* 七草粥を祝う。
* 今日は、今年初の糖尿の定期診察。天気はいいが、寒いという。暖かにして、築地へ出掛け、少しく気を晴らしてきたい。
* 西武線の事故で病院着に予定より遅れ、後期高齢者(=後高者)申告で時間とられ、 予想外に患者に溢れて、診察終え会計済ませたのは、従前の二時間半遅れとなった。大方の数値はむしろ良好なのに、腎機能に思いがけぬ違和があり、尿唐値がいつもの「 -」から「+2」に上がっていた。クスリを増やそうという対応だったが、腹痛が起きやすいのを憂慮し、見合わせとなった。血圧も、もう少し下げたいので処方の降圧剤もきちんと呑むように云われた。もう一口と思うところで食べるのも呑むのも控えて体重を落とすようにといつもの通り。このところ食べる量はじつはかなり減っている。呑む方は減らない。
* そして鮨の「福音」で正月のご馳走初め。いつものように肴と鮨は親方にまかせて、酒は例の八海山でゆっくり。
* 有楽町のビッグカメラで、此の機械の為の新しいキーボードを買ってきた。はたして適性なのが買えたか、適性に機能してくれるかは、おっかなビックリでまだセットしていない。
2011 1・7 112
* 昨日、近所の漢方薬店に入り、相談してクスリを買ってきた。覚えきれない名前で、全面信頼はしないので十日分だけ買った。腎機能のためというより、 肝機能のためのように思われるが、糖尿に処方されているインシュリンはじめ五種類のクスリに加算してもいいのかは慎重にしたい。もっともクスリといえば、目薬もあり、降圧剤や健胃剤や痛み止めや風邪薬や栄養剤や安定剤やニトロやスッポンの粉剤まで、わたしはいつも合切袋で持ち歩いている。わりとクスリは信仰して服するようにしているが、他方で喰うも何でも、呑むも何でもなんだから。ま、十年で危ないと云われていたのが、十二年ほどになる。よくも好きなだけ食べて呑んできたと感謝しているし、そのままでやって行く。急激なクラッシュが来る懼れはあるが。罰当たりだが覚悟の上。
2011 1・9 112
* 昨夜晩食後なにも口にせず零時にはかった血糖値は103、投薬しないまま今朝は104。理想的。
2011 1・10 112
* 十一時の血糖値が、86。理想的。
2011 1・12 112
* 七時。血糖値108。
2011 1・17 112
* 好天。血糖値95。よし。
2011 1・18 112
* なんと午后一時半までイヤな夢も観ず寐ていた。ちゃんと呼吸しているので起こさなかったと。心身のいずれもが希望しているのだと思い、抵抗しないでいる。すぐ機械の前に来て、芭蕉の句と向きあっていた。真実優れたものの前にいると、心身共に安らかになるのはたいしたものだ。
昔の宮廷とかぎらず、優れた書画を邸内に飾っていた例は、数え切れない。たんなる装飾ではなかった。玩物喪志でない、いいものとの向き合い方がある。
自身連日の多読の習いもそういうものと思っている。いいと信じられるものを読んで心身を洗っている。濯鱗清流。
2011 1・29 112
* 先日の初場所の桟敷で、座布団を二つ折りにし、さらに持参の小枕をのせて尻を置こうとしたとき、見当をはずし、したたか桟敷尻の金枠で尾てい骨の辺を強打してしまった。八十数キロの体重を容赦なくかけて骨を打ったのが、今まだ痛む。幸い尻の厚い肉が包んでくれているが、座りようでググッと痛む。起つときも痛む。幸い激痛ではないので委細構わないでいる。四人の桟敷をいつも妻と二人で贅沢に使っていて、それでもしびれが切れるので少しラクにと思ったのが粗忽であった。自業自得。
2011 1・29 112
* 腹がしくしく痛んでいる。器官的な痛みではない、なにかしら、心よからぬ痛みなのであろう。それでも一つ一つと用も仕事も前へ追い送っている。要再校の少しを自転車で投函もしてきた。冷えた。ポストへは坂を下りる。上がるとき、戻ってくるとき、以前はサドルに尻をきちっと据えたまま休まずペダルを踏み続けて大小二つの坂を息切れせず登れたのに、このごろは尻を浮かせて力一杯ペダルを踏まねば成らず、ハーハー、ゼイゼイ。
* 親しい友人の家ではとうとう老々介護になって、しまったと。気の毒に。わが家は幸いまだそこへ行かないで済んでいるが、明日は我が身かと。怪我したくない。いちばん危ないのは弱くなるに連れ、心の通いにくく、離れがちになることだ。
2011 2・2 113
* ムリはしたくない。が、胸の内の火山灰は掃きのけ続けないと息も焼けてくるだろう。新燃岳の大噴火。これこそ、凄い。現地の困惑と不安、察して余りある。
* あれこれとやはり心づくしの一日中、かすかな腹痛はつづいている。校正をテキパキと進めたい。発送の用意は、必要な郵送用の封筒の注文から始めねばならぬ。隣の家から、大学等への寄贈の本をこっちへ運ぶのがキツい。本は石のように重い。二月の法廷も近づいてくる。先がまるで見えない。
2011 2・2 113
* 吉備の人に頂戴した近江の鮒寿司、目をみはる大きな鮒が金無垢の卵を目いっぱいに孕んでいて、綺麗にうすくスライスしてあり、食べやすいよりも何よりもその美味、食べかさねまた頂戴し重ねてきたなかで、とびきり美味しく、舌を巻いた。日本酒が切れていたので白い佳いワインと一緒にもう夜遅くに舌鼓を打って飽きなかった。
あの魚卵とワインだぞ、血糖値に来ているかなあと真夜中に寝覚めて計ってみておどろいた、200はよほど越したかと思っていたのに108と正常値、そして今朝また計ったら97という優良値。これには二度ビックリした。
じつはそれだけでない、珍しくというか、久しくも久しぶりというか、あけがた鬱勃たる雄気を覚えて、思わず、笑んだ次第。
有元さん。ありがう存じます。
2011 2・3 113
* 何のと特定できなくても、ストレスはわたしの意識などすりぬけて身内にしみこんでくる。腰や足が痛んでも外歩きして気持ちを開放しているときは腹痛など忘れている。腰や足は明らかに年齢から来る疲労で、ない方が不自然だろう。ときおり寝汗をかく。
* いま、ほとんど人と話していない。家の中でもほとんど無言で暮らしている。最小限の用事もボソボソと小声で済ましている。談笑していない。外へ言葉で働きかけなくても言葉は身内に充満しているし、補充の必要が有れば読書の意欲や好みは制しきれないほどある。
じいっと目をとじてしまうと素早く睡魔が寄ってくる。睡魔と親しみ闇に沈透( しず) いて底の底まで行く感覚がいい。ぜひとも現世にもどらなくてもいいと思っているが、し残した片づけ仕事も確かに有る。いまは何よりも「遺言」の作定だ、そのための必要書類なども取り寄せている。モノの処分はあきらめている。心おきなく旅立てる用意が出来たら、外国へも出て行ける。「後顧の憂い」とはうまく云ったものだ、わたしは今後顧の憂いを苦にしているのだろう、家族のために。それは小さな思い切りで処置できるのでは無かろうか。成るように成れ、委せるとするだけでもいいのだろうが、わたしのいない跡でも今と同様の血肉の争いがつづくと予想されるだけに、それは可哀想だと思う。最低限、最小限の意思表示はしておいてやらねばと思う。
2011 2・5 113
* 一言にして、のんびりと怠けていた気分だが、主に校正していて、うまくすると今夜にも─応終えて了いそうだ。本来は併行してすべき読者への挨拶を書かないで進めた校正だから、やはり半ばは怠けていたことになる。
構わないのだ。体調、よくない。尾てい骨を傷めたのもちっともよくならなくて、椅子に掛けているのが苦痛を伴う。けれど、知らん顔して我慢している。
2011 2・7 113
* 食べ物の贅沢は一つの「節約」だという直哉の言葉を、わたしは金言のように受け取った。ところが、うまいご馳走には容易に出会えない。なんだか間に合わせのような三度三度飯のようでしかない。贅沢な言いぐさであるが、旨い食べ物に励まされるということは、事実、有る。ひとつには、ちょっと心配、わたしのからだやこころが、食べ物を美味いと受け取れなくなっているのかも。
* 熱海の魚屋で食べに食べた伊勢海老や鯛やマグロが思い出される。京の「たん熊北店」も、京都ホテル近くのボロい小料理屋での「河豚」や、この師走誕生日の日比谷「なだ万」や、ちょい寄りの鮨の「福音」「高勢」など。
出歩きたいが、つい機械の前で時間をかけてししまう。
千駄ヶ谷の能登料理を能楽堂の帰りに奢ったのも美味かった。食べたいモノが減ってきている。それが老いか。
2011 2・7 113
* 小雪と小雨のなか、歯医者へ。帰りに久しぶりに「リオン」で昼食、佳いメニュで。食前酒に、リンゴの、また葡萄の、うまい酒を注いで貰った。京の聖護院の蕪でつくった泡立ちのスープが、すてきに美味かった。デザートはもう、三分の一で十分。コーヒーもうまかった。
2011 2・12 113
* 腰に激痛の重労働も含めて、必要な作業の半分近くへもってこれた。あと十日で、さ、用意の終了まで届くか。
余のことは考えておれない。
2011 2・13 113
* わたしは善人でも徳人でもない。幾皮とも剥かなくてもけっこう不徳も悖徳も演じてきた。その筈だ。
それでもとにかくも自分を卑しくしては生きたくない。出来ることは出来るだろう、出来ないことを人手を煩わしてまでムリにすることはない。そのことが咎められるなら、さよう、天命というほど大層なことでない、単純に損はするだろうというまで。
* 朝一番からムカッとくる不快に出逢い、蹴飛ばすようにして、家を出て、半日余。呑んで喰って読んで、腹痛に堪えながら空を観ていた。うたたねさえした。あ、寝ているな、どうかして目がさめないといいと願ったが、そうは行かなかった。
2011 2・17 113
* 腹、しくしく痛い。
2011 2・18 113
* 発送用意に「今日明日」が残ってくれた。今日はこれから出掛ける。明日はなお出来る限りのことに一日が使える。じつに苦しい日程であったが、間に合った。二月中にほぼ今年の第一冊が送りだせる。いつもなら四日掛けてする作業を一日でして、疲労と心労とで奥歯が浮き上がり、モノが噛めなくて、痛くて、閉口した。いまも腹のシクシク痛みはあるが、緊張と心労と、不快によることは分かっており、こういう日々はわたしに余命の在る限りつづくものと覚悟している。余の永かれとは祈らない、ただ気力在れと願う。そして無心に静かに成れるようにと。
娘の家に置いていったバグワンが、いまのわたしを導き癒やしてくれているとは。運命の面白さ、いやおかしさ、だ。呵々
2011 2・21 113
* 夕食前、風邪か発熱かと思う頭痛あり、しかし熱は無かった。maokatさんに頂いて取って置きの名酒「 杉玉」を温めてぐいと呑み、しばらく熟睡した。頭痛は去り、夕食も終えた。明日からの作業も九分九厘用意できていて、体力だけの問題で。やれやれ。
数日、力仕事にまた「はんなり」励みます。
2011 2・22 113
* 菱沼さんに戴いた中国現代の長篇小説二作の一つ『牛』を、妻は昨日今日で読み上げてしまった、興味津々の内に。おどろきました。妻は先日もとの聖路加で新鋭機をつかっての或る検査を受けたが、軽微かもしれないが血管の欠陥が二三見付かり、治療を奨められてきた。この年になれば誰にもありそうな欠陥であるが、医学がそう奨めるのであれば家族が立ちあってでもやはり対処することになる。
わたしなど、いろんな検査を受ければたちどころに十や二十の異状が見付かるだろう。医学が進歩すればするほど微妙な病症が創りだされて行く。むずかしいことだ。
2011 2・22 113
* 寝起きのあとの気分が悪く閉口した。堪えて、発送を続けた。予定通りまで終えた。我ながらよく頑張る。しかし快適ではない。怪我も事故もないが、心穏やかでも心健やかでもない。生きている事への嫌悪と憎しみとがわたしを焼きたてようとする。
2011 2・24 113
* 明らかに花粉が来ている。
2011 2・26 113
* 今日も終日、機械を働かせ続けていた。体疲労よりも心疲労の方がはるかに体調に悪く響いてくる。志賀直哉は若い頃からすぐ不愉快になりいらいらし癇癪を起こす人だった。元日の癇癪を恒例と自覚していたような人だ。神経衰弱でそうとう参ったこともあつたらしい。谷崎先生も汽車に乗るのが怖いといった神経衰弱で、出掛けた京都から帰って来れなかったことがある。
幸いわたしは神経衰弱や精神疲労で倒れたことはないが、そうとう気をつけてバランスすることを少年時代から覚えてきた。喰うと、読むとが、昔からわたしの薬であった。
2011 3・1 114
* 散髪してきた。これで何となく、外へも出歩ける。それほど髯もじゃで蓬のような白髪であった。ただし花粉が確実に目に来ている。
2011 3・9 114
* 好天に尻押しされて街へ出掛けてきた。花粉がつらくても堪えて目を擦らぬようにしていた。それで、つらくはあったが乗り切れた。今日はぜひ江戸前の上等の天麩羅か、うまい中華料理が食べたかった。食いに惹かれて。しかし『アンナ・カレーニナ』と、建日子の臓器移植の本の半ばは読み終えた。遅い時間に出て、やや早めに帰ってきた。
2011 3・10 114
* じつは夜前、かすかに不穏に沈みかけ、起きて永く本を読んでいた。今日は休息した。
2010 3・10 114
* 朝いちばんに右掌につかむ小さなマウスが冷たい。その用にグレイのうすい毛糸の手袋が用意してある。左右揃っていたのにいつか使わない左手分がかいもく見当たらないで何年にも。捜し物ではもう一つ、愛用しているデジカメの説明書が二冊あり、あまり必要としない一冊だけが傍にあり、どうかして見て覚えたいことのあるもう一冊が、何年も見付からない。目下、捜し物の二つ。いつも念頭にあって、発見に到らず。
2011 3・11 114
* 十一日以来の緊張で、固いからだが一層強張っている。せめて春暖が待たれる。
* どっと疲れたか、家猫が二匹になっている余波で夜中に起こされ起こされしたのが響いたか、宵から睡くて溜まらない。このところ機械の処理用事が多かったのと、花粉で目がやらているのもあり。こういうときは休んでいたい。
2011 3・18 114
* ああまだ寝ているなと思いながら、ぐっすり寝ていた。
2011 3・19 114
* 夕方、八日ぶりに戸外へ出た。自転車で文房具屋へ行った。近在で店が増えるよりも目立って減っているのに気が付く。和菓子屋も酒屋も、スーパーまで二つも閉店になっている。
2011 3・19 114
* 浴室で、葵上の産後死を読んだ。
「閾をまたぐ」こわさの、洋の東西の事例をたくさん読んだ。
バグワンの自殺観を読んだ。
髪を洗った。花粉のせいもあるが、始終睡い。
2011 3・19 114
* ああ目が痒い。今年はに確実にやられている、目も、鼻も。ムッ。
2011 3・21 114
* 源氏物語「あふひ」の巻を読み終
えた。ついでに、その方の晩年にむかって親交をいただいた某教授による、源氏物語の滑稽をあらわした一面を説かれる懐かしい口調に触れた。
『もののけ』では「市」と「虹」との世界的に展開されていた不思議をさまざまに教わった。
そしてバグワン。
このところ浴室ではこの三冊を愛読している。血圧がさがツテ睡くなることがあると、ざぶざぶ顔に熱い湯を当てる。と、眠気は飛んでしまう。
2011 3・24 114
* 美しくて水勢水量豊かな山川を、游いで游いでどこかしら目当ての先まで泳ぎ抜いていた、夢で。行楽だったのか。もう、記憶はなかば溶けている。連れがいた気がするが分からない。爽快でもあり、必死でもあったような。
2011 3・27 114
* 花粉のせいもあるが、えも言いがたい疲労のせいもあり、睡くて仕方ない。明日、早朝から久しぶりに聖路加病院まで行かねばならぬ。四月一日にも行かねばならぬ。
2011 3・29 114
* 睡かったが早起きして、バスにとびのり、保谷駅では坐れず、乗り換えの池袋駅でも坐れず、また乗り換えの銀座で坐れたが筑地まで二駅。永く妻の主治医だった先生のオフィスに、地元病院の手術所見書と映像ディスクとを届けてから、眼科へ。十時半まで一時間待ち、あっという間の診察で支払いして病院を出た。ま、子供のお使い並み。
好天温暖、花粉盛大に舞って、閉口。
帝国ホテルでクラブの契約を更改し、その足で中二階セゾンに入り、昼食を奢る。食前のドライシェリー、あとはハウスワインを赤で。陶然と酔いを発したまま、赤座海老や真鯛や羊の肉などを美味しく食べ、アンナ・カレーニナが出産後の、カレーニンやヴロンスキーの大芝居を読んでいた。デザートの代わりにチーズやレーズンをたっぷりもらってワインを追加、心ゆくまでトルストイの健筆に酔った。
* 東京メトロも私鉄も七割程度の間引き運転、エスカレーターもよほど深く高くない限り停まっていた。いたるところ照明は節約されていたが、なにも日頃そんなに明るくすることはないのだ。ただし腰の痛い老人に階段は草臥れる。
* 所定の用と、食べて帰ろうという欲求は満たしたので、どこへも寄らず、池袋まで寝て帰り、また保谷まで寝て帰り、保谷駅でタクシーに乗った。暖かくて、晴れていて、花粉さえなければよかったが。眼、痒い
2011 3・30 114
* 夜中三度も起き、夢も観て熟睡しなかった。花粉。そして今日は当地では初めての停電が一時間ほどすれば始まる。
2011 3・31 114
* 明日は糖尿病の定期検診に出掛ける。もう少し残っている隅田川の大橋も、この春から夏へかけ渡り終えたい。花粉がきついから困るが、昨日点眼薬を処方して貰い、今日薬局で手に入れた。
電動自転車に妻をのせてそう遠くまででなく、静かな西大泉の辺を走ってきた。真白い辛夷が大木に満開。櫻もほつほつと大きな木にかすかに咲き初めていて、莟はあかく膨らんでいた。中国の詞華集に「風信入華」の四字を見つけた。春風を身に浴びて花花がいっせいに咲きほこってくるさまとか。そういう季節だ。東北の被災地にも変わりないであろう、自然の物凄い怖さに怯えたが、自然の優しさにもこころを温めたい。
2011 3・31 114
* 早起きしてしまい、順調に乗り換え乗り換え、つまり座席に坐れるように乗り継いで、早くに聖路加病院に着いたけれど、受付番号は早いのに予約が十二時半から十三時なので、しっかりその時間まで二時間待たされ、我慢会のように我慢し、『アンナ・カレーニナ』も読まずに、何度も何度も歴代天皇百二十五代を指折り数えたり手洗いに立ったりして廊下で待ち尽くした。
診察は何と言うこともなく数値も順調で、体重を減らしましょうね、よく歩いて下さいと。
妻と同様の狭心症気味の胸ふたぎなどは、ま、機会を見て別の検査と診察を受けよう、それより先にして置かなくてはならぬ死に支度というヤツがあるのを早く片づけたい。裁判はどっちみち長々と続くのであろうし、それはわたしの手ではどうしようもないこと。支度は支度で勝手にしておく。
* 好天に励まされ、聖路加まえからタクシーで勝鬨橋を越えて、二股に流れるもう一つ向こうの隅田川にかかった、難しい名前の橋、黎明橋だか何だかの手前まで行き、トリトン橋とかいう今日は閉鎖されていた橋と並行して大橋を向こうへ越えた。上流をみるともう二つほど橋が見えたので、河畔の櫻堤を歩いて、今度は晴月橋というのを歩いて西へ越えた。二時ちかくて空腹を感じ、目に付いた新富鮓という店に入ろうとしたら、客は一人もなかったが出前でか、難なく追い払われてしまった。風采のワルサも手伝ったろうかなあ。仕方なくタクシーで銀座四丁目まで戻り、この前から執心していた松屋八階の「つな八」で、「磯波」と名付けた特別のメニュで、黒松白鹿をそれは美味く呑んだ。天麩羅も刺身もむろん上等だったが、黒松白鹿が五体に沁みわたった。
有楽町線で小竹向原まで、幸い乗り越さずに乗り換えたが、西武線へ乗り入れたあとは熟睡して、夢うつつで東久留米と気が付いて下車。保谷まで二駅戻りました。
* 処方のくすりで手元一杯。
2011 4・1 115
* 今日は視力がよわいように思える。眼精疲労が過ぎているか。気を励まし仕事を続けているが、疲れる。
2011 4・3 115
* かなり根気の要る、しんぼう仕事をしていて、疲れると席を立ち、また機械へ戻って一仕事して席を立つ。花粉のせいか、春のせいか、ときどき強い睡魔の訪問やくしゃみの連発に見舞われる。逆らわずにうたたねしたり、横になってしまったりする。夕食もしないで八時半まで宵寝して、朝かと思ったりした。怠けてしまったなどとは思わない。それでいいのだと受け容れて。
* 櫻、都内満開だと。やはり隅田川へ行こうか。
2011 4・6 115
* じつは四日の夜、五日の払暁、腹痛で独り苦しんだ。妻は起こさず、トルストイを読んで堪えた。さしこむ痛みと『アンナ・カレーニナ』の美事な叙述と展開とが押し合い引き合い、横臥のママでは堪えきれずに、坐して、腹部を温めて読んで行くうちに静まっていった。痛みがずうっと下へ降りていって、そして抜けていった。地震以降、妻の入院手術や誕生日をはさんで気疲れが来ていたのだろう。
2011 4・6 115
* 都知事選だが、今回ほど気のりのしない選挙はない。やめるべき人がやめないと出てきて、それを阻める人材が見当たらない。 とにかく投票を済ませた脚で、妻をうしろに乗せ、名も懐かしい尉殿( じょうどの) 神社の、閑散とした宮前で満開の桜樹を愛でてきた。建日子誕生直前、妻は入院安静中、に出産の無事を願って深夜独り参拝し、また朝日子ともいっしょに参拝したお宮だ。
それから谷戸の広々とした明るい「ふれあい公園」をゆっくり通り抜け、ちょいとした人気のうどん屋で、鴨なんばんうどんを食べ、ビールを一本呑み、ひばりヶ丘団地の豊かな桜並木の満開にも、こもごも嘆声をあげてきた。晴れやかに人出多くてどこかしこ和やかなピクニック感覚のお花見日和。
さあ、もうあと何度、こうして夫婦で近在の櫻を喜び合えるだろう。
すこし酔いも出てか、帰ってから二時間ほどわたしは昼寝した。目が覚めると、もう夕食の時間だった。
2011 4・10 115
☆ 昨日は
選挙でしたね。
花の住むところでは、県議会選がありました。
一番年若の人に投票しましたが、その人は落選してしまいました。残念。
今日はずいぶん暖かいようで、着るものを春物に替えつつあります。
毛布やシーツを一気に洗濯してしまいたいところですが、ヒノキ花粉が飛散しているようなので、落ち着くまではできません。
ここ二三日は、夜中、鼻のムズ痒さで目が覚めます。
それと、咽喉の痛痒い感じ。
来た来た、これがヒノキの症状だわ、と思っています。外に出るのが億劫になります。
風、お大切に。 花
* 「咽喉の痛痒い感じ」は「ヒノキ花粉」とは知らなかった。この暫く前から、その不快感に悩んでいた。「スギ花粉」だけではないのか、やれやれ。
2011 4・11 115
* それにしても今日の鼻花粉の猛烈さはどうだろう。爆発するような嚔、とめどない洟。眼の痒いよりは辛抱しやすいが。
2011 4・15 115
* 六時半に早起きしたので、仕事のハカが行っている。九時には新刊分の初校組み上げゲラう届いた。先への仕事も進んでいる。むやみと花粉が舞うらしく、鼻の気分は最低、嚔と洟で、ティシューが減りに減る。
昼前にかなり怖い地震が揺った。揺れ動く機械を手でおさえ、逃げだそうか堪えようかと惑ったほど。
2011 4・16 115
* 高校生のとき、茶道部で手前作法など教えた美術コースの日本画専攻だった人が、京の、いわば小粒の半生菓子を三箱も送ってきてくれた。一箱にびっしり実質的に入っていて、上品で美味くて色美しく、ついついアトをひいて妻と口へ運んでいた。ピュッと血糖値があがった。インシュリン注射で即、中和した。
このところ睡くなるのは季節のせいでもあろうが、計ってみると血圧が上で107と低すぎた。低血圧になると睡くなると聞いている。浴槽で本を読み始めると暫くして睡くなるのが一時的な血圧低下のせいだと聞いている。顔に湯を十回ほどたっぷり当ててやると眠気が去る。
2011 4・16 115
* 七時半から機械の前に来て、もう一山越して、一仕事を次へ委ねた。これでひとまずうしろを顧みずに新しい本の校正に集中できる。創作の仕事にも心おきなく向き合える。
* これで、云いようのないストレスも無意識に迎えてとっているのだろう、気温変動のせわしさもあるのか、腹の冷えてしくしくもともすると訪れ来る。 2011 4・18 115
* 家の前道で水道管敷設工事中。ズシズシ家が響く。夕方、睡くてたまらず二時間ほど寐た。このところ腹のシクシクがしつこい。食道がすとんと胃にあたる位置にいつも違和感が起きる。痛みは徐々に下方へ通過して行く。
2011 4・22 115
* 雨中、久々に歯医者へ通う。帰り、「リオン」で昼食。
2011 4・23 115
* 体調かならずしもよろしくない。
2011 4・24 115
* 久しぶりに夜中左脚が攣って声をあげた。幸い妻に手を添えてもらいすぐ復元した。左右とも芦野外側、膝下が、太い堅い筋ばかりの手触りになっている。あながち脚が弱っているとも思えず、当日の体調によるにせよ外出時の階段の上がり降りや脚の運びなど、同世代らしい人のそれよりかなりタッタカしていると自覚するときもある。しかし、横臥からの起ち居にはだいぶ苦労しているのも慥かで。寝返りもにがてで全身が硬く不自由になっているのも間違いない。
* だが、また筋肉・全身労働の発送へ用意をすすめているところ。
2011 4・30 115
* 夢を観ないで目覚めたのではないかと想われる、希有の寝覚めだった。なるべく夢は観たくない。
2011 5・10 116
* 怪我も事故もなく、穏やかに、健やかに、元気にと、日々の願いにしている。それらは、「心」において可能なのか、「体」が支えてくれるのか。「心がける」のは大事だが、とかく忘れがちになるのも、心の頼りなさ、だれしも覚えがある。不摂生なわたしだが、それでもわたしは「体」の正直を尊重している。心身相関の大事は言うまでもないが、体の達者が気の弱りを減じてくれることは体験するが、逆は、どうだろうか。気力を大切にしてきた。気力とは心のことか、体のことか。
2011 5・16 116
* 目の疲れへ睡魔がつけ込んでくる。やすめる今は休んでおかねば。やがて下巻の再校が出そろってきたりすれば、かなりアタフタする。
2011 5・19 116
* 機械の前にいて、今日は汗ばんで暑い。過酷な季節がもう来ている。夏四ヶ月か。だれにも、わたしにも、しんどい日々がつづく。
2011 5・20 116
* 六時前にふと目覚め、もう少しだけとまた寝て、起きてみると午まえにはびっくりした。体が望んでいたのなら、それでよい、幸いそうしたければそうして差し支えない日々を過ごしている。その又寝の夢で、よく考えると、亡き観世栄夫さんと一緒に同じ亡き観世栄夫さんを尋ねて行くというフクザツで愉快な体験をしていた。実感に富んでいた。
2011 5・30 116
* 二時頃、低血糖を感じて目が覚めた。
血糖値45。危険水準、すぐ糖分と食べ物を口にし、水分を十二分に摂って寝た。
六時半頃、いろいろ思うことあり、そのまま電灯をつけて、ジブラーンの名著というべき『人の子イエス』を読み継いだ。ギリシャの詩人ルマノウスの名で書かれている「詩人イエス」に、胸の内にともる静かな灯を美しく感じた。
2011 6・4 117
* 昨夜はよく眠れなかった、読書のせいか、単なる疲労の違和か。ひとつにはカポーティーの『冷血』進展の重みがのしかかって眠れぬ夢魔となったのか。
今日も作業をたくさんした。このままもうやすもうと思う。
2011 6・8 117
* どんな暑苦しい夏七月・八月が来るかと思う。どうかして心清しくすごしたい。
* 九月には播磨屋の歌昇が三代目の中村又五郎になる。又五郎というと、わたしが初めて歌舞伎を京都の南座でみた子供の頃、初世吉右衛門が演じた籠釣瓶の舞台で、それはもう実直で忠義な下僕をつとめていて感心した。そして最期の最後の舞台まで観ただけでなく、何かのパーティの席で二人でしばらく和やかに立ち話したのも忘れない。温厚な好々爺であった。品もあった。
わたしは新たに又五郎を襲名する歌昇の颯爽として元気な舞台も、何時も好きであった。その新・又五郎が九月秀山(=初代吉右衛門) 祭の襲名狂言で「寺子屋」の武部源蔵を演じてくれるというのが嬉しい。めでたい。
十一月には高麗屋が初演以来400回を数えた傑作舞台の「アマデウス」のサリエリをやる。むろん、もう予約した。友人たちにも観てもらいたい。
* 明日は、真山歌舞伎の「頼朝の死」を染五郎と愛之助が、「石切梶原」を吉右衛門、段四郎と芝雀が、そして「連獅子」を仁左衛門と孫の千之助が。楽しみ。
その明日は「時」の記念日ではなかったか。
2011 6・9 117
* 夜前はやく寝て、今朝早く起きた。ほぼ熟睡していた、幾らか観ていた夢も覚えない。
九時早々の散髪、この散髪屋は丁寧で、たっぷり一時間半もかけている。行儀のわるい蓬髪だったのが、こざっぱり気持ちよくなった。
2011 6・12 117
* たくさんな本に触れていると知らず知らず疲労する。本の重みもあるが、本が抱きこんだ世界の重さを感じてしまう。
夕刻前、二時間半ほど寝つぶれたように寝ていた。目覚めて、すこし身がかるく、明るくなったか。
2011 6・12 117
* しみじみ、身に沁みて懐かしい気がする。
「大関」の称号にも感嘆する。わたしの五体は、昨日も散髪屋の青年が渾身の力をかけても凹まない、掴めないほども鐵のように強張っていて、痛みも伴い、どうにもならない。いまにボキッと背骨が折れるのではないか。
2011 6・13 117
* 雨の来ぬ間にと、銀行と市役所と薬局の用事をみな済ませてきた。昔々に九年も社宅住まいしたことのある泉町を少し見回ってもきた。変わっている変わっている、ビックリ。
2011 6・16 117
* 七時すぎ、血糖値106。小雨。
さ、何時に本が届くか。その時、 降っていても小降りであるといいが。
2011 6・17 117
* 明け方、奇妙な夢を見ていた。
医学書院にわたしの入った頃の専務、後に社長になった金原元さんを執務室に訪問して、長話していた。話していたのはわたしで、話題は敗戦のごく前後の頃の思い出だった。専務は上機嫌でも不機嫌でもなく聴いていてくれて、話し終わってわたしは辞して出た。それだけ。もう詳しくは覚えていない、が、これだけは確か。奇妙。
いったい、だれでもそうだろうが、永い一生でもどうしてもしっくりしなかった人というのがいる。専務とわたしがそうだった、面と向かっていさかったことなど無いが、廊下や階段でであつても互いに身をよじるようにすれ違っていた。むろんわたしからは部下たる会釈は省かなかったけれど。
その一方、これは何度も書いてきたが専務の父君であった金原一郎社長には入社前から退社後に到っても終始わたしはよくしていただき、よくいう物言いで謂えば、たいそう「可愛がって」戴いた。有名な国文学者でもあった長谷川泉編集長にも筆紙につくせないほどよくして戴いた。どうも専務とだけは京言葉で謂えば「はだはだ」のまま終始して、そして意外なほどはやくに死なれてしまった。心残りであった。
そんな人の身の盛りの頃の、そしてわたしはもう作家として退職後の、なんとも不思議な再会の夢であった。
金原社長にも長谷川さんにもとうに死なれている。お二人の葬儀には出たが、元さんの死は後日に知って驚いた。
* そして七時半過ぎて、しばらくぶりに強烈な左脹ら脛の痙攣に悲鳴をあげた。妻に助けられ、そのまま朝になった。痛みは幸いあとを遺していない。
さて、発送の仕事を再開する。いちばんにこんなメールをもらっていた。
2011 6・18 117
* それにしてもこの機械部屋のなんという暑さか。全身を熱汗が流れ落ちる。
* 夕方ぬるいめにして、入浴。浴室に夏至晴天の眩しさ漲り、ゆっくり読書。そして食事を待たず寝入った。
晩の八時前に、パチっと心地よく目覚めた。こういう目覚め、めずらしく。くず餅に黄粉と蜜をかけて主食にかえ、そして桜桃をたっぷり戴く。すっかり真夏の感じ。機械の部屋はまだ火照っている。冷房が効かなくてとめてしまってある。
2011 6・22 117
* 機械仕事の部屋のクーラーが破損、週末には修理の部品が電氣屋に入るかどうかと。この劇暑では気が遠くなる。妻は休暇だと思って遊びに出て来なさいと言うが。息子の買ってくれた小さい軽い新鋭機を持って出るという手はあるのだが。
こうしていても、晩の九時過ぎ、汗が全身を流れる。もう、だめ。
2011 6・23 117
* 京都の地図でいうと、ずうっと南へ、そして西へ寄った辺になる、現在なら長岡京址の辺に当たるが、夢では一切関わりなくてただもうそこは轟然と鳴り響きそうに幾つもの大寺の甍が大路をはさんで向き合い居並んでいた。どの甍も、奈良の大仏殿より二倍も丈高くそしてみなまっ黒いのだった。日射しのある昼間でなく、夕暮れて行く刻限にそびえ立つ甍、甍、甍は底知れぬ大森林のように凄かった。そんな大通りをわたしは誰と知れぬ一人二人の連れを案内していて、そこへ、影の添うようにして昔習ったことのある女先生が耳慣れた呼び声で背の方から追いついてこられた。
それだけしか覚えていない。しかしそういう物凄い大寺院の行列の夢は、前にもみた気がする。
2011 6・26 117
* クーラーなし、小休止の気でつまらないドラマを見ていたが暑さに負けて倚子のママ寝入っていた。 家の中でも熱中症はやる。去年の夏は日照りの真昼に自転車で走り、あわや入院かと云うほどヒドイめに遭った。高熱で、吐いた。まさか六月ではなかったのに、今年は六月からひどい暑さ。
それでも外へ出たい気持ちは有る。
今は、機械部屋にクーラーを働かせ、「悲愴」は、済んだ、モーツアルトのコンチェルトK438をマリア・ピレシュの綺麗で清潔なピアノで聴いている。何曲も続くはず。さ、それならと手に取る本は、亡くなった網野善彦一の名著の『無縁・公界・樂』で。わたしの頭も、働きます。
2011 6・28 117
* 「判決について」牧野法律事務所から、判決について簡単な通知が届いている。追って本文120頁、目録361頁もの厖大な量の書類が届くというから、詳細はそれを見るしかないのだろうが、もはや興味もない。わたしの家族は、見る限りの通知をどう読んでいるか知らないが、わたしは、今のところさしたる感慨も憤激もない。ただ冷やか。わたしの人間に対し、文学生活に対し、かすり傷も与えないからである。
孫の死を書いて実の娘や婿に訴えられ、金銭支払いやあまっさえ謝罪等の負担をどう与えられようと、わたしたちの孫やす香への愛には微塵の翳もなく、また「わたし」の内面とも文学の果実とも何の関係もないどころか、読者や知友にすべて判断は委ねられてある。神・人ともに赦すまい「アモラルな恥ずかしい批判」を、広い世界や所属する社会から陰に陽に蒙り続けるのは、わたしではない。
* あすは、久しぶりに聖路加の定期診察。
2011 6・30 117
* 久しぶり、午、聖路加病院での糖尿定期検査に。今朝の血糖値、107。
2011 7・1 118
* めずらしく病院へ、時間ゆっくり出掛けた。地下鉄で、ところどころ熟睡していた。ひょっとして午前診察のビリではなかったか。諸検査のデータ類成績は悪くなかった、例の「体重」以外は。体重はゼッタイに減らない。いまでも、此の二年ばかりの間、いつも心ならずも、4 キロほど先生には軽く申告し続けてきた。始末に負えない。運動せよと云われても、ただただ「歩く」ということが性分としてできない。気楽に外出する習慣がない。保谷という町は、とても散策に向かない超索漠とした町で。それで遠くへ自転車で出ていたけれど、遠くへ出ると武蔵野は捨てたものでないけれど。京育ちのトクがいまごろ裏目に出ている。
投薬中の一つが、最近、膀胱癌を誘発しかねないと問題化していて、おやめになった。今残っている分は使い切っていいですと。やれやれ。
* メガネを新調に行く気でいたが、気付いて調べると案にたがわず定休日。仕方なく鮨屋に入ったら、いきなり小鉢に茄子が出て腐った。穴子も雲丹も鰈もうまかった、冷酒も佳かったが、茄子がこたえた。
あまり暑いので町歩きはやめ、『無縁・公界・樂』を耽読しながら保谷に戻り、喫茶店でドーナツ二つと珈琲とで書きかけの小説をプリントでしっかり読み返し、ノートなど取っていたが、隣家のご主人にみつかり暫し歓談。別れたあと薬局へ病院処方箋を渡しておいて、「和可菜」鮨でまた肴でビールと酒をのみ、店の夫妻とゆっくり歓談して、歩いて帰宅。
2011 7・1 118
* 血糖値111 血圧も平常。
2011 7・2 118
* 血糖値107。八時前。自然にこうなのだといいが、事実はインシュリン注射や投薬により私流に「コントロール」している。ほぼ成功していると医師も診ているけれど。全身、石の如し。いずれ瓦解( クラッシュ) するであろうが、いずれがいつとは読み取れない。叔母の場合は一朝に来たが。
* わたしは、すべきを含めて、したいことを出来る限りして暮らす日々になる。右するとも左するとも自分では読めない。なるべく自分を解放し開放しておく。デューティもモラルも、無し。
* 「心の全面否定」を承えないと云ってこられたひとへの所感、もう一度、昨日とおなじに書き出しておく。自身の為にも。
2011 7・3 118
* ふしぎなほど、この歳になって、昔風に謂えば机に向かって、実際には機械に向かって、書きつづけたり書き直し続けたり読み直したりする仕事が、向こう先が見えないほど目の前に山になっている。目の疲れ甚だしいが、これですることが何もなかったらかえって雑念に追いまくられるだろう、わたしは仕事に熱中しているときは意外と心静かでよけいなことは忘れていられる。妙な精神安定剤よりも遙かに仕事が効く。とはいえ、ワーカホリックではない。仕事に名誉心も射幸心も拘泥すらも無くて、イヤな不愉快な仕事であるときすら芯のところで楽しんでいる。まして積極的に踏み込んでいる仕事だと気は静まって晴れている。不思議である。
今日も、思いがけないちょっとした発見から、気合いの入った仕事を一日中続けられた。
だが、もうやすまないと本当に目を痛めてしまう。と、云いながらやすむといってもまだ十時半だと、呑んで、映画を見るだろうか。今日、吉備の人の有り難いいつものお心入れの名酒を頂戴した。京都の、気のいい「樅」のちいチャンから夏のご馳走を送ってもらっている。彼女のお店には、島尾伸三も連れて行った、甥の恒も猛も連れて行った。三人ともむちゃくちゃカラオケ上手で飲みっぷりよかった。わたしは、呑む一方で歌わない。
で、今みたい映画は。もう一度、「マトリックス」の第三部が見たい。
2011 7・3 118
* ひとつのケリをつけて、「仕事」へまた近づいたが、なんと、終日どころか今午前二時、やすみなく体力視力を酷使していた。疲れた、が、戴いたお酒や菓子で、あいを繋いで、他のなにも出来なかったが、すべきを、した。ひたすら。まだまだ。
シャンとした姿勢のために、上に出しておいた唐木先生の文章を、ここに収めて、寝に行こう。
2011 7・4 118
* 昨日の夜は芯から草臥れていた。バグワンも源氏・栄花も西欧の小説も読んで寝たが、寝つぶれる心地で夢もなく引きこまれた。夢は目覚める少し前に見ていた。もう十時過ぎていた。すこしは明るい、つまり軽い目覚めだった。
これは記録しておこう、もう一年ばかり、わたしは床から起つのに杖を力にしなくてはならない。脚力だけでは起きあがれない。手をしたについて腕力を使えばいいが、左肩に故障があるか、つよく痛むので杖に力を借りている。
2011 7・8 118
* 今日も、いろんなことを、とりとめないようでいながら、そうでもなく、むしろ半ば楽しみながら。困るのは、どうも食い物が不味い。熱暑のせいか、材料や分量のせいか。たくさん食べたいと思わない、美味いものが食べたい。
* 相撲だなと思ったが、名古屋ではなあ。七月は芝居の予約を意図的に控えていたので、淋しい。二十日に聖路加の眼科がある。晩へかけて楽しめるかも。
2011 7・8 118
* 一度も目をさまさず、覚めがたにすこし夢をみていたが、十分永く眠れた。
2011 7・10 118
* 来週は、一気にモノゴトが動くだろう、眼科の診察もある。先方控訴となれば、また徹底的に闘い続ける。それが無いときは、わたしの方で煩瑣な作業を強いられるのだが、もう、ほとんどすべきはし終えてある。「判決主文」に従い、解釈を拡大も縮減もせず、判決文が謂うところにのみ違わないよう、用意が出来ている。期日期限の類は全く示されていない。暫くぶり、「夏の暑さにも負けず、」照ろうが降ろうがお構いなく出歩いてくる。
2011 7・15 118
* うっかり大きな郵便物を郵便局へ日盛りの下、自転車で運んでしまった。土曜日休みだった。
* 何を慌てることもない。
2011 7・16 118
* 颱風がどう近づいているのか、明日は九時半までに聖路加眼科へ行かねばならぬ。雨はかまわない、ひどい風が吹きませんように。
2011 7・19 118
* 颱風はスローな進路で豪雨と暴風を配給しながら東海へ方向を東転している。
風と雨とを覚悟しながら、朝はやに聖路加へ出掛ける。眼科。よく診てほしい。
* さすがに今日はさっさと帰ってくる気。
* 雨降らず。風もなく。十時の予約。空いているはずと予想したのに、眼科満員。検査に一時間はお待ち頂きますと。ところが数分でいきなり医師に呼ばれ、眼圧検査は医師がしてくれて、問題有りません、このまま様子を見ましょう、次回五ヶ月先にと。大丈夫なんかなあ。時計を見るとまだ九時半。支払って十時十五分も前。これでは、どんな店も、食べ物の店はあいてない。仕方なく地下鉄で池袋まで。デパートなら明いてるだろうと思ったのに、西武八階のレストラン街はどこも十一時に開店でござい・仕方なく鰻の伊勢定の外待ちで半時間『無縁・公界・樂』を耽読、一番に招き入れられて、飯半分にと頼んで最上の鰻重そして酒は久保田。枡にコップを仕込んできた。掛け声をかけると、おねえさん、コップを溢れ枡まで溢れるほどの大サービス。赤だし添えて。うまかった。
想えば鰻の季であった。
雨降らず。風もなく。空いた急行に乗って、はっと気がつくと、ひばりヶ丘駅をいま出るところ。次の停車駅は所沢、まいった。各停で保谷まで戻り、頼まれていたパンを買って、タクシーで帰宅。一時前。撮っておいてくれた「子連れ狼」を観ました。雨降らず。風もなく。
2011 7・20 118
* 街へ出た。颱風一過でなく、どこかで停滞の曇り空、ときどき小雨。涼しい。なんでもない洋食屋で、肉の骰子切りとクリームコロッケ。ジョッキのビール。パン。食べてしまってから、あ、牛肉を食っちゃった…。だが、うまかった。
ひさしく食わないラーメンというのも食べたくて。夕方、西武池袋駅で、立ったまま。
外での読書は『無縁・公界・樂』一辺倒。
街歩きが、楽しかった。腰も、さして痛まなかった。サポーターはむしろ寐るときに緩めにし、外出時はしないことに。膝のサポーターは外出に有効。階段もスタスタと昇り降りできる。
2011 7・21 118
* 同じ西東京の堀上謙さん、電話で「韓国料理」をご馳走します、出て来ませんかと。胃袋の方があまり歓迎しないようで、申し訳ないが辞退した。たいして何もしないで冷房の部屋で仕事をしたり遊んだりしていたいと、身体が言う。
片づけがてらの捜し物はまだ見付からない。大きな模様替えをこの一年に二度敢行したのはいいが、その際にかなりのモノをダンボール幾つにもつめこみ、隣の棟へも運び込んでいるのが祟っているかも。何は何と、目に見えるように記憶しているノート二三冊と書きためたもの。まだ諦めていない。
2011 8・8 119
* 朝まで熟睡、目覚めの前、夢は見ていたが。
2011 8・14 119
* あんなに自転車で長時間の遠乗りが出来ていたのを、怪我かこわさにほとんど已めた。その反動だろう、膝が弱ってしまい、畳みから、床から、起ち上がるのにかなり困難している。階段の上り下りは出来る、が、自由に下から起ち居がしにくい。体重が減らない。不元気かというと、そうでもない。精神も神経も思考も感情も気力も、べつだん衰えていない。
2011 8・14 119
* 夢は観ていたが、妨げなくよく眠っていた。九時半の血糖値108。110までは正常。
2011 8・15 119
* 根気仕事で根が疲れると、遠慮無く仮眠をとる。一時間二時間は寐てしまうが、眼精疲労にはいいようだ、機械の画面が明るく字も濃くなる。それとも時間差の電圧差か。
2011 8・17 119
* 京都在住の久しい読者のお一人が、入院を告げてこられた。病状は重い。お見舞いを書いてポストへ走った。そのわずか往復で五分と掛からない間の猛暑に仰天した。七十五年半にこんな暑さ、覚えがないと思った。水を飲み冷茶をのみ、塩を嘗め、ビタミンを摂った。アルコールはいけない、すぐ睡くなる。
2011 8・18 119
* 夕食のアト、また寝つぶれてしまった。起こされて、朝なのかと思った。湯につかって、腰湯の体で、『無縁・ 公界・ 楽』『上野千鶴子に挑む』『黄金特急』を読んでいた。前の二つにおもいがけない連絡がみえたようで面白かった。 本を階下に置いてきたので、いずれ此処でもういちど考えてみる。
『黄金特急』の小説としての出だしは前世紀のまつ、ようやく田中君の手で簡単なホームページがわたしの機械に生まれ出た頃に当たるので、ガレージ起業とはいえ熱意と野心に燃え立つ主人公たちとわたしとの水準差、落差はあまりに甚だしく、はじめのうち彼らが何に口角泡をとばしているのかも理解できないありさまだったが、幼稚なりにもわたしにも永く観て二十年近い、HP開始からでも十数年経てきたお粗末な経験や苦渋があり、その歴史に沿うてだんだん、作中世界のあれこれに見当もぼんやり付いてくる。こういう小説での人模様や色模様にはあまりのらないが、ファクトそのものがコンピュータなので、その激戦世間なので、興味はそれに取られてゆく。ふっと、わたしにすら関連してアイデアが去来したりするから面白い。
* 昨夜おそく太左衛さんから明後日が花火なのでと誘っていただいた。あまり連年で迷惑ではないか、帰りに浅草から鶯谷駅までの徒歩も腰痛で辛いからとお断りしたが、迷惑はない、「お体しだいで」是非と再度誘って頂いた。なにしろ八月はベタ家にいる。天候と体調が調うなら出掛けたいなと思いかけている。今日の都心は猛烈な雨降り。明日はどうなのか。
2011 8・26 119
* つまり夏バテなのか、六時前では起きてしまえず、また寝て目が覚めると十一時前だった。全身が妙な云い方だがぐっしょり疲れている。暑さはさしてないが、湿度は高い。世界陸上開幕前の女子マラソン決勝終盤を見た。日本女子は、ま、健闘というのだろうか五位十位を最高に、五人が完走。
2011 8・27 119
* 生きているアベリアの香に噎せたまま
夏往かずアベリアの香に噎せたまま 遠
* 夕食後、寝つぶれていた、二時間。朝まで寝たかったが。妻は夏バテというが。
すこしややこしい「問い合わせ」など、この三、 四日続けている。頭の中がWWWになっているが、落ち着いて混乱なく調べて行きたい。
2011 8・28 119
* 夜前、床に就いてから烈しい腹痛に見舞われ、苦悶の儘、眠れなかった。夜中に湯を使って腹の冷えを宥めてみたが、暫時苦痛が和らいでもすぐもとにもどって七転も八倒もならぬ痛さを明け方六時頃まで堪え、そして眠りに逃れた。
気が付いたら寄るの九時だった。痛みは引いていたが、全身状態はヨボヨボ。起ち居も歩きも儘ならぬまま横臥していた。
かるく胸が痛み始め、胃部が膨満して痛みになる。下へ大きなガスが出るか上へ吐くかするとラクになると経験しているが、昨日今日はそれもないまま幸い小康にある。
* 夕刻、国立大劇場で舞踊、そして尾上菊之丞と染五郎との「船弁慶」を楽しみにしていたが、ひたすら寝入っていた。十時半、かろうじて機械の前へ来た。
2011 8・30 119
* 昨日を終日寝通し、今日もいま寄るの十時半まで寝通していた。少し熱もあり、全身状態はグダグタのヨボヨボで、寝返りもマトモに出来ず、床から起ち上がることがほとんど出来ない。腹部不穏は残っているが痛みは辛うじてほぼ抜けている。もう一晩なるべくぐっすり眠ってこの暑苦しかった八月を見送りたい。
* 健康の管理不足に手厳しいメールも貰っている。やす香から「目を離して」いた母親達と同じ立場に「奥様」を立たせてはいけませんとも。
ただ、病院に身を預けてしまうには、あまりにわたしにはしておきたい「仕事」が多い。わたし自身はっきり自覚している責任である。こういうことを書いているとまた腹が痛み始める。
2011 8・31 119
* 九度近い熱で昨夜も氷沈・氷嚢でも眠れず、明け方から浅い眠りに逃れたものの、熱のせいで腰や肩や膝など痛み身体の自由がきかないのに参った。排ガス、また不充分ながら排便があってややらくになり、思い切ってバファリン二錠で熱を下ろし汗を掻く戦法に出て、発汗・解熱。いまでも全身火照っているが。頭は曇っていなくて、その気になれば本は難なく読める、ただ疲れが来て、寝入ってゆくにまかせている。小林秀雄生誕百年「新潮」特別号巻頭の「感想」がすらすらと興味深く読めるので安心した。
* アメリカからお見舞いの電話を貰っていたという。高麗屋の奥さんからも、播磨の鳶からも。子松君からも。ご心配かけました。
* まだ発熱発汗が続いていて、けだるく、何にも集中しづらい。やすんで過ごす。
2011 9・1 120
* 寝苦しいまま夜が明けた。食欲はない、口が苦いので夜中に缶ビールを三分の一ほど。
九時に起きて残りを飲んだ。ただもうじいっと全身で堪えて固まっている。熱、頭痛、引いている。腹部不穏はあるが苦痛にはなっていない。二時間半ほど起きていたが、また身体を横たえてくる。 2011 9・2 120
* 終日、氷嚢・氷枕で寝たり、目覚めたりしていた。固形物は食べる気になれず、バナナとミルクのジュースにしたり、桃を食べたりして全身の通じを待機している。ひだり頸が緊張痛。膝の屈伸に力なく、右腰に痛みが差し込んでくる。ま、腹痛さえなければ馴染んでいる。
2011 9・2 120
* 体調は宜しくないが、放っておけない事もあり、今日は昼前から機械の前にいた。腹部不穏は相変わらずで、ひとつ進路が変わると先月二十九日一夜の痛い蒸し返しになる。
要心してでも、向き合わねばならぬ事が出来れば向き合う。医者よ薬よは言うは簡単な常識論なれど、全く役に立たない事と場合もあるということ。どんなに難しい判断であれ、難しければこそ自分で自分の手足を使わねば何も済( な) すことはできない。
* ものの手順・手続きといったことも、思いがけなく顔を出してくる。世の中には放って於ける手順・手続きも、放っては置けぬそれもある。
* 疲れをこれ以上溜めない方がいい。なかなか「閑事」と行かぬ。バグワンに笑われるばかりだ。
2011 9・3 120
* 驟雨反復し、蒸し暑い。イヤな体調も、通り過ぎて欲しいと、じっと観察するだけ。だいぶいいのではないか。
2011 9・4 120
* 少しずつ体力を取り戻しているといえるだろう、左耳のうしろにしつこいずきずき痛みがある。右前頭部にもかすかに鈍痛があるといえばある。もう少し熟睡したい。
2011 9・4 120
* 腹のややひやっとした無力感・空腹とも飢餓ともつかぬ頼りなさで、体調は横這い。粥とジュースを主にしている。その方はまだしも。運動能力が極度に落ちて、起ち居が不自由になり、起きあがろうとして烈しく顛倒したりする。中風の発作とはちがう。筋肉が衰えている。嵩はわたしの方がダイブ高いが、昔の正宗白鳥さんのように、ゆっくりゆっくりむしろ町歩きするのがいいかも知れない。 2011 9・5 120
* 少し気力と体力とを上向かせたく、暫時休養する。
2011 9・5 120
* 耳の疼きがすこしラクになっている代わり、左肩の強烈な痛み、凝りか。頭へずきずきこないで呉れると有り難いのだが。
今日はこの体調でも、一仕事の緒がついたのは喜ばしい。潰れないうちに眠りたい。
* 九月の秀山祭や俳優座稽古場、建日子の芝居など観られるかどうか、すぐさまには自信がない。
2011 9・5 120
* 左耳下の頭に響く辛い痛みのまま、痛み止めと安定剤を口に含んで、めったにめったになく読書もせず寝入ろうとした。幸い眠れたが、二三度軽い悪寒に着布団を身に纏っているのが分かっていた。幸い夢のなかである難問に巧い解が出せ、繰り返し同じ夢を追って解いていたが、ふと目覚めたとき、おどろくほどの発汗で、湯に漬かっている按配だった。着ているものは絞れそうにぐしょぬれ、敷き布団も着布団も。
悪寒に襲われぬように着替えて、床を出た。幸い一番イヤな耳の辺の痛みがかるく抜けたようで、軽い頭痛だけがあった。
朝食しているうち、また少しずつ耳の辺の痛みが戻って来つつあるが。
左頸の凝り、左肩の硬い凝りがクセモノに想える。だが、負けておれない。ヒマではない。
2011 9・6 120
* 左側頭に痛みがきつくのこっているが、やや奮闘して、すこし厄介な手続きごとを終えた。とはいえ、これから先が尋常でないので悩ましいが、覚悟して前進するしかない。なにはともあれ、苦境の中で歩を運び得たのは、よくやったと思う。
さて今一つ事を要する難儀があったが、 根底の所の要所を渡り終えたと思う。もう少し慎重に漏れなく思考をまとめ要点をよく結んで当たりたい。
これら二つとも、先の正しく見えるのは明日以降になるが、体力さえ戻れば大事ない。たとえ発汗しても、もう一晩良く眠りたい。 2011 9・6 120
* 昨夜もさんざんの容態で、ひっきりなしに耳から頭へズキズキきつく痛みが響いた。自分が何をしているか、 何時頃なのかも朦朧とフラフラとワケ分からず、結局痛み止めのバファリンとと安定剤二錠をのみこみ、それで寝は寝たが寝たまま痛みは感じていた。はっと気が付くと午后二時半ごろ。
2011 9・7 120
* 明け方左脚が痛く攣ったが、妻に救われた。そして午前に、午后に、晩にと、ほぼ連続して機械の前にいた。夕近くに及んでは、頭痛、肩頸痛、左腕痛、左耳周痛など大方が遠のいていたが、今、晩の八時半、耳と頸とにズキズキするキツイ痛みがまた来ている。鍵盤と画面と読み取りとで疲労が溜まっているのだ。余儀なくも、もう休むしかない。
2011 9・8 120
* 久しぶりに軟便少量に代わる相応の便通があったけれど、仰天したほど漆黒便であった。やっと張ったは張ったまま膨れた腹部での呼吸が利いている。
問題はアンダーシャツ二枚で寒気がし、寒いぼが立ち、上にジーンズの長袖を羽織ったりする。体熱があるとも思わないのにゾクッと悪寒らしきが走る。
それ以上の苦痛は、いまや左頭頂辺に二個所の小突起が感じられてこれがずきずき痛む。そして左の強い肩凝り痛。
記録しておく。
2011 9・10 120
* 八時に目覚めた。血圧が97と55とは、思い切って低い。
左頭頂辺に二個所の小突起が残っているのと、疲労感が強い。脹ら脛にサポートを付けてみた。左肩にすぐ痛みが来る、
2011 9・11 120
* 昨日林君に来て貰い、秋場所の枡席券を上げたときは、そうとう調子が悪くて晩景にはまた蒸し返すかと思いかけたが、ガンと決心していて、途中病院に担ぎ込まれてでも「秀山会」九月歌舞伎の夜の部を見に行く気だった。頭痛と頸痛とがじんじん疼いていたが、おまけに猛烈な照りだったが、髯ぼうぼうのまま、杖をついてよろよろしながら、妻と二人でとにかく銀座まで行き、タクシーで演舞場四時半の開場に間に合った、たべられるかどうか少し危ぶみながらいちばん美味そうな弁当も二つ買った。高麗屋の番頭さんが心配顔で、しかし歓迎してくれた。座席に座り込めば、もう、肝が据わっていた。なにしろよほど歌舞伎に飢えていた。
頭痛と肩凝りは痛み止めでおさめるしかないが、弁当のなかなか美味かったのは当たりであった。そして少しも眠気に襲われず。
* 吉右衛門が担当で、播磨屋一門の歌昇が三代目又五郎を襲名、息子種太郎が四代目歌昇を襲名披露公演でもあり、夜の部に口上も。吉右衛門が芯をつとめ、藤十郎、梅玉、段四郎、魁春、芝雀、福助、染五郎、松緑、錦之助、そして親族の歌六などが和やかにいい口上で喝采をあびた。芝翫が病気で休演となり、手短に、ま、要領よく編輯した「沓手鳥孤城落月」 の淀君狂乱は福助のニンにあい、代役が楽しめた。どっちみち楽しい佳い芝居でないので、あんなところ。
「口上」あとは「車引」これは期待を裏切らぬ上出来で引き込まれた。だいたいこの芝居は歌舞伎味の濃やかないいものだが、桜丸がいつも貧相に弱くなりおかげで味が薄まるのを、今日は襲名又五郎力演の梅王丸に拝して御大の藤十郎が、これぞ桜丸というお手本の美しい行儀と気魄を見せてくれた。加えて吉右衛門の松王丸がすこぶる大きい。歌六の時平公がやや窮屈に軽いのが惜しまれたモノの、めったにないいい充実の「車引」が楽しめた。
大切りは染五郎の「石川五右衛門」に松緑がつきあっての「宙乗りつづら抜け」のサービスもあって、ことに三門の「絶景かな」が、初役とは想えず見えず豪快に高麗やの気魄満点、拍手し、喝采まではわたしの元気が足りなかったけれど、大喜びして劇場を出た。
ためらいなくタクシーを拾い、玄関までまっすぐ帰ってきた。
とても無理かなと危ぶんだが、往きの電車が銀座までらくに坐れたのが体力を温存し、劇場の気温は快適であった。なにより杖と、ふくらはぎのサポートが利いてくれた。劇場の中で、それでも数度よろよろした。よろよろよりも、ひげ面で五右衛門のような髪には、手洗いに行く都度恥ずかしかった。髯ぐらい剃ってこいと不快な人がいたろうな。
* 無理は無理なりに強引に決行したが、やはり楽しみごとで気が晴れたのは嬉しかった。
* たくさんのたくさんの人に病院へ行けとメールで叱られている。ごめんなさい。わざとガンコに臆病に受信から逃げている気ではないのです、が。
2011 9・12 120
* 今日はからだを休めようと思って暮らした。 頭痛、頸肩痛にほぼ限定されてきても痛いのはイヤで。しかし食欲もやや回復しているので、回復に任せないようにと。ふつうの思案なら昨日の歌舞伎など百パーセント、ダメでふつうであったが、強行できて、楽しめて、気が少し晴れたのはよかった。劇場の広いのも、佳い席を貰っていたのも、ほかとは違う。
* それでも今も頭の鉢はジンジンしている。
* もすこし辛抱して、元へ戻って仕事を追いたい。
☆ 秦さんへ
「漆黒便」「低血圧傾向」「疲労感」などなど… すぐ調べられる聖路加病院などへ受診されるようお願い申し上げます。
以下省略
ひとのこと言えませんが、見過ごすわけにいかず是非是非お聞きとどけください。
「…人生百年、ひとは学校と縁が切れておしまいではない。楽しみはこれからだ」です。
くれぐれも、くれぐれもお大切にされてください。 e-OLD 千葉
☆ 昨晩遅く東海から播磨の家に戻りましたが,ホームページの記載から、鴉の様子がうかがえて案じていました。新橋演舞場に行かれたとは!! そして楽しまれたと! 思いひとしおです。よかった,同時に大切に大切にと願います。今日も厳しい暑さです。ゆっくりなさってください。 昨夜の月は美しかったですね。 鳶
☆ 即刻、病院へ!
もうすでに行かれたでしょうか?
十日の記述を見て仰天しています。四月に母を襲った症状に似て。
出血性の胃潰瘍で危ないところでした。
すぐに処置の出来る専門医に診てもらってください。
お願いですから、お大切になさってください。私は一週間前に友人を亡くしたばかりです。お願いいたします。 碧 下関市
* 恐縮に存じます。ありがとう御座います。
* 或る過渡期にいる。落ち着いて。落ち着いて。とにかくも「いま・ここ」で生きる。
2011 9・13 120
* 左頭痛執拗、肩・頸周りの痛みも抜けず、眠り浅く。余儀なく朝五時過ぎに起きて、 無橋田二朗先生夫人逝去のお悔やみ状を書いた。
なにか、まだ朦朧としていてゆらゆらするが、機械の前へ来ると左肩にまできつい痛みが来る。痛みは執拗でおやみない。気にしないで、唐詩選の七絶をだいぶよんだ。給田みどり先生の最初の歌集『むらさき草』にも感嘆を惜しまない。なつかしい。
いま、俳句と称するものが、呑み込めない。
2011 9・14 120
* さ、「 湖(うみ)の本」 の新刊編輯に取り組んで行く。量が溢れているので、紙の本としての刊行と並行して電子版「 湖(うみ)の本」 の積み上げにもちからを入れて行く。むろん新たな創作が二三並行して進んでいる。スキャナーでの援軍がかなり期待できるので、「 e-文藝館= 湖(umi)」充実に、「秦恒平・参考文献集纂」も。
* その為にも、やはり健康の回復は願わしいのだが。
2011 9・14 120
* 妻が曰く、髪にふれて髪や頭の痛かったことなど、まるで無いと。わたしは幼児の頃から風邪を引きかけると髪が痛んで分かった。この一週間、髪に触れると全身そそけだつほど髪や頭や頸が痛い。冷やすべきか温めるべきかの確信がない。此の夜中は堪えかねて洗面所で、小タオルの数枚を洗面器の熱湯に浸しては絞って痛いところへ貼り付け貼り付け、そして痛み止めと安定剤を水分たっぷりで飲んで、幸い、八時過ぎまで眠れた。
機械に触るのはよそうと思っていたが、来てしまうと、書きたいことがある。やれやれ。
☆ 病院へ!!!
先日の電話は、正直いって、私の過去の数少ない経験上、とても不安を感ずる声でした。ところがお会いしていた間はあまり感じられないので、お疲れも気苦労のせいかと思っていました。元気は一時のことだったんですね。気づかず恥ずかしい限りです。
割愛
上記をコピーしていただいた際もお辛かったのでしょう?
こんなのは単純作業です。ちゃんとできてます。
休んでください。 岳
* そう「休む」のが大事なのだと分かっている。全身疲労はひどかったのに、「口上」にも拍手したし、「車引」も嬉しかったし、天空を疾駆して行く五右衛門の染五郎、三門の染五郎と数度も目が合った気がした嬉しさにも、気持ちよく昂奮していたし、弁当も食ってきた。この三、四ヶ月、あまりに不愉快なことが多すぎて、また渾身の気力で耐え抜いてきたのが響いているのは確かなのだ。ああ、だが、わたしは休まないだろうなあ。これが病気だ、わたしの。バグワンが怒り出すわけだ。グハッ。
2011 9・15 120
* 眠れないほどの頭痛だった、よほど前回より体調もよろしくなかったが、断乎として新橋演舞場へでかけた。まぶしい空、白い雲。外気の中に立っていると痛みを暫時忘れている。十二日同様、有楽町線の銀座一丁目まで地下鉄でうつらうつら。松屋の前からタクシーで演舞場に着くと、やがて開演、席は前から三列目、中央通路の角席で、絶好。メガネの必要が無く、位置として主なる役者の真正面でぜんぶ観られる。視線も捉えられる。わたしはそれが好き。
染五郎と新歌昇との「舌出三番叟」がめでたく、若い歌昇がうれしそうに先輩に励まされて品よく千歳の舞を舞った。「再春菘種蒔」という外題も佳い。「菘」は「すずな」と読む。
二つめは「新口村」 福助の梅川、忠兵衛はむろん坂田藤十郎。父は歌六。しんしんと降る雪の中での一期の別れ、何度観てもシタタカに泣かされる。近松の原作を歌舞伎のために実にしっかり新たに書き下ろしてあり、名作といえよう、作に一部のスキもない。福助の梅川に実があって美しかった。
長い幕間のアトに、吉右衛門の松王丸に挑んで新又五郎の初役武部源蔵、懸命の舞台であった。源蔵妻は芝雀、松王の妻は魁春、菅秀才の母は福助とがっちりそろえ、春藤玄蕃には段四郎を置いて分厚いなかで、さすが吉右衛門の松王丸は美しいまでおみごとであった。
大切りの「勢獅子」は、ま、襲名興行の景気づけであった。
* 朝も昼もろくに食べていなかったので二人とも体力の落ちたまま、えっちらゆらゆらと三笠会館まで歩いて、四階「秦淮春」で久しぶりに中華料理と佳い紹興酒。美味くて、息を吹き返した。
銀座一丁目からゆっくりとろとろしながら還ってきた。外出は疲れるよりも、やはり休息と気分転換にはなった。殺人的なストレスが幾重にも溜まっている。それを承知でなんとかやりくりしているが、もう、頭の中がかたいもので詰まってきている。やすみたい。
☆ 残暑厳しく
お体にどれほどの負担かと気に懸かります。HPを開くごとに息詰め切ない思いです。
先日の往還に琵琶湖西岸の白髭神社、鵜川四十八体仏、湖北の己高閣などを廻りました。早や稲穂の黄色が濃くなろうとしていました。湖を、そして京都を訪れることができるよう、元気に元気になってください、と祈ります。
先のメールでファイルを添付すると書きながら遅れていました『レオンの宿』、で送ります。 播磨の鳶
* 躊躇いなく「 e-文藝館= 湖(umi)」にもらう。短歌でも俳句でもそうだが受贈の歌誌・句誌にも旅に取材した作のやたら多いこと、しかもそれが文藝としては殆ど自立しない、まるで手帖の書留め程度の杜撰な作が多いのにうんざりする。
この人は、身ぐるみ「旅」という人であり、旅にこころをさらして、かなり貪欲になにかしらを奪い返してくる。それがそのまま詩になるていの人である。
かりに此処に記録しておくが、わたしの体調が少しでももどった頃には、きちんと、「 e-文藝館= 湖(umi)」に搭載する。ありがとう。
* 囀雀さんから、どうしたことか一事に六七本も風流な日記が書き送られてきているが、いまは頭痛がして夜無いので、預かっておきます。
☆ しつこい、おやみない頭痛に
今はとにかく、休息をとることが最優先のようですね。
お大切に。 花
☆ 頭痛のことは、さっぱり分かりませんが、私が夏に頭痛になるときはかならず脱水でした。
スポーツ飲料を、甘さがなくなるかなくならないかぎりぎりまで薄めるか(←運動に適した濃度のため、日常では濃すぎて吸収されないとのこと)、効かない場合は鶏がらスープのもとを溶かして飲んでいました。1日1.5リットル以上。 岳
* さしあたり視力を休めて、眠れる限り眠りたい。
2011 9・16 120
* 夜来、ギンギンと響いて痛む頭痛に眠れなかった。洗面所の温湯で患部を温め続けてもその場限りしか利かなかった。仕方なく床に坐り、本を読んで紛らわしても、痛み続けた。『ジャン・クリストフ』『バグワン』『源氏物語。若菜上』なとてもど面白く読んでいても、痛みはかすかにしか紛れない。六時前には起きてしまった。
わたしに医学上の診断などむろんつけられよう筈がない、が、目下の「痛み」に関しては頭頂部に発している「帯状疱疹」の気味が濃いと思っている。わたしの場合これはやや慢性頻発型になっていて、今回は執拗の感がある。
ただしそれだけではない、相当執拗な便秘が起きていて、腹部に膨満感を呼ぶと痛みに転じて不快感が滞留する。下剤や繊維果実のジュースなども、今回はガンコに働いてくれない。せめてこれだけでも快通してくれないかと待っている。
* なかなか思うに任せないが、タール便の域は脱したらしい、しかし極く少量の硬結便しか出ない。身体の疲労と眠りたさにまかせ、朝の九時前から午后の三時前まで断続、数度にわたり眠っていた。それも一時間半か二時間足らずできつい尿意に起こされてしまう、が、量は少ない。眠れるときに眠っておこうと。
メールでは、なぜ医者に、病院に、行かないかと激怒してくれる人もある。杖つきよろけながら芝居見物とは何事かと。医療をこぱむ理由を云えとも叱られている。有り難く感謝に堪えない、さりとて開陳もならない。興膳宏さんに聞くと、中国人は古来、 長寿、富、康寧( 健康) 、好徳、考終命( 安楽死) を以て「五福」と数えたそうだ。手をうって感嘆するほどではない。ま、やはり健康がいいとわたしも願っている。
☆ 台風のせいでまだじっとりと重い空気が続いております。
おからだ、どうぞ大切になさってくださいませ。
まだ三十路の名残の中にいる私ですら「休む」ことの大切さを感じる今日この頃。
先生、どうぞ休まれて下さいませね。 馨 卒業生
* ありがとう。
☆ 近況報告など
秦先生 お久しぶりです。
今日、mixiの退会手続きをしました。
時間がなくてログインさえすることも出来ず、何人かからは メッセージも頂いていながら返信も出来ず・・・・これでは かえって迷惑かとも思い、思い切りました。
仕事の忙しいのは今に始まったことではないですが、下の子の保育園の建て替えで、仮園舎が遠くなったり、新居の建築を今年の4月からはじめていたりで、平日はほぼ睡眠時間は3~4時間程度、体の方も少々やばいかなぁと思いつつあった今日このごろ、案の定、人間ドックで精密検査に引っかかり、緑内障の症状も安定せず再手術の検討も通告されてしまい、ずっと心に引っかかっていたmixiをもうこの際退会しよう! と思い 切った次第です。
mixiで交流の幅をと思っていたのですが・・また異動等で時間の出来る職場に行くこともあれば再会したいと思います。突然退会の手続きを取りましたので、ご説明と近況報告を兼ねてメールさせていただきました。
最近の先生のHP、体調がすぐれないようで大変気になります。うちのA さん、Y さんには「おじいちゃんは4人居るんだよ」と言っています。2人は、私と妻の父、もう一人は仲人を頼んだ高校の恩師、そしてもう一人は秦先生です。
お体をご自分でもう少し気にかけていただけると良いのですが・・・
P.S 本当は子どもたちの写真なども添付したいところですがアナログ家族なもので、未だにフィルムカメラを使っています。気軽に電子データの写真がありません。ご容赦ください。ちなみに、地デジ難民ですし(どうせテレビなど見る時間も無いので関係ないですが)・・・・ 丸
* からだに異常の無いよう、視力のより健常に有りますようにと心より心より心より願います。
二人のお嬢達のこと、なんと嬉しいことを云うてくれるか。機械の中の写真を眺めて手を振っています。
「 mixi」 は、遠からずわたしも全面撤退するでしょう。ほんとうの人間関係にしてはあまりにバーチャルに過ぎます。意見の交換がきっちり出来るかどうか、微妙すぎますし。
2011 9・17 120
* 一夜、中途で起きることなく、痛みは感じながらも朝まで安眠できたのは何より何よりであった。
* 建日子作・演出の秦組公演を失敬し、妻と、やす香のお友達とで観てもらった。幸い鎮痛剤がうまく効いて、二三時間、一仕事し、次の段取りまでたてておいて、階下で、篠原涼子が演じる建日子原作の刑事雪平夏見もの映画をひとりで観ながら白粥を主の昼食を取り、そのあとは、七時半頃まで眠った、妻が帰ってきたなと感覚しながらも寝ていた。かなりきつい頭痛を堪えたまま『江』と『トンイ』というドラマを観、鎮痛剤を水分たっぷりとともに飲み、二階へ来て「仕事」の続きを一時間ばかり。冷房がいけないか、貸すかに腹痛が来ているので、もう休むことにする。
* 寝ていた間に、ロスからお見舞いの電話があったらしい。相撲茶屋の竹ちゃんからもメールのお見舞い。感謝。
2011 9・18 120
* 妙な旅の夢と頭の痛みとを感じながら、二度三度起きたものの、長時間寝ていた。しかし起きてからも元気は湧かず、鎮痛剤のちからを借りて仕掛けた用事の相当量を、上書き保存を忘れたばかりに、すっかり元へ戻してしまったり。元気沮喪して意気は上がらなかったが、夕食後に奮起してみた映画「シリアの花嫁」の感銘に背を押されて、また同じ用事を繰り返して、やっと半ば。
2011 9・19 120
☆ お相撲の竹です。
お世話になっております。先日、お振込を確認させていただきました。
お気持ちまでお振込いただき、本当にありがとうございます。
お知り合いの方がいらっしゃっても、しっかりとご接待させていただきますのでご安心ください。
先生の具合はいかがでしょうか?
ウィスキーを片手にお相撲を観戦されているお姿にお目にかかれないのは、非常に残念です。
よろしくお伝えくださいませ。
それでは。(竹)
* 白鵬申し分なく、稀勢之里と琴奨菊が追撃急。大関達は不甲斐なく、魁皇に残っていて欲しかった。ま、秋場所は、家で痛い頭をかかえながらテレビで。早く直って欲しいが。
九時半、もう少しやる。
2011 9・19 120
* 頭痛と疲労と目立って改善せず、気力不充分のまま、少しずつ少しずつ堪えて「いいま・ここ」の用事や仕事を前へ押している。普通の生活へじりじりと戻って行く。いま、腹痛と執拗だった便秘が緩和されている。頭頂から左半分の、また左頸筋から左肩への間歇の電氣痛に全身が参っている。やすみやすみ対応している。外出にもなるべくたじろがず、明日の秋場所は助けてもらったけれど、それでもどうしてもと思うものは、必要と楽しさに背を押して貰い出掛けるようにする。「ワーニャ伯父さん」は見遁したくない。ほんとうは隅田川でも見にゆきたい、杖をついてでも。しかし、頭、痛い。思考力を奪われる。
2011 9 20 120
* 夕方から、七時半まで寝ていた。痛みで目が覚める。細い食事を摂り、白ナイル、青ナイルを遡流する大自然のふしぎに奥深い映像美に惹かれていた。
毎日の読書量はとくに減らしていないが、ムリは避けている。源氏物語の「若菜」上、バルザック『谷間の百合』、マードック『鐘』、バグワン、『上野千鶴子に挑む』『無縁・公界・楽』増補版、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』など読み進んでいる。
2011 9・20 120
* こころもち頭痛が和らいできたかと感じられる六時過ぎの目覚めだった。鎮痛剤が効いているだけかもしれないが、有り難い。腹部にやや不穏を覚えていたが苦痛はなく、そのまま、十二冊の本を順不同で次々読んだ。それぞれにみな面白く心惹かれた。チエーホフ、マードック、バルザック、ロマン・ロランもそれぞれに。谷崎の「A とB の話」も、大正期の谷崎らしい善悪の観念論から悪の美学へ手招きされている。毎夜の分を早朝にみな読んで、また八時半まで眠った。からだに活力が戻ってくればよいが。
夜通し、烈しく降ったりやんだりしていた。颱風が各地に大きな水害をもたらし、避難の人数が凄い。
2011 9・21 120
* 吹き降りが烈しい。颱風列島、さんざんのテイである。
そんな中で、頭痛・頭重を感じながら、仕事している。
2011 9・21 120
* さて湖の本のおそおそに遅れている入稿を急がねば成らず、また人様の知恵を借りに用件を抱えて歩かねばならない。ねばならないことの幾つもあるのは恥ずかしいことだが、放っておきも成らない。体調を健康に元へ戻すことも用件の大きな一つであるが。
2011 9・21 120
* 東京は、颱風一過の好天、残暑の気配。払暁、頭痛の兆しに、起きて鎮静・鎮痛剤をのみ、九時半まで安眠した。 すこしずつ、平常の体調に戻しながら、遅れている仕事へ軌道回復したい。と云いながら朝からいい体調ではなかった。元気がなかった。それでも躊躇わず家を出た。六本木、俳優座稽古場でのチェーホフ原作「ワーニャ伯父さん」はわたしの一等こころを惹かれる戯曲、見遁すことは出来ない。
* 数重ねて観てきた「ワーニァ伯父さん」にくらべて出色の舞台とは言えなかったが、稽古場の密度の濃い空間に魅せられて感激というより「参加」の実感が楽しめて、なかでも大塚道子の「ばあや」はいっそ神品であったし、島英臣の元地主のハーモニカのしらべととみに狂言廻しを親しく静かに演じた宜しさにも胸を開いた。イヤな役回りの加藤佳男元教授セレブリャコフの演技も、突き刺さってくるエゴの放出感は観ていて身に堪えたし、またさもなくてはこの舞台は成り立たない。ベテラン三者、さすがであった。但し、なによりも林宏和のワーニャ伯父さん、また志村史人の医師アーストロフは、いま二歩も三歩もチェーホフの造形に力弱く及ばなかった。チェーホフの「時代」が背負い切れていなかった。
袋正の演出は、ことに前半でひとりひとりの男女が、みな「いま・ここ」に絶望して、百年二百年先に希望をかけつつちそれもとても信じ切れないどんづまり、ふんづまりの現実時空に息きれぎれにいきているしかない死んだような重みをにじみ出させ、そういう絶望的な素地の上へ後半舞台のやりきれない劇的状況を載せようとしていた。なんとかしてナントカして希望の意図一筋でも見つけたくて見付からないまま、ソーニャは死後の神の愛にすがろうと呟き続けるが、ワーニャ伯父さんも誰も彼も、神をすら信じられないでいるのは
明らか。無神論者チェーホフのこれほど残酷な悲劇は他にない。だからこそ、観客を惹きつけてやまない。
ややこしい存在は、教授先生の後妻、娘ソーニャの継母に当たる「美しすぎる」エレーナ。とても肯定も親愛もできない女だが、男ならだれもこころを誑されてしまう女。じつはこの女のドラマでさえあるような「ワーニァ伯父さん」でもあるから厄介だ。観ていたわたしもたらされていなかった段ではないので困る。
* 見おえてもう元気も何も抜け落ちていたが、あえて日比谷線で銀座三越へ入り、初めて新館十二階、昨日が開店という天麩羅の「ひさご」に入り、食べきれるかどうか自信ない体調だったが、あえて気張って贅沢し、「菊正」を三合飲んでむしろ具合の良くなかった全身状況を立て直した。おしいく好物をみな平らげてきた。妻も付き合ってくれた。
小雨の銀座一丁目から、幸い席を譲ってくれる若い人もいて、一気に西武線直通で帰ってきた。
すこしまたズキズキと頭が痛んできた。これで九月が過ぎて行く。来週の内には、漫然と一日でも町歩きが出来るほどだといいが、頭の痛みはまだ歴然と残っているし、ふくぶも安定しているわけではない。乗り越えて行けるだろうと期待しているだけの話。
2011 9・22 120
* 頭痛の緩んでいるのを楽しむように、ゆっくり寝た。
* 遅れぎみであった仕事を、追いかけるように終日、思い切り次第ではあるが一通りのし終えた。その間に、軽度になっているがまた偏頭痛が来ている。幸い、触れても痛んで顔を顰めた髪の毛の痛みはほぼ消えてきた。やはりまだ鎮痛薬をつかっている。薬故の胃の潰瘍や出血も抑えるように気配りしている。起ち居などの体力はよほど回復してきた。
2011 9・23 120
* 頭痛と肩凝りをいたわり、休むことにする。
2011 9・23 120
* 頭痛が無いわけでないが、鎮痛剤を口にせず晩まで過ごしてきた。仕事もし、気に掛かっていた用事も幾つも片づけた。妻と、かなり大事な相談もした
2011 9・24 120
* 昼過ぎ、鎮痛剤一錠のんだ。痛みがなければ、もう普通に近い。全身に活気が帰ってきてはいないという程度。「湖(うみ)の本」の通算109巻を入稿した。ゲラの段階で、組み付けに少し、いやかなり、工夫を要するか。
* 白鵬、十三勝二敗で二十度目の幕内最高優勝を遂げた。横綱に勝った琴奨菊は三敗ながら、来場所の大関を手に入れたろう。もう一人白鵬に勝った稀勢の里も来場所次第で大関も不可能でない。ようやく日本人力士擡頭の気配か。
わたしも体調に負けていられぬ。気の持ちようを晴れ晴れと動かす方へ身を向けたい。停頓していた心気を一新したい、だが、ともすれば睡魔に見舞われている。
* 相撲の世間だけでも、大きくモノゴトが変わって行く。なにもかも変わって行く。当然だ。
幸いわたしの人生は、ものごころついて以来、「読む」「書く」「本」そして「文学・文藝」であり、そういう分母に乗って、数々の「人」世間が、分子のように去来した。幸なのか不幸なのか知れないが、分母は一貫し、どうやら終焉まで変わるまい。が、分子のほうはありとあらゆる意味で「しおどき」がちかづいて来ている。すくなくも囚われのない物静かな、少し心寂しいほどの日常に落ち着いて行くだろうし、それがいい。
2011 9・25 120
* 疲れが溜まっていてか、午后いっぱいを寝入ってしまった。まだからだに活気がない。
2011 9・26 120
* 左後頭一部に苦痛でない程度の、やや執拗な軽い鈍頭痛が残っている。鎮痛剤を入れなくて一晩の睡眠が可能な程度だから、だいぶ落ち着いているけれど、違和感ははっきりまだ有る。
勉さんのことなど、どうしようもなく想いを扱いかね、悲痛払うに払いかねる。家に閉じこもっていてはいけない。ゆっくりゆっくりでもいい、乗りもので遠い空の空気を吸ってくるといい。
日記に向かっていても、ほんとうに今日が九月二十七日かどうかすら自信がもてない。
2011 9・27 120
* 底知れずなにかに惘れはてている。これは、どういうことか。気力の萎えか。
* 強くはないがしつこい左頭痛は常在している。深部でない、表在痛。我慢を強いられるほどではないのだが集中力を妨げる。
2011 9・28 120
* 体調が本復に近いとすら言えないのだが、気分からも普通へ近づいて行きたいので、久しぶりに、ゆるゆる出歩いて来ようかと思っている。乗り物の中で読み返してみたいモノを取りそろえてあったのが見付からないのだ、ま、ぼおッとして来いということか。
* ひどい腰痛もなく、なにより朝にはあった頭痛もなくて、帰って来れた。たしかに疲労はあり、西武線の中でよろけたり、保谷駅の構内ですうっと目の前が白くなったり仕掛けたけれど、元気は元気、外出してよかった。本の一冊も持たなかった、何も読まなかった。ぼおッとしているのがよかろうと思っていた。
2011 9・29 120
* かなり汗を掻いて捜して、一つ、今や大事な方の失せモノを見つけ出せた。ほっとしている。幸い頭痛も出ていない。安眠して、明日九月三十日を迎えたい。
2011 9・29 120
* なにをどう疲れたのか、夕食後の六時半過ぎから真夜中の日付の変わる間際まで熟睡していた。枕で抑えるためもあるが、少し左に頭痛が出ているが、堪えられぬ程ではない。起きあがって、ふっと手を触れた資料棚の一皿に、ちょうど手をかけはじめた「湖(うみ)の本」新刊分の支えになる、昔の歌帖数冊がもののしたから出てきたのも心強い。
2011 9・30 120
* なにをどう疲れたのか、夕食後の六時半過ぎから真夜中の日付の変わる間際まで熟睡していた。枕で抑えるためもあるが、少し左に頭痛が出ているが、堪えられぬ程ではない。起きあがって、ふっと手を触れた資料棚の一皿に、ちょうど手をかけはじめた「湖(うみ)の本」新刊分の支えになる、昔の歌帖数冊がもののしたから出てきたのも心強い。
2011 9・30 120
* 八月二十九日に苦しみはじめ九月二十九日に久しぶりに独りで街へ出た。しんどかった九月が逝く。
2011 9・30 120
* 体調、まだ油断はならぬ。
* 九月から月がかわって、さ、寝ようという時分から、例の腹痛が一月ぶりに起き兆し、要心の甲斐無くあけがたの四時過ぎまで苦しんだ。いろいろ試みたが効なく、ついに精神安定剤二錠をのんで睡魔に眠りへさらってもらった。目覚めて十時、痛みは去っていた。かすかに後頭部に違和感。
* あの腹痛に堪えたまま、増補版『無縁・公界・樂』を大量の「増補」から「あとがき、解説」まで、悉く熟読し終えた。七十年の読書の中で、研究・論攷・史観というなかでなら、躊躇いなく本書を天恵のように感謝し、五指の内に、それも早い内に指折り数える。幸いに世界観を変えられたのでなく、確証なく持っていた世界観を相当堅固に底から支えてもらったという感謝である。
いろんな分野に、むろん、こういう出逢いの本が在る、たとえばバグワンも最たる一であるように。
2011 10・1 121
* わたしの体調を慮ってくださるあまり、息子のブログにまでもの申して行かれるのは、有り難くはあるが、また、息子にも、わたしにもメイワクでなくはない。当方も、コドモではない。考えも、事情もあって日々に処しており、その説明までは、いくらご親切に対してといえ、必要ないことである。感謝は深い。とても深い。が、こういうことは以後ご遠慮願いたい。家族も考えている。わたしも、考えている。死生観などということではない。平凡だが難儀で厄介な俗事とともに在って、とも謂うが早いか。
2011 10・1 121
* 昨夜の苦痛をおそれて、慎重に慎重に体調をみまもるように過ごしている。それでも、戴いた大吟醸の口を切り、「八海山」をぐい飲みに一杯美味しく味わった。胃腸変調気味の時、うまい酒を少し腹に入れるときっと落ち着くという「体験」を、心持ち、わたしは信仰している。
* 「座談会・秦恒平著『風の奏で』を読む」を、「 e-文藝館= 湖(umi)」の「論攷」室に入れようと校正し始めたが、ずいぶん昔の作なのに、作者のわたし自身がワクワクしてしまい、校正しづらいほどアガッテしまう。
その一方で今度の「 湖(うみ)の本」 は、校正というより思い切った組み付けを試みているが、さ、これがどうなるやら、再校の出を予想して初校を戻さぬ今から、ドキドキはらはらしている。もう、後半部へ移って、後半の校正は容易く進んでいるけれど。
もういつしかに聖路加予約の次の診察日が来る。人間ドックにと妻は強硬で、診察について行くと謂うが、そんなモノやコトに「逮捕」されてしまうのは全く本意でない。どうにかして仕事を前へ前へ運びたいのです。やれやれ。
* 腹痛は避けたい、人サマにも心配をかけてしまう。今夜ももう休むことを考えよう。
2011 10・2 121
* 髪の毛に触れての痛みが戻ってきている。ジンジン、ズキズキの苦痛は失せているが部分的な頭表面に違和痛がまだ滞在している。元気は、戻ってきていると感じるが。
2011 10・3 121
* 寝ていられるなら寝ていようという気分にも誘われるのだが、そうも成らぬ事情は幾つもある。休み休みでも、幾つもあるので、二階と階下とをゆらゆらと昇り降りしている。そうしていれば仕事は少しずつ捗る。
2011 10・3 121
* 意識的にはやく寝て、朝もゆっくり寝るという、一日を時間的には勿体なく過ごしている。バカも休み休みやれと謂う言葉を自戒のように念頭に。
今朝目覚めの前は、すばらしく嬉しい懐かしい夢を観ていた。かなりよく覚えているが、書いては詰まらなくなる。頭の中が創作の方へもやもやと動いているのだろう。
2011 10・5 121
* 機械の前で、深々と眠っているのに、はっと気付いて上半身がグラぐら揺れる。「おどろく」という古語は「目が覚める」意味であった。「風の音にぞおどろかれぬる」もそう、「おどろかでぬるわれは人かは」も、そうだ。以前はなにかわるいことをしていて見とがめられた気になったものだが、今はそんな気は使わない。おう、寝ていたかとだけ。そしてそんな合間合間にも仕事は出来る。
2011 10・6 121
* 早朝から聖路加病院へ。糖尿の検診は良好。正月早々の一日人間ドックを申し込んできた。繁昌していて、早くて正月。三日間とか五日間とか入ると、五十万とか八十万とかかかるそうで、ビックリ。ドクターも、「一日」でいいでしょうと。仰せの儘に。
昔々一度聖路加の人間ドックに入った気がする。
* 妻とカンカン照りの永代橋を「歩いて渡って」きた。日本橋に戻り高島屋近くでおそめの昼食のあと、ゆっくりゆっくり杖をついたまま京橋から東京駅の山手線まで地下街を歩いて、池袋経由、帰宅、三時半。疲れた。
* 疲労が濃い。夕食後に二時間、からだを横にし読書していた。読書は次々に皆興深いのに、身を起こし機械の前へ来ると、気が付くとうたた寝している。もう休む。
林丈雄君から機械のことでいろいろ助言されているのに、どういうことをどうすればいいのか理解が届きかね、情けない。わるいアタマが一段とわるくなっている。
遠い遠い昔の亡き給田みどり先生の歌集に、身を沈透くように読み耽る
2011 10・7 121
* まだ本調子といえない。アタマも、良くない上にわるくなっている。集中力がない。
* 投げ出せることは、いっそ、投げだし身軽になることを考えるべきときのように思われる。とだえない訃報などにも胸痛む。
* 出掛ける前二時間ほど熟睡し、夕刻、新江古田駅で、富士市の勤務先から連休帰宅中の子松時博君と会った。妻と三人、フランス料理の「リオン」で食事し、三時間ちかく、四方山の、歓談。コースのほかに美味いワインとチーズも。久しぶりのこと。楽しく。わたしの病気で、一月ほど遅れたが。
リオンは彼の家から遠くなく、わたしたちも通い慣れていてシェフとも親しく、気の置けないいい出会いの場だった。
* 帰宅のアトはテレビを観て、休息。
2011 10・8 121
* すこし身体が軽い。インシュリンを多年打ち続けているので体重減は望み薄いが、血糖値は( いささか我流も加味し) コントロール出来ている。
2011 10・9 121
* やはり夕方まで二時間ほど寝ていた。たいした何も今日は、今日も、出来なかった。
しかし岩橋さんの『評伝 野上彌生子』は面白く興深く、源氏の若菜下の巻も、ジャン・クリストフも面白い。
2011 10・9 121
* 明日、無事に万三郎の古稀能が観に行けるか、一寸心配。
2011 10・11 121
* かすかな違和感が後頭部にあるが苦痛と謂うほどではない。昨夜は十時頃には床に就き、零時頃目が覚めたので、二時間ほど十余冊の本を読んで、また寝入った。睡眠は足りたと思う。
* 千駄ヶ谷で、梅若万三郎の古稀記念能。盛り沢山で、全部はからだがもたないが、どれも魅力。「融」と「卒塔婆小町」、元気さえあれば二つとも観たいが。天気はいい。
* ぐっすりと午后中、床に就いて寝込んでしまった。能には行けなかった。からだの要求がそうであったなら、致し方なかった。
2011 10・12 121
* ポストに郵便物を入れに行った足で、思い切って散髪した。アタマを触られている間、ずっと髪にかすかな痛みがあったけれど、サッパリした快感は言い難い。九十五翁の染色家三浦景生さんの髪逆立った凄みの白頭に似ていたのを、まずは「常の秦さん」に引き戻して貰った。きたない頭を触らせて気の毒な気がした。空気が抜けてペッシャンコのタイヤに、散髪屋まむかいの自転車屋でパンパンに空気をいれてもらい、ウソのように身軽に走って帰ってきた。 2011 10・13 121
* 八時だが、やや疲れを覚えるので、機械の前から離れる。今日は、機械まわりの窮屈なかぎりの場所で大きなゲラをめくり続けていて、それも堪えた。 数日前に栓を抜いた白いワインがうまかった。すぐ無くなったが、同じのが冷蔵庫にあればいいが。
2011 10・15 121
* さてさて、今日はむしむしと暑い日であった。元気であったとは言い難い、仕事に追い込まれていた。「 湖(うみ)の本」 ではかつてなく苦労している。それでも、およそ目当てまで漕ぎ着けた。
* ほかに何をする余力もない、休息する。
2011 10・16 121
* じつのところ前夜からすこしふらつく気がしていて、早めに寝たが、目が覚め手洗いに立つと、めまいかというほど朦朧ぎみにおどろき、血糖値を計ると、49。低すぎる。すぐ砂糖壺から二匙口に入れ、虎屋のちいさな棒羊羹を一つ食べてから床に戻った。
朝は血圧が高かった。ま、この二三日頑張ったのだしムリないかと、用意の出来たややこしい校正ゲラを宅配便に托し、気分を換えに杖をついて家を出た。
すばらしい秋の空。ゆらゆらしていても気持ちはだんだんによくなり、本なども読まずに、ただもう乗り物に身をまかせた。念のために健康保険証と聖路加の診察券は、 出掛けるときは持って出る。むろん薬は、ありとあらゆる必要な薬をいろんな陽気に完備して持っているし、飲み物も。リポビタンも駅で買った。
このごろ杖を手放さないが、よほど老耄にみえるのか座席を譲ってくれる親切な人は、 少なくないのです。
想うことも考えることも思案することも頭の中には山ほどあるので退屈はしないが、睡ければ眠ればよい。その気で観ていると、わたしのように放心したような男老人はずいぶんいる。そういう人を観察し観察されもしながら、なにもしないで、ときおりお茶で薬をいろいろ飲む。それも見られていて可笑しい。
* 東京駅へ戻ってきて、鮓を美味く食い「三田村」を美味く飲んできた。帰りの電車も坐れて良かった。
結果として、とても佳い一日だった。明日から、また根気よく、やる。
2011 10・17 121
* とにもかくにも疲れを一掃したい。また本の発送に取り組まねば。
「一日 再び晨(あした)なり難し。時に及びて当に勉励すべし、歳月 人を待たず。」
2011 10・18 121
* わたしは元気でない、今。頭をとりかこむように薄暗い膜がかぶさり、出来るなら眠っていたくなる。
2011 10・19 121
* 頭痛は完治したのでなく、明らかにじわじわと再起の気配がしつつある。よろしくない。
2011 10・20 121
* 尿意という注意がなければ、いくらでも、いつまででも寝てしまう。どんよりと全身が、頭の中が、曇っている。風を吹き込みに、また自転車走を始めようか、転びたくはないが。
2011 10・21 121
* 機械の調子もからだの調子も宜しくない。もこもこと後頭部が重い。機械も、なんとか簡素化しないと。機械が古いからという勝手な理窟を機械に押しつけてはよろしくない、古さの範囲内で順調でありたい。風水害でいろんな化け湖が出来ていると聞く。この機械にもこの頭にも出来ているのだろう。決壊しないよう、抜けるところから静かに余計な負担を抜いてやりたいが。疑心暗鬼に陥らないように。
2011 10・23 121
* 久しぶりに電動をつかって一時間半、自転車走してきた。隣県新座市の堀之内病院のわきから志木街道へ出、長命寺前で左折し、清瀬駅の「南」側へ出るよう気配りしながら、黒目川清流にそって降り、落合の川沿いへ転じて、ひばりヶ丘から帰ってきた。尻の肉が落ちてしまい、尻痛値がはなはだ高かった。左脚の付け根にも痛みがきた。疲労度はさほどでなかった。
この道はいつか来た道。もう一年余も走ってなかったうちに、此処は広い芝生と憶えていた一面に小住宅が建ち並んでいるなど、世の様々は変化の波に洗われていた。ああそうか、やはりそうかと思いながら、暑くも冷えもしない好天の武蔵野の空気を吸ってきた。
* この道はどこへ行く道 ああそうだよ知ってゐるゐる 逆らひはせぬ 湖
2011 10・23 121
* 散歩はよいに違いないが、わが地元ほど平々凡々の町はすくない。生い育った京都の東山区とは天地ほどちがう。わざわざ隅田川まで行くのは、そのためだ。たとえ保谷で妻とでかけて、さ、途中でどっちも疲れてしまっても、乗って帰れるタクシーも走っていない。
* 書中の散策がいちばん楽しいが。
* 妻を後ろに乗せて、すいた道を通って黒目川に沿い、落合からも黒目に沿って溯ってきた。程よく引き返し、きのうと同じ道を家まで帰った。身体の働きは、二人乗りだとそれだけ多い道理。帰ってのビールが美味かった。
2011 10・24 121
* 昼食のあと、だらしなくまた寝入ってしまった。自壊作用が起きているかのよう。
半日一日も早く卸しておきたい肩の荷の、まだ、どの一つも卸せぬままべんべんと日が経ってゆく。放っておけばいいという内心の声が大きくなるにつれ、日一日、心身は芯から腐蝕してゆく。ものの順序が根から間違っている。
* この道はどこへ行く道 ああさうだよ知つてゐるゐる逆らひはせぬ 湖
* 陶潛の「五柳先生傳」を愛読し、しばらく心身を労る。
2011 10・25 121
* 明日は、「 湖(うみ)の本」 新刊のためのあとがきを書いて、表紙や後付と一緒に入稿の用意をしなくては。出掛けてみたいと思う先も有るのだが。寒くなってきたと、きつく咳込みながら感じる。帯状疱疹は退散したのではないようだ、そしてこのところ深夜の低血糖にも見舞われる。
だが、わたしはまだまだ「一瞬の好機」を願うことすら許されていない。しておかねばならぬことが、ある。
2011 10・27 121
* もう一年二年になるか、わたしの左肩は亜脱臼でもしているかのように、ちょっと力が入ると電氣が奔るほど痛む。むかしよくした、行儀悪いはなしだが寝腹這って本を読むことが、だから、今は出来ない。肘を床や畳につけ
ば真っ直ぐ肩関節に痛みが来る。とはいえ、どんなときも読書では左手が本を持つ。右手で頁を繰る。
* バグワンは、身体の不調に受け身で苦しむより、苦痛じたいを冷静に観察するがいいとどこかで話してくれた。
誰に聞いたのだろう、解体新書の著者の一人は、晩年の日記を、体調違和の精緻なほどの記述に費やしていたそうだ。バグワンの謂うように、向き合っていた、のだろう。
プラトンの『国家』には豊富なオドロキを恵まれたが、そのトッパナで、人は健康によく生き、もし病気になれば、天然自然の意志をと受け入れ、医療のような不自然にはしらず死んで行くのがいい、といったことが語られていてのけぞるほど愕いたが、正しいとは言えないにしても一つの考え方だなあと、感嘆にちかい思いをしたのを覚えている。
2011 10・28 121
* あたまのまうしろに、鈍い違和感。仰向けに寝ると枕にちょうど当たる。
* 今日ひとしお疲れた。純米の松竹梅が買ってある。このごろは燗酒にしているのが美味い。
2011 10・29 121
* すこしだがゆらり疲れている。本紙分の校正は終えたと思う。あとがきやつきもの・表紙が残っている。発送のための用意は、まだほとんど出来ていない。
2011 11・1 122
* からだに芯が通っているとすれば、その芯棒が、ぬたっと草臥れている感じ。懶けているのか。妻が、近くの薬局で、漢方なのか耳慣れない生薬たくさんな強壮剤を買ってきてくれたが、健康に自信のある人は飲まないようにとあると、ちょっと手を出しにくい。自信はないが健康であると自身想っていると言うことか。しかし頭も肩も痛いし、五体力に満てりとも思いにくい。
2011 11・2 122
* 午前午后の少し力仕事のせいか、 ともすると寝入ってしまう。夏バテが、しつこい感じ。しかし、忙しくなる日々が上り坂につづきそうな按配。
2011 11・4 122
* 目覚めて、頸のうしろが、やや、かたまっている。頭髪の下もモヤモヤしている。真夜中から夜明けへ、よく降っていた。
くすくすと誰かがわらう 俺がかな
くすくすとわらう 誰かな俺がかな
明け方の夢で、えらく熱心にどっちがいいかと検討し続けていた。バカげてますね。
* じわじわと頭痛。体疲労。着替えて、傘をさして能楽堂へむかう元気が無く、。
* しばらく陶淵明集を耽読。まさる妙薬なし。
床に就いて、読書。睡る方がいいのだが。
2011 11・6 122
* これでは、まるで、よく云う「寝たり起きたり」の日々で。全身に活気がない。昨日も、どうしても昼間の国立能楽堂へ出かけて行けず、あたら友枝会の招待を失礼してしまった。
数日前、妻の買ってきてくれた、生薬が31種も入った薬を一錠のんでみた。たちまちに鼻の奥がむずむずし鼻血でも出そうな感じ。ほぼ同時に頭のなかがもやもやと不安になった。ただ、階段の昇降や足つきは強くなっているのかも知れなかったが、頭の違和感は同様につづいて、二三日して落ち着いた。ところが薬効の切れというか、全身にまた不活感がもどっている。きつい薬なのかもしれないが、或る意味では効いているのか。いないのか。
インシュリン注射と安定剤、降圧剤をふくめて糖尿関連の服薬が、五ないし六種類。内の一つはよくない副作用が判ったのでと、もう出ていない。よく効くは効く薬なので、手元に残っている分は服して可と云われている。
外出時、わたしはそのほかに風邪薬はじめ胃腸薬やビタミンその他いろんな薬品を少しずつ、要心に、鞄に用意している。目薬も緑・白用に、またアレルギー用に、点眼薬を三種類持ち歩いている。薬だけは感心に、渋々はのまない。薬は信仰してのまないと効かぬと思うことにしている。
むかし秦の両親や叔母が、見るから沢山な薬をのんでいるのに愕いていたのが、そっくりそのままに成っている。
* 極度に外出を億劫がるようになっている。わたしを勤勉だと云う人は少なくないが、自覚としてはおそろしく邪魔臭がりでナマケモノであり、たからかえって獅子奮迅に集中し、「仕事」をしつづけてきた。どうやら、そういうことはヤメテよろしいと誰かからお許しが出て、平然と「寝たり起きたり」しているのかも。
2011 11・7 122
☆ 暑いので、今日も半そでです。 花
お元気ですか、風。
アルバイトしています。バイトの手を広げている、というより、臨時のヘルプです。困ったときはお互い様、といった感じです。
花は怠惰なので、予定が何もないとダラけてしまいがちですが、仕事があると、それ以外の自由時間を有効に使おうと集注します。
本末の「本」の重心が移行しないていどにアルバイトのある方が、時間を活かせると自分では思っています。
生活にうんと恵まれているわけでもないですし。
どう頑張っても、今後社会経済がよくなっていくとは考えにくく、漠然とした不安を抱きながら、かつがつやっていくしかない、と思っています。
『指輪物語』ですって。
映画の一作目を観たことがありますよ。
ではでは。
* 富士山の麓はそんなに陽気がいいのだろうか。暑いなんて。わたしのからだは、この十日ほど、むしろ冷えている。
2011 11・7 122
* 雨を聴くのは嬉しいほどだが、冷え冷えとした雨のなかへ出掛けて行くのは、すこし、つらい。
冬を想うなど、まだ早すぎるが。四季の日本列島に、秋と春がすこしずつ短くなっているのか。
* 風邪けか。機械の前が冷える。何をしていても身に沁みない。かすかにヘンなにおいがする。
* 三鷹市の藝術センターまで、招待された声楽の会へ出掛けてきた。雨に負け、往きも帰りもタクシーになった。腰も痛くて。韓国から招かれた二人の男性、一人の女性の声楽。けっこうでした。
主催は、ピアノ伴奏の浅井奈穂子さん、湖の本の長老格読者の、お嬢さん。若くない。世界的な演奏家でありモスクワ音楽大学の博士号取得者です。
2011 11・11 122
* 無難に、程よい時刻に目覚めた。冷いやりと、秋深い。
2011 11・14 122
* あけがたの夢で、しきりに何かを論じていた。短歌表現のことか。一例として啄木の「働けど働けどわが暮らしらくにならざりじつと手をみる」をあげて、「これでいい」「これがいい」「これでいいのか」という三つの「認識」を検討していたように思う。言いたいこととして「これでいい」、言うべきこととして「これがいい」、短歌表現として、歌として、「これでいいのか」。そんなことを、観念的なイデオローグを内包した概念のかったふうな短歌群について、熱心に、独りで論議していた夢として、朧に思い出せる。 2011 11・14 122
* 劇場の外へ出てから腰の痛みに凹んだ、杖を持たず出掛けたのが不味かった。三笠会館までの歩行が辛かったが、堪えて。「秦淮春」の中華料理でパリからの無事帰国を祝い、おりしもボジョレーヌーボー解禁とあり、ボトル一本をあけてきた。紹興酒も美味かった。
銀座の路上で若い人と別れ、有楽町線で帰路へ。幸い坐れて。保谷まで睡っていた。黒いマゴが嬉々として出迎えてくれた。
留守中の郵便物には、「七世松本幸四郎襲名百年」記念、曾孫の三人、当代ほんものの花形役者である市川染五郎、市川海老蔵、尾上松緑で日生劇場師走競演の、はや座席券が届いていた。昼は「碁盤忠信」「茨木」、夜は「錣引」「口上」「勧進帳」という、とびきりのご馳走。「七十六歳」になる、なにより花の景気、ありがたし。
* 腰の痛いので、何倍か疲れた今日は。休息、はやくからだを横にしたい。
2011 11・18 122
* 就寝前の読書のトリは、ずうっとこのところトールキンの『指輪物語』で、第一部の下の②を読み上げてしまった。一度は寝に就いたのに夜中手洗いに立ったあと続きを読み始めて文庫本の四冊めを読み上げてしまったのだ、品質の高い読書になっていて、一字一句も疎かにできず「読まされ」る嬉しさがある。さすがにファンタジィの大古典。優れて文学の品位に富み、的確な把握と表現の力づよさに心身を捉えられてゆく魅惑。物語の筋書きに惹かれるより遙かにつよく「文学の表現力とその透明度」に惹かれる。
* 寒いとさえ。睡く、疲れている。体疲労か、気疲れか。
2011 11・21 122
* ゆらゆらと東池袋から池袋東口へ歩いた。途中、ユニクロで仕事着用のカーディガン二着を買った。
西武百貨店の八階に上がり「たん熊北店」新装の系列店に入り、京料理をすこし贅沢にはずんだ。此処でもボジョレーヌードルをグラスで。
料理、とても旨かった。三種の前菜も、鯛、鰤、鮪の刺身も、すっぽんの汁も。酒はなじみの、熊彦。盃のかわりに前菜に出ていたちいさい片口を用いたのが口触りよろしくて。食後のくず餅まで、妻もわたしもすこぶる満足した。
先日の銀座では腰痛くて弱ったので、今日は杖をもって出た。痛くはあったけれど難渋に陥らず無事に帰宅、七時過ぎ。
* 二十五日には、「 湖(うみ)の本」 通算109巻が出来て届くだろう。体力を労り労り師走のごく初め位までは発送の力仕事をする。 師走には、誕生日など例年の決まった私の祝い日が二日ある。医者にも通わねばならないし、正月早々の人間ドック入り用意も出来てくる。家庭内でのぜひにもと思う要事もあって、あっというまに今年は過ぎてしまうのではないか。そして、鬼が笑うが、来年の今頃は七十七、喜寿を目前に、さ、何を思い、何をしているだろう。そこまで寿命があるかどうかも分からない。頭の中に願いの筋が無いではないが、あさはかに書きおくことはすまい。
2011 11・22 122
* はやめに起き、「 湖(うみ)の本」 の通算第百九巻『光塵』が出来て届くのを待った。怪我のないよう送り出したい。
* もう五時前、第一便は送り出した。余のことは考えない。疲れを溜めまい。ふと、いまも十五分ほど機械の前の此処でねむっていた。相撲を見て、しばらくやすもう。
* 白鵬の琴欧州を仰向けに空に投げ捨てた勝相撲を見た。なんという強さ、あまりの強さを讃嘆の意味で、すごかった。
* 十時まえから二十一時前まで、よく頑張った。ちょっと変わった一冊が出来ていると思う。では。明日に備えてやすもう。
2011 11・25 122
* 本の発送、快調。作業は、快調なほど疲れも軽く済む。いま、四時前。機械の前へ来ると、しかし濃い眠気に負けてしまう。また階下へおりる。はやいところは、今日にも本が届き始めよう。
2011 11・26 122
* 夜前も夜更けて、また夜中に読書。夜中には待ちかねるように『指輪物語』文庫版の新しい一冊をとりあげて一章分を読んでしまった。すばらしい叙述で、いよいよ戦端が紐解かれて行く。そして新しく恋の芽生えも予感されるのが嬉しく心はずむ。
* それにしても、その後、よく寝た。しきりに手洗いに立つ夜がある。まるで一度もその必要のない夜もある。いずれにしても夢を観るので死んだように熟睡しているとは謂えぬ。
2011 11・28 122
* 電灯を消したのは一時半だった、二度手洗いに立ち、二度目はまだほの暗い六時過ぎだった、八時半には朝が来るなと思い、もう一度床に入ってからながい夢を見ていて、あまり息苦しくて起きたとき、午まえになっていた。
いくらでも寝られる、それはいいが夢は見ないで寝たい。大勢での、乗り物に乗ったり歩いたり遠足感覚の夢で、なにの不快な出来事もないのに不安感が波立っていた。もがくように目を明いた。
今日明日までかかると想っていた本の発送がこころもち早く済み、それだけ疲労は濃いか。
柏叟の二字「閑事」の軸をかけていらい、これを公案のように見つめているが、はるかにまだ霞んでしか読めない。胸奥にこの境涯が沈んでいないのだ。まだまだむしろ「 多事」や「他事」がとぐろを巻いているということ。黯然とする。
* 堂本印象描く一軸、寂寞として朱い「木守り」の柿一つを観ている。題には「澄秋」とあるが師走へかけて十日頃までは佳いだろう。寂しいが花なりの命が虚空に澄んでいる。
2011 11・30 122
* このごろのことだが、生んでくれた親達にも感謝のきもちの湧くときがある、このからだを伝えてくれたこと。
病弱の幼児で小児であったのが、大学一年のときの移動盲腸の長時間手術から以降、入院ということを知らない。
糖尿病と告げられ即日三度のインシュリン注射を言い渡されて十数年、依然としてわたしは医療に背いて飲食の節制をまるで欠いている。食べたいだけ呑みたいだけの年数を経ている。さまざまにからだに障っているではあろうが、当面血糖値もコントロールしているし、ヘモグロビンとやらの値もおさわっている。運動力は衰えているが、自転車で二時間走ってきてもまだ平穏に過ごせている。なによりオドロキとともに感謝に堪えないのは、たしかに衰えは着々進んでいながら、まだ現在のように長時間大量の読書にも映像の楽しみにもあずかれていること。父や母を経て恵まれた健康力であるに相違ない。ありがとう。
* とはいえ にげかくれする討入りの夜のあんな「炭小屋」など、わたしは持たない。待つのみである。
2011 11・30 122
* 出掛ける休息もあれば、睡眠という休養もある。このところ睡眠に心身を委ねている。
2011 12・1 123
* すさまじかった夜中の雨振り。『指輪物語』も、陰惨なほど五里霧中の「沼わたり」。八時に床から起ち、しかし激しい雨の音に、また床の中へ。目覚めて午過ぎ。なぜか梅原猛さんとながなが話し合っている夢から覚めた。こうも寝るのは、からだに毒かも、薬かも。「好きに、し」「勝手に、し」と、身を任せている。懶けているのかも。休んでいるのかも。
2011 12・3 123
* 夕食まえにうたた寝し、あとでうたた寝し、浴室で睡くなり、機械の前へ来てうたた寝していた。抵抗しない。からだが望んでいるならば。
2011 12・3 123
* ようやく、寛いでいるのだと思う。わたしも妻も、かつてなく、昏々と眠る。一日の大半を眠っている。
孫やす香の名で「白血病」が「 mixi」 に突如公開され、まもなく「肉腫」という決定的な悪病まで公開されてこのかた、丸五年= 六十ヶ月嘗め続けた苦渋は、われわれ祖父母夫婦の寿命をすりつぶして出来た毒の味であった。
愛孫の「かくのごとき、死」が、なにゆえに祖父( 母) を被告席に置くに値したのか、しかも実の娘や婿の手で。わたしたちは今もって理解しがたい、不徳ゆえと譏られても仕方ないのだが。
しかし、ようやく今年六月末、結審した。余震はなお二ヶ月ほど不愉快に続いた、いまはやっと静かになっているが。
そして、めったになく一ヶ月の余もわたしは病臥の日々を送った。ようやく往年の歌集『少年』を引き結ぶていに、老後の述懐『光塵』を送りだすことが出来た。わたしも妻も、かつてなく、昏々と眠る。一日の大半を眠っている。ようやく、寛いでいるのだと思っているが、まだこの先は分からない。
幸いにとは謂えまい、不幸にしてと謂うべきか、この間にわたしはやす香病状に同時に追い縋るように、結果は「挽歌」と帰した日記『かくのごとき、死』(「 湖(うみ)の本エッセイ」39 )を書き、長篇フィクション『逆らひてこそ、父』上下巻(「 湖(うみ)の本」50 51)そして『凶器』(「 湖(うみ)の本」 通算101)を書き下ろし、また思いをこめて詩歌鑑賞の『愛、はるかに照せ』(「 湖(うみ)の本エッセイ」 40)を出版してきた。失神しそうな苦悶や憤怒のなかでこれらを懸命に「書く」「書きつぐ」「本にする」ことが、わたしを強く起たせていた。残念ながらほかの方面の創作へこころを遣る余裕は無かった。そしてバグワンに助けられ、ありがたい大勢の知己のちからに支えて貰った。
* 喪っていた時と力とをどう取り戻せるか。旬日ののちには七十六歳になるが、ありがたいことに、今日その数字は致命的な「老」には幾ばくかの余裕をはらんで見える。正月早々の人間ドックがなにをわたしに告げるのかは分からぬが。
思いに凝って、 身に代えても取り返したいとただ願うのは、ただやす香である。『光塵』 66 70 72 75 76 78 84 90頁に書き残した孫やす香を悼み想う祖父の歌のすべてが、この五年の地獄苦を清めてくれている。
2011 12・4 123
* 昔は寒い冬の風情を夏の暑さとともに好んでいたが、幼少らいの腹の冷え性から不調へ落ちこみやすくて、警戒警報。
2011 12・6 123
* 一日を半日で過ごしているほど、よく眠る。もったいない。それで良いとも思うけれど。
2011 12・9 123
* 体調は已然としてよくはない。落ち着いた腹具合でなく、食欲よりも腹具合に遠慮してしまい、そうは食べない。飲みもしない。あすは私ごとの祝い日のように何十年過ごしてきた。体調を落ち着かせておきたいが。
2011 12・9 123
* 目があいてられぬほど睡く。しきりにうたた寝していて、目をさましては驚く。「おどろく」という語の意味がむかし「目をさます」であったのに納得する。「風の音にぞおどろかれぬる」が、そうだ
2011 12・11 123
* 明日は、聖路加の眼科。苦手の視野検査がある。天気、崩れそうに聞いている。あすの病院を終えると、しばらく予定無しの日がつづく。発送を終えていらい、やっと本当に落ち着けるかも。
2011 12・13 123
* 早起きして。聖路加眼科へ。十一時視野検査。続いて診察。前回比、大差なく。視力も落ちていないと。
どこへも寄らず、一直線で帰ってきた。一時過ぎ。高麗屋にいただいた蕎麦で昼食。
この法外な眠さをどうにかしたい。
* 二時過ぎから九時半まで、 昏睡。それでもなにかしら精細げな夢も観ていたが覚えない。
2011 12・14 123
* 昼過ぎ、すうっと浴槽の湯が脱けるように元気がからだから落ちて。夕方まで床に就く。
2011 12・15 123
* 肺炎予防接種を受けてきた。とくに予後を案ずる徴候はない、今日一日をおとなしくしていよう。
2011 12・17 123
* 幸いに、肺炎予防接種の予後安定している。夕食後、三時間、睡魔に身を任せていた。
2011 12・17 123
* 眠りにくくて、尿意頻りのせいかもしれぬが、つい起きたまま本を読みつぎ、結局寝ていたなあと覚えているのは計三時間ほど。『指輪物語』は、ついに指輪所持者フロドと従僕サムとの過酷な艱難の果ての果て、まで読み進んだ。この物語の最大の手柄は、人物、と簡単に謂うのはじつは正しくなくて「人間」も類似の生ける存在の一種に過ぎないのだけれど、とにかく名前をもった主要な八人の、いやそれ以外の多くの人物達のヴィヴィッドで確かな書き分けである。ことに忠実で真率でユーモラスでもあり無類に頑張って脱線もしないサムの優しさは、忘れがたい典型の像を成している。ガンダルフもアラゴルンもメリーもピピンもギムリもレグラスも、さらには勇士ファラミアもセルゲン王も、いや、大自然のしかも細々とした個物の表情も質感も、極み無く精微に書き取られてある。
行をとばして斜めに読むことを、文学の、文章のちからが魅力と迫力とで禁じてくる。
2011 12・18 123
* 午後にも宵にも、くずれるように二時間余ずつ寝入っていた。申し分のない体調と謂うには腹具合などいつもグズついている。そういうときは、せいぜい心地よい古詩を温ねて口ずさんだり、書き写したりしている。
詩は、どうあっても陶潛や李杜らのそれであらねば。漢詩にかぎっては日本人の作は、大友皇子らの蒼古まで溯ればともかく、たとえ道真ですら山陽ですらも、いわゆる「和臭」堪えがたい。白詩の境地が平安貴族の好みに投じたのはよく分かる。「和臭」という非難の意味するところは存外重いし大きい。
2011 12・18 123
* 夕方前、血圧108と低く、芯からゆらっと弱る。幾らなんでも満七十六歳には低すぎるように感じる。食べて、かえって落ち着いた。
歳末に、遠出はむりとしても、一度二度は街か近郊へ出掛けたいと願っているが、雪は有り難くない。寒い。
2011 12・22 123
* こころもち
お手紙ではしんどそうでもありましたが、大丈夫ですか。寒さも一段ときつくなってきました。大事にしてください。
小粒の美味しいお菓子をありがとう。お茶を、ふたりで十二服、そのつど美味しくお菓子を戴きました。お茶はわたしが自分でたてます、薬罐のお湯で、あまりお行儀は顧みずに、ふっくらと美味しくたてます。表さんの、泡たてないお茶は苦手です。
「閑事」と二字、裏千家柏叟の軸を敬愛し、このところ永く掛けています。「閑事」とは何か知らんと思っています。
肺炎の予防接種うけました。インフルエンザのに当たった苦い思いがあり懸念しましたが、すんなり大丈夫でした。
息子が正月を蓼科でしないかと提案しましたが、食べ物の無い雪にうもれた蓼科は遠慮しました。へんな虫の出ない春の早めか秋になら、また行ってみたいです。諏訪の湖も観たいです。あなたのお正月は諏訪でしたね。佳い春をお迎えあれ。 湖
2011 12・23 123
* めずらしく一夜手洗いにも立つことなく、ゆっくり寝た。あけがた、たぶん目蒲線に乗っていたら、途中の車窓から「アサカワ谿谷」という好い景色が深い木の間遙かに見下ろせて、こんど彼処へ行ってみたいと頻りに思っていた。目黒にちかい目蒲沿線にそんな「谿谷」があるとは思いにくいが。それから程なく途中停車駅で、某国とも某宗教団体ともおもえる当局から、なにかしら所持していたカードの署名を調べられているうちに目が覚めた。夢などどうでもよろしく、夜中に起きなくて済んだのは快眠と謂えよう。
2011 12・24 123
* 昨夜は、潰れそうに睡く、九時過ぎには寝込んでいた。しかし頻回の尿意で四度五度も眠りを中断され、今朝は七時前に床を離れた。寒い。
このまま津波に押されるように今年を見送るのではないか、仕残しの感濃く、決して本意でない。しかしまた成るようになるのであり、囚われまい。
2011 12・27 123
* 散髪。仕上げに近づくと、鏡に向かいながらなんだか幸せな気がした。綺麗な髪で正月を迎えられる。
2011 12・27 123
* 人間ドックのための予備の質問にこまごま答えて記入するという、もっともわたしの苦手とする作業を、妻に手つだってもらい、片づけた。
2011 12・28 123
* 千載和歌集を反復読み、更に読み、そして、に就いてこつこつ書いていた。
* 目が疲れてきた。
2011 12・30 123