ぜんぶ秦恒平文学の話

食べて飲んで 2004年

* それにしても三が日、遠慮会釈なく食べて飲んだものだ。卒業生が送ってくれた紹興酒も、辛抱できずに、さきほど箱をあけた。すてきな青磁の小壺が二つ。一つをあけて、東天紅の正月料理の残りで酒も旨く料理も旨く、三が日の打ち上げに恰好であった。ありがとう、岩崎君。「日比谷東天紅」の料理を注文したのは成功だった。良心的なうまいものを巧みに品揃えしてくれて、メニュも巧かった。

2004 1・3 28

 

 

* 竹西寛子さんから、賀詞とともに年始の「昆布」を嬉しく頂戴した。

 

* おいしいお酒に豊かに恵まれた歳末年始、心おきなく飲んできた。

2004 1・5 28

 

 

* どうっと「ペン電子文藝館」の作品が「校正室」に上がってきて、通読の割り振りやら、校正されてきたものの、原稿や原作による逐一点検・決定やらで、ほぼ終日文藝館関係に追われた。この状況は暫くつづく。わたしが入稿を加減して少なくすれば、しぜんこれがラクになるが、昨二○○三年は大晦日まで毎日のように入稿し続けていたので、年頭が賑わって来るのは当然の成り行き。

講演の用意、尻に火がついてきた。そのためか、めずらしく久しぶりにストレス腹痛らしきものが、かすかに。じりじりしてくると、つい、飲んで食って気を紛らせる、これがあとへ響く。それでも血糖値はよくコントロールしている方だと思う。ほぼ正常値をいつも保っている。コレステロールの何のというのが、つかみどころなく、分からない。

それにしてもどれもこれも飲み尽くし、今は神戸の芝田さんに戴いた「奧丹波」だ、酒をよく知った人の選択で、たまらなく美味い。ちびちびなんかやれないタチで、比較的行儀の佳い萩焼きのなかでは、鬼の掌のような大ぶり豪快な盃に、なみなみついで、ぐうっとやるから、ハカが行って仕様がない。奈良六条の人から頂戴した本格の奈良漬けを肴にして飲むうまさ。しょうがないなあと思いつつ、腹痛の兆しはこっちが原因かなあとも思いつつ、ま、よかろう。「余霞楼」という純然京ことばで「太陽」に書いた一種のスリラー短編をもっている。作中の粋な建物の名前を題に使ったが、すこしだけ出来映えに胸を張った感触もあった。

ときどき「騒壇余人」と書いているが、騒とは、風騒、詩や文章を書くことや人達のことだが、あまり通じのいい字面のいい語ではないなと思っていた。いっ「余霞楼」がよかろうか。

2004 1・7 28

 

 

* 鏡割の餅を小豆と煮て、善哉につくってもらう。純日本のうまい食べ物。京味噌雑煮、煮〆、焼き餅澄まし雑煮、七草粥、この十五日の小豆粥、そして鏡割の餅善哉。簡素明浄。

2004 1・11 28

 

 

* 渋谷という街が手に負えないと感じてからは、ここで落ち着ける店を探す気にもならなかったが、たまたま通りがかったビルの八階に、ワイン・レストランがあった。料理は世辞にも旨いとはいえなかったが、値段の内で、食前のシャンパン、そしてかなり吟味した赤と白とのワインを各二種、飲ませてくれた。つごうグラスで赤白を五杯は、堪能できる。そんな店があった。あれで料理がいいと、かなりなものだが。

食べて飲みながら、自分の作品にアカを入れて、ゆっくりできた。どこへ回るにも時間ははやく、山手線を池袋まで寝て帰り、西武線も保谷まで寝て帰り、家までタクシーに乗った。

そうそう池袋の駅構内に出ていた文庫本の古本屋で、ひっさしぶりに分厚いミステリーを二冊買った。京都へ持って、行き帰りの列車で読みふけろうかなと。講演、はやく終わらせてしまいたい。

2004 1・12 28

 

 

* 金網の上で脂をしぼるような焼き肉というのを、たしか、一度だけ食べた気がする。あれはかなわないと思った。生来肉は嫌いどころか好きな方であったし、いまでも食べるけれども、意気でなく粋でもない。日本酒が合わない。

銀座に、とても高級ととてもネタよしの二軒の寿司屋が、二軒とも閉業したのが今も惜しい。いま寿司というと、数軒の行きつけがあるが、三百人劇場の帰りの巣鴨「蛇の目」が気に入っている。銀座の「福助」池袋メトプラ地下の「ほり川」も。俳優座劇場裏の「枡よし」も馴染んでいて、よろしい。簡略に美味い魚が食べたいときは、池袋東武地下の「寿司岩」の狭苦しいカウンターで、シヤリはおしるし、特上を食べる。いと、やすし、但しビールだけで酒がない。

2004 1・13 28

 

 

* 小豆粥の雑煮を祝った。

2004 1・15 28

 

 

*「部署の飲み会」という体験を、ほぼ全く持たないで過ごした、勤務の昔。十数年の前半はそんなことに使える金が、足りないと言うより、持てなかったし、持つ気がなかった。後半はひたすら創作に打ち込んでいた。この小闇は、ほとんど中毒のように飲み会に加わっているみたいだ、体力に感じ入る。ロスとプラスと、どっちが多いのかなあと余計な想像もする。楽しそうだし、「いいじゃないか」。

わたしは、群れて飲み食いというのが好きでない。酒も、一人酒か二人酒がいい、男と二人では少し寒いが。なにより日々「書く」ことに捧げられていた若き日は、時間と気力とが宝であった。そして思うのだが身の回りにもそのように群れて「飲み会」をしている人が多いとも感じていなかった。それはわたしの迂闊というもの。

「ハタクンも、もう少し如才なく生きるようにしてれば、もっともっと大きな存在になったやろに」と、京都の、中学だか高校だか同期会で誰かにわざわざ席を起ってアイサツされ、ビックリしたことがある。顔もよく覚えていない同窓生であったが、そんな風に遠くから見てくれていた批評家があったのに驚き、そうなんだろうが、そりゃ無い袖のうちだなと苦笑した。

みそ汁は蜆だけでいい。澄まし汁は蛤と柚子がいい。

2004 1・15 28

 

 

* 聖路加病院へ十時に入り、十一時半に解放された。まずまず。

で、午後の会議までに三時間半、日比谷線で銀座へまっすぐ、そして映画館は素通りして、寿司の「福助」に。昼どきなのに空いていたのは、あまり外が寒くて、霙とも雪もようともあったかららしいが、銀座は、ほぼそれもやんでいた。空いた広い店を綺麗に独り占めして、若い板さんとおしゃべりを楽しみながら、おまかせの寿司種が、つうっと十二三、二列に並んで、言うこと無し、佳い吟味。正二合の徳利も小気味よく、ご機嫌。

で、ホテルのクラブへ。商談らしい幾組もいたけれど、昼間の窓に近くは外光明るく、小さい字でプリントしてある自分の長篇を、ゆっくりゆっくり丁寧に読み進め、ばっさばっさと大鉈をふるうように推敲。夜とは雰囲気がまるでちがって、仕事にも読書にも明るいぶん、向いている。コーヒーはお代わりが幾らでもきくし、わたしには利用価値が高い。

 

* 時間をはかって、また日比谷線でペン本部へ。「ペン電子文藝館」の今年初会議は、暮れの三倍ほども賑やかに委員が参集、話題は沢山あり、それも急いでギチギチ決めなくては成らない難題はないので、概ね軌道の上で意見交換をたくさんした。

加藤弘一氏と少し話したが、「ペン電子文藝館」の仕事で、いろいろ文字コード上不便を蒙っている実例があるのだから、やはり、こういう文字の実相の貧弱は、文学団体として困るということを、公式に、伝えるべき先へ伝える用意をしましょうと。ルビはふれない、記号は出ない、漢字も無数に化けてしまう。これではインフラにはほど遠い。

 

* 会議の後は、成り行きで自然に独りになり、成り行きで気に入った店に入って、小懐石で小一合、それから佳い焼酎をすこしストレートでやりながら、二時間近く原稿を読んでから帰った。電車では「捜査官ケイト」が佳境に入り、電車を乗り違えて豊島園へ行ってしまった。練馬へ戻って、保谷へ。つまりそれだけの時間、ミステリを楽しんでいた。

2004 1・19 28

 

 

* 伊勢丹わきに馴染んでいた「田川」という魚とフグと鰻との老舗が無くなっていて、寂しかった。

それならと、新宿駅わきの老舗「柿傳」へ。八階の、あそこはすべて谷口吉郎設計であるが、静かなフロア(我々だけ)で、「すっぽん懐石」を奢った。にごり酒は四合瓶、残ってもお持ち帰り下さいと、綺麗な女中さんにすすめられて。

久しぶりのスッポンは、前菜から、鍋から雑炊まで、それは美味かった。これが観てきた舞台の風情とうまくつりあい、妻と二人あれこれ芝居のはなしをしていて、食べ物が、飲み物がよく似合った。満ち足りた。

2004 1・20 28

 

 

* 午過ぎて、大江戸線の新江古田駅を通り過ぎた頃に空腹をおぼえた。目の前に、バスからは見ていたかも知れない、こましなレストランがあり、フランス料理であった。表に出ているメニュも悪くないので入った。冴えないオヤジが入ってきたと思ったろう、若い男は八百円の朝飯喫茶室の方へ追いやろうとしたので、コッチと、食堂の方へ顔を向けた。窓際の隅席へ自分から行ったのは、むろん持参の「湖の本」校正を続けたいからで。いやみのない店内はあっさりと明るく、期待していなかったフォアグラのサラダが、そこそこグラスの赤ワインに合って旨かった。機嫌がぐんとよくなり、すっかり落ち着いた。馬鈴薯味のスープも隠し味がきいていて、よろしい。あれでパンがもっと佳いと。しかしあれは鱸だろうか、いや焼き味のヒラメか、何でも構わない、魚の皿が上等の味で。

ワインのおかわりにさっきのボーイが来て、なんとなみなみと注いだから嬉しかった。二つ目のパンは行儀悪いがワインで湿して食べた。そうするのが最近のわたしのお気に入りなのでもある。

年のせいか、ナイフ、フォークがますます苦手。で、最近は、周りに人がいない限り、必要に応じて平気で指を使うことにしている。サラダ菜なんてのはフォークで突き刺すより指で摘む方が遙かに食べやすいではないか。だから、わたしは人と一緒に行儀良く食事したいと思わないのだ。

おしまいのヒレ肉の皿は、むかし、京都の花見小路「ぼうる」で食べた極上のステーキに迫る調理で、小さな紡錘形にソースで料理してあり、三切れは満腹すぎたけれど、しっかり食べて、苦手な緑や白のナントカ謂ううまくない野菜も、義理にもぜんぶ平らげたのは我ながらえらかった。コーヒーも濃くてうまかったし、デザートの皿には大きな苺二つに挟まれて、白いシャーベツトが気持よかった。苺にもすこし手が加わっていたか食べやすかった。

 

* 目立たない町なかで目立たないこういう小洒落たレストランを見つけると、少し幸福感がある。静かに仕事まで出来ると、ひとしお有り難い。これで、邪魔にならない「美しい人」が親切にしてくれると最高だが、それは、どうも。

で、何の心残りなく帰宅して、午後はずうっと原稿。一つは、夜前にファイルにして、もう送稿済み。残る一つは明後日中に吉岡忍氏に電送すればいい。工夫は要るけれど、材料は手に入っていて何の困難も無いのであるから、明日には送ってしまえるだろう、だが、一気にやらない方がいいタチの原稿である。

2004 1・22 28

 

 

* 色佳い大粒の苺を、また栃木から送って頂いた。

2004 1・24 28

 

 

* 郵便局の後、頼まれてスーパーでパンなどを買ってきた。預けられた金額からのおつりが四百円あまりあり、さてこそはと食品スーパーの隣の酒類スーパーへ入り、物色したら、有った。「上海老酒」が税込みで四百円と少し。中国の酒はよくよく体調の悪いときでも口に合う。「マオタイ」のような高級酒でなくても、けっこうご機嫌になれる。酒毒にやられてしまうほどは、飲み続けない。お酒どころか、眼科はどうしたんですかと、叱声が飛んでくるかな。

2004 1・27 28

 

 

* 歯医者は、来週に支払いをして終わる。

すばらしい好天は先週とまったく同じ、先週の木曜より暖かかった。またバスに乗らずにとことこ歩いた。そして「ラ・リオン」に昼食に入った。先週は閑散として静かだった店が、今日はなんと女、女、女たちにタップリ占領されていた。二十代、三十代、四十代も五十代も、狭くはない店をめいめいに占めてみな楽しそうに食べて話していた。ここは女性専門のお店なのかと、思わず店員に聞いて笑われた。そして店の真ん中の小さな二人席に入れてくれた。いかにも風采の上がらないおじいさんが、女の中に一人というのも、わたしはちっとも気にしない。読まねばならない校正ゲラを、テーブルに余裕がないので手に持って、真面目に読みふけった。すぐ傍の席の話し声も聞こえなかった。食べるのはフォークだけを使った。ワインのサービスの良い店で、たいへんけっこう。

 

* 保谷駅ビルで頼まれたパンを買い、「ぺると」で珈琲を買い、小一時間もマスターと歓談。同年配の夫婦の客が入ったところで店を出た。めずらしいほどの好天が嬉しかった。天気がいいと元気もいい。嬉しいことがあるのですかと人に聞かれそうな、手ふり足ふり、歩きようであったかも知れない。

2004 1・29 28

 

 

* 他のなにをおいても、今日は快晴。きもちのいいお天気で嬉しかった。

長い作品に手を入れている。家では出来ないので外へ出た。保谷駅ビルの喫茶室で一時間半ほど読み、池袋から鶯谷駅前の蕎麦処公望莊に入って、蕎麦湯焼酎からはじめて、また蕎麦を肴に、読み継いだ。

晴天下の寛永寺墓地を、しばらく額を日に照らされて歩いた。まひかりを存分に浴びた。道に落ちた影の濃いことにおどろく。

公園をゆるゆる歩いて西洋美術館に入り、ここでも先日子松君と話した席で、四時半まで。館を出て、ロダンの「考える人」と「カレーの市民」にアイサツ。すこし日が長くなったか。上野の山はおだやかな夕映えであった。

JRで有楽町へ移動して、定刻より三十分早いクラブに入って、こころよかった一日の結びに、マーテル。若い美しい人達が三人そろって、「ようこそ」と歓迎のアイサツに席へ来てくれたのには照れた。支配人は、ブランデーにゼッタイのうまさですと、特別サービースのチョコレートを三四十粒もくれた。冬場まで木なりにもたせた葡萄の実が、純白の糖分を吹きだしてくる、それをチョコで練り干葡萄にくるんだんだとか。透明感のあるシュワーッとした言いようのない甘味と美味さ。わたし一人で食べてしまうのが、心から惜しかった。三四十も食べては血糖値が跳ね上がる。包んでくれた。

そんなことを言いながらブンデーを三杯、響を一杯、みなストレートで味わった。今年初めて。お腹へは、シーフードサラダと海苔巻き。いろんなサラダ菜をみな食べた。ドレッシングの味がよかったか。

好日。仕事も出来、気も伸びやかに。心嬉しい一日であった。

2004 2・6 29

 

 

* 日の恵みに、胸も照る好天であった。無性に食べたくて新宿で外へ出て「柿傳」の縁高(ふちだか)を。呑みたいなあとしみじみ思わせる、さすがの献立であった。あのだし巻きは、やはり二百年の老舗。飲み過ぎると、けれど、能の見所で寝てしまう。困る。

で、時間もあり、能楽堂の千駄ヶ谷を乗り越して四谷まで行き、上智大にそった土手の上を、明るい日射しを浴びながら紀尾井ホールの辺までゆっくり往復して、下のテニスコートや芝生に撒水しているのを眺め眺め、千駄ヶ谷に戻って、能楽堂に入った。花びらのような春の精が、今日はひろやかな青空に、いたるところ舞い遊んでいるような気がした。

能楽堂への途中に、以前はあそこはショウルームのようなものではなかったか、小洒落た中華レストランに変わっていて、あそこで持ってきた原稿を読んでいこうなどと物色。

2004 2・15 29

 

 

* 例によって狂言は、ひどい。三宅右近を芯にした「佐渡狐」だが、もともとさほど面白くもない狂言の所作を、三人が三人ともすみずみ、かどかどのところで自堕落な動作にしてしまっている。彼等、「所作」と「動作」との作意の差も心得ていないのか。いうなれば、四角いところをマルク掃いて済ましている。いつもの能会の観客とは客層がちがう、それはずいぶんちがう、のは確かであるが、だからナメテかかるのなら藝人の風上に置けない。

すっかりこの狂言にシラケた。お天気にのびやかに落ち着いていた心嬉しい気分をフイにしたくなく、適当なところで能楽堂は失礼して、往きにみておいた中華レストランで、瓶出しの紹興酒をちんまりした湯呑みに二杯のみながら、気分よく原稿に読みふけって、さあっと一散に帰宅した。夕焼け空に風が出始めていた。

2004 2・15 29

 

 

* 昼食は「茨木」の前に、やはり「吉兆」で。

今日の献立はひときわ宜しく、正一合の銘酒ががうまかった。「八寸」の彩りとりどりが嬉しく、ひらめの造りに、いかと、あしらいとが、利いた。焼物も、鯛胡麻焼き、ししとう、銀たら西京焼、粟麩のかば焼きと目先かわり、焚合わせもお椀も、えんどうの飯蒸しも。

2004 2・17 29

 

 

* 車で帝国ホテルのクラブに入り、一息入れた。妻はフレッシュジュースで息をつき、わたしは、レミ・マルタンをのんだあと、口を冷やしたくてアイスクリーム。ひとしきり今日の舞台や役者を話し尽くして、丸の内線をつかって帰った。寒くなかった。電車では少し汗ばんでさえいた。いい一日。夜を目当てにしていたが、昼の部の「茨木」「良弁杉由来」に、とてもとても動かされた。佳い舞台で満ち足りた。

2004 2・17 29

 

 

* 吉兆。おいしかった。鯛の刺身。ますぼんぼり焼きに梅ふきの焼き物、秀逸。いか筍の木の芽和えが季節。妻はごまとうふの赤出汁がおいしいとご機嫌で、わたしは少しの酒がよかった。

2004 3・8 30

 

 

* 有楽町で途中下車。帝劇下での「きく川」で鰻と菊正。いつものキャベツ塩もみの他に、骨まで愛して「骨揚げ」をかりこりかりこり噛んだ。一年分のカルシウムを摂取した心地。長い小説を落ち着いて読んで、直してゆく。書くよりも推敲の方がむずかしいのだ。時間もかけるのだ。

2004 3・9 30

 

 

* 「美しい人」のいなくなった店でも、仕事に行っていけないことはないが、やはり気は進まない。仕事をのびのび出来る場が一つ無くなったのは、やはり響いている。静かでなくても気が殺がれず、親切ですぐれてファミリアな空気というのが、どんなに心地よかったかと、流石に残り惜しい。きっと幸せに暮らしているだろう。

2004 3・11 30

 

 

* とっくりと時間かけて話し合った後、わたしは、銀座で途中下車し、日比谷「福助」に入り、なじみの板さんの前席で、おちついて、よく食べ、よくよく食べて、よく飲み(いつもの二倍も)、機嫌ことによろしく、暖かさにもひかれ、ふらふらふらと街を歩いて東京駅まで。そして山手線で帰ってきた。ぐっすり車内で寝ていて、気がつくと早や大塚駅であった。危うく池袋、セーフ。

で、これがまたよろしくないのだが、この頃わたしは池袋西武線の構内で、どうもラーメンに待ち伏せされてしまう。脂ぎってギトギトしていない麺のうまさに、つい惹かれてしまう。甘(うま)い。このまえなど、恥ずかしがる妻は離れたところに待たせたまま、一人で毎度の素らーめんを立ち食いしたりした。今晩も、またまたしかり。

保谷駅北口にロータリーが出来て、タクシーがかなり楽に使えるようになってから、利用することが多くなった。あっというまに帰れる。

2004 3・12 30

 

 

* 瀬戸内の春の風物詩「いかなごの釘煮」をお送りしました。

昨今、食材に関しまして、マスコミが賑やかではありますが、あやしげな食べものではありません、安心して賞味ください(笑)

レシピも、いろいろ出回っていますが、昨日は海のしけが強く、地元垂水漁港の舟は出ず、淡路漁港から直送のイカナゴを、幻の醤油「尼の生揚げ」を使って煮ました。

ごはんに載せるのが最もおいしいと思いますが、酒のアテにもひょっとしたら合うかもしれません。

 

* いやもう、旨いこと。嬉しいことに、加賀の「菊姫」松任の「天狗舞」も、揃って岡山の読者から送られてきた。口福これに過ぐるあらんや。有り難う存じます。

2004 3・12 30

 

 

* 吉兆は「鯛」づくし。けっこうであった。また、幕間に買っておいた葛菓子が、アッサリと旨かった。

 

* はねてから松屋の屋上階でマゴの新しい首輪を買い、ゆっくり店をみまわってから、高輪方面からくる建日子達と待ち合わせた。途中、久しいおつき合いの島田正治メキシコ風景画展に立ち寄り、久闊を叙し、墨の繪を楽しんだ。島田夫妻とはほんとうに久しぶりだが、そんな気は少しもしなかった。

 

* 鮨の「福助」のうまい具合の席に、四人で角にならび、時間をかけ、十分に食事を楽しんだあと、近くのクラブへ席を移し、クラブがサービスのシャンペンで、もう一度妻のために乾杯し、これも年度替わり会員へのサービスの「赤ワイン」の栓を抜いた。残りは持ち帰った。三時間ほども食事と歓談のあと、保谷まで建日子たちに送ってもらった。

妻は、今日は、イタリー製の、麻に墨でうまく渋く向日葵を描いた上着を、銀ラメのTシャツの上に着ていた。昨日の名鉄メルサでのこれが買い物、贈り物であった。よく似合った。

ながい一日であった。よく妻の体調が一日保った、それがなにより。

2004 4・5 31

 

 

* 新宿の伊勢丹は京都展でした。

聖のさくら生八橋を買ってきました。お寿司の「ひさご」は行列です。京都へ行った帰りは大抵、京都駅伊勢丹地下の此の店(ひさご)の押寿司を、新幹線でのお弁当にします。懐かしくて、美味しくて、満足します。

 

* わたしはあまりコマーシャル仕事はしていない。京の「ひさご」鮨(河原町四条を百メートルほど北へ上がる、西側)は、珍しくそれに似た真似をしたことのある馴染みの店。死んだ兄に紹介されて以降の久しいつきあいである。後発の鮨屋だが、夫婦してとても勉強家で、間口のちっとも広くないうっかりすると通り過ぎそうなこの店は、いつも人が並ぶのである。良心的な店で、鮨も旨い。

2004 4・7 31

 

 

* 晴朗の天気も、容赦なく曇りまた冷えてくる。街へ出た帰り道はもう冷え始めていた。

池袋東武の地下の「仙太郎」で、たっぷり餡をつめてもらって最中を二つと、柏餅のいろいろを買った。店長はわたしの顔を見覚えていて、店頭に出来合いの最中でなく、奧へ入って、餡たっぷりの「特製」を持ち出してきてくれた。次いで酒類コーナーで、十八年ものの紹興酒を一本買った。酒のスタンド「樂」で呑んで行こうかなと思ったがやめて、気に入りのラーメンを立ったままたぐってから、西武線に。電車の中ではずうっと校正していた。ずんずん読めた。手を入れるのは、ヨミガナを振る程度。保谷駅で食パン一斤を買い、タクシーに。乗り込むと直ぐ運転手に「秦さん、はい、お宅までお送りします」と言われ仰天した。以前は黒猫やまとで配達に来てくれていた運転手サンであった、らしい。聞き違いかも知れないが、ああ、びっくりした。

 

* 最中も柏餅も老酒も、うまかった。なんでこんなに食べて飲むのかなあと、バカさに呆れながらも、うまいものはうまいなあと、バカの方を諦めた。明日は、久しぶり、卒業生君の一人と西銀座で会う。明後日は一日休めるので、楽しみたい。そして月曜日はペンの総会。任期はあと一年。もう一年、なんとか頑張りましょう。

ゴールデンウィークは、つまり一週間の毎日が日曜日というわけだ、日曜はあまり好きでない。郵便も来ない、メールも少ない。みんな遠い。友よ、遠方より来たれ。

2004 4・23 31

 

 

* 午後、そんな気もなかったのだが、ハズミで一人出掛け、有楽町交通会館の上の階の丸善売出しで、靴を二足買ってきた。もっと他のものが欲しかったが気に入った何もなかった。丸善も、ひところよりくすんでいる。昔は、売出しの売場にはいると少しワクワクしたものだが、全体に商品が貧相になった。気にさえいれば、背広でもシャツでもその他かためて買いあさって帰ったものだが、そんな気にならなかった。ただ、交通会館、という場所に心ひかれふらりと出掛けた。

靴二足をぶらさげ、引っ越した「レバンテ」を、あのバカでかい建物の奧の奥の方に尋ねていった。一度だけ行った覚えがあり、アソコでなら校正出来ると思った。この店はもともとが有楽町駅前にあったビヤホールなので、禁忌を破るなあと躊躇ったが、ま、連休初日だもんと勝手な理屈をつけ、大ジョッキを注文し、此の店は牡蠣が自慢、牡蠣の入ったオムレツと、クリームで焼いた殻付き牡蠣を頼んだ。一時間半ほど、たっぷり校正、というよりゲラを読みに読んだ。よく読めた。明るいガラスの窓際で、すぐ両脇に客は迫っていたけれど騒がしくもなく、落ち着けた。

 

* 帝国ホテル十七階のラウンジがゴージャスに改装され、今、五月一日開店前のお目見え最中であったので、五時過ぎにバーの「アクア」へ入った。目を疑うほどずしりとくる変わりようで。時間もはやく、広い窓近く、皇居をまともに見渡せるけっこうな席を一人じめにした。わたしは、どんな店でも平服でちっとも気にしない。むこうが気にしていても気にしないから、悠々と一等席をひとりで占め、ウェルカムドリンクのシャンパンをたっぷり貰い、十二年もののワイルドターキーをダブルで。そしてブルーチーズだけを注文した。酒もすてきにうまく、干しぶどうや干し無花果などを添えたブルーチーズもパンもうまかった。

初めの一時間ほどはまだ明るく、ゆっくりゲラが読めた。あとの一時間は、ともしび時の都会の景色を、眺めるともなく、遠い夕あかねに陶然としていた。

 

* 丸の内線で帰った。西武池袋線は快速で眠ってしまい、ひばりが丘駅まで運ばれた。仕事は、何をどう急いでみても、業者は、凸版もATCもお休み。

2004 4・29 31

 

 

* 暫くぶりに日比谷の東天紅で汾酒が呑みたかったのに、移転。仕方なくなんとなく漫然と歩いたが、和食の「金扇」も移転。またまた仕方なく「竹葉亭」の二階に上がってみたが、値だけ高くて「きく川」とくらべさんざんの不出来。

銀座をぶらぶらして喫茶店の「然林房」というのを見つけてエレベーターで上がってみた。エスプレッソがまずまず美味くて、気持ちもゆったりした。甘いような陶酔感があった。

2004 5・17 32

 

 

* 日比谷の鮨の「福助」で夕食し、二合の酒も肴にして、ゲラを読んできた。鯛と穴子と海胆と玉を追加。飯はオシルシほどにして貰う。帰りの電車でもゲラを読み続けていた。

2004 5・17 32

 

 

* 東京會舘で読者と歓談、二時過ぎまでこころよくおつき合いした。池袋に戻り「船橋屋」で天麩羅と甲州の酒「笹一」を枡に三杯、知れたモノ、二合とはあるまい。保谷に戻ってパンを買い、「ペルト」でエスプレッソを淹れてもらい、モカを二百グラム買って帰った。

2004 5・26 32

 

 

* 委員会の前に、菊正で鰻の白焼き二匹を喰い、委員会の後には天麩羅を喰い、そして酒を呑んだ。注射も忘れなかった。家に帰ってから、好きなトミー・リー・ジョーンズとクリント・イーストウッドの「宇宙」もの映画をちょっと楽しんだ。

 

* 見るから美しいしゃぶしゃぶ用の牛肉が、阿波の「花籠」さんから、沢山贈られてきた。メールも。

2004 6・4 33

 

 

* 版画の木田安彦氏から、氏がラベルを創った赤ワインが贈られてきている。桜桃忌までとっとこうかと思っていたが、いたく呑みたくなった。一昨日、たくさん呑もうと思っていたのだが、昼食に小一合、晩はクラブにも寄らなかった。昨日は家で呑まなかった。家に酒を置かなくなったからだ、有るとあるだけ「退治する」と称して幾らでも呑んでしまう。

2004 6・10 33

 

 

* 漸く、ここまではと予定したところまでの用意が出来た。夕食は近所の小さなフランス料理の店へ出た。こぢんまりとして気の置けない美味しい実質的な店で、赤いワインのデキャンタがよく効いた。デザートまでも、実意満点のしかもスリッパ履きの普段着で行けるのが有り難い。鬚もじゃ。しかし元気が出て、夕食後に一気に残り仕事を捗らせた。

さあ、あした。

2004 6・13 33

 

 

* あまり疲労していたので例会は失礼し、日比谷へ歩いて、クラブで、ゆっくり、静かに、うまい酒をのみながら、読みかけの上巻を、のこり数頁まで読み進んだ。風の変わった味付けのソーセージとハム。芥子がうまかった。エスカルゴとパン。そしてアイスクリームとコーヒーで、満足。

2004 6・15 33

 

 

* 一散に大江戸線で練馬へもどり、駅構内の「魚力」で小味な鮨を食べた。酒は佳い銘柄の純米をえらんで二合、美味しく呑んだ。貝の味噌碗。生赤貝と中とろを追加した。

2004 6・16 33

 

 

* 五時半、寄贈本の発送を終えた。終えてみて、順調に送れたことに少し我ながら驚いている。用意がよかった。じつは読者へは下巻の未送が残っているが、これはむしろ或る程度上巻との間隔を開けた方がイイ人達なので、追々に送って行けば事は足りる。

建日子が夜前のうちに隣へ帰っていて、昼飯を一緒にし、晩飯も済ませてから仕事場へ戻ると言っている。今夕は太宰治賞の授賞式とパーティなのだが、ま、息子と付き合って、彼は車の運転があるから呑まないが、わたしは木田安彦にもらったワインか、萬歳楽の純米古酒かで気分をよくしよう。妻は桜桃もちょっと仕入れてきてくれたらしい。これで肩の凝りも少しずつ退散してくれるだろう。

上巻をもう五度も繰り返し読んだという、画家の便りが来ている。鑑賞家とは違い、ほんとうの描き手には今度の本は刺激的であるにちがいない。

 

* 大吟醸の「口吉川(くちよがわ)」が萬歳楽から届いていた。うまかった。濃厚に口柔らか。水のように引けた。飲み過ぎそうで、やっと抑えた。建日子が付き合っていたら忽ち一升の半分以上が吸い込まれていただろう。酒はうまかったが桜桃の代わりのアメリカンチェリーは今一つ口に硬かった。円卓を三人で囲んで。よかった。朝日子の噂もした。

 

* 十時前 作業は現在進行形に追いついた。あとは成り行きに自然について送って行けば済む。ジャッキー・チェンの映画は少しばかばかしく、テレビの前を離れてきた。とても眠い。昏睡しそう。

でも、いよいよ日常の仕事と「ペン電子文藝館」とに戻って行く。

2004 6・17 33

 

 

* 巣鴨へもどり鮨の「蛇の目」で夕食した。この、妻とは二度目の芝居帰りの鮨が、うまかった。いいタネをつかうなあと感じ入り舌鼓をうった。若い板さんはわれわれをよく覚えていて、息子のことまで尋ねてくれた。

秦建日子脚本の天海祐希主演「ラスト・プレゼント」は七夕の十時から始まる。

2004 6・30 33

 

 

* 竹西寛子さんに上等の「昆布」を頂戴する。

吟醸古酒「萬歳楽」を酒蔵から贈られ、やっぱり辛抱無く、美味しく戴いた。

蕎麦、素麺、うどんなども。何でもかんでも美味しく戴いてしまうので、落とした体重を維持するのに四苦八苦、しかし美味いものは美味いうちに喰っておきたいものね。

同じように佳い戴き「本」は、かかさずすかさず読んでおきたい。

2004 7・1 34

 

 

* 岡山の有元さんから、輝く宝玉のような大粒二種類の葡萄がずしりと贈られてきた。果物を戴くと、この葡萄にしても、山形からの桜桃にしても、あまりの美しさについ「宝玉」と譬えてしまい、智慧の無さに苦笑するものの、実感である。なんと美しい照り・輝き・色だろうと惚れ惚れと見入ってしまう。戴いた嬉しさも加味されているだろうが。

自然のものの自然の色彩といえば、その道の人には人工の添加をいってわらわれるかも知れないが、それでも瑞々しさといい姿といい、素直に見入ってしまい飽きない。果物には糖があり沢山は許されないが、それでもあの桜桃など、贅沢この上もなく沢山戴いた。岡山の葡萄も、栃木のメロンも、また桃も、西瓜も。うぶすなの恵み。忝ない。

2004 7・9 34

 

 

* おそるべき熱暑の街に辟易した。帰途、池袋で途中下車、東武地下で「マオタイ」と「龍山陳酒」を買い込み、それを飲む楽しみをちからに、一路帰宅した。

 

* マオタイ。最高。

2004 7・13 34

 

 

* 病院に着くとすぐ血液と尿の検査を済ませ、糖尿外来に申告すると、その足で、食堂へ。明るい、池の見える窓近くでビーフシューの定食を平らげながら、建日子の呉れた『ゲド戦記外伝』に読みふける。アースーシー世界のことは、多年愛読翻読しているから「通」であるが、さらに、作者自身がこの世界の久しい歴史に補足的に幾つかの作品を書き添えてくれたのが、『外伝』である。今読んでいる「カワウソ」は、「ゲド」の物語より三百年ぐらい以前の優れた魔法使いの物語で、多くのわたしの記憶を、かっちり根固めしてくれる。なんというニクイ本だろう。

その一方で、昨夜来、ある物語のもやもやがアタマの芯で動き始めていたが、この食堂での読書の間に、ときどき窓の外へ眼を遊ばせているうち、なんだかムズムズと着想がサマになりかけてくるので驚いた。

午前中に病院に着いておいた功徳か、一時予約が、一時にはもう診察室を出て会計も済まして来た。診察のデータはたいへん宜しく、お医者様のお褒めにあずかった。血糖値に問題なく、なんだかいつも気にかけられているナンタラというものの値が、一時は入院を医師に思案させるほどだったのが、グイグイと下がり、もう一息で望ましい正常値にまで届きそうだから、「ああ、このままでいいですね、けっこうですね」と。ウヒヒ。マオタイは飲みドクであった。

 

* で、あつかましく、天麩羅と鰻と鮨が好きなんですが、どれがいちばんワルイですかと聴くと、「天麩羅」ですねと落胆を強いられた。その瞬間、いちばん愛しているのは天麩羅だと悟った。事のついでに酒は蒸留酒と発酵酒のどっちがいいですかと。蒸留酒の方がいいでしょうね、「然し、飲み過ぎはいけません」と釘をさされた。マオタイを丸飲みしたとは言わなかった。

仕方なく、帰りに「きく川」に寄り、鰻にした。「菊正」は二合。キャベツの塩もみ。

ところで、予感していたのだけれど、わたしと鰻との、長きに亘るご縁は、そろそろ終熄しそうに感じる。前回か前々回かから、どこで鰻を食べても、も一つ物足りない。いや、かすかに生臭く感じるようになっているのに気付いていた。三度も四度もつづき、いちばん気に入りの店でもそうとなると、とうどう鰻はわたしのメニュから「上がり」になったんだなあと思うのである。

もともと、「秦さん鰻はいいんですか」と聞かれてきた。からだに良い悪いではない、気味悪くないんですかということだ。実は、多年、押し殺すようにして、「鰻は別だもの」「鰻はうまい」「鰻は好きだもの」と自分に言い聞かして、かすかに勇をふるって愛食してきた。

それが、どうやら年齢も働いてか限界に来たらしいのである。百年の恋がじょじょに薄れたというと薄情だけれども。

いやもう随分楽しませて貰いました。それでも、もっともっと回数だけは少なくなりますが、また時にお目に掛かりますので、怨まないで頂戴、鰻さん。

2004 7・16 34

 

 

* ソニービルの前で会い、すぐ地下鉄銀座線で浅草へ。ものすごい人出は、例年に同じ。天気は回復して花火には絶好。

卒業生君は、彼女を同伴して、いとも元気。彼女、小学校の先生だという。うん、これはよしよし、リアリティあり。さっさと結婚してしまえと、安心してそそのかす。二人とも仲良し。迷子にならぬように手を繋いでついてこいよと言ったら、その後はずうっと手を繋いで、幸せかと聞くと二人とも、ウン、うん。けっこうです。

雷門のすぐわきの「三定」で特上の天丼。これは実質的におみごとな天重で、わたしは、禁制の天麩羅なれども、えたりや応と、満喫した。こってりと美味く食った。ビールは三人で一本にした。支払いの時に、カウンターに置いてあった子持ち猫のちいさな作り物を買い、いい記念にしろと若い二人にやった。グッド・ラック!!

仲見世から浅草寺本堂前に出て、さらに奧の言問通りを越えていった。

太左衛さんは、金澤公演。前もって彼女からよく連絡をつけて貰っていて、難なくめざす屋上へあげてもらった。その前にビルの下のローソンで、缶ビールや四号瓶の酒を二本、おつまみなどを仕入れていった。

例年のようないろんな接待や仕出しは今年はなく、人数も少ない。わたしたちのために新たに大茣蓙一枚が供されて、屋上の一角で三人のびのび坐り、わたしのためには椅子まで出されて、らくらくと、目の真ん前に打ち上がるみごとな花火を、立派に美しい花火のかずかずを、嘆声とともに堪能した。例年よりもひときわ見事に感じたのは夜空がぬけるように晴れていたからだ。いやいや、すばらしかった。

 

* 酒は一本しか飲まなかった。缶ビールは各一つ。残ったのは二人が持っていった。帰りにどこかで酒盛りでもするのだろう。日比谷線地下鉄入谷から二人を横浜方面へ帰し、わたしは、行き当たりバッタリの洋食の店に入って、ハーフボトルの赤ワインで、エスカルゴや酒蒸しの浅蜊やオムレツを食った。バター、でパンも。エスプレッソも。

そういえば、去年は一人で花火をみせてもらい、帰りには「米久」ですき焼きを食ったのであった。食べていると機嫌が良い。なんでこんなに食欲があるのだろう。

鶯谷まで歩いて、女達にいっぱい声をかけられながら、さらさら捌いて山手線で池袋へ。そして保谷へ。

2004 7・31 34

 

 

* いろいろ仕事もしメールも読み、送られてきたなかなか上手な小説も読んだ。ペン会員出稿の長い長いノンフィクションも読んだ。あんまり長い、なんとかしてとメールで頼んだりもした。あっというまに日付も替わり深夜に及んで、少し空腹。今時分食べたりすると、ますます体重は危機に瀕する。夏は疲れるからとリクツをつけてしまう。56度の中国のスピリットで、ライチ酒をカクテルにすることを覚えて、みな呑んでしまった。いじぎたないのである、往年の欠食児童は。飲み食いして精神衛生をやっている、悟りなんて来るわけないか。

2004 8・5 35

 

 

* 栃木の葡萄をたくさん頂いた。びっしりの一房をまるまる食事代わりのようにそれだけ賞味させて頂いて何食分もある。巨峰の大きなのをたっぷり頂戴し終えたら、相次いで今度は小粒のが密生した豊かな房。果物はほんとうにうまい。甘い。気が、すずしくなる。

2004 8・12 35

 

 

* ブリジストン美術館からそのまま銀座へ歩いて、あっさりもいいけれど、今日は「こってりも好きです」というので、一丁目のフランス料理「シェ・モア」に入って晩飯にした。この店はグルメの西村京太郎が一押しだったわたしも繰り返し顔なじみの名店、すばらしい岩牡蠣の特別セールもしていたので、それも加えて貰って(連れの彼女は牡蠣だけはダメというので、わたしだけ。)、まず、シェリー、それと佳い赤ワインで「こってり」と美味いコース料理をなんと九時半までかけて食べかつ話した。今日はもうその気で出て来ていたので、「シェ・モア」を出ると散歩がてら日比谷へ歩いて、「クラブ」に入り、レミ・マルタンをブランデー・グラスで静かに呼吸するように一二杯。もう十時半ちかくになっていたので長居せず、有楽町駅に送り届けて、わたしは都合よく地下鉄直行、保谷まで帰った。車中、ずうっと蕃社の獄など、江戸洋学の受難のながれに読みふけっていた。あやうく午前様にはならなかった。

2004 8・13 35

 

 

* 四国の「すだち」をたくさん戴いた。レシピもついていて、素麺などによいと。昨日早速にそのように妻は冷素麺をつくったが、口さっぱりととても佳い。つい食べて、体重はこのところリバウンドしている。炭水化物をとると必ず体重として蓄積される。

建日子は一時わたしを凌駕するかという所まできて、よほど狼狽したか厳格に炭水化物を棄てた食事を励行、かなり体格がスッキリした。わたしも何十年かの経験と自覚で、炭水化物を徹底して棄てたときは効率よく体重をさげてきた。夏場はとかく冷素麺などが口あたりよろしく、それがしかし、困る。

2004 8・23 35

 

 

* コンクールに優勝していた「ねぶた」淡麗純米酒を飲み干し、どうにもガマンならずに「竹鶴21」の封も切って、まろやかにまろやかな美酒を口に含んだ。うまい。なにとなく夏のひとくぎりを、もうつけてしまおうと思ったのだ。この最良のウイスキーの瓶だけを鞄に入れ、カメラも持たずにふらっと旅に出るのもいいかなあ。

2004 8・24 35

 

 

* コンクール金賞の「ねぶた」と紹興酒と「越乃寒梅」と、なんとまあ「竹鶴21」も、みーんな八月に呑みきってしまった。またお酒は払底、それもよし。そろそろ冷や素麺の季節も終えて、八月は今日で尽きる。

2004 8・31 35

 

 

* 今日は何が何でも浅草の「米久」ですきやきが食べたい一心で、出かけた。

一年余り前、隅田川の花火のあと、酩酊のまま更に食べに寄り、支払いを済ませて立ちかけ、ついた手で卓ごとひっくり返したことがある。記憶されてないかなあとひやひやして行ったが、むろん憶えてる気振もなく安心して満腹し、銀座へ戻り、明治屋でブルーチーズと白かびのを買って、有楽町線で家に帰った。

校正も捗った。

2004 9・6 36

 

 

* 街は雨よりも強風。ついには帰りの西武線で、風に飛ばされないようにとホームの待ち乗客に警報。雨はさほどでなく。保谷駅でタクシーをしぶとく待ちすぎて三十分。歩けば往復できてしまうほど。炎暑の名残は風と蒸し暑さ。みんな夏バテ、会議にならずじまい。ま、「ペン電子文藝館」は委員が誠実に校正して下されば、進んで行ける。新しい展開をわたしは腹案として練っているけれど、いずれにしても残す任期は半年。無理に新しい仕事は追わない。湖の本の校正は今夜にも一応の初稿があがる。

禁断の江戸前天麩羅。値のワリにタネの種類は少ないが、海老もふとく大きく、烏賊の揚げ具合も美味、めごちは二尾を一度揚げしてデカい。かき揚げも普通の倍近い。白い飯に天丼風にすると贅沢な味。正味を賞美。酒は控えめに。

2004 9・7 36

 

 

* 滋賀県の読者から、今年もおいしく漬けた梅干しが、生姜や紫蘇といっしょに、たっぷり送られてきた。梅干しや紫蘇を食べない日はないのである、わたしは。

赤ちゃんのアタマよりずっと大きい梨が栃木の読者から。甘い。そして半分もいただくと満腹する。建日子は、梨がいちばん好きな果物ではなかったか、先日も幾つも持って帰った。

2004 9・19 36

 

 

* 食べに立ち寄りたい店は幾つもあった。けれど今日は肴が欲しくて「福助」まで足を延ばし、お好みの握りに酒を三合。呑んで食べながら、鶴見さんとの対談、下村・西山先生との鼎談を通読。板サンの苗字が、八倉巻。おまけに「そいつ」を巻いてと頼んで、板サン工夫の巻物を喰った。八種類をミックスした丁寧な不思議の味わい、けっこうであった。超満腹して、店を出たときとてもこのままクラブへは行かぬ方がイイと要心。西銀座ビルの中を通り抜けながら、おやっと目にとまった服を妻に買って帰った。ピタリ。

2004 9・28 36

 

 

* 祇園新橋に「かき春」という店がある。むかしは四條京阪のえきにまぢかい疏水のうえに船の屋形で牡蠣料理の「かき春」は浮かんでいた。いつかこの店に入りたいと子供の頃から前を通るたび奥ゆかしい気がしていた。風情のとても佳い店だった。

大人になり月給などもらうようになって、休暇で帰ったある季節、両親と叔母と、こっちは夫婦とちいさかった朝日子と、つごう六人で「かき春」をわたしが奢った懐かしい思い出がある。父や母や叔母の嬉しそうな顔の佳い写真がのこっている。父はネクタイしてチョッキなど着て、桂文枝にそっくりだ。父はたしかに少し粋ふうの遊び人の風情を若い頃はみせていた。文枝の落語をはじめて聴いたとき、たまらなく父に似ているので、咄のうまさよりもそのことでわたしはオロオロしたのを忘れない。その文枝を、今は名張市の囀雀さんが盛んにオッカケている。たぶんわたしの書いた何かでそんなことも雀さんは知ったらしいのである。

牡蠣はうまい。好きだ。が、鰻とおなじで、ことに生の牡蠣は食べる寸前にすこし緊張する。ぷりぷり煮えていても少し緊張する。あまりにエロチックな食べ物のように想えて緊張するらしい。

2004 10・9 37

 

 

* 銀座「笹や」へ寄ってきた。「山名」の風景画が観たかった。絵を観ながら、「生うに、赤貝」それに「鰈の焼き物」で酒二合。山名の絵をこの店に飾らせたという山名の旧友美谷氏夫妻と偶然出会わせて。おどろいた。

 

* 帰宅、即刻、本の発送作業にかかった。

2004 10・15 37

 

 

* 読書のあと、いつもより早くにぐっすり寝付いて、颱風がどんなふうに通り過ぎたか知らない。朝もゆっくり寝入っていた。

京都の「ひさご鮨」から松茸が籠で届いて、床から出た。外は、はじけるほどではないが明るい。

2004 10・21 37

 

 

* で、妻はバテてきた。なんとか脚をひきずるように有楽町まで行き、行き当たりばったりの店で、わたしはビールを妻はジュースを。しばらく休息のあと、「笹や」へ行って妻に例の風景画をみせてやり、この間すてきに美味かった鰈をまた焼いて貰い、妻はかぼちゃだの小芋だの蕗だのの煮しめももらって、白いご飯と漬け物。なにしろ六時前に漸く開ける店へ五時にとびこんでしまった。素樸そのもののおじさんとおばさんと二人でやっている、いわば家庭的な季節料理のお店である。

2004 10・28 37

 

 

* 水天宮まえのスイレンでラーメンとマオタイを狙っていたが、賛成が得られず、どら焼きを買って帰ろうと楽しみにしていたのにもう閉店していて、仕方なく手ぶらで銀座経由、池袋経由、帰宅。お萩が買ってあり、えたりやおうと食べた甘味がよかった。

2004 10・28 37

 

 

* いい感じに空腹であった。地下の中華第一楼へ久しぶりに入り、うまい紹興酒二合で売り出しのセツト料理を食べた。美味かった。

もう足下が有楽町線で、ホームへ降りて行くと目の前へ保谷へ直通の電車が来て、すんなりと帰宅した。

2004 11・7 38

 

 

* 銀座で二つの小さな個展を覗いてきた。

一つは、まだ三十前後かほぼ素人女性の画展で、もう一つは京都芸大の名誉教授の画展。

その足で銀座から有楽町へぶらりと歩いて、こぢんまりとシックなビヤホールで休息し、明治の歴史を読みながら、とびきり辛いカレーライスでこの店自慢の生ビールを一杯飲んできた。カレーにはコーヒーもついていて、気持ち落ち着いた。本に疲れると、ぼんやりいろんなことを思っていた。

有楽町線はまぢかい。クラブに行って少しうまい酒を飲んで行こうかなと思ったが、やはり帰ることにした。

2004 11・12 38

 

 

* 十分足らずで日付がかわる。階下へ降りて、すこし休もう。秋もこうまで更けてきたが、思えば秋刀魚をこの秋は食べていない。不思議な秋だ。

秋刀魚にがいか しよつぱいか と歌った佐藤春夫。大概の人があれは「秋刀魚」の詩だと想うようだが、ちがう。あれは「こころづま ひとに抱かせて」と、恋しい千代夫人の夫谷崎をうらんで、苦衷をのべていたのだ、「秋刀魚、秋刀魚」。とびつくほどではないけれど、大根おろしとよくあい、美味い。春夫がひがんでいるようには秋刀魚の「わた」など好きではないが。

千代さんはのちに春夫の幸せな奥さんになった。いわゆる細君譲渡事件。谷崎が理想の松子夫人を手に入れる、大きな運命の布石であった。

2004 11・18 38

 

 

* 今夕は山名の絵をみながら「笹や」で煮しめの芋や椎茸などを食べてみたかった。鰈もこの店のは清潔にうまい。しかし、ナントカかとかしているうち、外は夕闇に濡れてしまい、すると、心寂しくて出て行けなくなった。「おかか昆布」で萬歳楽を少し飲み出したのも利いた。残り惜しい気はするが、からだに疲れもある。新しくなるテレビでも観て、今夜ははやめに寝たい。

2004 11。22 38

 

 

* 明日は、七時には出掛けて眼科の視野検査、大々の嫌い。担当医が開業退職で、医師の顔が変わる。いい顔だといいがなあ。もうやすむ。

明日は何の約束ごともないし、お天気がよければ羽をのばして、またどかでボジョレーの瓶を明けてこよう。銀座の「シェ・モア」がいいかしらん。湯島の「天庄」で天麩羅にするか。「三河屋」の洋食もいいが妻も云うようにあの店は量が多い。「中納言」の海老、なら六本木の「瀬利奈」まで行くか。すうっと帰ってきて地元の「フィレンツェ」なら、ワインはしっかりと、何でもある。

そんなことでも考えていないと眼科はユーウツ。

2004 11・24 38

 

 

* 特別食堂で帝国ホテルのコースを注文すればボジョレーヌーボーも頼めるかと思ったが「当店」では置いていない。四千二百円のステーキ定食を頼んだら、なんと田境の弁当仕立てでがっかりした。まずくはないが気分は落ちる。佳いグラスワインも頼んだのに、艶消しであった。

それでも満腹、げほっと疲れが増し、竹橋まで地下鉄東西線がちょうど良いとアテにしていたのも諦め、銀座までよたよた歩いた。銀座へはいって間もなく「一穂堂」で藤平伸氏らの作を置いた陶藝の店が目に付き、エレベーターで三階まであがり、愛想のいい若い女の店員と話しながらこぢんまりした店内の沢山なやきものを暫し楽しんだ。なかに、医学書院の頃の部下であった橋本成敏君の茶碗もみつけて、懐かしかった。聖路加の大院長であった寛敏先生(日野原先生より前の名誉院長)の息子だか孫だかにあたる。働きの極端にわるい社員であったけれど、転進して才能を培ったということ。彼の作の大鉢を以前に買上げたこともある。

で、もう疲労は極限、有楽町線と西武線とを乗り継いで帰宅。タクシーがなく、ふらりふらり歩きながら、ずいぶん景色の変わった御幸道を、デジカメにおさめた。

2004 11・25 38

 

 

* きのうの帰りに池袋東武で「マオタイ酒」を買って帰った。痛烈な芳醇な奇特な中国酒、わたしの最も愛飲する名酒だ。この燃え熾る強い酒を、日本酒の三倍以上も強烈な酒を、むろんストレートで、今は数杯の盃に盛ってわたしは飲む。ほとんど酔わない。そのまま仕事が出来る。せいぜい少し睡魔の訪問がある。

2004 12・3 39

 

 

*「吉兆」のうどんと出汁、岡山の豪華な清酒二種、そして缶ビールの詰め合わせが一時に届いた。

2004 12・4 39

 

 

* 三百回に及んだうまいものを食う「みらくる会」に出て来た。東京會舘。一万八千円の会費で立食、いつ何処ででも出会う程度の食べ物で、何といううまみも無かった。ひたすらワインだけを呑み、堪え難くつまらなくて、途中で抜けだし、帝国ホテルのクラブへ移動。21年ものの「響」の残り少ないのを飲み干し、 50.5度という新しい「響」を置くことにした。ウイスキーで50度を超すのは、あまり例がない。強い酒がうまい。宜しくない、のだが、うまい。

2004 12・7 39

 

 

* 猛烈に呑んできた。寝込んでいた終点の池袋で、人に起こされてきた。乗り継いだ西武線では、保谷まで「日本の歴史」を読んでいた。

2004 12・7 39

 

 

*  流されてゆくような師走で、メールにも、追われてアプアプしたのが混じる。あわただしい。熱い牡蠣フライを食べなくて久しくなる。食べたい。 さ、もうやすもう。

2004 12・8 39

 

 

* バスで新橋まで。そして歩いて帝国ホテルに入り、予約しておいた「セゾン」で夕食。食前にシェリー酒。コースのフランス料理は今晩は献立優秀で、とくべつおいしかった。エゾシカの背肉も甘鯛も、とにかくソースがことに親密にうまく出来ていて、どの料理もしみじみ美味かった。デザートもたっぷり、お祝いのオマケまでたくさんついて、食べきれなかった。写真まで、撮ってくれた。

五階のクラブへ席を移して、此処でも佳いシャンペンで祝われ、50.5度という「響」のうまいのをじっくり実感した。さすがにもう食べられなかった、ゆっくり休息した。

 

* 新橋寄りへ歩いて、バー「ベレー」へ。漫画「フクちゃん」の横山隆一ゆかりの漫画家たまりのバーで、以前はよく此処へ妻と来ていた。糖尿以来疎遠にしてきたが、今年いっぱいで閉店するというので、慌てて、今夜久しぶりに顔を出したが、ママの「すまちゃん」は病気で、バーテンダーの「山ちゃん」に迎えられ、一時間半ほどもユックリしてきた。朝日新聞の渡邊氏と初対面で、建日子の『推理小説』なども話題に、写真を撮ったり撮られたり、いろいろと楽しく話がはずんだ。この店へは、朝日子も建日子も連れてきたことがある。客をみる心眼無比のママに、見合いの日、朝日子と婿殿候補を連れて行ったこともある。すまチャンが渋い顔をしたのが忘れられない。

「きよ田」「ピルゼン」「こつるぎ」また一つ、久しいなじみの銀座の名物店「ベレー」が閉店するのは、寂しい、と言うもおろかである。

 

* 妻はそこそこ元気であった。ゆっくり、保谷まで電車を乗り継いで帰った。駅からタクシーに乗った。黒いマゴが嬉しそうに迎えてくれた。

2004 12・10 39

 

 

* 銀座の「江戸源」は、むかし此処の二階で「冬祭り」連載の依頼を受けた店。ここで、おでんと飯蛸の煮たのや鯛の刺身で、酒と焼酎をしっかり飲み、それから今年ぎりで閉店の隣のバー「ベレー」へ行った。朝日新聞に、先日此処で出逢った記者さんの署名記事がびっくりの大きい写真とともに、嬉しいほど大きく出ていた。病気療養の「すま」ママとも逢えて、ここでまたたっぷり楽しく飲み、さらに帰りがけ、「寿司幸」の二階に上がり、うまい肴と寿司と少を食べ、も少し飲み、隣り合った若い噺家とも歓談し、したたか酩酊して保谷まで帰った。途中、いささか心許ない危なっかしい事もあったか知れない。酒も、食い物も、気分も、良かった。理事会のあとはいつも、こういう時間が欲しくなる。

2004 12・15 39

 

 

* この三十分幕間に、吉兆で食事した。師走の献立、今月はことに美味く、八寸をはじめ、一品として当てはずれがなかった。ことに刺身の寒ひらめ、いかがよく、大根、えび芋、冬至南瓜、菠薐草、ユズという焚き合わせ、いつもなら遠慮したい野菜の味付け上々、そしてゴマ豆腐の白味噌仕立て。焼き物も飯も贅沢であった。めでたい誕生日の食事ができた。吉兆特製の冷酒一合。

2004 12・21 39

 

 

* 茜屋珈琲店へ出て、わたしは珈琲、妻はいつものなんだか柘榴をどうしたとかいう呑み物で、休息。

四時半から夜の部。座席は昼も夜も成駒屋の好配で最良。

2004 12・21 39

 

 

* 妻が今日も行きはそうでもなかったが、帰りには元気になり、歌舞伎座から歩いて「べれ」まで行き、賑やかな店内に歓迎されて、小一時間を「すまママ」や「山ちゃん」や他の客達と楽しんだ。水割りをわたしは三杯ほど、妻も一杯飲んでしまい、続々来るお客に席を譲って帰ってきた。電車では汗ばんだ。保谷駅に降りると冷えた夜気が心地よく、タクシーにものらず、歩いてゆるゆる帰った。家に、かつがつ「今日」の内に帰り着いた。黒いマゴが玄関に鎮座して待っていた。

2004 12・21 39

 

 

* 大泉学園の方でペンの田中真由美さんの詩稿を受け取り、喫茶店でコーヒーをのんで暫時歓談。おいしい和菓子の手土産を頂戴した、これが掛け値無い逸品。東京で和菓子を貰ってきた中で、最高級に属するか。

2004 12・25 39

 

 

* おはようございます。

不思議ですね。先生にメールするとき、緊張しているにも拘わらず、なぜか頬がゆるんで微笑んでしまうのですよ。「闇に言い置く」に毎日励まされております。ありがとうございます。

ちょっと忙しくしておりました。NPO法人「たねや近江文庫」なるものを起ち上げました。どうなりますことやら。独立してしまうと気が楽になりましたが、かえって忙しくもなりました。軌道に乗せて、若い人にバトンタッチして、と思っております。

お餅送りました。村の忠三郎さんの糯で搗いたものです。近在でも一番美味しいと評判なのです。ご笑味ください。それから、以前「たねや」の商品開発をしていたちょっと面白い、職人気質まるだしの人物がおり、二年ほど前、岡山で独立しました。仲良くしていた関係上、お店の名前をと頼まれ、「籠(こ)もよ」とつけ、ロゴなども親戚の書家に依頼して協力したのですが、なかなか美味しい和菓子を作るようです。はなびら餅(こんな和菓子があるなんてたねやに入るまで知らなかったのですが)を、お正月に間に合うように送らせました。

今年はほんとうにいろいろとお世話になりました。どうか佳いお年をお迎えくださいませ。  近江五個荘

 

* 到来のお餅、即座に二切れ頂戴した、申し分のないうまさで、江州米の豊かにピュアな魂にふれた心地。

そして下関からははや「獺祭」と銘打った清酒、京都からはとびきりの銘茶。

2004 12・27 39

 

 

* 雪。歳暮凛々。神戸の芝田さんに丹波産のとびきりの名酒「奧丹波」を戴く。暮れと正月、わたしは幸せにいろんなお酒に恵まれている。血糖値を測り測りながら、体重も量りながら、また掌の赤く染まり行く度合いを慎重に眺めて肝臓への負担を慮りながら、酒の美味を、いろいろに堪能したい。

2004 12・29 39

 

上部へスクロール