ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2021年9月まで

* 年賀状 午前午後にたくささん戴く。懐かしいお名前、多く。
まあ、しかし、皆々さん、コロナ、コロナ…。
返礼は、申し訳なく、失礼させて戴く。とにかくも休息の必要な、ぐたぐたの体調、潰れて仕舞うわけにゆかない。
2021 1/1 230

* 東工大卒 ◎ちゃんの佳いメールが返ってきた。

☆ 秦先生 あけましておめでとうございます
コロナ、コロナとテレビや新聞は書き立てますが、健康な心までコロナに侵されぬよう(特に、子ども達が)、家族間では心がけています。
あ、もちろん、感染対策はキチンとしていますよ! その成果がどうか、我が家は皆、心も体も(今
のところは)元気に過ごしています。
葵さん(=長女)は、学校の勉強や部活の悩み・疲れを読書で癒しているようで、“重たい”本は避け気味ですが、相変わらず多くの本を積み上げています。
結さん(=次女)は、今年は中学3年生の受験生になりますが、その環境の変化に未だ心が追いつかず、色々と。落ち着いて、自分で自信の選択ができるよう、しっかりと見守っていきたいと思います。
いつも我が家のことを気にかけて頂きながら、きちんとご挨拶できておらず申し訳ありません。
コロナ収束の際には是非お会いしたいと思っています。
引き続き健康にご留意いただきお過ごしください。
それでは   ○

* 健やかに和やかな家庭・親子の空気が温かに流れ込むように伝わってくる。中堅官僚として今や、たいへんな働き時でしょう、心神、大事にして下さい。コロナが落ち着いたら顔を見せて下さい。

* しみじみ顧みて、東工大に、江藤淳さんの後任教授として招請されたのは、まことに大きなことであった、割り切ったことを謂えば、特装大冊の『秦 恒平選集』全33巻の恙ない完成も、明らかにそのお蔭であったし、何より、若い佳い友人たちと大勢出会ってもう四半世紀、今年もたくさんj年賀状が届いて いる。中には結婚式へも出た愉快な記憶も数多い。むろん、愉快でなかった記憶も絶無ではないが、一、二と云うて、三も無い。
一人だけ、この子(失礼!)は、早稲田の文藝科で出会った角田光代についで、小説の世界へ踏み出すかなと期待していた、短歌も創りかけていた一学生が、 かき消すように「行方知れない」のを今も残念に思っている。書きたいのは「エンターテーメント」と云うていたから、建日子らの領分。したかったことが、出 来ているといいが。

* ご無沙汰だった岐阜縣の詩人「都」さんからも、弾んだメールが来た。

☆ 思いがけず、
ほんとうに思いもかけず、「賀正」メ-ルをいただき、大変驚き、嬉しゅうございました。
ありがとうございました!

東京のコロナ感染者数のニュ-スをみるたび、先生と奥様のことを、案じています。

どうか、どうか、くれぐれも ご自愛くださいませ。     都

* きつく冷える。高城由美子さんに戴いた「手織り」の美しい膝掛けに労られている。ずっしりと温かい。

☆ あけまして おめでとうございます。
昨年は、コロナ禍で安倍・菅政治の不手際と偽善性がいっそう顕わになった年でした。
今年こそ「市民と野党の共闘」で少しでも日本の近未来をまともな方に向かわせたいと頑張っています。
どうぞくれぐれもお大切にお過ごしください。  恵  仙台  元・大学学長

* しかと にらみ据えて 失政 を 気強く叱正してゆきましょう。

☆ 秦さん
メールくださりありがとうございます。
体調お悪いとのこと、大丈夫でしょうか。
数えてみると、大学を出てから23年になろうとしています。そんなに時が経ったとは信じられないくらい、身近に感じる日々でもあります。
大学などで秦さんとお話ししていた時間も、とても懐かしく、ついこの前のことのように感じられますが、我が身を振り返ると、もう50歳を目前としたいいおっさんです。
社会に出て、望むとおりには進まないことも多かった気がしますが、思わぬところで貴重な経験をしたり、出会いを得たり、そこで開ける新たな展望もあったりで、「人間万事塞翁が馬」とは本当に良くいったものです。
今の職場で最前線で働けるのは、あと10年といったところのようですので、もうしばしの間は、置かれた場所で目の前にあることに全力投球したいと思いながら、と同時に、その先につながる種まきのようなことも、少しずつしていきたいとも考えています。
コロナもまだまだ心配な状況ですので、くれぐれもお身体を大切にお過ごしくださいね!  敬

* 在学の頃のままの確かな「挨拶」を喜びました。君のえらんで録音してくれた管楽器のテープは今でも楽しんでますよ。奥さんも航太郎君もお元気で。

 

☆ 賀正
「レイワおじさん」が「ガースー総理」になり、コロナ対策で無能ぶりを発揮した。
強権癖だけは一流ゆえ始末におえない。
学術会議を憎む裏で、万葉集を天まで持ち上げる御用学者を厚遇。  繁  四国・丸亀市
2021 1/3 230

☆ 秦先生
ご無沙汰いたしております。

先生も八十五歳となられたのですね!

以前私も、小さな物語を書いてみたりしたことがあり、そんな少しのことでも創作活動がどれほど気力と体力と を使うのかと驚きました。先生のされているお仕事と比べることはおこがましいのですが、何もないところから形あるものを生み出すお仕事を続けられる精神力 は並大抵のことではないことだけは感じることができます。

その深い先生の懐に入れていただくような、東工大での授業を楽しく受けていたことを時折思い出します。それ まであまり自分の心の内をひとに打ち明けずに来ていましたが、授業では次々と思っていることが文字となって表現され、自分でもこんなにいろいろなことを感 じていたのだと驚いた覚えがあります。

先生の授業がきっかけで、人との関わりが変わっていったと、振り返り思っています。今の自分があるのは、先生のお蔭です。日々の忙しさを理由に不精をしておりますが、いつでも先生のことは心の中にあります。

お身体お大事にお過ごしください。

私もいつのまにか母親業のベテランの年代になりましたが、常に子育ては楽しみや嬉しさの裏には悩みもともに あると感じています。そしてそれが自分を人として成長させてくれているとも感じます。活力にもなっているので、大きな病気を2つもしても、働き続けられる くらい元気でいられるのは彼らのお蔭です。有難いことだと思っています。

世界中が大変な状況に見舞われておりますが、何とか踏ん張って乗り越えたいものです。

お身体にはくれぐれもお気をつけて、いつまでもお元気でいらしてください。

そして、またお会いできる日が来ることを願っています。   まよ
追伸  先生のパソコンが 15年も使い続けられるとは知りませんでした!
やはりそれも先生のお力なのでしょうか!?

* 26年もむかし、平成六年(1994)四月に入学して、院から、大きな電機企業に入社した。結婚式にも呼んでくれた。このような機械でのたよりそ、私のうけるほんものの勲章なのだと思う。

* それになんと ! 教授室へきて、わたしにコンピュータのまか不思議ないろいろをじつに面白く話してくれたことのあるこの人が、 「追伸」してくれたこと。なんだか特大に美 味しい饅頭をもらった子供のように嬉しい。最近、誰だかも、「奇跡ですねえ」と笑ってくれたが。現にこの私の機械もホームページも、素人のそれとしては超 大量のコンテツを擁したまま、いまも、画面の色も美しく働いてくれている。呵々、バンザイ。

* W-W-Wですから。蜘蛛の巣の通路は無数なんです、道は通じてます、なかなか壊れはしませんよと、コンピュータの世界的権威の先生が、さながらに「暗示」をかけてくれたのを「信仰」してきた。

☆ 秦 先生

温かい励ましのお言葉をありがとうございます。

まだまだですが 私も 生涯ずっと勉強できるよう、精進かつ健康にも気をつけます。

先生もお身体にお気をつけて。   山形大学教授

 

* 「教授」に「新任」の、東工大卒業生。「湖(うみ)の本」も欠かさず応援してきてくれた人、感謝。まことにまじめに温厚な、かつ「佳い物言い」の男性。満ち足りた旅日記を読ませてくれたことも。書く字も、穏和な表情も覚えていて、懐かしい。

☆ お元気ですか!
「「湖(うみ)の本」 いつもありがとうございます。
マイペースでボチボチ、元気でいて下さいね。  めぐ  東工大卒業生

* 受講中のころも、大学構内での行き帰りに出会うと「ハタさんの匂いがしたぁ」と駆け寄ってくる子だった。「あなたよっぽど臭うのよ」と妻に笑われたことがある。然らむ。
2021 1/4 230

☆ 秦先生、
ご丁重な年始のご挨拶をいただき恐縮です。ご指摘の通り、私も全く同感で、やれることは牛歩の歩みにしかすぎませんが、政府のやることなすことすべてにサボタージュ、同意しないことくらいしか現時点ではできないのが情けないです。
メディアも世に追調するばかりで、これといった明確な立場や指針を明らかにすることさえせず劣化が進みます。
とりわけ文学の力はいったいどこへ行ったのでしょうか。
それでも海外で仕掛けてきた企画がいくつか残っており、本来なら出かけることで充電、並びに英知を絞ることもできるのですが、それも全く不可能で まさに切歯扼腕するばかりです。
ペンは、日本ペンはもちろん国際ペンも同様ですが、無残にも内部紛争に明け暮れるばかり。この年になってこんな世界が実現するなんて想像すらできませんでした。
しかし、ちょっと距離を置いて眺めれば コロナ禍を悔やんでばかりもいられません。
むしろ前向きに、今後の世界の展開、新しい文化の創成を考える力を与えてくれたところもあるはずと自らを勇気づけ鼓舞しています。

そんなこんなで難儀な時代ですが、少なくとも言葉が世界を元気づけ、英気を与える起爆剤になるよう、この一年を有効に生かしていきたいと願っています。

先生におかれましでも健康にご留意の上え、ますますのご活躍を祈念する次第です。
国際ペン 専務理事  堀武昭

*  何を争ってか、要は地位・肩書か 文筆の人がそれをやっていて、一人胸に迫る作品や批評や論攷へロクな手も出ていないということ、まことに嘆かわしい。 あなたどんな作品(文業)を残してきたのと聞くにも耐えない半端な人らが、平然と、過去の文豪・会長・創作者たちの足跡を足蹴に消して呉れている。まこと に恥ずかしい。名作・作品という真の人と実績にこそ刺激され牽引される世界でなくてはならぬ文藝家協会やペンクラブの「貧相」に若い力ある書き手の奮発を切望する。

☆ 秦 君
お変わりなくご出精のご様子 お慶び申し上げます。
最近目に見えて体の衰えが目立ってきました。このままでは週一のゴルフも危ないのではないかと自分でも気にしています。

でも何事も天命と達観して、出来ることをやればよいと暢気に構えております。
貴兄も諦めずに 温泉へでも行く気分で 京都へお帰りになることをお勧めいたします。
貴兄のように現役で活動されておられる方は、何事にも積極的であると信じておりますので一日も早いご帰京をお待ちいたしております。

現役と言えば、古川雅章君が亡兄の後を継いで新しい「トリュウム溶融塩原子炉」の開発を今懸命に軌道に乗せようと頑張っておられます。
私たち同級生も一生懸命応援をしているのですがなかなか実現までには時間が掛かるようです。我々が生きている間にぜひとも完成を見たいものと思っています。
これが出来ればプルトニュウムの処分問題も解決されることでしょう。是非とも貴兄も応援してやってください。
今年は先の見える明るい年になります様祈っております。  京  小橋亮三  高校同窓

* 昔から悠揚とした大人で頼もしい小橋君、まことに勝手ながら、むろん虚構ながら二三度も私の作で決め手の語り手として出演して貰っている。いつも感謝し、その健在を頼もしく東京からも望んでいる。
2021 1/5 230

☆ 新年
正月三が日が過ぎ、結局お節やらを調え 例年のように 気持ちばかり慌ただしい日々でした。
田舎の風情残る氏神様には 地域の人ばかり。静かにお参りしました。焚火で頬が熱くなり、引いたおみくじは 吉で 一安心? 良い年であってほしいものです。
今は思い切り本を読みたい、到底再読できませんが、読み直したい本だけでも恐ろしく沢山あります。
瘋調二階節 面白く読みました。単に面白がってはいけませんが、このように書けるのは 鴉の稀なる素晴らしき才であります。昔の新聞には常に戯れ歌、狂歌などもっと溢れていたと思うのですが、今は・・。
短いメールでごめんなさい。階下から呼ばれています。 尾張の鳶

* この京都大学出の尾張の鳶は、会うおりはめった無くて、もう何十年ものメル友、私より十ほど若い人と感じている。ややこしい問題でじょせいとシテの意 見が識りたいときは、なんどもモノを訊ねてきた。世界中を翔びまわってけっこうな体験家のようだが、コロナでの逼塞とお祖母ちゃん暮らしは、どんなものか なあと想っていた。元気に凌いでいって下さい。
2021 1/6 230

☆ あけましておめでとうございます 2021
お元気でいらっしゃること  祈っています。
自分のペースで一歩ずつ…みんな元気です   長岡京  菜々   東工大院卒

* この、素敵によく出来た鎌倉小町が、なんと、あの昔懐かしい長岡京に住まいし、男の子二人のお母さんとして久しいこと。なにとはなく、京都のためにも心嬉しい。

* 岩波の「世界」で『北の時代 最上徳内』の長い連載を担当してくれた清水克郎さんが定年退職と。お世話になったなあ。あのころが懐かしい。よく話し、よく我が家でも食って呑んだなあ。
2021 1/6 230

☆ ご無沙汰しています。お元気でしょうか。
>五十歳 子供たちに 地獄苦を嘗めさせぬため 日本の近未来をしかと構築されよ。  (賀状への返しに 秦)

会社では昨年も事業部が一つなくなりました。生き残り競争の結果です。今も、コロナの影響を、私たちの事業部は受けており、ライバル企業は受けていません。何とか生き延びねばなりません。
子供達は、今時の子らしく、消費することに慣らされすぎて、中から湧き上がるものがほとんどないようです。夢も、点数以外の目標もありません。
このまま身の丈の大学を選び、なんでもいいから仕事に就き、無理をせずスマホ以外に望みを向けず、今のままでいたいようです。
こんにち、実にリアリティのある生き方なだけに、見捨てられません。
リモートワークで顔を合わせる機会ができた分、無駄と知ってもあの手この手で口をはさんでいます。  丈   東工大卒

* 「すみませんが、手が回りません。」
軽く、気の利いた躱しを聞かせたつもりか知れないが、五十歳の父が、こんな軽口で日々回している「手」と「口さき」からは、日本の近未来、子供たち世代 の世界的危機は凌げまいなと案じられる。日々につかう「手」のレベルでだけ生きているらしい。現代を支え近未来へ備える気概は「手」だけのものであるまい に。こういう口実をおとながみな当然のようにつかってゆく、それを衆愚政治屋はもっとも好都合な「 出汁昆布」につかってのうのうと「会食」しているう。現にしている。
センスと知性の問題ではないか。

☆ 秦先生、明けましておめでとうございます。
いつもご本を有り難うございます。体調があまり良くなくて、明後日は聞香初めのお手伝いですが、少々気が重く、今もぼんやりしていたところでした。視力も落ち、急激に老化が進んで、マスクで更に気分が沈んで、下ばかり向いている情けない日々です。
パソコンを開けて、先生のお名前が飛び込んで来て(=賀状への返礼 秦)びっくり。靄のかかっている日々から目が覚めたような気がしています。この気分を持続したい。「そうだ、先生の著書を読み返そう」 今、そう思います。有り難うございます。
感謝の気持ちいっぱいです。   名古屋  珊

* いまは だれも元気がない、向老の人はおおかたそうだろう。われ八五老もまして然り、しかし、どんなときも、今日明日のそして近未来の日本と日本人との健康な安全を想っている。いつ、あんなトランプのような狂的な暴君が立ちはだかるか知れないのだ。
安倍前総理はトランプとの友情を利していたが、いま、こころから彼を「諫める」のが「友」たる信義の姿勢だろうに。
2021 1/7 230

☆ 灰色の空が
いっそう濃さを増して強い風と雪の空になりました。降り積もるでしょうか、細切れの時間が続いて一日が終わっていきます。
東京の感染者が2400という恐ろしいニュースを耳にしながら書いています。病院にお出かけになる予定はありますか? 東京の地下鉄など、人の多さを想像するとそれだけで躊躇してしまいそう。これまでのように「蟄居」です、ね。
後手後手に廻る政府の無能力には日々唖然としてきました。そして国会討論などを聴き感じるのは 日本語の丁寧さ曖昧さが 逃げの姿勢、無為無策に通じていることです。とてももどかしい。
中国的な独裁的,強権的効率性を求めはしませんが、人の思いに届く早急な施策が欲しいと誰しも思っているでしょう。この地域でも緊急事態宣言発出が取り沙汰されています。

午後に途中まで書いたままになって、今は冷え込んだ夜11時、でも雪は積もっていません。
アメリカ議会の建物にトランプ支持派が乱入のニュースが大々的に報じられています。
病まず、躓かず、精いっぱい元気に、気力 強くもって冬を過ごされますように。 尾張の鳶

☆ 秦恒平先生
明けましておめでとうございます。
先生のご健勝にてご活躍のこと何よりのことと存じます。
二十代のころ、先生の保谷のお宅に毎月お伺いし原稿を頂戴し、美味しいお酒をいただきながら色々なお話をお聞きしたことは終生忘れません。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。    元岩波「世界」編集者   清水克郎

* そんなに久しい昔だったんだ。『最上徳内 北の時代』をたっぷりりと連載させて貰った。楽しくよく話しよく呑んだなあ。
お元気で、さらなる新天地を闊歩されますように。
2021 1/8 230

☆  明けましておめでとうございます。
クリスマスの日に頂戴したメールのお返事を書いていたのですが、親不知が激しく痛みだしたため それどころではなくなって散々でした。そのようなわけで、全然嬉しくない新年の幕開けでした。
ご体調のすぐれぬご様子を心配しています。体調ほど「成るようにしかならない」という言葉が当てはまるものはありませんけれど、ご無理なさらないで 少しでも心地よくお過ごしになってくださいますように。
昨年2020年度の「私語の刻」全部の分類編集したものをのちほど別便で送らせていただきます。32ファイルあります。昨年も本当に 書いて書いていらしたことがよくわかります。
どうかパソコンが機嫌よく受信してくれますようにと念じています。
曙   初日さす五百羅漢の五百態   武藤寒月

* 歯かぁ。あい憐れみながら、賀正の便を喜びます。私一年分の「私語の刻」の分類、とてもとても只人のなしうる業でなく。心より感謝申します。適切な治療に堪えられますように。

* 六時過ぎ、寝入っていた。

* 送ってもらった「私語20」全部を別フォルダに保管した。忝なし。
2021 1/8 230

* 高城由美子さんから、織機で織り出す用意と技倆と喜びとを、写真もそえて詳細に教えて頂いた。頂戴した膝掛け、しづと重みあり寛かに膝うえから脇へも居流れてまことに温かい。
けさは、暖房していてもこの「方丈」ひとしお冷える。つかむマウスが痛いほど冷たい。

* 高麗屋二代松本白鸚さんの 牛を墨畫の賀状を目の前に置いている。まいとし、実に簡潔に美しい干支を自畫の賀状を戴く。ことに珍重している。きのうは、十代目幸四郎さんの誕生日でもあった。もうまるまる一年舞台が観られていない。寂しい極み。致しようも無く。
2021 1/9 230

 

☆ 新しい年になりました。
ご機嫌いかがかとおもっておりました。
ご挨拶ができないなとおもいましたが、あっという間に松の内も過ぎ、小正月が、近くなりました。
今年は、これで慣例の賀状はおしまいというメッセージがかなりあり、その代わりに電話にする、というものでした。可笑しくもありましたが、時代が移っているのですから当然かもしれないとも思いました。
コロナはどうなのでしょうか、テレビを見なければ、あまり関係のない生活です。
コロナはいい口実になり、隠れ蓑になり、やるべきことを先延ばしにしております。一、二年はあっという間に過ぎました。
先のことは考えても仕方のないことに違いなく、ごく普通に生活をし、でもあまり老けたくはありませんから、できるだけ、きちんとした生活を心がけています。
食欲がないのは困りますね。心配いたします。
どうすれば出るのでしょうか❓   最近の脳科学でわからないものでしょうか?
春はまた巡ってまいります。冬の間はごゆっくり、春には楽しく花見を楽しみましょう私はそう思っております。   那珂

☆ 寒中お見舞い申し上げます。

寒中、ことのほか冷えまさるきのう今日でございます。

先日は、この閉塞感のなか、光を見るようなご報告、嬉しく存じております。

ご体調万全ではいらっしゃらないなか、衰えをしらぬ作家魂を心より敬服申し上げます。

明治維新のころ活躍する二人、何人か思い浮びますが、誰でしょうか。楽しみでございます。

こちらまでもが、励みを頂きましたような思いでおります。

一層のご自愛 お祈り申し上げます。   紅
2021 1/12 230

☆ 今日(昨日)の朝日新聞の夕刊に建日子さんが。
「オトコの別腹」欄にコメント。映画「クハナ」の監督をされていたときに地元の皆様がいつも差し入れしてくださった「安永餅」を推薦されていました。写真も、作家紹介も。
小正月に嬉しい話でした。
6月には3作目の映画も公開とか。それまでにコロナ騒動も治まって欲しいものですね。
静かに、元気でいましよう。      練馬  晴美   妻の親友

* 作家には、「書く」機会は寶もの、無駄にせず、心ある文章を大事にのこし置くこと。山となればそこから視野も広がる、深まる。
2021 1/15 230

☆ メールを頂いていたのに
返信できなくてすみませんでした。早い事、今日(=昨日)は、小正月に成りました。
私は、ほんの少し元気に成りました、タクシーで病院通い程度です。
お弁当を取ったり、日日何とか食べるものを作れる程度です。コロナ騒ぎで買い物も行けずに生協で仕入たりして居ります。ふらふらとしながら、力が入りませんが、ぼつぼつ 頑張れるかな?と 思いながら。    京・北日吉   華  高校時 茶道部

* ホッとした。案じていた。
この人の家から一分とかからない近くに、映画「女の園」のモデルであったろう京都女子大の施設「京都幼稚園」があり、わたしは、昭和十六年度の一年間(十二月八日に太平洋戦争宣戦)、園のバスで送り迎えされ通っていた。
華さんの家のすぐ東には正林寺という閑雅な古寺があり、毎日幼稚園に運ばれる午の弁当をお寺の境内へみなで行って食べる日もあった。この東一帯は、平家の総領平重盛が家門を構えて、京と山科とを塞ぐ要地だった。歌の中山清閑寺にちかく、この界隈をわたしは幾つもの小説に懐かしく描いて親しんできた。
2021 1/16 230

☆ 東京では感染者が二千人と、
実際は遥かに多く感染が浸潤しているでしょう。ワクチン接種への期待か、あるいは抗体保持者の増加、で収まっていくのか、心荒れる昨今です。
この十カ月、毎日追われるように過ごしてきました。育児の再実習のような・・。思うようにはなりませんが、当人はご機嫌よく、発達も順調で、早や家中を歩き回っています。

『史記列伝』に、「鳶鴉(たい・あ)」と対の字句が・・。
「鳶・烏(たい・う)」は、ときどき、泉鏡花が用いてますね。
漢籍の、良い古典本が大事にお家に遺されていた、何気ないようで、それが人生に大きな流れを指し示すことにもなっていくのですね。
「『四書』の発端『大學』最初の一行の明晰的確なこと・・要点に逸れてきた何十年を残念に感じます」と。今だからこそ『大学』の要点も、むずと掴み取る ことができるのだと思います。もし膨大な漢籍の世界に若くして入り込んでしまったら「研究者」になるしかない、小説家秦恒平は生まれないです。京大の人文 研究所の書庫を思い出すと、いまでも驚嘆と恐怖に似たものを感じすよ。

昔からのお友達が、「代表作は『オイノ・セクスアリス』と思うと云うて」來られましたと。

インパクトにおいて、『オイノ・セクスアリス』は殊に男性読者にとって興味を掻き立て読み切らせる力をもっています。多くの人が単に興味本位でなく「文 学」として読む可能性をもつ、その意味で代表作になり得ると思います。性的描写や人間の描き方も、例えば野坂氏の『四畳半・・』などと全く異なることを踏 まえて。そして、性が、単なる快楽欲望ではないと強いバックボーンを形成しています。
わたしは、それでも、些か禁欲的な叙述のもの、初期の『慈子』の列にあるものや、深刻なテーマですが『親指のマリア』などが好きです。膨大な秦文学の山塊に再び三たび幾たびと向かい会わなければ!!

「字と繪とは、なるべく書き忘れないように。」と鴉は言われます。わたしは鴉がエッセイについて以前書かれた文章を思い出します。
「文学は何と云っても文章が個性的に光らねばならない。どんな面白ハナシでも騒がし
い、また凡庸な、要するに雑文ではいけない。
「エッセイ」とは最も微妙な狂気でしかも最も微妙な叡智である。旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって「言葉の藝術」になる。
世間で軽く謂う随筆・漫筆・雑文の類とは異なって、自身に対し躾けているエッセイへの思いは、上に引用されてあるように、最 も微妙な狂気でしかも最も微妙な叡智の散文表現、それを「エッセイ」であると。旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって本質志向する「言葉 の藝術」・・」

長く引用しましたが、端折るわけにはいかないのです。
エッセイに限らず 常に意識の中心にと、その覚悟もつ、それが大事やと。

以上時間の切れ端を集めて書きました。このメールは全部オフレコやなあ。
くれぐれもお身体 大切に大切に願います。    尾張の鳶
2021 1/17 230

☆ お元気ですか、みづうみ。
ご体調不良のご様子、あまり我慢なさらず適切な治療を受けていただきたいと願っています。

『オイノ・セクスアリス』読解の一つの大きなヒントを与えていただきました。「暗闇の下鳥羽の森や湿地や、大河」の象徴する別世界への憧れと は、この作品の中で一番手に負えないと感じた部分でした。選集の巻頭のカラー写真でみたその場所はおそろしい「魔」を感じるには健康的に見えましたし。京 都の土地も歴史も知らなさすぎるので、この作品の「聖地」という根幹に届かないと思っていました。
もし可能なら、東作西成 春作秋成 含めてこの作品にこめた作者の意図についてどんどん書いていただきたいなあと願っています。『オイノ・セクスアリス』は本当に理解の難しい作品の一つです。

暖かくなったり冷えたり、気の晴れるニュースは何もない日々ですが、もう少し辛抱すると花の季節です。
お花見、できますように。  鞠   手鞠唄かなしきことをうつくしく   虚子

* 京都には、魔処 というに当たる場所や地域が、街の真ん中にも、いろいろとある。
ことに桂川・鴨川の合流点へ、うねうねと長々延びた森や畠はもう郊外というべきだが、京都という魔ものの南の尻尾をなし、上古は、ひたひたにむきだしの 葬地だった、都とはいえそういう場所は、大小の川縁りはむろん、街なかにもそのような一画があちこちにあった。山紫水明を誇る東山・北山・西山のほとんど が帝都の奥津城であった。だからこそ大文字の山焼きで鎮魂する。京都とは生者と死者との木暗い同居世界、いまでは死者のほうがはるかに大勢「生きて」在る 都市なのです。そういう「京都」、まだまだあまり的確には書かれ得ていない気がする。川端康成の「古都」はそこへ達していない、谷崎先生の『少将滋幹の 母』や『鍵』や『夢の浮橋』の凄みが美しい。
『祇園の子』『冬祭り』『風の奏で』『初恋 雲居寺跡』『花方』などあるけれど、私は、まだまだ。これから。
2021 1/18 120

☆ 良い新年でしたか
新年を迎えて特に何の感慨もなく新たまった気持にもなれず、アア二月で一つ歳とるなアなんて…
弥栄か(中学)らの仲良しが 階段から落ちて何ヶ所か骨折したと聞いたのです。
ソソッカシイ私は肝に銘じています。今は✉を送るのも控えてますが。
6歳上のお向かいさんが子供と同居せずに、元気に独り暮らしをしているのが、何よりのお手本です。 御元気で   花小金井   泉

* 気の弾まない受信ではあるが、「良い新年」というのだから良いでしょう。一学年下の、むかしから「元 気ジルシ」だったが、二月で八五歳、曾孫もいるのかも知れない若い人たちとの暮らしで賑やかなことだろ、が、静かに往年を思ういとまがあるかしらん。文章 の書ける人だった、が、書くにはある種の静かさが必要だから。わたしのこの日々の「私語」を聴く機械もなくしたように以前に聞いた。
ま、怪我の無いのが何より。 中学の昔の片々とした思い出でも、ちょっとずつ聞かせてくれると私は何かと助かるのだけれど。
2021 1/19 230

* まだ中学生ではなかったか、大阪の読者の岡田さん=お母さんに連れられたお嬢ちゃん、フーちゃんと、上野の山で会っている。つよい雨の日だった、妻も一緒だった。
その少女が、もう大阪大學の院を出て、演劇學の研究者として「岸田理生の演劇」を論究の、立派に美しい大冊を成し、送って呉れた。なかなかの論著の大冊、ありそうで容易には出てこない本格の一冊と見え、フーちゃんようやったねと、拍手。
お母さんの岡田さんは、奈良女子大での恩師かと想われる、わたくしも年久しく親しい歌人東淳子さんの病床を見舞い見守っていて下さり、私も、大いに安心し感謝している。東さんの、日々「楽しみは」と据えた「述懐」歌はずいぶん出来たろう、
たのしみは 遠きたよりの すこやかに よき春まつと声に聴くとき
いい歌 いい日本語からは 肉声がきこえる。源氏物語を読んでいるとそれが分かる。二条院にまさしく嫁いだ宇治中君も、心ならずも仲立ちしてしまった薫中納言も、夕霧右大臣の六君をも妻にして通い始めた中君の夫、匂兵部卿宮も、肉声で語っている。だから惹きこまれる。
2021 1/23 230

* 500頁の『岸田理生の劇世界』 大阪岡田ふーチャンの「博士」パスの大仕事を掌にし、ともあれ立派な出版をお祝いのメール、昼過ぎには、書き終えた。すんなり機械から翔んで行って呉れますよう。「岸田理生」については、全く私は無知識ですが。
2021 1/24 230

* (ここへ書いた一文が消え失せた。)昨日昼夜に岡田蕗子さんの博士論著へメール。その先の一通も、目の前でかき消え、回復できない。いよいよ機械クンのお手上げが顕著化するか。困るなあ
2021 1/26 230

☆ 膨大なお仕事の中で、
最長の作『私語の刻』日録がどういう位置づけになるのかを中心に、秦恒平論をと思っています。お言葉には生き生きといのちが漲っています。形になるのはまだ先です。ご迷惑でありましょうが、どうか長生きなさってください。
いつか来ると頭ではわかっていたパンデミックですが、こんなかたちで世界を変えるとは驚きでした。準備も覚悟も出来て いませんでした。きっちり収束するようなものではなく、五年くらいかけてインフルエンザの一つのようなありふれた病気になっていくというような予測を読み ました。まだまだ先は長いと思うとうんざりです。どうぞお大事に。   田町
2021 1/27 230

* ペンクラブから届いた会員名簿補遺によれば、理事以前から親しかった識り合っていた人のよほど多くが亡くなっており、また退会もされている。
退会者の増えるのはナニ不思議なく、多くは名刺に「会員」と刷るために会費を払い続けているに、ま、斉しい。私は表彰会員として会費は免じられている筈だが、あえて名を置いているのは、会員に推薦して下さった往年の師友とのご縁を想うからで。
もしいま理事として働いているなら、理事会でかなり猛烈にいろいろ異見を述べ、また文学・文藝の事業を新提案して働くだろうが、遺憾にも健康も体力も衰えてしまった。 2021 1/27 230

* 岡田祥子、蕗子さん母子の丁寧な来信もあり、しかしフウちゃんのなお展開するはずの論考に質的に触れてくるところあり、ここへ出さない。
2021 1/27 230

☆ おはようございます。
昨日、私の所にも日本ペンクラブの会員名簿補遺と理事長選出にあたっての注意事項が届きました。
先生の仰るように私も、”多くは名刺に「会員」と刷るために会費を払い続けている”状態になっています。この二万円だって乏しい生活費の中から出しているのに 寄付の払い込み票も届いております。
名刺に日本ペンクラブ会員と刷っての効用ですが、まずないですね。
高齢者は 「ほ、ペンクラブですか」と言ってくれますが、若い人は50代くらいでも反応は皆無です。ま、そんなものでしょう。
さて、角田光代現代語訳の源氏物語は読み終えて、いまは細雪を読んでいます。
谷崎潤一郎の代表的な作品は今までに読んでいましたが、この名作だけが漏れていました。
このコロナ禍での日々すごし方として 読書はもってこいです。
まだまだ油断ができません。お大事にお過ごしください。 道、 神戸e-old

* クラブからの通知で胸を衝かれたのは ああ、こんなに多く「死なれて」いたかと。『死なれて 死なせて』一冊を梓に上せて何年になるだろう。
わたしより先に若くして死なないで欲しいと祈るほど願う知友の数が、目に見えて減った。
2021 1/28 230

☆ 今日は
お風呂にはいれて 夕食を済ましたら、足元の暖房が急に故障になってバタバタとしてました、古い電器製品を追い回してますので------、
日々食べる事のみでおしまいです。明日は食料品を仕入れないと!
今熊野迄バスで---不自由に成りました、こんな様子で何とか過ごしてます。 京都  華子

* 同じ高校で、同じクラブで、わたしより二歳若い。最近夫を病に奪われ 自身も怪我で入退院。永く習い 自身も教えていた茶の湯の味が、そして少しずつでも佳い読書が慰め励ましになって欲しいと遠くから願っている。

☆ 今年二度目の雪でした。
昨日午後も遅くなって霙から雪に。少し積もり昼には消えています。食料を買いに行くくらいで変化少ない毎日はみなと同じです。
家人が入院手術、さすが大きな病院は人の出入りも多く、病院に行った後は感染の可能性も考えて十日ほどは普段よりさらに注意していました。
早や二月、と、時間の速さに驚き嘆くのは年の所為・・か。庭の椿が先始め、これから数カ月は楽しめます。枯葉を取り除くと球根が早くも競うように芽を出して、それぞれの営みに専念しています。
レオン・ブルムと聞くと、やはりフランスの人民戦線内閣を思い起こします。本は持っていないし、古い出版なので、ネットで今日注文しました。届いたら早速読みます。
若い日々に読んでいたら、青年期、壮年期それぞれに感想あったでしょうが、さて現在の年齢でどのように感じるか、興味が湧きます。ブルムの時代や周囲の相違を考えると異なった関心も抱くでしょう。楽しみです。

くれぐれもお身体大切に
昨晩フランスの芸術家だった人たちの介護施設に取材した番組を見ました。80歳超えて、老いの翳り深い姿でした。鴉の精神の活発は誰よりも素晴らしいと思います。
どうぞ大切に、大切に。   尾張りの鳶

* 私よりは 一回りほど若く、あの「敗戦前後」の所産と想っているが、ブルムと聞くと即座に「フランスの人民戦線内閣を思い起こ」してくれるから楽しい。
どんな手術か知れないが、誰も誰もみなみなお大事に。
2021 1/30 230

☆ こんばんわ!
ご体調はいかがですか。
今日は節分とはいえ、どこのお寺も神社も豆まきは中止です。
新門前のお家のことが、書かれていますと、とても懐かしく しみじみといろんなことが思い出されます。
次女宅に 太郎という孫がいます。
たまに雪が降るといつもこの詩が浮かびます。
「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」
小さかった太郎も社会人になり、会えば小遣いをねだっていたのが、今年はお年玉をくれました。
秋から悩んでいた足の痛みも少しずつましになってきました。
何かと鬱陶しい毎日ですが、良いこともあるわと、自分を励まして過ごせればと願っています。
又世間が落ち着つけば、東京へも行きたいし、恒平さんにもお会いしたいです。
どうぞ、どうぞ、お元気でいてください。
お祈りしています。 京都 みち 秦の母方従妹

* お年玉をくれる太郎君 いいな。この従妹の「みち」さんは私より一つか二つかほど年下だったか。お父さんとは秦の父が碁がたき。よく新門前へもみえていた。わたしも船岡山のお宅まで碁を打ちに行ったりした。それはやわらかに懐かしい京の男ことばの伯父さんだった。
いつまでも、お元気で、みっちゃん。
2021 2/2 231

☆ 大前張(おほさいばり)

宮人(みやびと)の大装衣(おほよそごろも)
膝通し

膝通し
著(き)の宜(よろ)しもよ大装衣(おほよそごろも)

* 光源氏のおほ昔に、こんな囃し歌でファッションをほめ合ったりしてたか。「歌」こそは神代の昔からの文藝のめざめであったと。山本健吉先生のすばらしい論攷に出会った時の嬉しさを思い出す。
ごいっしょに横浜駅前で講演して、あと銀座の「きよ田」で寿司を食べたり。はるばる講演の旅をご一緒したり。ブルースの淡谷のり子さんを囲んで賑やかに鼎談したり。山本先生とははなしもよく合い、いつも温かに声をかけてくださった。
2021 2/3 231

☆ 秦先生
お世話になります。

要再校ゲラを受領しました。ありがとうございます。

**が仕事をしているフロアで コロナ罹患者が発生しました。

その為、**、その他スタッフ 併せて自宅待機になっております。

3割出社と言われている折、状況により「出校の遅れ」が考えられます。

ご迷惑をおかけしないように出来るだけの事はいたしますが、何卒状況のご理解を賜りたく思います。

コロナが身近な存在になってきている事に恐怖を感じながら通勤しております。

秦先生、何卒よろしくお願いいたします。  印刷所

* 切にお変わり無きを念じつつ
お大事に お大事に と願います、油断なく。 私も。  秦
2021 2/3 231

 

☆  お元気なはずはありませんが、
お元気ですか、みづうみ。
アコちゃんが戻らないのですから、本当にご心配のことでしょう。私も気持ちがふさいでいます。脱走した猫は、そう遠くにはいかないと読んだことがありま すし、猫は身を隠すのが上手ですから、案外ご近所で様子をうかがっているのかもしれません。車庫などに入りこんでしまって出られない可能性も。ご存知とは 思いますが、猫を探す専門探偵もいます。アコちゃん、どうか早く出てきて、急いで戻ってほしい、帰ってほしいと、ご一緒にお祈りします。
ご気分転換になるかどうか。一昨日書いていたメールをお送りします。
大変なルビ打ちの校正がお済みとのこと、おめでとうございます。
先月、高等科時代に(なんという昔!)ご指導を受けた先生の訃報が届きました。お美しく才能にあふれ、ぱあっと輝くような方で、憧れて敬愛 していました。英論文の書き方、英文学の読み方を叩きこんでくださった先生です。後年失明なさったと伺ったときには悔しくて残念で涙しました。
先生が、フランス大使館でアンドレ・マルローの出席するパーティご出席の折に、彼が、たかが十分程度のスピーチのために講演でもするかのような大変な量 の原稿の束を準備して登場したことに驚き、「才能を与えられた人間はより多く苦しむ」と仰っていらしたことがずっと頭にありました。
みづうみと出逢って、あの時先生の仰っていた意味が心底分かるようになったと思います。天才を与えられることは、途方もなく苦しむことと同義なのだと痛感しました。
もしみづうみと出逢わなかったら、あけぼのは死なない仕事が出来るほどの天才の持ち主を羨んだかもしれません。みづうみとみづうみの文学を知ることなし に、ほんとうの意味の謙虚を学べなかったのではないかと思います。今でも謙遜な人間とは言い難いとしても、歴史の泡と消えゆく凡人であることに少し安堵し 感謝するのです。その上で、天才を生きる方々へのご恩返しの意味でも、なり得る最高の自分になろうと願って毎日書いて務めています。棒ほど願って針ほど叶 うか、でありましょうとも。
幸いに春一番の吹く暖かさ。
一分でも早い「ご帰還」の朗報を心よりお待ちしています。
梅     紅梅の紅の通へる幹ならん   虚子

* ありがたく。
2021 2/4 231

 

☆ アコちゃんの帰還!
鴉の探し歩いた思いが届いたのですね。良かった、良かった。
シンガポールの娘の家のムッチは、行方不明のままになりました。わたしにとっても大事な猫でした。今でも思い出します。
昨日義母が救急入院しました。胆嚢捻転、年齢や健康状態から手術は出来ないと診断されました。それにしてもコロナ禍で病室での見舞いも厳しい制限があり、今日は会えませんでした。
アコちゃんが戻り落ち着いた日常を、どうぞ大切に穏やかにお過ごし下さい。
お身体くれぐれもご自愛ください。   尾張の鳶

* ありがとう。そして、くれぐれも、お大事に。 鴉

* 日差しもことに明るく。
2021 2/6 231

☆ 安心しました
アコちゃん、無事に戻ってほんとうに良かった。昨夜はよくお休みになれましたでしょうか。気が気でなかったのでほっとしました。
とにかく、めでたし、めでたし。
節   木の芽してあはれこの世にかへる木よ  鬼城
2021 2/6 231

☆ 師弟の愛

★ 墓標より戒名手帖にうつしつつ
荒木先生はやはり荒木先生がよき     脇 須美

☆ たいへんよく分かる。「墓ヒョウ」「戒ミョウ」「手チョウ」と韻を踏んでいる。それはともかくとして「戒名」のあとへ、字余りでも、「を」を一字送ってはどうだったか。 昭和五四年『散りてまた咲く』所収。
こう読んできて気がつくのは、弟子から師へ、それも今は亡き師への歌が多く、師から弟子たちへの歌は、釈迢空らに無くはないものの、ここに紹介したいと 思うほどの作に、出会えなかった。概して情が先走り表現に周到さの不足しがちな所が、「師弟」の歌の残念な特徴だったか、という気がしている。

* 脇須美さんはお母さん。娘さんの脇明子さんは泉鏡花研究の本など出してきた方で、私は一度座談会でご一緒している。翻訳もされる方で、大好きな三巻本マキリップの『イルスの竪琴』を戴いていてル・グゥインの『ゲド戦記』とともにもう十度も読み返して飽きないでいる。
そんなことも告げてお礼も言いたいが、現在どこで教鞭をとられているか知れない。お差し支え無くかつ連絡先ご存じの方があらば、お教え下さいませんか。
2021 2/7 231

☆ 秦様

アコちゃん無事に帰って来てくれて本当に良かったですね。

ケガも無かったようで安心しました。

ご報告ありがとうございます。   アネア動物病院 横町
2021 2/7 231

☆ 手術後の
姑は痛みはあるものの 気丈に静かに時を過ごしています。
元気にしています。  尾張の鳶

* 誰も誰も こういう時節こそ 穏やかに心静かにと願われる。
2021 2/9 231

☆ 随分と長い
ご無沙汰でした。コロナに暮れコロナに明けてしまいました。
そしたら大雪です。それも二波、三波、しかしコロナと違い、雪はすっかりとけて 昨日なんか冬晴れの一日でした。ただこのまま春に向かうとは思うわけではありませんが。
秦さんのご様子は、H.P.で拝見して、お変わりないことと安心しています。私の方は、コロナも大雪も関係なく、相変わらずの閉じこもりめいた毎日で、刻字や篆刻なんかもこのところお留守にしています。これでいいのかと自問することもあります。
身に近い変化といえば、去年の暮れ近く、二歳年下の弟に死なれたことでしょうか。銀行員だった弟は、定年前に脳梗塞で倒れ、三十年近く半身不便の病との 共生でした。晩年は子供たちの住まいの近くにと、横浜に移り、そこでなくなりました。甥から家族葬との案内を受け、いろいろの不都合で、参列できないおわ びを告げたことでした。
このころは遠出するどころか図書館へも本屋へも向うことが少なくなっています。子供たちが車で出掛けることを気遣い過ぎるからです。そこで身の回りにあ る本を無作為に引っ張り出して読んでいます。先日、文庫の棚から取り出したのは、立原正秋著『日本の庭』でした。作者にも、もちろんその内容にも引かれる ところがあったのでしょうが、「解説」の頁にしおりが挟んでありましたので、解説者が気になって買い求めたのだった
のかも知れません。「解説」を読み返して納得、あとはゆっくり本文の頁を繰っています。
この作者が気になったのは、もちろんその作品のせいですが、立原正秋をあつく語るお弟子さんを知ったせいでもありました。宮城谷昌光さんです。文学館に いたころ、宮城谷さんにかかわる小さな展覧会を開いたときお会いしました。ご自分のことより師匠(そう呼んでいらっしゃいました)について語る時間が長 かったようです。こんなお弟子を持った師匠は幸せだなあと思いました。
作品とのかかわりあいは、地元の新聞が「北陸・名作舞台」というシリーズを企画し、私にも何編かの執筆依頼があって、そのなかのひとつが立原正秋の「恋 の巣」だったのです。舞台は「金沢・長町周辺」ということでした。執筆にあたって、他の立原作品にも目を通しましたが、『日本の庭』はその時に手に入れた ものだったかも知れません。
このところ元気ではありますが、去年の秋頃から五十肩?が再発して診てもらったところ、お年だからねと言われました。二週間に一度、注射に通っていま す。もう一つ、眼鏡の調整に行きましたら、眼科検診を勧められ、それに従ったところ、白内障の診断が下され、六月に手術することに
あいなりました。これも「お年」のせいなんでしょう。なにかにつけ、年齢を思い知らされる「今日このごろ」ではあります。
お二人ともお大事にとお祈りしています。
2月8日         井口哲郎  元・石川文学館館長・県立小松高校校長先生

* なんと心温かな佳いお手紙かと、お元気を心より喜びながら 懐かしくて 逢いたいなあと痛嘆する。無事これ好日と お互いに 「お年」と付き合って行 きましょう 奥様ともども 文字通りお平らにと願います。 私からも 井口さんのように 自筆の手紙が書けるといいのだが、痺れる指先でペンが踊ってしま う。昔に、萬という枚数「秦用箋」つまりは原稿用紙を刷ったのに、やがて機械クン登場、原稿紙は200字のも400字のも埃をかぶった。あの升目の大き な、大きな400字原稿用紙へ万年筆で手書きの手紙を、字はいいから、送り出したらどうかと思うこともある。
とはいえ、送り出したい先が、もうよほど寂しくなってきて、心痛む。「湖(うみ)の本」の久しい読者が列島にまだ大勢おられる、そういう方々に「お電 話」で話しては思ったこともあったが、電話で話すのは苦手でもあり、何より先サマにご迷惑かとたじろぐ。老境というのは、よほど自分で囃し立ててやらない と寂しくなる一方。妻は、わたしが何もかも「私語」しすぎて見苦しいと叱るけれど、「私語の刻」ぐらいは好きにさせろよと自分で自分の鼻を摘んでいます。
2021 2/10 231

☆ 秦 恒平様
ごぶさたしておりますが お障りなくお過ごしでいらっしゃいますことを願っております。
冴え返る日も少なくありませんカセ この日頃の明るさに春を感じられるようになりました。
コロナ感染も多少抑えられてはいるようですが まだまだ安心できず 外出を控える日々 せめてクッキーにお見舞いを託します。
私も 昨年 後期高齢者となりました (分類されたくありませんけれど) 何とか無事に過ごしたいと思っております。
御身 御大切に
令和三年二月八日       村上開進堂

* クッキー頂戴し お手紙も戴きました。
麹町界隈へ 佳い花の春の訪れをと願います。お元気で。
2021 2/11 231

* なんとなく機械に触れながら、芯の疲れにならぬうち、今夜は終業としたい。
機械に向きながら顔を左右へ振ると、書斎六畳の西壁、作りつけた大きな書架や障子戸へ少し伸ばせば手先が届く。そんな一と側の、ありとある余地へ小物や写真などの「静かな・賑わい」です、 呵われるだろう、が、わたしは咲っています。
書架に接した右脇に、南洋の産か大きな豆鞘が吊ってあり、鞘の一つずつに 「鴛」「鴦」「夢」「圓」そして「潤一郎」「書」と墨書されてある。谷崎論へのご褒美だった、いつかは、誰方かに、何処かに、差し上げねばならない。
その直ぐ右、白い障紙に架かって、まだソ連時代のグルジア(ジョージア)を旅した時、首都トビリシで歓待の政治家ノネシビリさんに、お土産にもらった洒落た酒器が飾り金で吊してある。優に50センチもの弓姿りの角(牛か、鹿か、羊か)そのままの酒器で、葡萄酒やビールを満杯に注がれると飲み干さねば下に置けない。
ノネシビリさんも通訳でていねいに案内してもらったエレーナさんも、その後に政変がらみでか亡くなられた。賑やかに楽しかったトビリシでの一夜は今もありありと懐かしく、目をあげて太い大きな角盃を見上げては想い入れに沈むのだ。
まだ小さくて愛らしかった、あの亡きやす香を妻が鉛筆描きした肖像にもじっと目がとまる。
社員という社員からまるで獅子吼に畏れられた医学書院の金原一郎亡き社長、私はただ一度も叱られなかった、そして葬式はしないんだ、写真をもらって呉れ よと仕事の席へまで自身で届けて下さった「温容」の一枚には親しく「秦 恒平君 社長」ほかの献辞も添ってある。入社前の面接の日、金原社長は私の戸籍謄本を手にしたまま、「きみは、この謄本(の記載)を気にしているかしれな いが、わたしは、何ら気にもかけないからね」と。以来十五年余、この社長が相談役として退かれたその日に作家としての道へと医学書院を退社した。作家代表 団に加わり井上靖さん等と中国から招かれたときも、伝え聞かれて金原社長は長谷川泉さんを通して餞別を届けても下さった。書かれた文章なども何度も戴いた のだ、とてもとても忘れられる方ではないのです。
2021 2/16 231

* テルさんが「代表作はこれだ」としかと指さしてくれた『オイノ・セクスアリス』を、懐かしく読み返し終えた。『罪はわが前に』へ帰るか、『花方 平家 異本』の「颫由子」へつながった「冬子」の『冬祭り』やその以前の『風の奏で』などが、読み返してみたくなった。となると、原点は、やはり『清経入水』の 「紀子」になる。『四度の瀧』へも。読み返してるヒマがあるだろうか。次へ次へ、書くが先か。
2021 2/16 231

* メールが、いつ通らなくなっても可笑しくないよと機械クンは警告している。覚悟はできるが手当は出来ない。
2021 2/17 231

☆ 地震お見舞い
有難うございます。東海は北部なので、今回はほんの少し被害が出ましたが、仕方ないことです。
余震で、良かったですが、もし心配されている東南海沖などの地震が起きると大変です。
元気にいたしております。有難うございます。  那珂

☆ *子おばあちゃま   馨 (亡きやす香の親友)です
ステキなプレゼントありがとうございます!
荷物が届いた時、ゆい佳にかな~?と思ったけど、
私へのお誕生日プレゼントだったなんて!
最近は忙しさからか、自分の誕生日を忘れることが多くなってきてしまいました。
ステキな絵本と、かわいい靴下たち!靴下の履き心地、最高です!
自粛中なのでなかなか買い物に行けず、穴の空いた靴下にダーイングの刺繍をして何とか履いていたので、嬉しさ倍増でした。
お腹の子も私も元気です。
もちろん、ゆい佳も主人も。
お腹の子、どうやら男の子らしいんです。
私が姉妹なので、姉妹を育てることになると漠然と思っていたけど、おばあ様と同じになるようです。
どんな生活になるか想像がつかないけれど、夏が来るのがとても楽しみです。 馨

* みなみな揃って お元気に。やす香に生まれた曾孫を抱いてやりたかった。結婚もさせてやれなかった。うちの玄関で ハイ ポーズの五歳頃の写真を京都の私両親の写真とならべて、いつも声を掛けている。亡くなった前の、大学生(成人直前)の写真は つらくて見られない。
2021 2/18 231

* 森下兄の送ってくれた藝大卒の声楽家藍川由美の歌う「歌謡曲」を、今朝は聴いている。知らない歌は一つもない。いま「白いランプの灯る道」を歌ってい る。歌謡曲歌手なら強調するコブシはほとんど殺して、美声と澄んだ気配を歌う。で、どの歌もほぼ同じアンバイである。それでも、今聴いている歌も、これか ら歌う「港の見える丘」も「フランチェスカの鐘」「長崎の鐘」「白い花の咲く頃」なども、清潔感を哀愁がつきぬいて歌われ、声楽の妙を愛聴できる。
とはいえ、私の耳には、ところどころで自然な諧調が、かすかに不自然に「蹴躓く」と聞こえる箇所がありますナ。なぜかナ。
2021 2/20 231

* 出した、返事したはずと思いこんでいるメールの控えが、発信済みとして機械に残っていない。わたしが狂っているか、機械の変か。この比べになると、わたしに勝ち味は無い。がくッ。もうもう「孤」に徹し余生をちいさく手に囲うしかない。失礼があったら、あやまります。
2021 2/20 231

*  ひらがなを書くだけにも機械くん、頓挫したりする。肝を冷やす。あれこれしている間に、もう五時になろうとしている。新しい題をつけて、やや長く書き進 んである作を触っているうちひらかなが書けなくなり、そんなときは全て中断、機械をオフにしてやり直す。いま、やり直して  やっとまともに落ち着いた。
私の一太郎は、じつに「2004」という版であり。これは 卒業生の林君が、古い機械に最新の版をセットすると機械が負けて不具合が出ますと助言してくれたのを聴いたからで。好む機械クンはそんな配慮を良しとしてくれて長生きしてくれているのではないか。
林君はどうしているだろう。東工大在学中、お茶の水女子大の教室にまで「単位」を稼ぎに出向いていた。200単位も獲得していたと思う。当時、200安 打を超えて記録をつくったあのイチロー選手にちなんで、「イチロー」とあだ名で呼んでいた。おもしろい子だった。わたしの機械操作を、家まで来てそれはよ く教えてくれた「恩師」です。
2021 2/23 231

☆  お元気ですか、みづうみ。
暖かくて、陰気なお天気ではないのは幸いですが、みづうみのご体調の記述を拝読すると気持ちの沈んでしまうことがあります。病院はスーパーより感染対策ができていますので、ご不調をあまり我慢なさいませんように。

先日、猫の脱走についての記事を見つけましたので、貼りつけておきます。アコちゃん二度とないことを信じていますが、万が一のときのためのご参考になればと。

★ 「家の周囲を徹底的に探して」ネコが地震に驚き脱走…獣医師が教える探し方のポイント
猫の探し方のポイントです。1週間以内は半径500m以内を徹底的に探すようにしてください。特に完全室内飼いの猫ちゃんは発見場所の中央値が39mと、家の近くに隠れている可能性が非常に高いです。
探す時は猫が隠れそうな茂み、車や物置の下や室外機周辺を注意深く探しましょう。驚いた猫は上に登る習性があるので、屋根や木の上などにも目を向けてください。大好きなおやつをふりながら探すのも良いです。 また、猫は隠れ家を好みます。
ダンボールに入口の穴を開けた隠れ家をつくり、中にお気に入りの毛布やクッションを入れて、おうちの近くに置いておくのも効果的です。
また猫の習性を考えると探す時間は早朝もしくは夕方から夜にかけてが良いでしょう。猫は目が光るので案外暗い方が見つかりやすい場合もあります。同時に警察・保健所にも連絡を入れましょう。
休日は保健所や動物愛護センターは電話がつながらないことがあるので明日忘れずに電話しましょう。一方で、多くの人は保健所=殺処分のイメージがあり、 保護してくれた人が保健所等に連絡していないケースもあるので、ポスターやチラシで呼びかけることもとても大事です。 すべての猫が家族のもとに帰れるように、拡散よろしくお願いします。

地震つながりでもう一つの注視すべきニュースも貼りつけておきます。

★  東京電力は19日、事故収束作業を続けている福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)の1、3号機で、原子炉格納容器内の水位が30センチ以上低下し、1 日数センチのペースで続いていると発表した。13日夜に両町で観測された震度6弱の地震の影響で、10年前の事故で損傷した部分が広がり、原子炉建屋内に 漏れ出る量が増えているとみられる。

この小さな扱いのニュースの深刻さはわかる人にはわかるのではないかと思います。
十年経っても格納容器の損傷箇所がどこか分からないまま修理出来ないで、今回もまたです。
このまま水位が低下し続けると底に穴のあいたバケツにじゃぶじゃぶ水をいれ続けることになり、汚染水はどうにもならない量になりますし、水で冷却し続け ないと核燃料が発火し大惨事になります。オリンピックがどうのこうの、といっている場合ではない深刻なニュースですが、大半の日本人が都合の悪いことは見 ないことにしているのか、危機的事態に馴れてしまったのかもしれません。
震度五までを想定して建てられた施設が壊れかけているところに、再び震度六強直撃なのですから、何もないと思うほうが楽観的すぎます。

来月、わが家の猫は十五歳です。子猫のときも可愛かったのですが、シニア猫になって益々可愛いと思っています。毎日元気で長生きしてねと撫でまわします。人間と同じで地震が大嫌い。とにかくこれ以上どこも揺れないで、とくに福島は、と願っています。

読んでも読んでも読み尽くせない湖の本をかたわらに、幸せに過ごしていますが、出かける先が病院か近所のコンビニという不健康さ。でも、運動する体力は 残っていません。自分に与えられている時間がどのくらいあるのかわかりませんが、みづうみのように今此処を「深く生きる」日々であれたらと願っています。
お元気でいらしてくださいね。  雛   白酒の紐の如くにつがれけり  虚子

* 東電福島の廃炉もならぬ崩壊原発の無残な「超・危険」 呼吸困難を覚えるまでも 怒りと倶に案じられる。あの、底の抜けたバケツのようだった元総理大臣は、日本列島は「不沈空母です」などとバカげたことをバカ笑いでほざいていたが、
なにが不沈空母なものか原発を三基もねらい撃てば日本列島は地獄ぞ
それどころか、この 地震、地震の頻発よ。
2021 2/25 231

* 高城由美子さんの手で、いかにも重厚に美しく織りあげて戴いた膝掛けに、この冬は、有り難く嬉しく膝下の冷えを温めてもらった。
この部屋には、谷崎潤一郎の松子夫人が手づから珍しい柄の着物地幾つもで創られ、頂戴した、ふわーッとふっくら美しい大きな座布団が、いつもソフアに置 いてある。尻を置くのは謹んで遠慮してきたが、観た目の美しさは高城さんの織り膝掛けと一対で、目にふれ手にふれるつど、日々萎えやすい思いを励まし慰め られる。
私は決して孤独に寒々と八十余年生きてきたのではない、むしろ逆と喜んでいる。無数に覚えていたそんな大勢との温かなふれあいと名前とが、しかし、少しずつ記憶から洩れこぼれて行く。
ゴーン アザー デイズ。
2021 2/27 231

* むかし、あれは、敗戦後の六・三・三新制中学へ進んだ一年生の、音楽の教科書に「オールド・ブラック・ジョー」に天国から「早く来い」と呼びかける譜 と歌詞があり真実憤然としたことは、何度もあちこちで書いた。これから何十年も懸命に生きて頑張る少年に天国へ早くおいでとは何事かと怒ったのだ。が、  今は、もう、怒れない。なんともう、あの世へ移転した親しかった人たちの数多いことよ、そしてみな私を呼んでいるかと想われる。逆らうことの出来ない、こ れが、天命か。

* 大事にしてきた「獺祭」を、 吉備の人 お元気であれ、お変わりなくと切に願いながら、有り難く嬉しく戴く。
2021 2/27 231

☆ 今日で
この地方の緊急事態宣言が解除されるとか、慎重に暮らしていきます。
療養病院へ転院の家人、緊急入院から三週間、点滴だけで保っています。コロナ禍のこの時節、面会も厳しいのですが、毎日麦茶、葡萄のスライスしたもの、好物を持って行きます。本当はイケナイのですが、せめて食べる楽しみはと、恐る恐る。
いま、奈良が、とても懐かしいです。
元気にしています。元気に、元気に。   亞

☆ 催馬樂  紀伊州(きのくに)
紀伊國(きのくに)の白良(しらら)の濱に
眞白良(ましらら)の濱に
來て居る鷗 はれ
其の玉持て來(こ)

風しも吹いたれば
餘波(なごり)しも立てれば
水底(みなそこ)霧りて はれ
其の玉見えず

* どんな「玉」かと奥ゆかしく、懐かしい。歌そのものが妙薬のように、懐かしい。「はれ」と、声に出して囃したくなる。身のうちにこういう風景も世界も失せていないのが、安らかに、嬉しい。
2021 3/1 232

☆ しっかり包装して
いただいた『選集』の欠巻分四冊、弥生の嵐の中を無事届きました。有難うございました。改めて、選集三十三巻のご完結をお慶び申し上げます。
「第二十二巻刊行に添えて」に、「今ならば…と思う感想の浅さは、まま、ある。代わりに、若い日々の感銘の深さもある。」と記していらっしゃいました。
私も博論執筆で旧稿と再会し、似た思いを抱き、その「あとがき」に、

「『新潮現代文学一 川端康成』(昭五四・五)をふと手にしたのは、大学生になって間もない頃であったろうか。「千羽鶴」「波千鳥」「眠れる美女」「古 都」と読み進んで、未完の「たんぽぽ」―たんぽぽの咲き乱れる生田町と白い鼠、たんぽぽのような美少年、通奏低音として鳴り響く老狂人の撞く鐘の音、人体 欠視症という奇病にかかった稲子、稲子を精神病院に置いてきた母と稲子の恋人の延々と続く会話、その中で明かされる戦争で義足となった稲子の父の墜落死、 等々―に至った時には、「伊豆の踊子」「雪国」の作家として記憶していた川端文学の世界の、底知れない妖しい美しさに魅せられていた。
私がお茶の水女子大学の国文学科に入学したのは昭和五五年、ちょうど三七巻本川端全集も出始めたところだった。全集の刊行(昭五五・二~五九・五)は私の 学部在学期間にほぼ重なっており、川端研究が漸く本格化していく時期であった。卒業論文、修士論文で川端を取り上げて以来、時代は昭和から平成、令和へ と、はや三〇年が過ぎた。~」

と振り返りました。
四月には還暦ですが、慶事がもう一つ。娘が、二度目の妊娠をいたしました。無事に産まれてくるようにと祈っています。
誰もかれも健やかにと、願わずにおれません。
どうぞ、お体を大切になさってください。お元気で。  晴   市川市

* 新しく生まれくる子らに 生き甲斐のある明日の在るようにと切に願わずにおれない。
2021 3/3 232

☆ おはようございます。

源氏物語に続き、「細雪」をやっと読み終えることができました。「細雪」は私も時々行く芦屋川をはじめ、岡本、元町、新開地などが登場して楽しめました。
さて、先生のホームページの「私語の刻」に掲載の写真のうち、「土佐守藤原光貞・畫」、「小磯良平・畫」、「南山城 浄瑠璃寺夜色」の3枚が 以前から 見ることができません。なぜかなあと思っていましたが、ほかの方も見えないとのことでソース(aisatsu1.htm)を調べてみました。
すると、リンク先がサーバーではなく、先生のパソコンのドライブCまたはDになっています。この状態ですと、秦先生には見えますが、ほかの方には見えません。

たとえば「土佐守藤原光貞・畫」のリンクは  (以下略  秦)

ソースを直接編集できるのであれば、上記のようにすればいいように思いますが、ホームページの作成に何をお使いでしょうか。ホームページビルダーでしょうか。
いづれにせよ、写真ファイルのリンク先をパソコンのハードディスクにするのではなくサーバーにすればいいのですが。   道、  神戸e-old

* ウーム。感謝しつつ、遺憾 残念 こまごまと丁寧に書かれてある全部が私の理解の外にあって、ウカともナニとも手が出ないのです。

☆ 見えない写真3点は
サーバーにはあることを確認しました。
以下をクリックすると見えます。
aisatsu1.htmの中のリンクが訂正できれば、いいのですが。   道、 神戸e-old

* 以下 三条の長い式のようなもの 此処には出さずにおくが、私の「理解可能の外」にありげ。ナニかしら機械操作を誤ってそうなったのだろうが、詮すべ もなく。繪所預従五位下土佐守光貞の、蛤に描かれた美しい夫婦雛、添え青柳のさみどりも色優しい一幅は、ひな祭りも昨日で過ぎており、仕舞いましょう。
向後、いろんな気に入りの写真を入れても、みな、外へは届かないのかと思うと残念だが、ま、仕方ないとするしか仕方ない、か。  神戸e-oldさん、ご親切有り難う存じます。感謝します。
2021 3/4 231

☆ こんばんは。(昨夜)
見えなかった写真が見えましたよ。
何かの折に、操作を間違えられたのかも知れません。
ひとまず、よかったです。  道、 神戸e-old

* ひとまず よかったです。なにがどうなっての事か、まったく理解していませんが。人生不思議と似ていますね。

* 百巻に及ぶ古典全集と 私の選集三十三巻で我が家の貧しい玄関を整えてもらっている。「秦恒平さん江」と署名の沢口靖子の笑顔に玄関番を頼んでいる。たいていの来客は本よりも「靖子」に敬礼するのがおもしろい。

* 土佐光貞は、江戸中頃か、歴代でも巧者であった。蛤に、雛のめおと。色気もあり、筆もじつに優しい。亡きやす香の一等親しかったお友達に赤ちゃんの出来た時、お祝いに差し上げた。

* 小磯画伯の作は、もしも、私の『慈子(あつこ)』はと人に聞かれたなら、躊躇わず、この少女を指さし示すだろう。イメージがきまってしまっても構わない。

* 高木さんの『浄瑠璃寺夜色』は 実父生母ともにその墓所を知らない私の、いわば心の菩提寺のようにいつも見入っている。胸にしみる「夜色」の美しさ。
2021 3/5 231

* 馬渡憲三郎先生より、リッパな文旦を沢山頂戴した。有り難うございます。
2021 3/5 231

☆ 姑とは
ぼ半世紀にわたって 様々なことがありました。最期まで看取ったという思いです。
容赦なく時間は過ぎていき、後の整理に忙しいのですが、少し身体を動かすと鈍重さに襲われて、じっと横になっています。 が、 基本的には元気です。
HP 昨日の斎藤史氏の歌、夕ぐれの秋の光に は、この世の風景であり、同時にあの世の風景だと感じます。あの世は人の思いが生み出したものと思いつつ、一歩を踏み出すにはまだ少し時間がかかりそうです。
★ 夕ぐれの秋の光に馬は佇(た)ち
ながるる風に浄まりゆけり     斎藤 史
校正など、充実した時をお過ごし下さい、そして体調整え、コロナが落ち着いた時こそ、どうぞ京都に帰省されますよう。   尾張の鳶

* 尾張の鳶には 今一度 高見順の詩 「天」を贈ろう。

どの辺からが天であるか
鳶の飛んでゐるところは天であるか

人の眼から隠れて
こゝに
静かに熟れてゆく果実がある
おゝその果実の周囲は既に天に属してゐる     高見順

* 私の妻は 九十過ぎた私の父を見送り 九十三の私の叔母を見送り、最後に九十六の私の母を見送ってくれた。今も 有り難うと思っている、心より。
それにしても みな 長生きだったなあ。われわれの八五老など、物の数に入らないではないか。
2021 3/7 231

 

* e-OLD神戸さん
機械のことは あきれるほど識っても分かっても居ないと、呆れる前に諦めています。
が、このごろ一つ気になっています。
機械の横っちょに、何の役になっているのやら、2センチ3センチ角の札が刺さっています、チップとでも謂った風情ですが、簡単に抜き挿し出来ますが、これは何かの役に立っているモノなんでしょうか。
さすがに寒気はやわらぎ、花の春の近いのを感じます、が、私は神戸を全然知らないのです、ただ一度だけ、東工大の男子卒業生が結婚式にぜひ来てというの で、美しいホテルへ出向きました。おおと声が出たほど、なにかしら独特に佳い感じの街であるよと印象を得て、東京へ戻りました。
京都へは、いつになったら帰れるだろうと待ちわびていますが、足腰の弱りが目立ち始め、荷物持って杖衝いての旅は難しくなりました。自動車はどうかねと息子に聞いて、叱られました。呵々
お元気におすごし下さい。 e-OLD=HATAK

☆ おそらく
デジタルカメラの写真を記録したメモリーカードだと思います。そのカードの中の写真をパソコンに取り入れることができます。パソコンのハードディスクが Cや Dなら、このメモリーカードは Eか Fになるかと思います。
その美しい神戸のホテルは海側ならポートピアホテルかホテルオークラかも知れません。また山側なら六甲オリエンタルホテルか?
> なにかしら独特に佳い感じの街であるよと印象を得て、東京へ戻りました。
神戸のいまは元気がありません。若い人の就職口もありません。残念なことです。
『細雪』に出てくる寿司屋のモデルになった又平は、三宮にありましたが、現在は西岡本に移転
しているようです。  http://matahei.ftw.jp/
岡本には友達もいますので、一度このような店で味わってみたいものです。
東京出身で 京都在住の切り絵作家・モチメ(望月めぐみ)さんから祇をん小西 での個展の案内をもらいましたが この度は残念ながら遠慮することにしました。
今日の東京のコロナの罹患者は116人とのことですが、月曜ですから、この数字は気休めにもなりません。
あせっても仕方がありませんね。
秦先生も日々大切にお過ごしください。  道、神戸e-old

* 上の、メモリカード のこと やはり何のことやら、どうすればどう何が観られるのか、この二十歳になる機械で かつて触れたこともなく、写真を貯蔵し たということも絶えて無く。使い道も分からず。気が付いてみると、同じような「札」は、他の、使えていない二台のパソコンにも、大小のカメラにも同じよう にくっついていると分かった、が、ますますワケが分からなくなった。仕事には何の障りもないけれど。
2021 3/8 231

* 秦先生 私は再び東工大生になります。
(昨・ 三月十日来信なれど、あまり嬉しくて、今朝に掲げる。 メールを呉れたのは、私が突如として江藤淳教授の後任として東工大に就任し、四月新年度初の教室へ 新入一年生として加わってくれて、以来、久しくも久しい仲良しの元学生君です。 もう一度東工大生になりますと。 Oh!!)
お正月にメールをいただいたきり、ご返信もせず、誠に申し訳ありませんでした。
一昨日、東工大大学院博士課程の合格発表があり、4月1日から、再び東工大の学生となります。
****社で働きながらの社会人ドクター(博士)です。
1月3日に秦先生から下記のメールをいただき、思い立って 4日に 東工大の*先生に博士論文を書かせてほしいという連絡を入れました。
(博士論文執筆を考え始めたのは2年前までさかのぼります)
論文の内容も理解していただき、博士論文に書けると思いますし、試験は*/**ですから、まだ願書間に合いますよ、とのご返答いただきました。
予想外ではありましたが、
即座に行動を起こし、願書提出、オンラインでの面接試験を受験し、先述の通り、合格いたしました。
秦先生が東工大へ着任された55歳までに博士論文を仕上げ、秦先生が開いたように、私も新しい世界を開けるようにしたい、と、明確な目標をもって、臨んでいきたいと考えております。

秦先生と出会って30年を迎えようとしており、あの時の秦先生の年齢に近づいているのが、とても不思議な気分です。
あの頃の先生のようになれているだろうか、と考えると 自分のふがいなさを痛感いたしますが、少しでも近づけるよう、秦先生の道程を手掛かりにがんばっていきます。

コロナ渦がなかなか納まりませんが、お体 十分お気を付けください。

また、お顔を見ながら、楽しいお話が出来る日を楽しみにしております。

追伸: 今春、やっと会社でも自分のグループを率いることになりました。  櫻

 

この春も 東京工業大学の大櫻

 

>  櫻くん  賀正  秦 恒平   (私からの 年賀状)
>  五十何歳 子供たちに 地獄苦を嘗めさせぬために 日本の近未来をしかと堅固に建築されよ。

* なんという幸せに嬉しい便りよ。
ありがとう。
私にも 大きな力を呉れました。 しっかり やりましょう 気を励まし鍛えて。

☆ 秦先生
ありがとうございます。
子供たちも大きくなりました。
少年は中学2年になりました。
ご報告したか忘れましたが、本人の希望で中学受験をし、武蔵境にある都立武蔵高校付属中に行っております。
少女は5年生です。武蔵野市では1週間宿泊の校外学習があり、小学校で最も楽しい5年生にコロナが当たってしまい、かわいそうな一年になってしまいました。
また、コロナ終息後に子供たちの顔も見せに上がります。   櫻

* 初々しかった学生君との、以来ほぼ三十年の付き合い、さまざまな場面・場合の記憶に彩られている。ことに恋愛を経て結婚の日、その日貰って帰った花の写真をときおり観ている。
お互いにあの大學へ新入りの早々に彼「櫻」くんは仲良しといっしょに教授室に現れると、すぐさま、部屋なかの諸配置を一新してくれたりした。結婚前の彼 女もいっしょ、柳櫻もこきまぜたように浅草で花火も観たなあ。少年少女達と一人前に談笑できるようにまで、私も大事に生きねばならぬ。
メールには写真も 添っているらしいが、解凍とかが難しそう、日に日に私の機械操作、覚えも勘も宜しくない。
2021 3/12 231

☆ 修道院の回廊の写真を
送った時の文章が「私語の刻」にとありました・・昔、もう二十年にもなります・・スペインを回った時の写真ですね。
シロスの回廊。
個人で行くには公共交通が不便で、ブルゴスという街から夕方のバスに乗りました。小さ
な村に宿泊できるかも何故かその時には頭になかったと思います。何も見ないで翌朝のバスに乗るわけにもいかず、小さな村に二泊して緩やかな時を過ごしました。思いがけず懐かしい記憶に出会いました。
「私語の刻」がどこにあり、どんな文章だったか、分からないので御教示くださればと思います。

昨夜から朝8時頃まで激しい雨音を耳にしました。まだ室内は薄暗いものの既に雨は小降りになりました。
新型のウイルス感染のニュース、これ以上我慢できない人々の行動・・半ば痛切に恐ろしく、半ばは麻痺した感覚で、唯々時間が流れるのを眺めています。
家事、物の整理、目の前の孫の世話は現実です。ちょうど一歳の誕生日を迎えようとしています。一年無事に病気もしないで元気に育ってくれました。9カ月半から歩き始めて、今は「あった」「フラワー」など 単語が増えています。
徐々に一人の時間を紡いでいきたい鳶です。
外国旅行も、いえ国内も、旅行は考えられない日々、決して無鉄砲ではないのです。特に外国は国によっては入国制限きびし く、また入国後の経過観察などもあって不測の事態も起こり得るのですから。
階下から呼ばれています、ここまで
くれぐれもお身体大切に、ご自愛ください。 強く強く願っています。  尾張の

☆ お変わりなくお過ごしと存じます。
三隻老婆、まだ生きております。目、耳、脚、片方全て不自由ですが、人間ってなかなか死ねないものですね。周りに迷惑かけ、周りの助けを借りて、不本意に生きている状態。
あと1年生きれば、近親者の中での長生きの新記録です(笑)。
孫四人、曾孫二人。欲を言えばあと2年生きて、バイリンガルになったであろう曾孫の帰国(現在**駐在)を見たいと思っております。
活字から遠ざかって何年になるでしょうか、楽しみは曾孫が現地の子供たちと違和感なく遊んでいる動画を見る事です。
分けもなく、現状報告みたいなMAILになってしまいました。お許し下さい。  志津

* これは喜ばしい。エイ、エイ、オウとバンザイしたい気持ち。作家としての私の最初期を、はためにも熱狂とみえるほど応援して下さった有り難い長老格の 佳い読者。ご存命と知り、胸をなで下ろす心地。この歳ともなれば、連絡の途切れた同世代以上の方は 或いは…とつい思いかねない。思わず目をとぢて息を整 えている。
2021 3/13 231

☆ 懐かしい 梁塵秘抄、閑吟集、
共に1982年に入手。
先生のような読みは出来ないけど、単純に楽しみました。
旅行中、風で帽子が飛んだら、落ちにけり落ちにけり綾藺笠…と。
どこへ行った時でしたか、お茄子の種を摂っている畑があり、これも梁塵秘抄を思い出し、勝手な楽しみ方をいたしました。
有難うございます。     志津

* 生き甲斐に、いい思い出として持ってて下さるなら、それだけで私は足りている。 2021 3/14 231

☆ hatakさん
日中にメール頂いておりました。公私あわただしくおわれています。
尚平は2歳3ヶ月になりました。身長はそろそろ90cmを超え、体重も12kg、道産子らしく大きく育っています。昨年夏から単語は喋るようになってい ましたが、 最近急に単語を繋げて文章らしきものを発するようになりました。今日も朝食を食べていて、私がサラダのレタスを落としたりすると、すかさず「パパしっぱ い」と突っ込みを入れてきて笑わせてくれています。「平」の字効果か、絵本も好きで、札幌のえほん図書館から借りた本の数が、600冊を超えました。ふだ んは、終日母親の後をくっついて回っています。
私の歳ですか? 先週誕生日を迎え、59歳になりました。
子供に絵本を読み聞かせるようになって、作者には申し訳ないですが、結構自由に解説を入れたりして、物語を作って私も楽しんでいます。これからだんだん ストーリー性のある長いお話しも理解できてくることでしょうから、オリジナルのお話しも作ってみたいなとも思っています。一昨年焼けてしまった首里城には 琉潭池という竜が棲む池があるので、池と門と竜宮のおはなしなど喜ぶかな、など沖縄での日々を想い、思案中。
子を持って最近頻りに亡くなった父のことを想うようになりました。私の記憶にはないのですが、多分私が2歳の頃にはこうして父も本を読んだりお風呂に入 れてくれたはずです。父が亡くなったのは私が7歳の時でしたので、母も苦労をしたのだな、と。どの家の親も持つ感慨をこの歳になってはじめて持っているの です。高校生の時に始めて出会ったhatakさんは、きっと私の父親代わりの存在
だったのかも知れません。ですから、日ましにボケつつあっても問題ありませんよ。いま・ここ・そのままであって下さい。
お懐かしく、とりとめなく記しました。
では奥様と「マ・ア」君たちとお元気に、花粉に負けずお過ごし下さい。 maokaton

* 心あたたまる嬉しさを 朝一番に贈られて、幸せ。歳の差など知りもせず、いつも、心やすく親しい友人と思い思い何十年にもなった。尚平クンの成長をわたくしももっと永く見届けたいものです。
あれこれ思えば胸の痛むほどの実感でもあるのだが、東工大の卒業生の場合も、当のクンやサンと対等に涸れや彼女らのお子さん達の現況をつい想って、父親クンや母親サンに確かめたりする。子供達に落ち着いいい未来が立ち上がりますように。

* maokatonのお子さんは「尚平」クン。訓みは定まっているが、文字だけをみると私の「恒平」と再接近のお仲間。
このごろひとしお気づいているのだが、昔は「*平」と書かれる男子名はじつに実に寡かった。大人になるまでに知名の人で「*平」さんは、順不同というほ どもなく先輩ないし同輩級では「森田草平」「草野心平」「大岡昇平」「火野葦平」ぐらいしか覚えがなく、国民学校に入学以来、友達から、「へい・へい」 「新兵」「工兵、橋つくれ」などと囃され笑われ、「へい口」してきた。
ところが、である。この近年、テレビ画面や新聞雑記等に出会わない日はないほど「*平クン」の多いこと目立つこと、まこと、ご同慶。意気盛んに「平の會」でも組織されるのではないかと思うほど。

* とはいえ「*平」の名乗り、何と謂おうと「平安」の京都で、摂政・関白・太政大臣・左右の大臣、内大臣、納言級の公卿に限っても、時平、仲平、忠平、兼平、恒平、行平、等々数え切れず、源氏の「義」や平家の「盛」や北条の「時」や徳川の「家」に匹敵する藤原氏大切の嘉字、祝字であったと謂える。藤原氏以外にも美男子在原業平も目立つ。
以前に漢学者である京大名誉教授で京博館長さんだった興膳宏さんに、秦さんの「恒平」はむろん「恒久平和」ですと教わった、平は平安・平和の「平」で、戦する「兵」とはちがう。殖え行く「*平」クンらが盛んに活躍するのを慶びとしたい。
2021 3/17 231

☆ お便り
ありがとうございます。嬉しゅうございます。
芭蕉を 1 からお読みにとは、気力体力がおありで、感嘆です。

俳句は続けていますが、風を愉しんでいる感じです。

 

しだれ柳絹鳴りのして夜に入る

赤い椿感情の重なりしごと

春はあけぼの夢を縁どる波の音

コロナの中で、こんな感じで暮らしております。

どうぞお大事になさってください。    谷中  絹

* わたしと そこそこのお歳のはず、ちゃきちゃきの 浅草産の江戸っ子とんであったかと。

* わたし自身の心覚えに 俳句らしきは 数少なく、歌集「光塵」「乱声」で漏らしたろう古い句作が記録されているのは、

昭和三八年(一九六三)五月十日歌舞伎座竹内繁喜先生と 團子三世猿之助(猿翁)襲名
黒塚  色そひて岩手や若き猿之助

五月雨やひとり静かなこゑもして 昭和四四 五 十四

花粉症惨憺。
初櫻 罪はわが前に無げに咲く   上野公園から逃げ帰る

御幸道(ごこみち)のむかし目に見え雪の朝     2020 1/1.1

初日萌え鶴秀(ほ)に立つて松の春          2021 1/1.

* ま、私の思いには 御幸道(自身、習慣的に散歩し尽くしていた懐かしい景色)の一句が身に沁みている。

☆ ご無沙汰しております
御変わりありませんか
懐かしい先生のお名前が思い出されます
父(=橋田二朗先生)がよく 万年さん、母が 給田さん(ともに弥栄中学時代の同僚・同世代の男先生 女先生)と話しておりました
朝、近くを歩いて、近くの写真を撮って来ましたよ。

☆ 近くの川沿いの櫻です
この櫻、香りが良くて
笑われるかもしれませんが、桜餅の香りがします

☆ 友達に送るような
メールをしてしまいました
又 京都の味をお送りします   有 (橋田先生のお嬢さん)

* 文徳天皇陵(門徳池の奥に)や鳴滝の櫻などの写真も届いた。懐かしく。 感謝。
僧侶でもある万年先生はご健在もいまもご交際頂いている。給田緑先生は私には母のような方であった。それはもう佳い歌人であられ、今しも二冊の遺歌集を賛嘆の思いで読み返したばかり。その懐かしさで有さんに便りをしたのだった。

☆ 星野画廊さん
いいお仕事がつぎからつぎへ展開し、頼もしくも嬉しいかぎりです。

今度の 広重とならべた大正の「東海道五十三次図繪」 ナイスですね。

ひところ ナイスという褒め言葉が流行ってましたが、今の人はなんでも スゴーイで 怖いです。

私の生みの母方祖父は 水口宿本陣の子で ここから 東近江の能 登川安部家へ養子として出たとか、実は 九州のさる大名が本陣の娘に生ませた子とか、物語っぽいのです。河合新蔵さんの「水口宿」は、町並みの風情が侘び しい味わいでよく写されていて、懐かしく見入りました。全体に じつに多くが感じ取れて有り難い! と拝しました。

以前の黒田重太郎さんの「京都 洛中洛外」も じつ に小説のために大助かりでした。私は近時の新京都とはほぼ無縁、しかし、「記憶と歴史の京都」は なにより大切な世界で 星野さんらのお仕事には 目に見 えるかたちでいろいろ助けられてきました。あらためて、お礼申します。

コロナ禍逼塞の一年でしたが、 私の家仕事には大きくは障り無く。しかし体力知力の老耄は蔽いがたく、やれやれという疲れようです。

星野さん ご夫妻 お大事に。お大事に。お元気で。  秦 恒平
2021 3/19 231

* 三校ゲラが届いて、それへ向かいながら、どうも体調が変で。しかし妻も右にならへの状態で、妻を寝させ、わたしはキッチンで仕事をゆるゆる、疲れれば テレビを。すると東北へ強い地震と津波。関東でも、永く揺れていた。昨日か一昨日か仙台の遠藤恵子さんへお見舞いのメールをしたばかりだった。 日本列 島、なべてことなきを願う。とりわけて原発の事故を懼れる。
2021 3/20 231

☆ ご心配 ありがとうございます
秦 恒平 様
メール、嬉しく拝受致しました。
コロナ禍が宮城県では急増していることへのご心配、本当にありがとうございます。
実は、つい先ほど宮城県で震度4~5の地震がありました。
秦様のご指摘通り「天変地異」がなにかと当地に向かっているようです。
でも、どうぞご心配なく。私も家族も友人たちも皆元気でおります。
秦様も迪子様も、くれぐれもお気をつけてお過ごしください。

下記の二首、おもしろく読ませていただきました。

たのしみは難しい字を宛て訓んでその通りだと字書で識ること
たのしみは難しい字を訓みちがへ字書に教わり頭さげること

下記の二首もお気持ちがよくわかる気が致します。

たのしみはふたりのね子に「待て」とおしえ削り鰹をわけてやる時
たのしみは好きな写真のそれぞれに小声でものを云ひかける時

子どもの頃、ジャーマンシェパードと一緒に育ちましたので。

また、下記の二首を拝読し、秦様のユーモア・ウィットと遊び心が偲ばれ、お元気な様子が窺われ、安心致しております。

たのしみは誰(た)が世つねなき山越えてけふぞ迎へし有為(We)の奥山
たのしみは割った蜜柑をひよどりの連れて食ふよと「マ・ア(仔ネコ兄弟)」と見るとき

どうぞ、益々お元気で。ご健筆をお祈り致しております。     遠藤恵子
前・米沢短大学長 東北学院大教授   (昔・医学書院の同僚 同じ社宅住まいで、建日子が生まれるまで一緒に茶の湯を楽しんだ。この遠藤さん、会社では、ごっつい太い枠の眼鏡でいつも熱心に仕事をしていたが、あるとき、眼鏡を外したホンの数瞬、素晴らしい美貌に驚嘆した。)

*  昨日の東北地震は 西東京でもけっこう不気味にながく揺れた。宮城へは一メートルの津波も寄せていた。東北に目立つ原発に、ことに福島の廃炉もならぬ立 ち往生の崩壊放置原発にさらに決定的な放射能禍があれば、東北も関東も北陸も危険極まる。このまえの津波での東電原発破壊の時、在日の欧米人はいちはやく 国外へ奔ったのを覚えている。少なくも富士川天龍川の辺にまで命に関わる放射能禍が及びかねないと聞いた時の、心底冷えたのを忘れていない。
2021 3/21 231

 

★ 繪も描かれ 詩も書かれていますか
それもゆかしいが コロナ禍を賢く躱されて ご家族のみなさんともども しっかり 健康でいて下さいね。 懐かしく フト メールを書きました。   恒平

☆  メールありがとうございます。
お久しぶりですね!  お元気そうで良かったです。
躱す=かわすという字を初めて知りました。忘れませんように。
この頃は詩は読むことを楽しみ、絵は鉛筆画を描いて楽しんでいます。
引きこもりにも慣れてしまい、体はよろよろしていますが、それなりに暮らせています。
どうぞ迪っちゃんと猫さんたちと、いつまでもお元気でいて下さいね。   琉  妻の妹
2021 3/22 231

* 結婚して五年半になる、母方長兄の孫娘が、奈良で、一刀彫名手と聞く夫と暮らしている。写真入り結婚通知葉書がひょこっと手に触れたので、ケイタイを遣ってみた。一分足らずだが、話せた。
2021 3/23 231

* こうなってハタと思い出した。
中国に招かれ、周恩来夫人にも人民大会堂で迎えられた半月余の旅中、北京の名高い美術骨董史料等の街衢で、むろんコピー、精緻のコピー(レプリカ)だ が、真作は英国ロンドンの国立大博物館に在るという、『唐周昉 簪花仕女圖』その『部分之四 滎寶齋木版水印』原寸大の長軸を買って帰ったのが、我が家に はてんで懸かる床も壁面もなく、空しく珍蔵されたママなのを。ウーン。原畫は世界史的な至寶とされていて、今もじつに美しい。
中国の美術骨董の原作コピーの精緻に見事なのはよく識られ、私たち訪中の折りにも井上靖団長ほか六名の「日本作家代表団」は、広壮な「故宮」内の一画に、レプリカ専念のための施設と工場のあるのも親しく見学していた。
文学と違い、美術や史料は真一点しか実在せず、中国のような広大世界で、国民が実物に目を触れる機会など、まず、あり得ない、だからこそ中国政府の、国 民のために分かつ真に迫って見事なレプリカ製作はまこと精緻を極めている。真に国策であり文化事業として力技と誇りとが一点一作に凝っている。みな、感嘆 した、我々一行も。
在るのかなと、押し入れを覗くと、在った、くるくると大きな柔らかな紙に幾重にも巻き取られて。
ドー、シヨウ?
ほかにも買って帰った繪の一点は亡き水上勉さんに、硯は谷崎松子さんに差し上げた。が…
サ、ドー、シヨウ? 道具屋はやかましく電話してくるけれども。
2021 3/24 231

☆ ご機嫌 如何
秦様 最近、湖の本が届かないので、何かあったのではないかと心配いたしております。もしお体の具合が悪いようでしたら、くれぐれもお大事になさってください。
一日でも早くまた秦様の御文章を楽しめる日が来ることを祈っております。 鋼 拝  歌人 翻訳家
* 多くの方にご心配懸けていると思うが、「湖(うみ)の本」の刊行に間が開いているのは 一に掛かってその内容、その引用の史料に難漢字、難訓漢字が溢れるように多くて、原稿を創るにも、校正をするにも、呻くほどの手間と時間を要したのが原因 で、ま、このコロナ籠居による体調・体力の衰えもあるにしても、それが理由で時間をかけているのではありません。ご心配頂き、有り難うございます。 もう やがて責了、そして遅くも四月半ばまでにはお送り致します。

☆ お元気ですか、みづうみ。
コロナ禍で桜の季節の嬉しさも感じにくく、みづうみのご体調のすぐれぬご様子に益々気持ちがふさいでしまいます。「元気」という言葉が大好きですから、祈りをこめてみづうみに「お元気でいらしてください」と申し上げます。
みづうみにとってお仕事はすべてですから、お休みになってくださいとはとても言えませんが、どうか今よりゆっくり進んでくださいますように。何よりしっかり栄養のあるものを意識的に召し上がってください。食べているものが身体をつくります。
みづうみの背がゾワゾワする感じは、少し前のわたくしの体調不良によく似ています。二週間くらい続きました。発熱したり咳が出たりするわけではなかった のですが、小手術と言われる処置でしたので体力の消耗だと思います。幸い今はそのゾワゾワの感覚は消えました。ただ神経の違和感は残り、まだまだ回復まで 時間がかかるでしょう。元の体力に戻るのはいつのことか。気力をふりしぼっています。
術前の先月、森鴎外の『渋江抽斎』(旧字体で書くべきでしょうが、岩波文庫ではこの記載)を読了しました。難しくて読みにくいだろうと今まで敬遠してき たことを恥じています。辞書を引きつつ、系図を書きながら読めば(子どもの数は多すぎたので二頁にわたりました)、少しも難解ではなく、抜群に面白くて頁 を重ねるごとにぐんぐん惹きこまれ、深い感動と共に読み終えました。と申しましても、レベルの低い読者なので「読者それぞれに自分の身丈にあった評価をす るほかない」わけなのですが、読後に世にも美しいものを経験したと思いました。渋江抽斎や五百はじめ、私心のない凛とした佇まいの日本人たちの肖像に「高 貴」というしかないものを感じ、自分の曇った目が澄んでいくような読書でした。
以前にみづうみが眠れなくなる文体の魅力とお書きになり、石川淳が「一点の非なき大文章」と評した理由もわかりました。誰が何をしたということを書き続けてこのような文藝の高みに達することに感嘆したのです。
所謂小説的展開のないこのような作品が、もし現在の日本で書かれたとして、はたして出版流通するだろうかと考えますと、志ある個人出版社以外ではあまり 希望がもてないのではないでしょうか。森鴎外の名前があればこそ、この史伝は現在も出版されて愛読者がいますが、新人なら、いえ大家の書いたものでも、 「売れない」という理由で知られぬまま黙殺されて終わる可能性が高いのではと思います。
岩波文庫の中野三敏氏の解説の次の文章を読んで考えさせられました。

恐らく当時の新聞の読者の中にも、ややとまどいを覚える人も生じてはいたろうが、すくなくとも文字を識る人であるならば、鴎外を目して現在我々のいう小 説家としてよりは、極めて高度な知識人、一時代前の表現を以てすれば、文人・学者中の有数の人物として遇していたに違いない。すくなくとも近代の「文学」 「文学者」という概念を江戸時代に戻してみれば、まさにこのような「学藝」「文人」「学者」の謂であり、それは詩文・書画・学問・思索のいずれにも通じた 人であって、小説も無論その一斑ゆえ、気が向けばそれにも打ち興じるが、別にそれに専念すべきとは一向に考えもしなかったろう。そして明治・大正期までは なお、その感覚はまさしく鴎外の読者を以て自任するほどの人々の間には、辛うじて残っていたものと思う。いやそれほど限定するにも及ぶまいか。現に新聞紙 上の続き物としてこれが企画され連載されるという事そのことが、当時の読者の感覚をも見事に現わしているものと受け取れよう。当今の新聞の連載小説との懸 隔は言うにも及ぶまい。つまり史伝ものは鴎外にとっても、その読者にとっても「小説」ではないが立派な「文芸」であり、いわば「文学」であった。何もそれ が「小説」でなければならぬ必要は全くなかったのである。

現在の日本は、渋江抽斎やその周辺の「文人」、森鴎外などに代表されるほんものの「詩人・知識人」と、何よりそれを支えていた読書社会を喪いつつあるのではないかと暗澹たる思いです。

秦恒平を「学匠文人」と名づけた読者のかたは本当にものをよく見ておられます。みづうみは現代日本の稀少な「文人」ではないでしょうか。日々の日録『私 語の刻』や『オイノ・セクスアリス 或る寓話』はまぎれもない「文人」の所産だと思っています。作家たちが、近代以降の既存の小説形態に捉われたまま、売 れるだろうものを反復再生産することを続けている限り、文藝は衰退の一途ではないでしょうか。
「文人」はファシズム国家の政治的検閲や、市場原理の経済的検閲の下では生きられません。権力や富に少しでも屈する限りは俗物であって文人精神の、創作 の、自由は得られない。文人の手にしていた高貴な自由の復権は可能か、『渋江抽斎』を読んでからそれを考え続けています。

どうか長く永くお元気に書き続けてください。
方丈   爐ふさぎや床は維摩に掛替る  蕪村

* 爐ふさぎの時季なんだと、「方丈」さんに、何ともなく ほっこりさせてもらった。

* 鴎外先生の『澁江抽斎』は、真に、ならぶものない程の大文学・文藝であり、これに感嘆して薬籠中に収め得ないようでは、とても日本語の作家・文学者とは謂えないと思ってきた。
どこが面白い? 面白いもなにも、ない。ただもう読んで読んで投げ出せないのだ。この作を読んだ頃、並べて露伴の史伝ものも読み、大いに惹かれた。けれ ど露伴のそれらには、物語が下絵に下敷かれていた。「抽斎」にはそんな「おはなし」など無い。無いのに、ずんずん、ずんずん惹き込まれ読まされる。無為の 大力(だいりき)に「みち惹かれ」て行くのである。
2021 3/25 231

☆ だいじょぶ ですか
一歳ちゃん は精一杯日々を生きて成長しています。
婆はお疲れ?  一人の時間が殆んどなく、本も絵も彼方に漂っていますが、何とか暮らしています。描きたいという強い衝動がやがて生まれると信じています。突然やってくるのが楽しみです。

「 どの辺から天であるか
鳶の飛んでゐるところは天であるか

人の眼から隠れて
ここに
静かに熟れてゆく果実がある
おおその果実の周囲は既に天に属してゐる 」

高見順の詩を届けてくださいました。が、
鳶の飛んでゐるところは 未だ天・あの世 ではありませぬ
この土から微かに離れ飛行するのみ
人の眼から隠れるまでもなく ただひそと目立たず
萎び腐れゆく果実であります
が、腐り滅してゆくもの また既に天に属しておりまする・・か

十年ほども前のことになりますか、鴉が 胃がんの手術を受けられた頃、鴉より四半世紀も長生きしなければいけませんと言われたことがあります。これからそのような時間を生きたら!鳶は何と百歳を超えてしまいます・・?そこまで生きられないという思いが
ジワジワひたひたと迫ります。
姑を102歳で送って、改めて自分の年齢と生く末を意識します。父が亡くなったのは私が40半ば、母の死は私が還暦を迎える頃でした。それでもまだ次に やってくるのは自らの死期と思うことなく、まだ時間は残されていると漠然と考えていました。今現在、さすがに切迫した思いが沸き上がります。それでも自然 に生きていきたい。
コロナの状況は油断できないものがあります。京都にも行かず、ましてや最寄りの地下鉄にも乗らないで過ごしています。桜に浮かれて歩き回りたいです。
少しだけ一人の時間、なかなかメールも書けませんが、とにかく元気です。
くれぐれもくれぐれも大切に過ごされますように。   尾張の鳶

* 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是  だいじょぶ ですか
2021 3/25 231

☆ 秦さん はい
「何としても」・・元気が出ました 世の中がとても明るくなった気がしています ありがとうございます ほんとうにありがたく うれしいです
「ガンバッテ(また会える日を=)待ちます」

「2センチ四方ほどのチップ」は SDカード(secure digital) と称する メモリーカード かと思います  「カメラで撮った写真を カメラに入ったSDカードに保存し これをパソコンに挿入すると パソコンで写真が見られる筈」 だそうです 私は経験もなく心許ないのですが 秦さんのお心当たりは如何でしょうか
それにしても 『一太郎 17年!』 と 『機械も同じ』 と 敬意 敬意 です
メールを開けるのもまるで久し振りで 機械の操作も覚束なくなってしまい遅くなり失礼しました ごめんなさい
また「メール」させてください
(診療に出向いてられる=)地方の老人施設も益々戦々恐々   千葉  勝 e-OLD

☆ ご多用中のところ、
早速のご返信、ありがとうございます。すっかり安心いたしました。幕末・維新に関する御作とのこと、私が一番関心がある時代なので、とても愉しみです。秦様独特の史観が展開されることを大いに期待いたしております。
それにしても秦様の底知れぬエネルギーに驚いております。
また余計な心配をいたしまして、申し訳ありませんでした。
今後もよろしくご指導の程を。  茨城  鋼  歌人 翻訳家
2021 3/26 231

☆ いえいえ
楽隠居はよその世界。 あいも変らずに走り回っております。 年ふるにつれ、ため息が多くはなりましたが。
いつの間にか老婆となり、出会った方のお顔も、はやおぼろげに 今は何も映らない青空をただ見つめております。明日は雨模様というニュースが流れた夜にも なおかがやく朝を願いながら。  霞み鳥  詩人
2021 3/28 231

☆ ご無沙汰して居ます 秦さん、
メールいただきありがとうございます。
昔お渡ししたのは、フルートの曲だったでしょうか。選曲を考えながらテープを作るのも楽しかったものですが、今の若い世代だと、SNSにアップする動画を器用に作ったりで、時代はどんどんと進むものですね。
最近は音楽もオンラインで聴くことが増えましたが、レコードやテープの良さが見直される動きもあるようですが。
お蔭さまで、わたしも家族(含むネコ)も、元気にしております。
子供はこの4月で中学2年生になりますが、身長ではそろそろ抜かされそうです。
中学ではバスケットボール部に入ったようですが、コロナ状況下では活動もままならないようで、
そうこうしているうちに後輩が入ってきてしまう時期を迎え、ちょっと可哀想ではあります。
コロナ状況下で、人と会ったり食事したりしにくい、むずかしい時期ですね。
学生時代の友人たちにも、もう長い間会えていないですし、
職場の中でも、テレワークが多くなっており、歓送迎会などの機会もありませんので、色んな人とざっくばらんに話しながら仕事を進めるというよりも、一人一人の役割を、それぞれで淡々とこなして進めるやり方に、大きくシフトしている感じです。
この流れは、コロナが収まったとしても、変わらないのかなとも思っていますが、昼夜を問わず何となくワイワイと話しながら、その中で新たな「気づき」な ども得ながら進めるやり方が懐かしいと感じてしまうのは、ちょっと時代に取り残されつつあるのかなあと、もっと柔軟にならないと行けないなあと、考えさせ られるこの頃でもあります。
わたしは50が目前で、それでも体力が落ちて何かと無理が利かなくなったと痛感することも多いのですが、秦さんが85老で、まだまだ意欲的に色々と取り 組まれているのを伺うと、まだまだこれから、新しい時代のなかで、多くのことにチャレンジしていきたいなと、改めて元気をいただいた想いでいます。ありが とうございます。
もう少しの間、過ごしにくい時期が続きそうですが、お身体を、どうぞ大切になさってくださいね。
また落ち着いたころに、ぜひぜひお目にかからせてください。  東工大院卒  孝

* 昔のママの懐かしく 落ち着いた行文と感想、嬉しくなる。みなさん、お元気で。
2021 3/28 231

☆ お江戸は
興味ありませんでした。(まえの高層の住まいからの=)スカイツリーもビルの林立する窓外の風景も 私の心からは想像以上に隔たっていたといっていいでしょう。
お体お大事にお過ごし下さい。
いまなお小さき鳥
ちぢこまりつつ生きながらえて

* 引っ越しが趣味かと思えるほど日本列島を動いて行く人で、よほど世に憚る女大盗でもあるか、よほどの富豪かと想うほど。繊鋭な語感で蜃気楼のような詩 を書く人、のようであった。この前は濹上を見渡せそうな高層ビルの高いところに暮らしていて、花の頃は櫻堤十数丁が見晴らせるのかしらん羨ましいと想って いたら、花の季節を見捨てて惜しげなく繁華の街なかへ、越しましたと。
わたしは京都から東京へ出てきて、六畳一間の新婚二年のあと北多摩の社宅三階へ、太宰賞後、社宅に身動きを制されたくなくて今のこの家を建てて移った。 社宅の窓からはまだしも廣く多摩野が見えたが、今のこの家屋は、ただこぢんまりと小さなテラスを抱いただけ、眺望はゼロ、もう半世紀も手一つ加えずに暮ら している。「ちぢこまりつつ生きながらえて」とは思っていないが。
2021 3/29 231

☆ 秦恒平様
音信ありがとうございます
私、姉家族ともに元気で過ごしております
ただ昨夏は 吉岡嘉代子伯母(吉岡守夫人)が亡くなり コロナ禍の続く中で 寂しい見送りとなりました
それでも春は暖かくなってくれています
この日曜日に久しぶりに星野画廊(京都・粟田口)に行ってまいりました
河合新蔵の東海道五十三次 大正10年頃の東海道が広重の五十三次とどちらも複製ではあるものの、並べての展示で「日本の昔」をみせてくれていました
星野桂三さんもお元気でした
河合新蔵の竹林の一つが原画で展示されてありました
今 山城南部は孟宗竹の筍のシーズンで もうすぐの新茶に向かっての慌ただしも始まっています

恒平様 皆様  お元気で    孝一   実父(恒)方従兄弟

* 懐かしく。当尾の吉岡本家を単身訪れた時、守叔父に 浄瑠璃寺へ連れて行って貰った、忘れない。孝一君のお母さん(吉岡家でのいっとう若いけい子叔母)は、たしか孝一君も一緒に、この保谷の家まで訊ねて見え たこともあった。幼來ひさびさにこの叔母を訪ねた日の嬉しい再会を「けい子」と題して書き置いてある。南山城の筍と新茶か。当尾の本宅には大きな柿の樹が 聳えていた。

* こうして、まだ、私は実父方とも実母方とも曲がりなりに「縁」を繋いでいる、が、建日子も朝日子にもそんなことに何の思いも動きもない、あり得そうに ない。私の世代ではまだしも「家」のつながりは念頭にあった、とは謂え、私の場合は、根から父方とも母方とも「縁の絶たれた」生まれたての私ひとりの本籍 が造作されていた。実兄の北沢恒彦にも同じだったようだ。かろうじて実父「恒」の名一字をわれわれ兄弟は伝え持ち、恒彦長男は吉岡の祖父そのままの名を (父恒彦の思いが籠めてあるのだろう)与えられている。
私の場合、娘朝日子とは、不幸にも、おそらく死に目にも互いに会うことはないだろう。両親が大病時の見舞いも朝日子は電話口で即拒絶したと聞いている。
このようにして、人は世代をへつつ昔とも血縁とでも自ら縁を絶ち打ち棄てててゆく。今に始まったことか、人や、家に、よるか、もうそんな穿鑿も無意味になってきている。
それよりも、私も心親しい京・粟田口の星野画廊主と南山城の従兄弟孝一君とは親しいらしく、こういうのも「心ぬくもる縁なのだな」と思う。こういう縁の方が心に親しく伝わり合うのかな。
2021 3/30 231

☆ 櫻
HP冒頭毎日の、詩歌に関する文章を楽しんでいます。鴉の思うところがくっきりと伝わってくるように思います。
桜が咲いたと思ったら低気圧の前線が通って風雨強く、そして今日は黄砂とか。早くも満開を過ぎた桜の景色です。家から200メートルくらい離れた川沿いの桜を数日楽しみました。
(一歳の)ちびちゃんは散った桜の花びらにご執心でした。毎日トラックやパトカー、ごみ収集車などを興味深く見るので 連れていきます。
我が家の桜はまだ蕾です。
数日前から『花方』を読み返しているのですが、以前理解できなかった箇所に再び立ち止まっている為体(ていたらく)です。熊野に関連して、昔行ったことのある熊野の長藤を思い出しました。天龍川東、磐田市池田の行興寺は藤の名所です。
鳶は 婀娜な姿どころか、汚れ目立たず洗濯が容易な服ばかり着ている日常です。時にはお洒落もしたいのです・・それは自分の気持ちを奮い立たせるためでもあるのですが・・。
モーツアルトの軽妙な曲・・? 何でしょう? 教えてくださいな。(鳶は、何故かモーツアルト全集をもっているのです。モーツアルトは軽快で美しいけれど、哀しい。)
取り急ぎ
花粉症にも負けず、この季節をどうぞ楽しまれますように。  尾張の鳶

* ヴァイオリン・ソナタ第24番 ハ短調 K296 と思われます。15歳の少女テレーゼ・ピエロン嬢に捧げたとか。ヘンリッキ・シェリングがヴァイオリンを、イングリット・ヘブラがピアノを弾いていて、その鳴りが素晴らしく美しくて愛聴していました。
今は、あしュケナージの弾いているピアノでベートーベンの「月光」を聴いています。ホロビッツが「熱情」と「悲愴」とを弾いています。
2021 4/1 232

☆ メールありがとうございました。
この不穏な世の中ですが、私たちの生活スタイルはあまり変わりなく、なんとか元気にしております。
ただ、何かと集まることの多かった姉妹や親類と会えなくなったのが寂しく、つい考えが暗いほうへと行きがちです。
医学書院のことは私たち(夫妻)の間でも最近よく話題に上ります。夫も、医学書院に入社できたことは本当に幸せだった、そうでなければ今の生活はなかったと話しています。
遠藤恵子さんは立派に活躍されているのですね。たった2年のおつきあいでしたが、懐かしいです。
どうかお身体お大事になさってください。
「湖の本 151」楽しみに待っています。   由美

* 夫君も一緒に、いつかまた会って話せると嬉しいが。もう夏にはわたしは退社した、その雛祭りの頃に結婚された。たしか、
ひなの春 われら左大臣右大臣
社内でのお祝い會で、そう祝意を表したように思い出す。
ありがたいこと、ほんとに久しく、「「湖(うみ)の本」を応援してもらっている。遠藤恵子さんにも。
2021 4/2 232

 

* 京都の橋田有子さん(亡き橋田先生のお嬢さん)、京の薫り高い若筍をたくさん贈ってきて下さった。ありがとう存じます。
2021 4/4 232

ハ ッ ピ ー ニ ッ ポ ン ☆ 邦 楽 ネ ッ ト
☆2021/4/1鼓楽庵メールマガジン
*☆**☆**☆**☆**☆**☆**☆**☆**☆**☆*
皆様、お元気ですか?
望月太左衛です。 ◎^-^)v
新しい年度が始まりました。
と共に、新しい時代がいよいよやってくる!
という感じがします。

3月下旬、例年より少し早めの桜が咲く
東京・港区の虎ノ門金毘羅宮様にて
御奉納の演奏に参加させていただきました。

日本舞踊の観帆真伎さんによる
「空と海と」という創作作品です。
観帆さんは、お父様の跡を受け継ぎ、
造船の会社の社長もなさっています。
「こんぴらふねふね」という歌の通り、
船舶にご縁ある金毘羅宮様に、
以前より海上守護のお詣りをされていました。

コロナ禍の中、
神様への祈りを込めた奉納をされることになり、
私もご一緒させていただくことになりました。
御神前に向かい、無観客です。
拝殿の中で、
御祈祷いただいた後、
そのまま奉納の演目に入りました。
御神前に向かい、無観客です。
ご自身が襲名なさった時
御祝いにいただいたという
謡から始まりました。

日の光浴び
水にうるおい
風のそよぎに
身をゆだね
と、謡の後、
鈴の音が 響く拝殿の中で
舞が始まりました。

尾股真次氏の神楽囃子の笛が鳴り始めると
観帆氏の心の中の風景が現れてきたように、
お母様の子を思う愛を
やさしい女方の振りで表現されました。

一方、後半は、
海という大自然を相手に航海してゆく船の
動きを力強く再現されていました。
船の会社の社長・観帆さんならではの、
リアルな船の振付で、
広い畳敷きの拝殿が一瞬、
大海原にみえました。

御奉納を終えさせていただき、
拝殿の外にでると、
高層ビル群が見え、
「あ、ここは東京だった」と
私は夢から覚めたようでした。    抄
2021 4/4 232

 

* 午後ひさびさに京の浜作女将の洋子ちゃんの声を電話で聞いた。電話のこととて何ほども話せないが、思えば、向こうも同い歳。元気な声なのが何よりだった。
2021 4/7 232

☆ お元気ですか みづうみ。
春らしい明るさになんとなく嬉しいこの頃です。
『秦 恒平選集 第十六巻』の「あとがき」、以前にも拝読していたのですが、四月六日の私語の中であらためて読み返し、感銘を受けています。新時代の「私小説」論、ネット環境下の文学への視座が開ける素晴らしい批評だと思いました。

現代文学が「ネットの問題」とますます不可分に成ってゆくこと、それが「法」ともからんで、ややこしく悩ましい事件を引きずり起こしてゆくこと。今、ま さに、それを「わたし」自身体験している。文学も批評も、いずれ、「ネット以前」「ネット以後」と、または「旧文学時代」「新文学時代」と「分類」されて ゆくだろう。多くの近代文学が、文豪たちも手だれたちもその他大勢も、「ネット以前」の「旧文学」という「箱」のなかに蔵われるだろう。
このわたしの予言、賢明にだれかが「記録」し「記憶」していてくれますように。

読者は勿論しっかり記憶していくでしょう。

秦恒平ほど過去の遺産の古典に精通した文学者は稀で、秦恒平ほど現在と未来文藝への透徹した眼差しを持つ文学者を私は他に知りません。
わたくしにに、ドナルド・キーンの日本文学の歴史シリーズを頂戴して「文学史」を勉強するようにとご指導いただいたことがありましたが、その理由が少しだけ分かってきたように思います。

わたくしは判で押したように毎日同じような生活をしていますが、コロナがなくても結局似たような生活だったと思います。すべきこと、本当にしたいことをしていると、出歩いている暇がありません。それはとても幸せなことでもありますし、元気に努めていたいと願っています。
お元気でいらしてください。「たのしみは誰とは知らず耳もとへ「げんき げんき」と声とどくとき」ですから……。      踏青   青き踏む影も恙(つつが)を離れたる   皆吉爽雨

* 何がどうしたか分からないが、この人への私からのお礼など返信・発信メールは、このところ数回、みな機械から飛び出して行かず、こっちに停頓したまま。他の人へのメールには そんなことは起きていない。ワケが分からない。

* 「げんき げんき」と声が届く。

☆ 秦先生へ
ご無沙汰しております。
外出することがままならない世の中になってしまいましたが、お元気でいらっしゃいますでしょうか。

こちら倉敷は、関東と比べると落ち着いているのですが、工場内でコロナをまん延させる訳には

いかないので、緊張感のある業務が続いております。

昨日の昼は お電話ありがとうございました。

仕事のためお電話に出ることができず申し訳ありません。

緊張感のある生活が続いているためか、あまり余裕が無くご無沙汰してしまっております。

コロナが終息しましたら 東京に伺いたいと思っております。

是非お元気でいらっしゃることを願っております。  子松

 

* この学生君こそ純朴に無邪気な勉強家だった。しょっちゅう教授室へ、話すためより、仲間のもふくめ、聴くために通ってきた。
私は、妻も、 このピアノをひく人から、いろいろ音楽のたのしみを伝えられた。妻は、手に入れたかった楽譜ももらっていた。これを聴くといいですよと私にCDも送ってきてくれた。マリア・ジョアオ・ピレシュのピアノに出会わせてくれたのはこの人だった。
あちこちの美術館へもよく連れて行った。縁のうすかった美術へも気が動いたのは、東工大生としてわるいことでなかった、そして院を出ていらい「倉敷」勤務が永い。何かを製作しているのだろうか。倉敷の美術館は私たち夫婦にも懐かしい思い出がある。風情が想い出される。
元気でいてほしい。

* 小田野敦さんからも「秦先生」と書き出しのメールをもらった。耳よりの私事も書かれていた、が私が「選集 16」後記で「私小説」にふれて文学感想を書いたとは、先夜の、この「私語の刻」で転載してたのを、読んでもらったらしい。
むかしに『慈子』を読んだ、『閑吟集も」も読んだ 「あれはいい本です」とも書き添えてある。感謝。「昨年十月の『文學界』に私小説を載せているのでお送りします。」と、電送されてきている、らしい。私の腕前で、無事一太郎へ転写できるかしらん。このごろ、私、頓に機械操作の手順や記憶が怪しくなっているので。
小谷野さんがこの「私語の刻」に目を触れてくれていることにも、感謝。このごろ どうしてるのかなと思っていた。

* たのしみはあれやこれやをかき混ぜて仕事らしきへ気の弾むとき

* そうは言いながら、もういいではないか、という内心の声にしたがいたい気が兆している。
なんという騒がしいばかりの時代になっているのか。テレビの映像に観る世相は、もう私の同居できる、同居したいものでない。あまりに しだらなく 喧しい。昭 和に生まれ昭和に育ち、平成を懸命に生きてきたが、令和は、もう、生きて行くに懐かしい魅惑を、少なくも静かさという美しさを持っていない。機をえて早く立ち 去りたい。

* 小谷野さんの私小説というのを辛うじてメールから移したが、今の私の視力では、この線の細い小さな文字でかなりの長いものを読み通すことは不可能。わたしのこの「私語の刻」は緑の背景に「最大の太字」で書いている。それが視力に可能な限界。
2021 4/9 232

☆ 返信が遅くなり申し訳ない   辰
秦 兄  しばらくのご無沙汰でしたが、パソコンの不調でメール箱も開けず、ようやく回復して相当量の受信欄から 兄のメールを見て 返信している次第です。
仰せの通り、ガキの頃からのグループもメンバーが年々減って淋しい思いをしています。
とくに残念なのは、各グループとも音頭取りがいなくなったことです。兄と共通の友では西村肇はんで、粟田と弥栄の幹事役だっただけに司令塔を失い 茫然としています。

七、八年 ? ぐらい前でしょうか、君はちがうクラスやけど、うちの弥栄のクラス会に「出て来いひんか」と誘われて 松尾君、瀬尾君、奥谷君らと久しぶりの再会を喜びあいました。また次の時もお出でよと言ってもらったのが最期でした。 高城先生のクラスかな ?

高校は小橋君が休眠中で 目覚まし時計を鳴らしているのですが、まだ起きてくれません。

東京も年に一度は出掛けていたのですが、こちらの名幹事は酒を飲まないのに家を出たら帰る家が分からなくなる厄介な病気に罹って、この会も自然消滅の有様です。

此の本人は、呼吸器系統以外では アル中ハイマーの気配と左眼と右耳がほ とんど機能不能で 音楽と読書の愉しみが失せる恐怖感に時々襲われています。女房に達者なのは口だけやね、と馬鹿にされていますが、ぼやくネタ元のテレビ や新聞も気の滅入るものが余りにも多くて最近はぼやく気にもなれません。

「責任者出てこい ! 」で茶の間を沸かせた昭和30年代の漫才コンビ人生幸朗、生恵幸子夫婦のような芸人もすっかり姿を消して、誰も彼も園遊会や勲章ほしさに為政者にゴマをすったり、しっぽを振ったりの体たらくでウンザリです。

そんな為政者を一掃するために「否認票を新設の一人二票制」と「赤ん坊にも選挙権を与えよ」、に加えて「無投票当選は違憲」との改革案を提唱して 四年になりますが、ネット上ではネトウヨの妨害か入ったりして埒が明かず閉口しています。

それでも最近になって橋下氏が出演のテレビ番組で、赤ん坊にも選挙権を与えよと発言しているのを知って意を強くしています。ただ不服なのは、「否認票の新設が最優先されるべき」なのに為政者には自死制度のため、美味しいところだけ取り上げているところです。

ぼやくのを控えるつもりが長くなりました。
三つの主張が陽の目を見るまでは老けるわけにはいきません。
どうか、兄も私の主張が実現するのを見守ってください。
盃を交わす日のあらんことを楽しみにしています。メールありがとう。 京・岩倉  辰

 

* 正直、彼もか…とかなり本気で無沙汰を心配していた、ひとまず安堵。がんばりや。
2021 4/12 232

☆ カアカア鴉に
先週の桜の写真、下手やなあと率直な感想。堪忍。狭い庭の樹木がひしめいている中で、構図も何もない撮り方で、ごめんなさい。
まだ満開を過ぎたあたり、咲き誇っています。
今日『ホビットの冒険』注文しました。数日中に届くと思います。娘の名前ですが、この頃買い物する時には娘のカード払いにし、ポイントをあげることにし ているからです。ネットで手軽に本を入手できるので、最近はあまり本屋にも出かけず、古本屋歩きの楽しみも忘れてしまいそうです。
夜遅くになって、やっと一人の時間。
鴉は既にお休みでしょうか? 取り急ぎまして。お休みなさい。
くれぐれもお身体ご自愛くだされ。そちらのワクチン接種はいつ頃でしょうか?   尾張の鳶

* 何度も 大作の文庫複数冊を送ってもらってきた。おかげで、本屋というところへ出向かず入らない私が、この、四半世紀のうちに、指折り数えて世界的な私未読の大作を、何度も、都合すれば数十冊それ以上も送って来てもらったのではないか。
本屋へも行かず、ネットとかでモノを買う手段も全然心得ていない、利用したことのない私は、尾張の鳶の好意に甘えてきた。ありがとうございます。おかげ で私の最愛読の三巻マキリップの『風の竪琴弾き』は、なんと英語版まで読み通した。日本語版は、訳者の脇明子さんから戴いていた。
さてさて『指輪物語』八巻、やがて何度目かを読了する。その「前編」に当たるらしき『ホビットの冒険』は何巻あるかしらん、映像ではもう観ているけれど、これはトールキンの世界的な名作小説、やはり「言葉の表現」を読みたい。

* 思えば、私の書庫に満ち溢れた本、単行または選集の小説本や詩歌本は、尽くというるほど、著者からの戴き本。手に重たい各方面の研究書も、すべて著者からじかに戴いている。
おう、こんなのがと思う、明治この方の大事典、辞典、和漢稀覯の珍冊はみな秦の祖父鶴吉の遺産。
わたしが自身の必要で買ってきたのは、大冊の歴史年表、『名月記』や「玉葉」のような公家日記、そして新編の大辞典・大事典・大地誌・地図のたぐい。そ れと、いつしかに溜まってきた美術の本とたくさんの大きな重い画集。文藝誌は残さない、雑誌は歴史もの、茶の湯もの、美学会誌だけ。
いま、それらを残すのか処分(廃棄)するのか、考えている。
秦建日子の現在の仕事柄からして、彼が欲しがりそうな本はほとんど無い、が、藤村、漱石、潤一郎、鏡花、柳田国男、折口信夫、辻邦生、加賀乙彦等々の全 集・選集その他、著名作家や批評家の業績本もたくさん戴いて在る。幾らかは建日子も欲しいと思うだろうか。朝日子のことは判断がつかず、考慮しない。
むしろ、両親からの血を事実わけもった、甥で、力有る文学作家の北沢恒が、もし必要で、大いに利用できる、手元に欲しい、という各種広範囲の辞典・事典・年表・地誌・古典・史書・漢籍などあれば、車を傭ってなり受け取りに来てくれるなら、現状、私の仕事に差し支えない限り、譲る。
私自身の著書や初出誌は 全書誌に挙げたように単行本だけで百冊を超えている。大冊の「秦 恒平選集」33巻完結、「湖(うみ)の本」はすでに150巻を超えている。初出誌となれば全部保管はしてあるが、呆れるほど膨大量。
私の本を蓄えて下さっている読者の方で、欠本分などご希望が有れば、どの本もいくらかずつ余裕があり(無いのも少しあるが)可能な限り差し上げたい。
これまでもときどき実行してきたが、東工大卒業生らのお子さんが読書年齢へ来ている。読書好きときけば、和洋の文庫本などを選んで上げてきた。ただし少 年少女の場合は、読書の「向き」をまちがうと無意味に近くなる。どんな向きのを読んでいるか親御さんから耳打ちして下されば、選べる。
私が愛読してきた日本の古典全集は大きな二種あがるが、他に、手も触れていない大きな全集に、「二十世紀世界文学全集」何十巻かがある。誰の何作が入っ ているのかも、覚えぬママ書架を埋めている。カフカが第一巻だったような。せめてリストにしておけば、欲しい方に差し上げられるのだが。これも古典全集 も、みな版元からの寄贈だった。自身の費用で買った書物は、書庫の中の5パーセントもあるかどうか。作家生活半世紀のこれもみなありがたい対価・報酬・親 交の賜なのであった。
いまは図書館も、書架に余裕がなくて「寄贈」を必ずしも歓迎ばかりはしない。ま、同じ事は個々の人によっても云える。私としては、現在から此の先々へ役立ててくれる若い世代や、とにもかくにも「読書人」「愛書家」といった友人読者らに委ね手渡せればと願っている。

* 送り出し前の、肩の凝る用意や心がけに疲れている。いっそ早く本が出来てくれれば、などと。堪え性もなくなっているのだろう。
歌集『少年前』を、高校の頃の歌帖を顧みに、機械に書写している。手入れはせず。それでも、ところどころに、現在での覚え書きを添えている。
今日は、いましがた、触れていた、昭和二十六年(一九五一)七月二十五日だと、日づけ鮮明、忽として家の表に立たれ、夏休み中の私を、大和薬師寺、唐招提寺へ連れて行って下さった中学時代の給田緑先生との、嬉しくもビックリもした遠足の短歌を読み返した。
歌は拙い、が、忘れがたい、なにもかも初の美の体験を想い出しほろほろと泣いた。その後の私の行く道が、あの夏の日、「母」とも慕った女先生との、言葉すくなな静かな遠足で、もう見えていたのだろう。
給田先生は、それは静かな、ことば美しい立派な歌人であられた。けれど、歌を、詠めよ創れよなどと決して強いられなかった。あれを読めこれを読めとも言いつけられなかった。いつも優しく観ていて下さった。
* 夕寝していた間に 早や 尾張の鳶さんとお嬢さんのはからいで、トールキンの『ホビットの冒険』が届いていた。早い! びっくり。大感謝。即 お礼のメール 飛んで行ってくれるといいが。
2021 4/13 232

* 寺田英視さんの新著、文春新書『婆娑羅大名 佐々木道誉』を戴いた。
南北朝の頃から謂う中世の、「陽」の代表に此の佐々木道誉、「陰」のそれに山名宗全と見立てて、もうもう大昔に、小学館の『人物日本の歴史」に書いたことがある。
私には、いわば「母」國なる「湖」国近江に根ざした氏族であり、『みごもりの湖』の昔から地に着いた「佐々木」を念頭にはなさなかった。
幾むかしにもなろう「室町時代」は陰気な時代とされた歴史観も有った、が、わたくしは恩師岡見先生の「室町ごころ」という御説に教えられ導かれて、左右なく「陽気な中世」と観てとり、足利義満とならべて佐々木道誉を「時代の筆頭」に重く置いてきたのだった。
寺田さんの議論を傾聴したい。

☆ 好きな人物を
好きなやうに書きました 御笑覧戴ければ幸甚です 秋にはお目にかかれるのではないかと思つてをりますが 御自愛を祈り上げます 寺田生
2021 4/14 232

* 井口哲郎さんの、原稿用紙に嬉しい手書きのお手紙が来た。じつは、私も未使用の秦恒平原稿用紙がたいそうな数残っていて、メールよりもこの桝目に手で書く手紙をひまにあかせてあちこちへ送ったらどうかなど、私も実は、思っていた。井口さん、すこし分けてくれませんかと。喜んで差し上げます。大判の400字用紙より、200字用紙が使いよいと私も思っていた。隣の棟の二階でほこりを被っていた大小の包みを、今、久々に探し当てました、適宜にお送りする手はずでいます。貰って頂けるとは、まことに嬉しく大いに有り難いこと。

☆ ドウダンとアシビが、
花の白を競っています。ずいぶんのご無沙汰でした。
このほど秋聲記念館の『夢香山』が届きました。先年、秋聲忌に催された対談が載っていましたので、お目にかけようと、お送りかたがたご機嫌うかがいといたします。
「対談」は、読み返してみますと、私自身何も語っていないことに気づき、誠に忸怩たる思い深めています。要は、私の岡榮一郎に対する認識が甘いーーしっかりととらえていなかったことに由来すると思います。
いずれにしろ、このような場に立つことはもうないと思い、そういう機会を与えてくださったぬ上田先生(元金沢大学(国文科)主任教授)に感謝しています。
ついでながら近況を一つ。昨日高齢者運転免許更新にかかる講習を受け、無事終了証を得ることができました。そろそろ免許返納のころかとも思いましたが、車なしの日常の不便さには耐えがたく、手に余るようになるまではと、あえてトライしました。その上認知テストが、声得点(96点)だったので、危んでいた子供にたちも「可」とした次第です三年毎の更新ですから、おそらく次はないかも知れません。とにかく、三年、安全運転でと気をひきしめています。
「閑吟集」樂しんでいます。コロナのこと、オリンピックのこと、秦さんのご意見に賛同します。ことの流れを塞止めることのむつかしさ、物は違いますが、つくづく感じています。
今回のお便りは、原稿用紙を使いました。金沢のデパートに入っている紀ノ國屋で見つけました。ずっと以前に金沢に丸善の店があって、いろんな原稿用紙がありましたが、今はなく、上京の度毎に伊東に立寄って買求めましたが、この所、上京の機会もなくしました。便箋代りに原稿用紙を使った作家ー芥川?ーが「原稿用紙で失礼」と断っていたのを見たことがありますが 私の知る「作家」の書簡にはけっこうそれを使ったものが見られます。私は、ごらんの悪筆で特に手紙は思い込んでどんどん書きますので まきまき乱れます。それで失礼を承知の上で原稿用紙を使いますが、字は下手でも、気に入った原稿用紙がありたいと思っています。
昭和三十年代、ラジオドラマを書いていたころ、稿料が安く原稿用紙を買うのもままならない時がありました。知り合いの印刷屋さんに頼んで自分用のものを作ったこともありました。ラジオドラマのブームが過ぎて余った原稿用紙は、便箋代りに使いました。
秦さんと違って、印刷枚数も一桁以上違うので、とっくに消費してしまいました。
そこで想い出したのは、以前、秦さんが、「生活と意見」の中で「原稿用紙がほこりをかぶっていると書いていらっしゃったことです。ことばの「あや」での記述だったのかも知れませんが、もしそれが事実で、ーー大変失礼な申し出ですが、お手離しできるようでしたら、いくらかお譲りくださることはできないでしょうか。もちろん手紙用として使うこと(もう「原稿」を書くことはなさそうです)をお許しくださった上のことです。そんな目的ですから、できれば「二百字詰」がありがたく、十枚でも二十枚でも、一つには「秦さんの原稿用紙」を使ってみたいとという気持も強くあります。ーー少し甘えかな、お気分を悪くなさるようでしたら、あきらめます。お忘れ下さい。

「生活と意見」でお察しするかぎり奥様もご健在で年を重ねていらっしゃるようで何よりです。お二人、お大事にと祈っています。
四月十五日
井口哲郎  元・石川近代文学館館長 元・県立小松高校校長先生

* 鬱気をはらって下さる、いつもの、上等で穏和に温かなお手紙、嬉しかったです。(こうなると、いよいよ「HP」の機能不全が困ったことで。)
原稿用紙、私は、いついつまでも書けるようにと、新米のくせに沢山製作して貰った、ら、とたんにワープロ、そしてパソコンとメールの時代になり、原稿用紙はそっくり積んだままになった。文章を書く的によぶんなイメージに障られまいと、紙は悪くないが余分のむ飾りはつけず、たんに「秦恒平 用箋」としてある。愛想のないことだが、清潔感はあります。二百字用紙を主に、四百字のも添えて、送り箱に合わせて妻が荷造りします。どんどんお手紙をお書き下さい。じつは私も、もうメールは少なくし、原稿用紙に手紙を書いて郵送生活へ代わろうと思っていました。
自動車は、くれぐれも、重々におきをつけて下さい。感染をさけるのにも万全をどうぞ。
閑吟集 楽しんで下さってると。日々の励みになります、感謝感謝。 秦生
2021 4/17 232

* 気に懸けていた郵便物の一つを送り出してきた。
石川の井口さんへは、明日にも。福岡の今西教授にも。
2021 4/18 232

* さてインターネット不能のために生じる不都合先への適切な連絡を。建日子には伝わっている。凸版印刷所に伝えねば。個々の人は、HPが届かないことで察してもらえるだろう。メールが使えないのは確かに不自由なことになる。機械を交替する処置を的確にし遂げないと。あまり自信ないが。

* 井口哲郎さん(原稿用紙ほか) 今西祐一郎さん(古典古手跡)郵送した。
2021 4/19 232

☆ こんなおねだりが
あっていいものだろうかと、お手紙をさしあげた後で、思い悩んでいたところです。もしかして非礼を諭す一言もあろうかと、「生活と意見」を開いてみても、土曜日以後の書入れもなく、ここでまた秦さんの身に何かあったのではないかと気をまわしていたところです。
ありがとうございました。申し訳ありませんでした。しかも私の理想とする大好きな「障子窓」の原稿用紙です。
この用紙を便箋に使おうなどと、よくも申しあげられたものかと、またまた後悔しています。しかし嬉しい。長く忘れていた少年のようなわくわく感がこみあがってきています。
お礼とおわび、心から申しあげます。
加えて『高麗屋の逸品』、いい本ですね。わくわくした気持が、ここに続いて、近ごろ得難い本との出会いとなりました。
改めてみますと枕にもできそうな部厚さです。一生使ってもーーいや何とか使い切りたいと思っています。

今日は「ぜんそく」の診療日で、先生にコロナの予防注射のことを相談してみようと思ってます。そして近づく白内障の手術と、いささか気が減っていたところです。気は晴れました。今日のお天気のように。
お二人のお大事を祈りながらお礼まで
四月二十日               井口哲郎
秦  恒 平 様
お礼の手紙を書いた後で、秦さんの「自筆の手紙」を発見しました。原稿用紙に気をとられていて開きそこねていたのです。何年ぶりかの「お手紙」そのものも内容も心にしみています。秦さんのお手紙は、ちょっとした菓子箱につめてあります。筆蹟をなつかしんで時折開くことも。そこに一通が加わります。  ーー追ってーー
お手作りの荷物にも感謝

* 作り置きの原稿用紙がまるまる古物の山になると慨嘆していたのを、それとなく井口さんに掬い取って戴けて有り難く。まだまだありますので、ラジオ・ドラマや作家論、自伝にもどうぞ元亀にお使いになって下さい。 私も、困ったことにもうメールも「私語の刻」も電送できないので、痺れ字、震え字でも手紙を処方へ乱発してみたい気分でいます。
2021 4/21 232

* おぅ!  今年、宝塚音楽学校を卒業した「二人」の晴れて喜びの、颯爽、袴姿二枚写真での挨拶が届いて 驚嘆した。

☆ お健やかにお過ごしのこととお慶び申し上げます。 私こと
このたび宝塚音楽学校第一○七期生として無事卒業させて頂き、六月二十五日より八月二日迄、宝塚大劇場宙組公演にて念願の初舞台を踏ませて頂くことになりました。
まだまだ未熟ではございますがどぞ今後とも末永くご指導ご支援賜りますよう心よりお願い申し上げます。    宝塚歌劇団

* 挨拶の名乗りも晴れやかだが、私の如き八五老とのご縁ではかえって正装の美女たちに怪我があっては申し訳なく 藝の上の名前も此処には控えておく。ふたりともの祖父母さんが久しい「湖(うみ)の本」の読者であって下さる。

☆ 秦 恒平さま
ごぶさたしております
自粛尽の連休が近づいてまいりました  中略
この度の封筒が厚みがあり   中略  恐縮です  実は孫二人が本年三月三日に宝塚音楽学校を卒業 歌劇団に入団いたしました 日頃仕事第一の娘達も卒業公演、卒業式には宝塚へ出掛け(私も主人も)浮き足だった生活をしております 不躾とは存じますが 孫二人の卒業挨拶状を同封させていただきます (いとこ同士です)
どうぞ御身御大切に    東京  道子

* はい。お慶び お喜び おめでとう祝し申し上げます。カッコいい!

* 「タカラヅカ」は、叔母のお茶 お花の稽古場で しきりに嘆賞の声をわきで聞いた。まだ秦の家へ預けられて間のない幼稚園以前に いちどだけ叔母と社中一同のお楽しみ会に連れられて「タカラヅカ」へ行ったことがあり、私の遙かな昔の記憶だと、真っ暗な劇場で舞台のサマが「怖く」て、叔母の着物の膝へ俯し、声あげて泣いた覚えがある。
もう大學のころか、やはり叔母の社中で私とは小学校同学年の美少女が宝塚の学校へ及第して行ったという記憶があり、その美少女もいまは私と同歳で、昔ながら自宅で日本舞踊の「おっショはん」をしている。一、二年前に突如として久々に過ぎた手紙をくれた。たまに電話で声を聴き、たまに京のご馳走やお菓子を送ってもらっている。
それより半世紀も前、「公衆衛生」という医学専門誌の編集を担当の頃、ごく親しくまた信頼して頂いていた千代田区の保健所所長先生から、ちょくちょく、近くの宝塚劇場の入場券を戴いた。「タカラヅカ」には遠い昔の記憶からも四十そこそこの中年少々ならず脅えたが、それでも一度だけ勤務のあいまに劇場内へひやかしに入ったものの、超満員で立ち見の女性達の熱気ものすごく、這う這うのテイで弾き出された。妻は一度二度ひとと一緒に行ってたかも。
海外から来演の、「マリーア」と美しく絶唱するミュージカルなども山下所長先生に座席券を戴いてこれは嬉しかった感動したことがある。八十五年も長生きしていると、いろんなことがあって、私はよく覚えているが、固有名詞から忘れつつある。上のあの有名なミュージカル、最近にも妻とテレビで見たミュージカル劇の題を思いだせない。気にしないことにしている。文章は書けている。

* 井口哲郎さんからすばらしい蜂蜜の大瓶、静岡の   さんから名品の新茶、村上開新堂さんから逸品のクッキー大缶を頂戴した。
2021 4/27 232

☆ 「湖(うみ)の本」
「中仕切り」後の力強い踏み出しの書き下ろし『山縣有朋と成島柳北』を戴きました。
あの貴重な『椿山集』を差し出されてから十ヶ月、この「國」がさらなる混迷の最中にあるとき、有り難く必読の書と、まづ(つい)巻末の「私語の刻」を拝読して瞋恚の警鐘を聴きながら、そう思いました。
対極ともみえる、<この二人の明治維新>に、秦さん八十五年の結晶を、弱い眼ながらじっくり読み取ります。
まずは拝受の御礼まで。御身お大切になさって下さいませ。
二○二一年四月二十九日   天野 敬子   講談社 元・出版局長 「群像」編集長
秦 恒平 様

* 苦心惨憺が、あたたかに酬われたようで、心底嬉しく。

☆ 有朋と柳北 ありがとうございました。
成島柳北の祖父が成島司直だという記述をみつけ、びっくりしました。司直の書いた『改正三河後風土記』はよく読んでいましたから…。
恐々謹言   小和田哲男     静岡大学名誉教授

☆ 「湖(うみ)の本」 有朋と柳北 拝受

昭和の日 膝を叩いて 昭和の子   奥田杏牛  俳人
ご健筆嬉しく拝見   ご夫妻のご健勝祈っております

* 四月二十九日 は 「昭和天皇の日」であった。今度の本では、だいじなところで昭和天皇の大事な述懐とご発言を拝借して、「書き下ろし」の主題を引き締めた。

☆ 上村淳之さん、河幹夫さん、お茶の水女子大、上智大、文教大など、着到のご挨拶頂いている。メールがまったく使えなくて、ご迷惑を掛けているはず、申し訳ない。
2021 5/1 233

*稲垣真美さんが、「新・新思潮」を刊行され、巻頭に長編の新作を書かれている。「湖(うみ)の本」へも有り難い佳いお手紙を戴いた。再掲したいが。
頂き物やお便りもあるのに、お礼も申し上げられないでいる。ご免あれ。
2021 5/4 233

* 昨日 所沢の藤森佐貴子さん、見栄えも美しい餅菓子の美味しい一函を下さった。
大和の画家、九十を超えられた烏頭尾精さん、画集『まほろば』にいいお手紙を添えて下さった。
精緻な銅版画を創られる岩佐なをさんの「久しぶり」の逸品を戴いた。
妻の従妹からは立派な玉葱がどっさり。野菜苦手のわたしは、玉葱は子供の頃から好きで、秦の母はよくといた卵と煮てくれた。あーちゃん、ありがとう。
休み明ければ、メールはダメだがいろいろのお便りが戴けるだろう。「メール」が今日の「生活」「交流」にいかに大きく重いかに痛いほど思い知った。
2021 5/5 233

* 連休明け、かたまって郵便が届いた。とても文面までは記録できない、「湖(うみ)の本 151・山縣有朋と成島柳北の明治維新」へ、みなさんから。有り難く拝見した。手にしたまま順不同でお名前だけを。

高史明・岡百合子ご夫妻(作家) 井口哲郎さん(前・石川近代文学館館長)、岩淵宏子さん(近代文学研究者・城西国際大学大学院教授)、藤森佐貴子さん(島津忠夫先生ご遺族)、相原精次さん(古代学研究家)、池田良則さん(洋画家)、あきとしじゅんさん(詩人)、島田正治さん(墨画家)、市澄子さん(妻の親友)、中川肇さん(詩人)、中野和子さん(山梨県立文学館)、鵜飼早苗さん(妻の親友)、高崎淳子さん(歌人)、そして、亡くなられた明野潔さん(元・文藝春秋)の奥様からも。 加えて、天理大学、東海学園大名古屋、昭和女子大学、大阪芸術大学、神戸松蔭女子学院大学からも受領の来信。
高さん、鵜飼さん、明野さんからは、戴きものの同封まで。恐れ入ります。

* 加えて、新進作家の川上弘美さんから、谷崎賞受賞お祝いに、松子夫人に戴いていた稀覯の美装本『春琴抄』を送って上げておいたのへ、気持ちのいい礼状が届いていた。
太宰賞を貰ったから太宰治ゆかりの稀覯本や品を捜し求めたわけでないので、かえって余計ごとかもと気にしていたが、喜んで涙までこぼして貰ったと知り、私も心嬉しく。
私の手元には松子夫人に頂戴した谷崎潤一郎先生ゆかりの美しい珍品があれこれと在り、それらを散逸させたくないなと願っているのだが。次の世代へまで、川上さん、預かってくれないかなあ、などと願っています。
2021 5/6 233

* むかし会社にいた、組合の、好感青年の執行委員長竹沢君と結婚した竹沢由美さんの、しっかり健康な大きな字での、若かりし昔のママ簡にして要をえた葉書を嬉しく読んだ。

☆ 御本届きました。
有り難く読ませててただきます。
最近、自分の無知に気づき 近現代史を学習しようと思っているところです。
お体を大切に。  竹沢由美

* 云うからは、やる人だ。応援したくもなる。

* 皇學館大學から受領の来信。
愛知の歌人島田修三さんから、堅固に装幀された歌集二冊を戴いた。

* この「私語の刻」を読み続けて下さってた大勢の方、心配して下さっていよう。「書く」と云うだけなら幸いに、ゆっくりとでも、斯うして書けているが、ネットへ送りだす再度の「手続き」が、働きの鈍ったアタマでは見当もついていない。
も一つ、問題あり。他に二台、使用していない大きなDELLと、ポータブルなソニーのVAIOがある(ふたつとも十年余も昔に買って置いた)のだが、使用法がよく分からず、何の設定も出来ていない。大きいのは画面も大きすぎ映画が視たいほど、小さいのは小さすぎて今の私の視力では文字の読み書きがまともに出来ない。せめてどちらかをネットに繋ぎたいモノだが、この籠居の日々に家へ技術者を傭うことは何としても避けねば。
たださへの「騒壇余人」、もう、「杜門」の文士で綺麗に果てよと導かれているのだろうか。体力と気力さえつづけば私には「湖(うみ)の本」という「かたち」と「実績」とがある。それでも、やはり「ホームページ」という「居城」にはまだミレンがある。「闇に言い置く」私語にも文藝にも「読者」がある。
2021 5/7 233

* 京の井上八千代さん、葉山の森詠さん、町田の浦城いくよさん、北海道の山本司さん、高輪の山田さん、それぞれに来信あり、また、「三田文学」 松山大學 早稲田大学 水田記念図書館からも「湖(うみ)の本 151」受領の来信。
今回の『山縣有朋と成島柳北の明治維新』は必ずしも容易な読み物ではないが、片端でもひろく意が伝わってくれると有り難い。「湖(うみ)の本 150」の『山縣有朋の「椿山集」を読む』と揃えて、私・八五老として一の晩年作に成ってくれたように、力になってくれた秦の祖父「鶴吉」蔵書の有り難かったことを、重ねて特に記録しておきたい。
2021 5/8 233

* 寺田英視さんから電話をもらって、しばらく話した。しかし、何という私の電話へただろう。
昨日、つまが診察を受けに行っている留守に、弥栄中学三年五組の名簿がみつかったのを機縁に、これぞと昔の同級生に電話したが、もうこの電話は使われていませんと局に云われたり、まるで繋がらなかったり、たった二人 男子一人、小原一馬君と北川成子さんとしか話せなかった。小原君の声は、七十年前の「名投手」とは別人のように老い声だった。寂しかった。北川さんは元気に喋ること喋ること、十分余も、ほぼ独りで喋ってくれた。
どう間違いようもない、同級生なのだ電話の向こうも男女の別なく「八五老」。やはり亡くなっている人の名も何人も聞き覚えた。

* 嬉しかったのは、ご主人が亡くなり、自身も病院通いと弱り切っていた人の、永らく通信がハタと途絶えていたのが、「ひとりで寂しいです」と書き添え「湖(うみ)の本」新刊に送金があった。送金が、ではなく、生きていてくれると知れてしみじみ嬉しかった。私より二歳若い。メールを貰ってても、受け取れないのだ、これには困惑。
脚を痛めて舞台を遠のいている片岡我當クン、弥栄中学の同年生、が、やはり送金してくれて、送金がではなく、とにかくも通信という「便り・頼り」があったのだ、胸を撫で下ろした。同級だった団彦太郎が我當を心配して私に聞いてきていた。これだけでも報せてやろう。

* しばらく間があったので「湖(うみ)の本」新刊へのお便りや、大學・高校、研究施設、図書館からの受領来信も、また本代払い込みも足早に多い。感謝。この「私語の刻」にお一人一人のお便りを転載させて頂く体と時間のゆとりのないのが残念。なによりひろく発信できないのが、残念。

* 例年のことだが、転勤の季節で、転居される方が多く、「転居先不明」で送りだした本が帰ってくる数も増えるのが、習いで。宛先を変えて送り直すということも自然多くなる。そのうちに、「湖(うみ)の本 152」責了となって、また「送り」用意に多々手を掛けねば。「八五老」作家で こんなに多彩に毎日忙しい人、どれほどおいでやろ。

* 秦河勝の時代を書いて欲しいと、具体的なご希望が届いていて、ウーンと唸っている、気がないのでなく、用意があるので。
書きたい小説の内案は、さっきも電話で元の文春専務さんと電話で話していた。夜中に、暗闇の底でこれ、それ、あれと思案している数は、今日モノ、歴史モノ、女モノ、怪奇なモノ、少なくない。元気と寿命が欲しいが、何よりも家族の健康が必要不可欠。怪我すまいと願う。
2021 5/12 233

* 奈良・五条の永栄委啓さんから、長編の「冬祭り」論、また私の「子規と浅井忠」についての論を頂戴した。永榮さん、もっとも長期にわたり私の仕事を論じ続けて下さっている。有り難いことだ。
2021 5/14 233

☆ 「湖(うみ)の本」を 本当にありがとうございました。
創刊35年、第151巻には圧倒されます。既刊一覧を拝見し、これほどのものをいつ書かれるのかと声もありませんでした。
「山縣有朋と成島柳北」 丁寧に拝読させて頂きます。  内舘牧子

* 午まえ。なぜか今朝は睡い。
ポストへ、かなりの嵩と数の郵便物を入れに、自転車で。片岡我當くんに、戦前の文豪、大作家ら自筆の短冊を原色刷りした見栄えの一冊を贈った。元気な我當の舞台にはやくまた会いたい。
下駄履き自転車の、往きは下り坂あっと云うまに用は足りたが、帰りは真っ向の強風をうけ、呻いた。
十一時半。眼がふさがりそう。
2021 5/16 233

☆ 「湖(うみ)の本」を 本当にありがとうございました。
創刊35年、第151巻には圧倒されます。既刊一覧を拝見し、これほどのものをいつ書かれるのかと声もありませんでした。
「山縣有朋と成島柳北」 丁寧に拝読させて頂きます。  内舘牧子

* 午まえ。なぜか今朝は睡い。
ポストへ、かなりの嵩と数の郵便物を入れに、自転車で。片岡我當くんに、戦前の文豪、大作家ら自筆の短冊を原色刷りした見栄えの一冊を贈った。元気な我當の舞台にはやくまた会いたい。
下駄履き自転車の、往きは下り坂あっと云うまに用は足りたが、帰りは真っ向の強風をうけ、呻いた。
十一時半。眼がふさがりそう。
2021 5/16 233

* ところが食欲無く 睡く 。何も出来ず、寝入ってしまい、昼食も摂れず、また寝入って一時半ごろから「イ・サン」を観てから二階へ来たが、茫然のまま。
京の、古門前 幼なじみの「おっ師匠はん」から電話、昔話など。縄手の茶漬け鰻や甘泉堂の菓子など送ってくれると云う。謝謝。同い歳だが、声など若くて元気そう、ケッコウ。

* 小泉浩一郎さん、「湖(うみ)の本 150 151」受領の来信があった。

* 九時半。
2021 5/18 233

* 稲垣真美さんの編輯主幹で文藝雑誌「新・新思潮」が発足し、巻頭に、稲垣さんのおもいきり自在な長編の「美の教室界隈」が発表されているのを頂戴した。めったにないこと、わたしは昨夜、三時間の余もかけて一気に読み遂せた。作の批評とは大きく逸れるが、二重の関心から引き込まれた、いや私から作世界へもぐりこんだ。
一つは稲垣さんという、たぶんお目に掛かったこともないだろう方への個人的な関心、それとも重なり合うてくるのだが、作に書かれてあるのが美学藝術学の大學風景で、カントだヘーゲルだ、自然だ藝術だ、美だ、それらの演習だ等々とあっては、それもかなりに的に触れた議論や学習や書籍などが何の衒いもなくごく当たり前に語られ書かれている、それではまるで昔の「私」ではないか、私は京都の同志社大学で文学部文化学科の「美学藝術学」専攻学生だった背し、一年で東京へ奔ったものの大学院でも「演習」の原著を読んでいた。結果的には美と藝術の「學」なるものに飽きたらず私は自身創作の世界へ意欲と意志とで脱走したのだった、同学の妻とともに。
稲垣さん作の現に「美の教室」は東京の旧制高等学校であるらしかったが、ご自身はどうも京都大学の美学藝術学専攻生であったかに読める。「木島先生」なる教授らしきは、どうも、私もならったことのある「井島勉」としか思われない、そして京大と同志社の美学藝術學専攻同士の親睦にも御所の運動場で野球かソフトボールの試合をした覚えもある。作者の稲垣さんはしかし敗戦間際の兵役
にもつかれたようで、少なくも十歳ほどはお歳嵩に想われる、それがまた私の気を惹くのだった。
私の育った秦の家は京都の知恩院下に門前通りにあった。中之町の東ぎわにあり、東へすぐお隣からは梅本町だったが、実はその梅本町に、私の家から五十メートルとない東向かいに「稲垣さん」と、おとなのだれもが「さん」づけで呼んでいるシッカリした一軒があり、そこには京大生のお兄さんがいた、らしいと子供こごろにも覚えていた、ただしラジオ・電器屋の我が家とシッカリしたしもた屋の稲垣家とには何の縁もなかった。
それだけなのだが、稲垣真美さんは本を送るといつも受け取ったと挨拶してくださる。今度の、山縣有朋と成島柳北」へも、鳩居堂製の「稲垣眞美用箋」に、ていねいなお手紙を貰っていて、「三つからは加茂川畔に育ち、粂川光樹の京都一中では先輩、大体二十ぐらいまで京都(深草の聯隊にも入りましたので)、あとの七十五年の大部分は東京ですが」と書かれてあり、ま、かりに新門前であっても「加茂川畔」と私でも、云えば云うだろう。すこし年配だった粂川光樹は亡くなったが、なんと「医学書院」に同年に入社し、きれいな奥さんと結婚して彼は早めに退社、フェリス女学院の先生から明治学院大の教授になったいた。わたくしは在社十年で太宰賞作家に身を変えて仕事の山を積んできた。稲垣さんは粂川君から私について何等か聴いておられたのかも知れない、が、私にはどうも「梅本町」の稲垣さんちの「京大生のお兄さん」が気に掛かっていたし親しみを覚えていた。
そして、雑誌「新・新思潮」創刊の巻頭での「美学・藝術学」ときてカントの「判断力批判」の「ヘーゲル美学」のと現れ出ては面食らった。「ヘーゲル美学」の翻訳という仕事が稲垣さん作の終盤でのっぴきならない話題になっているが、わたしと妻とは大學のころ「ヘーゲル美学」の訳本を輪読討論までしていたし、その本はいまも書庫におさまっている。いまでは笑い話に属するが妻の卒論はなんとカントの「判断力批判」に食いつくシロモノでもあったのだ。
稲垣眞美さんにこんど頂戴したお手紙は、大事に記念したい。

☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 151 山縣有朋成島柳北」 全頁拝読致しました。
京にては無鄰庵、東京では足を伸ばせば椿山荘、それに必要あって鷗外全集を繰れば山縣有朋表裏の条一杯出て参ります。
それと荷風の好きそうな成島柳北との取合わせ、ともにお祖父様の蔵書にありましたとのご因縁が由来、そして大逆事件、二・二六の怨念忘れまじとのご真意まで、心深く拝承致しました。有り難うございました。
小生も、八幡に生まれ、三つからは加茂川畔に育ち、粂川光樹の京都一中では先輩、大体二十ぐらいまで京都(深草の聯隊にも入りましたので)、あとの七十五年の大部分は東京ですが、親父は尾張ながら、母方は大板の宇佐と、それに何と長州萩の血まで入っています。 戦争と軍人は大嫌いでしたと胸を張って言えるのですが、山縣有朋、森鷗外しなるともはや何とも言えません。そこの処、西郷隆盛、依田學海、上村松園までからめて、まことに細密によくぞ纏められたと敬服致しました。
たまたま私この度『新 新思潮』を発刊。誤植多く恐縮の限りですが、多年の御礼に同封致します。ご笑覧下され度  匆々
二○二一年五月一日    稲垣真美

* 私よりご年配と感じていたが、敗戦の日に私は国民学校四年生の九歳半、熊谷さんは兵役の早々から脱しておられる。一世代はちがい、九十五六歳か。「新 新思潮」創刊と長篇の巻頭作、ますます御健勝でありますように。まこと久々に「美学藝術学専攻」などということを想い出させてもらいました。
2021 5/19 233

* 京・古門前の「おッ師匠(しょ)はん」 縄手の「お茶漬鰻」と 甘泉堂の甘味「おちょぼ」とを送ってきて呉れた。
「おおきに ありがとさん」
わたしが 妻と東京へ出てきたのが一九五九年で、そのころまでは彼女は茶や花の稽古場へ通ってきていたかも。そしてその後もう六十余年、顔を合わせたことがない。宝塚へ入ったり出たり、日本舞踊に打ち込んで、いつか「おッ師匠(しょ)はん」になってたり、噂は叔母を介して聞こえていたが、いま以て再会していない。が、小説の主人公には優になりうるいつも「噂の子」で、私は『或る雲隠れ考』を書いた。むろんフィクションであるが、書き込み甲斐のある主人公であった。本人は知るはずもない。
そして 数年まえになろうか、突如として手紙を呉れた。以来、ときどき電話で話す。わたしからは何も遣るモノがないが、「おッ師匠(しょ)はん」は、ときどき上のようなご馳走や京らしい甘味を送ってきてくれる。既婚者であった(お相手は亡くなった)が、いまいまで謂う真っ向本気の同性婚だったとは叔母の方から聞いていた。私に親しみを持ち続けてくれていたのは、たぶんに従兄妹ほどの気楽さなのだろう、私もそう思っている。ひとつには、私が秦の「もらひ子」だったように、彼女も今少しフクザツな立ち位置で古門前の名だたる旧家へ、婿入りした実父と一緒に入籍していて、そんな「ややこしさ」を背負いあっているという親近感がどっちにも有ったのだ、いまでも、有る。たいへんな美女だったが、私の「男」などは遠い関心外にあった。
2021 5/22 233

* メールも送れない、届かない。「私語」を聴いてくれる人もない。お話にならない。人を頼んで来て貰うのも今は避けたい。やれやれ。
2021 5/24 233

* へとへとよろよろと駅から歩いて帰ったら、弥栄・日吉ヶ丘の友達團彦太郎君の昔懐かしいいい手紙がとどいていて、まことに嬉しかった。
ロサンゼルスの池宮さんからもやっぱり懐かしい心親しい佳い手紙が夫婦宛てに届いていて、「湖(うみ)の本」に送金まであって、恐縮もし嬉しくもあり、疲れが取れた。昔昔の友達の元気そうな頼りを貰うほどいま嬉しいことはほかに無いのでは無かろうか。奮い立つまではゆかなくても、気がシャンとする。それが嬉しい。

* 團君というと、忘れられないのが、私には受賞作「清経入水」と列んで出世作にも数えられた短編「祇園の子」だ、はなはし昨日のように想い出せる、六三新制で新設の市立弥栄中学ホカホカ湯気の立ったような一年生としてわれわれは新入学し、團は一組、私は二組で、演劇大会で激突した。全校全三年での優勝を競う大会であったから、弥栄中学新設ほかほかの一年生、事実上の弥栄一回生として上級生に負けまい気構えが強かった、「三回生」と謂われていたが、二年生三年生は大なり小なり先立つ他所の学校から転じてきた人らで、三年生には兵役復員の人たちも混じっていたような時節だった。
結局、私が演出に奮闘した一年二組の演劇が優勝し、團の一組が二位だった。それはもう気分が盛り上がって、そしてその果ても果て、もうみな家へ帰って行こうというときに、一組の演劇でヒロイン役を健闘してた女生徒と私との、電車道横断歩道上でほんの一瞬の詞のやりとり、それだけでその短編小説は成っていたが、「こんな作が十も書けるならたいしたもんです」と文壇の大家に褒められるようなことになった。わたしは。今でもその「祇園の子」と團君とが舞台でのセリフのやりとりのサマもよく覚えていて、彼をおもいだすつど、そのヒロインを想い出さずにいなかった。よく出来る子と評判の学級副委員長だった。團が委員長だった。
往時は渺茫。團君、かれは、そんな七十四年も前を記憶しているかなあ。
そういえば、團彦太郎、みんなダンピコと愛称していたが、かれもまた一人の「祇園の子」旧弥栄小学校の卒業生だったのだ。窮・京都市立弥栄小学校は、元々へ遡れば祇園甲部のお茶屋立と謂うて佳い成り立ちなのであった。

* しかし、よほど疲労したとみえ、掌も、あしの裏も、棒でも差し込んだように捻れて痛い。目は霞みきっている。それでも「T」博士(角田文衛先生に私の作へご登場願う時には、こうお呼びしていた。目崎徳衛先生は「M」教授と。)の本は面白すぎるほど面白く、しかも碩学、そこに意図したウソにど全くないと信頼できるので安心仕切って乗っていけるのが有り難い。先生の本を持ってなかったら、わたしは途中の何処かでへたばり、失神して居かねなかった。
2021 5/24 233

* 福田恆存先生の奥様が101歳でお亡くなりになったとお知らせがあった。実の親を知らず、育ての親におとなにしてもらい、そして心の親のようにお思い申し上げてきた。筆紙に尽くせず、背をいつも優しく支えていて下さった。忘れない。
福田先生からはじめてお手紙を戴いたのは、「すばる」巻頭に、華岳らを書いた長篇『墨牡丹』を一挙掲載した直後だった。間をおい、先生の演劇活動の拠点であった三百人劇場ヘ「ハムレット」だったと思う、シェイクスピア劇を演出されていたのへ出向いた時に ホールでご挨拶した。先生最初の一声は、「ああ。想ってたとおりの方だった」と温和に優しいとりなしだった、ビックリした。「湖(うみ)の本」を始めた時、先生はすぐさま各地の20人ばかりの方を「読者」としてご紹介下さった。(同じご親切は、永井龍男先生にも戴いた。)それはそれは有り難く嬉しいことであった。先生の創作劇も何度か楽しんだ。ご子息逸さん作・演出の歌舞伎なども歌舞伎座へ観にいった。
福田先生は亡くなられた。 その後は 奥様がそれは優しくいつもお付き合い下さり「湖(うみ)の本」の購読もおつづけ下さり恐縮もし嬉しくもあった。
永井先生も亡くなられた。福田先生の奥様も百一歳のご長寿だったとはいえ、亡くなられた。寂しくなった。

* 私は、受賞このかた、信じがたいほど多くの大先達の先生方に優しく良く励まされも支えられもしてきた。 福田恒存先生のほかに、順序無く 文壇に限ってただただ懐かしく有り難く想い出すお名前をあげておけば、
小林秀雄、臼井吉見 唐木順三 河上徹太郎、中村光夫、吉田健一、瀧井孝作、永井龍男、角田文衛、目崎徳衛、木下順二、本多秋五、井上靖、山本健吉、中村真一郎、江藤淳、 阿川弘之、佐伯彰一、篠田一士、巌谷大四、杉森久英、大岡信、小田実、和田芳恵、壇一雄、今東光、立原正秋、水上勉、伊藤桂一、舟橋聖一、上村占魚、馬場一雄、大国友彦、谷崎松子、円地文子、福田敦江、田中澄江、梅原猛、斎藤史、大原富枝、竹西寛子、馬場あき子等々、キリがない。
さらには學界の諸先生がたとも、文学、歴史、美術、批評、論攷、まことに大勢お付き合いが出来ていた。有り難かった。
反面、同世代ないし若い作家・批評家たちとは、めったに接触も親交もなかった。いまでも久間十儀さんら極く数少ない。人付き合いが悪いとは決して思ってないが、もともと外へ出て行かない暮らし方のせいもあろうか。あるいは私の作風とでもいうのが若い人たちへの障りになっていたのかも。

* こういう追憶にこころを惹かれるのも、ようやく最晩年の自覚というものか。
陶淵明集を開いてて、こんな詩句に静かに目を置いていた。友人の劉柴桑に酬いた詩の一部を抜き書きしてみる、

窮居して人用 寡く、
時に四運の周るをだも忘る。
空庭 落葉多く、
慨然として已に秋を知る。

今我れ樂みを為さずんば、
來歳の有りや不(いな)やを知らんや。

此のとおりに日々送迎し、まさに これ 私、只今の感慨である。

* 読者、友人、知人、何人もの方が この「私語」が急に聞けなくなったと、案じていて下さるだろう。それが気がかりで申しわけない。いい手がないものか。

* 三度もからだ揺らつき、いちどは柱へ軽くだがアタマを当てた。夕食後に床で角田先生の本のおもしろさに惹かれたまま、九時まで寝入った。幸い、すべきは大方し終えてあり、もうすこし宛先住所を確かめたいのが数人分。
しいて観たいテレビもなく、また本を読んで読んで、読み読み寝入っていい。
2021 5/25 233

* 本阿弥光悦の草花絵巻が書庫にかくれていたので、尼崎の井上温子さんに置くって上げたら、喜ばれた礼状が来た。送ってよかった、絵も書も喜んでいるだろう。
2021 5/26 233

* 想っていたことではあったが、しかと思い立ち、久々に、じつに久々に、かつて歌集『少年』をすてきな新書版で世に送りだしてくれた不識書院主の中静さんに電話した。唐突だが、この春に手がけて編みあげた歌集『少年前』そして八五老蠶の走り書き『閇門』を、『少年』のご縁に「読んでみてくれませんか」但し、決して本にして出版して欲しいのではない、それは『湖(うみ)の本』にすれば想うままに済むこと、ただただ、あのひろく好評を得た『少年』にはうち捨てて採らなかった小・中・高校生の頃の「わが短歌」習作の数々を、歌集というものを無数に出版してきた編集者中静さんの眼で読んでもらいたかったのだ。
中静さん、ご迷惑だったろうが『少年』歌人の「少年前」というご縁ひとつで承諾してもらえた。
週明けの月曜にお店に届くよう送り届けたい。有り難い。嬉しい。

* コンピュータの故障は依然険しいままだが、久しぶりに印刷機は働いてくれた、じつは『少年前』と『閇門』とを、祈る思いで「刷れて呉れよ」と機械に送り込んだ、A4紙で60余頁がきれいに刷れたのだ、吉日とまでは言えないが大きな半吉事に恵まれ、胸を撫でている。撫でているうち、これを不識書院主に久しぶりに読んで貰おうと思い立って、手早くすぐ電話したのだった。そして我勝手な文字遣いの漢字に小さく朱で「よみ」を振っておいた。数百首あるのだ、よく手早くつぎつぎ頑張った。
九時になって行く。もう休んで佳いだろう。
2021 5/28 233

* 中静勇氏に歌集『少年前』『閇門』の原稿を送った。
2021 5/29 233

* メールがなく、出歩かず、「人」との応衝がほとんど無くなろうとしている。せいぜい私の用箋をつかい、封筒は簡素でいい、手紙を書くか。
2021 5/29 233

* 心配懸けているにちがいない。電話は嫌い。せいぜい手紙を書きたいが、たださえ悪筆、痺れに手が震えて原稿用箋の升目にも字が行儀わるく収まってくれぬ。
ケイタイへ電話がきていることも有るらしいが、番号しか分からず、調べてみたが、誰の番号とも分からなかった。機械としての操作がまだ全然覚えられず、家の中で持ち歩きもしない。買った甲斐が何も無い。
2021 5/30 233

* 京都から、心配して森下君の電話があった。西村のテルさんも、案じて森下君へ秦の容態を訊ねてくれていたと。うーん。何とかしたい、が、ひょこっ とは回復してくれそうになく。

* 新しい(ワケでもない古い機械だが、未使用の)機械を試みても DELLにはNECと違った機械クセがありそれが飲み込めなくて使用(試用)したくても、何につけ引っかかってごく初歩の希望も通らない。かえすがえす同じNEC機械を買っておくべきだった。
せめて「私語の刻」だけを書き継いでおきたいが、書き継ぐだけなら此の馴染みの機械クンが機嫌良くさせてくれる。がまん、がまん、コロナよコロナ 速やかに退散せよ。強力な変異株がまたまた登場とも伝えられ、しかしワクチン接種は少しずつでも増え、感染者数は減ってきてもいる、楽観のなる状況ではないのだが。すっきりせんなあ。
2021 5/31 233

* 秦の祖父鶴吉の蔵書に、とても私の手に負えない手沢本一冊があり、歌集とも句集ともなく、筆蹟はなやかにうるわしく書かれた歌謡の集と見えていた。で、秋成研究の第一人者、東大の学生であられた頃から昵懇久しい長島弘明さん(東大名誉教授、現二松学舎大教授)に送った。今日、懇篤のお手紙を戴いた。おうと声の出たほど、懇切明快のご教示であった。いと、嬉しく。いと、嬉しく。

* もう一つ嬉しいのが、プリンターとともにこれもアウトかと危ぶんで使えないで来たコピー機も、プリンター同様にちゃんと用を果たして呉れた。長島さんのお手紙も此の機械クンへ書き写すことが出来た。感謝感謝。
こんなふうに、インターネットの方もカム・バックして呉れませんか。

☆ お送りいただいた御本について
拝啓

その後、長らくご無沙汰しております。
秦恒平選集と湖の本をいつもお送り賜り、まことにありがとうございます。
雑事にかまけて、御礼も申し上げぬまま、失礼を重ねておりますこと、ご海容のほどお願い申し上げます。

過日、ご懇書とともに、冊子一冊をお送りいただきました。
どのようなものかというご下問かと存じましたので、細かいことはわからない所が多いのですが、ごく大雑把に記させていただきます。
私は歌謡の知識もあまりなく、明治にも詳しくないので、大間違いしている場合もあるかもしれませんが、それはお許し下さい。

この本は、恐らく明治にはやった七・七・七・五の都々逸の、愛好者社中の作品をまとめたものかと思います。
潮来節くいたこぶし)・よしこの節から出た都々逸は、もともとは主に男女の恋愛の仲を謳う内容ですが、七・七・七・五の形式で、男女の仲以外の色々なものを謳うようになります。
この本の都々逸も、男女の情の作もあり、それ以外のものもあります。
なお都々逸については、
元甲南女子大の菊池真一さんが色々な論考を書いていますので、次をご参照下さい。
http://www.kikuchi2・com/dodo/index・html

この本、
最初の方に「兼題」とありますから、
予め題を出して、各自作った都々逸作品を会合に持ち寄るか、あるいは宗匠(最初の所に名前のある「僖月舎 薫」か)のところに送ったものでしょう。
これは、それを多分宗匠が評点を付け、一位から五十位までざっと順位を決めた上で清書したもの。原則として、後ろに行くほど順位が高い(巻頭句と、最巻末に追加された「追章」は少し別扱い)。
一番後ろ(絵巻軸)、「逸」とある蟇山人の「雪はおもひの 望みに降らず 逢い足りながらも 物足らで」が最高点でしょうか。
順位は、後ろに行くほど高いと言っても、ニ十位台、三十位台、四十位台は、十作-からげで、細かく分けていませんね。
それから、各作の右上に押してある朱印は、 俳諧の例と考え合わせてみれば、恐らく点印でしょう。社中の人なら、どの朱印が何点とわかるはずです。

裏表紙の内側に、お祖父様の秦鶴吉さんが
「明治四拾年五月求之」と記しておられるので、恐らく都々逸愛好家でいらっしやつたお祖父様が、古書店などで購入されたものでしょう。

以下、巻頭の序文と兼題、最初の方の作品の二つほど、また巻末の作品三つほどを翻刻しておきます。
わかりやすいように濁点を加え、各句の間は一字空白にしておきました。

(兼題)
千世経べき 松の翠の とことはに 豊坂のぼる 朝日社の みやびの嶺に  栞して 情けの海に 棹さして 此なさけ謌の あつめにぞ 根ざせし種を 言の葉の 三葉四葉と 七年を ことほぐまとひの 末永く 楽しき春の 曙の 霞に匂ふ 花になづらへ 香ほり気高く 秀でたる すさぴの数を ゑりあはし 拙きわざも をのづから あたひ/ \の 玉やならなむ
明治三十六年二月
僖月舎 薫    印(「僖月舎」) 印(「薫之印」)
兼題
旭浪に輝
花の笑顔
卯に寄る恋
降らぬ雪を恨む
日月火水木金土、ニ字以上結び

家のかぜまで 輝く御世の 浪もはるかに 朝日の出   洋月

むねのほむらの 飛火野過ぎて 角(つ)のもおとした 春の鹿 玉骨

(巻末)
(軸)雪もふらねば 待人も來ず 恨み痩寝に ひゞく鐘    壺中

(逸)雪はおもひの 望みに降らず 逢い足りながらも 物足らで  蟇山人

(追章)雪は降らぬと 暁(あかつ)き寒ゐ 言葉も恨めし 別れ際  跡丹

おかげさまで、東大定年後は二松学舎大で、何とかオンライン授業をこなしています。
会議で大学に呼びつけられ、基礎疾患持ちとしてはいやいや出校していますが、仕方ありません。
今住んでいるところは田舎で、ワクチンを打ち終わるのは、このままでは9月未になりそうです。
こんな所にも地域格差があることを実感しました。
秦様も奥様も、どうぞくれぐれもご自愛を。
五月二十六日 長島 弘明
秦 恒平 様

追啓 なお、本書はお祖父様の手沢本という貴重な物で、私はコピーをこれからとり、原本は近日中に郵送でご返却致します。
長 島  弘 明
NAGASHIMAHiroaki
(メールアドレスが変更になりました)

* もう一通戴いていた。察するに 前のメール便は私の機械故障で戻っていたと想われる。

☆ 拝復  過日はメールで失礼致しました。
大切な御祖父サマの手沢本を御返却申し上げます。雑事のため、返送が遅くなりました、ご容赦下さい。
明治には、俳句以外にも、多様な韻文創作の楽しみがありました。うらやましいことてす。
念のため、先日のメールを印字したものを、同封致しました。コピーをとらせて頂きましたので、又、何かありましたらお訊ね下さい。
電車に乗ることも極力避けています。
どうぞこのコロナを乗り切って、お健やかにお過ごし下さいますよう   敬具
五月晦日              長島 弘明
秦 恒平 様

* 有り難う存じます。 お人柄が いかにも懐かしい。

* それにしても 都々逸会とはおもしろい。有り難いご教示、いろいろと胸に落ちた。感謝感謝。
2021 6/1 234

* 久しく、心より親しかった奈良の歌人東淳子さんの訃報が、大学時代の学生さんであったろうか、「湖(うみ)の本」でも久しいおつきあいの岡田祥子さんから。
がくっと寂しく。あれこれ私語している内、機械の画面がはっと消えた。
今は繰り返さない、が、病床で「たのしみは」と詠われていたのに私も暫く倣って、岡田さんを介して送っておいたのを、読み上げて貰い「にっこり笑っておられました。喜んでおられました。ありがとうございました」と、岡田さん。寂しくなった。
2021 6/2 234

☆ 長島弘明様
深甚のご厚意で 思いがけぬ勉強が出来ました 嬉しく 有り難く 御礼申上げます。
私の 二十年も使用し続け「奇跡」と謂われる古機械の、ついにネット機能損失という事故に遭い お手数を更に煩わせました。 ご免なさい。ご親切 身に沁みました。
秦の祖父は 明治二年に生まれ 昭和の敗戦直後に亡くなりました。 無口な人で 言葉を交わした記憶も無いほど もらひ子のちっちゃな私は ただ「こわいお祖父ちゃん」と思っていましたが 本を読むなどは極道と口癖の父とはまったくちがい たいへんな蔵書家でした。 古典 漢籍 史書 詩集 事典 字書 啓蒙書等々 国民学校の初等期から私には 宝の山でした。祖父は 勝手次第に本に触れていても 一言も否やを謂いませんでした。私どもが 東京へ移り住みます時にも 他の何より 祖父の蔵書を荷物に加えました。「湖(うみ)の本」にもなりました 山縣有朋の『椿山集』も 成島柳北の『柳北全集』も 参照した 各種明治の事典・寶典類も みな祖父からの有難い遺産でした。 そんななかで 音をあげた一冊を送りまして ご示教を仰いだという次第ですか むろん本は 長島さんご身辺にさしあげて ご論攷の一編にもなれば 本も祖父も喜ぶのではと実は願っておりました。ご返送のお手間を懸けさせましたのは 私として 行き届かぬ事で 申し訳なく思っております。
「秋成學」に大きな大きな足跡を残され なお積み重ねられている長島さんには なに珍らかでもない 「加茂真淵講義」の『古今和歌集講義』本に 秋成が関わっていますようで そんな「上下巻」が 傷み本ですが 残っていました。 お弟子さんにでも譲って上げて下さればと。 長島さんが 頼山陽に無縁であるわけ無いでしょうが 頼山陽口授の『評本文章軌範』七部三冊 『日本外史論文講義 全』一冊 さらに 今や珍しい 頼山陽先生編選『「謝選拾遺講義』上下二巻が 書庫に死蔵されていました。
もはや どれも もう私には 手を出す余命の無い本なので というのは失礼に過ぎますが 長島さんに みな 献呈し しかるべくご処置願いとう存じます。すこしでもお役に立てば嬉しく さもなくは若い学究に貰って頂けると 本も祖父も 喜びましょう。
私は 「へんな子」と謂われつけて育ちましたが 祖父の本の中の 『通俗日本外史』と『神皇正統記』を朗読するのが楽しみで それらが のちのちまで私の文章にも 歴史好きにも余翳を残した気がしております。かえってご無礼を恐れながら 古本を 御受納くださらば 何かしら 大いに ほっとさせて頂けます。お笑い下さりご勘弁下さい。
コロナ禍 決して決してご油断無く 日々 お大切にお過ごしありますよう。
令和三年 六月二日     秦 恒平

* 突如として 「小説家」と肩書きの名刺で門口まで 瀬川雅峰さんが来訪された。あいにくのコロナ籠居に徹して人さまとも殆ど対面も対話もしていない時機なので、まるで門を挟んで立ち話した。私の漱石『こころ』論に刺激されて、教壇に立つ学校の先生の立場からの『辰己センセイの文学教室』と題した本を書かれ、ネットで評判になり賞もうけて、上下二冊の文庫本になったのを、手みやげまで副えて持参頂いたのである、恐縮のほかない。よほど私の『こころ』解釈ないし論攷が気に入られたらしく、感謝します。
立ち話で申し訳なかったが、コロナであれなかれ我が家は目下人様に上がって頂ける座るだけの場所もなく、これまでも何人もの方に失礼を重ね続けてきた。
せめて「小説」という著作を読ませて頂きます。 ご無礼 ひらにご容赦下さい。『選集』最期の第三十三巻を謹呈してそのままお帰り頂いた。

☆ 拝啓
初夏の候、秦恒平先生におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
突然のお手紙にて失礼します。
私、高校で教師をしております瀬川雅峰と申します。この度宝島社より、文学ミステリー小説「辰巳センセイの文学教室」を発売致しました。
二年前に大病を患い、教壇への復帰が危ぶまれたとき、教え子達に伝えたい思いを込めた小説を書き上げたい……その思いで病床で執筆を始め、ネットの小説投稿サイトに連載しました。それが高い評価を受け、ネット小説大賞を受賞。この度書籍の発刊となりました。
作品では各章で「舞姫」「羅生門」「竹取物語」「山月記」「こころ」と、教科書の定番教材を扱っております。長年教壇で話してきた作品解説、読み、それが事件解決の鍵になっていきます。ドラマとして面白いミステリーでありつつも、教え子達に文学の面白さや深みを知ってもらいたい願いを込めて書きました。
そして、授業シーンを書込むにあたっては、各作品の読みについて先行した多くの先生方の考察、研究を参考にさせていただいております。特に、こころの章については、秦先生の「湖の本 心の問題」における読解がなくては、ラストシーンを着想できなかったほどに影響を受けております。(下巻、本編の終わりにておそれながら謝意を述べさせていただきました)
10年以上前と思いますが、秦先生の「読み」を知ったとき大変に感動し、こころの読みの一つの到達点を見たように感じたことを今も覚えております。いつか、恋愛ドラマを描くとき、この読みを盛り込みたい、生徒たちにこの視座を紹介しつつ、それが希望に繋がるようなドラマを措けないだろうか、と構想を練ってきました。
書籍となったこの折に、秦先生に、一部お納めいただければと思い、本日こちらにお持ちした次第です。ご笑納いただけましたら幸甚に存じます。
秦恒平先生の今後のますますのご活躍をお祈りいたします。敬具
令和三年六月二日
2021 6/2 234

* 長島弘明さんに、秋成 賀茂真淵 頼山陽らの関わっていた書冊を謹んで呈送した。処分してしまうには惜しまれた。
2021 6/3 234

☆ 「湖(うみ)の本 151」
ご送付ありがとうございました 送金がすっかり遅くなってしまい 申し訳ございませんでした。
今、東(淳子)先生が最期を過ごされた部屋の片付けをしています。これが終わると 2年留守にしておられた奈良のマンションを掃除し、2年ぶりに帰宅させて上げようと思っています。
暑くなって來ました お大切におすごしください。   岡田祥子

* かほどこころ麗しいけなげに優しい人に、お弟子さんに、最後の最期まで看取られた東淳子さん、お幸せでしたと胸を熱くしている。
2021 6/3 234

* 谷崎賞「作家」の川上弘美さん、妻もおどろいた華やかに、ちいさい、贅美のと謂えるほどのトマトを一箱送って下さった。ウーン、びっくり。ありがとう。
2021 6/5 234

* 手紙を書くのはかなりに気がシンドい。電話は、先の様子が知れないだけ、気がシンドい。メールがいかに便利かが分かる。メールの来ない(見られない)のも淋しいが、送り出せないのも精が無い。しかし何時になったらこの事態が解消できるのか、こうボンヤリのままでは先が見えない。これぞ「最大のコロナ禍」であるよ。
2021 6/6 234

* 松子奥さんにに戴いた、奥さん編の『谷崎潤一郎の書』と題した美麗特装本を、川上弘美さんへ呈上し、本の今後を預けた。どんなに良いモノでも、持主の身に異常がおきれば塵芥同然に陥りかねない、「良い」と思い愛着してきたものほど、しかとした人手へ委ねたい。
2021 6/7 234

☆ お元気ですか、
いかがお過ごしですか。
四月半ば以来 HPの記載も途絶えて、寂しい限りです。が、鴉は書くことを止めるはずなく、新たなものにも挑まれていることでしょう。
そちらのワクチン接種は進んでいますか、早く接種を終えられますように。 私は二回目が六月十日です  今は孫の世話で精一杯で とにかく疲れないように日々を過ごしています。
祇園祭の頃に 娘たちは京都に戻ることになりました。
この(書き=)文字の大きさで 読みとっていただけるでしょうか  長い手紙を書きたいけれど
どうぞ くれぐれも 大切に 御自愛下さい    尾張の鳶

* 尾張の鳶さんの手紙というのを貰ったのは、何年、何十年ぶりだろう、謝謝。

* ワクチンも念頭にあるが、妻にも私にも基礎疾患はしっかりあり、医師も無条件には勧めていない、止めもしていないが。とにかくも 「湖(うみ)の本 152」の発送を終えてからのことと。
2021 6/7 234

* 誰も、今は、この「私語」を読めない。メールで、問い合わせも案じもならない。可能なのは郵便の往復だが、そういう習慣はとうの大昔から当然のように無くなっている。
2021 6/9 234

* この機械ではネット機能が破損している、が、別の二機には何の設定もしていないのだから、仕方次第で新たにネット機能を設定できていい筈なのでは。ただ、どこからどう手を下せばよいのかまるで分かっていない。このNEC機械には分厚いマニュアルが付いていたが、建日子の呉れた小さな機械にも自分で買ったDELL機械にもマニュアルらしきが見あたらない。やれやれ。

* 八月納涼歌舞伎の案内がきたが、とても、この半年のコロナ禍、なおなお油断ならない。出歩きは諦めている。

* ネット不通、ホームページが現れないと、柳博通クンが親切な電話を呉れた。誰かを連れて機械を見に行きましょうかとも云うてくれて嬉しかった、が、今はお互いのために自重しましょうと申し合わせた。関西の鷲津くんが心配して柳君へ連絡してくれたと。心配かけているなあと実感する。なにしろメールが使えないので東工大出のプロに訊ねることも出来ないでいるのだ。 感謝。
2021 6/12 234

☆ 秦恒平先生
拝啓初夏の候、秦先生にはお元気でお過ごしでしようか。
私はこの度、初の随筆集『わたしたちはみな弱法師(よろぼし)である』を盛岡出版コミュニティーから出版いたしました。当地岩手県の地方紙岩手日報に掲載した作品を中心にまとめました。
作品集を編むに際しまして、これまでの作品に加筆、修正をいたしました。
先行作品、特に秦先生作品へのあこがれから過度に真似ているようなところはないか、もともと私にはなかった語彙、表現の部分から推してチェックして書き直したつもりです。
30年ほども前になるでしょうか、秦先生の作品一覧から『清経入水』を見つけ、この先生は能楽に造詣が深く、私が能楽をテーマに何か文章を書くにあたってのヒントをいただけるのではないか、と思い「湖の本」にアクセスしたのでした。その後送っていただいた『みごもりの湖』にはテーマでも表現でも構成の上でもとにかく感銘を受け、このような作品をいつか書けないものだろうか、と思ったものでした。以来、「湖の本」の読者として定期的配本を継続させていただきました。
拙い文章ではありますが、私の能楽の師匠の舞台写真などに助けられ、美しい本に仕上がったと思います。作品中で秦先生の作品『畜生塚』にも触れておりますが、それだけではなく、生きること、愛すること、老いること、この世に別れを告げること、人生について深く考え感じ、作品のテーマでも直接間接を問わず大きく影響を受けて参りました。先生の作品群に出合わなかったら、もっと浅い人生であったかと思います。
どうぞご高覧くださいますようお顔いいたします。
末筆ながら秦恒平先生、ご家族様のますますのご健康ご多幸をお祈りいたします。
まずは、出版のご報告まで。  敬具
2021.6.10         千葉万美子   岩手

* おめでとう。一度も会ったことのない遠方の読者だが、出会いの昔から 小説も書ける人と、なんどか奨励もしてきた。能・謡曲という基盤をしかと持っている人で、姿勢にも文章にも安心できる。
* 八時前、熱中に怯えるほどの暑さ、消してあったクーラーをまた23度で働かせた。
2021 6/12 234

* 稲垣真美さん、井口哲郎さん、渡部芳紀夫妻、岩淵宏子さん、岩佐なをさん、寺井谷子さん、小林保治さん、芝田道さん、山梨県立文学館、それに、親友の西村テル(男)さんらの「湖(うみ)の本 152」受領のお便りが届いた。
岩佐なをさんに戴いた銅版画「花咲爺」の精微に美しいのに、感嘆。

☆ 「湖(うみ)の本 152」拝受
恒平さんが生きていてよかった!! 「宗遠日乗 私語の刻」が四月十六日をもって突然止って 何だか悪い予感がして伺うこともせず失礼しました。(京都の森下辰男くんへ問い合わせてくれていた、と森下君から聞いた。)お互い85歳となり、何が起こるかわかりません。おまけにコロナで、沖縄にも行けず活動も止っていましたが、昨日ようやくワクチン2回目の接種を終えました。ガンで通院も人並にしていますが お互い残された時間を大切にしていきたいですね。
静岡 函南    西村明男

* 室生寺蔵の文殊菩薩立像が添って、ありがとう、ひときわ嬉しいお便りでした。

* 今回から「湖(うみ)の本」定頒価を廃して、一律皆々さんへ「贈呈」と決心した。北九州市の俳人寺井谷子さん、「お心づかいに感謝申し上げつゝ、御大切の御著書御寄贈いたゞくと身が縮みます。ご放念下さいますよう、切に。」「益々の御清硯をお祈り申し上げます」と、前回までのままご送金がが有った。心底恐れ入ります。本をお送り続けられるだけで命励まされています。

* メールやインターネットのとぎれで、このところ心寂しかったが、久々にお便りに数々接し、喜んでいる。
2021 6/14 234

☆ 瀬戸内寂聴さん 講談社の天野敬子さん 東大の長島弘明さん 仙台の遠藤恵子さん 俳詩人の中川肇さん 元図書館長の木村年孝さん 詩人の有馬敲さん 読者の山田あけみさん 妻の親友の持田晴美さん  都議の石毛しげるさん そして「三田文学」から みなさん 「湖(うみ)の本 152」へ いろいろに有難いお便りを戴いた。火曜日は郵便の寡ないのが普通だが、心賑わった。。

* 長島さんには、没後200年記念 日本近世文学会編の「上田秋成」を戴いた。秋成の数々に多彩な側面でももっとも手がかりのない一角へ、私は宿題を抱えている。指先ほどもそれへ視野がひらけないか、目を見開いてこの冊子をすぐにも読みたい。

* 四国今治の木村さん、私の著書の中から、署名付きで「清経入水(私家版)」「女文化の終焉」欲しいと。本は、在るものは惜しまずさしあげますが、署名は苦手やなあ。
2021 6/15 234

* 春は転勤・転居のおおい季節なのかも。送った本の戻りが、今回、すこし多い。
2021 6/15 234

☆ 静岡大学の小和田哲男さん 千葉e-OLDの勝田貞夫さん 俳人の奥田義人さん 元岩波「世界」の高本邦彦さん 前橋の読者宮崎弘子さん 神奈川近代文学館 東海学園大名古屋キャンパス図書館 皇學館大學国文学研究室 の有り難い来信を手にした。
京都の羽生清さん 江古田の神戸あおいさん、高輪の山田あけみさんからは恐縮のご喜捨がありました。有り難う存じます。

☆ 「有朋と柳北」
興味深く読ませていただきました。やはり私は、
いつの世もかくぞあるべきうるはしくのぼる朝日の國のひかりは
より
籠の中にすむ鈴蟲も月の夜はさか野の秋に忍音になく
の方が好きです。
時節柄 くれぐれもお身体大切におすごし下さいますように   左京  羽生清

* 破顔・共感。感謝。

☆ 「パソコン君」
残念です なんとも残念です。
秦さん あと5つで90です お会いできる日を楽しみに頑張ります 深謝敬白 千葉 勝田貞夫
2021 6/16 234

☆ 「古機械クン」が
ストライキをおこしていると。難儀ですね。日々刻みこまれた<作家・秦恒平>の記録は本当に貴重な時代の証言・財産です。猫(アコ・マコでも)の手は無理なら、専門家(エキスパート)の手を借りてぜひ早急に復活させて下さい。まずはお礼とお願いまで。御身くれぐれもお大切に。
IT弱者のローバより   講談社

☆ 杜の都仙台のケヤキの緑も濃く深くなつてまいりました。
「湖(うみ)の本」152 ご恵送いただきありがとうございます。
おもしろいように、あふれるように言葉がほとばしるのですね。
益々のご健筆祈念申し上げております。  元大學学長

☆ インターネットで「私語の刻」を読ませて頂けなくなり、秦様お二人のお身体を心配し乍らも、私の永年のプログでの心のより処を失ったような寂しい気持ちの日々でしたが ご本発刊 ご思索益々のご様子にほっとしています。   妻の親友
2021 6/17 234

☆ 衆議院の辻元清美議員、上越光明寺の黄色瑞華師、石毛直道さん、陶芸家の江口滉さん、元交通公社の安藤典子さん、さらに早稲田大学図書館、都立中央図書館、久留米大御井図書館、大阪芸大文芸学科、山梨県立図書館から受領の挨拶が来ていた。
2021 6/17 234

* 京都の画家池田良則さん、京の四季を絵と文とでスケッチの四冊に添えて宇治の煎茶を贈ってきて下さった。池田遙邨画伯のご子息、私の新聞小説『親指のマリア』に挿絵を゛連載して頂いた。もう久しいことになる、懐かしい知己のお一人である。

* 私は、もともと、小学校の昔から親友といった相手を滅多にもたない、もてないタチだった。友達よりも真の身内に飢えていた。そしてほぼ七十年、わたしは、心許し合えるいい友や知己に豊かに恵まれている。懸命の仕事が近づけ有ってくれた知己である。わたしは、根が非情・薄情には生きて行けないタチであった。挙げろと云われれば四十や五十の大切に思い思い合う人を、すぐさま挙げられる。創作と出版の営みが迎えとってくれた親しい人たちが、いつも身近に感じられる。

* 私には、京都・故山故水という不動の世界があり、それは歴史へ遡り行ける不動の道になっている。豊かな栄養がとめどなくえられる。ただの知識ではない、血の通った人たちとの関わりで真実親しめる世界、それは過去でなく現在なのである、未来ですら有る。この歳である仕方なく身内にも知己にも死なれるが、だから無に帰するなどと云うものでない。生死にも逢う逢わぬにも関係なしに知己は私に生き続けてナニ変わりもない。

☆ 写真家近藤聰さん、東村山の地酒を二種贈って下さった。感謝。
大正大学国文学、大東文化大学日本文学、大阪市立大学文学部、お茶の水女子大学図書館、文教大学国語研究室、天理大学文学部、神戸女子学院大学図書館等、「湖(うみ)の本 152」受領の来信在り。
2021 6/18 234

* 今回「湖(うみ)の本」は『綽綽有裕 コロナ禍と悪意の算術(上)』として去年の元日から六月末まで半年間毎日の「私語の刻」記事をとりまとめた。自然次回は『優游卒歳 コロナ禍と悪意の算術(下)』で去年後半の「私語」だけで纏まる。私が、本来別途の「創作や論述等々」の他に、日々の「読み・書き・読書」をこう続けて途絶えない「暮らし」を「形」で証したのである。こんなことを前世紀末からもう四半世紀、日々、欠かしていない。「毎日毎日 文章が書けるとは、驚いた」人もあったが、「創作的な物書き」を職とも人生ともするなら、当たり前のことと私は思っている。そして、存外にそれが「読め」て、我が身にもおもしろくハネ帰ってくるのに今度自分で気付いた。
「私語の刻」とは我ながら名付けたなと笑える。

* 京都から東京へ出てきて、作家以前に私がどう暮らしていたかは、創作やエッセイに直にはあまり書かれていない、その医学書院編集者時代が、この「私語の刻」で時折り私語されているのが、私自身のためにも有り難い。中身のうんと詰まった十五年だった。金原一郎社長 『鴎外學』の権威、碩学の長谷川泉編集長と出会えたことは、じつにじつに有難かった。いま医学書院の編集長は私の課で、新入社員として指導された七尾清君だと。理事の頃、ペンクラブへ誘って推薦した向山肇夫君も、新入社員で私の部下として絞られていた。遠い遠い昔話になった、医学書院の十五年。
2021 6/18 234

* 朝一番に、島田吉治さん、メキシコでの立派な大冊『墨畫集』を頂戴した。同じ京都から出た先達、書家からメキシコを基盤の丹念な墨畫家として、多年、みごとな成績を挙げてこられた。私も葉書大の小品ながら端倪すべからざる逸品そして何度もお手紙を戴いている。路上に紙を敷き墨を摺り、直に毛筆で風景、風物、住宅、人たちを墨畫し、追随する誰もいない突出した毅い画家である。高齢とはいえ、ますますの健在が期待でき、嬉しい。

* 国立国会図書館、東京大学大学院文学部、法政大学文学部、立命館大学図書館、鳴門教育大学言語系、上智大学図書館等、「湖(うみ)の本 152」受領の来信。

* 九州大学名誉教授今西祐一郎さん、文藝春秋寺田英視さん、墨畫家島田正治さん、聖教新聞原山祐一さん来信。
2021 6/19 234

* 九大の今西名誉教授から源氏物語「浮舟」巻の一節に関わってお手紙があり、私なりの返事を今日郵送しておいた。之についてはまた触れるおりがあろう。
2021 6/20 234

☆ 所沢の藤森佐貴子さん(故・島津忠夫先生のお嬢さん)から、先日の水羊羹に次いで狭山のいいお茶とお手紙を戴く。
妻の親友神戸の市川澄子さん、小瀧英史さんがご縁の草加の白蓮寺ご住職、喜多流シテ方友枝昭世さんから、新刊「湖(うみ)の本」へお手紙を戴いた。
2021 6/21 234

* 昨日は横浜の、私と年齢まぢかい相原精次さんが、往年の私家版創作集と、近時独自の古代学への意欲と展望の熱い永いお手紙を送ってみえ、今日は、京山科のあきとし・じゅんさんが、ささやかにも傘壽を記念懸命の歌句集を送ってみえた。お二人とも鬱勃とふくらむ創作への意欲をもたれている。心打たれる。私の読者にはこういう意欲を抱いた方たちが少なくない。
今日は、下関の大庭緑さん、「この一年余、秦さんのご意見をずっと参考にして、日々過ごして来たなと、改めて感謝です」と。四国高松の星合美弥子さんは、「ヤマボウシの白い花がさいています。湖(うみ)の本、お心づかいにより頂戴いたします由、ありがたくうれしく拝読させて頂きます」と。慶應義塾高等 学校国語部会の代表野津将史さんから、同じく慶應義塾大学三田メディアセンターからも丁重なご挨拶があった。

* いまは何としても、機械に「ネット機能を復活」し、みなさんの日々の思いと共鳴し合わねばと思う。「ネット機能をすでに内蔵した機械」は売り出されていないのだろうか。遺憾にも、もう私自身が機械に機能を設定するといった技倆はとうてい期待できない。 2021 6/23 234

* せめてメールでもと。だめ。悪あがきで、よけい機械が狂うかも。波方の木村年孝さん、署名をと、私の本を数冊送ってみえ。もし手元に別の残りが在ればもう三冊欲しいと。西の棟へ探しに行って、みつけた。内の『顔と首』とだけは、もう余分が無くなった。
二冊ずつぐらいは残しておきたいが、余分の本でご希望の読者方には差し上げる気でいる。なにしろ単行の本の形をした本だけで百種もあり、専用の書架も溢れている。別に、特装限定150部本の「秦 恒平選集」全33巻とも、幾らかずつ著者用本が綺麗に残してある。これは、製作原価が一冊あたり随分かかっていて、差し上げるというワケに行かない。よほど大事に保存して下さる方、ないしは佳い図書館や熱心な研究室へ揃えて呈上したいと願っている。

* 「湖(うみ)の本」154巻まで製作進行中、これは、ごく初期の刊本は保証の限りでないが、大方は残部を保管している。20人前後でなさっている熱心な「文学書の読書会」からご希望があれば、在庫本なら献呈しますので、各地からお声を掛けて下さい。
と、こう云うてみても今は、ネット故障で、この記事を読んで頂くことが出来ないわけ。やれやれ。
2021 6/24 234

☆ (前略)
御作『少年前』も『閇門』も共にお出来映えよく、 小生 心から感銘致しました。
前者は天才少年のあきれて仕舞うほどの上手さです。ほんとうに驚きました。少年にして早くも抑制のよく利いた言葉のありようは、これはもう天性のものと断じてよいです。清潔感に溢れたことばの根にある「清らか」さ。この感性も亦、まことにいいです。感心しました。
『閇門』はひと言で申したら文人の作、文人の歌です。秦先生のお作を拝見して、小生 愉しかった! 幕末の歌人、国学者、橘曙覧の詠み口調を憶い起こされもした余裕のあるい文人の詠です。 ことばに遊び、歌に遊ぶ。これはもう立派なことばの芸です。
文人たちの歌と言ったら、直ちに、中島敦、壇一雄、井上靖が思い出されます。詩人では立原道造、堀口大学、宮沢賢治などもーー。しかししかし、秦先生のお作はこれらの文人とは似て非なる詠風の歌です。
これを批評家風に説き明かすのは恐らく楽しい作業でしょう。只今は中途半端ですが、いつかこんなことを小生談じて見たいと思っています。

破れかぶれの非道い手紙になりました。書き直すこともて出来ません。悪しからずどうかお読み捨て下さい。 これは小生のヘンなお詫び状です。書きなぐりの可笑しな手紙です。呉々もお許しの程願い上げます。不尽  六月廿五日    **書院主
秦 恒平先生

* 現代歌人の歌集を無数に刊行されてきた人のお手紙である。ひとまず、やれやれと胸に落ちて、有り難い。

☆ 前略
この度 大変貴重な『清経入水」(私家版)ご恵与賜り心より御礼申上げます。
二度目のコロナワクチンを受け帰宅した玄関ポストの封筒を早速開封致し声も出ない驚きでありました。書棚の『みごもりの湖』『蘇我殿幻想』などにこの『清経入水』が加わりますことこの上ない喜びでございます。
(中略)
御礼とともに
先生の御健勝を心より祈念申し上げます。 不一   横浜  上代史家 作家

☆拝受致しました。ありがとうございます。去年の出来事が、改めて立体的に迫ってくる気がします。
神話や「紀元二千六百年」が悪いのではなく、悪用する政治が悪く、斥けねばならないとの記述が、一年経っていっそう身にしみます。 江東区枝川   歌人

* ノートルダム清心女子大学などから 「湖(うみ)の本 152」 受領の来信あり。
2021 6/26 234

* 永くも永くも何十年か、マキリップの『イルスの竪琴』三巻ほかを戴いていた訳者の脇明子さんに「礼」が言いたくて、爾来宛先を探しあぐねていた。最近、ものに紛れて名刺が見つかり世田谷区松原の住所が出ていて、どうかなあと危ぶみつつ手紙を送ったが、やはり返送されてきた。鏡花の研究者であり実に佳い日本語で翻訳もいろいろある人、連絡先ご存知の方、お教えくださらば幸いです。訳本の版元へ聞くということも不可能ではないが、元編集者の体験からすると、まず軽々に著者の現住所は教えない。

* メールが使えず余儀なく私製の原稿用箋で手紙にしているが、手の痺れともともと悪筆とで、じつに不自由。長大ものは、板にしたりUSBにしたり。しかし返却がないと手もとに板もUSBも余分が無くて困惑する。なにもかも困惑の時節です。
2021 6/28 234

* 昨日 高麗屋から、今朝は京都「シグナレス」の森野公之さんから、それぞれに珍しいお菓子を戴いた。感謝。
2021 6/30 234

* 京の横井千恵子さん 京漬物を多彩に、 石川小松の八代啓子さん 金沢の珍菓をいろいろ、贈って下さった。感謝。
2021 7/1 235

☆ 過日は
「湖の本 152」を賜りましてありがとうございました。
亡き鶴見(俊輔)氏との対談のところ(p77)が印象的でした。
純文学、高度文藝が置き去りにされていることへのお言葉、つくづくその様に思います。短歌もその傾向です。
滋味ふかいご著書、学ばせて頂きます。
くれぐれもご自愛下さいませ、 かしこ    大阪吹田  郁代 歌人

☆ みづうみ、お元気ですか
まず、せっかくお送りいただきましたUSBを返却させていただくことお許しください。何日も色々試みたのですが、わたくしのパソコンではどうしても開けませんでした。たぷん、みづうみは一太郎バージョンのままお送りくださったのだと思いますが、わたくしのパソコンには残念ながら一太郎がインストールされていなくて……。
みづうみのパソコンにワードが入っていれば(ふつうウインドウズには入っているはずですが)ワードに変換してお送りいただけると大変ありがたいのですが、これまで、編集した私語をこちらのオアシスから一太郎、あるいはワードに変換した文書ファイルにしてお送りしても、みづうみのパソコンで開けませんでしたね。そのためメールに大量の文章を貼りつけていたことをうっかり忘れていました。双方のパソコンに互換性がない? よぅです。USBをお送りいただき、私語の続きを拝読する絶好の機会と喜んでいましたが、まったく不甲斐ないことで申しわけございませんでした。
とにかく困りました。メールに貼りつけるという原始的なやりとりしかないようです。
しかしながら、旧器械でのインターネット接続、メールの復旧はもうご無理ではないかと思います。今までの器械はワープロ機能としてのみ使用していただき、是非新しいパソコンでメールを開通していただけないでしょうか。新しいパソコンを通信手段として、アウトルックなりGmaiTなりを開通していただくのが一番早いと思います。みづうみの機械環境、Wi・Fi状況などがさっばりわかりません。有線LANをお使いか無線LANをお使いか? 私はパソコン音痴で、何をどうすべきか申し上げられなくて本当に情けないことです。器械は必ず壊れるものですから定期的に乗り換えてメール機能も更新していくしかないようです。奥さまが現在もしメールを使えるパソコンをお使いなら、それをそのままみ
つうみのものとして、奥さまに新しい器械を購入なさるという方法もあるのではないでし
ょうか。

現在のコロナ状況では、街中に出ることば厳重に避けるべきと考えていますが、今は各社が自社のパソコン操作の問題を、電話の向こうからオペレーターが操作して解決してくれます。ニフティも電話サポートがあります。(とうとうみづうみの携帯の出番が来たかもしれません。)日進月歩のパソコンですので、昨今は電話で問い合わせるという方法を使用しないで自力解決している人のほうが少数だと思います。

このままみづうみとの通信手段を断念したくありませんし、手紙では細かいことも頻繁なやりとりも出来ず、どうしても日数がかかります。何卒メールの件、早い時期にご対応いただけますよう、伏してお願い申し上げます。とはいえ、みづうみ直筆の貴重なお手紙頂戴できましたのは嬉しい嬉しいことでございました。
一昨日マンション駐車場の巣からツバメのひな五羽が無事に巣立ちました。巣立ちがうまくいかずに巣から落下してしまった最後の一羽を親鳥と兄弟たちが周囲を飛び回って懸命に励まして応援している様子に、通りかがりの人たちも大勢見守りなんとか飛立ってくれたということでほっとしました。

みづうみはワクチン接種はお済みですか? 此の区は十二歳以上の若い世代の接種券が配られるようになりました。わたくしは先日l一回目を済ませています。打った場所が青あざになったのと頭痛の副反応がありましたが、なんとか回復しました。
今年の夏は暑いそうです。オリンピックは、感染は、どうなるのか想像するだけでいやになりますが、以前みづうみにお送りいただいた蕪村の俳句など思い出して、気持ちだけでも涼しく過ごしていきたいと思います。どうかお元気で、益々のご自愛をと念じております。
六月二十八日   高輪
2021 7/2 235

* 西村テルさん 珍しい冷菓を沢山、小瀧英史さん佳いお酒を三種 贈って下さった、感謝。
2021 7/3 235

* 横井千恵子さんの送ってくれた京のお漬物、なかで私が、煮てあれば、幼少來親の敵ほど嫌いな茄子の漬物の香のよさ口当たりのよさに惚れ惚れと旨い酒が呑めた。なんて妙なんだろう。
煮た茄子が出ると私は怖気をふるい、母に、口へ押し込まれたこともある、私は泣きわめいた。幼稚園の給食に出た時も、先生にガンとして食べさせられた。大泣きに泣きながら口に含み、呑みこんだ。
ところが、わが家の向かいに、同年で、同じ馬町の京都幼稚園に通った石塚公子も茄子が嫌い、そして「ハム子」のいわく、ポケットに隠して食べなんだ、そして捨てたわと嗤われた。二の句が出なかったそんな昔昔を覚えている。が、漬け物の茄子は好きだった、香も歯触りも味も。京の漬物を戴いたと聞くといの一に茄子があるかと妻に確かめた。旨いのだ、香も味も。千恵ちゃん、ありがとう。
2921 7/3 235

* 元岩波の高本さん、蟹など色々の缶詰を、京山科の詩人あきとし・じゅんさん吉富のいろいろの和菓子を贈ってきて下さった。感謝、感謝。
四国今治市の木村年孝さん、蒲鉾の多彩な詰め合わせを、下関の大庭碧さんも多彩な和菓子を贈って下さった。感謝。
2021 7/4 235

* 長田渚さん、ビールとジュースとのぎっりつまった大箱を贈って下さる。感謝感謝。 2021 7/7 235

* 元平凡社の出田興生さん、「湖(うみ)の本」新刊に一万円贈って下さった。感謝。

* 森詠さん、安井恭一さん、菊池洋子さん、鈴木良明さん、いずれも「湖(うみ)の本」新刊を祝い、私のガンバリに「敬意」を表して下さった。恐れ入ります。
2021 7/8 235

* 紅書房の菊池さん、大阪の井土厚子さんから、洋菓子を戴く。感謝。
2021 7/10 235

* 国際ペン・日本ペンの理事、堀武昭さんから銀座の涼菓をいろいろに頂戴。有り難う存じます
2021 7/12 235

* 神戸の岡田昌也さん、えり抜きの名酒四種をご馳走下さる、感謝感謝、すぐさま一本頂戴した。酒を遠ざけるとよろよろし、酒を戴くとシャンとする心地。我れ勝手の感想か、どうか。
2021 7/15 235

* 昨夜、久しぶりも久しぶりに「NHK藝術劇場」放映の夏目漱石原作「心」を 「秦恒平脚本」「俳優座劇団」「加藤剛・香野百合子主演」で観た。「湖(うみ)の本」第二巻に戯曲『こころ』を入れている。35年ほども昔のことだが、ありありと想い出せる。懸命に脚本にし、また戯曲としても大きく創っておいた。妻も懸命に応援してくれたことが、場面のあちこち、科白のあちこちで懐かしいまで想い出せる。弥栄中学を一年さきに卒業していった上級生、「姉さん」と慕い生涯の「身内」と慕いつづけた今は亡き人が、「記念」にと、自身の卒業式の日に「贈」と署名し私に手渡して呉れたのが、漱石作『心』の春陽文庫本だった。『心』は私の聖書のようであった、どんなにも心を暑くして読み続け読み返したことか。
当時第一等の人気俳優加藤剛が、「心 わが愛」として脚本を書いて欲しいと言ってきたとき、私は胸の内で「姉さん」の名を呼んだ。「やろう、書こう、創ろう」と決心した。

* 先だっては高校国語の先生が玄関までみえて、私の『こころ』の読みに最大級の賛辞を呈して帰られた。コロナ禍をおそれて長く対話もならなかったのは申し訳なかった。

* 久しぶりに舞台から映像として按配した放映の劇に、ただただ見入った。あれはわが作家生涯のあちこちに遺してきたなかでも胸にしみたハイライトの一灯であったなあ。
2021 7/17 235

☆ いかがお過ごしでしょうか
京都の祇園祭 今年は山鉾は組み立てられるとか。
四月半ばの器械トラブル以降 どう表現したらいいのでしょう  ワクチン接種が済んだ後に 早急に解決できることを 常に願っています。
私事 孫と娘が京都に戻りました 一年四ヶ月 我ながら頑張ったと思います、漸く本を読んだり繪のことを考えられるようになりました。
HPの再開を心待ちにしています。
せかいのさまざまなこと 胸痛むことばかり多い日々です。(ハガキで=)小さな文字になってしまいましたがお許し下さい。 七月十六日   尾張の鳶

* ほんとうに「何とかしたい」が山々なれど、今は人サマを家に呼んで頼むのも、街へ出て何か整えることも、用心している。
2021 7/17 235

* パトリシア・マキリップの三部の長篇『イルスの竪琴』の第一部「星を帯びし者」を役者脇明子の佳い日本語で堪能するように今朝読み終えた。第二部へ移る。この名作を私はル・グゥインの『ゲド戦記』 トールキンの『ホビットの冒険』『指輪物語』を超えて愛し愛読を数重ねてきた。不思議なほど「懐かしい」のである、この世界が。「星を帯びし者(スターベアラー)」ヘドのモルゴンが。いやいや、登場する者達の多く、「偉大な者の竪琴弾き・デス」ですらが、懐かしいのである。レーデルル。ルード、アストリン、ヒュールー、モルゴル、ライラ、ハール、ダナンら、みなみなが。
この大作三冊の訳本を戴いた脇明子さんに、しみじみ礼が言いたい。だが、もう何十年か、見つけられないでいる。一度座談会で一緒しているので、私よりは若い人とは承知しているが。これまでの生涯に無数の献呈本を著者たちから戴いているが、この脇明子訳のマキリップ作は第一等といえるほど嬉しい、今も嬉しい頂戴本であった。
2021 7/22 235

* いま恐るべきは、若い世代の、コロナ馴れによる、自堕落な市街・繁華街・観光地等での恣な仕様。感染率は昂まってゆく一方で推移して行きそう。
八月三日の聖路加通院は、ワクチン二回目接種を無事待機すべく診察日延期をお願いの郵便を送った。それまでに「湖(うみ)の本 153」を発送し、「湖(うみ)の本 154」の再校ゲラを抱えることになろう。いまは、要件を少し先へ先へ送ることにより今の手元をくつろげて神経を疲労させないようにと工夫している。五輪の競技もテレビで楽しみ、読書も昼寝もし、次の「創作」へ心用意を具体化して行く。八五老には外出できないという鬱屈は幸い蓄積とまでは無い。出歩かずに済むのはこの熱暑下、幸便と謂うてよい。
立派な葡萄をいろいろと戴いたり、東村山の旨い地酒を各種戴いたり、桃も、涼菓も、ビールも、果汁もいろいろにたくさん戴いている。「湖(うみ)の本」応援のお金まで送って下さる方も相次いでいる。幸せに満たされた八五老夫婦と心より感謝している。
2021 7/23 235

* 遠く過ぎし昔の自作小説『隠水の』を読み返した。文藝春秋「文学界」の編集者で後に専務取締役を務められた寺田英視さんとの久しい親交はこの作が仲人を務めてくれた。寺田さんがわざわざ本郷の私勤め先まで褒めにきて下さった。懐かしい。
似たことは、平凡社の出田興生さんとも有った、出田さんは上村松園を書いた『閨秀』を読むと、ほぼ即座に、平凡社刊の縮刷『大辞典』上下巻をお土産に背負うようにして本郷へ出向いて見えた。嬉しかった。寺田サントも出田さんとも今もごく親しくお付き合い、というよりいつも応援して頂いている。
2021 7/24 235

* 朝、八時二十分。ガルッピやスカルラッティのピアノ・ソナタ、珠を転がすように美しい音色に聴き入っている。
本や創作を介して日本中にくまない多年の友人達のご健康を願っている。
2021 7/26 235

* 尾張の鳶、京の南座脇から私の好きな鰊蕎麦そして味佳いじゃこを送って呉れた。懐かしい味わいをひととき温かに楽しんだ。感謝感謝。
もと筑摩書房の日比幸一さん、豊潤の大きな桃を六つ送って下さった。感謝。
2021 7/27 235

* とはいえ、仕事のほかは、寝入っているか、レーデルル、ライラ、アストリンのモルゴンを尋ね行くはるばるな旅に同行していた。
かすかな寒気を背に感じ、終日、体調に落ち着きがない。
神奈川の高城由美子さん、山梨県立文学館長および中野和子さん、そしてお城学の小和田哲男さん、作家・エッセイストの稲垣真美さんのおくったばかりの「湖(うみ)の本 153」への有り難いお便りを戴いた。高城さんからは香りも甘い桃も頂戴した。

* これぞと希望を持った仕事からは手を放していない、楽しんで…と気を励ましながら。
2021 7/30 235

* 京、新門前の井上八千代さんから、お手紙に副えて、たくさんな京胡麻と胡麻磨り器というめずらかな贈り物があった。
都の、梅若万三郎家からは、多彩に美味なハム、ソーセージを頂戴した。
石内徹さんからは、前回「湖(うみ)の本」にまたついて、過分のご支援があった。恐縮し感謝申し上げる。
上野千鶴子さんからは、手紙に副えて、相変わらず『在宅ひとり死のススメ』なるお説教本を落手。「すすめ」てもらうことかいなと苦笑も例の如く。

* 石川の井口哲郎さん、京・祇園の橋本嘉寿子さん、千葉・八千代市の竹澤由美さん、作家の森詠さん、新潟・燕の教員渡辺憲さん、千葉・浦安の島野雅子さん、墨画家の島田正治さん、そして二松学舎大學からも 文月のけじめのように、ありがたいお便りをにぎにぎしく頂戴した。

* かくて七月はゆき、八月が来る。ひとも、われも、くにも、せかいも、平穏でありますように。
2021 7/31 235

* 神奈川・鎌ヶ谷の篠崎仁さん、甘い梨をたくさん下さった。感謝。

* 四国土佐に根のある 今は千葉の胡子史子さん、いろいろの和菓子に副えて、コロナ禍にぜひ御用心を、ツテが有ってと「FDA 韓国認証済み」のしっかりしたマスクをたくさん送ってきて下さった。私は、郵便局やポストへももとより、家の中でも夜中でもマスクをはずさない日々。息苦しさというのを特に感じない、暑苦しいとも思わず、むろん、今もマスクしている。感謝。

* 埼玉所沢の藤森佐喜子さん、いつものように選りすぐった涼菓をいろいろ送って下さる。感謝。

* 静岡市の鳥井きよみさん、聖教新聞の原山祐一さん、神戸松蔭女子学院大学からもお便りがあった。みなさんのお便りになにより励まされる。
2021 8/3 236

* 仙台の遠藤恵子さん、都の中野区宮川木末さん、川越の平山城児さん、都の世田谷の島尾伸三さん、国分寺市の河幹夫さん、早稲田大学図書館、上智大学図書館から「湖(うみ)の本」新刊へお手紙を戴いた。
目黒区佐高信さんの新刊書を受け取った。
高麗屋シアターナインスから、十月、吉田羊、松本紀保ら女性だけで演じる沙翁劇「ジュリアス・シーザー」の案内をもらった。大いに触手うごくが、コロナは収まってはいまい。
懐かしい亡き宮川寅雄先生のお嬢さん木末さんのお手紙が、今巻心して組み入れた多く詩歌の「撰と鑑賞」に触れ、ていねいに共感を寄せて戴いたのを喜んでいる。平山さんからも。
現今多くの作者達はとても大きな手抜きをしながら気が付いていないのだが、詩歌は、自作を創り為すだけが能でない。すぐれた多謝の詩歌作を見いだしてよく味わえるのでなければ、半端なのである。自分は斯くも創っているから当然に歌人だ俳人だ詩人だというのは、片端にすぎない。
2021 8/3 236

* 京。山科のあきとし・じゅんさん、「たねや」の銘菓を贈って下さる。感謝。

* 生協で配達の人、先日153(下巻)をさしあげたら上巻もどうぞと。喜んで差し上げた。
2021 8/4 236

*  昨日、講談社の天野敬子さん、東京一番町の山本道子さん、京・山科のあきとし・じゅんさん、和歌山・御坊の井領祥夫さん、京・河原町の宇治田脩盂さん、神戸の芝田道さん、茅ヶ崎市の吉川幹男さん、慶應義塾高校の野津将史さん、大阪市の乾醇子さん、また、大阪芸術大学、東海学園大学名古屋キャンパス、松山大學から、『新編・日本女性文学全集』全十二巻編輯者岩淵宏子さんから、「湖(うみ)の本 153」への丁寧なご挨拶を戴いていた。

☆ 炎暑コロナ猖獗の最中に
「湖(うみ)の本 153 優游卒歳」拝受いたしました。このところ体力・視力の衰えから活字と幾分か遠くなっていたのですが、頁を繰ると、昨年後半の「私語の刻」がいままで以上に深く身に沁み、読み止しを許しません。
一日一日の<私語>の中に 作家・鑑賞者としての半生が埋めこまれ、歴史も刻み込まれています。さらに古典から、いま(傍点)の短歌・俳句。詩までを視野に、プロ・アマも問わず、秦さんによって撰ばれ差し出された
<うた>は何よりブレゼントです。目録・自伝・アンソロジーをあわせた贅沢さ。
これまでも「私語の刻」は愛読してきたのですが、今回とりわけ心に響くのはなぜなのかと考えています。
厚く 御礼申しあげます。
総体としての「私語の刻」は、小説・論攷・エッセイとは別に、類例のない文芸作品として日本文学史に残るものと思っています。「古機械クン」が休んでいても 日々更新を続け作品の命を完うさせて下さいますように。そのためにもどうび御身お大切になさって下さい。
二○二一年八月二日     天野敬子    (=講談社編輯・出版局長)

* 次巻154のために、「私語」ないし「私語の刻」なる私の理解と思いを後記し入稿したばかりだった、ひとしお心弾むうれしいお手紙であった。ありがとう存じます。

* 道灌橋村上開進堂の山本道子さん、すてきな美味しい杏のケーキ菓子を、たっぷり下さった。夏場の食事どきにじつに有り難く。まるで取り合わせたように、四国今治の木村念孝さん、名産の蜜柑ジュースを私にでも重いほど大きな箱へぎっしりと送って下さった。感謝感謝。

* 国分寺の、詩も繪も句もの中川肇さん、女学校からの妻の親友、練馬の持田晴美さん、和歌山貴志川の三宅貞雄さん、衆議院議員辻元清美さん、東京小石川の安藤典子さん、妻の従弟濱敏夫さん、大阪茨木石毛研究室の石毛直道さんから「湖(うみ)の本 153」へのお便り、そらには、都立中央図書館、立命館大学、皇學館大學、城西大学水田記念図書館など、受領の来信があった。

* ロサンゼルスの池宮千代子さんから電話があり、京の古門前「おっ師匠はん」貞子ちゃん、料亭「浜作」女将の洋子ちゃんとも、電話で話した。電話をかけるのは、要件が有ればとにかくも、向こうさんの手許も顔も見えないので、気がしんどい。

* 「湖(うみ)の本 154」の本文部分をよく読み校正して、三校を貰うように印刷所へ送った。ぐんと前へ進んだ。
2021 8/5 236

e-OLD勝田貞夫さん、大阪・池田市の工芸家江口滉さん、また、久留米大學、お茶の水女子大学から、「湖(うみ)の本 154」受領の来信。

*四国丸亀市の大成繁さん、思わず唸ったほど美味しい純国産材料での讃岐饂飩を、大きな箱にたくさん下さった。何よりも真っ白な「うどん」そのものの旨いのにビックリした。出汁も素晴しい。ありがたくご馳走になっています。
2021 8/6 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)
(釜井春夫先生追悼七首 弥栄中学・国語)

みあかりのほろびの色のとろとろと
死ににき人はものも言はさぬ

衣笠の山まゆくらく雨を吹きて
水たまりに伽の灯がとどくなり

衣笠の山ぎはくらしひえびえと
更けゆく秋に死にたまひしか

* ご葬儀に、中学三年生、生まれて初めて弔辞を読んだ。
その後も教頭の寺元先生、担任の西池季昭先生のご葬儀でも弔辞を献じた。後々には、実父である吉岡恒の葬儀にも、親族から強いるほどに弔辞を望まれ、まことにフクザツの思いをした。
2021 8/7 236

* 仙台の さん、立派な大房のマスカットを下さった。感謝感謝。社宅で、茶の湯の初歩の作法を教えていた昔から五十余年、建日子が生まれる前だった。

* 大阪の岡田祥子さんから、ご一家をあげて見届け見送られた恩師東淳子さんのまことに行き届いて心美しい終焉の記が届いた。しみじみと読ませて戴いた。言葉を喪い、亡き人、歌友東淳子の静かに静かに幸せな終焉にただ感動し、岡田さんに感謝している。

* もと岩波「世界」で長篇『最上徳内』を連載させて下さった高本邦彦さん、紅書房主菊池洋子さん、山田あけみさん、「湖(うみ)の本 153」への謝状、同じく文教大学、本阿弥書房「歌壇」編集部からも来信。
2021 8/7 236

* 群馬の都沢しづえさん、主食にもなる軽快のラスクをたくさん、下さった。感謝。熊本の武田昌憲さん、たくさんな冷菓などを下さった。感謝します。
2021 8/10 236

☆ 拝啓
御健勝大慶に存じます
「優游卒歳」有難く頂戴しました 拝読し乍ら 自分でも好きな歌を輯めたくなりました まづ第一に俊成女の
風かよふ寝覚の袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢
次に
ものおもへば澤の螢もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る  和泉式部
不一    寺田英視   前・文藝春秋 専務取締役

* まあ! クラシック!

* 「松子」奥様のおゆるしを得て私が本に仕立てた美装の『谷崎潤一郎家集』が目の前の書架にある、巻頭に置いた「倚松庵十首」からお熱いのを、二、三首 取り出してみようか。

津の國の住吉川のきしべなる松こそやとのかさしなりけれ

住よしの堤の松よ心あらばうき世のちりをよそにへたてよ

けふよりはまつの木影をたゝたのむ身は下草の蓬なりとも

佳い家集であります。

* 前橋市の宮崎弘子さんのお便りに、「近くの稲田の上をアキアカネがとんでいました!」と。

* 国立国会図書館、ノートルダム清心女子大学からも「湖(うみ)の本 153」受領挨拶。

* もう一通、岐阜から、妻の女学校での親友のとても有り難い佳い一通が着いていたが、妻の手許へ行っている。
2021 8/10 236

* 稲城市の鈴木良明さん  岩手・下閉伊郡の渡部芳紀さん 神奈川・二宮の高城由美子さんから「湖(うみ)の本 152 153」へ、封書での、懇切に有難いお手紙を頂戴、感謝に堪えない。書き写しておきたいが、疲労に負けている。鳴戸教育大學からも受領の来信あり。

* もとの勤め先で私の部下であり、いまは社の編集を束ねていると謂う男性から、やはり「湖(うみ)の本 153」を受け取ったとハガキで礼状があり、それはそれ。追って、
TVに出演する感染症専門家と称する人達の嘘にも慣れ過ぎて
視聴する事さえ控えている此頃です。
とあるのには戸惑った。彼は、医学者でも医師でもない、医書・医誌の専門家ではない、要するに医書誌の編集・出版者だ。「専門家」との付き合いは多い。
しかし何の注釈もなく、「専門家と称する人達」の「嘘」とは、ほとんど「中傷」と読めてしまう何人の方がテレビで咄されていて、そこに「精粗」の差はあるにせよ「嘘」を咄しにテレビに顔を出されているとは、こと医学書院の編集出版責任者としては出過ぎであり、ことさらの中傷に近いと私は不快に感じた。
私は、日々にそれらのカナリ多くを慎重にテレビで聴いていて、「嘘」といえるような、政治屋的な発言に顔をしかめたことは、絶無ではないにしてもこう斬って捨てる見識が彼に、このハガキの筆者にあると思わない。専門家は専門家なのであり、嘘をついて「タメ」にしている専門家とは観も聴きもせず、ただ「参考にして」いる。政治屋・政治家へはいつも「嘘」を警戒していい、その方がいい。しかしいまテレビへ顔を出し、請われて医学の専門家、治療者として見解や助言を呉れている人達の言を「嘘」の一語で切り落とす資格は、この筆者には無い、由無き「中傷」と聞こえて遺憾であった。
あの国文学の碩学でもあって医学書院時期の私の上司編集長であった長谷川泉さんなら、こういう口は決してきかれなかった。
あえて書きと止める。
2021 8/14 236

☆ 拝啓
このたびは、湖の本153『優游卒歳』のご上梓、誠におめでとうございます。
また、新作を含め湖の本数冊をご恵与くださり、誠にありがとうございました。
大いなるものしづしづと揺れうごきはたと静まりなにごとも無し
橋といふふしぎの界(もの)を風が渡り人影ににて立つか電柱
手にうくるなになけれども日の光
一筋の道などあらず寒の星
虚子の句を噛むほど読んで力とす
『光塵』から。一首目は新世紀元旦の歌。目に見えない「大いなるもの」の変動が静かに起きながらも何事もないように静まり返っている新世紀の怖さ、が感じられます。また二首目は、人工物である「橋」や「電柱」の不可思議さが行き過ぎる風や光を通して映し出されています。一句目の、「なになけれども」と断りが入ることで逆に掌の「日の光」の存在が強く感じられます。また二句目は、「一筋の道などあらず」という人生の感慨が、「寒の星」に続き、宇宙の在りようにまで広がってゆきます。最後の句の「噛むほど読んで力とす」に、食べ物を咀嚼するように、虚子の句を咀嚼、吸収し、血肉化しょうとする意欲の高まりが見事です。
これらの歌句は、写生というよりも、目には見えないものを「体性感覚」によって感じ捉え、広がりのある「心象風景」として詠われています。そのために、読者には実感できるものとして、よく伝わってきます。
『優游卒歳』「コロナ禍と悪意の算術」の中で、「こころ言葉・からだ言葉」として、和歌、俳句、古川柳を挙げて解説してくださった箇所は、大変興味深く学ばせていただきました。
野ざらしを心に風のしむ身かな     松尾芭蕉
身から出た錆は心の吹出物       古川柳
たらちねの抓(つま)までありや雛の鼻 与謝蕪村
汁鍋に手鞠はね込む笑ひかな      夏目成美
ぴいと啼(なく)尻声悲し鹿の声      松尾芭蕉
我息を殺さずいつか寝足る程       古川柳
先人も、このような「からだ言葉」を句に自在にちりばめながら、愉しく詠んでいたのですね。「からだ言葉」は昔も今も通底していて、時代を超えて身近に体感し、理解することのできる優れものだと思いました。小生も、これから短歌を詠む際に、「からだ言葉」や体性感覚による表現をできるだけ心がけたいと思いました。
掌において身の衰への忘らるるマスカットの碧(あを)の房の豊かさ
こころみに齢(よはひ)かぞへて七十九八十の我れらをさなき儘ぞ
死んで行く「いま・ここ」の我れが生きて行く 老いも病ひも華やいであれ
「念々死去・念々新生」のわがいのち安々と生きやすやすと逝かめ
『亂聲(らんぜう)』の中の、「死生観」を詠んだ歌に魅かれました。
一首目は、「マスカツト」の豊かさ瑞々しさを体性感覚で実感している歌です。
二首目は「をさなき」頃の新鮮な感覚・体験が記憶され、日々それをベースに齢を重ねてきて、今なおそれが健在であると、詠まれているように思います。
また、三、四首目の、「いま・ここ」「念々死去・念々新生」は、現代の科学的知見を踏まえた「いのち」の実態であり、それを肯ったうえでの「老いも病ひも華やいであれ」、水の流れのように「安々と生きやすやすと逝かめ」という諦念に、感動いたしました。
最近、東工大の人文社会系の研究拠点「未来の人類研究センター」のメンバーがまとめた『「利他」とは何か』(集英社新書を興味深く読みました。ひとつのテーマをめぐつて政治学者、作家、批評家、哲学者、美学者などの多彩な論考に、大変啓発されました。そのような意味で、本書「湖の本」は、短詩形文学に限らず、他の芸術、政治、経済、社会等の動向を視野に入れながら論考されておられるので、大変読み応えがあり、様々な角度から学ばせていただきました。
誠にありがとうございました。(素人が色々勝手なことをしかもワープロで書いてしまいましたが、ご容赦ください。)
時節柄、くれぐれもお体お大切に、今後ともご指導ご鞭撞のほど、よろしくお願い申し上げます。
敬具
二〇二一年八月十二日    鈴木良明
秦 恒平 様

* 知己のお言葉、感謝申し上げます。

☆ 残暑御見舞申し上げます。
「湖(うみ)の本」152 153『コロナ禍と悪意の算術』 ありがとうございます。私よりずっと先輩の秦さんが、こんなにお元気に活躍なさっているのを拝見、自分も負けずに頑張らなければとはげまされる事です。(上)(下)と体裁は違いますが日記風の記述で様々な問題が提起され 秦さんの総体が自然に浮かび上がってくるの感がして、大変おもしろく拝読しております。
私も 長谷川泉先生(=碩学・近代日本文学研究者、もと医学書院社長・編集長、秦の上司)には大変お世話になり、いや自分の人生で、一番お世話になり、ここだけは秦さんと通じるのだなと恥かしくも思いました。先生のお影で、至文堂の「解釈と鑑賞」の企画編集長を二十七年間もやらせていただき  (以下略)    渡部芳紀

* 芹沢光治良家のサロンで「談話」の折に初対面し、日本ペンクラブに入ってもらい、私の委員会にもお力添え願っていた。宮沢賢治や太宰治の研究者でもある。
2021 8/15 236

☆ 秋の虫が聴こえています、季節は確実に移っているのですね。
昨日は 思いがけず版画十牛図(=徳力富吉郎畫)をお贈り下さいまして 誠にありがとうございました。 黒白のコントラストの美しい そしてユーモアと軽妙な動きが 素晴らしく 私も大好きな版画です。 特に 二、見跡 の小さな牛の足跡と 四、得牛の動きの大きさが好きです。 早速 竹遷堂に 軽いガラスのこの十枚の飾れる額を注文しました。 大切に飾ります うれしいです。  略
「湖(うみ)の本 153」の 最初に狭野茅上娘子の
あしひきの山路越えむとする君を心に持ちて安けくもなし
の歌があってれしく思いました。この歌は 私の高校二年の国語教科書に 「君が行く道の長路をくりたたね」と 「帰り来る人来たけりといいしかば…」の三首が出ていて 国語の若い男の先生から この歌の背景 娘子と宅守 を調べて来るようにと宿題が出され  (中略)  今 この年になってまだ娘子は 私の心に引っかかって居ます、というより 私の心の中にその片隅に住んでいます。
コロナが まだまだ増えているようです
どうぞ 先生も奥様も充分ご自愛下さいますよう お願いいたします (後略)
神奈川 中郡   高城由美子

* 往昔の史実・挿話に関心の濃い人で、「書いて・創る」ことに意識があり、半端でない。手許に、以前筆名『高城縁・たきゆかり」として送られてきた 「歌舞伎脚本」とある『重条秀珠譚 かさなるいとすじしらたまものがたり』は、構えはしかと優に堂に「入ろう」としていた。もうすこしの肝心要を欲深く入れてみてはと感想を送った気がする。鎌倉武士の守護・地頭時代にひときわの関心をもたれて「見跡」か…なと感じていた。手織りの温かに美しい膝掛けを戴いたこともある。
実はもうひとり 大阪の松尾美恵子さんが送ってきてくれた『東女鏡 ー安達ノ尼君の語り給ひしことー』も、鎌倉初期世界を描いてよく仕上がった「物語」で、このまま本に成るとまで読んでいた。そうも松尾さんに伝えたと思う。
残念ながら私はこういう「騒壇余人」のため、口を利いて上げる出版社との付き合いがいまは皆無で、何の佳い役にもは立って上げられなかった。
2021 8/16 236

* 写真家の近藤聰さん、「東村山」の旨い地酒一升下さる。嬉しく戴いている。
2021 8/17 236

* 京都の羽生清さんからつるやの銘菓もそえてお手紙を貰った。

☆ 「湖(うみ)の本 綽綽有裕・優游卒歳」 ありがとうございました。
「油断なく國を護る覚めた気概」が私にあるだろうかと考えている打ちに、時が経ってしまいました。敗戦から七十六年、今年も戦争に関していろいろ聞いたり読んだりいたしました。
にんには、 満州に進出した日本の根柢にあったのは、一八九○年に、山縣有朋が唱えた「主権線」「利益線」という考え方であったなどという朝日新聞記事もありました。
「世界平和」とは久しい人類史の寝言のように破れ続けた夢であったとしても、カントが語り、先生のお名前に生きている恒久平和に私は憧れます。
これからの戦争は軍備などハードより情報などソフトが要になるように感じます。
相手国の個人情報すべてを集積操作して、政治を思い通りに動かす……そんなことが可能になってきているような気がしてなりません。
それなのに日本のリーダーは情報、言語の意味を理解していないのではないかと心配してしまいます。先生のお言葉「麻生。安倍、菅とならんだ総理の日本語の安っぽい貧しさは、これほど今日の『日本』のなさけなさを象徴するものはない」に同感です。「悪意の算術」以前、者の数え方さえ、あやふやではないでしょうか。
ドイツやニュージーランド。台湾の女性リーダーが使う言葉には 生命が感じられるのですか…。

まぼろしのわが橋として記憶せむ母の産道・よもつひら坂  東淳子

芥川賞台湾作家李琴峰の「彼岸花咲く島」は 女たちが政を行なう話でした。島では 三つの言語「ニホン語」「女語」「ひのもとことば」が存在し、「女語」が歴史を継承するという設定になっておりました。
「日本」の地域状況だけでモノを謂うていても、 背後の複雑怪奇が計り知れない時、「機械禍」「コロナ禍」の今、医学書院での体験に根ざした先生の小説 批評を読んでみとうございます。
なにかと大変な夏、
先生
奥様
どうぞ くれぐれもお身体大切に
おすごし下さいますように      羽生清

* 「政治」は女性達に委ね、男性は「働けば」よいのではと、まえまえから私は家で話している、ただ笑い話ではなく。

* 上の朝日新聞記事とやらは、さきに「湖(うみ)の本 150 151」『山縣有朋の「椿山集」を読む』『山縣有朋と成島柳北』の所見を承けたものかと思う。
2021 8/19 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

南天をこぼして白き猫のなく
川のほとりに師を訪へばよし

湯の音にもだしてをれば夕かげは
花にまとへり紙屋川ぞ

埋み火のをりをりはぜてたぎつ湯に
師はふと席を立たれたりしか

* 市立弥栄中学時期の国語の給田みどり先生、優しく、すぐれて佳い歌人でもあられた。
ある
夏休みの一日、高校生になっていた私の家の前へふと見えて、そのまま、奈良の、薬師寺、唐招提寺へ連れて行って下さった。お寺や仏像との事実上初の出会いを用意して下さったのだ。
小説にも、二、三度は姿を見せて下さっている。
2021 8/20 236

* 美しい墨書のお手紙を戴いた。「抱き柱」は私反省の語彙である。

☆ 教も、宗も、派も、その立場を守れば「抱き柱」と成るのでございましょう
即ち「抱き柱(自己)」を捨つると云うことは、「派」も、「宗」も、「教」さえも捨つると云うことなのでございましょう
かくなりこし尊き真理、生涯大切にいたしてまいります
抱き柱を持たないと云うことは一切の相対界を貫ぬくと云うこと也

☆ 合掌
「湖(うみ)の本 153」 何度か読みかえしながら、静かに心底に頂戴をいたしております。
二十八頁、そして六十三頁から六十四頁にかけて、何度も拝読をいたしております。
毎朝の勤行の砌り心中に想い感ずるものがあります時、なるべく筆記をいたします。
上に同封のものは、開教者としてこの私が 東京という大都市にて布教をいたしますうえで、最も根幹となりこし心構えとなっております。ある日の朝、書き留めこしそのものをば、失礼ながらお届けさせていただき、あわせて感謝を申し上げます。
御著 大切にいたします。
八月十九日  白蓮寺開山恵念
秦 恒平様
2021 8/21 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

山ごしに散らふさくらをいしの上に
踏めばさびしき常寂光寺

山吹の一重ひそかに二尊院は
日照雨(そばへ)のままに春たけにけり

道の上の青葉かへるでさみどりに
天(あま)そそぐ光(ひ)を恋ひやまずけり

* 昨今高校生に、たとえ京都市内の山よりに暮らしている生徒であれ、こんな歌を詠ませまた読ませるのは、至難と云うより無理で不自然でさえあるだろう。そういうことに、東工大教授の時期、気が届いていなかった。当時、私に、歌稿・歌作を見せてくれたただ二人の女子学生の短歌が、いまも手許にのこされていて、しかも当時のわたくしは正当な視線を向けて上げられなかったのを、今にして謝りたい気がする。淺野夏子さん 白澤智恵さん、ごめなさい。

今、ここに淺野さんが郵便で家へ送ってきた歌稿百首あまりが手に取れる。別にさらに二十首があり、「病気のことや病院での生活が前面に出すぎていてよくないと思ったものです」とある。
百あまりある最初頁の八首を書き写す。

心苦しむ 時は静かに 佇みて 自己の回復 じっと待つべし

簡単に 家畜にならずと 天性の 野原を駆ける ライオン偉し

膝の上 乗ろうと足を 掛ける猫 そを見て雄と 言うは誰が背

銀杏の葉 降れる道路を 青春の 様にバイクで 駆け抜きけり

宗教の 法話を聞きて 魂の 安心したる 熱きときめき

本当の 事を話しし 後すらも 温かき目の あるは嬉しき

秋山の 少し茶色に なりにしを 光さやけく 風の流れる

月の出る 宵に男は オレンジに 煙草光らせ 佇み居たり

「歌」声が、聴き取れる。
私は 昨今も寄贈されてくる同人歌誌を 幾つも手にも目にもしているが、そこに採られている多く一般の作と、なんら遜色なくそこへ淺野さんの声が混じって不自然でない、むしろ、私の『少年』の作などと似た作を今日の歌誌に探すのは容易でない。淺野夏子さんの送ってくれていた上の百首ほどを私は、今、懐かしくも新鮮に読んだのである。
もう一人、白澤智恵さんの歌は、私のホームページに入っている「文庫」に入っている。教授当時の私には読めなかった異界が生き生きと表現されているのに、作を受け取った当時にあんまり「いいこと」を告げてあげなかったのを申し訳なく今にしてあやまりたい。
上の淺野さん作の八首目など、「少年」だった私の視線や感性にまぢかく想われるし、九首めのような作も『少年』は含んでいたと想うなあ。

三門に かたゐの男 尺八を 吹きゐたりけり 年暮るる頃
2021 8/23 236

* メールが出来ないだけに郵便を送るべきだが、手書きという習慣をとうに置き去りにしているので、そう思い思いながら何週間も、一通も送り出せない、わたしからは「湖(うみ)の本」が出来たら送りますからと。

* 岩手の渡部芳紀さん、冷蔵した「なまうに」の大瓶を三本も送って下さった。明日には生協の酒が届くはず、楽しみに。酒はよろしからずと妻は制するが、私は、日に三、四合までの酒は、確信的に自身の健康に良い・宜しい・病害を抑え遠のけてくれていると思っている。
2021 8/24 236

* 思えば私の八十五年に、あのころが「抜け」ていたナという時期は無い。けっして人づきあいが良い広いなど謂えそうにない私だが、じつは八十五年を通じてびっしりと「人」(先輩・先達・知友・男女とりどり)」への思い・親しみ・馴染みが途切れなく連続している。「女文化」の京都、それも祇園のまぢかで育ったおかげで、心親しんだ女性の名も面影も、びっくりするほど数多い。思い出に空白という時期が無い。
2021 8/28 236

* 手紙書いたり 電話したりしてみたいのに、容易に手が出ない。つい疲れ寝している。
2021 9/1 237

* 「科捜研の女」という沢口靖子主演の連続ドラマが、なんとも人気永く高く盛り上がっている。沢口靖子の圧倒の美貌ときまじめな演技が好感も信頼もされているのが完璧に当然と思われる。加えて「科捜研」なる最新技術を駆使した研究成果の実践がいつも目新しくて新鮮なのだ、犯罪捜査の裏支えにかかる颯爽の新鋭技術がひそんでいるのを知るよしもなかった、犯罪というと刑事達の汗まみれに泥じみた活躍だけが目立ってそこに久しく立ち止まっていたのだから。
それにしても沢口靖子の人気がここへきて爆発的に神話化して行くのが贔屓の私には大満足。私の靖子贔屓は昨日今日のことでない、もう何十年もむかしになる、テレビの世界へ初登場の昔も昔に一見し、近代日本「最上乗の美女」と見極めをつけた。以来、ものにも何度も「好き」だと公言し執筆しつづけた。それを聞き知った銀座の寿司「きよ田」(極めつき旨い、佳い、処方に顔の利く寿司店で、文壇ほか各界知名の客が来ていた。私は最初辻邦生さんに連れて行ってもらつた。山本健吉、宮川寅雄、井上靖さんらとも出掛け、妻もよく連れて行った。大将は、じつによく出来た親切な職人だった。)の大将が、おおそれはとすぐ手を回して、沢口靖子の、半畳大の顔写真や、「秦恒平さん江 沢口靖子」と署名の美しい顔写真の額を送ってきて呉れた。そんな額の一枚は、いまも、『選集』三十三巻の上で、我が家の玄関を飾ってくれている。
そればかりか帝劇の『細雪』で「きあんちゃん・雪子」を演じた時は、夫婦倶に中央の最良席を用意し招待してくれ、幕間には楽屋へ誘って、舞台衣裳のまま列んで何枚も写真に撮られてくれた。原作「四姉妹」を演じた四人が和服で花盛りに列んだのや、「雪子」ひとりでの美しい大きな写真も数枚用意しておいて、呉れた。
スターはスターであり、過剰に馴染むのは失礼で気の毒と、文通など控え、著書を送ることも私の方で遠慮してきた。が、この私の二階仕事場・書斎には、数えて七枚もの沢口靖子のポスターや写真がある。
沢口靖子と同時代を競い合うたような美女は、スターは、演技派女優は何人もいたが、ほぼ全部がいつしか影を消し、沢口靖子ひとりが驚嘆に値していま光り輝いているのだから、すばらしい。しかもなにという若々しい清潔な美しさ。それを確信した私の、彼女デビュー初見での眼力を、むろん、謹んで大自慢にしている。健康でいてください、あなたの美しさは心身を輝き出た健康美なのです。

* 一つだけナイショにしたが、書いておこうと思っていた大方を書きました。
2021 9/3 237

* 「湖(うみ)の本 154」 責了紙を送った。遅まきにも「155」の用意を。日々のこの「私語」を楽しんで読んで下さっていた方が多いのに、三月十三日以降、機械のネット故障でHP転送が利かない。私も、妙に心淋しい。
2021 9/3 237

* 染織作家の渋谷和子さんから、美しい作、大小三点頂戴した。

☆ 「ゆれるまなざし」(渋谷和子さんの展覧会大作)は 巾10米の布 数十年にわたり日本国中を巡り 只今は、京都近代美術館に眠って居ります。

* 渋谷さんは京都美術文化賞の選者を永く続けていた頃、受賞してもらった。私の本の装幀も二度してもらっている。得も謂えず美しい重みの色を彩なせる作家。

☆ 急なハガキで失礼します。
毎年枯露柿を送って頂いていた山梨の農家さんに(岩下さんと言います)ブドウを直接送ってくださるよう頼んでおりました。九月になったらゆっくりと思っていましたが九月四日から送り始めるということをうっかりしていました。いきなり急に到着したら申し訳ないと思いあわててこのハガキを書いています。
右のような次第です。届いたらどうぞよろしくお願い致します。長い間お手紙も書けず失礼していました。
明日また検査日ですがたぶん何ともないでしょう。これが終わったら多少はゆっくりできると思っています。
今日は一日雨、比較的涼しい日でした。コロナはどうなるか分かりませんが、せめて秋らしい日が待たれます。どうぞお大切にお過ごし下さい。奥さまにもよろしくお伝えください。
取りあえず右。   九月二日  横浜 港北区   宮下襄
小さな(機械字)で申し訳ありません。何とか(大きく)直そうと思いましたが 全然、何ともなりません。
機械扱いもダメになって了った。 (と、手書きで)

* 恐縮です。
宮下さんは私よりなお一、二歳も長者であったと思う。お大事に、お元気で。
2021 9/6 237

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 華燭   (昭和三十四・三十五年 二十三・二十四二歳 医学書院編集部にに就職・結婚)

朝地震(あさなゐ)のしづまりはてて草芳ふ
くつぬぎ石に光とどけり

夕すぎて君を待つまの雨なりき
光りにぢませて都電せまり來(く)  (迪子詠)

* この二首をはがきに、知友に結婚(昭和三十四・一九五九年六三月十四日)を伝えた。東京新宿区河田町のみすず荘六畳一間に暮らした。東京女子医大、また出来たてのフジテレビに間近だった。テレビの現場がほぼ気ままに覗きに行けた。喫茶店セットでインタビューを受けていた番組「スター千一夜」の「無縁の相客」の躰「喫茶店」に座ってくれないかと廊下で頼まれ、夫婦で「出演」した。スターが誰だったかは忘れたが、番組後の廊下で、ズボンのポケットから掴みだした百円玉の四、五枚を呉れた。初任給一万二千円(最初の三ヶ月八割支給)の昔である、けっこうな時間給であった。
その同じ廊下を行き来しながら台本を小声で暗誦して歩いている岩下志麻と、すれ違った。放送局はちがったかも、人気の連続「バス通り裏」の頃であった。大好きだった。岩下志麻とは、ウーンと遅れて、夫君と一緒のどこかのパーティで出会い暫時談笑。建日子作のドラマにも出て貰っていて、その縁で貰ったというおしゃれで軽快なシャツは「父さんに」と、回してくれた。著名な映画監督の夫君とも映画の話題などで文通があったり、本を送ったり、「縁」は、在るモノである。
2021 9/7 237

* 寝室に数本、計60棚ほどの書類ケースがならび、満杯。ここに限らず、我が家には、選別を経てきて猶、來書翰が何十年分二階にも隣棟にも溢れている。どうしようかと惑いつつ誰からかな、彼か、彼女か、ウンウンと読み直していたりすると捨てがたい。処分の意をかためようと自身に強いてきたが、ふと思いつく、身動きもとれなくなったとき、なまじいの本よりも選別してのこした手紙やハガキは絶好の手に重くない「読み物」になってくれる、それは嬉しいなと思いついた。「えらんでおく」作業がタイヘンだけれど、これほど来し方を振り返って親しめる読み物はないぞと思う。
2021 9/8 237

* 白鸚さんから、もう歌舞伎座顔見世の案内があった。やはり三部制。昔から給金直しの顔見世興行は、江戸で十一月、京都は師走ときまっている。残念だが、まだ、観劇へ踏み出す元気はない、要心大事と思う。しかし明後日に予約の聖路加内分泌科へは行く気でいる。
2021 9/8 237

☆ いかがお過ごしでしょうか。
例年にない気候で、早や東京では十月のような気温になったりとか。風邪などひきませんように、くれぐれも大事に。コロナはまだまだ収束しそうにありませんが 注意深く暮らしていく以外ありませんね。 私は七月に娘が京都に戻って以来、孫の発熱やらで慌ただしく、現在も京都山科ら来ております。あと数日したら帰りますが、昨晩も39度近くまで熱が出て解熱剤やらを使い落ち着きました。 山折(=哲雄)氏との対談を読みました。 鴉が 六十半ばの頃の、それでも既に深い考察を経ていること、山折氏に「つっこみ」を見事にされていること……考えさせられながら、七十五婆は まだまだ足元にも及びません。  島崎藤村の「夜明け前」を読み始めましたが、これは忍耐を要求される読書になるでしょう。
鴉の日々は穏やかですか? 器械の問題はいくらかでも解決の方向に進んでいるでしょうか。フロッピーディスクからハードへの転換は、どうしても必要と思います。 是非是非詳しい方に相談されますように。 四月來 更新されていないHPの画面を見ると悲しいです。喪失感と書いたら叱られてしまいますが メールを書くことで自分の確認をしていたような日常が曖昧になっています。何よりも鴉の生、生きる時間を共有しているという想いが、(勝手な思いかもしれませんが) 私にはかけがえのないもの、大切なものです。  小さな文字でごめんなさい。机上で書いていないので乱文で、乱筆でごめんなさい。  山科の三条通りにいながら市中に、洛中にも足踏み入れず…奇妙な感じです。 くれぐれもお身体大切に 大切に…    尾張の鳶

* 日々の「私語」を機械故障以降の分ぜんぶUSBに入れるのは出来るが、私の「一太郎」印字は先方器械で拒絶に遭うらしい。 人を呼んで手当てして貰うのも切望するが、それ以上に家内へ他社の息づかいを呼び込むのは、まだ、つよく躊躇われるので。
2021 9/11 237

* 横浜の宮下襄さん、トマトほども大きなマスカット色の葡萄をたくさん送って下さった。感謝。
2021 9/11 237

☆ 機械の文字でご免なさい。   田町みどり
お元気ですか。
急に涼しくなりましたがこの気温はいつまで続くでしょう。今日は近況報告とお願いでお手紙します。お仕事の合間の一服になれば幸いです。
一、今年はオリンピック騒ぎも諸々のニュースもイヤで 映画やドラマを今までない勢いで、ほぼ毎日観ています。むかしから映画がお好きでたくさん観ていらっしゃるので既にご存知かもしれませんが、先月観た映画に、創作を志す者の一人として感嘆した二作品がありました。
邦題『ギルティー』はデンマークの映画で、2019年度のアカデミー外国映画賞を受賞しています。
この映画の驚きは最初から最後まで緊急通報指令室、日本の一一〇番にあたる部屋で、主人公の警官と、声しかわからない通報者との電話のやりとりだけでストーリーの展開することです。派手なアクションもラブストーリーもなく、スター俳優もいないのに、圧倒的な緊迫感で最後まで引っ張られ、最後に主人公の価値観が根底から覆されることになります。自分が正しいと思うことがいかに間違っているか『ギルティー』なのは誰かが突きつけられるのです。見事な脚本なので舞台の戯曲を映像化したものかと思いましたが、オリジナル脚本のようです。この才能ある監督の作品はこれからも注目していきたいと思いました。
二本目は『ともしび』で シャーロット・ランブリングがベネチア国際映画賞主演女優賞をとっています。殆どセリフのない映画で、筋すらないといってもよいくらいです。
この映画で感心したのは、言葉ではなく「映画言語」とでもいうしかない、映像でしかできない表現での達成があることでした。言葉にならないものを表現することに成功していました。初老の主人公アンナの夫が罪を犯して収監されるという状況だけが明らかで、夫が何の罪を犯したのか、あるいは息子との関係が破綻した理由(観客のレベルにより深読みの推測は可能ですが)は何かなど一切の説明がなく、アンナがを何を感じ考えているのかは一度も語られません。彼女は夫のいない日々を淡々と過ごし、唯一彼女が演劇サークルで「人形の家」を練習させられているなかに、彼女の想いがあるのかもしれないと思わせるだけです。結局、アンナは耐え難い人生を耐え難いまま、死ぬまで生きるしかないのです。そこに希望や救いは微塵もないのですが、それでも自らは「死なない」という状況が「ともしび」ということなのか、安易な解決のない映画で、その解決のなさに人生の真実を感じました。世界のどれだけ多くの人間が耐え難い日々をただ生きているために、死んだように生きていることか。
監督は「見せるよりも隠すことによって観客の想像を以掻き立てるような、引き算形式でのプロセス」を試みたとのことですが、アンナが表出しなかった静かな狂気のようなものが観客に投げ出されたままの、観終わったあとのズシンとくる重さに寝つきが悪くなりました。
この二作はどちらも静かな映画でした。それは能にも似た世界で、静かさの奥に潜む、もし一瞬でも表に出たら血が噴き出すような激情を受けとめた私は動揺し続けて、未だにそうです。このような抑制された静かな表現は理想で、自分には及び難いものといつも喋り過ぎる拙作を嘆くばかりです。

二、『ともしび』のシャーロット・ランブリングの姿を観て、自分は老いることの無惨と老けそこなうことの無惨のどちらを選ぶかという問いを抱いています。シャーロット・ランプリングは「女」をあるいは「男」の目を棄てて「役者」をとったともいえますが、その勇気ある決断に敬意を表したいと思いました。
だってあのシャーロット・ランプリングですもの。「地獄に堕ちた勇者ども』や『愛の嵐』の、輝く美貌の、獣のような目をした魔性の女でした。増毛したりしわをのばしたり、リフトアップしたりする整形手術はめざましい進歩ですから、若く見せようと思えばそう自分を作ることば難しくありません。カトリーヌ・ドヌーブは毎年施術しています。ですが、この映画での彼女の老醜のさらしかたは凄まじくて、白髪も、垂れた乳房やお腹のたるみやしわも隠すことばありません。有名なヘルムート・ニュートンの写真のような若き日の見事なヌードを知る身としては、人間は誰でも老いを免れない無惨を思い知るのです。それでも映画の中での彼女の「人間」として存在する力は比類がありませんでした。彼女
はある意味命がけで老いていました。

男の場合は年相応に老いていくことば難しいことではありませんが、女の場合は五十代から七十代にかけてどこかの時点で若さを諦め「老いる」ことを受け入れ決断する必要がぁると思うのです。この場合の「老いる」はあくまで外見の問題です。わかりやすく云うと、しみ取りなど美容処置を受けるか否か、白髪を染めるか染めないかのような決断です。中身については、二十代も七十代もそれほど大きな変化はないと思いますが、女の容貌の美しさは若さと強く結びついているので、肉体の老化、容貌の劣化は残酷です。美しくあったひとほど若さの幻影にしがみつきたくなる。なぜなら、老けることはただの外見の問題ではないから。
故坂東三津五郎の奥さんだった近藤サトさんは、白髪染めをやめてから男のひとにはもてなくなりました、と言っていましたが、女がしぜんに老けるとそれは性の対象ではなくなって男の関心を失っていきます。日本の新鮮さを尊ぶ風潮の中で女が上手く老けていく道のりは険しい。それでも、男に賛美される自分、若く美しい日々の呪縛から自由になる決断は、どこかで線引きして決めなくていけません。そうしないと単に若作りの、イタいおばさんになる。老けそこなうことは、自分の顔を作りそこねることでもあり、無理、不自然以上に、むなしいものに時間を費やす怖いことだと私は思います。美しい包装紙であることは、他者にとって「女」であることに過ぎず、女であることより人間であること、ひいては自分自身に成ることが大切なのは自明のことです。
生まれつきの容貌と関係なく、女が美しくあろうとしないのは傲慢以外の何ものでもないと思いますが、五十代、六十代になっても若いままの状態を保つには、基本的に丈夫な身体のひとが一日何時間も筋力トレーニングや髪や肌や爪の手入れに費やさなければなりません。美魔女コンテストというものまでありますが、そういう方々の美容に費やす時間と労力は、それが人生の目的にならない限り真似のできるものではありません。
吉永小百合さんは佳い女優ですが、今のところ実年齢相応の老け役はやりません。シャーロット・ランブリングと一歳違いですが、若くあり続けて 「老けそこなった」七十代の女優です。若く美貌の主役として使いたいという世間の要求を強いられているのかもしれませんし、本人が憧れで在り続けたいということもありましょう。それは本人の努力の結果成功しているのかもしれませんし、男のひとの期待に応えているのでしょう。
覚えていらっしやるかどうかわかりませんが、以前戴いたメールに、このわたくしの「老い」を感じましたと書かれたことがあります。その当時はまだ若いつもりでしたのでかなりショックでしたが、あれから十年くらい経っているのですから、もしお会いする機会があればさらに「老いた」と思われることは必定です。
「いつまでも若くあれ」とも書いていただきました。それは外見の意味ではなかったとは思いますが、今自分が分水嶺の年齢にさしかかり、がっかりさせたくないなあという思いと、正面から老いを迎えるほうに舵を切るべきかもと迷うのです。女が老いと共存するのは、よほどの人間力がなければただただみっともなくなるばかり。

さてさて 本丸の仕事に取りかかっています。自分がもっと有能であればと思わない日はありませんが、それでも秦 恒平の作品と向き合う時間は、共に生きている幸福に包まれています。読みながら、痛感するのは秦 恒平は真実闘ったひと、闘うひとであることです。

以上、こんな日々を生きる自分の状況は幸運だなぁと感謝しています。アフガニスタンの女性なら夢のようなことでありましょう。アメリカに見捨てられたアフガニスタンの惨状に心を痛めながら、日本の未来でないことを切に切に祈ります。日本は最後まで残るべき大使館の人間が真っ先に逃げてしまって現地協力者を置き去りにしたという報道がありました。がらがらの自衛隊機を帰らせたエライ方々は、恥という言葉を知っているのでしょうか。こんなふうにニュースは腹が立つから、映画ばかりみるはめに。

お願いです。

一、「私語」を書き続けていらっしやると思います。前回わたくしのパソコンでUSBを開けなかったわけですが、わたくしが新しいパソコンを購入し一太郎をインストールすればよいと思いつきました。そうすれば「私語の刻」のUSBが開けて作業が続けられるはずです。四月十六日の途中でストップしていますので、そこから、今日現在までのものをお手すきのときにお送りいただければ幸いです。次回の「湖の本」に同封していただいてもかまいません。
二、 日本ペンクラブの理事に就任された年月日がなぜか見つけられません。他の資料は山のようにありますのに、いえありすぎて、まだ見つかりません。お叱り承知で、お教えいただければと思います。申しわけございません。

ワクチンを受ければ安心と少しは信じていましたが、現在の状況は、ワクチンでも防御にならないことがわかっています。こわいことです。どうかステイホームで、ご近所のお散歩を楽しみながらこの流行をやり過ごしてくださいますように。
うんと長生きしてくださらなければ困ります。いつまでもお元気でいらしてください。
九月七日
(今月のうちに、また一つ歳をとりす。)

* 短歌新聞社文庫の文庫本『歌集 少年』の末に、私自身便利している略年譜があり、それによれば、
平成八年(一九九六)三月に東工大教授を六十歳定年で退任し、四月に二度目の訪中国藝術家代表団に加わり、帰国後直ちに「日本ペンクラブ理事」に就任とあります。日付等は別に調べておきます。
2021 9/12 237

上部へスクロール