* 昼、焼いた餅と水菜、蒲鉾で、澄まし雑煮を。今日から夫婦二人で祝う。
* 和歌撰の仕事に熱中しながらも、明日の人間ドックのための心用意なども。主治医が一日で充分と言ったので、一日だけ。どんな検査が出来るのか。朝早くに聖路加へ着かねば。明け方五時半にすこしの水で服薬を済ましておかねば。
「撰」は恋歌五巻を終え、雑部に移る。万葉集でもそうだが勅撰和歌集の「雑」部には読みがいある歌がならぶ。
* 年賀状、今日も。
* 仕事も今夜は、此処まで。九時半以降はもう食べ物・飲み物はくちに出来ない。休む。明日の朝はうんと早い。
2012 1/4 124
* 六時四十分のバスで出掛け、電車は保谷から新富町まで立ちん坊。寒かった。家に帰ったのは、晩の七時過ぎ。帰りに西武の「たん熊北店 熊はん」で食事してきた。酒はいけないと言われていたが、堪えていたが、酒のない和食というのは味気な過ぎる。
* 諸検査の結果は、総じて悪かった。いいとはとても言えぬと、染五郎によく肖た医師にきめつけられた。胃の内視鏡検査では、たくさんな写真で説明されたが、癌の十分疑える病変が胃上部に見られ、医師は三個所から生検細胞をとっていた。一月十三日金曜日の午後、外科で、今後を打ち合わせるが、手術になるらしい。
しかし、一月二十七日には更に今日の人間ドックの一環で、大腸の内視鏡検査が予定されている。こちらもよくなかろうとわたしは予感している。胃も腸も悪いとなるとぞっとしないが、さ、どうなることか。
ドック入りなどしなければ、なにも分からないまま何と無く知らん顔して生きてられるが、わざわざ病院まででかけて、病気を授けてもらうようなものさと笑っていた。その通りになったようだ。手術とか入院とか、つまらない日々が来てしまう。どんなに苦痛があっても、仕事をしている時間の長続きするのがありがたい、が。
* とにかくも、知れていた、分かっていた、ことへ行き当たったに過ぎぬ。
この道はどこへ行く道 ああさうだよ知つてゐるゐる 逆らひはせぬ
と去年の十月二十三日に歌い、この一首で『光塵』一巻の大尾とした。たわやすい述懐ではなかったのである。
2012 1・5 124
* 生活を急に変えようとも思わないが、省けることは省いて、したいことをしたい。楽しみは省けないが、本質的にどうでもいいことは徹して省きたい。いい意味で思い切りなまけ者に徹しながら、本筋はグイと線を伸ばしたい。
* 胃の腑を掻き回されてきたので、さすがに気疲れしている。今夜もはやくやすむ。建日子の文庫本『インシデント』を今日は待ち時間になど読んでいた。出だしは快調であったが、半ばからごちゃごちゃとテンポが乱れ始めた。この作に限っては先にテレビドラマでみた方がはるかに完璧な仕上げで、明快に緊迫したなデッサンが見てとれた。小説の編集者は、仕上がりの確かさよりも促成栽培の売り上げが望みなのだろうか。こんな浅い粗い息づかいでは、本格の小説がついに書けなくなる。作者自身が用心して欲しい。
2012 1・5 124
* 癌の疑い十分と 医師は写真に指さした。分かつてゐた。 湖
* 今日からを「晩年」とする。数ヶ月か。十年も十五年も有るか。知らぬ。これだけ謂っておく、死のためには粘らない。
2012 1・6 124
☆ お元気ですか、みづうみ
人間ドックの検査結果拝見しました。
悪いところが見つかってよかったですね。今回の検査の良い成果です。あれだけの症状が続いていらしたのですから、原因をつきとめることが何より大切なことでした。
あとは治療して、みづうみのさまざまな不快な症状を終わらせることです。
腫瘍科ドクターのご主人や息子さんを持つ友人から時々聞きますが、高齢になればなるほど癌があるものですし、高齢の場合は慢性病の感じに経過するようです。知人の友人は五年ほど前にあと二カ月といわれていましたが、薬を飲みながらまだ元気にデパートと歌舞伎通いしています。
手術は楽しいことではありませんが、みづうみのように充分な体力のあるうちに積極的に治療の出来ることは大変恵まれたことです。「死のためには粘らない」のは誰でも同じ思いでしょう。でも、緑内障と同じで、だましだまし上手におつきあいして、どうか長生きしてくださいませ。みづうみは早く「あちらのお家」に行きたいのかもしれませんが、ご家族のため、日本文学のため、そしてわたくしたち読者のためにも、「こちら」にいらしてくださらなければ困ってしまいます。
今首都圏に在住する人間にとって、癌は非常に確率高く罹患する病気になってしまいましたが、それ以上に懸念されるのは今や放射線による知能障害です。これが一番多い放射線の影響だそうですが、わたくしは自分が今よりさらにバカになったらほんとうに周囲に迷惑なので、どちらかだったら癌でお願いしますと思っています。
みづうみは、いつものようにお過ごしになることでしょう。どうぞそのままにお元気に楽しい日々を。
人日の街の灯しのはやきかな 大原緋紗子 七草
* 想ったとおりを言ってくる人です。
2012 1・6 124
* 明日のうちに、いいところまで仕事を押し上げておいて、明後日は国立劇場の初春歌舞伎を楽しむ。
一月は諸検査を覚悟していたので、日程にカブリが来ないようにと、いろんな希望も予め見合わせておいた。
少なくも目下は十三日の金曜日に、午前と午後との科を替えての診察があり、二十七日には幸いにと言っておくがキャンセルがあってそこへ大腸の内視鏡検査が予定されている。この検査はマル一日がかりで相当消耗するので家人の付き添いが求められている。十三日の午後の外科診察では一昨日検査の精査を経た相談などもあるらしく、場合によれば手術の具体化が有るかも知れない。結果結論は、まだ確定はしていない。
十九日には恒例の初場所十二日目が見られるか、どうか。相撲茶屋から連絡が来るだろう。
二月にはぜひとも中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名興行が覧たい、松嶋屋に座席を頼んである。
* 申し訳ないが、たくさん戴いた年賀状への返礼は、この春は一切ご無礼させていただく。
2012 1・7 124
* からだや視力への負担を分散のため、就寝前の読書を適宜半分にし、半分は朝の起床後に読んでいる。
『田沼時代』が断然おもしろく、親友というもおろかな真実身内のオリヴィエに死なれた『ジャン・クリストフ』も、愛妃にあいつぎ死なれた小一条院の『栄花物語』も、切ない。
『存在の詩』でのバグワンのみちびきがわたしを深層で静まらせる。感謝のみ。
* 冷え込んでいる。
2012 1・9 124
* 鏡開きの日であったろうか、明日かな。明日は甘い善哉を煮る日でもあったか。記憶もこころもとなくなってきた。
* 「 湖(うみ)の本」 110巻を、再検査や追加の検査や、場合によれば入院や手術の合間を縫っても恙なく仕上げたい。いま、大きな編成に、ああかこうかと思案を重ねているところ。
* なにしろ運動して体重を減らせと厳命されているが、骨密度も低まっているというので、なにより骨折に厳重注意しないと。すると自転車走での疲労や不注意は危ない。歩くしかないか。何処を歩くのか。少年時代は京都を歩くのが趣味の一つであったが、西東京市には山も川もない。
2012 1・10 124
* しくしくと腹の虫が痛んだりがこの数年イヤだった。時に堪えられなかった。いまは、しくしくすると「ああそうか、そうか」と合点してしまう。その方がすこし気楽だ。
2012 1・10 124
* 今朝から仕事を展開させている。たくさんな初出原稿の再度のスキャンを妻と妻の機械に手伝ってもらっている。おかげで仕事に要する時間が半減する。
しかし、今日は軽微とはいえ継続して腹のしくしくが止まない。朝起きて、 十二時間が経ち、うち十時間は機械に向かっている。まだ休むな、まだ早いとそそのかす声も聞こえるが、ともあれ休息してこよう、階下で。いやいや、今日京都の友の贈ってきてくれた、わたしの希望をくんで音盤に作ったという「ひばりの歌」など聴こう。
2012 1・10 124
☆ 十分に御自愛下さい。 辰
CD喜んで頂けて何よりですが、胃腑に異変がおありとか。メールを拝見してEt tu Brute ! ( ブルートゥスよ,お前もか) という心境です。
人間の臓器中いちばん繊細な腑が胃ですから、人間の持つ自然治癒力を信じて闘病してください。
人間の自然治癒力の素晴らしさは、17才で発病し宇多野療養所で右肺と肋骨6 本を失い、4000ccもの悪質の輸血で血清肝炎のおまけ付で28才まで永い闘病生活を経験して実感しました。今にして思えば有難い11年間でした。
毎日のように霊安室へ向かう担架を横目で見ながら、准看のドイツ語の宿題をみてやったり、安静時間中に脱柵をしては非番の看護婦と
映画を観に行ったり、娯楽室でレコード・コンサートを開いたり、と、郷に入れば郷に従えとばかり療養所の生活を愉しみながら、諸兄との永い歳月のハンディの埋め合わせをどうするか、と、そればかりを考えてきました。
そして得た結論は、三途の川を二度も船賃が足りず渡りそびれた命は拾いもの、と、友人たちがわが身や家庭を顧みずひたすら企業戦士として闘っている間中、私は「与」生を、好きな酒を一日でも長く飲むにはどんな胃袋や肝臓にすればよいか、と、ただそれだけを考えて今日に至りました。
お陰さまで三十余年内科医とは全くの無縁で、休肝日なしにテキーラやウオッカ、焼酎に泡盛と度の強いスピリットを塩辛や漬物を肴に愉しんでいます。
ひと様( 女房は別 ? )に迷惑のかからない範囲内で自分の好きな事をする、健康の秘訣はこれに尽きるとおもいます。
ただ食事は目や舌や胃袋を満足させる道楽ではなく、生命体を維持するための厳粛な作法だと、一口づつ時間をかけて頂いております。千昌夫の歌の文句ではありませんが、味噌汁や漬物の代わりにハム・エッグやコーヒーが朝の食卓に並ぶようになってから日本人の体調が狂ってきたことだけは確かだとおもいます。
百歳まで健康で、を、モットーに今年も頑張ります。どうかお付合いください。
* ありがとう。
* 大学一年の時、移動盲腸の手術を長時間かけて受けて以来、上京し結婚就職して以降、入院という病気はしてこなかった。歯医者の他はひどい風邪ぐらいでしか医院に向かうこともしなかったが、糖尿病をきっかけに聖路加病院に通うようになって十余年。
* なるべく病変のことは考えないようにと思っても、それはムリで、考えたければ考えたら良かろうと思っている。体内に、繊細な針でチリチリひっ掻くような刺戟を感じる。どうしたのかなと思ってきたのも、今は理由づけしやすくて、またかよ…と苦笑したり。
それよりも思考が、なにかしら過去よりに「記憶を清算」でもしようという風に働いて行くのは鬱陶しいから、なるべく「いま・ここ」の仕事つまり行為に、関心や興味のもてるようでありたい。
さいわい、わたしには興味という趣味感がまだ相当欲深く溜まっていて、文学ないし書く仕事の上でであるが、あれがしたい、これがしたいという目当てにほとんど欠乏したことがない。
わたしが病院に掛かる気が疎かったのは、名の付いた病気になどさせられ、机や機械の前から追い立てられたくないからだった。仕事が栄養であり妙薬だと判っているからだ。
こと、ここに至ればジタバタしても始まらない。しかし、出来る仕事はつづけさせて貰いたい。
2012 1・12 124
* 細胞診がおよそ全てを明らかにするだろう、明日午後の診察または再検査でおおよそ様子は知れる。たいしたことで、あろうと無かろうと、事ここに至れば医学的な万全を望むしかない。
今日はほぼ終始かすかに腹部がしくしくしたまま変わらないが、苦痛ではない。神経だろう。食べるは食べていたし、少し余していた「近江の美酒」を惜しみながら飲み干した。美味かった。医者が何を言うのか分からないが、美味い酒は可能な限り絶やさず、美味い食い物にも思いは断たないでいたい。
* 相撲が見られないようなら、ふらりと出て、寒風に巻かれてでも隅田川を見にゆくか。無くしてきた父譲りの杖が惜しい。しかし杖は忘れて来易いもののようである。新しく買ってもらった紫檀の杖には、歌舞伎座の鈴をつけている。好く鳴る。自転車にもつけているが、佳い鈴の音は好きである。
2012 1・12 124
* 聖路加病院へ、定例の糖尿診察と、午後には、先日の胃カメラ検査および胃生検の診断を受けに、妻と二人で出かける。診断しだいで、具体的な今後の対応・対策があるだろう。あれこれ予断をもってみても始まらない。
朝一番に建日子のメールを読んだ。メールで人声が聞こえてくると、思わず、胸が暖かくなる。気の弱りかなあと思うが。
2012 1・13 124
* 聖路加へ。検査を省いて貰った糖尿診察への呼び込みははやく、十一時半には終えた。胃の写真は内科の医師の目にもかなり歴然としているらしく、手術は不可避。今のうちなら問題ないと思うが、もう一年も遅れていたら相当病変は悪く進んでいるだろうと。血糖値が高いと手術にも影響するので、とにもかくにも体重を落として血糖値を下げるようにと。
午後のドック予約は、三時。
その間を、まず鮓の「福音」へ。親方にぜんぶ任せて、美味い魚をおいしく食べた。「鬼ころし」の銚子一本だけつけてもらい、妻とわけた。肴も握りもとびきり美味く、おしまいの赤だしも妻を驚嘆させた。綺麗な清潔な店で、美男美女の若い夫婦でやっている。端倪すべからざる庖丁の冴えで、肴と飯との添いも絶妙。もう一本酒が飲めればもっと食べられたが。
新富町から有楽町線終点の新木場へ行ってみた。天晴れ、風も穏やかで千石橋をきもちよく歩いて渡ったものの、さて何もないところで。散策少々の後また新木場から聖路加へ戻った。売店にステッキを見付けたので、無くしたのの気軽に使える代わりを、もう一本買った。杖は忘れ物してきやすい最たる一品で。紫檀の鈴付は妻と二人で出るときの専用とし、どうしてももう一本欲しかった。
* ドックで、三時すぎ。先日の胃カメラの医師から胃生検の結果などとともに確定した診断を聴いた。
胃癌に間違いなく、この時機にみつけてよかったと。概ね早期と云えそうな中で、一個所深い層に降りているかも知れぬ病変が認められ、不可避の手術適応であり、外科外来へ連絡するので、この一月十九日に先ず診察を受け、対応対策を聴くようにと。病変は
わりと明確なので、医師の指示にまっすぐ従って下さいと。
なお手術後からの回復には半年はかかると思う、と。最悪の事態では胃全摘も考慮されるかも知れないが、まだこの時期なら治癒率は高いと思われ、安心して手術を受け容れて下さいと。
ほかにもいろいろ言われたと思うが、とにかく必要なことなら当然受け容れる。素人がどう懸念してみても始まらない。十九日の外来予約をしかと果たすだけ。ゆっくりした回復になるので、そして必然かなり痩せるので、手術前のいまのうちに、好物などは食べたいだけ食べておかれると好いですよと笑われてきた。
二十七日の大腸内視鏡検査は、しいて受けなくても手術と同時にできることかも、と。断ってもいいのではと。糖尿の医師は受けておいていいのではと。これまた外科での指示に従うまで。
で、もうどこへも寄らず、新富町から保谷まで一散に帰ってきた。一日がかりだった。相変わらず、腹はしくしくしていることが多い。
☆ こんばんわ 辰
きょう再診と言っておられましたが、検査結果を案じております。
重ねて言いますが、病気を治すのは医師ではなくて患者自身ですから、自然治癒力を信じて、絶対に治すと念じてください。
医師は患者のアシスタントに過ぎないことを、どうかお忘れなく。
* 信念。 感謝
* 手術前に、ぜひ新刊の「 湖(うみ)の本」 を入稿して行きたい。その段取りが今あたまを半ば以上占めていて、此処は慌てずに、いいものになるよう無心に手をかけたい。十九日は大相撲と初場所と期待していたが、わたしの容態に配慮してくれたらしく、そこへうまく外科外来受診がきまったわけで。それも大事、だが大事なことはいくつもある。自然体で受け容れたり受けとめたり励んだり。
* スキャン原稿の精度わるく、校正停滞。 疲れた。まだ十時前だけれど、休みたい。
2012 1・13 124
* 人は 、「死なれて・死なせてー生きる」と識り、人生の大半をそう生きてきた。わたしの「生」であった。
そして「老」が近づいてきたとき、わたしはむしろ親しげに老いを受け容れ自覚して拒まなかった。「 湖(うみ)の本」 を念頭に浮かべながら、和歌山の三宅貞雄さんに『四度の瀧』付・年譜の豪華本(昭和六十年 一九八五 元日刊)を作っていただいたとき、わたしは満五十歳にほぼ一年みたなかったが、老境を待ち迎える姿勢がなかったと云えぬ。それかあらぬか福田恆存先生に、遠慮などせず若く生きなさいと窘められた。大江健三郎さんにはまた少しニュアンスの異なる共感の手紙をもらった。
あれから二十五年、今度は「病」が訪れた。癌とは、なみたいていでなく、おそれていなかったわけではない。だが来てしまったのは取り消せない。「生・老・病」を、今後どれほどの間か知らぬが生きて行くことになり、先には、背後にかも知れないが、もう、「死」だけが待っている。
死んで行く「いま・ここ」の我が生きて行く老いも病いも華やいであれ 湖
死を弄ぶ気など毛頭無い。死に弄ばれたくもない。とくべつ華やぐ必要もない、今までのままになるべく永く過ごせるよう、からだは医者にまかせ、気持ちは静かにしかも、少年のようでありたい。 2012 1・14 124
* 根を詰めるのもどうかと思いつつ、しかし仕事がはかどると心身ラクになるのは知れているので、疲れやすいまま、投げ出したりしないで居る。食べると、と明言できる因果関係は分からないが、この半年一年は空腹時がすこし快適で、食べたあとにしくしく腹が痛む感じは汲み取れていた。いま昼食後もそうだが、食欲が失せているわけなく、美味いと感じられれば躊躇いなく喜んで食べている。どう眺めても健康善良者ではない。
2012 1・14 124
* 朝からずうっと軽度ながら腹部不穏。食べていると血糖値が跳ね上がり、しかたなくインシュリンと錠剤とで調整している。夕食後に、安定剤のリーゼを一粒口に入れた。
2012 1・14 124
☆ 体の熱くなるような、寒くなるような感じですが、あまり心配なさら無いほうがいいと思います。でも、スムーズに治療の進む事を祈ります。心から。
というのは、胃や、腸の癌の手術は、周りで何人もの方が受けれられて、元気に回復されていますから。
今、一緒に仕事をしている方も、そうでした。もう15年前になる胃がんの手術で、全摘でした。65歳のときです。昭和4 年のお生まれです。
もうお一人は、かれこれ3 年前で、その方は去年の暮れに、ニュージーランドを3000キロ、仲間と縦走してこられました。かれは20キロ痩せて、すっかり糖尿病が治って、血圧の薬も必要なくなったと、自慢していました。私が20キロ痩せると私は消滅してしまいますが、体重のある人は強いですね。(皮肉ではありません。)
彼は400 枚の写真を公開してくれましたので、氷河や、活火山や、温泉と愉快なレポートや、元気な姿を見ることができました。昭和12年のお生まれです。
まだ、お若いでしょ。安心して、治療なさってください。
ストレスがいけないのでしょう。 畝 茨城
* 不快極まるストレスの五年が、いやもっと永くがあった。不快を渾身堪えていたが、怒りに五体の震えてやまぬときも何十度と有った。わたしを苦しめるのが目当てであったなら、わたしは、妻もそうだが、十二分に苦しめられたと、今、呻くほどの声を漏らしておく。
2012 1・15 124
* 気が付いてみると夜前は夢を観ていた記憶がない。稀有なことで、有り難い。
2012 1・16 124
* 腰の左にビンポン玉ほどの凝ったような痛み。
* 終日仕事していたが、捗っているともいないとも。難しい。寒風に逆らい、処方された糖尿の薬を薬局へ受け取りに、駅前まで走った。自転車乗りの感覚などなんら変わっていない。もし三時間走ってこいと云われたら走ってこれるだろう、ただ、転ぶのはイヤ。骨はけっして好くない、悪い方だと脅されてきたので、余計にいや。乗っても乗らなくても、転ばぬこと。
2012 1・15 124
* さて。明日一日は、ま、従前のわたくしである。あさって、ドックの写真やデータを置いて、思いも掛けなかった外科の診察を受けるということは、まぎれなく病気の「被告」席に着くことになる。
明日一日、寒くても青天白日を浴びたまま、街をあるいて来よう。
2012 1・17 124
* さ、明日は聖路加の消化器外科で初受診。具体的に手術までが日程化するといいが。ま、焦らないこと、大事。
☆ こんばんは。
お身体のお具合は大丈夫ですか。
検査の結果に心配していますが、幸い早期とのこと、治療に専念され早くよくなられますよう、心からお祈りしています。
お元気な恒平さんに又お会いできますよう願っています。
入院生活など、大変でしょうが、頑張ってくださいね。 みち 京の従妹
* ありがとう。
* 概ね「早期胃癌」ともいえ、ただ、一部分に筋肉層にまで達している個所が心配されていて、手放しで安心は出来ない。平穏無事を願っている。
2012 1・18 124
* 六時起床。午前中に、聖路加消化器外科外来で、初めて、「胃癌」と診断されている病変への処置につき、受診する。妻も建日子も、医師の曰くを聴きに行くという。聴く耳は慎重に多い方が好いと思う。
いちどで前へ進むのか、そんなに都合良く行かないのか、それはもうお任せしている、医師と病院に。少なくも十数年お世話になってきた聖路加病院だ。
☆ 清夜吟 邵雍
月到天心処 月はまんまる
風來水面時 そよ風水べに
一般清意味 この心地よさ
料得少人知 分るまいなあ
宋理学の大家の吟とはいえ、理に絡んで理窟読みしたくない。このままで好い。
2012 1・19 124
* 朝八時半に妻と家をでかけ、 十時には建日子も来てくれて、終日聖路加の中で右往左往し、とっぷり夕過ぎた十八時半に、どこへもたちよらず帰宅。建日子は途中から仕事の打合せへ走った。よく来てくれた。
* 今日の消化器外科での医長診察は、わたしのだけで「二時間半」におよび、午後には追加の腹部CTスキャン検査もし、さらに入院・手術に到る以前に必要な諸検査のスケジュールが立ち、逐一看護師の説明が加わり、入院手続きも済ませてきた。胃や腸のカメラはじめ厳しい検査が次々に予定されている。検査で相当バテそうな不安すらある。入院期間は三週間ほど、と。退院は三月中旬になるかも。それも、すべて、うまくいっての話。独りで外出など出来るまでにどれほどかかるのか、今は何も分からない。容態は、けっして楽観的に構えていられる状況になく、癌病変の位置が上寄りで宜しくなく、諸判断のためには、まだ不明の点が幾つもあるということ。とにかくも、克明な医長先生の説明を聴いていると、楽観して好い要素はあまり無く、蓋をあけて分かると謂うことのよう。さしあたり24日、早朝から胃カメラ、引き続いてバリウム検査。
* ま、そんな有様で。成るように成るとしか思いよう無く、医師を信頼し任せて状況を受け容れる、わたしはそう決めている。わたしよりも妻や建日子のほうがやきもきと心配であろう、思いも乱れがちであろう、と、可哀想に思っている。
* 何月何日に入院し何日に手術予定と言うことは、此処には書かない。お見舞いいただくのは、有り難くも申し訳ないが、拝謝したい。ご勘弁願いたい。
* さ、それに「湖の本」との折り合いがどうなるか。どうなろうとも入稿はしておく。去年、秋口の病がほぼ癒えてきたとき、「この道はどこへ行く道」と問い、「知つてゐるゐる 逆らひはせぬ」と歌って詞華集『光塵』を結んだ。つづく展開は。いい形で収まりをつけたい
2012 1・19 124
* 夕方までかけて、「 湖(うみ)の本」 通算110巻を入稿した。手術日までに初校が読めて戻せるといいなと願っている。
2012 1・20 124
* 神経も有ろうが体調はよくない。意欲を萎えさせてはならぬ。 2012 1・20 124
* すでに増血剤を飲み始めている。ひとつには輸血用に自己血を400CCとるので、そのためである。処方されたその薬を雪雨のなか自転車で薬局へ取りに行った。
その余は、もう一冊分のスキャン原稿の校正に集中、かなりの量をがんばった。
* 食欲はあるが、食べると腹部の違和感が鬱陶しい。半分は神経だろうと思っている。何にしても快からず、食べたくても食べるうちにイヤになる。血糖値も成る可く下げて置きたく、血圧の高い気味も降圧剤で抑えねばならない。
目の前の月曜23日には、腹部CTスキャンの結果が分かる。
火曜24日が朝の九時過ぎから、またもや胃カメラ、引き続いてバリウム検査。せめて天気が晴だといいが。からだに負担が残らなければ、午后、独りで東博へ行ってみようか。胃の中をいじり廻されたあとでは食欲も出まいか。
次ぎに三十日午后、検査結果に基づいて、また医師の診察と説明があり、あと、たっぷり採血される。さらに引き続いて看護師による面談と手術のオリエンテーションがあるらしい。
二月に入っても、続々検査が続く。中には大腸の内視鏡検査という難儀で厄介なヤツが待っている。胆嚢も造影検査するらしい。
* 時間をかけて、手術後病室で三週間ほどのあれこれ心用意をしておきたいが、前の校正と後の入稿とは済ませておければと、妻に手伝って貰っている。妻もわたしも、ま、なにやかや手仕事に追われているのは悪いことでないだろう。
2012 1・21 124
* 湯に漬かってくる。湯の中で睡くならなければ、五六冊の本を順繰りに読む。
* 隣室で妻のピアノが鳴っている。いつまでも、そうで在らせたい。在りたい。
2012 1・21 124
* 夕方、自転車でふらりと鮓の「和可菜」へ行き、肴で銚子一本を。やはり違和に阻まれて食欲は浅い。
2012 1・22 124
* どうやら増血剤を飲み始めた副作用が、胃のもたれや軽いむかつきや肌の痒みなどになって出ているらしい。発熱はしていないが、けだるさに負けて入浴はあきらめ、「トンイ」を見おえてから、また校正を一時間。妻にも手伝って貰っているので明日にもスキャン校正は全部終えてしまえそう。さ、今夜の仕事は、ここまで。 2012 1・22 124
* 医師の「電話」による診断で、先日行った腹部等のCTスキャンに癌病変「転移」は認められないと。予定通りに検査を重ね、予定通りに手術を行うとのこと。ひとまずホッとした。
明日通院し、午前中に、再度の胃カメラ検査、そしてバリウム撮影を受けてくる。今晩以降の食事が出来ない。
かなりの腹部違和は、増血剤を継続服していたからだと実感していた。三十日に自己血を400cc取る、増血剤の服用はそのあとからと医師の電話で確認した。
明日、妻は妻の循環器系統の、予定されていた諸検査を保谷近隣の病院で。聖路加の主治医定年退職後、こちらの病院に話し合いで移った。心臓の血管手術もこちらで受け、奏功。今は足どりなどわたしより元気で、軽やかに速い。
2012 1・23 124
☆ みづうみ、お元気ですか。
今夜から明日にかけて雪の予報が出ています。寒い中を胃カメラとバリウムに……では、どんなひとでも滅入ってしまいますね。
検査を一人で待つのは、自分の経験に照らしてもほんとうに心細いものと思います。父と母のややこしい検査にはすべて同伴していましたが、その一点だけでも、専業主婦であったことに後悔はありません。仕事を通しての自己実現は素晴らしいことですが、病気の両親の傍にいられたことはそれ以上に有り難いことと思います。
大腸の内視鏡検査には、大量の下剤を飲んで看護士さんに便のようすを見てもらい、OKのでるまで(半日かけてもダメな人もいます)何度もトイレ通いしないと始まらない検査です。体力勝負の一日仕事になるので、一番望ましいのは、検査のために一泊か二泊ご入院なさることです。前夜からの下剤は朝の電車が不安ですし、病室で休みながら、他人を気にしないでトイレ通い出来れば、これがじつは一番患者に消耗が少ない方法です。是非そうなさいますようお勧めします。
今回のご入院と手術は七十年ぶりくらいのお身体の大掃除とお手入れとお思いになって、我慢忍耐しかございません。今までこまめなメンテナンスしていらっしゃらなかったわけですから、ちょっと大仕事になってしまいました。
次の何十年かに向けての大切なステップです。みづうみは充分に地の頑健な体力がおありのようですから、ご心配はありません。時間はかかっても必ず回復なさいます。
そして、三月の歌舞伎が待っていますでしょう。楽しまなくては。 朱
* この検査が厄介そうで。当日午前中に自宅で下剤を使い続け、成功したと見られた段階で病院に電話し、そのあと大腸検査のために聖路加まで出向くという段取りだが。はて、徹底した人工的な下痢を尽くしたあとで、電車に乗って難なく行けるだろうか。ウーン 2012 1・23 124
* 晩七時。明日の検査のためにすでに食餌を禁じられている。朝七時半にはバス停留所に立っていなくては。今夜から雪だとも。入浴して、休む。
2012 1・23 124
* 雪の朝。六時起床。黒いマゴとの友情をもとめて、夜っぴてテラすへどこかの美形( だと妻は云う。) 猫が来訪し、鳴いていた。
* 食餌も水もダメ。でかける。雪でバスが満員通過すれば駅まで歩く。
2012 1・24 124
☆ 秦さん
「転移認めず」朗報です。
二十七日の大腸カメラには、ご自宅から病院へ、車で行かれるのが楽(横にもなれますし)だと思います。紙パンツを着用していると安心です。
二月三月も早く過ぎるといいと思います。くれぐれもお大切にされてください。拝 千葉 e-OLD
* そう出来るといいが。保谷から新富町はかなりの距離。有楽町線に乗れば一本で行けるけれど。電車の中でコトが起きてしまうとツライかも。
* では。出掛ける。
* 凍雪で、五度は滑ったが、杖でたすかる。二本脚より三本脚は安定している。バスの遅れている停留所で、幸いタクシーが拾えた。有楽町線の新木場行き、満員ながら好都合に乗れて、聖路加病院に着いたときは、予約に半時間あまり早く、好都合だった。
すぐ胃カメラ。手術のために胃内の何か何処かにシルシを付けるのが目的らしく、えらく長時間胃の中がかきまわされ、こういうときのわたしの「念仏」は、天皇歴代百二十五人を正確に数え上げるのだが、なんと三巡回数えても終わらずに辟易した。
済んでしまえば、何の苦痛も残らない。喉に液体を垂らしただけで、とくべつに麻酔はしない、いつも。
写真を見せられたが禍々しい毒々しい色していて、観たくもなかった。むかし雑誌「胃と腸」の編輯課長を務めていたときは、こういう写真をいやほど眺めていたが、我が身にふりかかるとは……あり得ないことではないと思っていた。
引き続いて場所を替え、バリウムでの撮影検査。これがまた時間「すこしかかりますよ」と前もって云われた通り。だがカメラに比べれば何でもない。台の上で融通の利かない図体を、一回転させたり俯いたり、心持ち右向き左向きと指示されて応じるのが難儀であった。それほど運動力は低下甚だしい。
人間ドックの大腸検査をキャンセルしたので、その先払い費用が戻ってきた。消化器外科で同じ検査をすれば、検査だけでなく、ポリープがあればその場で取り去ってくれる。だが、これ、胃カメラより憂鬱。腸を、徹底的に薬物刺激的にカラッポにしておいてから内視鏡を使うのである、強烈な浣腸を繰り返し繰り返し長時間強行強要するのだ、そんなこと出来るのと、半信半疑。
* なににせよ今日の二つの胃検査はほぼ午前中で終えたので、タクシーを拾い、もう事実上出来上がったような、業平町の「スカイツリー」足もとまで行って貰った。
いや、たまげた。一つ、高い高い。二つ、美しい。三つ、でっかい。四つ、写真にするのが甚だ難しい。五つ、晴れた空がきれい。
* もう一つ、渡り遺していた白髯橋の際までタクシーを使って、橋を、歩いて渡った。もう主だった隅田川の大橋はたぶん全部徒歩で渡りおえたと思う。楽しいトライだった。
暮らしている西東京は大川に甚だ縁遠い。荷風や歌舞伎や浅草で、隅田川がわたしは好きになった。橋をぜんぶ歩いて渡ろうときめたのは、わるくない趣向だった。
白髯橋の西詰めから、浅草寺裏のひさご通りまでまたタクシーをつかい、胃をかきまわしたあと、こりゃまずいかと思ったけれど、すき焼きの「米久」にあがって、えいとばかり「櫻正宗」一本もろとも、特上の肉一人前を飯、汁、新香つきで食べてきた。このところ不調の食欲をのりこえ、美味かった。
鶯谷駅までタクシーで。建日子の「ダーティママ」を読みながら保谷へ帰ってきた。凍り付いた雪はまだガリガリ靴の下で鳴った。 2012 1・24 124
* まだほの暗い六時に起きて外出する、そういう日常ではなく、草臥れた。幸い、起きなくてはならなければ、わたしはきちっと起きてしまい、粗相したことはない。体質的に出来るのでなく、気合いでしているだけ、だから気疲れもしている。
* とろけるように睡い。機械仕事をしていながら、ときおり睡っている。気が付くと失笑する。しかし不快な眠りではない。
2012 1・24 124
* 胃腸のバリウムは、ほぼ排出されたか。腹部不穏も違和も感じていない。
2012 1・25 124
* それより問題は二月上旬に再度用意した中村屋の襲名興行。いましも猛烈に叱られた。インフルエンザに罹ったらどうするんですか、と。もっともだ。
☆ こわがらないで。
ひとつずつ。皆で念じているのを忘れないで。さらに。書いて残してください。 川 大阪府
* 感謝。
☆ 二月歌舞伎 龍
手術入院前に歌舞伎にいらっしゃりたいお気持ちは、よーくわかります。ですが、絶対におやめください。
劇場のような限られた空間に人の多く集まる場所で、インフルエンザをもらってきたらどうなさるおつもりですか。今、世間で恐ろしく流行していることをご存じないのですか。今年はあまりに患者数が多いので、放射線の影響で多くの人の免疫力が低下しているのではと危惧している人もいるくらい、大変な勢いです。
しかも、今のみづうみは健康体ではありません。病人で体力が落ちています。インフルエンザに罹れば重症化する可能性もあります。癌は治る病気ですが、侮ってはいけません。
もしインフルエンザで体調不良になれば、手術そのものが危険になり、手術は延期されます。聖路加のような大病院は、予定がぎっしりで、次の入院手術可能な日にちが何週間も先になるのは当然です。その間も癌細胞は成長を続け悪さをします。一日遅れればそれだけお命にかかわる事態になります。
はっきり申しまして、歌舞伎と命のどちらをおとりになるかということです。あまりと言えばあまりの暴挙で、怒っています。二月の歌舞伎をあきらめたって歌舞伎がなくなるわけではなし。今は手術に向けて、日々体力を温存するのが第一です。おとなしく我慢なさってください。
* 予防接種はどうかと問い合わせたところ、病院は、奨めないと。それよりも、外出には必ずマスクし、手洗いとうがいをしっかり励行して下さいと。決め手はそれに尽きますと。
今は手術に向けて、日々体力を温存するのが第一と、「龍」さんの曰く、まことに理を践んでいて、脱帽する。 2012 1・26 124
* 妻が、シーバス・リーガルを買っておいてくれた。今のわたしにウイスキーがどうなのか、そんなことは知らない。
わたしは水で割らない。ストレートでダヴルグラスで半ばずつ、ゆっくり、つづけて数杯も味わううまさは格別。仕事にも潤う。それが嬉しい。
2012 1・27 124
* 入院前の懸案としてきた「 湖(うみ)の本」 110 111上下巻の入稿を遂げた。上下の量的調整もおおよそついたと思う。あとは、しっかり校正したい。一月は、日曜もふくめもう三日間しか残っていない。三十日午后いっぱい、病院で、診察と診断説明や、自己血採血や、入院や手術のオリエンテーションがある予定。せめて月末、外出してみたいが、前日からの流れで疲れずに済むといいけれど。いまはまだ何とも。
2012 1・28 124
優れた詩人ほど難儀を極める字句を濫用しない。それで陶潛も李白・杜甫も白居易も愛されるのだろう。
奇怪とも当然とも思うのは、現代中国政権の行業には、悪意の算術に長けた政治のみ露わで、文化・詞藻の美しさのまるで感じ取れぬこと。
それにしても今日は、明日の自己血採血にそなえて、禁酒を命じられています。
2012 1・29 124
* 上巻前半を要再校で送り返し、上巻後半も校正を進めて、たぶん今日中に終えられるかもしれない。上巻はエッセイふうに読みやすく取り纏め、下巻はずっしりする。
問題は、少なくも上巻は入院中に出来てくるか、入院中に責了に出来るかも知れない。
さっきも妻が手術予後について、病院でドクターから念入りに説明された印刷物を読んでいたが、それによると術後に重いモノを持ったり運んだりは禁物とあると聞いて閉口した。湖の本の堅い封筒の200頁一冊は軽くない。つねの発送時にはそれぐらいの一冊を五十、六十冊もダンボールに詰めて、作業場のキッチンから玄関まで持ち運んでいるのだ。
今度の上下巻については、工夫をこらして別のいい方法を案出しなくてはならない。
それも手術が平穏裡に成功し無事に退院できての話であるが。
とりあえず明日午后いっぱいの、自己血採血と、医師の診断、看護士のオリエンテーションに疲れてしまわないようにするのが、第一。
2012 1・29 124
* 早朝、読書を終えた。右膝下に痛い攣れを感じたまま堪えた。ひところ異様に熱いほどだった足先が、昨日今日は凍えたように冷える。腹の痛みもきのうから今朝へ紛れないのも、冷えのゆえか。
上巻後半の校正が、もう少し残っている。此処上巻から下巻へ送り込む分をはぶくと、上巻の頁はほぼ尋常に落ち着きそう。跋文を入稿して、出来れば校正しておきたい。きつい力仕事にならずにすむ発送用意も、可能なだけは入院前にしておきたい。
* 献血した記憶が二度はある、二度とも青壮年期で健康に何の煩いもなかった。今日午后の採血が心身にどう障るか分からないが、年齢が年齢だけに気がかりではある。増血剤の今後服薬というのも嬉しくない、先日少し体験したが、むかむかして気分がわるくなる。
今日一日の体調をみて、大事なければ明日は街へ出てみたいが、今夜までは決心がつかない。やれやれ。
2012 1・30 124
* 疲労というか何というか。診察にも、採血とその後のケアにも、オリエンテーションにも、のべ長時間かかり、会計のときは病院はもう店仕舞いしかけていた、外はとっぷり暮れていて。
採決後、栄養をとりなさいと言われたのはいいが、それどころか、体調よろよろと、とうとう帰りの電車では、一駅めか二駅めで座席の儘気分悪くなり、辛うじて寒風のホームへ転がり出て、吐いた。
エスカレーターに乗ると、すうっと血が引く感覚で、腰も激しく痛み、家に帰り着いたのは九時過ぎ。
400ccの血を一気に抜くのは老人にはかなりアトを引くモノだと思い知った。想像以上に帰路が辛かった。
このところ「仕事」に根も詰めていた。全身に疲れは凝っていただろう。
医師にいろいろ言われてきたが、ま、委ねて待つだけ。
* 採血後の体調はほぼ平静であった。タクシーで帝国ホテルに入り、「なだ萬」の美味い日本料理を堪能した。酒のなだ萬も美味かった、りょうりがあんまり佳いので酒もお代わりした。気分良く、むしろ元気だった、が、五階のクラブに入って、エスカルゴでウイスキーを一杯だけ飲んだのが障ったのかも知れない。異様に体温が上がって、電車で急に胸苦しくなった。
ホテルからタクシーに乗るべきだったか。
2012 1・30 124
☆ 疲労というか何というか。
学生のとき、献血したことがありますが、以後はありません。
花は低血圧で、普段でもめまいのすることがあります。
献血した友人が、その場で貧血になり、輸血してもらった、なんて話もあります。
昔の人は、よく瀉血なんてしたなあ、と、思いますよ。あ、あれは西洋人でしたでしょうか。
風が400 ccも採るというので、影響があるだろうなあ、と危惧していました。
若い人でも、クラクラする量ですよ。
病院で一晩休めればよかったけれど。
よくご帰宅なさったと思います。
風はまだお休みかな。どうぞ、横になっていてください。
地震や噴火も心配ですね。
何事もないよう祈っています。 花
* ありがとう。
* もう明後日には、大腸の内視鏡検査が予定されている。昨日のことがあり妻は案じているが、案ずるより産むがやすいものとわたしは決行する気。
二日午前中に、徹底した人工的な下痢を繰り返し腸内をよほどきれいにしてしまってからしか、内視鏡が使えない。これがどれほどの消耗を意味するかは未経験で想像しきれないが、体験者もけっこう大勢あることで、ま、わたしも、やってみようと思う。一時的に閉口しても、はやく体力の回復するのを祈ろう。
問題は、そのあと「家から病院まで行く」というのが、どれほどの冒険になるのかが分からない。幸い保谷からは地下鉄一本一時間強。その前後を含めて一時間半ちかくを腹部不穏に耐えて通わねばならぬ。初体験というものである。
その後日、もう一度、胆嚢を調べる。
昨日の診察では、手術は、胃全摘そして胆嚢切除となっている。ま、成功させてもらいたい。
2012 1・31 124
* 黒いマゴもわたしを案じているようだ。大丈夫だよ。
* 明日の検査のためには、文字通り強行下痢による空腸化作戦が敢行されねばならない、もう作戦は始まっている。栄養として吸収されやすく、しかも胃腸に残存しないで排泄される飲食物をむしろ摂ろうとしている。
2012 2・1 125
* 建日子来訪、手術前のあれこれについて相談する。
* 病気が病気だからと建日子は緊急判断して、姉朝日子に父の容態を知らせたという。もう三週間ほどたつが、何の返辞一つもないと。
2012 2・1 125
* 八時まで、で、食餌は停止。それ以降は、明日の午前中まで未体験に挑むことになる。
* 建日子、八時までいてくれて、相談も出来たし、彼の仕事も進んでいるらしかった、いつも新鋭機を駆使して原稿を書きつづけている。若いアタマが回転しているのだ、いいことだ。慎重に、大胆に。
今夜は十時から「ダーティママ」の第三回。永作博美にも香莉奈にも馴染んできた。刑事役の永作も巡査役の若いのも建日子の連続ドラマで馴染んでいる。
2012 2・1 125
* 十時に何か飲むことになっている。
明朝は六時から何かしらいろいろやり始めることに。さ、うまく腸がきれいになるといいが。
こころもち、食欲を落としている分もあって、鏡に映る頬がかすかに削げている。しかし、いまでも83キロは下るまい。腸が人よりも長いと困るなあ。
2012 2・1 125
* 十時。 夜前九時から一連の空腸化操作を終えたと思う。夜前に飲んだ200ccの水に、終夜便意を催されたのは辛かったが、家の中だという安心安定感に助けられ、苦痛はなかった。便座の上で本を読んでいた。
前日、つまり昨日から、常用の柔らかい下剤をあえて二服し、姿形のあるものは食べず、栄養分のあるスープに卵を溶いたのを、つまり水分滋養だけを、許された時間まで口にしていた。これが効いたと思う。
今朝六時に極小量水で平常の薬、降圧剤と増血剤を服し、八時から始めて十分間隔で毎度200ccのなにかしら特殊な冷水を都合一升飲み続け、九時半には所定の坐薬も一度入れ、とにかくも夜来便意とあらがい排便し続け、病院から要求されている状態に至りついたと思うので、病院に連絡。さほど消耗していない。電車で十分行けると思う。むしろ検査のほうが楽なのではないかと昨日のメールにもあった。楽観はしないが、検査が受けられればそれでよい。なにより家の手洗いを、遠慮無く存分に独占して使えたのが有り難かった。
* 十三時に 病院に着。
二時前から検査が始まった。ずいぶん長時間だったが、鎮静剤を用いての手技であったので、ほんの数回ウッと呻きたいときが有った程度で、らくに終えた。むしろ検査の方がラクかもという情報に力を獲ていた。
検査の結果、大腸の方には、三個所ほどのポリープ以外に異常は認められなかった。
検査術後、一時間ほど安静と点滴を命じられたので、しかもポリープを三つほど摘出していたので、あとの食事制限が厳しく、院内食堂で白粥を一膳食べただけ、寒風に吹かれながら、地下鉄で帰った。六時過ぎ、暗くなっていた。黒いマゴが安心したように出迎えてくれた。
* これで、あます検査は、これも胃全摘と共に剔除予定の胆嚢検査が、一つ。そして入院。
いま、お腹の中がククウと低く鳴っている。違和感はすこしもなく。ただ、夜前のほぼ徹夜に近かったのが手伝い、病院からの帰りもグッスリ。今も、睡くて睡くて。
* しかし下巻の初校出。明日には上巻の「秀歌撰」の再校が届く予定、ぐんぐん追いかけられる。印刷所と追いつ追われつ、有り難い、それが精神衛生になっている。
2012 2・2 125
* 明け方まで、梅原猛さんらわたしも含めて四人座談の夢を観ていた。アトになると梅原さんと二人で話し続けていたが話題はもう覚えない。懐かしい気分があとに残った。
2012 2・3 125
* 胃腸の何もかもをキレイに一掃したい願望は何度ももっていた。だから有るだけを排泄し尽くした状態は、何だかサッパリしていた。ふらつくこともなかった。よほど過剰なのだということか。
術後近未来のことが予想できないけれど、湖の本せめて上巻は適切に発送したいと願っている。入院前にも、出来るだけの用意をしておきたいと。
昨日今日、明日も、酒を呑ませてくれない。美味い酒が呑みたい、クラブから持ち帰った度数60超というブラントンが飲みたい。
風邪を引くと、手術が無期限延期になる。いまの時点で手術できるのはラッキーだったと、どの医者も言うので、用心している。手洗いとうがいとを励行している。
* いま日記に自然こういう話題が多いのは、これがわたしの「いま・ここ」以外の何ものでもないから。
2012 2・3 125
* 二月十日に追加で注文し手に入れていた演舞場昼夜通しの入場券、やはりインフルエンザに警戒自重して、急遽、映画の原知佐子に友達とでも観に行ってと進呈した。先に手に入れていて手術と入院でとても観られない昼夜二人分も、夜の部は息子が誰かと観に行ってくれる。
残念だが、やはり此処は自重するところだと思う。通院はやむを得ないが、他の日にそれも劇場にというのは、用心に越したことはない。
* 何やかやと事多い一日であったけれど、仕事も要事も捗ったのが何より。じりじりと日かずを数え重ねている。入院中の見舞いは堅く辞退している。
2012 2・3 125
* 今暁、去年の秋以降なんども悩まされた腹痛に苦しんだ。六時には床上に座り込んで腹をおさえながら本を何冊も継いで読んだ。『ネシャン・サーガ』上巻を読み終え、三巻『栄花物語』の第二巻を読み終えた。
痛みは治まらず、起床、キッチンで温湯を飲んだりしながら堪えこらえ、録画していた「平清盛」を観てから、二階の機械の前で今回上巻「跋」を書き上げ入稿し終えた。どうやら、ほぼ痛みが退いてくれていた。
外科医の診断ではわたしの腹痛は胆嚢の胆砂のセイであろうよと。それで胆嚢検査もしておいて、手術当日胆嚢もとってしまうということらしい。
とにかく今朝は相当痛かった、永い時間。やれやれ。
* この先は、子供が泣くように術創の痛みに相当苦しむのではないかと思う。そんなときも、必要な「仕事」があって出来るなら紛れるかしらんなどと思っている。
2012 2・5 125
* 一度治まっていた腹痛がまた起きかけている。仕事を「追って」いるのがプレッシャーになっているのかも知れぬと思う。左右の肩が鋭器でグリグリさすように痛むのは疲れと思われる。しかし、休んでもおれない。わたしなら難なく出来る仕事も、万一息子や妻があとを執って進行するとなると、けっしてそう容易ではないのだから。
とはいえ、安定剤が効いて眠気が近寄っているのなら、暫く寝込んでいたい。
* 午后の腹の痛みもしつこかった。どうやら確定的に胆石・胆砂の痛みというのが当たっているようで、妻に背筋の下の方を指圧してもらい、痛みが緩解した。パソコンの検索も役に立ってくれた。
「平清盛」「陽炎の辻」を楽しみながら、下巻本文の校正にも手を付けていた。今夜はゆっくり寝たい。
2012 2・5 125
* よく眠れて、七時半にはすっきり起床。
思い浮かぶ仕事や要事はいっぱい、その交通整理にメモがたくさん出来る。
2012 2・6 125
* さて明日の朝は、六時起きで、病院へ。もう、かなりぐたりとしている。
2012 2・6 125
* 六時に起き、雨中七時八分のバスで保谷駅へ、そして有楽町線で聖路加病院へ。今日は胆嚢のCTスキャン。造影剤にすこし反応して痒みが出た。検査前の用意の方が一時間ほどかかり、検査は十分間程度で終えた。雨は、予報に反してほぼあがっていた。気温も高かった。
有楽町、帝劇下のおなじみの「きく川」で、菊正正一合で鰻重を食べてしまってから、このところの胆石痛には拙い食べ物だと慌てたが、ま、美味いなら佳いさと、ペロリ。家に電話して妻に怒られた。
もう入院手術まで自由に街歩きする機会はないのだと、外科医に貰った完璧なマスクとのど飴と杖と傘とで、もっぱらタクシーをつかって、下町を。スカイツリーも、また。長命寺へも白鬚神社へも。
言問通りから鶯谷駅南口へ。公望莊で蕎麦をたぐってから電車に乗った。その間、余裕が有ればずうっと上巻前半の「千載秀歌」を校正していた。保谷駅でパンなど買って帰った。
これで予定の検査はみな終えた。十二日までの五日間が、わたしには貴重な入院前の自由時間。
* やす香のお友達に、先日来三度まで華奢な色花をたくさん寄せた花の鉢を貰っていた。恐縮していた。
結婚と就職という両手に花のこの人の幸運に、ぜひ励まされあやかりたい。
2012 2・7 125
* 綱渡りのようであるが、『千載和歌集と平安女文化』上巻と下巻との頁配分ができ、200頁ずつ、都合四百頁の大冊ができることになった。『バグワンと私』は日乗であったが、今度のはすべて批評・評論・論攷で纏まっている。平凡社で『中世と中世人』という大冊を出版したのに優に並ぶ。湖の本には『中世の美術と美学』三巻もある。『いま、中世を再び』もある。『花と風』という古代と中世への美学もある。
明日には上巻の後半が届いてくる。うまくすると、仕事がずんと前へ動くだろう。
* さ。夜前の眠りは足らなかった、十一時だが、もう休もう。
2012 2・7 125
* 上巻後半の再校が出たので、懸命に読み進んでいる。もう「あとがき」だけが残っていて、明日には「表紙」も責了に出来る。上巻から或る程度手が離せたら、こんどは入院中のこと、と、同時に万一に際しての用意もしておかねばならぬ。手術の成功に十分な希望は持っている、が、何が起きるか知れぬという覚悟と用意もしておかねば。とにかく今日は再校に打ち込んでいる。
2012 2・8 125
* 大腸内視鏡ではポリープを三つほど切除したが、幸い良性で此処は心配がないと、医師の電話診断で知れた、が、胆嚢の方は炎症を起こしやすく、それにより発熱などあると手術に差し支えるので大事にして欲しいとも念を押された。
明日の演舞場、勘九郎襲名も昼夜とも断念し、小林桂樹と共演した「黒い画集」の原知佐子が、連れを誘って観に行ってくれる。ホッとしている。
よくやすんで、明日も早起きして要事と仕事とに立ち向かう。
* よくよくの天災地災人災が無いかぎり、たとえ癌と雖も手術で命を危うくすることは、まずあり得ない。だからといって、備えなくていいということにはならず、最も必要な備えは「遺言」である。しかるべき役所に出向きたかったがそれは叶わなかったけれど、数次の話し合いも重ねて、私が自筆の「遺言」は明日にも書いておく。一つには、僅かとはいえ私にも遺産となるものが多少ある。二つには多数にのぼる著書・著作関連、湖の本関連、ホームページ関連の全配慮と保存・保管・運営という観点がある。三つには、それなりに個別に言い残しておきたいことも有る。
及ぶ限り正確に妻と建日子とに托しておきたい。またもや、妻や息子が、醜くて不幸・不道の裁判沙汰に見舞われてはならない。 また、妻として家政上知っておきたいこともあろう。万一に際して答えられる限りは用意してやらねばならない。
2012 2・9 125
* 四国讃岐から、とても上製の「生湯葉」を頂戴した。
いまの体調では、むしろ胃よりも胆嚢の炎症がよろしからず、わたしの好きな食べ物は、天麩羅・鰻・肉そして強い酒など、ひとしなみに禁じられている。しかもタンパク質は必要とか。湯葉は有り難い。
2012 2・10 125
☆ お元気ですか。
お仕事頑張り過ぎていらっしゃらないかと心配しています。手術は来週はじめでしょうか。教えてください。
わたくしはせっせと「闇に言い置く 私語」編集の作業を続けることにしています。この仕事をしていると、いつもみづうみのすぐ傍にいるような感覚になります。読み直す度に新たな発見があり大変面白いのです。たとえばこんな記述を発見して、なるほどと納得したり。
>> ときどき、自身の内に小説家・批評家のほかに「編輯者」が根強く生き残っていて、おまえ( つまり自身の) 晩年の作風を、「編輯力で構想せよ」と教えてくる。決して『清経入水』や『みごもりの湖』や『慈子』のように書こうと、もう、思うな、まだそれが出来ると思うのは錯覚だ、それよりも、おまえの「人生」を縦横に編輯してみよと云うてくる。
じっと、聴いている。
読者がまんぞくされるかどうかは、別の問題。 2010 4・9
宗遠日乗の編集作業を存分にさせていただけるわたくしは、ほんとうに幸せ者です。
ご入院前のみづうみに深刻な話題はしたくないので、詳しくは書きませんが、原発事故の影響は益々深刻になっています。科学的に正しいのかどうかわかりませんが、あるドクターは「第二次大戦の死者などものともしない数の日本人が死んでいく」「日本人の何割かが( 今度の危害に悪影響されて=)死ぬ」と予測していました。もうとんでもない事態です。
みづうみのような高齢者に属する方々にはそれほど顕著な影響がないでしょうけれど、大切な建日子さんは相変わらずマラソンを続けていらっしゃるようで心配しています。一事が万事で、食生活もあまり気にされていないような気がいたします。怖いのは脂肪肝ではなく、放射性物質のほうです。是非、東京という都会はチェルノブイリレベルの場所だらけという認識を持っていただきたいと思います。肺からさまざまな核種を吸い込んだり、食べ物から取り込むのが一番危険なのです。
チェルノブイリでは、事故後、必死に被曝軽減を試みて周囲に「キチガイ」扱いされていた母親だけが子どもを守ることが出来たという実例を、どうか教訓にしていただきたいです。
建日子さんはお若いのですから、是非東京脱出を含めて、深刻な現状認識をお持ちになって、自分の身を守ることをしていただきたいと願っています。佳い創作のためにも。ご両親のためにも。
お元気ですか、みづうみ。みづうみのお声が聞きたいと思ってしまいます。 雪兎
* そんなこと、書いていたのをはっきり思い出す。実感に突き立てていたのだろう。
この人にはよく怒られる。いや、よく怒ってくれるのであり、芝居見物か手術かとヤラレた時は感謝した。あれこれ抵抗してみたかったが理の当然には負けた。負けて良かったと感謝している。ほんとうだと今日一日演舞場にいたはずだが、今日一日の仕事や要事の捌きからみても、今日は三日にも四日にも相当していた、家の中で安全にうちこめた。なんとしても悔いなく入院しきちっと手術を受けたい。
原発のこと、わたしも、そう違わない思いを堅持している。
健康法でもあるにせよ、真冬の、道も凍てがちな時季に息子のマラソンや遠距離の自転車乗りなど、少しも賢いこととは思わない。四十数歳。ちと、気取ったガキめく。怪我しないでくれよ。
2012 2・10 125
* もう校正に時間を取られていてはどうにもならぬ。
今日二十三時で、この日録も、メールボックスも閉じる。機械は閉じて、退院まで開かない。メールなど全ては、退院を報告した後のことに願います。
2012 2・12 125
* 朝、聖路加病院に入院する。明後日、朝早く、手術。
* 必ず、無事退院してくる。 留守の無事平安を願う。
2012 2・13 125
二月十三日、聖路加病院に入院。
二月十五日、胃全摘、胆嚢切除、八時間に及ぶ手術。 妻と息子と、待機。
そして
三月三日、退院。 この間の「日乗」は書けなかった。
2012 2・13 125
* 今日十二時半、息子・秦建日子の運転する車で、無事、聖路加病院消化器外科病棟より帰宅した。
折しも雛の日。妻と息子とは「和可奈」の鮓で、わたしはホンのすこし箸をつかって、退院祝いをした。札幌のmaokatさんお心入れのお見舞い、みごとな百合根でとろみの卵汁を作ってくれた妻の味が嬉しく、一碗をのどに通したのは大出来。
この二日、まことしつこい吃逆( しゃっくり) と便通なしに悩んでいたが、それで呑みも食べも殆ど全然出来なかったのが、多少胸元での閊え感に悩みながらも、おいしく腹まで納められ、吃逆も止まっている。ありがたい。
* 建日子運転の自動車震動も腹に堪えることなく、高速道路からいろんな建物を視認しつづけながら、思いのほか安楽にすばやく帰ってこれた。忙しいさなかに時間の都合をつけてくれて有り難く嬉しかった。退院を一緒に祝ってくれてから、車は此処に置いて、徒歩でまた「仕事」へ出向いていった。
* 二月十三日に入院し、十五日に八時間の手術。胃全摘そして胆嚢切除。以降今日まで、妻はおおかた病室に寝泊まりしながら築地と西東京とを必要に応じて往来してくれた。時には一日二往復もしてくれた。さぞ疲れたろう、心よりありがとう。永い留守居に懸命に耐えてくれた黒いマゴにも、感謝。
* 退院してこと終えたのではない、不幸にして十九個所のうち一個所のリンパに転移が認められている。今後の対応にさらにますます苦汁は嘗めねばすまない。通院検査、さらに抗ガン剤の服用など。
退院時の体重は74.5キロ。10キロは確実に痩せてきた。まだまだ痩せる。
* 入院中に大勢の方のお見舞いを、お手紙やメールで戴いていた。有難う存じます。
まだ階段の上がり降りにふっと気の遠くなりそうな不安があるが、出来る限り留守中のしまつをつけたい、しかも次の月曜、明後日には、病院で責了にした「湖の本」110『千載和歌集と平安女文化』上巻200頁が出来てきて、発送しなければならない。もっぱら妻に頼むしかなく、作業はゆーっくりになる。下巻200頁もすでに病室から全三校が頼んである。この上下巻はきっと楽しんで頂けると自負している。
2012 3・3 126
* 吃逆は軽微につづいているが、便通の止まった儘なのが気持ち悪い。たとえ食べたくても食べにくい。食生活の激変に耐えて馴染まねばならない。入院前の100に比べていま口にしているのは、3 ほどで、それも胸のつかえを気がかりに、そおっと喉へ送り込み、それでも胸元をかるくトントンと打ってやって下へ落とすようにしている。
昨日「珠」さんから頂いた京の権太楼のうどんを、それでも二、三筋おいしく食べた。ありがとう。
* 朝早に床をはなれ、もう夕方。寝ていない。留守中の郵便物の山をかたづけ、また山積している各種の投薬を整頓することから机の上をくつろげていた。
午后には機械の前へ辿り着き、びっくりするほど沢山な退院を喜び励まして下さるメールを、いちいち読ませて頂いた。
* 「書きたい」思いのいろいろ溜まっているのは意識しているが、さすがに疲労している。からだを横にしてきたい。
* わずかな便通を導くために苦心惨憺、ときに絶息するかと思う苦しさのまま、少量の水分を吐瀉したりする。ガスは出ているので頼みにしている。食餌はぜひ摂らねばならないが、便通を妨げて苦しくなる。しかし脱水は怖れねばならず、その水分が、すらすらすらとは飲み下せない。いかにもひ弱い体力に落ちているのが自覚できるが、歩くことにも努めないと体力が出来てこない。処方されている錠剤を喉より下へのみこむのも容易でない。
* 留守に届いていた手紙や、昨日今日のメールを読んでいた。またドラマの「平清盛」なども楽しんだ。
病院へわたしは源氏物語宇治の「総角」巻、ゲーテの「フアウスト」「ゲド戦記」の第二巻を持ち込み、最良の選択であったが、ほかに自作の幾つかも持ち込んで、ていねいに読んできた。なかの、「絵巻」は、われながら美しいと思えた。ありとある待賢門院を書いた読み物を高く藝術的に超えていると、胸を張って嬉しかった。史実を認識しながら全く想像力を遊ばせてフィクションの美を組み立てている。文字で書いた「絵巻」として完璧であった。そういう思いにもなれた病室暮らしだった。
2012 3・4 126
* 昨日微量、今日少量の便通があり、この五日來の鬱屈にやや転機を観た。全身に力がなく、いかにも萎えた感じがする。家の中をすこしでも歩くように努めている。
* 「退院」見舞いの有り難い数多いメールを、そのままにしておけないので、全て、指定のフォルダに保存した。今日一日かかったが、有り難いことである。
* 妻は今後の診療をよりよく見定めたいと俄な勉強に熱中しているが、わたしは今暫くそのことから解放されていたい。心身の平穏とすこしでも強壮化がはかれるようにしたい。
* とはいえ、せっかく便通があったのに、そのあと三度打ち四度打ちの吃逆の連打とともに胸元が不穏に悩ましく、白い唾液を何度も何度も洗面器に吐いた。疲れてしばらく二時間余もよく寝入ったけれど、目が覚め、少量の水を含む内に激しく胸つまり、むせかえって、はじめて、かすかに黄味を点じたふうの唾液・水分を過激な苦しみとともに吐き出した。
強いて起き、て機械の前へきた。しばらく、機械の中に撮り溜めた写真の、順序無く自動的にスライドされて行くのを妻と観ていた。
2012 3・5 126
* さて、家に帰ってからの体調を、なんとしても食餌から、脱水の用心から、筋肉の衰えから、ま、およそこの三面から計らねばならぬ。むろん風邪などひくわけに行かぬ。
ここ当分、電話口にも出るのは負担であり、手紙やメールや頂戴物への返信やお礼もすべて差し控えて、その力は体調のひたすら安定に注ぎたい。失礼をお許し下さい。
2012 3・5 126
* 夜っぴて吃逆の五連拍四連拍になやまされ、とどめには気道に蓋され息も出来ず苦悶のさけびで唾液を吐き出していた。催眠系の薬を二錠飲んで三時から八時まで寝入ったが、起きるとすぐさま苦悶の絶息にたえる。体力は落ちて行く一方か。
2012 3・6 126
* 十時、『千載和歌集と平安女文化』の上巻が出来て搬入されてきた。余儀なく、妻の手に委ねるしかなく、いつもの十倍二十倍もゆっくり送り出す。
わたしは不調で生彩も元気もない。やれやれ。からだを起こして起きているのがしんどい。病院では病棟を歩いて鍛えていたが、その元気が失せている。弱った。
* 便通があったが、吃逆から息詰まり、叫びながら唾液を吐き出す苦痛は相変わらず。
2012 3・6 126
* 久しぶりに十分間ほど入浴した。きもちよかった。水分を臆病に呑むのをやめ、なるべく普通に呑み下そうと。
吃逆が治まっている機に、やや催眠性のあると聴いた錠剤リーゼをのんで床に就いた。
2012 3・6 126
* 六時過ぎまで安眠した。電氣をつけて、「ファウスト」第二部、「源氏物語」宇治十帖、辻善之助「田沼時代」翻訳物の「風の影」を読んでから身を起こした。相当好調な排便があった。術創の痛みは平穏で、激しい咳込みもこたえないのが助かる。
2012 3・7 126
* よろしくないのは全身の疲労で、歩行意欲がゼロに近いこと。わずかに階下からこの機械の前へ来れる程度。これは良くない。
十五日には聖路加へ受診しなくてはならず、十九日には高麗屋父子の「山科閑居」になんとか出掛けたいが。それどころか、三月には平成中村座の平場が昼夜とれている。
この体調、ありさま、甚だ危険信号である。
* 三時過ぎ頃かすかに寒気を感じ床に就いた。七度八分。八度過ぎると危険で病院へかけつけよと言われていたが、脱水も加わり吃逆がらみに水分をかなり吐き出している。氷枕等で冷やしているが。いい徴候でない。
2012 3・7 126
* まだとても体力も気力も及ばず、お手紙やメールにご返事する根気がない。
昨日は七度半ばの発熱を発汗と氷枕などで辛うじてかわしたが、身に沁みて認識の必要なのは強度の脱水であり、吐こうがどうしようが水分を強引にからだへ送り込まねば、すべてに危険信号がともる。一日に二リットルものむということは事実上いまは不可能。それでも吃逆に反撃するようにせめて200、300ccでも小腸まで呑み込まねばいけない。逆流してくるのは吐くしかないが、せめて吐くぶんの倍量をからだに通したい。何とも苦痛。
幸い排便と排ガスは出来ている。腸閉塞がおそろしい。もう一つは肺炎を怖れねばならない、さらに風邪などの感染。おちおち安心がならぬ。
* 体重のいちばん有った頃は86キロを超えていたのが、74キロほどに減っている。昔からじっと手を見るタチであったけれど、手の甲も腕も細く、しかも無数の縮緬皺になって、逆の手でしごくと、まるで小波の走るさまである。
2012 3・8 126
* 何としてもなにとしても歩行して脚力や筋肉を鍛えねば。思い切って戸外へ出ることを励行したい。病院では一周九十メートルある病棟廊下を、頑張ったときは五周も、独り、杖だけで歩いていた。寝ているワケには行かない。
昨夜は安定剤の催眠効果に期待して寝た。かなり安眠できていたが、朝の体温がやはり七度台に上がっていたので、ロキソニンと厚着とで発汗、着替えて落ち着かせた。血糖値、血圧は今朝は正常。 2012 3・8 126
☆ 湖へ 珠
前略 無事お戻り、うれしく、ありがたく。
今はどうもまずい我身をもて余していることと思いますが、体自身が今の身体に慣れるまで、もう少し もちこたえて下さい。
栄養不足は気力も、うせます。美味なる食事は先の話で、今はできれば味不足でも身体を助ける品を取りこんでみてください。
(お送りしたのは=)病院からも処方されているかもしれませんが、免疫も上げる栄養ドリンクです。術前術後の方の基礎免疫を助けます。ちょっと豆乳のような味で苦手かもしれませんが、一口でも身になれば…と思います。無理無い範囲でお試しください。 補液用の OS1は、ポカリスエェットなどより Na Kが整っています。 ゼリータイプは状況によっては飲みこみづらいかもしれませんか、ひとまず…。
先日の京の権太呂の品々は、奥様のそろそろ戻られてお疲れもでる頃かと送ってしまいました。召し上がれない時に届き、心残念に思われたかもと…失礼致しました。それでも一口でも、お口に入れて頂けたと「私語の刻」で拝読し、うわぁー!!っと思わず声がでました。
体重が落ちるのは当然ですが、痰出しなどでエネルギー消耗し、免疫力が落ちては、折角がんばって悪いヤツラ}(がん)の数をへらしたかいがなくなります。
今はただ、一口が次につながります。どうか、大変ですが、こまめに一口を!!
どうか、 お大事に。応援してます。 かしこ 3月7日
* ありがたいかぎりです。
* どんな姿勢だと、食道から直通してしまった小腸への食べ物や水分の「通り」がいいのか、それがわからない。一直線には繋がらず、途中で九十度に屈曲している写真をみせられた。あれではスムーズにものが通らないなあと。造影剤はじつにやすやすと綺麗に入ったと聞いたが。
なんとしても呑むも食うも容易でなく、入れた水分の少なくも三分の一は、かなりの苦痛を帯同して吐き出さずに済まない。怖いのは脱水だが。吐こうが噎せようが呑まねばからだが、ひからびてしまう。発熱もする。朦朧ともする。そのうえ歩かないといけない、疲労に負けて寝たきりでは困るのである。十五日に病院までの一時間半を、電車と徒歩とで出掛けねばならないのだ。
2012 3・8 126
* 夜前安眠、夜中手洗いに立ち、あと、キッチンで卵味にした権太呂うどんをするする、するすると七八本も立ったまますすりこんだ。立ったままという姿勢もよかったのか。冷たい茶も躊躇しないでつづけざま呑んでみた。しばらく独りキッチンに腰掛けていた。さむくなってはいけないので床へ戻ったが、また九時頃まで寝ていて、幸いに吃逆に襲われてもいなかった。脱水がはげしい吃逆をまねいていたのだろうか。栄養ももとよりだが、脱水していては元も子もない。
口がいがらく、えずくなるのがイヤで、それに背をおされ、冷たい水やなじんだ冷茶を口にするようにしている。
2012 3・9 126
* 倚子に腰掛けていても気怠く背筋が痛む。慌てもならぬが、このような弱りから一日一日立ち直っていけて、初めて新たな抗ガン剤苦痛の闘病期を迎えることになる。いまはともあれ体力を少しでね恢復すべき試煉の坂道であるらしい。
2012 3・9 126
* 吃逆が休止し、飲食が、いわゆる喉を通るようになってきているのが、ありがたい。食べ物は、何でも口にさえ合えば少量通ってくれる。有り難い。もっとも血糖値が乱高下し、なんだか全身寒く気持ちが悪いと感じだし、ハテと測ってみると、58という完全な低血糖に、いそいで砂糖を一袋、そして池宮さんにもらった最中を一つ食べた。食べられた。体調の把握と調整に神経を注いでいる
2012 3・9 126
* 今回の湖の本110 111 上下巻は、まかりまちがえば「遺著」ともなる二冊と覚悟して、ともに入院の直前に原稿を仕上げて入稿して置いた。上巻は病室から責了して、いま皆さんの手に届こうとしている。届いてもいる。
下巻の「序に代えて」も跋の「私語の刻」も自分の手で書いて置いた。入院日のほんの前のことで、わたしは、成り行きを慮って「あとがき」末尾にわざと十数行の余白を残して置いた。万一の場合は、妻と息子とに後始末をつけてもらって「遺著」として刊行してくれるようにと。送り先の用意もすべてすでにし終えていた。
* 幸いにして手術は終え、わたしは病室で下巻校正をいっそ楽しんだ。苦痛に呻くときに、この仕事は患者に少なからず我を忘れさせてくれた。そして全巻念校に近い三校の取れる時点で、わざと余しておいた跋文の結びの十数行を、機械からでなく、(病院へは機械は持ち込まなかった。)「秦用箋」の四百字用を何十年ぶりか家から取り寄せ、脱水や吃逆に悩みながら、手書きで書いた。
それを記録しておく。
* (承前) さ、この辺で、昔風に謂えば、筆を置いておく。少し余した頁の余白に、あらためて自分で自分の言葉を、きっと、書き添えたい。
*
胃全摘とや。我に「い」の字の喪はれ色も匂はで散りぬるお莫迦 24.2.21
「贈り物」と純白(ピュア)な褥に三々五々真黒き胆石}(いし)を莊(かざ)りて呉るる (代田先生) 24.2.24
さて、今日は平成二十四年(二〇一二)二月二十八日。聖路加病院外科病室から、此の下巻「私語の刻」を私自身の手で結ぶ。
今日、主治医先生から聴いた。私の胃癌は、病理検査を経てⅡ期と確認でき、リンパ一ヶ所への転移が認められたと。このさき抗癌剤を用いるかどうかなど私自身で決断しなくてはならない。かくてもはや不確かな残年残日を、一人の文学者としてどう生きるかが第一義の課題となる。ともあれ此の下巻を送り出す頃には、落着いた気持で日常の「書く」生活へ戻っていたい。
抱き柱は抱かない。元気でいたい。
雨雲の幾重に色を変へながら明け白みゆく吾が容態のごと 遠
* そして四日後、三月三日に、とにもかくにも退院してきた。一週間が過ぎた。
☆ 待酒不至 李白
玉壺繋青絲。 酒のつかいの
沽酒來何遅。 あんまり遅い
山花向我笑。 花は咲き初め
正好啣盃時。 今ぞ飲むべし
晩酌東 下。 晩酌の窓べに
流鶯復在 。 嬉し鶯の客來
春風與酔客。 春風ほろ酔い
今日乃相宜。 客も我も萬歳
* 昨晩、鶴来の名酒「萬歳楽」から届いていた絞りたての生酒を、好きな盃に三分の一ほどついでもらって、早くも酒解禁を試みた。うまいとも感じ、強烈な絞りたて原酒とも理解した。
* 退院一週間となった。最初の五日間はまるでピストン打ちのような吃逆苦に心身消耗し吐き続けていたが、これでは脱水する、いやすでに強度に脱水していて大事になりかねないと思い返し、必死の無理飲みで、ひたすら水分を強引にのみこんだ。一昨夜ごろから体にやや水が廻ったか吃逆がおさまり、昨日は全く吃逆に悩まされず、飲水も食餌もやや進んだ。かろうじて窮地を脱したという実感。執拗な横隔膜痙攣も脱水の警告ではなかったかと。気がついてよかった。病院へ又リンゲルを点滴して貰いに行っていては、ただの戻り道になるところ。
* 昨日晩、建日子が見舞いに来てくれた。ありがとう。二時間話に付き合っていたが頭の落ちるほど眠気と疲れにつかまり、失礼して寝た。十一時に仕事場へ帰って行くのへ、「ありがとう」と声だけかけた。
* 金澤の金田さん、お見舞いを添えていろいろに調理のきく「麩」を送って下さった。自身も癌と闘いながら。恐れ入ります。
* 夜中に三度も排尿、するとこの分の水分補給もきちんと考えねば。
* いつから聖路加にかかってきたかと保険会社に聞かれていると、妻。見当をつけて「日乗」を検索すればすぐ分かる。
* 平成十二年(2000)三月二十二日 水
* 聖路加病院、初の診察。即座に、「インシュリン注射を朝昼夜に励行」し、「血糖値自己検査」を起床一番と就寝前とに励行せよと宣告された。あすは、妻を同道して栄養指導を受ける。一日1800カロリー。致し方ない。
今日ある日を承知の上で、ここへ自分を追い込んできた。こうでもないと、わたしは、本格的に摂生することのない怠け者である。しかし、決められてしまえば、わりに淡泊に受け容れて励行し、ときどき、ほんのときどき、平然とルール違反も楽しむだろう。
さしあたり、問題はない、上のきまりに随うまでのことで、自覚的にはなにもない。
いや、そうでもなく、けさ通院の地下鉄の中で、強烈な口渇と何かの低下で、冷や汗にまみれて気が遠くなりかけ、床に崩れかけていた。必死で三、四駅を堪えて、新富町で下車。路上の強い寒風に吹かれて持ち直した。「高血糖」のせいであったろう、かなり高い値が出ていた。新しい専門医は、ためらいなく直ちに「注射」と決めた。
問題は明日だ、どんなキツイ指導を受けることになるか。だが、受け容れてこの事態はあまり意識しないことにする。三度の注射と食事との関係は、こんどは「低血糖」による昏睡の危険もはらんで厄介だけれど、煩瑣だけれど、受け容れて励行し日常的に油断なく慣れてしまえば済む。怖れていない。
* ただ元の東工大学生諸君を初めとして大勢の人にも、このわたしの状態に慣れてもらわねばならない。遠慮してもらうことは少しもない。せいぜいお酒も食べ物も是まで以上にご馳走しますから、気にしないで食べて飲んでほしい。それだけをお願いしておきたい。
* ほぼ干支一巡して、現状へ落ちこんだ。責任は私自身にある。 2012 3・10 126
* とても体調は普通になどと云えない。喉もとへ、この世界にこんなに苦く不快な味があるかという、くるしい溜まりが出来ていて、吐き出すために苦心惨憺、ほとんどが痰だしの感じ。食欲もないに等しい、食べれば口がただただ悪くなり、辛うじて口腔清涼剤でブクブクして逃れる。
* 息子にも妻にも「思い切ってすっきり痩せた」などと言われている。今日義妹がむかしむかし妻や妻らの従妹と摂った写真を添えた見舞いを呉れた、その写真の私たるや、人違いされそうなほど細い。まこと鉛筆が服を着たようで。そのレベルへ一路痩せて行くかと想うと、どこか途中で持ち堪えたい。もっともそんなに細かった大学生や新米社員の頃も、60キロあったのだ。 2012 3・10 126
* 気力を奮い立てて、少なくも四百五十メートルあると思う最寄りのバス停まで、妻に付き添ってもらい往復した。寒かったし、疲労した。のちに38度4分ほど熱が出た。
もう五日ほど排便が無く、そのまま食を送り込んでも不快なばかり。ひたすら緩下剤も用いて待っている。幸い水分はかなりラクに飲めるし吃逆も免れているが、昨夜は二度に亘り発汗し、発汗前は脚部に痛みが来て堪らなかった。なかなか読書もままならない。
* それでもなんやかやテレビも見た。体力はクタクタ。卒業生からちいさい娘を連れて行って見せたいと、見舞いの電話が来ていたらしいが、とてもとてもムリでした。
2012 3・11 126
* 疲労困憊、せめて安眠を願う。
2012 3・11 126
* 三月十四日 水 結婚五十三年
* 日比谷のホテルに一泊静養し、明朝タクシーで聖路加の退院後初心をと心づもりしていた、が、わたしに、それだけの気力がなく、また九度に迫る発熱があり、それがこの数日のおきまりで、冷やしに冷やしながらロキソニンで大量発汗させて急場を凌ぎ続けていた。食欲無く、昨日今日、白粥一膳を海苔と塩とで食した切り。疲弊の極とでもいおうか。
あす十五日、退院後初の通院受診日は、仕方なくハイヤーを七時半に呼んで、聖路加へ直行する、無事に定時に到着できますように。
* 熱で口がこわばり、うまく話せない。主治医先生に手渡す、ざっとの記録を書いた。
退院後初診時までの状態
三月三日 土 退院
十三時半近く息子の車で帰宅。ささやかに退院祝い。
多数のメールや留守中郵便を処置。返辞は当面一切御免蒙る。
三月四日より七日頃まで
ほぼ間断なく吃逆。少量の水分を含むだけで四、五連拍の吃逆。帯同して気道を塞ぐ状態で呼吸出来ず、叫び出すことで濃厚な唾液を吐き続け、痰も混じる。この間、便秘。 市販の緩下剤を数服さらに座薬を用い、相当量の便通が一度。 もう少し連続して欲しかったが、無し。
水分が取れなくて明らかに脱水状態で疲弊。
七日、8度ちかい発熱に慌てるが
三月八日より十日頃まで
臆病に少量ずつ飲んでは呼吸困難で吐いている状態を、危険と判断し、一気に各種の水分を大量に飲用、これによりウソのように執拗を極めた吃逆が失せ、また気道の塞がれる嘔吐も無くなった。
しかし食欲は増さず、水分も口に合う物がすくなく、歩行力も弱まってきた。飲食後の口の苦さに負けて、食欲飲欲とも低下して、またも脱水へ逆戻りのよう。一日中少量を食べ少量を飲んでいて食前食後のメリハリを見喪う。
三月十日頃より十四日本日まで
この間に、体温が5度台から9度台にも乱高下し、時に歯の根も合わず手も激しく震える寒さもを覚えた。高熱は冷やしつづけたのは無論だが、特記できるのは、ロキソニンとリーゼを併用して寝入ってしまううち夥しく発汗、時には全て着替えてからもまた発汗、それで一気に平熱に戻る。
但しこれが毎日起き、毎日、冷やし、ロキソニンで大量発汗して、8度9度の熱をかわしてきた。此が為もあり、食欲も飲欲も歩行の意欲もいちじるしく阻碍された現状。
十三、十四日、辛うじて白粥を一膳。水分は氷水と茶、カルピス。それだけて一日済ませてきた。 2012 3・12 1126
* 今日、かつがつ妻につげたこと。
万が一、わたしが脳膜炎等の回復不能症に陥って救済不能の時は、躊躇無く「尊厳死」を選んで欲しい、と。
出岡実画伯・持幡童子
2012 3・12 126
* 三月十五日は、三月三日に退院後の初、通常の受診日のつもりで、西東京からハイヤーを雇って築地の聖路加病院へ出向いたところ、即、「再入院」と決せられた。前日十四日のうち、ちからを振り絞って、三日退院以降の体調・違和のさまを日を追い箇条に書いて持参したのが、主治医に即座に理解されたようで、四の五の抜き、即緊急の再入院だった。その日のわたしは、よほど「際どかった」と後日若い先生らから「間に合って良かったよ」と言われたほど、さもあったであろうと、「ひやり」とした。
* いま見ると、問題の三月十四日に、こんなメールを戴いていたのである、見ないでやすんだのだろう。的確な助言であった。命助かったからよかったとはいえ、一言もない。
☆ すぐに病院に電話を。 (三月十四日) 春
直ちに奥さまから、聖路加救急に電話をいれていただき、今の症状をご説明になって、緊急に診察の必要があるかどうかお訊ねいただけませんか。すでに病院に相談済みならよろしいのですが、高熱で口がききにくいなど、尋常のことではありません。明日まで待てる状態なのかどうかほんとうにほんとうに気がかりです。もし、待てるということになれば一安心にはなりますでしょう。
ここ数日、非常に心配しておりました。あるいは入院なさっていらっしゃるのかとイライラやきもきしていました。メールを書くと読んでいただくのも、みづうみの体調に響きそうで控えていました。
湖の本無事届いておりますが、その件はまた後日。とにかく、これを読まれたらすぐ病院のドクターにご相談くださいませ。お願いです。(わたくしは親のことでしょっちゅう病院に電話して親切にしてもらいました。)みづうみのご一家、呑気すぎに思われてなりません。
* 強度の脱水症状に加えて、術後感染というのか大腸菌や腸球菌感染が全身におよんでいて腎や前立腺等を汚染していたらしい。これを感染症内科の先生方が徹底して治療して下さり、連日連夜の抗生物質点滴とリンゲル点滴がつづいた。
お蔭で、意志的にも水分をせいぜい多く摂った効果も加わったか、むろん今後の通院治療や諸検査はもとよりとして、今日からお薬も服薬の物にかわり、建日子の出迎えで、無事に、以前の退院とくらべれば問題にならぬほど元気に帰宅できた。
* 肝を冷やしたのは、妻が通院途上でダウンし、不幸中の幸いと天を仰いで感謝のほかないが、急遽ニトロベンを服用したのがまだ家を出て近くであったから、助かった。すぐ近くの厚生病院に行き、すぐさま心臓冠動脈の二度目の拡張手術が建日子の立ち合いのもと実施され、無事に終えた。ただ、湖の本110『千載和歌集と平安女文化』上巻の受け入れから発送を独りで完遂してくれていた妻の過労は、心臓の負担だけでなく全身また足腰のつよい痛み、不断の痛みももたらしていた。もう通院見舞いなどは論外であり、家で安静に堪えていてもらうしかなかった。
苦労をかけつづけた、申し訳ない。ありがとうよ。
建日子がいろいろに、スケジュールのムリを押してよく母を助けてくれた、父も見舞ってくれた、ありがとう。浅草公園での平成中村座勘九郎襲名にも、新橋演舞場に次いで代わりに観に行ってくれた。
* 妻は、必要な物は宅急便で病棟へ送ってきてくれた。
そのおかげで、数十年ぶりに「秦恒平用箋」に手書きで、二本の原稿、計二十八枚を書き下ろして来れた。
* 再入院と決した日のわたしの鞄には、プラトンの『国家』岩波文庫上巻が入っていた。わたし自身の病気や入院とかかわって実は強い問題意識をプラトン(ソクラテス)の対話編に持っていた。それを書いてくることが出来たのは収穫であった。
源氏物語は宇治十帖を「東屋」まで読み進んできた。中の宮が匂宮の男子を産んで「幸い人」としての存在感を確かにして行く流れへ、異母妹の浮舟があらわれ、薫大将と匂兵部卿とに葛藤が生じてくる。わたしの愛は、ひたすら中の宮に向かっているのだが。
『ゲド戦記』の第三巻そして元へ戻って第一巻をも、強く惹かれ惹かれ、病室から去るまぎわまで、わくわくと読み継いでいて、まだ先の楽しみがのこっている。
個室にはテレビも電話もシャワーもあった。日曜の平清盛、陽炎の辻、トンイ、イサンの他は見る気もなかった。家や息子との連絡以外には電話も全くつかわなかった。
* さて、帰ってくるとそれはもう数えきれぬほどお見舞い戴いていた。お手紙もメールもまだ読めないでいる。こころよりお礼申します。お一人お一人にお礼を申し伝えられる体力もまだなく、失礼をどうぞお許しください。
* さて何としても三度繰り返すことなく、平静にかつ気づよく回復へ歩みを運びたい。
四月二日に、また九日に、都合四科の診察を受けに通わねばならない、六日、十三日には、染五郎が由良之助を演じる新橋演舞場も待っている。慎重に慎重にかつ運動とも心得ながら無理なく通り抜けて行きたい。
* 病院では、各科の諸先生に実に親切丁寧に診ていただけた。消化器外科の若い先生方には友人並みに終始温かく優しくされて感謝に堪えなかった。前の時、わたしの胆石を記念にくださった一等若かった先生は、終盤強硬な便秘に悩んでいたわたしを、せめてすっきりさせて帰して上げましょうと、肛門から便を掴み出すほどに道をつけてくださり、ついについにシッカリした排便で気分爽快にしてもらえたなど、言うもおろかな親切であった。感動した。
* 妻も黒いマゴも帰還を喜んでくれた。建日子も祝っていってくれた。さ、持幡童子に護られて、今夜ははやくやすもうと思う。 2012 3・26 126
* 病院でと同様六時に尿意にもひかれて一度起き、ひとり留守中身辺の片づけなどして、もう一度床に戻った。八時朝食の前にインスリンを注射、食後には数種類の錠剤やカプセル薬を服用、引き続き湖の本の未了の記帳など、テーブルに向かって出来る作業のあと、妻と、よく晴れた春を、郵便局まで、そして少し遠回りして、買い物などもして、一時間ほどで帰ってきた。買い物の荷物も持てた。前回の退院時にはとてもとてもこんなことは出来なかった。おそるべき強度の脱水に加え、全身の感染による高熱の頻発だった。しかもその熱を氷枕とロキソニンでの大発汗とで下げつづけて衰弱の日かずを重ねていた。愚かなことであった。かつがつ三月十五日即座の再入院で文字通り「救われた」のだった。
2012 3・27 126
* 大勢の大勢のかたにご心配をかけ、更にご心配をかけている。かく不徳なれども、かくも「孤」でなく護られてあることを幸せと思わずにいられない。
ようやくメールを在るべき場所に整理し保管した。
ここ当分の大事な用事は、無事の通院(感染症内科、糖尿病内科、泌尿器科、消化器外科)で、要所は、腎機能と前立腺炎であるかに想像される。次いでは下巻発送のための準備あらまし。目下は妻もわたしも力仕事に堪えないので、ゆっくりゆっくり進める。
そして願わくは演舞場で若手の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」を昼夜に分けてぜひ観に行きたいし、五月馬琴原作の「椿説弓張月」もぜひ観たい。ホンモノの杖と、楽しみという杖とを両手に、かなりシンドイ仕事も何とか凌いで行きたい。
2012 3・27 126
* 湖の本111は、三月三日最初の退院前に840病室ですでに責了していた。上巻との間隔を考えて四月五日頃に本が出来てよいかと思案していたが、もう目前に迫ってきた。二日には今回退院後初の通院受診が控えていて、六日にはもしも可能ならば演舞場の昼へ出掛けてみたい。
下巻発送の作業は、妻も腰痛・全身痛を庇っての毎日だし、わたしもまだ力仕事はムリと思っていて当然、ときどきすうっと頭の中が白むような息切れだか貧血気味だかが残っている。水分を多量にとり、食べられるだけはしっかり食べねばならない。五月の節句ぐらいまでは時間かけて、無理無い日々を送り迎えのほかない。
* お見舞い状を読んでいると、同病の苦にすでに遭いいましも遭っている方々があまりに多い。心より平安をと願わずにおれない。
* 息子・秦建日子の存在が、どんなに妻にもわたしにも頼もしく有り難かったか、つくづく世話をかけてきた。それももうお仕舞いとは済むまい。忙しい極みの働き盛りの時間をさいて、昨夜も自転車で保谷へかけつけ、一昨夜置いて帰った自動車に自転車をのせて帰って行った。一二時間は話して食べて珈琲なども呑んで、また仕事へ帰っていった。
彼が自身のブログやFacebookでわわれの現状を適宜アナウンスしてくれていたのが、大勢の読者や知友の便宜になっていたのも、ありがたく、よく分かる。息子は息子で、その実は姉にむけてそれとなく両親の様子を知らせようという温かい気持ちももっているらしい。有り難いこと。芥子つぶほどの反応も無いというが。
* やはり郵便局から今日は逆に天神社へ詣って帰ってきた。かすかに貧血を感じているのかもしれない。一つには外歩きに向かないメガネをかけていた。朝に、古紙回収のための妻の手伝いも少ししていた。幸い腕力が残っていて、三メートルとない戸外へ妻の荷にした古紙を運び出した。「動け」「歩け」と病院では盛んに言われてきた。寝ているだけでは治るものも治らないと。病棟の廊下は一周して九十から百メートル。退院の前々夜には十周、前夜には十一周してきた。しかし体調との慎重な相談は避けられない。
2012 3・28 126
* 六時半起床 血圧、体温、血糖値、正常。
飲み水がうましと飲める目覚めかな脱水の日々はみるも厭なりき
* 今年元旦以来二度目の退院までの写真を、およそ整頓保管した。朝食に、階下へ。
2012 3・29 126
* 市の花バスで保谷駅まで。妻の銀行での用に付き合い、駅構内でパンや食べ物・果物を、駅ちかくで水分を買い込み、思い切って徒歩で帰ってきたが、さすがに疲れた。帰って二三時間寝入っていた。
まだまだインスリン注射や数ある服薬に追い込まれ、食餌を摂る元気が乏しい。がんばって食べようとしているが、水分摂取ほどハカが行かない。
日の照った戸外に出歩いてみると、まばゆく目の前が白くなる。貧血があるのか、白内障が一気に進んでいるのか、とにかくメガネがまるで有効に用を足していない。ただの過渡期であるならいいが。
2012 3・29 126
* 六時半起床 血圧、体温、血糖値、正常。
緋の色の椿の花よたをやいでかく美しく崩れ落ちぬる
上腹部に張りがあり、朝食をかすかに上へもどす気味あり。大量各種の服薬が負担なれど、腹の鳴りとすこしく溜飲をさげる感じに救われている。まだ便秘という間隔ではないが、用心は必要。
2012 3・30 126
* 独り郵便局で用を足し、バス道を歩いて帰ってきた。脚力から強めて行きたい。幸い水分摂取に嫌悪感が失せ、プレーンな水や「おーいお茶」などが美味くさえ感じられるのは有り難い。脱水はほんとうに辛かった。
妻もわたしも、せいぜい歩くようにと双方医師の指導は一致している。
行きたいのは散髪、そしてメガネの新しい調製。四つあるメガネのどれもこれもシャキッとしない。病室での校正や読書でよほど目を痛めたかも知れぬ。
2012 3・30 126
* 学回光返照退歩 という文句がある。「回光返照退歩を学せよ」と読む。いまのわたしに必要でふさわしい教えと思わねばならぬ。
* まだ食べ物が自然に穏和に上腹部を通過してくれない。ひとつまちがうと吃逆につながるのが怖い。疲れれば横になる。夕食過ぎて吃逆になやみ九時前まで睡っていた。睡っているうちに失せていた。
2012 3・30 126
* 七時三十五分起床 血圧、体温、血糖値、正常。まだ全身の感染を退治のための薬を主に服し、排尿の正常を保つ薬ものんでいる。コレストロールのためにも降血圧のためにも服薬、また二種類のインシュリン注射も。そして緩下剤も。この最後のが効いてほしい。明後日には再退院後初の通院受診。
昨日妻の通い慣れた眼科のえらい女先生も、とにかくも歩いて動いて、何でもいいよく食べて食べてと。聖路加でもさかんに歩け動けと言われてきた。郵便局まで、保谷駅までと、散策を延ばしてきた。今度は電車にのり池袋までもと。外へ出ての食べ物は目新しく喉を通りやすいかも。
* 春弥生も今日で尽きる。寒くはないが昨日からひどい風がいたるところで物を鳴らしている。櫻ももう咲いているはず。
2012 3・31 126
* 昼すぎに待望の便通があり、すこし腹の張りがラクになった。吃逆やえづきもラクになる。有り難し。
2012 3・31 126
* 食べることが義務となり負担となりがち。腹の中はまだすっきり快調と言うには遠く、食べ過ぎると張って苦痛に。だましだまし隙を窺うように食べているが、少し過ぎても苦痛が来る。
* 思えば正月五日の人間ドックこのかた、胃癌診断の確定、二月の入院、胃全摘、胆嚢切除、三月三日の退院もむなしく三月十五日命からがらの再入院そしてやっと二十六日の再退院まで、まるでウソかのように夢うつつの日々が過ぎて、明日はもう四月一日。エイプリル・フールでないことを願おうか、それとも何かしらに大きく騙されていようか。
2012 3・31 126
平成二十四年( 2012) 二月一日から二月十三日までの日乗は、
日付順に直し、誤変換や誤記も及ぶ限り訂正の上、
「宗遠日乗125」として移管を終えています。
二月十三日に、胃癌等の手術のため聖路加病院に入院していました。
そのために十三日以降は三月三日退院まで、日乗を欠いています。
平成二十四年( 2012) 三月一日から三月三十一日までの日乗は、
日付順に直し、誤変換や誤記も及ぶ限り訂正の上、
「宗遠日乗126」として移管を終えています。
なお三月十五日に緊急再入院し、三月二十六日に再退院しています。
その間の日乗も欠いています。
2012 3・31 126
* 好天。六時四十分起床 血圧、体温、血糖値、正常。必ずしも体調調わず。九時散髪に出向いたがすでに満員。十時過ぎに再度出向く。師走以来の散髪。
すっきりした一方で、痛いほど強い胸焼けに閉口。
* 脱水のあの辛さに懲り、水分補給を専一にしている。凝った水分はだめで、水、ないし水に近いほどプレーンなお茶がいい。 「おーい、お茶」「伊右衛門」の二リットルボトルを買ってきた。すたすたと歩ける。
水分にくらべ、食べるのは胸元につまりがちで、時に苦しく戻しそうになる。まだまだすんなりとは食べられない。しかし食べることも大事なので。
* 病室で書いてきた草稿を電子化している。
* 明日の午后は、退院後初の通院受診。感染症内科と糖尿病外来とへ、相次いで。
独りでは、まさかの怪我もあってならず、妻に同行してもらう。 2012 4・1 127
* 下巻発送のための用意も少しずつ、再退院後、進めている。力仕事はムリと分かっている。ムリするとすぐ背筋や腰に痛みが来る。急がない。ゆっくりゆっくり
2012 4・1 127
* 好天。六時起床 血圧、体温、血糖値、正常。午后の通院用意。
* 三月二十六日再退院後、四月二日初診時までの状態 主治医に渡せるように。
三月二十七日以降
体温、血糖値、血圧など正常。排尿にも異常なし。
水分補給は一日平均1500CC以上。夜中・目覚めまでの排尿はほぼ三度。睡眠も尋常、発熱無し。
但し家人の目に、顔色紙のごとく、本人も貧血かと感じる頼りなさがあった。
二十七日 朝九時半 排便少々 追って更に排便。
連日 郵便局やスーパー、神社、最寄り保谷駅、銀行などへ妻と歩く。日光が白くまばゆい以外に特別の違和感なし。妻の古紙回収出しなども手伝う。幾らか、 腰重し。
二日おきに入浴。血色も徐々に回復ぎみ。
水分が「うまし」と呑める日々。前回退院時はこれが全然ダメで、水分を見るもイヤだった。
食餌の方は、まだ多量に摂るのはムリで、腹の張りも苦しく、便意と相談して少しずつ、日に何度も。
三十日 腹張り、吃逆も。食後にやや、えづくことも。便通を待望。
三十一日 正午過ぎ 相当量の排便。ありがたし。但しミルマグに補充して、市販のサトラックスを三度併用。
四月一日 午前、そして昼食時、痛いほどの強い胸焼けを初経験。
歩行等に苦渋や困惑なく、歩く分には、杖を頼んですたすたと歩けている。
二日 排尿には問題を感じていない。
或る程度規則的な排便、そして食餌の平穏な腹への流れ、収まり、が希望される。 以上
2012 4・2 127
* 十三時半、感染症内科古川先生の診察を受ける。血液検査、尿検査に異常なく、ごく順調に回復していて、前立腺にも問題ないと。もう二週間投薬をつづけて、その段階で診療終了できると思いますと。有り難い。
* 次いで糖尿病の門伝先生の診察、血糖値も落ち着いていて、ヘモグロビン関連の値も6.1 といい値になっている。三ヶ月後を予約。
* 院内の銀行などで用事をすませ、近くの薬局で処方された薬や注射をぜんぶ揃えてから、妻の希望で、帝劇地下の「きく川」へ車で。さ、どうかなと思いつつ「鰻重」のいちばん小さいのと、思い切って「菊正」一合をとってみた。
酒類は家ではまだ全然受け付けなかったのだが、燗をした「菊正」は感じよく喉を通った。すこしは妻に手伝って貰った。酒など飲めなかった妻だが、少しずつ馴染んできた。
有楽町から、小竹向原経由、保谷へ戻った。依然として便通有りと云えない。水分と食餌とのバランスがとれていないのか。水分がまだ足りないか。
歩けるという自信がすこし出来てきた。重いモノをもつとたちまち腰の痛みがくるが。立って歩く。それが大事のようだ。
* 実際には、まだこの先へ「癌転移」に対する苦痛の治療等々まさしく「闘病期」が否応なく続くのであるが、それがいつ頃から我が身にのしかかってくるのか、分からない。来週九日の消化器外科での診察からもう始まるのか、もう少し先になるのか、分からない。
分からない間は、しばらくでも、もう繰り返した入退院のことは棚上げにしておき、わたし自身の「仕事」へ顔も気持ちも振り向けて行きたい。手術入院中も再度の脱水と感染での入院中も、数え切れないお見舞いを全国から頂戴していた。能う限り妻からお礼を申し述べてきたが、わたしからもどうかという話題が今日出て。
それを手紙やメールで始めれば、当然にも相当な日子を必要とする。ご容赦いただいて、「仕事」へ戻れる限りは戻りたいと思う。それがお礼になるようでありたい。
2012 4・2 127
* 術後感染が全身に及んでの高熱続発は、一度目退院後のわたしにはどうしようもなかった大ダメージだったが、それ以上に意識ししかも困窮したのは強度の脱水だった。脱水の怖さ、身に沁みて体験した。
二度目の退院を経ていまはあれほどの恐怖感はないが、胃という袋が全く無くなって以後の便通不調には再度入院中から退院した今も悩まされている。気分が悪く、食も安定せず、体違でもとめどなく低調にながちい。ここを健常に通過して行かないと見かけ上の健康も手に出来ない。
* そんな違和感に寝てしまいたいと弱っていても、しいて機械の前へきて、書きかけている原稿に立ち向かっているうち、ふうっと薄紙が剥がれたように尋常な気分に戻っていたりする。
ここに書いているような文章を読んでいて下さる人は、秦も落ち着いてきたと看てくださるかも知れないが、文章を書くのと、症状と闘っているのとには、すっきりしない齟齬が在る。仕方がない、とにかくも動いて歩いて気を替えて「生活」を取り戻すよりない。
* 吉備の有元さんから、妻の元気回復にととびきり上質な蜂蜜をたっぷり贈っていただいた。妻もわたしも、いまは、なんとかよたよたと庇い合いながらいっしょに歩いています。お礼を申します。 2012 4・3 127
* ゆっくりと郵便局へ、そして日当たりのいい広い坂道を通って帰ってきた。次いで、これもゆっくりと封筒に「 湖(うみ)の本」 のハンコを捺して。
朝食は夏みかん一つと食パン半枚、蜂蜜で。昼食は餅を刻んだ白粥に錦松梅ふりかけて。蒲鉾。すこし胸につまって、食べきれず。胸につまるのは苦しい。
2012 4・4 127
* どうあっても、頑固な便秘がうまく解消できない。解消できればもっと食べられるだろうに。
012 4・4 127
* 心がけて「動く」ようにはしているが、それは意識的な励ましでこそあれ、体調は不安定で、風に揉まれる水面のように絶えず表情をかえて、目の前を白くしたり、力が肩先から抜け落ちていったりする。堪えているのである、まだまだ。
2012 4・5 127
* 今朝、相当量の便通に成功。
2012 4・5 127
* ほんとうに久しぶり、新橋演舞場の花形通し狂言「仮名手本忠臣蔵」にでかけてみる。大序から楽しめる。動け動けの奨めに応じる気持ちと、インフルエンザも下火という安堵感と。疲労しないように願うのみ。
* ソニービル前から演舞場までタクシーを使った。歩くのは慣れてきているが、どういう加減か、すうっと血の気がひくように頭の中が白くなる。頭ヘまで血がまわらないのだろう。そんなとき、顔が乾いた紙の色をしている気がする。長続きはしないで、それもそうっと通り過ぎて行く。十分用心して人にぶつからないよう、ぶつかられないようにしている。杖が役に立っている。
* 前から四列、中央の角席をもらっていて、手に取るように舞台が楽しめた。一月の国立劇場以来だと、しみじみする。染五郎の番頭さんが筋書まで呉れ、ともあれ劇場に姿をみせたのをとても喜んでくれた。
* 花形歌舞伎とあるのは、若い役者たちががんばる舞台という意味であり、初手から大名題何十年の藝歴にこの日は出会わないという興行を意味している。
今回も座頭格が中村福助であり、市川染五郎である。福助のお軽は前にも観てきたが、染五郎本格の大星由良之助は初めて、松緑の高師直も初めて、菊之助の塩冶判官も、獅童の若狭之助も、亀治郎の勘平も初めてと「初役」がいっぱい。つまりは、 これらの役は、今後の歌舞伎で諸君こそが充実させねばいけませんよという舞台なのである。だから劇場へ足を運ぶには物足りないと思う人もあろうが、だからわたしは楽しみにし、どうかして観にゆきたかった。
花形とは「見込みあり」の意味であり、花形興行とは彼らが「第二の出発点を用意した」という意味であって、その勉強ぶりを楽しむのも歌舞伎の楽しみ、先々の見物にもいっそうの楽しみが出来るのだ、あれ以来どう満ち満ちてきただろうかと。今日出掛けていって「仕上がった舞台」が観られるか、それは、ムリなのである。歌舞伎はそんな手薄い藝ではない。花形と脚光を浴びている誰もがそれなりに俊英であり、いつも楽しませてもらってきた。が、「初役」は、過去のそれらとは質がちがい段がちがう。
尾上松緑にしてその高師直は、憎体の表現に間延びのゆるみあらわで、斬りつけられて当然とは見えなかった。あれは誰であったか舞台に駆け上ってなぐりたいほど憎々しい師直をわたしたちはすでに観ている。科白の「間」、つまり身動きと言葉との重層して白熱する「間」が松緑にまだ出来ていない。大名たちを抜きんでた一の勢力の高師直のいやがらせとはとても見えず、つまりは吉良上野介の低俗をしらずしらず松緑はやってしまっていたというしかない。
菊之助の刃傷にしても、一度は平伏して詫びを入れてから刃傷におよぶまでの、あの数瞬ほどのやりとりで師直に必然斬りつける演技的な説得力はまるで無かった。
市川亀治郎は、六月には猿之助を襲名する人気の達者なのだが、道行の勘平は、こわばって、道中ゴマの蝿が化けた侍のようにゴツゴツしていた。踊りの達者が、終始もたもた。勘平という男は、後段の粗忽にも露わなように、この「道行」もいわば色恋ゆえのしくじりからの逃避行なのであり、人間がすこし甘くて抜けている。それが亀治郎の道行勘平にはまるで表現できてなくて、科白も顔面にこわばりが出て武張ってばかり。福助お軽の、若い燕でもない、まるでがちがちの山鴉のようだった。
* むろんわたしの一の関心は染五郎の由良之助。先月は「山科閑居」で父幸四郎の息子力弥を演じていた染五郎が、一転して大役も大役の由良之助をどう演じてくれるか。大甘の期待はしないが、そこそこどうか立派に演じて欲しかった。そしてその限りでは市川染五郎、ブログでは、ふうふうと荒い息をはいてはいたが、 間違いなく、そこそこ立派な気概の大星をそれらしく演じ通してくれたとわたしたちは拍手を惜しまなかった。
来週の夜の部では、彼がかつて寺岡平右衛門を懸命に演じた茶屋場で、難役の難役と言われる大星由良之助をやるのだ、観たいと切に思う。染五郎が、いつか由良を、松王丸を、熊谷をやるのを観たい、それまで長生きしたいと思っていた、その一つまた一つが実現して行くのはなんという嬉しさか。わたしは花形が眞に花も実もある絶妙の歌舞伎役者に「成ってゆく」さまを観ていたい。その意味でこそ、松緑にも亀治郎にも菊之助にもいつも大きな期待をよせている。
* さすがに、しかし、疲れた。道行ではねて席をたったとき、一瞬地に沈んで失神するかと全身が揺れた。頭の芯が白くぬけて感じられた、が、大過なく立ち直り、夕方ちかい演舞場の外へ出て、ふうっと酸素が体内に流れて来た気がした。そして「歩こう」と妻に言い、ゆっくりゆっくりと木挽町から昭和通りも越えた。なんは、ビールが飲みたくなった。銀座四丁目の「ライオン」に妻を誘い、妻の一日遅れの誕生日祝いに、ソーセージや牡蠣や生ハムなどでビールの一番小さいのを注文して、 乾杯した。ビールも飲めた、少し残したが。ソーセージも生ハムも牡蠣も食べた。美味かった。
食べると、血が、消えた胃のあたりに集まって、それで頭の中が白くなるのでしょうと妻は解説した。そうかもしれない。
ゆらゆらと銀座一丁目へ歩いて、有楽町線で帰ってきた。幸い保谷駅で待つほどもなくタクシーに乗れた。今日一日は、 或る意味の冒険であり挑戦でもあったが、歌舞伎も楽しんでこれた。嬉しかった。
2012 4・6 127
* 久々の外出にこころよく疲れたか、八時まで、よく寝た。血糖値も血圧も体温も異常なし。
2012 4・7 127
* 2リットルボトルの「おーいお茶」や「伊右衛門」や「純水」をふんだんに飲んでいる。ちかくの「セームス」へせっせと買いに行く。重い。だが脱水は、ほんとうに怖い。
いいお天気だが、冷たい。
明日は朝早くからまた聖路加へ診察を受けに行く。
出来れば「眼鏡」を一新しにも行きたいが。 2012 4・8 127
* 夕食までに今日の作業を終え、あとは、明日の通院受診に備えて休息する。朝昼のあいだ、録画の映画「レッドクリフ」前後編を半ば「聴いて」いた。
2012 4・8 127
* 六時起床。体温、 血糖値、血圧、正常。なにとなく腹が渋るかという感覚。八時すぎには出掛ける。泌尿器科で尿の出の検査があり、ついで消化器外科の診察を受けてくる。
* 三月二十六日再退院後、四月九日初診時までの状態
三月二十七日以降
体温、血糖値、血圧など正常。排尿にも異常なし。
水分補給は一日平均1500CC以上。睡眠も尋常、発熱無し。
但し家人の目に時に顔色紙のごとく、本人も貧血かと感じる頼りなさがあった。
二十七日 朝九時半 排便少々 追って今一度排便。
連日 近隣をよく歩く。日光が白くまばゆい以外に違和感なし。幾らか、 腰重く、いつも鳩尾の下が硬い感じ。
二日おきに入浴。血色も徐々に回復ぎみ。
食餌は、まだ多量に摂るのはムリで、腹の張り苦しく、便意と相談して少しずつ、日に何度も。時に、吃逆も。食後にやや、えづくことも。 便通を待望。
三十一日 正午過ぎ 相当量の排便。下痢なし。但しミルマグに補充して、市販のサトラックスを三度併用。
四月一日 午前、そして昼食時、痛いほどの強い「胸焼け」を初経験。
歩行等に苦渋や困惑なく、歩く分には、杖を頼んですたすたと歩けている。
排尿にはなんら問題を感じていない。
或る程度規則的な排便、食餌の平穏な腹への流れ、収まり、が希望される。
二日 内科受診。尿・血液に問題ないと。もう二週間投薬を続けると。
五日 漢方胃腸薬の下剤併用により、漸く、朝、十分量の便通。下痢なし。それでもなお腹部に緊張有り。
六日 三ヶ月ぶりに劇場へ。少し疲れたが往復の徒歩に問題なく、帰路初めてビールを少量。
八日 便通期待すれど無し。ガスは、いつも、何度でも。
横臥して休息すること無く、ほぼ終日、体を起こして動き、仕事も出来ている。 以上
* 今日は暖かいという。晴れて暖かいなら、なにより。体にちから漲るというふうではない、が。
* 泌尿器科では、残尿もなく、問題は見当たらない、継続してハルナール投薬、次回八月に受診と決まる。
消化器外科でも諸データにさしたる問題なく概ね改善されていると。感染もすっかり無くなっていると。そしていよいよ抗ガン剤投与を二週間後から始めたいので、同意書をと。即座の同意書提出は避け、来週月曜、感染症内科の受診後、オンコロジイ(腫瘍内科)で専門的な示唆を受けることに。いよいよ、臨戦態勢に入ることになる。これまでは、そこへ行き着くまでの足踏みであっただけ。
* タクシーで妻と業平町のスカイツリーを見に行った。言問橋から隅田川ぞい上流下流の櫻満開を見晴らし、橋を渡ったところからタクシーで鶯谷駅へ戻り、JRでも西武線でも席を譲らて帰ってきた。まだまだひ弱くみえるのであろう、歩けはするがゆっくりゆっくり。まだまだ。骨の抜けた鮎の焼き物のように頼りない。
2012 4・9 127
* さてさて、今正にわたしは癌患者であり、一個所とはいえリンパに転移が認められており、けっして芳しいレベルとは云えないらしい。かなり鬱陶しいといろいろ聞いているけれど、手術の済んで以後の文字通り癌に対する「治療行為」を受け入れねばならない。鬱陶しいけれども立ち向かうことになる。愚痴や泣き言もたらたらに、しかし言いたければさんざ言えば宜しく、しかし立ち向かうことに変わりはない。薬剤の服用ということになるらしい。思い悩んでもラチはあかない。来週も再来週も病院通いが続く。
しかし、さしあたっては、「 湖(うみ)の本」 111下巻の発送を着々終えておきたい。
2012 4・9 127
* 昼飯前の発送、集中して出来た。しかし昼食はうまくおさまらず、全身に疲労を感じている。
その間にも、さきざきのこと、考えている。
* 午后郵便局までの往復に疲れた。のろのろ歩いていた。
が、サトラックスと大正漢方の下剤とで、十分な便通があったのは有り難かった。
発送作業もゆっくりとではあるが、時間をかけ、明日に備えた。 2012 4・10 127
* 今朝、最初の入院以前からみて、三、四ヶ月ぶりに大便らしい排便があった。二度つづけてあった。大歓迎に値する快挙。どこかで腸が捻れていたのではないかとさえ思われる。
2012 4・11 127
* 一昨日の外科診察時に、抗ガン剤服用開始を二十三日と決めて同意書の即時の提出を指示された。可能な限りセカンド・オピニオンに類する同じ聖路加病院内のオンコロジイ( 腫瘍内科) の専門医の意見や示唆も求めたいと、同意書提出を急がずオンコロジーの予約を外科主治医に求めた。
二十四日二時半に、腫瘍内科医との面談・ 診察が予約できた。その結果を待つ。
それまでに、仕事の面でも気持ちの面でも「次ぎ」を待つ気構えをつくって置きたい。抗ガン剤の服用が決まれば「一年」を要する。その間に諸検査が挟まって行くか。
一年というと、「 湖(うみ)の本」 が一年に四冊刊行で久しくやってきた。刊行をつづけるという「仕事」 モチベーションに励まされていろんな苦痛を堪えて乗り切って行きたいと願っている。
「 湖(うみ)の本」 四冊を背景に、「小説」の仕上げにも熱をあげて行きたい。服薬それ自体によりわたしの命が即脅かされることは無いはずである。ただラクなものではないらしい。堪える工夫が是非にも必要になると言うこと。可能な限り「仕事」自体に応援してもらいたいと願う。わたしには、今もいつも自分自身の文学の「仕事」があり、何十年も、今も、間断なく打ち込めてきた。また打ち込み続けられる。幸せなことである。差し当たってこの一年も渾身の気概で打ち込み続け、予想される苦痛と闘い抜きたい。
どうか読者・知友のみなさんにも見守って頂きたい。
そのためにも、基礎体力を、一日も早く回復出来る限り回復させておかなくては。差し当たっては「下巻」の作業をきれいに終えてしまいたい。
2012 4・11 127
* こまめに書いていた手帳の日記に、前後二度の入院期間31日のうち、歌など三十ほど書き置いていた。ナニの手柄も無いけれど。
月光をアシュケナージに聴き入りつ今しも手術室(オペ)へ入る朝明(あさけ)に
久方の光あかるき雨明かりこころ穏(おだ)しく胃全摘待つ
妻が踏む往き来のかよひ遠ければみじろぎ難(が)てに恋ひ待つわれぞ
人の見舞ひ欲しくはなくも黒いマゴの受話器の闇に啼くがかなしさ
古径描く罌粟額(ぬか)の上に咲く病室( へや) ぞ そが嬉し命漲る葉叢よ
術半ばかと胸に手を置き妻のため祈るなり倶に倶に永遠(とは)に生きたし
(妻、緊急の心血管拡張手術)
深々とビルの谷間に天晴れて嬉しさよ今朝は帰宅の日なり
十文字蜘蛛の巣なりに切られしと感じてこのかたわが腹を見ず 2012 4・11 127
* 今朝もりっぱに排便あり。午后にも、二度。体調のバロメーターとしても、当面は、当分は、他の何よりこれが大事と願っている。
2012 4・12 127
* 花道芝居にもまぢかな、前から五列中央の角席は、しみじみ芝居に溶け込めて有り難かった。感謝。感謝。ようやっと心地よく歌舞伎が観られ、嬉しかった。こののちも、体力のゆるす限り月々のいろんな芝居を楽しむことでも、命、 励まされたい。
はねてみると、木挽町は雨。日比谷のクラブへと願っていたがあきらめ、木挽町から一路タクシーで保谷の家に帰ってきた。それも、よし。
驚くのは、尿意のこと。わたしはどんな芝居でも幕間に三度トイレに入っておくほど神経質だったのに、まったくそれが無くなって、頻尿どころか、三時間半も四時間も平気。ラクになった。これも、たいそう、よし。
2012 4・13 127
* ときおり左の胴とも胴の内とも、ビビビ…と電氣に打たれるようなしびれがある。ふっと不用意に立つとすうっと血の気が降りて行ったりする。かなりラクに歩けるようにもなっているが。
2012 4・13 127
* 食餌が、ときに胸に閊えて苦しむ。食べて体力に繋げるは当然の対策なれども。
2012 4・14 127
* つぎの「仕事」へ向きを定めている。わたしが「仕事」と言うときは、志賀直哉の明言にならい、私流「文学・文藝・創作・執筆・勉強」の意味である。
むかし、わたしは罫線のある用紙に工夫して、月単位に日々の依頼仕事を、抜けたり忘れたりしないよう書き入れ、毎日の進行を記録していた。何年も何年もの間、原稿依頼や講演や出演が月に十数もあった。目が回るほど原稿を書き、講演で遠くへも出向いていた。若気の至りであったものの、だから今の生活が成ったのは確か。
生活のためでなく、今度は病気との闘いのために、「仕事」を組み立てたい。
気がかりな気がかりな小説の仕事が二つ有る。
「湖の本」は一年に少なくも四冊ずつ四半世紀余も、送り出してきた。三ヶ月に一冊は、少しも気の抜けない間隔であり、打ち込みたい。
超級の面白い長編小説を読み返そうと思う。『源氏物語』はもう少しで夢の浮橋をわたってしまう。『ゲド戦記』四巻も今月中に読み終えてしまう。
『戦争と平和』『南総里見八犬伝』『水滸伝』『指輪物語』『イルスの竪琴』『モンテクリスト伯』『平家物語』『罪と罰』『従妹ベット・従兄ポンス』『夜明け前』そして、自作なら『みごもりの湖』を久々に読んでみたい。これらを順々にかつ併読して行けば一年が経つだろう、そうそう『千夜一夜物語』もまたまた楽しみたい。
旅行は、わが家ではとてもむりだが、月々の観劇は体力しだいで、大きな楽しみになる。楽しみにも力づけられたい。
* おおよそ、そのようにわたしは、いま、心がけている。
家族にも、また読者や知友にも、素直な気持ちで、「元気」をもらいたい。
* まだ心幼かった頃の娘も息子も、父親が「死」について思惟し述懐するのを嫌い、キザに「死」を弄んでいるとまで非難したのを忘れていない。「死ぬときは死ぬんだよ、何を考える」などと中学生の息子は嘯いた。
その息子が、今は、人の死を真面目な話題に、たくさん読み物や芝居を書いている。「死」は明らかに息子にも重い課題であるらしいし、わが子に死なれた姉娘もしたたかに死についてものを思ったことだろう。
わたしは、ほんとうに小さかった「もらひ子」の昔から、「死ぬ」ことに関して恐怖と厳粛さとで、ものを思いつづけていた。さもなくて『死なれて・死なせて』を書くまでに、たくさんなあんな小説は書かなかった。若い頃は死は歩んで行く道の向こうの方にいると思っていたが、年を取るにつれ若い頃兼好に教えられていたように、いまや死は背後からひたひたと迫ってくると理会している。予感し実感している。
この道はどこへ行く道 ああさうだよ知つてゐるゐる 逆らひはせぬ 11.10.23
昨年十一月末に出した「 湖(うみ)の本」 109の歌集『光塵』はこの歌を結びに置き、わたしは聖路加病院の糖尿病の主治医に人間ドックを紹介してもらった。明けて正月五日のドックの検査は、精査をまつまでもなく明らかなわたしの胃癌を指摘し、掌をさすように予断は確定診断となった。「逆ら」うどころでなかった。いまわたしは明らかに片手に生と片手に死と手をつないで歩んでいる。生と死とが左と右ほどは違わないのだということも感じている。 2012 4・14 127
* 無事に、いい排便があった。
2012 4・15 127
* なぜとなく今朝の気持ち、落ち着かない。「待ち迎える」時機に来たということ。
二度目の入院からお世話になった感染症内科の診療が、今日で終わると聞いている。術後の全身感染からようやく脱し、つまりは今後の新段階「転移」治療に向かうのである。オンコロジー( 腫瘍内科) の診察と助言を二十四日、建日子も同席で聴いて態度をきめ、予定の抗ガン剤服用と決すれば、五月一日の消化器外科診察日から、新たな闘病期間に入る。一年間と聞いている。
2012 4・16 127
* 細くなりへにょへにょに肉の落ちていた両脚に、すこし肉が戻ってきている。歩いたり、家の中の階段上下がラクになっている。それでも時に立ちくらみ様の気の白みに襲われる。また何故か左半ばの背から腹が電氣に打たれるようにジジジジと痺れる。これは何かなあ。
「飲む」はしっかり受け容れている。「食べる」はまだアイマイで、何んな食餌なら受け容れるのか、鳩尾をすんなり通り抜けてくれるかが、分かりにくい。体重はかすかに70キロ超。最重量時から16キロ余減っている。顔色は障子紙のように白く乾いているが、だから一目で病弱と見えるか電車で席を譲られるが、体重だけなら一人前以上。もう少しは痩せるのだろうと思う。
* 病院へ行ってきた。
血液や尿の検査に何の異常なく、それでももう十日分、内服薬を処方しておきますと。感染や腎の働きなど順調に回復していて、ご心配ありませんと。
* 朝食に白い飯のお握りは美味く、腹におさまった。病院食堂でのコーヒーはおさまらず、気分わるかった。薬局で処方された薬の出がおそくなり、表参道近くまで眼鏡の新調に行くのは気が乗らなかった。
銀座三笠会館の中華料理「秦准春」は食べられるかなあと思案したが、思い切ってトライ。これは食べやすかった、よく食べられたと妻も感嘆してくれたが、食後に腸に血が集まるのか、貧血ぎみ。有楽町線銀座一丁目までの徒歩が気疎かった。はやく電車に乗り腰掛けたかった。幸い席を譲ってくれる人があり、半分うとうとと寝て保谷まで。駅構内で妻が買い物しているのを待つ間も、貧血ぎみは残っていた。食べなくてもいけないが、食べたあとに貧血していては仕方がない。按配がむずかしい。
今はすっかり落ち着いている。
とにかくも「歩いて」「慎重に食べて」「水分を十分摂って」、路上や電車で、貧血して倒れないようにだけ気をつけなくては。
2012 4・16 127
* やす香の一の親友の、結婚と就職を、やっとやっと、やっとお祝いできるところまで、一息つきながらわたしは立ち返ってきた。
それとても束の間、五月からは心して病気と立ち向かわねばならない。
* 心を凝らして「老い」と「死」とを身に感じ、思っている。
2012 4・17 127
* 妻が何の興味でか聴診器を病院の売店で買っていた、聴いているようでもないのに。で、自分で自分の腹に当てて聴いてみて、ビックリ。凄い音がしている。泣いたり喚いたり呻いたり叫んだり、耳も驚く大きい音がひっきりなし聞こえてくる。音響の意味するものは何も分からないが、分かれば分かったで興味深いと思うが。あれほどの騒音が聴診器をはずすと何もきこえてこない。きこえて来なくて幸いだ。ときたま「腹の虫が啼く」ことがある、あんな時は爆発するほど腹の中では大きな音なのだろうと想うと、からだの不思議にたじろぐ。
* 二度の退院後初めて独りで街へ出てみた。朝、 排便のあとたいして食べずに出たのはむしろ宜しく、やや空腹を感じたまま電車に乗っていた。路上を長く歩き回る危険は避けるとすると、そして目も思いも静かにやすませるとすると、東博などで美しいものを観て、観ながらやすむのが好いに決まっている。
そして三時、わざわざ車で出向いた好きな店で、コース料理は避け、ポタージュスープと伊勢海老のグラタンという一品料理に惹かれたのがまずかった。スープがたっぷり。伊勢海老の方も贅沢であったが味わいが似ていて、空腹に、しつこくなり、時間をかけて口へ運んだが気分悪くなった。せっかくのワインもまるで飲めなかった。じいっと堪えたまま席に座っていた。
なんとかまたJRに乗り、帰った。乗る電車ごとに席を譲られるのはよほど顔色に生気がないのだろう、ちらと鏡にうつった顔色は白い障子紙みたいだった。
食べ物一つが身に合わないだけで、参る。歩いている間はいっそすたすたと元気だったのに。
どなたかこういう手術を受けた先輩が、たしか食後の「ダンピング」で苦労されることと想うと手紙に書かれていた。いまのところ、「書く・読む」「飲む」「歩く」「食べる」ではこの順番で馴染んでいて、「食べる」のが一の苦手。食べ物により体調が容易に調ってくれない。安定しない。めりこむように気分が悪くなる。貧血を伴うのでは無かろうか。
* こうして機械の前に腰掛けて「書いて」いると、何でもない。
* むかし「鬼」編集長の大久保房男さん、 八十七の歌人清水房雄さん、親鸞仏教センターの金石励成さんや諸大学から「 湖の本」にいいご挨拶を戴いていた。大久保さんも同病であられたと。ビックリしました。
* 朝晩にいい排便があり、このペースはわが体調維持のためぜひとも守りたい。
2012 4・18 127
* 乳から下、腰の上までの左がわ、背から腹へぐるっと片巻きにして、席から立ったりするときビビビと痒いように震える。正座して足が痺れ、立つとたまらなく痺れの個所がビビビとしばらく震動するあれと同じだ。姿勢がわるいのかな。
2012 4・19 127
* 病状について、体験されてきた方たちなどから、沢山なことを教えられている。食後の「ダンピンク症候群」など、まさにまさに今しもわたしは悩まされている最中で、教わってみると掌をさすような。分かってみればまた対処も利いてくるだろう。
「湖の本」のまたべつのお蔭である。
2012 4・19 127
* 食中・食後のダンピングはなかなか手強い。自分なりの経験則がまだ掴めない。鳩尾に急所があるか。その辺で腹部が上下に折りたたまれ、とかくすると上体をうつむけて坐って居がちになる。姿勢が悪くなる。それで下腹部が張ってしまう。重苦しくなる。両手で天を衝いてノビるのがいい。鉄棒にぶら下がったりすればラクでないかなどと思う。
2012 4・20 127
* 昨日今日と排便あり、全身の為にもありがたい。体の中をいろいろに動いているものがあり、それらのための通路が無事に確保できているのが望ましい。
あさってオンコロジー( 腫瘍内科) の助言を聴く。建日子も来てくれる。
退院して、健康体にもどったのではない。わたしの体内にはガン細胞の転移が認められており、それとの闘病に、闘病期に、これから入って行く。これからが闘い本番になる。
* 二度目の病室で書き、退院後にも推敲してきた一文を、取り纏めた。『自然死という甘い希望 病気を追いかけたくない』と。
誰かに読んでほしいと思っているが。
2012 4・22 127
* 「三月日乗」を日付順に、字句の誤選択など訂正した。三日に退院したので以前は記事を欠いている。それのみか、三月十五日に命もきわどく緊急再入院し、二十六日に再退院できたその間の記事も欠いている。
読み返してみて、三月三日から十五日までの体調のひどさに、今にして恐怖を感じた。自身はまだそんなにもと思っていたが、医師も看護師も「危なかった」「際どかった」と。さもあったろうと自分の日記を読み返して怖くなった。
* 明日、腫瘍内科の専門医に抗ガン剤等今後の治療に関して参考意見を聴きに行く。いまのところ消化器外科は「ts1」という薬剤の服用を予定しているらしい。
建日子ははやくに、「参考になれば」と機械環境で交わされてある体験談や感想や示唆を厖大に送ってきてくれている。彼自身が問題を投げかけて、大勢が返答してくれている。あまり予断をもち、それが抑圧になってもと、わざと読まずに来たが、いま、半ばまで読んでみた。
むろん何の判断もつかない。楽観もあれば悲観的な声もある。しょせん断案はムリであり、動揺なく明日の話を聴いてわたし自身が決心するよりない。
* なによりも「仕事」に励まされて乗り越えて行きたいと願っている。創作、湖の本の刊行、アーカイヴズの整備、魅惑される読書。そして好い観劇。無心の街歩き。じょうずに、意欲的に、よく食べねばならない、癌と闘うため体重を落とさぬように。
次の「 湖(うみ)の本」 も、すでに原稿をていねいに読み返し丹念に校正もし終えて、入稿した。
2012 4・23 127
* さて、今日はいよいよオンコロジィ( 腫瘍内科) での、いわゆるセカンド・オピニョンを聴いてくる。妻も息子も、わたしも、おおよその腹はくくっているが、専門医の助言の、聴くべきは慎ましく聴いておきたい。それで、外科ですすめる抗ガン剤TS1 服用の同意書提出を暫時延ばしてきたのである。
午后、その蓋をあけに行く。
* 今朝はもやもやとあまり体調良くなく、朝食がうまくとれなかった。便通が促されているのか。
胴体の右半分が、起ち居につれ痺れのとけるようにビビビと震動する。服薬の副作用なのか、睡眠時等の姿勢が響いているのか。
* 二時過ぎオンコロジー(腫瘍内科)で受付、五枚にわたる問診票に記入。まず名取医師の初診聴き取りまた家族からの質問等がゆるされ、次いで山内主治医との面談。
医師二人の話は分かりよく、納得しやすかった。妻も建日子も適宜質問し、わたしの腹は決まっていた。「寒ければ寒いと言つて立ち向かふ」しかない、やせ我慢して寒くないなどと強がらない、きっと苦しい副作用に泣くだろうが、泣いてでも、しなくてはならぬことはするしかない。心用意は、副作用の辛抱により、その間に「併走する仕事や楽しみや食味」等へのモチベーションの強さにたすけて貰おう、と。此処へ来て、抗ガン剤服用を拒むくらいなら、もともと癌と分かっても手術を拒んだろう。手術を受けたなら次の段階もあたりまえに受けるということ。
ま、強がってでも、そういうことにと考えていたので、今後は「腫瘍内科」に躰を預けきり面倒を見て貰おうと。そう決めてきた。妻も建日子も賛成してくれた。
聖路加からバイクで仕事場へ帰って行く息子を見送ったのがもう五時だった。日比谷線で日比谷へ出、宝塚劇場の前で買い物などし、ホテルのクラブへ、二月の手術前から久々に入った。入ったもののわたしは飲めないし食べる意欲も低く、妻に「鮓源」の握りをとり、わたしは「なだ万」の稲庭うどんをとった。
手術からの凱旋祝いにとクラブはシャンパンを奢ってくれ、美味しく口に入ったけれど、わたしは全部は飲めなかった。
年度替わり記念の赤ワインを一本もらい、ホテルを出て粉雨に襲われたが大事なく帰宅。
* 五月一日に生理検査と、外科、そして腫瘍内科の診察を受けて、たぶん、その日から抗ガン剤「ts1」の一年連用が始まる。なみたいていでは済むまいと思う。願わくは、そういう時機なればこそ心ゆく「仕事」がしたい。叱咤激励が欲しい。
2012 4・24 127
* 夜中一度眠れずに『ゲド戦記』四巻を読み継いでいた。
夢など見ると、朝の血圧がやや高い。血糖値はこのところずうっと、二度目の退院以来良好で、ほぼいつも、90台。
* 隣の書斎から、取り敢えず『南総里見八犬伝』と『水滸伝』それにゲーテの『イタリア紀行』三巻を、此方へ運んできた。
五月に三島由紀夫脚本の『椿説弓張月』を染五郎の為朝で観るが、原作の全巻に触れる機会がなかった。学研版の抄録本を読んだとき、これは全巻読んでみたい、ぜひと思いつつ、まだ手に入れていない。
* 朝は、数種の薬を二錠ずつのんだりするので、いつも腹工合が不穏。
* 五月一日までの一週間が、貴重な一種の春休み。街を歩いたり、電車に乗ったり、ものを観たり。そうそう久しぶりに歯科へも行って置きたい。
* 昨日聖路加のまわりを歩いていて、芥川龍之介の生まれた家があったとか、浅野内匠頭の上邸があったとか、迂闊にも初めて知った。写真をとったのに、何がどうなったやら機械から機械へ移す作業をしくじったらしく行方が分からない。残念。
* 東博には、本館と考古館と東洋館があり、別に平成館がある。人の多いせいもそれだけ騒がしいせいもあり、平成館にはあまり気が向かず、静かに人のすくないさきの三つのどれかにわたしは埋没する。考古館は退屈しませんかと言われたことがある。そんなこと、ありません。
* 上野への往きに東武の地下の「天一」で大海老二尾と獅子唐の天丼を食べた。天麩羅だけ食べ、飯は少なく少なくとやかましく言って置いてそれでも半分以上残した。入らないのだ。
* 空腹は苦にならない、食べて腹に収まらないのが困る。
もう一つ、譲られた席に腰掛けていて、さて下車しようと立つと血の気が上から下へ流れる汗のように落ちて気分が滅入る。やがて落ち着くのだけれど、歩行よりも起ち居が今は苦手。
雨にもきわどく降られず五時には家に帰っていた。夕食に気がなく、妻のむいておいてくれた夏みかん二つ分を、何の滞りなく美味しく、すっかり、たべた。
* 抗ガン剤を連用し始めると、とても否認しきれない多種類の副作用が起き始め、わたしは、それらによる体調を「ことこまかに」記録して主治医に提出しつづけねばならない、記録のための帳面ももう渡されている。ウワオ!
現在わたしは聖路加病院だけで、糖尿病内科、眼科、外科、感染症内科、泌尿器科、腫瘍内科の診察をうけており、よそで歯科の治療も受けている。ウウッ! 通うだけでたいへんウンドーになります。
2012 4・25 127
* 歯茎まで痩せたか、朝飯の途中で、差し歯がコンコロリンと床へ抜け落ちた。土曜、久しぶりに歯医者へ。
2012 4・26 127
* 病院ではいやでも早起きだった。いま、すこしずつ朝寝がながくなる。
今朝の食事、おさまりわるく、不穏。やがて、歯科医へ向かう。一年近くも行かなかったか。
何時何処でどんなかたちで終るのかそれのみ日々のわが関心事 清水房雄
というほどでは、ないが。
* 歯科の女先生、わたしの顔相をみて驚く。毎日ロキソニンで高熱を下げて安心していたというと、「ダメダメダメダメ!」と百ぺんほど絶叫した。恥じ入った。まことにあれはダメであった。よく死ななかったと思う。
若い女先生は癌研で、歯科関連のなにか役職もつとめていると。抗ガン剤についてもよく分かってられて、心強い。さっそく、含嗽剤やなにかと処方されてきた。レントゲンも撮り、新たな歯科診療がこれから此処でも続く。歯抜けの方は下の右よりでほとんど目立たない。
* これも久々、「リオン」に寄ってきた。シェフ驚く。それでも、ワインも含めて昼のコースを一人前。へんに一品を選んで、それと相性が悪かったりすると難儀する。
オードブルは海老に春アスパラ、まるで錦糸卵のようにカボチャがかぶっていた。卵と謂われていたらかえって喉に閊えたかも知れぬ、カボチャとアスパラと聞いて野菜だなと、けろりと食べた。海老が美味かった。泡立てのポタージュスーブは、グリンピース。アッサリと美味しく飲んだ。主菜はこれもアスパラと、青やかに生の春菊を添えたホタテ貝、すばらしく美味かった。シェフの選んでくれる赤いワインも、そして自家製のパンも、いつも通りに大いに満足。
デザートはティラミスとヨーグルトを選んで、すこし残して置いたワインをかけた。珈琲はまだ口に合わないので紅茶。これも美味かった。ただ、やや、かすかに、すこし満腹して、あと腹が、重いめ。
新江古田から西武線江古田駅まで歩いた。途中の時計屋で、揃いもそろって電池が切れたりベルトがちぎれたりしていた時計の四つを、すっかり直して貰った。ずいぶん長い間鞄に入れて持ち歩いていたがのが、きれいに修繕できた。
保谷駅前で2リツトルの「おーいお茶」三本「コカコーラ」一本を買い込んだのが重かった。タクシーで帰宅。
* 歯医者、リオン。やっと生活の定番に戻れたが、すぐさま五月一日から試煉期に入ってしまう。
2012 4・28 127
* もう大昔、わたしは医学書院で「胃と腸」という月刊誌の発行責任者を務めていた。そんな月刊誌を同時に五六冊預かっていたなかで「胃と腸」はドル箱だった。村上忠重先生、白壁彦夫先生ら世界に鳴り響く早期胃癌等の研究者を二十人近く「編集委員」に委嘱していて、わたしを含めて三人の編集職でこれら先生とお付き合いしながら、毎月の雑誌をまちがいなく「定日発行」しつづけていた。わりと信用してもらっていた。当時もうわたしは「作家」でもあった。退職したとき白壁先生は、筆一本ではたいへんだろうと大阪芸大への就職を世話しようと言って下さった、これは鄭重にお断りした。
そんな編集委員のなかで、いまも健在で、「湖(うみ)の本」 最初からの購読読者でいて下さるのが、当時から細胞診の大家であられた「信」先生・名誉教授。わたしの今回の手術等をご心配のお手紙まで戴いた。嬉しくも嬉しくも、 恐縮の極みです。
☆ 秦恒平先生 玉案下
前略
先生には去る二月 胃早期癌で胃全摘術をお受けになられた御由、大変でしたね、こころよりお見舞い申し上げます。でも進行癌ではなかった御様子、一応御安心なさってよろしいでしょう。
実は、小生も平成10年 70才時、胃噴門部の準早期癌(Ⅲ+Ⅱc型)で胃全摘を受け、現在足かけ15年生きております。制癌剤は服用しませんでした。
御手術後、まだ日が浅いので、食事摂取量も少なく、体重減少も十数キロにおなりでしょうが、5年位経つと数キロは戻るものと思います。小生現役時代80kg、退職後 糖尿病、高血圧があったものですから、食事療法で65kgになった時に手術を受け、一時44kg迄減少しましたが、6-7年で50kg迄になり 現在に到っております。食事量が減少したものですから、所謂メタボ症候群は、他称の服薬はしていますが、数字は現在大体正常範囲内ですーー呵々ーー。胃全摘のお蔭でしょう、小生、術後は現在までお粥を中心に、魚類を多く(現在は肉類もいれていますが)、野菜も煮たものを食しています。時期によっても違いますので、お役に立つかどうかわかりませんが、多少の経験談を御連絡しましょう。(油物は特に夜は控えています。)
あと二、三ヶ月は食事等御苦労が多いとは存じますが、それを乗り切られますよう応援申し上げております。
先生の御著書集「湖の本」 には種々お教えをいたゞき有難く存じております。
先生何卒御身お大事に御療養くださいますよう。
御全復の一日も早からむことを祈念申し上げております。 拝具 信 拝
* 具体的に、うごかしがたい把握がきっちり伝わってきて、心強い。有難う御座います。
ちなみにわたしの胃癌は「Ⅱa 」型と聞いている。19個所切除したリンパのうち1個所に転移が認められたと。
2012 4・28 127
* 「仕事」を手招きし、その「仕事」にわたしの背を押させ尻を打たせる。「仕事」の嫌いでない、むしろ好きなわたしは、すぐ跳びつく。七つ八つならかなりの事でも同時に併行してやれる。よほど問題の腹の中や胸元がダル重く陰気につらいときでも、仕事に取り付き始めると、つい忘れている。事実、その間に少し体調も良くなる。
常なら、とんとん捗って行く仕事が有り難いけれど、このさき「一年」という長丁場で、抗ガン剤の副作用に堪えて行かねばならない以上、気に入った「仕事」がそう都合良くとんとん捗ってしまうと、かえって不安になる。じっくりと手かずをかけて仕上げねばならない仕事の方が、病気「忘れてられるのゃないかしらん」。そう思い思い、ちょうど、そういう前々から気がかりだった、ぜひ仕上げて見たいいい「仕事」を、今日も一つ手元へたぐり込み、もう、手を掛け始めている。
* 夕食前、郵便を一通出したくて、ふと思い立って自転車に乗ってみようと。
じつに何でもなく、ふらつきもせずすらりと乗れて走れて、心地よく郵便局まで。そのまま帰るのが惜しく、北町の奥、よく花見に妻と出かけた変電所の向こう側を大回りしてから帰ってきた。三仁商店前の坂だけはもう少しの最後までは登り切れなかったが、体力が戻ってきていると感じたし、気分のわるい体内のもやもやが運動により逆に沈静してくれる気がした。
2012 4・29 127
* 仕事を追い回せば当然のこと疲労も増す。十一時前、がくりと胸板が凹みそうに疲れてきた。もうやすまねば。
夢を観て寐ると血圧も亢進するのだろうか、このところ朝の血圧値がこころもち高い。
2012 4・29 127
* 明日から、いよいよ腫瘍内科の指導のもと、制癌剤「ts1」を日に二度ずつ連用しなくてはならない。「仕事」と「読書」の楽しみを高めて喧伝されている「副作用苦」を和らげたい。
ま、どんな卦が出るのか分からないのだが。専門医である「信」先生は自分は制癌剤を服さなかったと明言されている。
ではわたしもと、そうするだけのわたしには何の確たる立場もない。立場はないが、生活はあり生命もある。自身の気概で生活と生命とを支ええられるのなら、ま、聖路加の方針を受け容れようとわたしは決めている。どんな卦が出るのかは分からない
* 気になる内容の健康番組がテレビに登場する、例えば腰痛とか頭痛とか鉢巻きとか。妻はよく観ている。わたしも観ることもあるが、まるで無縁な内容と想われる場合は一瞥もしない。怖いからでない。求めて病気を拾い集める必要などあるものかと思う。それでなくても、何十項目も症状を並べて幾つあれば何病であるなどと。何病であろうと挙げられた症状のどれかに引っかかる。てっきり病気を拾い上げてしまう。そしてよくよするなんて。
とはいえ、わたしは胃癌にかかっていた。人間ドックに行って見付けられてなかったなら、では、わたしは胃癌でなかったのか。そんなところへ行けば病気にされてしまう、行かなければ病気は拾い上げないで済む、などと、本当にそう言い切れるのかとわたしは「体験者」としてドンツキに追い込まれてきた。ドクターの何人もが人間ドックで胃癌が見付かって「良かったですね」「一年遅れていたらひどかった」といっそ胃癌発見を喜んでくれた。
得も言われずややこしい気分であった。
* 「自然死という甘い希望 病気を追いかけたくないが」という四十枚もの感想を書いてはみたけれど、肝腎のわたしのなかで割り切れた話でなく、もてあますだけである。ま。簡単にあきらめる。容易にあきらめない。現実は夢である。夢はさめる。
2012 4・30 127
* 六時起床。聖路加の外科と腫瘍内科とへ。検査も。たぶん、今日から制癌剤服用の処方があろう。
* 保谷も、築地も、どこかしことなく、いま、躑躅をはじめ、いろんな花、花がすばらしく咲き盛って、これぞ生彩、輪郭も艶も照りも色もちからに満ちている。妻と、立ち止まりまた立ち止まり顔をちかづけて嘆声を漏らす。小雨に濡れたあとなど、堪らない。そして新緑の優しさ、つよさ。
* まず、今日で消化器外科の診療を終え、オンコロジー( 腫瘍内科) の診療が始まった。生理検査には異常なく、薬剤師による「制癌剤TS1」の説明と服用上の注意を受け、担当医の処方箋により薬局で一ヶ月分の「TS1」を受け取った。下痢のとき、吐き気のときの頓服分も処方された。今夕食後から服薬を始める。
昼休み前、前副院長で妻が二十年も、わたしも看てもらっていた林田先生と別館で会ってきた。
服薬前いわば最終の夕食を奢ろうと思ったものの、薬局で薬を受け取ったのが三時。夕食には早いので、ニュートーキョーでビールを少し飲んだだけで、有楽町から帰ってきた。
家で夕食。済ませて、七時。抗ガン剤3カプセルを初服用。これから一年間の薬剤を朱とした闘病の日々がつづく。
* 落ち着いて、堪えて、心ゆく「仕事」へますます取り組もうと願っている。
2012 5・1 128
* 朝食後、二度目の服薬3カプ。記録も体調の観察もしなくてはならない、むろんまだ何とも感じていない。このままでありたい。 2012 5・2 128
* 文藝春秋の寺田さん、忙しい中から見舞いの電話を。恐縮。わたしの声を聴く人は、みなさん「お元気」と喜んで下さる。
自転車に乗れるのには本人がまず吃驚して喜んだが、たしかに元気は脚力から蘇りつつある。とはいえ、それもせいぜい我から我を激励して云うまでのこと、体内の臓器諸君は、まだまだ不穏に叫び廻っていて、がくりと急に疲れてしまうことも、しばしば。
食べづらくても、食べて不穏を招いても、それでも少しずつ食べて、不調に負けまいと。
あまりはいけませんと云われているが、昨日の「ニュートーキョー」でのビールが美味かったし、家に帰ってからの「萬歳楽」特別吟醸純米酒も美味く、腹に優しく収まってくれた。ワインも美味しく飲めている。飲み余した方がいいと感じれば、惜しまず残している。ウイスキーはまだ受け付けない。
* わたしだけのことでない。誰も誰もみんな健康でいて欲しいと切に願う。
* 「仕事」も順調に捗っている。
2012 5・2 128
* 晩の食事がうまく腹におさまらず、少しく苦しかった。薬の副作用ではない、ダンピングである。そのあと、のまねばならぬ制癌剤を三カプを、決まり通りにのんで、そのまま二時間余り熟睡した。
起きて、「仕事」。たしかに仕事に掛かるとそれへ集中できる。言葉とかかわっての仕事だからしぜん思索も検討も吟味も必要になる。体内の不穏もいまの程度のモノは仕事の中で、ま、埋没していてくれる。そういつまでも美味くは行くまいが。疾走して逃げるという真似は出来ないと思う。併走し、苦痛と仕事の追いつ抜かれつならヨシとしなければ。内周は、月曜、火曜に聖路加へ、金曜に歯科へ、土曜の午后にはアメリカからの友人に会ったあと、夜の部の新橋演舞場へ。そして週明け十五日には服薬から二週間目の診察を受けに聖路加のオンコロジィへ。その頃にはまともに「副作用」が顕現しつつあるだろうと医師も薬剤師も見ているのだが。 泣き言の用意をしておくか。
2012 5・3 128
* 今日は昼食がうまく収まってくれなかった。薬のセイではなく、ダンピンク症候だったと想う。服薬は朝食後と夕食後に各3カプセルだが、それ自体は何でもない。食べ物がうまく腹におさまってくれないと不快感が全身を覆う。自転車で、穏やかな日射しと気温とのなか、半時間ほど武蔵野の「田舎」をゆっくり走ってきた。また床に就いて読書し、また仕事もした。そうして不快を紛らわすことは不可能ではない。
夕食は、昨日讃岐の人に頂戴した筍の御飯が美味しく食べられた。美味しいということが、どんなに有り難いか。量は食べないし食べられないが、えずいたりせずお腹に収まってくれて美味も感じられると、正直、嬉しい。
今日、感心したほどいい排便があった。下痢はない。
* 仕事は捗っている。もうすこし気持ちが整ってくれば創作に時間が取れる。
2012 5・4 128
* いま、空腹気味で体感自然、なにの違和も無い。仕事に熱中していたからだと思う。
昼間、歩けるときは歩き、寝て差し支えないときは遠慮無く寝る。夢中で仕事する。それが体違和を、退治まではできなくても忘れてられることに繋がる。
これでわが家に広さという余裕が有れば、所蔵の美しいものを、玩物喪志になど陥りはしない、もっともっと身近に観て楽しむのだが。
2012 5・4 128
* 昼前、電動自転車で、すこし距離を延ばして走ってきた、但しゆっくりと。
昼食の収まり、やはり良くなかった。二時間寐た。
「仕事」は捗った。
* 夕食後に、下腹部が爆裂したような大ガス発があり、適量排便した。そのあとからだを横にし本を読んでいる間に、やや湿性ながら空気量のあるガスを断続十発ももらして、何とも腹がラクになった。夜分の服薬も別段何ごとなく落ち着いている。体調の平穏、ことに腹部の落ち着いていることほど、この日ごろ有り難いことはない。結果としてこの数日、めだつた体違和を覚えない。 十時半。もう、やすもうと思う。テレビは、少しも観たいと思わない。作品豊かな優れた文章に出逢えているほど幸せなことはない。
2012 5・5 128
* 抗癌剤の強い副作用はのみはじめて十日から二週間ぐらいで出てくると。それで、二週間過ぎた十五日に診察を受けることになっている。まだ服薬、満五日。なにごとも無い。明日は感染症内科に、明後日は眼科に。十一日は歯科に。 十二日は演舞場夜の部、通し狂言・三島由紀夫作「椿説弓張月」。鎮西八郎為朝、そろそろ大河ドラマ「清盛」に登場して来るだろう。
* 宅急便を出しに行った脚で、そのまま自転車で近隣をゆっくり走ってきた。初めて通る迷路のような住宅地を走った。遠回りに家近くまで帰ってきて、コンビニエンスに寄り「おーいお茶」を買っている間に黒雲に空がおおわれ、あやうく雨に遭いかけた。
しばら休憩のきもちで本を七冊読み継いだ。
腹部は、いつも、張ったような痛むようなもやもやした不快感を払拭できないが、それは術後ずうつと同じまま程度は軽快しているのだと思う。思うことにしている。
* 五時。おもいきって入浴し「ゲド」を楽しんでから、夕食にしよう。六時の『平清盛』を観よう。
2012 5・6 128
* 仕事はどんどん捗る。いずれ副作用に追いつかれ取り憑かれるとして、中和効果を仕事に期待し賭けるのは、余儀ない、わるくない気構えだと自身に許し励ましている。
2012 5・6 128
* 連休明け。一連の追加原稿を、組み指定もして、朝一番に印刷所に入稿しておいて、郵便局でも用事を済ませ、築地行きの着替えなどして。
* 聖路加、今日は感染症内科古川先生の診察日。好天。ひとりで出掛けた。昨日は、関東平野にきつい竜巻の被害があった。
* 電車に乗るといつも座席を譲って貰える。よほど五体に生気を欠いているのか。
マキリップの『イルスの竪琴』上巻へ、すうっと入って行く。「ゲド」の多島海やゴント島ももそうだが、「ヘドのモルゴン」の世界もわたしには故郷のように思える。
もう一冊、昭和三年の初版で、十一年に五刷の岩波文庫、ツィンメル著『カントとゲーテ』も持って出て、読み始めた。翻訳した谷川徹三の日本語がギクシャクしていて決して読みやすくない。
* 古川先生の、二ヶ月近かった抗生物質等の投薬も、今日で終えた。六月四日に、また診察を受ける。
文藝に親しみを持っていて下さる先生で、お話しがしやすい。
* 銀座の松屋八階「つな八」まで行き、念願していた天麩羅を食べてきた。食べきれないかと案じていたが、美味しく食べた。それでも終わりがけはお腹に負担になっていた。腹部不穏ぎみに堪えたまま保谷まで本を読みまた居眠りして帰ってきた。
晩飯はすこし辛かった。これでは「ts1」がのみ辛いかと案じたが、存外に障りはなにも無い。お腹の不穏は要するにダンピング症候なのであろう。
2012 5・7 128
* ほっこりして、明日も聖路加眼科とは忘れかけていた。にがてな視野検査もある。朝も早い。
2012 5・7 128
* さ、今日もまた聖路加病院に通う。眼科。十一時予約、そのまえに視野検査など。抗癌剤をのみはじめて、きっちり一週間。
念のために、という考え方も抗癌剤にはあるという。病理検査で、19のリンパ節の1つにだけ癌の転移が見付かったが、とにもかくにもその1つもすでに除去はしてあるのだから、という意味の「抗癌剤は念のため」という観測もあるということ。それでも「念」は入れようとわたしは決め、家族も賛成した。
* 今朝、はじめて、下痢。薬のせいかどうか、分からないが。
* 眼科では、視力と眼圧の検査だけで、今日は視野検査がなく、早めに解放された。築地の鮓店「福音」で佳い肴を切って貰い、酒はおきまりの八海山。鯛、烏賊、初鰹、關鯖などなどが美味く、おしまいに雲丹といくら、そして玉で、限界。酒、少し残した。食べ過ぎてしんどいのは辛い。保谷まで帰らねばならない。新富町の駅構内でパンを買い、幸便の清瀬行ではすこし居眠りもし、保谷でも柑橘類を多めに買ってタクシーで帰宅。
しばらく横になっていた。
留守中に相撲茶屋の竹ちゃんから電話があったと。夜前にメールをもらっていた。
2012 5・8 128
* いま、建日子が階下へ来ていると、妻が下から声かけてきた。そうかそうか。
夕食し、テレビを親子で観て喋って笑って。七時半、バイクでまた都心へ戻っていった。夕食後の薬は何とも障りらしきは、無い。 2012 5・8 128
* いろんなものを、取るも取りあえず、ぼろぼろと取り残し捨ておいて歩を先へ先へ運んでいる。そう感じる。「歩」とは譬喩に過ぎぬ。わたし自身は「いま・ここ」を動いていない。取りこぼされ置き去りにされるそれらは、結局不要。
* 二度目の入院以来顕著に改善されているのが、血糖値。起きていちばんに計るが、もうずうっと90台で、100を越すことはめったにない。その反映がからだにも起きている。
2012 5・9 128
* 今日は比較的体調安定している。やはり外出の用は相応の負担になるのかも。腹部のむかむかを静かに落ち着かせやり過ごすすべが見付かるとよほどちがう気がする。「仕事」の有ることがどんなに助けになっているかと有り難い。
自転車で郵便局へ。雨の気配、近隣を暫く走って、帰る。
* 夕刻へかけ腹部が硬い感じ。
2012 5・9 128
* 今日は比較的体調安定している。やはり外出の用は相応の負担になるのかも。腹部のむかむかを静かに落ち着かせやり過ごすすべが見付かるとよほどちがう気がする。「仕事」の有ることがどんなに助けになっているかと有り難い。
自転車で郵便局へ。雨の気配、近隣を暫く走って、帰る。
* 夕刻へかけ腹部が硬い感じ。
2012 5・9 128
* 仕事の進行にバラツキが出過ぎないよう、表欄の日程を用意した。「複数の創作」「複数の湖の本」「湖の本発送用意」「宗遠日常等のPC運営」そして「病院等の外出」が生活の組み立てになり、何が起きるか知れない「闘病の砦」になる。自然体で闘うためにも、「気を入れて」日々を「面白く」送り迎えするのがいい。できるだけ、そうしたい。
2012 5・9 128
* 好天。快便。違和感、軽微。それでも午后、三時間近く横臥し熟睡した。寝ている間に激しい雷雨と疾風が保谷も襲っていたというが、なにも気づかなかった。夕食は、うまく摂れなかった。
2012 5・10 128
* 当然ではあるが、わたしだけが病んでいるのではない。おどろくほど数多く比較的身近にもわたし以上の重症や難病に苦しむ人たちがいる。わたしよりはるかに若い人にも、いる。そういう報せを聞くと、胸の塞がる、心臓の冷える思いをする。そのひとたちこそ、立ち直って健康な人生を送って欲しいと願う。
今日のわたしは、異様ではなかった、が、ラクでもなかった。そういう日々、その程度の日々が続くなら有り難いということ。
2012 5・10 128
* 好天、風あり。服薬無事。昼前に歯科に通う。
2012 5・11 128
* 比較的快調に歯の診療を受けてきたが、帰り道での昼食が今日は堪えて、何の元気もなく家に帰った。帰って暫くのうちに少し不快感も落ち着いた。上手に無事に「食べる」のが、いちばん難しい。京の従妹が、懐かしい縄手「かね正」の舟形茶漬け鰻、大好物を送ってきて呉れた。美味しく食べたい。ありがとう。
2012 5・11 128
* 腹が一つの嚢のようで、それへ重くモノが溜まっていたり軽かったりする。胃袋が無くなったぶん、腹の全部が重苦しい嚢に変わったようだ。
2012 5・12 128
* 「くすり」はどうしても飲まねばならない、そのためには食べねばならないが弁当飯はほとんど腹におさまらなかった。「クスリ」はのんだ。幸い、なにごともなく。
幕間に高麗屋の若い奥さんが座席へ挨拶に見え、しばらく立ち話した。若夫人と口を利くのはほぼ初めてのこと、行儀良く自然な声と口調でお見舞いなど言われて恐縮した。
はねて。演舞場の外はすこし風もあって冷えていたが、元気に、銀座一丁目の有楽町線まで歩いた。空腹のほうが、かえって心地は落ち着いていた。だいたい、いつも、そうだが、食べないわけには行かないし。
* 帰宅して、十一時前。もう、なにもしないで、やすんだ。
* 今日明日は家で仕事。十五日は、抗癌剤服薬開始から初の腫瘍内科の診察。いまのところきつい副作用はまだ現れていない。
2012 5・13 128
* いま、正午。体調にほとんど違和を覚えていない。ありがたい。
2012 5・14 128
* 十一時、聖路加の腫瘍内科、抗癌剤服用開始から初の診察、血液検査からの主な所見は、肝臓、腎臓の値は正常で、他も、薬の影響で血小板やや減り、やや貧血気味であり、白血球もやや減っているもののむしろ当然と。わたしとしては、ことに昨日・今日、体調を聞かれたなら、「良い」と答えて言いすぎでない。自転車を走らせていると聴いて先生、びっくり。
もっとも、服薬から二週間経ったのである、予告されていたとおり、いよいよこれからこそ何かが始まるだろう。月末の二十九日まで服用をつづけて、四週間。そしてその以後の二週間は休薬して、また第二期の四週間を始めることになる。
次の診察は、五月三十一日。
* 往きの電車でと、外来の待ち時間とで、持参分「 湖(うみ)の本」 112の初校を終えた。
* 築地で小雨。銀座松屋の京料理「つる家」で妻も倶に「縁高」を。酒の「白鶴」も二本。満腹してわたしは茗荷飯を残した。蓬豆腐もすこし妻に助けてもらった。まだ沢山は食べたくない、食べ過ぎれば胸がつまる。
有楽町線でうたたねしながら保谷まで。
2012 5・15 128
* 近くの宅急便に送りむものを託した後、校正のゲラを前籠に入れ、電動自転車で新座市野寺の辺の黒目川ぞいに出て、久しぶりに溯行。まさしく草木舒榮の風情で川岸は歌うようにまみどりの植物で揺らいでいた。雨の後で流水も豊か、夏日と伝えていたお天気に子供達が大勢川に入って遊んでいたりした。
人けのないちいさな道ばた公園のベンチで、三十分ほどゲラを読んできた。
坂道は遠慮したく、幸いどの辺に急な坂があるとほぼ心得ていて、大回りや遠回りをいとわず、なるべく電動の電池に頼らないで一時間あまり走ってから、缶ビールの半ダースを買って家に帰った。つとめてつとめて以前のママの普通の毎日かのように過ごそうと努めている。が、食べ物は、まだまだスムースに腹におさまらない。辛抱して、辛抱して。
* もう「湖の本112」の発送用意にも手をかけ始めている。 2012 5・16 128
* 一仕事して。腹部の総体がゴワゴワこわばって感じられる。ほかには特別の違和感なし。機械画面へいつも前屈みになっていて、そのため上体をまっすぐ伸ばしにくい。腰の辺でからだが一折れしており宜しくない。
そろそろ、国技館へ出掛ける用意を。
2012 5・17 128
* 午まえに歯医者へ。治療半ばに戸外はかき曇り、雷雨。医院を出る頃は、ひときわ激しく。しかしタクシーで西武線の最寄り駅に着いた頃にはもう晴れていた。石神井公園駅ちかくで妻の要用を足し、蕎麦屋で昼食、スーパーでパンなど少し買い物して、また西武線に乗り、帰宅。
ほっこりと疲れている。睡い。
2012 5・18 128
☆ 手術をなさり、
もう御退院の事と思っております。手術は、矢張り、おこたえになりましょう。私自身も、通う病院の科がふえ、大忙しです。科目がふえていくものですから、お釈迦様が病体、老体で往生なさった、ということは、凡人にとって、一つのなぐさめです。「生老病死」は、人の、さけられないもの、と思いますので。私の友人は、やはりあちこちの病院に通うので嘆いていましたが、老いと病いは、本当に、忙しい。予後をくれぐれもお大切になさって下さいますように。 評論家 元・文藝誌編輯者
* いまとなれば有りがたい師の一人でもあった人のお見舞いの言葉にかかわって、わたしは、あの二度目の入院時、病室で書いていた苦渋の一文を、どうにも自分自身と折り合いが付かずに抛ってある一文を、思い起こさずにおれない。ああ仕方がない、観ようによれば支離滅裂なのかも知れない一文を此処へさらけ出して、もし言葉や思いを添えて下さる人が有れば、じっと耳澄まして聴き入りたい。胸を張って押し出す一文ではない、半ば以上はお手上げのもの。ただたまたま頂いた上のお便りに、また少し背を小突かれ、敢えて吐き出してしまうのである。ご批判をいただければ嬉しい。
☆ ☆
自然死という甘い希望 病気を追いかけたくない
秦 恒平
今年、平成二十四年正月五日、私はめったになく自発的に聖路加病院の「一日人間ドック」に入り、即日、胃の極上部に癌病変が疑われ、日を改めての検査結果から胃癌に相違ないと診断された。一月十九日、消化器外科はこれを確認し、以降、各種の検査を重ねた後、二月十三日入院、十五日に「胃全摘と胆嚢切除」の八時間に及んだ手術を受けた。後日の病理検査から、胃癌はⅡb型、そしてリンパ一個所に転移が認められた。
三月三日に、退院。
ところが退院から二週間とたたない術後初の通院受診の日、主治医は一も二もなく「緊急再入院」と決した。その三月十五日の私の容態は、医師たち誰の目にも「きわどく」「危なかった」とのちに聞いた。外来での点滴やスキャンニングのあと八一二室へ送り込まれた私は、よく謂って人事不省でさえあったとか。強度の脱水症状に加え、高熱を伴う大腸菌や腸球菌の術後感染が全身を冒していた。だが本人はさほどにも感じてなくて、此の日妻が帰宅する時の私の表情、声音は見違えるほど元気だと、頬に手を添え喜んでくれた。
それはそれ、此の日早朝、私は西東京の自宅からハイヤーで中央区築地の聖路加病院に着いたのだった、妻も私もまさか「再入院」と迄は思いも寄らなかった。外来で待たされる間にと、この日、私はプラトンの『國家』岩波文庫の上巻を鞄に入れていた。正月早々に「癌」と診断され手術を受けてこのかた、私は、かなり強い動機を此の二千数百年むかしの「大作」に寄せていた。「ぜひ読み直さねば」と考えていた。
私は医者にかかろう、病院へ行こうとは容易に思い立たぬ男で、十余年来の糖尿病受診と、関連の眼科検査の他は、家人からも読者からも幾十度懇願されても腰をあげない頑固者だった。人間ドックを私自身で申込んだのは異例も異例だった。だが、そこへ気の煮つまるには、一つは「体違和」への降参の気持ちが、他方には実はプラトン(ソクラテス)の「医術と健康」観への複雑な共感また反撥や関心が、互いにまるで逆向きの何かのように向き合っていたのである。
前者の、今年正月早々人間ドックの「結果」は繰返し言うまでもない。後者のソクラテス(プラトン)の対話編『國家』は、三月十五日再入院以降、病室で、相当気を入れ頭から読み直し続け、肝腎の個所、医術と健康と死生の「対話」にまでしっかり再到達していた。刺激的に気がかりな検討(対話)が、何の躊躇いなくそこに繰り広げられていた。
私が医者にかかりたがらない(たがらなかった)のは、べつだん怖いからでも只面倒だからでもなかった。ごく当たり前な反応として、医者(病院)に行くと、そのときまで本人も知らず気づかずにいた「病気をもらってくる」ことになり易く、病気(健康)の面倒をみてもらう筈が、逆に「病気」を後追いし、次から次へ此方が病気の面倒を見たりお守(も)りしたりして日々を送らねばならなくなる、少なくもそれは或る意味つまらない話ではないか。ま、そんな反感にちかい懸念がいつも働きがちであった。
今日の医療の常識では、私の、上の曰くは嗤うに足るノンセンスであろう、と同時に、私自身が本郷台で医書編集や出版企画の勤務に励んでいた昔に、「医原性疾患」又は「医原病」という観点のあるのを識り、その研究書を専門家に書いてもらってもいた。
病気が病気を連れてくる、悪くすると際限もない病症が現に連鎖して起きぬではない。かりに私のような「もの書き」が、そのようにして、したい仕事にも手が出せず日々懸命に「病気の尻を追いかける」有様となれば、かりにも生き甲斐はどうなるか。「文章を書く」以外に多少の能も喜びももたぬ男が、ただ「病気を追いかける」日々に埋もれて行くのであったりすれば、大袈裟にいえば世のため、人(読者、知友、家族)のため、我がために、それで本物の生き方になるのだろうか。
ま、私は未熟にもおよそそんなことを思って七十六歳まで永く生きてきたのだった。
さて私は「病気を追いかける」と謂う。ところが二千数百年以前のソクラテス(プラトン)は壮大な「理想の國家」論を精微に展開するなかで、「健康と医術」にかかわって発言を重ねながら、私がいましも嘆いたとほぼ同様のことを「病気のお守りをする」と謂いあらわし、あげく、オオッと声の出そうな「対話・議論」を、当時都市国家(ポリス)の市民に向かってと同じに、二十一世紀東京都民の私にも聴かせてくれたのである。
驚いた。首肯もした、が、反撥もつよく動いた。要するに「驚いた」のである。
根が、精緻に精微に「対話」で論考して行くソクラテス(プラトン)なので、只今のまさに関心事「医術と健康」にほぼ限定して、なお、岩波文庫『國家』の第3巻一三から一八迄二十四頁分にわたって縷々対話と討論とを重ねている。言うまでもなく加えてこの対話には、『國家』と題したプラトン最大著作の宏遠な「著述目的」があり、その方法論が基底を支えまた強く規制していて、こと「医術と健康」に関しても例外でない。
その点を簡単に先に述べておくと、このプラトン稀有の大作は、間違いなく、人間にとって「正義」に根ざした「理想の國家」とは如何なる構成で成り立ち、如何なる理念理想に率いられて如何なる指導者(指導階層)に指導され統治されるのが真に幸せで、且つ正義・正しいという「徳」にふさわしいかを、実に実にこと細かに検討し尽くそうとしている。それを忘れて「部分」を好き勝手につまみ食いしても著者・ 対話者の「真意」からは逸れるのである。彼らは、國家の統治支配体制にも僭主制や民主制やその他各種有るそれらを漏らさず、徳、正義、真の幸福の名において追究し尽くそうとしている。此の壮大な検討・検証のいわば一端として彼らは「医術と健康」にも触れていたのである。
それは、文藝(詩、悲喜劇など)や音楽といった「人性を正しく教練すべき徳目」の詳細な批評、ないし國家における良き制度化への断乎とした姿勢決定に、次ぐ、ないし並ぶかたちで為されている。すなわち広義の理想的な「体育=肉体としての優れた生き方」という不可欠な領域が、どのように「良き國家」の法制内に確立されるか、され得るか、どのように適切な位置と内容とを占めるか、占めるべきか、が検討されているのである。
で、さしあたり、最初に私自身の感想、つまり「病気を追いかける(追いかけ回す)」のは好ましからずと、医者にかかりたがらなかったのに「関連」をもたせながら、プラトンの『國家』にあって、ソクラテス(プラトン)が「病気のお守り」をして只生きているのでは秀れた國家の秀れた成員たり得ないし、当人も何のために生きているのか知れないと語っている辺りの、いっそ厳粛とすら謂いたい、しかし即座に頷くにはなにかと躊躇される「断定」の言葉を、以下しばらく、なるべく適切に、この場へ引き出してみたい。
問題の対話編の中でソクラテス(プラトン)は、概ね國家の構成員を、職人層と自由人( 富裕層・金持ち) とに分けており、前者には「他」の多くを求めないものの、靴作りは完璧な靴作りを、大工は完璧な大工仕事をと、一人一職、余人に譲らぬ良い仕事を求めることで彼らを基底の「國家構成要員」と認定している。他方指導者層の名士で富裕な自由人には「知性と徳と」が、受けた教育の成果として期待されているのだが、大方それが「実現していない」のを慊りなく慨嘆し、厳しく批判している。
言うまでもない、此の私自身の上を謂えば、紀元前はるかな一人の良き靴作り、良い大工らと似て、ただし私の仕事ぶりはまことに至らぬ成績であるけれど、「書く仕事」以外の何一つもようしない、まさに「手職人層」の一人なのである。忸怩ともしながら敢えてもちだした「生き甲斐」などという感想は、当たり前にも、其処に発している。
今一つ注目しておくべきは、著作『國家』の、上下を問わず「人間」に求める論調、望ましい「徳」の基調が、複雑よりは「単純・端正」、合成混成の騒がしさよりは「清明な落着き」に在るということ。詩、文藝、音楽にも一貫して清純で静謐なことが、「徳の本質」のように重々しく指摘され、常に期待されている。決して見遁せない「理想國家」のこれが彼らの「徳目」であり「真実」なのである。その真実にもとづいて、従って「何でも有り」の混雑した例えば食事や生活法からは、必ず「放埒」が生じ、また、不自然で無闇な体育的逸脱や強行が、必然、生まずに済む「病気を生む」と直言している。「単純さは、音楽においては魂の内に節度を生み、体育においては身体の内に健康を生む」とソクラテスは明瞭に言いきり、対話者の市民グラウコンも、「完全におっしゃるとおりです」と賛同している。(大勢の市民を聴き手に対話しているソクラテスとグラウコンの直接話法は、岩波文庫藤沢令夫氏の翻訳にそのまま従っている。)
ソクラテスはこうも言い続ける。
「一国に放埒と病気がはびこるときは、数多くの裁判所と医療技術が幅をきかす」と。人々が自分自身を見失い、自身に属した判断や処置を「人任せ」にするしかなくなっているのを慨嘆しているのであり、これに、厖大で多種類の薬剤や、正体もよく知れないサプリメントを加えれば、じつに「薬効、薬効」と刻一刻の薬漬け、今日の日本も文明世界も、文字通り「病気の尻を追い回して」いる有様に繋がってくる。
ソクラテスは言う、「一般の名もない人たちや手職人たちばかりか、自由教育を身につけたと称する人たちまでもが、(放埒や逸脱ゆえに)最高の腕をもつ医者や裁判官を必要としているということ、── 一国における教育が悪しき恥ずべき状態にあることを告げる証拠として、これよりももっと大きなものを何か君 (対話者グラウコン) は見出すことができるかね? そもそも君には自分が用いるべき正義を他の人々(裁判官や医者)から借り入れざるをえず、そういう他人をみずからの主人、判定者となし、自分自身の内には訴えるべき正義も(徳も)何ももたないという状態が、恥ずべきことであり、無教育の大きな証拠だとは思えないかね?」と。
グラウコンも言下に「何よりも恥ずべきこと」ですと首肯いている。
今日の日本でも、自身「自由教育」を受けてきたと胸を張るほどの知識人が、はために些細と謂うも当たらぬことで、身近な友人を名誉毀損で裁判官の被告席に立たせたといった、なんとも恥ずかしい実話も実在すると聞く。まさに自分が自分自身の「主人」として理非の判定も判断もできない、裁判官頼みに曲直を決めてもらうよりないのでは、あんまりも情けない。
ところがソクラテスは、更にもっと恥ずかしいざまを、こう、指摘する。「すなわちそれは、生活の大部分を法廷で訴えたり訴えられたりしながら費すだけでなく、(卑小な人格から出た)低俗な好みのために、まさにそうすること自体を得意がるような考えを(自由教育を受けたと自慢にしながら)植えつけられている場合だ。──それも、些細でまったくつまらない事柄のためにだよ。それというのもほかではない、そういう人は、自分自身の生涯を、居眠りしている裁判官など少しも必要としないようなものにするほうが、どれだけ美しく善いことであるかということを知らないからなのだが」と。
グラウコンも、この方が「先の場合よりも、さらに恥ずべきことです」と言い切り、私もその通りだ、そうだと思うのである。
「では他方、医術を必要とするということは」とソクラテスは、いま我々の関心事へ話頭を振り向ける。こうだ。「傷をしたとか、何か季節の病気にやられたとかいったことのためなら別だが、そうではなくて、怠惰やわれわれが述べたような(乱雑で放埒な)生活法のために、ちょうど沼沢のように水( 体液) の流れと風(ガス)がからだじゅうに充満し、あの気のきいたアスクレピオス派の医者たちをして、『風膨れ』(鼓腸)だとか『たれ流し』(カタル)だとかいった名前を、それらの病気につけざるをえないようにさせるということは、恥ずべきことだと思わないかね?」
さらに、「むかしは、病気に付き添ってお守りをする流儀の今日のような医術は、人々の言うところでは、アスクレピオスの流れをくむ人々の用いるところではなかったのだ。ヘロディコスが現れるまではね。このヘロディコスは体育(教育)の先生だったが、病弱になったので、体育と医術を混ぜ合わせたやり方を編み出して、まず第一に誰よりも当人自身を、さらに彼以後の多くの他の人々を、疲れはてさせることになったのだと」
クラウコンは訊く、「それはいったい、どのようにしてですか?」
「自分のために死を長びかせることによってだ」と、ソクラテス。「というのは、彼(ヘロディコス)は自分の病気につきっきりだったが、いっさいの仕事のための時間を諦めて、ひたすら療養のうちに生涯を送った。なにしろ、決められた日常の生活法をちょっとでも踏みはずすと、苦しい目にあわなければならないのでね。こうして死と闘いながら、彼はその知恵のおかげで老年にまでたどり着くことができたのだ」
「その技術は彼(ヘロディコス)のために立派な褒美をもたらしたのですね」と、グラウコン。「いかにもふさわしい褒美をね」とソクラテスは辛辣に話しつづける、「つまり、そういう褒美を貰うような人は、次のことを知らないのだ。──すなわちアスクレピオスがそういう類いの医術を子孫に教え示さなかったのは、それを知らなかったからでも、経験がなかったからでもなく、すべて( 理想的に) 善き法秩序のもとにある國民にはその國においてぜひともなされねばならぬ定められた仕事がひとりひとりに(一つ)課せられていて、一生病気の治療をしながら過すような暇は誰にもないことを、知っていたからこそなのだということをね。われわれとしておかしく思うのは、職人たちにはそういう(アスクレピオス流の)精神が生きているのが見られるけれども、金持で幸福だと思われている(自称自由人の)連中については、そうではない(まるでヘロディコス流だ)ということだ」
グラウコンは、ソクラテスの言う意味がすぐには掴めなかったらしい。
「たとえば大工ならば」とソクラテスは言う、「病気になると医者に頼んで、薬を飲んで病気を吐き出してしまうなり、あるいは下剤をかけたり焼いたり切ったりしてもらって病気からすっかり解放されることを求める。けれども、もし長期の療養を命じられて、頭に布切れを巻いたり、それに類したことをいろいろされるようなことがあれば、(良い大工の)彼は(一介の文士= わたくしでも)ただちに言うのだ、──自分には病気などしている暇はないし、それに、病気のことに注意を向けて、課せられた(大工の、文士の)仕事をなおざりにしながら生きていても何の甲斐もないのだと。そしてその後は、そのような(病気の尻を追いかけお守りをする)医者には別れを告げて、いつもの生活へ立ちかえり、健康を回復して、自分の仕事を果しながら生きて行く。またもし彼の身体がそれに堪えるだけの力がなければ、死んで面倒から解放されるのだ」
「それというのも」とソクラテスは付け加える、「彼(大工たち)には課せられたひとつの仕事(大工、靴作り、文藝など)があって、それをしなければ(良い國家の成員としても)生きている甲斐がなかったからではないかね?」
「明らかにそうです」とグラウコンは容認し、ソクラテスは言を次いで、「しかるに他方、金持は、──とわれわれは言う──それから遠ざけられなければならない場合には生きる甲斐がないといったような、そういう(意義有り大切な)仕事を何ひとつ課せられてもってはいない」
グラウコンも首肯せざるを得ない、それが当時大方の現実であり事実であったから。
さてこそソクラテスは追究する、「いったい、この徳の修練ということこそは、金持の人が心掛けなければならない仕事であって、それを怠る場合には生きるに値しないというべきではないのか、あるいは、(そんな連中の)病気のお守りを(無際限にあれやこれや)することは、(真面目で熱心な)大工その他の技術 (者たち) にとっては、その仕事への注意集中の妨げになる」、まして金持連中の徳の涵養の大きな大きな妨げになると。
対話者グラウコンも、「それはもう、ゼウスに誓って、およそそれ(病気へのとめどないお守り)よりも大きな(自由人が本来もたねばならぬ國家への義務に対する)妨げはないと」と共鳴し、こうも彼は言い替えている、「しかるべき体育(健康面からの徳の充実や涵養)の範囲を超えた、身体に対するこの過度の気遣い以上にはね。じっさいそれは、(自由民が、つまり金持階級が)家をととのえる仕事のためにも、出征のためにも、國の中の官職で坐ってする仕事のためにも、厄介な邪魔になります」と。
つまり過剰にして事実上無益な医療を「厄介な邪魔」と市民グラウコンは言いきっているのであり、ソクラテスは、さらに容赦がない。
「なかでもいちばん悪いのは次のことだ。すなわち、それはどのような学習、知性の活動、自己自身への修練に対しても、面倒をひき起すということだ。いつもびくびくと何か頭が痛いようだとか、めまいがするようだとか気づかい、それを知的努力(哲学)の結果のせいにすることによってね。そのために、この病気のお守りということがあるかぎり、あらゆる場合に、徳が修められ試されるのを妨げることになるのだ。なにしろそれは、いつも自分が病気(か、その手前)であるように思いこませ、片時も身体についての心労をやめさせないのだから」と。
「いかにもそうでしょうね」と頷くグラウコンに向かい、ソクラテスは一連の対話を引き結ぶかのように、こう言葉を次ぐ、「それでは、われわれは次のように主張すべきではないだろうか?」と。
「──すなわち、アスクレピオスもまた、まさにこれらのことを知っていたからこそ、生まれつき生活法によって健康な身体をもちながら局部的な病気にかかった人々、そういう人々とそういう身体の状態のためには医術を教え示し、薬や切開によってそういう人々から病気を追い出して、市民としての仕事をそこなわないようにと、ふだんと同じ生活法を命じたけれども、しかし他方、内部のすみずみまで完全に病んでいる身体に対しては、養生によって少しずつ排泄させたり注入したりしながら、惨めな人生をいたずらに長びかせようとは試みなかったし、また、きっと同じように病弱に違いない彼らの子供を生ませなかったのである、と。そしてむしろ定められた生活の課程に従って生きて行くことのできない者は、当人自身のためにも國のためにも役に立たない者とみなして、治療を施してやる必要はないと考えたのである、と」
ずいぶん國家社会のことに「気をつかう」人物でアスクレピオスはあったのですねと、グラウコンは多少唖然としているが、ソクラテスは、「そうであったことは明らかだ」と言いきる。「ほかでもない、傷を受ける前に健康で秩序ある生き方をしていた人間なら── 施した薬だけでけっこう治ってしまうものだ、という考え方」をアスクレピオスの派の医術は保持していたとし、ソクラテス(プラトン)はつよく肯定するのである。
「けれども、生まれついての病気持ちで不摂生な者は、本人にとっても他の人々にとっても生きるに値しない人間であり、(良き國家の)医療の技術とはそのような(病弱すぎる)人々のためにあるべきでもないし、またそのような人々には、たとえ(富裕で名高い)ミダスよりもっと金持であったとしても、治療を施すべきではないと、かれ(アスクレピオス)は考えていたのだ」というのが、ソクラテス(プラトン)の動かぬ「結論」「見解」だということになる。グラウコンもまた、アスクレピオス風の「医の技術」行使を「大へん賢明です」と称讃しているのである。
以下原著『國家』では今少し議論・討論の展開があるが、この辺で一息ついても、大きな脱落はないと思う。その上で、今日の私達からこれを言い替えれば、ソクラテス(プラトン)が容認しまた慫慂し、またグラウコンも賢明だと称讃した「アスクレピオス風の医の技術行使」とは、しばらく「國家」への奉仕の、徳の達成のといった観点に目をつむるなら、つまりは平均年齢に相応な「自然死」を容認し称讃しているのではないか。我・人ともに過剰な医療で病気のお守りはしなくてよい、個々の人間の健康に即して「自然死」へ導いてよしとしていたのであろう、結果としてそれが「良き國家」の為でもある、と。
同時に、当初から私が「私ごと」として持ち出していた、「医者(病院)へ病気をもらいに行きたくない」「病気を追いかけたくない」という感想も、言い替えるまでもなく、いっそ「自然死」がいいのではないかという、朧ろに甘い希望にほかならない。
と、其処までソクラテス( プラトン) の昔と私たち今日との、病気ないし死に立ち向かういわば「接点」を認めて置いて、しかもなお双方の相違からも目を逸らせてはならない。ソクラテス( プラトン) らの「正義に満たされた良い國家」という理想追求の過程で開陳されてある「医術行使の程度ないし是非」等の見解または主張と、私ごときのぼんやりと「 自然死」を願う甘い感想や物思いとの間には、どう言句、字句の上で似通うた点があろうと、実に跳び超えがたい落差の在るは。瞭然としている。ごちゃまぜにしてはならない。
其の点をしかと踏まえたまま、もう少し、私自身冒頭来の感想から、二十一世紀只今の「健康と死」に関連したラフな感想を語ってみたい。
ソクラテス( プラトン) とわれわれとの間には、二千数百年ないしそれ以上の「歴史の距離」が実在している。さらに閑却ならぬことに、平均寿命の大差が在り、「医術と健康」への考え方や向かう態度の大差を生んでくる。安易な比較はとても成り立たない。
さらに問題そのものなのは、現代の私にも、また私同様の日本国民にも、いや現代世界のほぼ大方の國の人々にも、「理想の國家」といった観念・理念が、あまりに稀薄。そんな観念によって規定・規制される「国民・國の構成員」といった実感も、認識・ 意識も、、今日、ほぼ絶無。意識・無意識のエゴイズムにより現実にわれわれは、よほど「背」國家的に、余りに「私」本位に生活している。
それどころではない、プラトン(ソクラテス)ふうの結論を、史上最悪にどぎつく国策として行使し、人種という「理想」の名目で他民族を大量殺戮したのは、あのヒットラー・ナチスであったといった理解さえ現代の常識になっていて、到底、ソクラテスらの議論・対話と、私ないし今日我々の感想とは、同じ地平で語り合えない。どう頑張ってみても、横並びに、簡単に両者を比較も批評もならない、当たり前だとだれもが笑ってしまう。
笑ったついでに断定すら出来る、歴史は「理想の国家」など只一つも成し得なかった。逆に、医学・医療の精緻な進歩はめざましく、平均寿命の格段の延長が示すように、人はその恩恵にこそあずかってきたと。「現代」の答えているそれが、結論だと。
極少の例外は念頭に置くとしても、もし病気にかかったら、それも重い病にかかったなら、「仕事」による國への奉公献身など夢にも考えず、ひたすら最新最高の医療の力で癒したい癒して欲しい、可能な限り長生きしたいという謂わば「ヘロディコス」流こそが、今日の家族家庭生活の、また保健環境の通念・常識である。多彩な内容で取引される生命保険や傷害保険なども、プラトンらの思いも及ばなかった今日の工夫である。金があれば金を惜しまず、金がなくても治癒と社会復帰へ精一杯努めて、安易に命を見捨てない。命は地球より重く、國や政府にも福祉の手を望んでやまない。
むろん一つの思想または覚悟かのように「自然死」がいいという望みも、広い世間には生まれてくるだろう、が、大方の誰もが、一切の思量を超え、当然至極として医の最新・最高の技術に信頼し、縋りつく。
同じ考えのまた別の現象を、繰り返して言うなら、日々人々の生活に雨霰と降り込んでくるサプリメントや正体知れぬ擬似健康薬物や食品への、さながらの「信仰」も、現に、在る。二十一世紀の現代人は、ソクラテス( プラトン) 流の國家や正義や徳などとおよそ無関係に、また「アスクレピオス」流の医の思想とも無縁に、ひたすら病気すまいと病気の影を追いかけ追いかけ、まさしく「ヘロディコス」流に、病気の先手を日々打ち続けて命長かれと願っている。まちがいなくそう見える。人間にはそれほど健康と長命が大切、病気は予防して当然という確信であり、成り行きの「病死」よりはるかに、至れり尽くせりの「医療と長寿」が、誰彼となく大切なのである。
同じく「医術」という技術であろうと、ソクラテスたちは、厳正すぎるほど強い「國家」的建前で同じ技術の行使を求めている。他方、平成の今日只今の日本国に於ける「医術」や「薬効」への期待や信仰は、それとは呆れるほど別次元の異質なもの。今日の日本人(世界人)は私的には、個人的には、豊富に理想や希望をいろいろ持っているが、自身の「健康」や思うさま医療を受ける「権利」を、プラトンらの「理想國家」の前に放擲する気など微塵持ち合わしていない。行き届いた「健康保険」の制度のもと、國家・政府にむかい健康・長寿への奉仕をこそ要求している。繰り返し言う、それが「常識」なのである。
幸か不幸か入院し手術されに行く私には、ソクラテス( プラトン) 流のシビアでかつ自然を重んじた健康への見解を、かすかとはいえ受け容れようとする素地が出来ていた。だからというか、『國家』を初めて読んで、くだんの個所に至り、思わず声さえ漏らして驚いた。共感もし、同時に反撥も抑えられなかった。折り合いがつかない気持ちだった。
前言に齟齬するようだが、たしか杉田玄白であったかの顰みにならい、 日ごろ、私は自身の体調、体違和を、比較的こまめに観察していた。いつか発病するときの我が日常をどう左右すべきだろうとも思い、一つには私自身に「したい仕事」があって、病気はそれにどう影響するか、影響されたくないと願い、また今一つには妻や息子の憂慮や、知友・読者の心配も和らげねばならぬ気持ちも強かった。
その一方、かりそめにも「日本國の為に」といった観点も自負も私には無かったし、今も無い。『國家』と倶に起とうというソクラテス( プラトン) やギリシアの昔の小規模なポリスに生きる「理想的な市民達」の生き方や思想と、雑踏の大東京で暮らす私のそれとは、半ば恥じ入るほど、互いにかすり合いもしていない。
つまりは私がソクラテス( プラトン) の言説や主張に対し「今日的」に共感して行ける手がかりがあったとすれば、「國」とまでいわない、もっともっと「私的」にだが、人としての徳、知性そして生き方という哲学的共感に落ち着くのだろうか。
いやいやそんな堅い話にもなり難く、要するにアスクレピオス流の「自然死」の方にも甘い希望で心惹かれるというだけではないか。裏返せば、病気のお守りに生涯を費やし、ただもう長命したといういヘロディコス流はちょっと叶わんなあということになる。
こと大病の前で徳の知性のと言ってられるのか。現代人はそう考えるだろう、大方が。それよりも「仕事」を続けたい、「家族」と仲よく楽しく過ごしたい。結婚以来いましも五十三年の私にも、せいぜいそんなところが「生きて在る」日々の支軸だった。そんな思いのその上で私は、胃全摘等の入院手術の日々から、一度は退院しながら、またも此の三月十五日、再度の緊急入院を余儀なくされた。その前夜十四日、医師のためぜひともと奮発し、先の、三月三日の退院以降及ぶ限り自覚し記憶していた強度の脱水、高熱の頻発等の経緯を簡単に書き上げていたのであったが、その日の日記の最終に、私が、もし病症やむなく脳炎等に陥り不幸再起不能と診断されたなら、速やかに「尊厳死を以てせよ」と書き加え、且つ妻にも口頭で伝えておいた。
仕事が出来ず、家人との共有の認識も喪うとなれば、「病気のお守り」をして単に生き存えるなど望ましくないと、その時、決意したのであった。後日に聞いた限りじつに危うい再入院であったと。その上に看護の通院に疲れ果てた妻の、前年につづく二度目の心臓冠動脈拡張手術も加わった。幸い妻は一夜で退院が叶ったけれど、二人とも肝を冷やした。
それはそれ、私たちの今日の生き方には、國家ないし政治のありようへの途方もない嫌気と裏腹に、家族や知友との私生活を楽しもう、その楽しみの為にこそ仕事につき金を手に入れようという姿勢が、ごく当たり前に一般化しているのを誰が否認できるだろう。それで良いのだろうかというかすかな反省すら、見えない。「自然死」ということにそれこそ知的な興味や関心を寄せる人がたとえ有ろうと、それは何らアスクレピオスらの医術を容認し主張していたソクラテス( プラトン) の健康観を受け容れようというわけでは、けっして、ない。ただ単に、こんなにも「病気を追い回し」「病気の先へ先へ廻って」日々刻々にあたかも「健康病」にはまり込んでいるのが鬱陶しくなっているに過ぎない、有り体にいえば私の感想とてそれだけのこと、と決めつけられても抗弁しにくい。ただなるべくは「病気を追いかけたくない」「元気に老い、自然に死にたい」と願っているのである。
幸いに、また、明日、三月二十六日月曜日、息子の迎えの車で私は二度目の退院をゆるされている。感謝、感謝。
平成二十四年三月二十五日 日曜日 午前十時三十五分 稿
追記
三月二十六日に退院帰宅した、その日のことであった、病院から家へ車を運転してくれた息子・秦建日子から、「2012.03.26」付の「SANKEI EXPRESS」 紙を見せて貰った。小説家で脚本家でもある彼へのインタビュー記事が、大きな顔写真と一緒に出ていた。
その記事を見て、次いでその見開き頁にも同様宮城県知事への訪問記事があるのに気付いた。さらに訪問記事の下欄に「新刊本紹介」の記事もあるのに気付いて、ン、と目をとめた。冒頭に、本文より二三段大きな字でこう書かれていた、『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』「中村仁一著」と。相当なベストセラーらしく、紹介記事の文責者( 溝上健良氏) の結びの言葉は、こうあった、「著者は特別養護老人ホームの常勤医師で、がん患者を含めて多くの老人が安らかに自然死するのをみとってきた。その経験から、医療がかえって穏やかな死を妨げている現状を紹介し、『年寄りの最後の大事な役割は、できるだけ自然に「死んでみせる」こと』と提言する。」と。
おやおやと思って記事を読んだその次か次の日に、今度は、同じこの著者中村仁一氏がテレビに紹介され、上と同様の趣旨を穏やかに説かれているのに、たまたま出会った。伝えられ、また話されている内容は、わかりよく、かつ時好に投じた所説であるとも読み、かつ聴いた。上の紹介記事を今少し引用させてもらい、中村氏の論拠を分かりよくしておきたい。即ち「2008年の厚生労働省の調査によると、『延命治療を中止して、自然に死期を迎える』ことを希望する人は全体の約3割で、10年前の2倍に増えているという」。
この場合、 調査への回答者が、自分自身について答えているのか、家族の高齢病者を念頭に置いているのかは判然としないが、 漠然と両方が入り混じっているのか。また「余命わずかとなった患者であっても、病院では精いっぱいの治療が施される。それは本当に本人のためなのか。そうした疑問を持つ人が増えている」とある、この「疑問を持つ人」というのも、誰彼ない一般の見解なのか、「余命わずかとなった患者」の家族や縁戚の思いなのかが、はっきりしない。中村氏の著書に心惹かれている読者層も、「自分の死や、高齢となった親の死が気になってくる50歳以上」と、混在ぎみに読めもするが、概しては、どうも、先のない病者を抱えている人たちの関心から此の本が読まれていると看て取れる。
また、この本の企画ないし編集者の感想も、患者本人の強い希望や関心というのでなく、むしろ「死んでいく人に対して最期まで治療をすることに矛盾を感じていた人が、」中村氏の著書で、「そうしなくていいとわかった、よかった」と大勢が受け容れた、と証言している。この限りでは「自然死」がいいと思いかけている大方は、当の本人であるよりも、患者の介護者や近縁であると看て取れ、その是非はともあれ、それなりに「実状」がむしろ察しられる。さらに著者自身もこう語っていると、紹介記事に明記されてある。
即ち、「日本人は医者にかかりやすいとはいえ、あまりにホイホイと病院に行きすぎる…本来、病院は”いのちがけ”で行くところ」「穏やかな”自然死”コースにのせてやるのが本当に思いやりのある、いい”看取り”のはず」「辛くても”死ぬべき時期”にきちんと死なせてやるのが”家族の愛情”」など、と。
これでみて、 この限りでハッキリするのは、一人一人が人間尊厳の自覚をもって「自身の自然死」を願っているという認識ではなく、「現に生きて在る家族」の病者に対して取る態度や方針として、「自然死」に、というより「治療打ち切り」に同調したいというそんな気持ちが支持されているようだ。記事の文責者はこれらの言説に向けて、「適度に毒」がちりばめられていて、幸い「暗く」はなく、と批評しているのである。
以上よりして此の中村氏の『自然死のすすめ』とは、死んで行こうとしている人への深い愛とか尊厳の尊重とかでは、むしろ、なく、死んで行こうとする人たちの周辺生活者に向かい、そこそこの時期に「見切れ」という奨めに、むしろ、他ならないと見えてくる。私は、こういう「指針」の与え方には共感しにくい。これは、語の本来の「自然死」でも「自然死のすすめ」でも、ない。
言うまでもなく二千数百年も以前に、いわば文明史の一課題かのように、プラトン(ソクラテスら)が思索し対話していた「自然死」の思想とも、まるでこの著書は交叉していないと想える。本書を読んでいないので断言はしないが、察するところ、 紹介記事にもテレビでの談話にも、プラトンともソクラテスともアスクレピオスともヘロディコスとも、ちらとも出てこなかった。
つまり中村氏はそういう文明史には関心なしに、親世代の介護や医療に苦労している今日人に向かい、「自然死」という美名をちらつかせ、「”死ぬべき時期”にきちんと死なせてやるのが”家族の愛情”」といった本を売っているに過ぎないのではないか。それかあらぬか紹介記事の記者は、中村氏の著を「この手の本」という、敬服したとは受け取りにくい微妙な呼び方もしているのである。
見過ごしておけないと思い、敢えて「追記」しておく。
私の思い願う「自然死」とは、家族同士といえど「他者」が当面の課題でも問題でもない。だれより「本人自身」の覚悟であり選択でなければならない。 平成二十四年四月七日 稿
☆ ☆
* 午后しばらく眠った。
今日はどうも食べ物がうまくからだに合わない。いい排便が朝夕二度もあり助かる。便通があり空腹であるのが、満腹の便通待機よりはるかにいい。しかし食べないと体力落ちて薬に負けるだろう。貧血気味で血小板も白血球も減少気味と言われている。イージィに生活してはいられない。
気分は、仕事があり、歌舞伎や相撲もあってむしろ快い。来週には「ねばならぬ」予定が無い。急ぐ必要ないゲラを気軽に持ち気儘な街歩きをしてきたい。
2012 5・18 128
* 睡くて。すこし朝寝坊した。
2012 5・20 128
* 盲腸をとったのは大学へ入ってすぐの今時分であった。移動盲腸で、手術に時間がかかり、術後の痛みに泣いた。術創はいまでも十センチ余もあり、多年に及んで時にヒリヒリした。
いま胃全摘の術創は、まさしく鳩尾からまっすぐ縦にまっすぐ下腹部に及んでいる。ワイシャツの前合わせのようであり、釦がわりに、楔を打ったように小さく横に切り口が綴じてある、ようだ。まだ、まじまじとは直視していないが、こういうのを「ものすごい」と謂いたい。
昨日、おお美人だと感じ入った愛らしい若い人が、何の目当てでかお寺さんに出入りし、住職としきりに対話している番組をちらちら観た。この若い綺麗な女性、本尊の仏壇をみても、床の間の繪や書をみても「すごーい」「すごーい」の連発で、ばからしくなった。仏様を目して「凄惨」「悽愴」はないだろう。「すごい」の国を挙げての乱発、もう歯止めがない。情けない。
2012 5・20 128
* 美しい金環食を観た。前後合わせて三、四十秒ほど。
* この三日ほど、体調の体感、よろしくない。始終からだの深いところから、棒ほどのものでユールユールと攪拌されているような、苦痛とまでは行かないが、不快感が去らない。美味しいと思ってものが食べられない。がんばって口へ運んでいる。たちままちに口苦くなる。「味」というものが、苦になる。味の薄いやすものの茶や、澄んだ水が口に佳い。
仕事しに、頻繁に機械の前へ来る。が、暫くして、やすみたくなる。からだを、横にしたくなる。午過ぎて、しばらく寝入っていた。
幸い便通はある。しかし、退院後も快調に感じていた尿の出が、やや停滞気味か、とも。
思い切って外出した方がいいのか。しかし明日は、一日雨と。杖と傘と、校正など仕事の鞄も持って歩くのは、こころもちシンドい。危なくもある。
なるほど、こういう愉快でない体調へすこしずつ侵蝕されて行くのが抗癌剤連用の副作用、まだまだ軽微な初期徴候であるのだろうか。
* 機械の前でする「仕事」が、幸い一つ二つではない。一つをやすみたくなれば、もう一つへ気持ちを振り向けてそれをする。次へ次へ。そして元へまた戻る。「読書」も同じように出来る。薬の影響からわたしをかすかにも救い出せるのは「仕事」「読書」と予想していた、その通りになって行く。飲食がアテにならず、気の晴れる芝居は、だが好きなときいつでもとは行かない。最寄りのターミナル池袋へ出て映画館に入るのはどうだろうかな。
家には、もう古いビデオテープの録画映画が、テープのままのも板にしたのも含めて三百作ほども在る。それほどわたしは映画も好き。それらを「全部」観るという気晴らしもあるのに気が付いた。そのために古いシステムのままテレビが一台茶の間に残してある。名案では無かろうか。
2012 5・21 128
* 夕食も進まなかった。それでも食べねばならぬ。朝とともに夕食後にも三カプセルの抗癌剤はかならず飲まねばならない。食べておかねばならない。
服薬、すぐ二階へ、仕掛かりの仕事に。
これから入浴、五冊ほどの本を持ち込む。濡れても障りの少ない本をいつも用意している。湯に漬かっているときは、なにとなく腹部もふくめ全身が、ラクな気がする。
* 浴室を明るくして、本を読み、出てきた。
2012 5・21 128
* 今日は出掛けたかった。東京スカイツリーの開業に参加したいとは思わないが、陽気に花の咲いたような街の顔をみるのは、金環食よりも佳いとわたしは思っていた。だが、冷えて、雨。雨はおいおいに強く降るとも予報が。
* 配達の人も「重いよー」と言うほど特大の西瓜二つが栃木のペン会員から送られてきた。感謝。
じつは今朝の食事も、わたしは西瓜を主食に、小さなパンと蜆の味噌汁を「添え」にして、朝食後の薬を服した。西瓜が口当たり良く水分も豊富で腹に納まりやすいから。そんなこと、渡邊さんはご存じなく、特産の西瓜の、包丁を入れるのもたいへんそうな超弩級の西瓜を下さった。感謝にたえません。
2012 5・22 128
* 今朝は服薬後も、ま、安定している。
国会の民主党質疑では、馬淵氏の質問がシッカリしていた。こういう人がキチッと内閣等で使われていないのは惜しい。
2012 5・23 128
* 昼食、適わず。
2012 5・23 128
* 九時前まで寝坊した。服薬後、すぐ仕事へ。今、からだは落ち着いている。
床を出る前に、仰臥のまま掌で胸にふれて、迂闊なことだが、気が付いた。起きてふつうにからだを働かせているとき、わたしのお腹は、胃全摘の手術前とはむろん大違いにしても、ふっくらとむしろ外へ張っている。ところが、仰臥のまま触れると肋骨下辺からものの十糎もベコっと陥没し、痛いほど露わに骨に掌が触れる。
つまりは、腹の筋肉が無くなっているのだ。だから起きているときは前へ張り出し、仰向けにねると無残に落ちこむのだ。腹筋をつくり鍛えねばならない。
* 二三日まえ、今度伯父の市川「猿之助」を襲名する市川亀治郎が、「山名さん」の朝番組で披露していた京・和久傳の和菓子。水菓子とも見えとろけそうにうま味の感じられた、あれを、それを、名古屋の人がお見舞いにと贈り届けて下さった。感謝。
「山名さん」とは、古い古い昔のテレビドラマの役の名で、女優としての名はすぐ忘れてしまう。わが家では「山名さん」で通っている。あ、そう、岡江久美子。美しい人です。
☆ 秦先生、その後胃腸の調子は如何でしょうか。
胃腸に負担のかからない喉越しのよいものをと、きょう、和久傳より蓮根のお菓子「西湖」をお送りさせていただきました。
当地の食べ物は濃厚すぎるようなので、ついつい京都の物を撰んでしまいます。
蓮は身体によいと以前きいたことがあったので。お口に合うと嬉しいのですが。
お天気が不安定ですが、良い季候のこの頃です。お散歩で体力をおつけ下さい。珊
* よく冷やして。 美味かった!
* 夕の服薬後、九時まで寝入っていた。目覚めてもう朝かと思ったり。
京の祇園、八坂神社、円山公園をテレビが案内していた。新門前のわが家からは、みな数分で行けた。その真まん中の学校へ通っていた。懐かしいどころではなかった。
次いで、平安神宮も。わたしの学校では、「今日は、外へ出よか」と先生の一言でクラスの全員が、その日は将軍塚から清水寺へ、とか、あの日は花あやめ美しい平安神宮の神苑へとか、よく出掛けた。どんなにそれが嬉しかったろう。
2012 5・24 128
* 「 湖(うみ)の本」 112を印刷所に入稿した頃から、113のための原稿を楽しみ楽しみ作っていたのが、つい今し方、大方仕上がった。これは問題なく、楽しんで頂ける佳い一冊になるが、入稿まで二、三ヶ月手元に置く。その間に112を送り出しながら、主に小説の構想と進展を。
もうすぐの五月二十九日朝で四週間つづけた抗癌剤朝夕の連用が、二週間のお休みになる。その後にまた四週間の服用が再開する。
いろんなことに、いろいろに立ち向かう。老の坂をそうして歩み行く。坂をのぼってか、くだってか。はて。
2012 5・24 128
* 今朝、体調にほとんど違和感無い。ただ腹が重い。知れたことではないが、これって、妊娠の四、五ヶ月みたいとでも謂えるのかなあ。
* 午后、必要な校正をぜんぶ終えてから二時間、寝入っていた。わるくはない。しかし、口にする物が落ち着かない。少しずつ食べるのが億劫になっている。それでは体重が減る。七十キロを切りそうだ。
2012 5・25 128
* 夕食、進んでは食べられなかった。
土佐の出の原知佐子が土佐の「文旦」を送ってきてくれた。いま、柑橘類を食べやすく妻が皮を剥いてくれたのが、口に入りやすい。大きな西瓜も入りやすい。冷えて水分に富んだ果実が、ジュースのように口に馴染んで潔い。肉や焼き魚などが馴染まない。濃厚なスープなどを受けつけない。かと思うと久しぶりのカレーを一昨日は一皿なんでもなく食べられた。これだから、要するに、分からない。
* 入浴は、いい。水圧で腹を圧してくれるのか。本を読むのがいいのか。
いよいよ『南総里見八犬伝』の再読に入ることにし、その前に高田衛さんに戴いた『八犬伝の世界』という大冊を道案内に読み始めた。前回は、さ、何年前か、ただもう物語の面白さに惹かれてずんずん読み進んだが、すこしは大作の世界地図を心得ながら楽しみ楽しみ読もうと思う。ほどよい時期になって『水滸伝』も併行して楽しむ気で用意してある。
2012 5・25 128
* 歯医者へ。
朝食がしっかり摂れないまま服薬し、そして出掛けたためか、治療後には池袋へ、 或いは渋谷・新宿へ出て食べようと言いながら根気無く、貧血気味のふらふら状態で帰ってきた。食べにくいからと食べないでいては体力も体重も落ちて行く。
* 湖の本112を責了にした。桜桃忌までに本が出来、ゆっくりと送りだせる見込み。
三時から五時まで休んだ。
* 生老病死という。ふしぎでもないのか知れぬが、死を、生のまっさきの課題かのように少年の昔に迎え入れた。生と死とは文字通り手を携えて久しく歩んできた。
病気とは本当に縁がうすかった、大学一年で盲腸をとった時以来、東京へ出て結婚し就職してからもわたしは歯医者のほか殆ど医者にかかることすらなかった。十二三年前から糖尿病の面倒をみてもらっているが、六十数歳になっていた。インシュリンを自分で注射し、薬を飲むだけ。何でも食べて好きなだけ飲んでいた。病気の感覚は稀薄だった。
とはいえ、その頃からわたしは日記にも「老」「老境」という語を多用し始めたと思う。
おれは、ただ遊んで過ごすには、老いすぎたし、望みなしにいるには、若すぎる フアウスト
このフアウスト博士の「書斎」での嘆き節は、まだまだ生臭い。「遊んで過ごす」にも「望みなしにいる」にも、男の性欲が露わに絡んでいる。それはそれで無視しかねる「老境の生」の難題だが、そういう問題を、反転ないし脇において、「遊んで過ごす」を、無為にぶらぶら日々を過ごすこととし、「望みなしにいる」との嗟嘆を、活動や創作などへの意欲の名残りと読み替えると、それこそが「老愁」の最たるもののように、わたしには思えていた。そういう嘆きを跳ね返せる意欲を大事に考えていた、いや今でも何よりそれを考えている。自身の在りたき自然をそこに置いている。そしてそのままに最期に到る、それをわたしはわたしの「自然死」と考えている。医学・ 医療の問題ではない。生理としての寿命は医師たちに信をおき預け委ねてこそいるが、わたし自身はあまり「病」のことは考えていない。たとえ毎日毎日抗癌剤にムカムカし続けていても、それはわたし自身の深い自然とは関係ないと思って、せいぜい眺めているだけのこと。
したいだけの仕事を、どうかさせてくれよと病気にも老耄に対しても頼んでいる。そして自然とそれさえ出来なくなれば、それがまた自然死へ近づいた自然法爾と謂うことだろう。
すくなくも、今は、そのように感じ考えている。いや、前世紀末いらいそう感じ考えていた。
今、わたしは。老いすぎてもいない。若すぎもしない。遊んでも過ごしたいし、望みも持っている。生老病死のそれが「生」というもの。
明日への信いくらかありて種子を蒔く 能村登四郎
2012 5・26 128
* 朝も午もまずまず食べた。さほどに薬害は感じなくて、ほぼ一日が過ぎた。しかし日の有るうちが、、終始、けだるい感じだった。それでも、今日は午后にも寝なかった。仕事もした。四時十分から電動自転車をつかって、正味一時間余、落合川上流まで初めて走る脇道を通って辿り着き、帰路は川沿いを下ってきた。百花繚乱とは五月を謂うかと感嘆するほど、色あざやかにとりどり沢山な花々が咲き競っていた。そのうえに新緑を溢れかえらせ、草木舒榮、目を染めるようであった。
電動は急坂のほかは使わなかった。走行に問題はないのだが、からだの底が抜けたような無力感は、終始変わりなかった。
* 西瓜とか苺とか土佐文旦とか、また茶や水を、食べて飲んでいる。酒類にも気が走らない。焼いた鮭など口に馴染まない。白飯に大根おろしと削り鰹をかけ醤油味で一膳ていど食べる。それ以上は、入らない。
2012 5・27 128
* まずは順調の朝といえる。水分をたっぷり。よく寝る。便通。そんなことが良いように思える。
* 上天気だが、風強く。穏やかに、したいこと、すべきことをしながら、心身の調いに気配りして時を送っている。
2012 5・28 128
* 一度飲み忘れたらしく一回分3カプセルが余っているので、今日一日、朝と晩まで服して、最初の四週間抗癌剤服用が休止となる。幸い、悶絶するほどの不快に落ちこむことなく済んできた。服薬が引き起こす副作用として、あらかじめ下記の症状が予告ないし警告されている。
① のどの痛み、発熱
② 出血(あざができる:紫色・赤色)
③ めまい、たちくらみ
④ からだがだるい
⑤ しびれ、舌のもつれ、歩行時のふらつき、物忘れ
⑥ 息切れ、せき、発熱あるいはかぜのような症状
⑦ 吐きけ、食欲がない
⑧ 下痢、腹痛、血便
⑨ 口内炎
⑩ 口や目の粘膜のただれ
⑪ 目の充血、痛み
⑫ 涙が多く出る、目のかすみ、目がかわく
⑬ 目や皮膚が黄色い
⑭ 顔や手足などがむくむ
⑮ 尿量が減る、血尿
⑯ l こおいがわかりにくい
⑰ 発疹、かゆみ、色素沈着、手足の皮膚炎
⑱ 手足に力が入らない、筋肉が痛い
食欲はとても旺盛とはいえなかったが、せいぜい食べていた。かるい吐き気に似たむかむかは常在していたが、異常にきつくはなかった。二三度下痢はあったが、尋常な便通の後につづいたもので、副作用とは思えなかった。
この程度でともかくも通過してきたのは、よほど好調であったのだと思う。服薬開始の時、副作用を感じないで済む人は何%ほどかと医師や薬剤師に尋ねた。そういう人がいないとは言えないがと、明るい返事はなかった。まだ一年が始まったばかり、この先でどれほど参るかは分からないが、ともあれもう一年の一ヶ月は過ぎた。今後も生活態度を変えず、病気よりも生活を第一に立ち向かい続ける。
2012 5・29 128
* 二週間の抗癌剤服薬休止に入った。この数日、尿量がやや減っていると感じる。他に異常・違和は意識していない。
2012 5・30 128
* コマーシャルで「だるおも」と聞いたことがある。だるくて躰も気持ちも重いということか。気持ちは別にすれば今日もそういう一日であった。明日は聖路加の腫瘍内科に出掛ける。
2012 5・30 128
* 聖路加腫瘍内科の診察を受けてきた。現状に応じての相対評価かも知れないが、血液検査の諸数値は「きわめて優秀」と。「ts1」の強度も変更なく、つぎは六月十三日朝から四週間の服薬、それまでは休止と。処方の薬だけは近くの薬局で出してもらってきた。
* その脚で、渋谷に出来た「ひかりえ」へ銀座線で直行、昼食してきた。妻は鰻店での出来の良い懐石が美味しかったようだが、わたしは鰻茶漬けを、まずまず食べたものの、途中で吃逆にすこし苦しみ、わるくはなかったが美味くも食べられなかった。グラスの赤ワインも飲めなかった。
われわれの今日の目的地は、銀座線表参道駅から外苑前駅へのまんなかにある保谷眼鏡の店であったが、ああ、木曜休みを確かめていなかった。こういうミスをこの三年ほどに三度は犯している。新国立美術館、泉屋博古館、そして今日。三度とも夫婦揃っていてこれだもの、老耄いかんともし難い。
仕方なく表参道までぶらぶら歩いて戻る途中、「タルボット」で、妻はアンサンブルの若々しい上着を買った。支払いは、わたし。頼りない足どりに付き添って貰っているのだから、当然とする。
渋谷へもどり、副都心線で一気に保谷まで帰ってきた。ほんとに便利になったものだ。本が読めなかった。は疲れてうとうとしていた。
* どこでどんな店を見ていても、やす香がいたらなあと思う、服でも靴でもくらでも買ってやれたのに。新宿小田急だったか、いや渋谷東急だったかで初めて妻が服を買ってやったときの、やす香の嬉しくてたまらない笑顔を忘れることが出来ない。「タルボット」にもやす香連れで入ったことがある。
それにしても妹の押村みゆ希は、どうしていることか。どこか大学に進んでいるのだろうか。
大人達の頑なな事情の中で、両親に秘して姉のやす香が進んで自ら祖父母の家へ通うようになったのは、カリタス高校二年か三年だった。姉といっしょにやがて妹も来るようになり、この中学生、対の碁石で祖父を負かしたものだ。成人して、もう、いろんなことが分かってきただろうと思う。のびのび成人していて欲しい、病気などせずに。
2012 5・31 128
* 抗癌剤をのまず。起居も歩行も元気とはいえないが、体内やや軽く晴れてある心地。便通三度。
* 旧友田原知佐子( 女優原知佐子) が送ってきてくれたのは、「小夏」という名の、一つ一つがソフトボールより一回り小さい柑橘で、とても口に合う。不思議に柑橘類や西瓜など水分のあるものが入りやすい。小夏は、ダンボールに数十顆も入っていて、黄色冴え冴えと、見ているだけで心地よい。ありがとうよ。
* 不順の昼食後、睡くて堪らず。階段の下で、機械へ行くか床に就くかと立ちすくみ、堪らず床へ。目覚めたのは四時。元気溌溂にははるか遠いが、ここぞという不快は無いようだ。
* 『フアウスト』劇の主なる神は言われる。
人間の活動はともすれば弛みがちになる、
人は得てして無制限に休息したがるものだ。 と。
2012 6・1 129
* 予約の歯医者に。
帰路、江古田で、蕎麦の「甲子」に。久しぶり。江古田で過ぎた店の一軒はフランス料理の「リオン」、もう一軒が蕎麦の「甲子」。外構えよく、店内よく、食卓も食器もよく、蕎麦に加えて酒肴豊富、つまり酒もいい。壁の繪も佳い。
注文の品数はおさえたが、それでも全部は口に入らなかった。飛竜頭やあしたばなど美味いと分かっていながら、妻に任せた。わたしは天麩羅蕎麦。佳い蒲鉾と片口の八海山で済ませた。蕎麦は少し残した。
駅の近くで眼鏡屋に寄ってみた。わたしの眼鏡は、とくに右眼のきちっとした処方箋が先に欲しいと。なにか異常を感じるらしい。
妻の度つきサングラスの作り替えだけを預けてきた。都心へは出ないで帰ってきた。とうてい元気といえず、ムカムカもし、よろけもする。姿勢は、われながらみっともなく良くない。さりとて、これが普通と言われれば普通の気もする。この普通でこの先も永くやって行くのなら、堪えられぬことではない。
* 夕食も落ち着かなかった。体中の血液が腹部に集まって脳に廻らないのか、ぶっ倒れそうに睡くなった。しばらく寝た。
腹部に聴診器をあてると、少なくも鳴き声の違う十匹ほどの恐竜たちが鳴いている、唸っているような音がひっきりなしに聞こえる。腹鳴とでも鼓腸とでもいうのか。どうかして録音してみたいものだ。
2012 6・2 129
* なるべく夜は早く寐て、朝早く起きるようにしている。たっぷり睡眠もまた、良薬と思われる。
2012 6・2 129
* 明日はまた午後一番の聖路加病院感染症内科へ。独りで行く。
あと、すこしは街歩きが楽しめるかどうか。今は、何を食べていいのか、何が口に合うのか、その場次第で、どうしようもない。
2012 6・3 129
* 一時半予約の感染症内科へ、二時間前に病院入りし、血液と尿の検査後、二時前まで辛抱よく外来で『風の影』上巻を読んでいた。疲れると、神坂次郎さんにもらった文庫本『藤原定家の熊野御幸』で気を換えて。
古川先生、文学にお気持ちのある先生で、このまえ謹呈した『死なれて・死なせて』に「感動」したと。今日は湖の本創刊の定本『清経入水』を謹呈。
二時過ぎて聖路加を出て、気も定まらず丸ノ内線で池袋へもどってしまい、パルコの上へあがって、さほど乗り気でもなく「三笠会館」レストラン」に入り、ビールで鶏の唐揚げ三つ、そして180 グラムのハンバーグを注文。食べるには食べたが快食とはとても行かなかった。病院を出るまでは手術以降かつてなく心身軽快だったが、食事で、全身どんよりとしてしまい、レストランを出たときは目の前が白いほど貧血ぎみ。わけが分からない。
逃げるように保谷まで。ぐたりと車内で睡かった。いつものようにタクシーで家にたどり着いた。
2012 6・4 129
* どうしても眼科で右目を診察して貰わねば。ひきつれたよう。
* 地元の信用できる佐藤眼科で、右眼の黄斑変性症(黄斑前幕)と診断された。昨日今日の突発的なモノではあり得ず、相当以前からと。佐藤先生の診察はじつにていねいで時間をかけて診てくださる。そしてこの治療法は無いではないが、難しく、当院では出来ないので、聖路加ではやめに診察を受けて下さいと。
何年もかかっている聖路加眼科では、ときおり視野検査があり、視力・眼圧「たいした変わり在りません、このままで好いでしょう」と緑内障の投薬と白内障予防薬が投薬されるだけ、次回は数ヶ月間隔でずっと先になる。
とにもかくにも、 とうどう眼にも病変が来た。病気のお守( も) りに、事実、明け暮れている。
* 眼科の帰り、妻はずっと前から佐藤眼科にかかっているのだが、保谷駅近くに評判の中華料理の店があるらしいと言うので、寄ってみた。いかにも中華料理らしい料理が出て美味しく、紹興酒も美味かったのだが、なぜか胸もと詰まり、苦しくて、手洗いで吐いた。嘔吐といえる嘔吐は胃を取って以来初めてで。今日ほど苦しかったことは、ダンピングの頃でも無かった。ほとんど、食半ばで帰ってきた。やれやれ。
2012 6・5 129
☆ (京都の)何必館にて華岳を見ています。 鳶
* 思わず唸った。いま、なによりも観たい、観に行きたい展覧会。
なのに、このうえ眼の治療か。胃全摘の手術は怖くなかったが、眼の手術は怖い。いやだ。
2012 6・5 129
* 晩飯食べられぬまま、鳩尾で息がつまり、衝き上げる痛みと倶に水気を吐き続けた。初めてのこと。
なかなか息災とはいかぬ。さっさと寝るか。
☆ 死といふこと考へ考へはてしなし直ぐ目の前にせまる己が死 清水房雄
2012 6・5 129
* 来週火曜日に聖路加眼科の緊急の診察を受ける。
右眼黄斑変性症と診断され、とうとう眼へ来たかと少し参っている。その上、からだが水分も食餌も受け付けず、執拗に吃逆がつづいて、ものが下へ降りず上に戻ってくる。なんとかこれだけは通り過ぎないと、体力が落ちる一方になる。明日から、また新刊を送り始める。力仕事のうちに躰の方も復旧してほしいが。
せいぜい楽しかったことなど想い出し、力にしたい。
☆ 陶潜の「飲酒」より 其の三
道喪びて千載に向々(なんなん)とす
人々其の情を惜む。
酒有るも肯へて飲まず、
但だ世間の名を顧みる。
我が身を貴うする所以は、
豈(あ)に一生に在らずや。
一生復た能く幾(いくば)くぞ、
倏(しゅく)として流電の驚くが如し。
訂々たりな百年の内、
此をば持して何をか成さんと欲する。
* 酒も飲めないとは。昨日中華料理「萬里」での紹興酒は美味かった、のに、食事中急の不調でムダに残し置いた。
* 吃逆と嘔吐の連続。嘔吐はまっ白い細かい泡状の唾液が主で、食べ物は無い。しかし水分を口にしてもすぐに戻してくる。薬も飲めず食べ物は全然摂れない。その余の体調に苦痛はない。この分でゆくと脱水を免れない。
* 四時半過ぎて聖路加病院の救急医療センター(ER)に飛び込み、血液検査、レントゲン検査を受け、なにしろ食餌ゼロ状態のままなので、栄養分の点滴を受けてきた。レントゲンでは恐れていた腸閉塞はなく、血液もすべて異常なく、なぜこうも吃逆が止まらずそのために吐き続けるのか、今日のところではハッキリしなかった。吃逆が吐き気を催していると観られるが、それが何故かは分からず、とにかくも点滴に吃逆を抑える薬物を加え、たしかに吃逆はおさまった。吐き気もおさまった。往路の地下鉄でも、新富町から病院までの間も吐き続けていたのだ。
ほっとして元気に八時過ぎてから病院を出てきたが、人身事故で西武線が不通、地下鉄からも西武線に入れないと分かり、西武百貨店前からタクシーで帰ってきたら、またしても吃逆、そしてどんな水分も食べ物も、ほぼ即座に吐き続けて、もとの木阿弥。相当に激しく量も多く吐き出してから、この機械の前に来た。ここしばらく治まっているが、吐く物が無くなったのか、なにか邪魔していたものが吐き出されておさまっているのか。楽観は出来ない。悪くすると水も食餌もからだに入らない、残らない、ことになる。
* 仕方ない。寝よう。何も出来ず、十一時半になっている。明日の朝には、湖の本112が搬入される。発送はあまり慌てない、急がない。
2012 6・6 129
* 昨夜病院から帰宅後は、さんざんであった。就寝まで、吃逆とともに吐き続けていた。水分も、すこしでも口に入れると忽ち吐き戻した。固形物など論外で。朝から飲めなかった抗癌剤も、仕方なく唾液とともに飲み下した。それも吐き出されたかどうかは不明。
床に就いても、数度枕元の洗面器に吐いた。吐くといっても大方は真っ白な泡水状の唾液と見えた。夜中にも胸苦しくて二三度吐いたり咳き込んだりしていた。
八時頃目覚めて、起きて、手洗いに入り愕然としたのは、右眼視野、中央からやや右上に親指で捺したように薄紫色の視野欠損が出来ていたこと。これは、と、慄然。幸い三、四十秒のうちに眼の中の紫小島は失せてくれた。明らかに右眼は左眼より視力が半減している。しかし眼科医の話では、それは眼鏡の問題でも、眼を使いすぎたからというような問題でもないと。
これまた老衰ということか。
それはさて、まず水分摂取をを試みた。吃逆はおさまっていて、水分もゆっくりと体奥へ沈んでいった。飲めるときに飲み、食べられるときに食べておかねばと、あんパンと西瓜とを食べ、飲めるだけ茶や水を躰に入れた。「入れる」というのが実感だった。
そこへ、神戸の、妻のお友達から立派なメロンが贈られてきた。感謝。果物は、水分と甘味とで、口にしやすい最たるもの。脱水がいちばん怖い。
今朝になって、吃逆などおさまっている直接のワケなど、すべて、分からない。一夜を過ごしたからと思うばかり。
2012 6・7 129
☆ 仕方なしと言へば何もかも仕方なし人に告ぐべき事ならねども 清水房雄
* ともあれ水分も入り、食べ物も少しずつ入っている。この体調を維持したい。
神奈川にお住まいの、大学先輩がお見舞いの氷菓を下さった。一度もお目に掛からないが、もう四半世紀のご厚誼で。有難う存じます。
2012 6・7 129
* 今日は夫婦して沼袋の歯医者へ。
来週火曜はわたしが聖路加眼科へ。翌水曜からまた四週間の抗癌剤服用が始まる。
一度病院・医者に掛かると、次から次へ病気を貰ってくる、ないしは病気の尻を追いかけることになるものだ、だから医者に掛かるのはイヤだと多年それを実行してきた。いま、まこと余儀なく、繪に描いたようにそんなことに成っている。糖尿、前立腺炎の徴候、術後感染、胃全摘、腫瘍内科、緑・白内障・黄斑変性症、歯科と、七科に今通っている。
七十年サボリつづけた罰またはしわ寄せであろう、よしよし。 2012 6・8 129
* 人間の暮らしが放埒になると、人は病みまた自分で自分が統御できなくなる。医療と裁判とが登場して力をもつ、不当なほどにもつ。医療は精微に発達してたしかに人の命と健康とを支えてくれている。感謝に十分値しているとわたしも躰を委ねている。
もう一方の裁判はどうか。これは医療進歩と横並びには考えられないほど異様に裁判自体が大きな過誤を連発し続けている。わたしも些少の体験を得て、裁判のばからしさをしみじみ実感した。わたしは自分から裁判になど持ち込まない、自分で出来る判断は自分であくまで配慮する。それの能う出来ない者だけが裁判沙汰で、卑小で凡庸な欲望や処罰を実現しようとする。しかもそれが大概成らないか、また裁判関係者がぶざまなほど勝手な過誤を犯して、罪なき者を痛めつけたりする。裁判沙汰にしたい者も裁判する者たちも、所詮は愚にひとしい気がする、例外はあるとしても。
* 好天のもと歯医者を無事に終え、どこへも寄らず、強い日ざしに疲れながら帰宅。遅い昼食が、食べられこそしたが、腹にもたれて、疲労を加重。しばらく横になり、「八犬伝」を少し読み、『源氏物語』夢の浮橋をとうどう渡り終えた。ほぼ二十度めの読了である。
その以後は、「 湖(うみ)の本」 112の発送作業に。シルベスタ・スタローンの「ロッキー・ザ・ラスト」と、スチーヴン・シュピルバーグ監督の「ジュラシック・パーク」とともに。前者は「ロッキー」シリーズの最良作と思っている。後者は、おそろしい。人間は、傲慢にも造ってはならないものを、時に造り出して人間自身を破滅の恐怖へ誘い込む。原水爆もそうなら、原発もそうだ。「ジュラシック・パーク」には明瞭にその警告がある。
2012 6・8 129
* 気温の乱高下ゆえにこの季節は、ことに老いの身にこたえる。妻は例年この季節に弱いが、今年はわたしも、流石に参る。だが、克服しなければならない。
2012 6・8 129
* 何と無く普通の体調でなく、食道から直結されて腸だけになっている腹を、下腹一階、上腹二階とみると、一階は張るときは張っていて常識なみだが、二階は変幻過多、とても普通でない。ここに不穏な空気が残存していると、胸苦しく、妙に張って重苦しく、食進まず、美味いの感覚が一切塗り潰されている。
甘い西瓜を大きいサイコロに切ってあると、一階も二階も水びたしだが、どんどん食べられる。バナナは二本食べた。炒ったジャコとピーナツを混ぜたビールの肴ようのものが、躓きなく食べられる。白菜の漬け物が食べられる。今日はその程度しか喉をこころよくは通らず、米の飯も、味噌汁も、冷や奴も、ダメ。好きな麺類も、ダメ。いまはビールもワインもだめ。酒もダメ。牛乳もダメ。
飲食こそが難関・難険。ゲルマニウム水などの清水と、「おーいお茶」などを専ら飲んで脱水に陥らぬようにしている。つまりは水分と果物とで生きているようなもの、水腹である。蛋白質を入れないとと思うは思うのだけれど。
2012 6・9 129
* 視力の衰えには参る。眼鏡屋も医師も、あなたのは眼鏡の問題ではない、眼鏡は眼にほぼ合っていますという。やれやれ。
* 最近の写真をカメラから機械に移した。百花競い咲く季節で、たくさん花を写している。機械には「木の花」「草の花」「櫻」「庭の花」「家の花」などと分けて、数百、千にも達するほど保存してある。
煙草は吸わない、かわりに撮った写真を眺めて休息する。花の写真は胸の内を明るく優しくしてくれる。『酒が好き・花が好き』という一冊も出版した。その酒がいまはうまく喉を通らないが、眺める花は妍を競ってことに春から新緑へかけひときわ美しい。
2012 6・9 129
* 昼食途中でグッと鳩尾へんでものがつまった気がした。それから、何十回と、真っ白い泡状で粘液のような唾を(唾とは思いにくく、大量に)吐き続けた。脱水しては堪らないので堪えて「おーいお茶」を250ccほど飲み干して、それで吐き気がおさまってくれた。やれ、ありがたや。その間も、仕事の手はとめなかったが、とめどなく手洗いに立っていた。ともあれ治まり、思いほど数量は調わなかったが宅急便に本を預けた。こつこつと続けている。手はもう三日かかるかも。
2012 6・10 129
* 明日は、聖路加の眼科で、地元佐藤眼科で発見された右眼黄斑変性症の診察を受けに行く。昨日や今日の症状ではあり得ないと佐藤眼科で言われている。聖路加眼科診察は五月八日だった。一月足らず後に堪りかねて佐藤眼科にかかったのだ。
せめて左眼の健康は確保したい。
2012 6・11 129
* 走って逃げるわけにも行かない。黄斑変性症 黄斑前膜除去の手術が即座に言い渡され、七月二十二日入院、翌二十三日手術、一週間ないし二週間の入院期間と容赦なく言い渡されてしまった。入院以前にも二度三度と眼科外来へ通わねばならぬ。
眼は、わたしのためには胃や胆嚢以上に大事な働き、避けて通れない。
* 検査や診察のまえに、鮓の「福音」で、うまい肴をお任せで切ってもらった。平目が美味く、烏賊が美味く、鰺がすてきに美味く、鯖も負けずにどきどきするほど美味く、凄いと思うほどの赤身も、まるで羊羹のように美味かった。酒は八海山。あがりに、雲丹と海苔巻き、そして玉一切れ。小一万の贅沢も、美味く腹におさまってくれれば有り難い、安いもの。なにを口にしてもしっくり来ないこの節のとびきりの昼飯だった。
2012 6・12 129
* それにしてもなあ。眼の手術とはなあ。やれやれ。
2012 6・12 129
* 七時に起き、血圧、血糖値をはかり、インシュリン四単位を注射の後、朝食。それから、抗癌剤第二期「ts1」三カプセルを服用開始。同時に泌尿器科から排尿の順調のための「ハルナール」一錠を服用。降圧剤は、数値正常のため、服用せず。
また四週間、抗癌剤を連用する。どんな副作用が襲ってくるか、ま、そんなことはなるべく忘れて過ごしたい。七月下旬の右眼手術入院まで、四十日。せいぜい忘れていよう。
2012 6・13 129
* やっぱり、例の薬の入ったからだは、ちがう。手先がかるく痺れ始め、ズシーンと全身こたえている。それでも、夕方、自転車でしばらく走り回ってきた。何をするにも、こうする方が少しでもからだに良かろうと思いながらしている。夕食も気は進まないが、夕方分の3カプセルを受け容れられる程度には主食類をサボル訳に行かない。
2012 6・13 129
* いまわたくしの体調では、必要な蛋白質や脂肪や炭水化物がなかなか美味しく攝りにくく、果物の水分や糖分に多く頼っている。体の中に豊かないい水分を湛え、便通の快をはかり、そして躰を動かしながら精神生活や活動に楽しみを培う。その手しか、今は、立ち向かうべく思いつかない。抗癌剤は敵ではなく、癌細胞を抑えて消滅させるための味方。敵と勘違いしてはならない。薬効を殺さないように栄養のことを考えねば。医療のことは分からない。わたしに出来るのは、病めるわたし自身を楽しく悦ばしく生かすこと。
2012 6・14 129
* 腸と尿道とがわたしの場合微妙に接しているのか、便秘になると尿量が減る。快便があるとその後に量もたくさんにこころよく排尿する。七十六年の、さまざまな人生起伏をまるで別にして、此の便通後のいい排尿は一貫して変わりないわが体癖である。今日もすでに二度ありがたく体感した。呵々
*散髪した。前半寝入っていたらしい。気分良く終え、有り難い。このごろ、気分さえ悪くならなければ、なにより有り難い。妻は散髪して綺麗になったなったと言うてくれるが、鏡に映った己の顔つきは生気の失せたなさけないものだ。いま、68キロほど。18キロ痩せた。もっと痩せるだろう。痩せるのはいい、ただ生気の漲った表情に戻したい。
2012 6・14 129
* 定まりの服薬の後、副作用に負けじと、郵便を出しかたがた電動自転車で、一時間半の余も武蔵野を走ってきた。東伏見駅を越え、武蔵野北高校のさきの大きな公園をゆっくり東へ通り抜け、千川上水に沿ってさらに東行し、北へ転じて関町三丁目から保谷へ帰ってきた。
からだを動かしている方が薬に負けない感じがある、が、家まで帰ってきて自転車からおりると、すうっと頭の中が白くなる。貧血か。いずれにしてもタカをくくってはいけない、一時間をメドに帰ってくるぐらいがいいだろう。しかし、いい日ざしのもと、草木舒栄の武蔵野はやすらぎの空気も静かに、心地よかった。
2012 6・15 129
* 雨の中、今日は正午予約で歯医者通い。
抗癌剤と降圧剤とハルナールという排尿促進の錠剤とを朝食後に一度に飲んできた。手先にかるいジンジン感があり、腹中は抗議の唸り声を発している。もう、そんなことは当たり前現象と思うことにしている。
* 歯の帰りのフランス料理「リオン」はわたしには重かった。オードブルとスープとで十分。主なる魚料理も、デザートも紅茶も重苦しくて残した。シェフの選んでくれたいいワインも、重かった。腹の中で何かが大車輪に舞っていた。江古田駅まで小雨の道のりもしんどかった。頭の中がすうっと白くなったり足もとがうす暗くなったり。
2012 6・16 129
* 朝一番に群馬の都澤さんから、大量の水分二種を贈ってきていただいた。蜂蜜をいれたビタミン類の、カルピス風味のカルシウム分の。ありがとう存じます。
* 朝食後の服薬で腹部に四角い額縁のようなこわばりを覚えている。こわばりの中でゆーるく攪拌している気味のわるい働きも。だが、これしきは我慢、なんでもない。いずれ通過して行く。掌は、長湯のあとに似た皺、皺が一面に。じんじん痺れている。
2012 6・17 129
* 昼食に疲れ、自転車走よりもからだを横にしたく、寝てしまうのもイヤで、夜ふけて就寝時に読む本を昼下がりの寝床で読んでいた。順不同に、「栄花物語」「古今著聞集」「藤原定家の熊野御幸」「八犬伝の世界」「南総里見八犬伝」「折口信夫全集藝能編一」「イタリア紀行」「チェーホフ書簡集」「バグワンの般若心経」、夜に残したのが「指輪物語」「イルスの竪琴」「夏の砦」。今は、とにかくも面白い本を、興を惹かれて読みやにくいものを側に置いている。栄花物語はそういう類でないが、まえからの読み続きで、もう当分少しずつ読み継いで行く。辻さんの「夏の砦」にもなかなか乗れないでいるのが、いっそ不思議だが。次ぎに加えて行きたい候補には百巻本「水滸伝」が居間にまで持ってきてある。
二階の機械まえでは、歌集や詩集や歳時記の類が何冊も、のばす手の先にある。
本を読んでしまう場所がもう一個所ある。二階の道路向きに開いた四つの窓の下に、小説や随筆をのぞく古典その他の文庫・新書専用の書架が並んでいて、ここで、外光の明るい窓辺に凭れ、立ったまま手に触る本を気儘に読む。さっきまで山折哲雄さんの新書「教行信証を読む」を読み始めていた。もとより今は知識を求めて本に向かうことは殆ど無い。ただ読むのが楽しく嬉しくて気に入った本を読む。読んでいるうちは身体の厳しい辛さもほぼ忘れていられる。
2012 6・17 129
* 今朝は服薬にひどく気が進まなかった。進もうと進むまいと必要は充たすしかない。ちゃんと飲んだ。五体無重心と謂った状態になる。気力も体力もあり、しかも五体はゆらゆらしている。それでも、わたしは、この「ts1」という抗癌剤に、或る程度強いのかも知れない。第一期四週間にほとんど目立った副作用症候を見なかった。第二期に入っても、上に謂う「無重心」感のような不愉快こそ感続けているが、からだに表れる副作用は目立って来ず、堪えている。昨日はかなりしんどかった、けれど、その前日は遠距離の自転車走もむしろ楽しんできた。「仕事」にも差し支えは出ていない。「腹の一階」は、いつも不穏で不快。「二階」も不快極まる。
2012 6・18 129
* 電動で、隣の埼玉県新座市の懐深くまで走り回ってきた。通ったことのない道が幾らでもある。膝にサポーターを巻き、半ズボンとポロシャツ。それでも暑いほど。
2012 6・18 129
* 入浴して高田衛さんの「八犬伝の世界」を興味津々の先導としつつ「南総里見八犬伝」を頗る面白い読書と親しんでいる。いましも霊獣八房とともに人跡未踏の安房の国富山に隠れた伏姫を、安房侯である父里見義実が僅かに家臣一人をともない尋ね求めて富山の奥へ分け入ったところまで読んだ。一つの早くのクライマックスがやがて現出するはず。
だれであったか、世界で真実面白い名作は「源氏物語」と「南総里見八犬伝」と断言していた。それほどの作なのである。
* 入浴しながら本を読むと知ると厳しく叱責して下さる読者がある。が、やめられない。ことに現在は湯に漬かっていると少しでも腹部が軽い、柔らかい、少し落ち着いてくれる。
建日子が、七月の初めに二三日でも蓼科へ行かないかと誘ってくれたけれど、この重苦しい腹具合のまま蓼科までの車での往来はいかにもシンドイからと、折角の親切を断った。京都という誘いもしてくれたが、京都は京都なればこその気難しいしがらみもある。せっかくだから菩提寺へなどと真っ先に思ってしまう。
もっと近場の温泉があれば、湯に漬かりたいなと言うと、熱海か箱根かと問われている。四度の瀧の大は子などと言うと、妻は放射能でダメよと。東北へはどうしても足が竦む。地震もおさまっていない。
* 明日は桜桃忌。昭和四十四年(1969)の太宰治賞受賞から、満四十三年経てきた。作家生活五十年は、平成三十年(2019)か。健康からしても無理か。ま、一日、一日の積み重ねに堪えて行くだけのこと。それも、妻や、建日子とともに
2012 6・18 129
* 服薬をためらうほど気分が悪い。薬にすこし攻めこまれている感じ。抵抗するには、仕事、読書、映画。そして便通に少し救われる。食欲は無いにひとしく、手先のジンジンに色素沈着も始まっている。相撲でなら、立ち合いでの突っ張りあい。やがてガップリ四つになったときの勝負が、山。
2012 6・19 129
* 二度の大きな便通のお蔭で腹のこわばりが和らいでいる。
2012 6・19 129
*妻が近くの病院で予約診察の留守に、寝入っていた。寝ていると、目覚めた後も暫くは、楽。
しかし夕食は、摂るのが苦痛。食後に抗癌剤を腹に入れた直後の不快な苦痛は、憂鬱そのもの。身を揉むように堪えて機械の前へ来る。どうかして気を紛らわせ、うまくすれば何かに熱中したいと。暫くすると腹具合もやや落ち着いてくる。
こういう状況は、きつくなり勝りこそすれ、安楽にやり過ごせるようになるとは思われない。いよいよ荒い波風のまんなかを航行して行かねばならぬ。立ち向かうしかない。夏の暑さがどう身に堪えるか。これみな、つまり泣き言である。えんえんと泣き言を愚痴ることだろう。それでよし。
2012 6・19 129
* 和漢のすぐれた詩歌本に、意図してこの「機械」の前では取り囲まれている。歌集・句集・漢詩集。手をのばせば、たちまちに「機械」の毒気から美しい佳き世界へ思いを解き放つことができる。
こんなとき、ふと、身体の不快な重苦しさもうすれ忘れている。 2012 6・20 129
* 美味いものを食べるのが闘病の薬の一つになると期待したのは、アテはずれで、食べるのがむしろ今は苦痛に属している。その代わりになって、録画しておいた沢山な「映画」VTR CDD が大いに役だってくれている。まあ、よくこうも録画しておいたと謂うほど、今在る全部を見通すには一年有っても足りない。「映画ってほんとに面白いですね」という挨拶でいつも解説を結んでいた評論家の顔つき口つきを想い出す。
いまは、機械の中に、ジュード・ロー、レイチェル・ワイズ、エド・ハリスの「スターリングラード」が入っている。これも胸に迫る戦争映画の傑作の一つだ。
2012 6・20 129
* 食餌は、白菜の漬け物、胡瓜もみなどが、桜桃や西瓜などが口に入るが、主食様の食べ物には手も出ない。幸いに二度便通があって、異様に腹の張る苦痛はいま遠のいている。風があまりに強く、明らかに貧血気味のまま自転車を走らせるのは危ないと、諦めた。
通勤を条件としたサラリーマンでもなく、人に会って仕事を進めねばならないことも無く、休息の時間にも楽しんだり仕事したりの時間にも家の中で恵まれているのは、老人ならではの勿怪の幸い。有り難い。ブレッシャーになってくるような仕事はいまぶん避けている。らくに、らくに、らくにと。
大勢の方からいろいろに励まして頂ける身の幸に心より感謝している。
* なんともいえず気分がわるい、これが今やありのままの我が容態で、ほとんど逃げ道がない。気をまぎらわせ、まぎらわせ、やり過ごしている、映画見たり、本を読んだり。
岩波文庫の清水文雄校訂『和泉式部歌集』は正集、続集、宸瀚本、松井本が網羅してあるが、やたらに詰め込んであり一首ずつしみじみ鑑賞出来る本ではない。記録本とでも謂うよりない。学者はしらず、市井の愛読者には優しくない。
その点、正集だけに千頁を費やした笠間書院版は有り難い。
2012 6・20 129
* 今朝は、昨日より少しからだがラクである、今のところ。
2012 6・21 129
* 夜来の雨が降り続いている。午前中に歯医者の予約がある。朝食後の服薬で、腹部不穏の動き如実、気味悪しい。
* 書庫から持ち出した東洋文庫、いずれも頗るおもしろい。訳もよく、読みやすい。
翻訳が佳いと海外文藝が身に添って胸の内へ流れ込んでくれる。
* 歯医者通いに持って出た『唐代伝奇集』2が、あまり面白くて、妻が横にいなければ江古田で下車し忘れたろう。いずれも現代感覚からすれば荒唐無稽の古びた咄でありながら、書き置いている筆致の落ち着きがありありと読ませてくれる、玄妙な不思議咄を。
当分、手放せない愛読書になってしまいそう、家でも出先でも。
* 帰路、西武線江古田駅前の眼鏡屋で、妻が注文のサングラスの出来たのを受け取った。この店で検眼してもらい、わたしの右眼に「エラー」の出ているのを見付けてくれた眼鏡屋である。「すぐ医者に診せよむといわれ、四日後の六月十二日であったか市内佐藤眼科の先生に丁寧に観てもらったら、黄斑変性症で前膜を手術的に取らねばと診断された。とてもこの゜変化」は「いまいまのコト」ではない、手術は此処では出来ない、開業レベルの医院では無理だから、少しも早く「緊急の診察を聖路加に言え」といわれた。
聖路加眼科で定期的に予約している診察は、一月前の五月八日に受けていて、「変わりない」ので次の診察は「半年後の十一月」と決められていた。いつも、「変わありませんい」と先々の予約を決めている診察で、物足りない思いをしていた。眼をあずけての手術だ、正直とても心配である。
* すこしマシな体調なので逆方向に池袋に出て、西武百貨店の上の、京料理「熊はん」へ行ってみた。まずまず食べられたけれど、妻の口には頗る美味しい料理が、わたしには義理にも美味い美味いとは進まず、デザートの冷たいくず餅がいちばん美味かった。食べれば食べ進むほどシンドくなって行き、もうどこへも寄らずに帰ってきた。
「食べられない」のには閉口だ。
車中、『唐代伝奇集』を読んでいる間は不快を忘れていた。
2012 6・22 129
* 服薬と同時にズシーンとしんどくなる。痛い苦しいではない。得も言われぬ不調・違和の負担がからだに乗ってくる。ふりかかる雪のように払うことが即座には出来ない。あれやこれやと「思い付き」で紛らわせるのである。
2012 6・23 129
* 三月の再入院からようやく退院できる少し前に病室で書いた怱卒ではあるが実感のまま早書きの短文を、ここに記録しておく。
原稿のまま放ってあったが、「入院時の所感」として電子化しておこうと思った。
* 古径「罌粟図」をよろこぶ 秦恒平
思いがけず聖路加病院の病室から、二月十五日、二十重(はたえ)の高層ビル群を眺めるはめになり、しかも三月三日( 平成二十四年) に退院しながら、三月十五日にまた再入院して今日に到っている。今日は、思い違いでなければ三月二十三日。妻も今日、わが家地元の病院で急遽、心臓冠動脈二度目の拡張手術を受けていた。幸い、無事成功しましたと立会ってくれた息子秦建日子から報せが有った。 心配は尽きなかった。嬉しい安堵は、思わず息子の報せを聴く胸を熱くつまらせた。
胃全摘、胆嚢切除の八時間手術と入院生活、さらに相次いでひどい脱水に加わった術後全身への大腸菌感染など腎や前立腺炎にも及ぶ難儀となり、西東京市から中央区明石町へ一時間半の妻の介護通勤は、荷重苛酷であった。遂に、家を出て、不幸中の幸いであったがまだ近所のうちに、ニトロの頓服を要する急変に遭ってしまった。妻には返す返す気の毒で申訳が無い。幸い緊急の地元病院配慮で、今回二度めの冠動脈拡張手術を受けることが叶い、明朝にも退院可能とは、ともあれ天恵であった。妻にはほかに全身また腰の執拗な痛みがあり、ロキソニンと胃腸薬とを日日薬(ひにちぐすり)にしている有様で、ほとんど謂うに言葉無いきつい現状なのである。
私の方は治療への主力が、消化器外科から古川内科部長らの配慮下に転じて感染病状の徹底退治に抗生物質何種かの点滴が日夜続けられ、幸い奏功し、点滴は此の週末迄、以後は投薬と通院受診が相当と決せられた。今日は金曜、週明け月曜には「退院」とほぼ許可された。消化器外科柵瀬主治医も問題なく退院に賛同して下さっている。この先へのまだ不安は払拭されていないけれど、退院の「潮どき」を迎えたといわれる以上、新たな覚悟で立ち向かう。当然だろう。
此の八階病棟の病室へ、結果私は二度入ったのだが、別部屋である二つのよく似た病室には、医療治療とは無縁に、いやそれも無縁と謂うのではないかも知れない双方ともに似た特徴が有った。先の八四◯室の壁には狩野探幽の「松櫻図」が掛かり、今回の八一二室には小林古径の「罌粟図」が、共に大色紙大の画面をより大きく白地で囲って清潔な額におさまっていた。
聖路加病院はおよそ全館が美術館ふうに夥しい大小の繪を掛けているが、個々の病室にも複製とはいえかかる美しい繪が用意され、日夜屈しがちな心事をこうまで慰めてもらえるとは予想外であった。敬服し感謝した。
殊に八一二室の「罌粟図」( 正しい題を今此処では覚えないが) は、端的につよく美しく私を激励してくれた。
三月二十一日深夜一時二十分、眠り難いまま、森閑と灯の多くを消した窓外の高層ビルたちを視野の外に、窓辺の倚子にいて、なかなかうまくまとまらないこんな一首を何とか、こんなふうに落着けた。
古径描く罌粟額(ぬか)の上に咲く病室(へや)ぞ
そが嬉し 命みなぎる葉むらよ
我ながら拙い物言いで困るけれど、気持ちでは言いたいところへ思いを届かせている。古径の繪、赤と白との花も莟も冴え冴えと、凛々と、美しい。人はおおかた花咲くみごとさに眼を惹かれ、額の辺を清く洗われたほどの感銘感謝とともに繪の前を離れることだろう。それで良い、むろんそれで良い。
ただ私は、病室という特別の場所で大袈裟ではなく日々呻吟してきたし、眠りもとかく浅く跡切れがちに、深夜などは孤独であった。
そうした事情心情から日夜ともすると視線を繪に預けてつい憩うている者の眼に、此の古径画伯の作画は、もう少し容子の、思いの、異なった繪に想われた。想われたは正確でない、私はこの秀でた画家は、罌粟の花より遙かに力づよい動機から、「葉むら」をこそ、真緑に命ましぶき沸き立つ「葉むら」の美しさ逞しさをこそ描こうとした傑作と「観た」のであった。
色紙大に或いはトリミングされている、或いはされていたにせよ、罌粟の花は画面上のほぼ天限を衝くほどに描かれてある。
旺盛な葉むらは、花、花より下方ほぼ全画面の八割がたに溢れて濃艶な緑色をまるでぶちまけている。もとより、粗放な緑いろの塊などでない。葉脈も茎も葉の美しい姿も精微に表わされ、まさしく「罌粟」という生命の沸騰し奔逸し躍動する美しさ強さが適確に描かれてあると、私は、些かの逡巡なく深い共感でそう「観た」のだ。想っただけではない。「そが嬉し……」それが私の感動だった。
花、というよりも花を美しく咲かせる漲る命の活動を画家は表わして呉れている。それに励まされている私自身が嬉しく、愛おしかった。
(平成二十四年三月二十三日 金曜 夜十時稿 聖路加国際病院病室にて)
* 『対談・元気に老い、自然に死ぬ』を読み返していて気が付いた。
たしかに多彩に話題を繰り広げていたが、一つ大きな問題が落ち零れていた。「医療と死」という、このところイヤでも考えざるを得ないでいる大問題が、意図したように、すぽりと抜けていて、山折さんも私も、ほとんど一言も、介護には触れても、「医療」に関して議論がなかった。
あの当時、まだわたしはプラトンの『国家』にアタックしていなかった。していたら必ず「医療と死期」とに関連した論議に飛び込んでいたと思う。わたしは医学書院に十五、六年も、「物凄い」といわれるまで多数の医書・研究書を企画し出版した。そんな編集者経験をもちながら、医者に掛からないで済んでいるのを内心自慢にしていたし、退職して小説家一筋になってからもまず医者には掛からなかった、あの対談の当時も。
で、ケロリと医療と死期とに関して議論するのを忘却というより、念頭に置いてなかったらしい。いま、小さく身を竦めている。
2012 6・23 129
* はっきり言って、からだは、実に不快でシンドい。自転車で走ってこよう。風に吹かれ、視界がひらけ、花や樹木に目をあてて来よう。 長時間は禁物。ま、一時間か。
* 東大泉から東へ北へ初めて通る田舎道をゆっくり走って、出会った埼玉県新座市内の木蔭の深い公園に入り、ベンチで、東洋文庫を読み、また持ち出してきた小説の書きかけを頭から再検討し始めた。頸に架けた小さい録音機を初めて利用してみた。
自転車で家から離れてくる間際のからだの不快はひどかったが、初めての景色に出会う走りや、静かな木蔭でのささやかな「仕事」の最中は、よほど不快も忘れておれる。
一時間半の外出で帰宅した。そのあとの何とも謂いようのないシンドさ、不快感。横になる以外にかわせない。
どれほど寝入っていたか、あ、寝ていたんだと思い、目覚めてからそのままね栄花物語、和泉式部歌集、古今著聞集、日本藝能論、東洋文庫を二冊、そしてゲーテの『イタリア紀行』を読み進んでいるうち、ラクになっているなと感じられた。
だが、六時過ぎ、夕食の膳に向かおうとすると、堪らない拒絶感とシンドさが湧き起こる。しかし抗癌剤はのまねばならず、やはりよく食べて食後にのむ方がいいにきまっている。堪えて、食べ物を飲み物を口にするのが辛い。だが、今夕もとにかくきまった量の薬は服した。
逃げるようにこの機械の前へ来て、キイを敲いたり本を読んだりしているうち、少し和らいでくる。
やはり湯に漬かろうか。
映画はいまジャック・レモンとシャアリー・マクレーンとの「アパートの鍵貸します」を途中まで。佳い作とは思っているが、今の体調には、当然のようにもの悲しく、愉快でもなくて。大の贔屓の二人の顔をやすやすとみていられない。
今晩は九時から松本清張作の「波の塔」の映画化公開がある。ビート・タケシの主演した「点と線」が圧倒的だった。「波の塔」も待っていた。
* 68.7キロ。浴槽のそばへスタンドを置き(これは用心が大事)、「八犬伝の世界」「南総里見八犬伝」犬塚番作の初登場を夢中で。辻邦生さんの「夏の砦」を数頁、『指輪物語』ではガンダルフと若きホビット統領の魔法の指輪をめぐる真剣な対話を、読んでいた。そのあいだは、からだも思いも、ラク。
さ、今度はテレビ映画を楽しみたい。楽しませてくれるように。
* 「波の塔」は、単なる意外な駄作であった。
2012 6・23 129
* 昨日よりマシだが、口の中のワル味が不愉快で滅入る。ひっきりなしに歯を磨くしか逃れようがない。
昼に、冷えた素麺が食べられた。炭水化物の摂り過ぎはよくないが、まるで摂れないでは困惑する。服薬の「食後」という約束は、やはり何かしら炭水化物を腹中したアトという気がする。朝、何を食するか、晩、何を食するか、美味く食べられるか。そんな懸念のママいろんなことをしている。めったにしないことだが、クグっていると最新のニュースが読める。気にしている「平清盛」の内輪話も読める。平宗盛という、わたしの創作では欠かせない御曹司がそろそろ登場するらしい、配役もきまったらしい。
* 「平清盛」は面白く観た。
2012 6・24 129
* 今朝、快尿、十分に朝食が摂れたわけではないが、順調に服薬。いま、ややからだが軽い。体重は昨晩、68キロ台に割り込んでいた。
午后一番に糖尿病の検診、引き続いて眼科での術前検査がある。今日は独りで出かける。天候は如何。傘を持たずに済むと有り難いが。
2012 6・25 129
* 聖路加病院までの往路は心身さわやか、 軽やかであった。採血・採尿の検査のあと、内分泌科の診察まで間が空いたので食堂へ。天麩羅蕎麦の天麩羅はまあ食べたが、蕎麦は半分がやっと。珍しい名前のジュースも注文しておいたのが、ストローでの一吸いでアトが続かなかった。妙にいろんなものの混ぜ合いのものは、まるで口も入らない。そしてすっかり気分が悪くなった。
午后一時半予約の診察が三時過ぎになり、二時予約の眼科へ大幅に遅れた。看護師から入院へのいろんな指示と聴取とがあり、心電図、胸部レントゲンの検査を受けてから、来月二十二日十時という入院手続きを終えたときは四時二十分。夕食後の抗癌剤も持ってきていないので、どこへも寄らず帰ってきた。保谷駅でパンやサンドウィッチを買って帰ったが、どれもろくろく食べられず、妻が用意の夕飯も、飯一膳が二箸と進まなかった。それでも極まりの薬は飲んだ。何がどうというヒドサは無いのだが、ドヨンと腹が重く全身がだるく面白くない。
とはいえ、病院へ携えた「唐代伝奇集」の面白かったこと。往きも帰りも、外来での待ち時間でも、大いに助けられた。「日本霊異記」は背景に仏教があるが、中国古代では仏教以上に神仙や変異変化の不思議に彩られた話が多く、しかも人間くさい。
* 松嶋屋の番頭さんから、七月二十日、まさに入院二日前という、ぎりぎりの新橋演舞場夜の部の入場券二枚が届いた。花道寄り、前四列めという絶好席。いま眼がよくないので前の席がことに有り難く、久々に、まこと久々に新猿之助による「黒塚」が観られる。新猿翁が猿之助を襲名したときに観た。その前の初代猿翁の「黒塚」も観ている。歌舞伎としてはむしろ新作なのだが、語弊もあるが感嘆に傾いて技癢をいたく覚えた記憶がある。こういう歌舞伎が書きたいものだと痛切に感じたのを忘れられない。今度の襲名興行でも売り物の「ヤマトタケル」より「黒塚」が観たくて頼んだ。中車らの「口上」も聴いてみたかった。 彼の「山岡鐵太郎」 役にも声援を送ってやりたい。
暫くぶりに歌舞伎が観られる、嬉しい。
とはいえこの日は午前中に眼科の診察がある。済んだアト、四時まで昼間どこかで時間待機しなくてはならない。映画が観られるかも知れない。ただボンヤリでは身体がもつまいと懼れる。
* 今週は明日から四日間が何もない。土曜は歯科。来週からの七月は三日火曜日にまた眼科。次の週の十二日木曜は、腫瘍内科、感染症内科、眼科と一日のうちに三診療科をまわる。さらに二十日にまたも眼科。その夕方には新橋演舞場。そして二十二日十時、眼科へ入院。翌日午后、黄斑前膜と白内障との同時手術。これこそこれこそ無事にと、切に願う。手術日は抗癌剤二度目の休止期中だが、手術した翌々日から第三期服用がまた始まる。これがキツイかなあ。
ま、色々あるわけだが、一つ一つクリヤして行く。空いている日々に、何かもう一つ二つ楽しみのあれかし。
2012 6・25 129
* 起き抜けに、快便。十分に朝食が摂れたわけではないが、順調に服薬。いま、ややからだが軽い。ここまで昨日朝の私語と同じ。この調子をうまく維持したい。食べるよりも食べずに空腹な方が快適というのは、だが、困りもの。
* とくに左手先がジンジンする。爪も色素沈着し始め、両手の甲はもう前から黒ずんできている。いつも湯上がりの時のよう目をみはるほど手の平は皺が寄っている。
2012 6・26 129
* 「人間が生を悦ぶことは浅はかな迷いであるかもしれず、死を憎むことは若いころ故郷を離れて他国に住みついた者が帰ることを忘れているようなものであるかもしれぬ」と荘子は語っていた。
「夢を見ているあいだは、それが夢であるとは気がつかず、夢の中でまたその夢の吉凶を卜って楽しんだり悲しんだりしている」が、「ほんとうにしかと悟りに徹してこそ、この人生もひとつの大きな夢にすぎないことがわかるであろう。おろかな人たちは浅はかな迷いのうちにありながらけっこう目が覚めているつもりで、こざかしげに利口顔して、貴賤尊卑のわけへだてをつけたりするが、くだらないことだ」と荘子は言い切る。
現実とは、いい夢かわるい夢か。甲乙をつけてみてもそれが要は夢見心地であるに過ぎぬ。そう分かっていながら、日本の昨日今日の政治をわたしは情けなく思う。
* からだは、しんどい。帰って行く「本来の家」を、こういうとき、無性に懐かしむ。
* 南天の白い花が咲く手洗いの
胡銅の筒にみなぎる青葉 湖
鋭(と)き小さき南天の葉のいさぎよい
真みどりに染みて命あらばや 湖
2012 6・26 129
* ひどい雨と聞いた気でいたが、からっと上天気。天気はいいが、体調は不良、朝から下痢。これでは外へも行けぬ。
2012 6・27 129
* キイを打っていると何より目立つ。手の甲の、薬の副作用による黒ずむ色素沈着。異様なほどの爪の白さ。手先のしびれ。
2012 6・27 129
* 三時半も過ぎてから自転車に乗った。気分良くてではない。悪いのをなんとか紛らわせ忘れたいから。落合川添いに自転車で行ける限度まで走った。水勢は豊かに漲る力をみせていたが、川面の全く見えない岸辺も長くつづいて、さまざまな植物が高々と茂っていた。その勢いに感嘆した。北岸は夕方の日ざしつよく、南岸へ避けても変わりないが、ところどころに木深く濃い大きな木蔭があり、心地よかった。なるべく電動は使わないで自分の足で前進した。
帰り道ははじめての別路をとったが、東久留米市の地理もだいぶ頭に入っていて、わざと大回りに、しかし迷うことなくひばりヶ丘駅から帰ってきた。ひばりヶ丘には過ぎた菓子老舗の表でだいぶ思案したが買わなかった。食欲の全然無いのが分かったから。
それでも家に帰ると夕飯が用意されていた。食べるのがシンドかった。厚揚げの煮物、ほんのすこし大豆など煮たもの、細めのかりん糖、そしてもう痩せきった夏みかんの妻が剥いておいてくれたもの。
そして夕方の抗癌剤をのんだ。
* この「私語」をわたしは元気そうに楽しむように書いている、が、楽しんでいるにしても、ちっとも元気でない。これが「闘病」と思って機械の前にいる。
2012 6・27 129
* 門玲子さんの「私の高齢期」を校正し終えた。途中何度か身にもつまされ衝き上げられる感動に、身を硬くし泪を堪えた。
「 e-文藝館= 湖(umi)」への掲載の作業は、落ち着いて明日にしようと思う。門さんの場合は「介護と仕事」、私の場合は「病気と仕事」それぞれに「仕事」を励みにも救いにもしている。生易しい日々ではない。
妻や息子に、大きな負担をかけたくないと、しみじみ思う。わたし自身が妻や息子の元気に生きる力になってやらねばならない。 2012 6・27 129
* 朝食は、ま、むりやり食べる。食後にという服薬を経るためにも食べねばならない。
爪の白が異様に光って見え、しかし爪先に淡い紅いろが沈着し始めている。手の甲は、赤黒い。からだ中のどこよりも手先は目に見え、キーボードを叩いているときは、ひときわ手先だけが意識される。
それでも、今はさほど苦渋にはない。腹が鳴っているがこの程度のことで一日過ごせればいいのだが。そうはいかない。昼食をはさんで午后になるとズズズーンと重苦しくなりシンドくなる。
2012 6・28 129
* 夕食は西瓜が主食になり、ほかは、なかなか食べられなかった。食べ物をむりに口に運ぶにつれシンドクなる。それでもクスリは飲んだ。
そのあと、二階の機械の前か、横になるか、と階段の下で思案し、負けたように横になりに行った。横になっていると、ラク。寝入ることもあるが、さもなければ読書を楽しむ。減らすはずの本がいまや十六七冊に増えている。片端から読んでゆく。
ところが、堯が、関所役人に軽蔑されたように、斉の桓公が車大工に、手ひどくやられている。バカにされている。
桓公は御殿で余念無く本を読んでいたのだ。縁先に車大工が車輪削りのしごとをしていたが、彼は王様に読んでいなさる本には何が書いてあるかと聞く。王様は「もう亡くなっている聖人(= 偉い人)の言葉が書いてある」と答えたので、すぐさま車大工は「つまり昔の人の糟粕( かす) を嘗めているわけですね」と嘲笑した。
王は怒ったが、大工は平然とこう話したと荘子の天道編は謂うのである。後藤基巳さんの翻訳で聴こう。
「いや、あっしはじぶんの仕事の上で申しあげますがね。木を削って輪を仕組むのに、あまりゆっくりやりすぎると、甘くなってガタガタですし、急いでやりすぎると、堅くなってうまくはまりこみません。ゆっくりすぎもせず急ぎすぎもせぬようにするのは、手でやりながら
勘をはたらかせるんで、口じゃぁなかなか言い表わせません。そこんところのコツときちゃぁ、あっしが伜(せがれ)に教えてやることも、伜があっしから受けつぐこともできゃしませんやね。だからこそ、あっしはもう七十になるおいぼれですが、いまだにこうやってじぶんで木を削ってまさぁ。してみりゃ、昔の聖人っていうかたも、死んでしまえばその心の術が伝わろうはずがねえ。だから殿様の読んでござらっしゃるご本なんてえものは、昔の人の心術の糟粕( かす) にすぎなかろうと申しあげたんでさぁ」
* 読書を楽しみ、時に先人の書き置いた言葉や思想の注目したいものをわたしは、このところ、ひとしお、つとめて此処に書き写している。じつは書き写しながらも、この「車大工」の弁を内心に気にしていないではない。上に書き写した荘子の寓話も、まさにそれに当たるが、果たして「糟粕を嘗めて」いるに過ぎぬのか、そうとは言い切れぬのか。忸怩たる実感もないでなく、しかし、それは結局は読み手の覚悟や読み方、感銘という働きに左右されるものと感じている。
2012 6・28 129
* 夜更けの発信になるので、以下は、明日朝に。
わたしたちもデモに参加したいと言いつつ思いつつ、低血圧で起ったときにたちくらみするので、此の「私語の刻」での発言に力を入れたい。貧血かと思っていたが、糖尿の主治医は、それは「低血圧の症状です」と。たしかに、体調不良時に測ってみると血圧の高い方で100前後になっている。これは低い。うっかり降圧剤は飲めない。
2012 6・28 129
* 朝食が出来なかった。卵のスープもパンの一つもどうしても飲みきれず食べきれない。食べるということをからだが拒絶している。それでも抗癌剤はのんだ。からだが苦しいのは薬が効いているからと、確かに新聞記事で読んだ。夜前に貰った読者のメールもそう書いていた。そう思うことにしよう。
2012 6・29 129
* 今日のわたしは元気とは言えなかった。三時頃には横になり、本を読み、五時半頃まで寝て、難渋して夕食を摂り抗癌剤をきまりのまま飲んだ。
入浴して『指輪物語』『南総里見八犬伝』そして『八犬伝の世界』を、湯あたりしない程度の長湯のまま、とても楽しんだ。湯の中にいると、腹部の重苦しさが和らいでいる。
ファンタジイは数多いが、わたしは上の二作、また『ゲド戦記』『イルスの竪琴』の四つに極めを打っている。ル・グゥインには他にも勝れた作がある。ファンタジイではないが八犬伝を稗史と呼ぶならそのヒントを成したともいえる『百巻本水滸伝』も好きで、『三国志』に優る。似たような作というなら『モンテクリスト伯』も少年のむかしから気に入っている。
これらが有る限り、抗癌剤の負担を軽くしてくれるのに、或いは今年いっぱい役だってくれるだろう。いずれも、わたしは毒にも薬にもならぬ読み物とは思っていない。文学作品として買っている。
読み物も、似而非文学でないはなからのミステリー・推理小説も、ダンボールに満杯ほど、東工大教授時代の電車通勤のために買い溜めて、読んだ。『女王陛下のユリシーズ号』『北壁の死闘』など数冊は繰り返し愛読して飽きていない。こういうのも抗癌剤へ対抗に繰り出すことが出来る。
しかし面白いにも、いろいろある。今も読んでいる折口信夫の『日本藝能論集』も、上の高田衛さんの『八犬伝の世界』も、神坂次郎さんの『藤原定家の熊野御幸』も、ゲーテの『イタリア紀行』も、チェーホフの『妻への書簡集』も、上の小説や稗史・説話を凌ぐほど面白い。
今回のこの闘病は、本を貪り読む歓びを恵んでくれている。どうかどうか聖路加国際病院の「黄斑変性症」を診落としていた眼科さん、七月の黄斑前膜と白内障の手術、上手に成功させて下さいよ。 2012 6・29 129
* 血圧、血糖値など正常。朝食、服薬。これから予約の歯医者に出掛ける。雨、雨と聞いていながら、わりと好天のこの二三日だった。少なくもわたしの不快な体感よりはいいお天気だった。
手先だけでなく手の平もかすかに痺れている。近年、持ったもの、取ろうとしたものを取り落とすことが多いが、その度が高まっている。気が付いているので気を付けている。
2012 6・30 129
* 歯科診療の帰り、思い切って丸の内の三菱一号館ミュージアムへ足をのばし、ラファエロ前派の俊英バーン・ジョーンズ展を観てきた。此の派の主張や理想には藝術創作の本筋に逆行する見当違いも感じられるのだが、中で、バーン・ジョーンズだけは卓越した描写力・筆力と、深く湛えた個性の特異さがみえ、魅惑を発揮している。わたしは大きなジョーンズ展を二度目に観るのだが、期待は裏切られなかった。「運命の歯車」「眠り姫」等々の画面は、わたしの体調不良からか視野がくらく、よろついていたのに感銘を覚える把握と表現の美しさに満たされていた。
この画家の基底に「眠り」への愛と憧れとがある。かなり多くの画面に「眠り」が描かれていてその感情移入がじつに美しい。
* 元気でさえあれば丸の内散策は東京という都市美の堪能できる随一地区だが、わたしは、視野すら白くまた暗く動揺して、めまいというか、たちくらみというか、甚だ剣呑な容態でふらりふらりと。それで一号館地下のレストラン街に入り、空腹で弱りかけている妻のためにも遅い昼食をしなければならず、「まんてん鮓」という店に入った。
これが成功、はなから「お任せ」で一貫ずつ出て来た魚は、どれもどれも美味くて、酒こそ呑まなかったが、家では殆ど何も食べられない、胸に閊えてしまうわたしが、出された鮓の全部を美味しく食べられた。あれで飯がもう少し少なめならラクであったが、感謝に値する美味さと満足感で、少しく持ち直した。
しかし有楽町までのゆらゆら歩きは疲れた。逃げ込むように有楽町線の幸い先に来た清瀬行に乗り、わたしはぐったり寝入ったまま保谷まで。
それでも、街へ出られたのは気も晴れて、いいことだった。フラフラでもユラユラでも、無理してでも歩くためにがんばって街へ出たい。美しいものが観たい。出来れば人にも逢いたい。
2012 6・30 129
* 体調定まらず、はなはだ不快。横になり本を読んでなんとかやり過ごしたいと。たくさん読んで、読んでいる内は本の中に埋もれてゆくのだが、手放して、また身を起こすと目先がゆらゆらする。いっそ、勝手慣れた家の中だし、眼をつむって手探りで歩いたり階段を上がり降りしている。眼をつむっている方が穏やか。バーン・ジョーンズではないが「ねむり爺」でいたい気分。まだ十時にもならないが寝入ってしまいたい。
2012 6・30 129
* じいっと不快をやりすごし、しばらく「仕事」をしていた。この様にして「仕事」で体違和を躱し躱しするのが、いい。やがて十一時。疲労が溜まっているか、睡い。ねむれ、ねむれ。六月が逝く。
2012 6・30 129
☆ 暑い日が訪れました。
いつもご心配くださいまして本当にありがとうございます。
先生。眼科でご入院とのこと、奥様もお忙しいことと存じます。どうぞお体にお気をつけ下さいませ。
実は私もいろいろあって、七月二日に再手術となりました。短い間に二度目ということでガックリしています。でも約一週間で退院できます。
いつかお目にかかれますように。 弓 京都
* やはり癌と聞いていた。
自身が病気していると、心親しい知友の病気がひとしお気になる。なかには、自身の病気ではなくて心身の奔走を必要としている人も有る。老々介護もしかり。なかには、お子さんが欲しいのに満たされぬまま人工授精の成功を願って採卵などにクリニック通いを続けている人もいる。どうかどうか、いい結果へ繋がるといいと願う。心身の鬱になど冒されないで、だれも、元気でいて欲しい。
わたしは色素沈着が進んできて、妻に言わせると顔色もと。抗癌剤の副作用は、待ったなしに高めへうねって行く。先は永い。
2012 7・2 130
* それにしても、食べられず、体疲労は深く、体表にまで変化が表れてきていないかと疑う。午前はまずまずだったが、午后からは参った。明日は眼科の検査と診察に聖路加まで行かねばならぬ。うまく気が変わってくれるといいのだが。
2012 7・2 130
* 予想した以上に苦しいか。そんなことはない。不快にしんどいけれど、堪え難い苦悶苦痛があるとは今の段階では言えない。仕事したり読んだりしていれば大方忘れられる程度。だからといってラクではない。容赦なく鋭気や生気は侵蝕されている。
* 聖路加の眼科で検査と診察を受けに行く。独りで行く。「中国古代寓話集」を持って行こう。
* 往きも帰りも座席を譲られてきた。よほど生気なく見えるのだろう、わたし自身も、往きはまずまず、帰りはとてもしんどかった。朝食が十分に入ってなくて、服薬はしていた。昼すぎに診察が終え、有楽町で鰻と菊正でもと強いて思いはしたが、有楽町線の保谷まで直通が来たので、そのまま有楽町で降りなかった。それでも食べねばと、池袋で下車したものの、デパートの高いところまで行く活気が無く、むなしく西武線に乗って帰ってきた。とてもとてもすすたとは歩けない。帰って少し食べ物を口にしたが危うく吐きかけ、中断して機械の前へのがれ、バーン・ジョーンズの繪写真をいろいろ細工していた。気分のわるさをなんとかやり過ごした。
夕食は摂らねばならない。体力が落ちてしまうと妻を心配させている。ふんばって食べねば。
京都の「樅」のママからバラエティに富んだ、柔らかくて京ならではの祇園町のお煎餅詰め合わせをもらい、群馬の図書館長さんからは工夫を凝らしたゼリーを各種頂戴していた。感謝。
「樅」のママは、中学・高校の同級生、気っ風のいい、唄のむちゃくちゃ上手な友達で、そうそう京都へも行けなくなったけれど、お店に行ければしんから寛いで、人さまのカラオケ自慢を黙々と聴いている。妻も好きで、一緒に行ったことも何度か。妻も、あまり上手でない「愛燦々」など歌いたがるのでびっくりする。
* しんどい中でも、路傍の小さな季節の花に眼が行くと、写真に撮る。朝顔も木槿も季節になってきた。青々と茂ったいろんな樹木にもしみじみ眼を惹かれるが写真には難しい。花はどんなにちいさくまた一輪だけでも、佳い。
* **県に赴任した「宏」君が、名産の葛を各種、食べて下さいと送ってきてくれた。ありがとうよ。
2012 7・3 130
* 今日ほど疲労して食餌も摂れずに苦しいと、わたしも、ひたすら「ねむり」たい。
* こういう時、余念無く所蔵の茶道具の包みをといて楽しむのもいい。からだはいくらいたぶられても、気持ちは負けまいと思う。 2012 7・3 130
* 朝食に難渋した。食べ物を拒絶しているらしい腸の反抗が感触され、無理強い出来なかった。栄養を考え、ピーナツをポリポリ噛み、カルピス味のカルシュウム・亜鉛水を飲み、妻がほぐしてくれたグレープフルーツを食べた。
* 今日初めて暑さを感じた。昨日までわたしは長袖の毛糸のセーターを着ていて、少しも暑くなかった。夜もすっぽり冬布団を着ていた。このところ朝一番に測る血圧が低すぎるように感じる。今朝は上が102、下が56 パルスは67。血糖値は、88。昨夜測った体重は68.3キロ。立ちくらみなどは貧血のせいかと思っていたが、血圧のセイですとドクターは。
* 午前中は動けなかった。韓国の連続ドラマ「王建」の途中をたまたま観たあと、元ボクサーのガッツ石松主演、渡瀬恒彦、原田美枝子、富田靖子それに大滝秀治らベテランが見事に競演した二時間ドラマ「つぐない」を観た。大概なら途中でテレビの前を立ち去るのだが、釘付けにされた。こういうのに出会うと嬉しくなる。
2012 7・4 130
* 横になり本を読んでいた。平凡社から電話。文庫本の話。会って相談する元気も用意もないので、案は、郵便で貰うことにした。横になっていると、何か、寝たり起きたり生活のように思いかねない。寝るも起きるも読むも走るも、どれもみな「闘病」。闘って勝たねばならない。「仕事をする」のが何よりの闘病。新しい「湖の本」ももう念頭にある。原稿の用意は出来て在る。
* 手術前に四日間、特別の目薬をさす。その目薬を処方薬局へ取りに行ったついでに、夕方の保谷から南大泉、北大泉へ大回りして帰ってきた。電動自転車の運転自体には何の不自由もない、四、五十分も走っていたと思う。しかし、ずっしりと疲労はしていた。夕食は、ま、そこそこ摂れたとも。
摂食障害では、低血圧、低血糖、低体温そして骨粗鬆症が出てくると。体温は六度台を普通に維持しているが、低血圧と低血糖は、常時の徴候になっている。いっそ日に二食というのはどうだろう。いやいや、体力を落とせばまたまた点滴のために病院にかけこまねばならなくなる。
部屋を26度に冷房してみたら寒くて気分が悪くなった。
☆ 夏夜
空夜(こうや)窓閑かなり蛍度(わた)つて後
深更軒白し月の明らかなる初め 白楽天
* 急に胸の奥の遠くに吐きたいような違和感が蠢いてきた。機械から離れる。
2012 7・4 130
* 寝覚めがよかった。夜前、「ナンパオ」他の漢方薬を服して寝た効果だろうか。朝の食欲があったわけでない。お握り一つと花林糖少しと、西瓜と。西瓜の小丸半分ほど、水分とほのかな甘さとで口に心地よい。
2012 7・5 130
* へんな咳こみと洟水に困惑している、風邪などとは無縁で、やはり摂食障害の波及ではないか。猛烈に睡くもある。よろしくない。気持ちが悪い。
2012 7・5 130
* 疲れるとバーン・ジョーンズの深々と眠っている女の繪に眼をあてて、「そうだ、寝ていればいいんだ」という気になる。
* 五月一日の「TS1」服用開始以来の朝の血圧と血糖値、同時に日々の容態等の記録を、 電子化している。オンコロジイの医師に口頭で伝えるより正確で、時間ロスも省ける。
自分の病状も病状だが、病んだり苦闘したりしている人のこともとても気になる。わたしの場合は「私語」して公開しているが、普通の人の場合は、病状も様子も知れなくて、迷惑になってはいけない、うっかりメールも送りにくい。
2012 7・5 130
* 寝覚めはよかったが、夜中、何度も咳き込んでいた。風邪ではない。なにかしら食道か気道にひっかかりがあるような。 朝食は、グレープフルーツとバナナ。昨日はそれに西瓜があった。折りから高麗屋さんから「林檎ジュース」をたくさん頂戴した。まるで果物を主食にしている、この頃は。炭水化物を口が、好んでは受け付けない。好きな卵料理にもつい辟易してしまう。この調子では衰弱が進むかも知れぬ。今朝の体重、67.5kgほど。もうすぐ最高期体重から20kg減になる。わたしの理想体重はせいぜい60kgほどだから、まだ余裕はあるのかも。
2012 7・6 130
* それにしても、全体として体調は尋常にちかいのに、夜前からの理由の掴めない激しい咳込みが断続して続き、時に吐きそうになり、濃厚な白い泡水を吐く。伴ってわけもなく洟水が垂れる。何がどうなっているのやら。
2012 7・6 130
* 夜来の雨もやんでいる。夜中何度も咳き込んでいた。
朝食進まず。放心気味。服薬のために食べるだけ。スクランブル卵、冷えた西瓜、御飯二口ほど。水分。
折しも野澤利江さん、「和久傳」の鱧素麺を下さる。ありがとう。ありがとう。
掌がジンジン痺れている。手の甲は色素沈着で黒ずんでいる。からだは弱り、気持ちは、ま、しゃんとしている。
2012 7・7 130
* じいっと眼を閉じていると気持ちがいい。眼をひらくと躰がゆらゆらする。追加にもう五十数冊、本を送り出す。適量の在庫はぜひ必要としても、家に過分に保存しておいても意味がない。
2012 7・7 130
* とても睡い。血圧が下がっているのか。記録によると、だいたい130-140あった血圧がこの三週間ほどは平均して110台ときには102などという低いときもある。それで、こう目の前が白っぽく揺れるようであるのか。素人判断はできないが、五体が一日中睡けに取り巻かれている。だからこそ一日中断続して面白い本を読んでいる。日にかならず読むと決めている本は、階下で15冊、機械の前で3冊在る。
録画した映画も楽しんでいる。昨日今日は「大統領を作る男たち」前後編、期待通りに楽しんだ。この映画、夫婦して何度繰り返し観てきたことか。
役の名でいうと、FBI 捜査官のマンクーソ(ロバート・ロッギア)と、性的異常者で教師だった世界制覇野
心の副大統領候補男ファロン(ハリー・ハムリン)を「政治的英雄」に仕立てて反米活動に向かわせようとする底意と策謀を抱いた美女サリー(リンダ・コズロウスキー)が、フルに活躍する。二線級の俳優達をリアルに生かして四時間を超す大作に些かのブレがなく、ストーリー自体が緊迫して面白く、十分楽しませてくれた。
* 入浴してからだをやすめ、低血圧を案じながら八犬伝や指輪物語を楽しむ気。その間に、今夜は機械部屋を防虫燻蒸する。
2012 7・7 130
* ごちゃごちゃと夢は観るが、それでも眠っている夜は本当の安静期で。もしわたしが何かの勤務者として出掛けねばならないならと想うと、今の境涯を幸せに思う。わたしは、いま、何一つ義務に追われていない。元気に生きていることだけが義務といえは義務。
ありがたい。
* 今朝の上の血圧、105。からだに生気を保たせるには、あまりに低い。葡萄、桜桃、西瓜。果物が主食のようになり、炭水化物も脂肪も蛋白質もほとんど摂れていない。口が容易に受け付けない。喉を通すと鳩尾で苦しく固まってしまう。無事に腸へ落としていくのに時間がかかり、へたをすると激しい咳になり、吐き出そうとする。奈良の丸山君が送ってくれた大好物の葛菓子のいろいろが、口当たり涼しく冷たく糖分にも恵まれて、とても美味しい。
こんな状態でも、自転車で走れる。摂食には拒絶的な躰が、サドルに全身を坐って預けて、両脚でペダルを踏みつづけるのは許してくれる。低血圧で危険という用心はしている、が、近い範囲の武蔵野を走る開放感は身体の苦痛や不快を忘れさせてくれる。苦痛や不快な体違和をいろんな工夫で跳ね返す、それが現下の闘病ということだろう。
2012 7・8 130
* それにしても寝る前にグーッと一杯の酒に美味く酔えたらいいなあと、あらゆる酒に振られている自分が情けない。
2012 7・8 130
* 九時まで寝られた。煮た餅を二つ、砂糖と醤油とで食べてみた。危うい喉の通りであったが、食べ切れてほっとした。飲め飲めといつも言われ、飲まないと拒んできたヤクルトを今朝は飲んだ。朝はそれだけ、では少ないなと思いながら、そのまま抗癌剤と利尿薬とを極まりのママ服用した。血圧が上102しかない。半分居眠りしているのと似た一日になるのか。
2012 7・9 130
* 腹部不穏。腹の中で、ライオンや虎がではなく、まさしく恐竜たちが吠え唸り悶え叫びまくっている。聴診器を腹に当てると、まったく異世界を覗くよう。それでも、彼らが叫び狂っている方が、沈黙されるより無難。彼らの咆哮は、腸が、もう腸しか無いのだが、とにかく働いていてくれる証拠なのだから。
2012 7・9 130
* 今日は放心に近いまま午前を過ごし、昼食も摂れず、睡くて眠くて、本の数冊しか読めぬうちに寝入ってしまった。夕食も、まるで入らない。抗癌剤服薬第二期四週間は明日で終わり、二週間休止となる。すこしラクになりたい。
2012 7・9 130
* 今日は体調・体違和、最低。生きている心地がしない。明け渡しが出来ていない、出来ないで藻掻いている。もう寝る。テレビ・タックルで政治が論われている大方に共感もするが情けない。
鳩山の一党、菅の同士たち、大道団結してもういちど{国民生活第一」の新党をつくれと言いたい。衆議院民主党は二分され、参議院では公明を措いて悠々新党が第三党になりうる。不信任案、問責決議案に自民公明がどう出るか、これはきつい踏み絵になる。
2012 7・9 130
* 朝の血圧が上99。異様に低すぎる。朝飯、ほとんど摂れず。体重もへり、裸で測れば66キロ台に落ちこんでいる。気はしゃんとしているが。
今日は歯医者に。
*日照りで頭が焦げそうだった。歯医者のあと妻は池袋へ連れて行き、少しでも何か食べさせたかったのだろうが、わたしは杖をつき立ってゆっくり歩くだけが精一杯。わるいことに保谷駅北口前でタクシーが中々来てくれず、年寄りの熱中症になるかなあと心配した。
朝一番に京都で病後の田村由美子さんから「生八つ橋」を戴いたのが幸い口に入ってくれて、二枚ほど、それが主食になった。
保谷駅構内で、小丸西瓜、グレープフルーツ三顆、桃三顆、買って帰った。すぐに冷やした桃がおいしく食べられた。
* 機械の前に来たが、部屋に暑熱がこもっていて、家の中で熱中症をやりそうだと怖くなった。それでも、そのまま仕事をした。この疲弊と苦痛と無力感は「仕事」で押し返すしか道がない。
夕食は、強飯、桃、生八つ橋ぐらいしか食べられず、そのまま今期最後の「ts1」を飲み終えた。明日から二週間は休薬になる。その二週間がけっこう忙しい。十七日に歯科、十八日感染症内科、二十日に眼科と、新橋演舞場、二十二日に入院、翌日午后に右眼の黄斑前膜、白内障の手術。二十五日からまた第三期四週間の抗癌剤連用が始まる。
八月、海老蔵の「伊達の十役」か福助の「櫻姫東文章」のどっちかが観られるといいが。むりかなあ。
幸四郎父娘らの「ら・マンチャの男」そして月末には二日続き「松鸚会」の舞踊を楽しむ予定。なんとかなんとかなんとか七月を無事乗り切りたい。
2012 7・10 130
* 九時半に一度起き、朝食不如意で全身けだるいまま、こんなときは寝るに限ると昼すぎまで、左手に眼鏡を掴んだまま正午過ぎまで夢を観ながら熟睡。
昼食も意のままには行かず、おそらく不調の原因の一つであったろう排便に強硬にこぎつけた。少し視野が明るくなったか。
昨日の晩、蓼科から帰りの建日子が寄ってくれ、蕎麦などみやげをくれた。わたしは茫然と眼を閉じて坐っているのが限界で、気の毒にほとんど対話も出来なかった。わたしの痩せているさまに母に驚きを隠さなかったようだが。
* 午后にも二時間余寝ていた。
夕食はやや食べた方か。
2012 7・11 130
* 金澤の戸水さん、麩料理を下さった。少しでも食べられるようにとであろう、感謝します。
* 晩、入浴後の裸体重66.3kg。 これで全盛時? より、丁度20kg強の減となった。食べなければ。
2012 7・11 130
* 寝覚めの時、からだはラクに感じた。血圧も少し上がっていた、121。朝食はやはり進まない。身動きも重い。
2012 7・12 130
* 風の吹きすさぶ中、今日は聖路加で腫瘍内科と感染症内科との二科の診察を受けてくる。妻も「風にとばされないように」付いてきてくれる。
* 抗癌剤「ts1 」が相当に効いていると。しばらく会っていない医師の眼には体重減の痩せも色素沈着で手や顔が黒ずんできているのも、髪の毛の抜けなども一目で見て取れるらしい。血液検査も尿検査も前回は「優秀」と褒められたのに、今回は各データによろしからぬ変化が見え、ことにビリルビン値が1.6に跳ね上がっているは、抗癌剤のセイとも言えるが、2.0を超えてくると、癌の再発なども疑われることになると。この場合むしろ至急必要なCT検査を実行しましょうと。
詳細で簡潔な容態日記を持参しておいて佳かった、つらい容態のほぼ全部が抗癌剤の影響であり、あまりひどくなれば分量減その他の対応も考えると。血圧の低いのも、高いよりはいいのですと。腫瘍内科の対応は親切で、からだに水分と栄養を補給の点滴も用意され、点滴車を手で押して感染内科へ移行。
ここでも微熱と前立腺のかすかな炎症も疑われるし排尿が一時より好調を欠いているのでと、また抗生物質を含む薬剤二種が処方された。
そこからCTを撮りに検査室へ行き、造影検査を受けてから、また午前中の腫瘍内科へ。
ありがたいことに、CT検査の結果はほぼ良好で、癌の再発も全然認められなかった。腸もよく活動していた、但し一つ、大腸に「憩室」が出来ていてかるい炎症が認められると。抗癌剤の影響ともとれるが、休薬期間が始まったところなので様子を見ていいということ、他の所見は満足できると。有り難かった。癌の再発等について素早く適切な検査を実行し、その結果もちゃんと説明してもらえ、ほんとうに安堵した。
水分を十分に摂ること、偏食であれ何であれ、たとえ少量ずつでも食べ続けるようにと。そうしよう。
* 午は院内食道で天麩羅蕎麦をとったが、かつがつ蝦の天麩羅を二本食べ終えて蕎麦はダメだった。汁だけ飲んだ。
点滴していたので、それの終わる五時まで院内に居残り、近くの薬局で処方の薬を三種請け出してから有楽町帝劇下へタクシーで。妻は鰻を食べよと。
前に一度なんとか食べられたことがある、妻は鰻重、わたしは最少の蒲焼き。此処の「菊正」一合とキャベツの塩もみをとった。口に美味いと感じられたのは、キャベツと妻から廻された肝吸い。鰻もみな食べたが、美味いと舌鼓を打ったのでない。食べられて良かった、それでも。
とにかくあさからずうっと睡くて、地下鉄に乗って座席を譲られると、頭の落ちるほど浅い眠りへおちこむ。保谷駅でタクシーを待つ二十分ほどがけだるくて困った。
2012 7・12 130
* 「そめいろ」染五郎から九月秀山(初世吉右衛門)祭の案内が来た。昼の部に「寺子屋」染五郎が松王丸、吉右衛門が武部源蔵という、これは「そめいろ」大激励の配役、観たい。もう一つは吉右衛門お手の物の「河内山」。夜の部は「時今也桔梗旗揚」の本格を吉右衛門の武智光秀、染五郎の小田春永という対決。おお切りは、亡き芝翫を偲んで福助の「京鹿子娘道成寺」を鐘供養より押戻しまでとある。
わたしの予想される体調で通しはムリ。二日に分けてでも両方観たい本格歌舞伎。さ、どうするどうする。
こんな事を思っているときは、重苦しい体違和を忘れていられる。
* それにしても病院通いは、とことん、疲れます。
2012 7・12 130
* せいぜい朝寝してと思ってもほどほどに起きてしまう。
今度の建日子ドラマ「サマーレスキュー 天空の診療所」日曜夜九時のヒロイン尾野真知子が、「山名さん」の番組でインタビューされているのを聞いていても、すみずみまで理解しているし新聞もちゃんと読めるけれど、躰は雲に浮かんでいるようで茫然自失、起つ気にもなれず起っても歩く気になれない。それでもよたよたと庭に降りて咲き盛りの桔梗の鉢を写真に撮り、よたよたと二階の機械の前まで来た。此処へ坐ると、すこししゃきっとする。
体温36.2度 血圧98-59(75) 血糖値117。血圧が異様に低い。ドクターは抗癌剤の影響と摂食障害のせいであり、しかし血圧が高いよりいいんですと。ただ茫然自失の如く、寝ているのと同じ。
いま、わたしの安心の場は、便座。両膝に両肘つき両手を握り、頭を深々下げ瞑目しているとそのまま昏睡に近く眠ってしまう。きつい便意が来ようと尿意が来ようと、そのまま安心して寝ておれる。
2012 7・13 130
* 午に。また食べねばならぬ。食べたくない。古城進工さんから京都の漬け物いろいろ頂いている。食べてみよう。
* 御飯というのがまるで口に入らない。西瓜、グレープフルーツ。チリメンジャコ。昨日「きく川」で或いは食べられるかと、肝焼きや焼き鳥の串を買ってきたが、ダメ。食べるより、食べずに空腹でいるほうかラク。空腹感というのが、無い。
2012 7・13 130
昨十二日 聖路加病院の食堂で
* 昨日、腫瘍内科の先生、秦建日子脚本の「サマーレスキュー 天空の診療所」第一回、ご夫婦で観て下さっていた。わたしの新刊にも、こういう気持ちと姿勢で生きていらっしゃるんだなあと。感染症の部長先生も読んで下さっていた。文学好きで、歌集『少年』も喜んで下さっていた。
また、二十年ちかくも妻の主治医でいてくださった前の副院長先生とも、偶然院内で出会い、上機嫌で、こんどの『元気に老い、自然に死ぬ』はぼくらの必読書です、とてもよかった、いろいろ考えましたよと。
仕事を通して思いの繋がる励みと喜び。これこそが、力。
2012 7・13 130
* 夕食も食べづらく食べ悩んだ。手先はジンジンと痺れている。とにもかくにも抗癌剤以外にもクスリは各種、時に十種も飲んでいる。どのようなクスリにも大なり小なり副作用があり、似た副作用が輻輳もする。夕刊によると「抗癌剤」副作用を主題とした救済目的の公的な会議が検討されていながら中止にされたとも。
キイを叩いている両方の手の甲の黒ずんだ穢さを観ていると気が滅入る。顔色もそうだと聞いているが、だからますますわたしは気を揺り起こしてでも、なにかにつけ元気に楽しみたい。
* 一仕事をやめ、ベートベンのソナタ30番をグレン・グールドで聴いている。なんという美しい出だしだろう。わたしは音楽の何であるかロクに知らない者だが、聴いて喜べる幸福は持ち合わせている。ありがたい。
2012 7・13 130
* いつしかに音楽もやんだ。やすもう。
明夕、亀戸まで俳優座劇団の芝居を観に行く。無事に行ってきたい、ゆらゆらと転ばぬように。
2012 7・13 130
* 朝寝した。血圧105-68、血糖値99。朝食は、弥栄校同窓の横井さんが送ってくれた祇園煎餅が主食、有元さんに戴いた岡山のマスカット。そして山椒入のちりめんじゃこを掌に少しずつ載せて。それで精一杯。ときに誤嚥して濃い唾を吐きに手洗いに。
抗癌剤「ts1」の予想されてある副作用は沢山ある。この数日涙目で霞目なのも、洟水も、濃い唾も、口内に膜を貼り付けたようなざらつきも、排痰を伴わない咳込みも、みな副作用に入っている。涙目は眼科的な症状かと思っていた。眼をこすってはいけないと。
自分で分かる副作用と、検査でないと分からない副作用とがある。骨髄機能の抑制、白血球減少、貧血、血小板減少、肝機能障害などは、貧血気味のほかは検査でしか分からない。四週目で出てくるビリルビンの上昇は、 わたしの場合八週目に顕著になっていた。自分で分かる、吐き気、食欲不振、口内不調、色素沈着はもうはっきり自覚しているが、発疹はなく、わたしの場合下痢は顕著でなくむしろ便秘になりやすい。
副作用であるのか分からないが、暑い暑いが分からず、冷房されると寒いと感じ着重ねている。夜も布団を首までかけている。
* 観察と記録のために体調凝視をなるべく平静に励行しているが、たえず「ま、こんなもの」だという自覚がある。病気に成ってしまった以上は仕方なく、堪えて乗り切って行くしかない。
2012 7・14 130
* 六時、まだ日ざしは亀戸の町にのこっていて、わたしは我が身を奮い立たせるようにして、タクシーで近くの亀戸天神詣でに向かった。『蘇我殿幻想』連載取材の昔に、一度詣でたことがある。
妻には新奇で珍らかな参拝であったと見え、池や藤棚のゆたかに広々としていて、拝殿の華麗なのにも、歌舞伎舞台をみるような花やぎを楽しんだ。
境内に店をもった老舗の料亭「若福」に入り、お任せの料理を頼んだ。これが妻にはとてもとても美味しくて、ご機嫌。
わたしは、味わいは殺されがちでも、ほとんど一通り食べられたのである、ちょいとした奇跡のようだった。場所も店も料理も一級、店の親切な饗応も茶ごころに適ってとても嬉しかった。裏千家の茶の稽古に励んでいるという料理長の料理に涼しげに梶の葉があしらってあり、懐かしい夏の茶の「葉蓋」手前を思い出し、話題がはずんだ。
とっぶりと晩景への推移も店内にいてたのしみ、満足して、料理長や厨房さんたちとも親しく話してこれた。見送ってももらった。
またタクシーで亀戸駅へ、 総武線で市ヶ谷へ、市ヶ谷からは清瀬へ直行の有楽町線で保谷へ帰ってきた。芝居も楽しみ、参拝も料亭の親切な献立にも満たされてきた。帰りの亀戸駅で、亀戸の大老舗「船橋屋」の葛餅も買ってきた。保谷駅では妻がわたしのために桃やグレープフルーツを買ってくれた。タクシーで帰り着くと、留守番の黒いマゴが玄関で元気に迎えてくれた。
* もう十一時を過ぎた。
2012 7・14 130
* ゆっくり朝寝。朝食に昨日買ってきた船橋屋の葛餅、グレープフルーツ。体調良く、薬効か、排尿もすこぶる改善。左手先のしびれ感は有る。
2012 7・15 130
* 今日はいくらか元気だったようで、やっぱりいまは、視野もアイマイでゆらゆらする。
出来ればわたしも妻も明日の代々木「反原発デモ」に参加したいのだが、日盛りの真昼どきの大集会で、人に迷惑をかける容態に陥っても困る。マトモに考えれば、残念残念だが、とてもムリな気がする。
2012 7・15 130
* いよいよ一週間後の日曜日には、ここ半年に三度目の聖路加病院入院となる。今週は、とても忙しい。
2012 7・15 130
* 黒い手を見つつし呪詛(とご)ふ言葉なし抗癌剤めよく効いてをる 湖
* あたりまえの話、抗癌剤はわたしの敵ではない、味方である。副作用がどう出てこようが、「お辛そうですヤメましょう」とたとえ医師に言われようが、わたしは「続けましょう」と言う。
* ものごとには終わりが来る、そして作家には初めが来る、「書く」と謂う「初め・始め」が。
2012 7・16 130
* 唐代伝奇集など東洋文庫の四冊を愛読。二十冊ほどを階下と二階とで日々愛読、それがクスリの副作用に負けない絶好の緩和剤となっている。「書く」習いと「読む」習いを強制や干渉なく植え付けてくれた時代と恩師の大勢に感謝」 している。
* さて明日は独りで歯科へ。明後日も独りで聖路加の感染症内科へ。頭の焦げる熱暑でないことを願う。
2012 7・16 130
*ちょっと郵便局へ自転車を使ったが、日照りの暑いこと、寒暑に鈍感になっているわたしでも閉口した。
いまから電車に乗って独りで歯医者に通うが、いささかこの熱暑と日照りとは怖いほど。慎重に、ゆっくりとすばやくとを使い分けながら無事に帰ってきたい。朝食も不十分なので、からだは弛緩している。
* ま、暑かったこと。入念に歯と口の中を綺麗にしてもらい、歯科医院を出てからバス停まで、焦げそうだったが、道ばたには可憐な花たちが幾色にも咲いていてカメラを向けずにおれなかった。大きな木蔭のバス停で助かったがバスがなかなか来ない。来たのは練馬行。いいやと乗り、相当遠回りして練馬駅前まで。
駅構内に馴染んだ寿司屋がある。家に帰っても妻は妻の病院へ通って留守とわかっているので、さて食べられるかどうか案じながら店に入った。鯛と鯖と小鰭と鰺とを肴に切って貰い、〆張鶴の純米吟醸を一合。そして平目とうにと中トロを一貫ずつ握って貰い、上がりは玉の切れ。なんとかみな食べられたのは目出度かった。
保谷駅で桃を三つ、グレープフルーツの大きいのを二つ買ったまではよかったが、炎天干し下でタクシーを二十分も待ったのは、危うかった。音をあげかけたところへやっと一台。助かった。
病院通いは明日も、独りで。
2012 7・17 130
* 此の二十二日日曜日から、入院のためまた暫くは日記が書けない、送りだせない。七月二十一日までの分は、日付順に、誤記など直して、「宗遠日乗」130として記録し保管しておく。
2012 7・17 130
* 「湖の本113」のゲラが明日家に届く。病室へ持ち込んで、片目で校正するつもり。
2012 7・17 130
* 今朝、葛餅 桃一顆 牛乳。食べ物が口にはいると忽ちに舌がザラついて、味をこわしてしまう。それでも食べられた方。
2012 7・18 130
* さ、今日も独りで聖路加内科へ受診に。シッカリした気分で出向かないと暑さに負けてしまう。
* 十時半に病院に入り、出たのは二時前。それまで飲まず食わずで、熱暑の道をよたよたと杖ともの三本足で日比谷線の築地駅まで。食事をと銀座で下車したものの、何が喉を通ってくれるのか分からず、デパートの食堂街はみな高い階にあるのも億劫で、目の前まっくらに立ちくらみしたりするので、結果、無用に遠回り、有楽町線の銀座一丁目まで眩しい日照り道を歩いて、地下鉄に乗ってしまった。池袋で降りようかと一度は電車の外へ出たがあきらめ、そのまま保谷駅へ帰ってきた。また桃三つとグレープフルーツ二つを買い、例によってカンカン照りの真下でタクシーを待ったがえんえんと来ず、仕方なくバスに乗った。不便な場所に停留所があり、家まで五百歩は歩かねばならない。
* 生八つ橋と桃とで飢えをしのいだ。印刷所から新しい校正ゲラがどさっと届いていた。さ、また戦が始まる。
2012 7・18 130
* 今朝も、桃と葛餅。玉蜀黍も少し。飲み物がすぐ生ぬるくなる。
燃えるような日照りを押して、自転車で銀行へ。一年分の家計費を妻が管理の通帳へ移す。また一年、家計では安心して生活できる。
自転車に乗っていても、両眼に泪があふれ出て困惑する。
2012 7・19 130
* 闘病中の茅野市の松下圭介君、手紙を呉れる。肩の辺に痛みをともなう半身麻痺があるとか。痛みのあるのが気の毒。
いまのところ、わたしに痛みは無い。眼の手術予後にどうか痛みが残らないように。
眼に出血の懼れあり、術後酒は呑むなと言われている。いまのわたしは全く酒類に手が出ない。たまに飲んでも、ビールも日本酒もワインもとても美味いとは受け取れない。はなはだ不味い。ウイスキーなど全くダメ。
2012 7・19 130
* 明日は聖路加眼科で、二十三日手術前の「硝子体」などの検査や診察を受ける。
そのあと、新橋演舞場で、猿翁・猿之助・市川中車の襲名、市川團子初舞台を楽しみに行く。目が見えていますように。我當君の番頭さんが、いい席を手配してくれたようで感謝しています。
何が楽しみか。むろん「黒塚」と「 口上」です。
「将軍江戸を去る」での新中車・俳優香川照之の奮励をしかと観たい。大切りの「楼門五三桐」で、病をおして新猿翁が、市川海老蔵の石川五右衛門を圧倒する真柴久吉を演じてくれるかどうかも、胸を鳴らす。
目の手術という不幸を、この興行が大いに大いに励まし慰めてくれる。楽しみたい、終日の病み疲れにも何とか耐え抜いて。
2012 7・19 130
* 今朝から眼の手術前の特別の点眼薬を、一日四回、手術日の朝まで点眼する。
2012 7・20 130
* 眼科ではびっくりするほど沢山の検査で、瞳孔を開いたり猛烈な光を受けながらの写真撮影などあって、一時半頃に病院を出てもほとんどものが影のようにしか見えなかった。
三笠会館の秦淮春で中華料理を昼食に。いろいろ出たがすこしも美味しくなく、紹興酒もかなり残した。
銀座を散策して、泰明小学校に近い画廊で、ビュッフェのリトグラフが気に入り、買った。体調は宜しくなく、帝国ホテルで二時間近く休息というより寝てしまい、それからタクシーで新橋演舞場へ。
澤潟屋の襲名興行は盛り上がりすばらしく、前から四列、花道より中央の角席が取れていて大満足したが、今日はもう日付が変わっているので、やすんで、明日感想など書こう。メールも手紙も戴いているが、それも明日のことに。
* 帰宅して、素麺を茹でてもらったが、美味く食べられずに、みな吐いた。食べるのが難しい。なにより、今、難しい。
2012 7・20 130
* さてさて明日朝のうちには聖路加病院に今年三度目の入院。今日はそのための用意を。
2012 7・21 130
* 何を食べてもそのもの固有の味わいが全然賞味できず、なにもかもが苦い。舌の味蕾がすべてザラザラに荒廃しているらしい。美味いと思いたいはやまやまなれども、体力を落とさないためにはとにかく食べるよりないと自覚している。
今日浴後の体重66.1kg。朝にはかったときはものを着ていたが、66.5kgあった。あやうくもう66キロ台を踏み割りそう。
明日からの入院がなにか気分の転換を生んでくれるといいが。
2012 7・21 130
* おおよその明日の用意はできている問題はただ食べられぬ事
* さて、此処への日録は当分、退院まではお休みとなる。
2012 7 21 130
* 七時に起き、進まぬ朝食、服薬等を済ませた。九時少し前のバスで駅へ向かう。
聖路加眼科へ入院。明日三時過ぎに、右眼、黄斑前膜と白内障の手術を受けてくる。入院は長くて十日ぐらいと。手術の成功が心より望まれる。
* では。
ーーー眼科入院手術による八日間の空白ーーーー
ーーー眼科入院手術による九日間の空白ーーー入院中備忘
秦恒平(オンコロジイ患者)の容態日録3 眼科入院九日間
2012 朝の血圧 朝の血糖値 日々容態
7/22 122-58(76) 87 朝食メロン1/4 パン1/4 ソーセージ1本 体調普通 聖路加眼科入院 診察 昼食食べる 湖の本113初校開始 妻を遊楽町まで見送りシャツ衝動買い建日子に遣る 白鵬全勝優勝逸す 平清盛・薄櫻記・ 建日子作のサマーレスキュウ、イ・サン観る 新しい目薬加わる 体調は良い
7/23 体調良 食餌も摂れている やや難尿 8;30診察検査各種 点眼各種 右腕に点滴の用意 昼血糖値12;45 サイプレジン、ネオシネジン、ミドリン点眼 校正進捗 主治医大越貴志子先生担当医稲垣圭司先生 15: 30 黄斑前膜除去のための硝子体手術と白内障手術 執刀医は主治医でも担当医でもない年配と想われる男性先生であった。一時間ほどで手術成功 苦痛なし 妻医師説明聞く 建日子見舞い来室 夕食 妻と建日子帰して 寝る
7/24 122 88 体温6 度5 分 片目で校正続行 朝診察 除膜等キレイに成功 体調良 三種点眼七時十時十三時十六時十 九時二十一時 食餌摂れている 妻来て帰る 校正・読書少しずつ イチローヤンキースに移籍驚く 原発政府事故調の不十分怒る 手先痺れ顕著
7/25 82 朝食後多量排便 腫瘍内科名取先生来室 泌尿器科診察8/16延期 下駄と甚平で外出 名取先生抗癌剤再 開は退院後からと 歓談 手先痺れにヒルドイドソフト軟膏処方 「 湖(うみ)の本」 113初校了 独りでシャワー なでしこジャバン試合少し観て 寝る
7/26 88 朝診察順調と 食堂パンケーキとオレンジジュース苦い 食物の大方苦い 妻冷えたメロン持参 下痢二度下痢止め服用 腫瘍内科山内先生名取先生以下来室 妻を新富町駅へ見送る 荷物半ば持ち帰る ショートケーキら買うも味無し 点眼ごとのガーゼ眼帯取り外し苦手
7/27 91 男子サッカースペインに勝つ ロンドン五輪開会式か 食餌まあまあ 味蕾ザラツき食餌大半が苦い 夕食鰻感謝 仕掛かり創作原稿点検思索心に動くモノあり 退院7/30かと。 持参のフアンタジー愛読 腫瘍内科名取先生抗癌剤服用は八月一日から再開しましょうと。 食餌口に苦いのが苦 浅草の花火今年は観られず゜やや頻乏尿か
7/28 五輪開幕 空腹感あり驚く 食べている 名取先生来室 午后診察術後右眼とてもキレイと 建日子と万有美と見舞い 栗饅頭など 妻も来る 送る
7/29 116 92 9:40 朝診察了 脚力快感 御飯食べられる 五輪のメダル連呼が不調を呼ぶ一戦一戦を真摯に闘え 退院を待望 眼科主治医も担当医も病棟病室に足を運んでこない 夕刻前親切な看護師に洗髪してもらう 建日子署名本にわたしの署名も添えて呈上 夕刻病院近隣治作辺を散策 平清盛・薄櫻記を楽しみ泪す インシュリンは朝昼晩に各4単位就寝前に6単位注射してきた トールキン『指輪物語』第二巻、マキリップ『イルスの竪琴』第二巻読了『中国古代寓話集』も荘子、 列子、 戦国策、観非子、呂子春秋を読み通してきた 明日は退院か
7/30 108-58 82 入念な朝診察と諸検査を経て本日午前の退院がきまる 9:20家で待機の妻に退院決定を伝え、手早く持ち帰りの荷も用意 数日滞っていた便が快調大量に 空腹感 次回眼科診察日決定 抗癌剤休薬が名取先生の配慮でやや延長されていて、お蔭で確かに楽。 病棟に預けた薬や診察券も戻され 新処方薬も抗癌剤はじめ幾つも 妻到着 病院請求書も調い、一気に退院手続き終わる 食堂で朝食にカレーライスがとびきり辛かった 食堂に隣接の画廊で北京出身の王亜君が描いていた『木立』を記念に買った 熱暑を避けタクシーで保谷に帰る 点眼その他の日常生活に戻る
「眼を病んで 手術(オペ)受けて暑い日家に 退院(かへり)来ぬ あるがまま あるがまま 仕事に向かふ」 湖
2012 7・30 130
* 午后三時、九日ぶりに聖路加眼科病棟を退院して家に帰ってきた。右眼の黄斑前膜および白内障の手術は無事成功し、診察するどの医師達も「キレイになっています」と。命ほど大事な眼であり、ほっとした。ずうっと病室では眼帯をつけ、日に六度の点眼も実行しながら、左の片目で新しい湖の本の一冊分を初校しおえ、トールキン「指輪物語」の第二巻一冊を読了、マキリップ「イルスの竪琴」 第二巻を読了、東洋文庫の「中國古代寓話集」を三分の二も読み進んだ、病室へ此の三冊を選んでいったのは大成功で、トールキンとマキリップのファンタジーは繰り返し読んでも滴る魅力にひきこまれ続け、一字一句も逃さず楽しんで楽しんで読んできた。寓話集は荘子、列子、戦国策、韓非子そして呂子春秋からの精選されたおはなしをたっぷり楽しんで胸に畳んできた。
2012 7・30 130
* 入院の九日間は、幸い抗癌剤の休薬期間だったので、日増しに元気になり、食べるのも、けっして美味しいのではないが頑張ってかなり三食や間食が食べられた。妻を見送って銀座・有楽町辺まで散策に出たり、聖路加病院の近在を独りで散歩もした。
先日銀座の画廊でビュッフェのビュッフェらしいリトグラフを衝動買いしたが、今日の退院前にも、院内画廊の繪を一点、北京で育ち日本で後藤純夫氏に師事して制作している中国人女性の小品を買ってきた。
家に帰り、郵便の始末をつけたあと、玄関に、ビュッフェの薔薇と、親友が呉れた好きな蔵王のスケッチ小品とを、並べて掛けてみた。素敵になった。中国人画家の木立の風景は、 茶の間に掛けた。美しいモノが佳い。嬉しくなる。
* だが今も、右眼はガーゼを重ね、ボッテリと眼帯。
* 夕食後に、近くの薬屋スーパーに、「ナンパオ」左眼用の保護強壮剤、 おーいお茶など妻と買いに出てきた。
黒いマゴの、甘える甘える。
七時、十時、十三時、十六時、十九時、二十一時に、二種ないし三種の点眼を欠かすことができない。わたしは、眼帯を外したいが、遺物や埃を警戒しなくては成らず、わけても打撲が危険。就寝時には金属の眼底を用いる。
2012 7・30 130
* 二十七日であったか、浅草の望月太左衛さんから七通のメールで花火のお招きや写真送付があった。入院中で余儀なくはあったが、お招き受けているだろうなと嘆いていた。
☆ 花火
秦先生 こんばんは
隅田川花火大会無事終えることができました
先生のいつものお席から、撮りました
次回は、ぜひいらしてください
よろしくお願い申し上げます 望月太左衛
* re花火
太左衛さん
今日只今、聖路加眼科を退院してきました。
右眼に黄斑前膜が出来、白内障もともに手術により除去して貰いました。七月二十二日より今日三十日まで入院していました。今年三度目の入院でした。幸い、手術は成功しました。
きっとお誘い下さっているなあと嘆きながら、花火のニュースを聞いていました。御免なさい。
これからまた辛い抗癌剤と闘う日々になります。食べて耐え凌がねばなりません。食の進まぬのが何よりの苦痛です。
それでも、元気に仕事も読書も楽しみ観劇や舞踊の会にも出掛けます。楽しむことが良薬です。
痩せましたよ。20キロ以上も。
またお目に掛かる機会を待ちます。ありがとう、太左衛さん。 秦恒平
2012 7・30 130
* 七時の点眼を三十分寝過ごして。血圧106-69(74)。血糖値91。腹中微鳴。朝食に゜ミルクが飲めた。
2012 7・31 130
* 入院中の記事も調えた。あとまわしになった平凡社の仕事や湖の本113の進行などへ目を向けて行かねば。
食べられなかった麺類「ほうとう」が食べられ、炒り卵も。
明日からまた抗癌剤を飲み始める。
右の眼にこまかに網状に穴の空いた金属の眼帯をしている、寝ているときも。いまは下にガーゼ無く、曲がりなりに両眼が使えている。
* 七月尽。ひとつの危機至り、幸いに免れるを得た。
身を観ずれば岸の額に根を離(か)れたる草
命を論ずれば江の頭(ほとり)に繋がざる舟 羅維
2012 7・31 130