることは、少しもなく、わたしはわたしの日頃の思いを反芻したに過ぎない。

* このところ、何度も、グノーの歌劇「フアウスト」を、ただ音楽として聴きながら、原作を想っている。つれて、ミルトンの『失楽園』をなんともいえない 憧れ心地で思い出す。幼少、誰にも知られずわたしは河原町三条の基督教教会へ行ってみたいと想っていたのも思い出す。あれはどうしたのだろう、中学生の 折、人に貰ったとは想われない、偶然に拾ったのかしれないが十字架の鎖を持っていた。英語の先生に見せたら「コンタツ」と謂うものと教わった。身につけは しなかったし、いまでもどこかに仕舞い込まれているのかも知れない。
小さい頃から、家には漢籍も古典籍も信じられないほど豊富だった。だが、そんな中に、誰かから送られたらしい小型の良い新約聖書があり、じつは、わたし はその文語体が気に入り、福音書などはみな繰り返し読んでいた。基督教の空気は、誰からでもない教会からでもない、一冊の聖書から吹き込まれていた。かす かに教会へ気が動き、そのままになった。コンタツとやらを拾っても身には帯びなかった。まったく同時にわたしは、仏壇の般若心経や燈明の色に惹き込まれ、 また地獄の想像に夜中泣き叫ぶ子だった。
高校生のうちか大学入学のころには裏千家から茶名を受けていた。希望した一字は「遠」つまり茶名は「宗遠」とつけられたが、これが「老子」から得た一字 で、老子も荘子も唐詩選も白楽天も、みな祖父の遺していた蔵書で、例外なく小学生の頃のわたしの愛玩書だった、愛読書とまではとても云えなかったが。
わたしは、聖書も含めて古典や歴史書との出会いが、いわゆる小説などの読み物と出逢うよりよほど早かった。変わり者にならずに済まない環境がはなから養家にあったのだ。
2016 1/6 170

* 北朝鮮が「水爆」実験に完全に成功したとブチあげている。危ない「刃物」ほど危ないヤツの手に握られる。この手のニュースが乱舞のたびにこの頃ではきまって余命の少ないことを勿怪の幸いなみに感じているのが情けない。
英文学者で文藝批評家の佐伯彰一さんが、英文学者で詩人の加島祥造さんが亡くなった。お二人とも九十代。わたしたちにしても、八十という数字は、希望的にすら持ってなかったが。だが寂しくなる。点鬼簿の数が増えて行くばかり。減ることは決して無い。
佐伯さんにはたくさん読んで頂いた。息子さんが医学書院に就職受験したいがと相談を受けたこともあった。
加島さんに貰った、懐紙を上下二つ折りに毛筆で大きく書かれたお手紙が、すぐ手の届くところにあった。『愛、はるかに照せ』へであったか。

☆ 湖の本
つねに敬意と興味を持ちつゝ読んでいます。また お努力にも感嘆しております。
とくに詩歌集の評釈語には教示されるのを覚えます。
わが國では稀な仕事ですね。
とくに、学者のなぶりものになったあとなので、こういう少数のよい感性ですこしづゝ回復してゆくほかない。しかしそれを受け容れる人々は絶えない、どこかにいる――これはあなたが私以上に実感されている事でしょう、 匆々
九月十一日       加島祥造
秦 恒平様

* 点鬼簿 という言葉を少年の昔に芥川龍之介の本の題で覚えた。
記憶の利いたかぎり、御恩やお力を得た方々、また親しい知友として敬愛を分かち持てた大勢の名前をわたしも書き留めているが、あまりの早い増加に胸が冷える。「死なれて 死なせて 生きねばならぬ」と思ってきた。
2016 1/6 170

☆ hatakさん
無事のご退院をお祈りしています
真冬日の札幌より   maokat

☆ 無事に
施術終え退院されますよう。  尾張の鳶

* 感謝。
2016 1/8 170

☆ 安心しました。
心臓が強い、丈夫というのは、そのまま喜びましょう!
大事に、元気に。
娘たち四人が(=海外へ)帰り、掃除洗濯を終え、ひたすら眠っています。 尾張の鳶

* 「祇園の子」内田豊子さんから、黒田庄九平次が醸造選り抜きの名酒二種、手紙とともに頂戴した。謙遜されているが、お酒のことには精しい人、とびきりのお酒とは、瓶を観ただけでもわかる。ありがとう。
「豊子ちゃん」か、なんと懐かしい。大勢の識者から賞された「祇園の子」菊子に作中、おめでとうさん、よかったえと賞められて校内で優勝した、弥栄中学 一年二組の劇「山すそ」に主演してくれたのが、内田さんだった。この人もまさに祇園の子であった。独身で、ながらく「とよ」のママだった。妻もつれて飲み に行ったこともある。「樅」のママの横井さんと近所で仲良しだった。横井さんは、小説『お父さん、絵を描いてください』の冒頭、音楽室の掃除当番を怠ける 男子生徒をモップで叩き出す勇ましい女生徒である。
弥栄中学はもう廃校され、幼なじみも例外無く八十、無事を喜び合うばかり。

☆ 良いお年を
お迎えになったことと存じます。お元気でいらっしゃいますか。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
昨年はかぶき(=にも触れた本)『有楽帖』を送って下さり、とてもうれしくその日に一日家にいて読みふけりました。綿抜く死の宝物にしております。
秦さんに何かお送りしたいと常々思っていたのですが、昨年京都の高島のお酒売場に通った時、投票用紙がおいてあり 少人数の人しか当たらないお酒とかで 養子をもらい(投票の)箱に入れ、帰りました。
後日当選しましたと通知が来て行きますと 店の方が このお酒はまだ知名度がないので応募が少なかったのですがこれからも酒屋さんで売らないのでこちら では定価でお売りしますが貴重なお酒と分かれば投票する人が多くなりもう当たることはむずかしいですよ、おめでとうございますと云われました。お酒のこと はよく分かりませんが すぐ これを秦さんにお送りして飲んで貰おうと 恥かしながら送らせていただきました。
御笑飲くださいませ。
余談になりますが 子供の時から歌舞伎が大好きでそのことをまた お手紙にして読んでいただこうと思っていますが!
役者さんでお独りだけ秦さんのお心にとめていただきたい人がいらっしゃいます。それは中村扇之丞さんです。坂田藤十郎さんの門下で、この扇ちゃんが二十 五歳位の時から家族ぐるみのおつき合いです。これからも山城屋さん(=藤十郎)さんをおささえしていくんだと頑張ってられます。何よりも人間味のとても素 敵な人です。
今年は暖冬とはいえ寒さきびしくなります。秦さんもくれぐれもお身体お大事になさって下さいませ。ご夫妻様の御健勝をお祈りします。

* お酒の二種は名高い米の山田錦を贅沢に用い、日本酒をワイン感覚に追究試作した未売の珍品らしく、戴くのが、楽しみ。

* しばらく音沙汰なくて案じていた東工大卒の子松君が、転勤先の倉敷から元気そうに賀詞と近況報告とを呉れた。安心。卒業生の賀状、例年と変わらず十数通に及んだ。
2016 1/9 170

* 内田さんの呉れた日本酒はまさに「和製シャンペン」であった、下関の大庭さんに戴いた雲丹が恰好の肴で、美味かった。感謝。
2016 1/10 170

* 京都から、懐かしい祇園石段下亀屋の銘菓を添えて、羽生清教授のありがたいお手紙をもらっていた。この方には、いつも「読んで」のうえのお手紙を戴く。

☆ 「秦 恒平選集第九巻」
ありがとうございました。
いよいよ、「窮すると妻に向ってものを言う作者が登場」 嬉しくなってまいりました。そして、ついに、「わたしは小説やエッセイを創作してきた。妻は作家 秦 恒平、此の私を創作してきたのだ」と白状していらっしゃいます。
先生の作品から受ける豊かさは、そこに女性が感じられるからとずっと思っておりました。
読者の喜びが、未知の世界を垣間見ることと そこにつながる自分を見いだすことであった昔、先生の御本でで日本文化の面白さに引きこまれてゆきました。  あの頃は、内容についての理解が不充分であったにもかかわらず、いやそれ故にこそだったのでしょうか、読書の快楽を堪能しておりました。
「加賀少納言」「月の定家」は、「源氏物語」の成立過程や 俊成、西行、定家それぞれの歌の趣と共に、摂関政治や源平動乱の時代を知って、はじめて作品の 持つ挑戦的な意味がわかる仕掛けになっていました。 国文学的通説に対する 小説でしかできない真相究明の道のりは、謎解きサスペンスのようでした。
今回 心に残った「盃」。
漢詩では何といっても李白。そして「一盃一盃 また一盃、我酔へり眠らんと欲す君しばらく去れ」です。それが掌説「盃」になっていて、思わず朗読してしまいました。
これから、怪談を読むような老いの闇を覗きこんでみることが 私にもできるのかどうか 楽しみにしてみたいと思います。
先生と奥様にとって、
二○一六年が佳いお年でありますよう、心よりお祈り申しあげます。  羽生清

* 京都人の冷淡や意地悪を謂う声もしばしば聴くけれど、わたしの実感では、京都で知情意を深く養われた人の「ことば」は、おおかた優しい深みをもって伝 わってくる。気配り暖かく、せかせしない。お世辞やご挨拶がほとんど無く、意外なほど他の大都会のひとの「ことば」より親味に具体的に「思い」が伝わって くる。羽生さんは京都で久しく大学の先生であり、美しいものと向き合いながら思索を重ねられてきた方、なによりも自身の息づかいでことばをゆっくり紡が れ、カサカサしない。創作にはそういう品が自然に添って作品と呼べるようでありたいと願うとき、わたしはそういう「京都」を有り難いと思う。

* 今日は休日とか、病院もお休みでないかと通院を案じて下さった方、有難う存じます。心配だったので事前に確かめもして築地まで出向きました。

* も一つ、びっくりもし、思わず相好をくずした一つ。夕方家に帰ったら、おおっ! 休日で郵便配達がないのに、「寒中お見舞い申し上げます」と沢口靖子のはがき。妻ににやにやされた。
「寒さ厳しき折、お変わりございませんか。
おかげさまで 私ども科捜研のメンバーは元気に鑑定に励んでおります!
まだまだ寒さが続きますが、くれぐれもご自愛ください。
ご多幸を心よりお祈り申し上げます。  科学捜査研究所  榊 マリコ」と。
「科捜研の女」番組の宣伝でしたが、帝劇の楽屋で逢った沢口靖子のままに美しい、元気そうな写真で、思わず、にこにこ。
2016 1/11 170

* 大和郡山の歌人喜多隆子さんから、選集第九巻へのご挨拶を戴いた。銘菓なども添えられていた。
2016 1/13 170

☆ 阪神淡路大震災から
21年になりました。
「体調すこぶる宜しからず。けだるくて、しんどい。」と書かれていたのは木曜日の事。今日(=昨日)もダル重い、と書かれています。
お元気ですかというごく平凡な挨拶ができませんが・・如何でしょうか。大事になさってくださいと祈るばかりです。引きこもりの老鬱はいけません。
わたしは偏頭痛に悩まされて六日目、漸く抜け出せたかと思えるようになりました。できる限り薬を服用しないで頑張りました。
身体に関しては何気ない、気に懸らないこと、それ自体がとても貴重なものと感じいります。
集中的に物事に打ち込むには偏頭痛は御免こうむりたい、です。一年がやっと動き始めた感じです。
それにしても京都の地名の羅列に鴉の京都愛が窺えて、わたしは半ば微苦笑しながら一つ一つを読みました。
「二百まで生きねばなりまへん。」とあるのも・・二百まで元気に生きられたら! ・・どうぞ京都にお出かけください、無理なさらないでゆったりの滞在を!
昨日は思い立って西に、関が原から伊吹山麓の道を辿り、浅井長政の小谷城址へ。熊出没に注意、と看板が立っているのも半ば気に懸けつつ本丸址まで山道を歩きました。南には伊吹山の雄姿、西には竹生島。
長政の自刃は29歳、彼に限らず当時の人々の短命に改めて胸衝かれます。
東京は今夜(=昨夜)あたりから雪でしょうか?
くれぐれも風邪など引きませんように。    尾張の鳶

* 長久手から関ヶ原を経て小谷城址へというと、あの大きな伊吹山を南に見上げ、竹生島を西の湖上に観るのか、と、深々と大きな景色を夢見るようにまさぐった。羨ましく。 2016 1/18 170

☆ 昨年暮れに体を壊し
ひと月ほど入院しました。
検査、検査の明け暮れで疲れましたが、唯一の愉しみが「湖の本」でした。
ベッドの上で読むのに最適な軽装本ですので退屈せずにすみました。
漸く退院しましたので続きを楽しみにしております。
先生もどうぞお元気でお過ごし下さい。  狛江 秀
2016 1/18 170

* 出掛ける前に着払いの荷が届いた、繪だ。前もって二度三度電話があって妻が出ていた。生活できないので買って欲しいと。たとえ言い値で買ってあげたと しても、十日も暮らせまい、底なしの前途が見えるどころか、前々から見えていて、しかも打つべき手が、生活扶助とか民政委員との相談とか、就職とか、何ら の手も打てていない。際限ない泣訴がつづくだろう、むろん今の私にはそういう出費のゆとりはない。支払い過多でまったく無収入のわたしには、しかも、なお 継続したい事業がある。
興亡は脆き柳の如く  身世は虚しき舟に類(に)たり
どう思いを尽くしても、私の力でこの人の窮境はとても支えられない。
送られてきた繪(らしき)を、わたし受け取らなかった。配達の人も当然のように持ち帰った。
情け無用とは思わない、が、この情けは泡の一つにしかならない。
2016 1/19 170

☆ お元気ですか、みづうみ。
病院の検査結果が良好でほっといたしました。ご体調のすぐれぬご様子でしたので心配しておりました。くれぐれもご無理なさらずゆっくりお仕事をお進めく ださいますように。人間の体力は坂道のように徐々にではなく、階段のようにがくんがくんと落ちていくそうです。八十歳の青年は働き過ぎですので、お疲れに なるのは当然のことといえましょう。
ドクターから歩くことを奨励されていらっしゃるようですが、わたくしはあまりお勧めしません。優等生患者になって頑張って歩いて膝を傷めたひとがたくさ んいるからです。日本のドクターの言うこと、わたくしはあまり信じていないのです。みづうみはご本の発送作業などで動いていらっしゃいますから、お家の中 で、ラジオ体操、お手玉、けん玉、エア盆踊り、四股踏みなどのほうがよろしいかと。
わたくしは体調絶不調、一度にあちこちが悪くなるのは今迄経験のないことで滅入っています。でも、今のところ深刻ではありませんのでご心配くださいませんように。
茶  大福をただたぷたぷと召されしか  虚子

* なんとなく、幸いに明日と明後日がラクになった。今少し家の中の受け入れに手を掛けておかねばならないけれど、ま、発送しながらやりくり出来るだろう。
2016 1/19 170

* よく晴れている。暖房が容易に効かない。やす香のお友達から贈られたMISSONIのすこぶる軽くて温かな手ざわりを愛して肩から掛け、胸まえでパッチン で摘んでいる。上半身、まことに暖かくやす香が肩へ来ている気がする。なによりも肩を包んでまったく負担にならず、軽くて当たりのとても柔らかに温かなこ と、が嬉しい。       2016 1/21 170

* NHKへ投書用という感想文が届いた。共感を惜しまない。

☆ BS103 NHK放送のドラマ「刑事フォイル(FOYLE’S WAR)」を見て。

素晴らしいドラマです。偶然第一回をみて 惹き込まれました。

なにより まず 静かです。ドラマがガサガサ騒がしくなく 一人一人の人間性が丁寧に表現されています。

舞台は 第二次世界大戦の「銃後」ですね。戦場は知らなくても 銃後のありようは経験しています、父は南島へ出征していました。あの当時、私は九歳、三年生の夏休みに 漸く敗戦を迎えました。

 

フォイル父子らの当時と私らの銃後との類似は 驚く程です。

私は 英米は豊かに戦争に臨んでいたと 思っていましたが 食糧難も 子供を使っての物資調達も 私物の供出も 住民同士の疑惑や監視、そして 灯火管制。ガラス窓に紙テープを貼っている様子も、そっくりで。

違っているのは フォイルや皆が 終戦まで生き延びようとする意志、また戦闘で疲れた若者に 暖かい理解のあったこと です。

特攻の思想 竹槍精神 玉砕 の思想がでてきません。

そしてもう一つ 陛下の御為に と類似した文言のないこと。

 

警視正フォイルが 余人に代えがたい働きをしているにも関わらず 軍に参加して 国の役に立ちたいと思う心情も、遁れようのなかった、あの戦時下なのですね。

 

力ある反戦ドラマになっています。

 

日本よりも人種が混在していて ドイツ人が全員ナチのはずもなく イタリア人みながファシストでもない そのまま敵であるわけでもない複雑さも胸にせまります。

イギリス人にもナチにかぶれた人たちが また経済力や地位の我欲でイギリス人共同体の倫理から外れて行動する人たちがいたのも 多分どこの国にもある醜さなのでしょう、それも「戦争」なのですね。

 

毎週 他のどのドラマより楽しみに観ています。 迪

* わたしの「銃後」は、小説「或る折臂翁」や、シナリオ「懸想猿 続篇」や、「丹波」に書いた。小説「清経入水」にも書いた。自身で感じていたよりもよほど凄く暗くおそろしく書けているのにいまごろ気付いている。
2016 1/21 170

☆ 久方ぶりに(湖の本127「有楽帖」で)
観世先生(栄夫)や勘三郎(先代)さんに会えたような嬉しさ……「邯鄲」や「髪結新三」大好きでした。
ピラミッド建設が古代の公共事業であったとは驚きました。  京都  羽生教授

* 「有楽帖」は受けました。わたしも一昨日病院の帰りに読んでみて、思わずずんずん頁の繰れるのに嬉しくなった。せいぜい新世紀になっての三年までで頁満杯。以降、干支一巡の余も同じように沢山の「舞台・映画・ドラマ」に出会っている。続きが待たれているようだ。
2016 1/21 170

* 今日、思いがけない、とても信じられない関西からの悲報に接した。わたしよりも数歳は若い、元気溌剌と見えていた後輩の、まさに、あっというまの病死。ただ瞑目して、往時のいろいろを思い起こしている。
2016 1/23 170

* 「謹呈 小鷹信光」と手書きされた札をはさんで、ハヤカワの「ミステリマガジン」三月の特集号「追悼小鷹信光」が届いた。ハヤカワから届いた。小鷹こ と実名中島信也は医学書院のころの後輩編集者で、その当時からミステリ世界に関係していた。病気に罹ったらしいとは聞いていた気もするが、この特集号巻頭 の「追悼」の辞は小鷹本人が書いている(と読める)。死なれたくはないし、十二月八日とある逝去の日付がまことなら傷ましいが、すこし戸惑う。妻が検索で 調べたところ、逝去は事実のようで、残念なことだ。わたしより一つ若いのである。
中学以来の後輩の信じがたい不孝な癌死を知ったばかり、今日遺族への弔辞などを霊前へ送ったばかりなのだ。気が鬱ぐ。
2016 1/25 170

* この「私語の刻」の一読者の手に成ったまた新しい37分類の記事が電送されてきた。有難うございます。これ有って、もう何冊もの「湖の本」が成って来まし た。ただただ感謝申し上げます。
2016 1/26 170

* 起床8:15 血 圧148-77(60) 血糖値79 体重67.2kg

☆ 湖の本128
受け取りました。有り難うございます
体力よりも、持ち前の気力でお仕事をしているのかなと、感心しています。
八十歳寸前と思うと、ワオとおののきますが、早生まれなので、仲良し同級生の中では最後に大台に乗るので、 小学一、二年生の頃は辛かったけれど、この歳になると早生まれで良かったかなァ(^o^)と。 あんたそれでもいばってるェ の声が聞こえてきそうやけど…
話変わって
今テレビの「世紀の映像」に夢中です。
終戦が二年生、気が弱くて(笑うな ! ) 団体の学童疎開は無理と、大阪郊外で一人暮らしの祖母に預けられ、農家では無かったので、食料に乏しく、何時もひもじくて、道に落ちていた青梅を土を 払って口にした事と、大阪方面が空襲で空が真っ赤になっていたのを、何時も思い出します。
今も、放映の「世紀の映像」に夢中です。
戦争体験者が減っていくこの頃、先日、映画「二十四の瞳」を観ながら、「反戦」をひしひしと思いました。     花小金井   泉  中学高校後輩

* 久し振りに、サックリした便りを読んだ。八十か。シャーないか…。キリっとして頭抜けた美少女やったがなあ。
今回湖の本「トウチャコ」第一報。今回本は、ちょっと様子がちがうので向き不向きがあるかも。次回本には「未公表」小説が三作、これは、いろいろに楽しんで貰えるだろう。
もののしたから埃まみれの紙袋に入って、未公表のままの小説や習作原稿が、ゾロゾロ出てくるのら驚かされる。なんで。
わたしの小説や志向・傾向が、とうてい現下の文壇や文藝出版向きでないという体験上のかすかな諦念が、書いてもそのまま仕舞ってしまう方へ向かわせた、 所詮は騒壇余人の意識が強まっていたのだと思う。でなくて、現役作家が、「湖の本」のような舞台を自ら創り出すか。だれも、と言って間違いないだろう、事 実「秦 恒平」のように「文学」世界を自身切り開いて進んだ作家は他にいない。いても、続きはしなかった。「続く」ことが必要なのだ。「湖の本」三十年、わたし は、今も続いている。まだまだ続くだろう。

☆ 寒中お見舞い申し上げます。
傘寿をお迎えとのこと、ぉめでとうございます。衷心よりお祝い申L上げます。
「湖の本」有難うございました。不変の出版意欲に脱帽、敬服です。もう三十年にもなるのですね。
正月は生まれて初めて京都で新年を迎えまLたが、貴船神社が近くなったのには、驚きました。
今年は例年になく厳しい寒波の襲來ですが、お風邪など召しませぬようお大事になさってください。とり急ぎお礼まで。   草々
平成二十八年大寒   目黒  重金敦之  エッセイスト 元朝日記者

* 「三田文学」「東大大学院」「昭和女子大」から、受領の挨拶。
2016 1/27 170

* メールで送って戴いた、わたしのホームページ「私語の刻2015」の「全37分類」記事内容を機会に保存した。まったく順不同のまま、一応以下に「分類名目」を挙げておく。

スポーツ、 バグワン、 ペンクラブ、 京都、 人物評、 人間関係、 仕事関係、 e-文庫・電子文藝館、 呑み・喰い、 音楽、 電子メティア・コ ンピュータ、 雑、 読書、 詩歌、 茶の湯、 自作を云う①、 自作を云う②、 演劇・舞台、 湖の本、 歴史、 歌舞伎、 時事問題、 映画・テレ ビ、 思想・文学観・述懐等、 家族・血縁、 女、 外出、 問題含み、 名言集、 卒業生・読者・友人等の① ②③、 健康、 作家論、 能・狂言・古典芸能等、 美術。

* ホームページに「私語」し始めたのは、前世紀1998年の春。以降2016年の今日まで、病気で入院中以外は、ほぼ一日も欠かさぬほどに語り続け書き 続けてきた。個人のそのようなホームページ日録は、世界的にも稀有であろうと思う、おそらく400字原稿用紙で10万枚も書いてきただろうという実感があ る。
だが「書く」「書き続ける」のは、そんな10万枚もの記事を、各年ごとに数十項目に「分類」すね作業はもっと遙かに大変な労作(ろうさ)であり労作(ろ うさく)であって、その作業に全く自発的に取り組んで、去年度分までを仕上げて下さった方には、どんな感謝も万分一にしかならない。
「日記・日録」のままであれば、10万枚もほとんど利用の仕様がなく、屑山と化しかねない。ところが、上記のような分類がされると、例えば前々回「湖の本 127」として編んだ『有楽帖 舞台・映画・ドラマ』の如きは、ほとんど瞬く間に編輯できて、読者の手へ届けられ、楽しんでももらえる。同様に編輯してす でに何巻の「湖の本」が送り出されたか、『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』上下巻、『バグワンと私』上下巻、『歌集光塵・詩歌断想』、『ペンと政治』上中下 巻、『作・作品、批評』、『歴史・人・日常』、『堪え・起ち・生きる』、『九年前の安倍政権と私』、と十三巻を数え、全「湖の本」のきっちり一割に及んで いる。
「湖の本」という舞台を創っていなかったら、他の多くも含めて、かような出版は実現していない、いまの日本の出版事情はあまりにも異様に「品質より利益」 に傾いて倒壊しつつある。とはいえ、繰り返して言いかつ感謝せねばならないのは、多年膨大な私の「私語」の山を、労苦を惜しまずに「分類」して戴いてれば こそ「可能」な編輯であった。ありがたいことに、この「分類」を真摯に活かしつつ編輯すれば、数多くの秦 恒平著作は実現できるし、帯同して、新たな創作にも強い弾みがついてくる。幸せな作家だと言える。

* 幸せのついでと謂うのでは決して無く、このところ、個々の作品論でなく、包括して大きく「秦 恒平」を論じて下さった長大な論考がてもとへ届いている。慌ただしくしていてまだ叮嚀に読めてはいないが、有り難いことと感謝している。

* 梅原猛さん、大正大、水田記念図書館、東海学園大名古屋キャンパス、など、受領の挨拶があった。読者からの払い込みも始まった。

☆ 拝復
御鄭重に「湖の本128」御恵贈にあずかり有難うございました。まず「はじめに」で酒井健次郎編集長が登場していますのを非常に懐かしく思いました。 「なお三、四前々の新作を日々に用意」されているとのこと、「私語の刻」で傘寿を迎えられて、4度目の検査の御入院があるにもかかわらず「次の『湖の本』 もまた一癖或る珍しい小説三作の出版になるはず」との仰せに、我々と同世代の作家達にこのように活気のある人物は他にいないように私には感じられ、心から 敬服致しております。
どうぞ呉々も御体調に御留意され、本年も変らぬ御健筆を心からお祈り申し上げます。
本日は取急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。敬具  元「新潮」編集長

☆ 拝復
このたびは「湖の本128 資時出家 初稿・雲居寺跡」をご恵贈くださり 心より御礼申し上げます。
二編の御作の重厚感が「京の散策」に描き出された京都の空間に共鳴しているかのように受け止めつつ拝読しております。
酷寒の季節を迎えておりますが くれぐれもご自愛のうえお過ごしくださいますようお祈り申し上げます  草々かしこ  山梨県立文学館

* 新刊の「はじめに」とうしろの「私語の刻」をあらためて読み返し。感慨深い。いつまでもフレッシュな少年感覚で、めげずに無心に進みたい。身内の支えに、感謝している。

☆ みづうみ
寒くても冬の朝のぴんとはった空気は大好きです。
お元気ですか、みづうみ。
湖の本はまだ届いておりませんが楽しみにしています。
私語の編集させていただきましたことは、わたくしの財産です。
始めたときにはただお役に立てばという思いだけでした。これだけ大量の原稿を少しずつでもきちんと読んでこられたこと、いつか秦恒平論を書く上での底荷になった気がいたします。在野の秦恒平研究者になれたら本望ですが……。

年明けてすぐから体調不良で、まだ回復していません。すっかり引きこもり生活です。最近はベートーベンのピアノソナタ全曲、九時間以上かかるのですがはま りこんで聴き続けています。最初の一曲から素晴らしいのですが、晩年にいくほどに凄みを帯びてくるのがわかります。優れた藝術家の仕事は出発点から終着点 までの流れを観ることも大切だと教えられます。
早く発送作業のお疲れのとれますように。 紅 紅すこし初天神といひて濃く 占魚

☆ 鴉に
寒波も一段落してホッとしています。
本の発送などお疲れかと察します。大事になさってください。
昨日 みづうみの本が届きました。早速「資時出家」を、そして今日は「雲居寺跡」を読んでいます。
興味深く、しかし読み進めるには時間がかかります!
詩に関してご指摘と励ましをいただき、改めて考えるのですが、数年書きためたものの中から選んで時系列に沿ってまとめるのには、やや躊躇する思いがあります。
まだ時間がかかりそうです。  尾張の鳶

* 昨日の晩、堀上謙さんの電話、小 一時間も話したろうか、じつは下前歯がぐらついてて喋りにくくて閉口した。閉口していては電話にならないのでいろいろ話した。堀上さん、糖尿の調子よくな くて薬の他に注射をいいつかりベソかいていたが、薬を飲むより注射の方がよほどいいと思ってきた。体調次第で注射の量を按配するなど日常やってきた。糖尿 で注射と話したトタンに日大の大国教授、喰ったり呑んだりすれば注射の量を按配素りゃいいんですと。いらい、気軽にやってきた。薬ではそういう調整はしに くい。そもそも、体重が86キロもあった頃はどうしようもなかったが、胃袋と一緒に体重が20キロも減ったら、たちまちに糖尿の方も、医者がホメテくれる ほど正常範囲に安定している。注射の単位も少ない。要は体重のようです。
堀上さんの電話、声も言葉も明晰で何の乱れもない。それなのに、病院では三時間前に何を食ったか、云えなかったらマイナス1点だのなんのと、テスト責め にあっては認知傾向がどうのとおどされてばかりいるらしい。バカげている。患者で実験しているのだ、八十幾つにもなって物覚えわるく物忘れが日増しにヒド イのは、当たり前の話で、わたしは全く気にしていない。話せるし、読めるし、書けるし、鑑賞できる。堀上さんもわたしに輪を掛けたなにしろ朝日新聞の記者 で先生で物書きで能狂言は舞台にも立てるほどだ。なにがマイナス一点か、と、わたしは医者に腹を立てた。大学病院の医者はも患者を検査物体に思ってそう扱 う。聖路加はそれが無いのでわたしはもうそろそろ二十年近く通っているのです。
2016 1/28 170

☆ 生きてるだけで
丸もうけもの、とは毎年催される東京同期会での合い言葉で、世話人さんに感謝を込めて参加しています。
あなたは、お家に佳い話相手がいて、好きなお仕事もこなせて、幸せですね。後は、いやでも歩く時間を持つ事でしょうか。
私は薬を手放せないレベルの喘息の持病がありますが、毎年の健診で必ず引っかかる内臓のデーターもあり、医者の勧めで、近場にある良い散歩道でのウォーキングは、ほぼ毎日欠かせません。
入院生活も寝たきり生活も御免蒙りたいものです。 花小金井  泉

* 弱って行くのに身をまかせているような老境では、怠惰と。
2016 1/29 170

☆ 「湖の本128」落手。
ありがとうございます。
なんだか楽しそうにお仕事をなさっているようで、まねをしたいです。 島尾伸三 作家・写真家

* 小説家島尾敏雄子息。「ミセス」の連載で一緒に旅も楽しんだ。酒の楽しい知己。

☆ 冷たい日がつづきます。
体調はいかがですか。
お正月の入院で大事なくてよかった! と思ってます。
早々に湖の本128送って下さり 京都のこと 楽しみに読みます。
又、メールします。お気を付けて。  京・渋谷  華

☆ しびれるような作品を
次から次へと よくもまあ。だれもまねしうるものではありません。いつも感服しております。
一月二十五日の「私語」 馬祖道一とルソーとの比較、痛快で、これこそ秦 恒平の世界であり、もう存分に元気を頂きました。怖いけれども、痛快・痛快・幾度も痛快。
痛快に泪を添えて。    東近江五個荘  川島民親  作家

☆ 私も
80歳となりました。
先生のブログはどのように検索すればよいてすか。  大阪・松原市  岸田準二

* わたしのこの膨大なホームページへ入るアドレスは、湖の本奥付に、メールアドレスとともに書き込んであります。接続すれば湖の本表紙繪をあしらった大 きな表紙が出、どこでもクリックすると、詳細な目次が出る。今月の日録も、大量の電子文藝館も入っており、邯鄲にすべて観られるようにしてあります。

☆ ありがとううございました。
「はじめに」と「京の散策2003」「私語の刻」を、まず読ませて頂きました。あとは一仕事終わってからの楽しみです。  調布市  完  文化出版局役員

☆ ありがとう御座います。
何度も読み返せる本が「湖の本」しか無くなりました。  狛江  秀

☆ 新しいご本が届き
ワクワクしながら頁をめくっています。
ずーっと音楽に関わってきましたが、昨年から奈良大学の通信教育で、歴史の勉強をしています。慣れないレポートを書きながら、なんだか(おかしいかもし れませんが)秦 恒平の世界に近付いてむく気がしています。送金は少しだけ多めですがそのままお納め下さい。 鎌倉  橋本美代子

☆ 今年は
「ペン電子文藝館」 秦さんが開設して15年になります。ことしのペンの日までには、1000作品掲載を目標にしています。  ペン会員 向山肇夫  医学書院後輩

* わたしが館長を辞したときすでに六百数十編を掲載していた記録がある。十年経ってまだ1000編にならないとは。上質の作をえらぶことこそ館の品位と 価値とを増して行く条件とよく心得て努力して欲しい。ちなみに向山は、入社してわたしのデスクに配属され、わたしが退社の頃に課長になった。選集第十四巻 の「迷走 課長達の大春闘」にもいきなり顔を出す。定年退社の折り、理事だったわたしが編集者会員に推薦し、わたしの委員会に入ってもらった。ペンの老後 を幸いに満喫してくれているようだが、久しく会わない。

☆ ありがとうございました。
「しんどかろうとも 元気」 思わず襟を正されます。お体 お大切に! 中野区  恭

* 俳人奥田杏牛さん、静岡大教授小和田哲男さん、渋川市森田比路子さん、神奈川近代文学館、成蹊大、二松学舎大、中京大、文教大、お茶の水女子大等から、受領の来信。 2016 1/29 170

☆ 旧臘
十二月二十一日に傘寿をお迎えのよし、おめでとうございます。新年早々入院とのよし、もう退院されたのでしょうか。「湖の本」128お送りいただきありがとうございました。一気にたのしく拝読しました。
昭和三十七年というと、まだ私は佐賀にいた頃で、あの頃『愚管抄』が再評価されたのを思い出しています。「資時出家」は、よくまとまった小品で感心しました。「雲居寺跡」は、こういった形でノートを開陳されと、これはこれで私などにはありがたく読ませていただきました。
平成十五年の日記、二条陣屋、これは近世文学会の時、はじめて行き感心したので、佐賀大学の学生を連れて京都へ行った時、予定の所が駄目だったので、野 間(=光辰)先生の研究室に立ちより、紹介状を書いてもらって出かけ、学生達がたいへん喜んでくれました。今ではああいう見学は出来なくなってしまってい るようです。なつかしく思いました。
伊吹和子さん(=中央公論社編集者、谷崎・川端など担当)の名も見え、これもなつかしく、いまどうされているでしょうか。
「白装束」のキャラバン、ああこの年だったのですね。郡上に関係し出した頃で、毎日の様にテレビに釘付けになったのを思い出します。
(転居養生中の=)所沢、ほんとうに昼食の気のきいたところ、ありませんね。夜なら娘婿が行く気の利いた見せもあるのですが、私は、在宅医療ということで、いまは流動食と、それにいくつか許可されたものという食事で、目下栄養は点滴によっている生活です。
それでも元気にしていまして、何とか『源氏物語放談』書き上げ校正の来るのを待っているところです。  北所沢  島津忠夫  阪大名誉教授

☆ 「湖の本128」
忝のう存じました。
添えられていたご挨拶文の終わりに、『親指のマリア』の拙読後感をくりかえし読まれた由、記されており、痛み入りました。
今回の若き日の習作その他を本日拝見いたしました。
「雲居寺跡 創作ノート」 秦 恒平という作家誕生のプロセスをトレースする気持で拝見、人間の複雑なぶつかり合いの影を凝視しようとするスピリットを感知しました。
これをお書きになった頃にはすでに課長の重責を担っておられたのですね。創作への修練とよく両立させたものです。「資時出家・他」をお書きの頃の私は、 ようやく論文を二本公にし、正義と法に関する新約神学辞典の大きな項目の飜訳をしておりました。既に息子、娘がおりました。助手の薄給に耐えつつの日々で した。
まだ通院とは縁が切れないご様子、十分にご自愛の程を。平安  浩  国際基督教大名誉教授

☆ 「湖の本128」
有難く お礼申上げます。
大き恙のあとも 壮絶とも云えるご活躍 尊敬申上げるところ多大であります。
まず京都。 一気に拝読いたしました。奈良の明るさに対して 京都の昏さが気になっていましたが、幾たびか通ううちに その昏さの裏に万象に通底する或る明るさのあることに気がつきました。 人のいのちと通うものがある そんなことを思っています。
今、京都はどんな貌をしているのでしょう
厳寒の折り どうぞお身体をくれぐれも大切に。 江戸川  清沢冽太  思想家

☆ 風花の舞う朝
コトリと音がして「湖の本」が届きました。有難うございます。
日々ぼんやり過ごして居ります 恥しい在りようですが、御本を手にすると背を真っ直ぐにしようと想います。
少しずつ日が長くなって参りました  どうぞお平らにお過ごしの程を。 京下鴨  文  同窓

* ロサンゼルスの池宮さん、多摩美大、作新学院大、日本近代文学館、山梨県立文学館から、受領の挨拶、またペン会員の菱沼彬晁さんには中国人戯曲集の訳本を戴いた。

☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 128 資時出家 初稿・雲居寺跡 他 」を拝受しました。
「平家物語」の世界は複雑怪奇、なかなか理解が難しいところがありますね。「資時出家」「雲居寺跡」がその腑分けの一助 になろうか と 期待して読んでいますが、果たして?
「京の散策」を読みながら町並みのそこここが映像化されて懐かしい気分に浸っています。それにしても京都で15年(学生時代4年、京 都支店勤務11年)も過ごした割には随分知らないことが多いなと思いました。まあ、住んでいたわけでもなく、観光にも熱心で はな かったので仕方がないとはいえ残念なことです。
P.S.
「湖(うみ)の本 127」拝受メールを送信したと思い込んでいましたが、どうやら未送信状態で残っていまし た。今更ですが お送りします。
「湖(うみ)の本 127 有楽帖 舞台・映画・ドラマ」を拝受しました。
舞台のことはよく分かりませんが、映画・ドラマについては懐かしい作品の数々 に出会える楽しみを味わっています。
巻末の「わたしは小説やエッセイを創作してきた。妻は、作家・秦恒平、此のわ たしを創作してきたのだ」に、深くガッテンしました。  練馬区  靖  妻の従兄
2016 1/30 170

☆ 前略ご免下さい。
「湖の本128」 ありがとうございました。
今巻でもまた 秦様の日本古典文化へのご造詣の深さに、改めて驚いております。とくに、平家物語は秦様の中に血肉化されているように存じます。
近代日本の文学者の多くは、大抵、西洋文学の圧倒的な影響の下にその出発を遂げ、晩年になるに従い日本文学の伝統に回帰するといったコースを辿りますが、秦様はこの「近代の逆説」とは無縁なように感じられ、日本文化の純血種といった印象を抱きます。
江藤淳が秦様を東工大の教授の後任に指名されたのも、『近代以前』の執筆過程で明確になって来た、日本文化の正統な後継者の必要を感じたからではないかと愚考いたしております。
また『愚管抄』は、丸山真男が筑摩刊『歴史思想集』の中で『神皇正統記』『古史通』『日本政記 論賛(抄)』『大勢三転考』とともに、日本の歴史思想を 代表する重要な史書の一つとして挙げており、ずっと気になって来ておりましたが、今巻の秦様のご文章に接し、どうしても読まなければならないと思うに至り ました。
不勉強な日々を過ごし、古稀を過ぎても己の不明を恥じることばかり多い私にとって『湖の本』は貴重な知的刺戟を与え、さもすれば衰えかねない向上心をか きたててくれる宝庫の一つとなっております。最後になりましたが、秦様の今後のご健康とますますのご健筆、心からお祈り申し上げます。  草々  国分寺 市  鋼  近代日本思想研究家

☆ 「湖の本128」
誠にありがとうございます。
ご病気と闘いながらお仕事、敬服致します。  邦  青山学院大学教授

* 新潟大名誉教授黄色瑞華さん、法政大学文学部、早稲田大学図書館、富士大学等々、また読者の皆さんからもお便りを寄せて頂いているが、視力が追いつかなくて読ませて頂くにとどめた。
2016 2/1 171

☆ 「湖の本128」を拝受。
これぞ湖の本! よくぞ公刊なさったと感嘆しました。
まずは「資時出家」を拝読、すでにして<覚悟>の定まっていることに圧倒されました。
「初稿・雲居寺跡」と創作ノートは本当に貴重なもの、読むものを昂奮させます。
そして「京の散策」も、当方知りえなかった京都を楽しみました。
秦さんの<享楽>の深さ、計り知れません。
いつもお心にかけて下さり感謝いたします。
寒さが続きます。どうぞ御身お大切に。    敬  元「群像」編集長

☆ ご芳情に
ただただ感謝いたしております。
先生はここ数年体調が十分でないにもかかわらず、「書いて」「本にする」お仕事に励んでおられ、強い精神力で病と闘っておられる作家としての矜持、はかりしれないものがあります。
どうか寒暖差の激しい季節ですので、ご油断なさらず、くれぐれもご自愛くださいますようお願い申し上げます。   京山科  あきとし じゅん  詩人

☆ 略啓
「湖の本128」有り難く頂戴しました。
お書きのやうに試作品と完成稿の違いを楽しませて戴きます。
寒さ厳しき折から 御自愛を祈り上げます。  志木  英  元文藝春秋専務

☆ 寒中お見舞 申し上げます
昨夜来の雨もやっと上って 雲間から淡い陽ざしもれてきます。
ご病気をおして、いよいよ躍動的なご出版 今回もご恵与にあずかりありがとうございました。
私の方 昨秋 突然主人体調くずし、一時どんな事かとオタオタしましたが、新年 どうにか家で迎える事 出来ました。  京下鴨  正  同窓

* 大阪藝大、東海大から、また読者の皆さんからも受領のご挨拶が多くあった。
2016 2/2 171

☆ 節分
昨日の記述、お母様に対する「永い永い」時間の後の安らい、和みほどける思いを、嬉しく嬉しく読みました。
抗がん剤の副作用が眼や歯に容赦なかったことには圧倒され、絶句します。
歯抜けお爺様は返上して、あと数日で入れ歯ができあがりますよう、とにかく一件落着されますように
身体のさまざまな困難にめげず、靭い精神を保ってらっしゃること、そして行動されていること、読む人の励ましになっていると確信します。
小倉ざれ歌、あと八首、早く百首成って読ませていただきたいと期待しています。
ざれ歌だからこそ簡単に詠めるものではありませんから。
ルソーやバルビュスの著作、いずれも半世紀近く前に読んだことがあります。
ルソーは女性やわが子に対する「処置」を知った時に、たといどんなに立派なことを書いていて
も信じられないと、これはわたしの若気に至りかもしれませんが、以後彼の本は読んでいないのです。
バルビュスの『地獄』はニヒリストの立場ながら読む人は好奇心や覗き見趣味に終わる危険性を孕んでいました。彼バルビュスの後年の軌跡の中でソ連擁護な ど時代背景を考えれば当然だったかもしれないと思いつつ、スターリンの伝記を改作している時期にモスクワで亡くなったなどを知れば、なんともミステリーめ いています。が、詳細は知らないのでそれ以上は・・。『クラルテ』という作品は読まれましたか?
『初稿・雲居寺跡』はまだ読み終わっていません、難渋しています。難しいです。
『資時出家』の中のp20、院が「政に自信はない、と仰せられたよ」とある箇所を読
みながら、同時に院の存在の不気味さ、大きさをも感じました。
『親指のマリア』については既に述べられた方もいらっしゃるので・・  p331以下の絵について書かれた箇所が心に沁み込みます。
「親指とみても小指とみても、両方いいのですよ。小指ならばこの小指は、母に抱かれたみ子・・・もし親指を描いているとすれば、母の愛とともに、父なる神の愛もまた同時に、こうして・・子に・・、人の子すべてにまぢかに在ることを、表してみせたのです」
わたしがあまりに視覚人間だからでしょうか。そして上野の美術館やフィレンツエのピッテイ宮殿などのドルチの絵に魅かれているからでしょうか。
春立つ前の今日、冷たい空気に身が引き締まります。わたしの家族はそれぞれに問題を抱えて、まだ具体的な解決が掴めません。が、ワハハと一番磊落な態度をしているのがわたしらしいです。
娘がHPにあるわたしの詩の一つを読んでママの気持ちが分かって涙が出たと伝えてきました。面はゆく受け止めました。
くれぐれもお体大事に 再度、鴉の歯の修復が早く済んで、少しでも晴れやかになりますよう、風邪ひかぬよう。   尾張の鳶

* ありがとう。しみじみと繰り返し読みました。
この季節には、蕪村描く枯木雪中の鳶の繪、鴉の繪が瞼にうかびます。
親指、小指 あれはしみじみとした気持ちで感得したまま書きました。ああいう箇所にふれてもらえると作者冥利です。感謝。
大幅に歯がないのも、さほど気にせず時に忘れています。昨日も歯医者でこれは蝋で造りました見本、この通りに歯を造りますと手鏡で見せてくれ、なるほど と思いそのまま蝋の歯が入ってるものと思い帰宅して、食事しかけて歯が無いので慌てました。呑み込むには大きいし、電車や路上へ落としてきた自覚は皆無な ので、ギヤアギヤア騒ぎ立てましたので、家内が歯医者へ電話しましたら、見本の歯はこっちに置いて有りますよと。つまり入ってない歯を入ってるものと思い 込んでたワケで。つまり、あんまり歯抜け顔を気にしていないんです。小野小町でも在原業平でも晩年歯抜けでなかった保証無いんですからね、と。
さてさても繪も詩も、ワハハと描いて書いてください。

* ルソーについてもバルビュスについても、だいたいこの人とは、話が通りやすい。世界を繰り返し独り歩きしているし、西洋の文学にも美術にも実物に触れてわ たしなどより遙かに精しく、しかも京大での専攻は中国文学・思想というから、何を教わるにも頼もしい。どれだけたくさんな本を貰ってきたか、教わってきた か、「指輪物語」も「水滸伝」も「抱擁」も「ゲーテ名言集」もマキリップの「ヘド」の原書も、とにもかくにも受容超過の上に、久しくも久しく何かと激励さ れてきた。バルビュスの「クラルテ」は一の名作であり、必読の一冊とは知っていても、まだ手にしていない。「地獄」からは深い深い絶望の情けなさを読み 取ってきたが、この作者の人生は、ウーン、不可思議にひっくり返るのだ。「クラルテ」必ず読もうと思っている。

☆ ご丁寧なご挨拶頂き恐縮です。
謡のお稽古の新年の発表会が日曜日にあったものですから、失礼しました。曲は、「山姥」でした。ピッタリ?
詞章を読んでいますと仏教用語が多いのですが、かわいいところのある山の精霊でも。
選集を次々と発刊され、そのうえ湖の本の創作・送本してくださること。など 私から見ますと気の遠くなるようなご奮闘ぶりにひたすら感心しています。お二人の共同作業がもたらす強さなのでしょうね。終わりは想像もできません。
「創作ノート」を読ませていただきますと、まさに長年の作品への熱情。育てられていたのだなーと。
平家物語に興味を深めることができましたのも、秦さんの作品のおかげです。
能へともつながってきて、稽古に励みのつく気持ちです。
また今号は資時についての考察で深く読ませていただけること感謝しています。
「京の散策」を読んでいますと、10年以前の京都の町を歩いている気分が本当にします。むかし「京都」の案内文をいただいてから、あちこちらと気ままに訪ね歩いた町が蘇ってくるようです。
最近は一人旅をする自信が無くなってしまいました。
京の散策次年度版を楽しみに待つことにしましょう。
寒さがまだしばらく続くようですね。雪にならぬように。
インフルエンザに花粉症が始まったようです。
お二人ともくれぐれもお大切にお過ごしください。  練馬 晴美  妻の同窓

* 妻といっしょにこの人を訪ねていったのは五十八年ほど昔のこと、二人で倉敷という町へ小旅行し、「ブラマンクの青」に出逢ってき たりした帰路の途中下車でであった。ご縁で、東京でも比較的ちかくにいて、女同士の往来も何度もあった。「湖の本」も最初から、筆紙に尽くせず応援しつづ けてもらった。平家物語や謡曲になど縁の無かった人が、いまでは能舞台にも乗る人になって。たいへんな勉強家、いい人生を努力して立派に創り上げられた。

* 30周年おめでとうございます。この間のお二人のご苦労を想像するだけで気が遠くなります。
どうぞお元気で、ますますご活躍を!  葛飾  日比孝一  元筑摩書房編集者

* 「京の散策」を
読ませていただきました。京都は中二から高二の足かけ四年間を九条山で過ごしました。インクライン、都ホテル、明智の首塚などは通学路にありました。  (祇園の=)貝田孝江さんは、中学生の時から美人で目立つ存在でした。  府中市  石川布美  翻訳家・エッセイスト 弥栄中後輩

* 弥栄中学から東大へ入った只一人と思う。一年下にいた途中入学の後輩で、大秀才と聞こえていた。医学書院時代、ひょっこり東大構内で再会、以来、いろいろ読んでもらっている。難病に苦しんでいるとも聞いている。お大事に。
貝田は祇園の名妓のひとりで、御茶屋の階下のバーには、橋田先生によく連れて行ってもらった。たしか、老舗の銘菓舗の娘ではなかったか、やはり一年下。

☆ 暖冬といいながら
今年に入って大雪となりました。気を抜いた時の雪の始末は大変です。
ご夫婦共に傘寿という節目の時を迎えられる事 御無理をなさらずに、充実した日々でありますよう、願っております。  新潟市  鶴

☆ 今年は
「創刊・満30年」 桜桃忌までに第130巻上梓のご予定とか。
先生と奥様のご健康を祈りつつ、ひたすら「ガンバッテ!」と旗を振り続けるのみ。
傘寿も間近な奥様とともに、日々だいじにお過ごしくださいませ。 渋谷区  宏

* おかげで夫婦ともども身内のように元気づけて下さり、ありがたい幸せです。
劇作家で「金八先生」の小山内美江子さん、作家の杉本利男さん、立命館大学図書館等からも受領の挨拶を受けている。

* 実の父方、父の長姉だか次姉だかに当たる伯母の子、かたちの上ではわたしの従兄にあたる広田雄一夫妻から、選集第十巻への礼として「洋菓子」の大きな包みが届いた。父方にはクリスチャンか多いらしいので『親指のマリア』を送っておいた。
従兄とはいえ、みなわたしの父にちかい人ばかりで、この広田は、元日銀の大阪支店長や日銀理事を勤めていた。同じ広田のもう一人の従兄は総合大学院大学 の学長をしていたらしいし、べつの高橋家の従兄は三菱商事の重役だったらしい。そういう家系からまるではみ出た無縁のものとして秦 恒平や北澤恒彦がそれぞれの頑固な人生を歩いてきたのだから、おもしろい。
それよりもわたしは、生母探訪のなかで聞かされた、母の父が、東海道水口宿本陣の娘とさる九州大名の落胤であったという言い伝えの奥の奥を面白づくにも覗き込んでみたいなあと思っている。そっちの方が小説として面白そう。
2016 2/3 171

☆ 冠省
雪などに驚いたのもつかのま、さすが立春の何ふさわしく、日ざしは春のきざしが感じられます。
「湖の本128」お礼申し上げます。
「資時出家」との表題ではありますが、一人称の語り手「わし」による述懐、次第に(綾小路源家=)資時の姿があらわになってくる設定、誰なのか興味津々と読みすすめておりますだけに、感心。
なかで、「人の住む家を火で焼くより、(藝の力で=)人の心に火をともせ」と(後白河院の示唆の=)あるのには、(学者の=)事実考証では及ばない創作の醍醐味と感服いたしました。
保元・平治物語の成立、潅頂巻特立等を含め何より平家物語の成立に資時の参加など、山田孝雄・後藤丹治説に始まる考証学の課題ですが、将軍塚からの眺め 等ありえたであろう世界復元の視点が物語を読むに必須のことと、改めて学生達に伝えたくなりまして、学生達と『風の奏で』拝読した折りのことも思い出して おります。
「初稿・雲居寺跡」 作家・作品誕生の瞬間に立ち会うような予感で読ませていただきたく、とりあえずお礼まで。
ご大病経て 創作ますますご展開のことうかがい敬服。
くれぐれもお揃いでお大事に 草々   信太周  神戸大名誉教授

* 弱冠三十前の試行錯誤へ、専門家からかよう読んで戴けて、有り難くも嬉しい。

☆ 初めて 先生を詠います お許しを!
分け入りて 天の宝を抱き給ふ
秦の翁ぞ我が鑑なる   小夜
先生へ
いつもたくさんの言霊を頂きありがとうございます。何物にも換えがたい宝と噛みしめて読んでいます。
心配しつつ安堵しつつ いつまでもお元気で独自の世界を歩んでいかれます様 金澤から祈っております。
奥様にもブレゼントを!

* 妻は、竹久夢二ゆかりの猫づくし繪の葉書一束を頂戴し、大喜び。
わたしには、選集応援の喜捨をたまわった。感謝に堪えません。

☆ 秦恒平さま
鏡花全集と石川淳全集の下に秦恒平選集がおさまりよく並んでいます。
三人三様の語り口が面白いです。
私にとって 小説は声に出して読めるなめらかさが大事です。  狛江 野路秀樹

* 文学は「文楽」と書きたいほどに歌わない音楽であると、わたしも信じています。 2016 2/5 171

* 山口県の文学研究者平野芳信さん、娘さんの勤め先東京「とらや」の羊羹を下さる。

* 父方従兄の広田雄一夫人の電話で、妻がかなりながく、いろいろ話し合っていた。従兄とはいえ父のほうへ近いような高齢で、むずかしい病気でもう永く苦しんでいると。
そういう、話題や噂が、増えて行く一方です。

☆ 如月に
お正月は、スケジュールが多くて、31日の日曜迄楽しみました。
今月は、早速、今日、建仁寺、東陽坊の月釜に出向きました、ついでに、お菓子をお送りしました。(体力が着くかと葛湯を、小豆が体に良いと仙太郎の最中を)ご賞味下さい。
-親指のマリア- 力を入れて読んでます。
歌舞伎の事、先代の役者等 楽しんで読みました。有難うございました。
今夜は此にて  京・小松谷   華

* 建仁寺東陽坊の月釜とは、なんと懐かしいこと。家からは、祇園町をとおり抜ければもう其処に在って、秦の叔母に連れられても独りででも、なんども出向 いた馴染みの月釜。菓舗の「仙太郎」もちかく、いまこの界隈は書き続けている小説「清水坂(仮題)」の舞台そのもので。嬉しい、いい後輩である。呼びかけ てくる声も聞こえる。
2016 2/5 171

* 朝、いちばんに、京の「華」さんから、おいしい「葛」や、俵屋吉富や仙太郎の和菓子など、たくさん届いた。お茶を点てて戴こう。

☆ 拝復
立春の候 御清祥のこととお慶び申し上げます。
先生には 御高著 湖の本「資時出家 初稿・雲居寺跡」を御恵与いただき誠にありがとうございました。
小説という「手法」を用いて『平家物語』の成立論を掘り下げる試みは 学問とは異なるアプローチで道を拓くものと存じます。郢曲の家、綾小路家と資時、金仙寺のあたりは特に興味深く存じます。
近年 実践女子大の牧野和夫先生のアプローチと合わせて 次へ 背中を押していただいたように存じます。取材の記録もありがたく拝見致しました。
拙い感想ですが今後ともよろしくお教え下さいませ。 かしこ  清水真澄  中世文学研究家

* わたしのアプローチは、いずれも昭和四十六年(一九七一)の創作で、四十五年も昔の仕事。
小説家の試みは、なかなか同時代の研究家の眼にはとまりにくい。それでも幸いに『風の奏で』も『雲居寺跡』も、のちの『秋萩帖』や『あやつり春風馬堤 曲』なども、かなり深切に話題にされた。わたしの応援団めく専門家がかなり広範囲にいて下さるのは、東郷克美さんのいわれる「学匠作家」として仕事してき たからと思うしかない。何のヒキもないわたしに東工大教授の矢がいきなり翔んできたのもそのおかげと、いまごろ思い当たっている。

☆ 早 二月になりました。
過日は湖の本128を賜りましてありがとうございました。
『雲居寺跡』など 初稿時 先生三十二歳のご執筆、改めて感動させられます。
「京の散策」も、出掛けますとき 手引きにさせていただけます。
くれぐれも御身お大切にお過ごし下さいませ。  吹田市  郁  歌人

* 鳴門教育大、ノートルダム清心女子大 から、湖の本受領の挨拶あり。

* 松園、松篁、淳之の松伯美術館から毎度の、「松伯日本画展」の招待あり。行きたい、が、奈良は京都よりも遠い。それでも行きたい。

* ペン会員のつかださんからバレンタインデーのチョコやお菓子を添えて、『東欧の想像力』訳本や詩集『世界』の訳本など戴く。
2016 2/6 171

* 朝、いちばんに、遠くからの「つらい」電話の声を聞いた。貧と病苦にひしがれて、かぼそくも乱れた名のりを聞いた。一度二度のその場しのぎなら出来よ うが、千度万度と重なり、何も変わらないことは、もう随分昔からひろく知れ渡っている。妻子は見捨てて去り、知友もことごとく迷惑に泣かされて背をむけ、 もう、文字どおりの一人、わたしにだけ泣いてくるらしいが、所詮、どう心を奮い立たせても、彼より年老いた私たちにも、冷酷じみるがどうにも「ならない、 出来ない」のである。
地元行政への支援を頼んでいるのかいないのか。頼れぬと諦めているのかもしれない上に、なお悪く、「年金」をカタに「借金」もしてしまったらしい。強度 の躁鬱という病がかくも一人の有能で温厚だった男を、押し込んでしまった。「死ぬ」という言葉も繰り返し、答えるスベを持たない。この病苦の人には、信仰 も観念も無効になり切っているのだ、ただただ傷ましいが、なし崩しの安易もわたしには許されない。教えを請いたい。

☆ 拝復
本日は又 御鄭重にも『秦 恒平選集』第十一巻をご恵送下さいまして、誠に有難うございました。
「あとがき」をまず拝読致しまして、末尾の「『地の文化の恩恵』にむかい、心からの感謝と記念とを『秦 恒平の文学』として遺し得た、よかった。」と、「私・秦 恒平は『文学』を創作し、妻迪子は結婚して五十七年『秦 恒平』を創作し続けた」という二文にも非常に感銘致しました。四月五日にお二人で傘寿をお迎えになる由、心からお慶び申し上げます。
私は現在非常に忙しく、落着きましたら「地」の小説集を拝読致しますが、取り急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。
併せて御健康を心からお祈り申し上げます。   忠  元「新潮」編集長

* 恐れ入ります。

☆ 御著『湖の本128』
拝受いたしました。ありがとうございます。(毎巻、感謝にたえません。)
お元気になられたそうで、なによりです。
いまの世の中、あの安倍のお陰で腹立つことばかりですが、声を上げて反対していくほかないと腹をくくっています。
秦さんの御力も、ぜひ、いつかお借りできればと思います。秦さんの「京都」 こんなこともあったかと思いながら拝読しています。  葉山町  詠  協会・ペン理事

* 「ほかない」とは、さびしいですね。それで「腹をくくって」ではあの「安倍」らはノホホンです。闘うなら戦略こそが必要では。

* 川崎の島田正治画伯からは「選集⑪」へ、京都の漆芸家望月重延さん、京・今熊野の同窓松井孝・章子夫妻からは「湖の本128」へのご挨拶があった。

* 「選集第十四巻」の全部を要再校で戻した。これからは、「湖の本129」事実上の創刊三十年記念の巻を再校しはじめる。創作も進める。「湖の本130」入稿、「選集第十五巻」入稿の作業も進めて行く。
仕事としての元気は元気で有り難い、が、断っておくが、「選集」は限定150部の非売品、つまり出費の一方なのであり、「湖の本」は、この数年来、累算 赤字出血つづきでお金儲けとは百パーセント縁がないのです。そそっかしい誰かが、息子さんがやって下さるのでしょう、いい息子さんねと云われたことがある が、幸か不幸か、まったくそういうことはないのです。要するに、無心に懸命に生きている事実しかわれわれ夫婦には無いのです。自分がいま健康なのか危険な のかも、わたしには分かっていない。
2016 2/8 171

☆ 感謝
選集お送りいただきありがとうございます
迪子さんのお手間を想いながらそっと封をあけました
第十一巻
あらためて編集・選集の意味を感じています
貴重な御本 お仕事に感謝いたします
お身体どうぞお大切に
良い春をお迎えになりますようお祈りします  下関  碧
2016 2/8 171

☆ 選集ありがとうございました。
早々と、今日夕方、選集11巻届きました、限られた冊数にもかかわらずお送り頂き有難うございました。懐かしい所が沢山出て来る様で楽しみです。
お菓子喜んで頂き嬉しいです、お疲れたまらない様にお気を付けて下さい。
では  京・苦集滅路  華

* 「地(ぢ)=祇園・京」の作を揃えてみたので、昔の友だちには読んで貰い易いかなあと。まるまる京ことばでの作が二つもあり、少し冒険でもあったのだけれど。
仙太郎の最中、最中の好きな甘党のわたしにも、とびぬけて思い出のしみこんだ美味い甘みを堪能した。俵屋の葛も、京菓子の粋の粋。感謝、新た。
このところテレビで、京都探索の番組にしばしば出会い、みなそれぞれの魅力を見せていた。わたしにも、わたしの「京都」を見続けた歴史があり、何度も連 載で書いたり本にしたりしてきたが、もっとプライベートに近い、それだけ濃い翳りも匂いももった思い出はまだ沢山ある。「湖の本」編輯のついでのような付 け足しで何度か紹介はしているが、腰を据えて書き置きたい「京」はまだ有る、かも。そんなのは存外に此の「闇に言い置く 私語」にこそ書き散らされている のかも知れないが。ま、ま、…宿題の多いこと。

☆ 鴉へ
今日、ご本が届きました。
元気にしています。  尾張の鳶

* もう遠いむかし話だが、或る新聞の連載コラムの一編に、こんなことを書いていた。

* お元気ですか
不正メールに悩んでない人は少ない。見るからいやらしい広告や勧誘はすぐ分かり、見もせず削除してしまうが、流れ込む量がハンパでなく、「題名」もだん だんさりげなく工夫されてくるから、削除をとまどうこともある。してはならないメールをつい削除してしまう迷惑も起きてくる。
いまや、「お元気ですか」と問いかけてくる不正メールが来はじめた。
これには弱った。
電子メールは「恋文」を書くように書くべしと、此の道(恋ではない、電子ツール)の通の(つもりの)私は説いてきた。さもないと、電子メール独特の冷た い誤解から、仲良しでも不愉快に陥ることが多い。e-Youngがやたら絵文字でメールを飾るのは、賢く情味を伝えて、つっけんどんな誤解を避けているの である。
「先生、私は」と四角四面な未知の読者のメールなど、必ずしも読んで楽しいものでない。芽生えるものも芽生えない。そういう堅苦しい呪縛を解く工夫の一 つに、一人一人、相い対の「替え名」をつけ合うこともある。会うことのない四国の女性は、自分で「花籠」と名乗り、私には「月様」と呼びかけてきた。閑吟 集の室町小歌を借用した、これはきわどくセクシイな呼び合い方だが、わるくない。ウン、この調子だ、なんだか秘密めかしく親しくなって行く。堅苦しさが抜 けてゆく。
石部金吉も顔負けするガチガチのメールばかり寄越した相手も、例えば「花」と名づけ、こっちは「風」と名乗ると、きれいに遠慮がぬけて行った。つまりは 「秦サン」「先生」などと呼びかけるのが向こうはシンドイのである。丁寧に丁寧にという気遣いばかりが、双方肩凝りのモトになる。
特にきまりきったご挨拶ほど、電子メールで「こうるさい」モノはない。いわく「お元気ですか」いわく「元気にしています」と、昔書いた兵隊さんへ慰問袋のお便りみたい。
で、ナイショの話、「お元気ですか」はアイ・ラブユー 「元気にしています」は逢いたい逢いたいの意味のように「密約」が仮に出来ますと、「電子の杖」にすがる e-Old の老愁が、嬉しや春愁に似てくる。
なのに、この日ごろ、無遠慮な不正メールの題名に、「お元気ですか」「元気にしています」が、氾濫してきたではないか。腹立ちや、腹立ちや。 (平成06.10.13)

* うえに搦めて、近年、すこぶる迷惑な「日本語」混乱の例を、繰り返し返しになるが、断乎言うて置きたい。
ひとつは、賞め言葉なのか単に感動の表出なのか、口を開けば日本国民の「すごーい」「すごいッ」「すげぇ」の乱発。もともと「凄惨」「凄絶」の意味で、 四谷怪談だの陰火のまう墓場だの、見るから怖いほどの絶境・難所を謂うときに用いてきたのが、ま、江戸末期の軟文学の地の会話にも崩れて応用・転用・濫用 されだしてからは、ことに昭和末、平成初いらい、若い人にもいい大人にも「スゴイ」しか批評も称讃も無くなってしまい、感受性の国民的な乾燥を露わにし、 やりきれなく情けなく感じ続けてきたが、コレは、今は措くとして。
もう一つ、まことに不便も極めて「迷惑至極」なのが、「おつきあい」なる日常語の隠微なないし淫靡な変質・変容であって、うっかり口がきけなくなってき ている。何故かなら、今しもテレビの画面からは、能の有無とは無縁そうなタレントさんたちの口からも、「おつきあいしています」「いいえ、お友達で、お付 き合いはしていません」「何月ころからは、おつきあいしています」「で、その日からおつきあいをはじめました」等々の告白や述懐や報告が落花のごとく舞い 散っていて、これらの「おつきあい」「つきあっている」「おつきあいをはじめた」などのおよそ「全部」があからさまに「性的関係」「肉体関係」の肯定的表 明になっているという、現実。現実じたいに何の批評もないけれど、こと日本語の問題として、「つきあう」「おつきあい」を以て即「性」関係の告白・表明に されてしまっては、じつに迷惑の度も甚だしいのである。ふつうの意味での、親戚、先生方、友人知己、先輩・後輩、各界知名人と、わたし自身、たいそう大勢 の方と、多年にわたり「おつきあい」してきた、むろん「性的」にではなく。それが、うっかり、「おつきあいがある」と云えなくなって、モゴモゴと口の中で 検討して語彙を選ばねばならないとは、不便よりも迷惑千万と嘆かわしい。
それにしても、多くの皆さん、よくヌケヌケと、おおらかに、開けっ放しに、わたしはあの人と「おつきあい=性行為関係」にありますと公言・広言できるなあと、ビックリしているのである。好い時代になっているのかなあ、これは。そうかなあ。
もうずいぶん以前だが、心友の井口哲郎さんに、「秦さんは、とても叮嚀に人とおつきあいされていますね」と謂われたことがあり、わたしは嬉しく受け容れ て、とくに「いいえ、いいえ」とは応えなかった、そう言って頂けるなら、そのつもりで多年を過ごしてきた。もとよりそれは「性関係」とは無関係であり、多 くの女性ともまた男性ともわたしは親しく「おつきあい」してきたことは、隠してもいない。

☆ 前略 ご免下さい。
今度は秦 恒平選集第十一巻のご恵投に与り、まことにありがとうございました。
本日、早速「或る雲隠れ考」を拝読いたしました。
御作を拝読しながら、他所者が絶対に入ることの出来ない また触れることの出来ない 京都という古い都に暮らす人々の本当の生活の一端を目にしたような 気がいたしました。私も会社の出張を含め通算二十回くらいは京都へ参りましたが、そのたびに何ともいえない奥の深さと、ある種の薄気味悪さ感じておりまし たが。そうした京都の陰翳が、秦様の筆によって一幅の畫のように描き出されたと存じました。
「ちゃんとしない子」という言葉にも、いかにも京都らしい、何ともいえぬ嫌らしさと、底意地の悪さを感じつつ、こういう表現にも一つの伝統があるのではないかとという気がした次第です。
私の父は**財閥の二代目の当主、***の、それこそ「ちゃんとしない子」でしたが、生まれてすぐ初代*****夫人**の実家の弟、***の養子に出 され、実の母のことを知らずに育ちました。私はそういう事実をすらよく知らず育ちましたが、戦前の**の家に永く奉公していた女中が、父の死後、そのこと を詳しく話してくれました。それだけに秦様の御作と、父のことを比較しながら拝読、さまざまなことを考えさせられました。とくに、人間の中には生まれる前 から重荷を負わされ、何とかそれと戦いながら生きて行かねばならない人間が多くあることを思いめぐらしました。そのとき、秦様のように強い精神を持つ方だ けが、たくましく生き抜き、自らの負荷を珠玉に逆転することが出来るのだと存じます。
また、阿以子と主人公の語り手との関係に、秦様の一筋縄では行かない男女関係への洞察を感じ、これは実体験抜きで描けない世界だなァ、と、つまらぬ想像をるぐらした次第です。
さらに茶会の料理のディテール、これはもう秦様ならではの描写と存じました。白峰英雄の茶人三部作を読んで以来、はじめて茶席を想像の上で愉しむことが出来ました。
これから「底冷え」といういかにも京都の冬を思わせる標題の御作を拝読いたします。
最後になりましたが、今後のますますのご健筆とご健康、心よりお祈り申し上げます。草々  鋼

* 書いておいた甲斐があったと、しみじみとしている。

* 「三田文学」「お茶の水女子大図書館」から、選集⑪受領の挨拶が、あった。

☆ 選集第十一巻 おめでとうございます。
迪っちゃん
やっぱりこの勢いは「すごい」ですね! おめでとうございます。

秦さんの体調も大分良いとのことで、良かったですね!

本は、本当に重いものです。特に箱入りは重いから100冊は大変!

手押し車ってどんなのかしら?  なんか老人が手押し車に荷物を乗せて運んでる様子は まるで童話の世界みたいね。確かに坂を下るのは大変よね。荷物があってもなくても。

そんな重労働をしてるのなんて、これも凄いです!

迪っちゃんも無理しないで休み休みやって下さいね。  琉  妻の妹

* ありがとう。
2016 2/9 171

☆ 選集を有難う御座いました。
選集を読ませていただいたり、選集の校正をされている秦様のブログを読んでいますと、それぞれに作品の年・歳を思い出します。
お病気もお歳も考えられないご活躍に、一層のご充実の日々をお過ごしくださいますように。
お二人に佳い春が訪れますように。  練馬  晴  妻の親友

* 京都の上澄みの文化はたしかに美しく心を和ませてくれるが、京都を書いた物語は、そう気楽なものは実は少ない。今度の一巻にも、殺人が二件も三件も起きている。それだけに、堅い挨拶の遠慮や会釈ぬきに、厳しい読後感が頂けると嬉しい。

* 俵屋の葛を晩にも美味しく戴いた。和菓子と庭とは、京都より優れた例はめったに知らない。
「庭」の根は、墓である。奥津城なのであり、そこに庭師の伝統の苦渋も諦観も創意もあらわれる。
「菓子」にも、根源、霊性への馳走・参仕という面があり、ただ味わいだけで済まない、もっと厳しい工夫が活かされ求められてきた。庭も菓子もどうしても「京都」となってくるのは、他府県のその仕事がどうしても上澄みの文化で済まされてしまうからである。
2016 2/9 171

☆ 今日は快晴です。
白山にだけ雲がかかっています。久々に遠出しました。といっても手取川沿いの道を二○キロほど白山比咩神社へ遅い初詣です。
帰宅したらポストに「第十一巻」が入っていました。表紙の群青が美しく、金文字が映えています。(字を書いた)私には面映ゆく。
年が明けてから『現代日本文学全集』(改造社)で「正岡子規」を拾い読みし、続いて「廣津・葛西・宇野集」を引っぱり出して読みかけていたところです。 六十年ぶりに読んでみようかとおもいまして。この年になりますと、「私小説」がなつかしく(一寸表現が変ですが――)、ついそちらを手にしてしまいます。 私小説でも、いろんな書き方があって、それぞれに印象が異なりますが――、それぞれの作家が、それぞれの書き方で「私」を書いているのが、また興味深いのです。
秦さんの「私小説」は(私小説と称えていらっしゃらない作品も、私には私小説と読めます)、いけません。なぜか泣けます。それを覚悟の上で、「第十一巻」を読ませていただきます。(申し訳ありませんが、自分の本のように思えて――)。
「今年にはおめにかかり度い」というおことば、耳に痛く、心に辛く受けとめています。なかなか上京の機会がつかめません。いろんな事情もありまして。ただ秦さんのご息災をお祈りするばかりです。奥様ともどもお大切に。  老哲(朱印)  前石川近代文学館長

* 人品と文品、文質彬彬の老友に静かに黙礼を返します。感謝。

* 意馬心猿のはねかえったような、得意げな本を書く人も世間に少なからず、ま、文品は内なる能力の問題ゆえ仕方有るまいが、平然と自身の人品をむげにしてしまって得意げなのは見苦しい。そんなふうに「私」が露骨になるのは、賞めた話でない、自戒自戒。

* 久しくも久しい読者本間久雄さんから、ご喜捨、また昭和女子大より選集受領の挨拶。
2016 2/10 171

☆ 拝啓
暦の上では春立ちましたが変わらずの厳しい寒が続いております。如何お過ごしかとお伺い申し上げます。
本日先生からご本が届きました 時間をかけてゆっくり読んで参ります 心よりお礼申し上げます。
私共 お陰様で元気にしております。
今の(京都)河原町商店街は昨年八月二十一日にオープンされました、地下一、二階に丸善が戻って参りました、よって来客数も増えて来ております。
四条通も歩道拡幅工事も済み、沢山の人が来訪されております。
むし寿しをお送り致しましたので ご笑納ください。
結びに 先生 どうぞお身体はご自愛の上 ご家族様のご健康をとも お祈り申し上げます。
四条河原町上ル西側   ひさご寿し

* 「ひさご寿し」はあの河原町の繁華で、店の前に行列がたつほどの人気の、また美味い寿司店で、亡兄北澤恒彦が親しく経営診断や指導をしていた縁で、ま ことに珍しくこの店の二階で兄と歓談し食事もしたことがあり、私ひとりでも、妻と一緒にも、京都へ帰るとよく立ち寄ってきた。感じの良いご夫婦がじつに勉 強に熱心な優等のお寿司屋さんで、たえず新工夫が実現している。兄と私とのこともよく分かってくれていて、気分的には親戚のように思い、また湖の本にも応 援して貰ってきた。兄も亡くなるので湖の本の親切な応援者でいてくれた。「ひさご寿し」には、少なくも第十一巻と、いずれの『いきたかりしに』は謹呈した いと思っていた。
特製の、おおきな「むし寿し」二た鉢が美しい荷につくられて届いたばかり、いま、妻が階下で温めてくれている。ご馳走になります。
2016 2/10 171

* 途方に暮れることが、人に死なれるのを除いても、人生に、何度か繰り返される。
あれはしんどかったな、あれはいやだったな。あれはつらかったな。
ま、それでもなんとか乗り切って来れている。たいへんな消耗があった。金がらみのえげつない不愉快もあったが、今回は、「貸せ」でも「呉れ」でもなく、 突如五万円送れ、一万円送れと電話や葉書が来る。それなりに逼迫感も伝わってくるけれど、向こうの事情はまるで分からない。そんな送金など一度始めたな ら、キリもケリもつくわけがないとだけは、事情に通じているらしい京都の知人にも親切に注意され、よくよく分かっている。まして、わたしには、遙か他県の 一知人(むかし高校の後輩)というだけで、「行政」の肩代わりに、蟻地獄へ身をのばす気力も余裕もない。
愛猫のめんどうはよく見ているではないか、金をつかって本など造ってるではないか。それを言う人もいるだろう、だが、それには、われわれ夫婦の、私の、人生や人生観をかけた重い覚悟があり、「命なりけり」という老の坂懸命の重い自覚がある。仕事がある。
慈悲心はないのか、ほどこせばいいだろうと無責任な人は言いかねない、が、わたしはキッパリ言う、そのような恩がましい施し・喜捨を「行政に」代わって する気も、義務も持てないと。これは同情の問題ではない。「ディアコニッセ(奉仕者)」にわたしは成れないし、成らない。
人の命は地球より重いか。東工大の学生諸君に押し込んで聞いたことがあった。彼らの挨拶がどんなだったか、直ぐには言いにくい。
秦教授は、では、その「自問」にどう「自答」するのか。答えは、もう書けてあり、提出の機を、たの二、三百の難問への回答とともに、待機している。卒業生諸君に、上の問題をあらためて問うてみたい。
2016 2/10 171

* 書庫うえの庭で梅が満開。朝日子の結婚披露宴のために帝国ホテルの「光の間」を言ってくれた、大学の先輩でも私の読者でもあった佐一郎さんが、鉢植え の佳い梅を下さったのを、数年後に鉢のまま書庫上の庭土へおろしてやった。それが、年々にすばらしく沢山な白梅の花を咲かせる。いまも物干しから妻と眺 め、黒いマゴも勇んでその庭へおりたち、潔くも花へ放尿して見せた。元気でいいよ。

☆ 冠省
貴『選集』第十一巻 ありがたく拝受いたしました。
ご上梓 おめでとうございます。
ご活躍 しみじみうれしくおもいます。
些少ですが 志を封入いたします。 御礼まで  不一   石内徹  折口信夫研究家

* 心より御礼申し上げます。

☆ 欠礼。ご無礼。もうしわけなく
でも、そこから始めなくては。言い訳は、言い訳になりますかどうか。
年のはじめから、いろいろとあって、なんで? と言いたくなるほど。
きょうは、陽があたたく、おもうこともまともかな。
元気です。
ただ本を読んでいません。
こういうことも、ありみたいです。
無理をなさいませんように。 柚

* 生活するとは、いろいろとある ことに対面し続けるということ。元気であれば、有り難いということ。
2016 2/11 171

☆ 選集第十一巻をお届けくださり
誠に有難う存じます。
すばらしい作品が詰まった重厚かつ上品な選集が書棚に並んでいくのを見るたびに、嬉しさと、秦さんのお心遣いに甘えてしまう申し訳なさを感じます。
お陰さまで人生の晩年を心豊かに過ごせることは、このうえない幸せでございます。
岡山の北西部に児島虎次郎の絵を収蔵した成羽美術館がありますが、この地の名産「備中神楽面最中」を、奥様用に少しお届けします。「仙太郎もなか」には及びもつきませんが、召し上がってみてください。 吉備の人

☆ 湖の本と選集
体調不良で気分上がらずご連絡遅れましたが、湖の本と選集第十一巻、大変嬉しく頂戴しました。ありがとうございます。
今『初稿 雲居寺跡』を面白く、でも苦労しながら読んでいるところです。美麗な文章からみづうみの眩しいほどの若い意気込みを感じて気圧されています。創作ノート付ですから、研究者には垂涎ものでしょう。
選集第十一巻は、この一冊が是非欲しかったというものです。みづうみの「京都」ものは、読者としては他の秦恒平作品と比べて読みやすいのですが、底流に ある京都の血の昏さのようなものは時々鳥肌のたつほど怖いものです。京都という凄まじくて美しい「地」と「血」の蠢きを書きあげた作品はみづうみの独擅場 です。
この本の陰の主役「京都」を感じながら、繰り返し読みたいと思います。みづうみを「日本文化の純血種」と表現していらした読者の方にまったくその通りと大賛成です。みづうみは、文学界の「京都」のような方でしょう。

「こんな私でした」という表現こそが「文学」ではあるまいかと、この選集の「あとがき」に何度も書いてきた。その実践を、生まれてこのかた私は、おのが「身の程」の凝視にほかならぬと自覚していた。「地(ぢ)」の自覚は、余人は知らず私の場合、正心誠意、渾身の思いで持ち運ばねばならぬ生涯の底荷であり、才能以上に誇らしい、それが私の財産なのであった。

 

みづうみを育てた京都の「地」のいのちと秦のご両親に捧げる一冊と受けとめています。
巻頭の ご両親のお写真にみづうみを育ててくださってありがとうございますと思わずお礼を言いたくなります。「あづかれる宝にも似てあるときは吾子(わこ)ながら かひな畏(おそ)れつつ抱(いだ)く」という皇后さまの御歌ではありませんが、血縁の有無にかかわらずあらゆる子どもは預かりものの宝だと思います。みづ うみのような天才を抱えた宝物の親になるということ、色々な意味で大変でいらしたことと思いますが、お二人の表情からそれ以上のお幸せがおありだったこと がよくわかります。建日子さんも金太郎人形さんのようでお可愛らしいし、なかなかの面魂です。

湖の本と選集が続々と発行される破竹の勢いに、みづうみは第三の噴出期をお迎えになられていると感動しています。

* 「湖の本129」再校が出た。昨日も書いたように、事実上この巻が、六月桜桃忌創刊三十年の、そして三月結婚五十七年の、さらに四月五日、妻も揃って相合 の傘寿を祝える、そんな記念の一巻になる。すこし気を入れた、おそらくは読者のみなさんにも珍しがって頂ける記念の編輯内容にもなっている。六月の「第百 三十巻」は、温厚に、しっとりと楽しんで戴ける一巻を用意し、老境の「ユニオ・ミスティカ」を描くあぶない火傷はひとまず避けておく気でいます。

火傷を避けるというのは、みづうみらしいようならしくないようなお言葉ですが、あぶない火傷する作品の完成していることも楽しみにしています。早めに読ませてくださいますように。

お元気ですか、みづうみ。
正月明けから病院通いばかりです。ニュースは以前にもまして目と耳の毒。今日の某議員さんの辞職会見、ちらっと見て吉本のお笑いかと思いましたが、この小物議員さんから大物議員さんにいたるまで、こういう方々がリーダーである日本とは、最大悲劇前提の最大喜劇で……。
一日も早く態勢を立て直して、自分のすべき仕事に晴れやかに集中したいと願っています。  樹  囀りをこぼさじと抱く大樹かな 立子
2016 2/11 171

☆ 選集第十一巻、拝読。ひきつけられています。
添えられたお手紙に、わたくしの論を「一巻の参考に」とも考慮しているとありました。どうぞご自由にお使い下さい。
山の高さを見通さず、おもいのまま書き連ねた秦恒平論ですが、その存在が記録されるのは、この上なくうれしいことです。
書き終えたあとで、というより、そのあとだからこそ見えてくるものがありました。しまったこれも書かねば、あそこは直さなければとの思いがほろりほろりと 現れて、とてもとても力だけで、勢いのみで登れる山ではなかったと悟りつつ、あのとき頂いた助言がよみがえって、身の竦む思いでした。

その後も、「書き継げていますか」との励ましをいただきながら、徒に月日だけが過ぎてしまいました。まだ頭の確かなうちに、いつか、あらためて挑戦せねばとおもっています。
春めいてまいりました。万作がくすんだ枝に黄花をあふれさせて、艶めいた匂いがしています。
不調のご様子、どうぞ無理をなさらず、おだやかにおすごしください。

四国 榛原六郎 拝

*  そんなことも、じつはふと思案していないではないのだが、電子文藝館に当座の作を掲載するのと、かりにも生涯選集の「参考」文献に入れるのでは、入れる 者としても覚悟が違ってくる。やはり著者自身の「これならば」という自負も自信もあって最良の論考であるならば、有り難く…と私が願うのはむろんである。
2016 2/11 171

☆ 光の春となりました。
三日前に『秦 恒平選集』第十一巻を、前巻に引き続き、想いもかけずにいただきました。忝のう存じました、再び立派な造本にしばし見入りました。
「或る雲隠れ考」には引き込まれました。「幻覚の生々しい血の匂いにまた脅え」るにも関わらず、怪しい人間の性にみずから引きずり込まれていく。ここまで記して、「さが」が「性」と書かれることの不思議をあらためて考え込みます。
後半の「もらひ子」などの幼少年期の思い出も、その記憶力のよさのゆえに驚嘆しつつ読みました。まったくの同時代を私は私でまったく違った環境と思いで過ごしました。
美空ひばりは同じ小学校の多分二年下にいたと思います。見かけたことはありません。後年、ガラスの破片を埋め込んだ塀に囲まれた「ひばり御殿」の前を何度か異人の住まいと感じつつ通った思い出があります。  浩  国際基督教大学名誉教授

☆ 略啓
御健勝大慶に存じます。
選集第十一巻 有難く頂戴致しました。
頂戴する毎に 本といふものの意味を考へさせられます。
御自愛を祈ります。 不備  英 前文藝春秋専務

☆ ありがとうございました。
御元気そうで、安心しています。
私も八十歳になりましたので、パソコンをはじめました。結構面白いですね。
でもね、ボケボケって感じでやっています。
手紙は手書きがずっと楽であります。 原知佐子  映画女優・同窓

☆ 選集第十一巻拝受
巻末の「ひばり」から読み始め、秦文学の多彩(多才だからでしょうが)、深さ、広さ、重量感に圧倒され溜息をついています。寒さのなか、思い御本を抱えての往復、お姿想像しては「感謝」いっぱいでございます。 笹塚  宏

☆ 美しい言の葉が
美しく上品な装いで届きました。有難う存じます。
お逢いしたいです。
踏んばり、頑張り、突っ張って五個荘で、元気に半ば楽しんでいます。
どうかどうか、お大切に。  民 作家

☆ 湖へ
お元気ですか。
新年明けて立春頃までは慌ただしくしていましたが、ようやく一息です。
湖の手書きの文字を見て、胸があつくなりました。どうかお元気で。 珠

☆ 私も
初めて知った歌謡曲が美空ひばりさんの「旅笠道中」か「港町十三番地」だったような気がします。ずっと大好きな歌手でした。子供の頃近くに映画館がな かったので、官舎の公園で、夜映画上映会があって、かかった映画だったと、懐しさも、、今でも幸せ気分になれました。 静岡 鳥

☆ 一昨日は
雪がちらつき、京都もこの季節らしい寒さが続いております。
本日はご高著「秦 恒平選集」大十一巻をご恵贈たまわりまして、まことにありがとうございました。
参考の恩作「姑」からたちのぼる 都人の矜持が胸に残って消えません。京ことばの深さを考える一日となりました。お心遣い厚く御礼申し上げます。
御身御大切にお過ごし下さいませ  かしこ  京・鳴瀧  浪  作家
お返事ご放念下さいませ。

* 過分のご喜捨有難う存じます。

☆ 湖の本の集積 選集の盛大
先生ご夫妻の永年の営為 その貴さが思われます。
ますますのご清祥を心から念じ上げております。  昌  神戸大名誉教授

☆ 行長のこと 新門前のこと
とてもわくわくして読みました。  高松市  洋

☆ いつもありがとうございます
何冊分かまとめて払い込みを、とも思ってみるのですが、毎回このように挨拶をさせて頂ければ嬉しいです。
柳(博通君)がアキレス腱を切ったと聞いています。彼が復活(?)する頃には暖かくなっているでしょうから、是非お会いしたいですね。
またご連絡します。 国立市  丸  東工大卒・国交省

* 瀬戸内寂聴さん、天理大学、近代文学館、都立中央図書館、京都市中央図書館から「選集第十一巻」受領の挨拶があった。
2016 2/12 171

* 梅原猛さん、いつもに変わらず、選集落掌と、ご挨拶頂く。東洋大の野呂芳信さん、国立国会図書館、早稲田大学図書館からも。

☆ 秦 恒平様
この度は「選集第十一巻」をご贈呈賜り誠に有難うございました。
「ねらひ子」「早春」は、ご自身が育ってこられた京都の地を題材にされており、重ねて拝読し、著者のふるさとへの愛と郷愁の想いを改めて強く感じました。
巻頭の父母様お写真を拝見し、私が子供の頃、よく狸橋を渡って電球を買いに行った電氣屋さんのあの優しいおじさんの顔が今でもハッキリと記憶に残っていて、何か七十年前にタイムスリップしたような感覚になりました。
また、新門前・古門前界隈の情景や花見小路通り拡幅の頃のこと、さらに弥栄中学校の先生や小中学生時代の友人の名前などが数多く登場し、暫し、昔日の出来事を懐かしく想い出しながら回想のひと時、童心にかえっておりました。
傘壽を過ぎ、健康管理に気を煩わす毎日ですが、過去を懐かしむのは人生の終盤を迎えた証しなのでしょうか。
貴兄にはどうかお元気で。今後とも益々の御活躍をご祈念いたしております。
京・伏見深草  賢  元京都市下京区他・区長歴任 小・中・高・大学同窓

☆ 選集第十一巻
ありがとうございました。
先日、竹内整一(東大名誉教授・元秦文学研究会主宰)著「ありてなければ <無常>の日本精神史」を読んでおりますと、「おわりに」の章の冒頭で、秦 恒平さんは私のもっとも愛読する現代作家のひとりです――で始まる記述があり非常に興味深く読み終えました。
ご健康でおすごし下さい。 今治市 孝  元図書館長

* 吉備の人から、雄町のこわいほど美味い名酒一升頂戴し。暫時はガマンしていたが、湯飲みに一杯二杯と戴き、陶然。このところお酒が出払っていたので、堪らなく愛飲、しせつに美味。いいものはいいなあ…と、好い酩酊に大満足。ありがとう存じます、有元さん。

☆ 雲間から
もれる光はまさに如月のことばの響きのそれ、寒風の中、きらきら耀いています。
お体 具合 いかがですか。
昨日は、選集第十一巻 ご恵与にあずかり ありがとう存じました。
昔のあなたに、又、迪子さんの筆もあり 楽しみに ゆっくり読ませて頂きます。病をおして刊行なさるエネルギー、いつも申しておりますが、その気力のすごさに感服しております。
何かお菓子でも送らせていただこうと思いましたが、召し上がれないものもあるのではと そちらのお好みのもの、お茶のひとときにどうぞ ご笑納ください。
寒暖の差のはげしきこの頃 くれぐれもお大切に
まずは御礼まで    京・下鴨  正  高校・大学同窓

* 高校の頃から書の展覧会に作品を出していた、元は中学の女校長先生。筆跡みごとな手紙に、有り難い喜捨応援のきもちを添えて頂く。感謝。
2016 2/13 171

☆ おじい様
大好きな おじい様 ハッピーバレンタイン
12日は(松たか子、野田秀樹らの芝居に=)お誘いいただいたのにお目にかかれなく すみませんでした。またお会いできるのを楽しみにしています。 かおり(亡きやす香の親友)より

* やす香の気持ちを汲んで下さって、欠かさず、心優しい佳いチョコを戴く。今年はフランスのAL製12個。絢爛、玲瓏とした珠玉のよう。わたしからは、いつも何にもしてあげられない。
いまも、かおりさんに贈られたmissoniの華やいだ膝掛けをショールーのようにして肩を包んでいる。羽のように軽くて、あたたかい。やす香のブレゼントとも想い愛用している。
ありがとう。

* 「珠」さんからは、すばらしく選りすぐりの純米仕立て二種の冷蔵名酒に添え、福光屋の自家製味醂粕を使った風情満点のチョコレート・クランチを頂戴。精選の清酒とチョコとは。いつもながらお見立て、こころにくい。有難う。

* 吉備の人から、妻へ、めずらかな備中神楽最中をたくさん頂戴しました。私もお相伴に与ります。感謝。

☆ 頭が下がります
秦恒平先生  ご無沙汰しております。
このたびはまた「湖の本」にひきつづいて『秦恒平選集』第11巻をご恵投たまわり、感謝にたえません。ありがとうございます。
先生の活火山のようなご活躍ぶり、大変なものですね….。当方も高齢者の仲間入りをしましたが、先生のお仕事ぶりを見ていると、元気がでてまいります。
この選集は後世に残ると思います。
御礼のみにて。   西垣通 拝    東大名誉教授・作家

* 対面しつづけること
ちからを、いただきました。
冷害で、わかっていながら枯らしてしまった草木のかたづけが、ほんのすこしできました。
気分のほうが、すこし元気なのかどうか。
体調は、それにつられて まし、と思いたいです。 柚
2016 2/14 171

☆ 秦 恒平様
不順な気候が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか、
この度も『秦 恒平選集』第十一巻を賜りありがとうございました。掛け替えのない貴重な御本を次々といただきながら、私の方はグズグズして クッキーをお送りするのが遅くなってしまいました。お恥ずかしい限りです。
どうぞ御身御大切に お加減良く過ごされますことを願っております。  道

* 村上開進堂の社長から、缶にびっしり、よくこうも大小も形もさまざまなクッキーがどっさり詰まると、いつもびっくりポンの美味しいクッキーを、お手紙添って頂戴した。感謝。

☆ 冠省
選集第十一巻「或る雲隠れ考」他 ご恵贈いただき拝受いたしました。
ありがとうございました。
「余霞楼」は、この建物をモデルにしたのですよと、お話をうかがい乍ら京の街を歩いたのを懐しく思い出します。私も謡曲の手ほどきは鶴亀からでした。
先日 近くに住む友人が、秦先生のエッセイが載っていますよと、資生堂発行の豪華本「香」をとどけてくれました。
女を映して紅く匂い、白く薫る     梅
人の憶いに咲いて匂う         櫻
花の映えに 名の栄えを重ねて    藤
喜びと悲しみを 無垢に彩る      菊
四編のエッセイが 美しい写真を添えて載っています。
思いがけない御作に出会いますと 逢いたかった人に会えたような うれしい気分になります。
眼がまた少し弱ったようで 字がうまく書けません。乱筆 おゆるしください。
まだしばらくは寒い日が続きます。
先生も奥様も どうぞお大切にお過ごし間ください。  和歌山  貞 拝
些少 同封致しました、 お納めください。

* 今にして思うのだが、原稿をじつに多く望まれて書いていたのだ、その当座は、イヤなものは書かなかったが、まずははいはいと書いていた。わたし自身は 寡作寡筆のつもりでいたのだが、本にしても秦建日子のようにはとても売れなかったのに、自著市販だけでも百に及び共著を含めればもっともっと多くなり、寡 作では無かった。多い多い方だった。おかげで、いま、かなり平然とあえて無収入の儘、非売品の選集など出せているわけで、いわばその為に懸命に働き続けて きたわけ、のほほんと遊びたいから稼いできたのではない。狭い家で、夫婦で安楽に座れる畳のアキすらなく、車もない、海外はおろか国内の小旅行もしない。 ひたすら、書いて、本にしてきた。それが道楽だと言われれば、左様でと応える。子供の頃から本を読むと言って「極道」と叱られてきた。極道はやまない。幸 せである。
三宅さん ありがとう存じます。
2016 2/14 171

☆ 拝啓
御高本『秦 恒平選集』第十一巻をご恵送賜り御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
「姑」(=秦迪子参考作)から拝読させていただき、続いて「もらひ子」を拝読しております。「もらひ子」も、「湖(うみ)の本」で拝読しておりました が、 初読の時の「どちらの戸籍にも『入るを得ず』」ということが、強い印象で残っており、何かの折りに、そのことが思い出されておりました。
「姑」を拝読しながら思っておりましたことは、もしこの御文章を音 読していただいたら「どんな感じがするだろうか」ということでした。黙読とは違った印象があるだろうとは想像しておりますが、耳から想ってみたいという気 持ちがあります。そうすることで、言葉と向いあう時間を自分勝手にしないでみたいという、<表現者>が歩みを進められる世界について考え
他の作品もこれから拝読させていただきます。
まだ寒さが続いておりますので、一層のご自愛を願っております。
御礼まで    敬具   憲  前藝術至上主義文藝学会会長

☆ 今年もはや節分、立春も過ぎました。
選集第十一巻 ありがとうございます。今度はほんとうに自叙伝に近い小説、たのしく読ませていただきました。『源氏物語放談』校正のあいまに一気によませていただきました。よくこんなに鮮明に記憶されているなと感心しています。
私も緩和ケア、在宅医療の生活ながら、それなりら毎日を送っています。 忠  阪大名誉教授

☆ 秦 恒平選集第十一巻を拝受し、
<京の秘処>から生みだされた<おそろしい底光を湛え>た作品群を拝読しています。そして秦作品の奥処にすこしは触れ得た思いもしています。
その中にはさみこまれた秦迪子さんの「姑」は 静けさの中に奥深さを感じ 感銘を受けました。直接には存じあげないながら、この作者とともに生きてこられた秦さんの幸せを思います。
いつもご厚意をいただきお礼申しあげます。
寒さが続いています。どうぞお身体お大切になさって、存分に創作活動をお続け下さいますように。   敬  もと講談社出版部長 「群像」編集長

☆ 積雪は少ないのですが
連日の降雪に閉口しています。
「秦 恒平選集」第十一巻、確かに頂戴いたしました。御心尽くしまことにうれしくありがたく心から御礼申し上げます。
今、「もらひ子」まで拝読いたしました。
いつものことですが、御文に接し、私の古*意識を考えさせられます。 このごろ他郷での夢を見ますが、背景はなぜか、この越後です。  光明寺  大学名誉教授

☆ 春先の変りやすいお天気に加え
風は冷とうございますがご体調はいかがでいらっとゃいますか。「湖の本128」を賜り本当にありがとうございました。
平家物語は大好きで(学徒動員で日本の古典は殆ど習っていませんでした)これだけは五○歳台になって愛読いたしました。「初稿・雲居寺跡」、読ませて頂きます。体調をくずしておりましてお礼を申しおくれましたことお許し下さい。   福  故東大法学部長 夫人

☆ 暖かい春の
待ち遠しいこの頃です。「選集」ありがとう御座います。
むずかしいことはわからないながら読み返し読み返し 永く「湖の本」を読ませて頂いている丈でも、うれしく楽しいのです。本当に有難うございます。昭和 八年一月生まれで、八十三歳になりました。二十年四月小学校卒業、卒業式は警戒警報の最中でした。中学(高校)一年の八月終戦、勤労奉仕で作業着のボタン つけ、田植えや草取り等で 勉強など少い時間でした。
貸本屋が多く出来てまして 友だちとまわし読み、種別なくよみあさりました。
父が謡をやりました。お稽古(場)がもちまわりで 先生は勿論 十人ぐらいの方が御一緒でした。普段も手拍子をとりながら謡うのを耳でおぼえました。  私自身小学校三年から六年までの少しの間ですが仕舞のお稽古をしました。父がよく仲人を頼まれると、鶴亀の謡に私は仕舞をつとめたりしました。今も時々謡 本を眺めることがあります。そんなことが先生の御本をよむうえの助けになっているのかも知れません。 「梁塵秘抄」や「閑吟集」もすぐ身近に置いてあり、 何かにつけ開いてみます。一二八册にもなった「湖の本」 私の心の糧です。
「雲居寺跡」「資時出家」は、前名と年代とを書き並べながらの読みに入っています。
『有楽帖』 楽しく読ませて頂きました。女学校時代を想い出しました。映画全盛でした。ほとんど観ている映画が書かれていましたね。
御礼の手紙なのに勝手をしました。
どうぞお体をお大事にお願い致します。
悪いところがあっても「病人」にならないようにと先生にいわれます。私も股関節に人工骨 心臓にペースメーカー 血液は血小板減少をかかえておりますが、 人には元気ですねといわれています。まだまだやれる事があるはづと思っています。
奥様にもくれぐれもお大切になさって下さい。 恥しながらの便りです。 桐生  君

* 「悪いところがあっても「病人」にならないように」とは、言い得ていると思う。わたしの思いに近い。

☆ 湖の本の
頁をめくる喜びにいつも感謝しています。暮れに母が突然他界しました。人がそこに在ることの尊さと不思議を思います。お体をお大切に。 沖縄  嘉

* 「選集」へも毎々手厚いご支援を感謝します。

☆ 選集第11巻
ご上梓 おめでとうございます!
ご健康 心よりお祈りしています。  琉  妻の妹

* いつもながらの多大の応援を戴き、嬉しく深く感謝しています。

☆ 湖の本128拝受致しました。
選集第十一巻もありがたく頂きました。湖の本支払いに添え、ほんの気持ちだけですが、併せてお送りさせて頂きます。
くれぐれもくれぐれも御大切になさって下さい。  鈴  追手前大学名誉教授

* 過分の御喜捨 恐れ入ります。感謝します。

☆ 湖の本128ご送付
ありがとうございました。おげんきそうでいらっしゃいますね。本当に嬉しいです。インフルエンザが流行しています。寒さも続きます。くれぐれもご用心下さい。お大切におすごし下さい。
近況報告 娘の*子がやっと大学院を終えます。阪大の演劇学教室にそのまま助手代理で残ります。やっと社会人です!  大阪市  祥

* オー、あの愛らしかった新中学生が。益々りっぱな演劇学の研究者になる子です、おめでとう。

* 選集⑪の製作費請求書が届いている。いつも、すぐ支払っている。
2016 2/15 171

☆ 拝啓
あちこちで梅の花が咲きほこっていて、本格的な春の到来の間近かなことを告げています。
この度は「選集11巻」をご恵投下さいまして、寔に有難く深謝致します。
御著作の豊かさに驚嘆しています。
お元気で陽春をお迎え下さい。 敬具  邦   元岩波書店「世界」編集長

* 妻の従弟濱敏夫さん、妻の親友市川澄子さん、それぞれ御思い入れのお菓子とお手紙を戴く。ロス在住の池宮千代子さんらからも。近く帰ってみえると。

☆ 風花
秦先生  伊吹からのこぼれ雪でしょうか、ときおり、ふわふわと舞ってきます。

「選集」第十一巻を、ありがとうございました。

「余霞楼」は、奥様の「姑」も、黙読もいいですが、できれば、朗読で味わいたいですね。

特に、カタカナ表記のところ、柔らかな女声で聴きたいなあ、と。

「早春」の秀樹クンほど豊かではありませんでしたが、私の中学時代を懐かしく思い出しました。

ただ、記憶力の衰えのせいで、名前が、とりわけ下の名がほとんどでてきません。う~ん・・・。

「魔法の粉」のメ-ルから、もう15年もたったのですね。

あの日も二月の寒い日でした。

歌舞伎座は新しくなりましたが、惜しい役者をいくたりも亡くしましたね、あれから。

くぐもったチャイムが丘の上の小学校からきこえてきて、お昼のようです。

お礼には何もできませんので、いつもの三千盛、18日にとどくはずです。

お体ご自愛下さいませ、先生も奥様も。  各務原  都  詩人・ペン会員

* 詩を書くひとは、なんとなく畏怖する。短歌なら、めったに感服できる歌人には会えないのに、詩人は、詩なる表現がわたしには手に負えないだけに頭をさげてしまう。そしていつも新しい詩集が読みたくなる。

* 大学の頃の亡き恩師の奥さんから一冊の自著を頂戴した。とても、興深かった。御 生家はあの御堂関白藤原道長いらいの公卿家の飛鳥井伯爵家、蹴鞠と和歌の家で、わたしの手元にも雅章の掛け物、七夕を詠じた懐紙がある。百人一首の参議雅 経、新古今集選者の一人はまさしくご先祖。その子孫も子孫も、お姫様の現代の歳月を淡々と高雅に書かれていて、題して『栄枯盛衰』の幾変遷が、まことに面 白い。学生の頃お宅へ先生と碁を打ちに出向いていたし、作家になって以降、東京でお目に掛かってもいる。今は大津雄琴におひとりで過ごされていて、湖の本 など、絶やさずお送りしてきた。
長生きしていると、いろんな面白いことにも行き会える。
2016 2/16 171

☆ 前略
選集第十一巻、先日、新潟(の両親宅l)に届きました。ありがとうございました。
「或る雲隠れ考」は、難しく、何度も読み返しました。学校よりよほど秦さんから古典と日本史を学んでいたな…と懐かしく思い出します。今も月に一册は秦さんの作品に触れ、音楽を聴き絵画を観るように、楽しんでいます。
まだ寒い冬が続きますね。迪子さんともども、どうぞお身体ご自愛ください。 奈良市  理史

* 小学生だった最年少の新潟の読者君、結婚して、懸命に。室生寺国宝五重塔の絵葉書で。ますますの幸運を祈っているよ。
亡兄北澤の夫人からお手紙、京嵯峨の田村由美子さんからお茶とお菓子を戴く。神戸の吉田章子さんからお手紙と刊行のお祝いを戴く。東大大学院、神戸松蔭女子大から選集受領の挨拶有り。

☆ 先生の
不屈のご活動に接し、いつも元気づけられています。
いつまでもお元気で!  中野区 恭

* 和歌山御坊市の井領祥夫さん、四国高松市の星合美弥子さん、中野の安井恭一さんからは、選集刊行のご支援を戴く。
2016 2/17 171

* 膨大な私語を分類して下さる読者が、昨年分の仕分けの中へ「自作を語る」という項目を新しく立てておられた。これは、まことに時宜を得た配慮であり、 「選集」編輯・刊行の仕事を始めてこのかたわたしは盛んに「自作」に触れて記憶を確かめたり感想を述べたりしている。それらが纏まって顧みられるのは実に 有り難く、本当なら「私語」でない別の場所でその種の手記を固め書きしておけばいいのだが、とにもかくにも何もかも「私語の刻」にぶちまける習慣から簡単 に抜けられない。
2016 2/17 171

* 各務原の山中さん、名酒「三千盛」二升 送って来て下さる。ありがとう存じます。 2016 2/18 171

☆ 暖冬とはいえ
寒暖の差が激しい昨今ですが、御無事を祈念します。
「湖の本128」と、御選集・第十一巻を頂戴しながら御礼言上遅れました失礼致しました。
昭和九年生まれ、新制中学一年生の小生、「早春」という題名にも魅かれ、興深く、楽しく拝読致しました。昭和二十一、二年、敗戦直後の男の子の関心事が 他人事ならず、からだに入り込み、洛中と巻頭のど田舎との差は如何ともしがたく、(それにしても女の子のこと、よく憶えていますね)とはいえ、戦後民主主 義への思いや先生との対応にも共感しました。その前に「京都散策」を拝見し、秦さんならではの京都の奥深さ(当然)に思いいたりました。伊吹和子さんも昨 秋亡くなり残念です。
奥様ともども御大切に。   徳  元講談社文藝出版部長・役員

* 「丹波」「もらひ子」「早春」はホームページを利して一気に書き下ろした相当な長編であるが、私のなかに湧くように表現を待っている記憶が沸騰してい て、記憶の渋滞もほとんど無かったのを思い出す。少年來何十年、書いてからも何十年、しかし今でも記憶は鮮明で、懐かしい。

☆ 前文ご免下さい。
ご恵与の選集第十一巻拝受致しました。変わらぬお心遣い恐縮です。
口絵には切なさを感じてしまいますが
奥様の「姑」の収録はうれしいことでした。
お二人のお元気 祈っております。  興  元平凡社編集者

* 「祝 選集第11巻刊行」と出田興生さん、過分にご支援下さる。
「次回配巻 及び湖の本129 130 期待しております。体には十分お気をつけてください。」と、愛知知多郡の久米則夫さんも、手厚いご支援を下さった。
2016 2/18 171

 

☆ 拝啓
秦 恒平選集第十一巻ほご恵送いただき、ありがとうございます。
巻末を拝見し、まずは奥様の「姑」を拝読しました。私は北海道生まれの”山がつ”ですから,京の言葉がとても羨ましく、「ずず黒うて好かん。もちっと今 今のが欲しかったえ」などという言葉使いに圧倒されました。「奈良へいたまんもん買いに行きましょ」という馴染み深いふれーずもあって、この作品と「もら ひ子」を拝読すれば、作家秦 恒平のもう一つの素の側面がわかるような、そんな心持ちになりました。
最後の「そいでまあ立派なもンをつけて。――何よりやわなぁ」というのには大きく頷きました。とても面白かったです。
奥様によろしくお伝え下さい。とり急ぎ御礼申し上げます。  久間十義  三島由紀夫賞作家

☆ 拝啓
やっと春らしくなりました。
ご療養のことうかがっておりましたが 旺盛な創作 ご出版のこと敬服いたします。
前巻に続いて、選集ご恵与たまわり身にしみて光栄なことと厚くお礼申し上げます。
「地」の小説集とうかがいましたが、確かに編輯の魅力、「湖の本」で拝読していたのと一味違う迫力が感じられます。
人間を描くのが文学の業として、作者ご本人が直かに登場なさるとあればまた格別、それにしましてもすさまじい記憶の力は圧巻です。同級の方々がよき愛読者とうかがっておりましたが、私ごときが賜るなど恐縮に存じます。
じっくり拝読するとして、とりあえず、かわりばえしませんが、秋田のうどんお届けいたしたく。
お揃いでお大事に。
奥様 着到のご返事どうかご放念ください。
かえってご手数かけ恐縮に存じます。  信  神戸大名誉教授

☆ 秦 恒平様
寒暖のはげしい冬です。いかがお過ごしでしょうか。
先日は「湖の本128 資時出家 初稿・雲居寺跡」をお送りいただきましてありがとうございました。
とんでもない草稿で、ぼくなどには手がつけられない内容です、よくぞ「大きく逸れて動いて」『初恋』ななってくれたものだと思いました。本腰を入れて論じる人には、やがて貴重な資料となると感じました。
さて別刷が出るのを待っていて遅くなりました。
『みごもりの湖論 物語の<虚>をもとめて』 同封させていただきました。いつもながら、的はずれな読み方をしているのではないかと心配しております。
胃腸の具合すっきりしないまま何とか過ごしております。
お身体 じゅうぶんにご自愛くださいますように。  奈良五條市 永栄啓伸  現代文学研究家

* 医学書院の後輩だった中島信也君(小鷹信光 ハードボイルド飜訳・評論家)を偲ぶ会の案内が来ている。紀田順一郎さんや権田萬治さんの名が発起人に並んでいて、一度出て行くかなあとも思ったりするが、肝腎の中島君は亡くなっているのだから、困るなあ。―
2016 2/19 171

☆ 気温も株価も円相場も、
何だか無茶苦茶に変動が激しい日々が続いています。
新年を迎えてはや二か月。お変りございませんか。
秦 恒平選集第十一巻をお送り下さり誠にありがとうございました。
日々の用事に追われて積読になってしまっていますが、やがては多少普通の生活をたのしめるかな…と期待しています。よろしく。  江田五月  元参議院議長

☆ 謹啓
余寒なお厳しき折、皆様お変りなくお過しのこととお慶び申し上げます。
このたびは『秦 恒平選集第十一巻』(私家版)賜り、誠に有難うございます。恐縮しております。
京都で生まれ京で育ってこられた先生の若き日の京の文化風土 懐かしく拝読させていただきました。厚くお礼を申し上げるとともに、ご病状の恢復を祈念しております。
さきに「どんなに疲れてしんどかろうとも 元気に満ちている」(湖の本128)「私語の刻」でお書きになっておられますが、季節の変り目はなによりも身体が大切と存じます。いまはただご療養に専念なさいますよう、じっくりご静養ください。
この春 傘寿をお迎えになる奥様ともども傘寿ご夫妻の平安と長寿を祈っております。
遅ればせながら心ばかりの品を送らせていただきましたのでなにとぞよろしくお納めください。
くれぐれもご自愛のほど、お祈りいたします。 敬具  京・山科  あきとし じゅん  詩人

* 鶴屋吉信の「柚餅」と棹ものの「京観世」 京菓子の粋 ありがたく頂戴しました。

* 命が惜しくなったわけでないが、鬱勃として胸でも腹でも末期の噴出を期して疼いているいろんな「作」の動機に向き合っていると、もう、やすんでなどいては間に合わないと思うようになっている。これは焦りとはちがう。命との直面である。

☆ 暖かい陽ざしと
喜んで外へ出ると吹きつける風の寒さに驚かされる昨今ですね!!
先日は ご丁寧に 第11巻のご選集をご恵贈頂き まことに有難うございました。
なつかしい京都の風情を思いながら また読み出したら止められない時間を過ごしております。御礼がすっかり遅くなり申訳けございません。例の丹波の園部 の91歳の義兄が (略) ようやく先週に退院許可が出て (略) 思いがけない事が次々と起って来るのも人生か?と開き直っている所でございます。
秦さまご夫妻の様に優しい心がけで年老いて行く方達へ接して行ければ…と願ってはおりますが。
心ばかりの御礼を同封させて頂きますので どうぞご笑納下さいませ。
気候も不順な折から どうぞお身体お大切に お揃いで4月の5日のご祝事をお迎え下さいませ。
ご令室様にくれぐれもごムリなさいません様に お大事にとお伝え下さいませ お二人揃って御慶事 本当に嬉しい事でございます。
有難うございました!  奈良市  絹  高校後輩

* 過分のご支援、ありがとう存じます。正雄兄上へも御宜しく。

☆ 梅の花が
今をさかりと匂っています。
立派な御本を戴きまして有難うございました。
しばらくは膝の上にのせて重厚な感触を そして嬉しさに浸っておりました。
一番に「姑」(参考・秦迪子作)を読ませて頂きました。
懐かしい京都弁、(庶民の) ちかごろは標準語?まじりの言葉しか耳にしませんもの。
途中から音読にしました。
京都の事をよく知っているどなたかに朗読してほしいなあと思いました。

「湖の本」は私にとりまして人生の良き教科書でもございます。難しくて付いていけないところも多々ありますが、いろいろと勉強させてもらっています。
ありがとうございました。
末筆になりましたが 皆々様のご健勝をお祈り致します。かしこ  京・有栖川  桐

☆ 春一番が吹いたり
雪が降ったりで、サンダーバードが不通になったり、在来線も遅れたりで、ヤキモキする冬です。
六月に金澤で同総会をするものですから、東京と神戸から友人が下見に来ました。一番紹介したい鈴木大拙館を二人とも気に入ってくれ、大体のプランも出来上がりました。などなど、バタバタしてまして、又みや御挨拶遅れてしまい、申し訳ありませんでした。  小松市  啓

* 過分のご支援、感謝します。久々に金澤、小松へも行きたいです…。

* 「京の散策」は
楽しく、羨ましく。
「資時出家」は少し難渋して読みました。
今、漸く「初稿・雲居寺跡」の懐かしい世界に辿り着いたところ。一つ一つの言葉が、静かに、柔らかに、胸におりてきます。  渋谷  茶

* 「資時出家」は、「風の奏で」のエスキスそのもので、この長編が語ろうとしていた「平家物語成立」のあれこれに脚を下ろし読めていれば、「資時出家」 のあらがきした筋がそれなりに早や独立し得た作にも成っていたと理解できる。平家研究者の信太周さんは、その点を正確に読んで下さっていて、このエスキス を一編の作と感じ入って下さったのは有り難く嬉しかった。
「初稿・雲居寺跡」は懐かしげに見えながら、やがて騒然ともの恐ろしい乱世の事変へ突っ込んで行く序章で中断している。そして、この「初稿」からすれ ば、後々に書いて発表した「雲居寺跡=初恋」は大きく逸れて別作であり、遙かにむしろ「風の奏で」を誘いだそうとしていた。
2016 2/20 171

* 津島佑子さん、野坂昭如さんが亡くなった。
2016 2/21 171

* 元朝日新聞社の伊藤壮さん、「越の寒梅」二升下さる。湖の本三十年の大きな恩人であるのに、お祝い戴いて。恐れ入ります。有難う存じます。さっそく頂戴しました。
信太周さんからも、稲庭饂飩をたくさん戴いた。恐れ入ります。          2016 2/21 171

* 教徒の桐山恵美子さんから、千本玉壽軒の名菓「西陣風味」に据えて「和三盆」をたっぷり頂戴した。目下、糖尿の方は順調に正常値域を持している。お菓 子もお酒もしみじみ戴いている。食はあまり進んでいないが、むしろ抑えているというて良いか。はらの張りは辛いので、つい。

* 神奈川県立文学館、元京都新聞社の杉田博明さん、金澤の作家金田小夜子さんからも選集への挨拶があった。
2016 2/22 171

☆ 謹 啓
このたびは「秦恒平選集」第十一巻(「或る雲隠れ考」他)をご恵贈賜り、まことに有難く心より厚く御礼申し上げます。
「或る雲隠れ考」は、わたしにとっての秦文学親炙にいたる初期の出会いの、印象深い一編でした。
御作品の深い印象は、三十年以上も昔の読書でありながら、印象にとどまるところが多々あり、こんかい選集で再読しながら、ふと色彩の異なる感じを受け、 立ち止まるところがありました。なぜそこで、と不思議でしたが、物語の半ばに至って、「彫琢」ということに思い至りました。「或る雲隠れ考」では、わたし は「湖の本」17巻と「雲隠れの巻」(昭和50年 西澤書店名著刊行会刊)とを手元にしておりますが、原典に最も近いと思われる「雲隠れの巻」を書架から とりだして再読いたしました。そして、わたしが立ち止まった箇所が、細部に亙り、彫琢が加えられているのを見出し、深い感銘を受けました。
こうして、「或る雲隠れ考」をわたしなりに検証しつつ読み終えてみますと、選集は何れの作品も秦作品の改訂版であり、決定稿として、再び世に問われた作 品集となっているのではないかと、思い至ります。そして改めて、世の文学研究者には、決定稿「秦恒平選集」は、秦文学鑑賞・研究に欠かせぬ重要な資料とな るだろうと思いました。
遅々とした読みではありますが、選集を日々播きながら、文学の深さと、高峰の遼遠さを身に染みて感じております。
天候不順、寒暖定めない陽気が続いております。どうぞご健康にご留意くださいますよう、心よりお祈り申し上げます。
「湖の本」30周年記念号の発刊も間近とのこと、楽しみにしております。 八潮市  瀧  作家
2016 2/24 171

* 神戸の岡田昌也さん、北陸の貴重な珍味「このわた」などを下さる。お酒がますます美味しくなる。有難う存じます。
2016 2/25 171

 

☆ 冷たいけれど爽やかな風
春の気配も感じつつ、一日一日が過ぎていきます。
先日、腹部の不快感について書かれていましたが、その後いかがでしょうか。
一月に北近江に出かけ、羨ましいとの感想をいただきました。
新幹線や在来線の車窓からの山容とは異なる伊吹山の姿を描きたいと思い、実際に描き始めました。「悪戦苦闘」です。
もう一枚別の絵を描いているのですが、いっそうの技術不足に泣いています!一度塗った箇所の絵の具を取り除くのは容易ではなく、手を加えれば加えるほど事態は悪化で・・足踏みしています。というより、「放棄」したいのですが。
世の中の事、あまりに理不尽なことばかり。怖い、危ないという理由ではなく、多くの人が難民など苦しんでいる処へ安易な浮かれた気持ちで出かけたらいけないという思いが強まり、外国に行く気持ちにもなれません。何が自分にできるのか、問いかけます。
ルソーに関する読書は、区切りがつきそうですか?
バルビュスの『クラルテ』、本の堆積の中から探した一冊は古く茶色になった昭和37年の第二刷版でした。
『砲火』も読んだ記憶はあるのですが、本は見当たりませんでした。
主人公が戦場で負傷して意識が戻るあたりから、そして社会論、政治論といった趣ある彼の思いをぶつけて、小説は滔々と続いていく感がありました。
インターナショナルへの熱い思いや社会主義国家への期待を語れた時代背景を考慮しつつ、ある意味でバルビュスは幸せだった・・(幸せなどという言葉で濁してはいけないとも思いますが)。
約百年の「時差」を考えながら、作者の立ち位置と、自分のそれとの違いも痛切に感じないわけにはいきません。が、基本的な場、人は平等という点では同じではないかと。
本にある解説ではロマン・ローランとの決別に触れていました。彼の小説も昔かなり読んだので改めて考えさせられます。
戦争が何故この世界から無くならないのか。膨大な軍需産業があり、領土と国民を守ることが第一の目的であるという国家があり、ナショナリズムがあり・・etc。
バリュビュスやロマンローラン、『完全な愛』のモルガン、詩人だったらアラゴンやエリュアールなど既に遠い存在になってしまった感がありますが、若い人たちこそ読んでほしいと思います。それぞれに重い問いかけと彼らの伝えたいことがらは明確ですから。
くれぐれもお体大切に、春はそこまで来ています。
大事に、大事に。
ps三月には関西に行きます。ボッチチエリの展覧会も行きたいです。   尾張の鳶

* こういうメールに励まされる。思いを伝え合うことが出来、軽薄に流れず、苦痛も哀歓も伝えあえる。わたしは西欧の地はまったく踏んだことがない (ロシアやグルジアまで、だけ)。繪を描き詩を書いて一世代若いこの京大出の人は、西欧も東洋も、独り旅で、しなやかに意欲的に歩き続けてきた。 それらから教わった物事の豊かさに感謝している。読書家としてもわたしなどを遙かに広範囲に凌いで、この点も、ずいぶん多くをわたしは恵まれた。わたしの手をのばすすべもなかったような良書好著をずいぶん譲ってもらってきた。
バルビュスの生涯を革命的に転じた証明の、「クラルテ」も「砲火」も、機会を得て読みたい。
2016 2/25 171

☆ お元気ですか、みづうみ。
みづうみは ネットの以下の記事お読みでしょうか。

2015年11月末、京都市上京区の鴨川にほど近い住宅街に、一軒の書店がオープンした。お店の名前は誠光社。売り場面積20坪弱のこの小さな書店が、出版業界全体にイノベーションをもたらそうとしている。店主を務める堀部篤史氏は、関西随一の名物書店であり、英ガーディアン紙による「世界の素晴らしい書店ベスト10」にも選ばれた、恵文社一乗寺店(京都市上京区)で13年間店長を務めた人物だ。
アマゾンや大手書店チェーンに押され、街の書店が減少し続けている現在。新刊書店の新規オープンも少ない。堀部氏はそれらの理由として、既存の流通構造に問題があると指摘。街の書店が生き残る術として“直取引”という方法を採用し、動き出した誠光社の取り組みに迫った。

● 理想的な書店を実現

 

出版業界の流通は、出版社がつくった本を、取次が全国の書店に配本する仕組みだ。取次はいわゆる卸問屋の役割を担っている。しかし、取次を経由するとマージンが発生し、本が売れたときに書店に入るのは代金の2割と、小売業のなかでもかなり利幅が小さい。そのため中小の書店は、利幅の大きい雑貨を扱ったり、カフェなどの複合店舗にしたりせざるを得ないのが現状だ。
「恵文社一乗寺店で店長だったときも、自分の“したいこと”と“すべきこと”の間にギャップを感じていました」と堀部氏は明かす。同店の売り場面積は約90坪で家賃も高く、人件費も高額。そのため、売れそうな本を揃えたり、利幅の高いアイテムに頼ったりせざるを得なかった。堀部氏はその状況を是とせず、独立の道を選択した。
こだわったのは、「本を中心とした商材を扱い、嗜好性が強くて面白い品揃えをする。そして店主が自ら接客をして、お客様との距離が近く、地域に親しまれる 書店を目指したい」ということ。上記を満たし、なおかつ経営的にも成立する書店像を考えたとき、出版社との直取引という選択肢は必然だったと堀部氏は話 す。
書店が新規出店をする場合、大手取 次と契約するためには、高額な契約金が必要となる。そのため書店を始めたいと思っても、多くの人は二の足を踏まざるを得ない。しかし直取引であれば、契約 金は不要。マージンも不要なので、一冊売れたときの利幅も大きくなり、雑貨などに頼る必要がなくなるのだ。
店舗の規模を小さくしたのも必然だった。誠光社は2階建てで、1階が店舗、2階を住居にすることで家賃を抑えている。接客や店舗運営も、夫人に手伝ってもらうほかは基本的に堀部氏一人で行っている。…
そのため人件費も不要で、客との距離も自然と近くなる。また、訪れる客は、同店の嗜好性が高い商品構成を好んで来る人がほとんど。そのためまとめ買いをする客も多く、一般的な書店よりも客単価は高額となる。
このように、経費を抑えて利益率を上げたことで、全体的な売り上げが小さくても成立し、客との距離も近い理想的な書店を実現できたのだ。

●変わる出版業界

誠光社が成立する理由の一つとして、堀部氏は出版社のビジネスモデルが変わってきていることを指摘する。出版社はこれまで、数万~数十万部売れる「ベストセラー本」をつくり、取次を通じて全国の書店に配本・販売してきた。しかし、現在の出版業界は、販売部数が3000~5000部でも成り立つマーケットに変わってきているという。部数は少なくても、そのぶん嗜好性が高く、面白い本をつくる出版社が増えている。そこでつくられた本は、特定の書店に置かれるだけで十分に成立する、というわけだ。
「初版で1000部を刷ったとします。それを10冊仕入れてくれる書店が100店舗あれば、完売しますよね」(堀部氏)
つまり 全国に配本する必要がなくなるため、出版社と書店の直取引が成立する。取次は販売実績を基に配本するため、規模が小さい街の書店は欲しい本を入荷できない ことも多い。このように取次に配本を決められることや、マージンを支払う必要性もなくなり、出版社・書店の双方のメリットが大きくなる、というわけだ。
誠光社 は、オープン直後から目標の売り上げもクリアし、経営は順調だという。本のマーケットが縮小し、街の書店が減り続けている昨今。誠光社の取り組みは、既存 の流通の仕組みに一石を投じ、新しい可能性を示してみせた。街の書店の未来は、自分たちで切り開く時代に差し掛かっている。(文=肥沼和之/ジャーナリス ト) 2016 2/19

みづうみはこの書店か堀部氏をご存知でしょうか。
みづうみのふるさと京都らしい試みに思います。京都は老舗の街ですが、革新を続ける街です。「湖の本」という試みも広い意味で京都の革新といえましょう。
誠光社、私は行ったことがないのでどんな本を扱っているのかはわかりませんが、書店がベストセラーと雑誌ばかりの金太郎飴になりつつある現在、応援したい書店だと思いました。
もし、(以下略)京都のお知り合いでこちらをご存知の方がいらしたら、どんな感じかわかるかもしれません。期待外れの可能性も大きいのですが、湖の本のために色々やってみたい気持ちです。お暇の折に、お考えいただければと思います。

最後に念押しです 早く病院にいらしてくださいますように。
椿  寒椿落ちたるほかに塵もなし 篠田悌二郎

* いろんな試みが健康な「本」の世界のために為されねばならぬ筈。何十年も遅いなあと思わず吐息する。
2016 2/26 171

☆ みづうみ、お元気ですか。
わたくしに勉強しなさいと言ってくださる方はみづうみだけです。本当にお心にかけていただいていること嬉しく、ありがとうございます。悲しいのは、何についても一度もみづうみの許容範囲レベルに到達できないことです。
古典の勉強は何をどうしたらよいのか、途方にくれるものがあります。わたくし世代の国語教育では『平家物語』くらいがいいところで、現代語訳なしでは情 けないほど読みこなせません。いよいよ本気でやり直さなければならないと思います。何か良い勉強方法がございましたらお教えくださいませ。
湖の本にとって今年は本当に記念すべき年です。作者と読者の幸福な三十年の歩み。
その後の腹痛は如何でしょう。お元気で楽しんでいらしてください。
雪  雪だるま星のおしゃべりへちやくちやと 松本たかし

* 成心を以てなにかうまいことを狙い願う「だけ」の勉強はモノにならない。面白くて楽しくてその世界へずんずん踏み込めるのでないと勉強の質は上がらない。本は調べるために読まない、嬉しく面白く成れない読書はいかな名著であれ、投げ出される。
与謝野晶子の源氏物語の訳に惹かれなかったら古典へ歩み寄ったろうか。その前に百人一首の和歌との佳い出逢いがあって、だから源氏物語に喜んで入って いったと思う。少なくも平安物語の世界は和歌をたっぷりの栄養に得た世界。平安時代の日記も広くは歌物語に属していて、伊勢も蜻蛉も枕も和泉式部も右京大 夫もみな然り。しかし和歌の全容へ国歌大観なみに近づく必要はない。百人一首と、和泉式部和歌の精選、西行和歌の精選、だけでも和歌の魅力はしたたかに楽 しめる。好きな歌を選んで愛することだ。そして歌謡。わたしの梁塵秘抄と閑吟集でも、ほぼ足りている。
大事なことは、和歌とすぐれた近代短歌との命脈と差異をも直感できること。近代現代短歌は、かずばかり多く派閥感覚も濃くて、むりに近付かない方が良い。わたしの「愛、はるかに照せ」などで表現の妙はつかめる。
和歌短歌については、幸い、よく出来た詞華集もあり、よく選ばれた啓蒙書もある。一冊持っていれば足る。
平安物語では、竹取のあと、意外に面白いのが、源氏以前では落窪物語、以後では夜の寝覚めがすばらしく、和泉式部には物語作家としても私小説作家としても久しく誘惑されている。
ムリして出来もしない原文読みに拘泥せず、面白くなってくると向こうからすり寄ってきてくれる。
どんな読書にも、しかし背景に歴史がある。歴史への好奇心や関心を育てて近付く意欲は手とても大事。
2016 2/27 171

* 朝一番に芹沢光治良の娘さん岡玲子さんから美味しいネーブルを沢山戴き、持田晴美さんから山形の純米精醸酒を二本頂戴した。「水滸伝」の豪傑武松ほど瀧のように呑んでも美味いお酒。武松の酒量・食量、底知れないほど豪快。
昨日、澤地久枝さんから、落合恵子との対談本『われらが胸の底』を戴き、妻がさきに読んでいる。澤地さん墨書で「どうぞお元気で」と署名・添え書きしてあった。感謝。

* いま妻の機械はネットが利かないので、メールを戴いていても拝見できません、と、お伝えしておく。
2016 2/28 171

☆ 東京マラソン
お元気にお仕事が出来て 何よりの老後ですね。末永く!
東京マラソンの終盤  お台場で、少々の距離を親子で走る予定もあり、 今年も若い母親と六年生の子とで走るとかあって、 お台場へ出掛けています。見ているだけでもワクワク楽しいものです。こんなに長く都民なのに 広い東京、知らない処が一杯。 考えてみれば 早くに離れた奥の深い京都もまだまだ知らない処が沢山 あり、又々行きたくなりました。 お出汁のきいた京料理とにしんそばが食べたくなります。  八十泉

* あのマラソンこそは「参加」の楽しみだろうなと、テレビで、ちらっと。「出汁のきいた京料理と、にしんそば」か。遠くなったなあ、京都。

* 機械の前で 暑いほど。貴公いや気候、どうするのだ。
2016 2/28 171

☆ 秦 恒平先生
先生から色々著書をたまわりましてありがたう存じております。 永いこと御礼のお便りを申し上げることも出来ないままで申し訳なく存じております。
と申しますのは (略)
先生はお仕事に元気で過ごされていらっしゃいますお姿を 感動して拝見させていただいております、ありがとうございます。
昨日デパートに久しぶりに参りましたら 父(=元日本ペンクラブ会長・作家・芹沢光治良・日本人初のノーベル文学賞候補)が好きでしたタンカンがとても おいしそうに見えました。ほんのわずかですが 春のビタミンをお召し上がり下さいましたらと存じ(配送を=)頼んでまいりました。 そのうち届くと存じま すが お召し上がり下さいましたら嬉しく存じます。
どうぞお身体をお大切になさっていただけますようにお願い申し上げます いろいろ ありがとうございます。   中野区  玲

* 恐れ入ります、とても美味しい食べ佳い果物ですね、夫婦して喜んで戴いております。
なにかとご心配もございますようで。お大事にごへいあんにと心よりお祈り申し上げます。

☆ 秦恒平様
はじめてお便りします。ご住所は出田興生さんから教わりました。
小生、昭和13年生まれのブックデザイナーで、京都出身。平凡社勤務の後、ビジュアルな本作りを生業としていま。
読んで頂きたく私家版何冊かを同封いたしましたが、その中の最新刊『根津権現裏始末』の
記事中に秦さんが写っている写真を掲載しました。事後ではありますが、ご承諾頂ければ幸いです。
私家本は不定期ですが刊行のたびに、ごく親しい友人だけに配っているミニコミ通信という性格のものです。すべてパソコンで制作し、カラーコピー機で両面 プリント、中綴じを文具のホチキスで綴じるというオール手作りで、ささやかながら楽しんでいます(秦さんの本格的で浩瀚な私家版には及びもつきません が)。
秦先輩のサイトは、約10年くらい前から拝読しています。文学上の諸業績、生い立ち、学生生活、出版社でのお仕事、作家への道程、日本ペンクラブ・東工 大でのご活動、日常のご夫婦の生活、病気治療の経緯、政治や為政者への怒り……など、毎日、我が身におこったことのように興味深く読ませて頂いています。
しかし、なんといっても三歳の年齢差ながら、戦後の京都で少年時代を過ごしたことが、同じ古都の空気を吸っていたことが、親近感を持つ最大の由縁です。 秦さんの京都の文化や中世についての深い造詣はとても持ち合わせておりませんが、引揚者で余所者の、世俗的な眼で見た・感じた事を留めておきたいと『京の 街角物語』『少年の洛中記』をビジュアルに纏めました。共通する記憶が多分お有りだと思っています。
私は秦さんの作品のいい読み手とはいえませんが、高校時代から水彩画を始め、近代洋画家のなかで最も敬愛する画家・浅井忠が、『糸瓜と木魚』に登場した ことには驚きました。私もいっとき関西美術院に通ったことがあり、そのときご存命の高弟・黒田重太郎氏の講話を伺ったこともあります。
その後の受験のための上京、浪人・大学生活、出版社への就職、独立と勝手気ままに生きてきましたが、その折々の下世話な記憶も各冊子に書き散らしており ます。京都から東京への、おおよそ同時代を歩んでこられた秦さんにとっても、共感いただけるシーンがあるのではと、勝手な思いでの贈呈です。どうかご笑納 ください。
出田氏とは、同じ職場で禄を食んだ同僚です。曲がったことが大嫌いで、筆も立ち才能豊かな好漢ですが、会社の雰囲気が悪くなったころ、先に辞めました。
末尾ながら、お身体の更なるご快癒を念じております。ご自愛ください。 千駄木  勁

* ヒャア…嬉しいお手紙だったし、戴いた私家版本の、多彩に自在に楽しく賑やかに面白そうなこと、ビックリぽんである。
「根津権現裏始末」「京の街角物語」「少年の洛中記」「酔って九段の如し」「私の帝都物語」「ブックデザインの日々」「雑食系男子徘徊記」などなど。この最後のなどとても気になる。
なにしろ出田さんの紹介というのが太鼓判であり、これは心やすくお付き合い願えそうな後輩(京のご縁、そして三歳お若いと)出現で、気も晴れ晴れする。 のこのこと出掛けて行こうかなと思う。よほど東京もご存知そうで、なによりB級のうまいもの店をよくご存知そうなのが頼もしく、教わることが多そうで嬉し い。この年になって心許し合える友だちができるなら、天の恵みである。たくさん戴いた私家版本、視力の及ぶ範囲を楽に読ませてもらおう。
2016 2/29 171

☆ 秦様・迪子様
おはようございます。
寒暖の差が激しい日々ですが、ご本の創作・発送などで日々お忙しくお過ごしの事と存じます。
本当にあの立派なご本を手元に届けていただきますまでのご労苦を思いますと、感謝の一言です。
先週、能の原点の神事能。山形県の黒川能を観に出かけました。
春日神社で氏子さんたちによって伝えられてきた能で、おおきな百貫蝋燭の下で幻想的なものでした。
日ごろ見慣れている能とは全く違っていました。
黒川能見学そして、最上川下りと冬の墨絵の世界を堪能してきた旅でした。思ったほど寒くなかったです。
地方の地酒で美味しいと聞きましたので、お食事代わりの栄養にと思い送らせていただきました。
お口に合えば嬉しいです。
今年は一日 日が多いので、ゆっくりと時を過ごして3月をお迎えください。
お二人のご健康を祈っています。  練馬区  晴美
追伸
迪子様からご丁寧な受け取りのご挨拶頂き恐縮です。
パソコンが不調の由、お手間とらせました。
西東京市に、南関東最大の集落の遺跡などがあったのですね。
何かの機会に訪れてみたいような楽しそうなキャラクター。

* 山形県は純正純米吟醸の山形酒に審査会認定をあたえて大事に送り出している。持田さんに戴いたのはその純米吟醸「最上川」が二本。最上徳内の取材で出向いた山形県また最上川。なつかしい思い出もある。
黒川能まで辿り着かれたとは、敬服。やがては傘寿を迎えられることと。みーんな、齢を重ねてきた。どこまで歩めるか、一歩一歩と思うばかり。

☆ 美しいご本をご恵贈くださり
誠にありがとうございました。
京都弁の御作、たいへんおもしろく拝読いたしました。全て、解読(京都弁の)できました。
私の姑も「タカ」さんでした。夫は七人兄姉の末っ子でしたので、結婚したとき、既に本物のおばあちゃんでした。私自身がお祖母ちゃん子でしたりので親し くつき合い、嫁姑関係は良好でした。ところが兄嫁(姑といっしょに暮らしていた)から、「おばあちゃんの前では声まで違う」といじめられました。
秦先生のこともお作を読んで存じ上げていましたが、お母様ののお口から出た言葉で復習させていただいたことになり、たいへん興味深く、感銘を受けました。淡々とした語り口の中に、お母様のお人柄が手にとるようにわかって、「いいお方なんやなー」とうれしく思いました。
(巧まざるユーモアというのでしょうか、声に出るほど笑ってしまったところもありました。『その女大学が尋ねて…』)
心がほかほかとしてきたのは、今まで存じ上げてきた先生と奥様の人となりを こんな生の声で話してくださったような感じで確かめられたからでしょうか。ほんとうにありがとうございました。
おもしろい物を「道の駅滝宮(たきのみや)」見つけました。お笑いぐさになさってくだされば幸いです。(用途はペーパーウエイト=文鎮だそうです。)  高松市  洋

* こういうお便りを戴けて、すこしでも秦の母への思いが生かせたかと、妻の創作を借りてでも一巻のうちに「参考」として収めておいたのを喜んでいる。わ たしは秦の父にも母にも「もらひ子」として痛められた覚えは全く持っていない。養育の大恩にほとんど報いられなかったのを、毎日、父母叔母の位牌に詫び、 また感謝している、心から。

* ところで洋子さんのプレゼント、なんと、お膳に「讃岐うどん」と牡丹餅のような菓子が二つ載っていて、箸が饂飩ひと筋を掬いあげている、のだ。重いめ の透明なガラス台にお膳が載っている。思わずふたり大声で笑いました。讃岐うどんの出汁の香がするようで腹の虫が啼きました。ありがとうございました。
2016 3/1 172

☆ 秦先生、
連絡できておらず、申し訳ありません。
丸山君から連絡が行きましたか。
アキレス腱を1/24(日)に切りました。
15歳までやっていた剣道を44歳で復帰と試みたところ、30秒ともたず、断裂しました。
準備運動が出来ない色々な訳があったのですが、それは次回にご説明します。
会社は病院に行った月曜日1日のみ休み、朝はラッシュを避け、遅めに行っていますが、普通に働いています。
妻もかつて靱帯断裂にもかかわらず、仕事は休まなかった!と豪語されたので、、、
アキレス腱断裂は全く痛くなく、(腱は痛点がないんですね)毎日の松葉杖生活が億劫なだけです。それも既に1か月以上が過ぎ慣れてしまいました。
私の報告ですが、
昨年4月に国立市**にヤクルトさんの研究所の建物を完成させました。
全景とエントランスホールに設えたアートです。(添付写真)
アートは渋谷清道さんというアーティストと共に、素材や構成(ガラス3枚の表裏にパタンをプリント)等を考え、完成させました。
幽玄とまではいきませんが、日本画における雲の表現のような現れ方が出来たように思います。
また、ヤクルトさんのコマーシャルでも使われました。
機会があれば、是非一度ご案内したいと思います。  柳  東工大院卒業生

* 寝ているかと心配した。
2016 3/2 172

☆ 鴉に
腹痛いかがですか? 心配です。
昨日バルビュスの文庫本三冊をお手元に届くよう手配しました。数日のうちに届くと思います。
どうぞくれぐれも無理なさいませんよう。  尾張の鳶

* 謝謝。「地獄」をじっくり読んでいます。あだおろそかには出来ない異色の秀作と感じつつ。
高配に感謝、楽しんで、落ち着いて、読みます。あなたも、お大切に。
2016 3/4 172

* 尾張の鳶さん、バルビュスの「戦火」上下二巻を送って下さった。いまこそ、この本が日本国民、それも若い国民に読まれたい。わたしも心してしっかり熟 読したい。いずれはレマルクの作などに連絡する先駆作であろうかと思うが、戦闘する兵士達を凝視して、もっともっと険しく凄まじい「戦争」が描かれている だろう。
2016 3/7 172

* 「ディアコノス=寒いテラス」一気に読み終えた。これまで、わたしの作を外国語にと奨めてくれた二人がまるで申し合わせたように二人とも、飜訳に適切な作は「ディアコノス=寒いテラス」と。その日本語が飜訳し易いという評価もあったろう、が。
読み終えて胸がきしんだ。的確に書けていると胸も張れるが、表現された内容のきびしさに作者でありながら胸を押されのけぞるようだった。

* 「ディアコノス」という表題には作の中でも問題の娘「セツコ」が話しているが、作者のわたしは基督教のイデーにはけっして詳しくないので、念のため読者のお一人に確かめておいた。ひとつには「ディアコノス」でいいのか、「ディアコニス」だったか、確かめたかった。

☆ 用事のため昨夜遅く帰宅。今朝パソコンを開きました。早いほうがよいと思いますので現時点での私の考えをお伝えします。
多少カトリックの教育を受けた程度の私に一つだけ申し上げられるのは、「ディアコニス」という言い方はきいたことがないということです。しかし学問的な 正確さの自信はまったくありません。神学部関係者でなければカトリック教会でもあまり使うことのない言い方なのです。すでにお調べになっていらしゃること 以上のことはわかりません。ネットでの検索ですが、次の部分が一つのわかりやすい説明かと。     http://church.ne.jp/tanpopo/pdf/1temote_26.pdf

21世紀に聖書を読む~「テモテへの手紙第1」シリーズ26~

執事もまたこういう人でなければなりません。(8節)

パ ウロは「監督」についての審査基準と誰がその職につくことができるのか、ということについて述べたことに続いて、「執事」についての話題に移っていきま す。「監督」という職務が「全体を見る人」という意味であって、日本語の印象とは異なっていたように、「執事」についても、聖書の世界の言葉として、その 意味を捉えなくてはいけません。

「執事」その意味と働き

こ こで使われる「執事」とは、ギリシャ語で「ディアコノス」と言って「ディアコニア」を行う人のこと。「ディアコニア」は「奉仕」と訳されることのある言葉 ですから、「奉仕者」という意味の方が、言葉のイメージはつかみやすいでしょう。ここで言われている「奉仕者」というのは、教会の中で、食事を作ったり、 会計をしたりということ以上に、教会の福祉的で宣教的な働きに、教会の支援や認定を受けて携わる人たちのことなのです。4章を見ると、テモテも、「奉仕者(ディアコノス)」だったことがわかります。

こ のディアコニアは、旧約聖書の中で、理想とされた社会、お互いに助け合い、貧しい人がいなくなる、そういう社会の実現のために、実際に何かをする、そうい うものです。残念ながら、旧約聖書の世界では絵に描いた餅で終わってしまいましたが、イエス様が来られたことにより、この理想が実現し始めました。イエス 様が、この理想社会の実現のためにディアコニアを、身をもって教えられたからです。それは「へりくだって仕える」全人格的な献身、お世話の姿勢です。イエ ス様は、貧しい人、困っている人、弱っている人のところへ出向いて、具体的な必要に奉仕されました。この世界には、誰もやりたがらないような、けれども誰 かがそれをしなくてはいけない、そういう仕事、面倒できつい仕事があります。この世は、そういう仕事を、お金や権力に物を言わせて、弱い立場の者に押し付 け、無理やりにさせることでしょう。けれども、そのような方法では、問題は解決するばかりか、もっと悪くなるものです。
イエス様は、そういう仕事を世の中からなくすのではなくて、愛のゆえに喜んで引き受けるという奉仕の姿勢をこの世界に持ち込まれた。イエス様こそ、本当の「ディアコノス(奉仕者)」でありました。そして教会は、このイエス様にならって歩むのです。
私たちは奉仕というと、教会の中のこと、教会運営に必要な働き手という狭い意味だけで捉えてしまうかもしれません。けれども、聖書が教える「奉仕」は、それを超えて、世の中に働きかけていく、そういうものであります。
今日、制度としての社会福祉は充実 しているかもしれません。けれども、教会は福祉的な働きを、教会の外に任せておいてよいわけではない。大事なのは制度以上に、人です。キリストの愛をもっ て、そのわざに従事する、そういう人を育て、送り出し、あるいは教会として、そのわざに携わることが求められているのです。

引き続き 調べ、心掛けてみますが取り急ぎの私の見解です。お役に立たず申し訳ございません。

* これだけ分かれば、十二分。感謝
2016 3/8 172

☆ 鴉に
来週には冬は去ると報じられていますが、今日はまだ寒そう。本の発送にお忙しいかと察します。お体、無理されませんよう、少しずつ、少しずつ。
第一次世界大戦ほどの規模ではなくても、絶えず紛争戦争が起き、多くの人々が今この一瞬も苦しんでいる状況は、アンリ・バリュビュスが直面した状況と大差はないでしょう。
彼の時代には社会主義、体制としての共産主義を一つの「希望」として描けた。(さらにはユートピアの片鱗を夢見る、アナーキズムさえ・・)勿論そのプロセスの容易でないことは重々認識しつつ、それでも希望はあったはず。
鴉が、彼ほど、現実に直面して行動へと軸を変えていった文学者は嘗ていなかったと、その点に限って現代を見回して、確かに・・さらに軟弱に傾いているとも感じます。
が、同時に小さな国、地域に限られたためにあまり知られていないかもしれないけれど彼のように現実の政治闘争に身を投じていった、或いは現に投じている人たちがあるだろうことも、また信じたいです。(できるなら書くことに邁進できるのが書く人にとって幸せでしょうが。)
難民受け入れを許容できず、バルカン半島北部経由の国境が閉ざされたというニュース。
人々がポピュリズム、ナショナリズム、に容易に動き、排他的になっていく恐れを感じています。ただ必要以上の脅威を強調したくはありません。シリアやアフガニスタンの社会が平和を取り戻す日が来るのを願うばかりです。
わたしは怠け者ですからNHKの『あさが来た』の歌詞で、最初に覚えたのは『思い通りにならない日は 明日頑張ろう』というくだりでした!
よく考えるまでもなく「紙飛行機」に譬えられた人の生涯の方が怖いです。
庭の椿が咲いています。折に触れ何となく違った苗木を買いもとめ、いつしか十種類以上の椿があります。これから庭仕事に良い時期を迎えます。
このメール、午前に書き始めたのですが、少々操作ミスでストップして、気を取り直して漸くここまで書きました。
くれぐれもご自愛ください。   尾張の鳶

* 明日か。 明日は久しく希望の代名詞だったが、明日の短さ少なさが実感できてくると、「今・此処」へ思いも行いも集めたい、生きているのは「今・此処」でしか無いのやと、実感する。
2016 3/10 172

* 帰ってきていたロスの池宮さんとの電話連絡が付かぬまま日が過ぎ、今朝、新橋のホテルから 贈り物の「ロド・パー」や京菓子が送られてきた。申し訳ないことだった。
四国の大成繁さんからも「讃岐うどん」などいろいろ送ってきて戴いた。 感謝。

* うたたねしていた。

* 「選集第十二巻 生きたかりしに (参考)阿部鏡短歌抄」送り出しを終えた。作家人生の後半生を画する一作であった。
十二巻を刊行し終え、第五巻「冬祭り」第八巻「最上徳内=北の時代」die十巻「親指のマリア=シドッチ神父と新井白石」第十二巻「生きたかりしに」 と、三分の一を、一巻一作の長編小説で占めている。ほかにも、「みごもりの湖」以下、長編小説といえる作が思いのほか数多かったことに、今さらに気付いて いる。寡作と、少々凹む感じに思ってきたが、そうとうな多産の作家であったよと、他人事のように今頃おどろいている。まだ当分、創作選集が続く。さらにそ れら創作をうわまわるエッセイや論考の仕事がある。

☆ 「選集第十二巻 生きたかりしに」
有り難うございます。お疲れになってやしないかと、案じています。
渾身の御作にお母様の短歌抄も添えられたこのご本は、「影のみわれに離れじと言ふ」と詠まれたお母様にとっても、纏めあげた秦さんにとっても、まさに鎮魂の書ですね。
血の迸るような激しい生を疾走なさったお母様も、今は秦さんの呼び掛けに寄り添い、安らいでいらっしゃればと願います。
「初稿雲居寺跡」、義兄との再会から花絵の死の辺り、引き込まれました。
「創作ノート」は興味深く、ここから再度作品に戻って検証すべき貴重なもの。個人的には、大きな歴史のうねりを背景にした茅野や亀菊をめぐる物語が、やはり気になります。
骨の折れることでしょうが、創作を第一に、習作や創作ノートの整理も進めていただけたらと思います。
今週は珍しく風邪でダウン。何年か振りに休んでいました。
秦さんも、どうぞお大事に。   九

* もう本が届き始めたらしい。

* 帰国中のロスの池宮さんと辛うじて電話が通じた。こちらふたりとも間の悪い風邪気味で申し訳なかった。このところ電話まで不調であったが、すこしの間話せて良かった。送って戴いた「オールドパー」を独りでしみじみ堪能した。妻は風邪の不調で床にいる。
わたしも、明日一日の休養を頼みに、明後日の結婚五十七年を楽しむ歌舞伎座雀右衛門襲名興行に備えて休養したい。
2016 3/12 172

 

* 松本幸四郎丈ご夫妻、たくさんな花でお祝い下さる。夫人からも事務所からもお見舞いのメールをもらっていた。ありがとう存じます。

☆ 遠様
昨今、気候不順ですが、お変わり御座いませんか。
次つぎと、お仕事に無理をされているのでは? と心配です。
私は、12日久しぶりに日吉ヶ丘の友だちと嵐山へ行って来ました。お天気も良くリフレッシュできましたが、翌日は一日鼻炎がひどくて、参りました。
19日の土曜日は、三年ぶりに、リフレッシュされたお茶室で雲岫会のお茶会を開催します。
先日 遠さんのHPを見ました折、東工大の桜が美しく、見とれておりました。
円山のさくらがおとなしいので、観光に来られる方には気のどくに思います。
早、来月は都をどりです。
甘い物と、すはまのお団子とお抹茶を送りました。
すはまは、祇園の松葉屋さんも早くから作られてなく、お口にあうかな?
京都はこれから観光シーズンで大変です。住み辛く成りました。
季節の変わりめです、お気を付けて下さいませ。
(携帯からは、沢山書けないのでパソコンにした。)  京・北日吉   華

追伸 メール送って、夕方になって、選集12巻届きました。有難うございました。
毎回頂き恐縮です。お大事に。  華

* 「雲岫会」か。限りなく懐かしい。この日吉ヶ丘高校茶道部の名もわたしが決めたのだった、創作された「茶席」にすでに「雲岫」と名付けられていたのを貰ったまでであるが。あの六十三年も昔に、帛紗捌きから手ほどきしたなかの一人が、華さんが、いまも「雲岫会」を守ってくれているとは。感謝しきれない。、

☆ 選集第十二巻 おめでとうございます。
昨日ずっしりと重い選集12巻 着きました。
ご上梓、おめでとうございます!!

本当にみっちゃん共々大変に頑張られて 今頃は、お二人でのびておられるのでは? と心配しています。 大丈夫ですか?

私は先日、急に寒くなった雨降りの日に、町まで買い物に出掛け、ひどい吐き気と真っ直ぐに歩けないような身体のふらつきで大急ぎでタクシーで家に帰りました。

迪っちゃんたちはめまいとかありますか?

これは比較的遺伝的なものだそうです。

二日間ほど寝ていたら大分良くなりました。

老人には多いそうですね。

三寒四温の頃に多い体調不良らしいです。

老人はやっぱり大変だなあとしみじみ思います。

お体大切にして下さいね。 琉  妻の妹

☆ 選集第十二巻ありがとうございます。
上梓おめでとうございます。
貴重な選集を賜り恐縮しながら感謝しております。
迪子様が風邪をこじらせておられるご様子案じております。
1冊でもずっしりと重いご本ですのに、大勢の方たちに送本なさるご準備は大変な御労苦でしょう。
お母様の歌が心に響いて、一首づつ丁寧に味わせていただきます。
お二人とも、どうぞゆくっりとお疲れをとってくださいますように。
迪子様の早いご快復を祈っています。  練馬  晴  妻の親友
2016 3/14 172

* 気落ちのした記念日であったが、心のこもった高麗屋さんの豪奢な盛花に祝われ、有り難かった。
目が見えなくて困っている。十時半。もうやすもう。
2016 3/14 172

* 文春専務だった寺田英視さんからも早速十二巻にご挨拶をいただいた。恐縮。

* 気落ちのした記念日であったが、心のこもった高麗屋さんの豪奢な盛花に祝われ、有り難かった。
目が見えなくて困っている。十時半。もうやすもう。
2016 3/14 172

☆ 大好きな おじいさま、おばあさま
結婚記念日おめでとうございます!
おばあさまがお風邪をひかれたとブログで読みましたが、体調はいかがでしょうか?
つい前週まで暖かかったのに、今日は寒くて外にも出たくない日でした。(会社には嫌々ながら、ちゃんと行きました)
そんな天気では、風邪を引く気がなくても調子が悪くなってしまいますよね。
どうか温かくして、美味しいものをきちんと食べて、早く良くなってください。
私の元気が、おばあさまに届きますように\(^o^)/
花粉症以外は元気いっぱいな  馨より  亡きやす香の親友

* ありがとう。
2016 3/15 172

☆ みづうみ、お元気ですか。
お風邪の具合とても心配しています。発送作業のお疲れのせいかと思いますと、ご本を頂戴するだけのわたくしは本当に申し訳ない気持でいっぱいです。梱包 や運搬などの発送作業、どなたかお手伝い、学生さんのアルバイトなどお頼みすることは無理なのでしょうか。学生さんにとっては良いアルバイトのはずです。 失礼な言い方かもしれませんが、傘寿の方のなさる肉体労働ではありません。「選集」と「湖の本」をお続けになるためにも、お二人の作業の軽減が不可欠と思 うのです。どうかご検討くださいますよう伏してお願い申し上げます。
選集第十二巻『生きたかりしに』 いつものことですけれど、素晴らしい一冊です。亡きお母様はどんなにお喜びでしょう。三浦くに(=阿部ふく)のよう に、才能豊かで烈しく生きる方でなければ、みづうみのような文学者は生まれていません。『生きたかりしに』を読んでそのあとに『わが旅 大和路のうた』を 読みますと、さらに切々と胸に迫ってまいります。歌人安部鏡の歌大好きです。みづうみの作品と一緒に、死なないお仕事になりましょう。
お早いご快復お祈りしております。
末筆ながらご結婚記念日おめでとうございました。 囀  囀をこぼさじと抱く大樹かな  立子

* 母ふく(阿部鏡)の短歌抄を喜んでくださり、嬉しい。とにもかくにも文学少女が文学老女のまま辞世の歌まで、わたしへの遺言歌までのこして行った、や はり「短歌」の表現が生涯を引き締めていると思う。むりやりも幾らかはまじるが、抄録してただ歌だけをならべてみて、「佳い」ように、贔屓目かも知れぬが 思っている。母の歌はまさしく歌の原義に密接し、まさに「うった」える言葉と律動とで創られている。うったえるのが「うた」の本来だというわたしの定義に さながら模範の証歌を母はたくさん書きのこしてくれた。母の伝説がすべて消え失せるときにも、「歌」は遺るだろう。

* 染織家の渋谷和子さん、翻訳家の持田鋼一郎さん、三田文学編集室から選集等について来信があった。
歌人の松坂弘さんからは過分の御喜捨を戴いた。御礼申します。
2016 3/15 172

☆ 選集感謝
第十二巻をお送りいただきありがとうございました
昨日の配達でしたが留守にしており御礼が遅くなりました
函の表題を見たとき
「あ。よかった」
と直ぐに想いました
選集に入ったこと (生母ふくの=)歌も添えられたこと 嬉しく感じます
迪子さん 風邪だそうですが 早く快復されますように
どうぞお大事になさってください
春の佳き日をおふたりお健やかに迎えられますよう お祈りします
ありがとうございました   下関  碧

* 本を差し上げている方々もみなさん著者であるわたしの年齢に上も下も近い。もしも、ご不要になったときは、お近くのシッカリした大学図書館なり県立や市立 の中央図書館に揃えて御寄贈してくださいませ。或いは、お眼鏡にかなう若い文学愛好の方に差し上げてくださいませ。
いろんな地方に此の「選集」がなるべく「揃って」遺れば、それはそれなりに私の創作や著作の運命と思っています。ながく愛蔵愛読して頂ければなによりです。
2016 3/15 172

☆ 昨日
雨の中 ご本が届きました。
見開きの おじい様 お母様の お写真は タイムスリップした様な懐かしさを感じてしまいました
私にまでに立派なご本お送り下さり恐縮致します 先に(湖の本三巻本で=)拝読させて頂き 正直 胸締めつけられる思いもありましたが 今回ご本の最后に 奥様とのこの后を詠まれたお歌に心安らぎました どうかお揃でお健やかな日々であります様に。
拝受 御礼まで  有りがとうございました。 三月十五日   清  生母の姪か従妹か

* 生母方の親類から、初めてお便りをもらったねである。感無量。
この母は、平成の初年に九十一、九十三、九十六歳で亡くなった秦の父、叔母、母らより、なお数歳の年長であった。四人の子をなしてから夫に死なれ、その後に時を隔てて私の父と出逢い、兄恒彦と私とを昭和九年春、十年暮れに生んだ。
父のちがう長姉とも長兄、三兄ともそれぞれ只一度ずつ逢うことができた。次兄は戦時中に亡くなっていた。そしていまは優しかった姉もこころよく逢ってく れた二人の兄も、それのみか、両親をともにした兄北澤恒彦も、此の世を遠く去ってしまい、久しい。母の血は、いま、私一人に流れている。
縁戚で出逢えた人は多くはないが、能登川、水口、山科、京都、三重、静岡、横浜、市川などへ話を聴きに出向いた。
母には母代わりの長姉一族が能登川の広壮な本家を手広に嗣ぎ、次姉の嫁いだ三重の婚家とも深い縁を重ね重ね、子弟は各地に広く住み分けている。
さらには伯母や母からは実父、私には祖父である人の生まれが、東海道水口宿本陣であり、ここにもいい知れない遠い歴史が宿っていた。母は自身「白道」と時に称し、この祖父「白峯」を終生恋い慕っていた。

* 兄恒彦と私との実父に関しては、私自身の内でほとんど何一つも片づいていない。父の生家は南山城の当尾にあり、私には祖父に当たる人の子女や孫らの拡げている門戸は各方面に途方もなく広い、らしい。
実父との関わりを本気で書いておくか、どうか、まだわたしは腹を括っていない。おそらく、それだけの時間は残されていないだろう。わたしは母を、母の生 前も死後もひさしく受け容れなかった。ようやく桎梏を押し切って「生きたかりしに」を書かせたのは、母の歌であったと思う。母が歌など書く文学少女とも まったく知らなかったまま、わたしは秦の叔母の添い寝の手ほどきで和歌というものを教わり、国民学校の四年生から一人学びの短歌を創り出して今日にいたっ ている。今度の選集本に「参考」として「阿部鏡短歌抄」を私の手でアンで添え得たのは、おそらく最良の供養であり母孝行になったかと胸を撫でている。
実父とは、そういう接点が見つからない。

☆ 鴉に
御本が届きました。ありがとうございます。
風邪 早く早く快復されますように。   尾張の鳶

* 釈迢空研究家の石内徹さんから、まことに過分の御喜捨と激励とを頂戴した。有難う存じます。

* 瀬戸内寂聴さん、東大大学院からも受領の挨拶があった。
2016 3/16 172

* 朝一番に、村上開新堂の山本社長から、クッキー二缶とべつに綺麗なケーキを頂戴した。開新堂の、まこと豊富な詰めも包装も完璧な美味しいクッ キーは、総理大臣でもお店へ受け取りに来なければ手に入らないと噂にも聞いてきた。幸せなことにわたしは「湖の本」創刊以来、つまり三十年もの久しきにわ たり山本さんを有り難い「いい読者」に得てきた。ちょっと言い表せないほど友情に似た親しさを分け持ってきたと思う。半蔵門前の大通りに以前は「ドーカ ン」という食事のお店もあけてられてて、一度だけちらと調理場の山本さんを見かけ声を掛け合った、ただそれだけの交際だが、温かい身内観をもちつづけてき た。
お心入れ ありがとう存じます、感謝します。

☆ 秦 恒平様 奥様
「秦 恒平選集」第十二巻をお送りいただきありがとうございました。
「湖の本」版をぢされて一年で先生の選集にお加えになられたことに先生のエネルギーを感じております。
昨年十二月に先生が 本年四月に奥様が 傘寿をお迎えの由 まことにおめでとうございます。
御礼と御祝いの気持をこめて クッキーは二つにいたしました。
小さな 作背のパウンドケーキと焼菓子を少しばかり 春の賑いに 一緒に送らせていただきます。
どうぞ 御身体御大切に    一番町  道

☆ このところ
鳴瀧音戸山では、朝の鴬の声で目覚めるようになりました。
本日はご高著「生きたかりしに」をご恵贈たまわりまして、まことにありがとうございました。
早速、頁を繰りましたら「まァ、お母様そっくり」と思わず声を上げてしまいました。男の子は母親似ということばのとおりでございますね。
第一章からするする拝見しております。時のたつのを忘れるほど、研ぎ澄まされたご文章に魅入られとしまいました、すばらしい。
あわてて拝見するのはもったいないと存じます 介護の時間を盗み ゆるゆると拝読させて頂きます。
どうぞお身体、ご無理をなさいませんように、
益々のご活躍をお祈り申し上げます  かしこ  京・鳴瀧  春  作家
お返事ご放念下さいませ。

* いつものように山田松香木店の典雅な匂い袋を添えた封書の切手には、東京キッドのひばり。お心づくしの御喜捨も同封されていた。有難う存じます。

☆ 御礼
選集12巻をお届けくださり誠に有難うございます。
巻末の『阿部鏡短歌抄』は どの一首にも作者の深い思いが溢れていて 涙なしには読めませんでした。
お二人の体調がはやく本復するよう祈っています。
ふな鮨を 20日頃にお届けします。  吉備の人

* 生母の歌の「うったえ」が、かように心深き読み手の胸に届いて行くこと、「編輯者」としても不肖のの末子としても、嬉しい極み。
有元さんありがとう存じます。
お揃いで どうぞどうぞお元気で。

☆ 前略
『秦 恒平選集 第十二巻』に収められた「生きたかりしに」を新しい思いで拝受、 本文を繰り、そして愛息によって<入念に抄出補綴>された「阿部鏡短歌抄」を感慨深く拝読いたしました。
恥かしながら今だに短歌の心に届きえない読者ですが、身の内に<業火>をかかえた詠者の修羅、渇望、たまゆらの静穏に身も震えます。
選集にこの一巻が加わったことを、いまひとつの賜物のように感じます。
この度もご厚意をいただき深くお礼申しあげます。
春こそ 秦さんに適わしい季節、どうぞお身体お大切に、いい春をお迎え下さい。 草々
敬  元「群像」編集長

☆ 拝復
先日は 又 御鄭重にも「秦 恒平選集第十二巻」を御恵賜にあずかりまして誠に有難うございました。このところ文壇関係の依頼事で忙殺されておりまして、御礼が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
「幼來かつ死後も容易に肯んじなかった『生母』の面影と足跡を追い求められた私小説「生きたかりしに』」と記され、巻末の御文で刊行に至られるまでの経緯が非常に精しく述べられているのを拝読し、「疲労の態で深呼吸している」という御心情に深く感銘致しました。
「短歌抄」を編輯併載されたのも、十全の御配慮と存じました。(「遺書」は「羽音ゆるく肩によらなむ」に、感無量の想いがいたしました。)
これから先もまだまだ慌しい時期を迎えますが、一段落致しましたら、じっくりと拝読させていただきます。本日は取急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。
季節の変り目に呉々も恩自愛のほど併せお祈り致します。 敬具  忠  元「新潮」編集長

* 神奈川県立文学館、都立中央図書館からも受領の挨拶があった。

☆ 三月十四日
選集第12巻拝受、ずっしりと重く、ご立派な、まさにお母様の一生が詰まっているよう。お写真のお母様に、先生はとてもよく似ていらっしゃいますね。湖 の本で拝読して、さぞかし天界のお母様がお喜びになっていることと存じましたが、選集第12巻を手にして、改めて最高のお母様へのご供養をなさった! と 感じ入っております。ご協力の迪子奥様はにも、拍手です!
お風邪おだいじに!   渋谷笹塚   宏

☆ 「秦 恒平選集」第12巻を
お送り下さいまして ありがとうございました。次回以降もどうぞよろしくお願い致します。
先生の御作からいつも生きる勇気をいただいております。お体お大切に!  中野中央  恭

* 安井さん、佐藤さん 東さん 唐澤さん 及川さん 井領さん、毎回の有り難い熱いご支援、心より御礼申します。

* 夕刻 鎌倉のご夫婦から、「せきや」の、飯にして美味い、鯛、ふぐ、あわびを二人分ずつ十分に贈って戴いた。
近江の名品鮒寿司といい、鎌倉からの鯛、ふぐ、あわびといい、食欲をかきたててご馳走になります。感謝申します。

* 第十五代の楽吉左衛門から、「初めての、そして最後の親子(三人)展」をやるので招待が来た。近江琵琶湖畔の佐川美術館。ながい会期中に行けると嬉しいが。

* 日本近代文学館からは「近代文学の一五○年」展の案内。ちらしには漱石、一葉、龍之介、太宰の顔写真が。
2016 3/17 172

☆ 冠省
第十二巻「生きたかりしに」 ご恵贈いただき拝受いたしました。ありがとうございました。
姉上、兄上、それに縁者の方々をたずねてのお話しにも深い感銘を受けました。せめて一度でも母上とゆっくりお話しができていればと強く思いました。
「わが旅 大和路のうた」 この本のことを識った当時 詩歌専門店なども随分さがしましたが入手できませんでした。この度 この優しい歌をまず最初に読ませていただきました。
話したき夜は目をつむり呼びたまへ羽音ゆるく肩によらなむ
お風邪とのこと、先生も奥様も どうぞお大切になさってください。  紀ノ川氏  宅
些少 同封致しました。お納めください。

* お心入れ 感謝します。

* 「湖の本」129巻 四月七日に納本ときまる。ほおっと一息つける。

☆ 前略
先日は 秦 恒平選集の 私家蔵本 第十二巻をご恵贈賜わりまして 誠に有難うございました。
本巻「生きたかりしに」も大長編で、すぐに読み通すことはできませんが、 生母への想い 切なるものがあり、胸を打ちました。
また、 この長編の末尾に収録されました 短歌抄は まことに感動的で、すべて拝誦致しました。
御生母の歌境の痛々しさ、孤独、悲しさなどに 作品を越えて 感動致しました。この歌は 半世紀ほども前に 『わが旅 大和路のうた』として刊行されて いた由ですが、 今、読んでも古びれておらず、 秦さんの手が若干入っている由ですが、それは、いっそう輝やきを強めたものと思われます。
これまで、各巻五百頁余の労作を 次々と刊行されてきましたのに、次回、第十三巻もすでに用意された趣き、ただ ただ 驚嘆するばかりです。
旧臘 傘寿を迎えられた由の御身、どうぞ過労におちいらぬよう、くれぐれもご自愛のほど、切に祈ります。 敬白    色川大吉  歴史思想家・東京経済大学名誉教授

* ありがとうございます。

☆ 第十二巻
いつもよりずっしりと重く、受け取りました。内容のせいもあるかも知れません。
「湖の本」では、上、中、下と息をのむ思いで読みました。あれから一年ほど、まだそのほとぼりが残っています。
その時から気になっていたのは、挿入の短歌です。短歌をちゃんと読む力は私にはありませんが何か心にひびくものがありました。
第十二巻で、秦さんがあえて「阿部鏡短歌抄」をつけ加えなさった思いを推しはかっています。
短歌を通して読んでみますと、それらはすべて「恒平」にむけて詠まれたもののようにも感じます。
冒頭のお写真、やはり面影に通じるものが感じとられます。

先頃、ちょっと私の身辺に異変がおこりました。北海道江別在住の山崎という方から、中谷治宇二郎たちが、小松中学時代に出していた文藝同人誌「跫音」Ⅱを発見したという電話がありました。これは、治宇二郎の娘法安桂子さんに、父の作品集の手伝いを依頼された時から探し続けていたものです。それから四半世紀経ちます。
この『跫音』Ⅱには、芥川龍之介が随筆「一人の無名作家」としてとりあげた治宇二郎(筆名杜美)の「独創者の喜び」という作品が載っています。兄の宇吉郎にもそのことについて書いた同盟の随筆がありますが、誌名や題名は記されていません。芥川龍之介全集の注解でもそれは「未詳」(当時)となっています。
平成五年に法安さんが、父の遺稿をまとめて『考古学研究の道』を出され、小説も収載されていましたので、その後、探すのをやめておりました。
私の案内で、北国新聞がとりあげてくれました。そちらの方が要領よくまとめていますので、コピーを同封しました。発想のもとに「平家物語」がかかわっていますので、よけいなことを追記しました。
お体お大切に。奥様お大事に。 三月十六日  井口哲郎  元石川近代文学館館長

* 井口さんの日々にこういう嬉しい異変の訪れていたのを、よそ事とは覚えず嬉しいと思う。井口さんは旧制小松中から起ち上がった小松高校の校長先生もされ、声をかけて戴いて講演に出向いた楽しかった懐かしい思い出もある。
ここにいわれている芥川が文才を称讃した旧制中学生中谷治宇二郎(杜美)の短篇小説を刺戟した素材は、平家物語の一節「甍破霧焼不断香 枢落月挑常住灯」(「甍破れては霧不断の香を焼き 枢落ちては月常住の灯を挑ぐ」)であって、この句の成立と解釈をめぐる12頁3部構成の物語であったと「北国新聞」記事は伝えている。。
井口さん、中学高校から平家物語とその成立に惹かれていつか「資時出家」「初校・雲居寺跡」「清経入水」「風の奏で」などを書いていった私を想ってくだ さってこの好異変を報せて下さったのだと思う。往年の少年作家にふと「身内」の縁を感じもして、しみじみとしている。有難うございました。

* 色川先生といい井口さんといい、嬉しくも有難い知己と、心温かに頭を垂れている。

☆ 拝啓
御高著「生きたかりしに」に限定版のご上梓、まことにおめでとうございます。
記念すべき豪華本を 私にまでご恵送にあずかり、きょうしゅくしております。と同時に心より御礼申し上げます。
お祝いの気持ちとして、
山形県庄内町余目の「やまと櫻 大吟醸」を一本、蔵元に送っていただくよう頼みました。どうぞ祝杯をあげてくださいますようお願い申し上げます。
ありがたく拝読させていただきます・ 敬具  完  文化出版局役員

* 便箋に「大吉」の朱印、そして聞こえた名酒も到来、有り難く、四月五日、妻も傘寿を迎えます日にしみじみ頂戴します。妻の力添え(長編の電子化)がなければ「生きたかりしに」は到底生き得なかった。

☆ 前略
『秦 恒平選集』をつづけて頂戴し、誠に有難うございました。矢つぎばやの刊行を維持されるパワーに圧倒されています。
第11・12巻ではご親族の写真を巻頭に配された「私小説」を読ませていただきました。お母上とよく似ていらっしゃいますね。「古い良い時代の<同志 社>を直感した」など、ところどころで出てくる「同志社」に立ち止まります。まもなく奥様もごいっしょに傘寿を迎えられるとのこと、おめでとうございま す。 草々   田中励儀   同志社大学教授

* 京都御所御常御殿南庭に薫る白梅の写真が懐かしい。妻と手をたずさえ京都を、同志社をはなれて東京に新居の直前に、御所の白梅を二人してしみじみ眺めてきた日を思い出す。

☆ いつもより
春の訪れが早い今年は、一月に降らなかった分、よく雨が降ります。裏庭のレモンや柚子、蜜柑の木々の手入れ、施肥など素人の私が手間のかかる仕事ですが、雨ではお手上げです。ほどほどを願っております。
ご自愛くださいませ。  静岡 駿河区  鳥井きよみ

☆ 選集十二巻拝受致しました。
読むのが追いつかず、恐縮なのですが、
お送りいただくたびに、身がひきしまります。 江東区  藤原龍一郎  歌人

* 鳥井さん、藤原さん、刊行のつど有り難いご助勢をたまわり、心より御礼申します。
立命館大学図書館、また京・河原町の「ひさご寿し」からも受領の挨拶があった。
2016 3/18 172

* 喜多流宗家十六世喜多六平太(喜多長世)さんが九十一歳で亡くなられた。
もう永くあまりに永く、流儀の何かの事情あって、宗家長世さんの能を舞台で観ることが出来なかった。惜しくも口惜しくもあった。職分会がここ久しく喜多 流を支えて立派に充実していたが、やはり、宗家の演能が観られないのは異様であった。心穏やかに「天寿を全うし」ての逝去であったか、哀悼の思いには事情 など何も識らないままの痛みがある。先代喜多実さん、兄の後藤得三さん、次男の喜多節世さん夫妻、みな亡くなり、いままた世嗣六平太も。東京へ出て来て、 能といえば久しく私には喜多流しかなかった。数々の名手が、みんな亡くなり、友枝昭世らその次世代職分がしっかりと喜多の舞台を守り抜いていて頼もしい、 だが、せめてもう一度長世さんのふうわりとした能を観ておきたかった。
2016 3/18 172

* 「選集⑮」を、箱表紙や總扉添え、要再校で戻した。

☆ 秦 恒平選集 第12巻
ありがとうございました。大事にいたします。
「生きたかりしに」 あの感動 驚きの想いにまた浸りたい。また、ページをめくります。
新たな、読む歓びの高まりが静かなうちにほとばしりそうです。
お体に気をつけられ、更なるご活動を祈っています。  四国今治  木村年孝 元図書館長

* ご療養中の阪大名誉教授島津忠夫先生のお葉書も戴いた。国立国会図書館からも受領の挨拶があった
愛知知多の久米則夫さん、岩手花巻の照井良彦さんから、有り難いご助勢も戴いた。深く感謝。

* 「湖の本129」納品が四月七日ときまり、二十日近く間が出来、創作仕事のためにも、発送用意にも、休息にも、ありがたい。四月五日の妻傘壽と歌舞伎 座四月興行まで、気分的にゆっくりできる。暖かくもなってきたし花も早く咲くという、少し浮かれてみたい気も湧いてくる。目が良く見えてくれたら言うこと ないのだが。
歯医者さんへ行かなくちゃ。

* 元朝日新聞社で「湖の本」創刊時の恩人である伊藤壮さんから、名酒「越乃寒梅」を二升送って下さった。四月、いっしょに楽しく祝ってくれる酒の友が欲しくなるなあ。 2016 3/19 172

☆ 寒暖定らぬ時節ですが
お変わりございませんか このたびは貴重な私家版『秦 恒平選集 第十二巻』をご恵贈賜わり厚くお礼申し上げます。たしかに拝受いたしましたむ。ありがたく頂戴いたします。
お心のこもった「正真正銘の私小説」の新稿を、「疲労の底で深呼吸」して書き下ろされた想い 深く受けとめ愛読させて頂きます。
心ばかりの御礼のしるしですので、なにとぞご笑納くださいますようお願いいたします。
なお、ご夫妻が敬虔なクリスチャンでおられるとぞんじますが、ご夫妻のご平安とご健康を祈って 石切神社のお百度を踏んで参りました。
ご迷惑と存じますが「お守り」を同封いたしますので
よろしくお納め戴ければ幸に存じます。  京・山科  馬場俊明  詩人

* 一保堂の最上のお茶をたっぷり頂戴し、歓声を。有難う存じます。石切さんのお守りとお札と、わたくしはこういうのもいつも大切に身に添えている方で す、お百度まで踏んで下さり、心より感謝し、日々だいじに過ごして参ります。わたくしどもは基督者でも佛徒でもはありませんが、イエスにもブッダにも真摯 に敬愛を抱いています。いわゆる「信仰」という「美徳」の持ち主ではありません。
2016 3/20 172

* 吉備の有元さんから美味しい「鮒寿し」を頂戴した。早速、「越乃寒梅」の肴に戴いた、美味い。いつもいつも有難う存じます。
2016 3/20 172

☆ 岡山にて
hatakさん  『秦 恒平選集 第12巻』「生きたかりしに」お送り頂きありがとうございました。五百頁の重さを手取りに感じ 巻頭の写真に胸が熱くなりました。
学会のため、昨日から岡山入りしています。
昨日は風が強くやや肌寒い一日でしたが、後楽園を散策してきました。梅は散り桜にはまだ早く、後楽園の芝もまだ冬枯れ色をしていましたが、天気の良い日に雪のない乾いた道を歩けるのが嬉しく、橋を渡って岡山城にも足を伸ばしました。
宿に戻る途中で目に留まった備前藩主池田侯お好みの大手饅頭と、岡山の蔵元の大吟醸原酒をお送りしました。酒屋店主の熱心に勧めるところによれば、備前 の酒米「雄町米」で仕込んだこの酒は山田錦の酒より芳醇な味わいになるのだそうです。明日明後日中に届く予定ですので、ご賞味ください。
来週から新年度でまた忙しくなりそうですので、しばし岡山の城下の落ち着いた雰囲気を楽しんで帰りたいと思います。Hatakさんもどうぞお大事にお過ごし下さい。  maokat

* 研究に千年の日々から管理職へ転じ、家庭も持たれ、大学への出講もあるのではないか、お忙しいことと思う。茶の湯のほうへも親しんでられるかな。一時は小説も書いてられたが。忙中の閑雅、大切にされていることと思う。

* 吉備の名酒雄町米を磨き抜いた極大吟醸「室町時代」一升が、いま、到来。ありがとう、maokat
さん。

☆ このたびは
貴重な御本をありがとうございました。大切に読ませていただきます。
私も来年の春で定年退職となります。ラスト一年の会社生活を楽しく過ごしたいと思っています。退職後の暮らしも今からワクワクしています。
やっと春らしい陽気になってまいりました。櫻もそろそろでしょうか。
季節の変わり目 くれぐれもご自愛下さいませ。
お口に合いますかどうか
またお送りしても良いのかすこし迷いましたが ご笑納下さい。  胡

* まだ幼かった少年と母子で四国から転勤上京、もう少年も社会人ではあるまいか。創刊の昔からの久しい読者。土佐文旦とはんなりしたお煎餅を戴いた。感謝。
2016 3/21 172

☆ いつも
素晴らしい御本をありがとうございます。
奥様の御誕生日が四月五日と聞き及びました。
少し早目となりますが、お召し上がりいただければと…。  久間十義  三島由紀夫賞作家

* 叶匠壽庵のすばらしい二段飾り箱入り和菓子を頂戴、感謝。

☆ おじいさま、おばあさま、聞いてください!
私、子供ができました!
さっき病院で診てもらい、分かったばかりです!
妊娠初期段階なので、きちんと成長してくれるか不安ですが、嬉しくてついついお二人に連絡してしまいました。
ちなみに、予定日は*月**日くらいだそうです。
子供ができた嬉しさはありますが、母になる実感はもちろんまだなく、何に喜んでるのかよく分からない不思議な状態です。ふふふ。
というわけで、ご報告でした!   やす香の一のお友達

* 萬歳! わがことのように、こころもち案じながら待望していた、良かった!!
さ、 たいせつに たいせつに、母子もろ、ともに元気に育ちますように。
こんな嬉しいことを聴くとは! よろこびがうまく言葉にならないよ! 心からの最初のおめでとう
を言いますよ。そして わたしたちからも天上のやす香に伝えます、すぐ。嬉しいお知らせでした。ありがとう、ありがとう。

* いい仕事を わたしもしたくなった。頑張らなくちゃ。
2016 3/22 172

☆ 前略
『生きたかりしに』 立派なご本をお送り下さいまして ありがとうございました。
今はもう人手に渡ってしまいました懐かしい のと川の家(=秦の生母三姉妹らの本家)の事など
書いてありますので 思はず 時を忘れて読ませて頂きました。
私は今年十二月八日 満九十五歳になります。一生懸命計算して自分ながらびっくりしてます。目も見えなくなりました。今は息子夫婦に見守れながら 世話になりながら 猫二匹と一人暮しをして居ります。
話しは変りますが、
ご本開けたところ、おふく(=秦生母の本名、作では、秦と兄恒彦以外の全部の氏名が変えてある。)おばさんやおじいさんのお写真 とても懐かしく思いました。 恒平さんとははじめてお逢ひしたような気がします。
叔母さんによく似ていらっしゃいますね 叔母さんも よい息子さんをおもちでお幸せだったのだなー、と えらそうに 思いました。
どうぞこれからもお元気で 益々よいお仕事をされますようお祈り申し上げて居ります。私はなるべく皆に世話をかけず暮す事で せ一ぱいです。ご想像下さいませ。
呉々 御身ご大切に祈ります。
先づは御禮まで   愛知・津島  富永 豊  従姉・生母の姪

☆ 秦 恒平様
『生きたかりしに』、ありがとうございました。はてさて、どうしてわたしに、と思案していたところ、清水の姉(奥村優美子)から電話あり、父・矢澤三郎がいつかどこかで貴方様とかかわりのあった縁で送ってくださったと知りました。
ご著書を開くと「水口」という地名。父と貴方様との接点があるとすれば、水口ではないかと思って、その前後を拾い読みしました。
父・三郎は静岡の「矢澤漆器店」の三男ですが、父の父(わたしにとっては祖父)・小嶋紀四郎の実家が水口の小嶋家でした。紀四郎が矢澤漆器店に奉公に来て、そのまま婿養子(六代矢澤久右衛門)になったという次第です。
一九九七年、叔父・叔母・従兄弟たちと水口の小嶋家を訪ねたことがあります。
小嶋米子 滋賀県水口町元町9の8
小嶋家は脇本陣で、となりに本陣があり、「明治天皇行在所跡」の石碑がありました。
小嶋家は「大本教」 (現在は「大本」) の信者で、その影響で父・三郎も熱心な大本教信者でした。
でも、ご著書では、お母様がキリスト教信者であったとは書かれていますが、大本教とのかかわりは出てきません。父・三郎と秦様がどのようなかかわりがあったのか、知りたくなりました。  .

お母様の残された短歌を読んで、その鮮烈な生涯に胸が締め付けられます。
二〇一六年三月二〇日     矢沢国光  埼玉・川口 矢沢国光

* 能登川へ養子で入った私の祖父(生母ら三姉妹の父)は、かなりの確度で、水口宿本陣の娘と参勤交代で往来のあったさる九州大名との中に生まれたといわ れていることは『生きたかりしに』でも触れている。その祖父生母はのちに静岡の矢澤家へ再嫁したかと、水口宿脇本陣の小嶋家で聞いていた。すべては往時渺 茫、ではあるが、かつて訪れていろいろ話を伺った静岡市に現存の矢家さん三軒等へも当然、今回の本をお送りした。川口とは近い。一度お目に掛かりたい。

☆ 秦恒平様
お変わりございませんか? 私はお蔭様で元気、毎日会社へ出勤しあくせくと働いております。
御著 確かに拝受致しました。 ご厚志は大変有難いのですが、昨年五月のお手紙にも書きました通り、私は文学には お恥ずかしい事ですが全く無知無能で、また関心も御座いません。 その為、せっかく立派な御著を頂いても、文字通りの「猫に小判」です。
最初のご本は少し拝読致しましたが、悲しいことに何のことやらさっぱり解からずで、2回目以後の分に就いてはチャレンジする意欲も時間も無いため、そのまま保管しております。
この様な次第ですので、今後は私への御著のご恵贈はなさいませぬ様お願い申し上げます。 実は、この様な不躾なことを申し上げ、お気を悪くされないかと  とても心配なのですが、折角頂いたご本を読まずに積んでおくのも甚だ心苦しく、不躾とは思いながらもこの様なお願いを申し上げる訳でございます。
なお、お尋ねの(三重県津市の=)油田夫妻ですが、もうだいぶ前に二人とも癌で亡くなりました。
ご健勝をお祈り鼓します。 草々  千葉・市川市  田中稲蔵  生母次姉の孫か

* 生母の親戚筋から、四人の方の手紙をもらえて、ほおっと息をついている。何にしても母に直にかかわったお人は、ほとんどが亡くなられている。「いとこ」といえどわたしより遙かにみな年長、その子弟となると所縁は薄れている。せめて十五年早く作を纏めておけばよかった。

☆ お手紙さしあげます
いつも御「選集」「湖の本」お恵みいただきながら 御礼も申し上げませずお赦し下さい このたびはまた第十二巻をいただきました。昨年の「湖の本」以来再読いたし 秦文学の根底(幹)をなす作品であることをあらためて認識いたしました。
御母上「阿部鏡(=生母の筆名)様の「短歌抄」いくつかは本文中で目にしておりましたが 息を呑むような思いで再読三読いたしました。巻頭の御遺影もお作を読みつつの想像をうらぎらぬ美しさです。当然のことながらやはり面ざしは作家ご自身に似ておられます。
また今回御姉上「幸子(=本名は千代)」様のお手紙も重ねて拝読、強い印象を受けました。文字どおり丈高きお姉さまを持たれたこと 羨しく存じます。
「秋成」も生かされていると読みました。
「私小説」とはいえ作品によるこのような結着のつけ方もあるのだと知らされました。
乱文をおゆるし下さい。
どうぞお健やかに  不一   東郷克美  早稲田大学名誉教授 近代文学

☆ 拝啓
ご無沙汰致しておりますが先生にはお変りなくお過しでございましょうか やっとのことで陽射しにも春を感じるようになりました。
過日は『秦 恒平選集』第十二巻をご恵送賜り乍ら御礼が遅延致してしまい申し訳なく存じます。
立ち止まり立ち止まりしながら拝読させていただきました。「湖の本」上中下で拝読した折の戸惑いを、この度も味わいながらの拝読でした。少しぺいじを 繰っては、最初のお写真「生母と姉」を拝見して、また頁にもどり、頁を繰っていくことのくり返しでした。お写真を拝見しては、何か心を静かにして――何か 心を静かにさせていただくものがありました。
「牧師」が「参列者が、まるで他人のように口をきかないんです。(略)葬儀らしいといえばそれだけでした」というお話、「母権」の「主張」というお話、などなど、一つひとつが心をつよくうってきました。
むしろご本のなかの言葉の一つひとつが、と申しあげるべきかと思います。お写真を拝見しながらこの方の生涯が、このご本のなかにあって、歌碑とは別に生 き続けていくのだと思うことで、心の動揺を鎮めることが出来るような気がしておりました ここに紙碑があると思うことで、お写真の方の生涯を受けとめよう と思っていたのかもしれません。
少し時間をおいて再度、拝読させていただこうと思っております。 生きるということ、生きてきたと言うこと、生きようと思っていたことなど、もっと考えてみたい気持です。
「遺書」とされた歌の「羽音ゆるく肩によらなむ」が深く心にかかっています。お写真から受ける印象と重なっています。
ありがとうございました。
御礼まで  敬具   馬渡憲三郎  前・藝術至上主義文藝学会会長

☆ 前略 ご免下さいませ
梅の花がおわり 今はサクランボの花が満開です 今年はどれぐらい実を付けてくれることやら 楽しみにしています (小さな小さな み ですが。)
重ねてご本を頂戴しまして恐縮しております 有難うございました。
「生きたかりしに」は上中下巻と ひといきに読ませていただきました。
資料つくりは大変な仕事だったろうと…絡みにからまった糸に少し光があたっただけでもよかったとおもいながら読んでいきました。
いちばん読んでほしいのは お母様に と思いました とどけられるなら天国へ届けたい、そんなおもいがいたしました。
戴きましたご本は 今度は一ページづつゆっくりと読ましてもらいます。
ありがとう ございました。 かしこ  京・有栖川  桐

☆ やっと
サンシュユの黄色い花が咲きはじめた近江の遅い春です。
御著書有難う存じます。
それにしても 美事なものと感服しきりです。
どうかお大切に。   五個荘  川島民親  作家

* 毎々の手厚いご助勢 感謝申します。
2016 3/22 172

☆ 櫻が
少しずつ近づいているようです。
先日、『生きたかりしに』が新潟(=実家)届きました。毎度のお心遣い、ありがとうございます。
何度か訪れた浄瑠璃寺のあたりの気色を思い浮かべながら読んでいました。
私も、両親やそれぞれの生家のルーツをたどってみたいと思っています。
父方の祖父は上越の雪深い山裾の集落の出ですが、実は家内の祖父母も上越高田城の近くが出自です。(戦後、佐世保へ移ったのです!)不思議な縁を感じています。
迪子さんともども、ご自愛ください。  理  奈良

* 薬師寺玄奘三蔵院伽藍と薄墨桜の絵葉書に。
この青年の声を聞くたびにわたしは身の内の宿題、新潟も北の方を舞台にして書きたい書きたいと願っていた構想を思い出す。もくもくと思い出す。
わたしは新潟市にいちどだけ「日曜美術館」の仕事で出掛けた。群馬の赤城山の上での「著者を囲む」読書会のあと、脚を延ばしたのだった、仕事は「土田麦僊」の繪と人を語ること。
もうあのときもその小説への作者なりの期待は疼いていたのだが、願いの方面へまで脚は運べなくて東京へ帰った。
「上越」という二字が便りに点綴されていて、恥ずかしながらわたしには的確に「上越」とはと地誌や風景風物が浮かんでこない。かろうじて近年「上越」の 光明寺さんと文通があるが、ご住職とも面識はない。わたしが久しく目を向けているのは新潟市より北よりの「村上市」辺で、たぶん「上」越ではないのだろ う、「上」は同じ越の国でも、より京都へ近い方面を謂うのだろうから。
わたしは主として京都を書いてきた。丹波へも疎開し暮らしてきたし、近江や大和は想像の可能な範囲で、それ以外の異域、たとえばロシアの「冬祭り」も「最上徳内」の北海道も、茨城の「四度の瀧」へも、取材に脚が運べていた。

* また、古くて新しい願いが、ぶうと膨れてきた。が、はたして独りで勝手知らぬ・知れぬ秋田へも近い北越へなど出掛けられようか。

* 京都市中央図書館から、選集十二巻受領の挨拶があった。土日をはさんだ火曜、三連休後の水曜は郵便が少ない。
2016 3/23 172

☆ 東大寺二月堂修二会(お水取り)も終わり
お彼岸を迎え奈良もにわかに春めいてまいりました。                            さて過日は貴書「生きたかりしに」をお届けいただきありがとうございます。
文中の田波良信氏は 小生の父岡谷実がモデルと思われます。
私は昭和18年生まれで当時のことはほとんど知りません。近くに私の次姉の中井総子(ふさこ)(昭和17年生まれ)が居りますので聞きましたところ 父 が存命中 秦様より連絡があり阿部さんのことを知ったようです。もとより小説ですのでアレンジされていると思いますが旧い奈良の地名など懐かしく読ませて いただいております。
いまさらお役に立たないとは思いますが医療法人岡谷会創立40年・50年・60年に発刊いたしました冊子をお送りいたします。
なお 岡谷実は平成10年3月14日満92歳で永眠いたしました。
秦様のますますのご活躍をお祈りいたします
平成28年3月22日  岡谷 鋼(こう) 現・理事長・院長

* 感謝申します。
亡くなられていたお父上とは作中にあるように何度も文通を重ね、ほんとうにいろいろとお世話にもなり教えてもいただいた。せめて御霊前へも本を届け得たかと、母のためにも喜んでいる。

* 滋賀県草津市の方を介してロサンゼルスの池宮千代子さんから過分のご喜捨を戴いた。

☆ 2016年3月23日 秦恒平様
ご健康の維持にご苦心しつつ、しかし体調を維持しておられる。その意志力に敬意を表します。立派な装幀と堅牢な箱の作りの美しい私家版、秦恒平選集第 12巻を先日、いただきました。今月に入ってすぐのことではなかったかと思います。いつもながらのご好意に何と申し上げてよいか分かりません。
お礼の遅れを弁解いたしましょう。先月初めから今月中旬まで、私は牧師たちの研修会での連続講演、YMCA午餐会での講演、神学生交流会(諸神学校学生 代表者たちの合宿)での連続講演そのほかのための準備とレジュメ作りに追われました。その仕事を終えた時に、それを待っていたかのように、ある有能な政治 思想研究者から最新の著書『存在と秩序』が送られてきました。著書の
中の一章全体が旧約聖書「ヨブ記」を扱っており、岩波版の拙訳ヨブ記を使用して議論を組み立てています。しかしそこには拙訳への批評がかなり織り込まれて おりました。そのため私はそれに対する応答を至急にせざるを得なくなり、批評対象とされた部分については、難解なヨブ記原文の訳法を再検討し、その結果を 長文の書状にしたためました。それが5日前でした。その後すぐに、いただいておりました選集の第12巻をひもといたしだいです。
未補筆の『生きたかりしに』は『湖の本』で以前に拝見しておりました。もちろん、巻末の阿部鏡『わが旅 大和路のうた(短歌抄)』の全体は初見でしたの で、一晩かけてのその味読から読み始めました。この方は非凡な歌詠みでしたね。もし凡作があるとすれば、それは秀作を引き立てるために収録されているので しょう。秦さんは歌集を手に取った時、あえて前夫との生活時代とその子らを思う歌は消去されていると、すぐにお気づきでした。その消去は当然でしょう。こ の歌人が「大和路」を生活の場として選んだこと自体が、在りし日にやむなく子らを手放した上で、そのことの償いの生とでも言えるような、病者、弱者を友と する人生を生き直すことの決意であったのですから。在りし日に手放した子らは幼時のままに心に止まり、その子らとの母子の睦みの夢想を消失させることはな かったでしょう。生活の現実に屈した無念が、罪責意識を伴いつつ、心理的には時の進行を止めているのだと思いました。

水垢離に滴りたぎる水煙この垂乳根は子らを見捨てつ

話したき夜は目をつむり呼びたまへ羽音ゆるく肩によらなむ

母心に参りました。この方は秦さんの生母ですから、たとえば「ご母堂」、「ご生母」と敬称をつけて言及しなければなりません。しかしこの方は作品上の人 物となっていますから、以下の、一読者としての私が読み取った人間模様の提示では、「くに」と、お父上は「恒之」と呼ばせていただきます。お赦し下さい。

「くに」は彦根の宿で「恒之(ひさし)」の母恋の対象として自己を与えることを容認し、同時に一人の男の欲情を受け入れることを自らも女として欲した。そ の行為を通して彼女は自らも女として自覚し、初めて自律した女としての人生を選び取った。自らの意志で家族を構成した喜びを味わった。世間が何と思うか。 それはどうでもよかった。
しかし「恒之」にはそれは成り行きでそうなっただけのことであった。構成した家族に自らの人生を賭けたわけではなかった。名望のある実家の面目があっ た。実家での自分の立場を危うくするわけにはいかなかった。「くに」は「恒之」の心中で次第に大きくなる困惑に直面した。彼女は一人の青年の前途を塞ぐ現 実に目を開き、離別の道を選ばざるを得なくなった。それを実行したものの、自己の意志で拓き始めた人生は、女一人の力では貢徹できない。その客観的な事態 を認めなければ、子どもたちを悲惨の淵に落としかねない。「くに」はその悲劇を予見し、その回避策を考えた。子らも自分も生きるためには、「恒之」の実家 に押しかけ、息子の不始末の責任を取ってくれと、押しつけるようにして子らを置き去りにした。その行動以外には、彼女に選択の余地はなかった。彼女はそれ が自分の責任を棚上げにした利己的な行動であることを十分に自覚していた。「見棄てつ」という歌の一句からその思いは読み取れる。
「くに」が自らの意志で選び取った人生は見事に挫折した。しかし、挫折とその後の人生の歩みは、わが子の名を呼ぶ狂女のごとき振る舞いを含めて、「くに」 が固執すべき唯一の人生であった。それは一人歩み抜かねばならない「大和路」であった。「くに」はわが子らの貰われ先を探り当てた。京の町での彼女の仕草 は、精一杯の生母の権利の主張であったがために、独善のにおいをも発散した。それを息子は鋭敏に察して、事情は分からないままに嫌悪した。しかしなりふり 構わぬ行動は、母としての「くに」の真実の生きざまだった。彼女は生母を名乗る権利を得ることに失敗した。彼女は失意を埋め合わせるかのようにがむしゃらに働いた。弱者への献身は子らへの叶わぬ献身の代償でもあったろう。彼女は「いのち」に敏感になった。
歌集「わが旅 大和路のうた」には、失意にまみれつつ、しかし他面では達観しつつ、おのが人生を歩む決意が溢れている。

一読者としての私の読解は以上で終えます。以下は新版『生きたかりしに』を拝見しての私の感想です。
美しい幸子姉さんに抱かれるご生母の顔には、気位の高さと尋常でない意志力をすでに宿しています。後年、この方が弱者の友として歩もうと努力されたことはうべなるか。
(秦注 この箇所は写真に対する私の説明不足であったか。私の姉を抱いているのが「生母」である。)
ご生母が最後の時期に、牧師の候補生たちにとりすましたクリスチャンとして振る舞わなかったことには好感が持てます。彼女がきれいな顔をして死ななかっ たことも、牧師候補生たちへの彼女の最後の教育であったように思われます。キリスト者にとって死に際をきれいに見せるなどということはどうでもよいことで す。イエスも十字架上できれいな顔をして死んではいません。

十字架に流したまひし血しぶきの一滴を浴びて生きたかりしに

実に含蓄がありあます。ベッドでよくぞこの一首を書き留めたものです。
「生きたかりしに」という一句だけに注目すれば、秦さんがご生母の「生きたかりし」生をご自分なりの仕方で展開なさった。秦さんは非凡なご生母の文学的な 才能を引き継がれた。この方以上の能力に恵まれた。秦さんはこの方から独立して育ち、何一つ秦さんは影響を受けなかったにもかかわらず、青(少)年時代か らの歌人であった。秦さんは「歌の別れ」を実行なさった後も歌に特別な思いを馳せる意味での歌人です。この方の歌集を校訂し、ご自分の大事な選集の別巻に (参考)と称して再び、ずっと重みをつけて世に問うた。歌人の生を引き継いだ。秦さんがご自身の生を展開することによって、この方の生の可能性を開花させ た。秦さんは「羽音を立てて」この方の肩に止まった。羽音やかましく
は、この方には似合わない。私家版として世間には密かに、「羽音を押さえつつ」ですが。それが、歌人たるを生業にしなかった方には似つかわしい。

しろし召せ父なる山よ母湖よ巡礼が子が鈴の行方を

母は『湖の本』を予告していましたね。子が振る鈴の音の行く先を。
秦さんがこの方から受け継いだことについて、私はさまざまに思いを馳せますが、これ以上は記さないのがよいでしょう。余白を大事にします。

かつて『生きたかりしに』を「湖の本」シリーズで拝見したときにも、これは私小説的素材を追いながら、秋成の生い立ちの探索という叙事的な営為を絡ませ て、私小説における感情の奔流を断ち切る異色の作品として、その手法に驚嘆しつつ受け止めておりました。この書物は登場する人々についての「批評」の展開 だということもできるでしょう。今回補筆して批評性を強めたと感じました。この巻は選集第12巻とは言いながら、その実「新作品」です。

この優れた作品に触れて、私には願いが強くなりました。選集刊行の発表をぅかがったときには希望者には「差し上げる」という著者の姿勢にたじろぎ、申し 出そびれてしまいました。実は私が長年勤め、たまには日本文化に対する感受性豊かな学生たちをも育ててきた、ICUの図書館の棚にこの選集を並べたい。 もっとも開架書棚の日本文学の棚はすでに満杯でしょう。ICU図書館は開架式を目指したために他の図書館よりは広いスペースを誇っていますが、蔵書が増え た今は所蔵図書の三分の一ぐらいが開架書棚に並んでいるに過ぎません。いつの日か、この図書館に所蔵の選集が役立つことに期待します。そもそもこの見事な 本が図書館に存在していること自体が、すでに役割を果たします。
そのためには選集の第1巻から第9巻までを戴けるものかどうかを恐る恐るお伺いしなければなりません。もし選集が全巻揃ったときには図書館に寄贈しま す。お手元にはすでに選集の保留分はないのでは、と推量いたします。しかし、思いがけないことが起こるやも知れず、失礼を顧みずに申し上げます。

桜が咲き出し始めましたが、寒が戻るとか。
どうぞご自愛なさって下さい。    浩  国際基督教大学名誉教授

* 感謝申し上げます。

* 神戸松蔭女子学院大学から、受領のあ異佐津があった。

* 沖縄の名嘉みゆきさん、四国の星合美弥子さん、世田谷区の鈴木定幸さんから、有り難い下付゛んの御助勢を戴きました。感謝
2016 3/24 172

 

* 「選集⑭」を、少し気にかかり、全部「要三校」で送り返した。

☆ 桜花の候
お元気でしょうか。
このたびは、御選集第十二巻『生きたかりしに』を御恵贈賜わり、有難く厚く御礼申上げます。
「正真正銘の『私小説』」を、昭和五十二年以来、三十年近くかけての感性への思いがどれほど強いか、御生母阿部鏡様の御歌に合せて、味読いたしたく存じます。
奥様傘寿の祝いが満開の桜で飾られますよう。
御自愛を。   徳  講談社役員 元出版部長

☆ 話したき
夜は目をつむり呼びたまへ
羽音ゆるく肩によらなむ
「選集第十二巻」嬉しく拝受しました。ありがとうございました。
不順な気温です。どうぞご自愛くださいませ。   各務原  都  詩人

* 滋賀湖南市の小田敬美さん、日本近代文学館から、受領の挨拶があった。

* 妻の妹から、いつもに変わらぬ多大の支援をもらった。ありがとう、ありがとう。感謝しています。
2016 3/25 172

* いまはわずかに残してある選集をこそ、思い切っていろんな施設や若い人手に分散しておきたいと思っている。ICUの「浩」先生のように希望してくださ ると、本当に心づよい。わたしの手元に置いておいてもむしろ意味の無いのが「秦 恒平選集」なのである。これまでに何人もの方から、全巻をぜひ手に入れたいと希望されてきた。創作は生き物、わたしの家の書庫にとじこめていては、可哀想 なのである。

☆ 感謝
秦 恒平様
選集1~9巻を拙宅に宅急便でお出し下さった由。ご厚情に浴することに心からの感謝を申し上げます。
ICU図書館にご寄贈いただけることも、感謝です。秦さんのご好意を喜びをもってお受けしましょう。 図書館では寄贈書の受け入れに当たっては選択して いますので、あらかじめ私が図書館長に話しをしておきます。秦さんのような立派な作者の立派な選集をいただけるのは光栄であると感謝されるでしょうが、ま ずは館長に話しを通しておきます。私は来週の月曜日に図書館に行く予定です。
送付先は次の通りです。
そこで早速、私がいただく選集の「将来の行き先」を考えました。わが友人の一人、東北学院大学教授(言語文化学科)の下館和巳さんです。1955年、塩 釜生まれ。ICU卒(英文学)、ICU大学院終了(比較文化研究科)。大学院ではシェイクスピアと近松門左衛門とを比較しました。大学院時代より、英語に よる演劇指導で抜群の才能を示しました。現在までに、ケンブリッジ大学客員研究員、ロンドングローブ座ダイレクティングフェローを経験しています。シェイ クスピア劇の舞台を東北の地に移し、東北弁(仙台弁)で公演し続けてきました。シェイクスピア・カンパニーの主催者を続けています。下館さんは、いずれ か、すぐにか、秦さんの選集を言語文化研究科の図書室に寄贈することになるでしょう。

* これまでに恒久的な研究・保管施設として、国会図書館や大学研究室、図書館、また文学館などへ三十箇所、受領されている。
2016 3/25 172

* 朝一番の郵便で、第十巻を進呈した栃木・下野市の寺沼輝幸さんから十万円の送金があり、この機に既刊の「全巻取り揃え」たいとご希望があった。次回からも配本願うとも。直接製作費と送料とをご支援願えることになり、有り難いことです。荷造りしてお送りします。

☆ 境内の
梅の花が散りはじめました。
その後ご体調は如何かと心配いたします。ご自愛下さいませ。
早速ながら、ご新著のご恵投、まことにうれしくありがたく頂戴いたしました。
精力的な あまりにも精力的なご活動に敬服するばかりで、法務さえ十分に勤めえない身を悲しくさえ思います。
ありがとうございました。幾重にも御礼申し上げます。 称名  上越市 光明寺

* なんとしても本になるのが余りにも遅れたので、生母の親戚も知友もほとんど存命でなく、その子弟ですら高齢に過ぎて、直接わたしの母や祖父におよぶ関心は薄れているだろう。残念と言えば、残念。そういう方たちにすればうかと感想も出ないだろう。
2016 3/26 172

☆ 選集落掌
秦恒平様
失礼致します。過日、選集第十二巻確かに頂戴致しました。湖の本共々、落掌する度に身の縮む思いでございます。
大学という場が、成果主義という尺度で測られるようになる前は、秦作品をほとんど精読していたファンの一人としては、四年後にひかえた自由な時間に「秦恒平」の文学とは何であったかを問い直してみる所存でございます。
礼状を認めようと思いながら、遣われております身故の雑事に追われ、卒業式を終え、電子メールでの遅ればせながらのご挨拶になってしまいました。何卒お許し下さい。 山口大教授  芳
追伸
私1月7日より14日まで聖路加に入院しておりました。秦さんも重複して検査入院されていた由。奇遇でございました。

☆ 秦 恒平様
先ほど、宅急便にて『秦恒平選集』第1巻~第9巻をいただきました。わざわざの梱包と発送ご手配、まことに痛み入りました。段ボールから一冊ずつ取り出してそれぞれの本の重さを感じ、私などは思い及ばない成立史がそれぞれにあったのだと思いを馳せております。
再読が多いのですが、通して読んで、また新たな感銘を受けるでしょう。
ありがとうございました。   国際基督教大学名誉教授  浩

* 下野市の寺沼さんへも既刊の十二巻を発送した。
2016 3/26 172

* 岐阜各務原市の詩人山中以都子さん、お心入れの名酒「三千盛」二升を下さった。有難う存じます。金沢市の作家金田小夜子さんは、お手紙とともに妻傘寿へ有り難いお祝いを頂戴し、お酒の肴にと珍品の干物を何種も頂戴した。三千盛がひとしお美味しく戴けた。

☆ 秦先生へ
息もつがせず選集お送りいただきありがとうございます。やっとお母様に会えました。綺麗で情熱的な雰囲気にみとれました。長い間の呪縛から解放されて本当に嬉しく心からお祝い申し上げます。お二人とも傘寿で今年はお祝い重なり 益々のご活躍を祈念しております。
気持ちだけですが 酒肴と共にお送りしますので美酒を味わわれて下さいますように !
夏にかけて又多忙の由 くれぐれもご自愛下さい。
今年が実り豊かな一年ですようにお過ごし下さいね。  金澤  金田小夜子

☆ 桜の便りが
聞かれる頃となってまいりました。その後 ご体調は如何でいらっしゃいますか?
先日は 十二巻目の立派なご本を現在卆ご恵賜頂き まことに有難うございました。
遅くなり申訳けございませんが 御礼をこころばかり同封させて頂きました。 ご笑納下さいませ。
ご生母様の短歌の数々 胸の痛む思いがいたします。
前川佐美雄にご指導頂かれたとの事、 奈良女子大学の頃に「橙(オレンジ)」の歌師 山崎雪子先生(H15年没)もご指導を受けられたと時々なつかしそうにお話しして下さいました。
これから また ご無理なさいません様に ご活躍下さいませ。
新門前梅本町 ご存知ですか (=我が家の一軒東から梅本町だった。 秦)
小学時代の恩師 浅見登喜子先生がお住いで 度々遊びに出かけておりました。(現在卆寿でご健在です 六角辺りにお住まいです) 華頂会館の北に 戦後 両親を亡くした子供達が建物の辺りで遊んでいた事や 洗濯物が干してあった事など思いだしています。本当に懐かしく 胸のキュンとなる情景がご本の中から あふれてくる思いで一杯です。 (=そういう養護施設が在ったと覚えている。母の勤務ともいくらか連携があったやも知れない。 秦)
ご令室様のご体調は如何でいらっしゃいますか。
くれぐれも 共々にご自愛下さいます様 お祈りいたします。
有難うございました。  奈良あやめ池  絹

* お気持ち、感謝します。
二つ下、北日吉の「華」さんと仲良しの茶道部員だった。
山崎雪子さんも浅見登喜子さんも、人生のどこかでかすかに袖触れ合うたことがあった気がする。

☆ 秦先生
「選集11巻」を拝受しながら、ずいぶん音沙汰なしで申し訳ありません。
ありがとうございます。
「余霞楼」の一段落目で、僕のなかで京都中の町家が、プルンと震えて反応した気がしました。

新聞社を離れて、気分は自由になったものの、身体はなかなかそうはいかず…という具合です。

TVつけても、どこの番組も不倫の話で、もっと公共の電波の使い途はあるのにと思い、最近はCDやDVD、ネットで落語ばかり聞いています。
高市総務大臣の発言に対して、ジャーナリスト…というかタレントのような方々が抗議声明のようなものを出しました。
メディアの「萎縮」についても言及していましたが、あれは「萎縮」ではなく過剰な「自粛」だと思っております。
もちろん高市発言も、問題がないとは申せません。
が、僕の感覚からすれば、あのジャーナリストと名乗る方々も、高市大臣と安倍首相とも同じグループの人間としか見えないのです。
何か、こちらの皮膚感覚を刺激するものがない世界の住人だと感じます。
世界全体でみても、
本来なら金融緩和をして金利を下げれば、理論的には経済効果があるはずですが、現実には成果はありません。アベノミクスは円安による外需効果と、インバ ウンド需要という帳面上の「内需」を喚起しただけの日本の安売り。株価などの数字を目標にするばかりで、本当の内需の強化には結びつかず、実効性が薄いこ とは明白になってきました。その株価も為替効果を期待する余り外国投機筋に翻弄されすぎています。
すみません。
調子に乗って大きなことを書いてしまいました。
会社(新聞社)をやめて約半年、ポジションが変わってこれまで見えなかったものが、もっと見えてくるかな、と思っていたのです。
でも、期待はずれ。
重ねた馬齢に伴う目のウロコが化石化しているかもしれません。
でも、あきらめないで、何が見えていなかったのか、を探しております。
勝手なことばかりをダラダラと書いてしましました。
まずは遅まきながらの取り急ぎの御礼のメールです。
お体ご大切に。ご機嫌よくお過ごしになれることをお祈りしております。  大阪市  秀

* テレビに顔をさらして「コメント」を業としてきた大勢のインテリたちをいゆほど観てきたが、要するところ保守政権と「同じグループの人間としか見えない」とは、わたしの情けない認識だった。多くの彼らが、誰を、何を、実は敵視しつつ「同じグループの人間としか見えない」働きで日本を不健康な支配国家にしてきたか、分かり切っている。一言で言えば「働く人たち」であった。

☆ 豪華な選集を
当方まで御恵送下さり 有り難う御座いました。なのに お礼申すのが遅く申し訳ありませんでした。届いたまま上にものを重ねていて 気づくのも遅れ その上私達家族はまあまあ元気でしたが それこそ身の回りでいろいろと有り これが80才かと思い知らされました。
小学校の時の先生お二人 中学校の担任 同級生三人のご主人 お町内の人 お米を頂いているお家のご主人 檀那寺の大奥様等々 毎日続いてお見送りをしてました。
3,4日ごとにブログをまとめてみていますが どうぞご両人とも ご無理の無いようにお過ごし下さい。
(・・・羽音ゆるく 肩によらなむ)を見つけ 感動しました。  京・宇治  草
2016 3/27 172

☆ 御二人の
御祝日 心より お祝い申し上げます

秦 様
奥 様    16. 3. 14 九代 (松本)幸四郎   (高麗屋)

* 先の三月十四日 わたしたちの五十七年の結婚記念日のために、玄関まで到来の豪奢な盛花のほかにも、五代目中村雀右衛門襲名興行の歌舞伎座に観劇を待 ち受けご用意頂いていたものと思われる、華やかな「三月大歌舞伎」筋書き本の第一頁和紙に、松本幸四郎丈の墨書自筆でお祝い戴いていた。
それのみでない、冒頭のはんなり写真集の中の「祇園祭礼信仰記」金閣寺の場で勤められた松永大膳役の写真にも「九代幸四郎」と署名が乗り、同じく「花競 木挽賑」欄の写真にも、「今月の出演俳優」欄の写真にも、ともに「幸四郎」の自署が乗っている。特・特の祝意と心嬉しく、御礼申します。
夫人のお口添えもあったにちがいないと感謝申し上げます、
歌舞伎座の封筒で叮嚀に送り届けて下さった番頭さんにも、感謝。
あの日は、心底観に行きたくて、時間ぎりぎりまで堪えていたが、妻の風邪と咳とがおさまらず、記念の日にわたしひとり出かける気にはなれなかった。ご近所の奥さんに券二枚を差し上げた。
すばらしいお祝いの盛り花といい、この、めずらかなご厚意といい、
高麗屋さんに、心より御礼申し上げます。 秦 恒平・迪子

☆ 拝復
梅便りがいつのまにか桜便りにかわり、季の移りの早さに驚いております。
「秦 恒平選集」第十二巻ご恵送たまわりありがとうございます。(中略)
私小説にはご家庭の秘密をのぞき見するようなうしろめたさがつきまといますが、巻頭 母上のお写真や、文中の事実を裏付けるようなご子息との歌碑前のお 写真を拝見するにつけ、改めて、母上のご苦悩の重さ、思いをはせております。 それにしましても姉上の寛容のさまには感動、「身内」とはこのようなことと 納得したこと思い出しまして、奥様も傘寿とのこと、お揃いでお大事にと念じております。
「短歌抄」の短歌 作品のなかにどう扱われているか、学生達と定本『生きたかりしに』味読したくなりました。
かわりばえしませんが、せめてお礼のつもり 秋田の(稲庭)うどん少々お届けします。 着到のご返書どうかご放念くださいますよう  草々  神戸  信  神戸大名誉教授

☆ 秦 恒平様
謹 啓  このたびも「秦恒平選集」第十二巻(「生きたかりしに」附阿部鏡短歌抄)をご恵贈賜り、まことに有難く御礼申し上げます。発刊早々に賜りましたこと、重ね重ね身に余る光栄と感じさせていただいております。しっかり読み、大切にいたします。
「湖の本」版で「生きたかりしに」を読みましたときには、「わが旅、大和路のうた」を是非読んでみたい、と切なる思いをいだきましたが、今回「選集」版 で同時に拝読することを得、思い違わず、というよりむしろ推測以上の感銘をいただきました。作者が純粋な理念と実践の人である、ということ。そして専一無 垢に所与の運命を生き抜かれた、その強さとかなしみの深さを感じました。
「選集」を、紙による「墓碑」とおっしやっておられましたように、「選集」第十二巻は、この一冊で完璧な、そして完結した独立せる一冊となっていると感 じます。「生きたかりしに」は、この「選集」一冊をもって、秦文学の要諦として読み解かれる一冊になるだろうと思いました。
「短歌抄」を読んでの後の「生きたかりしに」は再読ながら、なにかまったく新しい御作品として、文章も展開も、印象深く立ち上がって、ずんずん読み進みことができました。
同時に「湖の本」12(平成10年刊)の「死なれて・死なせて」も書架からとりだして読みました。当時は家内を失くしたばかりでしたので、「死」-とい う言葉が酷く感じられて読めませんでしたが、今すこし距離を置けるようになって、反省的に顧みつつ読み、すべてに納得している自分を見出しております。
徹して思考する、作者の体験の深さに、文学の生まれる淵源を臨み看る思いです。「実感のあるところを」というお言葉、深くいただきました。有難く御礼申し上げます。
早々にご恵贈いただきながら、まず拝読して、印象をまとめてから、と思っているうちに日にちが経ってしまいました。御礼が遅くなりましたこと、深くお詫び申し上げます。
開花宣言ながら、一進一退、不確実な世情を映すような陽気です。一日も早く晴れやかな春の陽気が訪れますよう、先生、奥様ともどもご夫妻のますますのご健勝とお幸せをお祈りいたします。
まずは御礼まで。
失礼の段はご宥恕のほどお願い申し上げます。 早々頓首  埼玉・八潮  滝  作家

* 歌人の大塚布見子さんからも受領の挨拶があった。

☆ 弥生も
残り数日、どうにか、開花宣言が出たばかりの故郷に帰ってきました。
卯月になれば私も五十五。
峠までのぼりつめたなら、眺望も開け、少し休むこと(読み、考え、味わい、楽しむこと)もできようかと、今はこの胸突き坂を精いっぱいのぼっていきます。
それはそうと、 各々の作品は、電子化なさった最初の形態も保存なさってますか。ご存じと思いますが、校閲機能を使えば校異も簡単に出来ますね。
春風邪や花粉に気をつけて、佳い季節をお迎えください。  山陽  九
2016 3/28 172

☆ 拝啓
(略)奥様からご丁寧なお葉書をいただき、恐縮いたしました。
御生母様はすごい歌人です。巻末の秦さんが選ばれた歌の数々に深く感銘を受けました。本当に素晴らしいです。歌人・秦 恒平は御生母様の血の由縁なのですね。
御礼申し上げます。  久間十義  作家

* 国文学研究資料館館長の今西祐一郎さん、妻の従弟の濱敏夫さん、早稲田大学図書館からも選集第十二巻受領の挨拶があった。
ICU の学長、図書館長からも『秦 恒平選集』を受け容れたいと並木教授を介して連絡があり、喜んでいま妻が荷造りしてくれている。

* ご親切の高麗屋さんへもお礼を申し上げた。

* 正念場のような「新選集」の仕事を、気を入れて着々進めている。巻頭に、処女作以前の『生まれる日』ついで心を籠めた『死なれて 死なせて』を大切に置くつもり。
2016 3/29 172

* 京都の羽生さんからいいお手紙と、美味しい棹もの二本の名菓が届いていた。嬉しく。

☆ 京の櫻も
見ごろとなってまいりました。
「秦 恒平選集第十巻」ありがとうございました。
一月、二月、三月、講座「イタリアと日本」で、ナポリの大学で教えていらした方と、ギリシア悲劇と能楽の話から いたりあオペラと歌舞伎で、 二つの国について考えてみようと、私は「親指のマリア」と「神曲」を読みながら 頑張りました。
最初の日に観世寿夫「井筒」のDVD映像をみたのですが、御本にも「御座敷のほうで聞える謡が『井筒』らしい、お優しいなどとつぶやいていた」とありました。
今回は、京都新聞や湖の本で気づかなかった間部詮房の魅力を感じることができました。政と祭とがつながってたいた古代的ものと現在をむすぶ力を持ってい た人なのだろうかなどと… またシドッチが手元に置いた二册の一冊がダンテの「神曲」で、なんだか講座の進行を応援してもらっているような気持でした。 「神曲」から想を得たオペラ「ジャンニ・カキッキ」は、喜劇に仕立てられていますし、「平家物語」の義経も「千本桜」では、狐の話になっています。叙事詩 と芸能の関わりも面白いと思いました。 勘三郎さんの忠信のDVD映像で受講生と一緒に、涙しました。
「すべては生来変化し、変形し、消滅すべく出来ている」というアウレリウスの言葉は、「平家物語」の無常観と響きあっているようにかんじました。
「親指のマリア」は、読ませていただく度に、新しい発見に出あいます。 新聞紙上で挿絵に助けられながら、読み続けた昔が懐かしく想い出されます。 (挿絵を描いた=)池田良則さんとお会いする機会があり、話が盛りあがったきおくもございます。
十一巻、十二巻のお礼は、じっくり読ませていただいたあとに申し上げたいと思いますが、「姑」は一気に読んでしまいました。「京の女」が言葉の中から立 ちあがってくる迫力がどこにあるのか まだ、よく分かりませんが、本を読んで眠れなくなるという稀な体験をいたしました。
新潟から出てきた学生時代、夫と会い結婚して大変だった日々がよみがえってきたせいでしょうか。
それとも、小説の中に描き出される人と、それを書く人との間にある共感と反発に文学の根のようなものを発見できたと思ってしまったからでしょうか。
ゆっくり考えてみます。
佳い季節になってまいりましたが、花冷えの日などもございます。先生、奥さま、どうぞ くれぐれもお身体大切におすごし下さいますように。   羽生清   京都芸術短大教授

* なんという、ありがたい「いい読者」であって下さるかと、深く頭をさげています。まさしく「読んで下さる」方である。有難う存じます。
羽生さんは、まさしく話題の「親指のマリア」京都新聞朝刊連載を終えた直後に、東京の保谷市までわざわざインタビューに来て頂いた。お目に掛かると、そ れより少し前に京都でのあるパーティでお見かけしていて、すてきな人だなと印象につよく残っていたそのご当人であったのにビックリしたのを今もありあり憶 えている。インタビュー記事は「湖の本27 誘惑」のうしろに「きょうのきのう きのうのあす」と題して併載してある。
2016 4/2 173

* 七年前に亡くなっていた石本隆一さんの『全歌集』が奥さんの手で立派な一巻に仕立てられた。私にまで頂戴した。生前。かすかにも交流があった、励まされた。「ジュラルミンの光に似た天稟」「地に在る天狼」と評されていた。
しみじみと歌を聴いている。
2016 4/2 173

* 北大の名誉教授、いまは法政大の山口二郎さんから「民主主義を守り抜こう」という単行本の寄贈を受けていた。女流文学研究家の門玲子さんから、またICU図書館からも、選集への挨拶があった。
2016 4/5 173

☆ シドッチ神父
ご存知かもしれませんが……。
東京新聞にはまだですが、日経新聞本日夕刊に文京区の「切支丹屋敷」跡地の発掘調査で出土した遺骨が最後の宣教師シドッチ神父のものとみられることがわかったという記事がございました。
DNA鑑定でイタリア人の特徴と一致。身長一七〇センチ台と推定。外国人宣教師の遺骨の身元がわかるのは初めてだそうです。
他の二体の遺骨は身の回りの世話をしていた日本人ら(=長助、はるの兄妹か。)と推測されるが特定できなかったと。
人間は死ぬものですけれど、三人の死んだ史実が遺骨というかたちで証明されるのはやはり切々と悲しいです。
この記事を読んで、みづうみの『親指のマリア』の世界が一気に胸に押し寄せてまいりました。
『親指のマリア』を読んだ人間には、真実は、作品に書かれたようであったとしか思えなくて、泣けました。
『親指のマリア』は最高のモウンニングワークであったなあと思います。
シドッチ神父と、シドッチ神父の傍にいて歴史の泡と消えた二人の魂はどんなに慰められたことでしょうか。
取り急ぎご報告。  雉  雉子の眸のかうかうとして売られけり 加藤楸邨
* まちがいなく、シドッチと長助、はるであろう。彼らの運命を銘記して伝えたのは、新井白石と、私とだけである。私の長編小説『親指のマリア シドッチ神父と新井白石』(「秦 恒平選集第十巻」)を心ある人は読み返して欲しい。

☆ 花の季節となりましたが、
気温の変化が大きく、老いの身にこたえます。
先生にはお元気で御活躍の御事、およろこび申し上げます。
先頃 選集第十二巻『いきたかりしに』を御恵贈賜わり誠にありがとうございました。
このお作は「湖の本」で拝読しまだ記憶に新しいのですが
、美しいそう丁の御本になり拝読しますと、以前よりわかりやすく思われます。なぜそうなのか不思議に思い、活字と紙のせいかしらと考えています。
読了してから御礼を、と思いましたが まだ時間がかかりそうですので ひとまず読みかけのまま、御礼申し上げます。そしてますますの御健筆をお祈り申し上げます。
さてこの御作の冒頭にあります知恩院に隣接した新門前松原町の頼家へ、以前 御当主頼 新 氏に呼ばれて、二、三度伺ったことがあります。小さいながら式台を具えた古い趣きのある武家屋敷でした。もと彦根藩京都上屋敷だったとのお話でした。
新氏は私ごときを客として上座に据え、御自分は下座で応対なさるので恐縮したものでした。 行く度に新しい山陽の軸をかけて、まだ見ない書幅も出して御親切にもてなして頂いたことを思い出します。これも細香女史の大きな恩恵のひとつと有難く思い出します。
桜が咲き出しましたが花冷えの日もあります。
どうぞお大切になさって御活躍下さいませ 先は御礼申し上げます。
只今 柳田国男の祖母 松岡小鶴の著「小鶴女史詩稿」を解読し、今年中には出版したいものと考えています。
また出来ました折にはどうぞ御覧下さいますようお願い申し上げます。
大府市   門玲子  近世女流文学研究家

* 仕事がすすむと目が霞む。どれだけかじっと目をやすめていると元へ戻るが、仕事しはじめるとまた霞んでしまう。やすみやすみヤレという摂理の命令と心得て従うしかない。
2016 4/6 173

☆ お元気と存じます。
私はよぼよぼ老醜をさらしつつ、まだ生きています。
肉体的にも精神的にも老いてしまったので、もう興味も感動もすっかり無縁と思っていましたが、4日からずっと興奮が続いています。
すでに情報お持ちでしょうが、4日のTVでシドッチの遺骨が…途中から見たので詳細を知りたく、文京区教育委員会埋蔵文化財科に電話したのですが、女性職員はあまり興味無いらしく、小日向1―23を掘った程度の情報でした。
私が図々しく訪ねて色々お話伺った小日向の檀野家が番地1―24ですので、ドキドキしました。
友人がインターネットで調べてプリントアウトして送って来ました。
一体はイタリア人、残る二体は日本人。シドッチと長助はる(-o-;)
もう一度杖ついて、小日向へ行きたいと思いましたが、14年7月に調査したそうですので、もうマンション建っているでしょう。   横須賀 檸檬

* とにかく燃え熾るように作の場面を歩き回る愛読者だった。シドッチや長助、はる、そして小日向切支丹牢となると、この「レモネード」さんはじっとしてられないだろうなと昨日も思い出していた。
興奮、むりもなく、それに値する感動の報道ではあった。
この人やこの人の仲間さん達、しかし「湖の本」創刊に不賛成で、いらい、ご無沙汰になっていた。「湖の本」が三十年も百三十巻も命永らえて活躍するとは信じられなかったのである。
作家・秦 恒平にとって「湖の本」とは何であり、何をもたらしなにを喪ったか、いずれは誰かが論じてくれるだろう。
2016 4/7 173

☆ 又々 シドッチ。
毎日新聞のヤフーニュースには、一体はほぼキリスト教様式にのっとる形で葬られていた、とありますが、西洋のこと解らないのに、埋葬方式解った? 後に改葬した? など思いましたが、キアラが書き残したものに書いてあったのかしら…と想像しています。
三体並んでみつかった、と言うのも不思議です。白石らの温情でしょうか。
それにしても、秦先生の想像力凄いですね。
今になってみれば二人を地下牢で死なせて良かったですね。
藤沢周平氏は今頃しまった! と思っているでしょう。
長助はるを「転ばせて」しまったのですから。  横須賀 檸檬

* 長助、はるの兄妹が「転ば」なかったも受洗を申し出たのは、白石が「西洋紀聞」にきちんと証言してくれている。「転ぶ」必要など彼らにはなかった、洗礼を受けキリシタンとして伴に天国へというのが多年の願望であり決意であったに万々相違ない。
わたしは、『親指のマリア』で、無意味な脚色はしていない。白石が「親指のマリア」に寄せた深い関心の背後には、「板三(バンサン)」という洗礼名を 持っていた生母の身よりを意識していたことにも窺われる。「白石」の名のりにも、隠れキリシタンを多く抱き込んでいた「東北」地域の深妙を読み取らねばな らないのだ、中国人にすでにあった「白石」の雅号とは意義がずらしてあった。

☆ 「湖の本129」有り難うございました。
八十路を迎えて、尚変わらずお元気でお仕事、何よりです。
桜が散って気分がやや落ち着きました。
博物館目当てで上野公園に何度か通い、お花見は報道されていたような、無遠慮な中国人に占領された感があり、さっさと素通りですが、日本人の花見宴会は変わらずやっていました。
(写真は、博物館へ正面の上野公園)

 

宿泊を付き合って呉れる弥栄中の友だちがいるので、梅雨前頃にお墓参りを兼ねて故郷へ行くつもりです。
何時まで通えるかなぁ。  花小金井  泉

* やっと「湖の本」が届きはじめたらしい。この写真はうまく撮れている。
故郷 京都…か。わたしも、行きたい。

☆ こんばんは!
新しい湖のご本、送っていただきありがとうございます。
大切に読ませていただきます。
主人が腰の手術で入院、先日無事退院しましたが、何かと雑用に追われ、花の盛りもあっという間に過ぎてしまいました。
今日は又肌寒い一日でした。
少し気合いを入れて毎日をがんばらねばと思っています。
どうぞ奥様共々お大切にお過ごしください。
ありがとうございました。   京  道  従妹
2016 4/11 173

☆ 拝復
昨日は又 御鄭重にも「湖の本」129を御恵送下さいまして誠にありがとうございました。「私語の刻」をまず拝読致しました。「清経入水」の「受賞(=「展望」発表)作」の「前作(=選考会での当選作)」を初公開された所以がよく分りました。
「湖の本」を自ら創り出され、「続く」ことが必要とされて、創刊三十年、あと一巻で「百三十巻」に迫られた「堅忍不抜」にはただ頭が下る思いが致します。
私もまだ自転車にはよく乗っていますが、くれぐれも御体調に留意され、首尾よく「百三十巻」を完成されることを楽しみに致しております。(現在相変らず慌しくしておりますが、一段落致しましたら「原作」を拝読致します。)
右、取急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。 敬具  元「新潮」編集長
2016 4/12 173

☆ 「湖の本」129、
嬉しく拝受いたしました。ありがとうございました。
「チャイムが鳴って更級日記」、洒落たタイトルだなぁ、と思っていたのですが、ああ、なるほどと。読み進むのがたのしみです。

ソメイヨシノはすっかり散って、こちらは八重桜が咲き始めました。

花粉症はあと少しの辛抱でしょうか。

どうぞお体ご自愛下さいませ、先生も奥様も。  岐阜  以
2016 4/12 173

☆ ご無沙汰しておりますが
お変わりなく 百花繚乱となりました今年の春を、お楽しみの事と存じます。
湖の本を受け取っております。有難うございました。
私もすっかり解放されて、元気に過ごしております。 これから5月下旬ころまで、娘一家と過ごすため、コペンハーゲンに移動いたします。 菜

* 今度の発送では、手順違えと眼の見えなさとで、いろいろ書いたり挟んだりを間違えていそうな不安がある。間違えてたら、遠慮無く仰有って下さい。
2016 4/13 173

☆ 昨日、
「湖の本」129『原稿・清経入水 秋成八景他』をご恵贈にあずかり、忝のう存じました。ご厚情に心から感謝を申し上げます。なお、ご無事にまた一巻を「湖の本」に加えられたことをお慶びいたします。
『清経入水』は創作シリーズの初巻によって、かつて二度ほど拝見し、青春の息吹を懐かしむ幻想小説の初々しさを堪能しておりました。昨日、いただいてから三読し、かつての鮮烈な印象を刷新しました。ありがとうございました。
秦さんの小説世界は虚構中に夢とうつつの往来があり、さらに虚構世界と現実世界との往来が二重なる不思議な世界であり、読者はその往復のあわいに置かれ ます。そう思っておりましたら、「チャイムが鳴って更級日記」の中で、「小説の中でも夢を見、夢の中でも小説を書き、……何が夢やら現やら、小説と現実と のけじめもさだかでなく、濛々と昏い想像の世界を踏み迷うている」との一節に遭遇しました。言語によって世界を創造する表現者の特権であり、至福でしょ う。
先日はICU図書館への貴重な私家版選集をご寄贈いただき、大変名誉に感じております。
今回の「私語の刻」によれば、自転車で武蔵野風情を静かに眺め楽しむお力を残されている由。自転車にて長くその風情をお楽しみ下さいますよう。平安をお祈りします。
感謝を込めて。   浩  国際基督教大学名誉教授

* ありがとう存じます。

☆ 早速のご返信、
有難うございました。記念の号が出来上がるのは楽しみですが、振込先の番号さえお知らせ下されば、お送りできるとおもいます。
私もいつもお幸せとお体の順調なことを祈っています。
息子たち一家もそれぞれ元気で、活躍? しています。ジャンルが違いますから、ご覧になることもないとおもいますが、喜んでくださいますか?
メールは煩わしいかなと思っておりました。  菜

* 振替番号は奥付の「版元」の下にあります。
お互いに、息子達が健康でのびのび活躍してくれているのは、何より頼もしく嬉しいことです。この方のお子さんはみな赤門を出た科学者であったかと。

* 外へ出て、また客を迎えて話すということがほぼ絶えて無くなっている。なつかしいメールは、歓迎です。いたずらな不良メールばかり多い時節ですので。

☆  妻の老人病を介護のために、こちらへ移ってすでに三冊の御本をいただきました。御礼を申しあげます。
胃がんを征服して、自転車を愛用されるとは驚きです。名古屋にいた頃から、買い物に出かけて転倒、早々と娘に自転車をとりあげられ、今や二本の杖をついて学会や研究会に参加し、車中、席を譲られては、すなおにお礼を言って着席します。秦さんの生活力に感服いたします。
老いて能の世界に頭を突っ込み、槍書店の皆さんをあきれさせています。
(清経) には、その解読に悩まされました。
能・狂言に関する六〇〇枚ほどの原稿の推敲に時を費やしています。ほとんどの書を名古屋で捨てざるを得なくなり、今になって、必要に迫られ、重ねて購入する始末です。老いの執念ですね。
どうもありがとうございました。どうぞ日々をお楽しみください。小生も見習います。
二〇一六年四月十一日    名大名誉教授  宏

☆ 拝復
湖の本の「(原稿)清経入水」を拝受 なつかしく読み返して居ります。それにしてもこの数か月、おどろくばかりの御著書の発行、いただくたびに御精の強 力さに、当方はひたすら打ちのめされています。その都度さし上ぐべき御礼状さえ書けない無力な老懶の日々なのです。思えば昨秋の肺炎が祟りました。一気に 体力を喪い体重は四○キロを割る始末で、どうなることかと思いました。加うるに上下の歯が脱落して、食事も思うにまかせなくなり、リハビリ師に頼ってよう やく回復中という次第です。この間いろいろ御礼状の欠失など御無礼があったと思いますが、お許し下さいますよう─。
現在はたいりょくを失なってなお可能なことは妄想であると思い、とにかく原稿用紙に向って過去のことを書いています。 敬具   都立大名誉教授  衛

☆ 新緑の色
次第に濃き季節となりました。
先生にはお気持も新たに日々ご精励の御事と拝し上げます。
過日は選集第十二巻『生きたかりしに』拝受、只々圧倒されました。本集は、すでに連峰を成す選集諸峰のうちでもひときわ気高き主座たるべき高峰。しか も、その上り口の脇に鎮座まします小社「(参考)阿部鏡短歌抄」──その社のたたずまい。そこに籠められた、先生による涙ながらのご訂正ご補綴。その、幾 重にも及ぶ、くまなきご推敲ご尽瘁の跡。涙を重ねずしてその御跡をたどることは、歌心とぼしき愚生でさえ、到底できませんでした。先生ご自身の思いこそ  さぞやさぞやとご拝察申し上げつつ。第十二巻こそはまさに連山中核の高峰たるゆえんと存じます。
末筆乍ら、何卒御身ご大切に、ご専一にと念じ上げます。 不尽
二伸 別便にて 丹波から心ばかりのもの、お届け申し上げました。少し季節はずれですが、失礼おゆるし下さいますよう。   神大名誉教授  昌

☆ 御著『湖の本」129
御恵与頂き有難く、お礼申し上げます。
「清経入水」 その後の小生の生き方の変化など確かめつつ 期待を持って拝読させて頂きます 与えられた機会をどのくらい生かすことが出来るか 大きな楽しみです
今年の気候の変化の激しさは並みではありませんでした。幸いヤマは越したとは思いますが 十分のご留意の上 更なるご活躍を祈念いたします。 江戸川  冽

☆ 湖の本
一二九巻をお送りいただきました。創刊三○年になるのですか。
私など 続けるというだけで先に疲れが来るようで情けないです。
ps 先月 はじめてペンくらぶの集まりに出ましたが 知ったお顔は**さんぐらいで、でも、あいてをしてくださったのでとても助かりました。
ともあれお礼まで。  脚本家  金

* 静岡大教授の小和田哲男さん、日本近代文学館、山梨県立文学館、明治学院大図書館、昭和女子大日本文学科、城西大学水田記念図書館等から、湖の本129受領の挨拶があった。
購読のかたたちからも払い込みがどっと来始めた。

* 京都府中央図書館へも選集を全部送っていたが、初めて「受領しています」と返信があった。やれやれ。
重ねて、京都府文化資料館へも選集全巻寄贈して欲しいと京都府の正式の依頼が来た。諒承。半恒久的の施設へなるべく最後は納まって欲しいと願っている。

☆ 「湖の本」の試み
すばらしい成果ですね。
更なる御発展をお祈り申し上げます。  稲  中央公論社

☆ 年々
桜の開花が早くなっているようです。
「清経入水」読み比べて見ます。
先生、これからもお元気で… 作品無待っています。 桐生  一

☆ 「おなじ書物を
時をおいて六たび読むことは、六冊の異なった書物を一度ずつ読むことよりどれほど身になるかしれないのだ」(黙示録論 ロレンス)
それでも まだ目にしたことの無い小説が詠みたいという業から解放されない、いやはや、有難うございます。  狛江  秀

☆ 今回は
「清経入水」原稿 (=太宰賞「銓衡当選」作。 べつに太宰賞「受賞発表」作があり、「湖の本」創刊の巻を成していた。二編にかなりの「推敲差」があり 「別作」とすら読めるので、「未公表だった当選作」を創刊三十年「記念」に刊行した、秦) および未発表新作二編を頂き 有難うございます。
まだ、自転車に乗れるのは素晴らしいですね。小生は大分脚力がおとろえていますので。
今後のますますのご活躍をお祈り致します。  横須賀  敏

☆ 湖の本エッセイ16
『死なれて 死なせて』の在庫ありましたら一部お送り下さい。  吉備の人

☆ 毎回
気力あふれるご様子 ホッとしております。
この四月で、お二人揃って傘寿をお迎えとのこと。無理をせず、お過ごし下さい。
奈良の二人(=息子さん夫妻)も悩みながら成長してほしいと願っております。 新潟  鶴

* 体力をいたわり保ちつつ、気力豊かに、落ち着いて奮励するだけの老の坂道。
自転車にかなり驚いて下さる。いまも郵便局へご注文の本を送りに自転車でかなりの坂道を往復してきた。転んではいけないので、或る程度の速度を維持して走る。ハンドリングには不自由感はすこしも無いが。八十で自転車が便利という暮らしは予想もしなかった。
2016 4/13 173

☆ 切支丹屋敷跡の
**さんのご長男からご丁寧なお返事を資料と共にに頂きました。ご自邸の謂れなど両親から聞いておくべきだったと残念がっていらっしゃり、私が写した写真を…。四半世紀前の江戸浪漫散歩が役にたつ! 全て先生のお蔭です。
「親指のマリア」を紹介しようと思います。お許しを。
遺骨はシドッチを挟んで。一体は屈葬江戸時代男性、一体は側臥屈葬、殆ど情報引き出せないが、鉄漿(かね)らしい跡…。   横須賀  志

* うん。もう一度「西洋紀聞」そしてわたしの創作「親指のマリア シドッチ神父と新井白石」を心静かに読み返したくなった。
2016 4/13 173

☆ 文京区教育委員会に勤めていた
友人のご主人から頂いた、昭和40年の茗台中学の社会科の研究発表の中に、**さんのお庭に
「長助はるの石」があるの記述があり、ノコノコ探して**宅を訪ねました。その時色々教えて下さった**夫人は、10年前に亡くなっていました。
多分いらっしゃらないと思いつつ、4半世紀前のお礼状を出しました。そのご長男からご丁寧なお返事を頂いたのです。
母上のお手紙やお庭の写真のコピー送って頂けないか、とありましたので、今日コピーし、添え状に、私が興味持ったのは30年以上前の芳賀先生のTV講座と秦先生の『親指のマリア』と書きました。
彼がどんな方か、どこに興味持って下さるか解りませんので、明日投函するコピーの着報があるでしょうから、その内容により行動したいと思います。  横須賀  檸檬

* 『親指のマリア』必要なら差し上げますよと送ったのへ、の、返事。とにかく具体的に脚を運んで調べる意欲の読者だった。

* わたしが創作中に表現しておいたことが、そのまま現実により逆に証明される幾らか奇跡じみたことは前にもあった、妻はすぐ『閨秀』の名を挙げた。あの なかで、松園女史の名作「天保歌妓」と祇園井特の「美人図」の酷似と連携とを小説中の必然と推察して書いて置いたのが、まさに的中して、現実にそのままを 証明する奈良博での祇園聖徳井特「美人図」が見つかり、それはまさしく「天保歌妓」の原画に他ならないことが百パーセント確定できたのだった。
今度のシドッチ遺骨、一対の日本人男女の遺骨が、あたかも一つの島にともに立つかのように見つかったというのも、それに類する衝撃の証言だ。
やはり、興奮もし感動もする。わたしが「親指のマリア」を書いたと前後して新井白石を書いていた作家は、わたしは読んでいないのだが、「長助とはる」は 「転んだ」と書いていたと聞いた。あの二人は「転ぶ」なんてことはありえない、久しくも久しく二人はシドッチの到来を心から待ち望んでいたようなもの、そ の受洗と殉教は疑いようがない。

☆ 秦恒平様
シドッチ、長助とはる とおぼしき遺骨が見つかったとのニュースは朝日新聞でも写真入りで報道されていました。あの人々が本当に切支丹屋敷跡に骨を残しているのを知り、感動しました。
「気骨のある」人物といいますが、この方々の気骨が残されたのだと、写真に見入りました。
四月五日に奥様も傘寿をお迎えになった由。慶賀に堪えません。穏やかな余生でありますように、お祈りします。   並木浩一   TCU名誉教授
2016 4/13 173

☆ 御身
御大切に。呉々も(自転車で)おころびになどならぬやうに。  福田恆存先生夫人

☆ 前略でご免下さい。
「湖の本129」ご恵投に与りありがとうございました。
秦様が「清経入水」で太宰賞を受賞されたのは、私が筑摩書房に入社して四年目、まだ編集者としての初々しい気持ちを失わない頃で、「清経入水」の四文字には思い入れ深いものがございます。
秦様の文壇や文藝ジャーナリズムと距離を置き、ご自分の世界をひたむきにつむがれてきた姿勢、まことに見事なものと存じます。江藤淳の言う「フォニー」が横行する時代にあって、「湖の本」に接するたびに、美しい泉に出会ったような気がいたします。 草々  鋼   飜訳家

☆ 湖の本
一二九巻ありがとうございました。
今年は創刊三十年、こんなに永く読み続けてきて、まだ秦恒平全作品読破できていない、読み尽くせないのですから、信じられないことです。
毎日の三度の食事を摂るように、湖の本を読み続けてまいりました、湖の本はわたくしの魂を育てる栄養となってきましたし、これからも。
菜  菜めし上手ほかにとりえのなき妻の 占魚

☆ 湖の本
空前絶後の偉業です。あり得ないことで、今後もないでしょう。
何故、可能だったか、本当のところは解らない無謀な試みが達成されています。   藤沢市  澄

☆ 頂戴しました
選集第十一巻  なつかしくて二回読み返しました。
懐かしい方々の名前、京の地名に涙が出ました。ありがとうございました。 枚方市  冨

☆ 三十周年
おめでとうございます。
先日のニュースで 「シドッチ神父」のものと思われる人骨の発見 ということばを聞き、 三十周年とのめぐりあわせに驚きました。
どうぞお元気でいらっしゃって下さい。  早稲田大文藝科卆  濱

☆ かつて
図書館で借り出しコピーして熟読 市販本(受賞発表作)とのあまりの違いにびっくりした日々を思い出しています。
広島に長く住んでいたので 宮島の場面も嬉しく、ご縁を感じたものでした。  上北沢  米

* 墨画の島田正治さん、評論家の高田芳夫さん、高麗屋事務所、中京大、東海学園大名古屋図書館、ノートルダム清心女子大、大正大、三田文学、お茶の水女子大図書館法政大文学部、京都現代美術館等からも受領の挨拶があった。

☆ ご本 ありがとう
秦兄 いつも気にかけて頂き、ほんとうに有り難うございます。留守にしておりお礼が遅れました。
桜の季節も過ぎましたが、その後体調はいかがですか。私は昨年10月東京でのクラス会で酩酊し転倒、右手首を骨折しましたが、長いあいだギプスをつけていたせいか指か五本とも曲がり難くなり、握力がまったくなく不便な日々を過しております。それも皆身から出たサビ、いのちに別状なかっただけ儲けものと喜んでおります。
箸はどうにか使えるようになりましたが、ペンに力が入らず字が書けないのが不便です。

それでも懲りずに毎晩芋や麦の焼酎やテキーラなど度の強いのを飲んで 女房に嫌味を言われています。世話をかけているのであまり威張ってもおられませんが。

中、高の同窓会なども幹事役の老齢化で開かれなくなり、お会いする機会がすくなくなりさみしい限りですが お互いに元気なら亦会うこともできるでしょう。
精々ご自愛のうえ日々ご活躍ください。ではまた。  洛北  辰
2016 4/14 173

☆ 秦 恒平様
一昨日いただいたメールによれば、4月6日の日経にシドッチの記事が載っていたとのことでしたが、先ほど朝日新聞を調べましたところ、4月5日に報道されていました。
丁寧に改葬されていたようで、ホッとしました。記事をPDF化しましたので、お届けします。ご参考までに。添付したPDF画面は荒くなっていますが、プリントアウトすれば、もとの画面に戻ると思います。   ICU  浩

* 感謝。

☆ 貴重な
「原稿・清経入水」など収載の記念の一巻『湖の本129』を拝受いたしました。ご厚意ありがとうございます。そして、おめでとうございます。
読みくらべは後の楽しみとして、まずは「秋成八景 序の景」を拝読、もし完結稿が出来ていたらと、「私語の刻」にお書きになっているご事情があったにせよ、今更ながらに勿体なく無念な思いが押しよせています。当時(も)編集者は力不足でした。
どうぞお身体お大切になさって下さい。  元「群像」編集長  敬

* 「秋成八景 序の景」を手練れの読み手に読んで戴けて、真実、嬉しい。落ち着いて残る「八景」が書けるといいのだが。

☆ 秦恒平様
花散らしの風雨に耐えた桜がまだ咲いています。
その後お元気でお過ごしでしょうか、お伺い申しあげます。
この度は、選集第12巻に続き、「湖の本」129冊をお贈りいただきありがとうございました。
「原稿・清経入水」は貴重な資料となりますが、やはり、外枠を取った現行(=推敲の発表作)の方がすっきりしていいように思いました。
先ごろ「閨秀」論を書きました。例のところに送っていますが、また出ましたらお届けさせていただきます。
それにしても自分の勉強不足を思い知らされます。先生の作品はほんとに大変です。今度はどこへむかって行こうか、と思案しているところです。
なんとか健康で乗り切りたいと思っています。
先生もお身体大切にしてくださいますように。  五條市  永

* 言われる通り、太宰賞選考会で満票当選と決まった私家版の原作より、一夜を徹して推敲した「展望」誌に受賞作として発表された作の方が何倍も良くなっていると、双方を何度も校正し再読・三読して、わたしもそう思う。「すっきり」そして無用のツクリを排し得ている。

☆ 今年の花は
近くの目黒川の水上から楽LみまLた。
いつもながら「湖の本」をご恵投いただき、有難〈お礼を申し上げます。
長いあいだ医者の言うままに不整脈予防で服用L続けていました血管拡張剤が効きすぎたようで、徐脈状態となり往生いたLまLた。体力の養えや体質の変化 など生身の人間ですから、いつも「従前通り」で良いわけはありませんね。薬を止めたお蔭で現在は平常に復しまLたので他人事ながらご安心ください。
「ボンシャン」の席がうまく空いていることを願っております。
私も自転車は大好きで常用Lておりますが、最近の若いお母さんたちの電動自転車はかなりのスピードがあり、走行も乱暴なので、くれぐれもご用心ください。
取り急ぎお礼まで。草々   エッセイスト  敦

* 医療で異常をもらってくるという感触は捨てきれない。信頼しつつほどほどに自身の勘や生気を大事にしたいもの。
お母さんやおばさんの自転車は、ことに歩道へ相乗りの自転車は実にあぶない。子供を乗せていると危険は倍加する。緊急にブレーキをかけたり、脚を落とし て停車したりが出来ず、人中へもスピードで突っ込んでくる。バス停でバスを待っているとは、歩道が坂になっていたりすると危険極まりない。前後ろに子供を 積んで、ゆっくり自転車を走らせたり急停車するのは、膂力の足り成すお母さんにはムリが有りすぎる。
ケイタイやスマホで自転車を歩道に走らせる人には怒りを覚える。
なににしても八十病後のわたしが自転車をむしろ楽しんでいると書いたので、大勢の方にご心配かけた。

* 漆藝家の望月重延さん、神戸松蔭女子学院大、國學院大、文教大、武蔵野美大、南山大、天理大、作新学院大等からも受領の挨拶有り、払い込みも。

☆ 元気印だった
私が体調をくずし入院しております。
先生の活力 生命力を頂戴したいです。  各務原  真

☆ 人は
時代や環境等々によって考え方や行動は異ってくると考えながら、「生きたかりしに」を読ませていただき なみだが幾度も流れてきます。  湖南市  敬

☆ 湖の本創刊30年
おめでとうございます。もうそんなになるのかと驚いています。  大府市  門

☆ 法隆寺の
宝物館で秦河勝夫妻の像を拝してきました。あの方の御蔭で日本の文化は大変進んだのですね。ありがたいことです。お元気で御活躍下さい。  二宮町  真

☆ いつもながら
ホンの少しだけ多めに送金させていただきます。お礼の気持ちですのでお受け下さい。
朝日新聞のシドッチのニュースには私も思わず声をあげました。さっそく『親指のマリア』を読み直しています。(なんだか嬉しくてもう一度です。)  鎌倉  橋

☆ 立派なご本を
二册も頂いて有難うございました。私も今年は79才(二月生まれの為) 独居老人ですが40年ほど続けている図書館の読書会のメンバーです。
ご本 沢山になりました。 加古川  藤  妻の親友

☆ 「私語の刻」を拝読しながら、ご健康のこと、気になりのした。
未発表のお作が、どんどん「湖の本」となりますことを願っています。 相模原  憲
2016 4/15 173

* 東大教授坂村健さんから著書「毛沢東の赤ワイン(電脳建築家、世界を食べる)」「IoTとは何か(技術革新から社会革新へ)」とお手紙を戴いた。
「秦 恒平先生
前略 ご無沙汰しております。おかげさまで元気Iこしております。
この度は、『湖(うみ)の本』通算129巻のご出版、誠におめでとうございます!
ご本が届くたびIこ、精力的なご活動に深く感銘を受けております。
秦先生の長年にわたるご功績に敬意を表しますととともに、
今後益々のご活躍をお祈りしております。
時節柄くれぐれもご自愛ください。
専門とする分野は異なりますが、私の本を同封いたしました。
お目通しいただければ幸いです。」

* わたくしが日本ペンクラブの理事を務めながら出会ったなかで最も敬愛を覚えた方である。世界的な「電脳建築」専門家で「YRPユビキタス・ネットワー キング研究所所長」でもある。ペンクラブにはじめてホームページを創る責任者として、坂村先生と出会えたのは、最良の賜物であった。「世界を食べる」人で もあり、頂いた二册を楽しみます。

* 日本近世文学の東大教授、上田秋成研究の今や第一人者である長島弘明さんからも、放送大学客員教授としての新講義録『上田秋成の文学』を、「拙い本で すがご笑覧下さい」と謙遜されてお送り頂いた。創刊以来「湖の本」をご購読いただいているが、出逢いはさらにはるかに遠く、わたしが受賞して何年と立たな い春の「東大五月祭」に主催のひとりとして講演の依頼に見えた。院生ではなかったか、本郷の小洒落たライスカレーの店で歓談し、そのときに「秋成」を書き たいとわたしの方が熱を上げたのを懐かしく思い出す。長島さんの方が着々と秋成学の高峰を究めて行かれ、わたしの方は今度の「湖の本」の「序の景」や「生 きたかりしに」どまりで成果が無くお恥ずかしい。
放送大学の講義をたのしみに聴かせてもらう。
2016 4/16 173

☆ 聖名
春がまた 顔を出しました。
昨年は奥様がお具合がわるかったとか、
今年はいかがでしょうか。
お手間をとらせます
朝掘り竹の子です。
御健康 祈念致します。 合掌
追伸
先月から今月 三度の京都行
長女 慈 の結婚
二女 光 の 川島織物テキスタイル への入学と
来月も京都行がふえそうです
京都は いいですね
京都の寺へ入ろうとしてしております  空泉

* 久しいお付き合いで。今朝、大きなダンボールに、お店を出せそうなほど竹の子をそれはたくさん戴いた。春の竹の子、秋の松茸、最高。

* 大岡信さんから「自選」決定版、岩波文庫『大岡信詩集』を戴いた。
布川鴇さんからも詩誌「午前」第九号を送ってもらった。

* 日本の現代詩は、むずかしい。

☆ 次巻で
No130巻 めでたくも、すごいことです!!
お体、お大切に。  三鷹市  唐

☆ 貴重な
初稿「清経入水」 読ませていただけて嬉しいです。  同志社大教授  励

☆ おめでとうございます。
祈念の巻として、未発表作2作、及び「清経入水」の(受賞発表作前の)選考当選作 楽しみな作です。ゆっくり味わいたいです。  知多  則

☆ おからだお大切に
小生も歩きがつらく 自転車です。
寝床で読書か バッハです。はりのないことおびただしく。  平凡社  駒

☆ お送り下さり
大変な作業だろうなと思っています。
あっという内に花も終り 若葉の美しい季節になりました。
寒暖のはげしい中 御大事に無理なきようおすごし下さい。
その内 美味しいもの送ります。  京・今熊野  華

* 神奈川近代文学館、皇學館大 鳴戸教育大 常磐大からも「湖の本」受領の挨拶があった。
2016 4/16 173

* 明日は朝から暫くぶりに病院へ。診察のあと、出来うれば何処かで楽しみたい。
今夜は、はやめに、心身やすめたい。
坂村教授に戴いた『毛沢東の赤ワイン』がなかなか面白い。そういえば、ずっと以前に坂村さんから瀟洒な感覚のワインを戴いたことがある。
2016 4/17 173

☆ 略啓
御健勝 大慶に存じます。
「原稿・清経入水」(選考当選作)には驚きました。しかもこれ(受賞発表作)が一晩での改稿とは。
まだまだお楽しみが隠れてゐさうですね。
楽しみにしてを゜ります。 不備  前・文藝春秋専務  英

☆ 前文ご免下さい。
ご恵与の選集第12巻拝受いたしました。ありがとうございました。
命を削ってのお仕事、お身体大切にお願いします。 草々  元・平凡社 興

* いつものように過分のご支援を戴いた。恐れ入ります。

* 作家・写真家の島尾伸三さん、大阪藝大からも「湖の本」受領のご挨拶を戴いた。

☆ 「清経入水」
冒頭の文章からもうその違いがはっきりしています。それを見比べて読んでいこうと思います。
しかし「初稿」? の方が瑞々しく感じられるように思われます。
お体、気にしています お大切に。  能美市  哲

☆ 選集第12巻の余韻さめおらぬ折りから、今度は「湖の本」創刊30年。その129巻へり「原稿・清経入水」の配置、まさに手練の必殺技。そのはるかな初巻も清経でしたね。思い茫々です。
何卒御奥様共々、お元気にと念じ上げつつ 不尽  神戸市  昌

☆ 湖の本129 有難うございました。
新芽の緑がまぶしいくらい麗らかな日よりです。
目覚めにウグイスの声が聞こえ、今朝はとても上手になっていて、つい熊本の惨事も忘れてしまうようです。避難所で過ごしている方にお届けしたいようです。
「チャイムが鳴って更級日記」の執筆の様子を時折ブログで読ませていただいて楽しみにしていました。
ていねいに丁寧に読ませていただいています。(最近は繰り返し、戻しながら読まなければならなくなって。)
始めの秦様のご家庭の様子も想像できてほほえましく。
高校生のころ始めて更級日記に触れました折、作品より菅原孝標女と名前のない当時の女性の事が気になったことを覚えています。今も名前のないことに拘り続けているかもしれません。
届けていただいたお礼が遅くなり申し訳ありません。
次回130巻楽しみにしています。
でも決して決してお身体にご無理なさいませぬように。
迪子様ともにご自愛を祈っています。  練馬  晴  妻の親友
2016 4/18 173

* ペンの委員会で親しかった弁護士の五十嵐二葉さんのたよりを貰った。早稲田大学図書館からも「湖の本」129受領の挨拶があった。
2016 4/19 173

* 「べ平連と市民運動の現在」(吉川勇一が遺したもの)という冊子本が、編者の高草木光一さんから送られてきた。吉川さんは多年小田実らと「ベ平連」は じめ市民活動に挺身されてきた人で、亡き兄の北澤恒彦とも提携して闘ってきたひと、同じ西東京の人で、生前からそこそこの連絡を保ってきた仲である。慶応 大学を沸騰させた白熱の議論を収録したほんであるらしく、高草木さんは慶応の経済学教授。
さきに東大教授の坂村健さんに戴いた二册の内「IoTとは何か」はいわば電脳哲学である。
どちらにもしっかり目を通したい。

* 京都府立総合資料館から『秦 恒平選集』第一~十二巻を一括受領の謝辞に添えて「総合資料館だより 186」が送られてきた。京都では、他に府立中央図書館、市立中央図書館、同志社大、京大、立命館大、京都女子大にも寄贈してある。

* 山田あけみさんから多大のご支援を戴いた。ありがとう存じます。

* 山梨県立文学館、立命館大図書館、多摩美大図書館、青山学院大の新保邦寛教授から「湖の本129」受領の挨拶があった。
2016 4/20 173

* 朝いちばんに小学校以来の親友松下圭介君の訃報を子息岳夫君のメールで受けた。久しい苦しい闘病に堪えて堅忍と善良の声を届けてくれる友であったのに。泣くしかないとは。

> 悲しみと悔しさとに堪えません、いま、お知らせを読みました。
>
> 堅忍と善良の好男子でした、いくつになっても懐かしい一の友でしたのに。
> ただ 泣いています。
>
> お見送りされたみなさんのお寂しさを想い、泣いています。  秦 恒平

* 永田純治、松下圭介、梶川貞子、田中勉、三好閏三、富永彧子、重森ゲーテ、大森正一。同窓の友に止まらず、先生方、先輩方、血縁知友、また敬愛ただならぬ同時代の畏人たち無数に死なれた悲しさ悔しさを度び重ねながら、だからこそまだ生きて行かねばならない。

* 弔辞と香華とを茅野へ送った。
2016 4/21 173

* 「湖の本130」創刊三十年記念の一巻を責了した。
「選集」第十三巻は五月六日に出来てくる。いままででいちばん分厚い一巻になる。
「選集」第十四巻は三校がすすんでいて、この巻は、私にはある意味「とっておき」のような自愛の一巻に纏まりそうに思っている。
印刷・製作の担当者が「せんせい、だいじょうぶですか、凄いようなこのところのピッチですが」と。
わからない。わかっているのは、いま「走りやめる」気は無いということ。
2016 4/21 173

☆ 謹啓
このたびはご結婚五十七年、そろって相合傘寿を迎えられたこと、大賀至極とお祝い申し上げます。
また「湖の本」129で、第五回太宰治賞受賞(発表)作の「原作」原稿(選考会で当選作)の刊行、おめでとうございます。
それにしても、石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫六選考委員、錚々たる実績文士の満票を得るとは、凄いことですね。重ねてお祝辞申します。
それにしても打出の小槌のように「創作」原稿が出てくることに吃驚します。想いの深さが分かろうというものです。
小生も自転車に乗っていますが、とにもかくにも、御自愛重ねて、続刊されますように。
御礼まで。 敬具   講談社役員元「群像」編集長  義

☆ 記念の
お作品でございますね。遠い日にご受賞のお作の一冊を賜りましたことをなつかしく思い出しています。いつもながら筆力に圧倒されました。
くれぐれも御自愛下さいますように。御礼まで申し上げます。 かしこ  吹田市 郁  歌人

* 詩人のあきとしじゅんさん、元岩波書店「世界」の高本邦彦さん、歌人の堀江玲子さん、また、奈良女子大からも受領のご挨拶があった。
2016 4/21 173

☆ 秦恒平様
おはようございます。
故松下圭介の長女猪原皆子です。
このたびは、「堅忍で善良」だったとのお言葉に、弟も私も涙してしまいました。
父もきっと喜んでいることと思います。
私たち以上に長い間、父のことをよく知って下さってたからこそのお気遣い、ありがとうございます。
2年ほど前のことですが、父が私に、秦様と中学時代のことでしょうか、カール・ブッセの「山のあなたへ」という詩を劇にして上演したことをまざまざと思い出したから、この詩のことを調べてくれと頼まれました。
そして、先日、就職した娘に宛てた手紙にもこの詩のことを記しておりました。
秦様が覚えてらっしゃるか、父の思い違いか分かりかねますが、秦様が教えて下さった詩と申してました。
今、改めてこの詩をながめてみますと、ああ、父はきっと山の彼方で幸せを見つけに安心して昇天していることだろうと思いを馳せております。
「湖の本」も、御著書も、誇らしげに大切によく読ませてくれていました。
このような形で失礼かとは存じますが、重ね重ねお礼を申し上げます。
秦様におかれましてもご養生の上、お過ごしくださいませ。

* まぎれもない、謂われている詩は、私たちが新制の弥栄中学一年生の折に演劇大会で演じ、優勝した舞台でのシンボルの詩であった。わたしの一つの代表作 として永井龍男先生や笠原伸夫さんらに賞めて頂いた短篇「祇園の子」の芯におかれていたのがこの純真な学童劇であり、わたしは懸命に、火だるまのように熱 くなって演出し出演もした。
やまのあなたの 空遠く
さいはひすむと人のいふ
山の好きな、そして今再びの山めぐり山あそびを願って懸命にリハビリの歳月を重ねていた松下圭介が、この詩をくちずさみ覚えていてくれたとは…。
彼との思い出は、寄せる波のように往き帰りしつつ絶え間ない。しかも彼はわが青春の燦めく幾場面もにもっともまぢかにいてくれた生き証人のような友であった。彼の存在を感じることでわたしはやすやすと懐かしい昔へとんで帰れた。

* 「また、おいしいもん送ったげます」と言い寄越していた京都の「華」さん、すてきにカッコいいバウムクーヘンを朝の内に送ってきてくれた。ありがとう。
高校の茶室雲岫席で茶の湯初歩の手ほどきをした二つ下の後輩が、今日只今もおなじ茶道部をまもり育ててくれている。こどもを育てて貰っているような安堵がある。
あのころの、わたしから手ほどきをうけた仲間達の何人もが、いまも「湖の本」も介していろんな便りを寄せてくれる。もう六十余年になる。不徳なれど孤ではないという私の安心はさほど虚構ではない。
2016 4/22 173

* とり市老舗の竹の子を主にあしらった食菜が、大学の同窓、京都下鴨の澤田文子さんから届いた。美味そう、だが、日本酒をまず買ってこなくては。

☆ 「湖の本129」
ありがとうございました。と同時に 創刊30年本当に本当に おめでとうございます。
なつかしい「清経入水」(の当選作)、しみじみと読ませて頂きます。次回以降もよろしくお願い致します。お体 お大切に!  中野区  恭

☆ はや
新緑の候となりました。
18日 七之助さんの「葛の葉」観てまいりました。「1.きつねの事」で、また きつねに会えました。
「チャイムが鳴って更級日記」から、赤兄が「武蔵大臣」と号していたことを教えていただき、斉明、天智。天武・持統時代に生きた後に、興味が湧いてまいりました。
皆様 どうぞ お元気で。  京・高野  羽
2016 4/22 173

☆ 十日に御本が届きました。
早や四月も下旬になって新緑が日毎に表情を変えています。八重桜は散り始めたもののまだ満開、ライラックの香りに溢れています。
この明るさは一体何だろうと、訝るほどの思いがあります。
熊本の地震は少し余震の回数が減少しましたが、復興はまだこれから。私たちの本籍は熊本にあり、熊本市内には親戚が数軒ありますから、地震直後から確認の電話やら大変でした。
なかなかメールを書けません。自分の抱えもつ薄闇に欝々としています。
が、いつまでたっても解けない、その薄闇、トンネルの出口に至らないのは、おそらく齢を重ねることへの抵抗と無力さを痛感しているからなのでしょう。
その状態を生きるしかないのですから、せめて空元気も覚悟も混ぜ合わせて行動していかなければ・・。
身体に関しては些かの不調もあり、CTなどの検査もしましたが、放免されました。
鴉のことを思えば、わたしのことなど全く問題にもなりません。
昨日の記述にも視力の事に及んでいましたが、今日はいかがでしょうか。少しでも調子の良い時間が長引きますようにと願っています。
短いメールでごめんなさい。少しずつ書くようにします。
くれぐれもお体大切に。大切に。   尾張の鳶

* 「湖の本129」をおくってからか、こんなメールを送っていた、らしい、「鳶」メールのうしろに付いていた。

「湖の本129」送り終えて、肩で息をしています。「130」楽しみに待ってて下さい。
この春は、ひさしぶりに東工大の桜をみてきました。帰りにやす香の墓を撫でてきました。
シドッチ神父への敬愛に、「遺骸」の発見がこたえてくれました。長助・はるも見つかったのだと想っ
ています。
作家として、最も望ましい「幸せ」をすら感じています。
元気になって、ピーヒョロロと歌いなさい。元気で元気で。  保谷の鴉

* 熊本が本籍とは知らなかった、清水港の次郎長親分の知り合いかなと想っていた。
2016 4/23 173

☆ 「湖の本」
お送りいただきありがとうございました。
「チャイムが鳴って更級日記」 新鮮な思いで拝読いたしました。
鬱の状況は続いています。
母二人が、97歳、91歳になりました。
月~金は (会社経営の=)仕事 土日は介護という日々で、心身ともに休める日がありません。
仕事のゴールはほぼ見えてきたのですが、
介護については月~金までいろいろな方に手伝っていただき、何とか綱渡りをしつつ、この状況がいつまで続くのか先が見えません。
お体、どうぞお大事になさってくださいますよう。  波

* 想像するだにたいへんな状況だが、似た事情の人が年ごとに増してきている。お互いに曲がりなりに立ち働ける健康をありがたいと思う。
2016 4/24 173

☆ メール
有難うございました。
手元の区内地図はも一つですので、「東山区」の地図を探しに行こうと思っています、少しお待ち下さい。
バームクーヘン(品名)の事、ユーハイム(店名)ですから、間違っていませんよ。
最近はリングの大小ありまして、時期が来るとチョコレートのも有ります。ご希望ならお送りしますよ。
気候不順にご注意下さい。  京・北日吉  華

* 地図はいろいろに手元に蓄えてきたが、文字のあまりの小ささで見えない・読めないに苦労して投げ出してしまう。いまは「清水坂」を中心にした案内図、どこにどういう固有名詞の寺社や小祠や墓があるかなどを確かめたくて頼んだが、迷惑をかけてしまいそう、申し訳ない。
行ければ、歩いて来れれば、いちばんいいのだが。
2016 4/25 173

* 「珠」さん、帯状疱疹からやっと立ち直ってきたと。よほど医療の現場が忙しくて疲れたらしい。きっちり直さないと、クセになってしまう。御大事に。

☆ 湖の本129
ありがとうございました。いつも「私語の刻」から読み始めていますが、元気を戴いています。
「わたし独りで嬉しがり楽しんで(チャイムが鳴って更級日記=)書きまくっていた」 という先生の生き方は神さまからのおくりものといえるのではないでしょうか。先生との幸せな出会いはラボの「なよたけのかぐやひめ」でした。嬉しさと感謝 の気持ちはことばであらわせません。ありがとえございます。
お元気で!  群馬・佐波郡  都

* 同窓であった松嶋屋片岡我當くんから「お大事に」と過分のお見舞いを戴いた。いやいや、彼の方をこそ見舞ってあげなくてはいけないのだ。三月、雀右衛 門襲名の口上にも彼、律儀に体の大儀を押して一と月休まず祝辞を述べに出ていたと聞いている。せっかくのそれを、三月十四日、具合を損じて観に聴きに出か けられなかった。申し訳ない。

* 千葉県の和洋女子大からも受領の挨拶があった。

* 十時前だが、やすもう。
2016 4/25 173


亡 父  圭介に対し過分なるご厚志を賜りありがたく
また生前お世話になりましたことに 家族一同心より
お礼申し上げます
故人も皆様方のご芳情に感謝しつつ安らかな眠りに
ついたことと存じます
別れは本当に辛いものですが 故人の人生を労いつつ
前を向き歩んでまいりたいと思います
早速お目にかかりご挨拶申しあげるべきところ 略儀
ながら書中を以て御礼申し上げます
喪主 松下岳夫
親族一同

* 長女の皆子さんからも手紙をもらった。

* 歌人の故石本隆一さんの夫人からも、戴いた石本さん全歌集への返礼に送った『生きたかりしに』へお手紙を戴いた。母の短歌抄から抜いてくださった分を、感謝して書いておく。
故る里の鎮守の森の椎の木のしたに佇み亡父(ちち)呼びてみる
燃ゆるものみな燃して心定まれとわがひとり居の窓を雨打つ
泣けば泣き笑めばまた笑む手鏡の影のみわれに離れじと言ふ
けさ見れば小さき花弁にべに染めて薔薇の挿芽に初花ひらく
わが挿しし挿木ゆ青き双つ葉のうら若々し命ゆたかに
これは、あれだけの歌かずからして、じつに、なかなかな一つの選歌だと、敬服した。母が喜んでいるだろう。

* 同じ郵便で届いた某有力短歌誌の、作品1から5までのそれぞれ筆頭作を五首あげてみる。
明晰な論文読めず書けずなりぬ雪の降る夜の炬燵に入りて
目の前の尾びれ追いかけ回遊する視界の狭き魚を見ており
消極を嘆くことなく日の暮れてまたささやかな二人の夕餉
このイルージョン世は全て幻想と赤きワインのグラスをかざす
白壁に映りし日影の早や消えて吾に夕寒む甚くけわしく

* 京・下鴨の関谷啓子さんから、亡き兄恒彦の思い出を送ってきて下さった。市役所で兄と同僚だった方から紹介され、「生きたかりしに」を送ったのへの返礼だった。さほど濃い知り合いというのではなかったらしい。

* 相撲茶屋の竹蔵くんから、はや夏場所の番付が来た。「ホウ」と気合いで敢闘大勝ちした琴勇輝と男前の勢が東西の関脇へ上がってきた。妻が横抱きにされて写真を撮った怪我の遠藤が、辛うじて幕内へ復帰してきた。
観に行くとしても、こちらの体力からして、最後になるかも。五月八日初日。
2016 4/26 173

* 機械が温まり起動するまでに十分できかず、待つ。じれて触るとこじれて収拾がつかない、ひたすら待つ。そのあいだに今朝は池田良則さんの「京都よせがき  ちょっとそこまで」を開いて、懐かしい京の風光を良則さんの繪を介して懐かしむ。画家の眼と「よせがき」寄稿のいろんな人たちの文とに誘われて佳い散策に なる。行けない帰れない京の匂いをひととき呼吸した。良則さんの本、四季分あって今手元には夏と秋がある。どひこに紛れて冬と春の分も在るだろう。

* 良則さんというと、これはもう京都新聞朝刊に連載の『親指のマリア』に挿絵を担当して下さった人。お祖父さんは池田遙邨さん、大画家。
良則さん、このお祖父さんの作になる版画を下さったのがじつに素晴らしい画面で、色彩の晴れやかに静かな賑わいが稀有に光って、じつは秋の画題なのに、居間に掛けたまま外す気にならない。美しいのである。ほんものは、生きてるなあとしみじみ眺めている。
2016 4/26 173

* 吉備の人の有元さんから、傘寿の二人で美味しい食事をしてくださいと、勿体ないお祝いを戴いた。身を縮めて、けれど心より感謝しています。お志のま ま、銀座へでも出かけたい。どの店が佳いかなあと思案するだけでも楽しい。いつもいつも、有元さん、ほんとうに有難うございます。

* 晩、妻がピアノを鳴らしている間に、たまたま手にした古い住所録で古い知友の何人かに電話というものを、電話嫌いの私がかけてみたが、電話番号の繋 がったのは、たった一人、中学の同窓であった京都の西の方に暮らしている浜田美範君だけと話せた。彼も八十と聞いてびっくりした自分にびっくりした。理科 の佐々木(水谷)葉子先生のお元気だということが聞けてよかった。それにしても電話番号はべらぼうに変更になっているものらしい。「昔」は遠くなっている なあとビックリ。
2016 4/27 173

☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 129 原稿・清経入水 チャイムが鳴って更級日記 他」を拝受しま した。
「清経入水」は以前に頂戴した小ぶりの(四六版?)私家版で拝読して以来です。緻密な時代考証、時空を超え て夢幻と現実が入り混じる怪奇性、展開される不思議な世界は今もって小生の頭を混乱させます。当時から小生のアタマは一向に進歩していないようで すね。
パソコンが不調に陥り、四苦八苦したあげく、遂にリカバリーやむなきに至り漸く稼動となりました。御礼が遅くなった言い訳です。ご宥恕ください。  靖  妻の従弟

* 錚々たる諸先生の満票を得ての当選当受賞作といえども、ごく一般の読者には仰天ものであったということ。そこにわたしの文学の問 題が露出する。今日では難なくこの怪奇性を自然に読みこなせる人は増えていると思う、時代を超え他界を馳せては現世へもどるぐらいな読み物は昨今むしろ流 行っているのだから。だが、1969年の受賞当時はまことに稀有の作柄で作風であった。読みたいと思ってもそんな作に出逢えなかった。河上徹太郎先生の選 評に「現代の怪奇小説」の一句が殊に挟まれていたのも、時代を示している。
思い出す、同じ太宰賞の先輩吉村昭さんは、あのころ、わたしの顔を眺めるようにして「秦さんのあの作はぼくはよう分からなかった」と述懐された。そうなんだ…と感慨を覚えた。
しかもというか、しかしというか、石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、河上徹太郎、唐木順三、中村光夫の六先生は、声を揃えて受賞作に当選と推して下さった。 これはもえたいへんなお顔ぶれであった。その「何故に満票」をよく問うてみることに、「文学」本質の問題が在ろう。とわたしは思う。当選作と受賞発表作と を、今度くり返し読み返して、右の問題にわたしは自信をもって答えられると思うようになった。選集を思い立たせたそれが推力になった。
2016 4/28 173

* 駿河の鳥井きよみさん、毎年の新茶を下さる。讃岐の岡部洋子さん、すこぶる柔らかに美味しい大筍を二本も下さる。
2016 4/29 173

☆ 今
ブラタモリ、嵐山の美 観てました。
蛇塚古墳出るかと楽しみにしていましたが、私の知らない狐塚古墳が。  横須賀 志

* 「ブラタモリ」が分からないが、嵐山はひたすら恋しい。嵯峨へ向いても太秦へもどっても佳い。
高校の頃、茶籠(光悦籠)と魔法瓶をもち、自転車で三条通を一路西送して渡月橋まで出、気の向いた寺社の縁側を借りてひとりで茶を喫み、ごろんと横に なってうとうとしてから、また自転車で家に帰るようなことを何度も繰り返していた。当時の嵐山、嵯峨には、そんなふうに寛げる場がたくさんあったし、京都 は自転車で十分に何処まででも出向けた。同じように茶を点て茶を喫みに、鷹峯の光悦寺にもよく出向いた。坂道も平気だった。裏山道を遠回りして金閣寺の方 へも走った。
「志」さんの謂う「蛇塚」は太秦の面影町にある京都では、いや奈良の蘇我馬子の墓にも劣らない巨大な古墳で、全面が豪宕に巨石を露出しており、周囲をひ しひしと民家が巻き込んでいる。かなり怖いという印象を今も抱いているが、その巨大さからして、太秦を証した秦氏の長者級の古墳であったに相違ない。
狐塚古墳とは何か、知らない。分からない。

* 政情にも世情にもうんざりしていて、蝸牛のように自分の世界にへこんでいる。首をつかんで誰ぞ引っ張り出しくれるといい。おもしろいこと、なにかありませんか。
2016 4/30 173

☆ タモリは
敬遠していましたが、坂道や地質に関して驚くほど博学。湯島や東大辺りの放送を偶々みて、びっくり、以来関心のある場所を取り上げた時、見ています。
道後温泉の時、曾ては内陸まで海が入込んでいたのだろうと想像していましたが、それを証していました。子規の生誕地の碑には松山市湊町とあったのを思い出しました。道後温泉近くの銀行に湊町支店とあり、「熟田津に船乗り」出来たこと納得しました。
昨夜放映の嵐山、天龍寺(でしたか? 尊氏が建てた)のお庭、中景の斜めの崖は「断層」が隆起したものですって。嵐山は反対側にも「断層」があって両方から押されているとか…。
狐塚古墳も、秦氏の墓。
蛇塚古墳と同様な大きな石は何処の石か言わなかったのが残念でした。
雪の嵐山には私だけの思い入れがあります。  志

* わたしよりも年かさな方だが、好奇心も勉学心も衰えず、敬服。
2016 5/1 174

☆ 落花もの云はずして空しく樹を辞し
流水心なくしておのづから海に入る  の詩の通りの余生も 生きる道かと毎日を過しておりましたが もう逢うことも無かろうかと思っていた貴兄からの電話 に 本当に本当に驚きと共に その夜は 半世紀以上も昔の頃の思い出が走馬灯のようにかけめぐり懐かしく思い出されました。 お互に80歳を元気で迎えら れた事 天に感謝したく思っております。
ところで その際伺っておりました 先生の住所お知らせしておきます。
水谷(元・佐々木)葉子先生
宇治市
貴兄からのお電話で 私も急に先生にお電話したくなり掛けました処 大変に先生お元気で 恒平君のこと思い出し語っておられました  先生もこの九月で 89歳を迎えられるそうですが 大変大きな声で 貴兄の事を話され 楽しみにしておられましたので よろしくお願いいたします。
弥栄中学も無くなり あの近辺は外国の方も多くなり 白川筋界隈は花見頃には花嫁さんの路上撮影が四組もおられたり  全く昔と一変した事に 益々の老を感じていたところでした。
お互 もう少しの人生 元気で楽しく暮したいものです
身体に気を付けて がんばって下さい。 では、又!  西京 大原野  浜田美範

* 嬉しい便り。松下圭介に死なれた歎きを浜田美範に慰められる、ありがたいこと。
しかも佐々木先生のお元気なことも分かり、それはそれは嬉しい。あの頃は、博物館東の新日吉神社のほとんと中で暮らされていた。正月など遊びにも行っ た。中学にはいって「理科」という時間は初体験ではなかったか、まっさきに五大栄養素なんてことを教わり「蛋白質」「脂肪」「炭水化物」といった名辞に実 に新鮮な驚きを得た。一年五組の担任だったと思う。小柄だが溌剌としたお元気な方で生徒がみな懐いていた。
お便りを差し上げたい。

☆ 冠省
いつもながら「湖の本」 ありがとうございます。
「清経入水」の原作 とてもミステリアスで面白く拝読いたしました。
小生も二十代の頃 亀岡の詩友の家へ行って屋根の上に寝っ転がって夜空の星がきれいだったことなどを懐しく思い出しました。
「あとがき」で胃癌手術後の経過が良ろしいと知り喜んでおります。 不一  国分寺市 苑  詩人
2016 5/2 174

* 福田歓一元東大法学部長の奥さんから、新茶を頂戴した。
久保田三十周年記念の純米大吟醸を、わたしの湖の本創刊三十年のお祝いにと、川端康成研究者の深澤さんから、一升、頂戴した。名だたる「久保田」さすがに美味くて。あれれというまに飲み干して行く。

☆ 秦 恒平先生
(前略)  甲斐絹からの伝統で、織物の盛んな富士吉田の品、少しばかりお送り申し上げます。
甲斐の国は父祖に関わりがあるので、近しい土地です。
どうぞお元気で  御健筆 お祈り致しております。   武田典子

* 名だたる甲斐絹の 爽やかに懐かしい草木染めの襟巻きやハンカチーフを戴いた。武田信玄の後裔であるらしい。
むかし小説を書くと言って家へも何度も訊ねてみえ、わたしの「生きたかりしに」を原稿の段階で通読して貰ったこともあった。何かの折りに戴いた湯飲み碗 のセットが実に雅で、もう久しく愛用、今日もわざわざそれに「久保田」をついで楽しんでいたときに、甲斐絹の品が贈られてきた。
我が家では、むかしに、叔母の弟子であった人から戴いた志野の煎茶セット、社宅でわたしから茶の湯を習っていた遠藤恵子さん(のちに米沢短大学長)から の「白たま」の湯飲みセット、そしてこの武田典子さんからの瀟洒な湯飲み碗は、日用にも、気分的にはとっておきにも、愛用されつづけている。佳い物は佳い の見本のように。

* 高校後輩の、加門さん、頼んでおいた京・東山区の地図を、何種類も送ってきてくれた。ありがたい。京都へなかなか行かれず、創作上の手づまりを打開できないかと地図を頼んだのへ、早速応えてもらえた。ありがとう。地図を見つめていると、それだけで想が湧いてくれる。

☆ 若葉の候
ご健勝のことと存じます。
さきごろ御著『秦 恒平選集第十二巻 生きたかりしに』のご恵贈を賜り有難く存じました。感謝に堪えません。
大作を拝読し、まず月並な言い方になってしまいますが、,数奇な出自の展開に驚くばかりでした。秋成への心寄せが秦様の生に投網のようにかぶさって母恋の書になっているれことに気付かされます。
記述に現れる物ごとに執する生き方などは、母上の血が強く感じられました。母上の文章の文体もそれは紛れないものと読み進みながら確信しました。次第 に、母上の生き方の懸命さが見えはじめ、縁者の方々とのつながりが増えて明らかに快いものになり、作者の救いというところに進んでゆくのに安堵したことで した。
特に「聡一兄」の出現は嬉しく存じました。
それと恒彦氏に会いにゆく結末の明るさに、解放された作者の心持ちが感じられ、素直に良かったと思ったことでした。
すっかり遅くなってしまいましたが、ご高著拝受の御礼申し上げます。
有難うございました。 不一  朝霞市  恩田英明  歌人

☆ 「湖の本129」拝読いたしました。
集中できる時間がとれず、昨日今日とでようやく一気読みすることが出来ました。持ち重りに臆しておりましたが、原石の重みでしょうか圧倒されています。少年少女の描写 特に少女の魅力・魔性には、いつもゾクゾクさせていただいております。  豊玉北  裕

☆ 陽の目を見ずに終る飜訳原稿の山に、心が痛みます。秦先輩の執念(?)の強さには感嘆するばかりです。
くれぐれも御大切に。  府中  布  弥栄中同窓  翻訳家

* 心痛まれる厳しい重さがよく分かる。飜訳原稿だけでなく、多くの作家の小説原稿も、批評家の評論原稿も、学者の著述も、今日のこんな出版界ではほとん どが「陽の目」を見ない。質実な仕事ほど「陽の目」を見ない。出版界には与太な「やすもの」ばかりがハビコッテしまっている。
仮にもしもわたしが「湖の本」を持っていなければ、私の作家・批評家の境涯は、はるかの昔に窮屈を究めていただろう、潰されてしまわないまでも。
それが、いまなお、厖大な量の旧稿もはつはつの新稿も、思い立てば悉くが本になり得て世の中へ、ともあれ(つまり、金目にはならないにしても)出回って 行く。さらに進んで非売の特装「選集」まで着々出せている。協力してくれる家族も大事だが、何よりも、出版や書店抜きでも、がっちり支えてもらえた「読者 のおかげ」である。そういう有りがたい「いい読者」を得られる仕事、それこそが書き手の務めなのだ、と、しみじみ思う。

* 終日、十三巻の荷造りに励んだが、第一巻とくらべて100頁も多く、荷造りがとても難しく捗らない。しかし、充実のいい本になった。何のこだわりもためらいもなく、作風を新たな方角へ運んで、過去に拘泥していない。マンネリズムは創作者には死活の猛毒になる。
2016 5/6 174

金澤の金田小夜子さん、「湖の本」三十年を祝っても純米吟醸の名酒「能登誉」を二升送って下さった。三十年「久保田」を美味さに誘われ、なんと三日で飲み干した処へ頂戴し、有りがたく手を拍った。メロンや苺の美味しい季節、薫風も胸一杯に。
しかし、なかなか暑い新緑でもあるなあ。
2016 5/7 174

☆ 感謝
選集第十三巻が届きました。ありがとうございます。
『迷走』も好きな作品です。面白く何度も読みました。
『お父さん~』は難しくて、でも読むたびハラハラしながら引き込まれていきます。
「選集」という名の「全集」 揃っていく幸せを感じます。本当にありがとうございます。
今年はカラスの営巣や新緑、花の咲き方が早くて、季節がどんどん進む気がします。
どうぞお大切にお過ごしください。   下関  碧

* もう届きはじめたようだ。何と云っても紙での本で函であり、どう手を尽くして荷造りしても多くの人手や機械を経る内に傷みも出ているか知れない、願わくはまともに届いていて欲しい。

* 宇治の佐々木(水谷)葉子先生、先生の住所を知らせてくれた濱田光範君に、久闊を叙し、新刊を謹呈した。
新制新設の市立弥栄中学に入学した最初の年、一年生(事実上の一回性)は六組あった。高木先生(社会科)、小堀先生(音楽)、釜井先生(国語)、給田先生(英語)、佐々木先生(理科)、牛田先生(数学)。懐かしく、忘れがたい。薫陶の御恩、はかりしれない。健在なのは佐々木先生お一人か。ほかにも橋田先生(体操)、西村先生(図画)も。二年生からの西池先生(数学)。みな、亡くなられた。思い出す内にも敬愛のよろこびが胸の内で苦しいほどまるまると膨れあがってくる。
一年一組には團彦太郎、「祇園の子」の中村時子がいた。わたしの二組には田中勉、優勝した演劇「山すそ」主役の内田豊子がいた。数えはじめればキリがない。田中勉、三好閏三には死なれた。
2016 5/9 174

☆ びっくりいたしました。
秦恒平先生
暑くなったりひんやりの不安定な天気が続いておりますが、お元気なことと拝察いたします。
このたびは『秦恒平選集第13巻』をお送り頂き、誠にありがとうございました。
今度は私小説のような御作品ですね。
頁を繰っていってびっくりいたしました。
なんと、東京本郷で医学書の編集をなさっていたとは。
てっきり京都で文学三昧の暮らしをなさっていたと思い込んでおりました。
それにしても、冒頭のエピソードにあるように、盗作めいたことをする学者はいつも居るのですね。昔は握りつぶしも可能だったかもしれませんが、今はネッ トがあるので、そうもいきません。STAP細胞のスキャンダルはその典型です。 広いご見識、ご活躍に脱帽しつつ、一言御礼のみ申し述べます。    通    東大名誉教授 作家

* 十三巻の「あとがき」を今回はたっぷり書いた。読み返して、感慨がある。かなり長いが、そのまま転載しておく。

* 秦 恒平選集 第十一巻刊行に添えて  従前(帰去来印)を入れる

「選集」と自称して、「全集」ではないことに、もう一度触れておく。ふつう、個人全集は創作や発表の「時期」に順じているが、私の「選集」は作の「内容」に応じ、一巻の特色や性質を受け取って戴きやすいよう、作者自身が編集的に「選んで」いると御承知戴きたい。

『迷走 課長たちの大春闘』の後に

少からず喫驚していただくだろう、この連作の三部作には。
小説家は、それ自体が虚構であるから、本当のようにウソを書くし、ウソとしか思われないほどぬけぬけと事実も書いている。それでいて、小説家のウソもま ことも「作風」や「文体」という化け物に守られている。いや身動きを制されている。そうは自由自在に、変化(へんげ)のようには働けない。但し作風や文体 のある作者にだけそれは言えることで、作風など無縁、文体もない「出たら目」は、全然別のはなしである。
この三部作は、小説家秦恒平が、小説家ではいられなかった場所、一人の「編集者」として勤めた職場「医学書院」時代の、正真正銘リアルな「私小説」である。
あの年、一九七四年=昭和四九年は、オイル・ショックの年だった。トイレットペーパーの払底に世間が沸騰した年だった。首相は田中角栄。81単産、六百 万人参加の空前のゼネストが大春闘を盛り上げた。参議院選挙で保革伯仲が実現し、東アジア反日武装戦線なるグループの丸ノ内三菱重工業本社爆破が、無関係 な通行人八人を殺したのもあの年だった。経済は戦後初のマイナス成長を招き、金脈問題を追及された田中は退陣し三木内閣に変わった。
何かが、誰かが、どこかで「やり過ぎた」と思う。結果として決定的に日本の労働運動が底無し沼へ沈滞し始めた。執拗に経済は盛り返して行き、必然、バブ ルの狂奔もちかづいていて、しかも泡は砕けた。中国での四人組追放と紅衛兵退潮も、日本の過激派を窮させ、また労働運動に急ブレーキをかけたのである。
あの年、わたしは、医学専門書の当時最大手、規模において総合出版の岩波書店といろんな面で似ていて「医書の岩波」といわれた医学書院の、中間管理職= 課長の一人だった。東京大学の赤門のならび、本郷三丁目寄りに新築六階のビル社屋をもっていた。いわゆる家庭医学は扱わず、洋書輸入を含む高度の医学研究 書や教科書と、三十種にあまる専門誌とを出していた。看護学の書籍や雑誌も多数種出版していた。
入社したのは、一九五九年、昭和三十四年春だが、まもなく社が出版した本邦初の研究所『脳腫瘍』は、部数五百、定価が一万五千円もした。そういう出版物 の似あう会社で、徹して「ミニプロ・ミニセール」を守っていた。見習い三ケ月間のわたしの給与は九千六百円、借りていた新婚六畳一間の家賃が五千円、初任 給一万二千円で、交通費支給はなかった。社に労働組合が結成されて、やっと五、六年め、社員も少なく社屋も小さく、狭苦しかった。だが社長の金原一郎は達 識の傑物だった。編集長の長谷川泉は、社を一歩出れば森鴎外研究や川端康成研究を事実上リードしてきた碩学だった。この二人に、心ひそかに真向かう気力な くては、小説を創作の生活に私は歩み出せなかっただろう。
入社以来十五年、社員は二百人を超え、「給与は日本一」と、老社長の子息専務が一切を取り仕切って豪語したのも、あながちホラとはいえぬ高水準にあっ た。私はもう二人の子の父であり、働き盛りの編集者でまだ四十歳前であり、私家版をのぞいても十種ちかい小説や批評をすでに出版していた。時代も幸いして いたのであろう、四十年余も昔のとである。
今回三部作、最初の小説「亀裂」では、学術書や学術雑誌に起きがちなある種の「学者の不正」に巻き込まれた編集者の戸惑いを書いている。「凍結」では、 中間管理職の上からも下からもギリギリ締められる悲鳴が、「課長組合」を願望しはじめる悲喜劇を煮つめている。「迷走」では。ああ、それは、もう言うま い。
もはや昨今最近の「労働者諸君」には、書かれていることが信じられまいと思われる。体験者であるわたしが、校正しながら我が目を疑ってしまうほどの「現 場」が、ありありとありのままに、いや、いくらかまだ遠慮が勝ちに書かれている。正真正銘の私小説だといったが、ここには、「小説作家と兼業の医書編集の 課長」はあえて「抹消」してあるのにすぐ気づかれるだろう。焦点を、出版社の編集者ないし管理職に絞るには必要な措置であった。
こういうことも言っておいていいだろう、この本が出版されてすぐ、大きな銀行同士の団体が、箱根だか熱海だかでの管理職研修会でこの本をテキストに情報 交換や討議を進めたという実話を私自身耳にした。有りそうで、こういう本は、小説としても無かった。「やっと現れた作」とも書評されたし、その後にも、気 をつけていた積もりだが、この手の「編集者もの」「管理職もの」はなかなか出てこなかった。
過激派とか民青とかいう色分けが険悪に叫ばれていた。内ゲバの武闘も日常茶飯に近かった。おまけに、医学の畑では激越な、かつ歴史的意義も小さくはない 現場闘争が多く行われていて、仕事がらまともに煽りを受けていた。関心もあった、利害も露骨に生じた。お隣りの東大でも、精神科も脳外科も、また小児科 も、いわゆる「医学紛争」を延々と続けて来たのだった。それが企業へ転じてきた。ステッカーに最もよく見られたスローガンは、中共紅衛兵ゆずりの「造反有 理」であった。最も過激に反応していたのが出版社の労組であったかも知れない。各大学を卒業してきた大学闘争の闘士たちが企業に侵入し、労働組合で各派対 峙し激突しながらも、また一致して「経営」を猛攻した。あわや会社という会社が倒れるかに見えてすらいたのである、あちこちで。だが、倒れたりはしなかっ た。
この後に潰されていったのは、逆に、労働組合の側であった。過激のツケは高くついて、「過ぎたるは及ばず」と高笑いしたのは、わたしのこの本などを参考 にしてでも反攻しようとした側だった。いわゆる「社会党」のその後のみじめな衰亡を見るだけで事態の推移はハッキリしている。保守の腹を決めた長期戦略は 三分の一の社会党を徹底的に潰し、総評と労組とを潰すことにあり、これに、だれでもないテレビで喋りまくる腰弱の知識人たちが、口を極めて野党と働く人達 とを裏切っていった。
この本でぶざまに「迷走」するのは会社側だが、本が出版されたころからは労働組合のほうが走力を喪失していった。何故か、の、この本は歴史的にもぎりぎ りの一証言たりえていることを作者は疑わない。そして今や勝ち誇った側が「やり過ぎ」てまたも泡(パプル)を吹いて働き手の立場を非正規雇用の拡大と支配 とへ強引に歪めている。
わたしのこの小説を書いた今一つの意図は、はっきりしていた。刑事もの、記者ものは、すでにテレビドラマでも人気を得ていたが、「編集者」を話題にした 小説など、殆ど見たことも聞いたことも当時(今でも)なかったからだ。「編集・企画」という仕事が好きで性にあっていて、しかも医学・看護学といった専門 分野の編集に携わっていることを、我ながら奥深いと自覚していた。その気になればかなりの話材も蓄えていた、が、自分の持ち味ではないとも見切っていた。 やっぱり『慈子(あつこ)』『秘色(ひそく)』『みごもりの湖(うみ)』や『風の奏で』『冬祭り』「雲居寺跡(あと)』などが書きたかったのである。
会社で担当した領域は好みの小児科学が主だったが、他の分野に関心をもつ自由も許されていた。免疫学の基礎と臨床、出生前小児医学、老人や母性の保健 学、いわゆる不定愁訴となるサブクリニカルな微症状学、疫学、症候群事典、そして学会成立にも直接寄与したといわれた新生児学研究などなど、とにかく出版 企画の面白さにとり愚かれ、夥しい数を本にして行った。月刊雑誌数册発行の責任を帯びていたときでも、企画して単行本も出した。仕事が少ないのを不満とは しても、仕事が多すぎるとは文句を言わなかった。「猛烈社員」といわれ、「エリートゴン」などと怪物のようにそしる人がいたのも無理なかった。ただ、幸か 不幸か私は社内のエリートとして経営の側に位置しうるタチでなく、昇任人事も断っていたし、第一の願いは何よりも「真の身内」を求めて「小説を書く」こと だった。批評もエッセイもたくさん書きたかった。その時間を確保するため、管理職になってからも、余儀ない会議以外は九時五時勤務をガンとして崩さなかっ た。そして、会社をやめた。会社に深い感謝はあったが、微塵の未練もなかった。
この三部作に書いたちょうどその時期に、私は、新潮社新鋭書き下ろしシリーズの『みごもりの湖』を最後の段階へ仕上げていた。村上華岳を主人公の長編 『墨牡丹』も書き始め書き上げていった。中世美術論『趣向と自然』を連載中だった。テレビ出演で『梁塵秘抄』を話していたし「日曜美術館」にも再々登場、 ラジオでも『中世の源流』を話し続けていた。講演も頼まれた。一つ一つから次が、また次が生まれていった。噴出期であった。だが前にも言うように、意図し て、そういう「私の別の一面」はこの連作では封鎖しておいた。無いことにした。それでよかったと思う、そうでなければこの小説の主題が分散してしまったろ う。
江藤淳さんのあとを継いで東工大教授を勤めときに驚いたのは、学生自治会の無いことだった。大学に学生の自治会がなく、企業に健康な労働組合が機能して いない、それがもはや普通とあっては、なにか日本の国が間違っている。健康に働いて行く基本の人権を自ら放棄しているのと変わりがない。しかも不況の永び くさなか、労働者の連帯を根から腐らせ民衆に泡=バフルを吹かせるのに最も力を致した大銀行・金融の途方もない不始末の後始末に血税は屁理屈づくめに浪費 されていた。ディスクロジャーどころか、情報をなんとかして国民から秘匿するのを目的にしたかのような、贋・情報公開法が麗々しく用意されていった。
じつは、この連作、あまりに時代が隔たってしまったかなとしまい込んできたが、そうではなかった。いろんな意味で、あっちから読まれこっちから読まれて 「時代」を揺すぶる役をさせてみて良い作品であったと、今のいま、わたしは進んで、早く、復刊しようと思うようになったのだ。
この本のような現実から、わたしは、逃避して自分の小説世界を紡いでいたのではない。住み分けていた、切り換えていた。それだけでなく、こういう「現 実」部分から、いろんな創作が進み始めて、「私」の世界へ移動していたのである、受賞作の『清経入水』では広島の学会取材から、『秘色』では出版祝賀会へ の会社出張から、『風の奏で』では春闘のさなか
出張といったふうに、編集者体験はかなり色濃く作品を染めていた。あの時代の小説もエッセイも、どの一つも例外なく超多忙な勤務のあいまに本郷や湯島や御 茶ノ水辺の喫茶店などで書かれていた。家では調べ仕事の読書に時間を使っていた。騒がしい環境で静かな世界を。そう意識して、欠かさず毎日書いていた。 立ったままでも書いていた、取材先の大学や病院の壁にもたれ、原稿を依頼や督促の「先生」を待ちながら、書いていた。
この連作を書いたとき、イメージを壊すから、こういう生々しいものは書かないで欲しいと、何人かの読者に叱られた。霞を食って半ば他界で暮らしている、 稼ぐ心配のない美しい世界のもの書きだと思っていた人が多かった。現実の私はそんな人ではなかった。実の親を知らず、貧しく育ち、貧しい中でひっそり結婚 し、親になり、やがて小説を書き出した。読みたい本もなかなか買えず、汚れて傷んだ一冊十円二十円の岩波文庫の古本を探していた。講談社版新刊の日本文学 全集を、食うものも食わず節約して、配本を楽しみに一冊一冊買い溜め読み耽り、近代現代の文学と作家たちに身を寄せて暮らした、書きたい、書きたいと六畳 一間のアパートでも憧れながら。
重森君という大学の友人が、私の「書きたい」に聞き飽きて、たった今、例えば「新潮」から、読んでやる、作品をと言われたらどうする気だと一喝した。 はっとした。ただ「書きたい」のゼロ地点から、「書いた」一作までの距たりは、無限に遠い。一作から二作、三作へは一目盛りずつだ。そうかと目から鱗を落 として、昭和三七年七月二十九日から三十日へかけ、上京三年余にして私は小説を、処女作『或る折臂翁』を「書き始め」た。以来、太宰賞の日まで一日として 書かぬ日はなかった、盆も正月も病気の時も。書き続けてこそと思い、励んだ。一方で、むろん私は編集者であった。仕事を投げ出したりはしなかった。
医学書院十五年半の、最初の一年間、生産管理部で雑誌製作の仕事をした。製版や原稿割付けや版下注文・校正往来などの基本的な作業を覚えた。翌年春から 退社の夏まで、編集部・出版部の編集者ないし管理職を続けた。雑誌を担当したり書籍を担当したり、また看護部門をやったり医学部門をやったり、十四年半の あいだには、企画・編集取材・製作刊行まで、いろんな仕事を自分の手で体験した。それゆえに今、技術的に何の故障なく「湖の本」が出せているのである。 「手に職がある」と昔からいうが、企画・編集・出版は知能的な手仕事に類している。手仕事と無数の雑用とを根をつめて出来る人でないとこの仕事は向かな い。「手に職」をつけてくれただけでも医学書院時代には感謝しなければならない、もっとも、「藝は身をたすける、身の不幸」とも昔から言うが。
勤務時代の仕事が、文句なく好きだった。医学者・医者また看護婦さんたちが、あまりに自分とは別世界の人であるだけに、かえって興味深かった。理系のそ ういう専門家を素直に尊敬する気質があり、その辺が、東工人で学生たちと仲よくできた理由なのだろうと本気で思っている。学生や院生たちが、教授室へ来 て、今こんな研究をしていますと、分かり良く教えて来てくれるのが私は嬉しいし楽しかった。わけても兼好法師が友にしたい一に「医師(看護師)」と挙げて いて、首肯して来た。同僚に親しむよりも、私は優れたお医者さん看護師さんたちと退社後もながく親しくしていただいた。そもそも、いい医師との出会いを求 めて医学書院を就職先にえらび、不安のあった妻の出産を、二度とも無事に助けてもらえたのである。文学に関しても実に大勢のドクターやナースの皆さんに励 まされて来た。
小説を書き始め、太宰治賞までに七年間あった。受賞から退社までに五年間あった。初出勤したその日から、いつこの会社をやめて出て行けるだろうと考えて いた。大学に残って教授になりたいとも、会社に残って社長になりたいとも思ったことはなく、四十歳までに、一作でいい、書いた小説で原稿料が欲しいと願っ ていた。七年ほど早く願いが叶った、向こうからの文学賞付き「招待」で。今度の小説『迷走』三部作の書かれた時期は、二足の草鮭を履いて五年めだった。曲 がりなりに「新鋭」作家になっていた。
読み返していると、それでも、課員や組合から比較的温和に私は扱われていたのに気付く。何故とは正しくは思い当たらないが、それはそれとして、あの当時 から私は、効率管理一辺倒で過大な前年同期比増収増益を無理強いする企業の論理を、生理的に嫌っていた。過激な当時の組合にお世辞にも親愛感は持てなかっ たけれど、基本的には働かせるよりも働く側に身も心も寄せていた。私は「編集者」ではあれ、「管理職」にはなりきれない半端者だった。

『お父さん、繪を描いてください』の後に

書下し長編、いわゆる「藝術家小説」をお届けする。とはいえ、以前に村上華岳や上村松園や浅井忠を書いた、いわば称讃や傾倒のそれではない。今度の主題 は苦痛に満ち、過酷である。「創作者」なら、(この作品では画家を書いたが)、彫刻家であれ小説家であれ作曲家であれ詩人であれ、同じ脅威にいつ襲われて もおかしくない「人生」の難所と蹉跌と打開への苦悶・懊悩を「告白的」に書いた。藝術家の執拗に抱き込んで吐き出せない「内景」を、具体的に抉り出すよう に書いてみた。むろん「小説」として書いた。だが、小説らしからぬ書き方を敢えて採用し、ごつごつ、コブコプとエッセイのタッチで書いてみた。人の秘密を のぞきこむように、同情ももち意地悪くもなって、遠慮なく書いた。この話、「ホントのことですか」と聞く人が有れば、即座に「そうです」と答え、「フィク ションでしょ」と云う人が有れば、笑って「あたりまえです」と答えて、読み手の好きに任せたい。
もともと、書簡体や日記体にわたしは興味津々。それらを書き起こし組み立て、地の文で繋いで行くと、主観と客観との立体交差が作をあたかも「論述的」に も「構築的」にも「ファシネート」にもし得るか、という「夢」の課題を持ってきた。小説っぼい小説ではない、だが、小説でしかない小説、が書いてみたかっ た。エッセイのように、ノートのように書かれる波瀾の小説。ホームページにそう予告して書き起こしたのは少なくも平成十年より以前だ、十分時間をかけた。
この小説は、綿密な取材やインタビュー抜きには、わたし一人の頭脳では書けない小説と見えるであろう、否定しない。肯定もしない。大学の専攻は「美学藝術学」であった。卒論には「美的事態の認識機制」を書き、「美しく視える」事態を追究した。ウソではない。
ああ頭が痛そうだと怖じ気づかれる方には、大急ぎで手を横に振り、云っておく。わたしの書いてきた小説の中で、この作品は、或いは一等読みやすく、けっ こう波瀾があり、心理的に荒くれた筋道を興味深く辿るはずで、お行儀の良い、お澄ましで趣味的な物語とはわけがちがう。上下巻を読み終える頃には肌に粟を たて唸る現実の「創作者」も少なくあるまい、と、いくらか作者は期待している。
情緒的な美的・浪漫的な作品、ではない。一つ間違えば、あなた自身が巻き込まれてきたか知れない生活の渦が、幾重にも巻いている。主に「手紙」でものを 言い続ける主人公の「画家」と、地の文で勝手な論評や時に酷評を加えている無頼な語り手の「小説家」と。どうしようもない偽善者だと読まれるかもしれない が、彼等も、彼等をこう書いた作者も寂しい。寂しくても、こう書いたのである。
もともと『寂しくても』と題していた。棄てがたい題であったが、どう「寂しくても」苦しんで、あきらめて、呻いて生きて行かねばならぬ事では、何も創作 者・藝術家には限らないと思い、引っ込めた。引っ込めはしたけれど、藝術家の生きる寂しさがひとしおのものであることは、わたし自身も身に刻んだ実感であ る。そのつらい実感が書かせた。脱稿までに、わたしは、一度死んだような気持でいた。
無惨なほど、さながらに主人公の「藝術」がひび割れて行く。その寂しみを突き抜き貫いて行くいったい「何」が先に待っているのやら、作者もまた凝然と「創作」という闇への闘いにしばしば棒立ちになった。画家であれレ小説家であれ実作者からの痛烈な批判を獲たいと願う。

平成二十七年(二○一五)十二月二十一日 傘壽の日に   秦 恒平

*  宇治にお住まいの佐々木(水谷)葉子先生がお電話を下さった。八十九歳、あの戦直後の学校の先生にはお若い方が多かった。数学の牛田先生は佐々木先生よ りまだ一つお若かった。いまもお元気という他の先生方の消息はお一人も先生から聞けなかった。元気なお声で、昔と同じように感じた。わたしの方が労って頂 いたりした。入学したのは昭和二十三年(一九四八)四月。六十八年昔だが、まったくそんな感じはなく、あの当時のままの感覚でお声を聞き記憶を甦らせても 昔を今に成しきって話し合えた。わたしは生徒だから同窓の同期の友を覚えていて不思議はないが、先生はあの後もそれは大勢の生徒と接してこられたろうに、 團彦太郎も田中勉も西村明男、西村肇も、藤江孝夫も福盛勉も桑山嘉三も、女性徒たちもよく覚えていて下さり感激した。あの弥栄中のころの諸先生のこともよ く記憶されていて、話題は尽きなかった。幾久しく御大切にと願わずにおれない、幸いご主人とお二人の日々だと。
2016 5/10 174

☆ 選集第十三巻を拝承、感謝
秦 恒平様
『秦恒平選集』第13巻を一昨日落掌しました。立派な出来映えですね。いつもながら、お金をかけた選集をいただき、痛み入っております。
昨日、午後から夜中の1時まで、この巻をしっかり読みました。
『迷走』は『湖の本』シリーズで一度読んでいましたから、筋は分かっていました。当時の労働組合は現在とは違っているでしょうね。当時の組合の有り様は大学紛争を想起させます。
大学紛争の勃発は、私がやっとICUの常勤講師になった年の冬でした。親しかった学生の変貌ぶりに驚きました。わが恩師は、全共闘側に傾いた教員集団に よって構成されたかの感のある臨時執行部の学長代理に指名され、私は早速、学長補佐として使われました。嫌、とは言えませんでした。
私は恩師に、ラディカリスト(全共闘に癒着する教員の一部)には断じて流されるなと進言しました。それが全共闘に洩れてしまいました。恩師がラディカリ ストの教員に、きっと「**にはこう言われている」と、苦悩を語ったのでしょう。結局、この執行部は崩壊すべくして崩壊しました。私は敗残の旧執行部の一 員として、教員のマジョリティが再建した理事会主導の教授会に参加し、旧執行部の誤りの総括をしました。私なりに「針の筵」に坐りました。恩師は大学を辞 しました。責任を取らせられた次第です。
『迷走』を拝見すると、私は自分が所属した大学における当時の教員と学生たちの「迷走」ぶりを思い出します。私自身も迷走から自由であったわけではありません。
「お父さん、繪を描いてください」は初めて読みました。左右の横顔、正面の顔のスケッチのレベルの高さには驚きました。他の巻でのご自宅前での写真で秦 さんの顔を印象づけておりましたので、この間の口絵写真での横顔のスケッチをちらりと見ただけで、これは秦さんのお顔だと、すぐにピンと来ました。巻末近 くになって、ようやくそれが描かれた事情が分かりました。この画家の友情の最後の証になりましたね。気品のある、気骨のある顔立ちに仕立てて下さった。敬 愛の表れでしょう。
このスケッチがある以上、私はこの画家が実在したことを疑うわけにはいきません。作家がこの画家に関して描いていることは、ほぼ事実だと受け止めまし た。作家は自己の行動には虚を混ぜ込んで、画家の生き方と作家との関わりを虚実綯い交ぜの小説仕立てにして提供していますが、全体として何とも哀しい話で す。「人間の業」と言うだけではすまされない。確かに「人間の問題」です。
友人から送られてくる手記に対する秦さんの批評はことごとくポイントを突いていると思いました。「考えすぎて描けない」。その通りですね。
しかしその本質は何なのか。
その「考え」とは、絵画についての単なる「理想」ではないようです。
この画家にとって、絵画は絵画技術が作る世界だという非現実性を主張するものでなければならない。と同時に、絵画は現実的でなければならない。この絶対 的に矛盾する意識に画家は魅せられてしまったように思えます。絶対的な矛盾を絵画において体現せねばならないとするダブルバインド。マゾヒスティックな自 縛。最初から自分に縊首を仕掛けていたようなものです。それは「理想」とは無縁です。
彼が絵画に求めた絶対性は、人間を超え出てしまうところにまで人を誘惑する麻薬のようなものです。なぜ彼は、「絵画は絵画に過ぎない」と開き直れなかっ たのか。グレン・グールドは自己の演奏テープを切り刻み、最良部分をつなぎ合わせて、これが人に聞かせる音楽だと開き直った。演奏はリアリティーを示せれ ば、それでよいのだ、と。
この画家の男と女としての出会い、思い込み、性へのめり込み、家族のしがらみへの忠実。そのすべてに同情しました。気の毒、という以外の言葉が見つかりません。強いて言えば、人には適当な人の悪さが求められる、と。
ありがとうございました。ご自愛を。  浩   ICU名誉教授

* 「 お父さん、繪を描いてください」の悲しさを、寂しさを、厳しさを、その呻きを、ここまで聴き取って頂けて心底お礼を申し上げる。「寂しくても」生きねばならないと思っていた。
作中の「山名君」が苦闘のころ、実は作者のわたしも小説を書けていないという苦しみに藻掻いていた。「秦さん、小説を書いてください」と呼びかける声に 耳がわれそうだった。幸いに、「書く」仕事は跡絶えなくあった、小説家である他方でわたしにエッセイや評論を書かせ、講演や対談などをさせようとする向き は到る所にあったから、仕事感覚は満たされていたし、「湖の本」も着実に増えていた。しかし小説を書け・書きたいという外から内からの要望に的確に答え続 ける厳しさは刃物を肌に当てられているようだった。だが、わたし自身の生活は生涯の悪所・難所に喘ぐ不快を日々に強いられ続けていた。大学教授という降っ て湧いた境遇と日々にわたしは没頭しつつ堪えて堪えて暮らしていた。作中の「山名君」はわたし自身でもあった。

☆ お元気ですか、みづうみ。
本日選集第十三巻をいただきました。毎回楽しみで嬉しくて光栄です。どの一冊も仰ぎ見る素晴らしい文藝の達成です。
連休前からずっと体調不良の不快な日々でした。何があろうと全身全霊文学者のみづうみを羨ましく思います。
本日の私語を読み、一体何が起きているのかしらと心配しています。

 

 

働きすぎのみづうみが休息するのは良いことです。ですが「湖の本」を休息などお書きになるのはみづうみらしくないことで驚いています。ご事情はわかりませ んが起きていることはすべて正しい方向に進むためのものと信じてお祈りします。新しい創作へ没頭されること、それも文学の神様のご意志でありましょう。安 心のうちにお元気にいらしてくださいますように。  竹  今年竹同じ高さに二本かな  素十

* ナニ、分かり切った予定の道を歩んでいて、此処に限って陰惨な道筋なのが不快なのであり、歩み始めた最初から通らねば済まない道なのであった。ガンとして通り過ぎる気でいる。ご心配なく。

☆ 拝復
本日はご高著「秦 恒平選集第十三巻」をご恵贈たまわりまして まことにありがとうございました。
三枚の絵の見事さに息を呑む思いがいたします。ボールペンでここまでスケッチ出来るとは しかも写真よりそっくりに描くことができる腕前は ただものではございません。
いつもながらのお心遣い 厚くお礼申し上げます。
御身御大切にお過ごし下さいませ  かしこ  京・鳴瀧  浪

* あっという間、疾走の筆遣いに現れ出た三枚の肖像、目をとめて頂けて嬉しい。
匂いやかなお手紙に添え、過分のご支援、感謝申します。
2016 5/11 174

 

* 江田五月元参議院議長、哲学者梅原猛さん、山梨県立文学館三枝館長、神戸松蔭女子学院、都立中央図書館、立命館大、ほかから選集第十三巻への挨拶があった。

☆ (作中の)山名氏の描いた
(秦さんの=)顔三点はすばらしい。走るようにボールペンで描いてある。ボクはこのペン画みて、さてあとどんな繪があるやと思う。画集のようなものがあるのだろうか、見たいと思う。
毎々選集送ってくださり厚くお礼申します。たいへんな美本であります。
秦さんはいい仕事をしている。
繪はこの世に一つしかないものを作るのが使命です。  川崎  島田正治 墨画家

☆ 第十三巻の
貴選集 うれしく拝受いたしました。厚く御礼申し上げます。
ご活躍を心からお祈り申し上げます。  千葉長生郡  徹   折口信夫研究家

* いつもいつも多大のご支援を戴いている。深く御礼申します。

☆ 秦 恒平様
ごぶさたしています。このたびは選集第十三巻をありがとうございます、中間管理職の目からみた一九七四年春闘小説、おもしろく、興味深く読みました。以 前から、七四年が頂点の労働運動史の謎が心にかかっていました。同封のグラフ(一つ 労働組合員数 雇用者数 推定組織率の推移  二つ 労働争議の件数  参加人数の推移)は なくさないようにいつも鞄にいれているものです。
争議件数、参加人員がピークに達したあと、なぜ 急速に退潮したのか。経団連、経営側の反転攻勢が理由と考えていましたが、小説やあとがきを読み、争議 の中で、組合が労働者・国民の支持を失った面があったことを感じました。縁故採用が多い、発行遅れ常態化のぬるま湯職場は、こんなのんびりした職場はいま はなくなってしまったでしょうが、いごこちはよさそうで、私もそんなところで働きたいという気がしました。
もう一つ運動退潮の原因ですが、高度成長が終わって、「たたかえばかちとれる」という条件がなくなり、運動の好循環が断たれたせいもあるのではないかと思っています。(私は直接は知らないので想像です) がんばっても見返りがなければ、人間やる気を失うものですから。
書き下ろし芸術家小説はこれから読ませていただきます。創作の悩みにどう迫られているのか、楽しみです。
今年も暑くなりそうです。ご自愛ください。  志  赤旗編集局

* じつを云うと、もうすこし保守政権の懐深くもシャープに読み込みながらの洞察や方法論も利かせて貰いたかった。

☆ 「チャイムが鳴って
更級日記」「竹芝寺跡不審」 大変面白く拝読しました。歴史的事件が背景になる万葉集をきっかけに当時あった小説を沢山読み、その頃「ミセス」の「史跡幻想(=のちに、蘇我殿幻想)」も読んだ記憶があります。   小松市  啓

☆ 『迷走』「亀裂」の冒頭に引き込まれ、読み始めました。  江東  龍

☆ 美しく
美しく もう13巻、 しみじみと見入っています。
それにしても、もうこれは恐ろしいお仕事ぶりと 尋常な感服を越えてしまいます。有難う存じます。青梅雨の季節です。  東近江  民

☆ 並べて
やっぱりこう取り揃えて良かったです。
先生と奥様の協働作業のような選集毎回楽しみにしております。当初 選集だから10巻程かなと思っておりましたらよく編成された全集で、このさき大いに期待しております。 先生ご夫妻とも御健康には十分留意して益々の御活躍を祈念申し上げます。  秀

* この67歳の読者は強いご希望で、全巻を「製作実費」負担して下さり、毎回配本している。いま、そういう方が二十数人いて下さる。感謝している。
2016 5/12 174

☆ 鴉に
数日前の記載に「内奥の不快に..」とあり、案じています。
堪え、そして克服できますように。
わたしは今ローマにいます。南イタリア、スペインを廻り、月末に帰国予定。娘と二人旅、稀なる機会です。
どうぞ元気に、大切に、切に願っています。 羅馬の鳶

* 羨ましい。

☆ 立夏
五月六日は立夏。(石川近代=)文学館の「鑑真まつり」に参加しました。この日は鑑真入滅の日で、井上靖の誕生日。毎年おまつりをする約束で井上さんから本郷新作の和上像をいただきました。識者の講話、作品の朗読などがおこなわれます。
その後、広坂を上って、県立美術館で「脇田和展」(脇田の先祖は加賀藩士とか。作品の寄贈を受けました)を観ました。なぜか好きな画家です。私にはないものを私ごのみに描いてくれているからかも知れません。作品が多く、大きいものがたくさんあって、圧倒されました。
それから室生犀星記念館に行き、折より在館していた館長と、映画「蜜のあはれ」について少し話しました。館長は元金沢大学教授、上田正行さん(私の後 輩、秦さん來沢の際の講演も聞いておられます。秋聲記念館館長も兼任、人材不足か、経済不足か。ただ両館とも割と勉強家の学芸員ーこれも私の後輩ーがいま す。)金沢は小さい町ですが、それでもこれだけ歩くとぐったりです。家人が気づかうので、車ではなく、バスで行ったので、「歩き」になりました。
五月八日、八十四になりました。父の死んだ年に並びました。子供たちがそれぞれに誕生祝をくれました。しかし、いや、やはり喜ぶべきでしょうか。母の没年、九十七にはまだまだです。
五月九日、私の尊敬する同級生がなくなり葬式に小松まで行ってきました。中学時代(旧制)、通知簿の点数が、97点という秀才です。画もうまく、テニス の名手でした。高校二年の時、家の事情で夜間の定時制に転じ、後 国家公務員の道を選びました。労働基準局長(地方)として県内を歩きまわりました。この 人、中学二年の時、小松のお旅まつりの夜、講演に私を誘って、いっぱいやろうと私に焼酎を飲ませた(初体験)のです。ご存知のようにアルコールのだめな私 は酔って 翌朝目覚めたら、徳田八十吉(=人間国宝の陶芸家で井口さんとは親戚)の家でした。聞くと、珍らしく鯛のさしみを食べて寝たということでした。
葬儀から帰宅すると、『秦 恒平選集』が届いていました。巾三尺足らずの本棚の一段がうまりそうになりました。
「お父さん、繪を描いてください」 感動の名作再びです。冒頭のスケッチ画、当時の秦さんのきびしさみたいなものが――眼と口がすごい――出ています。こわい画です。

すみません。受取りのお礼のつもりが、なにか青っぽい文章になってしまいました。秦さんに対すると、いつも私は、少年になってしまうようです。
お作、選び尽くされる日はいつになるでしょうか。どうぞお大切におすごしください。
奥様にもよろしくお伝え下さい。
(よれよれの文字ご判読ください。)   能美  哲  元石川近代文学館館長

* 温かい気息の優しさが全文に滲んでいて、嬉しく拝見。目の前の書棚に、函に、本の背に書いて頂いた篆書「秦 恒平選集」の金彩が眩い。こんなふうに向こうの書架にもならんでいると想うと、身の幸を覚える。

☆ 選集第十三巻
お届けいただき、ありがとうございます。秦先生の「本」が届きますと、私の表情がゆるむと、家内によくからかわれます。
昭和五十一年七月に「迷走」が出版され、直ぐ、読み終え、「こういう小説も良い」と ひとり納得しておりました。また読みます。
季節の変り目、体調を崩しやすいと申します。
お体を大切にご自愛下さい。  愛媛  孝 元県立図書館長

☆ (前略)
ついまずは後記を拝読すると、私には『迷走』三部作は必読の書のようです。恥しながら、この作のことを知りませんでしたが、これも秦文学の大切な流れの 内、しばらく家を留守にするので読了がすこし遅れますが、是非とも拝読、改めて感想のひとことでもお伝えしたいと思っています。とりあえず受領のお礼を申 しあげます。
お身体重々お大切になさって下さい。  敬  元「群像」編集長・出版部長

☆ 拝啓
見事な造本の、特別な選集を賜りますこと 心より御礼申し上げます。ゆっくり拝読させて頂きます。
ご上梓の御祝に、私の好きな大吟醸酒「やまと桜」金ラベルを一本、山形の蔵元からお送りするように頼みました。どうぞ祝杯をあげてくださいますように。   完  文化出版局役員

☆ 秦 恒平先生
選集第十三巻 ご恵送給わり感謝です。
平家だけでなく大春闘までお書きだったんですね。  ペン理事

* かつてしっかり書評していた本のことも、忙しい人は忘れるらしい。
ペンクラブでは、またしても「われらの会費」「使い込み」で揉めているらしい。やれやれ。
なによりもペンクラブの中枢に、本当の意味での文学作者がほとんど入っていないらしいところに、読書界からのシンの敬意が得られていない脆弱感を増して いるのでは。国の文化勲章を拒絶し、国民運動の先頭に立っている大江さんのような人が「日本のペン活動の芯」になれないで、なってもらえないで、何が国際 性のある文学団体と云えようか。
島崎藤村 正宗白鳥 志賀直哉 川端康成 芹沢光治良 中村光夫 石川達三 井上靖 遠藤周作 のようなかつて歴代会長が淡々と誠実に会長職に就いて居 られた時代を、だんだん、なし崩しに薄く軽くしてしまっている。大小説家、大批評家にこそ率いられるべきなのである、それが日本の誇りになる。なにかとい うと「使い込み」が騒ぎになるなど恥ずかしい。

* 義妹が、今回も、多大の応援を送ってくれた。ありがとう。とても助かっています。
奈良の歌人 東淳子さんからも「お励み下さいますよう」にと、ご支援頂いた。

* 時に「猫に小判かと思うと勿体なくて」と云われると、それ相応の謝辞とは分かっていても、すこし白ける。

☆ 昨日は
貴兄の貴重な御本を私共にまでも贈って頂きありがとうございました。ゆっくりと読ませて頂き度く 楽しみにしております。
水谷(=佐々木)先生も 早速に御電話を頂き 貴兄の東京での御活躍ぶりに感動しておられました。私も羨しく思っております。 早速に御電話と思いましたが 何か京都の品でも送らせて頂こうと考えましたが 胃を患われたとかで 私には適当なものが見つかりません。
今、私は嵐山近くの西山の端に居り、近くには花の寺(勝持寺)善峯寺 大原野神社等があり、云わば里山のような処におります。その近くに京都の小倉山荘 と云う大きな煎餅屋さんがあり、 日々の午後の御茶受けに少しづつでも食べて頂けるのではないかと送らせて頂きました。御召し上り下さい。
お互い! 一日でも長く余生が楽しめますよう がんばりたいものです!  濱  中学同窓 2016 5/13 174

* 今日、上に一枚出した繪は、選集⑬に入れたばかりの「お父さん、繪を描いてください」、その「お父さん」の作である。とても珍しく感じるほど綺麗に大きな風景。だがこの「お父さん」の藝術家魂がさせる実験的な繪の迫力は、豪快で精微なのである。
わたしの顔を、正面から、左右から、三枚、手渡したわたしのボールペンで、あっという間に描いてくれたのを選集の口絵などに入れたのが、目の利く読者を驚かせている。 「お父さん、繪を描いてください」と、わたしも、亡き奥さんに代わって呼びかけたい。

☆ 秦先生
いままでの御本より一段と厚い「選集第十三巻」嬉しく拝受いたしました。

ありがとうございました。

これだけ厚いと、函から出すのに手間取ることが多いのですが、

先生のご本は、いつもスルリととりだせて、そのうえ、きちんと左右に開いて読みやすく、本づくりの技術のことなど、ふと思ったりいたしました。

長良川の鵜飼いも始まり、いよいよ先生のお好きな夏の幕開きです。

今朝も、ウグイスがきれいな声を聴かせてくれました。  各務原  以  詩人

* 月曜は、美術館が休みなため出かけないクセが出来ていた。もっとも、この病後は、なんとなく蟹歩きの美術館を敬遠ぎみであった。なにもかも出歩きを敬遠ばかりしているのが現在のわたしの病状なのかと思われる、よろしくないが。

* 今西祐一郎、馬渡憲三郎、三宅貞雄、木山蕃、竹澤由美さんら、また三田文学編集室ほかからも選集⑬受領の挨拶があった。疲れ失せず、このままで、感謝のみ申し上げる。
2016 5/14 174

* また気も新たな出発になる「湖の本131」をどう編輯するか、いま二つの思案があり、どっちでも満足だが、もう暫く作業と思案を重ねてのこと。
2016 5/14 174

☆ 拝啓
新緑の美しい季節となりました。
先生にはお変りなくお過しのことと存じます。
只今、『秦 恒平選集』第十三巻を拝読致しました ご恵送の程、心より感謝申し上げます 誠にありがとうございました。
「選集第十三巻刊行に添えて」を拝読しながら、「湖(うみ)の本」で拝読した当時の、『選集』所収作品のことを思い出しています。当時感じておりましたことのいくつかが、わかったように思っています。
「この本のような現実から、わたしは、逃避して自分の小説世界を紡いでいたのではない。住み分けていた、切り換えていた。」とか、「『編集者』ではあれ 『管理職』にはなりきれない」とか、「昇任人事も断っていたし、第一の願いは何よりも『真の身内』を求めて『小説を書く』ことだった。」等々です。
「選集第十三巻に添えて」のご文章が、作品と作者、あるいは作品の彼方の作者が、語られているようで、とても深い印象を投げかけてきました。作品を読んでいく楽しみがまた出来た気がしております。
先生が編集者をなさっていた時期に、医学書院をお訪ねしたことがあります。長谷川泉先生にお目にかかる用件がございましたので お訪ねしたあのビルの何 処かに、先生はいらっしゃったのかもしれないなどと思ったりしています。いくつかの看護学校の授業を手伝いましたが、教務室には、月刊誌や専門書が置いて あったことも、なつかしく思い出しています。
お礼を申し上げるつもりが、つまらないことを書きつらねてしまいました ご海容下さい。
変りやすい天候が続いております。
どうか一層のご自愛を心から願っております。 御礼まで  敬具  憲  相模女子大名誉教授

☆冠省
選集第十三巻「迷走」「お父さん、繪を描いてください」ご恵贈いただき拝受いたしました ありがとうございました。
「迷走」を拝読しますと、本郷の喫茶店の「トップ」の二階でお茶を頂きお話しをうかがったのは、医学書院を退社されたのちのことだったと記憶していま す。店の女主人がでブルに来て、秦さんはすごい作家さんになられるのですよ、と、私に話しかけてくれました。勿論、私も同感で、大そううれしく思いまし た。もう四十年程も前のことですが、昨日のことのように想い出します。
五月、良い時候です。
先生も奥様もご無理のないようお大切にお過ごしください。  紀ノ川  三宅拝 朱心書肆主人
些少、同封致しました、お納めください。

* 感謝。 本郷の「とっぷ」が懐かしい。「迷走」にも出てくる。そのころ、三姉妹が昼の軽食と喫茶を、夜はバーを仲よく開いていて、もとはお母 さんのみせであったらしく、劇作家木下順二さんらとも懇意で、おかげでわたしも後に木下さんと文通や本のやりとりなど有った。わたしは、もともと一人の昼 飯の客に過ぎなかったが、ここの「二階」が静かなさながらの小書斎めくのが気に入り、姉妹のおゆるしを得、会社を抜け出しては、そこで小説を書かせて貰っ ていた。受賞の以前から、まことに情の深い親切と応援とで、激励されていた。
太宰賞を受賞し、五年後には医学書院を退社して、さらに何年かの後「とっぷ」は閉店した。早くに三姉妹の中の一人が亡くなったが、草加市住まいの姉と末 の妹の二人とは、今も仲よく時折文通がある。はっきり云って「恩人たち」なのである。三島由紀夫が自決の日の晩も、わたしは「とっぷ」のカウンターにいて ゾーっとするような興奮に包まれていた。

☆ 母校 弥栄中学
跡地を見てきました。まだ囲いをしていましたが… 2016年6月29日 開館 漢検 漢字博物館図書館 「漢字ミュージアム」 の看板を掲げていました。
近辺は相変わらず観光客でざわついていましたが、教育的な建物になりホットした気分です。
同行の弥栄レディの友は杖をついて歩く状態でしたが、付き合ってくれて、四条河原町から八坂神社に参り、円山公園から知恩院山門を東山線迄歩き、何十年ぶりなのに何も変わらずあのままで、二度と来られないなと思いつつ、嬉しく、感動モノでした。  花小金井  泉

* 羨ましい。
ほかでもない、故郷の母校近辺、もとの我が家からは数分の京都、なにもかもが眼に甦る! 胸の灼けるほど、帰りたい。呻いている。唸っている。

* 各務原のいとこさんから、美味しいお酒「三千盛」を二升頂戴した。伊藤壮さんからも無垢の「越の寒梅」を一升頂戴した。出来れば一升を五日もたせたいが、ま、四日か、美味いと二日三日で明けてしまう。肴、無ければ無くて呑んでしまう。
秦の父は、梅干しがダメで、酒の気はまったくダメな人だった。わたしは酒粕が子供の頃から好きで、母のつくる粕汁が大好きだった。酒に口をつけたのは中 学の折、叔母に連れられ琵琶湖畔、唐崎での栄養剤「ワカモト」の園遊会で、初体験だった。八十年に、四、五度は酒の上でしくじっている。無かったも同じほ ど低率ではあるまいか。

☆ 遠方の病院へ
乗り物で出掛けられるだけでも、大したもの。生命力、記憶力があり、活き活きしてると想えます。
上賀茂の友に帰宅のメールを送ったら、今日は葵祭で多忙とか。
行事が目白押しで楽しめる京都です。
用事を持たずに、頑張って、ノンビリした里帰りをしてみて下さい。
お大事に。  泉
2016 5/15 174

☆ 共産党書記局長の市田さん、上越光明寺の黄色さん、画家の田島征彦さん、翻訳国分寺の飜訳家持田さん、神奈川近代文学館から選集受領の挨拶があった。
口絵の左右横顔を、選集著者の私の才筆とほめてくれたお人もいて苦笑した。
沖縄の名嘉さん、静岡の鳥井さん、花巻の及川さん、ご支援に感謝します。鳥井さん、「『……繪を描いてください』の先生の肖像スケッチ画に、感動して、 何度も何度も拝見してみました。先生のお顔、お人柄をすべて表されてる感じ、すばらしいです」と。だれより、「お父さん」のために喜びたい。正面像は、作 末尾の「肖像」の章に差し込んでおいた。なんぼなんでも、これは私には描けません。

* 共産党の市田さん、明の文正描く「鳴鶴図」の絵葉書に、田島さんは自作の「みみずのかんたろう」を絵葉書にして、お便り。とても好い。
2016 5/16 174

☆ この度は
秦 恒平選集第十三巻を賜りまして ありがとうございました
あれもこれもしたいと思ったゴールデン・ウィークも終ってしまいました
富士宮の家(主人の出身地です)で 竹の子を茹でたり 蕗を刈って茹でたりと 持ち時間は料理をしたいのです あとは畑でハーブを育てておりますが 殆ど雑草取りです
土いじりをすると ものの命の逞しさだけは 実感できるような気がいたします
どうぞ御身御大切に    村上開進堂社長

* 隅々まで気持ちの行き届いた様々に味わいの変わったたくさんな美味しいクッキーを今回も戴いた。

☆ 前略
今度の第十三巻は 読み易く、面白く、誠によい読書をさせて頂いております。
まず 巻末の、ていねいな解説に惹かれて、すんなりと入ってゆくことが できました。
いつも乍らのこぜ高配に 感謝申し上げます。
小生の方からは 「店仕舞いの仕事」みたいな「対談集 あの人ともういちど」をお送り致します。今月中にはお届けできるものと思います。これは故人になって了われた旧友たちへの追悼みたいな本ですから どうぞ お読み捨て下さい。
いよいよ暑くなりましたね。 お体を大切にして、永生きなさってください。 小生も 九十一歳という驚異的な年を迎えました。 敬具    色川大吉  東京経済大学名誉教授 歴史思想家

* 色川大吉先生の、かかる知己のことばを戴ける機に出会えたよろこびに震えている。
太宰賞の選者「六」先生、下村寅太郎先生、小林秀雄先生、瀧井孝作先生、永井龍男先生、森銑三先生、福田恆存先生、井上靖先生などなど。幸せ者であった、私は。

* 画家の出店久夫氏、妻の従弟の濱敏夫君から選集へご挨拶があった。
2016 5/17 174

* 夜前本が届いていて気付かなかった。「ひとまず閉店」の『追憶のほんやら洞』本が届いていた。なかに、京大大学院経済学研究科教授依田高典さんの一文 「北澤恒彦が慕った森嶋先生、森嶋先生が愛した北澤恒彦」が有り難かった。兄の、わたしと無縁だった世間での言動を何一つも知らぬ儘に死別したわたしに は、ともあれ、有り難かった。
他のたくさんな「ほんやら洞」人らの文章は、無縁というに近いか等しいだろう、わたしは茶の湯を愛してきながら、しかも生来喧しく「かたまる」のが好きでない。
2016 5/18 174

☆ TVで知ったのですが、
先生と無縁ではない、東郷元帥や山本五十六の書が有る海軍料亭「小松」が全焼してしまいました。残念です。
行った事もない「料亭」に会場を設定した私の無謀ぶりを今更ながら呆れて反省しております。歩いて行かれる距離なので、明日あたり、焼け跡見て来ようかしら…  横須賀  志

☆ みごもりの湖の
読書会のような講演会のような、私達がお呼びして横須賀に初めていらした時(市の講演会ではなく)、会のあと、軽いお食事の真似事をした料亭が「小松」でした。横須賀鎮守府と同じ頃出来た海軍料亭です。秋山真之と一緒に子規も来てたら楽しいナと、勝手な空想してます。
お食事進まない事、痛い程理解出来ます。  横須賀  志

* 一九七○か一、二年のことになる。「ホンの少々 古典のお話」をしたのかも知れない。記憶違いかも知れない。
それにしても。胃袋が無くなると、どうしても摂食不便が生じるらしい。

* 鎌倉の橋本夫妻、美味滴るグレープフルーツをたくさん下さる。感謝。嬉しく。

* 花巻の照井良彦さん、中野区の安井恭一さん、渋谷笹塚の佐藤宏子さん、ご支援を戴く。感謝。

* 東大大学院、選集受領の挨拶が有り。

☆ 原発避難の
ないのだけが救い、それにしましても忘れた頃どころでない震災の多い国であること痛感しております。
「秦 恒平選集」第十三巻ご恵与たまわりお礼申し上げます。豪華私家版 御手づからお送りいただくなど、誠にもったいないことで、よき読者たりえないこと自覚しておりますだけに申し訳なき境におります。
湖の本で拝読した折、当尾課長に森課長を重ね合わせたり、 悲哀の仕事云々に、下巻の山名武史の末路を予感したりして、小説を読むとはどういうことなのだろうかなど学生と話したこと思い出しております。
お礼にもなりませんが、うどん少々(地震対策などではなく)お届けいたしたく。どうかご返書、ご放念ください。
お揃いでお大事に   草々   神戸  周   名誉教授

☆ 秦 恒平様
昨日は あおいまつり(葵祭) 美しいお祭りがよいお天気で何よりでした。
このたびは大きな節目のこと、誠におめでとう存じます。 長い月日よく 感心するほどお励みになられました。 心祝いに 私共の紙風船の杯をお送りいたしました。
どうぞ 益々の御はげみを念じております。  京・今熊野 陶藝 松井孝・明子夫妻

* 吉備のお人 純米大吟醸、岡山の名酒一升を下さる。有難う存じます。

☆ このたびは
選集算十lニ巻をお届けくださいまして誠に有難う存じま†。
『迷走』のlまうは早くに単行本で読んで感銘を受けた記憶がありますが、当時のような組合活動が今は全く見られなくなったことを寂しくさえ感じます。
『お父さん、繪を描いてください』もゆっくり楽しませていただきます。
日持のするものがいいと思い、お酒を送ることにしました。
お二人の御健勝を祈念しています。   吉備の人
2016 5/18 174

☆ お二人
お揃いで傘寿を迎えられた由 誠におめでとうございます。
烏丸きょうとホテルでの 同窓会(平成六年五月二十九日)でお会いし、その時の写真を、今、懐かしゅう眺めております。
貴方が常々精進なさって 心血を注いでこられた姿(弥栄中時代の貴方も)に感服しております。
どうかくれぐれも御体にはご注意なさって下さいませ。
新茶も出はじめました。一服なさって下さいませ。    宇治 水谷(佐々木)葉子 先生

* 先生とお呼びできる先生を、中・高校、大学でほかにお一人も見つけられなくなった。佐々木先生とは九つちがい。闊達で善意に溢れた理科の先生だった。みなが大事に慕っていた。
茶どころ宇治の新茶、戴きます。
2016 5/19 174

☆ 秦さん
ようやく春が来たと想ったら、急に暑くなってきたりと、落ち着かない気候が続いています。
先日の連休に新潟へ帰ったら、冬の寒さで驚きました。
両親は変わらず元気で、先日頂いた十三巻をさっそく手にとったとのことです。毎回、ありがとうございます。
ちょうど年明けに「迷走」三部作を読み、勤め人としてうなずいたり、首を傾げるところもあったり、楽しみました。
仕事で、少し動きがありそうです。梅雨の季節に、ご報告できるかもしれません。
迪子さんともども、どうかお体ご自愛ください。  奈良  理
2016 5/20 174

☆ マドリッドより
スペイン南に旅を続けます。
イタリアでは雨に降られたり、比較的冷涼でしたが、急に暑くなりました。
以前の旅を思うと、時の早さに驚きます。バスのチケットやホテルの予約などもインターネット。時 折ついていけません!
元気に過ごしています。
どうぞ元気に、大切に。  尾張の鳶

* 物騒な世界、とにもかくにも無事にと願う。
2016 5/21 174

☆ 四国の大成繁さん、蕎麦を送って下さる。
2016 5/21 174

 

* 国会図書館と、京都の詩人あきとし・じゅんさんから選集⑬受領の挨拶があった。あきとしさん、「迷走」の時期を、「牧歌的時代だったかも」と。これ、分かる。分かる気がする。
2016 5/23 174

 

* 早大図書館から、第十三巻を受領の挨拶あり。大田区の青田吉正さんから、同じく、喜捨を頂いた。
京の「華」さんからは、頼んでおいた京都市の最新地図を送ってもらった。ありがとう。
稲城の鈴木良明さん、わたしの短歌や短歌感想への感想を下さった。

* ずうっと冷房していた。

☆ 六月後半にお時間を。
秦先生、 ご無沙汰しております。
私のアキレス腱断裂の怪我も
無事、松葉杖、装具もとれ、
筋肉が落ちてしまったことによる、
歩行の不安定感を除けば、完治に近づいてきました。
仕事の方では、
実験動物学会会員になり、
先週学会にて、高度安全実験室についての
論文発表を行いました。
また、
丸山君の国会対応も一段落付き、
6月前半は熊本被災地対応とのこと。
6月後半にお時間作っていただき、
食事でも出来れば、と思いますが、いかがでしょうか。  建築家  柳

* 丸山君からも、湖の本129払い込み票を介して同様の声が掛かっていた。
久し振りに、元気な顔を見せてくれるとは、何より。東工大教授を退任したのが平成八年の三月だった。二十年経ったわけだ、いまも卒業生少なくも十数人と交流がある。持ち場持ち場をみな、がっしりと支えている。嬉しく頼もしいことだ。

* 東工大卒の柳君から
2016 5/23 174

☆ みづうみ、お元気ですか。
北澤恒彦さんが、あの森嶋通夫先生に「愛されて」いたとは、みづうみのお兄様らしいことです。井上ひさしさんが北澤恒彦さんを尊敬すると仰っていたことも思い出し、ほんとうにご立派な方でいらしたのだなと、私語を拝読していました。
文化勲章経済学者の業績には門外漢なれども、森嶋先生のご著書はこれまで二冊だけ読みました。その二冊とも感銘を受けましたが、とくに自伝『血にコクリコの花咲けば』は若い方々に必読の一冊でしょう。熱い血の噴き出す歴史の証言と思うからです。
私は戦前戦後の昭和史についての学校教育はほぼゼロの世代です。『血にコクリコの花咲けば』に記された森嶋先生の第二次大戦中の回想を読み、信じがたい愚 劣の連続、集団発狂に驚愕しました。他の昭和史を描いた作品と比べても、森嶋先生の象牙の塔の学者におさまらない義憤と人間味にもすっかり惹かれました。 現在の日本のどうしようもなさの根はこの時代にあることは明らかで、同じ愚劣を繰り返そうとするこの国の先行きに暗澹とするばかりです。
既にお読みかもしれませんが、みづうみの私語にこの一冊についての言及を一度も読んだことがありませんので、たぶんみづうみは未読ではないかと思い、少し書かせてください。

ミラン・クンデラは、ひとは自分の無知に責任があるということを言っていますが、わたくしは自分が無知であったことへの深い反省と、大戦に散った兵士たちの供養のために、森嶋先生の書かれた言葉を噛みしめたいのです。

 

 

森嶋通夫は戦争中は大村で暗号解読の仕事をしていた一兵卒でしたから、当時の秘密の作戦についてよく知りえる立場にいました。 みづうみは当たり前のよう にご存知のことですが、戦艦大和出航は、百パーセント撃沈されることを前提の特攻作戦であったという事実を私はこの本でやっと知りました。学校でただの一 度もそんな歴史は習わなかったためですが、恥ずべき無知の責任は自分にあるので言い訳になりません。(同世代の友人、知人何人かに知っていたか確認した ら、私と同じだったのでさらにびっくり)

今さらながらここまでバカで酷い作戦をしたとは信じられない思いです。片道だけの燃料で戦艦大和を沖縄の浅瀬に座礁させて海上砲台とし陸軍を掩護するとい う滅茶苦茶な作戦だったとは! そもそも当時制空海権をアメリカに取られていたので、大和は絶対沖縄にたどりつくことはできず、万が一着いても片道切符の 燃料がなくなれば自家発電ができなくなって大砲は打てません。第一、その前に敵の砲撃を受けてつかいものにならない。特攻隊を作った国ですからこの愚劣な 作戦もあり得ることなのですが、それにしてもあれだけの巨艦とあれだけの将校含めた兵隊を海の藻屑とする目的の作戦を実行するのは、まともな人間の思考で はありません。一矢報いる可能性があるならまだしも、ただ人間を死なせるための作戦でした。大和は巨艦特攻隊となり、日本軍からのろくな掩護もなく、海上 でただアメリカの数百機の戦闘機の集中砲火をあびて兵士たちの阿鼻叫喚のうちに沈んだのです。想像するだけで身震いします。関係箇所を少し引用してみま す。

 

 

特攻艦隊の伊藤司令長官がこの作戦に反対であったので出撃の当日(四月六日)に、連合艦隊の草鹿参謀長と三上参謀が説明と説得のために大和に行った。戦後三上氏は次のように書いている。

「当然、このような作戦などとは言えない無謀な挙を(長官)が納得される筈はなかった。最後に一億総特攻のさきがけになってもらいたいのだ、という説明で『そうかそれならわかった』と即座に納得された」

しかし、一体何がわかったのだろう。連合艦隊が、伊藤司令長官にただ死ぬことだけを要求していることが、わかったと解さざるをえない。それと共に彼は、海 軍もまた陸軍と同様の、精神論だけの集団になってしまったことを理解したであろう。しかし機械は特定の目的を実行するのに合理的につくられている。した がって別の目的のためには、全く使えないか極度に非合理的にしか使えない。大和はそういう意味の、当時第一級品の機械である。このことを理解しない海軍将 校が連合艦隊の首席参謀になっていることを知った時、伊藤中将でなくとも心ある海軍軍人は「わかったよ」と言ったに違いない。お前たちが馬鹿であること が、わかったよ。

その時に海軍の良識と理性は亡んでいた。あとは狂気があっただけである。死は美化され、特攻は美名となり、合理的精神の存在は日本では許されなくなった。 精神主義、尊王主義、皇国史観が国全体を風靡し、まともな思考をする人は息をつめて生きて行くより他ない国に日本はなり下がったのである。

 

 

特攻隊についても、日本軍は人格高潔なものに限定したというのが特徴だそうです。これはつまり前科者ではいけないという条件。なぜなら。特攻隊に前科者がいると威信がそこなわれ、前科者が特攻をいやがって拒否することを警戒したからです。

ところでこのような特攻攻撃を行う場合、イギリスはどのようにして隊員を募ったであろうか。いうまでもなく技術や豪胆さが基準で、どんなことがあっても人 格ではない。特攻攻撃は、達成したい目的があるから行なうのであって、戦死して皆から尊敬されるために行なうのではない。そうすべきだと思えば、イギリス は刑務所で受刑中の者からすら、参加者を募ったのである。ここにイギリス人と日本人の決定的な戦争観、人間観の違いがみられる。

回天という人間魚雷から生き延びた人の話を紹介します。

「日本の海軍は、人間の力を信じないのだね。回天が発射されれば、回天は全速力で走って行くことになっている。状況を見て、速度をゆるめ敵のすきを待つというようなことは一切出来ない。発射されれば、回天は進路を多少調節できる他は、思考力を停止した一つの物体なのだ」

「これに対してイギリスにも同じような海の『特攻』兵器があったが、イギリスの場合は人間の力を信じ、その力を最大限に利用しようとしている。まず隊員が一〇〇%死ぬというような特攻はない。何%かの生きて帰る可能性が残されている。次に作戦行動を開始しても、隊員が刻々の状況に反応して、いろいろ攻撃法をかえることが出来るような程度にスピードを制限している。極端にいえば、プカプカと浮いた盥(たらい)でも敵の空母に横付けして爆雷を装着することが出来るのだ」

日本の特攻の戦果は飛行機がとにかくお粗末でしかも隊員の訓練不足(アメリカ軍の飛行機に撃墜される状況だったため)、飛行時間の少ない者を特攻隊にしたこと、アメリカが有効な防衛法を編み出したことなどで戦果は微々たるものでした。

戦果があがらなかったことは個々の隊員のせいではない。特攻戦はもはや実行不可能になっていたのであり、上層部は特攻戦の中止を命令すべき時になっていたのである。しかし上層部は誇大の戦果を発表して、特攻戦が有効であるかの如く装った。そして陸軍と海軍が競争して特攻戦を行なうことによって、どちらがより一層忠義者であり勇敢であるかを争った。

特攻隊員そのものは国のために最も悲惨な形で死んだのであり、日本人は末永く彼らに哀悼の意を表することを忘れてはならない。しかしこのような作戦を編み 出し、とくにその戦果を疑問視した後も、その作戦を止めなかった上層部は、やけくその大量惨殺をした張本人として日本人が記憶しなければならない。

日本式の100%死ぬという自殺式特攻戦法は、キリスト教国のどの軍隊でも採用されなかった。それは現在、原理主義者たちによって採用されているに過ぎない。そういえば日本も戦中は原理主義の国であった。

このような特攻隊員の中で、私の心に一生消えることのない思い出を刻みつけて出撃したのは、合原中尉と松林中尉である。合原は海兵出身、松林は予備学生出 身だった。二人とも背は私のように低く、まだあどけない顔をしていた。特攻隊員になると家族との面会も自由になったが、私がたまたま通信室の地下壕から居 室に帰る途中、衛兵詰所からお母さんと弟を自室にまで案内して行く松林中尉の後姿を見た。それは出発を数日後にひかえた日のことで、彼は小さい弟の手を 取って、跳びはねんばかりに浮き浮きしていた。

出発の前日に彼は合原中尉とつれだって私のところに来た。

「われわれはいよいよ明日出発するが、最後にもう一度、隊員に送信訓練をしてくれないか。おそらく大変な事態が次々と発生するに違いないが、そういう状況の下で戦況を正確に報告するには、何よりもまず送信技術が大切ですからね」

そういう申し込みを通信科にした特攻隊長は彼ら二人だけだった。私は技術の最も優秀な下士官を教員に選んだ。訓練のあと、二人はまだ口のまわりにうぶ毛が 生えている顔をにっこりほころばせ、「ありがとう。これで総ての準備が出来た」といって立ち去った。日本の末期症状がはじまったころのことである。

戦後、私は江田島の記念館を訪問する機会があったが、その時中央の一番大きい部屋の正面のガラス戸棚に、飛行服姿の合原中尉の写真が飾られていたのを見た ことを付記して置きたい。予期していなかったので、私は血の気がひく思いで彼を見つめた。そして妻に「これが合原中尉だ」と紹介したが、私は涙声だった。 ああ何というむごい作戦をしたことよ。それ程日本が大切なのか。それ程日本人が大切でないのか。

それでは何のために、そのような攻撃をしたのか。勝つためだと言うのは、全くの嘘である。末期には白菊(要務連絡機)や練習機まで出撃させられたが、これらが米軍の戦闘機と戦うことは、自転車が高速列車と競争するようなものだ。その軍事的効率は極端に悪く、特攻攻撃で日本が勝てると考えるならば、その人はすでに常軌を逸している。
だから特攻隊は、隊員を殺すために計画されたといわねばならない。大和出陣に際して連合艦隊司令長官は「海上特攻隊を編成し、…突入作戦を命じたる は……帝国海軍海上部隊……の栄光を後世に伝えんとする」ためだと述べている。だから目的は栄光の保持であり、勝利ではなかった。そしてそれが栄光につな がるのは、それが死を意味するからである。
こうして、この時代には死が美化された。昔、権力者の死に際して多くの生贄が供せられたように、大日本帝国の壊滅を目前にして、前途有為の若者を生贄と して、天皇に捧げた儀式が特攻攻撃である。日本の体制は生贄を必要とする宗教的体制であったのであり、狂気の末期にはそれは、もはや近代国家の態をなして いなかった。

最後に付け加えれば特攻隊員に特攻死を強制した、特攻を命令した人間は、終戦時自決した大西中将、宇垣中将をのぞいて大半は戦後生き延びて、そして一部は 議員となったそうです。そしてご存知のように彼らの子どもや孫が、再び日本をそういう忌まわしい亡霊支配の国にすべく集団的自衛権を決め、さあいよいよ 「憲法改正」だと血眼になっているのです。自分はいつも安全な場所にいた彼らも彼らの子孫も亡国の輩です。

特攻隊員を賛美している彼らには何度も言わなければなりませんが、出撃前の若者はみんなトイレに隠れてひとり泣いていたのです。喜んで死ぬように強制され ていたけれど本心はそうではなかった。十代、二十代の青年が、日本を守るためでも、戦争に勝つためでもなく、実体のない栄光の保持、つまり見栄のために殺 されるその口惜しさはいかばかりだったか。美名のもとのなんと酷い処刑だったか。自国民に死を強制した為政者のバカと狂気とそれを支えた国民の純真な愚 劣、思考停止。

戦争に行きたがらない若者は利己主義だと批判した自民党議員がいました。記者にあなたは行くのかと質問されると、なんで指導する立場の自分が行かねばならないのかと平然と答えていたのが私は心底恐ろしい。
森嶋先生の戦死者への愛惜の念とバカどもへの憤怒を、戦争を知らない世代に少しでも伝えなければと思う日々です。
(それにしてもこの森嶋先生の自伝すら古本でしか手に入らないとは!)

 

どうしてかわかりませんが、一度歯車が狂いだすと「日本」はとんでもなくバカなことが暴走するシステムの国家です。そして国民より国家システム=権力者が大事という国です。

現在の日本は戦争中と同じく一億総特攻状態に向かっていると、私は認識しています。経済を考えただけでも破綻目前のとんでもない状態ですが、もっと深刻な のは福島原発事故でしょう。政府も大多数の国民もこの深刻な事態を見ないことにしているからです。サイパン玉砕をしかたないと見ているうちに東京大空襲や 原爆投下をわが身に経験するはめになった歴史を忘れているように。

 

狂ったシステム暴走の一つの例は、環境省が福島原発事故での除染で出た汚染土をいろいろ処理をして、そのうち「8000ベクレル/kg以下の除染土を全国の公共事業で再利用する」という方針を出したことです。
今まで100ベクレル/kg以 上のものは放射性廃棄物として厳重に管理し処理していたものを、2011年以降どんどんどんどん緩めてついに、「8000ベクレル以下の廃棄物を通常の廃 棄物と同じように処分できます」というような決定がなされてしまいました。猛烈な汚染土をわざわざ日本全国にばらまいて、日本中放射性物質の満艦飾にする わけです。正気の沙汰ではありません。このまま実行されればいずれ全国土が人間の住める場所でなくなってしまいます。第二次大戦などものの数でない凄まじ い死者になるでしょう。どんな無残な戦争もその時そこにいる人間が死ねば被害は終わりますが、原発事故は被害が何世代にもわたり子々孫々に拡大していく災 厄です。この狂気の政治が続けば日本人の百年後の存続が危うくなります。

まさに「やけくその大量惨殺」がはじまっています。
「それ程日本が大切なのか。それ程日本人が大切でないのか」という森嶋先生の言葉をため息のように繰り返す日々です。死者の急増を「多死社会の到来」とメディアは今から国民を洗脳していますが、全滅を玉砕と言いかえていた歴史の繰り返しです。

最初にミラン・クンデラの言葉を書いたので、〆もクンデラでいきます。
「唯一の政治運動があらゆる権力をもっているところ」は「白痴の微笑む世界」だそうです。

歴史は同じかたちで繰り返すことはないでしょうけれど、別の形で、より激烈に繰り返すのだと思わざるを得ません。このまま国民が無知無責任に国が亡びるま まにして許されるのでしょうか。再び未来を担う若者、子どもを犠牲にしないために、私たち大人はせめて無知から脱却しなければ、抵抗して責任をはたさなく てはという思いで、森嶋先生のお名前に刺戟されるまま長々書きました。自分のために書いたのですけれど、みづうみに送るのですから釈迦に説法のようなこと をしてしまい恥ずかしい。お許しください。

 

みづうみのご体調、いつも気がかりです。
桜桃忌も近づき湖の本130巻達成とは、文学史に刻まれる偉業でありましょう。
発送作業はゆっくりとご無理なく、そして文学のお仕事を楽しんでくださいますように。

今年もツバメが昨年の場所に営巣して卵を温めています。巣からのぞく小さな頭と尾がとっても可愛いのですよ。
雛が誕生して無事に巣立つまで気をもむことでしょう。
蝉  故人憶ふ蝉鳴く頃は蝉聴いて  大井雅春

* 敬服のいいメールを嬉しく、励まされながら書き写しました。こういうメールをこそ心から歓迎する。
ここに書かれたすべてを謙虚に受け容れている。こういうことは、ただ識っているだけでは何にもならない。悲しみ怒り、そして激情を起こして起たねばいけない。願わくは、このまま、多くの広くの真摯な同胞の手元へ届けたいし、押し広げても欲しい。

 

* こういうメールを書いてくれる友だちを、誇りにもし、ちからづよく励まされている、八十爺であろうとも。
2016 5/24 174

☆ お送りした京都市地図に
メール返信有難うございました。久しぶりにお話しをしている様です。
最近膝を痛めて正座出来ないのですが、お誘いが有って、23日には清水寺の開山忌で四つ頭の茶礼拝服席に行って来ました。織部流家元のお手前で、大きなお茶碗でお濃茶をよばれてきました。お天気も良く、花木も山水も最高でした。時々こんな楽しみをしています。
足は痛いまま! きげん良く遊んでいるので、何とか堪えています。
最近、又-生きたかりしに-を読んでいます、楽しんでいます。
では、今夜はこれまで。お休みなさい。   京・北日吉  華

* 高校の昔の口吻のままだが、もう二年もせず、わたしの年齢になる人だ。メールという利便の、これは功徳の一つだ。郵便だと余計な「飾りあいさつ」に手間取って、気がズレやすい。

☆ 謹 啓 秦 恒平様
「秦恒平選集」第十三巻(「迷走」三部作・「お父さん、繪を描いてください」)
をご恵贈賜り、まことに有難く御礼申し上げます。発刊早々に賜りましたこと、このたびも重ね重ね身に余る光栄と感じさせていただいております。しっかり拝読させていただきます、大切にいたします。
「迷走」三部作は、やはり昭和52年ごろ、家内と日曜日毎に通っていた北区の王子図書館で、読みました。私にとっての秦文学入門は「秘色」や「みごもり の湖」でしたので、あの薄水色のハードカバー装のご本を手に取るには、いささか躊躇いがありました。「亀裂」一行目から、私が心に秘め親炙してきた世界と は異質な世界が展開されていく勢いがあり、とても陶酔だけでは読み切れない、難解な人事世界の追及を予感させるものがありました。
印象が今も鮮明なのは、幾冊かの評論集を読み得ての後、図書館には、もう読むべき秦さんの本が無くなって、最後に「迷走」三部作を借り出したことでし た。あの、どこか自分で敬遠しておきがら、むしろご著書に拒絶されている、という遠い思いが胸内に灯って、胸焼けのような違和感となり、それがあの薄水色 の装丁と一体になって、記憶に残ってしまったのでした。
こうして、今改めて選集で読み直してみれば、「迷走」三部作は、もう一つの秦文学ではなく、むしろ秦文学の豊穣な世界の一つとして凛然たるものであるこ とを実感させていただきます。透徹した心理分析、人事の、鵺を掴むような機微、美しきものの二重構造の明晰な把持は、「みごもりの湖」にも「蝶の皿」にも 秦文学の核心一眼として貫かれているものでした。
文学は美しく、陶酔をさそう夢ですが、夢から覚めてなお夢を紡ぐ覚悟がなければ、本当のよき読者にはなれない、そんな思いをいだきました。
「お父さん、給を描いてください」は「湖の本」で拝読いたしましたが、藝術家小説として、描くこと・書くことと人生の問題を、考えさせられる小説でし た。人語の絶えた林間に分け入って、透き入る夕日を感じながら、これを機に今ひとたび一人静かに読みたいと思っております。
持ち重みする「選集」は、作品と著者の存在の重さを実感させ、「選集」そのものが新しい宇宙のようです。人生の晩年を迎えて、このような大きな宇宙に出会えましたましたことを、本当に有難いことと、感じております。
改めて御礼申し上げます。
日中には汗をかきながら、夕にはコートを羽織らなければならないほどの寒風が吹く、異常な陽気です。どうぞ先生にはくれぐれもお身体お大事にご養生くださいますよう、また奥様もお身体お大事にして、いつまでもご健勝でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
御礼が遅くなりましたこと、深くお詫び申し上げます。また失礼の段はご宥恕のほどお願い申し上げます。 早々頓首   瀧

* 元「新潮」編集長の、また元医学書院同期同僚で明治学院大名誉教授の粂川さんの、評論家の永栄医啓伸さんの、さらには妻の従妹の画家後藤明子さんの何れも封書のお手紙を嬉しく頂戴したが、眼の甚だ不調で肉筆のお手紙をそれぞれ書き写しがたく、お礼のみ申し上げる。
どのお手紙にも大小はあれご自身やご家族のご健康問題に触れられている。お大切にと願う。

* 「選集第十四巻」の函表紙、口繪写真の校正が届いた。本文は、もう責了にまで読んである。「選集第十五巻」も、函表紙と口絵校正とが届けば、いつでも 責了に出来るところへ進んでいる。むやみに急いでいるのではない。健康との併走、無事に間に合ってくれるようにと願っている。

* ひどい疲れに潰れるように夕刻前、眠った。晩の食事ができず、ビールも飲めなかった。郵便をみながら、ぼんやり休息してい。画家池田良則さんから、 「京都よせがき ちょっとそこまで」春・夏篇と、第十三巻へのとてもいい手紙をもらった。それから、機械の前へ来た。やや、ややこしい原稿づくりの作業に 眼が霞んで草臥れ、先へ進めない。
ま、やすむとするか。この疲労感には、これからの永い炎暑の夏が心配。
2016 5/25 174

* 昨日もらった池田良則さん(池田遙邨画伯の孫、京都新聞連載『親指のマリア』挿絵)の手紙は、いろいろに懐かしくも面白くも興深くてくり返し読んだ。 東京新聞等に連載した『冬祭り』の挿絵を頼んだ、元近所(抜け路地をぬけた新橋通り)の中学後輩の画家堀泰明君とは遠縁というのにも奇遇というほど驚いた し、父の商売仲間であった縄手玉木の息子でスポーツ評論家の玉木正之氏の名も出て来た。彼は、むかしどうみても此の私をモデルかとみられたラヂオ屋の息子 の青春逸話を連続ドラマに書き、京都ではかなりひやかされた事がある。なにしろ主人公の家がわたしの育った家と同じようなところにあって新門前通りを実写 していたのだから。旅館「新門莊」という名も出ており、あれやこれやなかなか懐かしい。『お父さん、繪を描いてください』の主人公は、むろん仮名にしてあ り、実名は大画家須田国太郎、黒田重太郎というお二人だけ、パトロンであった有名な安宅さんも仮名にしてある。池田さんは金沢で画学された人であり、「山 名君」の実像をかなり推理しようと興味をもたれているが、分からないと。
何にしても画家として世に立つ難しさ苦しさにも触れておられ、胸を打たれた。
言うまでもない作中の「山名君」は実在した天才少年であった。その片鱗は三枚の此の私の「肖像」で示しておいた。池田さんも「達者なデッサン」と言われ、他にも感嘆してこられた画家、美術家は何人もあった。
わたしの希望は、どうにかして、彼のせめて個展なり画集なり、実現に手を貸してくれないかなあという事。何必館とか星野画廊とか、ほんとうに目のある主人に観て貰いたいなあと心中に願い続けている。

☆ 前略ごめん下さいませ。
先生の「湖の本」折々読ませていただき感動しております。
右の手と指を痛めておりまして手紙も思うように書けず、ごぶさたとておりました。
電話をしてもよろしいでしょうか。時折お話をお聞きしたくなります。
ご恵送の御礼、わずかで失礼ですが、ご笑納下さいますよう。
ご体調も悪しきご様子 くれぐれも御大切になさって下さいますよう。
やはり乱筆…ごめん下さい。  杉並   秋

* たしか、歌誌か文集を編纂されている歌人と記憶している。恐縮です。
ただ、電話は、とても苦手。ご勘弁下さい。それぐらいなら、杉並と西東京ていどのこと、出会って話すぐらいは出来ると思う。出歩いた方が元気回復に役立つかも。ただし朱明向暑の季節なのが難儀ですが。
2016 5/26 174

* 三島賞作家の久間十義さん、元平凡社の出田興生さん、また世界的な陶芸・造形家林康夫さんから、激励のお手紙や、手厚いご支援また頂き物をした。こまかにいろいろ思いを述べて書き置いた全部が一瞬に消え失せて、ガッカリした。繰り返す元気がない。
福島県立図書館や、三鷹の唐澤篤男さん、世田谷の野澤利江さんからもご支援を頂いた。感謝。
2016 5/27 174

* 林康夫さん、京のとびきりの珍味まで添えて、三册の図録を下さったのが、それぞれに素敵に糧気に面白く、目を見張っている。楽しませて頂く。
2016 5/27 174

* 色川大吉さんから新しい「対談集」を、楽吉左衛門さんからは親子三人展の豪奢な図録とお手紙を戴いた。有難う存じます。
2016 5/28 174

* 京の有栖川の桐山恵美子さんから、まこと美しい大きな大きな「かも茄子」三つと、糠に包まれた「つくね芋」二つとが、ずしっとした重みで我が家へ届い た。世界に誇る名だたる「京野菜」の精霊のように美しい大きな大きな茄子の色とまるみと重み。眼福にも感嘆し、感謝し、茄子大好きな妻は驚喜している。美 しい食べ物 なんという見た目の嬉しさであることか、茄子は、手にふれ掌に慈しんでもまことに色よく心地よい。まんまるい重みまでが美しい。子供の頃、水 桶にいれた茄子を手にし、キュキュっと掌で鳴らして遊んだ。茄子のおいしく漬かったのは、茄子紺の色にほれぼれして好んで食べた。醤油の色ともよく照り映 えた。
感謝します。妻は、どんなふうにして食べるのかなあ。
2016 5/29 174

* 戴いた色川大吉さんの対談集『あの人ともういちど』の「あの人」たち二十人のうち、わたしもご縁を得てきた方が何人か、ある。山崎朋子、石牟礼道子、 安岡章太郎、金子兜太、阿部謹也、そして上野千鶴子の各氏六人。名や仕事は承知している人としては、高峰秀子、佐藤忠男、松谷みよ子、宮本常一氏ら。
ま、歩んできた道が異なるとは、こういうことであり、さてどうして知り合いご縁を得たかと顧みると、人生不思議の感に打たれる。
わたしは概して昔から、お年寄りに迎えられるタチの少年であり若輩であったので、「わが点鬼簿」をひらけば、プライベートな親族や知友をのぞいても、ま た遠くからただ敬愛していただけの人はのぞいても、文字どおり各界のえらかったお人の名が、ズラーッとそれは大勢並んでいる。九割九分が当然わたしからは 長者であった。わたし自身が今八十歳になってなお、例えば色川先生のように、お知り合いのかなりの方がわたしよりうんと長命であられる。梅原猛さん、竹西 寛子さん、馬場あき子さんら、数え切れない。お元気でどうかと願っている。亡くなった方があまりに多すぎる。

☆ 今日は
膝痛たで病院に行って来ました。
歌舞伎ややきものの写真集など、たくさん、有難うございました、楽しんで見せて頂きます。
その内、また京のお菓子でも送ろうと思っています。
帰って見えても、京の大型ホテルは、中国の団体さんが多いようやと聞いていますが、体調などは如何かと心配しています。
とりあえず、お礼迄     華

* なにしろ外国人で京都は溢れていると、耳に入っている。京都は遠くなりにけりと、地図ばかり眺めている。
2016 5/30 174

☆ 昨30日、帰ってきました。
マドリッドからの飛行機が遅れてローマでの乗り継ぎやら気を揉み、搭乗した時はホッとしました。
折しも前日マドリッドでは、サッカーのヨーロッパチャンピオンリーグの決勝戦、その前からホテル代は高騰し予約しにくくなっていました。PKで、レアルマドリッドが勝った瞬間、街では花火やら叫
び声やら・・!
今回の旅では、コンピューター社会を痛感しました。今更の感あるものの言葉の重要性も。
同時に頑固なまでに自分を通す強さももたなければ! 何故なら、わたしの時間にも限りがあるから、です。
疲れてまだ頭がはっきりしていませんが、眠れないままに少し書いています。
HPにバイアットの『抱擁』について書かれていました。かなり以前の記憶で曖昧ですが、作家として鴉が意義を見出しているのは、小説としての組み立て方、或いは描かれている人たちの生き方かと思います。
作中女詩人クリスタベルの書いたものの占める箇所が重く、わたしは少し飛ばし読みをしました・・。改めて読んでみます。
高名であるゆえの男詩人アッシュとその妻ヘレンのそれぞれの生き方も、多くを考えさせられました。
海外を旅行している時は本の世界からかなり遠ざかりますので、その反動で、暫く本に没頭するでしょう。
選集十三巻も、すぐ読みます。
明るくなってきました。
どうぞ元気に過ごしてください。
苦しいお気持ちにも、どうぞ堪えてください。  尾張の鳶

* 健やかにあってと願います。

☆ 時差も取れてきました。
テロ対策は以前よりかなり厳重になっておりましたが、ヨーロッパの中に入ればそれ程でもないと感じました。
コペンハーゲンからベルリンまでドライブし、(私の運転ではありません)、アウトバーンを走り、快適でした。
壁、崩壊直後に見た東ベルリンは西との差が大きく、夜も暗く、経済力の差を感じましたが、現在は見事に復興、おかしかったのは、あの頃、壊された壁を市民が売っていてましたが、今は、重要記念物として一部を温存しており、もう買うことはできません。
我が家にある壁は大切らしいです。
二度の大戦に敗れ、今もナチスの遺産を引き継ぎ、ユーロを牽引しと、今のドイツという国については深く考えさせられます。
破壊された教会も、うまく残し、博物館、美術館の修復や保存も年季の入った見事なものです。街路樹だけは一部まだ若く、新しいベルリンを感じます。ベルリンには4日ほどいました。
コペンハーゲンでは今回は特にトーバルセンの美しいキリスト像を見てきました。
コペンハーゲンもベルリンも、お天気が良く恵まれていました。
自宅の庭にちょうどリンゴの花となしの花が咲きだし、花木は徐々に花盛りとなりましたが、また寒くなったとか言っています。
それなりに元気にして、こちら、田舎の生活を送って居ります。
季節が良くなりました。どうぞ外出もお楽しみになって、熱い夏が来る前に季節を堪能なさってください。   那珂  畝

* 偶然同じ時期にヨーロッパへ旅していた二人の「お帰り」便り、想像も及ばないまま、無事に帰られて何より。
2016 5/31 174

* 秦さんは潤一郎と松子夫人との隠し子かと、水上勉さんは本気で筑摩の編集者に小声で確かめられたと、ご当人からも編集者からも後に聞いた。
松子夫人の上の書状、巻紙や墨の色を原色のままで出せば大勢のひとを驚嘆させたろう、まことに、美しい。二、三十本は戴いている。死蔵してはならんなと思っている。芦屋の谷崎潤一郎記念館、現況はどうなっているだろう。
2016 6/1 175

☆ 今年も半ば近くなり 一日一日の早さに驚ろいています。
先日はご選集第十三巻をご恵贈頂き有難うございました。
ご体調はお変わりございませんか? お大事にお過ごし下さいませ。
先日の真夏日の様な暑さが続くと身体の方が対応出来なくて困ってしまいますね。これから入梅の季節…くれぐれもお身体お大切にご自愛下さいませ  かしこ  奈良あやめ池  絹

* 毎々過分にご援助下さり、恐れ入ります。有難う存じます。

☆ 24日カラバッチョ観て来ました。
1人で行ったので、少々不安でしたが、無事帰宅出来ました。
もう美術館は行かれないと決めていたのですが、悔いが残ると思い、急遽行って参りました。エレベーターエスカレーターを探しさえすれば、割合楽です。杖持ってると館員がとても親切で恐縮しました。
やはりカラバッチョです。
裾野の拡がりにも、知ってはいたものの、改めて彼の力を思い知りました。
残念だったのは、アルテミジア・ジェンティレスキを見過ごしてしまった事です。目録は活字小さいし、暗くて見えないし、残念!
帰りの電車の中で気が付きました。Ⅵ。斬首のコーナーがあったので、カラバッチョとアルテミジアのユーディットが並んでいたらいいなと思ったのですが…   横須賀  志

* 八十余歳、旺盛な意欲で、同慶の至り。わたしなど、恥じ入る。

☆ 六月になりました。
額あじさいがにぎやかに咲き始めました。
可愛らしい綺麗なお干菓子を見つけました、近頃お抹茶がお好みの様で、我が家の買い置きの物を一緒に送りました、明日着く様です。
抹茶は小分けして、残りを冷凍保存したら良い様です、漉して使ったらなお美味しいです、楽しんで下さい。
京の宿、一件、案内の栞を入れて置きました。御所の近くならくに荘とか、京都ガーデンパレス、等が有ります、昔の共済組合の宿です。他に外資系ホテルもありますよ、こんな所かな?
どう動かれますにも、無理をなさいません様、まずはお知らせまでに。   今熊野  華

* 以前なら選者を永く務めていた美術賞のスポンサーに頼めば宿も、らくに、とれたが。なにしろ京のホテルは観光の外国人で溢れているとばかり、聞かされている。京都に家を残しておきたかった。しゃーないナ。
健康のためにもと抹茶を毎日しっかり点てている。小さい頃からお茶を点てるのは得意だった。すこし茶筅をもつ手の振りに硬さが出ているので、せいぜい元 へ戻して、茶碗の底までよくよく点ったお茶を味わいたい。京都には味も見た目もいい干菓子がいろいろに有る。気遣いの濃やかな華さん、いつもよく選んでく れる。感謝。
そういえば、干菓子ではないが、秋には芝翫を嗣ぐという橋之助が、今日、祇園の中村楼・二軒茶屋で祇園豆腐を不思議そうにテレビの画面で食べていた。そ れも懐かしかったし、彼が八坂神社南門が正門だと教わって不思議そうな顔をしていたのも可笑しかった。大方の人はあの四条大路末正面石段上の朱の門こそ正 門だと思うだろうか、どんな神も君主も正式には「南面」するのであり、祇園社正門はむろん拝殿南の下河原通りへ開いた門であり、その門脇に中村楼が昔から 在るというのが、老舗の風情になっている。奥が深い。

* ウーン、懐かしい。
2016 6/1 175

☆ 梅雨近い日々となりましたが、
先生ご夫妻には如何おすごしでしょうか。 街、先日は選集台十三巻拝受拝誦、まことらありがたく、かたじけなく存じました。
此度もは又、あの第十二巻の高峰からがらり一転の二大長編。そして。これらもまさしく正真正銘の秦ワールドに外ならず。とりわけ『お父さん、繪を描いてください』の感動、感銘は、再読にも拘わらず、むしろ一層の深みを帯びて圧倒的でした。
そして、二編をこめてのかかる感動は、おそらく、一読者に過ぎぬ小生が、失礼乍ら 先生とほぼ同世代の日本人に属し、ほぼ同時代の空気を呼吸し、そして 今、このくやしい現代を、ほぼ同じくやしさを噛みしめながら生きている ということと無関係ではない由縁と共に、永く胸中にとどまるにちがいありません。
二編を以って一集とされた先生のお心を思いつつ――。
末筆乍ら 先生ご夫妻のご健勝を切にお祈り申し上げます。 不尽  神戸 昌  名誉教授・歌人

* 「編輯」とは、思想と意志と批評の表明であり、汲んで戴けて有難う存じます。「これしかない」という意識の煮つめ方ができたとき、編集者は頷ける。選 集や湖の本にむかうときのわたしは作者・著者でありながら編集者としていい本をと願っている。ほとんど創作と謂えるのである、編輯は。

* 京・今熊野の宗華さん、いい抹茶をたくさんと、京干菓子の粋を幾いろも贈ってきて下さった。日々にお茶を点てる習いが根付いて、宇治茶と京菓子の美味しさをまさしく満喫できる。感謝感謝。

* さてさて、明日には、作家生活四十七年、湖の本創刊三十年を記念する第百三十巻が、読者のみなさんにヒョイと肩すかしをくわせるような可笑しな一巻になって出来てくる。夫婦とも疲れ気味なので、慌てずに、ゆるりと数日かけて送り出したい。
東工大卒の諸君には縁の濃い特輯なので、あたう限り謹呈したいと思うが、二十年も経ち、住所の確認がきかない、関わりのある卒業生は連絡あれ。また当時友人の住所の分かる人は、教えて欲しい。
2016 6/2 175

☆ 博物館
特別公開の展示品 ドメニコ テイントレットの 「伊東 マンシヨの肖像」 を観てきました。
イタリア人宣教師シドツチが携行した「親指のマリア」も展示されていて、懐かしく、しばし 眺めてきました。
運動を兼ねた博物館通いは、目下、八十老女の楽しみの一つです。  泉

* 運動で多年体を鍛え続けて、いまでも平気で萬歩計の目標を満たしている、人。感嘆。わたしは五千歩も歩いてくれば、イッパイ。
2016 6/3 175

 

* 元・朝日新聞社の伊藤壮さん御電話で「湖の本」三十年を祝って下さる。伊藤さんのいの一の応援で「湖の本」は一気に軌道に乗り、維持にも難なく好調の 起動に乗ったのだった。感謝有るのみであるのに、また、「越乃寒梅」を送って下さると。ありがとう存じます。私よりもいくつもの長者、幾久しくお元気でと 願います。

* 大学で妻と同期、奈良の阿部陽子さんにも電話で祝って貰った。お元気でと願う。 2016 6/6 175

☆ 秦恒平様 湖の本130をいただきました。
奥様が傘寿を迎えられた年に秦さんが依然、活動的な生を生きておられ、『湖の本』第130巻『小倉ざれ和歌百首 秦教授の自問自答 他』の出版を果たさ れたことをお慶びします。今回もご労作をいただき、忝のう存じます。いただいた本はすぐに読む(今の仕事を終えてからなどと言っていると結局読めない)と いうのが私の原則です。今回は幸いにもそれを実践でき、早速に拝見、楽しく読み終えました。

「ざれ和歌」に溢れる自在な言葉使いの妙に感服しました。「私語の刻」、その初行の心持ちを確かに随所で感じ取りました。書きたいように書き、言いたいように言う。お幸せです。たとえ、その中に苦渋の事柄が刻み込まれていようとも。

巻頭の写真3点には目を奪われます。東工大桜花の下での神妙な「相合」のお二人のお写真はいいですね。何年も前のお写真ではないかと想像しました。聡明な 奥様は見目麗しく、秦教授は立派な押し出しです。103巻、『私 随筆で書いた私小説』の表紙画の女性の姿は、女性の美しさを強調する大胆なポーズです ね。しかし、男の夢を追い続ける秦恒平の文筆精神活動のエネルギー源を率直に表現しているものと、好感を懐きます。女性にとっても、そのからだの美しさは 自愛の対象でしょう。

「短歌の質じたいわたしは母に『敵わない』という実感を得、正直、ふくざつな気分であった。表現の藝としては知らず、短歌へ込めた生活実感のきびしさ、そ れに堪えて歌おうとした母の気概は烈しくて熱い。 よかった…と思っている」。 そうでしょうね。『選集』第12巻を拝見して私が感受した印象は、このご 感想に添うものです。

60頁、「死刑を、わたしは否定していない。……死刑廃止の議論を聴く機会は多々有ったけれど、今ひとつ説得されたことがない。難しい」。

死刑に関する議論は、人間の尊厳を先験的に措定するか、否か、の選択で決すると私は考えています。私はキリスト者として、旧約聖書以来の、神が意図する 「人間の尊厳」(神の似像としての人間)と「生の保護」(「なんじ殺すなかれ」)を無条件で認めております。これはいわば、「人間の条件」、「公理」で す。それで当然に、私は死刑には反対です。人の命を自分の命で償うことなど、人間にはできません。報復は神のなさること(「復讐するはわれにあり」)で、 人の事柄ではありません。これも聖書信仰の基本です。被害者家族の傷は「復讐」ではなく、別のかたちでの「修復」努力を重ねるべきでしょう。今日、カナダ とアメリカのメノナイト派の運動に端を発する restorative justice(修復的正義)の運動が世界的に広がっています。自由主義諸国では、日本は際立った後進国です。実は私はこの運動と関係を持っています。
という次第で、この事柄に関しては、私は珍しくも秦さんと意見が一致しません。

「自死」に関しては、キリスト教に自殺批判の伝統があるにもにもかかわらず、私は決して非難しません。人間は弱く、苦痛には耐えがたい存在です。やむを得 ざる自死はありえます。限界状況での自らの死の選択は、人間の尊厳が発動される一つの側面でしょう。キリスト者が、もし人々と違うところがあるとすれば、 「せんかた尽くれども、望みを失わず」(パウロの言葉)という姿勢を、限界に達するまで目標に据えるところでしょう。なお、キリスト者医師はガンの末期医 療における麻酔薬の使用によって、消極的な安楽死に積極的に関わっています。キリスト者は肉の命が「人権」に勝る価値だとは思っておりません。ALS患者 に対する人工呼吸器の装着には批判的です。「尊厳死」の選択と「臓器提供」の発想は、今日のキリスト教的価値観を代表するものでしょう。

アベ政権に対するお怒りにはまったく同調します。アベは、人間がパンのため(経済第一主義!)には自由を喜んで差し出す存在であることを良く認識しています。

ありがとうございました。
ご健康が維持され、よいお仕事を長く継続されますように。平安。  浩  国際基督教大名誉教授

追伸 書き忘れ
お早うございます。昨夜は感想を書き連ね、失礼いたしました。1点書き忘れました。
52頁、終わりから2行目 「悟り」は enlightenment でしょう。
今日もご機嫌麗しく。

* 至当に斯くあるべき感想を早速に頂戴できて、嬉しさ、ひとしお。ありがとう存じます。文字どおり「悟り」損ねの私の誤記にも噴き出しました。恐れ入ります。

☆ 京都です。
新しいご本ありがとうございます。
創刊満三十年、誠におめでとうございます。
今回は恒平サンの自問自答、楽しみに読ませていただきます。
こちらは今日は夏日、これからの蒸し暑さが思いやられます。
どうぞ奥様共々お大切にお過ごしください。
お礼まで申し上げます。 みち  秦の従妹

☆ 秦先生
湖の本、ありがとうございました。
少年のような「はたサン」が泳いでいました。  下保谷 西
2016 6/7 175

* 歯医者の帰り、店の「休み」に二軒フラれ、バーの「VIVO」の止まり木で、二人できらくに飲んで喋って帰ってきた。
郵便がどっさり、中に、京都の森下辰男君が板にした昭和23・24の「戦後日本流行歌史」第三集があり、24曲ぜんぶ聴いた。

* ただいま、
家内と、ぜんぶ、楽しんで聴き終えました。昭和23年にわれわれは新制中学に入学,つまりは一、二年生の頃の流行歌特輯で、おおかた耳に残っていまし た。あのころはラジオに耳をくっつけている時間が多く、耳から入って口ずさめた歌も多かった。湯の町エレジー、異国の丘、憧れのハワイ航路、君忘れじのブ ルース、ジャングル・ブギ、東京の屋根の下、トンコ節、三味線ブギウギ、青い山脈など、ことに心親しく、聴いたり歌ったり、踊ったりしていました。わたし き「盆踊り狂」だったんです。
淡谷のり子がさすがに巧いのにいまごろ感心しました。
淡谷さんとは、山本健吉さんという文藝批評の大物も入られ、鼎談したことがあります。淡谷さんは美空ひばり嫌いで聞こえていましたし、山本先生もわたし もひばり狂いでしたから、ひばり論でかなり淡谷さんに迫りましたが、噛み合いませんでした。しかし、さすが…という讃嘆の思いも持ちました。

二葉あき子、奈良光枝、菊池章子なんて、それぞれに好きでした。「こんな女にだれがした」とか、胸にこたえました。

ありがとう。
そして、怪我にメゲず、元気でいて下さい。
わたしは、ひたすら仕事に励んでいます。今度の「自問自答」 兄なら、またいろんな答えもあろうなあと想っています。

ではでは。 秦 恒平

☆ メール 嬉しく。
本当にありがとうございます。
湖の本は一昨日届きました。
鴉の百人一首、戯れ歌などという表現には当たらず、大真面目、面目躍如。わたしは三回も続けて繰り返し読みました。
自問自答、いくつもいくつも納得。
選集の、『お父さん、絵を描いてください』は、やっと400ページあたり、小説の半分まで読んだところです。
いずれも感想は改めて書きたいと思います。
(欧州行脚=)時差ぼけの程度は毎回異なり、今回は旅の疲れが激しかったのでしょう、漸く日常の暮らしになってきたようです。
と言いつつ、先週末には甥の結婚式に出かけたり、市の文化団体の催しに参加出品したりと、忙しい時間も過ごしていました。
今回廻った土地、南イタリアや南スペインの多くは、以前、一人で行った処でした。
丁寧に歩き、そして新しい「発見」もあり二度目の良さも実感しました。奇跡に近いこともありました。(娘がインターネットで予約したホテルが、何とわたし が絵にしていた、まさにその建物でした。インターネットの画面にその光景の写真は勿論載って、いなかったのです。)
現在イタリアを目指す難民の地中海での悲劇も報道され、実際にあれは難民の人たちが集められている処ではないかと思える光景も一瞬見かけましたが・・。そして日本と異なりさまざまな人種の行きかう場所でもありますが、怖い場面には出遭いませんでした。
多くの人の親切に会いました。
「鳶は鴉より永久に若いのである、」
実に実にその通りなのです。そして鴉の体調を考えれば、わたしなどまったく愚痴も不平も何も言えません!!! 大いなる励まし、身に染みて感謝します。
そしてお互い、今生きている現在の自分が、自分にとって一番若い自分なのだと覚悟し励ましましょう。
どうぞくれぐれも御身大切に。
梅雨といっても、あまり雨降らず、陽射し強く。無理なさらず、佳き日々を。
短いメールですみません。  尾張の鳶

* 東横短大での一年間だけの学生が、いまも湖の本を応援してくれている。お姫様のように愛らしい学生であったが、じつに勤勉な社会性溢れた戦士で、広島 の庄原へ帰ってのち、絶えず市民活動に打ちこんでいる。わたしが七四年に退社後一年のバイト出講だったのだから、一別いらい四十余年になる。今日の払い込 み用紙には、「(福島)浪江町消防団をえがいたアニメーション「無念」を上映しようと、取り組んでいます」と。「それにしてもアベ政権支持率下がらないの は なぜ? 日本人どうかしているのでは…」とも。

* 能美市の井口先生、今回湖の本に入れた口絵にふれてくださり、「いい写真、つくづくと眺めています。 本巻は じっくり読まねばなりません」と。

* 歌人の藤原龍一郎さん、「紫陽花が美しい季節です。湖の本130巻『自問自答』は面白いです、秦教授(はたサン)の答えを読みつつ、自分ならど答えるかを考え、また本に戻り、読み飽きません。」と。
俳人の奥田杏牛さんは、「芍薬咲く 祝(ことほ)ぐ創刊三十年」と句に添えて「偉業心からお祝い申し上げます。知己に謝し、『小倉ざれ和歌百首』楽しませて頂きます。お二人、お大事に」と。
墨画家の島田正治さんからも。歌人の堀江玲子さんからも。祝って頂いた。
妻の親友からも、「秦教授とお話しさせていただいている気持ちで少しずつ読ませて頂きます。迪子さんならどう答えられるかとも。」と。

* 三田文学、南山大学、東海学園大、大阪市立大、お茶の水女子大、山梨県立文学館、日本近代文学館、明治学院大、作新学院大等々からも受領の挨拶が届いていた。
凸版印刷からは早や請求書も着。「湖の本」は現在までに累積赤字が二百万近く積んでいるけれど、なにしろ、わたしたち発行者夫婦が揃って八十の坂を歩ん でおり、過去作家生活四十七年のわたしの読者であって下さった大方は、わたしよりもおおかた年長者だったのだから、数が減って行くのは自然の趨、当たり前 のはなしであって、少しも気にしていない。文学の仕事にお金をつかって暮らせるなど、幸いこれに過ぎるものはない。
2016 6/8 175

☆ 満三十年で
第百三十巻を刊行された御快挙は、私自身の「新潮」編集体験を顧みましても、実に忍耐強い御快挙と非常に感銘深く存じました。凸版に斡旋した、文(藝)春(秋)の寺田英視君(前専務取締役)の存在をあげていらっしゃったのも よかったと思いました。
「小倉ざれ和歌百首」と「秦教授(はたサン)の自問自答」の構成もこの記念の一巻には誠にふさわしく、とても面白いと思いました。机上に置いて、ゆっくりと拝誦、拝読致したく存じますが、取急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。 敬具   坂本忠雄  元「新潮」編集長

* 県立神奈川近代文学館、早稲田大学図書館、中京大学、城西大水田記念図書館、富士大学等々から、受領の挨拶があった。
2016 6/9 175

 

* 赤穂の義士ではないが、いまも残って「湖の本」を支えて下さっている有り難い「いい読者」は、みなさん、今回130の「問い」に、自身「自 答」を試みておられるだろうと想って、何となし、楽しい。東工大の卒業生は、そうは行くまい、日々喧噪の現実にかなり足を取られながら苦闘している日々で あろう。四十歳台とはそういう遮二無二の時代であった。
2016 6/10 175

 

* いい郵便がたくさん、とても興味深い長文のも来ていて、記録しておきたいが、なにしろ目が疲れていて、読んで書いての作業がなかなか出来ない。出来る限りは視力は仕事のために使いたい。
山梨県立文学館の中野和子さんから、「『小倉ざれ和歌百首』の完成度の高さに驚嘆しつつ じっくり味わっております」と。これは嬉しい。同志社の田中励 儀教授、「30年130巻 すごいですね。問答の『今、真実、何を愛しているか』、共通するものが多く、嬉しく思います」と。吹田市の歌人丸亀市の大成繁 さん、「30年130巻 おめでとうございます。全巻拝読のよろこびを共にでき幸せです!!」と。桐生市の住吉一江さん、「すぐ読み切ってしまいそうで す」と。文化出版局の中野完二さん、「通算130巻、創刊満20年、すごい、すばらしいです」と。桐生市の阿部君江さん、「楽しく読み始めました。送金の 余分は送料としてです」と。吹田市の歌人阪森郁代さん、お城の博士小和田哲男教授、滋賀・湖南市の小田敬美さん、朝霞市の歌人恩田英明さん、下関の大庭緑 さん、広島大大学院、立命館大図書館、國學院大図書館、ノートルダム清心女子大、皇學館大学等々、受領の挨拶あり。

* 午には「湖の本131」が組み上がってきた。そろそろ「選集⑮」の再校も追いかけてくるだろうし、「選集⑯」の初校戻しももう出来るところへ来ている。

* とはいえ、今日戴いた高城由美子さんからの長文のお手紙一通は、さきに送り出した「初校・雲居寺跡」の内容や進行と俄然緊密に関わった、じつに八百年 昔からの家系の表白で、興味津々。機械に入れて保存したいと思うのだが、今夜はちょっと、無理。じつはもあの「初稿・雲居寺跡」はあのまま中断なのが惜し くて、思案の創作メモもたくさんあり、「承久記」を読み返して、今一段サマにしたいと願っていた。高城さんのお手紙はじつに刺激的に有り難い内容で、くり 返し読んで頭に入れておきたい。感謝します。

* 京都の木谷妙子さんからは、京・二條若狭屋の竹筒の水羊羹やいろいろの宇治福寿園の銘茶などたくさんに添えて、これまた懐かしい興味深いお手紙を戴いた。
この方は、本を送った先、 藝術至上主義文藝学会の会員で同志社の国文に籍のある研究者の、母上で、生粋の京のご婦人。俳優やドラマへの京言葉指導もされているという。なるほど、ウマ の合いそうな方である。

* 東工大建築の院卒から、なんと東京藝大難関の油絵へ合格して行った目を瞠る人が、東工大生として今度の本へ初の連絡を呉れた。「近況・感想」等は永くなるのであらためて手紙をと。
2016 6/10 175

☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 130 小倉ざれ和歌百首 秦教授の自問自答」を拝受しました。
今回のような作品に接するときこそ教養の程度に足を掬われることになりますな。
「小倉ざれ和歌百首」は本歌を知らないとクスリともできませぬ。
「秦教授の自問自答」は、「なるほど」「そうなのか」「フーン?」の連続です。
厳しい第三者?としての異見です。  妻の従弟

☆ 秦教授(はたサン)
130巻の読者として、私も誇らしい気持です。ずーっと続くのを楽しみにしています!
(少しだけ多く送金します、なにがしかの足しになればと…)  鎌倉 橋

☆ 次々と
味わい思いながら読ませて頂いてます。
梅雨に入ったようです。お体を大切にお過ごし下さい。  今熊野  華

☆ 「湖の本130」
楽しみいっぱいの内容です。
天候不順の折から お大事に。  吉備の人

☆ 創刊三十年 130巻
おめでとうございます。こんなに続くとは、みなさん思っていなかったと思います。でも、そを超える秦先生の思いのおかげとおもっております。  知多郡  則

☆ 心より
およろこび申しあげます。ありがとうございました。
味わいながら読ませていただきます。 豊川市  紫  詩人

☆ 若い学生さんたちと
おすごしになれてよかったですね。  高松市  星

☆ 30年 130巻
ただ、ただ驚くばかりです。
先日 安土沙沙貴神社の祭礼を取材しました。古代が見えました。「みごもりの湖」も深く深く見えました。  五個荘  民

☆ 先日は
奥様からはげましのおハガキをありがとうございました。つらい抗ガン剤治療を受け、退院してまいりました。たっぷり時間はあるので 湖の本 一生けんめい 読みます。  各務原  真

☆ 梅の木、自然に落ちた種から目が出ているのを貰って来て植えたのが 今では玄関のシンボル的な存在になっています。今年も又 9キロ取れました。大 きな梅実です。この時期 梅酒作りが終わらないと つゆ本番を気持ちよく迎えることが出来ません。半夏生がほんのり白くなって来ました。  西京有栖川   桐

* 法政大、大阪芸大、多摩美大等々から受領の挨拶があり。

* 同志社の田中教授から今日は鏡花の「銀鼎」成立を論じた一文を戴いた。また作家の三田誠広さんから新著「親鸞」を送ってきてもらった。

* 神戸の岡田昌也教授のお送り頂いた「チーズケーキ」のなんとも濃やかに芳醇の美味、びっくりしている。
また断然の美味、点てた抹茶にまことみごとに合って美味しいのが、「華」さんの送ってくれた{亀屋則克の色美しいいろんな小粒の干菓子。甘くて嬉しくて惚れ惚れする。

* 風が板戸に音たてている。

☆ 秦兄

終戦直後の流行歌CD、ご夫婦で愉しんでくださった由、羨ましい限りです。
兄は盆踊り狂だったとか、私も同様で、当時は日の暮れが待ち遠しく、拡声器から「炭坑節」や「瑞穂踊り」などが流れ出てくると、夕飯もそこそこに浴衣に着替えて飛び出したものです。町内の輪だけでは飽き足らず、はずんでいる輪を探して近所の兄い達について新京極の「松劇」前まで遠征した懐かしい日々です。 (わたしにも覚えあり。秦)

そんな盆踊り唄も作曲年代に取り入れて歌史に入れていきますのでご期待ください。
兄はご存知でしょうか。昭和26年3月にリリースされた作詞西条八十、作曲古賀政男、唄霧島昇・久保幸江の「京都音頭」を。
一番は「男心は東山、ふとん着て寝て高いびき(なんとねー)女心は鴨川千鳥、恋し恋しと泣き明かす(それ、ぐっときてパッと咲いて、ちょちょんがちょんちょん)。

毎年夏になると岡崎公園グランドで納涼盆踊り大会が催され、「江州音頭」が踊られますが、私は京都人としてこれを非常に不満に思っております。そのうち京都市の何課の担当か調べて、是非とも「京都音頭」の復活を提言しようと思っております。

兄のパソコンでメール添付の曲は聞くことができるでしょうか。

このメールに添付しますので聴いてください。  京・岩倉  辰

* ウワ、びっくりした、いきなり大音量で「京都音頭」。
2016 6/11 175

* 新座市の詩人田中真由実さんから、味わいも姿も重厚に大きい銘菓「新座(にいくら)」を頂戴した。
神戸の岡田さんからの美味濃厚な「チーズケーキ」も、京岩倉の木谷さんからの「竹水羊羹」も、同じく京の華さんの「亀屋則克の干菓子」も、酒すきなのに根は幼來甘党のわたしには、日々の賑わいのようで。感謝感謝。
2016 6/12 175

☆ ご無沙汰しております。
秦サン  (東工大院卒。女性)川口です。
先日、湖の本、届きました。ありがとうございました。

階段教室で毎回唸りながら「挨拶」に向き合っていた日々を懐かしく思い出しています。

近況を簡単に報告します。
子連れ単身赴任は、2年ほど前に解消し、東京に戻ってきました。私が転職する形で実現しました。
今までの経験を活かせるものの、新たに学ばなければならない専門知識と経験を求められ、見習いとして奮闘中です。落ち着きましたら改めてご報告します。

息子はただいま小学3年生になりました。ラグビーをやっていて立派な体格に生っています。(スクラムを組むポジションのようです。)

先日、息子が「歌舞伎というのを観てみたい」と言い出しましたので、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室に連れていくことにしました。どんな反応をするのかを、楽しみにしています。

それでは、また。

* 東工大院へ飛び級で進学し東大の先生をしてから転任し、また古巣へ帰投されたらしい。
子育て中も慈愛と軽妙の育児日記を書き続け、わたしの編輯している「電子文藝館・湖(umi)」に寄稿してもらっていた。三年生のスクラム・ラガーだって!! いいなあ。しかも「歌舞伎が観たい」とは、佳いなあ!!
川口さんとは歌舞伎の思い出がある。いつかも書いたことがあるが。東工大で秦教授(はたサン)の授業が済んだばかりの教壇へ、女子学生が二人三人で寄っ てきて、「歌舞伎を観せてください」と、率直。はいはいと二つ返事で歌舞伎座前三、四列中央の席を用意し、わたしも一緒に、たしか四人で「弁天小僧」や 「稲瀬川勢揃い」などの通し狂言を、盛んに楽しんだ。それだけ。それだけで十分楽しかった。いいことをしたなと嬉しかった。なんと、あの女子学生の子の少 年が、歌舞伎へと! 嬉しいねえ。

* 川口さん、卒業以来ずうっと「湖の本」を応援してくれています。感謝感謝。
☆ 秦 恒平先生
「湖の本」を有り難うございます。
拙著ではありますが私も謹呈させて頂きます。 藤平信一拝 東工大卒 心身統一合気道会会長

* 幻冬舎文庫藤平信一著『心を静める』 これは日頃わたしの念願に深く関わる表題の一冊、「大事な場面 で実力を 120%発揮する方法」と表紙にある。以前、父君の著を何冊か読ませてもらっている。じつは、いくらか秘かに試み続けていることも有る。戴いた この本、心静めて読ませてもらう。
この藤平君、在学の頃から、合気道の大会では向かうところ敵無い人と聞いていた。温厚な青年だった。父君を嗣いで「心身統一合気道会」を今は主宰しているようだ。栃木県でなければ出向いてハナシを聴いてみたいのだが。

☆ 「湖の本」が
創刊三十年を迎えた由、衷心よりご祝詞を申L上げます。まことにおめでたい限りです。ここに至るまでには、大変なご労苦の連続だったことと推察いたします。

やはり先生の一途な熱意と周囲のご理解が今日の栄光をもたらしたのでしょう。
また、銀座の「ボンシャン」を楽しまれたとのこと、実にうれLいお知らせです。相変わらずのご健啖とご健筆、うらやましい限りで、小生も意欲が湧いてまいりました。
列島は梅雨前線の真っただ中です。
熱中症や湿度の変化にご注意ください。草々   元朝日新聞社 エッセイスト  敦

☆ 向暑の候
この度はご本お送りいただきまして誠に有難うございました。しかも最新作 湖の本129 湖の本130 二册も頂だい致しまして大変恐縮しています。
読み初めましたら止まらなくなりました。今後もよみ返させていただきます。
私、千葉の田舎の田んぼのまんなかで育ちました。小学校の頃から農作業を手伝っておりました。作物、土、すべての自然気候が今の私には役に立っています。ブドウの木も同じだと思います。産地に行きましてつくづく思いました。
先日は奥様とご来店下さいまして心よりお礼申し上げます。
今後共よろしくお願い申し上げます。 敬具
銀座ボンシャン主人 ワインソムリエ  照 東京ワイン専門家協会会長

☆ 創刊三十年 通算百三十巻
おめでとうございます。そして今回も又 有難うございました。
ご教示の十全に納得出来るところ、戒心 反省を指示されるところ数多 大いに深く読ませて頂いた次第です。
残年の少なくなった今 なお余命を大切にと思うばかりです。
くちなしの華が開き よいかおりを立てております。
「湖の本130」が 確かに生んだ香りです。  清・冽   俳人・思想家

☆ 「作者ご夫妻の手」から
私の手へと渾身の作品の群が届けられることの幸せをカミシメテおります。
p.118 一行目の、
「風」は、力、方向、流儀、方法。そして美意識の母胎。
白眉の一行です。
なお私事ながら、私の一番好きな句は、「海に出て木枯帰るところなし 誓子」 これもやはり風ですね。   練馬区  宮

☆ 楽しい130巻目の「湖の本」
ありがとうございました。
昔、こんな質問に応えられる人は凄いなーと思っていましたが 先生の自答も面白く、頁を繰っています。益々のご活躍を、ご自愛下されながらと 祈念しております。  金沢  夜

☆ 湖の本130拝受
「秦教授(はたサン)の自問自答」を一気に読ませていただきまして誠にありがとうございました。秦教授の講義を、若い学生さんたちに混じって受講したかったなあ! と思います。
梅雨に入りました。先生も奥様もご自愛くださいませ。  渋谷笹塚  宏

☆ 三十年 百三十巻と
先生・奥様 傘寿 誠におめでとうございます。
「秦教授の自問自答」を拝読と共に私自身は?と 応えるノートを子供に残したいと思いました。
「湖の本」が何年も続きます事をお祈り申し上げております。
想像しておりました通りの奥様のお写真を拝見でき、とても幸せでございます。お体呉々もおいとい下さいませ。有難うございました。  渋川市  路

☆ 「湖の本」創刊30周年
お目出とうございます。
選集前巻の小説「迷走」は、小保方さんの「Nature」論文事件がダブリます。 千駄ヶ谷  肇

* 『迷走』中「亀裂」不正論文問題の担当新米課長だった、この、今はペンクラブ会員に推薦して落ち着い ている肇君の、この小保方さんに搦めた感想には同感できない。小保方さんの実験が失敗であったとしても、誠実で懸命であっての失敗なら、あんなにイジメ抜 かれなくて良かったはずとわたしは今も不快である。科学の成果は失敗のくり返し山積の上へ築かれるはず、失敗は決して不正ではない。英書論文を飜訳して自 著として売り出すような医者とは、競べられない。小保方さんのあの細胞問題は、マサチュセッツ大での追試でむしろ証明されたかされそうな様子と報じられて もいる。わたしは小保方さんの「スタップ細胞は、アリマス」と最後まで語っていたのを、今も気持ち応援しながら、理研の高慢体質を憎んでさえいる。

☆ 「湖の本」130
まことにおめでとうございます。大変なことですね。
又、今回の一巻、「秦教授の自問自答」愉快ですね。愉快な、後始末、お見事。こんな先生(せんせ)が本物の、せんせ。学生も幸せです。発芽した無数の芽 は、立派な若木に育っていることでしょう。同じ立場にいた小生にも少しはその様子が目に見えるように思われます。実に良きこと(=本当の教育)をなさいまし たね。
御奥様共々、どうぞお元気で。  神戸  昌

☆ 自己採点してみました。
自分では80点と思いますが、家族(夫)は50点位と評価するかも知れません!! 仕事、子育て、夫の両親の面倒と、よく働きました。人を頼りにしない、しっかりした、可愛げのないバーサマです。最近は、終活トやらに取組んでいます。これはマコトに疲れます!! 玉野市  国

* 30年130巻という事実に
圧倒されます。
「挨拶(問いかけ)」への自答だけでなく、自問の項目自体がすでに問いかけた人の”心の姿勢””心の構造”の物語りです、ネ!!  上北沢  米

☆ 読者として、
先生の数々の作品に出会えたことを本当に誇らしく幸せに存じます。ありがとうございました。
百人一首 どのお歌も美しい響きに満ちてすばらしいと感じ入っております。
ますます御自愛下さいませ、 かしこ。  静岡市  鳥

☆ 創刊三十年
ご縁を得て、読者に加えていただいたのは、いつ頃だったのかしら…と、ずっと以前の湖の本を手に取ってみました。これからも宜しくお願い申し上げます。
時節柄 ご自愛くださいませ。  高槻市  厚

☆ 「秦教授の自問自答」
在職中に知っていたらと思いつつ拝読。ありがとうございました。 相模原  憲

☆ 恭敬
『秦 恒平選集』、各巻をご恵送いただき、深く感謝しております。
「湖の本」も130巻を数え、着実なご活躍に感動しています。
私の方は牛歩そのもので、恥ずかしい限りですが、泉鏡花についての拙文を草しましたので、抜刷を送らせていただきます。鉄道小説的研究(?)の側面もありますので、お手隙の折にご笑覧いただければ幸いです。 敬具   茨木市  田中励儀

* 漆芸家望月重延さん、元岩波書店の高本邦彦さん、川村学園女子大からも受領の挨拶があった。

* 五個荘の乾徳寺さんから、瀟洒な京「末富」の餡菓子や煎餅をたくさん、また、大学で妻と同窓の澤田文子さんから、京「玉壽軒」の茶と干菓子とをたっぷり頂戴した。「口福」というべし。

☆ 湖の本
お元気ですか、みづうみ。
記念すべき創刊三十年記念の第130巻『秦教授の自問自答 他』を頂戴しました。ありがとうございます。
広い意味での科学に最も大切なこと は、如何に価値ある「問い」を持てるかだと思います。みづうみが学生さんに「問いかけ」続けた多くの事柄、そのすべての設問も秦恒平の一つの創作に他なら ないと、感じ入って拝読しました。このような「挨拶」を受けた学生さんたちが、懸命に考え書いて答え続けた授業は、真の学びという幸福な青春大学であった ように思います。

東工大の学生は今も昔も理系の優秀な人材であることを期待されていますが、もしみづうみの挨拶に応えていなければただの国家や企業に便利に使われる優秀な人材=材 料で終わるのかもしれません。意味ある「問いかけ」に真摯に答えることの出来る若者はやがて次世代に正しく「問いかけ」ることのできる大人になるでしょ う。人材でなく「人間」になることのほうが遙かに遙かに意味あることです。東工大教授としてみづうみの播き続けた種が、今社会のあちこちで開花しているの だろうなと思うと、秦教授(はたサン)に感謝です。

 

みづうみの自問自答は、長い読者であれば大体理解できる内容なのですが、一つとても意外に感じたことがありました。

自分の「死後」になにか意識に逼る「他界・他生」があるとは信じない。土になり水に帰り天に散ずるだろう。

『畜生塚』に描かれていた「自分の家」に帰ることや『慈子』で朱雀先生に「人は世界から世界へ輪廻する」と語らせた作者とは全然違う顔で驚きました。「倶會一処」はないという表明に思えるのですが、誤読でございましょうか。

小倉ざれ和歌百首、わたくしのお気に入りを三首選ぼうとしていたら、好きなものが多くていつまでたっても決められなくて今回はパスです。

ツバメの雛が孵りました。まだとても小さくて餌を頂戴と巣からのぞく黄色い嘴だけしか見えません。元気に巣立ちますように。

みづうみはいつもお元気でいらしてください。
萍 萍(うきくさ)に大粒の雨到りけり 星野立子
2016 6/13 175

* 東工大から東京藝大の油絵へすすみ、修士で卒業した女性「叡」さんの過去と近況とがメールで伝えられてきた。東工大の院を出てから抜群の才能にして入 学にヘキエキする藝大へ入っただけでも容易に信じがたいことであったが、いろんな悩みも持ち「死ぬの生きるの」の窮地をメールで励まし続けた時期もあっ た。「叡」さんという仮り名もその時就けてあげた。今朝のひさびさ十余年ぶりのメールでも「叡」の名が気に入って使われているのが愉快だった。「人生」い ろいろやなあ。

☆ 近況:
結婚はしていません。でもまあ、親しい友人はいますし、パートナーに近いですから、充分幸せと言えると思います。
芸大は結局修士まで行き、研究生も一年やって、20**年に卒業しました。長い学生生活の終わりです。途中、研究室を移ったり、指導教官が事故死してしまうなど、大変なことも多かったです。
卒業した年から、私立大学で****の基本と展開を教える授業の非常勤講師をしております。
ストレートに美術を指導するのでない点は残念ですが、学生相手の面白さはあります。もちろん難しさも、というよりほとんどが難しさです。50人相手に四苦八苦。
秦先生のように、大教室で何百人の学生をひき付ける、とは到底行きません。
しかし先生がなさっていたのを少し真似て、出した課題のうち、面白かったり一生懸命取り組んだものを匿名で紹介する、というのを時折やっております。
あれはとても刺激になりましたので…。
それを楽しみにしている、とアンケートに書いてくれた学生もいました。授業評価アンケートは毎回嫌なものですが…。

生きるの死ぬの、ということを最近は考えなくなりました。
「貫録がついてしまった」とおっしゃられた芸大の先生もいらっしゃいました。もっとキリキリしていたころの方がよかった、と。
肉体的に太った、だけでなく、心に贅肉でも付いたのでしょうか。

やりたいことがたくさんあり、でも人生の半分以上は来たであろうことを思うと、死にたいなどと全く思わなくなりました。
時々、コンペなどに応募したりしています。
なかなか通りませんが、それでも続けていきます。
制作を続けられなくなる日も想像できます。
とても恐ろしいことですが、「作らなくなる日」を妙に具体的に想像できるのです。日常の小さな幸せ・小さな表現で、満足してしまう日が来るのではないかと思うとぞっとします。
例えばその日着る服を選ぶとか、お裁縫をして細々と何か作る等で、表現意欲を満足させてしまうことです。
大きな自由を小さな自由で置き換えるような、すり替え。
死にたくないなどと言っておいて、これでは半分死んだようなものではないか。
難しいです。

先生、お身体、どうぞ大事になさってください。
叡   (この名を今もお許しいただけるかわかりませんが)

*  東工大時代、わずかな年月であったが、思いの熱い歳月だった。教授会か、学生と教室か。教授室をもふくめ、徹底して後者を優先した。大学内、教科内の政 治には全く振り向かなかった。つとめて学生達と一緒の時間を楽しんだ。学生とは男女をとわず「一視同仁」に徹して、誰とも仲良くなった。ひとりひとりが秦 さんはボクにはワタシにはトクベツと思っていたかもしれないが、だれと向き合っても同じように仲良かったのである。専攻のではない、一般教育の元の秦教授 (はたサン)を晴れの結婚式に招いて祝辞を求めてくれた卒業生が十数人もいた。もらっている手紙やハガキやメールの数は夥しく、その上に今回自問自答した 「挨拶」に毎時間学生たちが書いて提出した応答文が、いまも全部我が家の内で場所を取っている。
東工大の理工学生になまじっかな「文学概論」など教えて何になるかと思い、ひたすらカケラ自身の「言葉」で考え考え自身を見出して行くようにとわたしは 心がけた。だから、詩歌の虫食いを自ら詩人歌人として埋めさせ、途方もなく難儀な「挨拶」に応じ続けさせ、書きに書かせつづけた。その総量は市販ふつうの 単行本の百册分に相当した。学生の殆どがウンウン唸りながら、秦教授の奇妙な挨拶にも虫食いの出題にも、いっそ熱心に応えつづけてくれた。それでよかった のだ、願い通りだった、わたしには。

* 京都市立の母校二つが今や廃校になっている、有済小学校と弥栄中学校。
その弥栄校あとに愛称「漢字ミュージアム」の、「漢検 漢字博物館・図書館」が出来たと、新聞記事を下鴨の澤田さんから知らせてもらった。今月二十九日に開館と。「いい感じ」に親しまれると嬉しいが。

* 冷房しないと此の機械部屋が暑くなった。
2016 6/14 175

* 四国の木村年孝さんから、大きな一箱で美味滴るみごとなオレンジをたくさん頂戴した。四国の柑橘はことに美味しく、健康のためにもとても嬉しく有難い。感謝します。
小田原の津田崇さんからも、海の幸の佳い干物をたくさん頂戴した。わたくし、たぶんに栄養の失調気味が疑われているだけに、有り難いこと。感謝します。

☆ 秦 恒平 様
謹啓 初夏の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
このたびは、『湖の本 秦教授(はたサン)の自問自答』をお送りいただきまして、ありがとうございます。
また、創刊三十年を迎えられましたこと、誠におめでとうございます。
これまで大変なご苦労があったことと思いますが、長きにわたり執筆・出版活動を続けてこられましたことに、心かち敬意を表します。
これからも刊行されます作品を楽しみにしております。
私も、夢や希望に満ちた「新しい豊かさ」を実感できる滋賀の実現に向けて尽力してまいりますので、今後ともご支援賜りますようお願い申し上げます。
時節柄、くれぐれのご自愛とますますのご活躍をお祈り申し上げます。 謹白
平成二十八年六月十三日  滋賀県知事  三日月大造

☆ 拝復
はや梅雨の候 確かな季の移りに自然運行の妙が感じられます。
「湖の本」130 ご恵与たまわりありがとうございます。創刊三十年の節目の趣、作家が自作について語ることの珍しさにひかれ参加したことでした、よき読者たりえないことを反省しつつ、ご厚情に厚くお礼申し上げます。
また 奥様 傘寿の趣 おめでとうございます。よき協力者でいらっしゃることはもちろん、作中しばしばご登場で、学生と回覧しながら、あれこれいらざる「詮索」いたしましたこと、なつかしいかぎりです。
東工大で 漢字一字欠の短歌を題材に作者と語りあうがごとき独自の鑑賞の方法のことうかがい、作者を超える「解」あるかと援用させていただいたことあります。
また「挨拶」も当時の学生にとって 改めて秦教授の回答に接し、自分の回答思いかえす機となることと 興尽きません。
東工大は原発推進の拠点ではありますが、実験はともかく、実用では脱原発の代になることは必定、ご発言に大いに啓発 励まされております。
ことほぎのつたなき意、いとこの葉書の要約の態で恐縮です。
お揃いでお大事に  草々
白壽叔母の指図今年も梅しごと  信  神戸大名誉教授

* 時鳥が来て
声音に夏を告げています。
今般も「湖の本」を御恵投被下、ありがたく頂戴いたしました。
薬の副作用で、メマイ、タチクラミ 甚だしく閉口していますが 「秦教授の自問自答」 休み休み拝読。 私の小さな人生をはずかしく思いました。
ありがとうございました。 称名念仏  黄  新潟大名誉教授

☆ 創刊
30周年 おめでとうございます。
お元気で、 末永く続きますように。  大府市  門  女流文学史家
2016 6/15 175

* 澤田文子さんの送ってくれた本家玉壽軒の和三盆製大徳寺納豆入りの落雁「紫野」と、北野老松の「香梅煎」との取り合わせの美味。「紫野」は抹茶とも、まことに味わい似合う。

* 散髪で気分良くなって帰ってきたら、 先代の遠藤恵子さん(医学書院後輩・茶の湯の弟子、前米沢短大学長)から見るから輝いて美しい佐藤錦の桜桃をたっぷりと一箱、頂戴した。美味しく、おひるに頂いて、まさしく我が桜桃忌先駆けのお祝いになった。有難う存じます。

☆ 略啓
御健勝 大慶に存じます。
続々御著頂戴。
今回の「自問自答」は、こんな授業をされれば、学生の学びに対する意欲は大いに増大すると感じ入りました。大層刺激的でした。
いつも乍らの御厚意に感謝しつつ 不備   寺田英視  前文藝春秋専務
2016 6/16 175

☆ 梅雨の晴れ間が
暑い日になりました。
まずは『湖の本』創刊満三十年、百三十巻と、いろいろお躯の障りを手なづけ(?)ながらも、刊行されつづけたことに、心よりお祝い申し上げます。
それにしても、理科系の名うての東京工大の学生さんに投げかけた問いの、本音でしか答えられぬ事項には感服いたしました。さらに新たに自答される中味も、傘寿を越した年月の重みが加わって、とうてい「遊び心」とはいえない「答案」と、自分ならどうだろうと考えながら拝読しました。
それにしても舛添都知事のセコさには呆然、アベノリスクが後ろにいること思い、暗然とします。後世に託せぬ気持です。
奥様ともどもご自愛を。   徳   講談社役員
2016 6/18 175

☆ 秦先生
湖の本をお送りいただきありがとうございました。
また、湖の本通算百三十巻 おめでとうございます。
人文社会群時代を懐かしく思い出させていただきました。
この3月に東工大を退職する際、秦先生がいつも授業の前に中村さんと私にそっと置いていかれた空欄のある短歌のメモ用紙の数々を大事に持ち帰ったばかりなので、先日の先生からのお電話には驚きました。
今では、秦先生からの問題のメモを選んで復習する毎日です。
胃の手術は大変でした。これからもどうぞお大事になさって下さいませ。
いつかご健康を取り戻された時にお会いできると良いですね。  高木恵子
2016 6/18 175

* 山形の「あらき蕎麦」さんから、今年の桜桃忌にも、みごとに粒大きく輝いて甘い「桜桃佐藤錦」たっぷりの二たパックを頂戴した。同じ便で、小滝英史さんから雄町米の名酒「櫻室町」三本を頂戴した。
嬉しく、さっそく桜桃を戴き、萩焼の大盃でしみじみ美味い酒を、三盃。
ホームページを亡き友の美しい花の繪で飾り、桜桃忌を心嬉しく恙なく迎えた。全国の読者、先達、友人知己に、心より感謝申し上げます。
2016 6/19 175

☆ 秦 恒平様
「湖の本」創刊満三十年、
通巻百三十巻のご刊行を
お祝い申しあげます。

今号も、秦教授(はたサン)の自在に乗って
存分に楽しみ、考えました。

ご厚誼をいただきつづけたこと、
改めて感謝いたします。

二○一六年六月十九日   敬   講談社 元「群像」編集長出版部長

* 晴れやかに赤く粧われた「お祝 CELEBRATION」の厚手折紙に挿んで詩のように書いて頂いていた。知己の芳情、謹んで頂戴した。ちなみに謂う が、わたしは雑誌「群像」とは、ほとんど縁無くすごしてきた。単行本は「初恋」「茶ノ道廃ルベシ」「愛と友情の歌」を出して貰っている。もう騒壇余人を自 称の後に亡き「群像」の鬼編集長大久保房男さんや、大久保さんの後輩、徳島高義さん天野啓子さんの知己を得てきた。こういう人生があるのだなあと思う。
文藝春秋専務だった寺田英視さんの手厚い紹介があってこそ「湖の本」を、また「秦 恒平選集」を凸版印刷株式会社には三十年、渋い顔ひとつみせず応援してもらえた。
新潮社の前の「新潮」編集長坂本忠雄さんの毎々欠かされぬ声援も、どんなにわたしの励みに力添えて頂いたことか。
「湖の本」は、そもそも朝日新聞社の伊藤壮さんの親切懇篤な応援があって一気に軌道に乗ったのだった、その前に福田恆存先生のまだ若い、もっと書きなさ いという激励を戴き、騒壇余人の「湖の本」を敢行したのだった、すぐさま永井龍男先生からの励ましと、大勢の購読者紹介があった。福田先生も読者をご紹介 下さり、いまもなお奥さんは湖の本を購読していたくださる。
なにごとも独りで我のみでは成らないのである。そのためには、仕事の質と真面目とで信頼を得、応援して頂くしかない。

* 太宰賞選者の中村光夫先生は、ある音楽会のはじまる前のロビーで、「あなたのような人がもっといなくてはいけないんですが」と、励ましてくださった。 臼井吉見先生は篠田一士さんとの対談でわたしの秦の名前を出され、お二人で「いまも、この後にもとても大事なひとになります」と話されていた。唐木順三先 生は機会をとらえてはわたしにふれて書いて下さり、著書の書評にはしばしばわたしを希望して下さった。「わたしなりの道をゆきます」と授賞式の日に広言し て「そんな道あるのかい」と一瞬に私をして頓悟せしめられた河上徹太郎先生は、その後も蔭なららのお励ましを何度もくだった。
小林秀雄先生は大著「本居宣長」を出されるとすぐお名刺に「謹呈秦恒平様」と書き入れて勤め先へ人を介し贈り届けて下さった。井上靖先生はご自身で電話 を下さり、中国へいっしょに行きましょうと誘って下さった。江藤淳さんは東工大自身の後任教授にわたしを指名されていた。

* もくもくと、ひたすらに仕事してきて、顧みれば、びっくりするほどの知己の励ましにわたしは恵まれ続けてきた。望みが先なのではない、仕事が先を歩ん で行く。眼のある人はわたしを観ていない、仕事を観ている。そしてそんな仕事をしていたわたしにも気がついてくれるのだ。
2016 6/20 175

☆ 鴉は
時が至ると一瞬の決断が自然にできる人だなと感じます。
わたしは活眼で世界を睥睨するどころか、ただただ半ば憂い、半ば憤り、時に喜び世界を見つめています。  尾張の鳶

☆ hatakさん
いつも湖の本と撰集をお送り下さりありがとうございます。発送の力仕事も骨が折れること、創刊30年の重さを感じております。
以前体を壊した教訓から、週末はなるべく休むことにしていますが、このところ、休日も職場に行くことが増えてきています。あわただしい毎日です。
今日は、某省の局長視察の説明要員のため、前日に現地入りしています。大荒れを予想して早い便で移動したのですが、飛行機が風雨をものともせず定刻に飛 んでくれたため、移動先で特に予定もなく半日をゆっくり過ごすことができました。人気ない小雨の街を歩き、通りすがりの郵便局から湖の本の代金と、撰集の 維持のための資金をそれぞれ振り込みました。振込局が網走になっていますが、間違いではありません。
着陸時に、雲の切れ目から見たオホーツクの大地は、緑と土色で塗り分けられた幾何学模様の絵画のようでした。美しいとおもう気持ちが半分、職業上の重苦 しい気持ちが半分で、着陸する頃には、農家の高齢化、担い手不足、耕作放棄地、TPP、天候の不順や極端化、病虫害など、北海道風にいえば「ゆるくない」 問題ばかり考えていました。
明日夕方に札幌に戻り、明後日から週末まで今度は十勝で会議があります。土曜も職場の行事で、日曜まで休み無しです。それでも、「迷走」の頃のhatakさんのモーレツぶりに較べれば、足下にも及ばないという気がします。
秦教授の「挨拶」もしかり。数十人のレポートに目を通すのも大変なのに、数百人単位とは、想像も出来ません。
何より目を、お体を、おいといください。またお便りします。
網走より maokat  植物病理学者 行政官

☆ いつものことですが、
秦様のすさまじい想像のエネルギーに圧倒されております。本当に書きたい衝動が八十すぎても存在し続けることは間違いなく才能だと存じております。
大いに見習うつもりでおります。 草々  鋼  飜訳家

2016 6/21 175

☆ 自問自答
なかなか興味深いものと拝見いたしております。「信仰とは」の部分、いろいろと思うところもあり、納得いたしております。
先生のご健勝とご活躍を祈念申し上げます。 敬具  芳  東洋大準教授

* 東工大で事務職を務めていた高木恵子さんが「湖の本130」で、電話を。電話が遠くて、ちぐはぐしたか知れないが、懐かしく。

* 六はらや鳥部野わけて苦集滅道(くづめじ)を
花山へとぞかよふしあはせ        遠
2016 6/22 175

* ロサンゼルスの池宮千代子さん、カードで、「HAPPY 30 TH」と湖の本三十年達成を祝って下さる。英文を機械でうつのは苦手などでひかえる が、おしまいに、「And just think… this is only the beginning.」と。まことに。

☆ 秦 恒平様 迪子様
湖の本創刊三十年 本当におめでとうございます。よくなさいましたね。 一番に思うことは
迪子さんの御協力 御助力です。ほんとにほんとに御苦労様でした。
一番始めまだみんな京都に居た(=最初の私家版の)頃です、 小畠さん、良子ちゃん姉達が 恒平ちゃんがこんな文章書かはるなんて信じられへんと口々に噂して居りました。 そしい今 あれから六十年以上でしょうね。
今立派な文学者に成られ 私は自慢自慢のお友達です。一杯教えて頂いて居ります。ありがとうございました。
お二人の写真の前にピンクの紫陽花がいけてあります。今年はあじさいの豊年で近所に配っています。他に白木槿もピンクのも満開です。毎朝切ますのが楽し みです。お茶のお稽古(=先生)まだ続けて居ります。ふしぎに私はヒザが痛くなく皆さんに羨ましがられてゐます。でも頭の方がボチボチです。今日は私の 84歳の誕生日です。
どうぞお体お大切に、 そして書き続けて下さい。 千代  ロサンゼルス

* お姉さんも小畠さんももう亡くなっている。この二人にも、わたしは叔母の代りに稽古を見ていた。わたしは美しくて正しい作法の教え方がわりと的確だった。年かさの誰もわたしの代稽古をイヤがらなかった。
千代さんは、いまなおアメリカで現役のお茶の先生をされている。「四海皆茶人」を実践されている。

* サッポロのマオカットさん、選集の刊行に力を添えて下さる。有難う存じます。
故福田歓一先生の奥様、また米沢短大の前学長遠藤恵子さんも、お手紙で、それぞれにお祝い下さる。身に沁みます。

* 済んだのではない。 just think… this is only the beginning.に過ぎない。

*もう今日も 眼がよく見えない。
2016 6/22 175

☆ 早速のメール、ありがとうございます!
こんなにもすぐに、メールを、それも大変ご丁寧ご親切なおたよりをいただけるとは、本当にありがとうございます。

半世紀も昔に、ささやかな御礼のしるしに差し上げた湯飲みを今もお使い下さっているとのこと、感謝感激です。

ご健康が万全でない秦さまが、今も精力的に「湖の本」や限定本の選集を出版し続けていらっしゃることに、感嘆致しております。
私の方は、ささやかな勉強をボチボチ続けているだけで、このところは、もっぱら社会活動の方に専念しています。直近では、立憲主義を取り戻し、違憲の安保法廃止に向けて、野党共闘を実現しました。

全国の1人区のなかで宮城県が真っ先に野党共闘を実現できたのは、私たち 市民の働きかけによるものと自負しています。で、仙台の私たちは野党共闘候補と言わず、市民・国民共闘候補と言っています。もっとも、この選挙で勝たなけ れば、何にもなりませんので、成果はこれからですが。

:建日子さま(私が医学書院を辞めた時は、まだ生まれてもいませんでしたね。)も、お父様に負けずにご活躍のご様子、本当に何よりと存じます。

秦さま、どうか迪子さま共々、くれぐれもお身体をお大切に、益々ご清祥で。  遠藤恵子  元大学学長

 

*  わたしが遅くも今世紀初來、共産党や社民党に、以前の民主党にも、野党共闘以外に勝ち味を誘う手はなかなか見つからないと、しつこく進め続けてきたこと は、この私語にしばしば書き込まれているし、選挙戦中、駅頭などでぼそぼそと演説や宣伝をしている党の人たちを掴まえてしつこいほど要求し続けてきた。
なによりも共産党の一つ覚えのような候補乱立バカには厳しく言い続けてきたし、今一つは、具体的な政権構想を持たない政党など無用で邪魔だとまで批判してきた。幸い党の委員長や中央委、文学関連委へのパイプがあって、主張や意見はそのつどいろいろに直にも伝え得ていた。
その挙げ句、近来、ようやく委員長の口から「野党共闘」「政権構想」の言葉と姿勢対策が打ち出されてきて、わたしはやっと報われた気がした。
残るは「党名変更」への提言であり、岡田「民進党」の火の消えたようなオーラの立たない日々の腹立たしい余りに、いっそこの際「共産党が」断乎党名を「民主党」に変更し、国民政党としての意欲をみせては、などとけしかけたい気がしている。
2016 6/23 175

☆ みづうみ、お元気ですか。
今はYou Tubeで 亂聲(らんじょう)も聴くことができます。弊害も多いものですが、電子メディアも使いよう。心の澄みわたるような実に美しい響きで、まさに「念々死去の空 晴れたり」と感銘を受けています。今まで意識して聴いてこなかったことを悔いてしまいました。教えていただきましたことに感謝申し上げます。

一昨年は巣の落下、昨年は卵が孵らなかったので今年こそはと期待していたのですが、ツバメの雛三羽は逝ってしまいました。先週のことで、無惨に壊れた巣を前に言葉を失いました。毎朝喜び勇んで雛たちに挨拶していた落胆ぶりをご想像ください。
はじめは雛の死骸も見つからず、カラスの仕業かと思いました。ご近所さんとの井戸端会議で探偵のようなことをして、前の晩何時に帰宅したときは無事だった、何時に帰宅したときには巣が壊れていたという情報など集められ、結局、巣の壊れ具合などからしても(巣の落下にそなえた板の補強もしてあったので)、カラスではなく、夜陰に乗じて(ツバメのために近くの大きな外灯を消していました)人間が叩き壊したろうという結論になりました。まだか細い嘴で餌をねだる姿など何とも可愛らしいものでしたし、雛を探して何度も何度も飛び回る親鳥も哀れで。

カラスなら生存のために食べるという目的あってのことで諦めもつくのですが、ひどいことをする人間もいるものです。というより人間だから、こういうことも するのかと気持が沈むばかりです。自分の飼い犬や飼い猫を保健所に連れていくほどの鬼畜が絶えないのですから、ツバメの雛を悪戯か憂さ晴らしで殺してしま う人間もいるわけです。ツバメの雛を育てるマニアもいるそうですが、人手に育てられた雛は渡り鳥にはなれませんから、所詮飼い殺しです。

こんなふうではあらゆる動物から見限られ、いずれ人類は亡びるかもしれないと、もう悲観妄想とどまるところを知らず……。

ですが、亂聲を流していると、心洗われます。雛たちは自然に帰ったのだなあ、空のかなたのもっと清い世界に先がけたのだなあと……。本当に一週間ほどの短い命でしたけれど、暗澹たる時代の入り口に立つ中で、毎朝を明るい気持ちにしてくれたツバメたちには感謝しかありません。

 

相変わらずの病院通いでいますが、みづうみを見習い一日一日大事に楽しみたいと思います。したいことはたくさんあります、頑張って書いています。読むほうも。

>自問自答へ不審の指摘 返事は用意できていますが、あなたりに想ってみて下さい。

どうぞ今日一日もお元気にお過ごしくださいますよう。
鴨  夏の鴨岩隠りつつ舟に添ふ  壺井由多花

* 極端なことをと嗤われ叱られそうだが、わたしの好きでないもの、無くていいとずっと思ってきたものに、「動物園」がある。我が国の動物園で死んでいった異国異境からの象やパンダや犀や河馬などのニュースを聴く度に、酷いことだと思った。

*  上の仔ライオン、太郎、次郎、小次郎らとは、便座に腰かければ目の真ん前・間近で向き合える。毎日、毎度、呼びかけては話し合う。時には歌う。「今日も 元気でいろよ、人間になんぞ掴まるなよ、撃たれるなよ、元気に暮らせよ」と励ます。「ときどき夢にも出てお出で」とも頼む。
生存の必要あっての食ったり食われたりは、この自然のなかでは全ては避け得ないとしても、それにしても人間、幼いのも大人も、無用に他の生き物を無用に傷つけたり監禁したりして喜ぶ。
2016 6/24 175

☆ 秦  恒 平様
梅雨のあとさきに紫陽花のいろひときわ瑞々しく、世の事象の憂いからひとしきり解かれる思いのする日頃です。(荷風作品から)
このたび創刊三十年、通算-三〇巻の「秦恒平・湖の本」の達成、壮観大慶に存じ上げます。
かつて太宰治文学賞受賞作『清経入水』「展望」誌上で民俗学的夢幻の泉にふれて以来、秦文学に魅せられ、「湖の本」講読いたし、途中から御贈呈いただき何時も感謝致しておりました。
拙著『旅の日本文学続編』上梓したこのごろ、正・続併せて、御目にしていただきたく、勇を振るって謹呈させていただく決心をいたした次第です。
先日、東洋大学のエクステンションの連続講座「日本列島-文学文化風土の旅」で畿内「奈良・京都」に達した折、谷崎・川端・三島作品を扱った最後に出身作家の『みごもりの湖』を花結びとしたばかりです。秦文学の世界を私の論藻に加える折もあろうかと望んでいます。
御掌にひとときでもおいてくだされば仕合わせです。
それにしても長編『生きたかりしに』は、どこかに謎として予感していたこともありました重大な作品でした。
どうかくれぐれも御身ご大切にお願い致します。 草々
竹内清己  千葉大教授 東洋大名誉教授  藝術至上主義文藝学会会長

* 畏れ入ります。

☆ 湖の本130巻
今回の構成と中味は、いつものと全く様子が変って感じました。和歌は和歌なりにすばらしく思っておりましたらば、つづく展開がまたすばらしく、久々に大き目のバッグに入れて歩いております。有難うございました。  小山内美枝子  脚本家(金八先生など)

☆ 第130巻 おめでとうございます。
奥さまのお写真 想像にたがわぬ素敵な方ですね。初お目見えはこの節目ならこそでしょうか。
30年というのは私の30年でもあると気づきました。自慢できるような年月ではありませんが、ここ10年は能を発見して、先生の作品とのつながりができて、深まっていったように思います。ありがとうございます。
五月の発表会を終え、六月、国文の友人たち(8人)の金沢での同窓会の幹事をやり、鏡花、秋声、犀星のゆかりの地、鈴木大拙館をたずねて、皆さんに喜んでいただけました。
今は七月の太鼓会に向けて、<雲林院>の舞囃子に励んでいます。
季節柄お大事になさって下さいませ。  小松市  八代啓子  元・市教育長

☆ 創刊満三十年記念となる
貴重な御本を頂きありがとうございました。
早速手に取り拝読と云うところですが。何分年令でもあり ゆっくりゆっくり同じページを繰り返し乍ら読ませて頂いております。
秦教授(はたサン)の自問自答にある故郷(京都)は 80才を越えてくると 今更乍ら大昔のようだと思い乍らも懐かしく思い出させくれます。
(弥栄中学の)西池先生、小堀先生には お正月御自宅でお餅を焼き乍らカルタ取りをさせて頂いた事、橋田先生には 木彫りの市松人形を 学校に残せと云 われても 自分に返して欲しいと思った事、 貴兄とは二人で比叡山のロープウエイの索道を歩いて登山して運転手さんに怒鳴られた事、なつかしい限りです。
今は老人会で お習字で百人首を書いたり、水墨画を画いたり、月二回のペースのゴルフに参加したりして、「流水心なくしておのづから池に入る」の日を待 つような生活をしております。私は今のところ元気です。世の中は騒々しいですが……   私も、もう東京の方は行けないと思いますので 残年乍ら、お目に かかれる事はないと思いますが、御身体だけは充分御自愛頂き 一日も永く御活躍頂き 若い人達の教え、指導を願っております。  私も 東工大生のように 頭は廻りませんが この御本を参考に ゆっくりと自問自答してみたいと思います。
ありがとうございました  御元気で!!   京・大原野  濱田美範  同級生

* 衰えなどすこしもない、昔の友のいい手紙を貰った。
2016 6/25 175

☆ 「リング リング リング」に拍手喝采。
秦様・迪子様
天気予報にウロウロさせられる昨日今日ですが、お二人様のお身体の調子は如何でしょうか。
昨日建日子さんの公演「リング リング リング」を中学3年生の孫娘と一緒に見せていただきました。
ダンスのレッスンをしている彼女もとても迫力ある舞台を楽しんでいました。主役のキンタロウーさんも知っているようで私などは知らない物まねやギャグに受けていました。
建日子さんのつかこうへい氏に寄せられている熱い思いのご挨拶を生の声で聴き、人と人との出会いにも感激していたようです。
つかこうへい氏に出会われたころの「プラットフォーム」の舞台からのご成長ぶりを見せていただける幸せを感じていました。
熱い思いでの脚色、演出での舞台から伝わってくるメッセージに、心動かされて見せていただきました。
ありがとうございました。  練馬  持田 晴美

* ありがとう存じます。

* 体重が、70キロへ リバウンドしないかと案じていたのに、65キロ台へ落ちこんできた。
体重も体力も落ちこんでいる。
一つには、食が、まるで進まない。食べる楽しみが満たされないとは、情けない。
月末の建日子演出の「つか芝居」、七月初めからの「選集」送り出し、そして歯科通いを控えて、なんとか気力も体力も回復しておかねば。
この月末に会いませんかと誘われていた東工大卒の柳君、丸山君にも、連絡の来る前に、この際、お断りした。
2016 6/26 175

☆ 30年 130巻
この間の、精神的、肉体的、金銭的御苦労を思うと気が遠くなります。
心からの敬愛の意を込めて、快挙と言うより怪挙と呼ばせていただきます。
どうぞお元気で!   日比幸一  元筑摩書房編集者

* 京都美術文化賞を授賞した 京・伏見深草の安井賞画家平岡靖弘さんから、「選集」の「お父さん、繪を書いてください」への謝状が来ていた。
2016 6/27 175

☆ 秦先生 是非お時間をください。
先日17日まで熊本県庁に支援員として2週間ほど勤務していました その間、県庁や市町村行政の取り組みや被災現場も見てきました。
色々とお話をしたいことは山ほどあります。是非、お時間を作っていただけないでしょうか。
ただ、柳と予定を(事前に)調整してとなると、なかなか難しい、というのが本音です。柳たちと夜、飲みに行くときは、当日の夕方に「今日、行ける?」というメールが回ってきて・・・という状況なので。

もし、週末でお時間がいただけるのであれば 柳と二人で保谷にでも何処にでも参ります。
正直に言いますと、先生がHPで書かれている地元のお店にも興味がありますし。
色々とお忙しいとは思いますが、是非よろしくお願いいたします。  丸
* 働いて最も忙しい年代へ、管理職世代へ卒業生はみんな来ている。職場を大きく異にした人たちが、都合を付け合ってうまく顔が合うなど、容易でないと察しがつく。
むかしは、狭いながら我が家へ学生、卒業生、よく来てもらったが、湖の本あり選集ありの今や、夫婦二人ですら安々と坐れる場所がなく、たまに建日子が 帰って来ても、とにかく積んだモノを片寄せ片寄せてムリムリ坐らせている有様。それなので、ぜひにという人とは、ともあれ日比谷のクラブへ出向いたりして 会っている。
話題はたくさん有る、ひさびさに顔を見たいと思っている、が、飲む方はいいが、食のすすまないのが困る。
東工大の頃は、いろんな学生達を連れ歩いて、まこと、よく食い、よく飲も、よく話し合った。楽しかった。
「地元のお店」とあるが、妻と歯医者帰りの、江古田のフレンチ「リオン」や、「中華家族」や、スタンドバーや、老舗の蕎麦屋などのことか知らん。練馬駅で下車、気楽な寿司やトンカツを食べることもあった。
しかし、霞ヶ関の丸山君らには、やはり都心が便利だろうか。週末にと丸山君も柳君もいうのは分かるが、金曜の晩のことか、土日のことか、ハテ。いずれに しても今週末は、三十日に建日子演出の芝居を見に行き、七月一日には「選集」⑭が出来てきて、早速二人がかリで、気の張る荷造りと送りとにかかる。函装で 大判の五百頁平均、かなりの力仕事なのである。
七月八日金曜の夕方は、江古田から歯科医院へ。五時頃に、いつも解放される。酷暑の七月初旬には、初体験、逗子まで、義妹の繪の個展にでかける算段をし ているが、逗子という土地、まだ見当もつかない。かなり遠いらしく、久々の遠出体験をすることになる。留守の黒いマゴのためにも、泊まってはこれない。
2016 6/28 175

☆ 秦 迪子さま
ご丁寧なメール、ありがとうございました。

私が仙台に戻りました頃は、朝日子ちゃんが小学校入学前でした。

もう、47年前、ほぼ半世紀も昔のことです。 保谷もずいぶん様変わりしたことでしょう。

建日子様、ご活躍のご様子 本当にすばらしいですね。

私の娘は、建築を学んで都市公団で働いており、今は都心から郊外へ通勤しております。

仙台の梅雨は、いつもそうですが 湿っぽくて肌寒い毎日です。

当地ではこういう気候を「しけざむい」(湿気寒い)といいます。

梅雨の終わりごろ 7月半ばになると、ようやく蒸し暑くなりますが、そちらは、そろそろ蒸し暑くなるのではないでしょうか。

この夏、どうかお元気にお過ごし下さい。
遠藤恵子  元勤務先後輩 元東北学院大教授 前米沢短大学長

* 保谷も昨日今日、しけざむい。

☆ 切れ切れに
読んだ「湖の本130」に続いて「12」9を一気に読了、エッセイ1「蘇我殿幻想」へ戻り…と、久しぶりの「読書」を楽しんでいます。
「亂聲」と新しい歌集の名をうかがって最初に浮かんだのは、「夢幻の如くなり」でした。「敦盛」中の言葉でしょうか。
三十年の節目の桜桃忌を迎えて紡がれる「歌」が華やかで、艶やかでありますよう、「歌集」が成りますよう願っています。  岡山  九

* 偶然の一致かたまたまわたしは今夜「敦盛」と向き合っていた。ただし、心がけている「亂聲」が華やかで艶やかにまとまるかどうか、かなり「みだりがわしく」チンドンヤの鳴り物めいて乱雑かもしれませんよ。
2016 6/29 175

☆ 秦先生
ご連絡、ありがとうございます
承知いたしました とりあえず、今回、ばたばたと日程を決めるのは止めにします
先生のHPを読ませていただきながら、“ここぞ!”という日を見定め(?)、改めてご連絡させていただくことに致します 日比谷でも何処にでも、参ります
家族は皆元気です 妻は私以上に働いています
教師というか、人に教える・導く、ということの大変さを感じます
子どもたちも大きくなりました 上は6年生、下は4年生です 2人とも元気に遊んで、遊んで・・・・学校の勉強など二の次です が、夫婦して“学校の勉強より大切な事がある”と放任しています
ただ、最近は、塾通いの友達も増えたらしく、一緒に遊ぶ友達を探すのにも一苦労のようですが。

それでは    丸

 

* この君らの結婚式の、楽しくもうるわしかった嬉しさをよく覚えている。奥さんの生徒達もはなやいで先生らをこころから祝福していた。
六年生と四年生か。小さかった頃に抱っこしたのを憶えているよ。
2016 6/30 175

* 京都の羽生教授、鶴屋吉信の納涼京名菓を添えて、いつものようにお手紙を戴いた。この方は、いつも読み上げてのお便りを戴くのがひとしお嬉しく有難い。

☆ 秦 恒平選集第十一巻
ありがとうございました。
それに、奥様の美しい山芍薬の絵葉書も……。
「或る雲隠れ考」  まずタイトルが心を捉えます。
『源氏物語』のすごさは 読む年代、読む状況によって 物語がまるで違った表情を見せることにもあるように思いはじめています。
その古典が 現代につながり、今を生きる男女になって 人生と物語を動かしてゆく…… そして、夢か現か 目の前が 今はいないはずの王朝人へと重なってゆく……
源典侍が見え隠れしながら、女の老いが優しく、いや残酷に迫ってきます。
茶室の空間も、茶事の時間も、そのような先人たちの息づかいを感じて 初めて結構なお茶事というものになるような気がしてまいりました。
「もらひ子」に、いろいろな出来事が去来します。
「男の子が、そんな、お母さんと同じ喋り方をするもんやない!」と言った淺井先生にも、きっと何かあったのです。
上方の言葉に慣れていない私には、 夫が義母と同じ話し方をするのが不思議でした。 そして、息子が保育園に入り、京都弁で話すようになり、今度はほんとうにびっくりしました。
「もらひ子」に登場するフロックコートで天皇陛下御真影をささげもつ校長先生や 紙箱に残っていた名刺大の(=支那事変頃の)古写真には遠くない話なの ですが、中国、韓国、インドネシアからの留学生もいるクラスの中で、どう話したら、わかってもらえるのか 現代史の問題は、いつも気になります。
このところ、「京の昼寝」の意味が ようやく理解できるようになってきました。 刻苦精励して学べば学ぶほど遠ざかってゆくもの、 京で昼寝して見るものにこそ価値あることを 身に沁みて知る年代となりました。
十二巻(=生きたかりしに)のお礼は後程 申しあげることにいたしまして、
十三巻の「お父さん、繪を描いてください」を先に読ませていただきました。
サイードの「レイタースタイル」に藝術上の難問を解く鍵を見つけていながら、 自身のレイタースタイルを追求することなく、逝ってしまった主人公には、やはり共感できず、困りました。
父のみならず 大学時代の同級生も藝術に並々ならぬ敬意と執着を持っており、 女も働けそうな領域としてデザインを専攻した身には、居心地の悪さもありました。
そんなときに、東京藝大洋画科の優秀な学生が デザイナーの道を選んでいるという話に驚きました。
松下電器産業在職中に 第一線で活躍していた広告デザイナーが「夢を売る仕事に疲れた」と言って自死したのにも衝撃を受けました。
(作中の=)山名武史氏のデッサン、空気を千に変えるような力を感じるのですが、それが画面の奥に定着してゆく気配がいまいち…… こんな風に思うのは 小説を読んで人生と重ねて観るからでしょうか。
(大学時代の=)講義中、アヴァンギャルドについて熱く語って入らした河本敦夫先生(=わたしも、河本先生の講義「藝術思潮」を聴いていた。)が、 研究室で 恥かしそうに「一番、好きな画家はルノワール」とおっしゃっていたことを唐突に思い出しました。
梅雨がしばらく続きそうでございます。
先生、奥様、どうぞ くれぐれもお身体 大切におすごし下さいますように。  清
2016 7/1 176

* 伊藤壮さん、濁酒どころか、お心入れの名酒「越乃寒梅」をまたまた、二升下さる。感謝感謝。
同窓の西村明男君、名古屋の両口屋是清の菓子をとりどりに沢山送ってきてくれた。ありがとう。
2016 7/2 176

 

☆ 尾張の鳶
昨晩は遅い時刻にHPに記述が掲載され、『モンテクリスト伯』を今夜中に読み上げてしまうと書かれていました。
最近は目がつらいと早く休まれているかと思っていましたので、体調がよろしいかと、些かの安堵もしました。如何ですか? どうぞ、無理だけはなさらず、次は『源氏』が控えているとのこと、これも深い大きな楽しみでしょう。
また、HPには「山名氏のクロッキー」についての感想や「レイタースタイル」についても書かれていました。
折しも昨日から『お父さん、絵を描いてください』の感想らしきものをまとめようと書き始めたのですが、まだまだ読み込みが足りないと痛感して、立ち止まっています。
九州など、地震に加えて梅雨でがけ崩れなど大変ですが、関東もこちらも空梅雨。陽射しがあれば、もう夏本番の暑さで、昨日今日は34度、ため息をつきながら、夏はまだまだこれからと思いつつ、今年も京都の祇園祭りに出かけたいと願っています。
意外と思われるでしょうが、日本を旅した範囲はごく限られていて、本当に東北や北陸など殆ど知りません。ふらふら本領発揮で歩いてみたいです。まあ、暑い時期は無理しません。
EUからの離脱、ブラジルのオリンピック直前の混迷など考えさせられることばかり。
カナダの親友が、シリアからの難民家族を一年ほど自宅に受け入れるらしいと聞いて驚きつつ、カナダという、移民によって形成されてきた国のことも改めて思いました。
取り留めないメールになりました。
帰国して一カ月、芍薬の絵、小さなものですが二枚描いたのが、成果? です。
夏本番はこれから。元気にお過ごしください。
PS
ホームページの紹介の欄、巻き1にこれまでのファイルの事が書かれていますが、読め
ません。
本当に勝手で済まないのですが、ファイルとして、或いはメモリーのかたちで送っていただけたらと思います。以前はHP、わたしのファイルに入れていたのですが。
どうぞくれぐれもお体、大切に。元気でいてください。

☆ 建日子さんの、
同じ創作者としてのご活躍とご成功、お父様としてどんなに心強く誇らしくいらっしゃいますでしょう。
建日子さんくらいの年頃、みづうみはどんなご様子でいらしたのでしょう。タイムマシーンなどあれば、お目にかかりたいものです。きっとご高齢の両親と叔 母さまを抱えて、お仕事にもご家庭にもさらに猛烈な八面六臂のご活躍でいらしたのだなあと、思い巡らせております。  羅  羅(うすもの)に女の息のか よふらく  上村占魚

 

* 建日子は今年の正月に満四十八歳になったと思う。いい大人だ、孫のいる人もあろうか。
わたしの四十八歳は一九八三年・昭和五十八年、建日子は早高生だった。朝日子を嫁がせる二年前に当たる。すでに作家代表として中国へ、ソ連へと旅し、初 の新聞小説「冬祭り」も終え、代表的な仕事や著作の多くを遂げていた。湖の本創刊、東工大教授の生活へもうしばらく間があった。

* 劇団俳優座でこの二、三十年にわたしがもっとも注目し期待し迫力に富んだ活躍を秘かに喜んできた女優の一人から、速達の、いい手紙を受け取った。とく べつ何の用有ってではない、挨拶をしたい、せねばと思いつつ歳月を過ごしてきましたという、それだけのことだが、気持ちの良い熱い手紙であった。
この人、演技する女優であるだけでなく、オリジナルの劇作また演出も手がけていい実績を残している。
こんな人と建日子の秦組芝居とがぶつかれればいいのになと、内心夢見てきた。顔を合わして話し合える機会が有れば楽しいが。

* 下記のアピールが森下辰男氏から送られてきた。
同感する。
お気持ちのある方は、どうぞこのまま、さらにご縁辺へ広くお伝え下さい。

☆  新有権者の投票を無効にしてまで
参院選の勝ちにこだわる安倍政権を糾弾しよう

 

安倍自民党は、参院選の勝利に執着するあまり、二四○万の新有権者の投票を無効にする過ちを犯しながら、連日、悠然と選挙を戦っています。提訴されれば、改正公選法は違憲立法になると言うのに。

憲法九八条一項に「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令(中略)の 全部又は一部は、その効力を有しない」とあります。憲法一五条三項に「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する」と定め、民法四条に「年 齢二十歳をもって成年とする」とあります。しかし、選挙年齢を一八歳とする公選法の改正日には、民法上、一八歳は未成年で成年者ではありませんでした。憲 法一五条三項からすれば当然、公選法の改正よりも前に、まず「年齢二十歳をもって成年とする」民法四条を「一八歳」に改正する必要がありました。しかし、 民法四条は改正されずに、今年の通常国会は六月一日に閉会しました。

現行法の成人年齢に関する法令は二○○本以上あり、関連法との整合上、民法四条を短期間に改正するのは困難とみて施行日まで一年間の猶予期間を設けたにもかかわらず、民法は改正されていません。

安倍政権にとって、憲法の無視は珍しいことではありませんが、歪曲でなく条規の無視は、主権者の国民を無視することです。違憲行為をして平然と構える権力者に、安保関連法や、憲法改正という重要課題を口にする資格があるでしょうか。

憲法の無知は、「今の憲法には自衛隊という言葉はありません。だから、憲法改正に向けて共に頑張りましょう」と自分で語っています。総理の指摘通り、憲法典には「自衛隊」の文字はありません。にもかかわらず、自衛隊は現に存在しています。

安 倍総理は、希代の魔術師です。憲法に規定のないものを、いつの間にかでっち上げておきながら、憲法に規定がないから改正して付け加えると強弁しています。 何という物言いでしょう。「語るに落ちる」とは、こういうことを言うのです。その論法口調で「憲法に軍隊という言葉はない。だから、憲法を変えるのだ」 と、つづければ立派にナチスのヒトラーに比肩し末路も読めます。

ド イツのメルケル首相が東電福島原発事故を教訓に、脱原発を閣議決定して、今年で五年目を迎えました。二度も核の洗礼を受けた日本の首相は、歴代内閣がタ ブー視した集団的自衛権の行使の一部容認を閣議決定し、三月二九日、安保関連法を施行させました。同じ大戦の敗戦国の独首相は、福島原発を他山の石として 脱原発を推進中。安倍首相は「被爆国だから平和利用」と、詭弁を弄して日本列島を核発電所で取り囲み、稼動継続中。世界の世論は、どちらの首相を名宰相と 称賛するでしょう。

選挙戦の結果、最後に笑うのがだれかは別として、この違憲立法に対する責任だけは当然負わさなければなりません。「悪法も法なり」は、法治国家のきまりです。「悪法は法でない」と廃止できるのも又、主権在民による代議制民主政の特性です。

いまの日本は、主権は国民になく、主導権は権力者の掌中にあります。安倍政権が憲政史上に、多数決の暴力で違憲行為の汚点を残したことが、そのことを如実に物語っています。改正公選法の違憲性は、ポスト参院選の話題となるでしょう。も し、このまま違憲性が見過ごされるなら、日本人は憲法を放棄したことになります。それは「日本に明日はない」ということです。新有権者のはじめての投票が 無効になる改正公選法の違憲性が、白日の下にさらされる日は、安倍政権の終焉の日です。提訴が待たれる所以です。安倍自民党壊滅の秒読みがはじまりまし た。
「憲法の心を貫く会」代表 森下辰男
2016 7/2 176

* 中学以来ほんとうにお世話になり続けた亡き橋田二朗先生の、お嬢さんで染織家である有子さんから、また弥栄中学での同級、「お父さん、繪を描いてくだ さい」の冒頭で、清掃担当をサボる男性とを音楽室からモップで勇ましく追い出していた少女の横井千恵子さんからも、京の、いと涼しげなお漬け物をたっぷり と頂戴した。酒の肴にまことに有り難く。 感謝、感謝。
また元岩波「世界」の編集長だった高本さんから、みごとな夕張メロン二顆を頂戴した。

* 京・ほんやら洞や酒房八文字屋へ出入りしていたドクター津田篤太郎さん(聖路加病院)からお手紙と著書と、亡き兄北沢恒彦に触れた佳い一文を頂戴した。感謝に堪えない。

☆ 秦先生
御高著お送りいただきありがとうございます。
北澤恒彦さんとは残念ながら面識なく、私がほんやら洞に出入りする直前に亡くなられ、ご著書を通してのみの「知り合い」です。
しかし、私は大きな影響を受け、書評をさせてもらっただけでなく、十数年後の拙著にも恒彦さんから学んだことを引くことになりました。
秦先生からこのようにメッセージをいただくのも何かの縁と思います。
聖路加でお会いすることがあれば、お声をおかけ下さい。
暑さの折 お体御自愛下さい。  篤

* 「選集⑭」の送り出しは、まず間違いなく今日のうちに作業を終えられる。送り出しもしてしまえるだろう。
新たな体勢での新たな仕事を推し進めて行けるだろう。やや気持ちもラクに日々を送り迎えられる。八日夕刻には妻と歯医者通いがある。その前にも、妻の妹 の繪の個展に、逗子という所まで一日かけて出かけるだろう。逗子の土地勘全くなく、どれほど遠いのか近いのか、知らない。

☆ メールを
ありがとうございました〓〓
昨日は千駄木の焼き鳥やさんで、日本女子大附属中と桐朋(彼女は音大)と両方ともの同級生と、そのまた友人の女性と、三人で盛り上がっておりまして、失礼致しました。
私は、社会福祉士の国家試験の予備校に通っておりまして、朝から学校のある日はどうも息抜きがしたくなり、困ったものです(笑)。
息子さんがこの世界でご活躍なのですね!
どうぞ私のこと、お父様から売り込んでおいて下さいませ〓 よろしくお願いします。
それではまた〓〓〓 苗

* 「選集」第十四巻 送り出しを終えた。熱暑。息も燃えそう。
これでは明日にも出歩きたいが、焙られる暑さかも知れぬ。

☆ 今年初の猛暑日
発送作業の追い込みに難渋なさったことでしょう。
午前中の幾分か涼しいうちに週末の家事を気ぜわしく片付け、昨夜から読み始めた「お父さん、繪を描いてください」を息を詰めるような心持ちで一気に読了しました。
同時代を生きた二人の芸術家の内奥に踏み込み、抉りだしていく「私小説」(事実如何は問題でなく)。
「湖の本」で拝見した時は、同時期に日大芸術科から藝大を出て銀座のデパートで個展も開いた画家の義父(当時は存命でした)の姿も重ねて読んだように思 いますが、いつの間にか「上」を失い、自身も五十の坂を越えての十数年ぶりの再読は、まるで初読のようで、「把握が強ければ表現も強くなる」、「私生活の 微妙さに煽られない芸術の創作はありえない」、「言葉なんて。」…幾つもの箇所で立ち止まり、また先を急ぐようにして読みました。
「寂しみ(闇)を抱いた」阿波野千繪(三輪京子)や「妻」が、幸田や山名にとって結句、どういう存在であったか、ありえるのかも、前回以上に気になりました。
夏バテなさらぬよう、お気をつけください。   小日向  九

* 最後の「気」がかりは、処女作とも云える「畜生塚」このかた作者がひたすら引っ張ってきた懸案。この「気」がかりは、幸田や山名が、千繪(京子)や妻にとって結句、どういう存在であったか、ありえるのか、という問いと、一対をなしていなくてはならないのだが。
とほうもなく難しいのである。自問自答は、作者に科された罰なのかも知れない。
2016 7/3 176

☆ 選集
お送りいただきありがとうございます。
この第十四巻で書棚の一列が埋まりました。
嬉しい宝物 本当にありがとうございます。
大切に読んでいきます。
暑い毎日ですが、少しずつでも召し上がって、体力落とされませんように。
お大事になさってください。  下関  碧

☆ 今、
カーブスというおばあさんの体操教室から汗だくで帰って参りましたら、秦先生から、出来立てほやほやの大変立派なご著書が届いていて、感激致しました。
ありがとうございます〓〓 ゆっくり拝読させて頂きます。
熱中症には、くれぐれも気をつけて下さいませ。 劇団俳優座   美苗

* 送り出した本が、届き始めたらしい。
2016 7/4 176

 

☆ 早々に
HPについてのメールいただき、ありがとうございました。
本当に恥ずかしいほどの無知。教えて頂き、問題は簡単に解決しました。
以前のファイルを読めてホッとしました。
『お父さん、絵を描いてください』についての文章、敢えて送ります。もう少し短い方が良かったのか、人間関係に踏み込んで多くを書けばよかったのかは分かりません。
二日間で些か急ぎ過ぎたかもしれません。批評も評論もやはり苦手なのでしょう。下手はお許しください。
庭のプラムがたくさん実をつけたので、毎日10個ほども食べ続けました。梔子や紫陽花、槿その他 樹木わさわさ繁り、末恐ろしいと感じる夏です。  尾張の鳶

* 挿入ファイルで送ってもらったという原稿が、とてもわたしの機械では追いつけない新式の設定らしく、全然読み出せない。
わたし自身がそうかも知れんけれど、わたしの使ってる機械は、今日の世間では廃物同然のムカシもの。ハイカラさんに見込まれると、立ち往生してお話しにならない。かえって、いたずらもされにくく安心なのかも。
なにしろわたしはどう誘われても、自分の仕事で使う以外の「新式」の誘いには絶対乗らない。

* わたしのホームページをひらくのに、だれが誘導していたのか 「検索」して、jpblue_idx_page.htm などという、ワケの分からないものを通して開いていた、開こうとしていたらしい。世の中での「秦 恒平」 弄くり廻されているのかも。
2016 7/4 176

☆ 秦 恒平作『お父さん、絵を描いてください。』を読む  2016.7.4  高木冨子

『お父さん、絵を描いてください』というこの小説のタイトルは読みようによっては恐ろしくアイロニーに満ちている。
描いてくださいと呼びかける妻、彼女こそ悪影響を画家に及ぼしたと、単純に思えてしまう。
経済的な面でも互いに支えあうこと、その点でも彼女は不足だった。もっとも時代的な背景、現在80歳あたりの夫婦にあっては妻は家庭にというのが普通 だったろうし、家庭の大黒柱、稼ぎ手は夫が当たり前、男の甲斐性だと男たちは重石を背負っていただろう。お父さん絵を描いてと痛切に願うなら、彼がイラストの仕事 を辞めて絵に専念させる、できるような妻の姿勢もあったかもしれないが。
そして病的要素、神経症と痛風という難病が決定的に、結果として夫が絵に向かうエネルギーを削いでしまった。
最初に読んだ時の記憶では、画家山名の内的な葛藤や絵画論の記述より何より、妻の理不尽な言葉や行為に同性としてやりきれなさを強く感じて、あまり同情 も理解もしなかった、できなかった。歯がゆさ、そして彼女の猜疑心に満ちた物事の受け取りかた、感受性を受けいれられなかった。彼女に距離をおいて読むし かなかった。

今回再読して、秦氏の小説の特徴ある筋運びと構造にもあまり難渋しないで読むことができた。入れ子のような構造の小説や年代・史実を確かめつつ読むという史小説でないからだろう。
絵画について述べる以前に文学・小説が扱うのは人の生き方なら、何よりも画家、妻、娘や息子それぞれの人間模様に関心を向けるのが本筋だが、アマチュア絵描きの立場からどう読み解くかとなると、妻や子供たちの芸大受験の失敗や鬱屈も妻の介護も脇に置
いて、今は主人公山名の孤独な姿を中心にアプローチしていくにとどめようと思う。

中学生の頃から絵の才能を見出され、手を差し伸べてくれる先生やパトロンに恵まれ、芸大での日々を送れたことは代えがたく貴重なプロセスに思われる。そ の環境の中で自然に現代絵画の潮流に触れ、戦後の抽象絵画の大波の中で自分の立ち位置を見出そうとしている。ある意味、わたしにはそのような場、空気が実 に実に羨ましい。
そして東京という場は良くも悪くも決定的に作用しただろうと思う。これは東京とその周辺に住むことなく歳月を重ねたわたしの羨望と痛恨の思いでもある。
戦後という状況は現在とは大いに違っていただろうが、大学に入るまで美術の展覧会といえば山下清の展覧会くらいしか知らなかったし、美術の本の出会いは 叔父が買ってくれた小さなモノクロの図案集だった。この本の後ろに何故か狩野芳崖の「悲母観音」や横山大観の「無我」「屈原」のモノクロ写真があった。わ たしの日本画体験の最初だった。幼稚園か、小学校入学の頃だった。

主人公が芸大入学前、また入学以後もデッサンの重要性を忘れなかったこと、それは大いに納得できる。デッサンにより物の本質に迫ること、把握すること、それこそがプロとアマを決定的に分かつものだと。とても厳しいことだが、おそらく真実に近い。真実だろう。
下絵のためのデッサンではない。デッサンのためのデッサン、ものにどこまで迫れるか。p332あたりで彼はデッサンについて述べている。
山名が弁解がましく書き綴った多くの文章は彼のある意味優柔不断を露わにし、絵画論を深めること、言葉で絵画にアプローチすることの危うさを明らかにしてしまう。
絵を描く衝動を削ぐことにもなる。画家は描くしかない。

或る日本画家は「写生、写生、写生です。」と語った。彼は40歳過ぎて視力が極端に弱まり、既に白内障の手術をしたという。
「描くこと、描くことです。」同時に彼は紙や漆などの研究も進め、新しい日本画に挑んでいる。最近やや装飾的要素に傾き過ぎかとも感じるが、しかし美しい。

この作品では、作者自身が「これは実際有ったこと、山名は実在する人物です」と語っている。美とは何かという問いに真っ向から向き合ってきた作者と山名、二人の考えが時に区別しがたい。
グレングールドやバッハ、絵画ではセザンヌ、ジャコメッティ、・・ドイツの現代作家ゲルハルト・リヒターなどへの山名の言及は小説の作者のそれと重なり、好みや理解も窺え、時に区別着かず表裏一体、綯われているかの感がある。
小説の中の手紙・手記のどこまでが画家自身によって書かれたものか。フィクションの面白さに近いものを感じ、小説の構造の複雑があまり苦にならず読み進められる。

山名は卒業後イラストレーターの道を歩むが、常に心の片隅に異物が燻るのを意識する。絵を諦め、同時に渇仰にも似た思いをもち続けた。
しかし彼は述べている。「芸術のために生活を犠牲にするなんてことは、慎重に避けつづけてきました。」と。生活が第一とは・・どこかの政党のスローガンのよう、しかも慎重に避けてきたという。違和感がある。
生活を忘れてしまうほどの魔力、誘惑ではないか、芸術は・・。
絵を描き続けることは、困難なことだろうか。芸術、美術というものはプロであるためにどれほどの困難な生き方を強要する仕事だろうか。

卑近な例から書いてみる。
昔、短い期間だったが書を習ったことがある。その時、師は「わたしはもっと早く書に専念すべきだった。何があろうとも専念すべきだった。」と言われた。当時既に定年を迎えていらした師にとって時間との競争の日々だったろう。
画家夫婦、二人は若い日に戦前のパリで過ごしたこともあった。夫は絵よりも妻以外の女性と読書に傾ける時間の方が長かったらしい。妻はさまざまな職業にも余儀なく就いた。夫が亡くなってからが一番幸せだと語った。
陶芸家、平凡であること、経済的なことを優先して勤めた。退職後も恐らく同じペースで陶芸を続け、全てを肯定的に考えている。
洋画家、いくつかの絵画教室で講師を務める。大学教育を受けていないことがやはりコンプレックスになっているが、同時に自負心も強い。息子が公務員に採用された時には大いに喜び安堵した。
周囲を見回しただけで更に幾人もの姿が思い浮かぶ。が、回答は得られる筈もない。

経済的な安定を無視できない以上、イラストもまた天与の才能の一つの形だと肯定して欲しかった。自分がそれほど努力しなくても周囲から認められて、それを仕事としていける者はある意味大いに恵まれている。そしてその才能を生かしていくのも一つの道、選択と思われる。
仕事であれ、ともかくイラストをこなしていった集中力は画家にあった。イラストは全く美術、芸術とはなり得ないのか。

「50号を月に二枚描いたとして、描き続けるには費用も必要と思ってしまうP237」あたりは全く逃げとしか読めない。高価であっても油絵具、カンバス、筆・・??心配して諦めるほど高額な費用では決してない。
寧ろ、わたしというエゴイストは主人公の画家に対して、何故あなたは堂々巡りに似た、不決断と後悔と弁解を繰り返すのか、と思う。酷な言い方をすれば、何があろうとどこかで突き放し切り捨てる勇気が要る。エゴの塊にもなる時もあるのだ。
そして今こそ、此処で、というのは彼の今生きる場所、彼の家、彼の部屋で、彼の対峙するカンバスに向かって、得心いくまでのものを生み出してほしい。それが売れようと売れまいと、有名になろうが、無名のままか、それももはや問題ではない。
描いて描いて、その中から生まれ来るものはレイタースタイルの一部分を成しているだろう。
描いていると気づくことがある。自然に形になって表れ現れてくるものがある、しかも指紋のように避けがたく自分であるものだ。それを作風の確立と肯定できたら幸せだろう。が、安住してマンネリに陥るのは忌避したい。
せめて、「誠実ではあるが、堪えがたき凡庸p353」からたとい1ミリでも抜け出せるものであれと自分に向かって微かに願いつつ。
ただただアマチュアの迷い多いお絵かき「画家」に過ぎないわたし自身へのエールでもある。
「今は絵を描きうる「環境」以外は、何も要らない状態に私はいます。p538」と山名は書いた。その後、東京から富山へ移転する。その行動に駆り立てたものは・・妥協や諦めと思いたくはないのだが、退き、退き、悲哀と脱力感・・気づいたら崖・・。
そして小説の最後の1ページの最後10行で唐突に山名の死、自死が知らされる。
作者はそのような結末を彼に与えた。

わたしは敢えて家族や京子を無視して画家としての山名の葛藤に焦点を合わせ考えてきたが、小説の読み解きはまだ残されたままと承知している。
小説の筋と異なり、現実の生身の山名が生きているとしたら、わたしは書きたい。残された時間は多くはないのだ。今のあなたの感じるまま思いのまま、培った油絵の技法と油絵への執念を携えて、あなたの描きたいもの、凝視するものを描く時です、と。

秦文学には歴史や美術をふまえたもの、幻想文学の系譜など、いくつもの山脈がある。
それらの中で、いくらか戸惑いを感じたものがあった。それは『迷走』や『ディアコノス=寒いテラス』など実際に作者の身辺で起こり、作者の問題意識を惹起したものだった。周囲への強い関心を抱いた人・物への拘りでもあった。
この系譜は最近の親族・母を描いた作品『生きたかりしに』という大きな成果を得ている。何より歳月に濾過されて他者への思いも懐かしく美しくやわらかな光を浴びている。
苦しくても作者はさらに父や兄を、そして作者自身を書くことを自らに課しているだろう。
どうしても書くのだ、書きたいという熱い魂と書き続ける耐久力。病と時間との競争拮抗を強く自覚しつつ。小説という、ある意味では「美しすぎる嘘・虚構」を、夢を求めて。

追記

小説の中でもリアリズム、具象と抽象などについて多く語られる箇所があった。
私事にわたって恐縮だが、以前からリアリズム、或いはスーパーリアリズム、細密描写などに関心があった。彼らのテクニックに追いつけないという自身の情けない事情もある。が、決して無視できない、絵画本来の秘められた力があると思う。
写真が誕生し、歴史的事件を描き記念し記録するという役割を終えた絵画は、近代以降様々な問いかけが為されてきた。そして現在なお、具象、写実絵画が手 ごわい強靭な力を持っていることは無視できない。戦後の抽象絵画の隆盛、20世紀、今世紀、それは美術にとっても音楽にとっても、ある意味「疲弊」の世紀 であるという人もいる・・。
今美術館に足を運べば、例外もあろうが現代絵画の会場は閑散としている。人は理解可能なもの、現実に依るものを求めて安心するものだから?
先日、わたしはスペイン・マドリッドのティツセン=ボルネミッサ美術館で現代のスペイン・マドリッド・リアリズム絵画の特別展を見る機会があった。
超リアルに描いたアントニオ・ロペスの絵『洗面台と鏡』『バスルーム』などを目を皿のようにして見る人がいて、近すぎると係員に注意されていた。一人で はなかった。あるいは彼のマドリッド市街を描いた緻密な絵。近寄ってみると思いのほか厚塗りでもなく、しかし納得させるものがあった。
残念なことにわたしが殊に興味ある画家、ナランホやフランケロの絵は展示されていなかったが、彼らの絵はリアルを超えてさらに深い意味ある世界を画面に塗りこめている。その地層は豊かである。
日本人でありながら彼らと同じ系譜に属するのは、グスタボ・イソエこと磯江毅。真実の写実絵画を求めた(、と手元にある彼の画集にある)マドリッド・リアリズムの画家だった。残念なことに1954年生まれの彼は2007年に亡くなった。
いつから病を知り死に急かされ描き続けたのか・・晩年の描写は鬼気迫るものがある。
が、彼は寧ろ淡々と絵に向かい合っているようにも思える。
また、秦氏とも接点があったと窺う京都出身の麻田浩。彼の絵画にはリアリズムを遥かに超えた世界があった。それを支えたのはテクニックと、そして何より も彼の内部のさまざまな葛藤だっただろう。精神性、霊性とも言いうる何か。麻田の霊性、いや、既に亡霊の世界の現出だったかもしれない。彼が自殺・自死を 選ぶしか残された道はなかったとしても、彼は信じる彼の道を辿っていった。帰結だった。
彼らの絵に共通して言えるのは単なるリアリズムの追求ではないこと。優れた描写力を支えに、リアルを超えたリアル、そしてイデアル、幻想、象徴に達していること。感知し、人に伝えるべきことを伝えている。語っている。

ティツセン美術館の後にソフィア王妃。現代美術館にも足を向けた。
膨大な現代美術の集積。そこには評価定まった写真も多く、またデッサンやオブジェも溢れていた。が、徐々にただ通過していった。苦行にも似て・・疲労と空虚を感じた。
(身体的疲労を差し引くとしても)
時代は、世界は、どのように変容していくのだろうか。時に暗く暗く屈しつつ、しかし根底では光を信じて、同時代・現代を生きる人たちの営為に目を向けていきたい。

* 長文の寄稿に深く深く感謝。
この作に最初に強い好意を寄せて頂いたのは作家であり東大名誉教授である西垣通さんだった。とても嬉しく励まされた。作に自信を持たせて貰った。
高木さんは、自身画家であり詩人でもあり、多年、独りで西欧もアジアも歩いてきた人である。
とりいそいで、ここにこう置かせてもらったが、別に相応しい場所も用意したい。
また異なる思いや違憲の人たちもおいでかも知れない。厳しくわたしの作を語って頂ければ有り難い。

☆ 暑さお見舞い申し上げます。
ぎをん祭りの行事に入ると急に暑くなりました、お変わりありませんか。
今日は、色々と用事が出来て暑い中外出しました。
帰ったら、選集第14巻が届いてました、何時も有難うございます、沢山頂きました。
私も今日佃煮をお送りました。食欲が無いとか! おもゆかお粥に添えて、お米の力を頂いて、体力を付けて下さい、体力が付いたら、秋に帰京出来たら? と思っています。
くれぐれもお気をつけて下さい。   京・今熊野  華

* ありがとう。 いただいたお茶を毎日点てています。干菓子が、ピタリです。お元気で。

☆ 雷雨の前に
帰宅、無事に第14巻を受け取りました。
有難うございます。
昨夜から「みごもりの湖」を読み直し始めたところでしたけれど、また読みたくて注文していた本も今日届きましたけれど、大好きな「四度の瀧」とあってはもう駄目、家族の帰りが遅くなったのを幸い、夕食もとらずに夢中で読み終えてしまいました。
「みごもりの湖」で「精衛、海を填む」の言葉を、「四度の瀧」で「尋ね人」の語を大切に心に刻んでからもう何十年、その間に死なせ、産み……私の身にも様々なことがありました。
今回選集で読み直してみて、「お父さん、繪を描いてください」の三輪京子が「ひと垂らしも」余分なことを「わたし」に言わなかった(そこに強い「意志」 も感じます)のに対し、「四度の瀧」の安是京子は、妻になれなかった母の事、*のすえであった自分たちの事を堰をきったように「あなた」(この作では一人 称を用いるのを避けていたように思いました)に語り、それが亡き生母とクロスしていくところで、その姿が消えて作品も閉じられているのが印象的でした。
それは、山名が「わたし」に手紙を綴り、遺書を京子に送り、その死を京子が私に手紙で告げて終わるという書簡を大きな軸とした「お父さん、繪を描いてください」に対し、
「四度の瀧」では書簡を送り、歌集も出した表現者は安是京子だったのとも関わっていると思います。「身内」「倶会一処」とも、「愛しとおもふ吾妹」「恋 のしげき」「恋のゆくすゑ」ともいう安是京子との物語が、「お父さん」ではより苦く寂しいものへと変わっているようにも感じました。
四度の瀧を見たのは何年前のことだったか、もう一度見たい、改めてそう思いもしました。
纏まらぬメールですけれど、今夜の内に送ります。
お体、くれぐれも大事になさってください。  九段  澤

* いい読者です。感謝
2016 7/4 176

* 上越の光明寺さんから自然薯蕎麦をたくさん、また京都の加門さんからは白粥に添えてと好物の佃煮や塩昆布を頂戴した。ちにかく、この朱明の夏、しっかり食べるべし。

* 選集第14巻を
有り難う存じます。
半世紀にわたって書き続けられた優れた作品をこのように立派な選集にまとめられて、私たちに御恵贈賜りお礼のことばが見つかりません。
私事にわたり恐縮ですが妻の肺気腫がすすみ、このところ主夫の仕事に追われる毎日となりました。年をとれば起こり得ることと割り切っています。  吉備の人

* 胸痛むおしらせに動揺しています、なにとぞなにとぞお大事に、ご平安にと真実祈り居ります。

* いっときの晴れ間は
すぐに終わって、今日はまた梅雨空に逆戻り。幾分涼しくてほっとしますね!
お変わりなくお過ごしのことと存じます。
また、「選集 第十四巻」昨日戴きました。ありがとうございます。
「マウドガリヤーヤナの旅」、「なよたけのかぐやひめ」は以前読ませて戴きました。
また『蘇我殿幻想』は古書店で単行本を手にいれました。写真もたくさん載っていて、楽しみに読んだものです。
(あの時代の人間模様にとても興味をひかれます)
それ以外は未読ですので、これからじっくり厚い全集本と格闘(笑)することにいたします。
150冊限定選集の記番のところに、「帰去来」の朱印押印のあって、どんな意味と想いで送ってくださったのかなあと考えております。
また、感想などおくらせていただきたいと思っております。
「朗読」の方も昨秋からとてもよい先生に巡り会うことができて、(ただし、毎回厳しい指摘が多々飛んできます)ますます励んでいます。
夏が過ぎ秋のころに、お会いする機会がありましたらうれしく存じます。
それまで どうぞおげんきでお過ごしくださいませ。  田無   夢

* 早大図書館から、「選集」⑭ 受領の挨拶あり。

☆ どの作から
読ませていただこうか、やはり「四度の瀧」始めて読ませていただいたときの強い思いが甦ってきます。
こわごわ読み出しましたが、今はすんなりと読めます。あの頃の震えるような怖さは?
若かりし頃の作品への思いを思い出しながらも一作一作丁寧に読ませていただきたいと思います。
貴重な選集 ありがとうございます。
この重いご本を丁寧に多くの方たちに送り出される労力の大変さを改めて知り、ご本への重くて強い思いを深く感じました。
お身体壊されないようにと、お身体の調子の良い日が一日でも多くありますようにと祈っています。   練馬   晴

☆ 秦先生
大変立派なご著書が届きました。ありがとうございます。
布張りの本を久しぶりに手にしました。
(ちなみに、手製本を、自分でもするのですが、布張りにはまだ挑戦したことがありません。いつか。)
湿気の多い日々が続きますね。
お身体ご自愛ください。    叡  藝大卒
2016 7/5 176

* 山頭火が井泉水さんのお弟子だったと、再認識した。いま、わたしの頭の上にはその井泉水さんの揮毫で「秦 恒平雅兄一餐」と為がきのある「花 風」の二大字が額装されて、かけてある。
太宰賞受賞後、雑誌「春秋」に請われて、エッセイ「花」「風」を二年連載中に、「愛読しています」とお手紙を添えて井泉水先生から贈られてきた。私の、嬉しいお宝である。
文章を連載中に、畏れ多いほどの老先生から「フアンレター」を頂戴した思い出には、丸善の「学鐙」に「一文字日本史」を三年連載中に戴いた下村寅太郎先生のお手紙があった。西多幾太郎先生の高弟であられた。
高齢の井泉水先生には伊豆までお目に掛かりに出かけたことがある。
やはり高齢の下村先生とは、もうお一方西山松之助先生と、鼎談の司会をさせて頂いたことがある。
あ、忘れてはならない、岩波の「世界」に「最上徳内」を連載中、森銑三先生に激励して頂き、お目に掛かったり御本を戴いたりした。「森銑三著作集」がいま、わたしの「選集」と並んでいる。
2016 7/5 176

☆ 「第十四巻」拝受。
「懐かしくも心嬉しくもある」一巻です。
先行の「四度の瀧」は、そこに添えられていた年譜、昭和五十四年七月の項に、紀伊国屋で初めてお会いした記述があります。それが作品の印象にもつながって 前記の思いを誘うのです。
あれから四十年、あたたかいお心をいただいています。
今は人様にご迷惑をかけないようにという心がけだけの毎日です。 受取を兼ねてお礼まで。
天の川今年も半ばすぎしかな  万太郎
半夏生草が色づく(?)ころ、梅酒づくりのためとかで、ハチミツの売り出しがあります。例年まとめて買っていますが、「嬉しかった」というおことばをま(傍点)に受けて、暑中(残暑)お見舞としました。
お大切に。   能美市  井口哲郎  前石川近代文学館長

* ありがとう存じます。ハチミツも、いつも夫婦していろいろに頂いております。元気の源です。
井口さんは、刊行中の選集のために「秦 恒平選集」の本体・函の背に有り難い書を書いて下さった。目の真ん前にはや十四巻 ずらっとまことに美しく本が並んだ。
* 折口信夫研究家である石内徹さんから、今回もまた、「選集十四巻」に多大のご支援金を頂戴した。心より感謝申し上げます。
追いかけるように、京都の作家川浪春香さん、板橋区の歌人松坂弘さんからも、有り難いご支援を戴いた。

☆ 暑い むしむしとした毎日です。
体調のこと お案じ申し上げております。
著作選集十四巻 ありがとう存じました。刊行が順調でうれしいことですが、その分、体調のこと気にかけております。
送料のたしに、少々同封しました。   松坂

☆ まだ
梅雨も明けておりませんのに この暑さでございます
本日は 選集第十四巻を頂戴いたしまして まことにありがとうございました。
このようなご高著を頂くだけでももったいないことでございますのに、ご直筆のおたよりまで賜り 恐縮いたしております。 どうぞくれぐれもご養生ご専一になさって下さいませ。
シナリオ拝見、どなたか映画を撮影する監督さんはいらっしゃらないのでしょうか。
益々のご栄硯をお祈り申し上げます  かしこ  春香

☆ つぎつぎと
選集が出て、その本は美本ではたさんの志が伝わります。僕は枕元に本を置いて少しずつ読みます。そうこうしている間に第14巻が送られてきました。
「四度の瀧」は以前、じつに美しい本を頂きました。
僕はいま、メキシコのベラクルス大学内で(=墨画の)個展を開いています。
開会式には僕ら夫婦は参加できませんでしたが、二女が代表でメキシコへ行ってきました。たくさんの人がきてくれました。   島田正治

* 何時も頂く葉書に、迫力に満ちた墨の繪をじかに描いてきて下さる。京都出身の先達である。

☆ 本日
秦 恒平選集第十四巻拝受いたしました。
「四度の瀧」から読みはじめておりますが、今回も改めて秦様の旺盛な筆力、創作欲に感嘆しております。まさに作家になるべくして生まれて来た方、という思いがしております。
それにしても、もう少し、賞を授賞されてしかるべきだったのではないか、と、いう気がします。谷崎賞などは当然と存じております。
しかし、文壇の政治とは離れ、孤高の作家として旺盛な活動を続けて来られた姿勢には、これが本来の作家のあるべき姿とも考えております。
様々な意味ですばらしい本をありがとうございました。 草々  鋼  元筑摩書房編集者 飜訳家

* お茶の水女子大、昭和女子大、三田文学、山梨県立文学館から選集受領の挨拶があった。

* 小田原の安藤啓一さん、今回巻の「製作費」をと、御送金下さった。
2016 7/6 176

*  文化出版局の中野完二さん、朝一番に、大吟醸「大和櫻」を下さる。
先日来、朝日新聞社の伊藤壮さんに頂戴した無垢純米の「越乃寒梅」を心底楽しんでいた。やはり安い生協のワインや缶ビールとちがって名酒の無垢はおいし い。とにもかくにも家の中ででも熱中症は怖い、われわのように手足の痙攣痛に悩まされやすい者には、飲食にも冷房にも用心が大切と思っている。偏頭痛も、 いわば屋内熱中症の気味であったろうか、昨夜中から明け方へ頭痛が嵩じそうであったので水分とともに、常はぐっと控えているロキソニン一錠を服したのが、 よく利いてくれている。
2016 7/7 176

☆ 秦恒平さま
メールをいただき、ただただ恐縮しています。
ご本をいただいてから、お礼の一つも申さずご無沙汰し本当に申し訳ありません。
私達夫婦はお陰様で健康に恵まれそこそこ平穏に暮らしています。もちろん自然に少しずつ歩み寄ってくる老いを感じつつですが。
ご無沙汰の言い訳をするならば、理由は二つ
一つは「お父さん、繪を描いて下さい」への感想をどう書けば良いか悩んで。
もう一つは昨秋ふとしたきっかけで、台湾基隆を訪れることを思い立ち、それはこの6月後半に実現したのですが、そのことに私は尋常でなく心奪われて居たのです(このいきさつは後述)。
その船旅が終わり、つきものが落ちたようになったところへ秦様からのメールをいただき、やっとお返事を書こうと思えるようになりました。

湖の本で「お父さん、繪を描いて下さい」を読んだときから、印象は強烈でした。
とにかく、あのボールペンでの(作家幸田=秦を描いた=)肖像画に驚嘆しました(今もしています)。そして、芸術家として生きるってたいへんなんだよなあ--と思いました。

さて、今回読み返して前回以上に懐かしく興味深かったのが、前半主人公の京都での繪の勉強時代です。
私は山名さん(秦さん)より2学年下ですので、山名さんが中一、二の時は小学生、ようやく油絵を描き始めたころです。京都での展覧会デビュー? するの は山名さんが帰郷されたあとの、昭和26年頃になります。その次第は、自分史「ひまわり」(E-文庫・湖 所収)に書いたとおりなのですが。
私の師事した二紀会の水清公子先生は、関西美術院で黒田重太郎門下、文中にスミコさんとして出てくる先輩はやはり関西美術院の津田周平さん(作中の津島 耕二さん?)の指導を受けていました。関西美術院に私は出入りしたことはありませんが、通っていた人は少し知っています。
結局私もスミコ(後に京大病院小児科医・金成純子)さんも、大学進学を前に、繪の道の恐ろしさに何となく気がつき、敵前逃亡の様な形で、京大受験へと切 り替えたのだと思います。そして二人とも、どこか繪への未練と後ろめたさがあった気がする。そして身近に「同じ仲間」がいることで、慰められていた気がし ます。二人とも、「山名」少年ほどの天才ではないと、早くに知って良かったのかなあ。
純子さんは結局繪を再開する前に白血病で死んでしまいました。そのときの私の喪失感は単に友人を失ったに止まらず、繪への最後のつながりを持ち去られた気がしたものです。
そこから、どのようにして立ち直れたか-----。
いろいろな経緯があって、今は細々と、でも絶えないように水彩のスケッチなどしています。

次に弥栄中学の職員室風景に興味をそそられました。
というのも、以前お話しした気がしますが、私どもの菩提寺は、七条にある東本願寺派の正因寺と言いますが、このお寺の住職が当時の弥栄中学の青年英語教師・万年元雄先生です。父上の前住職が癌で急逝され、”いやいや新聞記者を止めて”寺を継がれました。
母は、法事などの日程を決めるのに、いつも弥栄中学の職員室に電話していました。橋田二朗先生とは仲良しだったみたいです。今もお元気で住職を務めて下 さっています、が、先日奥方を亡くされ、お悔やみの手紙とお供えを送ったらわざわざお電話を下さり、久しぶりにお話しをしましたが、さすがに気落ちして居 られました。
そうそう、夫(=藤江孝夫君)にはこの天才(山名)少年の記憶は全くないようで、興味は卓球だけ。片岡秀公さん(=歌舞伎の片岡我當君、現仁左衛門の長兄)と一緒にプレーしたとは覚えてるようです。

ここまでは”私の興味”の話です。
もう少し本質的なところで、いろいろ考えさせられました。
抽象と具象、私などの様なアマチュアでも悩んだところです。
スーパーリアリズムの作品を見ると、こんなに書けるのだといつもクラクラします。
写真が、対象を写し切れていない事は、私にもわかります。
この先の難しいはなしは私には無理なので、すっ飛ばして、
最後の、線ばかりで書かれた肖像画が「作家幸田さん」の内面までも伝えている繪は、写真以上に「伝えることが出来る!」が、答えなのでしょう。
主人公の山名さんは”繪が上手すぎた”んでしょうねえ。
(ピカソは小さいときから無茶苦茶繪が上手かったようですね。10代で写実は完成し、あとはそれから抜け出す努力、絶えずたどり着いた境地を壊して次を目指し、長生きして、しんどかったやろうなあ、と思い、尊敬します。)
写実が苦手なら、自然に別の方法での本質への迫り方を見つけることができる気もするのです。
いろいろ考えさせられましたが、それをまとめて文章にするのはこれまた大変なしごとなので、今日はこの辺でお許し下さい。

もう一つの、台湾基隆について。
私は本来は「基子」と名付けられました。
もと子は、単なる読みに過ぎないのに、届出した伯父が勝手に仮名にしました。
1937年にシナ事変が勃発し11月に父は招集を受け台湾基隆に赴きました。
母は父の実家の新宮川町五条の家に移り、12月31日に建仁寺前の武藤医院で私を出産しま
した。
早速台湾の父に知らせが届き、小隊の皆さんに祝福され、若い少尉さんの娘は「基隆の基をとって基子が良かろう」となったようです。だから「あなたは基隆の基子ちゃんなんだよ」と言われ続けて育ったのです。
基隆ってどんなところなのだろう? と思い続けて育ち、生きてきました、なんていうと大袈裟なんですが、私にとって大切な「原風景」だったんです。
一度行ってみたい、見てみたい。
昨年九月ぼんやりテレビを見ていたら、クルーズ船が基隆港に入って行くではりませんか、そうだ! この手があったのだと、後先考えず(息子をお供に)一部屋申し込み、それから出港の日まで夢中で過ごしました。
6月17日 奇しくも「父の日」の朝、船は基隆港に着いたのですが、まあどうってこともない港でした。80年近く経っているのですから山と海の形くらいしか”昔のママ”のものはないでしょう。
がっかり--ではないが、「ああ、そうか、ここか」くらいだったのですが、夕方出港するとき、折しもまだ白い満月が海から登ってきました(写真)。
月は昔も同じだったろう、父はどんな思いで眺めたのかな、そう思いを馳せたとたんに、つきものが落ちたように私の原風景は鮮明になり、その風景の中に少尉の軍服姿の父がすんなり融け込みました。
すっかり満足して、あとのクルーズ生活を大いに楽しんで帰って来ました。
(私の航海したコースを今台風一号が訪れています!!)

おかしなメールになりましたがお許し下さい。
2016/07/07      藤江もと子(実は菅本基子)

* あざやかな、一種の名文が此処に、在る。この人は、この明晰にして感性に富んだ健康さで今からでも小説が書ける。このメールからでも、小説世界へ展開し表現を結晶させられる力感をわたしは受け取る。以前寄稿された作にもそれを感じたが、いま、もっとハッキリ感じる。
ただ無意識にそのつどの思いや状況を伝えて下さるメル友であるが、この人からの在るメールが刺戟にも示唆にもなって、いま書いている「清水坂(仮題)」 という新作小説は千年の時空を懸命に飛翔しつつあるのです。幸いに出来上がれば、大笑いか大唸りかしてもらえるだろう、ぜひともそこまでガマンづよく書き 進め書き上げたいと願っているこの頃なのです。

* 京都府立総合資料館 東京都立中央図書館、日本近代文学館から、選集⑭受領の挨拶があった。京・下鴨の大学同窓澤田文子さん、奈良県五条の研究者永栄 啓伸さんからも礼状が来ていた。澤田さんからは祇園会や漢字博物館の資料そらに雅な香木などを添えてお手紙を頂戴し、永栄さんにはお手紙とともに紀要「皇 學館論叢」に発表の「秦 恒平『閨秀』論」抜き刷りを二部頂戴した。ありがとう存じます。
また東近江五個荘の川島民親さん、江東区の藤原龍一郎さん、品川荏原の本間久雄さん、渋谷笹塚の佐藤宏子さんから、有り難いご支援を戴いた。感謝に堪えません。
2016 7/7 176

☆ 秦恒平さま
身に余るお言葉のReをいただき、又しても恐縮しています。
まず、万年先生のご住所を。

万年ご住職とはいろいろ楽しいエピソードがあります。

基隆にも秦さんを楽しませるエピソードがありまして。
当時父が親しくしていただいた仲間の少尉さんが、長谷川素逝さんでした。
当時の台湾はまだのんびりしていたようで、休日を過ごすために、長谷川さんと二人で街中に下宿部屋を借りました。
長谷川さんはそこで読書や作句をなさっていたようで、畑違いのビール醸造技師の父も俳句の手ほどきをしていただいたとか、こちらはまるでものにならなかったようですが、スケッチをしたり本を読んだりしてたようです。
不細工な赤ん坊(私)の写真なども素逝さんに見ていただいたのかも。
隊にはもう一人京大出の兵隊さんが居られました。、
多分秦さんご存じの、のちの同志社大学文学部教授の小森啓助先生。
私が京都大学に合格し新聞に名前が出たのを見つけて、年齢を指折り数えて「あの時の基子さんにちがいない」と、女子校に保護者を問い合わせて確認し、連絡してきて下さいました。
戦争をはさんでお互いに消息がわからなかったのでびっくりしました。
基子は、このように大切な名前なのです。  藤

* 小説というのは、異様な素材を見つけたり作ったりして書けるというのではない、日頃、年頃の普通の生活の中から感性と想像力と言語的敏感を用いて紡ぎ 出すのである。そのためには、五官がいつも生き生きと環境や状況や世相や人相へむかって働いていなくては、と言うよりも、さように働いていれば自然に人は 小説家に成れる。うまいへたはその先の勝負である。この人は、手づかみするように小説の材料を虚空から掴みだしてこれる。精神に活気があるからだ。
2016 7/7 176

* 妻の女子中・高校からの親友市川澄子さんから、北海道、青森また九州の果実ジュースを沢山頂戴した。
2016 7/8 176

☆ 『秦 恒平選集』第十四巻を拝受いたしました。
各巻ごとの編集の妙に、またそれに相応しい内実の蓄積に感嘆しているのですが、本巻も驚嘆です。存分に楽しませていただきます。
前巻掲載の「迷走」(三部作)遅ればせながら拝読。秦さんが、このような”人間臭い現実”を作品化されていたことに驚きました。労働組合が不思議な力を 持っていた時代、私は幸か不幸か闘争に深くかかわったことはなかったのですが、同時代にすぐ傍にいたものとしてリアリティ以上のものが押しよせてきまし た。
これもまた秦文学の世界なのですね。
今夏は格別の暑さになりそうです。どうぞ呉々もご自愛下さいますように。
いつもながらのご厚意に御礼申しあげます。  敬  講談社役員

* まだまだ騒壇人で働いていた頃、講談社からは、単行本『初恋』『冬祭り』『愛と友情のうた』『茶ノ道廃ルベシ』など出して貰い、秋成の書き下ろしは書けずに迷惑をかけたりしていた。
しかし、なによりかより講談社とのご縁で感謝に堪えなかったのは百十巻前後の「日本文学全集」の配本だった、最初の配本は谷崎潤一郎集の一、わたしたち が上京し就職し結婚してまだ間もない頃であった、貧の極、大学院での奨学金の残りで敢然と購読し始め、その月々の一巻一巻がわたしの文学教室となった。読 みに読んだ、作品はもとより各作家詩歌人批評家らの「年譜」まで目を更にして読んだ。あの出会いがなかったら、わたしの文学人生ははるかにやせこけてとて も半世紀など保たなかったろう。
俳誌「みそさざい」主宰の上村占魚さんの丁寧な紹介があってかつて「群像」の鬼編集長といわれた大久保房男さんにも親しくして戴いて、もう「騒壇余人」 になっていた身でずいぶん心強い文学のちからを戴いていた。徳島さんや天野さんともペンの理事会や会合で出会った。このお三人からはあの「日本文学全集」 編纂に立ち会われたであろう文学の香気がいつまでも感じ取れてそれが有り難かった。

☆ 御元気ですか?
八十歳は やはり疲れますね。別役さんに出演出来て 私、別役さん好きですから 三本目ですが、楽しんでいます。
寄るのケイコは疲れます が 身体が動くうちは やってみます。
御本ありがとうございます。
お変はりありませんよう……   原知佐子  女優 大学同窓

* がんばってや。
いちどでも、建日子の創る舞台へ舞い降りてくれませんかね。夢見ています。

* 神戸の木山蕃さん、また新しい印顆を心がけて下さっていると。感謝。
今朝一番には、笠間書院編集長橋本孝さんから「京 はれま」のチリメンジャコを戴いた。まさしく酒肴絶好。感謝します。

* 立命館大学、西東京市図書館からも受領の挨拶があった。「三田文学」新刊が届いている。
第十四巻の製作請求書も来ている。書いて書いて書いて積み上げてきた仕事が、この豪華なと謂えるほどの選集刊行をいま可能にしてくれてる。そして、ほんとうの「いい読者」のみなさんが。

☆ 秦先生、おはようございます。
「選集」第十四巻をありがとうございました。

「蘇我殿幻想」やはり好きです。

入り組んだ内容を、一本一本の糸を、切ることなく丁寧にほぐすように繰り広げてみせてくださる描写に、推敲の威力を痛感します。

「小説というのは、異様な素材を・・・」の、「精神の活気」に、ああ、と。

明日は投票日ですが、暑気払いに夏季限定酒はいかがでしょう。
午前中は御在宅でしょうか。   各務原  都  詩人

☆ 成果が出なければ
閉業との方針を打ち出した新取締が来社、話し合いと団交は紛糾しました。
学生の頃に読んだ「迷走」、きっと初めて共感できる部分も発見もあろうと思いながら、今は順番待ち。
家では「みごもりの湖」、車中では川崎長太郎「父島」など(「徴用もの」ではありますが、「砲火」とは書かれている世界も書き方も全く異なりますね)を読んでいます。
このところ体調があまり良くないようですが、お酒飲み過ぎないで、水分と栄養を意識しておとりになってくださいね。
元気回復なさいますよう。   九

☆ みづうみ、お元気ですか。
頭痛軽快なさいましたでしょうか。
選集第十四巻ありがとうございました。毎回ご本の届く度に有頂天。幸せ者です。添えられたお言葉に胸が熱くなりました。
本棚にずらり並んだ秦恒平選集を前に、日本には間違いなくこの世界があると励まされています。この選集、お先真っ暗なこの国の数少ない希望の一つなのです。
谷崎は生前何度も発禁処分受けていますが、今後は焚書と発禁の時代の再来になるかもしれません。あらゆる予防手段を講じる必要があります。今のままではパ ソコン故障が心配でなりません。データの保存どうかお急ぎくださいませ。少なくともホームページを信頼できる方々(建日子さん、読者でパソコンのある程度 できる方)に保存していただくようお願いいたします。

 

選集、湖の本と次々に刊行予定で、読者冥利に尽きます。個人的には、新作「ユニオ・ミスティカ」全体が無理なら一部だけでも近い将来に読ませていただきたいと願っています。今までのみづうみの作品からは想像のつかない小説のような気がするからです。
「ユニオ・ミスティカ」はみづうみの長年のバグワン親炙の果実ではないかと想像しているのですが、そこに複雑で矛盾にみちた秦恒平の秘密の一端が解き明かされそうな予感がしています。  羅  羅(うすもの)に女の息のかよふらく  上村占魚

* わたしも、さもあらんと心配し、いろいろ対策しないとと思いつつも弱ってきたアタマで思案がしかと及ばない。さしあたり、厖大な内容に「成ってしまって」いるホームページをだけでも、保存と運営とをいずれ預けられないかと願ってはいるのだが。

☆ 選集第十四巻 受け取りました。
ありがとうございました。
「湖の本」 秦教授の自問自答・他 楽しく読了いたしました。
今回選集は 静かに多彩な佳品世界に浸りつつ読み込もうと思います。
厳しい暑さが続く様です。お体大切におすごし下さい。 四国・今治  年 図書館長

* 岩波「世界」の高本さん、東大大学院文学部、国会図書館の受領挨拶があった。

* 「吉備の人」有元毅さんから純米大吟醸「赤磐雄町」一升を、染織家渋谷和子さんからみごとなテーブルクロスを、頂戴した。豊中市の、大学同窓安川美沙さんから手紙と倶に、シューベルトの演奏盤を頂戴した。感謝申します。

* 奈良の歌人東淳子さん、愛知知多の久米則夫さんから、過分のご支援を頂戴した。感謝申します。
2016 7/9 176

☆ 佳い絵と好きな絵が
すこし違うので、絵を描く人も、観るだけの人も大勢いて、それぞれに、好きな絵があり、好きになるきっかけも、さまざま。
「お父さん、絵を描いてください」の3枚のラフスケッチをみて、作者から、読者への仕掛けとしても、好きなのは、マチスのような線というせんが、こびりついています。で、なかなか読み始められない。はじめから、構えている感じです。
いろいろな中身に、圧倒されるのが判っていて読み始められないのです。もうすこし、自分に、体力がほしいと。
こんな毎日です。   柚

* なかなか難しい。
しかし自身で繪を描く人ほど「山名君」にいろんな向かい方を強いられているよう。
もっと他の制作画も披露してみようか。

世界はそよいでいる と 山名君

山名君描く 金沢風景
写真ではありません。

* 山名君(作中の仮名)の二岐れの絵画世界観とも見えますが、繪を描かれる方々、いかがでしょう。
2016 7/10 176

* 朝一番に、神戸の岡田昌也さん、見るから美味そうな焼きあなごを八本も送って下さった。栄養も美味も満点、これは酒の友とも主とも、健康のためにも、大いに有り難う存じます。
意地きたないようだけれど、わたしの日々は、このようにして読者の皆さんに賑わわせて頂いており、励まされている。感謝に堪えません。

* 村上開新堂の山本社長、美味いクッキーがびっしりの大きな一缶を下さる。夏場は生菓子はおやすみですが杏の菓子をつくります、また送りますとお手紙。感謝。伝統の老舗の美味、いささかも飽きない。食の進まないときには絶好の主食にもなってくれる。

*  詩人の山中以都子さん、超特無垢の「三千盛」一升に添えて2016日本の夏 旨い酒「三千盛れいじょう(冷醸)」純米大吟醸を下さった。有り難し。「越 乃寒梅」「赤磐雄町」そして「三千盛れいじょう」と、最高級の美酒を抱いて、けわしい夏を乗り越して行きたい。京「はれま」のチリメンジャコが恰好の涼し い肴になってくれる。
2016 7/10 176

☆ 山名氏の繪
小説を読むまえに、書いているのは、ただ、彼の絵に「思ったことだけ」ですが、
絵のテクニックは、学べても、「何を伝えたいか」という、私が最も大切と思うこと、それが、無い、みたいな。
「お父さん、絵を描いてください」 読みますね。 柚

* 繪で「何を伝えたいか」 繪で「伝えたいもの」を「伝えたい」  だから、描く。
微妙に難しい点が、ズカッと出てきた。
「描きたい」もの・ことを 「描きたいテク」で 「描きたい」  観る人がなにを観るかは、べつごと、という創作姿勢もあるのでは。
もっとホカにも、「描かずにおれない」モチベーション、あるのでは。
創作とは なにごとであるか、それが問題になる。

☆ 前略
巻末の「メモ」を拝読して「とっときの御作を編輯」されたことを知りました。徳に福田恆存先生の「温かなお叱り」が、「湖の本」創刊「起動の熱源」となったとの仰せは、私も親しく担当をした先生が「いかにも」、と、深い感動を覚えました。
最後の「人も押し…の和歌は「何しに吾らかくもやまざる」の御感慨と、感銘致しました。
近頃の異常気象は如何なることならん、と気になりますが呉々も御体調に留意され、さらなる御健筆をお祈り申して止みません。 七月九日  草々不一  忠  元「新潮」編集長

☆ 拝啓
今年の梅雨は例年とは異って真夏日があったり急に気温が下がったりの変化で、とまどうこの頃です。先生にはお変りございませんか お身体に障らなければと思っております。
(略)
ご本をいただきますたびに、口絵を拝見するのも楽しみにしておりますが、選集第十四巻、私家本の写真は初めて拝見するもので、タイヘン興味深く思いました。全画とも御奥様の手になるものと知りました。(菅原万佐という=)筆名にも驚きました。
驚いたと申しますと、第十四巻所収の「懸想猿(シナリオ)正続」を「湖の本」で拝読した折のことも思い出しました。あの時も、シナリオをお書きになるということが驚きだったからです。
目次を開いて、複数の作品が収められてあります時は、いつもどの作品から拝読させていただこうかと、迷うのも楽しみの一つになっております。第十四巻は、あれこれ迷いながら「四度の瀧」から拝読させていただきました 好きなお作の一編です。
これからまた迷い迷いして、他の作品をゆっくりと拝読させていただこうと思っております。
素晴らしいお作を拝読できますことに心より感謝申し上げております。
梅雨あけには今しばらくの間もあるようです。どうかくれぐれもご自愛下さいますように祈念申し上げております。  御礼まで   敬具   憲  前藝術至上主義文藝学会会長 詩人

* 京都の詩人あきとし じゅんさんから、金沢の作家金田小夜子さん、神奈川近代文学館、天理大学からも 受領の御状を戴いている。

* 高松市の星合美弥子さん、静岡市の鳥井きよみさん、花巻市の照井良彦さん、及川恵美子さん、三鷹市の唐澤篤男さんから、過分のご支援を戴きました。御礼申します。

* 義妹からも、いつものように、多大の応援を貰った。有難う、有難う。
2016 7/11 176

* 古家の、いろいろなところが、かびてくる・・・  そんな結びのメールをもらって、お、佳い一句に成っているじゃないと受け取った。こう世の中湿気に満ちてくると、そのまま、あるままの事態がふしぎに風情に変じてくる。
2016 7/12 176

☆ 暑中お見舞い申し上げます。
いつも御高著を頂戴しながらお返しもできず、心苦しく想っております。
こんど頂いた第十四巻、まず「なよたけのかぐやひめ」から読み、圧倒されました。
私も若い時代に 演劇を志し、劇作などに励んだこともありますので、むことの他、この作品の品格、ことばの美しさに感銘しました。「懸想猿」のようなシナリオもお書きになるのです。ただ、ただ、御礼申し上げます。  色川大吉  思想家 東京経済大学名誉教授

* 「なよたけのかぐやひめ」の日本語と品格をお褒め下さり、跳び上がりそうに嬉しい。

☆ 前略 お世話になっています。
いつも「湖の本」を楽しく拝見しております。このように永年にわたり継続されていせっしゃることに敬服しております。
ラボパーティは、おかげさまで、今年50周年を迎えました。その記念の年に、ラボ・ライブラリーの最新刊行巻GT25『ハムレット』を河合祥一郎氏の監修のもと制作しました。ここに一セットお送りいたします。何かのおりに聴いていただけますと幸いです。
いつもいつも、ごあいさつもできずにおり恐縮しております。
今後もどうぞよろしくお願いします。草々  ラボ教育センター取締役  渡邊浩之
2016 7/12 176

* 野澤利江さん、心づくしの美酒三本と酒肴いろいろ、送ってきて下さった。

* 高麗屋松本幸四郎丈 夏向きに美味さ行き届いて念入りの生蕎麦を、たっぷり送って下さった。
食べる それがこの夏の大きな私たちの課題である。食べねば弱る。
2016 7/13 176

 

☆ 参議選挙では
後継者を当選させることができず、申しわけありませんでした。その間に、選集第十四巻と湖の本130をお送りいただきありがとうございます。
選挙後、当面の最重要の仕事は、会館と宿舎の片付けと引越しで、肉体労働に没頭しています。
この国の先行き誠に心配です。後輩連中の奮起を期待したいのですが。
暑中お見舞い。 草々    元参議院議長

☆ 暑中お見舞申し上げます。
お変りなく御健勝のことと存じます。
このたびは『秦 恒平選集』第十四巻、ありがたく拝受いたしました。「後書き」を興味深く拝読し、読書欲に衝き動かされております。
とり急ぎ 御礼まで。  国文学研究資料館 館長

☆ 秦恒平様
もう2週間は経つと思いますが、先日、『秦恒平選集』 第十四巻を頂戴いたし、忝う存じました。
いただいた頃は、3年前に米国で出版されたヨブ記注解との格闘の最中でした。ヨブ記は42章あり、その半分の1章から21章までをこの注解書が扱ってい ますが、「緒論」だけで450頁もあるという、とてつもない大作です。その上、ヨブ記の構成と思想に関しては私見と真っ向からぶつかります。それゆえ、緒 論の数十頁を、著者の見方を批判的に吟味しつつ、苦労して読んでおりました。
なお、必要あって、先週はパソコンを最新のものに変えました。外付けのバックアップ装置を介してパソコン内容の引っ越しを行えば、グレードが上がった新 たなパソコンに不具合が発生します。その解決に手間取りました。その他やむなき事柄が発生し、いただいた選集第14巻を拝見するのが今日になってしまいま した。
本日、選集14巻の頁を括りました。「自愛」の作品を集められただけあって、秦恒平という物書きの多様な関心事と夢に付き合ったように感じます。とにかく面白く拝見しました。ご恵贈に深く感謝いたします。御礼が遅れましたこと、お赦し下さい。
今夏は猛暑が予想されています。どうぞご自愛下さって、この夏を乗り切って下さい。平安。
ICU 名誉教授  浩

☆ 冠省
選集台十四巻「四度の瀧」他をご恵贈いただき拝受いたしました。ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
昭和58年春ごろでしたか、妻が電話を受けたのですが、息急ききるように「先生からよ、秦先生からよ」と、とり次いでくれました。私も そばに居た世父や母もびっくりして、何と受け答えしたかさえ分かりませんでした。「四度の瀧」を出版させていただく第一歩でした。
私は本造りには全くの素人です。先生には特にお力添えをいただき すばらしい本ができました。
推敲を重ねた先生の原稿も、谷崎松子氏の署名、題箋、出岡画伯の原画も大切に保存しています。
昭和59年 私には、一日一日を指折り数えるような年でした。よくここまで過ごせたものと すべてに感謝しています。中でも「四度の瀧」には 大きな力をいただきました。 改めまして ありがとうございました。
昭和61年、湖の本創刊から 30年 130巻 出版史に残る大きなお仕事です。
選集とともに続刊をご期待申し上げます。
御礼おそくなりました。 京都にも寄ってきました。祇園祭の前で、華やいだ雰囲気でした。
何必館の筋向い(弥栄中学校跡地)に、漢検、漢字博物館、図書館が6月29日にオープンしていました。ロビーには、祇園祭ぎゃらりぃ があって山鉾巡行の動画を見せてくれました。
末筆乍ら、暑中お見舞い申し上げます。
先生も 奥様も くれぐれもお大切にお過ごしくさい。  紀の川市 三宅貞雄 朱心書肆主人
些少、同封致しました、お納めください。

* 三宅さんに造ってもらった限定美装本「四度の瀧」は、身贔屓なくこんなに瀟洒に美しく仕上がっている本を、わたしはほかに知らない。谷崎松子夫人の題 字署名の優しいこと、森田曠平さんの版画、出岡実さんの装幀・装画、さらに印刷は精興舎、製本は牧製本、製函は高根製函所と、いずれも日本一の名声を得て いた先であった。三十年を経て本は微塵も姿をくずさず、本体と函との相性は、選集を引き受けてくれている凸版印刷株式会社でも「完璧ですね」と賞嘆された のである、そういう本を三宅さんは「朱心書肆」の名を建てて造って下さった、わたしの五十歳を祝って下さったのである。有難うございました。

☆ いつも
ご本を通して人生勉強をさせていただきありがとうございます。今回、立派な選集(14)をお送りいただきお礼申し上げます。大事に楽しみによませていただきます。 茅ヶ崎  吉川幹男

☆ 秦さん こんにちは
六日、新潟(=の実家)へ最新刊をお届けいただき、ありがとうございました。
「マウドガリヤーヤナの旅」はお気に入りの短篇です。子どものころ、芥川龍之介をよく読んでいて、秦さんの短篇(海外の題材もの)は芥川に似た語り口のようで、もっと心を揺さぶられる作品ばかりでした。
さて、時間はかかりましたが、無事、新しい一歩を踏み出すことができました。八月より新潟、柏崎へ引っ越します。落ち着いたら、またお便りします。
お体、ご自愛くださいませ。  奈良市  藤田理史

☆ 御本 いただきました。
素直に有りがたく頂戴することにしました。
有り難うございました。
黒とんぼが一尾 八年前に兄が亡くなり その一年あと頃から毎年のように この時季になると飛んできます。二、三日庭の同じところに、そして いなくなります。
ここ 三年ほど気がつきませんでしたが 又 見つけました。
つゆ明けとともに 暑さも酷しくなることと存じます。
どうか御身大切に お伺い下さいませ  かしこ  京・有栖川  桐山

* 久しい湖の本の読者であるが、この方をむろん直には存じ上げない、のに、いつもこのように、ふっと優しい風情を文におきかえ届けてくださるのに心惹かれてきた。

☆ 「懸想猿」
なつかしく拝読させて頂きました。
暑くなりました。お体お大切に。  中野区  恭

* 毎々御助勢を賜り 感謝しています。
2016 7/13 176

*  朝一番に、国際ペンの常任理事堀武昭さんから銀座で専売の資生堂洋菓子をたくさん、元京都新聞記者でエッセイトの杉田博明さんから観るから涼しい京の夏 漬物をたくさん、大阪の読者河野能子さんから大好きな京・亀屋良永、軽妙無比の御池煎餅を二缶も、また金沢の作家金田小夜子さんから名酒能登誉の純米大吟 醸二升を豪儀に、また吉備の有元毅さんから珠玉の葡萄ピオーネの大房を戴いた。嬉しく、感謝申します。

☆ 拝復
豪華「秦 恒平選集」第十四巻 お手づからご恵与たまわりありがとうございます。京都同窓の方々や熱烈な読者をさしおいていただいておりますようで恐縮です。
私家版表紙の写真を拝見し、奥様のご助力大きかったこと 改めて感心、筆名の由来は何か、またシナリオ修業のことうかがうなど、作家誕生にかかわり興尽きません。
湖の本を学生達と回覧、時にまぎれて返却なきこともありましたがそのまま許すなどおうような頃を思い出しております。
「猿の遠景」 推理小説を読むような趣で、清盛、後白河院のかかわり、宝蔵の行方など考え、装丁かわることで再読の機得ますこと暑く御礼申し上げます。
かわりばえしませんが郷里のうどん(稲庭)お届けすることでお許しください。
時にあばれ梅雨の模様、思うにまかせぬ気象 くれぐれもお揃いでお大事にと念じております 草々   神戸大名誉教授   周

☆ 秦恒平様
暑中お見舞い申し上げます。
『秦恒平選集』第14巻を頂戴し、誠に有難うございました。「冬祭り」に通じる、私の好きな作品「四度の瀧」を再読。『明治の古典』現代語訳で選ばれた 「高野聖」「龍潭譚」への言及があることでも嬉しい本作に、主人公の女性の口をとおして「原発なんて、いつか壊れるわ」という言葉が記されていたことに気 づき、改めて慧眼に惹かれました。今回の参議院選挙の結果は、とても情けなく思っています。
京都は、今、祇園祭。
一昨年から復活した後祭を楽しみたく思っています。 同志社大学教授  励

☆ 湖へ
お元気ですか。先日は選集をお送り頂き、ありがとうございました。
私自身の体調も少し穏やかとなり、おかげさまで慌しくも元気で仕事と稽古に出かけています。
別便で 私の美味しく感じたお酒をお送りしました。味わって頂ければ嬉しいです。 上用賀  珠

* いつも変わらず選集へのご助勢 有り難く。

☆ ご挨拶が遅くなり 申訳ございません。
暑中お見舞い申し上げます。
庭で蝉の抜け殻を見つけたり、ゴーヤが少しずつ大きくなるのを 手に取りながら楽しんだり… 今年も夏がやって来たなあと 独りぐらしの長き日の感謝です。
「湖の本130 秦教授の自問自答」 殊に楽しんで読ませて頂きました。 いつも乍らですが、迪子さんへの感謝の思いが あちこちに伺えて 私にとりましては 我がことのようにうれしい事と 妙な気分? になっていました。
本当に 力を合わせて ここ迄 ご立派としか言い様がありません。 一読者として、お祝い申し上げます。
参院選挙も終りましたが 次は都知事ですね。「福島みずほ」さん 私も応援いたしました。
七月十日 選挙の日 私は京都へ出かけていました。同志社の「住谷(=悦治先生・経済学 総長)会」の集りで、相国寺に墓参の後 松井本館(女将が卒業 生)で懇親会と食事会でした。当時ゼミのメンバー達 東から西から25名程が集りますが、今年は選挙当日でもあり 学生時代の様に 活溌な思いが止りませ んでした。
鶴見俊輔先生のことも話題にのぼりました。市川(=夫君)が逝って十九年ですが、友は皆、健在でした。
書棚を整理していましたらー江藤淳氏が自殺ー見出しの新聞1999年7月22日(木)の読売新聞夕刊が遺作「妻と私」にはさまっているのを見つけました。座り込んで 又 ページをめくってしまいました。その年の10月末に夫は亡くなりました。
秦先生は 江藤淳さんの後任教授として東京工大にいらした事、湖の本で知りました。
本の感想など お話したい事いっぱいありますが字も乱れてきました。「信仰とは」など、興味もってよみました。
歌集「少年」は小さくて軽いので よくバッグに入れて愛読しています。
どうぞ、秦先生のご体調よろしく、迪子様も 決してご無理のございませんよう、 生き抜いて下さいませ。お祈り申しております。
同封致しました「DVD 新島襄 その心」は亡夫の友人が昨年製作したものですが、未だ手持ちがあるとか で 私も余分に協力致しました。お時間がございましたら観てあげて下さいませ。
やがて梅雨が明けましたら 夏本番です!!
お互い 一日一日 楽しい時間を過ごせます様 元気でいましょうねぇ
思いつくままの乱文 お許し下さいませ。
迪子様                 神戸市垂水区  澄  妻の高校同窓 大学同窓

* 実意と優情とのこもったこういう自在に静かなお手紙をもらうと、ああ、これが人間の素養なんだと、しみじみとする。

* 戴いたDVD「新島襄 その心」を妻と一緒に観た。
わたしは同志社、同志社という学生ではなかったように思っているけれど、結果的には、新島襄の精神を承けて、自由な市民の一人として権威的な支配に卑屈 に膝を折ることなく、よく学んで、よく励んで、自身の個性と才能をはぐくみ伸ばし続けて来れたのだと思う。総括して、良かったと思う。高三の秋に体調を崩 して、そのままどこの大学も受験せず同志社大学へ成績推薦されたのを受け容れた。だれもが秦は京大へと思っていたようだが、強いて拘泥するものを持たな かった。それで良かったのだと今もむろん我が歩みを顧みることができる。
2016 7/14 176

☆ 暑中 お見舞 申し上げます。
どこからか祇園祭りのお囃子が聞こえて来る様な気がいたしますね
お変りございませんか?
先日は 第十四巻のご選集をご恵贈頂き有難うございました。
先月末頃には義兄(91歳)が永眠いたしましたので 寝たきりの長姉に代って喪主代理の務めやその他いろいろな対応に追われて 御礼が遅くなり まことに申し訳ございません。
後を継ぐ子供がいない事は 本当に寂しい事で……
又 落着きましたら ゆっくりメールをさせて頂きます。
暑さの折 くれぐれもお身体お大切にお過ごし下さいませ。  奈良あやめ池 絹  高校後輩

* お大事に。 変わらぬ過分のご支援、有り難う存じます。
2016 7/15 176

☆ 先に写真を送ってみました。
宵山はあまりに混雑するので、今年は、宵々山に。
連れが行ったことがないというので二条城に行きました。京都に最初に下宿したところが堀川押小路で、二条城は毎日眺め、よく一周を散歩したものです。 が、二条城には何十年ぶりかで入りました。ほとんど記憶は薄れ、長い廊下を歩き狩野派の襖絵(模写です)を延々と眺めました。
宵山の街は夕方から交通規制、四条は勿論、烏丸通りも高辻までは両側に露店が並んで、やはり混雑していました。
京都に住んでいたら暑さを堪えて毎日でも歩き回るかもしれませんが、今回は日帰り旅で慌ただしい一日でした。
マゴちゃん、静かに静かにしているとか。苦しまないのがせめてものことと思っても、やはり家族はおつらいことでしょう。
わたしは犬や猫、鳥などいろいろ飼って、随分泣きました。中学生の頃は半月ほど狂いそうなほど悲しかった・・それ以来自分から生き物を、特に犬や猫は飼えなくなりました。
これから夏本番、どうぞくれぐれもお体大事になさってください。  尾張の鳶

祇園会 菊水鉾
祇園会の町家

* このところ祇園会に触れた関連番組も多く、心惹かれて、つらくもなる。羨ましく読みました。

* 仕方がない、わたしは東京の郊外電車にでも乗ってきましょうかね。

☆ 秦先生、おはようございます。
メ-ルを、ありがとうございました。
一昨日は、奥様から美しいお葉書もいただきました。ありがとうございます。

絵柄から切手にいたるまで、お心の行き届いたおたよりで、いつも、恐縮しつつ大変うれしく、大切に保存しています。

「なよたけのかぐやひめ」の、滑るような軽やかさ、リズム感からは、ワルツがきこえてきますね。
そういえば、先日、なにげなくつけたTVに、沢口靖子のかぐや姫が現れて、びっくり。
ちょうど、最後の、天へ帰るシ-ンでしたが、円盤に吸い込まれてゆくのにはたまげました。

沢口靖子には、まだ少女の面影がありましたが、太い三角の眉が妙に気になりました。

熊本をはじめ、昨日は千葉や横浜など、豪雨のニュ-スがつづきますね。幸いこちらの雨は穏やかですが、心配なことです。

参院選、都知事選、テロにク-デタ-、と息つく間もなく、定家を決め込むのはなかなかに難しいことのようです。

先生、奥様、どうぞお体ご自愛下さいませ。マゴちゃんもお大事に。  各務原市  都  詩人

* 「定家」を決め込むことは、どうしたくても、してはなるまい、身をつねってでも、「息つくひまない」今日に眼を見ひらいていなくては。
澤口靖子の映画を観たことが一度もなく、「かぐやひめ」をやったのは聞き知っていたが、とてもとてもと、靖子よりも書き手作り手に乗って行けなかった。靖子は「きあんちゃん」そして、ま科捜研の女で宜しい。コマーシャルで齢のことは。言わないでもらいたい。
2016 7/16 176

* 「吉備の人」にまたも頂戴した葡萄の「ピオーネ」の美味にそと出とお出の疲れが癒えた。美味い物はじつに美味い。

* 小松市の八代啓子さん、毎々のご支援を賜り、感謝申し上げる。
2016 7/16 176

 

☆ 秦 恒平様
突然のお便り どにたから? と思いながらおなまえを拝見したら 「秦 恒平」。すぐ「三輪山」を思い出しました。
弥栄中学校の教員になったばかりの頃、頼りになりそうな二人の先生に出会ったのです。橋田先生と西池先生です。昭和27年6月16日(秦註 これは万年 先生の記憶違い。わたしが弥栄を卒業し日吉ヶ丘へ進学したのが昭和26年4月のこと。先生はわたしが中学二年生のうちに、おそくも三年生の頃から弥栄の先 生だった。先生が指導の演劇部に顔を出していたのだから、間違いない。そこで本読みしたのが、逍遙の「桐一葉」だった。わたしは読めたが、忽ちに演劇部は 続かなくなった。印象深い。)新任先の弥栄中へ不安な気持ちで赴任しましたら まず目に入ったのが西池先生(秦註 三年生時の担任。数学。菅大臣神社の宮 司さん)でした。旧制中学の一年先輩で よく顔を覚えていましたので、まずご挨拶申し上げましたら、大変 丁重に接して下さったのでホッとしました。その 日から何かにつけて相談相手になって下さり勤務が楽しくなるくらいでした。その横の席に橋田先生がおられたのです。お二人共、ものの考え方が、私と共通部 分が多く、私のその後の人生も 大きく支えて下さったように思います。
退職してからも 三人で旅行したり、スキーに行ったりの……楽しい思い出ばかりです。
話がそれましたが、その、貴著「三輪山」を橋田さんからいただいたので 貴方のお名前がその時からあ他のにきざみ込まれました。「湖の本130」にも 両先生のことがありましたので なつかしく拝読しました。
特に親しかった教員三人組も、私一人になり淋しくはなりましたが、貴方の後輩の弥栄中学卒業生が、昨年十一月一日に、同窓会に招待してくれました。卒業生77歳、私88歳のおめでたい会合でした。
新聞記者から教員へ。そして今、小さな寺院住職として生かさせていただく有難さを感謝しながら 自然体で過ごさせていただいております。
沢山の貴著 御本をいただき、誠に有難うございました。
厚く 御礼 申し上げます。   京都 正因寺  万年元雄

* 叮嚀なお手紙で恐縮した。懐かしいというにもあまりに久しい初の触れあいだが、先生の風貌の独特の大きさなど記憶に刻まれてある。わたしが二年生の頃、三年二組の担任をなさっていたのではなかったか。

☆ 選挙を終わり、とはいえ東京は又々知事選で大変ですね。
いつも選集や湖の本を 有り難うございます。
お酒 能登誉二升 お送り致します どうぞご賞味下さいませ。
やっとゆっくりご著書を楽しむ時間ができました。くれぐれもご自愛の程 祈念しております。
闇夜とて 花火に優るたいまつを煌々かざす我が師と共に  小夜
先生の不屈魂に尊敬を込めて。

* うそくさい闇の世ながらさりながら心な折りそ眼をみひらいて  遠
2016 7/19 176

☆ 毎日暑いですね~
お変わりなくお過ごしのご様子で何よりと嬉しく存じます〓
世間の喧騒から離れても、加齢と共に身の回りに起こる慌ただしさに、体力の衰えを実感しています〓 自分に与えられた人生の仕事 役割と思いながらも  支えて下さる人様の存在が ますます有り難く嬉しい事でございます〓  これからも感謝の気持ちを忘れず謙虚に~これが難しいですねぇ~ 残された人生過ごして行きたいと思っています!
これからもお身体お大切にお元気でお過ごし下さいませ〓 絹

* ロスの池宮さんからも便りがあった。暑い中で、みな元気なら、なによりです。
わたしは、体重のリバウンドに気を付けないと。家にばかりいて、飲み食いしていては太りますなあ。太るのは禁物。
2016 7/20 176

☆ 拝啓
「秦 恒平選集第十四巻」をいただきました。ありがとうございます。
巻頭の「マウドガリヤーヤナの旅」を拝読しながら、芥川の「杜子春」や「蜘蛛の糸」を連想しましたが、母アモーガの変貌と、最後にその辺暴利理由が明か される成り行きに、ああ、これは御生母様につながる作品なのだな、と勝手に推察。果たして巻末の文章にそのような事情が記されていて、得心しました。ア モーガの機略にうらめしさと、どこかホッとする自分がおります。
猛暑になりました、くれぐれも御大切に願います。敬具。  三島賞作家  義

* 進行している二つの選集のために、大事な補足をし終えた。おそらく、今年中に私の選集は第十七巻までを成し遂げていよう。

* 今日、ある都内の「湖の本」読者から130巻の払込票に、「200巻を以て、継続購読をやめます」と。あと70巻を、年四、五巻の刊行で15年ほど。著作両の不安は無い。心身健康であらねばと、思いを新たにする。願わくは日本国の平安が保たれていますように。
2016 7/21 176

 

* いつもお世話になっております。
9月歌舞伎座のご注文ありがとうございます。
今月は巡業公演でして、本日は福井県での公演のためバスでただいま移動しているところです。
温かいお言葉、染五郎に伝えます。ありがとうございます。
お身体をどうかご自愛くださいませ。  そめいろ

* 元朝日新聞社の伊藤壮さん、すばらしい大桃を八顆も送って下さった。夏の果物の、桃と葡萄は、王のよう。吉備から戴いたピオーネの二房の美味しかったこと、言葉にならない。桃、一両日おいて食べるようにと。勿体ないような色と匂いと。感謝申し上げます、

☆ 暑中お見舞い申し上げます
御著「湖の本」130巻 拝受致しました、ありがとうございます。あわせて創刊満三十年おめでとうございます。しかし凄いですね。出版し続けるのはなかなか出来ないこと、頭が下がります。小生も秦さんに負けずがんばらねばと……。励みになります。
自問自答拝読し 小生も自問しています。答がなかなか見つかりませんが…。
今夏は例年になく暑い夏になりそうです。
世の中、いやになることが多々ありますが、どうぞ御身体にはお気を付けて下さいますよう。くれぐれもお怒りにならず、心平穏にお暮らしくださいますよう。不一    葉山町  詠 作家・協会理事

☆ 選集第一四巻 ご恵与いただきありがとうございました。 変わらぬお心遣い恐縮です。
暑くなってきました。お元気お祈りしております。草々 さいたま市  興  元平凡社

 

* 出田興生さん、過分のご支援をいつものように添えて下さり、私こそ、恐縮。ありがとえ存じます。元平凡社の駒井正敏さんからもお手紙をもらった。駒井さんが私より一つ若いと知った。

* 神戸松蔭女子学院大から選集の、武庫川女子大から湖の本の受領挨拶があった。
2016 7/22 176

☆ 何事も変わらず
淡々と傘の大台に向かって同学年のどん尻で歩んでいます。
夏休みの孫の同伴で、暑さが和らぐお盆過ぎ頃に京都へ出掛ける予定。  泉

* 淡々と。この悪たれた現代には、最良の処世と、羨ましく添え、思う。
2016 7/22 176

* 久保田淳さん(東大名誉教授)から新著『鏡花水月抄』を頂戴した。多年に亘る泉鏡花への論考や発言の集成された一冊である。感謝。

* 小松市の矢代啓子さんに、金沢森八、夏とびきりの名菓「葛切り」をたっぷり頂戴した。京の葛切りを戴きおえたところへ、金沢の名品、嬉しいこと。
2016 7/23 176

☆ 寒暑有代謝
宗 遠様   夕時家に戻ると階下で町内会の夏祭りをやっていて、裸電球のぼんぼりに子供達の浴衣姿が照らされていました。夜には向かいの札幌ドームで花火が 上がり、間近で音と光を楽しみました。いかにも夏らしい風情でしたが、風は冷たく、職場に戻ると気温は18度になっていました。
寒暑有代謝    (寒暑ニ 代謝アリ)
人道毎如茲    (人道モ ツネニ カクノ如シ)
仕事柄、地球温暖化に対応する研究も手がけていますので、南の酷暑・豪雨と北の冷夏は気になるところです。
「寒暑有代謝」は文字通り天然自然に振り回される農業の姿であり、「人道毎如茲」は農業研究に従事する自らの姿、悩みでもあります。
但し私はお酒が飲めませんので、茶を喫するのみですが。
箭のごとく過ぎ去ってゆく今は、後で思えば貴重な時なのに、ただ雑事に追われ無為に過ごしているような気がしています。
なにより、奥様共々お元気で過ごされますよう。
またいつかお目にかかれますことがありますよう。  札幌市  宗哲

* maokatさんが「茶名」で呼びかけてきたのは初めてかも。この農業研究者は、風雅の気味をただよわせた創作や文章も書かれ、何編も、わたしの電子 文藝館 「e-文庫・湖(umi)」 に掲載されている。また、そのような宗哲さんらしい述懐の文章が読みたいなあと思ってきた。
大事な事へ「背を向ける」危うさは言うまでもない、が、それだけに、静かな内奥に風雅をやしなう気力はとても大事と思っています。
宗哲maokatnは、お酒はやらないが、ふだんに、お茶を点てていると。生来の好み、よく聴いて知っている。彼はたしか表千家流。
わたくし 裏千家の宗遠hatakn も、この二月近く 毎朝お茶を点てて、妻に一服 わたしは二服 かならず喫している。茶筅をよく用いて底の底まで濃やかに泡立て、そのふっくらと盛り上 がった美しい茶を美味しく戴いている。さすが茶筅はすこしずつ消耗し、お茶は残り少ないまで幾缶も服してきた。補充はデパートで。よくよく喫茶は身に適っ ており、菓子もいつも頂き物があって有り難い。

* わたくし、しかし宗哲さんとちがい、お酒も大好き。この一と月足らずに、越乃寒梅、青磐雄町、大和櫻、三千盛そして今は二升の能登誉、これがまたじつに旨くて、ぞっこん惚れている。惚れるとは正にこういう事。
しかも、酒茶論の古来落ち着くところ、いつも両方が佳いと結論されてきたように、お茶とお酒とはじつにうまく合う・適うのです。そのことを、中学高校大 学の昔に此の宗遠めは、実践し承知してきた。幸せという感懐の「酒茶」は嬉しい一象徴なのである。しかし人には強いません。宗哲さんも、どうぞ奥様ととも に健康でお幸せに。

* 四国の大成繁さん、甘みたっぷり、大好きな白桃を六顆送って下さる。ありがとう存じます。
2016 7/24 176

☆ 「螢籠とうから夢と…」
最も好きな作「慈子」。電車で文庫を、家で選集を読み継ぎ、深い嘆息と共に読み終わりました。
文庫には無かった「かの、得ざる妻」辺りの考証(選集では、「欸乃」のルビや「舟うた」の表記など 細かなところまで手を入れられているようですね)や、「桃のはなちる道きはまれり」の本歌などにも新たに目を引かれました。
「慈子」の後、電車では湖の本版「或る雲隠れ考」を読了、並行して家では選集第三巻の「隠沼」(東雲亭の描写や、「今生のことは」に絡めて川端康成の 「夢幻の如くなり」が出てくるのも興味深いです)「隠水の」「月皓く」に続き、単行本も、やはり大好きな「誘惑」へ入ったところです。
久しぶりに読み直した初期のお作、いずれも源氏物語や徒然草と根を一つにした「死なれたものの文学」(空白の「雲隠れ」を填めようとしたモウンニング・ ワーク)であったと、改めて思いました。また、「超えがたい現世的不毛」と表裏して、「生前死後」などあってもなくても良いような「結ばれ」(名付けるこ とのできない関係)を描いた「慈子」を踏まえ、泉涌寺で二人だけの「結婚」式を挙げる「隠水の」は、夫の子をみごもり、産んだ後に二人がどのようにあり得 るのか、次の段階へ踏み込もうとした作であったとも。(出逢った時点で既に夫も子もいた「四度の瀧」は、「次の段階」ではなく「別の設定」と考えます)
刊行の度に書き直された「或る雲隠れ考」(作中に「隠水」「隠沼」の語が繰り返し出てくるのも、これらが大きなひと連なりの作品群であることを証してい るように読めます)は、今の私にも「気がかりの作」です。子を死なせた「母」、「母」に死なれた「私」。子を葬ろうとする「母」と「私」、自分の中にも 「父」の厭らしさを見てしまう「私」。(「情念には烈しさも美しさもなかった。恋という気組みが私にはなかった」、「微妙な近親感さえ薄れ」「私たちの子 を葬り去ろうとしているのを~面白い暗号」と思うと、「身内」の意識とは全く異なるものが、極めて突き放した形で表白されています。)「生きたかりしに」 で「母」の物語を書き終えた選集版では、最終版としてどのような改稿が為されたのか(或いは為す必要はなかったのか)と想像をめぐらしています。
お世話になっている京都の方が、ちょうど今祭りなのでと「山鉾巡行餅」などを手土産にいらっしゃいました。ゆず求肥が美味しいですね、馴染まれたお餅でしょうか。
昨日今日と、地元も夏祭り。その祭りも果てて、娘と夫が帰って来ました。
ここ数日、眠る時間も起きる時間も気にせず、読みたいものを読んで、のんびり過ごそうと思います。
お元気で。   九

* 「いい読者」をもつ幸せ、作家を刺戟し育てる力がそこに在る。ちょうど今しがた、「螢籠とうから」の徳女句を慈子の部屋で目にしているところを私も原作「斎王譜」で読み直していた。

* 「e-文庫・湖(umi)」に、別のある読者からの大作と呼んでいい「秦 恒平」論を入れておいた。私自身はそれをまだ読んでいない、毀誉褒貶のいずれにせよ、道半ばで動かされてしまってはいけないから。むしろ他の大勢の読者間 で検討して頂く方が先ずは適当と思っている。同様の大作がもう一つ届いていて、これも感謝しつつ、読んでいない。これも 「e-文庫・湖(umi)」の「批評・論考」の部「e-文庫・湖(umi)」屋に掲示しておきたい。
「e-文庫・湖(umi)」への作品掲示とネット社会への転送がまた可能になっている。埋もれた先人の秀作や意欲ある新人の作を受け容れて行きたい。

☆ 選集第十四巻
拝受いたしました。心より感謝申上げます。それにしてもうれしい作品ばかりで心楽しい!!
「かぐやひめ」 数十年前、娘が参加していたラボセンターを想い出す。中一の夏休みに独り渡米(ホームステイ)の冒険なども。
今、習っている「蝉丸」 お説の通り戦中は天皇神格に反すると上演禁止されていたそうです。
「猿の遠景」 有益でした。   (「讃岐の風物 ざるうどんを食す」と大きく添え、豪快に「手」と「箸」と「うどん」の「絵」葉書で。)   丸亀市   繁

* 昨日、立派な白桃を頂戴しました。ありがたく。感謝。

☆ 拝啓
もうすぐ梅雨も明けることと存じますが、秦先生にはいかがお過ごしでしょうか。
先日は 選集第十四巻をご恵与くださり、感謝申し上げます。勤務のあまりの多忙にまたお礼が遅くなりましてお詫び申し上げます。
また、このたびは巻末に父(=神学者・野呂芳男さん)のことに触れてくださいまして感謝申し上げます。当時のことを少々思い出したりいたしました。大切に、楽しませていただきます。
秦先生のご健勝とご活躍を祈念申し上げます。敬具  信  東洋大準教授
2016 7/25 176

* 福田恆存先生の奥様から食が進むようにと海産物を、能の梅若万三郎さんからは夏の涼菓を頂戴した。恐れ入ります、感謝申し上げます。
2016 7/27 176

☆ みづうみ、お元気ですか。お元気ですか。
本 日は十年前のことをありありと思いだしてご冥福をお祈りするばかりでございました。やす香さんがご健在でいらしたらと思わぬ日はございませんが、昨今の暗 雲たれこめる世界を考えるとき、やす香さんがもう決して恐ろしい惨禍に巻き込まれることのないことにささやかな救いを感じております。みづうみと奥様にと りましてはそんな生易しいことではないことは重々承知しておりますから、失礼なもの言いでございましたらお許しくださいませ。あの夏から耐えに耐えて十年 間を文学一筋に焔の道を駆け抜けてこられたみづうみを心からご尊敬申し上げています。

 

eー文庫に掲載していただき、びっくりいたしました。まだ途上のものですのに、ありがとうございました。昨年精一杯書いたものですが、少し寝かせて今新し く書いているものを仕上げてから本格的直しに入ろうと予定していました。論の骨格については変わりませんがまだまだ不完全なものです。目を通していただけ る方が万が一にもいらして、ご批判いただければ勉強になりますし、本当に嬉しく思います。

ところで、私のお送りした外付けのディスクは使用可能でしたか。使えるようでしたら新しいものをまた送らせていただきます。ウィンドウズバージョン不明とのことで、もうお伺いしませんが、心配でしかたありません。

新しいパソコンは使えるようになるまで少し苦労ですけれど、 日進月歩で信じられないくらい動作が早くなります。出来るだけ早めに、致命的クラッシュになる前に移行していただきたいと切望しています。今現在みづうみの機械が動いているのが不思議で、≪神様お願い≫の信仰の世界に思えます。寿命のある機械をこれほど長い期間使い続けていらしたことだけでも奇跡に思えるのです。

シェークスピアに「悲しみが来るときは、単騎ではやってこない。かならず軍団で押し寄せる」という有名な言葉がありますが、これはある閾値を超えてしまうと、負のスパイラルが一気に加速していくことをよく表現していると感じます。

世界は危険の軍団が押し寄せています。暴力の連鎖のとまらないことは言うまでもございません。ニースやドイツの無惨なテロ、黒人と警官で内戦かというアメ リカ、トルコのクーデター失敗と粛清、昨日の相模原の障害者施設襲撃も、世界のあちこちで新しいかたちの戦争状態=個人や小さな集団レベルの戦争が始まっ ていることを感じます。敵味方がはっきりせず、どこにも勝者が不在の、敗者ではなく被害者だけがある、ただ際限なく続く混乱と殺戮がいよいよ本格化した印 象を受けています。EU解体の可能性、トランプ大統領誕生の可能性、フランスにもドイツにも極右が台頭し確実に支持を伸ばしている事。国際政治の枠外にい るはずの私のような庶民でさえ歴史の潮目が劇的に変わっていることを感じずにはいられません。後世の歴史家は連続テロと国家の非常時警戒監視態勢が、民族 間の対立と独裁政治に向かい、民主主義の終焉を迎えたとでも書き記すことになるのでしょうか。

それ以上に予測不能の負のスパイラルを感じるのはポケモンGO等の蔓延です。みづうみがもう十年以上前から警告していらしたようにネット世界のこの異様な 現象が不気味で怖いのです。スマホを手にポケモンゲームにこれほど多くの人間が無警戒に参加するのが恐ろしいと思います。ネット上にピカチュウを集めるこ とのどこが面白いのか、私のような人間にはさっぱりわかりませんし、彼らが監視カメラに支配されるような状況を自覚せずに無邪気に楽しんでさえいるのが信 じられないのです。明らかに若い世代から人間が変質してきています。人間の叡智が忘れさられ、やがて世界がAI人工知能に乗っ取られていくような気持ち悪 さが、あけぼのの被害妄想であるならよいのですが。五十代にしてすでに絶滅危惧種のように感じられる日々ですが、この負のスパイラルを何とか食い止めたい と願うばかりです。

明後日は逗子まで遠足とのこと、どうぞお気をつけてお元気にお戻りくださいますように。  衿  夏衿の細きうなじや母ゆづり 泰成

☆ やす香さん逝去から10年
重い歳月が流れたのですね。
山瀬さんの論考、今しがた読み終えたところです。
明後日は逗子にいらっしゃるとか、気をつけて、楽しまれますように。 尾張の鳶

 

* 有り難く、ただ有り難く。
じっと思いじっと考え、じっと爆けてくる命の力を恃みます、投げ出さないで。

* こういうメールを戴くとしんから励まされる。有り難い。

* この機械が動くのは気温の高い今の内で、冷えてくると起動しなくなるかと案じていますが、新しい機械を学習する根気と視力とが案じられます。機械の使用は最小限度になってゆきそうですが。
2016 7/27 176

* もう一度、あらためて、ぜひ、「衿」さんの言葉を読んでおきたい。大勢の人に共感して欲しいなどと願うのは過剰な願いだろうか。こうい う思いの人の一人でも二人でもあることに、若い人にあるのを願いつつ、ともに生きて行く勇気を得たい。

シェークスピアに「悲しみが来るときは、単騎ではやってこない。かならず軍団で押し寄せる」という有名な言葉がありますが、これはある閾値を超えてしまうと、負のスパイラルが一気に加速していくことをよく表現していると感じます。
世界は危険の軍団が押し寄せています。暴力の連鎖のとまらないことは言うまでもございません。ニースやドイツの無惨なテロ、黒人と警官で内戦かというアメ リカ、トルコのクーデター失敗と粛清、昨日の相模原の障害者施設襲撃も、世界のあちこちで新しいかたちの戦争状態=個人や小さな集団レベルの戦争が始まっ ていることを感じます。敵味方がはっきりせず、どこにも勝者が不在の、敗者ではなく被害者だけがある、ただ際限なく続く混乱と殺戮がいよいよ本格化した印 象を受けています。EU解体の可能性、トランプ大統領誕生の可能性、フランスにもドイツにも極右が台頭し確実に支持を伸ばしている事。国際政治の枠外にい るはずの私のような庶民でさえ歴史の潮目が劇的に変わっていることを感じずにはいられません。後世の歴史家は連続テロと国家の非常時警戒監視態勢が、民族 間の対立と独裁政治に向かい、民主主義の終焉を迎えたとでも書き記すことになるのでしょうか。
それ以上に予測不能の負のスパイラルを感じるのはポケモンGO等の蔓延です。みづうみが、もう十年以上前から警告していらしたように、ネット世界のこの異様な 現象が不気味で怖いのです。スマホを手にポケモンゲームにこれほど多くの人間が無警戒に参加するのが恐ろしいと思います。ネット上にピカチュウを集めるこ とのどこが面白いのか、私のような人間にはさっぱりわかりませんし、彼らが監視カメラに支配されるような状況を自覚せずに無邪気に楽しんでさえいるのが信 じられないのです。
明らかに若い世代から人間が変質してきています。人間の叡智が忘れさられ、やがて世界がAI人工知能に乗っ取られていくような気持ち悪 さが、わたくしの被害妄想であるならよいのですが。五十代にしてすでに絶滅危惧種のように感じられる日々ですが、この負のスパイラルを何とか食い止めたい と願うばかりです。
2016 7/28 176

* あさっての浅草の花火を観にいらっしゃいと望月太佐衛さんの例年のお誘いがあった。感謝。何としても、明日の逗子行きが目の前で、疲労するかも知れ ず、明後日はキツイなあと残念ながら辞退しました。やす香告別の晩、出席を親から拒絶され、わたしは浅草で花火を見上げ、天上の孫娘と泣きながら向かい 合っていた。あれかせ十年が経った。
2016 7/28 176

* 村上開新堂の社長から、杏の夏菓子を今年も戴いた。有り難う存じます。

☆ ようやく梅雨明けが発表されました。
もっと前でもよかったのかと思っておりましたが(蝉の啼き方で) 急に日ざしが眩しくなり納得いたしました。
これからは猛暑になるとのこと 御身くれぐれもご大切に。
前に申し上げておりました 杏の半生菓子を別便で送らせていただきます。 道

* 鎌倉の橋本ご夫妻から、銀座千疋屋のジュース二種を頂戴した。

☆ 選集第14巻
有り難く頂戴いたしました。
お礼が遅くなってごめんなさい。
私達夫婦は、良い読者でいること以外に
お礼の致しようがないほどです。
少しでも体によいものを、
と思いジュースを送らせていただきます。
ご夫婦そろって、
この夏を乗り切ってくださいますように。
本当に有難うございました。
静  美

* 美しいお便りを。ありがとう存じます。
橋本さんには、まえに、「初稿・雲居寺跡」へ深くかかわる鎌倉武士家の今日へも到る系譜で長文のご教示のお手紙をいただいている。時間を得、集中力をかきたてて、あの作をより良い作にまで漕ぎ寄せたいと願っている。

☆ 謹 啓
「秦恒平選集」第十四巻(マウドガリヤーヤナの旅・四度の瀧等六編)をご恵贈賜り、まことに有難く御礼申し上げます。この度も発刊早々に賜り、重ね重ねのお心遣い、身に余る光栄と感じております。有難く心より御礼申し上げます。
私の愛蔵書書架も先生の選集の増すとともに、いよいよ深さと充実度を増し、書物が存在の内部から語りかけてくる憧憬と高潔の、真に人間的な魂が発する無 言の言葉と、心豊かな会話をさせていただいております。憂き世が語られていながら、憂き世を一瞬なりとも忘れさせてくれる書物の功徳・導きの有難さを感じ させていただきます。

「マウドガリヤーヤナの旅」を読み、改めて「鹿山」「華厳」を読み直しました。氷の苛烈な現実を力の限り生き、そして生き切る強靭な意志をマウドガリ ヤーヤナ、劉、楊徳領に感じます。ここに確かに宿世があると。芥川の「蜘妹の糸」「杜子春」の夢のような世界ではない、リアルな苛烈さ。このリアル感は 「懸想猿」にも「或る折臂翁」にも通じる、芳の胸を切りつける信一の「鎌」であり、康岡に振り下ろされた弥絵の「草刈り鎌」の断ち切る意志、過酷な選択で あろうと感じました。秦文学の根を一つ思い定めるとしたら、この「鎌」のシンボリックな存在は、重要な鍵になる、と勝手な思い込みですが、そう思いまし た。

シナリオ「懸想猿」はまさに黒沢明の重厚な文学作品「薮の中」を彷彿させます。弥助を月形龍之介、えんと芳を京マチ子が演じるとして、信一は誰がよいだ ろうかなどと勝手に想像しながら読みました。場面の展開・転換は、情景と会話のみで全てを語らねばならない映画には、文学の描写にあたる重要な要素と思い ますが、小気味よい速度感のあるフェードイン、フェードアウトの幻想的な挿入が、作品に時間の厚みと魂の世界の超越感を納得させるように使われていると感 じました。「懸想」という観念、「惚れる」ではなく「懸想する」あるいは「惚れられる」ではなく「懸想される」 ここにも秦文学の慎重で重要な言葉の品隲 があると感じます。「懸想」とは何か、哲学的に論究されるべき概念と感じました。

「四度の瀧」懐かしく読みました。異郷に向かう車中の描写は、私には「秋萩帖」とかさなり、ミステリックな濃霧をかき分けていく懼れと期待感で逃れようもなく作品世界に惹き込まれました。
袋田の滝には、私は二度行きましたが、重畳たる久慈川の流れ、月居山の空と接し、空に抱きとられ、空しさに溶けていくような荒涼とした淋しさは、魂の 「水府」に相応しい處と感じます。瀑布と言うほどの瀧の勢いはまだ見ておりませんが、瀑観棲と言う限り、人の魂を呑み込むほどの、もの凄い力強い水勢を秘 めているのだろうと想像します。水戸をめぐる地名の一つひとつ、具体的に想像できました。身近な現実で展開された幻想譚。これは秦文学の「龍潭譚」ではな いだろうか、などと夢幻を彷徨う心地で思いつつ、いつか目覚めるともなく目覚め、現実の水戸、袋田を回想する自分に戻っていました。

「竹取物語」を「なよたけのかぐやひめ」と朗読劇に翻案されたのは、私には、川端康成に現代語訳があるように秦文学に当然あるべき作品と感じました。こ の物語「物語の出で来はじめの祖」と紫式部がいいながら、単に物語の祖というばかりでなく、文学の核心を純粋に表現し尽くした完璧な文学作品であると思い ます。これほど簡潔に、これほど面白く、これほど哲学的に、これほど神秘的に表現された小説を、私は未だみない、というより、本当によくできた文学作品 は、すべて「竹取物語」に通底する真理を内包していると感じます。
「四度の瀧」のヒロイン安是京子との不可能を超越せんとする先生は、心裏では安是京子を帝のまえで「きと影」になったかぐや姫と重ねていたのではないか と思います。思い通りにならない果敢(はか)ない存在、異郷の幻影のような女性なるが故にしっかり体を合わせ抱きしめずにはおれない、そのような心の逸り が先生にはあったと私には思えました。「なよたけのかぐやひめ」を読み、「竹取物語」の心、の重要さを再確認させていただき、原典をもう一度読み直したく なりました。

とりとめもないですが、思い浮かぶまま、勝手な感想を書かせていただきました。日が経つにつれ、思いが凝縮して、思い込みが深まり、まったく作品とは違 う世界を作り上げてしまっているのではないかと、忸怩たる思いです。失礼の段ご宥恕いただきたく思います。しかしたとえ解釈は間違っても、一作一作を読 み、作品世界に入り込んだ体験、それは確実に私の血肉になっていると感じます。何度も読む、それしか私にはないように思われました。

もはや、書店に入っても、購入意欲をそそられる新刊書を見出せない近年、大切にそして心豊かに造本をつくされた選集の持ち重み、手触りのあたたかさなど を感じつつ、香り高い時間をすごせる幸せを感じさせていただいております。改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
選集ご恵贈の御礼に、言わでもがなの言、いろいろ書いてしまいました、重ねて失礼の段はご宥恕くださいますよう、お願い申し上げます。
相変わらず天候不順です。夏といいながら夜の寒さが身に染みる嫌な陽気が続いております。どうぞ先生には、ご健康専一にご自愛くださいますよう、心よりお祈り申し上げます。
まずは御礼まで。ありがとうございました。 早々頓首  八潮市  瀧  作家
(追伸)
いよいよ現政権が内包している危険な理念が社会現象としてあらわれてきました。社会は弱者切り捨て、ナチの純血法をさえ許容しかねない状況を作りつつあ ります。虚偽に満ちた現政権は津久井やまゆり園事件に、本性の一端を露呈したのではないでしょうか。実に恐ろしい社会が招来されつつある不安を感じます。
先生のアべノリスクご批判、まったく共感いたしております。

* ご深切 作者冥加 小瀧さんありがとう存じます。竹取物語は、大事な先達ですね。
2016 7/30 176

☆ 「懸想猿」の後、
「破戒」を三十年ぶりくらいに先ほど読み終えたところです。
いずれも私家版で出された作家最初期の重い作品ですが、奈落へ転び落ちていくように感じるところもあった「懸想猿」(蛍がここにも出てましたね)に対し、「破戒」は長い坂を喘ぎ喘ぎ登っていくようでした。   九
2016 8/1 177

* 今朝は、「朱雀先生」の「世界観」を、慈子やお利根さんと一緒に来迎院のお部屋で聴いた。なんと、なつかしい。そして……

* もしや、と案じていたお手紙を受け取った。

☆ 秦 恒平先生
初めまして  私 島津忠夫の長女で *****と申します。
父と違い 文章を書くのが 苦手なので なかなか お便りすることができずに 遅くなってしまい申しわけありません。
いつも父のところに貴重な著書をお送りいただき ありがとうございます。送っていただいた著書は
岐阜県郡上市大和町 郡上市役所大和庁舎の 島津忠夫文庫 に おさめさせていただいています。 今後もそうさせていただきたいと思っております。
私が 先生の著書にふれたのは 父が所沢に移り住んでからです。私は 父のところに届く本には普段はあまり木にもとめないのですが 父が 秦 先生の本を手に取り
「この人は なかなか おもしろい物を書く人なんだよ」と なんだか楽しそうでした。
そんなことがあって 読書が苦手な私も 先生の著書をいくつか読ませていただきました なかでも 13巻の『お父さん、繪を描いてください』は興味深く読ませていただきました。
これは 小説の中の事なのだろうか、画家山名氏は 実在する人物なのではないかと思ったしだいです、 私のつたない感想です。
(ただ 忘れていた昔の出来事を ふと思い出しました。 二浪して 名鉄電車にきえた人を )
又 今回14巻の著書といっしょに 先生の直筆の 父へのメッセージをいただいて ありがとうございました。
そして  ご連絡が遅くなり恐縮しています。
父  島津忠夫(89歳)は 所沢の自宅にて 平成28年4月16日に 転移性肝腫瘍により 永眠いたしました。
さかのぼりますと
平成26年9月頃に 血液検査に引っかかり 詳しく調べると大腸癌(盲腸癌)が 更に 肝臓癌も見つかり 10月末と 12月初めに 所沢で手術しまし た。 その時の手術は ひとまず無事に済み 平成27年4月のCT検査では順調に回復していたので 安心して 少し控えていた仕事も 徐々に手術前に戻っ ていたようです。
そして 平成27年7月のCT検査は、予期せぬ結果が出てしまいました  大腸と肝臓に 再発していました。肝臓は再発しても 手術すれば良いと言われていました。
問題は 大腸癌でした。再発したところは血管が多く集まっているので 手術するのは難しいと云われました。
父が 「もし何もしなかったら どれくらいでしょう? 3年くらいでしょうか?」
返ってきた答は 「半年くらい」と 言われてしまいました。
遠方に住んでいては 急な対応が難しいため処方できないとのことで あわただしく所沢に移ることになりました。 (本来は 90歳になったら移る予定の住居でした。)

8月中旬から 抗癌剤を飲み始めました。心配していた副作用も あまりないようでホッとしていましたが
11月2日のCT検査の結果はあのり思わしくなく 前日には酷い下痢をしていたこともあり、ひとまず薬を飲むのを止めてみましょうと言うことになりまし た。 その事が ショックだったのか この日の晩に 父は嘔吐し お腹がバンパンに張れていました。何かあったら直ぐに連絡して 病院に来るように言われ ていたので そうしたところ 即 入院になりました  腸閉塞でした。 鼻から管を入れて詰まったものを出す処置が 1週間ほど続きました。
その後 食事を徐々に試し 退院も近いと思われた頃に 又 腸閉塞ということで 再度 管を入れることになりました。
緩和ケアの先生との話で 管をぬいた後は 病院の食事を無理して食べるよりも 家庭で 好きな物の中から 食べられる物を試していったほうが良いでしょうということで 在宅療養を選択し 平成27年12月3日 退院しました。
点滴は常時だったので 食事は 部分的に狭くなっている腸にうまく通るかを 少しずつ試していくことに。
父は もともと肉が嫌いで 和食が中心でした。「炭水化物は詰まりやすいので 基本的に食べない方が良いが 日本酒は飲んでもいいです。魚は 刺身は消化が悪いので 煮魚だったら胃で溶けるので良いでしょう」
よって 毎晩 お猪口二杯と 酒の魚を楽しめるようになりました。
又 家で過ごすことで やり残した仕事をすることができました。点滴台を引っぱりながら 部屋の中では 自由に動きまわっていました。
3月に入った頃から 足のむくみが酷くなり 徐々に自分で立ち上がるのが困難になりました。それでも 午前中は残編の整理など行い 午後は昼寝や テレ ビを観たりしてました。(よく観ていたのは 国会中継、相撲、野球、特に見る物がない時は 放送大学や 路線バスの旅 眠る前のニュースステーション)

3月末には 最後の仕事となった 『源氏物語 訪談』の二校を自分で行ない エネルギーを使いきった感が ありました。
平成28年3月31日 車イスをレンタルできたので マンション前の 満開の櫻を 父に 観せる事が できました。
4月に入ると トイレと食事以外は ほとんど ベットで過ごすようになりました。
亡くなる二日前
お猪口一杯と スプーンにのせた雲丹を食べると
「旨い!」 と 満えつの笑顔でした。

娘として 父の最後の生活、仕事ぶりを 近くで 見守る事が できたのは 良かったと 思っております。
ひとつ残念に思っているのは 父が まだ動ける時に どこか行ってみたい所は ある?と聞いたら  「秦さんの行つけの喫茶店があるらしいんだよね」と 言っていたので、 美味いコーヒーを飲みながら 先生といっしょに いろいろな訪談をしたかったのでは、ないかと思います。
『源氏物語 訪談』は 残念ながら まだ三校(索引)が済んでおりません。 本ができあがりましたら 送らせていただきたいと思っております。
これから ますます 暑くなって来ますので 御身体に気をつけて お過ごしください。
乱筆乱文で 失礼いたしました。  平成28年7月31日  藤

* 声涙ともにくだる心優しい終焉の記、書き写しながら嗚咽を呑んでいた。
島津先生(阪大名誉教授 古典文学者)は、まこと素早いまで送った本に感想をくださる方で、恐縮しながら嬉しく、それだけにしばらくお声が聞けないので 病状を案じ続けていた。最後の御本のことも伺っていた、再校までは済まされていたとか、間に合われて良かったなあとわがことのように胸を撫で下ろす。
それにしてもお嬢さんの、こうまで書いてお知らせ下さったお気持ちに深く深く胸打たれて、泣いた。こんなお嬢さんのご家族に最後を看取られた島津さん、 満開の櫻花に逢い、一杯の猪口酒と美味しい雲丹とに笑みこぼれて旅立たれた島津さん。もう一度、歓談の時が持ちたかったですね。

* 折しもわたしは、「お利根さん」の吹っ切るようにしかも静かな最期を「慈子」とともに見届けていた。泣いていた。
こんな日があるのだなと、心堪えて瞑目している。
2016 8/4 177

 

☆ 国民は
北朝鮮が次々とミサイルを飛ばすので、憲法改正を早くしてほしいと思っていますよ。

* こんな「耳打ち」めくメールが来ていた。
「国民は」とは、こう大きく代弁の利く足場をこの人の持てているワケがない。程度の低いアジに過ぎない。まして「憲法改正を早くしてほしいと思っていますよ。」の聴いてきたような放言の軽さ。一種の遠吠えに過ぎない。
ただ、上のアジと遠吠えとを理由づけて持ち出した「北朝鮮が次々とミサイルを飛ばすので、」 には国民の大勢が反応していると思われる。わたしも、とても、やり過ごせない。日本をとりまくこういうややこしい国々の包囲網的な刺激や危険、それらに対 するアメリカの支援などイザとなれば無に帰する懼れについても、わたしは短くも十年來、くりかえし此の「私語」で問題にしてきた。この問題と「憲法」とて は決して無縁でないことも自明のこと。
だからこそ、この今朝のメールの「憲法改正を早く」というもの言いの高見の見物に似た嘲弄口調は気になる。自身の思案や意見は無責任に仕舞い込まれてい る。そんなに「国民」の気持ちを承知し代弁している気なら、どんなふうな「憲法改正を早くしてほしい」のかを明かすべきだろう、それをしないまま「憲法改 正」を法衣の下の鎧のように隠して出さない、出せないのが、即ち今日の政権のあざとい「詭計」なのである。
おそらくは、関係諸国の最深の思惑は「先制攻撃」の是非ないし可否にあるだろう。日本国民の何割かが漠然と日本にもその可能力は持っていたいと願ってい るだろうことを、わたしは否定しない。出来ない。限りないその「危険」と「憲法」とがどう平穏にすり合わせ得るのか、無理なのか、「憲法」問題はその辺に 怖いモノを秘めている。いずれにしても日本という国の滅亡や壊滅や国民の奴隷化と兼ね併せながら思案し決断するしか無いのだと思っている。こわい問題のう わつらを無責任に撫でているだけでは済まない。日本列島を囲繞した原発のこともその観点で考えねば。
なにが不沈空母なものか原発を三基もねらい撃てば日本列島は地獄ぞ
と五年前の八月一日にわたしは懼れ歎いていた。「北朝鮮が次々とミサイルを飛ばすので、」もはやおなじこ とを懼れている日本国民は、たしかに少なくはあるまい。そういう眼前の問題意識とともに、「憲法」問題は議題化しているのであり、その際に「平和憲法」を 守り抜くいて国を護るのか、「戦争可能憲法」に変えて、ミサイル攻撃に対抗するのか、そういう議論が必須化している。それをごまかしごまかし党利党略を主 にして国の安寧や平和を棚上げしているのがろこつなアベノリスクであり「詭計」政治だとわたしは非難するのだ。
2016 8/5 177

* やす香の一のお友達、おなかの赤ちゃんも元気に、お勤めにも頑張って出ていると、メール。よかった、よかった。
2016 8/5 177

☆ 今日は、格別の暑さでしたね。
植えた花の水やりで如雨露を持って何往復もしましたが、朝からお日様ギラギラで。
お昼からは七夕祭りに行って来ました。長いアーケードの商店街が、地元の小学生や各種団体思い思いの張りぼてなどで華やかに飾りつけられ、綿菓子・かき氷・焼き鳥・金魚すくいと縁日も賑やかで。なんだか「昭和」の昔に、子供だった頃の昔に帰った気分になりました。
どうぞお元気で。  九

* 狂気したような天気で、体温よりも高くなっている。危険そのもの。四年後には、こんな真夏の東京五輪とか。狂喜の沙汰にならねばいいが、もっと大事がそれまでに勃発しそう。
2016 8/6 177

 

☆ 前略
お手紙をと思いつつ、この猛暑、大分まいりました。後でまた近況差し上げようと思いますが、妻が、いつも枯露柿をお願いしていた山梨の農園の方(岩下さ ん)に、今が丁度好いという「種なし巨峰」をお送りするようお願いしました。私の方に届けてもらってからお送りするより少しでも早い方がよいと思いました ので。
宅急便で一両日には着くと言うことでした。なにとぞご受納下さいますよう。
ちょっと私事を書けば、九月に藤村学会が小諸であります。だいぶ心が動きましたが、やはり遠慮することにしました。残念ですが何かの事故で周りに迷惑をかけるよりはと。これも仕方ないことですね。そんなことよりは取りあえず右、ご連絡申します。
どうぞ奥様共々、ご健康にご留意ください。
八月九日  横浜  宮下 襄  藤村研究家 詩人

* 恐れ入ります。

* 宮下さんの「一冊の詩集にかえて (一)(二)」はとても清々しく寂び寂びと熱く胸に届いた。ともに「e-文庫・湖(umi)」の詩歌集に収めてあり、どうぞご愛読下さい。

* 長岡市の詩人植木信子さんから、新刊の詩集『田園からの幸福についての便り』が届いた。
また早稲田教育学部千葉俊二君らの編著『谷崎潤一郎 中国体験と物語の力』一冊が贈られてきた。
2016 8/10 177

☆ 近況
いかがお過ごしでしょうか? 病院などで外出の機会もあり、夏バテしませんように。
自転車、くれぐれも気をつけて走ってください、暑熱にも転倒にも。
暑さは、数日前あまりに暑かったものですから、外気温32度33度が少しばかり穏やかになったような、そんな日々です。が、午後になると本を読んでいて、とても眠くなります。これは精神が緩んでいるのか、老化によるのか・・。
お盆になり普段より人数が増え忙しくなります。静かな一人の時間は極端になくなります、些か悲しい。
娘家族が順繰りに夏風邪? に罹り大変らしいのですが、遠すぎてすぐに手伝いにも行けません。(娘の)夫が突然ファイアー、つまり解雇され、以来一年 半。漸く希望通りの就職が決まってこの週末から外国へ研修出張です。が、今現在の子供の発熱、肺炎の疑いなど、動揺して、複雑な気持ちらしい。これまで夫 にかなり育児を手伝ってもらっていましたから。
娘に強くなってほしいと願っています。
こちらで同居の次女は、就職活動中です。良い手ごたえがありそうです。
近況を少し書きました。本のことなど書きたいのですけれど。
どうぞお体大切に。
先日の病院の結果は良かったですね、良かった。   尾張の鳶

* どうしてるかなあと思っていたら、メール。ともあれ安心する。老境の実感というもの。
2016 8/11 177

☆ 鞆の浦から敷名の浜へ。
内海大橋を渡って田島、横島まで行ってきました。
真白な大橋の袂には、高倉上皇が厳島詣の帰りに大納言隆季に歌を詠ませた〝千年藤″にちなんだ藤棚。ゆるやかにカーブを描く八百メートル余の橋からは、 鞆の浦に上陸した平家方・能登守教経らが陣取った能登原(能登原・平家谷では、討死した通盛も入水自殺した小宰相局も影武者だったと長く言い伝えられたそ うですね)も、源氏方・与一らが陣した田島も一望。
海岸線に沿って走った鄙びた島には、強い日射しも厭わず釣り糸を垂れる人がぽつりぽつり。沖行く小舟ものんびりと。かつて激しい合戦が繰り広げられた海とは思えぬからっとした明るさでした。
春に読んだ「資時出家」「初・雲居寺跡」に継いで、『風の奏で』を再読したところです。
「嘘も本当にしてしまう力さえあれば」とは、死なれ、死なせた者達の大いなるモウンニング・ ワークたる「平家物語」の、『風の奏で』の基本姿勢でもありましょう。
昨日は父の里の墓参りの帰りに美星町(井原市)の天の川祭に寄りました。
願いごとを書いた無数の灯籠を道に置き、一つ一つに火を灯して天の川に見立て、祭りの最後に願い事が成就するよう祈願し、一つの炎として天に届けるというお祭りです。
車の進入も禁じた灯のない街に揺らめく火は少し幻想的でもありましたが、井原市では今月下旬に与一祭も行われます。
合戦での功績から地頭職を賜わった荏原庄(井原)には、与一が屋島の合戦で弓を引く際に破り捨てた片袖を祀ったという袖神稲荷、那須氏の菩薩寺の永祥寺や与一の供養墓など縁の史蹟があり、与一を偲んで古典芸能祭や西日本弓道大会も開かれるそうです。
今日は街で買い物のついで、地酒をお送りしました。
「一番自信を持って贈れる地元のお酒を」とお店の人に言って出してもらった品です。お口に合えばと思います。
早ければ明日の午後、お盆なので明後日以降になる場合もあるとのことです。
元気にお過ごし下さい。   桃

* これは羨ましい。敷名は、今も苦しんでいる小説中に役だって欲しいと心用意してものの本では調べていた瀬戸内の要地、残念ながら行けていない。今日へ も瀬戸内へも、今は出向けない。詳細な地図など四国の木村さんに戴いて始終眺めており、関連の映像が見られそうなときはテレビに張り付いたりしているのだ が、分厚い実感が欲しい。
2016 8/14 177

☆ 略啓
御健勝の事と存じます。
選集第十四巻 楽しませて戴きました。  小生
今 そるに関心があって 御文中の二篇(=「懸想猿」「猿の遠景」) 大いにこころがひらけました。
酷暑の砌 御身オン大切に。 不備   英  前文藝春秋専務

☆ 残暑お見舞い申し上げます。
連日の猛暑にお躯障りないかと案じています。
過日は御『選集第十四巻』を頂戴いたしまして誠に有難うございました。私事で御礼言上が遅れに遅れ申し訳ございませんでした。
「四度の瀧」あとがきで御自愛の衝くと途中で知り、「五十賀」を祝し、途轍もない立派な本をお造りにになったのですね。
舞台といい、安是京子なる熱心な愛読者ヒロインとの奥深い交情といい、蛇の出し方といい、上代から現代まで通底する歴史と文化の世界といい、「秦文学」の真情が隅から隅までひびき合っているのにタンノウしました。
私も五十数年前、原子力研究所に勤める親友をたずね、四人のムサクルしい青年団で袋田の瀧を鑑賞しましたが、このようなエロティックな世界を味わえるとは思いもしませんでした。
潮来が出てきますが、小生の「出」は、十二橋を結ぶ十六島のうち「徳島」で、江戸末期(?)に銚子へ流れ出たとき、「松本」という名から「徳島」に変っ たと聞いていて、常陸が舞台の本作に、いつも以上の身の入れ方をして拝読してしまいました。ゆっくりした流れが、最後十二章で畳みかけるように京子の素性 が明らかになるのも効果的です。
重ねて御礼申し上げます。   講談社役員 元出版部長

* 寺田さん、徳島さん、有り難う存じます。

* 大きな決断をした。
私の「選集」 現在十八巻まで入稿してあるが、当初、第一期分を「十七巻」でと予定し刊行を始めた。このまま続けるには造本材料の纏めての用意が必要に なるが、今後、どれほど巻数を出しますかと、印刷所に聞いてこられた。からだが保つかという心配無くもないが、この老境を、清閑でもありたししかし精悍に も生き抜いてみたくあり、思い切って「全三十三巻」での締めくくりをと思い決めた。私家版このかた、所詮は文学ひと筋を生き通してきた。妻とふたりで、さ さやかにも力を分け持って、行けるところまで行きたいと決心した。息子は両親の「破産」を心配しているらしいが、心配してくれるとは有り難い。
そもそも、いつまで掛かるだろうと肇めた刊行だが、創刊から二年半で十七巻までは確実に出来る。
東京オリンピックまでに、まるまる四年あり、少なくも四年後それを楽しんでからあの世へと思っている。四年、もう十六巻分の刊行に、いままでのテンポな ら、東京五輪会場などの竣工よりよっぽど早く「秦 恒平選集」全三十三巻は仕上がってしまうだろう。湖の本も、つづくだろう。
なにもかも百パーセントの出費覚悟ですすめている仕事、息子にも誰にも借銭せず、それが出来るためにも此の「売れない」作家は、五十年、通俗を排しつづけ、ありがたい読者や知友に励まされつづけてまさに頑張ってきた。
気を入れて、夫婦共々、ただ「蘇民将来」を願おう。

* 少し眠っていた間に、堀上謙さんから電話をもらっていた。妻がたくさん話し合うてくれていた。

* 「湖の本131」責了全紙を宅急便に託した。
2016 8/15 177

☆ お元気ですか、みづうみ。
夏休みの旅行から帰宅しました。美味しいものを食べ続けて現実逃避の時間でしたが、今日から淡々と日常に戻ります。
世間はメダル好調のオリンピックに湧いていますが、ネットでは、興味深い指摘がありました。日本選手が強くなったわけでなく、ロシア制裁のようにドーピングに厳しくなったので、日本と絡むことの多いあんな国こんな国が当面ドーピングを控えている結果に過ぎないと。
あり得ることで、日本人の律儀な国民性が報われたのかもしれませんが、もともとわたくしはあまりオリンピックに関心がないので、噂話として面白く読みま した。健闘している選手たちを尊敬しますし、熱い拍手をおくるのに吝かではありませんが、それにしてもテレビも新聞も連日オリンピック報道一色でうんざり しています。
オリンピックの浮かれ騒ぎに紛れて、たとえば伊方原発再稼働のニュースの手薄いことに失望を感じていました。スポーツの祭典による目くらましにしか思えません。
大規模地震直撃の可能性のある中央構造線の真上に建つ、厄介なMOX燃料を使用する原発で、事故の場合少なくも五千人に避難経路のない伊方原発再稼働 は、まこと恐ろしく危険な博打、破局への道です。四国電力がつぶれ、立地自治体がつぶれることを避けるために、日本列島の国民をとりかえしのつかぬ道へ向 かわせてよいのか。日本の命運を左右する深刻な問題を国民が共有し闘う必要はないのか。
最早収束できない福島事故を経験した今こそ、日本人のありたけの頭脳と税金を投入して脱原発に向かわなくてはと、自分としてはごく当たり前のことを考え つつ、周囲のオリンピック騒ぎを眺めては「もうダメ」と落ちこんでいます。そんなこと気にしたってしかたないと思えない自分はほんもののバカなのか? オ リンピックに夢中になれない自分はやっぱり底なしのバカなのかも。
自分の少数派っぷりの思考を、大きくは間違っていないと信じたいものの、どうしても幸福になれない自分の生き方に心底自信を喪失しているところです。旅行中もそんなことをずっと考えていたのですが、昨夜、そんな鬱状態に喝をいれてくれる言葉を見つけました。
愚者の楽園に集まる人々の幸福を羨ましがるな。
それを幸せだと考えるのは愚か者だけだからである。 バートランド・ラッセル

 

 

勿論、自分も愚者の一人にすぎないことは承知しているのですけれど、母親として、将来に無関心な愚者でいられないので幸福になれないのだと思うことができます。

みづうみの「ひどく気が滅入っている。海に浮かんだ、足二つしか載せられない小さな島に、一人ぽっち立っているような、心の寒さ。なぜか分からない」
理由の一つは、みづうみが叡智の人だから。心の寒さは愚者の楽園には住めない叡智の人の定めです。
たった一人で島に立ち続ける堂々とした人生をわたくしに教えてくださったのは、みづうみです。みづうみのこれまでの筆一本の勇気ある闘いの真価を、百年後の人間こそ理解して共感することでしょう。

では、
旅行中にためこんだ雑用を片付けなくては。 忍 大岩にはえて一本忍かな 鬼城
2016 8/16 177

* バルビュス『砲火』の収束部をながながとスキャンし校正していた。それ以前の、生彩にあふれた凄惨な戦闘場面の連続から、雨と雪と泥と洪水に ひたされたままの、兵士達の懸命の戦争論議が続いた。なんとしても言葉での舌足らずの論議は観念・概念にも空想にも激情にも流されやすいが、兵士達が云お うとしている意味もも意義も、分かる。大事なことは、筆者のバルビュス自身がこれら惨憺たる塹壕兵士の中に「僕」として加わっていて、けっして想像や作り 話はしていないという一点を見落とすまい。

『砲火』は、戦争の企画指導者や利益享受の上の階層、国支配の階層からは、甚だしく憎まれ嫌悪され排撃されたけれど、敵味方の別なく圧倒的多数の世界中の 「最前線兵士達」バルビュスのいわく「「戦闘の無数のあわれな労働者たち」の共感と感謝と気勢とを受けて文学としての高い評価と顕彰とに輝いたのだった。 「戦闘労働者」おお、なんという的確な定義であろうか、兵士とはそんな存在に他ならない証拠の文章や映像は、ナポレオンの近代戦争このかた、第一次第二次 大戦ばかりでなく、世界各地でのさまざまの戦闘現地で実証されている。「兵隊さんよありがとう」という戦時戦後の浮ついた唱歌が、わたしは嫌いだった、大 嫌いだった、なんというウソくさいイヤらしさ、と。
けっして恵まれること無い「戦闘労働者」 前線の兵士とはそれに尽きている。戦争を企画し決行し統率する指導層はぜったいと謂えるほど弾幕の中での「戦 闘労働」には従事しない。義経には共感しても頼朝をどうしても好きにならなかったわたしは、戦争で損だけを請け負う戦闘労働者と、戦争で名誉や勲章や得な 利益しか請け負わない指導層・支配層との、けわしい対立を、どのような理が働こうとも、納得はしない。あきらかにわたしの人生の第一章の門柱にはかの白居 易作詩「新豊の折臂翁」が掛かっていた。

* バルビュスの『砲火』二册と大冊『クラルテ』を、読みたいなと日記に漏らすとすぐ買いととのえて送ってくれた「尾張の鳶」の友情に嬉しく感謝してい る。この人からは、どれだけ多くの本を貰ってきたことか、しかも本の吟味はいつも行き届いていて、わたしの文学への姿勢や好みや作風をより以上に刺戟する 体に選んでくれてあるのが常であった。たとえば、今も綿密な再読を楽しんでいるA.S バイアットの『POSSESSION:A ROMANCE  抱 擁』など、わたし自身深く深く驚いているほどわたしの「文学」「創作」をかなりの相似性において刺戟してやまない。「いい読者」は分かっていて、好刺戟を 優しく厳しく送ってきてくれる。感謝している。
2016 8/17 177

* 小谷野敦さんと深澤晴美さん共編り詳細で重量豊富な「川端康成年譜」を戴いた。尽力の結晶を祝する。死蔵しないように努めねばならない。

* 先日門玲子さんに頂戴した「松岡小鶴」(柳田国男の祖母)の詩文集と紹介とは、しみじみ読むに値する名著の域にあり、感嘆しながら毎夜味読し楽しんで いる。市井に生まれて巨きな研究につぎつぎ励まれている門玲子さんにはいつも驚嘆し敬服する。わたしより年長のご婦人である。市井の一主婦として漢詩文や 古文書を読み習い、追随を許さない業績を挙げられている。さの漢詩文や文献等の読みの精確にかつ和語の美しいのにも教えられる。

* 源氏物語は「紅葉賀」巻をゆうゆ読み進み楽しんでいる。
近藤稲子さんの訳された漱石作「こころ」の英文は、ずうっと棒読みして楽しんでいる。
2016 8/19 177

* さて、大覚悟で選集を積み重ねる決心をして、小説もともにいよいよ批評やエッセイの領分にも入っていくのがとても楽しく喜ばしい。「蘇我殿幻想」「猿の遠景」「死 なれて 死なせて」そして漱石の「心」の世界へも踏入り、まずは「ことば」への懐かしい親炙の仕事から、小説とはべつの一翼を拡げようとしている。わたし の文学は小説とエッセイとの層を重ねた輻輳において建設されている。あえて、選集でも、この両翼をひろげて翔ぼうと決心した。
小説の処女作は、判断微妙に幾色にもとれるが、エッセイの正真正銘の処女作は『花と風』であり、これによってわたしの美学は文学的に発足した。春秋社の 「春秋」に「花」一年「風」一年連載した。当時春秋社編集長をしていた山折哲雄さんの依頼で、一年のつもりだったのを是非にと頼まれ二年に連載が延びた。 その間にわたしは、はじめて長者からの「フアンレター」をもらったのである、荻原井泉水さんであった。「花 風」の二大字を大きく書かれ「秦 恒平雅兄一餐 井泉水」とありがたい嬉しい贈り物を頂戴した。いまも目をあげるとその額が掛けてあり、いつもわたしの仕事を見守ってもらっている。「一陽 来復」の好い短冊も戴いて軸装した。
わたしは、けっこうビックリするほど偉い先生方の「フアン」レターを戴いてきた。なかでもびっくりしたのは、丸善の「学鐙」に三年も書いていた『一文字 日本史(日本を読む)』に、西田幾多郎門の高足下村寅太郎先生から戴いた「フアン」レターで、以後亡くなられるまでいろいろお教え下さった御本もよく戴い た。。仲良しであられた西山松之助先生と三人で鼎談したこともあり、西山先生はご自削「今年竹」の茶杓や立派な御本をよく戴いた。
ついてといっては申し訳ないが、森銑三先生からも同様にいろいろお手紙や御本を戴き続けた。どんなに心励まされたか知れない、みなさん「泰斗」というに相応しい先生であられた。
2016 8/19 177

☆ 蓮實重彦へのインタビューで渡部直己(早大教授)が、
有利子の奨学金ローンの問題に触れて、既に六百万の借金のある博士課程四年目の学生が、「徴兵か原発現場に行ったら借金をチャラにしてやると言われたら 行く」と真剣に言うのを聞いてハッとした、能力的にも経済的にも大学教育にほんとは対応できない子が高校からどんどん送り出され、その受け皿として低レベ ルの大学が増え、借金だけを背負ってローンを返す主体として社会に出て行かざるをえない層が増えている、国は彼らをごそっと悪用するのではないかと危惧を 漏らしていました。同感できました。
休日の昨日は、室町のアートアクアリウムで、乱舞する無数の金魚(約八千匹だそうです)にかの子の「金魚撩乱」が思い出されました。自分の産む赤ん坊よ り、どこにも存在しなかったような美を男が創り出すことを夢想する女と、その夢を現にすることに生涯をかける男の話だったように記憶しています。
天候も不安定です。お疲れが出ませんように。何よりも、新しい作品が成りますことを願っています。  九

* 渡部さんの「危惧」がこの言葉(表現)どおりであったかどうか「文学界」を確かめていないが、「能 力的にも経済的にも大学教育にほんとは対応できない子が高校からどんどん送り出され、その受け皿として低レベルの大学が増え、」とあるのは、あまりに情け ない現実のようであり、軽薄な「学歴偏重」時代が生んだ腐敗にほかならない。「大学」へ行きたいのは研究者、学者、技術者になりたい者だけでいい、いわば 大学とは高度の専門学学校であればよろしく、社会の常識・良識としては、学歴よりも「市民」「私民」としての実力という自覚が徹底した方が良いのではと、 まだ漠としてだが、わたしは思っている。このままでは、相互に足を引っ張り合うように学者・研究者・技術者達の平均値能力も低下の一方になってゆくだろ う。一つには大学内地位の、一般に観て政治家以上の世襲傾向の露骨なのも、真に一世の師表、人間性を大きく伴った大学者をもてない「末世」現象を招いてい るのではないか。
「奨学金」が返済できない現実は政治の貧しさでもあろう。けれども。そもそも何故に奨学金が欲しいのかという目的、その目的実現度の実態についても、そもそも支給資格審査がどんなであるかについても知りたい気がする。
2016 8/21 177

* ラボセンターの呉れた、英・和語朗唱劇「ハムレット」を、死蔵しては勿体ないと、英語に親しんで行く子へと、ついでながら両親にもと格好の本二冊を副えて贈り物にしておいた。

☆ ありがとうございます。
秦先生 いつもお気遣いを頂いてありがとうございます
とても興味深い本と、正直申せば自分から積極的に手を伸ばすことのないDVD(と言いつつも妻は、興味津々でしたが)と、大変有り難く頂戴を致しました
帰宅後に読書の時間を作る余裕は無いのですが、通勤時間途上に戦後70年史の方を読みふけっております。
以前にお話をしたかも知れません
実は、**県庁在勤時代から、秦先生と同世代の方々に接する機会が多く、その世代の方々と色々な議論をするのは、とても興味深く大変に勉強になっていました。
(まちづくりでお世話になった(今も?)先生は1933年生、県議で一番接点のあった先生は1934年生、知事は少し若い1945年生でしたが街や住宅の議論をするのは楽しかったです)
まちづくりに携わる人間として、今の街ができてくる過程となる、戦後から今に至る生き字引の方々の生の声は、どんな声であるにしろ、貴重な資料です
街は、人が生活してこその街であり、人の生活は、社会や経済や、もっと個人的な趣味とか嗜好とか、そういう色々なものから成り立っていると思います
そんなようなことを、色々と考えているときに、先生からの贈り物を頂きました。
本当にありがとうございました。 取り急ぎ、お礼まで。
関連して。
この夏休みに義父母を連れてグアムに行って参りました。義父は1934年生まれです。足が弱く、杖と車イスで無いと移動が大変ですが、45年前の義父母の新婚旅行の地ということで、頑張って行ってもらいました。
海やプールでも遊びましたが、太平洋戦争の様々な戦跡、博物館にも行きました(もちろん、子ども達も連れて行きました)。
戦争と平和が直ぐ隣り合わせであることと今の平和の尊さを真に感じましたし、「アメリカから見た太平洋戦争」という視点も(当たり前ですが)強く印象に残っています。
戦争も平和も、街づくりも、今回頂いた本を読んでいても感じますが、一人一人の考え方や行動の集合体が、そういったものを作っていることを感じます。
長くなりました 未だ(省内での=)仕事がありますので もう少し頑張ります。
それでは   司  東工大卒業生

* 思わず笑みこぼれるほど嬉しいメールだった。頼もしいなあ。想っていた、願っていたとおりの確かな夫に、父に、社会人(行政官)に成ってくれている。希望をかけたい。
お義父さんの車椅子を押しながら、お義母さんもご一緒に、思い出懐かしい海外へお連れしたと聞くのも、胸に灯がともったように心嬉しく、また真実羨ましい。
色川先生、小田実さんの本も、また新たな良き所を得て、よかった。
☆ 日の沈むのが
めっきり早くなったと感じます。
今日は街に出て古書店など覗いて回ったのですが、帰る頃にはもう町はネオンライトでした。
我が家では、朝4時半頃には「末娘」のミウが母のお腹にのっかって、「早く起きて」とせがみます。まだ暗い5時頃から母はリードを付けてミウのお散歩。犬と違ってお気に入りの場所では寝転がって動かず、遠くへは行かず、疲れたら母におぶわれて帰ってきます。
その間に私は掃除と食事の用意。食後の珈琲の頃にやっと新聞が届きます。一日のスタートが早いので、日の沈むまでに入浴も夕食も終わってしまいます。
もともと食が細く、老齢で固いものが苦手になっていたミウは、怪我をして一週間程ほとんど何も食べられなかったそうですが、少しずつ食欲も回復し、「末娘が一番心配」と言っていた母もほっとしていま。
黒いマゴちゃんの為にも、早く凌ぎやすい季節となりますように心から願っています。どうぞお大切に。自転車の運転にも、くれぐれもお気をつけて下さい。  九
2016 8/25 177

* 京大名誉教授、前京都博物館館長の興膳宏さんから、『杜甫詩注』「成都の歌 下巻」 を、「前巻」に引き続いて頂戴した。第一期10册の今回完結編で吉川幸次郎先生著を興膳さんがさらにオリジナルに編成されている、京洛の地に結実した『杜 甫詩注』の決定版である。わたしは今日の中国政治は大いに嫌厭しているが、古代以来の詩史と実績にはこころからの親愛と敬意を寄せている。陶淵明、そして 李白と杜甫、また白楽天から中世近世の詩人達にいたるまで、折り有れば愛読し続けてきた。ことに杜甫にとって成都は生涯のおおきな一到達点であり、あらた な詩境をひらいた大切な住地。陶淵明全集、唐詩選、古文真寶等々とともに、愛読し続けたい。
☆ 選集⑮への感謝
秦恒平様  『秦恒平選集』第15巻の無事の刊行をお慶び申し上げます。本日、大いに緊張しつつ大作を拝見し終えました。
私には「私小説」についての見識がありません。しかし、多分、私小説には自分の世界の特殊性に閉じこもっていく、あるいは自分の周囲の特殊な世界の濃密 な空気に身を融けこませていくタイプのものと、自己の体験を反省的に徹底して掘り下げつつ、自己の限界を露呈しつつ、人間の普遍的な地平に突き抜けるタイ プのものがあるだろうと想像します。秦恒平の私小説は間違いなく後者です。
『逆らひてこそ、父』を読み終えて、最近、柴崎聰の編集により岩波現代文庫から刊行された、『石原吉郎セレクション』中の幾つかのエッセーのテーマ「断念」が思い浮かびました。

花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
ありえぬ日々をこえて
花でしかついにありえぬために
花の周辺は適格にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ

私は私以外のものであることを断念することによって、まぎれもない私として、今この場に存在している。

石原吉郎の詩文に託して、独語の感想をお届けします。
ご健康、ご健筆をお祈りします。平安。    ICU  浩

* 大学、図書館からも。京都宇治の水谷先生からは、いま、御電話を戴いた。
2016 8/26 177

☆ お元気ですか、みづうみ。
まず忘れないように大事なことか ら。お送りしたポータブルの外付けハードディスクはUSBとまったく同じ使い方をするものです。パソコンに繋いで「名前をつけて保存」をクリックするだけ です。USBに取り込むのと同じ方法で、遙かに大容量のデータを取り込むものです。USBがお使いになれるのですから、みづうみがお使いになれないはずが ありません。是非こちらにみづうみの諸データを保存してくださいませ。パソコン故障する前にお願いいたします。
とりあえずみづうみの機械で可能かどうかだけでもお試しいただけないでしょうか。わたくしはみづうみの可能な限りのデータを頂戴したいと思っていますので、どうかお使いくださいますように。使えることがわかったらみづうみ用にもう一台新しいものをお送りします。

湖の本、選集、ホームページの他にとくにデータで欲しいものは、まだ読ませていただいていない小説含めたみづうみの文章すべてです。湖の本になっていない ものです。ああ、まるで舌切り雀の欲張り婆さんのようなお願いです! ですがこのハードディスクがあればいざという時に欲張り婆さんのように風呂敷に本を いっぱいにして逃げる必要がありません。携帯できるデータは宝物のように大切なものです。

 

スタンダールは小説の最後にいつも英語で for the happy few と書いたそうですが、みづうみの選集を手にするつどこの言葉を思いだします。とても楽しみにしています。

みづうみの読書記録にスタンダールについての記述を読んだ記憶がないので、みづうみはスタンダールはあまりお好きでないのかもしれません。『赤と黒』は陰 鬱ですけれど、『パルムの僧院』は『モンテ・クリスト伯』のように読みだしたらとまりません。わたくしはこの小説の世にも魅力的なヒロインの大失恋の物語 気に入っています。

マゴとのお幸せな時間が永く続きますように。

 

虹  虹立ちて忽ち君の在る如し                             虹消えて忽ち君の無き如し  虚子

*  スタンダールの「赤と黒」は中学二年生のとき、三年生に借りて読んだ。「パルムの僧院」は文庫本を手に入れて読み、バルザックに負けないすこぶる面白くま た分厚い作だと感嘆し、西欧作のなかでも三本の指のうちに数えたい愛読書になった。たまたま、谷崎潤一郎がベタ褒めにしていたのを知り、ワクワクと嬉し かったのを覚えている。「赤と黒」も分厚い作だが、たしかに暗澹ともする。「パルムの僧院」は掛け値なく面白く、少し面白すぎるほど。スタンダールでは、 むしろ「恋愛論」をシコシコと愛読した。
2016 8/26 177

 

* 朝一番に、村上開新堂主人からお手紙を副え、例の、バラエティに富んでじつに美味しいクッキー一缶を戴いた。嬉しく、感謝。

☆ 秦 恒平様
台風 お見舞申し上げます
いささか遅ればせで恐縮でございますが 武蔵野の方が嵐がひどかったようで 気になりました。
昨日から店が開きました(夏休みでした)が まだ品が整わず 休み前のものですが クッキー一口送ります。  道

☆ 選集第十五巻
今日受け取りました、有難うございました。暑い中の発送に大変だったろうと申し訳無く、感謝しています。
京都では大文字、地蔵盆を過ぎ、例年なれば少しは朝夕が楽になるところですが、何のなんの、私は少し伸びてしまいました、何処へも出ず静かに過ごしています。
その内 美味しい物送ります、お礼かたがた   北日吉  華
2016 8/27 177

☆ 残暑お見舞い申し上げます。
第十五巻 拝受いたしました。
重いテーマ、そして添えられた御言葉に心を打たれます。機械が人を支配することなきようにと願いつつ……。感謝をこめて。  作家・東大名誉教授  通

☆ 御礼
選集第十五巻をありがとうございました。
台風の被害さほどでなかったようで安心しました。
次の10号も凄まじいようで心配です。何事もありませんように。ご用心なさってください。
こちらは日照り続きで何もかも枯れているので、明日の雨に期待しています。
どうぞお大事にお過ごしください。  下関市  碧

* 墨画家島田正治さん、早大図書館、三田文学、国会図書館からも受領の挨拶あり。
2016 8/27 177

* 朝一番に、宇治の水谷(佐々木)葉子先生、宇治茶をたっぷり送って下さる。
わたしは子供の頃から親が「茶くらひ」と謂うほどよくお茶をのんだ、戦時中でたいそうなお茶ではなかったが、番茶大好きだった。いまでも変わらない。こ の半年余は、毎朝自分に二服、妻に一服ずつ抹茶を点てて服している。叔母の稽古場このかた抹茶も大好きで、もう欠かせない。抹茶は、茶碗で茶筅をつかって 点てている。わたしの流儀では茶筅をしっかり用いて濃やかに茶をたてる。五年生頃から叔母らに「恒平のお茶は美味しい」とおだてられては頻りに茶をたて茶 の稽古に励んでいた。叔母の弟子達にも高校生の頃は代稽古で教えていたほど。宇治の抹茶は、さすがに美味しい。

* 尾張の鳶が、長い、佳いメールを呉れた。不徳ナレドモ孤デアラズと思える嬉しいときである。

☆ 八月
迷走する台風がいよいよ明日明後日に接近するのでしょうか。落ち着かない空模様です。
昨日、『選集』が届きました。
今月になってからメモのように書いてきたメールを送ります。
くれぐれも無理なさらず、夏の疲れを残しませんように。

8,1
手紙を書くこと、確かに自己表現です・・わたしにとっては対象が一人であって、一対
一の手紙の交換は、振り返れば小学生からの自然な行いでした。
書く対象が一人あるだけで・・人は十分に、より生きられると無意識に自覚していたのでしょう。
以前書いたことがあるかと思いますが、小学五年生の時インフルエンザで一週間ほど休んで、その間に雑誌のペンパルコーナーに名前を出したのです。当時五十人ほどの人から手紙をもらい、一生懸命返事を書きました。
が、数年後に続いていたのは俳句を載せていた彼女、住所も分からないので学校宛てにわたしから手紙を出した彼女一人でした。以来二、三十年、青春を駆け抜けて繁く手紙が交換されました・・。その後お互いの環境も変わり、いつしか年に数通のみの往来になりました・・。
そして、鴉とは三十年近い往来になりました。が、いくらかの「恨み」??も込めますが、この往来はわたし方向からの手紙・メールは、かなり一方的なものでしたよ。
が、何よりも鴉のエネルギーは著作に向けられ、それ自体で既にそれ以上のこと、つまり対等な往復書簡を望む気持ちは最初から有り得なかったのでした。
それでも続いたのは、鴉の他者への時宜にかなった気遣いがあったからこそ。
本当に不思議なほど時宜を得た、これはもう一つの能力と言ってもいいほどの鴉の推察力でした。感応と言ったら誤解されるかもしれませんが、そのようにも思えました。

8月15日の大きな鴉の決断。
「この老境を、清閑でもありたし、しかし精悍に も生き抜いてみたくあり、思い切って「全三十三巻」での締めくくりをと思い決めた。・・・創刊から二年半で十七巻までは確実に出来る。・・」
この英断、覚悟に読者みな驚き、熱い賞賛とエールを送るでしょう。迪子さんあっての、お二人の大きなお仕事です。
8月17日と19日 バルビュスの『砲火』二册と大冊『クラルテ』『天使のゲーム』などに言及して、わたしの友情に感謝と! 今現在忙しいであろうと思ってエールを送ってくださっていると感じました。  ありがとう、ありがとう。

8.24
明日はわたしの誕生日です。もう誕生日は要りませんが、嫌でも誕生日です。
できることなら、いつか、キレイに去っていきたいと思うのです・・。

運転しなくなって十年余り。免許証の更新が迫って、否応なしに高齢運転者の講習会に行きました。これには実地があって自動車学校のコースで運転しなければなりません。
いざ、本番。どうなることかと危惧しましたが、意外や意外チャンと? 運転できましたよ。自慢も何もすることではありませんが、あと十年くらいは免許証 を保持しよう、運転も再開しようという気になりました。鴉が言われたことですが、他者を車で傷つけたくない、そのことだけは肝に銘じています。それに本来 運転は好きではないですから、まあ無茶はしないでしょう。

台風が三つも重なって、ヘンな天気が続いています。東京はかなり雨が降りましたね。気温はいくらか低くなって過ごしやすいかと。こちらはまだ暑いですが、今日は曇りのようです。
お盆に来た姑が帰り、わたしはひたすらゆっくり休んでいます。休むというのは精神的には寧ろ「凹む」のですが、やはり何もしない・・もっとも三食作って、掃除洗濯もしているのですが。
就職が決まり九月早々に出社となった次女が急にシンガポールに旅立ち、一週間後には長女と孫二人を連れて戻ります。再びわたしは大忙しのババになります。

わたしが再読しているのはサホンの『風の影』、『天使のノート』も、いずれもバルセロナを舞台にしているのでランブラス通りやカテドラルなど思い起こさ れます。今朝のニュースではバルセロナの港で「違法」に露店を開いている人たちの事が報道されていました。いくらか治安に問題ある地域なのでしょうか、小 説の最近作『天国の囚人』にも出てきた場所だと思います。この作ではフェルミンの過去が語られますが、監獄が舞台で、やはり暗いなあと。

8.25
いよいよ誕生日。感想も何もないのですが、あるとすれば些かの憂鬱、時に引きずり込まれる激しい憂鬱。情けないねと自分に語りかけます。老いの充実を果 たしてどこまで見出せるのか。早々諦めの中に沈みたくはありません、諦めません。が、今からがわたしの人生の華の時期とも叫べません。

8月11日のメールに対して返事を書いていませんでした。
「(バイアットの『抱擁』には=)やはり「詩」「詩人」の西欧文化伝統を感じますね。日本人の詩からは、こんな構造物は創れないと云ったら、日本の詩は和歌だなあやっぱりと云ったら、詩人さん、怒りますか、」
日本の詩が和歌であると。
ただし現在「繁盛」している短歌は和歌の一部分ということをふまえた上で考えたいと思います。古代の長歌、それは既にあまりにも遠い存在になってしまっ た。もしその伝統が今に繋がり、息吹を感じられるものが継承されたなら、それは日本の詩の強靭な系譜となっていたはずです。
わたしは高校、大学時代は短歌と詩を両方書いていた時期がありますが、今はすべて失っています。短歌はその頃の恋心を書いて、それがぐずぐず崩れていく 感情を表現する形であるのに愕然として止めたと記憶しています。自分が許せなかった、おそらく若さゆえの幼稚な潔癖、狭量だったのです。
今は? 鴉という早熟にして生来の歌詠みに到底対峙などできません・・畏れているのかもしれません。俳句や短歌に誘ってくださる人もいましたが。ウロウロしているのが現実です。
わたしは今も思うのです。
わたしは詩人でも画家でもない、ただ詩らしきを書き、下手な絵を描いているに過ぎないと。ただし、表現したい、掴みたいという鬩ぎあい、決して楽しいばかりではない、苦しいことの方が圧倒的に多いように感じます。
あまりに気概がないと責められるかもしれませんが・・。

「なぜ繪が観たいのだろう、繪のなにに心惹かれたくて観たり観に行ったりするのだろう。」
そう聞かれたら、確かに返事に窮するでしょう。
「繪の美しさ」「美しい繪」に心惹かれ心満たされたくて繪が観たい・・・「美しい」は、じつに微妙、多様であり「美しい」という価値への描き手のいわば 信仰のような純な愛がなければ繪は美しくあらわれてこない。かがやいて来ない。」と、あなたは書かれている。怒るかな、画家さんは? とあなたは言われ る、が、怒りようがないのですよ。怒る理由などありません。美しさに関してでなく、ほぼ全てのことに於いて信仰のような純な愛が根底にあって欲しい。美術 も、音楽も、文学も、それらがより魂に近いからこそ、憧れるのでしょう。
自分一人に限っても、それが絶望的なまでに困難なことを痛感していますが。美かどうかは知らず、ただ無心に描きたいから何処にも、紙はおろか机の裏や戸にも描いて叱られた幼時のわたしの一部分が今も存在しています。   尾張の鳶

* ありがとう。ありがとう。

☆ 選集第15巻を
お送り頂きありがとうございます。
箱の中に丁寧に包まれたご本を取り出します。大事に赤ちゃんを抱きとるように、
開けるとお二人の熱い思いがひしと伝わってまいります。
大事なご制作のご本のご恵賜に感謝一杯です。
「デイアコノス=寒いテラス」を一気に読みました。
湖の本で読ませていただきました時は、まだそのお子さんたちと一緒に学習している真っ只中で、
随分複雑な思いをしながら、一人で抱えきれずに仲間の指導者に読んでもらったりしたのでした。
今回の神奈川県の事件を聞きましたときには、生徒だった人が入居しているのではないかと案じました。そろそろご両親から離れておられる方もありますので。
(あの事件で=)亡くなられた方も、怪我をされた方も、お名前が伏せられていることについては複雑な思いです。優しく人権保護のためと書かれていたりしましたが、無念な思いで命を絶たれた方たちも名前を名乗り抗議ができるのではと思ったりします。
本当に人権って難しいですね。
足利市にこころみ学園があり、卒業した生徒がブドウ畑などで仕事をしています。
ココファームワイナリーですが、歴史も古く良いワインを醸造しています。
迪子さんも少しはお飲みになれるとか、軽いワインですのでお口にしていただければと送らせていただきました。
大型の台風が被害を及ばさないことを祈りながら、お二人様と黒いマゴちゃんのご健康を。
どうぞどうぞご無理をなさいませぬようにお大切にお過ごしください。 練馬  晴

* どうしていいのか、ほんとうに途方にくれる歳月だった。結局は、「書く」「書いて表現する」という以外にわたしは何もしなかった。出来なかった。分からなかった。

☆ 選集第十五巻届きました。
きれいに包装された大切なご本有り難く頂戴いたします。
猛暑続きの毎日でした、今朝は雨模様ですが久しぶりに涼しく、ほっと一息ついています。
今年の送り火は夕方から雨になり、土砂降りの中での点火でした、が、まじかにあおぐ左大文字も赤々と点り見送ることができました。
娘も杉並区に転宅しまして少し遠くなりましたが、又行く折がありましたらお会いできればと願っています。
どうぞ奥様共々ご自愛ください。
お礼まで申し上げます。 みち  秦母方従妹

* 昨日、近江五個荘の川島民親さんから頂戴した、少壮気鋭の学者と滋賀県とのコラボになる一冊『近江の商いと暮らし』を、夜前、おそくまでかけて読んで いた。なるほどこういう各論研究の集積が郷土史の着実な開明へ、また展開への機縁に成り得るのだと、とても新鮮な意欲を感じ取れた。作家でもある川島さん が最年長の辺に位置して、同じ五個荘のなかでの「枝郷」の史的問題を独特の熱意と動機とから腑分けしている。「枝郷」とは何かと思うなら対蹠のものとして 「本郷」の二文字を想ってみればよい。他は、はるかに若い、しかも各大学や研究施設の教授や准教授達が各自関心の主題へ組み付いている。わたしがもっと若 くて健康な意欲に満ちていれば、この一冊本のなかからまた新たな『みごもりの湖』が生まれ得たろうにと、少しく残念な気もした。
こういう各論的な探究地誌が積み上がれば、郷土への理解が層を成して分厚くも具体的にもなる。在地の出版社の応援も欲しいし行政の積極的な支えも望まれる。
2016 8/28 177

☆ ありがとうございます。
暑い日がつづきました。昨日からすこし、すごしやすくなりました。
庭へも出にくくて、生態系が、みだれました。時節柄、猫も烏も鼬も子連れで、ねこは、落ち葉とたわむれ、いたちは、鳴いてこどもをよび、烏が時に、ねこを威嚇し、夜中にねこと、いたちが遭遇して大騒ぎ。
わたしが、庭へ出ないので、すみ分けのバランスがわるいみたいです。
選集15巻よみました。
秦さんの、<書く>という行為に、圧倒されます。(「お父さん、繪を描いてください」の=)山名氏とはちがいますね。
「湖の本」で読んだ時には、気がつきませんでした。
お元気でいらしてください。 柚

☆ 残暑 お見舞い申し上げます。
今年の夏は天候不順なようですけれども、お変わりなくお過ごしでしょうか。
明後日にかけて大型台風が近づいているとか、どうかご用心ください。
我が家の南面はちょっとした林になっているので、夏はセミの大合唱です。けれどもう夏の盛りも過ぎて、朝ベランダへ出ると蝉の亡骸が2つ3つと落ちてい る毎日です。長い間土の中で眠り、やっと表の世界に出て来たと思ったら短い夏をなき通して一生を終わる、そんな生き物もあるのですね。
そして先週は「秦選集 第十五巻」ありがとうございました。立派な厚い本で内容も濃く深く、なかなかするすると読み進むことができません…。少しずつゆっくり読ませて戴きます。
そして「逆らひてこそ、父」 完結おめでとうございます。そして大変お疲れ様でした!
深くはき出されたのだから、きっと今度はその分深く新しい息を吸うことができるはず。ずっと続けている朗読でも「腹式呼吸」は基本中の基本です。深くはき出すからこそ、その分深く息を吸うことができるわけですね。
私も二親とは早く別れ、父とは中学生のときにわかれて以来、最後まで会うことはありませんでした。(正確に言うと小田急線の中で一度見かけたことはあります。)
また私自身も三十代の半ばで小学生だった一人息子を連れて離婚していますので、たくさんの辛苦はありました。
けれどすべて分かれ道において自分自身の決断で決めたことですからまったく後悔していません。
先生の「愛憎」をのぞきみるたびに、本当に情が深いかたなんだなと感じます。お嬢さんへの複雑な想いについても、私などからすれば少しうらやましいほどです。
当たり前の事を申しますが、親子、夫婦といえどもまったく「別人格」ですから、それぞれがそれぞれの自己責任において選び取ってきた結果なのだと思いま す。お嬢さんも悩んだ末、実家を捨てて婚家をとる決断をなさったわけですね。後顧の憂いなく、それぞれの道をきっぱりといくしかないと感じます。
研究者であれ、芸術家であれ、スポーツ選手であれ、名が出るまでに実家の相当の経済支援が必要との話はよく聞きますし、実際そうなのでしょうけれど、やはり人として自分の力一つで世界に対峙すべきだと私も思います。
スヌーピー(漫画の哲学者風の犬)の言葉の中に「配られたカード(トランプの)で勝負するしかない」というセリフがありまして、笑ってしまいました。なかなか意味深で面白いことをいう「犬」なんですよ。
朗読は11月「朗読フェス」では「もっと本も読もう」(長田弘)、10月図書館朗読では「冬の足音」(藤沢周平)を読むことになっています。
「もっと本を読もう」は、詩のなかの言葉を自分の言葉とするために暗唱しました。
どうぞおげんきで!!  田無   ゆめ

* 蝉よ汝 前世を啼くな後世(ごせ)を啼くな
いのちの今を根かぎり鳴け    と、聴きも思いもしてきた。
「配られたカードで勝負するしかない」のが当然で、たとえ親でも子でも、ひとの手の内を覗いたり無心したりせず歩んできた、自分(たち)の脚で。しかしまた世の大勢の方々の励ましは、いつもいつも有り難く享けてきた。
耳目をひらいてそれなり気に掛けてきたが、子が父を、舅を、被告席に立たせて「名誉毀損の賠償金」を請求したという実例に、わが実の娘や婿のほか、ただ一例も出遭わない。
では実際に、いったいどんな「名誉」が損なわれたというのか、彼らの訴因は、わたしの的確な反駁をうけるつどくるくる変わり続けて、裁判を経てなお、まるで何の裁判であったのかと、まるで解せない、判らない。良識ではかられる裁判員裁判がぜひ受けたかった。

☆ 『秦 恒平選集 第十五巻』を拝受いたしました。
読み逃していた『ディアコノス=寒いテラス』を早速拝読、問題に当事者として直接向きあうことの難しさ、善意の傍観者の酷薄さに見も竦みます。この夏、この作品を改めて公刊なさったことに作家の覚悟を思いました。
そして『逆らひてこそ、父』 湖の本で拝読したときの衝撃は今も鮮明です。作家にとって、書くとはいかなる行為なのかを、重くつきつけられました。
この夏 喜寿を迎えました。喜こばしいどころか、読書力、記憶力は衰え、嘆息しながらの日をすごしておりますが、秦さんの病をも従える気力充溢のご様子(作家魂!)を嬉しく心強く存じております。
どうぞ御身お大切におすごし下さいますように。
いつもながらのお心遣いに恐縮しつつ、お礼申し上げます。  敬  元「群像」編集長

☆ 略啓
御選集第十五巻有難く頂戴致しました。立秋を過ぎたにも拘らず酷暑と大雨の繰返しで御体調をお崩しになられませぬやう心より念じをります。  英  前文藝春秋専務

☆ 酷暑で、
そして不安定な天気の日が続きます。八十代に半ばになって 内外の政治情勢の厳しさに、生き難い感じの日々です。
でも、こんなにひどい世の中にしてきた責任の一端を担っている世代の人間として、最後まで出来ることはつとめていかなくてはいけないと考えております。
そのような私共の生活に最後の気力を与えて下さるかのように 「秦 恒平選集」が送られて参ります。さほど年齢は違わないと思いますのに、気力で、そのつど私共は励まされ、又 自分達の現状に反省の思いを強く致します。
まだ日々の雑用多く ゆっくりと御本を楽しむ至福の時間は限られておりますが、スポーツやテレビに余り興味の持てない私には 本当に有り難い宝物です。
奥様もご子息もご助力大変と思いますが どうぞくれぐれもお大事に この宝物のお仕事を続けて下さいますよう心から念じております。 なかなか言葉になりませんが 夫共々一言お礼を申し上げます。合掌    作家  高史明 岡百合子

* いつもながらのご支援、有り難う存じます。

☆ 拝啓
(前略)巻頭の口絵の御写真、秦様ご一家の幸せなご様子が生き生きと伝わって来て 羨ましい限りです。
しかし、 ご令嬢のご結婚以後に降って湧いたような悲劇が生じましたこと 湖の本で時折拝読し 人間の運命というものについて いつも考えさせられてまいりました。「華燭」はその問題を扱われた御作、ご執筆のお苦しみを拝察し、心して拝読しなければと存じております。
また、ご多忙の中 刊行のあてもなく『ディアコノス=寒いテラス』をご執筆、ご脱稿されましたことに、心から敬服いたします。
秦様の才能が、いかに多大な努力の上に開花されたかということを改めて認識させられました。秦様の作品集や湖の本を拝読のつど己の怠惰に鞭打たれている気がいたしますとともに、新たな励ましをいただいている気になり、感謝にたえません。
ますますの御健筆とご健康を 心からお祈り申し上げます。 鋼  歌人・翻訳家

☆ 陽気は(処暑ならぬ=)大暑です。
第十五巻いただきました。胸の痛くなる巻で、すぐには――前に読んだ後の思いが思い出されて――読めません。
お二方 どうぞどうぞ お大切に。受取まで   能美  哲  前石川近代文学館館長

* 梅原猛さん、山梨県 神奈川県の文学館、立命館大図書館からも受領の挨拶があった。

* 京・鳴瀧の作家・川浪春香さん、枝川の歌人・藤原龍一郎さん、五個荘の川島民親さん、小田原の安藤啓一さん、荏原の本間久雄さんからも、ありがたいご助勢を戴いた。

* 篠崎功さんから、秦 恒平選集全巻を頒けてもらえまいかとご希望が有った。直接製作費と送料をお願いして送ることに。同様のご希望を従来も何人かお受けしている。

☆ 「逆らひてこそ、父」の「上」を再読。
「小説」ではないだろうけれど、或いはそうだからこそ、殊に四通の長いメールからは「父」の真情・信条が率直に伝わってきました。
行きつ戻りつするこの作については、「小説」の枠を離れて話したいようにも思いますが、やはり気になるのは京都行きの11章以降です。まずは続く「下」を読み改めましてから。
(190ページ「ノリコちゃん」と241ページ「越村」は、湖の本もこうでしたけれど、「テルコちゃん」「内村」でしょうか。)
昨日は半袖一枚ではひやりとしましたのに、今日は湿った生暖かい風が吹いています。
明日、勤め先の朝会議が開けるか、台風の動きが心配です。
今日の仕事は終わり、これから入浴します。
湯上がりには、「華燭」を読もうと思います。次第に夜長となりますね。今夜は、何をお読みになりますか。どうぞお元気で。  九

* 独り校正で、二回三回読んでも間違いが出る、情けない。「そういう本なんです」と、理由にならない逃げ腰をつかいそうになる。
学匠歌人の定家卿は書き違えると、そのままその場で書き直した。王朝の三蹟歌人らは、間違えてもそのまま書き継いで直さなかった。ムムウ。

* 京都の何必館から、木村伊兵衛展の招待があった。

* 選集第十八巻のゼロ校が、もう、届いた。第十七巻の責了前の最終校がもう少し残っており、第十九巻の入稿原稿をここ毎日、気を入れてつくり続けている。「湖の本131」は九月十二日に出来てくるし、「湖の本132」はこれから初校にかかる。
新創作も念入りに進んでいる。九月六日早朝からの聖路加眼科までは、すこしく気はラクにもって仕事が出来る。しかしこう達磨のように家仕事に没頭していては脚が萎えてしまいそう。
2016 8/29 177

* 京都の詩人・あきとしじゅんさん、文化出版局の中野完二さん、金沢の作家金田小夜子さん、所沢の藤森佐貴子さん、そして東京都立中央図書館から、それぞれ に佳いお便りを戴いた。
2016 8/30 177

☆ 有り難うございました。
今日は、台風騒ぎで急に秋らしくなりました、そちらの方ではいかがでしたか?
庭のお花も秋らしく咲き始めました。
昨日 「三浦景生の染め」 チケットをお送り頂き有難うございました、先日新聞で見ていた所です、楽しみに行って来ます。
選集 懐かしい所など味わいながら読まして頂いてます、色々と有難うございます。
秋のお花 キスゲ 写真送ります、日々ご無理ない様に。  華
2016 8/30 177

☆ 暑中御見舞 申し上げます。
暑い中もそろそろ終り 台風シーズンとなりましたが、 いかが お過ごしでしょうか。お元気であられることを 祈っております。  小生も 九十一歳を超えましたが、 健康を維持し、十九年目の一人暮らしを楽しんでおります。
先日は『秦 恒平選集 第十五巻』の御恵贈にあずかり、有難うございました。 この私家版、大切に致します。
今度も二大長篇を収められており、 ゆっくり読ませていただきます。 まず「あとがき」をと思い 拝読致しました。 「バグワンに聴く」あたりからの詩語に 感銘致しました。 決然とした 詩人としての覚悟がしのばれ、 鞭打たれる思いでした。
「店仕舞いの」心境にあった私など 言葉もありません。
ご自愛のほど、 切に祈ります。   色川大吉   思想家・歴史家 東京経済大名誉教授

* 色川先生ほどの方から、いつも、こんなふうに仰有って頂けるとは。若輩 なおなお決然と歩を運ばねばなりません。ありがとう存じます。

☆ 選集十五巻
早々とお届けくださり有り難うございます。それにわざわざ直筆の添え書きをいただき恐縮に存じます。家内とも日々仲良く暮らしています。迪子奥様ともどもお疲れをだされませぬようお大事になさってください。
何かお口に合いそうなものを探しておとどけしたいと思っています。  吉備の人

* 御健勝 御平安を こころよりいつも願っております。

* 金沢の金田さん、高名なすばらしい葡萄「ルビーロマン」を、所沢の藤森さん、父上亡き島津先生の愛飲された郡上布屋の名酒「元文」を、調布の中野さん、 「やまと櫻」大吟醸金ラベルを、練馬の持田さん、選り抜きの和製ワイン二種を、 花が咲いたようにそれぞれ嬉しく頂戴した。有り難う存じます。

* もと朝日新聞の伊藤壮さん、越乃寒梅 三升 下さる。なんと心強いこと。少しずつ(日に、二、三合ずつ)戴く。秋へ向かう酒はひとしお美味くなる。

* 羽根木の鈴木定幸さん、三鷹の唐澤篤男さん、笹塚の佐藤宏子さんから、毎々のご支援を戴いた。茅ヶ崎の吉川幹男さん、京都府立総合資料館から、受領のご挨拶があった。

*  遠くもない郵便局と獣医院へ自転車で、日照りの坂を上り下り行ってきたが、貧血気味なのか朝からかすかによろめいていて、バテた。陽射しに堪えて歩きま わる元気はなく、ま、可能なら山手線で居眠り半分校正半分で二周ぐらいしながら気儘に途中下車してみたいが、とてもそんな酔狂もなりそうにない炎暑。最寄 り駅へ出向くだけでも、五体炎上しそう。
2016 8/31 177

☆ ありがとうございます。
秦先生
選集第十五巻を、ありがとうございました。

台風十号は、秋をつれてきましたが、無残な爪痕も残しましたね。

朝夕いくぶん涼しくなり、先生のお身体、とりわけ、お食事の量が少しでも増えるといいのに、と希つています。

書簡体の「ディアコノス=寒いテラス」、心地よい文体に、読み始めたら終えるまで、やはり本を閉じることができませんでした。

「逆らひてこそ、父」とともに、しかし、どちらも読後は、胸に重い鉛を飲み込んだような。

今日から長月。いよいよ、「歯に染み透る」季節のおとずれですね。

全国から届く名だたる銘酒に怯みますが、「三千盛」後ほど、お送りさせていただきます。

ありがとうございました。  各務原  都

* 奈良の歌人東淳子さん、静岡の鳥居きよみさん、知多の久米則夫さん、御坊市の井領祥夫さん、大田区の青田吉正さん、そして義妹の、有り難いご助勢に、心より感謝申します。

* 金八先生を書かれた小山内美枝子さん、村上開新堂の山本さん、神戸女子大、妻の親友市川澄子さんからも、有り難い鄭重なご挨拶があった。
2016 9/1 178

* 相模原の馬渡憲三郎さん、四国今治の木村年孝さん、奈良五条の永栄啓伸さん、新潟柏崎の藤田理史君、昭和女子大日本文学科から、選集への有り難いご挨拶があった。
今回作は、二、ないし三篇とも、相当読み手の胸に重苦しいものを投げ込んでいて、しんどい思いを強いている。感想もおおかたおつらそうなので、有り難く戴いておこうとしている。

* 『花と風』を補注まで全部、文字どおり「日本の永遠について」復習する嬉しさで読み終えた。勉強ということを、全力でできた三十歳の、例え比べようも ない収穫だった。八十八翁の俳人荻原井泉水先生から連載半ばにありがたい「フアンレター」をもらった嬉しさも甦ってきた。

八十八翁 荻原井泉水翁 來贈

* また、仕事の手をひとつ先へ伸ばした。十一時半。もう眼が霞みきっている。
2016 9/2 178

☆ ひたぶるに人を…
『新・罪はわが前に…』と「湖の本」では付されていた、限りなく「私小説と読める創作」を再読し終えたところです。
その何とも言えぬ重苦しさは、「二一」の末、14年半も化石になっていた「ムンクふうの」ラブレターを読み、娘の「片思い」に今更に気付いて流す涙の辺りから後の部分に、ある種の救いの可能性が秘められていたように思います。
(ムンク論を結んでいた「太陽」の詩は、私家版の詩集の序詞として一部表記を改められて既に引用されていた「四」へと戻る仕掛けになっていましたね)

殊に好きなのは、入れ子型に組み入れられた(475頁以降)の「萩」の文章と最後の「硯滴」です。
あのような「奥野」が(或いはそうした「奥野」なればこそ)このように艶かしくもたおやかな文を「長かった夏のなごり」に綴り、そしてまたしんみりと胸に沁みる師走の描写で、この「遺書」を閉じることができるのだなぁと、深く深く感じました。

この作の後の日々こそが書かれざる我が「私小説」そのもの、「老いの恋」「老いの性」を書きたいとどこかに書かれていた新作は、『罪はわが前に…』三部作の綴じ目とも、「起承転転」の真の「転」にもなろうかと心待ちにしています。   九

* 表題に引かれてあるのは、岡野弘彦さんの名歌で、愛誦惜しまぬこの一首。

ひたぶるに人を恋ほしみ日の夕べ萩ひとむらに火を放ちゆく

* 有り難い感想であった。
じつにじつに心重い仕事だった、どう静かに一篇を終えるのか、日々に痩せる思いだった。
しかし、わたしは書いた。「書く」ことにいささかの迷いも無かった。渾身の筆を運び続けた。
正直にいえば、このままで「終わり」にしたかった。
出来なかった。
2016 9/3 178

* 京都の画家林康夫さんから、選り抜き、美しいほどの京の漬物各種を、お手紙添えて頂戴した。
お漬け物だと、茄子も小さい頃からむしろ喜んで食べてきた。お酒のアテにも恰好の妙味で、粋な味わい。
煮さえしなければ、(煮ては、サンザンの気味悪さだが)、茄子はなんと美しい野菜だろう。丸くても長くても。そして茄子の花の優しいこと。茂吉の歌に幹 のまま腐れている「赤茄子」というのはトマトだろうと受け取ってきたが。トマトも、真夏の汗みづくで家にかけこみ、井戸水に冷やしたのへとびつくようにか ぶりついた季節感、なつかしい。日焼けし上気した少年の口に赤いトマトは繪になって似合った。
京の新門前にあった我が家には、かなり深い井戸があり、釣瓶で汲み上げる井戸水は真夏でも冷やっと手をひくほど冷たかった。なぜか「一閑人」のように井戸を覗き込むのが少年のころ好きだった。他界への通路のような気がしていて、そんな掌説も後年に書いた。
奥の部屋のそとに、山茶花や笹に囲まれた、ま、あれで畳一枚ほどの泉水があった。金魚やちいさな鯉をだいたい十尾ほどいつも放していた。泉水とは名ばか りでわき水ではなく、それで年に何度か水を換える、その役は少年のわたしがした。古い水をバケツへ何十杯もくみ出して井戸わきの「流し」へ流し、井戸水を 何十度も汲んでは泉水に満たした。そんな作業の前には小魚たちをつかまえてワキへよけておかねばならない、それがまた楽しい遊びでもあった。

* もの忘れひどく、ことに固有名詞を忘れ果てて困惑することが増えたが、新門前時代は、つまり京都で暮らした時代は、おおかた、しっかり記憶が甦る。上のような断片をも湧くにしたがいちとちと書き置くのも、人さまはしらず、わたしには佳い滋養かもしれない。
2016 9/4 178

☆ 秦先生
「選集第15巻」落掌。ありがとうございます。御礼が遅れて申し訳ありません。さっそく拝読いたします。
2020年東京五輪にケチがついてしまっているせいか、日本のメダルラッシュと言われたリオ五輪も、懸命な選手たちの姿が不憫にも見えて、複雑な思いでした。
そんなことをしているうちに9月。
新聞社を離れてから、まる11カ月すぎました。
機嫌よく過ごしております。
「発心」ということでもありません。家は浄土宗なのですが、親鸞のことが学びたくなり、浄土真宗本願寺派が運営する「中央仏教学院」の「通信教育」に申 し込みました。別に坊さんになろうというのではなく、一般人向けの「学習課程」で、お念仏のことを3年間で勉強するというコースです。1日には西本願寺の 阿弥陀堂で入学式があり、出席してまいりました。
今月中旬には父の一周忌もありまして、それが終わってしばらくすれば、私も満54歳…そして第2の社会人生活を初めて1年となります。
超のつく高齢社会に突入しようという日本です。この1年はのんびりとしましたし、あと10年は、しっかりと仕事をいたします。
どうもアベノミクスの限界というか、失敗も明確になってきました。
そもそも現在の不況の最大の要因は、行政、官僚、政治家への不信です。財政危機で年金や社会保障の将来が危ないというんで、ある程度の余裕のある人間が、行政・官僚・政治家が信頼できず、自衛のためにカネを溜め込んでるからです…というのが大方が一致している分析です。
それが、わかってるのに、公務員や開業医、大きな労組を持ってる企業が与野党問わず大きな集票力になってるんで、根本的な解決を先送りにして、バラマキで、ごまかしばかり。
あとは憲法問題とかで国会議員は仕事をするふりして、経済に関しては、神風が吹くのを待ってる状態…。
いくら円安を誘導しようとしても、ドル円ベースでみれば、ここ20年間の米国と日本のインフレ率の乖離が大きいんですから、1ドル100円でも、米国からすれば円安だと感じるのも当然。
日本の方は財布のヒモは締めているのに、金融緩和で、お金はジャブジャブ、企業も留保金と設備投資のアンバランスがひどくなるばかり。
今は資源安だから何とかやっていけてますけど、原油をはじめとした輸入に頼るコモデティの価格が上がれば、これまでの不均衡が急に崩れて、かなりのインフレになるかもしれないとの見方もあります。
そうなってくると、国の側にしてみれば、実質的に借金の負担が減るので良いかもしれませんが…。つまり国債の金利は上がって暴落するわけですから、まぁ、まともな状態ではいられないでしょう。
そんなことはわかっているのに、マイナス金利を導入したうえに、ヘリコプターマネーまで検討されているのが怖いです。
官僚なんかは自分たちでルールをつくってプレーするスポーツみたいな感じでやっていけますから、自分の生活は防衛できるでしょうけど、私たち庶民はそうはいきません。
考えてみれば、戦前と同じ情況ですね。
あのときもリフレ派が台頭したことは、三島由紀夫の「豊饒の海」にも出てきます。
南無阿弥陀仏
というしかないです。
すみません。
志ん生の落語のCDをBGMのようにして、調子に乗って長々と書いてしまいました。
日記(=秦の私語)、楽しみに拝見しております。
今後とも何卒よろしくお願いします。
お体何卒ご大切に。    元 大手新聞編集局  俊

* 言われること、判ります。
2016 9/4 178

☆ お元気ですか、みづうみ。
九月のお写真のマゴを拝見しました。すっかり痩せてしまい胸が衝かれて、お見舞いの申し上げようもなくご連絡まで遅くなってしまいました。お許しください。お悲しみの場所がいっぱいの幸福でみたされますよう陰ながらお祈りするばかりです。
選集第十五巻無事に届いております。ありがとうございました。

第十五巻で、『ディァコノス=寒 いテラス』と『逆らひてこそ、父』の二作を一巻になさいましたこと、素晴らしい編集だと思っています。大変稀少なご本なのでお願いしてよいものか迷ったの ですが、もし可能なら別に一冊購入させていただけませんでしょうか。配本については色々なご予定もおありと存じますので、どうかどうかご無理はなさらない でくださいますように。自分用一冊を欲張って保存したいという話ですから。

明日の聖路加、検査の結果良好で、お疲れののこりませんように。

 

袷   秋袷身を引締めて稽古事  虚子

* お見舞いありがとう。
写真は、衰えのみえないように撮りました。実際は、謂うに堪えない痩せようで。今日は、ほぼ一日ものも食べてくれず水ものんでくれず、毛布ごと卓にのせて おいてやると、じっとわたしの眼を追い視線を送っていました。もう排泄を節する運動力もなく、うしろ脚は関節がぜんぶ外れています。それでも苦痛を訴えて 啼くこともなく、静かに静かに生きています。 みづうみ

* 相模原の篠崎功さん、差し上げた選集十四・十五巻以前の第十三巻までを全部、製作費と送料負担でぜひ欲しいと送金してこられた。恐れ入ります。荷造り用意にすこし時間を下さい。
中野の安井恭一さん、花巻の及川恵美子さん、沖縄の名嘉みゆきさんからも、有り難くご助勢いただいた。

* 新潮社の坂本忠雄さん、大府の門玲子さんからは、懇篤のありがたいご感想を戴いた。感謝申します。

* 妻の友達の吉田章子さん、妻の従弟の濱敏夫さんからは、有り難い珍味や菓子を頂戴した。
2016 9/5 178

☆ マーゴちゃん

愛されて 見守られて 幸せに天国へ行けて良かったですね。

静かに亡くなるのは 、お二人への 愛の通信だと思います。

ひと足お先にね また逢おうねと言って…

さびくしくなるでしょうが 魂はいつも一緒です。 琉  義妹

* 少しも様子変わらずに卓の上でマーゴはわたしを見、妻をみて静まっている。

☆ 秦 恒平様
選集十五巻拝受、「逆らひてこそ、父」を読み耽ってしまいました。
これは限りなく私小説でしょうか。
お悩み相談の回答者風に言えば これは父と娘の意地っ張り合戦。こんな男を夫にした娘の夫婦生活も、(娘夫婦の=)子どもたちの親子関係も、到底幸せとは思われず……
ここは愚直な母の愛、いやならいつでも子どもを連れて戻っておいで…と言うべきでは と愚考いたしました。 感想まで。   上野千鶴子  東大名誉教授

☆ 拝啓
きびしい残暑が続きますが 御体調のほどは如何でしょうか。
「秦 恒平選集 第十五巻」の「逆らひてこそ、父」は湖の本で拝読させていただき、「華燭」を手にとったときは頁を繰る手がとまらず、ほとんど一気に読んだ記憶 があります。母物、古典物、現代物、歴史物を問わぬ壮大なロマンスや夢幻の世界など秦文学に分け入る道は数々ありますが、本巻のような妥協を許さぬ「私」 の発奮は、もう一つ、かけがえのない秦文学の魅力であります。ありがとうございました。 敬具   久間十義  三島由紀夫賞作歌

☆ 「逆らひてこそ、父」は岡井隆氏の歌の解釈の奥底に入り込んでの御作、なまなかの気持ちでは拝読できず、じっくり腰を据えたく、まずは御礼のみにて欠礼いたします。
くれぐれも御身大切に。   講談社役員  徳


先生の文学は京都の歴史・文化との中から誕生したと感じました。京都の文化から花開いた文学と存じました。 厚く御礼申し上げます。 石内徹 折口信夫研究家

* 石内さんには、毎回 多大の御喜捨・ご支援を賜っています。お励まし、心より感謝申し上げます。
また小松市の矢代啓子さんからも、お能へのご勤勉の消息を添え、いつもながら選集へご支援賜りました。感謝感謝。
東京大学大学院国文学研究室からも受領挨拶が有った。
2016 9/7 178

☆ 今、マゴとのお別れを知りました。
残された時間の長くないことは存じておりましたが、今朝のことでございましたか。
心よりお悔やみ申し上げます。
猫にも犬にも人間には決して持ち得ないかたちの幸福があり、人間のどうにもならない癒し難いものを深く慰めてくれます。何かを成そうとしてではなく、ただ 誰かの傍にいるために生きてくれます。わたくしはその無心の幸福を羨ましく思ってきました。看取るためには先に死ねないと思うのですが、いつかわが家にも 訪れる愛猫との別れを考えるとダメージの大きさに鬱になりそうです。

別れのない人生は出逢いのない人生ですから、別れの嘆き悲しみも、出逢えた大きな幸福の中にすでに含まれていると思うしかないのでしょうか。
みづうみと奥様に愛されてしあわせな猫ちゃんでしたね、マゴは……。輸液の毎日が長く続いていましたが、みづうみと奥様のために長い間頑張ってくれました。
静かな大往生でございましたね。

桐   桐一葉日あたりながら落ちにけり 虚子

☆ マゴちゃん、
ゆっくりお別れができるように一日待ってくれたのでしょう。
本当に優しい、聡い子だったのですね。
深く愛し愛されたマゴちゃんのご冥福を、心よりお祈りします。  九

* ありがとう存じます。

 

* 黒いマゴを卓の上に寝かせたまま、話しかけ話しかけ仕事もし、いつも魚をよろこんでくれるので出前の鮨をとって、寂しいけれど声を弾ませながら夕食もした。
晩は、たまたま見つけた映画「動乱」を耳に聴きながら、静かにしずかに寝入っている黒いマゴの顔へもときどき話しかけ話しかけ、そこで出来る仕事をつづ けていた。命ということを、思い思いながら。二、二六の青年将校達無念の死刑も寂しい限りだった。あれから日本は崩れて行き、今なお崩れ続けてハッキリ危 機にある。そんなこと、賢かった黒いマゴにもわかっていたろう。バルビュス「砲火」や「光」の思いを切々思い返した。

* 今夜は、川になって寝ようと思う。
2016 9/7 178

* 大学同窓、妻の親友奈良の阿部陽子さんから、豪勢な純米大吟醸を二本戴いた。
2016 9/8 178

* 京都正因寺の万年元雄先生、東洋大の野呂芳信(亡き神学者・野呂芳男夫さんの子息)さん、京・有栖川の桐山恵美子さん、選集十五巻にそれぞれいいお手紙を戴いた。桐山さんの「ディアコノス・寒いテラス」への体験的な感想は胸に響いた。

☆ 9月に入って
台風の影響で雨が降って少し凌ぎやすくなりました!
今夏の暑さは格別でしたね〓 お変わりございませんか〓
先日は第15巻をご恵贈頂き有り難うございました〓 何時も楽しく読ませて頂いています〓    今回は130巻の記念号をゆっくり 「楽」読させて頂いています〓
「自問自答」は面白い切り口ですね〓 私自身だったら~と密かに思ってみたりして楽しく 読ませて頂いて います〓
8月の義兄の初盆以降 今月は建墓と納骨と続いて いますので まだしばらく多忙な日を過ごしています〓 お礼が遅くなって申し訳ございません〓 暑さ疲れの出てくる頃ですので どうぞくれぐれもお身体お大切に お過ごし下さいませ〓 奈良あやめ池  絹
2016 9/9 178

* 仙台の遠藤恵子さん、昔の同僚、のちに米沢短大学長の遠藤恵子さん、仙台名品の三段重秋を彩るもごとな蒲鉾をたっぷりと送って下さった。また京都の同窓澤田文子さん、特製の鰊蕎麦を下さった。食の進まないわたしに、有り難い栄養源です。有り難く。

* 国文学研究資料館の今西祐一郎館長、同志社大鏡花研究の田中励儀教授、それぞれに有り難いお手紙を下さった。
2016 9/10 178

* 階下で休息していた。電話があり、妻が出て、代わってわたしが出た。元朝日新聞の能楽評論家堀上謙さんの奥さんで、今朝ほどの堀うえさん逝去を告げられた。
先日電話がかかってながく話し、会いたい会いたいと云われていた。月火水は病院治療などあり土日は能楽堂へ出向いていることが多いと聞き、尋ねて会える のは木金ですねと確かめていた。同じ保谷市内だが、徒歩では遠く、炎天下に自転車も厳しく、雨も多くて、好都合に出会えなかった。まさかこう俄に亡くなら れるとは思えなかった。悔いて詮無い残念なことになった、ほとんど何を云うていいのか受話器を持ったままオロオロしてしまった。体調をよくよく考えムリを しないで下さいと、葬儀等のことも教えてもらえなかった。
わたしより数歳も上か、ひところはわたしが羨ましかったほど元気そうであった、堀上さん。まだしたい仕事も有ったはず。さぞ口惜しいことであったろうと胸に迫る悲しさに参りそう。久しいつきあいであった、同じ保谷市住まいで話の合ういい友達、いい話し相手であったのに。
心よりご冥福を祈る。
2016 9/10 178

* 堀上謙さんの訃報に動顛し、想い乱れたまま、宜しくない夢見から身を揉むように目ざめたら、六時前、妻はもうキッチンにいた。そのまま起きてしまった。

* 脱水ひどく腎臓、肝臓最悪と警告され輸液を指示されたのが三年前の真夏八月だった、以来、輸液と投薬をほぼ一日も欠かさず、想えば三年ものあいだ、黒 いマゴはわたしたちへの愛情のままに耐え抜いて生き長らえてくれた。何といっても黒いマゴ自身のガンバリは言語に絶していたのだった、しかもついこの夏八 月まで、黒いマゴが苦痛をうったえて啼いたり騒いだりしたことは一度として妻もわたしも、記憶がない。最期の最後まで静かだった、ただいつもいつも視線を 求め視線をひしと合わせて飽くことなくわたしたちの眼をみつめて、庭へ出たい、水をのみたい、砂でおしっこをしたよ、うんこをしたよとそのつど教えに来 た。後ろ脚はまったく脱臼してか使えないのにゆっくり家も庭も歩いて、夜中の便意尿意にも自分で砂場へ行って排泄していた、しようと努めてくれていた。
久しく久しいわたしの希望であった、自転車の前籠へいれていっしょに走り回ることも、八月、九月に入って亡くなる二三日前までじつに静かに、しかも顔を上げてご近所をたしかめ楽しむように一緒の時間をわたしのために創作してくれた。嬉しかった。

☆ 九月
悲しみの日々、死なれた者の思い、どうぞ堪えてください。
御身大切に。迪子様大切に。  尾張の鳶

* 書きかけの長い小説のなかへ黒い子猫の「存在」を、これまでも触れてきた以上に、もっとしっかり大きく造形してみようかと思い立っている。それあるゆえに「脱稿」しかねていたのかと。
2016 9/11 178

* 四国の榛原六郎さんの長い論攷「『こころ』とはなにか」を「e-文庫・湖(umi)」に掲載した。同じ六郎さんの「秦 恒平論  異界を歩く…生きる手立てとしての小説」も貰ってある。
メールが返送されてきた。アドレス変更されたか。

* 六郎さん
まこと永きにわたり、わたしの老耄も手伝い「e-文庫・湖(umi)」への原稿掲載手順(かなりフクザツ)を見失い、どうにもこうにも成らなかったのを、執念の粘りと手探りとで、曲がりなりに機能回復へこぎ着けました。
永くお預かりしていた「『こころ』とはなにか」を無事掲載できました。「秦 恒平論」も載せてあります。まだ紹介などのスタイルなし、原稿のままの掲載ですが、ご確認下さい。お待ちかねで、憤然とされてたろうと、我ながら情けなく、しかし機能回復をとても喜んでいます。
星合さんらにも、作品ゆたかな自信作をどうぞ寄稿して下さるようお伝え下さい。ただし、原稿用紙からスキャンし校正してというのは、視力衰弱でたいへんつらいので、やはり電子化データをぜひ添えてもらって下さい。編集者として遠慮無く改稿や推敲をお願いしますけれど。
疲労でガックリしていますが、選集三十三巻完結させ、そのあと、莫大量の往年手書き日記の電子化にも取り組もうと想っています。
いま取り組んでいる新作小説、難航しながらも楽しんでいます。楽しみすぎているキライも有りますけれど。
では、また。  秦 恒平
2016 9/11 178

☆ 黒いマゴくん
足の裏や、てのひら、ひげもまっくろでしたか。
迪子さんの、スケッチ、帆のような耳、やさしく、おりこうそうな面ざし、其処ここに、気配を感じて、つらい時を、おすごしとおもいます。
おふたり揃って、お大切におすごし下さいますように。  柚
2016 9/12 178

* 起床のまま発送作業に午前中をかけた午後もがんばった。四時半過ぎて、小雨をいといながらバスで駅へ。実に久し振りに喪服を着て、中井の最勝 寺へ、堀上謙さんの通夜に出かけた。びっくりするほど体力が落ちていて杖をつかいながらよろよろ歩いた。葬儀はことに気重く、つらい。あんなに羨ましいほ ど元気そうだった堀上さんの顔に柩の中へ目をやるのは、堪らなかった。ひたすら掌を合わせてきた。
日蓮宗の導師の経を聴いて、焼香。知った顔がなく、馬場あき子も小林保治もいなかった。告別式は明日。
ひっそりと会場を辞してきた。はらはらと涙雨が中井の大通りを濡らしていた。

* 堀上謙さんとは共著で、彼は華麗なのう舞台の写真を、わたしは『能の平家物語』を書き下ろした。気を入れた、今も気に入っている、この手の仕事では代表作の一つとも思う仕事になった。彼も気に入ってくれた。
会いたい会いたいと云われていて、わたしも会いたかったのに、暑さと日照りとに負けていたあいだに信じられない早さで逝ってしまわれた。死なせたような重い苦痛と懐かしさに涙も涸れる。

* 中井から練馬へ戻るのも、満員。それでも席を譲ってくれる若い女性があった。練馬で乗り換えて保谷へもまた満員。それでもまた若い女性が席を譲ってく れ、熱っぽく疲労していたので、たすかった。持って出ていた「湖の本」新刊をお礼にと、貰ってもらった。駅からくるまに乗った。
帰ってからは、黒いマゴへも「ただいま」と声かけておいて、テレビの前で発送作業を続けた。
2016 9/13 178

☆ お元気ですか、みづうみ。
雨の 一日。お悲しみの時間をお過ごしのご様子に胸が痛みます。ペットロスと言葉にしてしまうと一つの治療可能な病気のように分類されてしまいますが、動物との 出逢いと別れはそれぞれのひとにとってかけがえのない愛の経験で、人間との死別とはまた違う種類の癒し難い悲嘆だなあといつも感じています。
世界には野生のシャチや水牛やライオンと深い友情に結ばれて、そして死なれて立ち直れない悲しみを抱えている人もいますし、死にゆく愛猫を看取りながら自 分も一緒に連れていってくれと号泣した男のひととか、愛犬の死に衝動的に後追い自殺をはかろうとして踏みとどまった身近な話も(二人も!)聞いたことがあ ります。泣き暮らした友人曰く、次の犬を迎える以外に喪失感を癒す方法がなかったそうです。つい最近もご近所の奥さんからこんなに堪(こた)えるとは思わ なかったと、猫ちゃんの病死の話を伺ったばかりでした。

人間のお葬式で泣くひとはめったにいないが、ペットのお葬式では男でも泣くひとがたくさんいるというお坊さんの話も読んだことがあります。
「人間に向かう以上に小動物への親愛に溺れるなど、精神の衰弱脆弱にほかならない」というみづうみのお言葉はその通りなのでしょうが、愛犬愛猫との別れに おける人間の手放しというほどの悲しみ方には、何か特別なものがあるのかもしれません。言葉のない関係だから、胸から胸への信愛、人間どうしのように見返 りを求めあわない関係だから……でしょうか。

わたくしは幸いにも十年前に同居をはじめた猫との変わらない毎日を過ごしています。二十歳までは生きましょうねとよく言い聞かせていますが、ペットロス、しかも重度のペットロスになるのは避けがたいことです。

それでも人間とのお別れとは比べものにならなくて、人間の場合は悲しみに身を任せられないほど、泣けないほど哀しく複雑で深刻なものです。マゴをお見送りになってすぐに堀上謙さんのご訃報にどんなにご心痛のことかとお察ししています。

書くという「喪」のお仕事が、みづうみのせめてものお慰めとなりますようにお祈りするばかりでございます。

湖の本を待ちながら  火  送り火や音なくそよぎゐる草木 占魚
* 悲しめば、黒いマゴも悲しむのだと、こらえている。のこされた人間は人間らしくつとめて生きること。
2016 9/13 178

* 村上開新堂さんから秋の特製の生菓子をいろいろに送って戴いた。神戸の信太周さんから稲庭饂飩一箱を頂戴した。
2016 9/13 178

☆ 前略
館造の嵯峨本『方丈記』の原寸、カラー複製を造りましたので、お送りいたします。
秦 恒平先生     今西祐一郎  国文学研究資料館館長

* 先日のお宝鑑定団に同じ「嵯峨本・方丈記」が出ていて、流石にとおもう超高価な鑑定がされていた。「嵯峨本」のなかでも光悦筆・宗達下絵の歌巻など億 という単位を下るまい、高校・大学のころから「嵯峨本」という江戸初期出版の精美をつくした意欲に深い敬意を払っていた。
戴いた原寸原色「嵯峨本・方丈記」の嵯峨本を流麗の文字、まことに読みやすい。いわゆる写本ではない、あきらかに当代の「読者」を意識し期待した木版字での出版物であり字粒も大きい。原点文庫本を片手にもてば此の嵯峨本の文字、難なく読める。すばらしい。有り難う存じます。
今西館長のご厚意でこれまでも資料館刊行の貴重本をずいぶん沢山頂戴している。有り難う存じます。

* 奈良あやめ池の西川絹子さん、いいお手紙をそえて選集⑮巻への過分のご支援を戴いた。

* 神戸の岡田昌也さん、緑鮮やかなカボスを山のように送ってきて下さった。あらゆる食事に惜しみなく賞味させていただく。食が進むだろう。
2016 9/14 178

☆ 湖の本を受け取って
秦恒平さま こんな引き寄せられる偶然ってあるのですね。
湖の本が届き、封筒から取り出し、右手で支えて パラッと----何故ここに自分の名前が?
まず最初に開いたのが156ページでした。
しばらくは何故そこに私の書いた文章があるのか理解出来ませんでした。
そして、恐れ多くも「湖の本」の中に引用していただいた光栄!に驚いています。
京都への思いは今も変わらず、と言うよりも 年齢を重ねるにつれ一層深くなっている気がします。

台湾クルーズから帰って来て、ようやく懸案の左目の白内障手術をしました。
白く霞んでかなり見えにくかったのです。
お陰様でこれが大成功、本当によく見えるようになりました。
景色が若い頃そのままにビビッドに見え、車の運転も楽になったのですが、身体の一部だけが若返ったような不自然さにしばらくは落ち着きませんでした。医 者は右目も白内障だから手術すればよく見えるようになりますよ、と言うけれど、まだそこそこ見えている右目の、少し黄味がかって慣れた視界が名残惜しく、 当分は今のまま、若々しい視界と年相応の視界のミックスで過ごすことにしました。
今夏後半は台風、大雨、残暑とぐったりさせられましたが、この数日気温が下がりようやく一息ついています。
秦様も夏のお疲れが出ませんようご自愛くださいませ。
本の代金送金が滞っていました。ごめんなさい。早速、これから郵便局へ行き振り込みます。
2016/09/16      藤江もと子 藤江孝夫君夫人
2016 9/16 178

☆ 暑い最中 孫のお供で京都巡りをこなして疲れ果てました。それでも満足感はありました。
三条白川橋、今は地下鉄東西線の駅があり 便利です。あの道筋は変わらず歩きたくなります。
後になりました、本 届きました。お元気で何よりです。 泉
2016 9/16 178

☆ まーごちゃん
おじい様、おばあ様
可愛いまーごちゃん、長く幸せな人生にいったん区切りをつけたのですね。
お会いしたことはなかったけれども、いつも近くに感じていました。
頭の中で、まーごちゃんはいつも、おじい様のパソコン作業を愛らしく邪魔してるのかしら、おばあ様がお料理されてるのをのんびり眺めて過ごしてるのかしらと想像していました。
おじい様おばあ様がお辛い時には、まーごちゃんに私の分も2人のそばにいてほしいとお願いしたりもしていました。
そんなまーごちゃんの可愛い姿がいったん見えなくなるのは寂しいです。
まーごちゃん、いつもいつも支えてくれて、本当にありがとう。今度会う時は、黒くてステキな体をなでなでさせてね。
おじい様のご本、頂戴しました。ありがとうございます。
今月末で産休に入るので、おじい様の本を読んで母になる日までを過ごそうと思います。
またメールします。  馨   亡きやす香のお友達

* 馨さんには、わたしたちの辛くて悲しかった激動の時期にも、またその後にも、本当のまご娘からのように、終始一貫して力強く優しく慰められ励まされて来つづけた。嬉しかった。ありがとう。
やす香も健在なら三十歳になる。なんということか。やす香は黒いマゴとも親しみなれて遊んでいった。いまも、出逢って仲よくしているだろう、黒いマゴがこときれた瞬間に無言電話がふっと切れた。やす香が迎えとったよと報せてくれたのだとわたしも妻も思った。

☆ とにかく
お身体気をつけて大切に、それのみ願います。 尾張の鳶
2016 9/16 178

* 美味い葡萄にたっぷり恵まれ、大きな粒を三つも食べると一食が補える。心賑わって有り難いこと、読者のお気持ちを純粋に頂戴できる。
2016 9/17 178

* 名大名誉教授の山下宏明さんから、身に沁みるお手紙を戴いた。
鎌倉の橋本美代子さん、湖の本131の払い込みに添えて「黒いマゴ」に花をと過分のお心遣いを戴いた。昨日には甲州の葡萄をたくさん頂戴していた上に。
木津川市加茂の従弟岩田孝一君から、珈琲豆や碾茶をたっぷり送ってもらった。

* 幸いに 十月三日の聖路加通院まで、強いての予定がない。都合さえ、体調さえゆるせば旅行にも出られるのだが。踏み出す元気がない。青田吉正さんが会いたいと云われている。さて、どこでどう会うか。彼は呑めないし、わたしには食欲がない。
2016 9/17 178

☆ 今宵(=昨夜)は満月
薄く広がった雲間から時折漏れる月影を、仰ぎ仰ぎ帰宅しました。
創刊満三十年の記念号、「原作・畜生塚」を巻頭に、新歌集の表題を『亂聲』と定めた桜桃忌の「私語の刻」で結ばれているのを、嬉しく拝見しています。
まずは活字の上での「京の散策」を楽しみ、私家版で読ませていただいた「原作・畜生塚」を「湖の本」でも再読・三読したいと思っています。
温め続けられた歌集、艶やかに晴れやかに、花と開きますよう願っています。
どうぞ、御身大切になさってください。  九

* 『亂聲』 とは、ま、洗濯機へ汗くさいものをなにもかも投げ込みかき混ぜるような意嚮に過ぎず、優雅でも艶麗でもない、がちゃがちゃとやたら喧しいような一巻になればとの、横着な表題。過剰に期待しないで下さい。
2016 9/18 178

☆ 秦 恒平 さま
「湖の本」に添えられたお手紙を拝見、おどろいています。
七月初旬に骨折で妻が入院、一週間後に手術してもらって、八月下旬に退院したものの、いまだ歩くことができず、わたしが家事を引き受けて、おかげで料理 や洗濯の腕はあがりましたが、家のことに没頭しているうち、テレビを見ることや新聞を読むことに興味を無くしたようです。
疲れたら眠る、まるで世捨て人のような暮らしですが、これがなかなかに楽しくて、自分の性にあっているみたいです。
携帯は昔に解約、古いのが動かなくなって、買い替えた新しいパソコンもファイルを移さず空っぽのまま、ほったらかしなので、いただいたメールを受信できず、申し訳ないことをしました。
「e-文庫・湖」に掲載の私の「秦恒平論」を読み返して、なにやら不思議な気がしています。
自分の書いたものであることははっきりしていても、同じものを書き継げるかといえば、その確信はありません。怖いものしらずの、勢いだけの、その勢いを新鮮に感ずる自分がいたりして、複雑な心境です。
秋めいてきましたが、天候不順の毎日、どうぞご自愛ください。
九月十七日 深夜      讃岐  榛原六郎 拝

* 六郎さんの長いエッセイ「『こころ』というもの」を預かって久しく、「e-文庫・湖(umi)」の起動手順を見失ったままモノに埋もれていたのを掲載 し、湖の本新刊に書き添えて報せておいた。以前にはやはり長編の「秦 恒平論」を掲載した。ただしわたしは目下のところ所謂「作品論」は別として「総論」されたような「秦 恒平論」には影響されまい為に目を通さぬ事にしている。山瀬ひとみさんの長編も、だから敢えて読んではいない。これらは、読者の皆さんに批評・批判して頂 きたい。
六郎さんの「こころ」というものへの所感は、論攷と云うより元気な述懐をこめたエッセイまたは感想のように読める。
たまたまわたしの方は『選集⑰』のために自分の「こころ」についての旧稿など読み返していた。わたしは観念的に「こころ」を語って語りきれる者でないと いう見極めから、わたし自身の発見・考察した「からだ言葉」「こころ言葉」を用いながら人間生活の場面場面に生きた「こころ」のはたらきや問題を論じ続け てきた。「言葉」という具体的な働きを介し通して考えてきた。
六郎さんの論にもそういう生活感の裏打ちされた手がかり足がかりがあれば「こころというもの」がさらに目に見えてきただろう。
四国の榛原六郎さんは、「e-文庫・湖(umi)」にべつに何編も小説も送って来られている。長い「志賀直哉論」もあった。もう相当の老境に近いだろう人だが、文学青年の意気がまだ行文に疼いている。

* 四国の作家というと、忘れがたい立派な作家がおられた。終生在野、しかし感服の秀作をたくさん遺された。ホンモノの書き手だった。わたしより年かさで、もう亡くなっているが、亡くなる日まで湖の本を、そして秦 恒平を応援して下さっていた。ときおり東京までみえた。
2016 9/18 178

* 元・中公でわたしの新書版『古典愛読』を創ってくれた編集者・青田吉正さんと、まこと久し振りに二十三日池袋で会うことになった。
e-OLDの勝田貞夫さんとも久し振りに会いたいなと思っている。

☆ 秦さんへ
私がお近くまで参ります○
秦さんがいちばんらくな場所がいいです。
わたくしは(千葉一東中野一練馬一保谷)らくです。
とりあえずのイメージ: 午後、保谷の喫茶店あたりで、どこかでのようにじいさん二人、一人はお
酒、一人はコーヒーだけで……なんてえのは如何でしようか。そのうち「また来たねえ」なんて言われて……
わたしの希望は:
(水)曜日、(土)(日)の午後がいいです。
食事はないのがいいです。(言訳け省略)
寒くなる前がいいです。
日時・場所(店名など)楽しみにしてます。
メール(見るのが遅れがちですが)
katsuta◎cosmos.ocn.ne.jp
ご無理せず 一番らくに お大切に  勝田拝

* 寒くなるまえが、いい。

☆ 『湖の本』131
ありがとうございました。
創刊三十年 通算百三十一巻。この凄い文学に対する執念を感じ、秦さんに尊敬の念を抱きます。なかなか普通の文学者には出来ない偉業です。そして処女作に回帰する… 小生も見習わねばと思いました。
御健筆をお祈りします。不一   作家  森詠  文藝家協会理事

☆ 『湖の本131』拝受いたしました。
創刊三十年 目もくらむ思いです。
菅原万佐名の私家版へのあとがき、さらには「私語の刻」を拝読し、秦さんが<文学への初心>をいまも貫き通されていることに感動します。
貴重な私家版原作を無駄にすることなく、読みくらべて観たいと思っています。
祝意 謝意のしかるべき表しようを知らず、せめて経費の一助にもなればと、失礼を省みず微意同封いたしました。 お許しを。
まだ不順な天候は続きそうです。どうぞ呉々もお身体お大切になさって下さい。
元「群像」編集長 出版部長  敬
追伸 「京の散策」 奥深いですね、読み流せません。
余談ながら、高校の後輩とある湯浅氏は無事定年退職、いまは僧侶だそうです。

* 恐れ入ります。励まされます。

* 湯浅君は、もともと泉涌寺悲田院の人、お寺の直ぐ真下にわたしたちの高校があった。彼の講談社時代に二度ほど立ち話をしたと覚えている。

* 元「中央公論」編集長粕谷さんの奥さんからも、佳いお手紙を戴いている。脚本家の小山内美江子さんからも、ペンの会合で会いましょうよ、などと。
全国大学国語国文学会常任理事や解釈学会会長などされていた黄色瑞華さんからもいつものように懇篤のお便りを戴いた。お城のプロである小和田哲男教授や山科の詩人あきとし・じゅんさんからも、そして神奈川県立近代文学館や早大図書館からも。
京・岩倉の同窓 森下辰男くんからは、また、懐かしのメロディ盤を送ってもらった。
2016 9/20 178

☆ また台風が近づいているようでございます。
お元気ですか、みづうみ
湖の本131巻頂戴いたしました。ありがとうございます。

月     はなやぎて月の面にかかる雲  虚子
2016 9/20 178

* 清沢冽太さん、福田良子さん(福田歓一さん夫人)のお手紙を戴いた。お茶の水女子大、明治学院大、東海学園大名古屋、多摩美大からも「湖の本」受領の挨拶が在り。
2016 9/21 178

☆ 湖の本131拝受しました。
黒いマゴちゃんとのお別れの哀しみの中に、早々とご本送っていただきありがとうございました。どんなにかお辛い時間の中のことだろうと、ご本を開く手に悲しさが伝わってくるようです。
「畜生塚・此の世」など菅原万佐作のご本を送っていただいた、あの昔を鮮やかに思い出しました。驚き、感激しながら、むさぼるように読ませていただいたのでした。
難しかった。あの頃は、お能も知らなかった。今では「胡蝶」の詞章を作品の中に見つけることも。
秦様のたくさんの作品を読ませていただくことで、どれだけ多くの事を学ばせていただいたかと、ページを繰りつつ感謝の気持ちです。
「京の散策」は以前・京都の案内文をいただき、それを頼りに歩いた京都の町並みを思い出しながら懐かしく読ませていただいています。
精力的な秦様のご本の発刊に、読む力が衰えついていけない情けない昨今です。
でも、楽しみにしています。
迪子さんの描かれたマゴちゃんの絵を見せていただき、迪子さんの悲しさがひしひしと伝わってまいります。
お水を飲ませておられる手の優しさ。思い出されるお辛さ如何ばかりかと。
建日子さまがご両親の哀しみを支えてくださっておられるご様子にホッとしています。
来週からの舞台をぜひ拝見したいと日を繰っています。土日の休日は若い熱心なフアンにお譲りして、平日に見せていただきたいと思います。迪子さんのお出かけになれる日と合えば、ご一緒できればと願っています。
台風の影響の日々が続き、お身体に障りがあるのではないでしょうか。くれぐれもお身体お大切にお過ごしくださいませ。   練馬  晴美 妻の同窓
2016 9/21 178

☆ 秦恒平 先生
湖の本131号拝受いたしました。
胃の手術で入院をしており、振り込みが遅れましたことをご容赦ください。

秦先生は、“ 両手先がきつく痺れて ”いらっしゃる由 お具合はいかがでしょうか。呉々もおいといください。

私も1年前腎臓の手術で30日入院し、今回また10日間ほど入院・手術しました。

なんとか回復途上にあります。普通に歩き普通に食事出来ることの有り難さを痛感しております。

原作『畜生塚』、大変おもしろく拝読しました。

「夢の中から」冒頭からの展開に意表を突かれ、一挙に読み通しました。

私の人生は“山登りの人生”でしたが、本格的な登山が出来ない体となり、在宅の時間が多くなりました。

実は、読み残した湖の本が結構書棚に積んであります。

あらためて全巻通読に取りかかります。   鎌ヶ谷  篠崎仁

* お大事にと願わずにおれない。三十年、お付き合い頂いている。
2016 9/22 178

* 池袋東武スイパイスの「美濃吉」で青田吉正さんと食事してきた。
料理が不味く、配膳もお粗末でガッカリした。むかしはもっとマシな料理で気が入っていた。こっちの体不調も、あるといえばあったが。
病後の青田さん、かなり窶れていた。励まし続けてきた。

* 池袋改札口で別れた直後、はげしい脱水症状で、あやうくペットボトルの茶を買い、飲み干した。頸筋がこわばって痛く、腰砕けのよう。覚悟を決め、西武 線の改札外で床にすわりこみ回復を待った。準急で、座席を譲られるまでが辛かった。保谷駅のタクシーもなかなか来なくて、しかし座り込むには小雨で地面濡 れていて、ガマンして車を待った。両手の指が捩れ曲がって痺れ、足も攣っていた。辛うじて帰れた。
先日の眼科診療後は、極暑のなかを保谷駅まで帰れたものの、炎天下で祈るように車を一時間も待った。とても歩けなかった。あの日は、黒いマゴが命がけでわたしの帰宅を待っていてくれたのだ、
その翌朝に死なせてしまった。

* 慎重に、慎重に動かないと、むざむざ潰れてしまう。厳重注意し、亡くなった友人堀上謙さん、京都の写真家、美術文化賞を受けてもらった井上隆雄さんら の分も長生きしなくては。その思いがつよく、この十月に十六巻を出す「選集」を三十三巻までガンバルと決めたのだ。無用の旅なども控えて、無事是好日を重 ねたい。
2016 9/23 178

 

* 「湖の本132」にどっと沢山のお便りを貰っていた。

☆ 畜生塚など
甚だ面白し。   梅原猛

* めったに無い、自筆で、恐縮。

☆ (前略)
このたび心待ちしていた湖の本 選集が 相次いで配達され、明日出発のヨーロッパへの出張に持参することが出来 改めて日本文学の粋を味わうことが出来そうです。
先生の作品はご自身の真実をなにげなく語っているようで 他方 まったくの創作(フィクション)であるようにもおぼえ、まさに日本文学の真髄を表していると自分勝手の解釈ながら いつも感心している次第です。
私の国際ペンへのご奉仕も今回のスペインでの大会をもって無事終了いたします。12年余にわたる長い期間、先生のご指導ご支援がなければ勤めることが出 来なかったと思います。日頃のご厚情とあわせ 心からお礼を申し上げます。 近いうちにまた再会できることを願いつつ 先生のますますのご健勝を祈念申し 上げます。  堀武昭  国際ペンクラブ専務理事

* 日本ペンクラブの理事会でもっとも信頼し親交をいただいてきた世界人であられる。感謝。

☆ 台風と
秋雨前線が騒がしいのも地球温暖化の影響でしょぅか。ご健勝のこととお慶びいたします。
「湖の本」をご恵投いただき有難うございました。創刊三十年、通算百三十一巻とのこと心よりお祝いを申し述べます。
「畜生塚」は、京都の奥深い歴史と歌舞技藝の日常と美意識を背景に描かれた実に清々しくも悲しい「青春讃歌」として原作でも感動し拝読いたしました。
季節の変わり目くれぐれもご自愛専一の上、お元気にお過ごしください。取り急ぎお礼とお祝いまで。草々    重金敦之  エッセイスト 元朝日新聞社

☆ (前略)
湖の本131御恵与たまわりありがとうございます。
創刊三十年記念の趣 もうこんなに時がたったのかと、学生達と話しあうきっかけ与えていただいたこと感謝いたしおります。
創作意欲の強靱なさま いつものことながら敬服いたしますとともに、読み書きも体力満ちてかなうことと痛感しきり。
お揃いでお大事に とりあえずお礼まで 草々   信太周  神戸大名誉教授

☆ 朝夕凌ぎやすい季節になってまいりました。その後 恙なくお暮しでいらっしゃれば嬉しく存じます。
さてこのたび 「e-文庫・湖(umi)」に 私の寄稿をお許しくださるとのこと、ありがたくお受け申します。 とりあえず  未発表の歌稿 まとめて五十首 同封いたしますので どうか よろしくお願い申します。
このたびの「湖の本」私語の刻にて、新歌集ご上梓のこと尻ました。 すばらしい表題も定まり ご上梓が待たれます。まことにおめでとう存じます。

余談になりますが、「湖の本」のお作品『生きたかりしに』拝読した折り お母様の昔おすまいになられたとイウ住所が「東城戸町」とあり、そこは今 私のおります「杉ケ町」のすぐ隣町なので驚きました。
小野医院、酒屋の都鶴の看板などみつからないものかと、なんどか足をはこびましたが わかりませんでした。 内科の「奥医院」というのは昔からあり、そのあたりの町の人にたずねても「小野医院」は知らないということでした。
奈良のこのあたりは、昔のままの民家も少々残っておりますが、 この数年 どんどん取り壊され、新しいマンション等が 建ちはじめました。 私には 少々残念な気がいたしおります。
それでは くれぐれもお大切にお励み下さいませ。   東淳子  歌人

* 早くから歌人としてもっとも信頼をおいてきた方であり、「e-文庫・湖(umi)」に是非新作をとお願いした。ほかにやはり詩人にもおねがいしてあるのだが。
「e-文庫・湖(umi)」 しっかり充実させたい。
なお「小野医院」は実を憚ったので、本当は内科の「奥医院」です。

☆ 秦先生
湖の本 創刊満三十年 おめでとうございます。
湖の本の発刊を続けられつつ 病をかかえられて、選集をも刊行なさり、ご立派です。
高齢になられて なおご自分の選集を出すという 倖せな老後を送られる作家の方を 私は 存じません。
先生の「電子図書館(=「e-文庫・湖(umi)」)」寄稿のお話、ありがたく嬉しく存じます。 是非にと考えおります。十月の初旬くらいにお送りでき ればと思いますが、よろしうございますか(可なれば どうぞご返事ご無要に)   どうぞ先生 ご自分を労られ、奥さまとご一緒に 更なるご長寿を!と  願っております。  かしこ   高松市   星合美弥子  作家

* 同人雑誌は全国からいろいろ寄せられるが、これはと思って、電話でまで感服しましたと告げたただ一人の書き手で、わたしよりも少しだけお若い。どんな作が届くか楽しみにしている。

☆ 秦恒平様
関西地方は、台風一過とは言えずに、厚い雲が覆っています。
お変わりございませんか。
先ごろは「湖の本131冊 原作・畜生塚 此の世 他」をお送りいただきましてありがとうございました。128冊の「初稿・雲居寺跡」や、129冊の「原稿・清経入水」と共に貴重な資料になると存じます。
今回は特に「私家版 あとがき」に見られる、「作家以前の秦恒平」の力強さに惹かれました。
「百万の読者をもつ職業作家と百人にみたぬ知人しかもたぬ者とであっても、創作の第一義は等しく生きている。」に始まる(三十代での)決意は、もうすぐ70才になろうとする小生の心にも響きます。
笑われるかもしれませんが、「そういう印可がないとものを書くことに卑屈な恥じらいを覚えねばすまぬのなら、そんな割のわるい苦行はやめた方がいい」。
そうだ、そうだと思います。
「生活の中で獲た時間をそのためにつかう、それは誇りにもならぬし卑下するにも当たらぬことだと私は思う。」
同感しながら、「努力を惜しんでの自己満足と不用意な妥協」は、してこなかっただろうかと反省します。
この年になっても「何してるの」と聞かれて、「小説みたいなものや、論文みたいなものを書いてる」と答える自分に思わず「喝」と言わねばなりませんでした。
夏が過ぎると胃腸がおかしくなります。
先生もどうかご自愛専一にと願います。  奈良・五条市  永栄啓伸  文学研究者

☆ 御本 ありがとうございます
この夏は 三部作「亀裂」「凍結」「迷走」を読ませていただきました。
平安の女文化から、近代小説まで勉強させていただいた先生の、もう一つと言いましょうか、現代を生きる姿には、興味深いものがありました。 現代と書い てみて、あれからこの国も変わったという感慨と、 いや、何も変わっていないのではないかという疑念が同時にやってまいりました。
昭和四十九年は、三月まで松下電器で働き、八月に出産いたしましたので、あの時代はしっかりと記憶に残っております。
三部作は ミステリのようでした。
外部からの悪辣なやり口に対して共に闘うべき内部も一つではなく亀裂があって、それが組合運動に凍結して、いよいよ迷走してゆく……犯人は人間を越えて しまった業界の全体、更にはこの国のあり方、いやこの国だけではない組織の病理。愛らしい女性が組合の力を背に、突如、恐くなってゆく… 涙さえこぼして  自分の上司の「意識」と「態度」を金切声で非難しはじめる……あの静かな子をかくも見苦しく泣き叫ばせているもの… 上に側近政治、下に呑み屋談義があ り、既に事は決まっている会議の空しさに、私も叫びだしたくなったことがありました。 でも怒る前にあきれはて、男社会、男というものに距離を持つことに なっていったような気がいたします。
男社会に対する疑問が 奥さまの言葉でしっかり語られていて、溜飲が下りました。
「いい気なもんだな。―女房族の革新人気って奴の正体見えたよ」というのは、男の台詞。
岡目八目で 終始よく見えている奥さまの視点があったから、小説が 今読んでも古くなっていないのだと思いました。
「老社長さんがいちばん、お気の毒だわ」です。 今日もさまざまなところから可哀相な老社長さんの声が聞えてきます。
それから、「お菓子食べたいなんて可愛いわ。眼くじらを立てることないでしょうに」に 嬉しくなりました。
管理職手当をもらうようになった私は、それを、研究室を見事にまとめる女性職員たちとのランチやお菓子代にして、女子会(そのころはそんな言葉はありませんでしたが)を、楽しみました。
お芝居じみて我慢のできなかった会議も、人間観察の好機と捉え、舞台の「仕方噺」のように見ることができるのではないかと考えました。 しかし演出家不在の不条理劇が報復遊戯となってゆくのは、子どものいじめの世界と一緒で目にあまるものでした。
毎回 勝手な読み方をして、恐縮でございますが、これぞ小説を読む醍醐味と開き直ってしまったようです。
いよいよ灯下したしむ候となりました。 先生 奥様 どうぞ くれぐれもお身体 大切に おすごし下さいますように。   清    造形美大教授

* たいそう結構な京の和菓子を、妻とわたくしのために二つずつ選んで送って下さった。よく読んで下さったのがそれ以上に有り難い。

☆ 台風
静かに通過してくれること願っています。
先日はあの見事な選集第十五巻恵与にあずかり 本日は また湖の本を頂戴しありがとうございました。体調悪いまま 本もよまずにここ何ヶ月 「畜生塚」なつかしく いとおしく 一気に読み終えました。本当に重ね重ねありがとうございました。
二人とも体調よくなく まいっております。いつになりますか、街に出かけましたとき 何か送ります。まずは御礼まで     正   元京都市立小学校校長先生

☆ 「湖の本」百三十一巻
有り難うございます。
正に文士魂を頂いて勇気を覚えます。敬具   俳誌主宰  杏牛

☆ 今から
三十年ほど前のことになりますが 先生の愛読者であった友人にさそわれ 京都東山一帯を探訪したことを思い出します。改めて書棚より箱に赤い縁どりのあ る『みごもりの湖』を開きつつ この度の「畜生塚」を拝読致しております。御健勝にお過ごし下さい。敬具  横浜市 相原精次 作家

* ほかにも岩波の高本さん、画家の高安醇さん、作家の杉本利男さんはじめ、法政大、立命館大、南山大、中京大等々たくさんなご挨拶を受けた。書代の払い込み票にもありがたい通信文がいっぱいだが、今夜は、もう、とても取り上げきれない。
2016 9/23 178

* とにかくも、今日、不用心には動けないなと思い知った。勝田貞夫さんとの約束だけを、楽しく穏和に果たしたい、が、地元保谷でよく通った喫茶店が、喫 茶を廃業して珈琲の焙煎専門店になってしまった。そもそもご老体に保谷まで来て戴くなんて出来ない。やはりどこかまでは出向きたい。しかし勝田さんは「珈 琲」でわたしは「お酒」などという便利な店は見当が付かない。わたしも珈琲でと、珈琲のいい店を調べねば。
2016 9/23 178

 

☆ 「湖の本131」拝受
『原作・畜生塚』  「一すじの道に影ながきかも」ではなく、「道に二つの影ながきかも」と切なく極まる因果の糸。その無情は、まさに一期一会の業ゆえ に、最愛の人の心をすら「まぎれない絶望」で満たし切ってしまいます。嗚呼。同感しきりの読者も必ずや少なからず。一読再読、感銘一入。
追伸 大分からカボス、信州から栗きんとん、すこしだけ届けさせて頂きました。お口にあえば幸いです。奥様からは、いつもご丁寧なおはがきを頂いております。
選集の方も大変な勢いですね。  神戸市  岡田昌也  歌人

☆ 小説の良い読者(の一条件)は
記憶力のある人と書かれていた先生の言葉に 自分の読書能力の限界を自覚したものでした。でも、「畜生塚」に関しては、とてもよく覚えていました。
ほんものの佳いモノが当り前のようにある京都に住んでいる喜びを日々感じています。
皆さま どうぞお元気で。では、又。  高野   羽生清  デザイナー 美大教授

☆ よき時代の物語
嬉しく拝見いたしました。   朝霞市 恩田英明  歌人

☆ 「湖の本」をいつも
お送り下さり、ありがとうございます。
心身ともに少しでも平安な日々でありますようにお祈りします。
オスプレイのヘリパッド建設が進められる辺野古では、反対派の市民が機動隊より暴行を受ける、逮捕されるという異常事態が続いています。「早く片づけて 欲しい」と発言する政権。日本中で注視することを希望します。沖縄だけの問題ではないと思います。  沖縄  名嘉みゆき

☆ おめでとうございます。
「湖の本」創刊30年 131巻。 先生の御本を愛読させて頂きました年月でございますが、私に耐えられないような悲しみ、寂しさ、身体の苦痛等のあります時 ご本とお言葉に助けられました日々でもございます。
先生と奥様のご多幸をお祈り致しております。  渋川市  森田比路子  前図書館長

☆ 手先が
痺れていらっしゃるにもかかわらず お言葉も添えて下さり、感謝にたえません。
「畜生塚」 懐かしい作品です。
次回以降もよろしくお願い致します。
お身体 くれぐれもお大切に。  中野区  安井恭一

* 梅原猛さんのガンと鳴る「面白し!」一言をはじめとし、幸い「原作・畜生塚」「原作・此の世」が受け入れられている。「新潮」作と比較すれば、原作に は省かれたいろんな言葉や表現がかなりの量混じっている。省いたのだから無駄と言えるし、しかしそこに志をたてた若い書き手の奇妙な熱も意気も残ってい る。作家以前に書かれていた生涯の処女作といえる「畜生塚」「斎王譜=慈子」そして「清経入水」だけは、ほとんど人目に触れていなかった三十年「私家版原 作」を愛読して下さった方々に読んで頂きたかった。次巻の「原作・斎王譜」も、筑摩版単行本や集英社文庫版では相当量省かれた徒然草との分厚い絡み・重ね など、楽しみに待っていただきたい。
それにしても愛するヒロインに対してあまりにむごい男を書いてしまったと、読み返し校正しながらわたしは息苦しい思いをした。しかし、「美しいかぎりの小説を書くのだ」と息ごみ書き始めた大昔が懐かしい。

* いまこの時機にこのような「原作」を持ち出したのは、一つには「湖の本」三十年を記念しているのだが、今一つには、今まさに現在進行中の「秦 恒平選集」十五・十六巻をさわっている堪らない苦渋の重圧をわたし自身慰めたいからでもある。一生涯を、ただ一色に平穏無事にいきることは出来ない。あり がたいことに、此の三十年に此の肺腑をえぐるような辛かった日々をも私の有り難い佳い読者のみなさんは倶に堪えて下さったのである。
2016 9/24 178

* 東淳子さんの自選五十首「八月の蝉」を「e-文庫・湖(umi)」の詞華集に収めた。心を打つ五十首であった、すこし寂しくなったので、心を励まし、反歌一首を添えた。添える位置を間違えたかも知れない。
2016 9/24 178

☆ 拝啓
「湖の本」いつもかわらぬご厚情に心より御礼申し上げます。
古典世界と今とを往還する世界、京都という空間との繋がり、いつもながら古典文学を味わうということのあり方を教えられております。なお今後ともよろしくご教示下さいますようお願い申し上げます。 敬具   志立正知   秋田大学教授

* 昭和女子大、國學院大、また西東京市中央図書館からも、「湖の本131」への感謝状があった。
2016 9/24 178

* 朝いちばんに心嬉しいメールを読みました。東工大で飛び級で院へあがり、東大に職位を得ていた人で、お子さんのできたとき、佳い育児日記を「e-文庫・湖(umi)」にもらって嬉しかった。ずうっと「湖の本」も見てくれてきた。
なにより懐かしいのは、授業の後で講壇へ友達とやってきて、「歌舞伎みたいんです」と。「そうか、よしよし」と歌舞伎座のまんなか前の佳い席で弁天小僧や稲瀬川の「つらね」など、乾杯しながら楽しんだこと。
お子さんが幾つになったかな、どんな子に大きくなったかなと「湖の本」を送る序でにお母さんに聞いた。その返信があった。嬉しい。

☆ 秦さま
川口です。
ご無沙汰しております。
湖の本、拝受いたしました。
今更ながらで恐縮ですが、ネットで送金したつもりになって、送金できていないものがあったのではないかと心配しております。不足分がありましたら、ご請求くださいませ。

さて、本と一緒にお送りいただいたご挨拶に息子のことについてリクエストがありましたので。
息子は現在9歳です。
元気一杯で、口達者。周りのことをよーく観察していて、ちょっと泣き虫です。
小学生が大好きなアニメ等には、ちゃんと? はまっています。今はポケモンのようです。
少し、興味がなくなったかなぁと思った別のアニメを録画して見ていたので
「もう、学校のお友達も(このアニメは)あんまり見ていないんじゃないの?」と聞いたら
「見ているお友達もいるから、話を合わせるには、見ておかないとダメなんだよ。」と言っていました。小学生も大変です。
前回のメールでお話ししたように6月に、国立劇場の歌舞伎教室に行ってきました。
高校生の団体の鑑賞と一緒になってしまい、少々騒がしく、落ち着かない会場でしたが、集中して見ていました。
初めてだからと、イヤホンガイドを借りてみたのですが、
「パンフレットに書いてあることだからもういい」と途中からガイドなしでも楽しんでいました。帰ってきてからも「宗五郎の飲み方!」と言って麦茶を飲むときに仕草を真似していました。
その後、夏休み、歌舞伎好きの大伯母に歌舞伎座に連れて行ってもらう機会に恵まれ、「東海道中膝栗毛」を楽しんできました。
仕事から帰ってきた私に、楽しかった場面をたくさん解説してくれました。子供も存分に楽しめる内容だったようですね。
今はラグビーが特に楽しい様子。通っているラグビースクールの仲間ととても気が合うようで、のびのびラグビーを楽しんでします。
また、学校では相撲好きの校長先生のおかげで、お相撲マットが用意されている部屋があり、相撲好きのお友達と休み時間に楽しむこともあるようです。
力いっぱい体をぶつけあうことが好きなのでしょうか。。。
読書も好きなようで、夏休みに子供向けの三国志を読んでいました。
学校の図書室では戦国武将の伝記をよく借りているようで、よく解説してくれます。(日本史が好きではなかった私には、息子にわかりやすく教えてもらっているような感じです)
夏休み、京都に行ったことをきっかけに”御朱印“を集めることも始めています。
祇園祭の後祭りを見に祖母と出かけ、御朱印帳の存在を知った息子。平等院、平安神宮、下賀茂神社等を巡り御朱印をいただいてきました。
その後、旅行に行くときは必ず御朱印帳を持っていきます。
というわけで、いろんなことに興味をもっています。
まだまだ吸収力があるようですので、興味を持ったことにはできるだけ協力してやりたいと思っています。
大人が楽しんでいると子供も楽しんで取り組むことを最近特に感じるようになりました。
一緒にいろんなことを体験していきたいと思います。
それでは、また。

* なんと嬉しいメールだろう。なんと、気持ちの良い母子だろう。
歌舞伎も観て楽しめるなんて。この夏の、染五郎、猿之助の弥次喜多や宙乗りも観たなんて。アニメやポケモンこそわたしは知らないが、三国志も相撲もラグビーも戦国武将も社寺めぐりも、みーんな気持ちがすぐ通う。九歳か…。ぐんぐん豊かになっていくだろう、嬉しいことだ。
なんだか、久し振りに心が晴れ晴れした。ボクに感謝。お母さんにも感謝。

* 卒業生の大方には、このようにお子さんが出来ている。林君、丸山君、柳君らのお子さんも見知っている。大きくなったろうな。多忙を極めているにちがいない親世代よりも、孫のようなそんな少年少女の行く先に希望を感じている。成長ぶりなど、報せてくれると嬉しいが。

* 今朝も、目ざめてから、床のすぐ脇のたくさんな抽斗棚を点検しながら、東工大生から来ていたたいへんな量の手紙やはがきや案内に驚いていた。どうしよう…と思ったが。

☆ 秦恒平様
『湖の本129』『湖の本131』を頂きながら、お礼状も差し上げず失礼しました。三十年以上にわたる私家本刊行に加えて「選集」の刊行と、個人の力量 をはるかに超えるご業績に、感心するばかりです。拙い私家本を勝手気ままに制作している身にとっては、秦さんの編集作業や進行だけを考えるだけでも想像を 超えています。その上、諸経費のお支払い、郵送業務が重なり、さらに創作活動が加わるのですから……。
何冊か同封します。たしか『ブックデザインの日々』は前にご送付したと思いますが、その後のデザインが加わっていますので読んで頂ければ幸甚です。『興行のグラフイズム』は、まさに同年輩向けのものです。楽しんで頂ければと存じます。  千駄木   遠藤勁 拝  元・平凡社編集者

* 文と絵とでされた中味の濃いデザイン本は、「昭和」「平成」を証言する当代語り部の力篇集。ウーンと思わず(佳い感じで)唸るシリーズである。
2016 9/25 178

☆ 秦恒平 先生
ご返信をありがとうございました。大変うれしく拝読いたしました。
丁度1年前は、6時間を要する手術で右の腎臓を摘除し30日間入院しました。遺言書、そして妻と二人の娘に感謝の手紙を残しての入院でした。
今回は、胃の良性腫瘍の摘除手術で10日間入院し16日に退院しました。内視鏡手術であり気楽に考えていたのですが、思ったより大変でした。
昨日は17日ぶりにコーヒーを飲みました。昼にラーメンも。これだけのことが無性にうれしいものです。
未読の「湖の本」が溜まっています。来春冬休みの終りまでに、131巻分の通読を目指します。
先ずは、『死から死へ』。
10年ほど前、「死」について思想、哲学、文化史的な観点から文献を読み漁ったことが有ります。道元禅師の「今日存するとも明日もと思ふことなかれ。死の至てちかくあやふきこと却下にあり。」の言葉に触発されてのことでした。
プラトン『パイドン』における死生観、ラテン語の memento mori. 吉本隆明『死のエピグラム』、柳沢桂子『われわれはなぜ死ぬのか 死の 生命科学』 フィリップ・アリエス『死の文化史ーひとは死をどのように生きたか』 E.キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』(On Death and Dying)などなど。
ただこれらは知的考察、“他人事”としての死の考察でした。
昨年9月、それが突然自分のこととして迫ってきました。特にロスの『死ぬ瞬間』に描かれている心理的各段階を身を以て体験することとなりました。
この手術を経験してからは、いつも頭の隅で覚悟を決めています。
とはいえ、さとりの境地にはほど遠く、不安との同居ですが…。
秦先生の『死なれて・死なせて』の観点から死を考えたことはありませんでした。
あらためて私の人生に引き当てて考えると、幾つか思い当たることがあります。
深い後悔にかられることも。
私は、2001年に住友信託銀行を経てアセットマネジメント会社の役員を退任し、その後は再就職せず大学院に入学、5年間で三つの大学院をハシゴしました。当時、日本山岳会の自然保護委員長、担当理事をしていたことから環境法特に自然保護法の研究をしました。
考察が深まると、“なぜ自然を保護するのか、そもそも保護すべき自然とは何か”という命題を考えるようになり、上智大学の聴講生として2007年に新たに哲学を学び始めました。特にギリシア哲学に惹かれ古典ギリシア語を学んで原典講読のセミナーに加えてもらっています。
この10月からまた若い院生たちとの交流が始まります。楽しみです。
毎回の予習はかなりシンドイのですが、何とか精進します。
ながながと書き連ねました。
秦先生とお目にかかる機会があればと念じております。
不順な気候が続きます。お体おいといくださいますように。  篠﨑仁

* 書き手・読み手として三十余年もお付き合いがあっても、読者のみなさんに向きあってお目に掛かる機会は有るもので無く、お名前や住所や払込票を介して の多少のアイサツはありえても、ほとんどの方のお歳も分からない。ご病気やご事情から高齢の方が多いのはわたしの年齢からして少しも不思議でない。そんな 中で、こういうふうに、もう一段深まった交流が生まれると、それはもう嬉しいものである。篠崎さんもお若くはあるまい、けれど「山」にご縁の方とぐらいし か分かってなかった。いろいろ教えて戴けて良かったなあと喜んでいる。
2016 9/25 178

* 一日中、川口由紀子さんの九歳の「ぼく」のことで、気が晴れて嬉しかった。メールでお礼を書いたのに、送信できた形跡無く、みな消え失せた。ま、いいさ。あらためて便りしよう。
2016 9/25 178

☆ 阿波の花籠です。
月様  季節の変わり目、どうぞ、どうぞ、お奥様ともにお体をおいといくださいませ
選集第十五巻の『ディアコノス=寒いテラス』。
作中、「妙子ちゃん」に対し、あちらの親御さんの言うように、初期対応で、「節子ちゃん」が、見たことのないような憤怒を眼に燃えたぎらせ、「帰ってちょうだい。逢いたくないの。来ないで」と大喝し、家族全員で強硬に拒絶できていたなら、事態は変わっていたかもしれません。
過去に、2年間知的障害者の世話人として彼らや彼女たちに接して生活の補助をしてきた経験があるから言えることで、それがなければ、作中の家族と同じような対応しか出来なかったでしょう。

* 作の提出した「問題」は、やはり、それだけのことではなかったと思っている。定規をあてて線をひくようなアンバイには「妙子ちゃん」を怒鳴りつける真 似はしにくい、できない、という機微もあるとともに、とりまいていた近隣や世間や社会からの対応・是非をも見きわめて見たかった。此の作に於ける「被害」 は微妙すぎるほど表裏し膚接している。あんまり難しくて、書きは書いたがなかなか発表できなかった。亡くなられた神学者の野呂芳男(立教大名誉教授)さん がつよく奨められなかったら活字に成らずじまいにホコリをかぶっていたか知れない。野呂さんの本音を、しかし、わたしは追求して聴かなかったのである。
もしわたしの作が外国語に翻訳されるなら「これ」と、ヨーロッパ住まいだった日本人読者に、また海外への視野のひろい日本人女性に、言われたときに、作者自身も目の鱗が一枚落ちたような教わり方をした。
それにしても、難儀な小説である。つよい反響は概して「妙子ちゃん」に即して経験的に返ってくる。「節子」ないし家族への助言は上の「花籠」さんのに尽きている、が、ウーンと唸ってしまう。

☆ マゴちゃん
亡くなってもう、20日ですね。
写真を見るたび切なくなり、言葉がみつからず、なかなかメ-ルできませんでした。

16歳近い犬とくらしていますので、明日はわが身、と一入に。

22日の(詩に触れた=)ブログは、ダウンロ-ドして再読、再再読です。

「洒落」の頭に「小」とつくだけで、なんと大きくカオの変わること。

不順な天候が続いています。どうぞ、お体ご自愛下さいませ、奥様も。   都  詩人

* にわかに暑く、クーラーの出動を要請。

* 講談社役員の徳島さん、京大経済の依田高典教授、京都府庁の横田香世さん、山梨県立文学館の中野さん、歌人で青山の新保教授、東大大学院、岡山のノートルダム清心女子大などから「湖の本」へのご挨拶を受領、なにとなく疲れが濃いので、紹介は省く。
凸版印刷所へも、クロネコやまとへも、「湖の本」131支払いを済ませた。
2016 9/26 178

☆ 秦 恒平様
謹 啓  「秦恒平選集」第十五巻(「ディアコノス=寒いテラス」「逆らいてこそ、父」「華燭」)をご恵贈賜り、まことに有難く心より御礼申し上げます。この度も発刊早々に賜りましたこと、重ね重ねのお心遣い有難く、身に余る光栄と感じております。
「ディアコノス=寒いテラス」は、すぐ読みました。以前に「湖の本」45で読み、真に迫る語り口(書簡体のリアルさ)と、なんとも言えぬ怖しい気分・不条理感が残っていましたので、その原因を確認すべく、一字一句を指で指す思いで読みました。
このテーマが秦文学の一隅に置かれたのは(あるいは本質的主流-「罪はわが前に」以前からの聯関として)、単なる事実性を超えて、深く見据えられるものがあったからだと、当たり前のことですが、納得するものがありました。
この小説の怖さは、人間として当然にあるべき正義や愛など、世界が信じ、共有し積み上げてきた価値観が偶像(イドラ)であったことを具体的なイメージに して、描き切っておられるところだと思います。妙子ちやんの世界は色即是空が空即是色にはならない世界 一 色は色、空は空、対立はなく、絶対矛盾の自己同一もない、永遠に止揚(アウフヘーベン)のない世界です。裁定を下す神の前で、弁明をするアダムの虚しさだ ろうと思います。
この社会 一 人間社会においては、妙子ちやんは、いたるところで待ち伏せをしている。ある日突然、ふいとに現れて、われわれの夢(偶像)を微塵に打ち砕く。たとえば「華燭」の内村竹司のように。
実に、山神ならずとも「人間は何を考えるかわからない」と、人間存在の薄気味悪さにおののき、逃げ出したくもなろうというものです。無力感と同時に真に迫 る怖さを感じました。無論、問題の真相は、もっと深く、高所にあって、このような感覚的観想的な時点に留まって終わる問題でないことは承知いたします。 が、それは文学論として、一文を立て、秦文学の全体像のなかで詳しく分析され、論じられることだろうと思います。

「逆らいてこそ、父」は、哲学的に思考され、論考的に追及された小説と感じました。最初は「逆らう」という言葉に、躓きました。「逆らう」は小が大に対 すること、子が親に、下が上に、の関係をここでは親が子に「逆らう」とされていると思い、そこにこの作品の仕掛けがあるのではないかと、そう思われたので す。
しかしよく読めば、「軸かたむけた」駒、「人生の重みに思わずよろける」父・親は遡行不可能な人生の衰残に「逆ら」って、運命と戦う姿を子供らに見せる、それでこそ「父であること」となるのだと。こう納得し得て初めて小説の深みにずんずん入っていけました。
またエピグラムの「これは「私の遺書」である。創作ではない。」にも、読者として思いとどまるものがありました。「一句として辞世ならざるはなし」とい う芭蕉の顰みに倣えば一作として遺書ならざるはない作家の作品に、敢えて「遺書」と銘し、創作を「創作ではない」と措定された意味を考えました。
反省して今は不明を恥じておりますが、わたしは「私の遺書」を「私小説」と誤り、私小説を言上げて「私小説」といわれた意味について思い巡らし、小林秀 雄の「私小説論」を検証せずにはおれなくなり、読み直しました。おぼろげな理解ではなにも語る資格はありませんが、花袋の「蒲団」、ジッドの「地の糧」 「贋金作り」を「私小説」というなら、「逆らいてこそ、父」は全く「私小説」ではないと思いました。奥野秀樹という主人公を立てていることに於いて既に三 人称の客観小説であり、「私」でない影の作家に語らせている点に於いては、やはり創作されたものと言うべきだろうと考えました。しかし「逆らいてこそ、 父」は「私の遺書」(私小説)であり「創作ではない。」のです。この意味は大変大きいと思います。「私の遺書」という創作は、「創作ではない」創作である ということ。つまり反小説ということ、小説に反措定をたてて主張された新しい小鋭であり、小説形式で語られた哲学であると、感じました。
解けば「私の遺書」たる真実は哲学された真理の内にあり、そうして得られた真理に「創作」(詐事・嘘)は無く、あろうはずもない。と、このようになるのではないでしょうか。

わたしは「逆らいてこそ、父」を読みながら、しきりに弁証法という言葉を思い浮かべました。カントの言う錯覚的な空しい推論・仮象の論理としての弁証法で はなく、有限なる存在の自己矛盾、その自己矛盾をのりこえ自己を止揚し反対物に移行する運動・発展・変化・対立の内的な連関を経て一つの真理に至り、新し い自己を獲得する、発展的論理としての弁証法です。生理解ですが、そう理解しての弁証法という思いです。
発展・対立・変化は父・奥野秀樹と夏生・春生そして秀樹の妻となりますが、秀樹と妻はすでに自己であり、被「逆らう」存在として揺るぎませんが 「逆らう」夏生と春生は新しい自己を見出し成人となって行かなければならない存在としてあります。

端的な感想ですが、春生は論理的・理性的に「子供の人生で自分の幸不幸を量るな」と親に自立を宣言して、自己止揚を成し遂げましたが、感性的・感覚的な夏生は止揚の機会を自ら放棄し、父親や家族との弁証法的関係から、逃げてしまったと感じました。
なぜ夏生は自己を放棄し、逃げたのか。止揚をあきらめ原初的な自己に留まろうとしたのか。秦文学研究者は、ここに深いメスをいれることでしょう。想定は結論によって導かれ、導きとなる要因は秦文学全体の中に様々な形で見出されるだろうと思います。

わたしは夏生に「ディアコノス=寒いテラス」の節子の影を重ねました。斎宮であり、デルフィの神殿に捧げられる巫女的存在としての女性性が、夏生をして 幼児性・原初的存在一幼な子の純粋さの内に立ち止まらせた。そして自己犠牲という超越的な世界に、自らを投げ入れる。それは無意識の純粋行為として、夏生 に選択された生き方であり、宿命的なものであったと感じました。夏生は現世的な自己止揚ではなく、来世的な自己止揚を選んだのかも知れません。ディアコノ スの影を負った夏生は「華燭」に於いて、人外に捧げられた存在としてたち現われてきます。寒いテラスは、夏生の背後に厳然と広がっていて、反社会的な思考 や行為を正義にすり替える集団を啓する一掬の触媒としての夏生の無力感は、不本意に実家に身を寄せ、夫内村竹司の不当にして理不尽な要求を、両親に告げね ばならない焦燥と、一人沈み込む姿に現れていると感じました。
「罪はわが前に」の芳江姉さんの存在が、通奏低音となって、奥野秀樹の胸裏に響きつづけていますのも、意味深く感じられました。離婚された芳江姉さんが 「華燭」のなかに影のように立ち現われてくる。夏生の未来の暗示かのようであり、夏生が現実にもどって、真の身内となって奥野秀樹の島に立ち得るのは、内 村竹司と別れ、誰のものでもない一個の女性となって、自立したとき、ということを意味しているようにも思えました。

すべて、わたしの主観的な解釈ですが、思うところを稚拙ながら書かせていただきました。三作品の内包する問題は複雑に聯關しあって、深く、そして高いところにあります。安易な単純化は作品を矮小化してしまいます。失礼の段は、なにとぞお許しください。

選集十五巻は秦文学が追及してきた、生きられたイデー(身内観)の真の意味を表徴した一巻として、秦文学研究、そして人間学に資する重要な一冊であると 思いました。何一つ隠すところなく、赤裸々な心理を、まるで抜き身の真剣で切り刻む鋭さで表現された、永遠的普遍的問題を開明にされた名作と感じさせてい ただきました。三作をまとめて最後まで、読み通して、はっきりそう思いました。いつしか作品の世界に入り込んで、心を揺さぶられている自分を見出し、この 体験は掛け替えのない、類のない体験である、と文学の力をまざまざと感じました。
本当に、いろいろな問題が提起されております。これから、ひとつひとつを我がこととして、推考したいと思います。

長雨の不穏な陽気がつづきます。どうぞ先生にはご健康第一にお過ごしくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。また愛猫マゴさんの逝去。お悲しみのほど、涙と感動で共感させていただいております。HPの文章は喪失感を詠って名文と、感じさせていただきました。
まずは御礼まで。長々と書きました。
失礼の段なにとぞご宥恕のほど、お願い申し上げます。 敬具   八潮市  小滝英史   作家
平成28年9月24日

* 丁寧に読んで下さった。深く感謝します。

☆ 金曜日池袋改札口で
不調の後に鴉は書かれています。
「慎重に、慎重に動かないと、むざむざ潰れてしまう。厳重注意し、長生きしなくては。その思いがつよく、この十月に十六巻を出す「選集」を、三十三巻までガンバルと決めたのだ。無用の旅なども控えて、無事是好日を重 ねたい。」
あまりに当然で、そして読むのにつらいつらいくだりでした。何より大事をとってお仕事を優先して。
気を付けて。お大事に。  尾張の鳶

* 門玲子さん 編著の『幕末の女医、松岡小鶴(1806-73)』 西尾市岩瀬文庫蔵「小鶴女史詩稿」全訳を、多大の興味を傾けて今日読み終えた。漢詩、漢文の、その読 解と飜訳の妙味をしんから味わった。「柳田国男の祖母の生涯とその作品」を紹介して「文学的」にも完璧の名著となっている。漢字ばっかりなのに、読み進む のが楽しかったのは、門さんの読みの慥かさと名文に依る。わたしより四歳もの長者なのに、久しくわたしを大切に迎えて、湖の本もずうっと応援して下さって いる。お目に掛かったことの無い敬服の知己である。清冽の日本語そして漢文のおもしろさ確かさを味わいました。
2016 9/27 178

* 各務原の「都」さん、名酒「三千盛」二升下さる、有り難し。幸い憂さはないが気の沈むときや惑うときはある。ニゲルというのではないが、玉箒の身のそばにあるのは、有り難い。感謝。
2016 9/28 178

* 昨日は書架から、持った手の痺れるほど重い平凡社版『日本史大事典』六巻のうち二巻を引きずり出し、承久の変、和田合戦と和田義盛、近江の佐々木氏、 関東の渋谷氏などの項を、あまりに小さな活字に泣き嘆きながら、読み耽ったりしていた。「初稿・雲居寺跡」の中断のあとへ何か弾みがつくかと思案している が、サテ。
久しいわたしの読者でご夫婦で愛読してくださる方、奥さんから、すこし以前に長いお手紙を戴いた。ご主人が鎌倉武士「渋谷平氏」の延々とした子孫であ り、知行国の薩摩に久しい由来と多彩な展開とを経てこられた由を、かなり細かに教えて頂いた。東郷平八郎も一族の一人であったとも。
この渋谷氏と近江國由来の「佐々木源氏」とには、かなりこまやかな関わりがあった。佐々木は、和田合戦で北条義時と果敢に闘って壊滅した「和田氏」とも縁の濃いことは、歌舞伎の「盛綱陣屋」を観ても分かる。
あの承久の変前夜に取材していた「初稿・雲居寺跡」は、上のような経緯と微妙に縺れ合っており、それゆえに上のような「渋谷氏」後裔ご夫妻のお手紙も戴いていたのである。
2016 9/28 178

* 京都美術文化賞の同じ選者としてながくお付き合いのあった、亡くなられた染色の三浦景生さん記念の追悼展図録が鄭重に送られてきた。とても京都へは出 向けなくて残念であったが。三浦さんの作世界は妻も大好きで、何点も小品を戴いてきたし、毛筆のすてきなお手紙を妻が表具に頼んだのも居間に掛けてある。 いわば「小野菜」の「異」世界をまことに不思議に美しい繪で染め出され描き出される藝術家であった。百まで長生きして戴きたかったが、白壽のまま亡くなら れた。
おどろいたことに、京都美術文化賞発足このかたの同僚選者は六人であったが、生き残っているのは哲学者で京都藝大学長だった梅原猛さんと小説家の私と二 人だけ。早くに亡くなられた名古屋ボストン美術館館長さんはじめ、日本画の石本正さん、彫刻・陶藝の清水九兵衛さん、染色・工藝の三浦景生さん、みんな亡 くなられた。梅原さんが今も主宰していてくださり、ごく初期に推薦し受賞してもらった楽吉左衛門さんらが今も選考に当たられている。なにもみな、昔のこと になった。
2016 9/28 178

* 文春専務だった寺田英視さん、「畜生塚原作を拝読してまた新たな感興を得ました。<京の散策>には分る人にしか分らない噺も書かれてゐて 京都は上海ならぬ魔都であるか…」と。
吹田の歌人阪森郁代さん、「創刊三十年の記念作 感慨深く拝読しております。太宰治賞御受賞からは四十七年。錚々たる銓衡メンバー(=石川淳 井伏鱒二  臼井吉見 唐木順三 河上徹太郎 中村光夫)六名の方々の満票当選というのも考えられないような快挙。以後のぼう大な御著書は、やはり選者の目の確かさ を思います。御自愛の上 御健筆下さいますようお祈りいたしております」と。
神戸松蔭女子学院大から、さらに奈良上村家の松伯美術館からも。

* 「湖の本132」の要再校が出てきた。これで創刊三十年の記念を終えて、また新たな作や編輯で進めて行く。

☆ 前略
「亂聲」 刻してみました。 新歌集へのご期待です。ただし全く他意はありません。ただのお便りとお見捨てくださってもかまいません。
印字のしまりのなさは 刻者の性の表れでしょうか。隠しようもなく、正直に出てし
印材の同封は ちょっと躊躇しましたが、思い切ってお送りします。(お贈りではありませんのでお取り扱いはご自由に願います。)
奥様ともどものご健勝をお祈りしています。  井口哲郎  前・石川近代文学館館長

* 嬉しい贈り物です、有り難く頂戴致します。「新歌集」としての「亂聲」編纂には少し時間を掛ける気でいます、あるいは最期の集に成るとも思われますので。
しかし「亂 聲」は、まさしく私の毎日毎日の仕事が、そのまま体を表していますので、頂戴の印章もその方面からも愛用させて頂きます。なんだか源氏物語っぽい優艶な歌 集を想われている人もあるらしいのですが、元来の語意が文字どおりなので、ジャンジャカ、ゴチャゴチャと、なんでもござれの日々を表現した意嚮と寛容いた だきたいものです。しかし妙に惹かれて好きな言葉です。

☆ いつも
先生の誠実さには、心が弱った時に、起ち直らせて下さるものがありました。こんどの選集も、また、より深く、生きる糧になるものと信じてうれしく、本当 にうれしく思っております。ありがとうございました。ぜひ、お元気でいらして下さい。  長岡市  植木信子  詩人・ペン会員
2016 9/30 178

☆ お送りいただきました包み、
沢山、恐縮です。
息子に開封させたました。
一通り中身を確認した後、手にしたのが、「かぶき手帳2016」でした。まだ、この夏、歌舞伎を見た興奮が覚めていないのでしょうか。
息子用の本棚のスペースに頂いた本を並べました。
気になったとき、順番に 手に取るのではないかと。
取り急ぎお礼まで。    川口由紀子

* 九歳のボクの手で本の包みが開かれたというのが、嬉しい。聡明なお母さんの、佳い配慮、有り難い。
九歳では、まだ手が出ると思えない本へ、それでもやがて確実に手が伸びて行くと信じている。五年生というあたりが、わたしや息子の体験からも、いい時機になるのでは。
少年専用の書架にならぶというのも、いろいろ考えて選んで贈り物したわたしとしては、なによりの喜び。目に見えるようで嬉しい。
本がほんとうに生きてくれるのは、大人にでなく、成長して行く少年少女やせいぜい二十歳までの若い人たちこそ、と思う。
2016 10/3 179

☆ (前略)
『秦 恒平選集』すでに十五巻に及び、毎回ご丁寧に御恵送戴き有り難うございます。
十四巻所収の「マウドガリヤーヤナの旅」は「日蓮縁起」を新解釈のもと現代に甦らせた作品か、と。
また「ディアコノス=寒いテラス」は、善意(正義)と見えるものが実はとんでもない方向に結果として転がっていく様を恐いくらい見事に描いているように拝見しております。
拝受のご連絡と御礼を篤く申し上げます。 敬具    仏教大教授  三谷憲正
2016 10/4 179

☆ 秋らしくなりました。
夕暮れが早くすっかり秋らしくなりました、あの暑さ嘘の様です、
今日は台風騒ぎの中、虎屋のギャラリーへ行って来ました、
秋の味覚を送りました、賞味期限の内にお召し上がりください。
先日のメールのお道具の件、お稽古はせず楽しく出歩いている程度で 何も心配は入りません、有るものも整理しなくては! と思っています、
まづ元気に楽しく過ごしています。
夏のお疲れの出ません様にお大事に。  京・北日吉   華

* そうなんだよな、昔のままに若い人でなく、やっぱり身辺整理をもう心がけている、お互い傘寿の前後なんだもの。ま、元気でいて欲しい物です。
2016 10/5 179

☆ お元気ですか、みづうみ。
腫瘍内科の結果良好でおめでとうございます。五年という節目を無事に通過なさいましたこと、本当に嬉しく思います。
先日のお出かけの際の体調不良のご様子はとても心配しておりました。「覚悟を決め、西武線の改札外で床にすわりこみ回復を待った」というのは最善の対応 でございましたね。転倒して首や頭を打つのは一番危険ですので、少しでもおかしいとお感じになったらその場所を動かずまずお座りいただくことが肝要と思い ます。私も脳震盪の経験から、くらっときたらどこでもすぐ座るようにと思っているのです。

爽  爽やかにあれば耳さへ明かに  虚子

* 外付けのディスクに たぶん、機械の中のコンテンツ全部をバックアップできた気がする。なにもかも入ったので、当然始末・削除・消去の必要なものも沢山混じっていると思うけれど。
朝から、まる一日、この作業にかかった。といっても機械がしてくれているので、ただただ待つだけ。待ち時間に、恆存訳の戯曲「聖女ジャンヌ・ダルク」や 「斎王譜」など、読み耽っていた。ちっちゃいUSBを利するのもいいのだろうが、なにもかもガボッと取り込めるとは、大助かり。
2016 10/6 179

* 東京へ出てきて市ヶ谷のみすず莊へはいったとき、隣室におられた木下さん、ご主人は早く亡くなられ、画家の奥さんの訃が今日、姪に当たる人から伝えられた。ひやりと寂しく、点鬼簿にまた一人加わった。
2016 10/7 179

☆ 生きる意味について

「湖の本エッセイ20」・『死から死へ』の31頁に、「生きる意味なんてものは無い。」と。

まったく同感です。なかなか言い切るには勇気が要ります。

我が意を得ました。

しばらく前、高校生相手の出前授業を頼まれ3年間ほど出かけていました。

与えられたテーマは二つ、①「なぜ仕事をするのか」、②「銀行の仕事について」

「なぜ仕事をするのか」の命題は、「仕事の意味」延いては「生きる意味」にも

つながります。

結局、私自身が信託銀行で「どういう仕事をしてきたか、その中で仕事のやり甲斐、生き甲斐をどう感じてきたか」などについて話し、あとは学生に考えさせることにしました。

**大に通い始めて12年目になります。教授に頼まれ、「就活」について時々相談に乗っています。現実的な話がほとんどですが、哲学科の学生相手なので、時に「生きる意味」、「生きる目的」などと言う議論になります。

私は18歳の時にヒルティの『眠られぬ夜のために』を読み、「自分がほんとうにめざしている目標はなんであるか」と問われ一所懸命考えていましたが、もちろん答は見つかりませんでした。さいわい深刻には悩みませんでした。

秦先生のこのページをこれから学生たちと話をするとき参考にさせていただきます。( “日々をきっちり「生きる」” という生き方は、お釈迦さまの教えに通じるように思いました。)

今月16日に入院をすることになりました。

『湖の本』を一冊携えて参ります。(さて、どれにしましょうか。)  仁

* その考えは変わっていないが、言われているエッセイの巻は、江藤淳の「死から」実兄北澤恒彦の「死へ」かけて編んだ日録であったとはっきり覚えていて、抜き出してその辺りを読んでみたら、はからずも黒いマゴが我が家へきた日でもあって、ハタと思い出した、

* 一九九九年八月四日 水

* 親友でもある新潟の高校生クンが手紙をくれた。いつもながら、言うこと無しの佳 い文章文面で、元気と知性とではちきれそうに言葉が生きている。冗長でなく情は熱い。多彩な読書は、ま、高校二年生の頃の自分を思い出せば、なに不思議も ないけれども、昨今の読書嫌いな学生も大人もいっぱいのなかでは、驚かされる。コンピュータ、放送部活動、それに彼は大の競馬好き。そして創作。生彩に富 んだ旺盛な少年の送ってくる友情には励まされる。

* 六百グラムの黒い仔猫が舞い込んできた。とても可愛くて、もう手放せそうにな い。軽くて、やわらかくて、ノラ経験が皆無とみえ、全然怯えないで視線を合わしては啼く。初めのうちは弱々しかったのに、慣れるに連れて元気に歩きまわ り、後をついてきて、仕事をしている上に乗ってきたりする。することなすこと、かつての、母「ネコ」仔「ノコ」の思い出につながり、いとおしい。あの母子 猫はしんからの我らが「身内」であった。ノコは十九年も生きてくれた。そのノコの写真に、この仔猫を「置いてやっていいかい」と尋ねている。
むかしのアパート時代から数えると、わたしたちが愛して付き合った猫は、今日の仔で七匹めになる。セブ ンと呼ぼうかと言うと、妻はそれなら「ナナ」が可愛らしいと言う。それでは差し障りが有るといえば、有る。同じ呼び名で、わたしの好きなすてきな女子学生 が以前東工大にいて、輝く星のような人だったから、猫の名前にするのは少なからず抵抗がある。ま、可愛いのだから、可愛がるに決まっているのだからと多少 言い訳も用意はしているが。
ノコに死なれたときは悲しかった。あんな辛い悲しい思いはもうしたくないと言い合ってきたが、明後日 が、その愛しかったノコの満四年の命日なのである。そういうところへ添い寄るようにして訪れてきた仔猫であることに、心を動かされている。ちいさいちいさ い漆黒の猫である。久しぶりの感触に胸の内があたたかい。

* 直哉の和解三部作『大津順吉』『或る男、其の姉の死』『和解』を読んだ。『流行 感冒』もここに加えていいのではないか、これと『和解』の二作は、文藝の香気も高く、ともに繰り返し読むに堪える。
直哉全集第三巻へ来て、目白押しに佳作秀作がならんでくる。小説という限定をつけないかぎり、どれもみな佳 い文学・文藝であり、感じ入る。結晶度の高い硬玉を掌中にした心地で、やはり「エッセイ」の最もよろしきものという実感である。小説だけが、物語だけが文 学ではない。この作家にもっと戯曲があればよかったのにと思う。

* 『或る男、其の姉の死』のなかに突如として鏡花作品のことが出てくる。わたしの 方は、これから鏡花作品を心して多く読んで、十月の鏡花を語る講演に備えなければならない。

* この時季に珍しく、今強い雨の音に家がすっぽり包まれている。涼しくなるだろう か。
* 同・八月五日 木

* 仔猫に一晩啼かれ、眠れずに朝の七時まで相手をしていた。それからやっと眠っ た。眠りたくて眠れない頭や胃がかなり苦しかった。
黒い仔猫はすっかり慣れ、ものも食べ、見違えるほどの元気さで、私や家内のうしろをついて廻って遊び戯 れ、甘えて啼き、お腹を空かして啼き、我々の姿を見失ったと言っては啼いている。仔猫の習性を一日でほとんど思い出してしまった。ひさしぶりの仔猫の柔ら かい軽い感触にしびれる。
正直の所、もう手放せないだろうと思うが、せっかく夫婦で家をあけて外出や旅が出来るようになっていたのにと思うと、ウーンと 唸ってしまう。留守の時は預かるかと、息子を、夫婦して口説きかけているが、向こうはわたしよりも出歩く商売のようだから。さあ困った。

* 「人間とは何だろう、生きるとは、老いるとは、死ぬとはなんだろう、といつもい つも胸に問うています。就職してから2年半、ずっと問い続けています」とメールの裾に書いてきた。親しい、東工大の元女子学生の若い友人が。
思い切ってこ う返事を送った。

* あなたは反芻するように繰り返しこう書いてきました、「人間とは何だろう、生き るとは、老いるとは、死ぬとはなんだろう、といつもいつも胸に問うています」と。

「老いる」「死ぬ」のことはすこしワキに置きますが、前半の問いは、じつは「無意味 な問い」であることに気づいています。
少なくも「生きる意味」なんてものは、無い。意味づけするまでもなく「生きている」ことが「生きてい る」意味なのだと。そんな無意味な問いに、どれほど大勢が無駄に悩んできた・無駄に悩んでいることかと呆れています。
「生きる意味」なんて、問うべき問題では無い。「生きる」のに「意味」は無い。「何だろう」と、答えのあ るはずもない問いを重ねているまに、「日々生きる」実質を見失うなんて、なんて無意味なんだろうと。

「問う」ことは、ことにより極めて大事ですが、「問い癖」になって、本質を逸れたと ころで、つまり「問うているぞ」という自意識だけが残存し続けて、かんじんの「日々の生き」が荒んで行くのは、はなはだ無残なことです。「意味を問う」の をしばらく落として、やめて、日々をきっちり「生きる」のに精力と誠実を注ぐこと。わたしは、そう考えるようになって、すうっと明るい場所へ浮かび出た気 がしています。もっとも、もともと、そういう「問い」はあまり持たなかったけれども。
あなたを煩わせているのは、つまり「マインド=思考作用=頭脳=心」なのだと思う。こういう心が、「静 か」になれない。そんな心は捨ててしまった方がいい。
他の人になら、こんなに乱暴そうなことは敢えて言わない。あなたは「気づく」のではないかと思い、言い ました。お元気で。

*  日記を、義務的にでなく、書きついできた。コンピュータでホームページをもち、そこへ「闇に言い置く 私語の刻」と題して日記を書き初めたのは一九九八年 三月であった。それ以前の日記は大学ノートで数十册、これは読み返すのも大変、電子化しておくのはて、もっともっと大変。しかしホームページ内の日記は以 来二十年ぶん、厖大な量だが、簡単に引き出すことも読むことも出来る。本にも出来て、もう何冊も「湖の本」として編輯してきた。わたしだけでなく、どんな よそのひとでも、自由に読まれて構わないようになっている。「作家・秦 恒平の文学と生活」と總題した厖大なホームページを検索すれば、読める。読まれて困るような何も無い。

☆ 選集第十六巻届きました。
ありがとうございます。
土曜日の雨の後から急に寒くなりました。
本来の季節感がなくて戸惑うばかりです。
体調崩されませんように。どうぞお大事になさってください。  下関  大庭緑
2016 10/11 179

☆ 有り難うございました。
昨日選集16巻受け取りました、色々と教えられる事、思い出す事、等 読ませて頂いてます、有難うございました。
急ぎ足の秋になりました、体調にお気をつけくださいます様に。 京  北日吉  華

☆ 秦恒平 先生
『秦恒平選集第一六巻』、 立派なそして重厚な装丁の御本を、しかも貴重な150冊のうちの一冊をご恵贈賜りありがとうございました。うれしく頂戴しました。

巻頭の6枚の写真、いずれも美しく和やかでこころあたたまるいい写真ですね。

「父と娘」、秦先生とお嬢さんと本当にしあわせに満ちた自然な表情で素晴らしい写真です。

それだけに『父の陳述 かくの如き、死』を読んで写真を見直すと、目頭が熱くなるのを禁じ得ません。

「バグワンと私」、書棚から持って参りました。拝読します。

二度目の癌の手術です。“悪さをせずに出て行ってもらう”よう お願いしてきます。

励ましのお言葉をありがとうございました。
2016 10/12 179

 

* 「夢の浮橋」についで在来「蘆刈」の読みを根底から覆したわたしの読みを発表したのだった。「夢の浮橋」論を大岡信さんは朝日の文藝時評で、また単行 本の帯で「眼光紙背に徹した」読みと例のないほど絶賛された。作品論にせよ作家論にせよ、それが書かれてその作家なり作品なりが面目を一新してしかも一段 と人も作品も豊かに面白く読み取れるように成らねば、ほとんど意味がない。ほとんど意味がないような論や研究が多すぎると、わたしはいつも不満を覚えてい る。
「夢の浮橋」を発表し追いかけるように「蘆刈」論を発表した後、わたしは近代文学の大きな学会から呼ばれて、秦さん自身の口からもういちど「蘆刈」の読み を聴かせて欲しいと頼まれた。感激したのは、谷崎松子夫人もご一緒に学会に出て下さり、話して下さったのである、そのため早稲田大学での会場は廊下にも人 が立つほど超満員だった。わたしは、思いかつ読み取ったままを熱心に話した、じかんもかけ、原作本文もていねいに読み上げながら。
「ウーン、どう聴いても、秦さんの言うようにしか蘆刈は、読めなくなったなあ」とは、会場の最前列で聴いてられた当時学会の大御所のようであった先生が、 大声で、まっさきに感想を述べられたのを、照れくさくも嬉しく覚えている。わたしの「谷崎愛」が、確乎と認められた大きな機会の一つであった。昭和五十一 年(一九七六)秋であったと思う。騒壇餘人を自覚し「湖の本」を創刊した年、三十年前、わたしの四十歳をわずかに過ぎた頃だ。
あの学会を満たしておられた知名の学者、研究者の大方が、ほとんどが、もう居られない。

* とうに亡くなっている画家の出岡実さんと対談で「月」を語り合った思い出がよみがえる。
保谷か大泉かに住まわれていて、暮れになると干支を描いたおもしろい短冊をきまって自転車に乗って届けて下さった。美しい限定特装本になった『四度の瀧』を、心籠めて装幀して下さったのも、出岡実さん。
出岡さんも、やはり地元の能楽通堀上謙さんも亡くなられた。
久しい知友の訃報が相次ぐと、胸が冷えて、悲しい。
わたしも八十、もうすぐ一、だもんなあ。
子供の時、とてもそんな歳まで生きるなど、思いも寄らなかった。おかげで仕事も出来た。
2016 10/12 179

☆ 拝啓
永らく御無沙汰致しております。
貴重な秦 恒平全集を毎回お送り賜りまして、御礼の申し上げようもありません。にもかかわらず御礼を申すことが遅れ、あるいは礼状もお出しせぬまま大変な失礼を続けております。
頂いた選集の中で『生きたかりしに』(これは湖の本でまず拝見しておりました。)をお送り頂いた時に、永年の秋成伝小説が、このような秀れた作品として 結実したことのお慶びをまず申し上げるべきでしたのに、日常の雑務に紛れ、その機会をも逸しました、ご海容の程 お願い致します。
『生きたかりしに』を拝見して、長年の間、秦さんが容易に秋成の伝についてお書きになれなかった理由が、よく解りました。
また、秋成伝の推論が、高田衛氏の年譜考説の小堀正報実父説を、あえて今日現在においても選んで、その上に小説が書かれている理由も、同じくよく解りました。

ある人物の伝記を書く、伝説小説を書くということは、その人の生涯を自分が生き直すという事だとすれば、伝記は、人の生涯がやり直しのきかない一回起性 のものであるのと同じ意味で、作家がその人と出会った時の、まさにその最初の出会いの意味付けのままに、作家によって生き直されなければなにないと考える からです。
高田衛氏の高田秋成は、永遠に年譜考の秋成でなくてはいけませんし、また秦さんの秋成は、高田秋成が触媒となることによって結晶した、その瞬間の秋成で なくてはならないのだと感じました。そして何十年という月日を経て熟成した小説の中に、秦秋成と呼ぶべき秋成像が定位されたことを深く喜びます。

ご体調が万全でないこと、湖の本の巻末の文章などで拝見しており、いささか心配しております。
私も現在六十二歳で、定年の六十五まであと二年半ばかりとなりました。
もし、遠出が叶うようでしたら、一度 奥様とご一緒に東大の方へでもお越しになりませんか。国文の部屋や本を御案内し、早い夕食でもご一緒できるなら ば、幕末、明治以来のの金魚屋が、和風をベースにした多国籍料理屋になったお店が本郷にありますので、そこへでも御案内します。夕方四時くらいに本郷にお 出になれる日を、十月下旬、十一月上旬で何日かお聞かせ頂けますか。四十年ぶりの再会が叶えば、これ程うれしいことはありません。 敬具  長島弘明  東大教授

* 四十年ほど前、東大の学部生か院生だったか長島さんは東大五月祭で「講演」して欲しいと当時勤務先の医学書院へ依頼にこられ、小洒落たライスカレーの 店だった「ルオー」でゆっくり話したことであった。その時にわたしは秋成が書きたいと言い、長島さんも秋成研究をめがけておられた。
いまや彼は上田秋成研究の第一人者であり、しかしわたしは約束した「秋成」を延々と書けないまま、それでも長島さんは「湖の本」もずうっと支援して下さ り、そしてとうどうあの『生きたかりしに』という奇妙なわたしの「秋成」物語を書き上げたのであった。他ぬ大の励ましをわたしは受け続けてきたのだった。 感謝に堪えません。

* 選集⑯ が届き始め、 小松の井口哲郎さん、倉敷の江田五月さん、調布の中野完二さん、京鳴瀧の川浪春香さん、千葉・長生郡の石内徹さん、 千葉・印旛郡の長島弘明さん、そして三田文学、早大、都立中央図書館、山梨文学館 等々のお手紙・受領連絡を頂いた。
石内さん、川浪さん、過分のご支援を有り難く戴いた。神戸の岡田昌也さん、丹波黒の枝豆を山のように、中野完二さんは山形の大吟醸「やまと櫻」を下さった。有り難う存じます。

* 以前の参議院議長江田五月さん、今夏の議員退任に伴い東京から岡山へ全て引き揚げられた。「さてこれからどう生きるか…。ご著書を参考にします。不順の折、ご自愛専一に!! 草々」と。ご苦労様でした。

* 井口さん、どうぞどうぞお体、大切にご要心ください。

* 源氏物語に、ときおり、折にふれて「心葉」という言葉が出てくる。いろんな意味合いを生かして多彩にあらわれるが、贈り物に添えられる心ばえ、心づかいの添えものも、一端のあらわれである。はではでしい心葉も控えめに心利いたものもある。
京・鳴瀧の作家である川浪春香さんの手紙には、いつもいつもきまって美しい「香」包みがひそやかに添えられてくる。もう当節では、そんな例はめったに有 る物でないが、川浪さんの封書の手紙はいつもそれとなく薫ってくる。わたしは、それを頂いて、いろんな持ち物に忍ばせてもらっている。京都やなあと想いな がら。

☆ お元気ですか。
選集第十六巻を頂戴いたしました。ありがとうございます。
わが家の蔵書の中で秦恒平選集は最も価値ある、しかも別格に美しい本です。お言葉も嬉しく嬉しく読みました。
十月十一日の新聞にポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の訃報が大きく掲載されていましたので、みづうみもご存知のことでございましょう。正式な逝去日は 十月九日のことで享年九十歳。世界の尊敬を集めてきたアンジェイ・ワイダ監督の功績については今さら書く必要もないことですが、驚くべきことは、2007 年に「カティンの森」2013年に「ワレサ・連帯の男」最新作で遺作は2016年今年の「残像」と、八十歳過ぎても休むことなく素晴らしい映画を創り続け てきたことでございます。ふつうの八十歳は、ただ生きていることで精いっぱい、仕事どころではありません。

みづうみが選集全三十三巻の予定と書いていらっしゃいましたが、ワイダ監督の実現したように、みづうみの八十代は益々豊饒に、選集全巻も、新作も成るでご ざいましょう。そして本は読者によって読まれることによって完成するものであるなら、わたくしは読んで読み倒そうと闘志満々です。

> 少なくも「生きる意味」なんてものは、無い。意味づけするまでもなく「生きている」ことが「生きてい る」意味なのだと。

そんな無意味な問いに、どれほど大勢が無駄に悩んできた・無駄に悩んでいることかと呆れています。

「生きる意味」なんて、問うべき問題では無い。「生きる」のに「意味」は無い。「何だろう」と、答えのあ るはずもない問いを重ねているまに、「日々生きる」実質を見失うなんて、なんて無意味なんだろうと。

そういえば、わたくしは生きる意味は何かと悩んだことはないなあと気がつきました。生きる意味について深刻に考えるのは、勤勉な秀才に多いような気がします。わたくしの呑気な性分は要するに適当に生きているものの幸せでしょうか。強いて言えば V.E.フランクルの次のような言葉が好きな生き方です。

☆ 未来には、あなたによって生み出される何かが待っている。人生は、あなたがそれを生みだすことを期待しているのだ。もしもあなたがいなくなれば、その何かも、生まれることなく消えてしまうのである。人生は、あなたがそれを生みだすことを待っているのだ。

 

☆ 神が人間に期待するのは苦しみではない。レモンからレモネードを作っておいしく飲むことだ。

人間は自分が思っている以上に多くを与えられていることを若いうちはなかなか気づかないものです。年を重ねて色々喪うことで、かえって自分の少ない手持ちのカードで勝負する面白さに目覚めます。
わたくしは色々かなわなかったことを思うよりも、条件が困難になってきた今がとても愛しく、やりがいを感じています。

最後に、外付けハードディスクがお使いになれてよかったと思いますが、この外付けハードディスクも機械ですから、必ず壊れるので最低でも二台にデータ保存 する必要があると思います。また、わたくしは写真などの画像データと文章のデータのディスクは分けています。画像は容量が大きいのでディスクの場所をとり すぎると思うので。

発送のお疲れをのこしませんように、ご無理なさいませんように。日々お元気に楽しい時間をお過ごしくださいませ。 雁  かりがねや手足つめたきままねむる 桂信子

☆ 選集第16巻ご上梓おめでとうございます!
お二人共、お元気ですか? 大分秋らしくなり、暑さが去り、体は楽になりますね。
ご本の出版、おめでとうございます!
発送などのお仕事で大変だったでしょうね。
それにしても秦さんの頑張り、凄いですね!
秦さん「どこも悪くない」と迪っちゃんからお聞きし、嬉しく思っています。
どうぞお元気でね~ 琉   義妹

☆ 秦様
選集第16巻贈っていただきありがとうございます。
掲載されている写真数葉を見ながら、「生まれる日=朝日子」を読ませていただき、希望に満ち満ちた若い日々を思います。
続いての2編はあだおろそかには読み続けられません。引きずられながらも、息を継いで、読み返しています。
今日建日子さん監督の「クハナ」の映画を見てまいりました。立派な事業というべきなような作品作りに熱い思いに感動いたしました。
お父様と違った分野でも志は一緒なのだなーと感じます。
急に冷え込んでまいりました。
どうぞ迪子様共にお身体お大切にお過ごしください。  練馬  晴
2016 10/13 179

 

☆ 秦先生
選集16巻拝受。
また、かたじけない思いで落掌しました。ありがとうございます。
昨晩はノーベル文学賞の発表でしたね。僕は新聞社時代からの習慣で、ノーベル賞の公式サイトで、発表のLIVE中継を視聴していました。
「ボブ・ディラン」と聞いたときは、驚きました。候補になっているらしいというのは耳にしていましたのに、一瞬、聞き間違えかと思ったほどです。
でもグローバリズムとナショナリズムが同時に進んで悲惨な事態にもつながっている現在に、象徴的な授賞決定である気もしました。

「死なれて 死なせて」を拝読し、一段落目から自分の迂闊さに呆然としました。
僕は「死者」と「死体」を選別していたことを意識していなかったことに気づきました。無意識に分けたのとも、また違う気もするのです。
親しい者の死に接した際、死を一人称、二人称、三人称で認識することは意識したり、レヴィナスの著書「存在するとは別の仕方であるいは存在することの彼方へ」がアタマに浮かんだりしましたので。
「二つの名詞のちょうど間」の「死者」という言葉は、無駄に複雑に考えていた僕のアタマをすっきりと整理してくれました。
やはり作家というのはスゴいものですね。何か資格みたいなものを神さまのような存在から与えられているという僕の思いは確信に変わりました。
「自由のためにこそ私は日々祈るということなしに生きてはいられない」という言葉にも背筋が伸びました。
どうも今の日本には、そして僕にも真摯に祈るという行為が欠落しているのかもしれません。呪詛や都合の良い願いが蔓延していると感じています。
またまた、長々と申し訳ありません。
10月もすでに半ば、今年もまた師走の足音が聞こえると思ったら、除夜の鐘が鳴っていそうな気がします。
大阪は先週末まで夏の気配が残っていたのに今週になって秋を飛び越えて冬めいてきました。そちらはいかがでしょうか。
季節の変わり目、お体何卒ご大切に。   岡崎秀俊  大学同窓

* 伊藤壮さん「越乃寒梅」を下さる。恐れ入ります。

☆ 『秦 恒平選集』
重い重い第十六巻を拝受いたしました。お礼申し上げます。
「刊行に添えて」き、文学論として、「私小説論」として、また秦さんの覚悟として、ずしんと胸にこたえました。
予断をすて、秦さんの鏡に映った世界を心に刻みたいと思います。とりあえず。
どうぞお身体お大切になさって下さい。   敬  元「群像」編集長・出版部長

☆ 秦 恒平選集 16巻
秦さんの小説家としての思いがいっぱいつまっていて、ぐいぐい押される。どの頁を開いても秦さんがそこに在る。病気の中 気概で書いておられるのだと思う。  島田正治  墨画家

* 島津忠夫さんの息女から、お礼に、今回は「燻り豆腐」を送りましたと。「父は日本酒でしたが、ちょっとチーズに似ているので ワイン等でも お好み でお試しくださればと思います。」「先生の処女作『畜生塚』を、映像を感じながら読ませていただきました」とも。 感謝します。

* 京都府立総合資料館、お茶の水女子大、立命館大からも選集⑯の受領挨拶があった。
渋谷区笹塚の佐藤宏子さん、静岡市の鳥井きよみさんから、温かいお手紙に添えてご支援を戴いた。佐藤さんもお孫さんに死なれてられる。中に収めた「死なれて 死なせて」は渾身の仕事であった。
2016 10/14 179

☆ 秦恒平様
11日の火曜日に『秦恒平選集第十六巻』をいただきました。いつもながら、忝のう存じます。最初の一編と巻末添え書きのみをまず拝見しましたが、後は昨 夜に読み始め、今日は朝からご著書に取り組んでおりました。「死なれて、死なせて」は『湖の本』で一度読んでおりました。改めて読んで、感銘をより深くし ました。
キリスト者は自己の生と死を、人間が抱えている被造者の制約からの解放、被造物全体の救い、という終末論的観点から考えるので、死別を相対化していま す。他方ではしかし、キリスト者は普通の人々と同じ感情を、生と死について抱きます。いわば二重に規定された人生を生きていますので、愛する者との死別を 重く、かつ軽く、受け止めるでしょう。キリスト者には吉野秀雄のような絶唱は歌えないと感じます。今生の別れをこれほど絶対的なものとして重く受け止めら れませんから。しかし、すごい絶唱だなと感じ入ります。圧倒されます。人間の真実を垣間見ます。私も100% 人間ですから。以前に拝見したときにもそう感じました。

愛するお孫さんを急に失われた悲痛事と名誉毀損の被告になられた無念、そして訴えを巡る概略については『湖の本』を通して知っておりました。『父の陳述  かくの如き、死』は初見です。昨日来、この苦渋に満ちた詳細な叙述を読みました。事の次第を書き尽くさねばならないと決意する一人の作家の、人間の真 実、現実に迫ろうとする気迫を真正面から受け止めました。

人は理不尽な事柄を語り尽くせば、それがその人には課題設定でもあり、解放でもあるでしょう。他方、娘さんは真実の前に打ちのめされ、たじろぐことが求 められるでしょう。それで人は変わっていきます。その可能性を考えれば、この書は娘さんに対する、お孫さんに対する愛の書です。人はみな、過ちます。赦さ れない過ちはありません。赦し、赦される体験を積み重ねて、人と人との結びつきはかえって深まるでしょう。それを切に祈ります。

私は月末の日曜日に横浜のある教会でなさねばならない礼拝説教と午後の講演の原稿作りに苦労しています。どうやら自民党に所属の教会員がいるようで(そ のことが教会の活動を制約しているようですから)、教会の方々にはかなり耳障りな話をしようと決心しています。政教分離はキリスト教の、同時に近代市民社 会のいのちです。現政権は政教分離の原則も、思想・信条の自由も平気で侵し、国家が個人の生き方を決めようとしています。今、戦わねば、時を失すると強く 考え、私は昨夏以来、多少の実践をしてきました。

ありがとうございました。平安を祈り上げます。  浩  ICU名誉教授

* ありがとうございます。わたくしどもには、巻頭の処女作の題のまま「朝日子」とは生まれた日のママの朝日子です。志賀直哉全集の第一巻の第一作が、と ても初々しいアンデルセンを意識された童話なのである。はるか後年にそれを見知って、わたしが娘満一歳の誕生日に書いておいた「生まれる日=朝日子」を思 い出した。やはりどうみてもわたしの作のようである。
* 藤沢市の義妹から、いつものように大きな助勢を貰った。有り難う。そして健康を大切に大切に、お互いにしっかり生きましょう。
五個荘の川島さん、四国の星合さん、愛知知多の久米さん、相模原の篠崎さんからもご支援を戴いた。

* 国会図書館、天理大、日本近代文学館、昭和女子大学、神戸松蔭女子学院大学から受領の挨拶があった。
島津忠夫先生のご息女より「母袋燻り豆腐」を頂戴した、まことにオツなもので、日本酒にもワインにもよくはまって美味しいのに驚いた。有り難う存じます。
四国丸亀の大成繁さん、出汁もついた讃岐うどんをたくさん下さった。感謝申します。
2016 10/15 179

☆ 秦先生
ご無沙汰しております。

急に秋が深まり、寒い日が続くようになりました。お元気でいらっしゃいますでしょうか。

倉敷勤務になり一年が過ぎました。年々仕事も忙しくなり、心に余裕を持てなくなりつつあります。会社で仕事を続けて行く事の難しさを感じることも多く、悩み事も絶えませんが、持ち前の好奇心を忘れずに、新しいことにチャレンジしています。

岡山県は桃と葡萄の名産地です。種が無く、皮ごと食べることができるマスカットを明日着(10/17日 18-20時着指定)でお送りしました。県外の方にもお勧めできると思っておりますので、是非お召し上がり下さい。

しばらくは倉敷に勤務することになりますが、少しずつ周辺を探索しています。夏には広島の厳島神社に行きましたが、歴史を感じる大変良い場所でした。

だんだんと冬が近づいてきました。どうかお体を大事にして下さい。  松  東工大院卒生

 

*  どうしてるかなあと、いつも気に掛けていた。東工大時代、わたしのために大教室でピアノを弾いて聴かせてくれたり、山登りしてはお土産を送って呉れたり、 家へ来ては妻ともピアノを楽しんだり佳い音盤や妻にも弾けそうな楽譜を選んでくれたり、いつのまにか美術にも心惹かれる人になっていたりした。幾度か転勤 を体験しながらいまは倉敷という佳い街で根気の良い研鑽に励んでいるのだと思う。東京へ帰省のおりにも久し振りに逢って話したい。

* 葡萄の房を、有り難く頂戴した。皮のママでも、風味豊かにとても美味しく戴いています。

☆ 秦先生、おはようございます! 田無の ゆめです。
今朝も雨、秋もいよいよ深まってきましたね。
先日はご本・選集十六巻をありがとうございました。なかなか思うように読むことができなくて、お礼がすっかり遅くなってしまいました。
今回の内容については「湖の本」で以前一定読ませていただいていたので、そう新しい感興はないかと思って読み始めたのですけれど、やはり改めて人間の愛憎について考えざるを得ませんでした。
「人間関係は合わせ鏡」とよくいいますけれど、まことに「愛」と「憎」は背中合わせだと思います。この小説にでてくる、優秀で甘えん坊のお嬢さんにして も、客観的にみればいわゆる「ファーザーコンプレックス」そのものですね。「自分はもっと幸せになっていいはずだ」とずっと思っている。けれど世間はそう そう甘くはないわけで、父や弟に対しても羨望や引け目をいつも感じている。夫婦関係もけっして良いとはいえず、そのいらだちをぶつけても大丈夫そうな実家 の人々に対して投げつけてよこす。別の立派な顔もお持ちでしょうけど、一面「おとなこども」そのものですね。
先生には出来ないかもしれませんが、お嬢さんのことはもう忘れてあげてください。そうしないと、お嬢さんは「父の愛情」という名の「呪縛」から逃れて自立できないのかも知れませんよ。「忘れる」というのはある意味一番残酷な仕打ちかも知れませんけれども。
一読者の勝手な感想とお笑いください。
朗読のほうは2カ月に一度くらいの頻度で図書館での朗読などがあるので、下調べなどの準備や練習でかなり忙しいです。音読のおかげで本を二度も三度も楽 しめるような気がしております。この夏には家中の障子を張り替え、さっぱり明るくなりました。げんきにやっております。

* 上は、あくまで「小説」について言われている。そう受け取って、頷いています。

* 禅僧が座禅時の脳波の静謐に驚いたことがある。とても凡夫には叶わないことだ。あんな境地で創られる小説や藝術を想うことは出来ない。
創作や藝術品は、禅定のような平安の行為でも平安な産物でも、ない。つよい感動あるいは豊かな遊び心で生まれる「風狂」の所産である、しかも個性は静謐でありたい。そう、わたしは思っている。
2016 10/17 179

☆ 選集第十六巻
小包の荷をほどいた際 いつもの装幀の書籍を目にしますと、心がホッといたします。本のもつ静謐さゆえでしょう。この想いでヘージを繰っています。
皆様のご健康を願っております。  今治  年

* 和歌山の三宅貞雄さんからも、また東さん、久米さん、及川さん、照井さん、唐澤さん、鈴木さんらのご助勢をいただいた。
文春の寺田英視さん、新潮の坂本忠雄さん、神奈川県文学館から受領の挨拶を戴いた。
2016 10/17 179

* 村上開新堂の山本社長さん、神戸の吉田章子さん、浦和の出田興生さん、京の澤田文子さん、それぞれ懇篤の来信あり。
そして亡き詩人立原道造にご縁の布川鴇さんが編輯している、詩と評論の「午前」第十号に、手紙も添って届いた。「午前」は立原が生前に期していた詩誌の題と聞いている。詩誌も歌誌も俳誌もたくさん頂くが「午前」誌のたたずまいは、誌も論も、いかにも凛としている。
2016 10/18 179

* 京都の梅原猛さんから、自筆で、秦 恒平選集十六巻受領に添えて、「貴兄の自伝、身につまされます」と。「死なれて 死なせて」を読まれてか、あるいは以前の「生きたかりしに」を読んで下さってか。めったに、こういうお便りはもらえない人だが。感謝します。

* 奈良あやめ池の西川絹子さんから、優しい手紙にそえ、「選集」へ過分の助勢を頂戴した。
江東区の歌人藤原龍一郎さん、浦和の出田興生さんから、いつもに変わらず有り難いご助勢があった。
有り難う存じます。
高本邦彦さんからもご挨拶があった。

* 柏木洋子さんから、色とりどり沢山な青森の林檎を頂戴した。心賑わうひびを素直に喜んでいる。
これで眼がすっきり見えると好いのだがナア。眼鏡を三つも重ねていたり。半盲という感じで、手に負えない。寝入ると、すこし回復する。朝の目ざめ時は、ウソのように世界がクリアで。
2016 10/19 179

☆ 前略
選集 第十六巻 拝受しました。
「死なれて 死なせて」拝読しました。
『竹取物語』から ソフトランディングして 「死なれて 死なせて」という不滅のテーマに迫って行く筆力に圧倒されました。今は 呆然としております。
本文読み終えて「あとがき」を読み、新しい私小説の地平をひらいたものと知りました。
四十年ほど前 『ある昭和史 ―自分史の試み』で自分史を押し出し、四面楚歌を聞いたことを想起しました。
敬意を表しつつ 御礼まで。  色川大吉  東京経済大名誉教授・思想家・歴史学者

☆ 拝啓 (前略)
心より御礼申し上げます。ご本と共にお手紙までお添えいただき恐縮し、また嬉しく思っております。
第十六巻は、「死なれて 死なせて」から拝読しております。「湖の本」で拝読致しました時もそうでしたが、今回も立ち止まり立ち止まりしての拝読です。折も折、子母澤寛の「チコのはなし」を読んでいたのですが、様々の「死」が重なってしまいました。
生きている限り避けることの出来ない、いくつもの「死」を見ざるを得なかったことを、この頃はよく考えます。とりわけ父母の「死」は、何かにつけて心を揺ります。好い年をしてと思い乍らも、このことは続くのだろうと思っています。
「死なれて死なせて」を拝読し終えるには、まだまだ時間がいるようです。
一方、こうした読書が出来る幸も感じております 感謝致しております。
御礼が遅くなりましたこと、ご海容下さい。
ご自愛を深く念じております。 敬具  馬渡憲三郎  前・藝術至上主義文藝学会会長

☆ 柿姫参上  (色美しい柿の大葉を心葉に)
狭庭の西条柿 ほんの少しだけ

柿四十剥きて軒端に吊しけり
わが秘儀ひとつ成し了ふるごと  呆仙
陽に干せば甘柿よりも甘くなる
渋柿なれど君は好むや       玉八

返し
うつくしき心葉も添ひいろも香も
うまきがあはれ庭の柿の実
柿くひて餓えしのぎつつ山奥の
丹波にいくさのがれし日々は   湖

* 滋賀県知事三日月大造氏 小田原の安藤啓一さん 神戸の市川澄子さん からも鄭重のご挨拶があった。
2016 10/20 179

* 朝いちばんに、鎌倉の橋本さん夫妻から蒲鉾を、上越光明寺の黄色瑞華さんからは新潟コシヒカリ一袋を、頂戴した。感謝。
2016 10/21 179

* 金沢の金田小夜子さん、手紙に添え諸江屋の和三盆その他、北陸の珍味・妙味を取り揃え送って下さり、なお選集へのご助勢も頂戴した。恐れ入ります。
妻の従弟濱敏夫さんからも、清閑院の菓子を戴いた。

☆ 「秦 恒平選集」第十六巻
一読者として、嬉しい極み! でございます。渾身の作品に対し、全身全霊で読みます。すばらしい言葉や表現にたくさん出逢いました!!
末筆ながら ご夫妻のお健やかな日々をお祈りして  豊玉北  宮本裕子

* 「神と玩具との間  昭和初年の谷崎潤一郎と三人の妻たち」を調べている。「谷崎愛」という呼び名で世に通ったわたしの渾身の谷崎論集がまず一巻纏まるであろう。

* 仕事をしていれば、機械の前でも電車の中でも喫茶店ででも元気なのだが、食事をすると胸に滞ってえづいたり少しだが吐いたりし、苦しくなる。ぐたりともする。疲労なのか、得体の知れない心労なのか。起ち居も歩行もまともでない。視力のセイかもしれない。
2016 10/22 179

 

☆ 秦先生
吉備の国のお話、ありがとうございます。
勤務している岡山は、歴史を感じる県だと思います。吉備津彦命を祀った、吉備津神社や備中国分寺など立派な寺社が、総社というところにあります。

先年岡山の少し東の熊山遺跡というところへ行ってきましたが、奈良時代のものとされる珍しい3段の石積みによるお墓か仏塔のようなものが山の上に残っていました。

http://bunkazai.akaiwa-rekishi.jp/35.html

大原美術館には私も行きました。日本の近代化の途上 で、エル・グレコ、モネ、ルノワールと言った画家の作品を購入した児島虎次郎は素晴らしい目を持っていたと思います。私にはミレーの海辺の断崖を描いた風 景画が心に残りました。藤田嗣治のエレガントな絵にも心を惹かれます。

ご紹介頂いた伊部の備前焼窯場にも行って見たいと思います。料理に合ったお皿を探したいと思います。

東京に帰省のおりにはご連絡致します。

だんだんと寒い季節になってきますが、どうかお元気でいらしてください。 松  東工大院卒

* 自炊もしているのかな、備前の皿に手料理、これは成果のたのしめるかなり高度な趣味になるでしょう。
2016 10/23 179

☆ 拝復
『秦 恒平選集』第十六巻をご恵送いただき、誠に有難うございました。
秦文学のキーワードといえる『死なれて死なせて』が「核」ですが、
異色作(と言ってよいでしょうか)『父の陳述』は、時代へ社会へつながって批評のある、主張のある、凹まない「私小説」の実作として、関心も持って読ませていただきました。
今年も京都の秋は遅いようです。
まだ紅葉は見られません。 草々   田中励儀 同志社大教授

* 「つくり」の難しい小説であった、何故なら裁判所へ提出して相手側と闘う「陳述書」とは、正当で尖鋭な事実と主張(攻撃・反駁)、それらの緻密な時系 列を誤らない具体的な叙述、柔軟な説得力と批評により、でつとめて分かりよく書かれねばならない。小説にはありがちな自然描写やムーディな世話・会話は必 要としない以上に、無用の邪魔になる。普通にはあまり無い「小説」表現になる。しかも田中さんの言われているように、「時代へ社会へつながって批評のあ る、主張のある、凹まない『私小説』の実作」でなければ、つねづねわたしの言いかつ求めてきた「作家として実験に富んだ」創作にならない。
うまいかへたか、は、一応今は論のそとに置いておくが、わたしは、徹底的にうえの通り実験を貫いた。そして「私小説」であると、あるいはこれが一人の作 家であり市民である秦 恒平が抱きかかえて苦しみ闘ってきたモノと読み取られ、何の間違いでもない。前巻に所収の長編『逆らひてこそ、父』も準じて読まれてまったく差し支えな い。以上、一言しておく。
一週間前のこの言葉も大事に再掲しておく。「 今日の人間社会の状態において、おそらく最も必要と思われるものは、真実を見わけるある種の本能である。 (カール・ヒルティ 1833-1909)」

☆ 無事ご退院で
ほっとしました。
大事ないかと案じていました。
どうぞ奥様共々くれぐれもお大切になさってくださいますよう。
早くお元気になられますよう願っています。
取り急ぎお見舞いまで申しあげます。  みち  秦母方従妹
2016 10/29 179

* 村上開新堂の山本社主よりお手紙添えて、おいしさがギッシリ詰まった大缶を戴いた。
たとえ総理の注文でも、配達はしないという、お届けは宮中だけと聞いてきた老舗の中の老舗。「湖の本」が取り持ってくれた心温まるご縁を喜んでいる。
2016 10/29 179

* 御心配をかけました。今朝も、メールでお見舞いいただきました、有り難く。

☆ 鴉に
23日、日曜日の記述以後、入院されたことは分かるものの、どんな様子かと多くの方が気にして過ごされた一週間だと思います。一番つらかったのは、当人の鴉。でも、仕事捗ったとは、気概に納得、感服しました。鳶は心配で、祈りが悲鳴に変わりそうでした。
この二週間、曇りがち、時折雷雨、こちらシンガポールの天気はやや過ごしやすいです。日々追われていますが、さまざまなことを感じ考えていた一週間でした。
無理は決してなさいませんよう。
11月を無事に楽しまれますよう。体重、少しでも増えますよう。
元気に、元気に。   シンガポールの鳶

☆ おかえりなさいませ。
お元気ですか、みづうみ。ご無事にご帰宅と読みましただけで全身脱力しています。ご入院は確実なことと思っていましたが、お帰りがいつなのかと毎日毎日待っていました。今日私語が更新されていたので本当にほっとしました。
私の年齢でも体調が万全なんてことは一度もないのですから、モグラ叩きでごまかしごまかしいくしかないのでございましょうね。本当に心配していました。
腸閉塞は高齢の方にはよくあることです。腸閉塞を繰り返すので下剤を一日に何種類も使っている方を知っています。
お願いですから、次からはもっと早く病院にいらしてください。そしてタクシーをお使いください。行きも帰りもです。奥様までお具合悪くなってしまいます。徒歩と電車なんて無茶です。嫁になって運転手になりたいくらいです。
とにかく、ご退院おめでとうございます。くれぐれも我慢しすぎないでください。
取り急ぎ    かまきりの知るよしもなき輪廻かな  片山志津

☆ 退院しました。
秦恒平 先生  手術は無事終了し一週間前に退院しました。経過は順調です。とはいえあちこち体の不都合があり、当分の間は周辺のウオーキング程度で自宅での静養を余儀なくされております。当分は山登りには出かけられそうにありません。
アリストテレス『形而上学』の原典をコツコツと辞書を引きながら独習しております。私のこの希英辞書は、英 国ヴィクトリア朝に編纂されたもので、今もってこれがベストということで世界中で使われています。辞書の英語自身が古くて、小さい英和辞書では意味が出て いないという代物です。

『月皓く』、『底冷え』を楽しく拝読しました。

この凝縮された短編は、秦先生ならではの展開ですね。

“一陽来復” ホッとしました。   篠崎仁

* 退院しました

篠崎様 平穏なご退院を喜びます。よかったですね。お大切に予後をお労りください。
じつは、私もこの土曜、一昨日、に退院してきました。胃袋が無くて腸閉塞の気味に落ち込み、痛み、便秘、嘔吐などに悩んで聖路加へかけこみました。吐物の誤嚥で軽い肺炎の危険もあり、一週間、点滴をつづけていました。

その間、病室でたくさん本の校正ができました。

結局、病院では便通なく、退院帰宅後の我が家で、やっと今暁四時、無事便通しました。ホッとしているところです。

病院では、源氏物語と聊斎志異と、アンリ・バルビュスの記念碑的な「クラルテ」とを愛読していました。

源氏は、須磨・明石から帰っての、「松風」「薄雲」から「朝顔」「少女」の巻へと、好いところでした。

中国の「志異」「伝奇」は、「詩」とあわせ、大好きなんです、何故かしら。

感じ入ったのは、仏独の熾烈で惨憺たる塹壕戦を体験したバルビュスの、適確で感動的な文学の佳さと、反戦への強い起ち上がりようでした。

退院してからは、「昭和初年の谷崎潤一郎」ほかの論攷と、新しい小説とに向きあっています。
あいかわらず酒と甘い物。純米の「越乃寒梅」と金沢の「和三盆」、主食代わりには麹町の村上開新堂のクッキーを少しずつ、で済ませています。

久しく観ない京都へ帰りたいです。

お大切になさって下さい。ぜひ。   秦 恒平

☆  先日は
ご丁寧に お優しいお心のこもったメールを頂き、有り難うございました。
やっぱりお医者様のお話しの様に 兄嫁は今月の18日に永眠いたしました。 5日前にメールで話ししていたので本当に信じられなくて… (秦と高校同級の=)正雄兄夫婦には子供が無くてこれから寂しくなって来る事と思います。
ところで短歌の事ですが 平成元年からご指導頂く様になりました山崎雪子先生は、 戦前奈良女子大時代に前川佐美雄先生の門下生としてご薫陶をお受けになられました!
私達には一緒に楽しんでご指導して下さり、短歌より脱線して女性の自立の話をされたりして楽しんだ思い出が残っています〓 お亡くなりになって13年になります。
今は年間4回同人誌に出詠しているだけです! 3ケ月に一度 7首の日記代わりの歌で友人達と話が盛り上がりストレス解消しています 秦先生にお見せ出来る代物ではなくて…申し訳ございません ごめんなさいね〓 10年に一度出版される合同歌集が2年後に予定されたら心して頑張りたいと思います〓 有り難うございました〓 奈良あやめ池  絹
2016 10/31 179

* 自宅へ電話で様子を聞いて下さるのは、申し訳ないが、ご遠慮します。

☆ ホームページを見て
びっくりしました、
やっぱり体調悪かったのですね、日々無理をされているのではと思っていました、
私も脚腰痛くて3日程温泉に行って来ました、帰って、筋肉体操にも通っています。
色々とおこります。
とりあえず帰宅されて何よりです、体調、お大事にして下さいね!
京都は観光客で騒がしい事です 以前の静けさが懐かしいです、
日吉ヶ丘(高校)も改築中です、ちょっと様子が変わりました、春まで工事はかかりそうです 出来れば写真を送ります。
これから紅葉になり 東福寺もにぎやかに成る事でしょう。
奥さまにも お大事にして下さいませ、
とりあえず退院おめでとございました。   京東山・渋谷坂  華

* 仲良しだった「華」さんと「絹」さん 心配かけました。
2016 10/31 179

* 京・山科の詩人で元神戸大の先生であったあきとし・じゅんさんから、選集⑰へお葉書を戴いた。

☆ お見舞いを申し上げます ☆
ご無事にご退院なされた由 本当に良かったです♪♪
私語の刻を拝見させて頂き どうぞご無事で!!!と お祈りしていました。
奥さま共々 どうぞどうぞお大事になさってくださいませ。
(三年ほど前の1月 夫が低血糖をおこし 命拾いをしました。
血糖値が 40~50台 救急車で搬送 回復するのに時間を要しました。
日頃 糖尿病の薬を服用していたのですが 薬が強かったみたいです。
低血糖をおこしたとき 本人は 言葉も 体も動かなくなってしまい 高血糖よりも コワイそうです。幸い傍に家族がいたので 助かりました。
通院の都合もあり 今は名古屋に仮住まいをしています。   岡崎市  山名一枝

* こわいですねえ、低血糖は。今回は入院時、退院後、二度とも深夜でした。なぜという理由が分からぬママ退院してきて、繰り返しました。今朝からのよろよろも後遺症かなあと案じていますが。
ご主人様も、あなたも、どうぞお大切になさって下さい。
2016 11/1 180

☆ 拝啓
「秦 恒平選集」第十六巻をお送り下さり、ありがとうございます。
三つの角度の違う作品が並置された本巻を手に取らせていただき、、昔、マルクスや宇野弘蔵を読め、と人に勧められた頃の感覚が甦りました。現象-本質- 実体と資本や世界がその現れを変える。「死なれて 死なせて」を原理論とすると、「父の陳述 かくの如き、死」は悲哀の実体論です。深い悲しみの批判論で す。
向寒の折り どうぞお身体ご自愛下さい。 敬具   久間十義 三島賞作家

* 有り難う存じます。

☆  同じ時期に
秦先生もおつらい思いをなさっていたのですね。
“ 病室でたくさん本の校正ができました ” には唯々敬服致しました。

私も病室に『バグワンと私 上』、『ギリシア語文法』、そして電子書籍(これには哲学書、古典文学、大衆文学など約500冊が入っています)を持ち込んだのですが、しっかり読んだのは『バグワンと私 上』だけ。

病院のベッドの上では、手術部位が痛み、肩と腰も疲れてきて、難しい本は集中できませんでした。岡本綺堂、久生十蘭、中里介山など家の書斎では先ず読むことの無い本を読んでいました。

聊斎志異は、私も大分以前に大変面白く読んだことがあります。今昔物語、宇治拾遺物語に通じるものがあるように思いました。

秦先生におけるバグワンとは意味が違いますが、私は『正法眼蔵』をなかなか理解できないままに毎日少しずつ声を出して読んでいます。

しばらくご無沙汰している京都、奈良を歩きたいと思っていますが、体調が回復するまでは実現は難しそうです。

大分寒くなってきました。

先生も何とぞお体おいといくださいますようお祈り申し上げます。

p.s. 湖の本「みごもりの湖」に1996年9月15日付け日経新聞の「作者から読者へ、手渡され続けた作品」の切り抜きがはさまっていました。文中に、“46冊目を送り出した” と記されています。

それから丁度20年、さらに100冊近くを発刊されたことに深い敬意を表します。  篠崎仁

* 篠崎様
目方の重い本は、キツイですね、ベッドでは。しかし 文庫本は字が小さくて、半盲の視力では辛く、湖の本も選集も 10ポイント組にしています。入稿前に作や論を原稿として読み返すときは12ポに大きくして読んでいます。

ホームペイジの日記も、いつの間にか、大きな太い字でしか書けなくなりました。

正法眼蔵とは、大きな山ですね、わたしも何度か登りかけては途中下山。
代わりにというのは変ですが、臨済録を多年愛読しています、それと陶淵明全集も座右に。加えて平安の勅撰和歌集をしょっちゅう休息用にそばに置いています。

湖の本130の記念に、「自問自答」を入れましたが、篠崎さんにも多彩なご思案が期待できそうです。今思うと欠けている問いもいろいろあります。あれらはみな二十歳過ぎの学生への挨拶でしたから。

お大事にご静養ください。 秦 恒平
2016 11/2 180

* 明後日は独りで、能「野宮」へ。堀上謙さんがいないと思うと寂しい。多年、能楽堂で顔を見て快く言葉を交わしてきた何人も何人もの先達や先生に死なれている。
おりしも私家版の長編「斎王譜」が本になってくる。謡曲「野宮」は作中に原流を成して流れているのだ、名手友枝昭世の舞台、しみじみ観入ってきたい。せめて能楽堂で馬場(あき子)さんに出会えるといいが。
2016 11/3 180

* 篠崎仁さんに、「臨済録」を愛読していると書いた。書きはしたが、要するに「臨済」師に手ひどく叱られ叱られ叱られ続けるのを感謝しているという話。 臨済の獅子吼にただただ反して背いてはなはだ事多くのみわたしは生きて生きて汚れにまみれているだけのこと。恥じ入るすべも知らない。

寒暑に代謝有り
人道も毎(つね)に玆(か)くの如し
達人は其の会(え)を解し
逝くゆく将(まさ)に復た疑はざらんす
忽ち一樽の酒と与(とも)に
日夕 歓びて相持せん

陶淵明にも、臨済禅にかよってかつ心優しき清閑の美がある。
2016 11/3 180

☆ 秦 恒平 先生
先生のホームページ中の「e-文庫・湖(umi)」に、拙作「似たひと」の掲載されたのを見確かめました。
(検索順で隣り合っていた=)北条民雄「いのちの初夜」に目がいき、此の「電子文藝館」で、直ぐに先達の優れた多くの作品も親しく読めるありがたさを思いました。
ありがとうございました。 11/3  かしこ  香川   星合 美弥子

*  「ハ」行筆名の星合さんの直ぐ前に北条民雄の記念碑的な作が検索でき、直ぐ後ろに細田民樹の秀作「多忙な初年兵」が読める。「小説」室だけでも紅葉、露 伴、鴎外、一葉、緑雨、漱石、藤村、鏡花、秋声等々の歴史的な秀作、記念碑作から、平成の寄稿諸作家、投稿新人の諸作が何百作と掲示されている。
ほかに「詞華集」「論攷・批評」「文藝随筆」「戯曲」「長編書き下ろし」「紀行」「自分史」等々多くのジャンルにも「秦 恒平の選んだ」厖大量の文藝作が溢れるほどに収載されている。
ご随意に、どうぞ楽しんで読んで下さい。ホームページの総目次の下方に「e-文庫・湖(umi)」検索が表示してあり、その英文表示をクリックして下さい。

* ご自身の自信作をもご投稿下さい。但し、不充分とみれば何度でも推敲をお願いします。そういう指示に応じ続けて何作も掲示されている人も何人もあります。

* 京・山科の詩人あきとし・じゅんさんから、素晴らしく大粒の、栗そのものの形を生かした美味い菓子を戴いた。栗といい柿といい、松茸といい、日本の秋、日本の自然の恵みは、まことに優しい。
2016 11/4 180

 

* 下関の大庭緑さん、お見舞いにと、下関の名品「雲丹」二瓶と下関名菓をいろいろ下さった。美味い物はやっぱり美味いなあと嘆賞。感謝します。
2016 11/5 180

☆ 紅葉
京都叡電の紅葉ライトアップの記事を、(シンガポールで、)インターネットで見ました。霜月十一月、紅葉の季節ですね。
九日、帰国し、日本の秋を楽しむつもりです。が、日本に一ヶ月滞在予定の孫たちを連れて、多忙な日々がまだまだ続くでしょう。こちらシンガポールでの自由な時間は、ただただ本を読んで過ごしています。
接続にやや不具合あり、メールも送れませんでした。
数日ぶりにHPの記述読みました。退院以後の精力的な日々を想いながら、高めの血圧が気になっています。
本日の能楽堂への往復も怪我なく過ごされますよう。  尾張の鳶

* また二日家で休息して、腫瘍内科退院後の診察に、水曜午前、聖路加へ。十一日金曜朝には「湖の本132」が出来てくる。発送用意はほぼ出来ている。夕 方には沼袋まで歯科へ通う。本の発送にどれほど体力が使えるか、ながく掛かっても無理の無いように二人で頑張る。十五日には楽しみにしてきたコクーンでの 松たか子公演に出かける。じわじわと師走へもう目が向いている。「選集第十七巻」を送り出して今年の力仕事は終える。來手年も再来年も鬼が笑い怪獣が笑っ ても、わたしたちの日々は変わらない。ゆっくり、怪我なく歩みたい。倒れたら、おしまい。
「虚空裏に向って釘橛(ていけつ)し去るべからず」と、臨済和尚に真っ向打たれている、「虚空に釘を打つような真似はするな」と。ハイハイ。
2016 11/6 180

☆ お元気ですか。
お能はお疲れになってしまったようで残念でしたが、ご無事にお戻りで安心いたしました。
唐突なもの申しで、失礼はどうぞお許しを請いますが、こちら関西の放送局で仕事をしていた友人がいます。彼女は某有名司会者と組んで人気番組をもったり制作もしていましたが、ある時スパッとこの業界から足を洗いました。その理由がとても印象に残っています。
テレビなどの芸能業界にいる人たちは、みなやたらにテンションの高い、容易に敬愛しにくい人たちが多すぎ、仕事は面白くてもこのままズルズル一緒にいた ら自分はダメになると思ったそうです。彼女の意見が正しいかどうかについては判断できません、が、その後彼女は地味なしかし優れた研究者と結婚して主婦に なり、二人子どもを育てました。たいへん有能で、老親四人の介護も家事も完璧、優秀な子ども二人を育て、その上資産まで築きました。
他人の悪口を言わない彼女が、放送系の芸能業界についてだけは「人として実に気の低いひとたちが多すぎる」と言い切るのにも驚いたのですが、「やたらにテンションの高い」という表現には得心しました。
テレビの九割くらいの番組は人気俳優をそろえて話題を作り、視聴率をとろうという妙な高揚感、薬物中毒のようなハイテンションで、面白くもないものを面 白がってつくられている印象を持っています。内情を知らないので誤解かもしれませんが、出来上がった番組のお粗末と騒がしさを観て、そう感じています。
テレビドラマにもたしかに時折り優れたものはあります、が、映画や舞台より明らかに粗製乱造です。優れた仕事は「テンションの高さ」では出来なくて、真摯に落ち着いた姿勢で創られるものでしょう。お言葉を借りれば、「静か」な精神に生まれる仕事です。
テン ションばかり高い人らの間で仕事を続けていると、知らず知らずに自分もテンションを上げるのが習い性になり、創作者としても毒されていく怖さを、私などは 感じます。目立つ世界ですから、少しでも名前が出ていれば寄ってくる人間も多くて成功している気分に嵌りますが、果たして本当に成功しているのか、わかり ません。この世界に限りませんけれど、世間の活躍とか成功とは、単に仲間うちでテンション高く騒いで忙しがっていることだけかもしれないと思うことがあり ます。
才能も心もちもまともな人間がこういう場所に長居したら、無理にテンションをあげて、いずれ身体を壊すか心を壊すか家庭を壊すか、利用するだけ利用される使い捨ての駒にされてしまう。上の彼女は、つくづくそれを感じたと言うのです。

じつはわたくしの嗜みます舞の稽古では、毎回重心を落として舞台に足を着けて、地を踏みしめて、身体が浮き上がってしまってはいけないと厳しく注意を受け るのですが、重心が少しでも浮くと美しい舞になりません。生き方も同じようなもので、気を上げるのではなく重心を落とすべき、地に足をつけたきちんとした 生活者であることが基本だと、自戒しています。

秦さんは文学において本当に色々な仕事をしていらっしゃいましたが、常に重心が定まって中心軸のぶれたことのない方です。その文学は、時に狂気を孕んでいても、誠実な生活者であることの上に花を咲かせていると思うのです。

たとえば、義理あるご両親と叔母さまについて書かれた文章をしみじみ素晴らしいと思って読んでいます。失礼な言い方かもしれませんが、およそ文学作品のモ デルになるような要素のない、登場させるとしても端役のお三人なのに、秦さんの筆にかかるとどんな小説の主人公にも負けない生彩を感じるのです。鬱陶しさ やため息や滑稽さや身勝手さ痛さふくめて、人物のキャラクターが見事に立ち上がっています。そこそこの長所と許される程度の欠点を抱えている、どこにでも いる父や母や叔母であり、ラジオ店の店主であったり、主婦であったり、お茶の先生で、京都の片隅に、それぞれにままならなかった人生を黙々と生きていた、 日々の暮しをただ懸命に生きた生活者の人生がたまらなく愛しく感じられるのです。

秦さんには容易に真実の「身内」とは思えなかった疑似家族であったのかもしれませんが、その表現の中にご自身でも意識していらっしゃらなかったお三人への 深い情愛を感じるのです。きっと子ども時代からお三人それぞれの人生を凝視していらしたのでしょう。その人生の厳しさにも悲しさにも、寂しさにも愚かしさ にも、深く共感の届いていることにいつも感銘を受けます。一番身近にいらした親家族を、ここまで文学的財産にすることは、簡単そうでいて実は一番難しいことではないかと思います。家族ほど困難な人間関係はないからです。

自分に与えられた素材を最高の文藝にしてしまうのは「神が人間に期待するのは苦しみではない。レモンからレモネードを作っておいしく飲むことだ」というフ ランクルの言葉の実践にも思えるのです。(このことは『逆らひてこそ、父』『父の陳述』のような一連の恐ろしい作品についてもあてはまるものと私は考えて います。)

「生 活者」としての性根と土台なしには、創作者としての腹もすわらず、どんな成功も浮草のようなものにしかならないと、秦さんの刻苦勉励の日々から私は教えて いただいています。谷崎潤一郎も問題の多い兄弟たちや松子夫人の妹たちまで抱え、全身全霊で仕事をする逞しい生活者であったと思うのです。

失礼を敢えて申しますが、秦建日子さんにも、息子として、地に足のついた生活者として、文学者秦恒平を将来ご自身の最高の財産にしていただけたらと切に願っています。もう待ったなしではないかと思っています。秦さんが、とてつもなく重たい父親であることには少しご同情申し上げますが、今のうちにその父親でかつ創作者と、真実「出逢う」こと、大切ではないのかと思います。
秦さんは『愛。はるかに照せ』に挙げておられます。

思ふさま生きしと思ふ父の遺書に
長き苦しみといふ語ありにき   清水房雄

亡き父をこの夜はおもふ話すほどの
ことなけれど酒など共にのみたし 井上正一

これは、わが身を振り返っての反省でもあります。
子どもは親のことを殆ど知りません。近くにいるのに、あるいは近すぎるから、親がほんとうに苦しんでいたものの核心、その魂の最も美しい真実になかなか 想いが届かないのです。建日子さんには、私のように後悔していただきたくないと思います。秦さんと対峙し格闘して、その文学的遺産を受け入れ、守っていく ためのご準備をぜひしていただきたいのです。一時的にご自身の仕事の仕方を変えることになっても、それこそが建日子さんの創作者としての可能性をさらに高 めるものと信じています。
いずれは同じ創作者として建日子さんには父・秦 恒平を書く使命もおありでしょう。「ほんもの」の作者になって頂きたいと願っています。

偉そうなことを書いてしまいお送りしようかどうか迷ったのですが、やっぱりお送りします。ご不快でしたらごめんなさい。お忘れください。  神戸市  一読者

* 恐れ入ります。有り難く拝読致しました。息子にもいろんな思いの去来する時機かと想像しています。
2016 11/7 180

☆ 拝啓
朝晩、急に冷え込んでまいりました。お変わりございませんか。
早くに「選集⑯」お贈りいただきながらお返事遅くなりました。申し訳ございません。
「私」小説の、あまりに重い内容に、どうお返事すればいいかわからなくて戸惑っておりました。
以前「湖の本」に発表されたときは、すぐ、娘の結婚、離婚と孫たちの事件を思い出し、とても辛いお気持ちでお書きになったのだろうなと思いました。今回は加えて、作家として書かなければならないという宿命のような覚悟すら感じました。
「糸瓜と木魚」論、初校をすませました。また出ましたらお送りさせていただきます。
どうぞくれぐれも身体大切にお過ごしください。 奈良県  研究者

*  往年の葛西善蔵、嘉村礒多、また志賀直哉にしても徳田秋声にしても、その他多くの私小説作家の作には、文字どおり凄いのがあった。研究者も批評家も何の こだわりも臆面も無く読んで語っていたと思う。このほどの読者、研究者、温和しすぎるのではないか。本気でわたしに書くなと諫め顔だった若いべつの研究者 を思い出す。
昔の文学者たちの論争の猛烈だったこと、懐かしいほどに思い出す。最近、まっこうパンチをくり出した文学論争など聞いたこともない。文学精神がひよわく 解体しているのだ、まさに「文学」の姿勢が総じて通俗化している。スマフィ作家や批評家や研究者に成り下がろうとしている。
2016 11/7 180

☆ お元気ですか、みづうみ。
牡蠣は大変汚染の強いものですので ご体調不良の時にはお奨めできません。貝類には水質浄化の働きがあるそうですが、それは水の汚れを貝が取り込んでいるということなのです。
大統領選挙の行方が気になりますが、色々な記事を読めば読むほどどちらの候補がましなのかわからなくなっています。最初はましかと思っていたクリントンさんですが、かなりひどいものです。候補二人の不人気のせいでオバマ大統領の人気復活とか。
明らかなのは、どちらになっても日本に良いことは何もないことです。
就寝前にはいつも猫や犬の動画を観ています。テレビや新聞に出てくる汚れた視界を、可愛いもので癒さないと眠れません。これって不健康の極みでしょうけれど。
菌  爛々と昼の星見え菌(きのこ)生え 虚子
2016 11/8 180

☆ 拝啓
いつのまにか冬の気配さえ感じる日々となりました。
過日、ご恵投の『選集』第十六巻、重い重い内容を涙ぐみながら拝読いたしました。感想を表わす言葉を未だ見付け出し得ないでおります。今はただ先生の御自愛を祈るのみです。拝受の御礼がおそくなりました。お許し下さい。 敬具  国文学研究資料館館長  祐
2016 11/9 180

☆ 選集第16巻を
お届けくださり誠に有り難うございます。
秦さんの精魂のこもった作品に接するとこれぞ文学との思いに強く心を打たれます。
朝夕冷え込むようになりました。お体お大切にお過ごしください。(妻の介護をしていると主婦の仕事の大変さが身にしみて分かってきます。)   吉備の人

* 日々、御苦労しみじみと分かります。そんななかから、すばらしいお酒を賜りました。心より御礼申し述べます。有り難うございます。
2016 11/13 180

☆ 生命力がありますね、
八十歳も過ぎれば もう何があってもおかしくない と 達観しているつもりですが 目下 足腰は丈夫ですが  おつむが劣化の一途  ヤレヤレ
八十歳 節目の年令 あれこれと京都で同期会がありましたが  すべて欠席 しました
毎年ある東京同期会は欠かしません。今年は明後日にあり、守美ちゃんにも会います。
どうぞ お元気で…    花小金井   泉

* おつむが劣化の一途  まことに。悲観せずに劣化に付き合いつつ毎日を。生命力とはそれかも。
2016 11/15 180

* 「湖の本132」届き始めたらしい。

☆ お元気ですか、みづうみ
本日無事に湖の本132巻を頂戴いたしました。原作『斎王譜』は以前から是非読みたいと願っていましたので、とても楽しみです。今夏『慈子』について拙い考察を書き上げたのですが、今回のご本を読むと、また新しい発見があることでしょう。
すぐに「昭和私家版・あとがき」を拝読しました。
これだけでも一つの作品として読みたいもので、感嘆いたしました。秦恒平の文学を語るときに不可欠のエッセンスが書かれていると思います。自分の考えが 変わる変わらないに関係なく、決定稿に至る「前」の原作を知ることは必須の底荷ですので、わたくしのような読者には本当にありがたい配本でございました。
ご体調不良のご様子はいつも遠くからやきもき心配するばかりです。
決してご無理なさいませんように。
みづうみのお望みのままのお仕事ができますように毎日お祈りしています。どうかどうかお元気でいらしてください。
お芝居も歌舞伎も堪能なさってください。
楽しい毎日をお過ごしください。 松  一ぱいにさしてゐる日や松手入 久保田万太郎

* さきの「選集」第十六巻は、さしあげた方々にかえって苦渋を強いた虞れもあって恐縮してきたが。

☆ 秦 恒平様
謹啓 「秦恒平選集」第十六巻(「生まれる日 または朝日子」「死なれて 死なせて」「父の陳述」)をご恵贈賜り、まことに有難く心より御礼申し上げます。この度も発刊早々に賜りましたこと、重ねてのお心遣い有難く、感謝いたしております。
重い重い作品、三作。軽々には読めないという思いで拝読させていただきました。じっくり読み、どれほどの理解に、また共感に至れたかは、非才忸怩たるところですが、一生懸命読みました。
「生まれる日 または朝日子」は子を生む親 一 我がなした子を世界に送り出す親の、造化の神のごとき覚悟と期待、深切なるイデーを感じました。天上の湖は、さながらノヴァーリスの「青い花」のように、 涼々と「永遠の命」を生み出す命の湖であり、万物の過去・現在・未来をはらみ、天地のすべてを映して超然と存在しています。また両性具有の老人「昨日」 は、預言書を持つ隠者ホーエンツオレルン伯でありますが、預言されたハインリヒの未来をマテイルデの霊的分身ツアーネが可能性としての未来に導いたよう に、夕日子が「昨日」を封印して、朝日子の未来の無限性を拓いたと感じました。因果の小車を断ち切って、全く新鮮な純粋自己となって、朝日子は未来に向 かって生きていくのです。命の顫きを感じます。
私の母や父も、またすべての子の親は、期待を不安に、不安を期待にして、我が子を懸命に育て、この世に送り出してくれたのだろうと思います。しかし、 「昨日」も「夕日子」も、決して消滅してしまって、完全なる無となったわけではなく、朝日子の命のなかに、影の形に添うごとく存在し続けます。眠り姫を導 いた十三番目の魔法使いの預言のように。小車のごとく永遠に回転し続ける輪廻世界に咲いた、一輪の花「命」、それが「運命」ではないかと、神秘的な思いに 打たれました。
「水底からふくれあがるふしぎなうねりに波の花がやさしくくずれる」湖は、まさに命の根源としての「湖」を観念する秦文学の濫觴、根源的イデーの象徴と感 じさせていただきました。真の処女作ともいうべき「生まれる日 または朝日子」は、直哉の「菜の花と小娘」ではなく、むしろ「母の死と新しい母」に比すべ き作品と感じます。「菜の花と小娘」には小娘のエゴの強さや、小娘の不合理な感情にもてあそばれた菜の花の奴隷的な哀れさに、自然感情を絶対イデーのごと く信じて行動した志賀直哉の心性の一端をみることは出来ると思いますが、後年の諸作品の萌芽の影をみることは出来ないし、処女作としての象徴性がないと私 には思えます。童話的語り口という点では、「生まれる日 または朝日子」も同じラインにあるといえますが、生意気を言うようですが、創作意図も覚悟も、そ の深さに於いてまったく異なるレベルの作品と感じさせていただきました。
「父の陳述 かくの如き、死」は湖の本101号「凶器」(原題)で読み、再読になりますが、またいろいろ考えさせられました。
命、法、親子、他者、狂気、悪意、非情、無関心等々が不合理の裡に渦巻いていますが、少女の消えてゆく命の前に、それら命を除くすべてが、空しく実態も なく薄い紙切れのように舞い去って行く感じがいたしました。問われるは良識であり、法の精神ですが、ここでは、「良識」は一回限りの命の絶対尊厳の上に 立っての「良識」であるのに、問われる「法」は機械的機能的な「法」であって、まったく命の観念すらない無機的な観念の「法」として、対峙していると感じ ました。
狂気は三分の理をもって言いがかりをつけますが、言いがかりを無視し、三分の理を採って狂気を正気かのごとく擬装してしまう「法」は、真に法の精神を活 かしているとは思えません。法が結果として、法を施行する人間の感情や性格に左右されるとしたら、法の正義はどこで保証されるか、と思いました。特措法の 成立に与って違憲を合憲と言い切った法制長官の政権におもねった厚顔、そして無恥を思い出しました。
不合理で理不尽な訴えに、正面から陳述する清家次郎氏の姿には、カフカの「城」の永遠に来ない指令書を待って、迷宮のように寒村をさまよう測量師Kが重 なります。「額」小説的構成で、清家次郎氏の、結局非常識であるところの世間との交渉、若くして、見捨てられたように命はてていく孫娘飽海ふじ乃の悲壮な メール、母親としての自覚が欠如した飽海櫻子の不可解な行為と小説-そこに表現された飽海専太郎の常軌を逸した行為や悪意の発露などが、モザイク模様に展 開されますが、正義の脆さと正義を踏みにじって居直る悪のしたたかさが実に不気味であり、厭悪感に襲われました。
最後に清家次郎氏が亡くなられて、懸命な陳述書が、本当の「遺書」になってしまった結末には、言葉もなく深い悲しみに襲われました。陳述が祈りになり、 祈りとなった陳述は、読者の胸裡に哀しい叫びの木霊となって響きます。そして、その叫びのなかに、従容として死を受け入れ、なにもかも許して天に還ってい った少女一孫娘飽海ふじ乃の清らかな姿が浮かび上がります。
さながら飽海ふじ乃は「生まれる日 または朝日子」の朝日子がこの世にすすんで生れてきたのとは、逆の道をたどり、天上の森深い、しずかな湖で、ふたた び「夕日子」にまみえていると、思えます。ながれる波紋が、「湖の真ん中でぶっかりあって、白い波の花をきれいにさかせ」ている、命の湖のほとり、ふじ乃 と夕日子は二人相並び、岩に腰かけ、月と満天の星々を眺めている。そして、再び、この世に生まれる日を待っているのです。孫娘飽海ふじ乃の天上の救いが、 清家次郎氏の救いとなることを確信し、祈らずにはおれない心になりました。
感傷的な感想になりました。三作の有機的なつながりが、第十六巻を誕生と死、そして背きと許しを雄大な流れにして読ませます。方向のちがった著述が 「私」から流れ出て、「私」に向かって流れていく、あるいは「私」という塔を築いていく、そこに確かな、固有の人生と人格が浮かび上がっていると感じさせ ていただきました。深いところは、とても汲み尽くせませんが、感じ取った限り、未熟、拙劣ですが書かずもがなのことども書かせていただきました。勝手な思 い込み、多々であると思います。どうぞ、失礼の段はご宥恕のほど、お願い申し上げます。
早くも冬季を迎え、日々寒さが募ります。体調の不具合いろいろ出てくる季節かと存じます。どうぞ先生には、奥様ともに、ご健康専一にご自愛くださいますよう、心よりお祈り申し上げます。
まずは、御礼まで。
ご本大切にいたします。本当にありがとうございました。 敬 具
平成28年11月14日    作家 小滝英史

* 遙かに遙かな昔の処女作となった、パパのおはなし「生まれる日 朝日子」を心して巻頭に置いた願いとも祈りともいえる短編を、正確にとらえてこの一巻 のうちに意味付けて下さったのを、心底 深々と感謝申し上げる。「本望」とはこういうことかと、掌を堅く熱く握っています。

* もう一通、それは今度の選集や湖の本とはちがい、敢えていわばあの「初稿・雲居寺跡」とふれあう鎌倉時代の武将家のことどもお書き頂いたお手紙を、神 奈川二宮の高城夫人から頂戴していて、お手紙と別に、絵本「牛若丸」復刻版から一頁の繪語りを添えて頂いた。これがまた、実は書きかけ書き進んでいる新作 に触れ合ってくるので、感謝し喜んでいる。
高城さんからのお手紙は、以前の一通も今回の一通も、ちょっとこのままはご紹介できない貴重な一歴史証言なのである。高城さんからの刺戟で、じつは、私も鎌倉武家の一二の動態をまさぐっているのです、佐々木氏、河野氏を。

* 読者は有り難いのです。まことに、有り難いのです。
2016 11/15 180

 

☆ 書肆の棚淋しかりけり文化の日  杏牛
この頃の書肆 実に淋しく残念です。世の中が人間根源の美の希求を損ねていると存じます。表現者の端くれとして、生きの限り全力を尽くさねばと思います。
「湖の本」頑張って下さい。
くれぐれも、お身大切に。 匆々   小金井  杏牛  俳誌「古東多万」主宰
2016 11/16 180

☆ 「露往霜来」に書いて下さった、
「茶の場面」を読むようにとの、温かなメモに、今開いています。走り読みしましたが、ゆっくりゆっくり、それこそお濃茶を味わうように読みたい文章です。お茶のふくよかな香りと、初春の凜とした空気が、私を包んでくれ、「お前は何をしている」と優しく叱咤されたみたい。
この2,3ヶ月、お茶の心得の全くない知人が、お茶会に招かれたので特訓してくれないか、と頼まれました。喫茶の作法だけならと気軽に引き受けたもの の、「利休所持の鶴首の茶入」という国宝級のお道具がでるというので、(お稽古は10代後半から20代にやっただけで、その後はお客様専門なので)、高校 の後輩で、裏千家の先生を紹介し、私も5,6回付き合いました。
結果は地元財界人のお遊びの会で、無手勝流で充分だったとのこと。
私はお稽古に付き合って、またお茶のお稽古をしたくなりました。
でも先生が描き出す、余分なものは削ぎ落としたお茶席の場面の美しさ。そんなお稽古にはなかなか出会えません。
10月末、枳穀亭で行事があり、源融や、源氏が建てた六条院を偲びました。午后、名古屋に松岡正剛さんがいらっしゃるというので、講演を聴きにとんぼ返りでゆっくりはできませんでしたが、月末は大徳寺へ行く予定です。
京都はやはり京都、そこここに歴史が生きていますね。
勝手なことばかり、申し上げましたが、久しぶりに先生の世界へ戻れた、気分です。
御身大切に。  名古屋  珊
2016 11/16 180

 

☆ 「秦 恒平・湖の本」創刊三十年の記念すべき一冊『原作・斎王譜=慈子』をありがとうございました。『慈子』は心に沁みた一冊、その原作をあえて刊行なさったお 心は、「昭和私家版・あとがき」を拝読するとひしひしと伝わってきます。谷崎論であると同時に、秦文学宣言、それを文学的出発点にあって記され、いまにい たるも持続なさっていることに圧倒されます。読みくらべさせていただくつもりです。
<気力・意欲・覚悟>は疑いませんが、どうぞお身体呉々もお大切になさって下さい。
元「群像」編集長・出版部長  敬

☆ 「原稿・清経入水」の
最終の著者註には驚きました。
文学として、人に紹介するなら 清経入水>畜生塚>慈子の順になりますが、私が好きなのは、畜生塚>慈子>清経入水 の順です。
そしてこれらは、秦さんのファンタジーの鍵です。
その奥には「生きたかりしに」のリアルが、徐々に見えてきます。
母をこれだけ魅惑的に描いたもの(品)を私は知りません。  藤沢市 永田澄雄

* ありがとう存じます。

* 能美の井口哲郎さんの御健康を、くれぐれも願う。

* 茅ヶ崎の吉川幹男さん、選集にご助勢下さる。

* 「隠居している機ですか」とぶつけた菅元総理からも返事があった。

☆ 湖の本132号おめでとうございます!
次々本が出て、良かったですね!
やりたいことがある人は、長生きすると最近聞きましたよ。
腸閉塞とは大変な病気でしょうに、すっかり快復されて良かったですね。
お酒を飲む時は、氷水を横に置き、時々水を飲むといいらしいですよ。義弟の尚さんからも言われていますし、先日の千里山会で横に坐った人は、自分でペットボトルのお茶を用意し、交互に飲んでいました。

迪っちゃんは日記を何年も細かくつけていて偉いですね!

私のは、決して他人には見せられないです~

明日はまた逗子の例のお店で、シャンソンの会があり 友人と聴きに行きます。

本当に寒くなってきましたね。どうぞくれぐれもお大事にね!  妻の妹  琉

☆ ご本戴きました。

いつもながらご本有難うございます。その後もお元気そうで何よりとよろこんでおります。

今夏の参院選はダメでしたが、次の衆院選は是非とも安倍自民を壊滅させようと頑張っております。アメリカもトランプ氏の当選で世界中が揺れ動いていますが、私はアメリカの有権者にエールを送りたい気分です。日本の有権者も結束すれば何でもできるはずです。

結束の要 ?  になるものをまとめあげるのに苦闘中ですが、昨年骨折の右手首が不具のためPC のキーが叩きにくくてなかなか捗りません。このメールも雨だれのような有様です。

先に兄にペンクラブの名簿でお世話になりましたが映画人の住所が入手可能なら早大卒で護憲会員の吉永小百合さんの住所を教えて頂ければ大変有難いのですが、入手できますか。

10/21 に一年ぶりに学友たちと旧交を温めてきました。年々参加者は減り予定の15名が結局10名でした。昨年の醜態以来、外では度の強いのは控え今年は本会は専ら熱燗、二次会以降はワインで通し最終の新幹線で無事帰宅しました。高校は小橋君らが世話役で年一回開催ですが、洛東中の連中が多く欠席勝ちで、小中は幹事役不在の休眠状態で淋しい限りです。
弥栄中学跡も市立の漢字ミュージアムに変身、今夏旧職場のOB会が近くであり、少時立ち寄りましたが、素面のとき再訪するつりです。

運動不足解消に歩いていますが、過日百万遍の 智恩寺境内の古本市に行ったついでに、境内墓地にある船川未乾の墓参りをしてきました。昭和5年44才で夭逝した洋画家で、渡仏しアンドレ・ロートに学び ピカソ、ブラマンク、ブラック等と交遊し帰朝後は鹿ケ谷法然院西のアトリエで静物画を専らにして肺病で亡くなりました。
この画家は私の家内の大叔父なのですがく、親戚は勿論画壇仲間とも疎遠で作品も四散し、未乾の葬式も榊原紫峰が葬儀委員長、智恩寺の墓も園頼三先生が発起人になっての建立だったと亡父から聞いております。
京洛の秋も紅葉狩りの観光客で大賑わいです。
観光スポットも乗物も日本人より外国人のほうが多く戸惑います。
「日本に京都があってよかった」
地下鉄車内のポスターの文句ですが北大路橋からの景観を見るにつけ京都に生まれ育って老いていく喜びを痛感しています。
つれづれに物置の音源整理を続けています。李香蘭の懐メロが20曲ほどテープに入っていますので、編集して近日中にお送りして、ご本のお礼に代えさせていただきます。

好季節も今しばらくの向寒の折、充分ご自愛のうえご活躍ください。
有難うございました。   京・岩倉    辰

* 京の便りの 懐かしいこと。

* 大学での主任教授、恩師園頼三先生のお名前も見えて。
園先生に私家版の作など励まして頂いたのが、書き続けようの大きな力になったこと、嬉しくも有難かった。最初の面接時、わたしは歴史志望としていたが園 先生にいろいろ聞かれているうち、「美学だね」と言われ、はいと専攻志望を美学に変えてしまったのだった。国文学でも歴史学でも構わなかったのだが、ちらと見たすてきな女の子が「美 学・藝術学」志望と耳にしていたのも引力になった。その女子学生が、のちに日活女優になり小林桂樹と松本清張原作の「黒い手帖」を主演した原知佐子に大化 けし、しかもわたしの太宰賞授賞式に花束をもって駆けつけてくれた。じつは、昨日にも、「二度も死にかけたんだって。がんばって長生きしようよ、ばたばた 死んで行くじゃない大勢。長生きしようよ、がんばってね」と電話をくれていた。おお、あのショートケーキのように愛らしかった田原知佐子も八十か、ウー ン。それでも今年の春にはダンスもある舞台を踏んだというし、今も一舞台公演を終えたところと、ご機嫌に元気だった。賑やかそうな場所からの電話だった。

☆ 新しい湖のご本届きました。
こんばんは。
いつもありがとうございます。
ご体調のすぐれないなかでの発送などのお仕事、お疲れのことと存じます。
秋も深まりあちこちの紅葉がきれいです。
くれぐれもお大切にお過ごしくださいますよう願っています。
奥様からきれいなお葉書頂戴しました。
ありがとうございました。 みち  秦の母方従妹
2016 11/17 180

☆ 秦先生
湖の本132巻拝受しました。
丁度先週、慈子を読み終わり「みごもりの湖」中巻を読んでいるところです。
私はJ.S.Bachの音楽をこよなく愛し 毎日CDで聴いています。
先生の創作は、バッハの音楽作品と共通するところがあると思っております。
バッハの1音といえどおろそかにしない曲の組み立て方と秦先生の文章の構成、またロマン派以降の音楽と異なるバッハの多声音楽と秦先生の次元の異なったストーリーを同じ作品のなかで展開させる仕方にも共通点を感じています。
これらが複合して奏でる美しさは 他の(音楽家または文学作家)追随を許しません。
132巻の刊行、あらためて偉大さに敬服しております。本棚に並んだ132巻は、私の誇りでもあります。
月並みですが、世界的にもギネスブック登載ものでしょう。
退院してから3週間になります。まだあちこちに体の不都合があり時に気落ちしたりしていますが、秦先生のお言葉、“体力はゼロに近いが、気力と意欲と覚悟とは衰えていない”を眼にすると 弱音を吐いてはおられません。
精進します。     篠崎仁

* 篠崎さん、また病気をかかえておいでの皆さん、「いま・ここ」の持続を逞しく、幾らかは太々しく謙虚に生きつづけましょう。
わたしは、今も喉もとが灼ける感じで、腰も背も痛み、血糖値はショックに陥る低い危険域へとかく揺れ揺れてはいますが、それはそれ、なにより仕事をしているときが元気そのものです、時を忘れます。
わたしの愛蔵している音盤で数多いのはバッハです、バッハをわたしに刷り込んだいちばんの人物は、「繪を描いてください」の「お父さん」ですが、大学時 代にお祝いに人に贈ったレコードがバッハのシャコンヌでした。久しいつきあいです。篠崎さんのご指摘、ドキッとしました。

☆ 湖の本132
早速拝読しております。ストーリーもさることながら、文章の力だけで読ませる秦様の小説に改めて感心しております。結局、文学は文章に始まり、文章に終るものだという思いがしきりにいたします。
秦様の湖の本の刊行は、私のような文筆人に、大きな励ましと力を与えて下さいます。 鋼

☆ この秋は 急激な暑さ寒さの変化やにわかの豪雨など 健康に良くない日が続きましたが 大過なくおすごしの様子 なによりとおよろこび申上げます。
「湖の本」斎王譜 有難くお礼申上げます。
九十も過ぎますと長い読書の時間も獲得がむずかしく それに理解のちからも劣えます 十分な読み込みが出来ますかどうか 然し貴重な楽しい時間が頂けますこと なによりと感謝しております。
寒さの厳しくなるこれから どうぞ十分の体調にてご活躍のこと 祈念しております。
有難うございました。  江戸川区   冽  思想家

☆ 略啓
御壮健何よりです。「湖の本」有難く頂戴致しました。
小説作法として 井伏鱒二のやうに 版を改める度に大きく手を入れる人と さうでない人がありますが、 今度 秦さんのお考へをおきかせ下さい。
向寒の砌 御自愛を祈ります。 不備  前・文藝春秋専務  寺田英視

* 井伏鱒二の「山椒魚」が初出稿からはげしく変化したといった噂を聞いた気はするが、何も知らない。
私ごとに限っていえば、作が、一字一音といえどもより良く、より「作品」を湛えて美しくなる限り、作者は精いっぱい作を推敲して当然と考えています。
2016 11/18 180

* 朝いちばんに原知佐子が、そのまま声の聞こえるような元気な手紙に添えて、田原知佐子故郷の土佐のお茶「きし豆」の大きな二袋を送ってきて呉れた。
「茶」という文字のみえる史料は、例の栄西が支那から持ち帰った話以前には、奈良末・平安初にせいぜい二、三例がほの見えるだけ、だが、植生豊かな日本 列島でいろんな草葉や実や皮や枝を焙じたり淹れたり煎じたり炒れたりして飲用していなかったわけがなく、それらも総じて「茶」に類するというのがわたしの 見解であった。事実これは各地の実例が肯定してくれており、田原の呉れた「きし豆」もまさに、それ。嬉しく、味わいます。

☆ 本がとどいて、
ついお声が聞きたくて電話してみました。
80才になると 身体はガタピシ来るようです。
今年2本の芝居を13日に終へて、使いものにならない状態でした。検査やめたので、悪いところがないと云ってはいますが、気力、体力、やっぱり落ちますね。私は、歯が弱くて、困ったものであります。
土佐の田舎のお茶です。日曜市で売っているようなもので、土佐人しか知りません、”きし豆”と申します。番茶のように、煮出して呑んでみて下さい。芝居を見に来て下さった土佐人にあげると、なつかしい!! そんな声のきけるものであります。
姉の法事に帰っていた時、日曜市でみつけて、新茶の出来た時 送ってもらいました。8月―9月 年に二度くらい出来るようです。今年は天候の関係で、11月にとどきました。
実相寺(=夫君昭雄・ゴジラの生みの親)も10年めの命日がきます。
京都で、何か特集をやるみたいで、月始め(12月)ちょいと京都にゆくことになっています。
誰からか今 FAXがあったようですが、我が家の馬鹿FAXは受付けておりません ま、いいやであります。
いろんなものをマイナンバーにかへなくてはいけなくて、やっかいなことばかりです。
<御身 大切にして下さい。>
再来年の芝居のオファーがあって、生きていればねと申してあります。
<奥様も御身体 気をつけるように>    田原

* ありがとう。からだ労りながら、再来年でも五年後でも佳い芝居や映像を生み出して下さい。
ほたしの仕事はよく「考え」ながら「書く」と「読む」とで、原知佐子の女優業は全身をつかいきっての重いしごと。怪我するなよと祈っています。

* 田原とも同じ専攻の同期で親しかった重森ゲーテも、平安女学院の学長をやった秀才大森正一も、とうに亡くなった。先輩の名誉教授郡さんも、どうぞお達者でと願っている。

☆ ご退院後早々のお力仕事
「湖の本」創刊三十年記念最後の一冊を無事に送り終え、ほっとなさっていることでしょう。お疲れ様でした。
楽しみにしていた「斎王譜」ですが、今通院中で、再読できるのはもう少し先になりそうです。
「死なれて 死なせて」に続いて、「こころ」の読み直しをしていました。「こころ」(心臓、胸底)を温かく流れる「血」(命そのもの)を与え尽くしたい と「先生」が願った若い「私」こそ、「先生」にとって唯一の「精神的血族」(そこには、自分の「身の内」に引き寄せるのとは別の志向が感じられます)では なかったか、そうであればこそ、隔ての襖に血潮を浴びせて逝った、頭文字でしか呼ばれない「K」の孤独も、死に臨んだ実の父を置いてでも「先生」の元に駆 けつけないではいられない「私」の必然(少なくともあの時点では、「私」には「先生の奥さん」静よりも「先生」の存在の方が強く意識されていたのではない でしょうか)も迫ってくるのではないかと思って再読し始めたのですが、今度の読みではどのように見えてくるでしょう。
霜月もはや下旬、もみじの平林寺裏に思いを馳せています。
やがて師走。どうぞお元気でお過ごし下さい。  九

☆ 橿原考古学研究所附属博物館の
秋季特別展「蘇我氏を掘る」で、近江崇福寺心礎納置品に再会。
来年は 大津京遷都1350年です。湖が待っていますよ。  雀

* 「秘色」を書いてから、47年、まだ往時は渺茫とは思っていない。歩けさえすればまたあの寺址まで登ってみたい。創作の秘鑰は「旺盛な想像力」と「文 章」だと、しみじみ思う。個性的な文体を駆使して佳い文章が書けるのは、創作の場合、豊かな想像力があってこそ、である。

☆ 創刊満三十年記念の結び
心よりお慶び申し上げます。三十年の歳月を「私語の刻」のお言葉とともに重々受けとめております。
また「斎王譜」の優美な世界に引きこまれつつ読み進めております。
甲府では紅葉の盛りを迎えています。
向寒の候 お風邪など召されませんよう ご健康をお祈り申し上げます。  山梨県立文学館

* 各地の大学や施設からの受領挨拶が、だんだんに増えている。一方、ご高齢の読者のご健康が気がかりである。どうぞお大切に。
2016 11/19 180

☆ 札幌近況
hatakさん  斎王譜ご送付頂きありがとうございました。
愛猫マゴさんに死なれたhatakさんのHPを見るのが辛く、しばらくご無沙汰をしておりました。入退院されたことを知り、ちゃんと消息を見ておくべきだったと後悔しております。くれぐれもお体をお大切にしてください。
最近は東京出張も日帰りのことが多く、なかなか寄り道もできなくなりましたが、先日週末に学会の評議会があり、土曜の午前中に畠山記念館を訪れました。 二十年以上前に来た際には、敷地続きに般若苑という料亭がありましたが、今回訪れてみますと、庭も料亭もなくなっていて跡地には白い大きな邸宅が建ってお りました。
畠山記念館では、信長の井戸茶碗や秀吉の書状も出ておりましたが、牧谿の煙寺晩鐘図に足が止まり、橫物の大きなお軸の前で長い時間を過ごしてきました。土曜朝の美術館は人影もまばらで、畳の上に座ってゆっくりと国宝を堪能しました。
札幌に戻っても、霞棚引く風景が目の奥に残っております。
今年の札幌は冬が早く、紅葉の枝の上に何度も雪が積もりました。木々の冬囲いも終わり、半年近く白い世界になります。
はやインフルエンザも流行の兆し、くれぐれもご自愛下さい。   maokat

* こういう雅な便りをもらえる小説家は、もう川端さんもとうに亡く、払底しているのではないか。
この植物病理学者は、茶人でもある。
毎朝二服、妻にも一服、茶をたて、欠かさず服しているうち、不心得にもお茶が切れてしまった。章のない無茶人になってしまった。廊下の行き帰りに、庭で 暮らしている猫たちにいつも声を掛けている。三人で暖かくして元気に仲よく過ごせよ、トーサンもカーサンもすぐ傍に一緒にいるからね、と。写真を見ると、 妻の描いた彼女や彼の繪を見ると、まだまだ堪らない。
2016 11/20 180

☆ 創刊満三十年記念の
第132巻を拝受いたしました。あらためておめでとうございます。
作家は事実上の起点である「処女作」に戻るといいますが、秦さんもまさしくその通りですね。それにしても通算百三十二巻。執念に作家の心意気を感じ頭が下ります。
ますますの御健筆を。  文藝家協会理事

* ありがたい激励だけれど、この先わたしは「処女作」を後ろ足で蹴散らそうというのである。その馬力が得たくて「清経入水」「畜生塚」「斎王譜=慈子」 の原作を、なんというか露地の関守石かのように置いたのです。百三十二册ぐらい、べつに執念の所産なんかではなく、要するに秦 恒平流の「仕事」をし続けてきた、積んできたから出来ているという過ぎないのです。

* 病気して、治療して、「再発もなく元気にしております」と遙々、払込票に書かれてくるとまことに嬉しい。各務原の石井さん、お大事に。
「あまりのガンバリで体調悪くしないかとひやひやして居ります。今日は天候良く 泉山から東福寺の紅葉狩りに行ってきました。寒さに向かいます どうぞお大事にして下さい」と、京都から。
「30年には目を瞠ります。選集も33巻までと。がんばって、お元気で お願いします」と、愛知から。
「お具合の悪い中でのたゆまぬ御出版、本当に励まされております。奥様もくれぐれもお大事にと念じております」と、作家の高史明さん。ご支援いただき有り難う存じます。
「国立博物館の「平安の書」展へ行ってきました。帰路古本市で「墨スペシャル 7号」をみつけました。もう四半世紀まえの本です。秦先生の「平家納経の真意」の記事につられ「写経」を購入しました」と、桐生の住吉さん。
「静かな雨音の向うに、日毎に色づく蜜柑がのぞいています。私にとって、かけがえのないお作「斎王譜=慈子」と何度となく出会える機会をいただける幸せ を、ありがたく味合わせていただいて、なお、痛みや痺れと闘っていらっしゃる先生のお苦しみが少しでも和らいでくださることを信じて祈るばかりです。どう ぞお大切になさってくださいませ」と、静岡市の鳥井さん。
「斎王譜」ゆっくり読ませていただきます。私が、初めて泉涌寺を訪ねたのは、中学一年の折りの家族旅行で、それがまさしく昭和四十一年でした。今でも泉 涌寺のたたずまいははっきり覚えています。秦さんの作品とのご縁も感じます。今回も送金はちょっぴり多めです。何かの助けになれば、と」と、鎌倉市の橋本 さん。ご主人と一緒に久しい有り難い読者です。
「いくつもの大病を押して、 ほんとに敬服大慶の至りに存じます」と、昔の「展望」編集長。
「先生の文章を読むのは快いです。お元気にお過ごし下さい」と、太宰治研究の渡部芳紀教授。

* 全国の大学、高校へもひろく受け入れられていて、励まされている。
2016 11/21 180

☆ 秦先生
ご無沙汰しております。
娘が七五三を迎えました。息子は10歳4年生です。
ふたりとも元気です。
時間を作って、顔を見せに行きます。 ※Yahooメールが以前、不達だったことを思い出し、 会社メールから再送いたします。  東工大院卒  柳   建築家

* 珠乃ちゃん七歳!!
柳君
九年の六月十日に、

佳き命名なり

壽  天地(あめつち)のいのち耀(かがよ)ふ珠乃とぞ
ふたりの親は掌に受けつらむ

と祝ったのを思い出しました。兄妹ともに健やかにいよいよ大きく成られるよう願います。
おめでとう。
小さいふたりは、それぞれどんな少年少女かな。

打って変わって わたしは、元気ではありません。先日は 腸閉塞で入院し、入院中低血糖で死にかけ、退院の日には わたしが激しい頸と肩の硬結で、付き添ってた家内は転倒して頭を打って、二人して病院の「救急」へ逆戻りした有様でした。
それでも、「湖の本」のますますの続刊、特装の限定本「選集」の33巻(現在20巻へ進行中)をめざしての刊行で、狭い家の中は我々も自由に座れないほ ど乱雑にモノがあふれ、みんなをお迎えすることは出来ません。路上での対面ではお互いに気が乗りませんので、この写真で、成長した二人と、ご両親の元気そ うな様子を眺めています。
私たちの日々の様子は、日記で察していて下さい。
メールは、どなたでも、いつでも、どうぞ。及ぶ限り返事します。
書いて、読んで、本にして  わたしの生涯はそれに尽きるのでしょう。すこしでもわたしが懐かしくなったら、わたしの「本」と「日記」を読み返して下さい。さきごろの「秦教授(ハタさん)の自問自答」に文句を付けてくるかなあと想っていましたよ。
ではでは。  秦

* がっくり疲れる。できれば、すーうっと眠りに引き込まれたくなる。大相撲も白鵬に威勢が欠けていて乗れない。
望ましいのは、想像と創作の世界へもぐり込むこと。

* 柳君、家の前の路上でもいいから「押しかけたい」と。勘弁して下さいと、あやまった。

* 光悦寺の臥牛垣を紅葉にからめて ipad とやらの写真で送ってくれる人があった。
京都の紅葉は繊細に華麗だが、歌の中山、清閑寺御陵の満山燃えさかるような紅葉の嵐が、忘れられない。紅葉は、あれ。櫻は、孝明天皇陵へあがってゆく道 の際に聳えた一もと櫻の満開が忘れられない。清閑寺には冬子がいた。泉涌寺には慈仔がいた。咲き誇る躑躅は、町子と見惚れた円通寺玄関そとの満開が素晴ら しかった。

☆ 神のまにまに
街での用事は来週へ先延べにし、ふらりと特急に乗って、紅葉の山を散策してきました。
富士も見えるという見晴台は靄っていましたが、目には優しい薄曇り。
名物のお団子など頬ばり、清々しい晩秋の空気を深呼吸しました。
深いお疲れも癒えますように。どうかお大事に。  九
2016 11/22 180

☆ お変わりなくて
紅葉も日に日に美しさを増して来ました、今年は雨が多かったのか。
先日懐かしい泉山から東福寺へ行って来ました、東福寺の通天橋では撮影禁止でがっかりですが、辺りの風景の写真を送ります。
今日辻利の抹茶少しと茶筌と少しお菓子を、(目に良いそうでブルーベリーのお菓子も入れて置きました。)
ちょっと寒いけど秋を楽しん下さい、
来月は顔見世です、今年は先斗町の歌舞練場です、楽しみです、
天候不順ですお身体大切に    京・北日吉    華

☆ 京都
楽の展覧会、27日まででしょうか?
京都のホテル予約はインターネットで、京都、ホテルと検索するとすぐわかります。直前割引きもかなりあります。
東京で新幹線に乗車するまでが一番心配ですが、思い立たないと京都に帰れない、決心が要ります。お二人でとも思いますが、それもまた心配です。
京都への思いが深まっているこの頃のご様子、察します。
大切に大切に。取り急ぎ     尾張の鳶

* 東福寺の通天橋で紅葉めあての客に写真を撮らせないという報道は見た。あの大群衆では仕方がない、橋の上での停滞よりも橋が壊れては堪らない。あの橋からは紅葉もいいが青もみぢのころもすばらしいのだ。
南座での顔見世がことしは先斗町の歌舞練場でとはビックリ。ま、それも雰囲気が変わって楽しめよう。「華」さんのご厚意に、感謝。

* 「尾張の鳶」さんにも心配をかけている。京都へ帰るには奮発が必要なのだろうが、二本の手の片方に杖を持っていると、たとえ小さくても荷物が苦にな る。始終右と左と持ち替えていないとシンドクなる。両手を塞いでいるとモノに掴まれない。やれやれ、ナサケない意気地のないことです。「記憶」の京都でガ マンするしかなさそう。けがという大事には踏み込めないから。
心配かけて済みません。

* 「華」さんから、百本たての茶筅、辻利の極上抹茶、好きな柚餅に加えて柚餅ふうのブルーベリー餅を送って頂いた。ありがとう。東福寺と想われる紅葉の写真も。ありがとう。
2016 11/23 180

* 明け方から、雪。 冬、早やも。

* 高麗屋より、日比谷花壇からのポインセチアの大鉢、戴く。まばゆいほど、美しい赤。
2016 11/24 180

☆ 冬に入って蕭条とし始めたわが狭庭も仙寥の赤い珠菓と柚子の黄小球群がわずかに眼を慰めてくれます。
『湖の本132』(原作「斎王譜=慈仔」)拝受しました。
御厚意ありがたく御禮申し上げます。
この二年程、心房細動の深化で医療機関の厳重な管理下に置かれることになり、入院生活を送って居りました。半月程前、マイ・ケア・リンク・モニタという 器械を装着して 常時病院の電送管理されることになり、自宅で暮らすことができるようになりました。ほとんど介護の人の世話になる暮らしですが、(妻は七 年前にたかいしました)、入院末期まで認知症で痴呆状態にあったのが、奇跡的に回復、活字を眼にしたり、字を書けるようになったり、と、やゝ人間に戻りか けた思いで居ります。
そこに御本が届いたのですから、それも『慈子』ですから、徒然草の分まで戻ってきました。次いで家人に『畜生塚』を持ってきて貰い、「身内」「繰り返し」に助けられた思いです。
間もなく82歳(昭和10年元旦生れです)で、あとわずかな生命かと思いますが、秦さんの「物語り」の中に生きられることを嬉しく思います。
ずっと送り続けて下さった『選集』『湖の本』に感謝の返禮をしなければなりませんが、少しだけ時間を下さい。
右、御禮の気持だけを申し記しました。    東北大名誉教授  陽

* もっとも早い時期から愛読していて下さった。ご快復を心より慶びます。ますますのご平安ご健勝を切に願います。

* 「ふりがな」の仮名遣いの「不統一」を注意して下さる読者があったので、ちょっと言い訳しておきたい。わたしは、古典の原文へのふりがなは努めて「旧 かなづかひ」で、その余のふりがなは、なるべく1漢字に2ふりがなを宛て、ふりがな字の多さで組版の乱れるのをむしろ嫌っている。
例えば「永正」という年号二字には「えいしょう」よりも敢えて「えいせう」としている。古典言語にはもとのよみがなを宛てて当然だが、現代語や普通語の場合は「その漢字が読めれば良い」と割り切っている。
また「奨子内親王」の名を「しょうし」と読まれては「困ります」と注文がついて、しかもその方は、内親王のその名を「スケコ?」「ススムコ?」と疑義されている。即ち、正しい読みが分かっていないのであり、そんな際は通例に順って「しょうし」としてある。
角田文衛先生に多くを学んできたわたしは、古典女性の本名は、分かっている限りは「明子アキラケイコ」「高子タカイコ」「北条政子マサコ」「日野富子ト ミコ」のように読むが、遺憾にも、女性本名の正しい読みは「たいてい不明」であり、そんな際は久しい慣例にしたがい「式子内親王ショクシ又はシキシ」と読 んでおくか、読み仮名を振らないことにしている。

☆ 秦 恒平 先生
メールをいただきながら失礼をいたしました。
上洛して、長くリウマチを病む妹を見舞い、留守に致しておりました。
お身体の調子が良くないとうかがいましたのに、端々まで気を配って頂き恐縮でございます。
門脇照男先生とは、十年余り「瀬戸内文学」という同人誌でご一緒させてもらい、教えて頂くことがたくさんありました。静かな、胸に落ちる文章を書かれる優れた作家でいらっしゃいました。
秦先生お奨めの作品をあらためて読もうという気持ちが強くなりました。
三原誠氏のお作も(=「e-文庫・湖(umi)」の中で)読んでみたいと思います。
藤江もと子さん(=京大薬学部で、年次が近いかと。)という方も、ご教示いただかなければ知らないままでした。ありがとうございました。
『斎王譜(=慈子)』が送付されてきて、覗いてみて、細やかでゆきとどいた文章に、読みやめられなくなりました。自分の文章がぶっきらぼうなのがよく分かり、どうにかならないか考えたいと、強く
思います。11/24  かしこ   香川  星合美弥子

* 永いあいだにたくさんなお付き合いもありまた読書も積んできた、そのなかで、はなばなしく文壇で名前ばかり売っていた人でなく、創作の実力と姿勢とで 感心し続けてきた作家、は、上のメールに出ている門脇照男と三原誠のお二人だった。二人ともとうに亡くなってしまったが、その優れた代表作は「e-文庫・ 湖(umi)」に戴いてある。
星合さんは最近「e-文庫・湖(umi)」に一作「似たひと」を掲載されたばかりだが、同じ四国住まいの方であり、遺作から学ばれていい作家と確信して 「門脇照男」さんを奨めた。ついでに「三原誠」さんも強く奨めた。星合さん、門脇さんとは同人誌仲間であったとか。そして今はやはり「e-文庫・湖 (umi)」に何作も寄稿されている榛原六郎さんらと同人であるとか。

* 先頃亡くなった作家葉山修平さんの門下生かのように、ずいぶん沢山な同人誌めく雑誌が出ていて、いつも送られてきていた、が、いまいち、これはと読め た作が乏しかったのは残念だった。本腰の入った、作文の域を抜けた小説を「e-文庫・湖(umi)」にぶつけてきて欲しいが。新人であれ初心・無名であ れ、書こうというかぎりは頭抜けていなくてはお話しにならない。秀作に出逢いたい。
小説に限らない。詩歌でも研究や論攷・批評でもおなじ事。
2016 11/25 180

☆ 拝復
寒くなりましたが かわらずご執筆ご多忙のことと存じます。
「湖の本132」 ご恵与たまわりありがとうございます。卒業生と「秦世界」語りあう機会もなくなり ご厚情たまわりますこともつたいない感でおります。
「諸註集成」「解釈大成」とう参照しながら徒然草を繙読するたび結論出しがたい考証に辟易、今度のこの定稿で、斎王・野宮をキーワードとして秦さんの徒然草の読みが緻密な構成のもと展開していることに魅了されたことでした。
作者ご自身により初稿・定稿ご提供による問題提起に すぐにはとりかかれないことお詫びかたがた御礼まで。
初稿私家版あとがき拝見するにつけ、朝日子さんに寄せる思い入れの強さ痛感、お悲しみ他院事ではありません。
お揃いでお大事に  草々   神戸大学名誉教授  信

* 新潟大名誉教授、二松学舎大教授からもご丁寧なお便りを戴いた。

☆ 予報をきいても、まさかと思いましたのに雪がふり 庭の紅葉の上につもっています ビックリ…。
選集。湖の本(30年記念)お送りいただきありがとうございます。読ませていただいています。
過日大学のクラスメートにそひわれ奥能登へ旅し、念願の時国家も見学に参りました。幼いとき ヨコハマで近くに「時国さん」というお宅があり、おじさま に可愛がっていただいたことや、それにしても、京からここへ移った平家の人々はさぞや心細かっただろうなど思いを馳せました。  藤

* 葉書一面に淡彩で「能登 千枚田」が基子の印とともに描かれてある。繪も文も書ける人である。 触れてある 「時国家」のことも、いま書いている小説へ因縁の糸を垂れている。早く書かなくてはと思いあわててし損じてもイヤと思っている。
2016 11/25 180

☆ 秦恒平さま
雪と寒さに、もう明日にでもお正月が来そうに気が急きましたが、まだ11月なのだと言い聞かせて自分を落ち着かせています。
HPを拝見して、星合美祢子さんのところに我が名を見つけて、ああやっぱり”あの”星合さんだったのだわと。
以前に秦さんのHPにその名を見つけて、もしや? とは思っていたのです。
とはいえ、京大薬学では丁度入れ違いで、美祢子さんにお目にかかったことはありません。だから、星合さんは私のことはご存じないでしょう。
美祢子さんが薬学に居られた頃は、薬学を出て一度就職していた藤江の次兄が、京都に戻り助手をしていた時期なので、藤江と言えば義兄(藤江忠雄)を憶えていらっしゃると思います。
時国のおじさま(キリンビールに勤めていた父の上司で、後に社長になられました)は子供の目にもお殿様然として居られました。
父の話には読書をなさるときも、正座し見台に書物を載せてお読みになったと。
中学生の息子さんがお二人だったので、女の子が珍しいご様子、私にやさしく、しかも丁寧に、声をかけて下さいました。
引っ越してから半年余りの10月3日、父に召集令状が来ました。
その夕、時国のおばさまが、すわ一大事と「揚羽の蝶の紋」が入った大提灯を掲げて、我が家へ駆けつけて下さいました。
このあいだ、能登時国家で「揚羽の蝶の紋」を処々に見て、あの日の光景が鮮明に甦りました。
(私の母の母は、山陰和田山の出で、先祖は落ちてきた平家と言うとやら、祖母の実家は「揚羽の蝶の紋」を使っていました。そのご縁もあって、母は親しく時国さんへ出入りさせていただいたようです)
一緒に”むかご”採りした当時受験勉強中だった上のお兄さんは裁判官になられ、あのロッキード事件の最高裁「時国裁判長」になられました。
どうかお身お大切にお過ごし下さいませ。   藤江もと子

* 縁は異なモノで。おもしろい。
2016 11/26 180

☆ 湖の本 132「原作・斎王譜」
前回131巻につづき 秦文学に接した時の思い出に繋がります。創刊満三十年…読者としては、作品を受け取らせていただいた感謝の時間です。
時節柄、ご自愛下さいませ。  高槻市  井土厚子

* わたしからも、同じ感謝の数十年であった。

* 能美の井口哲郎さんから、珍味の「丸イモ」を送って下さると、妻にお手紙いただいた。ありがとう存じます。
2016 11/26 180

☆ 冬到来
霜月の雪、私には初めてでした。
はらはらと降る中、足元に気をつけ気をつけ、いつもより早く勤めに家を出ました。
シドッチ神父らの遺骨が出土したのはついこの前と思っていたのに、はや二年も経っていたのですね。
国立科学博物館(月曜休館)で開催中の「よみがえる江戸の宣教師」展では、復元されたシドッチのお顔も公開されているそうですが、発掘が十年早ければ分析技術が及ばず、遅ければDNAが破壊されていたとか。
復顔によって「科捜研の女」のように新事実が明らかになるわけではないのでしょうが、三百年もの時を越えて甦った穏やかなお顔(写真で見ただけですが)に、「時のはからい」のようなものを感じています。
京都の清水寺は、再建以降最大規模の修理に入るそうですね。
年明けから始まり、早ければ来春には素屋根で完全に覆われて、三年先、東京五輪の頃まで見られなくなるようです。いつでも立ち寄れるつもりでいましたが、今の景観が見られる内に、訪れようかと考えています。   九
2016 11/27 180

* 井口哲郎さんからお心入れの「赤いも」頂戴した。腸閉塞気味をきづかってくださったと思い感謝申します。有り難うございます。
東近江五個荘の乾徳寺さんから美味しそうな和菓子を送ってきて戴いた。有り難う存じます。

* 村上開新堂の山本社長から、さきごろの入院等へお見舞いを戴いた。恐れ入ります。
2016 11/29 180

☆ 冠省
大変ごぶさた致しておりますがお変わりございませんか。
いつもながら「湖の本」をお送り頂きましてありがとうございます。
一三二巻『斎王譜』 静かな御作で、兼好についても、お教え頂きました。感謝致しております。
創刊満三十周年 おめでとうございます。   作家  鎌田慧

* 「湖の本」を介して、鎌田慧さんや、山口二郎さんらともご縁が生まれていて心強い。

* 作家の吉田知子さんが、「湖の本」を「真似して」文藝同人誌を創刊したと、送ってこられた。「湖の本」は同人誌ではないが。
短編小説を主とするらしく、吉田さん自身の編集・発行の由。綴り方教室なみの、それでも文藝を称する小雑誌がたくさん送られてくるが、吉田さんの編集はそう甘くあるまいと期待している。
も一つビックリしたのは、「ps」として、「秦建日子さんの大フアンです」と。ウヘーッ、仰天。

* 元気かなと案じていたロスの池宮千代子さん、お手紙を戴いた。骨折はしなかったが転んだと。いけません。気を付けて。池宮さんも胃全摘の先輩で、腸閉塞も何度か経験があると。そうそうは体験したくないです。

* 元岩波の高本邦彦さん。お蜜柑を大きな箱で送って下さった。
2016 11/30 180

* 元・朝日の伊藤壮さん、越乃寒梅二升下さる。故橋田二朗先生のお嬢さん、お吸い物のいろいろを下さる。山口の平野芳信さん虎屋の羊羹を下さる。有り難う存じます。

☆ 拝啓
今年の私共の境内の紅葉は大変鮮か目を楽しませてくれています。
毎回極めて貴重な作品を御恵贈下さり心より感謝しております。
ほんの小さな御縁を頂いた事からこの様に御芳情を賜り誠に有難うございます。
今回お送り頂きました「湖の本132斎王譜=慈子」を拝読しております。
美しい京都風景のの中に上品でしかも熱い情念を秘めた女性が精一杯生きている姿が無眼子の私にも見えてくるように感じます。登場する人々を彩るようにさ り気なく椿の花やこぼれ梅の柄などが描かれている美しい文章を心地良く拝見しながら、そういえば同志社の前にあった「わびすけ」としいう喫茶店が何年か前 に閉店したと聞いたナァなどと思ってみたりしております。
余り上等ではない読者の私ではありますが、何かしら先生の作品に懐かしさを感じながら拝読しております。(中略)
今年の冬は厳しくなるとの予想がされております。御自愛専一に御活躍下さいますようお願い申し上げます。 頓首敬白   五個荘   乾徳寺 中野正堂合掌
2016 12/1 181

* 京都の横井千恵子さん、「お父さん、繪を描いてください」の冒頭、中学の音楽室清掃の場面で、とかくサボる男子を追っ払っていた元気な同級生、京のお 漬け物をたっぷりと送ってきてくれた。美空ひばりなみにひばりの歌など上手で、何度も彼女のお店で聴いた。妻もいっしょに聴いた。妻も「愛燦々」など小声 で歌っていた。わたしは、歌わない。
2016 12/2 181

☆ 日曜日は、
都市郊外のモールのおもちゃ売り場で、孫といます。毎日育児戦争で、さすがに疲れ気味。
世の中の動き、心底憂い、嫌悪感さえ。
改めて書きます。
元気に。 尾張の鳶
2016 12/3 181

☆ 師走に入りました。
先日は『湖の本132』を御恵贈賜わり有難うございました。三十年、四つのゼッタイ条件プラス1があったとはいえ、ギネス級の連続刊行、心よりお祝い申し上げます。又、その前に御選集第十六巻の御礼も失礼していました。
三作中とりわけ『死なれて死なせて』に目を通すように、作者の思いに触発され、拝読。更に、川島至『文学の虚妄』が気になり(昔、「季刊藝術」掲載時を憶い出しつつ)、図書館を通詞じ、再読、その間に身近にいろいろあって、御礼の言葉がおそくなってしまったわけです。
『原作・斎王譜(=慈子)』など、出発点から「死なれて死なせて」が大いなる原点であること、改めて得心しました。『心』『源氏』『嵐が丘』『平家』 『ハムレット』等々に、御自身の出生、結婚、創作……「悲哀の仕事」には、秦文学の全体がその人生とともに考えつくされ、深く感じ入りました。奥様ともど も傘寿を越され、一層の慈しみを祈り上げるのみです。  元「群像」編集長 講談社役員
2016 12/4 181

☆ 多忙な一日に
適度にメリハリをつけて暮らしています。
一週間ほど前になりますが不注意に胸部を打って、以来気に懸けて過ごしています。レントゲンで骨折、骨のヒビはないとのことなので、それ以上の心配はし ていませんが、圧迫感や鈍い痛みがあります。昔から年齢を重ねたら転んだり骨を折ったりは厳禁、余程気を付けなければいけないと聞いてきましたのに・・。

世界への幻滅に近い感情、20世紀、そして現在に至るグローバリズムがもたらしたものが唯々経済的な貧富の格差なのか。
最近はテレビのニュースさえ見たくなくなっています。
強い者に、勝った者にすり寄っていく人々の群れ。その人たちの顔、顔。エゴイズムの醜く卑小な動き。ヨーロッパの国々のさまざまな選挙や政権の変化の動き。
エゴイズムに左右されないとわたしとて言い切れないかもしれませんが、それにしても不穏なもの
が忍び寄っています。恐ろしいことです。人間の愚かさを嗤って済ませられるならいいけれど、それでは済まないのですから。
シリアのアレッポもシリア政府軍とロシアの軍事力に押されて厳しい状況、(アレッポは義弟が博物館の仕事で暮らして知り合いもいるのです。)
トルコのエルドアン政権はクルドに対して、また国内の反政権に対して強権をもって向かっている(嘗てトルコでは大規模なキリスト教徒迫害もありました。)、などなど限りなく。

娘の事などあまり書いたことはありませんでしたが、好きなことを学びたい、仕事もしたいと、京都に住むと決め、地下鉄駅近くという交通の便利なところに アパートも探して決めました。仕事探しはこれからですが貿易関係の経験があるので道は開けるでしょう、そう願っています。
わたし個人としては娘に一定の距離を置きつつ、京都や奈良への新しいアプローチ 文章なり、絵なり、自分の好きな土地でこれまでできなかったことをしようと計画しています。ひたすら歩き回ることが最初の行動になるかもしれません。
改めて書きます。
くれぐれも、くれぐれもお身体大切に 元気に元気に。  尾張の鳶
2016 12/5 181

☆ 前略
(前略)「大病もほぼ克服して八十まで生きつづけたこの満三十年の間に、夢のような百三十巻を越す「湖の本」が積み上がった」という一文を非常に感銘深 く存じました。他のどの作家もできなかった快挙と心から敬意を表させていただきます。尚、続いての「八十まで生き延びてなお未練の愛着」というお言葉は 「推敲」ということへの究極の生命力があると元編集者として感銘致しました。私も又「八十一翁」ということをいつも意識するようになりましたが、呉々も体 調に御留意のほど、心よりお祈り致します。草々不一       元「新潮」編集長 文藝批評家

☆ お元気ですか、みづうみ。
『慈子』の受容に欠かせない原作『斎王譜』も読み上げました。言葉では表現し難い秘跡のようなものを感じています。

「もうやってらんないわ」という日本を横目に、自分でものを考えて書いている時間はとても幸せです。みづうみのこの一年の凄まじいまでのお仕事ぶりに接し、自分も時間を無駄にしまいと身の引き締まる思いでいます。来年も、楽しみにしています。
寒さの中、どうかご無理のないようお大切にお仕事を進めてくださいますように。      薯  甘藷(いも)焼けてゐる藁の火の美しく  虚子

* 『秦 恒平選集』をと思い立ったとき、十 七巻で小説等の創作は編みとれるかと思ったが、そうは行かなかった。少なくも新作、未刊行作と詩歌の巻に届かないし、わたしの仕事は小説等の創作だけでは 半分にしかならない。三十三巻でもじつは足ると思っていないが、定命をむ甘く見積もるわけにも行かない。道半ばと思って、淡々と、坦々と、歩んで行くだけ のこと。まずは資金が尽きることだろうが、妻の余命を支えるだけはと心している。「歩一歩」と若い日から腹におさめ、「歩み歩み」とこの三字を読んでき た。わたしは走らない。
2016 12/5 181

☆ 「同志社の小賀玉」と「相国寺の多羅葉」
おはようございます。
先生のお忙しさが増さないうちに… と思いながら、時を過ごし…お仕事のお忙しい最中の、今日になってしまいました。
どういう機会に、なにを想って「光悦寺の紅葉」を撮ったのか?
間の抜けた今頃ですが、お応えします。
先生が、帰洛なさりたいと思っておられる。
なさりたいと思っておられながら、果たせないのなら、京都に住んで居る私に、何かできることは無いだろうか?
光悦寺でお茶を召し上がったと、おっしゃっていらした。
それならば、秋色に染まる境内を写真に収めて差し上げてみよう。少しなりとも「京のよすが」になれたなら…そんなふうに想って、「臥牛垣と散り紅葉」を撮りました。
そして今日は「小賀玉と多羅葉」の写真を携帯電話のメールから、送らせていただきます。
以前、勤めていた会社が烏丸今出川の傍にありました。毎朝、通勤途を15分遠回りして、景色を楽しみながら歩きました。
烏丸今出川のバス停で降りて、右手に御苑の樹々を見ながら、冷泉家の犬矢来の前を通り過ぎ、同志社大学の正門を左へ曲がる。相国寺の南門をくぐり、松並み木の石畳を進んだ後、法堂を右手に仰ぐ様に、西入ル。しばらく直進すると、寺域を出て烏丸通りに戻る。
渡る風、そよぐ樹々、飛び交う鳥の声。
うららかな日に散る櫻。雨の日に玉むすぶ蓮。陽の光に映える芙蓉。
凍てつく日のこぼれ松葉。
時々に美しい姿を、一年半ほど楽しみました。
写真は、その頃に撮った「アーモスト館の向かい側に立つ小賀玉の実」
と「相国寺塔頭大光明寺の多羅葉の葉」です。
どちらも、歩いている時に落ちてきたので、拾って帰りました。
「光悦寺」の時とは違って、その場が写っていないので…よすがとなりますか、どうか…
今年はまだ、さほど冷えこまず、陽のあるうちは暖かと感じる日が続いています。
北山の天ヶ峯も鷲ヶ峯も、まだ散りきらずにとりどりに綺麗です。
お身体、どうぞお大切になさって下さいませ。   鷹峯   百 拝
写真は、この携帯電話から送るしか、術を知らず… お手数ですが、文章はiPad から発信させていただきます。

* 美しい写真と、優しいお便り。馴染みに馴染んだ界隈で、目に見えものに触れ合う心地がする。感謝します。写真をうまくわたしの機械に取り込めて、ここへ転写したいと思うが、どうも機械の手順がだんだん手元あやしくなって、難しい。
2016 12/7 181

☆ 選集 有り難うございました。
昨日 選集第17巻送って頂き有難うございました、 (心)楽しみに、学ばして頂きます、
今年の紅葉は何時もに無く 長い間楽しめています、やっと観光客が少なくなりました、
今では以前の様な静けさがなく、イベント等で見せる京都になってるみたいです。ーー。
何時も喜んでいただきまして。お抹茶をお正月用にまとめ買いしました、その内お送りします、
そろそろ事始めで 気ぜわしくなります、
また寒さに向かいます、早めに体調にお気をつけて下さいませ。   京・北日吉   華

* 今朝も自服三碗も喫茶。野菜苦手なわたしには、貴重な緑精です。
2016 12/8 181

☆ 心ばかり
秦先生、今日がもう十二月八日とは、実感が湧きませんが。時の流れの速さに戸惑っております。
この、二年ばかり、私は何をしているのやら。
月曜日、久しぶりに名古屋駅へ出ました。用があって、繁華街へは月に数回出ているのですが、心に余裕が無く、必要なことだけで、ゆっくり町の雰囲気を楽しむこと無く過ごしていました。
久しぶりに名古屋駅をぶらぶら。町はイルミネーションで、すっかりクリスマス気分です。家に籠もっていると、何にもわかりませんが。
久しぶりに「和久傳」を覗き、西湖を少しお送りさせて頂きました。京都の本店から発送なので、数日かかるそうですが、そろそろお手元へ届くと思います。喉の通りがよいので、お薄と召し上がって頂ければ。
このところ、京都へ度々行っていましたが、用事をするだけ。あまりの人の多さに疲れ、早く帰りたいと思うほどです。京都の人の日常が思いやられるほどの、人、人。
(私の青春の地、大好きな京都なのに。私の心が老化してしまったのでしょうか)
きょうは温かな一日でしたが、どうぞ御身大切にお過ごし下さい。  珊

* 「和久傳」ですか。懐かしい。感謝。
どうも、どなたからの便りにも、京の繁華に過ぎた雑踏が伝わってきて、ますます京都が遠くなって行く。杖と鞄とと思うだけで、触れあい歩くのが物騒に思われる。
2016 12/8 181

 

* 真岡市の今は亡き渡辺通枝(随筆家)さん嗣子の佳寛さん、仰天の大きいメロン二顆送って下さる。有り難し。
2016 12/8 181

* 細川弘司君にお見舞いを送る。

☆ 御本拝受
秦恒平 先生

 

『秦恒平選集第一七巻』、うれしく拝受いたしました。思いがけないクリスマスプレゼントです(もっとも私は仏教徒ですが)。

読みかけのエピクテートス『提要』を横に置き、早速頁を繰りました。

漱石は、小学生時代以来最も愛読する作家の一人です。高校生の時に岩波の新書版全集を揃え、その後菊判で発行された全集も買い直し、再読・三読しております。

しかし、『心』だけは今ひとつ納得がいかないまま、ずっとこころにに引っかかっていました。

学生時代の哲学の授業で教授が引用したことがありましたが、理解には至りませんでした。

30年前、湖の本2号『戯曲 こゝろ』を読み意外な展開に驚きました。そしてさらにこの作品の難しさが深まりました。

 

頂いた第17巻を通読したうえで、『心』を “本文に則して読み、加えて想像力や相応の創造的センスを働かせて” 読み直すことにいたします。

 

 

私の郷里栃木の地酒「杉並木」をご送付申しあげました。ご笑味頂けましたらさいわいです。ナショナルブランドではありませんが、結構品評会などでの評価は高いようです。私の高校・大学(栃木高校、早稻田大)の先輩が酒造会社の飯沼銘醸(株)を経営しています。

 

 

 

p.s. 手術後一ヶ月半が経過しました。順調に回復していますが、何分体力が低下し抵抗力が落ちているので当分は家に“蟄居”し、ギリシア哲学原典講読に専念致します。   篠崎仁

☆ 選集第十七巻を
お送り頂きありがとうございます。
『心』を、このようなかたちに編んでくださり感謝です。
一昨日あたりから冬らしい寒さになりました。東京はもうとっくに真冬ですね。
どうぞお大切に無事に良い年を迎えられますように。お祈りしています。  下関  碧

* 早大、慶大、昭和女子大など、受領挨拶あり。

☆ 選集
お送りいただきありがとうございます。
本巻の内容は現職の頃、高校の授業でずいぶん参考にさせていただきました。
あらためて、御礼申し上げます。  新潟 燕市  渡辺憲

☆ 今年は
南座は「まねき」が上がるだけの寂しい顔見世になりました。
さて このたびは、ご高著第十七巻をご恵贈たまわりまして まことにありがとうございました。
漱石の「こころ」戯曲もさることながら、「こころ言葉<を><で>考える」に唸りました。 師走の大掃除の最中、つい頁を繰る手が止まらず困っております。貴重なご本、厚くお礼申し上げます。
どうぞご無理をなさいませんよう、くれぐれもお躯をお大事になさって下さいませ。
先斗町歌舞練場は昔の劇場の雰囲気を残し 役者の顔がよく見えました。  不一  京・鳴瀧  川浪春香  作家

* 心葉も添えて、過分の御助勢を賜り有り難う存じます。
先斗町の歌舞練場は、新門前通りの我が家から縄手へ出、鴨川をへだてた目の前にあった。荻江に書いた「細雪 花の段」を先斗町の綺麗どころが「鴨川をど り」で舞うので、ぜひぜひ来てくれと催促され京都へ駆けつけた日のこと、懐かしく思い出す。先斗町は秦の叔母宗陽・玉月がお茶、お花の師匠として何軒もの 御茶屋へよく出向いていた。そんなことをよく覚えていてくれる人やお茶屋が有った。

* 熱中仕事が、もう十日ほど要するか。
2016 12/9 181

* 国立劇場。本懐をとげて、となかくも「めでたい」「めてたい」と左団次の桃井若狭介に花水橋で見送られる大星由良之助以下の面々、ま、よしよし、「め でたい」と満足。幕間に高麗屋夫人に追ってみられて七八分も二階で歓談。三代襲名の話題に祝辞も添えてきた。思えば「高麗屋の女房」さんともまことに久し い。雑誌「ミマン」であったかに、頁を前後してずうっと一緒に連載していた。その後劇場で会い、高麗屋とともに日本ペンクラブに入会して貰った。以来、ず うっと親しくしてきた。
2016 12/10 181

* 選集十七巻へ、色川大吉さんはじめ、どっとお便りやら頂き物やら届いていて、賑わった心地にさせて頂いた。金沢の松田章一さん、山科の馬場俊明さん、 それに佐藤宏子さんから、それぞれにご馳走を多彩に頂戴した。ことに佐藤さん、わたしの食生活の思わしくないのを気づかって下さり、食べやすそうなご馳走 をいろいろに詰め合わせて下さった。いつも選集へのご援助も戴いていて、ほんとうに恐縮し感謝した。小田原の安藤啓一さん、品川区荏原の本間久雄さんもい つもご支援頂いている、忝ないこと。
都立中央図書館、お茶の水大、東大大学院、立命館大、国会図書館、山梨県立文学館など、受領の挨拶有り、その他多数の書状やメールは、今夜はそのまま有 り難く戴いておく。もう十一時になる。階下で、越乃寒梅と下関の雲丹とをもう少し楽しみ、床に就いてから少し仕掛かりの校正を読み上げて、寝たい。
2016 12/10 181

☆ 前略
御無沙汰しておりましたところ、 特別版の選集「第十七巻」のご恵贈にあずかり、恐縮しております。 しかも 漱石原作『心』『こゝろ』の特集です。
私どもに テレビやラジオ、特輯出版などで 毎日のように目にしている漱石記念報道の、核心である「心」です。まことに敬服に耐えません。これを数十年もあたためておられたのですね。
とくに劇団俳優座もとりあげたという『戯曲 心』の創造はおどろきました。
私も 三十代のころ 演劇(新劇)に熱中していたこともありますので、他人事ではありません。 三十年も前だとのことに脱帽します。
昭和女子大での講演 ――わが文学の心根に――での「心」の内容も興味津々 拝読しております。
いつも恩恵にあずかるだけで 何のお返しもできないことを申し訳なく 思っております。
近ごろの私は 出血やら悪性腫瘍らに悩まされ、医師通い、入・退院をくり返すという状態で、 なんとも さまに なりません。お許し下さい。
元気になりましたら、 またお便り致します。 敬具  八日 北杜市  色川大吉 歴史学・思想家

* 色川先生ほどの方にいつもご丁寧なご状を頂戴し、恐縮しつつ誇らかに感じている。心より御平安を祈ります。

☆ 拝呈
『秦 恒平選集」御恵送頂き、いつもありがとうございます。
今年の金沢はおだやかな初冬で ありがたいことであります。 小生
八十歳になり、はじめての世界をながめさせて頂いております。
金沢銘菓とおぼしきもの送らせて頂きます。
よき新しい年を。
開戦の日の七十五周年の日に   松田章一  劇作家

☆ 拝復
この度は『秦 恒平選集第十七巻』のご刊行、誠におめでとうございます。小生のような者にまでご恵投頂き大変ありがたく存じております。
文系の学問にとって厳しい状況が続いておりますが、ご高著に刺激を受けつつ精進したいと思います。 まずはお礼まで  不尽  馬場重行  米沢短大教授

☆ 秦 恒平先生
師走もあっという間に五日を数え、日の経つ早さを実感いたしております。
とうに 湖の本132を頂戴いたしましたのに、ご挨拶もせず失礼しております。
風邪をこじらせて、十一月いっぱい床に就いておりました。肺炎にこそなりませんでしたが、咳、発熱、気管支炎と進み、めまい、胃腸、低血糖など、よくも 次々とと思うほど、いろいろ患ってしまいました。私は閉塞生肥大型心筋症という病を持っておりますので、気管支を患うと、お薬の処方も難しく、寝て治すし かないような状態でございました。
そんな状態の折 拝読した先生のブログで「米の飯は……めったに食べていない。食べにくい。美味い粥がいい」とお書きになっているのを見つけました。此 度この病で、私もお粥の美味しさ、ありがたさを実感いたしました。薬の副作用もあってか、何を食べても美味しくなく、ほんのひと口しか、喉を通りません。 十一月下旬になって、娘が お粥でもひと口どうかしら、と作ってくれました。そのお粥を口にしたのをきっかけに少しずつ、力が湧いてくるのを感じ、やっと 恢復期に入ったようでございます。
秦先生のお口に合うかどうかわかりませんが、自分が病んでみて、初めて美味と感じた食品を少々お届けしたく存じます。
レトルト食品など、あまり召し上がる機会はおありではないでしょうが、温めるだけでよい、という食べものは、時に重宝なものでございます。甘酒、くず湯なども喉ごしのよいものしか受け付つけなかったとき、美味しく感じました。
喉ごしのよいお酒類ばかりでなく、栄養のある、お体に良いものを少しずつ召し上がって、八十代を健やかにお過ごしいただければ、一読者として嬉しゅうございます。
以前は毎月昼夜出かけていた歌舞伎も、このところとんとご無沙汰しており、先生の御観劇評、楽しみに拝読しております。どうぞ、お仕事、ご観劇などごムリなきようお楽しみくださいませ。
病み上がりの、とりとめもない乱文乱筆で失礼申し上げました。
奥様とともに お元気でごきげんようお過ごしくださいませ。   都内  宏子

* 筆跡美しい明晰で深切な文面に、感謝深い。有り難う存じます、食事へのためらいが大きく深く和らぎます。

☆ 秦恒平様
『秦恒平選集』第17巻をいただきました。忝う存じました。体力と気力を維持しての順調なご出版を慶祝します。
早速に拝見しました。
漱石の『心』が少年のこころに投じた一石の波紋が、これまで大きな波浪となり、著作と舞台を通して人々の心に届くとは。大きな波浪に育て上げた秦さんの 長年に亘る『心』の仕掛けへの食らい付きには、文句なしの敬意を表します。『心』の謎解きについての講演は、伝道者的な熱意を感じます。
優れた文学は、「書かないことによって語る」。その見極めは『ヨブ記』の読解において読者に要求される覚悟ですが、漱石がそれをやったのだと理解しま す。優れた文学作品には共通した特色でしょう。優れた文学はまた、内容的な共感を持ち得ない読者にもそれなりの仕掛けの面白さを味合わせます。それはま た、人間の課題を、人間とは何者かという、作品の登場人物の内面世界を越えた問いを、提出します。『心』はそういう文学作品でしょう。

私が『心』を読んだのは大学に在学中でした。もちろん、私は表面的な、通俗的な読みしかできませんでした。そのレベルでの読みでしたので、『心』が展開する「情念」と「行動」には共感できないものがありました。私がすでにヘブライズムの洗礼を受けていたからです。
私は「わが罪はわが前にあり」を、当たり前のこととして引き受けて生きておりました。人間の応答責任を人間の本質と考えるならば、私にとって「こころ」 は二義的でした。若き日の自分が敢えて「こころ」を問うたならば、答えとして見つめるもの、それは孤独な自己自身に向かう「こころ」、共同性(教会という 「キリストのからだ」)の構築に向かう「こころ」、(その後のことですが)学問の師に対する感謝とライバル意識という「こころ」、研究仲間に対する競争意 識に満たされた「こころ」でしょう。
これらは多層化された「こころ」であり、「葛藤」の中に置かれています。人が葛藤の重層の中で生きるのは当たり前で、「こころ」が純一静寂であるかどうか、などという反省は、私から遠いものでした。
ひとつだけ、私の人生体験を記します。
大学の講師になった年(1969年の年末)に発生した大学紛争において、私は恩師が学生側に同情的な学長代行となった関係で、学長代行補佐にされまし た。しかしこの執行部は、理事会が一部の教員たちとの結びつきで大学封鎖を続ける全共闘の排除を早々と決断したために、それに追随した教授会の大勢の前で 「敗北」しました。もっとも私は学生側と密着する教員たちに対して対立していました。またラディカリズムの危険性の認識の甘い学長代行の限界を見据えて絶 望的な気持ちでおりました。しかし敗北の事実は厳然としていました。恩師は大学を去り、というより追われました。小さな教授会成員から6名が去りました。 この惨憺たる体験を通して、私は主観的な誠実を追い求める「こころ」の問題性をいやと言うほど味わったと思います。

それはさておいて、私は文学に表れた人間存在の葛藤に無縁であったわけではありません。その最初の体験は、トーマス・マンの初期の小説『トニオ・クレーゲル』でした。
芸術家としての自己を予感する少年トニオは、市民社会でたくましく生きるであろう友人たちとの友情に生き、他方で友情からの自己疎外へと向かって行かざるをえません。芸術を選び取る人間が運命的な人生の岐路を記したのが、この小説でした。私は感動しました。
その数ヶ月後に読んだ、マンの『ファウスト博士』(岩波現代叢書で三冊)は、自分が選び取ったルターに始まるプロテスタント的西欧精神の暗部を私に突き つけるものでした。ニーチェとシェーンベルクを混合したような主人公のレーベルキューンは、西欧的自我の悲劇的結末を予告する人物でした。私はこれを読ん で震え上がり、一週間ぐらいはノイローゼ状態でした。
大学を卒業して家業にかたちばかり就いていた時期に、マンが亡命中のアメリカで講演した『ドイツとドイツ人』を読みました。ナチスの発生の責任がルター 主義にもあるという指摘は私の安易なプロテスタント的西欧精神の理解に警鐘を鳴らしました。この小さな講演からはずいぶん啓発され、私が陥りかけていた実 存主義から足を洗うきっかけの一つになりました。
かように私は文学者からの恩恵を受けています。
今春はドストエフスキーの中で読み残していた『悪霊』を読み耽りました。これは大学紛争以前に読むべき小説だったとつくづく思いました。

こんなことを書けば、秦さんは私が西欧かぶれの人生を送ってきたと思われるかも知れません。ところが私はそうでもないのです。大学紛争以後、社会科学の 知識が足りなかったとウェーバーの法社会学その他に向いましたが、その一方、日本民俗学にはかなり深入りしました。また芭蕉なども読みありました。ことに 折口信夫には親しみを覚えました。彼の全集は未だに手放せず、手元に置いています。日は私の自己紹介を少々と思い、だいぶ脱線しました。お赦しのほどを。

私は同年齢者の身体の衰えはわがことであるがゆえ、身にしみて分かっております。秦さんが選集の出版計画を完遂されますように期待し、平安をお祈りします。   神学者  浩  名誉教授
2016 12/11 181

☆ 必携の書
前略 先日には御鄭重にも『秦 恒平選集』第十七巻を御恵送下さいまして、誠に有難うございました。
まずは「刊行に添えて」を拝読致しました、続いて「新潮」で発表された「漱石作『こころ』の心見 -「静」と静かな心と-」を拝読致し、それまでの数々 の「こころ」論の類型をはるかに抜き、熟読しぬいた、しかも小説家でなければ見えてこない創見に満ち満ちているのに、非常に感銘致しました。「もともとわ たしは向日的なタチで、陰気にねじれたことは、じつは好かない。」という「向日」が生きている「こころ」論は初めてではないかとも思いました。
この一巻は『こころ』を愛する者の必携の書とも存じました。
これから寒さは一層厳しくなるでしょうが、呉々も御自愛のほど、心よりお祈り申し上げます。草々 不一    元「新潮」編集長 文藝批評家  坂本忠雄

* 御状、ひとしお嬉しく戴きました。

☆ 略啓
早速乍ら、御選集第十七巻 有り難く頂戴致しました。
漱石は小生から最も遠くにいる作家ですが、秦さんの御言葉を「心して」読んでみたいと思ひをります。
師走 切角御自愛を祈り上げます。 不備  前文藝春秋専務取締役 寺田英視

☆ ありがとうございます。
頭が下がるばかりです。   島尾伸三  作家・写真家 島尾敏雄嗣子

* 哲学者梅原猛さん、画家林康夫さん、詩人あきとし・じゅんさん、翻訳家持田鋼一郎さん、故島津忠夫さんのご遺族、それに神奈川近代文学館等々からも、またご助勢下さっている読者七人の方からも、ご挨拶があった。

* 前の石川県近代文学館館長、心友の井口哲郎さんからは、お正月用の「大福茶」と「加賀棒茶を」をお送り戴いた。感謝。

* わたしの「こころ」の読み、真っ向から、かつ本文に即し仔細に覆して読める人がいたら、論文があったら、出会ってみたい。

* 新潟県の光明寺さん、美しく熟れようとした「洋梨」六顆下さった。
昨晩には「心ばかり」と書き添えて「和久傳」の名だたる銘菓を、名古屋の珊さん、送って下さった。
今朝は、和歌山県すさみ町から海産の干物たくさん戴いた。
忝ないこと。

☆ 愛蓮説
お忙しい最中に、失礼いたします。
さきに、白蓮(青蓮)と紅蓮の写真を送らせていただきました。
野や庭に咲く艸々。樹々に咲く花々も。
花ばかりではなく、枝葉や種子も大好きで、写真に撮ってしまいます。
ずいぶんたくさん、撮りためて参りましたが…中でも 「蓮」を、多く写してきたように思います。
先生が 「西湖」を召し上がって下さる、と伺って…お伝えしなければ、と思いました。
私事でございますが、どうかお付き合い下さいませ。もう25年ほども前のことになりますが…
中国の水の景色が見たいと思いたって、横浜港から名僧の往路を偲ぶ「鑑真号」という名の船で出航しました。
蓮の季節には間に合わず、残念なことでしたが…大輪の芙蓉揺れる「西湖」の光景は、此の世ならぬ美しさで、今も胸に迫ります。
「和久傳・れんこん菓子・西湖」を先生のお手元に届けて下さった方が居られると、先日「私語の刻」で拝読致しました。
召し上がられた「西湖」の箱が、簡易包装でなかったなら、「愛蓮説」で包まれておりましたかと存じます。その包装紙の原本は、大徳寺塔頭「龍光院」の月浦和尚様が筆をとられたもの。「西湖」の文字も「希水」の文字も 和尚様の手跡と伺っております。
「三条東殿」ほど近くに、「紫野和久傳」がございます。
私は、そちらに御縁をいただき、十月から勤め始めました。慣れない仕事ですが… 私の性に合っている様で、気持ち良く働かせていただいております。
東京から、京都に居を移した理由は、いくつもありますが… その一つは、社寺に繁く身をおくこと。
「唐招提寺」の蓮は、私にとって、かけがえのないものです。
「西湖」に絡めて、大好きな蓮の写真を送らせていただきました。
昔の思い出ばなしや、近況報告など、長々と…
失礼を致しました。     百

* 杭州の西湖は、名勝の中の名勝、いまも眼の前に景色がひろがり見える。やすらかに一人歩きのゆるされたところで、一行のみなが思い思い独り独りに方角をもとめて宿のホテルから散っていったあの時を思い出す。
みごとな卵岱の小壺を買い、大事に大事に日本へ持ち帰った。
愛知の「珊」さんから戴いたばかりの「和久傳・れんこん菓子・西湖」は、まことに美味しい名菓で、菓子は京都、追随をゆるさないと思い決めている気持ちの、美しい一端。
菓子と庭。これだけは少なくも京都が絶対やなあ。花も紅葉もいいなあ。

* なんだか ふっと 嬉しい気分でいる。
2016 12/12 181

* フェイテブックから多数の出来事や連絡を告げるメールは来るけれど、躓いて使えなくなっている設定の何がよくないのかは全く分からず、もう一年ものあいだ、無意味と化している。わたしへフェイスブックやツイッターで接触を思われている大勢の方に申し訳ない。
2016 12/12 181

* 「神と玩具との間」はほとんど凄絶な成り行きであるが、書いている私の筆は、あくまで「谷崎愛」に立地・立脚して微動もせず遠慮もしていない。しては ならないと思い決め、真っ向書き進んでいた。松子夫人もさぞ困惑なされていたと想うけれど、一言も私に向かっては苦情を仰有らなかった。わたしの真意・誠 意がひたむきに「谷崎文学」のより正鵠を射た解明と理解に向かっているのをご理解下さっていた。
あるパーティで三島由紀夫夫人につかまり、松子夫人がお気の毒と叱られたが、わたしはただ黙礼だけして離れた。「気の毒」で書ける世界でなく、しかし 「昭和初年」のあの峨々たる谷崎文学の理解に「三人の妻たち」の意義を究明することは絶対に不可欠であり、それならば気の毒がって遠慮して筆を枉げるなど あってはならないと確信していたのである。

☆ 師走半ば
御本が届いたことを遅ればせながらお知らせします。お仕事への情熱と執念を感じます。
お元気ですかと問う前に、ああ本当に生きていらっしゃる、力の限り生きていらっしゃると全て肯定するのみ。
いよいよ誕生日近く、八一翁の更なる気概と充実を! 遠くからエールを送ります。
世の中を憂えても仕方ないとはいえ、今、やはり恐ろしいと感じます。
今朝ホームページに書かれている異国人の行為や原発のこと、決して些少でない事柄と認識しなければならないでしょう。東北でお地蔵さんが破壊されたこと も何やら背筋冷たくなる事件でしたが、原発や防衛に絡むことはなかなか把握しにくいとはいえ、それだけ一層神経質になります。
師走も早や半ば。わたし個人に限って書けば、一人になれる時間なく、張り詰めた糸が切れそうになる毎日です、異世代の皆が揃って暮らす日数もあと僅かになってきたのですから、一日一日を貴重に思って噛みしめなければ。
今月に入ってから次々に病気がちになり、最初は孫が医者から胃腸風邪? と言われ、幸い大したことなく元気回復したのですが、その後順々に頭痛や嘔吐、 発熱など症状が出て大変でした。でした、と完全に過去形になってはいない微妙な今日です。身体の調子が少しでもおかしいと感じたら、何もせずに早めに眠る ことが今々の鉄則です。
この状況を乗り切ったら、後はやりたいことがいろいろあるのですから、わたしも八一さんに負けず頑張ります。そういう一年にしたいです、問題は抱えていますが。
長いメールが書けません。
くれぐれもお身体大切に。本当に大切に。   尾張の鳶

☆ 拝啓
(前略) 今度の巻は漱石の『こころ』をめぐっての御作でしたが、公演台本と戯曲をまず拝読させていただきました。俳優座の好演は観ておりませんが、と ても興味深く思いました。(中略) 読むための「戯曲」と、上演のための「台本」を読みくらべることが出来ましたのは、とても勉強になりました。冒頭近く の「(声声)」の「心」の箇所など新鮮でした。
漱石の「こころ」の読みの要点としてあげていらっしゃる「三点」は、あらためて読みとしやすい(考えおとす)ところと思いました。作品を読むということの困難さを思っています。
読むことは、ことば(表現)との全力をかけての格闘だと思っておりますが、そのことを心に強くした気持でおります。ひょっとしたら、読書は格闘技のような気がしております。
これから他のお作を拝読させていただきます。
今年もいよいよ師走になりましたが、一層のご自愛の上、お過ごし下さいますよう祈念申し上げております。
ありがとうございました。 敬具  憲  前藝術至上主義文藝学会会長

* まことに、「読む」とは、文章表現との徹底した格闘にほかならない。観念や概念を弄くっただけの作品論など、批評にも研究にもなりはしない。学者と自称する人の多くが、えてして観念論に足を取られている。
わたしは漱石の「こころ」でも、潤一郎の「夢の浮橋」「蘆刈」「春琴抄」でも、徹底して文章表現に即した読みのうえでの評価に徹した。そうでなければ余人追随できない発見も理解も評価も出来るものではない。

☆ 前略
いつも「湖の本」をいただきながら、お礼もせず失礼しています。
先日の「斎王譜」を、ふくよかな古典世界と、ういういしい恋とが一体となった世界に心遊ばせていただき、ありがとうございました。
今回の『選集』「こころ」集成は雑誌「星灯」で小森(陽一)さんに論じてもらったばかりでしたので、いっさう楽しみです。小森さんの住所は、「**」です。草々   隆  アカハタ編集部

☆ 早いもので、今年も年の瀬をむかえます。選集第17巻ありがとうございました。湖の本132「斎王譜=慈子」とともに年末年始の楽しみがふえました。じっくりと味わいたいと思います。
先生が、「体力はゼロに近いが、気力と意欲と覚悟とは衰えていない」と、お書きです。ただ、ただ、頭が下がります。
月並みです。お体いつまでもお大切にご自愛下さい。  今治市 木村年孝  元図書館長

* 木村さん、ネーブル大のすばらしい新種のお蜜柑を一箱下さった。感謝。この方には、とりわけて新作の約束がある。しまなみ海道を目に観ず、息をつめて堪えている。

* 妻の従弟の濱敏夫君や西東京市図書館からも、アイサツがあった。

* メールが送り出せないのに気付いた。理由不明。受領はしています。
もうわたしの機械、ボロボロです。ま、成るように成って行くでしょう。階下へ降ります。

☆ お元気ですか、みづうみ。
選集第十七巻頂戴いたしました。ありがとうございます。
みづうみの意図されたことではないと伺いましたが、夏目漱石没後百年を記念する最高の文学者のお仕事でありましょう。また素晴らしい一冊を手にできまし た幸福をかみしめています。秦恒平という文学者によって「心」は新しい生命を吹き込まれたと思っています。夏目漱石先生どんなにお喜びでしょう。

それにしましても、夏目漱石の生きた時代と現在の日本人の在り方の激変に言葉もなく、これが同じ国民かしらと思うことがあります。
今年六月の政府の「少子化白書」に、二十代の若者の四割が恋人が欲しくない、その理由に恋は面倒というものが最も多かったという報告がありました。「恋 は罪悪です」という深刻な科白の存在した時代は、少なくとも恋することに大きな意味がありました。しかし、二十代で恋そのものをしないという潮流がこれほ ど増えていることは驚きです。
わたくしは「恋は罪悪です」という言葉を読んだだけで、オバサンになった今でも胸がドキドキしますのに「面倒だから恋愛はしない」という時代を迎えるこ とになろうとは! 恋することに価値のなくなった世界が果たして生きるに値する場所でありましょうか。わたくしは自分が辛うじて旧世代の人間であることを 幸いに思った次第です。
電車に乗ればほぼ全員が手元のスマホをいじっている状況があることを考えますと、電子メディア環境の影響は人類存亡の問題になりかねないと憂慮してしま います。ほんものの男女の関係を面倒がるほどになってしまうのは「人間力」の衰退というほかなく、恋の先にある出産は益々遠のいて日本の少子化はもはや救 い難い状況と言わざるを得ません。世の中に便利で快適で快楽なものがあふれたときに、たしかに相手のある恋ほど面倒くさいものはないのでしょう。このまま ではいずれ小説の中の恋愛さえ無用のものになりそうです。若いひとに、恋に狂い悩みぬく人生の甘美を棄てないでほしいと切に願わずにはいられません。
脱線してしまいました。
わたくしは頑張って書いています。
風邪が流行っていますので、人ごみにはあまりお出かけにならないほうがよいかもしれません。働きすぎもいけません。どうぞお元気に楽しい静かなお誕生日をお迎えくださいますように。  菊  冬菊のまとふはおのがひかりのみ  秋櫻子

* 真剣にいい恋をすれば、百册の読書に勝るよと東工大の教壇から学生諸君を励ましていた。十人にあまる結婚式にも親しく招かれ、お祝いを述べてきた。
恋も出来ない、いまいまのもの言いで「ツキアウ」という安い性行為しか知らず求めない若者たちの國に、毅い健常な未来は望みがたいと、諦めに、つい陥り かねない。なさけない。たしかに漱石が言ったように恋は「罪悪」とも背を合わせていかねないが、「神聖」な人間的決意でも行為でも、ある。
世の創作者達の大勢が、恋よりも犯罪を、殺人や傷害や詐欺や不正をばかり書き立てている出版や放送・放映の現状を見ていると、肌寒いばかりである。

* 京の正因寺万年先生、また永田澄雄さんから「とらや」の羊羹を、神戸の吉田章子さんには「蟹」を、川崎住まいの異母妹昭子、宏子からそれぞれにチョコ レートを、そしていつものように村上開新堂の山本社主から特製のクッキー詰め大缶を、頂戴した。「本年も残るところ あと半月ほどになりました。先生の選 集 拝受いたしました。お手書きのおことば忝けなく ありがたく存じます。 先生の大事なエネルギー 私に頂くのは余りに申し訳なく お喜びいただけると 思いまして 送らせていただいております。 奥様にもお礼状の御負担がかかりますことが 気になります。 どうぞお気になさらず クッキー お納め下さ い。 御身 御大切に  道子」と。このお店のお菓子は、宮中へは届ける以外、総理大臣の注文であろうと配達しないと言われている。美味しいのである。
笠間書院からは中世王朝物語全集の第五巻「石清水物語」を戴いた。
もう十数年来まったく無収入で暮らしているわたくし達には、いずれもいずれも、心の晴れる賑わいで。それもまた「騒壇余人」のよろこびと、楽しませてもらっている。

* この辺、郵便は早くも四時半すぎないと配達されない。

☆ 「こころ」をめぐる
書作品を収載した『秦 恒平選集第十七巻』を拝受しました。
かつて秦さんの「こころ」読みに震撼した記憶はいまも鮮やかです。それまで何を読んでいたのだろうと、自分の浅さをはじました。この集をいただいてあらためて、作品の持つ力、そして繰りかえし持続して読みつづけることの大切さを思いました。
秦さんの問いつづけられる姿勢に感嘆します。いまひとつ感嘆したのは編集者としての力、この集も魅力的な構成ですね。
いつもご配慮ありがとうございます。
これから寒さ本番、どうか御身お大切に、良い年をお迎え下さい。
元・講談社出版部長   天野敬子

☆ 前略 今年も早や師走も半ばとなりました。
「湖の本」を毎巻、先生の旺盛な気力、筆力に圧倒されているのですが、このたびは『秦恒平選集』第十七巻をいただきました。たいへん立派な私家版の一 冊、手に重く、瞠目して目次を拝見しました。『「心は、頼れるか」=こころ言葉(を)・こころ言葉(で)考える』‥・あ~魅力的な、と思い、読むならここ からだなどと思い・・・。(中略) 巻末の「刊行に添えて」に「人見講堂での講演から」読んでもと書かれてありました。ぜひ読んでみたいと思います。
今年は私も春に二冊(『続短歌憧憬』現代短歌社・『名歌で学ぶ文語文法』角川)の本を出し、秋に十冊目の歌集『行きて帰る』短歌研究社 を出すことができました。
また五月末には松本の牛伏寺に歌碑が建ちました。これは早稲田中・高校で縁のあった教え子(いまは私より年若い友人)たちによって建てられたもので、恩師窪田章一郎先生の歌碑(昭和5
8)の近くです。米寿の年に勿体ないようなさまざまに恵まれました。娘やヘルパーさんほか多くの方に支えられての老老介護の日々。もうしばらくは憧れの仕事をつづけたいと願っています。
建日子君もお元気のことと思います。
先生の言葉を借りて「凛々歳暮」を念じ、佳き年を祈ります。草々
橋本喜典  歌人・元早稲田中・高校教頭

* 建日子が在学中、御世話になった。

☆ 拝啓
(前略) 漱石の原作を読み直してじっくりと拝読させて頂く所存です。
お元気で好いお年をお迎え下さい。 敬具   高本邦彦  元岩波「世界」編集者

* 神戸の信太周さん、金沢の金田小夜子さん、新潟の藤田理史君、天理大学からもお便りを戴いた。奈良の歌人東淳子さん、東京の歌人藤原龍一郎さんから、ありがたいご助勢を戴いた。
目疲れしてきて、葉書の字などがなかなか読めない。

* 京都で、ウルトラマン生みの親の実相寺昭雄をも偲ぶ催しがあって、細君の原知佐子が帰ってきて手紙を呉れた。大きな字で。

☆ で、
京都に行って来ました。実相寺の録音技師62才で亡くなった彼の墓にも行って来ました。
御本 ありがとうございます。
めっちゃ疲れたり と云いながら、京都の最終日、一応、アイサツとか トークとかで 参加して  スタッフと酒呑んで 私はやっぱり土佐の呑んだくれ女です。
フランソワ(=懐かしい喫茶店)でコーヒーのんで、 錦(=食の市場通り)も歩いてみて、  はてさて、又、京都にいつ来るのかな と思ったりして。
京都は私の青春 まっただなかですからね――
じや    原知佐子  映画女優

* 同じ 美学藝術学の専攻生だったが、さっさと日活のニューフェイスで教室から消え失せた。
妻は、一学年下にいた。
2016 12/14 181

* 豊島の松島修三さんからマスクメロンを一顆戴いた。札幌の真岡哲夫さんから百合根をたくさん戴いた。
いま、松島さんの送ってこられたかなりの長編小説「遊戯幻想」を読んでいる途中。安定した筆致で進んでいるが、まだ、幾らか、もどかしい。題も、コレでいいのかと、すこし気になる。

* もと中央公論社の編集者だった批評家の斎藤国夫さんが、榛原六郎さんの「秦 恒平論」を読んで一文を寄せて戴いた。「e-文庫・湖(umi)」に送り込んだが、手違いがあって、著者名索引とジャンル別索引(論考)とで、片方でしか 読み出せていない。片方では読み出せる。いずれ修正する。
松島さんの小説も、いったん「e-文庫・湖(umi)」へ掲載して、読者の反応も待ちたい。
2016 12/15 181

* 高麗屋三代襲名発表のお知らせ
十二月八日会見にて発表致しましたように、平成三十年一月、ニ月とニヶ月に亘り歌舞伎座にて高麗屋三代襲名興行をさせて戴くことになりました。
ニ代目松本白鸚、十代目松本幸四郎、八代目市川染五郎として、先代より二代に亘り三代襲名が出束ますことは、大変有り難い事と存じます。
九代目幸四郎としましては來年が最後の一年となり、
壽初春興行では、父が三代襲名で演じょした「井伊大老」を勤めます。
今後とも更なる御後援の程、お願い申し上げます。   高麗屋  松本幸四郎

* 予期して待っていた。去る十日、国立劇場で、奥さんにもお祝い申してきた。
何としても、再来年の壽初春の高麗屋三代襲名を歌舞伎座で祝いたい。
明けてこの初春の「井伊大老」は、先代白鸚が歌右衛門とともに最期に演じた絶世の舞台であった、深い感銘のまま観入ったのを昨日のように覚えていて、そのことは何度も高麗屋ご夫婦にも告げてきた。
九代目の、あの玉三郎と共演、折角の名舞台をと心より楽しみに待っている。
玉三郎は「傾城」の所作事もあり、いよいよ再来年には晴れて十代目幸四郎になる染五郎が「松浦の太鼓」を打ち上げる。左団次の宝井其角にも、期待。
2016 12/16 181

☆ 漱石アンドロイドが
お披露目されたり、朝日新聞に特集されたり(12/11)、今回選集も歿後100年を前に発刊され、さすがと感じました。
それにつけても、俳優座での加藤剛さん主演の「心 わが愛」は、本当にすばらしかったし、「私と先生」との心の内を教えていただいて、深い感銘を受けました。
今思い出して感無量です。  静岡市 鳥井きよみ

* 刊行へもご助勢いただき、感謝しております。
神戸の木山蕃さん、また日本近代文学館からも挨拶があった。

* 世界ペンクラブ専務理事の堀武昭さんからホテルオークラの「マロングラッセ」を、また亡き島津忠夫さんご遺族から雲丹などの酒肴を頂戴した。恐れ入ります。亡き東大法学部長福田歓一さんの夫人からもご挨拶があった。
東工大卒の柳君から、設計施工に缶力として関わったという作品の大きく紹介された建築雑誌を送ってもらった。

☆ 大変ごぶさたを
しております。
この度は「秦 恒平選集」第十七巻をご恵送下さいましてありがとうございました。
大変内容豊かな深い重みのある御著書をいただき恐縮しながら読ませていただいております。
御体御大事にお過ごし下さいますように。   大宮  布川鴇 詩人

☆ 選集第17巻
ご出版おめでとうございます!
どうぞますますお元気で!    琉美子  妻の妹

* 毎々、多大の助勢をして貰っている。嬉しく、有り難いことである。
2016 12/16 181

☆ 寒くなって来ました、
早、今年もあと半月に成りました、体調はいかがですか?
お抹茶届きましたので、今日送りました。
無事お誕生日が迎えられそうで、おめでとうございます、来る年も無事であります様、念じます。
くれぐれもお身体をおいとい下さい。
明日私は、日吉ヶ丘(母校高校)に参ります。 では   華

* お心遣い、いつもながら、感謝。
日吉ヶ丘、カンカンの京の寒気が想い出される。明日、茶道部歳末の、お稽古かな。 2016 12/17 181

☆ 北山の時雨が
雪まじりになってきました。
先日「アーモスト館の小賀玉」の写真を送らせていただきましたが、撮りためた中に、師走に因んだものが見つかりました。
神霊を 招(お)ぐてふ香り をがたまの
ささやかながら、御祝に送ります。
一枚目は「神楽鈴」 二枚目は「クリスマス・リース」
そんな風に、先生の目にも映じたなら、幸甚です。

* 華さんから、宇治の抹茶と、和三盆が送られてきた。ありがとう。

* 神戸の、妻の友人から純米吟醸の原酒「福壽」二本を頂戴した。

☆ 選集第十七巻
ありがとうございました。
「漱石 心 のことなど」のご講演から読ませていただき、「心 わが愛」公演台本を、舞台を思い出しながら拝読しています。
「四度の瀧」を出版させていただいた時、亡き妻の墓前で、倶会一処についてお話ししてくださいました。
妻の死は、父の死から、たった80日後でした。二人は同じ病院の違う階に入院していました。約一年間、毎日病院のエレベーターで上下したことでした。
私の結婚に父は、優しい人がいいのや、と、強く妻を推してくれました。結婚後、父は妻に思いやりをもって接してくれ、家族の円満を計ってくれました。
妻が死んだ時、むこうには父がいかるらきっと淋しくないだろうと、そんな事を思ったことがありました。
選集で改めて「心」にふれ、三十二年前のことが甦ってきました。
師走 今年も一年が早かったと感じています。間もなくお誕生日ですね。満八十一歳、おめでとうございます。
奥様共々お元気にお過しになられますよう お祈り申し上げます。 和歌山 朱心書肆 三宅拝
些少 同封致しました。お納めください。

* 三十二年…。感慨に堪えません。

☆ (前略)
あとがき 結びのお言葉 うれしいことでした。
本当の冬になったようです。ご自愛のほどお祈りしております。 草々  元平凡社  出

* 正古誠子さんの久し振りの第二歌集『のこるおもひを』を戴いた。落ち着いて深みのある言葉と表現で、最近出色の歌集であると観た。
例によって乱立もいいところの小説教室から同人誌が送られてくるが、感心できない。「小説ごっこ」に堕していないか。行文から熱い血が垂れていない。
もっとも、知名の画家も交え何十回と続いている画会の「選抜展」の繪など(写真で)見せて貰ってもなんと貧相な売り繪ばかりよと泣けてくる。時代に、旺盛で創意豊かな藝術精神が憔悴してしまっている。
2016 12/17 181

 

☆ をがたまの歌
初めて上洛した時、通りがかりに入った白峯宮に「招霊」と名札をつけられた樹が立っていました。
その樹の立ち姿が、後白河上皇が作らせた数多の絵巻に描かれた 印象深い樹と似ていたので、心に留まりました。
その樹が何という名の樹なのか? ずっと探していたのに見つけられなかったのは、帰京して、美大の図書館で植物図鑑を調べた時に解りました。
「小賀玉の木は関東以西に生育する。」とあり、東京でも新潟でも、見つけられなかった理由が解りました。
その時に、書きとめた歌 「神霊を招ぐてふ香りをがたまの花はひらきて夏はきにけり」
いつの世に、どういう人が詠んだのか?
今、手元に残っている書付には 記されていません。
とり急ぎ、お伝え致します。 百

* おぐ は、招ぐ。おがたま は「招霊」となる。不思議の木である。
「百」さんが新潟に生まれ、東京へ来ていたのを、或る会合などで知り合い識っていたが、著名なある人のスタイリストのような仕事をしていたように朧に聞いていた、が、二十年近くにもなろうか、久しく行方知れずであったのが、最近、京都から声が聞こえてきた。
異なものである、人とのご縁というものは。
2016 12/17 181

☆ おめでとうございます
お誕生日を元気でお迎えになられることを何よりに存じます。
過日は秦恒平選集第十七巻をご贈呈くださり 誠に有り難うございました。
本棚の漱石全集が読んで欲しいと言っているようです。  吉備の人

* 恐れ入ります。有難う存じます。奥様ともどものご平安を、心より願っております。お大事になさってください。
2016 12/18 181

* 朝いちばんに、明日二十一日の誕生日を祝って下さり、神戸の岡田昌也さんからご馳走の、いしるぼし、あまえびをたっぷり、 吉備の有元毅さんから名酒を二升、藤村研究家の宮下襄さんからも、例年の甘いころ柿をたくさん、戴いた。有難う存じます。

木まもりの柿ひとつ照りて日新たに
八一(やいち)の冬をただに迎へむ   秦 恒平

☆ 冠省
ご本をいつも有難うございます。前にもまして目が疲れるようになり多くは読めなくなりましたが、一月に頂いた時に読んだ「資時出家 初稿・雲居寺跡」を、先日また読ませて頂きました。
一月に読んだ時、子供の時以来の源平の物語、武将たちの物語も消え、源氏贔屓も色あせて、平
家物語はここから始まるのだと感深く思ったものでしたが、今回もそうでした。信西入道など、当時の最たる悪役も(そう思っていたのですが)まったく別人として蘇って、自分も京都の山門や塔頭を囲む深く沈んだ森を、黙って一人で歩いているようでもありました。
ただ、たくさんの人々の繋がりが分からず、名をメモしたり、系図を作ったりしながら読みましたが、
十分に堪能いたしました。
今年も甲州の枯露柿ですが、少しずつでもご賞味ください。十一月にいつものように農園に家内が問い合わせました時は、今年も湿度が高く、まだ例年のよう にいかず……ということで心配をしました。昨年と同じような今年の暑さ、枯露柿の熟成を損なうのか、昨今、日本の四季も狂ってきて、
もう爽やかな秋も遠いものになつていくのか、そんなことも考えていましたが、今月に入って、大丈夫だったということでした。農園のために何よりも安心しました。召し上がってください。
ご健康はどうでしょうか。
私は今年早々に、微細動やら虚血性波動とかで画像検査などをされたり、それで終わればいいのですが、三月の末、鎌倉の法事の帰り、鎌倉でバスというのも心外で、よせばよいのに杉本観音辺
りから友人のお墓がある英勝寺まで寄り道しながら歩いたのがいけなかったのか、腰痛が激化してその未に一夜高熱を発し、付近の救急センターに運ばれたりし ました。化膿性の骨髄炎かと心配されましたが、何とか無事。気が付くと昨年より足腰も弱りましたがこれも年齢相応のことなのでしょぅ。鎌倉と云えば、生家 の跡を見ておきたいとおぼろげな記憶をたどって歩きましたが、所番地も忘れ、何十年前の記憶も定かならず、結局分からずに終わりましたが、もう一回挑戦し たいと温かくなるのを待っています。
そういうことで今年は仕事もはかどらず終わりますが、昨年の暮れから延々、ルナンの『イエス伝』とか岩波古典全集にある『紅楼夢』三巻など何とか目を通しました。目をかばいながら最後まで読んだことで多少は自慢です。
特に『紅楼夢』は、一説に藤村詩「おつた」のモデルかと言われる金陵十二釵の妙玉尼、美しく理知に富みながら他と多く交わることなく修行に励む有髪の尼 僧は(決してこの小説の主役ではないと思いますが)、最後には押し入った無頼な賊どもにかどわかされ、行方も知れず終わつている。そういう運命の人と知れ ばあの詩のつながりなどちぐはぐですが、それは別にして、若い藤村はこの大長編をどこまで読んだのだろうと思ったりします。清朝の高級官僚の一族、恵まれ た豊かな女の館の日々日常は、筋を追うだけで、その中の様々な女性たちの一人一人、どれも筋道つけて辿れずに終わつてしまいましたが、結局は移り行く時代 の中で幸福も遠のき、最後は「紅楼」の「夢」と化していくのかと思ったりしますがどうなのでしょう。藤村にこれを教えた田辺蓮舟翁は書斎を「借紅居」とさ れていたとか、これは『紅楼夢』の「怡紅院」からとつたのかなど、藤村などは別に、ゆつくり考える時間に憧れます。
近況をと思いながら長々となりました。せめてお笑い種に。
湖の文庫(「e-文庫・湖(umi)」)に拙い詩集を採用下さつてお礼も述べずにおりました。失礼をお
許しください。「宮沢賢治」の詩と並んで恥ずかしく思います。
どうぞ健康にご留意ください。
奥様もまた。いつもお菜書を頂きながら失礼しております。よろしくお伝えください。
十二月、冬を迎えた地蔵尊や鎮守の森の落葉が見事です。と言う内にもうまったく寒々とした景色になりました。
年が明ければ私も父の二倍を生きることになります。「念々死去、念々新生」、まだまだ大丈夫です。  十二月二十日   宮下 嚢

* 今日 ひとつ、決断した。

☆ 重い疲れにも
身を折らず、宥め宥めて お元気で。
明日朝、シンガポールに娘家族が戻ります。次女の京都移転は明後日。
さまざまに区切りがあります。
わたくしはやや風邪気味ですが、何とか、元気です。  尾張の鳶
2016 12/20 181

* 大阪の妻の友人岡崎淑子さんからも、「鶴屋」銘菓をいろいろ戴いた。

☆ お誕生日
秦先生  おめでとうございます。

心ばかりのお祝いを、お送りさせていただきました。

明日の午前中には届くはずでございます。

また、「秦恒平選集第十七巻」を、ありがとうございました。

しばらく体調を崩し、はかどりませんが、ゆっくり読み進めさせていただきます。

寒暖差の激しい十二月ですが、慌ただしい年の瀬、お体ご自愛下さいまして、奥様もともに、どうぞ、佳いお年をお迎えくださいませ。  各務原  都

* ぐあい大丈夫かなと案じていた。お大事に。
2016 12/20 181

* 朝早々に、岡玲子さん() 山瀬ひとみさん、山中以都子さん、義妹琉美子から、くさぐさの誕生日祝いや祝い状を頂戴した。感謝申します。なかでも山瀬 さんは、『慈子』などを論じた456枚もの「秦 恒平論 愛のかたち」に更に妹さんと共作の「Jポップ名曲 ビアノBGM」を下さった。
2016 12/21 181

☆ みづうみ、お元気ですか。
お誕生日おめでとうございます。

実はながーい原稿を昨日送らせていただきましたので、本日届くかもしれません。全部がみづうみへのラブレターといえますが、とくに『慈子』についての読みを、大変拙いものではございますがわたくしからのお誕生日プレゼントとさせていただければ幸せです。
でも、お目の負担になっては申しわけないことです。どうぞお手すきのときにご無理のないようにと。
同封しましたCDは妹の作成したもので録音・編集を私も手伝いました。もしBGMとしてお使い頂けましたら幸いです。
これから師走の街に所要で出かけます。
どうか今日の素晴らしいお天気のように、晴れやかなお誕生日をお過ごしくださいますように。新しい一年の益々のお元気とお幸せを心よりお祈り申し上げます。
蕪  煮ゆるとき蕪汁とぞ匂ひける  虚子
2016 12/21 181

☆ 『秦 恒平選集』第17巻を頂戴し
誠に有難うございました。夏目漱石『こころ』をめぐっての諸作品で構成された一巻を興味深く読み進めています。もちろん戯曲は既読でしたが、公演台本は初めて読みました。舞台化への過程の一端が分かって、おもしろかった。
『明治の古典』での「龍潭譚」現代語訳を含めて、将来泉鏡花を中心とした一巻が刊行されれば嬉しいのですが……。
新作映画『古都』を見ました。
同志社大学もワンシーン出ますが、娘の世代の奇妙な映画でした。  田中励儀  同志社大教授

* 漱石描く「菊」の墨絵葉書に。「あるほどの菊なげ入れよ棺の中」の漱石句が胸へ来る。

☆ いつも、
お心にかけていただいて感謝いたしております。
お送りいただいたご本は大切に、若い頃の本郷に戻ったようになります。
お体のご様子も、ただお祈りするばかりです。 佳 Yoshi
たまに本郷に行きますがすっかり様子が変り、淋しさを感じますが、湖の本で昔をしのんでいます。
お体をお大事になさって下さい。
少しでも良い具合になりますように心からお祈りしています。 雅 Masa 本郷三「とっぷ」姉妹

* 本郷三丁目の稲荷わきに三人姉妹(一人は亡くなった)のバア「とっぷ」は在った。作家以前のわたしの其処は隠れ書斎で、姉妹は隠れ応援団であった。いまは二人で草加市に。なんと懐かしい。

* 京都府立京都学・歴彩館(旧・京都府立総合資料館文献課)から、「お礼が遅くなり、大変失礼いたしました。御寄贈ありがとうございました。今後とも よろしくお願い申し上げます」と挨拶があった。

* 「湖の本133」の全責了紙を送った。
「選集第十九巻」あとがきを電送した。
およそ年内の対凸版印刷との主な往来は、ほぼ終えたと思う。「選集⑲」「選集⑳」の口絵写真を見繕わねばならない、が、身の回りの絶望的な乱雑に我なが ら惘れている。欲しいけれどももう利用の機会があるまい資料類を断然捨てる勇断が必要、分かっているのにヤメラレないのである。

☆ 拝啓
(前略) 小説や短歌や批評ばかりでなく、戯曲も書かれる秦さんの多能多才振りに感嘆し、ひたすら羨ましく感じながら、第十七巻を手にいたしておりま す。しかもこの巻は「心」をめぐる読む脚本、演じる台本、講演、批評、省察(エッセイ)と、編集的企みに満ちたもの。心して拝読致します。
寒さが厳しくなってまいりました。
どうぞお身体大切になさって下さい。 敬具  久間十義  三島由紀夫文学賞作家

* 奈良五条市の永栄医啓伸さん、今回は「糸瓜と木魚」論(皇學館論叢49-4号)を送ってきて下さった。

☆ 秦先生
お誕生日おめでとうございます

くれぐれもご自愛ください    前凸版印刷株式会社 担当  古城進工

* 古城さんには、湖の本、選集創刊で、じつに三十年も御世話になった。仕事を介して「三十年」もお付き合いのあったなどという方は、古城さんのほかに一人もない。深く深く感謝している。

 

☆ こんばんは!
ご無沙汰いたしましてごめんなさい!
その後ご体調は如何ですか? 今日はお誕生日おめでとうございます
先日は第17巻をご恵贈頂き有り難うございました
今月に入って長姉の後見人になられた弁護士さんの所へ面会に行き、久し振りに丸太町の裁判所辺りを歩いてまいりました!
バタバタ過ごしていて申し訳ございませんでした。 また別便にてお礼をお送り申し上げますので どうぞよろしくお願いいたします。
今年も残り少なくなってまいりました
どうぞこれからもお幸せな日々をお過ごし下さいませ お元気で  奈良  絹  高校雲岫会
2016 12/21 181

* 寄り道せず、保谷まで帰った。西友で黒毛和牛二バック買って帰り、一パック焼いて貰ったが、特段の感激は無かった。
機械の前でそのあと寝入ったようだ、

* 食欲がなく、山中さんに戴いた「三千盛」純米吟醸の酒を、また吉備の有元さんに戴いた超特級の大吟醸純米酒「室町ざくら」を、贅沢の限り、下関の大庭 緑さんに戴いた赤間の雲丹で。少しずつ味わっている。なんたる贅沢、この絶品の酒と雲丹との美味には感動してしまう。有り難し有り難し。有り難し。とか し、疲れている。
2016 12/22 181

☆ かお吏です。
おじい様、おばあ様
素敵なお祝いが届きました!
ありがとうございます!
なんて可愛いリスさんと木のベルでしょう!
ゆい佳は周りのものに興味を持ち始めていて、木のベルの優しい音を聞かせたら、何?何?とキョロキョロしていました。
忙しい毎日ですが、娘の可愛さで何とか乗り切っています。
娘と大切に使わせていただきます。
本当にありがとうございました! かお吏とゆい佳より

* 嬉しい便り。
やす香も、さぞや、こういう日々が欲しかったろう。かお吏さんたちに、心からお願いしたい、どうかやす香らのぶんも、元気な幸せな日々を、と。
もう一人の孫娘みゆ希は、どこで、どう暮らしているのだろう。もう結婚したのだろうか。望みのままの職について頑張っているのだろうか。
やす香の生まれたその頃、わたしの「心 わが愛」が上演されていた。三十年の余もむかし話になった。みゆ希ももう二十五歳頃か、生き生きと心ゆく日々を聡くつよく生きていて欲しいと祖父も祖母も願わぬ日はない。病気するなよ。

* やす香を一時期両親のくらすパリへ送り出したまさにその頃にチェルノブイリ原発の大爆発が起きた。妻は、やす香の祖母は、愛おしい初孫のあの不幸な肉 腫という最悪の癌を、チゥルノブイリの悪しき放射線被害であろうと疑い歎きやむことがない。祖父のわたしにもそのような歎きがある。だから、原発や核弄り の横行、核兵器の悪しき使用にたいして徹底的に否認の姿勢を持しているのだ。

老い人われの病む身はあらき息ながら胸に
断乎と「No ! Nuke(核) !」のバッヂ
2016 12/24 181

☆ ご丁寧に
メール頂き有難うございました、
顔見世 昨日行って来ました、三部制で、会場は狭くて舞台は近く 良く見えましたが、役者さんはちょっと可哀想かな?
題目は -引き窓-仁左衛門 孝太郎他、松嶋屋さんで  -京鹿子娘道成寺-は雀右衛門さんの襲名公演でした。
海老蔵さんが左馬五郎荒事で登場、ちょっと迫力有りました。が、何となく一寸不足!
片岡さん(松嶋屋)三女四女さんは洛東中学でご一緒でした、 秀太郎さん、孝夫(仁左衛門)さんも洛東中学の様です、お住まいは、方広寺の近くで 小学区も同じでした 三女の秀子さんは以前日吉ヶ丘の同期会でご一緒でしたが、その後亡くなられた様です、寂しいことです、
色々とお話はありますが、又ね!
これから暮れの用事を一頑張りです、元気で良い年を迎えたいと思っています。
寒さに向かいますお大事に    京・北日吉    華

* 弥栄中学で、同志社で一緒だった松嶋屋惣領の我當君の名が見えなくて、ひとしお寂しい。
秀太郎を或る大きな賞に推してあるのだがなあ。三男仁左衛門の健勝を祈らずにおれない。
それにしても顔見世が南座から逸れたなど、初めてのことか。奇妙に寂しく心もとない。
喜寿を祝いに南座顔見世へ妻と出向いてから、もう十一年も経った。あの祝い年の「京の散策」(三)は、明けて新年に送り出せる「湖の本133」巻に入れ ておいた。あれから京都は「もの凄い」までに変容しているらしい。それでも、来年には一度帰りたいな。帰りそびれていると、もうわたしの余命残年の方が尽 きて了いかねない。
2016 12/24 181

* 山瀬ひとみさんが論攷の大作『愛のかたち』を送ってこられた。原稿のちいさい字では眼にキツイが、メールで送ってもらったので、ワープロソフトに移し て字もドンと大きく変えて、ともあれ読みやすく用意が出来た。メール便の容量が前世紀とくらべて幾桁も違って増えて大助かりしている。わたしの大判で五百 頁もの選集一冊分でもメールで入稿できるのだから。
山瀬論文、少しずつ読んで行く。
2016 12/27 181

☆ 京都 12.27
25日に出町柳の鴨川合流地点での写真を送りましたが、「泣かせる」という感想を頂いて、ハッと胸衝かれる思いがありました。数羽の鳶が舞い飛んでいた ので思わず写真を撮ったのですが、本当にあの地に立って、そして飛ぶ如く自由に動きたいのは鴉、秦恒平ご自身なのです・・。
HPにも書いてられましたが、年齢や健康状態を冷静に考えれば、出来る限り早い時期に、まだ動けると思える時期に、京都にいらっしゃると良いと思います・・但し寒い季節は避けた方が良いのでしょう、微妙に判断する必要がありましょう。
わたしの今回の京都、終い天神も哲学の道も何年振りでしょう。
確かに京都の街の変貌はかなり、かなり激しく、その比較の基準になるのが既に半世紀
も昔(=京都大学在学時代)なのですから、変化変貌は当然必然と半ば以上は認めるしかありません、嘆くこともしません。
街には若い観光客の、貸衣装の和服姿を何度も見かけました。派手な色合いの、触れば手触りも露骨な、絹ならぬ・・などと書けば年寄りの嫌味にしかならないのですが・・。
京都の、いえ日本の和服は「瀕死」状態だと業者は憂え、危機感を何十年も前から抱いています。たとい貸衣装でも着物に袖を通して着ること自体に意味があるのでしょう・・。

病院の結果もよろしかったようで安心。それでも医者の、殊に眼科の診断など当人にとっては納得いかないこと著しいと察します。
今日は28日。
静かなのは今日まで、明日からは大忙しです。今年の三分の一は三歳、一歳半の孫守りに費やされた感があります。体力気力、年の割りにわたしはタフだと評価しつつ、やはり無理はしないようにと暮らしました。
一方で幾らかの焦燥感に駆られたのも事実です。わがままがスッと通っていけたらと、想い通りに生きていけたらと、愚かなことばかりが頭の中を巡っていました。反動で、来年は「わがままに愚かに生きたい」ものです。
どうぞ風邪ひかぬよう、元気に佳いお年をお迎えください。  尾張の鳶
2016 12/28 181

☆ 拝啓 殊の外変事多き
2016年も後 数日となりました。
先日は御選集第十七巻を御恵贈賜わり、有難うございました。
本巻は、漱石の『こゝろ』に関する一著となり、印象強い御本になりました。前巻の『死なれて死なせて』で『心』の箇所に繋がる思いが、本巻です。課松野 御指示通り、人見講堂の講演から入り、十年前の俳優座公演「心 わが愛」を拝読、秦さんの『心』観が、首尾一貫して流露するのを気持良く体感しました。そ れを丁寧に論考されたのが、「新潮」の「漱石作『心』の心見」で、本当にこの巻は凄い『心』観になりましたね。
巻を重ねるごとに、秦文学の世界が深く鮮明化してくるよう思います。 心地良い新年でありますように。御一家の御健勝を祈り上げます、  講談社元出版部長「群像」編集長 役員  徳

* 有難う存じます。

☆ 秦さま
今年も残り少なくなってまいりました。お元気でお過ごしでいらっしゃいますか。
師走の名の通り年末近くなるほどに走り回っておりました。
心ばかりの御礼を同封いたしましたのでお納め下さいませ。
来年はご一家の皆様に一層のお幸せな日々が訪れますように心からお祈り申し上げます。
お健やかにお過ごし下さいませ。  奈良・あやめ池  絹
端リマらっておりました

* 感謝申します。お大切にお過ごしください。

* 凸版へ今年最後の支払いを送り終えてきた。

* 野澤利江さんから美味しそうな鍋用の年越し蕎麦がお歳暮に届いた。久しく連絡がなかったので病気ではないかと案じていた。その心配が一つ失せたと思えて有り難い。
何方様も健康に新年を迎えて頂きたい、療養の方はすこしでも快方へ向かって下さるよう、祈ります。
2016 12/29 181

☆ 秦 恒平様
謹 啓
「秦恒平選集」第十七巻(戯曲「こころ」・「心 わが愛」(公演台本)、「『こころ』の心見」他)をご恵贈賜り、まことに有難く御礼申し上げます。この度も発刊早々に賜りましたこと、重ねてのお心遣い有難く、衷心より感謝いたします。
漱石については、「自転車」や「倫敦塔」などで面白いと思いながら「草枕」で躓き、特に好きになれず積極的に読むべき対象ではなく来ました。高校のこ ろ、江藤淳の初期の評論「漱石論」を新潮の著作集で読み、「即天去私」について、「そんなものはなかった」と端から漱石の悟達を蔑するものいいに触れて、 さらに作家に対する興味を減殺されました。     ・
「こころ」については、さまざまな漱石論で概要を知り、すでに読んだような気持ちになっておりましたが、今回いただいた選集で戯曲化された秦作品を読み、 改めて原作を興味深く読み通しました。   ちょっと普通の読者とは異なる逆コースから、原作にいたりついた読み方で、戯曲「こころ」や「心見」の論攷を 踏まえた眼で読むかたちになり、描写の一行一句、会話のいちいちに登場人物のそれぞれが孕み持つ心理的力学を感じ、少しオーバーですが紙背に徹するという のは、このような読みを言うのか、と我ながら(勝手な思い込みですが)、シャーロック・ホームズのような気分で読み通せた気分になれたことが、新鮮な体験 でした。
推理する読書、という点からいろいろ心象が湧き起りますが、戯曲「こころ」でもっとも深く心に響いたのは「静」が微笑する場面でした。
第一幕冒頭から「解き難い微笑をうかべて」登場する「静」の小泉八雲がいうところの無意味な日本的微笑が、これほど深い意味をもって捻華微笑のごとく作中人物のこころを捕らえるのは、新鮮な体験であり、驚きでした。
原作においても、「静」「KJ「先生」3人が鉢合わせするスリリングな場面で、「静」が不思議とも不気味ともゆうべき微笑をしたたかに浮かべますが、こ の「静」の微笑を戯曲「こころ」は随所で有効に語らせて、淑石「こころ」を秦「こころ」になしえて、独自の「こころ」世界を造形したものと感じさせていた だきました。「静」の野性的でイノセントな微笑が「先生」や「K」には「黒い長い髪でしばられ」た頽落的な自己処罰感情となってこころを醜く繋縛する怖さ は、「先生」の言を待っまでもなく、ひしと読者のこころに響いてきます。また戯曲はそのように描いています。
原作「こころ」においても、灰色の雲間から一閃の光が突如射すように、「静」の微笑を描出して、微笑に語らせています。このように微笑が物語りの核心と なり、人物を動かしてしまう、このような小説は欧米文学に在るのか、ないのか、わたしの少ない読書体験の範囲には、殆どなかったと記憶します。この点で、 「こころ」は奇妙な、特異な小説ではないかと、感じもいたしました。

登場人物のそれぞれの年齢関係から、「静」と「私」の結婚の蓋然性は、「私」の「静」に対する尊敬の念や理想化したものいいにもあらわれていて、「先 生」の「幸福にしてあげたい」という意もふまえ、あきらかにそうであろう、そうならなければ、二人の男に死なれ、母を、父を失った天涯孤独の「静」に生き る瀬はないだろうと納得いたしました。しかし「rK」に死なれ「先生」に死なれた「静」は「私」と一緒になって本当に幸せになれるのだろうか、とも思いま した。
「静」は本当に「K」と「先生」に「死なれた」のでしょうか。それとも「静」の意識のなかに「死なせた」思いは、すこしもなかったのでしょうか。
「静」の心の強さは「心見」で解明されています。「先生」が思うほど、「静」は純粋無垢ではなかったという点から「死なせた」意識は充分あったと思います。
(戯曲「こころ」の「静」は原作より饒舌に心情を語っており、ただ静かなだけでない、積極的で計算高い一面を見せています。)
「二人の男を「死なせた」という観点から見ると「静」の心の深層には、清吉に女郎蜘妹を刺青された半玉の、ちゅう紂王の寵妃-末嘉の心性が潜められてい た、漱石は、暗に潜めたのではないか、とも読めそうにも思えました。(戯曲「こころ」にも、「静」の意志に強さは犯しがたく「私」の前に立ちはだかり「黒 髪で縛る」体の強さで、意図的に表現されていると感じます。)

また、もう一つの読みの可能性として、奥さんの年齢ですが、当時の慣例として早婚が考えられ、二十歳前後で「静」を生んでいるとすると、「静」十七  「先生」と結婚した年に(母である=)「奥さん」は三十七前後、「先生」とは多くて一回り程度の年の差ではないかと思われます。
素人下宿に訪ねて行って、「先生」とこの奥さんが相対して、一目で受け入れを快諾した奥さんの心に、「先生」はただ単に娘の婿がねとして映る青年だった のでしょうか。また、二十歳にして両親を失っていた「先生」にして素人下宿の奥さんは、たんなる下宿家を営む未亡人だったのでしょうか。
しかし、この可能性を発展させるには、原作「こころ」のなかでの奥さんの登場シーンはあまりにも少ない。殆ど脇役ていどの登場にとどまっています。漱石 は物語の発展に、あまり複雑な関係を導入することを避けたように思います。しかし「心見」で解かれているように「静」と「奥さん」二人の女性の心の働きが 物語の核心-男二人の「死」に深くかかわっていることは、戯曲「こころ」がはっきりと表出していると、感じました。「先生」の「黒い長い髪でしばられ」る 感情は、母親である「奥さん」に対してもあったのではないかと。可能性として捨てきれないものを感じました。

「明鏡止水」の心をもった「静」に対して、漱石自身の妻が「鏡子」という符合は、底意も知れぬ女性の深き心を、一種無気味なくらいまでに認識した漱石の 「即則天去私」に己の置き処を見出した真諦が感じられ、「私」を「静」のもとに走らせた心には、まさにこの「則天去私」がはたらいていたと思えます。
淑石は「こころ」の上梓にあたって「ここに心の全てが書かれている」と、本の帯に書いたといいますが、おそらく出版社が書かしめたものであろうと思いま す。全てが書かれていないからこそ、その後の「道草」であり「明暗」に進まなければならなかった苦闘が待っていたのだろうと思われます。
二人の益荒男に愛されて、どちらも選べず自らを滅ぼす菟原手児名に比して、二人の男性を死なせて、なお強く生きていく(生きていくであろう)「静」の強 さは、死に美を見る敷島の大和心ではなく、源氏の時代に花咲いた「まごごろ」としての「やまとだましい」一一愛と優しさに満ちた共栄精神、博愛を生きる心 なのではないかと思います。
「静」の前では、「K」も「先生」も無意味に死に急ぐだけの人間に思えてなりません。「先生」の遺書の随所にみえる他人へ責任を転嫁するもの言いには、や はり生きてもなにごともなし得ない人間の現実に甘えた弱さがあり、「精神的向上」を言う「K」にも端から人生を放棄した姿勢がみえて、結果として「静」は この二人のどちらと一緒になっても、幸せにはなれなかったろうな、と思います。はたして、漱石の「個人主義」というのは、このような男の心の弱さを内包す るものなのか、と考えさせら
れました。

漱石が描きたかった「心のすべて」は、「秦恒平選集」第十七巻をもって、初めて書き尽くされたと言ってよいのではないか、と私には思われました。刺激的 な読みで、より深く原作の読みに向かわせる力は、作品の魅力を減殺させる批評ではなく、作品を生かす批評として、文藝作品論として、あるべき理想ではない かと思わせていただきました。
「読者は(略)より面白く深く読む権利を有している」(漱石作『こころ』の心見)に押されて、いろいろ想像をふくらましてしまいました。ご著書をいただい たことで、再び漱石に触れ、潤一郎の初期作品を改めて繙く機会をえました。このひと月楽しい読書をさせていただきました。ありがたく御礼申し上げます。
勝手な思い込みを交え、読みをふくらませて、いろいろ書き述べさせていただきました、失礼の段また間違いの段は、どうぞご宥恕のほど、お願い申し上げます。。
今年も歳末、年内に御礼を、と思いながら、感想がふくらみすぎて纏まらず、徒に時を過ごしました。深くお詫び申し上げます。
先生、奥様ともにご健康で良い新年をお迎えくださいますよう、こころよりお祈りも申し上げます。本当にありがとうございました。ご著書大切にいたします。 敬具   八潮市  小滝英史  作家

* 「先生」と、軍人遺族で素人下宿を営んだ「奥さん」とにも男女の心身交流の可能性があったかもという指摘に驚きながら、「生きたかりしに」と願いつつ死んでいったわたし自身の生母と実父に思い当たっていた。
2016 12/30 181

☆ 湖へ
お元気ですか。
今年の私は、夏頃から仕事に忙殺され、毎晩寝に帰るだけのような日々でした。
食事時間も惜しいような生活をしていたら、服用していた薬で肝機能障害、腰痛もでてヨタヨタ、、情けない今年の秋冬でした。何とか先日一段落、無事に暮れを迎えています。
メールボックスが迷惑メールで溢れ、手をつけられないのでフリーアドレスのこちらのアドレスを使うことにしました。便利なのか不便なのか分からなくなりましたが、メールやPCがなくても何とかなると感じた日々でした。
ご連絡も差し上げず、私の好きな鴨鍋を送らせて頂きました。来る酉年お元気でお過ごし頂きたく、お召し上がり頂ければ嬉しいです。
日本が、世界が、感じていたその先へ、目に見える変化をした今年でした。これから先を、しっかり見届けたいと思っている大晦日です。
これからもお元気で、 湖、色々を映して、そこにいらして下さい。どうか、よいお年を。  珠

* 此処に、こうして「いる」ことを喜んでくれる人たちのあるのに励まされる。たっぷりの鴨鍋、美味しかった。晩にももう一度戴きます。よほどの激務らしく、案じていましたがなんとか無事歳末のよし、安堵しました。
2016 12/31 181

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